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Let God's word be Heard

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お父様の犠牲の道を相続させてくださいお父様!
きょうは安息日でございます。
子女たちと共に
お父様の栄光に接することができるようにしてくださり、
高く貴いあなたの人格に接することができるようにしてくださり、
あなたの所願成就の勝利的一念を、
私たちが体恤できる
今朝となるよう許諾してください。

お父様!
この全宇宙を創造なさったあなたの聖業が、
私たち人類の始祖によって、
このように蹂躙されたという事実を考えますときに
悲しいことが重なれば重なるほど私たちは
あなたの前に面目ない者たちとなるということを、
はっきり感じなければなりません。

私たちの責任をお父様が独りで負い、
歴史路程をこの上なく悲惨に、
この上なく凄涼に、
この上なく寂しく歩んでこられたということを、
私たちは知るようになりました。

今、これを知った私たちは、力を尽くして
お父様のみ名を
高く賛揚しなければならず、
精誠を尽くしてお父様の貴い心情に倣い、
私たちのすべてのものを犠牲にしなければならず、
あなたが今まで開拓してこられた
開拓者の犠牲の道を、私たちが余すところなく
相続しなければなりません。

お父様!
ここに集ったあなたの子女たちをご照覧ください。
私たちは幼い者たちでございます。
私たちは足らない者たちでございます。
私たちはこの地上に
何の望みもなく生きた群れでございました。

それにもかかわらず、お父様の名を呼ぶことのできる
聖なる場に同席させてくださったお父様の前に、
本当に感謝をお捧げ申し上げます。

私たちが襟を正し、
お父様の名を呼ぶごとに、
あなたのすべての苦労を相続することができ、
深い心情の流れを通して
お父様を呼ぶことのできる真の孝子孝女となるよう
許諾してください。

数千万代悲しかった
お父様の恨みの積もった心を押し開き、
私たちがすべての事由を打ち明け、
お父様の悲しかった恨みを相続し、
数千万代もつれていた
怨讐に対するすべての恨みを、
完全に解怨成就してさしあげる、
あなたの子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によって懇切にお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六八・一二・八)

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お父様の心情の懐に抱かれ得る子女とならせてくださいお父様!
この世界には数多くの集まりがありますが、
その中で取るに足らない環境の中にある
不足なる子女たちが集いました。

私たちはお父様が求められる基準を備えたものでもなく、
お父様を所有するために集ったのでもございません。
足らない自分を抱き締め、
真に深い心の流れを通して、
お父様の前に悔い改めようとしますので、
私たちの心を動かし、
お父様の事情の因縁を渇望することのできる
この時間となるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

お父様は無限なる権威と能力をもって、
この地と数多くの人々を支配してこられましたが、
私たちはお父様の能力よりも、
お父様の慈悲の恩賜を待ち望んでおりますので、
お父様のみ言を回顧しながら「お父様」と呼びますとき、
お父様の心情の懐に抱かれたい
懇切な心が爆発し得るよう、
私たちの心に革命を呼び起こしてくださり、
心情の変化を呼び起こしてくださいまして、
私たちが神様のものとして
取られ得るようにしてください。
その姿を心から願っておりますので、
お父様、
ここに訪ねてきてください。

あなたの事情が私たちの事情となり、
あなたの願いが私たちの願いとなって、
あなたの心情と私たちの心情が
一致しなければなりません。

そうして、
お父様が悲しみに処されれば
私たちも悲しみ、
お父様が喜ばれれば
私たちも喜ばなければなりません。

私たちはあなたを主として、
あなたの相対たる実体として、
あなたと共に一致化できる姿を渇望しながら
この場に集いましたので、
そこに該当しない
一切のものを除去させてくださり、
そこに完全に符合することができ、
吸収され得る本性の心を呼び起こしてくださいまして、
お父様の息子たる自覚と娘たる自覚を持つことができるよう、
この時間役事してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

そうして、
お父様のみ旨の前に立てられたあなたの子女たちとして
恥ずかしくない、天の権威を持って
現れることができるよう
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六八・一一・一七)

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心情で体得する子女とならせてくださいお父様が天地創造の理想を中心として、
果たそうとなさった願いのひと時が、
いまだにこの地上に現れ得ないことを
知っております。

万物をお造りになり、人間をお造りになるときの
お父様の喜びは大きいものでございましたが、
人間を中心として
永遠の生命と永遠の愛をもって築かれた、
善の家庭を慕われるお父様のその心情を、
いまだに酌み取った者もなく、
体恤した者もこの地上にはいないということを、
私たちは知るものでございます。

人間の始祖がお父様に仕えることができず、
お父様のみ意の中で抱かれ得ないことが
恨めしく、悔しく無念なことであることを、
私たちが心から悟らなければなりません。

お父様が私たちと出会って
事由を分かちたい所は、
私たちが今まで生きてきた現実の環境ではなく、
次元が高いお父様の心情の世界だということを、
私たちは悟らなければなりません。

その世界は、
堕落によってからみ合った事由を中心として
なるものではなく、
すべての事由を越えに越えて、
真情なる本然の因縁を中心として
感じ、挙動することのできる
そのひと時をお慕いになっておられる、
お父様の心情を中心としてなされることを、
私たちが心から理解できるよう
許諾してください。

私たちが言葉でだけ感じるというのでなく、
心情をもって体得できる場に立てるよう、
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちの動脈に血が流れることをもって、
お父様が生きておられることを感じようとし、
呼吸の音からも
お父様の息遣いを感じようとし、
皮膚の感触からも
無限なるお父様の慈悲のみ手を感じようとする、
あなたの子女たちとなりますよう
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
深く気高いお父様の
慈悲深い心情の中にたっぷり浸り、
あなたの慰労を受けることができ、
天真な幼子のような心情を備えることのできる
ひと時を持てなかった私たちが、
どれほど悲しい者たちであるかということを分かるようにしてください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六八・一一・一七)

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お父様と共に本然の春を迎えさせてくださいお父様!
春はやはり解放を象徴するがゆえに、
私たちがお父様の愛の懐に抱かれる喜びを
もう一度慕わなければなりません。

春は出発を約束しておりますがゆえに、
私たちはお父様の愛の懐に抱かれ、
新しい出発をしなければなりません。

春には森羅万象が和動するように、
私たちがお父様の愛の懐に抱かれて、
万宇宙と和動することのできる主体性を
復帰できるよう許諾してください。

春は歌と踊りの因縁を醸し出すように、
私たちもお父様の愛の懐中で、
お父様の愛を中心として
そうできる時を慕わなければなりません。

お父様のみ旨を中心として、
この春は一つの安息の土台となるように、
私たちもお父様の愛の懐に抱かれて
安息する者となることを、慕うことができるよう
許諾してください。

お父様!
そうして、
お父様の内的な事由をすべて相続することによって、
エデンの園において望みの中に
新しい出発をすることができ、
望みの中でお父様の愛に浸ることができた、
その本然の人間を、もう一度
内的に慕うようにしてください。

この春を迎え、そのような因縁を感じ、
お父様の前に無限に感謝を捧げることができるようにしてくださり、
そのような心の園となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
春が持っているすべての要件を、
各自の心の園にもう一度再現させてくださり、
お父様が自らそこにとどまられるよう許諾してください。

人間だけの解放ではなく、
人間だけの出発ではなく、
人間だけの和動ではなく、
お父様が解放されなければならず、
お父様が出発なさらなければならず、
お父様が和動の中心体とならなければなりません。

それこそ、お父様が腕を広げて
踊りを踊られ、歌をお歌いになることのできるお父様として、
私たちが敬ってさしあげなければなりません。

お父様が安息なさる
永遠の土台を築いてさしあげることのできる
私たちとならなければなりませんので、
この春を通して、そのような知恵を学ぶことのできる
この時間となるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六八・四・二一)

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真の息子・娘の資格を持たせてくださいお父様の前に父母への誠心を誓うことができ、
あなたの心の中にとどまることのできる
息子・娘の姿となるようにしてください。

お父様!
お父様を愛さずにはいられない
恋しい心と欽慕の心がつのり、
自分の意識を失い、倒れて
死んでいくとしても、
お父様を慕う
息子・娘となるよう許諾してください。

お父様のみ旨を成就すべき目的を持ち、
ありとあらゆる忠誠と犠牲を捧げても足らない自らであることを、
恥じようとする多くの子女たちとなるよう、
お父様が待ち望んでおられるということを、
私たちは知りませんでした。

統一の子女たちが、
自分自らの喜びをお父様の前に見せそうなので、
その顔を覆い、自分の喜びを押さえつけながら、
天のお父様の喜ばしい姿を見るために努力しようとする、
あなたの子女たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
み旨の前に立った先鋒の勇士として、
現実的関係で引っかかる内容が
何もないようにしてください。

完全なお父様の愛を中心としては、
個体も一つの血統を受けた
貴い兄弟であることをよく知っておりますので、
お父様の悲しみに共に動じ静じようとする
子女たちとなるようにしてください。

お父様のくびきを身代わりして背負い、
そのくびきを解いてさしあげることのできる
真の孝子孝女たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
ここに集まったあなたの子女たちは、
既にお父様の前に誓った子女たちでございます。
その体と心をあなたの前に捧げると
千万遍誓いましたので、
その体をお父様の前に
きれいに捧げるよう許諾してください。

体を聖別して、お父様の前に永遠に捧げ奉り、
お父様の愛を身代わりして表す
息子・娘になろうと努力する、
あなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六七・五・一四)

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真の孝子となり、責任を完遂させてくださいお父様!
あなたが、永遠に離れようとしても離れることのできない
私たちのお父様であることを知りませんでした。

あなたの悲しみは何でしょうか?
子供を失い、歴史を失ったことが
あなたの悲しみであったことを、私たちは知りませんでした。

しかし、
今あなたの哀切に命じられる理念に従い、
この場にひれ伏しましたので、
心から感謝をお捧げ申し上げます。

歴史的な恨みが残っている限り、
あなたの恨みも残っており、
歴史的な悲しみが残っている限り、
あなたの悲しみが残っているということを知る、
真の孝子孝女たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

このような歴史の流れを遮り、
あなたの前に祭壇を積むことを、
民族と世界に連結しなければならない、
世界的なゴルゴタの道が
残っているということを痛感する、
あなたの子女たちが現れるべき時が参りました。

ここに集まったあなたの子女たちは、
きょうまで誰のために生きてきたでしょうか?
また、何を眺めて進んでいるでしょうか?

天がお残しになった歴史の全体的な運命に、
責任を負うべき使命が私たちにあり、
その使命を果たそうと、覚悟し誓い立った
私たちの歩みですので、
躊躇したり、途中で放棄しないようにしてください。

怨讐である悪と対決して、決して敗れて
ひざまずく群れとならないようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょうも数多くの民族を代表して、
お父様の祭壇にひれ伏した寂しい群れを
覚えてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。

その上、三千里(=韓国)津々浦々の寂しい追われた道でも、
かえって天と人類を案じ、
民族の嘆息を身代わりしようと
身もだえするあなたの子女たちが、
きょうもここを仰ぎながら涙ぐんでおりますので、
彼らを覚えてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

このすべてのものが、
お父様の悲しい歴史の因縁であったことを知りました。
私たちの前に残された
悲しい因縁と悲しい歴史が清算されない限り、
この道から逃避したり、この道を避けていく
恩知らずな子女たちとならないようにしてください。

孝子の道理を学び、
忠臣の節義と気概を学ぼうとする
真のあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六六・三・一三)

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すべての精誠を捧げ、侍り奉る真の孝子とならせてくださいお父様!
私たちは
ついて行く群れとなってはなりません。
お父様の前に、
民族の前に、
人類の前に、
先発隊として現れ得る者となるように
してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。

お父様!
あなたは、多くの日々を
悲しみの中で心を砕かれたことが恨みであり、
多くの人々が天に背反した
逆賊の群れとなったことが恨みでありましたので、
この恨み多い日と恨み多い事由を背負うべき
私たちであることをよく知っております。

今、私たちがその荷に責任を負い、引き受けて、
全宇宙万物のために、
天の祭物として捧げられることをうれしく思う、
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、この時間、私たちは
過ぎし日のすべてのことをあからさまに告げてしまい、
純粋できれいな心に
お父様を慕う心と欽慕の情だけが、
私たちの心に満たされるよう望んでおります。

そうして、
あなたがどのような事情を持っておられようと、
あなたがどのような姿をしておられようと、
それを意に介さず、
あなたに精誠を尽くし、侍り奉ることのできる
真の孝子孝女の姿を備えることができるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今私たちは、
お父様の前にありとあらゆる精誠を束ねて捧げ、
謙遜にひれ伏してお父様を呼ぶことができ、
お父様の懐に抱かれ、限りなくむせび泣くことのできる
懇切なる心を、この時間各自が持つようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

今まで尋ねこられたお父様は、
ほかの人のお父様ではありませんでした。
「私」のお父様であり、
私たちのお父様であることを知りましたので、
そのお父様と因縁を結ぶべき
復帰の運命の途上に立っているこの悲しい子供たちを、
再びあなたの懐に抱いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六六・一・二)

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お父様を思慕する真の息子・娘とならせてくださいお父様!
私たちは心からあなたの望みを、
あなたの事情を、
あなたの心情を知りたく思うものでございます。

そのような立場で、
あなたを「わがお父様」と呼ぶことのでき、
「永遠に侍ることのできる
国を捜し立てる」と誓う息子・娘を、
お父様はどれほど慕い、捜してこられたか、
私たちはよく知っております。

そのような希望の場でお父様を呼んでさしあげた方は、
この地上に来ては逝ったイエス・キリストしかいなかったということを、
また知っております。
彼はあなたの望みを知りましたし、
あなたの事情を知りましたし、
あなたの心情を知りました。

あなたの望みは、歴史路程で蹂躙され、
時代的環境から排斥されましたし、
未来の環境を開拓するにおいて、
困難な望みとして
残されているということを知りました。

あなたのその事情は哀切な涙の事情であり、
どこの誰も
同情しようとしても同情できない環境に置かれた事情であり、
人類と共に死の道を行きながら
身もだえすべき事情だということを、
またあなたの心情、
すなわちアダムを失うときの無念で悔しい心情と、
メシヤをお送りになり、もどかしがられる心情を、
彼はお父様の立場で感じたのでございます。

そして、あなたの望みと
あなたの事情とあなたの心情を失わず、
あなたの極めて大きいみ旨と理念を望みながら、
黙々と準備期間を経つつ、
死ぬことを覚悟し、お父様の前に誓いをし、
開拓の道に立ったことを知るものでございます。

十字架を前に置き、
成されずに残された望みを心に抱いたまま、
お父様の前に立ち返らなければならない
自分の事情を物悲しく感じながらも、
不孝という名詞を除去するために、
忠誠の道理を立てて
父母に仕える誠心の道理を尽くそうとした、
イエス様の心情を私たちは知りました。

そのような立場でお父様を呼ぶことのできる
真の息子と真の娘を、
あなたはどれほどお慕いになられたでしょうか?

その息子の手で怨讐を屈伏させ、
その娘の手で怨讐を滅亡させ、
子女が一つになって
「恨み多いこの地に対するあなたの願いと
あなたの解怨を成してください!
そして、栄光をお受けください!」と言って、
勝利の凱歌を歌い、あなたを思慕する
真の息子・娘をどれほど待ち望まれたでしょうか?

あなたは、そのような息子・娘たちが、
そのような立場であなたの名前をもって呼んでくれることを
侍ち望まれるということを知るものでございます。

私たちすべては、お父様だけをつかみ、
お父様の前に父母への誠心を尽くし、忠誠を尽くし、
お父様の威信を立ててさしあげる
忠臣、烈女たちとなることを望んでおります。

そのような立場で「わがお父様」と呼ぶことができ、
また「わがお父様」として侍ることができますことを、
懇切に望んでおります。

私たちは
真情でお父様を呼ぶことのできる
真の息子・娘、
お父様を心から愛することのできる
真の忠臣、烈女となることを願うだけでございます。
これだけが私たちの財産であり、
これだけが私たちの生涯の目的でございます。

今までこの道のために、
ありとあらゆる試練を消化しながら生きてきて、
きょうもこの道を歩んでおります。
これから、また行かなければならないので、
死が立ちはだかろうとも、
お父様に悲しみを帰すことのない
私たちとなるようにしてください。

私たちが悲しい立場にあるとき、
それをお父様の悲しみとして考えながら、
互いに抱き合い、慰労することができなければならず、
そのお父様とその息子を慕い、尋ねようとする
私たちとならなければなりません。

そのような者は、ぼろをまとおうとも
あなたの息子とならざるを得ず、
排斥される立場で
最後の運命を迎えて消えたとしても、
あなたの息子とならざるを得ず、
その息子とその息子が呼ぶお父様が、
この天地間に現れるのが堕落歴史の終末であり、
復帰路程の願いであることを、私たちは知っております。

世界的な息子として立てることができ、
天と地の全体を、彼の前に遺業として任せることのできる
一人息子がこの地に来るのが、
再臨理想であることを私たちは知りました。

ですので、私たちがそのような立場で
お父様の内情的な心情を相続し、
お父様の外的なすべての事情を相続し、
お父様の全体的な遺業を相続することのできる
真の息子・娘として、
この地上の世界を支配し、
残された群れを統率して、
お父様の前に導いていくことができるよう許諾してくださり、
残された怨讐を掃討して
再審判できるようにしてください。
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六五・一・三)

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お父様に侍り奉る忠孝の道を歩ませてくださいお父様!
私たちの困難ゆえに、
無限に涙を流したことを受け入れてください。

私たちが困難なときは、
歯がみをし、胸をかきむしったりしました。
これがお父様の前にどれほど受け入れ難い
姿であったかを分かるようにしてください。

お父様、
このようなことは、天の悲しみを忘れた
背反者にありそうなこととして、
天の悲しみを知る群れには
夢にも、もってのほかであることを分かるようにしてください。

悲しくても喜び、
困難でも喜び、
死んでも感謝することだけが、
お父様の前に
少しでも自分の責任を果たすことであり、
お尋ねになるお父様の形状の前に
恥ずかしさを避け得ることであるのを知りました。

今、私たちが
どのような立場にいるかということが問題でございます。
私たちは、いつ、尋ねてこられたお父様を迎え、
飢えたお父様に召し上がってもらうようにし、
のどが渇いたお父様に飲ませ、
ぼろをまとったお父様に着せ、
貧しいお父様を尋ね、
病にかかったお父様を訪問したでしょうか?

そのような場が、いつも
お父様に侍ることのできる場だとおっしゃいました。
私たちは
全体の祭物にならなければならないということを知りましたし、
大のために小を犠牲にすることが、
歴史的な鉄則であることを知りました。

その上に天的な摂理のみ旨を立てるためには、
大きな犠牲を払わなければならないことを知りましたので、
自分の悲しみを押さえ、
お父様の悲しみをより心配し、
自分の気掛かりを押さえ、
お父様の気掛かりをより心配し、
自分の憤懣やるかたなさを押さえ、
お父様の憤懣やるかたなさをより心配するようにしてください。
そのような息子・娘となるとするなら、
天の心情が共にあるということを分かるようにしてください。

自分の苦痛があるときあなたを見捨てた私たちであり、
自分の悲しみがあるときあなたの前に(それを)申し上げた私たちであり、
自分の憤懣があるときこの憤懣を引き受けてくれと、
あなたの前に訴えた私たちでございました。
これは孝子の道理ではなく、
忠臣、烈女の道理でないことを知りました。

私たちが
悲しい場、死の場に置かれることがあったとしても、
あなたが憤懣やるかたないことにぶつかっておられるなら、
その憤懣を背負おうとする者となるべき
私たちであることを知りましたし、
私たちが地上で
立つのに骨の折れる困難な場に立っているとしても、
あなたがそのような場におられるなら、
その場から出してさしあげるべき
私たちであることを知りました。

お父様!
私たちの心の門を開いてくださって、
あなたが臨んでくださり、
復帰路程で積もったあなたの恨みをお解きになり、
私たちが心でお父様に侍る喜びと栄光が、
この世界全天地の万物にまで
及び得るようにしてください。

その日をお父様が
無限に待ち望んでおられるということを知ったので、
私たちもその日のために闘いに闘い、
泣きに泣きながら進む私たちとなるようにしてください。

お父様に侍る栄光の祭壇まで
「私はこのようにお父様の前に忠誠を尽くします」という
心の基準を立て、
飛び出そうとする
私たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六〇・五・二二)

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恨みを残さない子女とならせてくださいお父様!
私たちは行きます。
私たちは誇ります。
私たちは越えます。
私たちはこのみ旨を抱いて倒れます。

反対者がいくら多くとも、
「私たちはお父様の息子・娘であり、
お父様は私たちの父であることを、
心情的に結束した私たちとお父様の関係を、
どこの誰が蹂躙できるでしょうか?
この節義と気概だけを自負したいです。
この節義と気概だけを千秋に残したいです」と
言い得る息子・娘たちとなるよう許諾してください。

お父様!
知らせてくださった恩賜、おそれ多く思います。
無知でしたが従順であった先祖たちの前に面目がなく、
殉教者たちの前におそれ多く思います。
また、お亡くなりになったひとり子イエスの前におそれ多く思います。
取るに足らず資格のない私たちに、
消化することの難しい恩賜をお与えくださいましたのに、
感謝の涙を流せなかったことを
受け入れてください。

生きてお父様の息子となるべきことを知り、
死ぬ前にお父様の愛を
高く賛揚すべきことを知りました。
ですので、
恨みを残さず、
一度でもそのような息子・娘となって、
お父様に侍って死ぬことのできる
私たちとなるよう許諾してください。
これが私たちの願いであり、
お父様の願いであることが分かるようにしてくださり、
(これが)お父様のあだを討つことであり、
サタンを撲滅することだということが分かるようにしてくださることを、
懇切にお願い申し上げます。

天の主権を立てる時まで、
耐え、犠牲になり、譲歩し、倒れながらも
このみ旨が成就されるひと日のために、
息が詰まったとしましても、
祈祷しながら闘っていく息子・娘たちとなるように
してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。

世界の前に任せられた責任を、
私たちが団結して成就しても余りあるよう、
自ら共にいてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六〇・一・一七)

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お父様! おそれ多く恵み深こうございます!お父様!
おそれ多く恵み深こうございます!
知ってみると、この道は
歩むにはとてつもない道であり、
思えば思うほど、
胸をかきむしってもやめることのできない
悲しい道であることを知りました。

一日でもなく
何年でもない、
六千年という長い長い歳月、
私たちを捜してこられたお父様!

私たちはお父様を
どれほど狂うような立場に置いておき、
お父様をどれほど悔しい立場にとどめさせ、
また私たちが
どれほど不孝の立場にとどまっていたかを
悟るこの時間となるよう許諾してください。

この因縁を結ぶ前には、
この世のものを持って泣きわめいた私たち、
罪人中の罪人であることを悟らせてください。
ここに訪ねてきた私たちの望みは何でございましょうか?
きれいな服を着た者を訪ねてきたのでもなく、
権勢のある者を訪ねてきたのでもなく、
欲望のために来たのでもありません。

ただお父様の愛が慕わしく、
お父様の情が慕わしく、
お父様の因縁が慕わしくて参りましたので、
お父様、
お父様の涙があるとするなら、
私たちもその涙を持つよう許諾してくださり、
お父様の苦痛があるとするなら、
私たちもその苦痛を持つよう許諾してください。

喜ばしい歴史を尋ねてさまよう王子とならず、
悲しみと苦痛の歴史に身代わりして責任を負い、
蕩減する王子とならなければならないことを、
私たちが分かるようにしてください。

このような立場で勝利した息子・娘、
天と地の前に誇ることのできる息子・娘を
待ち望んでいるということを、私たちは知りました。
また、神様が六千年の間苦労されたのは、
愛する息子・娘たちを立てるためであったことを知りました。

今日、私たちの前に任せられた責任を果たし、
任せられた義務を果たす私たちとなるようにしてくださることを、
懇切にお願い申し上げます。
孝子の中の孝子、
孝女の中の孝女、
忠臣の中の忠臣となることのできる
息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

そうして、
歴史的なお父様が「私」のお父様となり、
時代的なお父様が「私」のお父様となり、
未来的なお父様が「私」のお父様となられ、
宇宙全体を動員して楽しみの歌を歌う
喜びのひと日が来る時まで、
お父様、
この者たちを抱いてくださり、保護してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・一〇・一一)

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お父様の解放を歌えるようにしてくださいお父様!
私たちは
お父様の悲しい歴史路程を回想するなら、
おそれ入る心を禁ずることができず、
苦労なさるお父様の性相に対する時ごとに、
おそれ多い心を禁ずることができません。

今、この者たちが自分の体と心を祭物として捧げ
お父様の苦労を減らしてさしあげられ、
止めてさしあげられる
息子・娘たちとなるようお立てください。

あなたは楽しむことができ、
喜びの場で解放を歌うことのできる
勝利のひと日が早く来ることを待ち望まれましたが、
その解放のみ旨を成すのはあなたではなく、
死亡圏であえぐ
不肖なる私たち人間でなければならないという事実を、
私たちは知っております。

このように重要な立場に処している
人間自身の価値を知らないまま、
死亡の路程であえいでいる
人類を受け入れてくださり、
今私たちに、
本然の心情を回復するための新しい価値を掲げ
お父様の栄光の心情を歌うことのできる
懇切な心を呼び起こしてください。

本然の性相と本然の形状を備え、
真なる息子・娘の姿を備えて、
お父様の解放を
歌うことができるようにしてください。
これが私たちの千秋の願いであるのを、
お父様がご存じであることを知っております。

お父様、
勝利のひと日が来ることを知る私たち、
勝利の一基準の立場に
私たちを導いてくださり、
任せようとなさる大きなみ旨の前に、
祭物となることのできる私たちとなるよう、導いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちが足らない精誠を束ね、
生きた祭壇を備えるよう許諾してください。

私たちの一人ひとりが
勝利の祭物とならなければならないことを
予告しているという事実を知っておりますので、
お父様の前に正しくないもの一切を
除去させてくださり、
お父様、
権能のみ手を広げ、
新しい再創造の権限を呼び起こしてください。

お父様のもの以外の一切を除去させることのできる、
本然の再創造の性相を備えさせてくださり、
形状を備えさせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、お父様!
眠っているこの民族を覚ましてくださり、
塗炭の苦しみの中でさまよっている人類を、
お父様の掌中に置いてくださり、
この者たちをひと所に集め、
お父様の本郷の園、
お父様が理想となさる善の園に
導いてください。

どのような迫害とどのような患難を経たとしても、
この人類を早くお父様の願われる
園の中に導いてくださることを、
懇切にお願い申し上げます。

そのためにはお父様!
人間が実践しなければならない
責任があるということを知っておりますので、
お父様、
愛する息子・娘たちに命令してください。

残された罪悪の地と
残された民を捜すべき責任があるとするなら、
この者たちを起こして命令してくださり、
勝利の園を建設することのできる
天の精兵として、
役軍として、
お父様が願われる所に
命令して送ることができるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・六・二八)

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お父様の苦労の路程を尋ねさせてくださいお父様がおられる所は無限なる忍耐の世界であり、
無限に苦労する場だということを、
私たちは知っております。

先祖以来
今まで、台なしにされたすべての罪状に対される
お父様の心情とみ旨を知る私たちは、
創造本然の存在を捜すために、
この上ない苦労の道と
忍耐の道を歩んでこられたお父様の前に、
心苦しい心情をもって
頭を下げざるを得ません。

長い長い歳月を、一日のように
私たちの先祖と共に忍耐され、
先祖と共に闘ってこられながら、
人間たちをつかむためにあえいでこられたお父様を、
私たちがこの時間心を広げ、
体を低くして心の中に侍り奉り、
体でつかむことができるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

地上に生きている数多くの人々の中で、
苦労の道を避けていく人はたくさんおりますが、
あなたの事情を知り、
あなたの心情を心と体に備えるために、
苦労の道を求めていく人は、
とても少ないということを知るものでございます。

お父様のために忠誠を尽くし、
お父様のために祭物となって
お父様の祭壇をつくり、
お父様の忍耐なさる心情を
地上に表す人間たちが
とても少ないということを知りますときに、
お父様は
この上なくかわいそうな方であられることを知るものでございます。

人間を愛しながらも
嘆息なさるお父様であられ、
人間に対して
ご案じになり、苦労なさるお父様であられることを、
私たちは感じないわけには参りません。

わがお父様!
今、そのようなお父様の事情が、
地上に生きている人類の前に移される日が、
早く早く臨むようにしてください。
全人類の心ごとに、
そのようなお父様の事情が染み渡るようになることを、
懇切に待ち望んでおります。

お父様!
このひと日、
この聖なる日に、
あなたに向かってひざまずき、頭を下げて
福を受けることを待ち望む群れがたくさんおりますが、
福は天のものであり、
苦労と苦難と忍耐の路程は、
人間が担当すべきものであることを
知る群れとなるようにしてください。

私たちに喜びがあるとするなら、
それをお父様のものとして帰し、
幸福と感謝する心情があるとするなら、
それもお父様のものとして帰すよう許諾してくださり、
悲嘆と恨みに徹したお父様の悲しみの路程を、
私たちのものとして引き受ける、お父様の息子・娘たちとなるよう
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・五・二四)

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悲しいお父様に侍りゆく信仰の道とならせてくださいお父様は
静かな中で
顕現なさることを好まれ、
困難な中に
現れることを意に介されませんでした。

戦場でも自ら
私たちと共に闘ってくださり、
落胆の場でも
私たちと共にいてくださった、歴史性を帯びたお父様であられたことを、
私たちが再び悟りますときに、
いつも私たちと共におられ、
いつも私たちと共に闘ってくださり、
いつも私たちと共に生きることを
待ち望まれたお父様であられることを考えますときに、
地で生きながらも地を排斥し、
拒否することを好んだ、過ぎし日の信仰路程を
悔いるようにしてください。

超然とした立場で好んで侍ったお父様は、
栄光のお父様でございましたが、
地上に顕現なさったお父様は
かわいそうであり、
やつれ、
物悲しいお父様であられたことを知りました。
また、そのような姿で私たちに対してこられたことを、
歴史過程を通して学び知りました。

今私たち、
栄光の中で顕現なさったお父様に侍り
楽しむのではなく、
地上で痛手を負い、困難に悩まされながら
真の息子を捜すために苦労された、
そのお父様に侍ることのできる、
栄光の立場に立つようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

そのような立場でお父様に侍ろうとするからには、
まず涙の道を行くべきであり、
いばらの道を行くべきであり、
十字架の苦難の道を越えなければならないということを知るものでございます。
そうしてこそ、お父様がおられるという事実が
分かることを知るものでございます。
私たちに
このような物悲しい信仰路程が残っていることを、
考えないわけには参りません。

天が、
今は眠りから目覚める時だと予告なさいました。
暗い夜に
光明なる明かりをともすべき時であると予告なさいましたのに、
私たちの心がやみに閉ざされているのではないでしょうか?
私たちの体が死亡の絶望に縛られているのではないでしょうか?

これを切り開いて、
天に向かって走ることができ、
天を身代わりして闘うことができ、
天を身代わりして責任を負うことができるよう
お導きください。

そうして、「お父様」と呼ぶことができ、
お父様が来られるのを待ち望む
息子・娘とならなければならないことを知っておりますので、
お父様、
み旨の前に立つに不足なる者がおりますなら、
この時間激励してください。

時と時機が切迫したことを分からせてくださり、
死の陰に巻き込まれて
審判される者とならず、
生命の召しに引かれてお父様の懐を求め、
その体が裂かれて死ぬとしても、
自由の園に向かって
走って行くことのできる
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・四・一九)

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本然の心情を通して命令してくださいお父様!
お父様の心情に徹する
私たちの心と体となるよう許諾してください。

本然のその心に徹する、
お父様の心情に引かれていくのを
感じることのできる私たちとなるようにしてください。

お父様の喜ばれる姿に対して、
お父様のもとに走っていき、
お父様の首を抱くことのできる徹した心情が、
私たちの体と心に芽生えるよう許諾してください。

隠々たる中、そこはかとなく顕現なさり、
私たちの心を打ち明ける前には、
動かれないお父様であられることを知りました。

今、私たちの心が汚されたとはいえ、
お父様に向かう忠心だけは持っておりますので、
お父様、
この心情を通して私たちを尋ねてくださり、
この心情を通して命令してください。

体の足りなさを悔い、
過去の生活が不忠であったことを悟り、
自分も知らない間に涙を流しながら、
お父様を「わがお父様」と呼ぶことのできる
懇切な心情がにじみ出るよう許諾してください。

天は誰を保護することをも躊躇なさらないことを知りました。
天を求めてくる者の友となることを
躊躇しないということも知りました。
天は
天に向かって泣き叫び、涙を注ぐ者たちの友であり、
永遠に共に生きる父として現れることを
好まれるということを知りました。
お父様! 隠々たる中で勧告なさった
お父様の声が慕わしく、
隠々たる中で抱いてくださった、
その驚くべき愛の感触が慕わしく思われます。

そのような私たちの心を通して
「お父様」と呼ぶことのできる一瞬が慕わしく、
手を挙げて
「わがお父様」と誇りたいし、叫びたいのでございます。

はるか遠くにおられるお父様であると思いましたが、
私たちの心の中におられる
お父様に出会ったその瞬間がうれしかったのでございます。

遠いというとき近い心中におられ、
心中におられると安心しているとき、
遠くで叫ばれていたお父様であられましたが、
今日人間たちは、
ここに拍子を合わせようとせずにいるものでございます。

私たちをお捨てになったと思ったその場が、
お父様と近い場であり、
私たちと共におられないと思ったその場が、
お父様が私たちと共におられた場だということが
分からなかった過去の私たち自身を、
この時間悔いるようにしてください。

「愛する息子」と命名なさり、
「愛する娘」と命名なさるからには、
その息子・娘たちを苦労の立場に置きたくない、
お父様の心を知りませんでした。

お父様の曲折の心情を知らない私たちは、
苦労の道にほうり出したお父様を
薄情で無情なお父様であると思い、
その間お父様に対して自嘆したときも多くあり、
恨むときも多くありました。

お父様と私たちの間に立ちはだかった
曲折の壁を知らずに
恨みもし、
排斥もし、
無情な態度で対し、
不信する立場に立つこともあったことを、
お父様、
お許しください。

これは、私たちの先祖が堕落することによって、
台なしにした罪状ゆえであり、
人類歴史上に恨みの血痕を残し、
先知先烈たちが死んだがゆえであることを知りました。

きょう、私たちの心の基準は高い位置にあるでしょうか?
その心を燃やして取り除いてください。
「私」の体と「私」の威信を掲げて、
神様を身代わりして
現れることを待ち望んでいるでしょうか?

お父様の性相の前に
面目のないこの体を打ち、
悲惨な立場におられたお父様であることを悟り、
お父様を呼ばうとする息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
今残った道にも、数限りなく続く
苦難の歴史が残っていることを知りますときに、
今日の不忠を、お父様の前に
頭を下げて申し上げざるを得ないものでございます。

願わくは、歴史の悲しみを
この一つの体に備えるよう許諾してくださり、
残された苦難のすべても、
この一つの体を祭物として
踏み越えるよう許諾してください。

お父様が安息することができ、
すべての嘆息を忘れて
喜びの一瞬を迎え、互いに抱き合い、
「わがお父様、わが息子」と呼ぶことのできる
その瞬間が慕わしいものでございます。

私たちがどのような犠牲と
どのような覚悟と
どのような悲惨な姿をもって
地上で生きるとしましても、
その忠節の一片丹心は
この地上に立てて消えることのできる
息子・娘となるよう許諾してください。

そのような道を行くことを覚悟している私たちですので、
お父様、
意に介さないよう追いやってくださり、
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

新しい心と体をもって覚悟し
誓うことのできるこの時間となりますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・三・二九)

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歴史的解怨のために先駆けさせてくださいお父様は万軍のお父様であられ、
万宇宙の主人であられ、
全天下の権限を持たれた主人公であられましたが、
息子・娘たちが誤ったことによって、
このようにかわいそうな事情に処しておられますので、
そのお父様の心情を、
この時間私たちが分かるよう許諾してください。

私たちをして、
残された摂理の恨みの峠を眺め、
敗者のように
弱い者たちとならないようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

哀れみのお父様!
愛のお父様!
きょう私たちの心情に、
お父様の約束のみ旨が生きているなら
保護してください。

お父様の前にひざまずき、大声で泣きながら
心情の祭壇を積む、
愛する息子・娘たちとなるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちがお父様の前に現れるとき、
すべての困難を意に介さずに行くことを覚悟なさった、
イエス様のその寂しい心情を体恤することができました。

今、覚悟して立った私たちが抱いている
望みを、誇るべき時が来ましたので、
天の側に立って先駆けていくようにしてくださり、
天が残したかったものを
残せるようにしてください。

今、心情に心情を加えて、
お父様を慰労し、お父様のために闘うことのできる
真の群れをつかんでくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

歴史的な転換の気運が、
今日私たちに現れていますので、
私たちをして、
歴史的な解怨をする群れとならせてください。

お父様の立てたみ旨の前において、
自分が足りなさを感じなければならず、
逆境の中でもお父様を信じて
お父様の祭壇を建設しようとした、
モーセの心情を身代わりできる
息子・娘となるよう許諾してくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様の心配と
お父様の苦痛と
お父様の苦労は、
今日私たちがぶつかるものとは比較になりません。

無限の苦労の路程を歩みゆき歩みこられた
お父様の、その実情を
知ろうとする者たちとなるよう許諾してくださり、
無限の苦痛の道を歩まれる
お父様の性相を
知ろうとする者たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今日私たちがぶつかっている憤懣やるかたなさ、
私たちが受けている非難、
私たちが受けている迫害、
このすべてのものを越えて立つことができるようにしてくださり、
私たちがどのような立場にあるとしても躊躇せず、
お父様のために進むことができるよう
お導きください。

このすべての事実を、私たちに
深く分かるよう諭してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
最後の勝利の土台の上に立つ時まで、
お父様が
案じる心情をもって勧告してくださり、
そのすべてのものを意に介さない
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお捧げ申し上げました。アーメン。

(一九五九・三・二九)

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お父様のものとしてだけ動じ得るようにしてください私たち自身を、
自分のものだと考える者と
ならないようにしてください。

私たちの心は私たちのものではなく、
動いている私たちの生命も私たちのものではなく、
望んでいる欲望も私たちのものではありませんので、
私たち自身を中心として推し量る心を持って、
天に対さないよう許諾してください。

お父様のものとして始まった私たちですので、
お父様のものとしてだけ動くことのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちの心が
お父様のものとならなければならず、
私たちの体も
お父様のものとならなければならず、
私たちの主義主張も
お父様のものとなるべきことを知っておりますので、
お父様のものでないすべてのものは、
受け入れないでください。

私たちの心と体に、
お父様が願わない
悪の要素があるならば、除去してくださり、
お父様のものではない
すべての主義主張を除去してくださって、
ただお父様のものとしてだけ動じることのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

無数なるサタンが、
私たちの心と体を狙っていることを
知っております。
お父様が受け入れることのできない
罪の苦い根が残っているなら、
お父様!
顕現なさり、能力の権限をもって
再創造の役事を巻き起こしてくださり、
私たちの心がお父様の前に屈伏できるよう
天の役事を巻き起こしてくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天が動かれるとき
地が動かざるを得ず、
地が天に対して要求するとき
天が成してあげざるを得ないという事実を
知っております。

今日、真情なる心を持ち、真の心情で
天を自分のものとしてつかむために闘う、
天の息子・娘がいるでしょうか?

天のすべての事情を自分の事情として知り、
天の事柄を自分の事柄として知り、
天の理念を自分の理念として知り、
これをつかむために闘い、
これをつかむために辱められ、
これをつかむために追われながら、
一生涯を生きた者がいるでしょうか?

私たちがそのような立場にいないとするなら、
私たちは天の前に受け入れられない
犯罪者であることを、あからさまに告げることができますよう
許諾してください。

今、天がおられることを知り、
天のお父様がどなたであられるかを知りました。
お父様と私たちは
ある因縁を結ぶべき必然的な条件が
残っているということを知っていますので、
お父様、
きょうこのような心情を通して
天のお父様と因縁を結び、
お父様の悲しみを「私」の悲しみとして、
お父様の痛嘆と悲嘆を「私」の痛嘆と悲嘆として
感じられるよう許諾してください。

サタンと激戦を交えるために立った天的な行軍が、
この民族の前に現れるよう許諾してくださり、
この地上に現れるよう許諾してください。

六千年間天に対して讒訴した怨讐サタンたちを、
この地球上から追い出し、
お父様の恨みを解いてさしあげ、
お探しになった理想の園を早く早く建設できるよう、
許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・三・一五)

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お父様の勧告を貴ぶ子女とならせてください選んだ群れを祝福なさった方もあなたでしたから、
これを成就させる方もあなたであることを知っています。

私たちの心の根本は善であり、
また善を通して動じることを知っていますし、
善の目的も、
歴史的な目的も、
摂理的な目的も、
お父様を中心として
一つになるものであることを知っています。

それゆえ、善の心霊を通して、欽慕する
理念的な頂点が結実されるよう
許諾してくださり、
その理念どおりになるために、
うまずたゆまず進むことのできる自分を立てる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちの心がどの方向を向いており、
私たちの体がどこに向いて動いているのかを
察するよう許諾してください。

今、私たちの心が、
お父様を慕い、善を欽慕することに、
すべての精力を傾けられるよう許諾してくださり、
私たちの体が
善をつかむためにあえぎ、
焦るみ手を感じ、
お父様を呼ぶことができるよう許諾してください。

お父様をつかんで切に求めてきたのが、
六千年の歴史だということを知っていますので、
お父様の前に率直な自らを立てて敬拝し、
自分のすべての事情をありのままに告げ、
命じられる勧告を受けることのできる
この時間となるよう、許諾してくださることを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

人が「違う」と言う道に追い出される方も
お父様でしたし、
行くことの困難な道にお導きになられる方も
お父様でしたので、
お父様がこの道に責任を負ってください。

私たちは、ある人間の心によって
動いたのでもありませんし、
ある人間の事情に
引っ張られてきたのでもありません。
行くまいとしても行かざるを得ない
心の力に引かれて、この場まで来ましたので、
怠けないようにお導きください。

あなたがせき立てられる
勧告のみ言に気づかない私たちですので、
み言を悟って、
そのみ言の方向に向かって進むよう、
時間ごとに力の衝撃を加えてください。

そうして、
あなたに向かって進む過程で、
落後する人がないようにしてくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、自分のすべてのものを
お父様の前に差し出せるように許諾してくださり、
私たちによってお父様の祭壇を
汚すことがないよう許諾してくださり、
誠心を尽くして
お父様の前に祭物をお捧げしようと、ひれ伏す
この時間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・一・一八)

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お父様の愛による安息を捜させてくださいお父様!
歴史の流れを多くの人間たちは知りませんが、
お父様が自ら摂理のみ旨を
営んでこられたことを
私たちは知っております。

きょうこの場のあなたの息子・娘たち、
今自分がどのような環境に処しているかを、
自ら批判するよう許諾してください。

体を捜すために、
体の安息を捜すために
生きている者がいるでしょうか?
心の安息だけのために
生きている者がいるでしょうか?

今から、お父様の愛によって
安息を捜すことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

これが、人間が行くべき
必然的な復帰の路程であることを知りました。
堕落によってこれを失ってしまったがゆえに、
信仰と実体とみ言と
愛を捜してさまよってきた人類歴史の前に、
凛々しく立ち上がることができるよう許諾してくださり、
天的な心情と
天的な愛と
天的な願いを持ち、
この地のすべての万物の前に
堂々と立つことのできる息子・娘となるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
永遠なる生命をもって、
私たちの体と心を永遠に抱いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・一二・一四)

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お父様を慰労してさしあげられる子女とならせてくださいお父様!
私たちが生命を持ったとするなら、
その生命の原動力が
「私」一人で制限されないよう許諾してくださり、
み言の能力を持ったとするなら、
そのみ言が私たち一個人に
とどまらないよう許諾してください。

ひいては、そのみ言と生命の力が
民族を越え、世界を巻き込んで、
天と地を動かす力となることのできる
私たちとなるよう許諾してくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、お父様を捜して立った私たち、
お父様はただ私たちが考えるように
栄光のお父様としてだけおられるのではなく、
十字架の峠をも越えておられるお父様であることを、
私たちは知りませんでした。

今日、
栄光の主を待ち望む人はたくさんいますが、
苦難の主に従っていこうという、
真の志を持った人がいませんので、
お父様、
かわいそうな人間たちを受け入れてください。

お父様!
今、祭物の峠を越えるべき私たちでございますが、
お父様が私たちを取り戻すために、
到底口では語ることのできない
苦労をしてこられたことを知るときに、
私たちはこの道を
行くまいとしても行かざるを得ないことを感じるものでございます。

残された歴史的なすべての負債を
蕩減すべき、全体的な使命が、
今日、私たちにあることを知っていますので、
私たちに足りなさがあるとするなら、
それを除去し、
負わされた使命を成就できるよう
許諾してください。

この民族のために、
あるいは世界のために、
あるいは天と地のために、先にこの民族を
お父様の前に立てることができるよう許諾してくださり、
また、そのようにしても残り得る
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

六千年の歴史過程で残された、
罪悪のわめき声を聞いている私たち、
これからはアダムとエバの立場を経て、
新しい善の先祖たちとして越えていくべき
立場に立っているということを知っていますので、
現実のすべてのものを踏み越えて、
新しい世界を創建する
天の役軍として立ててくださいますことを、
愛のお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今まで私たちを慰労なさったお父様を捜しました。
慰労を受けるために捜しましたが、
今からは慰労してくださるそのお父様の身代わりとして、
主にかえって侍ることのできる
私たちとなるよう許諾してください。

また、
この使命を成就するために心を砕いた
私たちのすべての能力が、
私たちの心にその望みが果たされるときまで、
残っていることができるよう、
お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
愛する主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・五・四)

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天宙を代表する真の子女とならせてください愛のお父様!
イエス様が地上に来られたのは
「私」一人を捜すために来られたのだと思いましたが、
それがすべてではなく、
「私」の家庭のために来られたのだと思いましたが、
それがすべてではなく、
選民イスラエルだけのために来られたのだと思いましたが、
そうではありませんでした。
ある教派のために来られた方でもございませんでした。
イエス様は全被造世界の望みであったと同時に、
そのすべての価値を身代わりして来られたということを
私たちが知りましたので、
お父様、
そのように
全体を復帰すべき使命を持ったイエス様の前に、
今日私たちは
どのような心を持っているでしょうか?

「私」の家庭をつかんで死のうという人々とならないよう
許諾してください。
「私」の民族、
「私」の国、
「私」の世界をつかんで死のうという人とならないよう
許諾してください。

「私」が生きても天地を代表し、
「私」が死んでも天地を代表して死ぬ、
すなわち天宙の生死の問題をかけて、生きることのできる人と
なるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今日この被造万物の中に、
イエス様が復帰すべきみ旨が成されず、
嘆息のわめき声が残っているとするなら、
私たちによってそれを除去させてくださり、
イエス様とお父様まで安心させてさしあげ、
その心情まで通過して、
お父様と永遠なる因縁を結ぶことのできる
真の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

そうして
歴史的なすべての恨みを解怨し、
解怨の慰労を受けることができるよう、
お父様、
許諾してくださり、
共に進むことができるよう許諾してください。

私たちが万事を忘れ、
天を賛美してさしあげられる
真の孝子孝女たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・三・二三)

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新婦のような立場で責任を果たさせてくださいお父様!
寂しい者たちをご案じになられる
お父様の心情が分からず、
かえって今まで、私たちのもどかしさを
お父様の前に解いてくれと訴える、
不忠不孝な立場にあった私たちを
受け入れてください。

天の心情がこのように悲痛であり、
このようにもどかしいということを悟り、
おそれ多くも、お父様に
私たちの事情を申し上げることができないということを、
分かるようにしてください。

お父様!
それだけでも足りませんので、
お父様の心配、
お父様の気掛かりを、
今日の私たちの一身を通して
解いてさしあげられるよう許諾してくださり、
お父様の前に、
私たちのすべてのものを捧げられる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今日私たちが、
天に対する価値的な条件を、
私たちの実際の生活圏内で
立てるために努力しておりますので、
お父様、
共にいてください。

私たちは
天の全体的な価値の条件を立てるにおいて、
私たちの犠牲を
喜ぶことのできない足らない者たちでございましたが、
これからはお父様の前に
無限に利用されながらも、
楽しむことのできる心を持った息子・娘となりますので、
お父様、
許諾してください。

そのような私たちの歩みを、
サタンも遮ることができないということを知っておりますので、
きょうもあすも、
私たちの心が変わらないようお助けくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちが
新郎であられるイエス様の新婦になろうとするからには、
新郎が心配すれば私たちも心配し、
新郎が闘えば私たちも共に闘い、
死のうと生きようと、新郎と共に動じるべき
立場に処している私たちであることが
分かるよう許諾してくださり、
闘いの過程を経て、
解放の恩賜の中で
お父様の栄光を歌う、新郎の楽しみを
体恤する新婦の立場に立ててください。

そうして、
失ったすべてのものを捜し、
お父様の栄光を
喜びをもって誦詠してさしあげられるひと日が、
早く早く私たちの生涯路程に、
私たちの生活に、
私たちの心の上に現れるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五七・一〇・四)

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強く雄々しい、心情的な息子・娘とならせてください愛のお父様!
この者たちが、
アベルが叫んだ
哀願の訴えを聞くことのできる、
心情的な息子・娘となるよう許諾してください。

また、
アベルの血を身代わりして、
キリストがゴルゴタ山上で
血の祭物として捧げられるとき、
万民に語りたいみ言を語り尽くせず
恨みに徹したその心情を、
私たちの血を通して、
私たちの心を通して、
私たちの知覚を通して解くよう許諾してください。

歴史過程に来ては逝った
数多くの先知先烈たちの歩みが、
彼らだけの歩みであると思っておりましたのに、
今になってその歩みは、今日
私たちも歩むべき歩みであることを悟りました。
地上には多くの人がおりますのに、
取るに足らない私たちをお訪ねになり、
六千年の恨みを解いてくれることを望まれる、
あなたの事情を知る息子・娘となるよう
お導きください。

この地上には優れた人も多く、
立派な人も多く、
能力のある人も多くおりますのに、
足らない私たちをお訪ねになり、
「天の事情を知ってくれ」と語られる、
お父様の物悲しい事情を体恤することのできる
息子・娘となるようお導きくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今日私たちは、
昔ヨシュアが強く雄々しかったのと同様に、
民族を身代わりして強く雄々しくなければならず、
世界を身代わりして強く雄々しくなければならず、
地を身代わりして強く雄々しくなければなりませんので、
お父様、
足らない私たちと共にいてください。
歴史的なすべての苦難を、
私たちの一身で
蕩減し、越えていくことができるよう
導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

死んでまた死んだとしても、
カナン福地を捜して入ってみせると言った、
ヨシュアとカレブのような
強く雄々しい群れが、世界のキリスト教徒の中から
早く早くたくさん現れるよう許諾してくださり、
天倫に基づく心情をもって
復活の生命の躍動感、
神様の生命の躍動感を感じ、
お父様と共に和動することのできる栄光のひと日を、
早く早く迎えられるよう
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五七・六・二三)

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お父様の恨みの心情を解怨する子女とならせてください愛のお父様!
天上の恨みとして残されている闘いの歴史を、
終結させる人のいないことが、
あなたの嘆息であることを知りました。

人間たちによって植えられた堕落の根本の根を、
人間たちが引き抜いてしまうべきでございましたが、
長い歴史が経過したにもかかわらず、
いまだに人間たちは
その罪の根本の根を引き抜けずにおりますので、
お父様、
それを引き抜くことができるよう許諾してください。

私たちすべてが、
お父様の心情に徹して
一体となるよう許諾してくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

お父様の切ない心に
似るよう許諾してくださり、
お父様が望まれるその望みを、
私たちが新しくもつよう許諾してください。

残された恨みの歴史に責任を負い、
億万の怨讐サタンと闘うことができ、
天を代表して現れる
勇者たちとなるよう許諾してくださり、
地を代表して立つことのできる
勇者たちとなるよう許諾してください。

残された戦場で、
永遠なるお父様の愛の心情を互いに施し合うことのできる
喜びの園が築かれるときまで、
各自お父様のみ旨に
責任を負い、立つことができるよう許諾してください。

各自がお父様の全体的なみ旨を身代わりして、
サタンと闘うことのできる
お父様の勇猛なる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様の喜びの恩寵を、
私たちの体と心が
体恤するよう許諾してくださり、
私たちを中心として
再創造の役事を巻き起こしてください。

そうして、
罪悪の根を抱き、
闘って勝つことによって、
お父様の愛を体恤し、
お父様の前に栄光を帰し奉り得る
子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、聖霊の炎を、水を注ぐように注いでくださり、
あなたが選んだ子女たちが一つに団結し、
この暗い世の中と対決して
闘うことができるよう役事してくださり、
六千年の恨みの心情を身代わりして、
すべての悪を殲滅して立つ
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、残された戦場で、
お父様に負債を負う者たちとならないよう許諾してくださり、
永遠なる勝利の恩賜を
消化できるよう許諾してください。

お父様の祝福のその心情を
地上に表すことのできる、理想の園を建設する時まで、
百折不撓の勇士の心情をもち、
お父様のみ旨を立てていくことができるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五六・一〇・七)

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責任を果たす子女とならせてくださいお父様!
私たちの前にはいまだに険峻な道が残っていますので、
お父様が自ら捕まえてくださって、
あらゆる死の道を歩んでも残ることができる力を得ることができるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

今、眺めているだけの
愚かな子女たちを抱いてくださって、
ただ天のみ旨を成すために
一路邁進することのできる勇猛さを許諾してくださり、
召された天の子女として、
天の勇士として進むことができるよう、お助けくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

眠っているすべての子女たちを起こして、
お父様の前に導くべき責任を負った聖徒として、
担った使命を果たすために
不足がないようお助けくださり、
過去のどのような聖徒たちよりも、なお一層卓越することのできる
子女たちとなるようお助けくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

お父様の召しに応じて、ふさわしい歩みをする
子女たちとなるようお助けくださり、
サタンの嘲弄の種になる
子女たちとならないよう、お助けくださいますことを
お願い申し上げます。

自分を中心として天倫を酌み取るような
愚かな者たちとならないようお助けくださり、
ただお父様の栄光だけを表して、
この地上にお父様の恩賜を高めることのできる
子女たちとなるよう、お助けくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今もお父様を呼び、
隠れた祭壇を積みながら、
み旨の道を尋ねて渇望する子女たちが
どれほどいるでしょうか?

彼らを捜すべき使命も
私たちが担っておりますので、
お父様、
そのような使命を果たすために
不足のないようにしてくださり、
すべての子女たちを
お父様が呼び集めてくださり、
私たちがお父様の大きな栄光のみ旨を
高めてさしあげることのできる日が、
早く早く来るようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

眠っている四十億人類を、
お父様の前に探し立てるべき使命が
私たちにありますので、
お父様、
私たちに下さったみ言をもち、
自信を持って進むときに、
場所ごとに生命の炎を呼び起こしてくださり、
復活の役事を呼び起こしてくださって、
お父様の喜びと栄光を
この地上に高めることのできる
子女たちとなるようお助けくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

今日まで数千年の間、
この地の人類のために苦労してこられた
キリストの懇切なる心情と、
私たちのためにお父様の前に訴えられるキリストの嘆息を、
解怨すべき責任が
私たちにあることを、
はっきり信じるようにしてください。

人間がなすべき責任を果たす前に、
天の基準を捨てることのないようにしてくださり、
ただ天だけが対してくださり得る
子女たちとなるよう許諾してください。
既に負わされた使命を、再び地に捨てる
子女たちとならないようお助けくださり、
お父様の栄光を最後まで表すことのできる
お父様の愛する子女、能力のある子女として立ててくださって、
遺恨のないようお助けくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

困難な環境の中で寂しい祭壇を積み、
お父様の前に叫びながら訴える子女たちを、
お父様、
自ら抱いてくださり、役事してください。
そうして、立派にみ旨を奉じていくことのできる
天の子女たちとなるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・五・二三)

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お父様を慰労する孝子とならせてください今日、私たちは
悪なるものを見ても感覚がなく、
不義で未熟であり、
天倫のみ旨に対する苦痛に満ちた心情を抱いて
責任を感じることができないでおります。

怨讐を殲滅しようとする心と、
恨みに徹する哀切さがなかった私たち、
また闘いの実績を持てなかった私たち、
全能の神様を信じることができなかった私たちでした。
天に対するイエス・キリストの忠誠を
知りませんでした。

イエス・キリストを立てて誇ろうとなさったあなたのみ旨が
使徒たちを通して、
歴史を経て、今日の私たちに連結され、
そのみ旨が私たちで結実されることを望んでいるということを
知らせてくださり、
生命をもらったという歓喜に加えて、
数千万の聖徒たちが歓迎することのできる中心的な責任が、
今日、私たちに任されているということを、
知るよう許諾してください。

今、私たちが
天と地と万物、
そしてイエス・キリストの恨みを解くための
祭物となるよう許諾してくださり、
誠心誠意を込める、
孝心ある子女たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
きょう私たちの一個体と、私たちに
天の解怨のための責任が任されており、
天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、
私たちによって
終結されるべき事情があるということを
分かるよう許諾してください。

このようなことを知りましたので、
だれよりも実践しようという心、
お父様に感謝することのできる心だけ持つよう
許諾してください。

十字架を担っても感謝であり、
億千万のサタンたちと闘うとしても、
お父様の前に卑屈な者たちとならないよう
許諾してください。

十字架を負い、困難な立場に立つとしても、
「お父様! 私がおりますので心配しないでください」と言える
子女たちとなるようお導きください。

困難な立場に置かれている子女たちを見て
悲しまれるお父様を、慰労してさしあげられる
子女たちとなれるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五六・五・一六)

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み旨を中心とした一つの心と体をもたせてください愛するお父様!
私たちの心は千態万象ですが、
私たちの生活の中に
お父様の性稟が現れるようにしてくださり、
お父様が動じれば私たちも動じることができ、
お父様が静ずれば
私たちも静ずることができる、
義の実体となるよう許諾してください。

軟弱な私たちが
お父様の前にひざまずき、
天性に向かっていることをお父様がご存じであられるので、
たとえ私たちの体が俗なるところに捕らわれ、
永遠であられるお父様の恩賜を遮っているとしても、
私たちの体が、世俗的なすべてのものを屈伏させ、
あなたの形状を
私たちの心と体を通して表すよう許諾してくださり、
またそのような摂理のみ旨と、
摂理の恩賜と
摂理の愛が、私たちに連なっていることを
心で感じ体で感知することができますよう、
お父様、
役事してください。
私たちの心は、
きょうも絶対的な善に向かって走っていますが、
体は世俗的なものを得ようと、
心に対し絶え間なく
反撃を加えているということを感じるものです。

そうですので、
お父様、
私たちの心と体が、お父様のみ旨を中心として
一つとなるよう許諾してください。
そうして、
お父様と私たちとの心情のすき間を打開してくださって、
サタンが運行することのできる足場を、
私たちの心と体から完全に除いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天は今日まで、
私たちの心を中心とした体を抱き締め、
愛そうとされましたが、
私たちは今まで心情がこもったお父様の性相と形状の前に、
完全な美の対象体として
現れることができずにいます。

お父様の前にひざまずくしかない私たちの心と体であり、
罪悪に染まった心と体であり、
お父様の満ち満ちた恩賜を望む、不足な立場の心と体ですので、
今、心と体全体を
お父様が捕まえてください。
そうして、
お父様の性相の前に喜びを帰し奉り、
お父様の心に呼応する一つの姿として
現れることができるようにしてください。

今、私たちは、
お父様が六千年の間願われた
その望みの基準を備え、
お父様のみ前にひざまずき、
お父様に栄光を帰し奉れるよう許諾してくださり、
お父様が安息できるよう、
あなたの性相を表してさしあげる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

人間がもっているすべての主義主張と、
人間がもっている権利、
このすべてのものが失われてしまうという事実を知るものです。
ですので、
私たちの心と体が、
永遠に存在することのできる根本の立場に入り、
新たに爆発する力と復活の目を
私たちの心に備えることができるようにしてくださり、
自分自身を中心とした生活を捨て、
天宙を中心とした生活として取り戻してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様の心を私たちの心として、
お父様の心情を私たちの心情として体恤できる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
すべてのことをお任せしましたので、み意のままにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・三・九)

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天の事情と心情に因縁が結ばれるようにしてくださいお父様!
心と心に橋をお架けになり、
心情と心情を連結させて、
お父様の事情を通過することができ、
お父様の心情を体恤することができる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

歴史路程において、
数多くの先知先烈たちが生まれては逝きましたが、
天の事情がどうだということを知らず、
天の心情がどうだということを知らずに逝きました。
終わりの日が近づけば近づくほど、
議論し、解決すべき問題は天の事情であり、
天の心情であることを、
私たちが分かるよう許諾してください。

この問題を解決するためには、
すべてのものを犠牲にしても
喜びの心で出発しようと、
私たち自身が覚悟し、
祭物とならなければならないことを、
もう一度悟り、
天の前にひれ伏す時間となるよう
許諾してくださり、
お父様の能力を望む時間となるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天がすべての準備を整えておられるとしても、
私たち自身はその準備に対応して、
心と体に
準備の土台を整えなければならないことを
知っています。
私たちの心の中に、
今までのその何ものをも残すことがないよう
許諾してくださり、
幼子の心情に帰り、
お父様の、ほのかな
心情の感触を通して、
もう一度、天と因縁を結ぶことができるよう
許諾してください。

私たちが、
お父様の命令なさる恩賜に浸って、
天と共に和することができ、
お父様が自ら
私たちと共に議論し、
私たちと共に新しい約束を立てることのできる
この時間となるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

新しい約束のみ言を通して、
お父様の前に
もう一度覚悟と誓いをすることのできる
この時間となるよう許諾してくださり、
過去のすべてのことを悔いて、
お父様の前に聖別された一つの基準を立てることのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・一〇・一一)

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心情を体恤させてくださいお父様!
お命じになったあなたの声がお慕わしいです。
最高の善に向かって行けとおっしゃった
悲壮なその声が、
この時間私たちの心を
再び動かすようにしてください。

主がお残しになった迫害の道、
苦痛の道、
患難の道、
ゴルゴタの山頂を越え、
歴史的な悲運の道を行けと勧告なさった
切ないあなた様の事情が慕わしいです。

お父様!
自分勝手に育ち、
自分勝手に生き、
わがままになっている私たちをお集めになって、
この上なく高い主の性相に似ろと言われる、
おそれ多い恩賜に頭を下げますので、
哀れにお思いください。

本質や性稟をすべて分折してみても、
あなたの前に示す
何ものもない、
罪悪に満ちた私たちを呼び集め、
限りない祝福の恩賜を施してくださったあなたに
感謝をお捧げ申し上げます。
ただ、
懇切に信仰と心情だけを要求される
お父様の切ないその事情と心情を、
私たちが体恤し、実証するようにしてください。

お父様!
私たちは、
どのような人の言葉も聞くことを
望んではおりません。
既に多くの言葉を聞き、
多くの人に出会いました。
多くの人を見、
恵み多いという場を訪ねてみましたが、
私たち自身と関係を結ぶこともできないまま、
すべて通り過ぎてしまいました。
恩恵は恩恵として過ぎ去り、
人は人として過ぎ去って、
残ったのは一人しかいない、
歴史的な孤児のような私たちです。

ゆえに、私たちは
新しい春の風が吹いてくることを願っています。
お父様も、
そのような恩賜を許諾し得ることを、
どれほど待ち望んでおられるでしょうか?
私たち、
渇き焦る心と、
ありのままに報告したい心情をもち、
お父様の性相の前に集まる
群れとなるようにしてください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちが何を語りましょうか?
語る前に、
心の中に自分も分からない徹した感激を
体恤するようにしてくださり、
自分でも知らずに胸が詰まって、
涙を流しながら痛哭することができるようにしてください。
天が動いてくださらなければ、
そのような心は起こらないということを
知っていますし、
千万の言葉よりも
一度の体験がより貴いことを知っています。

今、不足な者たちがお父様の前に出てきましたので、
幼子の心に帰るようにしてください。
人間が学んで知っているといっても、
どれほど知り、
誇るべき何かを自ら備えたといっても、
天上に掲げるものがどれほどあるでしょうか?
何もないことを知っています。

弁明よりは事実
事実よりは心情の体恤が、
私たちの死んだ後に刈り取られるものであり、
残されるものであることを知っていますので、
歴史的な主人公となるべき私たちの上に
自ら顕現してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六〇・六・五)

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未来の希望の世界を相続する者とならせてください愛するお父様!
永遠なる主体であられるお父様の前に、
春夏秋冬の因縁を経ることのできる実体を備え、
春の節気の文化世界をその胸で十分に追求しながら、
あすの勝利の栄光を賛美する勝利の王子王女を
お父様が捜しておられるということを知りました。

この聖なる宿命の前に召された
自分自身の姿が、どれほど偉大かを
自覚しようとするあなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

人は一度、来ては死んでいくものです。
この生がいくら貴いと言っても、
青春の時期に比べることができないことを知っています。
お父様、
私たちが壮年になれば荷を背負わされるようになり、
壮年の時期に闘ってもちこたえられなくなるときには、
その結実された後孫が
悲惨になることを知っています。

それゆえ、
壮年の時代を力強く過ごし、
老年の時代を経て
新しい春を迎え、
新しい夏の節気を見ることのできる後孫を、
自分の懐の中にもった家庭であってこそ、
その後にやって来る秋の節気を
無難に克服できるということを知るものです。

これが人生というものであり、
世界の歴史時代においても、
象徴的な現象であることを眺めるようになるときに、
お父様のみ旨も
やはり同じであるのを知るものです。

堕落による絶望のどん底の前で、
三十億人類が
今、最後の運命を計る線上に立っていることを知れば知るほど、
ここにはあすの春を身代わりし、
あすの夏を身代わりすることのできる
天の王子王女がいてこそ、
この人間の世の中で
冬の節気を克服することができるということを知るものです。

この事実を推し量ってみるときに、
神様の摂理は
ここから因縁に因縁を連結させて、
死亡圏から勝利することのできる
決定的起源を成すという事実を
私たちは知るものです。

お父様!
私たち自体が
長い歴史路程に
悲しみを残していった先祖たちの恨みを退け、
堕落による運命の中で呻吟する
人類の恨みの積もったこの怨讐の根拠地を退け、
あすの希望を抱くことのできる
姿となるようにしてください。

私たちは
春の節気と夏の節気を経て、
秋の節気の結実的な実体ですので、
未来の希望世界を相続するのに不足のない
者とならなければなりません。

そうして、
近づく冬の節気を恐れず、
お父様の勝利の座標として残され得る、
天の王子王女の姿を備えた
息子・娘とならなければなりません。

ここに集った取るに足らない群れが
そのような息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・五・三)

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原理と一致する堅固な基盤を立てさせてくださいお父様!
数千年の間キリスト教歴史を編んでこられたお父様は、
内心の変わりない強固なる基盤でもって
歴史に対してこられました。

その過程で罪悪なる要素の複雑な段階は
蕩減の代価を支払いながら縮小させてこられたのが、
お父様が今まで摂理してこられた
歴史的な事情であるのを
私たちはよく知っています。

歴史を縮小させた一つの起点で
「これだ」と言い得る起源を備えるために、
数千年の間、善なる人々を犠牲にさせてきたのが、
お父様のみ旨の道であるのを察します。

その道で数多くの人々が血を流しましたが、
心からお父様が願われる立場に立って
血を流した人はいないということを、私たちは知るものです。

それがお父様の恨みでありましたので、
お父様は
その決定的な起点を解決するために
イエス様を送られましたが、
イエス様さえも地と霊界を中心として
その起点を見いだせない悲しみを抱き、死んでいったということを
私たちは知っています。

そうして、
歴史を延長させていきつつ摂理なさった
お父様の苦労の歴史は、
加重された十字架の悲惨なる道に落ちていきました。
ですので、お父様はもう一度
歴史的な終わりの日にこれを解決するために
統一家を立てられ、
このような、とてつもない一つの起点をお備えになることを知るものです。

ところが、その起点は
無謀なる立場では絶対成されないということを、
私たちははっきり知らなければなりません。
強固なるある原則に従い、
変わりない内容を備えて初めて、
成されるということを知らなければなりません。

この時点で
お父様が私たちに
何を要求なさるかを思うとき、
それは外的な勢力基盤を広げることではなく、
強固な基盤の上で原理化された一つの個人と
一つの家庭と
一つの氏族を形成することだということを
思うのです。
その運動が何よりも貴いという事実を
私たちは知らなければなりません。

このようなことを思うときに、
今まで私たちが
原理と一致する生活観を
どれほど重要視したかということを
もう一度反省してみると、
お父様の前に不忠なる自らであることを悟らないわけにはいきません。

原理は原理のまま捨て置いて、
生活は生活のままにし、
自分は自分のままで行くという立場で
今まで歩んできたことを思うとき、
私自身のために苦労されたお父様の前に
不忠であり、不孝であったことを、
私たち各自がもう一度自認するようにしてください。

原理と自らの生活が一体化した立場で、
お父様と一体となり得る主権を持てなかった
過去の悲しみを受け入れてください。
また、
このような現在に置かれている私たち自身を
爆破させてください。

そうして、
お父様が一つの起点上にとどまることができると同時に、
私たちが永遠にお父様を身代わりすることに対して、
自信をもつ原理的な内容を備えた人と
ならなければならないことを、
もう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・四・二六)

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復帰摂理の責任を果たす子女とならせてくださいお父様!
私たちはお父様の息子ならば良いとだけ考えて、
それに該当するだけの十字架を負わなければならないという事実は
忘れて生きてきました。

お父様!
けれども、
今、私たちがこの世の人々とは、
これだから違うのであり、
お父様の愛を受けることができるのも
このような内容があるがゆえであり、
歴史を背負うことができるのも
このためだという事実を知りました。

今日、サタン世界を眺めますとき、
第二の出発を模索するためのお父様の愛が
歴史路程と共に今、この時に
深く同伴しているという事実を知るのでございます。
これを感謝しようとする
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちが行くべき
必然的な路程を前にして、
個人的なアベルの道を行かなければならず、
家庭、氏族、民族、国家、世界的な
アベルの路程を行かなければなりません。

私たちがこの道を行き終わるまでは、
とても忙しいということが分かるようにしてください。
食べようとしても食べる時間がなく、
眠ろうとしても眠る時間がないくらい忙しい
私たちの行路に、共にあってください。

私たちだけでなくカイン世界まで救い、
お父様の前に帰るようになりますとき、
お父様は初めて私たちを見て、
安息することができるという事実を知っています。

このような責任を果たす私たちとなり、
お父様の悔しさを蕩減するのに
不足のないよう努力し、精誠を尽くし切る
私たちとなるよう許諾してください。

私たちのすべてのことに
あなたが親しく共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・四・五)

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復帰の路程で勝利させてくださいお父様!
きょうここに集まったあなたの子女たちを
哀れにお思いください。
この子女たちはみな、
本郷の国を訪ねていかなければなりません。
本郷の国を訪ねていくこの道が、
このように険しい道であると誰が知り得たでしょうか?
お父様! 恨み多い嘆息の世界の上で
この怨恨の土台を踏みつけ、
これを退け
新しい境地に向かって
誘導弾のように飛んでいくことのできる新しい心の爆弾を
備えるよう許諾してください。
心情の爆発力と推進力を持つよう許諾してください。

そのためには、
お父様の愛を持たなければならないことを知っていますので、
このような人々となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
誰がこの道をふさぎ、反対するとしましても、
それが問題ではないことを知っています。
行くべき足どりがあまりにも忙しいがゆえに、
休もうとしても休むことができず、
自分をむち打ちながら行くべき運命に置かれている
統一の子女たちであることを知っていますので、
どうかこの者たちの前途を平坦にしてくださり、
行く道の前に
一つひとつの峠において闘いを誓わせてください。

上がっていって、
どうか落ちることのない者たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
数多くの歴史路程で
悲しい胸を押さえながら、
耐えてきたこの者たちを記憶してくださり、
この者たちが顔に憂いと失望と敗者の色が
こもらないよう許諾してください。

お父様、
そのような過去を持ちましたが、
希望にあふれ、喜びにあふれ、
あすの希望の中に
あふれんばかりの心を抱き、進んでいくことができますよう許諾してください。

お父様!
理想世界から脱線しない立場で
報告することのできる心情を持ち、
一日の生活におきまして勝利者となるよう許諾してください。
一年の生活の勝利者となるよう許諾してください。

私たち、
生涯路程の勝利者となるようにしてくださいまして、
お父様が私たちに許諾されようとする
幸福の土台である本郷の国を創建することができる、
建国の勇士たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

その平和の王国を創建して、
お父様に侍って千年万年生きたいと言うことのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

残されたその日の上に
平和があるよう許諾してくださり、
子女たちの幸福の路程の上に
お父様の加護があるよう許諾してください。

ありとあらゆる忠誠と犠牲を覚悟して進むにおきまして、
お父様の同情が
いつもこの者たちの生活の中にあふれるよう
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六八・三・一〇)

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恨み多い復帰の道に責任を負わせてください天を見つめながら、
万物を見つめながら
お父様が願われる望みを成してさしあげるため、
そのお呼びになる声に従って戦場に走っていこうとする、
お父様が喜ぶことのできる
子女たちとなるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。

お父様の物悲しい歴史的な恨みを
私たちが知らなければなりませんし、
この世界を訪ねてこられた歩みが
どれほどもどかしく、悲痛かという事実を
私たちが知らなければなりません。

私たちの体がお父様の行かれる踏み台となり、
平坦な道を築くにおいて
材料となるということを思うとき、
いばらの道だといって
ひっくり返り、身もだえし、血を注ぐようになるとしても、
この道を開拓すべき使命が、
私たちのなさなければならない真正なる使命であり、
責任であることを知るものです。

私たちの心と体を捧げて
この民族の行く道を築くよう許諾してくださり、
この民族をお立てになって、
万民がお父様に向かって進むことのできる
直行行路を立てられるようにしてください。
このような愛の恩賜を受けられる
わが民族となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちは人知れず、
人の歓迎しない道を歩いてきました。
悲しい時も多くありましたし、
寂しい時も多くありました。
そうではありますが、
お父様が行かれた道であるがゆえに、
感謝の心で涙をもって歓迎し、
心情のこもった声で
お父様を呼ぶことが千万回あったことを知っています。
お父様を呼んだ私たちの声と共に、
私たちの涙と共に
お父様も涙ぐんだというその事実がどれほど貴いかということも
私たちは知っています。

このような道であることを知ったがゆえに、
その道を行くために生きる
統一の役軍たちは苦労の道も意に介さず、
苦行の道をたどりながら
お父様を呼ぶことのできる喜びのひと日を迎えるため、
世界的なゴルゴタ路程を基準として訪ねてきた、
懇切で、けなげなその者たちを記憶してください。

きょうお父様のみ旨のために
忠誠を尽くすのに疲れた者がいるでしょうか?
再び哀れみの心をお広げになって、
愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

今、残った恨み多い復帰の道をまた行かなければなりませんので、
その歩みを貴く思ってくださり、
その姿をお父様が記憶してください。

お父様の保護と権威が共にあり、
どこに行っても百戦百勝の勝利を収めて
お父様の前に栄光の基盤を築いてさしあげることによって、
お父様が親しく多くの民の前にお立てになって、
これは私の息子であり、
娘だと称賛することのできる
息子・娘となれるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

残された復帰の道の上に、
お父様が計画されるみ旨の前に、
勝利の栄光だけが残されることを懇切に願いながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六五・一二・二六)

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最後の開拓者の使命を果たさせてください愛のお父様!
お訪ねくださって感謝です。
きょう喜びでもって訪ねてこられましたが、
あす発たれるお父様の姿が、
歓喜の頌詠(ほめたたえる意)の日を約束して発つことのできる
お父様の姿となれないのではないかと気がかりです。

会うには喜びでもって会いましたが、
別れる日には悲しみでもって別れるのが、
人間に対してこられた
お父様の曲折の路程であったことを知りました。

きょうよりもあすが
お父様の前に慕わしくなるよう許諾してくださり、
青春期よりも老年期に入るほど、
よりお父様を慕わしく思えるよう許諾してください。

そうして、
心の深く高い世界に
一歩一歩進んでいこうとする
息子・娘となるよう許諾してください。
さらに
お父様の恨みの心情を慰労し、
イエス様の恨みを解怨し、
歴史上の先祖たちの恨みを解怨するよう許諾してくださり、
今日、終末的な使命、
天的な解怨を
私たちによって成し、お受けくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょう私たちは、
開拓者の心情で来られた
イエス様であることを知りました。
栄光の位置に立つべき者が変わって開拓者とは何たることでしょうか?
洗礼ヨハネが背反したがゆえであり、
教団が背反したがゆえであり、
民族が背反したがゆえであり、
世界のすべての人々が背反したがゆえでした。

これが今日キリスト教史に残された
史実であることを知るならば、
イエス様が準備期間から実践時間を通して
完成基準に向かって越えていったその内的決意の心情が、
私たちの心の土台の上に
わき上がるよう許諾してください。

イエス様は民族的な怨讐、
国家的な怨讐に対しましたが、
今日私たちには
民族を越え、世界的な怨讐、
宇宙的な怨讐に対すべき責任、
すなわち最後の開拓者の使命を
果たさなければならない責任がありますので、
お父様、
私たちに能力をお与えください。
この責任を一人負い、
世界的なゴルゴタの道を最後まで凛々しく歩いていき、
勝利する栄光の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・二・一)

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イエス様の恨みを解怨する統一教団とならせてくださいお父様!
ユダヤ教団と数多くの祭司長たちは、
自ら天をあがめ、
天の内情的因縁を生活に表し、
天の規範を立てると言いながら出ていった群れでした。
しかし、
生命の中心であり、
生命の結晶体であり、
愛の中心であり、
愛の結晶体として現れたイエス・キリストに対しては、
冷淡に知らないふりをしました。
イスラエルの国の
精神的な責任を負ったユダヤ教団の中で、
イエス様の側に立った者が
たったの一人もいなかったという事実を知っています。
それが無念なるお父様の
四千年の受難の結果であったということを思うとき、
私たちは涙でもって
お父様に対さないわけにはいきません。

お父様!
最後の道に向かう
恨み多いイエス・キリストの側に立って、
生命を懸け、泣き叫びつつ、
悲しみと恨みの歴史に
立ちはだかった兄弟が一人もいませんでした。
母さえもイエス様の死の道を
「私が身代わりして行こう」と言えなかったという事実を見るとき、
本当にかわいそうなイエス様でした。

イエス様の最期が、
こうも憤懣やるかたなく悲惨だった
事実を思い返すとき、
私たちは恨みに達した心で
過去のイスラエルの国とユダヤ教を
呪いたい気持ちです。
しかし、
イエス様は彼らを呪われず、
むしろ
神様が四千年間苦労し、積み上げておかれた
イスラエル圏が崩れそうだといって、
死の道を行きながらも、
彼らの福を祈ってあげなければならなかったので、
そのようなイエス様の無念なる心情を、
私たちは間違いなく知らなければなりません。

死の道でも、同情を受けられなかったイエス様は
孤独な孤児の身の上だったということを、
私たちが切々と感じなければなりません。
このような、イエス様の友とならなければならず、
このような、イエス様の親戚とならなければならず、
このような、イエス様の教団とならなければならず、
ひいては、このようなイエス様の姉、
または弟妹になるべき立場に立った群れが、
まさにこの歴史時代にぽつんと残された統一教団であり、
私たちだということを、
はっきり悟るよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
今日数多くの人々は、
クリスマスになれば
イエス様が万民を救わなければならない
メシヤの使命を持って誕生された方だと
口から口ヘと伝えながら、賛揚しています。
しかし、
実相を知ってみると、
このようにイエス様が歴史的悲しみの中で
孤独にお生まれになった方だということを考えるとき、
私たちは痛哭し、
そのようなイエス様の悲しかった内心の情景を、痛哭しながら
慰労することのできる者たちとならなければなりません。

お父様!
私たちはみ旨を知ったその日から、
イエス様の悲しい恨みを解いてさしあげるべき
責任があるということを知り、
お父様の悲しい恨みを解いてさしあげなければならないことを知ったので、
この日まで闘いきて、
今日この統一教団を形成したものです。
このように悲しかったお父様の事由をあらわにして、
教えてあげることができ、
聞くことのできる因縁と土台が、
この地球星に歴史始まって以来初めて現れたという事実を考えるとき、
ここは、それこそ
お父様の望みに対することのできる所だということを、
私たちが忘れてはならないので、
お父様の心情が、
ここで再び結びつけられるのを願っているということを、
私たちが忘れないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七一・一・三)

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イエス様が成せなかったみ旨を成就させてくださいお父様!
統一教団が今まで歩んできた道を
思い返してみるときに、
その教団は、
その誰もが愛してくれなかった教団でした。
国が反対し、
既成教会が反対し、
父母が反対し、
個々人が反対したその立場は、
ちょうどイエス様が
十字架の道まで追われたのと同じ立場でした。

イエス様は、追われて十字架で亡くなられた後、
二千年の路程において、
個人を捜し、
家庭を捜し、
氏族を捜し、
民族を捜し、
国家を捜し、
世界を捜しましたが、
霊的基準においてのみ捜してこられました。
この霊的基準を受け継ぎ、
実体基準にまで連結させるのが、
あなたの望まれた願いの一念であり、
あなたが六千年間苦労された
その苦労の結果となることを考えるものです。

今日、統一教会が歩んできたのは、
イエス様の恨めしい内情の因縁を相続して、
実体的に
この民族の前で追われながらも、死なずに、
個人と家庭と氏族と教会を
もう一度捜すためでした。
こう考えるときに、
この国、この民族におきまして、
教団同士、互いに同じ基準をつくり、
かえってユダヤ教よりも優位に立つことのできる
時代圏を迎えたということを知るものです。
イエス様を反対したユダヤ教の群れより、
イエス様の福音を通して一つとなった群れが
より強い立場に立ったのと同じく、
現在私たちを
そのような立場に立ててくださったことを考えるときに、
心から感謝を申し上げます。

教会を超えて
民族基準まで上がらなければならない終生の使命が、
私たちに残っていることを知り、
どのような困難にぶつかり、
どのような犠牲を支払うとしても、
この道を越えてこそ、
初めて私たちの生きる道があり、
定着することができるということを、はっきり知らなければなりません。
寝ても覚めてもこのためにだけ、
私たちがあらゆる精誠を投入しようと、
もう一度決意できるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちの遠くない将来に、
必勝のひと日が訪ねてくることを考えるときに、
私たちは
イエス様が与えられなかった愛を与えなければならず、
イエス様が受けられなかった愛を受けなければなりません。

このようなことが統一教団で起こることによって、
私たちを通して
お父様の恨みとイエス様の恨みが解怨されるという、
このとてつもない歴史的事実を有り難く思い、
一生に一度しかないこの貴い機会を
失ってしまわないよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・一二・二五)

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イスラエルが果たせなかった使命を私たちが成してさしあげられますようにお父様!
二千年前にイスラエル民族をお選びになり、
彼らをして
心で体でお父様の心情を
体恤させようとしましたが、
そのみ旨はまだ成されていないということを
私たちはよく知っています。

不信する人はたくさんいましたが、
摂理のみ旨に対する天の生命を抱いている人は
いなかったことを私たちは知るものです。

イエス様はこの地に来られて、
天の生命を表そうとされたのに、
彼に従う人がなく独り行かれましたが、
きょう私たちが全人類のともしびとなって、
イエス様の使命を引き継ぐことができ、
イエス様のみ旨を引き継ぐことのできる
群れとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
今まで堕落した不信の社会環境と
その実情を眺められながら耐えてこられ、
今、この世の中を心配されて私たちを選び、
世の中が悪くなれば悪くなるほど、いつも天の前に立てるよう
許諾してくださった恩賜に感謝を申し上げます。

イスラエルの不信によって
悲しみを被るしかなかった
イエス・キリストの立場を思わないわけにはいきません。
彼は天の悲しみを身代わりして語られ、
彼の行動は信仰によるものであり、
お父様を中心としたものであったことを私たちは知るものです。

今、終わりの日において、
私たちが人類の罪を蕩減復帰し、
お父様の心情と連結され、
私たちの体と心で
お父様に侍るよう導いてください。

この地上には数多くの信じる人々がいますが、
イスラエル民族の中で
お父様に心から従った人がいなかったのと同様に、
きょう新たなイスラエルを身代わりすべきキリスト教が、
お父様のみ旨を知ることができず、
摂理の全体のみ旨を担うことができなくなってしまいました。
お父様、
そのみ旨を私たちが成すようにしてくださり、
私たちを導いてくださって、
お父様の召命を受けて
永遠に残され得るよう許諾してください。

お父様が私たちを選ぶときには、
私たちだけのために選んだのではなく、
民族のために、世界のために選んだということを
私たちが知っていますので、
お父様、み意のままに導いてください。

袋だたきにされ、引き裂かれ、迫害を受けるとしても、
お父様が期待される
一つの生命を持つことができるとするなら、
いつまでも耐えていき、
お父様に勝利を抱かせてさしあげ得る
私たちとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様! 今、私たちの心情を
天の心情に連結して、
お父様のみ旨を成してさしあげようと誓う
貴い時間となるようにしてくださり、
摂理のみ旨を許諾し、
愛をもって
お父様のみ旨に責任を負っていけるよう許諾してくださり、
天の心情を体恤して、
ただみ旨の道だけを行くことができるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様のみ旨ならば
死のうが生きようがお父様をつかみ、
私たちの心はあなたの生命を求め、
私たちの体はあなたの生命の道を求め、
ただお父様のみ旨を中心として生きていくことができるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・四・六)

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恨みを残し逝かれたイエス様の心情を慰労させてくださいけさは、
一九六五年の新年に入って
初めて迎える安息日であると同時に、
主の降臨、一九六五年目を迎える日です。
数多くの人々は、
メシヤの誕生日を
自分たちの思いどおりに決めて祝い、
メシヤがこの地に来て
人類と共に、
世界と共に、
宇宙と共に、
どのような因縁と価値を決定したのかも分からず、
その方の名声だけを記憶して、
メシヤの誕生日を祝いました。

しかし、
きょうこのように集まった少数の群れたちは、
今から二千年前に
あなたの広く高いみ旨と
尊厳なる経綸によって
送られたイエス様でありながら、
かわいそうな立場に置かれていた
彼の事情に、心で同情しながら、
その時にイスラエル民族が使命を果たせなかったことを、
骨身に染みて考えないわけにはいきません。

この地上に
あなたの貴い息子として生まれたその方は、
天地創造の理念に背いた
アダムを失ってしまった悲しみを解怨するため、
送られた方であったことを知るものです。
彼を通してみ旨を成し遂げられ、
彼を通して栄光をお受けになり、
彼を通して幸福の世界を
築こうとなさった望みを成就させるため、
あなたがお送りになったメシヤであるイエス様は
生まれるその日から
悄然たる姿でお生まれになりました。

数多くの人々がメシヤを待ち望みましたが、
実際にメシヤとして来られたその方が分かりませんでした。
そのメシヤは独りで神様の心情を抱き、
神様の望みを持って生きるべき
生活的な事情を持たれ、
人知れず、
みすぼらしい姿で現れ、
哀れな身の上で十字架に掛かり、
涙と血を流して逝かれたということを考えるとき、
私たちの先祖たちが足らなかったことを、
私たちがこの時間に謝罪しないわけにはいきませんし、
責任を負ったユダヤ教が使命を果たせず、
神様に背いた罪悪を、
私たちが謝罪しないわけにはいきません。
数多くの歴代の私たちの先祖たちに血を流させた罪の歴史を、
神様に背いてきた数多くの人類の罪悪を、
私たちがもう一度、心深くたどって考え、
悔い改める時間となるようにしてください。

お父様!
あなたの悲しみを私たちが察しなければならず、
イエス様の憤懣やるかたない事情に
私たちが同情しなければならず、
今まで血の路程を歩んできた彼の弟子たちの
凄涼で、悲惨な事情を悟ることのできる
私たちとならなければなりません。

歴史的な恨みを抱き逝かれたイエス様を、
個人的に慰労し、
家庭的に慰労し、
民族的に、
国家的に、
ひいては世界的に慰労してさしあげることが、
きょうメシヤの誕生日を記念する全体的な目的であることを、
私たちが忘却しないようにしてください。

二千年の歴史は過ぎていきました。
その間、悲しい事情がどれほど多かったでしょうか?
お父様も悲しく、
イエス様も悲しく、
聖霊も悲しく、
キリスト教徒たちも悲しかったことを知るものです。
また、このように悲しかった恨みを解くための
最後の終わりのひと日、
すなわち皆が待ち望む審判のその日が、
近づいてきているということを知っています。
積もりに積もったお父様の恨みを解くために
来られるメシヤを、
再び迎えるべき立場にある
この終わりの日の聖徒たちは、
メシヤを待ち望んだイスラエル民族のように、
来られるメシヤに追われて仕える
心と準備を備えられずに
メシヤを待ち望むだけではいけませんので、
私たち各自がこのようなことを
自覚するようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六五・一・三)

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イエス様のような心情でお父様の前に立たせてくださいお父様!
四千年間苦労して導いてこられた
イスラエルの終末を眺めながら、
その民族に対して祝いの言葉を語れず、
かえって嘆息の言葉を語らなければならなかった
イエス・キリストの心情が、
どれほどもどかしく、恨めしく、悲しく、
どれほど苦しかったでしょうか?

お父様!
死亡線上で身もだえしている
数多くの民を眺めるイエス様の心中には、
勧告しても聞かず、
諭してあげても悟ろうとしない
無知な群れに対して、
天のもどかしさが
その一身に染み渡ったということを知っています。
そのもどかしさが染み渡れば染み渡るほど、
地に対し、恨みたい心も
共に高まっていったことを私たちは知っています。
しかし、
これを抑えて耐えられたキリストの心情を
知る人は、地上に誰もいませんでした。

寂しい路程を開拓するため、
苦労されたキリストの聖なる姿を、
兄のように、
父のように侍りながら、
彼と一つの心になり、
彼が涙する立場にいるなら、共に涙し
飢える立場にいるなら、共に飢え、
ぼろをまとう立場にいるなら、共にぼろをまとい、
むち打たれる立場にいるなら、共にむち打たれ、
追われる立場にいるなら、共に追われる立場に立つべきでしたが、
そうできなかったのが歴史的な恨みであったことを
私たちは知りました。

心情の世界は、
歴史的な距離を超越するという事実を
私たちは知りました。
それゆえ私たちは今、
心情の根本を尋ね入り、
キリストの聖なる姿を抱き締め、
彼の事情に通じることのできる心情の友となって、
イエス様を身代わりしてゲッセマネの園で祈ることができ、
イエス様を身代わりしてカルバリ山頂に向かって走っていくことのできる、
あなたの息子・娘たちとなるようにしてください。
そのような息子・娘であるとするなら、
彼はキリストの友であり、
歴史を超えて天の息子に侍った者であるということを、
私たちが体恤するようにしてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

イエス様はこの地上に来て、
数限りなく涙を流されましたが、
誰もそれを知らず、
血涙の出る哀痛の心情を持って
天に対して訴えましたが、
それを知る者もいませんでした。
お父様、
今日統一の信徒たちを
かわいそうな立場に追いやり、鍛えてくださったことに
感謝を申し上げます。
飢えの中で団結させてくださったことに
感謝を申し上げます。
お父様、
ぼろをまといながらもみ旨を案じ、
むち打たれながらもあなたを案ずる
息子・娘となるようにしてください。

これがお父様の願いであり、
このような姿を立てて
この民族の前に誇ろうとなさるのが、
お父様のみ旨であることを知るものでございます。
今、そのような姿を
捜し立てる使命を果たす時が来ましたので、
この使命の前に
私たちが卑屈にならないようにしてくださり、
この使命の前に
ためらわないようにしてください。
私たちにあるすべての情熱と誠心を尽くして、
あなたの前に実績を残し、
あなたの心情に記憶され得る
息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六〇・七・一七)

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イエス様の歴史的な悲しみのひと日を回想させてくださいお父様!
天を抱き
地に対する救援摂理のみ旨を抱き、
三十余年の生涯を生きられたイエス様が、
自分を救い主として対してくれる人、一人を見いだせず、
救い主として侍ってくれる一家族を見いだせず、
救い主として従う一民族を率いることができないまま、
恨めしい運命の日を迎えなければならなかった
歴史的な悲しみの日が思い返されるものです。

願わない時に
十字架の道を行かなければならず、
時ならぬ時に
使命を終結しなければならなかったイエス様でしたので、
語るべきこともすべて語れず、
立てた悲壮なる覚悟と
決心の行使もできないままに
恨みを残し、
また抱いて逝かれましたが、
その心情を知る者がどこにいるでしょうか?

お父様!
天を仰ぎ見るイエス様の目には、
万民に対する切ない涙がたまり、
死を前にした彼の悄然たるお姿は、
人類を身代わりした姿であったことを、
今日、私たちも
骨身に染みて分かることはできませんが、
当時の人々の中でも、
それほど凄絶なる困難にぶつかる人が、
神様の息子であることを知っていた人はいませんでした。

イエス様を知って侍るべき民族が、
むしろ彼に反対して
死の道に追い立てるために跳梁したので、
み旨を抱いてきたイエス様は、
どれほどかわいそうだったでしょうか?

天の心情に通じ、
イエス様の心情に通じるべき民族であるにもかかわらず、
むしろイエス様が民族を案じなければならず、
怨讐に引かれていくイエス様の悲しみも知らず、
怨讐の手のひらの中で戯れている、
死亡圏にいる民族を眺め、
「アバ、父よ、彼らの罪をお許しください」
と言って、祈らなければならなかったイエス様の心情を、
私たちがたどって感じられるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

十字架と言えば、
私たちは名前だけで知っていました。
イエス様が行ったゴルゴタ山頂が、
イエス様にとっては地獄であり、
死の刑場であったことが
私たちには分かりませんでした。
ですので、
今から私たちが十字架を考えるときには、
イエス様の体が裂かれる痛みより、
四千年間積もってきた神様の恨みの心情が
裂かれる悲しみが、どれほど大きかったかを知るようにしてください。
イエス様が十字架上で
肉を裂かれ血を流したことが悲しいのではなく、
心情を絞り出さなければならなかったことが
もっと悲しかったことを、知り得る
私たちとなるようにしてください。

きょうここに集まった群れの中に、
真なるあなたの息子・娘がいるでしょうか?
イエス様の流した血を無視し、
天の福を受けることを願うものがいるでしょうか?
イエス様の心情に倣って、
天のみ旨に対そうとする者がいるでしょうか?

泣いて、泣いて、また泣いても
恨みの解けない悲しみのひと日を憶え、
イエス様の死に対して、果てしもなく痛哭することのできる
群れとならせてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・六・二一)

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イエス様とともに天的な責任を果たさせてくださいお父様!
二千年前に寂しく来て逝かれた
イエス様の事情がどうであったかを、
私たちが察するようにしてください。
彼はこの地上に人間たちを救うため、
自分のすべてを祭物として捧げて
倒れようとも、
案ずる心をお持ちになって、
その厳しい困難も甘受され、
寂しい立場も喜んで行かれました。
そのようなイエス様の寂しい姿を、
私たちが同情するようにしてください。

イエス様は
個人の目的を成し遂げるために闘われたのではなく、
罪人である多くの衆生を救うと同時に、
死亡圏内にあるこの世界を天の世界、
すなわち光明の世界へと導こうという、
天的な使命を背負って闘われたことを
私たちは知りました。

その当時、イエス様のすべての生活環境は、
どれ一つとして喜ばしいものがありませんでした。
行く先々でも迫害があり、
行く先々で憤懣やるかたないことが、前に横たわっていましたが、
彼は嘆息しませんでした。
落胆する立場に置かれても、
決して落胆しませんでした。

望みの世界のために
未来の天国のために、
お父様の経綸を眺めながら、耐えてこられた
そのみ旨を私たちは知るものです。
ここに集まった息子・娘たち、
たとえ二千年という歴史的な距離はあったとしても、
心情的には
二千年前のイエス様の心情と通じることができ、
天的な責任を背負った立場で、
お父様に対することのできる
息子・娘とならければなりません。

そうして、
お父様の寂しい心情を抱きしめ、
この地上の人類を身代わりして
お父様を慰労してさしあげ、
この民族と世界人類の前に訴え、
彼らをお父様と因縁づけてあげられる
息子・娘とならせてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六〇・六・一二)

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イエス様の慰労者となり慰安者とならせてくださいお父様!
きょうこの時間は、
イエス様と歴史的な距離のある時間です。
歴史には距離がありますが、
心情の世界には距離がないということを
知っています。
歴史的なイエス様を信じる私たちとならず、
心情を通して直接的にイエス様を知り、信じることのできる
私たちとならせてください。

み言を語られたイエス様の悄然とした聖なる姿を慕いながら、
心で悲しみ、
その前に頭を下げることができ、
訴えたその時の声を聞くことのできる
徹した心、
懇切なる心、
恐れかしこまる心が、私たちの体と心にこもるよう
許諾してください。

自分でも知らずに「お父様」と呼ぶことができ、
知らない間に
主の恍惚たる恩賜を感じて感謝を申し上げます。
送られたメシヤの聖なる姿は
天上が擁護し、敬うべき存在でしたが、
地上に現れ、
悲惨なる道を行かれたことを悲しみ、
彼の苦労を案じ、
彼の悔しさを悔しく思う
私たちとなるようにしてください。
その時の先知たちが行えなかったすべてのことを、
きょう私たちが心情的に引き継いで、
彼らを身代わりしてイエス様の慰労者となり、
慰安者となるようにしてくださいまして、
その方の前に望みの相対となるようにしてください。

イエス様はどれほどかわいそうな方でしょうか?
民族を眺める彼の心は
嘆息せずにはおれず、
教団を眺める彼の心情は
痛哭しか残っていませんでした。
天倫の摂理に責任を持たなければならなかった彼の事情を、
人間は知りませんでした。

事情に通じるべき人間たち、
心情を分かつべき教団、
共に生きるべき民族を後に置き、
独り夜中に山中をさまよわれた彼の心情を
知る者がいませんでした。
きょう私たちは、イエス様を知らずに従い、
イエス様を知らずに信じる者たちと同じにならないよう
許諾してください。
かわいそうな彼の心情をつかみ、
限りなく泣いてあげることができ、
限りなく心配してあげることができ、
彼のために死の立場も意に介さない
私たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・一〇・一八)

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メシヤを迎えるにふさわしい姿とならせてください今日、私たちの生涯路程は悲惨なる路程であり、
生活環境は複雑で、
私たちは
善と悪を分別できない
混沌状態で生きています。
このような地に
一つの生命の道を開拓してくださるために、
天は骨折られ、
人類の前に
一つの真なる人の姿と、
真なる理念と
天宙の真の姿を紹介するために、
数多くの先知者たちがこの地上に来ては逝ったのを
知っています。

その中でも万民のメシヤとしてこの地上に現れ、
十字架上でわらくずのように消えながらも、
万民のために福を祈ることのできた
イエス・キリストの尊厳なる人格と
彼から流れ出たその心情、
染み通った彼の理念を
慕うべき時が来ました。

自分を軽視すべきこの時であるにもかかわらず、
自分を高くし、
万物万象を蔑視し、
天を蔑視した罪深き自分であったことを
受け入れてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちが真なる心、
真なる善に向かい動こうとするなら、
天地の前に負債を負った者であり、
人類歴史路程で、
言うに言えない険悪なる痛手を負った
罪悪の氏族であることを悟らせてください。
今、私たちには
お父様を尋ね、捜し歩くことのできる心、
本然の自我を尋ね、捜し歩くことのできる忠節、
それだけが必要ですので、
お父様、
それを備えるよう許諾してください。

イエス様が生きてきた生涯路程が
悲惨なる涙の道であったことを、
私たちは否認することができませんし、
経てきた歴史のひとこまひとこまも、
血のにじんだ血みどろの闘いで綴られたことを、
私たちは知っております。
そうして
私たちは、
歴史的な何かを解明することができず、
時代的に誇るべき何ものをも持てなかった
宇宙史的な落伍者の立場であることを
分からせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

それゆえに真なる指導者、
真なる生命と真なる心情を持った指導者が必要であり、
天が人間の前に送られた方が救い主であり、
メシヤであると私たちは信じています。

しかし、私たちが
メシヤたるその方の前に出るために、
彼にふさわしい志操と忠節と心情を備えたかを、
自らたどって調べるようにしてください。
天はメシヤを迎えるにおいて、
人間が
最高の情熱と
最高の忠誠と
最高の真心を、すべて傾けるのを
待ち望まれることを知っていますし、
サタンを相手にしない最高の至誠と
燃える心情を要求されることを知っています。
今、私たちが
そのような立場に達することができなくとも
その立場を慕う心だけでも持って
ひざまずき、贖罪の恩賜を願うことのできる
謙遜な幼い息子・娘たちとなるよう導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・七・一九)

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み意に背いたイスラエルを教訓とさせてください選民の権限を誇り、
選ばれた民であることを誇りながら、
祝福圏内に生きた
イスラエルはどこに行ったのかと嘆息なさる
お父様の悲しい涙が、この地に残っているということを
私たちは知っています。

お父様が四千年の間、
歴史的な悲しさに耐えながら、
選んだイスラエル民族をつかんでこられたのは、
メシヤお一人をお送りになるためであったにもかかわらず、
彼らはメシヤをほうっておき、サタンの懐に抱かれたがゆえに、
それを見つめておられたお父様の悲しさは、

その時だけの悲しさではなく、
億千万年歴史の悲しさとして
残されたという事実を知るものです。

当時、選ばれたイスラエル民族は
このような事実を知ることができなかったということを
私たちが回想するとき、
きょう体をかがめ、心を整理して
歴史的な犯罪性を暴露し、
その歴史的な罪悪を
身代わりして悔い改めるべき責任が私たちにあることを、
私たちは悲しく思わないわけにはいきません。

イエス様は天の物悲しい心情を抱き、
倒れていく民族を訪ねてくださり、
彼らをかわいそうに思い、
自らの生命をも惜しまず、彼らを訪ねてくださいましたが、
選ばれた民族であると自称していたイスラエル民族は、
天がお送りになったメシヤと準備された洗礼ヨハネを、
自分たちの勝手に扱い、
歴史的な悲しみの陰に隠してしまったという事実を、
今日、私たちは知っています。

きょう、ここに集ったあなたの息子・娘たちをして、
その時のイスラエルの人々が
私たちよりも劣っていて天に背反したのでなく、
天のために生きる心情が
私たちよりも劣っていて天を忘れてしまったのではなかったことを
知るよう許諾してください。

新しい時代に対する希望が足らず、
新しいメシヤの理念を持ってこられる主の姿が
大きいだろうと思っていたのに、
いざ現れたメシヤが、
あまりにも悄然としてかわいそうで、小さな姿であったがゆえに、
彼らが排斥したのだという事実が
分かるよう許諾してください。

今、私たち自体が
どのような立場に置かれているかを
察するよう許諾してくださり、
今日、私たちはよく
歴史的なイスラエル民族を誹謗し、
当時の事情を批判することがありますが、
その時の事情や今日の事情に
差がないことを知るようにしてください。

私たちがその時にいたなら、
彼らと同じ群れであったことでしょうし、
私たちがその時代にいたなら、
彼らと同じ立場にいたであろうことを
自認する心を持つようにしてくださり、
そのような歴史的な罪の痕跡をもっている
自らだということと、
サタンの魔の手が私たちの体をにらんでいるということを
知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・二・二二)

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イエス様の悲しい心情をつかみ立つ子女とならせてください今日私たちは、
歴史上に来て逝かれた
イエス様を知り、信じていますが、
その当時イスラエル民族に
追い回された悲惨なるイエス様、
この村で追われればあの村へ、
この都で追われればあの都へと彷徨した
イエス様の心情を知って、信じる者はいませんでした。
天の心情を身代わりして現れた
イエス様の姿を知る者は、
歴史上で見いだすことができませんでした。

メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、
メシヤを迎える望みを抱き、
数千年間耐えながら闘ってきて、
メシヤはいつこられるのかと言いながら待ち望んできましたが、
いざその望みの的が現れた時には、
自分たちの事情と
自分たちの置かれた環境に偏ったあまり、
天の心情を知らないまま
深い眠りに陥っていたことを、
私たちは思い起こさずにはおれません。
このように嘆かわしい歴史があったことを思い起こし、
きょう私たちに、
お父様の心の中に染み渡っている恨みを
解いてさしあげるべき責任があるとするなら、
来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、
私たちが身代わりして担当し、
解いてさしあげられるようにしてください。
イエスを悲しませた
イスラエルの失敗に責任を持ち、
身代わりして悔い改めることのできる
私たちとなるよう許諾してください。

イエス様は悲しい三十余年の生涯をお送りになられました。
その上に
自分のすべてのものを捧げた三年公生涯がありましたが、
誰が彼の心情を知り、
誰が彼の事情を知っていたでしょうか?
一人もいませんでした。
甚だしくは、喜怒哀楽を共にし、
悲しい時、共に悲しみ、
寂しい時、共に寂しがり、
師と侍っていた弟子たちも知りませんでした。
師が死の道を行くことを案じ、
懇切なる心情で天をつかみ
訴えるべき弟子たちが、
かえってイエス様が誰であるかと言って
問い返す立場にあったので、
三年の公事が無駄であったことを感じられたイエス様の心情、
悲しみがあるとするなら
これ以上の悲しみがどこにあり、
悔しいことがあるとするなら
これ以上悔しいことがどこにあるでしょうか?

権能をお使いになったイエス様を
あがめ侍ることのできるクリスチャンはいますが、
踏まれ押しつけられたイエス様のその足跡を
つかんで生きようとするクリスチャンはいません。
お父様、
かわいそうなイエス様の心情を
つかんで立ち上がることができる息子・娘たちが、
この万民の中にたくさん現れることを
私たちは
血涙で訴えないわけにはいきません。

生きておられ、
歴史の背後を操られるお父様!
私たちに、ほのかに行く所を教えてくださることを知るものです。
お父様、
過去のイエス様を慕う
私たちとならないようにしてくださり、
時代的なイエス様を証すためにあえぐことのできる
私たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、私たち、
お父様の前に行かなければならなかった
イエス様の心情に同情し、
その心情の前に頭を下げられるようにしてくださり、
イエス様が喜ばれ、願われた何かがあるとするなら、
それを成し遂げてさしあげることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
二千年前、人類の生命問題を解決しなければならなかった
イエス様の心情に徹することができ、
彼の心情と関係を結べる
息子・娘となるよう、お導きくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・七・一九)

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イエス様を通じた歴史的痛恨の心情を感じさせてください待ちに待った望みのひと日を迎えるために摂理してこられたお父様、
不信した人間たちをお捨てになることができず、
数多くの寂しい群れを抱かれるために、
イスラエル選民を祝福しておき、
歴史を導いてきて、
約束していた一存在を送られたその日は、
お父様の栄光が天に染み渡らなければならず、
万民の歓喜の心情をもって
天上にも地上にも喜びが充満しなければならなかったのに、
四千年の悲しみが
イエス様お一人に対して加えられたという
歴史的な恨めしく悔しい事実を、
お父様、
私たちは知っています。

馬屋で誕生して生きられた三十余年の生涯は、
それほどまでに悲惨であり、
それほどまでに寂しく、
それほどまでに頼る所もありませんでした。
地上にそれほどまでに信じる者がいなかったイエス様、
地上で自分の胸襟を開いて、
その懇切なる心情を伝えることができないまま、
恨みの主人公として逝かれたイエス様であったということを、
今日私たちは知っています。

勧告すべき天的なみ言が残っていましたが、
受けるべき人間が信じることができないことにより、
そのみ言をすべて語れず、抱き逝かれた悲しみ、
二千年前のイエス様の悲しみを
知らずにいる万民をお許しください。
それでも、天に従った弟子たちを集めて
勧告なさり、期待されたみ言と祈祷を
私たちは聞きました。
あなたの因縁と天の因縁が相合うその瞬間、
天の喜びが現れなければならず、
ひいては地上に
新しい国が建設されなければならなかったのに、
その瞬間喜びは消え去り、
嘆息と悲しみが始まり、
恨みの十字架の道が生じた
歴史的な恨めしく悔しい事実を知っています。

私たちの先祖たちは天の前に負債を負い、
私たちも天の前に
宇宙的な負債を負っているのに、
それを蕩減しようとせず、
自分の安逸のために
あえぐ群れとなったことを受け入れてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
悲惨なる心情を体恤し、
地を案じ、
天を案ずる心を持った息子・娘たちが、
この地上にどれほどいますでしょうか?
お父様、
とても珍しく貴重であるということを知っています。
哀れな万民を救われるため、
数多くの苦労も意に介することなく、
寂しい私たちに勧告なさるために
月日を経てこられたお父様、
私たちの前に新しい約束をお立てください。
この者たちに
新しい約束と、新しい時代の使命を任せようとなさる
天的なみ旨があるとするなら、
お父様、
役事してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・五・一七)

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イエス様の悲しい心情を感じさせてくださいお父様!
二千年前のイエス様の聖なる姿が慕われます。
み言をお伝えになったイエス様の前には、
索漠たる世の中が置かれていて、
自分を主とし、自分を高くしようとする
群れがいましたが、
そのような群れを眺められたイエス様の視線に、
限りなく悲しい心情が流れていたことを
知るものです。

ユダヤ教団は教派同士で闘い、
信徒たちは信徒たち同士で争う実情を
眺めておられたイエス様!
自分の粗は隠し、
人の粗を探して、自分を主張するためにあえいでいた
その時の時代相を私たちが回顧するとき、
やはり世の中と時代に責任を持って来られた
イエス様の心が、無限に悲しかったことを知るものです。

それでも、
「求めよ、そうすれば、与えられるだろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、
そうすれば、あけてもらえるであろう」と叫ばれた(マタイ七・七)
イエス様の心情が推し量られます。
求め、捜し、たたくべき者たちは
民族であり、教団であり、個人でしたが、
求めるべき者たちが求めようとせず、
捜すべき者たちが捜そうとせず、
たたくべき者たちがたたこうとしないのを
眺められるイエス様は、
人間を身代わりして求めなければならない立場におられ、
人間を身代わりして捜さなければならない立場におられ、
人間を身代わりしてたたかなければならない立場におられたので、
お父様、
悲しいのはこのことでした。

人間が訪ねてくれるのを待ち望んで送ったメシヤが、
むしろ訪ねるべき立場におられ、
人間たちが侍ってくれるのを望みながら、
天は長い歴史路程を準備したのに、
人間たちから侍られない立場におられた
イエス様の物悲しい心情を、
私たちがこの時間感じるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

イエス様は地の人間に対するとき、
涙して嘆くしかない事情でしたが、
むしろお父様が
祝福してくださることのできる地となることを待ち望まれました。
イエス様のその聖なる姿が、
きょう私たちの目前に顕現するよう役事してくださり、
私たちが彼の命じられる声を聞き、
黙々とその内心に流れる天的な心情を思慕し、体恤して、
涙しながら敬拝を捧げることのできる
群れとならせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちは
お父様に向かって手を挙げ
裸同然の姿で現れましたので、
哀れにお思いください。
私たちの心には、
お父様しかいないよう許諾してくださり、
私たちの望みと私たちの欲望と
私たちの一切の要求条件は、
お父様のこと以外にはないよう許諾してください。
無限なるお父様の心情に染み渡った
その心をつかんで生き、
その心を体恤しながら生き、
その心と共に闘いながら生きることのできる
息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・四・二六)

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メシヤを迎えられる姿とならせてくださいお父様!
三十余年間、荒野でいなごとはちみつを食べて修道した、
洗礼ヨハネが抱いた願いは何であったでしょうか?
彼の願いのすべては、
来られるメシヤを迎えることであったことを知っています。

メシヤを証した彼は、
メシヤと一つにならなければならない
天倫の因縁でございましたが、
彼が私の心にあり、
私が彼の中にあって、
彼のものは私のものであり、
彼の心情が私の心情であり、
彼の生涯が私の生涯だという、
すなわちイエス様のすべてのものが
洗礼ヨハネの心中に反映され、
一体をなさなければならなかったのですが、
彼はそのようにはできませんでした。

ヨルダン川の多くの群れの前で
手を挙げ、天の息子だと
証した記憶を持っていた洗礼ヨハネは、
悲しく寂しい姿で獄に閉じ込められ、
自分の物悲しい身の上を
嘆息せずにはおれない立場で、
自分が証したメシヤ、
天が証し立ててくださったメシヤに
弟子たちを送り、
「『きたるべきかた』はあなたなのですか。
それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と(マタイ一一・三)
聞き返した場面は、歴史的な悲しい場面であり、
天が越え難い悲しい場面であったことを
私たちは知りました。

歴史の流れの中に、洗礼ヨハネの路程は
そのまま残っています。
新しい理念を見つけるためにあえいでいる私たち、
新しい歴史を待ち望みながら準備するという私たちが、
今、洗礼ヨハネを自分と交換して
考えることのできる者たちとなるよう
許諾してください。

天の民が天のみ旨を排斥した事実を、
歴史を通して知りましたので、
今日私たちが
そのような歴史的な二の舞いを
再び踏む私たちとならないよう主管してくださり、
荒野で装わせ準備をさせられた、そのみ旨を
失う者たちとならないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

きょう私たちの体と心が、
お父様の前に面目ないことを
悟るよう許諾してください。
お父様の勧告なさるみ言を聞くことができ、
イエス・キリストの悲しい心情を
引き継ぐことができるようにしてくださり、
天的な悲しい心情を抱き、
人間たちが知ることのできない
新しい理念の主人公を迎えることのできる
心と体となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この時代を守りいく主人公は誰であり、
この時代に残ることのできる民族は
どのような民族であるかを案じ、
そのような姿を慕いながら
悲しい心情に徹することのできる
このひと時となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
聞こえてくるみ言と聞こえてくる声に耳を傾け、
そこに同調し反応する生活をする私たち、
今、私たちが歩んできた道を振り返り、
新しく目覚めるべき時が来ました。

混乱と混沌の中に置かれ、
生死を決めるべき立場にある
自分自身を案じる立場から、
私たちが抜けられるようにしてください。
信じることのできない社会であり、
信じることのできない世界であることを知り、
信じることのできる理念の世界に浸り、
その理念の世界と因縁を結ぶことができるよう
自ら目覚め、
自我を認識し
天をつかむべき時となり、
心の変革を起こさなければならない時に
なったということを知っています。

このような環境に置かれている自分であることを肝に銘じ、
新しい「私」を追求することができるよう導いてください。
恨みの染み渡った悲しみの峠を越えに越えて、
歓喜の姿を迎えることのできる
私たちとならせてくださり、
その姿を慕い、
その世界に引かれ、
その世界と和することができるようにしてください。
今日この社会環境が自由であり得ず、
悲しみが染み渡っていることを悲痛に感じて、
これを遮って闘うことのできる
力を、勇猛さをお与えください。
永遠であられ絶対的なる天がおられるなら、
罪悪の一切を押し出すことのできる能力を
加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・四・一二)

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十字架を越えて復活の栄光を歌わせてくださいお父様!
時が近づけば近づくほど、
復活の主に出会うのを
ためらう心がわき出てきます。
時が近づけば近づくほど、
死の悲しい因縁を抱かれたイエス・キリストの姿が
連想されるようにしてください。

刑具に掛けられ亡くなられた彼は、
恨みを抱いて逝かれた方であったことを知りました。
彼が徘徊されたゴルゴタの山頂は、
因縁の涙の峠であることを知りました。
彼が流された血と汗は、
今日まで因縁の歴史に生き残り、
人類の一人ひとりの心中に
復活し、入っていくことを知りました。
このすべてのものが、
因縁の歴史的な摂理のみ旨の中で
流された血と汗があったがゆえに、
その因縁が存在する間、
その血と汗によってすべてのものが動いていくことを知っています。
今日、そのような心情に徹する私たち、
そのような境地にいる私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

このように行かれた主、
新郎であられる主は、因縁の歴史を経て
再び訪ねてあげようとおっしゃいました。
主が自分の心、体を傾け、
私たちを訪ね立てようとする心情が懇切であられることを知っていますので、
私たち自身を備え、
万民の前に装った姿を誇りたい心が
懇切でありますよう許諾してください。

その道を行こうとしても、悪なる世の中であり、
主が行かれたその道が残っているので、
耐えに耐え、また耐えて、
民族の残った峠を歩まなければならず、
世界の残った峠を歩まなければなりません。
今、地に残された十字架の峠を越えることのできる
殉教の歴史を耐えることによって、
持ちこたえなければならないことを
私たちは初めて知りました。

今、新しい心で因縁を感じ、
新しい心で待ち望み、
新しい心で耐えながら、
お父様につかまり痛哭することのできる
その日まで進むことのできる
私たちとなるようにしてくださり、
積もった悲しみの因縁を越えることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
喜びの因縁を誇ることのできるその時間まで、
耐えて残され、死亡の権限を押さえ、
復活の栄光を歌うことのできる
息子・娘たちとならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・三・二九)

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排斥されたイエス様の悲しい事情を洞察させてくださいお父様!
愛する弟子たちを前に置いて、
遠からず地上での生涯を終結し、
お父様の国へ行くことを語らなければならなかった、
イエス様の物悲しい心を
洞察することのできる私たちとなるよう許諾してください。

時間的に見るなら、
イエス様と私たちの間には
二千年という間隔がありますが、
心情の世界では
時間を超越することができることを知っていますので、
きょうもイエス様の悄然とした姿と
物悲しい心情に涙ぐみ、
一言一言懇々と戒められた
聖なる姿を眺めることのできる、
直接的な体恤の役事を呼び起こしてください。
このような場面は、人間たる私たちとして
慕わざるを得ない場面です。

この地上の誰が
イエス様の心を知ったでしょうか?
物思いに沈んだその姿を見て、
心深く染み渡ってくる天の悲しみを
体恤した人がー人もいませんでしたので、
天はこのような人間たちを置いて
嘆息するしかなかったことを知るものです。
天の心情を知って
「主よ!」と呼ぶ
弟子の一人も持てなかったイエス様が、
疑心で点綴(一つひとつをつづり合わせる意)された
生涯路程を行かなければならず、
また疑われ、
その物悲しい生涯の終末を迎えなければならなかった悲しみを、
この時間私たちが
心で同情できるようにしてください。

イエス様が懇切なる天の心情を抱き、
天のすべての遺業を抱き、
人間を尋ねてこられましたが、
人間たちはそのようなイエス様に
自分勝手に対応し、
排斥し放題に排斥したものです。
寂しい立場に追い込み放題に追い込んだものです。
しかし、悲しみに沈み嘆息の立場を
余すところなく経てこられながらも、
イエス様はそのような人間たちをお捨てになることができず、
生命の圏に向かう一つの道を開拓なさるために、
彼らを引っ張り
ゲッセマネの園に向かわなければならないということと、
ゴルゴタの十字架の道を行かなければならないということを思われる
イエス様の悲惨なる心の前に、
頼もしい弟子一人いなかったやるせない心情を、
私たちが分かるようにしてください。

きょう私たちが
このような事実を考えながら、天上に対することができ、
孤児のような立場であったイエス様の心情を持って
「お父様!」と訴えることができ、
その時に心情と通じることができるようにしてください。
この者たちをして、心を開き、
信じることのできる弟子たちとなるようにしてくださり、
イエス様を証すことのできる
存在となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

イエス様の悲しみが
どれほど大きかったかということを知ることのできなかった弟子たち、
このような弟子たちを残しておいて
一生涯を終結すべき立場にあったイエス様の心情、
生涯のすべてを人間のために生きたにもかかわらず、
その生涯の結実をみることができず、
懇切な心情に沈んで
天を案じられたイエス様の心に、
私たちが同情できるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・一・一一)

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この日、イエス様の心情を酌み取らせてくださいお父様!
地上のすべての人々は
この日を知ることができず、
胸にこびりついた天の悲しみを悟ることができず、
限りなく悲しいあなたの心情は
もっともっと分からないのです。
その日の嘆かわしい事実を知らない私たちに、
お父様、
この日を許諾してくださり、
万民が理解できないこのひと日を、
キリストの誕生日として祝うことのできる
栄光の恩賜を許諾してくださったことを
感謝せざるを得ないものです。

今、この日を祝うことが、
二千年間悲しまれたイエス様の心情を
慰労することのできる契機となるよう許諾してください。
悲しい立場で誕生し、
三十余年の生涯を捧げ、
ゴルゴタの道を意に介されず行かれた
キリストを回想しながら、
彼の戦跡を遺業として受けることのできる
この時間となるよう許諾してください。
その方が生前お残しになった遺業を、
私たちの使命として引き継ぐことのできる
この時間とならなければならないということを
私たちが知っています。

お父様!
イエス様が残された恨みが
地上にまだ残っているということを、
この地上にいる人間たちが知らずにいます。
今、ここに集まったあなたの息子・娘たち、
その体と心が
あなたの心情に捕らわれるよう許諾してくださり、
こもったイエス様の心情を知り、
死の境地に陥ったイエス様の心情を悟り、
慰労してさしあげるよう許諾してください。

貴重なこの日、
私たちが新しいみ旨をあがめるとしても、
一つの条件を立て、
お父様の前に勝利の標的を残さなければならない
重要な日ですので、この日を記憶してください。
喜びをもって顕現なさることを懇切にお願いし、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・一・三)

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イエス様の悲しみを解怨するひと日とならせてください愛するお父様!
私たちは、
到底言い表すことができない悲劇を、悲しみを残した
歴史の事実を知っていますし、
エデンの園を眺めながら
喜ばれたお父様の心情が、
アダムとエバの堕落によって
悲しみの心情と化し、
それが六千年という長い長い歳月を通じ、
歴史的な悲しみとなったということを
私たちは知っています。
また、
私たちが心と体を尽くし、
お父様の案じられる心情をつかみ、
失われたエデンの園を回復してさしあげるべき
歴史的な責任を背負っていることも
知っています。

お父様!
失われたアダムとエバを再び捜し出すために、
お父様が四千年間苦労した果てに、
アダムの形状を備えてこの地に送られた方が
イエス様であったということを私たちは知っています。
イエス様が誕生する時までの
お父様の苦労が大きければ大きいほど、
その苦労によって誕生されたイエス様の姿は、
天の自慢の種にならなければならす、
被造万物と人間の誇りとならなければ
ならない姿でした。
そのような事実を天は知っていましたが、
地は無知で知らず、
天はこれを歓迎しましたが、
地は知らずに歓迎できなかったことを、
今日、私たちが
恥すかしく思わないわけにはいきません。

苦労されたお父様の望みの視線が、
飼い葉桶に横たわった
イエス様の哀れな姿にとどまらなければならなかった
この物悲しい事実を、私たちが回想しながら、
先祖たちが不信し、先祖たちが不忠であったことを
痛切に感じるものです。
アダムとエバの堕落の過ちを、
人類たちが再びその場で表したという
このような事実を知っていますので、
今日私たちは
歴史的な物悲しい事実を心で感じ、
ひどく悲しむしかないものです。

昔、お父様を慰労してさしあげられなかった
そのイスラエル民族、
選ばれた選民を身代わりして、
私たちがお父様の悲しみを慰労してさしあげられるよう、
許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

イエス様が来られ逝かれてから、
いつの間にか二千年が経過しましたが、
心情の世界は時間を超越することを知るものです。
歴史を超越しておられるお父様、
悲しい心情を抱かれ、天の城に行かれた
イエス・キリストの心情を抱き、
この時間慰労してさしあげられる
私たちとなるよう許諾してください。

イエス様が来られ逝かれた以後の二千年の悲しみを、
きょうこの時まで天と地に残された
染み渡った恨みを私たちが知り、
イエス様が誕生されたその当時の姿を、
私たちが心で仰ぐことのできる
このひと時となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょうその日を記念するこのひと時を、
お父様、
祝福してくださり、
イエス様が願われた
その喜びの栄光を表してくださり、
二千年前に来て逝かれたイエス様の悲しまれたことが、
このひと日によって
解怨されるよう許諾してください。
すべての内的心情を知っている私たちが、
この日を記念しようと思いますので、
人間たちが知ることができずに残されたすべての過去の悲しみが、
このひと時によって
蕩減を受けられるよう許諾してくださり、
私たちがお父様の前に立つことができるよう許諾してくださり、
イエス様が喜ばれ、
お父様の慰めを受けられますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちが心を束ね、
お父様にお捧げすることが
歴史的な解怨の祭物となるよう許諾してくださり、
残された天宙の恨みを
私たちによって解怨することをもって、
幸福の起源を尋ねることができる聖なる時間となるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・一・三)

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天の切ない心情を体恤させてください愛するお父様!
お父様が静ずれば私たちも静じ、
お父様が動ずれば私たちも動じ、
ただ一つの心、一つの志となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

イエス様が当時、
不信の地に対して案じられながら、
神様の切ない心情を慰労されながら、やるせなかった
その心情を感じるよう許諾してください。
そうして、
私たちの心が
ただこの時間にとどまらす、
お父様の心情と
歴史的なイエス様の心情と連なり、
動ずることができるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

やるせないお父様の心情を、
私たちの心に感じるよう許諾してくださり、
人類をお救いになるため、
切なかったイエス・キリストの心情を、
私たちが体恤するよう許諾してくださり、
心の中に残っている闇のすべての罪悪を
清算するよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

いつも私たちの前には、
お父様の恩賜を遮ろうとする
サタンの役事があることを知っていますので、
いつどのような立場で
お父様の恩賜が臨むようになるのかを悟ることによって、
サタンの侵犯を逃れ、
お父様の永遠なる愛の懐に抱かれ得る
私たちとなることができますよう、
お父様、
許諾してください。
六千年間摂理してこられながら、
愚かで足らない私たちをお捨てにならず、
尋ねてくださった哀れみのみ手を
感じられるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・一・一二)

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キリストの心情を体恤させてくださいアダム以降、四千年間
苦労してこられたお父様が送られた
イエス・キリストは、
涙と汗と血の結実として、
お父様の実体として、
お父様の涙を身代わりし、
汗を身代わりし、
血を身代わりすべき使命と、
お父様の恨みを解いてさしあげるべき
使命を帯びてこられたことを私たちは知るものです。
そのようなキリストが
天を身代わりして涙の道を歩み、
万民を身代わりして休む間もない
苦労の道を歩み、
汗を流す公生涯路程を歩んだことを考えるときに、
お父様、
私たちがそのようなキリストに対することができる
姿となっているかを、心から反省する
この時間となるよう許諾してください。

そして、四千年間苦労してこられた
数多くの先知先烈たちの血の祭壇を連ねて、
その実体で尋ねてこられて、血を流しながら行かれた
その姿をたどり見ることができる
私たちとなれるようお導きください。

イエス様が十字架を背負い、
ゴルゴタの山頂に向かって登っていかれるとき、
遠くで
彼を眺めながら哀悼する弱い女性たちを見て、
「エルサレムの娘たちよ、
わたしのために泣くな。
むしろ、あなたがた自身のため、
また自分の子供たちのために泣くがよい」と語られた(ルカ二三・二八)
懇切なるキリストの心情を、今日この時間、
私たちが体恤できるよう許諾してください。

十字架の正しい意味を知ることができない者は、
十字架の救いを受けることができず、
十字架に向かうときの
イエス様の心情を体恤できない者は、
真理の場に立つことができないということを知っていますので、
お父様、
この時間集まった息子・娘たちを哀れにお思いください。

私たちが、
お父様に捧げる物がないとしても、
ゲッセマネの園の寂しいキリストの姿を
心の中に刻みつけ、
侵犯してくる怨讐たちを迎えて闘う、
善の警備軍となれるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

イエス様がゲッセマネの園で叫んだ
その最後の訴えを、
私たちが今日、
荒れ地のようなこの世に向かって叫びながら、
世界的なゴルゴタ山頂を
越えるべき時が来たことを知っていますので、
キリストを遠ざけ
自分のために生きる息子・娘とならないよう
導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
イエス・キリストの心情を身代わりして、
困難がある時に
自分がまずその困難に責任を持ち、
悲しいことがある時にも
自分がまずその悲しみに責任を持ち、
自分が苦痛にぶつかり倒れようとも、
天が願われるみ旨なら、
これを喜んで甘受しながら
闘い行くことのできる者たちとなるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五七・六・三〇)

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善なる牧者の声を聞かせてくださいお父様!
人間の先祖の堕落によって
遠くなったあなたとの距離を縮めるために、
永遠なる善の主管者として、
また永遠なる理想の主管者として
イエス・キリストをこの地に送られましたが、
お父様を身代わりして実体で来られた
イエス様を主として侍ることができなかった人間たちを
受け入れてください。

イエス様を悲しませてしまったことは、
先祖たちの足らなさによって
なされたことであるのを知っていますし、
今日私たちが足らず、
いまだにイエス様の悲しみが残っているということを
知るものです。
ですので、
善なる牧者の偉業を相続し、
万物万象の前に堂々と立つことを願う、
お父様の望みを果たしてさしあげられる
私たちとなるよう許諾してくださり、
イエス様の望みを果たしてさしあげられるよう
許諾してくださり、
お父様の生命とお父様の愛と
イエス様の生命とイエス様の愛を持って
現れることのできる私たちとなるよう許諾してください。
そのような私たちになれないとするなら、
善なる牧者として来られた
イエス・キリストの悲しい事情を
今後、人間世界で
永遠に解いてさしあげられないということを悟るようになりましたので、
私たちの心の門を開いてくださり、
私たちに向かって叫んでいる
善なる牧者の声を聞くことができるよう
導いてください。

悲しいお父様の事情を知り、
寂しい事情を知り、
ご苦労されるお父様の事情を知りましたので、
身の置き所がありません。
お父様、
どうか私たちの悲しみと寂しさを、苦労と苦痛を、
イエス様に押しつけるために
伏して哀願する、悲惨な者たちとならないように
導いてください。

私たちは今、
サタンのすべての秘密と
お父様の内的事情と
イエス様の内的心情まで知って、
お父様のその事情を受け取り、
イエス様の悲しみと寂しさと苦痛と不自由さを受け取って、
億万サタンと闘うことができるよう力を下さいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちの事情を案じられ、
物思いに沈み働かれるイエス様の姿を、
私たちが眺められるようにしてくださり、
イエス様は今日も
私たちの哀切なる事情によって、
十字架に掛かる苦痛を感じておられる主であるということを、
私たちが悟るよう許諾してください。

私たちが天に対して悲しみ
天に対して嘆き、
天に対して寂しい立場となるとき、
これを慰めるために、イエス様は
より大きな寂しさと
より大きな悲しみと
より大きな苦痛を感じられるということを、
知らずにいた私たちです。

今、イエス様の苦痛よりも「私」の苦痛が大きく、
イエス様の悲しみよりも「私」の悲しみが大きく、
イエス様の困難よりも「私」の困難が大きくとも、
むしろイエス様の悲しみを除去してさしあげるために
哀願し、案ずることのできる
真の息子・娘の姿となり得るよう
お助けください。
そうして、
善なる牧者の後に従い、
善なる牧者の身に染み渡った心情を慰めることのできる
私たちの姿となるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

見えないサタンが
私たちの生活の中に直接的に侵犯し、
患難と恐怖を呼び起こすとしても、
これに敵して、黙々と闘い勝利することのできる
イエス様の代身使命者たちとなるようにしてくださり、
イエス様の使命を身代わりして続いて行くことのできる息子・娘として、
私たちを新しく立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五七・三・三一)

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イエス様の心情を体恤し、ゴルゴタの道を行きますお父様!
私たちは、現在の自分の足らなさを案じて、
泣くことのできる者にももちろんならなければなりませんが、
まずイエス様が志される結実を案じて
泣くことのできる息子・娘となるよう、導いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
私たち自体の不完全さを案じて
泣く者とならなければならないと同時に、
神様のみ旨が成されず、悪なる世の中となって
イエス様に対してわめきたて非難する
サタンの籠絡を見て、涙することができ、
懺悔することができる私たちとなるよう
許諾してください。

イエス様が、彼の生涯路程で
いつも神様が眺められる視線を感じながら、
蕩減復帰の路程を完結するため、
亡くなられる瞬間まで
復帰の祭物として自らをお捧げになったように、
私たちも、いつ
イエス様が私たちを尋ねてこられるとしても、
私たちを眺められる視線と
尋ねてこられたその歩みを
忘れないよう許諾してください。
今まで私たちが、
イエス様の視線と
歩みを排斥した時が、
到底口では言い切れないほど多かったことを悟らせてください。

お父様!
私たちが一度ならず
二度、三度裏切るとしても、
変わりなく私たち人間たちを尋ねてこられたイエス様の心情を、
どれほど慰めてさしあげ、
どれほど天の前に涙を流したかということを、
悔い改める私たちとなるよう許諾してください。

お父様!
寂しいあなたの息子・娘たち、
世界的な審判の時が遠くなく、
宇宙的なゴルゴタの園が
私たちの目前に近づいているということを知っていますので、
私たちが自分を中心とした信仰路程を
歩まないよう導いてください。

私たちの生命は私たちのものではなく、
私たちの生活する生涯も私たちのものではなく、
私たちの望む願いも私たちのものではありませんので、
私たちのために生きる生涯とならないように
導いてくださり、
私たちの能力と私たちの要求と私たちの欲望、
このすべてのものを自分のために持たないよう
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちがイエス様を身代わりして
十字架の死の道に行くとしても、
結局イエス様の変わりなき信仰を、(私たちが)知り
ペテロが心で嘆息し、
神様を信奉する同志として、
イエス様が十字架を背負って行かれるのを見て
涙したように、
ゴルゴタの審判の日が来る前に
私たちがイエス様の前に悔い改めの涙を流すことができ、
宇宙的な悔い改めを引き継ぎ、
お父様の前に泣くことができ、
自分の過ちを吐露することのできる
息子・娘たちとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちがイエス様の歩みを身代わりして歩みますので、
お父様が私たちに
この地の哀れな人たちを
救うことのできる使命をお任せくださり、
残されたゴルゴタの道を
私たちが歩むよう許諾してください。
そうして、
私たちが世界至る所のサタンを打ち破って
勝利の栄光の土台を築き、
私たちが死ぬまでに、
復活されたイエス様に侍ることができるよう
導いてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五七・二・一〇)

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キリストの人格に似るようにさせてください復帰の生命を天宙的に因縁づけるため、
天倫の法度を立てられ
摂理してこられたお父様の苦労の歴史を、
私たちは心で感じるものです。
お父様、
あなたが「生」の価値を立てるため、
六千年間苦労してこられたことを
切実に悟る私たちとなるよう
導いてください。

個体から全体に至るまで、
関係を結ばない宗教は、
神様が干渉できないというのが
天法であることを知ったので、
今、私たちが
イエス・キリストの望む人生を
生きるよう許諾してくださり、
イエス・キリストの愛の価値が
分かるよう許諾してくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

イエス・キリストがお持ちになった覚悟を、
私たちも持たなければならないということを知ったので、
私たちの個体の人生の価値を探すことのできる戦場で、
サタンの侵犯を退け、勝利できるよう
共にいてください。

イエス・キリストが残された
「生」の価値の復帰路程を、
私たちが身代わりしていくにおいて、
サタンの讒訴があるということを知ったので、
私たち個人の生涯から世界、
宇宙の「生」にまで、伸びていく路程において、
サタンの讒訴を受ける私たちとならないよう
導いてください。

堂々とサタンの讒訴を
一日の生活で防ぎ止め、
歴史的な面で防ぎ止めようという覚悟を持ち、
その責任を完遂できるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちが
永遠なる生命の価値を持った世界的な「生」を成すためには、
地上で万物を主管された
イエス様の完全なる人格に似なければならないことを知っていますので、
愛するお父様、
キリストの人格に似ることができるよう
導いてください。
また、私たちは誰に限らず、
実際に闘いの路程を歩むべき
立場に置かれているので、
お父様、
社会生活や人格的な面で、
あるいは愛の面において、サタンの讒訴を受けないよう
導いてください。

永遠なるお父様の愛が成されることを
懇切に望んでいた、キリストの愛を
実現させることができるよう、共にいてください。
キリストが立てられた
生命的な価値を私たちが備え、
その価値をこの地で実現させられるよう
主管してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五七・一・六)

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イエス様の身代わりとならせてください愛するお父様!
イエス様は
ご自分を信じてくれないイスラエル民族に対し、
パリサイ人とユダヤ人たちに対し、
悔い改めることを何度願われたでしょうか?

追われ追い回され、
安らかに眠ることができなかったイエス様の路程が
私たちの心と体に染み通り、
イエス様の心情を
感じまいとしても感じずにはおれず、
その心情に
似まいとしても似ずにはおれない
私たちとなるよう許諾してください。
また、そのような心が
私たちの中に現れなければならないのが、
お父様の願われるみ旨であり、
また私たちが望む願いではないでしょうか?

今、イエス・キリストが歩んだその路程を、
イエス・キリストが残して逝かれたその福音のみ言を
身代わりして背負い、
億千万のサタンと闘って、
勝利の栄光をお父様の前に帰し奉るべき責任が
私たちにあるということを、
感じるよう許諾してください。

天を信じ集まった全体の群れに対し、
堂々と立たれたイエス様の凛々しい態度のように、
私たちもお父様の生命のみ言、
真理のみ言を信じ、
堂々と立つことのできる態度を備えた
子女たちとなるよう許諾してください。

今日の私たち自身を、
イエス様の前に誇ったり、
今日の私たちの事情を
お父様の前にさらけ出したりしないようにしてください。
イエス様と同じ立場を取ることができ、
お父様の心を身代わりすることができるよう
お導きください。
イエス・キリストのみ旨を身代わりし、
万民の前に、いつどの時間にも
ためらわず現れるのを願うことが
お父様の望みであられるなら、
お父様、
一つ一つ尋ねてくださり、
一つ一つ命令してください。
お父様のみ旨を成すために、
イエス・キリストを身代わりして闘い行くことができ、
お父様のみ旨の前に動じ静ずる
聖徒たちとなるよう導いてくださいますことを、
わがお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たち、
お父様のみ旨を万民の前に堂々と叫びますので、
お父様、
天の勇士として立ててくださり、
お父様の子女として立ててください。
命令してくださり、
勧告してくださり、
尋ねてくださり、
誇ることのできる立場に立ててください。
愛してくださり、
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五六・五・二七)

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イエス・キリストの切ない心情を体恤させてくださいお父様!
愛する弟子たちを残しておき、
十字架の峠を越えて
永遠なる世界へ行かなければならない
イエス様の心情を分からせてくださり、
三年間、喜怒哀楽を共にしながらついてきた
愛する弟子たちを、あなたのひざの前に集めておき、
案じられ、懇切に請われた
イエス・キリストの心情を体恤することができるよう
許諾してください。

心で酌み取り、
体で体恤し、
それに応えることのできる心が
天に染みわたり、
地上の人間を動かし、
その心が動けば共に動き、
一つのみ旨に対して
謙遜なる祭物として捧げられる
愛する子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

苦海のような環境で
従ってきた数多くの群れはみな離れ、十二使徒だけ残りましたが、
その中にも間もなく
自分合裏切るユダがいるということを感じていた
イエス・キリストの心情を、
私たちが体恤できるよう許諾してください。
人を信じて役事した三年公生涯の路程が、
このように寂しい環境で残るようになった時の
イエス・キリストの心情を、
今日、私たちが体と心で体恤できるよう
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

お父様!
十字架の死の道を前にして、
天と一問一答された
イエス・キリストの切ない心情を、
今日、私たちが体恤するようにしてくださいまして、
お父様の前にひれ伏した生きた祭物として、
その心に慰めの対象になり得る
子女たちとして立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五六・五・ニ三)

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歴史的総解怨のひと日として祝福してください愛するお父様!
あなたが創造の偉業を
この地上で成就できなかったという悔しい事実を、
私たちは知っています。
アダムとエバの失敗が
そのようにあなたに悲しみと悔しい恨みを
もたらしたことを知っています。

その悔しい恨みを解くことのできるひと日を迎えるために、
あなたが前に立って苦労され、
数多くの私たちの善なる先祖たちを導きながら、
犠牲になってこられたということをもう一度考えるとき、
今、真の父母の因縁を立てようとするそのみ旨を、
この地上で長い歴史を経て、
この韓国の地に
この統一教会を中心として
立ててくださった恩賜の前に感謝を申し上げます。

ここにいる息子・娘、
この二つの体がお父様のみ前に召されて、
責任を果たし、この場に立ちました。
恨み多い復帰路程で、
どれほど苦痛に遭われたかというお父様のご心情をたどってみるとき、
人類の祖先となるアダムとエバが失敗したときの
お父様のその悲痛なる事実をよく知り、
その心情を受け継ぎ、
天を裏切った道を振り返って、
お父様のために
忠誠を誓い得るその日を誓いました時から、
天のみ旨に従ってきましたその時から
三十年の歳月が過ぎました。

その間、誰にも表すことができず、
誰にも望むことのできない内情的な心情の苦衷が、
あなたのお心から、
きょうこの息子の心にまであったことを、
あなただけが知っておられます。
どのようにしても民族の限界を越えて
あなたの恨みを解いてさしあげ、
イエス様がこの地に来て
十字架で亡くなられた非運のひと日を
解怨する希望の日が、まさしく一九七五年五月一日、
この日だというこの驚くべき事実を思うとき、
感謝を申し上げます。

協会を創立してから二十一年になる、
また世界的なキリスト教に対する蕩減路程においての
第二次七年路程も締め切られる
このような時期を迎えました。
この息子を中心として見るときには、
三十年歴史を終えるこのような期間となるのです。
このすべてがお父様の勝利的な復帰の路程を
備えてきたという事実を思うとき、
おそれ多いのです。

お父様!
堕落した人類の祖先を迎えたその日の悲しみと、
イエス様を送ってあなたの願いを成就しようとしたのに
その息子に従っている
数多くのキリスト教信徒たちが虐殺されたその悲しみ、
そのほかに傍系的な宗教が犠牲の道をたどって、
確実ではありませんが、天を仰ぎながらきたその過程で
犠牲になったすべての者たちを眺める
お父様の悲しみが大きかったということを知りました。

この宗教の背後においてのあなたのみ名と
あなたの義を身代わりする中間位置に立ち、
アダムとエバの完成の基準を協助しなければならないのに、
そうできずにかわいそうな立場にいた
天使世界のすべての群れたちも、
あなたの心と共に、
あなたのみ旨と共に同調してきたことを知っています。

今、お父様!
あなたが取り戻そうとされた真の父母の家庭であり、
真の父母の体であることを自ら知るときに、
この日をお父様のみ前に
この一息子とこの一娘が奉献いたしますので、
またこの息子・娘を中心とした子女たちが
この場とイーストガーデンにいますので、
お父様、
お受け入れください。

家庭を中心として、失ってしまった恨みの土台を解怨し、
家庭を中心として
あなたのみ前にこの時間、
この国家、民族を基盤として、
お父様のみ前に奉献することのできる
ひと日をもたせてくださったことに感謝を申し上げます。

家庭の堕落によって
天使世界の曲折が大きくなったというこの事実を、
お父様、
あなたもご存じですので、
あなたのお心が
解怨されることによって
真の父母の心が解怨され、
天使たちも解怨されることのできる
この日となるよう許諾してください。

神様と真の父母と天使世界が解怨されることにより、
真の父母の背後に連結されている
イエス様を中心としたキリスト教と、
儒教と孔子、
そして仏教徒たちと釈迦、
イスラム教徒たちとマホメット、
その他全世界に散らばっている
民族と民族の背後を中心として
内的に収拾してきた宗教と宗教を連結させてくださって、
この式がお父様の解怨となり、
真の父母の解怨となり、
天使世界の解怨となり、
地上にいるすべての宗教者たちが
解怨されるこのような一つの因縁を
許諾する式となり、
この日となったことに感謝を申し上げます。

宗教の解怨の権を占有することによって、
今、お父様の国の主権的権限を立てて、
お父様を賛美することのできる群れが生まれました。
その他の良心的な人士と哲人、
そして各国の善君と文官と武官、
その国が
善なる天の国に向かって前進する過程で、
立場と環境は違いましたが、
その民族と国々の前に忠臣となり、善君となり、
あるいは民族を中心として
聖賢・賢哲たちとなり、良心的な人士たちとなって、
善なる所に行くために助けとなった数多くの霊たちを
この喜びの日に、
お父様が、
連結させてください。
今まで彼らが行くべき所が分からずに、
切なく解怨のひと日を待ち焦がれた日が、
まさにこの日となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。

天が探そうとなさる父母を探し出し、
天使世界の解放をもたらし、
宗教世界の解放をもたらし、
良心世界の善君、善王、忠臣たちの解放をもたらしましたが、
それ以外に今まで天に反対しようとし、
宗教に反対し、
良心に反対したかわいそうなカイン世界が
残っていることを知っています。
歴史をたどってみますと、
メシヤを中心として
イスカリオテのユダとネロ皇帝をはじめとして
共産主義が、今、天に反して進んでいます。

きょうこの時間、
天宙で勝利した一つの因縁を備えて
総解怨するこの時間、
この者たちを天の審判台で
整理してしまうことができないという事実を知りますときに、
この者たちに真の父母の名をもって、
あなたがお立てになった尊厳なる宇宙の勝利的権限をもって、
この者たちまでもあなたのみ名でもって因縁を結ばせてください。

また、
真の父母の前に寄与し、
数多くの宗教と
数多くの良心的人士の前に寄与することのできる一つの道を
模索してあげなければならないことを知りますので、
お父様、
永遠に許諾してください。

今まで、あなたのご心情の前にくぎを打って
あなたの息子イエスを殺した、
数多くのあなたの愛する人々を殺した
その恨みの怨讐でしたが、
怨讐を愛する立場となるよう許諾してください。
天地の門をお開けになって、
あなたの厚徳なる愛のお心をお開きください。
この者たちを解放することによって
地獄の門が開かれるのであり、
地獄撤廃の道が徐々に築かれることを知っています。

このような恵沢圏内に立っている
カイン圏内の人間たちが、
善なる霊たちが、
あるいは神様の息子・娘が、忠誠を誓いつつ、
血を流しながら死の道に従ってきたのと同じように、
立ち返って悪なる世界に対して反旗を掲げ、
天のみ前に忠誠を誓い、
悪なる世界のすべての霊たちを収拾し、
悪なる人間たちを収拾して、
あなたが願うその世界に、
神様の願う世界に行くことを
誓うこの時間となるよう許諾してください。

これによって
お父様の特権的恵沢を賦与しようとなさいますので、
喜びの心をもち、
全世界に散らばっている
悪霊たちの統率下にいる悪の主権全体が、
この時間、神様の主管圏の前に、
真なる真の父母の前に、
善なる天使世界の前に、
善なる宗教者たちの前に、
善なる善君と良心的人士たちの前にこうべを垂れ、
この者たちがすべき仕事を代身して決意し、
天の善なる版図を開拓することにおきまして、
お父様のみ前に、あるいは天のみ前に責任を果たそうと
誓うこの時間となるようお願い申し上げます。

愛のお父様!
イエス様が十字架の途上でも
自分の生命を捧げていきながら祈られたその祈祷を、
きょうこの時間に成就させてくださいますことを切にお願い申し上げます。
ここに立っている真の父母にもやはり
三十余年間、この民族と世界のキリスト教と
数多くのサタン世界の群れたちの前で、
挙国的に反対されたこのような歴史が残っています。

そうですが、
私が彼らを怨讐とみなすのではありません。
あなたの天倫の道理を完全に開くための陰であっても、
その陰は実体を離れては
あり得ないという事実を思うときに、
実体について回る陰となり得るこのような立場で、
厚徳なる愛をもって、
真の父母として今まで闘ってまいりましたので、
今までの悔しさをすべてお解きください。

お父様、
この時間に成して、
あなたのお心に積もったものを
解いてくださいますことを切にお願い申し上げます。

イエス様も死の道に消えていきながら、
内的に自分だけが知った
恨みの心を抱いたことを知っています。
どうぞ、その心もすべて解き、
怨讐のために祈祷したそのことが、
この地上に成されなくては
あなたも解放され得ないということを知っていますので、
イエス様の解放がこの時間に起こり、
キリスト教の解放がこの時間に起こるようにしてください。
お父様を中心として存在するすべての存在にも
解放が起こるようにしてください。

万物はもちろん、人間、
天使世界、
サタン世界のルーシェル以下の数多くの悪霊たちまでも
お父様のものとして、
この時間に真の父母の名をもって奉献いたしますので、
お受けくださいますことを切にお願い申し上げます。

あの霊界でお父様に侍っている数千万聖徒、
二十四長老を中心としてお父様の宝座に属している
数多くのすべての宗教者たち、
この時間、ここで真の父母の訴えに順応して、
みないっしょにお父様のみ前に切に訴えますので、
今まで悲しかった事実をすべてお受けくださいますことを
切にお願い申し上げます。

このことが起こることによりまして、
混乱の渦中のこの世界に新しい転換点を備え、
天の勝利の旗じるしを高めることができるということを
私たちは知っています。
お父様も知っておられます。

一九七五年五月一日八時五十分、
この時間を期してお父様のご命令で
全天宙世界に発表してください。
宣布してください。

「神様のみ名をもって
天使世界の解怨を喜べり。
真の父母の解怨を喜べり。
真の父母を中心として今まで犠牲になってきた
宗教を解怨することを喜べり。
それのみならず、
地上の善君・善王、
良心的人士、
哲人たちのすべての所願成就をしてくださったことを喜べり。
サタン世界の哀れな恨みまでも忘れてしまい、
この者たちを解放することを喜べり」という宣布を、
お父様のみ名をもってしてくださいますことを切にお願い申し上げます。

今、この子女、
この息子と娘はお父様の宣布を受け、
この実体世界に神様のみ名と共に、
ご父母様の名と共に
このような総解怨の日をお父様のみ名によって宣布いたしますので、
万有の存在はこの宣布の言葉と共に
天の法度に順応することができ、
天の起源の前に順応すべきなのでございます。

すべての国がそうであり、
すべての民がそうでございますので、
すべての霊界がそうであり、
善の霊もそうであり、
善の民もそうであり、
悪だった民もそうであり得る恵沢圏内に、
自分の基準による一つの功績に順応し、
その実績を通して
お父様の懐に帰ることのできる道を、
この時間、開こうと思いますので、
もろてを挙げて許諾してください。

それによりまして、
今からそのような条件を成就させる式典をもちますので、
お父様、
喜びのお心をもたれ、愛をもってお恵みくださり、
今あなたの権能をお広げになって、
善を掲げて悪を押さえ、
その悪も善の前に屈服することによって、
本然のエデンにおきましての
カイン・アベルを中心として蕩減復帰したものを、
今、この民族あるいは世界をかけて
成就するよう許諾してください。
それによりまして、
今、天が行くその行路の前に
共産世界がこうべを垂れ、
勝利の価値の前に順応することのできる
ひと日をもたれることを切にお願い申し上げます。

今、神様のみ名と、
天使世界と
真の父母の名と、
善なるすべての霊人たちを動員して、
このことを宣布いたしますので、
これを神様を中心として擁護し立てるのに、
数多くの霊界が動員され、良心的な人々が総動員されるべし!

きょうこの時間を全霊界が注視し、
全天使世界が注視し、
神様が注視し、
真の父母が注視し、
地上にいる数多くのキリスト教と
その他のすべての宗教が注視し、
数多くの善なる国と善なる忠臣たちが注視し、
数多くの息子たちが注視し、
共産世界まで注視するこの場におきまして、
お父様の懐に残らず抱かれ得るこの日として
奉献されることを願いますので、お受けください。

順次的な式典を、
あなたの霊魂とあなたの勝利の基盤として
お受け入れくださいますことを
切に切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によって
お捧げし、宣布申し上げます。アーメン。

(一九七五・五・一)

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恨みで綴られた六千年の歴史を解怨させてくださいお父様!
歴史的な罪を犯し、
それほどまでもあなたの胸にくぎを打ち、
あなたの人格とあなたの体面に
それほどまでも許すことのできない傷を負わせた
人類であるにもかかわらず、
あなたは、その誰にもご事情を吐露することのできない
寂しいご心情を一人抱いてこられ、
天と地を
あなたの喜びの土台をもって踏むべきであるにもかかわらず
連続的な日々を
恨みと悲しみの土台をもって踏んでこられたあなたのご事情を
今、
この地上に取るに足りない少数の群れたちですが
分かるようになりました。

過った歴史を正すため
イスラエル民族を探し求め、
ノアを経てヤコブに至る二千年期間の間、
天が抱いてこられた悲しい恨みを誰も知りませんでした。

エサウとヤコブを中心として繰り広げてきた
闘いの逆境の中で
隠れた摂理の一点を眺められながら
肉を裂くような痛みの心情を抑えて
二十余年生涯をたどってこられなければならなかった
お父様のご心情を誰も知りませんでした。

ヤコブが毅然とあなたの心情に従い、
その心をあなたのみ前に捧げ、
千辛万苦、二十一年ぶりに故郷を訪ねていく路程におきまして、
一つの勝利の痕跡を残したことが
歴史に復帰の運を運んでくることのできる
一つの土台となり、
その中で
イスラエル一民族を探し求められたお父様は
希望のひと日を
占有することができたということを思うのです。

そうして
イスラエル十二支派を中心として
二千年の歴史を過ごしてこられながら
再び、血のこもった代価をもって、
サタン世界にいる人類を救うために
イスラエル選民を犠牲の立場に立てながら
育ててこられたということを知っています。

しかし、このイスラエル民族を大切に育て、
あなたのみ前に奉献すべきユダヤ教の使命が
歴史時代においてどれほど大きな使命であるか、
彼らは分からなかったにもかかわらず
彼らを眺め、
メシヤを送って
復帰のひと時を期待されたお父様のお心を思ってみるとき、
四千年の歴史がどれほど恨めしい歴史であったかを
誰も知りませんでした。

お父様!
人間の事情が通じない環境に
生まれるしかなかったイエス様・・・。
父親が誰なのかも分からない立場で、
誰にも表現することのできない立場で、
悲惨なる環境の中で
身を保たなければならなかったイエス様の生涯が
あなただけが知る寂しい立場であり、
寂しい道だったということを、今知りました。

イエス様の誕生を
民族と共に栄光をもって迎えなければならず、
彼の一生があなたの栄光を身代わりし、
全歴史の中で
悪なる世界のどのような王者ももてなかった
栄光の日々でなければならないにもかかわらず、
その栄光の願いを嘆息と絶望に変えさせた
許されざるイスラエルの妄動に対して
お父様は痛む心に耐えられるために
どれほど骨を折られたかということを
私たちは全く知りませんでした。

ゴルゴタの山頂に向かって
十字架を負っていく路程において
倒れるのが悲しいのではなく、
あなたのみ旨に傷を負わせ、
お父様の胸にくぎを打たなければならない、
子女の道理を果たすことができずに逝く
イエス様の荷が一層大きかったということを誰も知りませんでした。

このような歴史的な使命を残して逝った
イエス様の恨むべき行路は、
血と共に
この地の人類の足に踏まれる歩みとなり、
歴史時代におきまして四百年間迫害の中で
凄涼に血を流す代価を支払った
キリスト教の歴史となったことを思うときに、
メシヤを迎えられなかった民族のひと日の失敗が
この世界にこのように残され、
蕩減しなければならないという事実を知るのでございます。

イスラエル民族は
イエス様と共に
この地上で肥料とならなければならず、
数多くの人々の嘲弄と非難を
受けなければならず、
あるいは人の知らない中で一人死んでいく人と
ならなければならなかったという事実を
私たちは知っています。

二千年の歴史を経ながら、
あなたの願いのひと日、
「再び来てあげよう」という約束の日を探してこられた
お父様のそのご心情を誰も知りませんでした。

世界に散らばっている数多くのキリスト教国家を中心として
成すべきあなたのひと日を選ぼうとされたあなたのご心情を、
誰も知らなかったのです。

そのようなあなたが
かわいそうな韓国、
韓半島を訪ねてこられたことを思うとき、
あなたはこの韓国を育てるために多くの苦労をなさり、
韓民族はかわいそうな民族として
歴史にない凄涼な歴史過程を経てくる中、
あなたのご心情の因縁を残してきたという事実を
誰も知りませんでした。

キリスト教の文化を受け入れた短い歴史過程におきまして、
アジアで世界的な使命を果たすべきこの韓民族が
悲しい道を歩み来て、
近世に入っては
重なる試練の路程におきまして、
歴史時代の縦的なすべてのものを
横的に蕩減すべきあなたの内なる事情を背負わされましたがゆえに、
その内なる事情を知らない韓民族は
かわいそうな歴史の運命を背負って
死の道を、
受難の道をあえぎながらたどってきたことを
私たちは知っています。

人の知らない中で
あなたは一筋の生命の因縁をたどり、
今日この統一の因縁を立てるために
あまりにご苦労されたことを
その因縁をあなたがあまりに待ち焦がれ、
探してこられたということを思うものです。

お父様、
私たちは今、襟を正し、
あなたのみ旨のために
千万年願われたみ旨の前におきまして
忠僕になろうと決意し、
誓わなければならない気持ちを
再び取り戻すようにしてくださいますことを切にお願いしながら、
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七三・七・一)

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過ぎてみるとすべてのものが愛でした恨み多い歴史時代に
神様がどのような方であるかを知らない中で
この不肖なる息子があなたを発見し、
あなたを知ったその日からは
私の目から
涙が止まることのない日々が続きました。

そうなったことに感謝しながら走ってきてみますと
七十歳近い老身の時代が
私の目前に近づきました。
そのように血気旺盛な青春の時節に、
すべての情熱を燃やし尽くし
天に侍り、
天のみ前に栄光を帰すべきその時をすべて忘れ、
民族の背信者として、人類の反逆者として
追われてきたその日から、
統一教会が
言葉なく打たれて奪ってくる戦法を通して
今まで耐えてくるようにしてくださったことに感謝を申し上げます。

これを知らなかった私も
誰にも負けない性格をもった男性として
それを振り回し、処断してしまうこともできた
歴史時代を再び回想しながら
悔しさと無念なるご事情の中で、耐えてこられた
広く大きなあなたを知りました。
そのようなあなたの姿とその因縁に従ってきてみると、
きょうこの場まで来るようになりました。

しかし、かわいそうな天を思うたびに
胸が詰まり、気のふさがるご事情が
どれほど多いかを知ったがゆえに、
今日難しい峠、峠の道を
越えるようになったことに感謝を申し上げます。

お父様!
あなたは愛であられました。
あなたが鉄の窓に追い出すのは、
私のために歓喜に満ちた環境の水準を準備し、
福を与えるための
相続的な場を下さるためであることを思うとき
過ぎてみればすべてのものが愛であり、
あなたの広い厚徳のみ手でありました。
それを思うとき、感謝申し上げます。
すべてを
真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。アーメン。

(一九八七・四・一七)

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すべてのことがあなたの愛ゆえでした愛するお父様!
統一教会がこの場まで残されたのは、
あなたの愛があるゆえであることを知っています。

その愛の原則を
どのように私たちが生活環境に適用し、
蕩減路程に適用するかという問題を中心としてもとがえし、
そこに悲しみもあり、
苦痛もあり、
悔しさもあり、
悲惨さもありましたが、
愛が現れ愛が成されるようになるときは
そのようなことが賛美となり、
刺激的な追憶の対象になったがゆえに、
それをむしろ感謝することのできる内容で
消化させることのできる歴史を過ごしてきたがゆえに、
今まで統一教会が残されたことを知っています。

ここに立っているこの息子も、
誰も分からない、
歴史的な内なる事情を知ったその日から
この道を信じ、
この道を歩んでくるとき、
実践するにおいて
すべてのものを捧げて闘ってきたのは
あなたの愛ゆえに、
あなたの愛のためでした。

また、
今日のこのような実質的な基盤を備え、
敗者の悲しい立場に立って、
この世と天地に対して
失望し、嘆くのではなく、
むしろその反対に世界と全天宙に対して
希望の対象として、より愛したい気持ちをもち
今日立つことができた事実も
すべてあなたの愛であることを感じるものです。

すべてのものが存在するのは
愛の目的ゆえであり、
移動するのは、
愛ゆえであるということを知るものです。
そうですので、
愛をプラスさせるために
行って、見て、感じて自ら動くという
本性的姿勢を整えようとする
私たち自身とならなければなりません。

私たちによって始められ、
私たちによって結果が出されるものは、
国や私たちのための天国にはなるかもしれませんが、
神様と人類のための天国には
なり得ないということを思うとき
そのような立場は天国と分立されている、
地獄に近い場となるしかないということを
私たちが分かるよう許諾してください。

それゆえに
信仰の世界では傲慢を怨讐視しました。
固執を怨讐視しました。
自主的な立場を主張することを怨讐視しました。
神様は愛であり、
神様の息子・娘たちも愛だと教えた目的は
ただここにあったということをはっきりと知り、
生活の中でこのすべての心情的原理のみ業を、
伝統を活用しようとする
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七三・六・一)

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お父様の愛のご心情を体得する子女とならせてくださいお父様!
あなたが行かれるその道は、
私たちが想像することのできない苦難の道であり、
辱めを受ける道であり、
恨み多い復帰の道であることを知るものです。
私たちが
自分自身を中心とした考えは多くもちながらも、
お父様を中心として考えることを
躊躇した事実を発見する時ごとに、
今私たちは個人だけではなく、
個人が集まった家庭と社会と国家と世界を
救うべきお父様の凄惨なご事情を、
同情してさしあげなければならないと誓うものです。

この世界を置いてあなたがお慕いになるものは、
あなたが願われる国であり、
あなたが願われる民族であり、
あなたが願われる家庭であり、
あなたが願われる数多くの人類であるということを考えるときに、
その人類をすっかり抱き、一国の民のように愛したい
あなたのお心があることを感じるものです。
私たちは個人として存在していますが、
個人を越えて
お父様が探そうとされる
家庭を慕わなければなりませんし、
家庭を越えて氏族、
氏族を越えて民族、
民族を越えて国家、
国家を越えて世界まで慕わなければなりません。
いつも慕わしさの基準を見つめ、
その個人からその国まで追求なさる
あなたの聖なるお姿とそのお心を、
まねることのできる自分たちとなることを
もう一度誓わなければなりません。

生命のない木石のようになって、
そのような自分たちの哀れさを
嘆くことのできない人々となってはなりません。
私たちの心に感情があり、感覚があるなら、
お父様がこのように
驚くべき内容をもって探してこられたことを直視し、
体得することのできる息子・娘とならなければなりません。
困難にぶつかるときも、その中で「私」だけが一人いるのではなく、
お父様が共に寂しがっておられることを悟り、
悲しみにぶつかるときも、
「私」一人だけ悲しむのでなく、
お父様が共に悲しんでおられることを感じ、
憤懣やるかたなく悔しい立場に一人落ちたとしましても、
「私」だけがそのような立場に落ちたのではなく、
お父様も
そのような立場におられるということを感じなければなりません。
これが孝の道を行く者たちが感じる心であり、
孝子の位置を探しゆく息子がもつ心であることを、
私たちが知らなければなりません。

ゆえに、体得信仰を強調いたしました。
お父様が生きておられるということを、毎日毎日感情的な過程を通して
体得する生活が必要だということを、
私たちがこの時間もう一度
体得するよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・一一・五)

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背反し背信した哀れな群れをお許しくださいお父様!
今まで私たちに飛んできた
すべての悪の矢をへし折ってください。
私たちは彼らを怨讐とは思いませんので、
彼らを許してくださいますことを切にお願い申し上げます。

お父様の行路は善であられますので、
善の結果が現れなければならないことを思うとき、
そのためには
許しと寛容が本質的に現れなければならないということを
私たちは知っています。
あなたは善の本体であられるので、
無限なる愛と寛容で
この国の数多くの宗教者たちが
統一の子女たちを迫害した過去のことを
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

その間、統一の門をたたきましたが、
迫害の道、
涙の苦難の道を開拓する途上で、
慰労を受けることのできる一人を迎えることができなかったがゆえに、
孤独に苛まれて落ちていった者もいます。
また、
この道を行っている多くの人々が
疲れていることも知っています。

このように離れていき、疲れているのは、
私たちの過ちよりも
備えることのできない環境によって
そのような立場に立つようになったということを知っています。

そうして、
きょうも道々で、
あるいは置かれている場で
あなたに向かってこうべを垂れ、
許しを祈っているであろう彼らの姿を思いますとき、
恨みの積もったお父様のご心情を解いてさしあげたい
耐え難い悔しい心情もございますが、
怨讐の子供を訪ねてこられた
お父様の哀れな復帰の道を思うならば
涙をのんでこの者たちを再び
祝福するしかないということを知っていますので、
この者たちを許してくださいますことを切にお願いします。

善であった本然の子供として
美しい本性、
お父様の驚くべき本性の栄光を慕う私たちの心に、
ただ善だけが反映され、
善自体でもって和合することのできる真実なる姿が
私たちの心と体に現れるよう許諾してください。

そのような心情で真なる姿勢を備え、
すべてのものを信じ
善だけを追求する完全なる実体となって、
お父様と呼ぶことのできる息子となることを恋い焦がれる
この時間となることができるよう、
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六九・一二・二八)

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私よりもっと苦痛なるお立場で摂理してこられたお父様!お父様が
怨讐の世界に対されたご心情を感じながら、
私は悲しみの立場を体験してきました。
日の当たる所で生きてこられなかったお父様の悲しみを、
日の当たらない所で働かれたお父様のご事情を、
私は知りました。
今日まで、そのような生活の中で、
ある時はお父様に反論し、
お父様を恨む息子になりはしないかと
焦燥しながらきました。
また、
あなたも焦燥なさるお立場で、
そのような私を探してこられたことを知っています。

お父様は、
私が悲しい以上にもっと悲しく、
私がつらい以上にもっとつらいお立場で、
ご自身の責任を感じながら、
行くべき道を準備しておられるということを知りました。
それゆえ、私は追われ、追い回される立場、
手錠に両手を締められる牢屋暮らし、
奴隷の身の上、僕の身の上を経たとしても、絶望したり
お父様に落胆させないと決意いたしました。
そのように決意したその時から今日まで、死なずに
お父様のみ前に残るようにしてくださった恩賜に感謝をお捧げいたします。

このような姿を立てられるために、
お父様は、
どれほどご苦労されたでしょうか?
私が行くべき道のために、
私が行くべき家庭のために、
どれほど犠牲になられたでしょうか?
私が率いるべき氏族のために、
どれほどご苦労され、
私が率い指導すべき民族と国のために、
どれほどご苦労されたでしょうか?
この国、この民族が指導すべき世界のために、
またどれほどご苦労しておられるでしょうか?

私たちの動・静脈が
二十四時間絶え間なく動いているのと同様に、
お父様はそれ以上のことをしておられるという事実を
知ったのちには、
寝ていても目覚めても、罪人のように「許してください」と
お父様に請わずにはいられませんでした。
ご飯を食べていても、さじをとめ、
涙でお父様に過去の過ちに対して
許しを求めずにおられませんでしたし、
疲れた体を支えることができず、床に横になる時ごとに、
あなたを心配する心をもつことのできなかった自らを
しからずにはいられませんでした。
そのような過去の生活を哀れにお思いください。

今までの数多い怨讐たちを除去させるために、
お父様はどれほど多くのさげすみを受けられたでしょうか?
どれほど多くの憤懣やるかたないことにぶつかられたでしょうか?
追い回され、追い込まれた悲惨な群れ、
死の道で嘆息と絶叫の中で
身もだえした群れたちを、このように培ってくださるために、
どれほどご苦労されたでしょうか?
民族に対して、国家に対して、世界に対して、
こうべを上げて眺めることのできる
時間圏内に私たちを導かれるために、
どれほどご苦労されたでしょうか?
このような私たちの姿となるまで、
あなたの内的悲しみが大きかったという事実を、
千遍万遍死んだとしても、
忘れてしまう私たちとなってはなりません。

天の側の内的悲しみを中心として見るとき、
かわいそうな方はお父様です。
いくら統一教会の文なにがしがかわいそうだといっても、
それは何でもありません。
あなたがどんなにおかわいそうかということを、私は知りました。
今日、統一教会に従っている子女たちが
いくらかわいそうだといっても、
お父様の悲しみとは比べられないということを知っています。
このようなことを考えるとき、
お父様の加重された恩賜を受けることは到底できないので、
千遍万遍襟を正し、千遍万遍敬拝を捧げながら、
哀れみを請う心でもって謝罪を求めるべき
自分であることを知るのです。

このような姿となるときに、
私たちは滅びないということを知りました。
自分を中心として行く道は滅びる道であり、
世界と国のために、
自分の氏族と自由世界の万民のために、
自分自身を犠牲にする道は、
復活する道だということが分かるようにしてください。
自分が犠牲になった以上の復活圏を
準備しておられるお父様であられることを知り、
強く大胆な心をもち、
怨讐に向かって直行することのできる、
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・三・二九)

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心情の因縁を探して復帰の完結を成させてください私たちは
み旨を成すためにご苦労されたお父様のみ前に
面目ないことを
この時間もう一度申し上げないわけにはいきません。
お父様が営まれる摂理は
栄光の摂理となり、
善の園で楽しむ息子・娘を眺め、
歓喜しながら楽しむ生活をなさるべきでしたのに、
考えもしなかった堕落によって
お父様の摂理は
喜びの摂理となることができず、
悲しみと苦痛と嘆息の摂理となりました。

このような摂理を編んでこなければならなかったお父様!
そのような摂理の動機となり、
原因となった私たち、足りない者たちは
この時間、お父様のみ前に
歴史的な罪状を悔い改めないわけにはいかず、
時代的な罪状を
悔い改めないわけにはいきません。

また、永遠なる平和の世界を慕いながら摂理されるお父様が
それほどに願われる未来のその世界のために、
私たちがこうべを垂れて悔い改めた基準の上に、
福を請わなければならない摂理のみ旨が
残っていることを私たちは知っています。

お父様と私たち、
私たちと万物、
お父様と万物との関係から見るとき
どれ一つ
お父様の愛の心情から抜け出て
造られたものがないということを
私たちは知っています。
お父様と永遠なる父子の因縁をもって心情が通じ得るその関係が、
堕落したその日から壊れてしまい
天は天なりに、
人間は人間なりに、
万物は万物なりに行くべき目的地を失ってしまったまま
今まで嘆息圏内にとどまっているということも
私たちは知っています。

愛のお父様!
あなたは
堕落の恨みと堕落の仮面を脱ぐことができずに
かわいそうな運命の道であえぐ私たちの事情をよくご存じで
きょうの福を許諾なさるために
数千年の歴史を準備してこられました。

しかし、私たちの姿を振り返ってみるとき
あなたのみ前で許諾を受けるべきことができると同時に
祝福の基準を立てるべき責任が
大きいことを知っています。

今、天と人間の間で分けられていた
すべての心情的な因縁を
再び探し出すべき時が来て、
人間同士で結ばれて、
天を歌うことのできる心情の因縁が壊れたものを
再び結ばなければならない時が来たということを知っています。

それのみならず、
永遠なる因縁圏内で
和動の条件物であり
勝利の条件物として、
理念的な生活の材料として、万物を取って
和動の万象を成さなければならなかったのに、
その万物を失ってしまったことを
嘆息しないわけにはいきません。

哀れみのお父様!
心情の因縁を探し求めてさまよう群れは多いのですが、
お父様のご心情も
そうだということを知る群れは少ないのです。
お父様のご心情を知ることができず、
暗黒世界であえぎながら
復帰の道を行っているこの人類を
再び抱いてくださることを切にお願い申し上げます。

お父様!
きょうは聖なる日です。
恨めしい運命の道を避けず
お父様が残された足跡に従って進もうとする
覚悟と決心をもって
この場に集ったあなたの息子・娘を
この時間に祝福してください。

勝利のひと時を約束なさった
お父様のみ旨を見つめ、
私たちがもったすべてのものを、
お父様のみ前に祭物として捧げることを誓う者たちですので、
そのみ旨の目標に向かって
前進の一歩を踏み出して勝利の凱歌を歌い、お父様の栄光を高める時まで
屈することを知らず、敗北することを知らない
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。

この聖なる日、
万民の上に祝福をしてくださり、
天が探してこられたその因縁を
きょう数多くの地の数多くの群衆、
数多くの民族、
数多くの群れに連結させてくださいますことを
切にお願い申し上げます。

切られた因縁を再びつなぐため
復帰の恨みをお解きになりたいのが
三位神のご心情であることを知っていますので、
そのご心情の土台の上に復帰を完結させてください。

そうして
私たちの一身から
私たちの家族、
民族、
国家、世界、
天地の万象にまで
心情的な因縁が結ばれることを私たちは待ち焦がれつつ、
不忠、不足なる姿を意に介さず
お父様のみ前にこうべを垂れたのです。

それゆえ、
お父様のみ前に
涙の祈祷を捧げなくてはいられない私たちですので、
受け入れてください。
お父様、すべてを勝利の基準で契ってくださいますことを
切にお願いしながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六〇・四・一〇)

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悲しいお父様を慰労してさしあげることのできる統一信徒とならせてください我がお父様!
私がお呼びするお父様は、
あまりにもかわいそうであったことを
知るものです。

お父様!
大多数の人間は、
お父様が栄光の服を着て万世を統治し、
全栄光に心を奪われ、
「万民を愛する」と宣布なさるのだと思い、
そのようなお父様の懐に抱かれたいと思い、
そのようなお父様を抱きたいと思っています。
それが今まで、人間たちの欲望でした。
しかし、
統一教会の教会員が抱いているお父様は、
死の立場において、
昼夜、
望みの未来を見つめ、
歯を食いしばりながら耐えていかれるお父様でした。
お父様のそのような憤懣やるかたない心と、数多い苦難の道で、
あるいはいばらの道で
傷を受けられたそのみ手を抱き、
胸痛い涙を流したいと思うのが、
統一の信徒たちの望む願いです。

この世の誰が何と言おうと、
自己の体面と威信が問題ではありません。
お父様のご家庭の法度がしわくちゃになり、
お父様のみ旨の前に、
このすべてが雲に覆われるようになるときには、
私の体が引き裂かれ、私の体面が踏みつけられる恨みがあるとしても、
感謝しながらそこへ必ず行くことのできる
群れとならなければなりません。
このような群れを、
お父様は
統一の群れの中に探し立てようと、
どれほど手探りしてこられたかを、
忘却する群れとならないようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げ、
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六六・一一・六)

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子を追い立てるお父様の苦しいご心情を察することができるようにしてください堕落したこの世の父母たちの心情であっても、
子をむち打ったあとは、
むち打つ前に愛した以上の心を抱き、
彼のためにしてやりたいものであるのに、
まして復帰の路程において
私たちに責任を負えと命令なさったその立場において、
私たちが打たれ追われる時、
慰めたいお父様のご心情が
どれほど大きいかということを、
私たちが分かるようにしてください。

そうして、その立場で
お父様を「お父様」と呼び、
お父様を慰労してさしあげることのできる孝子として立て、
私たちに心情世界で永遠に
お父様を賛美させたいのがお父様のお心であられますことを、
私たちが忘却しないようにしてください。

今まで、統一教会の路程は、
悲しい路程でした。
人々が理解し難い中におきまして、
お父様のご命令どおり従ってくる歩みが、
どれほど凄惨であったかということを、
私はよく知っています。

今日、統一の群れを集めて
このような祭壇を動かす時まで、
お父様はどれほど多くのご苦労をなさいましたでしょうか?
遊ぶ者はむち打って勧告なさり、
居眠りする者は起こしてくださって、
行けと命令なさったことを知るのです。

今もそのような逆境の中で
私たちに誓わせ、
私たちを追い立てるべきお父様のご事情が
残っていることを知るのです。
このような悲しみが、
宇宙史的な蕩減の路程として
残っていることを知っていますし、
個人を収拾しまとめては家庭を、
家庭を収拾しまとめては氏族を、
氏族を収拾しまとめては民族を、
民族を収拾しまとめては国家を、
国家を収拾しまとめては世界を身代わりし、行けと
命令なさるべきお父様であることを分からせてください。

そうして、
その道において、
つらい蕩減の路程を経ていかなければならない
復帰の路程が残っていることを
見つめられる、お父様のお立場がどれほど苦しいかということを
私たちが分かるようにしてください。

お父様のその立場を知っている
孝子がいないため、
命令しようとしても命令することのできない、
お父様の切ないお心を私たちは知るのです。
今私たちが、命令なさるその目的に向かって、
命令を受ける前に自ら準備し、
お父様を「お父様」と呼ぶことのできる
あなたの真の子女となるようにしてください。
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六六・七・三)

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悲しい歴史の曲折を痛感させてください恨み多い長い長い歴史をたどってこられながら、
悲しみの日々を抱き、踏んでこなければならなかった
あなたのそのご心情を誰が知り、
あなたのそのご事情を誰が知り、
あなたのその望みを誰が知っているでしょうか?
お一人知っておられるそのお心、
お一人おもちになったそのご事情、
お一人抱かれたそのご心情とそのみ旨を
知ることのできない人間たちに対して、
その望みと事情と心情を教えてあげることのできる
一人の子女を探してこられるため、
苦労されたお父様がどれほどかわいそうな方であるかを、
私たちがこの時間に
もう一度感じることができるよう許諾してください。

その方は他人ではなく、
私たちと永遠に共に暮らすべきお父様であられ、
その方はご苦労なさるべき方ではなく、
宇宙を創造された主人であられることを、
私たちが知るようにしてください。
私たちのお父様であられ、
私たちの真の主人として
宇宙全体を抱かれ、愛されるべきその方が、
そのような歴史的な曲折を残されたという事実を、
悔しく思うことのできる子女たちとならなければなりません。

私たちの先祖の一度の過ちが、
このように億千万代をおいても受け入れられない
罪となったという事実を考えるとき、
涙と血と汗を流し尽くしても、償う道理がなく、
生命を千万遍犠牲にするとしても、償う道理がないことを、
この者たちが悟るようにしてください。

お父様!
どこにあなたが分かるという者がいて、
どこにあなたのみ旨を立てようという者がいて、
どこにあなたのために死を覚悟していく者がいるでしょうか?
誰もいないということを知るとき、
ここに集まった私たち、
たとえ哀れで、取るに足らない群れであっても、
あなたのために
忠誠を誓い、
あなたのために
生命を捧げようと誓った群れですので、
疲れた者たちがいるなら、力を加えてくださり、
失望した者たちがいるなら、抱いてくださいますことを
切にお願い申し上げます。

私たちは
怨讐たちの籠絡に何度も踏み付けられ、
悲しい過去の歴史に、言うに言えない
切ない事情をもっています。
そのすべての恨み多い心情を
失ってしまう私たちとならないようにしてください。
お父様の悲しみと、お父様の恨みを
失ってしまう者たちとならないよう許諾してください。
この罪悪の世を審判なさる時、
間違いなくお父様のみ前に、
栄光を帰し奉る勝利者の姿として
現れることのできる、
あなたの子女たちとなるようにしてくださることを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六五・一二・二六)

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嘆息の歴史路程を歩んでこられたお父様!この上なく善であられ愛に満ちたもうお父様!
この上なく栄光にあふれるべき私たちのお父様が、
悲しいこの地に対してこられるために、
お心とご心情にどれほど大きな傷を受けられたのか、
どれほど憤り、
どれほど悲惨な立場に立たれるようになったのかを、
私たちはおそれ多くも考えることができません。

善の子女をお立てになり、
善の天国、
善の理想世界を心の中に描き、
望みのひと日を慕われたお父様!
人間の先祖アダムとエバを通じて
望みのひと日が成されることを願う心が、
切実であれば切実であるほど、
アダムとエバを愛したいお心が
どれほど大きく、
その目的に対する責任を感じれば感じるほど、
アダムとエバを保護したいお心が、
どれほど大きかったことでしょうか。

そのようなお父様の保護と、お父様の愛の懐を、
人間の先祖が裏切り、背を向けた
恨み多い歴史を振り返って考えるとき、
私たちが
堕落した先祖の後孫として生まれたことが
とても憤懣やるかたなく、
とても悔しく、
とても恨めしいのです。

私たちの心と体は
罪悪のきずなから抜け出すことができず、
死亡の波に押し流され、
すっかり死亡のどん底で
破壊されるべきものとなりました。
しかし、お父様は数多くの歴史路程において
一日のように思い、そのような私たちを心配なさるのに
数多くの苦痛を受けてこられました。
お父様は人類の歴史的未来を
心配なさる心が大きかったので、
悲しい心をもたれ、
私たち不足なる人類の足跡をついてこられましたが、
一日として、
どこの誰にも、あなたのご心情を哀訴できなかった
お父様であられることを知りましたし、
一日として
あなたのご心情を慰労してさしあげられる子供を
もつことのできなかったお父様であられることを知りました。

このように困難な復帰路程を経てくるのに六千年!
今、この終わりの日を迎え、
三千里半島(=韓国)の上に、
この民族を代表して、
哀れで取るに足らない私たちを
お父様が集めてくださったので、
この因縁が決して偶然なものではないことを
私たちは知るものです。
私たちはみ言を通して学びましたし、
事実を通して証を受けましたが、
そのみ言と証を私たちのものとして消化できなければ、
そのみ言と証が私たちを審判するようになるという恐ろしい事実を、
私たちが分かるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

この統一の群れを集めてくださったお父様!
歴史の途上でご苦労されたお父様の悲惨なお姿は、
言うに言えないものであることを知るものです。
取るに足らない弱々しい群れを集められ、
ひと日の勝利を約束なさり、
苦難の道に私たちを追い出される
お父様の切実なるご心情とご事情を、
私たちが夢にも忘れることがないようにしてください。
困難な立場でも、
それを心の深くに銘記させてくださり、
悲しい立場で悲しみの涙を流されるお父様を、
先に考えることのできる息子・娘となるようにしてください。
また、
この者たちが凄涼(=すさまじい)で悲惨なる立場に落ちたとしても、
十字架路程を越えられるお父様の悲惨なるご心情を
忘却する息子・娘とならないようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

二千年前、
お父様がこの地上に送られた
天の皇太子、
万民の救世主、
メシヤが、
悲しい生活をして逝かれたことを私たちは知っています。
その方は、生まれるときもお父様のご心配の中でお生まれになり、
成長するときもお父様のご心配の中で成長されました。
また、
責任を担った公生涯路程で、
お父様を身代わりして
迫害の途上において怨讐たちと対決し、
苦難の路程を責任を負っていかれたことを
私たちは知っています。

このようになったすべては、
私たちの先祖たちが
責任を果たすことができなかったゆえであることを知り、
歴史的なすべての罪状を探知して分かりましたので、
今日この地上に実体を立て、
歴史の恨みを解いてさしあげるべき全体的な責任が、
私たちにあるということを
忘れないようにしてください。

過ぎし日の嘆息の歴史が、
私たちをせき立てているということを
忘れないようにしてくださり、
時代的な使命を知らせるために、
先にお立てになった私たちを通じ、
与えようとなさるお父様のお心が存在するということを、
忘れないようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六四・五・三)

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天情に徹して涙を流させてください今まで私たちは、お父様を
栄光の中で喜びをもっておられる方として
認識していました。
すべての福と富貴栄華を
自由自在に私たちに与えることができ、
私たちに解放の喜びと目的を
達成させてくださる方であると思っていました。
しかし、
天の背後の事情を知ってみますと、
福を与えたくても、福を与えることのできない
内的な曲折があるということを知りましたし、
恨むべき六千年の悲しみの歴史を
蕩減復帰しなければならないという、とてつもない事実を
私たちは知りました。
今、そのような事情を知りましたので、
行うことのできなかった人間の愚かさを、
嘆息する者となるようにしてください。
お父様はこの民族を探してこられたお父様であり、
世界人類を探してこられたお父様であることを
分かるようにしてください。
この歩みには、
今までの悲しみの涙が染み付いていますし、
今までの苦痛の障壁が残っているということを
知りました。
きょう私たちは、
そのようなお父様の苦痛の城壁となり、
悲しみの都城(=中心地)となって、
お父様の憤りと恨みを抱き、
その責任と使命を果たすため、
怨讐との決戦途上において、
血と涙を注ぎ、闘うことのできる
私たちとならなければなりません。

お父様!
私たちが天情に徹して
人類愛の心情を抱き、
あえぐことのできる者たちとなるようにしてください。
山河を眺めるときにも、
お父様のご心情を抱き、涙で見つめることができ、
民族を見つめるときにも、やはりそのようにし、
人類を見つめるときにも、やはりそのようにできる
私たちとならなければなりません。

私たちはお父様が願われる個体となり、
お父様が願われる家庭を築き、
その家庭を中心として、
お父様が願われる理念的な世界を
建設しなければなりません。
建設すべき範囲が大きければ大きいほど、
より多くの血涙を流さなければならないということを
知りました。
個人を探すためにも、
家庭を探すためにも、
民族を探すためにも
涙を流さなければならないということを
知りました。
この道は、人間的に見るときには、
悔しい道であり、
憤懣やるかたない道であり、
苦しい道ですが、
あなたが歩んでこられた道ですので、
これを喜びの道、
感謝の道、
栄光の道に変えて行くべき
曲折の路程であることを知りました。
生命が尽きる時まで、お父様に侍ることにおいて、
すべてのものを消耗させることを
誇りとするようにしてください。
あなたと共に、最後までこの道を駆けていくことのできる
私たちとなるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
そのような立場で、
涙でもってお父様の栄光を謳うことのできる
私たちとなることを、
もう一度決心させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六一・二・一二)

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お父様のご心情の同伴者とならせてくださいお父様!
きょう、お父様のご心情の園で
私たちの体が動じ、
心が動じ、
すべての考えが動じるよう許諾してください。
お父様のご心情は、
無限なる愛のご心情であることを
私たちは知りました。
お父様のご心情は、

限りなく悲しいご心情であり、
限りなく傷を負っているご心情だということも
私たちは知りました。
限りなく悲しまれたお父様、
限りなく苦労されたお父様、
今も限りなく気遣われるお父様!
そのお父様が創造主であられ、
そのお父様が
全万象の主人公であられるということを分かるようにしてくださり、
お父様がお受けになる限りない悲しみが、
私たちの胸に染み通るようにしてくださり、
限りない悔しさと無念さが
私たちの心中に流れ込むようにしてください。

これを体得した者を、身の置き所を知らないため、
自分の身を支えることのできない
悲しみに浸るようにしてくださり、
その心を収拾することができず、
天地の区別もつかないまま
痛哭する息子・娘たちとなるようにしてください。

六千年も悲しみの祭壇が続いたのは、
先祖たちの過ちのゆえであることを知るものですが、
今日、私たちがまたも責任を果たせず、
悲しみを後代に残すのではないかと心配です。
今日私たちは、
私たち一代で
悲運の歴史をふさぎ、
天のご心情をここから収拾して、
新しい喜びのご心情に変えるべき責任が
あるということを知りましたので、
この時間に頭を下げた私たちが、
お父様のご心情の同伴者となるよう
許諾してください。

人の姿をした人間はたくさんいます。
ところが、地上に
何がなくて天が悲しまれるのかと言えば、
あなたと心情が通ずることができ、
あなたの愛を慕うことのできる
息子・娘がいないためであることを知っています。
天はそのような息子・娘たちを探しておられるということを
私たちは知りましたので、
今、精誠を尽くし、
この心と体をすべて捧げ、
そのご心情の前に不足がないということのできる、
認定を受ける息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

私たちは、
天がどのような物質を下さることも願っていませんし、
事情を知ってくださることも願っていませんし、
恩恵を下さることも願っていません。
それよりは、
恩恵を下さったのちに悦楽しようとなさる
お父様のその内情を
私たちが知るよう許諾してください。
そうして、
悲しまれたお父様を「お父様」と呼ぶことができ、
苦痛のお父様を慰労してさしあげることのできる
息子となり、娘となることを願うものです。

これを目標として、
私たちは険しい道も意に介さず、
追われる道も意に介さず、
迫害と嘲弄の矢が
この一身に襲ってくるとしましても、
お父様に向かう一片丹心の心情だけを
もたなければなりませんし、
このすべてのものを忘れてしまい、
天に向かってより近づいていくことができ、
それを内的な忠告をもって消化することのできる
息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六〇・二・七)

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お父様を抱いて泣くことのできる真の子女とならせてくださいお父様!
来いとおっしゃった道が、困難ではないと思って立ちましたが、
困難であるということを知り、
喜びの道であると思いましたが、
行ってみると涙の山また山であることを知りました。

お父様!
私たちに悲しみがあるとするなら、
お父様をつかんで悲しみたいのです。
人間をつかんで悲しんでは、
落胆しやすい事実を知り、
人を信じていっては、
傷つくことを知りました。

変わることのない方はお父様でした。
お父様をつかんで泣いた時間が
あまりに幸福な時でしたので、
イエス様もお父様をつかんでお泣きになるために
山道を尋ねたのでしょう?
お父様をつかんで泣き得る人々、
人生行路が物悲しく寂しいので、
人類の前にイエス様を立て、
先にこの道を開拓するようになさったお父様のご心情を知り、
お父様のために泣いてさしあげることのできる
真の息子となることを、
娘となることを願っています。

私たちが悲しいという前に、
先にむごいむちを受け、
むごい迫害を受け、
すべての重圧をお受けになる天がおられたことを知ったなら、
どうして天のみ前に自己を弁明することができるでしょうか。
天のみ前には、自己を中心として
悲しむべき条件がないということを知ったので、
ここに置かれたあなたの息子・娘たちを
哀れに思ってください。

お父様!
私たちは、私たちが泣く前に
お父様が先に泣かれ、
私たちが打たれる前に
お父様が先に打たれたことを知り、
私たちがぶつかる前に
お父様がぶつかられたことを知り、
私たちが痛みを感じる前に
お父様が先に痛かったことを知り、
私たちが倒れる前に
お父様が先に倒れられたということを知りました。

これを知り、
天に向かって黙々と行き、また行っても、
足らない自分であることを発見しながら、
天のみ前に頭を下げ
「お父様」と呼ぶことのできる息子・娘たちを、
あなたはどれほど待ち焦がれられたでしょうか?
私たちの心情に、
そのような感情が動くよう許諾してくださり、
この国に対するとき、
世界に対するとき、
天に対するとき、
そのような感情が動くようにしてください。
そのような感情が動いてこそ、
「個人から全体の世界的な理念圏まで
自信ある信仰をもった」と言うことができ、
自分の理念を立てるための、
最高の心情をもった
天の立場となることを知っていますので、
このような環境の道を開拓していくことができるよう、
私たちの心を呼び起こしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。

行くべき人生行路において、
物悲しかった自分を批判し、
幸福に酔って暮らすことができ、
また私の一身を天と因縁づけることを高く評価しながら、
頭を下げてお父様の栄光を高らかにし得る
子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・七・五)

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お父様と心情の因縁を結ぶことができるようにしてくださいお父様!
心情を通して
天を体験するよう許諾してくださり、
感じまいとしても感じざるを得ない
お父様のご事情を
体得できるよう許諾してください。
お父様のみ前に
悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ない
心情をもつことができるよう、お父様が導いてください。

人と人同士集まる所は、
解こうとしても、かえってもつれることが起こりますが
天を中心として集まる所では、
心にしこりになったことが
解けるという事実を知っています。
今、
罪悪の氏族によってもつれてしまったすべてのものが
根本的に解かれ得る、蕩減のみ業、
悔い改めのみ業、
感動のみ業によって、
私たち自身を反省し、過去を悔いて
新しい日を憧憬することのできる、
徹した心を呼び起こしてください。
そうして、
その心を抱き、
自我をもう一度悔い改めることのできる
再創造のみ業が起こるよう、
お父様が、
許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。

今日、私たちは
体だけの幸福を待ち焦がれてはいませんし、
心にだけ酔って生きることも願ってはおらず、
ただ心情を置き、
永遠に生きることのできる園を願うものです。
生活の中でも
心情的な因縁の一条件が、
各自の心中から暴発して、
心情深く内在することのできる
因縁が結ばれるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
この聖なる日、
万民の上に祝福の恩賜を与えてください。
み旨を身代わりして心情を抱き、
天のみ前に訴えて、
隠れた祭壇を築き
祈祷する息子・娘たちが多いことを知っていますので、
彼らにも祝福を与えてください。

天上の寂しい心情を抱き、あえいでいる群れ、
蕩減的な解怨のひと日を願っている
霊界の数多くの霊人たちまでも、
私たちと関連があるので、
お父様、
彼らの業も、私たちによって
良い結果として現れるよう許諾してください。

三位神が
私たちを取り囲み、見つめて、待ち焦がれるその心情の基準に
私たちが足らないで、
その量を満たせないまま
お父様を呼ぶことのないよう導いてください。
自分が充足した立場で
「お父様」と呼ぶことのできる、
喜びの姿としてお立てください。
そのような恩賜をもつことができなかったとするなら、
幼子のように温柔謙遜に
お父様の哀れみと慈悲のご心情を引き寄せる
息子・娘となることができますよう、
このひと時、導いてくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを主の名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・七・五)

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お父様のご心情と通じさせてください人類において一番大きな悲しみは、
お父様の愛と縁を結ぶことができなかったことであり、
お父様のご心情に通じることができる
本然の良心を失ってしまったことであり、
そのご心情と良心が和することのできる、
心と体が和合することのできる立場に立てなかったことであることを
よく知っています。

堕落したがゆえに、
お父様のご心情に通じることのできる感覚が、
私たちから去り、
お父様のご心情を体得し
万象を愛することのできる心が、
私たちからなくなってしまいましたので、
お父様、
その心情を回復することができるよう導いてください。
私たちの心と体が一つになり、
私たちのものがお父様のものとなるようにしてください。
私たちのものをすべてお父様のみ前に備え、
誇らしい姿として、愛の羽を広げて
万物を抱くことのできる
広い雅量の心情をもつことができるよう、
お父様が、
導いてくださいますことを切にお願い申し上げます。

私のお父様!
このような心情に通じさせることのできるみ言が
切実に必要なことを知っています。
私たちが失ってしまったものは、み言であり、
その次は実体であり、
その次は心情であることを知っていますので、
お父様、
み言を通して
失った私たちの本然の心情を呼び起こしてください。
本然のみ言にこうべを垂れることのできる心を備え、
本然のみ言に耳を傾けることのできる体を備えて、
お父様の栄光の懐に抱かれる恩賜を
許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。

み業を始められた方があなたであられたので、
これを成就なさる方もあなたであることを知っていますし、
善で始められたので
善で締めくくるべきことをも知っています。
お父様は「アルパであり、オメガである」と言われ、
「最初の者であり、最後の者である」と言われ、
「初めであり、終わりである」と言われましたが、
初めに本然の心情を失った人間ですから、
終わりに来ても天的な心情に通じません。
今、終わりの日には
本然の心情をつかみ、
心情を連結しなければならないのに、
堕落の怨恨のどん底であえいでいる私たちを、
受け入れてくださいますことを
切にお願い申し上げます。

私たちの心は私たちのものではなく、
あなたのものであることが分かるようにしてくださり、
私たちの体は私たちのものではなく、
あなたのものであることが分かるようにしてくださって、
私たちの心情、感性、
このすべてのものが私たちに属さず、
お父様に属し動くという事実を、
実体的に、実証的に
体得できるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・六・一四)

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お父様の物悲しいご心情に通じさせてくださいお父様!
人間たちがお父様を探すために
歴史路程であえいだとしても、
今までお父様に侍って生きた者たちが
地上にいませんでした。
この地のどこの一角がお父様のものであり、
どの一家族がお父様のものであり、
どの一民族、
どの一国家がお父様のものでしょうか?
お父様のものとして、どれ一つ
この地上に探し立てることができなかったお父様のその悲しいご心情を
おそれ多くも察することができるものです。

あなたに悲しみがあるとするなら、
この地の主人であるあなたが、
主人の立場に立つことができず、
この地に責任をもつべきであられるあなたが、
責任をもつことができない立場におられたことを
知っています。

地上の人間たちに責任をもつべき立場におられますが、
責任をもてない摂理を導いてこられたお父様、
私たちの心情を通して直接主管なさり、
直接命令なさるべき立場であられるにもかかわらず、
そのような立場に立つことのできなかったお父様、
私たちの生活を通し、
私たちの全部を主管なさるべき
お父様であられるにもかかわらず、
私たちの内的な生活と事情を
主管なさることのできないお父様、
私たちを置き、
善の結実だと賛揚すべき
お父様であられるにもかかわらず、
そのようなひと日、
ひと時、
一人をお探しになれなかったお父様、
このような物悲しい立場におられたお父様であることを
私たちは知りませんでした。

今、私たちが
この地上のすべてのものを
失うとしても、
お父様の物悲しいご心情に通じることのできる
息子・娘となるよう許諾してくださり、
お父様のご事情と曲折を
実の子女の立場で感じることができ、
お父様が涙を流されるとき、共に涙を流し、
困難にぶつかるとき、共に困難にぶつかることのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちの心が足らないことを知り、
私たちの体が世俗的であることを知り、
私たちの欲望がサタンと共に動いて
いることを知りました。

このような内的な要素をもった私たち、
天を身代わりして許諾なさったひと時、
一時代、
一時期に来られる一人の主人公を
待つことのできない悲惨な者たちですので、
哀れな自分を置いて
嘆息し得るようにしてくださり、
哀れな家庭と
哀れな社会と
哀れな人類と
哀れな天と地を置いて
嘆息し得るようにしてください。

悲しい心情をもって、
天と地の前に贖罪すべき時が来ましたので、
お父様!
私たちの心の門を開いてください。
私たちの心情は、
お父様、
あなたのご心情に対することを知らない、
対し得ない立場ですので、
このような私たちの心と体を、
お父様のご心情とお父様の形状に
和することのできる実体として、再び造ってくださいますことを
切にお願い申し上げます。

天が受け入れることのできない、
今までもってきた一切のこの世的な観念や
主義主張を除去させてくださり、
そのすべてのものが
お父様のもののみとして和することができるよう、
本質的な感性の基準を高めてくださり、
良心的な基準を高めてください。
私たちの心情を連結させて、
お父様のご心情と通じることができるようにしてくださり、
天的なご事情と通じることができるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

天にいる数多くの聖徒たちをお送りになって、
私たちの周囲を聖別させてくださり、
私たちの心情を覚醒させてくださり、
お父様の能力のみ手で再び造ってください。
そうして、
私たちが再創造のみ言と共に
再創造の性稟を受け、
死亡の実体である私たちが
生命の実体と化し、
栄光と歓喜と喜びの中で、
お父様をお招きする喜びの時間を
迎えることができるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・六・一四)

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お父様のご心情の源泉に接するようにしてくださいお父様と共に生きることのできる、
そのひと日が慕わしいのでございます。
お父様を慕い、
お父様に向かって走る私たち、
お父様と共に生きることのできる
栄光のそのひと日を迎え、
お父様のみ前に感謝と喜びの賛美を返すことをもって、
お造りなった万物を和動させることのできる
息子・娘たちとなるようにしてください。
私たちの心と体は、
お父様の形状(み姿)に似せて造られたものですので、
完全にお父様に似た
息子・娘となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

お父様!
あなたの悲しいお心が
地上に立ちこめていることを、
人間たちは知らないでいますし、
天の物悲しい涙の跡が
人類歴史の足跡ににじんでいるということを
知らずにいます。
限りない天の嘆息が、
私たちの心と体に漂っているということを知らずには、
天のみ前に面目を立てることもできず、
天の信任を受けることもできない、
悖逆(信任にもとる)な人間の後孫であることを
自認せざるを得ません。

お父様!
地上には
あなたの涙を収めてさしあげる者がいませんし、
あなたの悲しみをつかみ、慰労してさしあげる者がいませんし、
あなたが行かれるその道を守る者がいません。
そうですので、
この地に恨みがあるとするなら、
それは天の恨みが染みわたった地だということであり、
悲しみがあるとするなら、
天の悲しみが染みわたった地だということであり、
怨恨があるとするなら、
天の怨恨が染みわたった地だということです。

それゆえ、
この地に生きている人間たちは、
悲しみの祭物になるまいとしてもならざるを得ない
運命に置かれていて、
恨むべき自分を越えまいとしても越えざるを得ない
運命に置かれています。

落胆する中で、最後の声でもって天に向かい、
「お父様! 私たちを助けてください」と
泣き叫ぶべき時となり、
「お父様! 愛のご心情をもって、人類を尋ねてください」と
泣き叫ぶべき終わりの日が到来しているのに、
このような時に誰がお父様のご心情をつかんで悲しみ、
誰が
お父様のお心をつかんで
痛哭するでしょうか?
そのような者がいるとするなら、
彼はお父様の真なる息子・娘だということができ、
またお父様の実体的な対象だということができるでしょう。

私たちの心に力を生じさせてくださったお父様!
哀切で、恨めしく、悔しいお父様のご心情を感じることのできる
心の動機が慕わしいし、
ご心情の源泉に接したいので、
接することのできる恩賜を加えてください。
そうして、
そのご心情に和するとするなら、
その立場では自分の不足なことを
暴露すまいとしても、暴露せざるを得ず、
人間の罪状を身代わりして
悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ないということを
知っています。

お父様!
不肖で不足な私たち、
磐石となれない私たちをお立てになり、
心配なさるお父様のみ前に、
心苦しい心をもち、
お父様の恨みのご心情と悲しいご心情を
慰労してさしあげることによって、
栄光の中に顕現なさることのできる土台を整える
聖徒たちとならなければならないので、
お父様の力と能力をもって
不足な私たちを主管してください。
絡み混ざった罪悪の形状をもっている者がいるとするなら、
愛のみ手を伸ばしてくださって、再び主管してくださり、
異なった姿にお造りください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・五・二四)

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悲しみのお父様を慰労させてくださいお父様に侍るべき本然のアダムとエバが
堕落することにより、
今までの歴史が
悲しみの路程となったという事実を、
私たちは知っています。
罪を犯したアダムとエバの後孫である人間たちが残した
罪のふろしきを背負ったまま、
追われ追い回され、試練を受けながら、
今日まで来たこの人類歴史を前にして、
私たちが悔しく思うことができるようにしてください。

このような立場に落ちた人間たちを、
天は忘れようとしても忘れることのできない、
創造主としての責任があるがゆえに、
どの時代、
いつを問わず、
この人間たちを再び探し出すために、
苦労の歴史路程を経てこられたということを、
私たちは知っています。

きょうこのような立場に置かれている私たちが、
自分たちを置いて嘆息すると同時に、
お父様が無限のご苦労と苦痛の道を歩まれたことを、
心痛く思うことのできる
姿となるようにしてください。
お父様に対しては、
面目のない自分たちであることを感じ、
歴史的な罪の血統を受け継いだ人間に対しては、
悔しく思うことのできる心をもつようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

私たちの心にはいまだ
罪悪の根性が残っていて、
私たちの体はいまだ
罪悪の鎖につながれているということを
感じています。
哀れみのお父様が、
力と能力をもって現れてくださることを
私たちは待ち焦がれていますし、
真の息子・娘となれることを
待ち焦がれています。
罪悪の金網を切って、
染み込んでくる罪悪の因縁を切って
闘う姿となることができないまま、
失敗している息子・娘をご覧になる時、
お父様が一層悲しまれることを知っています。

今、心の門を開き、
体の拘束から逃れて、
新しい心、
新しい体を整えて
本然のお父様を「私のお父様」と呼ぶことのできる、
一つの姿が現れることを待ち焦がれるお父様のみ前に、
「お父様! あなたのみ旨を身代わりした自らでございますので、お受けください」
と言うことのできる息子・娘となるようにしてください。
そのような歴史的な勝利者、
怨讐たちと闘って勝利し、
お父様の悲しい心を
慰労してさしあげることのできる息子・娘が現れることが、
お父様の願いであることを
私たちは知っています。

今、私たち自身がそのような立場で
お父様を「私のお父様」と呼ぶことができ、
お父様を慰労してさしあげることのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。

これが私たちの願いであり、
お父様の願いであることを知っていますので、
私たちを激励してくださって、
その立場まで導いてください。
導いてくださるお父様のみ手をつかみ、
いかなる逆境の道をも行くことを願う、
切実なる心をもった息子・娘たちとなるようにして
くださいますことを、
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・四・一九)

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お父様の悲しみを悟った謙遜な姿となることを願いますお父様!
人間たちをご覧になり、
人間たちを探し出すために傷心される
お父様を見つめる息子・娘がいるなら、
お父様のみ前に自分の福を祈ることはできず、
自分の主張を広げることができないことを知る者でございます。
このような歴史的な悲しみが残っていることを
千遍万遍忘却した、この不忠不孝な子供たちを
受け入れてください。

今、心情からわき出てお父様を呼ぶことのできる、
天と地が喜ぶことのできる、
お父様と私たちが一つになる、その一瞬間に
新しい歴史が始まり、
望みが成就することを知っていますが、
きょう私たちの心の基が、
そのような心情に
徹することのできる立場に立つことができなかったことを見て、
落胆せざるを得ず、嘆息せざるを得ません。

地上に悲しみがあるとするなら、
悲しい者を慰労なさるお父様の悲しみ以上の悲しみがどこにあり
苦痛があるとするなら、
お父様に背反する人を捕まえ、
慰労なさるお父様の苦痛以上の苦痛が
どこにあるでしょうか。

お父様は
ご自身の威信と体面と権限を立てられず、
望みを残したまま歴史路程を経てくる間、
数多くの善なる先祖たちを捕まえ、
「私の心情を分かってくれ」と、
「私の事情を分かってくれ」と
泣き叫び、切に訴えられたという、歴史的なみ言を
私たちは聞いた者です。
しかし、
今日の私たちは歴史を代弁することができず、
歴史的な実体を証して
善なる自らであると誇り得る、
その何ものをももてなかった者たちとして、
お父様のみ前にひざまずきひれ伏しましたので、
面目ない自らであることを
この時間暴露し、ありのまま報告させてくださり、
サタンに蹂躙された自分たちであることを
悟り得るこの時間となりますことを
切にお願い申し上げます。

残された摂理のみ旨の前に、
不忠な者は多いけれども、忠誠を尽くす者がおらず、
きょうも心配なさり、あすも心配なさり、
摂理のみ旨と心情を打ち明け、
勧告なさることのできないお父様のご事情を、
この時間に私たちが見抜くことができるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・四・一二)

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天のご苦労の歴史路程を慰労させてくださいお父様!
私たちは悲しみと嘆息の死亡圏内に押し流され、
天と因縁を結ぶことのできない不孝の子供たちでしたので、
お下しになられた恩賜の前に、おそれ多い心をもち、
自分の本性を収拾することのできる
一つの姿となるよう許諾してくださって、
お父様に侍ることができますことを
切にお願い申し上げます。

お父様が来いとおっしゃる、
その道があることを知ったその時から、
涙の道にも
お父様が共におられることを知りましたし、
十字架の道、
苦難の道、
悲しみの道、
鎖につながれるその道までも、
共におられることを知りました。
そして、愛する息子・娘の背後で
ご苦労なさり、歴史路程を踏んでこられる
お父様のそのいばらの道をも知っています。

私たちのために、
私たちが知ることのできない
ご苦労の歴史を重ねたことを知って、
このようにご苦労されたお父様のお姿を心で慕い、
敬拝を捧げる私たちですが、
身の置き所を知らないものです。
お父様の悲痛なるご心情で、
私たち自体を捕らえてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

天のみ旨があり、
天の望みがあることによって
召命を受けた私たちでしたので、
今日私たちに追ってくる十字架の道も、
私たちによるものではないことが
分かるよう許諾してください。

千秋万代の後孫までも、
先祖たちが苦労した歴史的なその因縁の道が
分かるよう許諾してください。
この時間、私たちが
無限の喜びと
無限の幸福と
無限の望みを抱くことのできる
心をもったとするなら、
それは
私たち自身によって始まったものでもなく、
ある人間によるものでもなく、
すべてのものが天から始まり、
天から動じたという事実を
私たちの心と体に深く納め、
天が動じたその土台を慕い、
これをつかみ涙ぐむことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちが行くべき方向をあなたは知っておられ、
私たちが取って進むべき道も
あなたは知っておられます。
私たちの心の始まりも
自分から始まったのではなく、
私たちが勧告の立場に立つことも
自分のためではなく、
人のためであり、お父様のためですので、
最後まで
その心情が変わらないよう主管してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

お父様!
残された苦難のこの一期間を通して、
お父様に不孝をして
離れる者たちとならないよう許諾してくださり、
摂理してこられたお父様の悲しみを感じても、
この難しい時期を乗り越えることのできないような
息子・娘たちとならないよう許諾してください。
最後までお父様のご心情をもつため、
自己を捨て、
お父様を心配し、
お父様のご心情を慰労することのできる、
お父様のご事情を理解することのできる
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。

この時間、
私たちの心に、
お父様のもの以外に
要求するものは一切ございません。
今私たちは、
きょうの苦難を踏み越えて、
約束の園を望まなければなりませんし、
永遠なる祝福の天の国を
慕わなければなりません。
現れるべき神様の祝福は、
言葉で表すことができないほど大きな栄光の立場だということを
私たちは知っていますので、
きょうの私たちが、
お父様に対する心情を変えず、
最後まで耐えて残される群れとなるよう
許諾してください。
最後まで闘い、お父様のみ前に立つことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・三・二九)

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天の城に向かう道ならば涙の道でも従います人類に対してこられたイエス様と神様には、
悲しみが晴れる間がなかったということを知っています。
二千年前のイエス様を回顧してみるとき、
彼は人知れない涙も流され、
人知れない飢えの生活もなさり、
人知れない迫害の路程で
悲しくお泣きになったことも知っています。

イエス様がこのような路程を歩まれ、
そのあとに従った数多くの聖徒たちも、
血の道を意に介さず歩み、
死の道も意に介さず闘っていったという事実を、
私たちは知っています。

天の城に行く道は十字架の道です。
それゆえ、自分の十字架を背負い、
ゴルゴタの山頂まで行かなければならず、
十字架の血を流した立場まで進み、
迫害を受けなければならないということが分かるようにしてください。
自分自身を忘れてしまい、
自分の悲しみを忘れてしまい、
自分の苦痛を忘れてしまい、
きょうもあすも、このゴルゴタの道を行くのに
全力を尽くす群れを、
天が探しておられるということが分かるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

お父様!
今日この時代に悲しい心情を吐露なさった
イエス様の悲しみが分かるよう許諾してください。
イエス様を
歴史的なイエス様としてだけ知ることは必要ではなく、
私たちの環境の中で
現在的なイエス様を知らなければならない時となりましたので、
その高く尊厳なるご心情の前に、
その愛のみ前に、
私たちの心と体を
祭物として捧げようという、ただその一つの心情に徹して、
死んでも生きても
天のみに向かって泣き叫ぶ群れとなるようにしてください。
ここに集まったあなたの息子・娘たちが、
そのような立場を死守することのできる群れとなるよう、
許諾してくださいますことをお願い申し上げます。

天の心は、一人の方の心として現れ、
四千年の歴史を統合するための心情の基準を立てましたが、
人間たちがそれを蹂躙し、背反することによって、
今日、人類は凄惨なる状態に置かれています。
彼らの悲しみがお父様の悲しみであることが分からない、
この地上の数多くの人類を、
お父様、
顧みてください。

彼らのために涙を流し、
祭壇を築くことのできる
寂しい群れとなるよう許諾してください。
ヤコブも荒野路程で悲しみの祭壇を築き、
モーセもそのようにし、
エリヤもそのようにしたことを知っています。
天のみ旨に責任をもった私たちの先祖が、
誰一人として
そのような路程を
歩まなかった者がいなかった事実を知っています。
彼らの伝統を受け継ぐ私たちとなろうとしますので、
残された祭壇を積み、崩れた城を再び築き、
お父様の至聖所を整えて
お父様に侍り得る
息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・三・一五)

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お父様のご事情とご心情を私たちのものとさせてくださいお父様!
私たちは孤児のようにうろうろ、
目的も方向も知らず、
どのような環境に置かれているのかさえも分からないまま、
歴史の流れに従い倒れながら、
生命の中心をつかむことができないまま、押されに押されながら、
きょうまで来た哀れな者たちであることを知っています。

反面、このような私たちをおつかまえになり、
私たちが悲しむ時、
共に悲しまれたお父様がおられるという事実も知りませんでしたし、
死亡圏内に囚われて呻吟する
私たちを探し出すため、
昼夜を忘れてご苦労してこられた
主人公がおられるという事実も知りませんでした。
このような事実を知ることができ、
感じることのできる喜びの心情が、
天と地に通じることよりも貴いということを、
私たちが分かるよう許諾してください。
天は、

私たちがまどろんでいる時間にもまどろまれず、
眠っている時間にもお眠りにならず、
この一つの群れを悟らせ、
この一個体一個体を導かれながら苦労されたお父様のみ前に、
不肖なる私たちが再び出てまいりましたので、
受け入れてください。

私たちの事情を知られるお父様であられ、
その事情の主人公であられ、
受け入れ得ないすべての困難な事情までも、
受け入れてくださるお父様であられたことを、
私たちは知ることができませんでした。
今、心中に染みわたったすべての苦難と悲しみと心配を、
お父様のみ前にすべて取り出し、
お父様のものとして、取り換えてもつことのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

私たちのために心を砕かれた天のお父様がおられ、
私たちの生涯を心配なさる、
より大きな天がおられるという事実を私たちが知り、
心と体でお父様に対し、
おそれ多く考えることができるよう許諾してください。
私たちが傷つく前に、
お父様が先に傷つく立場に立たれたという事実、
私たちの体が疲れて倒れるときに、
私たちをつかみ抱いてくださり、慰めてくださって、
行く道を再び勧告してくださったお父様のご心情を、
私たちが分かるよう許諾してください。

今日まで生きてきたとは名ばかりの自分たちを、
自覚させてください。
今からお父様を知り、
お父様のご事情を知ることのできる息子・娘として、
お父様と心情一体となることができるよう
許諾してくださり、
離れようとしても離れることができない、
別れようとしても別れることができない、
お父様と私たちを引き離す
どのような存在もない確固たる位置で、
天の悲しみを私たちの悲しみとして、
天の喜びを私たちの喜びとして、
天の仕事を私たちの仕事として、
天の責任を私たちの責任として
感じるようにしてください。

今日、私たちが
永遠に変わることのない位置に立って、
億万のサタンと闘わなければならない
責任者の立場に立ったことを知り、
全体を生かすためには
祭物の立場に立たなければならないという、
この峻厳な事実を体得することのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちの心から
正しくない一切の要素を除去してくださり、
お父様の心性に、
お父様の性相に和して
お父様と一体となり得る、
確固たる覚悟と決心をすることができるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

自我の観念で
お父様の性稟を推し量ろうとする
息子・娘がいないようにしてくださり、
完全に順応し和合して
お父様の願われるみ意のまま、
お造りになるひな型どおり造られ、現れることのできる
お父様の息子・娘たちとなるよう
許諾してください。
お父様が受け入れることのできない要素があるとするなら、
一切を除去してくださり、
親しくお座りになって命令してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・三・八)

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お父様の悲しみを代身させてくださいお父様!
この地上に悲しいことが起こるたびに、
天も悲しまれ、
私たちの先祖も悲しみ、
万物も悲しみ、
今日、私たちも悲しいのです。
この悲しみが除去される解放のひと日を願いながらも、
行く道が分からず、
その何かを探しながらも
悟れないまま、彷徨し、あえぎつつ、
六千年という
長い長い歳月を経てきたという事実を知るようになった私たちは、
今、お父様がお見えになったなら、
捕まえて大声を張り上げ、果てしなく泣きたい心情です。

今、このすべてのことを知り、
本然のご父母様を探し出した私たちが、
悲しい涙に代わってうれしい涙を流し、
悲しみを除去し、喜びだけが残り得るひと日が
早く早く来ることを、
心と体で願っています。

今、私たちは
行く所がどこであるかを知り、
私たちがどこに所属しているかも知り、
本然の子女の価値も知りました。

お父様!
今、復帰の稜線に向かって走っている私たちが、
傷ついた足を引きずって、
アダムとエバが望んだ
その頂上に向かっています。
私たちが今、最後の力を加えて
この線を越えることができるよう、お父様の衝撃を
私たちの心と体に表してくださいますことを
切にお願い申し上げます。

お父様がお話しされたいことがあるとするなら、
それは、お父様がうれしいことではなく、限りなく悲しかったという事実、
お父様が限りなく困難であったという事実、
お父様が限りなく苦しかったという事実であることを知るものです。
これを私たちが心で悟り、体得して、
お父様の本然のご心情を身代わりするようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・二・一五)

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悲しいご心情のお父様を証すことができるようにしてくださいお父様!
お父様が本然の園を失って
悲しまれたそのご心情を、
この時間に私たちが悟るよう許諾してください。
お父様は
私たちが知ることのできない中で涙を流され、
限りない悲しみと、限りない苦痛の中におられたということを、
私たちが心と体に感じるよう許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。

アダムとエバの堕落による
お父様の悲しみも大きいのですが、
復帰摂理のみ旨に責任を負い、地上に来られたイエス・キリストが
ご自身のすべての使命を完遂することができず、
十字架で亡くなられたことも、
お父様の到底言うに言えない大きな悲しみであり、
寂しさであり、
苦痛であったことを、この時間、私たちが悟って、
そのすべてのもの悲しいご心情を
心と体で体得するよう許諾してください。

私たちの先祖が
お父様を裏切ったために、
恨み悔しがるしかない、
悲しい歴史路程を経てきたことを考えながら、
今日の私たち自身が、
お父様のみ前に悲しみをさらに加える、
哀れな立場に立つことのないよう許諾してください。
アダムとエバの悲しみに対することのできる、
イエス・キリストの悲しみに対することのできる
者たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

今、私たちの心と体が、
単純な私たちの心と体としてのみ
とどまらないようにしてくださり、
私たちの心が
お父様の心を身代わりし、
私たちの体が
お父様の形状を身代わりすることができるよう
許諾してください。
私たちが悲しいご心情をもっておられるお父様を
証すことができるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・二・八)

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イエス様を通してお父様のご心情を悟らせてくださいお父様!
誰も知ることができなかった摂理のみ旨だということを、
私たちがもう一度心の奥深く回想してみるとき、
私たちの先祖が堕落したのち、
六千年という長い歴史を経てきましたが、
人類が
お父様のその心中に通じることができなかった事実を、
私たちはあまりにもよく知っています。
またお父様のご事情が困難で、
痛々しいということも知りましたし、
お父様の願いが
今日、地と全人類と天の前にとどまっているということも、
私たちは知りました。

今日、私たちが
お父様の所望圏内に立って、
お父様のご心情の園に立って、
「お父様! 私がいますので慰労をお受けください」と
言うことのできる、
尊厳なるお父様のみ前に、称賛を受けることのできる
息子・娘の節義と気概をもったのかを考えてみるとき、
私たちはあまりにも遠い距離に置かれていることを
自認せざるを得ません。

お父様のそのご心情を身代わりすることのできる、
願いの実体として来られたイエス・キリストが
地上にまた現れるときに、
天倫の心情を探してさまよう者は、
そのイエス様の心情に通じなければならないでしょう。
そして、天倫の事情に通じてさまよう、
選ばれたイスラエルにおいては、
彼らの事情がイエス様の事情と一つになるべきことも、
私たちは知っています。
イエス様を送られたお父様の願いが、
万民のためであったということを、
イスラエル民族は知らなければなりませんでしたが、
願いの実体であるイエス様を見間違えることによって、
この悲しみが
今日、私たちにまで延長されてくるようになった、
この歴史的な悲しみを、また感じるものです。

四千年間、探してお立てになったユダヤ教団はどこに行き、
イスラエル民族はどこに行ったでしょうか?
お建てになったエルサレム聖殿も、
イエス様のために準備されたものでしたが、
イエス様とは関係を結ぶことができず、
準備したユダヤ教団も
イエス様と関係を結ぶことができませんでした。
準備された民族も
イエス様と何ら関係のない立場で、
かえってイエス様を責め立てる立場に立ちました。
しかし、そのような
寂しい立場に一人立ち、
責め立てるその人々のために
祈祷しなければならなかった、イエス様の事情を
知る者となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

今、お父様に対して
叫びたいことが何であり、
お父様に向かって
見いだしたいものが何であり、
求めたいものが何でしょうか?
今日、私たちの先祖たちがもつことのできなかった
お父様のご心情を、イエス様が身代わりしたように、
私たちにもそのご心情を所有させてください。
イエス様の事情と願いを所有して、
終わりの日にお父様のご心情と同じ心情をもった存在と
ならなければならないということと、
今までのあなたに対する歴史的なすべての負債を、
蕩減すべき責任があることを、
私たちは知っています。

今、私たちの行く歩みに
十字架の道が残されていることを知っていますし、
涙ににじんだ視線をもち、
罪悪の世の中と闘わなければならない時が来ましたし、
お父様のご心情に通じるべき時が来たために、
私たちをお呼びになられたことを知るものです。
それゆえ、
お父様のお心を私たちの心として、
お父様のご事情を私たちの事情として、
お父様の願いを私たちの願いとして、
お父様の怨讐を私たちの怨讐として、
お父様の闘いを私たちの闘いとして、
お父様の願いを成就してさしあげられる、
勝利の祭物として捧げられ得る
息子・娘たちとなるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・二・一)

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お父様のご心情を慰める真の息子・娘となることを願います失われた真の子女を捜すため、
復帰の物悲しい路程を踏み分けてこられる
お父様のご心情と、
お父様のご事情と、
お父様の形状を、
心と体でたどり、体得することのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してください。

ご心情に染みわたった愛の心をもって、
アダムとエバを愛することができず、
六千年の長い長い歳月を
愛に飢えてこられた、お父様のご心情を
体得することのできるお父様の息子・娘となるようにしてくださり、
物悲しいお父様のご心情を抱きしめ、
慰労してさしあげることのできる、懇切なる子女たちとなるよう
許諾してください。

今、この心と体を
お父様のものとしてお捧げすることができるよう
許諾してください。
私たちの心と体を
私たちのものと考えず、
永遠であられるお父様のものとして誇ることのできる、
勝利の祭物となるよう導いてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そうして、
六千年間、
真の愛の心情で
抱き締め愛することのできなかったご心情を、
解怨してさしあげられる
あなたの血族たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。

地上に数多くの人が生きていますが、
お父様が「私の息子・娘だ」と言って愛し、
サタンの前に「私の息子・娘だ」と弁明し、
抱き締めて愛し得る
息子・娘がいないことを知っています。
二千年前、イエス様が
この地の万民を救うため、闘いの路程を歩まれた時にも、
お父様が親しく抱きしめ、愛することがおできにならなかったということを、
私たちは知っています。

父が愛する子女は、
誰であっても
奪っていくことができないという事実を知っています。
お父様のご心情に徹したイエス様でございましたが、
あなたのみ愛を受けることができなかったということを
私たちは知っています。
愛することができなかったお父様のご事情も、
私たちは知っていますので、
栄光のひと日をお立てになり、
天の息子・娘をお立てになって、
染みわたった心情を解かれ、
抱き締め、愛し、
すべてのご心情を吐露してください。
そのような天の息子・娘がこの地に現れることが
お父様の願いであることを、
私たちが分かるよう許諾してください。

きょう私たちは、持つものもなく、
すべてのものを失ってしまったとしても、
お父様の愛の懐に抱かれ、
永遠なる愛を受けることのできる
息子・娘となることを願うものです。

愛するお父様!
私たちを祝福してください。
権能のみ手を広げてくださって、
私たちを聖別してください。
悪の要素を除いて、
完全にお父様のものとなることのできる
私たちの心と体となるよう、
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・一二・一四)

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天の悲しみと苦痛を相続する主人公とならせてくださいお父様!
恨めしい歴史が今日、
私たち自体を取り巻いて動いています。
この恨めしい生活環境に置かれている私たちに、
恨めしい歴史を収拾し、
恨みの積もった天のご心情を解いてさしあげるべき
とてつもない使命があるということを知っています。

このような使命を背負った私たちは、
天と地の心情を抱き
悲しみを体得し、苦痛を感じて
千万回死ぬとしても、
お父様を慰めてさしあげられる立場で
死のうとする息子・娘とならなければなりません。

イエス様がこの地上に来られた当時、
多くの教団と信者たちは
メシヤを待ち焦がれていましたが、
彼らはメシヤが
自分たちの望む以上の姿で
来られると思っていました。
ところが、来られたメシヤは
喜びのメシヤではなく、
人類の悲しみを総合した悲しみのメシヤであられ、
人類歴史の苦痛を合わせた
苦痛のメシヤであられました。

その当時には
全国の代表者として来られるメシヤが
そのようなお姿で現れるだろうと思った人は、
一人もいなかったということを私たちは知っています。

歴史は
見せられたとおりに成されるということを知っています。
歴史に現れた事実を、終わりの日にそのまま再現させて
蕩減復帰するという原則を学んでいますし、
エデンの園で悲しんだ感情、
歴史路程で悲しんだ感情、
縦的に流れてきた歴史の悲しい感情を
私たち自体を中心として
横的に展開させ、横的に収拾させて
横的な真の喜びを
お父様のみ前に帰し奉るべき責任が
終わりの日の聖徒たちにあるということを
私たちは知っています。

お父様!
今、私たちが
世界のために忠誠を尽くすようお願い申し上げます。
全人類のために
天の福地を建設するようお願い申し上げます。
そうしようとするなら、
天に染み通った悲しみと苦痛を相続する
主人公とならなければならないということが分かるようにしてください。

苦痛と悲しみをすべて消化する立場に立ってこそ、
天的な喜びの相続者として登場できるということを知り、
悲しみがあっても苦痛があっても耐えて
「全体の生命のために私が死にます」と言って立つ、
歴史的な祭物となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五九・五・二四)

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お父様の悲しみの路程の前にこうべを垂れさせてくださいお父様!
お父様に侍り、
謙遜に敬拝を捧げたい心がない者は、
永遠なるあの世において、
お父様と因縁を結ぶことができないということを知るものです。

今私たちが、
心の門を開き、お父様を探し求めるようになるとき、
その心の中心にお父様のご心情を感じて、
「私」の心の主体的な命令に
「私」の体が従うことのできる、
慕わしいその日を探していますので、
きょう私たちの心からわき上がる
あなたのみ声を聞き、
失ってしまった自分の体を見いだすことができ、
お父様が私たち一人を探し出すために、
私たちの背後で
艱難と苦労の歴史過程を経てこられたことを感じ、
自らこうべを垂れることのできる
私たちとなるよう許諾してください。

また、お父様に対するおそれ多い心を、
自ら心と体で感じることのできる
私たちとなるよう許諾してください。

私たちをお尋ねになるお父様は、
いつも栄光のお父様としてだけ
お尋ねになると思っていましたが、
お父様は悲しみの主人公として、
そして苦痛の主人公として尋ねられ、
悲運の表情で尋ねてこられました。
このようなお父様であられることを知らなかったがゆえに、
私たちの悲しみをお父様にゆだねることを願い、
私たちの困難をお父様にゆだねることを願い、
私たちの悲運をお父様に押しつけることを願ったことを
受け入れてください。

このような歴史路程を歩みつつ、
悲しみを抑え、嘆息し、尋ねてくださったお父様を
「お父様」と呼ぶことのできない
堕落の氏族であることを私たちが悟り、
千万年のお父様のご苦労を和らげようとするからには、
お父様の悲しみの路程を知らない
息子・娘がいないよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・九・一四)

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お父様のご心情を体得させてください創造の理念は、
特定な個人だけを探し出すことではなく、
すべての人類を探し出すことだという事実を知るものです。
この地上の人類を探しこられるのに、
ご苦労されたお父様!
万宇宙を善の理念の中で探し立てるべき、
摂理的なみ旨が残っていることを考えるとき、
私たち、千万遍死んだとしても、
そのみ旨を成す肥やしとなって、
少しでもお父様をお助けできるよう、
許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。

お父様の悲しみは、
この地上にお造りになった万物のゆえに生じたのではなく、
お父様の創造理念を身代わりして、成すことのできる
人間自体がいないがゆえに生じたという事実を、
私たちが分かるようお許しください。
今、私たちにある心、
ある精誠をすべて傾け、
み旨のために闘うことができるよう許諾してくださり、
この被造万物をお造りになった創造主が、
まさしくあなたであられ、
私たちのために限りなくご苦労された方も、
あなたであることが分かるよう許諾してください。

お父様のご心情が分からない者は、
お父様の生命が分からない者であり、
お父様のご心情を体得できない者は、
お父様のご事情が分からない者であることを、
分かるよう許諾してくださり、
この時間にもお父様は、
お父様のお心と共にあることのできない私たちをご覧になり、
悲しんでおられるということを悟るよう、
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。

そうして、
私たちの心が
完全にお父様のみ旨と一つになるよう許諾してくださって、
お父様の親しい友のように生きるよう導いてくださり、
お父様が運行なさり得る私たちとなり、
生活することができるようお導きください。
イエス様は、まさしく
そのような神様のみ旨を抱き、
ユダヤの民のために現れた方であられたことを、
私たちは知るようになりました。
お造りなった人間もそのまま残っていて、
お造りなった万物もそのまま残っているのに、
お父様が臨在なさることのできる実体の人間たちが
見いだされずにいることが、
お父様のもどかしさであることを、
私たちが悟るようにしてください。
愛するお父様!
今、私たちに臨在なさって、
そのような私たちとなれるよう、
私たちの心と体を聖別してください。
そうして、
父と共に楽しむことができ、
お父様と共に創造の理念を成していく、
新時代の先駆者となるよう、導いてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・三・一六)

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お父様のご心情に目覚めさせてくださいお父様!
私たちは、人類を創造された
お父様の本然のご心情を知ることができないでいて、
私たちの悲しみを追い払うことのできる
お父様の愛を感じることができないでいるということを
知っています。
今、私たちのすべてを犠牲にしても、
お父様の愛を探し出さなければならず、
お父様と私たちとの本然の因縁を
回復しなければなりません。
お父様!
私たちが今、心の門を開きに開いて、
あなたのご心情が何であり、
あなたの愛が何であるかを、
自ら探し出すことができるよう許諾してくださり、
また耳を開いて、
お父様の声を聞くことができるようにしてくださり、
天が許諾される恩賜を受けることのできる
息子・娘を探しておられる、お父様の姿を
望むことのできる目を開くようお許しください。
そうして、
見ることができ、
聞くことができ、
私たちのためにご苦労されたお父様のみ手が
分かるよう許諾してくださり、
忍耐のご心情を
体得することができるようお許しください。
苦労され、耐えてこられたお父様のご心情を、
私たちも少しは知っていますので、
私たちの心と体を完全に
お父様のものとして主管してください。
何も分からず死亡圏内に囚われている
息子・娘たちがいるなら、
お父様、
親しく恩恵のみ手をもう一度伸ばして、
全体の創造のみ業を呼び起こしてくださり、
本然の訴えの心情に対することができ、
お父様のお心の前に、
和動することのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
心を尽くして摂理なさった、
お父様のみ旨があることを知り、
天の定めた路程をたどってこられた、
歴史路程があることを知りました。
これはただ天と通じることができ、
天に対することができる
価値観を探してきた人々を通じて
成されたということを知っています。
歴史的なすべての罪悪と、
時代的なすべての罪悪と、
未来的なすべての罪悪の源を、
根絶させるべき使命が
私たちにあるとするなら、
罪悪に引かれて呵責を受けないで、
お父様のみ愛の中で感謝を捧げたい
心の衝動が起こり得る、
お父様の直接的な愛のみ業が
現れるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
天倫の真理に通じなければならない時となり、
天倫の人格に通じなければならない時となり、
お父様の愛に通じなければならない時と
なったということを知りました。
お父様!
すべての人類に、
お父様の愛を紹介することのできるみ言が
現れるよう許諾してくださり、
お父様の愛を証すことのできる人格者が、
今日この終わりの日の、
多くの民の前に現れるよう許諾してくださることを
切にお願い申し上げます。
その真理に従うことのできる、
私たちの心の準備と
基盤を整えるよう許諾してくださり、
お父様のみ旨の前で、
すべてのことがあからさまにされ得るその日が、
歴史の前に早く早く現れるよう
働いてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五八・二・一六)

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息子の権限を許諾してください愛するお父様!
あなたが願われる世界が
どのようなものであるかを知りました。
あなたを慈しむ愛が
どのように行くべきかを知りました。
私たちが置かれている現象世界が
どのようなものであるかを知り、
自分が自分のために生きることのできない人間であることを知り、
自分の家庭が自分の家庭だけのために生きることのできないことを知りました。

今日、統一教会が、統一教会自体のために生きることのできない
統一教会であることを知りましたし、
世界の統一教会の群れは、
世界各国の統一教会だけのために
生きることができないことも知りました。

ただ、一つの世界、
ただ、一つの天国のために生きなければならないという、
とてつもなく、また驚くべき事実を知ったので、
今、私たちの意識構造においては、
民族を超越し、
国家を超越し、
世界を超越して、
神様の意識が自らの意識として
変えられていかなければなりません。
そうなることのできる「私」自身を発見したことが
偉大な発見であると同時に、
偉大な息子の資格を賦与され得る、
一つの基礎となることを知りました。

全天宙の大主宰であられる神様が、
まさに私たちの家庭においてのお父様であり、
国家においてのお父様であり、
世界においてのお父様であり、
天の国においてのお父様であることを知りました。
そのお父様の位置を身代わりして
歴史時代を経てきながら、
家庭の父母が必要であり、
国の国王が必要であり、
世界の聖人が必要であったことを知りました。
それゆえ、
数多くの悟りの道を経てきたことを知っています。

私たちは、心から知ったので、
今、一つの公式的基準のように、
父子の因縁を結び、
私たちの家庭において、お父様と私たちが
実際に生活しなければなりません。
国を中心として実際に生活しなければなりません。
世界を中心として実際に生活しなければなりません。
全霊界を合わせて、実際に生活する喜びを探し求めてこそ、
お父様と息子の権限をもつことができ、
お父様と息子の権限をもてなければ、
堕落圏を解消させることができないという事実を知りました。
それゆえ、
お父様と息子の権限を、
個人から、家庭、民族、国家、世界のあらゆるところに
拡大させることのできる勝利圏が
絶対必要だということを知ったので、
お父様、
祝福してください。

神様をお父様としてもつ以上に
貴いことはないということを、私たちは今知ったので、
お父様との因縁を永遠にもつことができ、
お父様と永遠に暮らすことができるようにするために、
私たち自らが、きょうこの時間、
もう一度徹頭徹尾、お父様の息子・娘になろうと、
お父様のみ前にお誓いいたしますので、
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを
真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。アーメン。

(一九七八・一〇・二八)

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再創造のみ手で主管してください愛するお父様!
天と地の大主宰であられる
お父様の栄光と尊敬と賛美が、
お造りになった全万物と共に、
あなたのみ前に捧げられることを願うものです。

お父様!
あなたが多くの歴史過程を通過されながら、
私たち人間始祖が過ったことを復帰なさるために、
どれほど、どれほど受難の再創造歴史を経てこられたかということを、
私たちはよく知っています。
私たち個人個人において、
僕の僕の道を越え、
僕の道を越え、
養子の道を越え、
子女の道を越え、
真の父母の因縁を越えて、
本然のあなたの位置まで帰っていくために、
どれほど悲惨で受難に満ちた
歴史的蕩減を払ってきたかということを考えるとき、
罪を犯したので、当然罰を受けるべき人間として、
恨み深い受難の悲惨な路程を歩んできましたが、
あなたはそれと関係のないお方として、
全体に責任を負われ、
先頭に立って、ありとあらゆる困難を克服する立場で
再創造の偉業を加重してこられたそのご苦労の前に、
私たちは心から感謝をお捧げいたします。

お父様!
私たちそれぞれに、
あなたのみ手を経なかった者の
いないことを(私たちは)知りましたし、
いかなる国であっても、
あなたの願いの中で、
今まで導きを受けなかった国の
ないことを知るようになりました。
さらには、
万民をあなたが理想とされた本然の世界に導くために、
国境を越えに越えながら、現時点まで
お父様がご指導してきてくださったことを、
私たちはよく知っています。

最後に残されるべき世界には、
あなたと愛する息子・娘、
そして天使天軍しかいないということを考えるとき、
この地上には、サタンの権限とサタンの群れが
あまりにも多いことを目にするのです。
このことまで、私たちが
お父様のみ前に、
清算していただくことを願うことのできない立場であることを、
統一の群れは知っています。

真の父母の名と真の子女の名を備え、
その家庭を賛美し、
その家庭に侍ることのできる天使世界の本然の姿を、
地上と霊界に完成させなければならない、重大な責任が
統一教会の群れにあるという事実を考えるとき、
私たちは
息子・娘の偉業を相続すると同時に、
父母としての立場の偉業を相続すべき立場にあり、
天の本然の創造理想を
相続すべき立場にあることを考えるものです。

お父様!
幼い子女たち、
あなたのみ前に再創造の材料となって、
あなたのみ手を経なければなりません。
あなたのみ意のまま造ることができ、
またそこに順応する
粘土のような存在にならなければならないということを、
私たちは既に知りました。

絶対的な信仰、絶対的なあなたの愛を欽慕する心と、
全体的なあなたのみ旨の前に忠僕となろうという心しか、
私たちにあり得ないということを知ったので、
お父様、
引き受けて主管し、
あなたが願う器としてお造りください。
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七五・二・一)

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み旨と一致する生活に生まれ変わらせてくださいお父様!
私たちは置かれている位置を確定づけ、
あなたの指定される目的地に向かって直行することのできる、
み旨と共に一致することができ、
あなたの心と共に一致して
あなたが願われる真なる息子・娘の姿を、
成さなければなりませんので、
そのことを願いながらこの場に出てきました。
この場は
人間だけではなく、天がこの上もなく大切な使命を任せていて、
歴史的な新しい起源を誓うことを願っている
場であることを思うとき、
この場は天が注視する場であり、
人間たちが注視する場であり、
天の側と人間の側の中央で、
天に侍り、人間らしい道を行くことによって、
偏らず
あなたのみ旨に向かって、直行していくべき責任を
背負った場であることを知るのです。
そのためお父様、
私たちははっきりとした目的観をもたなければなりません。
その目的に対して、
一日一日の生活において
間違いのない方向性を選んでいかなくては、
真なる人生の航路を行き切ることができないという、
この厳然たる事実を
はっきりと知る私たちとならなければなりません。

数多くの日々を過ごす中において、
ただその姿のままで過ごしてはなりません。
何かが変化して、
あなたの心性に
帰一し得る姿をお慕いすることのできる、
またその場に立つことのできる、
あなたの創造理想の
一つの実体の姿を代表することのできる、
神聖なる群れとならなければなりません。
このような群れに、
お父様があなたのみ旨を通して出会い、
探そうとなさるということを、
私たちは既に知っていました。
私たちが「お父様」とお呼びするとき、
そのお父様が
漠然としたお父様となってはなりません。

お父様を直視して、
お父様が行かれる方向に
私たちが従わなければなりません。
この道が平坦な道だといって喜ぶのではなく、
受難に次ぐ受難の道だといっても、
必ずや天が行かれた、
父母の道であったので、
その道に従うことが子女の義務だということを感じることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七二・一〇・八)

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お望みになった真の子女の姿とならせてください高く貴いあなたの性相を欽慕し、
お慕いする心情を、
あなたのみ前にすべて束ねてお捧げしながら、
過去を反省し、
現在を批判し、
あすの真なる姿を慕い求めますので、
あなたの息子となり、娘となる証を
お父様が賦与してください。

お父様が探してこられた息子の姿、
お父様が願われ、望んでこられた息子の姿と
なるようにしてください。
私たちが宇宙全体の価値を身代わりし、
中心の価値を身代わりする存在となることにより、
あなたがお慕いになることができ、
あなたのすべての感情と感覚、
あなたの□を通して、
私たちを「息子」と言い、「娘」とおっしゃることのできる、
真なる子女の姿となるようにしてください。
取るに足らない私たちを通して、
あなたがそのような息子・娘たちの姿を感じることができますよう、
私たちは願っています。

そこはかとなく私たちを愛されるお父様、
私たちの生命の土台を開拓するために
ご苦労されるお父様、
真なる息子・娘に出会うためのひと日の願いをもって、
長々とした歳月を耐えてこられたそのお姿の前に、
私たちは感謝をお捧げいたします。
私たちの心は、ただ
あなたを根源としていますので、
あなたの心が行かれるところに従って、
あなたが望まれる世界において、
一つの価値を備えることのできる
真なる息子の姿、
娘の姿を、この時間においても慕うのです。

私たちは、
神聖で慈悲深く尊厳であられるお父様の前に、
呼ばわれる息子・娘となることを願いながら
ここに出てきました。
お父様のほのかな依頼のみ言と勧告のみ前に、
あすの望みとあすの使命を誓う決意に満ちた
あなたの息子となり、娘となるようにしてください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・一二・一三)

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お父様の懐に抱かれる息子・娘となるよう祝福してくださいお父様!
私たちはお父様のみ前に裸になった幼子と同じですので、
あなたが着せてくださらなければならず、
あなたが食べさせてくださらなければならず、
あなたの懐に抱いて育ててくださらなければなりません。
しかし、私たちは
今までそのような息子・娘の姿として、
お父様に対することのできるひと時をもつことができませんでした。
このような私たちの心と体が、
そのような立場に立つようにしてくださり、
私たちがお父様の息子となり、娘となることができるよう
祝福してください。

私たちはこの世でもっているものがなく、
何一つ備えたものがない者であり、
その何を取っても誇るべきものがない者たちですが、
あなたの懐に抱かれ育つことのできる
息子・娘の因縁をもっていることを感謝いたします。
このような因縁は、
勝利の権限を身代わりすることのできる特権であることを知り、
ここにおいて感謝できる
私たち自身とならなければなりません。

私たちは、
見た目には何でもない者たちですが、
お父様が誇らしく思うことができ、
貴く感じることのできる息子・娘となるよう
許諾してください。

私たちが困難な道を行くとしても、
お父様と共に行き、
悲しいことにぶつかったとしても、
お父様と共にぶつかりつつ、
困難な立場に立ったとしても、
お父様を慰労してさしあげることができるよう、
お父様、
お導きください。
希望と望みのひと日を、
より一層私たちの胸深くに抱き、
あすに向かって前進に前進を重ねることのできる
お父様の真なる息子たちとなり、
娘たちとなるよう許諾してください。

私たちの行く道がいくら険しいとしても、
あなたが行くべき道の前に、
絶対に荷物となってはならないという、
新たな決意をもつようにしてください。
私たちはお父様を知り、
お父様の行かれる方向を知りました。
ゆえに、傷を負い、
加重された十字架の道を行くとしても、
あなたを慰労してさしあげられる時間は
ほんのひと時しかないということを知り、
精誠の限りを尽くして行く、
あなたの子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・四・一九)

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祝福の恩賜で新しい愛の秩序を立てさせてくださいお父様!
今まで歴史過程では、
お父様を中心として、
一人の男性と一人の女性が結合することはありませんでした。
今までなかったこのようなことが、
この統一教会で成されるようになったのは、
すべてお父様のご苦労の功労と恩徳に
よるものであることを
私たちは知っています。

今までの歴史過程が、
一人の男性を探し求めるためのものであったことを
思うとき、
統一理念を中心とした家庭をもって
初めて、新しい宗教の土台を備え、
新しい世界に行くことができる道を立て、
新しい歴史の門を開くことができるようになったことが、
天の祝福であることを知るようになりました。
お父様のご苦労によって、
私たちに
このとてつもない祝福を受けられるようにしてくださった恩賜に、
心から感謝をお捧げいたします。
今、この者たちが、自らのすべてを
お父様のみ前にお任せするようお許しください。

結婚ということを考えるときに、
私たちはアダムとエバの堕落と直結した問題を
連想せざるを得ません。
堕落した父母の血統を受けて生まれた
私たちにおいて、
「お父様を中心とした祝福」ということが、
どれほどすばらしいことであるかということを考えるときに、
私たちは心から、あなたの恩賜の前に感謝をお捧げ申し上げるものです。
このような私たち、
真なる善を中心とした祭物の
実体として、お父様のみ前にまず捧げられる
男性と女性にならなければならないという事実を
知らなければなりません。

しかし、個人的には
そのような位置に行くことのできない立場にある、
私たち自身だということを考えるのです。
このような位置は、堕落した後孫の立場では
到底立つことのできない位置であるということを知っています。
しかし、今この者たちは、
真の父母の因縁を通すことのできる
子女の名分を備えましたので、
そこにお父様が、主導者となってください。
真の父母の因縁を通じてみ業が始まるこの位置においては、
そのような恩賜の土台が築かれざるを得ないという事実を、
はっきりと悟る私たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願いいたします。

今、一人の男性なら男性、
女性なら女性が、自らのすべてを
お父様のみ前にお捧げしましたので、
お父様のものとして永遠に所有してください。
この者たちをして、権威を備えるようにしてくださって、
サタン世界にあなたの愛の秩序を立てるにおいて、
標本となることをもって
善なる先祖となるようにしてください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・三・二三)

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サタン圈の因縁を切り、本然の父母を探させてくださいお父様!
私たちは悪から生まれた体であるため、
善として再び生まれなければなりません。
二度生まれるべき運命、
これは悲惨なことです。
この世でも、継子として生活することは、
この上なく悔しいことではないでしょうか。
私たちは養子の程度ではなく、
怨讐の子として生まれたがゆえに、
本然の父母を探し出さなければなりませんが、
その道は決して平坦ではありません。
それゆえ私たちは、
サタンの矢とサタンの槍と剣の攻撃を
無数に受けています。

しかし私たちは、
このように体を縛りつけている
ひもを切って行かなければなりません。
□で切るとしても、
力で切るとしても、
縛りつけている者たちとぶつからなければなりません。
そのためには
血を流さざるを得ない、悲惨な歴史過程を
越えなければならないことを知るものです。

これを眺められながらも、
勧告することもできないお父様、
私たちのような息子・娘をもたれた恨みが
どれほど大きいことでしょうか。
お父様のそのようなご心情を
私たちは知らなければなりません。
罪を犯した息子が裁判官に引っ張られ、
絞首台に立つとき、
言うに言えない立場で、
哀切な心情をもって息子の死を見つめ、
悲痛に心を焦がさなければならない父母の心情、
お父様のご事情を
体得することのできる息子・娘とならなければなりません。

栄光の息子・娘として生まれた万有の中心価値として、
その何ものをもっても身代わりすることのできないその者が
怨讐の手に引っ張られ、
露のように消えていくのを見つめられ、
黙々と望みのひと時を待ち焦がれてこられた
お父様のその悲惨なご心情を、
私たちは感じることができなければなりません。

そのように望みの息子を願われるご心情の前に、
焦燥したお父様のご心情の前にひれ伏し、
数千年、数億万年を経たとしても、
失った息子・娘を捜すため、身もだえされる
お父様の悲惨なお姿を思うものです。
その悲惨さが歴史路程に事実として展開するときにも、
その場においてすら
同情をお受けになれなかったお父様であられることを考えるならば、
私たちは永遠に
呪われるべき立場にいます。
しかし、お父様が私たちを呪われれば、
お父様が子を呪う立場に立たれるようになるため、
そのすべてを耐えて許してこられたことを知るのです。
そうですので、私たちは
そのようなお父様の許しと
忍耐を見倣わなければなりません。

地上にいる誰よりも
かわいそうな境地において、天を探し行く人が
歴史の中に残されたことを知るものです。
この道を知り、
この道を行く人々は、やはりかわいそうな人です。
この世の寂しい孤児たちです。
誰にも訴えることのできない事由を抱いた者たちです。
国があっても、その国を信じることができす、
世界があっても、その世界に望みをもつことができません。
そうして、
行く場所ごとに
怨讐の槍と矢を受ける立場に立ってこそ、
お父様を探し出すことができました。
これほどにお父様と
心情的因縁を深く結ぶことができるのは、
私たちだけがもつことのできる
悲惨な内容であることを知っています。

そのような立場から、
お父様の無念なるご心情を相続した息子・娘として、
お父様のみ前に、心から
「お父様」と呼ぶことができなければなりません。
そうですので、血を流さなくては、
お父様の道を行くことができないということを
私たちは知っています。

それゆえ、
アベルが流した血の歴史を私たちは考えながら、
お父様のために血の塀を築いて
一つのとりでとなり、
お父様の同情を受けることのできる一つの都、
永遠なる安息の土台を準備しなければなりません。
そうして、
お父様の悲惨さを慰労し、
永遠にお父様を防衛してさしあげることのできる
天の真なる子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六九・一二・七)

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歴史に輝き得る「私」の姿を備えさせてくださいお父様!
私たちが行く道は、
誰かのために行く道ではありません。
それは私たち自身のための道であると同時に、
世界、国家のための道であることを知るようにしてくださり、
ある個人のために生きるのではなく、
世界のために生きていくのであることを知るようにしてください。
「私」が生まれたとき、
「私」という存在が、
金なにがしなら金なにがしだけのために
生まれたのではないことを知るようにしてください。
「私」なにがしは、
この道を行くために生まれようとしたと、
自ら誇り、
それが「私」の生活の道理であることを
証していくことのできる者となり、
その価値を知るようにしてください。
この問題を明示し、解決して、
その価値をより価値化させられる
一つの核心的な実体を探し出すことが、
統一教会の教会員となった目的であることを
知るようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。

お父様!
この世の何ものよりも、
この道を行くことが
切実でなければならないことを知りました。
私たちが誰のために集まったのかというとき
統一教会の先生のために集まったのでもなく、
統一教会の何かのために集まったのでもありません。
国のために行こうとするので、
統一教会が必要なのであり、
また統一教会が願う国と世界があるがゆえに、
信じ従っているのであり、
またそこに近い道がこの道であるがゆえに、
この道に従ってきたのです。
そうですのでお父様、
統一教会を通して国に、
統一教会を通して世界に、
統一教会を通して天宙に前進しようという
不変の心情が
傷つかないようにしてくださり、
その心情が
大切に大切に伸びていくようにしてください。

心臓から流れ出る動脈の鼓動の音と、
天情の心臓を通して響いてくる動脈の鼓動の音が、
私たちの体と一致して、
私たち自身が生活感情を動かし帰る、静脈の役割を
果たすことができるようにしてください。
そうして、
その静脈の脈拍が、
歴史と共に青史にとこしえに輝くことができ、
生活において
万民の同志となることができるようお許しください。
これが私たちの願いではないかと、
お父様が今、この時間においても尋ねておられるということを、
私たちが分かるようにしてください。

今、私たちの心は、どこに流れていっているでしょうか。
私たちの体はどのあたりにとどまっているでしょうか。
過去のよこしまな心の位置に
とどまらないようにしてくださり、
過去に滅びるしかないものに体を隠し、
罰を受け得る位置にとどまる
自らとならないようにしてください。

お父様のお心を担い、
地上の人類の心を芽生えるようにすることのできる位置に、
体と心を備えられるようにしてくださり、
お父様のみ前にひざまずいて忠誠を誓い、
歴史上に光となり得る「私」を慕いながら、
お父様の王子と王女の姿を
備えることができるようにしてください。
お父様を慕う
欽慕の情熱が芽生え得るその「私」の立場、
あるいは思慕の情熱に輝き得るその「私」の立場が、
大切に大切に立てられ、
大切に大切に育つことのできる
私たち自身となるようにしてください。

私たちは輝くあすを望みとし、
決起しなければなりません。
輝くあすの「私」を望みとし、
決起しなければなりません。
輝く新しい天国のために、
決起しなければなりません。
そうするために、私たちは
そこに合う器とならなければなりません。
輝き得る私たちの姿を
内外共に備えなければなりません。
また、天情の因縁の前に謹んで頭を下げ、
お父様の息子・娘とならなければならず、
心から「お父様」と呼ぶことのできる
真の子女とならなければなりません。
そうですので、
その愛の中で
一日の生活を謳い
その事由の中で
一日の仕事を神聖に賛美することのできる
あなたの息子・娘に、みながなれるようにしてくださいますことを、
愛のお父様、
切にお願いいたします。

残された時間が栄光となるようにしてくださり、
この場が「私」を賛美するにおいて、
真実の場となるようにしてください。
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六九・八・三一)

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イエス様の志操を受け継ぐべき我々私たちがイエス様の三十年余りの生涯の人格を探ってみると、イエス様は当時に限定された一個人の人格者ではありませんでした。彼の人格は、自分の一身の人格というだけではなく、四千年の歴史に代わる天的な価値の人格であったのです。このことを皆さんは悟らなければなりません。

イエス様が主張された理念は、どのようなものだったのでしょうか。数多くの預言者や烈士たちが、歴史的に願ってきた理念であると同時に、摂理の目的を成し遂げるための創造主の理念だったのです。そのような使命を完遂するために、血の涙の出る道を歩んだイエス様の生涯でした。

したがって、不変の心でイエス様の理念と生涯を通して、彼の志操と人格を見習わなければなりません。そしてイエス様が四千年の歴史に代わって、天倫の志操を立てるために無限の闘争も意に介さず戦ってこられたように、皆さんもそのイエス様が残した使命を受け継ぎ、二千年を加えた六千年の歴史に代わって不変なる志操の心を備えた人格者として、天の前に現れなければならないのです。

もし、そのような皆さんになることができないならば、天倫に代わる理念、イエス・キリストが願われた理念、今日私たちが探し求めている理念とは、永遠に関係を結ぶことができないのです。これを肝に銘じなければなりません。

ではイエス様は、どのように生きたのでしょうか。イエス様はひたすら神様のみ旨を自分の生涯の目的として、「そのみ旨が成就するまで、全体に責任を負います」と天倫の前に誓ってからは、自分の安楽を考えず志操を守る生活をされました。

それならば神様は、どうしてイエス様を万民の救い主に立てることができたのでしょうか。四千年の歴史の過程を経てきながら、イエス様お一人だけが、神様のみ旨のために全体の生涯を捧げ、創世以後初めて神様のみ旨のために忠節と志操を守ったからです。そうしてイエス様は、永遠のメシヤとして立てられ、モーセを中心に受け継がれてきた摂理歴史が、イエス様の理念を通して新たな段階に入ったのです。

最後の審判を控え、無限の恐怖のゴルゴタの峠を越えなければならない「終わりの日」に処した今日の皆さんにおいて、皆さんの訴えを何によって終わらせることができるでしょうか。これまでこの地にあった理念ではできないでしょう。それゆえ私たちには、ふさがれている私たちの行く道を切り開いてくれる一つの中心存在が必要なのです。歴史的に見れば、神様も当時の理念としては不可能だということを御存じであったので、神様の摂理を指向する数多くの宗教を通して、摂理の中心人物を送ろうと約束してこられたのです。それがすなわち再臨思想なのです。

今や私たちは、神様に対して、あるいは被造万物に対して、相対的な価値基準に立っていてはいけません。絶対的な神様の人格と絶対的な神様の不変の理念と天的な生活の理念に代わる中心をもった者として、神様のみ旨のとおりに初めと終わりが永遠に関係を結び得る立場に立って、万物万象の前に自分の価値を表すことのできる私たちとならなければなりません。

そしてそのような人間になることができるように、導いてくれる真理を探し求めなければなりません。そのような真理を探し出すために乗り出した皆さんであるならば、何よりもイエス様の願い、イエス様が願われた理念、イエス様の生活の標準を受け継ぎ、そこに新しい理念を加えられなければなりません。さらにまた、活動舞台を自ら探し求めていかなければなりません。

そうして理念的な基準と実践的な基準を備えて、すべての面で統率できる絶対的な位置を自分たちが見つけ、「終わりの日」に天が探そうと願われる人格者、天上の全体目的に代わり得る真の人にならなければなりません。そうでなければ、自ら悔い改める心情をもつ人にならなければなりません。

今日私たちは、個人であっても個人として終わってはいけません。私たちが信じているキリスト教も、民族と国家のための宗教にのみとどまってはならず、世界と人類のための宗教にならなければなりません。また人類歴史に代わることができ、人類の歴史的な願いに責任を負えると同時に、人倫と天倫の理念に代われなければなりません。

そのような歴史と歴史的な願いと人倫と天倫の理念が、皆さんが生活する環境と因縁が結ばれていることをはっきりと感じなければならず、不変の人格者として願いの実体として、二千年前に来られたイエス様の前に恥じることなく現れて、「主よ、あなたの願いはこれではないでしょうか。私がかなえてあげましょう」と言えなければなりません。

そして私たちは、天倫の原則にのっとり、変わることのない志操をもって、天のみ旨のために責任を全うしたのちに、「天よ、お受けくださいませ」と祈られたイエス様を回顧してみなければなりません。

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国を見つけられなかったキリスト教徒たちイエス様は三年の公生涯路程において、ユダヤ教を中心として失ったすべてを蕩減復帰しようとしたのですが、十字架にかかって亡くなったので、この地上に霊肉を中心とした一つの実体たる神様の土台の国として立てられたイスラエルが、すべて崩れていきました。すなわち四千年間摂理して、準備してきたイスラエルの土台が崩れていったのです。

結局、イエス様が亡くなることによって、キリスト教は霊的な国の土台だけをもつようになり、イスラエル民族は国のない民となって流離彷徨する身の上となり、サタン世界の物笑いの種になってしまったのです。ですから今日、霊肉共のキリスト教の国はどこにもないのです。したがって再び来られる主は、四千年間準備してイスラエルの国をつくられた神様の摂理をイスラエル民族が知らずに不信することによって、失ってしまったものを復帰しなければなりません。

イエス様は、この地上に国を探し出すために来られました。一つの国を探しに来られたのです。しかしイエス様は、その国を霊肉合わせて探し出すことができず、ただ霊的にのみ探し出しました。それゆえ、今日キリスト教は、この地上に実体の国がないのです。これは神様がこの地上において、いかなる国、いかなる民族を中心としても、「愛する私の国、愛する私の民族」と呼べないことを意味します。

いまだに神様の国の土台が、この地に立てられていないということを意味するのです。もしその当時、イスラエルの国がイエス様を中心として一つになっていたならば、息子であるイエス様を中心としたその国が神様の国なので、神様はその国を中心として世界を復帰されたはずです。しかし、この地を中心として霊肉合わせて連結させようとした土台が、イエス様が死ぬことによって、つまり実体を失うことによって霊的にのみ復帰されたのです。

したがって、今までキリスト教徒たちは、国がなく主権のない民のような立場なので、どこに行っても殺されたのです。殉教の血を流すことによって発展したのです。それはなぜでしょうか。そのように植えたキリスト教であるがゆえに、そのように殉教の血を流さなくては発展できないのです。今や血を流しながら迫害された時期は終わったのですが、それはそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基盤を中心として失った実体の国を世界的に探し求めて築くために、その国を敬い慕い、主を待ち焦がれながら生まれたのが、正に再臨思想なのです。

したがって主は、この地に来られれば何をすべきでしょうか。一つの国を中心として世界的な蕩減を成し遂げなければなりません。そのためには、主を中心として一家庭をつくり、神様がその家庭を愛することができなければなりません。さらにはその家庭を中心として一つの氏族をつくって、神様がその氏族を「私の氏族」、その氏族を中心としてつくった民族を「私の民族」、その民族を中心としてつくったその国もまた「私の国である」と、サタン世界に打ち出せる国につくり上げなければなりません。それが正に、神様の摂理歴史であることをはっきりと知らなければなりません。

悲惨な犠牲の代価を払うキリスト教神様は今まで、堕落した人間に対して救いの摂理をしてこられました。言い換えれば、神様は言うに言えない怨讐の子女たる私たち人間をして、神様が願われる歴史的なある完成基準、すなわち救いの摂理の目的基準を超えることのできるその一箇所に到達させるために、今まで摂理の方向を推し進めていらっしゃるのです。

そのような過程で、アダムの家庭、ノアの家庭、アブラハムの家庭、モーセの家庭、ザカリヤの家庭、イエス様の家庭などが現れ、第二イスラエル圏をつくるためにキリスト教を中心とした摂理歴史が現れたのです。ところが第一イスラエル圏から残された摂理歴史を再蕩減しようとすれば、その摂理史に現れた内容よりもよくなければなりません。

それゆえ第一イスラエル圏が成就できずに失敗したその基準を、霊的にだけでも勝利の基準としてつくるために、キリスト教は歴史を通して多くの犠牲の代価を払ってきたのです。ここには個人が動員され、家庭が動員され、氏族が動員され、民族が動員され、国家と世界が動員されたのです。

ローマ帝国はその当時、全世界を指導できるいかなる国よりも強い勢力をもった国家でした。そのようなローマ帝国に支配を受けたイスラエル、植民地のようなイスラエル圏においてキリスト教が出発し、ローマに対して戦っていくのですが、ローマは個人的に見ても世界的であり、家庭的な面においても世界的であり、民族的な面、国家的な面、すべての面から見ても世界的な権威を備えたただ一つの国家でした。

そのようなローマに対して、国もなく、一族もなく、氏族もなく、家庭もない状態で、キリスト教が分立した個々人の生命を導き、個々人が一身を投ずる犠牲の代価を払い、四百年間闘争してローマを負かしたのです。その期間にキリスト教徒が払った蕩減的な犠牲というのは、歴史上に類を見ない悲惨な事実として残っていることを私たちは知っています。そのような歴史過程を経て国家的な土台を築いたキリスト教は、その基盤の上で初めて希望の光を見いだすようになり、世界的な発展の土台を整えてきたのです。

キリスト教はローマ帝国に一つの基盤を築きましたが、ローマの一国家と国民だけを中心としては、摂理の全体を成し遂げられないので、それを基盤として世界へ伸びていきながら、個人的に迫害を受け、家庭的に迫害を受け、国家的に迫害を受けました。これはキリスト教がつづってきた悲惨な運命であると同時に、悲惨な歴史であることを私たちはよく知っています。

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イエス様は殺されました。イスラエル民族から追放されました。寄る辺がありませんでした。それでイエス様が死んだのです。そうなったので、やむを得ずどこへ行くのでしょうか。神様のみ旨が、本来祝福を受けるべき所で失敗した場合には、怨讐の世界に移されるのです。それが公式です。サタンがもっていったということです。ですからサタン世界に入らなければならないのです。そうではありませんか。失敗したらサタンに渡るのです。ですからこれを取り戻すためには、怨讐の国に入っていかなければならないのです。そうして戦って勝利して、怨讐がもっていったものを取り返さなければなりません。そのような勝利者になれば、世界を支配するということなのです。

言ってみれば、その時に、イエス様を中心として失ったものを取り返すことができたなら、世界へ行くのです。国家的基準でアジアや中東を動かせるように、世界的基準を手に入れることができるのです。それゆえキリスト教は、本来アジア諸国と共に統一的世界観を形成しなければならなかったにもかかわらず、イエス様が死ぬことによって、本来祝福したすべてのものをサタンに渡してしまったので、やむを得ずローマの懐に入っていかざるを得なかったのです。それがキリスト教の悲惨な運命なのです。

ところがキリスト教というのは、霊的基盤を中心としたものです。イエス様の体が侵犯を受けたので、霊的基準で復活したその復活基準を中心としてキリスト教は出発し、ローマ帝国に行って四百年間戦ったのです。そうして霊的にキリスト教文明をつくり上げたのです。

それでは、キリスト教がすべきこととは何でしょうか。個人的な蕩減と家庭的な蕩減と氏族的な蕩減と民族的な蕩減を、霊的にでも再びしなければなりません。このような問題が起きるのです。

ですからキリスト教全体がローマに入って、個人的に犠牲になり、家庭的に犠牲になり、氏族的に、民族的に犠牲になるそのような供え物の過程を通過しました。イスラエル民族は個人的にヤコブが勝利し、あるいは氏族的にモーセが勝利しましたが、キリスト教徒は、そのような実力以上の実力をもって怨讐に屈せず、自己の生命を捧げ最後まで主体的思想を引っ張っていったのです。そのようにしてローマ帝国をひっくり返したのです。

四千年の歴史を四百年で蕩減したのです。あらゆる犠牲に遭いながら、打たれれば打たれるほど福を奪ってきたのです。四千年の福を引き継いだのです。このようにして、天の側において福を受けられる蕩減条件が立てられたその時から、初めてローマを屈服させ一つのキリスト教中心国家を形成したのです。

その時のキリスト教徒は知りませんでしたが、イエス様が死なずに成し遂げるべきだった福をサタンがもっていったのです。ローマが奪っていった立場にあったのです。それゆえ、それを取り返すためには、それだけの代価を払わなければならなかったのです。そうせずしては、天の側に取り返してこれないことは当然なことです。

キリスト教の思想は、どこにあるのでしょうか。ローマ帝国から戦ってきたその思想、すべての使徒たちが立てたその思想を受け継いで世界的な伝統に移し、一元化されたキリスト教文化圏を形成しなければならないのです。そうすることによって、それからはローマ民族、イタリア民族が、初めて神様のみ旨の前で世界を支配し得る中心民族になるのです。神様はイスラエル民族に世界を任せて失敗したので、イタリア民族を中心として世界を制覇しようとされたのです。

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西に広がったキリスト教神様の摂理歴史を聖書の歴史を通して伝播してきたものが中心的な教理であるならば、その教理においてこれを未来のものとして残さなければならない一つの最後の言葉が残っていなければならないのです。

イエス様が来て、国家的な基準で一度も勝利できなかったので、国家的基準で勝利できる愛的防衛をしなければならないのです。ユダヤ教を四千年間準備してイエス様を送るとき、ローマ帝国の迫害を受けていた歴史時代に、イエス様を中心としてユダヤ教が協助していたならば・・・・・。中東地方は、本来イスラエル民族の十二部族に割り当てられた祝福された地でしょう?その時に、イエス様をユダヤ教が支持していたならば、中東は一つになっていたのです。

中東が完全に一つになっていれば、中東以外のインドや中国———インドと中国は宗教文化圏です———がそこに吸収されていたでしょう。イエス様が神様の愛の道理をもって来たでしょう?今日、統一教会が現れ、繰り広げていくそれ以上の版図をもって、インドの仏教文化圏を吸収し、中国の儒教文化圏を吸収したでしょう。吸収して余りあるというのです。そうなっていたら、ローマは自動的に屈服したのです。そうしてローマに、西の方に行くのではなく大陸に、東の方に進出して・・・・・・。地球星の中心は大陸ではないですか。大陸を理想的舞台にしようとしたのです。

ローマに入ったキリスト教本来の神様の計画によれば、キリスト教は東洋に来なければなりませんでした。そのようなキリスト教は、アラブ圏やイスラエル民族がみな反対することによって道がふさがってしまい、またローマ帝国の直接の指揮下にあったので、ローマ帝国に対して勝利しなければならなくなりました。また戦っていかなければならなかったのです。世界のカインと戦って勝たなければならなかったのです。

それですべて冷遇を受けながら、信義の人、心情の人、理想の人になって、下部階級からカタコンベ(ローマの初期キリスト教徒の共同墓地)に入って、一番下から上がってくるのです。上がってきてローマ帝国を消化したのです。そこで初めて、ローマ帝国がキリスト教を歓迎することにより、全世界はローマの指揮下に入ってしまいました。

そのようなことは、イエス様が死なずに果たすべきことだったのですが、死んで果たしたのです。イエス様が死なずに果たしていたら、天下が統一されていたはずなのに、イエス様が死んで果たしたので、霊的キリスト教文化圏世界としてローマに入り、霊的に世界制覇時代に入ったのです。これが中世時代、法王を中心として全世界をローマが統治した時代なのです。カイン王とアベル王が交替していれば、世界がすべて天の側になるはずだったのです。

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キリスト教の受難の歴史万物を犠牲にしたのは、子女を生かすためでした。子女が生きれば母も生きるので、万物を犠牲にしてきたのです。そこにメシヤが来たのですが、国家を中心として家庭の基盤を築けませんでした。それで子女が、その供え物になったのです。イエス様が供え物として逝ってしまったのです。家庭がなかったのです。家庭がサタンの力によって二つに分かれてしまったのです。そのような嘆きの歴史が、キリスト教の受難の歴史、迫害の歴史なのです。

ローマの兵士によって、家庭が共に氏族が共に滅亡したのです。ローマのカタコンベという所に行ったことがありますか。七代以上の先祖たちの死体がすべて腐って水になり、それが流れるような所を歩きながら、四百年を耐え抜いた偉大な基地として有名です。その後、誰もキリスト教自体を反対しませんでした。考えてみてください。ローマの広場でライオンの餌食になったりもしました。そのような悲惨な歴史を忘れてはいけません。それは、すべてエバのせいなのです。

イエス様が四千年の歴史と万民に代わって、神様が喜んで受け取ることのできる生きた供え物、汚れのないものとして捧げられたように、皆さんもイエス様に汚れのない供え物として棒げられなければならないでしょう。

そして皆さんの生活と生涯において、人倫と天倫の道理を果たさなければならず、み旨を成し遂げるためにこの地に来たキリストの代わりに、天の痛みを代わりに感じることができ、イエス様が感じた天的な愛の心情を体恤しながら、準備された教団から排斥され哀れで貧しい人を訪ねていかなければならなかった、イエス様の事情を分かってあげる新婦にならなければなりません。皆さんがそのような人になるならば、神様の怨恨を解き得ると同時に、人間を救うために来られたイエス・キリストの怨恨を初めて解き得るのです。

愛のイエス様は、この地に悖逆と裏切りの民を訪ねてこられ、自分の理想を話し合わなければなりませんでした。それゆえ裏切った先祖たちをもつ私たちは、天を裏切ってきた路程をさかのぼって、「お父様のみ旨はこういうものではないでしょうか。この身をお受けくださいませ!」と言えなければなりません。

神様は、このように歴史を代表して乗り出し得る汚れのない供え物、どこの誰も触ることもなく見ることもなかった汚れのない供え物として、捧げられる人を探していらっしゃることを知らなければなりません。

皆さんが精神を尽くすにしても、現在、皆さんの精神はサタン世界に容認された精神であり、心を尽くすにしても、サタンとささやいた心であり、思いもまた同じです(「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」マタイ二二・37、参照)。したがって「終わりの日」に処した皆さんは、必ずサタン的な精神と心を変化させなければなりません。人生観と宇宙観も変えなければなりません。それは今まで考えていた信仰観をもっては、サタンに勝つことができず、サタンの讒訴条件に引っ掛かっている舞台を通過できないからです。

イエス様が汚れのない供え物として十字架に亡くなったことは、最初で最後であり、これはイエス様が御自身の精神と心と思いを、この地の人々に紹介してくださったことなのです。

イエス様は歴史を代表し、万物に代わり、神様が貴く御覧になることができ、神様が真実であると言うことができ、神様が喜び愛することのできる方でした。

サタンの讒訴を受けられない、サタンの所有にならない精神を、イエス様から感じる時があるでしょう。そのような精神を感じたとするなら、イエス様の天的な人格を推し量ることができるでしょう。またそのような心を感じたとするなら、イエス様の内的事情を感じることでしよう。イエス様の人格と内的事情を推し量る人がいるならば、神様はその人に働くことができるのです。

このように探し求めなければならない驚くべき歴史的な宇宙の焦点、越えなければならない宇宙的な関門があるということを人々は知らずにいます。したがって、汚れのないものとして捧げられることを望むイエス様の願いが残っているのですが、今や私たちキリスト教徒はその願いをどのようにして見つけ、成し遂げられるかということが問題になります。

今日、皆さんがこの願いを見つけようとするなら、皆さんの過去の足りなさを悟らなければならず、その足りなさを神様に心から悔い改めなければなりません。悔い改めるとしても、涙を流さなければならないだろうし、三十年余りの生涯に流したイエス様の涙に代わることができる心がなければなりません。

またイエス様が三十年余りの生涯に、寝ても覚めても、食べる物がなくても一途な心でその一つの志を立てるために、あらん限りの力を尽くしたその精神を見習わなければならず、死の道を行かなければならなかったイエス様の悲惨な心情を感じなければならないのです。

イエス様は地上の不信する人間のために、悔い改めの涙を流される生活をされ、それで終わるのではなくあの国に行っても涙を流していらっしゃるという事実を知らなければなりません。このようなイエス様の内的心情に通じることができ、内的な天性の理念が分かり、内的なイエス様の生活的な姿を知り、涙を流して天地を満たしても足りないその足りなさを感じなければなりません。それだけではなく、涙ぐみ骨肉が溶けるような耐え難い心情を受け継いで、精神を通じ、心と思いを通じたイエス様のすべての愛と人格を私を通じて表現できるようになるとき、そこから天的な因縁を中心としてイエス様と一つになることができるのです。

そのような心情を感じる皆さんであるならば、死の淵から自分を救ってくださったイエス様に感謝の気持ちを感じることでしょう。そしてその感謝の気持ちを皆さんの心と体に満たし、全天地を満たしても足りない、その足りなさを感じるようになるのです。

それではイエス様は、どれほどの悲しみを感じたのでしょうか。イエス様は神様がアダムとエバを失うときに感じられた、天地の崩れるようなその悲しみを解いてさしあげるために、人間を取り戻そうとなさる神様のみ旨に代わって来られたのです。しかし自分を送られたそのみ旨を成し遂げてあげられなくなったとき、神様がアダムとエバを失った時に感じられたその悲しみを感じられたのです。

今日、歴史的な怨恨を解くべき私たちは、神様を失っても悲しむことを知らない人間となり、新郎であるイエス様を失っても悲しむことを知らない人間になってしまいました。また自分には、神様の悲しみを慰めてあげるべき責任があるということも知らない人間になりました。皆さんも、そのような立場にとどまっているならば、神様の摂理の前に立ち上がっていくら父を呼んだとしても、神様は現れないのです。

ですからイエス様が語ってくださったみ言は、無駄ではないということを知らなければなりません。イエス様が真心から神様に向かって、「わが父よ」と言われたように、心を尽くし思いを尽くし精神を尽くす人がいるとするならば、天地が感動するでしょう。

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怨讐までも愛する愛の宗教この地上に、神様が最も愛することのできる人とは誰でしょうか。イエス・キリストです。そのような意味で、イエス様はメシヤになったのです。それでユダヤの国における方向を提示して現れました。イエス様の哲学とは何でしょうか。ローマとイスラエルが、圧迫国家と被圧迫国家、支配国家と被支配国家というこの二国家間には、高い怨讐の壁があるのを知ったのです。世界で最も高い壁なのです。ローマとイスラエルの間の壁が、その時代において占領国家間の壁としては、最も高い壁だったのです。

イエス様はどのようにしたかというと、「お前は力で私を征服するが、私は反対にお前を愛で征服する」という表題を掲げて現れたのです。十字架で亡くなるときローマ兵に対して、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・34)と祈られました。これは驚くべき歴史的事実です。そのことによって、この世の人が嫌う、怨讐視するそのような国境を越えることのできる、一つの本郷の根拠地を追求していた事実を私たちは知らなければなりません。

怨讐は個人的怨讐があると同時に、家庭的怨讐があります。イエス様はどのように考えたのでしょうか。個人的怨讐があるのです。世界の人をみな、そのように見るでしょう。個人的怨讐があり、家庭的怨讐があり、氏族的怨讐があり、民族的怨讐があり、国家的怨讐があり、世界的怨讐があり、数多くの怨讐が四方に絡まっているのです。それはどういうことかというと、私に従い私の主張に従っていく人の中には、個人的怨讐の前に犠牲になる人もいるだろうということです。

家庭的怨讐の前に犠牲になり、氏族的怨讐の前に犠牲になり、民族的怨讐の前に犠牲になり......。このような戦いで犠牲になることがあるが、「怨讐(敵)を愛せよ」というタイトルによって、いつかは勝利できるその日が来るだろうし、その結果の日を待ち焦がれざるを得ないのです。もしこの世の国、サタンの方向と同じく、神様が復讐して恨みを晴らすとしたら、この世はすべてなくなってしまうのです。

キリスト教を中心とした神様の祖国光復は、どこから始まるのでしょうか。このような思想をもった個人から出発するのは、当然のことです。愛で抱き、国境を取り崩し、すべての環境と文化を越えて消化していきながら、怨讐までも愛し得る運動を提示してきた宗教が、キリスト教だったのです。それゆえキリスト教は、神様がいる限り世界的な宗教にならざるを得ないのです。

大豆を植えれば大豆が生え、小豆を植えれば小豆が生え、赤い花の種を植えれば赤い花が咲くように、悪なる怨讐、恨みを晴らす種を蒔いて、悪魔サタンの種が繁殖したのですが、怨讐を愛する種を蒔けば、それが怨讐を愛する木として繁殖するのです。それが自然の道理です。

今日のキリスト教について言えば、キリスト教の数多くの教派はなぜ生じたのでしょうか。キリスト教の中に教派ができたという事実は、「怨讐を愛せよ」というキリスト教の教理とは異なるのです。キリスト教の教理は「怨讐を愛せよ」です。自分の教会内では愛しているかもしれませんが、キリスト教徒同士が戦っているのです。「あなたの兄弟姉妹を愛せよ」と言いました。キリスト教の兄弟とは、キリスト教です。長老派教会、メソジスト教会、ホーリネス教会、すべて兄弟です。

真なる伝統的主流思想に立っているキリスト教はどこなのでしょうか。怨讐を愛する教団になり、怨讐の国を取り戻すために怨讐を助けてあげ、再度生かしてあげようとするそのような教団が真なる教会なのです。そのような教団が、未来に神様の真なる個人と家庭から氏族、民族、国家、世界の版図を受け継ぐことのできる教団だということは、この上なく妥当な結論です。キリスト教が一つにならない限り、世界は一つになれません。数多くの国が一つになるということは、夢にも考えられないのです。

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パウロを中心とした新たな神様の摂理パウロは復活されたイエス様に出会い、天の使命を受けました。そうして裏切った使徒ではなく、裏切らなかった生きた使徒の立場で異邦の国であるローマに行き、迫害を受けながら福音を伝えました。

パウロが十二弟子の殉教に代わり、洗礼ヨハネの死に代わって主を探し出したので、地上においては摂理的な軌道が異邦の国に移されました。こうしてパウロは、ローマ帝国に入り、独りで追われるようになります。宗教的に歓迎されない立場に置かれるようになったのです。

しかしパウロは、イエス様が定められた摂理のみ旨一つを抱いて人類の十字架であるゴルゴタの道を行かれたように、ローマのいかなる迫害の矢にも屈せずに貫いて進みました。天のみ旨のためには、死も意に介さずに進んでいく姿がイエス様の姿を彷彿させたのです。

そうしてパウロを中心としてキリスト教は動き、一つの家庭型を経て、部族型、民族、国家、世界型と経てきました。イエス様がゴルゴタの道を行ったように、パウロは天の使命を担い、十二弟子の代わりにサタン世界に対して死のゴルゴタの道を自ら進んで乗り出したのです。そうして、ローマのネロ皇帝時代の激しい迫害と虐殺の過程を経てきたということを知らなければなりません。

また個人的なパウロの犠牲が、その時の部族、または十二弟子のような人たち、イスラエルのような群れを起こすことになりました。そうして個人から全体が一つに団結して、死の立場を越えて戦ったので、ローマの国を奪うことができたのです。そうして約四世紀を過ごす間、キリスト教は繁栄しました。中世封建社会時代においてローマ法王庁を中心として、キリスト教は全盛時代を遂げるようになったのです。そうして全世界をキリスト教徒が支配してきたのです。

これはイエス様が血を流す十字架上において、強盗が友となったように、世界的に打たれるゴルゴタの路程を経ていくその時において、裏切ったユダヤ民族の友ではない一つの群れ、一つの国家が現れるというのです。そのような群れ、そのような国家が現れなければならないということは、歴史的な摂理観に照らして見れば妥当なことなのです。

キリスト教を立てた神様のみ旨今までの歴史過程について見ると、東洋は精神文明を中心とした道を求めてきたのであり、西洋は物質文明を中心とした道を求めてきました。しかし歴史は、このように相いれない両面の方向に発展していくばかりではありません。神様は西欧文明をアジアの東洋文明に接するようにされ、新しい宗教理念に連結できるその時を求めてこられるのです。神様がいるならば、間違いなくそのようになさるでしょう。

キリスト教思想は、万民を中心として自分たち自らを鼓舞させながら、今まで発展してきたのです。今まで悪なるサタン世界において、キリスト教の歴史がつくられてきた過程を見ると、キリスト教は烈士たちが血を流した殉教の因縁を経ながら土台を固めてきたのです。社会の前で批判や非難を受けながらも反抗もせず、死の代価を払いながら発展してきたのです。もちろんキリスト教以外の宗教もありますが、歴史の全体的な流れの中で、そのような宗教というのはキリスト教だけであるという事実を私たちは知っています。

このように追われ迫害を受け蔑視されたキリスト教が、今日では名実共に世界的な宗教として民主世界を動かす思想的な後ろ盾になったという事実を考えてみたときに、これはキリスト教それ自体の力だけで成し遂げられたのではありません。死の峠を踏み越えることができたその力の母体は、キリスト教自体の力というよりも、背後にいらっしゃる神様の力なのです。その神様の力によって、キリスト教が世界的に発展してきたのです。それならばそのキリスト教は、今後どうなるのでしょうか。それが問題なのです。

神様がキリスト教を立てたとするならば、その目的は新しい国を探し出すためであり、新しい世界を形成するためでしょう。言い換えれば、神様は今までこの地上になかった善を代弁することができ、善の立場を擁護することができ、善の環境を守ってあげることができ、善の主権を行使できる善の祖国ができることを願ったのであり、勝利の時が成就されることを願ったのです。

このような事実を私たちは否定できません。それゆえキリスト教思想は、必ず終末の時代が来るということを予告しているのです。終末になればキリスト教の全盛時代になり、新たな世界をつくると言っています。そしてその時は、悪の勢力を中心としてキリスト教を反対した国は滅びると、端的に結論づけているのです。

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聖霊を恋い慕うべき今日今、私たちが恋い慕うべき一つのことが残されているのですが、それは何でしょうか。私たちは、地のために代わりに仕事をしている聖霊を恋い慕わなければなりません。これを知らなければなりません。今まで数多くの人々がイエス様を二千年間霊的に恋い慕ってきましたが、今は聖霊も恋い慕わなければならないのです。そうしなければならない聖徒であり、私たち人類であるということを考えなければなりません。このように聖霊を恋い慕うべき時代が来たのであり、新婦の体を完成すべき時が来たのです。

聖霊は新婦の神なので、新婦の姿を備え、新婦の形体を成して、私たちは恋い慕うことができなければなりません。このようになれば、イエス・キリストは霊界に行って休むことができるのです。そして天地に一つの中心を立てて、再び私たちがこの地を中心として探し求めていくのです。

心から霊界を恋い慕った私たちは、今や私たち自身に役事なさる聖霊を恋い慕わなければなりません。それで私たちは、霊的な象徴であるイエス様を恋い慕い、肉的な象徴である聖霊を恋い慕い、私たち一個体において霊的なイエス様を恋い慕う心と肉的な聖霊を恋い慕う体が一つになることによって、初めて天の中心と地の中心が、私の一つの心と体で合わさり得るのです。そうなることによって、イエス様も私の代わりに立つことができ、聖霊も私の代わりに立つことができ、私はその真ん中でイエス様と聖霊のみ旨に代わって万民を代表して現れ得るのです。これを知らなければなりません。

それならば、今やこの地上に来るべき主は、どのようなみ旨をもって来られるのでしょうか。イエス様と聖霊のその中心を、皆さん自体につくり上げなければなりません。生きた肉体をもっている皆さんが、霊界を象徴し、肉界を象徴したイエス様と聖霊を見習い、霊肉を合わせた一つの実体の中心体として完成しなければなりません。そうでなければ、神様の全体創造の理念が、皆さん一人において完結されないのです。このような一つの中心の使命が、イエス様と聖霊の使命なのです。この一つの中心をつくるために、イエス・キリストは再臨されるのです。

二、イエス様復活後のキリスト教キリスト教の使命イエス様を中心として、その十二弟子と七十門徒が完全に一つになれば、歴史過程で失敗したその時代ごとに蕩減できなかったすべての男性たちの失敗が蕩減されるのです。

それゆえイエス様は、彼らと完全に一つになって、歴史的な失敗を収拾できる実体圏を横的につくらなければなりません。完全に金城鉄壁のような垣根をつくって、サタンが攻撃しようにも攻撃できない一人の男性としての勝利的基盤を決定づけなければならないのです。その垣根の使命を果たすべき人が、十二弟子であり、七十門徒なのです。

このような土台、すなわちこのような背景の上に強固に立ち、女性を求めて母の基準をつくらなければならないのです。そのためには、歴史路程で戦ってきたように一大決戦を通過しなければならなかったのです。そうせざるを得ない内的な事情がイエス様にはあったという事実を、その時代の十二弟子や七十門徒は知らなかったのです。

ですからイエス様は、このような環境の土台を一度ももてませんでした。そのようにできる一人の相手も見つけられず、そのような内情を通告させ得る一人の弟子も見つけられないまま三十余年の生涯を送る中で、結局、十字架に釘付けにされて亡くなったのです。

そのようにして十字架で亡くなったイエス様であるがゆえに、恨があるとするならば誰よりも多い恨があるでしょう。神様は四千年間歴史をつづってきながら苦労した土台の上にイエス様を送られて、その時を迎えさせたにもかかわらず、神様が願われたすべての内容が根本的に破綻してしまいました。またイエス様は、神様が男性の歴史としてつづってきた四千年の歴史に、一つの勝利的な基盤を立てるために来たにもかかわらず、それを立てることができずに逝かなければなりませんでした。そのようなイエス様だったので、その事情はどれほど哀れなものだったのか知らなければなりません。

イエス様は自分一人が死ぬことは気にもかけませんでした。そのようなことよりも、自分一人が死ぬことによって、四千年という長い歳月の間、男性を通して役事してきた神様の摂理のすべてが水泡に帰すという事実を悲しまれたのです。自分が死ぬその悲しみよりも、神様の摂理が失敗に帰す悲しみのほうが大きいことを感じて、内情的に深く悲しまれたイエス様でした。そのようなイエス様の心情を知らなければなりません。

しかしイエス様は、「自分は死んだとしても、歴史的なすべての土台をもう一度収拾するのだ」という信念と決意と覚悟のもとで、十字架の道を堂々と突破したので、神様の心情と一致点をつくることができ、霊的に弟子たちを再び収拾することができたのです。

これによって第二の垣根をつくり、今日、男性を中心としたキリスト教の歴史を再編成することができたという事実を知らなければなりません。このようにして霊的な基準を中心として、今まで二千年間数多くの殉教の歴史を経ながら発展させてきたのが、キリスト教の歴史なのです。

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聖霊の苦労に対する人間の責任私たちは今まで、イエス・キリストを迎えるために自分だけが苦労してきたものと思っていましたが、自分の背後で自分以上に苦労された聖霊がいることを知らなければなりません。

イエス様が願われることは、人間の苦労よりも聖霊の苦労が大きいので、この聖霊を立て、イエス・キリストの栄光に代わって人間を糾合しようとされるのです。そのような一日を迎えられなければ、イエス様はこの地に再び来て万民の主人公に立つことができないのです。

それゆえ私たちが悪に対して立ち上がるようになるとき、私たちが犯した罪によって聖霊が代わりに地で苦労されるようになったのであり、イエス様が十字架にかかられるようになったということを知らなければなりません。また私たちは、天地のどこに行っても天の怨恨から抜け出すすべのない罪人であることを知らなければなりません。

この罪を悟って今や私たちは、心と体をすべて捧げなければなりません。そうしてまずは聖霊の苦労に頼り、イエス・キリストの苦労の度数を満たすことによって、その苦労の荷を下ろしてあげなければなりません。このように私によって聖霊の苦労が終わり、イエス様の苦労が終わり、神様の苦労が終わってこそ、私たちのために罪を引き受けて苦労された天の復帰摂理のみ旨が終結するのです。そして私たち自体は、そのとき初めて一人の主人公を得るようになるのです。これを皆さんは知らなければなりません。

イエス様は、「人の子」としてこの地に来られて逝きました。イエス様は実体の体をもつ一人の人間として、この地に来られて逝きました。皆さんが霊界を通してみれば、イエス様は私たちと一問一答できる体をもっておられるので、皆さんの霊眼が開かれれば、私たちのために亡くなったイエス様を慰労して、感謝を捧げることができますが、聖霊に対してはそのようなことができないのです。なぜならば聖霊は体をもっていないからです。

イエス様は実体をもった天の主人公として、また被造世界の中心としてこの地に来られました。ところが聖霊は、いまだに体をもてずにいるので、聖霊の苦労に対して直接慰労してあげることができないのです。それならば、新郎であられる天上のイエス様の前に新婦となれる地上の実体聖霊は、いつこの地に現れるのでしょうか。

私たちが犯した罪は、イエス・キリストだけ死の峠を越えさせたのではなく、聖霊までもそのような苦労の峠を越えさせたのです。ところが私自体を通して、その苦労の怨恨を解怨するようになれば、その喜びと栄光をイエス様にはお返しできますが、聖霊にはお返しできないのです。

私たちが罪を委ねれば、まずは聖霊が私たちの罪を引き受けられます。そうしたのちにイエス・キリストが引き受けられ、そのあと神様から清算を受けるのです。今日、私たちはこれをよく知らずにいます。このようなこと、このような使命を知る聖徒たちが現れるならば、聖霊の感動の役事は、その人たちを通して全人類に現れることでしょう。

今や私たちは、どのようにすべきでしょうか。私たちはイエス様と同じ立場の新郎格主人公と、聖霊と同じ立場の新婦格主人公を見つけなければなりません。そうして贖罪の恩赦を受けなければなりません。そして聖霊とイエス様をつかんで、「聖霊と聖子(イエス・キリスト)、そして神様よ!祝福してくださいませ」と言えなければなりません。そのような皆さんとならなければ、イエス・キリストの二千年の苦労と聖霊の二千年の苦労は、この地上で完結させることができないのです。

イエス様は、どうして「世の罪」を担当されたのでしょうか。それは私たちのために、私たちをして自由を所有できるようにするためでした。そして主人を求めさせたのは、人間に本然の姿を備えさせ、サタンの支配を受けた立場からサタンを支配できる立場へと移してあげるためでした。

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一体となった百二十門徒百二十人の門徒がマルコの屋上の間に集まり、イエス様が生前「聖霊を送ってあげよう」と言われたその約束を心に信じ、一つになって祈ることがなかったら、今日キリスト教は、世界的な宗教にはなれなかったことでしょう。

そのとき身を伏して祈った百二十人の門徒には、恐れの心がありませんでした。自分の威信や体面、そして家庭もすべて忘れ、ひたすら主の約束がある時、ある場所に現れることを信じて百二十人の門徒が一つとなって祈ったとき、四千年間、天地の間で遮っていた死亡の圏を打ち破って、聖霊が地上に臨むようになったのです。

これは偶然なことではありませんでした。このことによって人間を再び出産してあげることのできる新しい道が切り開かれたのですが、この一つの事実は誰によって起きたのでしょうか。

これは百二十人の門徒が終始一貫した心、終始一貫した誠意、終始一貫した供え物の精神によって、父のみ旨、神様を見つめた切実なその心によって起きたのです。このように地に対して摂理できなかった聖霊の役事が、初めて新しい歴史的な出発をし得たことを知らなければなりません。

百二十人の門徒は天地が震動し、炎のような舌が分かれる聖霊の役事を体恤するようになるとき、天に向かう切実な心に徹し、いかなる怨讐に対したとしても死を覚悟して行こうという心をもつようになったのです。ここに天によって力がさらに加えられると、その力はいかなる者が切ろうとしても切ることができなかったのです。このような力が土台になったがゆえに、彼らが語る言葉が天地を動かし得る能力を行使したということを知らなければなりません。

それならば当時、使徒たちは、どの程度まで一つになったのでしょうか。有無相通じるぐらいに一つになりました。彼らは、自分のものと相手のものとの区分がありませんでした。彼らは神様のみ旨を中心として、「私はあなたであり、あなたは私である」という一体の心情によって、二人が一つに十人が一つに団結したのです。ですから彼らは、誰かがある困難なことにぶつかるようになったときにも、それをある個人の困難としてほうっておいたのではなく、自分の困難として考えたのです。

このように兄弟の困難を自分の骨と肉、骨髄までしみ込む困難として感じるようになったとき、天も動いたのです。ですから皆さんも、お互いが自分のすべてを忘れ、ただ父のみ旨一つだけのためにいかなる犠牲が伴ったとしても、自分のすべてを捧げようという心、兄弟の困難を自分の困難として感じられる心の所有者にならなければならないことを心に銘じてください。

イエス様と聖霊の愛を通した霊的重生イエス様が来られ逝きながら、「私は成し切れずに行くので、私を信じる代わりに聖霊を信じなさい」と言われました。イエス様さえ信じれば救われると思っているのですか。とんでもないことです。聖霊を信じても救われるのです。神様の息子を信じさせるのが聖霊なので(コリントⅠ一二・3参照)、聖霊も信じなければなりません。

聖霊とは何の神でしょうか。母の神です。聖霊は母の神であり、イエス様は人類の真の父です。真の父は完成したアダムです。アダムが堕落して人類の先祖になれなかったので、私たちはみな、真の先祖ではなく偽りの先祖の子孫です。ここに真の先祖として来られた方がメシヤです。真の父ということです。ところがキリスト教では、三位一体の神がどうだこうだと言っています。イエス様は真の父であり、聖霊は母なので、この霊的な父と母の愛を受けてこそ、霊的に重生されるのです。子女は父母の愛がなくて生まれることができますか。

それゆえ、黙示録には、「御霊(聖霊)も花嫁(新婦)も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(二二・17)とあります。そのような日は、聖霊が実体をもつ日です。そのときが再臨時代です。新婦の着飾りを終える日です。

「小羊の婚宴」(黙示録一九・9参照)とは何でしょうか。失った真の父母を迎え入れる日です。そうなると名詞的な神様、信仰的な対象として必要だった神様は過ぎ去ります。名前だけの神様を信じたり、外形的にだけ信じたりする信仰生活は必要ありません。実体の神様が必要なのです。

それでは、信仰の実体の主体は誰だったのでしょうか。イエス様でした。希望の実体の主体は誰だったのでしょうか。イエス様でした。愛の実体、愛の主体は誰だったのでしょうか。イエス様でした。

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復活の栄光を表されたイエス様復活は、四千年の歴史において初めて天の栄光に代わったものであり、四千年間のサタンとの闘いに勝利した栄光に代わったものでした。イエス様がこのような勝利的な基準を霊的にも実体的にも示したので、神様は死んだイエス様を再び起こして、新たな摂理を展開するようになったのです。イエス様が十字架にかかることによって、四千年の摂理歴史の責任を引き受け、先祖たちの責任を引き受けて天の栄光に代わってあの世に行ったのが、復活、昇天だったのです。

このようにイエス様は、内的な神様の栄光をこの地上に実体的に成し遂げるため、すなわち神様の完全な栄光を表すために来られた方です。なぜならば完全な栄光というのは、内的な栄光と外的な栄光が合わさってこそできるからです。イエス様は、正にこの使命を果たすために来られたのです。

神様の栄光が完全に表されるには、神様の内的な栄光の実体として来られたひとり子であるイエス様とユダヤ民族が遠ざからずに一つになることによって、イエス様の中にある神様の内的な栄光が地上の栄光とならなければなりませんでした。しかし神様の四千年の摂理歴史を引き受けて、神様の栄光を地上で実現させるべきイエス様がユダヤ人の不信によって十字架で亡くなることによって、天の内的な栄光は霊的な栄光になったのです。それゆえイエス様は、未完の栄光を成して昇天されたのです。

昇天したのちに霊界でイエス様は、神様が四千年間サタンに対して繰り広げた天の闘いと、人間を復帰するために繰り広げた真の闘いと、み旨を成し遂げるための摂理の闘いと、聖霊に代わって愛の闘いをしているのです。すなわちイエス様は、霊界に行って神様が続けてこられたその戦いを引き継ぎ、神様の代わりに闘ってきていらっしゃるのです。

では四千年間摂理してこられた神様の前に、人間に代わり、万物に代わり、天の愛に代わったイエス・キリストが、真に勝利しなければならない土台とはどこでしょうか。ほかでもない、この地なのです。

本来、キリスト教の教理は、十字架ではなく復活の教理です。イエス様が復活することによって救いが成立したのであって、死ぬことによって成立しましたか。キリスト教は復活の宗教なのです。

亡くなって三日後に復活されたイエス様の復活の権能によって、私たちは救いを受けるのです。復活後の四十日期間の基盤の上に、初めて新たな第二イスラエル、すなわちユダヤ教に代わる新しいキリスト教が出発したのです。キリスト教は十字架の教理ではなく、復活の教理なのです。信じられない人は祈ってみてください。自信をもって話すのです。

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イエス様のみ旨を引き継ぐべきだった弟子たち復活された直後、イエス様はどのような心情だったでしょうか。三日目に復活した彼の心情は、天の前に面目ない祈祷を捧げざるを得ない悲しい心情でした。四千年間苦労された父と、多くの苦労をした預言者や烈士たちに対すると、一方ではうれしく思いながらも、一方では限りなく悲しく涙を流さなければなりませんでした。このようなイエス様の心情を知らなければなりません。

天の聖徒たちは喜びましたが、イエス様は悲しかったのであり、神様もうれしくもありましたが一面悲しい心ももたれたのです。今日この地に生きている人々の中には、このようなイエス様の心情を知る人は一人もいません。けれどもこれを知って、心の中で新たに決心をしなければなりません。

決心をするものの、何を決心するのでしょうか。イエス様がこのようになった原因と動機は、民族のせいでも天のせいでもありません。ただサタンのせいでした。イエス様はこのサタンを踏みにじり、失った使徒たちを捜すために乗り出したのです。一時は命を懸けて誓いまでした使徒たちが、イエス様の死体や墓までも悪なる人たちに守らせてしまったことを考えると、イエス様が普通の人であったならば、彼らを捜しに行かなかったでしょう。

しかしイエス様は、ただただ怨讐サタンに対する憤慨心と、怨讐サタンの懐にある弟子と民族と人類を取り返さなければならないという一途の心をもっていたので、彼らを探しに出たのです。また四千年の間、裏切った人間に対する悔しさを耐えに耐えながら摂理してこられた父を見つめたとき、哀れな人間を探さなければならないという悲壮な決心を抱いて、イエス様は彼らを捜しに出たのです。このようなイエス様の悲壮な決心を抱かなければなりません。

また残っている使徒たちに、もう一度サタン対して闘うべきであるという心の決心を鼓舞させたイエス様は、いつまでも彼らと共にいるわけにはいきませんでした。み旨を引き継いで、長い歴史路程を行かなければならない弟子たちが、言うに言えない血の路程とゴルゴタの十字架の峠を越えなければならない状況を見つめるイエス様の悲しい心情と心の苦しみは、十字架を越える時と同じものでした。またイエス様は、四十日が経過すると愛する弟子たちを怨讐の地に残したまま、行かなければならない悲しい心情を抱かれたのです。

では、地にいた聖徒たちは、果たしてどのような気持ちだったのでしょうか。来られたイエス様の悲しみと、行かざるを得なかったイエス様の悲しみが分からなければならなかったのに、彼らはただ愛する先生と別れることだけを悲しがったので、それを見つめるイエス様の心情は、言葉では言い表すことができないほど悲痛なものだったのです。

では、どのような心をもたなければならないのかというと、イエス様が逝かれたのちのことを自ら引き継いで、サタンと生死を駆けた闘いをすることがあったとしても、一寸の譲歩もしないという覚悟のもとに、鉄石のように変わらない心の所有者にならなければなりません。そうしてイエス様が亡くなりつつも、安心できず、心配なさったその心情を、皆さんが直接体恤して、代わりに解いてさしあげなければならないでしょう。

もし、その当時の使徒たちが終始一貫した心をもって、イエス様と共に十字架にかかったとすれば、神様はイエス様一人だけを復活させるということはできなかったことでしょう。そうなったとすれば、全使徒たちが復活したはずであり、今日のようなキリスト教にはならなかったはずです。

それならば、今やこのような使徒たちが残した使命を自分が引き継ぎ、サタンに憤慨したイエス様の心を皆さんの心とし、十字架を越えたイエス様の決心を皆さんの決心としなければなりません。

そうして十字架を死なずに生きて越えることによって、復活の姿で現れる第二の使徒にならなければなりません。そうして六千年間神様を困らせてきたサタンを、一朝一夕に打ち破ってしまえる使徒にならなければならないのです。そして悲壮な決心をもって、死の道を歩むようになっても、サタンと闘って勝利し、その痕跡を残すことができなければなりません。

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第六章 イエス様の復活と神様の願いー、イエス様の復活と聖霊降臨イエス様の苦痛の三日路程イエス様が死んだのち、三日間苦痛を受けたという事実はどういう意味でしょうか。天地が死亡圏に残っていて、地獄も死亡圏の因縁をもっているので、イエス様が天地を主管するためにはこの死亡圏を下からも越え、上からも越えなければならなかったのです。それゆえ地獄のような最もどん底の境地に行って苦痛を受けたとしても、それを越えて生命の因縁を追求し、神様を慰め得る希望の道を行かなければならなかったのです。

したがって、イエス様が地獄のようなその環境を経ることによって、希望の天国に向かって再出発できる道が整えられたのであり、地上でも捨てられ、追い込まれて死の道を行きましたが、希望の道を残せたのです。それゆえイエス様が、三日路程を行かざるを得なかったのです。このような事実を私たちは知らなければなりません。

三日間イエス様は、地獄を見物しに行ったのではありません。地獄を知らない彼ではありませんでした。そこに行って判決を下し、死亡の世界から生命の世界へと行ける道を開いたのです。そうして死亡の地獄世界であるこの地上に、勝利の基盤を築いたのであり、天国に行ける起源をつくり上げたのです。

指導者を失った弟子たちの悲しみ

イエス様は復活されたのち、四十日間この地に聖霊を送ることを約束して昇天されました。イエス様に従った弟子たちは、イエス様の復活された栄光の姿を見て、神様の約束のみ旨が成就するものと思って喜んだのですが、イエス様は彼らにいつ再び来るのかという、はっきりとした話をされないまま昇天してしまったのです。

では当時の弟子たちの心情は、どうだったのでしょうか。愛する主を釘付けにした不信のイスラエル民族とユダヤ教の一団に対する、言うに言えない敵愾心が煮えくり返っていたでしょう。復活された主のみ旨、神様のみ旨ならば、身が粉となり骨が溶けることになろうとも、最後の勝利のために、復活された主に従って行こうという覚悟をもったことでしょう。

そのような覚悟、すなわち主が去っていかれたのちに、天に対して切に敬い慕ったその心、死ぬようなことがあっても、あるいは困難な十字架の道が遮られていたとしても、この道を打開しなくてはならないという覚悟をもって、弟子たちはあの人この人に対するたびに、お互いに激励し合ったことでしょう。それでこのような心情に徹していた弟子たちにイエス様は現れて、聖霊を送ってあげることを約束されたのです。

その後、マルコの屋上の間に集まった百二十人の門徒は、背後で天が役事するという想像もつかない体験をしてから、歴史的なすべての摂理のみ旨を抱くことができ、またイエス様の三十年の私生涯路程と三年の公生涯路程で感じた内的心情を体恤し得る段階に入るようになったのです。

そうして彼らは、イエス様を裏切ったという罪責感に浸らざるを得なかったし、この地に来られたあのイエス様は、自分たちがあのように対してはならない天のひとり子であったことを悟るようになったのです。

さらに彼らは、イエス様がこの地に万民の救い主として来られたということをはっきりと悟れば悟るほど、心の中に鉄石のような固い覚悟と決意をしたのです。そして兄弟と兄弟、使徒と使徒、信徒と信徒がお互いに励まし合って、一つのみ旨を中心として、一つの心で一つの目標に向かって動くようになったのです。自分たちが追求する一つのみ旨のために、お互いが心を交わし合って一つになり、百二十人門徒はそれぞれ違いますが、父のみ旨に対して行く方向とその動く行動は、一つの姿として現れるようになったのです。

このような現象が使徒たちのうちに起こり、彼らの心は燃え上がったのですが、それから彼らはどこに向かって叫ぶようになったのでしょうか。彼らは、イエス様に反対したイスラエル民族に向かって叫び始めました。それだけではなく、イエス様を不信する数多くの人類に対して、新たな決心と覚悟をもって、新たな誓いで、自分たちが一つになっているその心をくじく者はいない、ということを示しました。

このように自分たちが、まず天の前に固く誓って覚悟した姿で現れるときはもちろんのこと、いかに迫害が激しい環境であっても確固たる中心をもって現れるとき、天は彼ら一人一人をイエス様の代わりの存在に立てて、使命を引き継がせたことを知らなければなりません。

このような心をもった人は、一人だけではありませんでした。主を失った悲しみが大きければ大きいほど、その心に徹したのであり、神様のみ旨が強く動けば動くほど、その心には天を裏切った群れに対する敵愾心が強くわき上がり、彼らを一朝一夕に粉砕して、天のみ旨をすぐにでも成し遂げてさしあげようという覚悟でした。天に対してこのように現れるようになるときに、ここには人間の力ではなく、神様の力が現れるようになったのです。

ここで人間としては、到底想像もできない神様の直接的な権能の行使が、無知な民、不信の民、悖逆(謀反)の民に示されたということを私たちは知らなければなりません。

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パンとぶどう酒の意味四千年間復活の摂理を通して、救いの役事をしてこられた神様は、イエス様を復活させる摂理だけでは天上のみ旨と地上のみ旨を合わせて完結させることができないので、「新しい契約」を立てて、これで天上と地上のみ旨を合わせ、約束された本然の園を探し求める摂理をしてこられたことは、よく知っていることでしょう。

ここにおいて、イエス様が下さった杯(ぶどう酒)とパンは、正に「新しい契約」と言われました(ルカ二二・20参照)。イエス様が逝かれたのちに、私たちはそのイエス様の肉と血を受けたので、これはすなわち成し遂げなければならない全体の生命の代わりであると同時に、全体の真理の代わりであることを知らなければなりません。

イエス様の血とイエス様の肉を受け取ることは、何を象徴するのでしょうか。それはイエス様一個人の肉と血を言うのではありません。大きくは天と地を意味し、小さくは中心と個体を意味するのです。また肉は真理を象徴し、血は神霊を象徴します。

これらすべてのものは、イエス様が私たちに無条件に下さいました。そのように下さったイエス様の一身は、それ自体に限定された問題ももちろん問題ですが、彼を中心として連なっている天上天下のいかなる存在の問題も、すべて彼の問題だったということを知らなければなりません。

神様と人間との間にふさいでいたものとは何でしょうか。天のみ旨が地上に現れ、地上での全体の状況が天のみ旨に帰結されて一つの目的に動かなければならないのに、これがふさがってしまいました。そうして愛の主人公であられたイエス様は、勝利的な天の栄光に代わって現れるその一つのみ旨を表象して、今まで苦労してこられているのです。

神様が四千年間苦労してイエス様一人を立てられたことは、天全体を所有できることと、地全体を所有できることを表象されたのでした。それゆえイエス様を信じる人は、天のすべてを所有でき、地のすべても所有できるのです。ところがそのように所有したものを自分のものとしてのみ帰結させるのではなく、所有して再び天の前に返してさしあげるべき全体的な摂理のみ旨を私たちは委託されているのです。

イエス様が「新しい契約」を立てて逝かれたので、彼が亡くなった以後は霊的な世界と肉的な世界が人、すなわちイエス様に従う使徒たちを中心としてつながらなければならない条件が残されました。イエス様が亡くならなかったならば、イエス様を中心として天と地がつながったはずなのですが、亡くなることによって、イエス様は天の条件の代わりをするようになり、聖霊は地の条件の代わりをするようになったのです。

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十字架上でも天を心配し怨讐を愛したイエス様イエス様は教団から追われ、民族から追われました。教団の異端者として、律法の破壊分子として見られました。彼は自分の氏族に追われ、家から追い出されました。洗礼ヨハネの一団にも追われました。荒野に出ていきましたが、そこでもサタンに追われました。そこで終わりませんでした。しまいには全体が動員して、十字架の道、ゴルゴタの道に追いやられたのです。

しかし反逆者として追いやる民族のために、むしろ涙を流したイエス様でした。イエス様は、ユダヤ教団から異端者として扱われましたが、イスラエルのいかなる祭司長よりも、彼らのために血の涙を流した人でした。その時代の誰一人として、自分の味方になってくれる人がいなかったけれども、イエス様はその時代の友でした。民族の反逆者として追いやられたけれども、民族の忠臣であり、教団の異端者として追いやられたけれども教団の忠臣でした。

彼の歩みは、いかなる歩みだったのでしょうか。引き裂かれ、追われ倒れる、十字架を背負った惨めな歩みでした。その道だけだったでしょうか。無謀な悪党たちが、むちを持って追い立てる事情に処したりもしました。このような立場で、もしイエス様がエリヤのような人であれば、「父よ、ただ私だけ残りました」(列王紀上一九・10、14参照)というような祈祷をしたことでしょう。

しかしイエス様は、ゲッセマネの園で三弟子を後ろに控えさせて、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)と祈ったのです。これが偉大なことなのです。自分の事情もたった一つ、自分の一身は民族の供え物であり、人類の供え物であり、天倫の供え物であることを知っていたのです。

そのようなことを知っているイエス様は、自分の悲しみも悲しみですが、天の悲しみがどれほど大きいだろうかと心配する心のほうがより大きかったのです。民族のために現れたのに、その民族に裏切られるという自分を御覧になる天の悲しみが、どれほど大きいかということを、一層心配されたのです。

イエス様は天の皇太子であり、万宇宙の主人公であり、メシヤでした。そのようなイエス様が、「惨めな十字架の運命だとは、なんということでしょうか」と嘆こうと思えば、この宇宙を動員して嘆くこともできましたが、嘆くことのできない自分自身であることを感じられたので、追われる立場に立つようになったことを面目なく思ったのです。

教団を糾合させ、民族を糾合させ、天の王国を建設して、世界を父の懐に抱かせてあげるべき責任を担ったイエス様は、その責任を果たせず十字架の道を行くことになるとき、恨むようなことは何も感じなかったのです。「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈られたのも、自分の一身の死が悲しかったからではありません。自分の一身が死ぬことによって、民族の悲しみと天の悲しみが加重されることを知っていたので、そのように祈られたのです。

イエス様は自分が十字架に倒れれば、後代の世界人類の前に加重される十字架が残され、それによって悲しみの歴史、死の道が終わらないことを知っていました。また自分がゴルゴタの道を行けば、自分に従う人々もゴルゴタの道を歩まなければならないということを知っていました。十字架のみならず、さらに困難な道が残されることを知っていたイエス様だったのです。

両手両足に釘が打ち込まれ、わきを槍で突きさされて血を流す立場、茨の冠をかぶる立場に立ったとしても、これが自分で終わらないことを知っていても、イエス様は天に向かって「すべてが終った」と言いました。その言葉は、人間の世界において十字架の道はすべて終わったということではありませんでした。十字架のために泣いて心配する心の訴えが、天に通じたということなのです。

イエス様は、数多くの預言者や烈士が天の前に犯したすべての誤りを担って天を慰労してあげるために、生きた供え物として天の前に捧げられたという事実を知らなければなりません。

それではここにおいてイエス様に対された神様の心情は、どのようなものだったでしょうか。死んでいくイエス様のその姿、天を心配しながら十字架の峠を越えていくその姿を御覧になるとき、人間世界に悔しさがあるとするならこれ以上の悔しさはなく、天の四千年の歴史路程に悔しさがあるとするならこれ以上の悔しさはないでしょう。

しかしイエス様自身は死んでいきながら、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・34)と言われました。神様はすぐにでもノアの時以上の審判をしたい気持ちでしたが、イエス様が民族をつかんで死に、教団をつかんで死に、十字架をつかんで死んだがゆえに、神様は人間たちを捨てることができず、つかんでこられているのです。このような心的な因縁が後代の人間、残されたイスラエル民族と結ばれていたので、裏切る後代の人間を捨てられず、つかんでこられているのです。裏切る後代の教団をつかんでこられているのです。

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サタンを屈服させることのできる秘訣聖書を見ると、イエス様は完全に個人的、家庭的、民族的、国家的な条件を立てて、サタンと闘って勝ったでしょうか。勝つことができませんでした。イエス様の前でも屈服しなかったサタンが、イエス様を信じる人に屈服すると思いますか。六千年間、神様の前で讒訴し、神様のみ旨を蹂躙し、神様の摂理を滅ぼしてきた知恵深いサタンが、イエス様を信じる人が「引き下がれ」と言ったからといって、簡単に引き下がると思いますか。

私たちには、歴史的な相続権がなければなりません。アダムからノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス様以後までの伝統と基盤を受け継ぎ、歴史的な供え物の代わりとなった相続者にならなければなりません。そうしてサタンに、「お前は歴史的な路程の中で、ノアに負け、ヤコブに負け、モーセに負けなかったか。私は彼らの勝利の基盤の上に立っていて、摂理歴史のすべての伝統を相続したので、サタンよ!お前は引き下がりなさい」と言ってこそ、引き下がるようになっているのです。

ただ単に「サタンよ、引き下がれ」といくら祈ってみたところで、サタンは引き下がるでしようか。六千年間、神様の前で讒訴し、蹂躙し、復帰摂理を破綻させたサタンなのに、イエス様を信じる者が「引き下がれ」と言ったからといって、簡単に引き下がると思いますか。とんでもないことです。

イエス様には、神様から心情を受け継いだ「相続譜」があります。四千年の間イエス様を送る時までの心情的な「相続譜」がありました。次にはイエス様の対象の「相続譜」がなければなりません。「私は、間違いなく歴史的な神様の心情を通して、神様が探し求めていた者だ。私はイエス様の聖なる体に接ぎ木された者だ」と言えなければなりません。

それでサタンに十字架上で勝つのではなく、十字架にかからずにサタンを屈服させなければなりません。それゆえ肉身をもって、実体として復活しなければなりません。このような実体の相続者として認められてこそ、この天国に行けるのです。

霊的基盤だけを築いたキリスト教キリスト教会は霊肉の地上天国を願ってきたのではなく、肉的世界を放棄して霊的救いを目標として霊的王国、霊的メシヤとしてのイエス様に仕えてくるしかありませんでした。言い換えれば、イスラエル民族は国があり、選民的国権をもつことができましたが、今日全世界のキリスト教は、第二イスラエルの霊的国家であって主権国家、国がないのです。

キリスト教徒は霊的第二イスラエル圏内に立っているので、肉的基盤をもつことができず、霊的基盤のみをもっているのです。ですから霊肉を中心とした地上天国を完結すべき神様の本然のみ旨を成就することができなかったので、主は再び来ざるを得ないという事実を知らなければなりません。

十字架の場は、神様が勝利したのではなくサタンが勝利したのです。イエス様がゲッセマネの園で、今は「やみの支配の時」(ルカ二二・53) であると宣布したことは否定できません。十字架の場は、四千年間、神様が準備した国を失った場であり、イスラエルの教会を失った場であり、洗礼ヨハネ一団と十二弟子、右の強盗などすべてを失った場であることを知らなければなりません。

十字架上には、キリスト教がなかったことを知らなければなりません。キリスト教はいつ出発したのでしょうか。死んでから三日後に復活して、四十日間、失ってしまった弟子たちに会い、聖霊が降臨したのちに出発したのがキリスト教であることを知らなければなりません。

それゆえ二千年間、キリスト教徒は十字架の道理ではなく、復活の道理によってキリスト教が生じたことを知らずに信じてきた事実を皆さんは悔い改めなければならないのです。イエス様が復活した土台の上からキリスト教が始まったので、キリスト教は霊的です。

十字架でイエス様が亡くなることが神様のみ旨を成し遂げることであるならば、ゲッセマネでの祈祷は誤ったものです。そうだとすれば、メシヤの資格はないのです。実にあきれたことです。メシヤとして一度ならず三度も、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ・二六・39)という祈祷ができるでしょうか。

キリスト教が言うように、最初から死ぬために来られたとするならば、イスカリオテのユダに賞金をあげなければならないのです。それなのに、「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」(マタイ二六・24)と言われたみ言をどのように解釈するのでしょうか。

イエス様自身が死ななければ、どうなっていたかというと、先ほど言ったようにイスラエルの国が延長されてそのまま残り、ユダヤ教徒がそのまま残ることを知っていました。しかし自分が十字架で死ねば、ユダヤの後代の数多くの人々が十字架の道に従って行かなければならないので、血を流さずには行くことができず、また数多くのキリスト教徒が苦労し、また主が再び来て苦労するだろうということを知っていたのです。

それゆえゲッセマネで、そのような祈祷をせざるを得なかったということを皆さんは知らなければなりません。今日キリスト教徒たちは、「イエス様は肉身があったので、死の苦痛を心配してそのような祈祷をした」と言うのですが、それはばかげた話です。

それから十字架上で亡くなりながら、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ・・・・・・わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七・46)というイエス様の言葉は、どのように解釈するのでしょうか。

十字架上で亡くなりながら、「すべてが終った」(ヨハネ一九・30)と言ったのは、どういうことなのでしょうか。霊肉を中心とした使命を果たすために来たのですが、基盤のないこの地上で神様のみ旨を完全に成し遂げることができなかったので、十字架を背負ってでも霊的救いの摂理の土台を残さなければならないというみ旨を知った立場で、霊的救いの摂理の出発の基盤を築くために、自分のすべてを捧げたので「その基盤をすべて成し遂げた」と言ったのです。

神様のみ旨を成し遂げるために、サタンの国を滅亡させ、生きた立場でサタンの王権をなくして、人類を取り戻そうとされた主が、このように悲惨に死んでいったという事実を今からでも知って、キリスト教とユダヤ教は悔い改めて一つにならなければなりません。一つになって、来られる主を迎え得る準備をしなければならないのです。

真理は理論に合わなければなりません。盲目的な信仰時代を捨て、新しい世界に向かってこの世界を収拾し、救いのために全世界のキリスト教徒たちは一つに団結すべき時が来ました。それゆえ「統一」という言葉が、必要な時になったということを知らなければなりません。

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願われた時と環境を残して逝ったイエス様イエス様は逝きました。どのようにして逝ったのでしょうか。使命をもって来られて、すべてを残して逝きました。イエス様が探し求めていたその時を残し、イエス様が見ようとしたその環境を残し、イエス様が行使しようとしたその主権を残して逝ったのです。

それゆえにイエス様は、「時が来れば、比喩では話さないで、あからさまに、あなたがたに話して聞かせるだろう」(ヨハネ一六・25参照)とおっしゃいました。イエス様は時について語ることができませんでした。なぜでしょうか。怨讐の前で、自分が万王の王として来たと言えば、ローマ帝国の植民地であるイスラエルが耐えられないからです。ですからイエス様は、時が差し迫っていることを感じてはいたのですが、時について語ることができず、環境を築くために戦わなければならなかったのですが、それができなかったのです。

イエス様の心情を一度考えてみてください。時を探し求めようと、どんなに全力を尽くしたことでしょう。ヨセフとマリヤの家庭で育つ時も、何度も天倫のすべてのことについて語りたかったのです。マリヤは処女として身ごもり、イエス様を生んだあと育て、乳を飲ませる時には、それでも神様の息子であることを知り、神様が選んだ貴公子であることを知っていましたが、日がたてばたつほどその心があせて、イエス様に対して普通の子のように接するようになりました。

イエス様はヨセフの家庭において、食べるべき物も食べられず、着るべきものも着ることができずに、心情の王子として働きました。しかし、その心の奥底には、時を恋い慕う心情があったのです。

イエス様は神様が許した一時のために準備し、神様が許した一つの環境のために内的にも外的にも、または人格的な分野においても備えるべきすべてを備え、自分自ら、神様あるいは万民の前に現れ得る時を待ち焦がれたのです。十二歳のときに、両親の知らない間に神殿を訪ねていったイエス様でした。しかし、エルサレムの多くの人々の前で、証すべき彼の兄弟たちまでも、からかい、ばかにしたのです。

イエス様は今日、人々の考えるとおりの空想的な人格者ではありません。聖書にも、イエス様に対して、食べ物をむさぼり、ぶどう酒をたしなむ人であり、病人の友であり、罪人と取税人の仲間であると当時の人々が非難したというのですが、どうしてそのようなことがあり得るでしょうか。なぜそうだったのでしょうか。

それを考えると痛哭しなければなりません。なぜイエス様は、罪人と取税人の友になったのでしょうか。彼らとだけ友になりたかったイエス様ではなかったのです。仕方がなかったからです。

イエス様は祭司長たちが謙虚になり、自分の前に出てきてひざまずき、「あなたは万王の王であり、私たちの指導者です」と頭を下げて、敬拝してくれることをどれほど待ち焦がれたでしょうか。しかし、かえって彼らに後ろ指をさされたのです。モーセの律法を蹂躙し、神殿を汚す者だと悪口を言われました。それで仕方なく罪人の友になり、取税人の友になったのです。四千年間、築き上げた祭壇が崩れてしまったので、やむを得ずそのような状況になったのです。当時の祭司長は、大いなる審判の時に最初に呼ばれて審判を受けなければならないでしょう。

今まで人々は、イエス様を盲目的に信じました。盲目的に「イエス様は私たちの罪のために死んだので、私たちはその十字架を信じさえすれば救われるのだ」と単純に信じたのです。しかしイエス様は福音のみ言を伝えるとき、食べられず着られませんでした。いちじくの実を取って食べようとして、いちじくを呪うとは、どれほどおなかがすいていたのでしょうか。気楽でのんきで、満腹だったイエス様ではありません。神様の息子の身の上が、このように落ちぶれるとは......。

時を失ってしまったイエス様でした。また環境を失ってしまったイエス様でした。居場所がなくて、あの家この家と転々としながら、マグダラのマリヤのような寡婦の家を訪ね歩きました。今日のような自然な時にそうだったのではなく、二千年前にそうだったのです。一人の女性が三百デナリにもなる香油をイエス様の足に塗って髪の毛で拭きました。そのようなことが受け入れられるでしょうか。到底考えられないことなのです。

イエス様は、どれほど残念がったことでしょうか。そのような立場にまで追い出されたイエス様の心情が、いかばかりであったでしょうか。「四千年の歴史が蹂躙されていく。ここで神様が苦労をなさり、数多くの預言者たちが血を流しながら築いてきた歴史的な土台が崩れていくところなのだ」と考えるときに、呪いたい気持ちを身にしみて感じていたのですが、口をつぐんだイエス様だったのです。

呪えば四千年間続けてこられた神様の苦労が途切れてしまうので、自分のために準備してきた土台が崩れたとしても、自分が責任を負おうとして口をつぐんだのです。イエス様は悲しく困難な立場に立つたびに、オリーブ山をさまよいながら祈られ、ゲッセマネの園をさまよいながら祈られました。これが神様の息子のすべきことでしょうか。

イエス様は、人間の幸福を約束する新しい人生観と世界観と宇宙観をその時代に固く立ててから逝かなければならなかったのですが、そのようにできたでしょうか。イエス様の人格観は、どのようなものだと明確に言えますか。漠然としています。「私がこれこれこのような理念をもってきて、この地を支配した」と語ったでしょうか。「時と環境を整理して、これこれこのように支配した」と語ったでしょうか。語ることができませんでした。まるで敗北者のように消え去ったイエス様なのです。

イエス様はこの地上に来られて、三年間語られました。しかし、その本当に成したかったみ言のうち一つも成し遂げられませんでした。三年間引っ張って歩いた弟子たちは、どうなったでしょうか。のちにみな不信しました。三年間あらん限りの精誠を尽くし、血肉を削って喜怒哀楽を共にしながら育ててきた弟子が、そのような有様でした。師は師なりに進み、弟子は弟子なりに進んでいったのです。結局、イエス様はすべてを残して逝ったのです。

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死の場で唯一の新婦の立場に立った右の強盗イエス様の時代において、どちらがカインで、どちらがアベルでしょうか。国について見れば、イスラエルがアベルでありローマがカインです。本来イスラエルの国とイエス様が一つになっていれば、ローマを四十年間で屈服させることができました。死んだイエス様が四百年で屈服させたのを見ると、イエス様が生きていらっしゃるときに一つになっていたら、四十年で完全に屈服させて征服したはずなのです。しかしイスラエル民族は、イエス様と一つになれなかったので、これを成し遂げられなかったのです。

イスラエルの国が反対すれば、ユダヤ教がアベルになり、イスラエルの国はカインになるのです。またユダヤ教が反対すれば、ユダヤ教がカインになり、イエス様の氏族がアベルになるのです。しかしその氏族も反対することによって、イエス様の氏族がカインになり、イエス様の家族がアベルになるのです。ところが、家族たちまでも反対しました。

ではカインとアベルは、どこで探さなければならないのでしょうか。カインとアベルを復帰しなくては、イエス様の立つ位置がありません。父母の位置に上がることができないのです。これは原理原則なので否定できません。

イエス様の親や兄弟姉妹もイエス様を捨て、また十二弟子、そのうち三弟子までもがみなイエス様を捨てて逃げてしまいました。イエス様が十字架で亡くなるとき、イエス様を中心として右の強盗と左の強盗が争いました。このみ言をよく聞かなければなりません。イエス様は父母の立場なので、イエス様を中心としてカインとアベルを復帰しようとすれば、カインの立場にある人がアベルの立場にある人に屈服しなければなりません。ここで右の強盗はアベルの立場であり、左の強盗はカインの立場です。

そうして十字架にいるイエス様を前に争うのです。すなわち父母の位置を復帰できるか否かの戦いが起きたのです。まず左の強盗がイエス様に向かって、「おい、うわさになって大騒ぎしたと思ったら、手首に釘を打たれたのか。おれとどこが違うというのか。お前はキリストではないのか。それなら自分を救い、またおれたちを救ってみろ」と言って非難しました。

そのとき右の強盗が左の強盗に向かって、「おい、こいつ、おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。当然おれたちは死ぬべき罪を犯したのだから、それに対する報いで死ぬのだが、イエス様はその行いが正しくないものはない」と叱責したのです。もし右の強盗がイエス様を証しながらここで後退していたら、イエス様は復活することができなかったはずです。

イエス様は家庭をもてなかったので、家庭的な基盤を築くことができませんでした。けれども右の強盗が最後までイエス様の味方に立って、左の強盗の陣営を押さえつけたので、アベル的な立場でカイン側を屈服させたという条件を立てたことになったのです。したがって復帰したという条件は立てたのですが、これは霊肉を中心とした復帰の基盤ではなく霊的な復帰の基盤だったのです。

そこでイエス様は、自分を証する右の強盗の立派な信仰を見て、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・43)とおっしゃいました。ここで初めて霊的な世界を中心とした楽園に入ることができるようになるのです。これは霊肉を中心とした地上で起きることではありません。ですからキリスト教は、地上の楽園ではなく、霊界の楽園を中心として歩んできているのです。

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三、イエス様の十字架での愛とその遺産民主、共産、イスラーム圏に分かれた背景イエス様を中心として見ると、右の強盗と左の強盗、バラバがそれぞれ種を蒔きました。歴史がこのように蒔かれ、蒔いたとおりに刈り入れられるのです。最初に現れたのが、右の強盗型と左の強盗型である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏です。その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラーム(イスラム教)圏です。イエス様によって恩恵を受けられるようになったバラバ型のイスラームは、キリスト教の旧約を中心として出発しました。

このように蒔かれた歴史は、世界の形態が三大陣営に結束する時代の運勢に入るようになりました。アラブ圏のナセル(一九一八~一九七〇、元エジプト大統領)は、イスラーム圏を統合してアラブ統一国家を夢見ました。それに備えてキリスト教は今、「すべての宗教を統合しよう」という世界的な新しい趨勢に入りつつあります。このような世界的な傾向を見つめるとき、悲運によって植えられた歴史が、ついに神様を中心とした善の結果として現れていることが分かります。

歴史の終末時代になれば、これが露骨になり、初めに蒔かれたものをこの時に結実したそのままの形で刈り入れられるようになるのです。これは摂理の法度によって現れざるを得ない、不可避的な傾向なのです。

民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的なのです。それゆえ、今後メシヤは、神様を尊重する民主世界の内的基盤の上に来られて、外的な環境圏を吸収して、キリスト教文明圏を中心として統合する運動をしなければなりません。最後には、このような運動が起きるのです。このようなことは、偶然とばかりは言えません。そのような動機が植えられたので、そのような結果がもたらされたのです。

右の強盗の功労十字架で亡くなったイエス様について見ると、殺人強盗である右の強盗がイエス様と共に逝きました。もし右の強盗がその場にいなかったとすれば、イエス様は地に対して、人間に対して関係を結べる何の因縁もなかったでしょう。けれども右の強盗が死ぬ立場でイエス様の味方に立って、イエス様を擁護しました。人間歴史においてイエス様の味方になった最後の人は誰でしょうか。ペテロでもなく、イエス様の親でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。ただ一人、右の強盗でした。

死の場で自分の事情を通告し、死を越えて全面的にイエス様の前に希望をかけた、ただ一人の人がいたのですが、その人が右の強盗なのです。もし右の強盗がいなかったとしたら、イエス様が再び復活して、地上の摂理の因縁を再開させることはできないという事実を皆さんは知らなければなりません。

四千年の歴史を締めくくり、三十年余りの生涯を締めくくるその場において、人間が初めて一つの生命でもイエス様と因縁を結び死の道を共にしながら、そこでイエス様を希望の主体として迎えることのできた人が右の強盗でした。彼が中心になっているという事実は、彼が使徒たちよりもましだということを物語っています。ペテロよりもましなのです。

なぜなら右の強盗は、内容は知らなかったとしても死ぬ立場で命が尽きるまで、イエス様に侍り得る方向性を備えました。しかしペテロやヤコブのような十二使徒は、内容を知り方向性を備えると誓った者たちでありながらも、方向性を備えられませんでした。それゆえ右の強盗が、人類歴史上において地に代わって、未来を再起させ得る中心的な存在になった事実を、皆さんは知らなければなりません。

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従順の道理を教えられたイエス様この地上で権勢を握っていたサタンは、神様の栄光を自分たちで享受してきたのであり、また神様が主管すべき人間を主管してきました。このように人間は、サタンの圧迫のもとで生きてきたのです。ですからイエス様は、この地に来られて、まず反対する人よりも、人をしてイエス様に対して反対させる霊的なサタンと対決しなければなりませんでした。このような闘いからキリスト教の歴史が始まったことを知らなければなりません。

ではサタンの本質と対決するために現れたイエス様は、彼の生活圏内において、まず何を表示して現れたのでしょうか。サタンができないことをしなければなりませんでした。このような責任を完遂するために、彼が生活圏内で実践的な行動を提示したのが、今日のキリスト教の福音なのです。

み言も、彼の心も、彼の生活も、彼の生涯も、彼の死までも、サタンができない条件を探し立てるためのものでした。このようなイエス・キリストの生涯路程を皆さんは知らなければなりません。天理法度が厳然としてあるので、言い換えれば、法度を中心としてすべてを治める神様がいらっしゃるので、イエス・キリストは、この天理法度によってサタンを分立したのです。

サタンの本質は、驕慢と血気です。このような性質によってこの世の人に対するサタンでしたが、イエス様は温柔と謙遜によって、この世の人の前に現れたのです。

イエス様は、愚かさから、温柔、謙遜な立場に立ったわけではありませんでした。どこの誰よりも最高に高くあり得る栄光を享受することができたのですが、イエス様はこれをすべて捨てて、温柔、謙遜な立場に立たれたのです。サタンは、このようなイエス・キリストと対決し闘おうとしましたが、サタンには、神様の前に屈服しなければならない条件があることを知っていたので、イエス様は最後まで温柔、謙遜であられたのです。それで、サタンの本質である驕慢と血気とは反対の温柔、謙遜をもって現れたのです。

また、厳然として天理法度があることを知っているサタンなので、ついにイエス・キリストを認めるようになったのです。すなわち言うなれば、温柔と謙遜をもって進めば、サタン世界も自然屈伏するのです。このような原則を知っていらっしゃるイエス様は、サタンができない温柔、謙遜の立場を取ったのです。このように温柔、謙遜な立場に立ってこそ、中心を通して役事する神様に行く、新しい道を開拓し得ることを皆さんは知らなければなりません。

また、イエス様は何を見せてくださったのかというと、従順と服従です。従順とは応じ得る環境で命令に従うことであり、服従とは応じられない環境で従うことです。イエス様は、不信する人々にこのような従順と服従の道理を教えてくださいました。これもまた、サタンの本質、サタンのすべての生活的な要素を遮るためのものです。

サタンは自分を中心として、人がどうしようと関係しない存在です。これがもう一つのサタンの本質です。それゆえ、サタンのあとを追えば、不幸になるのです。それでイエス様は、すべての人間が自分を信じ、自分に従順に従い、天に従うように教えられたのです。人々は、そのようなイエス様のみ意を知らず、かえってイエス様のことを神様のみ旨の前に不義なる人だと思いました。このような立場で、言葉では表し難い蔑視と迫害を受けながらも、イエス様は従順の道を開拓していったのです。

またイエス様は、犠牲と奉仕の精神をもって現れました。実際のところ、天の栄光に代わって、神様のひとり子としてこの地に来られたイエス様は、万民と万物、サタンまでも主管し、彼らの犠牲と奉仕を受けるべき立場でしたが、その反対の立場に立たれたのです。サタンがイエス様御自身の前に従順に従い、奉仕し犠牲になるようにするために、すなわちこのようなサタンのすべての勢力を屈服させるために、イエス様は、無限の犠牲と奉仕の供え物を捧げる路程を歩まれたのです。これを知らなければなりません。

サタン世界は、人に対してもあるいは被造物に対しても、無限に利用して搾取しようとするのですが、イエス様はその反対の立場を取りました。このようにサタンができない生活をイエス様は代表的にしたのです。すなわち、温柔、謙遜であり、従順に従い、服従し、犠牲と奉仕の生活をされたのです。ですからサタンも、そのような面では屈服しなければなりませんでした。

我々は自分を、イエス様が教えられた温柔と謙遜、従順と服従、犠牲と奉仕に照らしてみて、彼の教えを自分の生活圏内で実践できていないと思うならば、いまだにサタンの一族であることを悟らなければなりません。

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心情を吐露しきれなかったイエス様聖書について、研究に研究を重ねるその目的とは何でしょうか。私たちの主、イエス様はどうだったのであり、イスラエル民族の救い主であるモーセはどうだったのであり、家庭的救い主であるヤコブはどうだったのであり、個人的救い主であるアブラハムはどうだったのか、ノアはどうだったのか、アダムとエバはどうだったのかを知るためです。それが正に、頭を抱えて悩む信仰の道です。

人生の根本問題は、どこで解決されるか分かりますか。今日の科学文明を通じて形成されたこの世界観を、うまく説明するところから解決されるのではありません。実証的な論理を立てて、実証的な価値を論じるところから人生の問題が解決されるのでもありません。原点に立ち返らなければならないのです。失ったものを取り戻すには、失った所に行ってこそ取り戻すことができるので、その場所に立ち返らなければなりません。

立ち返るためには、聖書のみ言だけを通して立ち返ってはいけません。聖書のみ言の内幕に隠されている骨髄の心情を通して立ち返らなければなりません。これが道人たちの求めていくべき道なのです。

二千年前に来て亡くなられた、イエス様の心情を通して立ち返ろうというのです。そのイエス様はどのような方だったのでしょうか。四福音書に語られているそのイエス様では、あまりにも足りません。あまりにも不十分で足りないのです。話をされたイエス様の背後、言いたくても言い表せなかったその心情を知らなければなりません。

孤独な身でも、ローマを征服しようとする心情を抱いて見つめたイエス様の胸には、しみ込んだ怨恨の心情、罵倒したい心がどれほどあったでしょうか。しかしイエス様は、語ることができませんでした。一言も言えなかったのです。

本来、イエス様は、十二弟子、あるいは何千人の群衆を連れて回りながら、社会の反逆者、時代の反逆者として訴えられなければならない物悲しいイエス様ではありません。もしイエス様が世界的な反逆者として訴えられる立場に立ったとしても、全世界が動員されて殺されるような立場に立ったとしても、イエス様は死ななかったでしょう。

ところが、イエス様は路地裏を歩きながら、あっちの路地から追われれば、こっちの路地へと避けて回っていた立場で、そのみ言に、イエス様の理念と心情がすべて吐露されているのでしょうか。とんでもないことです。それをもってしては、イエス様が語られたみ言は理解できたとしても、言いたくても言えなかったイエス様の内密の心情は理解できないのです。

イエス様の悲しみと神様の悲しみ天の恨を解くために来られたイエス様は、幸福をもって現れることができず、自由をもって現れることができませんでした。彼は神様の前に最高に善なる立場にありながらも、罪人の中の罪人のように現れたのです。これほど悲しいことがどこにあるでしょうか。

全天上が歓喜し得る天の王子であるにもかかわらず、地上では踏まれる王子であり、迫害される王子であり、消え去っていく王子のように生きられたイエス様の悲しみ以上の悲しみはないのです。

自己の威信や自己の身の振り方、そして受けた使命を成し遂げられず、逆境にぶつかり言葉なく消え去っていったイエス様以上に悲しい者が、どこにいるでしょうか。イエス様は四千年間、天が苦労して選民に選び立てたイスラエル民族に排斥されたのです。摂理のみ旨に従わせるために、長い間愛してこられたユダヤ教団に迫害されました。

それだけではありませんでした。愛する氏族に追われ、愛する弟子に追われたのです。このとき、もしイエス様が人間的な恨をもったとするならば、彼らを呪うことしかできなかったでしょう。民族のために来たのに教団から裏切られ、氏族や親戚、あるいは選ばれた者たちのために来たのに、彼らからも裏切られた立場だったのです。

このような立場でイエス様が、怨恨を抱いて彼らに対して呪おうとするなら、言葉では表現し切れない呪いとなり得たことでしょう。それにもかかわらず、イエス様はむしろ歴史路程を経てきながら、被ってきた彼らの悲しみの恨をつかみ、自分を忘れて心配しなければならなかったのです。このようなイエス様の事情を知らなければなりません。

イエス様が天国建設の王子だと思ったのですが、そうではありません。それはのちにすることです。イエス様はこの世のすべての悲しみを取り除くために、数多くの預言者や烈士が善を願い、み旨を願ってきた歴史路程の哀切な心情、身にしみた怨恨の心情を体恤して現れた、歴史を代表した悲しみの王子でした。

暗闇の世界で、サタンの主管下で呻吟し、行き先も分からず、苦痛の中にいる世界人類に代わって、彼らのすべての荷を背負わなければなりませんでした。内的には悲しみの心情に責任を負い、外的には苦痛の荷に責任を負い、これをサタンの前で解決し、天の前に勝利の土台を立てるべき悲しみと苦痛の王子だったのです。

そしてそのようなイエス様がこの地に来られて、人間のためにそれほどまでに悲しみと苦痛の中で生きる姿を見つめる神様の心情は、イエス様の悲しみ以上、イエス様の苦痛以上、イエス様が感じる恨めしさ以上の恨に徹していることを知らなければなりません。

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神様に対するイエス様の愛・忠誠・忍耐イエス様はいくら血を流す立場、悲しみと苦痛に受ける立場、恐怖にとらわれる立場に置かれていたとしても、その中心だけは変わりませんでした。もし天の理念を引き継いで、地上に一つの不変の道を開拓する全体的な使命を担当すべきイエス様が、そのような環境で中心が変わったとしたなら、勝利的な天倫の役事は始まらなかったことでしょう。

イエス様は困難な環境、希望が途絶えた立場、サタンから讒訴される立場でも、そのすべてに打ち勝って乗り越え、勝利的な天倫の道を開拓していったのです。

イエス様は、このような道を開拓するために、歴史上になかった愛を強調したのです。そしていかなる困難な環境にぶつかっても、その環境を克服するためには忍耐心をもたなければならないと主張し、罪人が悪に対して忠誠を尽くす以上に、神様のみ旨のために忠誠を尽くさなければならないと語られたのです。これがキリスト教でいう御霊の九つの実(ガラテヤ五・22、23 参照)の根本です。愛の生活をするようになれば喜びと平和が生まれ、忍耐(寛容)を通しては慈愛と善意が生まれ、忠誠(忠実)の生活をすれば柔和と謙遜(自制)が生まれるのです。

イエス様は堕落圏内にいる人間のすべての悪の要素を除去するために、天的な愛と天的な忍耐、天的な忠誠を強調したのです。これらが天国の理念を達成し得る実践的な理念なのですが、今日、皆さんの心にこのようなキリストの愛がありますか。また忍耐と忠誠心がありますか。イエス様は神様の心情に代わって現れた愛の化身体であり、悲しいゴルゴタの道でも万民の苦痛を心配された忍耐の主人公であり、歴史上の誰よりも天に対して忠誠を尽くした忠誠の代表者でした。

それならば、このようなイエス様の愛、忍耐心、忠誠心の起源はどこにあるのでしょうか。これらは、イエス様自身が起源ではありません。ただイエス様は、その神様の愛を人間につなげる仲保の役割をされるのです。無知な人間を救うために来られたイエス様は、神様の愛の化身であり、神的な価値の実体でした。

それならばイエス様は、どのようにして歴史上になかった神様の愛を表すことができたのでしょうか。彼は神様とみ旨のために、そのすべての困難を克服でき、自分の生命までも捨てることができました。ですから、イエス様に神様の愛が臨むことができたのであり、歴史上初めて神様の愛を直接再現することができたのです。

イエス様はこの地に来られて、神様の愛を探し求めるとき、論理的な面を前面に出したのではありません。イエス様は、愛に対する定義や愛に対する論理を語りませんでしたが、愛の実践的な面において歴史を代表したのです。イエス様は、自分が感じることができず、行動できないことは語られませんでした。イエス様は、実践的な行動を通してのみ、神様と永遠なる関係を結べることを知っていたからです。

では、このようなイエス様の実践的な愛は、どこから生まれたのでしょうか。イエス様自身から生まれたのではありません。神様の内的心情を探ることができたので、イエス様はそのような内的心的基準を立てることができたのです。これを私たちはよく知りませんでした。

では神様の愛とは、どのようなものなのでしょうか。今日この地上の人は、千万回裏切り、変わるかもしれませんが、神様は、そのようなことはできないのです。神様の愛は永遠不変なのです。このような神様の愛の心情を人は知らなかったので、人間は互いに裏切り合って不信してきたのです。

では神様の忍耐心は、どこから生まれたのでしょうか。神様が闘争の歴史を経てこられたのは、愛を成すためでした。また悪に対して限りなく耐えてこられたのは、善の生活理念を立てるためでした。すなわち、一人の人間を立てるための変わることのない天理、法度の基準を立てて六千年を忍んでこられたのです。

神様はこのように真のみ旨を成し遂げるために、御自身と同じ人、全体の価値に代わり得る人を探すために、人間が神様に対して忠誠を尽くす前に、先に神様が人間に対して忠誠を尽くし、限りなく忍耐してこられたのです。

したがって天倫を中心として運行なさる神様と、そのみ旨を成就するために限りなく人間に対して忠誠を尽くしてきたその事情を体恤しなければならず、このみ旨を立てるために限りなく犠牲になってこられた神様の心情、また未来の理念を立てるために限りなく御自身を超越なさった神様の心情、限りなく与えようとなさる神様の愛の心情を体恤しなければなりません。また自分のいかなる主義、主張、自分のいかなる観念をもってしても、神様の前に立つことができないことを知らなければなりません。

無限の愛を与えるために、四千年間忍んで神様の愛を受ける者は誰だったのでしょうか。そのような者は、イエス様しかいませんでした。これを知っているイエス様は、孤独なときもその愛を感じながら、神様の前に感謝することができたのです。

そして四千年間悲しまれ、四千年間闘いながら耐えてこられた神様であることを知って、その忍耐心の価値の結果を表すことによって、サタンの前に誇り得る一人の人格者は、どこにいたのでしょうか。やはりイエス様お一人しかいませんでした。そうして自分を通して人間の行くべき道を導くことを願われる神様の願いを担い、神様に代わって忍耐し、独り天倫の道を行かなければならなかったイエス様は、悲嘆に暮れたのです。これを知らなければなりません。

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イエス様が立てられた愛の基準イエス様は宇宙的な人生の価値を実現するために、何を打ち出したのでしょうか。イエス様は愛を打ち出しました。すなわち、宇宙的な人生の価値を天地において完結させるために新しい福音を伝えましたが、その福音の中心が正に愛だったのです。

個人が自分の一身の人生を永遠なる価値の基準に結びつけ得る最も重要なものとは何かといえば、イエス様が語られたように、人のために自分の生命を捧げられる愛なのです(ヨハネ一五・13参照)。実際にイエス様は、自分自身のための愛ではなく、人を自分以上に愛することに人生の価値基準を立てられたのです。

このように天的な全体の人生の価値を代表して現れたイエス様は、人間に自分の個体の救いのためには、人のために命を捨てることのできる愛を所有しなければならないと教えられたのです。自分のための愛よりも同僚のための愛、同僚のための愛よりも世界のための愛、世界のための愛よりも神様と霊界にいる千万の聖徒たちのためにも生きる愛をもって現れた方が、イエス・キリストであることをはっきりと知らなければなりません。

イエス様は自分の人生の価値を求めるための個体的な観念、あるいは個体的な愛をもって生きられた方ではありません。イエス様は友を愛されるときも、単にその友人関係だけで愛されたのではありません。その裏には世界の代わりに愛するという観念をもち、また神様の代わりに愛するという気持ちで愛されたのです。

このようにイエス様の愛は、一対一の関係ではありませんでした。イエス様がいかなる個人を愛したとしても、そこには神様の愛が内包されており、宇宙的な愛が内包されており、個人的な愛が内包されていたのです。これを体験する皆さんにならなければなりません。そのような皆さんになってこそ、イエス様の人生の価値を正しく知ることができるのです。

それならばイエス様は、自分の人生の標準をどの基準まで立てたのでしょうか。世界のために自分が存在するという基準を立てたのです。イエス様は自分を犠牲にしながら、友を愛するときにも、その裏には世界のために愛するという観念をもっていらっしゃったのです。

イエス様が十字架上で世界的な救いの愛の基準を立てることができたのは、個人のために死ねると同時に、全体のためにも死ねる犠牲と愛の心があったからです。このようにイエス・キリストが、愛と生命と人格の主人公であったことを知らなければなりません。単にそれだけではありませんでした。

イエス様はそのとき天に向かって、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)と祈られたのです。このように死の峠を越えて、父のみ意のままにのみ生きることを願われたイエス様であったので、神様の愛を人間に紹介することができたのです。このようにイエス様の路程には、驚くべき愛が内包されていることを私たちは知らなければなりません。

また宇宙的な生命を復帰する使命をもって来られたイエス・キリストが、人生の価値を求めるために打ち出したものとは何だったのでしょうか。それもやはり愛でした。その愛は、人間個々人のためのものではなく、世界のためであると同時に、神様のためであり、永遠なる世界、すなわち霊界にいる霊人たちのためにも生きる愛だったのです。

それならば、今や全体復帰の人生を成し遂げなければならない私たちが、一日一日の生活で神様の愛に代わるイエス様の人生の価値を実現するためには、いかなることにぶつかってもその日、その時間に感じる感情だけで対してはいけません。宇宙的な全体の性稟に代わったイエス・キリストの人格の代わりをしようという覚悟と決心で、すべてのことに対さなければならないのです。そのような一日一日の生活を経てこそ、世界的な人生を完結でき、永遠なる人生と関係を結べるのです。

言い換えれば皆さんの一日一日の生活というのは、皆さん自体だけに及ぶ瞬間的な生命の価値をもっているとするならば、永遠とは関係を結べないのです。それゆえ、永遠無窮なる神様の愛と関係を結ぶ生活をしなければならないのです。そのような時に、永遠なる神様が皆さんと共にあるようになるのです。

そしてイエス・キリストが、一生の間、毎日、神様と関係を結びながら生きたので、イエス様は亡くなったとしても、イエス様を通して成そうとされた神様のみ旨はずっと成し遂げられてきたのです。

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二、十字架の贖罪を中心としたイエス様の心情と事情父を慰められたイエス様イエス様は宇宙的な使命をもってこの地に来られましたが、一生の間、苦難を受けられました。しかし、その悲しみのために祈るのではなく、かえって心を痛めて心配なさる父を慰められました。そうしながら地を眺めて、人間の無知を容認してあげるために苦しまれたイエス様だったのです。

しかしイエス様の生涯は、三十余年の涙の生涯にだけ終わったわけではありませんでした。彼は神様の代わりに苦労をしてきたので、死のうが生きようが父のみ旨だけを栄光となるようにしてあげようという思いをもって生きました。イエス様は神様がたとえ分かってくださらなくても、地上の人間が分かってくれなくても、そのようなことにはかかわりなく、み旨のために生きられたのです。

み旨を完全に成し遂げようとして来られたイエス様でしたが、十字架に亡くなることになったからといって、腐心や失望はしなかったイエス様でした。死の場まで行っても、イエス様は自分について弁明しませんでした。ピラトの法廷を通過し、ゴルゴタの山頂を経て十字架に釘付けにされて亡くなる立場まで行きながらも、イエス様は弁明しなかったのです。弁明しなかった主人公でした。

人間があのように反対するのも、自分の責任であると感じられたイエス様でした。イエス・キリストを信じている私たちは、誕生されたイエス様から、生きられたイエス様を経て、逝かれたイエス様の友とならなければなりません。

イエス様は何と友になったのかというと、生と友にならず、死と友になられた方でした。歴史過程で数多くの人々が死の道を行きましたが、万民の死に代わって死の友になり、万民に代わって亡くなった方は、イエス様だけだったのです。

それゆえキリスト教というのは死と犠牲の宗教であり、キリスト教の真理は死に勝つものです。またイエス様の活動は、自己の一身を破壊させることでした。その一方で恨むことなく愛するイエス様の行路だったことを、皆さんは認識しなければなりません。

イエス様は死の友だったので、死を早めるときにも死を意に介しませんでした。怨讐のために死ねる余裕の生涯を生きたことを、皆さんは知らなければなりません。

のちには十字架にかかったイエス様を、神様までもが「知らない」としました。そのときイエス様が、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七・46)と叫びましたが、これは願いが絶望に帰し、生涯のすべてが水泡に帰すかもしれないので叫ばれたのではありません。

自分の死によって、父のみ旨を成し遂げて逝けなかったことを心配して叫ばれたのです。イエス様は自分としては果たすべき責任を果たしたので、父が自分を天国に送ろうが地獄に送ろうが意に介さなかったのです。死の友になるべき立場にあったイエス様は、死ぬことに満足し、死ぬことで自分の使命を完遂しようとしたのです。

イエス様は宇宙的な愛をもって来られましたが、それを知った者はいませんでした。このように驚くべき恩賜をもって来られたのですが、いったん死の友になるために乗り出したからには、何の未練ももちませんでした。天の願いを果たすために来られたにもかかわらず、そのような存在として対してくれなくても、反駁したり恨んだりはしなかったイエス様であったのです。

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ゴルゴタの友となるべきだったペテロと十二弟子イエス様が死ぬときに抱いたその悔しさとは、何だったのでしょうか。選ばれたユダヤ教がイエス様の胸を痛め、選ばれた民がイエス様を釘付けにしたのです。これが悔しく恨めしいことでした。このようなイエス様は、自分の悲しみが大きかったけれども、四千年間、血の涙の祭壇を築く過程を歩んでこられた神様の事情を考え、四千年間選んで育ててこられたユダヤの民であることを考えるとき、自分の死も忘れて彼らのために祈ることができたのです。

もしイエス様が手を挙げて祈れなかったならば、ユダヤの国が先に審判を受けたはずであり、ユダヤ教徒が先に審判を受けたはずです。死んでいく自分の足跡を追って越えてくることを願いながら、恵みを与えて逝かれたイエス様であることを知らなければなりません。

イエス様の血と肉と共に動くべき群れが正にユダヤ教徒であり、ユダヤの民でなければならなかったのですが、それができませんでした。ゴルゴタの友にペテロがなり、十二弟子がなっていたら、天の恨はなかったはずです。そうなっていたなら、イエス様は死ななかったはずです。

もし十二弟子が団結して、イエス様の死に対して共に死のうと思っていたなら、奇跡が起きていたことでしょう。そうなっていれば、イエス様は死ななかったのです。

ところが三十三年間、選ばれた民族を見つめて悲しまれたイエス様、三年の公生涯の期間に、この地の人類のために泣かれたイエス様、そのイエス様に希望をかけた民族はどこへ行ったのでしょうか。期待していた教会は、どこへ行ったのでしょうか。三年の公生涯の期間に、喜怒哀楽を共にしながら従っていた弟子たちは、どこへ行ったのでしょうか。彼らは自分たちがうれしく楽しいときには、「私はイエス様の友であり、イエス様の弟子である」と言いました。誰よりもイエス様の立場に立とうとしました。しかし最後に至っては、イエス様の行く道とは何ら関係のない立場に立ったのです。

だとすれば、イエス様の恵みは誰が受けたのでしょうか。付き従っていた十二弟子でもなく、天を信じていたユダヤ教徒でもなく、祝福され選び立てられたイスラエルの民でもありませんでした。十字架上で共に血を流しながら死んでいった右の強盗が歴史的な祝福を受けて、一番弟子よりも先に楽園に臨みました。

この事実が悲劇中の悲劇なのです。もし殺人強盗のうち一人でも、イエス様の死の日に共にしなかったとすれば、救いの摂理は挫折していたのです。殺人強盗の流れた血が、イエス様の心情に代わって、地上に福地、楽園を建設する条件を天運とともに立てることができたので、イエス様は復活して地上に再び現れ、不信した民に接することができたのです。

そしてイエス様一人を死の場において新郎として迎えた人がいたので、その基台によって善の実が必ず地上に現れることでしょう。イエス様の代わりに現れるのです。

サタンの勢力がいくら強くても、善を打つにおいて、その善の種の中身まで打ってなくしてしまうことはできないことを知らなければなりません。善のための犠牲と死の立場に立つだけではなく、その善をつかんで倒れる忠節の人がいるとするならば、倒れたその一人によって、何倍にも善が繁殖していくということを知らなければなりません。これが鉄則です。

その当時、反対した人々は、イエス様を十字架で処刑すれば滅びるものと思っていました。イエス様に従う群れが一人もいなかったので、サタン圏では、すべて奪ったものと思ったのです。ところが死んだ右の強盗を条件として、復活の役事を起こしたことを、今日のキリスト教徒は知らずにいます。

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十字架で亡くなったその立場は、すべてを失った立場それならば、いつ十字架で亡くなることを決定したのでしょうか。ルカによる福音書第九章30節には、「すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである」とあります。変貌山上で決定したのです。

なぜならユダヤ教が反対し、イスラエルの国があのようになり、洗礼ヨハネまでみな反対する立場に立ったので、もはやみ旨を成し遂げる土台はすべて崩れてしまったのです。それゆえ、神様もやむを得ず二次的摂理を中心として、霊と肉を中心に地上天国と天上天国を完成しようとするみ旨を捨てて、肉的世界は切って霊的救いの世界のみを立てるために十字架の道を与えたのです。もし彼が十字架で亡くならなければ、(霊肉)両面共に失ってしまうのです。やむを得ず一つの分野でも残すために、イエス様を十字架に渡さざるを得なかったということを皆さんは知らなければなりません。

もし洗礼ヨハネとユダヤ教徒とイスラエル民族がイエス様を信じていたら、どうなったでしようか。イスラエル民族は、イエス様と一つになって団結していたでしょう。そうなっていたら、そのときにアラブ圏までイエス様と一つになるのです。そうしてローマに対抗し、四十年以内にローマを天の側にすべて引っ張り込んだのです。死んだイエス様が、四百年でローマを征服したのですから、生きたイエス様を中心とすれば、四十年以内に天の国の憲法を宣布するのです。

そうなれば、今日のプロテスタントとかカトリックとかはないのです。すべてイスラエル民族の立場としてみ旨が成就していくのです。そのようになっていれば、イスラエル民族はあのように中東で悲惨に滅びなかったはずであり、キリスト教徒たちが悲惨に血を流さなかったという結果になっていただろうと思います。王権を統一して、キリスト教が世界を動かせるようになるのに、誰が捕まえて殺すでしょうか。

そのようになっていれば、世界は既にイエス様の意のままに天の国ができていたのです。世界は一つになっていたのです。主が再び来る必要もないのです。何をしに来るのですか。キリスト教はこのことを知らなければなりません。

それゆえイエス様が十字架で亡くなったその立場は、神様とイエス様がすべてを失った立場であることを私たちは知らなければなりません。十字架は神様の勝利ではなく、悪魔サタンの勝利なのです。神様の息子を捕らえて釘付けにした立場なのです。

それゆえ十字架でイスラエルの国を失い、ユダヤ教徒を失い、世界の歴史を失い、使徒たちをみな失ったのであり、最後には右の強盗までも死んでいなくなったのです。そこにはキリスト教がありません。キリスト教の出発はないのです。すべてを失ってしまったのです。

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イエス様の十字架は第二次の摂理イスラエル民族の前にメシヤが来た目的は、サタン圏をたたきつぶして人類を神様の前に取り戻すことでした。それにもかかわらず、サタン主権と人類をそのまま残して十字架の道に行くイエス様は、ゲッセマネの園で血のにじむ闘争の祈祷を捧げざるを得なかったという事実を皆さんは知らなければなりません。

イエス様は自分の意思で十字架に行く場合には、四千年間準備したイスラエルの国が滅び、ユダヤ教徒が滅び、洗礼ヨハネや彼の使徒たちが天に負債を負うことをよく知っていたので、談判祈祷をせざるを得なかったという事実を知らなければなりません。

イエス様は肉と霊を中心として、霊的世界はもちろんのこと実体世界でも、神様の王権を回復するために来られました。ところがイスラエルの国の土台がなくなり、ユダヤ教の土台がなくなって、イエス様一人ではできないので、十字架で死んででも第二次の希望の道を開拓せざるを得なかったのです。国が反対し、教会が反対して、十字架に行く道しかなかったので、神様もやむを得ずひとり子を十字架に差し出さざるを得なかったのです。

その四千年の基盤の上に送ったメシヤが十字架で亡くなったことは、神様の絶対予定の中で死んだのではありません。サタンに引きずられていき、十字架で亡くなったのです。十字架はすべてを失った立場であることを知らなければなりません。国を失い、教会も失い、洗礼ヨハネも失った立場です。そこは十二使徒もみな裏切った立場であり、その後、右の強盗までも死んでいった立場であることを知らなければなりません。誰一人としてイエス様の味方に立った人や、天の側に立った人がいない、すべてを失ってしまった立場だったことを知らなければなりません。

民族と教団を失ったイエス様には、これを再び収拾すべき二次的な路程が残っていました。その二次的な路程を行くためには、神様が四千年間苦労された内的な因縁と、教団と民族に残った外的な因縁を決定しなければなりませんでした。このような使命がイエス様にあるにもかかわらず、彼の弟子たちはそのことを全く知りませんでした。その無知な者たちに何が分かるでしょうか。イエス様が、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ一六・12)と語られるとは、どれほどもどかしかったことでしょうか。これは、どれほど物悲しい言葉でしょうか。

イエス様の行く道は、民族の前に追われる道であり、苦難の道であり、迫害の道であり、イスラエル民族を再創建する道でした。神様がイスラエルの国を立て、ユダヤ教団を立てるために四千年間苦労されたその苦労を、短期間のうちに条件だけでも備えて蕩減すべき責任が残っていたにもかかわらず、栄光ばかりを望む弟子たちしかいなかったのです。

ですからイエス様は、やむを得ず一人で天と地と歴史的な因縁に責任を負い、十字架の前に向かったのです。その地上に立てた民族が責任を果たせなかったこと、立てた弟子たちが責任を果たせなかったことを代わりに責任を負おうと踏み出した歩みが、ゲッセマネの園からゴルゴタの山頂までの歩みであるということを、私たちは知らなければなりません。

十字架にかけられていたイエス様の悲しみが、どれほど大きかったかを考えなければなりません。イエス様が亡くなる直前に、全地に暗闇が臨みました。イエス様が十字架にかかって、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七・46)と言われました。神様に捨てられたのです。どれほど悲惨でしょうか。

四千年間それほどまでに摂理を率いてこられながら、天の国がこの地に立てられることを待ち焦がれて送ったメシヤが亡くなるその時間は、神様までも十字架から顔を背けなければならなかったのです。神様の王子として来たイエス様が、どうして「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という、悲運の言葉を残さなければならなかったのでしょうか。これは人類歴史の汚点です。歴史的汚点なのです。

今日、世界中に散らばる数多くのクリスチャンたちが行くべき道とは、どのような道でしょうか。イエス様がゴルゴタの山頂で残された恨を清算するために、涙と血と汗を流さなければならないのです。イエス様が十字架を背負ってゴルゴタの山頂に登るとき、その後ろをついてきた女性たちが涙を流すのを見て、「わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」と言われました。

もっともな言葉です。「私の涙は人類に残る。私が行く十字架の道は、これで終わるわけではなく、歴史的な十字架の道になる」ということを予告なさったのです。「私が個人的に行くならば、私の責任は終わるが、私が行ったのちにあなたたちの責任は残るのだ」というのです。したがって個人的な責任、家庭的な責任、氏族的な責任、民族的な責任、国家的な責任、世界的な責任、天宙的な責任が残っているので、その責任を果たすためには今後、数多くのキリスト教徒たちが涙の道、十字架の道を行かなければならないというのです。

そのような大変な十字架を背負って行くイエス様は、歴史を探り、世界を探り、あるいは過去を悔い改め、時代を批判しながら、審判の一基点を残さなければならない悔しい立場にあっても、苦労なさる神様をこの地に迎え得る一つの土台を準備するために、厳粛に黙々とゴルゴタの山頂まで行ったことを知らなければなりません。

イエス様が十字架上で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と言ったその言葉は、自分個人だけを中心として言ったものではなく、この上なく大きな使命を帯びて来たメシヤとして言った言葉なのです。「私は捨てられても構いません。しかし私と共にした数多くの人は捨てないでください」ということなのです。ペテロを捨てず、洗礼ヨハネを捨てず、十二弟子を捨てず、イスラエルの国を捨てず、今後やって来る数多くのキリスト教徒を捨てないでほしいとお願いした言葉なのです。これがイエス様の歴史的な最期の一言だったのです。

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ゲッセマネの園での祈りイエス様はユダヤの国を越え、ローマに行く道をはっきりと見つめられたのです。「もしユダヤ教がイスラエル民族と一つになったら、ローマは私の手に入ってくる」と思いながら、見つめられたのです。死んだイエス様は、四百年間かかってローマを征服しましたが、神様の息子として来られたイエス様が生きておられたとすれば、ローマが問題だったでしょうか。イスラエルを基盤として、ローマを征服することができたイエス様だったのです。これが私たちの原理であるがゆえに、そうならざるを得ないのです。

イエス様が二十歳になるころ、イスラエル民族はだんだんと疲弊していきました。ローマの圧政下に苦しんでいたのです。このように将来の希望がすべて遮られ、たそがれの道をたどっていくイスラエル民族を見つめるとき、イエス様は言うに言えない民族に対する愛に燃えました。イスラエルを前に、民族に対する愛ゆえに泣きながら、神様の前にどれほど訴えたことでしょうか。イスラエル民族は、そのようなことを知らなかったのです。ですからイエス様は、時がたてばたつほど、だんだんと焦りを感じるようになりました。

イスラエルの主権者が、イスラエルを統治して動かすべきであるという信仰をもったイエス様は、ユダヤ教を踏み越え、さらにはローマまでも踏み越えなければならないことを知っていました。イエス様は新しい人生観と新しい世界観、そして新しい理念を中心として、ローマを一度に片付けてしまうことができたのです。

四千年間、神様が苦労して準備されたイスラエルが、家庭と民族と教団が一つになれなかったので、イエス様の心の中にできた怨恨は大きかったのです。イエス様は自分の立ち得る土台がないことを嘆きました。

ユダヤ教は誰を待ち、探し求めなければならないのでしょうか。それは神様が送られた人ではないでしょうか。歴史的に数多くの先祖たちが、犠牲の供え物となって死の道を行きながら築いてきたその土台というのは、イスラエルを幸福の土台にするためのものではなかったのでしょうか。そのような民族がメシヤである自分のことを知らないのですから、それを見つめるイエス様の心情は、どれほど孤独で悔しかったかということを知らなければなりません。

イエス様は民族を愛する心が大きければ大きいほど、いらだちを感じる反面、神様がどれほど哀れな方かということを知ったのです。そのような立場でも神様を恨まず、神様を抱き締めて孝行の道理を果たそうとしたイエス様の切なる心情を知らず、四方八方どこにも彼を引き止めてくれる人はおらず、目の前に現れるものはすべて、かえって神様にとって悲しみとなるものばかりだったのです。

そのような悲しみを抱いて、神様を慰めてさしあげなければならないイエス様の事情は、どれほど不憫なものだったでしょうか!またユダヤ民族の前で追われるイエス様を見つめられる神様は、どれほど悲しまれたでしょうか!イエス様は、そのようなことを考えて痛哭せざるを得なかったのです。

イエス様はこの地に責任を負って、行くべき最後の運命の道が迫ってきたことを思い、ゲッセマネの園に行って神様の前に、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)という祈りを捧げました。この時のイエス様は、自分自身が生きるか死ぬかは問題ではありませんでした。自分が十字架の露となって犠牲になることが恨みになって神様に祈ったのではなく、神様が四千年間、イスラエル選民を探し立てるために苦労なさったことを思って祈られたのです。

苦労の道、苦難の道を歩みながら、長い間、イスラエルのために泣きながら、苦難の道を歩んでこられたその過程が、今や自分が死ねばすべてばらばらに崩れていってしまうことを知っていたイエス様は、神様が苦労された歴史的な悲しい事情を抱いて泣かれたことを知らなければなりません。

自分が死ねば、イスラエル民族が神様の前に逆賊になってしまうという事実を知っているイエス様は、死ぬ瞬間にもイスラエル民族を見つめられて、「父よ、彼らをおゆるしください」と祈られたのです。

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第五章 十字架の苦難一、十字架の贖罪と救いの限界イエス様の死の原因イエス様が亡くなったのは、何が原因だったのでしょうか。一番目はヨセフの家庭、二番目は洗礼ヨハネ、三番目は教会が誤ったからでした。これは悔しく無念なことに違いありません。

四千年の歴史を経ながら育ててきたイスラエル民族を信じて神様が息子を送ったのですが、その息子を殺しておきながら、「死ぬために来た」と言うのですか。彼らは、それしか知らないのです。

それならば神様は、何をするために、四千年間もイスラエル民族を中心として摂理をしてこられたのでしょうか。イエス様を殺そうとして摂理されたのでしょうか。生まれながら死んでもイエス様はイエス様であり、また神様の息子になるのに、何のために三十歳にもなってから、成人になってから、やかましく大騒ぎをして、追われて死ぬようにされたのでしょうか。

生まれて何もせず、そのまま死ぬようにしたらよいのに、赤ん坊の時では救い主にはなれないのでしょうか。これはいくらでも理解できることなのに、それを理解できずに信じている人たちがいるのですから、実に恥ずかしいことです。それでいながら、天国に行こうと言うのですか。

ここで語る先生は、それをすべて暴きました。イエス様が死ぬことになった一番の原因とは、どこにあったのでしょうか。ヨセフの家庭にありました。イエス様はこの地に、何を探し出すために来られたのでしょうか。家庭を探し出すために来られたのです。イスラエルの国は平穏な中にあったとしても、ヨセフの家庭だけはイエス様を中心として天の国を立てていかなければならなかったのです。そうしてこそ、イエス様が新郎として新婦を迎えることができたのです。

本来神様は、夫は天国に行き、妻は地獄に行くように創造されたのではありません。創造当時の理想の主人公たち、すなわち父と母と息子と娘が氏族を成し、民族を成し、国を成そうということでした。そうでなければならないでしょう?ところが人間が堕落したので、地獄ができてしまったのです。

このような天倫のみ旨に対してこられたイエス様は、神様が送られたみ旨を成し遂げ得る真の家庭をこの地でもつべきであって、霊界に行ってもつのではありません。

イエス様が十字架で亡くなるようになれば、数多くの弟子たちも十字架で血を流すようになっているのです。ですから天国とは、そのように血を流して死んだ弟子たちを抱いて入れる所ではありません。この地上で自分を信じて従う弟子たちに、血を流させて救うのが本来の救いの目的ではありませんでした。もとより、そのようなことをすべきだったイエス様ではなかったのです。

氏族から無視されたイエス様もし教会がイエス様に従わなくても、教会の中心となる氏族が従えば、イエス様は死なないのです。道理がそうではないですか。教会が従わず国が従わなくても、イスラエルの国の中心であり、ユダヤ教の中心となるヨセフの氏族が従っていたならば、イエス様は死なないのです。

教会と国が責任を果たさなかったとしても、氏族圏内でイエス様の家庭的土台を準備していたならば、外的にはヨセフの家庭の一派を中心としたカイン一族が現れ、内的にはイエス様を中心とした新しい天の一族が誕生したはずではないでしょうか。

そうなっていれば、イエス様の相手である新婦も決定され、イエス様の願いである四位基台を築き得る息子、娘をもち、家庭での父の立場も決定されていたことでしょう。また、イエス様が年を取っておじいさんになれば、孫ももったでしょう。そうなればイエス様の一族ができたはずではないですか。

ユダヤ教が反対し、イスラエルの国が反対しても影響を受けないのです。これさえ一つになれば、イエス様が死んでもイスラエル教団の中心に立つようになるのです。また、教団の中心に立つのはもちろんのこと、イスラエルの国を収拾するようになるのです。そうなっていれば、今日、キリスト教に悲運の歴史はあり得ないという結論が出るのです。イエス様の前に十字架の道はあり得ないのです。

今日までの二千年の歴史はすべて、イエス様を殺したことに対する蕩減歴史です。蕩減路程を経ずしては、歴史を発展させることはできないのです。個人復帰、家庭復帰もみな、イエス様の所願成就がなされなかったからするのです。その基盤を世界的に開拓しなければなりません。イエス様の願いを成し遂げてさしあげるためには、必ず死の代価を払わなければなりません。イエス様の願いの基盤が霊的にだけ立てられたので、死の代価を払わなくては範囲を広めて世界の舞台まで行くことができないのです。

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聖書を文字どおりに信じたユダヤ教徒昔、ユダヤ教徒がイエス様のことをなぜ受け入れられなかったのかを、はっきりと知らなければなりません。そうであってこそ、私たちは今後、来られる主を迎え得る道を模索できるのです。

旧約聖書を見ると、主は雲に乗って来られるとあります。ダニエル書第七章13節を見ると、「人の子のような者が、天の雲に乗ってきて・・・・・」とあるので、その時の信仰者たちは、主が雲に乗って来られるものと思っていたのです。ですから、「雲に乗って来ない人は主ではない」と信じていたのです。

それはあたかも今日、雲に乗って来るものと思っているキリスト教徒の前に、主が雲に乗って来るのではなく、人として来て、捕らえられて苦難を受けている。二千年前、捕らえられて死んだイエス様をメシヤではないというユダヤ教徒に対して、イエス様を信じる弟子が叱責したのは、あたかも今日のキリスト教に対する叱責と全く同じものなのです。

このようにイスラエル民族が信じていたものと、イエス様を送った神様のみ旨とは異なっていたという事実を知らなければなりません。それから、信じられない理由として何があったのかというと、マラキ書第四章5節を見ると、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす」と、メシヤが来る前に必ずエリヤを送ってあげようと固く約束しました。旧約聖書のマラキ書は新約聖書の(ヨハネの) 黙示録のようなものであり、最後に預言されたものなので、そのようになるものと信じたのです。

エリヤとは、イエス様が来られる九百年前に火の戦車に乗って昇天した方ですが、天に昇っていったので再び天から降りてくるものと思って待ち望んでいたときに、待っていたエリヤは来ず、突然、もじゃもじゃ頭の若者、イエス様が現れて、「私がお前たちが長い間待ってきたメシヤだ。私を信じなさい」と言うのですから、それを信じるでしょうか。

ユダヤ教徒は、聖書のマラキ書にあるようにエリヤが来るものと思って信じるならば、億千万年たってもメシヤに出会えないでしょう。私が霊界に行って調べてみたところ、それは間違いないことなので命を懸けて宣布するのです。もし信じられないなら、事実かどうか皆さんが死んでみてください。レバレンド・ムーンがうそをついたか、死んでみれば分かります。ユダヤ教徒は、二千年前に来られて逝ったイエス様を受け入れなかった歴史的な罪を悔い改め、今からでもイエス様を受け入れなければならないと私は宣言するのです。

これを今日に例えて言えば、天変地異が起きて主が雲に乗って来られるものと信じているのに、一人の青年が堂々と現れて、「私がお前たちキリスト教が二千年間、願ってきた再臨主である」と言えば、それを信じますか。この地上に神様のみ旨を成し遂げるために、万民の前に遣わされたメシヤは、ユダヤ教徒が従わなかったことにより、私たちの知らない中で死んでいった恨めしい歴史があるという事実を知らなければなりません。

キリスト教徒たちに、「イエス様は何をしに来ましたか」と尋ねれば、「万民を救うために来ました」と答え、「どのようにして数おうとして来ましたか」と尋ねれば、「十字架に釘打たれ、救うために亡くなられました」と答えるでしょう。それならば、キリスト教は再臨主が来るのを望んでいますが、キリスト教が滅んで駄目にならせるために、主が来られるのを願うのでしようか。栄えようとして願うのです。

イエス様に従えなかったユダヤ教が恩恵を受けましたか。信じていたなら天理の恩恵を受けたはずなのに、信じないでイエス様を殺したことによって二千年間、国のない、さすらう孤独な旅人の身であったという事実を私たちは知らなければなりません。世界の人を救うことができ、本来の神様のみ旨を成し遂げ得る、その中心存在を殺したのですから、これほど大きな罪はありません。

四千年間準備した民が、もしエリヤが先に雲に乗って来たとするならば、イエス様を捕らえて殺せるでしょうか。殺さないのです。神様が歴史的旧約時代に、このように摂理をされましたが、新約時代にはこのように摂理をしないという保障がありますか。旧約聖書にも、「雲に乗って来る」という箇所と、「エリヤを遣わしてくださる」という箇所と、「人として来る」という箇所があります。そして新約聖書にも、ヨハネの黙示録第一章7節を見れば、間違いなく雲に乗って来るとあるのですが、テサロニケ人への第一の手紙第五章2節を見ると、盗人がくるように来るとあります。両面の預言があります。あのように来るとも言い、このように来るとも言うのです。

ところが自分の都合のよいように、雲に乗って来るということは信じて、盗人が夜くるように来るということは信じないのですか。歴史的事実を推察してみて、今日私たちの置かれている立場を明らかにすることによって、私たちは将来、二度と神様のみ旨の前に罪を犯してはなりません。それゆえ「雲に乗って来ることもあり、人として来ることもあり得る」というふうに信じる人が、賢い人なのです。

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イエス様を不信したユダヤ民族今日、キリスト教がメシヤの来臨を望んでいることは、あたかも今から二千年前にユダヤ教徒がメシヤを待ち望んだことと全く同じ立場です。今日のキリスト教について見れば、二千年間、メシヤが来ることを待ち望んできましたが、ユダヤ教からすれば、天は四千年間、数多くの預言者を送って犠牲にしながらメシヤを遣わすことを約束したのです。

神様がメシヤを遣わすことを約束したので、その民族は四千年間、その方が来ることになれば鉄石のように固く一つになり、神様のみ旨を成し遂げようと誠を尽くして信じてきたのです。

そうして神様は、メシヤたるイエス・キリストを約束どおりその民族に送りました。また、約束どおりその民族は、受け入れなければならない立場に立っていました。ところが、メシャが来ることを望んでいた民族が、メシヤを受け入れるどころか、むしろ迫害して捕らえ、殺してしまいました。それはなぞではないでしょうか。

例えるならば、今日、キリスト教徒が主メシヤが来ることを待ち望んでいるところにメシャが来たのですが、そのキリスト教の最高指導者であるローマ法王や、カーディナル(枢機卿)、ビショップ (司教)、牧師のような者たちが総動員して、メシヤを捕らえて、殺したことと同じなのです。そのような結果をもたらしたのです。簡単に「死ぬために来た」ということは通じないのです。理論的に合わないのです。死ぬためならば、何をしに来るのでしょうか。四千年間、数多くの預言者を殺し、イスラエル民族をあれほどまでに苦労させて送ったメシヤが、死ぬために来たのでしょうか。

ですから今からは、ユダヤ民族があれほどまでに待ち焦がれたメシヤを神様が送ってくださったにもかかわらず、どうして彼らは捕らえて殺したのかを、はっきりと知らなければなりません。

なぜ捕らえて、殺すことになったのでしょうか。第一に、旧約聖書が捕らえて殺すようになっています。なぜでしょうか。旧約聖書のマラキ書は、新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書第四章5節以下を見ると、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と明確に預言されています。

エリヤというのは、イエス様が来られる九百年前に火の戦車に乗って昇天した人です。神様が、この民を愛し、このように時を決めてエリヤを送ってあげようと言われたので、火の戦車に乗って天に昇ったエリヤが先に降りてくるだろうと思っていたのです。

エリヤが再び来ると聖書には固く預言されているのに、エリヤは来ませんでした。聖書というのは、どのような本かというと、四千年間イスラエルの民族思想の基調になり、ユダヤ教の信仰の中心になっており、四千年の間、命のすべてを注いで信じてきた本です。そのような聖書を、イエス様の話を聞いて捨てられるでしょうか。

主が雲に乗って天から降りてくるのを待ち望んでいるのに、ある人が来て「私が主だ」と言うことと同じです。それを今のキリスト教が信じられるでしょうか。

そのような事件ゆえに、イエス様はひどい目に遭ったのか、遭わなかったのかということを、イエス様のみ言を通して調べてみましょう。マタイによる福音書第十七章10節以下に、次のような場面があります。イエス様の弟子たちは、聖書をよく知りません。無知の者たちがみな、イエス様は救世主だと信じて伝道に出掛けたのです。

「メシヤが来たので、メシヤを信じなさい」と言うときに、信じない祭司長たちが「お前たちの先生がメシヤなら、聖書のマラキ書には間違いなくメシヤが来る前にエリヤを送ってくださるとあるのに、そのエリヤはどこにいるのか」と言ったのです。無知の弟子たちは分からないので、イエス様に尋ねる場面が出てきます。

もしエリヤが来たとするならば、イエス様は目の不自由な人でもよく、耳の不自由な人でもよく、足の不自由な人でもよいのです。エリヤが来なかったがゆえに問題なのです。

聖書には次のようにあります。「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。・・(中略)...』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ一七・10~13)

洗礼ヨハネがエリヤですか。皆さんならば信じますか。エリヤは来ていなかったのですが、エリヤを洗礼ヨハネに取って付けたのです。「お前が、洗礼ヨハネのことをエリヤだといって取って付けたのは、メシヤを装った詐欺師だからだ」というのです。

そうしてイエス様のことを、四千年間、神様が立てられたイスラエル選民を滅ぼし、イスラエル、ユダヤ教を滅ぼす頭だ、ベルゼブルだと決めつけてしまったのです。

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三、メシヤ降臨に関する旧約の預言とその結果両面で預言されたメシヤの再臨メシヤが雲に乗って来ると思っていたユダヤ教徒たちの前に、イエス様が人として現れたので信じなかったのです。それゆえ、このように旧約聖書に対し誤った解釈をすることによって、来られたメシヤを捕らえて殺したというこの途方もない事実を、今からでも知って悔い改めなければなりません。

さらに一つ、はっきりと知っておかなければならないこととは何かというと、聖書は両面から預言されているということです。なぜ両面から預言されているのでしょうか。堕落した人間は、責任を果たすことも果たさないこともあるからです。神様と一つになっていた人が背を向け、サタンと組んで神様を滅ぼしたり、サタンと組んでいた人が神様のところに戻ってきて、サタンを滅ぼしたりするのです。それゆえ人を、神様も恐れ、サタンも恐れているのです。

ゆえに旧約聖書のイザヤ書第九章、第十一章、第六十章、この三つの章には、栄光の主として堂々と来ることを預言していますが、第五十三章においては苦難に遭うことが預言されています。ところが信じて迎えることができなかったので、イザヤ書第五十三章の預言が成就したのです。信仰によって成就すべきことが、不信仰によって成就しなかったので、それが延長されて再臨の時を迎えなければならないのです。

それでは、新約時代に来るべきメシヤの立場を、新約聖書はどのように預言しているでしょうか。新約聖書もメシヤが来ることに関する預言は、旧約聖書と同じです。ヨハネの黙示録第一章7節を見ると、再臨するメシヤは間違いなく雲に乗って来るとあります。しかし、テサロニケ人への第一の手紙第五章2節を見ると、メシヤは「盗人が夜くるように来る」と預言しました。雲に乗って来るのに、盗人のように臨めるでしょうか。

今日のキリスト教徒は、自分勝手に雲に乗ってくることは信じ、盗人のように来ることは信じないのでしょうか。自分勝手にそのように信じられるのでしょうか。ですから私たちは、知恵深くなければなりません。旧約時代の実情を推し量ってみるならば、主が雲に乗って来ることもあり、人として来ることもあり得るということを知らなければなりません。

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ペテロの痛悔と新しい決心

天に向かう信仰路程において、永遠、不変の姿で宇宙的な使命を少しも疑わずに推し進めるイエス様を見つめる瞬間、ペテロの心が一変して、一生の間、主のために生きようという衝動感が起きたことを知らなければなりません。不信の自我を悟ったときから、ペテロはイエス様と自分との関係、あるいはお互いの生涯を比較しながら、自分の足りなさをより強く感じるようになったのです。

イエス様が天のみ旨一つのために、この地上の万民のために自分の幸福を求めず、自分のすべてを天の前に供え物として捧げられました。十字架に引かれていかれながらも、恨まないイエス様の姿を見守りながら、三弟子は自分たちの生涯があまりにも自分中心的であったことを感じるようになりました。そうして自分を中心としないイエス・キリストの前に、弟子たちは自ら自己を反省し、イエス様が常に願われたみ旨を引き継いで、この地上でそのみ旨を実践しようと、心に確認して誓うことができたのです。

それからペテロは、どのようなことを感じたのでしょうか。自分の不信を感じると同時に、周囲の不信を感じたのです。罪のないイエス・キリスト、どこの誰に尋ねてみても罪がないというイエス・キリストを、悪なる周囲の人々が縛り、むちで打って喜ぶのを見ながら、ペテロは迫害されるイエス様の視線の中で、イエス様の悲しく孤独な心を見抜くことができました。

このような悔しい立場でも、天の道を守っていく姿を見せるイエス様の熱い視線の前に、ペテロは周囲の人々の不遜さを感じたのです。そこからイエス様の弟子ペテロは、イエス・キリストの味方になり得ない悪なる群れを滅ぼすために、主が再び来られるまで、周囲の不遜な勢力と戦おうと、正義感あふれる覚悟をしたのです。

天に向かって歩んでいくイエス様の善なる不変の姿と、周囲の人々の不遜さは、天地の差がありました。それゆえ、瞬間的に振り返るイエス・キリストの視線を通して、ペテロは自分の愚かだった生涯を清算することができ、周囲の環境を浄化して善の基準を立てなければならないと決心をし、より一層神様に向かったのです。

言葉なく、天のため地のため、万民のため、み旨のために亡くなったイエス・キリストの死を通して、ペテロはおのずと主を尊敬するようになり、その死の前に懺悔の涙を流して痛哭したのです。

この事実が、最後に振り返られたイエス・キリストをして、自分を認めてくれる使徒がいることを感じさせ、途絶えた天と人間の因縁が回復する瞬間であることを感じさせたのです。ペテロー人だけが、天と地、そして万民と数多くの使徒を代表して、神様のみ旨の前で亡くなったイエス様に対して、自分の足りなさを感じ、痛悔(心の底から悔やむこと)の涙を流したのです。

このように主が十字架で亡くなる前に苦難を受けられる姿を見て、ペテロだけが痛哭しながら悲しく泣いたのです。このようなことがあったからこそ、イエス様が使徒たちを中心として役事することができる基準、イエス様と人間たちが互いに因縁を結べる新しい基準が造成されたことを、皆さんは知らなければなりません。

イエス様が十字架に亡くなってから今日まで、キリスト教徒が神様のみ旨だけをつかんで、復活と再臨の時を待ち焦がれたことと同じ立場を、皆さんもいずれ経なければならないのです。

そして、ペテロのような立場も蕩減復帰しなければならないのです。これが皆さんの信仰の路程に残された最後の運命であるとするならば、深刻な立場で真剣にイエス様と自分との間を振り返ってみながら、イエス様の志操を見習うことができなければならず、イエス様のその姿勢の前に身をかがめ、痛悔できなければなりません。

私たちが今までの信仰生活の中で、主が私たちのことを心配するように、私たちも主のためにどれほど心配しながら生きてきたのかが問題です。自分はイエス様のことを心配しながら一生涯生きてきたとしても、どうして死の立場を克服しながら、ペテロを見つめたイエス様の生涯と比較できるでしょうか。

今や蕩減復帰原則によって、イエス様が死の道で群衆を振り返られたように、私たちも死の道でイエス・キリストを振り返る自分とならなければなりません。そのような立場で、イエス様に代わる立場に立つと同時に、イエス様を栄光の場に迎えてさしあげるために、イエス様の苦痛を代わりに受け、イエス様の心配を代わりにしなければならないのです。皆さんに、そのような時があったのかということが問題なのです。

もし皆さんに、そのような時がないとするならば、「終わりの日」すなわち復活の栄光を迎えるときに、マグダラのマリヤが復活されたイエス・キリストをつかもうとしたように、皆さんが復活の主をつかんで、「私の主よ、私の新郎よ」とは言えないでしょう。

イエス様が十字架への道を歩むなかでペテロを振り返られることによって、初めてペテロと三弟子を探し出すことができたのですが、イエス様を直接つかんで天国まで行っている聖徒はいないのです。

四位基台が造成されれば、サタンが侵犯できる圏内から抜け出すことになるので、イエス様は昇天せずにこの地上で家庭の基盤を築くことができるのです。

家庭基盤を備えるためには、イエス様が新婦である聖霊を迎えなければなりません。実体聖霊を迎えるようになれば、平面的な基準を中心として思いのままに活動ができます。ところが弟子たちが息子、娘の基準を立てられなかったので、イエス様は霊的に条件だけを立てることになったのです。これがイエス様の恨なのです。このように地上で完全蕩減の基準を立てられなかったので、やむを得ずイエス様は昇天することになったのです。

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ペテロを振り返られたイエス様の心情

イエス様が十字架の道、ゴルゴタ山上の孤独な道をたどっていこうとするとき、愛する十二使徒の代表であるペテロを再び振り返られました。それは、自分のあとに一番先に従うべきペテロの心が変わるのではないかと心配したからです。このように神様のみ旨を心配する自分の心が悲痛であるにもかかわらず、愛する心でペテロを顧みられたイエス様のその視線を、今日再び感じる者とならなければなりません。

しかしペテロは、三度もイエス様を知らないと否認しました。それゆえ天のみ旨とは完全に分離された立場に立つようになり、イエス様とは関係のない立場に立つようになったのです。

そのようなことを知っているイエス様でしたが、死の道に向かっていく自分のあとを死守して、同情してくれる一人の人を探そうとされたので、愛する一番弟子であるペテロを振り返られたのです。このように一人の真の人を探そうとされたみ旨が、愛弟子ペテロを見つめるその視線の中にしみ込んでいたことを知らなければなりません。

神様の全体的な摂理に責任を負って来られたイエス様においては、このような立場に立つようになるとき、これほどの悲しい場面はないでしょう。なぜならば人間の不信によって、ゴルゴタの道、死の道を行く自分の使命を引き継ぎ得る一人の人を探そうとするイエス様は、言うに言えない悲しみに浸ったのです。ただ神様だけが、イエス様のつらい心情を分かってくださり、イエス様の悲しい事情を心配してくださいました。

イエス様はその三十年余りの生涯に、ひたすら天の悲しい事情に代わって歩んできた苦労の路程を回顧してみるとき、人間に対して叱責したく、地に対して呪いたい心が身にしみていたのです。ところが、自分のそのような心を押さえつけ、自分の足取りを止めて、従っているペテロを見つめたのです。このようなイエス様の内的心情を感じられないならば、イエス様を中心とした神様のみ旨を代わりに引き継いで、万民の前に堂々と立てないことを、はっきりと知らなければなりません。

それならば、このように孤独に苦難の路程で一生を締めくくられるイエス様を見つめるペテロの心は、どのようなものだったでしょうか。彼は過去にイエス様と結んだ本性の愛の因縁を忘れられず、孤独な中で呻きながらこの上なくわびしい立場に置かれたことでしょう。哀れなイエス様を侮辱し、罪のないイエス様を恨み、罪のないイエス様が縛られ引っ張られていくその姿を見つめるペテロの心も、もちろんとても痛かったことでしょう。

しかしペテロは、イエス様が全人類を取り戻すための代表的な使命を帯びて来られたメシヤであることを悟れなかったので、弟子たちの代わりに乗り出すことができず、自分だけを考える立場に立ってしまったのです。このような立場に置かれているペテロの前に女性の僕たちが現れて、ナザレ人イエスの群れではないかと問われたとき、三度も「知らない」と言いました。このようなペテロー人の姿は、地上の人間を代表した立場であったことをはっきりと知らなければなりません。

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イスカリオテのユダの不信

このような立場で、ヨセフとマリヤは一緒に暮らさなければなりませんか、暮らしてはなりませんか。暮らしてはなりません。ヨセフは天使長と同じ立場です。ですから彼らが一緒に暮らすということは、アダムとエバの堕落を継承して繰り返すのと同じことなのです。

ここでマリヤはイエス様と一つになって、いかなる犠牲を払ってでもイエス様の相手を求めてあげる使命を果たさなければなりませんでした。しかしその使命が果たせなかったことによって、すべてを失ってしまったのです。ヨセフを中心とした家庭において、すべてを失ってしまったのでイエス様は家を出て、相手を探し求めなければならなかったのです。

それならば、家を出てこのことをしなければならないという場合に、ヨセフと同じ立場に誰を立てるのかということが問題なのです。これは正にイスカリオテのユダが適格者でした。

またマリヤの立場に立ち得る人をどこから探さなければならないのでしょうか。家庭において、マリヤとヨセフが失敗したので、これを再び取り戻さなければなりません。これを復帰しなければ、イエス様は使命をつなぐことができないので、このことを外的にするためにイエス様は家を出たのです。そうして十二弟子を探し立て、イスカリオテのユダを中心として、このことをしようとしたのです。それにもかかわらず、彼のみ旨は成し遂げられなかったのです。

では、その原因は何でしょうか。イスカリオテのユダは、なぜイエス様を銀貨、三十枚で売ってしまったのでしょうか。イスカリオテのユダがイエス様を売り飛ばしたのは、お金ゆえでしようか。イスカリオテのユダは、愛する妻を、昼夜イエス様に仕え、忠誠を尽くせるように協助しなければなりませんでした。

妻と別れることがあったとしても、その妻をイエス様の母と同じ立場に立たせ、イエス様に協助できる基台を準備してあげなければならなかったのです。それにもかかわらず、その責任が果たせなかったのです。このような基台がすべて崩れたので、イエス様は行く所がなく、やむを得ず十字架で亡くなられたのです。このようにイエス様は、悲運の歴史を背負って亡くなったので、今日、我々統一教会ではこのような歴史を解怨しなければならないのです。

責任を果たせなかった三弟子

イエス様がイスラエル民族を中心としてローマ帝国を屈服させていたならば、その地でキリスト教の主権を中心として新しい理想世界が出発していたはずです。しかし、イスラエル民族がイエス様と一つになれなかったことによって、イエス様が亡くなったのちに地の基盤を完全に失ってしまい、さまよう雲のように東から追われれば西に行き、西から追われれば東に行くという立場に立ったのです。このように国のない民として、霊的な国を追求して二千年、民主世界を発展させ、その基盤に代わり得る道を探し求めてきたのが、今までのキリスト教の歴史なのです。

聖書を通して知らなければならないことは、アダム家庭のカイン、アベル、セツの三人の息子が互いに一つになれずに落ちてしまったので、アダムの代わりに父母の立場で来られたイエス様に対して、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを立てたということです。アダムの家庭を中心として、三人の息子が一つになれなかったので、これを再び取り戻して一つにしなければ、父母の立場、アダムの基準を復帰することができないのです。したがって死地でさえも一つになって連れていかなければならないイエス様の運命なので、ペテロ、ヨハネ、ヤコブをゲッセマネの園に連れていって、徹夜しながら祈らなければならなかったのです。

ここで父母の立場であるイエス様が十字架で亡くなる前に、誰が先に死ななければならないのかというと、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三弟子です。イエス様よりも彼らが先に死ねば、どうなるのでしょうか。復活させるときに、ペテロ、ヨハネ、ヤコブも復活するのです。そうなると、どうなるのでしょうか。地上で四位基台が形成されるのです。

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変貌山での悲壮な決心

変貌山に登るとき、三弟子がイエス様のあとについていきました。彼らは外見からすれば民族を代表して選ばれた弟子の立場でしたが、イエス様にとっては何の助けになる条件も立てられない弟子たちでした。

イエス様が荒野を訪ねていくときは、それでも天使が来て仕えたのに、民族のために戦い、民族のために死を覚悟して変貌山を登るときは、民族を代表してついてきた三弟子でさえも、イエス様に仕えられなかったのです。それを考えると、悲しみで始まり悲しみで終わったイエス様の生涯は、悲痛なものであったことを、私たちは感じざるを得ないのです。

そのイエス様はひざまずいて天を仰ぎ、「私の力の及ぶ限り、私にあるすべての精誠を尽くして、願われるみ旨に従ってまいります」と祈られました。歴史的ないかなる先祖たちよりも、固い志操と忠義と誠心と努力を傾けて三年の公生涯路程を歩まれましたが、民族から追われ教団から追われました。親戚や弟子たちが、誰一人として自分の味方になってくれない中で、イエス様は天に向かって祈祷する生活をしたのです。

イエス様の心情は、自分が孤独な立場で悲しみを感じること以上に、神様が人間に対して四千年間苦労してきた歴史の結果がこの有様なのかと思い、神様に自分の心情を告げるにはあまりにも心苦しい気持ちであったことを知らなければなりません。

そのような心情に徹したイエス様には、民族に対する恨みの心や、教団に対する恨みの心、あるいは堕落したアダムとエバに対する恨みの心がわき出ることはありませんでした。人を恨む余地がなかったイエス様であったことを、私たちは知らなければなりません。

昔、先祖たちは、悲しいとき天から慰めを受けましたが、イエス様は悲しい立場にあっても、「悲しい」と祈れない自分であることを悟っていたのです。祈ろうとする前に、既にすすり泣きの涙がイエス様の膝をぬらしていただろうと私は思います。

その姿は、天地の上に罪人の中の罪人同然でした。四千年間、苦労の歴史を繰り返して摂理された神様の前に、勝利の条件を立てられずに敗北の一路で悲しい事情を抱き、変貌山上に独り現れて、天に対して訴えざるを得ない立場に立ったイエス様は、とても口を開いて祈ることはできなかったのです。

その姿と事情が哀れだったので、神様はエリヤとモーセを送られ、エルサレムでのイエス様の死について話し合わせました。弟子だけでなく、神様が悲しみに浸ることを知ったイエス様は、民のために、またこの後代のために天を心配されて、過去と現在と未来を前に悲しまれたのです。

死の道を歩んででも希望がなく、行く手が遮られた中に置かれたユダヤの民を生かさなければならないことを感じたイエス様は、かつてのエリヤのように「アバ、父よ!ただ私だけが残りました」と訴えるそのような祈りの心情で、神様の前に現れたのです。このようなイエス様の心情は実に悲痛なものだったのです。

エルサレムで死ぬことを予告されたイエス様は、その死の一日を人知れず準備しました。イエス様は自分の死の日がだんだんと差し迫り、事態が入り乱れていくのを感じました。また愛する弟子が自分を売ることを知り、自分が十字架に進む前に、まず世の中の万事を終結させなければならないと、深刻な思いをもちました。そのような心情が、彼の身と、心にしみ込んでいたのです。

死を前にして、最後の道を行くべき救世主の使命を負った自分であることをイエス様は知っていたので、死の道を経たのちの行くべき方向を設定しなければならなかったのです。イエス様は自分のこのような死によって、歴史的な悲しみと時代的な悲しみ、そして未来の悲しみがなくなるどころか死の峠を越えたあとまでも、もつれたまま残っているのではないかと心配したのです。このようなイエス様の心情は、いかなる時よりも悲壮なものであったことを知らなければなりません。

このような心情にとらわれているイエス様のことを分かってあげた人は、地上に一人としていませんでした。その事情を分かってあげた弟子は一人もいなかったのです。イエス様の事情が分かる方は、神様しかいませんでした。

そうしてイエス様は、人には分からない悲しい心情をもつようになり、歴史的、時代的、未来的な怨恨を抱くようになり、悲運の障壁と黒い雲が目の前を遮る環境、死に追い込まれる悲惨な環境に処したのです。このようなイエス様の心情は、悲しいと言えばこの地上のどこの誰よりも悲しい心情であり、悔しく無念であると言えば、どこの誰にも比べものにならないほど悔しく無念であったことでしょう。

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弟子たちの不信と無知

イエス様は自分の一身を越え、家庭と社会と国家と世界、さらには無限の霊界まで復帰すべき使命が自分にあることを知っていました。したがって、イエス様が個人を求めてさまよわれたのは民族を求めるためであり、民族を求めてさまよわれたのは世界を求めるためでした。そして世界を求めるために今日まで二千年間苦労されたのは、天上天下すべてを神様が治める所につくるためだったのです。

ところが、このような事実を人々は知りませんでした。したがってイエス様は、天宙的な計画を実現すべき自分の前に現れるそのような群れに、神様の深い心情とみ旨を語ろうにも語れなかったのです。このように哀れな状況に置かれたイエス様であられたことを知らなければなりません。ですからイエス様は、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ一六・12)とおっしゃったのです。

イエス様は、全世界万象を復帰すべき神様の摂理を代わりにするという天宙的な使命感に燃えて、天に対して忠誠の道理を果たそうとしたのですが、当時の人間はそのようなイエス様が分からなかったのです。

では今日、皆さんはどうでしょうか。「私はイエス様を数十年間信じてきました。私は牧師だ。私は長老だ。私のことを神様が知らないはずがない」と主張する人たちがいますか。そのような人がいるならば、その人は神様の前に頭を下げて涙を流さなければなりません。四千年間、選民圏を誇っていたイスラエル民族が滅びるとは、誰が知っていたでしょうか。三年の公生涯過程で、イエス様と喜怒哀楽を共にした十二使徒までもイエス様を不信するとは、誰が知っていたでしょうか。誰も知らなかったのです。

ではどうして、このような矛盾の歴史が起きたのでしょうか。イエス様の観念や願いが、弟子たちの観念や願いとは異なっていたからです。それで弟子たちが、イエス様を不信したのです。

それならば、イエス様の当時に万物のわめき声を聞き、闇の中にいた人間が天に向かって「彼らを解放させてください」と祈った、その悲しい心情を感じ、涙を流したことがありますか。またはあの霊界で、数千億の霊人が嘆いているわめき声を聞いたことがありますか。イエス様は聞かれたのです。イエス様は人類歴史の終末に、審判の硫黄の火が降り注ぐその審判のむちを知って、涙を流されたのです。

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イエス様の教えどおりに行動しなかった弟子たち

イエス様の心情が分からない弟子たちは、イエス様を利用して高い位置に上がろうとしました。それを知ったイエス様は、地をたたいて泣いてもその心を晴らすすべがなく、天に向かって痛哭しても、これを晴らすすべがない悲しい心情をもって生きられたのです。

しかし行くまいとしても、行かざるを得ない使命の路程が残っているがゆえに、その心を抑えて弟子たちに対して、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・12)と言われました。自分の心中、骨肉にしみ込んだ決心の一端を再度証されたという事実を知らなければなりません。

その時この言葉を聞いた弟子たちは、それはイエス様の言葉であって、自分たちとは何ら関係がないと思いました。弟子のヨハネの母が自分の二人の息子を「終わりの日」に、栄光の立場に立ててくれと言ったときの、もどかしく惨憺たるイエス様のその心情をいま一度考えてみてください。イエス様は哀れな方です。イエス様が弟子たちにそのように教えてあげ、そのように訓戒してあげたにもかかわらず、彼らはそのみ意が分からなかったのです。

それゆえ付き従う群れが多くなればなるほど、弟子たちは自分たちがうれしいという行動を表しましたが、イエス様が自分たちに実践して見せ、教え、訓戒してくれたことを見習い、イエス様に従う群れの前に見本となって、イエス様を高めイエス様をあがめるそのような供え物の立場には立てなかったのです。かえって弟子たちによって、他の人たちがイエス様の前に出ていくことが難しくなったのです。

それにもかかわらず、イエス様はその弟子たちには弟子たちを越えて、教団が叫んでいることを成就すべき責任があることを知り、教団には教団を越えて、民族が叫んでいることを成就すべき責任があることを知り、民族には民族を越えて世界が叫んでいることを、世界人類には世界を越えて天が叫んでいることを成就すべき責任があることを知りました。

しかし、このような彼の心情を誰一人として知る者がいなかったのです。そのような事情に置かれているイエス様にとって、自分だけに向き合ってほしいという幾人かの弟子たちを見つめることは、どれほど悲しかったことでしょう。イエス様は千辛万苦して真心を尽くす聖徒たちがおなかのすくときには、餅を作って食べさせてあげ、彼らが「時」のために泣くときには、彼らを慰めてあげ、失望するようなときには、八福の教え(山上の垂訓<マタイ五・3~10))を通して天の祝福を紹介しました。

このように彼らを率いて回りながら、失望するのではないか、あるいは離れていくのではないかと心配をされたイエス様の心の切ない事情を表現したものが、正に福音書のみ言であることを私たちは知らなければなりません。

さらには、一つの事情をかけて話せば話すほど、そのみ言を聞いて近づくべき弟子たちであるにもかかわらず、かえって遠ざかる立場に行く弟子を見つめるイエス様の心情を感じなければなりません。

ついには腰に手ぬぐいを巻いて、たらいで弟子たちの足を洗ってあげながら、私の道理は「仕えること」であると主張したイエス様でした。このようにしてこそ、天と因縁を結べることを知っていたイエス様だったので、行くまいとしても行かざるを得なかったのです。このように悲しみを感じながらも、弟子たちを見つめられたイエス様であったことを知らなければなりません。

復帰の路程を歩まれたイエス様が、奇跡を喜んで行われたのではありません。うれしくて安らかなので奇跡を行ったと思ったら、大きな誤解です。この地には身の置き所がなく、この宇宙の中には頼る所がないので、天に向かって訴えまいとしても訴えざるを得ない事情があったのです。このように悲壮な境地にあったイエス様の切なる姿を見つめなければなりません。

イエス様が彼らに同情せざるを得ない悲しい事情に処し、手を挙げて「父よ!」と呼ぶときに、そこで奇跡が行われたのです。骨肉が溶けるような悲しい場面で叫ぶ、その一つの事情を通して現れたものが奇跡であったことを知らなければなりません。その奇跡は、イエス様が怠慢で、あるいは好きで行ったものとは思わないでください。

ベツサイダの町で五千人余りの群衆が、「イエスよ、あなたは復活した預言者の一人であり、選ばれたイスラエルの指導者であられます」と、手を振りながら叫びました。このように、利益になり得る立場のときは訪ねてきましたが、時が過ぎ、イエス様が自分たちと心的基準が変わり、事情が変わり、標準の違う境地へとさらに一歩進むと、彼らはイエス様を裏切って背を向けました。これがイエス様の歩んでこられた路程にあった現象です。

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イエス様の心情を知らなかった弟子たち

変貌山上でのイエス様は、喜びませんでした。この変貌山上であった事件と場面は、神様または人間の誰も知らない悲壮な場面に違いありません。今日この事実を、自分を中心として推し量ってはいけません。

変貌山上の三弟子は、燦爛と輝くイエス様の姿を見て、「先生、わたしたちがここにいるのは、素晴らしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」(ルカ九・33)と言いながら、そこに永遠にとどまろうと話しました。このように三弟子は現れる環境で楽しもうとしたのですが、イエス様の心情はそのようなものではなかったのです。

その時に現れた変貌山上の環境は良い環境でしたが、その環境に対するイエス様の心情は、歴史的な内的悲しみと未来の悲しみが身にしみるようでした。ところが三弟子は、イエス様がこのような悲しみの心情に浸っていたことを知りませんでした。

過去の歴史的な悲しみに浸っている背後関係のすべてを乗り越え、最後にはイエス様に橋を架けて、神様をつかんで談判できる立場にまで進まなければなりません。また悲しむこの民族の背後には、民族に代わって隠された祭壇を築き、誠を尽くしている群れがいることを知らなければなりません。

教団に代わって涙を流す人は、祭司長と同じ職分をもっている人です。ヤコブが二十一年間、人知れず祈祷をしたのも、神様の摂理がアブラハムから三代にまでつながっていることを知っていたからでした。それで彼は、民族のための蕩減の路程を黙々と歩みました。モーセもまた民族のために、パロの宮中における四十年の生活とミデヤン荒野での四十年間の祈祷生活をしたのです。

今日、民族に対して悲しみの祈祷をする教団と涙を流す人がいるなら、彼らには既に祭司長的な職分が与えられているようなものです。ところが、天が「切迫した心情で天の前に談判の祈祷をしてみたことがあるか」と尋ねるとき、どのような返事ができますか。今からでもそのような決心をもって、「終わりの日」に責任を持ち得る働き手とならなければなりません。

皆さんのいる立場がそのような環境になり得ないとしても、とどまる環境において実践しなければなりません。それぞれの地域に責任を負った、変貌山上のイエス様のような聖徒たちがたくさん現れてこそ、キリストの解怨がなされるのです。今日私たちは、昔の三弟子よりも多くのことを知り、イエス様の心情と神様の悲しい心情を解怨してさしあげられる真なる子女にならなければなりません。

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十二弟子の立場と責任

十二弟子は、イエス様の新しい福音を中心として進まなければならなかったのです。ここでイエス様は父母になり、ユダヤ教はカインになり、イエス様の新しい福音はアベルになるのです。またイスラエル民族がアベルになり、世界国家がカインになるのです。

すなわち先に出てきたのがカインの立場であるユダヤ教であり、またイエス様を中心とした新しい福音運動がアベル的立場なのです。アダムの家庭でカインがアベルを殺したのですが、歴史の流れは蒔いたとおりに刈り入れる立場に立たなければなりません。そうでなくては復帰にならないのです。それゆえイエス様は、排斥されて追い込まれる立場に立つようになったのです。

しかしイエス様は、アベルが殺されたように殺されてはならず、キリスト教もそうであってはいけません。ところがイエス様は殺され、今までキリスト教徒も殺されてきたのです。それでキリスト教は、殉教の宗教になったのです。このようにアベルの歴史について見ると、カインの攻撃を受けるのは避けられないことなのです。

ここで再度編成したイスラエルの歴史を代表した十二弟子は、新しいイスラエルの一族として、カイン的な子女の立場とアベル的なイスラエル氏族の立場にあるので、ほかのすべての支派よりも立派でなければなりません。彼らが備えた内外の内容すべてが立派でなければならず、神様が誇り得る基準に立たなければならないのです。イエス様は死なずに生きて、何をすべきでしょうか。蕩減復帰をしなければならないのです。そのようなイエス様が追われ、追い込まれて死んだので問題が起きたのです。

このように追い込まれた状況で、十二弟子と支派長たちが反対すれば、どうしなければならないでしょうか。支派を編成するためには、家庭がなければならないのに、家庭がなくて支えられますか。それゆえイエス様は、家庭をつくらなければなりませんでした。支派長を中心として世界の土台と連結させて伸びていかなければならないので、家庭をつくらなければならないのです。

そうしてイエス様は、アダムの家庭のカインとアベルが失敗したことを復帰する立場であり、ノアの家庭において三人の息子に代わって復帰する立場にあったのです。それでイエス様は、イスラエル民族を中心としてこのような立場で責任を果たすために、代表的な中心人物として知識の乏しいペテロとヨハネ、ヤコブを立てられたのです。このことは、どれほどあきれることでしょうか。

彼らがいなければ、家庭の基盤も築くことができません。したがって彼らは、死ぬ場にも従っていかなければならず、死ぬとしても共に死ななければなりません。一家庭において父母が逆賊として訴えられて死ぬことになれば、その子たちはみな「逆賊の子」という立て札を立てて死ななければならないのと同じことです。

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弟子を立てるためのイエス様の苦労

神様の作戦法は、どのようなものでしょうか。一人の人を取り戻すには、その一人の価値の分だけ打たれてこそ、初めて取り戻すことができるのです。これが天の摂理です。一つの家庭を取り戻すには、その家庭の価値だけのものを天が代わりに打たれてこそ、その家庭を奪ってくることができるのです。したがって民族を取り戻して立てるには、神様がそれだけの打撃を受けてこそ取り戻して立てることができるのです。イエス様は実践路程において、これが天の作戦法であることを知っていました。

神様の代わりになるべきイエス様だったがゆえに、民族を探すためには個人の供え物になり、家庭の供え物になり、教団の供え物になり、民族の供え物になって、打たれる犠牲の開拓路程を歩んでこられたことを知らなければなりません。

このような理念の実践方法をもって現れたイエス様は、準備したユダヤ教団から自分の同志を求めようとしましたが、一人も歓迎する人がいませんでした。民族から裏切られたイエス様は、労働者の姿で現れて、漁夫の友の姿で、彼らと事情を共にする友となり、心情を共にする友となり、願いを共にする友となって、彼らの願うものは何でも死を覚悟して、かなえてあげようという心で戦われたのです。このような心的な内容と、心的な理念をもって証して戦ったがゆえに、ペテロのような漁夫たちがついてくることができたのです。

それでは無知な弟子たちを選んで、三年間、何をなさったのでしょうか。神様がイスラエル民族を立てるために四千年間苦労して奉仕したように、イエス様は彼らを立てて奉仕の生活をされたのです。

十二弟子を選んだイエス様は、彼らに対して大きな希望をもっていました。ユダヤ教団を動かし、祭司長たちとすべての律法学者たちを主管するために、天が送られたイエス様です。それゆえ彼の理念は大きく、彼のもつ欲望も大きく、彼の心的基準も高かったのです。このような神様の理念をもって、一人の開拓者の立場に現れたイエス様のことが分からなかった当時の祭司長や律法学者は、堕落直後のアダムとエバよりも哀れな人々であったことを知らなければなりません。

このような群れを御覧になって、イエス様はどうされたのでしょうか。天が四千年間、選民を立てるために奉仕の路程を通過し、サタンに対して犠牲と供え物の路程を通過してこられたその歴史的な伝統を、イエス様は三年の公生涯路程として通過されたことを知らなければなりません。

それゆえイエス様は、食べたいものがあっても、それを忘れて弟子たちを探し求め、着る物があれば自分がぼろを着ていることも忘れて弟子たちに上げたのです。安らかな立場があれば、弟子たちをその立場に置いて、自分は卑しい立場にいました。天と結びついたこのような心と理念をもって生活したイエス様の三年公生涯の路程が、必然的に勝利的な成果を上げるべきだったにもかかわらず、そのような成果を得ることができなかったその事情を知らなければなりません。

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二、イエス様の嘆きと憂い

イエス様が対した人々

イエス様が対した人々は、たかだかペテロのような漁夫でした。ペテロに向かって愛について話したのです。「あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」と三度も尋ねました。それからイエス様が対した人の中には、マリヤという女性がいました。寡婦であり、良くない背後をもった人です。それから誰かというと、サマリヤの女です。ヤコブの井戸のそばで水をくれと言ったその場で、弟子たちが疑うほど親しげに話したサマリヤの女がいました。それからほかに誰がいますか。

この地上に愛の主人公として来て・・・・・・。新郎ですから、愛の主人公ではないですか。その愛の主人公であられる方の前に相対として現れた人たちが、どうしてそれほどまで役立たずの者たちだったのでしょうか。それがイエス様の願いだったのでしょうか。違います。神様の願いだったのでしょうか。違います。

出来の悪い人も、優れた人を要求するし、いくら不細工な女性だとしても、ハンサムな男性を新郎にしたいと思うでしょう。不細工な男性も、きれいな女性を妻に迎えたいと思うのです。

死亡圏内に生きている人間たちも、そのように反対の立場を望むのに、ましてや天の国の王子として生まれたイエス様が、そのようにとても愚かな漁夫たちを集めて、何かの大将のように振る舞ったというのでしょうか。娼婦の群れが、何か愛しているという表示をしたというのでしょうか。サマリヤの女は、夫が五人もいるとか聖書には記されています。あきれてしまうのです。

イスラエルの国の大祭司長を中心として、「あなたは、この人たちよりも私を愛したでしょう?」と言うとき、「はい、主は私の愛することをすべて見ました」という返事を聞いたなら、どれほどよかったことでしょうか。ピラトがイエス様の門徒たちを訪ねるために、自分の侍従たちを前に立てて通告し、「今やっと、訪ねてまいりました」と言ったならば、神様がそれを御覧になって気分が悪かったでしょうか。あれほどまでひどく滅びるとは、誰が知っていたでしょうか。

そのように滅ぼそうとして、四千年間、預言者たちを通して、「メシヤを送ってやろう」と言ったのでしょうか。預言者も楽な立場で預言者になるのではありません。殺されたり、あらゆる犠牲に遭いながらも、「将来このようになる」と話したことが風習化し得る基盤として築き上げられるまで、どれほど千辛万苦したことでしょうか。それほどまで価値もなく、それほどまで孤独に死なせるために、その道を築いたのでしょうか。とんでもないことです。それを知らなければなりません。哀れなイエス様なのです。

イエス様がその目で見つめた父母は、いかなる標準の父母だったのでしょうか。神様の前に「私の父と母は、天上天下に二つとない父と母なので、神様、この父母を私以上に愛してください」と言える祝福の、その時間はどこへ行ったのでしょうか。自分の愛する兄弟たちに関して、「神様、私の愛する兄弟たちは、天上天下のいかなる兄弟よりも高貴な兄弟です。私が人間に生まれて、このような兄弟をもったことは天の誇りであり、人類の誇りです」と称賛し得るその立場はどこにあったのでしょうか。

あるいは弟子たちに関して、「私は人の世の師の中の大いなる師として、師弟間を中心として天下に誇り得る権威をもって、私自身を愛する以上の立場で弟子を愛しました」と言える立場はどこにあったのでしょうか。

自分の一族を中心として、「私の祖父母、あるいは遠い親戚、私の一族全体は、天が愛さざるを得ない一族であり、あなたの前に紹介せざるを得ない一族ですので、この一族を手放しては天の行く道がありません」と喜びの立場で誓いの心情をもって、神様の前に紹介し、神様の祝福を望み得る時間があったでしょうか。なかったのです。

「あなたが四千年間受難の交錯する道を経てこられながら、悪なる群れと悪なる国の迫害を受けつつ残しておかれた、あなたが愛したかったこの教会とイスラエルの国を、私が愛することのできる立場に立ったので、この日をあなたが喜ぶことのできる所願成就の愛の日として迎えてください」と言うことができたでしょうか。全くできなかったのです。

イエス様の立場から考えると、マリヤのような卑しい者が来て、足に香油を塗って髪の毛で拭くとき、あきれたことでしょう。この世の男性であれば、足でけ飛ばしたはずなのに、そのようにしなかったことだけでも幸いなのです。その国で特別な祭司長の家門に生まれた美女が来て、同じことをしても迷惑だったはずなのに、そのざまは何でしょうか。

けれども、イスカリオテのユダがその行動を見て戒める場において、イエス様はかえって味方にならざるを得なかったのです。「イスカリオテのユダ、あなたには、私の命をねらう悪賢い心が宿っているが、この女性はあなたよりもましである。あなたよりもましな人をどうして戒めるのか」と叱責されたのです。

このように自分のすべてを犠牲にする道によってのみ、「全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」(マタイ二六・13)とまで予告しながら、念を押したことを私たちは知っています。それが良い立場であるから、そう言ったわけではありません。もしそこで、イスカリオテのユダがとがめなかったら、イエス様はどうしていたでしょうか。そのようなことは言わなかったことでしょう。

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四十日断食

イエス様は天に代わって来られ、救世主として万民を救おうとされたのですが、救いを受けるべき民族の中に、そのイエス様の心中を推し量って現れた人は一人もいませんでした。彼の心中はおろか、彼の三十年の苦労の路程も知ることができませんでした。荒野生活をして、民族に責任を負うべき立場にあった洗礼ヨハネ一党さえも反対してしまいました。

このように悲しみの心情で民族を御覧になりながら、洗礼ヨハネに対する一縷の望みをかけたのですが、洗礼ヨハネまでもがイエス様のことを無視していくようになる時、イエス様においては悲しみがより一層、深まったという事実を私たちは知っています。

民族の前に、天の福音をもって現れるべき時が近づいているにもかかわらず、民族が行方知れず、民族の前に天が立てられた洗礼ヨハネも行方が知れなくなり、イエス様は、人々の前に現れることができなくなりました。それで荒野で四十日間の断食路程を経ることになったのです。

今日キリスト教徒は、イエス様にとって四十日の断食期間は栄光の期間であり、イエス様に必ずなければならない期間だと思っていますが、そのようなものではありません。イエス様が四十日断食期間を経ることになったのは、イエス様の前に民族が消え去ってしまったからであり、洗礼ヨハネー派が消え去ってしまったからでした。

さらには、東方の三人の博士とアンナ、シメオン、そしてみ旨を抱いてイエス様を身ごもったヨセフ家庭のマリヤが、イエス様が実践路程に出るときに、彼のことを分かってあげられなかったからでもありました。地の主人公として来られたイエス様であり、万民の生命を救うために来られた天の皇太子であられるイエス様であり、また万民の救い主であられるイエス様が、このように不憫な身の上になったことを私たちは知らなければなりません。

四千年の歴史を終結して、イエス様が築き上げるべき新しい天の祭壇は、栄光の祭壇であり、喜びの祭壇であり、勝利の祭壇でした。ところが新しい祭壇を築くために乗り出したイエス様は、不憫な境遇になってしまいました。おなかをすかせたイエス様になり、サタンの試練を受けるイエス様になってしまいました。サタンに試練を受けるその場面は、全人類が最も悲痛に思わなければならない場面です。

イエス様が四十日間断食をしたのち、サタンにもてあそばれ、そのサタンが提示した様々な条件の試練を受ける悲しみの時間は、そもそも民族が受けるべき試練期間でなければならなかったのですが、むしろイエス様の悲しみとして引き継がれたのです。このようなことを考えると、イエス様はその民族を断ち切り、恨み、呪うべき立場であったにもかかわらず、御自身の空腹の身を起こし、天の心情をつかんで、民族のためにサタンと戦われたのです。

そのときイエス様が置かれた立場は、イスラエル民族も知らない立場でした。そのような立場で覚悟をして、天の前に現れるときのイエス様の心情は、「いかなる悲しみの立場を経たとしても、自分が来た目的と自分が抱いた父のみ旨に対する一途な心は変わり得ない」というものでした。

本来の父のみ旨は、民族を通して万民を救うことであると御存じであるイエス様であり、そのみ旨を尊重なさるイエス様であったがゆえに、飢えやぼろを着ることも、迫り来るいかなる迫害や試練も、彼が三十年余りの間、み旨を待ち焦がれて願った心を、崩そうにも崩すことができませんでした。

それゆえみ旨を抱いて現れるたびに、イエス様は天に代わって御自身が受ける悲しみと、天が受ける悲しみを同時に感じざるを得ませんでした。またそのような立場からみ旨に対して、より一層固い決心をしたので、裏切った民族と裏切った群れを再び探し出せたことを、私たちは知らなければなりません。

イエス様は御自身が生きているとき、イスラエル民族が探してくれることを願われたのですが、そのようにしてくれなかったので、反対に死んだのちに探してあげなければならないイエス様になりました。民族がイエス様に侍れなかったことによって、生きた立場で人類を救うべきだったイエス様は、死んで救いの役事をするようになったのです。

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メシヤを迎える準備

ユダヤ教はイエス様のために神様が準備されたものでしたが、そのようなユダヤ教徒はイエス様がベツレヘムに生まれたことを知りませんでした。むしろ東方の博士が先に知って、黄金、乳香、没薬をラクダに乗せて国境を越え、イエス様が誕生した場所をヘロデ王に尋ねたのです。こうしてイエス様の生まれたことがヘロデ王に知られると、ヘロデ王はイエス様を捕らえて殺そうと計画を立てます。

ですから国家を中心としてチャンピオンの候補までつくっておいたなら、イエス様が誕生したというとき、駆けつけなければならないでしょうか、駆けつけなくてもよいでしょうか。駆けつけなければなりません。ところが駆けつけなかったのです。また人類歴史上、数千年を経て一度しか来ない大事なお客さん、すなわちメシヤを迎えるための一等ホテルを準備しなければなりませんか、しなくてもよいでしょうか。準備しましたか。しませんでした。

神様の一人しかいない王子であり、万世に一人しかいない大事な王子様が君臨されるのに飼い葉桶とは、話になるでしょうか。四千年間、神様が準備され、苦労されて立てたイスラエルの民は、みなどこに行ったのかというのです。彼らは、メシヤがユダヤのベツレヘムに生まれると大々的に言いふらしたのです。それで三人の東方の博士がベツレヘムに行って、黄金と乳香と没薬を贈り物として捧げたので、隣にあるエルサレムにもうわさが立ったのです。

それならば、イエス様を死なせた張本人は誰でしょうか。ユダヤ民族です。牧師はこのような摂理的なみ旨をよく知って語らなければなりません。イエス様が本当に死ぬために来たとするならば、何ゆえに神様は四千年の歴史を準備されたのでしょうか。王になるという預言者たちの預言はみなうそでしょうか。苦難を受けるという預言はありますが、神様がイエス様を殺すようにと預言されたでしょうか。考えもせずに信じているのです。

イスラエル民族がイエス様のことを信じられなかったので、イエス様は死ぬことになったのです。ヘロデ王を中心としたイスラエルの最高幹部たちとカヤパをはじめとする祭司長たちが、組んでイエス様を殺したのです。「あのイエスは、我々の生活基盤をすべて奪っていく危険分子だ」と判断したのです。ですから「あのイエスを、ただではおかない」と考えて、イエス様を十字架にかけて殺したのです。ユダヤ教団とイスラエル民族が一つになって、イエス様に仕えるチャンピオンになるべきだったのに、かえってイエス様に十字架の道を行かせたのです。

もしイエス様と彼らが一つになっていたならば、イエス様は死ぬことはなかったのです。イエス様の才能が、サタンの才能よりも劣っているでしょうか。良い内容をもってきたのですが、結局、彼らがイエス様と一つになれなかったので、十字架で亡くなることになったのです。

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ユダヤ民族の不信

イエス様はこの地上に来られ、十字架にかかって亡くなり、復活されたのちに昇天されたので、再び来なければならない摂理的運命に置かれているのです。

長い間、神様の摂理のみ旨に従ってきたイスラエル民族の中でも、選ばれたユダヤ教は、神様のみ旨を成し遂げ、勝利の基台を準備すべき使命がありました。これが彼らを選んだ神様の願いであり、また彼ら自身の希望でした。

このようなみ旨がかなえられるその時を願って、神様は御自身が信じることができ、創造理想を実現する全体の任務を遂行し得る一人息子であるイエス様を送りました。したがって神様は、イエス様を人間の前に主人として現れるようにされ、イスラエルを通して祝福を成し遂げなければならず、また歴史的な神様の救いの摂理のみ旨を終結させなければならなかったのです。

ところがそのようなイエス様が、どうしてこの地で摂理のみ旨を成就できず、神様の栄光を謳える理想の園を成し遂げられずに逝ったのでしょうか。これが今日、私たちに悲しみを呼び起こさせる内容であらざるを得ません。

イエス様がこの地に来られて亡くなる時までの路程は、今日この地上に生きている人間たちの行く、そのような生涯の路程ではありませんでした。誰よりも困難な立場、誰よりも孤独な生涯を経て逝かれました。またイエス様は、神様のみ旨と人間の理想を一身に携えて、一世代圏、一時間圏内の一存在として現れた方です。

けれども、そのようなイエス様の価値を、天が見るのと同じ価値として認める人がこの地には一人もいませんでした。それだけでなく人間は、全人類に神様の愛を連結してくれる愛の中心存在として、イエス様に侍ることができませんでした。

それゆえイエス様は、言うに言えない悲惨な生活をされたのです。誰か一人でも友人として立たせて、自分の悲しみを吐露することができなかったイエス様でした。このようにイエス様は、どこの誰よりも哀れに生きて逝かれたことを、今日知らなければならないのです。

神様のみ旨を成就させ、神様の栄光のためにイエス様が来られたことがイスラエル民族の喜びとなり、ユダヤ教団と世界人類の喜びとならなければなりませんでした。また神様のひとり子であるその方は、全人類の主人公として現れなければなりませんでした。ところが、どうしてそのイエス様は、飢えと悲しみを受ける哀れな生活をされたのでしょうか。

時代は変わり、歴史は経過しても、イエス様が生存時に感じられた悲しみと孤独さを体恤し、彼の哀れさを感じ得る人にならなければなりません。もし皆さんが天地に代わってサタンと戦い勝利することによって、神様に栄光をお返しできる息子、娘になることができないならば、悲しみと孤独さによって残されたイエス様の怨恨を解いてさしあげるすべがないのです。

イエス様の願いは、自分自身の欲望を満たすことではなく、自分自体を犠牲にしてでも神様の創造理想を実現してさしあげることでした。被造世界の中心存在に立てられた人間が堕落したので、神様は創造理想を実現するために、四千年間復帰摂理をしてこられたのであり、イエス様は堕落した人間始祖の誤りに責任を負って、そのような神様のみ旨を自分の理念、自分の目標として現れた方でした。

ところがイスラエル民族は、そのようなイエス様を知りませんでした。それだけではありません。ユダヤ民族は、イエス様の一身が歴史的な願いの代わりであると同時に、当時、神様の全体的なみ旨の代わりである方だったことも知らなかったのです。

イエス様は孤高な一個人ですが、それ自体は歴史に代わることができ、現実に代わると同時に、天倫のみ旨に代わり得る永遠なる神様の理想をもった方でした。けれども、神様のみ旨に従ってきたイスラエル民族とユダヤ教団は、イエス様がそのような方であることを知り得ませんでした。それゆえ彼らは、イエス様の行かれる道を協助するどころか、公然と妨害し、迫害したのです。

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内的三十年の準備期間と外的三年の公生涯路程

イエス様が三十年間に準備したのは、何だったのでしょうか。今まで神様が、内的に摂理した世界において絡まった多くの曲折をすべて解き、これを外的な世界にそのまま横的に展開させて蕩減復帰するための準備期間でした。三十年の準備期間は内的であり、三年の公生涯路程は外的期間であって、三十三年の期間を通して、完全なアダム復帰、個体完成を完結するために戦ってきたことを知らなければなりません。

メシヤとして生まれたその日から、メシヤの振る舞いをするのではなく、先祖たちが誤っていれば、誤ったすべてを完全にサタンの前に蕩減して、分別された勝利的基盤を築いた基台の上で、メシヤとして出発できるのです。この地上に、そのような出発のできる土台があったならば、イエス様は苦難の道を行く必要がないのです。

もし東方の博士、あるいは羊飼いなどが、イエス様が準備時代として内的な闘争をする三十年の準備期間に、イエス様の垣根になり、外的な闘争の基盤を築き上げていれば、イエス様は外的三年の公生涯路程において、内的なそのすべての天的な恨を地上に横的に展開して蕩減するに当たって、苦難の道、迫害の道、苦労の道を行かずに土台を築けたでしょう。

また、築かれたその土台を中心としてこれを動かしていき、苦難に遭うにしてもこれを基盤にして、彼らと連絡できる洗礼ヨハネを中心とした人たちが責任を果たしていたならば、イエス様は外的な苦難にぶつからずに、み旨を成し遂げられたでしょう。

けれども、そのような土台がすべて崩れていくことによって、イエス様は東方の博士や羊飼いたちが追求した人間の代表としての使命を再び収拾し、洗礼ヨハネを立てたすべての準備の基盤を築いてきたものまで収拾して初めて、時代の前に現れることができることを知らなければなりません。

それゆえ、長く見るならば四千年の歴史を収拾しなければならず、御自身の生涯について見るなら、三十余年の生涯路程において、天が準備した横的な地上の歴史的条件までも蕩減しなければならなかったのです。ですからイエス様が蕩減しなければならない期間が、三十年の生涯と三年の公生涯路程であることを知らなければなりません。この三年の公生涯路程というのは、この上なく悲しい路程です。人間が責任を果たせなかったことによって、イエス様が苦難の道を行き、十字架の道を行ったことを私たちは知らなければなりません。

イエス様が三十三年間、この地上で天を代表して戦った目的はどこにあるのかというと、個体完成です。それゆえサタンが、三大試練として試練したのは何でしょうか。イエス様を一時的な一人の怨讐として試練したのではありません。イエス様の全体目的に対して試練したのです。

サタンが試練するに当たって、イエス様の三大試練の内容と同じそのような目的の実体になって試練する人に対して、「サタンよ、退け」と防いでくれる人がいたならば、イエス様には試練は必要ありませんでした。三大試練は必要ないのです。試練を通すことなく、出発と同時に個体完成し、出発と同時に聖殿理想が完成し、出発と同時に世界の栄光を立て得るようになるのです。

そのような基準が出発と同時に一度に起きるはずだったのですが、そのような外的な環境から防いでくれ、サタンと対決して「このサタンめ、お前が知る前に私は知っている。お前が試練するこのような条件は、私にかけようとしても無駄だ」と言って防いでくれる人たちがいなかったので、イエス様は苦難の道を歩んだのです。

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第四章 イエス様の苦難と試練ー、ユダヤ民族の不信

イエス様の涙と祈祷

神様は四千年の間、悲しみながらもその悲しみを表せなかったのですが、イエス様は、実体的に涙を流して生きられました。聖書には三、四箇所しか出てきませんが、実際イエス様が涙を流された隠された事実は限りなく多いのです。

神様が数千年の間、摂理歴史を通して愛してこられたユダヤの民を見つめると、いかなる瞬間も涙を流さなかったことがなかったのです。イエス様は、神様に祈るたびに涙を流されました。困難で孤独な出来事にぶつかるたびにイエス様は、父だけが分かってくださる中で悲しまれたのです。けれどもイエス様は、このような悲しみを弟子たちに話せませんでした。そのようなイエス様の事情を知らなければなりません。イエス様が、オリーブ山に登って夜を明かして祈られたのは、一度や二度ではありません。ゲッセマネの園においてだけ祈られたのではありません。

困難な道を歩まれながらも、悲しみの事情を申し上げられるのは天しかなかったのです。だからといって、その悲しみを天に任せようとされたのではありません。むしろ、その悲しみを自分が引き受け、背負わせてくださるように祈ったのです。「父よ!私を御覧になって悲しまれるその悲しみを私が引き受けますので、父よ!私を御覧になって慰めを受けてください!父の悲しみを私が耐えますので、悲しまないでください」と訴えたのです。

そして「四千年の御苦労に私が責任を負いますので、父よ、心配なさらないでください。私がいますので、父の希望が残っていますので心配なさらないでください」という祈祷ばかりをしたのです。

開拓者としての決心

イエス様が三十年の準備期間に開拓者として抱いた決心とは、何だったのでしょうか。それは、「死の峠があっても私は行く。迫害の道があっても私は行く。滅びることがあっても私は行く」という決心でした。

そうしてイエス様は、この準備期間に、自分の生活的な環境を清算し、自分のための生涯の理念を清算し、民族的なすべての因縁を清算し、旧約と法度を重視するユダヤ教団の形式までもみな清算するという、一生の覚悟をしたのです。

天国を開拓し、全世界の人類の心を開拓すべきイエス様は、寝ても覚めてもその生活において、神様の理念の境地に、一日に何度も往来しない日がありませんでした。そのようなイエス様であったことを知らなければなりません。

三十年の準備期間における内的な悲しみを、この地上の万民は知りませんでしたが、ただ神様だけはイエス様の味方になってくださいました。イエス様が木に鉋がけをする場でも、手斧を持って木を小さく切る場でも、鋸を持って木を切る場でも、御飯を食べて休む場にいても、彼の心は神様の心情と事情を体恤することを願い、神様の願いだった天国の建設を、一瞬でも忘れたことがなかったという事実を知らなければなりません。

それだけではなく、四千年の歴史を無にすることがあり、選ばれたイスラエルは無にしたとしても、このような価値は無にすることができず、選ばれた教団は無にしたとしても、これは無にすることができず、両親や親戚、いかなるものもすべて無にすることができたとしても、これだけは無にできないと、心の中に、そして骨と肉にしみるように感じたのです。そうして徹頭徹尾、天情を中心として一日を見つめながら準備してきたイエス様の生涯こそ、悲壮な生活の連続であったことを、皆さんは知らなければなりません。

一日、一時を探し求めて準備したイエス様の心情とその姿を、皆さん、もう一度描いてみてください。彼の着ている物はみすぼらしく、彼の姿は悲しく見えたとしても、彼の視線だけは、地のいかなる征服者や開拓者にも負けないものでした。

天の心情と通じる彼の視線であり、宇宙を貫いても余りある途方もない視線をもっていたという事実を、私たちは考えざるを得ません。したがって、そのような心情と視線をもって見つめる彼は、試練を受ける不憫な人の姿になるまいとしてもならざるを得ず、悲しみを抱いた姿になるまいとしてもならざるを得なかったのです。

このような事実を回顧してみると、イエス様は、歴史路程を通して苦労してこられた神様をつかむ心情が強くなれば強くなるほど、不信のイスラエル民族になるのではないかと心配する気持ちが大きくなり、不信の使徒、不信の弟子たちになるのではないかと限りなく心配したという事実が分かります。イエス様は、このような心を抱き、黙々と三十年の準備期間を過ごしました。

天の側に立って燃え上がるイエス様の心情がいくら強くなっても、それは自分の一身のためのものではありませんでした。天の願いに燃え上がり、世界を見つめる視線がいくら深刻であっても、それは自分の一身の欲望のためのものではなかったことを、私たちは知らなければなりません。

ただイスラエル民族のために生きようとしたのであり、全世界のために生きようとしたことを知らなければなりません。それでイエス様は、限りなく悲しい涙を流したのです。そのような準備期間に、イエス様は十字架の峠を一度だけ覚悟したのではありません。誰かが死ぬといううわさがあれば、彼を回生させるべき人は正に自分であると、感じることが何百回もあったのです。

誰かが無念にも迫害を受け、無念にも追われ、不憫な立場でひどい目に遭っている人がいれば、その事情を自分の事情として考えました。当時、起こっていた社会の凄惨な現象を、自分の一身の実路程の上に展開されている実証的な供え物のように考えながら見つめた、イエス様の心情を知らなければなりません。

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洗礼ヨハネは霊界が役事していたときは、我知らずイエス様を証しました。しかしイエス様が本当に主、または救世主であるということは、夢にも思わなかったのです。洗礼ヨハネは三十年の間、彼の生涯のほとんどを捧げて主のための道を準備してきながら、彼はしばしば人々の想像するように、主は素晴らしく見える人であり、外的にできないことがない人だろうと期待しました。様々な面で、主は実際の自分よりもはるかに優れていなければならず、はるかに崇高でなければならず、はるかに立派な人でなければなりませんでした。彼は、自分の親族が主になり、世界の救世主になるだろうとは夢にも思わなかったのです。

イエス様は様々な面で、ヨハネとは比較にもなりませんでした。洗礼ヨハネは信仰の道を歩み、高い教育を受け、人々に多くの驚くべきことを見せました。大工の助手であるイエス様からは、人々は何も特別なものは発見できなかったのです。

イエス様が洗礼を受けようと洗礼ヨハネの所に来たとき、洗礼ヨハネは霊的に感動してイエス様を証しました。洗礼ヨハネは、聖霊が鳩のようにイエス様の上に降りてくるのを見て、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイ三・17)という声を聞いたときは、イエス様を証しました。しかし彼が、元の精神状態に戻ったときは違いました。聖霊が自分から去ってしまうと、それは夢のようでした。

洗礼ヨハネの使命は、イエス様が来る時まででした。そしてイエス様を証したのちには、喜んで自分のすべての弟子を連れて、イエス様に従わなければなりませんでした。イスラエル民族はみな、彼のことを最も偉大な預言者であると信じました。ではイエス様を証したのちに、何が洗礼ヨハネをイエス様に従えないようにさせたのでしょうか。そこには大きな理由がありました。彼は、「イエスは庶子である」といううわさを聞きました。洗礼ヨハネは、イエス様のことを「いとこ」にも考えていなかったのです。彼の母エリサベツが、彼にそのように話したのです。

エリサベツとマリヤ、そして洗礼ヨハネとイエス様との間には、ある感情がありました。洗礼ヨハネは高等教育を受け、尊敬され、偉大な預言者として認められていましたが、イエス様は日常的な問題に対しても無知で、十分に教育も受けていない人として知られていたのです。

私たち人間は、どのような者として生まれたのでしょうか。神様の嫡子として生まれず、サタンの嫡子として生まれました。それが今までの内容です。このような内容を復帰するために、イエス様が来られたのです。このような使命を果たすために生まれたのです。

ユダヤの国は、どうなっていたのでしょうか。神様は、父母はいないけれど、子女の形態を中心とした家庭形態、親成形態、氏族形態、民族形態、国家形態をすべて築き上げていたのです。これが選民思想です。この選民圏を築き、そこに一つの主権を中心として、そこにメシヤが来て一つの国家主権さえもったならば、天と地が連結するのです。

国家を代表して、この基準を連結させるためには、復帰歴史なのでカイン的な、言い換えれば養子のような国家型であれば、その国家を収拾するためには養子の代表的な人がいなければなりません。それが誰でしょうか。養子代表国家の預言者として現れた人が洗礼ヨハネです。この洗礼ヨハネとは、どのような人でしょうか。アダムが堕落してサタン世界に引っ張られていきましたが、洗礼ヨハネは、再び捜し出されたアダム型の人物です。

その捜し出されたアダム型の人物とイエス様とを見るとき、どちらがサタンの防御陣をつくらなければならないのかというと、堕落はアダムがしたので、捜し出されたアダム型である洗礼ヨハネが完全に防がなければならないのです。これを完全に防いできていたならば、イエス様は堕落しない本然の息子の立場に立ち、長成期完成級を越えた神様の愛を中心として誕生した方なので、サタンの侵犯を受けないのです。

ところが洗礼ヨハネは外的基準において、堕落したアダムを復帰する使命を完結することができなかったのです。サタンを防ぎ民族を率いて、イエス様の前に屈服させ得る主導的な役割をすべきなのに、洗礼ヨハネが責任を果たせず挫折することによって、長成期完成級まで…。

長成期完成級、ここで堕落したので、イエス様はどこで生まれたかというと、堕落したアダムの基準以上の位置で誕生したのです。堕落する前、長成期完成級に上がったそれ以上の位置で、イエス様が神様と関係を結んだのです。しかしながら、蘇生、長成、完成級の圏内まで堕落の侵犯圏にあるので、ここにおいてサタンを完全に防いで神様のみが干渉できる、そのような権限を備えることができなくなるようなときは、この圏は再び、サタンの侵犯を受けることは自動的な結論なのです。

ところでイエス様が神様の愛する息子であるならば、なぜサタンから三大試練を受けなければならないのでしょうか。この完成圏を抜け出していなかったからです。完成圏を抜け出していたとすれば、サタンは神様の息子を試練することはできないのです。長成期完成級圏内から完成圏内に向かって乗り越えなければならないその基準で堕落して、三段階圏内が侵犯を受ける圏内にあるので、洗礼ヨハネが挫折することになれば、サタンはイエス様までも試練できるのです。イエス様までも打ちのめすことができるのです。イエス様までも堕落させることができるのです。

洗礼ヨハネを中心として、それをなぜ復帰しなければならないのでしょうか。それは縦的歴史を横的に展開させようというのです。今までイエス様とアダムは縦的でしょう?この縦的歴史を横的に連結しようとすれば、昔、堕落したアダムを復帰した型を横的な代表者として立てることによって、縦的歴史を横的に蕩減できる基盤が成立するのです。

なぜ洗礼ヨハネを選び立てたのでしょうか。縦的な歴史型を横的に蕩減するためです。横的に広がったこの地球星の上で、洗礼ヨハネが防御することによって、サタンが侵犯し得る圏を解放させることが目的です。それで民族を代表した代表者、国家を代表した代表者の権限をもってイエス様を証したのであり、イエス様に従うことができたのですが、洗礼ヨハネが責任を果たせなかったことによって、サタンがイエス様にまで再侵攻できる道を開いてしまったのです。これが、今まで数千年の悲運の歴史を延長させた原因になったのです。

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使命を完遂できなかった洗礼ヨハネ

ユダヤ教徒たちは、エリヤが雲に乗ってくるものと信じ、知らずにイエス様に反対しましたが、イエス様を証した洗礼ヨハネは、イエス様のことを信じたのかどうか調べてみましょう。マタイによる福音書第十一章2節以下を見ると分かります。洗礼ヨハネの弟子たちが出掛けて伝道していたところ、洗礼ヨハネから洗礼を受けたイエス様のもとに人がみな集まっていくのを見ました。それで弟子たちが洗礼ヨハネに、「先生から洗礼を受けたイエスのところに、人がみな行きます」と報告したのです。

それで監獄にいる洗礼ヨハネが弟子を遣わして、イエス様に尋ねたのです。ヨルダン川のほとりでは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言っていたのに、今さら弟子を送ってイエス様を疑ったではないですか。彼はすぐに王の恋愛事件に巻き込まれて、獄中で死んでしまいました。イエス様に人を送って尋ねるその言葉を見ると、洗礼ヨハネはイエス様を信じたでしょうか、信じなかったでしょうか。「『きたるべきかた」はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」という言葉を聞く、イエス様の心情はどのようなものだったでしょうか。

この世の天地にある教会と国と民のすべてが反対し、誰一人として支持する人がいない中で、それでもヨルダン川のほとりで自分のことを証した洗礼ヨハネ一人だけは、自分を支持するものと思っていたのに、洗礼ヨハネさえもこのような状態なのであきれてしまったのです。

マタイによる福音書第十一章6節を見てください。イエス様は、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」とおっしゃいました。それは誰を指摘しているのでしょうか。洗礼ヨハネを指摘したのです。そのあと洗礼ヨハネの弟子たちが立ち去って、イエス様が群衆に向かって、洗礼ヨハネについて風刺的に非難したのです。「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。では、なんのために出てきたのか」と非難したのです。

それから、マタイによる福音書第十一章11節にある聖句を見てください。イエス様があきれて、再び洗礼ヨハネを攻撃します。「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」と非難したのです。それならば、霊界に行った人々は多いのに、なぜそのような反対の現象が起こるのでしょうか。

すべての預言者の使命は、来られるメシヤを証することです。過去に現れては去っていった預言者は、メシヤを証するにも、遠い歴史的距離をおいて証をしたのですが、洗礼ヨハネはメシヤを証するに当たっては直接証しました。ですから証するという立場から見れば、最も大きくあらざるを得ないのです。ところがなぜ、天国で最も小さい者なのでしょうか。天国にいるすべての預言者は、この地上で迫害を受けるイエス様がメシヤと知って、信じ、侍っているのです。ですから小さくあらざるを得ないのです。

同第十一章12節を見ると、「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」とあります。ですから、イエス様と洗礼ヨハネの間で天国争奪戦が行われたということなのです。努力しなかったということを証しているのです。もし努力していたら、どうなっていたでしょうか。努力していたならば、一番弟子にはペテロではなく、洗礼ヨハネがなっていたのです。これを知らなければなりません。

もし洗礼ヨハネが一番弟子になっていたら、十二弟子である使徒と洗礼ヨハネの弟子と七十門徒、百二十門徒、洗礼ヨハネに付き従っていたすべての人々も、メシヤたるイエス様と一つになっていたので、イエス様を捕まえて殺すということは起きなかったはずなのです。

そうなっていたら、誰が殺すでしょうか。神様が準備した預言者たる洗礼ヨハネが、ユダヤ教の高い地位の人々とすべての律法学者を合わせて、イエス様と一つになるようにしなければなりませんでした。そのことをするように準備した代表者が、洗礼ヨハネではなかったでしょうか。それは間違いありません。それでは洗礼ヨハネには、そのような資格がなかったのでしょうか。それを調べてみましょう。

同第十一章14節までずっと読んでみると、「すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである」とあります。洗礼ヨハネのことを「旧約聖書の結実」であるとイエス様が言ったのです。旧約聖書の結実である洗礼ヨハネがイエス様と一つになったならば、新約が出発していたのです。万人の主になったとすれば、無知な人々を弟子にはしなかったということを知らなければなりません。やむを得ずそうしたのです。

ヨハネによる福音書第三章30節を見ると、洗礼ヨハネが弟子たちに、イエス様について話して、「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と言いました。そのように答えた洗礼ヨハネの言葉に対して、今日のキリスト教徒は、洗礼ヨハネは謙虚であり、穏やかな人なのでそう答えたのだと言って、偉大な預言者として敬ってきました。けれども事実は、正反対の内容であったということを私たちは知らなければなりません。

キリスト教徒は、彼を善良で高い方と見るのです。その言葉は何ですか。洗礼ヨハネがメシヤと行動を共にしていたならば、メシヤが栄えれば洗礼ヨハネも栄えるのであり、メシヤが衰えれば、洗礼ヨハネも共に衰えるはずです。それなのに、どうして二股に道が分かれるのでしようか。それは、洗礼ヨハネがイエス様と行動を共にしなかった、はっきりとした証拠であることを知らなければなりません。

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エバを復帰すべきだった洗礼ヨハネ

それでは、その国家と教会を代表し、平面的な立場において歴史を代表した実体的天使長は誰でしょうか。洗礼ヨハネです。洗礼ヨハネと新婦とアダムの代わりとなるイエス様が一つになっていたら、イエス様の前にエバが帰り、エバの前に天使長の代わりとなる洗礼ヨハネが帰ったことでしょう。

エデンの園で堕落するときに、天使長を中心としてエバを引っ張っていき、エバを中心としてアダムを引っ張っていったのとは逆に、天使長の代わりの実体である洗礼ヨハネを中心として、ヨハネとヨセフがマリヤの斡旋によって一人の新婦をイエス様の前に取り戻してあげていれば、その新婦を中心としたユダヤ教もイエス様の前に返ったはずです。そしてユダヤ教を中心としたイスラエルの国も、イエス様の統治圏内に立ち得る国になっていたはずです。

そのようになっていたら、どうなっていたでしょうか。イエス様と新婦が一つになり得る因縁を結んだならば、エデンの園で天使長とエバとアダムが失敗したことをこの地上で、すなわち平面的な立場で蕩減復帰して、初めて新しい家庭の出現にまみえることができたでしょう。

摂理歴史の中心とは誰かというと、個人の中心はイエス様です。そのイエス様ゆえに、その時まで宗教を立ててきたのです。その宗教は、イエス様の前に吸収されるためのものです。吸収されるにも、ただそのまま吸収されるわけではありません。原理的な蕩減内容に従って吸収されなければなりません。吸収されるためには、天使長がエバを誘引するに当たって動機になったので、必ずそれを逆にしてエバを探し求めなければなりません。

エバを探すに当たって動機になるべき人が、イエス様になってはいけません。天使長の立場に立ったヨセフや洗礼ヨハネが、動機にならなければならないのです。家庭的天使長の立場がヨセフであり、教会的天使長の立場が洗礼ヨハネであり、国家的天使長の立場がその時の総督にならなければなりません。

このような三大天使長圏が、家庭と教会と共に国家が一致してイエス様の前に一致したならば、そこから天の摂理として探し求めてきた中心個人が決定され、中心個人として定着して立ち得る位置が決定されることによって初めて、家庭が決定されるのです。それゆえ、個人であるイエス様について見ると、彼はイスラエルの国の中心的な存在であり、ユダヤ教の中心的な存在なのです。そして家庭を中心として見ても、イエス様と新婦が一つになるその家庭は、すべての家庭の中心になるのです。

すべての個人の中心が決定されたので、すべての家庭の中心が決定されるのです。その中心家庭と中心個人は、サタン世界よりも上に立った家庭であり、個人です。ここから初めて、天国が形成されるのです。そこから一つの国家が形成されるのです。そうなったとすれば、この国家は天が探し出そうとしている摂理的中心国家として残っていたはずなのに、すべてが反対することによって、イエス様が立ち得る家庭がなくなり、イエス様が立ち得る教会がなくなり、イエス様が立ち得る国がなくなってしまいました。

イエス様のために立てられたイスラエルの国であり、イエス様のためにつくられたユダヤ教であり、イエス様のために立てられたヨセフの家庭、ザカリヤの家庭だったにもかかわらず、その国が反対し、その教会が反対し、その家庭が反対したのです。

言い換えれば、エデンの園で天使長を中心として堕落したことを、アダムとエバの前に、家庭的天使長と、教会的天使長と、国家的天使長を一度に屈服させようとしたその基台が、イスラエルの国とユダヤ教とヨセフの家庭がイエス様と一つになれない立場に立つことによって、完全に崩れてしまいました。

そのような立場に追い込まれ、イエス様はやむを得ず十字架で亡くなることになったのです。十字架で亡くなるイエス様の運命の立場は、イスラエルの国の終末を告げる立場であり、ユダヤ教の終末を告げる立場であり、祝福して立てたヨセフの家庭とザカリヤの家庭、その家門の終末を告げる立場であって、地上においてこの上なく悲痛な立場であり、場面であったということを我々は知らなければなりません。

それゆえ神様の摂理の中で探し立てたその国は、跡形もなく消えてしまいました。教会も跡形もなく消え、家庭も跡形もなく消えてしまいました。この一つの国と教会と家庭を立てるために、四千年の間サタンと対決し、数多くの戦いを経て、数多くの逆境を重ねて残したものがすべて崩れてしまったので、サタンはその国とその教会とその家庭をことごとくのみ込まざるを得なかったのです。

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イエス様と洗礼ヨハネを中心とした摂理

イエス様は、血筋を清めて生まれた神様の最初の息子なので、ひとり子といいます。神様から見ると、神側で血筋を清めた一番目の息子として生まれたので、ひとり子というのです。四千年を通して、このようなことをしたのです。マリヤがすべきことは、アベルの立場であるイエス様とカインの立場である洗礼ヨハネとを一つにすることでした。

カインとアベル、エサウとヤコブはみな争いましたが、イエス様と洗礼ヨハネは一つにならなければなりません。洗礼ヨハネはカインの立場の兄であり、イエス様はアベルの立場の弟です。イエス様と洗礼ヨハネが一つにならなければならなかったのに、分かれてしまったのです。これを一つにする責任をマリヤが果たしていたら、イエス様は苦労する必要がありませんでした。

エデンの園でカインとアベルが分かれたように、歴史時代にイエス様を中心として右翼と左翼とに分かれたのです。カインとアベルに分かれたのです。また、宗教もカイン宗教であるイスラーム(イスラム教)とアベル宗教であるキリスト教とに分かれました。洗礼ヨハネの母とイエス様の母は、レアとラケルと同じように姉妹の間柄です。レアとラケルが一つになってカインとアベルを一つにすべきなのに、レアとラケルは二人で争いました。そうしてイスラエル十部族とユダ二部族とに分かれ、歴史的に怨讐同士になったのです。

洗礼ヨハネの母とマリヤは親族なので、イエス様を早く結婚させていたら、一つになることができました。洗礼ヨハネの妹とイエス様が結婚していたら、分かれずに一つになることができたのです。天の側の女性がいないので、カイン側の女性を奪ってこなければならないのです。

天の側には女性がいません。イエス様がアダムの代表者として生まれましたが、女性がいませんでした。ですから、カイン側、サタン側が奪っていったものを取り戻さなければなりません。取り戻す場合には、どこが最も近いでしょうか。洗礼ヨハネの妹をイエス様の相手として結婚させれば、それが最も近いのです。そうなっていれば、洗礼ヨハネもイエス様と自然に一つになるのです。そのように結婚が成されていたならば、その時、イエス様を通して清い血筋がつながり、イエス様の子孫がキリスト教をすべて統一し、教派もなく世界が統一されて久しいのです。

母たちがしなければ、イエス様が洗礼ヨハネと一つになって、母を選ばなければならないのです。カイン・アベルを復帰して母を復帰するように、イエス様と洗礼ヨハネが一つになっていたら、母を探し立て得る道が開かれるので、そこで一つになることができたのです。アベルの立場にあるイエス様と、カインの立場にある洗礼ヨハネが一つになったとしても、母を探し立てることができ、反対に母たちが闘わずに一つになっても、単一民族が始まっていたのです。統一し得たのです。母たちが一つとなって息子たちに協助したとしても、母を立てることができたし、息子たちが一つになったとしても、母を探し立てることができたのです。しかし、それができなかったことが、イスラエルの悲運だったのです。

家庭がこのようになっているように、国家的な次元で見るとイスラエルの国がカインで、ユダヤ教がアベルでした。これが一つにならなければならないのです。イスラエルがカイン、ユダヤ教がアベルとして国家的次元で一つになっていたならば、そこで母を迎えるのです。カイン・アベルが一つになって、母を探し求めるのです。

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エリヤの代わりとして来た洗礼ヨハネ

ヤコブの家庭で、十二人の兄弟が一つになりませんでした。またレアとラケルが闘いました。レアが欲張ったために自分の召使にも四人の子供を生ませ、それを合わせた十人兄弟が北朝イスラエルになり、ラケルの子ヨセフとベニヤミンの部族を中心として南朝ユダになりました。家庭的に一つにならなかったので、民族的に分かれていくのです。

それでイエス様の時代に至って、エリヤを送り、これを一つにしなくてはいけないのです。本来はエリヤを中心として、氏族時代の時に一つにしようとしました。それで八百五十人のバアル神とアシラ神をあがめる預言者を焼き殺し、生きた神様を中心としてすべてを糾合しようとしたのですが、自分たちの預言者と神々が殺されたので、エリヤを捕まえて殺そうとしたのです。ですからエリヤが逃げて、「私を連れていってください」と願うと、神様が「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」(ローマ一一.4)とおっしゃったのです。

神様の立場からすれば、カインとアベルが一つにならなければなりません。長子権復帰ができなければ、大変なことになるのです。これが氏族的に成し遂げられなかったので、イエス様の時代、国家時代において、エリヤの代わりの者として召したのが洗礼ヨハネです。

イエス様の時代において、洗礼ヨハネが失敗したのです。エリヤが洗礼ヨハネとして来たということを誰も考えられなかったのです。エリヤは九百年前に火の戦車に乗って霊界に上っていったので、火の戦車に乗って来ると思ったのですが、火の戦車も来なかったのです。

その時代において旧約聖書を信じるユダヤの民はマラキ書によって、エリヤが火の戦車に乗って来て、メシヤが来る前にすべてを準備して、行くべき道、捷径(近道)をならして、すべてを教えてくれるものと思っていました。ところがエリヤも天から降りてきていないのに、イエス様が「洗礼ヨハネがエリヤである」と語ったのです。

旧約聖書には、エリヤが来るなら火の戦車に乗って来るとあるのに、火の戦車に乗って降りてこなかったではないかというのです。それを信じるわけがありません。それで洗礼ヨハネのところに行って尋ねると、「自分はエリヤではない」と話したのです。しかし、洗礼ヨハネはヨルダン川で洗礼を与えるとき、イエス様のことを「神の小羊」と言い、聖霊が鳩のように臨んだので、間違いなくメシヤであることを知って証したのですが、よく考えるとイエス様はそのような人ではないと思えたのです。イエス様の族譜(家系)を洗礼ヨハネはすべて知っていたのです。彼の父は誰かということを知っていたのです。「そんな人がメシヤにはなれない」と否定せざるを得なかったのです。

洗礼ヨハネは、妾をもったヘロデを非難して首を切られて死にました。彼はそのように死ぬべき人ではありません。イエス様と一つになっていれば、どうして彼が死ぬでしょうか。それは蕩減法によって、そうならざるを得なかったのです。

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三、イエス様と洗礼ヨハネ

洗礼ヨハネの使命

今日キリスト教信者は、イエス様が天使長のラッパの音とともに雲に乗って再び来られると言うのですが、そのようなことはありません。その前に、この地上に天使長の使命を完結し得る天の忠臣が現れなければなりません。そうして「私が来たのは、私の志のためではなく、神様の息子のみ旨のためだ」と、宣布する者が現れなければならないのです。

そのようなことが、イエス様の当時にも起きました。その使命の代表的な中心存在が、洗礼ヨハネでした。ですから彼は「悔い改めよ、天国は近づいた!私が来たのは、私のためではなく、彼を証するためである」と言いました。

その洗礼ヨハネは僕として来て、イスラエルの国全体を代表して堕落した直後のアダムの立場を復帰しなければなりませんでした。堕落直後のアダムの立場、堕落していないアダムの立場に連結できる、その立場を復帰しなければならなかったのです。堕落したこの世で、堕落していないアダムの立場を復帰して、この世のすべての権限を彼に相続させることを約束すべき代表者が、洗礼ヨハネだったのです。

「悔い改めよ、天国は近づいた」という言葉は、洗礼ヨハネ個人の言葉ではありませんでした。それは全イスラエルの歴史を代表し、イスラエル民族を代表した言葉であり、四千年の歴史を代表し、この地球上に生きている全人類を代表する言葉だったのです。また、洗礼ヨハネがイエス様に洗礼を与えたその場は、歴史的なすべての責任を相続させる場でした。そのあとにイエス様は出発することになるのです。

それはどういうことでしょうか。この地にまだ天の忠臣が現れなかったということです。忠臣が現れるには、この地上に真の神様の息子が現れなければなりません。天使長はその神様の息子に仕えて、天の前に忠臣の道理を果たさなければならないのです。神様の息子を愛することによって、忠臣の基準が決定されるのです。それゆえ歴史的なこの終末時代に、必ず神様が愛し得る息子が現れなければなりません。そうなってこそ忠臣が決定されるのです。

神様が洗礼ヨハネを召して立てられたのは、それまで四千年の間、神様と対決してきたサタンの頭、天使長、神様を裏切ったその天使長ではなく、神様のために忠誠を誓って乗り出した天使長の立場の代わりをさせるためでした。イエス様に忠誠を果たし、イエス様のために生きよということでした。イエス様の困難を自分の困難と思い、それを克服するために、あらん限りの力を尽くせということでした。

ところが洗礼ヨハネは、そのような責任を果たすことができませんでした。ですから歴史的な悲しみは、より一層深まらざるを得なかったのです。洗礼ヨハネの弟子たちは、イエス様の弟子にならなければならず、洗礼ヨハネはイエス様の三弟子に入らなければならなかったのです。洗礼ヨハネを歓迎した数多くの群れは、イエス様を歓迎する群れにならなければならなかったのです。

そうして洗礼ヨハネは、新郎、新婦の本然の名をもった神様の息子、娘に忠誠を尽くす天使世界の代表的実体として現れた者であり、天使世界を導き、実体のサタン世界に対して防備しなければなりませんでした。神様が訪ねてこれる天使長の実体目的を完結した洗礼ヨハネとならなければならないのに、彼がその使命を完結できなかったので、イエス様はその使命までも責任を負わなければならなかったのです。

それゆえ、僕たる道理ができたのです。「私が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためである」と言われたでしょう?神様の息子がそのように語る話がどこにありますか。新郎として、あり得ないことでした。それゆえ、栄光の中で出発すべきだったイエス様は、悲しく恨めしい僕のくびきをかけて出発しなければならなかったのです。そのような歴史的な過程が残っているがゆえに、その峠を越えるために生まれたのがキリスト教の二千年の歴史なのです。

それとともに神様は、民族的摂理を世界的摂理に引っ張ってこられたのです。歴史を導いていくには、歴史の内部をすべて清算しなければなりません。清算するには、個人的、家庭的、国家的、世界的にすべて清算しなければなりません。本来は万民が従って発展させていかなければならないのが天の摂理であるにもかかわらず、人間がその責任を果たせず、歴史はだんだんと発展してきたのです。神様は、そのような外的な歴史に歩調を合わせながら、内的には歴史の目的と時を成し遂げるために準備してこられたのです。

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子孫を残したかったイエス様

問題になるのは、イエス様が独身だったということです。祭司長になるにも独身で、王になるにも独身でなければならないのでしょうか。そんなことはありません。もしイエス様が結婚していたならば、どうなっていたでしょうか。イエス様を中心として、イエス様の家庭が生じていたでしょう。またアダムとエバが堕落せずに成就すべきだった真なる父母の立場を、イエス様が代わりに成就することができたでしょう。

イエス様も男性ですが、新婦を迎えて息子、娘を生みたかったでしょうか、生みたくなかったでしょうか。この地上で「お父さん」という言葉をイエス様は聞きたかったでしょうか、聞きたくなかったでしょうか。もちろん聞きたかったことでしょう。また「おじいさん」という言葉も聞きたかったでしょう。

こうしてイエス様が祭司長になり、イスラエルの王になっていれば、神様が直接支配し得る皇族が生じていたでしょう。そのようになったら、今日のこの世界にイエス様の直系の子孫が残っていたはずです。

では神様は、イスラエル民族よりもイエス様の直系の子孫のほうを愛するでしょうか、愛さないでしょうか。どちらを愛するでしょうか。そうなったらイエス様を中心として、キリスト教徒は一つの王権国家、善の主権国家を成し、世界へと広がっていったはずです。これは常識的に考えても分かることです。皆さんも、男性としてイエス様のような立場に立てば、そのように考えないでしょうか。また、そのようなことを願わないでしょうか。

そのような立場に立ったイエス様がみ旨を成就できず、十字架に行かなければならない急変の事態が起きることによって、イエス様は「アバ、父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」という深刻な祈りを捧げざるを得なかったという事実を、私たちは知らなければなりません。死ぬのが嫌で、そのような祈祷をしたのではありません。

救い主が十字架にかかって亡くなることになれば、救い主を信じる人たちも血を流す道を行かなければならないのです。自分が死ぬことによって、後代の数多くの人たちが虐殺され、世界を流浪しながら悲惨な死に遭う事態になることを思うとき、懇切に三度も天の前に訴えざるを得なかったのです。そのようなイエス様の事情を誰も知りませんでした。

では、イエス様が来て何をすべきだったのでしょうか。サタン主権の国家以上の主権国家を築くと同時に、私たち人類の原罪を取り除かなければなりませんでした。原罪を取り除かなければならなかったのです。イエス様から接ぎ木され、原罪を取り除いた立場で、イエス様と一つになった人の子女は、イエス様を信じなくても天国に行けます。堕落がなかったら、私たちには救い主が必要ありません。宗教とか祈祷とかいうものは、すべて必要ないのです。堕落したから、救い主が必要なのです。

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結婚できなかったイエス様

マリヤはどうすべきでしょうか。僕たるマリヤは、堕落したエバの立場で自分の継代を通して堕落しないエバをつくるために、あらゆる精誠を尽くさなければならなかったのです。

それはどういうことかというと、イエス様の結婚に対して関心をもたなければならないということです。イエス様が死ぬことになったのは、結婚できなかったからです。結婚をしていたならば、なぜ死ぬのですか。

マリヤは全身全霊を尽くして、女性を創造しなければなりませんでした。マリヤは女性です。マリヤは僕としての女性の中で代表的な立場なので、僕圏内にある女性たちをみな動員しなければなりませんでした。三人以上動員しなければなりませんでした。三位基台を立てなければならないのです。そのように動員して、お互いに協助しなければならないのです。

イエス様の親威の中に娘がいるかを調べ、そのような娘がいれば彼女たちを集めて基台をつくらなければならなかったのですが、それができなかったのです。イエス様の親戚の中に誰がいたでしょうか。洗礼ヨハネの妹がいたらどれほどよかったでしょうか。洗礼ヨハネの母は、マリヤがイエス様を身ごもったのち面倒を見てくれました。イエス様が腹中にいるときから歓迎しました。したがって洗礼ヨハネの妹や遠い親戚に娘がいたら、洗礼ヨハネの母とマリヤ、そして姉がいるならその姉と三人が一つになって、イエス様よりも年が若いその親戚の娘と因縁を結ばせなければならなかったのです。イエス様と共に、一人の女性を再創造しなければならなかったのです。

もし洗礼ヨハネの妹がいれば、その妹が幼いころからイエス様が東に行けば東について行き、西に行けば西についていきたくて、ついていけなければ「私はたまらない」と言うぐらいに、片想いするようにさせなければなりませんでした。イエス様が結婚をする前に、そのようにしておかなければならなかったのです。

そのようにするには、誰でもいいというわけではありません。そのような女性は、今まで信じられなかった歴史的なすべての内容を解き得る、特別な氏族の中に現れなければなりませんでした。その特別な氏族とは、どのような氏族でしょうか。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭です。ヨセフの家庭にはヨセフのいとこもいたことでしょう。

イスラエルの国の中ではユダヤ教が中心であり、ユダヤ教の中ではヨセフの家庭が中心であり、ヨセフの家庭の中では洗礼ヨハネの家庭が中心であることを、神様は御存じだったのです。それゆえ、その家庭は最も重要な血族でした。

先祖の中の種がいいのです。神様は見込みがあり、家柄から見て名門である一族を通して、イエス様が生まれるようにされました。また洗礼ヨハネの家庭を見るときも、洗礼ヨハネをエリサベツが懐妊するとき、祭司長の責任をもつザカリヤの口がきけなくなるという事件が起きたのを見ると、族譜、つまり家門が相当に良い家柄であることが分かります。しかしそのような相当に良いいとこ圏内で、イエス様の相手を見つけていたら神様は嫌われるでしょうか、喜ばれるでしょうか。

イエス様の相手は、他の所から取ることができません。自分の直系のいとこの妹(年下の女性)でなければ、母方のいとこしかありません。血統が違ってはいけないのです。母方のいとこは同じ所属なので可能なのです。このように、いとこの妹を通して物事がうまく行っていたら、どうなっていたでしょうか。イエス様にほれて、イエス様でなければ刃物を突き立てて死んでしまうとか、イエス様でなければ結婚しないというそのような妹がいたとすれば、どうなっていたでしょうか。イエス様が死ぬときに、自分も一緒に死ぬのだと言って追いかけてくる女性がいたとすれば、どうなっていたでしょうか。

この地上で神様の王子が逝くというのに、男性は天使長の立場なので逃げてしまいましたが、イエス様の相手として残り得るエバの群れ、我が夫が行くべき道を志操でもって守れる一人の女性、片想いでもできる女性がいたらどうなっていたでしょうか。

もしそうなっていたなら、イエス様は死んでも、神様の前に栄光を返すことができるのです。また、「あなたはこの地上で私を愛してくれる一人の人を見つけたではないですか。死ぬ場にまで私のそばで私を愛して死んでいくか弱い女性を哀れに思ってくださいませ」と、恵みを祈ることができるのです。万民に代わって恵みを祈ってあげられるのです。

もしそうなったとすれば、イエス様は死の道、黄泉路でも孤独ではなかったでしょう。地獄に行くにも二人で行き、楽園に行くにも二人で行ったはずでしょう。ですから孤独でしょうか、孤独でないでしょうか。そうなったとすれば、聖霊を何のために送りますか。聖霊を送る必要はないのです。

しかし、二人でいることができない運命だったので、聖霊を送ったのです。父の神であるイエス様は天の国に行き、母の神である聖霊は地に降りるという離別があったのです。そのような女性がいたならば、昇天は必要ないのです。地は息子、娘を直接保護するので、そのようには死なないのです。

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イエス様を中心として見た女性の責任

イエス様が死んだのは、女性が誤ったからです。実際、マリヤがイエス様の新婦を探してあげる責任を果たせなかったのです。マリヤだけでも責任を果たしていれば、ヨセフが死のうが生きようがほうっておいて、イエス様に腹中にいる時から約三年だけでもよく侍っていたならば、問題は変わったことでしょう。ですから女性たちが、第一に母の責任を果たせず、第二に新婦の責任を果たせず、第三に僕の責任を果たせなかったのです。このような三つの責任を果たすことができなかったのです。

イエス様がサマリヤの女を引き止めて、話した理由とは何でしょうか。サマリヤの女を僕にしょうとしたのです。母を失い、新婦を探せず、僕であるサマリヤの女の所に行って水をくれと言ったのです。その女性はサマリヤ人、僕でしょう?ところが、この僕も責任を果たせませんでした。このサマリヤの女は、僕の中でもぼろ布のような女の僕なのです。五人の夫に仕えた女性でした。家庭の暮らしは貧しく、汚れた女性だったのです。

そのような女性でも、イエス様のみ言を聞き「この道だけが私の生きる道だ」と言いながら荷物をまとめてイエス様に従ったとすれば、どうなったでしょうか。マグダラのマリヤよりも立派になったのではないでしょうか。そのようにしていたならば、そのサマリヤの女は、マグダラのマリヤ以上の立場に立つようになったことでしょう。

そのような観点から見ると、イエス様が亡くなることになったのは、女性のせいなのです。その女性とは、母、娘、僕の三段階の女性です。堕落したアダムを中心として見れば、アダムの妻は僕です。エバが堕落して僕になったのです。そのような僕の体を借りて、イエス様が生まれたのです。

イエス様がこの地に来ることによって、養子時代に入りました。養子圏は直系圏に近いでしよう?僕は直系の息子であるイエス様と関係を結んでこそ、養子圏内に入ることができるのです。それゆえ、キリスト教を信じる人々は養子なのです。

旧約時代は僕の時代です。イエス様が生まれる前時代である旧約時代は、神様の娘がいませんでした。ですからやむを得ず僕の体を借り、主人(神様)の種を受け取って生まれるのです。マリヤはそのような僕の立場でした。主人の土地がないので僕の畑に行き、主人の種を受け取ってきたのです。僕の畑で受けた種だとしても、種さえ正しければいいのです。神様の種を僕の畑に植えて受けてくるのですが、その畑がマリヤのものなのです。このようなマリヤをカトリックでは聖母とし、あがめて大騒ぎでしょう?

このように僕の体を経て生まれたイエス様を、息子の立場に立てたのです。こうして息子の位置に立ったイエス様を中心として因縁を結んだ使徒たちは、僕の立場から養子の立場に上がるようになるのです。イエス様を中心として、一段階高い所に上がるのです。イエス様と一体になれば、僕の立場から一段階高い養子の立場にそのまま上がるのです。

僕の立場から一段階上がったので、娘が現れなければなりません。僕の体を借りて、神様の息子であるイエス様が生まれたので、次は神様に必要な娘が現れなければならないのです。その娘をイエス様がつくらなければなりません。イエス様が堕落していないアダムになったので、イエス様の妻になり得る堕落していないエバがいなくてはならないでしょう?後のアダム、すなわち復帰された本然のアダムであるイエス様が現れたので、復帰されたエバが現れなければならないのです。

ではエバは、どのように現れなければならないのでしょうか。創造の原則によって、エバはアダムを通してつくられなければなりません。イエス様はマリヤを通して生まれましたが、エバが生まれるに当たっては、そのような原則はありません。エバが僕の立場で蕩減復帰しようとするならば、イエス様がアダムを復帰完成したのちに、イエス様によってつくられなければならないのです。そもそもエバはアダムによってつくられたので、復帰されたエバもアダムの代わりであるイエス様を中心としてつくられなければなりません。

それならばイエス様を中心として、復帰されたエバをつくる際には誰の協助を受けなければならないのでしょうか。天使長の協助を受けなければならないのです。ところが男性の天使長の協助を受けてはいけません。なぜでしょうか。男性の天使長によってエバを失ったので、復帰路程においては男性の天使長の協助を受けてはいけないのです。女性の天使長の協助を受けなければなりません。そうしてこそ、エバが創造されるのです。ここで、堕落したエバを誰が復帰すべきかというと、アダムが責任を取って復帰しなければなりません。つまりイエス様御自身がしなければならないのです。

女性の天使長の協助を受けて、イエス様の相対的存在であるエバを創造しなければならないのです。そのためにはマリヤが、イエス様のみ旨を中心としてイエス様と一つにならなければなりません。そうなれば、男性の天使長の立場に立ったヨセフが協助するようになるのです。そうしてこそ、堕落することによって僕の立場に落ちたアダムとエバが、息子、娘の立場に復帰されるのです。

アダムとエバが天使長と一つになることによって堕落したので、天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦が、ヨセフとマリヤです。彼らは、イエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。

イエス様が成人になるまで、喜びの中で完成できるように協助してあげ、彼の新婦を選ぶことにすべての最善を尽くして協助してあげなければなりませんでした。彼らは天使長夫婦の立場で、イエス様とその相手を本然の息子と娘のように完成させてあげるべきではなかったのでしょうか。

マリヤを中心に天使長格であるヨセフは、絶対服従しなければならないのです。そうしてこそ復帰されるのです。エバの前に天使長が屈服していれば、アダムとエバは堕落しなかったでしょう。マリヤにヨセフが不平を言って服従しなかったのは、マリヤの責任です。イエス様を完成させるに当たっては、マリヤが主体にならなければならないのです。そうして天使長とアダムが失敗したことを復帰してあげなければなりません。エバが天使長とアダム、二人の男性を堕落させたでしょう?ですからエバの立場であるマリヤが、天使長とアダムを復帰しなければならないのです。

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結婚をめぐるイエス様の事情

イエス様が結婚するとしたら、誰と結婚しなければならないのでしょうか。腹違いの妹としなければならないのです。当時あの環境で、処女が妊娠すれば石で打ち殺し、家庭的に淫らなことが起きれば一族が滅びるその当時において、これを行い得る環境的与件になっていたでしようか、なっていなかったでしょうか。ザカリヤの家庭だけ見た場合、妹が姉の夫を奪って妊娠してしまい、(親戚の)兄という者が腹違いの妹を強奪してしまったということになるのです。それが明らかになる場合には、一家が滅びるのです。

ザカリヤあるいはエリサベツ、洗礼ヨハネも、イエス様がどのような人なのかを知っていて、またマリヤもそのような環境にいたのですが、そのようなこと(イエス様が腹違いの妹と結婚)をするならば、目がまん丸になり、唇がこのように折り重なるようになったでしょうか、ならなかったでしょうか。あのように妾から生まれた息子が自分の妹を奪うとなれば、「こいつは淫乱の子だ」と思うのです。

ですから洗礼ヨハネもイエス様を拒否したのです。エリサベツも否定し、ザカリヤも否定し、マリヤも「仕方がない」と思ったのです。十六歳のときに堕落したので、イエス様は「結婚します」と十七歳のときに一度話し、二十七歳のときに話し、三十歳のときに決着をつけるために話したにもかかわらず、聞き入れなかったので家を出ざるを得なかったのです。

なぜ十三数が悪い数になったか知っていますか。イエス様が相対的理想を成し遂げることも、定着することもできなかった怨恨の数なので、十三数は悪いということになったのです。結婚するのは十三歳が最も良いのですが、これを失うことによって、個人を失い、家庭を失い、国、世界、すべてを失ってしまいました。どれほど邪悪で悪い数でしょうか。最も願った数なのに、です。これを三度話したのに、言うことを聞かなかったのです。

ですから十七歳のときに、マリヤを通してザカリヤに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。エリサベツに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。洗礼ヨハネは知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。「こいつ、私の妹を奪って行こうとするのか。私も結婚していないのに、どうしてだ。一族を滅ぼそうとして・・・」と思ったはずです。イエス様は洗礼ヨハネの腹違いの弟ですが、「こいつ、私も結婚していないのに、何だ、私の妹にまたこうするのか。この淫乱の代表!」と思うのです。一族を滅ぼす代表だと言うのです。

イエス様は結婚できますか、できませんか。父が見ても「こいつ!」、エリサベツが見ても「こいつ!」、そして洗礼ヨハネも「こいつ!」、マリヤも「こいつ!」と思ったのです。そうして二十七歳の時に至っても、「そんなことをするのか、こいつ」と思ったのです。それが駄目なので、三年後にその談判をつけたのですが、「こいつ、これは何だ」と追い出すしかなかったのです。父もそのようなイエス様のことを見たくはなかったし、母も兄弟も同じでした。それならばイエス様は、どこに行くのでしょうか。追い出されることになるのです。

ですからイエス様は家を出て、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言ったのです。これはいったい何ですか。歓迎されるべき家庭と両親から追い出され、兄弟から追い出されました。家庭から追い出されたイエス様は、そのような環境を再びつくるために、弟子たちを中心として努力をしたのですが、いくら夢見ても不可能なことなのです。

弟子たち同士がけんかし、怨讐になって嫉み合うのを見ると、同じなのです。それで希望がないので、霊的救いだけでも得るために十字架で亡くなって、霊界の母を地上に送り、イエス様と霊的な真の父母となって霊的重生の摂理を始めたのです。キリスト教は国がなく、地によりどころがないので、国で血を流して死ぬようになったのです。

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二、結婚を中心としたイエス様の恨

新婦を探し出すべきだったイエス様

神様のみ旨とは何でしょうか。今まで四千年のユダヤ教の歴史を経ながら、神様は苦労して何を探し求めて、何を復帰したのかというと、堕落する前の血統が汚されていない息子、アダムです。アダム一人、一人の息子を探し出したのです。それゆえコリント人への第一の手紙では、イエス様のことを「後のアダム」としています。

神様の救いの歴史は、再び取り戻していく復帰歴史なので、このように四千年の歴史を神様が苦労して、人の世に理解されないその道をたどって、初めてひとり子イエス・キリストが現れたのです。このような事実は、堕落せずに神様の愛を受けられるアダムの立場を復帰したということを意味するのです。

神様は天理の原則に従って、運行されるということを知らなければなりません。アダムを捜し出して新郎になったので、何を捜さなければならないでしょうか。サタン世界からエバ、新婦を捜してこなければならないのです。アダムが誤り夫の役割ができなかったことによって、エバに命令できる立場を、責任を履行できずに奪われたので、サタン世界から捜してこなければならないのです。これを捜してくるためには戦わなければならないのです。

それを準備するために、国の基盤から、教会の基盤から、氏族の基盤から、家庭的基盤を神様が準備しなければならないのです。そうしてヨセフの家庭とザカリヤの家庭を準備したのです。

イエス様の新婦を準備すべきだったマリヤ

創造の原則を見れば、アダムをまず造り、そのアダムを中心としてエバを造られました。ゆえにマリヤは息子を協助して、息子の新婦を探さなければならなかったのです。マリヤはそうしなければならないのです。イエス様はもちろん、マリヤも協助して新婦を探さなければならないのです。

そのようなことを見ると、マリヤは責任を果たせなかったということが分かります。ある日マリヤが、ガリラヤのカナの祝宴の場で、イエス様にぶどう酒がなくなったと言うと、イエス様は「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」と言われました。その言葉は、他人の結婚に何の関係があるのかということなのです。つまりイエス様が結婚する時になったのに、なぜマリヤは知らずにいるのかというのです。結局、マリヤは責任を果たせなかったのです。

イエス様が結婚をしていれば、イエス様の息子と娘は、神様の孫と孫娘になるのです。神様の尊属(血族)になるのです。ある人は、イエス様を神聖なる神様だと言いますが、それこそ精神障害者です。邪教の中の邪教です。イエス様が私たちのような世の人として来られて結婚するというのに、何だというのでしょうか。それに対して、「おお、我々の神聖なる神様が結婚するとは」と言って失望するというのです。なぜ結婚すると神聖ではないのでしょうか。男性も女性も、最も神聖なことは結婚することです。

もしイエス様が結婚して、息子、娘を生んでいたら法王には誰がなるでしょうか。ペテロのような人がならなければならないでしょうか。イエス様の直系の息子、娘が、ローマ法王にならなければならないのです。そうなっていれば、自然と世界の王になっていたはずです。

このように地上に基盤を築こうとしたイエス様が亡くなったので、イスラエル圏を失ったキリスト教は、霊的イスラエル圏のみを築くようになったのです。それゆえ神様には、基盤を備え得る土地がありません。教会が、イエス様の占有できる王国ですか?ですから追われてきたのです。

神様は、アダムを通してエバを造られました。救いの摂理歴史は再創造歴史なので、原理どおりにしなければなりません。それゆえマリヤは、イエス様の新婦を迎えるために準備しなければなりませんでした。ところがその責任を果たすことができなかったので、イエス様はやむを得ず家を出たのです。家を出て、乞食の群れのような人々を集めたのが十二弟子です。一族でイエス様の新婦を探し出してあげていたならば、その一族の人々が十二弟子になるようになっていました。イエス様は何もせずに、「あれはあなたがして、これはあなたがしなさい」と任せればいいのです。ばかばかしく、あちこち歩き回りながら、あんなに苦労して弟子を求めることはしないのです。当時のユダヤ人たちは、祭司長ザカリヤ家門の洗礼ヨハネの言葉なら、みな従うようになっていました。それゆえ一度にすべてを引っ張ってくることができたのです。

そうなっていたらイエス様は、ユダヤ教徒と律法学者、祭司長たちと一つになって、彼らにサタン側国家であるローマ帝国に対して反旗を翻すように言ったでしょう。世界的なアベル国家である小イスラエルを中心として、世界的な大サタン国家であるローマを屈服させよと言うのです。

当時のローマは四通八達した世界文化の中心地だったので、ローマさえ屈服させれば、キリスト教とイスラエルを中心として、その時、既にみ旨は成就されていたのです。亡くなったイエス様が四百年でローマを征服しましたが、もしイエス様が生きていらっしゃれば、四十年でローマを征服できなかったでしょうか。おそらくイエス様は、八十歳になる前にローマを完全に料理していたことでしょう。

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み旨の展開前の生活

もう一度イエス様のことを考えてみましょう。イエス様は天の玉座を前に復帰の使命を担い、この地の悲惨な立場で来られました。そのように来たイエス様は、何をすべきだったのでしょうか。彼には万物を復帰すべき責任があり、万民を復帰すべき責任があり、僕(天使)を復帰すべき責任があり、また子女を復帰すべき責任がありました。

それゆえ彼は、父母の中でも世界的な父母の心をもたなければならず、兄弟の中でも長男の心、兄の中でも兄の心をもたなければならず、世界的な孝子の心をもたなければならず、世界的な忠臣の心をもたなければなりませんでした。また世界的な祭司長の心をもたなければならなかったのです。

そしてこの地上で神様の前に忠誠を尽くして、善の実績を積んだ先祖たちがいるならば、彼らに後れを取らない忠誠の心までもたなければなりませんでした。それゆえイエス様は、エルサレムで暮らしながら御飯を食べるときも、「神様、私は御飯を食べますので、アブラハムの祭壇に供えられた三つの供え物として受け取ってくださいませ」と祈るような生活をしました。

堕落によってすべてを失ったために、嘆息の圏内にある万物と人間のすべての嘆息の条件を、内的に蕩減すべき使命が彼にあったからです。それでイエス様は人知れず、そのような歴史的な生活の基盤を築いていかなければなりませんでした。彼は人間の世の中でみ旨を展開する前に、人知れず内的心情の世界において、歴史の背後を中心として生活しなければならなかったのです。

彼が三十年の間、世の中で笑って、いいかげんに生活したように思うかもしれませんが、彼の生活すべてが祭祀でした。彼が見聞きするすべてが、父が受け取り得るものであったのです。「私が泣くのは、お父様(神様)の苦痛と因縁を結ぼうとするからであり、私が動くのは、この地、この悪なる世をお父様のものとして捧げるためです」という基準で生活したのです。そして、この地のすべての万物と関係を結ぶことを絶対的な目的としたのです。このようなことを知らなければなりません。

イエス様は寝ても覚めても、自分によって万民の罪が贖罪されることを願う、心情をもっていました。眠るときも、万民の罪が贖罪されることを願う心情をもって寝床に就いたのです。人知れぬ静かな夜に目覚めて起き、寝ている万民の代わりに独り祈り、祭祀を捧げる祭司長的な使命を果たすこともありました。「お父様、天宙的な恨の条件を蕩減するための一つの実体として、私を受け取ってください」という隠れた祈祷の生活をしたのです。

イエス様の生活を見ると、彼は万物の価値を無限として、万物の恨を晴らしてあげるために努力しました。また僕の立場で、僕の中の僕の生活をしました。そして息子の使命をもって、息子の中の息子の使命を果たしました。このように三十余年という短い生涯路程でしたが、彼はその生涯の間、復帰の恨全体を一身に懸けて蕩減の条件を立て、ゴルゴタの山頂まで行くことによって、サタンを屈服させたのです。

イエス様の出家

イエス様は母マリヤからも、ザカリヤやエリサベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対されて、肉親の保護を受けながら使命を成し遂げることを断念せざるを得ませんでした。これが歴史的な秘密です。数多くのキリスト教徒が殉教の血を流す、このような無念で悲惨な歴史が誰のゆえにそうなったのか、誰一人として知る者がいませんでした。これを解いてこそ解放になるのです。地で結ばれたので、地で解いてあげなければならないのです。

新しく霊的基盤を求め、再び復帰摂理をしようと出発したのがイエス様の出家でした。出家したイエス様は、行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・20)と嘆きました。一族の基盤を失ったイエス様は、それに代わり得る基盤を探し求めて乗り出したのです。それがイエス様の三年路程でした。唖然とします!家庭と一族を捨て、どこに行ってこれを探すのでしょうか。ですから、十字架で亡くなるしか道がないのです。

家庭と民族の不信に遭い、弟子たちは信仰が揺らいでサタンに侵犯されることによって、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かざるを得ませんでした。本来イエス様は、メシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福し、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが不信を買い、新婦を迎えられなかったことによって真の父母になれず、その使命を成し遂げられなかったのです。

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イエス様の内的三十年の準備期間

イエス様が三十年の間、準備したものとは何でしょうか。今まで神様が摂理した内的世界においてもつれた曲折をすべて解き、これを外的な世界にそのまま横的に展開させて蕩減復帰するための準備期間でした。三十年の準備期間は内的であり、三年の公生涯路程は外的期間です。三十三年の期間を通して完全なアダム復帰、個体完成を完結させるために闘ってきたということを知らなければなりません。

メシヤとして生まれたその日から、メシヤの振る舞いをするのではなく、先祖たちが誤っていたら、誤ったすべてを完全にサタンの前に蕩減して、分別された勝利的基盤を築いた土台の上で、メシヤとして出発ができるのです。この地上にそのような出発ができる土台があったならば、イエス様は苦難の道を行く必要がないのです。

もし東方の博士、あるいは羊飼いなどが、イエス様が準備時代として内的な闘争をする三十年の準備期間に、イエス様の垣根となって外的な闘争の基盤を築き上げていたら、イエス様は外的三年の公生涯路程で、内的なそのすべての天的な懐を地上に横的に展開させて蕩減するに当たり、苦難の道、迫害の道、苦労の道を行かなくても土台を築くことができたでしょう。

また築かれたその土台を中心として、これを動かしていって苦難に遭ったとしても、これを基盤として、彼らと連絡できる洗礼ヨハネを中心とした人たちが責任を果たしていたならば、イエス様は外的な苦難にぶつからなくても、み旨を成し遂げることができたでしょう。しかし、このような土台がすべて崩れていくことによって、イエス様は東方の博士や羊飼いたちが追求していた人間の代表としての使命を再び収拾して、洗礼ヨハネを立て、それまで築いてきたすべての準備の基盤まで収拾してこそ、時代の前に現れることができるのです。

それゆえ長く見れば、四千年の歴史を収拾しなければならず、自分の生涯について見れば、三十年余りの生涯路程において、天が準備した横的な地上の歴史的条件までも蕩減しなければならなかったのです。それでイエス様が蕩減しなければならない期間が、三十年の生涯と三年の公生涯路程であるということを知らなければなりません。この三年の公生涯路程というのは、極めて悲しい路程です。人間が責任を果たせなかったことによって、イエス様が苦難の道を行き、十字架の道を行ったということを私たちは知らなければなりません。

イエス様が三十三年間、この地上で天を代表して戦った目的はどこにあるかというと、個体完成です。それゆえサタンが、三大試練をしてきたのは何でしょうか。イエス様を一時的な一怨讐として試練をしたのではありません。イエス様の全体目的を前に試練したのです。サタンが試練するに当たって、イエス様の三大試練の内容と同じ、そのような目的の実体になって試練してくる者に対して、「サタンよ、退け」とあらかじめ防いでくれる人がいたのなら、イエス様には試練は必要ないのです。三大試練は必要ないのです。

試練を通さずに出発と同時に個体完成となり、出発と同時に聖殿理想が完成し、出発と同時に世界の栄光を立てられるようになるのです。そのような基準が出発と同時に一度に起きるはずだったのですが、そのような外的な環境からあらかじめ防いでくれ、サタンと対決して「このサタンめ、お前が知る前に私が知っている。お前が試練するこのような条件は、私にしても駄目だ」と、防いでくれる人たちがいなかったがゆえに、イエス様は苦難の道を行ったのです。

私生涯期間のイエス様

イエス様は物心がついてからは、食べるのも民族のために食べ、暮らすのも民族のために暮らしました。彼が何よりも苦心したことは、天の父のみ旨のために生きることでした。ところが、天のみ旨のために心を痛め、気をもんだイエス様の三十年余りの生涯を知り、イエス様を引き止めて求めた者がなく、イエス様を引き止めて捜しに出た者がなく、イエス様を引き止めて彼の心中をたたいた者が、その当時、一人もいませんでした。

そのような環境であったがゆえに、不憫なイエス様になってしまったのです。天のために民族の代わりに求めなくてはならない立場になり、民族の代わりに捜さなくてはならない立場になり、民族の代わりに門をたたかなくてはならない立場になったのです。イエス様はこのように、上には天に代わって求め、捜し、門をたたかなくてはならない立場に立ち、下には地に代わり、民族に代わって、切に求めなくてはならない立場に立つようになりました。また切なる心情を抱いて捜し、民族の心情をたたき、民族の心を開かなければならない立場に立つようになったのです。

不信と裏切りの民族を見つめるイエス様は、その民族が寝ているときも、享楽に浸っているときも、楽に眠ることができず、休めず、楽しむことができず、民族をつかんで天と因縁を結んであげるために戦われたのです。このような事実は、イエス様御自身だけが知っておられました。民族の中の誰一人として、イエス様の心情を慰めてくれる人がいなかったのです。

環境から懸け離れたイエス様の心情は、み旨の時を待ち焦がれるどころか、何とも言えないいらだちの気持ちを禁じ得なかったでしょう。三十年余りが過ぎ、み旨の実践路程を覚悟して乗り出したイエス様の心情は、悲壮であるならば何とも言えないほど悲壮であり、形容し難い心情であり、人間としては体恤できない耐え難い心情だったのです。このような気持ちでみ旨を実践しようとする公生涯路程を心配したイエス様であることを、私たちは悟らなくてはなりません。

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イエス様とマリヤの立場

神様を中心とした三位一体(神様、アダム、エバ)が崩れたので、これを再び探し立てなければなりません。それでアダムの代わりとして立てられた存在が、イエス様です。アダムが失敗したので、失敗した三位一体の空席を埋めるために、イエス様が来られたのです。このような内容も知らずに、イエス様が神様だというのですか。神様が神様に祈りますか。「アバ、父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ二六・39)と祈ることができるでしょうか。

神様は二人でしょうか。それならば、イエス様が十字架に釘打たれて亡くなるとき、神様御自身が十字架を負われたのではないですか。このような矛盾だらけのでたらめな内容を信じると言っているのですから、現在の知性人たちから追われるしかないのです。

本来人間が堕落しなかったら、誰が父になるのでしょうか。神様です。神様が父になるのです。ところが、今は誰が父になっていますか。サタンです。堕落することによって、サタンが父になったのです。したがって、すべて神様の子女に復帰しなければならないのです。サタンを中心として展開していくこの世は、すべて神様のみ旨とは一致しない恩讐の世界なので、これをすべてひっくり返して、本来の姿を備えた息子、娘を中心として、本然の国家と世界をつくらなければなりません。そのためにイエス様が来られたのです。それなのに、イエス様が死んでよいのでしょうか。

ではイエス様は、この地上に来られて、どのように蕩減復帰すべきでしょうか。蕩減復帰の原則から探ってみると、初めにサタンがエバを引き込み、その次にアダムを引き込みました。これを蕩減復帰するためには、どうすべきでしょうか。エバを奪われたので、奪われたエバを元に取り戻さなければならないのです。ところが、天地創造の原則により、アダムを見本としてエバを造られたので、蕩減復帰をしようとするならば、アダムの創造のような役事がなければならないのです。その方が、四千年間準備した基盤の上に送られたイエス様です。

イエス様は、アダムが失ったものを復帰するために再創造された、堕落していない第二次アダムなのです。コリント人への第一の手紙第十五章45節に、「最初の人アダムは生きたものとなった.....しかし最後のアダムは命を与える霊となった」と記録されています。

では第二のアダムとは、何でしょうか。堕落していない父母です。このような点から見ると、マリヤはエバの代わりの立場なのです。ですからエバがアダムを殺したので、それを蕩減復帰するためには、エバの立場に立ったマリヤがアダムの代わりであるイエス様を再び生まなければならないのです。

ではヨセフは、何の立場でしょうか。天使長の立場です。エデンの園において、天使長は神様を中心としてアダムとエバに侍ってあがめるべき立場にあったので、天使長の立場に立ったヨセフは、神様を中心として蕩減復帰の原則によって、イエス様とマリヤに侍って敬わなければならないのです。蕩減復帰の原則がそうなっているのです。

それならば、マリヤとヨセフは一緒に暮らすべきでしょうか、一緒に暮らしてはいけないでしょうか。本来は一緒に暮らしてはいけないのです。

イエス様の事情

イエス様は家を出て一人で歩き回ったので、どんなにあきれたことでしょう。神様が四千年かけて準備したその国は、どこへ行ったのでしょうか。それでも四千年の間、国を建てたのは、その基台の上にイエス様を送り、イエス様を中心として世界を救うために神様が準備されたのです。それにもかかわらずその国が排斥し、四千年間準備したこのユダヤ教が排斥したのです。

ヨセフの家庭を中心として、信頼の焦点(中心)として知ってついてきてくれることを望んだのですが、排斥するのですからどうしますか。ですからイエス様はあきれるでしょうか、あきれないでしょうか。彼らが歓迎しない立場に立ったので、どうなったでしょうか。国に期待しても希望が途切れ、教会に期待しても希望が途切れ、親戚に期待しても希望が途切れて、行こうとしても行けないようにすべてふさがってしまったので、仕方なく土窟を訪ねていき、貧民窟を訪ねていかなければならない身の上になったのです。ですからあきれたでしょうか、あきれなかったでしょうか。

イエス様が家を出て一人で歩き回るので、どれほどおなかがすいたでしょうか。そのような自分自身に対して、どれほどあきれたでしょうか。その上に家を出てきたので、再び帰ることもできない立場でした。聖書にイエス様が家に入って、兄弟たちと楽しく話をして、自分の行った奇跡を自慢したという内容がありますか。そのような内容がどこにありますか。

三年間ぼろを着て歩き回りながら、自分の親戚を抱き締めて話したことがあるかというのです。故郷の山河を訪ねていき、三十年の生涯に自分を育ててくれ、愛情をかけてくれたその母と夜を明かして話をした時があったでしょうか。イエス様が来たといって、ある日、母が餅を作り、祝宴を開いてイエス様を歓迎したという内容が、聖書にあるでしょうか。本当にあきれてしまうのです。

イエス様は家を出たので、おなかもすき、物悲しかったことでしょう。そのとき、近い親戚の家で婚姻の祝宴が開かれるからと、そこへ行くことになったのですが、そこはガリラヤのカナの婚姻の祝宴をする家でした。その家は母マリヤのとても近い親戚の家だったのですが、イエス様はおなかもすいていたので、御飯も食べお餅も食べようとして行ったのです。そこで、ぶどう酒を作る奇跡を起こしました。

そのときマリヤは、台所に酒がなくなったことを知って、イエス様にぶどう酒がないと言いました。ところがマリヤは、イエス様のことが好きで、神様の息子で能力が長けているので、ぶどう酒を作ってくれるものと思って頼んだと思いますか。マリヤがイエス様のことを、能力に長けた神様の立派な息子、能力を自由自在に発揮できる聖なるイエス様と思って、ぶどう酒がないと言ったと思いますか。哀れにも、もらって食べようとやって来て、それを期待して待っているような姿に見えたので、期待するなという意味でそのようなことを言ったのです。そのようにも言えるでしょう?よくも解釈できれば、悪くも解釈できるのです。

当時イエス様はおなかがすいていたでしょうか、すいていなかったでしょうか。誰か付き従いながら食事を出してくれた人がいたでしょうか。恵みを受けようという人たちはたくさんいて、イエス様を利用しようとする人たちはたくさんいました。しかし、暑ければ暑くはないか、寒ければ寒くはないか、おなかがすけばおなかがすいていないか、困難であれば困難ではないかと、先を争って進みながら、むちで打たれるとしても自分が打たれ、困難があったとしてもその困難を自分がかぶり、イエス様の悲運を代わりに担当しようという人が一人でもいたのでしょうか。

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第三章 イエス様の三十年の準備時代一、イエス様の家庭事情

正しく知ってイエス様を信じるべき

聖書を見れば、イエス様の生涯の記録は三年の公生涯から始まります。その前に、イエス様の誕生についてとか、十二歳にエルサレムに行ってきたという若干の記録はありますが、それは問題にもならないほどです。

それよりも三十歳になるまでの間、何をしたのか、家では和やかに育ったのか、両親は愛してくれたのか、兄弟の仲が良かったのか、遠い親戚までイエス様を尊敬したかなどの内容は、一つも分からないのです。そのような内容は、聖書に記録されておらず、ぷっつりと切れてしまっています。

なぜこのような話をするのかというと、歴史は正しく明らかにされなければならないからです。自分の両親が国の逆賊ならば、逆賊であると明らかにしなければならないのです。

キリスト教の中心であられる、イエス様について知らなければなりません。その方の歴史について論じようとするのではなく、ただその背後がどのようなものだったのかについて調べようとするだけです。背後が正しくなっているのか、それとも誤っているのかという過去の歴史を知ってこそ、今歩んでいる方向が正しい方向に進んでいるのか、正しい結果として決定されるのかを推し量ることができるので、このような話をするのです。

イエス様の三十年の生涯路程は、ほとんど聖書に記録されていません。聖書の四福音書とか使徒行伝を見ると、イエス様の死後、使徒たちが記録した三年の公生涯路程だけが記されています。

ですからイエス様が、三年路程でペテロやヤコブなど使徒たちを連れて回る所で、いつも親戚に会うこともでき、すべての事実がみな分かる地域であるにもかかわらず、どうしてヨセフの家庭の一族は、一人もイエス様のあとに従わなかったかというのです。いとこやまたいとこ、母方のいとこたちがいたはずなのに、誰もイエス様がどのような人なのか分からなかったのです。その原因はどこにあったのでしょうか。

もしある家に長男がいるとすれば、その長男が継子だとしても、彼が家を出て三年間ある志を抱いて新しい仕事をするからといって、多くの人々が関心をもって彼について回るのに、それを見る親戚の人たちが、そこに一人も加われないのかというのです。

反対に悪いことでもするならともかく、多くの人たちから驚くべき推戴を受け、またその背後に現れた奇跡とか、歴史になかった驚くべきことをして回るイエス様であるにもかかわらず、親戚がそれほどまでに厚かましく知らないふりができるでしょうか。イエス様にも友達がいたはずです。手助けをしてくれる兄弟や友達が一人でもいて、家庭を中心として妹やおばなど、真心からイエス様のことを心配しながら泣きわめいたりする人が一人でもいたでしょうか。そのようなことがすべて謎なのです。

イエス様を愛せなかったマリヤ

マリヤが本当の意味で、この地上のいかなるサタン世界の母親よりも、イエス様を愛さずして愛の道を訪ねていくようになれば、天理の法度から外れるのです。マリヤは、イエス様のために選ばれた女性です。したがってマリヤは、イエス様の母としてイエス様を懐妊して出産すれば、誰よりもイエス様を愛さなければならないのです。

愛する際には、この世のいかなる母親よりも高い立場で愛さなければならないのです。自分の命を捧げ、自分が引き裂かれて死ぬことがあっても、愛を守るために行かなければならないのです。死と引き換えるようなことがあっても、愛を守るために行かなければならないのです。

ヨセフが曖味であるならば、足でけっ飛ばしてでもイエス様のために大げんかをして、足が折れて頭が切れるようなことがあっても、イエス様を愛することに夢中にならなければならないのです。それにもかかわらず、ヨセフと暮らすのですか。イエス様を愛したという立場で育て、愛する年ごろになれば、妻をめとらせて愛し得る立場まで送り出さなければならないのです。

イエス様は、幼い時から母の愛を受け、「私の母は、天上天下に二人とない母です。たった一人しかいない母です。神様、この母は愛さずにはいられない私の母ですので、あなたの国に私の母として入籍してください」と言うべきなのです。イエス様が決定してこそ、マリヤも天国に入籍できるのです。ところが、入籍できないマリヤをカトリックでは聖母と呼んでいるのです。何が聖母でしょうか。天の国に入籍できなかったのです。

それを考えると、母親はイエス様のことを愛したでしょうか。夫も知らない、誰も知らないという立場でイエス様だけを愛することに夢中にならなければならないのです。世界史にない母として外的な環境がどうであれ、イエス様の前に愛を注ぎ、イエス様のために一生の精識をすべて捧げて息子を愛する母にならなければなりませんでした。一等の母にならなければならなかったのです。マリヤはそうだったでしょうか。それができなかったので、イエス様から「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ二・4)という言葉を言われても当然なのです。全く当然のことなのです。

イエス様が少し物心のつくぐらいのころ、兄弟たちが生まれて育つ中で、弟たちがイエス様を冷遇したのです。よくよく見ると、イエス様は継子であり、その兄弟たちは実の息子なのです。ですからマリヤとヨセフの間に、イエス様ゆえにいつもトラブルが起きたのです。

非嫡出子として生まれたイエス様は、あきれたのではないでしょうか。彼らとけんかすると、弟たちはいつも誰の所に行くかといえば、お母さんの所に行くのではなく、お父さんの所に行って、お兄さんがどうのこうのと言うので、もとから心が安らかではなかった立場にいたヨセフが、いい言葉を言ったでしょうか。

すべて災いのもとになったのです。ヨセフもそうであり、弟たちもそうであり、その環境というものはあきれたものです。義父のもとに入ればそのようになるのです。ですからイエス様は、父の愛を受けたことがありますか。弟たちの愛を受けたことがありますか。愛を受けていたなら、なぜ家を出たのでしょうか。家を出る必要がないのです。ペテロ、ヤコブ、ヨハネなど十二弟子が必要でしょうか。自分の親戚を中心として引っ張っていけばよいのです。ところがそのようにできなかったので、ヨセフの一族は滅びていったのです。彼らがイエス様を擁護し、イエス様を中心として進んでいたならば、イスラエルの国が滅びるはずはなく、ユダヤ教が滅びるはずはありません。

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イエス様に侍るべきだったヨセフの家庭

本来ヨセフの家庭は、イエス様に侍り、天の法度を立てなければなりませんでした。それはなぜでしょうか。イエス様は天の王子であるからです。それならば、天の王子に侍るマリヤはどのような人物でしょうか。マリヤは、イエス様の母ではありません。母は母ですが、神様のみ旨を中心として見れば、母ではないのです。

神様には、息子を生める娘がいません。それでイエス様も娘を通して生まれたのではありません。本来はエバ自体が完成して、神様の愛に一致できる結果のもとで、娘に決定されなければならなかったにもかかわらず、堕落したので神様の娘になれなかったのです。

このように神様の息子を生める女性がいないので、神様は仕方なく僕の体を借りてでも、息子の種を残さなければなりませんでした。そのような運命から僕の立場であるマリヤを通して、ついに天の王子が生まれたのです。天の王子が生まれたのならば、その次に天の王女がいなければなりませんが、王女がいませんでした。

それならば、マリヤの果たすべき使命とは何でしょうか。僕から娘に、娘から母に上がることです。復帰の路程を経なければならないのです。では僕の体で、神様の娘になり得る立場に立つためには、どのようにすべきでしょうか。神様がアダムを創造し、アダムを見本としてエバを造られたように、マリヤも創造原則によってイエス様に従って復帰されなければならないのです。

マリヤは、イエス様の願いと一つにならなければなりませんでした。神様の息子であるイエス様は、兄や姉がいるわけではなく、父がいるわけでもありません。不憫にも世の中で信じられぬ僕の体を借りて生まれてきたので、イエス様と因縁を結んでいる人はマリヤしかいませんでした。ここでマリヤは、イエス様の心情を知り、イエス様のみ旨に従って、千万の死の道を歩んでも、天の王子であるその息子が行動できるように、家庭、社会に、万全の準備をしなければならないのです。

その次には、天道を立て得る生活の法度が、マリヤとイエス様の間にできなければならず、その事情を中心として、マリヤはヨセフを引っ張って入り、イエス様のみ旨に応じられるようにしなければならないのです。それがマリヤの責任だったのですが、マリヤの立場は、そのようにできる自然な立場ではなかったのです。

マリヤはか弱い女性の身で、自らの使命を果たすにはあまりにも手に負えない環境に追い込まれていました。ヨセフを捨ててみ旨だけに従っていくこともできず、自分の息子、娘を捨てて、イエス様だけに従っていくこともできない立場だったのです。あれもこれもできず躊躇する中で、イエス様は独り、時の責任と使命をすべて負うようになったのです。

本来マリヤは、天の生活的な規範を中心として、僕の身で息子の行ける天の規範を立てなければならず、娘の行ける天の規範を立てなければなりませんでした。その次には、神様の王子の前において、王女として代を継ぎ得る接ぎ木をされなければなりませんでした。その接ぎ木されるとは、アダムの体を通してエバが創造されたように、イエス様のみ旨とイエス様の思想とイエス様の願いに、マリヤが一致して復帰されるということです。マリヤにはこのようなことを植えて、刈り入れるべき責任がありました。

そうしてイエス様の骨の中の骨であり、肉の中の肉になることができる一人の新婦をヨセフの家庭を中心として、マリヤの精誠の基台の上に決定しなければなりませんでした。ところがそのようにできなかったので、イエス様はマリヤをつかんで涙を流しながら、「あなたは天倫によって、私と因縁が結ばれているので、天のみ旨を立てなければならない」と、御白身の心情を吐露されたのです。けれどもマリヤは、それを受け入れて協助する立場に立つことができなかったのです。

それゆえイエス様は、母がいたとしても天を中心として愛し得る母をもつことができなかったのです。マリヤは地上の母として、誰よりも天の恩寵をもってイエス様を愛さなければなりませんでした。たとえ僕の体だとしても、僕の中で最高の愛を天の王子から受けるべき母の立場でした。それにもかかわらず、そのようなことができる立場にマリヤが立てなかったので、イエス様は三十歳のときに家を出ていくことになったのです。

イエス様は、三十年の生涯を過ごすなかでマリヤとヨセフが責任を果たすことを待ちましたが、マリヤはそのような考えさえもできなかったのです。これ以上無為に歳月を送ることができず、三十歳のときに公的な路程を出発したのです。そうして再度、神様のみ旨に従い得る氏族編成に乗り出したのです。

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マリヤの役割

赤ん坊を生もうとすれば、多くの人たちからじろじろ見られるだろうし、名門の娘が非嫡出子を身ごもり、おなかが膨らんでよたよたと歩くのを、その両親は見ることができたでしょうか。体面と威信を知らぬはずのないマリヤですが、そうかと言って死にたくても死ぬことができないのです。

自分一人が死ぬことは問題ではないのですが、天使ガブリエルが現れて、間違いなく神様の息子を懐妊すると言ったので死ぬこともできず、そうかと言って事情を打ち明けることもできない立場でした。孤独な心情を独り抱えて、女性としての最高の死地で身もだえせざるを得なかったのです。

ですからマリヤは、機会さえあれば神様に切に求めたのです。「神様!私はこの群衆の前で赤ん坊を生める事情ではありません。私が赤ん坊を生むとすれば、旅人の境遇でもよく、ジプシーの境遇でもよいので、国境を越えることがあってもこの地域を抜け出して、赤ん坊を生めるようにしてください。そのようなことが可能な道があるならば、その道を選ぶのが私の願いです」と祈ったでしょう。

日ごと募る思いで、このような祈祷をしたことでしょう。神様はこのようなマリヤの心情をあまりにもよく知っていらっしゃったので、住民登録をするために行く途中、ベツレヘムでイエス様を生ませたのです。これはみ旨を思うマリヤの心に対する、神様の手厚い愛であることを知らなければなりません。

このようにしてマリヤが赤ん坊を生めば、両親は孫を見て喜び、兄弟や親成もみな喜んで歓迎しなければならなかったにもかかわらず、そのような立場になっていないのでイエス様を連れて故郷に帰ることができたでしょうか。帰ることができなかったのです。そのようなときに神様は、ヘロデ王がイエス様のことをねらっているという事実をヨセフとマリヤに知らせ、エジプトに身を避けるようにしたのです。

それゆえ故郷に背を向け、エジプトに行って三年間過ごし、ヘロデ王が死んだのちに再びガリラヤのほとりに戻って暮らしながら、イエス様は人知れぬ成長過程を経てきたのです。継子の身に生まれたイエス様が、ヨセフの家庭で三十年間大工の仕事をしながら、楽な生活をしてきたかというのです。

ヨセフはマリヤとの情が薄れたので、イエス様の事情を分かってあげようとはしませんでした。イエス様の事情を一から千万に至るまで分かってあげる、そのような家庭になれなかったのです。マリヤもそのような事情圏内で暮らしながら、夫ヨセフを見つめるたびに過去のすべてのことを男性の立場で考えれば、そうならざるを得なかったという思いもするようになったのです。

ですから、イエス様を抱いてヨセフの前で誇らしく乳を飲ませられる立場になれなかったのです。イエス様は、大きくなりながらこのような交錯する心情を体得するようになると、自分の母の膝のもとに行って座ろうとしても、ヨセフの顔色をうかがわなければならなかったのです。継子は義理の父母に従わないものです。しかも弟たちにも歓迎されない局面になったので、イエス様はどんなに孤独だったでしょうか。私たちは、イエス様の恨を解かなければならないのです。

それでは、神様が四千年間苦労して立てられたイスラエルの国とユダヤ教は、誰のために立てたものでしょうか。イエス様一人を愛するためでした。またイスラエル民族を代表し、ユダヤ教を代表して、ユダ支派のヨセフの一族を選んだ理由は、どこの誰よりもイエス様を愛するようにするためでした。イエス様を愛するようにするために、ヨセフとマリヤを選び立てたにもかかわらず、ヨセフはイエス様を愛することができず、マリヤもまたイエス様を愛することができなかったのです。

マリヤは本当のイエス様の母として、イエス様の深い心情を知り、今後すべきことは何かとイエス様と話し合いながら、ヨセフとイエス様とを仲立ちする役割をしなければなりませんでした。その家庭で、イエス様が自由に生活できる舞台をつくってあげなければならなかったのです。

そのような主導的な役割は、イエス様御自身が直接できません。マリヤがしなければなりませんでした。しかしマリヤは、このような責任を果たせる立場になれませんでした。過去からヨセフと交錯した心情が累積している事情に追われたマリヤは、知りながらもヨセフの顔色をうかがう立場でイエス様に対さざるを得なかったのです。そのような生活の中でイエス様は、三十年余りの生涯を送られたのです。

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悲しく育ったイエス様

イエス様は、死ぬために来られたというのでしょうか。イエス様の夢は、死ぬことにあったというのでしょうか。もしイエス様が死ぬために来られたとするならば、神様は選民を何のためにお立てになったのでしょうか。

イエス様は、悲惨な環境でこの地上に生まれました。それはマリヤとヨセフが、責任を全うできなかったからです。イエス様を生んだマリヤも、天の美しい天使たちの指導を受けて、自分の生んだ男の子は、将来どのようになるかを知りました。かと言ってイエス様が育つとき、神様がいつもマリヤと共にいてくださったわけではありませんでした。したがって日がたつにつれてマリヤは、思いもよらずイエス様が生まれたものと考えるようになったのです。このようなヨセフの家庭で、イエス様は育ったのです。

一方、ヨセフには、イエス様は本当に聖霊によって懐胎したのか、それとも誰かによって懐胎したのか疑わしいという気持ちが生じるようになったのです。ですから、考えれば考えるほど心苦しかったのです。婚約した処女が赤ん坊を身ごもって来て、「聖霊によって懐胎した」というのですから、ヨセフはどのような気持ちだったでしょうか。神様が教えてくださったその事実は信じたかもしれませんが、イエス様とマリヤを見るたびに、どうして激しい苦痛を感じないでいられるでしょうか。

このようにイエス様は、義父のもとで悲しく育たなければならなかったのです。このようなイエス様の事情を知らなければなりません。哀れなイエス様でした。弟たちの面倒は見てあげましたが、弟たちから少しも愛されなかったイエス様でした。イエス様は、ヨセフから何々をするようにという言葉を聞くときにも、真心から父の愛を受ける立場で聞くことができませんでした。義父から疑われる立場で聞いたのです。このようにイエス様は、見えない虐待の中で育ったのです。

責任を果たせなかった親戚

私たちは、ヨセフが義なる血統の出身だと見ますが、ほかに誰を挙げることができるでしょうか。私たちはヨセフの家庭と、ザカリヤの家庭を挙げることができます。家庭的には、一家庭はカインの立場にあり、もう片方の一家庭はアベルの立場にありました。

ザカリヤの妻であるエリサベツとマリヤは、彼女たちの二人の子供、洗礼ヨハネとイエス様に関して相談しなければなりませんでした。子供たちがどのように育ち、子供たちを育てるに当たって困難なことなどを話し合わなければなりませんでした。彼女たちは二人の子に関心をもたなければなりませんでした。マリヤとエリサベツは姉妹のような立場でした。したがって、イエス様と洗礼ヨハネは近い関係だったのです。

洗礼ヨハネは、生まれるときから不思議な、非凡な子供でした。洗礼ヨハネが生まれる前にも、とても不思議な話がありました。彼の父、ザカリヤは祭司長でした。ザカリヤが至聖所で供え物を捧げていたとき、主の使いが彼の前に現れて、子供が生まれることを知らせてくれました。彼の妻は既に老いていましたが、そのような啓示があったのです。

けれども彼は、その話を信じなかったので口がきけなくなりました。そしてその子供が生まれたのちに、彼が主の使いから言われたとおりにその子供の名前を教えると、そこで口がきけるようになったのです。町中の人たちがそのうわさを聞きました。イエス様もまた同じ経路で、同じような不思議な方法で生まれました。

聖書では私たちは、マリヤがたった一度しかエリサベツの家を訪問しなかったということを発見します。これはまた別の複雑な話です。もし彼女たちが近い姉妹であれば、彼女たちはいろいろ相談しようとお互いに行ったり来たりしたはずです。ザカリヤとエリサベツも、神聖な赤ん坊であるイエス様に関するうわさを聞きました。ですから彼らは、近所の人たちのこそこそ話のゆえにマリヤが足しげく訪ねてくることを好みませんでした。それでマリヤは、エリサベツの家をそれ以上訪問することができなくなったのです。

もしエリサベツとマリヤの二人が、神様のみ旨のもとに一つとなってイエス様の使命に関して互いに行き来して話し合うことができていたならば、事は非常に簡単になっていたでしょう。

イエス様の道をまっすぐにするために来た洗礼ヨハネについて考えると、もし彼が主イエス様を証することができていたならば、洗礼ヨハネを高くあがめていた当時の人たちが、イエス様にもっと簡単に従うことができたでしょう。さらにまた、その二人の母親たちも一つになっていたならば、事ははるかにたやすくなっていたでしょう。

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ヨセフの不信と無知

ヨセフは、それが絶対的な神様の啓示であると信じてマリヤを迎え入れました。そのように迎え入れはしましたが、どうせならもう一度教えてほしい、二度、三度と夢の中で毎日のように教えてくれればよいのですが、そういうわけでもないので、ヨセフの心は落ち着きませんでした。

「男子の一言は千金のごとし」といいますが、神様の一言だったら数億千金になるのではないでしょうか。一度した約束は守らなければならないのであって、ばかばかしくトビのように何度も(ぐるぐる回って)確かめなければならないのでしょうか。神様はそうするわけにはいかないのです。一度教えれば、それでおしまいなのです。

ですからヨセフは、マリヤのおなかの中にいる子が男の子か女の子か分からなくても、いったい誰の子か気になったでしょうか、気にならなかったでしょうか。もし牧師の妻がそうなった場合、神聖な天の国に行こうとする牧師といえども、妻に尋ねるでしょうか、尋ねないでしょうか。尋ねないという人は気違いです。私もそのような立場に立たされれば、尋ねることでしょう。尋ねるにしても、直撃弾で尋ねます。

それならば、ヨセフの胸の中で気掛かりになり、心配の種になったこの事件がしこりのように残っているのに、マリヤに尋ねたでしょうか、尋ねなかったでしょうか。ヨセフはマリヤに、穏やかに愛に満ちた表情で、神様が喜び得る語調で、「神様はこのように教えてくださり、またみ旨があるものと思っているけれど、いったい赤ん坊を身ごもらせた人は誰ですか」と尋ねたでしょう。

そう尋ねられたマリヤの気持ちは、良かったでしょうか、悪かったでしょうか。実際、そのような質問は、して当然のことです。マリヤは「私は知りません!」と返事ができたでしょうか。ヨセフはマリヤの命の恩人なのに、そのように答えることができたでしょうか。それとも、「はい、話しましょう」と言ったでしょうか。マリヤの身をよく考えてみてください。どうしたでしょうか。間違いなく、うんうんとうめきながら、そわそわしたことでしょう。女性たちがそうだと答えるのですから、間違いありません。

けれども、それが返事のできる内容でしょうか。もし答えた場合には、天地が動揺し、世界がひっくり返り、一族が滅びるとしたら、いくらヨセフが尋ねたとしても返事をすべきでしょうか、してはいけないでしょうか。

横で口を固くつぐむマリヤを見ていたヨセフの気持ちは、どうだったでしょうか。「私は実に素晴らしい妻を迎えた」と思ったでしょうか。考えてみてください。そして尋ねたことに答えもせずにいるマリヤを見て、ヨセフがじっとしていたでしょうか。「おい、誰の子なんだ?」とまた尋ねたでしょう。それでも返事をしないので、三回目に尋ねるときは怒りを帯びて、「あなたは本当に言えないのか」と言ったことでしょう。ですから、家庭不和が起きたでしょうか、起きなかったでしょうか。男は一度尋ねれば、答えが聞けなければ気分が悪いのです。

そのようなものですから、部屋に入ってもヨセフがふんぞり返って座っていれば、マリヤはまともに座ることができたでしょうか。マリヤを見つめるヨセフの視線は、もう昔のようには優しくなかったのです。このような局面で、ヨセフとマリヤは数えきれないほど言い争いをしたでしょう。

また近所の人たちから見ると、婚礼の日が過ぎたのにヨセフは結婚祝いもせずに、処女を迎え入れて暮らしていることも疑わしい上に、毎日けんかをしているので、「ヨセフはいい人なのに、何か特別な事情でもあるのだな」と、ひそかにこそこそと議論をしたでしょう。そのように十か月を過ごす間、マリヤがイエス様を流産しなくて幸いでした。

それではヨセフは、マリヤとけんかして殴ったでしょうか、殴らなかったでしょうか。ヨセフにむち打たれて暮らしたマリヤは、悔しく思ったでしょうか、思わなかったでしょうか。悔しかったことでしょう。ところが聖書には、このような内容は記録されていないのです。

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ヨセフの立場

人類の先祖となるイエス様を生み、人類の母の立場にあるマリヤを、ヨセフは天使長の立場で敬って侍らなければなりませんでした。ヨセフは僕の立場なので、サタンがエバを誘惑して不倫の愛の関係を結んだことを蕩減復帰しなければならないのです。このような立場にあるマリヤとヨセフは、絶対に一つになってはいけないのです。

これは原理的に見るとき、否定できないことです。それゆえヨセフはマリヤに、誰の息子を生もうが尋ねる権限がないのです。それでもヨセフがマリヤを迎えて暮らしながら、これは誰の子かと言ったりして、いつもけんかをするので、ヨセフの親戚や周囲の人たちがこれを知らなかったでしょうか。それでなくても、子を宿した処女を迎え入れて暮らし、数多くのけんかをするので町内の人たちはみな、変な目つきで眺めざるを得なかったことでしょう。

それだから、周囲の近所の人たちが口うるさかったのです。それゆえ親戚たちもヨセフに、「マリヤのおなかにいる子が、お前の子なのかどうなのかも分からないなんて、なんというできそこないなんだ」と、からかったでしょうか、からかわなかったでしょうか。あらゆることが起きたでしょう。それだけではなく、このような事実を両親までも知り、その親戚すべてが知ってしまったのです。

それでは、アダムの代わりとして来られたイエス様が、この地上において探し出さなければならないものは何でしょうか。正に堕落していないエバを探すことです。清い血統に生まれたエバのような新婦を探さなければならないのです。そうして天使長に侵犯されない父母の基準を決定することがイエス様の使命だったのですが、この使命を果たせずに亡くなってしまったのです。

それができなくなった原因は何でしょうか。父と母が責任を果たせなかったからです。イエス様は生まれる前から近所でも周囲の親戚にからかわれ、追われざるを得ない立場で生まれました。そしてイエス様は物心がついてから、ヨセフとマリヤの仲が良くないことを知って、その顔色ばかりをうかがいながら育つようになったのです。また周囲にいる親戚もみな、イエス様のことが理解できなかったのです。

本来はヨセフの家庭において、イエス様は神様のひとり子であり、天の王子であるがゆえに、ヨセフとマリヤは心を合わせて、将来この地上にメシヤとして登場できるように新しい家庭を建設できる、全面的な土台を築いておかなければならないのです。

神様が四千年間にわたってイスラエル民族を育てて準備した祝福の基台の上で、イエス様が誕生されたので、ヨセフとマリヤが一つになってイエス様を金城鉄壁のように保護し、彼のために命を懸けて戦っていたら、イエス様が悲惨に亡くなることはなかったでしょう。そのようになっていれば、イエス様の三年間の公生涯路程というものは必要なかったはずでした。

もしそのようになっていたならば、イエス様の新婦は自分の親戚の中から選ぶことができたはずでした。本来は愛する十二弟子も、ひどく愚かな卑しい人たちを選びたかったのではありません。

本来ヨセフとマリヤは、どうすべきだったのでしょうか。神様の息子として生まれたイエス様を中心として、その家から天の法度を立てなければならなかったのです。そのためにはヨセフとマリヤが、神様の息子として生まれたイエス様に、真心を込めて毎朝食事のお膳を差し上げ、朝夕に敬拝を捧げなければならないのです。ところが、そうでなくても町中にうわさが立ち、仲が良くないのに、そのようにできたでしょうか。

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二、イエス様の生涯

イエス様の出生の秘密

イエス様の家庭において、イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。ではザカリヤの本来の妻は誰でしょうか。エリサベツです。聖霊によって懐胎したというのですが、洗礼ヨハネも聖霊によって懐胎したといいました。

それではマリヤは、どのようにしてザカリヤの懐に入ることになったのでしょうか。誰かの啓示によってでしょうか。マリヤが入るのを見れば、啓示を受けなかったエリサベツは雷を落とすでしょうか、落とさないでしょうか。エリサベツに分からないように入ったでしょうか、分かるように入ったでしょうか。

一日目の夜に赤ん坊を身ごもったでしょうか。何回会ったでしょうか。いろいろと問題になるのです。話せばそうなるのです。それならばマリヤには、誰かの後ろ盾もなく一人でできる、そのような度胸があったでしょうか。それはお姉さん(エリサベツ)が紹介してあげなければならないのです。

レアがラケルの立場を奪ったので、それを蕩減復帰するためには姉のレアがラケルを祝福してあげなければならないのです。そうしてこそ蕩減になるのです。啓示を受けようがどうしようが、このような蕩減原則においてそのように見るのです。エリサベツが霊的に教えられて兄弟(姉妹)が一つになる立場で、そのことが可能だったのです。

なぜでしょうか。ヤコブの家庭では、兄弟が一つになりませんでした。それならば世界的国家基準で、兄弟が一つになり得る堅固な出発が行われなかったのかという、そのような論理が形成されるのです。エリサベツが自分の夫の前に紹介してあげたそのような問題があるので、近親相姦関係が生じるのです。先進国アメリカは、このような過程を最後まで行って振り返らなければならないのです。神様が許したのでこれが生じるのであって、自然に生じることはありません。

なぜ近親相姦関係が現れるのでしょうか。自分の姉の夫を妹が強奪するのです。それを近親相姦関係というのです。なぜヤコブの家庭でレアを入れたのかというと、蕩減法において堕落したエバがいなくては復帰時代がなくなってしまうからです。女性の世界にもカインがいなくてはならないのです。同じ道理です。

イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。その妻はエリサベツです。エリサベツが生んだ子は誰ですか。洗礼ヨハネです。イエス様の母は誰ですか。マリヤです。マリヤは誰と関係して、イエス様を生みましたか。ザカリヤです。誰が紹介したのでしょうか。マリヤが夜、こっそりと駆け込んで関係したのでしょうか、誰かが紹介したのでしょうか。エリサベツが聖霊や天の指示によって、自分の夫と自分の妹を関係をもたせるようにしたのです。それは普通、イスラエルの法ではできないことです。

なぜイエス様は死んだのでしょうか。ザカリヤは、イエス様が誰の子か知っています。マリヤもイエス様が誰の子か知っています。洗礼ヨハネはどうだったでしょうか。三十歳以上になって、そのような家庭の秘密のことを人知れず聞いたことがあったかどうか考えてみてください。あったのです。洗礼ヨハネまでもが知っている事実なのです。

しかし、このような不法的な関係で自分の一家に問題を起こすようなことをして、背後が入り乱れた中で生まれたイエス様が正にメシヤになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。

皆さんならば、そのようなイエス様をメシヤとして迎えることができますか。妾の子なのに、妾の子をどうして王に迎えられるかというのです。自分が絶対服従しなければならない王、祭司長の立場に立てることができますか。できなかったでしょう。百人いれば百人がみな、そのように考えるのが常識なのです。

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イエス様は原罪がなく生まれたので、サタンの讒訴から完全に抜け出しているのです。サタンの讒訴を抜け出すと同時に、サタンを完全に屈服させたのです。天使長を屈服させたのです。このように屈服させた立場が、神様の息子として堂々と立てる本然のアダムの立場なのです。

息子に生まれて、その次にはどのようにすべきでしょうか。新婦さえ選べばよいのです。ヨセフの家庭を中心として新婦を迎えなければなりません。ヨセフの家庭はダビデの子孫です。その家庭がイエス様と一つにならなければなりません。その家庭が一つになれば親戚も一つになり、親戚が一つになれば氏族が一つになり、氏族が一つになれば民族が一つになり、そうなれば国家も自然と一つになるのです。

イスラエルの思想を中心とし、ユダヤ教を中心とし、選ばれたダビデの子孫を中心としたヨセフの家庭で、マリヤを中心としてイエス様を完全に神様の願いどおりに、エデンの園においてアダムとエバに天使長が侍るべきだったように、ヨセフあるいはマリヤが、イエス様に侍るべきだったのですが、侍ることができなかったがゆえに、ここで事件が起こったのです。

天の家庭の中心である救世主

イエス様はいかなる存在なのでしょうか。堕落によって失った人類の真の父になり得る存在でした。長い歴史とともに、み言の実践的基盤の上に立てられたみ言の実体として、父に代わる存在として来られた方でした。ですからイエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)とおっしゃったのです。

ただイエス様だけが道の中心であり、心の中心であり、心情の中心なのです。なぜでしょうか。イエス様が父という内容をもっているからです。それゆえイエス様は、万民の救世主であり、天地を代表する方なのです。したがってそのみ言を通して父の姿を、そのみ言を通して父の心を、そのみ言を通して父の愛をたどっていくのがキリスト教なのです。

イエス様はこの地上に来られました。無限の理想を抱いて来られました。イエス様が願った希望があるとするなら、それは神様の代わりとしての希望でした。神様の希望とは何でしょうか。創造理想、創造目的を成し遂げることです。イエス様がその希望を抱いて、個人の立場で現れた当時の環境は、善なるものではありませんでした。

み旨の前に立てなかった環境は、イエス様に対して反旗を翻しました。イエス様は、その場で倒れるようなことがあったとしても、自分の心中に抱いた志操だけは地上に残していかなければなりませんでした。ですから聖書によれば、イエス様は「私はあなた方の父であり、あなた方は私の子女である」という因縁を強調されているのです(イザヤ書九・6)。

真の父母は、真の父と真の母がいなければなりません。イエス様が亡くなられたのちに、母格として来られた方が聖霊です。

この地上で霊肉を合わせた実体として、息子、娘を祝福できる一日をもてずして逝ったことが、イエス様の悲しみです。語るべきみ言を語り尽くせず、天国の家庭の基準を立てられずに通ったことが、イエス様のです。天国の家庭を築けなかったので、家族を中心とした氏族、氏族を中心とした民族、民族を中心とした国家、国家を中心とした世界を築けなかったのです。

国家的基盤を備えなければならなかったユダヤの国であり、選ばれたイスラエル民族でしたが途絶えてしまい、イエス様はユダヤ教団から追われるようになりました。天もどうにもできない、惨めな反逆者として追われたイエス様でした。のちには十二使徒にまでも裏切られるイエス様となったのです。地上に天の心情に通じ得る一つの血族も因縁を結べずに逝ったことが、イエス様の悲しみだったのです。

神様の願われた神様の家庭を建設できなければ、神様が願われる民族も立てられず、民族を立てられなければ、国も世界も立てられないがゆえに、家庭を探し求めるために闘ったイエス様は、そのみ旨を果たせずに逝くときに、人類の前に「私は新郎であり、あなた方は新婦」という命題を残されたのです。それが何の意味か分かりますか。家庭が神の国の中心であるということなのです。

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本然の因縁を回復するために来られたイエス様

信仰の理念で生きてきたユダヤ民族の精神とは、何であったのでしょうか。それは神様を信じる信仰でした。彼らは神様に頼る信仰で、神の国が建てられることを願いました。そのような願いを結実させることが、正にイエス様がこの地に降臨された目的でした。

ですからイエス様は、自分は万王の王だとおっしゃったのです。それから生活的な立場ではどのような話をされたかというと、自分は新郎であり、あなた方は新婦であると言われました。これは夫婦の一体理念を生活圏内に立てるためのみ言でした。それゆえイエス様は、亡くなりながらも御自身と聖霊を通した父母の役事を約束されたのです。

ある面から見れば、イエス様がこの地に来られた目的は、地を創造された神様は目に見えないので、見えない神様を証するための人間の代表者として、あるいは神様の代わりとして来られたと言えます。

では、このような使命をもってこの地に来られたイエス・キリストの視野は、どういうものだったでしょうか。まずイエス様は、天地を創造された神様を父と呼び得る立場であったことを知らなければなりません。

今日数多くの人間が、堕落圏内、すなわちこの地に生きていますが、イエス様の視線と堕落した人間の視線とは異なります。イエス様は神様を「我が父」と呼ぶ、この一つの問題に心のすべてを注ぎました。さらには、我が父だけが一番であるという因縁を実現されるために苦心されたのです。そして人間に対して、自分が新郎という名詞を立てようとされました。ところがイエス様は、神様の前に人類の新郎の資格を備える前に、天の前に新婦の立場を完結する段階を経られたのです。

創造主の理念を実現させるには、人間を生む父母の因縁と、生活のための夫婦の因縁と、活動のための国家の因縁と、宇宙的な因縁が結ばれなければなりません。このような宇宙的な創造の理念が、人間の生活環境に探し立てられなければ、神様は臨在することができないのです。

イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)と語られました。イエス様が行かれた道はどのような道かというと、父母の因縁、夫婦の因縁、国家の因縁を連結する道でした。またイエス様は、天倫の心情に通じた方であり、天国の心情に通じた方であり、摂理歴史を主管なさる創造者の心情に通じた善の中心であられました。

イエス様は「わたしは道である」と言われましたが、その道とは何の道のことを言っているのでしょうか。愛の道のことを言っているのです。また真理は、十字架の真理です。それから命は、全体的な生命を指して言っているのです。ですから、イエス様を信じなければならないのです。

真の父母として来られたイエス様

イエス様は、いかなる方として来られたのでしょうか。堕落した父母が生じたので、堕落した人類の原罪を清算する父母として来られたのです。その父母が霊界の父母として来てはいけません。地上の私たちと同じように肉体をもった姿、神様がアダムとエバを土で造られたように、そのような姿で来なければなりません。アダムが完成して、神様の愛の中で神様の血族になっていたならば、真の父母の歴史を中心として、人類は真の神様の直系の子女として完成し、完成した世界である理想的世界、神様の主管される愛の世界で暮らしたことでしょう。

人類がメシヤを願うのは、堕落したからです。堕落したので、メシヤを願うのです。その願われていたメシヤが来て、何をするのでしょうか。真なる父母として来て、新しく生み変えてあげなければならないのです。新しく生み変えてあげるのです。それゆえ地上のすべての人々は、新たに来られるメシヤ、すなわち父母を通して、メシヤを訪ねていき、再び生まれ変わらなければならないのです。

サタン世界の人は、ただそのまま直行していける歴史時代がないのです。メシヤを迎えて…。堕落世界においてメシヤを迎えるその道は、この堕落世界を否定する道です。サタン世界はメシヤを迎えられないように反対しているのですが、メシヤを迎えていくその道は、サタン世界を否定する最先端の場なのです。

そのような場でメシヤを迎えることになるのですが、メシヤを迎えてからは、この反対する世の中と関係のない、新しい世界へと乗り越えていかなければなりません。あたかも分水嶺を乗り越えるようにです。こちらはサタン世界なのですが、メシヤを中心として再び生まれ変わる、真の父母の第二の血肉の因縁を経た群れは、こちらの世界に生きる人ではありません。分水嶺を越えて、向こうの世界の人として移らなければならないのです。

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新たな命を接ぎ木するメシヤ

真の愛と真の生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。これは途方もないことなのです。神様自身は探し立てられないのです。人がそれを探し立てた立場に行かなければなりません。創造時に、アダムを最初につくられたように、再創造摂理である復帰摂理も(堕落した) アダムと関係のない息子を最初に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。

メシヤが来なければならない根本が、ここにあるのです。失った神様の血統と直結し、永遠に神の国を受け継げるその人が、神様の息子になるのです。長子です。アダムはそのような長子になれなかったのです。

メシヤは、サタンの主管下にある堕落した血統をもつ人々の生命を否定し、新しい生命の種を接ぎ木してあげるために来られる真の人です。皆さんに援ぎ木をしてあげるために、今このようなことをするのです。家庭も接ぎ木してあげるために、このようなことをするのです。

根は神様にあるのですが、後のアダムとして来て、アダムによって引き起こされたことを清算すべき人がメシヤです。メシヤは真の父母です。神様が能力だけで役事する超人を、メシヤとして送れない事情がここにあるのです。

この地に神様の愛と生命の種をもって生まれるためには、まず母親がいなければなりません。母親が息子を生むとしても、ただ単に生むことはできません。必ず復帰の公式を通して生まなければならないのです。

復帰摂理の中に現れた母子協助は、すべて天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子共に、サタンの攻撃を抜け出し得る条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることによって、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰していけるのです。

メシヤを通した血統転換

信仰の息子、娘を中心として、いくら困難な環境でも、その環境に打ち勝つことによって初めて、アダムの立場を蕩減して戻ってきた位置に立つのです。そのようにして戻ってきたとしても、それは血統的にサタンの血筋を受け継いでいるので、天の前に帰れないのです。ですからメシヤは、絶対的に血統復帰をして、サタンが汚した血筋を転換させなければなりません。それゆえメシヤは、必ず来なければならないのです。

メシヤはなぜ、地上に来なければならないのでしょうか。それは根が違うからです。血統が違うからです。メシヤを迎えて血統転換をしなければならないのです。私たちは根が違うのです。今までのすべての芽を取り除き、根を取り除いて、メシヤを中心として接ぎ木をして、メシヤの根からメシヤの芽へと進んでいかなければならないのです。接ぎ木をすれば、同じ根の実を結ばなければなりません。

それゆえ既成の慣習というのは、絶対に許されません。自分は大韓民国の人であるという意識をもつことそれ自体が、サタン側であることを自証するものです。ですから国家や民族を超越し、国境を超越して克服しなければなりません。私は天の国の民であり、私は神様の直系であり、私の根は神様であって、サタンとは関係がないと言わなければならないのです。

血統を通して何が相続されるのでしょうか。天の心情が相続されます。その心情の伝統が、どのように相続されてくるのかが問題です。いかにして今日、神様の心情が私たちに連結してくるのかというと、それは血統復帰によって可能なのです。善なる絶対的な神様を中心とした、一つしかない血統、絶対的な血統を中心として、それを自分が感じ、そこで体験することによって神様の心情圏が形成されていくのです。

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堕落で失ったアダムとエバを探し立てる

本来、創造理想が成就されていたならば、再臨とか救いの摂理とかいうものは必要なかったことは、よく知っていると思います。そのときすべてが成就し、一つの世界になって、地上天国と天上天国が連結しなければなりませんでした。そのように出発したとすれば、その家庭が地上天国家庭であり、天上にも家庭ができて、氏族、民族、国家、世界へと歴史が発展していったことでしょう。霊界も同じです。

それゆえアダムの家庭は、一つの家庭でしたが、未来に世界を築き得る中心となり、国家の中心、氏族の中心、家庭の中心なのです。アダムの家庭は、全体の理想を実現し得る一つのモデル家庭です。それはアダムの家庭が完成していたならば、氏族も完成され、国も完成され、世界も完成され、天宙も完成されるという意味です。そのようなアダムの家庭は、すべての理想の代表的家庭であり、中心家庭なのです。

そのように見ると、アダムとエバは何でしょうか。彼らは天地を代表した王と女王です。人はみな、王や女王になりたいという欲望をもっています。そのキングシップ (王権、王位)とクイーンシップ(女王の位)が、永遠に家庭天国から氏族、民族、国家、世界天国まで連結されるのです。

誰が代を引き継いで、そのキングシップを縦的、横的に拡大させるのでしょうか。長孫(長男の長男)がするのです。世界にずっとこのように連結するのです。家庭単位の標的を中心として完成した家庭がたくさん連結すれば、氏族になり、さらに多くなれば民族になり、国家、世界になるのです。家庭を中心として拡大すれば世界になるのです。

愛ゆえに血統的に問題になったので、血統を正さなければ天は着陸することができません。神様がいるとするならば、どうして救いの摂理が延長し、どうして人類が今日のように滅亡しなければならないのでしょうか。

今日の現実的なすべてを見た場合に、善の世界とは思われない結果になったのは、堕落のためです。堕落することによって、サタン世界が築かれてきたのです。サタン家庭、サタン氏族、サタン民族、サタン国家、サタン世界まで成してきたので、今やサタンの「終わりの日」が来たのです。このようなサタン世界に救いの摂理が入り込み、一人、二人と変え、すべてを天の側に戻すのが救いの摂理なのです。

血筋がサタンの愛によって始まったので、神様の愛を中心として神様の血筋を定着させ得る根源的起源になっていないのです。堕落することによって、サタンを中心としてアダムがついていき、エバがついていき、カインがついていきました。本来は、神様を中心として、アダム、エバ、カイン、アベルとつながるようになっているのです。

今日の世界は、何の世界でしょうか。サタン世界でしょうか、天の世界でしょうか。サタン世界です。サタンの愛は、偽りの愛です。天の世界は真の愛です。サタン世界には、真の愛と真の血統が存在しません。血統は必ず愛を通し、夫婦を通してつくられるのです。ですから問題は何でしょうか。救いの摂理の歩みを見ると、アダムとエバの偽りの愛から始まったので、真の愛を中心としたアダムとエバを探し立てることが、救いの摂理の目的なのです。

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腹中から侍られるべきだったイエス様

イエス様の誕生日は、神様にとっては喜びの日になりませんでした。その意味も知らずにクリスマスを迎えるということは、おそれ多いことです。イエス様がもしローマの王子に生まれていたら、どれほどの栄光の中で誕生されたでしょうか。まして神様のひとり子として来られたとすれば、なおさらではないでしょうか。それにもかかわらず、イスラエル民族の中には、イエス様を迎える人は一人もいませんでした。東方の博士を送って、イエス様を証させるとは、神様はどれほど気の毒に思われたことでしょうか。

異邦人が訪ねてきて、イエス様に贈り物を捧げたということは、イスラエル民族の恥であり、彼らに対する冒涜なのです。なぜイスラエルには、東方の博士ほどの人物がいなかったのかということです。イエス様は四千年の全歴史を総蕩減するために来られました。そのようなイエス様が飼い葉桶に寝かされていたとは、話にならないことです。

当時、イスラエルには、メシヤに腹中から侍る人が一人もいませんでした。もしそのような人が一人でもいたならば、その人がいくら病気の身であったとしても、神様は愛さざるを得なかったでしょう。そしてキリスト教も、異邦人の宗教にはならなかったはずであり、神様の摂理もローマに移ることはなかったのは、当然のことなのです。

腹中にいるメシヤが分かったので、アンナはマリヤの僕になり、腹中にいるメシヤをあがめなければなりませんでした。しかし、彼女は証しましたが、侍ることができませんでした。東方の博士や羊飼いたちも証しただけで、みな去っていってしまいました。

メシヤの意味

なぜメシヤは来なければならないのかという問題を、私たちははっきりと知らなければなりません。サタン世界の主権を奪って、人類を贖罪して天の国へと帰らせるため、本然のみ旨の世界へと連れて入るために来られる世界の救世主が、メシヤであるという事実を知らなければなりません。

救いとは何でしょうか。本然の位置から落ちたので、それを再び尋ね求め、復帰していくという意味です。したがって復帰の道が、救いの道であることを知らなければなりません。今日におけるキリスト教などの宗教圏をなぜつくったのでしょうか。それは、悪なるサタンから分立して、本然のみ旨の世界に入るようにするための準備の土台なのです。

神様はこの悪魔サタンの主権を奪うためには、どのようにしなければならないのでしょうか。個人をもってしてはできません。それゆえ、天の側に立つ強力な一つの国を形成しなくてはならないという結論が出るのです。それで今まで神様が、主流的な立場で選んで準備した国がイスラエルの国であり、その宗教がユダヤ教です。それゆえ今私たちは、救いの摂理の過程にあることを知らなければなりません。

この救いの摂理のみ旨は、本来、神様が計画されたそのようなみ旨ではありません。救いの摂理を終わらせて、堕落しなかった本来の世界に帰れるようにする責任者として来られる方が救世主です。メシヤがこの地に来て、本然の世界に帰っていくその時には、宗教も終わり、救世主の使命も終わり、地獄も終わり、悪魔サタンとこの世界のサタンの国のすべてが終わるのです。そうして神様を中心とした天の国、神様が統治する本然のみ旨の世界へと帰っていくのです。

今日、私たちのこの世界は堕落した世界に違いないので、私たちは救い主を願わざるを得ない立場にあることは確実です。メシヤが来るそのみ旨とは、神様の本然の世界へと返すことであると知りました。

さらに本然の世界に帰ろうとするならば、個人よりも国家形態を備え、世界形態に拡大させて、天の側の強固な土台を広め、サタン世界を屈服させてサタンの主権を奪わなければならないことを知りました、そのようにして天の側に返すことが、メシヤの使命であることを、はっきりと知りました。

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原罪と関係のないイエス様

腹中から勝利した土台の上に、善の血統を中心として、先祖たちのそのような伝統を受け継ぎ、忠誠を尽くしたイスラエル民族の女性たちの精誠のこもった代を継いで、二千年後、マリヤに至りました。マリヤは、タマルを中心として腹中復帰に勝利した血統的な伝統を受け継いで、初めてイエス様を身ごもったのです。普通の人なら、腹中に子をはらめば既にサタンが讒訴します。そして、「この場は私の場であり、ここにはらんだ人はみな、誤った愛によってはらんだのだから、すべて私のものだ」と主張するのです。

けれどもイエス様は、蕩減復帰の原則によって、タマルの腹中で天側であるペレヅが勝利した血統的な基盤の上で、マリヤの腹中を通して生まれました。したがってイエス様は、腹中に宿った時からサタンが讒訴する条件がなかったのです。イエス様と一般宗教の指導者たちとの違う点がそこにあります。生まれた根本が違うのです。腹中からサタンと戦って勝利した基盤の上で、サタンを屈服させ、長子の基準を立ててイエス様が生まれたので、神様の息子として生まれても、サタンが讒訴できる条件がなかったのです。そのようにして初めて二千年後に、イエス様がこの世にお生まれになったのです。

それならば、なぜ二千年後にイエス様がお生まれになったのでしょうか。復帰はカイン、アベルの復帰、すなわち兄弟復帰なのですが、サタン世界の国家は、先に生まれたカイン型の国です。このカイン型の国々を復帰するためには、アベルの国が新たに生まれなければならないのです。このアベルの国が正にイスラエルの国です。それで神様は、イスラエル民族を二千年間育てて、一つのアベル的な国を築き、サタン世界の数多くのカイン的国家を屈服させようとなさったのです。

イエス様自身について見ると、イエス様はマリヤの腹中に宿って生まれましたが、歴史的な勝利の土台の上に、サタンが讒訴できる内容をすべて取り除いた立場ではらまれ、誕生したので、サタンが讒訴できる何の条件もないのです。サタンが讒訴できる条件がないということは、原罪がないということです。

罪とは何でしょうか。神様のみ言に違反したことが罪だというのですが、サタンが讒訴できる条件を提示することが罪です。怨讐が食い下がる条件を提示することが罪なのです。ですから、原理原則、法度から外れれば神様もどうしようもないのです。サタンに引っ掛かってしまうのです。イエス様は、生まれるときにサタンが讒訴し得る立場を抜け出した立場で生まれたので、原罪がない方なのです。

真の生命の種をもった方

天の真なる男性が生まれました。この地上に神様が苦労されて、再び完成したアダムが生まれたのです。完成したアダムは、昔、エデンで堕落したその時代のアダムではありません。サタン世界に個人的に勝利し、家庭的に勝利し、氏族、民族、国家、世界的にすべて勝利して、人類歴史のすべての蕩減条件を清算して、サタンが再び讒訴できないように整備した、解放の立場で生まれたアダムを意味するのです。

天の真なる男性が生まれました。サタン世界は知っているのです。この男性が生まれ、真の新郎となり、真の父となることをサタン世界は知っているのです。この男性が真の新郎です。

今日、サタン世界において復帰摂理を進める際に、宗教を通すその目的とは何でしょうか。母一人を立てるためです。サタンに汚された母を、解放された母として立てるためです。

そのように立てられたエバは、何を願うのかというと、新郎です。新郎ならば、どのような新郎でしょうか。真の愛をもって来る新郎、真の愛を中心として真の生命の種をもってくる新郎です。今まで真の愛と真の生命の種をもった人は、一人もいませんでした。サタンが汚すことによって、すべてサタン的血縁関係によってサタンの生命の種を受け継いだので、創造理想を完成した立場で神様が願われた理想的真の愛を中心として、生命の種をもった男性がいなかったのです。これをつくり上げなければならないのです。

神様と一体になって、世界の歴史上初めて勝利者になり、サタン世界の個人、家庭、国家、世界、天宙を取り戻してくるようになりました。ですから復帰が可能だというのです。今まで世界にある個人の立場は、歴史時代を経て世界に展開した全体を合わせた個人です。ですから世界的個人は、世界史的でしょう?世界史的個人、世界史的家庭、世界史的氏族、世界史的民族という意味です。そのような段階を乗り越えなければなりません。その八段階を上がらなければなりません。個人とは、世界を代表した個人です。その「世界的」の「的」というのは接尾辞でしょう?世界の個人をいうのです。分かりますか。初めて勝利者になったのです。

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第二章 イエス様の誕生とその目的ー、イエス様の降臨の目的

神様の理想とイエス様の降臨

人間を救うためにこの地に来られる方とは、どのような方でしょうか。その方は人間を代表する立場にあるだけではなく、神様と永遠に切れない因縁を結んで現れる主人公であられます。

このような因縁と使命を帯びて、この地に降臨された方が正にイエス・キリストであられます。ですから、イエス様は福音を伝播しながら、「私は神様の息子だ」とおっしゃったのです。また、「神様と一体になっている」とおっしゃいました。

これは、驚くべきみ言です。普通の人には類を見ないみ言です。ですから、神様と愛を中心とした血統的に因縁をもって現れたキリストであられたので、歴史にない中心として、新しい変遷の役事を起こすまいとしても起こさざるを得なかったのです。そのような面で、イエス様の血と肉は、父の血と肉であり、すべてが父のものだったと言えるのです。このように神様とイエス様とは、切っても切れない因縁が結ばれていたのです。

ではなぜイエス様は、そのような方でなければならなかったのでしょうか。堕落した人間は罪悪の血統を受けて生まれたので、父の血肉に代わって接ぎ木をしてあげられる一人を、神様はこの地に送るしかなかったのです。このような摂理的な必然性によってイエス様は、この地に来なければならなかったのです。

イエス様がこの悪なる世に来られて叫ばれたみ言は、地の言葉ではありませんでした。イエス様のみ言は、今までなかった真なる真理のみ言であり、地上にあったものとはあまりにも異なる新しい理念であり、革新的な事実を提示するものでした。

神様は、自らの内的な理想を実体的に感じ得る一つの中心存在として、人間を創造されました。それで神様によって秘められた天の美と天の愛と天の栄光を、人間であるアダムとエバの生活を通し、生涯を通し、永生の路程を通して成し遂げ、いつの時も絶えることのない喜びの世界をつくろうとなさいました。

人間が堕落することによって、神様が意図されたそのような本然のみ旨は、根本的に途絶え、人間は願ってもいなかったサタンを神様の代わりに立てて、そのサタンの主管圏内にとどまるようになりました。神様に栄光と喜びを返し、神様に侍る生活をすべき人間が、神様の代わりにサタンを中心として、サタンに侍って従う侮辱の歴史を繰り返してきたのです。

神様には、人を中心として取り戻すべき栄光が残っており、人を中心として愛すべきみ旨が残っており、人を中心として勧告すべきことが残っているので、今まで摂理してこられたのです。サタンは反対に、神様の栄光、神様の愛、天の生命を破壊するための戦い、今日、人間を自らの手中に縛りつけて、これを神側に渡すまいとする戦いを続けてきているのです。

それゆえ、今や神様は、人を立ててサタンを恨み得る一つの条件を立てなければならず、人を立てて神様にお返しすべき栄光を中心として、神様の代わりに人間から愛を受けているサタンに対して、抗議し得る条件を立てなければならないのです。

また神様の代わりに、サタンが全体の生命の権限をもっているので、神様はこれも抗議できる人を立てなくてはならないのです。このような責任が神様に残っているのです。神様が探し求めていらっしゃる創造本然の人間、サタンに対して攻撃できる一人の主人公が現れなくては、再び神様に栄光を返す道がなく、愛を返す道がなく、生命を返す道がないのです。

この一人の中心存在をお立てになるために、神様は四千年間、苦労しながら摂理をしてこられました。そうしてついに神様は、万民の前に探し求めてきた一人の信仰の中心、人間の代表的な中心を、神様の栄光を証し、神様の愛を証し、神様の生命を証するためにお立てになったのです。その方が誰かというと、イエス・キリストだったのです。

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この世に、そのようなことがあるでしょうか。これが聖書にある内容です。ところで、なぜそのようにしたのでしょうか。そのようにせざるを得なかったからです。堕落した結果がそうだったので、そのようにしなければ天道が解けないのです。

ユダは、タマルとそのような関係を結んだのち、自分の印を与えて別れました。舅のユダは道端でそのような関係をもったのですが、その相手が嫁であるとは知りませんでした。そうこうしているうちに、タマルについてうわさが広まりました。

寡婦が子を身ごもったので、「殺せ」と大騒ぎになりました。タマルは死ななければならない立場でした。そのとき、ユダは族長でした。そのうわさはユダの耳に入りました。それでユダの命令によって殺そうとすると、タマルは事情を話しました。自分は不法な行為をしたのではない、この子の父はユダであると言ったのです。

タマルは子供を生むことになります。その子供は双子でした。ところが、その双子が腹中で争ったのです。リベカは、自分の腹中でエサウとヤコブが争うので神様に祈祷すると、神様は「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五・23)とおっしゃいました。これと同じように、タマルの腹中でも争いが起きたのです。子供を生んでから交替するのではなく、腹中で交替しなければならないのです。

聖書の創世記第三十八章にこのような内容があります。ユダの息子が生まれたのですが、最初がペレヅで、そのあとにゼラが生まれました。彼らが生まれるとき、兄が先に出るために手を出しました。それでその手に赤い糸を結びました。ところが、弟のペレヅが兄を押し退けて先に出てきたのです。これが腹中の闘いです。

胎中で兄を押し退けて、弟のペレヅが兄として生まれることによって、兄と弟をひっくり返そうとする神様の摂理に勝利の結果をもたらすことになりました。これはとりもなおさず、人を逆に胎中に取り込んで、胎中で闘って兄弟をひっくり返した結果をつくったのです。このような歴史は、聖書以外にはありません。それゆえ、これは神様の摂理と言わざるを得ないのです。

胎中で勝ちましたか、負けましたか。勝ったので、その胎中を通して勝利したその基盤を通し、貞操をもって命を捧げることを覚悟しながら、その思想を受け継いだ女性を通して、神様のみ旨を立てることができたのです。

神様は、血統的に汚された血筋を交替するために、このように二千年の間、歴史的な摂理をしてこられました。そうしてヤコブを経て、ユダの家庭を通して、初めてこのことが決定されたのです。結局、血筋を中心として闘い、天の側が勝利した基盤を築いたのです。それゆえ、イエス様はユダ支派を通して現れなければならないのです。

イスラエル民族が、サタンの国以上の国を成し遂げるまで二千年という期間を待って、そのように清まった血統、勝利した伝統的な血筋の因縁をマリヤが引き継ぐ位置に立ったので、マリヤの腹中を通してサタンが讒訴できない、初めて神様だけが愛し得る息子として生まれた方が、イエス様なのです。

有史以来、このように血筋を清めて生まれた人は、イエス様しかいません。それゆえ、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)という決定的なみ言を語ることができるのです。イエス様は有史以来、神様の愛を受け得る一番目の息子として生まれたので、ひとり子であると主張できるのです。

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それで母のリベカは、天側の息子であるヤコブと一つになり、自分の夫であるイサクを天使長の立場に立てたのです。そうして、天使長の長男であるカイン格のエサウが受けるべき祝福を奪って、天側に取り戻したのです。このとき兄のエサウは、ヤコブを殺そうとしました。それゆえヤコブは、ハランに逃げて、そこで二十一年間過ごすようになったのです。

そのようにしてヤコブは、兄エサウと交渉がうまくいき、命が助かったのです。自らの僕たちと、二十一年間にためた財物をお兄さんに与えてエサウの心を動かし、結局エサウは、ヤコブを殺さずに迎え入れるようになったのです。そうなることによって、死ぬべきカインのような立場ですが、死なない立場に立ったので、結局ヤコブは、エサウが屈服したという条件を立てたのです。そうして初めて「イスラエル」、すなわち「勝利した」という民族圏をもつことになったのです。

ヤコブは、ヤボク川で天使と組み打ちして勝利しました。それはアダムが霊的天使に敷かれて失敗したことをひっくり返し、人が天使を下に敷いたという条件を立てたのです。このように天使長の実体と同じ立場にあるエサウが、ヤコブに屈服する内的基準をヤコブが既に立てたので、外的なエサウも屈服するという結果をもたらしたのです。聖書を見ても、すべて否定できない事実です。

今から数千年前にあったことです。旧約聖書は、およそ八百五十年の間、数多くの人々の手によって記録されたものですが、このような体系を中心に記録されたということは、一つの思想的な主人がいて、預言者を通して記録したに違いないのです。ですから、「神はいない」とは言ってはいけません。

双子のエサウとヤコブが闘って、どちらが勝ったでしょうか。ヤコブが勝ったでしょう?それゆえに(カインとアベルが)ひっくり返ったでしょうか、ひっくり返らなかったでしょうか。ひっくり返ったのです。何歳ぐらいにひっくり返りましたか。四十歳を過ぎてからです。四十歳を過ぎてから双子で生まれた兄弟がひっくり返ったのですが、生まれる前、腹中においては、まだひっくり返っていません。それでサタンがかみついてくるのです。

タマルを通した腹中復帰摂理

アブラハム、イサク、ヤコブ、三代目のヤコブにユダという息子がいます。ユダ支派を形成したユダは、ヤコブの四番目の息子です。四番目というのは、東西南北、春夏秋冬というように四番目から四方の基準が現れて、春の季節を迎えるようになるのです。それで四番目の息子が祝福を受けるのです。

ユダに嫁がいました。誰だか知っていますか。タマルです。タマルがユダの長男に嫁いできたのですが、その長男が子孫もいないまま死んでしまいました。ユダヤの国では、その昔、祝福を受けた血統は途絶えてはいけませんでした。また、女性が子孫を残せずに死ぬというのは、女性としての道理ではなかったのです。そうなれば、祝福を台無しにする女性になるのです。

それでユダヤの国の法には、兄が子供を生めずに死んだ場合、その兄嫁を弟が引き継いで迎えるようになっていました。それは悪いことではないのです。祝福を受けた女性を捨ててはならないことになっていました。外国に送り出してもいけませんでした。サタン側に送り出すことはできないということです。

それゆえ、弟が兄嫁を迎えて暮らしたのです。しかし、その弟も死にました。ですからタマルは、自分の一代において祝福された血族を残せないことに対して、命を失うこと以上に苦悩するようになりました。自分は死んでも、どうにかして祝福された血族を残さねばならぬという使命感、神様の祝福を残す道を追求する思いが、タマルは誰よりも強かったのです。

それを成し遂げる道があるならば、体面も顧みず、生死も意に介さず、命を懸けて行くという立場でした。そのような立場に立ったので、「大変なことになった」と思い、自分の舅と関係を結ぶ計画を立てたのです。それでタマルは、舅が羊の毛を切るために行き来する所を知っていたので、道端で遊女のように仮装をして舅を誘惑したのです。そうして舅と一つになって子を身ごもるようになりました。

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人間は、父と母の愛を通して生まれます。ところがその愛が誤ったので、生まれるのも誤って生まれるのです。それはどうしようもありません。このように誤った愛を通して生まれることによって野性のオリーブの木になったので、その枝を完全に切ってしまい、真のオリーブの木の真の愛の枝を接ぎ木しなければなりません。数千年育った野性のオリーブの木の枝を完全に切ってしまい、精誠を込めて真のオリーブの木を接ぎ木しなければならないのです。

ヤコブとエサウを中心とした血統復帰摂理

神様は、これをひっくり返す摂理をしてこられました。ひっくり返そうとするならば、どこまでひっくり返さなければならないのでしょうか。兄弟同士ひっくり返したとしても、成長したあとにひっくり返したとするならば、それ以前が問題になります。四十歳にひっくり返したとすれば、四十歳以前まではひっくり返していない結果になるのです。それで四十歳以上の人は救いを受けるかもしれませんが、四十歳以前の人は救いを受けられないのです。サタンがかみついてくるのです。これがなかなか治らない病になっています。

それゆえ、神様は仕方なく再び摂理をされるのです。アベルが死んだあとにセツを立てて、セツの一族を中心として、どこを尋ね求めていくのかというと、女性の腹中を尋ね求めていくのです。堕落は腹中から起こったからです。愛の種は腹中を通して生まれました。それゆえ、腹中を尋ね求めて入り、ひっくり返すのです。これがどれほど途方もないことでしょうか。

腹中に入っていってひっくり返さずしては、サタンが生まれてくる生命自体を神側に送ろうとしないのです。ですから、人々を逆さまにひっくり返すためには、やむを得ず父母の腹中にまで尋ね求めて入り、闘って勝敗を決めるという、そのような闘いをしなければならないのです。それゆえキリスト教は、歴史上にかつてない、神様のみ旨に対する宗教であるということが、ここに明らかにされるのです。

これをカインとアベルの兄弟からひっくり返そうとしたのですが、それができませんでした。それで兄弟の位置を狭めていくのです。兄と弟をひっくり返せる交叉点まで尋ね求めていくのです。そのようにして、カインとアベルの代をセツが継いでそのみ旨に従わせ、ヤコブとエサウの時代が来るようになったのです。ところが、一段階近い位置に行こうとするので、双子を立てて摂理せざるを得なくなったのです。どれほど近づきましたか。兄弟は兄弟なのですが、双子の兄弟なのです。

ここでまた闘わなければならないので、ヤコブとエサウが闘うことになったのです。イサクは誰を祝福しようとしましたか。兄エサウを祝福しようとしたでしょう?しかし、このエサウを祝福するようになれば大変なことになるのです。それで母のリベカが後ろ盾して、ヤコブを助けてあげるようになったのです。ここから母子協助が出てくるのです。

女性が先に堕落したので、神様の息子、娘を解放させるために、生まれるに当たっては女性が協助しなければなりません。女性が、サタンに引っ張られていくのではなく、神様の前に行くための助けをするのです。

ここでのイサクは、天使長の立場です。リベカは、自分の夫であるイサクをだます工作をして、ヤコブにすべての祝福を受けさせます。ところが、聖書を文字どおりに受け入れるとすれば、兄をだました詐欺師のヤコブが、いかにして神様の祝福を受けられたのかという疑問をもつことでしょう。しかし、奪われたものを取り返さなければならないので、そのようにしなければならないのです。天使長に奪われたものを取り戻すのです。

エサウとヤコブの路程において、母と息子が合同工作をして、誰をだましましたか。父をだましたでしょう?イサクをだましました。この三人はアダムとエバ、天使長と同じ立場です。イサクは天使長と同じ立場であり、息子のヤコブは将来来るべきアダムと同じ立場です。したがって、希望の息子として生まれ得る立場です。そして母のリベカは、エバと同じ立場です。堕落したエバは、神様の息子を身ごもれなかったという側があるので、希望の息子を出産することが願いなのです。

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抜き取ってしまうべき偽りの血統

サタンとは何でしょうか。神様の姦夫です。神様にとって愛の怨讐である姦夫のことです。

神様は、これを許せば天理の原則から外れるので、許すことができないのです。それゆえ、今日、サタン世界の人間は、百回、千回許すことができても、サタンだけは絶対に許せないのです。それで大審判があるのです。大審判とは、誰を審判するのかというと、人を審判するのではなく、人間に対して主人のように君臨しているサタンです。

祈祷をするとき、神様のことを何と呼びますか。神様を主人と呼びますか、父と呼びますか。父と呼ぶでしょう?本来、生まれるときはみな、神様の直系の息子、娘の血筋を受け継いで、神様の愛の中で永生できるように生まれるべきなのに、エバが怨讐サタンに強奪されることによって、偽りの血統を受けてこの世に生まれたのです。

サタンが本来の父を殺してしまい、母を奪って生んだ子供たちが、今日、堕落した世界の人間なのです。これはいくら腹を立てたとしても、仕方のない厳然たる事実です。ですから、皆さんの血と肉には、すべて神様の怨讐であるサタンの血が流れています。神様の怨讐の血が流れているのです。これを抜き取ってなくさなければならないので、今日、宗教では体を打つようにするのです。体を打つ運動として、「体を打ちなさい!犠牲になりなさい!断食をしなさい!」というのです。今日、この地上に生きる世界の人類はみな、サタンの子供たちなのです。

では、アダムとエバが仮に堕落しなかったら、どうなるのでしょうか。神様の基準に上がって、神様を中心として三位一体になったことでしょう。そうして、ここから生まれた子女たちはみな、天国に行ける息子と娘になるのです。そうなっていたら、祈祷や宗教は何のために必要でしょうか。信仰という名詞は、人間には必要でなかったでしょう。父を信じるのですか。父は救い主だとか、救ってほしいとか、何を祈るというのですか。ただ父の懐にぱっと飛び込み、父に乗っかって座り、ひげを抜いても平気なのに、信じるとは何を信じるのでしょうか。

野性のオリーブの木と真のオリーブの木

聖書を見ると、カインとアベルが互いに争いますが、それもアダムが堕落したからです。アダムが堕落することによって、人間は神様もサタンも対し得る中間位置に置かれるようになりました。それゆえ神様は、アダムとエバを中心としては、救いの役事、すなわち復帰ができないのです。なぜでしょうか。彼らは堕落した張本人だからです。

善悪の実とは何でしょうか。善悪の実は、ただの善悪の実でしょうか。聖書は、はっきりとせず曖味です。善悪の実を取って食べてから、なぜいちじくの葉で下半身を隠したのでしょうか。なぜ、こともあろうに下半身を隠したのかというのです。恥ずかしいから隠したのです。それならば、なぜ恥ずかしいのでしょうか。

今日、私たちが堕落した社会の慣習的な観念をもって、「恥ずかしいと思うから恥ずかしいのだろう」と言うとすれば、それは話になりません。恥ずかしいのならば、なぜ下半身だけ恥ずかしいのかというのです。恥ずかしいならば、目は恥ずかしくなく、鼻は恥ずかしくなく、耳は恥ずかしくなく、頭は恥ずかしくなく、手足は恥ずかしくないのでしょうか。

また聖書を見ると、生まれ変わらなければならない(ヨハネ一ニ・3)という聖句があります。生まれ変わらなければならないという言葉は、誤って生まれたことを意味します。人がこの世に生まれるときは、何を通して生まれるのでしょうか。善悪の実を通して生まれるのでしょうか。違います。愛を通して生まれるのです。人は親の愛を通して生まれるのです。

しかし人類始祖は、愛を通して生まれたことは生まれたのですが、神様が愛し得る、万宇宙に誇り、宣布できる喜びの愛を通して生まれなかったのです。神様が非常に悲しまれ、サタンが非常に喜ぶ愛を通して生まれたのです。

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愛は絶対的なので、愛の関係を結ぶようになれば、全宇宙がその前に主管を受けるようになっています。創造原則がそのようになっているので、サタンが先に占領したものを神様がその原則を無視して、ただで奪ってくることはできないのです。もし神様の愛と一つになっているならば、誰が切るでしょうか。切る者はいないのです。

では悪魔サタンとは、何者でしょうか。神様を中心として見るとき、神様の愛の怨響です。すなわち姦夫なのです。これを許してしまったら、天地がひっくり返ってしまうので、本然の愛を取り戻すためには、許すことができないのです。これを審判せずしては、取り戻せないのです。それゆえ、不倫なる愛の関係を、神様は一番怨讐視するのです。これが拡張したので、神様は安着できないのです。

愛というのは、独りでいるときに生じても、愛は相手から来るという事実を知らなければなりません。愛の根拠地がどこかというと、私ではなく相手なのです。その高貴なる愛を受けようとするなら、頭を下げなければなりません。今日、この世の愛はすべて誤った愛です。このような血統的な問題があるために、神様も六千年間、苦労してこられたことを知らなければなりません。

ローマ人への手紙第八章23節を見ると、「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられる(養子となる)こと、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」とあります。養子になるというのです。神様の前には直系の息子になれないのです。養子というのは血筋が違います。

聖書を見ると、長子は祝福を受けられませんでした。神様は、悪魔サタンの子が初めて生まれたのを見たとき、どれほどあきれたでしょうか。打ち殺したかったことでしょう。アダムとエバも一度にみな、打ち殺したかったことでしょう。しかし、人間を創造されるとき、永遠であられる神様の前に絶対的な相対として創造されたので、破壊してしまえば神様の創造原則から外れることになるのです。創造原則から外れてしまうので、殴ろうとしても殴ることができず、打とうとしても打つことができず、破壊しようにも破壊できない立場に置かれているのです。

それでは、誰ゆえに失敗したのでしょうか。悪魔サタンゆえです。ですから、奪い返してこなければならないのです。奪う際には、悪魔サタンがすべて所有したので、サタンが前から引っ張っていけば、神様は後ろからついていくしかありません。それゆえ神様は、取り戻してくる計画を誰からすべきかというと、サタンが一番目の息子を引っ張っていったので、二番目の息子からしなくてはならないのです。

天使がアダムを主管しました。僕が息子、娘を支配したので、反対に天の側の人が僕を逆に支配しなければならないのです。コリント人への第一の手紙第六章3節を見ると、「あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である」という聖句があります。天使までも審判しなければならないというのです。それほどまでに途方もなく、それほどまでに高貴な人間なのに、今日の人間は、美人とか美しいものがあれば、「天使のように美しい」と言います。天使は比べるものではないのです。それゆえ、サタンよりもましでなければなりません。

神様が本来、主管すべき人は、サタンよりもあとに生まれたという人ではありません。サタンよりも先に生まれたという人を主管しなければなりません。生まれたのは、サタン側が先に生まれたのですが、天の側が先に生んで愛さなければならないのです。ところが、左にいるべき悪魔サタンが右に行き、右にいるべき神様が左に来たのです。これを逆にして正さなければならないのです。正すには、あとに生んではならないので、先に生まれたという立場を探し求めなければならないのです。

その次には、悪魔サタンよりも愛さなければならないのです。悪魔サタン側の息子よりも、天の側の息子のほうを愛さなければならないのです。愛そうとするならば、サタンと血統的な関係をもってはいけません。それで母親の胎内に取り込んで、再び息子が生まれて出てくるようになるとき、サタンは讒訴条件をもてないのです。そのようにして神様は、愛し得る息子を探し求めるための運動をしたのです。

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サタンと血縁関係を結んで堕落した人類

創世記には、アダムとエバがサタンの誘惑に遭い、善悪の実を取って食べたとあります。取って食べるときは、目で見て、手で取り、口で食べたはずです。それならば、目を隠し、手を隠し、口をふさがなければならないのに、いきなり下半身を隠しました。こうしてエバが堕落したのです。

その次には、何も知らないアダムに向かって無理やりに、善悪の実を取って食べるように言いました。手で取って口で食べたはずなのに、取って食べたアダムも下半身を隠しました。人には、傷のある所を隠す本性があります。男性は顔に傷があれば、何とかして顔を隠そうとします。ましてや女性は、小さな傷があってもそれを隠そうとするのです。結局人は、傷のある所を隠したがるのです。アダムとエバが下半身を隠したということは、その下半身が傷になったからです。それは否定できません。

ヨブ記第三十一章33節に、「わたしがもし(アダムのごとく)人々の前にわたしのとがをおおい、わたしの悪事を胸の中に隠したことがあるなら」という聖句があります。結局は、恥ずかしい所を隠したのです。

それでは、人類始祖が不法なる不倫の貞操関係によって犯した事件があったという観点から、聖書を再び調べてみましょう。ヨハネによる福音書第八章44節を見ると、イエス様が不信仰な人たちに対して、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と端的に結論づけて語っています。それから不信仰なパリサイ人に対して、「まむしの子らよ」(マタイ一ニ・34)と指摘して宣布したのです。

これらのことを見ると、堕落した私たち人類は、血統的な関係で犯行を行ったと結論づけることができます。堕落しなかったなら、私たち人間は完成して聖殿となり、神様の体となり、神様の神性を受け得る神聖な体になっていたことでしょう。そのようなことが、神様の愛の中で成就されなければならなかったにもかかわらず、その体をサタンが侵犯することによって、サタンの僕となり、悪性を受けた人間になってしまったのです。

堕落しなかったなら、アダムとエバは神様の体になり、神様の愛の中で一つとなり、家庭を築いたことでしょう。そこに息子と娘が生まれれば、その息子と娘は、神様の息子、娘であると同時に、アダムとエバの息子、娘になるのです。神様が直接主管する家庭になり、氏族になり、民族になり、世界になり…。そのようになれば、地上に自動的に天国が形成されるはずでした。

ところが、悪魔サタンが侵入し、血統的に蹂躙することによって、アダム、エバと一つになり、子孫を繁殖したのが堕落です。その子孫が世界的に繁殖したのが、今までの人類なのです。

堕落しなかったなら私たち人類は、神様と共に真なる父母(アダム家庭)を中心として形成されたはずですが、堕落することによって、偽りの父母と偽りの息子、娘ができてしまいました。真なる世界の代わりに、悪なる世界になったということは、人類にとって恨めしいことであり、神様にとっても恨めしいことになったのです。

このように(サタンが)血筋を通して侵入してきたので、自動的にアダムの家庭を中心として繁殖していきました。悪魔サタンが、人類の中心になったのですから、サタンはこの世の王にならざるを得ないのです。それと同時に、私たちは切っても切れない悪魔サタンの血筋を受けて生まれたのです。血統的に原罪をもって生まれたのです。

神様の血統を受け、永遠に神様の愛を受けるべきこの体が、神様の怨讐であり、本然の人間に対しても怨讐である悪魔サタンの血を受けて、地獄に引きずられていかざるを得ない恨めしい立場にあるという事実を、今まで知りませんでした。神様を中心として平和な天国で理想的に楽しく暮らせる家庭をサタンが奪い、不幸と地獄の世界をつくったのです。それによって、神様は追い出されたのです。

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人間は真のオリーブの木になれず、野性のオリーブの木になったので、切ってしまわなければならないのです。そして、再び真のオリーブの木に接ぎ木しなければ、救うすべがないのです。

ですから、人類歴史は宗教とともに出発したのであり、宗教は人類とともに流れているのです。なぜそうなのでしょうか。希望の道を発見しなければならないからです。神様は人間が堕落したその日から、創造主としての責任を担われ、堕落した人間を救う摂理を展開するために、歴史過程を経ながら今まで苦労してこられたということを私たちは知らなければなりません。

神様の約束を果たすために、神様のみ旨を中心としてこの地に来られた方が、イエス・キリストです。彼は過去の歴史時代において、人間が僕の立場にあるとき、神様と結んだ約束を果たして、養子と真の息子の因縁をもてる立場を立てるために来られたのです。僕が忠臣の道理を果たすときには、養子の位置に立てるのです。それゆえ、復帰摂理歴史を経てきながら、イスラエル民族に僕として忠誠を果たし得る土台を築かせ、養子の因縁を結ぼうとしてこられたのです。

養子の因縁は、どのように結ぶのでしょうか。神様の息子がこの地上に来なければ不可能なことです。神様の息子がこの地上に来なければならず、その息子の命令を聞いて、それに従順に従ってこそ、養子の因縁を結べるのです。これが旧約時代と新約時代が連結する歴史だということを、私たちは知らなければなりません。

旧約を信じてきた人々は、僕として養子の恵沢にあずかることを望むのですが、それが正にメシヤが来ることを望む理由です。すなわち、メシヤによって僕の悲しい境遇を越えて、養子圏の立場に進むことが彼らの願いなのです。養子というのは、直系の息子、娘がいないとき、親から相続を受けられる因縁が成立する立場です。

そのようにして、僕の立場を超越し、神様のみ旨を迎えられる恵沢にあずかることを望みながら歩ませたのが、僕の旧約時代を指導してこられた神様のみ旨です。ゆえに彼らは、僕の境遇を免れ、神様の相続を受け得る圏内に入れる特権的なその時を願ってきたのです。それがイスラエルの選民思想なのです。

イスラエル民族を、世界を代表した民族、外的世界を相続できる民族として約束し、イスラエル民族とユダヤ教を指導してこられたのです。ここで、息子と養子が一つにならなければなりません。僕は、神様の息子が来るまでに養子の土台を築き、息子が受けるすべての困難を解決したあとに息子を迎え入れ、その直系の息子と一つになる位置に立たなければなりません。そうしなければ、天国に入れません。言い換えれば、神様の血統ではなく、サタンの血統を受け継いで生まれた息子が、神様の前に養子として公認されれば、直系の息子は、アベルの立場でカインの立場にある養子を復帰しなければならないのです。

このような歴史的な因縁があるので、世界的な因縁を代表した教団と国として、養子圏の立場に立たなければならないのが、イスラエルの国とユダヤ教だったのです。そして、直系的権威に立たなければならないのが、神様を中心としたイエス・キリストが提示したキリスト教とこれを中心とする世界国家でした。

このように、世界を代表したイスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に捧げるようになれば、一国と一教団を捧げることによって、すべての国とすべての宗教を統合し得る権勢をもって来られるイエス様と、連結されることが起こるようになるのです。

すなわち、イスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に奉献してこそ、イエス様がもってこられた天上・地上天国を、この地上で相続し得る圏内に入れるのです。イスラエルの国が僕として責任を果たし、イエス様を誠意を込めて迎えなければならなかったにもかかわらず、反対したためにその道が途切れてしまったのです。

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第一章 イエス様誕生前の摂理ー、メシヤ降臨のための血統復帰の摂理

神様は一つの特定の民族に約束をなさり、希望をもたせ、その民族を通して摂理を進めてこられました。その特定の民族が、イスラエル選民です。それでは、そのイスラエル民族の目的とは何でしょうか。世界の国を占領することではありません。イスラエル選民の願いは、世界を征服することではなく、メシヤを迎えることです。メシヤとは何でしょうか。救世主です。

救世主とは何でしょうか。真の人間の原型です。工場に行ってみれば鋳型というものがあります。ある物がつくられているのを見ると型があって、そこに材料さえ入れれば、ガチャンガチャンと何千個でも何万個でも同じ物が出てくるでしょう?救世主とは、そのような鋳型のような人間なのです。すべての人間のモデルなのです。

その方が来られることによって、その方と一つになれば救われるのです。質は異なっていてもいいのです。質は異なっても、形さえ一つになれば救われるのです。人がみな、イエス様と同じになることはできません。形さえ同じならばいいのです。丸い形ならば丸い形として、全く同じでなければなりません。そこに角があってはなりません。角があれば、その角を切り捨てなくては、合格品になれないのです。

人間世界に歴史上初めて、神様が描いた最高の型として、「人はこのようでなければならない」という、その型を代表して来られる方がメシヤなのです。イスラエル選民は、そのメシヤが来ることを願ったのです。今日の世界もそうです。今日、世界中の宗教は、すべてメシヤ思想をもっています。

メシヤは生命を中心とした心の愛と、生命を中心とした最高の人格の標準になる方です。この方を一つのモデルにして、今までサタン世界で受け継いだ信念や愛の感性をすべて埋葬し、無の状態にしなければならないのです。そして本来、堕落していないアダムの体と同じ、本性である心の愛を中心として一〇〇パーセント和合できる体を見つけなければなりません。次に、本然の心の愛を実体の体と結びつけて、堕落の因縁を抜け出した一人の男性にならなければならず、神様の体、すなわち内的な聖殿を築き、神様と一つになって登場できる一人の男性にならなければなりません。このような男性がメシヤです。

メシヤとは何でしょうか。人類で初めて、神様の愛を中心として生まれた愛の先祖です。したがって、イエス様や再び来られる主は、本然の心を中心とした愛の世界の父、宇宙の愛の父になるのです。私の心と体は互いに離れられません。体は心の愛を受けなければならないのです。

心と体が一つとなった立場に立っていない人間は、そのような立場に立っているという条件を立てて、神様に接ぎ木をしてもらわなければなりません。メシヤと堕落人間は種が異なるので、幹を切って接ぎ木されなければなりません。これが今までの復帰摂理の経路です。

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はじめに文鮮明先生は、世界の宗教界、学界、政界など各界の指導者から、八つの分野について最もよく知るチャンピオンであると言われています。八つの分野とは、以下のとおりです。

(一)神様

(二)サタン(悪魔)

(三)人間

(四)霊界

(五)イエス様

(六)聖書および各宗教の経書の核心内容

(七)人類歴史

(八)真の家庭の価値

本書は、文先生が今日まで語ってこられた説教(『文鮮明先生御言選集』)の中から、イエス様の生涯に関連するみ言を抜粋し、編集した『イエス様の生涯と愛』(二〇〇二年、韓国・成和出版社発行)を翻訳し、整理したものです。

二千年前に人類救済のためにイエス様が、どのような心情と事情の中で歩まれたのかを理解することができるとともに、自分自身があたかもその場にいたような錯覚すら覚えることでしよう。また、聖書に登場するマリヤ、ヨセフ、洗礼ヨハネをはじめとするイエス様の周りの一人一人には、どのような使命があり、どのような責任を果たさなければならなかったかについても明確に記されています。

一般的に、キリスト教の信仰を受け入れることの妨げになっている理由の一つに、マリヤが聖霊によってイエス様を身ごもったことや、イエス様が十字架にかかったとき奇跡が起きずに亡くなられたことが挙げられます。今日まで誰も明確に解くことのできなかったこれらのことについても、文先生は聖書の記述に沿って詳しく述べておられます。

文先生は、一九四一年から二年半、日本に留学されました。その後、再来日されたのは一九六五年一月のことです。約二十一年ぶりに日本の地を踏まれた文先生は、日本統一教会の青年たちに多くのみ言を語られるとともに、教会員と交流の場をもたれました。そのとき、ある青年がイエス様の人物像について質問をしました。

そのとき文先生は、天井を見られてからすぐに下を向かれました。そのときボタボタと水滴が畳に落ちる音がしたのです。それは、イエス様の心情をよく御存じである文先生が、悲しい孤独な道を歩まれたイエス様を思って流された涙でした。

イエス様は、三十三歳で十字架にかかって亡くなられました。一般のキリスト教では、イエス様は十字架で死ぬために来られたというのが定説です。ところが本書で文先生は、イエス様は死ぬために来られたのではなく、結婚し、神様を中心とした家庭を築き、地上天国を創建しなければならなかったと説かれます。それだけでなく、イエス様は十七歳、二十七歳、三十歳のときに結婚したいと家族に告げたと、文先生は語られています。

文先生が解かれた内容は、今までのキリスト教の教理と異なる点があるため、文先生は世界的に迫害の道を余儀なくされました。しかし現在、世界の多くの有識者が文先生の人格と教えと活動に感動し、神様を中心とした世界的な運動と基盤が築かれつつあります。

本書を通じて、神様がイエス様と文先生に託された神様の理想(神様のもとの一つの家族)が、一日も早く、世界に実現されることを祈るものです。

二〇〇九年六月吉日

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偉大な文学

海ではどのような種類の人々が見出だされるでしょうか。勇気ある男に従う勇気ある男達です。では女達についてはどうでしょうか。
 もし夫が非常にひどい下痢になって寝ているとしたら、夫に対して、どうか家にいて漁に出るのは延期してくださいと頼むでしょうか。それとも、彼女は立ち上がって「よし、では私があなたに代わってその使命を続けます」と言うでしょうか。もしその女性がそのような決意を持っているならば、船の舵輪すらも目を覚まして、今まで多くの男達の荒っぽい手で扱われて来た後なので、そのような柔らかい女性の手が触ってくれることを幸せに感じるでしょう。皆さん、女達がそのような使命を引き受けるときには、海の水ですらも皆さんに対して、荒々しくありたいとは思わないでしょう。彼らはそのような美しい女性に対して良くありたいと思います。また海の跳びはねるしぶきですらも微笑んで「私はあなたのスカートにすがりつきたい」と言うでしょう。

詩のような光景ではありませんか。このようにして偉大な詩や文学が生まれたのです。先生が海について話し始めると、まだまだ話すべきたくさんの話や伝説、神話があります。時々、先生は鳥に向かって話しかけます。すると鳥達も先生の考えていることに従うかのようにこちらに飛んで来て、止まったりするのです。そして先生が「さあもう行きなさい」と思うと、鳥達は突然飛び立って行くのです。

文学というものは、そのような自然との交わりを表現しながら書かれるものです。被造物は人間に対して「もしあなたが、私が離れたとしても愛してくれるなら、私はあなたから離れて行きましょう」と言います。人間と被造物はお互いに慕いあっています。それは丁度男性と女性のとの間の愛のように慕い合うのです。

もしある男性とある女性がエンパイヤ・ステート・ビルの頂上、地上百二階の所でデートをすれば、それは非常にロマンチックです。しかし、なぜそのようなデートがロマンチックだと考えられるのでしょうか。それはそのような高い建物はユニークであり、その二人の男女は地上の最も高い地点の一つで出会っているからです。誰も注目していないとしても、彼らは自分達が世界のトップにいる王様と女王様として出会っているかのように感じるのです。

ある男女が南極点で出会ったとしましょう。その周りには誰もいません。すべてが氷と雪だけです。ペンギンだけがお互いにキスをしています。そのようなことは想像するだけでもロマンチックな瞬間です。何か信じられない位刺激的な経験をするためには、普通の人達がしないようなこと、ユニークで挑戦的で、特別のことをしなければなりません。そういうことなくして皆さんは、刺激ある陶酔と美を得ることはできません。

アラスカ

先生は最近、アラスカへ二回行って来ました。アラスカは住んでいる人もほとんどいない神秘的な処女地です。そこは、熊や、野生の動物の土地です。大部分の人達は、アラスカは雪や氷河に覆われ、また海岸線はギザギザとしていて、白鯨やアシカやオットセイのいる所だと考えています。ある日、先生は小さな島へ行き、そこで何匹かのアシカに出会いました。彼らは先生を見るや否や、歓迎の声を上げ「あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ」と叫び始めました。彼らは一斉に声を上げ、その声は非常にユニークな響きでした。しかしそこには二つの区別すべき声がありました。一つは雄の声、もう一つは雌の声でした。それらが一つに調和して、すばらしいコーラスを作っていました。
 そこには鯨やハリバットもいました。ハリバットというのは平目のような平べったい魚で、三百ポンドにもなるのです。おそらく、ハリバットのことを知らない人が多いでしょう。だから神様は「お前達は哀れな者だ。私が生き物を創って、お前達に与えたのだ。お前達はここへやって来ようともしない。お前達は私の創った物を見ようとさえしないし、それを楽しもうとさえしない。お前達は哀れな者達よ」と考えておられることでしょう。
 神様は勇気ある人々に関心があります。神様御自身が冒険好きであり、また神様は我々人間をそのような者として創られたのです。

アメリカの女性

先生はこういう特別の経験をした後で、アメリカの女性達はどうあるべきかについて考えてみました。アラスカで、先生はある夫婦に出会いました。その男性はそこにずっと住んでいます。そこで先生は、なぜこの夫婦がそこに住んでいるかを知りたいと興味を持ちました。「なぜ、あなたはここに住んでいるのですか」と尋ねました。「なぜなら、我々は自由が好きだからです。完全な自由を愛するからです」と答えました。彼らが説明するには、ニューヨークやその他ではちょっとどこかへ行こうとすると、すぐに誰かにぶつかります。あるいは、いつも誰か他の人の領地に足を踏み込んでしまいます。そうすると彼らは「だめだめ、それに触らないでくれ」と言います。しかし彼らが言うには、アラスカでは何年走り続けたとしても誰にも迷惑がかかりません。だから「全くの自由です」と彼らは言うのです。それはすばらしいことだと思いませんか。アラスカは法律的には、アメリカ合衆国に属していますが、この夫婦のようにそこに住んでいる人達は、文字通り国境がないのです。

先生がその女性を見ると、彼女は非常に小さくてやせていました。しかしこのアメリカ女性は、腹のある人でした。彼女はビジョンを持っており、また普遍的な心の持ち主でした。彼女は自信と確信を持っています。だから熊狩りに行く時でも、彼女は熊をやっつけることができるのです。それで先生は思いました。「これこそまさに、西部開拓のアメリカ人をして、新しい地平線へと駆り立てた女性の精神だ。これが開拓者魂だ」と思ったのです。

では彼女はどうしてこのような男性に出会い、結婚するようになったのでしょうか。彼女が打ち明けてくれた所によると、彼女は世界中を旅行して歩いたということです。そして、世界中で様々なタイプの人、文明人であり教育のある人を始めとしていろいろな人に会いました。その後彼女はアラスカに来て、心が素朴で欲のない人達に出会いました。海に出かける人達は漁師でした。また、山に出かける人達は猟師です。しかし、ここには漁師と猟師の両方を合わせた人が生きています。この男性はその心の素朴さと自然で欲のない性格によって、彼女の心を完全に虜にしました。そこで彼女は彼と結婚し、それ以来、その環境の下で生活しています。ここにおいては、彼が何をしようとも裸のまま、つまり心のまま誠実であることができます。だから、彼らが隣人に会う時、あるいは知らない人に会う時でも彼らはすべてのものを愛する以上に愛してきました。

普通は、ある漁師が自分の良い釣り場を持っていると、それを自分だけのものとして隠したがります。ところがこの人が言うには「ここは漁師の天国だ。あなたはもっと大きなものを釣ることができますよ」と言いました。この人は本当に他の者を助け、他の者に奉仕しようとしていました。先生がそこにいた時も、彼は他の人のために、餌や道具を準備し、そして先生の一行に大きな魚を釣らせようとしました。彼らは先生達が大きな魚を釣ることを望んでいました。

その日は、たくさんの魚が釣れました。先生はとてもその人に感謝し、その日の終わりに、彼に感謝の印として贈り物を上げようと思いました。ところがその男は「いや、結構です。皆さんを手伝うことが私にとっての光栄であり、特権です。もしそれを私にくださると私の栄光が失われてしまいます」と言いました。先生は後で使いをやって、どうかその贈り物を受け取ってくれるように説得しました。しかしその人は受け取ることを断固として断わりました。しかし遂にその謙遜な人は譲って、自分はレバレンド・ムーンの美しい心を見たから、その贈り物を受け取りますと言いました。そこで先生は「長い間経って、ようやく久しぶりに自分は真のアメリカ人に出会った」と思いました。

いろいろ検討した結果、鮭こそがムーニーの魚となるべきであり、鮭こそがムーニー・スピリットを象徴するものであると決定しました。雄と雌の鮭は、並んで共に川を上がり産卵の場所まで泳いで来ます。彼らがはるばるそのような旅をする目的は、卵を生むということです。そして、夫婦は卵を産む場所で川底を掘り始めます。産卵の間、雄は雌を守るようにその周りを泳ぎ回ります。やがて彼らの皮膚の色と筋肉が変化し始め、そして卵を産むという使命が完遂された後は、彼らは命を捧げて死んでしまいます。彼らの体はやがて腐敗し、そして卵からかえったその小さな魚のための飼料となるのです。

これが彼らの運命ですが、卵を産むことによって繁殖することに成功します。それは愛のためなのです。彼らは恐れることなく、共にその運命に向かって進んで行きます。これは本当に見るのは美しいことです。先生はこのような鮭の中に理想的な夫婦のイメージを見ました。すべての人類が鮭のように生きる時、神様の住み給う所が人間と共にあるようになり、神様は人間の中で幸せとなられるでしょう。なぜ神様は鮭を創ったのでしょうか。それは人間を教育し、人間が従うべき模範を見せるためでした。では、結論を言いましょう。オーシャン・チャーチは、神様の理想を教えるために創られました。海の被造物を通し、海に対する真の愛と海に対する真の主管ということを得ることができます。各自は、神様と共に共同の創造主となり、神様の創造という偉大な御業に参画し、そして被造物を友として理解することができるようになります。

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人間の性質をさらけ出す

先生は、希望のない人達をいかに訓練するかを知っています。彼らを海に連れて行って、三ヶ月間海の中に蹴飛ばすのです。彼らがその海でいき延びれる限りそうするのです。そうすれば、彼らは最初のうちは惨めで、また青りんごのように青白く見えるかもしれません。そして体の中の穴という穴から何かが出て来ます。

しかし、先生はちゅうちょすることなく「彼らを海に蹴飛ばせ」と言います。そうすると一人ずつ出て行きます。船酔いをした人も病院は必要ありません。陸地にしばらく置いておけば良いのです。そうすればやがて食欲も戻って来るし、回復してきます。これが一番良い方法です。健康が回復すれば、また彼らを蹴飛ばして海においやります。そして、このサイクルを繰り返します。そしてまた海から戻って来て、ほとんど死にそうになって戻って来た彼らを休息させ、そして三度目、再び海に蹴飛ばすのです。これを三回繰り返せば、どんな希望のない人間でもチャンピオンにすることができます。希望のない人間を再び希望ある者とすること、それがオーシャン・チャーチの真のチャレンジであり、それこそこの国にとって良いことです。

さらにまた、海に対して適応性のある健康な人々はいつでも海に行く用意ができています。タイラーは最近、博士号を取ったばかりです。彼はオーシャン・チャーチに人事されるとは夢にも思っていませんでした。それでも先生は、彼に海に行くようにと蹴飛ばしたのです。彼はきっと、自分は統一神学校で良い教授になれるし、本を書いたり、他の大学に行って教えることもできると考えていたと思います。きっと彼はそういうことを考えていたに違いありません。タイラー・ヘンドリックは本当の紳士タイプのような人間です。非常に丁寧で誠実な人間です。しかし、一度海に行けば、そこにはバスルーム(御手洗い)もありません。たとえニュー・ホープであってもありません。

今年の夏、先生は女性達と男性達に船を与え、共に働くようにさせました。そして、トイレへ行く時がくるとどうしますか。何とかしなければなりません。何とかしてすっきりしなければなりません。周りにいくら女性達がいようと男性達がいようと違いはありません。そうなると腹が必要となります。自分をすっきりさせるという使命を達成しなければなりません。男達はそのような状況に直面してパニックに陥ることなく、自然にそのことに対処します。彼らはそれに対処する腹を持っていなければなりません。女達が海に行くといつものように、上品で素敵な顔つきをするようなことはありません。女も男のような顔つきになって、何とか海に対処して生き残らなければならないのです。時には、女は自分の尻をさらけ出さなければならないこともあります。しかし、そのことに構っておれません。ただ「私のお尻がちょっとさらけ出されているけれども、男の人達は目を閉じてくれるでしょうから、自分自身を盾で隠さなくてもいいわ」と考えるでしょう。

女にはそういう腹が必要です。また男達が自分の用をたす時、女達は目をつぶってくれるということを男達は知っています。だから問題はありません。そのようにするのです。もし目を閉じない者がいれば、そういう人はその結果に苦しむことになります。

海の訓練は生々しい裸の経験です。それゆえに、それを通して基本的な人間の性質が現れるのです。海の訓練は、あらゆるものをさらけ出します。海の上では隠すことはできません。だから皆さんが海に出かけて行く時には、自分自身をさらけ出さなければなりません。それを通して自らについて学ぶことができ、他の人についても学ぶことができ、また他の人といかにして調和するかを学ぶことができるのです。

別の点は、陸上で生活する時には、記録を破ったり、新しい記録を樹立するといったことは余り考えません。しかし、海に行く人は皆、いつも記録を作ったり記録を破ることを考えます。こういう人々、はいつも目標を目指して進む人達です。

この世の生活は非常に複雑です。だからそういう世の中で出世したり、出世する場所を見つけることは不可解な状態です。しかし、海に行けばチャンスがあります。誰もが皆、出発点に立っているからです。そこではゼロの時点まで下がって行き、そこから出発し、起き上がって再び勝利するのです。皆さん、男達、女達が海に行くときにはチャンピオンになるように、また新しい記録を樹立するようにしなさい。先生はそういう目標を目指した生活が大好きです。

オーシャン・チャーチのビジョンと摂理
1983年 8月28日

キリスト教、ユダヤ教、その他すべての偉大な宗教は山と何らかの関係を持っていました。モーセは四十日間祈るために山に行きましたし、イエスも山の上で断食祈檮をしました。また釈迦も山の中で霊的な探求をしなから六年間過ごしました。統一教会もそのようなことを経験しましたが、我々はそこで止まるのではありません。我々はさらに進んで、歴史上初めて「オーシャン・チャーチ」を創設するのです。

なぜお父様はオーシャン・チャーチを創り出したか

皆さんは地球を見るときに、地球表面の三分の二は水です。だから、海と陸地とどちらの方がより多くの生き物がいると思いますか。水の中です。地球上の人口は約四十億と推定されます。しかし海には何百億、何千億もの生き物がいます。海と陸地のもう一つの違いは、すべての海はつながっていて一つの海から次の海へと行くことができるということです。陸地もまたつながってはいますが、海は、一つの調和がある全体としてお互いに動いています。海は生きており、適宜に動いています。死んでいるのではないのです。この地球を覆う水面が生きているがゆえに、地球が生きているということを理解することができるのです。

これまで海は輸送のために用いて来ました。しかし、人々は海の中に隠された資源を探すために、海を掘り始めることをしませんでした。最近になってある国々は、二百海里領域を「領海」として主張しています。ますます海の資源を巡る争いが、国々を鋭く分裂させつつあります。もし捕る魚がいなくなったら、二百海里の制限というものは意味を持つのでしょうか。

人々が海の中の資源を発見し始めるようになると、恐らく彼らは三百マイル、あるいは千マイルも自分の国の領域として主張し始めるでしょう。そうすると「海の真の主人は誰か。誰が本当の主人であるか」という問題が起こるでしょう。

もし突然、ある巨大な陸地が海の真ん中に島として現れたとします。その陸地を自分のものとして主張できるのは誰でしょうか。火山の爆発は至る所で起こり得ます。自然は自然の法則に従うのです。

神様が「自分が海を創造したのだ。誰がその主人公となるのか」と言いながら被造物を眺めている時に、神様は何を探しておられるのでしょうか。神様はビジョンと勇気を持った人々を探しておられるのです。実際、神様はそのような海の挑戦するために組織され、それに投入している人々の団体を探しておられるのです。もしそのような海を愛する人々の献身的なグループを見出だすことができれば、神様は彼らに祝福を与えられるでしょう。そのような人々が、最終的に海に対する主管主たる候補者となるのです。彼らは、創造主の心を持って考えているに違いないからです。そのような勇気ある人々が世界中から一つに集まって来て、そして一つの共通の目標に向かって団結するにつれて、一つの理想、ビジョンはすべての国家や人種の障壁を越えるに違いありません。そのような国際的なグループが確立されるならば、いかなる国もそれに挑戦することはできないでしょう。なぜならば、そのようなグループは、世界的な展望を持っているからです。

オーシャン・チャーチは将来何をするのでしょうか。その目的は何ですか。それはいかに海を愛し、創造主の理想のもとでいかに海を利用し、また創造目的に従ってどのように海を主管するかということを教えることです。

海と陸地を分ける境界線は海岸です。従って、海岸はその二つの世界の結び目を表します。いずれは海岸線が最も重要となるでしょう。海岸線の財産がすべての内で最も価値のあるものとなるでしょう。

海の美しさ

海には信じられないほど様々な雰囲気が含まれています。静かな海は、美しい女性のようです。そして浜辺の砂は、まぶしい位の美しさと平和の絹のようです。しかし、それが海が与えてくれるすべてではありません。少し風が吹くと海は踊り始めます。少しだけです。どのようなバレリーナや踊り子といえども、海の踊りとは決して比べようがありません。踊り子は小さな限られた舞台の上で踊るだけですが、海は際限もなく踊るのです。その踊りの舞台には際限がありません。

海では鳥が飛び回ります。飛んで来てまた飛び去り、止まったり羽ばたいたり、すべてが様々に異なる形をして飛びますが、すべて調和が取れています。かもめがやって来て歌を歌い、美しい調和ある動きをします。時々このような美しい光景が、巨大な鯨が水の中から飛び上がって来る突然の火山の爆発のような動きによって、劇的に変化します。水しぶきが輝き、光を反射します。これも信じられない程の美しさです。それほど多くの変化と様々な動きがあります。

海が腹を立てる時にはあたかも「誰でも自分の方向に向かって来る者は飲み込んでやるぞ」と言っているかのごとく、威厳と力を示します。海はそこに浮かんでいるすべてのものを飲み込むことができるのです。

普通の場合、高速の船は静かな海をあたかも絹のハイウエーのように美しく走ります。しかし、一度海が怒り狂って高波のしぶきを上げる時には、そのような船も無力となります。波が高まれば、船は「はい、はい」と答えるしかありません。波が突然下に落ちれば、その船もまたそれに従うのみです。なぜならば、自然は最も強力であり、海は「お前は私の言うことを聞け。ここに私がいる」と言っているからです。このような理由で、海を愛する人は男も女も高慢になったり、傲慢になったりすることができません。彼らはそのような自然の圧倒的な力の前で、いかに謙遜にするかを知らなければならないからです。

陸地には緑が見えます。時として、そこではチョウチョウや鳥が飛び回っているのが見えます。しかし、すべては静的です。しかしながら海では、魚の変化はあらゆる動きであり、しかも一つの場所から他の場所へと動きます。そして自らの美を示すのです。海と陸地では、どちらがより多くの美や信じられない程の神秘がありますか。(海です)

皆さんが、自らを神様の立場において「なぜ神様が海を創り給うたのか」と尋ねれば、「それは神様が陸地には二、三日で飽きてしまうが、海は決して退屈しないからです」と答えるでしょう。それゆえに、将来のビジョンに関係する者は誰しも、海に興味を持たなければなりません。このようにしてその人はビジョンのある人となることができます。

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リーダー会議
1983年 8月26日

我々の運動には、非常に様々な活動や異なったプロジェクトがありますが、夏になれば、それらの内で最も重要なものはオーシャン・チャーチです。

皆さんが知っているように、地球の表面の3分の1だけが陸地で3分の2は海です。それゆえに、海を知らずして決して地球全体を主管することはできません。だから皆さん一人一人が、統一教会のあらゆるメンバーが、オーシャン・チャーチの基本的な訓練、ナビゲーション(航海術)や船の修理を含めた訓練を受けることが必要です。

海は死んでいない、と考えるだけでも信じがたことです。海は生きており、動いています。海それ自体が動いているだけでなく、陸地や太陽や月との関連で動いています。また、海の中に隠されている美や、不思議なことを知ることは、とてもすばらしいことです。神様の創造されたすべての万物の中で、海は他の何物以上に宇宙の動きや天候に対して敏感です。

一度皆さんがそのような海の敏感さを理解し、海と対話し、それに対処するならば、神様の創造された万物の最も複雑な物が分かるようになるでしょう。そうすることによって、すぐに陸地についても理解できるようになります。

海はただ単に敏感であるばかりでなく、非常に変化が激しいものです。それゆえに、この変化する状況に対処することを知ることは、我々自身と自然を最も良く理解することです。我々が神様を中心とした人格を形成するためには、我々がいかに海に対処し、いかにして海の主体となり、またいかにして神様が与えた被造物を主管するかについて知らなければなりません。

神様はすべての主管圏を支配しておられます。神様は全被造物の、すべての変化、敏感な動きをも主管されております。これが神様の性質であり、我々はそのような性質に似た者となるように、自らを形成しなければなりません。特にアメリカの若者はそうです。なぜなら、このアメリカという国は三方を広大な海によって囲まれているからです。一般に言ってアメリカ人の興味は、一つの狭い方向に焦点が当てられています。しかし、神様は、そのようなことを望んではおられません。皆さんは、自分自身を四つの方向に対して拡げなければなりません。そういう点において、海は皆さんにそのような訓練の場を提供しています。アメリカの若者達は、海に対してほとんど関心を持っていません。今はそれで良いと思うかもしれませんが、将来のビジョンということになれば、海に対する関心を持たずしては皆さんは指導者となることはできません。

多くの人々は、今や宇宙時代が到来したと言います。しかし、皆さんは宇宙空間に住むことはできません。しかし、海からは資源を引き出すこともできれば、そこから生計を立てることもできます。こういう理由で、先生はオーシャン・チャーチを創設しました。将来、オーシャン・チャーチの基盤の方が陸上の教会よりももっと大きくなるだろうと、先生は感じています。これまでの所、我々は陸上の教会の時代に生きて来ました。今からはオーシャン・チャーチの時代に生きるようになります。

柔軟性がある者となること

もう一つ重要なことは、海に対する時には頑固であってはならず、柔軟性がなければならないことです。そうでなければ、海で生き残ることはできません。海に行く人間は柔軟でなければならず、あらゆる状況に対処できる者とならなければなりません。
 例えば陸地では、人々は日中働いて夜は休みます。海ではそういうことはありません。海では昼も夜も働かなければなりません。なぜならば、潮は常に動いており、魚もまたそれに従って動くからです。ある潮と魚が夜やって来る時には、夜働かなければなりません。
 さらにたとえ完全なスケジュールを作っていたとしても、台風が来ればそういうスケジュールは全く諦めなければなりません。自分自身の意志だけで動くことはできません。環境に適応し、どのような状況にもたいしょできるように調和しなければなりません。陸地においては、ほとんどすべての事は、計画し、目標を立てることができますが、海ではそうはいきません。陸上にいると人間は自然と対決し自然を支配しようとします。海はそうすることを簡単に許しません。それゆえ人間は、環境と共に生きること、いかにして柔軟性ある者として生きるかということを学ばなければなりません。海に出かけて行く人間は、自然と対決するかわりに調和するように試みなければなりません。

希望のない人のための訓練

ある人は、海に行くと舟酔いするから、海はどうしても苦手だと言います。そういう人は先祖が非常に貧しい人だと思います。(笑い)
長い目で見て、彼らの先祖にどこか悪いところがあったということは本当です。例えば胃潰瘍があったとか、あるいは何らかの肉体的問題、あるいは欠陥があったことは否定できません。
 統一教会のメンバーは三つのグループに分類することができます。一つは海のチャンピオン達です。我々がそういう人を好むことは皆さんも知っているでしょう。二番目は、中途半端な人達です。彼らは海の上でそれほど良くもないけど、悪くもないといった人達です。最後に三番目は、希望のない人々です。オーシャン・チャーチの使命は、この希望のないグループの人達を用い、彼らをチャンピオンにすることです。これはどの国についても言えることですが、国が衰退するのはその国に強い人々がいないからではなく、多くの人々が希望を失っているからです。それゆえ国の幸福は、そのような希望のない人を強くすることによって保証され、またそうすることによって国の安全も確保されるのです。希望のない人を希望のある人に変えること、それが統一教会の挑戦であり、特にオーシャン・チャーチの使命なのです。ということは、希望のない人々がまず最初にオーシャン・チャーチ へ行くということを意味します。だから先生はそういう人達にまず最初に取り組まさせなければなりません。

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リーダー会議
1983年 6月27日

先生の皮膚がどんなに黒くなっているかを見なさい。先生は、気晴らしのバケーションで日に当たって日焼けしたのではありません。先生はオーシャン・チャーチを指導しながら、毎日海で戦い、忍耐してきました。海には主人もなければ管理人もありません。そして海には希望がありませんでした。先生は海を開拓し、海の資源を収穫することができるように若者を海に連れて行きたいと思っています。海はこれまで見捨てられて来ました。中南米でどのようになっているかを見てみなさい。それらの国々は皆孤立し、海が見捨てられつつあります。

東、西、南のアメリカの海岸を見てみなさい。これらの海岸にある町や港町は、荒廃したゴーストタウンとなっています。そしてそれらの町や港は南米から来る避難民に奪われてしまい、それらの多くが共産主義の浸透ルートになりつつあります。その人達は、海の資源を開発利用しつつあります。マフィアが、アメリカの若者達を退廃させる麻薬を持ち込むために港を使っているように、彼らもそれらの港を足場として使っています。各市民が、アメリカの共産化を防ぐために偉大な十字軍に参加するつもりがない限り、沿岸警備隊や警察のみではどうしようもなくなっています。誰かがこの国を守らなければなりません。それを実際に行っている者は誰もいません。そのために命を賭けている者は誰もいません。先生がそれをしようとしている時、地方の政府は先生を助ける代わりに迫害してきました。マグロ釣りのシーズンは決して楽しみの時ではなく、戦いの時です。先生は巨大なマグロを捕る経験をすれば、それは一生忘れ得ない経験になるということを知っています。誰もがマグロ釣りに行く機会を探しています。そして、先生が彼らをもう一度船に招待してくれることを楽しみにしています。アメリカの若者達を海に注目させるために、いかにすればマグロ釣りがもっと興味深く、またもっと興奮させるものとなるかについて先生は研究しました。先生は、世界のマグロ釣りチャンピオンです。先生は「レバレンド・ムーン」方式を発見しました。人々は先生のやり方を見て、それをまねしようとしています。実際、ある釣り具の店では「ムーニー」式フィッシング・ギアを売っています。先生が使うものは何でも、彼らは買い求めます。皆が先生のする通りにしようとしています。

普通、金持ちの人々は、マグロ釣りの期間中朝10時に出かけ、午後2時か3時には帰って来ます。先生はそのような伝統を変えました。先生は朝2時に出発して、夜10時に帰って来ました。今やプロビンス・タウンでマグロ釣りをする人は皆、マグロ釣りのシーズンが来れば朝2時に起きなければならないことを知っています。レバレンド・ムーンが、そのようなペースを作る人であることを否定する者は誰もいません。

皆さんは魚釣りというのは、何時間も時間がかかって何もしないでいるものだと思っています。そうではありません。皆さんは常に気を張っていなければなりません。それはここでは説明できませんが、いろいろな技術を必要とします(皆さんはそれを経験しなければなりません)。それは黒帯の技術です。例えば、魚がやって来る時に、先生は魚を直接見なくても、その魚が餌に食い付こうとしていることが分かります。そうすると、魚との間の駆引きとなります。もしラインを余り荒々しく引っ張れば、その瞬間に魚を逃がしてしまします。だから、ほんの少しだけラインを引っ張ります。すると魚はそれに関心を持ち、寄って来て餌に食い付こうとします。その瞬間に倍の力.2倍の力で引っ張るのです。誰がそのようなことを知っていますか。そのようなタイミングを見つけ出した者がいるでしょうか。先生はこういうすべてのことを研究して来ています。皆さんも一定の訓練を通過しなければなりません。第一、第二、第三レベル、そしてもっと高いレベルがあります。雨が降っていれば、魚釣りを早くやめるべきだと思いますか。お母様はいつも、雨が降っていればもう少し早く帰って来れば良いのに、雨の中に遅くまでいるのは健康に良くない、と考えています。しかし、先生は行かなければなりません。先生はそれを果たさなければなりません。先生は、メンバー達に教えることに陶酔しています。先生はもっと勉強しなければなりません。どうして早く帰って来ることができるでしょうか。世界の将来の経済や、世界の食料問題、人類の死活問題は海によって決定することができるのです。

将来の水産事業において、レバレンド・ムーンとその決意、世界観と魚釣りの理念が継続するでしょう。先生が信じられない位に日焼けするとうのは恥ずかしいことですか。それとも誇りですか。人類のために、またこの国の未来のために、そのような信じられないようなことをすることによって、先生は様々な異なった種類の魚を捕る方法を開発しようとしています。それぞれの魚が特定の取り扱を必要とし、それを捕るためには特別なこつが必要です。先生は技術を開発すると同時に、それらの技術を教えることができます。皆さんがそのような技術を応用する時に、漁師として独り立ちすることができます。そうすれば、もっと高いレベルの魚釣りに移ることを考えることになるでしょう。

このアメリカという国は神様が祝福した国です。豊富な物質が恵みとして与えられています。しかし、この恵みは神様に属するものです。我々はそのような財産の管理人です。何がどうであろうと、我々はそれをしなければなりません。組織化しなさい。我々は、神様が与えた祝福をすべて勝ち取るようにしなければなりません。先生はそのための基盤を造りました。先生はアメリカに伝統を打ち立てるつもりです。もし皆さんがそのような伝統に従うことができるならば、皆さんは世界の残りを受け継ぐことができます。それが皆さんのなすべきことなのです。

今は新しい時代、新しい歴史の一㌻です。皆さんがこの新しい歴史の主人公です。そうなるためには、皆さんは決意しなければなりません。そのような決意なくして、皆さんはその目的に近づくことすらできないでしょう。命を賭けるという決意があればサタンを分別することができます。サタンはもはや皆さんと何の関係も持てなくなるでしょう。自分が生き残ろうとしてはいけません。死の境地へ行きなさいそうすれば神様が皆さんの犠牲を受け取って、それがまさに先生の人生です。先生はこれまで、常に死の覚悟をして来ました。このような伝統は、先生から皆さんへ、皆さんから他の人達へ受け継がれて行くのです。皆さんが生きている限り、息をしている限り、不平を言うことはできません。なぜならば、既にそのような決意をしたからです。皆さんは死の覚悟があります。しかし、まだ死んではいません。「自分はまだ生きています、自分はもっともっと行かなければなりません。もし死んでいないのであれば、自分はもっと行くことができます。神様、ありがとう」と言うことができます。

先生の足は筋肉によってではなく、いつも何らかの理由で腫れ上がっています。船のデッキに長く立っていることから足を使い過ぎたとしても、先生は「神様、ありがとうございます。まだ自分は死んでいません。まだ自分は息をしています。神様、私はもっと行くことができます」と言うのです。ある晩ちょっとした事故があって、バスルームで転びました。お母様は知りませんが、その時先生は気を失ってしまいました。自分が立ち上がって最初に口から出た言葉は「神様、ありがとうございます」でした。そういう伝統を先生は統一教会の中で築いてきました。どうして我々が不平を言うことができるでしょうか。もし我々がこういう伝統を無視するならば、アメリカは陰気で悲惨な国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐときに、アメリカは栄光と繁栄の国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐならば、祝福が永遠に訪れるでしょう。

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善悪二つの世界
1981年 2月15日

先生の活動はただ単に宗教活動だけではありません。このために人々は、先生が実業家であるとか、学者であるとか、映画製作者であると言うのです。先生は人生のあらゆる側面を、同じ愛の原則でもって取り扱います。魚釣りに行く時ですら、それは自分自身が楽しむためではありません。先生は決して自分の根本的な使命から離れることはありません。だからマグロですら先生の方に引き付けられて来るのです。

いつも先生は二つの世界に、最も自然に生きています。つまり、高い世界と低い世界の間を行ったり来たりしています。朴先生が昨年の夏、南アメリカに行った時、彼は七カ国の大統領に会い、もてなしを受けました。彼がこのように非常な栄光を与えられたのは、彼が先生の補佐官であったからです。しかし、彼が帰って来てモーニング・ガーデンへ先生に報告に来た時、彼は家の中で先生を見つけることができませんでした。結局先生を見つけることができたのは、裏庭の物置で数人のメンバー達と魚釣りのために道具を直していた時でした。先生の人生においては、高いものと低いものの両極端を抱擁して来ました。神様の御旨は、これら二つの極端を調和することであり、神様の力のみがそれをなすことができます。真のムーニーというのは、愛の生命力を人格としたものです。だから我々は、この二つの世界を一つに結び付けることができるのです。

我々の身元
1981年 4月 1日

先生は、おそらく今年の夏もグロースターで背広の代わりに漁師の服を着て、魚釣りをしていることでしょう。たとえ皆さんが魚臭い漁師の着物を着ていたとしても、善なる側は同じであり、常に上昇して行きます。皆さんは、今いる所よりも下がることはありません。たとえ我々が乞食の立場に自らがいるのを見出だしても、我々はそれ以上下がることはなく上がって行くでしょう。先生は正しい伝統を残すために、ここに住んでいます。将来、若者達が、先生が刑務所で過ごした経験について学ぶ時、それは彼らの心に火を付けるでしょう。先生は刑務所の生活が将来のための強い伝統を残すことになるであろうことを知っていたので、刑務所の生活を耐え忍ぶことを決して厭いませんでした。

我々の理想的な家庭(第二部)
1983年 6月26日

皆さんがファンダレージングに出かける時「自分はこんな暑い日にこんな所にこうしているが、お父様はどこかで船に乗っているのだ」と考えるかもしれません。しかし先生が海に出かける時は、一日とか一週間、気晴らしで出かけるのではありません。先生はオーシャン・チャーチを人類のために創設しました。将来のためにその伝統を打ち立てなければなりませんでした。そのようなことをすることができる者は他に誰もいません。

先生はこれまで、オーシャン・チャーチについて幅広く語りました。だからアメリカのメンバー達の中には「もうオーシャン・チャーチについては何も聞きたくない」と考える人がいるかもしれません。しかし、誰がアメリカの海に対して責任を取ることができますか。どんなに難しかろうとも、先生はその責任を取るつもりです。それが先生の決意です。皆さんは海に行くのがどんなに嫌であろうとも、先生はこの国のために海に行き続けるつもりです。そのような基盤を造った後で、このメッセージがアメリカの若者に理解されることを先生は知っています。皆さん達は「先生の言うことは好きだけれども、先生のしていることは好きではない」と言うかもしれません。先生のしていることを好む人と、好まない人に分けることができます。皆さんアメリカの若い男達はどうですか。皆さんはオーシャン・チャーチを好きですか。皆さんは口でだけ忠実なのですか。

今年の夏のマグロのシーズンの間、我々は五十万㌦のお金を使うでしょう。毎年我々はマグロ釣りのためにお金を費やして来ました。しかしそれでも、我々はそれをしなければなりません。他の誰もそれをしている者はいません。マグロのシーズンは夏だけです。だから一年のその他の時期は非生産的です。だから先生はその他の魚、例えば、カレイ、平目、鯵などや、その他の魚をそれぞれ季節に従って捕ることによって、マグロ良を補うための全般的な計画を持っています。我々は成功する事業のための基準を打ち立てて、一年中様々な異なった魚を用いるようにしなければなりません。

皆さんが一度海に出れば、海を愛するようになるでしょう。しかしそうするまでは、海は、見知らぬ存在です。皆さんは先生がマグロ釣りの専門家として生まれたと思いますか。そうではありません。先生はイロハから学ばなければなりませんでした。そして毎日、来る日も来る日も働き続けて伝統を打ち立てました。今や先生は、他のマグロ釣りの漁師達の間で専門家として知られています。先生は計画を立て、そして七年ないし八年のシーズンに忠実に実行し、遂にマグロの釣り方を知るようになりました。そのようなことは単なる趣味としてとか、ただ海を楽しみたいと思っていろような人には到底達成することができません。

先生は昨日、神学校の七回目の卒業式で話をしました。その後、親や教師達が皆周りにいる時に、先生は魚を釣るための衣服に着替え、再び船に乗りました。ハドソン川は荒れていましたが、それでも先生は出かけました。それを見ていた人達は、先生を風変りだと思ったかもしれません。しかし彼らは我々の目標が何であるかを理解していません。先生の足が、毎日立っていることで腫れ上がっても、その足を叱りつけてそして働き続けるように命令します。このようなことは、楽しいからするのではありません。先生はこの仕事に非常に真剣なのです。

宗教指導者として、先生はマグロを殺すことを決して楽しみにしていません。マグロが血を出してそして辺りの水を染める時、そのような光景を決して楽しむことはできません。先生は深い祈りの中でそうしたマグロ達に詫びて、そして彼らが分かってくれるように乞求めるのです。先生は彼らに対して「お前達はアメリカの人々のために自らを捧げなければならない。なぜならば、アメリカの人達は神様と天宙にとってもっと重要だからです。先生は全人類のために捧げる供え物として、お前達を必要としています。だからどうかお前達自身を捧げてほしい」と言ってやります。神様と天宙はそのことを知っているので、神様と天宙は我々を助けてくれます。だから我々の海洋事業が栄えつつあるのです。皆さんはこのことをはっきりと理解しなければなりません。

人類のために海に出て行くことは、正しいことです。こういう観点から見ると、先生の伝統に従いたいと思う正義のアメリカ人は誰ですか。先生はそのようなアメリカ人を十年以上も探して来ました。ことによると、ここで基準を作るために日本から人々を連れて来なければならないでしょう。それからアメリカ人がそれを受け継ぐことができます。しかし、日本人が成功しないなら、韓国人を用いるつもりです。もし彼らが失敗すれば、正しい伝統を打ち立てるために、先生自身の息子、娘達を送るつもりです。そういう理由で今年の夏、祝福の子女達を連れて来ました。このようなことをするのは初めてです。しかし我々は海に対する目標を達成しなければなりません。

アメリカは海洋資源開発のチャンスを失うでしょう。なぜならば、その方面に対する主導権を取ろうとしないからです。他の多くの国々はアメリカ人から海を奪いつつあります。先生はオーシャン・チャーチの伝統を打ち立てるために、原理に従ってゆきました。そして、先生はアメリカ人にチャンスを与え、海における魚釣りに参加させるように奨励し、それを心待ちにして来ました。しかし、なおも皆さんがそれに応えないなら、他に何ができるでしょう。海を最も愛する人が、海の支配者となるのです。先生は、海を誰よりも多く愛そうとしています。

皆さんは、こういう先生の考えを退けてはいけません。それは非常に重要なことです。アメリカ南部にある造船会社は、マスター・マリン以外すべて倒産してしまいました。我々の会社もまたしばらくの間欠損を出しましたが、営業を止めませんでした。我々食口が行う事業は、愛に基づいています。もし皆さんの心情を本当に事業に投入するならば、決して失敗しないでしょう。なぜならば、神様と天宙が皆さんを支えてくださるからです。

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我々の義務と我々の使命
1980年10月 5日

我々はオーシャン・チャーチを始めました。世界は三分の一が陸地であり、三分の二が海であることは明白な事実です。人は海に棲むあらゆるものを食べることができます。海にある植物を含めて、あらゆるものを食べることができます。皆さんは、陸地息しているあらゆるものを食べることができますか。海には陸にあるものは何でもあり、それ以上のものがあります。何千種もの魚がいます。アメリカ人は陸地で育った動物の肉を好んで食べますが、しかし彼らは海の生物の肉を食べることを知らなかったのです。最近になってアメリカ人は、魚の方が動物の肉より良い蛋白質であることを学びました。そして彼らは、魚を汚染されていない自然食品であると考えまています。今や彼らは長生きできるように、魚を食べることにますます興味を持つようになっています。

ワイオミングで、ある牧畜業者が先生に、牛は大量に買えば一頭につき二十ドルから七十ドルで買うことができると言いました。ニューヨークでは牛肉は一頭四百ドル以上もします。大きなマグロは一ポンドにつき三ドル五十セントします。そしてマグロは千ポンド以上するものもいます。一年にもし大きなマグロを一本捕れば、それで約四千ドルの収入になります。マグロは産卵期には百五十万個の卵を産みます。しかし牛についてはどうですか。牛は一年に、一頭か、精々で二頭の子供を産むだけです。

牛を育てて一年中それを育てることの方が得ですか、それとも海に出かけて行ってマグロを一本捕ることの方が得ですか。先生は「牛」という名前よりも「マグロ」と言う名前の方が好きです。もし皆さんが一年にマグロを一本捕れば自分の生活を守ることができます。皆さんは自分に対して、なぜ上役からいつも頭の痛いことばかりをさせられるような平凡な仕事にしがみつかせているのですか。一年間家族を養うのに、たったマグロを二匹捕ることの方が良いではないですかと助言してみたらどうでしょう。皆さんが二匹マグロを捕ることに自信を持てば、生活に必要なお金を作ることには心配がなくなります。

アメリカの漁港は衰退しています。それはなぜかと言えば、若者達が魚を釣りに行きたがらないからです。そこの町の人々は彼らの町が復活するのを見たいと思っています。彼らは、海にはすばらしい未来があることを知っています。我々の指導者達は、先生が選んだ町へ行って町の指導者達に話をして、そしてなぜ我々がそこに来ており、我々が自分達のお金で何をしようとしているのか、どのような活動をしようとしているのかを話すように指示しました。我々が本当に漁業をもう一度繁栄させようとすることに全力を挙げていることを人々が知れば、我々を応援しようというグループが現われ、そして我々の海へ行くクルー達を訓練するのを手伝おうとするでしょう。

我々は、海で働くことに興味を持っている若者にはプログラムを提供し、彼らに対して我々がどういうものであるかについて示すつもりです。そしてもし彼らが我々のように神様を崇拝することを好むならば、我々は彼らを志願者として受け入れるでしょう。五人の乗組員が集まればすぐ一隻の船を割り当てます。このようにして、三十箇所にあるセンターで誰がより良い質の人々を連れて来るかを競争するようになるでしょう。

オーシャン・チャーチは現在の州教会の制度と、どちらが多くの成果をもたらすでしょうか。仕事が拡大するにつれて、それぞれの船がその下に十隻の船を持つようになり、まもなく我々はアメリカ中の海岸自体に三十隻の大きな船と三百隻の小さな船を持つようになるでしょう。

マッチングを受けていないメンバー達は陸上の教会に属するメンバーと受けたいと思いますか。オーシャン・チャーチのメンバーと受けたいと思いますか。それは皆さん次第です。皆さんがその人と生活しなければならないのであって、先生ではないからです。このオーシャン・チャーチが軌道に乗った時には、人々はこれがその人々の町を復興してくれた記念碑として大事にするでしょう。アメリカは世界の四大漁場の三つを持っています。しかしアメリカはそれを利用していません。なぜならば、このアメリカでは魚に対する実質的な市場がないからです。我々の組織の良い所は、我々自身が自分の船を造り、自分自身で魚を捕り、そして我々の店で魚を売るということです。

アメリカの漁業は衰退しつつあります。その理由は、第一に海に出て行く生活は陸上の生活よりも厳しいからです。若者達は厳しい生活を望みません。第二の理由は、アメリカでは魚の物流経路が確立されていないということです。卸売り業者達は時には魚一ポンドにつき、たった五セントしか支払いません。これはばかげています。第三番目に、夫達が海に出かけていると、その家庭が崩壊し始めるということです。このような状況において、誰が海に出かけて行こうとするでしょうか。ただ統一教会のメンバーだけです。我々はこういうすべての分野においてのテストに合格します。

技術が進歩したために、自動操縦で船を操作することが簡単になりました。機械にどちらの方向に行くかを指示すれば、船は自動的にそのコースに従がって行きます。だから今や弱々しい若い女性ですらも、かつてはがさつな船長が座っていた船長の席に座ることができます。たとえ自動操縦によって船が操縦されているので何もすることがなくて居眠りしていたとしても、そのような女性を見て神様は何と心を引き付けられることでしょう。先生もそれが好きです。何とそのような女性は美しいことでしょう。

皆さん女性達、いつかそのような船長になるつもりがありますか。海には鮫がいることを忘れてはいけません。女性達でさえも行きたいとするならば、どうして男達は後ろに引き下がっていることができますか。皆さんはそのような男達は蹴とばさなければなりません。海に出かけたいと言う人達がいますから、第一の問題は片付きました。第二に、魚を販売することは我々にとって問題ですか。女性達はそれは問題ではないと言うでしょう。ただ第三に皆さん妻達は、夫が長い漁に出ている間に夫から逃げてしまいますか。たとえ夫達が六年間海に出かけて行ったとしても、夫達を捨てることはしませんか。このような海洋事業は、本当に統一教会のメンバーのために予定されています。

皆さんにとって重要なもの
1981年 2月 1日

統一教会には世界のいろいろな所から来ている五色の皮膚の人達がいます。我々の目標は、この人間を一つの家族に統一することです。統一教会の生活は複雑です。ただ単に日曜日の礼拝だけでなく、船を造ったり魚を捕ったりすることを含めて、あらゆる種類のことがあります。将来はさらにもっと夢のようなこともあるでしょう。

船を造ることにも同じ原理が適用されています。我々のメンバーは、最も素晴らしい船を、最も安い費用で造っています。彼らがそうすることができる唯一の方法は、犠牲的に自らを捧げることによってです。このような過程を通して最も美しい船が造られており、他の誰もそれと競争できるような船を持っていません。同じような精神で我々は世界を創り、国を創るのです。もし我々ムーニーが最も安い費用で最もすばらしい国を築くならば、共産主義が忍び寄る余地はないでしょう。

例えば、先生は漁場においてはいかなる競争相手も、先生を打ち負かすことができないような規範で働いています。一度先生が何かを宣言すれば、それは全世界の中をこだまします。人々は耳を傾けざるを得ません。先生は単純な原則に基づいて働いており、先生には計画があります。

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我々におかれた信頼
1979年 1月 3日

最近先生は、何人かの教会の長老達に世界を旅行し、統一教会の活動検討するようにと招待しました。彼らは先生が世界中で様々なことをしていることに驚き「レバレンド・ムーンにできないことは何もない。そして彼がしていないことは何もない」と言いました。先生は今日海へ行くつもりでしたが、天候が悪くて行けませんでした。人々の中には、先生はは安息日には休息すべきであるという人がいるかもしれませんが。神様にとっては安息日もまた働く日なのですから、多くの魚を必要とする人達のために海へ行って捕ることは、神様自身の基準に適うことなのです。我々の概念において、聖日というのはただじっとしている日ではありません。出かけて行って、喧嘩している人々を仲直りをさせることの方が遥かに良いのです。

歴史と記録の作る者
1979年 7月 1日

皆さんがマラソンで勝つためには何年かかりますか。三年ですか。十年ですか。無敵のレバレンド・ムーンにとっても、この路程を来るのに六十年かかりました。そしてまだその競争を終えてはいません。昨晩の神学校の卒業式の後で、指導者達を全員魚釣りに連れて行きました。嵐の最中でした。そして我々は皆小さな船に閉じ込められていました。彼らは口では言いませんでしが、心の中では恐らく「先生、あなたはどういう人ですか。一日足りとも休むことはできないのですか」と思っていたことでしょう。

ある人が愛を占領する時に、その人は他のすべての権威と威厳をも占領するものです。記録を作る人こそ、神様と歴史が見ている人です。神様は、皆さんが記録を作るような者となってくれることよ期待しておられます。そして今が、それをなすための千載一退遇の機会なのです。先生は現在、漁業に多くのエネルギーを投資しています。それを成功させたいと決意しています。皆さんが先生の願い受け入れる時、皆さんもその分野のチャンピオンとなるように、仕事に本腰を入れるべきです。先生はすべての神学生と教会の指導者達が、一年半は海での任務を果たすために海に行って欲しいと思います。現在アメリカの漁業を指導し、主張する主人は誰もいません。なぜならば、この分野は神様が天の摂理のためにとっておかれた分野だからです。

もし先生が十分な魚を供給して、統一教会のメンバー達は六カ月の間、魚以外の何も、パンすらも食べてはいけないと言ったらどうしますか。我々は良い魚はすべて商売に使って、自分達は残り物を食べるつもりです。神様は我々が残り物だけを食べるべきではないと言われるでしょうか。それとも、神様はそのような我々に感動されるでしょうか。我々は誰のために苦労するのですか。神様と人類のためです。こうすることによって、神様を目に見えない網で包んで話いるのです。そして神様を我々の虜としているのです。そうすれば我々がすることはただ網を引っ張ることだけです。そうすれば神様は我々に従って来ざるを得なくなるのです。

摂理の歴史的観点
1979年 9月18日

皆さんは、力を受けるとゴムボールのように弾むことができる人ですか、それとも砕けてしまうような人ですか。我々はただ弾力性があるだけでなく、それと同時に忍耐強い人を必要としています。アメリカの宗教はハリケーンの中に捕らわれた船のようなものであり、政府もまたなす所がなく、またアンカーすらも持っていません。海が荒れて風が強く、船がコントロールを失って揺れ動く時、どうなりますか。そのような危険な状況の中に我々は生きているのです。

統一教会の中にいる我々にはアンカーがありますか。神様が我々のアンカーであり、先生はロープです。ということは、皆さんが生き残るためにしなければならないことは、ただロープにしがみついていれば良いということです。皆さんは直接にアンカーにしがみつく必要はありません。アンカーはいつも海中深くにあるからです。だから皆さんがしなければならないことは、ロープを握って、それにしがみついているということです。他の教会は美しい金のロープを与えているかもしれません。しかしそのロープの底にはアンカーがついていないのです。統一教会のロープは質素なものですが、しかし下にはアンカーがあります。自分達の美しいロープを宣伝する人達は我々を批判します。政府すらもそのロープがいかに大きいかを自慢し、また統一教会がいかに魚臭いかということを言っています。しかしながらその違いは、我々にはアンカーがあるが、彼らにはないということです。

MFTに対して
1980年 1月 2日

アメリカは海に取り囲まれていますが、海を征服したことがありません。先生はアメリカの漁業と港を再生させるために、漁業を率先して始めました。これは我々にとって誇りです。海には莫大な資源が眠っていますが、誰もまだそれを受け取った者はいません。我々はそれを神様から受け継いでいます。我々がしなければならないことは開発することだけです。

全体的な自己再評価
1980年 9月14日

皆さんは、自分は一生懸命働いていると思っているかもしれません。しかし先生の基準から見れば、皆さんは余りにもリラックスし過ぎています。先生が一日中魚釣りに出かけた時は、一瞬足りとも気を抜いたり、居眠りしたことはありませんでした。いつも先生の心は忙しく働いていました。先生は海の広大な水平線を見る時、平和な新しい世界の夜明けを見、かつ全責任が自分の肩にかかっていることを見るのです。だから一瞬足りとも怠けて過ごすことができるでしょうか。

先生は誰に対しても、三十六家庭に対しても、その他の誰に対しても負債を負うことはないでしょう。これまでなして来たことに対する貸しを受け取るのです。例えば、漁業の分野においは、先生は過去六年間開拓の道を築いて来ました。皆さんは、第一回の国際マグロ釣り選手において、誰が勝ったか知っていますか。先生の船が最も多くのマグロを釣りました。先生はマグロ釣りにおいてすら二番になることを望みません。あらゆる分野において、あらゆる競争において先生はいつも一番でした。

毎朝先生は午前二時から三時には海に出て行きます。そして真夜中に戻って来ます。これまでマグロ釣りは楽しむスポーツでしたが、先生がそれを始めるとマグロ釣りは戦いとなりました。普通漁師は、午前九時か十時に出かけて行きます。しかし彼らが先生を打ち負かそうとすれば、もっと朝早く出て行かなければなりません。彼らが朝五時に出て来る時には、既に先生は外に出ているのです。先生がこれを始めた時、マグロの値段は一ポンド十セントでした。しかし今や、二ドル五十セントまで押し上げました。いずれは一ポンド五ドルまで上がるでしょう。このようにして先生はマグロを釣る漁師達に繁栄をもたらすつもりです。なぜならば、マグロ釣りの漁師達は過去において貧しい生活を強いられたからです。過去において何らの理由もなく先生に反対した人達は、今や先生が漁師達を助けており、また地方の経済を復活させているのだということを認めつつあります。ヨーロッパの指導者達が今回来た時、彼らは本当に一生懸命働きました。我々は多くの船を造っています。それは小さな船ばかりでなく、三十ないし四十フィートの長さの船を造っているのです。専門的なマグロ釣りの船は百五十フィートの長さがあり、二十五人の乗組員を運ぶものです。先生は将来そうした船をたくさん造るつもりです。そうすれば、先生は各国の責任者達をそれらの船の船長に指名するか、あるいは単なる漁師となるように指示するつもりです。彼らは右や左を見る時間はなく、ただ真直ぐに行くだけとなるでしょう。

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我々の新しく生まれた自己
1977年11月 1日

二週間前、先生はアメリカの造船の都として有名なアラバマに行って来ました。そこで我々の船を建設することができる造船所を買おうと見て回りました。皆さんは我々の工場が中途半端なものであって欲しいと思いますか、それとも一番であって欲しいと思いますか。それを口で言うことは易しいことですが、実現することは容易ではありません。我々が一番になるためには、誰よりも一生懸命働かなければなりません。それは厳しい仕事になるでしょうが、先生は皆さんを押し出すつもりです。アラバマとの造船所で女性はひとりも働いていませんでした。そこで先生は、これこそが我々が歴史を創ることができる一つの方法だと考えました。先生は、女性達を造船所で働かせようと思います。もし皆さん達が女性が溶接工になれば、皆さんの指や顔はそのあとがつくかもしれません。それでも構いませんか。今、一九七七年十一月一日午前七時四二分、皆さん女性達がアラバマの造船所の溶接工になりたいと誓いました。だから今日、あなた達男達は失業です。もし女性達がそれだけのことをするつもりがあるならば、男達はもっと一生懸命働に夜中まででも働かなければなりません。

先生は何年も前から、先生が決意して造船と漁業に介入しなければ、この国でこの二つの産業が生き残る希望はないということを知っていました。アラバマで二人のすばらしい人に会いました。それはこれまで生涯をかけて造船のために生きて来た父親と息子です。今はたくさんの人達が海に出かけるので、造船業は一つのブームの中にあると彼らは言いました。そこで先生はこう答えました。「それは本当なのかも知れないが、今後将来、二、三年経ったらどうなるだろうか」すると彼らは思慮深げに応えました。「レバレンド・ムーン、我々はそのことまで考えませんでした。あなたの考えは正しいでしょう。男達は何の強い熱意も持っていないし、またアメリカの女性達は、夫が海から帰って来るまで忍耐強く待つここができません」。

過去において、しばしば漁師の妻達は夫を裏切りました。そのような傾向をひっくり返すために、我々はどうすべきでしょうか。先生は、皆さんを溶接工と船の船長にするつもりです。しかし、我々の漁師達は妻が逃げ出すことを心配する必要はありません。もしムーニーがそのようにすれば、アメリカの残りの人達は、我々に負けて、すべてを譲り渡すなどということには決して直面しないでしょう。一度彼らが我々と競争しようと決意すれば、海洋事業は復活します。先生はアメリカの若者達が海に出かけたいという動機を持つように、彼らにビジョンと希望を与える決意です。海は広大で未開な領域であり、勇気ある人間によって利用されることを待っています。我々はそれを率先してやりたいと思います。アメリカは、海を征服することによって偉大な国家となるチャンスがあります。しかし、もしアメリカの人達が海を無視し、ただ自己満足した生活を望むのであれば、アメリカには世界を指導する国家となる希望はありません。アメリカはこのことに対して盲目です。

先生はこの道を先導しており、統一教会はそれに従って来るでしょう。先生は、あたな達美しい女性が船の船長となって海に出て行き、海のことについて非常に良く理解し、男達もその命令に従うことをいとわなくなる姿を見たいと思います。そうすれば、人々はムーニーの力を認識するでしょう。先生はまたあなた達女性を多くの会社の社長とし、そしてハーバード大学やエール大学を卒業して雇われる人達が全員、皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんは体が小さく弱々しく見えますが、しかし、船の上で男達が死を恐れる時には、皆さんのような女性達が指導権を握って命令を与え、そうした状況を乗り越えるでしょう。皆さんはまた、自分の赤ん坊を連れて行くことも考えて良いでしょう。先生はこのような考えで非常に興奮しています。先生は、アラバマでの事業を視察して歩くことを計画していました。お母様はそれを躊躇して「お父様、それは男の人の仕事です。だからあなたは行ってやってください。私は家に残ります」と言いました。しかし先生は、お母様にとにかく一緒に付いて来るべきだと言いました。

先生はあなた達女性が船の船長となり、皆さんの夫達が一等航海士となる制度を打ち立てるつもりです。だからあなた達男性も、船長が命令を与える時には、例え船長が自分の妻であったとしても、「はい、分かりました」と言わなければなりません。男達はそのことで気持ちが良いですか、悪いですか。もし皆さんが鍛えられた船長であれば、皆さんが男であれ女であれ何の違いもありません。クルーは従わなければなりません。

我々はこのような事業を始めることによって、我々のためだけに何百万ドルもお金を儲けようとしているのではありません。我々は世界を見ており、この国を見ており、そして本当に世界に変化をもたらすための準備をしているのです。将来我々が何千隻もの船を持ち、先生がアメリカ政府に対して「多くの農民達が何もしないでおり、そして何もしないことで政府から多くの補助金を受け取っています。それは何とばかげた制度でしょうか。アメリカ政府は穀物を育てないことに対して、農民達にお金を払っています。しかし、その間も世界の他の地域では、何百万の人達が飢えています。だから農民達にもっと穀物を作らせなさい。そうすれば、我々が貧しい人達に食料を与えるために、その食料を世界中に運びましょう。我々にはそれをする船があります」と言うことができます。

漁業には時期があり、一年に十二カ月漁ができるわけではありません。だから漁業シーズンでない時には、世界中に物を運んではどうでしょうか。皆さんは船を穀物で一杯にして、多くの人々が飢えている国へ向かう船の船長になるのです。どう感じますか。先生は、そのような船長として女性の中の最も小さい人を選び、それらの女性に公的な勲章を付けた特別な帽子をかぶらせようと思います。みんな夢を持つべきです。先生は誰よりも大きな夢を持っていますが、皆さんとの違いは、先生の夢は実現するということです。

ワシントン・モニュメント記念日にて
1978年 9月18日

先生はその当時魚釣りをしていましたが、しかし魚を捕ることだけが目的ではありませんでした。先生の心は完全にワシントン・モニュメントに集中していました。そしてそれ以外のことは何も考えませんでした。

我々の立場
1979年 1月 2日

我々はただお金を儲けるために、漁業を始めたのではありません。そうではなく、アメリカの経済を再建するために始めたのです。五年間、先生はその伝統を打ち立てるために、そして最善の道を見い出すために毎日働いて来ました。政府の役人の中に、先生がしていることを耳にした人がいます。そして彼らは、先生がアメリカが漁場を放棄することはできないと見通しているということに対し、何と先見の明がある人であろうかと言っています。五十年間、アメリカの漁場は衰退して来ました。しかし、やがてアメリカの漁場が、アメリカを養うことになるでしょう。先生は誰よりも遥かに早く出発しました。過去三年間、我々は何百万ドルものお金を投資して一ペニーも儲けませんでした。皆さんは諦めるべきだと思いますか。

永遠の幸福
1979年 2月25日

先生は農場に行けば良い農夫となります。水産のビジネスに入れば、先生は漁師の一人となります。先生は生の魚を食べることができ、また魚の内臓を手掴みにして食べることさえできます。先生のできないことは何もありません。もし鉱山に行けば、鉱山を掘ることがで自分の天職であるかのごとく、毎日一生懸命掘るでしょう。先生はスラム街に行って人々に話しかけ、そして彼らの心を勝ち得ることもできます。こういったことをすべてやらずして、自分の目的が何であるか知ることができるでしょうか。

統一教会二十五周年記念
1979年 5月 1日

統一教会は韓国で創設されましたが、それは地方の目的のために始められたのではありません。世界的な摂理のために宗教的な意味を持って始められたのです。一滴の水が山深くから出発し、山腹を滴り落ちて他の水と合流し小川となり、やがて大河となり、ついには海へと入って行きます。そのようにして世界中を駆け巡るのです。

文化というものは他の文化と混じり合います。そして、そのような中からすべての人々を向上させるような良いものが出て来るのです。これはまた宗教の発展についても言えることです。最初はわずかな人達が集まるだけです。それは丁度、様々な山から水滴が集まって来るようなものです。それからもっと多くの人達が一緒に集まり、川をなし、海へと流れて行って、常に人間の水準を高めるのです。

もし先生が今年の夏マグロ釣りに行くとしたら、先生と一緒に行こうと志願するのは誰ですか。女性達はどうですか。先生は船を一隻持っていますが、それに何人乗れるか限界があります。だから先生は皆さんのすべてが乗ることのできる船を、もっともっと多く造ろうと思います。そうそれば我々は、一大艦隊を持つようになるでしょう。女性を船長にするでしょう。そうすれば皆さんの夫達も船長になって欲しいと思いますか。ということは、皆さんが漁師と結婚したいということですか。

イエスはペテロに漁師となれと言われました。漁師となることは決して悪いことではありません。しばしばアメリカの女性達は、男性達よりも強い者がいます。だから先生は二百海里の制限は、アメリカの女性達のために神様が取っておかれたのだと思います。先生はそのことを信じているだけでなく、そのことを知っておられます。皆さんが船一杯の魚を捕る時に、先生は皆さんを認め、受け入れるでしょう。

我々が造船業をするための新しい土地と建物を手に入れたことを皆さんは知っていましたか。皆さんは金持ちとなるために何をしますか。この国の漁師達は、最も給料の少ない専門家の部類に入ります。だから我々は彼らのために最も良い学校と、最も生活水準を築いてあげようと思います。今は人々が楽しみのために海岸に行きますが、近い将来いつの日か、彼らは海岸へは仕事をするために来るようになり、その代わりレクレーションのために山に行くようになるでしょう。もしそのようなことが自然に現われないならば、先生がそれを作るつもりです。

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我々の誇り
1977年 6月 5日

先生はニュー・ホープ号と呼ばれる船で海に出かけます。人々は先生がただ楽しみのためだけにニュー・ホープに乗ってい行くと思うかもしれません。しかし、毎日先生は多くの材料を集めています。神様は海の下に無限なる資源を隠しておられます。そして海は将来、世界の発展の鍵となるでしょう。

海の事業を開拓する路程において、我々は時々何らかの犠牲を払わなければならないことを先生はよく知っています。いずれも我々は、何百隻もの漁船を持つことになり、それらの中には海で遭難するものもあるかもしれません。しかし、たとえ夫や兄弟を失ったとしても、それが我々の開拓の熱意を妨げることはないでしょう。なぜならば、その仕事は人類のためであるからです。

我々は海を支配する者となりたいの思います。海は陸地よりも二倍大きいのです。さらに海の下には広大な資源があります。困難も克服する国が、海を征服するでしょう。我々は陸地を主管することを最初に学びました。それと同じ開拓精神で、我々は海をも征服することができるのです。

我々の戦いは今陸地で行なわれています。そして我々は迫害の嵐によって試練を受け、鍛えられて勝利者とならなければなりません。そうすれば本当の嵐が来る時でも、我々はそれらを歓迎することができるのです。アメリカにやって来たピルグリム達は開拓者でした。そうでなければ、特に嵐の季節に太西洋を横断するようなことはしなかったでしょう。彼らは不確かな運命が自分達の先に横たわっており、生命の保証もないことを知っていました。彼ら以前にその新世界に到着した人はほとんどいませんでした。しかしそれでも彼らは出かけて行きました。神様に対する希望と信仰によって困難を克服しました。今二十世紀における我々もまた、神様に対する信仰を持って荒海に乗り出す船のように前進しつつあります。いかなる迫害やいかなる風が吹こうとも、我々は神様に対する信仰を持っているのです。

広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています。先生は神様に対して「二十年くだされば、我々は海を征服し、主管して、あなたに栄光をお返しします」と約束しました。先生は海に出かける度にそのように考えています。後に、フォードやロックフェラー財団も取るに足りないように見える基盤を我々は築くでしょう。そのように確信しなければなりません。

こういうことはすべてと統一教会における我々の誇りです。漁師の生活は困難であり、汚いものであり、時には荒々しいものであって、しばしば泥棒やうそつきに見られて来ました。ではなぜ我々がそのような生き地獄として知られているような事業の中に乗り出して行かなければならないのでしょうか。地獄の底に降りて行って、改革することにより、そこに天国をもたらすことにより、地上天国の到来を早めることができるのです。

神様の願い
1977年 6月19日

美の特徴の中には、ブロンドの髪の毛と青い目と白い歯の組み合わせのようなコントラストが含まれます。海では、何マイルも何マイルも青い海でしかなく、しばらくすれば、その青い色は退屈なものとなってしまいます。しかし、もし突然遠くから黒い船が近づいて来るのを見れば、その黒い点が皆さんのすべての注意を引き付けます。そしてその黒い船が白い帆を上げる時、それはますます心を興奮させ、ドラマチックなものに見えてきます。その黒い船が多彩な旗を掲げるならば、それは本当に豪華なものとなります。自分の周りにあるものが、すべて青いために、そのような白い帆を掲げ、多彩な旗を立てた黒い船を見ただけでも満足するようになるのです。それが先生の言うドラマチックというものです。

先生は、多くの議論を引き起しています。それは、白人文化は広大な海のようなものであって、その中に一つの黄色い点が現われ、それが人々の注目を浴びているからです。アメリカ人の中には、先生を歓迎しない人々がいます。しかし神様はその広大な海を航海していて、人間の現在の文化には退屈しておられるのです。そこに突然、先生が黒い船のように現われました。神様はその視線のすべてを先生に集中させています。先生は白い帆を掲げるだけでなく、いろいろな国々の多彩な旗も掲げています。皆さん、自分を神様の立場において、そのような小さな船が白い帆を掲げ、多彩な旗を振っているのを見下ろしてご覧なさい。それは本当に小さな劇的な光景です。

皆さんは、そのように多くの注目を引いている船の船員です。白人、黒人、黄色人、赤色人や褐色人が祖国に対して手を振っています。我々の船には、このような大いなる興奮と活動があるのです。

再会の心情
1977年 9月11日

皆さんは、暗い世界に光を与える灯台である、という信仰と確信を持たなければなりません。灯台はどのような天候の時でも光を放ちます。なぜならば、悪天候の時こそ、船が最も灯台を必要とするからです。厚い霧に包まれている時こそ、ますます光を放たなければなりません。逆境であればあるほど、その光はより違大なものでなければなりません。

先生は、グロースターで一つの伝説となりました。ここの新聞は、我々の魚釣りについて数回記事を載せ、この町中の話題となっています。ここには毎年各地から何百隻もの船が魚釣りにやって来ます。ニュー・ホープ号が海に出てアンカーを降ろす時、他の多くの船が後を追って来て、近くにアンカーを降ろします。先生の船にマグロが引っ掛かると、他の漁師達は双眼鏡を取り出して、先生がどうしているかを見つめたものです。最初の頃、否定的な人達は、マグロがラインを切って逃げてしまうことを願っていました。しかし、二、三日して、先生がマグロを釣ることに成功した後には、彼らは考え方を変えました。そして先生が何か先生のためになる何か良いものを持っているだろうという噂が広がり始めました。

先生はいつも一番最初に海に出かけました。プロの漁師達の中には、先生よりも早く行こうとした人達もいます。しかし彼らがどんなに朝早く起きて出てみても、ニュー・ホープ号は既に海に出ていました。漁師達はこのことでは復活しませんがでしたが、彼らが先生と競争しようとした時、彼らは非常に一生懸命働かなければなりませんでしたので、いつもの自分達のように酒を飲んだり怠けたりする時間がありませんでした。夏の終わりまでには、このグロースターという衰退しつつある町中で、この町を救うことができる唯一の人間は、先生であるという噂が広まっていました。先生は毎日、例外なく午前三時に起きました。ニュー・ホープ号は月灯りの中を出て行って、多くの場合、夜、星が輝き、月が出ている中を帰って来ました。皆さんは朝早く起きるのが好きですか。先生の船で働くスタッフ達は、何時に起きるべきかということは決して言われませんでしたが、先生が毎朝三時に起きるので、どんなに眠くとも先生に従いました。

これが、アメリカにおける過去四年間の先生の伝統でした。先生に従うのは、容易なことではありません。なぜなら、先生ほど一生懸命働ける者はいないからです。先生の船のクルー達は、先生が何をするかということを知っており、午前一時半までに大西洋に出ようと言えば、彼らは不平を言うことなく、その時間までに起きて出かけたものでした。先生はまた一晩中海に出て、そこで働くという伝統さえも打ち立てました。

今年の夏は、お金を儲けるという点では余り稼ぐことはできませんでした。しかし、伝統という点では、何十億ドルもの価値のあるものを得ることができました。そのような伝統に従うことによって我々の運動におけ漁業の花が咲き、そして将来、アメリカのすべての漁業に対して多くの貢献をなすようになるでしょう。今や、先生が魚釣りの伝統を打ち立てたことによって、誰でも、例え女性達でさえも海に出かけるのを躊躇しないでしょう。もし先生が臆病であれば、誰も真剣に行こうとしないでしょう。しかし、今や人々は先を争って行こうとしています。これまでは先生が、いつ、どこで魚を捕り、またその魚がどれ位の大きさであったかを記録したものがあります。将来、漁師達はその記録に挑戦しようとするでしょう。

魚釣りは信じられない位つらい仕事があっても、先生は統一教会の後孫達に残す伝統のために、何ら躊躇することなく自分自身を与えたいと思ったのです。先生はこのように過去の七十日間を働いて来ました。

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統一教会二十三周年記念日
1977年 5月 1日

皆さんはこうしたことをただ知るだけでなく、それに対する責任を取らなければなりません。先生以上に皆さんは、この国を神様のもとへ復帰するために出かけて行って、人々を目覚めさせなけばなりません。先生は若者達がこの国に対しての責任を持つ者になるように、若者達を訓練しようと決意しています。例えば、先生は神学生達を訓練しています。彼らは現在新しい魚釣りの網を作っています。先生はまたどういう種類の若者であるかを見るために、ハドソン川の氷つくような水の中で魚釣りをさせたことがあります。彼らはお金を作るために網を作ったり、魚を釣ったりしているのではありません。鉄のような強い意志を作り、何物にも妨げられない決意を持った若き指導者となるためにそうしているのです。

先生は皆さんに説教するだけではありません。先生がやるとすればどんなことでも誰より以上にすることができます。神学生達は先生がただ理論を持っているだけではなく、経験からしか得ることのできない知識を持っていることを知り、先生を再発見しつつあります。先生は魚釣りの研究をし、魚釣りのためのいくつかの道具を考案しました。例えば時々、釣り針が魚の口に引っ掛かってしまって、その針を取り出すために非常に難航する時があります。そこで先生は、釣り針を押し出して簡単に取り出すことができるような小さな道具を発明しました。

先生が自分でこの道具を作るために金属を切るのを見たあるメンバーは「お父様、どうしてそんなに苦労されるのですか。道具屋へ行って道具を買ったらいかがですか」と言いました。そこで先生は「アメリカにはそのような道具がない。もし先生がそのような道具を買うことができれば、なぜ先生が自分で作らなければならないか」と答えたのです。先生はベリータウンで皆さんが見たことがないような新しい網を考案しました。それは一方通行の網で、一度魚が網の中に入ればもう出てくることのできない網です。

昨日、先生はベルベディアの人達と会う約束があったので、新なたインスピレーションが沸き、その網の作り方を神学生達に指示することに追われ、一晩中休まずに働いたので、ベルベディアへ時間までに到着することができませんでした。

神様に属する物と人間に属する物
1977年 5月15日

先生がしばしば海に出て行くのは、世界の経済が広大な資源に依存しているからです。未来は、世界の海により多くの注意を払っている人のものとなるでしょう。さらに歴史上、多くの人達が戦争や事故で海で死にました。先生はそれらの人達を慰め、その人達のために蕩減を払いたいと思っています。時々、先生は危険な嵐が来るということを聞くと、わざと海に出かけて行ったりします。

多くの人達は、先生がただ楽しむために海に行くと思っています。しかしそのような天候の中で海に出かけて行くのは決して楽しいものではなく、必死なる戦いなのです。先生はそのような環境の中で死んだ多くの人達を開放するために、そういうことをしなければなりません。一九七五年に、先生は海で死んだ人達のために、お母様と娘の一人と共に海で特別の儀式を持ちました。その時、船の船長ですらどのような儀式が行なわれていたか知りませんでした。

神様に感謝しましょう
1977年 5月29日

ベリータウンでの魚釣りで何百匹もの鯉を捕りましたが、それを指揮する際に先生は、宇宙の被造物が人間の食料になるために殺されているということについて考えました。ベリータウンでもっとも多くの鯉を収容するために池の底をさらったので、六匹の大きな亀が住み家を失いました。先生は彼らに対して申し訳ないと感じて、彼らをハドソン川に放しました。その時「お前達は、広い世界の中に行ってそこで生きなさい」と心の中で思いました。

先生は魚釣りに行くと、最初に釣った魚は逃がしてやりました。鯉のような低級な生物であっても愛を理解することができ、誰かが自分の存在する目的を理解してくれる時には、彼らはその人のために死にたいとさえ思うようになるのです。このような意味で、鯉達が彼らを愛してくれる人のために自らを捧げる時、それは犠牲となるのではありません。これが被造物に対する神様の考えです。統一教会のメンバー達によって愛され、その価値を分かってもらうことによって、すべての被造物は感謝し、また自分達が創造された目的のために生き、かつ死ぬことを誇りに思うのです。

愛は崇高なものです。愛のために生き、愛の中で死ぬことは常に幸福をもたらします。皆さんの死の瞬間が来る時に、皆さんは愛について考えながら微笑むでしょう。そしてその瞬間、皆さんの愛する人によって抱擁されることが喜びとなるでしょう。

もし誰かが「レバレンド・ムーンがハドソン川でたくさんの鯉を捕えたということを知っている。それらの捕えられた魚達は、死ぬ時にレバレンド・ムーンを呪うに違いない」と言ったとします。皆さんはそれに対してどのように答えますか。先生の説明を聞く前であれば、皆さんはどう答えてよいか混乱したと思います。しかし今や、皆さんは鯉達が神様を中心とする人々の血となり肉となるならば、彼らはその生涯を全うしたことになるということを知っています。鯉達がこれ以上必要とする大義があるでしょうか。このように皆さんがどのような動機を持っているかによって、皆さんの行動には天地の差ができるのです。

この原理は、鯉と人間の両方に同じように当てはまります。だから、我々が自らに尋ねなければならい究極の質問は「自分は神様の愛のために死ぬ覚悟ができているだろうか」ということです。皆さんの答えはどうですか。もし皆さんの答えが「ハイ」であるならば、皆さんの死は死ではありません。皆さんの肉体の精神は、全人類と全宇宙の精神と肉となるのです。このように皆さんが自分の生活をより高い水準のものを中心とする時、皆さんは永遠い生きるのです。

神様は我々のみを頼りとしておられる
1977年 6月 1日

昨日、先生はマンハッタン・センターで修士号を持っているメンバーがペンキをはがしているのを見ました。皆さんは、そのような仕事をするのが嫌いですか。あるいは、どんな仕事も感謝の気持ちを持ってしますか。先生は自分のしていることが何であれ、決して恥ずかしく思いません。ベリータウンでは、先生は学生達に魚釣りの網を作る仕事を教えました。教授達でさえも驚きました。その当時、神学者の会議が開かれており、訪問していた学者達たちがベリータウンで先生を見ることができるとは決して予想していませんでした。そこで彼らは、先生が学生達と何をしているのか見ようと近づいて来ました。先生がそのような卑しく下賤のことをしているのを見て、驚くと同時に感動しました。このように皆さんの前にあらゆることをしました。最も卑しい仕事すらしたのですから、皆さんは先生に対して言い訳することはできません。

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既に出版されている御言葉からの抜粋1974年~1983年

ベルベェディア修練生に対して
1974年 8月29日

資格のある指導者になるためには、皆さんは無条件にもって修練が必要であることを知らなければなりません。皆さんはどのように話をし、他人に説得するかについて知らなければなりません。先生は毎日フリー・ボートやロングアイランドに魚釣りに行きます。人々の中には「ああ、レバレンド・ムーンは世界的に有名な説教者だ。それなのになぜ彼は魚釣りなどに興味を持つのだろう。彼はそういうことは忘れるべきだ」と考えています。

過去と未来の世代
1976年 8月 1日

先生は今日もまたボストンへ向かって出発します。先生には重要な使命があるのです。先生が海へ行くのは楽しむためではなく、統一教会の将来の経済基盤を造るためです。それが先生の目標です。我々が工業や技術における進歩に勝つことができる方法はありません。ただ一つあるとすれば、それは海と海産物という文字通りまだ手が付けられていない分野においてです。最近、国際法が変わってアメリカは海岸線から二百海里の水域に対して管轄権を主張することができるようになりました。そうすることにますます取り組むべき領域があることになりますが、アメリカ人は海に対して関心を払わず、海洋事業に対しても余り投資しません。そのためアメリカを取り巻いている海の宝庫が、文字通り手を付けられずにいるのです。先生は統一教会の将来の経済基盤は、海の領域であることを感じています。以前、先生は三年したら海の宝庫を探究していくことを約束しました。

先生は、皆さんを訓練しなければなりません。人々は先生を批判して、レバレンド・ムーンは自分は大西洋でヨットに乗って楽しみながら楽をしていると言います。しかしそれほど真実から遠いものはありません。皆さんの中で、両親から多くの財産を相続する人はそれほどいないと思います。だから先生は皆さんに対して責任があるのです。先生は皆さんがどのようにして自分自身の生活をしていくかについて、計画を始めなければなりません。皆さんは祝福を受け、そして祝福の結果として神様は皆さんに子供を授けるでしょう。皆さんは子供達を養って行かなければなりません。皆さんがこの戦いをするためにワシントンに行っている間、先生は十年先を見て、将来の経済基盤を準備するために海に行くのです。海に行くということは、先生がこれまでなした中で最も疲れることです。しかし先生は皆さんの誰よりも、肉体的な困難をもっともっと耐え忍ばなければならないと決意しています。

今や我々が世界的な組織を開拓して来たために、我々の運動はこの新しい産業において急速に成長することができるのです。この領域においてすらも先生は先駆者として、開拓者としての役割を果たしたいと思っています。

完成と感謝
1976年10月 3日

皆さんはこの世界を復帰するための経済基盤創造に参加したいと思いますか。先生は今漁場を始めつつあり、その目的を心に抱いて、今年の夏、マグロの輸出を試してみました。一日の昼であれ夜であれ、どのような時間であれ、また天候がどのようであれ、先生は海に出て行きました。もし海が荒れていると、ニューホープ号の船長は、海に出て行くかどうかをよく尋ねたものです。しかし今や、彼は状況がどのようであれ先生が海に出て行くつもりであることを知っています。

神学校を終えて、修士号を持っているメンバー達も、海で働くことになるかもしれません。我々の船の船長は、博士号を持っている人であるかもしれません。笑ってはいけません。アメリカの漁場に衰退をもたらしたものは、そういった自分を卑下する態度なのです。先生がこの国の漁場を復活しなければ、この国は死んでしまうでしょう。先生は死にかけている海洋事業を復興することにより、アメリカに貢献するつもりです。我々は現在、母船を買う構想を持っており、それはカリブ海で楽しむための巡航とは違います。その目的は海の宝を捕ることです。先生は魚の臭いは好きではありませんが、我々は神様の仕事のために偉大な経済基盤を創造することができます。魚を捕ることが目的ではなく、共産世界を開放することが目標なのです。だから前進しなければなりません。祝福前の女性達が、漁師と祝福されるのを望まないのであれば、今すぐ教会を去るべきです。もし船乗りと結婚することを望まないなら、皆さんは教会以外の誰かと結婚しなければならないでしょう。

海には、我々の手によって収穫されることを待ち望んでいる広大な宝庫が横たわっています。しかし現位のアメリカの漁場は、若者が海に出て行って一生懸命働くことを好まないので、死にかけています。彼らが三カ月間海に出て行って帰って見ると、妻がいなくなってしまい、お金も無駄になっていることに気が付きます。だから彼らはもう二度と海に出かけて行きたいとは思わないのです。たとえ結婚していないとしても、彼らは海に出て行くことに興味を持ちません。なぜなら海は時により天候が非常に荒れるからです。漁師と結婚する女性の皆さんは、神様と人類のために夫が働いていることを誇りに思わなければなりません。

先生は海によって、いかにより崇高な者となるかということを経験しました。海においては、神様に対する信仰を必要とします。なぜならば、完全に神様に頼らなければならないからです。それからまた男達が海に出かけて行く時には、自分の家族を決して忘れません。先生自身の経験でも、家にいる時よりも海に出ている時の方がお母様や子供達のことを考えました。それはなぜかというと、海においては次の瞬間に何が起こるか決して分からないからです。海にいる時には、他のどんな場所にいる時以上に、自分の妻や子供達を愛し、祈ります。ニュー・ホープ号がドッグに帰って来て、お母様と子供達が先生を待って手を振ってくれる時、先生は神様に出会ったような気がします。夫が海における激しい仕事から戻って来る時に、その夫を愛することのできる女性達は、神様の目において最も崇高な模範的な妻となるでしょう。

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神様の摂理が我々を待っている

アメリカは可能性を持っています。皆さんはどう思いますか。アメリカ人が魚を好きになる時、彼らが魚を買うために使うお金はもっと増えるはずでしょうか。それとも、もっと多くのお金を麻薬に費やすはずだと思いますか。数年前、アメリカ人は麻薬のために、一年間で四百億ドルのお金を使うという統計を聞きました。その数字は今では二倍になっているに違いありません。誰かが今晩言ってましたが、麻薬のために二千億ドル以上ものお金が費やされたということです。少なくとも魚は、アメリカ人にとって良い栄養のある食料です。だから毎年少なくとも、二千億ドルの三倍の魚が売られるべきです。すなわち、アメリカ人は六千億ドルを魚に費やすべきだということです。皆さんはそうなるべきだとは思いませんか。恐らくアメリカにはお金がたくさんあり過ぎて、それをどうしたら良いのか誰も分かりません。だから、我々が海に出かけて行って、その余ったお金を魚の餌として与えましょう。「本当に多くの魚がこの国を養うために死んだのであり、彼らは蕩減を払ったのです。だからその現金のいくらかをその魚のためにばらまいてやりなさい」と先生が言うかもしれません。

もし我々がそれらのお金のいくらかを海にまいて、海の波がそのお金を南アメリカまで持って行ったとしたらどうでしょうか。あるいは南アメリカの漁師達が、その運ばれてきた多くのドルに出くわしたならばどうでしょうか。彼らは魚を釣る代わりにドルのお金を取るでしょう。そして最終的には、国際間の負債を支払うでしょう。それは良い考えではありませんか。皆さんはどう思いますか。この魚のビジネスと海の摂理は、ムーニーがなすべきことです。他の誰も我々に代わることはできません。そうするためには覚悟と運動が必要です。あと二十年したらどうなるでしょうか。我々開拓者達は、彼らが既に成し遂げた以上のことを成し遂げるでしょう。皆さんは二十年経ったらどこにいるでしょうか。だからキリギリスのように今日を怠けていて、そして他の者に従属するような者になってはいけません。

皆さんはこの運動がどこから出発したかを考えなければなりません。四十年前、先生はたった一人でした。友達もなく、家もなく、お金もなく、組織もありませんでした。先生は全く一人でした。兄弟もなく、家族もなく、親もいませんでした。彼らは理解してくれなかったのです。先生の親は、先生のことを心配しました。彼らは「ああ、私達の息子は非常に能力がある男子なのに、彼は奇妙な方向へ行こうとしている」と考えました。だからその当時、先生が持っていた唯一の味方は誰だったでしょうか。時々、先生は「たとえ自分一人となったとしても、決して諦めません」と泣き叫ぶ時がありました。神様が先生の唯一の味方であり、神様だけが先生と共にいてくれました。これが出発でした。

今日、もし皆さんが神様は自分の唯一の味方であると考えれば、将来について心配する必要はありません。神様は皆さんを守り導いてくれるでしょう。それが鍵です。それが最も大切なことです。皆さんは神様に対して「もし神様が早朝四時に起きるのであれば、私は早朝三時に起きます。一時間あなたを負かします」と言って、神様と競争しても良いでしょう。また皆さんは「神様、もしあなたが汗を流したいのであれば、私は汗だけでなく涙と血を流したいと思います」と言っても良いでしょう。皆さんはグロースターのキャンペーンの話を知っていますね。先生が朝四時に出発して行ってみると、漁師の中にはもっと早く出発し始めた人達がいると聞きました。それで先生はさらにもっと朝早く出かけるようになり、遂に午前一時に出発して、一晩中、海に留まっていたのです。そうすると、他の漁師達はそれ以上競争することができませんでした。このように我々はグロースターで勝利し、彼らの尊敬を勝ち取ったのです。

親というものは、常により遅くまで、より一生懸命働き、そしてより朝早くから仕事を始めるものです。親の心というものは、親がもっともっと一生懸命に働いて、そして翌日の準備をしている間に子供達には休んでいてほしいと願うものです。親の心というものは、最後の最後まであらゆることに気を配り、あらゆることを見守りたいと願うものなのです。皆さんは朝早く起きていると思ったかもしれませんが、しかし皆さんが起きる前に神様は既に起きておられ、皆さんの前におられたのです。神様がこのように常に一歩先へ行っておられるということを皆さんが悟る時、皆さんは決して疲れることはできないでしょう。諦めることはできません。皆さんは常に「私は神様を慰めてあげたい」という気持ちを持つでしょう。しかし神様は常にそこにいて、皆さんに慰めを与えておられるのです。このようなことを理解すれば、皆さんは神様の心の重荷を軽くするために、あらゆる努力をしたいと思うでしょう。そのような心と気持ちを持って皆さんが前進するならば、皆さんは決して失敗することはないでしょう。

これは先生が皆さんに対して与えたいと思う証です。先生はこのような証をもって、生涯をかけて生きてきました。そして今なおこの国をつかみ、この国をひっくり返して、神様の下へもたらしたいという目標を持っています。それは夢のようなことです。しかしそれは実現されるでしょう。神学校を卒業した者達に先生がこの夢を与えたならば、その夢を達成するつもりがありますか。皆さんは疲れているかもしれませんが、先生は決して疲れません。皆さんは疲れ、後ろに下がり落後するかもしれません。しかし先生は決してそうなりません。先生は必ず最終的には目標を達成し、そして皆さんより先にいて、皆さんが帰って来るのを待つでしょう。この時、恥じる気持ちを持って先生の所に来てはなりません。恥ずかしい息子、娘であってはなりません。

「お父様に対しては、決して恥ずかしい息子、娘とはなりません」と約束する人は手を挙げて、「約束します」と繰り返しなさい。これがアメリカの本当の希望であり、世界は我々が考える以上により良い世界となるでしょう。皆さんはどこへ行っても難しい仕事を探さなければなりません。いつも「何であれ、最も困難な仕事を自分はします」と考えなさい。もし皆さんが最も困難な仕事をするならば、既にそこに親がいるのを見いだすでしょう。親はいつももっと困難な仕事をしに行くのです。だからそこで、真に神様を見いだすでしょう。

台風がやってくるかもしれませんが、しかし皆さんは「いかなる台風も私のワン・ホープ号の進路を妨げるものはないだろう」と言いなさい。そうすれば神様が共におられるでしょう。神様は「私の息子、私の娘よ、お前は本当に私の子供である。良く来た」と言うでしょう。これは先生の日常生活の秘訣なのです。それは先生の日常生活の心情です。今、時計を見てみなさい。時計を見る時、それが既に真夜中であれば、皆さんは「ああ、もう遅い」と思うでしょう。しかし、皆さんの考えはもう既に遅れています。もし神様が、朝三時に仕事を始めようとしておられると皆さんが考えるならば、「ああ、まだ真夜中だ。まだ早すぎる」という具合に言うでしょう。そのように考えるのです。

皆さんは、神様に抱きかかえられることを楽しみとしていなければなりません。そうするためには、少なくとも朝三時には仕事を始めなければなりません。そのような状態で皆さんは疲れて、ちょっとの間でも車の中で居眠りをするでしょう。その時に神様が皆さんの所にやってきて、啓示を与えるのです。八時間も眠って、目を覚まして幸せな気持ちで「ああ、今日はまたどこかへピクニックに行こうかな」というようなことを言っているのであれば、決して啓示を受けることはありません。決して神様に出会うことはありません。

皆さんは、サタンが行くことのできない道を選ばなければなりません。そのような道とは最も厳しい道なので、サタンは「ああ、駄目だ。自分はそのような道を行くことができない。お前は私なしに行きなさい」というようなものでなければなりません。皆さんはそのような路程を選ばなければなりません。そこには神様だけが待っておられます。そして、皆さんだけが神様に出会う機会を持つことになるのです。

皆さんは「自分は一生懸命働いてきた。それで、もうこの仕事には飽き飽きした。それは単調だ。これには何の喜びもない」と考えるかもしれません。皆さんは、一味違った人間にならなければなりません。明日を楽しみにしなければなりません。

皆さんは、明日、その翌日、あるいはこれから十年、二十年後に、素晴らしく刺激的なことが起こることを期待しなければなりません。常に人生に刺激を感じ、そして決して疲れてはなりません。そういう人がレバレンド・ムーンの望む種類のムーニーです。先生は、このような種類の人を神様の祝福を持って常に祝福するでしょう。

今日は皆さんが自らを再発見することができる特別の機会です。このようにして今晩先生の話を聞けたということは、歴史的な事であり、光栄な事です。皆さん一人一人、使命に向かって出かけるのです。力を持って、また天に不屈の精神と決意を誓って行きなさい。先生は常に皆さんと共にいるでしょう。オーシャン・チャーチと海洋ビジネスは、神様の摂理です。先生は以前、何度もそのことを宣言しました。今晩再び宣言します。これらは摂理的使命なのです。したがって、この御旨に命懸けで歩むものは誰でも、神様の祝福と守りを受け、栄える者となるでしょう。

いつの日か、皆さんの誰かは国の指導者や立法者、上院や下院の議員になるでしょう。先生は不思議な人間です。アメリカの人々は、先生がアメリカだけで有名であると思っているかもしれません。しかしアジアに行けば、そこではもっと有名であることを知るでしょう。南アメリカに行っても同じであり、アフリカに行ってもそうです。今晩、先生と共にいるということは貴重な機会です。非常に貴重なことです。先生が皆さんと顔を突き合わせて皆さんに話す理由は、皆さんが少なくとも先生に従い、先生と一つになろうとしているからです。

もし先生が真の父母という位置を打ち立てることができなかったとしたならば、他の誰が今日の世界に明確なビジョンを与えるでしょうか。他の誰が明確な導きと方向性を与えているでしょうか。先生は、最も厳しい逆境の中で働いてこなければなりませんでした。しかし今や、そのような迫害の時は去りつつあります。世界はまもなく、先生が誰であるかを知るようになるでしょう。我々は、非常にユニークな人間になろうとしています。我々の前途には刺激的な未来が横たわっています。どうかその日を楽しみにして、一生懸命仕事をしてください。神様の祝福がありますように。

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神学校を卒業した者、手を挙げなさい。皆さんがグロースターに来た時「ああ、自分はそこに行って魚釣りをしなければならない」と考えていましたか。それとも皆さんの思いは燃えるような熱意に満たされ、海に出たいというような欲望で満たされていましたか。どちらですか。もう何日も過ぎました。皆さんは海を経験し、先生の話を聞きました。冷めた心を持ってはいけません。もし皆さんがまだそのような冷めた心を持っているとしたならば、どこか間違っているのです。もう既に皆さんは、何かが皆さんを磁石のように引きつけるような、そういう気持ちを感じているべきです。皆さんは先生が感じるように感じるべきです。多分、皆さんの中には「私はこのことを初めて味わってそれで十分だ。もう十分過ぎる。私はここに戻って来ないつもりだ。」と言う人もいるかもしれません。皆さんの中にはそういう具合に考えている人がいるかもしれません。そのように考える人は手を挙げなさい。誰もいませんか、信じられません。時々、皆さんは先生と共に永遠にいたいと願い、また時には、皆さんはその考えを変えるのです。アダムとエバも神様と共に永遠にいたいと思いましたが、彼らもまた変わっていきました。先生が皆さんを見ていると、皆さんの顔の幾つかは「ああ、明日は風が二十五ノットになって、波が八フィート以上の高さであれば、先生は我々を出かけさせないだろう。だから波が八フィート以上になってくれたらいいな」と言っています。普通の天候であれば、波の高さは二から六フィートとなります。だから皆さんの中には毎晩「明日は天候が悪くなって、ここに留まっていることができたらいいな」と考える人がいるかもしれません。あるいは皆さんの中の他の人は、毎日台風が来てくれることを祈っているかもしれません。そういう種類の人達は時間とエネルギーをただ無駄にしているだけです。そういう人はどこにも到達しない行進をしているだけです。

先生は多くの人々にとって今なお謎であり、神秘です。実際のところ、先生は単純な人間でここへ魚を釣りに来ています。しかしその間も、アメリカの最高の指導者達が先生によって心を動かされ、また世界の指導者達も動かされつつあります。先生は、こういうことを知る時間をいつ持つのでしょうか。皆さんは先生がこういうことを、ただ座って何もしないで頭をうなだれ眠っているだけで、達成していると思いますか。すべてがこのようにして起こるものですか。このアメリカには、二億四千万の人達が住んでいます。しかし、それらの人達はこの国を救うことはできません。もしできるならば、彼らはこの国を救ってしまっていたでしょう。そう思いませんか。しかし、彼らは救うことはできません。ただ一人の人しかこの国を救うことはできません。何故だと思いますか。レバレンド・ムーンのみがこの国を救いつつあるのです。何を持ってでしょうか。

アメリカの人達は誇り高い人々です。彼らは自分の国に誇りを持っています。しかし現在、この国は衰退しつつあります。どうして我々は、このような状能を許すことができるでしょうか。我々はこのようなことを許すことはできません。極めて深刻な状態であり、アメリカ人は皆それを知っています。しかし、誰もそれに対して立ち上がる者がいないのです。たった一人の人間がここに来て「自分がアメリカを救うつもりである」と言いました。何を持ってでしょうか。先生はどのような力を持っているというのでしょうか。アメリカは科学力、経済力、軍事力を持っています。アメリカはいろいろな多くの分野において一番です。それなのになぜ、たった一人の人間がこの国に対して立ち上がり、この国を救うことができると言うのでしょうか。この国を救うことができるのは何でしょうか。それはただ神様の愛です。神様なくして希望はありません。これが問題です。アメリカ人はこのようなことを知りません。彼らは神様の親の愛について知りません。彼らは神様の目的を知りません。それゆえに彼らは、アメリカの目的を知らず、目標に到達することができないのです。

先生は「これが神様であり、これが神様の愛です」と、はっきりと教えるために来ました。先生はこれら二つの点を明確に理解しています。ところがアメリカ人はこれらのことを明確に理解していません。これが問題です。だから先生は皆さんを教育しているのです。神様は愛を中心にして地上に住むことができます。霊界においては神様がおられ、また地上界には真の父母様がいます。我々は真の愛を持って、すべてのことを主管することができるのです。

多くの人達が「ああ、統一教会、それは単なる小さな一つの教会に過ぎない。我々はそれについて考える必要はない」と考え続けるならば、決して真理を見いだすことはないでしょう。我々の教えは、ただ統一教会のためだけのものではありません。皆さんは「真の父母は、私の父母である」ということを知り、そう言うことができなければなりません。我々に敵対するものがいかに強大であろうとも、彼らは決して我々を打ち負かすことはできないでしょう。我々は世界の四方八方から迫害されてきました。しかし、我々は決して打ち負かされませんでした。皆さんはどうですか。この点が分かりますか。皆さんはどこに立っているのですか。今までどこへ行こうとしてきましたか。皆さんは強い立場を取らなければなりません。この世界には強力な国々があります。皆さんはそのことを真剣に考えなければなりません。いかにして、この世界の悪を打ち負かすことができますか。ただそれは、真理によってのみ、愛によってのみです。皆さん、今こそ分かりましたか。皆さんにとって神様とは誰ですか。「私の親です」と言えなければなりません。「神様は真の父母の親ばかりでなく、私の親である」ということを、立ち上がって誇りを持って言うことができなければなりません。そしてこの地上において、真の父母は私の親ですと宣言することができるのです。これをもって我々は前進して行くのです。これが我々の知るべき最も大切なことです。

だから、我々が何に取り組もうと、それがオーシャン・チャーチであれ、海の事業であれ、それを義務感からするのではありません。皆さんがすることは何であれ、皆さんのものであるということを理解しなければなりません。皆さんは自分のしていることを見て、そして誇らしげに「それは私のものだ」と言うことができなければなりません。ワン・ホープ号の船を見てみなさい。誰がその船を造りましたか。先生がそれを率先し、ミスター神山がそれを組識して造ったのです。しかしそれは誰のボートですか。それは皆さんのものなのです。

オーシャン・チャーチがそれらのものを所有していますが、その船の責任を誰か他の者が取ると考えてはいけません。皆さんが船で海に出ていく時には、皆さんの責任であることを知らなければなりません。それからフィッシング・ギア、これは誰が設計しましたか。先生がしたのです。しかし、皆さんがそのフィッシング・ギアを使う時には、それは誰のものですか。それは皆さんのものです。このように、皆さんは愛着と責任を持たなければなりません。

我々が前進する中心は何ですか。真の愛のみです。真の愛を持っていれば、皆さんの業績は永遠に続くでしょう。真の愛を持ってすれば、皆さんが成し遂げたことは永遠に消えることはないでしょう。皆さんの心の内容についてはどうですか。もし皆さんの中で「自分は水準から余りにも遠く離れ過ぎてしまっている」と考える人がいるならば、今こそもう一度考え直すべきです。

皆さんの中のある人が、今年の夏の訓練を終えて学校へ戻れば、「ああ、彼らはそれぞれの場所に戻って行くんだな。自分も行くことができたらいいのにな」と考え始める人もきっといるでしょう。皆さんはたった数日、あるいは数週間、余計に滞在するだけだとしても、皆さんは既にそのように考えているのです。もし皆さんがそのように考えていないとすれば、先生の考えと経験は間違っていることになります。しかし先生は滅多に間違えることはありません。皆さんの残りの人はどうですか。残りの人はまだまぐろを釣っていないから、どこへも行ってはいけない使命を持っています。だから皆さんはまぐろを捕るまでずっと追って行かなければなりません。北極までもまぐろを追って行かなければなりません。

皆さんは「オー・ライ」と言うでしょうが、それは今晩皆さんが先生の話を聞いたからです。しかし皆さんは、先生の話を聞く前から「オー・ライ」と考えるべきでした。また皆さんは「ああ、お父様、あなたは真の父母です。あなたは私を愛していらっしゃるはずです。それなのに、どうしていつも私に不可能な仕事をさせようとされるのですか」と考えるかもしれません。いつもこういうふうに考える人は負けな人です。

基盤を造るための代価

今晩、朴大佐が言論人のアジア旅行について話した報告について、これまで聞いたことがなかったでしょう。「お父様はこういうことをいつなしたのだろうか。こういったことはどうして起こっているのだろうか」と不思議に思っているかもしれません。皆さんは何らつらい仕事をすることなく、ただ今晩それについて聞くことによって、それらすべてのことを相続しているのです。しかしそれは、容易なことではありません。それはこういうことです。皆さんがハーバード大学から博士号を受け取ったら、その時誰もが皆さんを褒めることでしょう。しかし、皆さんがそれまでにどれだけの苦労と困難を通過したかということについては、誰も理解しないでしょう。二十年もかかったかも知れないし、一年しかかからなかったかもしれません。確かなことは、それをできるだけ早く成した人は誰であれ、それだけ多くの苦労をしたということです。

先生がアメリカに来てからの十四年間に、先生は歴史上かつてなかったことを成し遂げました。アメリカ歴史上、これらのことを想像した人さえいませんでした。しかし皆さんは、その背後にいかに多くの困難や苦痛があったか理解できないでしょう。すべて先生一人で通過してきたことなのです。誰も先生が来ることを歓迎しませんでした。誰もダンベリーに行きたいとは思いませんでした。先生は目標を達成するために一生懸命働き、犠牲を払ったのです。努力の実りだけをただ受けたいと願う人がいるとすれば、それは泥棒の心を持っているようなものです。皆さんは、それに値する代価を支払わずして、貴重な宝物を得ることはできないのです。

アメリカ人は懐疑的な人達でした。特に若者は、先生がなそうとしている目標や方法に懐疑的でした。彼らは、先生を百パーセント信じて従ってきたのではなく、半信半疑でした。今や、彼らは自分達が間違っていて、先生が正しかったことを悟っています。その瞬間、彼らは先生のなしたことの業績をつかみたいと願いました。それは不公平なことであり、不可能です。

皆さんはそれを受ける準備ができていません。皆さんの器は、先生が与えたいと願う宝物を受けるだけの用意ができていません。だから、受ける宝物は用意されていますが、器がまだ用意されていないのです。だから宝物を後に置いて、受ける器を用意しなければならないのです。その間に、誰か一生懸命働いている他の人がやってきて、その宝物を取ってしまうかもしれません。しかし先生はそうなってほしくないと思います。先生は皆さんにその宝物を受け取ってほしいと思います。だからこそ、先生は皆さんを苦労と困難な道へ送って、皆さんが待っている宝物を受けることができるようになってほしいと願っているのです。

七年前、六十一人のメンバー達がニューヨークに呼ばれてきました。彼らに対して先生は百ドル札を与えて、「皆さんはフィッシュ・ビジネス、シー・フード・ビジネスの開拓者達です。さあ、行って開拓し、繁栄を持って戻ってきなさい」と言いました。今年はその同じグループが戻ってきて、漁業の分野で最も強固な基盤を築いたことは疑いないという報告をしました。そのような基盤が今、国中に広がりつつあり、シー・フードの分野の人達はムーニーがどこにでもいると認めています。そして、その人達は「ムーニーがこれ以上進出してこない唯一の場所は、太平洋の中だけだ。ムーニー達から逃れるためには、太平洋に飛び込むしかない」と思っています。なぜ日本のメンバー達は勝利を収めているのでしょうか。それは彼らが「私はこの事業に責任があります。これは他の誰の事業でもありません。自分の事業です。それは天のお父様の事業です」と考えているからです。そのような考えを持って、誰よりも素早く、一生懸命働いています。

彼らがこのように前進し、心と魂を完全に一体化させて前進していく時に、神様の恵みが常に彼らと共にあります。その結果、彼らの事業が飛躍的に発展しているということです。それに基づいて、我々はさらに数百名のメンバーをもって同じように道を開拓するつもりです。各自が丁度、種のようなものです。彼らは、出発のために同じ額のお金を与えられるでしょう。そして彼らが最初の開拓者と全く同じ道を歩むならば、間違いなく成功するということを先生は知っています。

こうした先輩達の方法を相続しなさい。皆さんはそうする能力と潜在的可能性を持っています。皆さんは、彼らの成果の二倍も三倍も成し遂げることができます。

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海の道
1986年 8月28日 モーニング・ガーデン
 皆さんは誰ですか。ここで何をしているのですか。皆さんはどこへ行こうとしているのですか。どこへ行くつもりですか。目的、あるいは目的地がはっきりしたものでなければなりません。さもなければ、目的のない行進をしたことになるでしょう。もし皆さんが神様に会って、「神様、あなたはどこへ行こうとされているのですか」と尋ねれば、神様は何と答えると思いますか。神様は御自身がどこへ行こうとされているか知っておられ、また御自身が何を願っておられるかを知っておられます。神様は、はっきりとした願い、目標、目的を持っておられます。

その目標は、小さな村や町や市や国だけのものですか。それとも全宇宙のためのものですか。もちろん、小さなものは大きなものの一部です。しかし、重要なことは、どんなに小さかろうと、大きかろうと、すべて究極の目標や目的につながっているということです。その究極の目標、目的とは何でしょうか。一言で言えば、それは一つの世界――平和な世界、理想の世界、完全なる世界ということです。

それはこの地上での目標のみならず、霊界での目標でもあります。従って(霊界と地上界の)一つになった世界、これが目標なのです。この目標は神様だけで達成できるでしょうか。それとも他に誰かを必要とするでしょうか。皆さんは原理を知っているので、その答えを知っています。原理は、神様だけではその目的を達成できないことを教えています。神様は、人間を必要としておられます。

重要なことはこういうことです。神様は、そのような世界をいかにして創るかを知っておられます。神様はその世界の構造を知っておられます。しかしながら、問題は人間がその神様の計画を理解していないということです。それゆえに、神様は人間を準備するために、前もって神様の計画を発表しなければなりませんでした。適当な時、神様が人間の道を導き、人間に対していかに生きるべきかを教え、無知に陥らないようにするためにメシヤを送られるということです。

歴史を通して、人間は価値を追究して来ました。しかし、その価値を自分なりの方法で解釈してきたのです。言い換えれば、人間は自分自身の幸福というものを追求してきました。例えば、日本は日本中心の目標を持っています。中共では、マルクス・レーニン主義が自分たちの国にとって良いだろうと考えました。しかし、それが間違いであることを発見しました。このアメリカでは民主主義が自分達の国にとって最善であると考えています。それぞれの国が何らかの目標を打ち立ててきましたが、今日、そうした中でもがいています。

我々が目指している究極の目的

「最も近く、最も価値あるものとは何か」ということを考えてみましょう。人々はこういうものを至る所で見つけようと探していますが、余りにも遠くを見過ぎています。彼らは自分自身を遥かに越えた所を見ているのです。皆さんにとって、とても近くて価値あるものは何でしょうか。皆さんは真の愛と言うでしょう。よろしい。しかし、その愛にどのようにすれば火をつけることができるでしょうか。その愛の本質、起源は何ですか。

真の愛はどのようにして始まるのでしょうか。それは兄弟や友人から始まるのでしょうか。真の愛の起源は神様から来るのです。それゆえに、人類の根本的な関係は神様と一つになるということです。しかし皆さんが人類と言う時、男と女の両方を意味します。最もダイナミックな関係は男女の間で起こります。そのような関係が神様を中心としている時、それは真の愛の三位基台となります。神様と男と女です。これこそが全ての人類の必要を満たす、基本的で最も本質的な関係です。

男と女に対する神の位置は何でしょうか。教師でしょうか。どのような教師でしょうか。どうも教師というのは、真の愛の関係を十分に表現し得るものではありません。教師以上のものでなければなりません。では主人というのはどうでしょうか。主人と僕でしょうか。これもまたぴったりではありません。それは真の愛というものに十分つながりません。そうして真の愛に最もぴったりした概念に到達します。親のみがそのような種類の愛を含むことができるのです。さて、最初の人間であるアダムとエバが親であれば、神様から離れることができるでしょうか。神様とは何でしたか。もし我々がアダムとエバを親と呼ぶことができるならば、神様に対してはどのように呼ぶことが適当でしょうか。

幸いなことに人間は霊というものを持っています。人間はその存在の一部として霊的なものを持っています。人間には二つの面があります。霊と肉体です。このようなわけで我々には肉の親と同時に霊の親というものを持つことができます。神様は人間の魂の中に宿ることができ、我々は神様を我々の霊の親として持つことができます。また肉の親として我々の肉親を持つことができるのです。真の愛を中心として、神様は地上の親と一つになって住みます。このような基準が生まれなければ、霊界と地上界を一つにする道はありません。これがまさに、神様が人類を目覚めさせようとしてこられた中心点であり、焦点なのです。我々がこの目標を知る時、神様と人間の間のこの関係において、我々は何であり、どこへ行くのかということが分かるようになります。我々は霊的にも肉的にも真の愛を具現するものです。我々は神様の似姿とならなければなりません。我々が目指している究極の道は、真の愛の完全な似姿になることです。それゆえに神様は、このような真実の基準、すなわち真実の愛を受肉しようとしている人達と共にあるのです。神様は常に彼らと共にあるでしょう。

皆さんが親にしっかりつながっていて、しかもその親達の中に神様が臨在されている時には、皆さんは真の愛をつかんでいます。では神様の愛はいかにして我々の中に住むのでしょうか。神様は真の愛のみを中心として人類の中に住み給うのです。これこそが人類が歴史を通して追求してきた最高の理想です。では皆さんはどういう人達ですか。ムーニーとは誰ですか。我々はこのような理想を宣伝し、それを成就し、それを現実のものとしようとしている人間です。

もし皆さんが自分自身を切ったとしたら、その中に何があるでしょうか。どんなに多くの場所を切ったとしても、その中にあるものが同じであるということが分かるでしょう。もっと多くのムーニーであり、さらに多くのムーニーであり、さらにムーニーです。皆さんの体はムーニーの塊なのです。真のムーニーはサタンによって消化されることはありません。真のムーニーは、真の愛の精神の人格化されたものであり、真の愛の権化なのです。それゆえに、真のムーニーとは本物の金のようなもので神様の本当の精神を含んでいます。そのような人に対して、サタンは何らの主張もすることができないのです。

皆さんはここに物差しを持っています。皆さんは、ポンドとかインチということで測ります。一インチとか一ポンドというものには、その本来の基準があるのです。その基準は二つの異なったものですか、一つだけですか。アメリカのどの工場や家庭でも、インチやポンドを用いて物を測る道具を持っています。そしてそのインチやポンドがどれだけあるかによって長いとか短いとか、あるいは重いとか軽いとかということになるのです。しかし皆さんがどこへ行こうとも、一インチは常に一インチであり、一ポンドは常に一ポンドです。統一教会の一番最初の本来のインチは何でしょうか。

皆さんは直ちに「お父様です」と言いましたね。だから先生は、皆さんがそれほど馬鹿でないことを認めることができます。どうなりますか。皆さんは自分がどういう人間であるかということを見て、そして先生の物差しに合わせて測ってみると、自分がどれだけのものであるかということを見いだすのです。そして皆さんはそれを見て「ああ、自分は少し背が低い」とか、「自分は少し軽すぎる」等と言うのです。皆さんはこういった種類の物差し、測る能力を持っていますか。どこにあるか先生に見せなさい。驚くべきことは、皆さん一人一人がこのような物差しを持っているということです。皆さんはこのことを心の中で知っています。皆さんは、内的に自分がどこにいるかを測る能力を持っているのです。

そもそも、皆さんはどうしてここに来たのですか。皆さんがここに来たのは先生のゆえです。先生がいなければ、誰もここには来なかったことでしょう。皆さんは、先生がある種の海洋事業を始めようとしていることを知っています。また、先生が、海に対するあるビジョンを持っていることを知っています。そして、皆さんは「もしお父様がこのことに興味を持っているならば、自分も興味を持たなければならない」と自分に言い聞かせ、それゆえに来たのです。

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マグロ釣りに関する真剣なポイント

この点において、我々はマグロ釣りにどんな意義があるかを学んで来ました。我々は、海と海洋事業には偉大な未来があることを知っています。また我々は海に出た時に、どのような立場とどのような態度を取らなければならないかについて学びました。マグロ釣りの背後には大いなる摂理があることを知りました。今、皆さんは船と漁具をいかに取り扱うべきかを知っています。また皆さんはいかに精神を集中して、マグロを船に引き寄せるようにすべきか、いかにチャムを切り、それをまくかについて知りました。

霊界が皆さんを見る時に、彼らはどういう人を助けたいと思うでしょうか。自分のしていることが何であれ、それに自分のすべての祈りと汗を投入する人でしょうか。それとも、ただ安易な道を行こうとする人でしょうか。それでは今度は、実際にマグロが食い付いて、ラインが出ていっている時のことを考えてみましょう。この時は皆さんが最も注意しなければならない時です。特に初心者にとっては、このことを忘れてはなりません。つまり、マグロが食い付いてラインが出ていく時には、そのラインの最後にブイを付けてマグロがラインを引っ張ることができるようにしてやるのです。そのようにして、他のラインと絡まるのを防ぐことができます。また皆さん自身がラインに巻き込まれる危険から、身を守ることができます。一度マグロがラインを引っ張って行き、皆さんが他のラインを引き上げてしまったならば、三位基台の中で誰か経験のある人を呼びなさい。そうしてから、ラインを引き上げてマグロと戦うのです。それが最も安全な方法です。

我々は三位基台のグループごとに、競争をすることになります。マグロがラインに掛かってラインをたぐり寄せているときは、そのラインをバスケットの中に入れなければなりません。決してラインの上に足を置いてはいけません。ラインの上に決して乗ってはいけません。もし皆さんがラインに巻き込まれて、突然マグロが走り出した時には、皆さんは海中に投げ込まれ、そこから逃れることができません。そうなると皆さんには逃れる道が無いのです。どうかこの点について本当に真剣になってください。

皆さんがラインを引っ張っている時は、誰か他の人が近くに立って、その引き上げたラインをきちんと片付けるべきです。そして、決して手にラインを巻き付けるようなことをしてはいけません。ただ手でラインを掴むだけにしなければなりません。そして決してラインをねじ曲げてはいけません。また九十度に曲げてはいけません。ただ自然に手を通すようにしなさい。魚の割り当ては一日に一匹です。だから一度ラインに掛かったならば、パニックに陥って慌ててはいけません。しっかりラインを持って、傍らに立っている人に、余分なラインをきれいに巻き取ってもらいなさい。

必要なだけ時間をかけてマグロと戦って、たとえ二時間でも三時間でもかけて良いのです。先生はマグロとの戦いの時間が、最も長く、最も安全な時間を費やした人に賞金をあげることを考えています。多分皆さんは五千㌦もらえるでしょう。最も長い時間をかけ最も安全な方法で行った人がそのお金を受け取るのです。皆さんは、そのお金を船で一緒にいる人、もしくは釣りに行く人と分け合ったら良いでしょう。しかしこのことは、朝早くにマグロが食い付いて一日中そのまま遊んでいて良いと言うのではありません。マグロを船にくくって死ぬまで魚を放っておいて、そのまま眠ってしまう人がいるかもしれませんが、そういうことをしてはいけません。皆さんは良心を持って生きなければなりません。マグロが近くにやって来た時には、それに対してモリを打ち込まなければなりません。もしそうしないと、マグロは「ペテン師よ、お前は私を捕まえようとしたじゃないか」と言うでしょう。それは本当のことなのです。先生は本当にこの賞金を与えたいと思います。またそれは姉妹達の船に行くべきだと思っています。それについてはでうですか。それは正しいですか。どうなるか見てみましょう。

今年は、マグロ釣りの歴史的な年です。ここにいる皆さんの中には祝福の二世達がいます。彼らは最近祝福を受けました。マグロも彼らがどんな顔をしているのか見たいという好奇心で出て来るでしょう。皆さんはこうした祝福子女達と一緒に魚釣りをする意義が分からないかもしれません。しかし、そのことを理解して欲しいと思います。皆さんは「自分はこれらの祝福子女よりも上手に多くのマグロをとらなければならない」と考えるべきです。一方、祝福の子女達は「天のお父様、あなたは私達を助けなければなりません」と考えるかもしれません。

彼らは今年、マグロ釣りのエキスパートになろうと決意しています。しかし先生は、皆さんが彼らに負けるのを望んではいません。先生は既に彼らに、船ごとではなく、ひとり五本捕るように目標を与えました。皆さんの目標は何かを、先生は知りたいと思います。皆さんはもう真剣に決意しましたか。まだ決意をしていないとしたら、それは良くありません。大声で話すのではなくて、腹の中にしまって「少なくとも自分は五本以上は釣ってやろう。それは間違いない」と言いなさい。

皆さん、心を決めましたか。結論として、今年我々は注意深くならなければならないということを言いたいと思います。今年の夏は特に危険です。もし皆さんが、先生が今晩言ったことをすべて守るならば、事故はないはずです。しかし、もし我々が一体化せずに十分に行えないならば、誰かが怪我をするかもしれません。怪我をするのはここにいる者の一人ではなく、それはマグロ釣りの意義を知らずに来る人かもしれません。本当に十分に注意してください。真剣に祈り、そして努力のすべてを傾けてください。

結論

先生がここにいるかどうかは心配してはいけません。今は危険で困難な時です。世界は非常に真剣な人達がいて、彼らは先生が誰であるかを知っており、先生を狙っています。このために、先生にとって船に乗っているのが一番良いわけではないのです。先生は共産主義者、テロリストが使う戦術を十分に知っています。既にそうしたことを以前に経験しました。だから、先生のスケジュールについては関心を持ってはいけません。実際のところ、このように先生と会うことは、簡単なことではありません。皆さんはそれを当然のことと思っているかもしれませんが、多くの人達が、先生に会いたいと頼んで来ています。大統領候補や元首相だった人達が先生に会わせてくれと頼んで来ていますが、先生は彼らの要求にすべて応えているわけではありません。今は時ではないからです。皆さんは、先生の周りにいる緩衝地帯のようなものと考えなければなりません。

摂理的な戦争が今行われています。その戦争の指導者は誰ですか。今何が起こっているかを本当の意味で理解しているのは先生だけです。アメリカの誰も考えないかもしれませんが、アメリカは先生を必要としています。この世界を一体化させ、そして新しい世界を始めるためには、先生はここにいなければなりません。誰もどのようになすかを知らずにいます。しかし、先生はこのことを知っています。なぜならば、我々が、歴史のどの時点にいるかを知っているからです。時はそれほど深刻なのです。今晩皆さんに対する先生の希望は、皆さんか先生の精神を相続し、これまで先生がなしたような目標や目的を受け継いでくれることです。それから皆さんは、それを日常の生活に適用しなければなりません。十年、二十年たった後には、皆さんは成功するに違いありません。そうすれば、今から三十年、四十年たって先生が霊界に行ってしまった後に、皆さんは「私は四十年前にモーニング・ガーデンでお父様が私に話してくださったことを覚えている。それゆえに自分は今日このように成功したのだ」と言うことができるでしょう。先生は皆さんの多くの者が、これまで述べたような人間になってくれることを希望し、祈っています。先生の精神を相続して、成功した人間になることを決意している人達は、手を挙げなさい。

今晩、皆さんは先生の前でそのような決意をしました。だから今年の夏は不平を言ってはいけません。もし皆さんに不平があれば、いつかその不平をすべて持って来て、その不平をすべて先生が取り上げる日を作っても良いでしょう。皆さん、そういう日を作っても良いでしょう。皆さんはそういう日を持ちたいと思いますか。持ちたくありませんね。そう、その方が良いでしょう。そうです。皆さんはそのような日を持ちたくありませんね。本当にそうですね。皆さんの答えは強くはっきりしています。先生は皆さんを信頼します。皆さんを当てにしています。神様の祝福がありますように。

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魚釣りに対する先生の心情

では、本論に戻りましょう。時々、皆さんが話をする時には、テーブルをセットする前に部屋を掃除しなければなりません。そうでしょう。それが指導者という者です。今や皆さんは「どんな嵐が来ても自分は出かけるぞ」というような決意ができたと先生は確信します。皆さんはそういった決意を持っていますか。よろしい。それが違うところです。さあ、皆さんは決意を持っています。だから先生も皆さんに話すことを幸福に思います。

皆さんはこれらの新しくて清潔な船の責任を与えられました。マグロ釣りを七十日間した後に、これらの船を今と同じように清潔な船として返さなければなりません。これはこうすることによって、ただ単に皆さんの船を愛するのみならず、皆さんの国を愛したことになるのです。一度海に出かければ、皆さんの船と皆さんの体とどちらがより大切ですか。いやいや皆さんの体の方がより大切でしょう。よろしい。皆さんは船の方がもっと大切だと主張するのですね。今度だけは皆さんに同意します。なぜならば、海に出かけた時には船の方が大切だからです。海の上では、船こそが皆さんが生き残れるかどうかの鍵を握っているからです。

だから皆さんは、自分の体を愛する以上に、皆さんの船を愛さなければなりません。皆さんがどんなに有名であろうとも、どんなに多くの人々が船に乗っていようとも、海にいる時は船の方がもっと価値があるのです。船なくして皆さんは生きることができません。自分の手に油が着いている時には手を洗うくせに、船が汚れている時に船をきれいにしない人のことを考えてみなさい。こういう人は、今日先生が話している精神の持ち主ではありません。

もし皆さんが海に出てそのような態度でいるならば、船が皆さんを嫌うでしょう。そして、海も皆さんを嫌うでしょう。しかし、もし皆さんが心をつくしてその船を愛するならば、海ですらも皆さんを抱きかかえるでしょう。船が皆さんに愛を返し、海が皆さんを抱きかかえる時にのみ、皆さんは幸せを感じることができるのです。もし皆さんが船に対して「あなたは私と共にいることを誇りに思いますか」と尋ねてみて、皆さんの船が「はい、その通りです」と答えるとしたら、何とすばらしいことでしょうか。もし皆さんが皆さんの船からそのような気持ちを感じることができるならば、また海からもそのように感じるならば、何とすばらしいことでしょうか。

さらにまた、皆さんは船の備品を愛し、良く手入れしなければなりません。エンジンと船は皆さんの生命を守るものです。また皆さんのラインや針を皆さんの着物以上に愛さなければなりません。皆さんが誰かを、あるいは神様を愛する時には、それらを決して傷つけたりはしないでしょう。それと同じことです。もし皆さんが船を愛し、また船の上のものをすべて愛するならば、それらも皆さんを傷つけることはないでしょう。むしろ皆さんを守ってくれるでしょう。

皆さんはこうした態度を身につけなければなりません。もし皆さんがそうした態度を身につけているならば、事故も起こらないでしょう。船の上で最も重要なものはエンジンです。エンジンなくして動くことはできません。だから、エンジンは船の心臓のようなものです。船がどんなに良いものであろうとも、もしエンジンが正常に働かなくなれば、皆さんは身動きができなくなります。また皆さんは、いかに正しく船の舵をとるか学ばなければなりません。突然動くようなことをしてはいけません。それは危険です。また船の上ではふざけてはいけません。先生は魚釣りを始めた最初の九年間は、決して船のデッキの底へ行って眠ったりはしませんでした。九年たってから、とても頭の痛い日があり、一日だけ休まなければならなかったことがありました。船の所有者、主人というものはそのような高い精神を保ち、船を良く面倒を見なければなりません。そうした精神を我々も持たなければならないのです。

先生はこれまで、多くのメンバーが一日中ただ眠っているだけの姿を見て来ました。彼らは船の上で横になって、先生に対して背中を見せるのです。これはちょっとした眺めです。皆さんは、先生が今何歳だか知っていますか。もうほとんど六十七歳になります。この年になれば、人々の中には杖に頼らなければならない人もいます。しかし先生はこの年で真っすぐに立って、そして皆さんのような若いアメリカ人を押し出さなければなりません。今、先生が皆さんを見て、皆さんの精神を見ています。今晩、皆さんは全世界を支配したいと思っている将軍のような精神を持っています。その精神を、皆さんがどれだけ長く保ち続けることができるか疑っています。永遠ですか。それは以前に聞いたことがあります。少なくともこのマグロ釣りの間ですか。誰がそう言いましたか。それは良い答えです。それが第一歩です。

主な点を覚えておいてください。船を愛しなさい。グロースターには、何年も何年も真剣にマグロ釣りをして来た人がいます。彼らは先生の方法を研究して、その真似をしようとしています。先生は自分なりの方法を編み出したのです。その一つの点は、決して釣りのラインを切ってはいけないということです。釣りのラインは何度でもつなぐことができます。一本のマグロ釣りのラインは千五百ドルもします。皆さん、何をしようとも、ラインを切って失うようなことをしてはいけません。先生は五年以上もの間、ラインを切ったり失ったりしないで、一本のラインを使って来ました。もし皆さんがラインを失えば、たとえマグロを一本とったとしても、既にその値段の四分の一は無くなってしまっています。

先生の方式は非常に整理されており、また経済的です。だからそれは他のいかなる方式よりも優れています。皆さまが今通過しているこの修練は、どこか他から採用して来たものではありません。いわば、先生の伝統から出て来たものです。修練の原型は先生の心情から出ているのです。皆さんは先生がこの方式をもたらすまで、いかなる困難や苦悩を通過しなければならなかったか、理解しなければなりません。この方式と訓練をもってすれば、皆さんが海に出かけた最初の日からマグロを釣って、それを持って帰ることができます。三年間もの間、マグロをとろうと試みて、ようやく一本しか釣ることができなかった、そういう漁師もいます。それほどマグロを釣ることは難しいものです。しかし、もし皆さんが今学んだ方法を用いるならば、出かけるとすぐにマグロをとることができます。

ニューホープ号は、一シーズン三十五匹のマグロを釣った記録を持っています。先生はそれぞれの船に指示を与えたつもりです。皆さんは、それぞれが、今シーズン少なくとも五匹釣らなければなりません。皆さんは「なぜ自分は五匹も捕まえなければいけないんだ。自分はそんなことはしたくない」と考えるかもしれません。皆さんは大きくて強いアメリカ人です。それで皆さんは、自分の心の中で「お父様、あなたは今ニュー・ホープ号は三十五匹も釣ったと言われましたが、私はただ五匹だけ釣ればいいのですか」と思っているでしょう。皆さんはもっと釣りたいと思っているかもしれませんが、しかし五匹釣るという目標に到達するためには、非常に多くの祈りと働きを必要とします。皆さんは船の上で、多くの障害や訓練を乗り越えなければならないかもしれません。皆さんは失望落胆して、船の上で泣きたいと思うことがあるかもしれません。そして長い間一本のマグロも釣ることができなく、涙でもって陸へ戻って来て「神様は私を愛していないのだ」と思うような、そういう時もあるかもしれません。それ位の努力と心と願いが必要なのです。皆さんが疲れていて、もう止めようというその時に、マグロが餌に食い付かずに、皆さんの船の傍らを通って行くのを見ることもあるでしょう。そういう時に皆さんは、目を覚まして力いっぱい「おい、ここへ戻って来てこのラインをくわえろ」と叫ばなければなりません。皆さん、そういった精神を持っていなければならないのです。

皆さんは夢の中でも、すなわちこの悪夢の中でも、同じような努力をしなければなりません。もし皆さんが、例えば山に行って虎を捕まえようとしているとします。その仕事は、何と危険で困難な仕事でしょうか。マグロを釣るのもそれと同じようなものです。千ポンドのマグロを一本捕れば、約七千㌦もしくは一万㌦位の価値があります。そのことについて話しているのです。皆さん、それだけの価値を持った牛を捕まえることができますか。とても比較にはなりません。

我々はそういった種類の宝を追っているのです。現実はそのようなものですから、皆さんがマグロを一本釣れば、皆さんと皆さんの家族、たとえ三家族ですらも、一年間食べて行くことができます。だから一本のマグロは何と貴重なことでしょうか。もし皆さんがただ海に出て船べりに座って、行ったり来たりしながら「マグロよ、船の所へ来てくれ」と言っているだけでは、皆さんは他の漁師から魚を奪う泥棒か強盗に過ぎません。皆さんは真剣にならなければなりません。

先生は霊感を持っています。時々、先生は今から五分以内にマグロがやって来て、食い付くということを感じます。そして多くの場合、まさにその瞬間に本当にマグロが食い付くのです。極めて疲れている時にマグロが食い付いて、その瞬間に、新鮮なきゅうりのように気分が一新される経験をしました。その感動を考えてみなさい。時々、戦いは長く続きます。時には一時間以上続くことがあります。しかし先生は激しく働き、汗を流しているので、その期間が一、二分のように思えるのです。一度、マグロが来るという予感がして、一日中今か今かと待っていたことがありました。そしてマグロが来ることがわかっていたので、他の何も考えることができませんでした。熱心に待っていたので、トイレに行くことすら考え付きませんでした。そしてトイレに行こうかなと思った瞬間に、マグロが食い付いたのです。その瞬間、非常に興奮して、トイレに行くことを忘れてしまいました。戦うことだけしか考えませんでした。そしてその戦いが終わった後に、先生は自分がぬれているのに気が付きました。しかし我々はそのマグロを捕ることができたので、先生はそのことが全く気になりませんでした。こういう経験は、今初めて皆さんに証するのです。だから皆さん、先生が感じたような興奮を想像することができますか。皆さんもまた自分なりに、このような意義深い思い出を持つべきです。ただマグロが来るのを待っているのではいけません。皆さんは、マグロが皆さんの方へ来るように呼ばなければなりません。熱心な、真剣な心を持たなければなりません。

それゆえに、船の上での第一のルールは、喧嘩をしたり、怒鳴ったりしてはいけないということです。もし船の上で指示を与えなければならない時は、しっかりと、しかし静かに与えなさい。多くの人達はチャムを切る作業を好みません。皆さんの中でこの経験のある人は知っているはずです。においは悪いし、見た目も非常に悪いので、とても言い表せない位です。だから皆さんはこの仕事は他の者にやらせたいと思うでしょう。しかし、皆さんはそのチャムを切る時、先生の心情を思わなければなりません。そして他の人に対しては「あなたは休んでいなさい、自分がこの仕事をするから」と言いなさい。また皆さんが船を出す時には、ただ単にエンジンをかけて出発するのではいけません。船の中を見回して、すべてがきちんとなっているかを確かめなさい。また帰って来た時には、ただ荷物をまとめて船を去るのではいけません。一日を本当に感謝しなさい。

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我々がなるべき種類の人間とは

先生はダンベリーへ行った時さえも、この国によって打ち負かされたのではありませんでした。そうではなく、不正に対して戦ったのです。先生がダンベリーから出てきた時には、このような戦いにおいて認められました。我々には決意が必要です。我々は高く立って「いかに風が強く吹こうとも、いかに多くの嵐がこようとも、自分はここに立って決して止まらない」と言わなければなりません。数年前、グロースターで嵐がくると警告がありました。そしてラジオのアナウンサーは、家にとどまるように言いました。ところが、先生は午前一時に「出かけよう」と言ったのです。風が非常に強く吹いていたので、誰もが危険があることを知っていました。それにもかかわらず「前進」と言ったのです。そして我々は嵐の中へ出かけていきました。

先生はそのような男が好きです。いかなる女性もそのような男性を好みます。皆さんはどうですか。皆さんはそのような男性を好きですか。あるいはただディスコで踊るような人間を好みますか。皆さんはどんな種類の人間ですか。皆さんはレバレンド・ムーン流の人間ですか。先生は非常にタフな人間です。それと同時に、先生は霊的な方向にも従わなければなりません。それがどういうことか分かりますか。我々がまさに行かなければならないという精神とは「自分の目が最後に閉じるまで、誰にも自分の手を開けさせない。自分はこの道をできるだけ強くつかんで決して離さない」と言うことができるような精神を持たければならないのです。

一般に言って、アメリカ人はあまり強い伝統を持っていません。ただ二百年の歴史があるだけです。韓国のような小さな国が約五千年の歴史を持っています。ということは、皆さんは地上においては韓国の二十五分の一の時間しか持っていないことになります。このように比較すれば、皆さんは非常に伝統が少ないのです。アメリカ人は風の吹くままに流れる傾向があります。もし風が東に吹けば、東に行きます。風が西に吹けば、西に行きます。例えば、この国では伝統がないために、男達は「ああ、自分は女はいらない。男達と共に生きよう」などと言っています。また女達は「私達も男性はいらない。女同士で互いに愛しましょう」と言っています。もし、このような現象がこの次の世紀まで続くならば、アメリカ人は消えてしまうでしょう。

そのことを考えてみなさい。多分、黒人や土着のインディアンは「ああ、お前達白人はそのようなことを続けていくが良い。あと百年もすれば、我々は自分達の国を取り戻すことができる。我々はお前達なくして、この国の面倒を見ることができる」と言っているかもしれません。それは本当に恥ずかしいことです。この国の若者は恥という概念を持っていません。だから彼らはフリーセックスは自然だと思っています。しかしムーニーは、このような種類の人間とは量においてばかりでなく、質においても違っています。皆さんの特質とは、たとえ誰かがこのアメリカの二億四千万人の全人口をして皆さんの霊的生活と取り代えたいと願ったとしても、決して心を動かされることのないという者でなければなりません。

もし二つのタイプの人間が一緒に生活しているとしたら、その二人のうちでより強い者の方が生き残るでしょう。誰であっても、より多くの努力を注ぐ者が主体となり、働きの少ない者が対象となるのです。日本人は一日二十四時間、一週間に七日間働きます。他方アメリカ人は一日わずか数時間しか働かず、また一週間の極わずかしか働きません。どちらが将来の所有者となるでしょうか。どちらが先頭になるでしょうか。一生懸命働く人ですか、それともいい加減に働く人ですか。もちろん、一生懸命働く人の方です。

だから先先がアメリカに来た時、辺りを見回して、誰が一生懸命働いているかを探しました。先生はこう言いました。「もし皆さんが一日十時間働くならば、自分は二十時間働こう。もし皆さんが基盤を造るのに二十年かかるとするならば、自分は十年しかかからない」と、このように言ったのです。それが先生の決意であり、今もなおその決意を持続しています。先生からそのような精神を相続したいと思わない人は手を挙げなさい。この言葉を聞いて理解することは優しいことですが、これを実践して皆さんの日常生活に応用しようとすれば、皆さんはそれから顔を背けて「自分はとてもやっていけない」と言うでしょう。

ここでは朝四時に起きますが、その時は光もありません。先生は皆さんが「ああ、自分はこのムーニーの伝統はとても好きになれない。あまりにもすることが多すぎる。これは自分にとっては問題だ」と言うのが聞こえます。いや、これが先生にとって問題なのです。先生にとってそんなことを言う人が問題を提供するのです。我々の状況は異なった世界にいるということです。我々が前進するにつれて、もっともっと難しくなるでしょう。皆さんは我々の理念について考えなさい。我々は世界を統一することができるのです。それが我々の概念であり、可能性なのです。我々はそれをどうしようというのでしょうか。皆さんにとって、これまでそれがいかに難しかったでしょうか。今からは、それがさらに難しくなります。これが我々の結論です。

朝早いので、皆さんは「ああ、このような生活は気違いじみている。これは東洋の伝統だ。これは韓国式だ。私はこれが嫌いだ」と思うでしょう。先生はこの点を知っています。皆さんは先生を単なる韓国人だと思いますか。第二次世界大戦が終わってから四十年間、先生はいつも人とは違った道を歩んで来ました。韓国においてさえ、人々は「こいつは気違いだ。彼の頭はどこか間違っている」と言いました。先生はあらゆることにおいて困難な道を選んで来ました。韓国でさえも、人々はこんな方法を望みませんでした。これは韓国式でもなければ、東洋式でもありません。なぜ、韓国において人々はレバレンド・ムーンに反対したのでしょうか。なぜ人々は、日本においても先生に反対したのでしょうか。なぜ人々は、この国においても先生に反対したのでしょうか。それはこの生活が神様の道だからです。神様は先生が行ってきたことを知っています。先生はあらゆることを神様が指示されるままに行ってきました。神様はハンサムな男の道、つまり簡単な道を選びません。神様の道はいつも最も困難な道です。先生はいつも二つの道を比べて何であれ、困難な道を選んできました。

なぜでしょうか。なぜなら先生はいかにして、できるだけ近い道を進むかということに関心があるからです。先生は最も素早い方法で遠くの距離を進みたいと思います。誰もそいう道を通って行きたいと思いません。しかし神様は先生にそういう道を行くようにと主張されました。だから先生はいつもそのような道を歩んできました。今や霊界と統一世界はこのような道を行かなければなりません。この道はアメリカ式とは違っています。だから若いムーニー達は統一教会的な道を好まないのです。皆さんが抱いている観念というものがそれを困難にしているのであって、道そのものが困難なのではありません。この点が分かりますか。

統一教会を代表することができるのは誰でしょう。皆さんですか。先生はいつも将来について、全世界について考えて来ました。皆さんはそれだけのことを考えて来なかったでしょう。なぜ皆さんはアメリカ式にしがみつくのですか。皆さんは「ああ、アメリカは世界第一等の国であり、指導国家であり、自由世界のチャンピオンである。我々はあらゆることにおいて第一位である」と言うでしょう。そしてまた皆さんは「なぜ我々はレバレンド・ムーンのような東洋式に従わなければならないのか」と不思議に思うでしょう。この道を行くか、行かないかです。聖書は「冷たいか、熱いかである」と言っています。神様は中途半端な人間を好みません。サタンですらもそのような人間を好みません。皆さんはどうですか。皆さん、この道を行くのに燃えていますか。燃えたムーニーとなっていますか。皆さんは何ですか。自分が今先生の言っ人間と違っていると考える人は手を挙げなさい。先生はどのように反応すると思いますか。先生は皆さんに良い笑顔を返していますか、それとも疑いに満ちた笑顔を返しているでしょうか。自分自身の中で新しい決意をしなさい。腹を据えて、性根を据えて新しい決意をしなさい。この目的のために、皆さんに話しにきたのです。それが唯一の理由です。もう一度、皆さんに聞きます。皆さんはこの道を歩みたいと思いますか。

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皆さんは、先生がなぜそんな立場でマグロ釣りを始めたか、理解しなければなりません。また皆さんは、先生がなぜこのような種類の訓練を考え出したかを理解しなければなりません。世界には四つの主要な漁場があります。一つはノルウェー近海であり、あとの三つはアメリカの沿岸にあります。その他にも漁場はありますが、主要な漁場はこの四つです。言い換えれば、皆さんがどのような種類の魚を探そうとも、その魚はアメリカ沿岸で大量に見つけることができます。

一般的なアメリカ人が魚の価値を知らず、魚を食べないことは悲劇です。魚は一つのサイクルをなしています。すなわち魚が生まれてから死ぬまでです。魚がただ死ぬことは本当に無駄なことです。魚というものは、より大きな魚か人間に食べられるためにいるのです。魚は蛋白質とその他の栄養を多く含んでいます。もし我々が魚を食べず、ただ死んで海底に沈むのをほうっておくとすれば、それは本当に無駄なことです。

また、六年ないし七年前に、アメリカは漁業専管水域というものを宣言し、外国の船はその海域に入ることができなくなりました。このような宣言は政治問題となっています。日本やイタリア、ドイツのように、経済の一部を漁業に依存している国々は、このような水域を設けたことに抗議をしてきました。それと同時に、アメリカ人はあまり魚が好きではありません。だからあまり魚のことに関心を持ちません。そのために漁業に対して、率先して新しいことをしようとする者がだれもいません。先生は将来に対する心配から、海を中心とした教育プログラムと事業を始めたのです。陸地において農業をするとすれば、基盤を築くまでに二十年かかります。しかし海で始めれば、わずか五、六年で結果が出始めます。海は金よりも、人間によって良く利用されることを待っているのです。問題は、人々がそれについて知らず、あまり関心を持たないことです。アメリカ人が漁業に関心を持たない理由の一つは、漁業それ自体の性質にあります。大きな船団が漁業に出かける時には、三カ月から六カ月、海にいて操業します。その間、漁師の妻は、家にいて何もすることがないので、しばしば夫以外の人とどこかへいってしまうということがあります。

そのために、海の町で成長する若者は、漁業には一切かかわりたくないと思っています。そして彼らは、オフィスの中でできるもっと良い仕事を見つけようとして、大都会へ行ってしまいます。例えば、このグロースターの町は、二百海里水域が設定される前は非常に栄えていました。多くの外国船が出入りして、物を買ったり、荷を積み込んだり下ろしたりしていました。それでこの町の若者達は仕事を見つけて、ここで働くことができたのです。本当にグロースターは忙しく、そして繁栄していました。ところが、その漁業専管水域の宣言が出た後には、多くの若者が逃げ出してしまい、グロースターはどこかゴースト・タウンのようになってしまったのです。

出入りする船がなく、仕事をする若者がいなければ、だれがこの町の主人となるでしょうか。ムーニー達が数年前に現れました。我々が最初にここへ来たときには、人々は「ムーニー達は最も悪い人達である」と考えました。彼らはレバレンド・ムーンを何か恐ろしい妖怪でもあるかのように見て、レバレンド・ムーンとムーニー達を追い出そうとしました。しかし実際には、ムーニー達は良い人の中の最も良い人であろうとしています。今や人々の態度も、非常に意地悪であった昔から、今のように温かく歓迎するような態度へと変わってきました。

多くの人達が豪華な船をこの町に持ってきました。彼らはデッキの上に座って、シャツから大きなお腹を出して、我々に向かって「ヘイ、お前達はだれだ。お前達は何をしているのか」と叫びました。彼らは非常に意地悪な心を持って、そういうことを言ったのです。最初のうちは、だれもマグロ釣りについては何も知りませんでした。我々はさまざまな針やその他のものを買いに回りました。何人かのメンバーは先生と共に行きましたが、彼らもまた何も知りませんでした。すると人々は店の中で「ああ、あれはレバレンド・ムーンに違いない」とささやいたものです。ある時などは、先生が店に入っていこうとすると、店はドアを閉めてしまい、「入ってくるな」と言いました。そこで先生は直ちに「ドアを開けろ」と言ったものです。

最初のころ、先生はその店の主人が持っているある種の特別な釣り具を求めました。しかし店の人達は、それを先生に見せようとはしませんでした。それどころか先生が望んでいた物とは違った釣り具を出してみせました。先生はこうしたさまざまなことを耐え忍びながら続けてきました。先生は、自分自身が利益を得たくて行ってきたのではありません。これらの海の町を再び繁栄させたいと思ったから行ってきたのです。

マグロ釣りの背後のビジョン

先生の目標は、アメリカの海岸都市を再び発展させ、世界中の人々に食料を供給するために、魚や海産物を輸出できるようにすることです。皆さんの中には、なぜグロースターのような小さくてつまらない町に呼ばれたのか、不思議に思っているでしょう。皆さんは、迫害や困難な状況を克服する先生の精神を相続しなければなりません。なぜなら、先生はいかにして世界を救い、また全世界の人にいかにして食料を供給するかというビジョンを持っているからです。

皆さんが乗ろうとする船は、先生が設計し、メンバー達が建造したものです。九年間の経験の後に、先生はグッド・ゴーの船を建造したのです。これらの船を最初に建造し始めた時、だれも経験を持っている者はいませんでした。神山は船を建造する先生の計画を初めて聞いたとき、全く途方に暮れていました。彼はショックを受けた顔をして「何ですって、我々が漁船を建造するんですか」と言いました。彼は先生がそのような船を造ることを先生が言い出さないことを願っていましたが、先生は「最初の年は百五十隻を建造しなさい」と言ったのです。

そのことを考えてみなさい。そのように多くの投資をしてでき上がった船が、その船の価値について何も知らない、全く未経験のメンバー達に一隻ずつ与えられたのです。これらの船をもって、メンバー達はいかにしてマグロを釣るか訓練を受けました。我々が建造した船一隻ごとに、非常にたくさんの汗と涙と祈りが込められていました。皆さんはそれを理解できないかもしれませんが、そのような精神がそれぞれの船の中に込められています。もし皆さんが本当にこのことを理解するならば、皆さんは船に乗るときに涙を流すはずです。先生が初めてグッド・ゴーに乗った時、先生は泣いたでしょうか、それともあまり深刻に考えずに笑ったでしょうか。皆さんはどう思いますか。だから、皆さんはふさわしい態度を持って、これらの船に連結されている霊的な、かつ国際的な因縁を相続するために祈らなければなりません。世界中の国々が、これらの船の建造を助けるためにメンバーを送りました。そしてそれらのメンバー達は、この船を建造するために彼らの汗と涙を投入したのです。だれも何も分かりませんでした。彼らは文字通り一から始めたのです。だれもどのような材料を買ったら良いのか、何を最初にしたら良いのか知りませんでした。先生は船一隻の価値は将来は十万ドル、いや百万ドル以上の価値になるだろうということを知っています。なぜならば、人々が「これはレバレンド・ムーンによって造られた船である」と言うからです。このために、先生は船を建造するメンバー達にできるだけ最高の質の材料を買うようにと指示しました。彼らは中途半端なものではなく、最高の水準の船を建造しなければなりませんでした。

将来いつの日か、五十州の各地が、たとえ州議事堂を売ったとしても、ワンホープを買うであろう事を先生は知っています。ところが、統一教会メンバー達の中には、これらの船を見たくもないし、これらの船から逃げ出したいと思っている人達がいます。そういうことを先生は目撃しています。先生の目標と願いは、この船の中に投入されているのにもかかわらず、他のアメリカのメンバー達はそのことを理解せず、この船から逃げようとしています。

皆さんが、先生がオーシャン・チャーチを始めた時からの御言葉を読めばそのメッセージがいかに重要で、いかに真剣なものであるかが分かるでしょう。しかし先生がそのような説明を与えた後でさえも、多くのメンバーがこのオーシャン・チャーチの活動から離れていきました。それは恥ずかしいことですが、先生はあきらめることはできません。先生はこれをアメリカの若者達に与えたいと思っていましたが、彼らはその機会を得ようとはしませんでした。だから先生は、若い日本のメンバー達を連れてこなければなりませんでした。最も価値のある貴重な宝を見つけるためには、最も困難な道を行かなければなりません。それが真理です。

今年の夏、ここにいるアメリカのメンバーは自発的にここに来たのですか。それとも、ここに送られてきたから来たのですか。皆さんは本当にここにいたいと思いますか。まだ先生は皆さんを信じられません。皆さんはそれを先生に示さなければなりません。これまで非常に多くのアメリカのメンバー達が、このオーシャン・チャーチの活動から離れ、逃げていくのを見てきました。もちろん、ある者にとってはそうする十分な理由があったかもしれません。先生はただだまって、彼らが来ては去っていくのを見てきました。しかしその間、先生はこのオーシャン・チャーチの努力に対する先生の目標と先生の精神を決して変えませんでした。なぜか、それは先生がその価値を知っているからです。

もし、アメリカの若者である皆さんが釣りに出かけて行くならば、だれが皆さんに指をさすでしょうか。だれもいません。ところが先生が韓国人であるがゆえに、先生に対しては皆が指をさしたのです。皆さんは、いかなる困難な状況の中でも、いかなる迫害の中でも、皆さんが、通過するすべてのものは、先生が皆さんの前に通過していることを覚えていてください。分かりますか。先生は決して引き下がることはしません。常に前進します。人々は今年になって「レバレンド・ムーンは昨年ダンベリーの刑務所にいたのが、出所してきた。彼の運動は彼がダンベリーにいる間に少し衰退したに違いない。彼らは昨年二十隻かそこらの船を出したが、今年は十隻かそこらしか船を見ないだろう」と言ったかもしれません。しかし先生はそうではなくて、今年七十隻の船が漁に出るようにと命令しました。皆さんはそのような精神を持っていますか。

先生は、皆さんは外部のアメリカの若者と同じだと思います。皆さんは同じタイプです。皆さんは「そうではない」と叫んでいます。しかし同じタイプだと思います。どう思いますか。本当ですか、本当ではありませんか。先生は皆さんを信頼することはできません。皆さん、先生に見せてくれなければなりません。皆さんが実績を持ってくるときに、他の若者とは違っていることを先生は知ることができます。今から我々は異なった道を行くのです。それができますか。手を挙げなさい。できますか。先生の話を理解できなかった日本のメンバー達は、手を挙げる機会を逃がしました。皆さんが乗っている船は、世界の漁船の中でも最高のものであることを忘れてはいけません。そしてそれがレバレンド・ムーンによって造られたものであることを忘れてはいけません。我々がこの船を造ったのであり、ムーニー精神がこの船を造ったのです。我々はお金をもうけたいからではなく、アメリカの精神を再びよみがえらせたいと願ったからです。

このグロースターの町自体が消え去るまで、我々は毎年ここに来るでしょう。我々はこの町の面倒をみます。我々がこの海の面倒を見るのです。今晩、ここには約二百人の人がいます。誰しもが同じ状況の中にいます。全員が二本の手と二つの目と、そして手足は無傷でいます。先生は皆さんと同じようなものを持っていますが、しかし人々を指導する能力とか、戦う精神とか、物事をあきらめないことは、ここにいる二百人を合わせた以上の能力を持っています。その違いは、決意と献身、つまり精神の中にあるのです。

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魚釣りの心情と精神
1986年 7月 3日 モーニング・ガーデン
 今晩、先生に初めて会う人はいますか。皆さんは新しいメンバーですか。もし皆さんがここで新しいメンバーであれば、きっとまだマグロ釣りを経験したことはないと思います。教会に入る前は何をしていましたか。皆さんは少なくとも十八歳以上ですね。たとえ皆さんがまだ二十歳代の初めであったとしても、まだ若すぎます。初めてマグロ釣りをする人は、手を挙げなさい。今シーズンの結果について心配する必要はありません。先生は皆さんの大部分が魚釣りの経験がないことを分かっています。皆さんはこれまでの十日間の教育と修練を通して、たくさんのことを学びました。しかし、数日の講義と実際の魚釣りの違いを見てみれば、このような訓練は取るに足らないものです。それは現実に比べたら塵のようなものです。皆さんはさまざまな種類の魚釣りを学ぶでしょうが、最も難しいのはマグロ釣りです。

ジャンボマグロは捕るのが非常に難しい魚です。このマグロは、世界中の五つの海で見ることができます。彼らはそのように広い範囲を旅するので、速いスピードで泳げなければなりません。皆さんが実際にマグロを見れば、胸びれと背びれが身体に収まり、ちょうど魚雷のように泳ぐのを知るでしょう。マグロの最高速度は約百ノットで、平均速度は約三十ノットです。このようなジャンボマグロの生活を考えてみなさい。彼らは海の中で十年ないし十五年、あるものは二十年以上も生きてきたのです。彼らは非常に多くの危険や困難を経験して、それでも生き残ってきました。その意味において、あるマグロは我々以上に頭が良いかもしれません。例えば、マグロはマグロ釣りの船がくるのを見ると、ただ単に船を通り過ぎるのではなく、船のかたわらに寄ってきて注意深くこちらをみるのです。我々はそのような頭の良い魚を捕るために、ここに来ているのです。

最も大きいマグロは、千ポンドを超えるものがあります。それらは大きな牛よりも大きいのです。しかし、牛のような骨は持っていません。この意味においてマグロは神様の賜物として準備され、我々はその賜物を受け取るためにここに来ているのだと言えます。しかし、一般に、アメリカ人はマグロの味がどんなに良いか知らずにいました。日本人はそのことを長い間知っていました。マグロはとてもおいしい魚です。マグロ養殖の研究開発を行っている日本のある教授が、もしアメリカ人にマグロのおいしさが分かったならば、日本人に残されるマグロはなくなってしまうだろうと心配していました。幸いなことに、アメリカ人はまだマグロについてそれほど多くを知らずにいます。しかし、彼らがそれを知った時には日本人には困ったことになります。

ここでちょっと比べてみましょう。もしマグロが海の王であり、女王であるならば、マグロは、最もハンサムな王子であり、最も美しい王女です。我々は、このような魚の中のハンサムな王子と美しい王女を釣るためにきているのです。彼らがどんなに美しく、どんなにハンサムでしょうか。例えば、皆さんが何日も何日も海にいて、一本のマグロを釣ったとします。皆さんはそれを見て、突然マグロの所へ行ってキスをするでしょう。多くの人達がそれくらい感激するのです。

また皆さんは「私はマグロを釣りにここに来ているけれども、やせて荒れた日本人の私の手はあまりにも醜くて、そのような美しくハンサムな魚に触れることはできない」と、このようにも考えるでしょう。マグロ釣りの多くのことに関して興味を持たなければなりません。先生自身が魚釣りを始めたのは、十四年前です。ここに初めてニュー・ホープ号を持ってきたとき、国中がそのことを知りました。先生が初めてここに来たときは、マグロ釣りについては何も知りませんでした。どんな種類の針を用いるのか、どんな糸を使ったら良いのか、何も知りませんでした。しかし三年以内に、自分はマグロ釣りのマスターになるという自信をだれよりも強く持っていました。

マグロ釣りにおける先生の基台

先生が初めてここに来たときには、たくさんのマグロがいました。恐らく今よりもたくさんいたと思います。普通の日で、一日に一本のマグロを釣ることは珍しくありませんでしたし、一日に二本のマグロを釣ることもよくありました。こういった初期のころを考えると、先生は皆さんとそのような深い経験を分かち合いたいと思います。最初のころ、何度もマグロが食い付きましたが、その度ごとに逃げられてしまいました。それでマグロを釣ってきた漁師達は帰ってきて「またレバレンド・ムーンはマグロが掛かったけれども、逃がしてしまった」と言ったものです。

先生はマグロを釣って、それを船まで引き揚げることができませんでした。このようなことが毎日起こりました。だから、先生がマグロを持って帰ることができるかどうかが、人々の毎日の噂となりました。皆さんが知っているように、ここにはマグロ釣りに出かけていく大きくて豪華な船がたくさんあります。彼らの中には、妻や子供を連れて行く人もいます.来る日も来る日も彼らが家族に「レバレンド・ムーンはきょうもまた魚を逃がしてしまった」と言っているのを聞きました。

このように、マグロが食い付きながらも捕まえることができなかったことが、何度続いたことでしょう。一度でも、二度でも、また三度でもありません。十六本目にようやく釣り揚げることができました。二十一日目にして初めて、マグロを船に引き揚げることができました。大貫はこのことを目撃した生き証人です。彼は今晩皆さんの前に立っています。このように我々が二十日の間出かけていって、十五本のマグロが掛かりながら、船に揚げることができなかった日々のことを考えてみてください。十六本目にして、ようやく釣り揚げることができた時、大貫はその瞬間、涙を流していました。このように、我々が最初のマグロを釣らなければならないと誓った信念のことを考えてみてください。

先生の心の中には「少なくとも一日に一本捕まえることができるように、アメリカの青年を訓練しなければならない」という考えがありました。その二十日間そのような考えを持ったことについて考えてみてください。先生はいかにしてマグロを針に引っ掛けて、しかもそれを逃がさないで釣り揚げるかに焦点を絞って考えていたのです。先生は絶えずこの点を研究していました。もう一つの観点は、我々がマグロ釣りのために費やしたお金のことです。毎日毎日たくさんのお金を費やして、それでも一本のマグロも捕まえることができなかったことを考えてみてください。先生は必死になっていました。

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一九九〇年まで後五年です。皆さんは韓国語を学ばなければなりません。先生はこのことを一九八一年に言いました。しかし、誰もそのことに注意を払いませんでした。なぜなら、彼らは自分なりに「まだ九年先のことだ」と言っていたからです。今や、もう五年しかありません。まもなくそれは四年先となるでしょう。皆さんが韓国語を学ぶことは簡単ではありません。英語とは全く反対です。韓国語を学ぶ唯一優しい方法があるとすれば、それを暗記することです。皆さんは心がコンピューターであるかのように、それを吸収しなければなりません。皆さん、韓国語を勉強しますか。皆さんは先生に対していつも約束をしますが、時として、皆さんを信頼することができまん。一九九〇年以降は、先生はどこへ行こうとも韓国語でしか話さないつもりです。ヨーロッパへ行っても韓国語だけで話すつもりです。そして先生の言うことが分からない者は、先生の言うことをテープ・レコードーに録音して、後で通訳を見つけなければなりません。しかし先生はそのことさえも許さないかもしれません。

先生は皆さんが韓国語を学ぶようにと、自分で英語を勉強しました。先生は今、「先生の言ったことが分かった人は手を挙げなさい」と韓国語で言いました。ところが、ここにいる誰も手を挙げませんでした。だから皆さんはどうしなければならないか分かるでしょう。韓国語は発音するのに非常に難しい言葉です。韓国人はどこへ行っても、その国の言葉を早く覚えます。皆さんは、日本人と韓国人の話す英語の違いに気付くでしょう。韓国人はより早く言葉を学びます。そして発音する能力は、もっともっと良いのです。どこへ行こうとも、フランス、ドイツ、アフリカ、南アメリカでも同じです。なぜならば、韓国語がそのような広い範囲の発音を持っており、他のいかなる言葉の発音もカバーするからです。韓国語を勉強したい人は手を挙げなさい。アメリカ政府はムーニーを好きではありませんが、それでも皆さんは韓国語を勉強したいと思うのですね。

アメリカ政府は、先生がアメリカナイズされずに、却ってアメリカの若者を「ムーナイズ」したという事実を快く思っていません。彼らはそのことを全く好ましく思わず、それを「洗脳」と呼んで、悪いイメージにしてしまいました。しかしそれは統一教会の用語ではなく、彼らの言葉なのです。我々は彼らからそう言われるような、何をしていたのでしょうか。皆さんの生活を以前の生活と比べて見てください。皆さんは前よりも良くなりましたか、悪くなりましたか。皆さんがいかにどれぐらい変わったか、皆さんはよく知っています。だから皆さんは誰かに対して何も言う必要がありません。まもなく彼らは皆さんのことを理解し、皆さんがいかに良い人間になっているかを認めるようになるでしょう。

今から我々は、今まで以上に一生懸命働くつもりです。そうですね。この地域は二千五百人の牧師しかいません。それは我々にとっては少な過ぎます。皆さんは、なぜ先生が今皆さんを押し出しているか、なぜそんなに急いでいるかを分からずにいます。しかし近い将来、皆さんはその理由をはっきりと分かるようになるでしょう。先生は皆さんが一生懸命働いてくれるものと信じます。先生の飛行機は、一時間以上前に出発することになっていましたが、皆さんに話をしていて止めることができませんでした。だから後で別の飛行機に乗るつもりです。

先生はここへ来る前に、アラスカで魚釣りをしていました。朝早くから夜遅くまで船に乗って魚釣りをして、一度も休みませんてした。そしてここへ来るとすぐに皆さんに話を始めて、一度も休みませんでした。だから先生を羨ましく思わずに同情してください。先生がかつてここへ来て、この海岸の北から南まで様々な港で魚釣りをして、そして漁業を将来盛んにするために、様々な可能性を探ったというこの事実を知れば、漁師達はどんなに感謝するであろうかということを想像してください。

漁業のみならず、先生が投資したすべてのプロジェクトにおいて、先生は非常に多くの時間とエネルギーを投じました。これらは先生がこの国からいなくなった後にも、この国における先生の仕事として歴史的な記録として残るでしょう。このことを考えてみなさい。この統一の思想は、やがて全世界を抱擁するでしょう。将来は白人も、黒人も、黄色人も皆統一思想を知って感謝するでしょう。将来、先生をなつかしく思い、そして先生の歩みをたどりたいと思う人の中から、詩や文学が生まれてくるでしょう。黒人も、白人も、黄色人もそういうものを書くようになるでしょう。ダンベリーの人々すらもそのような気持ちを持ってそれを著すでしょう。これは皆さんにとっても言えることです。我々は、今日のために生きているのではありません。未来のために生きているのです。先生は苦労の中から出発した自分の路程を、必ず成功させようと決意しています。その同じ状況が皆さんにも当てはまらなければなりません。もし先生がこのように決めたとすれば、皆さんは違った道を行くことができますか。それは真の父母の伝統であり、それを皆さんに残して行きます。だから皆さんは、この世界の最後の人が救われるまで、ずっとこの道をたどっていくべきです。これは達成するまで、これ以外の道を行くことはできません。我々はこれを人生最大の道だと言っています。。そして実際、これは人生最大の道なのです。

皆さんの心の中で、皆さんが先生に関する思い出を決して消し去ることはできないでしょう。これは以前ムーニーだった人にも言えることです。彼らの多くは、戻ってきたいと願っています。そして彼らは、教会へ戻ってくる方法を見つけようとしています。たとえ彼らが教会を離れたとしても、先生と共に過ごした思い出を忘れることはできません。このような状況は悲しく惨めなことです。先生が初めて牢獄に入った時に、皆さんが苦しんでいました。その時のことを思い出すと、その重みを感じます。しかし今回、先生が刑務所から出てくると、至る所の人々が先生を歓迎してくれました。

教会を離れたメンバー達が皆さ同の街頭での活動を見る時、彼らは道の傍らにいて、皆さんの前にそう簡単には出てくこられないということを知っています。誰が彼らにそのような惨めな状況を与えたのでしょう。先生ではありません。先生はそのような状況にある人を見たいと思いません。そのような状況を作ったのは、彼ら自身です。それは非常に悲しいことです。そして先生はそのことをはっきり理解しています。韓国にも、そのような以前教会員だった人がいます。そして彼らは、この教会での生活を、離れた経験による苦しみを乗り越えられずにいるのです。

これは先生が生きてきた唯一の道であり、先生と共に働きながらいかに多くの人が離れ去ったとしても、先生はこの道を離れることはできません。これは皆さんにとっても唯一の道であり、皆さんが歴史を振り返ってみる時、決して後悔することのない道です。霊界にいる人は誰もが、これが正しい道であり、唯一の道であることを知っています。先生は、皆さんが一生懸命働いてくれることを知っています。神様の祝福がありますように。アーメン

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父母の言葉を学ぶ

先生は何歳ですか。もう既に六十五歳です。それはどういう年ですか。それは大部分の人にとっては引退する年ですね。人々がその年齢に到達すれば、もう人生において新しいことは何もしません。普通、彼らは自分が既にそれまでに築き、打ち立て、馴れ親しんだ習慣の中に落ち着きます。先生にとって、英語を学ぶことは容易ではありませんでした。心の中で英語の文を作りそれを皆さんに正しく語ることは非常に難しいことです。

先生がもっと若かった時には、コンピューターのような頭を持っていました。先生はあるレッスンを学べば、その明確な意味を書くことができ、一度書けば、もうたとえ十年後でも決して忘れませんでした。しかし今、英語を勉強するとなると、夜に一つの言葉を書いて覚えても、翌朝起きる時にはすべて忘れてしまっています。一つの言葉を十回暗記しても、それでも完全に忘れてしまうことがあります。だから、それがどんなに難しいことか考えてみて下さい。それでも、そのような困難にもかかわらず、英語を学んだのです。

もし皆さんが、人々が英語を話しているのを聞けば、彼らの言葉に汚い単語が並べられているのを聞くでしょう。彼らは英語を知っていますが、彼らは、自分で見つけることができる最も悪い言葉で話すのです。先生は何度も英語の聖書と原理を読みました。先生は英語は好きではありませんが、皆さんと皆さんの文化を理解するために、それを学ばなければなりません。先生はこのアメリカにいて、統一教会の指導者です。だから、皆さんと話し合うために英語を学ばなければなりません。

しかしながら、皆さんは韓国語を学ぶべきです。なぜか、それは韓国語が母国語だからです。韓国語は我々の信仰が表われた言葉です。それは我々の「故郷」の言葉だからです。皆さんは、いつ韓国語を学ばなければなりませんか。それは一九九〇年までに学ばなければなりません。それ以後、先生は通訳を使いません。責任者の会議に来たいと思う者は、誰しもが韓国語を知っていなければなりません。さもなければ、何も理解できないでしょう。このために、日本の多くのメンバーは、一生懸命韓国語を勉強しています。皆さんアメリカの若者達は、より長い道を行かなければなりませんね。なぜならば、英語は日本語より遥かに韓国語からかけ離れているからです。それでも皆さんは、韓国語を学ばなければなりません。なぜならば、統一教会の信仰の本来の言葉は韓国語だからです。多くの学者達が韓国語で原理講論を読むために、韓国語を勉強しています。彼らはそうすることの価値を理解しているのです。実際、通訳を通すならば、本来の意味の七五パーセントは失われてしまいます。だから本来の意味に近付くために、韓国語を学ばなければならないということを知識人は皆分かっています。皆さんは信仰の源泉、我々の信仰の内的な部分に近付かなければなりません。

皆さんは霊界に行く前に韓国語を学ばなければなりません。さもなければ、皆さんの先祖達が皆さんに対して腹を立てるでしょう。先生はこの現実を良く知っています。もし皆さんが先生を信じないならば、今晩死んで霊界に行ってみれば分かるでしょう。先生はこの世における生活と、霊界における生活を明確に教えています。アメリカ人の中には、大きな体をしていて非常にプライドが高く、他の国の言葉を学ぶことができないと言う人がいます。それは彼らにとって不幸なことです。また小さな日本人も、彼らが韓国語を勉強したくなければ同じことです。将来、会議に来た時に彼らは惨めです。すでに日本人は、そういう惨めさを味わっています。会議で、先生は韓国語で話し、英語で通訳がなされているからです。実際、彼らは先生の話の間、眠っているだけです。先生はそういう惨めな状況になるのを見たくありません。だから一九九〇年までには韓国語を学んでください。さもなければ、先生に会いに韓国に来ないように、また先生のいる霊界には来ないようにしなさい。先生は英語を学ぶために非常に努力をしました。先生は非常に遅れて勉強を始めました。だから、英語を学ばなくても良い口実はあったのです。それで今、先生は英語を話すことができますか、できませんか。だからこの年で先生は英語を勉強したのです。皆さんは何歳ですか。皆さんはまだ若者です。皆さんにとって韓国語を学ぶことは、問題ありません。

先生の年齢で、先生は何でもすることができます。英語も学びました。魚釣りにも行きました。また他のメンバーが考えなかった様々なことをし、若者ですらもできない歩調に合わせてきました。皆さんは若いのです。少なくとも皆さんは、先生に歩調を合わせなければなりません。もし皆さんが韓国語を学ぶことができないとすれば、皆さんは一人前になったとは言えません。皆さん、このことが分かりますか。十年後には多くのメンバー達は、母国語である韓国語で統一原理を読むでしょう。そして、先生の母国語で先生の話を聞くことができるようになるでしょう。もし皆さんがそうすることができないとするなら、それができるメンバーの前で惨めな気持ちになるでしょう。だから母国語を学んでください。それが今、先生が皆さんに頼んでいることです。堕落以後、人類は様々な言語と文化に分かれてしまいました。神様はそれを望みませんでした。そういうものはサタンの願う世界です。皆さんは本来の言葉を復帰しなければなりません。本来の言葉とは何ですか。それは一番最初の親が話した言葉です。しかしながら、皆さんが知っている親達は堕落してしまいました。そして復帰の歴史は、真の父母が打ち立てるまで展開してきました。

今や、我々には真の父母がいます。彼らの本来の言葉は何ですか。我々はその本来の言葉、母国語を学ばなければなりません。

神様の力のみが、世界を一つの言葉のもとにつなぐことができます。統一原理は、世界のすべての人々によって韓国後で読まれるべきです。人々が共通の理解を持つようになるまでは、決してお互いに戦うことをやめないでしょう。人類が現在分裂している原因は異なった言語を喋り、人生に対して異なった理解をしているからです。この状況のゆえにこの世界は何と複雑でしょう。

神様について考えてみなさい。毎晩、人々は何千もの異なった言葉で神様に祈っています。実際、神様の耳にとっては苦痛です。それは本当です。神様にとって、それらを一つ一つ取り扱うのは非常に複雑なのです。神様に「ゴット」と祈る者もいれば、ある者は「神様」と祈っていますし、又、ある者は「アラー」と祈る者もいます。皆さんは神様のためにも、一つの言語を復帰しなければなりません。このような状況において、神様はいかに惨めであるかを考えてみなさい。皆さんは、この状況がアメリカにおける先生にとって、いかに困難であったかを知らずにいます。これは神様にとっても同じことです。だから先生は神様がいかに惨めであるかを知っています。神様は子供達の間において一つの言語と一つの心情、一つの共通の理解を望んでいます。これがゆえに、皆さんにこのことをはっきりと教えているのです。

韓国を訪れた牧師たちはこのことを良く理解しました。多くの人達が韓国から帰って「レバレンド・ムーンと統一運動を理解するために、自分は韓国語を学ばなければいけない」と言いました。もし彼らがこのような現実を理解するとしたら、皆さんはどうして理解しないのですか。もし他の人達が自分でそのように考えることができるとしたら、皆さんはなぜできないのですか。彼らはムーニーではありませんが、皆さんはムーニーなのです。皆さんは先生に最も近い人達です。だから先生の言っていることを理解しなければなりません。

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二十年前、アメリカ人は日本人を見た時に「彼らは生の魚を食べる動物のようなものだ」と言ったものです。ところがこの数年来、アメリカ人は変わりつつあります。今や彼らは値段の高い寿司レストランで食事をし、たくさんのお金を払っています。アメリカにある日本レストランは非常に多くの金を稼ぐでしょう。日本レストランを最初にアメリカで作った時には、それほどお金を作ることはできませんでした。しかし、今や時代が変わりました。我々はアメリカの都市に、千件のレストランを作ることができます。

多くのその他のレストラン・オーナー達は、ムーニーがこの種のビジネスに入ってきていることを快く思っていません。しかしそれは問題ではありません。なぜなら、もし皆さんが人々に良い食べ物と良いサービスを提供するならば、人々はそこで食べる度に喜ぶからです。我々はそういう種類の高い水準を持つつもりです。そうすれば、お客さんは何度でも来るでしょう。そのようなすばらしい経験を与えてくれる人々を迫害することは、非常に難しいのです。

本当に関心を持っているお客さんには、自分達の家で寿司の作り方を教えることもできます。また食事の時以外の時間で、我々はそのための寿司教室を開くことができます。それからまた、我々はレストランの隣に新鮮な魚のお店を作ることができます。自分自身で食事を作りたいお客さんはそこで魚を買うことができます。そのようにすることは人々にサービスを提供する美しい方法であり、また人々と良い関係を築くことができます。このようにして、アメリカのすべての海岸、海岸沿いにある町に発展することができます。これは皆さんにとって良いことであり、アメリカの人々にとっても良いことです。

力とは何ですか。力とはある状況に対して責任を持つことのできる能力です。もし皆さんがあるものを本当に責任を持つことができれば、それに対して権威を持つことになります。先生はこの点を良く知っています。責任を取る者とは、真の権威を持つ人のことです。皆さんもまたそのような人とならなければなりません。アメリカは世界でそのような権威を持っていますか。

人間が生きるためには高蛋白質を必要とします。アメリカはその二百海里の中にその蛋白源をたくさん持っていますが、世界の他の人々には与えてはいません。もしアメリカがそのような必要性を理解できず、世界の人々を助けないのならば、先生自身で何とかしようと決意しています。二百海里の制限をめぐって、多くのトラブルがあります。世界の他の国の人々は、これらの海域にある潜在的な可能性を知っており、彼らはそこで魚を釣りたいと思っています。彼らができる二番目の選択はアメリカからその魚を買うことですが、他の国に対して魚業を制限しているこの海域で、アメリカ自身は魚釣りをしていないのです。

先生の言っていることが何のことか分かりますか。先生はこうした状態を良く知っており、それがアメリカが関連する他の国々に対して、どのような影響を及ぼしているかを知っています。こういうことを考えたアメリカの若者は一人もいませんでした。アメリカの若者は誰も先生を助けに来てくれませんでした。むしろ、先生が皆さんのために基盤を築いているのです。今や、皆さんはこの基盤を見、今まで先生がひとりでしてきたことをはっきりと理解しました。今、皆さんには希望があります。

過去五年間、先生はアメリカの漁業の状況について調べてきました。それには麻薬の取引が多く関係しています。それは本当です。陸にある漁業会社の多くの背後に、そしてアメリカの港に出入りする小さな船の背後に、多くの麻薬の密売人がいるのです。これらの人々が「マフィア」です。アメリカ政府は、このような組織が活動をするのを防ぐために何もしようとはしていません。このマフィア達はしばしば密輸を支配しており、また港に荷揚げされる値段を支配しており、アメリカの港の多くの局面を支配しています。彼らは人々を麻薬取引に関係せさることによって、その支配権を獲得するのです。それから彼らは、人々をして不法行為ばかりでなく、望む商売をさせるようにするのです。ムーニー達は正しくなければなりません。我々は一歩一歩このような状況を正していかなければなりません。またレストランのために、一日二十四時間、店を開けておかなければなりません。もしどこかのレストランがある種の魚が欲しいと電話をした時に、我々がその魚を持っていなければ、できるだけあらゆる所に電話して、そのお客さんのために必要な魚を見つけなればなりません。他の人達は、一日八時間しか働きません。その後は、彼らは店を閉じてしまいます。彼らは自分のしていることに対して何ら思うこともなく、ただそれだけして家に帰ります。しかしムーニーの場合は、仕事にすべての心を注ぐのです。我々は最も新鮮な魚を持とうと思っているし、それが我々の誇りりです。そのような評判は広まるでしょう。

それのみでなく、我々はまた海岸から海岸へ、国から国へと協力を惜しみません。もし漁師達が南アメリカで魚を捕っているとすれば、我々は、彼らがその魚をヨーロッパへ売るのを助けるでしょう。もし彼らがアフリカで魚を捕っているのであれば、我々は、その魚をアメリカやその他の国で売るのを助けるでしょう。魚は世界中の海のみならず、川や湖などにもいます。だから我々は魚を捕ったり、養殖したり、加工したり、それを売ったりするあらゆる方法を見つけなければなりません。先生は、魚を捕ると同時に、魚を加工することもできる船を造ることについて考えました。我々がアラバマ船を最初に造り始めた時、その近くにある造船所は次から次へと閉鎖されていきました。だから、造船会社を造るには時期が非常に悪い、と誰もが言いました。そのくらい漁業が衰退していたのです。なぜアメリカ人はそんに魚が嫌いなのでしょうか。それは彼らが、魚というものがどんなに良いものであるか、それをどのようにして料理し、味わうかということを知らないからです。我々は彼らにそのことを教えなければなりません。

彼らはまた、魚を捕る生活様式がどんなに良いものか知らないでいます。だから我々は、若者を海に連れていって、いかにしてマグロを釣るかを教えなければなりません。そうすれば若者達はその精神を得るでしょう。そして彼らは、そのような生活をしたいと望むようになるでしょう。先生はそのことを何年も前に考えました。そして皆さに話しているのです。いつの日か、人々はレバレンド・ムーンを見て、「レバレンド・ムーンは本当に良い人である」と言うようになるでしょう。

皆さんが何かの基盤を造っている時には、人々は皆さんが何をしているのか理解できないものです。皆さんがその仕事を成し遂げた後になって、ようやく人々は、皆さんの目的と動機を理解するものです。だから迫害は自然現象なのです。迫害は起こらなければならないのです。多くの人々は迫害ゆえに逃げ出しました。しかし、先生はそれについてすべて知っています。先生の全生涯は、迫害の中で過ごしてきました。先生がダンベリーに行くことによって、何が起こりましたか。先生は四年間分の仕事と努力を失いました。四年間が完全に失われたのです。だから先生の関心は、いかにして復帰をより早く進ませるかです。先生はそれがいつまでもだらだらと続くことを望みません。いかに早くするか、それが先生がダンベリーで過ごしている間、ずっと心に留めておいたことです。先生は、いかにしてアメリカにおいての仕事を早く進めることができるか考えたのです。

アメリカ西海岸にはいくつかの都市があります。アラスカを中心として、シアトルとサンフランシスコは北アメリカの摂理に属し、ロスアンゼルスとサンディェゴは、南アメリカの摂理に属しています。そのことを考えてみなさい。我々は多くの種類の基盤を持っています。そして、南アメリカにも基盤を造らなければなりません。それらの国にもまた将来があります。我々は、世界的な漁業のための基盤造るのを手助けしなければなりません。

北極から南極までずっとです。南アメリカには、チリとアルゼンチンがあります。それらは南極に連結しています。誰も南極を所有している者はいません。いつの日か、我々はそこに行くべきです。皆さんはそのことを考えるべきです。我々は北極から南極までの間のすべての国々を連結しなければなりません。皆さんはそのことを考えなければなりません。今から皆さんはそれを打ち立てるために働くのです。

皆さんは何を愛するつもりですか。何ですか。(魚です)。そうです。魚をもっともっと愛さなければなりません。我々は、いかにして最も良い方法で魚を養殖し、最も費用のかからない方法で魚を加工し、生産するか研究しなければなりません。もし我々が魚を日本に送れば、日本人は高い技術水準を持っていますから、非常に綿密にその魚を観察することでしょう。

最初、人々は皆さんを迫害するでしょう。しかし、ただ仕事を続けなさい。アメリカと日本はお互いを必要としています。両者は将来の運命を共にしているのです。だから、日本人とアメリカ人のメンバーのマッチングが多く見られるのです。お互いの文化から、それぞれお互いを益するものがあります。日本人の妻を持ったアメリカ人の兄弟は、日本のどこへでも行くことができます。妻が自分の夫を紹介すれば、彼は日本人に信頼されるでしょう。彼らはその男性に何らかの因縁を感じるでしょう。

アメリカはレバレンド・ムーンを必要としないと感じています。しかし、アメリカは世界から孤立することはできません。日本とアメリカは、お互いよを必要としています。だから、このような結婚をして、文化を一つにするということは良いことなのです。そのようなことから誰もが益を受けるのです。皆さんはこのような国際結婚の一部であるがゆえに、世界において特別の位置を占めています。これは未来の希望なのです。皆さん、いかがですか。皆さんは海に対して、また漁業に対して関心を持っていますか。これまで、いかに世界を一つに結び付けることができるか考えたことがありますか。海の摂理はなんとすばらしいことでしょう。海へ行って魚を捕まえ、それから加工して、それを売るということを悪く考えてはいけません。海は将来の我々の基盤であり、我々は何らかの方法でこの海の摂理に参加するようになるのです。

我々はこの基盤を、全世界のために築かなければなりません。これが人々と国家を一つにする、最も早い方法です。先生はこれをいかになすことができるかといつも考えていました。だから先生は海に基盤を造っているのです。我々がこの基盤を造れば、将来に対する我々の方向性は真直ぐなものとなるでしょう。

いかなる基盤を我々が築こうとも、その背後には霊界があるのです。皆さんはそれについて余り分からないかもしれませんが、それは事実です。我々のメンバーの中には命をかけて共産国の中で働いている者達がいます。しかし、彼らはそこにおける将来のために基盤を造っているのです。彼らを守るものは何ですか。CIAも彼らを守ってはくれません。それは確かなことです。何か他のものが彼らを守っているのです。それが霊界です。それらのメンバーのことは、いつも先生の頭の中にあります。皆さんは彼らについて考えないでしょうが、先生は世界中の統一運動の指導者なのです。だから先生の心はいつも、そういうことについて考えているのです。

この地上世界は、非常に狭い場所です。霊界は広くて際限がありません。それゆえに、皆さんが建設の基礎を造りながら地下で働いている時に、皆さんの仕事がどれだけ広くなるかについて考えなさい。なぜそうなのですか。それは皆さんの仕事の背後に霊界があるからです。このようなわけで、先生は迫害のまっただ中、誰も先生を歓迎せず、皆が先生を排除しようと一生懸命になっている時に、この国中の海の基盤を築いたのです。だから皆さん、今から一生懸命働いて、将来においてその結果を見たいと思いませんか。先生は、皆さんがそのことを全然知らない間に、これだけのことをしたのです。

今から皆さんは「フィッシュ・セーリング・ファーザー」になることができます。それは誰のことですか。それはムーニーのことです。サンフランシスコに責任を持つのは誰ですか。その人は誰ですか。皆さんはこの新しい基盤を造らなければなりません。皆さんは海が好きではありません。先生はそれを知っています。皆さんは魚を釣ることができません。しかし、皆さんはどうやって魚を釣るか学ばなければなりません。先生が来る時はいつでも、皆さんは先生と共に海に出て行く準備ができていなければなりません。先生がここへ来てから既に二日になるけれど、何も用意されていません。ロサンゼルスの責任者は誰ですか。皆さんも同じようなことをしなければなりません。「フィッシュ・セーリング・マザー」はムーニーの姉妹です。また「フィッシュ・セーリング・ファーザーズ」はムーニーの男達です。

これが基盤なのです。一度にこの基盤を造ったならば、将来は大きなものとなります。既に先生は、過去十年間に皆さんのためにこの基盤を用意しました。我々は非常に多くの人材とお金を投入してきました。そして、たいした見返りもなしにそうして来たのです。しかし、何か大きなもののための基盤を築いている時には、それは覚悟しなければなりません。

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海は将来のための我々の基盤

サンフランシスコのここへ来てから、先生はこの家で非常に多くの御馳走を出されているので、全部食べるのが大変でした。刑務所では、食べる時になると食べたいと思わなくても食べなければなりませんでした。そこにいる者はそこのスケジュールに従わさせられます。ところが、ここサンフランシスコでは、一日のいつでも食べ物が出されました。

いずれにしても、これまで先生の話を聞いて、皆さんはどんな印象を持ちましたか。先生がそれでもなお、統一教会のメンバーを愛していると思いますか。多分そうではないでしょう。先生はこの「多分(maybe)という言葉は、刑務所にいる時に非常に役に立つということが分かりました。「はい(Yes)」言いたい時も「多分」と言いました。また「いいえ(No)」と言いたい時にも「多分」と言いました。これは非常に便利な言葉です。刑務所にいる間、先生は刑務所の制度を詳しく研究しましたが、とてもその制度を尊敬することができませんでした。それを注意深く見た後に、先生はその制度は本当の目的には役立っていないと結論しました。なぜならば、その制度は大変多くの時間を浪費し、受刑者の間に、政府に対する復讐の思いを起こさせているだけだからです。そのようなことでは良くありません。

受刑者の中の多くの人達が、外へ出る時に、先生に電話したり先生を訪ねることを望みました。彼らの多くが、そうしても良いかと先生に訪ねてきました。先生は「イエス」ということはできませんでした。なぜなら、彼らは先生の生活とか仕事をそれほど良く理解していないからです。しかしまた「ノー」と言うこともできませんでした。なぜならば、彼らの心を傷つけたくなかったからです。そこで先生は「メイビー」と言わざるを得ませんでした。なぜ先生がそうしたか、皆さんは分かるでしょう。しかし皆さんに対しては、そのような「メイビー」と言うことはありません。先生は「メイビー」という言葉は好きではありません。また皆さんも、そのような言葉を好きであってはなりません。我々の生活においては「イエス」、または「ノー」であるべきです。我々は明確でなければなりません。だから皆さんは「イエス」という人間であるか、あるいは「ノー」という人間であるかの、どちからでなければならないということを理解しましたね。「メイビ」という人間であってはいけないのです。

皆さんに会うことは本当に良いことです。しかし、ここは段々寒くなってきました。場所を変えませんか。ここにいると少し寒すぎるから中に入りましょう。皆さんはここに先生と共にいます。では一緒にべることも良いことだと思います。しかも先生は生の魚、寿司を食べるつもりです。皆さんは寿司を食べたくないでしょう。ちょっと聞きますが、皆さんは寿司や生の魚を食べますか、それとも売りますか。我々の運動の中では、今やオーシャン・チャーチというのがありますね。我々がそのプロジェクトを始めたのはいつですか。もうすぐ五年になります。皆さん、統一食口達がどの仕事を一番好まないか知っていますか。妻達は夫達に対して「オーシャン・チャーチへは行ってはいけませんよ。そこの人達は寿司を食べなければいけないし、私はそれが好きではないからです」と言います。先生は、そんなことを言う女達は好きではありません。

皆さんはオーシャン・チャーチの基盤がどのようにして造られたかを知っていますか。先生がその基盤を造ったのです。先生はそれを自分でしなければなりませんでした。最初のうちは、先生は全く一人でした。今は、我々は海老やロブスター、ハリバットを捕まえています。多くのアメリカ人がそのようなシー・フードを好んでいます。先生はそれを知っていましたから、先生が一人であらゆることを開拓し、開発したのです。それから食口達を説得しなければなりませんでした。先生は多くの食口達が過去五年間の内に、オーシャン・チャーチから逃げ出すのを目撃しました。しかし、先生はそれを続けたのです。今や我々は、カナダでロブスターの養殖をしており、またアラスカでもフィッシングをしており、アラバマでも海老を捕っています。東海岸でも漁業を発展させています。誰もこの仕事をしたいと思った者はいませんでした。こういう仕事は、誰も好きではありませんでした。この基盤を造るため大 たった一人で先生は働きました。

アラスカには自動的に魚を加工するシステムを持っています。このようなシステムがなかったならば、それを経営するには余りにもお金がかかり過ぎたでしょう。先生はそのための計画を立てなければなりませんでした。工場をどのような段取りにするかの設計もしなければなりませんでした。最初のうちは、誰もそれに興味を持ちませんでした。先生は、どれくらいの魚を一度に取り扱うことができるかを考えなければなりませんでした。そしてあらゆる細かいことを考えなければなりませんでした。自動制御システムを設立するために、我々は大きな赤字を出しました。しかしそのような投資をすれば、いつの日か、事業に成功するであろうということを先生は知っていました。

シアトルでは、我々はどんな種類の魚からでも、擦り身を作ることのできる工場を造らなければなりません。そのような種類の工場があれば、どんな種類のシー・フードも作ることができます。そういう種類の基盤は非常に重要です。最初のうち、先生はこのプロジェクトに自分自身で取り組まねばなりませんでした。今や、皆さんはこのことを理解するようになり、それを相続することができます。だから先生は、皆さんに両方の手で生きた魚をつかみなさいと言っているのです。それは、皆さんか熱意をもってその摂理をつかむということです。そのことに心を興奮させなさい。なぜならば、それは味もとても良いし、健康にもとても良いからです。

それは本当です。動物の肉は、いつも食べる物としては必ずしも最善のものではありません。医者達がこの点を証明しつつあります。彼らは人々にもっと魚を食べるようにと言っています。健康のためにアメリカ人はもっと魚を食べるべきです。そういう理由で、我々は日本レストランを作り、また新鮮な魚を配達する制度を作らなければなりません。ムーニーがこういう仕事をしていることに、多くの人は腹を立てるかもしれません。しかし我々はこのような努力によって、漁業を救いつつあるのです。彼らもそれを理解するようになるでしょう。

皆さん、グロースターについて知っていますね。先生が初めてそこに行った時には、マグロの値段は一ポンド当たり十セント以下でした。今やマグロは一ポンド四ドル五十セント以上です。先生がそれに参入した時、マグロの買い付けをしている人々は先生に反対する声を上げました。しかし先生は気にしませんでした。それは良いことだからです。先生も自分の声を高くして、そういう仲買人が漁師を搾取しているということを言いました。それは本当なのです。そこで漁師達は先生の本当の動機を理解し始めたのです。

その後しばらくして、先生がニュー・ホープ号に乗って出かけると、無線を通して「レバレンド・ムーン、私はあなたが嫌いではありません。良い一日でありますように」と呼びかけてくるのを何度も聞きました。それは本当です。漁師達は余り多くのお金を稼いではいないのです。彼らは惨めな立場にいます。海に出ていく費用について考えてみてください。海の町は惨めな状況にあります。なぜですか。それは若者達がそういう町から逃げてしまって、内陸へ移動しているからです。彼らは海で仕事をしても、余りお金を稼ぐことができないのです。彼らも一度やってみたかもしれませんが、海に出かけていって、嵐に巻き込まれたりしました。それは惨めな経験であり、多くの人々はそういうことは繰り返したくないのです。特に彼らにとって益となることがない場合にはなおさらです。若者達はそういう町を離れて、もっと容易な仕事を陸地で探そうとしています。青年は将来を象徴します。それは単純なことです。これらの海の町にとってみれば、そこの人々はいずれは衰退し滅びるであろうということです。彼らにとって、それは深刻な問題です。先生はこのことを考え、どうしたら若者をこれらの町に引き戻し、海の生活に引き戻すことができるかということを考えました。これが先生がマグロ釣りを選んだ理由です。アメリカの若者がマグロを釣る経験を持てば、彼はその時の経験を決して忘れないでしょう。一度、二度とそのような経験を持てば、もはや若者は海から逃れることができません。海におけるそのような経験に心を奪われてしまいます。だから先生は、若者に夏中海に出かけてもらいたいのです。そして彼らに、こういうすばらしい経験をしてもらいたいと思うのです。先生はすべての多くの漁業の町を訪ねてみました。漁師達は自分の捕まえた魚について自慢するのが好きです。彼らはお互いに「自分はこんな種類のストライプバスを捕まえて、それはこれ位の重さがあったのだ。自分がハリバットを捕まえて、これのために二十分間も戦った。それはこれ位の重さがあったんだ」ということをお互いに話します。彼らはお互いに話して非常にやかましいのです。

しかし、そういう所へある若者歩いていって、自分の捕まえたブルー・フィンのマグロの写真を見せ、静かに「これはたった千ポンドの重さでした」と言ったとすれば、彼らは気違いのようになります。彼らはそれを信じないでしょう。彼らはその若者の口を開けて見て、「本当かな」と思うでしょう。若者はこういう瞬間の誇りというものを持ちたいでしょう。先生は若者がこういう種類の誇りを感じてほしいと思います。

多くの漁師は、彼らが魚を釣る場所を他の誰にも決して言いません。しかしそのようなマグロを釣った後に、皆さんが一緒に漁をしようと彼らを招待すれば、彼らはやってくるでしょう。そうすれば、彼らは皆さんに彼らの漁をす場所を見せて、そしてどうやって異なった種類の魚を釣るかを教えたいと思うでしょう。そうでしょう。もちろん、そうです。人々はそういうものです。もし、皆さんが美しい船を持っていて、彼らに一緒に漁をしようと招待すれば、彼らは皆さんの友達となるでしょう。小さな町でもし皆さんがワン・ホープ号のような美しい船を持っていて、人々に皆さんがそれを造るのを手伝ったんだと言えば、彼らは皆さんを自動的に尊敬するようになるでしょう。皆さんはワン・ホープ号についてはそれほど知らないかもしれませんが、それを見れば、それがいかなる種類の船であるかが分かるでしょう。先生はいろいろな異なった種類の魚釣りをしました。そしていろいろな異なった漁場を研究しました。それから、先生の頭はそれほど悪くありません。実際、先生はかなり頭の良い人間です。先生はこんな細かいことが分かり、それを連結することができます。

そのような考えで、先生はワン・ホープ号を開発し、設計しました。この西海岸にいるメンバーの皆さんは、ワン・ホープ号を見たことがありますか。皆さんの多くはまだ見たことがないのですね。それでは皆さんは都会の子供ではなくて、田舎の子供のようなものです。皆さんは現在起こっていることを何も知らないからです。皆さんはそのことを見つけて、他のメンバーに追い付かなければなりません。

先生はその船を設計し、その船の経験からどんな種類の船も造ることができます。先生はもっともっと大きな船を設計する方法を学びました。だから今や、先生にとって問題になるような船は一つもありません。我々はいかなる種類の船も造ることができます。ということは、またいかなる種類の魚をも釣ることができるということです。我々はこうでなければなりません。もし我々がいかなる種類の魚でも釣ることができるとすれば、我々はどんな魚でも売ることができるということです。ニューヨーク市には、巨大で有名な卸売りの組織があり、そこでは世界中の魚を売っています。ここに来た日本のメンバー達の多くが非常に一生懸命働きました。彼らは誰のためにそんなに一生懸命働いたのでしょうか。彼らはアメリカのために、そして皆さんのために一生懸命働いたのです。この国が彼らを迫害し、ムーニーを迫害するというのは悲しいことです。皆さんはそれについて心の中で深く感じなければなりません。さもなければ、誰がこのような状況を変えるのですか。

先生は皆さんがどういう状況を通過しているか良く知っています。皆さんは先生が持っているような責任は持っていません。先生は統一教会の指導者であり、先生の関心は皆さんのための基盤をいかに造るかということです。いわば、先生は皆さんが住む家を準備するために、地下に下りていっているようなものです。

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皆さんが将来どうなるかは、皆さんが今何をするかによって決定されます。皆さんはいつも韓国の指導者達と争いますか。皆さんは彼らの言うことを聞きたくないでしょう。彼らはそのような地位に値する何をしたのでしょうか。それは蕩減の法則なのです。彼らは建物の柱のようなものです。一度何かの建設を建てれば、その柱を取り替えはしないものです。皆さんもまたこの建物の柱となるでしょう。なぜならば、我々は発展しているからです。皆さんは柱としてはより小さな柱であるかもしれません。それにもかかわらず、皆さんはそのような立場に立つのです。そうなった時には先生は皆さんを引き抜いて、それを取り替えることはしません。だから皆さんは、そのための準備を今しているのです。

これが本当となるかどうか、皆さん待って見ていない。ハーバード大学やプリンストン、エールやスタンフォード大学、その他の大学の学生が、この運動に入ってくるようになるでしょう。それは絶対に間違いありません。教授達も既に入ってきています。だから学生達もいずれ従うことは確かです。

教授達は先生が主張していることを理解し尊敬しています。

皆さんがプライドを持っているとしたら、それは忘れてしまいなさい。我々の教会のメンバーの中には非常に醜い者がいて、皆さんか暗闇で見る時に恐れるような怪物すらも彼らを恐れるようなそんな人もいます。しかし、それでも先生は彼らを愛します。なぜなら彼らは蕩減の法則の中を生きて来たからです。これがムーニーについての大きな秘密なのです。先生の言葉が皆さんにとってどんなに厳しいものであっても、皆さんは構わないでしょう。なぜならば、それによって皆さんが高められるということを知っているからです。

皆さんは既に、今後四カ月の間に、我々はどういうことをしようとしているかについて聞きましたね。先生は三万名のメンバーを獲得するという目標について皆さんに説明しました。しかし今や摂理の時が変化しました。我々は七万名の牧師を教育しなければなりません。もし我々がこの目標を期限までに満たせないとすれば、我々は困難な状況に陥ります。そのような短い期間に、いかにして、そのように多くの牧師を教育することができるでしょうか。我々は宗教の自由のキャンペーンを通して、我々を支持するようになったり、我々について学ぶようになった七千名の牧師をこの運動に引き入れなければなりません。そして彼らを動機付けすれば、それぞれの牧師がさらに十名を連れて来ることができるようになるのです。

これらの牧師達は我々について良いことを聞き、少なくとも我々が悪い人間でなく、何も悪いことがないことを知っています。だから彼らは少なくとも、我々の言うことに耳を傾けることができます。彼らが動き、彼らがこのアメリカの国を目覚めさせるために我々を助け始めるということは、アメリカにとって偉大なニュースとなるでしょう。彼らが旗を掲げて一般大衆叫ぶようになる時、この国は再び上昇するようになるでしょう。

我々にとってこのことは、これからの四カ月間、今以上の努力をしなければならないということです。これらの牧師に対して、アメリカにおける彼らの歴史的役割について教育するために、毎日毎日働かなければなりません。我々がそのようにしてアメリカを動かし、それによって神様が再びこの国を通して働きたいと願うようになるだろうということを確信できる、はっきりした根拠を持っています。皆さんの立場を先生の立場と比較して見ましょう。先生は十三カ月の間ダンベリーの刑務所で一生懸命働きました。そしてその間も、毎日のように様々な指導者と会見しました。今日まで、先生以上の難しい生涯を送って来た人がいるでしょうか。先生は皆さんが、毎日毎晩働いていることを知っています。それでも先生は、この国の全体の方向性、また世界全体の方向性について考えなければならないのです。だから先生はこうした考えから離れることはできないのです。

先生がダンベリーへ行く前は、一人の牧師が統一教会に来て少しでも統一原理を学びたいという関心を示せば、メンバーは大いに喜んだものです。しかし今や、非常に多くの牧師達が統一教会にやって来て、統一神学を聞き、それを理解しようとしているので、そのような会議のスタッフの人数が足りないくらいです。そういうことが既に起こっているのです。大きな変化がありました。そのような変化はどこから来たのでしょうか。
 先生はアメリカで十二年、ほぼ十三年間働いてきました。先生は成功しなかったように見えるでしょうか。ある日突然、それが全く反対であることが分かりました。そのことをこういう具合に考えてみなさい。これは皆さん自身の国です。皆さんはこの国の言葉や習慣を用いります。先生は言葉も知らずにここへ来なければなりませんでした。そしてアメリカの人々は、そのほとんどが敵となるくらいに先生を迫害しました。誰がこの国のために、それほど一生懸命働く必要があるのでしょうか。皆さんこそ一生懸命働くべきです。なぜなら、これは皆さんの国だからです。蕩減の法則は単純なものです。最も一生懸命働く者が、最も大きな報いを得るのです。先生は皆さんにそのような 報いを得てもらいたいと思うのです。つまり、皆さん自身の国から認められるようになってほしいと思うのです。

これまで二時間かかって、蕩減について説明しました。ですから皆さんは、蕩減ということがいかに偉大なものであるかということが分かりました。それは勝利のための保証です。だから皆さんは、先生が皆さんに対してなさなければならないことが何か分かりましたね。もう一つ法則規則があって、これを守るのは簡単なものです。例えば、皆さんが人間の体を見れば、硬い骨と柔らかい肉の両方があることが分かるでしょう。ある意味でそれは硬いものと柔らかいもの、強いものと弱いものとの関係ですね。そうでしょう。もし皆さんが強い性格を持っていれば、体は弱いかもしれません。他方、皆さんの体が強ければ、それほど強い性格を持っていないかもしれません。そして、むしろ柔らかいか、おとなしい性格を持っているかもしれません。

それと同じようにアメリカは強大な国であり、非常に大きな国です。しかしアメリカの性格は幾分弱いのです。アメリカ人は自分の国に対してそれほど愛国的ではありません。自分自身の国を守ろうとする熱意がそれほど強くありません。しかし韓国では非常に違っています。韓国は弱い国であって、歴史を通して中国や日本によって侵略されました。しかし、国民は深い愛国心によって自分の国に結び付けられています。

このような存在の法則は、皆さんがどこへ行こうとも働いているように見えます。最も多くの苦労や苦しみがある所にはどこでも、最も深い心情と性格が現われるように見えます。国のために、何度も何度も苦しみのどん底を通過し、その中から勝利へ導いてくれる指導者のために最大の努力をなそうという人々が現われるのです。韓国は今、北と南に分裂しています。人々は大国によって囲まれており、それに対して何もすることができません。自分の意思通りにできることは何もありません。人々は他の国がどうするだろうかということを考えなければなりません。彼らは惨めであり、このような状況の下で苦しんでいます。しかし彼らの精神は高く、その決意は非常に強いのです。国は極めて弱いけれども、その内的な性格は極めて強いのです。

先生についても同じことが言えます。全世界が先生に反対してきました。先生はそのすべてに甘じなければなりませんでした。先生は弱い立場に立ってすべてを守り、自分が何度も何度も打たれるままに任せてきました。しかしながら、アメリカに対して共産主義反対の発言をする時、先生の言うことを理解し、受け入れることができなければ人々は立場を失ってしまうでしょう。もし人々が先生が与えようとしている正しい助言を受け入れることができなければ、彼らはいずれ負けるでしょう。これまで我々は弱い立場に立って迫害を受けて来ました。しかし一度我々が確固たる基盤を獲得すれば、我々は非常に強くなって、真理のために発言し、世界の間違っていることに反対するために発言するようにならなければなりません。我々がそのような認められた中で柔らかくなるのではなくて、より強くならなければならないということがはっきりと理解できますか。先生がダンベリーから出てくるや否や、皆さんは先生の口から何か慰めの言葉を期待したかもしれません。しかし先生は皆さんを追い立て、以前より、もっともっと一生懸命働かせること以外何もしませんでした。

アメリカの学校制度においては、子供をぶつことはできません。しかしここでは、先生は大人でさえも蹴り飛ばしています。皆さん、生き残ることができますか。先生がアメリカの若い大人たちを蹴り飛ばしているからといって、アメリカが先生を追い出すことができるでしょうか。それともアメリカの人達は、先生をアメリカの国内にいさせるでしょうか。もし彼らが先生をアメリカの国内にいさせるとしたら、それは利己的な理由でそうするのでしょうか。そうではなく、彼らにとって先生が必要であることを理解するがゆえにそうするでしょう。皆さんは既にそのことを理解しています。先生は皆さんを必要としませんが、皆さんは先生を必要としています。たとえ先生が皆さんを蹴り飛ばしたとしても、それでも先生を歓迎するという人、手を挙げなさい。先生は皆さんがいなくても仕事をすることができますが、皆さんは先生なくして仕事をすることはできません。先生はダンベリーから出て来たのだから、入る時以上に強烈です。恐らく皆さんは、先生が復讐心を持っているのではないかと思うかもしれません。そういうことはありません。しかし先生は、神様がアメリカに対してどのように感じておられるか知っています。だからそのことを皆さんに与えようと思うのです。皆さんは厳しい取り扱いを受けても構いませんか。(はい、構いません)では今度は先生が「ありがとう」と言う番です。先生は皆さんの約束を受け入れます。だからそれがあれば、実際にはもうあまり話すことはありません。

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先程言ったように、統一運動における最もすばらしい言葉は「真の父母」と「蕩減」ということです。真の父母は皆さんの世話をし、皆さんが必要とする時は皆さんを受け入れ、皆さんが寒い時には着物を着せ、お腹が空いた時には食べ物を与え、落ち込んでいる時には引き上げてくれる、そういう人です。そうでしょう。しかし、もしそれだけであれば、我々の生活はそれほど興奮するものとはならないでしょう。しかし蕩減ということのゆえに、私達の生活はもっと興奮したものとなり、もっと意味深いものになり、もっと喜びに満ちたものとなるのです。真の父母は本来、蕩減生活をいかに送るかを教える人です。そのような生活こそ、先生が自分自身で送ってきた生活です。蕩減のゆえに、先生は一度に一つのことしかしないということは決してありません。そうではなくて、一度に十も百も千ものことをするのです。

政府がやってきて、彼らが調べられるだけ先生の生活を調査するかもしれません。彼らが調査している間に、先生は自分のしていることをもっともっと増やしています。もし、先生についてすべてを知ることを自分達の仕事であるとしたならば、彼らの仕事は決して終わらないでしょう。なぜなら彼らは決して追いつかないからです。これはどこから来ますか。それは先生が苦労したからです。先生が受けなかった取り扱いというものは何もありません。それゆえに多方面な人間になったのです。

我々、迫害されている人間は、自己満足している人間よりも多く考えなければなりません。生き残るために、もっと多くを考えなければなりません。他の人達が安楽に座っている間も、先生は常に考え、より早く動き、そして常に行動してきました。先生は動きながら計画を立てることを学びました。先生は一度にたくさんのことをすることができます。皆さんは先生が能力のある人間だと思いますか、それとも、それほど能力のない人間だと思いますか。アメリカの女性の皆さんに聞いてみましょう。皆さんは先生のような人を夫にしたいと思いますか。

先生は誰に対しても同じような意図をもって話します。教授達に話す時には、彼らにもっともっと仕事をさせるようにしますが、彼らは構いません。先生が彼らに話す時、強い調子で話したとしても、彼らは先生に対して微笑んでいるだけです。そのようにすることで先生が大好きなのです。それは蕩減の原則のゆえです。例えば、韓国において彼らは先生を一から十まで迫害しました。つまり彼らは、あらゆる可能な方法で迫害をしたのです。しかし今日、先生が韓国で話をする時には、彼らは先生の言うことに耳を傾けます。ただ耳を傾けるのみならず、先生が彼らに命令する時のための準備をしているのです。

日本においても同じです。アメリカもまたこのようになるでしょう。心配しなくてもまもなくこのようなことが起こるでしょう。この原理には例外はありません。もしこのようにして勝ち得た成功というものがあるとすれば、先生はそれを成し遂げた数少ない人間の一人です。先生を迫害したことのある誰もが例外なく、一度受け入れたならば、涙を流して悔い改めの心を表しました。栄光の道はただひとつだけです。そしてそれは最大の忍耐を持って越えていかなければならない苦難の道です。

さて先生の計画は何でしょうか。それは皆さんの一人一人を、全く同じ方法で勝利者にするということです。どうですか。それを望みませんか。皆さん、それを好みませんか。韓国人は、たとえ心の中でそうしたいと思っていても「はい、それは望みません」と言うのです。非常に単純です。先生がアメリカでしたいと思うもう一つのことは、この単純な秘密を明らかにすることでした。皆さんは蕩減ということを知っていたので、どんどんと歩んでくることができました。またこのことゆえに、皆さんは勝利を勝ち得るでしょう。

皆さんは、アメリカで他の誰もが知らないことを知っています。それは何ですか。それは蕩減の価値を知っているということです。皆さんは蕩減を払うという秘密を知っています。いつの日か、他の誰もが通ったことの無い道を走らなければならないことを知っていたので、他の人々が彼ら自身の道を走っている間、下がって研究しました。この先生の近くで生活していた人達も、先生が何をしなければいけないかということを知りませんでした。今でさえも、先生がすることが何であれ、同じような状況です。

最近のアメリカの歴史においてこれに対する非常に良い例が一つあります。ニカラグアの情勢は、正しい心を持った人々にはあまりにもはっきりしています。アメリカ議会において、コントラに対して千四百万ドルの援助を送ろうという提案がありました。しかし、その少額の援助すらもアメリカ議会が否決した時、何か重大な問題があり、もしそのような状況が放っておかれたならば、アメリカは困難な状況に陥るだろうということが分かっていました。アメリカ議会はその提案を全く否決しましたが、「ワシントン・タイムズ」はそれに対して強く反対の声を上げました。そのために決議がひっくり返されて、コントラは最初の援助額の二倍の額を得ることができるようになりました。その後、何人かの人達がレバレンド・ムーンはアメリカに滞在すべきであり、彼は世界の他の国へ行くべきではないという電話をかけ始めました。そういう内容の電話が実際に来たのです。

皆さんか世界を見る時に、先生が見るのと同じようには必ずしも見てはいませんが、しかし先生と同じように見ることが必要です。だから先生は、皆さんにもっと教育を受けてもらいたいと思っているのです。皆さんは、真の父母と同じ目で世界を見始めなければなりません。皆さんは、蕩減の原則を通して世界を理解しなければなりません「真の父母」という言葉は、「蕩減」という言葉よりも素敵な響きがあります。しかし、皆さんが真の父母を理解したいと思うならば、皆さんは蕩減ということを理解しなければなりません。もし蕩減というものがなかったならば、先生は今日同じ場所にはいないでしょう。先生が誰であるか、誰も知らないでしょう。皆さんが初めの頃蕩減を好きではなかったことを先生は知っています。しかし、真の永続する成功を収めるには、それ以外の道はないのです。先生が初めてアメリカに来た時、キリスト教の牧師達の先生に対する取り扱いは非常に厳しいものでした。しかし、先生の話を聞きにくるようにキリスト教の牧師達を先生が招待すると、統一教会のメンバーよりも多くの牧師達が姿を現しました。その牧師達は何かを信じていますか。彼らは自分が信仰を持っていさえすれば、天国に行けると信じています。それはほとんど迷信です。それでいて、彼らは何ら別の考えもなく、我々を異端と言っているのです。彼らの考えは子供の世界に住んでいる人々の考えのようなものです。それは本当に皮肉なことです。

先生が刑務所から帰ってきた時に、皆が先生に対して拍手をしました。先生自身の家族も先生を歓迎しましたし、教会の食口すべても先生を歓迎しましたし、多くのキリスト教の牧師達も先生を歓迎しました。彼らは皆、先生が正しいことをしたと言いました。それは先生がただちょっと刑務所から足を踏み出しただけであるということを考えると、それは驚くべきことです。これは歴史的なことです。そしてそれは、ある方法で発展していかなければなりません。皆さんはいかにして歴史を止めることができますか。もはや天においては決定しました。だから、地においてもそれはなされるでしょう。西洋世界が最近の歴史を支配してきたとしても、いずれはレバレンド・ムーンのやり方に従わざるを得ないでしょう。神様が一度何かを決定した以上、西洋世界といえども神様に対してどのように反対できるでしょうか。神様は今やレバレンド・ムーンを応援することを決定したのですから、西洋世界はいかにそれを避けることができるでしょうか。そういうことはできません。ですから、いずれ彼らもこの道に来るでしょう。待って見ていなさい。何千人ものアメリカの青年達が争って統一教会に入るようになるでしょう。

今、我々の路程は惨めです。しかし、彼らはいずれ皆さんを探し求めて来るでしょう。そのことを考えてみてください。ムーニーとしての皆さんの将来の路程はすばらしいものです。国中の人々が「ムーニズム」は良いと騒ぐようになるでしょう。国中の雰囲気が変化しつつあります。そして今やムーニーに対して、良い方向の興奮が起ころうとしています。皆さんはこれからますます上げ潮に乗っていくでしょう。人々がやってきて、皆さんについて尋ね、皆さんがこれからずっとどこへ行こうとしているのかを知りたいと思うでしょう。そして彼らは皆さんの行く所に従って行きたいと思うでしょう。その時、先生には一つ心配なことがあります。人々がやって来る時に、彼らは群れをなしてやって来るでしょう。我々は深刻な競争をすることになります。この人達は皆さんより優れたメンバーであるかもしれません。そのようなことが起こる前に、先生は皆さん一人一人に真の路程を通過したということを意味する印を張り付けたいと思うのです。だから、先生は皆さんに、出かけていって、前以上にもっと一生懸命働いてほしいと願うのです。

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蕩減の価値

このひ弱なアメリカの女達を見なさい。彼女は今や世界を見て、全天宙を抱きかかえることができます。彼女はそれだけの自信を持っているのです。この意味において、アメリカは滅びなければなりません。それは悪い意味においてではなく、良い意味においてです。先生は皆さんについて知っています。統一食口達は十年以上この運動にいたとしても、それでも多くの物を所有してはいません。しかし、皆さんは何百万ドル出しても、お金では決して買うことのできないものを所有するようになっています。皆さんは何でもでき、どこへでも行ける顔つきと性格と自信を持っています。こういうものは、いくらお金を出しても決して買うことのできないものです。

十年以内にこの小さな姉妹は、そのような自信と「ガッツ」を持つようになったので、彼女はどこへ行ってもドアを叩いて、そして自分の心から言わなければならないことを何でも言うことができます。たとえ二億四千万の人々が反対してきたとしても、自分は間違っていないと言うことを知っています。これはたいした人格であり、ある種の偉大さです。それは皆さんの知っている誰かに似ていることです。誰に似ていますか。皆さんは先生がどういう種類の人間であるかを知っています。皆さんは第二のレバレンド・ムーンになりつつあるのです。それは良いことですか、悪いことですか。

なすべきことは非常にたくさんあります。だから先生は、皆さんをもっともっと押し出したいと思っています。皆さんはしばしば「自分はつらい仕事は嫌いだ、自分は中心者が嫌いだ」というようなことを言います。しかし皆さんは、先生のことはどういうわけか好きなのです。しかし、もし先生が皆さんにもっともっと辛い仕事をさせるとしたらどうですか。それでも皆さんは先生を好きですか。今までは伝道に行っても、帰って来る時は頭をうなだれて肩を降ろし、そしてしおれた目をして帰って来ました。人々が皆さんを非常に迫害をするので、皆さんは倒れそうな気持ちがしました。だからそういう皆さんに対して、先生は素敵な言葉で話をしたり、慰めるようなことを話してあげました。しかし、今は時が変わりつつあります。

皆さんが出かけると、多くの人は皆さんを歓迎します。だから、もし皆さんが帰って来た時、先生がまた皆さんを歓迎するとしたら、それは良くありません。皆さんはただそこに立ち止まったままになるでしょう。外からの迫害がなくなり始め、それが途絶える時には、今度は先生が皆さんを迫害する番です。それは本当です。良い指導者というものは、そうするしかありません。先生は皆さんに対して、そのようでなければならないのです。ローマ帝国を見てみなさい。当時ローマ帝国は巨大な帝国で、世界的な影響力を持っていました。しかしどうなったか見てみなさい。彼らは一つのことを忘れました。つまり、彼らの偉大さは世界のためにあるということを忘れたのです。彼らはその偉大さを自分達のものとして保とうと決めました。その時点以降、彼らは衰退し始めたのです。そして最後に彼らは滅びてしまったのです。

もし皆さんがアメリカを見れば、まさに歴史上のローマ帝国と同じ立場にあるということが分かります。神様はこの国に祝福を与えました。この国は普通の国ではありません。ところが不幸なことにアメリカの人々は、それは自分達のためのものだと考えているのです。もしアメリカの人々が、この国の祝福を自分達のためだけに用い続け、世界の他の人々のことを忘れるとすれば、彼らも例外なく滅びるでしょう。第二次大戦以降、もしアメリカに偉大な指導者がいて、人々に対してアメリカの役割は世界のより不幸な国々を助けることであると教えることができたとしたら、今日、世界におけるアメリカの状況は、はるかに異なっていたものとなったことでしょう。一言で言えば、「ヤンキー・ゴー・ホーム」というようなことを言われる国ではなかったでしょう。このスローガンから、アメリカが衰退しつつあることが実感されます。

先生はある国が栄えるか滅びるか、いつそうなるかといった歴史のパターンと秘密を知っています。どうすればこの国が栄えるかということを知っています。ではどのようにして、この国を行くべき方向に行くようにと導くことができるのでしょうか。それは先生が皆さんを導くのと同じような方法です。先生のダンベリーにおける最後の四十三日間に、先生に対する世界の世論は劇的に変化し始めました。しかし、もし先生がそのようなことで皆さんを自己満足させるならば、ローマ帝国と同じ道をたどることになるでしょう。だから今は、この国と世界のために先生が皆さんを追い出さなければならない時なのです。

先生は、皆さんが先生の周りや近くにいたくないと思うほどに追い立てるでしょう。皆さんに対して先生は、ライオンのようになるでしょう。皆さん、それを恐れるのであれば、荷物をまとめて先生の目の届かない所へ行きなさい。他の国のために奉仕しなければならないでしょう。先生は、どうすれば一つの国が栄えるか、また、滅びるかを知っています。これを知っているために、先生はこの国にとって何が良いかが分かっているのです。また、皆さんにとって何が良いかを知っています。他の方法で、どのようにすることができるでしょうか。

万物は回転します。宇宙のすべての法則は、単純にこのようになっているのです。上昇しているものは、また下降しなければなりません。上昇中の人は、しばしばある点まで下がらなければならないことを理解しないことがあります。これが問題であり、危険です。現在の時点において、この国はいずれ先生を歓迎するであろうということを知っています。それゆえに、先生の心はこの国を越えて動いているのです。彼らが先生を歓迎する時には、先生は既に世界の他の所で仕事をしているでしょう。この国が先生を歓迎する時は、先生がこの国を離れる時となるのです。なぜでしょうか。

もし先生がここにいて、彼らの歓迎を楽しみ自己満足するならば、アメリカを助けることはできるかもしれませんが、世界が困難な状態になってしまいます。皆さんは先生を愛して、先生にいつまでも皆さんと共にここにいてほしいと思うかもしれませんが、それは皆さんにとって良いことではありません。皆さんはこの時点で立ち止ってしまうでしょう。だから先生は皆さんにこれだけのことを言うつもりです。「もし皆さんが先生に会いたいのであれば、地球上の一番遠い所へ行きなさい。この地球上の最後の一人が救われるまで、先生と共に最も困難な場所に行きなさい」と。もし皆さんがそれでも先生と共にいたいと思い、先生の行く所はどこにでも行ってそのような仕事をするのであれば、皆さんは決して滅びないでしょう。それがアメリカの人々が繁栄する唯一の道なのです。

多分皆さんは、先生がダンベリーから出て来たら、統一教会をすばらしい環境の所にしてくれるだろうと期待していたかもしれません。しかし、先生は皆さんに対してもっと悪くなりました。皆さん、どう思いますか。それは先生が牢獄にいる間に、強盗とか、そういう悪い人に会ったからですか。先生は彼らの影響を受けて、もっと難しい人間になったのでしょうか。先生が皆さんに言っていることに対してどう思いますか。「自分はお父様がこのような人であるとは決して予想もしなかった」と皆さんは思っていますか。あるいは皆さんは「お父様、どうぞ自分をさらに追い立てて下さい。自分はもっと働きたいと思います」と、自分に言い聞かせていますか。皆さんはここに留まりたいのですか。それとも出ていきたいのですか。

もし皆さんが先生の言葉が好きでないとしても、いずれにしても皆さんを追い立てます。それが嫌な人は自由に出ていったらいいでしょう。それが最も簡単で、最も都合の良い方法です。さて、皆さんはどちらを選びますか。出ていって安易な道を選びますか。それとも留まって困難な道を選びますか。なぜ皆さんは留まりたいと願うのですか。皆さんは気が狂っているに違いありません。しかし、皆さんがなぜ留まりたいと思うかを知っています。皆さんは蕩減という言葉の意味を知っています。皆さんはその蕩減によって、より良い場所に導かれるということを知っているので、困難な道をたどりたいと願っているのです。先生が皆さんにつらいことをさせても、それが皆さんをより良くしてくれるということを知っているので構わないのです。なぜなら、皆さんは、それが三倍も十倍もの蕩減であることを知っています。もし皆さんが先生に追い出されて、そして遠い国へ出かけるとすれば、それが神様の祝福を得る確かな道です。皆さんはそのことを知っているし、先生もそのことを知っています。だから先生は皆さんを追い出すのです。

先生が皆さんを追い出し、最終的に皆さんが戻ってくる時には皆さんを歓迎するでしょう。先生は皆さんのために、たくさんの御馳走を作って、大々的な祝賀会を持つでしょう。そしてその時、先生は皆さんを褒め、皆さんがいかにすばらしいかということを皆に語るでしょう。皆さんの先祖達も皆さんを歓迎し、そしてそれがすべてとなるのです。それが我々の時代となるのです。その時まで、皆さんは蕩減という哲学に従って生きなければなりません。皆さんが今晩なしたことは、「お父様、どうか私を困難な場所へ送ってください。私は実績を持って帰ってくることを約束します」と先生に対して言うことです。

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キリスト教の牧師達は世界で最も貴重な本を持っています。彼らには旧約聖書と新約聖書があります。しかしながら、彼らがどんなに試みたとしても、これらの本に何が書かれているかを本当には理解することはできないのです。彼らはこの二つの聖書を結び付けることはできません。それのみならず、彼らは聖書と今日の世界を結び付けることができないのです。聖書は、多くの家庭において本棚を飾るものとなってしまっていますが、今日の世界の出来事に対しては何らの意味を持っていないのです。多くの知識人にとって、聖書が今日の世界とどのように結び付いているかということは、不思議に思われています。ますます多くの人々が、もはやキリスト教はこの社会で必要な機能を果たすことができないと見ています。このようにして、疑いもなくキリスト教は衰退しつつあります。このような疎外がまさに、キリスト教が今日被っている非常に大変な問題なのです。

一方、統一教会を見てみなさい。我々は生命が展開する原理原則を知っています。我々は神の摂理歴史の公式とその時間表を知っています。このようにして我々はどこから来て、どこへ行かねばならないかをはっきりと知っています。先生がまさに刑務所に行く時、多くの兄弟が泣き叫び、悔い改めました。

しかし先生は彼らに対して、「あなたがたは先生がなぜそこへ行こうとしているのか、知っていますか。またそこから先生が出てくる時に、何が待っているか知っていますか。先生がダンベリーへ行くことの目標や目的を理解していますか」と言いました。先生はダンベリーにいる間にしなければならない、いくつかの重大なことがあるのを知っていました。先生はアメリカの歴史において、どんなに長く続こうとも、消すことのできないことを成し遂げなければならないことを知っていたのです。ダンベリーにおいて、刑務所の係官は、非常にたくさんの有名な人達が先生に会いに来るのを見て驚きました。司法省から来た人もいたし、国務省からも先生の所を訪れて来ました。「どうしてレバレンド・ムーンは、そのような有名な人達を訪問しに来させることができるのか」と、彼らは不思議に思いましたが、いずれにせよ、先生はそうしたのです。

彼らはこう考えました。「ここはアメリカだ、韓国ではない。彼はなぜそうできるのか。なぜこの男がアメリカでそんなに多くの人を導いているのだろう」。我々の運動の中においても、アメリカ人メンバーは同じように考えています。なぜ先生がそのようなことをするのか、なぜアメリカ流にしないのかと不思議に思っています。先生は我々の運動の外にいるアメリカの人々が、どのようなものであるかを正確には知りません。しかし、教会内にいるアメリカ人については良く知っています。だから、彼らのそのような考え方をすぐに把握することができます。先生は皆さんが自分自身を知っている以上に、皆さんについて知っています。それが、統一運動の指導者が皆さんではなく、先生である一つの理由なのです。

十年間で、あらゆることにもかかわらず、先生はアメリカで達成すると言ったことをすべて成し遂げました。教会のあるメンバー達は、「自分は統一教会に十年いるのに、人に見せることのできる新しいドレスさえ持っていない。家庭もなければ、自分の将来はどうなるのだろう」と考えています。皆さんは心の中でそのような不平を言っているかもしれません。過去においてそのような不平を言ったことはありませんか。もし十年後に先生が皆さんに対して、もう一度万物復帰を始めなさいと命令したら皆さんはどうしますか。これから我々は、過去よりももっと入念なる組織を持たなければなりません。皆さんは外に出かける時には泣くかもしれませんが、しかしそれでも出て行かねばならないでしょう。先生はそういうことを決めるかもしれません。皆さんの状況は、大変難しいものであることを先生は良く知っています。それで皆さんは、先生が不思議な人間であるというふうに感じているのです。

先生は皆さんをそれほど一生懸命働かせてはいません。実際、霊界にいる皆さんの先祖達は、この国のために皆さん以上に一生懸命働きました。彼らは皆さんを押し出しています。青い目を持った皆さん、アメリカ人達は霊界については良く知らずにいます。東洋人は小さな目をしています。ということは、彼らの方が霊界をより良く見ることができるということです。大きな目を持った西洋の人達は、外的な世界だけを良く見ることができます。例えば、カメラのレンズが広く開いている時は、ほんの僅かの距離しか見ることができません。しかしもっと小さく絞られれば、より広い範囲を見ることができるのです。先生の目は非常に小さいので、永遠の中を深く見ることができるのです。青というのは深い色ではありません。黒いのは非常に深いのです。先生は黒い目が好きです。その色はアフリカ人の色です。先生はそれが好きです。このことはどうですか。先生は黒い目を持っています。そして先生が、青い目をした教授達に来てくれることを頼むと、彼らは来ます。それと同時に、これらの世界的に有名な青い目の教授達が、先生に来てくださいと頼んだ時、先生は行かないのです。それでも彼らは納得します。なぜでしょう。その理由は、先生が彼らの内外を知っているからであり、彼らは先生のそんなことを知っているからです。

マッチングをするのがどれほど難しいか、皆さんは知っていますか。先生はそれをたった二、三時間の間に何百双もできます。これらのマッチングは非常に良いマッチングです。僅か二、三時間で、先生はどうしてそのようなことができるのでしょうか。皆さん、それができますか。(いいえ)だから皆さんは先生を必要とするのです。それは本当です。西洋人の皆さんは先生が必要ですね。(はい)では、皆さんは先生を必要としていない、全く必要としていないと言いますよ。必要としていない、必要としていない、必要としていない。(いいえ必要としています)では、皆さんが先生を必要としているということにしましょう。アメリカの青年達は興奮することが好きです。皆さんは余りにも興奮することが好きです。なぜ先生はこういうことを話しているのでしょうか。それは、この国の誰も先生が何をしようとしているか理解していないからです。統一教会のメンバーですら、先生のやろうとすることを理解しません。過去十年間、皆さんは先生を理解しませんでした。それは惨めな状況でした。もし皆さんが先生を理解しないとしたら、どうしてアメリカの人々に先生を理解してもらうことを期待できるでしょうか。皆さんだけでなく、先生の家族も先生を決して理解しませんでした。先生自身の兄弟や姉妹達も先生のことを理解しませんでした。彼らも先生に当惑し、反対したのです。

アメリカは偉大な国であるかもしれませんし、アメリカ人も偉大な国民であるかもしれません。しかし皆さんの考えることは、ただ自分の国のことだけです。もしそのように考えるとするならば、どうして皆さんは偉大であることができますか。世界の問題は皆さんにとってそれほど重要ではありません。今日、世界のある国では何百万の人々が飢えに苦しんでいます。皆さん、それが分かりますか。いいえ、皆さんはそれが分からないでしょう。先生がしなければならないことは、この世界のより良い側面を霊界と連結することなのです。そして先生は、先生の目を深い地獄、最も惨めな状況に向けなければなりません。先生はそういうすべての問題を解決しなければならないのです。

外部の世界は先生をインチで測りたいと思っているのですが、先生はマイルでもって、行くのです。その二つの基準が違っています。だから彼らは、先生が何をしているのか、なぜしているのか分からないのです。しかし先生は深い責任を持っています。先生は彼らに分かる言葉で、責任を取ることのできる人々を教えなければなりません。クリスチャンに対して何をなすべきか、教えなければなりません。地獄の深い所にいる人にも、何をなさなければならないかを教えなければなりません。それから、彼らの理解できる言葉で教えなければなりません。これは非常に複雑なことなのです。

このことの良い例はアメリカの女性です。アメリカの女性達は最も尊敬される立場に立ちたいと思っています。しかし先生は彼女達を一番低い地獄の所に置いて、そこから働かせようとしなければなりません。そこまで落ちた時、彼女達はそれでもなお生き残ることができるのだということを発見します。彼女達は、そのような惨めな場所で生活しなければいけないとは、想像したこともありませんでした。しかし、それでもなお彼女達は以前と同じ人間なのです。

それだけでなく、先生は人々を一つの極からもう一つの極へと動かさなければなりません。これはつまり、東洋人ははるばると西洋へ来なければならないし、西洋人はまた東洋へ行かなければならないということです。先生は両極端の人々を一つにしなければならないのです。先生が人々にこのようにする時に、彼らは死ぬことはできません。生き続けなければなりません。そうすれば、彼らは本当に生き続けるということを見いだすでしょう。彼らの目は成長し始め、そして彼らの人生に対する見方も変わり、より大きくなります。このようにして、たとえ彼らがそれまでずっと、抵抗していたとしても、彼らは人間としてより良くなっていくのです。

以前、彼らができることといったら、前を真っすぐ見ることだけでした。彼らは上や下、そして右や左を見ることはできませんでした。しかし、今や彼らの目はどの方向でも見ることができます。彼らはあらゆる方向を見渡すことができ、自分達の周りの世界をすべて見ることができます。以前はアメリカ人はアメリカしか見ることができませんでした。しかし今や彼らは世界を見て、そして世界は非常に小さくなってしまったので、彼らは自分の後ポケットに入れてしまいたいくらいだということに気がついています。皆さん、これは一つの進歩だと思いませんか。

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蕩減による統一

一九七五年と一九七六年に先生がアメリカに来て、ベリー・タウンに神学校を設立し、百二十カ国に海外宣教師を送った時は、アメリカの国と全世界が反対してきた時でした。先生はこれらの宣教師のチームを三つの国民、すなわち皆さんも覚えているように、アメリカ人、ドイツ人、日本人からひとりずつ選びました。そうした理由は、彼らが第二次世界大戦ではお互いに戦った国を代表しているからです。なぜ先生はこのようなチームを作ったのでしょうか。それは一世代前には、彼らは敵だったからです。

それをこのように見てみなさい。日本人は小さいですが「出ていく人達」です。アメリカ人は背が高くて、普通やせています。彼らはバッタやキリギリスのように飛び回って、人生において都合の良いことだけを探しています。彼らは「幸せになりたい」とか「幸運でありたい」といったタイプの人達です。ドイツ人は、機械やロボットのごとく綿密な人達です。このような三種類の人達が一つのチームに組織され、そして外国へ送られ、彼らは心の満足がいくまで戦いました。それで人々は、なぜ先生がもっとお互いに調和できるような組み合わせを選ばなかったのか、と不思議に思いました。教会内で多くの人々、多くのリーダーやメンバー達にはそれが疑問でした。しかし、これらの国が代表している三つの点を見ることができました。この使命で行った日本のメンバー達は、自分がその中で最も古いメンバーであることを誇っていました。言い換えれば、彼らは先輩だったのです。日本の文化では先輩であることがいつも大変重要な点なのです。

一方、アメリカは世界の一等国です。誰しもアメリカ人を軽んずることはできません。そしてアメリカ人はそのことを主張します。しかしドイツ人はアメリカ人を尊敬しません。なぜなら、ドイツ人はアメリカ人よりも優れた技術を持ち、物事を達成することにおいても組織的だからです。それで、その三人のメンバー達が一つのチームを作りましたが、そのような背景ゆえにお互いに譲り合おうとしませんでした。そのため我々は外部からの圧力や迫害の問題だけではなく、このチーム内部にも問題を持ったのです。実際的には内的な不一致が最大の問題でした。それではなぜ、これら三カ国からなる代表を送ろうとしたのでしょうか。皆さんはその答えを知っていますね。先生はそれを蕩減という目的のためにしたのです。蕩減が我々の仕事の上ではカギであるがゆえに、そのようなチームを一つとしなければならなかったのです。

第一に、誰もが同じ言葉を話せないので極めて困難でした。それについて考えれば、人生は極めて興味深く、波乱に満ちたものとなります。もし誰かが「夕食にしましょう」と言いたいとしても、それを簡単な言葉で言うことができません。だからそれを身振りを使った言葉でしなければなりません。もし皆さんが神の前で調和するのであれば、それは最も尊い、素敵な生活様式となります。それのみならず、この三人の誰もが彼らが送られた国の言葉を話せませんでした。この三人が同じ言葉も話せず、一緒に住むようにここへ来て、さらに現地の言葉も話せない状態を想像してみてください。その土地の人々は、彼らがその国で何をしているのかと不思議に思ったに違いありません。

どの国でも同じような経験をしました。それから、ある国においてはお互いに話し始めました。彼らは「あなたの国においてはどうですか。統一教会はあなたの国の言葉を話せる人を送りましたか」と尋ねました。それに対して「いいえ、お互いに話し合うことも、土地の人達と話し合うこともできない三人の人達を送ってきました。しかし彼らはここにいます」と答えざるを得ませんでした。

各国はこの奇妙な宣教師のことを調査したいと思いました。しかし誰もが他の者が言っていることを理解できませんでした。ある国においては、それぞれの国の大使館に連れて行って通訳を頼みました。このようにしてそれぞれの国は、その国における我々の教会のことを調査したのです。彼らは三つの違った大使館に行かなければなりませんでした。しかしある小さな国においては、大使館は通訳を出すことができませんでした。それで調査することが全く難しくなりました。大使館の多くは統一教会を支持していませんでしたが、それで彼らの国の国民を守りました。ドイツの大使館はドイツの国民を守り、日本の大使館は日本の国民を守りました。このようにして、異った国において関係を結ぶことができたのです。

今、先生はなぜそのようなチームを送り出したかについての秘密を明らかにしたいと思います。このようなメンバーをこうした形で送れば、このような宣教師に対して注目が集まるだろうということを知っていました。統一教会を好きな人が誰もいないがゆえに、彼らを国から追い出そうとするでしょう。それぞれの国が統一教会を調査しようとしましたが、そうするためには、宣教師の来た国の人を通訳として話さなければなりませんでした。各大使館は自分自身の国の誇りがあり、自国の国民を迫害させることを望みませんでした。少なくとも外国の土地においてはです。世界がこれらの宣教師に反対しようとし、彼らを駆り立てようとしました。大使館は、少なくとも自分の国民を守りたいと思っていたので、そのような迫害に対して何らかの抵抗をしました。皆さんはこれは愚かな戦略と思いますか。それとも、迫害の時代であると考えれば、これは最善の戦略であったと思いますか。百カ国以上の国に我々の運動に対する迫害があった時、そのようにして種をまかざるを得なかったのです。発展途上国は何が起こっているかを知りません。彼らは先進国の言うことをただ受け入れるだけです。

いずれにしても、先生は極めて真剣に基盤を造らなければなりませんでした。当時、先進国は先生に対して反対していました。しかし先生は開発途上国に対して宣教師を送り、究極的には先進国を抱きかかえることができるようにと願ったのです。今日、文鮮明という名前を知らない先進国がありますか。今では日常の名前となっていますね。

過去の十年間において、先進国は先生に対して反対してきましたが、第三世界の多くに強固な基盤を築いたのです。これらの国々の多くは、アメリカが自分達の国に影響を及ぼしてほしくないと思っています。彼らは「ヤンキー・ゴー・ホーム」という旗を掲げています。だから、我々は新しい運動を始めて、それに影響を与えることができるでしょう。アメリカや日本といった先進国では、先生に対して賛否両論のいろいろな動きがありますが、それと同時に、他の多くの国々では我々の基盤は成長しつつあります。

アメリカ政府は持てるものすべてをもって反対してきました。しかしながら、その結果は、彼らの希望したものとは反対のものとなりました。何千、何百万という人々はレバレンド・ムーンが悪いとは信じないし、また政府が正しいとは信じません。先生がダンベリーに入っている間、彼らは統一統会に反対していたのですが、キリスト教社会の多くの人達が我々と一体化し、そしてまたキリスト教会の人達同士の間でも一体化しました。

ダンベリーに行っている間、先生はこの国のすべての牧師達に小包を送りました。その中には原理講論と原理を講義したビデオテープが入っていました。我々はこれを三十万部以上送ったのです。これらの牧師達の中には、我々がそういうことをしたので驚いた人もいれば、あるいは腹を立てた人もいました。それにもかかわらず、多くの人達がその本を読むか、あるいはテープを聞くようになりました。我々にはそれだけの能力があることを皆さんは知っていますね。人々は我々に引きつけられ、そして何が我々をそのようにさせているのかを知りたいと思っています。

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真の父母と蕩減
1985年 8月 バークレイ
 一年以上、先生に会ったことがない人、手を挙げなさい。皆さんはどこにいたのですか。サンフランシスコですか。皆さん、不思議な人々ですね。(いいえ)いずれにせよ、皆さんに会えてとても嬉しく思います。皆さんはとても若く、皆さんの顔は、まさに花に例えることができるでしょう。春にさく花です。皆さんはすばらしい顔をしています。そして皆さんの前にいるのは一人の老人です。多分、皆さんは先生を必要としないでしょう。(いいえ)そうです、皆さんは先生を必要としません。(いいえ)

よろしい、では何について話しましょうか。皆さんは生命力のある若者達です。皆さんが先生に話してほしいということがあれば、どんなことでも話をすることができます。実際、先生はそれについていつまでも何カ月でも、話すことができます。先生は楽しいことについても、惨めなことについても、話すことができます。先生は皆が興奮するようなことでも、また犠牲の道で一生懸命働くことについても話すことができます。楽しいことについても悲しいことについても話すことができます。では皆さんは、先生に何について話してほしいと思いますか。(真の愛です)今日は真の愛について話すべきかどうか分かりません。恐らく皆さんの方が、先生に対してそれについて話すべきでしょう。ダンベリーについてはどうでしょうか。それは何か知っていますか。それは何を意味するか知っていますか。それは刑務所です。どのような種類の刑務所ですか。それはアメリカの刑務所です。韓国の刑務所ではありません。なぜ先生はそこへ行かなければならなかったのでしょうか。それはアメリカが、先生を理解しなかったからだと皆さんは言うでしょう。なぜアメリカは先生を理解しなかったのですか。それはアメリカが理解しなかったからではなく、理解しなかったのは皆さんです。メンバーのすべてが理解しなかったのです。先生は一九七八年までに、このアメリカで三万人の人達が教会につながるように計画しました。もし我々がその目標に到達していたら、もっと異なる結果を得ていたでしょう。それだけの数のメンバーがいれば、このアメリカに確固とした基盤を造っていたことでしょう。それがなかったためにアメリカの国民と政府は、我々を低く見たのです。それは誰の過ちでしょうか。アメリカ政府の過ちですか。それともそれは我々の過ちですか。誰の責任であろうと政府は迫害を進めたのです。しかし、皆さんはアメリカ政府に属しているのではないですか。だからもし皆さんが、政府が悪かったと言えば、皆さん全部もまた悪かったということを意味するのです。先生が十三カ月間刑務所にいたという事実は、アメリカの歴史から決して消え去ることはできません。今後、何万年もの間その事実を消し去ることはできません。その裁判の記録はトラック一杯になりますが、アメリカ人が、先生が誰であるかをはっきりと悟る時には、いかにしてこのケースについて説明できるでしょうか。

皆さん自身の心の中でどう感じますか。皆さんは先生が決して刑務所へ行くべきではなかったと感じますか、それとも、先生はそうすることに値したと思いますか。先生は皆さんの顔からどう感じているかを当てることができます。ではどうしてこのようなことが起こったのでしょうか。一つはこういうことです。政府が先生を恐れていたからです。その理由は何もなかったのですが、彼らは恐れていました。なぜ彼らは先生を恐れなければならなかったのでしょうか。先生は怪物のような角を持っていますか。先生はこの世の怪物のような人物を象徴しているのでしょうか。皆さん、先生を見てみなさい。何も特別変わった所はないでしょう。唯一の違いといえば、皆さんが寒い時に長い袖のシャツを着るけれども、先生は短い袖のシャツを着るだけです。先生はサンフランシスコの、この涼しい夕方を気にしません。しかし先生はそれで変わっているわけではありません。

先生の年の人々は、六十を越えれば引退のことを考え始めます。しかし先生にとっては仕事はまだ始まったばかりです。先生はいつでも必要ならば出かけていって、戦う用意ができています。皆さんもまた出ていって、それを行う準備ができていますか。統一教会には他の誰も持っていない、信じられないような二つの言葉があります。それは「真の父母」と「蕩減」という言葉です。これら二つの言葉はすばらしいものです。しかしすべての人達が真の父母が好きなわけではありません。そしてまた、もう一つの言葉である蕩減というのも、またあまり好まれません。それは本当です。特にアメリカにおいてはそうです。そうでしょう。皆さんはそのもう一つの言葉が好きですか。(いいえ)それは結構です。誰もその言葉、蕩減を好きな者はいません。先生自身もその言葉は好きではありません。誰も蕩減は好きではありませんが、我々は自分の面前にその言葉を持って、それに向かって歩まなければなりません。なぜ、そうでしょうか。祝福を受けている人達、手を挙げなさい。おー、たくさんいますね。もしそんなにたくさんいるのであれば、もう褒めるようなことは言うべきでないでしょう。もっと厳しい叱るようなことを言うべきでしょう。それは皆さんが聞く必要のあることだからです。

また先生は、なぜここにいる祝福の女性達の前に立っているのでしょうか。なぜ男性達がこの場所にはいないのでしょうか。先生が最初にここに座った時には、考えてもいなかったことです。先生がアメリカの女性達を好きでないことは、秘密ではありません。それはアメリカの女性達が先生を好きではないからです。そうでしょう。(いいえ)「いいえ」とはどういうことですか。皆さんは、先生が女性に対して民主的ではないし、公平ではないと言って非難します。皆さんはいつも男性を優先すると言って、先生を讒訴します。こういうことで、先生に対して心の中では煮えたぎっているのです。そして今ここに、皆さんの前に先生が座っています。皆さんが知っているように、先生は男性の立場に立っています。だから、先生と一諸になってこのすべての女達を包み込みましょう。しかしそれを力やお金によってなすことができるでしょうか。そうすることはできません。

話を続けましょう。皆さんが知っているように、私の人生は戦いの人生でした。先生は自分の周りにいる人達から、最も多くの非難と讒訴を受けてきました。歴史上、最も悪し様に言われてきた人間であるかもしれません。先生はあらゆることに対して非難され、これに耐えてきました。皆さん、それを想像できないでしょう。先生のこと、レバレンド・ムーンのことで何も悪いことを言わなかった韓国人は一人もいません。そのような種類の人は一人もいません。しかし先生が彼らに対して何ら悪いことをしたことはありませんでした。先生は他の人の物を奪ったり、呪ったりしたことはありません。しかしながら、先生はいつも呪われ、悪く言われてきました。日本人もまた同じです。先生のこと、レバレンド・ムーンのことについて、何か悪いことを言わなかった日本人は一人もいません。特に日本の共産主義者については、特にこれが言えます。彼らは先生の名前をプラカードに書いて、そして二十年以上も先生に対して反対のデモを行ってきました。彼らはいつも先生に対して何の根拠もなく、事実でないひどいことを言い続けました。

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漁業の伝統の復興

一番最初の頃、先生が始めた頃はマグロは一ポンド当たり僅か十セントでした。しかし今や一ポンド当たり四ドル以上となり、さらに一ポンド当たり五ドルとなり、いつの日か、一ポンド当たり十ドルないし二十ドルに到達するでしょう。皆さんはそういう日が来るのを見るでしょう。もし我々がマグロを養殖することができれば、何百人もの漁師がマグロで良い生計を立てることが期待できます。先生はそのようなことが起こるために、文字通り代価を支払って来ました。我々の運動は、基盤をこの水準まで引き上げるために何百万ドルも投資して来ました。実際に我々はそのお金をすべて失ったのです。それはただ、物事をこの点まで引き上げるための単なる犠牲だったのです。

このような状況の中で搾取していた仲買人達は、この場に来た時には本当に腹を立てました。しかしながら漁師達は別の話を知っており、その多くが我々に関心を持つようになりました。もちろんすべての人達が、何がなされているかということを分かっていたわけではありません。多くの漁師は自分自身の船以外のことはそう見ないものです。しかしある人達は我々を好きになり、毎年来るのを期待しています。

消費者達はマグロについて知るようになり、大変好きになるでしょう。昨年だけでも価格が一ポンド当たり一ドル二十五セントで始まり、三ドルまで上がりました。バイヤー達はそれに対して腹を立てましたが、皆さんは漁師達がいかに辛い仕事をしているか知っています。彼らは非常に朝早く起きて、そして困難な天候に直面して働くのです。それに対して、仲買人達はそれほど一生懸命働く必要があるでしょうか。ありません。彼らはそのように働いたことは決してないのですが、それでもなお、利益の大部分を持って行ってしまうのです。だから漁師達は、我々のしていることを喜んだのです。そして我々がより高い値で買ったので、他の仲買人達もより高い値で買わなければなりませんでした。彼らは自分達の利益の一部を失いました。不平を言ったのは彼らだけでした。我々は儲けのより多くが、それを釣るために一生懸命働いた人の所に行くように願ったのです。それが我々の動機でした。仲買人達には本来漁師に属するものを奪う権利はないはずです。誰かが来て、そういった状況を正さなければならなかったのです。

かつて、グロースターは鱈やその他の魚の大きな輸出の町でした。ところが、先生がここへ来た時には状況は非常に悪くなっていました。多くの漁師達は午後になるまで出かけさえもしませんでした。彼らは昼まで起きなかったのです。だから先生は、本来のグロースターの精神を取り戻したいと思ったのです。先生はその状況を変えたいと思ったのです。それで先生は毎朝早く午前四時に出かけるようにしました。そして午前九時までにはマグロを釣って戻って来るようにしたのです。これが契機となって、他の漁師達も朝早く出かけるようになりました。

彼らが朝四時や五時までには出かけるのを見て、先生は午前二時や三時には出かけ始めました。漁師達の中にそれにも挑戦する者がいたら、マグロの漁場を離れないで一晩中船の中で過ごそうと決心しました。しかし午前二時よりも早く出発する者はいませんでした。すなわち彼らは霊的な意味で諦めたのでした。また彼らは先生よりも大きな船を持っていて、自分達はより高価な装備を持っているのだから、自分達の方が良く釣れると思っていました。しかし我々は、成功をもたらすのは船の大きさではないことを証明しました。成功をもたらすのは人間の精神なのです。我々はそれを証明したのです。

二、三年魚釣りをした後に、朝の儀式のようなものが起こり始めました。朝早くマグロの引きがあると、皆の目はどの船がアンカーを投げるか、探しに行くようになりました。彼らは赤いアンカー・ボールを探して、どの船が動きだしているのか見るようになりました。ほとんど毎日のごとく、一番最初の船はムーニーの船でした。我々の船の数は他の船の数より少なかったのです。しかしその船の数に比べて、我々は朝一番に最初の魚を捕まえたのです。これが我々自らの努力で打ち立てた伝統なのです。皆さん、これを無視してはいけません。先生は「レバレンド・ムーンが今年は来なかったから、ムーニーの船はいい加減な仕事をしている」と聞きたくありません。先生はそういうことを聞きたくないのです。他の人達は先生が刑務所へ行くがゆえに、我々が落胆しているだろうと思っています。しかし我々は今年、他の年以上に仕事をしないでいられるでしょうか。なぜ今シーズンは今までよりも実績を上げなくても良いのでしょうか。これまで十年間、我々は基準を立てて来ました。さあ、我々はそれ以上の道を行くことができるのです。皆さん、その基準を堅く守れますか。それとも今年は敗北するつもりですか。どうですか。いかにしてその基準を守りますか。皆さんは先生の精神に追い付かなければなりません。何をするにも先生の精神でなしなさい。

本質はこういうことです。すべての心をそれに投入するということです。神様に語り、またマグロに語りなさい。世界のために神のために、すべての心を尽くして何事も行いなさい。十年間、不正と戦って来ました。我々はこのグロースターと戦って来ました。そして今、我々は勝利を収めつつあります。モーニング・ガーデンも我々に返って来ました。そしてまた漁師達も我々を理解し始めています。市長はグロースターでの初期の頃の、我々に対する不公平な取り扱いに対して詫びました。このようにして我々は勝利を勝ち得たのです。

我々はアメリカの三つの海岸で戦って来ました。我々がアラバマで鋼鉄の船を造り始めた時に、三千人の人々がやって来て、それに反対してデモを行いました。その時には、その地域には他に三十一の造船所があったのです。しかし今やどうなりましたか。そこで生き残っているのは我々の所だけです。そして我々は、その地域の経済に引き続き貢献しているのです。皆さん、それが信じられますか。我々がそこで仕事を始めてから五、六年にしかなりません。もし我々がそこでやらなかったとするならば、誰もこの危機を乗り切った者はいなかったことでしょう。

同じことがアラスカでも言えます。我々がやろうとしているすべてのことに対して、人々がやって来て妨害しようとします。しかし彼らはそうすべき何らの本当の理由もないのです。アメリカの至る所から来る報告をすべて聞く先生がどんなものか想像できますか。我々が何か初めて出発しようとする時に来る報告はどれも大変悪いものでした。

先生はこのアメリカのために非常に多くのエネルギーを投入しました。我々の運動はたくさんの時間とお金を投入しました。世界中からたくさんのお金を集め、それをアメリカに投入しました。先生はしばしばすべてを諦めて、どこか他の場所に投資しようかと考えていたことがあります。しかし神様が真にアメリカを用いたいと願っておられるがゆえに、我々は我慢して来たのです。先生がこの国でなしたすべてのことは、すべて人々の反対の下で始まりました。我々を理解し、我々を助けようとした者はだれもいませんでした。それでもアメリカを引き上げるための基盤を造って来たのです。皆さんはアメリカ人です。皆さんはこの心をすべて受け継ぐのです。誰もが先生に反対したようには、皆さんに反対する者はいないでしょう。

彼らは皆さんを歓迎するでしょう。今から人々は我々の動機をもっとはっきりと理解し始めるでしょう。我々はあらゆる戦いに勝利するでしょう。我々はそのような基盤を持っています。まず皆さんは、皆さんの国を救わなければなりません。次に海の未来を確保しなければなりません。かつて、このグロースターから漁に出る大型船が、少なくとも四十隻ありました。しかし今は僅かです。この国には海に対する希望がありません。我々はこの国に対して希望をもたらしつつあるのです。

だから皆さんは何事に対しても不平を言ってはなりません。皆さんはすべてのことを相続しつつあるのです。海には偉大なすばらしい将来があります。先生はそのことを知っています。皆さんもそれを信じています。その将来は誰のためのものですか。誰のためですか。我々のためですか。アメリカのためです。皆さんがここへ来たのは指導者ゆえではなく、神様が皆さんを呼んだのです。皆さんは神の召命ゆえにここにいるのです。ここにいることが、いかに特別なことであるかということを皆さんは知らなければなりません。だからここにいることに対して不平を言ってはなりません。

先生は既にこの路程を耐えて来ました。先生は既に長い、莫大な時間を投じて来ました。自分のためではありません。先生はそれを自分のためにしたのではありません。皆さんのためにしたのです。先生は皆さん達若者が、毎年ここに来るようになるだろうということを知っています。だからアメリカの若者のためにすべてをなしたのです。皆さんはその若者を代表しているのです。皆さんはこういったことを先生から受け取り、相続しなければなりません。もし皆さんが不平を言ったら、先生が皆さんに与えようと思うものを受け取ることはできないでしょう。先生はこのことを心配しています。

ワン・ホープ号はマグロを捕まえるのに必要なすべての装備を持って造られています。それは皆さんのために造られたのです。先生はこの船を全部必要とはしません。先生は皆さんのことを念頭において設計したのです。皆さんがここへ来る前に何時間も何時間も働いたのです。皆さんはこの路程を行きますか。皆さんは、先生が今年皆さんにして欲しいと思うことをするつもりがありますか。先生が自分自身の汗と涙でもってここに築いた伝統のことを考えてみなさい。毎日船の上で働いて、先生は皆さんのことを考えていたのです。

先生はすべてを準備するのに十年を費やしました。今から我々は海に出かけて行って、そこにあるすべてのものを相続しなければなりません。それはそこで皆さんを待っています。もし皆さんがこれを得ることができなければ、将来より大きなものを失うことになります。先生は皆さんのために、基準を作ろうと真剣にやって来ました。どうかこのことを忘れないでください。もし皆さんが基盤を作らなかったなら、誰か他の人がやって来て、皆さんからそれを奪ってしまうでしょう。

先生はそのためにこれらの地域を開拓したのではありません。先生はグロースターとメキシコ海岸とを開拓し、今はアラスカを開拓しています。多くの人達が既に来ましたが、先生の努力について決して考えませんでした。先生は朝早く起きて一日中働いたのです。多くの若者達はこれほど一生懸命には働かないでしょう。もしアメリカ人が先生からこれを受け取らないならば、これを日本人に与えるつもりです。もし日本人がそれを望まないならば、先生はすべてを相続させるために韓国のメンバーを連れて来るつもりです。もし韓国のメンバーがそうしないならば、祝福の子女達をしてこれを相続させるつもりです。分かりますか。この点についてはっきりしましたか。先生が言わんとすることが分かりますか。

この瞬間から決意しなさい。そしてこの瞬間からプログラムは出発するのです。毎日が将来に向かっての第一歩なのです。神様の祝福がありますように。

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最善の者から相続する価値ある者となれ

皆さんが忘れてはいけないもう一つのことは、最高の人について行くということです。最高の漁師にしっかりとつきなさい。二流の人についてはあまり心配する必要はありません。皆さんの地域にいる最高の人に近づくために、魚釣りに充分なる興味をもたなければなりません。たとえ皆さんが非常に多くの関心を持っていたとしても、そのような人を夕食に招待して話をすることができるようになるまでは、自分の中にしっかりとした準備をしておかなければなりません。皆さんが物事をうまくなそうとするならば、最高の人々と連結することが重要です。もし皆さんが歴史に影響を与えたいと思うならば、特質のある人間となり、皆さんの分野における最高のひとびとの心を揺り動かすことができるようにならなければなりません。このような人々に到達するためには、皆さんは何らかの分野において真剣になり、研究し、そして成功を収めるようにならなければなりません。そうすればその分野で、生活において同じような努力をしている人達の心を動かすことができるのです。

人生において何事かを達成する人々は、それらのことを相続するために、尊敬できる人を持ちたいと思っています。ではその人達はどのような人を尊敬することができるのでしょうか。そのような人々は真剣で、本気になって研究し、学ぼうとする人、そしてその学んだことを応用しようと本当に努力するような人達を尊敬するのです。このような人が尊敬を勝ち得る人です。皆さんはそのような人とならなければなりません。

そのような最高の人の周りには普通四、五人の人がいるもので、 皆さんはそういう人達を研究しなければなりません。その人々はそれぞれが何らかの良い特徴を持っています。その中の一人は一生懸命働くけれども、時間が来ればすぐに帰ってしまう人かも知れません。またもう一人の人は、より多くの時間を費やすけれども、先の人ほどは一生懸命働かない人かもしれません。三番目の人はそれほど時間を費やさないけれども、非常に真剣で彼ら全部の中で誰よりも誠実であるかもしれません。そういう人々のなかから何を模範とするか見つけだすことができます。そしてそれらの人々の中から、最も良い習慣を受け継ぐのです。三年間、何も言わずにやりなさい。話すことはただエネルギーを消耗し、集中力を奪われるだけです。ただ行動するようにしなさい。だまって静かに学びなさい。皆さんは人々にとって、いなければ寂しがられるような人にならなければなりません。そして皆さんがそこにいない時に、最高の人が「彼は今日どこへ行っているのだろう」と尋ねる様にならなければなりません。そしてまた、他の人達も同じように尋ねるようになるでしょう。それらの人達は皆さんに関心を持ち、彼らにとって、皆さんが本当にそばにいなければならないようにならなければなりません。誰もが皆さんがいないと寂しいと思うようにならなければならりません。先生は皆さんを見ています。先生は、自分が顔を見たいと思っている人のことを考えています。今年は以前に覚えていた人の顔を見ることができなくて、寂しい思いをしています。もし先生が寂しいと思わなければ、その人はマグロのシーズンにとって必要なかった人です。それは良いことではありません。二、三年間魚釣りをしていて、他の人に喜んで教えようとする熱心な人であれば、何か様々な方法を学び、それを他の人と分かち合いたいと思う人です。そういう人は物事をなす上においてごまかしをすることはなく、魚釣りに関する様々な内容を自分で見つけて教えることができるでしょう。

皆さんはある人が自分自身の仕事には忠実であるけれども、全体の目的のためにはそれほど真剣でないという人を見かけるでしょう。それから、自分の仕事にはあまり時間を費やさないけれども、全体のために他の人が何をしているか関心を持っている人を見かけるでしょう。またある人は自分自身の船には非常に忠実であるけれども、他の人がどうしているかには注意を払いません。そういう人達は、それが自分自身にとって最も良い生活の仕方だと思っています。もう一人の人は、他の人の船に手を貸してやり、またどうすれば物事を良くすることができるか助言を与えています。この二つの例の中で後者の人の方がより貴重な人です。後者のような人は他の船と口論するようなことはありません。彼は既に自分自身の船でなすべき自分の役割をなしてしまって、その残りの時間で他の船を手助けしようと思っているのです。彼は自分自身の船のことだけを考えてるのではありません。だからそういう人がどうして他の船と衝突するでしょうか。そういう人はすべての船に関心を持っているのです。このようにしてその人は小さな口論などには一切関係を持ちません。

我々は皆、他の人々から近くにいて助けてもらいたいと思われるような人とならなければなりません。このことは、何も皆さんが自分の仕事を成し遂げなくても良いという意味ではありません。そうではありません。そうではなく、自分自身の仕事をなし終えた後に、他の人に自由に手を貸してあげるということです。皆さんはどのようにして仕事を素早く効果的になすかを学ばなければなりません。先生はこのようなことを若い時から実践して来ました。学生の時、先生はこうした習慣を身に付けました。学校において、誰も掃除の仕事をしたがらない時でも、先生はいつもその仕事を引き受けました。学校において他の誰よりも掃除を一生懸命して、自分の先生を助けました。

また先生は洗面所に行った時にごみが散らかっているのを見れば、誰が見ていなくてもそれを拾ってごみ箱に入れました。このような習慣を付ければ、後になって違いが表れて来るのです。ただ単に自分の役割だけをなすのではなくて、自分以外の他の人達がなすことにも関心を持つようにしなさい。そうすれば皆さんは本当にクラス全体の努力のために貢献するようになるのです。

先生は四年間他の所へ行っていて、最近モーニング・ガーデンに帰って来ました。そしてこの家の管理人が良い仕事をしていたのか、小さなことを怠っていたのか、すぐに分かりました。船についても同じことが言えます。先生は決して最初の日には点検しません。最初の日には誰もが念入りに点検するからです。しかし、魚釣りが終わったその日こそ、先生が点検する日です。その時までには、その船の幾つかは本当に汚くなっています。最後の日に、最初の日と同じ位きれいな船こそ勝利者なのです。

先生は何事においても強力な判断基準を持っています。最近、先生は機械工場を見て来ました。そこには二十年あるいは三十年間も働いているベテランがいました。そこで先生は非常に厳しい批評を与えました。しかし彼らは先生の言うことに対して謙虚でした。なぜなら彼らは自分の工場のことしか考えておらず、それ以上のことは考えていなかったからです。それで先生が彼らの考えていること以上のことを考えていると分かったからです。このことは彼らに感動を与えました。

船を造る人達は自分達がかなり良い船を造っていると思っています。しかし先生は彼らの工場に行って見て、彼らが考えていなかったことを一つ一つ細かく指摘します。先生には一点の誤りもありませんでした。先生はこのような真剣な考えをあらゆることに適応するのです。例えばワシントン・タイムズは、今年国際的な競争において二十の賞を勝ち取りました。ただ一つではなく、二十の賞をもらったのです。しかしワシントン・タイムズはまだ始まったばかりなのです。できてからまだ二、三年しか経っていません。しかしこのようなことは決して偶然に起こったのではありません。ワシントン・タイムズの人達は、このような結果をもたらした根本は先生の真剣な態度であることを知っています。彼らはそのようなことを自分達だけでできたとは思っていません。

基本的にマグロ釣りは、ただ単に海に出かけて行って、マグロを捕って、そしてお金を作るということではありません。そういうことは中心点ではありません。マグロ釣りは人生に対する良い基礎訓練です。もし皆さんがこの原則を忠実に学んで応用するならば、皆さんは人生において成功することができます。分かりますか。皆さんが人生でなす他のすべてのことと同じように、皆さんはそれに多くの時間を投入しなければなりません。そしてあらゆることを学び、他の人と話し合い、そしてそれを読み返し、集中して努力をするのです。

実際の所、先生は今回ここへ来る時間はありませんでした。しかし皆さんに良い出発をさせてあげたいという思いが強くしたので、昨日ここに来て、朝四時に魚釣りに行きました。そして今日は皆さんと共にいるのです。明日はまた出かけるかも知れませんが、これで最後です。先生は夏中、ここに皆さんと共にいるわけにはいきません。だからどうか最善を尽くして下さい。過去十年間、先生は毎シーズン一日も欠かさず海で過ごしました。雨であろうと、天気の日であろうと出かけました。文字通り、雨が降ろうと日が照ろうともです。ある時は、嵐が来るという警告がありましたが、出かけました。ある時は嵐が来るのがはっきりと見えました。それでも夜中になって先生は「行こう」と言って出かけたのです。キャプテンはそれに従って出かけました。荒れ狂った海の真ん中に出かけて行って、そこで耐え忍んだのです。そしてそれからすべてを克服し、朝方に帰って来ました。

先生は船に乗ってマグロが来るのを待っている間、アメリカにおける神の摂理についていろいろなことを考え、何をなすべきか計画しました。先生は世界の飢餓の問題について考え、一歩一歩何をなすべきかについて計画しました。先生はたった一年や二年先のことを考えたのではなく、百年先のことを考え、それを準備するにはどうしたら良いかを考えたのです。またマグロの養殖方法とか、どのように餌付けをするか、将来何百万ポンドもの栄養価の高い食糧としてマグロをいかに用いるかを考えました。そのようなことをいつも考えていたのです。先生はマグロがやって来るのを待っている間、何時間も何も考えないでいることはないのです。

毎朝出かけました。どんなに早くても問題ではありません。そしてその日に対する希望と、期待に満ちていました。また太陽が沈んで帰って来る時には、その日自分の最善を尽くしたという満足と、そして明日は自分のために何が準備されているか考えながら帰って来ました。先生は、皆さんが誇りを持って、先生が行ったのと同じ道を、たどって欲しいと思います。皆さんは今、先生が過去十年間たどって来たのと同じ道をたどるという特権を与えられています。

皆さんがここでなす全てのことは、直接先生と関連しています。多くのことを先生は自分で発明しました。先生は道を直くし、すべて皆さんのために開拓しました。それを皆さんの誇りとして受け取り、道端の岩の一つ一つが先生のなしたことの証であるごとく、皆さんの足跡も記録されるでしょう。我々のなすことはすべて、深い宗教的な意義のあることなのです。だからただ単に出かけて行って、他の漁師達と同じように、ただ魚を捕って、それを船に縛って家に持って来るということではいけません。こういうような魚釣りをしてはいけません。

これは非常に貴重なチャンスです。決して失望してはいけません。皆さんは、先生が魚釣りをしている間に困難な瞬間があったと思いますか。もちろんそういう瞬間がありました。時として良い時もあれば、疑ったり、悩んだりする悪い時もありました。皆さんが非常に幸福で高められている時、マグロを捕まえている時、その同じ瞬間に先生がどのような経験をしたかを考えてみなさい。先生はただ、もう一匹マグロを釣ろうと考えるでしょうか。あるいは、この世界のもう一つの被造物を、神の愛の影響の下に置くことができたがゆえに、幸せだったと考えたでしょうか。

皆さんの経験と、先生が魚釣りをした時にどのように考え、どのように経験したかということに結び付けなければなりません。皆さんの使命の成功は、他のすべてのワン・ホープと結び付けています。ただ単にこの地域だけではなく、ワンホープのある至る所、海岸線に沿ったすべての所が、たとえそれが南アメリカであっても関連しているのです。皆さんがこのグッドゴーを操作している時は、自分自身に対して「我々はこの船を自分自身の手で造ったんだ。兄弟姉妹がこの船を造ったんだ」と考えなさい。また我々は、将来自分自身の手でさらに大きな船を造るであろうということを認識しなさい。いつの日か、自分自身の手で造った大洋を渡る何百隻もの船を持つようになるでしょう。

このような夢はすべてここから始まったのです。ここで実現したのです。ニュー・ホープ号とフライング・フェニックス号は、将来世界中を行くであろう漁船団のささやかな始まりでした。先生が初めてグロースターに足を踏み込んだ時に、人々は先生に反対して立ち上がりました。それはある意味で、ばかげたことでした。なぜなら彼らは先生のことを全く知らなかったからです。とにかく十年経って、彼らは我々のことをもっと理解するようになり、我々がこの漁業を成功させるためにどれほど一生懸命働いているかということを知るようになりました。今や「我々がかつて言い続けたように、レバレンド・ムーンがもし止めてしまっていたら、どうなっていただろう」と考える人もいます。

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ニュー・ホープ号は速度の遅い船です。ですから八時間も漁をして、帰って来るということはできません。出かけるのにも帰って来るのにも時間がかかるからです。実際、朝早く出かけて行って夜遅く帰って来るのでなければ、まる八時間魚を釣ることはできません。そしてニュー・ホープ号ではいつもそのようにしています。ワン・ホープ号はもっと速度が速いのです。その意味において、あらゆる種類の魚釣りをするには、ニュー・ホープ号よりワン・ホープ号の方がずっと向いているのです。皆さんはこれが本当であることを示さなければなりません。先生は皆さんを信頼し、それができることを知っています。

研究し、自分で見つけた原理原則を応用しなければなりません。できるだけ多くを試み、できるだけ多くを研究する者が勝利者なのです。満潮や、干潮や中間の潮を研究しなさい。この三つの時にどのような結果が得られるかを試み、見つけだしなさい。また海の深さや地形に応じて出かけて行って、魚を捕りなさい。「ああ、ここが魚のいる所だ」という具合に思いなさい。それから出かけて行って魚を何も捕まえられないことがありますが、そういう時にはただ走り去ってしまうのではなく、そこでとにかく一日漁をして、潮の干満によってどういうことが起るかを見なさい。このように魚釣りに出る時にはあらゆる要因を考えなければなりません。

ストライプバスは捕るのが極めて難しい魚です。先生は昨年、その魚が真夜中に三時間激しく興奮していたのを見ました。その時は何かの先約とか、いかなる予定があったとしても行くことはできません。その魚を釣る以外のことはすべて忘れなさい。ストライプバスが餌を食べている時、噛みついている時だけが絶好のチャンスだからです。しかし計画がまずければ、餌がなくなってしまうかも知れません。そういう時はどうしますか。朝方の三時に店に飛び込んで買うことはできないのです。

昨年、そういうことが実際に起りました。朝の三時に店を見つけなければなりませんでした。餌を探さなければなりませんでした。誰かが出かけて行って見つけなければなりませんでした。主人が店に寝泊まりしている釣具店を見つけ、そのドアを叩かなければなりませんでした。その主人がプロの漁師だったので、なぜわれわれがそうしなければならないかを理解してくれました。しかし、もしそういった店がなくて、餌を手に入れることができなかったらどうしますか。先生はその時は既にたくさんのストライプバスを捕っていました。多くの人はそういう時には諦めてしまって「今日は良い日だった。他の誰よりもたくさん捕ったのだからもう帰ろう」と言うでしょう。しかし先生はそうしませんでした。午前四時頃餌を手に入れて、魚釣りを続け、さらに多くのストライプバスを釣りました。

記録を樹立することは非常に重要なことです。自分にとっても重要であり、その地域にいる人々にとっても意味のあることなのです。ある地域で、ストライプバスの記録を打ち立てれば、人々が認めてくれます。彼らは皆さんを尊敬するでしょう。人々が皆さんを尊敬したらどうなりますか。人々は皆さんの所へ来て、どこでたくさんのストライプバスが捕れるかを話し合うようになるでしょう。そして彼らは皆さんがどこで魚釣りをしているか知りたくなるでしょう。しかし皆さんはあまり多くを言う必要はありません。彼らは皆さんを一番良い所に連れて行ってくれるでしょう。そうしたら、皆さんは皆さんが一番良いと思っている場所の一つに、彼らを連れて行ったら良いのです。もし皆さんがある種類の魚で記録を樹立することができれば、そのような他の漁師達と経験を分かち合うことによって、たった一年間で十年分の魚釣りの経験を得ることができます。しかし、もし何らかの記録を持っていなければ、人々はあまり多くのことを皆さんに教えてくれないでしょう。変わった話があります。昨年のアラスカでの魚釣りでのことです。ある人が大変良く釣れる場所に我々を連れて行ってくれました。先生はその人に「ここでは誰が一番上手にハリバットを捕まえる漁師ですか」と尋ねました。すると、彼とそこにいたもうひとりの人がある人を指差して、「この男はレッドと言う名前です。彼は昨年、四百ポンドのハリバットを釣りました。彼はこの辺りで一番良い漁師です」と言いました。

そこで先生はこう答えました。「それは嘘だ」。先生が真剣にそう言って、そのレッドという男を動揺させると、彼は怒って自分が最も良い釣り場を知っていることを示そうとし、最初の日に一番良い釣り場に先生を連れて行きました。先生はその最初の日に百ポンドのハリバットを釣り、この男が良い釣り場を知っていることを証明しました。その後、彼を賞賛し、彼を喜ばせました。

同時に、彼にハリバットのより良い釣り方を教えました。そしてこのことが他の漁師達にも感銘を与えました。先生の方法で他の人の二倍の魚を捕まえました。それは時間が問題なのです。先生は他の人よりも速く動き、時間を短縮したのです。また先生は他の人のようにリールを使わないで、マグロのラインのようにしました。そして、ラインを戻す時にはリールよりもはるかに速く戻しました。このように完全に数学的に、よりたくさんのハリバットを捕りました。

その日の終わりには、他の人々は先生の方法について尋ねました。先生はそれを説明しようとしましたが、彼らはすぐには信じませんでした。先生が彼らと論争すると、彼らは感動しました。既に彼らはそのような釣り方を試していたのですが、しかし釣り糸がいつもからまったのです。先生はそのことについても研究してみましたが、その糸がからまらないような方法を見つけていました。彼らにはその技術を教えてあげたので、彼らは先生が彼らよりも良い結果を得ることができたことに納得したのです。

これが物事を研究しなければならない理由です。皆さんは何かを仮定して、それを試みなければなりません。こういう具合にしてやって行くのです。何かを仮定して、それを証明するようにしなさい。これが皆さんを一味違った男や女にするのです。魚釣りの場合も、それぞれの魚がそれぞれの違った習性を持っています。こういった習性を知るようにならなければなりません。調査したり、研究したりしなければなりません。研究し、実行し努力しなさい。ただ座っていてはいけません。多くの時間を投入し、多くの努力をするのです。何事においてもこのようでなければなりません。

伝道もまたこのようなものです。まず皆さんは、多くの時間を投入しなければなりません。最初はそれほど結果を得られないでしょう。それで何を言うべきか、どういう人に語るべきかを研究しなければならないのです。この原理原則を適用し、目標を達成するために努力を集中しなさい。こういうことが、皆さんの一生を通じて適用できる基本的な原理原則だと思いませんか。皆さんが今年の夏学ぶべきことは、ただ単に魚釣りだけではありません。この原則を一度骨身にしみて学ぶならば、決して忘れないでしょう。ここで皆さんが学ぶことは、いつでも、どこに行っても皆さんと共にあるでしょう。経験を通して学んだ事は、決して忘れることはありません。何事に付けても勉強したり、調査したり、真剣に努力したくない人はどうでしょうか。そういう人にはあまり期待を持つことはできません。初めは小さな違いでも、後になってみれば、大きな違いをもたらすものであるということを忘れてはいけません。今、皆さんが若い時にこういった習慣を身に付ければ、後の人生において何者かとなることができるでしょう。しかし皆さんが、こういう具合に投入して、研究して、学んだことを応用する生き方をしなければ、三十年経ったとしても何者にもならないでしょう。

先生はこれまでずっと集中した生き方をして来ました。先生は何事にも関心を持ちました。先生にとって、魚釣りも単なる一つの領域に過ぎません。先生は単なる漁師ではありませんね。それでも、この辺りでは最も優れた漁師の一人となりました。それは先生が、同じ原理を人生のあらゆる面に応用しているからです。

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アラスカではハリバットがいますが、先生はこのように実践して非常にうまくいきました。先生はマグロ釣りに行く時は、どうしたら良いか、次は何をすべきかを考えています。決して頭を休めることはありません。アラスカでハリバットを釣りに行った時は、他の人の二倍の数を捕りました。それで人々は、先生がどのようにしたのかを考えましたが、先生は話しませんでした。しかし、そうたいしたことはないのです。ただ考えれば良いのです。皆さんの考えが正しければ、それに従った後に、魚を捕ることができるでしょう。皆さんは魚の習性を知り、魚の傾向や地形についても知らなければなりません。そしてさらに論理的に推量することです。自分自身に対し「これはそうであるから、これはそうであるに違いない」という具合に考えなさい。そしてそれを実践してみて「これはこうに違いない」と発見するのです。そういう具合にするのです。海では、水の深さが異なった所に異なった魚がいます。海底に沿って棲む魚もあれば、海底から二、三フィート上の所に棲む魚もいますし、更にその上に棲む魚もいます。深さや水温の違いで異なったタイプの魚がいます。魚は敏感です。彼らは自分に最も適した環境に棲みたいと思っています。魚は人間のように、好ましくない環境には棲まないのです。一般的に言って、水の深さの違いが水温の違いを決めます。深くなると冷たくなります。その違いは僅かですが、魚にとっては小さくありません。また、魚は餌のある所に行くということを忘れては行けません。それぞれの異なった種類の魚は、自分達より小さな魚を餌とします。決して、自分より大きな魚を餌にすることはありません。

鯨やマグロは大きな魚だから、深い所にいるに違いないと思うかも知れません。しかしただそう考えてはいけません。たとえマグロが海の深い所が好きだとしても、餌を食べるためには上がって来なければなりません。そして実際そうします。そのような所で我々は大部分のマグロを捕まえるのです。ただ餌を最も深い場所に降ろしたとしても、マグロを捕ることはできません。水温、餌の種類、環境、特に魚が守られる所、こういったものが魚のいる場所を決めるのです。また魚は一定の時間遊んだり、休息に時間を使います。そのためには水が静かで、穏やかでなければなりません。彼らは餌を食べた後、遊びに行きます。普通、午後や夕方の早い時間はマグロが遊び回る時間です。

潮の流れについても考えなければなりません。小さな魚は、潮の流れが早い所では餌を食べたくありません。大きな魚でさえも、流れが速い所で餌を食べたり、泳いだりすることは容易ではありません。こういったことの多くを経験を通して学びます。しかし皆さんは、経験する前にある程度知っておかなければなりません。逆に、たとえ基本的な理論を知っていたとしても、実際に経験するまでは本当の意味では知らないのです。月について考えてみなさい。月にはいろいろな形があります。それが三日月とか、半月とか、満月等のどれを示すかによって、潮も変わるのです。一月のうちどの日も同じではありません。時々潮の流れはより強く流れます。満潮の時には水はより速くなります。ウオーター・マーク(水位標)を見なさい。そうすれば今が満潮の月か、干潮の月か分かります。

それはこういうことです。満潮の時、ウオーター・マークが水より高い所にある時は、その月の中で干潮の時にあたります。わかりますか。干潮と満潮の間は、六時間あります。満潮があり、中間の潮があり、干潮があります。干潮から中間の潮、そして満潮へと戻って行きます。このようにサイクルは動きます。二十四時間の間に、満潮が二回と干潮が二回あります。

皆さんがマグロ釣りをする時には、潮の事を考えなければなりません。「今は、干潮、満潮のどちらの潮であるか。潮が出て行っているか、入って来ているか」を考えなければなりません。また「もし潮が出て行く時であれば、魚はどのような傾向があるだろうか。もし入って来る時であれば、どうすることを魚は最も好むのだろうか」ということを、聞かなければなりません。こういった情報のすべてを頭に入れておかなければなりません。そうしてから出かけて行って、経験しなければなりません。

潮が満ちて来る時に餌を食べる魚がいます。従って、潮が満ち始めた時に餌を投げれば、そういう魚をたくさん捕ることができます。逆に、潮が引き始めた時には、たとえ魚が見えたとしても、どんなに餌を投げ入れても、魚は餌に触れさえもしません。魚は一日の特定の時に餌を食べようとするのです。魚は潮の干満、流れ、また一定の時に従って餌を食べます。このことは陸上の動物にも言えることです。兎を見たことがありますか。兎が餌を食べるのは特定の時間です。兎が餌を食べる時間が決まっていることには、非常に良い理由があります。兎は、鷹が明らかに自分を狙っている日中には、餌を食べないのです。すべての動物界はこのように営まれています。彼らは自分達を守るのに最も良い時間を選んで、動き回るのです。たとえば、虎は夜餌を食べます。虎は小さな動物が眠っている時に餌を探すのです。彼らは百マイルも移動します。象は余り暑くない朝早い時に餌を食べます。そしてその他の時間は木の陰を探したり、水浴びをする場所へ行ったりします。このような行動様式は、低級な動物になるほど予測するのが難しくなります。小さな魚は何時でも餌を食べますが、大きな魚はある決まった時間に全力で餌を食べます。だから魚釣りは単純なものであると思い込んではいけません。いつでも、どこでも行って、餌を投げさえすればという具合に考えてはいけません。また魚釣りは、ただ運によって左右されると考えてはいけません。魚釣りにはそれ以上にもっと多くのことがあります。こういうことを詳しく研究しなければなりません。もちろん、そういうことを全部なした後に、僅かに運という要素があります。

理論を実践すること、人生における実践

こういうことを始めから終わりまで全て記憶することを、期待はしていません。今、全部分かったと思っているかも知れませんが、実際に船に乗って出かけてみれば、最初に何をすべきかさえ思い出せないかも知れません。しかし、講義を通して学ばなければなりません。まだこれを実践したことがなかったとしても、それは丁度、頭の中に種を植えるようなものです。来年までに皆さんはこのことを理解し「お父様が言ったことは本当に意味がある。自分はそれを実践しようと思う」と自分自身に言い聞かせるようになるでしょう。

それは武術のようなものです。最初に学ぶのは基本的な型です。しかし実際に格闘になった時、それらの型を全部忘れてしまうでしょう。そしてできるだけのことをするだけです。後になって、その型を用い続けているにつれて、それらの型が身に付いて来て、戦う時に自然にそれらの型が使えるようになるのです。皆さんは物事を最終的にどのようにして身に付けますか。それは実践を通してです。武術はこういうふうにして学ぶものです。皆さんに教えることは練習ではなく、むしろ戦わなければならないということです。そして、戦っている時に学んだことをすべてつなぎ合わせるのです。チャンピオンになる人は、繰り返し繰り返し挑戦して、たとえ一度の戦いが二十四時間にわたったとしても戦う人です。結局そのように全力投入することで、その人がクラスの一番になるのです。体の大きな人が勝つわけでなく、最も大きな決意を持ち、最もはげしく訓練をする人が勝つのです。

魚釣りにしても同じことが言えます。ここでの我々にとって重要な点は、我々が一生懸命に働いて、たとえ一日に二十四時間働いたとしても魚釣りのあらゆる内容を経験すべきだということです。少なくとも三年間この地域で魚釣りをし、他の誰よりもこの地域について探求しなさい。そしてこういったことすべてに精通するようになれば、他の人が一日中かかって捕るより多くのものを、皆さんは二、三時間で捕るようになるでしょう。皆さんはこのような専門家にならなければなりません。いろいろなことをやってみて、何がうまくいき、何がうまくいかないかを自分自身で見つけなければなりません。プロビンス・タウンとグロースターの間には大分距離があります。魚は潮の干満や流れ、水深や地形の違いによって異なった行動をします。これらのことをすべて知らなければなりません。

またマグロ以外の魚についても研究しなければなりません。カレイや平目について研究しなければなりません。他の所では二十フィート位の深さの所でたくさん捕まえることができましたが、この辺りの二十フィートの所で全くみつかりません。だから多分十五フィートかそれよりも浅い所で魚を探さなければなりません。ニュー・ホープ号は大きな船なので浅い所に行くのは難しいのです。先生が十フィート位の所へ行けと言うと、キャプテンはいつも心配します。

しかしワン・ホープ号はそれ位の深さの所には簡単に行くことができます。そういう意味においてワン・ホープ号は万能な漁船であると言えます。先生はこの船を設計する時、できるだけ多くの魚釣りの能力を持つように考えました。だからこの船は本当に速く走ることができ、あらゆる魚釣りの状況にあわせることができます。ある人はこの船があまり経済的でないと思うかも知れませんが、どこで魚が釣れるかを知れば、そこへ早く行って、早く帰って来ることができます。もし研究せずに、どこへ行くべきか分からなければ、いろいろな所を動き回り、それでもなお魚を見つけることができないに違いありません。そのような場合、その船はあまり経済的とは言えません。しかし、もし皆さんが研究して、捕りたいと思う魚がどんな魚でそれを捕るにはどのようにしたら良いかをはっきり知れば、船足の遅い船は経済性が悪いということになります。なぜなら時間を無駄にするからです。ガソリンを少し節約するかも知れませんが、一日を無駄にして何の漁もなしに帰って来ることになります。そうすればどうしてそれが経済的であると言えますか。

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マグロ釣りと生活様式
1984年 7月 5日 モーニング・ガーデン
 皆さんは海を見てどう感じますか。時には雨が降り、しばしば風が吹きます。先生に何か聞きたいことはありませんか。どのようなことをするか、餌をラインにどのように付けるか学びましたか。まだですか。皆さんは自分で来たかったのですか、それとも誰かに言われてここに来たのですか。ここへ来たのは始めてですか。ここにいる日数は長いですが、皆さんはいかにして疲れを越えるかを学ぶでしょう。

漁場であるプロビンス・タウンまでは、二時間ないし二時間半かかります。ということは、釣りは朝五時に始めますので、午前三時ないし二時にはここを出なければなりません。皆さんはそこへ行く最初の船となって、マグロのお客さんを迎える準備をしなければなりません。それが礼儀というものです。皆さんはすべてに対して準備します。マグロは既にここへ来ているのですが、まだ、それほど多くの漁師がマグロを捕っているわけではありません。このことについて我々は常識を持って考えなければなりません。彼らもここにいるのに、なぜ釣れないのでしょうか。

海の中の生活様式

サンド・イールは季節に従って移動します。このサンド・イールの大群は南からやって来るのです。水温がまだ冷たく、水面近くでは少し暖かいのですが、低い方へ行けば行くほど冷たくなります。サンド・イールの群れを追って魚が来ていますが、まだそれほど集まって来ていません。魚はその地域に来てはいますが、ここにまだ定着していません。水温が上がると、サンド・イールは定着するようになる

夏になるにつれて水温は上がります。そして魚は一つの場所に集まるようになりま。そこは深さが七十フィートから百二十フィートの一種の大地のような所です。他の所は深さが二百から三百フィートもあって、非常に深くて冷たいのです。大きな魚は、このサンド・イールの群れがどこにいるか知っていて、そのサンド・イールを食べるために集まって来ます。鯨やマグロはより深い場所にいますが、朝になると餌を食べるために上がって来ます。正直に言えば、それがマグロの朝食の時間です。その朝食の場所が我々が今から行こうとしている所です。

ニシンや鯖や鱈は、マグロが餌にする比較的小さな魚です。それらの小さな魚は、温度が上がってたくさんのサンド・イールがいる場所に集まって来ます。そのような場所に我々は行きます。マグロはそのような餌場に出入りする時、決まった経路を持っています。その場所が船で行きたい場所です。それは普通、餌場すなわち岩棚の端にあります。マグロはごつごつしたものが嫌いで、なだらかな所が好きです。マグロは崖のような所には来たくありません。むしろ坂道のあるような所へ来たがります。。マグロ達は緩やかな坂道を好んで、そこを通って出入りします。

まず皆さんは海図を勉強して、そこがどのような地形になっているかを理解しなければなりません。それからそこへ行って、実際にやってみるのです。先生はこのことを、科学的にも直感的にも研究するために、長い時間を費やしました。だからニュー・ホープ号が他の多くの船よりたくさんのマグロを釣ったのです。ニュー・ホープの周りの船もまた、たくさんのマグロを捕りました。このために、ムーニー以外の人々もニュー・ホープ号に近づいて釣りをしようとしました。

皆さんはこういったことについて、実質的に知らなければなりません。深い感覚を持たなければなりません。皆さんは「まあ、海というのはどこでも同じで、魚は行ったり来たりしているのだから、マグロが捕れるかどうかは偶然の問題だよ」と言うかも知れません。そうではありません。全くそうではありません。偶然ということはないのです。マグロは行動の様式、すなわち習性を持っています。我々はこの習性を理解しなければなりません。より小さな魚はたくさん食べ物がある場所、棚があって、隠れて身を守ったりしやすい場所に集まって来ます これらの小さな魚は群れをなして移動します。こういった魚の群れの長さと幅が、何マイルにもわたっているのを見るでしょう。また深さも何百フィートもあるのです。そして潮の干満に応じて、これらの魚の群れが移動します。時には潮の流れが非常に強い時もあれば、また弱い時もあります。小さな魚は自分を守るために、大きな群れをなして移動します。そして彼らは、大変大きな岩のような、隠れることのできる場所を探しています。海のある一定の場所には、こういった場所がたくさんあります。だから我々は望む種類の魚を捕まえようとするならば、こういったことをも研究しなければなりません。

例えば、我々がストライプバスを捕まえたいとします。時々この小さな魚の群れは、潮の流れが彼らを引っ張るので非常に早く移動します。従って、前の方にいる魚は、たとえ彼らがそうしたいと思っても、スピードを弛めることはできなくなります。そして岩の後ろに隠れる代わりに、岩にぶつかってしまいます。そうすると岩にぶつかた魚は、丁度頭に何かをぶつけた人間のように、ふらふらとなります。こういう場所にストライプバスがよくいるものです。小さな魚が岩にぶつかって、ゆっくりとふらふらして泳いでいる時には餌になりやすのです。こういう所でストライプバスを見つけることができます。だから皆さんもストライプバスのように考え、理論的に彼らがどこにいるかについて見つけなければなりません。

マグロ釣りもまた同じです。皆さんはあらゆることを考え、充分に推論しなければなりません。ただどこかへ行って、海に竿を垂らし、マグロが掛かって欲しいと思ってはいけません。小さな魚は潮の流れと共に移動します。潮の流れが弱くなる岩棚に沿った場所があります。こういう所が、小さな魚が来る場所であり、それを餌とする大きな魚が集まる場所です。皆さんは海図を見て、地形が深くなっていたり、深さが急に変わっているような場所を見つけなければなりません。

また皆さんは、海の底が砂地であるか、あるいは泥であるか、岩場であるかを知らなければなりません。それに応じて異なった種類の虫や小さな生物がいるからです。皆さんはこういうことも研究しなければなりません。ある生物は海草のある所に棲息しています。もし皆さんが小さな魚を捕ろうとしているのであれば、海底がどのようになっているかを理解しなければなりません。また岩場では釣具の重なりも重要です。ただ釣り針を下ろしただけでは、底に引っ掛かってしまいます。時にはギアを戻し、ラインを弛めれば外れるかもしれませんが、多くの場合ラインを切らなければならなくなります。

それを防ぐために、フックと餌から下に十フィートの所に重なりを付けなさい。海底において、釣具がどういう状態になっているかを想像して、そして重なりが海の底を叩いた時にはそれを感じるようにならなければなりません。こういうことに対して敏感でなければなりません。また、フックや餌を引っ張る潮の流れについても考えなければなりません。もし流れがそれほど強くなければ、重なりの上を十フィート以上にする必要はありません。五フィートか、二フィートでも良いでしょう。このように餌がフックにどのようについているかを考えて、餌が底からどの位の高さにあるか、判断できなければなりません。

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共に働くことを学ぶ

皆さんをこの夏一緒に連れて来たのには理由があります。皆さんの中の何人かはオーシャン・チャーチのメンバーで、既にこのような訓練を受けています。またその他の人たちは魚を売っていても、魚を捕まえるのがいかに難しいかを知らずにいます。そういう人たちは漁師に簡単に「出て行って、魚を捕れ。私はそれをお前のために売ってやる。」と言いました。しかしこれは正しくありません。魚を売る人たちは、魚を捕ることがいかに難しいかということをも理解しなければなりません。

皆さんが異なった道を行って、一方はただ魚を捕るだけで、もう一方が魚を売るだけであれば、魚を売る方がいつも要求をすることになります。魚を売る人は「私はあなたが捕まえている魚は好きではありません。あなたはこうすべきだ、ああすべきだ」と言うでしょう。もし彼らが魚を捕まえなければならないとしたら、捕まえている人の事情が分かって、そう簡単に捕まえている人を責めたりはできないでしょう。それと同じように、しばしば捕った後の船の上での取り扱いが悪いがゆえに、魚が悪くなっています。いろいろなことで魚がだめになっています。だから魚を捕る人も、売る人も、お互いから学び、共により緊密に働かなければなりません。

アメリカ人は、日本のメンバーとともに働くことから、たくさんのことを学ぶことができます。日本のメンバーは一つ有利な面があります。先生はここ数年間、彼らを綿密に見てきました。アメリカ人が船を管理するとその船は汚いままになります。ところが日本人の船はいつもきれいです。日本人はきれい好きの人が多いと思いませんか。彼らは何でもきちんと整理整頓しておきます。ここに非常に良い証拠があります。ニューヨークの町に行って、五番街に駐車してある車を見てみなさい。その車はたとえ金持ちが所有する車であっても、非常に汚い。ところが、東京ではどの車も真新しいような状態です。東京の町には汚く見える車は一台もありません。このことは日本人全般の性格を物語っているものです。

これらのことは観察です。ですから皆さんも船をきれいに保って、日本人の水準に負けてはいけません。東洋人について言えるもう一つのことは、彼らのお金の使い方が質素であるということです。日本人を見てください、例えばハッピー・グループの日本人を見てください。彼らは背が小さいし、それほど積極的ではありませんが、一人一人はお金の使い方を知っています。皆さんは好まないかもしれませんが、日本人から学ぶことがたくさんあるのです。だから先生は皆さんを一緒に働かせて、お互いに学ばせようとしているのです。西洋のメンバーにとっての第一歩は、東洋のメンバーを観察することです。

もう一つ質問をします。皆さんは先生が好きですか。なぜ皆さんは先生が好きですか。先生は西洋人ではありませんよ。先生の目は皆さんより細くて小さいです。先生の皮膚は白ではなく、褐色です。先生は韓国人です。もし先生が「よし、ではだれか他の人を先生の立場に付けてやろう。さあ、たとえばゲーハートはどうかな。彼は非常にでっかい男だ。彼は背が七フィートもあるし、顔も手も大きい。足は先生の両方の足よりも大きい。だから彼が大きいから、彼を統一教会の責任者にしてやろう」と言ったとしたら、どうですか。それは良い考えだと思いますか。ゲーハートは先生の代わりの立場に立つべきでしょうか。皆さんはそう思いませんか。ではレーガンについてはどうですか。レーガンが先生の代わりの立場に立つべきだと思いますか。彼らは先生の立場において、決してそれをうまく果たすことはできないでしょう。先生には他の人が取って代わることのできない能力があるのです。それと同じように、日本人は西洋人が取って代わることのできない能力を持っています。アメリカの指導者たちと日本の指導者たちとは違っています。困難に直面して、アメリカの指導者たちは引き下がる道を考えがちです。それに対して、日本の指導者たちは決して引き下がることは考えないでしょう。また宗教生活においても、信仰生活においても、日本人たちは皆さんのお兄さんです。彼らは祝福も早く受けたし、また信仰生活も長く追求しているわけです。だから彼らに対して不平を言ってはいけません。

先生は何も日本人をひいきにしているわけではありません。アメリカ人もより良い潜在的な能力を持っているかもしれませんが、日本人は既にそれを証明したのです。先生に正直でありなさい。皆さんはどっちを取りますか。日本人が一度何かをすると決心をすれば、彼らは一生かかってもそれをするのです。もし日本人がある会社に就職すれば、彼らは一生その会社のために奉仕します。日本レストランを経営しているアメリカ人はどうですか。彼が二人のコック、一人はアメリカ人でもう一人は日本人を雇ったとします。そして一年後、アメリカ人のコックは他のレストランからより良いサラリーを示されたら、全く何の悔いもなく、「さよなら」と言って、直ちにそのレストランを辞めてしまうでしょう。ところが日本人はそうしません。日本人は十年、二十年同じレストランに勤めるでしょう。こういうわけでアメリカ人のオーナーは一つの教訓を学んで、日本人を雇おうとするのです。日本人は一度心が何かにつながれば、決してそれから離れることはないのです。皆さんもこのようでなければなりません。先生は皆さんに多くの期待を持っています。だから皆さんを、こうして日本人と一緒に働かせるように連れて来たのです。

さあ、いよいよ今年の夏の訓練が始まります。出かけて行って、海から学びなさい。先生は皆さんが真剣になって、そして特に今年は事故を起こさないように頼みます。マグロ釣りにおいては、もし一週間も二週間も何も釣れないと、皆さんは集中力を失い始めます。そしてかごをけり回ったり、あるいはラインをデッキの上にそのままにしておいても構わなくなります。しかし、マグロは何ら警告なくしてやって来ます。皆さんは、決してラインの上に足を乗せたまま立っていてはいけません。これは非常に危険です。常に自分がどこにいるか、そして船の上のどこで動いているか、注意を払わなければなりません。

船の上ではすべてをきちんと整理整頓しておきなさい。そうすれば事故が起こるのを最小限にしてくれます。もしラインの上に足が引っ掛かったらどうしますか。この点を特に注意しなさい。もしそういう事態になったならば、マグロには構わないようにしなさい。皆さんの安全のためです。皆さんの生命が危険にさらされているのです。今年の夏は、先生は皆さんが危険や事故から、身を守ることを強調しておきます。

皆さんは自分たち自身を木のように組織しなければなりません。十隻ごとに一人のリーダーを置き、三隻ごとが一つとなって三位基台のリーダーを置くようにします。これらの三隻の船は三位基台として、特に一緒にいなければなりません。そしてお互いに注意しあって、助け合わなければなりません。このような組織でいけば、一隻の船も事故に巻き込まれることはありません。互いにお互いの面倒をみなさい。そして三位基台は互いに助け合って、お互いに注意し合いなさい。このようにしてすべての船を、この修練期間中、組織するようにしなさい。

皆さんが主に関心を持たなければならないことは、船が故障を起こさないようにすることです。もし皆さんの船が動かなくなれば、出かけることはできなくなります。そういうことを防ぐためにあらゆることをすべきです。だから我々はこのようにするのです。今日が始まりです。あと三日後には、皆さんは陸での訓練を終えて、海に出かけて行って魚を釣り始めることになります。先生がここに引き続きいるかどうかは、この訓練の中心ではありません。そういうことには関心を払う必要はありません。先生は既にマグロ釣りは十分しました。ですから、それについては良く知っています。先生がここで釣りをするかどうかについては心配する必要はありません。皆さんは毎朝決まった時間に出かけて行くのです。これが我々の伝統です。皆さんはそれに従わなければなりません。先生は今、他の種類の魚、例えばストライプバスとか、平目とかを釣ることを研究しています。後にはハリバットを釣るために、アラスカへ行く予定です。ここで良い記録を出した人は、先生と一緒に行くことができるかもしれません。今シーズンの皆さんの関心は、本当の漁師になることです。船の中で眠り、船の中で食べるようにしなさい。この夏の期間は非常に貴重なものです。これは皆さんにとって、皆さんの一生にとって価値のある訓練です。だから先生は、ただ皆さんがすべての心情と努力を投入してもらいたいと思っているのです。皆さんに神の祝福がありますように。

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万物と心情の関係

人間は実際には非常に敏感で、物事を知ることができる被造物です。潮流の流れや、それが今どうなっているかを経験から分かるようにならなければなりません。また流れによって、フックがラインからどのように垂れ下がるか、分かるようにならなければなりません。特に七尋(ファザム)半と十尋(ファザム)のラインがマグロを最も釣りやすいラインです。皆さんは餌とそれが水中でラインからどのように動くかについて、心の照準を向けなければいけません。皆さんはまたさまざまな関連した現象を発見するでしょう。全シーズンを通して六ないし八本のラインを使うかもしれませんが、マグロが食い付くのはたった一本のラインです。皆さんは「それはちょうどマグロにとって良い位置にあったからだ」と考えて、ラインの位置を変えるかもしれませんが、しかしそれでもそのラインにマグロが食い付くのです。このようなことを今日の科学でどのように説明しますか。

霊界は競馬におけるダーク・ホースのようなものです。それはほとんど起こりえないようなことですが、それが起こるのです。例えば、皆さんがだれかが捨ててしまったような古いラインを拾ったとします。他の人たちがそのラインでたくさんのマグロを釣ったのですが、遂に新しいラインに付け替えました。皆さんは新しいラインを持っているけれども、その古いラインも使ってみたとします。すると突然その古いラインにマグロがかかるのです。それをどのように説明しますか。そういうことが実際に起こりました。だから先生はこういったことをも話しているのです。皆さんは魚具、フックやラインを愛さなければなりません。魚を捕るそれらの道具を大切にし、一瞬たりとも目の届かない所に置きたくないと思って、自分のベッドにそれらを持ち込むようにならなければなりません。そういった心情、そういった愛は良いことです。この愛がいたる所で結合して、そしてそれが目に見えない方法で、ほとんどありえない方法で結び付くからです。

日本のメンバーが先生の周りに来て「ニュー・ホープ号は古い船になりました。今はもう十三年以上経っています。お父様、新しい船に変えましょう」と言います。先生は彼らの感情を傷つけたくないので、「おー、君はそう思うかね」という具合に答えています。しかし実際には「お前は何ということを言っているのだ」と思っているのです。この訓練プログラムがいかに始まったかという歴史を書くとしたら、その九九パーセントはニュー・ホープ号のことが中心になります。たとえ新しい名前の船を買ったり、あるいはだれかが我々に船を寄付してくれたとしても、その船についてはそれほど書かないでしょう。

それはちょうど、結婚のようなものです。もし皆さんが十年間結婚して、奥さんが年を取ったとします。そうしたら皆さんはその奥さんを追い出して、新しい奥さんを迎えますか。もしそのようにしたらニュー・ホープ号はどのように感じるでしょうか。嬉しいでしょうか、悲しいでしょうか。恐らく泣き叫ぶでしょう。だから先生は次の世代の者にすべてを譲り渡す時には、新しい船に変えようと思っています。その時には、ニュー・ホープ号を引退させて特別の博物館に入れてやります。ニュー・ホープ号もこれが当たり前だと思うでしょう。船は自分が永遠に生きられないことを知っており、時が来れば交代することに同意するでしょう。先生は本当にそのように思っているのです。先生はニュー・ホープに対してそのような感受性を持っています。このことは我々すべてに言えることです。我々は、この世の人とどのように違うのでしょうか。それは心情を通してです。我々はこの世の大部分の人々がなしているのとは全く異なった心情的な世界を創ろうとしているのです。ニュー・ホープ号やワン・ホープに乗る時には、本当にそれらを愛さなければなりません。

皆さんは船が割り当てられた時に「あー、もっと新しい船が欲しい」などと言ってはいけません。決してそのようなことを言ってはいけません。ただその船を愛しなさい。ついにはその船が愛を返して、多くの魚を捕まえてくれるでしょう。船に対して「去年、お前が良く働いてくれたことを良く知っています。今年は私がよく面倒を見てあげます。だから一つとなって成功しょう」と言ってやりなさい。

一日の終わりに、海から帰って来る時にはチャムの場所をきれいに掃除して、悪臭を取り除き、船を手入れして本当にきれいにしなさい。そうすれば、船を見た時に気持ち良く感じるでしょう。そうすれば、船もまた立派に見えるのです。船を良く手入れをして、それを正しく取り扱いなさい。これが皆さんの責任です。日中は魚を捕ろうとして、忙しくて船をきれいにすることはできません。船もそのことはわかってくれます。しかしながら、海上でもし何か悪いことが起こったならば、たとえそれが小さなことであっても、船を手当てしなければなりません。

二、三週間真剣に経験を積めば、皆さんはエンジンがどのような音を立てているか分かるようになるでしょう。そしてエンジンが容量を超えている時を聞き分けることができるようになるでしょう。その時にはスピードを落とさなければなりません。エンジンは人間の体の心臓のようなものです。海において、もしエンジンがだめになったならば、本当に深刻な状態に陥ります。実際にエンジンは皆さんの命より大切なのです。皆さんはそのように考えなければなりません。だから決してエンジンを酷使してはなりません。緊急事態の時はやむを得ないかもしれませんが、決して理由もないのにエンジンを酷使してはいけません。エンジンを家族のように、つまり自分の夫や妻のように愛しなさい。そうすればエンジンがだめになることはないでしょう。

鳥が飛んで来て、自分たちが止まって休む船を探す時に、どの船を選ぶでしょうか。このことは特に小さな村に見ることができます。たくさんの家がありますが、いつも一つの家だけがたくさんの鳥たちがやって来て休むのです。そして驚くべきことに、その家は大変栄えた家です。本当です。その理由は、その家には何世代もの間蓄えられた多くの愛があるからです。

だから我々もそういうことを心において、ムーニーの船は心情を込めて愛さなければなりません。実際先生は、今年ここへ来て皆さんに話をする必要があるかどうかと思いました。しかし、ニュー・ホープ号のことを考えて、先生は「自分は毎年、ニュー・ホープ号の所へ来たのだから、先生が来なければニュー・ホープ号は寂しく思うだろう」と思いました。先生はそんな寂しい思いをさせるわけにはいきませんでした。最近、ニュー・ホープ号はモントークという所で魚を捕っていました。しかしそれをグロースターに返すように頼みました。だからニュー・ホープ号はここへ来てから数日しか経っていません。だから先生もグロースターに来てニュー・ホープ号を訪ねることを考えざるを得なかったのです。先生は船に話しかけ、「去年の夏、私はお前と一緒にずっと毎日漁をしたが、今年はそれほど一緒漁に出ることができない。私はお前にそれを分かって欲しい」と言おうと思ったのです。ニュー・ホープ号は先生がそれほど長くそばにいられないことを分かっているだろうと思います。なぜこういうことを皆さんに言うかというと、今年は皆さんが愛するもの、すなわち皆さんの船にそのような精神を失わせてほしくないからです。船に損傷を与えてはいけません。ちょうど自分の体を守るように、思いを尽くし心を尽くして、皆さんの船の手入れをしてください。

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マグロ釣りの訓練路程

皆さんも知っているように、マグロも被造世界の一部として何らかの霊的な面を持っています。皆さんが霊的に鈍い時には、マグロは皆さんよりも霊的に敏感かもしれません。皆さんが追い求めているマグロは五百ポンド以上の重さがあります。そのような大きさになるためには、十八年から二十年の年月がかかっています。そのことを考えてみなさい。そのような年齢になるには、そのマグロはこれまでに、どれほどの種類の危険を何度も何度も逃れて来たことでしょうか。何度も捕まえられそうになったこともあったでしょう。しかしそれを何とか逃れて来たのです。マグロが五百ポンドまで育ったということは、そのマグロは非常に頭の良い魚だということです。

マグロは、釣り糸がそこに乗れ下がっているのは、自分を捕まえるためだと知っています。マグロが餌に食い付くのは正常なことではありません。それは一つの事故なのです。ちょうど、人間が酒を飲んだ後に事故を起こすのと同じように、マグロはチャムを食べて酔っ払ってしまい、そしてちょっとした誤りで、その餌に近づいてそれに食い付くのです。皆さんがここで違いを作る秘けつは、皆さんが心を集中して、すべての思いを尽くし、努力して、マグロを皆さんのところへ引き寄せることなのです。

もし皆さんが本当に集中して、霊的に敏感になれば、ある日目を覚まして顔を洗って船の方に行こうと準備している時に、既にその日の何時ごろにマグロを捕まえることができるか分かるでしょう。時には何時間も待ちに待っていることがあります。その時、皆さんの心がどうしたのだろうかと不思議に思い始め、すると突然心の中に鋭いひらめきが起こります。その瞬間、皆さんは「ああ、あと五分したらマグロがこのラインにひっ掛かってくるだろう」ということを感じます。それを感じるやいなや、マグロがひっ掛かってきます。皆さん一人一人が一心不乱に専念すれば、一度ないしそれ以上の経験を持つでしょう。

ここで働くことに関して、何らかの法則あるいは原理があるのです。もし皆さんがすべての心を投入するならば、マグロを捕まえるでしょう。皆さんは海の下でどういうことが起こっており、いつ小さな魚が来て、いつマグロが海流や潮によって動くか分かるようにならなければなりません。それを目で見ることなしに、分かるようにならなければなりません。こうするためには集中することが必要です。

先生はニュー・ホープ号で造ったお金を、グロースターの何らかの慈善事業に寄付することを考えています。そうすれば、マグロはもっと餌に食い付くことが期待できないでしょうか。霊界はマグロに対してニュー・ホープ号のラインに食い付くように奨励するでしょう。今年は割り当てがあるので、先生はその三分の二がムーニーの船によって捕まえられることを期待しています。そうするためには皆さんは本当に餌を愛さなければなりません。餌こそマグロを捕まえるための直接の原因なのです。皆さんは神の愛に連結して、餌にそれを投入しなければなりません。皆さん自身がそれを結びつける要なのです。

清潔な船は清潔な精神を反映します。秩序だった船はまた秩序だった精神を反映するものです。つまり皆さんのジグ、釣りざお、リール、ライン、フック、その他すべてのものが、本来あるべき場所に整理整頓されていなければならないということです。先生は皆さんの船がたくさんの心情を受け取ったか、それとも少しの心情しか受け取っていないかを直ちに当てることができます。そして皆さんが深く祈っているなら、霊界が皆さんを助け、皆さんに霊感を与え、マグロを皆さんの船に近付けてくれるでしょう。こういう経験を通して、皆さんは神が生きておられることを発見するでしょう。もし皆さんに何か悪いことが起ころうとするなら、皆さんはそれを感じ取ることができるでしょう。今年は、我々は安全性について関心を持たなければなりません。事故を避ける最も良い方法は、真剣になって自分のすべての心情を、自分が今なしていることに投入することです。皆さんは霊的にも自分自身を主管しなければなりません。いつも自分自身を律しなければなりません。

ここで一つ重要な質問をしたいと思います。「今シーズン中に皆さんは何回ぐらい兄弟姉妹と争いをするでしょうか」。皆さんはそのような状況を望まないでしょうが、時として、そのような状況に巻き込まれて争いが起こることがあるでしょう。その時皆さんはどうしますか。皆さんはいかなる争いが起こることも許してはなりません。皆さんは海に出て行く前に、地上においてそのような状況を作り出すことを避けなければなりません。午前中、皆さんが魚釣りをしている時には、皆さんの心の中にあることを外に出してはいけません。たとえ皆さんの心が燃えるようであったとしても、それを顔に表してはいけません。家に帰る途中、それをいくらか出してそれについて話し合ってみなさい。

時々船にいて、風が吹き、嵐が来ることがあるかもしれません。これは非常に危険なことであり、そのような時に自分の感情を出すことは非常に悪いことです。家に帰ってから暖かいシャワーを浴びて、良い食事をする方が良いのです。そうすれば皆さんは心が寛大になって、皆さんを怒らせたかもしれないような言葉を忘れるでしょう。海に出ている時には、決してつまらないことで心が引っ掛かることがあってはなりません。だれかがどんなに皆さんの心をかき乱すようなことが、そのような人は無視しなさい。だれか隣の人の犬が皆さんに向かってほえているんだという具合に考えなさい。

自分の目標を常に念頭におきなさい。皆さんはここに争いをするために来たのではありません。ここにマグロ釣りに来たのであって、これが皆さんの目的です。ここへ来た目的ではない、いかなるものにも巻き込まれてはいけません。いつの日かすべての心をささげて、それでも何の結果も得られないということがあるでしょう。そういう時は悔い改めるのに良い時です。悔い改めて、そして何か自分に欠如していることはないか、理解できなかったり、適応できなかった部分がないかを探してみなさい。皆さんはそれぐらい真剣でなければなりません。この訓練期間が終わった後、いつの日か独立しなければならない日が来るでしょう。もし、自分の生計を得るために海に出て、魚が捕れないとしたならば、だれが皆さんを助けるでしょうか。政府が皆さんに補助金を出すでしょうか。神様が皆さんにお金を与えるでしょうか。恐らくそういうことはないでしょう。先生が皆さんを助けに来てくれることを当てにしてはいけません。先生はいつもそうできるとは限りません。皆さん、そうすることができますか。皆さんは先生の所へ走って来て、助けを求めますか。それとも真剣になって自分でそれをしますか。それができる人、あるいはしようと思っている人、手を挙げなさい。女性たちはどうですか。もし魚を捕まえることができなかったらどうしますか。マグロは女性がマグロを釣りに行くのを見て笑うでしょう。女性の皆さんがより早く実績を欲しいと思うならば、一度で良いから男性の言うことを聞きなさい。そうすればマグロはこう言うでしょう。「ああ、彼女は女だけれども男性を尊敬している。だから我々も彼女たちに対して寛大になることができる」。だから女性たちは男性たちと喧嘩をしてはいけません。そのようにして皆さんは男性に打ち勝つことができます。それは良いことです。

皆さんは先生がマグロを釣るのを待っている間、一日中何をしていると思いますか。マグロを捕まえて陸揚げするのは、一日のうちほんの一時間ぐらいのものです。それ以外の時間を、先生は何をしているのでしょうか。何もしないでただじっと座って、水の中のラインを見ているだけのように見えるかもしれません。しかし先生は一瞬一瞬に自分のすべての心をその努力の中に投入しているのです。先生は針に付けた餌をいつも調べます。魚が食い付かないとしても、時々ラインを引き上げて餌を調べなければいけません。たとえ近くに魚がいないようであっても、一日三回は餌を取り替えなければなりません。先生は浮きを見れば、ラインに餌がついているかどうか言い当てることができます。ゲーハートができるかどうか知りませんが、ゲーハートもできるはずです。これが分かるということは当たり前のことです。もし餌がなくなってしまっていたならば、ラインを巻き上げて新しい餌を付けなければなりません。

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海は非常に困難な所です。船においては、常にすべての安全手順に従って動きなさい。また泳ぎ方を知っていることは重要です。もし皆さんが泳ぎを知らなければ、常に救命胴衣を身に付けていなければなりません。海の上においては多くの異なったものを見るでしょう。時には巨大な鯨が船のそばにやって来て、ラインをめちゃくちゃにしてしまうかもしれません。皆さんは生徒として学んでいるのですから、この夏はすべての種類のことを学ばなければなりません。皆さんは魚釣りについて学ぶでしょうが、それとともに人生についても学ぶのです。将来について、過去について、また自分の周りの人々について考えてみなさい。そして自分の信仰生活や、どうして自分が教会に入ったかについて考えてみなさい。

心配してはいけません。時間をかけなさい。皆さんはまだ小学校にいるようなものですから、そういう時には博士号を持った人のように振る舞ってはいけません。博士号を持っているような経験を持った人たちは、皆さんを「青二才」だと見て、そして「おー、彼らはいつ自分と同じような経験を持つようになるのか」という具合に考えるかもしれません。我々は海にはまだまだ未知の部分があることを理解しなければなりません。普通の人が夢にも見たことがないようなことを、海において発見するでしよう。そのようなことが起こるでしょう。先生は海底深く探求するような潜水艦を開発することを真剣に考えています。

先生はまた、このグロースターに海洋大学を建設することについても、極めて真剣に考えています。我々はそのような大学を建設するための土地を買いました。しかしこの地域の人たちは恐れをなして「レバレンド・ムーンはこの地域を乗っ取って、ある種の専制政治をしようとしているのだ」と叫びました。もちろん、彼らは今はそのようなことが本当でないことを知っており、彼らは我々を受け入れ始めています。いつの日か、我々はそのような海洋大学を実現するでしょう。考えてみなさい。アメリカはこのように発達した先進国であり、神を敬う国であり、世界の一流国です。ところが、この美しい家は四年間も我々に対して閉鎖されていたのです。人々はこの家に一人の人も入ることを許しませんでした。人々は言いました。「カソリック教会は良いけれども、統一教会はだめだ」と。世界中で、アメリカのように宗教の自由がある国がほかにあるでしょうか。だから我々は反撃して、我々の権利を主張しなければなりませんでした。そして我々はこのグロースターの土地を使うために、反対する人々を訴えると脅かさなければなりませんでした。その人たちも訴えられることを考えて、結局、自分たちが負けるであろうということを認めるようになりました。我々の動機は戦うことではありませんでしたが、我々はそのような不義な行為に対しては挑戦しなければならなかったのです。

今、我々は訓練を始めようとしています。そしてこれは、海にとっての新しい時代が始まろうとしているのです。これは本当に歴史的なことであり、皆さんは今それに参加しているのです。なぜか、なぜならば、将来いつの日か、この地域のすべての人たちが統一教会についてはっきりと知るようになるからです。そして多くの人たちが統一教会に入教するようになるでしょう。皆さん、そう信じませんか。世界中から何百万の人たちが統一教会に入教するようになるでしょう。

彼らは、このグロースターの港に、そして皆さんがこの訓練プログラムの意味を先生から個人的に聞くことができたグロースターのこの特別な家にやって来るでしょう。この一九八四年のクラスのたった七十六人のメンバーはこの新しい時代の「ピルグリム・ファーザー」と見なされるようになるでしょう。今、皆さんはこの夏中グッド・ゴーの船に責任を持っています。将来、このような責任を持つ人々は選抜されるでしょう。恐らく十万人に一人が選び抜かれて、全体で七十人か八十人だけが、ここに来て、グッド・ゴーの船を割り当てられるようになるでしょう。今日、皆さんはそれほど競争もなく選ばれて、キャプテンとなるべく訓練を受けることができるのです。皆さんの中でここに来て、長い間つらい仕事をしなければならないと言って、不平を言っている人たちは手を挙げて先生に言いなさい。「私はこのような開拓をしてオーシャン・チャーチの先祖となる機会を逃したいと思います」と言いなさい。皆さん、去るのは自由です。もし皆さんが今から十年先、二十年先どのようになっているかについてのビジョンを持っていないならば、去ってしまってもかまいません。皆さんは今、我々が本当に歴史的な瞬間にいることを認識しなければなりません。

先生は毎年釣りに来ましたが、毎日、嵐であろうと良い天気であろうと、先生は船に乗りました。また前の日どんなに遅く床について、どんなに早く起きなければならない時でも、先生は船に乗りました。しかし今は先生が自由に出かけることは安全ではありません。これが先生が我慢しなければならない現実です。先生は無神論や共産主義に対して断固とした立場を取っていますから、彼らは何とか先生をやっつけたいと思っています。ですから、過去十年間先生がしたように、毎日、皆さんとともに海に出るということは難しいことです。

先生は皆さんに自立して欲しいと期待しています。皆さんは独立して自分自身の道を開拓するようでなければなりません。特に今年はそうです。さもなければ、皆さんはどうして自分で自分を養う人間となることができるでしょうか。またどうして、皆さんは他の人を支えることができるでしょうか。皆さん一人一人がこの訓練期間の意味を理解して、これからの二カ月間、そのような基準に見合うようにならなければなりません。皆さんが、船に乗って毎日出かけることがいかに難しいかを体験する時に、先生が過去十年間、毎日ニュー・ホープで過ごした経験を思ってください。この十年のシーズンの間、一度も船の上で横になって眠ったことはありませんでした。先生はこの訓練のために自分のすべての意思と心情を投入しました。先生は船に乗って、マグロを待っている長い間も常に、もっと神と人類のために自分をささげるように祈っていました。このようなことを、ここで皆さんに相続して欲しいと願っているのです。

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なぜ我々は海の訓練をするのか
1984年 7月 2日 モーニング・ガーデン
 グッド・ゴーの船を見てみましょう。水が好きなだけ入ってくることができます。皆さんの船体の底に穴を開けて、実験してもよいです。船の中に何人かの人がいたとしても、船の内部が泡状の発泡スチロールのような構造になっているので、彼らは船の中にとどまることができます。この船は安全性を考えて造られています。それと同時に、この船は非常に速く走る船です。もし嵐がやってきたとしても、皆さんはその嵐を乗り切ることができます。もちろん、この船は最も経済的な船というわけではありません。なぜならその船は非常に多くのガソリンを必要とするからです。しかし訓練のプログラムのためには、その船はそれだけの価値があります。我々は速度の遅い経済性の良い船よりも、安全で高速の船を必要としています。訓練のためにはこのグッド・ゴーの船は最善です。

訓練の価値

いかなる訓練コースにおいても、訓練が厳しければ厳しいほど、より多くを学ぶことができます。訓練自体がそのプログラムに価値を与えるのです。究極的に我々は漁業に入ろうと思っています。それが将来です。もし我々にお金がなかったならば、いかにしてアメリカや世界の問題を解決することを助けることができるでしょうか。漁業において、仕事は信じられないほどに厳しいものですが、その見返りは良いものです。しかしながら、いかなる仕事も達成するためには、まずだれでも訓練期間を通過しなければなりません。

現在何人かのメンバーは日本レストランの創設途上にあります。皆さんはレストラン・ビジネスはほんの小さなことであると考えるかもしれませんが、しかしこれは多くの意味を持っているのです。まず第一にレストランは非常に多くの人が出入りする商売です。これを通して、これらの人たちに接触することができます。皆さんはそれらの人たちに話しかけ、そして良い関係を築くことができます。そしてそれらの人たちに奉仕し、そして真の奉仕精神を示すことができます。我々は宗教人であり、この世においても働かなければなりません。このような意味において、レストランは我々が行う上において非常にすばらしい事業であると言えます。

今、日本レストランは流行しています。だれもがこの新しい種類の食べ物を食べてみたいと思っています。お客さんが入って来た時には、多分それは初めての経験でしょう。皆さんが彼らに心を込めて奉仕すれば、彼らは食べ物と恋に陥り、あるいは皆さんのレストランと恋に陥って、また何度も何度も来たいと思うようになるでしょう。我々は日本レストランから始めていますが、何も日本レストランだけにこだわる必要はありません。我々はいろいろな背景を持ってきているのです。イタリア、フランス、インド、その他あらゆる文化背景からきています。我々メンバーは世界中から来ているのですから、それぞれの特徴あるレストランを始めるのに何の問題もないでしょう。 いろいろなビジネスの中で、投資してからわずか三年で収益を上げることができるビジネスは、それほど多くありません。レストランであれば、一定のお金を投資すれば三年以内にその投資が返ってきます。このようにして我々は、更に多くのレストランを作ることができます。そしてこれらのレストランが成功した後には、そのような実績があるので、銀行は我々のレストランが安全であると分かり、銀行からお金を借りることができます。お金を返済するのに何の問題はありません。我々はそういった基盤を作ることができます。さらに最も重要なことに、我々は人々に魚を食べることを教えることができます。将来の食事は魚です。我々がこのような投資をしてそこから成功することができさえすれば、我々はさらにそれを発展させ、さらに大きな成功が保証されます。

レストランにおいて、皆さんは毎日多くの人たちに奉仕することができます。そしてこのようにして、それぞれの地域社会において一味違ったことをなすことができます。そのことを考えてみなさい。このように非常に意味のある、そして現実的な方法を通して、アメリカの精神や魂を向上させることができます。アメリカの人たちは、我々と友情を築くことができるようになります。そして彼らは現実的な方法で我々を知ることができるようになります。いかにして、我々はこの国のために奉仕することができるか。現実的な方法を通して、いかにすればそれをなすことができるか。我々は本当にこの国を救うために、我々がなすあらゆるものを通して基盤を作りつつあります。我々は現実的な奉仕を通して、人々に手を差し伸べることができるのです。私たちは機械や船、車、魚や寿司などを売っているかもしれません。しかし真に重要なことは、我々が人々に奉仕し、そして彼らとの間に良い関係を築くということです。我々は我々の基盤を築いているのです。そしてそれはまだ些細なものであるかもしれませんが、いつの日か、それは国中に広まり、良い影響を与えるようになるでしょう。 これは皆さんの国です。皆さんはこの国の良い将来を見たいと思いませんか。皆さんは、皆さんの時とお金と努力をささげることができなければなりません。今は、人々は我々を誤解していますが、やがて彼らは我々の仕事の背後にある本当の動機が分かるようになるでしょう。

漁業において、我々は全く新しい基盤を造らなければなりません。我々は出かけて行って魚を捕まえます。我々はその魚を買って、それを我々のレストランに売ります。我々は魚の配達人であり、同時に小売人にもなります。なぜ、現在において漁業がそんなに低迷しているのでしょうか。家で毎晩食べるには魚があまりにも高いために、大部分の人々は特別の時以外は魚を買おうと思わないからです。しかし、本当に漁船から来た時に魚は高いのでしょうか。そうではありません。漁師たちは彼らの仕事にもかかわらず、だれよりも少ないお金しかもらっていません。水揚げの時の魚の値段は非常に安いのですが、だれがお金をもうけているのでしょうか。それは仲介人です。仲介人たちは魚を安く買って、それを高い値段で売るのです。これは公平ではありません。これは漁師にとっても、消費者にとっても公平ではありません。

我々は大衆のための利益を考えなければなりません。我々は安い値段で良い魚を提供しなければなりません。いつの日か、人々はこのことを考えてムーニーを歓迎するようになるでしょう。我々がマグロ釣りの訓練を始めた時には、ばかげた反対しかありませんでした。それは人々が非常に恐れていて、パニック状態に陥ったからです。しかしながら、人々が我々のそばで魚を捕ってみて、我々がいかに行動しているかを見て、我々がまじめな人間であることを知りました。そして魚の値段が漁師のために上がりました。我々の運動がそのような値段の上昇に影響を与えたのです。我々はお金を投資してすべてを失いましたが、漁師たちは本当に幸せでした。彼らはより高い値段で我々に魚を売ることができたからです。今年彼らは同じようなことが得られると期待し、望んでいます。彼らは先生がダンベリーへ行かなければならないことを本当に心配していました。彼らは魚の値段についてどうなるか心配して、我々が彼ら漁師を助けるのをやめるのではないかということを心配していました。もし彼らが今年の夏、先生が来るかどうか聞いた時には、このように答えてやりなさい。「皆さんがレバレンド・ムーンを刑務所に入れたのです。長年の間、皆さんはレバレンド・ムーンを取り除きたいと思っていました。今彼が周りにいないことが分かった時にアメリカの人達は苦しんでいます」彼らにこの点を考えさせるようにしなさい。

我々は今、訓練しなければなりません。それが今年の夏に関して、心の中に留めておく唯一のことです。先生は皆さんの顔を見て、そしていろいろ勉強しました。皆さんが幸運だったがゆえにここに来ているのです。皆さん自身はここにいることをそれほど幸福に感じていないかもしれませんし、皆さんの前途に横たわっている厳しい仕事のことを考えているかもしれません。しかし、ある意味では皆さんにはそれ以外の選択の余地はないのです。皆さんは偶然にここに来たのではありません。何かが皆さんをここに引っ張っていると感じたのです。しかしながら、皆さんは今やっていることに集中し、本当に心を注がなければなりません。もし皆さんの心がここにないとした場合、何かが起こるかもしれません。

先生は特に事故について心配しています。お互いに悪い人間関係は作らないようにしなさい。船の上においてはこのことは深刻です。我々は注意深くなければならないし、自らを訓練しなければなりません。我々の船の上において、お互いに悪いことが決して起こらないように注意しなさい。もし皆さんがだれも信仰の背景を持っていないような船の中で働く時は、さらに深刻です。普通の漁船の上で、もし皆さんが敵を作るようなことがあれば、船の縁から突き落とされ「命を失う」ということが極めて簡単に起こるでしょう。「事故」というものが起こり得るし、だれもそれが事故でなかったということを証明することはできないのです。分かりますか。このようなことが起こります。だから我々は、ここでいかにして良い人間関係を作るかということを学ばなければなりません。

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一九八〇年に始めた人は手を挙げなさい。皆さんはこれだけのことをしましたか。皆さんのだれかが少なくとも一人の市長、あるいは沿岸警備隊の一人の係官と関係を結んだ人はいますか。だれもいませんか。それでは皆さんは、これまでの時間をすべて無駄にしてしまったわけです。これは皆さんすべてにとって恥ずべきことです。だからわれわれはもう一度新たに出発し、基盤を再創造するのです。皆さんはまず統一原理を学ばなければなりません。皆さんが統一原理を教えることができなければ、霊的な基盤を達成する方法がありません。皆さんが皆さんの理想や理念を教えることができなければ、成功を勝ち得る方法がありません。

皆さんは皆さんの町にとって魅力的な人とならなければなりません。そして何か与えることができなければなりません。ムーニーたちが町に来れば、町の人はいつも皆さんを見つめ、何をするのかと恐れているでしょう。皆さんが出かけていって、その地方を発展させていくならば、町の人々はそのような恩恵が来ることが分かるようになるでしょう。そうすれば、彼らは皆さんに反対しなくなるでしょう。皆さんは自分の戦いを組織しなければなりません。なぜならば皆さんは、あらゆる点で彼らの前で証詞をしなければならないからです。人々は皆さんを自動的に信じることはないでしょう。皆さんは規律正しく組織化されなければなりません。皆さんはチームワークを重んじる人でなければなりません。それには疑いがあってはなりません。もし皆さんがほかの人を訓練しようとするなら、自分自身を訓練しなければなりません。これがオーシャン・チャーチの路程です。
 時として、海に行く人たちはだらしのないことがあります。われわれはあらゆる詳細な点まで絶対的に念を入れなければなりません。皆さんは自分の心に規律を与えることなくして、海を首尾よく勝ち得ることはできません。皆さんは海における仕事に対して、科学的で組織化された取り組みをしなければなりません。

皆さんは、皆さんの船を絶えず手入れしなければなりません。皆さんの船はいつも最高の状態に管理し、一点の傷もないものでなければなりません。さもなければ、皆さんは危険な立場に陥ることになるでしょう。皆さんの公的な使命は非常に困難なものです。しかし、もし皆さんがそれを達成しようとするなら、アメリカにおけるほかの指導者と比較することはできません。だから先生は、海洋をアメリカにおけるわれわれの仕事の基盤として選んだのです。またそれゆえ、先生はこの基盤を築くために神学校卒業生を選んだのです。

しかし皆さんは、厳密に先生の指示に従わなければなりません。皆さんの心霊状態がすべてを決定するでしょう。皆さんは常に祈らなければなりません。特に、海に出る時は祈らなければなりません。そうすれば、皆さんは危険から守られ、導かれるでしょう。心を用い、信仰を発展させるようにしなさい。オーシャン・チャーチのメンバーは、時として非常にずさんなことがあります。彼らは例えば「なぜわれわれにはイエスが必要なのか」というようなことを言います。それは奇妙な考え方です。もしイエス様が必要でないとすれば、われわれにはモーゼ、アブラハム、アダムも必要でなくなります。もし第一のアダムが必要でないとすれば、第二のアダムも必要でなくなります。そのようにして最後には「われわれにはお父様も必要ない」と考えるようになります。これが皆さんの結論となります。われわれがしていることは、イエス様もしたいと願ったことなのです。われわれは霊界におけるイエス様を解放するために働いているのです。イエス様は霊界において、人類を解放するために働いておられます。そしてそれがわれわれの仕事でもあるのです。もしわれわれがイエス様と霊界を解放することができなければ、地上に天国をもたらすことはできません。

皆さんは正しい心の状態を保たなければなりません。もし皆さんの心が霊的に一つにならなければ、被造物のひとつであり、また感受性を持っているような魚は、皆さんのそばには来ないでしょう。皆さんが霊的な基盤をもって町の指導者たちと交わることができなければ、決してオーシャン・チャーチの勝利を得ることはできないでしょう。皆さんはあるゆる段階の人たちの所へ行って、その人たちを皆さんの下に勝ち得るようにしなければなりません。皆さんの町において、皆さんはあらゆる種類の、例えば非常に荒っぽい人たちにも出会うかもしれません。それらの人たちの中には、自分自身の親さえも投げ出してしまうような人たちさえもいるでしょうが、皆さんはそれらの人たちをも勝ち得なければなりません。皆さんはそれらの人たちに対して、皆さんが本当に彼らのことを思っているんだということを確信させなければなりません。それらの人たちがそういったことを認識するようになれば、町の中で皆さんとともに仕事をしたいと願う人たちを見つけることができるでしょう。もし皆さんの心が霊的に正されていれば、皆さんが正しい態度を持っているがゆえに、それらの人たちが皆さんを助けるようになるでしょう。彼らは皆さんの方に引き付けられるでしょう。そして皆さんが礼儀正しく、正直で、献身的な人たちであるという評判を得るにつれて、町の指導者たちも若者を皆さんの所へ来させ、そしてその若者たちが皆さんと仕事をするのを見守るようになるでしょう。そうすれば、彼らが皆さんのことを証すようになります。皆さんはこういう路程を通って行かなければなりません。皆さんはその本当に荒っぽい人たちに対して、皆さんとともに出かけ、またその自分の息子を連れて来るようにと頼むこともできます。そして、その人たちの息子を非常に心を尽くして取り扱えば、その荒っぽい人たちも感動するでしょう。いかなる都市においても、若者の問題について悩んでいる親たちがいるのです。オーシャン・チャーチのメンバーたちはこれらの難しい若者たちを助けてあげるのです。そして彼らの言葉に耳を傾けるカウンセラーとなることができるのです。そして皆さんの船でこれらの若者たちを訓練することができます。そうすれば、その若者の親達、町の市長や指導者たちも皆さんの側に来るようになるでしょう。皆さんに反対したり、否定的な人たちは、皆さんを歓迎するように皆さんが心を変えてあげなければいけない人々です。

皆さんはこれらの否定的な人たちをつかんで、彼らの心を勝ち得るようにしなければなりません。もし皆さんがそうすることができるならば、皆さんは非常に早く成功するでしょう。先生の言っていることが分かりますか。この麻薬に溺れてしまっている若者たちとともに働くようにしなさい。ほかのだれもそのような若者たちを助けることはできませんでした。しかし皆さんは彼らを助けることができます。

先生は、オーシャン・チャーチはIOWC(国際機動隊)や州の教会以上に成功すると信じます。なぜならば、皆さんが船を用いてする仕事は、非常に早く町から認められるようになるからです。いつの日か、皆さんが皆さんの町の市長にさえなるかもしれません。人々は皆さんがその町を奇麗にするために成した貢献に基づいて、皆さんを市長に選ぶでしょう。また皆さんの中には、下院議員や上院議員といった国会議員になる人さえも出てくるかもしれません。

船を十分に手入れしなさい。そして出かけて行って、魚を捕まえなさい。また船を伝道のプログラムのために用いたり、町の若者たちを訓練するために用いなさい。皆さんが必要なものはすべて、船によって与えられます。皆さんはこれまで何年間、時間を無駄にして来たのですか。さあ、今から私たちはそれをするのです。地方の教会にいるほかのメンバーたちに仕事をさせるようなことをしてはいけません。そうでなく、オーシャン・チャーチの指導者である皆さんが、町へ行って、町にいる若者たちから支持を得るようにしなければなりません。それぞれの町を二、三人のメンバーで開拓しなさい。本当はこの目的のために三百隻の船を造るべきでしたが、皆さんはそれを受け入れる準備ができていませんでした。皆さんはそれぞれのセンターで十隻の船も欲しいと思いませんでした。そして先生に対して「お父様、われわれは一隻あれば十分です。これ以上船を送らないでください」と言いました。先生は深く失望しました。

このような幻滅はどこから来たのでしょうか。皆さんはほかのいかなる教会のプロジェクト以上に希望を持つべきでした。ところが、かえって希望を失ってしまいました。それは皆さんが先生の支持に従わなかったからです。マグロ釣りがオーシャン・チャーチではありません。本当の意味において、そうではありません。それは訓練するのには良い方法ですが、マグロ釣りは単なる始まりに過ぎません。皆さんはそれぞれの町において、地方の漁業をする人の尊敬を勝ち得なければなりません。そうしてから、皆さんのオーシャン・チャーチを始めることができるのです。皆さんが若者たちを訓練して一隻の大きなトロール船に責任を持てるようになった時、その時が本当の意味で仕事を始めたということになるのです。将来のオーシャン・チャーチのために、またアメリカのために、いかに成功を勝ち得ることができるか、分かりますか。分かったならば始めなければなりません。今から新しく出発しなければなりません。

皆さんがオーシャン・チャーチで発展していく間は、日本人から学ばなければなりません。また日本のメンバーは皆さんと協力し、助けなければなりません。また皆さんは彼らを助けなければなりません。皆さんは海に出て行かなければなりません。それが皆さんの役割であり、使命です。もしアメリカのメンバーが失敗するならば、先生は日本人や韓国人、あるいは祝福の子女たちに対してこの使命を達成するように求めなければならないかもしれません。先生は絶対に成功しようと決意しています。過去のことを悔い改め、新しい希望に満ちた出発をするようにしなさい。今こそ、その時です。どうですか、やる気はありますか。もしやるならばここで厳粛な約束をしましょう。この公式路程に従って行って、成功することを決意しましょう。

皆さんは先生がどこにいるか知らないかもしれませんが、先生はいつか突然皆さんの所へ来て、一緒に海へ行こうと言うかもしれません。その時に備えて、いつでも用意をしていなければなりません。その時のために皆さんの船をいつでも出せる状態にしておきなさい。そういう時が来るでしょう。先生が皆さんの町に行ったら、十分以内にすぐに海に向かって出なければなりません。それだけの時間内にドックを出発できるように用意していなさい。常にそのために皆さんの船を準備しておきなさい。先生が来た時に、先生が皆さんを呼んで「用意はできているか」と言うでしょう。その時皆さんは「はい、お父様行きましょう」と答えなければいけません。

もしオーシャン・チャーチが、密輸入する船によって麻薬が持ち込まれるのを防ぐならば、沿岸警備隊がわれわれを支持するようになるでしょう。そうすればムーニーたちは麻薬という深刻な問題に直面しているアメリカを助けようとしている人たちであると認められるようになるでしょう。麻薬はこの国の若者をむしばんでいます。麻薬問題を奇麗にすることによって、この国の若者たちが未来を持つようになります。先生は海がアメリカにおいて新しく築かれるべき基盤の手段であると見ています。しかし、オーシャン・チャーチの摂理が本来のペースを守らなかったゆえに、先生は失望しています。皆さんは摂理のスケジュールから遥かに遅れています。

だから、どうか一生懸命勉強して、きょうからもう一度先生の指示を復習してください。ここからわれわれは前進するのです。われわれが何をするべきかについては、もはや何らの疑いもありません。皆さんはそれをしますか。(はい)「はい」ですか。絶対的に「はい」ですか。(はい)では、その皆さんの決意を失ってはいけません。どうもありがとう。

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新たに始めましょう
1984年 2月 8日 ワールド・ミッション・センター
 先生はオーシャン・チャーチから非常に多くのことを期待していましたが、それらの期待は幾分裏切られてきました。きょう新たに出発し、新しく始めましょう。皆さんはオーシャン・チャーチの基盤を造るということが、この国にとっていかに重大か、理解できずにいます。オーシャン・チャーチがアメリカにとって、いかにすばらしいものであるかを皆さんは知らないでいます。皆さんは海洋摂理における重要な一部分なのです。先生はこのアメリカにおいて造るべき基盤について、何よりも多くいつも考えています。そして、このことを考えることに、自分の時間の大部分を費やしてきました。先生は、われわれがどこから出発して行くべきかを考えてきました。この国ではあまりにも多くのものが無駄になっています。先生はまず、われわれがアメリカでスクラップの金属やひどくさび付いた部品を集めて、それを再生処理すべきだと考えました。われわれはこういったものを回収して、それらを良い目的のために使えるようにしなければなりません。それからまた、非常に多くの紙が使われては捨てられています。そういうものもまた、再生処理することができます。この国ではだれかがそういうことをしなければなりません。しかし、現在のところ、われわれがそのようなプログラムを設立することは非常に難しいでしょう。

皆さんはどのような生活をしたいと思いますか。今日の世界では、多くの人々は生計を立てるのに安易な方法を探しています。彼らの中には、一晩で財産を作りたいと思っている者もいます。従って、毎日毎日出かけて行って、困難な環境の中で一生懸命働くことは、彼らにとって負担が大き過ぎます。先生はこのことを考えた時に、皆さんの性格をより良く訓練するのみでなく、より良い生活を与えてくれるような場所はないかと探しました。そういう意味において、海における生活こそがわれわれにとってより良い生活の方法です。

先生は、海に関係がある都市について研究し、アメリカを助ける最も良い方法は、これらの都市を助けることであると悟りました。非常に多くのものがこれらの都市を通して入ってきて、そしてそこから国の中に入っていきます。もしわれわれがこれらの都市を開発し、その都市を奇麗にするならば、この国の次の世紀のための方向性を定めることができるでしょう。この点において沿岸警備隊は非常に重要です。彼らは麻薬の流入から国を守ろうとしています。しかしマフィアは、コカインその他の麻薬を何千ポンドとこの国に密輸しています。もしわれわれが海の生活に入ろうとするならば、この沿岸警備隊に協力して彼らの仕事を助けなければなりません。そのようにしてこの国がその麻薬問題を解決するのを助けると同時に、またアメリカの漁業を助けることすらできるのです。これらの都市が、マフィアの支配の下におさえられるかもしれないという危険性があります。先生がアメリカに来るずっと前に、韓国で先生は海の可能性をいろいろと探求しました。そしてアメリカでは、一九七四年以来、海に対する摂理のための基台を打ち立てようとして来ました。皆さんはどれくらいの間、海にいますか。皆さんの中には一九八〇年から始めた者もいるでしょうし、あるいは八一年から始めた者もいるでしょう。八〇年に皆さんは海に面した多くの都市へ出かけて行って、復興会を通して、それらの都市を復興するようにという指示を与えられました。皆さんはそれらの都市の市長とか、あるいは沿岸警備隊の指導者といった、主要な指導者を招待すべきでした。

先生はワン・ホープ号を設計しました。その船は強くて高速で走る船です。若者たちは大いにこの船に引き付けられるだろうということを先生は分かっています。この船はそういった若者を念頭において設計されています。先生は若者がこの船を用いて、皆さんとともに仕事をしてくれることを望んでいました。海の都市では若者たちには希望がありません。彼らは何もすることがなくただ街頭でぶらぶらしているだけです。彼らは麻薬によって侵されるままになっています。彼らは魚釣りに出かけるにしても、魚釣りの装備がなく、魚を捕まえたとしてもどうしたら良いか分からずにいます。そして彼らは自分自身に対する誇りも、自尊心を得る方法も、何も持っていません。

その船はどこにありますか。今なお倉庫に眠ったままです。各海洋都市毎に、少なくとも十隻の船がなければなりません。もし皆さんが、船一隻につき五人の人々でその船とともに学び、船の面倒を見るようにすることができるならば、もっと大きな大洋を走る船を用いることができるようになります。そして五十人の人々の中から、皆さんは船長や乗組員を訓練することができます。もし皆さんが先生の指示通りに海洋都市へ行って、計画通りにしていたなら、今までに強固な基盤を打ち立てることができたでしょう。そして今までに信じられないくらいの勝利を既に経験していたことでしょう。しかしながら、皆さんが何かを達成する前に、まずいかにして霊的基台を達成するかを考えなければなりません。

先生はまず霊的基盤のことを強調しました。皆さんはまず都市の指導者と一体化し、それから若者を抱きかかえるようにしなければなりません。このように公式に従いさえすれば、成功したでしょう。どのようなことであれ、どんなに難しくても、皆さんはこの町の、この地方の指導者の人たちと友情と信頼を勝ち得るようにしてほしいのです。牧師やあるいは町の指導者たちは非常に重要です。今でさえ、皆さんはこの原理的な道を通過して行かなければなりません。

地方の若者なくしては皆さんは成功しないでしょう。皆さんは、ただほかのメンバーからの助けを求めるのではいけません。自分自身の心を込めた努力によって、若者から支持を得るようにならなければなりません。皆さんは苦しい戦いを通過しなければなりません。皆さんは正義を代表するためにそこへ行くのです。最初のうち人々は“ムーニー嫌い”という船団を組織するでしょう。しかし皆さんはそういった迫害や人々からの反対が必要です。それは皆さんを清めるための過程であり、それを通して、皆さんが支持を獲得する方法でもあるのです。皆さんが正しいことのために立ち上がっているがゆえに、沿岸警備隊や市長たちが皆さんを支援に来るでしょう。皆さんの船を用いて、麻薬のパトロールを助けるようにしなさい。これは非常に高価な船であり、そのようなすばらしい船が彼らの仕事を助けるのに使われることを知って、沿岸警備隊の人たちは驚くでしょう。皆さんが人々にその船を使わせてあげ、彼らに皆さんの理想を分かち合うようにするならば、皆さんは彼らの尊敬を勝ち得るでしょう。皆さんに対する迫害は、町のことを心配している善良な人々を皆さんに注目させるでしょう。

先生はそのような完全な基盤を築くために、三年もあれば十分であると信じていました。三年経った後には、皆さんはもっと大きな船を持つことができるだろうと期待していました。そして皆さんのそれぞれの地方の人たちが、先を競ってトロール船の操作方法を、皆さんに学びに来るようになることを期待していました。そうすればどうなっていたでしょうか。そうすれば、皆さんはそのプログラムに対する援助を、政府から得ることができたことでしょう。そして皆さんはその町や沿岸の地域のために船団を作ることもできたでしょう。理論的には五十人の船長たちを訓練することができたことでしょう。そしてその沿岸の地域が全く新しい漁船団を創設することができたことでしょう。

市長や沿岸警備隊が皆さんを推薦し、そして政府はそれらの人たちの推薦に基づいて、皆さんを援助したことでしょう。皆さんの目的はこのアメリカにおいて漁業を助けることでなければなりません。このアメリカの魚業を行う人たちの目的は、皆さんなくしては達成できないのです。このような関係を築くことが極めて大切です。沿岸警備隊や地方の指導者たちの援助を受けることによって、海洋の摂理が成功し、アメリカにおいて強力な仕事となることは疑いありません。ところが、皆さんの誰一人としてこのような先生の期待に応えた人はいませんでした。皆さんの誰一人として市長と仲良くなったり、沿岸警備隊と関係を結んだ人はいません。一人もいません。

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マグロ釣りは訓練である。

ある人達にとっては一本のマグロは一カ月分の給料よりも多いのです。皆さんはこのことをもっと真剣に考えなければなりません。もし皆さんが五千ドルの現金をポケットの中に持っていたとしても、それを海の中に落としたならば、皆さんはどんなに悲しむでしょうか。そのことを考えるべきです。マグロの場合には、皆さんはお金だけでなく、マグロの命すら失うかもしれないのだからさらにもっと深刻です。我々は他の誰よりも真剣なんですが、そういう真剣さは本当に重要です。もし我々が真剣さや尊敬の念を失えば、マグロに逃げられてしまいます。マグロ釣りは、魚釣りの技術の中でも最高の技術を必要とします。もちろん皆さんは、漁についての知識をほとんど持たずに始めたのですから、こういうことを全く知らなかったかもしれません。しかし先生がそれらを説明した現在、皆さんもそれについて考えてみなければなりません。これらの技術は皆さんがどこへ行こうとも、漁をしていようと水産業に携わっていようと、その他の仕事についていようとも、いつも皆さんと共にあります。それは皆さんが心の姿勢について学んでいるからなのです。

将来皆さんが何をしようとも、どういう問題を抱えることになろうとも、皆さんはここで学んだ教訓と関連づけるので必ずそれを解決することができます。また他のどんな漁についても、皆さんはこれを適用することができます。分かりますか。少々抽象的すぎるかもしれませんが、水産業の中で他のどういう分野にも適用することのできる思考方法を皆さんは学んでいるということです。実際、どういう種類の活動にもそれを適用できます。

皆さんも既に経験したかもしれないけれど、こういう漁のやり方には速やかな決断が要求されます。数分間の猶予も与えられません。時にはその瞬間に決断しなければならないこともあります。一人の人間の命が皆さんの決断にかかっているかもしれません。間違った動きをすれば、何かとても危険なことが起こるかもしれません。我々はいつも真剣に考えなければなりません。浮わついた考えをしてはなりません。これは将来起こるかもしれない命の危険について言っているのです。いついかなる時も、何か緊急事態の起こる可能性があります。皆さんは自分の命について、こういう考え方をしておかなければなりません。実際、一瞬一瞬が真剣です。

さらに、皆さんは一体化についても素晴らしい教訓を学びました。船の上にいるすべての人々が一体化し、船全体が調和を持って働いていれば、誰もけがをしないし、フックからマグロが逃げることもありません。マグロが食い付き、そして引っ張ります。そして皆さんも引っ張ります。その時皆さんは十のこと、あるいはそれ以上のことを考えています。皆さんは引っ張っている時「次はこうだ、その次はこうだ」と先のことに素早く思いを巡らせなければなりません。

皆さんの心の中ではすべてのことが同時に起きています。次に何をすべきかをはっきりと皆さんは知っていなければなりません。例えば、ジンソン(珍成)のフックにマグロが掛かりました。彼らは引っ張り始めましたが、彼の頭の中にあるのはそれだけでした。マグロが海面に姿を現したけれども、誰も他にどうやったら良いのか知っている者はいませんでした。彼らはただその周りに立っているだけで、ラインが至る所に垂れ下がっていました。皆さんは自分がそういう立場にいたらどうすべきかを決定しなければなりません。

すべてのことに絶えず思いを巡らし、今やっていることに意識を集中しなければなりません。皆さんが何をやるにしても、なぜそうするのか、いつも知っている必要があるし、次に何をすべきかについても絶えず考えていなければなりません。そして、これらのことが全部同時になされなければなりません。先生はこれらの技術について長い間とても真剣に考えたのですから、皆さんにもそれを習得してもらいたいと思っています。重要なことです。一瞬たりともおろそかにしてはなりません。そうしないと、皆さんは機会を逃がすことになるかもしれません。それを皆さんに知ってもらいたいのです。

若者と将来に投資する

なぜ我々はマグロ釣りをしているのですか。他にもヒラメやサケなど、漁に適したいろいろな種類の魚がいます。いつの日か皆さんはそういった魚を全部捕るつもりでいるのですが、先生はまず若者達の創造力をいかに捕えることができるかを考えています。若者が少なくとも三本のマグロを捕ったら、残りの人生はそれに釘付けになるでしょう。夏がやってくるごとに、その人は漁に行きたいと思うようになります。彼らは「陸の上はとても暑くて蒸し蒸しするけれども、海の上はとても静かで美しく、時には冒険的だ」と考えています。その若者はどうしてもそれに引き付けられてしまいます。

ムーニー達は基本的にはこの世の人達と同じなのです。少しはましかもしれないけれども、基本的には同じです。いずれにせよ、我々の人生には時々刺激が必要です。そう思いませんか。我々はマグロ釣りをすることによって、今までずっとお金を失っていますが、先生は決してそれを心配していません。先生は決してラインを離さないし、この自分の信念も絶対に放棄したりはしません。マグロはこの伝統を確立する上で最も優れた種類の魚だということを先生は知っています。一人の人間を、急激に一夜のうちに、また一年間で変えてしまうようなものは何もありません。ここの平均的なアメリカ人の若者が、それを心に留め応用することができるようになるには、少なくとも十年かかるということを先生は知っています。特に海に関してはそうです。海を愛するには一年、二年、あるいは三年かかります。長い年月が経った後、皆さんは「そうだ、これが私の未来だ」と言えるようになります。

いったんマグロ釣りの方法が分かるようになったら、何ものもその興奮を抑えることはできません。このことを知っている人がマグロ釣りについて話し始めたら、彼は穏やかに話すことができず興奮してきます。そしてマグロがラインに掛かってきた瞬間を再現し、格闘のあらましを詳細に説明しないわけにはいかなくなります。皆さんは笑っているけれども、それは皆さんがそういうことについて既に知っているからなんです。これはマグロを釣ったことのない人々にも良い影響を与えます。マグロがアンカー・ラインの所にきてラインを切った瞬間、その時ちょうど皆さんがそのラインを力いっぱい引っ張っていた時だったというようなことが時々起こります。その時皆さんは船の上にひっくり返って、体をしこたま打ちます。こういうことは、本当に人生を満ち足りたものにする経験です。我々はたくさんのお金を失っても、それを心配したりはしません。

我々は一年とか二年だけ漁をするのではありません。我々は未来を、これが広がり始め、さらに多くの人々が参与するようになる十年後よりさらに未来を見つめています。それからアメリカの若者達の目が海の方に向き始めるようになります。先生はそのように確信しています。それを確実なものにするために、我々は少なくとも十年間費やして基盤を築かなければなりません。我々がそうすれば、人々は我々の運動にきやすくなるし、我々の経験から利益を得ることもできます。我々も自分自身の運動の中でいろいろ学ばなければなりません。先生はまず自分で漁を始め六、七年それを続けた後、オーシャン・チャーチを始めました。最初オーシャン・チャーチの指導者達はほとんど何も理解できませんでしたが、今では彼らのうち何人かは理解できるようになりました。彼らはある程度成熟してきたのです。そう思いませんか。だから今こそ、我々がより多くのお金と努力の投入を開始することのできる時なのです。

先生はいつも皆さんより先を歩いています。将来何をすべきかについて皆さんが何も考えていない時、先生は海に出てマグロの釣り方を学んでいました。今皆さんはマグロ釣りをやっており、先生は既にアラスカにいます。アラスカは特別な場所です。そこには夜がありません。だから皆さんは文字通り夜を徹して働くことができます。その間ずっと釣りをしています。アラスカではオヒョウが釣れます。その重さは百五十ポンドぐらいですが、オヒョウは平べったいのでマグロほどの大きさがあります。マグロはフックに掛かったら、ただ真っすぐに引っ張るだけですが、オヒョウは突然ぐいと引きます。皆さんが本当に釣りが好きならば、一度アラスカに来ただけで、皆さんは「プロビンス・タウンは忘れてしまえ、グロースターは忘れてしまえ」と言うようになるでしょう。

そこにはいろいろなものがあります。例えば、タラの群れは海をさまざまな色で彩ります。彼らはまるで一匹の大きな魚のようになって移動します。十分大きな網があったとしたら、何百ポンドという魚が捕れることでしょう。皆さんはそれを捕る方法を見いだし、そして全世界に配らなければなりません。そこから皆さんはアメリカの水産業のための新しい伝統を築くことができます。なぜ我々がマグロ釣りをするのか、その理由を皆さんは少しは理解できるようになりましたか。マグロは最初に捕る魚として最適なのです。マグロ釣りの技術を徹底的に学習しさえすれば、他のどういう種類の魚に対しても確信を持って当たることができます。確信を持って釣りをすれば、皆さんは水産業全体を復活させることができるし、またそうすることによって、アメリカを復活させることになります。それが先生の皆さんへの希望なのです。

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マグロ釣りの技術

マグロ船団に初めて加わった者達、手を挙げて。これが皆さんにとって初めてのシーズンなのです。皆さんの方が経験あるメンバー達の数より多いほどです。マグロが釣れるという期待を皆さんは持っていますか。自動的に、このように釣れると思っているのですか。先生はそう思いません。もし皆さん自身のやり方に任せておくならば、もし先生が面倒を見ないでただ皆さんを出港させマグロを釣らせるならば、皆さんは自分でできると思っているかもしれないけれども、実際にはそう物事は運びません。もし先生が皆さんに何も指示を与えず、一つ一つの細かい点を説明せず皆さんにすべてを任せておけば、皆さんは一本のマグロも捕ることができなかったでしょう。先生にはそれが分かります。皆さんにもそれが分かるし、経験ある漁師達なら誰でもそれと同じことを言うでしょう。

それについて考えてみましょう。マグロ釣りで最も重要なものの第一は船です。ニュー・ホープ号はその一例であって、マグロを捕るには大き過ぎます。先生はそのために数度マグロに逃げられました。餌に食い付いた時、マグロが次にどの方向に行くか誰にも分かりません。ある方向に向かっていたマグロが急に向きを変え、別の方向へ行きます。方向チェンジをしてマグロの後についていく船としては、ニュー・ホープ号は大き過ぎます。速度も足りません。

ニュー・ホープ号の後尾には二つのスクリューがついています。マグロが戻ってきて船の下を通る時、スクリューでラインを切ってしまうことがしばしばあります。マグロは逃げようとして気が狂ったようになります。ニュー・ホープ号は動き回り、それについていこうとするのですが、船が大きいので、それをするには時間がかかりラインがもつれます。またマグロについていこうとする時は、スクリューも回っています。だからラインがそれにちょっと触れるだけで切れてしまい、マグロは逃げてしまいます。

先生は、何年もの間そのことを考え、「百パーセント、マグロを捕ることができるようにするには、この船をどう改善したら良いだろうか」と自問し続けてきました。その結果がワン・ホープ号のデザインとなったのですから、それは極めて重要な疑問だったのです。皆さんにもそれが分かるはずです。皆さんは既にワン・ホープ号の能力を試しています。この船はマグロを追いかけながら急旋回できるし、実際のマグロの大きさとあまり変わりません。他のたくさんの船の間を容易に通過し、動き回りながらマグロと闘うことができます。ニュー・ホープ号はそういうことができません。皆さんも既に経験したように、皆さんの船と他の船の間でラインが絡み合った場合、その取り扱い方が他の船より極めて容易です。

以前は、そういう時には必ずラインを切らなければなりませんでしたが、そういうことをすればマグロ釣りはとても高価なものになります。すべてのラインを切れば千ドル近くになります。自分達のためでなく、他の漁師達のためにもそういう損失は防ぎたいと先生は思ったのです。彼らだって自分の道具を失えるような余裕はありません。先生の第一の関心は、マグロが食い付いてきた後、ラインを切らなくても済むようにするためにはどうしたら良いのだろうかということでした。こういう問題があったので、皆さんはニュー・ホープ号では働けませんでした。もし皆さんがバウ(船の前端に近い部分)の一方にいて、マグロが船の下を潜って反対側に向かった場合、ラインをそれに合わせて移動させるのは非常に難しいのです。それがもつれている時は特にそうです。そして、マグロ釣りは高くつき過ぎることになります。

船の設計、デザインをする前に、皆さんはこういうことを全部考慮しなくてはなりません。またどういう種類の魚を捕りたいのか、どういう種類の船を設計するのかということは合わせて考えなければなりません。最初、我々はこのラインの問題が心配でした。それでこの問題を念頭において、船を設計しなければなりませんでした。先生の最初の考えは、もつれるのをどうやって防ぐか、あるいは避けることができるかということでした。その次にもつれた後、どうやって速かにそれをほぐすことができるかということを考えました。皆さんがしなければならないことは、マグロが食い付いた時、そのラインをまだ水につかっている他のラインから離しておくこと、そしてそれを確認することです。そうしておけば、他のラインを引き上げることをそれほど心配しなくてもすみます。最初の人がバウの所でマグロのかかったラインを繰り、その間にもう一人が他のラインを引き上げることができます。なぜこれがそれほど重要なのですか。大抵の人はこのもつれの問題を解決できなかったので、我々が漁を始める以前は一本か二本のラインしか使っていませんでした。

先生は五本、六本、七本さらに十一本までのラインを使いたいと思いました。魚を捕れるチャンスがそれだけ大きくなるからです。我々はこの問題を解決したので、それだけ多くのラインを使って漁をすることに先生は自信を持っています。

海の深さと海流に応じてラインの間隔を一定に保つというのは専門家の技術なのですが、我々はそういうものも開発しました。さらに、我々が今使っているラインは完璧な作りになっています。ラインは切れないし、フックも延びたりしません。こういうこともすべて我々が開発しました。皆さんはラインを見て不思議に思ったかもしれません。なぜそのように作られているのか、不思議に思ったかもしれません。その理由は速かにラインをほどくことができるようになっているのです。ほどくことができれば、ラインが切れたり、それを失ったりすることを防ぐことができます。

ラインは手入れを良くすれば、十年から二十年は持ちます。こういうものにはすべてこつがあることを皆さんは知っていなければなりません。そして皆さんはそのことを開発すべきです。今年が皆さんのマグロ漁の最初の年です。船に乗った時、なぜ船の中のものがそのようになっているのか、皆さんにはすべてが分かっていたわけではありません。しかし皆さんはそういう方法で釣りをしながら、次第にそのやり方を学んでいきました。そして今、皆さんは七年間の経験を獲得したことになります。つまり今皆さんは、いわば一シーズンを終えて、漁生活七年目に入ったということになります。

今、先生は皆さんに船の大きさとマグロ用ラインの技術について、先生がどう考えてきたのかを説明しましたが、三番目として、先生はアンカー・ラインについて考えました。もし水の中にいるマグロの立場に自らを置いて考えるならば、皆さんにも多くのことが分かってきます。あらゆる種類のラインが垂れ下がっているし、また数多くのアンカー・ラインもあります。マグロはラインに掛かったならば、アンカー・ラインの方に突進し、アンカー・ラインの回りにラインを巻き付けてフックから逃れようとするでしょう。

最大の問題は、マグロのすぐ近くにある皆さんのアンカー・ラインです。いったんマグロが食い付いてきたならば、どういうことがあっても、皆さんはラインを離すわけにはいきません。マグロはいったん逃げてから急旋回して、アンカー・ラインに突進してくることがよくあります。アンカー・ラインがまだ船につながっている間にマグロが戻ってきたならば、ラインは切られてしまいます。我々はこれを経験によって知ったのですが、そういうことが起こったら、皆さんはラインを少し弛めなければなりません。しかしそうすればマグロを逃がす危険性が大きいのです。しかしアンカーが既に皆さんの船から離されていれば、マグロはただラインの周りにアンカー・ラインを巻き付けるだけですみます。皆さんはブイの所へ行ってアンカー・ラインをほどかなければなりませんが、船につながっている時ほどにはピンと張っていないので、ラインが切れるようなことはありません。

アンカー・ラインをほどくことは、マグロとの闘いで皆さんがしなければならない最も重要な作業の一つです。いったんアンカー・ラインを外したら、魚を捕えるチャンスははるかに大きいものとなります。皆さんと魚の一対一の闘いです。皆さんはいつも、マグロのかかったラインをピンと張っておかなければなりません。いったん弛めると、簡単に魚を逃がしてしまいます。マグロが海面に姿を現すかもしれません。マグロが食い付いたからには、皆さんはそれを引き続けなればなりません。マグロはその反対方向に逃げようとします。しかし、いつもそのようになるとは限りません。時にはマグロは皆さんの方向に戻ってきてから急にグィッと引き、口からフックを外そうとします。

マグロと格闘する時にはいつでも、その口からフックが外れないようにすることを念頭に置かなければなりません。ニュー・ホープ号は今年の夏、六本逃がしましたけれども、そのうち三本がそのように逃げました。マグロがラインの張力から逃れることができ、フックを口から外すことができたからです。皆さんの船をブイ・ラインから離すことができさえすれば、皆さんがその魚を釣り揚げる可能性は九〇パーセントになります。皆さんは船の上にいるのですが、それでも水の中にいるマグロの姿を心に思い描き、どのように行動するか分析しなければなりません。先生はマグロ釣りをどう解釈すべきかということだけでなく、その技術についても、すべて皆さんに教えようとしているのです。調度、皆さんはもう一度学校に戻ったようなものです。学んでいる間は、その瞬間は皆さんには理解できなくとも、後になって「ああ、先生が言わんとされたのは、こういうことだったのか」と思うようになります。皆さんはこの夏の終わりまでに、先生が教えようとしていることを理解することができなければなりせん。

考慮すべき最後の点はもり打ちです。皆さんも知っているように、魚を確実に船の上に釣り揚げる目的でもりを打ちます。魚にもりをうまく打ち込むことができたならば、次に皆さんのやることは、その魚をできるだけ早急に船の近くまで持ってくることです。マグロは疲れかかっているし、皆さんも引き続けているので、この最後の瞬間にマグロは船の近くの海面上に浮かび上がってきます。それからマグロはそこで行われていることをちらっと一瞥(べつ)します。そして人々や船、またあらゆるものを見ます。マグロにとっては全く不思議な光景です。こういうことがあると、マグロは最後にもう一度強く動いて海の底へ潜っていきます。皆さんはこういう予想しておかなければなりません。その場合は引くのではなくて、マグロが必要とするだけのラインを与えてやります。しかし弛めてはなりません。これはマグロにとって生き残るための最後のチャンスなのです。それから船の所まで引っ張ります。その時、マグロはよく一度海の底に真っすぐに潜っていきます。こういう事が一度ならず二度三度、あるいはそれ以上起こるかもしれません。しかし日本のメンバー達にはこれが理解できませんでした。 いったんマグロにもりを打ち込んで船の近くまで引いてきた以上、また海の中へ離すということは不名誉なことだと彼らは考えていました。しかし、本当はそうすべきではありませんでした。皆さんはその魚を上手に取り扱い、次に何をしようと考えているのか予想しなければなりません。これをしなければ、皆さんはもっと魚を逃がすということになります。魚を逃がすということは、何千ドルかを失うということを意味しています。あるいはさらにひどくなって、魚の命も同様に失うことを意味するのかもしれません。

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なぜ我々はマグロを捕りに行くか
1983年 8月31日 グロースター
 ムーニー達が水産業を始めた事を誰もが疑いもなく知っています。そして漁を始めた結果、我々がどういう類の人間であるかということが漁師達にも分かるようになりました。雨でも晴れでも、どういう天候の下でも我々は出かけます。我々には女性の漁師すらいて、彼女達は男達と同様、ある時は男性達以上に実績を上げています。それがグロースターの漁師達の目に入らないはずがありません。

確かに彼らはそのことを噂しています。そのニュースは広がり、市長を含めた市の役人の耳にまで達しています。先生が一九七四年初めてここに来て以来、過去十年間でどういう変化が生じたのかを彼らは知っています。当時マグロを捕る漁師達の一日の労働時間は、一般的に言って、朝十時頃海に出て行ってマグロが釣れようが釣れまいが午後二時頃には戻って来るというものでした。

当時マグロには値段がついていませんでした。もしマグロを釣ったら、波止場に戻ってきてそこでマグロの隣に立って写真を撮り、それが終わればその魚を残したまま彼らは立ち去りました。一ポンド五セントにしかならなかったのでそれを売ろうと努力する価値さえなかったのです。時には、その魚は腐るまで波止場にそのまま置かれていました。

また、毎年マグロの値がどの位の割合で上昇していったかも漁師達は覚えています。一年に十セントから十五セント、あるいは二十五セントあるいはそれ以下しか上昇しませんでした。値段が急激に上昇するようなことはありませんでした。ところが今年、一ポンドの値段は五㌦近くまで上がりました。この傾向は続くし、そのことを彼らも知っています。ほぼ間違いありません。彼らは我々のムーブメントがこの傾向に影響を与えたのだということも認識しています。

もし一ポンド五㌦の値段のマグロを二百本釣ることができれば、我々は損得無しになるか、あるいはそれよりも良い状態になります。毎年我々が味わっている損失をもはや被らなくてもすみます。我々にはビジョンというものがあり、それが我々の努力を導いているのだということを知ってもらいたいのです。こういう状態をいつまでも続けさせるつもりはありません。我々は二、三年のうちに、こういう損失状態を乗り越えるつもりでいます。目の前にある結果を信じてはなりません。その過程を信じなさい。我々はある目標に向かって進んでいます。その目標を信じなさい。

伝統の確立

我々は遂に利益を得るようになるまで、何年も何年も損を続けることができます。しかし他の人達はそれができません。彼らは一年か二年損をしたらやめてしまいます。我々は決して途中でやめません。それが我々の秘訣です。このプロセスがある点まで達すれば、損する代わりに利益を得ることができるようになります。その日が来れば、その日は必ず来るのですが、マグロに関する限り、レバレンド・ムーンは「王の王です」という絶対的確信を人々は持つようになります。

我々は自分達が伝統を重んじる人間だということを知っています。我々の伝統はいつでも、まず確固たる基盤を造ることなのです。確固たる基盤無しには、どういう教会もビジネスも家庭も人間も成功することはできません。我々はこのことを知っています。今、彼らにはそれが分かりつつあるのですが、まだ我々が希望するほどではありません。しかし二、三年経てば、彼らにも先生のやっていることがはっきり分かるようになります。水産業が毎年上がったり下がったりするのではなく、毎年上昇の一途をたどるような伝統を先生が築き上げつつあるのだということを彼らは知るようになるでしょう。この努力が単に我々の利益のためだけにあるのではないことを、彼らははっきりと理解するようになります。

アメリカのフロンティアは一つだけ残されています。それが水産業です。水産業は莫大な可能性を秘めています。世界の主要漁場の七〇パーセントまでがアメリカにあるということを誰もが知っています。残りの三〇パーセントはノルウェー、日本、その他の海洋諸国が共有しています。皆さんは全世界の漁獲高の七〇パーセントがどの位であるかを心に描くことができるかもしれませんが、漁獲高の重さと大きさをもとに考えれば、それが想像を絶する驚異的なものであることが分かります。海の七〇パーセントがアメリカに属していますが、海全体の大きさは、今我々が住んでいる陸地の二倍以上の面積があります。海は地球の三分の二を占め、陸地は地表の三分の一しか占めていません。我々が今まで陸上で得ることができた量を遥かにしのぐ蛋白質を、我々は海産物から得ることができます。もし賢明な捕り方をすれば、魚は毎年いつもそこにいることになります。地球上から石油のようなものを採掘する場合、取り尽くせば後には何も残りません。一方、魚の捕獲を意識的に行えば、水産業はとどまることなくずっと継続することができます。

平均的なアメリカ人はこういうことに心を配るでしょうか。たいして心を配りません。彼らはこういうことに頭を使わないし、それが未来に対してどういう意味を持っているのかということも考えません。レバレンド・ムーンの次の世代は漁師になるのだと考えるアメリカ人は一人もいないでしょう。しかし皆さんはそうなるし、皆さんの次の世代、そのまた次の世代もやはり漁師になるでしょう。我々は世代から世代とますます優れた漁師になっていくことでしょう。ではなぜ我々はそういうことをやりたいのですか。人類のためになるからです。

アメリカ人達はそのように考えていません。彼らは「私はこういう厳しい生活を送るけれども、私の子供達には敢えてこういう犠牲になる生活を送ってほしくない」と考えています。ある人々は、子供達が海に出ていくのを止めてすらいます。なぜでしょう。それは厳しい生活だし、収入も大したことがないからです。反対に、先生はこの同じ漁師達をどうやって育てるかについて考えています。結局、我々は彼らが今までの生活でやってきたのと同じことをやろうとしています。我々は彼らを受け入れ、彼らの面倒を見ます。我々は我々の成長速度と同じ速度でもって、彼らを引っ張っていくつもりです。

水産業は現在も極めて重要な産業ですが、将来はなおさらそうなっていくでしょう。たとえ、我々の教会のメンバー達が他に何かやることを見つけ他の場所に行かなければならなかったとしても、我々はアメリカの漁師達が我々から確固たる基盤を造る伝統と精神を受け継ぐのを見届けなければなりません。そして、我々がしばらくの間ここを留守にしても、彼らをこのビジョン実現のために励まさなければなりません。

今漁をやっている人々は、陸の上でやる仕事から得られる収入より五〇パーセント多い収入が得られない限り、自分達の仕事に満足することができません。この中には、船を使って海岸で働く仕事とか波止場で働く仕事も含まれています。なぜでしょうか。陸の上では、たとえ雨でもまた天候が思わしくなくても、自分のやることに計画を立てることができるのです。しかし、海の上ではそういう計画は立てられません。皆さんの方に働く準備ができていても、漁に行けない日もあります。天候が理由でそうなります。だから彼らはいつでも安定した収入に頼るというわけにはいきません。つまり長い目で見て、同じ額の収入を得るためには、陸の上で同じ時間を働いた場合に得られる収入よりも、少なくとも五〇パーセント多い収入を得なければならないことになります。悪天候を理由に失う日数を考慮に入れておかなければなりません。

しかし実際にはどうかと言うと、最近漁師達は他の人達が陸の上で注ぐのと同じ労力を投入しているけれども、収入が五〇パーセント少ないことが多いのです。時には多いこともありますが、普通は少ないのです。その結果どうなるかと言うと、大抵のアメリカ人漁師は、少しでも漁よりましな仕事が丘の上に見つかればすぐにそれに飛びつき、結局は陸の上で働く方を選ぶようになります。だから、この水産業を維持していくことのできる人は誰であろうと、幾つかの重要な分野の管理をうまく行わなければなりません。

まず、労働時間をどのように維持するかです。我々は普通の人より早く起き、できるだけ長く海上にいなければなりません。他の人達が一日しか働かなくても、我々は経験不足を補うために二日間働かなければなりません。二番目には技術です。我々は長時間労働をしているのだから、それを補うために、魚を運び入れるためのより優れた方法、より速い方法を見つけなければなりません。研究、調査、実験をしなければなりません。また新しい漁の仕方を確立しなければならないし、漁に関する幾つかの点を真剣に研究しなければなりません。そして餌、ライン、ラインの使い方、そしていろいろな海における船の使い方について研究しなければなりません。これらのことが全部研究され、そして実行に移されなければなりません。我々はこれらのことを真剣に考慮し、各分野について徹底的に計画を練らなければなりません。

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世界が必要とする指導者とは

我々は遊んでいるのではありません。とても真剣です。誰も先生を知りません。先生がどれだけ真剣か、皆さんは知りません。先生は最初に条件を立て、十日間以上もマグロを求めて漁をしました。マグロを釣らなければならない理由がありました。来る日も来る日も先生は漁に出かけました。その時先生がどれほど真剣だったか、皆さんは知りません。遂に我々がマグロを釣り「万歳」を叫んだ時の感動を皆さんは知りません。

今、ムーニー・メンバー達は船を出してマグロを捕っています。皆さんは笑ったり、微笑んだりしているに過ぎません。その意味を皆さんは知りません。先生は強くて、マグロの釣り方をひたすら研究するメンバーを探しています。また先生は現代文明について真剣に考えてみました。文明がよって立つ基台を造るのはどういう指導者ですか。先生はそういう目的を持って、皆さんにマグロの釣方を教えています。皆さんは潔白で、しかも純粋でなければなりません。先生は皆さんを純粋にしなければなりません。皆さんはただ周りを見回して他の船を眺めていますが、なぜ自分がそこにいるのか分かっていません。皆さんは自分の心情を捧げなければなりません。さもなければ何の意味もありません。

また皆さんは困難を耐えなければなりません。真剣なことです。先生は生涯ずっと真剣に考えて来ました。マグロを捕ることは簡単ではありません。もしマグロを捕ることが皆さんにとって簡単なことならば、それはたいした意味を持たないことになるでしょう。先生はマグロ捕りの意味が理解できるメンバー達を見つけたいのです。いつでもすべてのことを説明している時間が先生にはありません。もし皆さんがこのシーズンに先生の心情を受け継ぎ、それを勝利のシーズンとするならば、皆さんは来年も戻って来たいと思うでしょう。次のシーズンまでの間、他の場所に行き、そこで漁師達にマグロ釣について話さなければなりません。海へ行く時、皆さんは重要なことをたくさん考えなければなりません。生計を立てることも考えなければなりません。

十本のマグロを釣れば、一年分の収入を得たことになります。一シーズンの働きで皆さんの家庭を養うことができます。十本のマグロを釣るのは何ら問題ではありません。もし技能を発達させれば、三十本ですら夢ではありません。そういう能力は貴重です。それは皆さんにとっても偉大な能力だし、オーシャン・チャーチにとっても偉大なことです。皆さんは労働する時、自分の背後に何があるのかを知っておかなければならません。ただ外的にだけ働くのでは駄目です。皆さんは船を持っており、毎日海へ出かけますが、魚を捕る毎に、自分が今何をやっているのかを真剣に考えなければなりません。皆さんはこれを人類の未来のためにやっているのです。皆さんにはワン・ホープ号があります。マグロの後、あと三種類か四種類の魚の捕り方を先生は開発したいと思っています。そうすれば、皆さんは年中漁を続けることができます。ここが寒くなればもっと南へ行けば良いのです。先生はマグロ漁の基本について皆さんに教えましたが、次に第二の魚の捕り方を我々は研究しなければなりません。五年前から先生は、どの魚を調査し漁をすべきかについて考えて来ました。マグロ、ストライプバス、平目、カレイ、鮭、マス、フェダイそのほか二、三考えられます。皆さんは自分の家族をどうやって養い、子供達の面倒をどうやって見るかということを考えなければなりません。皆さんは船を用いて、海岸線のどの海域でも漁をすることができます。また、一年中漁ができます。もし陸の上で働くのと同じ労力を用いれば、二倍の金を稼ぐことになるでしょう。実際にやってみれば、皆さんにもこういうことが分かるようになります。皆さんは自らそれを発見し、発見したものを調査してみなければなりません。この生活方法に先生は強い確信を持っています。そしてそれは皆さんの将来のためのものです。

将来、アメリカの漁船はファイバー・グラスでできた船で置き換えられることでしょう。きっとそうなるでしょう。将来、それが八十フィートまでの船の基準となるでしょう。その船にたとえ穴が開いたり破損が生じたとしても、鉄製の船よりも簡単に修理できます。先生は今、アラスカの水産業の将来について考えているのですが、そこで漁をするのに最適の船を開発しようと先生は決意しました。

先生はこの摂理にとても真剣です。もし西洋のメンバー達がそれを受け継がなければ、先生は日本人にそれをやらせます。もし日本人がそれを断れば、先生はそれを韓国人にやらせます。もし彼らがその機会を逸することがあれば、先生はそれを祝福家庭の子供達に与えます。もし彼らが失敗すれば、その時には先生の子供達がそれを確立するようになります。どうしてですか。人類がこの伝統を受け継がなければならないからです。それは人類の未来のためです。

海を通して未来を受け継ぐ

皆さんが今日全部を理解できなくても、先生は皆さんを責めたりはしません。十年経てば、先生が話していることを皆さんも理解できるようになります。だから皆さんには最善を尽くして欲しいのです。そして、海で先生がやっていることを受け継いで欲しいのです。それは皆さんにとって重要だし、人類の未来にとっても極めて重要なことです。たとえばタイラー・ヘンドリックスを見てみましょう。彼は博士号を取った最初の男です。彼は卒業と同時にオーシャン・チャーチに来るように言われました。彼は自分の耳を疑いました。先生は最高の漁師になるのに七年か八年働いたのですが、タイラーはそれを一シーズンで受け継がなければなりませんでした。どんなに難しくとも、彼はそれをやらなければなりませんでした。それは実際には不可能なことですか、とにかくそれがどういうものであるかを彼はみいださなければなりませんでした。

先生は今十年漁をやっています。しかし、もうこれ以上やれません。漁の目的は皆さんにあります。皆さんは先生がここでやったことを研究しその段階から先に進まなければなりません。まず第一に皆さんがやるべきことは、すべての情報を集めることです。魚のことについて、またそれがどのように泳ぐかについて知ること。それから海流について、漁をする場所の海底の形について知るのです。マグロ漁についてそういうことを知れば、他のどういう漁に関してもそのノウ・ハウが分かるようになります。また先生が言ったこと、他の人が言ったことを鵜呑みにしてはいけません。自分で発見しなければなりません。魚がどのように泳ぐか、海は一体どういうものなのか、他の人達が言うのを信してはいけません。まず自分でそれを発見しなければなりません。皆さんそのように考え、疑問を持ち、研究することができるように自分の心を訓練しなければなりません。皆さんが先生から受け継がなければならないものがそれなのです。

グロースター近辺にいる者達が、マグロの捕り方を研究しなければなりません。朝、マグロを捕ったならば、昼からは他のことをすることができるので、他の漁の捕り方を研究します。また海に出て、ストライプバス、平目、あるいはその他の魚を捕ります。昨日先生は二百ポンド近くの平目を釣りました。先生のやっていることを観察すれば、先生が皆さんに教えていることを皆さんは理解するようになるでしょう。今先生は既にずっと先のことを考え、生きたままの漁を売る方法を研究しています。その魚は最高の値段で直接レストランに売ることができます。多くのレストランが水槽を備えるようになります。そしてその中から、お客がその夜の食事として欲しいと思う魚を選ぶことができます。最高のシーフード・レストランがこのやり方を開発するようになります。このシステムは日本では別に目新しいことではないけれども、アメリカでは初めてでしょう。

将来、最高のレストランが「生鮮魚」の広告を出す時がやって来ます。アメリカ合衆国の大統領さえもが、そういう魚が好きだと言うようになります。また我々は生きた餌についても研究しなければならないし、生きた餌の店も開発しなければなりません。これだけでも莫大なビジネスになります。魚を活かしておくことはとても難しい仕事なのです。だから我々はロブスターからそれを始めました。ロブスターは活かしておくのが最も難しいのです。ロブスターを活かしておく最善の方法が見つかれば、他の魚を活かしておく方法を開発するのは何ら問題ではありません。先生は今、アメリカの市場をどうやったら復活できるかについて考えています。アメリカの市場には新しい発展が要求されています。我々は魚を海水に入れておいて、それを日本へ送ることから始めることができます。そうすることによって資金が得られるだけでなく、我々自身も市場になじむことがてきます。それからここアメリカの売場を開発することができます。それから、ここアメリカの市場を開発することができます。優秀なシーフード・レストランならば、水槽を設置し、それに生きた魚を入れておくという考えが素晴らしいものであることはすぐに見抜くでしょう。そのようにして我々はアメリカの市場を急速に発展させることができます。

皆さんは「お父様、私はやりたくありません」と考えているかも知れませんが、これが成功しないとどうして言えるのですか。先生はいつも他の人が考えもしないことを考えています。ワシントン・タイムズがそうです。それが三年間で軌道に乗ると考えた人は一人もいませんでした。ところが一年も経たないうちに、我々素晴らしい成功を収めました。そして皆がそれを称賛しています。

将来オーシャン・チャーチのメンバーが事務所に来ることすら、先生は許さないつもりでいます。机にしがみついていてはいけません。先生の考えを実践しなければなりません。そうすれば、先生が話しているような成功を皆さんも見いだすとことになります。将来、統一教会の唯一の希望となるのがオーシャン・チャーチです。皆さんの立場がどれほど重大なものかが分かるでしょう。将来、何が海へ行く人の限界となるでしょうか。「限界はない」と、先生は絶対的確信を持って言うことができます。今、ロシア、日本、南アメリカ、北アメリカが競争しているけれども限界は全くありません。我々は実際、海を通じて未来を受け継ぐことができます。我々は未来のための人間なのです。我々はいつも未来のことを考えています。だから未来は我々のものです。アメリカでは六十五歳で引退するけれども、先生は六十歳で始めました。皆さんは先生について来られますか。皆さんは先生よりもずっと若いのに、どうして先生について来られないのですか。皆さんの言い訳は通用しません。難しい問題にぶつかったら、何もない所からオーシャン・チャーチを始めた先生のことを考えなさい。何の知識も持たずに漁に出かけ、その後マグロを釣る方法をあみ出した先生のことを考えなさい。皆さんはさらにそれ以上のことをやらなければなりません。

これを成就させなければなりません。将来のために、誰かがそれを行わなければなりません。皆さんは先生の希望なのです。それが分からなければ、皆さんは自分が一体何者かということさえ分からないことになります。先生に近い者とは、海で成功しようと決意する者のことです。これを語った後でも、先生はここに留まっているべきでしょうか、それとも他の所へ行って何かをやるべきでしょうか。オーシャン・チャーチのメンバー、皆さんは先生がどこにいるのだろうかと心配すべきではありません。皆さんが先生と同じ考え、同じ望みを持っている限り、オーシャン・チャーチは成功します。皆さんがすべての希望を失ったら、先生の心はいつも皆さんと共にあるということを思い出しなさい。先生はオーシャン・チャーチを決して忘れません。

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海への真の愛

真のムーニーは海を愛します。どうしてですか。それは統一運動の指導者が海を愛すからです。レバレンド・ムーンは海を愛しています。だから皆さんがムーニーならば、みなさんも同様にそうならなければなりません。女性達、皆さんはどうなのですか。皆さんは本当のムーニーですか、それともそういう振りをしているだけですか。男性達、皆さんはどうですか。

子供は親からいろいろなものを受け継ぎます。皆さんはどうですか。先生から何か受け継いだのですか。先生が皆さんの先頭になって、皆さんよりも何日も何カ月も、何年も先駆けて漁をしていたということを皆さんは知りませんでした。もし皆さんが先生よりももっと一生懸命働いているならば、先生の良心は苦しむでしょう。先生は皆さんに対して厳しいです。皆さんを急き立てます。しかしそれでも皆さんは先生から愛を感じます。それは先生が既に皆さんのレベルを越えた所で働いているからです。

先生が皆さんをひどく急き立てる時でさえ、先生から愛を感じる若者達、手を挙げて。どうして皆さんは手を挙げたのですか。皆さんは気狂いですか。皆さんのような人達を見る時に、先生は救われたような気持ちになります。全部総合して見たならば、ここにいることは幸運なことだと皆さんは思いますか。皆さんはここに来たばかりの頃、秘かに苦しみの顔をしていることを表に現さないのだろうかと不思議がっていたかも知りません。

あらゆる魚の中で我々はどうしてマグロを選んだのでしょうか。それは一度マグロを釣ったらそれが忘れられないということを先生が知ったからなのです。他のいろいろな魚の場合には忘れてしまうのですが、マグロの場合にはそういうことは絶対にありません。だから若者を引き付けるにはこれが最上の方法だということになります。皆さんはアメリカ人だからここに留まるのです。たくさんの来客があるのですが、いずれ彼らは行かなければなりません。彼らはいろいろな国からやって来るかも知れません。しかし皆さん、アメリカ人が自分の未来を受け継がなければなりません。残りの半生、これが皆さんの責任となります。これが本当に大きな責任分担ですね。

一度マグロを釣り上げると、皆さんはそれを絶対に忘れることはできません。その瞬間を思い出す時には、必ずそれにまつわるすべてのことを思い出します。だから海と関連させておけば、それらを決して忘れることはありません。我々が海に行く時に、皆が我々を見て「ムーニー、ムーニー」と叫びます。しかし我々がマグロを釣って、他の人が誰も釣れなかった場合、彼らはもう一度我々を見て考えを改めるようになります。ラインにマグロを付けて帰って来た時、我々は「道を開けろ」と怒鳴り付けなければなりません。その瞬間は彼らもそれに従わなければなりません。

その後、彼らはおとなしくなります。小さなワン・ホープ号がマグロを釣り、大きなヨットに向かって突進している場合、皆さんは「そこをどけ」と叫びます。そうすると彼らもアンカーを上げて、それに従わなければならなくなります。その瞬間、我々は誇りを感じることができます。我々は道を開けてもらい、その上、彼らの尊敬を勝ち取ることになります。

仮に、マグロがひっ掛かけれどそれを逃がしたとします。家に帰って、他の誰かがマグロを釣って来ているのを知っても、皆さんはそれを見たとすら思いません。そういう経験はとても貴重なのです。皆さんはマグロを釣りたいという思いで一杯になります。マグロのことを考えることなしに、他のことは考えられなくなります。「明日こそ、明日こそ」と言って、皆さんは翌日マグロを釣ることばかり考えます。皆さんは明日のために生き、祈り、汗を流す方的を学ばなければなりません。またマグロのために祈らなければなりません。

マグロも精神を持っています。もし海を愛しマグロを愛するならば、皆さんは自分の所に彼らが引きつけることができなければなりません。このようにすればできます。チャム用の魚を刻んでいる場合、ただ刻むだけではいけません。彼らのことを考え、彼らに向かって「君達が小魚なので、私は君達が細かく切って大きな魚に与えるのです。私は人類のために漁をしているのであって、自分でそこに降りて行きたいのですが、君達が私の代わりになってそれをやってくれます。だからとても皆さんには感謝しています」と話しかけます。

このように祈り、このように考えるならば事態は変わって来ます。毎日すべての行動が特別なものになります。「マグロを釣って申し訳ないと思います。しかし私はこれを人類のためにやっているのです」と皆さんはいうべきなのです。皆さんは他の人達がやっていることと同じことをやっているかも知れません。しかし皆さんの心情は異なっています。先生がマグロを釣り、もりを打ち込み、陸地に引き上げるのを見る時、皆さんは「なぜ、宗教指導者がマグロにこういうことをするのだろう」と不思議に思うかも知れません。しかし、先生は捧げ物としてそれを行っています。摂理を助け、我々がこれ以上苦しむことから免れさせてくれます。我々には冗談を言い合ったり、船の上で寝たりすることは許されません。我々の仕事は他の漁師達の仕事よりももっと真剣なものなのです。

先生がニュー・ホープ号で休んだのは二回しかありません。一度はひどい頭痛がしたので、そうせざるを得ませんでした。しかしその時でさえ、先生は誠実な心でもって祈り、そして許しを乞いました。一度、アラン・ホーカンソンはとても疲れて、運転しながらうつらうつらしていたことがありました。先生が代わりに責任を取り、アランは休みを取ることができました。我々の仕事はそれほど真剣なものであり、皆さんもそのことを知っておかなければなりません。

特別なワン・ホープ号

マグロを捕るために、先生はマグロと伝達方法を開発しなければなりませんでした。時々「スモール・クラフト・アドバイサリー(強風波浪注意報・小型船は外海へ出てはいけない)」というものが出るのですが、それでも先生は漁に出かけます。どうしてですか、。それはメンバー達が天候が悪いのを見て、漁に行くのを恐れるようになって欲しくないからです。皆さんはもちろん安全に気を配らなければなりません。天候が良いからという理由だけで漁に出ることはできません。目標は到達困難なものであり、とても高い所にあります。それを得るためには、我々は相当の訓練を受けなければなりません。船は訓練方法の一つなのです。ワン・ホープ号はとても頑丈にできています。決して沈みません。先生はそういう船が欲しかったのです。二十人が乗ることができ、大波が襲って来ても、船首の部分は水の上に浮かんでいることができます。救命具を付けて船にしがみついていれば大丈夫なのです。数人乗っていたワン・ホープ号で既にそういうことが確かめられているので、我々はこの船がとても安全で強靱な船だということを確信しています。我々がそのように造りました。誰かに、あるいは何かにぶつかったとしても、この船は壊れません。この船のデザインは先生がやったのですが、その背後には霊感が働いています。またこの船は多目的船であって、トレーラーで簡単に引くこともできます。それは快速モーター・ボートにもなるし、観光用の船やマグロ用の船、漁船、教育用の船などあらゆる種類の船として用いることができます。あらゆるプログラムに使えるし、どんな所でも行けます。これらの船の用途には制限とか、特別の使い方というものがありません。

ニュー・ホープ号はマグロ用漁船としては、あまり適していません。大き過ぎるし、仕事を複雑にするきらいがあります。しかしワン・ホープ号は丁度良い大きさだし、ラインをそのままにしておくだけで、マグロは船を引っぱるのに疲れてしまいます。先生はこの船のデザインをする前に日本、アラスカ、ドイツなどがあらゆる所を調査しました。

我々は特定のことを念頭に置いてこの船を造ったけれども、ワン・ホープ号は波を切って進むことができなければならないということがその一つです。それから快速でなければならないし、快速で進む時、船が揺れてはなりません。ある船はそういう問題点を持っているので、先生はそういうことが起きないようにしたいと思いました。これらの理由やその他の理由によって、先生はワン・ホープ号のデザインだけで二年間調査にかけたことになります。

今、先生はその船を眺めて、とても幸福感を感じます。快速で進んでいる時に急にカーブしても、たいした衝撃を感じません。人間を投げ出してしまうような船もあるのですが、ワン・ホープ号はうまく平衡を保つことができます。何千という細かい点が、この船を他の船とは極めて違ったものにしています。しかし先生がこの考えを最初に持ち出した時、アメリカ人達は「お父様、こういう船のデザインをするためには専門家が必要です」などと言いました。

最初の船は造船について何の知識を持たないメンバー達によって造られたけれども、他の人達にはそういう真似はできません。我々はますます多くの船を造っている現在、ファイバー・グラスを用いたこのサイズの船を造るに当たって、メンバー達は新しく大胆な伝統が次第に打ち立てられつつあることに気付き始めています。我々は最高品質の部品を用いるので、船の値段は極めて高いのです。このことを皆さんは真剣に考えなければなりません。それは高価なだけでなく、メンバー達の犠牲と重労働の下に造られたものです。ま、先生自らの汗と涙を流してこの船をデザインし、造ったものであることも皆さんは知っておく必要があります。ただ船に乗って出発するだけではいけません。それは間違った態度なのです。今後何年か経てば、これらの船はとても有名になるでしょう。皆さんには今それが分からないのですが、本当にそうなります。皆さんは自分達の船を真剣な態度で扱わなければならないし、その船に大きな誇りを持っていなければなりません。将来、皆さんの船の記録が研究されることになるでしよう。「このワン・ホープ号は何本のマグロを捕ったか」と人々が聞くようになります。そうしてそれらの船の中の一隻がその大半を捕り、非常に有名になることでしょう。どの船がそうなるでしょうか。皆さんは未来のことを考えながら、物事を行わなければなりません。

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アメリカの水産業の士気を高める

アメリカ年の貿易の伝統は大まかに言って、商船の伝統に基づいています。アメリカとメキシコは、海とそしてまたお互い同士切り離すことのできないきずなで結ばれているべきです。これは何も新しい考え方ではありません。我々はこのことを良く知っておくべきでした。皆さんの祖先は、皆さんが考えているよりも遥かに真剣でした。彼らは宗教迫害に苦しみ、それゆえに命をかけてここにやって来ました。生きてここにたどり着くという保障はありませんでした。いわんや、ここで生き残る保障は更々ありませんでした。

証拠はどこにでもあります。経済の中心の最大のものは、アメリカの中央つまりシカゴにあるのではなく、海岸線上にあります。例えば、ハドソン川とハドソン湾のあるニューヨーク、そしてサンフランシスコとロサンゼルスです。この国の経済にとって、海が極めて重要なのは明白なことです。

もしジェット機の出現がなかったならば、我々の海への依存は今よりももっと大きかったでしょう。一体、海をないがしろにしても良いのでしょうか。造船業はどうかというと、全部安い労働力を求め、アラバマか、あるいはその辺りに移動したのですが、今ではほとんど全部の会社が閉鎖してしまいました。現在我々の運動がそこに会社を作っています。どうしてですか。海の再開発がまもなく訪れようとしているからであり、そのための準備をしなければならないからです。アメリカだけでなく、他の諸国についても同様です。我々はブラジルで漁をするための船とマグロの延縄漁用の船を開発しつつあります。今、他の人が皆、造船業から手を引こうとしているけれども、成功の秘訣を持っているのはレベレンド・ムーンだけだということが、まもなく誰にも分かるようになります。だから今我々は基盤を築かなければなりません。そうすれば、ある日人々が目覚めてみると、我々がずっと先頭に進んでいたということになるでしょう。今日の世界では、ある産業がすたれれば、その時には人々はそこから手を引き、去って行きます。しかし我々はそうではありません。そういう時こそ、我々は本腰を入れて投資を始めます。世界には四大漁場というものがあり、そのうち三つまでがアメリカ近海にあります。人々は漁をするのに世界のいろいろな所に行くのですが、アメリカの漁師達は最高の場所に労なくして行くことができるので、彼らにとってそういう苦労はありません。日本、ドイツそしてソ連までも、自分達の市場用に何とか魚を捕りたいと必死になっています。しかしアメリカは、他の国の漁師達が容易に入って来られないように工作します。ところが、アメリカの魚市場は他の諸国に比べて遥かに小さいのです。これでは納得がいきません。

最善策は日本、ドイツ、アメリカの三か国の間で、漁場権利と市場戦術を併用することでしょう。もしこれらの三か国の間で、今日の水産業の面で責任ある合意に達することができれば、残りの国々はそれを中心にして活動することができます。いずれにせよ、これらの国は漁をするためにやって来つつあり、そのためにアメリカ政府は難しい立場に追い込まれています。彼らは他の人々に入って来てもらいたくないのですが一方自分達の漁船の数は極めて少ないのです。アメリカはこれらの大漁場をうまく活用していません。だから水産業に大量投資している諸国が、いずれにこれらの海域にやって来るようになります。アメリカは自分の漁場を守るためのジレンマに陥っています。誰がこういう状態からアメリカを求めるのですか。レバレンド・ムーンにはできます。彼は若者達を組織化し、アメリカの水産業を発展させるために彼らを送り出します。これが先生のビジョンです。

ムーニーは、水産業の面でいずれ強力で積極的な勢力となります。破壊するのではなく、それを国際基準にまで引き上げます。だから、アメリカ政府はムーニー達が漁をして成功するのを望まない半面、こういう理由があるので、我々のやることをいずれ奨励するようになります。今、グルースターはレバレンド・ムーンに立ち去って欲しいと思っているのですが、それと同時に、マグロの値段の基準を今まで通り維持したいと思っています。

韓国人達は釣り用の備品や釣り道具の製作に関しては最も優れています。日本の漁師達は、韓国人達がとても頑強で勇気があるので、最も優れた漁師は韓国人だと言っています。漁をする時、韓国人の肝は座るのです。彼らは大漁を求めて網を一杯に張ります。たとえ網代として百万ドルを失うようなことがあったとしてもそうします。失敗すれば厳しいのですが、成功すればとてつもない成功になります。日本人はそういうことはしません。彼らはとても注意深く計算します。だからチャンスを見逃す場合もあります。

先生はそういう背景を持った韓国からやって来たので、アメリカの釣り道具会社に注目してみました。そして、どうやったらもっと良いものが作れるだろうか考えざるを得ませんでした。ニューヨークの近辺には船がたくさんあるにもかかわらず、ニューヨーク市にある釣具店の数はとても少ないのです。だからアメリカで釣り道具を売るのは極めて容易でしょう。最終的には、釣り用品ビジネスを中心にニューヨークに高層ビルを建築することもできます。水産業はあらゆる面で改善が要求されています。そして海の産業は我々に開かれています。今基盤を築いておいくならば、将来我々に追いつこうと考えることのできる者は一人もいないことになるでしょう。時が経つにつれて「ムーニー達と競争できる者は誰もいません」と人々が言うようになるでしょう。例えば、マグロ漁の現状を見てみましょう。人々は、以前は六時か七時頃起きて海に出かけて行きました。 ところが我々は三時あるいは二時にすら起きています。人々は我々の重労働を見たら「オーシャン・ビジネスはムーニー達のものです。どうやっても彼らにはかないません」と言わざるを得なくなります。先生が八年前、ここに来たばかりの頃、値段は一ポンドにつき五セントから十セントでした。ところが今では、それが一ポンドにつき二ドルへと上昇しました。我々は大量のマグロを買い、その値段を高める働きをしたので、他のバイヤー達は皆それに従わざるを得ませんでした。これが真相なのです。ビジネスマンの観点からすれば、レバレンド・ムーンは悪い人間なのですが、彼らは漁師のことは何も考えていません。漁師の観点から見ればそうではなくなります。

マグロの値段は、一ポンドにつき、五ドルあるいはそれ以上にまで上がるべきです。これは水産業全体にとって重要なことであり、マグロの値が上がれば、他の魚の値段も上がらざるを得なくなります。そして他の分野の漁師達にも金儲けのチャンスが訪れます。現在、漁師達は何トンもの魚を捕るけれども、それは一ポンドにつき三十セントから四十セントにしかなりません。一方我々はどうかと言うと、高い値段でマグロを買っています。だから自分でマグロを捕っているにもかかわらず、金儲けになりません。どうしてそういうことをやるべきなのですか。それについては次のように考えてみます。千ポンド近くのマグロ(そしてマグロ一ポンドにつき五ドル)は五千ドルにもなります。このため、多くの若いアメリカ人が魅了されて、ここに漁にやって来ます。そうは思いませんか。既に皆さんは経験を積んでいるので、彼らに教えてやることができます。アメリカの海岸線にある町々が、我々の仕事ゆえにどれだけ潤うかということを考えてみなければなりません。

先生ははっきりした考えを持っているのですが、大抵のアメリカ人は先生のことが分かっていません。先生は言葉だけで皆さんに何かをやらせるというようなことはできません。だから先生は自分を犠牲にして来ました。どうやったら良いか、皆さんに示すために先生は昼夜なく働きました。そういう必要がありました。人々はそれが分かりました。けれども、彼らはその必要なこともやろうとしません。先生も皆さんにそれを示す必要があったので、皆さんもそれを彼らに示してあげなければなりません。

先生は人々にやる気を起こさせる方法を知っています。「お父様、私にはできません」などと言ってはいけません。先生はどうやるべきかを皆さんに示しました。人々は先生のぺースについて行こうとするのですが、二十代、三十代の者達にさえそれができません。「お父様、どうやったらそれができるのですか?」と先生に尋ねます。先生はいつも「私はこれを次の世代の者達のためにやっている。そしてこの伝統は何千年もの間持続され、何百万人という人達がその伝統に基づいて生きることができる」と考えています。だからペースがどんなに速くても先生は気にならないのです。

先生はアメリカでは女性の船長を訓練したいと考えているのですが、もし女性達が一カ月海に行き、それでも夫が逃げ出さない場合、どういうことになるでしょうか。その夫は、妻が帰って来るのを首を長くして持つでしょう。彼は三日経っても逃げ出さず、妻の帰りを待つでしょう。そして喜びを持って彼女を迎えます。先生はアメリカにやって来た時、原理を教える最も良い方法はそれを人々に実際に示すことであり、そしてもしこの伝統を受け継ぐ人が一人でもいれば、すべての人々が先生の教えを理解するようになるだろうということに気が付きました。そういう夫を持った女性は幸福だし、そういう妻を持った男性もやはり幸福なのです。それだけの力を原理は持っています。男性が幸福な時には、女性の心も躍っています。それは悪いことですか。悪いことだ! そうじゃないのですか。皆さんは先生に向かって「良いことです」と叫ぶのですね。皆さんは真実を語っているのだから、皆さんの勝ちです。皆さんはそういうことが好きですか。ではそれを先生が好まないとしたらどうしますか。今度は皆さんは前よりも大きな声で叫んでいます。そうすると皆さんは知っているのですね。皆さんは真理を知っでいます。皆さんは先生が正真正銘、頭の良い男だと思っています。では皆さんはどうなのですか。。もし皆さんの頭が良くなければ、先生に従って来なかったでしょう。しかし、我々の運動は毎年何百万ドルというお金を使っています。我々は船や水産業のことを研究したり若者を教育したり、あるいは水産業を発展させたりしながら、アメリカで金を使いそして投資しているのです。

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海と未来

人間の価値とは何ですか。先生はどうですか。先生の価値は何ですか。先生は宗教指導者です。多くの人達が先生。腹を立て「どうしてこの男は教会に留まっていないのか。どうして漁にやって来るのか。どうして彼は他にもたくさんのことをやっているのか」と言います。先生もそれについて時々考えます。先生は式服を着て、一日中教会に留まっていることもできます。そうすることは容易なことです。自分で始めたいろいろな企画に気を使わなくてもすみます。既にたくさんの企画が行われていますが、さらにその数は増えるでしょう。もしキリスト教がその目標と理想をすべて達成していたならば、先生はこんなにいろいろやる必要がなかったのですが、現実はそうではありませでした。反対に、キリスト教徒達は先生がやっていることを真剣に考えもせず、猛烈に反対して来ます。先生を支持した人が今まで誰かいましたか。

たとえ、統一教会のメンバー達が先生を支持するとしても、まず企画を始め、その企画についていろいろ説明するのは先生です。先生の家族でさえ、先生のことをすぐには理解できませんでした。この世界が先生を受け入れるということが、どうしてこれほど難しいのですか。それは、先生を受け入れるためには多くの宗教指導者達が自分の考えを変えなければならないのですが、それを彼らはやりたくないからなのです。ある人達は先生を称賛し先生を助けたいと思っているのですが、それと同時に、先生の鋭い洞察力を恐れています。

共産主義はその背後に思想体系を持っています。共産主義者を導く思想です。しかし、民主主義社会はそういう統一した思想というものを持っていません。しかし、レバレンド・ムーンの思想は共産主義の思想を凌駕しています。そして彼らはそれをはっきり知っています。彼らはアメリカ合衆国の軍隊のような物質的な力は恐れません。その面での競争は既に終わっています。彼らの方が勝利者です。しかし、統一哲学は彼らにとってもっと大きな問題です。彼らはそれを遥かに恐れています。

先生は思想及び哲学から初めて、あらゆる分野で新しい道を開拓しました。そしてたらに、韓国やドイツの工場のように、経済企画、ビジネス、技術企画をどのように始めるべきかについても示して来ました。それなのに、どうして先生はオーシャン・チャーチを始めたのでしょうか。どうして先生はそれをそんなに重要視するのですか。皆さんも知っている通り、先生は明けても暮れても海の上で働いています。どうしてそういうことをやっているのですか。皆さんは、先生が以前この問題について語ったのを聞いたことがあると思います。

海は孤児なのです。海を愛し、海の面倒を見る主人とか真の所有者という者が一人もいません。水産業は衰退し、身動きが全く知れない状態にあります。数年も経てば、人類は陸地だけで生活することが困難になるでしょう。人口は今四十億に近いのです。そして十倍の速さで増大しています。一体どうなるのですか。陸地は混雑して来ます。農耕面積が少なくなり、その上人口が増えます。人口問題は、とても深刻な二つの問題のうちの一つなのです。もう一つは汚染問題です。これらの問題を新しい観点から見ることができない所に問題があると先生は思います。汚染の中で最悪のものが空気汚染、つまり車や工場などから出る排気ガスによる汚染です。将来、排気ガスを出すものには何でも制限が敷かれることになるでしょう。料理でさえ制限の対象になるでしょう。余計な煙とか排気ガスはどういう種類のものであれ、大目に見られるということはなくなるでしょう。

このことは、余り料理していない食べ物を食べる、つまり生の食べ物、生野菜、生魚をもって食べるようになるということを意味しています。いずれにせよ、生ものは健康に良いので、人々はそれに目を向けるようになるでしょう。しばらくの間、人類は宇宙空間に逃避し、そこで生活をしようとするかも知れません。しかし難しい問題が多く出費が重なるので、やがて地球に戻って来るようになります。従って海の将来は極めて重要となります。魚は良い食べ物ですか。十年か二十年前、アメリカ人達はよもや生ものを食べるなどとは思いもしませんでした。まして生魚を食べるなどとは夢想だにしませんでした。しかし今、彼らは日本レストランへ行って寿司とか刺し身を試食しています。

もし魚が人間の主食になるとすれば、どういう魚が最も適しているでしょうか。我々は大きな魚を生産し、その特性を全部利用しなければなりません。どういう魚を用いるべきですか。鯨? マグロ? 他には? 鮫! 実際問題として、多くの人々の口を満たすものとしては、鯨は余り良いものとは言えません。大き過ぎるし、一頭の親からは一頭の子供しか生まれて来ません。また妊娠期間が長すぎます。

ではマグロと鮫はどうでしょうか。その肉は最高の味を持っています。本当なのです。皆さんはそれを味わったことがないかも知れませんが、先生はいろいろな種類の鮫をいろいろな方法で味見した経験があります。鮫は乾燥肉として良いのです。だからこの二種類の魚は、多種多様の魚の味を提供する上で最高です。

日本の人々は今、マグロの養殖方法が研究しています。これは彼らにとっては極めて真剣な産業であり、我々が思い描く将来にとっても重大な意味を持っています。ここで次のことを考えてみましょう。一本の雌のマグロは、一回の産卵で五十万個から三百万個の卵を産みます。さて、自然条件の下ではそれらの卵のうち、ほんの数個が生き残って幼魚となります。ほとんどの卵は食べられてしまいます。それから、最初の数年間生き残るのもほぼそれと同じ位難しいので、成熟するマグロはほとんどいないことになります。

大例の危険を免れることができる大きさまで達するのに、約二年かかります。十分成長したマグロは、七十五ノットから百ノットの速さで進むことができます。それは「逃げる」時の速さです。しかし普通の速さで泳いでいる時は二十ノットから三十五ノットで進みます。それでもたいしたものです。マグロの体の構造を研究すれば分かるのですか、この魚は早く泳ぐように創られています。鮫も速いけれどもマグロにはかないません。マグロは全部のひれを体に付け、魚雷のような形になります。またマグロは速い速度で泳ぐだけでなく、長距離の旅をします。世界中を駆け巡るのです。

成熟したマグロは、しばしば七百ポンドから八百ポンドに達します。一本のマグロを捕まえると、調理できる肉の部分が八十パーセント位ですから、約五百五十ポンドから七百五十ポンドの肉を使用することができます。それほど多くの肉を人々に提供します。大低の人間は毎日二、三ポンドの肉を食べるのですが、一または二ポンドに減らしたほうが良いでしょう。もしそうなれば、一本のマグロで五百人から六百人を満足させることができます。百本のマグロを釣ればその百倍の人々を賄えます。

魚は、余す所なく何らかの目的に用いることができます。鮫の皮はジャケットとか靴に用いられます。それは極めて長持ちし、しかもでこぼこしています。その歯からは宝石細工ができます。できるんです。ある時、大貫が鮫の肉を乾燥し、それをくん製にしてはどうかという素晴らしいアイデアを思い付きました。後になって彼は諦めたのですが、それは正しい考えでした。魚はどんな部分でも使えます。残りの部分を砕いて、それを魚粉にすることもできます。またそれを使ってパンを作り、人々の口を満たすこともできます。それは人々の腹を満たすだけでなく、共に蛋白質も提供します。これがアフリカではどういう意味を持つか考えてみるのです。魚に関する限り、無駄な部分というものはありません。

では、何百本あるいは何千本というマグロを捕るとして、我々はそれをどもで養殖できるでしょうか。囲いをして、その中に入れるというようなことはできません。しかし海全体をマグロで一杯にすることはできます。だから、漁師達はその水揚げ方法を開発しなければならなくなるでしょう。マグロの寿司とか刺し身の人気が高まり始めています。誰がこういう調理法を見つけたのですか。白人がマグロの寿司を最初に見つけていたとしたら、将来世界の人々はマグロを食べることができなくなっていただろうということを、先生は考えたことがあります。もう既にすべてのマグロが捕りつくされていたことでしょう。

我々はあらゆる種類の食べ物を海底に植えることができます。それについて研究しなければなりません。しかしその可能性は、我々の所で立ち消えになってしまう可能性を持っています。海はとても広いのです。しかし我々の心はそれに比べて、まだ余りにも小さ過ぎます。急には莫大な可能性が秘められています。しかし、皮肉にもアメリカの若者達は漁をする生活様式から離れつつあります。グロースターが良い例です。以前そこには漁業面における世界の中心だったにもかかわらず、今ではもうさびれかかっています。魚がいなくなったからではなく、若者達がいなくなったからです。そういうことが起きつつあります。

多くの漁師達が何日も何週間も続けて漁をします。それでもたいしたお金にはならない、だから夫と妻はしばしば喧嘩をします。そして彼はまた海に出ます。ところが、帰ってみると妻は家を出てしまっています。そのように、若者や漁師の妻達は漁生活に見切りを付けてしまっています。ということは、遂には漁師自身もどこかに行ってしまうということを意味しています。

真剣な男は、妻を失っても再婚をしようという気持ちは起こさないものですが、漁を続ける理由がなくなった場合にも同じようなことが起きます。真剣な漁師は、そういう場合漁を完全に止めてしまいます。かつて繁栄した漁師に不利になる値段を付けたり、漁師をだましたりするバイヤー達もいます。またどの港でも麻薬の密輸が問題になっています。

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中心にいて、神様はすべてのものを満たします。男と女のうちでどちらがより偉いのか、男と女は平等か、それとも平等でないかというような論議をする必要はありません。男と女もその中心にいる神様に到達します。しかし全く反対方向から到達します。どういう運動をするにしても、皆さんは中心と軸を持っていなければなりません。それが神様です。男と女の軸、宇宙の軸が神様です。男も女も皆、神様を中心としていなければなりません。すべての家庭、氏族、民族、文化が神様を中心としていなければなりません。すべての国家、世界、そして宇宙さえも神様を中心としていなければなりません。

では中心が神様ならば、その中心はさらに何を中心としていなければならないでしょうか。中心は何ですか。力ですか。お金ですか。すべての人を、また過去の人達から未来の人達に至るすべての人々さえもつなぎ合わせるものは何ですか。まあ、生命はどうやって始まりましたか。まず第一に、それがどうやって始まったのですか。最初の我々はどうやって存在するようになったのですか。愛からです。一人一人はどこからやって来たのですか。皆さんは皆さんの両親からやった来ました。皆さんは両親の命から来たのですか、それとも両親の愛から来たのですか。命ですか、それとも愛ですか。では皆さんは何ですか。皆さんは両親の愛の参与者なのです。だから皆さんは両親から絶対に離れることができません。親が子供達のために喜んで命を捧げるというのが自然の法則です。動物の世界にはそういうことはたくさんあります。母親とか、父親は子供を守るために命をかけて闘います。

地上の最も偉大な存在である人間はとうですか。その面において、人間はいずれ全被造物の尊敬を獲得しなければなりません。子供達は最初、両親を持たなければ存在できません。彼らの命は両親から来ます。もし両親が完全な愛で一つになっているならば、彼らの間に分裂は決して生じませんでした。父親の愛と母親の愛が共に神様の愛をかたどることになります。これが存在を説明します。もし両親、ならびに子供達がこれを理解するならば、彼らの間に分裂は決して生じません。彼らは共に生き、共に死にます。神様の愛から離れているものはどういうものでも、本当に存在しているとは言えません。単純なことですが、こういうことを今まで明確に知っている人は誰もいませんでした。

夫は妻を、ちょうど神様を愛するように愛します。妻は夫を、ちょうど神様を愛するように愛します。それから彼らは子供達を愛し、子供達も両親を愛します。そしてこれがすべて神様の愛の中で行われます。これが四位基台、神様の愛の完成なのです。それが我々の人生の目的なのです。男と女がいったんこういう愛で一つになれば、彼らは互いに離れられなくなるでしょう。またそういう愛によって子供達を持てば、子供達と両親を切り離すことができなくなります。

こういうことを知って今日の世界を見るならば、そこには、本当に深刻で重大な問題が存在していることが分かります。それは実に悲劇です。アメリカの家庭の半分が分裂の苦しみを味わっています。すべての子供達が両親の愛の下に永遠に生きたいと望んでいますが、単純で基本的なこういうことが彼らには否定されています。これ以上の犯罪はありません。どうして夫と妻が分れることができるのでしょうか。彼らは神様の愛を破壊し、子供達は迷子になっています。この悲劇に名前があるとすれば、それはサタンでしかありません。ではサタンとは何ですか。彼は近づいて来て、神様の愛を破壊します。それ以外の何ものでもありません。我々はそれと正反対の基準を確立しなければなりません。皆さんと皆さんの配偶者の間に愛が芽生え出したら、皆さんはその愛を育て保存しなければなりません。どうして愛はそれほどまでに高く評価されなければならないのですか。どうしてそれほど大切なものなのですか。一つだけ言えることは、愛が、愛だけが生命の原動力となることができるということです。愛以上にそれをできるものは他に何もありません。愛が皆さんを目覚めさせる時、皆さんの目と耳、そしてすべての感覚が一点に集まります。皆さんは二つか、三つのものを同時に見ているのではありません。ただ愛だけを見つめています。それを皆さんに説明する必要はありませんね。皆さんは既にそれを知っています。愛が皆さんを目覚めさせる時、心と体を一つになります。愛の力が皆さんの魂と体を一つにすることができます。愛がなければ、心と体は完全に一つになることはできません。愛がなければ、霊界と物質世界が一つになることはできません。なぜ神様が人間を創造したか、これによって説明できます。神様が愛の刺激を受けるためには人間を必要としました。もし目的なしに人間を創造したとすれば、そういう神様は何の価値も持たない、いたずら好きの存在でしかないでしょう。神様は創造したすべてのものについて、目標と目的がなければなりませんでした。

男として、皆さんはどの方向に行きますか。皆さんは女性に会う方向に行きます。どうして皆さんは周りを見回さないのですか。素晴らしい男や素晴らしい女がたくさんいます。どうして、男達は別の偉大な男を探して、彼と一緒に住まないのですか。どうして、女達は他の偉大な女を飾して一緒に住まないのですか。皆さんは顔をしかめていますが、どうしてですか。皆さんはその理由を知っているのですから、宇宙の公式を理解していることになります。その公式を無視するものはすべての命を無視するもので、ついには滅びます。

愛は神様からやって来ます。命も同じく神様から来ます。愛と命は同じなのです。戦の質は命の質でもあります。自然の法則と共に進むならば、我々は宇宙の一部となり、またそれに貢献することになります。そしてそこから次第に発展して行きます。しかし、その法則に反する生活をする者達は段々小さくなり、ついにはその存在すらなくなってしまいます。

では、その目的とは何ですか。それは愛の基台、つまり四位基台を造ることです。そこで神様、男、女、子供達すべての点が交わります。それ以外に皆さんは何を欲しいのですか。そこには別々の銀行口座もなければ、別々の所有権もありません。父親が母親に属し、母親は父親に属しています。そして二人は共に神に属しています。そして子供達は両親に、そして神様に属しています。とても簡単な理屈で合っています。

皆さんはどうして朝、顔を洗うのですか。皆さんは自分の顔を見て、その質問をしてみるべきです。皆さんの顔は「私の真の愛に酔いしれたい」と答えています。皆さんの目と耳は、愛の興奮を味わいたいと思っています。一旦愛が働き始めれば、皆さんは何も気にならなくなります。男は、女が変な臭いを発散しても気にならなくなるし、女も、男が死んだ魚のような臭いをしていても気になりません。これは人生の中で最も重要なことなのです。女達をからかったり、自分の妻以外の女を見つめる男には、サタンが侵入したいと思います。一方自分の妻だけを見つめ、彼女の中に全宇宙を見ることのできる男には、神様が住みたいと思います。男の価値は何ですか。女の価値は何ですか。それは互いに捧げる真の愛です。完成した男、あるいは完成した女とは何ですか。それは心と体を完全に統一した人のことです。

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誰が海を受け継ぐのか
1983年 7月 3日 グロースター
 先生に初めて会う人は何人いますか。手を挙げなさい。ありがとう。今日先生は船で来ましたが、それはとてもひどい揺れ方でした。その上ひどい霧だったので、先生の目はまだ焦点が合っていないのです。プロビンス・タウンから一時間半かかったんですが、先生はその途中「方向を知るということは何と重要なことだろう」と思わざるを得ませんでした。霧の中で我々が頼れるのは羅針盤だけでしたので、そのただ一つのステアリングの指示に従って、我々は霧の中を進んで来ました。人生もそれと全く同じなのです。

人類は全世界で、また何世代もの間――全人類歴史を通していろいろな方法でその方向性を探し求めてきました。今まで人類はあらゆることを試み、すべてに失敗して、ほとんど諦めの境地にいます。その探求心を満足させるものは何もありませでした。しかし今日我々はその範囲をより狭めることができ、自分のことがもっと分かるようになりました。我々は方向性を知る前に、まず自分達の到着点と目的を知らなければなりません。方向性について関心を持つ前に、まず自分の目的を知る必要があります。

どのように生きるのかについて結論を下す前に、まずなぜ生きるのかについての結論を下さなければなりません。この疑問を全人類はその誕生以来ずっと問い続けています。宗教人達は少なくとも神様を受け入れているので、自分達の人生は神様の目的に何らかの形で奉仕することだということができます。しかし神様を信じてさえいない人達がいます。その人達に、人生について本当に教えることができる人は誰もいません。

人生の目的

この疑問は限りなく問われ続けてきました。偉大な学者達でさえ、それに答えることができないでいます。ここいる皆さんは普通の人間です。そしてそれ以上に普通のムーニーであるに過ぎません。皆さんは答えを知っているのですか。何の目的で生きているのか、皆さんは知っていますか。皆さんは原理をいくらか理解しているので「お父様、創造目的を成就するために我々は生きています」というかも知れません。ではその目的とは一体何ですか。我々の教会では、神様の摂理について考えれば、すぐに四位基台の確立が頭に浮かびます。神様の目的の完成は四位基台の完成です。四位基台とは何ですか、それはどういう意味ですか。

最初に男と女が完成すれば神様は自分の理想を実現することができます。ではその理想とは何でしょうか。二人が、つまり一人の男と一人の女が完全な愛によって一つになる時、それが神様です。分かりますか。男と女が完全な愛によって一つになる時、そこにあるもの、それが神様です。男と女の愛は何を中心にしているのでしょうか。男? それともアメリカのように女を中心としているのですか。違います。皆さんはそう思わないのですね。ではその愛は誰を中心としているのですか。皆さんは「神様」と呼んでいます。そうです、その通りです。男と女の愛、二人の間の愛は神様を中心にしています。

まあ、とにかく男と女が一体化したとします。では愛はどこから来るのですか。それは最初、男から来るのですか、それとも女からですか。どちらでもありません。ではその愛は誰に属していますか。これも皆さんの答えは正しいですね。そうです「神様」です。だからその愛に触れる場合、自分の好き勝手に扱うことは許されません。それは第一に皆さんのものではないのですから、大切にまたは尊敬しなければなりません。それは皆さん以外の所からやって来ます。では愛はどういう経路で皆さんの所に達するのでしょうか。それは皆さんの所へ直接来るのですか。神様から直接来るのですか。どのようにして愛は皆さんの所にやって来ますか。人はたくさんの愛を持っているかも知れません。しかしそれは神様から自分の配偶者を通してやって来ます。簡単です。ここに一人の人間がいるとします。彼にはすべてが備わっているとします。しかし自分一人では満足できません。愛を得るためには他の人を必要とします。それが愛というものの性質です。皆さんは愛について考える時、それが皆さんからではなく、皆さんの配偶者から来るものであるということを認識しなければなりません。それは男でも女でも同じです。まず授受作用がなければなりません。次に統一があって、それから愛が生まれます。皆さんは愛がある場合、それはいつまでの他の人のおかげなのです。そのことを皆さんは心に留めておかなければなりません。

愛がある所には必ず押す力と引く力があります。ここに初恋をしている一人の男と一人の女がいるとします。男は女にすべてを与えます。女もまた男にすべてを与えます。彼らは相手のために自らを犠牲にします。それでは神様はどこにいるのですか。その中心です。神様は男と女を一つにする力があり、相手のために自らを与えようとさせる力でもあります。

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B.メンバー達を育成

1.伝道(と自己創造)

伝道は自己創造でもあります。また他人を教育することは自分を教育することでもあります。だから完成の域に達するには他の人々を育てなければなりません。もし百人を連れてきてその人達を全員教育するならば、皆さんは百人を管理することのできる人になれます。そして、皆さんはそれと同じ分だけ自らを創造し、成長させることになります。メンバー・シップが基台です。そこから皆さんの企画に必要な資金を作り、そしてその企画を推進させることができます。メンバー・シップがなければ、たいしたことは何も行えません。

2.将来の計画をはっきり教える

「あなたと私、一緒に繁栄しましょう」これを皆さんの標語とします。将来のビジョンについてメンバー達にはっきり教え、そして共にそれを分かち合わなければなりません。

3.将来有望な水産業界に向かって前進する

既に、先生はアメリカの水産業が持つ素晴らしい可能性と、未来について説明しました。皆さんはそれをどんなことがあっても発展させなければなりません。

4.地方の支援団体を作る

各船につき五人のメンバーから構成されるグループを作り、それから皆さんがいる海岸沿いの町に、海関係の利害関係について指導する委員会を設立します。

C.地域指導者達の支持を得る

1.皆さんの町を復帰するためにスポンサーを見つけます。

皆さんの委員会を支援する善良なその町の指導者を、少なくとも一人見つけなければなりません。そういうスポンサーを見つけない限り、船を提供し、それを公的目的のために使ってもらうことができません。

2.海岸沿いの町自体を再開発する

3.従ってくる人達を教育する

4.皆さんの町を統一する

皆さんの町の分裂を防ぐこと。その町の将来に心を配っている人達を一つにまとめなさい。特にその町が密輸港として用いられるのを防ぐこと。

5.教育と水産業

互いに支え合う関係にあるオーシャン・チャーチのメンバーの皆さんも食事を取らなければなりませんね。皆さんの企画はある種の経済的サポートがなければ成功しません。皆さんはそういうサポートを作り出さなければなりません。

D.海に関する関心事項

1.輸出入

輸出入の関係を勉強すること。分野については皆さんは余り知識を持っていないけれども、非常に重要な分野です。

2.加工工場

加工工場と水産加工について勉強すること。

3.他の関連産業

網作り、フィッシュ・タックル、ギアなどのような海に関連した産業や設備について学習すること。

4.研究設備

オーシャン・チャーチは研究設備を作るべきです。皆さんは船を使用し、それを用いて何かを達成しなければなりません。それが皆さんの基盤です。この指示に従わない限り、皆さんは成功することができません。いろいろな漁のやり方、例えば延縄業のようなものを勉強しなければなりません。皆さんが用いなければならないいろいろな釣り用バスケットを調べ、釣り用ラインとフックについて研究すること。あらゆるものを調べたり、勉強したりする必要があります。それからシステムを改善します。

また、先生は統一神学校卒業生のために、まずカープに行きそれからオーシャン・チャーチ、そして州の責任者になるというコースを設定しましたが、特別な希望と能力を持っている卒業生達は、オーシャン・チャーチに定着することが許されます。海に特別の関心を持っているメンバー達を先生は欲しいと思っています。

これが先生の具体的な指示事項です。先生はこれらすべてに関して真剣なのです。だから皆さんにも真剣になってもらいたいのです。皆さんは自分達に任された船を使って、海に出かけます。これが自分達の基盤を築く唯一の方法です。そして先生は皆さんに直接指示事項を与えたけれども、皆さんは魚釣りの方法について考え、またそれを発見したり、創造したりしなければなりません。また延縄とか刺し網、その他のあらゆる種類の釣りのやり方について勉強しなければなりません。そして実践することにより、自分でいろいろ発見していかなければなりません。

オーシャン・チャーチにいる時には、オーシャン・チャーチに皆さんの注意を集中しなければなりません。オーシャン・チャーチに来たら、それが皆さんの第一の使命、第一の関心事項です。複雑な生き方をしてはなりません。二つ以上の使命を持っているならば、どちらの方を優先するかを決めなければなりません。そして二つ、あるいはそれ以上の企画の間を敏速に行き来しなければなりません。しかし第一目標を達成することを忘れてはなりません。先生は博士課程の学生達のために、明確な伝統を確立したいと思っています。勉強の期間を終えたら彼らはオーシャン・チャーチへ来て、そこで経験を積むべきです。

また彼らはメンバー達と一緒に、市長やその町のその他の指導者達に会いに行くことができます。オーシャン・チャーチは水産の企画であるだけでなく、宗教運動でもあります。博士課程の学生達は神学を勉強し、明瞭かつ正確に我々の思想を説明することができます。しかし霊的な意味で、本当の博士となるためにはまだまだ数多くの経験を積まなければなりません。そういう意味で、皆さんは先生の特殊学校で学んでいるんだということを考えておかなければなりません。霊的博士号を得るための先生の集中コースなのです。

先生は皆さんのために、特別な博士課程のプログラムを用意しています。皆さん全員です。教会指導者としての資格を持つために、そのプログラムを終えなければなりません。皆さんは博士号を取るかも知れません。けれども、それは単に外的な知識に過ぎません。内的な知識も同様に学習しなければなりません。だから皆さんは少なくとも海での経験を味わう必要があります。このコースは皆さんだけでなく、霊的生活において他の人々に教えたり講義や指導をしたいと思う人達全員に適用されます。また、教会の中の他の部局にもたくさん大学院生がいて、彼らは重要な責任を担っています。しかし必要ならば先生はその地位から彼らを外して、その代わりに船に連れてくるつもりでいます。

博士課程の学生達はまだ勉強中ですが、先生はその中の多くの者を今、ニュー・イラ(New ERA)に送っています。しかし博士課程を最初に卒業する者が、今日の我々の見本となります。彼は地方の町に行って、そこでメンバー達と一緒に、その町の指導者達を伝道すべきです。さて先生はタイラーを偉大な人物にしたいと思っているのですが、彼はそういう強靱な人間ではないのです。だから彼は海に行く必要があります。今から彼は、メンバー達が既に知っていることをすべて学び始めなければなりません。

しかし彼は統一神学校で教えなければならないし、ニュー・イラの責任を持っているのでとても心配しています。どうして心配するのでしょうか。心配する必要はありません。あなたは今年の夏、漁に行かなければならないということを知っています。それなら黙って行くのです。そう複雑に考えてはなりません。ただ船に乗って、ただ漁をすれば良いのです。それだけです。オーシャン・チャーチはそんなに難しい所ではありません。先生も数多くの責任を持っているので、この兄弟が今どういう思いでいるのか知っています。しかし海で過ごすことは必要なことなのです。そうでないならば、どうして先生自らがそれをやるでしょうか。先生はこれをニュー・イラやアイカス(ICUS)のような部門にいる人達に向かって強調したいのです。また博士課程の学生達にもこれを強調します。大切なことは現在の仕事に意識を集中し、一生懸命働くことです。

先生は今、解決しなければならないたくさんの難問を抱えています。そしてそれらの問題の一つ一つが心配です。先生には皆さんの立場が良く分かります。しかし、問題は、皆さん一人一人がどうしたらできるだけ早く、真の指導者に成長することができるかです。それが本当に問題です。オーシャン・チャーチは夏期プログラムを奨励し、宣伝しなければなりません。そうすればその夏期プログラムに多くの人達が来たいと思うようになるでしょう。夏期プログラムは訓練計画の中の中心なのです。もしオーシャン・チャーチのメンバーが、皆さん自身の人材ができなければ、先生は姉妹達、女性の力を組織するつもりです。それと同時に先生は、コンピューター化された電子装置によって走る船を考案準備しています。それはたいした問題ではありません。物理的な力は重要ではありません。重要なのは献身です。皆さんはいろいろな方法を使って、力不足を補うことができます。だから、もし皆さんが責任を果たせなければ先生はやる気のある他のメンバー達を探すつもりでいます。

世界の最も有名な漁師の中には韓国人も入っています。日本人も非常に優秀ですが、彼らはあまり危険を冒そうとしません。韓国人は冒険を愛します。普通の人間がやろうともしないことを韓国人は喜んで行います。だから今日、韓国の漁師たちは、世界中から尊敬されています。数多くの漁師達が韓国で訓練を受けています。韓国の漁師達から訓練を受けるために、世界中からやって来ます。皆さんにもそれができますか。先生は真剣な気持ちで尋ねているのです。この夏のことだけを言っているのではなく、皆さんの全生涯について、先生は尋ねているのです。全身全霊を打ち込んでそれがやれるのですか。やれるのですか。やりますか。皆さんの返事は先生を勇気づけてくれました。前進しましょう。では祈りましょう。

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先生は何年か前に科学者会議を始めました。最初はそれはたいしたもののよう見えませんでした。その企画を進めるためには多くの思考とお金、そして人材が必要でした。最初、我々にはほとんど何もありませんでした。皆さんが自分達は正しいことをやっているという強い確信を持っているならば、何ものも皆さんを止めることはできません。困難な問題に直面し、それを乗り越えます。そしてひたすら前進します。そういう生き方なのです。先生はどこへ行こうとも、どういう着物を着ようとも、どういう惨めな姿をしていようとも心は平和です。漁の時の着物を着て食料品店に行った時、人々が先生の所に来て「レバレンド・ムーンはいつごろ漁をしにここに戻って来るか知っていますか」と尋ねて来たことが何度もありました。先生にとってそれは素晴らしい経験でした。先生がどういう容貌をしているか誰も知りません。先生はそのように人々から知られず、見られないでいるのが好きです。そういう時こそくつろいでいられます。

時々先生は靴を履かずに、ただ家庭用のスリッパを履いてデパートに行くことがあります。そこで働いている売り子は、先生の存在に気付きさえしません。先生は特に安売りをやっている時にデパートに行きます。そして高価な靴を二十ドル以下で買いたいと思います。先生は、本来百ドル以上もするはずの蛇の皮でできた靴を履いていますが、その値段が実際にはいくらであったかは皆さんの想像に任せることにします。先生が安売りの品を身に着けているなどとは、人々は想像だにしません。また先生は大きくて古いリンカーン車を持っているけれども、それに乗って平気でマクドナルドに行きます。長い車です。駐車場には他にそういう車は見当たりません。そういう車は、普通高級な中国レストランへ行く時に乗るものですが、先生にとってはそういう食事が普通です。先生はメンバー達を高級な所に連れて行くのが好きなんですが、一人でそういう場所で食事をしたいとは思いません。先生は普通マクドナルドへ行きます。十年経ったら我々はどういう状態になっているか、もし、明確にかつ詳細にそれを話せば、皆さんは一生懸命働かなくなるので、先生は皆さんにそれを話しません。それを皆さんが自分の力で達成するにはどうしたらいいか。これを先生が皆さんに教えているということが重要なのです。皆さんには、成功を正当に認められる機会を逸してもらいたくありません。では皆さんは一生懸命働いて成功しますか。皆さんは畏怖の念を持って神様に祈ったことが何度ありますか。先生はいつもそういう心情で祈っています。先生はそれに命がかかっていると思えるほどに真剣に祈ります。船に乗って海に出かける時、皆さんはどういう思いを持つのですか。何について考え、何について祈るのですか。それは皆さんの人生のうちでとても貴重な瞬間です。

皆さんは陸の上での農耕と、海に出ることの間の違いを知らなければなりません。特に、海の上では皆さんは神様と霊界に頼らなければなりません。農夫たちもいつ植え、いつ収穫すべきかを感知しなければならないので、そういうものに依存します。そして天候のことを良く知っていなければなりません。しかし海上においては、皆さんはそれよりもっと霊的、宗教的でなければなりません。

先生はそのように自然や神様を体験するのが好きです。だから先生は海へ行きます。お母様でさえ、どうして先生がそうしばしば海へ行くのか分からない時があります。先生も時にはひどく疲れます。しかし先生は神様の心情を理解しています。皆さんは霊界の助けがなければ、海の上では何もできません。先生はこのことをよく知っています。

神様は皆さんを助けていると思いますか。どう思いますか。神様は先生を助けていますか。もしそこに違いがあるとすれば、それはなぜですか。その理由が分かるならば、皆さんは先生に近づきつつあると言えます。海は先生を恋しく思います。先生もまた海が恋しいのです。霊界が先生を助け、神様も先生のすぐ近くに来られます。そこに強い愛のきずながあるのです。先生は海に行くための予約を取ります。そして、天のお父様が恋しい思いで先生を待っておられるので、先生はそこに早く着きたくてたまらない気持ちになります。

先生は皆さんをひどくせき立てるので、冷血で苛酷な人間にみえます。また先生が皆さんを荒っぽく扱うので、神様は先生を助けるのをやめるべきだと皆さんは思っているかもしれません。皆さんには苛酷なように見えるのですね。前方から近づいて来るものを見たならば、それが迫害や困難に見えます。しかし後から見たならば、神様が皆さんの面倒を見、皆さんの人生のために、指針や指導を与えておられることが分かります。普通の人々は、神様や先生が皆さんに与えたと思っておられるような祝福を受け取ることができません。これが皆さんには分かりますか。愛は訓練です。簡単に出来るものではありません。皆さんは三点を開発しなければなりません。鋭い霊的なアンテナ、鋭い分析能力、そして多くの人生経験。この三つの要素が必要なのです。今、皆さんはこういうものについてしっかりと考えなければなりません。皆さんはまだ若いです。全身全霊を打ち込んで、今やっていることを成就すべきです。

オーシャン・チャーチのための具体的な指示

元の所に戻ったならば、今までよりもっと一生懸命に働くつもりですか。皆さんの答えは安ぽいですね。時々先生はそのように感じます。今日、皆さんはやりますと言うけれども、今度もう一度ここに戻って来た時「あのー、すみません。十分できませんでした」と言うかもしれません。だから全力を尽くしなさい。全力投入しなさい。皆さんは、前の先生の指示事項を勉強しなかったかもしれませんが、今日はもっと具体的な指示を与えたいと思います。それをノートに書き留めておくようにしてください。

A.自己訓練と管理

1.自己訓練

他人を訓練する前にまず自分を訓練しなさい。自分はもう十分訓練されていると思っているとしたら、既に大きな過ちを犯していることになります。

2.実践

学んだことをすぐに実践しなさい。漁は体験を通して学ばなければなりません。

3.船の管理

誠実な心と祈りを持って船を管理しなさい。船を洗ったか、良く管理しているかを確かめなければなりません。実践と自己訓練を通して学習がなされます。すべての学習は自己訓練の下になされます。今年の夏、皆さんは、船の上に泊まり、そこで休むがそれも訓練の一部です。船は皆さんの訓練場です。皆さんはどうやったら船を愛せるか、どうやったら本当に大切にできるかを学ばなければなりません。そうすることにより、いつも特別な喜びをもって回想することのできる思い出が皆さんに与えらることになります。

4.船は皆さんの対象目的

船は皆さんの命です。自分の妻を愛すると同じ位の愛を持って管理しなければなりません。毎日、出発の前に必要なもののチェック・リストを作らなければなりません。一つずつ順序立ててチェックする必要があります。こういう方法により、すべて完全に準備が整っていることを確かめなければなりません。船が途中で故障することがあってはなりません。一定のチェック・リストを用意し、毎日それに目を通さなければなりません。油、ガソリンその他すべてがきちっとそろっているかどうかを確かめなければなりません。船の管理を良くしなければ、皆さんは死ぬようなことになるかもしれません。それくらい真剣なことです。海の上で何かが故障する、そういうことは絶対にあってはなりません。はっきりと分かりましたか。

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オーシャン・チャーチの基台
1983年 6月10日 グロースター
 今日先生は直接皆さんに話したいのですが、先生は一つの言語を話し、皆さんは互いに異なるたくさんの言語を話します。つまり、皆さんは先生の話す言葉とは異なった言葉を話すので難しいのです。韓国語を話せば、皆さんはどんなものでも発音することができます。皆さんは韓国のメンバーが英語を上手に話すのを知っています。通訳しても意味の半分しか伝わらないということに先生は腹が立つのです。多くのことがこのようにこんがらがってしまいます。将来先生は韓国語だけを話そうと思っています。英語や日本語には通訳しません。そのため、先生が話すのを直接聞けるように、皆さんは韓国語を学ばなければなりません。

堅固な基台を作るために一生懸命働く

皆さんは以前よりもっと一生懸命働いているのですか。皆さんの「はい」という声がとても大きかったので本当なんでしょうね。しかし、皆さんがオーシャン・チャーチの企画に全力投入している統一教会のメンバーですが、共産主義の国で働き、命を危険にさらしているメンバー達のことを皆さんは考えなければなりません。どんな重労働をしたとしても、彼らに比べれば、皆さんの生活はまだまだ楽しく幸福なものです。それを考えてみなければなりません。

我々のムーブメントでは他にたくさんの企画が全世界で同時に進行しています。それにもかかわらず先生は毎日貴重な時間を割いて、皆さんを直接指導しています。先生はその上、皆さんよりももっと働いています。だから皆さんは先生に同情する立場にあります。一つだけ例を挙げてみましょう。ワシントン・タイムズにどの位のお金がかかっているか、皆さんは知っていますか。我々は既に数百万ドルを投資しました。それと同時に、南アメリカの摂理も既に開始しました。しかし先生は、我々のムーブメントが現在やっていることだけを考えているわけにはいかないのです。将来のことも考えなければならないのです。

一つだけ分かっていることは、遠洋での魚釣りの時代はもう終わろうしているということです。養殖水産の時代が始まろうとしています。遅かれ、早かれ、人類は海を利用する方法を探索するようになります。陸地にはもう人間が住む場所や資源がなくなりつつあります。もし成功しようと思って一生懸命努力するならば、皆さんはその努力は支援されることになるでしょう。既にグロースターやその他のたくさんの漁港で、たくさんの援助が与えられてきました。しかし、オーシャン・チャーチは信頼できる基盤を持っていません。もう既に釣り具店のために投資をし、それをもう作り始めていなければならないのに、そのための基台が何もありません。このため、皆さんのことがとても心配なのです。

先生は皆さんと一緒にいつでも漁に出かけたいのです。しかしそうするだけの十分な時間がありません。先生はこの国で起きること、また世界で起きていることのすべてに関心を持っています。今、先生はIOWCのことをとても心配しています。だから十分な時間がありません。皆さんに今まで以上の努力をしてもらいたいのです。皆さんは先生が指示したことを行ったのですか。皆さんのこの町の沿岸警備隊は皆さんのことが好きですか。彼らはムーニーが悪いことをしているという概念を持っていますか、それとも良いことをしているという概念を持っていますか。宇宙の法則というものがあります。楽なやり方は決して勝利しないし、一生懸命働くやり方は決して失敗しません。楽なやり方は何ですか。それは負ける側です。反対に一生懸命働くやり方があります。仕事がどんなに難しくても、こういう方法を追求する人は成功します。それが真理です。

そうするとどう思うのですか。皆さんの中で年長でより多くの経験を積んだ者達、大きな船が必要なのですか。どの位大きいのですか。そう皆さんはグッド・ゴーの訓練レベルを超える必要があります。その企画を引き受けそれを成功させるならば、その時こそ、皆さんは支援を要求しそれを受け取ることができます。問題はありません。しかし皆さんはそれをやるという決意をしなければなりません。そうすれば何も問題はありません。百二十フィートの船を造るのは問題ありません。我々は既にその基台を作りつつあります。またそういう大きな船をファイバー・グラスで造ることについても我々は考えなければなりません。皆さんはそういう船が欲しいですか。分かりました。それならば皆さんは自分の基台を先に作らなければなりません。三十五歳以上の者、手を挙げなさい。二、三人しかいませんね。皆さんはとても若いですね。皆さんの年齢ならば、今でも軍隊に行くことができます。皆さんほどの若さならば、多くの経験をしてそれを自分の人生の一部とすべきです。嫌なのですか。時々、皆さんは朝早く起きて夜遅く床につくまで、とても長い時間働きます。皆さんは自分と自分の家族を養う方法を学ばなければなりません。今は皆さんにとって訓練期間なのです。次に先生が何を準備しているのか、何をしようとしているのか、皆さんには分かりません。先生は人生で数多くの重要な人物に会ってきました。そしてたくさんの人々が先生に反対しています。「神様、レバレンド・ムーンに反対する私の努力に力を貸し給え」と彼らは祈っています。彼らは先生に対してとても不思議な概念を持っています。そして先生をよく知った上での祈りではないので、神様は彼らの祈りにこたえることができません。神様は真実に基づかない祈りにはこたえることができません。皆さんはどうですか。この兄弟を見なさい。あなたは小さすぎます。海の上で皆さんが働くのを邪魔しようとするかもしない。あの頑強な漁師達をあなたはどうやって打ち負かすのですか。小さすぎればそれは困難です。皆さんは大きな男の二倍働かなければなりません。成功するには二倍の根性が必要です。

今度は先生の指示通りできますか。皆さんの使命は、皆さんの町の市長の前に立つことのできる人間になることであると感じているのですか。彼らと友好関係を結べない限り、皆さんは決して成功しません。これが先生の皆さんへの指示です。警察署長や市長はその町の成功者達です。皆さんは彼らの支持を得て、確固たる基盤を築かなければなりません。彼らと知り合いになり、彼らの援助の下に何らかの成功を達成すべきです。市長の事務所にいつでも電話することができる関係を結ばなければなりません。そういう関係を結ばない限り、皆さんはその町で公的人物にはなれません。先生もそういう路程を通ってきました。先生はニクソン、フォード、カーターそしてレーガンと交際しようと努力してきました。先生はカーターに激しい発言をして、どこが間違っているのかを彼にはっきりと伝えました。悪いものは悪いのです。皆さんも彼らにはっきりと言わなければなりません。先生はこの社会にいるすべての重要な人物達と知り合いになろうと努力をしました。彼らは応じてこなかったけれども、先生は彼らと知り合いになる努力だけはしました。彼らの中には、先生に会おうとすらしない者もいました。彼らは内心恐れを抱いているのですが、先生は強いて彼らを獲得しようとしません。しかし彼らは先生が真理を語るであろうということを知っています。では皆さんはどうなのですか。皆さんはこの町にいる三流の市長にどうして会わないのですか。彼は大統領ほどの大物ではありません。

実際、何ということはありません。ただ入って行きます。そして何らかの関係を結ばなければなりません。入って行ってお茶を入れてやります。午後訪問します。そして楽しい雰囲気を作らなければなりません。皆さんにはそれができるのです。先生にとっては難しいのです。先生はここアメリカの慣習を皆さんほどよく知りません。そういう意味では先生はよそ者です。しかし皆さんはよく知っています。だから、黙って入って行って友達になれば良いのです。

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驚嘆すべき真の父母の路程

皆さんは先生に従いたいのですか。真の父母のチャンピオンになりなたいのですか。なりたいの、なりたくないの。(なりたいです)霊界に行けばすべてが分かります。何も隠されません。そうするとどうなるのですか。永遠に恥じても良いのですか。それとも誇りたいのですか。それならば何かをしなければなりません。誰もがやれないことをすべきです。何かユニークなことをやるべきです。他の人が真似できないことを何かやるべきです。神学校の学生達をして学問の分野の最高レベルを達成させ、それから卒業後は彼らを船に乗せて海に送り出します。先生は何という指導者でしょうか。

気違いじみています。どうして先生はこういうことをするのでしょうか。先生は漁師達、波止場で働く労働者達、船乗り達のことを皆さんに知ってもらいたいと思っています。そういった人達の中に強烈な愛国者がいます。先生はアメリカを愛し、また世界をも愛しています。皆さんにもそういうふうになってもらいたいのです。自分の国を愛し、また世界を愛する強い人間になってもらいたいのです。それから皆さんは教師になり、その分野にいる人達を復帰します。

先生は皆さん全員に、生涯漁師になって欲しいとは思いません。しかし皆さんはその分野において救いの力をもたらすことができるようにその生活を味わい、そしてその分野の先生にならなければなりません。そして港町で働く漁師達や労働者と心情を一つにして、神様を中心とした兄弟姉妹にならなければなりません。そうすることは良くないことですか。

船に乗って海の上に行き、時々トイレがないことがあります。数時間経ったら小便をしなければなりませんが、する場所がありません。だから他の人達が船の上にいても、そこでするしかありません。ある意味では恥ずかしいのですが、先生自身が皆さんの先頭に立ってやる必要があります。公的人間であるためには、先生は皆さんが行わなければならないことをまず見本に示し、皆さんの道を直くすることになります。心配せず、不平を言ってはなりません。いつの日か、大衆の面前で大便をしなければならない立場に立たされたとしても、恥ずかしい思いでそれを行ってはいけません。皆さんは偉大な運命の下にあり、何らかのものを達成できることになるでしょう。だからすべて威厳を持って行わなければなりません。

そうすれば霊界にいる聖人達が皆さんを見下ろして、皆さんが真剣でしかも聖なる人達だということを知るようになります。そうすると、皆さんが小さな船に乗って海の上で大便をする時、霊界にいる皆さんの先祖全員がそれを見て、皆さんの立場を羨ましく思うようになります。彼らは「私もあそこに降りて行って、あれと同じことを経験したい」と言うでしょう。皆さんの子孫達も皆さんの例を見習い、小さな船に乗って海の上に行き、それと同じ経験をするようになります。実際、皆さんの人生の終わりが来る前に、多くの人達が皆さんの船にやって来て、こういうことを行うようになるかもしれません。そして彼らを海に連れて行く費用を少々もらうことによって、皆さんはおお儲けすることになるかも知れません。皆さんは笑っているけれども、ある意味ではこれは冗談ではありません。

先生はフォークとかスプーンを使わないので自分の指を使って食べることができるし、膝の上に食物を置き、一方の手でそれをつかみもう一方の手を使って、それを食べることもできます。先生にとってはたいした違いではありません。他の人達を救うためにそういうことをしなければならないのであれば、先生はためらうことなく自分の膝を使って百万回でも食事をすることができます。皆さんがどう思おうと、先生の考え方は皆さんのそれとはまるっきり違っています。皆さんも先生と同じように考えたいですか。先生の考え方に似た考えを持ちたいのですか。一九七二年、先生がアメリカにやって来た時、誰も先生のことを知りませんでした。しかし、三年以内でこの国をひっくり返し、それから正常なものにしようと、先生は決意しました。何百万人という人がこの国にやって来たけれども、先生の第一歩はその人達とは違っていました。先生は「私が持っている思いと使命を抱いてこの国にやって来た人は、今だかつて一人もいませんでした。しかし私はそれをやります。そしてこの国を神様のもとに戻します」そう考えながら上陸しました。

皆さんがオーシャン・チャーチに来たばかりの時、これと同じ心情を持っていたならば、オーシャン・チャーチは今日のような状態にはなっていなかったことでしょう。天気予報を聞いて、グロースターは荒れ模様ですが、ここニューヨークは凪ということを皆さんは知るでしょう。そうすれば皆さんはどこで漁をしたいと思うのですか。「東海岸は私の領域です。私はそれを上がったり下がったり、どんな所でも働くつもりです」少なくともそういうふうに考えることのできる心情を皆さんは開発しなければなりません。しかしそこに行く方法は自分で考えなければなりません。経済復帰をして飛行機で行くか、それとも歩いて行くか。いずれにせよ、そこに行かなければなりません。それからその地域、その海岸線について学ばなければなりません。魚について、またそれをどういうふうにして捕っているかについて知らなければなりません。それだけをしたら、次は学んだ技術を実際に使ってみて、それを改善しなければなりません。先生は皆さんとはやり方が違います。それは先生が、皆さんとは違う考え方、物の見方、聞き方をするからです。だから先生の実績は皆さんの実績とは大分違います。「私にはできない」と人は言うけれども、どうしてそういうふうに言えるのか、先生には理解できません。できないというものはありません。皆さんの命が今やっている一事にかかっているならば、皆さんはどうするのですか。皆さんの命が危ない状態にあれば、今やっていることがどういうものであれ、皆さんはそれを必死で行うでしょう。ひたすらそれに専念し、自分の持っている物すべてを投入するでしょう。

先生の言っていることが分かりますか。先生の考えはそういうもの、あるいはそれ以上のものです。普通の考え方ではありません。先生はニューヨークに着いた時、すべての指導者達をエンパイヤ・ステート・ビルディングの頂上に連れて行きました。先生はニューヨークに来たばかりで、そこで何が行なわれているのかすら知りませんでした。それでも先生は指導者達に向かって「ニューヨークにある重要なビルの幾つかを我々は買うつもりです。もしかしたらこれも買うかも知れません」と言いました。実際に三、四年以内に、我々は幾つかの大きなビルを買うつもりだったのですが、その当時としてはもう遅すぎました。しかしまた別の機会がやって来ます。「意志がある所、道あり」ということを先生は心底から知っています。先生は夜も昼も解決策を見出だすまで問題を考えます。諦めたことはありません。先生の考えは皆さんの考えと大分違うのです。

皆さんはどうなのですか。皆さんの中で変化しているものが何かありますか。皆さんはただ髭を伸ばすことによって変化しているのですか。それは皆さんの中で何かが変化したのですか。もし本当に内的変化があれば結果が現れて来ます。それがどこにあるのですか。皆さんは今まで何をしていたのですか。まあ、皆さんの髭はとても素晴らしく立派に見えます。先生は皆さんはポール・バンヤン(訳注:アメリカの伝説的英雄)のように見えます。それと同じ位の思いを自分達の船に注いでいるのですか。皆さんはどちらの方をより愛すのですか。髭ですか。それとも使命ですか、先生はそれを調べたいと思っています。

先生は普通簡素な服装をしています。今すぐにでも海に行ける用意ができています。先生は自分がユニークな運命の下に生まれているということを知っています。そしてそれを生き抜くつもりです。人々が先生に対して何と言おうと、また何をしようと関係ないのです。一方の耳から入れ、もう一方の耳からそれを出してしまいます。先生は自分の運命をやり遂げること、自分の使命を完遂することしか考えていません。それだけです。そういうふうに先生は考えます。オーシャン・チャーチは滅多にない団体です。世界中探してもこういう組織はありません。誰がそれを創ったのですか。そんなに単純なものではありません。皆さんはオーシャン・チャーチを他の人達に説明できますか。それがどうして存在しているのかについて、またその哲学について、皆さんは説明できますか。先生はオーシャン・チャーチに妻達用のプログラムを作りたいと思っています。「妻達が船の舵をとる」と、ある日先生は宣言するつもりです。その日は夫達が自分の妻を訓練しなければなりません。もしそれをしなければ、先生は彼らから船を取り上げてしまいます。いずれにせよ、その船は皆さんの船ではないのです。皆さんはそれを管理しています。丁度、教会センターを管理するようなものです。統一教会は多種多様のものを、少しずつではありますがことごとく持っています。何か欲しいものがあれば統一教会に送れば良いのです。世界中の人々がそういう目で我々を見始めています。我々はカタログを作るべきです。そして、もしある人が女性の漁師を必要とし、しかし我々にそれがなければ、我々はそれを作りあげるつもりです。皆さんはここで生まれ、皆さんの文化もここにあります。皆さんの生き方もここにあります。皆さんはもっとやるべきです。ここアメリカで先生が作った記録を、ことごとく皆さんは破るべきです。そうしますか。(はい)。まあ、皆さんは単なる「はい」人間ですか、それとも「行動」人間ですか。皆さんが良くやるようになるかどうかは、こうやって話しているだけでは分かりません。分からないんですね。だから先生は皆さんをじっと観察しようと思います。オーシャン・チャーチの指導者達は優し過ぎます。親切で寛大すぎます。皆さんには「鉄拳」方式が必要です。そうすれば皆さんはもっと早く、もっと大きな成功を治めることができます。皆さんは「将校と紳士」という映画を見ました。まさに「鉄拳」方式でした。しかし先生はその映画を見て悔しく思いました。それは、先生だったらその映画の中で軍曹がやったよりも遥かに多くのことを、その兵士のためにしてあげることができたからです。その映画は素晴らしい訓練方式について見せてくれましたが、道徳は荒廃していました。我々の訓練はその映画以上でなければなりません。皆さんの訓練は海兵隊以上でなければなりませんが、我々の道徳も聖人のごとく高潔でなければなりません。

それでは、今日からは今までとは違った人間となって、与えられた使命を完全に全うしましょう。ありがとう。そして、神様が皆さんを祝福してくださるように。

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真の父母の孤独な立場

皆さんは先生が一日中家の中に閉じこもり、木を見たり、鳥を見たりして暮していると思いますか。それが先生の生き方だと思いますか。金持ちで気ままに生きて来た人達は、霊界では全く特別な所に住んでいるということを皆さんに知っておいてもらいたいのです。彼らは心底恥じています。先生の人生を調べてみれば、それが苦しみに満ちたものであることを皆さんは知るでしょう。先生の基準は物凄いもので、貧困とか苦痛のレベルを越えています。先生は考えられる限りの辱めを受けて来ました。しかし神様を愛するという心は決して変わりませんでした。

先生は安楽な生活をしたことがありません。イースト・ガーデンでもそうです。むしろ、先生はその場所を他の場所と同様、涙を流す場所として用いて来ました。いつでもです。皆さんはこのことが分からないのですが先生は生涯ずっと神様のために涙を流し続けて来ました。神様もこれをご存知なのです。レバレンド・ムーンがどういう生活をして来たか、神様はつぶさに知っておられます。だから先生が死んでも、神様は先生のために社を作ってくださるでしょう。先生が生涯神様のためにやって来たことを神様は決して忘れないでしょう。

皆さんの運命は先生に会うことになっていました。皆さんは先生と会った時、心に何かを感じました。それは目に見えないきずなです。それは神様が先生のことをご存知だからです。先生は毎日新しいことを考えています。指導者達は先生を二十年か三十年知っています。それでも先生は毎日、彼らに新しい考え新しい情報を与えています。先生は彼らにとっては依然として謎の人です。彼らは先生のことを良く知っており、毎日先生と会う生活に慣れているというと皆さんは思うかも知れませんが、そうではありません。先生が次に何をするか分からないから、彼らが先生に会う時の感情は恐れに近いものです。先生が何を考えているかが彼らには今でも本当は分かっていません。皆さんは先生が好きなのですね。しかし、どんなに先生を身近に感じたとしても、先生を完全に知ったという気持ちにはなれません。皆さんも先生の中にある、ある種の威厳と恐ろしいほどの力を感じています。先生はこの家に孤独な男として生きています。誰も本当には先生のことが分かりません。お母様や子供でさえそうです。

だから先生が皆さんに指示を与える時、それを軽々しく扱ってはなりません。日本のメンバー達は先生を軽々しく扱ってはならないことを知っているのですが、アメリカ人達はまだそれが分かっていません。日本人達は何も聞かずに黙って従って来ます。それは大きな力であり、また忠誠心でもあります。先生が韓国と日本でやって来たことに対して、多くの人が批判して来ました。韓国と日本からたくさんのものを取って、それを全部アメリカのために使っていると言って、先生を批判しました。しかし彼らには、なぜ先生がそういうことをするのか分かっていませんでした。何年も経って、先生のビジョンが次第に形を持ち始め、今では、人々は先生の仕事を真剣な目で見つめています。畏怖の念さえ持っています。キリスト教の学者や神学者達も信じられなくて頭を横に振っています。我々のビジョンはとても偉大なのです。

皆さんは先生のことを良く知りたい、先生の近くにいたいと思わないのですか。そうであれば、皆さんはとてもまれな普通でない生き方をしなければなりません。先生の指示に従って狭い生き方をしなければなりません。皆さんはそういうふうに運命付けられています。今ではとても有名な学者達が、レバレンド・ムーンに会えないだろうかと言って指導者達の所へやって来ます。普通のメンバー達の所へさえ来ます。皆さんはどうなのですか。皆さんもそれと同じ思いを持っているのですか。頻繁に先生に会いたいのですか。「私は先生から指示を受けるのに値しない男です。こういう地位にいるべきではありません。私よりももっと準備された人がこの地位にいるべきです。何という栄光でしょう」。そういうふうに皆さんは思ったことがありますか。

真夜中に月を見ながら、また太陽が昇ったばかりの早朝に、深く冥想をしたことがありますか。海の遥か向こうを見ながら、自分の地位とか運命について考えたことがありますか。「自分は真の父母に直接つながっている特別な人間です。直接、真の父母から指示を受けることができます」。そういうふうに考えたことがありますか。全宇宙が皆さんを羨んでいることを考えたことがありますか。

皆さんは先生のために働くことにどれほどの栄光を感じているのですか。イエス様のために働いた弟子達はどうでしょうか。イエス様の時、人々には受ける器がなかったのでイエス様は原理を教えることができませんでした。弟子達は教育を受けておらず、何も分かりませんでした。彼らはただイエス様の中に何かを感じ、従って行こうと努力したに過ぎませんでした。イエス様が基台を造るのをどうやって援助したら良いのかすら、彼らは知りませんでした。彼は孤独の中で亡くなりました。全く孤独でした。

ペテロが第一弟子でした。彼は無教育な一漁師で原始的な人間に近かったのですが、今誰もが彼を聖人として崇めています。皆さんは神学校卒業生ですが、ペテロよりも劣った人間になるつもりですか。もしイエス様が一箇所でもいいから「真の父母」という言葉を聖書に残しておいてくれたならば、先生はこれほど苦しまなくてもよかったでしょう。

もしイエス様が聖書の中のどこかに少しでもいいから人間の堕落について、どうやって堕落が生じたのか、どうやって罪が侵入したのかを教えていたならば、先生はこれほど苦しまなくても済んだはずでした。今日、二千年経って全く新しいメッセージがやって来ました。今、先生は人生のあり方を教えています。人々は先生のメッセージを読むのですが、そのメッセージは今から二千年後の人々のためのメッセージでもあります。彼らは理解できるというだけでなく、彼らの「血と汗」、彼らの生き方となるものなのです。そういう基準で先生は教えています。

そういうことを皆さんは考えたことがありますか。「ああ、お父様はいつもおかしなことを言ったり、教えたりされる」と皆さんは良く言うのですが、先生は二千年後の聴衆に向かって話しているのだから、それは当然なのです。「働き過ぎて、使命の途中で死ぬことがあっても自分は後悔しない」と先生は思っています。皆さんはどうなのですか。そういうふうに皆さんは考えているのですか。そういう決意を皆さんは持っているのですか。

分かりましたか。特に神学校卒業生の皆さんは分かりますか。皆さんには特権と責任が与えられています。先生は皆さんにこのムーブメントのための記録を樹立し、その記録を付けておいてもらいたいと思います。先生が行かなければならない時がやって来ます。そうしたらその後皆さん一人一人、自分の「使徒行伝」を記録すべきです。皆さんは神様の目から見て大きな負債を背負っています。三年間、先生は神学校に特別の注意を払って来ました。ほとんど毎日そこへ行きました。そして細かいこともほとんどすべてにわたって先生が気を配りました。時間があれば必ず、先生は神学校に行きました。しかしその三年間も終わり、神学校についての先生の使命も完了しました。

先生は皆さんに対して無責任だったことは一度もありません。しかし、皆さんはオーシャン・チャーチにもカープにも無責任です。自分の使命について何も考えないならば、神様は皆さんを指導者としては認めません。まず何でもやりたいと思うことをやってそれから自分の使命について考える、そういうことは先生は認めません。神様も認めません。一日二十四時間、先生は使命のこと以外に何も考えません。

皆さんはこれ以上のメッセージを必要としません。皆さんはメッセージを持っています。皆さんの使命がオーシャン・チャーチであれ、カープであれマスター・マリーンであれ、皆さんの体と魂から出て来るすべてのエネルギーを、その使命に投入しなければなりません。それが重要なことだと思わないのですか。先生は疲れていません。足が痛みだしたら、先生は自分の足に向かって「足よ、どうして不平が言えるのですか。どうして私に従わないのですか。お前を切り捨ててしまうぞ。私は紙の御旨を行なっているのだ。お前はそれを助けなければならない」と叱りとばします。こういうふうにして先生は自分を前に押し出していきます。時には、実際に自分の足をぶつことさえあります。

先生は毎日、自分を急き立てながら海に出かけます。エンジンが故障した場合、先生はがっかりするのですが、その日先生が陸の上にいることを神様が何らかの理由で願っておられるのだということに気が付きます。そしてその理由を先生は探します。先生にはそれしかないのですが、皆さんは時々理由もなく陸の上に残っていたいという気持ちになって、休憩したり昼寝をしたりします。しかし先生の良心は先生がそういうことをするのを許しません。

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チャンピオンの基準

先生は普通の男と違っています。先生の心は普通の人とは大分違います。そうですね。皆さんは先生といる時、先生をそっとしておきますか。それとも使えるだけ使うのですか。先生は段々年を取っています。皆さんは先生をそっとしておきたくはないですか。分かりました。では、先生が使い古されてしまった時のための予備のタイヤが我々には必要です。皆さんがレバレンド・ムーンの予備のタイヤになるべきです。そうであって初めて公平だと言えます。そうですね。先生は皆さんに先生の「予備」になってもらいたいのです。

皆さんは今ではもう他の人とは違う人間になっています。そうですね。アメリカ人の皆さんは他のアメリカ人とは違った見方をします。それは皆さんのビジョンが世界的だからです。皆さんの心情が全世界とつながっているので、人々は、皆さんの所へやって来て一緒に働きたいと思うでしょう。必ずそうなります。多分どういうふうにつながれているのか、皆さんは気付いていないかも知れませんが、先生のゆえに皆さんは全世界に連結されています。

先生は有名人になるために出発したのではありません。先生はむしろ人目につかない所にそっとしていたいと思うのですが、年と共に次第に世界の注目を浴びるようになりました。先生がプロビンス・タウンに漁に出かけると、人々は先生をあちこち探し回って「彼はどこにいるのだ」と聞くんですね。普通、先生は彼らのすぐ傍にいるのですが、それが先生だとは彼らには分かりません。皆さんとは違うのです。皆さん、アメリカ人は人目につきたい、見られたいと思います。皆さんは本当にテレビ・カメラの前に立つのが好きです。先生とはまるで反対です。先生がそこにいるのすら人々は分からない、そういうのが先生は好きです。

もし先生が独占インタビューを許したならばどうなるでしょう。彼らは飛び付いて来ますか、それとも先生を無視しますか。そうですね。人々は先生のことを知りたくてたまらないのです。何とか先生にインタビューをしたいとしょっちゅう朴大佐にひたすら懇願している人がいました。彼女は国際的に有名な雑誌のために働いています。先生が「駄目だ」と言って、朴大佐がそれを彼女に伝えました。彼女は「分かりました」と答えただけでした。朴大佐は今まで既にたくさんの雑誌編集者達の申し出を断っています。彼らは決して腹を立てたりはしません。分かってくれています。先生がそういう類の人間でないことを彼らは知っているのです。今日、世界で最も速い輸送手段は何ですか。「ジェット機、ロケット、アポロ、そしてコンコルド」と皆さんは言います。それはそれでいいでしょう。しかし皆さん、統一食口はその百倍速くなければなりません。どうやってそれができるのですか。霊的、知的スピードでやります。人々が月へ一回行く間に、皆さんは十回往復することができます。人々が一つのことを学ぶならば、皆さんは百のことを学びます。人々が一時間講義するのであれば、皆さんは十時間講義します。人々が一時間働くあるいは走るならば、皆さんは十時間働きそして走ります。

熟練した漁師を見て、皆さんは、「彼は俺よりもたくさんの魚を捕っている」と言います。では三年間で彼を追い越す決意をするのです。彼を見て「あなたは日中働いていますが、私は昼も夜も働きます。」と言うべきです。「どんな人が作った記録でも自分は破ってみせる。新記録を作る」と自らに言い聞かせるべきです。他の漁師たちよりもっと長い時間働き、もっと多くのことをします。そういうふうにして三年間やってみます。そうすれば、どんな人でも追い抜くことができます。遂には誰もが皆さんの所にやって来て、皆さんを注視するようになるでしょう。

先生もアメリカにやって来て、同じように「私はどんなアメリカ人よりももっとアメリカを愛そう。アメリカをジョージ・ワシントンが愛したよりももっとアメリカを愛す」と言いました。それから「どうしたら、そういう人より優れた人になれるだろうか」と先生は真剣に考えなければなりませんでした。そして、どうしてアメリカを愛さなければならないのかをアメリカの若者に教えることができるか、というのが先生の答えでした。先生は彼らに人生の霊的重要性について教えることができます。先生は神様の御旨について教えることができます。

先生は体系的、組織的にそれをすることができます。この国の青年を復帰しよう、こう先生は決意しました。ジョージ・ワシントンでさえこういうことは考えませんでした。アメリカに奉仕するという面で、過去にどんな人が記録を打ち立てていたとしても、その記録を破ってやると先生は決意しました。休むことなく五十州を回り、聖地を決めました。その後、ずっと休むことなく講演旅行を続け、何度も疲労こんぱいに陥りました。キャンペーンの間中ずっとそういう状態だったのです。

オーシャン・チャーチは気まぐれに作ったのではありません。先生はアメリカのためのビジョンを持っており、オーシャン・チャーチはその中の重要かつ絶対的な部分を演じています。先生の心は果てしなく広がっています。先生が行うものはすべて、数千年にも渡る目的をもっています。アラン・ホーカソンがニューホープ号に乗って舵を取ります。この時彼は一つの目的を持っています。しかし先生がニューホープ号を海に出す時には、先生の目的はもっと遥かに大きく偉大なものであります。

過去にどういう人が記録を作ったとしても、それを破ると先生は決意しました。その基盤の上に先生はアメリカの活動を開始し、それを推し進めて来ました。アメリカの歴史上のどんな人よりも、先生がアメリカを愛しているということを皆さんは信じていますか。先生が霊界へ行ったら先生がジョージ・ワシントンから指導を受けるのですか、それともジョージ・ワシントンが先生の所へやって来て先生の指導を受けるのですか。どちらですか。もしそうであれば、現在の大統領も同じ立場にあるわけですね。

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将来の指導者のための試験場

オーシャン・チャーチとカープは試験場です。先生はそこに将来の指導者を探しています。皆さんは自分がそうであることを証明したならば、次には国際的な面での責任を引き受けなければなりません。世界の若者を使って、こういうことをしている人は他には誰もいません。ソ連と中国には既に先生のことを批判している新聞が発行されています。だから先生は自分が彼らに影響を与えていることを知っています。それが彼らの反応ならば、彼らは先生を恐れています。そういうことも先生は知っています。先生は皆さんから見て、恐ろしい人間に見えますか。ではどうして共産主義者は先生を恐れているのですか。皆さんにとって先生は父親のようなものです。しかし彼らにとっては先生は恐れも情も知らないようなファイターなのです。

先生はマーシャル・アーツの企画を作成したいと思っています。それはとても難しいので、メンバー達はそれを経験したらオーシャン・チャーチに入れさせてくれと頼みに来るほどのものです。そういうふうにして彼らはマーシャル・アーツから逃れて船にやって来ます。そうすると先生は同じことを船の上でも教えるように要求します。彼らはショックを受けて海の中に飛び込みたいと思います。しかしそこには皆さんを歓迎するものがいます。鮫です。鮫が十分に皆さんの面倒を見てくれます。問題はありません。それなら皆さんはどうしますか。飛び込みますか、それとも生き残ってマーシャル・アーツを徹底的に学びますか。そういう訓練を皆さんに受けてもらいたいのです。

キューバは目と鼻の先にあります。オーシャン・チャーチは彼らと対決することになるかもしれません。彼らによって苦しめられるかも知れません。皆さんはそういう準備もしておかなければなりません。日本で我々が反共宣言をしたとき、同時に全国に三十の銃砲店を作りました。「あなた方が喧嘩に来るならば、我々は自己防衛します」というメッセージを彼らに直接与えました。それらの銃はライフル銃に過ぎなかったけれども、必要とあれば、すくなくとも彼らを食い止めることができました。最低その位しなければなりませんでした。そうしないと共産主義者達は暴力に訴えることになったでしょう。

誰でもそのライフルを買って家に置いておくことができました。日本政府は喧嘩を挑発するのではないかと心配しましたが、我々の目標は暴力沙汰にならないようにすることでした。我々の目標は共産主義の思想に勝利することです。しかし人間は攻撃されたら、自ら守らなければなりません。こういうことをしておけば、共産主義者達は慎重にならざるを得ません。彼らは敢えて暴力的手段に訴えようとはしませんでした。一度もありませんでした。遂に日本の警察は「レバレンド・ムーンは賢い男だ。彼の戦術が素晴らしかったので、共産主義者の路上での暴力行為を食い止めることができた」と言いました。

その間、カープの各キャンパスで、我々は共産主義に対する思想攻撃をかけていました。共産主義の理論は統一教会の教えとは比較にもなりません。彼らは日本の大学のキャンパスでの討論会で私達を打ち負かそうと努力したのですが、反対に、威信を失墜するほどに打ち負かされてしまいました。我々の持つ真理は明らかに疑問の余地もなく、彼らの持つ理論を越えていました。また日本のメンバー達は、彼らよりもずっと遥かに一生懸命働きました。遂に彼らは最後の手段に訴えざるを得なくなりました。我々に対して暴力を使い始めたのです。彼らは路上に連れて行き、そこで闘いたい、我々をそこで脅かしたいと思いました。カープに濡れ衣を着せ、攻撃をかけて来たこともしばしばありました。我々はそれに立ち向かいました。我々は先に攻撃をかけたいと思ったことはありませんでした。彼らの攻撃に対して自分を防衛しただけでした。日本のカープ・メンバーは韓国のマーシャル・アーツの最高のものを学び、死ぬ準備もできていました。多くの若者が攻撃されたけれども、彼らは自己防衛をしただけでした。

アメリカのカープにもそれが必要だと思いませんか。皆さんが行く先々に共産主義者達がいます。皆さんに準備ができていなければ、彼らは皆さんを攻撃し、皆さんに怪我をさせます。「ああ、準備しておくべきでした」と言うようなことがあってはなりません。それでは手遅れです。強い決意がなければ、皆さんは神様の御旨のために闘うことはできません。これは先生がいつもメンバー達に教えていることです。我々を見なさい。マーシャル・アーツを教えている神学校は一つしかありません。その一つの神学校こそ、ベリー・タウンにある我々の神学校なのです。

皆さんは、これが生死をかけたものだということを理解するまでは前進することができません。アメリカ政府は先生を抑え付けようとしています。いいでしょう。やらせておきましょう。上院議員達や知事達が先生に心から詫びる時が必ず来るでしょう。彼らが先生に何をしようとも、先生は前進します。どういう攻撃をかけて来ようとも先生は前進し、さらにますます大きくなって行きます。統一教会はそうなるのです。どういうことがあろうとも潰されません。皆さんもそういう内的決意をしているのですか。もしそうならば、統一教会は永久に発展するでしょう。

ビデオ教育の時代

今年の夏、二千百組の祝福が行われました。それぞれのカップルに成功してもらいたいのです。神様のチャンピオンになってもらいたいのです。皆さんは先生に従うべきですか、それとも無視すべきですか。皆さんがこの道を行かなければ、誰が苦しむことになりますか。究極的に苦しむのは先生ではありません。それを果たさなければ、皆さん自身が苦しむことになります。先生はそのことを良く知っているからこそ、祝福について真剣に指示を与えているのです。先生の言うことを真剣に受け取らない人は、真剣に受け取る人の後に従わなければならない結果になります。先生は「多分こうだろう」という人間ではありません。先生には「多分そうだろう」というようなことはありません。先生は真理です。皆さんはそのことをはっきり知っておかなければなりません。

マジソン・スクエア・ガーデンには、壇の上を歩いてそして献身を誓った二千組以上のカップル、四千人以上の人がいました。彼らは洗脳されてはいません。知的で真剣な人々なのです。アメリカは先生のことをどう考えているのですか。彼らは先生のことをもっと真剣に考えるべきです。我々のことをもっと真剣に考えるべきです。実は、その闘いはもう終わっています。人々は、我々の理想が偉大であることをはっきりと知っています。我々の結婚は、その理想を支えるという重大な責任を担っています。マジソン・スクエア・ガーデンの催しを見た人々はとても感動しました。素晴らしいことがあったんだということを彼らは感じました。我々はそれをテープにとって、音声無しで人に見せることができます。人々は黙ってそれを見るでしょう。その方がより効果的だと先生は思うのです。我々は結婚を見るだけで、人々は我々がどういうものであるかを理解できます。彼らが感受性の強い人々であるならば特別説明することはありません。祝福家庭の皆さんは、この結婚式のテープを皆さんのホーム・チャーチの家においておくべきです。そして、その地域の人達皆にそのテープを見せてやることができます。人々はそれを見た後、皆さんを別の目で見るようになるでしょう。皆さんは人気者になり、見たいという人が増えます。またそのビデオを見るために料金を払いたいとさえ言うようになるでしょう。

アメリカ人達はそのテープを見て、夢の中にいるのではないかと思う程に魅了されることでしょう。見終わったら、彼らは美しい夢から覚めると共に、皆さんに好意的になっていることでしょう。彼らは「この若いムーニー達は何と素晴らしい人達でしょう。世界の希望だ」と思うに違いありません。皆さんは自分の結婚式のビデオを、少なくとも自分のため、そして自分の子供達のためにとっておくべきです。

神学は別として、これはアメリカにとって偉大な贈り物です。皆さんがムーニーであることを知った人々は誰しも、皆さんの結婚式のテープを見たがるでしょう。彼らは好奇心をかき立てられるでしょう。それから皆さんを、そして皆さんの配偶者と皆さんの家族を見ます。そして皆さんが最初どういう状態から出発したかを知れば、彼らの目に涙が浮かんで来るでしょう。彼ら自身の家庭がそういう状態にあるからです。皆さんが知っているように、アメリカの家庭の約半数が崩壊しています。彼らは皆さんを見れば、皆さんと一緒にいたいと思うでしょう。

ムーニーのカップルは模範家庭のショー・ケースになるでしょう。ムーニーの各家庭の前には旗竿を立て、そこに「ムーニー・カップルここに住む」と書いたアメリカの国旗の二倍の大きさの旗を翻します。ムーニーの親戚の中で賛同的な人達も「ムーニーの親戚ここに住む」と書いて旗を立てます。そして人々が訪れて来たら、まず皆さんの結婚式のテープを見せます。それを見終わった彼らは、完全に魅了されてそこにじっと座ったままでいます。それから、皆さんは彼らに統一原理の全内容が入った六時間のテープを見せてやります。

日本の人々はムーニー達がやって来ることに好奇心をそそられ、今ではわざわざ我々のビデオ・センターを訪問して来るようになりました。そのほとんどが若者達や知的な大学生達なのです。彼らは将来の重要性を知っているので、新しいアイデアを学び、それが未来に関係しているかどうかを知りたがっています。我々は千二百本以上のテープを作り、それはいつでも見ることができます。毎月百名以上の人達がメンバー・シップにサインをしています。先生はこれを十倍にしたいと思っているので、日本のメンバー達は一万二千本のテープを作っており、それを昼も夜も人々に見せています。

この企画が始まったばかりの頃、当時ハッピー・ワールドの社長をしていました古田が先生に「それは不可能です。何百万ドルとかかります」と言いました。それでも先生は「やりなさい」と言ったのです。何とか彼らは方法を見つけました。そして一年間試してみた後、古田は先生の所へ戻って来て「先生の言われたことは全く正しく、現在我々は毎月百人のメンバーをえています」と報告しました。

オーシャン・チャーチはこれをどうやればいいのか知らなければなりません。皆さんがやることは、ただ伝統を打ち立てるということです。一旦基台ができれば、皆が成功への道を継承できるようになります。カープのメンバーの皆さんは、全カリキュラムを含んだビデオ・センターを作るべきです。優秀な先生達や芸術家達が我々の所へやって来ます。我々は彼らが彼らのアイデアをテープに入れるのを手助けします。最高の質の人々を得て、彼らの援助で全カリキュラムを作成します。そして我々はあらゆる分野―――ビジネス、哲学、音楽、宗教あらゆる分野にいるアメリカの若者達を教育することができます。

日本がその道を示しました。我々はこれをアメリカで行い、それからドイツ、英国、そして全世界に広げます。人々はどんな分野においても自己教育をすることができます。最高の学生達が関心ある人々に直接教えることができます。ビジネス・コースを受けた後、彼らは大学へ行き試験を受けます。そういうふうにして学位を取ることができます。

それを実行するためにはケーブル放送とテレビ放送を作らなければなりません。衛星中継を用いた教育過程によって、我々は世界のどんな人でも教育することができます。最初はこういう教育方式に人々の関心を引き付けるのは難しいかも知れないけれど、いずれ人々は列を作ってやって来るようになります。こういうふうにして、我々は全世界に奉仕することができます。何千名という人がこういう方法で学位を取ることができます。衛星中継学位ですね。

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アメリカに責任を持つ

しかしたとえそうであったとしても、先生の失望感は大きいのです。今年プロビンス・タウンでメンバー達は出かけようとはしませんでした。先生は彼らを出かけさせるために、あらゆる手段を講じなければなりませんでした。皆さんは若いのだから「お父様、強風が何ですか、出かけましょう」と、先生に向かって叫び声を上げるべきなのです。出かけることが分かっていたら、その何時間も前からあらゆる準備を整えていなければなりません。しかし先生がやって来た時には、エンジンが故障しているし、餌も買っていないし、フックの大きさも合っていません。そういう怠慢なやり方で、どうして世界を動かせるのでしょうか。

皆さんは何を心配しているのですか。皆さんの生活は保障されています。神様は既に皆さんの運命を決定されています。皆さんはただ漁に真剣になりさえすればいいのです。いつの日か、皆さんの妻子が生活の糧のために、皆さんの仕事に依存するいうになるでしょうか。皆さんはそれを知っているのですか。ほとんどの者達が、やらない口実を見出そうとしているのに過ぎません。先生がどういうふうに思っているのか、皆さんには分かっているのですか。先生は皆さんにお金を稼がせてそれを盗み、韓国に持ち帰るとそういうふうに皆さんは思っているのですか。それは事実と正反対です。先生はお金を海外から持って来て、皆さんがこの企画を出発するための手助けをしているのです。政府はそういうことさえも分かりません。彼らは盲目だから、先生をこの国から追い出したいと思っています。しかし先生には、皆さんやこの国を助けようという決意があります。

先生は慰めをどこからか得たいのですが、どこにも見当たりません。政府は先生を迫害していますが、その迫害はひどいものです。しかし、皆さんが与えられた単純な責任分担を果たさなければ、それはもっとひどい迫害となるでしょう。皆さんは大学のキャンパスと港町に行ってそれを行うべきです。そうすれば、達成されます。出かけて行って、皆さんが持っているものをすべて与え尽くすのです。

先生が来る前には皆さんはどこにいたのですか。ほとんどの者達は人間のくずのようなものだったんですね。皆さんはアメリカのこととか、人類を救うことについて考えていますか。霊界とか永遠の命について考えているのですか。皆さんは自分の人生の価値について考えていましたか。自分のことでさえ、真剣に考えたことがありましたか。神様の御旨についてはどうですか。考えたことがありましたか。考えたことすらないのですね。

皆さんは何を恐れる必要があるのですか。皆さんは自由なのです。皆さんはアメリカ市民です。自分の国のために一日二十四時間働く権利を持っています。そうしたからといって、皆さんは牢獄へ入れられるでしょうか。彼らは昼夜問わず、先生を追いかけ回しているのですが、皆さんの所まではやって来ません。皆さんはここで生まれたのですが、この国について先生が抱いているような思いを皆さんは持っていません。この国が危機に陥っているということを皆さんは感じることができないのです。それが何よりも先生を苦しめるのです。皆さんには分かりません。我々は互いに心底から理解し合わなければなりません。先生はアメリカを離れる前に、しっかりした基盤を築いておきたいのです。皆さんは疲れているのですか。疲れたという言葉は私にはありません。もしそれが許されれば、先生は何年も前に既に疲れてしまっているはずです。先生は六十歳を越えているのです。ほぼ定年退職の年齢に達しています。しかし先生は今、皆さんの二倍働いています。

マスターズ氏に最初に会った時、彼の髪が真っ白になっていることに気がつき、老人なのかと思いました。だから彼を親切に扱い、余り強いるようなことをしませんでした。その後、彼はたった五十六歳だということが分かったので、先生は「ああ、もっと彼を急き立てるべきだった。彼はまだ青年だ」と思ったのです。どうしてこの人は英国から来たのですか。彼は皆さんとは異なった運命を持っているのでしょうか。そうではありません。世界は一つです。アメリカはアメリカだけではありません。どの国も単独では存在していません。何が起きようと、我々はそれを互いに分かち合っています。しかし、アメリカは自らの行く道を自らの手で選ぶでしょう。先生はアメリカが失敗した場合のために、この役割を果たすことのできる別の国々のことについていつも思いを巡らしています。ソドムとゴモラは神様の裁きを受けました。彼らには自分の運命を決定するための機会が幾つも与えられていました。遂にロトとその妻はその町を去らなければならなくなりました。神様は彼らに後を振り返ってはならないと言ったのですが、その女は後を振り返り塩の柱になってしまいました。

もし先生がこの国を去るようなことになれば、一度たりとも振り返ったりはしません。先生が荷をまとめて、この国を去る日を皆さんは見たいのですか。この暴力的な国から先生を去らせないでいるものは何でしょうか。それは皆さんなのです。こういう生活をしている皆さん、絶対的な心情を注いでいる皆さんが先生をここにつなぎ留めています。多くの国々が先生に来て欲しいと懇願すらしています。南アメリカとアフリカでは、多くの国々が来て欲しいと先生に頼んでいます。行くべきですか。いつの日か行くでしょう。しかしアメリカを見捨てるような形で先生が行くのを皆さんは願っているのですか。

この国で成功したければ、皆さんは蕩減を払わなければなりません。それが先生の生き方なのです。それを先生は微塵も変えようと思いません。神様がアブラハムに行くように言われた時、アブラハムは黙ってそこを立ち去るしかありませんでした。アブラハムは「あのー、旅費はどうしましょうか」などと言うことはできませんでした。その場で直ちに出発しなければなりません。先生は真剣な男なのです。もしそういう風にしてアメリカを去らなければならなくなったならば、たとえ国務省が何か感じる所があって先生に戻って来てくれるように頼んだとしても先生は戻らないのです。それは絶対なのです。

さて、カープとオーシャン・チャーチの重要性が分かりましたね。マスター・マリーンのメンバー達、これらの船がどれだけ重要なものであるかを知っていますか。マスター・マリーンのメンバー達、自分の仕事に対してどういう心情を持っているのですか。オーシャン・チャーチの皆さんが、大きな可能性を含んだその使命の一部でもいいから実現してくれたらと先生は期待していました。まあいいでしょう。今日は皆さんが新しい指示そ受ける日だとしましょう。皆さんはこの日のことをしっかりと覚えておかなければなりません。皆さんの使命はとても重大であり、アメリカの運命が皆さんの双肩にかかっています。皆さんはこのことを骨の髄まで感じなければなりません。この国にとって他に方法がありません。

もし皆さんがこの復興運動に参加し、神様と人類のために仕えることができるレベルまでこの国を引き上げるとしたら、皆さんは忘れられてしまうのですか。皆さんの墓は荒れ放題にされますか。この国は、いつの日か思い出してくれると思いますか。先生はそれに対してはっきりとした答えを持っています。皆さんは年を取り、疲れ、隠れたいと思うようになるけれども、大衆が皆さんを捜し出し、もっと奉仕してくれと言うようになります。結婚して、ただ自分の家族だけの面倒だけを見るという生活、そういう生活を皆さんは想像できますか。先生は皆さんを王様のように扱って来ました。皆さんは世界のことについて何の関心も持たない情けない人生を送っていた男達、女達だったけれども、先生は皆さんを召命し皆さんに栄光を与えました。皆さんには教育が与えられました。先生は皆さんがこの国を指導することができるように、皆さんの心と魂を引き上げて来ました。他に何かもっと皆さんのためにしてやれることがありますか。皆さんは先生から他に何を期待できるのですか。

この国が生き残るかどうか、また自由世界の希望そういったものが皆さんの双肩にかかっています。十年か、二十年か、それを続けてみるのです。先生が皆さんに願うのはそれだけです。そのうちに皆さんにも分かるようになります。この国は危機に陥り、皆さんを必要とするようになります。皆さんはこの国を引き上げることができます。そういうことを考えたら、疲れなど感じる隙がありません。四十歳か五十歳が皆さんの人生の絶頂でしょう。その頃が依然エネルギッシュであるだけでなく、経験と知恵がついている人生の最も良い時なのです。途中で逃げ出してはなりません。分かる時がきっと来ます。十年か二十年経った頃、皆さんは自分の努力の結実を収穫できるようになります。

今、先生はストライプバスを捕っています。この魚を捕まえるのはとても難しいのです。だから先生はそれを追いかけています。夏中ずっとこの辺一帯が先生の話で持ちきりでした。誰もストライプバスを見つけることすらできないのに、先生は毎日それを釣って来ました。皆さんもそういうふうにならなければなりません。人々が皆さんの行動を見て、皆さんを尊敬するようにならなければなりません。先生は一言も語らなかったけれども、その行動を見て、人々はこの夏ずっと噂し続けました。そういうふうになりなさい。一つの目標を持ち、その目標に向かって昼夜なく働き続けなさい。先生はどういう人間ですか。それでは皆さんはどういう人間になるべきですか。先生は皆さんが偉大な男、偉大な女になるように皆さんを訓練したいのです。絶対に。

プロビンス・タウンとグロースターのほとんどの仕事は先生がやりました。けれども、人々が噂をする時には「レバレンド・ムーンがこうやった、ああやった」とは言いませんでした。そうではなく、ムーニー達がマグロとストライプバスを皆捕っていると話していました。先生の努力は皆さんのためのものなのですから、そうあって欲しいのです。先生は皆さんを上へ上へと引き上げたいと思っているのです。ここに小柄な兄弟がいます。彼はニュー・ホープ号のエンジン・ルームで働き、毎日臭いの強い魚を切り刻んでいます。彼の両手はいつも汚れており、彼の衣服は臭いがします。誰も見ようとはしません。見たとしても彼に近づきたいとは思いません。しかし十年後には彼はロサンゼルスの市長になることができます。どうしてですか。なれるのです。もし彼が責任を引き受け必死になって働くならば、成長して他の人達が尊敬する人になることができます。ただひたすら働き、話をしない。慰めを求めない。そうすれば人々は皆さんの存在に気付き、皆さんの想像を絶するような素晴らしい責任分担を依頼するために、皆さんの所へやって来るようになるでしょう。

パク・ポーヒーを見なさい。我々がメディアの摂理を始めたばかりの頃、彼は新聞が何であるかということさえ知りませんでした。しかし今ではワシントン・タイムズがあり、それは出版物だけではなく、それ以上に大きなものを生み出すことになります。誰がそれをやったのですか。パク・ポーヒー?

そうではありません。彼はただ先生と一つになって、天のお父様に完全に従って働いただけなのです。そうすれば奇蹟を起こすことができます。決意すれば皆さんはひとかどの人間になれます。先生はそういう人間です。先生はどんな会社でも始めることができます。先生が皆さんの所に来て、その会社の社長になってくれるように頼んだとしたらどうするのですか。先生は皆さんにどんな仕事でも引き受けることのできる有能な人間になってほしいのです。だから皆さんの尻を叩いて、厳しく訓練しているわけです。それが真の父親の愛です。

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オーシャン・チャーチとカープの関係

カープとオーシャン・チャーチは成長過程が似通っているので、互いに協力し合うべきです。共に協力精神を持たなければなりません。カープのメンバー達は大学の友人達を「我々の船に乗らないか」と誘うこともできます。もし冒険好きの学生ならば、それに大きな関心を示すでしょう。そうしたらオーシャン・チャーチのメンバー達がその学生達を海に連れて行き、そこで我々が持っている将来のビジョンについて教えます。大学生はこういう企画や計画に心を躍らせるでしょう。

内陸の運動は海岸線の運動に連結されなければなりません。それがカープとオーシャン・チャーチです。大抵の大学生は内陸部に住んでいますが、オーシャン・チャーチを通して彼らは全く新しい世界に招待されます。我々にはシステムも企画も計画もそしてビジョンもあるのですから、何も二の足を踏む必要はありません。大学のキャンパスへ行ってクラブを設立すれば良いのです。先生が既に説明したのと同じやり方を用いて、彼らに船の責任を持たせてやっても良いのです。「これを使ってもいいよ」と言いさえすれば良いのです。多くの学生達がその船を使用するために、夜昼なく働くことでしょう。

今までこまごまとした指示がいろいろ出されたけれども、それはまだ達成されていません。オーシャン・チャーチのメンバー、皆さんはその内の一つでもやり遂げたものがありますか。皆さんは大学生達がやって来た時に、海とそこにあるいろいろな物の香でもって彼らを魅了することができるような、経験豊かな漁師に既になっているべきなのです。皆さんは彼らを人生の旅に誘い、そこで漁の仕方を教えることができなければなりません。

我々の大きな船が港にやって来た時、彼らをワン・ホープ号に乗せて連れて行き、その大型船を見せてやることができます。そして「皆さんが望めば、もし一生懸命働けば、将来こういう船を皆さんは持つことができるんだよ」と言うこともできます。多くの若者達は、そういう目標を与えられれば気狂いのようになって喜ぶでしょう。皆さんは彼らに何か夢のあるものを、何か生きがいのあるものを与えることができます。

彼らを週末大型船に乗せて漁をやらせても良いのです。今日はワン・ホープ号に乗せていろいろ教えてやります。彼らは大学生活に必要な費用を週末の労働で 稼ぐことができます。またその稼ぎを使って修士課程や博士課程で勉強することもできます。彼らにはそういう素晴らしい機会が与えられています。彼らは知的能力とか海に関する特技を持って、また知的能力と機械に関する特技と霊的能力を身に着けて卒業することができます。

それが我々の展望であり、また目標でもあります。皆さんは一体どうしたというのですか。何年間も無駄に過ごして来ました。どうして皆さんはこういう目標に向かって働こうとしないのですか。先生は皆さんに同じことをもう一度最初から繰りり返さなければなけないのです。情けないことです。教会のへ指導者達は顧問グループとして、オーシャン・チャーチが成功しようと失敗しようと、いずれにせよ責任を持たなければなりません。

カープのメンバーの皆さんはどう思うのですか。オーシャン・チャーチと隣り合わせであることがとても嬉しいのですか。それとも嫌なのですか。若者達は生きがいを求めています。それを考えてみてください。いろいろな学校に船を配置します。そして海の好きな青年を見つけます。もしそういう青年が見つからなければ、その時はカープのメンバーが一隻船を引き受けてお手本を示すのです。十人のカープ・メンバーで二隻の船を持つべきなのです。そして若者達の関心を引き、その船を彼らに使わせてやることができます。それはその学校が誇りとするプログラムになるかも知れません。またカープはそのプログラムで成績の良かった人に奨学金を与えることもできます。これらの船は若者達にぴったりと合っているのです。切れ味が良く、現代的で力があります。水の中でナイフのように波を切りながら進む船が、先生は欲しかったのです。先生は若者達のために、若者達の心を興奮させるような船をデザインしました。これは若者達への先生の愛なのです。

先生はオーシャン・チャーチが飛び立つのを期待していたのですが、期待通りには行っていません。皆さんは余り前進していません。現在は世界的危機状態にありますから、先生は一分でも無駄にすることができません。我々はこれらの船を造り始めた当時は、船についての何の知識も持っていませんでした。しかし我々は奇蹟を引き起こしました。マスター・マリンはゼロから始めたのです。全世界からメンバーが集まって、これらの船を造るために働きました。どうしてですか。先生はオーシャン・チャーチが全世界に広まって行くのを期待しました。だからここで成功したならば、次には別の国に行くことができます。オーシャン・チャーチのメンバー達は、地方の行政府の支持を獲得する責任を担っています。市長、警察署長から知事に至るまでです。彼らは皆さんの仕事を見て、皆さんを称賛するようになるでしょう。皆さんの親はそのことで反対するでしょうか。そういうことは全くありません。問題はオーシャン・チャーチが飛び立たなかったという点にあります。オーシャン・チャーチのために準備された八年計画というものがありました。その期間内で皆さんがその計画を完了し、次に国際レベルにまで進むことができるようになるのを先生は期待していたのです。

誰もがオーシャン・チャーチを羨ましく思うほどにそれが成功するのを先生は期待していました。オーシャン・チャーチのメンバー達は教育程度が高く、多くの者が神学校を卒業しています。皆さんはオーシャン・チャーチでの経験を活かせば、この国の偉大なる指導者になれるはずです。大学教授と付き合って、我々の原理を彼らに教えなければなりません。また我々が持っているビジョンも彼らに示すべきです。彼らに講義をします。皆さんにはそれができます。皆さんにとって、それは何ら特別なことではありません。

先生は決めました。先生は皆さんがそういう人達になれるということを知っています。博士課程にある者達もオーシャン・チャーチに来なければなりません。この路程を通過しなければなりません。こういうふうに訓練することによってこの国を教育し、この国に対して、将来への方向性を示すことのできる指導者の資質を我々は開拓することができます。皆さんがそういう男、女になるのを先生は心から願っているのです。先生が歩んで来た路程を見るべきです。先生は一介の漁師として自らを訓練して来ました。どうしてですか。自分のためではなくこの国を救うためにです。先生は共産主義を乗り越えるための方法を見出す決意をしました。先生は生涯、ずっと共産主義と闘っているのです。アメリカはこの思想に負けてはなりません。だから先生は三十年以上もの間、この目的のために全生命をかけているのです。

先生は既に皆さんの路程を研究し開拓して来ました。カープのメンバーの皆さんは自分の使命を知っているのですか。共産主義は大学のキャンパスを通してアメリカに浸透しつつあります。皆さんはそれを暴露し、それと対決しなければなりません。オーシャン・チャーチのメンバー達、麻薬は海上経由でこの国に入って来ています。皆さんはこの国の本当の自由を守らなければなりません。その本来の威厳を守らなければなりません。

これは莫大な仕事なのです。アメリカが自分の置かれた状態に目覚めた時、周りを見渡して「一体この状態から我々を救い出してくれる人はどこにいるのでしょうか」と問うようになります。人々の良心を呼び覚ますために、誰かがやって来てキリスト教を蘇らせなければなりません。神様は先生にそれをやるように指示を与えられました。皆さんは神学校卒業生です。外へ出て一日中海で働き、それから帰って来て夜は教えるのです。そういう生活をしなければなりません。まさしく先生はこれを皆さんのためにやって来たのです。やっと皆さんは目覚めたのですか。皆さんはオーシャン・チャーチが嫌いなのですか。皆さんはカープが嫌いなのですか。こういうふうにして我々はこの国を救います。政府が先生を称賛し、援助しにやって来ると皆さんは思いますか。彼らはそれと全く反対のことをやるでしょう。だから皆さんは強くなければなりません。

全世界の兄弟姉妹達が血を流しています。文字通り、彼らはこの国を救うために、血のにじむような苦労をしてお金を送って来ています。皆さんは船に乗っています。そして強い風が吹き付けて来ます。皆さんはその風に向かって「兄弟姉妹達が作った血のにじむようなお金の代価に応えるために、俺は前進するぞ」と叫ぶべきです。それを彼らは皆さんに望んでいます。カープにいる神学校卒業生、手を挙げなさい。皆さんはオーシャン・チャーチに行く準備ができているのですか。皆さんがカープで達成したことはそのままオーシャン・チャーチで役立つでしょう。この目的に喜んで従ってくれて感謝します。

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なぜオーシャンチャーチが必要なのか
1982年 9月 5日 イースト・ガーデン
 オーシャン・チャーチのミッションを続けたくない者、手を挙げて。今日、先生は海の摂理について話したいと思います。一九八一年六月までにマスター・マリーン百五十隻の船を造りました。そして三百隻の船を完了した時点で、工場をアラバマに移すことができます。アラバマに移動したら、そこのファイバー・グラス部門で小型と大型の漁船を造ることになります。将来全長百フィートから百二十フィートの船が造られます。アラスカで使える船を造る計画なのです。その船は、南あるいは東海岸の海で漁をする他の船をデザインするための基本になります。

それと同時に、我々はアメリカの海岸沿いに三十のオーシャン・チャーチセンターを作る計画を最初に立てました。それから三十の大型船が「母船」という形で各センターに送られるはずでした。そして一年間で皆さんはその船の船長になれるだけの十分な訓練を積むべきでした。一九八〇年十月一日に先生は全員をグロースターに呼んで、オーシャン・チャーチのビジョンについて細かい説明をしました。皆さんはそこにいたのですか。最初の計画によれば、皆さんは主要な港に行って、そこで若者達の訓練を始めることになっていました。そしてワン・ホープ号を一隻ずつ使って、漁と海のビジョンについて若者達の関心を引き起こすことでした。もし彼らが責任を持てば、一隻につき最低五人の割合で、船をその若者達に任せることさえできました。

最初の段階は各センターが十隻の船に責任を持ち、またそれを利用することでした。一隻につき五人の若者達とすれば、皆さんは今五十人の若者達を訓練しているはずでした。そして彼らはオーシャン・チャーチのメンバー達と一緒に働いているはずでした。我々の計画はただ漁をすることだけではなく、海にビジョンを持った人のネット・ワークを作ることも含まれています。

問題はオーシャン・チャーチを我々がどう理解するかにあります。どうして「オーシャン」の後に「チャーチ」という言葉を付け加えるのかです。オーシャン・チャーチは一つの信念に基づいて作られ、一つの信念に従って導かれているのですから、一つの教会運動なのです。その信念とは一つの信念とは一つの哲学です。つまり我々の主な関心は内的なもの、あるいは霊的なものです。それがオーシャン・チャーチの本質です。未来はその精神を開発する者達、すなわち創造に、そして世界に本当に責任を持つことのできる人達のためにあります。

アメリカの運動の基本構造

ベリー・タウンの神学校を通過して来る我々の運動の中核メンバー達の基本ルートというものを先生は計画しました。神学校卒業後、彼らはまずカープに行き、キャンパスで訓練を受けるべきです。それから自動的にオーシャン・チャーチに来ます。それが我々の運動の指導者を教育するための計画なのです。統一神学校からカープ、それからオーシャン・チャーチへ。そういう豊かな訓練を受けた後、神学校の卒業生達は州の指導者となります。各州がそういう指導者を持たなければなりません。

将来、州の責任者としての資格を持ちたい者は誰でも、まずカープそしてオーシャン・チャーチの指導者としての資格を持たなければなりません。我々の運動は、現在の州の指導者のレベルを超えて成長しつつあります。これまではどんなに明瞭かつ創造的な指示が与えられていたとしても、その指示は十分に消化され受け入れられてはいませんでした。指導者から各メンバーに至る段階において、メッセージの内容が収縮してしまい、メンバーの所に達した時にはもはや意味のないものになっています。しかし、カープからオーシャン・チャーチそれから州の責任者へと移行する指導者は、先生の指示を理解しそれに応じることができます。彼らは新しい指示を受けたらいつでもそれに応じて行動に移すことができる特別対策班のようなものです。

将来、統一教会の組織あるいは指導や指揮の方法は州レベルでなされることになります。厳密な連邦システムではなく、むしろ州のシステムとなります。各州が自らの問題に責任を持ち、自らの方向性を出していくことのできる強力な単位となります。例えば、アメリカは連邦政府がありますが、各州も自らの政府を持っています。これがアメリカの源なのですね。先生もそのシステムを我々の運動の中に取り入れたいと思います。五つの州からなるリージョンを一つのグループとして各州を分けます。そうすると十のリージョンができます。そして各々のリージョンは州の責任者の援助をする指揮官を持ちます。そこで唯一必要なことは、本部と各リージョン間の良き連絡関係です。本部の仕事は小さいものでなければなりません。本部が必要とするものは、地方センターから情報を集め、全体像を把握しておくこと以外には余りありません。そうしておけば、本部は各リージョンの仕事を中心に一般的な指示を出すことができます。各リージョンはそれぞれ一人の巡回師を持ち、その人は各州を訪問し、そこでどういうことが行われているのか、長所は何か、何か改善の余地があるか等を調べます。彼らは本部へのみ、しかも直接情報を報告します。巡回師は先生とつながっているべきであり、また我々の伝統と御旨の道、並びに教会の管理行政についても良く知っていなければなりません。巡回師の仕事はメンバー達を直接教育するために各州を訪問することです。こういうふうにして彼らはすべてのメンバーに、指導とカウンセリングを与えることができます。

各州がそれぞれの責任分担を担うわけですが、こういうふうにして統一システムが全国に広がることになります。我々の教育は何を中心にすべきでしょうか。伝統。ではその伝統とは何でしょうか。その伝統はカープの伝統、オーシャン・チャーチの伝統、そして州の責任者の伝統を含んでいます。我々はメンバー達を教育し、豊かでどういう状態にあっても他の人達の面倒を見ることのできる有能な者達にします。

どうして先生はそういう組織に関心を持っているのですか。この国は三つのカテゴリーに入る人々からなっています。内陸に住む人々、海岸に住む人々、若い次の世代の人々、若い世代には高校生と大学生が含まれます。だから先生は大学キャンパス(カープ――全国大学原理研究会)運動と、高校(ハープ――全国高校原理研究会)運動の両方を行う必要があります。

考え方が古く、自分の生活様式に凝り固まっていて容易に動こうとしない、変化を好まないそういう人達を取り扱うことは不可能なことです。だから我々は将来に目を向けて、冒険を好む若者達と共に新しい世界を開拓しなければなりません。若者達は世界中で最も建設的で生産的な人達です。しかしそれはいろいろなグループに分かれています。真剣な人達もいれば、フリー・セックスや麻薬、あるいはあらゆる種類の放縦に身を任せている人達もいます。

我々は、道徳的に清い若者達を作り上げることに力を注いでいます。彼らを清め、彼らに挑戦し、彼らの才能の開発をしてやらなければなりません。それがカープの使命です。一九七八年以来、州レベルの教会活動にほとんど力が注がれませんでした。カープのメンバー達は強力なカープ運動を作り上げるように今まで急き立てられて来ました。カープのメンバー達には多くの敵がいます。彼らは力が強くしかも喜んで対決して来ます。アメリカのほとんどの大学に強力な共産主義と左翼のグループがいて、彼らは何年もの間、活発に活動を続けています。先生は皆さんが怒り狂った連中と対決しなければならないことを知っています。そういう左翼達が、あるいはもっと暴力的な団体が、多くの大学をまさに乗っ取ろうとしています。それは今までずっと頭の痛い問題だったし、今からもそうでしょう。カープのメンバー達はそれと対決しなければなりません。そして大学キャンパスにいる共産主義関連団体の、思想や戦術に打ち勝つ精神を示さなければなりません。一九七八年にアメリカのカープは始まったけれども、キャンパスでの実際の活動は、その一年後までは始まりませんでした。全国ネット・ワークを作る前、我々はしっかりとした勝利の伝統を打ち立てなければなりません。一九八二年末までのカープの目標は、三百のキャンパスを開拓することです。先生は皆さんの国を救いたいと思っています。皆さんはどうなのですか。もしアメリカを救えば、全世界が救えます。アメリカは世界の縮小体であり、世界の人々は今でもアメリカに目を向けて、その例に倣おうとしています。

一九七八年以来、我々はキャンパスで数多くの共産主義団体と対決して来たし、その中に多くの団体が後退して行きました。彼らを打ち負かすことのできるという絶対的確信を先生は持っています。第一段階は大学キャンパスです。それは、将来の指導者達が準備されているのが大学であるし、そこから各国との接近を開始することができるからです。アメリカを出発点として、カープ運動は全世界に拡大します。このようにしてカープが広まるのを、特にドイツで活動する姿を先生は見てみたいと思っています。もしカープの若者達が一緒になって、武力を一切用いずにベルリンの壁を崩して国を再統一することができるならば、それは最も素晴らしい光景となることでしょう。先生は「女性達の力」と名付けているのですが、その「女性達の力」を通してそれが達成されるのを先生は見たいと思っているのです。女性達が先頭に立ちます。女性達が前進すれば、敵も立ち向かうことができません。そうなります。分かりますか。

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世界の重要な問題を解決すること

今の世界は狂っています。誰もが自分のために働いています。あるいはせいぜい自分の国のために働いているにすぎません。全世界のことを考えて、そのために働いている人が誰かいるでしょうか。一人もいません。東洋世界はどちらかというと霊的世界、例えば哲学、冥想そして霊的な実践によって占められています。それが基本的には東洋の歴史なのです。西洋世界はどちらかというと肉体世界、例えば科学や技術で占められています。一方はより内的で、もう一方は外的だということです。それは我々にとってどういう意味を持つのでしょうか。カインとアベル。互いに関連し合っています。それなしには真の親は立つことができません。裁判の時に彼らは先生に「あなたは霊界で誰に会ったのか」と尋ねたのです。先生は真実を伝えました。我々の目的はメシヤを宣言することです。そうですね。その質問を彼らがした時に「イエス、モーセ、そしてあらゆる聖人たち」と先生は答えました。彼らの答えは「驚いた」でした。彼らはそれを信じなかったし、新聞もやはり信じませんでした。モーセはユダヤ教の創始者だから彼に会ったし、イエスはキリスト教全体に責任を持っているから会ったし、釈尊は仏教の始まりだから会ったと先生は説明をしました。そうするとあるイスラム教の人たちが来て、マホメットに会ったかどうかを問いたので、先生は「会った」と答えました。すると「彼はイスラム教徒だったか」と彼らが聞いたので、先生は「もちろん、彼は間違いなくイスラム教徒だった」と答えました。

ユダヤ人たちも先生がモーセと会ったことについて知りたいと思いました。彼らは先生の言うことを信じませんでしたが、万が一と思ってとにかく聞いてみたのです。モーセが何を言ったかについて彼らは知りたがりました。モーセが先生に何を言ったのかについて、彼らは好奇心を抱いていました。他の人たちは先生がイエスと会ったということに腹を立てていたけれども、それ自体何も悪いことではありません。何ら間違ったことではありません。イエスは霊界の非常に高い所にいるので、ほとんどの人が彼に会うことができません。しかしイエスに会うこと自体何ら悪いことではありません。

こういうことを大っぴらに語ることができるのだから、我々は自由世界を守らなければなりません。少なくともこういう話し合いをし、本当かどうか調査することができます。共産世界ではこういうことは全く不可能なことです。我々はこれら二つの世界を一つにしなければなりません。東洋と西洋を一つにするだけでなく、霊界と地上界を一つにします。そうすれば我々はメシヤを宣言することができます。また、人々もあまり障害なくそれを理解することができるようになるでしょう。

第二次世界大戦以前に、霊界から直接メ了でージを受けている団体が韓国にはたくさんありました。彼らは先生の考えに似た考えを持っていました。彼らはメッセージの一部を理解することができました。このようにある程度の準備ができていたけれども、先生を完全には理解できなかったので、その基台を失ってしまいました。弟二次世界大戦の後、韓国動乱があり、その時に先生はその基台を再びつくらなければなりませんでした。その戦争の後、探し求めている多くの人々がそのメッセージを聞くことができました。

今、我々はアメリカを中心にしてはいますが、アメリカの人たちは同じ霊的背景を持っていません。彼らは自由神学、自由思想を持ち、霊界には関心を持っていません。しかし真実はあくまでも真実なのです。霊界は存在するし、極悪人から最高位の聖人に至るまで全員がそこに位むことになります。誰もが自ら分かるようになります。アメリカ人は自分が何であるのか分かりません。人生の目的について混乱した考えを持っています。アメリカの家庭の五〇パーセントが離婚するとすれば、どうして真の父母の概念が彼らに分かるでしょうか。皆さんはそれを何とかするつもりですか。その解決方法を皆さんは知っていますか。とても重大な問題です。

アメリカの若者たちを誰が教えるのですか。彼らの置かれている状態を誰が正してやれるのでしょうか。あらゆる問題があります。皆さんは自分たちが全部解決できると思っているのですか。「お父様、我々が全部やります」と皆さんは言えるのですか。皆さん、アメリカの男性たち女性たち、そう言えますか。先生は皆さんが好きですが、皆さんの国家はどうなろうとしていますか。議員たちが責任を持ってくれますか。若者たちが純潔を保ち、神様を知るにはどうしたら良いかについて、上院議員たちは責任を持ってくれますか。問題が何か分かったとしても、彼らには問題を解く方法が分かっていますか。分からないのです。しかしレバレンド・ムーンはこれらの問題が分かっているし、それを解決するために、アメリカの若者を清めるために日夜働いています。皆さんは先生と共にいてどういう経験をしているのですか。良くなっているのですか、悪くなっているのですか。
 皆さんは悪くなっているように見えます。先生はどういう天候の下でも、皆さんを四六時中働かせています。それでも皆さんは喜んでいます。そうですね。どうしてですか。それは人生の目的を成就しつつあるからです。理想世界は皆さんから出発します。これは本当のことです。この世界では皆さんは迫害ばかり受けています。しかしどれほど迫害が激しくても、皆さんは前進しなければなりません。先生はここに十年以上前にやって来たけれども、この期間、権勢を持った人がたくさん先生を迫害するためにやって来ました。あらゆる新聞、ニュース、報道関係者、政府関係者の人たちが先生に反対しました。彼らがアメリカで先生の仕事を妨害し始めました。

しかし今から人々は我々の仕事を理解するようになり、全世界くまなく我々を歓迎するようになるでしょう。既に甫アフリカの多くの人たちが先生に会いたがっています。弟三世界の諸国のほうが先生を早く理解するようになるでしょう。しかし、先生の最大の関心は自由世界にあります。自由世界は共産世界に対する使命を持っています。皆さんが世界のいろいろな国の面倒を見てやるならば、皆さんが助けを必要とした時に彼らのほうからやって来て、皆さんを助けてくれることになります。皆さんの使命は少なくとも南アメリカの面倒を見ることなのです。アメリカはそれを理解しなければなりません。

日本の使命はアメリカの面倒を見ることです。そして西洋人たちは東洋のやり方に従わなければなりません。そうしなければなりません。西洋文明は肉体世界の技術能力の上に建設された帝国であるけれども、東洋は伝統的にもっと霊的なものに関心を持っています。皆さんはそれを相続しなければなりません。姉妹の皆さんはどうなのですか。どうして東洋の男性と結婚したいのですか。兄弟の皆さんはどうして東洋人の妻を持ちたいのですか。それは今、二つの世界が一つになりたがっているからです。皆さんを通して一つになることができます。それは本当のことです。将来の世界は互いを必要としています。それから我々はカインとアベルから始まって、最初の家庭をつくることができます。世界は新しい家庭を出発させることができます。皆さんはどうなのですか。ここに来たばかりの時、皆さんの我は腹を立てましたか。皆さんの中には「そうです」とうなずいている者がたくさんいるけれども、それはどうしてなのですか。先生の家族でさえ、先生がやろうとしていることを理解できませんでした。皆さんは我が「行かないでくれ。行かないでくれ」と言ったけれども、それでも皆さんは来てしまいました。

「統一教会は悪い所だ」と誰しもが言います。皆さんはどうしてそれを信じて、行ってしまわないのですか。皆さんは自分の問題を解決するためにここへやって来ました。ところが反対に鼓舞されて、まず世界の問題を解決しようという気持ちになりました。まず世界を助け、それから自分を助けるのです。今、皆さんは正しい展望を持っています。そうでしょう。

皆さんは霊界を体験する必要があります。三つの国が三つの位置を代表しています。アダムとエバ、そして天使長です。世界を教うためには、我々はこの三つの国を一つにしなければなりません。実際にはカインとアベルの復帰を通して天使長の問題を解決するのだから四つの国が必要です。だから我々にはアダム国、エバ国、カイン国、そしてアベル国が必要です。これら四つの国が一つになれば、世界は一つになることができます。それがなされれば、霊界と地上界が一つになれるのです。

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親の行く道

さてもっと真剣に考えてみましょう。先生の人生は生易しいものではありません。自分のためには一日さえ過ごしたことがありません。先生は霊界を知っているので、逃げることができないのです。今の仕事から逃げるすべがありません。皆さんが時にはどう感じているか先生は知っているけれども、回れ右して後戻りするわけにいきません。先生が行くべき道はこれ以外にはありません。両方の世界の現実を知っているので、この仕事を続ける以外にありません。分かりますか。皆さんも霊界のことを理解しなければなりません。さて我々は惨めな場所から人生を出発し、将来の準備をしています。皆さんにはそれが分からないのですが、先生は皆さんの未来がどういうものであるかを知っています。今は皆さんにはそれが分からないのですが、いずれは誰もがこの道を行かなければなりません。他に道がありません。

これは極めて重要なことです。皆さんの短い人生でそれを達成することができます。霊界における何千年もの間の問題が、皆さんにおいて解決されます。皆さんがそれをしなければなりません。他には誰もいないのです。だから先生は皆さんに厳しくしなければなりません。皆さんが好きなのだけれど、厳しくしなければなりません。先生はアメリカに向かってその実体を語らなければなりません。そうしないとこの国には希望も未来もなくなります。同じことが皆さんについても言えます。皆さんが今決定します。自分の運命と自分の国の運命を毎日皆さんが決定します。神様はアメリカを祝福したのですが、皆さんがその祝福の責任を担っています。それをやらなければ神様は別の国を探すことになります。皆さんにとってはとても重大なことです。アメリカは自分の問題について語られることを聞きたいとは思いません。しかし耳を傾けなければなりません。この国の問題は極めて重要です。

誰がアメリカの問題を解決するのですか。もしアメリカが麻薬、フリー・セョクス、家庭の崩壊、キリスト教の衰退、これらの問題を解決しなければこの国は減びるでしょう。共産陣営の知識人たちはそういった問題点を眺め、それをもっとひどいものにしようと努力しています。彼らは自分の血を流さずにこの国を滅ぼすことができます。だから彼らは麻薬、フリー・セョクスを支援し、アメリカの家庭の崩壊、宗教生活の衰退のためにも働きかけています。これは本当のことなのです。このようにして共産主義は、いつの日か、ほとんど何もせずにこの国を占領してしまうことになるでしょう。

皆さんには先生の気持ちが分かりますか。本当ですか。先生はとても真剣なのです。先生は全く一人で始めました。先生を導いてくれる人、指導してくれる人は誰もいませんでした。それは惨めで孤独な路程でした。どうやって先生は望みを持つことができましたか。どうやって継続することが先生にできましたか。継続することができた唯一の理由は、人類の分裂を解決する方法を見つけたからであり、人類が神様の祝福を受け得る道がそのために開かれるようになったからです。カインとアベルは同じ所に集まり、ともに働かなければなりません。それから我の立場が確立し、それを通して地七で神様が働けるようになります。

その基台の上に我がやって来ることができます。すべてのレベルが成就されなければなりません。家庭レベル、民族レベル、国家レベル、そして最後には世界的なレベル、それが摂理の進み方なのです。いつもそのょうになっています。今日でも摂理は同じ方法で進行していますが、ただ中心がアジアにあります。もし我々が諸国家を一つにすることができれば、世界は新しく出発することができます。もし個人レベルでカインとアベルが一つになれば、家庭が立つことができます。もしカインの家庭とアベルの家庭が一つになれば、民族が立つことができます。もしカイン国家とアベル国家が一つになれば、世界が立つことになります。分かりますか。それが原理原則なのです。

先生は今アベルの位置に立っています。先生は一人で始めたので、個人レベルの基台をまずつくって、それを世界的なレベルヘと広げて行かなければなりません。先生は自分の家族のことを考えることはできませんでした。アベルは自分の家族のことを考えることはできません。彼はカインとカインの家庭、そして全世界のカインの所へ行かなければなりません。そしてその後で、自分の家族の所へ行くことができます。先生は全生涯をそのように過ごしてきました。

先生の心情を考えてみなさい。苦しみで満ちています。最もひどい迫害は、心情に最も近い所からやって来ます。先生の家族は自分のことを気にかけてほしいと思っていますが、先生は彼らのことを最初に考えたことは一度もありませんでした。そのために彼らはものすごく苦しみました。これが先生の路程です。時には子供たちの叫び声を間かなければならないことすらありました。しかし、彼らが必要とする時間を先生は取ることができませんでした。先生の時間は他の人たちのためにあります。

親はそういう厳しい状態の中にあります。カインとアベルが一つにならなければなりません。それが皆さんの親を救う唯一の方法です。分かりますか。皆さんは教会の中で互いに争い合う時、そのことを考えますか。多くのことが皆さん次第で決まってきます。後になったら皆さんは分かるようになるのでしょうが、今はそれが分かりません。時には、皆さんは強盗あるいは盗人のようなものです。働かずにただ奪っています。親の愛をそのように盗むことはできません。まず一つにならなければなりません。そうすれば神様は親の愛を皆さんに送ることができます。神様の摂理を中心にして他の人たちを連れてこなければなりません。そうすれば皆さんは親の愛を味わうことができます。

カインとアベルは一つにならなければなりません。そうすれば真の我が現れることになります。親は自分だけで親になることはできません。子供の位置を成就してもらわなければなりません。我々はカインとアベルの間の分裂を、個人レベルから民族レベル、国家レベルそして世界的レベルに至るまで解決しなければなりません。

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質疑応答

先生に何か聞いておくことがあれば、今質問をするように。

メンバー‥ 「アフリカでもオーシャン・チャーチを始められますか」

もしアメリカでオーシャン・チャーチが成功したならば、世界のどこであろうと問題はありません。しかし一つ一つやっていかなければなりません。まず最初にやるべきことは、ここに基盤を築くことです。ほとんどすべての国が海に面しているのですから、我々は世界のあらゆる所へ行かなければなりません。

メンバー‥ 「水産養殖について何か考えを持っておられますか」

魚の養殖は将来必ずやることになります。だがらそれを徹底的に研究しなければなりませんし、いつの日か、ほとんどすべての魚についての養殖を始める必要があります。そしてそれを学問的に行わなければならないので、我々は大学を造り、そのプログラムをそこで始めることになります。

メンバーー 「他にもオーシャン・チャレンジ企画はありますか」

あります。フロリダのキー・ウエストのような所に行って、大きい魚を捕ることもできます。しかしどこへ行こうとも準備はしなければなりません。

メンバー‥ 「オーシャン・チャーチとホーム・チャーチの関係は何でしょうか」

オーシャン・チャーチは人の精神を高揚させる場所ですが、使命は同じです。人々と接触し彼らを育て上げなければなりません。これは時間のかかる仕事です。皆さんは生涯をどちらかの使命にずっと捧げても良いでしょう。

メンバーー 「我々は日本のメンバーたちとどのようにつながっているのですか」

日本での基盤は完成しており、それがアメリカに運ばれてきます。アメリカの後は全世界、特にアフリカと南アメリカについて考えなければなりません。メンバーたちはこのように連結されていることを知らなければなりません。魚は蛋白源として優れているので、魚と海産物を全世界に送る方法の開発に我々は力を注いでいます。こうした意味では、日本はアメリカの先に行っています。しかし最も良い漁場はここアメリカにあります。我々の願いはこの二つの国を結び付けることであり、そうすることにより多くの国が潤うことになります。

メンバーー 「このマグロ漁シーズンの後のことですが、どういうことをオーシャン・チャーチのメンバーたちに望まれるのですか」

ストライプトバスの捕り方を研究しなさい。ストライプトバスについてあらゆる研究をしなさい。特にその数を増やす方法について研究しなさい。あらゆる種類の魚について、あるいは魚の捕り方の技術について研究をすべきですが、まずはストライプトバスについて研究しなさい。現実としては、皆さんはその地域で何とか生計を立てなければなりません。小型船を使って「マグロのコース」それから「ストライプトバスのコース」を卒業したならば、次には大型船の操業を始め、別の種類の魚を追いかけることができます。

マグロは魚の王様であり、ストライプトバスは女王様なのです。大きなストライプトバスが近づいてくるのを見たならば、皆さんはその魚に魅了されるでしょう。それは本当に美しいのです。ストライプトバスは海の紳士なのです。他の魚、例えばブルー・フィッシュなどは餌の背後から追っていくのですが、ストライプトバスは正面から襲いかかります。我々が釣り上げた後でさえ激しく抵抗せずに、ただひたすら冷静に逃げる決意をして闘います。

先生はある兄弟にストライプトバスを釣ってくるように頼んだことがありましたが、彼は一日中働いても一匹しか釣れませんでした。この魚の捕り方が分かりさえすれば、他のいろいろな種類の魚、例えばブルー・フィッシュなどの捕り方を発見するのは簡単なことです。ブルー・フィッシュは「海の狼」であり、とても攻撃的な性質を持っています。彼らが魚の群れに会えば、すべて引きちぎって後に何も残しません。その上この魚の味はあまり良くありません。味が良ければまだ許されるのですが、ブルー・フィッシュは一番安い魚のーつなのです。

平目は「海のケーキ」であり、滑らかで美味しいです。いろいろな種類の魚がいます。皆さんはそれを学ばなければなりません。

メンバーー 「どうしてたくさんのサメ科の魚がいるのですか。そしてなぜそれが良いのですか」

サメは日本や英国にもたくさんいます。全世界にいます。サメを使って蛋白パンのための魚粉を作りたいと思っています。それからそのパンを第三世界の国々へ送ります。安い上に蛋白質もある程度摂ることができます。先生はそれをいつも考えています。我々はこういう種類のパンを製造できる工場を造らなければなりません。人間はどんな魚でも食べることができるのです。唯一の難点はどうやって加工するかです。その方法が分かれば他に何もありません。魚粉を作る方法は何千種類もあります。そしてそれを毎日食べることができます。人々は食事は何にしようかと考えて「ああ、今日は魚のパンとケーキにしよう」と言います。全世界で人々がそのように言うのを先生は聞きたいと思っているのです。その点について大きな関心を持っています。

メンバー‥ 「マスター・マリーンの将来の計画についてはどうでしょうか」

基本的にはたくさんの船を造ります。大型船と、もっとたくさんの小型の船を。

メンバー‥ 「私たちがやっているのはすべて復帰のためですが、私たち、一人一人にとって個人的にはそれはどういう意味を持っているのでしょうか。例えば、ヤコブは叔父ラバンの所で何を復帰したのでしょうか」

ハランの地でのヤコブの路程は訓練を受けることだったのです。彼は二十一年間訓練され、あらゆる環境のもとで働きました。誰しもがこの路程を歩んでいます。それぞれ自分の復帰路程を歩んでいます。例えばある人たちがワシントンDCへ向かっているとします。そして車がパンクしました。修理しなければなりません。次にエンジンが故障しました。それも修理しなければなりません。しかし元気は失っていません。彼らは道の途中にいるのであり、目的地は前方にあります。それが重要なのです。これは皆さんの場合にも当てはまります。道をふさぐものがあるからといって失望してはなりません。皆さんは復帰路程の中の本質的な点を知らなければなりません。姉妹たちの中には歌や踊りの上手な人たちがいるけれども、生計はどうやって立てていくのですか。他の人たちを愛するために生きているのだということを皆さんは忘れてはいけません。愛されることを期待してはいけません。その原理に従って絶えず前進することができます。もしあることで夫に浚訴されるようなことがあったら、皆さんはどうするのですか。大声を七げて泣くのですか、それともおとなしく黙って前進するのですか。

あるカップルを見ていると本当に驚かされることがあります。「どうしてこういう理想的な組み合わせができたのだろう」と自分ながら不思議に思います。見れば見るほど自分が自分に驚かされます。例えばここにいるこの兄弟は、先ほどの表現によればブルー・フィッシュのような人なのです。だから彼には彼の隣に座っている妻のような、優しく美しい女性が必要です。皆さんをマッチングした時には、こういう細かい点について先生は知らなかったのですが、時間がたつにつれて何とうまく合っているかということに驚かされます。ここにスチーブ・テイラーという兄弟がいるのですが、彼もぴったりの妻をもらっています。彼の妻は普通「目が笑っている心あるいは「笑った目をした女性」と先生が呼んでいるような人なのです。こういう女性は心が複雑で、時々人から誤解されます。彼女の夫を見ると分かるのですが、彼は四六時中怒ったような顔をしています。彼は妻から良い性質をもらい、一緒に良い授受作用をすることによって、彼らはお互いに良い所をもらい合うことになります。

先生は彼らに対しては同情的なのです。この兄弟が妻を心から愛していることを先生は知っています。彼女は「ああ、私の夫はもっと何とかならないのだろうか。もっとスマートな体になるか、もっと心根がよくなるようにすべきだ」と思うかもしれません。しかしそうではありません。彼女の夫は彼女に一番合った性格を持っています。完全なマッチングなのです。あなたたちは特に優れた子供たちを持つことになるでしょう。子供たちができたならばそれが分かるでしょう。

先生はちょっと見れば、たちどころに皆さんの内も外も見通すことができます。国家を見てもその性格と将来が分かります。一九七〇年の初めアメリカに来た時、この国が崩壊に向かって進んでいることを先生は宣言しました。各都市、各州でこれを熱心に宣言しました。それを聞いた時、人々はなぜ先生がアメリカのためにそういうことをこれほど熱心に宣言するのか不思議に思いました。人々がそれを聞いて先生と一つになっていれば、アメリカははるか以前に救われることになったということを彼らは知りませんでした。アメリカの同性愛者たちを見なさい。悲惨なものです。こういう人たちは血液の中に特別な種類の癌を持っています。彼らのためにできることが何かあるでしょうか。

簡単な電気系統においてでさえ、プラスとマイナスの両極関係においてのみ子不ルギーの流れが生じます。プラスとプラス、マイナスとマイナスは全く成立しません。そこから怨みとか病とか、あらゆる問題が生じてきます。男が男を見つめて恋に陥りキスをして愛し合う。これは混乱と混沌の状態です。生物学的に男が女とーつになるょうに創られています。男が与え、女が受けるようになっています。男は女と違った臭いをしています。その違いにょって一方が他方に引きつけられます。神様は誠に偉大な科学者です。そういう小さな所まで面倒を見てもらっています。男と女の間の鼻でさえ目的を持っています。これが分かれば、我々がたどっている重要な訓練路程をも皆さんは理解できるようになります。そして我々が成就しなければならない本質的な復帰路程も皆さんには分かるようになります。そして最終目標が理解できるようになります。

メンバーー∴ 「二年間の経済復帰路程と十八ヵ月のオーシャン・チャーチ路程は全員が通過すべきなのですか」

そうです。全員、先生も含めてです。先生自身この路程を通過しました。我々はいろいろなことを経験しなければなりません。そしてこれは重要なことです。

オーシャン・チャーチメンバーの教育システム

皆さんは訓練と勉強をしなければなりません。弟一段階は漁についてオーシャン・チャーチのメンバーを訓練します。第二段階はオーシャン・チャーチが拡大し、基盤が確立されるのを援助します。その時点から別のタイプの漁に移行することができます。このようにして皆さんはあらゆるタイプの漁の準備の仕方を知るようになります。そしてこの種の魚は「a-タイプ」、この種は「b-タイプ」というふうに、情報を一つにまとめることができます。またどういうラインを用いるか、どういうタョクルを使うか、どういう餌を使うか書き留めます。こういう情報はとても重要なのです。

我々はオーシャン・チャーチのメンバーを獲得しなければなりません。また彼らを育てる方法も見いださなければなりません。ビデオ・システムを使いなさい。訪問客はビデオの全プログラムを見るためにやって来ます。カセット数本分の長さです。人々はこのようにして勉強するのが好きなのです。日本ではこういう教育システムで百名以上の献身メンバーを獲得しています。人々はやって来て自分で勉強します。

我々は、現在の情勢についての教育プログラムなどのような、多くのプログラムを企画することができます。訪問客はやって来て統一原理の知識だけでなく、社会や世界の知識についても得ることができます。センターを造って忙しくなったら、皆さんが全部自分で教える必要はありません。携帯用のビデオを使えば良いのです。ただテレビにつなぎさえすれば、訪問客にあらゆる教育を与えることができます。

皆さんはこういう物を考察できるはずです。あらゆるものが関連し合っています。皆さんが持っているもの、そして周りにあるものを使えば良いのです。人々は学習する機会、自分を改善する機会を探しているのです。今日混乱があまりにも激しいので、人々は苦しんでいます。我々は統一原理のテープを数多く教授たちに見せたのですが、彼らはとても感銘を受けています。「こういう教育は大変良い」と彼らは言います。我々の側には先生の数があまり少ないので、これらのテープがその穴を埋めてくれます。二日、七日、二十一日そして四十日用の講義案を作り、訪問客が毎日やって来て、そのテープをもとに学習できるようにしておく必要があります。

テープを問いている間は、途中でストョプして質問をするわけにはいきません。このようにして、彼らはまず各講義毎にその全体像をとらえることができます。こういうやり方によって、彼らは我々が教えているものをよりはっきりと理解することになるでしょう。時々講義の途中でたくさんの質問をする人たちがいますが、こういうやり方では彼らは全体像をとらえることができません。講義が全部終わってから質問をするほうが良いのです。

我々は原理を教える方法を考え出さなければなりません。全世界にどうやったら教えることができるでしょうか。最高の人たちにどうやって教えることができるのでしょうか。最高の資質を持った先生を得て、素晴らしい原理ビデオ・シリーズを作る必要があります。今我々はこれをやり始めたところです。我々が周りの人から歓迎されているのであればもっと簡単なのですが、現実にはそうではないので、人々に教えるに当たってあらゆる努力を注がなければなりません。皆さんは以前は霊界について知らなかったのですが、今ではそれをはっきり経験しているでしょう。生命が永遠であることを人々は知りません。彼らは人生の半分しか生きていません。肉体生活の目的が彼らには理解できないのです。

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ワン・ホープ訓練の目的

どうしてこういう基準を我々は持たなければならないのですか。それを皆さんに説明しようと思います。皆さんはいつでもどんな人でも連れて行くことができなければなりません。世界的なレベルの人々を連れて行き、皆さんの基準を示して感銘を与えることができなければなりません。我々はアラスカから西海岸を下り、メキシコ湾を通って東海岸を上がって行くというフィッシング・ツアーを準備することができます。それは六カ月かかるフィッシング・ツアーなのです。そういう魚釣りの経験をこれらの海岸線の地域で味わったならば、彼らは気違いのようになるでしょう。

それから全世界のフィッシング・ツアーを準備します。アフリカ、ヨーロッパ、南アメリカでの釣りです。その準備を今しなければなりません。今から始めなければなりません。このようにして我々は全世界の人々とつながるし、人々を全世界の海とつなげることにもなります。彼らは経験したことを決して忘れないでしょう。全世界員は多数くの釣りと漁の団体があるけれども、彼らはその目的を変えなければなりません。彼らに必要なのは、世界を援助するために何かをするという刺激です。だから皆さんは自分の地域を研究しなければなりません。「どうやったらこの港町をもっと美しいものにできるだろうか」と自問してみます。そして皆さんの地域の準備をしなければなりません。平目、ストライプバス、マグロの捕り方を研究します。それから日本に広告を出すこともできます。彼らは捕りたい魚の種類に従って、アメリカへの遠洋を計画することができます。だから皆さんは自分の地域で魚の捕り方を自ら学ぶ必要があります。先生の言っていることが分かりますか。皆さんはこの分野で責任を持ちないならば、定期的にヨーロッパ、アフリカ、南アメリカそして日本へ行かなければなりません。皆さんはそういうタイプですか。

マグロを釣っている時、悲しみとか幸せとかいう感性が心に浮かびますか。すべて忘れるのです。母親とか臨が死んだばかりだったとしても、その瞬間にはその悲しみを忘れることができます。悲しみとか憂欝から引き上げられるほど大きな興奮なのです。それは本当です。現代人は、長期間ビジネスから離れることなしに緊張をほぐす方法はないかと探しています。何か偉大なこととか刺激的なことならそれができます。アメリカでの釣りならばそれができます。

皆さんは何でもすべて簡単に忘れてしまうのでここで止めたいのですが、それでもやはり続行しなければなりません。先生は皆さんにマグロの捕り方、ストライプバスの捕り方を教えてきましたし、自分が今ではマグロ捕りのチャンピオンだと思っていますが、ストライプバス捕りはまだ卒業していません。ストライプバスはとても賢いのです。マグロよりももっと賢いし、捕えるのがとても難しいのです。ある種類の魚を釣り始めたばかりのころ、どこへ行けば釣れるかというような、その魚の習性については皆さんは何も分かりません。だから他の漁師達がやっていることを研究しそれを受け継ぎ、そしてそれを改善する必要があります。彼らと一緒に漁に行き、漁場を見つけなければなりません。そしてその地域を研究し、地図上にその点を記します。
 専門の漁師に従い、彼らの息子のようになります。誰も彼らから受け継がないのだから、皆さんがそれをしなければなりません。彼ら一人ひとりに話しかけ、自分が何をやっているのかを彼らに説明します。そして助けを必要としているかどうかを尋ねます。多くの漁師達が「そうだ」と言うでしょう。皆さんは彼ら一人ひとりを感動させなければなりません。それから皆さんの地域で組合を発足させます。彼らと友達になり一つにまとめ、それから彼らを皆さんの船に乗せます。船がとても速く走るので、彼らが興奮するのは間違いありません。

彼らを晩餐会に呼び、皆さんの計画を誇り、共に分かち合います。そしてあらゆる種類の海産物を彼らのために料理します。彼らは友達になるのです。そして捕った魚の何匹かを持ち帰り、彼らに与えます。皆さんの人生を彼らと分かち合えば、彼らも皆さんと分かち合うようになるでしょう。このようにして彼らから受け継ぎ、彼らも皆さんの目標達成を援助したいと思うようになります。皆さんは自分の経験を持っていると同時に、その地域の漁師達の経験も持つことになります。いろいろな地域から得た経験、知識を全部合わせて、皆さんは魚釣りの教科書を作ることができます。教科書を作り、絶えず改訂します。こういう努力は多くの人々を助けることになります。

漁師の友達を別の地区に連れて行くのです。「私と一緒に行きませんか。あなたと私の分のチケットはもう買ってあるのです。一緒に行きましょう」と言えば、彼は「そうしよう」と言うに違いありません。そしてその友人達をアラスカに連れて行きます。彼らの興奮はひとしおでしょう。もし先生が皆さんに「ヨーロッパに魚釣りに行かないか」と聞いたら、皆さんは何と答えるのですか。「もちろん、行きます。」そのように彼らを教え育てることができます。彼らの助けが必要になったならば、電話をかけて「すぐに来てくれ」と言えば良いのです。彼らは間違いなくやって来て、皆さんの手助けをするでしょう。我々の本当に行きたい所はそこなんですね。我々の前方に広がっている未来をいつも見つめていなければなりません。そうしないと何事も起こらないでしょう。

希望を、大きな希望を持つことです。我々はとてもたくさんのことをやっていますし、先生もとても多くの企画に責任を持って行かなければなりません。先生は科学者会議を始めた時のことを覚えているのですが、多くの人達はそれが理解できませんでした。多くのメンバー達がそれに反対しました。先生が神学校を始めた時も、多くのメンバー達がその考えを支持したがりませんでした。それからニューズ・ワールドの番が来たのですが、多くのメンバーがその考えを嫌いました。しかしニューズ・ワールドはワシントン・タイムズを生み、それがどれほど偉大なものかということを今皆が分かるようになりました。

先生は頭が狂っているのですか。そうは先生は思わないのです。皆さんはそう思うでしょう。時々? そうでしょう。いずれにせよ、霊界へ先生がまだしばらく行かないのならば、この企業は成功するだろうということ、これだけは理解しておいてほしいのです。これは疑問の余地がありません。もし先生が明日霊界に行くことになったならば、皆さんはどうするのですか。やめるのですか。皆さんはとても強靱でしっかりしているので、天でさえ「やめません」という皆さんの言葉を聞くことができます。あるいは先生が今日話していることを皆さんがたとえやめたとしても、自分の命を賭けてこの考えを成就しようとする若者達が将来出てくることになります。先生が一旦この事業に触れたからには、決してそれは滅びません。今はそれは衰退気味で重大な問題を抱えているけれども、我々はそれを持ち直し復活させます。だから皆さんも決意しなければなりません。この道を行くという強い決意をしなければなりません。皆さんはこれをやりたいのですか。(はい)分かりました。ありがとう。

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ワン・ホープ号でさえ最終的な基準ではありません。先生は今、それを改善する方法を研究しています。バランスの取り方が難しいというのが一つの問題点なので、改善されなければなりません。我々はそれを研究して、その問題を改善する必要があります。あらゆる訓練に役立つような船にしたいと先生は考えているのです。また先生は、船が波をどうやって切るのかについても調べています。船がもっと早く進めば、一度に三つの波を切ることができます。今は二つの波を切ることができます。ゆっくり進むならば、一つずつ波を切って行かなければなりません。先生はこれを既に試験しました。もし船が三千五百回転で進むならばもっと安定するし、波の切り方もきれいになります。

皆さんはワン・ホープ号を改善するための何か良いアイデアを持っていますか。この船をもっと研究し、改善作業も最高のものにしましょう。もう既にデザインは立派だから、この国の船舶展示会に出品しても、とても良いというコメントをもらえるはずです。我々は特別の目的を持ってワン・ホープ号を二十八フィートにします。そしてトレーラーを使ってこの国のどんな所でも引っ張って行くことができるので、その保管はいたって易しいのです。このようにして、我々は一つの町から次の町へ移動することもできます。しかしもっと大きな船になると少々困難になります。二十八フィートの船は二十五ノットの風までは安定しています。いずれにせよ、それより強い風の場合は釣りには適さないので、二十八フィートの船はあらゆる種類の漁に適するのに優れていると言えます。

この船のユニークな点は絶対に沈まないということです。こういう船の使用方法には限界というものがありません。家庭教会としても優れています。家族全員がこの船を使うことができます。またほとんどどこへでも行くことができます。どんな家族にとっても、極めて便利で素晴らしい船なのです。だから先生はそういうデザインにしました。他の船を大量生産するようになったならば、皆さんはそれを自分の個人ビジネスとして売ることができます。またマスター・マリーン会社を通して、皆さんの地域のその船を買いたい人たちのために発注してやることもできるのです。

しかしこういった努力を軽々しく扱ってはいけません。既に古くから確立されている産業において、新しい伝統を打ち立てるのは非常に難しいことです。だからそれは極めて注意深く研究する必要があります。お金が問題ではありません。重要な点は我々にその能力があるかどうかです。ワシントン・タイムズが一つの良い例です。我々のメンバーは雇われた人達ほど能力はありませんでしたが、新聞社の行くべき方向性を管理統制することができました。我々にとってはそれが重要な所です。皆さんもそういう人、つまり多くの人達を管理し面倒を見ることのできる人になる必要があります。人生のあらゆる面において人々を導くことができなければなりません。

物にも同じ原理が適用されます。あらゆる船の基本公式を作り、船の管理に当たってその基準に従います。エンジンと船の修理費は高いので、修理しなくても良いように最善を尽くさなければなりません。皆さんはエンジンと船を定期的に点検する必要があります。西海岸や東海岸、そしてメキシコ湾岸の各地区が、船舶いじのためのシステムを作るべきです。皆さんの中で何人の者がエンジンの修理ができますか。各海岸地域につき、1人の巡回師が任命されなければなりません。エンジンが壊れた場合、その壊れたエンジンを修理している間、他のエンジンを使うことができるように、少なくとも3つの補助エンジンを用意しておく必要があります。皆さんは徹夜してでもエンジンを一晩で修理できなければなりません。

助けが必要ならば、船に責任を持っている人に来てもらって一緒に徹夜をします。そして「徹夜してでも一緒に働くように」というように、船に責任を持っている人達への指示は巡回師が与えることができます。皆さんにはそういう経験が必要です。巡回師はやり方を皆に教えなければなりません。もしエンジンが再び同じやり方で壊れたならば、そのエンジンをどう扱いどう修理するのかをもう一度皆に教えなければなりません。

エンジンが最も重要なのです。エンジンが良くなければ船は使えません。各地区の修理員が船の壊れた場合に即座に向かわなければなりません。エンジンの修理に自信のある者は今ここにいますか。皆さんは、ガソリンとディーゼルの両方を学ぶ必要があります。「私はガソリン・エンジンは修理できるが、ディーゼルは修理できません」などと言うことは許されません。両方共修理しなければなりません。またエンジンの修理ができる者達は電気についても知っておく必要があります。電気系統のおかしな所は何でも修理することができなければなりません。ワン・ホープ号はとても小さいので学ぶ所がほとんどありません。

しかしこのコースを通過して経験と技術を積めば、大型船の管理と修理の商売を始めることができます。トロール船や大きな船を修理することができます。また何でも修理できるように自分を訓練することもできます。エンジンの故障には共通点があります。

各センターは一隻の船から始めます。その船がもし故障したならば、それを修理します。二隻の船があり、一隻が古くて故障したとします。その時皆さんは新しい方の船を使って出かけてはなりません。古い方の船を修理してそれを用いなければなりません。それが伝統です。古い方の船が壊れたならば、その船を修理するためのお金を集めなければなりません。そうすることにより、責任を持つという伝統を皆さんは学ぶことになります。

船の番号、部品の番号、エンジンの番号、すべての目録を作ります。そうすれば修理に必要な部品を番号によって注文することができます。そういう在庫目録システムを組み、工場との関係を維持していきます。ニューヨークに控えのエンジンがあり、カリフォルニアが特定の部品を必要としていれば、ニューヨークに注文を出してそれを夜行便で送ってもらえば良いのです。そうすれば、壊れてから二日以内に船を修理することができます。そういうシステムを我々は開発すべきです。一年経ったならば、どの部品が壊れやすいか分かるようになるので、その部品をストックしておくことができます。電気系統についても同じことが言えます。すべてワン・ホープ号に使われる部品は皆、番号によってリスト・アップする必要があります。これにはドア、アンカー、消火器などすべてが含まれます。そうするとどういう物が紛失しやすいか、どういう所が壊れやすいかを記録することができます。また番号システムを統一し、すべてのセンターがそれを使用しなければなりません。

この責任は大きいです。我々の将来は偉大なものです。しかし今何をすべきかについては真剣に考えなければなりません。皆さんはいつの日か最大規模の船でさえ修理できるようになるでしょう。また海軍の船も修理できなければなりません。そういう日が来つつあります。各センターの水産活動を直接監督するために、ニュー・ホープ号に乗ってずっと航海して回ろうかとも先生は考えていますが、それはできないかもしれません。しかしわれわれはシー・ホープⅠ、Ⅱ、Ⅲを持っています。そのうちの一隻が旗艦として各地区へ送られなければなりません。そうすればワン・ホープ号とシー・ホープ号に乗って、夜通し一緒に漁をすることができます。また自分の地区で、それらの船を使ってワン・ホープ号の全活動について教えることができます。各センターとも出発準備のできたワン・ホープ号を少なくとも一隻は備えていなければなりません。そうすれば先生が訪問した時、皆さんはすぐに出かけることができます。いつでも出発できる準備の整った船を一隻持っていること、これが各センターの守るべき基準です。先生は皆さんの所へ先生の代理を送りたいと思っています。彼が到着したならばすぐに、皆さんは彼を連れて出かけなければなりません。例えばドクター・ダーストとか朴大佐とかが来た時、出発の用意が完全に整っていなければなりません。言い訳は許されません。だから皆さんの地域の漁場を良く調査し、どこへ行くべきかをあらかじめ知っておく必要があります。

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皆さんの基台は漁師と共にある

先生は歴史をとても良く知っています。近い将来漁師たちは、我々が彼らのためにやったことを心から感謝するようになります。カール・マルクスは共産主義を始めるにあたり、労働者たちを支持したのですが、彼自身はそういう種類の仕事を経験したことがありませんでした。彼自身は前線の仕事をしませんでした。先生は全く違います。先生は漁師の良い友達です。それは自分自身がそういう分野を追及し、一生懸命働いてきたからです。彼らの努力と心根を先生は良く理解しています。そこが大きな違いです。

先生が皆さんに何かを要求する時にはいつでも、まずその前に自分で試しているのですから、皆さんは先生に向かって不平を言うことはできません。皆さんは自分の地区に戻ったならば、その地域で魚の捕り方を学ばなければなりません。ストライプバスのいる所が皆さんの地域ならば、それを良く研究しなければなりません。先生は皆さんの助けはするけれども、皆さんもそれを自分で研究し調査しなければなりません。

皆さんは自分の基盤も築かなければなりません。夫が海で魚を捕っている間、女たちはずっと家に閉じこもっていてはいけません。妻は魚に関連した活動を進めなければなりません。夫も妻も両方とも海の世界に関心を持ち、活発に活動をすべきです。先生は東に一つ、南に一つ、そして西に一つ、原型となるべき基盤を造っています。そしてその基盤の上に我々は発展することができます。基盤を築いたならば、その後我々はあらゆる備品、船、釣り具、衣類などでもすべて作ることができるようになります。先生はいつでも研究や調査を進めています。そして漁師の生活を改善する方法について絶えず考えています。我々は人々が捨ててしまうような魚切ってチャムにする方法を開発することができます。そうすると漁師たちがやってきて、ブルー・フィッシュを捕ります。チャム・ナンバー3、またマグロを捕るチャム・ナンバー4が欲しいなどということになります。我々の未来は無限に開かれているのです。皆さんは自らの想像力を働かしながら、自らの基盤を築いていかなければなりません。いったんそれができれば、皆さんは自分のビジネスには毎日二、三時間用いるだけで良いのです。外に出かけて行って、そこの共同体の指導者たちと会うようにします。また他の教会に行って、彼らのプログラムを助けてやることもできます。彼ら若者たちに関係したものを何か探しているのですね。だから皆さんは皆さんの船を使って彼らを訓練することもできるし、彼らもそれを望むはずです。

各センターごとに皆さんは何隻の船を持ちたいのですか。将来、何隻の大型トロール船を管理したいのですか。皆さんの願いはとても大きいのですが、それを達成するつもりならば、皆さんは今それを始める必要があります。だから我々はこれらのワン・ホープ号を造りました。皆さんには教育と訓練が必要です。何隻の船に皆さんは責任を持ちますか。

ワン・ホープ号を用いて、皆さんは船の管理方法を学び、そして体得しなければなりません。将来大型船を管理する時、その管理方法を知るための手助けとなるでしょう。皆さんは何隻の小型船を管理できるのですか。皆さんは海岸線をくまなく巡って、あらゆるチャンスを活用しなければなりません。フロリダには既に皆さんの友達がたくさんいるのですから、それほど多くの問題はありません。どこに行こうと皆さんは友達を作ることができます。大抵の漁師がそういう友情関係とか援助関係というものを持っていないけれど、皆さんはどこへ行こうとも、人々に奉仕して友人を作る方法を知っています。将来について心を煩わす必要がありません。皆さんはいつでも行くべき所と助けてくれる人がいます。

皆さんは漁師の団体を作る方法を研究しなければなりません。皆さんはまたその地域の漁師たちを助けてやることもできます。時々船長は助けを必要としています。漁師たちは団体とか組織とかいうものを持っていません。彼らはそれを求めているし、また大きな眼を開いて我々を見つめてもいます。そしてそれを作る能力が我々にあるかどうかを判断する機会を待っています。彼らにはそういう援助が必要なのです。準備はあらゆる環境にとって必要なのです。我々はアメリカの組織をまず作って、それからそれを全世界に広めて至る所で漁師たちと協力し合うことができるようになります。

だから先生は、何隻の船に皆さんが責任を持てるのかを知りたいのです。百隻の船に責任を持てるのですか。今ではありません。いつの日か、皆さんは大型船の一隊を導き管理することができるようにならなければありません。だから将来のために、今皆さんたちは小型船で訓練を受ける必要があります。皆さんは今小型船に乗っています。すべてそこから出発します。今皆さんは小型船を管理し、ストライプバスのような小さな魚を捕る方法を知ることができるけれども、これは訓練です。皆さんの中のある者は遥かに大きな船に責任を持ち、大量の魚を捕るようになるでしょう。

ワン・ホープ号での訓練

ワン・ホープ号を卒業したら、次のサイズの船に進むことができます。四十フィートか五十フィートの船に責任を持てるようになれます。そのサイズの船で生活することすらできます。そして海を、皆さんの生活、また生活のあらゆる側面とすることもできます。そして漁のあらゆる面に関心を持ち、実力を備えなければなりません。釣道具について皆さんは何か知っていますか。魚の取り扱い方法、処理の仕方について知っていますか。エンジンの修理、船の改修ができますか。知らないならばどうやって海で生き残り、海で生計を立てるのですか。

ワン・ホープ号はどこへでも行かなければなりません。そうすれば、人々がそれを見て我々がやっていることを尊敬するようになるでしょう。それは夢なんですが、先生はその夢をいつも胸に秘めているのです。ということは、それは今は目に見えないけれども、いずれ目に見える形になるということです。将来それを見ることになります。それもそれほど遠い将来ではありません。信じる者は何でもすることができます。行動する者は何でも達成することができます。「信じる者と行動する者」先生がそうであるし、皆さんにもそうなって欲しいと思っています。実際それは夢などではありません。先生が既に知っていることなのです。

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海での指導性の訓練

先生はかなりの時間を、貴重な時間を海上で過ごしました。将来に対するそういうビジョンを持っているからです。皆さんはまだ訓練がなされていません。どうやったら皆さんはこのビジョンを受け継ぐことができるでしょうか。先生は皆さんを一人ずつ、または二人ずつ、スリナムの海老漁船に一定の期間送ろうかと考えています。良い訓練になると思います。いったんそこに行けば二カ月から四カ月は戻って来ません。そのくらいかかります。また皆さんをアラスカにも送らなければなりません。冬の季節に皆さんをそこに送るとしたらどうなのですか。皆さんは行ったり来たりできなければなりません。陸から海へ簡単に行くべきなのです。しばらくの間海に出て行った人たちは戻って来て、再び陸の上で働きます。皆さんは今よりも力と熱意を持つようになるでしょう。その逆もあります。しばらくの間陸にいた者は、また海へ出て行くべきです。

統一教会のメンバーの公式路程は、三年半、基本訓練としてファンダレージング活動をすることになっています。経済基盤は創造を表し、皆さんと万物の関係を復帰することになります。しかしこれは二年間のファンダレージングと、十八カ月の海での仕事に変更されなければなりません。

今、先生は皆さんを親切に教育しているのですが、もし雇われて大きな船に乗って海へ出て行ったらどうなるでしょうか。大きなトロール船に乗って荒々しい船長と共に行けば、その船長は皆さんをただこづき回すことになるでしょう。そのようにしてその船長は皆さんを訓練します。先生自身もそのようにしたかったのですが、もしそうしたら最後まで残れる人はいなくなってしまうということを先生は知っています。だから先生は皆さんに優しく教えているのです。実際、我々はまだ出発さえしていません。いずれにせよ、教会員全員がこういう訓練を通過しなければなりません。皆さん一人一人が英語が通じない場所に行かなければなりません。そうすれば他の人とコミュニケートするのに、体のあちこちを用いなければならなくなるでしょう。そして皆さんはそういう船の中で孤独に陥ります。しかし「ああ、病気だ。疲れた。家に帰らなければなりません」と言っても戻る方法がありません。そうすると、ここグロースターでの経験がまるで天国のように思われるでしょう。それでも皆さんはそういう訓練コースを通過したいのですか。今年の夏のある日、一人の姉妹がニュー・ホープ号が来た時、先生に向かって「お父様、私はオーシャン・チャーチに入りたいのです」と叫びました。まるで気が狂ったように彼女は叫びました。そのように我々は感じなければなりません。

我々は海岸線の主な都市に冷凍倉庫を設置する準備をしています。それらの工場を管理する人が見つかるならば、今夜それを全部開放することができます。しかし、皆さんにはまだその準備ができていません。三年後には皆さんは大きく変わっているでしょう。先生はアメリカの兄弟姉妹達を頼りにしているのです。もし皆さんがそれをやらないのであれば、ヨーロッパ人、アジア人あるいはスパニッシュのメンバーたちが動員されることになるでしょう。先生はアジア人とスパニッシュのメンバーを動員するつもりです。もし皆さんたちアメリカ人が望まないのであれば、アメリカにいる少数民族の人たちが水産業を握ることになります。もし皆さんがそれを望まないならば、それが嫌ならば、その機会を少数民族のメンバーたちに提供する以外に道はありません。

日本では既に漁業関連の分野で多くの準備がなされて来ていますが、先生はこの摂理の中心者は皆さんであって欲しいと思っています。だから先生は国際祝福に期待をかけています。いずれかの方法で我々はそれを行うことになります。もしオーシャン・チャーチにそれができなければ、アメリカにいるアジアのメンバーがそれをしなければなりません。今先生は皆さんに最高の教育を与えているのです。皆さんは生涯役に立つものを学ぶことができます。十年間、先生は皆さんを訓練するために一生懸命働いて来ました。皆さんが成功を得ることになれば、それはアジアのメンバーたちがするよりももっと速やかにそれを達成することができるでみょう。

海はすべて未来と関連しています。知りませんでしたか。皆さんは海に関心を持たなければなりません。さもなければ、歴史の中にただ消えて行ってしまうだけです。将来の指導者の資格は「海について知っていること」というようになるでしょう。また基本的知識は、船の扱い方の知識ということになります。海について知っていること、それに取り組むことができること、このとつが将来指導者としての資格を持つための基本条件となるでしょう。

皆さんは先生のことをあまり知りません。先生はアメリカが世界の中でその威信を継続するようにあらゆる努力をしています。皆さんは何日間そういうペースで働き続けることができますか。海に行く時はいつでも眠ることを考えているのですか。毎日皆さんは遊んでいるのですか。あたりを見回して、きれいな船について考えているだけなのですか。「ああ、私たちは海を愛しています」と軽々しく言うべきではありません。実際に本当に海を愛するというのはとても難しいことなのです。

先生は兄弟たちをスリナムに送り、そこで訓練し、それから呼び戻して大型船の船長にしたいと思っています。先生は三年間それについて考えてきましたが、皆さんはというとワン・ホープ号だけで既に疲れてしまっています。アラスカでは風速三十ノットは驚くにあたりません。それで普通静かな日なのです。荒れた日には、他の船は波と波の間にはさまって見ることすらできません。恐らく一番上の電灯だけしか見えないでしょう。そういうことを考えてみなさい。そういう中で生活しているカップルについて考えてみるのです。何と素晴らしいことでしょうか。そういう天候の中で、彼ら「互いに愛し合うことができます。本当に刺激的なことです。そう考えるかによって、どう生きるかが決まってきます。どう物事を見るかによってそれは決まってきます。もし思いが積極的で目的に向かって喜んで自らを与える精神を持っているならば、皆さんは何でもすることができます。

もし先生がそういう精神を持ってアメリカに来たのでなかったならば、我々のムーブメントがすでに多くの企画に投入している何百万ドルの投資を実際に行うことができなかったはずです。今では我々はそれよりももっと多くの金を使い、また投資をしています。しかし同時に、先生は政府に対して税金をごまかしていると訴えられています。それは現実とは全く反対なのです。彼らにはそれがまだ分かりません。矛盾しています。我々は先回の科学者会議に四百万ドル以上を、ワールド・ユース・フォー・ガッド(神様のための世界の若者たち)の会議とワールド・ツアーに約二百万ドルを使いました。脱税? そのように先生をさばくアメリカは大きな間違いを犯しています。しかし先生はその判事にほほ笑みで応答しただけなのです。先生はアメリカに対して何の恨みも持っていません。皆さんを導いているのはそういう男です。どういう迫害が来ようとも、先生はびくともしません。神様の御旨から先生を引き離すものは何もありません。こういうことが自由世界で起こっています。共産世界ならどういうことをすると思いますか。彼らは心底から先生に敵対しています。彼らにとって最も恐ろしい人は先生なのです。どうしてですか。彼らにはこの思想を打ち負かすことができないからです。反対に、我々の思想は簡単に彼らを打ち負かすことができるので、機会あるごとに彼らは先生に対して牙をむいてくるのです。皆さんもそれが分かるようになります。我々は救いのためにあらゆる面において働かなければなりません。

宗教は我々の生活の中心あるいは核ですが、我々は教育、ビジネス、あるいは政治のような他の分野を切り離してしまうことはできません。だからアメリカは先生を理解することができないのです。彼らは大きなスケールで物事を見ることができません。他にも重要な企画がたくさんあるのに、先生は今、法定闘争に注意を集中しなければなりません。しかしこれは先生だけの闘いではありません。皆さんを、そしてアメリカを教育するためなのです。先生は闘わなければなりません。

それは蕩減路程であるけれども、それに従うことによって先生はもっと有名になります。同じ原理が皆さんにも当てはまります。ここグロースターで皆さんは迫害を受けるけれども、一生懸命働き続けるならば大衆も皆さんの本当の姿が分かるようになります。皆さんは汚れた船のムーニーですか、それとも完全に清くて秩序があるのですか。先生は船を一つ一つ点検してそれを確認しなければなりません。先生は皆さんの人生に関して偉大なアイデアと偉大な概念を持っています。皆さんのうち何人が南アメリカへ行って訓練を受けたいと思っていますか。最高の訓練は、別の国へ行って惨めで孤独な立場から訓練を受けることです。そして訓練を受けた後、皆さんはここに戻ってきて、アメリカのために一生懸命働くべきです。南アメリカが漁をする時、規定量を満たすのに数カ月かかります。ということは、魚が取れる場所に着く以前に既に少なくとも一カ月間漁を続けていることになります。ここでは皆さんは朝食や夕食の内容について不平を言うけれども、海の上では食物について不平は言えません。愛する妻から手紙が来るかもしれないけれども、漁の期間が終わるまで船長はそれを皆さんに渡そうとしないでしょう。たとえ皆さんがそれに対して立腹したとしても、何もそれを変えることはできません。それらの船には約三十名のメンバーが乗っています。彼らの生活について考えてみるのですね。漁から帰ってくる時、三十の家庭がその帰りを待っています。すべてが彼らの働きに、彼らがどの位の漁をしたのかにかかっています。彼らの実績にかかっています。彼らは他の船よりもっと一生懸命に働くしかありません。皆さんにとっては本当に良い訓練になると思います。だから先生は皆さんをそこに送ろうかと考えています。

先生はいずれにせよ、そうするつもりですから、皆さんも早くやる気を起こすべきです。ただ待っているだけではいけません。この夏が終わったならば、先生はすぐに一人か二人をスリナム、あるいはベルリンへ送ろうと思っています。ドイツの漁師たちも三カ月か四カ月、寒くて厳しい海に出かけて行きます。その後でも依然として海の摂理のために喜んで働きたいと思うならば、皆さんは本当にオーシャン・チャーチのメンバーになる準備ができたことになります。そういう経験をして帰って来て、それでも海のために働きたいと思うならば、先生は皆さんを選ぶでしょう。そしていつの日か大型漁船を任され、船長としてのキャリアを積むことができます。先生は海に大きな希望を抱いています。また皆さん全員にも大きな希望を抱いています。先生は皆さんをそこに送り出したいのです。そして帰って来たらアメリカのために働き、偉大な指導者になって欲しいのです。

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海洋摂理と水産業

約十年前、先生がここにやって来た時には、マグロは一ポンド十セントにしか過ぎませんでした。先生は「どうやったらマグロの値段を上げことができるだろうか」と自問してみました。今年の夏、マグロの値段が四ドルになるのを先生は期待しています。人々は以前はスポーツとしてマグロ釣りに来ていただけでした。人々は全世界からやって来たけれども、漁師は釣るためだけに毎日出かけていたのではお金を大量な使うだけなので、マグロ漁をすることができませんでした。大きなチャンスを与えられていたのですが、彼らはそれに参加することができませんでした。

数年前一隻船がやって来たけれども、当時、マグロには値段すらついていなかったので、彼らは経費だけでお金を使い果たしました。先生はそれを見るに忍びなかったのです。昨年我々は値段を一ポンド二ドル五十セントに上げました。今年はマグロの値段は一ドル六十五セントから始まりました。どうしてでしたか。昨年高値で幕が下りたけれども、漁師を搾取する習慣は根深かったのです。皆さんはその基準を押し上げ、高め続けなければなりません。彼らはムーニーが嫌いですが、毎年やっている先生を今では催迎しています。始めたばかりの頃、彼らはひどく我々を迫害していたのです。でも今では我々の友達になりたがっています。今では皆さんも、漁場のことやそこにいる船がほとんど小型船であることなどを知っています。以前には高価なスポーツ用の漁船しかなかったのですが、今では貧乏な漁師もマグロを捕ってお金を儲けようとしています。マグロの値段が四ドル上がること、それは先生の希望ですが、そして漁師たちが千ポンド以上のマグロを釣ったならば、彼らは四千ドル稼ぐことになります。そういうことを考えてみるのですね。たった一日の働きだけで、それだけのお金を得ることができます。素晴らしいことです。だから、今では多くの小型漁船が出てマグロを追いかけているのです。だれでも小さな船ぐらいは少なくとも持つことができます。まぐろの漁場に千隻の船がいてもおかしくありません。毎日マグロを捕るための激しい競争が行われることになるでしょう。悪いことではありません。実際に良いことです。値段が上がっている現在、皆がここにやって来てマグロ漁をすることに関心を持っています。我々も人々をここに連れて来て、海の経験をさせてやることもできます。その中のある人々は金持ちかもしれないけれども、彼らはお金の使い方について何のビジョンも持っていません。しかし海に可能性を見いだした時、彼らはそこにお金を投資したいと思うようになるでしょう。人々に利益をもたらす素晴らしい企画がたくさんあります。

アメリカの海岸線の主な所に我々は基盤を築きつつあります。皆さんも知っているように、メキシコ湾では我々は海老の商売を営んでいます。そしてアラバマでは造船業、またアラスカでは毎日四十万ポンドの魚を加工できる工場を我々は持っています。問題はどうやってそれらの企業の運営をするかです。先生はオーシャン・チャーチの各センターが若者たちを訓練し、その若者たちが急速に成長してそういう指導性を発揮するようになることを期待しています。我々はほんの三十のセンターから出発したのですが、最終的には海岸沿いに三千のセンターを作る必要があります。

先生はアメリカについてこういう大きなビジョンを抱いています。どうしてですか。魚がアメリカの海にいるからなのです。先生は世界のいろいろな所を見て来たのですが、ここでは桟橋から釣り糸を垂れるだけです魚を捕ることができます。しかしアメリカで、この漁業の可能性を実現するための指導をしている人は一人もいません。皆さんがそれをやらなければなりません。三年以上前に、我々はスリナムで三十隻の海老漁船の操業を始めました。それらはマグロ漁用でもあります。サイズは極めて大きいのです。とにかく両アメリカ大陸は連結されなければなりません。海がその道を提供しているのです。海が世界の主な漁業国を全部連結することになります。最終的には、我々は漁師たちのために魚の値段を良い方向に改め、そしてもっと多くの人々に食糧を提供できるようになります。

日本においては、我々は既に水産業のあらゆる面にわたって準備を整えています。そして有名な魚売チームを作りました。彼らのトレード・マークは頭に鉢巻きをした魚売り少年の絵なのです。魚を売る人はだれでも、また日本全国、魚を売る時にはいつでも頭にその鉢巻きをすることになっています。我々は今ここアメリカでも同じような魚売りの方法を準備しています。日本人の夫か妻を持っている人は、将来の摂理に何らかの形で参加することになります。

どうですか。すべてのカップルが自分の船を持つようになれば、それは素晴らしいことです。そこで魚を捕り生活し、そこで子供を産むことさえできます。皆さんはワン・ホープ訓練船から始めると良いでしょう。それを良くこなすことができ、成熟した漁師になったならば、皆さんはアラバマで造っているような大きな船を持つことができます。ある人たちはそういう状態に達するのに二十一年かかるけれども、皆さんは専念しさえすれば七年間でそこに到達します。

日本ではメンバーたちが資金集めをする時に、霊界が働いて必ず買ってくれるような人に会わせてくれます。同じ経験が皆さんを待っているのです。海へ出かけて行く時、霊界が働いてどこに魚がいるかを皆さんに教えてくれ、何トンという魚を捕ることができるという経験を皆さんはするでしょう。そう思いませんか。先生はそう思います。皆さんは自分で発見しなければなりません。

たくさんの人たちが「ああ、オーシャン・チャーチとはとても難しい。好きじゃない」と不平を言います。しかし一旦基台が造られると次の段階はやさしいのです。今はとても威信があるワシントン・タイムズでさえ、設立するのに数カ月しかかからなかったのです。その能力と才覚があれば、トロール船を造ってここまで運んで来るのは何の問題もありません。皆さんは大型船の立派な船長になることができます。そうすれば自動的に、その町の指導者たちと会うことができるようになります。そして魚加工会社の社長やその他のビジネスマンたちとも知り合うようになります。また皆さんは、自分の事務所から電話をかければ全世界と連絡を取ることができます。先生はこれをとっても真剣な思いで言っているのです。それは実現します。皆さんはそれを信じるのですか。

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オーシャン・チャーチ開拓の公式

先生が霊界に行ったら、皆さんは先生の精神を受け継ぎ、そしてさらに前進しますか。皆さんは「はい」と大きな声ではっきりと叫んでいます。本当に先生の伝統を皆さんが継承するならば、オーシャン・チャーチは素晴らしいものです。良いものです。それは二重の神様です。一つの神様は陸の神様、もう一つの神様は海の神様、オーシャン・チャーチはその両方ですね。我々は陸地に住み、海へ出かけます。だから二重の神様なのです。だからオーシャン・チャーチは本当に良いのです。そうなんですね。今、皆さん達は迫害を受けています。これは皆さんの未来が素晴らしいものだということを意味しています。今は誰も皆さんのことを理解できないけれども、後に人々は理解するようになるし、またその倍も皆さんを尊敬するようになります。

皆さんは海洋都市に責任を持ちたいと思っているのですか。各都市を発展させるための基本公式というものがあります。その都市に責任を持つための、またこの指導者になるための計画を立てる時、皆さんはそのことを考えなければなりません。その都市にやってきた時の皆さんの最初の疑問は「私は何をやるべきなのだろうか」です。船を出して魚を捕ることが、その始めでも終わりでもありません。皆さんがその年にニュー・ホープ号に乗って現れたら、人々はそれがムーニーの船だということを知るようになります。そしてまた、彼らはムーニーについて話し始め、皆さんが良い人であるとか、悪い人であるとか言うようになります。どの社会でも新参者をテストしようという傾向を持っているものなのです。

だから我々にとって最短コースは、その都市の主な指導者達と一つになる方法を見出だすことです。そうすればその共同体全部からのテストを受けなくてすみます。重要な点は、その共同体の指導者達、市長や警察署長、沿岸警備体の隊長、漁業共同組合の指導者、あるいはその他のビジネス面での指導者達にどうやって会うかです。ほんの数人の人達が皆さんと互いに理解し合い、一つになりさえすれば良いのです。重要な点は、皆さんがなぜそこにいるのか、何をその都市のためにやろうとしているのかを、どうやったら彼らに分かってもらえるかです。

先生自身もアメリカにやってきた頃、これと同じパターンに従って行動したのです。先生はこの運動のいろいろな側面であるIOWC活動、原理研究会、家庭教会、オーシャン・チャーチなどを始めたのですが、アメリカに着いたらすぐに、このアメリカの指導者達、市の役人達、上院議員や下院議員に会いました。その人達に会った時必ず、先生は何をするためにアメリカにやって来たのかを彼らに説明しました。その時は先生の言うことが彼らには分からなかったのですが、今ではその中の多くの人達がその意味するところを理解するようになってきています。

そういう方法を通して、アメリカの指導者達を動員するにはどういう運動をしたら良いのかを、先生は知ることができました。そして先生は新聞社すら準備し、六年前に発行を開始しました。ワシントン・タイムズ社部に来た人達は、我々がその新聞社を始めたからという、ただそれだけの理由でやって来たのではありません。基台が既に確立されていたから彼らはやって来たのです。彼らは我々のビジョンを理解できたからやってきました。

ワシントン・タイムズ社は発行を始めてから三ヵ月しか経っていないけれども、既に国家基準以上のレベルまで達しています。保守的団体は普通、お互い同士喧嘩するのですが、この新聞がアメリカのある偉大な資産であるという点については、全員が意見を同じくしました。ある保守団体はキリスト教を中心にしており、他の保守団体はアメリカのビジネス団体を基盤にしています。また愛国主義者の団体だと言っても良いでしょう。

それぞれの団体が一度は、先生に対して我々の運動に対して、反対の立場を取ったのですが、ワシントン・タイムズを通して、我々はその四つの団体を全部統一することができました。先生は今、法廷闘争の準備をしているけれども、それでも我々は絶えず前進を続けています。我々がこれら全部を既に達成したなどとは、まるで夢のような話だし、それについて全部語るのはとても難しいことです。例えば、小さな一つの例ですが、レーガン大統領が首脳会議の時にアメリカの四つの新聞社の筆頭通信員達を連れていきました。アメリカには一千七百五十三の新聞社があるのですが、レーガンは代表者四人しか連れていきませんでした。その中の一つがワシントン・タイムス社でした。我々が新聞社を始めてからほんの五日しか経っていないのに、こういうことが起こりました。どうしてワシントン・タイムズの筆頭通信員が選ばれたのでしょうか。それはこの新聞の高い質と勇気ある主張が、人々に認識されていたからです。彼らはそれを無視しようとは思いませんでした。

これは計画のほんの一部でしかありません。この基台の上に我々は全国紙を発行するようになります。そして主なテレビ・ニュース関係筋がしばしばそして絶えずワシントン・タイムズ紙を引用する時がやってきます。それからアメリカの報道陣の基本的な運勢を変えることができます。多くの保守系ビジネス界の指導者達がワシントン・タイムズの成功を信じ、それに投資したいと思うようになります。「時代」は本当に変りました。先生が皆さんにこう説明をしているのは、この国の将来の基盤が既に皆さんのために準備されつつあるのだということを、皆さんに知ってもらいたいからなのです。

どうして我々は、映画「仁川」にこれだけの努力を注いだのでしょうか。結果がどうであれ、動機は人々にマッカーサーを理解してもらうことでした。マッカーサーがどれほど神様を愛し、人民を愛したかを先生は示したかったのです。マッカーサーは第二次大戦後、日本へやってきてその国を復興させました。彼は本当に人々を愛し尊敬したのです。また彼は神様をとても愛し、専制主義と共産主義に対して猛烈に闘いました。先生はこの点を人々にも分かってもらいたかったのです。我々は神様を愛し、人民を愛さなければなりません。しかし共産主義はそれをその両方共を破壊するのだから、我々はそれを憎まなければなりません。これらの企画や活動のために先生はとても忙しくなるのです。皆さんは仕事が終わったらここに帰ってきて休憩することができますが、先生はほとんど徹夜して報告を聞いたり新しい指示を与えたりしなければなりません。先生は四六時中忙しいのです。ここにやってきて魚釣りをするような時間はほとんどないのです。ではどうして少なくとも十年間、先生はこういうことをやっているのですか。先生は毎年毎年前進し、それでも疲を知りれません。しかし皆さんはどうかと言えば二、三日出かけただけで疲れてしまいます。先生は皆さんを見ると恥ずかしくなります。

既に多くのメンバー達が海から逃げ去ったのを先生は知っています。今季は我々は週に一匹のマグロしか捕れないし、人々は我々がやってこないだろうと思っていました。とにかくわれわれはやってきたし、人々はそれでびっくりしているのです。彼らは先生がやってこないという確信を持っていたんですが、我々が漁をする理由は単に経済的なものだけではありません。我々は漁をしなければならないし、継続しなければなりません。そして伝統を打ち立てなければなりません。

先生は伝統が継続するように、少なくとも十人の「レバレンド・ムーン」を残したいと思っています。海洋都市へ行って、それを十年以内に復帰したいと思っている人は誰かいるのですか。皆さんの中でも何人の者がそのように考え希望を持っているのですか。皆さん一人ひとりが、海洋都市の漁師の中で最高の指導者になり、その基台を少なくとも百ヵ所の別の海洋都市に広げることができるならば、先生は何らかの価値あるものを残したと思うことができます。

もし百の都市があれば、我々はこの国の基台を持ったことになります。またそこで知名度の高い地盤を確立した人になれば、皆さんは魚の会社あるいはその関連会社を発足させ、その責任者になることができます。皆さんは自分の基台を急いで造らなければなりません。つまり、海洋都市へ行ったならば、皆さんは最高指導者に会って、その地の将来のためになる何か価値のあるものを与えなければなりません。皆さんは、若者達と共に働くことができなければなりません。皆さんは二つの問題を解決しなければなりません。それは人材と金です。どうやって育てることができるか。これは大きな問題です。もしこれらの問題が解決できれば、皆さんは大きな会社を、あるいはその他何でも始めることができます。問題はありません。問題はどうやって良いメンバーを育て、ちゃんとした経済基盤を確立するかです。もしこれらの問題を解決できれば後は何でもありません。まず第一に皆さんは、その地の主な指導者達と良い関係を結びます。それから、漁業面での主な指導者達、ビジネス面での主な指導者達と友達になります。彼らから知識と経験を学び、将来自分の会社の指導者になるための基台をそこから造ることができます。まず初めに、皆さんはこの二つの問題を解決しなければなりません。

皆さんは自分を訓練しなければなりません。皆さんを中心として、これらの問題は解決されることになります。皆さんにはそれができます。これらのことを皆さんは達成できるのです。夜も昼も一生懸命働かなければなりません。。そうすれば素晴らしいことが起きます。

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海の新しい未来

アメリカのにはたくさんの宗教団体があるけれども、こういうことをしている団体は一つもありません。神様はオーシャン・チャーチに大きな希望を持っておられます。この観点から見て、オーシャン・チャーチは良いと思うのですか、それとも悪いと思うのですか。皆さんは「偉大だ」と叫びたいんですが「good(良い)」という単語を見てみましょう。「o」が幾つあるのですか二つの「o」がありますだから「good」は二重の「神」になるのです。霊界も良いし、地上も良い。共に二重の神様です。どちらも良い。それが「good」の意味です。二重の神様は主体と対象、つまり霊界と地上界を持っています。また陸地と海があります。我々はいつも山の男であるわけにも海の男であるわけにもいきません。両方に行って、両方共愛さなければなりません。韓国では我々は一隻の船を持ち、それにはただ一人の船長がいました。最初、先生がその船長にならなければなりませんでした。それはたった一隻の船だったけれども、先生はそこに未来を見ていたので、実際には遥かにそれ以上のものでした。

皆さんもそうですか。自分を見るんですね。グロースターでは皆さんは船の上で眠らなければなりません。時には数日間漁を続けなければなりません。そこにはシャワーもなければトイレもありません。バケツを使わなければなりません。苛酷な生活です。死に場所を探したいとしても、皆さんはそれを見出だすことすらできません。先生はそれを見て「これで良い」と思うのです。先生はそこに大いなる未来を見ることができます。人々には日常生活を超えた思考をすることはできませんが、我々は遥かに先のことを考えています。そのために我々は、新しい人生に向かって道を歩み始めることになります。先生は神様のためにあらゆるものを復帰したいのです。グロースターとプロビンス・タウンの二ヵ所は我々が自分の基台を造ることのできる所なのです。我々は自分が偉大な人間であること、そして世界の最大の漁場の一つで巨大なマグロを釣っているんだということを心に留めていなければならない。皆さんは今ではもうこれらの船を用いどうやったらマグロを捕れるかを知っています。先生は、次にはストライプバスを釣りたいと思っています。しかしニュー・ホープ号はまだ十分な数のマグロを捕ってはいません。我々は今年の夏中に基台をもっと広げようとしていますが、なぜこういうことをしているのでしょうか。我々はこれを全部人類のために捧げているのです。先生は昨年まで自分で釣った魚はどれも食べませんでした。七年間漁をしているけれども、自分で捕ったものは絶対に食べませんでした。それはいつも他の人達のために捧げられました。魚は我々に釣って欲しいと願っています。ほとんどの魚が別の魚に食べられるのですが、それよりは人間に食べられるほうが遥かに良いのです。魚は人間の一部になることによって、その生涯で最高の段階まで達したいと望んでいます。我々も魚が人間に対して思うのと同じ気持ちを神様に抱かなければなりません。我々は最高段階のものの一部になりたい、神様の一部になりたいと思うのです。将来の経済の大部分は海からやってくることになるでしょう。

そして先生はそのお金を海外で使いたいと思っています。毎年二千万人以上の人々が飢えに苦しんでいます。アメリカの生活はとてもぜいたくなので、皆さんには想像もできないでしょう。メンバー達は先生と一緒にいる時、幾度となく「お父様、何か飲まれますか。何か食べられますか」と聞くのですが先生はコカ・コーラさえ保存しておいて、他の人達にそれを与える方法を見つけ出した方が良いと思っています。我々は生活のあらゆる面において、保存という概念を持っている必要があります。もしそれを持たなければ、神様の祝福は逃げ去ってしまうでしょう。しかしいつも他の人達のため、人類のためそして将来のために物を保存することを考えるならば、我々は神様の祝福を受け継ぐことができます。こういう誠実さを持って物事を何でも行なうならば、神様の霊がいつも我々を満たすことになるでしょう。また最高の釣り場を見つけたいと思い、他のどんな人達よりも神様のために多くのことをやっているいるならば、神様は我々を助けて下さり、その目標を達成するためのより深い洞察力を我々に与えて下さることでしょう。皆さんは今年の夏ずっと船に責任を持っていました。皆さんの中で、今度オーシャン・チャーチに来るのに自分の妻は反対していたみたいだと思っている者はいますか。海の将来に関心がなければ、先生はオーシャン・チャーチを始めたりはしないということを妻達に理解させなければならないし、また皆さんもそれを知っていなければなりません。この世界の三分の二は海ですね。将来、誰が世界の面倒を見るのですか。神の子達がこの世界を受け継ぐべきなんです。そうすると彼らは海も受け継ぐことになります。だから先生は海に関心を持っているのです。

多くの人達が海を去っています。どうしてですか。新しい海の時代が来つつあるからです。ある国家ですら海を無視しています。どうしてですか。海の真の後見人達が訪れる時代がやってきたからです。だから我々は海に大きな希望を抱いています。過去何度も人間の間違った目的のために海が利用されてきました。今日でさえ、麻薬が海から密輸されています。天的目的のためにはそれはつかわなければなりません。我々は人間による海の使用目的を改めなければなりません。だから我々にはオーシャン・チャーチがあります。また我々は勇敢な精神を開拓しなければなりません。過去の海賊よりも勇敢で大胆な者になる必要があります。

将来のために心身を備えること

オーシャン・チャーチはそういう精神を開拓するための最高の運動です。若者達の間にその基準を高揚する運動としての第二のものは、武道(マーシャル・アーツ)です。健康な心身を作り上げるにあたって、武道に勝るものは余り多くはありません。良い精神を持って武道を志すならば、悪い力は皆さんを決して攻撃することはできません。武道は、歴史上偉大な目的のために何度も用いられてきました。しかし、不幸にも、それは悪意を持って用いられたこともありました。武道はそのままにしておくと、悪い目的のために、用いられる方が遥かに多くなるでしょう。しかし宗教運動によって武道は、建設的で良い目的のために用いることができます。それが重要な点です。ある人が傲慢な態度で武道を志そうとするならば、より高次元の使用目的があることをその人に教えなければなりません。また全世界の統一武道運動(マーシャル・アーツ・ムーブメント)を準備する必要があるということも知っていなければなりません。我々は生活のあらゆる面を守らなければなりません。今我々は世界的なレベルでの武道団体を組織しているし、武道をオリンピックの中に入れる準備もしています。ほとんどの神学校は武道を全く教えないし、体育教育さえ行っていません。しかし我々の神学校武道を教えているので、学生達は知的に準備されるだけでなく、霊的にも肉体的にも準備されることになります。我々は神様のための世界的な運動を準備しているのであり、すべてのものがその下に集まってこなければなりません。我々は宗教オリンピック協会すら準備しています。世界のトップの宗教指導者達、著名な神学者 、学者達が二年に一度集まってオリンピック・ゲームを開催します。オリンピックは四年に一度集まるのが基準となっているけれども、我々はその基準を超えて二年に一度集まりたいと思っています。そしてもっと重要な点ですが、我々はオリンピックの基準を超えた、もっと高い次元の目的を持って集まりたいと思っています。

誰しも、肉体のために健全な授受作用をする必要があります。肉体は心や魂と同様、バランスがとれていなければならないし、また十分なエネルギーも供給されていなければなりません。胃が痛ければ、それは胃袋と他の肉体の機能の間に十分なエネルギーの交流がない証拠です。先生は一日中、激しい労働をした後、家に帰ると毎晩体操をします。それが若い世代の皆さんと競争しても疲れない理由の一つなのです。

健全な肉体を持つためには、体操をしなければなりません。そして健全な精神のためにもやはり体操をしなければなりません。精神のため、ということは宗教生活という意味です。我々は陸と海を抱擁し、またあらゆる芸術をも包含しなければなりません。これらの領域をカバーする必要があります。それから、これらのものを中心として新しい世界が始まっていきます。中心には宗教があるのですが、我々の目標は地上天国を建設することです。健全な肉体は外的な実践を通して達成され、健全な精神は内的な実践を通して、達成されます。文学、音楽、詩、美術、こういう領域を我々は自分で開発しなければなりません。先生もこれらの領域の一つ一つを、うまくなるように勉強してきたのだから、皆さんもそうやるべきです。

先生がプロビンス。タウンにやってきて、このように魚釣りをするなどとは誰も夢にも思いませんでしたが、先生はそれを十年間続けています。先生が、今皆さんのやっている活動の多くをなぜ始めたのか、その理由をこの世の人々は理解できないでいます。我々の動機が分からないのだから、彼らが反対するのは無理のないことです。時が経過すると共に、我々に反対する人々と我々を助けようとする人々の間の距離はますます大きなものとなっていきます。一方は最後には消えてなくなり、もう一方は最後には神様に抱擁されて新しい時代が創造されることになります。

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海洋と新しい生活様式

十年経てば、なぜ先生がこの企画をやっているのか、なぜ現在これほどの努力を注いでいるのか、皆さんにも分かるようになるでしょう。今日はオーシャン・チャーチ運動について話しているのですが、それは立派な運動ですか。皆さんは「偉大な運動だ」と叫んでいるけれども、なぜ偉大な運動ですか。我々がやっていることは偉大なことです。それは本当です。歴史上における「偉大」という意味を考えてみましょう。それは普通どういう意味を持っているのですか。すべてのものをコントロールするという意味です。しかし誰もそういうことは好みません。では、なぜオーシャン・チャーチ運動は偉大なのでしょうか。アメリカの漁村からほとんど若者がいなくなっています。彼らは自分の故郷を呪ってすらいます。しかし皆さん、若者はその漁村にやって来て新しい運動を起こしつつあります。皆さんですらそれを知りません。人々はオシャン・チャーチのある町で、この新しい運動を見て「レバレンド・ムーンは偉大な男だ」と思うようになるでしょう。

皆さんに少し質問しましょう。ここに来てから皆さんは強い風を好きになりましたか、それとも嫌いになりましたか。皆さんは風の強い日に、フィアンセとか妻に合う時と同じ気持ちになりましたか。そうではないのですか。どうして笑っているのですか。朝の出発の時に風が強ければ「今日は何かとても良いことがあるに違いない」と皆さんは言いましたか。そのように感じたのですか。風の強い日でさえ、その中に人生の面白みを感じることができるように自らを開拓しなければなりません。その向こうにあるものを見通さなければなりません。若者達は皆、嵐が怖いのです。どうしてか、皆さんは考えたことがありますか。大きな波がへさき越しに船の中に入ってきた時、皆さんは刺激を受けて嬉しくなりますか。そこに希望を見出すのですか。その大波を面白いと感じるのですか。海の男は実際そのように希望を見出そうとします。波をかき分けて進行する小さな船というのはとてもドラマチックです。自分の船が波にぶつかり、それをかき分けて進んでいるのを見たら「ああ、ここには将来への希望があるんだな」と思わなければなりません。

波を憎んではいけません。憎めば自分の心を乱されるだけです。我々は冷たい水も嵐模様の空もすべてを受け入れるべきです。いつでも両手両足、体全部を使って海を受け入れるべきです。毎日そうやっていますか。静かな日、海の表面に映った自分の姿を見てその海の力を知るべきです。次の日には、それが数メートルの高さの山となって君達の上に覆いかぶさるやもしれません。静かな日には海はただ休んでいるだけであって、その力は絶えず内に秘められているのです。

男のそれと同じです。皆さんはとても興奮したり刺激を受けたりするけれども、次の瞬間には心が落ち着き謙虚で静かになり感謝を持った気持ちになります。女性もやはりそれと同じです。平和な海面に自分の顔を映して見ることができます。しかしそれでも海は絶えず動いています。魚のためにそうあるべきなのです。風が海を動かします。そしてその動きによって、魚が生きるために必要な酸素が供給されます。神様が海に命を与え、そのおかげで魚が生きることができます。

一滴の水を見てもそこには色がついていません。しかしもっと多くの水を集めると美しい色が現れ始めます。それはとても美しいのです。水の中にはとても多くの種類の魚が棲んでいます。海にはあらゆる種類の魚や生命が含まれています。水は命を与えます。人間の体の七〇パーセント以上は水分なのです。水が顔に当たると、とても塩辛いので目に刺激を与えます。その瞬間、皆さんはどう感じるのですか。皆さんはそれを吐き出して、そして目をつぶるのではありませんか。海の水には基本的な味が含まれています。生命の自然な味ですね。そう思えば、今度行った時に今までとは違った感じを水に対して持ち、違った味を味わうことができるでしょう。

一日働いた後、皆さんの手はからからに乾燥して塩辛くなります。それを味わってみるとよいでしょう。その瞬間も素晴らしいものです。それは海が持つ美しさです。皆さんは海の塩分についての詩を書くこともできます。どのように偉大な芸術も文学も、こういった生命との密接なかかわりの中から生まれてくるのです。あらゆる生命あるものを憎む人達は、こういう芸術や文学を創造することはできません。生命を心底まで愛する人達が、そういう美しく喜びを与える芸術や文学を生み出すことができます。

静かな日海を眺めていると、突然魚が水から丁度人間のように飛び出してきます。鯨は大きく飛び上がって、それからあたりをぐるりと見回します。それはまるで未来を鯨が探しているかのように見えます。自分を見てみるとよいです。みなさんの心と体が平穏な時には、魂が跳び上がって何か良いものを探したいと思うようになります。だからそういう観点から海を眺めてみるのです。そうすると皆さんも生命が何であるかが分かるようになるでしょう。

太陽と月を文学の中で、表現する時、単純になり過ぎるきらいがあるけれども、動いている波、踊っている波について語るならば、それはもっと美しいものになるでしょう。太陽を見れば父親の笑顔について語ることができます。太陽は単なる輝ける球ではなく、もっと美しいものなのです。太陽についてはそういう経験をしなければなりません。そして他のあらゆるものについてもそういうような深い経験を味わうべきです。そういう深い経験の中から、良心への無限なる刺激を皆さんは得ることができます。一度我々はたくさんの腐った黒っぽい魚を捕ったことがありましたが、その臭いはアンモニアのようでした。先生は船酔いはほとんどしたことがないのです。しかしその臭いをかいだ時は胃がおかしくなり始めました。最初先生は「自分はこの魚に対してあまりにも悪い思いを抱いています。自分はしようがない人間だ」と思ったのですが、しばらくして別の考えを持ち始めました。すなわち「自分は蕩減しなければならない」と思うようになりました。そう悟ったとき、その臭いを愛することができるようになったので船酔いがなくなってしましました。それは何かのために、また誰かのために蕩減することができるという意味だったのです。その臭いに感謝の気持ちを持つことができたので、先生は船酔いを乗り越えることができました。

魚の臭い、そのチャムの臭いをつけて帰宅をすると、お母様は時々先生の衣服について何やら言うことがあるけれども、先生は「まだそれは洗濯する必要はない。まだ奇麗だから」と言います。しかし、お母様はいずれにせよ、それを洗濯するのです。皆さんの中には、魚の臭いのついた同じ服を一ヵ月間ずっと着ている者達がいます。謝るべきではありません。人生の中で日常の生活の中でこういうのを消化する方法について、我々は学ばなければなりません。我々はこういうものを将来のためにやっているのです。先生を見なさい。先生は毎日出かけていって確かに疲れています。しかし「疲れす過ぎている、出かけることはできない」というようなことは、先生は絶対に言いません。毎日漁に出かけ、家族の面倒を見なければならない漁師達のことを思えば、疲れたなどとは言えません。先生はよくお母様に「今日はストライプバスを釣ってくる」と繰り返し言ったことがあるけれども、実際にはそれはとても難しいことです。しかしその時先生は、釣ってくると妻や家族に毎日約束している漁師のことを考えています。彼はその魚をどうしてもつらなければなりません。先生はそういう生活について真剣に考えています。

どちらがより必死でしょうか。ストライプバスを釣るとお母様に約束する先生の方ですか、それとも家族のために魚を捕らなければならない漁師の方ですか。より苦しい思いを味わっているのはどちらですか。その魚を釣れなくて、お母様に謝らなければならない時の先生ですか、それとも何かを釣らなければ、また何も釣れなければ家族が飢えることになるその漁師の方ですか。そういう漁師のことを思えば先生は疲れなど感じないのです。漁に行くのは何ら問題ではありません。我々はそういう考え方ができるように自分を訓練する必要があります。「私はこれを全人類のためにやっているのです。私は人類のために何かを残そうとしているのです」と信じなければなりません。

こういう精神を持って我々は漁にでかけなければなりません。この活動を通して、いつの日か人類が希望を持つようになるのが先生には分かるのです。今我々がやっていることが、将来全人類に大きな恵みをもたらすことになります。先生は本当に皆さんを海の男達、女達にしたいと思っているのです。皆さん、男性は髭を伸ばすならば自分のその髭に触って「俺は男だ。俺は人類のためにいつも一生懸命働かなければならないんだ」と言ってもらいたいのです。皆さんはそういう精神を持っているのですか。皆さんは「俺は髭を伸ばしているから、誰よりも早く漁場に着くべきだ」と言うべきなんですね。また皆さんは出かけるための準備も整えていかなければなりません。良いエンジン、餌、ガソリン、すべてを持っていなければなりません。これは基本です。先生はいつも出かける前に準備が整っています。我々が使おうとしている鰻の餌の準備はもう既に整っています、という報告を昨日先生は受け取りました。しかし、朝になって、その鰻がちゃんとなされていないことが分かりました。しようがないことです。朝が来る前にこういうことが分かっていなければなりません。前の晩にすべてが整っているべきです。

皆さんはこういう基本的な面においては、ほぼゼロの状態に近いのです。皆さんの精神は前向きの姿勢なのですか。いつでも明日のための準備ができているのですか。もし皆さんの精神がそうでなければ、一生懸命働いている漁師達に皆さんは譫訴されるようになります。先生は今たいしたことはないように見えるかもしれませんが、先生の未来のビジョンははっきりしています。大いなる未来のために先生は今基台を造っているのです。皆さんはどうなのですか。

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オーシャン・チャーチとアメリカ
1982年 8月28日 プロビンス・タウン
 今日は海に出ることができないので皆さんをここへ呼びました。皆さんは海へ行きたかったのですか。それともここに集まってきたかったのですか。皆さんも知っているように、我々はグロースターにモーニング・ガーデンを持っています。数年前に準備したとても良いと所です。しかし現在進行中の法廷闘争のため、我々は今その場所を使うことができません。新しい宗教が起こるときには、それに伴なって必ず迫害があります。その宗教が間違っているからというわけではなく、何か新しいものが古い伝統の中から芽生える時には必ず、その新しい運動は当原を払わなければならないからです。

歴史の目標  

歴史の目標は最後の結実の時に至ることです。この観点から物事を見ると、我々がこういう道を通っていくというのはいたって当然なことです。大きな木になる果物の場合と同じように、最終的な成熟に至る道というものは生易しいものではありません。季節の訪れと共に、枝の幾つかは風によってもぎ取られていきます。しかし、枝にしがみつき一体となっている果物は成熟を全うします。同じことが親類歴史についても言えます。だから全部見るまでは、全部起きてしまうまでは我々は最終的な判断をすることはできません。迫害は最終的成長に至る過程の一部です。だからそれを私達は避けて通ることはできません。それを通過していかなければなりません。

皆さんは若者です。皆アメリカに住んでいるけれども、その背景は非常に異なっています。アメリカの青年達の目的は何ですか。その点をはっきりさせなければなりません。彼らは何か価値のあるもの、やりがいのあることをしたいと思っています。

では皆さんに尋ねますが、皆さんはどうして統一教会に入ってそこにとどまっているのですか。皆さんは未来に起こる最終的な結実を見ているのですね。だから何年も働き続けなければならなくても、統一教会にとどまっていることができます。人類歴史と統一教会の歴史は多くの共通点があります。歴史はある目標点に向かって出発し、人々はあることを始めそれに不平を言って去り、それからまた別の者達が加わり、そしてまた他の者達が去っていくということを繰り返しています。

統一教会内でも同じようなことがあります。人類歴史と統一教会の歴史はこの葛藤を経験してきています。それは利己的な望みと、神様の御旨のための望みとの間の葛藤です。先生はこのグループの中に三種類の人達がいるのを知っています。前進しようとする人達、今の状態を維持しようとする人達、そして他の人達を引きずり降ろそうとする人達です。人類歴史も同じです。アメリカの歴史も同じです。ある人達は今よりもよい未来を心に描いて、それを実現しようとしています。他の人達は、ただ今持っているものを維持しようとしています。それから昔の良かった頃に戻りたいと思っています。

アメリカの将来に誰が責任を持つのですか。他の人を引きずり降ろそうとするグループは、もちろんこの責任を持つグループには入りません。現状を維持し今まで楽しい生活を続けたいと思っているグループも、もちろんこれには入りません。こういうグループは現在の国家的な関心のためには良いかもしれませんが、世界のためそして人類歴史のためには良くはありません。歴史はいつでも人間の一般的関心を超えた所を行かなければなりません。歴史はいつも理想を持ち、その目標を積極的に追求する人々によって導かれています。

多くの若者達が麻薬を使用するためにやって来るプロビンス・タウンを見なさい。同性愛社達も集まってきます。彼らはアメリカを指導する人になるかもしれません。しかし、彼らの生活様式はこの宇宙の法則に反しています。男あるいは女はなんのために生まれたのでしょうか。男は女のために、女は男のために生まれたのです。男が男のために生まれたのでも、女が女のために生まれたのでもありません。我々は互いのために生まれているのです。昆虫の世界ですら、この基準を乱すものは何もありません。動物の世界ですら、自然の状態ではそういう混乱というものは何もありません。被造物の中で、人間の他にそういう問題を持つものは何も存在しません。人間だけなのです。人類が将来の繁栄を選ぶのか、それとも崩壊を選ぶのかを決定すすべき最後の日が、今であることをこれは示しています。アダムはなぜエバを必要とし、エバはなぜアダムを必要としたのかを我々は尋ねなければなりません。そして彼らは子供を産むために、互いに相手のために創られたのだということをはっきり理解しなければなりません。子供達は未来を代表します。アダムとエバは自分達よりも優れた者達を産んだはずでした。丁度、木がより優れた果実を実らせるごとく、男と女の願いも自分達より優れた子供を産むことです。だから、より良い未来のために男と女は互いを必要としているのです。

どうして皆さんは結婚したいのですか。ただ愛し合うためなのですか。実は皆さんは自分より優れた実を実らせたいのです。どうして皆さんは自分の子供達を愛するのですか。どうして自分の妻を愛するのですか。彼女を通して生まれてくる次の世代を愛することができるからです。未来は皆さんを中心としています。皆さんは妻と子供への愛を準備しなければなりません。また皆さんは、過去と現在と未来を連結する責任を持っています。皆さん一人ひとりがその責任を持っています。だから、多くの若者達が麻薬で体内を崩壊し同性愛にふけることで自らの未来を破壊するということは、これはアメリカの恥なのです。彼らはアメリカの希望ではありません。歴史は、未来に向かって若者達を導いていくことのできるグループを必要としています。世界はそういうグループを必要としています。アメリカもまたそういうグループを必要としています。そして神様でさえ、そういうグループを必要としておられます。

ここにやってきてアメリカのため人類のため、そして神のためにこの新しい時代を開拓するグループは、全歴史が待ち望んでいるグループなのです。そして真の男と真の女、真の男達と真の女達の時代がやってくるでしょう。先生はいつも統一教会の働きを見つめています。またいつもあらゆる些細な点に至るまで、あるいは皆さんの未来のことをいつも考えています。夜も昼も、皆さんも自らを見つめ、そして自ら調査してみるべきです。皆さんは教会に入って以来、どの位変ったのですか。皆さんはいつも利己的に自分のことについて考えているのですか。それとも今はもっと公的な目的のために考えられるようになったのですか。皆さんは以前は自分のことばかり考えていました。「私、私、私」ですね。しかし今では皆さんは「神様のため、人類のため、他の人のために私は何をすることができるだろうか」と考えています。また以前には、自己中心的な観点から人生に価値を見いだそうとしていたけれども、教会に入って以来、もっと高次元的な価値を見いだそうとするようになりました。皆さんの未来は広がったのです。皆さんは自分が今立っている場所に限定されているのではなく、無限の可能性を秘めています。皆さんの未来は以前は限定されたものでしたが、今は未来に限りがありません。

皆さんは以前は、国家のことについては何とか考えていました。しかし、今では全世界のことあるいはそれ以上のことを考えています。だからある時が来れば、アメリカは皆さんのような人を歓迎するようになります。以前は、皆さんの汗と涙と激しい労働はすべて自分のためのものでしたが、今ではそれらのものは全部人類のためになされています。実際、これは皆さん自身と皆さんの国家のための新しい時代、新しい歴史の曙なのです。実際、世界の新しい始まりです。皆さん、若者は全く新しい世界を始めることができます。

これが我々の動機であり、これが我々の仕事の方向性であることを皆さんに理解してもらいたいのです。今年の夏、我々がやっていることを見れば、利益を上げられるようなものは何もないように見えるでしょう。我々はマグロ釣りに出かけていますが、その過程で多くの金を失っています。皆さんはこういう状態のまま、毎日漁に行くのは嫌でしょう。朝とても早く起きて長い間働き続けるというのはとても難しいことです。なぜ我々はこういう仕事をしているのですかどうしてこれだけ多くの努力を注いでいるのですか。先生はただ今日のことだけを考えているのではありません。未来の目標のことを考えています。マグロを捕るだけのために、どうしてこんなにお金を使っているのか。それは元手を取り戻すようには見えないというだけでなく、皆さんを訓練するのに何千ドルというお金を費やしてもいます。我々はこれを他のあらゆる企画と同じ理由でやっています。例えば、どうして超高速道路を建設しようとしているのですか。普通、高速道路を造る会社はそこから利益を得ようとするけれども、我々はそれを造るための金をまず集め、それから世界のため人類のためにそれを与えようとしています。

私がやっていることを評価するのは、次の世代の人達です。彼らは皆さんを本当に尊敬するでしょう。我々が現在あるのはそういう人達のためです。だから我々の仕事は未来のビジョンを持っていなければなりません。何千人という人々が尊敬し、次の世代の人達がずっと従っていくことのできる伝統を我々は打ち立てなければなりません。そして我々は未来の人々のために、敗北者ではなく勝利者にならなければなりません。先生は全生涯このようにしてやってきたのです。

初期の頃、皆が先生に反対し、皆が先生を誤解しました。しかし今では過去を振り返り、先生がやってきたことを見るならば、先生が正しかったことを認めるはずです。同じことが皆さんにも言えます。今から六十年後、人々は皆さんの人生を振り返るでしょう。人々は先生の企画を最初は小さな目で見ていたけれども、先生がそれを継続するに従って、彼らの目は段々大きく広がっていきました。先生の仕事は韓国で終わったのではありません。それはアメリカ、南アメリカ、アフリカまたはそれ以上へと拡大していきました。ある人から見れば、先生は不可解な人物に見えるかもしれません。しかし、先生自身はとってもはっきりした計画と目標を持っています。

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まず最初にやるべきこと

皆さんはここから直接皆さんの州に戻って活動を始めるべきです。例えば、ドクター・ダーストは各州をちょくちょく訪問すべきです。彼が少なくとも一カ月に一度、五十州全部を回るのを先生は見たいと思います。ということは彼はいつも旅行していることになります。しかし、もしドクター・ダーストが百名の聴衆に話すとすれば、アメリカの全人口に語りかけるにはどの位の月日がかかるでしょうか。一万年はかかります。

その代わりに、もし彼がニューヨークに焦点を合わせ、七千人の人にコンタクトを持ち、家庭教会活動に彼らを連れて行くことができれば、その方がずっと速いのです。もし彼が同じ地域でその七千名の人々に五年間夕食会を持ったり講演をしたりすれば、そしてこれを五年間何度も何度も繰り返せば、はるかに良い結果をもたらすことになります。そしてニューヨークが我々のメッセージを理解するようになれば、アメリカ全体もやはりそのようになっていきます。もしそうなれば国全体が瞬く間に変わってしまうことになります。

このように家庭教会を通して、復帰がより直接的に進みます。より多くの人々がより迅速に復帰されます。だから彼はこれを集中的にやっています。本部に人々を招待するのではなく、彼が家庭教会の場所に行って、そこを二度、三度と巡回すべきなのです。だから晩餐会をあまり何度もするのではなくて、その代わりに会合を持ってそこで彼が講義をします。それを毎月二、三回やります。一カ所で一、二時間、そして別の場所へ移動してそこでまた二、三時間行います。人々はそこに留まって去ろうとはしないでしょう。こういう人々への接近方法は、先生がアメリカへ来たばかりのころやったのと同じです。そのやり方が最も速いのです。復興会、晩餐会またはこの種の会合を通して、皆さんは人々のためによい雰囲気を作ってあげるのです。州の責任者達もそのようにするのです。そして皆さんもそのようにするべきです。その後のことは、ドクター・ダーストは自分の経験を通して何をしなければならないか知っているはずです。彼は皆さんのセンターを訪問し、皆さんと一緒に働きます。

明日、皆さんは新しい責任分担につくか、元の責任分担へ戻るのです。皆さんの働きの上に神様の祝福がありますように。オーシャン・チャーチの勝利のために「マンセイ」を三唱しましょう。

朴大佐の祈り

「天のお父様、御父母様と共にこの時を過ごすことができましたことを感謝申し上げます。時は進展しています。今日この日、大きな転換点が訪れようとしていることを私達は知りました。まだアメリカの中ではありませんが、私達の内に起ころうとしております。天のお父様、劇的な変化が我々の中に起きるようにお導きください。あなたが私達に期待されていることと、現在の私達の状態との間のギャップをうめなければならないからです。それから天のお父様、私達が自分で課している限界を乗り越えることができるようにお導きください。

私達はお父様が韓国、日本で打ち立てられ、また現在アメリカでそうされつつある伝統を受け継ぎたいのです。その伝統が苦労の上に確立されたものであることを私達は知っています。私達は人類と天のお父様、あなたのために自分を忘れて働けるよう自らを改革し、あなたの伝統を受け継ぐことをここにお誓いいたします。あなたが示してくださったお手本に従い、全力を挙げて働くことをこの瞬間私達は心の中で決意しております。私達は今まさにオーシャン・チャーチを始めようとしています。それはこの国における歴史的な発展の時です。

将来アメリカ全体がこの日を証するようになるでしょう。来るべき年のために心からお祈りいたします。真の御父母様は既に多くの汗と涙を流され、神学校のために多くのものを捧げられました。そのために神学生達はこの日までやってこられたのです。多くの者達はカープで働いています。また多くの者達は州の責任者をしています。そして今日、多くの者達がオーシャン・チャーチの指導者として任命されました。彼らの成功はひたすら彼らの一心不乱の努力にかかっております。

これが成功したならば、アメリカにも希望が出てくることを私達は知っております。もし私達がその基準に従って行動することをしなければ、この国は今後もより多くの騒乱とより多くの蕩減と、より多くの悲惨をなめなければならないでしょう。その結果を保証してくれるものは何もありません。ですから天のお父様、あなたのお手本に従い、あなたに私達のすべてを捧げさせてください。死のうと生きようと、あなたの御旨をしてまいります。天のお父様、この歴史的な仕事を完遂するため、できるだけ私達が地上に残れるようお導きください。真の御父母様と共にあなたの御旨をなすことができるこの特権を心から感謝申し上げます。重労働が私達を待っていますけれども、私達はこの地上で最も幸福な者達です。たとえぜいたくな生活はできなくても、真の御父母様がおられるので、私達は歴史上最も幸福な者達です。天のお父様、真の御父母様が既にこの世界とアメリカのためになしてくださったすべてのことに、私達は深く感謝申し上げます。真の御父母様に代わるものはないのです。どうぞ、真の御父母様そしてその御家族をお守り下さい。いつの日か、私達は真の御父母様の重荷を代わりに担ってあげたいのです。そしてどうしたらそうできるのか、あなたが教えてくださるまで、私達は努力を続けていくことをお誓い申し上げます。これを、真の御父母様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン。

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アラスカに割り当てられている船がたくさんあります。トレーラーならびに小型船です。船の編成、監督をする計画、特に船長の訓練計画は練られなければなりません。そして立派な船長と訓練された乗組員が各船にあてがわれる必要があります。アラスカに行くメンバー達が孤立させられてはならないので、アラン・ホーカンソンがそこに行って、これらの組織化を助けるべきです。そして彼らと共に生活をし、毎日毎日彼らを訓練すべきです。

漁船のすべての船長がアラスカを通って来なければなりません。つまりアランか、その地位にある人を通過して来なければなりません。船の操縦、乗組員の訓練は彼の下でなされます。その地位にある人は誰でも、自分のことは忘れて、まず他の人達の訓練をすることに気を使わなければなりません。アランは高い基準を保っているので、模範として先生は彼を地位につけました。彼は船で他の人達と共に出発し、そこにいて彼らを訓練します。そして多くの他のグループも訓練することになります。彼は「母親的で過保護な雌鳥」のような役目を、そこで果たさなければなりません。

彼にとってはこれは恵まれた機会です。もしそこで立派に自らを確立したならば、彼は何でもやれるようになります。彼はテスト・ケースなのです。もしアラスカで船長として独り立ちして人々の尊敬を得るようになれば、彼はそこからさらに前進することができます。ビジネスの方面で陸の上で働く指導者がいますが、アランは海の上で独り立ちすべきです。そしてこの二人は一緒に働かなければなりません。陸の上のビジネス・マネジャーと海の上の船長、特にアランのための標語は「一体化」です。アランは新しい船の船長となり、それとグリーン・ホープ号とを比較すべきです。アラスカには何隻の船が必要ですか。最適数はいくつですか。我々はどうやって出費を切り詰めることができるか考えなければなりません。特に機械と食事の出費です。それに我々は、技術面についてメンバー達を訓練しなければなりません。またもし魚をたくさん食べれば、高価な肉に出費する分を切り詰めることができます。考えなしに出費していれば限りがなくなります。

我々は商業用の船である延縄魚船に関しては、乗組員に給料と食事代を払います。彼らが何を食べるか、皆さんは知っていますか。彼らは米と野菜と海で取った魚を食べるのです。彼らはそれをフライにしたり焼いたり、その他いろいろな方法で料理をします。このようにして彼らは食費を切り詰め、それを給料に加えることができます。

我々もそのように訓練することができます。その方法を見いださなければなりません。消費ばかりしていたら絶対に蓄えることができません。どうやったら倹約できるか、いつも考えるべきです。その中には修理代も入っています。まもなく分かることですが、すべてのメンバーがエンジンの管理について訓練を受けているのかどうか、皆さんは確認する必要があります。皆さんは指導者であり、また責任者ですが、一流の機械工でもなければなりません。分からないことがいくらかでもあれば、人に教えることはできません。一流の機械工でなければなりません。他に道はありません。エンジンについての本を読むことから始めて、ひたすら学ぶのです。エンジンについて、すみからすみまで知り尽くす必要があります。そしてそれを分解して、また組み立てることができなければなりません。皆さんは自分の地区の責任者として資格を持つためには、船の専門家でなければなりません。

先生は皆さんを訪問する際、船の上にいる皆さんの姿を見たいのです。皆さんは船乗りや漁師または海に出かけていく人達の指導者であり、また責任者でもあります。しかし行政管理責任者ではありません。だから、自分の地域の霊的教育の面でいつも忙しく指示を与えていなければなりません。それと同時にビジネスについても勉強しなければならないし、魚を売る方法も見いださなければなりません。時々大量の魚を取ったとしても、皆さんはどこでそれを売ったらいいか分かりません。それも皆さんの訓練の一部なのです。皆さんが自活の方法を知った後になって初めて、だれかが皆さんの取った魚を何でも確実に買ってくれるようになります。各地区は協力し合うべきです。また皆さんは伝道、魚釣り、教育、さらにビジネスと魚の販売のすべての部門でどのように行動すべきかを知っていなければなりません。そこから我々は前進拡張して、教会の目的を成就するようになります。最初に皆さんがやるべきことは友達を作ることです。そしてその人達にいろいろ質問して、できるだけ多くのことを学びます。それから、その地方に関する案内書を手に入れ、そこの漁業事情について研究することです。少なくとも半年間は、皆さんはそれをする必要があります。海岸線の近くに、我々は網工場とか造船所のようないろいろな工場を設立することができます。もしそれらの工場が皆さんの地域にあれば、皆さんはそれも管理しなければなりません。

上手に管理し一生懸命働き、一つの企画から別の企画へと敏速に行動すれば、皆さんの基盤はすぐにできます。それは皆さんの基盤です。また皆さんの地域の漁師を代表して、いつの日か上院議員か下院議員に立候補することすらできます。それは皆さんの信望となるでしょう。町全体が皆さんを注目しています。皆さんは人々から歓迎されなければならないのです。良い人達が多数皆さんの所にやってきて、皆さんの指導をあおぐことになると思います。そうしたら彼らを教育し、国家のために働けるように鼓舞してやるとよいのです。

皆さんはできるだけ速やかにそれらを身に着けなければなりません。皆さんが見習うべき人は大貫です。大貫は絶対に不平を言いません。六時は終了の時間なので「ラインを上げるように」といつも先生は言っているのですが、大貫はいつもあと五分だけそのままでいます。マグロがいつ食い付くか分からないからです。少なくとも三度、その最後の瞬間に食い付いてきたことがありました。一日の終わりに先生が「さあやめよう」と言うと、皆嬉しい顔をして急いでラインを上げるのですが、それを先生はあまり好きではありません。大貫は最後の瞬間にでもマグロが食い付いて来るのを期待しているので、ゆっくりと行動します。食い付くかもしれないのです。

来期から、我々は訓練プログラムのための費用を最低限参加者達に出させるつもりです。一日につき少なくとも三度の食事分は払わなければなりません。またマグロのいる所に行くのに一、二時間かかるので、もし海上にずっといて漁を続けるならば、そこには大きな違いが生まれてきます。だから我々は中央に大きな船を置いて、夜はその周りにアンカーを下ろすようにする計画です。そしてアンカーを下ろした場所からその大きな船に行ったり来たりすればよいのです。しかし皆さんがどこにいるかによってマグロの食い付いてくる可能性に大きな違いが生まれてくるので、他の人達はどこでアンカーを下ろすかで争っているのです。

いつのシーズンでもいいから、マグロ釣りに行ったことのある人は手を挙げて。漁の経験のあるヨーロッパのメンバーとアメリカのメンバーは、新しい指導者を助けなければなりません。

<<質疑応答>>

質問のある人はいますか。

メンバー「私達の中には船をすぐもらえない人もいるのですが、訓練のために商業用の船を使ってもよいでしょうか」

まあ、寒くなりつつあるのでここでは駄目ですね。でも、底引き漁船に乗ることはできます。また、もし明日ここで魚を捕りたければ一日だけならばできます。いずれにせよ、十二名の者達の船はもうでき上がっています。ただトレーラーとバンが足りないのです。まず我々は、船を皆さんのいる所まで引っ張っていって水の中に入れ、それからまた戻ってきて別の船を引っ張っていかなければなりません。しかしまもなく一隻の船にトレーラーが一台、三隻から五隻の船に一台のバンがつくことになります。それが基準です。

メンバー:「まず最初に私達がやることは何でしょうか。漁でしょうか。それとも魚の販売ですか、それとも訓練ですか、あるいは講義ですか」

船をもらう前に皆さんは渉外をすることができます。それが第一です。そのように出発します。皆さんが中心勢力です。しかしカープのメンバー達も州の責任者達も、皆さんを援助しなければなりません。皆さんはまず基盤をつくる必要があります。それから手を広げていきます。しかし、最初から商売をする計画ではないので、まだそれを我々はやっていないのです。我々自身の船が三百隻必要ですからそれを売るつもりはありません。それは訓練用の船です。いずれワン・ホープ号に似た別の船を売ることになります。それはグッド・ゴーかも知れませんが、ワン・ホープ号ではありません。ワン・ホープ号は特別な船なのです。しかしその船を見たら人は欲しくなるに違いありません。もう既にそういう現象が起きています。人々は今ワン・ホープ号を買いたがっているけれども、我々はそれを売るつもりはありません。

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新しい責任分担

この時点で、教会センターに責任を持つ三十人を選ぶことにします。まずボランティアから始めましょう。この新しい責任分担を引き受けたい者立ってください。皆さんは海に行けば、最初全員が船酔いをするでしょう。何となく「軟弱」です。船酔いしない人、手を挙げて。

先生はまず、海の上でも何とかうまくやっていくことのできる人を選びたいのです。ある人達は魚が従っていくような生まれつきの性格を持っています。ちょうどある人達が、ビジネスで金儲けができるような才能を生まれつき持っているように、ある人々は魚で金儲けができるような才能を生まれつき持っています。まず先生が見て回って、こういう生活に最も適している人達を選んでみましょう。まるでマッチングをやっているみたいですね。では始めましょう。選ばれたら、自分の名前を後で報告するように。

このメンバー達がいれば、海洋王国を建設するのに十分だと思います。皆さんの方はどうですか。皆さんは極めて順応性に長けていなければならないし、速やかな決断ができなければなりません。特に海が荒れている時はそうです。皆さんは海が危険な所だということをいつも心に留めておく必要があります。そしてそれを乗り切ることのできる能力も必要です。そして、厳しい天候と厳しい労働を何とかやり抜いていくことのできる体力を持っていなければなりません。分かりますか。まあ、今先生は二十四人を選んだわけですが、手始めとしてはこれでいいのです。残りの六人は後で来ることになっています。

よい講師も我々には必要です。教育のためには特に大きい人は必要ありません。既に州の責任者をやっている者達は手を挙げて。皆さんはオーシャン・チャーチに来るべきです。今すぐにではありません。神学校卒業生は先生が直接責任を持ちましょう。自動的にHSAとかカープとか、その他の所に行くようなことはありません。誰も彼らの責任分担を勝手に変えてはいけません。彼らは神学校で特別の訓練を受けたのですから、先生が直接責任を持ちます。それは良く分かったと思います。新しいセンターの責任者達、皆さんの船はまだ造船中です。つまり十二人は明日責任分担を引き受けることになりますが、残りの十二人は一時的に州の責任者になってもらいます。そして新しい船ができ上がったならばその船があてがわれ、皆さんにも新しい責任分担についてもらいます。最初の二十四隻が完成するまでは皆さんはこの順序でやるんですね。約二カ月位かかるでしょう。大貫がオーシャン・チャーチの顧問をやっているので、皆さんの中から十二人の指導者を選ぶのを彼に任せようと思います。

先生は分離団体を始めようとしているのではありません。それは、紛れもなく我々の運動の一部なのです。タイガー・朴が皆さんを訪問するだろうし、レバレンド・郭が皆さんの講義プログラム編成を助けてくれるでしょう。皆さんは紛れもなく我々の運動の一部です。実際には皆さんは州の責任者のようなものです。特にオーシャン・チャーチの地区における、州の責任者です。落ち着いてしまってはなりません。絶えず動き回り、皆さんの地区にある港を全部訪ねなさい。我々は急いで組織を再編成し、空いている所がないようにしなければなりません。このように多くの人達が州の責任者とオーシャン・チャーチの新しい指導者として採用されたのですから、残った者達は今までの二倍働かなければなりません。

最初の指示事項

神様の祝福が皆さんの上にありますように。君達オーシャン・チャーチの新しい指導者達が立派にやれば、海岸線沿いにある州の教会センターをはじめとした陸の教会よりももっと急速に皆さんは発展するようになります。何かを作り出すという面では、皆さんの方がもっとやる気があるはずです。皆さんは任地へ行ったならば、まず沿岸警備隊の責任者達、警察署長達そして市長達を訪問しなさい。そして自己紹介し、皆さんがやろうとしていることを彼らに説明します。そして、アメリカの水産業界を再興して、多くの若者達が港のために一生懸命働き献身的に生きることができるように訓練を与えることが、皆さんの関心事であることを彼らに知ってもらいなさい。船、トレーラー、バンがその地域にやって来るということも彼らに言うのです。また退廃的に生きている若者の傾向をより建設的、創造的な生き方へ変えるため、皆さんは最善の努力をするつもりでいるということも彼らに知ってもらいます。また急いで講義のプログラムを作り、十分な数の人が集まったら、その人達に講義をすべきです。このように彼らにすべてを説明します。

任命されるのは皆さんが初めての重要な港が二、三あります。だが皆さんは、その港やその地区の責任者の位置にあります。そして数隻の船と数人のメンバーが皆さんの下にやって来ます。彼らにはもちろん皆さんがやって来ることを知らせます。今年の夏、皆さんは何の経験も積んでいませんが、皆さんの下に割り当てられる人達は既にある程度実質的な経験をしてきていますから、皆さんは彼らからいろいろ学ぶことができます。できるだけ速やかに追いつき、その差を小さくするつもりでいるということも、彼らに知ってもらう必要があります。その多くはヨーロッパのメンバーであり、皆さんが責任者になることを喜ぶはずです。それは皆さんが彼らをアメリカにつなげてやることができるからです。

皆さんの主な仕事はその地域の若者達に講義をし、あるいは教育を与えることです。そうしながら彼らを海に連れて行き、一緒に魚釣りをすることもできます。船の上で講義をし、漁をしながら彼らに訓練を与えます。これらは全部同時にやるのです。彼らを連れて来る方法については、先生は既に指示を与えています。ある訓練期間を終えたならば、彼らに一隻の船をあてがいます。また夏の間グロースターに来る船は東海岸で漁をすることができますが、まずノーフォークに来るのが一番良いのです。乗組員達はそこで経験を積むことができます。そこで漁をすれば必要なことを覚えられます。マグロ釣りのシーズンには補給船が必要になりますが、この船はノーフォークから来た漁船でチャム(巻き餌)を供給し、そこでマグロを買うことになります。

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自分自身の基台を造ること

先生が心配しているのは先生自身の信用ではありません。皆さんに確立してほしいのは皆さん自身の信用なのです。皆さんは何かを達成しなければなりません。将来皆さんが安心して暮らせるような基台を先生は造りたいのです。さもなければ、先生がいなくなった時の迫害は物凄いものになるでしょう。だから先生は急いでいます。だから先生は幾晩も眠らなかったり、三年間の努力を一年間に縮めたりします。

「お父様、この企画にもう少し時間をかけてはどうですか」と多くの人は言います。水産業が繁栄するようになれば、先生は何百隻という船を寄付したり、あらゆる良い企画のために分け与えたりしたいと思います。重要な点は、あまり経費をかけずにどうしたら良質の船を造れるかです。それができさえすれば、アメリカ人は一生懸命働いて船を寄付することができるようになります。しかし皆さんはそのアイデアは好きかもしれないけれど、あまり一生懸命働きたくないのです。

皆さんの性質は先生も良く知っています。一生懸命働く必要がなければ働きたくないと皆さんは思っています。しかしこれは皆さんが実績を上げる唯一の方法です。先生は皆さんを押し出さなければなりません。そして皆さんは実績を上げ、そして利益を得ます。船一隻の費用は最低二万五千ドルです。それを売るならば小売り価格は約三万ドルです。資材だけで一万六千ドルします。残りは労賃です。最初の船は、皆さん自身が自分の企画用に使うものです。だから今後造る船も同じ位良質で、しかももっと安いものにする必要があります。いろいろな部品を自分達の手で作るという方法も一つあります。買う必要のある部品は大量に買えば良いでしょう。そうすればずっと安くなります。あらゆるものに目を光らせ、安売りしている時に何でも買うようにすれば二、三千ドルの費用を浮かすことができます。浮いたお金で、船を造っているメンバー達に何かをしてやれば良いでしょう。

我々はこの企画のために、少なくとも二千万ドル投入しなければなりません。もしこれだけの金を銀行に預ければ、何もしなくても毎年三百万ドルが入って来ます。二、三パーセントの利子率でこれだけ入ります。それはたいして多くはないけれども、決して少ない額ではありません。初めこのように投資すれば、最初の二、三年間は損をするだろうということも先生は知っています。最初の投資額の三分の一まで損をするかもしれません。損をするかもしれないけれども、新しく企画を始める時はそういうものだということも先生は知っています。工場で働く時、普通皆さんは二、三時間働いてそれから休憩します。それからまたもう少し働いて、それからコーヒーを飲みます。四、五回休憩を持つころには仕事を終える時間になっています。しかし先生は仕事をそのようには考えません。先生はもっと早く仕事を終わらせるため、二十四時間ぶっ続けで働くのが好きなのです。食事には一時間もかかりません。その半分で十分です。最も早く食べる方法は、食物を手でつかんで食べることです。先生は早く食べる訓練をしました。だから一食を一分で食べることができます。すべての食物をスープの中に入れて、それを飲み下せば良いのです。想像できますか。「どういう生活様式なのだ」と皆さんは思うかもしれません。それは基台を造るための生活様式なのです。そういう生活様式なのです。

皆さんに選択の自由があり、もし地上天国の基台を造りたいと思っているのであれば、昔のやり方をいつまでも続けることは許されません。物事を実現するためにはそれを忘れ、全く新しい方法を工夫しなければなりません。夕暮れがやってきた時、それが朝で太陽が昇りかかっているのか、それとも夕方で太陽が沈みかかっているのか分からないほどまでに、熱心に働いたことが先生はあります。何か食べた時、それが朝食なのか夕食なのか分かりませんでした。皆さんはこれを聞いて作り話だと思うかもしれませんが、先生はずっとそういう生活をしてきましたし、またそういうことがあったのも本当なのです。

先生は韓国の記録保持者です。我々は三階建ての強化鉄骨とコンクリートの基礎を持った、一和の工場を造りました。これは普通の建築物でこれを建てるのに普通は二、三年かかります。計画に六カ月、準備にさらに六カ月、そして実際に建設するのに少なくとも一年かかります。しかし我々の工場は、始めから終わりまで三カ月しかかからなかったんです。ランプともう二組の交替組を使って、二十四時間コンクリートを流し続けました。そのようにやりました。修練所は二十八日間で建てたのですが、ある人が二、三日どこかに行って戻ってみたら、そこにビルが建っていました。だから彼は、自分が道に迷ったと思ったんです。我々はもう一つ、最初のものほどは大きくないが、それでもかなり大きい修練所を建てましたが、それも七日しかかかりませんでした。基礎も含めて、家を一軒建てるのに七日しかかかりませんでした。こういうことが皆さんには想像できますか。

皆さんの仕事のテンポに先生はいらいらしてくるのです。先生はそれを見たいとすら思いません。皆さんは仕事を延ばしに延ばして、とてものろいのです。庭を造るように言われて、やる気があれば二、三日ですむところを、今まで二カ月もそのままにしています。仕事を始めてさえいません。今先生はアメリカ人について研究しています。皆さんのことを知ろうとしているのです。先生は今、皆さんのためにすべてを準備するにはどうしたらよいか、迅速かつ効果的な生産のやり方を皆さんに示すにはどうしたらよいのかについて考えています。それは皆さんのためです。

皆さんは、生産速度を上げるにはどうしたらよいか研究しなければなりません。必要ならば機械を発明すればよいのです。指導者は責任を引き受けなければなりません。もし彼ができなければ、他の人が代わりにそれをやらなければなりません。こんなに一生懸命やろうとする工場は他にないのです。まあ、我々は道理をわきまえていなければならないのですが、できるだけこの三百隻の船の費用を少なくするように努力するつもりです。我々は費用を切り詰めることができます。それは間違いありません。皆さんはどうなのですか。これは最も良い方法だと思いませんか。それならゆっくり働いて少ない利益で満足するのですか、それとも一生懸命働いて大きな利益を得たいのですか。最初の方がずっと易しいのです。しかしもう一方の方が長い目で見てより確実なのです。そしてそれが皆さんの基礎となります。

誰もこういう考え方をする人がいないことが先生には信じられないことです。いずれにせよ、我々は二万ドル以内で全部を造ることができます。すべての部品、トレーラー、その他のすべてを含めてです。間違いありません。メイコは今トレーラーなしで二万四千ドルです。皆さんはもう我々の船を見ましたね。美しい船でしょう。正直言って、メイコ船はそれよりも一階級下がります。我々の船は今でも二十五ノットで走ることができます。二十五ノットから三十三ノットが小さな船の最適速度ですが、我々の船は今でもその速度で走ることができます。それに中型の船と同じ位安定しています。船は造ることができます。それは疑問の余地がありません。我々はそれを比較的物価の安いアラバマで造らねばならないかもしれませんが、そこは天候が良いので、青空の下と言えるような場所を用いることができるでしょう。これで三百隻の船の建造問題が解決したわけです。

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新しい責任分担を受け入れること

皆さんは今まで水産業についてそれほど考えたことがなかったかもしれませんが、今日聞いたことを基に新しい観点からそれを見るようになったと思います。皆さんはどう思っていますか。本当にその通りになると思っていますか。ベリー・タウンで鯉を捕っていた時から既に、皆さんはこの摂理を始めていたことになります。皆さんはそうとは知らずにやっていたことになります。先生と一緒に網作りをやった者達は、夜遅くまでまたある時は一睡もせずに翌朝まで働いたことを覚えているはずです。それも摂理とは無関係ではなかったことになります。実際それは皆さんの出発の一端だったのです。

統一教会の指導者は、船の上で訓練として十八カ月間を過ごすという計画を先生は練っています。だから皆さんもそれを受け入れた方が良いのです。韓国の諺に「最初の罰を受ける者は最も軽い罰ですむ」というものがあります。それは、最初に仕事をもらう時は後にそれをもらう時ほど難しくないという意味です。面白いと思いますか。もう既に魚の夢を見始めているのですか。既に時間も大分たったのですから、皆さんは何かの夢を見るべきです。腹が減りましたか。少くともロブスターか魚を想像していますか。熱心に聞いていた者達はロブスターを連想しましたか。もしそうであるならば間違いなく聞いていたことになります。説得などしなくてもそうなります。

ロブスターが皆さんのために料理されているに違いないのだけれども、彼らは客達に拒まれるのではないか、そして自分達の努力が無意味になってしまうのではないかと心配しているかもしれません。我々は責任分担を今決めるべきですか。それともまず食べるべきですか。我々は現在自分のシーフード・レストランを持っています。まず食べて、後で決定すべきですか。まずは先に食べましょう。そしてそのレストランへ行った時にグッド・ゴーの船を見たら良いでしょう。ワン・ホープ4を見れば、先生が午前中ずっと話していたことが皆さんにも分かるでしょう。

皆さんは長い間同窓会をしていなかったのでしょう。今晩の会合の後、皆さんはもう一晩ここに滞在します。それで会議は終わりですから、皆さんは明日帰ることになります。皆さんはこのあたりを見て回ったのですか。お城はもう見ましたか。皆さんはモーニング・ガーデンをどう思いますか。良い所でしょう。海岸線の至る所にこういう場所を我々は買うつもりです。そしてそれを訓練センターや研究センターとして、また漁師達が帰ってきて休憩し疲れを癒すためのセンターとして使うことになります。皆さんはグッド・ゴーを見たのですか。それは我々の誇りなのです。どのようなアメリカの家庭にとっても船は誇りです。彼らは船の世話を良くし、それをもって湖や海へ行きます。皆さんには船を注文し、それを利用する用意が既にできていますか。

造船所で働いているメンバー達は、いつも他の会社がやっているようなことをやりたいと思っています。しかしそのリストを眺めてみると、不必要なものがたくさんあります。無駄な操業のやり方をしている工場がたくさんあります。だから先生はメンバー達に、絶対になくてはならないものだけを使用しなさいと忠告しています。出費を少なくして、しかも船の質には影響を与えないような方法は必ずたくさんあります。ただ注意を怠らないで、心さえあれば良いのです。

最初の先生の質問と説明に戻って、我々は海岸線の至る所にこれらの船を配置すべきですか。「はい」というのは簡単ですが、それが皆さんにとっては生活様式の変換を意味しているということを皆さんは考えているのですか。一旦その責任分担を引き受けたならば、そこで三年、四年と働き、決して逃げたりしないと本当に決意するのですか。もちろん、皆さんは先生の前で「お父様、私は逃げ出します」とは言わないでしょう。しかし先生の前でただ「はい」というだけでは駄目です。皆さんは自分が言っていることを良く考えなければなりません。それは皆さんの基台になるものです。またアメリカの基台ともなるのです。それは真の、そして永遠の基台になります。それは決して消滅することはありません。

アフリカと南アメリカのための基台

先生はいつでもここにいることができるわけではありません。いろいろな国に行かなければなりません。もしこの国にずっといたならば、他の国はどうなるでしょうか。来てくれないと言って先生を責めるでしょう。アフリカ緒国と南アメリカ、特にブラジルは先生を必要としています。それらの国々のメンバー達は、自分達の国でもっといろいろなことがなされたり開発されたりできるのだということを知っているので、先生が来るのを首を長くして待っています。

先生はザイールなどの国に、農業機械を作るための機械工場を建設しようと真剣に考えています。そこでは人々は牛車と鍬を使って農業をやっています。しかし我々は、そこで使える農業機械を作り、壊れた場合には修理の仕方を教えることができます。素晴らしいことですね。白人達はアフリカを占領しそこに植民地を作ったけれども、そこの人を教育することはしませんでした。彼らは使用できるものを全部取っただけでした。農業の仕方、穀物、野菜、果物の収穫の仕方について教えませんでした。何も伝えませんでした。パンの作り方すら教えませんでした。彼らは今でも、野生じゃがいものようなアフリカの常用食をかろうじて最低限食べているだけです。食物の種類も数種類しかなく、彼らは毎食ほとんど同じものを食べています。また誰も彼らを教育しなかったので、小学校基準の教育すらほとんど彼らは受けていないし、読み書きもできなければ、現代社会についてすら全く分かりません。生き残ることができるでしょうか。これらの過ちは全部白人によってなされたものです。もし白人達がこれらの問題を解決する努力をしなければ、黄色人種がそれを修正することになるかもしれません。

アフリカでは、ここアメリカで費やすものの十パーセントしか我々は費やさないけれど、一つの国の運動を推し進めるためにはそれで十分なのです。少額でもアフリカでは莫大な影響を与えることができます。そうすべきだとは思いませんか。野菜や果物の育成、収穫、穀物を作りそれをパンにするやり方など、すべてを彼らに教えるべきです。過去、問題が一つありました。それは、教育を受けると彼らは白人達を追い出してしまったという問題です。そしてそれに対する白人の反応は「わざわざ教育する必要などあるものか」でした。
 そしてようやく、何人かのアフリカ人がロンドンとかその他のヨーロッパの地に行くようになりました。彼らが自分の国に帰ってきた時どう感じたか、それは皆さんにも想像できますね。彼らは西洋生活の生活水準とアフリカのそれとの差を見たんですね。これが多くの苦しみと怒りを引き起こしました。ある程度の改革はなされていたけれども、この民族問題は依然残されていました。白人は有色人種が好きではありません。彼らは黒人が嫌いです。

共産主義者達はこの弱点を利用するのです。彼らは人々を扇動して「白人達が君達に対してなしたこと、君達について考えていることを見てみなさい。彼らは君達のことなんかどうでもいいのです。ただ皆さんを利用しているだけなのです」と言います。そして「唯一の希望は共産主義だ。そこは労働者の天国、一般人の天国だ」と彼らは言います。それは嘘だということは既に証明済みですが、共産主義についての知識がなければ、それはとても素晴らしいもののように聞こえます。このようにして共産主義者達は民族戦争を始めるのです。嘘ではないかと思うならば、もっと皆さんは勉強しなければなりません。彼らの戦術はとてもはっきりしています。そういうことが起こる前に、統一教会の白人達はアフリカへ行って、先祖の過ちの蕩減を払って借りを返さなければなりません。そうして初めて彼らは皆さんを信用するようになります。 最近ザイールの霊的な教会で白人達が大量殺人を行いました。それは新しいキリスト教の宗派でした。現在、この忌まわしい出来事は過去のものとなっています。誰も公にはこのことを語りません。人々はただそれにふたをして忘れてしまいたいのですが、黒人達はそれを絶対に忘れはしません。我々はそれを公にして蕩減しなければなりません。誰かが蕩減を払って彼らの心を癒す必要があります。

こういうことを公にするのは、先生は気違いなのでしょうか。それともただ白人達のあら探しをしようとしているのでしょうか。それを公にすることは良いことだと皆さんは思いますか。それは蕩減を払って物事を新しく出発する唯一の方法だからよいというのです。我々はそのことをはっきりと知らなければなりません。我々は自分のやったことを隠すことはできません。先生は今すぐに彼らの所へ行って助けてあげたいのですが、何も持たないで行くことはできません。だから先生がまずやるべきことは、皆さんに堅固な基盤を築かせることです。

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オーシャン・チャーチの使命

先生が神学校卒業生を呼んだ理由は、皆さんに三十の教会センターの責任者になってもらいたいからです。皆さんが普通の漁師になり、他の漁師達を教育します。彼らに統一原理、勝共思想、そして最終的には統一思想を教えなければなりません。彼らが神様の御旨と目的を理解できるように教育しなければなりません。そのように未来に向かって彼らに備えてやるのです。そうしないと、彼らは過去の世界に埋没してしまいます。

皆さんは最も基礎から彼らに教えることができなければなりません。先生はヘリコプターを用意してすべての船を訪問するかもしれません。いつやってくるか皆さんに知らせます。多分、海の上で皆さんと会って昼食を共にするかもしれません。素晴らしいアイデアでしょう。皆さんが捕ったばかりの新鮮な魚を食べることができます。そうしたいですか。皆さんを呼んだ理由が今分かりましたね。この計画を実行に移すならば統一教会は成長します。そう思いませんか。我々は最初の三十のセンターから始まって、三百の教会を遠からず持つことになるでしょう。

このグッド・ゴーを、この速くて美しい船を、操縦する姿を想像してください。それは沈まない船なのです。ポリ発泡スチロールが入っているので沈みません。船べりまで水が来ても、それでも浮かんでいます。大嵐が来ても沈みません。自分を命綱に結わえさえすれば大丈夫です。嵐によって魚は死ぬかもしれませんが、皆さんは大丈夫です。それはスポーツ用の船だけれども安全な船でもあります。

後になって、商業用に同じような船を我々は造る計画でいます。もし皆さんが希望するならば、販売員になってその船を売っても良いでしょう。これも皆さんの経済基盤確立に役立つでしょう。こういう面からも、それを眺めて見ることです。皆さんが金持ちになる時、統一教会も金持ちになります。しかしその船を販売して得た金をアフリカに献金するならば、さらにもっと良いのです。このアイデアに対して皆さんは賛成しますか。それとも反対しますか。では皆さんが成功したならば誰が得をするのでしょうか。成功することはとても良いことです。皆さんがそれを、他の人のために喜んで投資しさえすれば良いのです。だから先生は皆さんを訓練したいと思います。この三十の教会センターを成功させるのは皆さんの仕事です。もし皆さんがそれをやれば、最初の投資は失われることはありません。さらにまた、成功を他の人達にも分け与えてやれば、絶対にそれは失われることはありません。

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基盤の拡張

今までのところ、我々は第一次産業についてしか話していません。では船舶備品のような第二次産業についてはどうでしょうか。つまりライン、網、エンジン部品、エレクトロニクス、その他漁を成功させるために船に必要なものです。第一次産業を支えるいろいろな第二次産業の分野があります。こういうものを全部、調査研究する必要があります。またこれらの分野の開発も必要です。政府は衰退しつつある水産業を心配はしているけれども、たいしたことはできないでいます。我々がこの分野で前進し実績を上げていることを知れば、政府も我々を援助したいという気になるでしょう。これらはアメリカがすぐにやらなければならないことです。もし何もしなければロシアや、ノルウェー、日本、その他の二百マイル海域内で漁をしたいと思っている国との間で問題が起こって来ます。アメリカがその漁場を活用していないということを知れば、彼らは自分達の市場のためにどうしても利用したいと思うようになります。結局、それらの船をアメリカの海域から締め出せなくなってしまいます。もし我々が魚を捕っていれば、良い値段で大量の魚を彼らに売ることによって、その圧力に応えることができます。必要な魚を捕るために遠い所まで航海しなくてもすむのですから、彼らは喜んでそれを買うし、アメリカもいい儲けになります。だからと言って、決してやましいことではありません。しかし、もし我々が魚を捕っていなければ、彼らは何度も何度も漁にやってくるし、自分達の国民に食料を供給することができないと不平を言うようになります。ある意味ではこのアメリカに対する彼らの不平は正しいのです。しかし、我々は、神様の援助の下に漁をし、その基台を造ります。そして、大きな変化が水産業界に起きることになるでしょう。これは単なる空想ではありません。今、先生が皆さんに話しているこの時でさえ、それは着実に進行しています。皆さんは、海とはどういうものであるか一旦つかみさえすれば、それを途中で投げ出すようなことは絶対にしないでしょう。それが魚釣りの精神に近づくための早道なのです。マグロは最も偉大な魚です。鯨は確かに遥かに大きいけれども、それは魚ではありません。それは全く別のものです。しかしマグロは魚です。だからそれはあらゆる魚の「王様」だと、我々は言うことができます。

世界の他の所では、既に我々の大型マグロ船が四隻操業しています。これらの船はアフリカで漁をしています。大体、百五十フィートの長さの船です。その他に南アメリカで十隻の海老漁用の船が操業しています。それは操業一年目にして、投資資本の全額を取り戻すことができました。だから人々は皆我々の噂をしており、それを奇跡とも呼んでいます。そして彼らの言うことは正しいのです。

一度海に慣れてしまえば、陸にしがみついている理由はなくなります。陸上よりも海上における方がいろいろなチャンスや、やるべきこと、なさなければならないことが多いのです。本当にそうなのです。夫が六カ月間海上に出たきりだという理由で、彼を捨てていく妻達が皆さんの中にいますか。あるいは妻が海へ行けば、夫は彼女を捨て去りますか。我々は自分の販売網を持っているのですから、魚を釣ってきても売れないで困るということはありません。また同様に、たとえ漁師達がムーニーだという理由で売るのを拒んだとしても、販売員達はそれで困ることはありません。我々は魚を捕ってそれを売ります。そしてそこからさらに発展します。まず我々は訓練が必要です。

私達のメンバーは世界のあらゆる所から来ているので、ドイツ、フランス、英国、日本その他全世界に支局を作ることができます。そして新鮮さと、質の良さを保つように魚を加工します。アメリカ人はニシンを好まないので、その値段はいつも最低です。ドイツでは人々がその種類の魚を好むので、値段は一ポンドにつき一ドルから始まります。

一年間に三百隻の船を造ることは容易なことではありません。メイコ会社ですら、そんなにたくさんは造らないでしょう。将来、皆さんの中でやる気のある人が出てくれば、彼は造船会社の支局を自分の手で設立することもできます。たいして難しいことではありません。まず鋳型から始めます。鋳型ができたならば、次にファイバー・グラスと樹脂を買って来て、適当な厚みになるまではめ込みます。それが船体になります。それから甲板を造ります。これも同じやり方で造ります。そして最後にそれを組み合わせます。覚えが良ければ、たいして難しい仕事ではありません。

教会の仕事もまた皆さんの仕事であり、カープの指導者であるとか州の責任者であるとか、皆さんは何でもやれます。一方ビジネスはまた別の領域です。だから船を造ったら、トロール船で魚を捕ったり、バンで魚を売りに行ったりすれば良いでしょう。そうではないですか。州の責任者達はこれが分かれば、州の教会センターを内陸部から海岸近くへ移動することになるでしょう。

グッド・ゴーはどのくらい良い漁船ですか。それは本当に素晴らしい船なのです。メンバー達の中で、今年一番の漁師はゲーハートでした。彼はワン・ホープ1を使っていましたが、それは美しい船なのです。またそれは我々の最初の船なのですが、彼はそれを運転していました。最初ゲーハートはそういう美しくて、頑丈な船は私達の手によっては造ることができないと思っていたのですね。ワン・ホープ号と他の船とは天と地ほどの差があります。

(ゲーハート・ビーモラーのワン・ホープ号についての証)
 「この船は極めて特別な船です。お父様は真の人ですが、この船はちょうどお父様のようです。だから私はこの船のことを『メシア』船と呼んでいます。本当に真の船なのです。この船が水の上を走っているのを見た時、私は非常に驚きました。私が初めて操縦したのは夜だったのですが、とても扱いやすくて信じられないほどでした。同じくらいの大きさのメイコに比べて、この船は水の上では遥かに安定しています。

この船は優秀な船です。海上で波が小さな船に押し寄せて来る時、船はそれにぶつかって激しく揺れ動きますが、この船はたいしたもので、波を切って進むのです。水はしぶきを上げて船から散って行きます。まるで波にはぶつかっていないみたいに、滑らかに切って進みます。この船はメイコよりも約二千ポンドも重いのです。ということは二千ポンド分安定し、しっかりしています。それを考慮に入れた上で、その船がメイコと同じエンジンを使い、しかもメイコほどには燃料を食わないことを知れば、その秘密は一体何だろうと不思議に思うに違いありません。

メイコの二倍の重さがあり、同じエンジンを付けていたとしても、二倍の燃料を食うことはありません。少々多くの燃料を食うことはありますが、それほど多くではありません。大体同じなのです。この船には何か特別なものがあり、それはデザインの仕方に多少関係しています。人々はこの船が水上にいる時や、水から揚がった時を見ているので、本当にこの船が素晴らしいものだということを知っています。この船を操縦するのもまた素晴らしいことです。それと比較し得るどんな船よりも安定しているのです。

この船は同じ種類、同じ大きさの船とは比べものにはなりません。水の上で安定しているのです。メイコあるいはそれと類似の船に乗ったことがある人ならば、即座にその違いに気が付きます。船全体もそうですが、どのようにデザインされたか、どのように調和しているかが他と違っているのです。多くの漁師達がやってきて、それを見て買えるものかどうかを聞くのです。その気さえあれば簡単に売ることができます。本当に『真の船』なのです」

ワン・ホープ号についてのゲーハートの話を聞くにつれて、先生は「一目ぼれ」という表現を思い出しました。一度この船を見さえすれば、その意味が分かります。特に走っている時の姿はとても美しいのです。美しいという点においては何ら疑問の余地がありません。ファイバー・グラスでできたこの船は、何年も何年ももつのだということを考えてみなさい。とても長い間もったからこれで十分だと言えるような船は、今までに一隻もありませんでした。将来番号が若ければ若いほど、より価値があることになります。ワン・ホープ4や10はワン・ホープ3000よりも遥かに価値が高いのです。だから皆さんの船を大切に扱いなさい。そうすれば四十年か五十年後、それは極めて価値の高いものになっています。それはまた皆さんの州全体の誇りにもなります。

人々がこの船を見さえすれば、統一教会を信じなさいと言う必要がなくなります。何も言わなくても信じるようになります。どうしてそうなるのか分かりますか。各家庭がこれらの船を一隻買いたいと思うようになります。こういう船を持った家に住むことが、マンションに住むよりも誇りとなります。皆さんはその船の上で休んだり生活したりして、その船の素晴らしい歴史を作り出すべきです。

各統一家庭はこれらの船を一隻買うべきです。そのようにこの船は歴史的なものであり、そして貴重なものです。そういう船を持ちたい者、手を上げなさい。先生の話とゲーハートの証だけで確信を持ったのであれば、実際に自分の目でそれを見るまで待ちなさい。我々が船もトレーラーもバンもエンジンも、自らの手で造り出すまで待つことです。皆さんは信じられますか。こういうアイデアに好奇心をそそられ、全力をそれに投入したいと思う者は手を上げなさい。

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新しい基盤の確立

この時点では、市場は安定化していると思います。しかし我々次第ではあるけれども、今後値段が上昇することになるでしょう。問題は、皆さんがどれだけ迅速に自分達の船を造り、魚釣りの訓練をすることができるかです。我々はまず手始めに三百隻の訓練船を造り、それをアメリカの三つの海岸線に配置する計画です、こそにずっと留まり、一年中毎日出かけて行くならば、皆さんもそう漁場のことを、短期間のうちに、自分のものにすることができるでしょう。

皆さんはやる気のある若いボランティァを見つけることができます。彼らは喜んで漁について学ぶでしょうから、彼らを連れて行って教えてやれば良いのです。そして漁をしながら統一原理について説明してやることもできます。彼らは嫌がったりはしないでしょう。そういう良い性格を持ち、心を開いた若者達を皆さんは見つけ出すことだすことができます。彼らは、皆さんと一緒に釣った魚を全部、自分のものにすることができます。このようにして皆さんは誰とでも友達になることができます。

もし五人伝道し復帰できれば、皆さんは二隻目の船をもらうことになります。五人連れて来る度ごとに、一隻船をもらうのです。十隻もらえば、つまり五十人連れて来たら、皆さんはそれを卒業してスターン・トロール(底引き網)船に乗ることが許されます。我々は既にそういう船を造りました。皆さんもそれを今日見ることになるでしょう。こういう八十フイートから九十フィートある船を造るには、百万ドルの半分から三分の一ほどの費用がかかります。それは普通のスターン・トロール船です。それを使ったら、ほとんど何でも捕ることができます。その訓練コースに出て、いつの日かそういう船の責任を持つことができるようになって欲しいと、先生は皆さんに願っているのです。

我々はマグロ漁のために開発した「グッド・ゴー」船を三百隻造る計画でいます。これもやはり、多目的用スピード船なのです。それと同時に、我々はすでに三十隻のスターン・トロール船を造り始めています。そして次のような組織造りをします。つまり十地区がそれぞれ十隻の船を受け取り、各々の地区でこれらの船の維持に責任を持つ人を訓練します。それから船を学校の代わりに使って、海について若者達に教えます。さらに船を引っ張ったり維持したりするために、各々の船に一台のトレーラーを付け、各地区に一台のバンを備えます。それが皆さんに与えられる基本的な設備となります。最終的には各々の地区が、一隻のスターン・トロール船を受け取るべきです。

来年の夏、マグロ釣りの季節がやって来たら、我々はグロースターにこれらの船を全部集め、漁開始に備えます。来年は我々は海上に泊まります。そして母船、すなわち供給舟を準備して、そこから食料とか夕食をもらうことができます。嵐が来る時だけ丘に戻ります。嵐が静まったならば、すぐにまた話の上に出ます。我々はそういった訓練プログラムを開発します。それからアメリカの人々は、我々のメッセージを受け取り始めることになるでしょう。どれほど我々が真剣であるか、彼らは知るようになるでしょう。

一つの問題点は、一年以内にどうやってそれらの船を造るかです。我々は三十の教会センターを持ち、各センターが十隻の船を持つべきです。つまりアメリカ全部で三百隻の船です。そして各オーシャン・チャーチのセンターは、教会として機能すべきであり、各々の船も教会となります。だから我々は「船の面会(ボート・チャーチ)」を持つことになります。陸上のセンターは、これらの船のためのセンターです。それはちょうど、州のセンターのようなもので、その指揮の下に、船という小さなセンターを持つことになります。ここグロースターの湾に三百隻全部を集めて出発するということが皆さんには想像できますか。我々が持つ礼拝のことを想像してみてください。同じように皆さんの地区においても、十隻が一斉に出発して海上で集まって朝拝を行います。その後に漁に出かけます。それから、夕方帰ってきたら陸の上で礼拝をします。そのスケジュールを毎日、実行します。三十のセンターが開かれたらすぐに、漁港再興のために六十万ドル相当以上の船舶が投資されようとしているというニュースを、我々は流す計画です。

こういう活動に関心を持つ人なら誰でも、いろいろな我々の企画から大きな利益を得ることができます。我々は彼らから何も求めないで、魚の捕り方を教えることができます。また原理も教えることができます。五十人か六十人の人に興味を持たせることができれば、スターン・トロール船を皆さんは扱うことができるようになります。ニュー・ホープ号は皆さんの訓練用ですが、スターン・トロール船はもっと難しいのです。

このようにして、皆さんは自分の生活基盤を確立することができます。そして皆さんが訓練した若者達の生計を立ててやります。その他の人達は欠員名簿に名前を載せておいて、訓練船ができあがったその時点で、各々の船に責任を持ってもらいます。各センター五十人は何ら問題ないでしょう。皆さんが必要としている船を、我々は年内に送ることができます。頭が良くていろいろな能力に秀でている人達は、訓練船を受け取ることができます。したがって皆さんも彼らを評価したり、推薦したりしなければなりません。

小さな船で訓練を受けた後、スターン・トロール船で漁に行くことができるようになります。それから魚を直接消費者に売ることができます。そのためにも我々は販売網を確立する必要があります。海に出たくない姉妹達は、戸別訪問して魚を売ることができます。朝出発して夕方帰って来るのです。

各地区ごとに三隻のトレーラーを備え、それを使って皆さんは自分の経済基盤を確立することができます。魚を捕ってそれを売ります。皆さんは自分の地区で何をやっても良いのです。霊的基盤ができたならば、自分達の地区、地方都市、そして自分達のメンバーのために具体的な計画を立てることができます。

間違いなく水産業は衰退しつつあります。市長やビジネスマン達が、自分達の町でこういう活動を見たならば、間違いなく皆さんを援助したい気持ちになるでしょう。皆さんは自分のやっていることを彼らに知らせなければならないのです。我々の小さな船はあらゆる目的に使用できます。例えば支援委員会という形で我々の船を提供し、沿岸警備隊の仕事を援助することもできます。このようにいろいろな社会奉仕活動のために船を提供することができます。こういうことを継続していけば、我々は本当の漁師つまり「天の海兵隊」のようなものを創り出すことになるでしょう。

我々は既に小さな船舶を持っているし、三十のセンターを間もなく設立します。それから販売網を確立します。ビジネスは教会の企画を援助することができるし、ビジネスを通して、皆さんは自らを支えることができます。我々は持っているものを全部活用するようになるのです。皆さんは自分の仕事をやりさえすれば良いのです。そして人々を連れて来て訓練し、皆さんの住んでいる社会を活気あるものにします。これが第一段階です。

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アメリカの水産業の窮状

それから我々は水産業に目を向けました。皆さんも知っているように、漁業はかつてアメリカの主要産業の一つでした。しかし、過去二十年から三十年の間に、それは少しずつ衰退の途をたどっています。そして現在、自らの力では再びはい上がれないような段階まで落ち込んでいます。一方、アメリカの漁場は、少なくなりつつあるのでしょうか。そういうことはありません。事実、アメリカには世界の四大漁場のうち三つまでがあります。

ある種の魚が減少しかかっているという問題はあります。しかし、利用できる種類はまだまだたくさんあり、それに味も良いのです。ただ問題なのは、市場であまり人気がないということです。しかしこの状態は変えることができます。政府はこういうことは知っているけれども、目下お手上げの状態に近いのです。特に漁師達が海に出て行きたくないと思っている場合にはそうです。ではどうしたら良いのでしょうか。我々はこの問題を簡単に分析することができます。どうして、漁師達はやる気がないのでしょうか。彼らは数日間海に出て、一生懸命働きます。しかし帰って来ても、それをほとんどお金に変えることができません。売る所がありません。市場で売れない魚の種類がたくさんあります。卸売業者は長い間それを利用してきました。もし売れなければ、釣った魚を海に捨てるしかないことを知っている卸売業者達は、非常に安い値段を漁師達に押しつけてきました。

水産業には安定した収入は保証されていません。漁師達は、ある時には十分な魚を捕ることができるけれども、そうでない場合も多いのです。だから漁師の数は限られています。誰もが漁師になれるわけではありません。それに海上での生活はとても厳しいのです。漁師達は一度漁師をやめると、決して再びその仕事には戻ってきません。他の仕事には就くけども、もう一度漁師になろうとはしません。あまりにも厳しすぎるからです。すでに五十パーセントに近い人々が漁師をやめました。彼らは再び戻ってくることはないでしょう。

水産業にはまた別の問題があります。それは妻達です。漁師達は一週間、二週間あるいは一カ月の間、ずっと漁に出ています。そしてこういうことが一年中続きます。多くの女性達が、一年の大半を一人で過ごさなければなりません。そういう生活に耐えきれなくなり去っていきます。このために漁師達はやる気をなくしてしまいます。漁に出て行く生活は厳しいけれども、家庭さえしっかりしていれば耐えることができます。

漁師達は一生懸命働いて魚を釣るけれども、、それが良い値段になるという保証はありません。漁の保管があまりよくないことや、市場にたくさんの魚が既にあふれているために、彼らの懐に入るものが何もないことさえあります。あるいはある種の魚は捕れても、それは市場では人気がなかったりします。あまりたくさんの魚の種類が知られていないアメリカにおいては特にそうです。それに市場の予想は全く不可能です。ある種の魚は捕れても、それが売れなかったりします。それと共に、海で働いている間、家族が待っていてくれるという確信が彼らにはありません。多くの男達にとって、それはあまりにも苛酷すぎるのです。

我々にとって、それを解決する方法は簡単です。これら三つの問題を乗り越えることができれば、皆さんはこの大変素晴らしいビジネスに加わることができます。誰でもそこまでは分かっているのですが、この三つの問題を乗り越えることができません。そこで考えてみなさい。我々が自分で船を造り、それから魚を釣る、そしてその魚をやはり自分達で加工して売ります。最後に残ったものを外国に輸出します。そうすればどんな魚を捕ろうとも直接売ることができます。もしこの点が解決されれば、我々のビジネスも成長することができます。魚を捕り尽くしてしまうのではないかと皆さんは心配するかも知れませんが、学者はこの点について研究しており、相当の数の魚が捕られても、種が絶滅することはないということを知っています。言い換えれば、皆さんがある量を捕ったとしても、魚の方は毎年毎年繁殖を続けることができるということです。まだたくさんの魚がいます。我々は漁、加工、販売そして輸出の面において一番になるんだという決意をしなければなりません。これが我々の功績になるでしょう。

皆さんもいつの日かこの分野でビジネスを始めることになるかも知れないけれども、まず最初にしなければならない事は海になじむことです。ビジネスはその次です。良いビジネスをするために要求される性相がまず第一です。皆さんは長い間、海に出ていません。一度も出たことがない人もいると思います。だから、たとえそのアイデアに同感し燃えているとしても、皆さんは海につにて知らなければなりません。それが実際どういうものであるかを知らねければなりません。それが海上七十日間の、この夏期訓練の目的です。先生は自らこの企画をか開拓し完成させてきましたが、皆さんが受け継ぐことができる基盤を造るのに七年もかかったことになります。今年は既にやり方の基準というものが確立しているので、皆さんはただそれを覚えて実践するだけで良いのです。それは情熱をかきたてると同時に、やりがいのある仕事です。先生はマグロ釣りに最も適した船をテザインすることによって、最初からこの企画を支援してきました。皆さんも知っているように、我々は最初「メイコ(Mako)」と呼ばれる、マグロ釣りに最も適した船だと市場で評価されている船を買いました。しかし先生はその船には多くの欠点があることにすぐ気づいて、根本的にテザインを直し、現在、人々が使っているよりもはるかに優れた船を開発しました。

マグロの役割

過去数年間のうおの値段は、信じられないほど低いものでした。時には漁師達は魚を海に捨てました。水産業を安定させるためには魚の値が上がる必要がありました。一ポンド十セントに過ぎなかった値段が上がっていったわけですが、その原因の一つを作ったのが我々だったのです。先生が五年前にここにやって来た頃、人々はそんなことを気にもかけず、ただ海に投げ捨てていました。考えられないことですね。毎年着実に値が上昇し、今年は二㌦五十セントまで上がりました。そして来年は一ポンド少なくとも三ドル五十セントにまでなるでしょう。我々は自分達の財源を使っているのであり、その額はもっともっと増えると思われます。これは困ったことなんですね。しかし、将来のためにそうしなければなりません。今、皆さんのやるべきことはマグロを捕ることです。それは皆さんにとって良い訓練です。しかしもっと重要なことは、それが漁師達のためになるというのです。

マグロの価値は寿司になります。皆さんは新鮮なものを配達しなければなりません。新鮮なものは配達する限り、それを拒む日本レストランは一軒もありません。彼らは最高の質の新鮮なマグロに対して、最高の値段を払うでしょう。日本人はマグロの価値が分かります。だから漁師達は新鮮なマグロに対して、それ相応の支払いを受けるべきです。先生が漁に出るまでは、漁師達はマグロから何の利益も得ていませんでしたが、それが今変わりつつあります。ここでマグロを扱っている会社は全部、その背後に日本の会社を持っています。つまり、本当の買い手は日本にいるということなのです。お金は彼らのポケツトから出ているのです。

もし我々が値段をつり上げれば、日本人達は日本へ戻らなければなりません。そして彼らは皆に「レバレンド・ムーンのせいで、値段があまりにも高くなったので、マグロを買うのを諦めなければならなかったんだ」と言うことになります。それから「レバレンド・ムーンはグロースターの全水産業を乗っ取ろうとしています」というニュースが、一夜のうちに日本全国に広がることになるでしょう。そういう心理的な影響を与えることになります。いずれにせよ、グロースターで何が行われているのかは日本人達には何も分かりません。

一ポンドにつき三ドル五十セントが、あるいはそれ以上の値段で魚を扱える限り、我々はそれを買ってそれを売ることになるでしょう。それから我々は基盤を造り始めることができます。分かりますか。マグロの値段が上がって安定すれば、他の魚の値段も上昇します。何年か前にはタラ・ニシンあるいはそういう種類の魚の一ポンドあたりの値段は、五十セントから六十セントに過ぎませんでした。その頃のマグロの値段もただ同然だったのです。しかし現在、マグロの値段が上昇しているので、これらの魚の値段も同様に上がるべきです。目下、我々は新鮮な冷凍ニシンに、一ポンドについて十セントしか払っていません。

マグロに起きたことと同じことが、これらの魚についても起きるはずです。これらの魚の値段を一ポンドにつき一ドル五十セントに引き上げた後、市場で売るようにしたらどうでしょうか。マグロを基準設定の道具として用いるのです。マグロの値段を安定化させることによって、普通の魚の値段が上昇することになります。そうすれば、どういう魚を捕ろうともそれは間違いなく消費されます。つまり、売るという確信を我々は持つことができます。このようにして、我々は基盤を下から上まで造り上げるのです。

「レバレンド・ムーンは魚の値段を上昇させ、市場を安定させ、我々の将来のために販売網を拡大していくれた。本当に我々のために貢献してくれたんだ」と、いつの日か漁師達が皆一斉にそう言うべきです。彼らは自分達の将来が明るきものになりつつあるということを知るべきです。

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出発の時は今

四年前、この家の隣は十四エーカーの土地を買ったのです、我々はこのあたりで最大の土地所有者の一人に入りました。だから人々は興奮しているのかも知れません。しかし我々は、何ら非難を受けるようなことはしていません。我々はここに海洋大学を創るつもりです。そして時は熟しています。アメリカは長い間それを必要としてきました。だから人々は何も文句は言えません。まあ、そのうち分かるでしょう。

先生の頭の中は、しなければならないことで一杯なのです。皆さんは先生の荷を軽くすることができますか。我々には造れない船というものはありません。鋼船の船、もう造りました。木船、それも既に造りました。ファイバー・グラスの船、それも既に造ったのです。皆さんの言うものなら何でも、数カ月あれば造ることができます。工場をたくさん造れば造るほど、それを運営する人がますますたくさん必要になってきます。それをするのは皆さんなのです。そのように皆さんは考え始めなければなりません。計画を立て、それを実行に移します。工場を買い、給料を支払い、うまく運営し、そして周りの誰よりも高い基準にそれを引き上げます。初めからそのようにするのは、皆さんには難しいかも知れないけれど、皆さんは決して失敗しません。皆さんのするべきことはひとえに、周りにいる人達を育てることです。特別の天才に手伝ってもらう必要はありません。皆さんのための基盤も既に備えられています。皆さんは何百人という人を連れて来る必要はありませんが、確かに何百万人という人を連れて来ることができます。二、三年たったら皆さんにもその方法が分かるでしょう。皆さんがもしやる気を失くさず、依然と何か心に引っ掛かるものがあって自らを投入しないとしたら、我々はこういう計画をすべて諦めるべきですか。最初のレベルまで戻って、二十年前にやっていたような伝道をするのですか。それとも先生はもう一度最初から、先生一人で始めなければならないのですか。

それでは誰が人を連れてくるのですか。今、皆さんは自分の家族の心配をしなくてはもよいと言っても、先生は何も皆さんを否定しているわけではありません。しばらくの間、先生と共に考えて欲しいのです。皆さんは祝福をされれば、家庭を始めてから一年以内に多くの人が子供を産みます。三年以内に多くの人が二人の子供を持つことになります。五年以内には、多くの人が三人の子供を持つようになります。そして多くの家庭が五人、つまり父母と二、三人の子供からなるようになります。皆さんは彼らをどうやって食べさせていくのですか。分かりますか。今、立ち上がって走り出さなければならないことが分かりますね。国全体の基盤について心配する必要はありません。自分のことをやるのです。ここ三年から五年のうちに、皆さんは走り始めるべきてす。それと同時に、先生は自分の責任分担を行います。皆さんが人々を連れて来れば、自分の家族のためだめでなく、将来の数多くの家庭のためにも基盤を築くことになります。この点が皆さんに分からなければなりません。。

一人、二人の子供だけならば、それほど変化もなくやっていけますが、子供が三人できたならば、いろいろ考えなければなりません。医療費、その他の出費が莫大なものとなります。子供を育てるにはお金がかかりますが、皆さんには養育する義務があります。皆さんは神学校を卒業しないからといって頭でっかちになり、苦労の多い仕事を避けるようになるならば、いずれ後悔することになります。

それでは先生が皆さんを追い出し「これは皆さんの領域だ。皆さんはそれと生死を共にしなければならない」と言うべきではありませんか。先生は、三十代の初めに過ぎない皆さんを急ぎ立てて、御旨をやらせるべきではないでしょうか。いい年齢ですね。十年たてば、もっと多くの若者達が教会にやって来て、皆さんに一体何をやったのかとたずねることになるでしょう。その時皆さんは何と言うのですか。「私は統一神学校を卒業したんだけれでも、荷が重すぎたので前線には出なかった」そう言うのですか。

先生の心はせき立てられているのです。ちゅうちょすればするほど皆さんの荷は重くなり、ついには全く身動きが取れなくなります。今最低の場所から活動を始めなさい。そしてそれに心を悩ませてはなりません。皆さんはその場をすぐに抜け出すことができます。先生の気持ちが分かりますか。どうして先生が、突然、ほとんど何の前ぶれもなく、皆さんをここに呼んだか分かりますか。どうして神学校卒業生を全員呼んだか分かりますか。皆さんには伝道の使命が与えられましたが、それが難しかったのですね。どこで皆さんは働くつもりなのですか。どういう地位を皆さんはこなせるのですか。それができないならば、一体皆さんには何ができるのですか。新しい分野を皆さんに与えようと先生は考えています。皆さんは今までと同じようにやっていたいのですか。今まで通りやっていれば、長い間座り続けていれば、皆さんは滅んでしまうでしょう。今まで皆さんは何の行動も起こしませんでした。そして数年が経過しました。皆さんはやろうとしたかも知れないけれど、何の改善も見られませんでした。

だから今残された道は、何か皆さんのできるのをやってみるということです。もし神学校に行かず、貴重な二年間を伝道に用いていたならば、皆さんは何人のメンバーを増やしていたでしょうか。今まで皆さんは上層階級の人達と付き合って来たけれども、他にもいろいろやることがあります。いずれにせよ、皆さんは神学校を卒業したのだから、その知識を何とか使わなければなりません。

新しい仕事をするように言われたならば、皆さんはそれに反対しますか。何をやろうとも全身全霊をそこに注ぎ、何らこの実績を上げるのだと決意していないのですか。我々の目的はここアメリカのみならず、宣教師のいる国々の基準をも高めることにあります。だから、我々のアイディアを何か実質的なもので支持しなければなりません。

先生は廃品回収のビジネスについて真剣に考えました。まず要らなくなった金属を集め、それを再生します。その後、同じことを紙とか他の製品でも行います。こういうものを再生するには大きな工場を作らなければなりません。しかし、この分野を調べていくにつれて、入り込むのが非常に難しいということが分かりました。マフィアが支配していたからです。不必要な犠牲を払わなければならなくなるので、それは良い考えとは言えませんでした。それよりももっと良いものを我々はすることができます。

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新しい出発

今日は十月一日、そして十月は成功の月です。今年どういう種子をまいたとしても、皆さんの運勢はこの月に開かれます。今日、この十月一日から皆さんは前進しますか。そしてあらゆる努力を惜しみませんか。キャンパスへ行って、カープと共に働きたいですか。それとも、誰も今やっていないことをやりたいですか。年を取って死ぬ前に、皆さんは何かをしなければなりません。今日はその出発にとって絶好の日かも知れません。

何年か前には我々は科学者会議を開いていませんでした。準備のできていた人は誰もいなかったのですが、先生はそれでもやらせました。もしそれをやっていなかったならば、今日の我々はどうなっていたでしょうか。我々は学者の世界から全く理解されないままでいたでしょう。それは全く惨めなことです。我々が持っているものを誰も認識しなかったでしょうし、理解しなかったでしょう。しかし今日多くの人達が我々のメッセージを研究し、そのある部分を理解することができます。統一教会のメンバーが、西洋世界の最高の学者を教育していることが広く知れ渡りました。人はそれを知るにつれて、我々を不思議な目で見るようになりました。それはまるで西洋文化の中に光を放っている稲妻のようなものです。

食口は科学者会議には参加していません。彼らはスタッフか、コーディネーターです。そこには科学のいろいろな分野の学者達が参加しています。その会議を通して学者達は我々のことを学びつつあります。それは、連鎖反応を引き起こしつつあります。ドイツでは十五の分野しか設けられていないのに、四百人以上の学者が応募して来ました。その会議のことを聞いたことすらない学者がまだたくさんいるようです。一度知れば、何千人という人達が来ようとするでしょう。しかし、若い教授達は諦めざるを得ないでしょう。有名な学者、つまり自分の分野で経験を積み、専門知識を身に付け、人々から認められている学者だけが参加を許されることになります。

もし先生が今後、科学者会議を中止したらどうなると思いますか。皆さんはそれを継続しますか。誰かがそれをやるのですか。昨年は会議の予算だけでも百三十万㌦でした。それは少ない額ですか。それとも多いですか。そういうお金で神学校卒業生に昼食を買おうとすれば、一年中、ロブスターの昼食を食べたとしても、それでもかなりのお金が残ります。たった一つの会議にそれだけのお金を使う代わりに、どうして先生は皆さんのためにそれを使わないでしょうか。皆さんに昼食を提供するよりも、科学者会議を開くことの方がもっと価値があるのでしょうか。皆さんはいつもお金が必要なんだけれども、一体何を皆さんは期待できるのですか。皆さんはお金を受け取るよりも与えることができる所へ行かなければなりません。そこからあらゆるものが増え広がっています。

枠組みはもうでき上がっています。我々は全ヨーロッパを統一することができます。それはもう見える形となって現れつつあります。我々は今、あらゆる科学者達を一つにまとめることができる道を備えつつあります。科学と技術はその目的をより深く理解することにより、正しい方向へ導くことができます。例えば先生はドイツなどの技術分野においてそれを示したいと思っています。ドイツの、特に機械製作分野において重要な役割を演じている人々と、先生は既に良い関係が結んであります。しかし、そこで基準がまだ確立されていないので、先生は次の世紀のために、それを開拓したいと思います。先生は東洋において技術分野の基準を向上さて、ドイツで既に確立されている基準をしのぐものにしたいのです。このようにして、韓国は日本が確立した基準よりも上を行くことができます。どうしてでしょうか。韓国が全アジアに、そして世界のためにもっと役に立つようになるためです。他の人達の基準よりも低いか、せいぜいそれに等しいくらいだったら、皆さんはその人達に何もしてやることができません。何としても偉大なものを提供し得る最高の質のものを何か持っていなければなりません。

先生は既に三年間、ヨーロッパで一生懸命働き、ロンドンを中心にすべてのメンバーを結集しました。彼らは一つの国から来たかのように、一緒になって働いています。そうあるべきなんですね。先生はあらゆるヨーロッパのメンバー達のマッチングをしてあげました。彼らを見ても、どれがフランス人で、どれがイタリア人なのか、ドイツ人なのか見分けがつきませんでした。実際それほど大きな違いはありません。

マッチングをした後で先生は驚きました。その九〇パーメントが国際マッチングでした。そのように計画したわけではありませ。ただ各人について最も良い組み合わせにしようとしていただけなのですが、ほとんどが異なる国の者同士でした。ほとんど完全に国際マッチングでした。欧州経済共同体(EEC)は一つの理想を持っていますが、彼らには三つの障害があります。それは言語の違い、国境、異質文化の人との結婚に人々が乗り気でないことの三つです。人々は満通、同じ民族あるいは同じ文化の人と結婚することになっています。しかし、結婚によってこれらの障害は崩壊します。現実を直視しましょう。これらの障壁がある限り、EECは美しい夢にしか過ぎません。実質的には何の結果ももたらさないでしょう。いつもどこかで摩擦と緊張が存在しています。彼らは自分達の理想をどうやって現実したら良いのか、皆目、見当がつかないでいます。しかし、レバレンド・ムーンはマッチングと結婚を通して、そして無私の生活をすることをメンバー達に教えることを通して、彼らの理想以上のものを実現する方法を彼らに示すことができます。現在、EECが抱えている最大の頭痛の種は、日本の技術です。日本人はすべてを彼らから学び、それを真似して消化して、つまり改善してしまいました。今、日本人はヨーロッパ人よりも先を走っています。これがヨーロッパ各国を悩ませているいるものです。先生は、ヨーロッパがもう一度日本の競争相手になれるようにしたいのです。先生はドイツで数人の人達に話してみましたが、全員がその考えに賛成しました。先生はこのことを既に十五年前に考えていました。つまり既にこの問題について理解し、その準備をして来ました。信じられないことですが、世界がこのようになるとは誰も考えませんでした。しかし先生は何年も前に、既にこのことを予言していました。

我々はドイツで最高の機械製作工場を建設することができます。すでにヨーロッパの食口達は日本の工場で働いています。そこからドイツでは、我々はあらゆる国籍の仕事を求めている人達を雇うことができます。これはEECの計画の一つでもあるので、我々も協力するのです。皆さんはこの世界のことを知る必要があります。この世界をひっくり返すためには、その中に入っていかなければなりません。いつも人よりずっと先生を見つめ、しかも大きな規模で物事を考えることです。人々はそのように考えることはあまりできません。ヨーロッパでの先生の計画に対して、多くの人達が困惑して頭をかいしている状態なのです。先生は既に、ここアメリカにおいても模範工場を始めました。

先生は自動車の再利用の方法について考えました。機械製作技術を身に着けさえすれば、皆さんはメルセデンスベンツなどのような車の使い古しを買ってそれを修理し、全く新しいものにすることがてきます。多くの人達がそういう質の良車を買いたいと思うでしょう。この国には富があり余っているので、お金を多く使うことが良いとされています。そして車を、例えば良い車であっても、何年も何年も維持しておくことは良いことではないとされています。しかしこういう浪費をする必要は全くないし、物を買ったり使用したりすることについての人々の一般の哲学は今変化しつつあります。

我々はエンジンを修理し、全く新しいものにすることがてきます。それを速やかに行う良い方法があり、先生はそれについて真剣に考えました。現在、人々は壊れたエンジンをシリンダーごとに修理しなければならないけれども、十万マイルごとにエンジンを修理する方法があり、この方法によればエンジンの寿命の限界がなくなります。エンジンは単に大きな鉄の塊です。それを修理して、新しいものよりもっと良く走るようにできないわけがありません。その技術さえあれば問題はありません。フォードが一年間に生産するよりも、さらに多くのエンジンを我々は修理することができます。しかも値段は新しいものの半分から三分の一です。これは従なる空想ではありません。我々はそういう企業をもう少しで完成させるという段階に来ています。もし漁船用の小さなエンジンが必要ならば、皆さんは新しいものを別に買う必要はありません。簡単に手に入る壊れたエンジンがたくさんあります。我々はそういうエンジンを修理して、それを船に備え付けます。そうして皆さんは船内モーターを持つことになります。費用はほとんどかかりません。あるエンジンはただ同然です。車体のないエンジンを人々はどうするのですか。彼らはそれをただ同然で売るのです。

我々はエンジンを再生させ、新しいエンジンを付けた時と同じように、船を走らせることができます。そうしてそういう船とエンジンをたくさんアフリカへ送ります。アフリカの国の中には、一隻の船さえ持たない所があります。しかし漁をする機会ははなはだ多いのです。先生がなぜ機械製作工場のことを考えたのか、その理由が皆さんは分かりますか。すべてが全世界に関係しています。皆さんもそういう思考方法を持たなければなりません。

皆さんはこれらの計画を実行に移し、運営していくことのできる能力を持っていますか。何がその準備をやってくれますか。科学者会議がそれをやります。彼らはEECやアメリカの経済が抱えている問題を良く知っているし、物事を実現させるために自らの計画を立て、政治家に影響を与えることもできます。基本的な科学観が全体的に作り直されなければならないし、科学の価値と応用についての理解も、全く新しい観点から見直される必要があります。こういう面についての誤解が長い間継続しています。

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成功の基礎を作ること

今年ニュー・ホープ号がマグロ釣りトーナメントで、一等賞を獲得したというのを皆さんは聞きましたか。皆さんはどう思いますか。モーニング・ガーデンにただ座って何もしないで、その賞を先生は勝ち取ったのでしょうか。違いますね。先生は毎朝、太陽が昇る前に出かけていきました。先生はマグロが食い付いてくることを知っていて、一日中釣りのラインをただ握っていただけでしょうか。そうやって他の誰よりも多くのマグロと一等賞を先生は獲得したのでしょうか。違います。そういうことはあり得ません。「今年はどうしてニュー・ホープ号が一等賞を獲得したのだろうか」と言った人は、今年は誰もいませんでした。そういう疑問を抱いた人はただの一人もいませんでした。なぜニューホープ号が一等賞を得たか全員が知っていたし、先生がそれを得た時、不平を言った人は誰もいませんでした。

先生はこの数年間、毎日とても真剣な気持ちで出かけました。そしてハンドラインの新しい技術を開発し、それを何度も何度もテストし、それが使えることを証明しました。実際それが最も良い方法だという点には疑いの余地がありません。だから今、他の人々にも同じ方法を使うように言うことができます。その指示に忠実に従った人達は誰よりも多くの魚を釣ったのです。

周りにいた人達は間違いなく感銘を受けており、皆奇跡が起きたのだと思いました。とにかく、多くの人達がやってきて質問をしたり、あたりを見回したりしていましたが、彼らは先生がこの面で専門的な技術を身に付けたことを知っています。そして先生の方法を知りたいと思う人達は船の中を秘かに調査して、何かを見つけ出そうとしていました。今、もうマグロ釣りセミナーをやると言ったならば、先生の方法に興味を持っているたくさんの人々が間違いなくやってきて、先生の言うことに耳を傾けるだろうということを先生は知っています。

先生は約十時間の講義内容を持っています。少なくとも十時間、先生はマグロ釣りについて講義できます。今、その講義を皆さんは聞きたいのですか。先生がそういう内容を知っており、そのような講義ができるということは疑いの余地がありませんが、時間がありませんので今日はそれをやりません。皆さん、がっかりしましたか。もしマグロが聞くことができれば、先生のセミナーに大変興味を示すでしょう。先生がやってみなかったことは何もありません。すべての漁師がやっていることもやりましたが、先生はそれよりも数段階上を行きました。もし何かやらないものがあったとしたら、それは仕事の成就とは関係ないからで、だから当然先生はそれをやりませんでした。しかし使えるものは何でも、仕事の成就に役立つものは何でも、先生はやってみました。やらなかったもの、やろうとしなかったものは何もないと先生は確信を持って言えます。多くの専門家達がやってきて、簡単に二本、三本、四本の魚を捕るというようなことはあり得ません。そういうことはありません。しかしここでは、以前に魚釣りをやったことのない人がやってきて、五本、六本、七本とマグロを捕ります。経験のない人がやってみて、シーズン全体を通して一本釣ることができれば、彼はとても運が良いのです。もちろん先生はそういうことを皆知っています。

最初魚釣りを始めた頃、先生は何週間もの間一本のマグロも釣れませんでした。その頃はもっと多くのマグロがいたし、多くの専門家達が先生の周りで釣り上げていました。その中で先生はたて続けに十五本のマグロを逃がしました。始めたばかりの頃はそうだったのです。最初は簡単ではなかったけれども、一旦要領を見だすと、次から次へと釣れるようになりました。先生が教えている現在、皆さんは経験したことがなくても釣ることができます。五年前には、マグロは一ポンドたったの五セントでした。我々がマグロの値段を徐々に上昇させる働きをしています。我々は儲けてはいません。まだですね。今のところむしろ損をしています。今年、その値段が二ドル五十セントに上がりました。つまり大きなマグロを釣れば、約二千ドル稼ぐことができます。今年何隻の船がやってきたか、皆さんも実際に見るべきでした。何百隻とやってきました。来年は値段が少なくとも三ドル五十セントに上がることを我々は期待しています。つまり一本のマグロで三千ドル以上になります。そのため何隻の船がやってくるか、皆さんは想像できますか。一本のマグロを釣れば、十五頭の牝牛以上のお金になります。だから一つの釣り糸に十五頭の牝牛です。普通の魚釣りではありません。

いつの日か女性が一人でマグロを釣る日が来ることを先生は期待しています。今の所、女性も少なくとも二人いればマグロを釣ることができます。先生は女性達が男性達に交じって魚釣りをする日が来るのを、本当に待ち望んでいます。女性の皆さん、皆さんは女性だからこういうことには関心がないんですね。(あります)分かりました。それでは女性達にも船をあてがうことにしましょう。

三本のマグロを釣れば大体一万ドルになります。これは一つの家族の食事代を一年間賄うことができます。そういうお金を得るために何隻の船がやってきて競争すると思いますか。誰が最も反映しますか。グロースターのような町です。釣れる魚の数は変わらないのだけれども、十倍もの数の船がやってきます。漁師達はその小さな田舎町でお金を使うことになります。一方、マグロの値段が上がれば、当然彼らの利益になります。

今年、我々は百六十五本のマグロを釣りました。信じられない程です。昨年に比べれば百五十パーセントの増加です。昨年、我々は六十四本のマグロを釣りましたが、その当時としては物すごい数でした。しかし今年はそれよりも百本も多かったのです。来年、我々は五百か六百のマグロを捕ることができます。しかもそれは割当数の三分の一にしかなりません。それを達成した時のことを考えてみなさい。また割当の半分を達成した時のことも考えてみなさい。いつの日かそれができます。そう先生は確信しています。

結果を得るために自らを投入する

先生が以前、山で猟をしていた頃の評判はたいしたものだったのです。どんな人と比べても先生が良くできました。しかしそれまで銃を使ったことがなかったので、まず最初は粘土の標的で練習しました。そしてすぐに二十五の標的のうち十八を射ち落とせるようになりました。これはかなり良い成績です。先生は反射能力に優れています。まあ、最初猟に行った時、朴大佐を連れて行きました。朴大佐は長い間、韓国陸軍で働いており、数年間ライフルの教官をやったことがあります。しかし、先生のほうが彼よりも良い成績を上げました。先生のことを有能な人間だと皆さんは思いますか。先生に従って来る気持ちが本当にあるならば、皆さんも先生のようになるべきです。少なくとも先生を真似しなければなりません。そして自分の実力をある程度は示さなければなりません。もう一度、皆さんに聞きますが、皆さんはチャンピオンですか、それとも自分のことをチャンピオンになる候補者だと思っているのですか。皆さんは人がどうしても必要なのです。ただじっと座っていて、人々が皆さんの所へやって来ることに期待を持っているのですか。皆さんは何をすべきですか。

死んだふりをします。そうすると誰か皆さんの近くを通りかかった時、同情してくれるでしょう。皆さんは何かを始めなければなりません。何かが起きるきっかけを作らなければなりません。鼻で何の臭いをかぎますか。耳で何を聞くのですか。手で何に触れるのですか。とにかく皆さんは何をするのですか。皆さんは人類のために臭いをかぎ、人類のために聞き、人類のために触れなければなりません。

皆さんはクモの巣を見たことがあるでしょう。先生はクモの巣、特に鬼グモの巣に魅せられました。普通皆さんは、巣にクモが見当たらなければ、それは死んだクモの巣と考えるでしょう。しかし、その巣に何かを投げ付け、それ引っ掛かるとすぐにクモが現れます。必ず現れて来るのです。皆さんは自分のクモの巣を持っていますか。もし何かが引っ掛かって来たならば、何だろうと思って皆さんは出て来ますか。物事に対するそういう感受性を持っていますか。もし持っていなければ、皆さんはクモのレベルまでも達していないということになります。クモは新しい場所に移動したならばすぐに巣を、つまりネット・ワークを張り巡らし始めます。

クモは巣を正確に作らなければなりません。感覚と感覚の間を正確に移動しなければなりません。そうすることによって糸が連結されて巣になります。それをクモは何千回と行います。全く巣作りの専門家ですね。それについて考える必要すらありません。嘘だと思うならば、クモの巣のある所に行って、どうやって巣を作っているか観察してみればよいでしょう。先生は何度も実験してみたのです。蝿や昆虫を投げて様子を見ました。最初クモがやることは、その虫を巣の中で包み込むことでした。それが何であるかを調べる前にそうします。それからしげしげとそれを見つめてから食べ始めます。皆さんも同じように、正確に物事をなすべきです。巣を作って、それに何かが触れたならば、出て行って真っ先にそれを捕まえます。それから見て、何を捕まえたのかを判断します。一旦巣に掛かったならば、昼食を取りに行ったり床に付いたりしてはなりません。例えば、もし誰かが皆さんの話を聞きに来たいならば「もう十二時だから、今日の所は休んで、それについては明日話しましょう」などと言ってはなりません。一晩中起きていて彼と話さなければなりません。その人が皆さんの言うことを理解できるならば少しばかり休息を取っていいけれども、彼がメンバーになるまでは続行しなければなりません。

分かりますか。クモの考えることすら考えられなければ、皆さんは一体何になれるのですか。皆さんは人材が必要ですが、その他に何が必要ですか。皆さんにはお金が必要です。しかし人材がいれば、お金も持つことになります。最初にお金を持ったとしても、人が皆さんに従って来るとは必ずしも言えません。しかし最初に人材を持てば、お金は間違いなくついて来ます。

今、行動を起こすことを決意したとして、どの方法を皆さんは用いるつもりですか。タイガー・朴の方法に従うつもりですか。それともドクター・ダーストの方法ですか。どうしてタイガー・朴だと言うのですか。皆さんはアメリカ人です。不思議ですね。先生はタイガー・朴を個人的に訓練し、彼は彼で闘魂を、チャンピオン・シップ精神を開拓しました。カープ(全大原研)でない者、手を挙げなさい。皆さんはカープのメンバーでなくても、カープに関心を持っていますか。では今からカープに入ったらどうですか。先生は変装して、キャンパス内を直接見て回るかも知れません。先生だと分かっても騒いではいけません。ただ続けるのです。このように先生がキャンパスにやって来るのを皆さんはみたいのですか。そのようにして現れたとしても、皆さんには先生が絶対に分からないでしょう。

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先生は議員と良い友達になる方法を知っています。他の人がやるような普通のやり方ではいけません。他の人々がやるような当り前のやり方ではいけません。直接行って、戸を開け「あなたに話がある」と言います。彼は驚いてどういう人なのか調べにやってきます。そこで皆さんはどうしてやってきたのか、どうして話したいと思ったのかを彼に言います。皆さんには重要で緊急を要するメッセージがあります。もし秘書が邪魔をしようとしたら、それに対して怒鳴りつければ良いのです。皆さんは短い時間内に彼らと友人になれなければなりません。

一度、先生はある人を何度も何度も訪問したことがあります。その人は何度も何度も先生のことを嫌いだと言いました。それでも先生は、彼が考えを変えて先生を好きになるまで訪問し続けました。何回、その人を訪問したと思いますか。先生は一年と六カ月間、彼を訪問しました。何度も何度も訪問しました。最後には彼の家族全員が先生の来るのを待ち望むようになりました。

チャンピオンが必要ならば、皆さんの方から出かけていって見つけ出さなければなりません。もし先生が州の責任者ならば一週間その州全体を回り続けるでしょう。皆さんは始終動き回っていなければなりません。皆さんはいつもそうでなければなりません。その後で始めて何かを期待することができます。いつも動き回っていなければなりません。出かけていって人を訪問し、それからその人達を招待します。そういうことがいつもなされていないといけません。

皆さんは路傍伝道したことがありますか。路上で自分がどういう顔をしているか、皆さんは知っていますか。自分がどういう姿をしているか知っていますか。皆さんは自分のことをもっと知る必要があります。自分の顔あるいは性格が人を引きつけるものであるかどうか、知る必要があります。もし黙って座っていたならば、人々は皆さんが半分居眠りしていると思うでしょう。目を覚ましているのだということを人々に知らせるためにも、皆さんは目玉の動かし方も研究しなければなりません。目は敏速に動く必要があります。動作が伴えばさらに良いでしょう。ただじっと座っているだけでは駄目です。皆さんの体は目の動きに合わせて活動していなければなりません。これが自分の外見を改善する基本的な方法の一つです。

そうすれば人々は皆さんが活気に満ちていると思います。先生は十代の時、友人を演台の代わりに使って、即席で演説する事がありました。何人かの友人達も先生がやっていることを知ってついてきました。彼らはそういうことをする先生が好きだったのです。演説が終わったら一人やってきて「もう一つ演説するつもりなんだろう。それなら私の肩の上に乗るといい」と言いました。彼らは何とも思わなかったのです。何でも自然に物事を行えば許されるのです。

皆さんが州の責任者で、ある素晴らしい女性を見つけたとすると、皆さんはその女性の背中に立つことさえ許されます。皆さんがとても誠実で、しかも不自然でなければ彼女は何とも思わないでしょう。間違いなく人々は皆さんの演説を聞くために立ち止まります。ある人々は近づいてきて、皆さんが女性を酷使していることについて抗議するかもしれませんが、皆さんは「あなたは私がやっているのと同じことをやれると思いますか。それならやってみるとよい。もしできるならばあなたは何のために抗議していることになりますか」と言うことができます。人の注意を引く必要に迫られているならば、そういうこともできなければなりません。先生にはあらゆる種類の友人がいます。どこに行こうとも先生には友人がいました。実際あまりにもたくさん友人がいて、彼らは先生についてくると言い張ったのですが、先生は忙しすぎて、誰とでも友人になるわけにはいかなったのです。そのようにして先生は日々を過ごしました。だからこそ、どういう事情があろうとも神様の御旨をなすためにできないことはないということを、先生は知っています。自分自身の物語、自分自身の小説を作ってそれを演じ、そしてその小説の中で英雄になります。自分のシナリオに従って、実生活の中でそのドラマを演じます。それが人生だと考えます。どういう行動をするかも推測してみます。皆さんがある行動をどのように行って、それに対して他の人達がどのように反応するか、それからその後、皆さんがどうするのか。それを計画し実行します。先生はそういう精神を持っています。だからアメリカへ来て最高責任者の中の何人かを訪問することができます。

先生がやらなければならないことを想像してください。アフリカに行けば先生はじっとしてはいません。それは悪いことではありません。先生は物事をかき回します。そして先生が行く国には何か良いものがやってきます。皆さんはどうなのですか。皆さんは何軒の店を将来持ちたいですか。もし、百軒の店を持ちたいのであれば、その店を運営できる人をその店の数に相当する人数分だけ少しでも育てなければなりません。そうすれば皆さんは全体の運営が行えます。食口達は今、ビジネスをたくさん行っています。先生は、一つひとつのビジネスを自分で運営するならば、必ずそれを成功させることができるということを知っています。失敗するはずがないのです。以前ビジネスをやったことがなく、今やりながら勉強している食口は、最初のうちはある程度損をするものだということも、先生は分かります。それは理解できますね。最初の二、三年はそうでしょうが、早くそれを覚えて成功させなければなりません。

もし先生が講師をやるとすれば人々はやってくると思いますか。皆さんは先生が彼らを説得し、彼らの心を感動させることができると思いますか。「お父様、それは良い考えです。どうしてそうしないのですか」と皆さんは独り言を言うかもしれません。どうして先生にはそれができないのでしょうか。皆さんはその理由を知っています。それが誰の責任分担であるか、皆さんは知っています。先生はそういうことはずっと以前に既に経験しています。先生は今も皆さんに教えていますが、どのようにしたらそれを成し遂げることができるかについては、既に皆さんに教えたはずです。晩餐会を開き、毎日毎日、人々を訪問するのが誰の責任分担であるか、皆さんは知っています。皆さんは前進し、心の底からこれらのことを行うのです。熱心に各家庭を訪問し、そこの人達の面倒を見ます。そうすれば彼らは心を動かされます。州の責任者が一日中、部屋に閉じこもっていることができるなどとは、先生には理解できないことです。神学校を卒業した姉妹達も同じです。ただじっと座って人々が皆さんを招待するのを待っていてはなりません。立ち上がって出かけていき、平静さと魅力でもって招待してもらわなければなりません。

皆さんは人を追いかけていかなければなりません。いつも小者ばかり追いかけていては駄目です。摂理を早く進めるためには大物をつかまなければなりません。皆さんは有名になりたいですか。ただじっと座っていることができますか。もし他の人達と同じような生活を送っているならば、皆さんは絶対に有名にはなれません。違った生活をして他の人達よりもっと偉大にならなければなりません。どんな人よりもより多くのことをし、より多くの努力を払わなければなりません。

皆さんは統一教会のチャンピオンですか、それとも統一教会のメンバーですか。自分の手、足、腕全部を利用しないチャンピオンなんていません。先生は皆さんが変わるのを待ち望んでいます。皆さんは神学校を卒業しました。一体いつ、皆さんは変わるのですか。皆さんが今までとは違った自分になるには、あと何年かかりますか。いつ皆さんは違う人間になるのですか。これは重要な質問です。最初に自分から何かをやることなしに、ただ高い地位に置かれることを期待しているだけならば、皆さんはサギ師です。

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人々を一カ所に集めるにはいろいろな方法があります。例えば、ハイキングとかランニングとか音楽など、先生は皆さんに、一緒にいる人を楽しくさせる人間になって欲しいと思います。石木のように、無表情で不活発ではいけません。あらゆるものに関心を持ち、簡単に興奮するような人でなければ駄目です。そうなればすぐに人々とうまく付き合えるようになります。先生がそうなのです。先生は心から楽しむことができます。だから先生といると興奮してきます。先生は決して皆さんを退屈させることはありません。

山登りをすることがあれば、先生は誰よりも速く登ります。皆さんと一緒に運動場に出るならば先生はどんな人よりも以上走ったり、跳んだりします。先生はあらゆるものに好奇心を持ち、熱狂的にあらゆるものを学ぼうとします。誰かと友達になりたければ、皆さんはその人と同じ分野で活発に行動をしなければなりません。もし皆さんに何も秀でたものがなければ、外へ行って誰かに喧嘩を売った方が家の中にじっと座って、何もしないでいるよりもずっと良いのです。少なくとも皆さんは何かをやっているし、そこから何かを学ぶことができます。

皆さんは人から殴られることもあります。そういうことがないと、人生というものが理解できないのです。それに人に殴られるのもそれほど悪いものではありません。殴られることによって、それがどういうものかを味わうことができるし、頭を使わせられるので、人生において物事を早く判断できる人間になります。ある状況下では皆さんは敏速に物を考え、即座に何かの行動をとれるようでなければなりません。それがチャンピオンです。チャンピオンはどういう状況の下でもとても活動的で、物事を極めて速やかに決定できなければなりません。またチャンピオンは前進すべきか、後退すべきかを知り、それを行動に移さなければなりません。

先生は六十歳を超えましたが、何かを話したり、興奮したりしている時は、誰も先生がそのような年だとは思いません。先生は二十歳みたいです。そしてそれはとても素晴らしいことです。皆さんはチャンピオンにならなければなりません。皆さんが優しくなりつつあるならば、初めは荒々しくなって、それから後に優しくならなければなりません。人生のあらゆる面を経験するのです。皆さんは人材が必要です。そうですね。どういう人が必要ですか。神様は皆さんのことを心配され「この人達が伝道に出ていくならば、自分と同じタイプの人しか連れてこないのではないか」と考えておられるかもしれません。神様はその人が皆さんの手中に陥らないように守ろうとされるかもしれません。ただ座って何もしない人を、神様はこれ以上求めてはおられないのです。皆さんは神学校を卒業して、修士の資格を持っています。もし誰かが近づいてきて皆さんに怒鳴りつけても怒鳴り返さなければどうなりますか。皆さんはただそこに座ってそれを黙って聞いています。皆さんは海へ出ていくつもりならば、夏の間そこでどういうことが行われるか、まず知っておくべきです。漁師達は絶えず喧嘩をしています。釣り糸が絡まって、船同士がぶつかりそうになるという緊張した瞬間が訪れます。その時皆さんは叫び声を上げ、非常に激しい言葉さえも使わなければなりません。そういう場合には、皆さんは自分の権利を守る必要があるのですから、叫び声を上げたとしても何も悪いことではありません。

何か尋常でないことが起こりつつある時、真っ先に叫び声を上げるのは先生です。もし相手が叫び返してきたら、先生はもっと大きな声で叫び返します。先生の方が正しいのだから彼らも耳を傾けざるを得ません。ニューホープ号の他のメンバー達、例えば大貫などはそんな大声を張り上げないのです。しかしある場合には、大声を張り上げて義を通した方が遥かにいい時もあります。山上では皆さんが大声を上げれば、少なくとも山彦が返ってきます。しかし、ある人達は山がすることすらやらないで、黙ってそこに座ったままでいます。山は自然です。人間も自然でなければなりません。岩ですら力には力で答えてきます。皆さんは岩とか、木材よりも優れているのではないですか。先生は一度、一晩中眠れない経験をしたことがあります。太陽が登るのすら待ち切れなくて、それが昇るや否なある人の家へ行って、戸を押し開け「私達はこの問題を今すぐに話し合う必要がある」と言いました。まあ先生は職業柄こういうことは普通ならやりません。しかし先生は心に何か引っ掛かるものがあり、しかも先生の方が正しいという確信があれば、それについて何かしないわけにはいきません。時には先生は宗教指導者であることを悲しく思う時があります。先生は攻撃的性格ですが、神様のために忍耐しなければなりません。しかし、時々先生は「どうして私は宗教指導者にならなければならなかったのだろう」と自問することさえありました。

先生にとって誰もがただ座って一日に三度、一年に三百六十五日間食事をし、しかも何もやらないといことが不思議でなりません。「彼は、あるいは彼女は一体どういう人なんだろう」と先生はただ不思議に思います。しかし先生が呼べば、彼らは問題なくここに来ます。それほど速やかに応じて会合にやってくる彼らが、どうして同じ熱意で外へ行き、人々と接触しないのだろうかと先生は不思議に思います。

他人の尊敬と友情を勝ち取ろう

では皆さんは何が必要なのですか。人ですか。それとも金ですか。皆さんには人が必要です。「ああ、余り何もやりたくない。ここにじっと座って子供が生まれるのを祈願していよう」と考えているのですか。そのように考えたことがありますか。皆さんは配偶者探しに出かけなければならないとまず考えるべきでしょう。それから考えられないほどの陣痛の苦しみを経験しなければなりません。その後、赤ん坊がよく泣くので皆さんは疲れ果ててしまうでしょう。皆さんは世界を抱擁しょうとしているんだということをまず考えなさい。それは一飲みで大きな魚を飲み込もうとしているようなものです。その魚は皆さんの胃袋に留まっているでしょうか。皆さんはそれを消化する力も持っていますか。まず第一に皆さんは決意しなければなりません。それから何度も何度も挑戦してみることです。人を復帰するつもちならば、自らを全部投入しなければなりません。その人を昼食に誘い、それからまた夕食にも誘うのです。そしてそれを次の日も繰り返します。そのように毎日毎日その人の面倒を見ます。とにかくそれをやってみるんですね。友達になることです。

お金がなくなったら、資金づりの方法をその友人達に教えることができます。皆さんが三十分間で夕食代と映画代を儲けることができると知ったら、彼らは感銘を受けるでしょう。何もできないことはありません。どんな時でも、そしてほとんどどんなことでもできなければなりません。それが本当の人生を送る秘訣なのです。一人の男と一人の女がいたとして、その男が女に「ここにいなさい。昼食代を作ってくるから」と言ったとします。そして実際に彼が出かけていって十分間でそのお金を作ってきたら、その女性は心から感激するでしょう。

昼食代を得ようとしていた時、路上に一人の紳士が立っていたとします。最初、彼は皆さんのことを不審がるかもしれませんが、皆さんは微笑んで次のように話しかけます。「あなたは恋をしたことがありますか」と。彼は皆さんを見つめ、恋をしていた頃のことを思い出します。それから皆さんは彼に「もし彼女を昼食に誘わねばならないのに、そのお金を持っていなかったならば、あなただったらどうしましたか」と質問します。このやり方で皆さんの事情が理解できれば、彼は喜んでその金を出すでしょう。一つだけ確かなことは、そのような積極的な若者が先生に近づいてきたならば、先生は喜んで百ドル札を上げるということです。もしその女性がこれらのことに批判的であるならば、彼女はその若者に相応しくないということになります。彼は彼女と分かれ、すぐに別の人を見つけるべきです。

いろいろなやり方があると思います。たくさんあります。皆さんは予行演習なしに即座で芝居ができるようでなければなりません。皆さんが誠実ならば、全く知らない人の所へ行って「ああ、あなたは私の妹みたいだ。あなたといると、家で妹と一緒にいるような気がします」と言うことができます。皆さんが本当に誠実ならば、彼女は恋に思わないし、皆さんの言うことに耳を傾けるでしょう。自分はドラマの中に今いるんだといつでも考えなければなりません。その瞬間に皆さんは俳優です。ちっんとした重大な理由がありさえすれば、皆さんにできないことはありません。

立派な考えさえ持っていれば、皆さんはほとんど何でもすることができます。皆さんの考えが皆さんの行動を導いてくれます。この世にはいろいろな生き方がありますが、先生が知らないことはほとんどありません。あまり外には現さないけれども、先生はとてもたくさんのことを知っています。もし歌が上手ならば、皆さんは町の真ん中で歌うこともできます。皆さんが上手ならば、いつかは誰かが関心を持つようになります。ある人がやってきて皆さんの歌に耳を傾けるでしょう。その人も秘かにそういう事をやりたいと思っていたのだけれども、今まで一人ではできなかったのです。それからその人は皆さんと一緒に歌い始めるでしょう。

しばらく経ってからその人は皆さんに親しみを感じるようになり、どこに住んでいるのかと尋ねるようになります。皆さんは自分の住んでいる所を教えてもいいけれど、その人には何も尋ねてはいけません。するとその人は「帰宅の途中でも私の家に寄りませんか」と言うようになります。最初から皆さんが期待していたのはそれだったのです。だからその招待を受けます。三、四時間も経てば夕食の時間になります。辞退する必要はありません。そのようにして皆さんは人々と友達になることができます。

腹が立つのは皆さんが全くお利口さんだということです。人生は石垣のように、ただじっと座っているものではありません。皆さんは親友達とは冗談を言い合うけれども、その冗談を全く知らない人にまでも広げなければなりません。皆さんは親友達とはいつも冗談を言い合っているけれども、もし多くの人々に一緒に働いて欲しいと思うならば、精いっぱい努力して新しい親友を作らなければなりません。もし市長に会いたいならば、必ずしもアポイントメントを取る必要はありません。二、三日、市役所の前で彼が出てくつのを待てばいいのです。そして時が来たら彼の所へ歩み寄って「あなたが市長さんですか。あなたは私より立派な人ではありませんね。それにあなたは私ほどハンサムでもない」と言うのです。皆さんは彼よりももっと頭がいいんだということを言います。そうすると彼は立腹して「一体、君は私が知らないもので何か知っているものがあるのか」と聞いてきます。それから皆さんは急いで質問します。「神様を見たことがありますか。私がお世話しましょう。あなたは神様を見ることができます」あるいはキャラメルとかキャンデーを持って行って、それを彼に与えることができます。もし拒むようなことがあれば、アメリカにおいてすら、それは無礼なことです。だから皆さんは「あなたは有能は市長ではない」と言うことができます。彼が年上の人だったら「私がいつの日かあなたの義理の息子になるかもしれません。そうならないとどうして言えるでしょうか」と彼に言えばよいのです。そういえば彼の注意を引くかもしれません。いずれにせよ、皆さんや彼の未来がどうなるか誰にも分からないのですから、そう言ってもいいんですね。もし彼が皆さんを気違いのように扱えば、そのために腹が立ったことを彼に率直に伝えればいいのです。

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チャンピオンを作る

さあ始めましょう。皆さんが今必要なものは何でしょうか。そして皆さんが最も必要なものは何でしょうか。人が必要なのでしょうか、それとも金が必要なのでしょうか。どちらがより必要でしょうか。人ですか、それとも金ですか(人です)。そうですね。私達は人材を必要としています。さて、どんな人でも仕事ができるでしょうか。あらゆる種類の人間がいます。教えることのできる人とか、技術面で才能のある人とか、海を航海することができる人などがいます。あらゆる種類の人達がいます。どういう人が必要ですか。船乗りになるのが皆さんは好きかもしれないけれども、いろいろな種類の船乗りがいます。

先生は皆さんを船乗りにするために神学校に送ったのではありません。先生の目的は皆さんを船乗りにすることではありませんでした。先生が欲しいのは、また教会の誰もが望んでいるのは、霊的面を優先し、他の人々に仕えることのできる人です。そういう人は与えられたどのような責任分担においても、正常に、そして正しく使命を果たすことができます。我々は、霊界を代表しこの地上で原理にのっとって喜んで働くことのできる人を必要としています。

その人はどういう人でしょうか。その人は、サタン世界に関係している人々を喜びをもって引き上げ、神様の道に従わせることのできる人です。我々はそういうことができるチャンピオンを必要としています。チャンピオンを作り出すためには、そのためのチャンピオンが必要です。例えば、体育館があり、そこにコーチとかトレーナーがいて、彼の下で訓練を受けるために若者達が集まってきます。コーチは彼らを十分に訓練した後、コンテストに送り出します。彼らが競技に勝てば、あるいは選手権タイトルを勝ち取れば、トロフィーを体育館に持ち帰ることができます。体育館にいる時、そのチャンピオンはいつも練習して、いつも戦っています。このようにして彼は自分を磨いています。

訓練を受ける人がいなければ、彼はその人達を募集しなければなりません。誰が募集するのですか。そのチャンピオンが募集しなければなりません。彼の代わりにそれをやってくれる管理責任者はいないでしょうか。いません。ということは他の人達を連れてきてその中からチャンピオンを作ろうとする以前に、皆さん自身がチャンピオンにならなければならないということになります。皆さんが体育館を持っていなければならないし、皆さん自身が定期的に訓練することのできる十分な技術を身に着けていなければなりません。人々を集め、その人達と何か行う前に、皆さん自身がそういう能力を身につけていなければなりません。

人を訓練する時には、皆さんも相手の目を見て戦わなければなりません。もし相手が皆さんの目を真っ直ぐに見ることができなければ、真っ直ぐに見て、目をそらしてはならないことを彼らに教えなければなりません。手や足の正しい用い方も彼らに示さなければなりません。時には彼らを殴り、はっきりとどうすべきかの模範を示す必要があります。チャンピオンは絶えず一つひとつの動作についてどうすべきか、相手に示します。どんな小さなことについても、決して彼らをほったらかしにしません。

このようにして皆さんは何人訓練したことがありますか。お金よりももっと人が必要だというならば、皆さんはそのような人を育て上げなければなりません。皆さんの所に人々を連れてきて「彼らは既に訓練を受けています。どうぞ使ってください」などという人は誰もいません。皆さんが彼らを訓練しなければなりません。しかし皆さんは人を訓練する前に、自らがそれを全部こなすことができなければなりません。皆さんは自分の力で一つひとつやり遂げなければなりません。皆さんにとってそれは必死なことです。誰かを必要とするならば、皆さん自身がはっきりしていなければなりません。誰でもいいというわけにはいきません。適切な人を見つけ「そうだ、彼が必要なのだ。この人が必要なのだ」と言います。それから皆さんはその人のために最善を尽くすように努力しなければなりません。彼のことを考え、彼のために祈り、彼を復帰するために皆さんはあらゆることをしなければなりません。つまり彼を訪問し、彼と共に一生懸命働かなければなりません。彼の周りにいる人達は皆さんに反対するでしょうが、それでも皆さんは何度も何度も彼を訪問しなければなりません。皆さんは心からその人を復帰する決意をし、諦めてはいけません。

一方的な愛というのを聞いたことがありますか。皆さんはそれを片想いと言います。一旦決意したならば、他の人達がどう思おうと関係ありません。重要なことは、皆さんが彼らのことをどう思うかです。皆さんはその人達の所へ行って仕えます。そして彼らが皆さんに反対し、迫害し、殴って血を流させるようなことをしたとしても、それでも皆さんは諦めてはなりません。反対に皆さんはそのことにより刺激され、もっと熱心にその人に仕えるようになります。そうする頃にはもはや限界などというものはなくなっており、その人は「他の人々からこれほどまでに注目されているとは、一体自分は何者なのだろうか」と考えるようになります。

皆さんの周りにたくさんの人々がいたら、どの人がその中で最高の人か、よく見回して観察するんですね。皆さんが神の側へ復帰したいと思う最高の男性、あるいは女性がどの人かを決定しなさい。次に、決めた以上は絶対に逃がさないという決意をしなさい。そしてその人の心情を勝ち取るまで働き続け、かつ祈り続けなさい。それから、その人をよく知るようなってから、皆さんは自分の心を打ち明けるのです。この国が衰退しつつあることは、またその傾向をくい止め、この国を立ち直らせたいと思う人に自分は会いたいのだということをその人に伝えなさい。その人が皆さんの考えに同意したならば、一緒に働いてくれないかとその人に頼むことができます。

最初から原理について話す必要はありません。その人はすぐには原理に興味を示さないかもしれません。例えば、ある人が格闘技を得意とし、それを誇りに思っていれば、そして皆さん自身少し筋肉に自信があれば、その人の所へ行って二、三教えてくれるように頼みます。そうやって彼から幾つか学ぶことができます。もし皆さんがあることに興味を持っており、その人がその分野である程度才能を持っていれば、そのようにして彼に接近することができます。最初は彼から何かを学ぶことができます。

皆さんの関係が発展し、さらに互いに信頼しあうようになれば「筋肉はまあそんなところでしょうが、その筋肉を正しく使うためには、君は頭を使わなければいけない。賢くなければならない。しかし、君は頭でこうしなければならないと思っても、体が必ずしも動いてくれない場合があるのではないですか」と彼に言うことができます。どのように闘うべきか、またなぜそうしなければならないか等、そこで自分の意見を述べるのです。そういう会話の中でも原理は説明できます。一つだけ避けるべき点は自分自身に限界を課することです。「私は歌えない。それは私の一番やりたくないことです」などというようなことは絶対に言うべきではありません。「一番やりたくないもの」などというものはないのです。皆さんは何でもやってみるべきです。

最初からそれでは滑稽ですね。極端なことをやってみます。つまりできないと思うことをやってみます。誰もが予想だにしなかったことを何かやってみます。そうすれば人々は皆さんのことに気が付き、耳を傾け始めます。先生はこういうことを長い間研究し、また実践もしてきました。先生にも限界があるのだけれどそれを乗り越えてやってきました。皆さんも同様に自分の限界を乗り越えなければなりません。何が先生の限界でしょうか。先生は統一教会の指導者です。だからやり方は知っていてもやれないことがたくさんあります。先生はとてもたくさんの分野で専門家だけれども、それを必ずしもできるとは限らないのです。

とても単純なことだけれどもリングの上のチャンピオンになるには、皆さんは自らを訓練しなければなりません。何を訓練するのですか。ただ一つのことではなく、いろいろな技術を訓練します。何百という方法があります。頭の動かし方、手の動かし方にもいろいろなやり方があります。例えば、頭を低くして拳を上に上げる場合もあります。皆さんが真剣であり、そしてもし闘わなければならないならば、つまり本当に闘う必要があるならば何とかできるものです。頭や手や尻を使っても良いのです。もし皆さんが真剣なファイターであり、追い込まれるようなことにでもなれば、そういうものも使わなければならなくなります。皆さんはチャンピオンですか、それとも傍観者ですか。チャンピオンならばどういうチャンピオンですか。他のどんな人よりもより多くの関心を持ち、より多くの動き方を身に付けた人が最強のファイターになる人です。そのようにしてチャンピオンは作られます。皆さんは心も体もすべて完全に投入しなければなりません。

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マッチングと祝福を通しての統一

韓国人と約婚したアメリカ人は、とても興味深い人生を送ることになります。特に彼らの子孫達はユニークです。それは全く新しい種族と言ってもいいくらいです。皆さんの中で、そういう人はどれくらいいますか。いつ結婚式を挙げて欲しいのですか。今たくさんのカップルが待っていますが、もし全員を今すぐに祝福するとすれば、大統領がやってきて祝辞を述べるべきです。今そういう状態になっていますか。そういうことがあり得ますか。

先生は国全体の事を考えています。だから軽々しく行動に移せません。簡単にはやれません。もしここアメリカで結婚式を行うとすれば、いろいろな国から数多くの人々を連れてこなければなりません。アメリカ人達は彼らを歓迎するでしょうか。結婚式場に誰かが爆弾を仕掛ける可能性、あるいは危険性があるでしょうか。そういうことについて皆さんは考えたことがありますか。今皆さんの結婚式を執り行えば、それは素晴らしいものになるに違いありませんが、それが順調に運んで、何事もなく幕を降ろすことができるように先生は心を砕いています。その結婚式をどこで行いますか。韓国にするか、日本にするか、英国か、それともアメリカにするかと先生は今考えています。

確かに飛行機代は往復を考えれば、ある人達にはかなりの額になるけれども、先生はそれを心配していると思いますか。それとも、もっと大切なことを考えていますか。祝福を受けることのできる資格として、少なくとも三人を伝道し、教育して神様につなげなければならないと先生は何年もの間皆さんに言ってきました。さらに皆さんは八十四人を伝道する責任も持っています。イエス様は十二人の使徒と七十二人の門徒の間で労苦されました。彼は自らを中心として、これらの人々を一つに統一することができなかったので、それ以上進むことができず、祝福も受けられなかったのです。

何が皆さんの理想なのですか。皆さんはホーム・チャーチで成功する以前に結婚したいのですか、それとも成功した後でしたいですか。皆さんはホーム・チャーチをもう全部やってしまいましたか。ということは、皆さんは霊界へ行く前に、もう一度祝福を受けなければならないことになります。この世が皆さんを歓迎するようになった時、皆さんがたとえ既に祝福を受けていたとしても、先生はもう一度皆さんを祝福しなければならなくなります。皆さんは教会レベルで、国家レベル、そして世界レベルで祝福を受けなければなりません。この三つのレベルが皆さんを認めなければなりません。そういうことを考えれば、結婚式とはそれほど簡単なものではありません。日本人と結婚した者達、手を挙げて。日本の男性と結婚したアメリカの姉妹達は、アメリカの男性と結婚したのとは違うものを何か経験していますか。良く研究してその違いが分かるようにならなければなりません。それらの違いは、皆さん達の関係における利点、あるいは長所となるかもしれません。

先生ですら、いつの日か自分がこのようにして、これほど多くの人々と関係を持つようになるなどとは夢にも思いませんでした。さて、まだ約婚していない者、手を挙げなさい。そんなに多くはないですね。約婚について皆さんはどう思っているのですか。約婚している者達の中で、配偶者に不満を抱いており「よりにもよって、どうしてお父様はこういう人を私と合わせられたのだろう」と思っている者があったら、手を挙げなさい。誰もそう思っている人はいないのですか。少しでも思わないですか。一緒に生活をして子供を持つまでは、どういう思いがくるか誰にも分かりません。お互いにあまり好き合っていない者達の間から最高の子供達が出てくるかもしれません。そうなったら皆さんはどうするのですか。

皆さんは一国の指導者になるかもしれない。あるいはそれを超えて、世界的レベルの指導者になるかもしれません。皆さんはそういう道を経て初めて、自分の結婚を評価することができます。典型的な例が、金栄輝協会長です。彼は祝福されてから三年以上も悩みました。どうして先生はこういう妻を私にくださったのだろうかと彼は考えました。そこで先生は「もう少し待ちなさい。分かるようになるから」と言いました。それから数年経った頃、彼は妻を尊敬し、愛するようになり、彼女なしにはやっていけないというほどになりました。それで今彼は、女性崇拝者なのです。しかし女性が悪い場合、それでも男は女性崇拝者になれるでしょうか。先生はある分野での専門家だとすれば、少なくとも人間と神様の研究の面では専門家なんですね。先生は神様の心と人間の心を徹底的に研究しました。実際、皆さんは先生に何も言う必要はありません。皆さんを見さえすれば、皆さんが配偶者に対してどういう思いを持っているか、先生にはすぐに分かります。先生は一組のカップルが霊的にどのようになるか、正確に予言できます。先生が皆さんのマッチングをした時、皆さんと同じレベルに立って、それをやったのではありません。先生の心は最高の観点に立って皆さんを見下ろしています。

マッチングについての先生の名声は、韓国では既にとても高いのです。韓国には縁組の哲学というものがあって、それは非常に長い間続いている一貫した哲学、あるいは学問体系です。韓国にはたくさんの縁組をする人がいて、生涯この特技を研究しながら数多くの縁組を行っています。食口達が度々、彼らの所へ行って自分達の縁組を見せました。するとそれがあまりにも良いので、彼らはとても驚いてしまいました。それ以上の縁組は自分にはできないと彼らは言うのです。

皆さんが生まれた時、その生まれ方というものがあって、それが先生には分かります。先生のマッチングの能力は年を取ってから身に付いたものでなく、非常に幼い頃からその能力に人々は気が付きました。先生はまだ非常に若い頃、一組のカップルを見てそれが良い組み合わせなのか、そうでないのか、即座に言い当てることができました。だからすぐに人々が先生の所にきて写真を見せ、それが良い組み合わせなのか、そうでないのかを、先生に尋ねるようになりました。何年も何年も先生はこの領域を研究し、実践してきました。マッチングに関する限り、その数だけでなく質の面でも、先生は世界的チャンピオンです。そうすると、もし皆さんがマッチングをしてもらう、あるいは結婚するとして、その時はどうするつもりですか。皆さんが本当にその価値が分かり、その価格が十万ドルであるならば皆さんはどうするつもりですか。「私はそのような大金を持ちませんから、少し劣るので満足しましょう」と皆さんは言いますか。そうではありません。皆さんは出ていき、その金を儲けるためにどんなことでもやります。皆さんは自分のマッチングをせっかちに判断してはなりません。もしその価値を本当に理解したのであれば、皆さんは待たねばなりません。そしてこの地上で三世代経た後に、皆さんにはそれが分かるようになります。皆さんが霊界へ行けばそれがもっとはっきりします。しかし、もし皆さんが先生よりももっとよく知っており、先生よりももっと立派な仕事ができるのであれば、皆さんは先生の所へきて不平を言うことができます。皆さんの中には、夢想だにしなかった人と一緒になった人もいるでしょう。結婚するとしても、この人とは絶対にしたくないというような人がいたとするならば、それがこの夢想だにしなかった人に該当します。そこで先生が皆さんをそういう人と組み合わせます。しかしそういうカップルは最高のカップルだという場合が、しばしばあります。

人間の性質にはいろいろあって、ある人は上昇カーブを上がっているし、他の人は下降線をたどっています。ある人は繁栄の頂点にいて、今下降線をたどり始めています。またある人は上昇し始めたばかりかもしれません。人生においてはこういうのは当たり前のことです。皆さんは調和を保たなければなりません。もし一方が他方よりもより早く移動すれば、一方の配偶者が取り残されて死んでしまいます。結婚はとても重要です。先生より以上のことを知っている人は誰もいません。それは人の命を長くもするし、短くもします。これよりももっと重要なものがあり得るでしょうか。

人生で最も重要な出来事は配偶者をもらうこと、つまり結婚することです。アメリカではこの最も重要なことがおろそかに扱われてきています。ある人達は初めて会ってその日に結婚します。またある人達は結婚などは気にかけておらず、自由に結ばれ、その後そのまま分かれ、再び会うということはありません。こういうやり方はその度に深い傷を残すものです。反対に先生はとても真剣です。皆さんは一旦、マッチングに合意した以上、それを持続させ、かつ成就させなければなりません。皆さんは自分のマッチングを素晴らしいマッチングと感じていますか。本当にそう皆さんが感じているならば先生はとても嬉しい。しかし覚えていてほしいことは、たとえ今、皆さんがそのように感じているとしても、その状態が必ずしも持続しないということです。自分のマッチングをあまり良く思っていない人達は二、三年すると事情がだいぶ変わってきます。良かったと思うようになるでしょう。

「誰もが結婚しようとしている。自分はその中の一人に過ぎないのではないだろうか」。そうではありません。結婚の性質はすべて、大変異なっています。海を見なさい。海には数多くの深い場所と様々な色があります。皆さんの結婚はそれと同じようなものです。一組、一組が大変ユニークです。皆さんは自分の結婚に対してそういう神秘的なものを感じなければなりません。以前は見知らぬ者同士だった男と女が、今や一緒に生活し、どんな人よりもずっと深く互いに知り合うようになります。そのように考えてみると、それがどんなに大変なことか、またどんなに神秘的なことか分かるに違いありません。

そうすると君達男性は、女性が必要ですか。君達女性は、男性が必要なのですか。ある人達は同性愛のグループを選びます。女性は女性と共に生活し、男性は男性と一緒に住みます。彼らは結婚しないでも生きていくことができると考えています。しかしそれは可能ですか。そういう生活が続きますか。男と女の基本構造は完全なマッチングにあります。それは電気のシステムと同じように基本的なものです。連結させるためにコンセントとプラグがあります。これは単純なことだと思うかもしれませんが、多くの人がこの基本的なものを分からないでいるのです。被造物は皆このように創られています。これは単純な創造の法則です。

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今朝皆さんが聞いたことは、今日の本題ではありません。朝食の後、もっと多くの話があります。本題ではないけれども、皆さんの日常生活において重要なことです。それは単なる概念ではなくて、皆さんの日常生活に役立つ実用的なものです。だから皆さんに必要なのです。だから何も気まずく思う必要はありません。縦的な挨拶の仕方と横的な挨拶の仕方というものがありますが、今皆さんは縦的挨拶の仕方の意味を知ったのですから、多くのことを学んだことになります。

先生はアメリカのことを良く知っています。恐らく普通のアメリカ人が自分達のことについて知っている以上に、先生は知っています。また西洋の文明についても良く知っています。物事を実行に移すとか結果をもたらすとかのように、非常に良い面が幾つかあります。東洋人が皆さんから学ぶことは数多くあるし、実際それらを取り入れつつあります。皆さんの学習速度が速いということも、先生は知っています。皆さんの座り方でさえ先生は感銘を受けます。先生が最初アメリカに来た頃、皆さんはそういう座り方はできませんでした。でも今、皆さんは足を伸ばすことなく、いつまでも床に座っていることができます。最初の頃、アメリカ人達がよくコーヒー・テーブルの上に足を上げてテレビを見ていたのを、先生は目にしました。女性達ですらそうしていたのです。先生はまだそういうことに慣れていませんでした。皆さんは今から世界の人間になるのですから、東洋を訪問するとか、そこに住むということになれば、これらの点をよく心に留めて、またそれに敏感でなければなりません。さて「将軍」の番組に戻ると、その中で一人の俳優が「六つの心と三つの情」について話しました。そういう言葉はアメリカ人を当惑させます。皆さんはいつでも、答えがすぐに返ってくることを期待しており、すぐに来なければ東洋人が考えていることを推し量ろうとします。しかし、皆さんアメリカ人にはどうしても分からない。彼らがそれを表現しないからです。これが、伝統的に中国人が西洋人達よりも外交が上手だとされている、一つの理由です。西洋人は自分の思いをすぐに表現します。皆さんは自分の手の内を示しますが、彼らはそれを示しません。

中国人は心の中で何かを思っていたとしても、そのまま真っ直ぐに北極まで進んでいって、何か全く別のことをやります。ずっと後になるまで、どうしてそういうことをやるのか分かりません。先生が三日間皆さんと一緒にいれば、皆さんのことが全部分かります。一方東洋の夫婦は、何年もの間結婚生活をしていても、互いのことをよく知るのにさらに何年もの月日が必要です。友人間においてさえも同じことが言えます。

東洋の考え方と西洋の表現の仕方の間には、無限の隔たりがあります。皆さんは西洋人だけれども、まさに世界に出て行って、他の人達が考えていること、感じていることに思いを尽くそうとしています。だから先生は東洋人について、彼らが何に価値を置き、何に置かないかについて、あるいは彼らが何を無礼と考え、何を礼儀と考えるかについて皆さんに話しているのです。

韓国は小国家です。過去においては大国が小国をのむ込むことがよく行われ、それに対して講じる

手段は全く何もありませんでした。ちょうど、大魚が小魚をのみ込むようなものです。それを食い止める方法は何もありませんでした。この点、韓国はとてもユニークです。それは小国家であり、侵略に対して勝利を得たことは一度もありませんでした。しかし、その度ごとに韓国は蘇りました。中国も、ソ連も、日本もその他のどの国も、韓国を完全にのみ込むことはできませんでした。韓国人はあらゆる状況に敏速に適応してきましたが、韓国人としてそのまま残り、韓国文化も維持することができました。韓国人は多くの場面を生き延びてこなければならなかったので、学ぶのがとても速いのです。さらに彼らは、ある意味では正義感にたけており、他人に依存しようとは絶対に思いません。すぐに独立します。彼らはアメリカの生活様式を観察し、その良い点を全部急速に吸収しました。また世界的観点で物事を見るし、人生についてもはっきりとした考えを持っています。だから状況を判断して、それについて急いで心を決めます。ますます多くの韓国人がハーバードのような大学に入学して、そこを卒業していきます。歴史的にはユダヤ人達が普通そういうやり方で前進してきましたが、韓国人も同じような才能を持っています。韓国人達が世界へ進出を始めた現在、数多くの分野で、彼らが影響を及ぼすようになるのを皆さんは見ることになるでしょう。

もし韓国人と日本人が国家を共に作り上げて行ったならば、彼らはアジア全体に大きな影響をもたらしたに違いありません。しかしそうはなりませんでした。この二つの国が、あらゆるものを指導することになったかもしれませんが、それは実現されませんでした。先生は今未来を見つめ、韓国人とアメリカ人の夫婦の子供達が、どういうことをするか見守っています。これらの子供達の中からユニークな資質が現れるようになるのを先生は期待しています。

先生は単なる一介の韓国人ではありませんが、韓国の歴史と文化の基本的な特質も継承しています。それらは基本的資質の一つですが、先生は一旦こうと決めたからには絶対に諦めません。先生はこの点に関しては徹しています。韓国は弱小国家ですが、征服されても征服されても何度も生き永らえてきました。また韓国は熱心な宗教国家です。生活のほとんどすべてが、宗教の基本的な意味と概念に関係しています。多くの人々が霊的癒しを経験しているし、霊界とこの地上界の間の相互関係についてはっきり知っています。彼らは自分達の先祖についても理解しているし、良い行為がどのように霊界に影響を与えるかということも知っている、あるいは感じています。

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東洋文化の理解

今我々はその重要な点について知りました。皆さんは神学校卒業生で、この運動の指導者になるのだから、この点について真剣にメンバーを教育しなければなりません。皆さんは彼らを良く教育しなければなりません。今、韓国語を勉強している人達にしてもそうです。先生の英語は進歩しているけれども、皆さんに英語で話すつもりはありません。特に皆さんと韓国で会うような場合、先生は英語は話しません。もし先生と話したければ、皆さんは韓国語を使わなければなりません。

別の言語を学ぶことは不可能なことではありません。食口は誰でも約二年間、韓国に滞在すべきだと先生は思います。皆さんは社会の最下層へまず行って、そこから一段ずつ上へ上って行くべきです。そうすることによって、皆さんは間違いなく韓国語を学ぶことができます。そういうことをしたくないと考える人は、皆さんの中には一人もいないと思います。皆さんは霊界へ行って、先生の話すことが理解できなければ恥ずかしいと思うに違いありません。皆さんは先生がこれを気まぐれで言っていると思いますか、それとも本当にそうだと、特に霊界では本当にそうだと思いますか。今から二十年後の西暦二〇〇〇年までに、皆さん全員が韓国語を話さなければなりません。今まで皆さんには他にやることがあったので先生はあまりそのことを強調しませんでした。一九八〇年以降、我々はこういう点にもっともっと力を注ぐようになります。韓国語を学ぶ時間を正式に持つようになるでしょう。必要なことです。そうだと思いませんか。

ある人々は韓国語を覚えるのは非常に難しいと言うけれども、そんなことはありません。韓国語は論理的に構成されています。皆さんの頭はいずれにせよ、論理的に物事を考えるようになっています。そのように皆さんは創られています。韓国語はあらゆる音声を含んでいます。だから韓国人が別の言語、例えば英語を学ぶ場合、非常に早くそれを修得し、とてもうまく話します。日本人は決して韓国人のようにうまく、英語を習得することはできません。日本人にはとても難しいのです。なぜならば、日本語はたくさんの音声を欠いているからです。韓国人達が中国語を学んでそれを上手に話す時、彼らは実は外国から来た人だとは中国人には思いも及びません。韓国人が日本語を上手に話す場合にも同じことがいえます。この人はもともと韓国人であるとは、日本人は考えることすらしません。韓国語はそのぐらい幅広い音声と発音を含んでいます。また韓国語の形容詞、特に宗教用語は豊富で変化に富んでいます。心とか魂の内面世界を表現するものがたくさんあります。こういう意味で韓国語は原理に非常に近いのです。ここでは皆さんは「ゆっくり」と言うけれども「ゆっくり、ゆっくり」とは言えません。あるいは「早く行け」と言うかも知れないが「早く、早く」とはいえません。韓国語には、こういう意味を強調できる言葉、アイデアをより鮮明に伝えることのできる言葉が含まれています。

韓国では人々はスプーンと箸を使います。お膳立ての仕方、例えばどこに皿をおいて、ご飯茶碗と湯のみ茶碗はどこに並べるかについての、厳しい規則が韓国にはあります。そしてそれらの配置には必ず主体、対象の関係があります。中国はその最古の文明を自慢し、日本もその歴史を誇りとします。しかし彼らは韓国が持っている数多くの特質を持っていません。だから中国と日本と韓国を見て、それらは皆同じものだと、皆さんに思ってもらいたくないのです。それらの文化の間には無限の隔たりがあります。先生は「将軍」の本と映画について報告書を受け取りました。皆さんは間違って発音をしています。「ショー・ガン」ではなくて「ショー・グン」です。皆さんは「gun」とあるから「ガン(銃)」のことを思い浮かべて、そのように発音をするけれども、そのように発音をすると意味を持たなくなります。「ショー・ガン」と発音したならばガン・ショー(銃の展示会)のようになってしまいます。その点が先生は気になっていました。

「将軍」とは「大将」のことですが、特別の種類の大将です。将軍とは天皇の次の位に当たる人です。いずれにせよ、人々はその番組に大変興味をそそられました。アメリカ全人口の五〇パーセントがその番組を見ました。彼らはそれを見て、東洋について知識を得ていると思いました。しかし、実際は大したものは含まれていないので、先生はそれについて大したことを語ることができませんでした。一カ所、二カ所興味を引かれるシーンがあったに過ぎませんでした。東洋について何らかを理解するためには、入り口に立つのですら、皆さんにとっては何千というシーンが必要になります。

一つ面白い所に目が止まったのですが、それは日本人が「切腹」と呼ぶ、自分の腹を切る儀式でした。彼らにとってそれは名誉ある蕩減方法なのです。自分の責任を成就できなかったならば、解雇される代わりに自らの命を断ちました。もし本当に本気であったら、それ以上のものは何もありませんでした。皆さんは映画の中でそのシーンを幾つか見ましたね。現実には歴史の上ではそれは日常茶飯事の出来事でした。苦痛をやわらげるために、必ず誰かがそこにいて、首をスパッと切ってくれます。そうすることによって迅速に命を断ち、苦しむ間もなくすみます。それを誰が行ったか。その人の敵ではなくて最も身近な人がやりました。親愛の友とか、最も近い親戚の人が首を切ってくれました。一つの務めに伴う名誉というものは、それほど重要だったのです。またそれほどの真剣さが、生命と直結していました。彼らの生命はいつも危険にさらされていたわけです。この国アメリカにはこれと同じような概念は全く何もありません。責任を果たせなかった場合にはそのようになるということを、一度でも考えたことがありますか。日本人は侍の歴史の中でそういった誠実さと真剣さを経験しています。侍は武士階級に属しますが、もちろん武士は戦争時にはその力を最高に発揮しました。

日本は今は戦争中でないけれども、その侍精神の一部を維持しています。だから急速に発展してきました。世界経済の中で彼らは大きな業績を成し遂げています。彼らは物事について怠惰ではありません。仕事の分野で、自分達の首が危険にさらされていることを、彼らは本当に感じています。彼らは、仕事に成功しなければ切腹しなければならないという思いを、ある程度今でも抱いています。過去数週間、このドラマを見ながら先生は「ああ、これは絶対アメリカ人には分からないだろうな。今後も長い間分からないだろうな」と何度も独り言を言いました。しかし自らを真剣な立場に置けば、絶対に分からないということはありません。皆さんに最も近い者が皆さんの首をはねるということ、そしてそうするためには愛が必要であることを考えてみなさい。自らの生命を心配するよりも、命令を実行することの方がもっと重要であるということを、これは示しています。日本人はこういう背景と気持ちを持っています。

死なんとする者は生きると聖書に書いてあります。日本人はその伝統のゆえに、摂理の面で最善を尽くします。一度神様の御旨を理解すれば、そういう猛烈精神を持って、彼らは責任を果たそうとします。皆さんは日本人の中に多くの欠点を見いだすかもしれないけれど、その一点ゆえに、日本人は多くの障害を乗り越えているし、またしばしば他の諸国を陵駕することにもなります。話を続けた方がいいですか、それとも今朝食をとりたいですか。朝食をとるべきか、それともとらざるべきか。朝食は既にできていますが皆さんは欲しくない顔をしています。まあ、海が近いのですから、それをそのまま投げ捨てることもできます。魚が大変喜ぶでしょう。それでも良いですか。時には皆さんは働きたくないと思う時がありますが、食べたくないと思うことはないのです。しかし食べることと同様、あるいはそれ以上に働くことを愛するならば、皆さんの成功は保証されていることになります。働くことによって失敗するということは決してありません。そのために、食事と食事の間が長くなりすぎれば、自然と胃袋が皆さんを導くようになります。

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敬礼式の準備

敬礼式の前夜、喧嘩した夫婦がいたとします。彼らはお互いの間に、そういうことがある限り、敬礼式に来るべきではありません。それは偽善なのです。ある種の蕩減を払って悔い改めをすべきです。互いに謝罪すべきです。もし彼らがそれを行うならば、つまり一方が「私が始めたことです。すみませんでした」と言い、他方が「まあ、私の方にも落ち度がありました」と言うならば、二人はやってきて一緒に誓いを述べることができます。皆さんは心に葛藤を抱いた状態で、天の前に出たいとは思わないでしょう。誓いは週に一度、月に一度、そして年に一度、心を洗浄する機会であるということが、誓いの持つ深い意味なのです。

皆さんは朝早く敬礼式を行っています。そして「こんなに早く起きて敬礼するこの伝統をお父様が廃止してくださったらいいな」と何度も思ったことがあるでしょう。皆さんのうち、誰もがそのように思ったことがあることを先生は知っています。そのように思ったことがない者、手を挙げてみなさい。まあ、先生も時にそのように感じることもあります。四時に起床してその後、一日中働くのがいやだと思う時もあります。しかし、我々が自分を反省し、誓いの中で言っていることを考え、それと自分とを比べていけば、毎週毎週我々は良くなっていきます。自分を完成させるには時間がかかります。魔法の力でもって、いっぺんにやってしまうことはできません。それは何日も、何週間もそして何年もかかるのだから、絶えず我々は努力していかなければなりません。小学校を卒業するには六年かかります。天国へ行くための勉強をしているとして、皆さんはそれを一晩でできますか。皆さんは曇り空を見て「ああ、今日は雨になるかも知れない。学校へは行きたくない。この嵐の中を行きたくないな」と言います。それができますか。それが許されますか。学校へ行きたいと思った日は数日しかありませんでした。大抵、皆さんは疲れていたか、雨か雪が降っていたか、あるいはその他に何かがあったでしょう。しかし皆さんは毎日学校へ行きました。一日三度の食事はどうですか。それに疲れを感じることはありませんか。疲れたとしても、何があろうとも、皆さんは一日に三度食事をしますね。ではトイレに行くことはどうでしょうか。あまり立派な場所にないからという理由でトイレに行くのが嫌だった場合、しかしどうしても行かねばならない時、皆さんはそれでも行くのを拒みますか。たとえその場所を使いたくなくても、行った後ではずっと気持ちが良くなりますね。皆さんは本当に疲れているかも知れません。やりたい気分にはならないかも知れません。しかしやった後でいい気持ちがします。だからそれをやります。

敬礼式の時には、皆さんはシャワーを浴びるか、風呂に入って身を清めなければなりません。それは霊的なものに対しても当てはまります。前の週に何か間違ったことをやっていれば、それについて考え、そして祈って、敬礼式の準備をしなければなりません。自分の体の各部について考えてみるのです。もし手が何か悪いことを、例えば人を押したり殴ったりしていたならば、皆さんはそれを心から悔い改めなければなりません。もし前の週に、あるいは前の月に、あるいは前の年に、他人に対して悪い思いを持ったことがあるならば、それを悔い改めなければなりません。

毎週、このような時を持てるとは何と素晴らしいことでしょうか。皆さんは自らを清め、準備することができます。それから最も純粋なやり方で敬礼することができます。少なくとも数分間、敬礼する前に深い祈りを捧げなさい。前日の夜、風呂かシャワーを浴びることは、そのことをとても意義深いものにします。皆さんは自らを清め、敬礼式で神様と再び会いまみえるための準備をしています。それから天に対して「今夜、私は清いですから私の近くにいてください。そして朝お会いしましょう」とお願いすることができます。その夜、夢の中で何か良いものを見せてくださいと神様にお願いすることすらできます。そうすると敬礼式は良いですか、それとも悪いですか。今日から皆さんは変わらなければなりません。決して甘い気持ちで、あるいはいやいや敬礼式を行ってはいけません。反対に、心から喜びをもってそれを行うべきです。いつでも、新しい週の一番初めは、新しい皆さん自身の一番初めでもあります。自分自身や自分の配偶者そして子供達のことを思いながら、それらの関係に何か間違ったところがあればそれを清めます。それほど敬礼式は真剣なものです。敬礼式を行えるというこの大きな特権を、皆さんは骨の髄まで感じなければなりません。

聖書は誓いを立ててはならない、宣誓してはならないと私達に警告しています。これは人間が神様にそうするための条件を持たなかったからです。しかし、今はその基盤が打ち立てられ、皆さんは敬礼式に参加することができます。だからこのようにして、神様の前に来れるということは、何と偉大なことかということを皆さんは考えなければなりません。先生は皆さんが儀式的に敬礼式をやっているのではないか、ただ分からずに習慣としてやっているのではないかと心配しています。ユダヤ人達がヤム・キブンつまり贖罪の日にユダヤ教会へ行く時のように、皆さんもとても真剣で厳かでなければなりません。この儀式は家庭の中に天国を建設するためにとても重要なものです。分かりますか。

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誓いの中で言っていることを注意深く調べるならば、私達はあらゆるものを正しい観点から見ることができます。先生は説教する時にはいつでも、これらのものを全部順番通りに見ています。先生はいつもそれを心に留めています。皆さんはどうですか。それを考えていますか。先生はどの説教でも最後は皆「アーメン」で締めくくります。誓いの最後に我々は「これを、すなわち、五つのセクションを全部成就するために生命をかけます」と言います。そういう結論を述べることによって皆さんは、この誓いを他のどのようなものよりも大切にするということ、従って悪い勢力に打ち勝つためには自らの生命をかけてでも戦い、誓いの中で言われた約束を実現します、ということを言っていることになります。皆さんは、一つの心情の世界を創らずしては死にたくはないと言っています。これを達成しないで霊界に行ったならば、そこに着いた時点から私達はすべてをもう一度最初からやり直さなければならなくなります。誓いについて、今まで誰も質問した人がいないのを先生は不思議に思っていました。誓いの中にどうして特定の順序があるのかとか、それがどう意味を持っているのか質問した人が誰もいませんでした。どうして先生がそのように誓いを書いたのかと質問に来た人が誰もいませんでした。

敬礼の仕方も、誓いの中で我々が言うことも、全部一つの意味に到達します。何をしようとも、我々は天国で行うべきことを行っているのだという思いを持ってそれをしなければなりません。我々が誓いをする何らの汚れも妨害もない新しい一日の初めは、天と我々の深い親密な関係を持つ瞬間です。自分が今どこにいるのか、人類と天のために何を達成しようとしているのか、我々は瞑想します。その瞬間、その数時間を持って、それが何と意味深いものであるかを我々は知るべきです。もしそれを感じることなく、ただ時間を無駄に過ごすとすれば誠に哀れなことです。

新鮮な果物を食べる時「私は天国にいるような気持ちでこれを味わっている」と私達は考えるべきです。被造物をこういう深い心情でもって食べるべきです。どのような行為も、理想世界での生活の実践だと考えなければなりません。敬礼だって同じことです。誠実さを持って、自然にそれを行うべきです。そうすれば誰も皆さんをせかせる必要はありません。いつ敬礼するのが適切なのかを、皆さんは知らなければなりません。

先生がこういうことを皆さんに言っているのは、今朝この会合が始まった時のことを考えているからです。金氏が「敬礼」と叫んだ時「なぜ叫ばないといけないのだろうか。どうして皆は、自然にそうしたいという気持ちにならないのだろうか」と先生は考えました。先生はそういうことに不自然さを感じましたし、皆さんも変な気持ちになっただろうと思いました。しかしいったんその意味を知り、その方法と理由について詳しい説明を聞いたからには、すべて後は皆さん次第です。皆さんはこういう重要なやり方によって、心の奥深くに感じていることを表現することができます。

東と西の関係

西洋の挨拶の仕方は横的です。友情を示す握手、つまりそれは横的な運動です。「あなたと私は平等です。だから共にうまくやっていきましょう」とそれは言っています。しかし、東洋のやり方は、心の中に縦的な関係を持っています。縦的な関係が最初にきます。まず最初に目上の人に会い、挨拶をしなければなりません。それから若いメンバー達の世話をします。両方とも必要だけれども、どちらが先にきますか。縦的な関係がまず確立されなければなりません。それから横的関係を結ぶことができます。

西洋文化ではすべての縦的関係を排除することに、ある種のプライドすら感じているでしょう。しかし現実にはこれは、人間関係の本当の発展を遅らせることになります。理に適ったもっともなことだと皆さんは思っていますか。人間関係が円滑に営まれるためには、まず縦的な関係が先にきて、その基盤の上に横的関係がくるべきです。これは東洋文明と西洋文明の違いを示しています。

西洋の人々は何か新しいものを探しており、新しいアイデアを東洋に求めています。東洋は西洋から新しいアイデアを求めていません。けれども、物事を行う新しい方法を見いだすことには関心を持っています。だから彼らは技術とか、西洋のより外的習慣とかについて、何かを見いだしたいと思っています。東洋の人々は古い形式的な習慣とか、狭い宗教的な考え方に疲れています。「こんなことをして何の利益になるのだろうか」と彼らは言っています。彼らはもっと実用的なやり方を学びたいと思っています。だから彼らはアメリカにやってきて、物の製造方法、建築工法、物流方法を学びます。これは実際とても良いことです。東洋からより奥行きのある考え方、そして西洋からは事物の優れた扱い方がでてきます。

皆さんにとってはそういうことがたまたま起きているわけですが、何事にも「偶然」ということはありません。摂理がどのように進むのかということを知りさえすれば、皆さんにも物事の背後にある道理というものが見えてきます。だからそれを見つめてみましょう。西洋の男性と西洋の女性をとってみると、西洋の男性は、もし他に取るべき道があれば西洋の女性を選んだりはしません。他に取るべき道がたとえなかったとしても、男性は女性に仕えたり従ったりしたくはありません。男性はする必要がなければ、そうしたくないということです。「ここから飛び出したい。こういう生活は、無意味だ」と男性の中の何かが彼に呼びかけます。

東洋の女性はそれほど活動的ではありません。しかし彼女達の静かで落ち着いた性格は、一言も語らずとも多くのことを語っているかのように見えます。西洋の男性がそれを分かれば、彼らは引きつけられます。西洋の女性はとても良く喋ります。けれども東洋の女性はそんなに喋りません。それが一般的傾向です。しかし東洋の男性達は「うちの女性達は何も表現しない。何のためにここにいるのだろう」と時々思います。東洋の女性達は、何もしないでただじっと座っているように見えます。だから東洋の男性は「もしアメリカの女性と結婚したら、人生がとても楽しくなるだろう」と考えます。

アメリカの女性達も、心の底では誰かに正しい方法で主管してもらいたいと望んでいます。先生のような人にね。先生は必ずしも温和な性格ではありません。先生は、時としてはとても強靭で苛酷な要求をします。押しまくって妥協を許しません。時には皆さんもそういうのが好きです。「私もそういう一貫性のある男だったらいいな」と時々皆さんは言うでしょう。女性は自分達と同じような優しい人が好きなんだと一般的には信じられていますが、実はそれとは正反対に、恐らく強い人を好むでしょう。男性は自分達と同じ男性的な人だけを好むという考え方も正しくありません。一方が他方より優れているというようなことではなく、そういうことを言っているのではありません。男と女は互いに異なっているがゆえに、相手のためにお互いが創られているということです。男の子と女の子の双子のようなもので、完全には似ていませんが同じ親から出てきています。内面から知るようになれば、彼らにはそれほどの違いはありません。もしある物の真ん中に線を引きそれを半分に割ったならば、同一のものを二つ得ることになります。まあそれは大体似たような意味で、男と女は同じものなのです。しかし、一つになることを経験することができるように、やはり異なってもいます。そこが素晴らしいのです。分かりますか。

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誓いの意味

我々はまだ理想世界に住んでおらず、反対に悪の世界の真っただ中に生きています。だから私達は誓いを朗唱しなければなりません。我々は神様の御旨を成就することを誓いますが、家族が一つにならなければ、皆さんはこの誓いをすることはできません。神様は、男だけ誓うのを望んでいるわけでも、女だけが誓うのを望んでいるわけでもありません。神様は男と女がまず一つになった後、一緒に神様に誓うことを望んでおられます。

誓いには五つのセクションがあります。第五番目は、前の四つ全部の結論を述べています。まず初めに一つの主権を誇ることを言います。この世界には数多くの政府がありますが、我々は一つだけを誇りとします。誰がその一つの主権を打ち立てるのですか。それは我々がやります。我々食口がそれをやります。我々はそういう理解をしなければなりません。

人類最初の主権は誰が持つべきだったのでしょうか。アダムがそれを持つべきでした。今、アダムの代わりに皆さんが、その失われた主権を復帰しなければなりません。皆さんはその最初の家族の単位を復帰しなければなりません。それがまず第一です。我々は、一つの民を誇りに思うこともはっきり理解しています。つまり、天の下に集まった一つの民です。天国では、二種類あるいは三種類の人々というものはありません。白人とか、黒人とか、黄色人とかいったものはありません。そのような人類の違いは天国には存在しません。そういった違い、分離というものは、最も初期の頃、人間の堕落によって生じました。しかし神様の世界には一つの民しかいないのです。

次に、神の下にある一つの国土を誇ると我々は誓います。神様が、北から来て南を訪問したいと思った時、一体パスポートが必要ですか。もし神様が必要としないならば、なぜ神様の息子、娘達がそれを必要とするでしょうか。どこでも自由に通行できなければならないし、国境があってもいけません。我々はこの点において違っています。サタンは多くの国家、多くの主権、多くの民族があることを誇りにしています。しかし我々はただ一つの主権、一つの国土、そして一つの民を誇りにします。それが真に、分裂したサタンや世界に対するわれわれの誓いと決意でした。サタン世界は一つの長い戦争の歴史ですが、一方神様の歴史はすべてを統一し、結合するための隠れた戦いです。だから我々は、数多くのいろいろな文化が持つ問題点を明確に理解しなければなりません。それは全部、出発点を異にして発展してきました。だから人類はいろいろな行動様式、形態を発展させてきました。そのために人々は互いに疎遠になりました。さらにそれは今日の摂理を遅らせ、混乱させている原因でもあります。サタンはこれを自分の長所として、うまく利用しています。われわれはこの頭の痛い問題を解決し、一つの文化を誇りたいと思っています。

我々は一つの文化を誇ります。そして一つの文化は一つの言葉、一つの言語から生じます。実際、言語と文化は同じものでした。言語は本質的には文化のことです。ということは、結局は、皆さんも皆さんの両親が話すのと同じ言語を話さなければならなくなるということです。霊界では、皆さんはどの言語を使いますか。答えは簡単です。両親が用いる言語が、子供達の言語でもあります。

不幸にも皆さんは母国語が分かりません。英語とは何ですか。それは神様の元来の言語ではありません。我々はなぜ、保育所で子供達に韓国語を教えているのですか。それは神様が介入することができる最初の言語だからです。もちろん我々は子供達に英語を教えます。そうしないと今日の世界で彼らが生き残ることができないからですが、少なくとも彼らが学ぶ最初の言葉は韓国語です。彼らはその人生の最も初期の時期から、母国語を学び始めることができます。その後に英語を学びます。これはやり過ぎだと思いますか。いや、それは最も良い始まりです。

皆さんが一つの言語と一つの文化を誇るという時に皆さんは本当にそれを感じていますか。「私は誇りに思っている言語を、文化を、少しでも理解できるところまできている」と皆さんは思っていますか。そのことについて皆さんは考えたことがありますか。だからその句を言う時に、皆さんはその一つの言語と文化を本当に誇りにすることができないということを心から残念に思わなければなりません。その最初の春の文化に参加したいと皆さんは渇望しなければなりません。

我々が求めているのは最初の春の文化であって、文化ならどれでもいいというのではありません。その文化には「アダム主義」を除いて、他には「主義」と呼ばれるものは何もありません。文化文明は、アダムとアダムの家庭から始まるべきでした。我々は一つの言語を持つべきでした。多くの言語は混乱を引き起こし、あらゆるものを分裂させます。ここアメリカでは多くの言語が話されており、そのために容易に闘争が引き起こされています。

現在、統一食口である皆さんはどうですか。我々は三世代のうちに、我々が誇りとする母国語を学ばなければなりません。六十年以内に、我々は最初の母国語を話していなければなりません。先生は以前に、このことを皆さんに教えたことはありませんでしたが、この会議を通して直接皆さんに話しておきます。我々はほかに何を誇りにしますか。すべての子供達が一組の両親の周りに集まります。今まで述べた基本的な要素が全部確立されれば、子供達はその両親の周りに集まることができます。一つの世界、一つの国家、一つの家庭があるのだから、最初の両親も一組でなければなりません。そうじゃないですか。皆さんは、兄弟愛がなぜ一つの言語と文化の前に来なければならないのか、不思議に思うかも知れません。どうして我々の誓いではこういう順序になっているのですか。すべての人々が一つに集まらなければ、我々は兄弟姉妹となったことを誇りとする、一つの世界を創ることはできません。戦わなければならない戦争がまだあります。今皆さんは両親を心置きなく誇れますか。いいえ。皆さんはこの世から絶えず攻撃されているのですから、誇りに思うゆとりはありません。皆さんはいつも防衛態勢にあります。皆さんは「共に我々の両親に従っていこうではないか」と、世界に向かって宣言することはまだできません。誓いの第五番目に言われていることは、すべて成就されなければなりません。そしてその後、私達は自分達の誇りを自由に表現することができます。

その後どうなるのですか。人類の伝統が始まります。最初の親を一人持つことに誇りを感じるようになって初めて、皆さんは一つの心情世界を創ることができます。そして皆さんは、それをなす役軍であることを誇ることができます。そこには何らの区別もありません。白も黒も黄も何もありません。あるのはただ一つの家庭と一つの伝統だけです。

皆さんの結婚が国際的なもの、あるいは異人種間の場合、その子供達は皆違ってきます。異人種間の一つのカップルでも、その子供達は同じではありません。ある子供は母親により似ているだろうし、他の子供達は父親にもっと似ているかもしれません。皆さんはその子供達を差別するでしょうか。父親が「ああ、この子は肌の色が私に近いから、私はこの子を特に可愛がろう」と言うでしょうか。心情があればそこには黒も白もないのです。

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神様はこのように科学的方法で創造されました。実際、神様は最高の科学者です。水にしてもそうです。水が凍り始めるとその体積が増します。堅い殻に守られている松の種もそうです。殻もある程度の水分を含んでいますが、それが冷たくなり凍り始めます。それを数回繰り返して遂には割れてしまうまで、それは体積を増します。

同様に、皆さん達統一食口も強靭かつ堅固で、しかも一枚岩でなければなりません。それから皆さんが前進し、共産主義あるいは我々が「冬主義」と呼ぶものと対決しなければなりません。それから皆さんの外殻は割れ、皆さんは成長を始めます。最後に実際に春がやって来た時、皆さんは成長を開始し、心おきなく春を迎えることができます。皆さんは完全に咲ききった、そしてすべての葉とその栄光を茂らせた花のようなものです。それが私達の目指しているものです。

それから新しい文明、つまり春の文明の永遠の繁栄が始まります。これは漠然としか説明されなかったかも知れませんし、論拠はそれほど正確でなかったかも知れませんが、自然は、見て理解するのにそれほど困難なものではありません。皆さんには自然の中の種子の論理は理解できるし、もしこれが自然の中で物事を始める神様のやり方であるとすれば、それは人間の歴史を始める神様の出発点でもありました。他のものは全部、その点へと移行して行ったのです。最初の種子が失われたので、人類は再臨のメシアの到来まで、一つのサイクルを再び最初から始めなければならなかったのです。これが再臨のメシアの意味であり、ここから人類の永遠の繁栄が始まります。もし共産主義が本当に冬の文明であるならば、それは春の文明の前に来なければなりません。統一主義がその春の文明です。それはあらゆるものを一つにして、そして調和をもたらします。例えば春の暑い天候はそれほど暑くないし、寒い天候もそれほど寒くなりません。それはちょうど、三五度から三八度という、人間の体温のようなものです。この体温の範囲内であれば、あらゆる細胞、また生物形態は繁茂を始めます。これが、天国あるいは我々の用語でいえば「理想世界」です。もし皆さんにこれが理解でき、その正しいイメージが把握できるならば、皆さんは全人類歴史について、すなわちそれがどこから始まったのか、そしてどこでどのように終わるのか、十分に説明することができます。

共産主義者達は典型的な寒い天候です。彼らは他人に襲いかかり、殴り、完全に叩き潰そうとします。しかし、我々の方法は至る所に平和を実現し、あらゆるもの、最も冷たいものですら溶かしてしまうことです。たとえあらゆるものが溶けたとしてもそれは先へ先へと進み、生命が繁茂するようになります。

それが理想主義です。ではその理想主義はどこから始まるべきですか。それは男と女から始まるらなければならなりません。不幸にも、最初のエデンの園で最初の男と女は、理想世界を始めることができませんでした。そうならば、我々が東方に向かって敬礼するのはすばらしく、そして重要なことではないですか。それは文明の最初の出発点のことを我々に思い出させ、人間の運命が高貴でかつ永遠であるべきだということを示しています。東は栄光を、そして北は権威を表します。太陽は東から昇り、毎日栄光を運んで来るし、北は最高点すなわち名誉と権威の点です。皆さんはこれらの方向に敬礼する時、人間は栄光と権威を持つべきだと言っていることになります。

権威がますます高く上がって、最高点である神様に達します。栄光は東から西へ水平線上に移動するので、必ず拡大します。北は垂直で東は水平。これらの方向は人の中で出会います。しかし堕落は、これらの物すべてを変えてしまいました。堕落によって、女が男と一つとなる代わりに、男が女と一体化しました。でも今、私達は逆戻りに最初の位置を取り戻しつつあります。暫くして女は男と一つになります。これが成されれば、すべての縦と横の関係が復帰できます。夫と妻は一緒に敬礼します。それがこの意味するところです。

理想的には夫婦は神に敬礼し、そして互いに敬礼し合います。それから男が座って、女が男に敬礼します。その後に共に並んで座ります。こうすることによって女は、堕落のエバにならないと言っていることになるし、男は堕落のアダムにならないことを言っています。これが朝の敬礼式、特に御辞儀のやり方についての意味です。その後、子供達皆がやって来て、同様の敬礼をします。両親は親の位置に座して、彼らの御辞儀を受けます。言い換えれば、子供達は自分の親と神様への関係を表明するということです。子供達は、過去のカインとアベルのような闘争はしないということを言っているとこになります。反対に彼らは平和と調和を維持し、四位基台の中で協力し合うことになります。それが成されれば、家族全体が一つになり、そして自分達の心情を表明することになります。

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オーシャン・チャーチの設立
1980年10月 1日 モーニング・ガーデン敬礼の意味

時々皆さんは私達の教会の習慣、例えば敬礼などを不思議に思うでしょう。「どうして我々はこのようにするのだろう」とひとり言を言うかも知れません。それは世界のあらゆる所で、何千年もの間の習慣になっているのだけれども、その詳しい説明を聞けば、なぜ私達も敬礼するのか、もっと容易に理解できるでしょう。まず第一に、それは極めて象徴的な行為なのです。皆さんが四肢を用いて敬礼するということは、皆さんが四位基台の上に立っていることを意味しています。この敬礼も正しい主体、対象関係を表しています。つまり敬礼することにより、皆さんは高い所から低い所へ移動しますが、これは天と地の縦的関係を象徴しているからです。

敬礼するためには、皆さんは緊張せずに自然の姿勢で立ち、一方の足をもう一方の足の少し前に出します。右足は男を象徴し、左足は女を象徴します。右足が左足よりも少し前に出ます。これも男が主体で、女が対象である関係を象徴しています。敬礼することによって体のあらゆる部分が一カ所に近づいて来ます。これは四位基台が、どのようにして一つになるかを表しているのですね。

頭は神様を象徴し、両腕は男と女、そしてその関係を表します。両足は地上を代表します。だから、私達が両腕を上げて頭に触れる時、これは主体と対象が互いに一つになり、さらに神様とも一つとなり、それから下がって来て地上と一つになることを示しています。顔さえも、この全体の関係を象徴しています。両眼は神様を、鼻は男と女(一つだけれども二つの部分からなっている)を、そして口は地上をそれぞれ象徴しています。両眼は物を見ます。これは天を表しています。胴体つまり体は、宇宙を象徴しています。

言い換えると、宇宙は四位関係の基台の上に立っていることになります。このようにして神様、ならびに神様を代表する人々に尊敬の意を示し、挨拶をすることは大変意に適っています。韓国にはこの習慣が何千年もの間続いています。しかし、私達がこれを行うのは韓国の習慣だからという理由のためではなく、それが原理に一致しているからなのです。このように子供達が毎日、毎朝、両親に挨拶します。

皆さんが子供達を、特に母胎内にいる時の子供達を見れば分かることですが、彼らは自分達の指を握り締め、拳をつくっています。どうしてでしょうか。親指は神様を、そして他の指はそれを取り巻く四位基台を象徴します。もし皆さんがそれがそれを見て、体がどれほどまでに宇宙のあらゆるものを反映しているかに気がつくなら、世界各国でなされているあらゆる挨拶の中で、この挨拶が最も包括的で、最も意味深いものでということが分かるでしょう。我々が神様の前で、またお互いの前で一体何者であるかといことを、とても意味深いやり方で私達に思い出させてくれるので、この挨拶が敬意を表す最も正しいやり方です。皆さんは自分達の教会とか、皆さんが働いているミッションの場所とかで、日曜日の敬礼式をちゃんとやっていますか。毎週、毎月、そして毎年行うということ、これも大変重要なことですね。その場所に、男とその妻(祝福されていれば)は、東の方向に敬礼すべきですね。それは太陽が昇る方向だし、さらに神様を象徴しているからですね。敬礼できる方向としては、もう一つ北があります。それは最も高い真の北極がその方向にあるからです。さらに歴史を通して人類の道しるべとなっている北極星も北の空にあります。

歴史の最初の種子

歴史には数多くの文明が存在しました。北の文明は現在では共産主義社会です。分かりますか。現在共産主義は多くの国に広がって、またまさに世界を征服せんとしています。それが共産主義者達のもくろみであり、かつ彼らはそれをやる実力を持っています。これはサタンの最後の仕事なんですね。しかし、春が来れば、最も遠い北極ですら氷解しなければなりません。統一主義とは何でしょう。それは新しい文明の始まりです。簡単に説明しましょう。古代文明は、エジプトのような熱帯地方にありました。古代文明は暑い所から始まりました。だから「夏」の文明と呼ぶことができます。今日、ヨーロッパのように、それらの時代から発生した温帯から寒帯にかけての文明があります。それらは「秋」の文明と呼ぶことができます。秋になれば葉が木から落ち始めます。同様に、これらの文明が過去の偉大さにもかかわらず、衰退しつつあるのを私達は知っています。木はその葉を失い、裸の枝だけが残り、その他はすべて落ちてしまっています。その後、北から冷たい冬の文明、共産主義が広がり、秋の文明がそれに吸収されるでしょう。以前の状態のままでいることはできないのです。冷たいのは無慈悲です。共産主義は無慈悲です。それが一旦介入すると決めたら、とことんまで介入します。その前に立ちふさがるものは何でも、完全に排除してしまいます。この点から見て、私達にはまだ「春」の文明は訪れていないと確信を持って言うこうができます。人類は元来、春から始まるはずであったということを皆さんは知るべきです。私達は歴史を振り返ってみて、文明に春は一度もなかったことを知っています。だから恐らく、現在が真の愛の始まりであり、真の愛の結実が初めて隆盛を極める時でしょう。

もし我々が春から出発して夏、秋、冬へと発展して行ったならば、その実は最初の種子から生長したことでしょう。しかし最初の種は植えられなかったので、冬が来たら何も残りませんでした。もし種が植えられていれば、それは冬の間深い所へ深い所へと潜り、次の春にはさらに大きくなって出て来ます。しかし最初の種がなければ、その実は死んでしまい、次の春には何も残らなくなってしまいます。

もし冬を生き抜くつもりであれば、厳しい寒さに生き残るつもりならば、皆さんは種をもっていなければなりません。堕落人間の歴史は最初の種子から始まりませんでした。神様は新しい歴史を始め、今度はそこに自らの種子を植えなければなりません。ではその種子はどういう種子であるべきですか。それは最も強靭で、堅固でなければなりません。もし皆さんがそのような者であれば、最も厳しい冬が来る前に植えられたとしても、その冷たさは皆さんを破壊することはないでしょう。皆さんはその冷たさによって割られてしまうことなく、春が来たら、皆さんは花を咲かせ始めるでしょう。

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七年間、先生は海に出かけ、そこで朝早くから夜遅くまで祈ってきました。皆さんは統一教会員として海に注意を向けざるを得ません。皆さんは統一教会に入る前に海について考えたことがありましたか。皆さんは海について考える時、映画の「ジョーズ」を思い出ます。そうですね。今や皆さんは鮫が皆さんを食料とすると考える代わりに、皆さんが世界の人々の腹を満たすために鮫を利用することを考えることができます。それが長い間の先生の目標です。

これをやりたくない者、手を挙げなさい。来年以降、我々は六カ月間の海上修練会を行います。これを終了すれば、皆さんはマグロ釣り世界一周旅行を行ないます。韓国にすら船で行くことになります。我々には無線があるから、一隻の船の旗艦が全世界の私達の船に命令を出し、方向を指示することもできます。

将来、共産主義の脅威がなくなれば、戦争ももはやなくなることでしょう。海軍のあらゆる船はスクラップされる代わりに、平和目的のために母船の形で我々が利用できます。海洋資源を運搬する船隊を彼らは提供できます。空母は浮き島のようなもので、何の心配もなく何千マイルも運航できます。先生は各海洋に一隻、あるいは大きな海洋には二隻の空母を用意するつもりです。それから飛行機を手に入れ、空母を飛行場として使うこともできます。皆さんはその船隊に入って船長になりたいとは思いませんか。

普通のアメリカ人達は魚の臭いが嫌いで、魚の話をすると頭を横に振ります。しかしもう皆さんはそうではないですね。先生はこれらのことを考えているだけではなく、もう既に始めています。姉妹達、皆さんの筋肉を先生に見せてごらん。ああ、たいしたことないですね。先生はたくさんの女性船長を訓練したいと思っています。皆さんはまたチャーミングな女性的な笑いを持っているけれども、男性のように強靭に行動するようになります。姉妹達は海での体験に基づいて、文学の傑作を作り出すことになります。それが先生の考えです。

もし皆さんの夫がこういう夢を抱くとすれば、皆さんは幸福な女性ですか。その目標に到達するには数多くの惨めな経験を経なければなりません。それがとっても難しいことだからです。皆さんは甘さを味わうためにまず苦しさを経験しなければなりません。先生は元気のある世界中の男女達を動員して、彼らをこの目標の限界点にまで連れていきたいと考えています。政府や宗教団体が私達を迫害するだろうということを先生は知っています。しかし、地上天国を創るための代替計画をいつも先生は持っているのです。「もし人が私を好きでないならば、私はまず海上に天国を建設し、その後それを陸上に運ぼう」と先生はいつも考えてきました。

ここ十年間で先生は真っ黒になりました。先生の目標は女性がどの黒人よりも黒くなることです。それから白人の女性が何と言うか見たいと思うし、黒人の夫を持った母親がどんな反応をするか先生は観察しています。お母様が「お父様、黒い肌のあなたはとてもハンサムです。私は前よりももっとあなたを愛しています」と言うのを先生は知っています。お母様は夏には黒い夫を持ち、冬には白い夫を持ちます。

先生の話は「アベルの道」のはずでしたが「マグロの道」になってしまいました。ところでマグロの道がちゃんと実行されれば間違いなく、皆さんはアベルの役割に到達します。先生はアメリカに着いた時、手には何も持っていなかったのですが、二、三年で大きな基盤を打ち建てました。アラスカで何が起きているのか、皆さんは知っていますか。最も進歩した水産物加工工場がそこに造られています。政府すら驚いているのです。私達の工場がとても模範的なので、今では人々はアラスカ・シー・フード・インダストリーを指導してくれるように先生に依頼しています。私達はアラバマに全長三百フィートの巨大な船を造れる造船所を持っています。その一つだけでも数百万ドルします。それらの船の船長として、皆さんは出かけたくはありませんか。

マグロの値段は、日本へ輸送すれば、通常アメリカの二十倍になります。そうするためには新鮮でなければいけません。そのために、先生はマグロの輸送方法を研究し、今ではそれを行うことができるし、他の魚にも同様にその方法が使えます。先生はその門を開きました。

最低三人の霊の子を持っている者なら誰でもボストンへ来ることができます。多分皆さんの三分の一が、海での経験一日目にしてその熱意を失ってしまうと先生は思っています。皆さんはトイレで過ごす時間の方が長くなるでしょう。ただ座っているだけでなく、その上にもたれかかってね。それでもいいですか。それはこの世で最も興奮を呼ぶドラマであり、また喜劇でもあります。面白いことには、海にいると度々トイレに行くことになるかもしれないけれど、陸上に戻るや否や元気になり、本当に空腹を感じます。時には、口から吐くものに心を奪われて、排便がその反対側でされるものだというのを忘れてしまう人もいるのです。統一教会は本当に目立つ団体です。皆さんはそれを誇りにすると思います。皆さんも先生のように黒い肌を持ちたくはありませんか。

海の上では、陸の上にいる時のように良い食事をしたいとは思わないですね。皆さんは生魚だけを食べるけれども、それは間違いなく新鮮です。それをただ醤油に浸して食べます。さて、先生がどうして七年もの間、夏中ずっと海で生活し、なぜマグロがそんなに重要なのか、皆さんにも分かったはずです。それが摂理に直結していることが皆さんには分かりました。だからそれも祈りの中に入れるのです。

グロースターにおけるマグロのシーズンは、たまたま夏休みのちょうど真ん中にやってきます。ということは世界中の人がこられるということです。先生が買った地所はマグロ釣りトーナメントの本部です。皆さんはそこが良い印象を与える所であってほしいですか。そこは三十の寝室があるし、この館は夏だけでなく、年中使われることになるでしょう。有名な教授達もそこで行われる修練会にやってくるでしょう。

我々は夏期予算を既に全部使ってしまいました。だから何か食べたければ、砂を食べるか、マグロを釣りに行くかしなさいと先生は食口達に言いました。今幹部達が一生懸命マグロ釣りをしているので、彼らも前進できます。マグロ釣りは先生にとって休暇ではありません。それは戦争です。先生は夜せいぜい二、三時間しか寝ません。若者達はいつも居眠りをするし、先生の運転手もいつも車の中で眠ります。しかし先生は船の中では決して眠りません。誰も先生のペースについていけないので、神様が先生を見たら「君は特別なんだ」と言わざるを得ません。キリスト教の牧師達は自分達の名誉や将来について大きな関心を抱いているかもしれないけれど、先生は世界の救済や、どうしたら世界の人々に食物を与えることができるかとか、どのようにしてこの国を援助できるかということについて気違いになっています。それが先生が毎日考えていることです。夏には皆さんの顔は日焼けして黒くなり、使命のために献身している強靭な男性、女性の容貌をしているべきです。皆さんはこの困難なミッションが好きですか。皆さんの「ありがとう」はあまり強くありませんね。しかしながら、今日は素晴らしい、マグロ釣りには最高の日です。マグロは海のアベルだから、これは今日の最初のトピックからそれほど離れていないですね。皆さんは将来の先生のいろいろなビジョンについて、そして魚釣りの何たるかについて学びました。皆さんに神様の祝福がありますように。

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世界の豊かなある部分から飢餓に苦しむある別の部分へ輸送され得る多くの物資があります。だから先生はIRFFを作りました。アメリカの会社は時々余剰生産物を持っています。それは貯蔵しなければいけないし、と同時にそれについて会社は税金を払わなければならないので重荷になっています。理由は何であれ、多くの場合彼らはこれらの古い生産物を売却できずにジレンマに陥っています。しばしば彼らは献品としてある団体にその物資を喜んで与えるけれども、今日教会ですら、それらを取り扱う力量を持っていないのです。そんなに多くの物資をどうすればいいのか分からないのです。しかし我々は余剰商品を受け入れる基盤と、加えて一つの大きな港から別の港へそれを輸送する船舶も造ったので、そういう必要性を満たすことができるのです。

これはとてつもない意味を含んでいます。国民の福祉に関心を持つ政府ならどこでも、我々と友好関係を結ぶでしょう。我々が彼らを助ける能力を十分持っているからです。これを実行するためには、我々はちゃんと訓練され、技術を身に着けた人材が必要です。我々はどこで人々を訓練できるだろうか。先生は、我々の船のうち二百隻を、一隻に三人ずつ乗せてアメリカの沿岸に配置したいと考えています。ということは六百人ですね。三年間継続すれば三人は必要でなくなります。一人でそれができます。こういうシステムは速やかに拡張できます。

小さな船で経験を積んだ若者達はもっと大きな船を扱いたいと思うようになるでしょう。約十六年で、全員が大きな船の訓練と経験を積んだ船長になることができます。我々は政府のローンを受け、もっと多くの漁船を造り、経験のある船長を各船に割り当てることができます。それから彼らの使命は、必要とされている特定の魚を釣ることになるでしょう。

冷凍室は水産業にとって大きな問題点です。だから先生は、冷凍室を必要としない乾燥魚粉を作る技術を調査しています。何百万トンというものが空気中の袋の中に蓄えられることができます。我々はいろいろな魚の粉末を開発し、複合ビタミンのようにそれらを配合します。この粉末は小麦粉や澱粉の使い過ぎを補うために、毎日料理で使うことができます。皆さんは魚粉を使った栄養価の高い新しい料理の料理法を生み出すこともできるのです。

先生は魚粉パンと小麦粉パンを比較テストするつもりでいます。一度味わってみれば、どちらの方がよいか、人をわざわざ説得する必要はありません。最も良いテスト方法は子供達にそれを与えることです。彼らはとても正直だからです。彼らは全員、魚のパンの方を取ると先生は確信しています。ノルウェーには既に魚粉会社が造られており、メンバーの一人がそれを詳細に研究しています。現在の問題点は魚を捕ることではなくて、腐る前にそれをどうやって販売するかです。我々はその解決にも力を注いでいます。

我々は魚を貯蔵することができるので、心配せずにできるだけ多くの魚を捕ります。既に我々は他の誰よりも多くのマグロを釣っています。私達の購買力には制限がないので、漁師達は釣れたものを我々の所に持ってきます。だから我々は水産業に物凄い刺激を与えることができます。先生は造船から始まって全システムを作り上げて来ました。船を造った後、魚を捕り、市場用にそれを加工し、それから配給のネット・ワークを用います。これは立案の段階の話ではありません。先生は既にそれを行いました。

これらのアイデアは全部、何年も前に先生が考えたことです。そしてどこから始めるかということ、つまりマグロ釣りから始めるということを先生は知っていました。それが魚釣りの精神で人を訓練する真髄だからです。先生はそれを七年間やっています。さらに先生がこの道を追求するもう一つの理由は、世界の人々を満たす陸資源がもうすぐ不足するからです。陸地の大きさには限界があります。そしてそれは何年もの間に貧しくなっています。しかし海には限りがありません。陸上に生育する植物を全部食べることはできないけれど、海から取れるものは何でも食べることができます。そしてそれらはすべて体に良いのです。

動物の飼料は海から取れます。海草をちゃんと加工すれば、それには莫大な栄養が含まれています。さらに自然に生育した魚を捕るだけでなく、我々は養殖も行います。普通は子牛一頭は十分生育した牝牛の五分の一の値段です。一方マグロは莫大な繁殖能力を持っています。一本のマグロは十五万の卵を産みます。小さな一つの卵あたり、一本のマグロの五分の一の値段を支払う必要があるでしょうか。マグロ養殖は既に実験段階に入っています。ほとんどのマグロの稚魚は他の魚に食べられてしまうけれど、保護された場合にはそれは速やかに成長します。マグロの養殖の将来性は大きいのです。

先生はこの巨大な霊的運動の創始者ですが、さらにこの外的世界の将来の問題、解決の基礎も築いています。これは将来の食糧生産と世界の飢餓問題解決の基礎であることを先生は知っています。ある環境保護主義者達は先生に向かって「レバレンド・ムーン、どうしてあなたはいつも、マグロを殺しているのですか」と聞くかもしれません。先生の答えは「人々が死に絶えるかもしれないのに、あなたはどうしてマグロの心配ができるのですか。私は将来そういうことが起こらないようにしたい」ということです。別の観点から言えば、先生はマグロを供え物だと考えているのです。そして先生は神様へそれを捧げる大祭司の立場にあります。先生は人類のための犠牲としてマグロを見るので、自分の捕ったマグロは滅多に食べません。旧約聖書では祭司達が屠殺をし、祭壇上で燔祭を捧げ、血が流されます。

近い将来におけるもう一つの健康食として、魚とか穀物、野菜のような生ものを食べるようになるでしょう。医学的に言って、生の食料の方がより多くのエネルギーを与えるというのは本当です。魚粉は皆さんが必要とする栄養素のほぼ全部を含んでいるので、多くのことを解決することになります。魚粉入りの袋を持って皆さんは世界のどこへでも旅行することができ、どこでも食べることができます。陸地は人間にとって完全に開拓されてしまっていますが、神様は海洋資源をほとんど未踏の状態で保存されています。(海には宝石用の石すらある)

今年、我々は先生が捕まえたマグロの尾ひれを保存し、その数を数えています。そして各州の教会が一つずつそれを持つことになるでしょう。人々はその尾ひれを見る時に、世界の食糧問題を解決する、将来の食物のメシアを見ているのだと感じることができるでしょう。先生が海について大変熱狂的だし、数多くの計画を立てているので、統一教会へ来る人は誰しも海へ注意を払わざるを得ません。皆さんも海へ行きたいですか。(はい)いつ皆さんは海にそのように熱狂的になったのですか。

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先生が船を造るなどとは誰も考えないだろうけど、我々の船が二十一世紀の船であるということが、皆さんには分かるでしょう。一旦我々の船がマグロ釣りで最高だったということがこのコンテストで証明されれば、その市場での売れ行きは相当なものになるでしょう。先生はいろいろなスタイルの長所と短所を知っています。デザインによって先生はそれを全部埋め合わせました。ヘンリー・マスターズは英国から来た我々の兄弟だけれども、先生は彼を直接指導して、この計画を完成させました。我々の船はマグロ釣りのトーナメントで賞を獲得するでしょう。まもなくそれが分かります。我々がグロースターにある地所を買うということは世界的なニュースになり、「ウォール・ストリート・ジャーナル」と「ニューヨーク・タイムズ」で報道されました。「タイムズ」はほとんど一頁をこれに割いていました。オーシャン・チャーチの船が世界マグロ釣りトーナメントで賞を獲得したということを報道関係者が知れば、それはニュースになるに違いありません。彼らは、一体いつ宗教指導者がこのような熱狂的な船舶デザイナーになったのだろうかと不思議に思うでしょう。

トーナメントに十万ドルを出すのは金を投げ捨てるようなものだと多くの人達が考えたけれども、それには特別の理由がありました。その賞は二十万ドル相当の宣伝になりました。ムーニー達を追い出そうと躍起になっていた人々は、グロースターで引き起こされている興奮の渦を見て、今では人目につくのを恐れています。トーナメントは七日間続き、その期間に最高の成績を上げた人が賞を獲得します。

このトーナメントはアメリカだけでなく、日本においても同様に興奮を引き起こす出来事ですね。日本人はマグロを良く食べる国民で、日本の大きなマグロ会社はグロースターに集まっています。彼らは自分達の中で最高の人達を送り、そこで起こることを良く観察しています。それらの主要水産会社はレバレンド・ムーンの船と人々が勝利を得ようとしているのを見て、将来、我々と取引せざるを得ないことを知るようになるでしょう。日本の大きな会社は政府によって支援されているけれども、我々は天によって支援されています。我々は彼らと競争して次の二、三年中には彼らを打ち負かします。
 世界には四大漁場があります。そのうち一つはノルウェーにありますが、他の三つはアメリカ合衆国の周りにあります。一つはアラスカのベーリング海、もう一つはメキシコ湾、他の一つは東海岸特にグロースター近海にあります。二、三年前、アメリカ政府は外国船による沖合漁業に二百マイル以内の制限を設けました。外国政府はその二百マイル以内に入って漁をするために、あらゆる戦術を試みています。アメリカ政府によって独占されているこれらの漁場を使用するために、外交上の物凄いプレッシャーがありました。

しかし我々は外国人ではありません。日本の会社はレバレンド・ムーンがアメリカに基地を持っており、さらに彼と一緒に働いている多くの日本人がアメリカ人と結婚していることを知っています。彼らは自分達をアメリカと連結する唯一の存在が、我々であることに気付いています。我々は日本がアメリカと海産物の貿易をするにあたり、またその反対にアメリカが日本と海産物の貿易をするにあたり、最も良い橋渡しになりつつあります。

アメリカと日本の政府は激しい競争をしているけれども、我々の組織をリンクとして用いることによって我々はその悪い感情を和らげ、両国の利益のために働くことができます。先生は市場販売の戦術に関心を持っています。三菱と丸紅は多くの仲介業者を使わなければならず、各レベルで利益を持っていかれます。先生の戦術は、製品を仲介者を迂回して直接工場から小売り業者へ送ることです。そうすることによって製品を遥かに安価で消費者に提供できます。そういうわけで先生は、冷凍室付き改装車にした移動式海産物店を造りました。我々は魚を下ごしらえするのにたけています。日本人は特に魚のいろいろな料理法を知っています。我々が魚の下ごしらえをすれば、他の人達がすることはただ家でそれを楽しむだけです。多くのアメリカ人は魚の下ごしらえの仕方を知らないので、それを我々がやります。彼らはそれを食べるだけです。我々の移動式の店の外には何ブロックも続く列が並ぶことになります。一つのバンで十二のホーム・チャーチ区域に責任を持ち、その辺りの四千三百二十軒の家々に奉仕します。皆さんがやって来た時、人々が皆さんのことを良く知るようにするために、車には特別なテーマ・ソングと特別なサインを付けます。

さらに宴会用の新鮮かつ料理した魚を提供するシーフード・レストランのチェーン店を我々は始めます。もし二、三時間以内に百人あるいは二百人の人達に立派な食事を提供することができるという評判を得れば、次に大きなビジネスをすることができます。アメリカ人は赤肉をたくさん食べると健康に良くないということに気付きつつあるのです。ますます多くの人々が毎日の食事の中に海産物を含むようになります。海産物は遥かに健康的な蛋白質を提供します。

日本で市場販売するという先生の計画を実現し、全国を網羅するためには七千台のシー・フード車が必要になります。一旦それが作動し始めれば、MFTの二倍の実績を上げることになるでしょう。我々のAメンバーがフィッシュ・ビジネスで成功するのを見れば、BメンバーとCメンバーも自分達の仕事よりも、そっちの方をやりたいと思うようになります。一旦信頼できる収入を証明すれば、我々は信用で車を買うことができるし、銀行家達もムーニー達のやっているのを見れば彼ら自身も我々とビジネスをしたいと思うようになります。このビジネスで実績を上げる人なら誰でも、日米貿易においてもっと高いレベルにまで上がることになります。

我々は百台のバンを注文し、既に三十台が届いています。現在一台のバンにつき三人の食口が働いているけれども、六カ月経てば一台につき一人の割合で、もっと手を広げます。それが一台から三台、三台から九台、そして九台から二十七台へと拡大するのを先生は見たいのです。そうすれば三年後には、日本は七千台のバンを持つようになります。一年目の終わりに八百台持っていれば、三年目の終わりまでには、七千台よりも遥かに多くの数になります。それと全く同じシステムを我々はアメリカでも利用します。

ホーム・チャーチは市場販売計画と平行して発展するだろうから、人々へはサービスと同様、収入をも提供するようになり、このようにしてホーム・チャーチの摂理をします。このシステムに基づいて日本で訓練を受けた専門家達が全員アメリカに来て、この地にそのシステムを設置します。それと同時にフェローシップ団体を通して、我々はマグロ釣りに関心を抱いている金持ち達と友達になることができます。マグロ釣りトーナメントを通して、我々は彼らを一つのクラブの下に組織化し、それを全世界に広げることができます。マグロは世界を駆け巡るので、シーズンがグロースターで終わっても、それは他の所でまた始まります。もし我々が世界の五ヵ所でトーナメントをスポンサーすれば、賞金は五十万ドルです。その投資は何万人という知名人達を魅了することになるでしょう。彼らの船は一つのトーナメントからもう一つへと、大西洋をあるいは太平洋を渡ることができます。一旦この計画が勢いを得れば、政府はそれを支持せざるを得なくなり、必要な供給物を全部組織化するようになるでしょう。さらに、既に数多くの海洋施設が全世界にあるのだから、主要船舶がスポーツで釣りをしている人達に燃料を供給することのできるシステムを我々は作ります。クラブの影響が大きくなるにつれて、こういうこともすることができるようになります。

人々はレバレンド・ムーンが、健康的な海のスポーツを生みだしただけでなく、世界の人々を利する、貿易、商業ならびに良い食料を生んだという意味で、海の王者であるということを間違いなく知るようになるでしょう。最終的には、我々は自分の船を供給することのできる力量を持つようになります。トーナメントの船隊は、オイル・タンカーを伴って一つの海からもう一つの海へと移動するようになるでしょう。世界の主要団体は、世界的パブリシティーがとても大きいから参加したがるようになります。競争のためにグロースターへやって来る何万という船舶のことを想像してみなさい。彼らはその小さな海岸町に物凄い繁栄をもたらすことになります。これらの人々全員がどこかで食事をし、睡眠を取らねばならないし、生活用品を入手する必要があるので、経済的影響力は大変なものとなります。

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先生は男性世界のあらゆる種類のスポーツを経験してきたけれども、マグロとの格闘程に興奮したスポーツは他に知りません。皆さんはそれをやりたいと思いますか。誰でもそれができるというものではないのです。生まれついてそういった性質を持たなければなりません。しかし、女性達もそれに関心を持つことができます。先生はアメリカの水産業がもう一度どうしたら繁栄できるかをいつも研究しています。だから先生は、グロースターにいる時はいつでもアメリカの若者達に関心を持たせる方法について計画を練っているのです。

マグロのシーズンはスポーツ・フィッシングのオリンピックのようなものです。だから先生は記録破りのマグロ捕り漁師になろうと決意していました。しかし、最初のマグロを釣るのに二十二日間もかかりました。その期間、何度も餌に食い付いてきたけれど、経験不足のために皆逃がしてしまいました。餌に食い付いてきた時の興奮を考える時、魚を逃がした時の失望がどういうものか、皆さんは想像できるでしょう。それから精神を建て直し、前進を決意します。太陽が一日の終わりに沈み始めると、もう少しそこに残って餌にもう一度食い付かせるために、太陽に沈まないように命令したい気持ちにかられるのです。皆さんには先生がどんな気持ちか本当には分からないでしょう。もし皆さんが何かの仕事とか、問題に取り組む時、こういった精神を持っていれば皆さんにできないことは何もありません。たとえマグロを逃がしたとしても、捕まえるまで試み続けなければなりません。それがマグロ釣りなのです。

先生が最初、マグロ釣りを始めたばかりの時、人々は新米と言って先生のことを笑いました。「三年間見てみよ。その間に何が起こるか知るだろう」と先生は考えました。この三年の間に先生が次々に記録を破り続けたのを見て、すべての本職の漁師達は驚いてしまいました。現在では彼らは自分達の世界に衝撃を与えているこの「新米」に恐れを抱いています。あらゆる名誉をとってしまうこのムーニー達をどう扱ったらいいのかと彼らは心配しています。彼らは我々があらゆる記録を打ち立てるのを見るのが我慢できないので、我々を打ち負かすために朝もっと早く起きるようになってきました。彼らは先生が朝四時半に出かけることを発見したら、さっそく三十分もっと早く出かけるように決定しました。しかし長続きはしませんでした。第一日目の後、四時にやって来たのは数人に過ぎませんでした。その間に先生は朝三時半に出発するようになりました。彼らがそれよりも早く出かけるように決意した時には、先生は二時半に出発するようにしました。

そんなに早く出かければ普通四時間待たなければなりません。マグロは、彼らの時間でいい時間通りに朝食を取りに来るからです。今では人はムーニーを打ち負かそうとするのを諦めつつあります。彼らは一貫性とハードワークの点で、我々と競争することはできないと知っているのです。面白いことに、すべての船がアンカーを降ろして漁をしていたとしても、必ず最初はニュー・ホープ号の餌に食い付きます。昨日先生が行った時には、最初のマグロが餌に食い付くまで四分しかかかりませんでした。

皆さんはこういう話に興味がありますか。女性達はどうですか。もし興味があるならば、皆さんはその世界に入るためにマグロ捕りの漁師と結婚しなければなりません。マグロ釣りの味を知らない者達は人生の味を本当には分かっていません。マグロへの関心がとても大きい時には、関係する人達の数は少なくなりますか、それとも多くなりますか。マグロ釣りの精神を味わおうという本当に男性的な性格を持った人は、海がどんなに荒れていようとも毎日出かけたいと思います。これが海の男達の基本的な態度なのです。このスリルと興奮を知れば、たとえ船酔いしてもそれでも皆さんは出かけて行きます。マグロ釣りは水産業を学ぶ最善の道なのです。

人々はより小さな船で釣りに行くようになり始めましたが、毎年より大きなものを釣って来ます。彼らは前年の最高記録を打ち負かすことを自分達の目標にしています。グロースターではマグロのシーズンが来ると興奮が膨らみ始めます。最高のチャンピオンつまりニュー・ホープ号のレバレンド・ムーンが必ず来ることを彼らは知っているからです。それは善なる競争であり、若者達はその目標と記録に挑戦したいだろうと先生は思います。もし先生が彼らのために挑戦目標を設定するならば、アメリカの水産業はある程度将来性を持つでしょう。

今日、誰もその精神を持たないから、アメリカ水産業はほとんどストップしています。アメリカの女性達は特別魚の臭いが好きなわけでも、海の生活が好きなわけでもありません。海と魚に関心を持っている女性は変わった女性です。一旦マグロとの戦いが始まれば、そこには礼儀とか挨拶といった余裕はなくなります。チームが編成されなければならないし、忙しいのです。そういう時には、漁師は自分の父親すら怒鳴り付けます。マグロとの戦いの熱狂の中で、自分の夫から蹴られても何とも思わない女性はまれです。統一教会の女性達はどうなのですか。

先生は金儲けのために釣りをしているのではないことは確かです。どの方向にでも動ける基盤を私は既に持っています。先生の目標は記録を破り、世界へ向かって海への人間の精神を示すことです。毎年先生が記録を打ち立てているので、今では、それが偶然あるいはまぐれでなされたものではないということを人々は知っています。人々はその秘密を学びたいと思っているので、先生に親切にしようとしています。他の漁師達は双眼鏡を持ってニュー・ホープ号の後を追います。そして先生の餌にマグロが食い付くと、全員の目が先生に注がれます。マグロ釣りに関心のあるグロースターの誰でもが、ニュー・ホープ号について知っています。

我々はグロースターに何か永続するものを確立したいと思っているので、最近そこにカトリック教会に属していた大きな地所を買いました。その家は今、全世界から人を迎え入れる準備をしています。もし我々のマグロ釣りに参加するようにそこに招待される人々があったとしたら、その人達はその招待を拒んだりはしないでしょう。市長は我々に対して否定的だけれども、そこに来て我々が何をしているかを彼に見てもらいたいのです。先生はその家を重要な外交上の基盤と見なしています。

グロースターは世界の主要都市であるボストンの近くにあるし、かつてはピルグリム達が上陸したプロビンス・タウンの近くでもあります。この国の精神はニューイングランド地区で生まれたのだから、そこは重要な場所です。それにアメリカの文化の中心で、また港としても有名な所です。だから、先生の精神を世界に示すための戦術的な場所でもあります。

最近我々は競売に出されていたマリーナ(波止場)を買いました。多くの人達は我々と競い合ったけれども、値段が上がり続けるので、すぐに皆競い合うのをやめてしまいました。市長までもがその波止場に関心を持ち、我々がそれを手に入れないようにと気をもんだほど立派な波止場です。数多くの会社が競ったけれども、先生はそれには注意を払わなかったのです。そして結局我々がそれを買いました。

今では我々はその波止場に加えて桟橋と地所を持っているので、グロースターはムーニー達の強い影響を受けています。その上、スポーツ・フィッシング産業全体が我々の影響を受けており、特に我々が今年行なった、十万ドルの賞金を第一位に与える世界マグロ釣りトーナメントの初めてのオープニングによって、影響を受けています。そのニュースを聞くと誰もがショックを受けました。けれども彼らはムーニー達が自分達の町にやって来るのをぜひ見たいと思うようになりました。グロースターの市民達、警察署長そして沿岸警備隊全員が興奮しているのです。十万ドルと聞いて会員の目が飛び出したほどで、急に彼らはムーニー達を余り気にしなくなりました。彼らはここ百年間のグロースターで最もエキサイトした出来事だと言っています。ボストン、グロースターそしてプロビンス・タウン全部がこのトーナメント基地になっているので、これらの町でも同様に話題になっています。一体誰が第一位の賞金を得るのだろうかと誰もが話しているけれども、先生は誰が獲得するか知っています。しかし、先生がそのトーナメントのスポンサーをするわけだから、その賞を先生が得るのはちょっとまずいのです。だから先生は名誉議長になり競争には参加するけれども、最高の成績を上げたとしても賞はもらいません。しかしムーニー達がもらえるのです。

最も重要なことは誰が第一位の賞を得るかではなく、どの船がそれを得るかです。我々食口が最も一生懸命に働いて、三つの賞金全部を得るようにと先生は決意しています。もし彼らが賞を得たとしたら、人々はどの会社が彼らの船を造ったか知りたいと思うでしょう。そして先生がそれらの船をデザインし、それを造った会社を創設したということを彼らは知るようになります。どういう種類の船がマグロにとって最も良いのか、最も詳細な点に至るまで先生が計画を練りました。昨日、先生は我々の工場へ行ってチェックし、どの部分が変更されるべきかを指摘しました。他の人々はこれらの船は先生が造ったものだということを知るようになるでしょう。

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マグロの道
1980年 7月13日 ベルベディア 統一教会はアベルの役割を理解しているという意味で、極めて特別です。私がマグロ釣りをするために海の上でいつも過ごしているなどとは、この世は想像だにしないでしょう。だから、主題に入る前にマグロについて少し話してみたいと思います。もし皆さんがある魚を美しいと思うならば、マグロはすべての魚の中で美の女王だと考えなければならないでしょう。皆さんの中でマグロを見たことがある人は何人いますか。ほとんどの人達は見たことがないので、先生が話していることが分からないかも知れません。

マグロは速く泳ぐために完全な流線型になっており、速く泳ぐ時はすべてのひれを体にピタッと付けることができる唯一の魚です。それはコンコルドの概念と同じです。つまり離陸の際には翼を広げていますが、巡航速度の時には翼は後方へ閉じられます。マグロの腹びれはスピードを上げている時には完全に見えなくなり、表面は完全に滑らかになります。マグロは九十ノットの速さで泳ぐことができ、海の飛行機のようなものです。水の抵抗は空気抵抗よりも大きく、飛行機のデザイナーはもっと効率的な飛行機を考え出したいと思うならば、マグロを研究しなければならないでしょう。

マグロは一カ所にだけ住むのではなく、五大洋すべてを泳ぎます。もし海が幾つかの主権に分割されるようになれば、ビザが必要になってマグロは困ることになるでしょう。しかしマグロは世界の五大洋のすべての海を泳いでいます。さらにマグロは食料として良い、しまった体をしています。将来はマグロが世界の食料を供給するでしょう。

マグロ釣りは興奮とスリルが大きいのでスポーツ・フィッシングの王です。マグロ釣りは本当に漁師にとっての究極的な目標です。先生はマグロ釣りの技術を完成させることによって、このスポーツの極致に世界的レベルの関心を引きつけたいと考えています。マグロはとても賢い魚だから、それを捕まえるためには皆さんの方がもっと賢くなければなりません。海洋に大きな関心を抱いている人達だけが、この種類のスポーツ・フィッシングに意識を集中させることができます。こういうわけで、余裕のある人達はいつでもマグロに焦点を合わせています。この世の女性達はいつもダイヤモンドを持つことを夢見ていますが、スポーツの好きな人達はいつもマグロ釣りを夢見ています。マグロ釣りには、単なるスポーツとか趣味以上のものがあります。本当にそれは戦いです。だから先生は好きなのです。皆さんはその目標を追及し、勝利を勝ち取る準備ができていなければなりません。

大きなマグロは千ポンド以上もあり、普通の人の六、七倍の重さ、そして十三フィートから十四フィートの長さがあります。大きなマグロをニュー・ホープ号の船上に引き上げると、それは対角線上に一方の舷から他方の舷まで船一杯になってしまいます。マグロは釣り針と長い釣り糸で捕えられ、その戦いに勝つためには優れた技術と知識が要求されます。長い長い待ち時間の後、マグロが食い付いて来ます。その瞬間、皆さんは他のことはすべて忘れてしまうでしょう。グロースターにはマグロのシーズンが来ると、三百から五百の船が集まって来ます。人々は西海岸からパナマ運河を通り、何カ月もの間、航海してマグロ釣りのためにグロースターに集まって来ます。ある船は南アメリカからやって来ます。シーズンには最も裕福な人達と、最も有名な船がグロースターに集まって来ます。

漁師達は、女性達が最高の宝石を誇りにする以上に、自分達の船を誇りにしています。これらの船には四人の乗組員が必要です。皆さんにも、金持ちでなければそのようなゆとりがないことが想像できるでしょう。彼らはマグロ釣りの興奮を求め、そういった金と時間を費やしてそこにやって来るのです。五百隻のボートの船は、一日に五万ドル相当の餌を用います。マグロのシーズンは普通七十日間続き、餌だけでも三百五十万ドルかかります。もし一隻の船に三人の乗組員が乗るとして、一つの地域で千五百人となります。もし一隻の船が毎日五百ドル使うとすれば、七十日間でそれは千七百五十万ドルになります。これは毎年政府が認めているマグロの割当量の一部を得る機会を持つための投資ですね。

もし政府が千八百のマグロを割り当て、皆さんが千ドルで一本のマグロを売るとすれば、それでもたった百八十万ドルですね。言い換えると、マグロ釣りは金儲けの投資ではありません。マグロ釣りで何も損をしないというのは普通は無いのです。ほとんど不可能です。これらの人達がマグロ釣りに示す熱狂を見る時に先生が考えることは、もし彼らが魚釣りを愛するようにアメリカを愛するならば、ずっと前にアメリカは天国になっていただろうということです。もしアメリカがそういった心と魂を持っていたならば、どうして天国建設のためにそれを利用しないわけがあろうか、と先生はいつでも思っています。

マグロが餌に食い付いてくるまでの退屈な待ち時間の間、人々は不平を言い、争ったりするかもしれません。しかし一旦、マグロが噛みつくと彼らは瞬く間に一つになります。先生はまだそういった一瞬の内の一体化というものを、他に見たことがありません。それこそ先生が推し進めようとしている統一精神です。だからただそれについて話す代わりに、統一食口が全世界からやって来て、それを味わってほしいと先生は思っています。

男達が経験できないものとして子供を産む苦痛があります。女性達だけが体験を通して知っています。しかし、マグロ釣りは普通男性の世界の出来事で、女性がそれを理解することは難しいのです。危険で乱暴なマグロの世界はメーキャップとかマニキュアとか、宝石のような世界とは余りにもかけ離れています。漁師達は普通腰から上には何も身に着けていないし、真っ黒に日焼けしています。

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序文
1987年 3月 レバレンド・ムーンは遥かに遠くまで及ぶ目標と広範囲な内容のビジョンを持った人です。そのビジョンはこの世界、特にそれを占有している人類が、神様との関係を結ぶために創造されたという確信に基づいています。ところが人類歴史と現在までの出来事は、私達がそのような人ではないことを全く示しています。私達は神様に喜びと栄光を帰す代わりに、あるいは互いに尊敬と愛をもって生活する代わりに、個人主義的な闘争と頑迷な無知で歴史を継承し、現在もそれに参加しています。

人類歴史を通して苦しんだのは、人類自身だけではありませんでした。親の立場と心情からすべてのものを創造した神様は、自分の子供達の人生に、より多くの惨めさをもたらした不注意な行為から来る苦痛に、間違いなく絶叫しています。人はこの神様の苦痛と人類の悲惨さを感じる時、どのように反応するでしょうか。人はこの危機に陥った世界にどのように対し、過去の偉大な予言者達や宗教指導者達がやり残した仕事を、どのように引き継ぐであろうか。「十字架をとりて、我に従え」との呼びかけを聞く人は、どのようにしてその呼びかけに真に応え、その意味するところを十二分に生き抜くでしょうか?

レバレンド・ムーンは幼いころより忍耐し、苦痛を味わいながらこれらの疑問に思いを集中させて来られました。何年もの間、聖書を研究し、熱心に祈祷し、そしてその調査結果を厳密にテストする毎日の生活を通して、これらの答えを発見されました。レバレンド・ムーンは解決するにはただ言葉を語るだけではだめであり、毎日の生活の中でそれらの言葉を現実に実行しなければならないことに気付かれました。先生が始めた、新しくかつこの世界にとって、極めて必要とされるメッセージをもたらすという骨の折れる仕事については、ある程度、文書によって示されていますが、未だに十分ではありません。

この本の中に含まれている十三の説教と数多くの抜粋は、レバレンド・ムーンのビジョンの一部です。実際、それらは神様を男性達女性達の生活の中に、そして世界を神様の懐の中に呼び戻したいと、真に願っている一人の人の大いなる希望と、実際的な計画を示しているのですから、一部でも特別のものです。レバレンド・ムーンがある企画に自らの手を付け、心情を向けるときは何時でも、それが大きな計画であろうと小さな計画であろうと、この一つの願いによって動機づけられています。それゆえに、海についてのビジョンもその例に漏れません。

レバレンド・ムーンは、人類が長い間の貧困と広範囲に及ぶ暴力のために、大きな痛手を蒙って来たことを認識しています。私達の地球の環境も同様に、何世紀にもわたって続いている、とどまることを知らない愚かな使い方、すなわち乱用によって苦しめられています。人類はその外的な技術発展を導くだけの内的感受性、霊性を発達させることに完全に失敗しています。このようにして私達は、世界基準での生存を脅かされる一つのジレンマに直面しています。

レバレンド・ムーンはこのような状態を、世界的スケールと個人的スケールの両面において癒す仕事の必要性を認識しています。善なる世界を持つためにはその中に善なる男達と女達がいなければなりません。善なる男性達女性達を持つためには、まず第一に善なる神様を中心とした家庭の中で育てられた善の子女達がいなければなりません。そのような家庭から善なるコミュニティー、社会そして国家が成長発展することができます。このようにして神様の霊を吹き込まれ、人類の手によって建設された善なる世界が展開することができます。

悲惨なことに私達は、神様の前に置かれている自分達の貴重な価値について、しばしば気がつかないでいます。それゆえにそれに従って行動することもできないでいます。言い換えれば、私達は人間の責任について無知であるし、またその厳密さを十分に証明もできません。今日の若者達は特に、死の方向に向かって進んでいるように見えます。この混沌とした世界の中に、愛なる神様の存在を経験するのは難しいと感じるのです。その結果、彼らは諦め、麻薬や未成熟で不道徳な愛や、自己目的の達成のみを追及する冷笑的な生活様式、そういう破壊行為の中に自らの絶望的生活を送っています。

レバレンド・ムーンのメッセージの要の一つは「私達には目的ある生活、つまり神様の本質である愛を体験し、それを証明する生活が与えられている」というものです。その目的は私達一人一人が人間生活の基本的責任に注意を払い、それを感謝するときに初めて実現されます。

聖書の第一巻、創世記はこの目的を三大祝福という形で表現しています。これらの三大祝福こそレバレンド・ムーンのメッセージの中心であり、それがどのようにして達成されるかということについての彼の明確な説明が、全世界の人々にインスピレーションと方向性を与えています。

第一祝福は、各人が真の子女、その神様のイメージの人になることを私達に命じています。つまり「生めよ」です。第二祝福は、神様を中心とした結婚と家庭を通して表現される男と女の成熟した永続する愛の達成によって、これを発展させることを私達に命じています。つまり「殖えよ」です。従って子女達は螺旋形に拡大する愛と、安全な環境の中で育てられることができます。この最初の二つの祝福の上に築かれる第三祝福は、宇宙の中で人類が適切な位置を占めるように勧告します。つまり「地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と空の鳥と地を動くすべての生き物を治めよ」。人類は実際、貪欲と利己主義の代わりに、神様の慈愛によって力を与えられ、神様を中心としたこの世界の管理人となります。本質的にはこれらが人類の責任であり、各々が成熟される時それは素晴らしい人生の祝福となります。

レバレンド・ムーンは、このこととさらに多くのことを心に抱いて、アメリカにやって来ました。彼はこの国の若者達に特別な関心を抱いてやってきており、この関心の大きさは多くの彼の説教の中に示されています。先生は驚くほど多くの数の企画を始めたけれども、先生の努力の中心ポイントはこの国の若者達を育てることであり、そうすることによりアメリカの未来にそして世界の未来が御旨の方向へ、つまり地上天国設立の方向へ向かうようになることです。

オーシャン・チャーチは、そのような企画の一つです。レバレンド・ムーンがしばしば言われるように「未来の関心のある人は誰でも、海洋に目を向けなければならない」からです。レバレンド・ムーンは、公式には一九八〇年にオーシャン・チャーチを始められましたが、既に海洋での活発な漁業活動に十年以上の期間を費やして来られました。しかし先生が海へ行くのは単に漁をするためではありません。先生は祈祷と瞑想をするためにそこへ行かれました。先生はあらゆる種類の苛酷な条件の下で行われたこの期間の重労働の中から、現在のオーシャン・チャーチの摂理の中で展開されている具体的な計画を設定することができました。ここに述べられた説教は、それらのアイデアの発展を記述したものです。

海洋は、世界の中でもっとも豊富な資源です。それはまた、世界でもっともデリケートな資源です。海洋を正しく使用するために、男達も女達ももっとも優れた人になるように訓練を受けなければなりません。もしそれ以下の基準で海洋が用いられるならば、それもまた取り返しのつかない時点に至るまで略奪され、汚染されるでしょう。現在、既にそうされているその他の被造世界の数多くの側面と同様に、この道を免れることはできないでしょう。

レバレンド・ムーンの願いの一つは、海へ行く人達は、それに関連したコミュニティーと事業が正しく鼓舞されて、海へのアプローチの仕方をうまく結合することにあります。もし私達が自分は善なる家庭の立場にいるべきだと理解したならば、私達は全体の利益のために海洋を用いたいと思うはずです。さらに私達は、適切な保存と管理による海洋資源のバランスのとれた開発に、関心を持つでしょう。レバレンド・ムーンの説教の多くが、海洋の持つ可能性と同様、それを保護し管理する必要性についても触れています。「海洋資源が、世界の飢えを十分に満たすために大いに利用されるようになる」というのが、彼の最大の希望の一つです。

これらの問題やその他の関連した問題の解決の始まりは、献身した個々人です。以下の説教の中で、レバレンド・ムーンが海洋のあらゆる側面を、教育のための一道具と考えておられることに気がつくでしょう。どのような細かいことも、この目的にとって重要でないものはありません。先生は若い男性達女性達に船の管理方法を訓練する際、全世界に責任をもつ精神をもってそれを行なうように要求します。また先生はマグロ捕りの方法について詳細に語る際、しばしば困難で時には危険であるようなことを、未来に横たわっている、より大きくて冒険的な企画に取り組む精神をもって成し遂げるように彼らに要求しました。

レバレンド・ムーンにとって海洋は教室であるにとどまりません。それは教会の大聖堂でもあります。それは毎日の現実を学ぶ場所であるにとどまらず、心を塞ぎ、思いを堕落させるものがほとんど存在しない場所でもあります。海洋の上に出ると、現代生活からの圧迫も見栄もなく、若者の心は自然に開放されていきます。海では自然の力が人間よりも遥かに大きいのです。太陽が海上に昇る時、全水平線が開け放たれ、心は偉大な思想へと啓発されます。波が船を揺り動かす時、生活のリズム自体が心の中で鼓動を始める。人は様式、力、美そして豊富さを持った、偉大なパノラマの一部を感じないわけにはいきません。そこでは神様の存在が鋭く感じられ、また明確に知ることができます。畏怖の念は普通の経験、ほぼ毎日の出来事です。

以下の説教によって、レバレンド・ムーンがその存在の確信に触れる、まさにこれらを体験しているということを、あなたは知ることができます。ためらうことなく、先生は自分の経験を共にいる人達、そして彼の後に来る人達のために、あらゆる可能な方法で分かち合っています。海に出て行く伝統は、実際的な責任を担った詩的な心の伝統でもあります。私達が読者にお薦めするのは、そういう伝統の精神だからです。

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神様に侍る一つの世界真の父母様のみ言と生涯の業績は、空を巻物にし、海を墨汁にして書いてもすべて記録することはできない。真の父母様は、聖婚以前に「統一原理」を探し出して摂理の出発を準備され、聖婚以降、基元節までの歩みにおいて、復帰の道を締めくくられた。人間始祖の堕落によって失ってしまったすべてのものを探し出して神様に還元し、新天新地の後天時代を迎えたあと、天一国の基元節を宣布された。筆舌に尽くし難い苦難を越えて、復帰摂理を完成、完結、完了されたのである。

基元節以降、天上の真のお父様と地上の真のお母様は、天一国経典の編纂、天一国憲法(教会法)の制定発布、グローバルな人材の養成、神氏族メシヤ活動などを通して、この地に天一国を定着させることに尽力された。

真の父母様が立てられた平和創建のためのビジョンと業績は、国境線のない一つの平和世界を成し遂げる礎石となり、人類に下さった真理のみ言は、神様と人間、宇宙の秘密を明らかにした新しい生命の道となり、生涯を通じて見せてくださった真の愛の路程は、孝子、忠臣、聖人、聖子の典型となった。

真の父母様は、天一国の太陽と月として、神様に侍る創造理想世界を永遠に照らしているのである。

24 全世界の統一家の祝福子女たちは、天地人真の父母様が生きてこられた伝統を絶対信仰で相続し、氏族メシヤの使命を全うしなければなりません。そうして、氏族と社会、国家、世界でその責任を必ず完遂し、天の父母様が願われ、天地人真の父母様が待ち望まれるように、全世界の人類を天一国の民として抱かなければなりません。そうしてこそ、この時代を生きている皆さんが、後代に恥ずかしくない先祖の位置に立つようになるのです。

天の父母様と天地人真の父母様が六千年間の蕩減復帰摂理歴史を完成、完結、完了され、新しい時代、新しい歴史の天一国を開いてくださいました。天の父母様の願いであり、天地人真の父母様の願いであった天一国が創建されたというのです。

皆さんはどのように、天の父母様と天地人真の父母様に、感謝と頌栄を捧げるのですか。皆さんを天一国の先祖の位置に立ててくださろうとする大いなるみ旨があることを、皆さんは知っていますか。真の父母様がこの地に来て生命のみ言を宣布され、天一国を開いてくださったことを、この国はもちろん、全世界の人々がみな知ることができるように証すべき責任が、皆さんにあります。

皆さんは、天の父母様と天地人真の父母様のみ前に、地上天国と天上天国を必ず開いてさしあげようと誓わなければなりません。その道に向かって全力投球、死生決断、中断のない前進をすることだけが、今の時代を生きている私たちの使命であり、責任です。

25 私たちの誇りと喜び、そして、幸福は、真の父母様なくしては、意味がないというのです。祝福家庭の願いは、地上天国の建設であり、神様と真の父母様に共に侍って生きることです。私たちの時代にできなければ、私たちの子孫を通してでも、必ずその日をこの地球上に迎えることが、私たち父母の責任です。

統一運動は、真の父母様と共に、必ずやみ旨を完成させます。ですから、それを見た後世の人々か本当に誇らしく思うことのできる皆さんの家庭となり、私たち自身になることを切に願っています。私たちは、既に決心して立ち上がった人たちです。私たちは、お父様が成し遂げようとされた天のみ旨を、この時代にすべて実現できるようにしてさしあげなければなりません。

26 お父様は、遅く寝床に就かれても、朝早く起きて、熱心に祈られます。風が吹こうと雨が降ろうと、夜も昼も、統一教会の子女である皆さんのために祈っていらっしゃいます。み旨を成し遂げるために深く瞑想されているお父様のお姿を目にするたびに、私(お母様)は本当に、神様が愛さざるを得ない方だと思うのです。皆さんもどうか、原理で武装し、主人と僕の閼係ではない、父と息子の関係としてしっかりと連結された心情世界において、変わることなく生きてくださるようにお願いします。つらいときは、いつでもお父様のお姿を思ってください。

27 人類歴史が始まって以来、誰もが平和で幸福な世界を追求してきました。しかし、そのような理想世界は成し遂げられませんでした。このような根本問題を解決してくださった方が、天地人真の父母様です。お父様は、九十年の生涯を通して、天の摂理を握り締め、全世界的に多くのことをしてこられました。

聖和される前に、二〇一三年一月十三日を基元節として立てておかれ、特に十三年間は、全力投球してこられました。まず、天の父母様の立場を立ててくださいました。苦痛と戦争と悲惨な歴史の中から抜け出すことができない人類にとって希望の灯台となられました。そうして、内的には神霊と真理によって教団を導き、外的には真の愛を実践しながら、多くの運動を展開してこられました。

28 私(お母様)の人生は海のようです。海は、空を抱くことができる十分な懐があり、空と一つになって、空の色と似ています。一番低い所で世の中のすべての水を受け入れます。海はすべてを抱き、すべての生命を宿します。

海の中には、あらゆる生命体が棲んでいて、恵み豊かに育てられます。月の引力に応じて潮の満ち引きの差をつくり節気を変えます。日ざしに呼応して水蒸気をつくり、気候を調節します。

静かな海は、表向きは平穏です。しかし、深い所では、大洋を動かす巨大な水流が滔々(とうとう)と流れています。一度荒波が起きると、津波のようにすべてをのみ込んでしまったりもします。人々は深い海の中の渦巻きを見ることができません。天の摂理はもちろん、私の生涯もこのように展開されてきました。台風のように吹きつける摂理の中心で、私だけが知っている、語ることのできない事情がたくさんあるのです。私は、その渦巻きに巻き込まれることなく、乗り越えながら勝利し、蕩減復帰摂理歴史を、お父様と共に終わらせることができたのです。

29 天の父母様は、(私を)ひとり娘として育ててくださり、真の父母の位置に現れるまで、多くの逆境と苦難の中においても守ってくださいました。真の父母としての歴史路程には、あなただけが御存じであり、あなただけが記憶される曲がり角ごとに、越えなければならなかった多くの事情がございます。しかし、天の父母様、感謝申し上げます。本来、あなたが願われた創造理想を成し遂げるために、真の父母を探し求めてこられる路程が、どれほど困難で寂しく、苦痛に満ちていた力を私たちは知っております。この地に天一国を宣布するまで待ってくださった天の父母様に、無限の感謝をお捧げいたします。

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孝子、忠臣、聖人、聖子の道真の父母様は、人倫と道徳の根本として忠孝思想を強調された。「孝誠は、家庭で子女が父母によく侍る徳目であり、これを訓練し、世の中の父母たちにまで、その愛の範囲を拡張していかなければならない」と語られた。そして、国家を越えて世界を爱する人が聖人でありさらに世界を越えて神様にまでその愛が到達すれば、聖子になることを強調された。

イエス様は聖子の道を歩まれ、その使命を二千年ぶりに真の父母様が引き継がれ、聖子の生きざまを人類に見せてくださったのである。

真の父母様は、神様を中心に侍り、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、神様から骨の中の骨、肉の中の肉、心情の中の心情であるという証を受けられた。生涯をかけて、言葉で言い尽くせない受難と茨の道を経て救援摂理を締めくくり、聖子の称号を受けられたのである。

11 私たちは、孝子になり、忠臣、烈女にならなければなりません。しかし、孝子は、困難の中から生まれるのです。忠臣も同じように、その国が平安な立場では出てきません。(忠臣は)国と国民が泰平で安らかなところから現れるものではありません。

国の事情が最後の峠にぶつかり、全体が死ぬか生きるかという逆境の場で、自分の生命を懸け、すべての精誠を尽くして国運を変え、国難を解いてあげる責任を果たした人であってこそ、「その国の忠臣である」と言うことができます。困難な時に忠という言葉、困難な時に孝という言葉、困難な時に烈という言葉が歴史に記録されるのです。

12 天の皇族になるためには、孝子、忠臣、聖人、聖子にならなければなりません。その訓練場所が家庭です。完成した家庭が拡大すれば、理想的な王国になります。常に家庭が中心です。したがって、男性と女性、二人の問題です。理想的男性と理想的女性が夫婦になって家庭をつくれば、すべてが完成します。理想家庭が拡大して国家になり、世界になるのです。「私」が家庭で奉仕し父母を敬うことによって孝子になるように、国の王に侍って、ために生きれば愛国者になるのであり、全人類のために生きれば聖人になるのです。

しかし、聖子は違います。聖子は、天上天国の法を全うした方であり、地上天国の法を全うした方です。霊界の法まで全うしたので、誰も讒訴できません。霊界をコントロールすることは問題にもなりません。地上をコントロールすることも問題ありません。どの国もすべて歓迎します。障害がないのです。自由です。そのような人が聖子です。

13 義人とは、国のために僕の僕の立場のような悲惨な立場で命を懸ける人のことを言います。自分が死ぬとしても、国のために死ぬ人が愛国者です。父母のために、僕の僕の位置でも感謝して父母のために生きようとするとき、その人に孝子という名称がつきます。これが、人間世界の道徳の骨子であり核心です。

神様のために、公的により僕になることが、義人となり得る道であり国のために僕よりもっと深刻な僕になることが、忠臣となり得る道であり、父母のために、より僕となった位置で犠牲になっていくことが、孝子となり得る道です。

14 愛国者の中には、数多くの孝子が入ります。孝子になれなかったとしても、愛国者になれば、自動的に孝子の位に上がるのです。忠臣は、偉人にはなれますが、聖人にはなれません。

聖人は、人類のために生きる人です。民族を越えて怨讐の国まで愛そうとした人です。聖人は、国の愛国者を従えることができる人です。聖人の位置に上がるようになれば、愛国者を治めることができるので、愛国者よりも聖人の道理を越えなさいというのです。

統一教会では、さらに一段階上の、聖子の位置について語ります。聖子は、神様の息子として、天の国の法を守るすべを知っています。人間世界の法だけでなく、天の国の宮廷法まで守らなければなりません。天の国の宮廷法を聖人たちは知りません。そのような意味で、聖子の位置に進むようになれば、聖人たちを治めることができるのです。

15 人に絶対に必要なものが、孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理です。自分を主張することはできません。まず、父母を誇らなければなりません。王を誇らなければならず、神様を誇らなければなりません。自分を主張してはいけないというのです。ですから、国にいる、家庭をもったすべての民は、王や大統領の近くに行こうとします。家庭全体が行こうとするのです。そうして、神様のみ前に行こうとします。神様の永遠の愛、絶対的な愛をもとうというのです。神様の愛をもつようになれば、永生が可能です。

神様は縦的なので、家庭が絶対に必要であり、国が絶対に必要であり、世界が絶対に必要です。その次には天の国が必要です。ですから、自分を主張するようになればすべて塞がってしまいます。

父母を愛するのは、「私」が父母の愛の化身になるためであり、国を愛するのは、王の権限を中心として、そこにおいて対等な化身になるためであり、天の国を中心として相対になって一体になろうというのは、天の国の化身、代身存在になるためです。ですから、神様のすべての相対圏は、私から天、世界、家庭にまで連結できるというのです。それが、人間が生きている間に成し遂げて、そこに合わせていかなければならない道です。完成する道なのです。

16 父母を愛する人を孝子と言います。それは、初めも愛であり、過程も愛であり、最後の結論も愛です。それゆえ、家庭の核は孝の道理です。家庭の核の上には、国がなければなりません。国の核は忠臣の道理です。それは国を愛しなさいということです。国の忠臣は、聖人の道理に従わなければなりません。聖人は世界を愛する人です。聖子は神様の息子、娘です。

孝子、忠臣、聖人、聖子、このすべてものが、核は核なのですが、愛を根拠にして核になっているのです。これを、漠然とそのように語ってきたのは、今後、終わりの時代に定着できる安定点は、愛以外にはないことを意味しています。ですから、男性と女性、夫婦同士で愛し合う人であってこそ孝子になります。孝子になって忠臣になるのです。忠臣になって聖人になるのです。聖人になって聖子になります。聖子になってすべての相続権をもつのです。

17 真の聖子、神様の息子、娘は、神様のために生きるのと同じように、神様に属するすべてのもののために生きようとする人です。私は、そのような聖子の道を行く人です。私は、神様も愛していますが、人類も愛しています。ですから、神様が「私の息子よ!」と言うのです。神様が「私の息子よ!」と言うことができる人は、神様のために生きるように、人類のために生きる人だからです。そのような人が神様の息子です。

自分のことを忘れて人類のために生きる神様なので、自分のことを忘れて人類のために生きるのが孝子だというのです。私たちは、孝子の道から忠臣の道、聖子の道を訪ねていきます。そのような内容を中心とした孝子の道理を通して、忠臣の道理を通して、聖子の道理を完成しておけば、その国が地上天国です。これが、そのまま天上天国に移されるのです。そのように移されるようにするためのものが、神様の創造理想でした。

18 誰も、父母様の行く道をまねることはできません。これを山で言えば、ヒマラヤ山脈のエベレストの山頂です。歴史始まって以来、神様の心に通じる孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を経てきたのです。神様の愛を完成させることができる存在は父母様しかいません。神様御自身が感謝の涙を流しながら、「すべてを失っても、探し出したお前は、世の中のあらゆるものの何百倍も価値がある存在である」と言って愛することができてこそ、釘が打ち込まれた神様の心情を解放してさしあげることができます。この上なく途方もない深刻な自分だというのです。

19 どの国の忠臣や烈女も、サタン世界の血統関係を越えることができませんでした。すべて塞がっています。神様の心情的愛、真の愛を中心として、神様と真の父母様が復帰路程で苦労したその道に皆さんが引っ掛かっているというのです。ですから、天地父母の心情を中心として、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を備えることができる「私」にならなければ、伝統を受け継ぐことはできません。

また、孝子の道を教えられた神様であり、その孝子となった人が真の父母だというのです。神様が愛国者として育て、それから聖人の結実体、聖子の結実体として育てたので、このすべてのものが伝統の位置だというのです。

20 良心は父母に優り、師に優り、国や全宇宙の主人に優っています。良心は、神様が願った愛の定着地だからです。神様は、父母の中の父母であり、師の中の師であり、王の中の王です。そこに定着できる良心に、そのように貴く侍って生きる人が義人になり、聖人になり、聖子になるのです。その道を外れては、孝子、忠臣、聖人、聖子の行く道がないというのです。

お父様が苦労してみると、結論は簡単でした。すべて私の中にあったというのです。神様のみ前で恥ずかしさを感じました。これを知って、脱力感を覚えたのです。

その位置を探し出すためにどれほど苦労したかを知れば、そこで涙で向き合わざるを得ない自分を見いださなければなりません。そして、皆さんは、涙で向き合える夫と妻にならなければならず、涙で向き合える民にならなければなりません。ですから、涙なしには復帰の道を行けないことを知らなければなりません。

21 私は、今まで孤独な道を歩んできました。今も孤独です。愛する人に会えなかったからではありません。妻子のいない人でもありません。皆さんのような同役者(一緒に仕事をする人)もいます。しかし、世界を中心として、神様を愛して解怨成就をしておくことができず、孝子と忠臣の道理を果たせなかったので、孤独な道を行かざるを得ません。今も、その道を行くのです。

一生が終わっても、その道が残っているとすれば、どうしますか。それでも、行かなければなりません。皆さんが老いて死ぬまでその道に従っていっても、み旨を成し遂げることができないかもしれませんが、それでも行かなければならないのです。世界のための道なので、永遠に行かなければなりません。神様が永遠なので、神様を中心とした愛の道も途切れることがないのです。

その道は、死んでも行かなければならない道です。霊界は時空を超越した世界なので、千年の期間でも、霊界では一日と同じです。ですから、私たちがこの地で千年かけて成就したことも、一年かけて成就したのと同じだと思って行かなければなりません。その道は、真の愛の道です。

22 天宙の勝利者になろうとすれば、神様を解放しなければなりません。私たちが神様を解放しなければならないのです。ですから、自分の願いを中心として祈ってはいけません。お父様は、自分の志のためには祈りません。神様のみ旨のために祈るのです。

神様が願うのは、「私」自身の救いではありません。神様御自身の解放を願うのです。それでこそ、私自身の救いの道理が始まります。これは根本問題です。

23 お父様は、生涯をみ旨の解放のために生きてきました。メシヤはみ旨の解放のために生まれ、み旨を中心として、生涯を通してみ旨を完成し、解放圏を成し遂げなければなりません。解放圏は、天の国の解放であると同時に、神様の解放を意味します。その次には、堕落した父母によってサタンの血統をもち、囹圄(牢獄・獄舎)の身となっている人類を、このサタンの監獄世界から解放し、さらに、嘆息している万物まですべて解放しなければなりません。今までパンタナールを訪れ、釣りをして山を訪ね回るのは、そのような心情的連帯を、自然と共に結ぶためです。神様を愛する心、人類を愛する心、万物を愛する心で、終着点にこれを結束させ、このすべての蕩減歴史と、すべての経済基盤を造成すべきみ旨を中心として、今まで歩んできました。

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19 真の父母様のみ前では、無条件にみな孝子、孝女にならなければなりません。そして、兄弟たちが真の愛によって一つにならなければなりません。父母は、優れた子女よりは、足りない子女に対して、より心配をするようになります。子女たちを育ててみれば、みなそのような心情が分かるでしょう。それと同じように、困難な状況にある兄弟たちに対して、さらにために生きる心で愛するようになれば、私たちの基盤はもっと大きくなるでしょう。

私たちには、真の父母を中心とした、真の家庭の固い絆があります。皆さんが、み旨を中心として、環境を広く、深く、高く創造するに従い、私たちの基盤は、より一層、大きくなるでしょう。私たちの目標は一つです。天の父母様と天地人真の父母様を中心とした一つの世界、統一世界をつくることです。

20 兄弟間の争いは、父母の気持ちが分からず、父母の深い心情をよく推し量ることができないために起きるのです。真の愛を中心として心情関係を結んでこそ、父母の気持ちが分かるようになります。また、真の父母様と一心、一体、一念、一和を成し遂げるようになります。考えと感情と言葉と行動が一つになって現れるのです。そうして、真の父母に似た真の子女の生活をするようになれば、相手と自分が別々ではなく、一つの血統であり、同じ兄弟姉妹であることを感じるようになるでしょう。

誰もが願う幸福な人生と平和な世界を、私たちは築くことができます。隣人を自分の体のように愛し、怨讐までも赦しながら、世界平和のために一つにならなければなりません。天の父母様に侍る一つの世界、人類が同じ兄弟姉妹として大家族になるその日まで、力強く、勇ましく進まなければなりません。

21 祝福結婚とは、堕落した人類が真の父母様によって新しい生命を受けるようになることを意味します。堕落世界が、汚染され、混濁した所であるとすれば、祝福家庭は澄んだ水、生命水と同じです。しかし、澄んだ水も、よどんでいれば腐ります。大海に向かって流れていかなければなりません。生命水が流れていくところでは、死にゆく生命体がよみがえるのです。澄んだ水、生命水によって、混濁した世の中を清くしなければならない責任が、氏族メシヤにあります。今、氏族メシヤ運動が巨大な波となり、タイとフィリピンを越え、アジア諸国を経て、ヨーロッパ大陸、南北米大陸、アフリカ大陸、オセアニア、中東を経て大海に押し寄せています。この波が通過するところには、無数の生命体が新たに誕生するでしょう。

今、世の中には、私たちが期待できるものが何もありません。私たちが世の中に、真の父母を知らせてあげる道しかないのです。「私」の家庭と氏族、国、そして、世界が、摂理のみ旨の前において真の父母様と一つになり、巨大な波をつくって、五大洋六大州を駆け巡るとき、天の父母様が願い、人類が願った、「神様のもとの一つの世界」、すなわち地上天国が実現されるでしょう。その日のために、世界の祝福家庭は、天の父母様はもちろん、真の父母様と一心、一体、一念、一和になり、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情で、世の中に堂々と真の父母様の顕現を知らせ、世界人類が天一国の民になるように導く美しい孝子、孝女、忠臣にならなければなりません。

第四節 天一国定着の道真の愛、真の平和の道愛と平和は、真の父母様の生涯にわたるテーマであった。そのため、真の父母様は、真の愛の道を歩まれながら、個人、家庭、氏族、民族、国家と世界を塞いでいた塀を撤廃し、超国家、超人種、超宗教活動などを通して、世界を一家族にし、永久的平和を定着させるためのビジョンを提示されたのである、真の父母様が歩まれた真の愛、真の平和の道を誰もが行くとすれば、神様と人類の願いである天一国が定着するであろう。

1 私は、神様のために愛の道を行きました。愛のために夜を明かし、愛のために痛哭し、愛のために千里の道を走り、愛のために大洋を渡り、愛のために異民族を愛そうともがき苦しみました。それは、どれほど困難な道でしょうか。皆さんは易しいと思うかもしれませんが、とても困難な道です。唖然とする時がたくさんあります。すぐに荷物をまとめて立ち去りたい時がたくさんありました。私がしなければ、また別の誰かがしなければならないので、私がするのです。

2 真の愛の道は、開拓の道です。踏んでいくのです。父母が行った道を、「私」も行かなければなりません。神様が何億万年前に行った道を、私たちの縦的な一代の先祖たちが厳然とたどっていかなければならなかったのです。それが原理の道です。

知らずに堕落したので、復帰の道を訪ねていくのです。父母様が原理を知って復帰の道を訪ねていくためにどれほど苦心し、サタン世界の困難な個人的、家庭的な讒訴の道を越えるためにどれほど苦心したか分かりません。これは、原理原則的な足場がなければ越えることができません。しかし、父母様は原理の道をたどり、サタンの個人的讒訴条件を原理原則で越えたので、サタンの讒訴が離れていきます。家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的基準まで、原理の道をたどってきているのです。

3 真の愛は、生命を投入して忘れてしまうところから始まります。そこに神様が臨在します。それが父母の愛です。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうのです。堕落以後、神様はそれを継続してきました。全人類が救援されるまで行うのです。どれほどかわいそうな神様でしょうか。そのような神様を父母として、侍らなければならないことを知ったので、一生の間監獄に入り、ありとあらゆる悪口を言われても変わりませんでした。

4 人間始祖が堕落したのちに、多くの壁が立てられました。個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な壁が生じました。その七段階の壁が、皆さんの道を塞いでいます。それらをどのように崩すのでしょうか。その壁が立っている基盤が体です。それゆえ、常に体が問題です。個人的な壁、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的な壁、すべてのものが体を基盤としています。体は、その数多くの壁を崩すことができません。ですから、残っている壁は、常にサタン側に属するようになるのです。皆さんも、それを否定できないはずです。父母様はそのような事実を知りました。

ですから、父母様にはいかなる迫害が来ても問題ではありません。「道をまっすぐに行かなければならない!」といことが問題です。ジグザグに神様の道を行くことはできません。真の愛の道は直短距離です。直線で行くのです。それゆえ、父母様は一生の間、サタンの迫害を受けました。

5 真の愛は、作用をすればするほどマイナスになりません。入力より出力が大きくなるのです。自然の力は、入力より出力が小さいのですが、真の愛は、入力より出力が大きいというのです。このような内容で、それが持続します。ですから、父母様は生涯を通して、すべて投入して忘れてしまいました。

それでは、真の愛の結果はどのようになるのでしょうか。世界が集まってきます。父母様が一生の間、このような公的な道を代表して、苦労しながら歴史をたどってきたことを思えば、皆さんも、我知らずに涙がぼろぼろ流れます。誰がそのように泣かせるのですか。真の愛には、万民を越え、宇宙を越えて感動させる力があります。

6 真の愛は、どのような悲惨な状況も克服させます。そこには不平がありません。完成、成功、成就があるのみです。私たちは賢い人々です。私たちは、その概念をすべて把握して自動的に従っています。天が開かれるのです。

このようなことを父母様は構想しながら、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に迫害される環境をすべて経て、個人的な勝利、家庭的な勝利、氏族的な勝利、民族的な勝利、国家的な勝利、世界的な勝利の版図をつくり、今日まで宗教界で最高の頂上の位置、政界でも最高の頂上の位置、文化面やあらゆる面で、最高の頂上の位置に立ちました。迫害を受けることにおいても、歴史上、最高の迫害を受けましたが、最高の位置に到達した人は、歴史始まって以来、父母様しかいないというのです。

7 復帰というのは再創造ですが、救援というのは「改造」です。病気になった人が、ただそのまま治ればよいのです。それが救援です。堕落したので再創造、蕩減復帰をしなければなりません。皆さんは、ただそのままでは救われません。

再創造の過程を経なければなりません。ですから、父母様を絶対に信じなければなりません。神様を知る道で、自分の考えをもってそのようにしたのではありません。「このような原則によって、このような動機から出発しなければ、真の愛ではない」と思いながら、原則を明らかにしていったのです。真の愛を知ったので、すべて明らかにしたのです。真の愛は直短距離を通ります。このような原理を探し出すために、お父様がどれほど身もだえしたか分かりません。冬の三ヵ月(陰暦の十月、十一月、十二月)にはいていた綿のズボンが濡れて絞らなければならないほど涙を流す、苦痛の道を経てきたのです。人類を子女として救うために、全身の皮を剥ぎ取って売り、肉を剥ぎ取り、骨を削って、骨髄まで絞って犠牲になっても、行かなければなりません。

神様の心情を知ったので、自分には無慈悲なのです。サタンの後継者になって、サタンの血統を残しておいてはいけません。自分のすべてのものを否定しなければなりません。

8 愛は神秘的です。そして、終わりがありません。終わりがなく、どんどん進んでみると元の位置に来るというのです。そのように継続していく人は、成功するようになっています。億万年進み続けることのできる力の動機、そのような源泉をもつことができる何かがあります。これは、いくら投入しても嫌気がさしません。

私がそうです。今まで一生の間、毎日のように、ほかの人と同じように眠ることはしませんでした。人と同じように、時間を守って御飯を食べて生活することができませんでした。人と同じように楽に暮らしてみたことがなかったというのです。ひたすら、せわしなく駆け回りながら生きていますが、それでも私は疲れを知りません。愛の心は青春です。心は老いることがありません。

生涯を通じて、愛を中心として苦労するほど、そこには爆発力があるというのです。ですから、世の中で最もハンサムで、最も代表的な若者がいるとすれば、その方は神様であり、その次にはお父様でしょう。

9 ダンベリーでいつも忘れなかったことが愛の道でした。どんなに困難でも、大きな愛の道を願ったというのです。過去に私たちの信仰の先祖たちがそうだったように、イエス様が死を覚悟して行ったのと同じように、お父様も命を懸けてそのようにするのです。その愛は、命以上のものだからです。生命は愛から出発します。ですから、その愛の道を訪ねるためには、命以上のものとして訪ねなければなりません。そのようにしなければ、真の愛の道を訪ねていけません。死の道を行ったとしても、愛の道を選ぶのです。これは絶対的です。

そのような人は、歴史始まって以来、お父様しかいないというのです。このような内容をもって実践躬行するために、歴史時代に四十年間、あらゆる辱めや受難を受けても、死の峠を越えても、この道を捨てませんでした。それは、真の愛というこの絶対的な宝物を知ったからです。このように歩んでみると、今や世界的に有名になりました。何かの栄光をつかむことや成功を願いながら歩んだのではありませんが、人々から「滅びる」と言われる立場で歩んでみると、私も知らないうちに、このように成功したと結論を下せる世界的版図ができていたというのです。

10 宗教と政治は別のものではありません。別のものになっていれば、平和の世界は成し遂げられません。二つに分かれては、平和の世界になることができないのです。平和の世界は一つです。理想世界は二つではありません。一つなので、一つの方向に収拾しなければなりません。

世界的に、宗教と国々を収拾する人は、父母様以外には誰もいません。父母様に従ってくれば、世界平和に至る一番の近道を行くことができます。父母様は、新しい理想世界、第三の世界を願っています。父母様以外には、共産世界と民主世界を動かして一つの理想世界に進むことのできる道を知っている人はいないのです。

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10 お父様がダンベリーにいらっしゃったその一年間は、言葉に言い表せない出来事が私たちの内外でたくさん起きました。それらの事件は、摂理的に見るとき、決して損害を受ける出来事ではありませんでした。神様の憐れみと赦しと愛を人類が受けることのできる、そのような道を開かれたのです。

興進君の聖和と「愛勝日」の宣布以降、お父様がダンベリーで「開天門の日」を立てられるまで、どれほど多くの内的闘争があり、摂理的な勝利をもって終結するための努力と苦痛がいかなるものだったかを、皆さんは想像すらできないでしょう。私(お母様)もやはり、ダンベリー刑務所に共に入りたいという思いを数千回以上も抱きながら、お父様が経ていらっしゃる苦しみを推し量るばかりでした。

11 皆さんはこの時点、この瞬間が、どれほど貴いかを知らなければなりません。ヨシュアとカレブは、どちらも名門の家の子孫でした。年を取るまで、天のみ前に忠義を尽くしたのです。カレブの立場からすれば、不足しているものは何もなかったにもかかわらず、ヨシュアと一つになったというのです。「自分のほうが優れている」とは言わず、ヨシュアを立てたというのです。カイン・アベルが復帰されたこのような基台を立てた上で、イスラエル民族を通してメシヤが来ることができたのです。

私(お母様)は、私たちの指導者たちを見ながら、このような面に思いをはせています。互いに愛し合い、誇りに思う文化が定着していません。私たちは、互いに大事にし、愛し合う気持ちが、世の中のどの団体よりも強くなければなりません。真の父母の子女なので、違わなければならないのです。今からでも、皆さんを通して、私が環境創造をしたいと思います。

高くなろうとばかりするのではなく、互いにために生き、育て合い、誇り合うようになれば、全体が大きくなれるのです。自分だけが優れていると考え、自分が最高であると考えて、自分の考え以外にはないと思う団体や個人は、発展しません。自己中心的に進めば衰退していき、ために生きる生活を実践すれば発展するようになります。絶対に、自分によって苦しむ人がいてはいけません。私たちは、生命を生かす人々です。兄弟と食口とすべての人々を、愛で抱かなければなりません。

12 お父様は、一九七一年にアメリカに行き、「私は医者として、消防士として来た」と語られました。天がそれほどまでに準備され、自由世界の砦として立てておかれたアメリカは、本来の天のみ意に従う方向とは違う、家庭破壊の退廃文化と共産主義思想によって、存亡の岐路に立たされていました。天がアメリカを、どのように苦労して育ててきたかをよく御存じのお父様は、もう一度第一線に立って、宗教と思想問題において共産主義の脅威にさらされているアメリカを救おうと、孤独な身で向かわれたのです。

そうして、到底、人間には成し得ない多くの業績を残されました。アメリカを生かそうとしたのは、天の父母様のみ意に従い、世界の人類を救うという目的があったからです。そして、揺れる自由世界、民主主義が揺らぐその国で、お父様は「許せ、愛せ、団結せよ」というみ言を下さいました。アメリカのすべての善なる人々の目を覚まさせてくださったのです。自ら、愛を実践されました。

しかし、アメリカは、そのようにために生きる生活を実践してこられた方を、ダンベリーに追いやりました。ダンベリーに向かわれながら、お父様は「一つになりなさい」とおっしゃいました。「私が向かうあの後ろに、どのような天の祝福があるか分からないから、あなたたちは強くありなさい。堂々としていなさい」と叫ばれました。世界の摂理歴史において、アメリカを救い、世界を救った方が、真の父母様であられます。

13 お父様は、人種間の統合と理解を促進するために、あらゆるものを捧げてきました。お父様は、御自身に反対する者たちを愛しています。お父様は、昔、御自分を罪ある者として追いやる人々を赦し、今までの誰よりもアメリカを愛しています。お父様は御自分が、偏見によるあらゆる形態の抑圧に対抗して闘っているアメリカの人々に勇気を与える、一つの道具として用いられたと考えているので、神様に感謝しているのです。

お父様は国際的に、宗教間の和解と一致、そして、人種間の調和のために努力してきました。イエス様は私たちに、一つの愛する人間家族として、働き、学ぶように教えてこられましたが、その思想は、正にお父様の信念なので、あらゆる形態の宗教的偏見と不寛容性、そして、人種差別を終わらせるために、献身的な生きざまで、聖職生活に一生を捧げているのです。

一つになる生活人間は、二重目的をもつ個性真理体であるため、連体(有機的に連帯し合っている関係)的な存在であることを自覚するとき、一つになる道が開かれる。「私と人はつながっている」という自覚は、無知と堕落性によって阻まれている。無知と堕落性を真理と愛で克服すれば、人間の本性が啓発される。その場に神様が臨在されることを戦慄が走るように感じなければならない。神様に常に侍り、真の父母様のみ意を推し量り、愛と知恵によって人生と世の中を経綸すれば、私から天宙まで、一心、一体、一念で一つになる役事が起きるであろう。

14 私たちは、どのようにして一つになることができるでしょうか。何より、天の父母様に出会わなければなりませんが、それは簡単なことではありません。人類始祖が堕落したからです。堕落によって、人類は無知に陥り、創造本然の本性が隠されてしまいました。無知の壁は六千年間、積もりに積もって、高く、分厚くなり、堕落性の川は広く、深くなりました。人間の力だけでは、この壁を越えたり、この川を渡ったりするのは困難です。愛の本体であられる天の父母様は、常に私たちを助けてくださる準備ができています。すべてのことは、自分自身にかかっています。良心を目覚めさせなければなりません。良心は、第二の天の父母様です。神霊と真理によって常に目を覚まして祈り、万享に感謝する生活をすれば、天の父母様の声を聞くようになり、戦慄が走るように感じるでしょう。

ここからさらに進み、すべての人は、天の父母様の代身者に出会わなければなりません。人類歴史は、一つの中心を立てるための復帰摂理歴史です。二千年前、天のひとり子としてイエス様が立てられましたが、イスラエル民族の不信によって、十字架で亡くなられました。天の摂理は、再び再臨の時まで延長されざるを得なかったのです。ついに人類は、再臨主がこの地に来られ、天の新婦であるひとり娘を探し出し、真の父母として顕現された祝福の時代を迎えています。人類は、天の父母様の代身者であられる真の父母に出会い、侍って、従わなければなりません。そのようにしてこそ、六千年間、続いてきた原罪を清算できるのです。愛と知恵に満ちあふれた創造本然の人間に、生まれ変わることができるのです。

15 私たちは歴史を通して、選ばれた民族と責任者、国々が責任を果たせなくなるとき、いかに大きな蕩減を払ってきたかを見てきました。大きな祝福を受けた位置は、自分だけの位置ではありません。世界全体が一つになれるよう、責任を果たさなければならないということです。

地政学的に見ても、日本は韓国と一つにならなければなりません。一国が豊かに暮らすとしても、アジアの他の国々と一つになれなければ、永遠には続かないでしょう。一つになる道だけが、生き残ることのできる道であり、また、深刻になっている地球の環境問題や、様々な問題を改善することのできる道です。日本も多くの問題があるのですが、真の父母様に侍って一つになるとき、すべての問題点が一つ一つ取り除かれていくでしょう。日本の祝福家庭と国民が、真の父母様と一つになって、アジアを救い、世界を救う活動の先頭に立ってくれることを願います。

16 私(お母様)は先日、アルプスの十二の霊山を上り下りしました。もう一度皆さんを赦し、抱こうとしたからです。お父様は、「一つの世界になれば、判事や検事、弁護士が必要ない世の中になる」と語られましたが、私たちがそのようにしなければなりません。万王の王であられる真の父母様に対して、私たちはそのような環境をつくってさしあげなければなりませんでしたが、その責任を果たすことができませんでした。足りなかったことを悔い改め、反省しながら、最善を尽くして天の期待の前に栄光をお返ししようという気持ちをもたなければなりませんe

もはや、私たちの教会にサタンが入ってくることのできる隙間を与えてはいけません。一つにならなければならないのです。それぞれ自分の主張ばかりしてはいけないというのです。声を一つにそろえるのです。そうしてこの国と世界の前に見せてあげなければなりません。生きていらっしゃる天の父母様、真の父母様の権威を立ててさしあげなければならないのです。父母様と一つにならなければなりません。指導者たちも食口たちも、互いに心を一つにし、このみ旨成就のために、もう一度決意して立ち上がらなければなりません。

17 多くの国々にはみな、彼らなりの夢があります。特に、その国を指導しているリーダーたちや責任者たちは、国民を成功に導き、豊かに暮らせるようにしたいという思いがあるでしょう。しかし、自国の利益だけを追求し、幸福と自由と平和を謳歌するというのは、今の状況では不可能です。今日の世界には、多くの国境線があります。また、人種紛争をはじめ、宗教紛争など、到底言葉にすることのできない紛争が起きています。

しかし、創造主であられる天の父母様に侍るようになるとき、世界人類がどのように進まなければならないかを、私たちは知るのです。その進むべき道を教えてくださった方が、真の父母様です。真の父母によって、すべての国々が兄弟国として一つになれます。全世界が心を一つにし、志を一つにして動くとき、今、人類が悩んでいるすべての問題が解決されるのです。

18 皆さんが何よりも急いですべきことは、「一つになろう」という運動です。もちろん、個人においては体と心が一つになった立場で、み旨を中心として一つになることが重要です。子女の皆さんの立場で考えるとき、兄弟間で一つになるのは難しく、大変ですが、必ずしなければならないことだと思います。そうして、皆さんが真の父母を中心として、三人が完全に一つになった立場で、その基台を広げていくならば、み旨は成就するでしょう。世界の縮小型であると考えることのできる四位基台において、横的な数は三人です。四位基台の横的な三人が真の父母を中心として一つになれば、世界を一つにするのは易しいことだと考えます。

これを世界的に広げてみるとき、世界は三人が一つになって成し遂げる四位基台の拡大的形態で成り立っていると考えることができます。この世の中を眺めるとき、優れた頭脳をもった知的な人、権力や力をもった人、また、経済的な力をもった人を無視することはできません。この三つの部類の力が世界を支配していると考えることができます。そのような力を縮小して考えれば、自分一個人に集約させて考えることができるのですが、皆さんが互いに、対話を通して理解し、愛し合いながら協助していけば、一つになれないことはないと思うのです。

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第三節 天一国国民の生活感謝する生活天一国は、真の愛を中心として、天上と地上が一つになり、体と心が一体となり、自然と共に生きていく世界である。天一国の国民は、言葉のとおり、創造本然の生活をしなければならない。天一国が完成するときまで、神様が常に「私」と同行、同苦、同楽するのを感じることができなければならない。そのためには、常に喜び、祈り、万事に感謝する生活をしなければならない。感謝する生活には、天運と天福が共にある。真のお母様は、心を無にするとき、感謝する生活が始まると教えてくださった。

1 私(お母様)の生涯の座右の銘は、いかにしてきのうよりきょう、さらに感謝の気持ちをもって生きていくかということです。きのうよりきょう、さらに感謝し、あすはきょうよりもっと感謝しながら生きるために努力してきました。日ごと、感謝の気持ちをもつことが、私の人生の目標でした。お父様はダンベリーに出発される直前に、「不平を言ってはいけない。立てられた立場で感謝し、感謝することによって完全に一つとなったとき、大きな奇跡が起きる」と語られました。

2 皆さんは心を無にしなければならず、悔い改めなければなりません。高い位置にいる人は心から低い位置に降りていき、毎日の生活において天に感謝し、自分自身についても、「このように新しい出発をすることができて感謝だ」と言わなければなりません。

「きょう一日も、これまでできなかったみ旨のための活動に、最善を尽くすことのできる一日となるように導いてください」と言いながら、感謝の気持ちをもって生きるようになれば、周囲がすべて美しく見えます。そして、幸福になります。自分だけで大事にしまっておくことができないので、伝道をせざるを得なくなるのです。

3 本当に一〇〇パーセント感謝するとき、心と体が統一されます。そして、皆さんの周辺が幸せになります。皆さんが、天の下さった祝福に感謝する心をもって生活すれば、周辺をさらに幸せにすることができ、祝福を家庭と社会と国と世界に広げていけるだろうと思います。歴史始まって以来、一度しか来られない天地人真の父母様と共に活動した皆さんは、幸福な人です。

4 皆さんが責任を果たせなければ、蕩減というものが残ります。それはどうしようもありません。驕慢な態度を取らず、感謝の気持ちをもって生活しなさいというのです。本当に天に対してや、兄弟に対して感謝できる思いが湧けば、平和が訪れます。自分が自由になるのです。拘束を受けなくなるのです。

5 私たちは常に感謝しなければなりません。まず神様に感謝し、その次に、夫に感謝し、妻に感謝し、隣人たちに感謝しなければなりません。感謝すればするほど、より深い愛が連なって流れ込んできます。たくさん感謝をすればするほど、その感謝に比例して、神様の愛の量がさらに増えるでしょう。ですから、私が死ぬときには、感謝の言葉を世の中に残し、愛だけをもって父のみ元に帰ります。愛の中で永遠に生きるのです。そのときには、どれほど神様をあがめ、感謝しながら生きるだろうかというのです。それが夢です。

私たちは、愛の祝福の場に行くために、感謝する生活をしなければなりません。不幸にぶつかれば、神様もそれを御存じです。世界で最も不幸な状況にぶつかったとすれば、神様がそれを記憶せざるを得ません。その場で感謝することによって消化するようになれば、神様が「信じられる人だ」と言われるのです。それを越えていけば、世界にまたとない福を受けます。このような原則があるというのです。

6 今まで神様が苦労されたのは、結局、「私」のためであり、これから行くべき世界的な開拓路程の九五パーセントの使命も、私のために既に担っていらっしゃることを考えれば、私たちは神様に感謝せざるを得ません。ですから、信仰生活の本質は、神様に感謝することです。そのような気持ちが存在するとき、神様と一つの絆で結ばれる基になるのです。

自分がこの世で良い立場に置かれたときにのみ、感謝しなければならないのでしょうか。違います。神様は今まで、良いときにだけ私たちのために苦労してこられたのではありません。困難なときほど、さらに苦労することを決意してこられたのです。ですから、私たち自身も、神様を自分の父として侍るためには、私の代わりに働きながら闘ってこられた神様に対して、良い立場で感謝するよりも、困難な立場でさらに感謝しなければなりません。

赦し、愛する生活真の父母様は、神様のためであれば、赦せないことも赦され、人類のためであれば、怨讐までも愛された。赦しと愛には、偉大な力がある。赦しは人の心を開き、愛は人を動かす。真の父母様の奇跡のような生涯の業績は、赦しと愛の生活によって成し遂げられたものである。真の父母様は、赦し、愛するようになれば、争いがある所に和解があり、紛争がある所に和合が広がり、戦争がある所に平和が訪れるようになると語られた。

7 お父様は、怨讐の名前を覚えていません。一日だけ過ぎれば、すぐに忘れます。すべて忘れてしまいました。ですから、怨讐がいないのです。怨讐の息子、娘が御飯を食べることができずにいるとすれば、私が米を買ってあげ、お金がなくて学校に行くことができずにいれば、学費を出してあげました。そのようにしてきてみると、滅びなかったのです。

ですから、お父様の名前を見るだけでも、サタンは後ろに退くようになるというのです。それゆえ、統一教会は発展するのです。統一教会が反対を受けながらもどのようにして発展できたのかというと、そのような愛の道理に従って原則を守ってきたので、神様が保護してくれて、そのように発展したというのです。神様が守ってくれ、サタンも破壊しなかったので、発展したというのです。

8 お父様は、日本統治下で独立運動をしたとして捕まり、死ぬほど拷問を受けられましたが、誰よりも日本のために祈り、日本の食口たちを愛されました。それで、私たちの教会には日本の食口たちが多いのです。また、世界各国のNGO(非政府組織)にも日本の食口たちが出向き、大活躍をしています。光復以降には、共産治下の平壌に行き、み言を伝えながら、無実の罪で二度も投獄されました。それにもかかわらず、「死の労働収容所」と言われた興南肥料工場で「監獄の中の聖者」という呼び名を得たのです。一九五〇年十月十四日は、北朝鮮の人民軍が撤収しながらお父様を処刑する日でしたが、その日、九死に一生を得て、脱出することができました。

四十年が過ぎた一九九一年、私たち夫婦は、金日成主席に会うため、当時の興南監獄を通り過ぎ、咸興の主席公館に向かいながら、万感の思いが胸に迫りました。そのときに、南北統一の新たな礎石を据えたのです。天の父母様は、赦し、愛する所に奇跡を起こされることを、改めて確信しました。

韓国でも無実の罪で獄中の苦労をされましたが、父母様は世界で愛天、愛人、愛国の精神と文化、そして、韓国語を教えられました。一九七〇年代、八〇年代には、アメリカやイギリスなどの地で、西洋の食口たちが「愛国歌(韓国の国歌)」を韓国語で歌う姿を目にし、感動の涙を流したという話もたくさん聞きました。

アメリカでも、ダンベリーの監獄に無念にも行かれましたが、アメリカを動かし、世界を救うために、あらゆる努力を傾けられました。その結果、多くのアメリカの指導者たちとキリスト教の牧師たちが冷戦を終息させるために先頭に立って歩み、それ以降も、超宗教平和運動のために共に力を合わせています。お父様は一言で言って、赦しと愛の人生を送られたのです。

9 ダンベリーにおける十三ヵ月間の言うに言えない受難は、もう一度父母の立場で、世界の前に、赦し、愛で抱かれる手本の生活となったことを皆さんは知っています。天は、愛によって人間に向き合ってこられながら、常に打たれて奪ってくる作戦を取られることを、(私たちは)知っています。歴史始まって以来、お父様以外に、自ら愛の化身となり、実践して行動した方がどこにいたでしょうか。ですから、天ですら感動せざるを得ず、いくら邪悪な人間だとしても、その愛の前に溶けざるを得ないことを、私たちは目撃しました。

お父様は、韓国社会の知識層である教授たちをはじめ、「国際勝共連合」の幹部たちから班の支部長たちに至るまで、全国的に教育を施しました。天を中心とした真の父母様の真の愛の理念が、全国にこだましています。「ただ、この真の愛だけが人類の希望である」と語られたのです。自分個人においては、心と体が真の愛を中心として一つになり、また、家庭においては、妻と夫が真の愛を中心として一つになり、さらには、氏族と国家、世界が、真の愛を中心として一つになることだけが、私たちの生きる道であることを力説されました。

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二世教育と未来の指導者養成真の父母様が天一国の開門をなしてくださったので、祝福家庭と子女たちは、天一国の定着をなさなければならない。天のみ旨と心情、そして、真の父母様の伝統は、真の父母様のみ言と生涯路程を学び、真の父母様を証し、真の愛の生活を実践するときに伝承される、真のお父様の聖和以降、真のお母様は、二世たちを、天一国を率いていく立派な人材として養成するため、天宙平和士官学校を開校し、二世特別修練会を開催するなど、多くの精誠と努力を傾けられた。

27 いまだに私たちが生きている世の中はサタン世界なので、皆さんが二世たちを育てるに当たって、まず心情的に原理が入らなければなりません。そうして、中心が立って絶対「性」を守る立場では、踊ってもよく、音楽をしてもよいのですが、成長して祝福を受けるまでは、よく面倒を見てあげなければなりません。

私(お母様)は、教会の復興と二世教育について強調しました。「祝福家庭の二世と世の中までも包括して、指導者たちを養成するために私が奨学金を出す」と話したのです。

28 統一家を導いていき、未来の責任者になるべき二世たちを見るとき、心配なことが多いのです。結論的に言えば、私たち全員が、責任を果たせなかったということです。このようになった現実に、私(お母様)が一度に責任を負わなければならない立場です。そうしようとするので、私がどれほど大変か、皆さんは分かりますか。内的なことから外的なことまで整備しなければならない立場なので、簡単なことではありません。

新しい家を建てるなら簡単です。しかし、建てられている家を再び直して修理し、きれいにするには、さらに多くの努力とお金がかかります。これを私が引き受けました。ですから、皆さんがそれぞれ責任を全うして、私を助けてくれなければなりません。

29 私たちの教会は六十年の歴史をもっていますが、二世たちのための環境ができていません。二世たちが、み旨の前に大きな役割を果たせるようにしなければなりません。子女がみ旨の中で育っていける環境を父母がつくってあげなければなりません。新しい歴史が出発している天一国時代に、二世を世の中から保護し、天一国の未来を担える指導者たちとして養成しなければなりません。

30 お父様が乗っていらっしゃったヘリコプターを売却する計画です。それで、お父様に報告しました。「私はこれを売って、後代のための指導者を養成し、二世を養育するための奨学金として使います」と申し上げました。すると、「お母様の思うとおりにしなさい」とおっしゃいました。

ところが、いざそれを永久保存できずに売らなければならないと思うと、とても心が痛みました。それでも、お父様をこの国と全世界に知らせ、統一教会が力強く栄えていくのを、人類と天のみ前に見せてさしあげたいと思うのです。

31 二世の皆さんは、学校でも、どのような所でも、真の父母様の子女であることを堂々と示さなければなりません。それが伝道です。学生は、学校で最高の学生にならなければなりません。一番にならなければならないのです。どのような環境にいようと、皆さんは最高にならなければなりません。

世の中の人々が二世たちを見つめていることを知らなければなりません。ですから、そのような中にいる皆さんは、どのようにしなければなりませんか。一生懸命に勉強し、またしっかり成長して、天のみ前に大きな人物にならなければなりません。真の父母様が成し遂げようとされているそのみ旨を、二世たちが共に成就できる位置に立つとき、世界の人が何と言うと思いますか。皆さんは勝利者になるのです。

32 人間の生は有限です。しかし、私たちが父母様のみ旨に従って実践躬行する生活を送るとき、永遠の世界で私たちは祝福される位置、愛を受ける位置、中心人物になる位置に立つようになることを肝に銘じなければなりません。このように見るとき、私たちの二世は、希望的で幸福な人々です。

皆さんが一生懸命に行動し、実践すれば、新しい生命を得る人が多くなるでしょう。そうなれば、真の父母様は「すべて成し遂げた」とおっしゃるでしょう。神様を中心とした自由、平和、統一、幸福があふれる世界には、世の中の法は通じません。弁護士、検事、判事が必要ない世界です。

それでは、私たちはどのようにしなければならないのでしょうか。その幸福な世の中に全世界の人類がすべて同参できるように、彼らに真の父母様を紹介し、教育しなければなりません。そのようにするときにのみ、この時代を共にした誇らしい祝福家庭、誇らしい統一家の指導者になるでしょう。

33 今は、教育に重点を置こうと思います。ですから、未来の指導者養成はもちろんですが、各界、各層のすべての指導者の位置にいる人々から教育していくつもりです。それは、世界平和のための最も早い道です。神様を中心とした一つの世界を成し遂げようとする活動です。

私たちが力を合わせて、自由と平和と統一と幸福があふれる真の愛の世界、すべての人が自ら考えて行動できる、真の愛の世界をつくらなければなりません。それは、私たち個人の心と体を一つにする運動から始めなければならないでしょう。

34 二世たちを良い環境で育つようにしなければなりません。み旨の中で、純潔で美しく、良く育つことができるようにするためには、父母が環境創造をしてあげなければなりません。ですから、学校でも、社会でも、堂々と真の父母様の二世、三世であることを誇れるようにしなければなりません。誇り高く育てなければなりません。彼らが私たちの希望です。

35 指導者は、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」ということを常に念頭に置いて生活しなければなりません。二世たちを集めた場でも、これを中心として特別教育をしました。若い時には血気によって判断が曇りやすいのです。ですから、お父様もこのみ旨の道を歩んでこられる中で、体を打つ祈りの精誠をたくさん捧げられました。十数時間、汗を流しながら祈りの精誠を捧げたというみ言を、皆さんは聞いたと思います。

その上、お父様は火のような性格の方なので、不義を見ては我慢できない性格です。しかし、サタン世界を屈服させるために耐えてこられました。そのような忍耐が必要です。精誠が必要です。そうしようとすれば、自分自身を修めることができなければなりません。今後、私たちが進んでいくに当たって、一世と二世を分けることはできません。二世が中心になったとしても、一世に侍って共に進んでいかなければなりません。

36 天宙平和士官学校の士官学生は、摂理歴史に自らの名前を刻むことができるように、多大な努力を傾けなければなりません。それゆえ、きょうのこの場を、どれほど天が待ち望み、人類が待ち望んできたかを知って、一生懸命に勉強する皆さんになることを顧います。

天は、皆さんを助けるでしょう。皆さんは天と人類に負債を負う人にならないでください。皆さんの若さと覇気は、天国定着の礎と柱になるでしょう。私たちの目標は明確になりました。

私たちは必ず、命が尽きる日まで、この摂理の完成に向かって進まなければなりません。それで、皆さんを新しい時代、新しい歴史の天一国完成のための最初の実として結ばれる位置に立てました。有り難いことではないですか。皆さんが宣誓し、誓ったとおりに、一生懸命に活動してください。そうすれば、天地人真の父母様が常に皆さんと共にいらっしゃるでしょう。皆さんは、光ある者になるでしょう。皆さんによって、暗い世の中が明るくなるというのです。

37 皆さんは、天一国の民たちとして、全世界の人類を救わなければなりません。そのためには、皆さんの後継者を育てなければなりません。私(お母様)は皆さんに、名門の家を育てることを強調しました。名門の家は、自分よりも優れた後継者を育てなければならないのです。特に、家庭では父母よりもさらに立派な息子、娘を育てなければなりません。皆さんよりも立派で、さらに信頼することができ、より忠義を尽くす孝子、孝女をたくさん育てなければならないというのです。それでこそ、私たちの未来には希望があるのです。

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18 真の父母様が提唱した「神様のもとの人類一家族」のビジョン、すなわち私たち全員が神様の子女だという真理が、南北米大陸を中心として展開した事業の中心に置かれています。このようなビジョンを実現するために、今まで全世界的に様々な平和基盤をつくっておきましたが、今、神様の恩恵によってそのビジョンが実現化しています。

南米でも、新しい希望の花が咲き、実を結ばなければなりません。この偉大な大陸を中心に、美しい自然の中で、誰もが自由に、平和に、神様を父母として侍る兄弟姉妹として一つになって幸福を享受する、新しい世の中を夢見てきました。それは、神様の希望であり、人類の念願であり、子々孫々にまで受け継がれることを願う夢です。その夢を実現するための挑戦は、偉大なことだと思います。

現在、気候の変化と貧困によって、地政学的な緊張と紛争が高潮する中で、全世界が苦痛を受けています。南北米の多くの国々も、様々な面で困難な状況を経験しています。しかし、南北米は、新世界創建の無限な可能性をもった大陸です。このような南北米大陸に天運が押し寄せてきています。世界の耳目が南米に集中しています。皆さんは、天の声に耳を傾けなければなりません。閉じた耳を開かなければならないのです。

19 南北米の共同発展と世界平和実現のために、いくつかの提案をしようと思います。

第一に、自然環境を積極的に保護するに当たって先頭に立とうということです。今、世界は、地球温暖化と自然環境破壊によって途方もない災難を受けています。自然は、神様が私たち人間のために下さった家であり、繁栄するための環境です。人間が万物を大切に扱い、主管するとき、自然も同様に、人間に必要なものをもたらしてくれるのです。自然と人間は、神様が創造された有機体であるという価値観をもたなければなりません。

第二に、今や、国境と人種、宗教の壁を崩して、「神様のもとの人類一家族」の理想を実現するに当たって先頭に立とうということです。「世界平和統一家庭連合」は、交叉祝福結婚を通じた理想家庭の実現のために努力してきました。怨讐同士で和解し、世界を一つに結ぶことができるのは、祝福結婚しかありません。祝福結婚は、「理想家庭を通じた平和世界の実現」という目標のもと、数億双がここに参加し、実際に人類が直面している高い障壁を崩しています。

第三に、皆さんは、南北米の宗教和合と一致のために先頭に立たなければなりません。一つの世界は、何よりも宗教の和合と一致から始まらなければなりません。歴史の中で神様は、宗教を通して人類を導いてこられました。天運が押し寄せてくる今、南北米の宗教間の調和と協力が、いつの時よりも切実に求められています。南北米の宗教指導者たちと皆さんが、宗教の和合と対話の先頭に立たなければなりません。

第四に、皆さんは、ブラジルのジャルジンとパラグアイのプエルト・レダを中心として展開している理想村建設プロジェクトを具体化することに同参しなければなりません。神様が願われる新しい国、新しい世界は、超宗教、超国家、超人種の世界です。国境のない自由と平和、統一と幸福の世界です。神様がいらっしゃるので、南米に注いだ精誠は、決して無駄にはならないでしょう。それをどのように具体化し、短縮させるかは、皆さんをはじめとする私たち全員にかかっています。今や皆さんは、理想共同体を実現し、新世界を実現する合同指針をつくらなければなりません。

女性の役割女性は、復帰摂理歴史において重大な責任を与えられ時代ごとに摂理の一線で大きな役割を遂行してきた。統一家の女性たちは、真の父母様のみ言に従い、神様に侍る真の娘、真の妻、真の母の責任を果たすため、地球村の至る所で真の愛を実践しながら汗を流した。特に、後天時代の開幕とともに、女性の役割がより一層、重大なものとなった。真の父母様は、天一国完成のためにカインとアベルを一つにし、カイン圏を復帰する氏族メシヤの使命を、女性たちが先頭に立って遂行することを願われた。

20 今は、女性たちが先頭に立つべき時です。個人はもちろん、家庭と氏族、国、世界で、女性たちが母性愛をもってお互いに愛する心で、不遇な隣人を助けてあげながら、私たちの夢が成し遂げられることと、私たちは明確な目標をもっている天の真の息子、娘であることを、心に刻んであげなければなりません。

そのためには、どうしなければなりませんか。原理のみ言を聞かせてあげなければなりません。ですから、個々人が新たに生まれて、このみ旨のために本当に全力投球、死生決断できる「私」と、私の家庭と、私の隣人と、私の国と世界にしなければなりません。

そのためには、女性たちが先頭に立たなければならないというのです。「偉大な男性がいれば、その背後には偉大な女性がいる」と言います。男性たちが責任を果たせなかったと、そのように言っているのではありません。お父様も、男性がさらに完全になるように助けてあげるのが女性であるとおっしゃいました。ですから、妻がいなければ、夫も完全になることができないというのです。完成した男性になれません。素晴らしい男性になれません。ですから、妻が絶対に必要なのです。女性も同様です。しかし、平和を愛するのは、男性よりも女性です。ですから、女性たちが先頭に立たなければなりません。

21 女性の役割はどれほど重要でしょうか。今は、母の使命を果たさなければならない時代です。母は生命を生んであげなければならず、養育しなければなりません。お父様が大きな家を立ててくださったので、私たちが整理、整頓をして、家の中の状態をすべて整えなければなりません。それは私たちの責任です。

22 お父様は、女性時代の到来を宣布してくださるとともに、女性の重要性を強調されました。母から生まれる生命は、母から受け継ぐものが九九・九九九パーセントであり、父の精子は〇・〇〇一パーセントにしかならないとおっしゃったお父様のみ言を、記憶していると思います。そのみ言を何度も語られました。また、私(お母様)はそのみ言をもって何度も世界巡回講演をしました。

しかし、女性たちは、どれくらい子女たちや夫から、きちんとした待遇を受けていると思われますか。自分が受けるベきもてなしをきちんと受けられなかったという人がたくさんいます。今、すべての女性が差別なしに生きていけるようにすることはもちろん、(彼女たちを、)母の使命を全うする女性指導者として立ててあげたいと思います。

23 周易で陰陽の原理を語っているのですが、これは、時間的に見る時には、先天時代と後天時代に分けることもできます。今までの先天時代は陽の時代であり、男性たちが多く主導してきました。

今は陰の後天時代、すなわち女性の時代が出発する時です。神様は天地を陰陽、プラス・マイナスで創造されました。しかし、今までは片方に偏っていたというのです。人間始祖が堕落することによって、陰と陽は並んで行くことができませんでした。それで、陽の時代が世界を主導したのです。しかし、今は、陰の時代が現れる時です。女性たちが先頭に立たなければならない時になりました。

このような驚くべき摂理は天だけが知るところですが、時をぴったり合わせて、二〇一三年に新しい道を開いてくださる天の奥妙な摂理を、皆さんも知らなければなりません。ある一ヵ所に偏らずに均衡が取れるようになるのが、本来の神様のみ旨です。地上天国と天上天国がそのように成し遂げられるのです。

24 女性の皆さんは、座っても立っても、寝ても覚めても、二十四時間が短いと思うくらい、天一国の民をつくることに渾身の力を注がなければなりません。天のみ前に実体的にこの国を奉献して、世界の摂理を早める勇士にならなければなりません。

皆さんがよく知っているイスラエル民族の例を挙げてみましょう。彼らは、神様の摂理歴史や蕩減というものを知りませんでした。ただ「私たちは神様が祝福してくださった選民である」という、その一つだけを守ったのです。結局、イスラエルは、イエス様をあのように悲惨に送るとともに、民族的に蕩減を払うことになりました。二千年間、孤独に流浪する民族、国のない民になったのです。そのような中でも命脈をつないでこられたのは、母親たちが役割を果たしたからです。ですから、私は、摂理のための環境創造を強調するのです。

25 私たちは歴史を通して、成功と失敗のすべての典型路程を見てきました。今のイスラエルを見てください。女性たちも、軍隊に行って国を守るために、男性たちと同等に行動します。

今は国を救い、世界を救うことにおいて、女性が先頭に立って立ち上がるべき時です。女性の責任が重大であることを、皆さんは知らなければなりません。私たちは奇跡を創出しなければなりません。このような摂理的な隊列に私(お母様)と共に同参できなければ、子孫たちが皆さんを讒訴するでしょう。「知らなくてできなかった」と言うことはできません。私がすべて話してあげ、教えてあげました。

26 教会において、女性たちの役割が重要です。韓国の歴史においても、母、妻、嫁たちが重要な伝統を受け継いできました。私たち「世界平和統一家庭連合」も同じです。

今から、婦人食口たちを一線に立たせなければなりません。私たちが、立てた目標を中心として、どのように実践躬行するかによって、天一国完成の成敗が左右されます。この目標に向かっていくに当たって、女性の役割が重要です。皆さんが、摂理の目標を中心として一線に立つ女性として、死生決断しなければならない時です。

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6 天の父母様が願われた故郷を取り戻してさしあげなければなりません。天の父母様の故郷はどこでしょうか。真の父母様の故郷です。日本と韓国が一つになって、祖国統一、南北統一へと向かう道に協助できなければなりません。必ずそのようにしなければなりません。そうなれば、全人類の前で中心の位置に立つようになります。自然に整理されるのです。

現在、人類にとって問題になっている宗教問題、政治問題、思想問題、国境問題などが解決するのです。皆さんが先頭に立ち、日本の全国民と為政者たちがアジアから尊敬され、一つになる道に行くようにしなければなりません。小さなことに執着してはいけません。この時代には、すべての歴史の真実が明らかになるのです。

7 皆さんは、故郷を探し出してさしあげる孝子、孝女になることを決心したでしょうか。このような責任をすべて果たすには、私たちに残っている時間があまりにも短いのです。ですから、どのようにすべきでしょうか。私(お母様)は、真のお父様が天上で、失った子女を一人でも多く捜して立てようと、御自身の体を顧みず、苦労しながら活動される姿を目にしました。そのようなお父様のお姿が、私の脳裏から離れません。あまりにも哀れなお姿でした。

今、地上にいらっしゃれば、東洋と西洋を駆け巡りながら活発に活動されるでしょう。地上の私たちが、その責任を担ってさしあげなければなりません。

聖書でも、天国の鍵をぺテロに授けたとあります。なぜ、授けたのでしょうか。地上で天国を築かなければならないからです。私たちの責任は極めて重大です。私たちは祝福を受け、どのように生きるべきかも知っているのですが、堕落圏の世界で暮らしているうちに、自己中心的な生活に染まり、自分の周辺の環境を押し分けて出てくることができなくなるというのです。

8 ある国がお金持ちで、強大国だからと言って、世界を一つにすることはできません。互いに一つになることができる同質点、同じ分野が必要です。天の摂理歴史を中心として、真の父母様以上に世界平和のために実践をした方はいません。そして、真の父母様以上に、摂理的に成功した方もいません。ですから、まず皆さんは、原理を知り、み言を知らなければなりません。いつ、どこでも、真の父母様に侍って生きなければならないのです。

9 お父様は、大韓民国を神様の祖国であるとおっしゃいましたが、私(お母様)は、皆さんと共に、この国を奉献してさしあげたいと思っています。そのためには、地位の上下を問わず、この厳粛な命令に服従しなければなりません。皆さんは、「上の位置から降りてきなさい!一番下で働きなさい!」と言えば、そのとおりにできますか。それが絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。神様と人類のために、み旨のために、そうすることができなければなりません。それがお父様のみ旨を完成してさしあげることです。

神様の祖国であるとおっしゃいましたが、実際にそのようになっていません。この時代に、お父様と共に呼吸し、働いた皆さんが、その実を結んでさしあげなければなりません。それを後代に先送りすることはできません。私たちがしなければならないのです。

10 私たちは、天一国を出発する時点にいます。天一国は、私たちが天の父母様に侍り、その方の子女となって生きる国です。私たちにとって、神様は父母であり、万王の王であられます。万王の王であられるその方が、私たちを天一国の民として抱いてくださいました。

まだ世界人類は、すべてを知ることができていません。皆さんは、本当に福を受けた方々です。何ゆえに、このように摂理歴史に同参できたのでしょうか。真のお父様は、常に「無知には完成がない」とおっしゃいました。多方面で、地位の上下を問わず教育されました。理解できるようにされました。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界が一つになることができる道は、この道しかありません。

11 私(お母様)は、天の父母様と真の父母様の伝統を、確固たる磐石の上に立てるつもりです。私たちが責任を全うするとき、天一国の民として、永遠に仰がれる位置に立つようになるでしょう。

そのために、私たちは前進しなければなりません。寸暇を惜しまなければなりません。もっている知恵とすべてのものを動員して、必ず短時日のうちに全人類を天一国の民として、天がすべて抱くことができるようにしてさしあげなければなりません。

12 神様の願い、真の父母様の願いとは何でしょうか。六千年前に失ってしまった子女を取り戻したいのが父母の心、父母の心情です。

天地人真の父母様によって、全世界に祝福家庭がたくさん輩出されました。彼らが真の父母様の教えに従って、その国と世界において一つになれば、できないことはありません。皆さんは、できる限り短時日のうちに、真の父母様の願いである神様の祖国、神様の故郷を取り戻してさしあげなければなりません。

13 今、時間がどれほど重要か分かりません。寸暇を惜しまなければなりません。皆さんが生きているということ、皆さんの時間と生命は、誰のためにあるのですか。誰のために、どのように使うかによって、皆さんは歴史に残る英雄になることもでき、孝子になることもでき、聖子になることもできます。このように価なしにすべて下さる天のみ前に、皆さんはそれに合った器にならなければなりません。そして、座ってずっとみ言だけを聞くより、実践し、行動しなければなりません。

私たちがこの国を復帰しようとすれば、どのようにすべきか、目標を設定しておいて実践しなければなりません。このような計画を立てなければならないのではないですか。一日三食を食べますが、御飯を食べることを忘れてしまうほど、一つの生命を取り戻すために、皆さんは一生懸命に努力しなければなりません。その結果によって、皆さんに永生が与えられることを知らなければなりません。

「私たちの先祖は本当に偉大だった。先祖に恥じない私にならなければならない」と、子孫たちが言えるように環境をつくってあげなければなりません。そうなれば、皆さんの二世たちは、み旨を前にして自然によく成長するのです。そのような点で皆さんは、変わらなければなりません。そうして、お金をたくさん稼ぐよりも、人に多く接して生命を生かすほうが、より貴いことを知らなければなりません。

14 春は希望の季節です。私たちの夢を大きく、広く、高く育てることのできる貴重な季節です。しかし、この美しい季節に、この国と世界から聞こえてくる知らせは、あまりに惨憺たるものです。まるで世界は、航海士と船長がいない、羅針盤のない船に乗っているような状態です。いつ、どのようにして風浪や暗礁に出くわし、沈没するか分からない不安な状態です。

このようなことを見ながら、全世界の統一家の勇士たちが立ち上がらなければならないと考えるのです。いつまでも傍観し、待っていることはできません。私たちに与えられた祝福が、私たちだけのものになってはいけないのです。孤児のような世界の人類に、天の父母様と真の父母様が役事されていることを悟らせなければなりません。

真の父母様を堂々と宣布しなければならず、真の父母様によってこの国と世界に希望がもたらされることを証しなければなりません。これこそ、世界人類に新しい春の日が訪れるようにすることです。今や世界のすべての食口たちは、実を刈り取るその日まで、総決起しなければなりません。

15 現在の皆さんが、み旨の前に立っている農夫だとすれば、皆さんに与えられた氏族メシヤの使命を果たすことによって、沃土をつくらなければなりません。やせた地を沃土にすることは、皆さんにかかっています。この良い季節を迎えて、皆さんが怠けて行動すれば、秋に皆さんが手にする収穫はとても微々たるものになるでしょう。祝福された位置というのは、そのようにじっと座って成し遂げられるものではありません。

皆さんは、父母様に出会えなかったならば、どのような人生を生きていたでしょうか。それぞれの国と家庭、置かれた環境で、ただ食べて生活していくのに執着しながら生きていたでしょう。国のために生き、世界のために生きようと考える人は、少ないはずです。真の父母様に出会った皆さんは、どのようなことを考えていますか。考えが大きいとすれば、どれほど大きいでしょうか。

また、どのように行動しなければならないでしょうか。皆さんが春を迎えて、どのように苦労し、精誠を尽くして育むかによって、摂理歴史の秋を迎えるその日に、どのような姿で、どのような実績をもって父母様のみ前に立つかという結果が現れるのです。

16 祝福家庭は、どのように進まなければならないかというお父様のみ言を、すべて聞きました。今や残っているのは、皆さんの責任です。皆さんが責任を果たせば、皆さんの氏族、皆さんの後代が自由で幸福な世界で暮らせるようになるでしょう。

既に環境は随分整えられているので、今後、皆さんが残された生涯で、皆さんの周辺をどのように環境創造するかによって、国家復帰、世界復帰を早めることができるか否かが決まります。口先ばかりを先立たせるのではなく、今は実践躬行すべき時です。新しい時代が開かれました。お父様が語られたそのみ言を、「私」の周辺を通して、私の家庭を通して大きく成し遂げてこそ、皆さんの子孫たちの蕩減が少なくなるというのです。責任を果たせなければ、自然と蕩減を払わなければなりません。

皆さん個人の人生があり、祝福家庭として各自の生活があります。それに、真の父母様がすべて関与することはできません。真の父母様が模範を見せてくださったのですから、そのように生きなければなりません。すべての人々が、み言どおりに生きようと努力しなければならないのに、そのみ言を歪曲して、自分を中心として生きていく哀れな群れもいます。皆さんは賢明な人々になってほしいと思います。

私(お母様)は、皆さんが完璧に伝統を立てた高速道路を行くことができるように、今すべての面でそのような環境を整えてあげています。皆さんに与えられた責任さえ全うすれば、自由で平和な統一世界、天の父母様に侍る一つの世界は、間違いなく成し遂げられるようになります。

17 皆さんは、短い生涯で、「どうすれば父母様と一心、一体、一念になることができるか」を常に考えて実践する生活をしてこそ、皆さんばかりでなく、皆さんの子孫が福を受けることになります。「私」が七〇パーセントしかできなかったとして、自分ができなかった三〇パーセントを、愛する子女と子孫たちに蕩減させるものとして残しておきたいと思う父母はいないはずです。

世界は、ますます一つになっていくしかありません。世の中の人々を正しく教育すべき人々は私たちしかいません。お父様が立ててくださった平和大使たちがいて、「平和軍」と「平和警察」がいます。乱れているこの世界を整理し、教育する人々が、「平和軍」であり、「平和警察」です。武器をもって闘うのではなく、み言をもって教育するのです。

皆さんは、祈りの精誠をたくさん捧げてください。天のみ言、真の父母様のみ言が地に落ちないで実を結べるように、祝福家庭の皆さんとすべての摂理機関が一つになって成し遂げてさしあげなければなりません。それが、今日を生きている皆さんの責任です。

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26 ハワイには、バニヤンツリーという木があります。この木は大きく、生い茂っているので、熱い太陽を遮ってくれます。ですから、木の下が休息所になるのです。この木は天に向かって伸びていくだけではなく、枝が地面に降りてきて、数多くの根を張り、次第に本体が大きくなりながら育ちます。天の父母様が創造した自然を見ながら、多くのことを感じます。お父様はバニヤンツリーのように、地球星の奥地まで探査され、そこに御自身の精誠と愛の根を下ろされました。

真の父母の名をもって、六千年の時を経て初めて、人類の前に勝利的な基盤を築いてこられましたが、全世界を見ると,いまだに私たちの精誠と努力を補わなければならないことがたくさん残っています。今、世の中は混乱状態にあります。行くべき方向が分からず、右往左往しているのです。寸時を惜しんで、一つの生命でも多く救うことができる方法を模索しなければなりません。天は多くのことを準備し、私たちを待っていらっしゃいます。世界の至る所には、自分なりに善良に生きようと努力する人々がたくさんいます。その人々は、摂理については知りませんが、正しく善良に生きようと努力しているのです。そのような人々に私たちがみ言を伝えれば、どれほど感謝して受け入れるでしょうか。

私はバニヤンツリーを見ながら、「それでもこの木は、天が祝福してくださったその役割を果たしているな!」と思いました。この木のように、私たちを祝福してくださった天の貴いみ意を知って、その祝福を世の中に分け与える祝福家庭、青年たちにならなければなりません。皆さんの残された生涯を、名もなく、輝きもないまま流れていくように放っておいてはいけません。私たちは世界の人類にとって、夢であり、希望なのです。

27 今、外的につくり上げられている世界は超スピードです。

今、私(お母様)はここで話をしていますが、これが、まばたきする間に全世界に連結されます。天は、人類のためにこのような文明の利器を発達させてくださいました。皆さんはそのような文明をよく活用して、氏族メシヤの使命を果たし、国家復帰、世界復帰の先頭に立たなければなりません。それが今、皆さんが生きている目的です。そのようになれば、皆さんの二世、三世、子孫たちが、幸福を享受することができるのです。

28 今や、インターネットやモバイルの発達によって、全世界が一秒圏内にあります。皆さんが、父母様のいらっしゃる所に向かってアンテナを立てていれば、父母様が何をしていらっしゃるか、すべて分かるでしょう。皆さんを教育し、皆さんが責任を果たせるように、すべての資料と実績を全世界的に共有できるよう、体制を整えました。皆さんは、真の父母様を通して祝福家庭になりました。祝福家庭としての責任があるというのです。誰も、「知らなかったので責任を果たせなかった」という言葉は言えなくなりました。皆さんの責任を一〇〇パーセント以上、果たせるように道を開いてあげたのです。どのように努力し、実績を収めるかによって、名門の家としての伝統が立つか否かが決まるでしょう。

29 国家メシヤと大陸責任者、特命総使たちは、責任意識を強く感じ、その国とその大陸をどのようにすれば天の側に復帰できるかを考えなければなりません。これは不可能なことでしょうか。可能です。

キリスト教の歴史を通しても、私たちは知っています。一人の最高指導者がキリスト教を受け入れるようになって、その国の国教になったのです。

今、全世界は混沌としています。方向性がありません。私たちが立ち上がらなければなりません。私たちは一分一秒を惜しんで、一つの生命でもさらに救う道を模索しなければなりません。天は、私たちの知らない中で、準備してこられました。その準備した天のみ手を、私たちがつかんでさしあげなければなりません。天と人類の前にどれほど大きく貢献できるか、その結果は、私たちにかかっています。そのような点で、皆さんは時間を浪費してはいけません。

30 今、この瞬間にも、真の父母様を知らずに死んでいく人類が世界の至る所にどれほど多くいるでしょうか。私たちと同時代圏に生きたにもかかわらず、六千年を経て初めて迎える天の驚くべき恩賜を受けることができず、悲惨に流れていってしまう私たちの兄弟がいることを考えなければなりません。私たちは両袖をまくりあげ、力強く立ち上がらなければなりません。真の父母様を堂々と宣布しながら、真の父母様によらなければ、この国と世界は生きられないことを証しなければなりません。

今この瞬間は、私たちがこの場にいることを天のみ前に感謝し、報いてさしあげるべき時だと考えます。それで、私(お母様)は、世界の大陸を言語圏で分け、特命総使を任命することにしました。

世界の全人類が、一秒圏で共に摂理歴史に同参する機会を与えようと思います。彼らは第一線で、皆さんと世界の人類と共に、真の父母様を証するようになるでしょう。

31 天の父母様が願われる一つの世界を、私(お母様)の当代にいかにしてお返しできるかを考えながら、世界地図を見つめました。そうして、言語圏で宣教地域を分けることにしました。世界がすべて、英語圏であるわけではありません。英語のほかに、スペイン語とフランス語、アラビア語に大きく分類されます。そして、世界の人口の三分の二がアジア地域にいます。世界の大陸を全く同じように分割しては、得よりも損失のほうが多いのです。アジアに力を注がなければなりません。

現在の、各大陸の大陸会長たちは、主に教会を発展させ、食口化を進めることに総力を挙げてくださるようにお願いします。そして、特命総使は、世界的な基盤をもっている「天宙平和連合」と「世界平和女性連合」などを基盤として、政府と交渉をしなければなりません。各国の最高指導者たちをみ旨の前に立ててこそ、国家復帰ができます。「私たちの時代にはできない」とは言えません。特命総使は大陸会長と一つになり、内外において共に進まなければなりません。

32 天正宮博物館に世界本部を設置しました。今や、天の父母様が自ら治めるのです。わずかな力や小さな精誠でも、真の父母様と一致できる一瞬一瞬を、皆さんは逃してはいけません。皆さんの残された生涯を、ただ名もなく、輝きもないまま流れていくように放っておいてはいけないというのです。私たちだけが、この世界の人類にとって夢であり、希望です。皆さんが行く先々で、幸福な環境をつくらなければなりません。そこにおける中心は、真の父母様です。

第二節 祝福家庭の責任と未来の指導者養成天一国の未来と祝福家庭の責任真の父母様は、天宙的勝利圏を祝福家庭に価なしに相続させてくださり、韓国を神様の祖国として奉献することを強調された。真のお父様の聖和以降、真のお母様は、地球星の全人類に一時でも早く真の父母様を証し、み言を伝えて、永遠なる天の国を地上に定着させる責任を果たそうと、繰り返し力説された。このような天の摂理において、先頭に立たなければならないのが祝福家庭である。真の父母様は、祝福家庭を氏族メシヤとして立ててくださり、「唯一なる神様のもとの人類一家族」の天一国理想を成し遂げるに当たって、先頭に立つことを願われた。

1 二千年の摂理歴史を締めくくり、新しい摂理時代に入りました。今や、現れなければならない時です。ですから、お父様は特別に、二〇〇〇年以降の十二年間、「韓国が神様の祖国にならなければならない」と言いながら摂理してこられました。

皆さんは、「お父様がおっしゃったので、そのようになるだろう」と、ただ軽く考えてはいけません。お父様が語られたので、地上にいる私たちが必ず成就してさしあげなければならないのです。成し遂げてさしあげなければなりません。そのような使命が、私たちにあります。

2 私たちの願いは、自由、平和、統一、幸福の世界です。神様も同じです。蕩減復帰摂理を完成、完了する真の父母が現れなかったので、このように長い時間がかかりました。しかし、私たちは真の父母様に侍って新しい時代を迎えました。

けれども、私たちだけが幸福であればよいのでしょうか。私たちの隣人と国と世界がすべて共に真の父母様と天の父母様に侍って、幸福な地上天国と天上天国を開いてさしあげるべきではないでしょうか。

そのみ旨を成し遂げてさしあげるために、歴史に誇らしい孝子、忠臣、聖子の位置に立つことができる祝福家庭になり、全世界に真の父母様を誇らしく知らせる責任を全うする祝福家庭にならなければなりません。

3 私たちは、私たちを解放してくださる真の父母に出会いました。私たちは真の父母によって再び生まれなければならないのですが、それが祝福です。このように貴いものを、真の父母様は皆さんにすべて代価なしに与えてくださいました。ですから、皆さんは、固く決心して実践躬行しなければなりません。今や、真の父母様を家庭にお迎えし、祝福家庭と天一国の民として、行動すべき時であることを肝に銘じなければなりません。

4 私たちは、真の父母様によって、人類歴史において初めて祝福家庭になりました。真の父母様によって「基元節」を迎え、天一国の民として入籍できるようになったのです。世界の人類は七十億いますが、この驚くべき天宙史的な途方もない秘密を、私たちだけが知っています。皆さんは幸福にも、先祖の位置に立つことができます。

皆さんが知っていることを分かち合わなければなりません。世の中の人たちに真の父母を知らせなければならないのです。真の父母様の在世時にこのことに同参できなければ、皆さんは立つ位置がありません。「祝福を受けたので天国に入るだろう」と考えてはいけません。私たちが行くべき所は、永遠の世界です。

皆さんが知恵のある人ならば、どのように決定し、行動すべきでしょうか。真の父母様の在世時に、祝福家庭として誇ることができる実績をつくらなければなりません。

5 人類歴史は、なぜこのように難しく展開していくのでしょうか。人間は、悠久の歴史を通して、良心作用によって善を追求してきましたが、今日の世界は、人種問題、宗教問題、思想問題、領土問題などで複雑な状況に置かれています。私たちは、じっと止まっていることはできません。

神様は、休まずに摂理歴史を展開してこられました。人間が軌道を脱線したので、本来の軌道に戻ってくることができる蕩減摂理の歴史が必要でした。メシヤはこのような人間の過ちを正してくださる方です。メシヤは、真の父母として来られなければなりません。人間を再び生んでくださらなければならないという話です。このような過程なしには、この複雑な人類歴史は収拾できません。

しかし、驚くべきことに、また有り難いことに、この地上に真の父母様が顕現されたのです。皆さんは、真の父母様のみ前に真の孝子、真の孝女にならなければなりません。

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伝道と環境創造伝道は、天の民を探し求めることである。天の民が増えれば増えるほど、天の主権が拡張され、神様のみ旨である天一国定着の環境がつくられるのである。人類は、神霊と真理が共にあるとき、伝道される。神霊と真理は、罪悪の世の中に勝つ鎧と槍である。神霊の鎧を着て、真理の槍を持って出ていってこそ、堕落した世の中に勝ち、真の父母様の栄光を全世界に輝かせる環境創造が起きるのである。

12 私たちには、真の父母様がいらっしゃり、真理のみ言があります。原理があります。今や、お父様の生涯と生きざまを全世界的に知らせなければなりません。私たちの未来は明るいのです。私(お母様)は、地方の教会まですべて復興させるつもりです。韓国は、教会が生き生きと躍動しなければなりません。祝福家庭が行動し、実践することによって、隣人と氏族がついてくるようにしなければなりません。

13 皆さんの中で、教会に入ってきてから五十年、六十年になった方たちが大勢いるでしょう。どこで皆さんが入教したにせよ、統一教会を訪ねてきたその時代が懐かしいと思います。お父様にお会いし、み言を聞いて、うれしいと思わず、有り難いと思わない時がありましたか。皆さんは、「新しい人生と新しい生命を与えてくださる主に出会った!」と言って、みな興奮したというのです。

そして、「世界に多くのキリスト教徒たちがいて、また、多くの宗教者たちがいるが、ただ独り、私が先に天の摂理を知るようになり、主に出会ったというのは、どれほど感謝なことか!」と言いながら、一人でとどめておくより、分かち合いたいと思いました。伝道したいと思ったのです。

実際、私たちが天から受けた恩賜と祝福はあまりにも多くあります。堕落した人類としては想像もできない恩賜と祝福を受けたというのです。まず、サタンを分立できたことだけでも、途方もない祝福を受けました。五十年前、六十年前の草創期の環境と今の環境は違います。ですから、草創期に本郷を慕いながら活動していた皆さんの心をもう一度燃え上がらせ、実を結ばせてあげたいというのが、私(お母様)の気持ちです。

14 皆さんが、お父様を再臨主、メシヤ、万王の王、真聖徳皇帝として、侍るとすれば、どのように行動しなければならないでしょうか。

民のない皇帝というものがあり得るでしょうか。私たちだけでよいのですか。世界の人類がそのように侍ることができなければなりません。今から皆さんは、お父様を証し、お父様の業績を紹介し、お父様を世の中に知らせ続けなければなりません。それが伝道です。

15 全人類に、すべて祝福を受けさせなければなりません。天一国の民をつくらなければならないのです。そうするために、皆さんはどうしなければならないでしょうか。きのうときょうに大きな差がなく、ただそのまま言われたとおりにだけしようというような態度では、霊界の協助を受けることができません。

死生決断、全力投球という言葉に実感が湧かなければなりません。ですから、実践しなさいというのです。毎日、天のみ前に報告し、天と共に動く皆さんになりなさいというのです。

16 皆さんは、祝福を受けて子女たちがいると思います。一つの生命が生まれる時、どれほど神秘的で待ち遠しいでしょうか。天の祝福を感じるはずです。

皆さんの努力いかんによって、一日に一人ずつ誕生させることもできるというのです。伝道してどれほど多くの生命を救ったかによって、皆さんが受けるべき賞の大きさが決まります。自分で決めるのです。それを避けていく皆さんにならないことを願います。

17 霊界は、愛で呼吸する所です。愛の空気で息をする所です。皆さんがどれだけ多くの愛を植えたかというのが伝道です。たくさん伝道すると、必然的に付いて回る条件が万物を復帰することです。それを必ずしなければなりません。それはすべて、皆さんが福を受ける位置なのです。

どのようにより大きく福を育てて、皆さんが後代に譲り渡すことができるかという位置は、皆さん自身がつくらなければなりません。皆さんの努力が必要です。精誠が必要です。誰もやってくれません。すべて教えてあげたので、今から皆さんがしなければなりません。

18 私たちは、天が念願し、人類が願う平和世界、幸福な世の中をつくることができます。お父様がそのことを先頭に立って実践し、手本を示してくださいました。お父様は、「無知には完成がない」とおっしゃいました。まず教育をしなければなりません。誰もが理解するようにしなければなりません。行動で見せてあげなければなりません。

このような遠大な夢を成就するために、人類が三十億の時から拍車を掛けてきたのですが、今は七十億を超えているではないですか。一日も早く、全人類に、神様のみ旨を知らせてあげなければなりません。

19 メシヤ、再臨主、真の父母様が、この地で多くの摂理歴史を展開してこられたのですが、私たちが不足なため、世の中にすべて知らせることはできませんでした。それがあまりにも恨めしいのです。

私たちが責任を果たせなければ、私たちの子孫たちが大変になるのは当然です。ですから、皆さんは何としても、今まで待ち望んできたメシヤ、再臨主、真の父母様が来られたことを、人々に知らせなければなりません。

これまで、どれくらい生命を取り戻すために努力しましたか。生きてきた生涯よりは、今から霊界に行く時までの時間のほうが短いのです。

私たちと同じ時代に生きていた人々が、真の父母も知らず、このみ言も知らずに霊界に行くことになれば、どれほど痛哭するでしょうか。「なせあなたは、私が生きている時に、これを知らせなかったのか」と讒訴するでしょう。皆さんが責任を果たせなければ、子孫を通して蕩減するようになります。皆さんは、原理とみ言をすべて聞いて知っているでしょう。今から、皆さんが責任を完遂しなければなりません。

20 神様の祖国であるこの国を、どのように復帰しますか。伝道する道しかありません。伝道して、人を転換しなければなりません。すべての機関企業体と団体が、今からは一ヵ所に向かわなければなりません。今や新しい時代を迎えるので、皆さんの態度が明確にならなければなりません。私(お母様)は、その日のために、すべての扉を開いておきました。

今後の世界摂理に関しても、私は多くのことを構想しています。少なくとも、私たちの目に見え、手につかむことができる実績を収めなければならないでしょう。私は、それが可能であることが分かりました。必ず役事してくださいます。

天の父母様が自ら治められる時を迎え、万王の王として登極されたのですが、民のいない王としていらっしゃるようにすることはできません。ですから、私は、皆さんをすべて忠、孝、烈の隊列に同参させたいのです。歴史に一度しかないこの時です。皆さんが忠、孝、烈の隊列に同参しようと思えば、すべてのことを転換しなければなりません。

21 私(お母様)が言う富者とは、どのような人でしょうか。私は皆さんに、「伝道を一生懸命にしなさい」と言いました。

肉身をまとって生きる地上生活には制限があります。長く生きても、健康的に百年を生きることはできないというのです。私たちは、永生について知っています。私たちが一つの命、十人、百人、このように伝道すれば、彼らの永生を私たちが引き受けるのです。皆さんは富者になります。永遠の世界で記憶される私たちになるというのです。

世の中では、富者は一生で終わりますが、霊界における富者は永遠です。それでは、若い皆さんはどのような道を選ぶのでしょうか。そのようなことには、欲をもってもかまいません。

22 富者になることを嫌う人はいません。最も早く富者になる道は伝道です。堕落した世の中は索漠としています。しかし、真の父母様に侍った私たちは、幸せな人たちです。私たちが伝道をたくさんして、誰もが真の父母様を知っている世の中にすれば、それ以上の富者はいません。霊肉でどれほど感謝の生活と安らかな生活を送ることができるでしょうか。

外の世界では、毎日毎日戦争を考えなければならず、利害や打算を考えなければならないので、複雑です。どれほど差がありますか。ですから伝道をたくさんして霊界のお父様や天の父母様が願われるものを所有できるようにしてさしあげることは、今座っている祝福家庭の皆さんがやるべき仕事です。一言で言って、皆さんは幸福な人だというのです。

23 私(お母様)は皆さんに、「環境創造をきちんとしよう」と言っています。しっかりと環境創造ができた所では、み言を一言語っただけでも、その十倍のみ言として理解するようになります。

太初に神様がアダムとエバを創造された時、彼らは神様と通じましたか、通じませんでしたか。神様と一問一答をしました。同じです。祝福家庭がそのように環境を創造するなら、皆さんが少しだけ努力しても、伝道ができないはずはありません。

24 私たちにとって、真の父母様が来られたことを全世界の人々に知らせることが急務です。真の父母様が既に来られたことを人類に知らせることは、未来における私たちの大きな責任です。キリスト教徒たちは、今なお再臨主、メシヤを待っています。私たちは、既に成約時代を越えて天一国を開きつつありますが、その人たちは、摂理的な時を知らずに生きています

私たちがじっとしていることはできません。あらゆる方法を動員して、真の父母様が来られたことを知らせなければなりません。メシヤが来られたことを知らせなければならないのです。さらに真の父母様が来られて、生涯を通して築いておかれた人類救援のための実績を、世の中に知らせなければなりません。

このようなことは、口で「やる」と言ってすべて成し遂げられるものではありません。宣布したからといって成し遂げられるものではないのです。実践し、活動して、実りを収めなければなりません。

25 今は、堂々と皆さんが、真の父母様が何者であるかを明かさなければなりません。真の父母様によって南北統一、世界平和が訪れることを知らせてあげ、見せてあげ、またそのための生活をする皆さんにならなければなりません。ですから、きのうときょうが違わなければなりません。

一日に一つの生命を生かすと考えてみてください。皆さんは先祖の位置に行くことができ、彼ら(生かされた人たち)は天一国の民になるのです。みな同じように祝福の位置を与えたのですが、その責任を果たすか、果たせないかによって差が生じるのです。

この時代を生きる人として、皆さんの先祖や後代を前にして、このような途方もない祝福を受ける位置にいるのですが、この位置にどのような姿で皆さんが立っているかが重要です。皆さんの中心には、常に父母様が共にいらっしゃいます。皆さんは一人ではありません。

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第四章 天一国の定着と私たちの行く道第一節 草創期の信仰回復と環境創造教会復興と草創期の信仰回復草創期の教会は、真の父母様を慕う食口たちで常にあふれ、新しい食口のために昼も夜も原理講義が途絶えることはなかった。神霊によって礼拝を捧げ、真理によって伝道する、愛に満ちあふれた教会であった。真のお母様は、このような草創期の信仰を回復し、生き生きと息づく教会を築いて、天一国の定着に拍車を掛けようと食口たちを激励され、荒野時代を越えて天一国定着時代の信仰姿勢を提示された。

1 教会を復興させなければなりません。お父様の生前に、全人類がお父様のことを本当に真の父母と知ったならばどれほど良かったか、このような恨がとても大きいのです。しかし、方法はたった一つ、原理のみ言でそのようにする道しかないというのです。

全人類には、原理のみ言が薬です。私たちが行動することによって、原理のみ言で教会を復興させ、さらには天一国の定着を早めることができるのです。

2 お父様は、草創期に、み言によって、愛によって、強い心情世界の絆によって、食口たちを育ててこられました。今後、韓国の教会と世界の教会はそのようになるべきだと私(お母様)は考えています。全体的に韓国の教会をそのような方向に導いていくつもりです。世界も同じです。

私たちは、何の説明がなくても、天を中心として結ばれた絆と情ですべて感じることができます。一つになれば、すべて通じるというのです。そのような深い情で結ばれた祝福家庭です。皆さんはそのような面で、すべて協助しなければなりません。

心情的な教会になろうとすれば、公職生活をしたり、公職生活をしなかったりという立場の違いはあっても、皆さんの行動や言葉、態度が、まず相手と環境、隣人のために配慮するものにならなければなりません。

3 私たちにとって今、最も急を要する問題は、統一教会がいかに草創期の心情に戻っていくかということです。真理、み言と神霊が一つになって躍動する教会にならなければなりません。どうすれば毎日毎日、原理のみ言を絶えず新しい人々に伝え、七日修練、二十一日修練、あるいは四十日修練を経て祝福の場まで行くように導くことができるかというのです。統一教会員をたくさん輩出して、生き生きと躍動する教会になるようにしなければなりません。

4 統一教会に本当に食口と言える人たちが、どれくらいいるかが問題です。原理をきちんと知っている食口が、どれくらいになるかというのです。礼拝にどれくらい参席したかという、この数が問題ではありません。

教会では原理講義を続け、食口たちはみ言で生まれ変わらなければなりません。そのように、み言で生まれ変わることによって、真の愛を実践する個人、家庭、氏族、社会、国になるとき、天一国ができるのです。それが地上天国です。そうすれば、一人一人が自ら心の平和を取り戻すようになるでしょう。

5 統一教会は、本来、神霊と真理によって出発しました。ところが、現在の私たちの姿を見れば、教会や食口たちが心情的に発展したと見ることはできません。

草創期には、食口たちが教会に訪ねてくれば、(その場から)離れたいと思いませんでした。父母様と夜を明かしながら一緒にいたいと思い、父母様が願われることなら何でもしてさしあげたいと思いました。誰かが強要するのではなく、自ら進んでしていたのが草創期の信仰生活でした。小さな教会でしたが、教会は真の愛であふれ、お互いに一つになって、とても困難な時代を克服していきました。

韓国の教会には、多くの祝福家庭を輩出する中で、忘れることができない逸話がたくさんあります。草創期には、食口たちが開拓伝道に出ていかなければならない立場だったので、子女を孤児院に預けて出掛ける婦人たちもいました。

そのようにして韓国教会は、三十六家庭から四百三十家庭が出てくるまで、多くの犠牲を払いながら摂理を成し遂げてきたのです

6 草創期に劉孝元(ユ・ヒョウウォン)協会長は、不自由な身で一日中講義をしました。健常な人が一、二時間するのも大変なのに、そのようにしたというのです。しかも、その時は私たちの教会が貧しかったので、栄養の補充も十分にできませんでした。そのようにして復帰され、立てられたのが三十六家庭です。私たちが三十六家庭を貴く思うのも、心情の根がその土台から育ったからです。

ですから韓国も日本もアメリカも、熱い愛であふれていたその草創期のように、新たに出発しようというのです。原理講義が途切れることなく、修練が継続する教会にしなければなりません。

7 皆さんは、み言で生まれ変わらなければなりません。草創期には、何かの条件や理由を問わず、ただ父母様にお会いすればうれしく、感謝で、また離れていれば会いたい、来たい、み言を聞きたいと思いました。

自分中心の考えがありませんでした。「私がこのように努力すればどれくらい報いがある、私がこのようにすれば褒められる」、このような計算はありませんでした。そのような時に戻らなければなりません。私(お母様)は、そのように愛があふれ、生き生きとした統一教会をつくろうと思うのです。

8 短期間のうちに自分の地域の人々を復帰しようとすれば、教会から明かりが消えてはいけません。皆さんは本当に固く決心しなければなりません。この時代に生きてお父様に侍っていた人々としての名誉を失墜させてはいけないのです。

皆さんは、霊界でお父様に記憶される人にならなければならないのではないですか。そうなるためには、どうしなければならないでしょうか。休んではいけません。生き生きと躍動する教会をつくらなければなりません。私たちは生きています。人が生きているというのは、動き続けるということです。死んだ人はじっとしているのです。

9 計画だけが重要なのではありません。実践が重要です。皆さんは、実践をしなければなりません。今は実証してあげる時代です。皆さんは、夜寝ずに常に起きて、明かりの消えない教会になるようにしなければなりません。そうであってこそ、お父様が全世界を見て回られる途中で、その明かりに引かれて来てくださるのではないですか。お父様が素通りしていかれるような所になってはいけないというのです。

10 私たちは、お父様が普段からおやりになりたかったことを、成し遂げてさしあげなければなりません。内的、外的に秩序と伝統を立てることが急がれています。早く、世の中の人々に統一教会が健在で、継続して成長し、発展していることを見せてあげ、彼らが自ら訪ねてくるようにしなければならないからです。

皆さんが伝道しようと努力することも重要です。摂理的に成し遂げられた実績を見て、「ああ、私が最後に身を寄せなければならない所はここだなあ!」と言いながら、心によって導かれ、自ら訪ねてくるようにしなければならないのです。そして、彼らを祝福家庭に連結しなければなりません。

11 私たちは、霊界と一つになった立場にいることを実感して生きています。皆さんが霊界と相対基準さえ合えば、一〇〇パーセント役事(働き)するという話です。皆さん自身が責任感をもって生き生きと活動しなさいということです。そのようになれば、霊界が一〇〇パーセント協助します。

霊界の願いとは何でしょうか。私たちの願いとは何でしょうか。地上・天上天国です。天一国です。それを私たちの当代に成し遂げることができるというのは、どれほど興奮し、うれしく、感謝なことでしょうか。皆さんがこれを実感して生きているとすれば、どうしてじっと座ってばかりいられるでしょうか。どうして、皆さんが努力をせずにいられるでしょうか。

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25 世界的に有名な教授たちと各分科の専門家たちを集めて、新しい百科事典を編纂しなければなりません。今後、各分野で価値基準を中心とした新しい百科事典を編纂するつもりです。すべての分野で革命を起こすためには、まずその原書となる百科事典を編纂しなければならないというのです。それで、それに該当する全般的な問題を中心として日刊紙を発刊し、世界の若者たちを教育しようと考えています。

そのためには、連合的な教育機関が必要なので、大学を中心とした連盟を編成しなければなりません。一国の大学をもってしてはできません。大学を連結させて、世界に影響を及ぼすことができる方向性を提示するための準備をしなければならないというのです。

26 一九九六年一月、ウルグアイのビクトリア・プラザ・ホテルで、世界大学連盟の設立を宣言しました。大学連盟を中心として、世界の大学が共同価値の信念を認定する方向に進まなければならないというのです。

国家の権益が問題ではなく、自由が問題ではありません。学問の世界では、人種を超越し、伝統とすべての国境を超越して、実力のある人は、いかなる大学でも、文化的背景に妨げられず、自由に活動しながら心置きなく実力を発揮できなければなりません。ですから、どんな大学でも訪ねていって教えてあげることができ、影響を及ぼすことができる道を開こうとしているのです。

27 南北米大学連盟を中心として、アジアから南北米とヨーロッパ、アフリカまで連結します。そうして、専門分野を中心として世界的に推戴できる人は誰かを、毎年評価していくのです。そのようにすることによって、大学が社会を動かす基盤になります。精神的な面、倫理的な面、道徳的な面で基準を立てることができるのが教育です。その教育基盤の上で、神様を教えてあげればよいのです。

ここに言論機関が連結されるのです。そうして、内的、外的に歩調を合わせるようになるときには、世界が違う所に行こうとしても、行くことができません。学校を経た人々が社会に出て、教える人々が影響を及ぼし、また家庭が一つになれば、世界が一つの方向に進むのです。

28 これから、共産主義世界の理論家たちと民主主義世界の理論家たちと統一思想家たちを連合し、国際セミナーをたくさん開こうと考えています。そのためには、アメリカ政府と国連をここに加担させなければなりません。アメリカ政府が自ら、この混乱した時代に方向性を設定できるようにするのです。そのようにして、大学連盟を通し、その方向どおりに追求していくようになれば、一つの主流思想圏に統治される世界となる時代に越えていくと考えるのです。

29 私が計画するのは、大学連盟をつくり、国連大学を設立することです。そのためには、アメリカのアイビーリーグの大学総長たちが推薦しなければなりません。今、そのようなことをしています。私たちが教育するという意味で、五〇パーセントの学生たちを集め、アイビーリーグの大学から五〇パーセントを引き抜いて、国連大学を創設しなければなりません。国際的な人材を教育するために、アメリカから始めますが、教育は韓国でしようと思います。そのようなことを実現しようとすれば、膨大な計画を立てなければなりません。

30 国連には超国家的な理念がありますが、それを実践する人脈がありません。そこには、自国の利益のために働く人々ばかりがいるのであって、世界の利益のために働く人がいないというのです。それを私が編成するために、ブリッジポート大学とアイビーリーグの十大大学をまとめようと考えています。そうして、世界的な人材を創出し、国連を通して全世界の指導的人脈体制をつくる計画です。

31 今後は学校が必要なくなります。映像通信教育時代に入るのです。私がそれを始めています。世界的な学者たちを私がたくさん知っているので、各分野の学者たちを招請し、映像を作るための準備をしています。今、私たちの「ワシントン・テレビジョンセンター」を中心として行っているのです。今までは文字通信の社会でしたが、これからは映像通信の社会に変わるのです。

32 これからは、家を造り、そこに集まって暮らす必要がなくなります。今までは生活の利便性の問題、すなわち交通手段の利便性の問題、教育の利便性の問題、そのような問題のゆえに集まって暮らしました。ところが、これからはテレビやラジオを持って、どこの谷間に行っても暮らせるようになります。今後は学校がなくなります。すべて映像で教育するのです。既に、そのような時になりました。

国際的な管理体制のもとで、小学校課程を映像で教育するのです。ですから、六年ずつ勉強する必要がありません。頭の良い人は、二年以内に卒業することもできます。大学までも、映像を通して勉強し、国家が公認する試験にパスさえすれば、どこに行っても公認されるのです。

第三節 「圓母平愛財団」と鮮鶴平和賞 「圓母平愛財団」と「愛苑銀行」 真の父母様は、一九九四年三月二十五日、「愛苑銀行」(一九九六年に「自願奉仕(チャウォンポンサ)愛苑」に名称変更)を創設された。「愛苑銀行」は、恵まれない人々のための社会奉仕団体であり、無料給食所「愛苑の家」と南北統一奉仕団、国際救護奉仕団など、十八の奉仕団を設置している。また、真の父母様は、二〇一一年八月十六日、「圓母平愛財団」の設立を提唱され、二〇一三年二月二十日、京畿道加平郡の天正宮博物館において、真のお母様をお迎えして出帆式が行われた。「圓母平愛財団」は、世界が必要とする優秀な人材の養成支援、および真の父母様の平和思想とビジョンの宣揚、奉仕と分かち合いの実践などの事業を展開している。何より、平和の夢をもった国内外の人材に奨学金を支給し、良質の教育を受けさせることにより、今後、国際指導者として成長できるように支援することに大きな志をもって出帆した。

1 「圓母」とは、根本を意味します。「圓母」が平和の根本になり、真の愛の根本になります。真の愛の上に財団が設立されるので、太平聖代の上に支柱が立てられ、天地が永遠、無窮なものになることができるのです。そのような世界が真の父母から始まります。

2 「圓母平愛財団」の「圓母」は、「圓」の字と「母」の字です。人は誰でも、角をなくして丸くならなければなりません。様々な性格をもった家族を愛で抱き、和睦した家庭をつくる母のようにならなければならないのです。圓母は、母の中の母という意味です。どこかに引っ掛かるものがあれば、自らを伸ばしたり縮めたりしながら、あちこち転がして円形をつくり、本然の位置に帰るのです。そうしてこそ、天の父母様に似ることができます。

「平愛」は、真の愛で、低い所にいる恵まれない人たちの世話をすることによって、高低のない水平が形成され天宙が真の愛で満ちているという意味です。真の愛の種を蒔いてこそ、真の愛の平和の木が芽生え、育ちます。「圓母平愛財団」は、天の父母様を中心に平和の世界を成し遂げるというビジンをもって、一生懸命に走らなければなりません。優秀な人材を支援し、奉仕と分かち合いの文化をつくり、そして、社会貢献プログラムを運営して、心情文化世界を実現する先頭に立たなければなりません。

3 お父様は生前に、「『圓母平愛財団』はお母様に残す最高の贈り物である」と祝福してくださったことがあります。ですから、この財団はより特別なのです。私(お母様)は、この財団を通して永遠なる天の父母様に侍り、真の愛で分かち合いを実践し、平和世界を実現していこうと思います。皆さんも、「圓母平愛財団」がもつ平和世界のビジョンと理想を胸の奥深くに刻み、同参して勝利者になることを願います。

4 皆さんは、歴史の主人にならなければなりません。そのためには、主人意識はもちろん、父母の心情をもたなければなりません。私(お母様)は今後、真の父母様の伝承事業の中で、その一部を担当するようになる「圓母平愛財団」をより大きく、広く育てていくつもりです。全世界の人類が等しく恵沢を受けることができる財団として育てていきます。

それは、私一人だけの力で可能でしょうか。皆さんが同参し、力を合わせていかなければなりません。そうして、この社会とこの国、私たちの周辺のあらゆる国家が必ずや必要とする未来の指導者たちを養成し、分かち合うことを実践しなければなりません。

5 お父様は今まで、国家を動かせる団体を三十以上つくりました。皆さんは、どの国でもこの三十以上の団体の支部をつくりなさいというのです。これらをすべて整理して引き継ぐのです。これらの団体の基金をつくり、毎月会費を出すようにするのです。今まで私がお金を出しましたがこれから大会に参加するときは、各自がお金を出して参加する体制をつくらなければなりません。基金をつくって、その銀行の利子で毎年いくらでも大会を行うことができ、息子、娘に奨学金を出して勉強させることもできます。そのようになれば、世界の有名な人たちが祝福家庭になるのです。それが世界を生かす道です。

6 最も価値のあるものは、目に見えず、永遠に存在します。ですから、愛は最も絶望的な状況の中でも、希望と勇気を呼び起こし、永遠に変わることなく人々の心の中に息づき、最後の瞬間にも、始まりを語ることができる力をもたらしてくれます。

道徳と価値観の崩壊、人間性の喪失と物質万能主義の病弊の中で呻吟している、私たちの社会のもどかしい実情は、自分自身だけでなく、人に配慮し、ために生きることができる真の愛によってのみ、治癒されるのです。真の愛は、与えても忘れ、また与えようとします。寒さに震える隣人に、心をこめて、一足の靴下をはかせてあげること、時には、見ず知らずの人のために自らを完全に犠牲にすることが真の愛です。人間の価値は、外的または物質的価値基準によるのではなく、その精神と人格にあることを信じる真の愛の心が、人に対する尊重と配慮を生むのです。

私たちには、不遇な家庭環境、物質的な貧困、または身体的障害を理由に疎外される隣人たちが大勢います。彼らに温かい父母の愛、兄弟の愛、子女の愛を分けてあげるために「自願奉仕愛苑」は誕生しました。自らに可能な限りの時間、努力、物質を、苦労している隣人のために投入し、施すことは、明らかに意味があり、やり甲斐のあることです。自願奉仕(ボランティア)とは、人のために自ら行う真の愛の実践です。さらに、自願奉仕は、人間個人の人生にのみ影響を与えるものではなく、一つの国の生活水準を表す指標にもなります。

隣人と共に生きている今日の地球村文化は、人間の尊厳性、愛への信念と社会共同体意識を切実に求めており、これは国境と宗教と思想を超越した絶対価値、すなわち変わらない真の愛を実践しなければならない、人間性回復の時代に入ったことを悟らせてくれます。

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11  今、世の中は、父母が子女を信じることができず、子女が父母を信じることができません。妻を信じることができず、夫を信じることができず、兄弟を信じることができず、祖父母を信じることができません。不信の風潮の世の中です。これは、悪魔が地上地獄を膨張させたものであることを知らなければなりません。

誰が家庭を救ってあげるのかというのです。救う人は、真の父母以外にはいません。真の父母の家庭編成理念は、天の国の秘密食庫に入っている教科書です。エイズは、私たちの手によって、大韓民国でブレーキをかけて追放しなければなりません。アメリカの風潮に付いていってはいけないというのです。

12  純潔大学を造らなければなりません。単科大学を造るつもりです。男性と女性の純潔大学にならなければなりません。純潔大学の出発とともに各学科をつくっておき、男性たちまで編入させるのです。これから、世界的な名門校になります。大臣や学者など、国の有名な人々はみな、純潔大学を卒業した女性を嫁に迎えようとし、男性を婿に迎えようとするでしょう。

13  絶対「性」を守れなくなれば脱落します。そのことゆえに人間が堕落し、神様が今まで苦労しているのです。神様の胸に大きな釘を打ち込んだのは何でしょうか。アダムの生殖器とエバの生殖器です。二人が誤ったために、天下がすべて崩れたのです。天下を造っておいたのですが、それゆえにすべて崩れたというのです。

それをよみがえらせなければならない責任があります。ですから、アダムとエバが堕落する時に神様が深刻だった以上に、皆さんは性の問題を中心として、(絶対「性」を)絶対視しなければなりません。そのため、鮮文大学に純潔学科をつくったのです。

14  二〇〇四年一月二十八日、午前十一時五分を中心として、清心神学大学院大学を奉献するこの記念の時間を迎えています。この日を期して、天がこの場所とこの環境とこの全体を引き受けて主人となられ、万世に誇り得る教育の殿堂となるようにお許しくださることを、お願い申し上げます。

韓国において、鮮文大学と同じように、ここの神学大学院を中心として、今後、超宗教超国家として、新しい神様の理想的世界において、天を知り、地を知り、人間を知り、天のみ前に主人がいらっしゃることを知って、その主人を万世の理想的創造主として、真の父母として、真の師として、侍ることのできる人材をこの殿堂で教育することを願いますので、お父様が引き受けてくださり、一切の奉献された事実を快くお受けください。ここに所属する一切の機関ごとに、そして、師と教え子が一つになって、「清心」というこの文字に恥じることがなく、燦々(さんさん)と朝の太陽の光を浴びるように、喜びの中ですべての思いが一つになり、天の本然の垂直的な中心を備えて、体と心が一体になった世界の主人と、横的な実体と一つになるようにしてください。

15  清心神学大学院大学は、超宗教の神学大学院です。有名な博士たちを連れてきて、自分が所属した教団の教理を紹介し、統一教会と比較させるのです。統一教会に所属した博士が批判したものや、自分たちが批判したものが同じようになるときには、超宗教全体の立場から、一つの道を探し出して教えてあげなければなりません。それは、天地が願う宿命的な課題です。

16  アメリカの統一神学大学院は、超宗教の神学大学院です。超宗教です。ここには仏教徒も入ることができ、儒教やイスラーム、キリスト教を信じる人もみな、入ることができます。ここを卒業した人は、超宗教的に、どこにでも行って、牧師や指導者として活動できるのです。そのような神学大学院になります。清平には、清心神学大学院大学を造りました。清心神学大学院大学はアベルであり、アメリカの統一神学大学院はカインなので、一つにならなければなりません。

統一神学大学院、ブリッジポート大学と世界大学連盟 真の父母様は、一九七四年四月三十日、アメリカ、ニューヨークのハドソン川の川辺、ベリータウンにある敷地七万坪(五十八エーカー)のカトリック神学校を引き継ぎ、一九七五年十月二十日にアメリカの統一神学大学院として開校された。そして、一九八六年十一月二十一日に認可を受け、神学科と神学教育科の修士号課程を新設し、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教などから教授たちを招聘して、超教派大学院として運営された。続いて、一九九二年四月十五日にブリッジポート大学を引き継がれた。アメリカのコネティカット州、ロングアイランド海峡沿いに位置するブリッジポート大学は、一九二七年に設立された由緒ある大学である。真の父母様は、世界の大学が国家や理念、宗教の壁を飛び越え、人類が追求する共同価値の実現に当たって先頭に立たなければならないと考えられ、一九九六年一月、ウルグアイのモンテビデオで世界大学連盟の結成を宣言された。そして、国際的な人材を養成し、国連を通して世界の指導者クラスの人脈ネットワークを構築するため、国連大学の設立を提唱された。また、「これからは、学校という空間より、誰もがそれぞれの場所で教育を受けられる映像通信教育時代に入るようになる」と語られた。

17  私がベリータウンに神学校を造ったのは、統一教会に神学が必要だからではなく、キリスト教のためです。ですから、ユダヤ教の教授、カトリックの教授、長老派教会の教授などを連れてきて優待するのです。それゆえ、不思議だというのです。統一教会の「原理」を教えず、干渉もしないで、自分たちの好きなように教えるようにしているというのです。

18  統一神学大学院がアメリカで有名になっています。アメリカの神学界で問題の神学校として注視しているのです。施設や学究的な実力では、どの大学院にも劣らない水準に上がりましたが、政府が政治的な背景を中心としてブレーキをかけています。しかし、アメリカの神学者たちが関与しているので、政府も仕方なく認可を出さざるを得ない段階に来ています。

19  ベリータウンの神学大学院に対し、一九八六年十一月二十一日に設立認可が下りました。統一神学大学院です。そのために十一年間闘いました。ニューヨーク州の教育委員会を相手に、行政訴訟を起こしたのです。学校設立の規定に従って、施設から教授と学生たちまで、すべてのものを備えたのに、なぜ認可してくれないのかというのです。アメリカでは、そのようなことはあり得ません。

訴訟を起こし、私たちが一審で勝ちました。向こうの控訴で二審に進んだのですが、二審でも勝ったというのです。三審まで進みました。ニューヨーク州の立場からすると、三審でも負ければ国の面子が立たないので、そこで棄却したのです。「ニューヨーク州の教育委員会と統一神学大学院が話し合って、良い方向に向けて解決しなさい」と言って棄却してしまったのです。それが棄却されてから四年目に認可が下りました。

20  お父様が神学校を建てたのは、アメリカを救うためです。企業体を発展させるために建てたのではありません。現在の神学校は、アメリカを救う能力がありません。今後は、私たちの神学校の出身者たちが、この国に影響を及ぼすでしょう。大学教育もそうです。現在教育しているものでは、アメリカの進路を変えることができません。再教育ができるのは、私たちしかいません。キリスト教自体が、神様のみ旨を知らないのです。それを知っている人は私たちしかいないので、私たちが新たに教育しなければなりません。

今までお父様がこの神学校の設立を急いだのは、アメリカを再教育するためです。キリスト教を新たなものにして、新しいアメリカ、新しい自由世界をつくるのです。

21  私は、ブリッジポート大学を引き継ぎました。アメリカで外国人として総合大学を引き継いだ人は、私しかいません。初めてです。これは記録です。ですから、四方からどれほど反対を受けたか分かりません。あらゆる大学で、「今、レバレンド・ムーンがアメリカの教育分野を占領するのは、未来のアメリカを滅ぼすためだ」と言って、ありとあらゆるうわさが立ちました。

「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」などの新聞も、あらを探して非難しました。私はアメリカに来て、悪いことは一つもしていません。夜も昼も、堂々としているというのです。堂々とした男として生きてきました。

22  お父様が生きていく生活の天理、鉄則があります。私は、天の福があれば、福のパイプをつなげてあげようとするので、お父様が苦労した所に祝福があるのです。ブリッジポート大学はコネティカット州にあります。私が入って苦労した刑務所がある州です。そこが祝福を受けたというのです。

ブリッジポート大学を私が引き継かなければその州は不渡りを出すようになっていました。私が困難な学校を引き継ぎ、今や誇らしい都市になりました。注目の対象になったというのです。その周辺の州の中で、注目の都市になりました。アメリカに対しても、私は「うまくいくように」と祈るのであって、「滅びよ」とは祈りませんでした。苦労した所です。私が手を放して去ったとしても、アメリカは滅びないというのです。

23  学問とは、国境を超越しなければならず、歴史まで超越しなければなりません。そのような観点から、全世界の学者たちが一堂に会して教育をするのですが、民族の限界線に支配される教育制度を私たちは克服しよう、越えていこうというのです。アメリカであればアメリカのための教育制度、イギリスであればイギリスのための教育制度ではなく、それを超越して、私たちが新たに構想する一つの世界、平和の世界を建設できる教育制度を整えなければなりません。

このような目標を立てておき、そこにふさわしい教育施設を備えなければ、完全な教育をすることができないので、そこにふさわしい大学を造ろうと考えています。それで、国際大学理事連盟をつくろうとしているのです。

24  今後は、誰でも統一教会の責任者になれるのではありません。責任者になろうとすれば、世界が共通に公認する試験過程を経なければなりません。「韓国の郡の責任者だ」と言えば、アメリカにも郡があるので、その責任者と釣り合う資格を与えるのです。そうすれば、どこに行っても、「あなたは何の責任者ですか」と聞かれるとき、「郡の責任者です」と言えば、どのレベルかが分かるようになります。言い換えれば、「小学校の教師だ」と言えば、どこに行ってもすべて通じるのと同じです。そのように制度化しなければなりません。

それで、私がアメリカに行って急いだのが、教育の制度化です。それは、人の数で制度化するのではなく、教育の基盤の上でしなければなりません。ベリータウンで急いだことがそれです。今や、本格的な教育の段階に入るのです。

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第二節 主要な教育機関 統一神学校と鮮文大学、清心神学大学院大学 真の父母様は、一九七二年四月三日、京畿道九里市水澤洞の中央修練所に統一神学校を開校され、大学設立の基礎を据えられた。そして、一九八五年十二月、政府から四年制の各種学校として成和神学校の設立認可を受け、一九八六年三月、神学科の学生四十人を募集して開校した。その後、一九八九年十月に、政府から成和大学への改編認可を受け、一九九四年三月一日、校名を鮮文大学に変更した。真の父母様は、建学理念を「愛天、愛人、愛国」と定められ、「天地開闢鮮文学堂」という揮毫で鮮文大学の設立精神を標榜された。特に、一九九八年十月十九日、純潔学科を新設されるなど、特化された教育を通して、摂理の主役と世界的指導者を養成することに、学校運営の焦点を合わせられた。二〇〇四年一月二十八日には、清心神学大学院大学の設立認可および奉献式において、「奉徳訓行萬福興盛萬歳」という揮毫を下さった。

1 韓国の主要な人士たちが日本を訪問しました。彼らが日本の原理研究会と統一教会の人たちに会ったのち、大変感動していました。この前、私たちが神学校を建てようとしたとき、その人々が反対したのです。ところが、今回彼らが日本に行って感動し、私たちの責任者たちに、「神学大学を早く造れるようにしてあげよう」と約束しました。その約束を取りつけてきたのです。これから、四年制の神学大学が設立されます。哲学科や社会事業科、農業科の系統もつくることができます。そして、物理や工科の大学などに拡大すれば、総合大学になるのです。総合大学を造らなければなりません。

2 これから、韓国では若い青年組織や、大学の学生たちを中心として活動しなければなりません。これが今まで、中枢的な組織の編成から抜け落ちていました。ですから、私たちは、二世を育てることにおいて莫大な損害を出しています。大学を建てて二世たちを養成しようとしているのですが、政府が今まで阻んできたのです。様々な言い訳をして反対してきましたが、今や、そのような時代は過ぎ去りました。韓国の学校の中で、一番の施設を造るのです。今後、この学校には誰でも入れるのではありません。世界で有名な碩学たちが来て教えるのです。

3 「成和神学校の学生たちを、夜十二時以前に寝かせてはいけない」と言いました。「二年生からは英語で講義しなさい」とも言いました。私が彼らに、「聞き取りなさい!聞き取れなければ、落第だ」と強調したのです。英語が分からなければなりません。最低限、三ヵ国語ができなければならないのです。私は今も英語の勉強をしています。外国語を勉強しているのです。勉強をしなければなりません。

4 鮮文大学は知性世界の殿堂ですが、世界的な知識人たちの立場から見るとき、後れていてはいけません。ですから、私は、徹底して教育しなければならない責任を感じました。そのような意味で、徹底的に教育しなければならないというのです。そのような基準を中心として、今後、大学を建てるに当たり膨大な資源を投資するつもりです。その資源を教会に投資すれば、どれほど発展するでしょうか。それを私はよく知っています。

いずれにせよ、教会というものは長い期間を通じて発展します。急速に発展するよりも、長期的な発展をするほうが、質的な面や内的な面で強固になると考えるのです。しかし、教育は、変遷する社会で、全体が統一された知識基準をどのように立てるかが問題です。そのように変遷する社会に後れを取らない基準を立てることが、今後、大学が発展できる原動力になると考えるのです。

5 私が一九五〇年代に、「世紀末的な時代になれば、一日生活圏内で世界が動く」と話したとき、誰も信じませんでした。「コンピューターシステムが構築され、電話も座ってどこにでもかけられ、遠く離れた所とも会議をすることのできる一日生活圏内で、世界が同化し得る時代が来る」と話しました。

統一教会がその水準に上がっていくのですが、天は、発展的な相対世界を連結してくれているというのです。ですから、鮮文大学が停止していてはいけません。二十一世紀を踏み越えて進み、二千年、三千年、五千年の歴史を立てていける基盤を築かなければなりません。そのような準備をしようとすれば、皆さんの考えや方向が一つにならなければなりません。

6 造船所に行ってみれば、小さな鉄のかけらでもすべて使い道があります。そのようなものをすべて細分してもってきて、合わせるようになっています。人の体のようなものを作るとすれば、手を別に作り、足を別に作り、目や鼻を別に作り、持ってきて組み立てるのです。それが大変です。溶接が一ミリメートル違っただけでも、全体を捨てなければなりません。これから、そのような世界になります。

鮮文大学もそうです。伝統を中心として計画を立てなければなりません。実務に責任をもった人々は、計画を引っ張っていく人にならなければなりません。そのようにしてこそ発展します。現在、責任をもっている所で(あらゆる面で)際立っていなければなりません。学生たちを教えることにおいて模範になり、生活的な面で模範になり、教授たちからも公認を受けられる基盤を確保しなければなりません。

盲目的であってはいけません。思想的な基準で、価値観の基調がなければならないのです。根があってこそ木が育ちます。思想武装をしなければ何もできません。中心の根は、まっすぐに下りていかなければならないのです。

7 「愛天、愛人、愛国」という鮮文大学の建学理念で標榜したように、私がこの大学を設立するようになった動機は、神様を愛する愛天理念でした。愛天で意味する神様は、特定の宗教や宗派の教理の中に閉じ込められている神様ではありません。生きた根源者でいらっしゃる神様は、真の愛の本体であられ、人類にとっては無形の真の父母であられ、天道とすべての教えの根源であられます。私は早くに、生きていらっしゃる神様を知ってから、一時もその神様の願いを忘れたことがありません。

神様の真の愛の理想である平和世界を実現するために、一生を献身的に歩んできた私は、未来を導いていくビジョンある人材の養成を、重要な宿願事業の一つとして感じてきました。今後、近づいてくる地球村時代、人類大家族社会を導いていく人材は、まず天と人類、国、世界、万象を愛する人でなければなりません。真の父母、真の師、真の主人の三主体の人格は、神様に似た愛の実践の中で形成されるからです。大学は、創意力の啓発を通した専門家を養成する教育機関です。しかし、普遍的真理の根源である神様とつながった人格教育を通して、三主体人格者である健全な指導者を養成する普遍教育は、何よりも優先されるのです。

8 鮮文大学では、天理に従う愛の実践と体恤の手本になる教授と指導者たちが、全体の学生に真の父母、真の師、真の主人の人格を教育しなければなりません。人類が念願する自由と平和、統一と幸福は、知識や力、あるいは物質の豊かさだけでは実現されません。人間の道徳性と霊性の啓発が前提にならなければならないのです。

新たに到来した二十一世紀は、摂理完成の世紀として、人間が不可避的に霊界と近く通じ合いながら生きなければなりません。鮮文大学は、私の行跡研究とともに、世界の碩学たちが押し寄せてきて、霊界について研究するセンターになるでしょう。また、本大学は、人間の知性と専門性の啓発だけでなく、心霊の啓発を通して人格を完成する大学、すなわち道徳的で霊的に完璧な指導者たちを育成する世界一の大学になるでしょう。

9 鮮文大学は、世界の碩学たちと世界を導く指導者たちが最も喜んで訪れる共同研究と討論の場になり、未来の理想実現に連結されることを確信しなければなりません。これから鮮文大学には、世界から天才的で最も優秀な若者たちが、雲霞のように押し寄せるでしょう。

この大学は、韓国人たちだけのための大学ではありません。世界の人々はもちろん、天上にいる霊人たちの願いまで包括する摂理史的な大学です。世界の志ある若者たちが、摂理の祖国である韓国を知り、世界平和のための真の愛のビジョンを共に分かち合う国際化教育の揺籃です。

ここで学ぶ学生たちは、世界市民、ひいては天一国国民としての素養を備え、善民となり、未来世界の指導者になることができる品格を備えなければならないでしょう。そして、教授と役職員の皆さんは、この大学を、専門的な知識と技術はもちろんのこと、知恵と道徳性、そして、霊性を研磨しながら、真の愛の人格を形成する学堂にしなければなりません。

10 鮮文大学は、神様と天意に従った設立者が願う、清く高尚な二世たちが学ぶように準備された所です。ですから、純潔教育の世界的な揺籃にして、国と世界が信じて任せられる訓育、および実践の場となり、明るい未来に連結されなければなりません。

真の愛の心で隣人のために何でも分かち合い、施すことができる奉仕の人格を研磨する、金の卵たちとして育てなければなりません。天宙が願う、超国家、超人種、超宗教的に開放された教育を通して、あらゆる人種の人たちが一つの兄弟の理想を学ぶ、和合の学舍にならなければなりません。世界を健やかに、美しく育むことのできる、多様な知識と技術の専門家の養成所として育つことを願います。鮮文大学が世界の若者たちに真の愛と平和の生きた知識を悟らせ、奉仕し、研究する教育機関として、日々発展することを願います。

第二節 主要な教育機関 統一神学校と鮮文大学、清心神学大学院大学 真の父母様は、一九七二年四月三日、京畿道九里市水澤洞の中央修練所に統一神学校を開校され、大学設立の基礎を据えられた。そして、一九八五年十二月、政府から四年制の各種学校として成和神学校の設立認可を受け、一九八六年三月、神学科の学生四十人を募集して開校した。その後、一九八九年十月に、政府から成和大学への改編認可を受け、一九九四年三月一日、校名を鮮文大学に変更した。真の父母様は、建学理念を「愛天、愛人、愛国」と定められ、「天地開闢鮮文学堂」という揮毫で鮮文大学の設立精神を標榜された。特に、一九九八年十月十九日、純潔学科を新設されるなど、特化された教育を通して、摂理の主役と世界的指導者を養成することに、学校運営の焦点を合わせられた。二〇〇四年一月二十八日には、清心神学大学院大学の設立認可および奉献式において、「奉徳訓行萬福興盛萬歳」という揮毫を下さった。

1 韓国の主要な人士たちが日本を訪問しました。彼らが日本の原理研究会と統一教会の人たちに会ったのち、大変感動していました。この前、私たちが神学校を建てようとしたとき、その人々が反対したのです。ところが、今回彼らが日本に行って感動し、私たちの責任者たちに、「神学大学を早く造れるようにしてあげよう」と約束しました。その約束を取りつけてきたのです。これから、四年制の神学大学が設立されます。哲学科や社会事業科、農業科の系統もつくることができます。そして、物理や工科の大学などに拡大すれば、総合大学になるのです。総合大学を造らなければなりません。

2 これから、韓国では若い青年組織や、大学の学生たちを中心として活動しなければなりません。これが今まで、中枢的な組織の編成から抜け落ちていました。ですから、私たちは、二世を育てることにおいて莫大な損害を出しています。大学を建てて二世たちを養成しようとしているのですが、政府が今まで阻んできたのです。様々な言い訳をして反対してきましたが、今や、そのような時代は過ぎ去りました。韓国の学校の中で、一番の施設を造るのです。今後、この学校には誰でも入れるのではありません。世界で有名な碩学たちが来て教えるのです。

3 「成和神学校の学生たちを、夜十二時以前に寝かせてはいけない」と言いました。「二年生からは英語で講義しなさい」とも言いました。私が彼らに、「聞き取りなさい!聞き取れなければ、落第だ」と強調したのです。英語が分からなければなりません。最低限、三ヵ国語ができなければならないのです。私は今も英語の勉強をしています。外国語を勉強しているのです。勉強をしなければなりません。

4 鮮文大学は知性世界の殿堂ですが、世界的な知識人たちの立場から見るとき、後れていてはいけません。ですから、私は、徹底して教育しなければならない責任を感じました。そのような意味で、徹底的に教育しなければならないというのです。そのような基準を中心として、今後、大学を建てるに当たり膨大な資源を投資するつもりです。その資源を教会に投資すれば、どれほど発展するでしょうか。それを私はよく知っています。

いずれにせよ、教会というものは長い期間を通じて発展します。急速に発展するよりも、長期的な発展をするほうが、質的な面や内的な面で強固になると考えるのです。しかし、教育は、変遷する社会で、全体が統一された知識基準をどのように立てるかが問題です。そのように変遷する社会に後れを取らない基準を立てることが、今後、大学が発展できる原動力になると考えるのです。

5 私が一九五〇年代に、「世紀末的な時代になれば、一日生活圏内で世界が動く」と話したとき、誰も信じませんでした。「コンピューターシステムが構築され、電話も座ってどこにでもかけられ、遠く離れた所とも会議をすることのできる一日生活圏内で、世界が同化し得る時代が来る」と話しました。

統一教会がその水準に上がっていくのですが、天は、発展的な相対世界を連結してくれているというのです。ですから、鮮文大学が停止していてはいけません。二十一世紀を踏み越えて進み、二千年、三千年、五千年の歴史を立てていける基盤を築かなければなりません。そのような準備をしようとすれば、皆さんの考えや方向が一つにならなければなりません。

6 造船所に行ってみれば、小さな鉄のかけらでもすべて使い道があります。そのようなものをすべて細分してもってきて、合わせるようになっています。人の体のようなものを作るとすれば、手を別に作り、足を別に作り、目や鼻を別に作り、持ってきて組み立てるのです。それが大変です。溶接が一ミリメートル違っただけでも、全体を捨てなければなりません。これから、そのような世界になります。

鮮文大学もそうです。伝統を中心として計画を立てなければなりません。実務に責任をもった人々は、計画を引っ張っていく人にならなければなりません。そのようにしてこそ発展します。現在、責任をもっている所で(あらゆる面で)際立っていなければなりません。学生たちを教えることにおいて模範になり、生活的な面で模範になり、教授たちからも公認を受けられる基盤を確保しなければなりません。

盲目的であってはいけません。思想的な基準で、価値観の基調がなければならないのです。根があってこそ木が育ちます。思想武装をしなければ何もできません。中心の根は、まっすぐに下りていかなければならないのです。

7 「愛天、愛人、愛国」という鮮文大学の建学理念で標榜したように、私がこの大学を設立するようになった動機は、神様を愛する愛天理念でした。愛天で意味する神様は、特定の宗教や宗派の教理の中に閉じ込められている神様ではありません。生きた根源者でいらっしゃる神様は、真の愛の本体であられ、人類にとっては無形の真の父母であられ、天道とすべての教えの根源であられます。私は早くに、生きていらっしゃる神様を知ってから、一時もその神様の願いを忘れたことがありません。

神様の真の愛の理想である平和世界を実現するために、一生を献身的に歩んできた私は、未来を導いていくビジョンある人材の養成を、重要な宿願事業の一つとして感じてきました。今後、近づいてくる地球村時代、人類大家族社会を導いていく人材は、まず天と人類、国、世界、万象を愛する人でなければなりません。真の父母、真の師、真の主人の三主体の人格は、神様に似た愛の実践の中で形成されるからです。大学は、創意力の啓発を通した専門家を養成する教育機関です。しかし、普遍的真理の根源である神様とつながった人格教育を通して、三主体人格者である健全な指導者を養成する普遍教育は、何よりも優先されるのです。

8 鮮文大学では、天理に従う愛の実践と体恤の手本になる教授と指導者たちが、全体の学生に真の父母、真の師、真の主人の人格を教育しなければなりません。人類が念願する自由と平和、統一と幸福は、知識や力、あるいは物質の豊かさだけでは実現されません。人間の道徳性と霊性の啓発が前提にならなければならないのです。

新たに到来した二十一世紀は、摂理完成の世紀として、人間が不可避的に霊界と近く通じ合いながら生きなければなりません。鮮文大学は、私の行跡研究とともに、世界の碩学たちが押し寄せてきて、霊界について研究するセンターになるでしょう。また、本大学は、人間の知性と専門性の啓発だけでなく、心霊の啓発を通して人格を完成する大学、すなわち道徳的で霊的に完璧な指導者たちを育成する世界一の大学になるでしょう。

9 鮮文大学は、世界の碩学たちと世界を導く指導者たちが最も喜んで訪れる共同研究と討論の場になり、未来の理想実現に連結されることを確信しなければなりません。これから鮮文大学には、世界から天才的で最も優秀な若者たちが、雲霞のように押し寄せるでしょう。

この大学は、韓国人たちだけのための大学ではありません。世界の人々はもちろん、天上にいる霊人たちの願いまで包括する摂理史的な大学です。世界の志ある若者たちが、摂理の祖国である韓国を知り、世界平和のための真の愛のビジョンを共に分かち合う国際化教育の揺籃です。

ここで学ぶ学生たちは、世界市民、ひいては天一国国民としての素養を備え、善民となり、未来世界の指導者になることができる品格を備えなければならないでしょう。そして、教授と役職員の皆さんは、この大学を、専門的な知識と技術はもちろんのこと、知恵と道徳性、そして、霊性を研磨しながら、真の愛の人格を形成する学堂にしなければなりません。

10 鮮文大学は、神様と天意に従った設立者が願う、清く高尚な二世たちが学ぶように準備された所です。ですから、純潔教育の世界的な揺籃にして、国と世界が信じて任せられる訓育、および実践の場となり、明るい未来に連結されなければなりません。

真の愛の心で隣人のために何でも分かち合い、施すことができる奉仕の人格を研磨する、金の卵たちとして育てなければなりません。天宙が願う、超国家、超人種、超宗教的に開放された教育を通して、あらゆる人種の人たちが一つの兄弟の理想を学ぶ、和合の学舍にならなければなりません。世界を健やかに、美しく育むことのできる、多様な知識と技術の専門家の養成所として育つことを願います。鮮文大学が世界の若者たちに真の愛と平和の生きた知識を悟らせ、奉仕し、研究する教育機関として、日々発展することを願います。

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第三章  教育機関の設立と人材育成第一節   教育機関設立の趣旨教育の真の意味真の父母様は、生涯にわたって教育事業に多くの情熱を注がれた。特に、真の父母、真の師、真の主人の立場で無知に陥った人間を悟らせるため、昼夜なく努力された。真の愛を中心とした教育を強調し、自らこれを実践されたのである。

1   善は、一瞬にして実現されるものではありません。善なる人になろうとすれば、過去から受け継がなければなりません。ですから、教育が必要です。学校に行って学ばなければなりません。何を学ぶのでしょうか。歴史の過程で善の道をつくるために犠牲になった人々は、裕福に暮らして死んだのではありません。そのように犠牲になって死んだ人々の思想を受け継がなければならないのです。

2   教育や倫理というものは、善を標準にして進みます。善を標準にして行く道は、易しい道ではありません。苦痛の道です。「私」の体が願うすべてのものは、本質において相反する逆理的な路程です。その道を行かなければ、善の結果を探し出せないというのが、今日、私たちが社会生活で教えられる標準です。

3   今日、学校問題が、緊急な社会問題として、アメリカや日本など、全世界で台頭しています。師は、父母の代わりに、愛で教え子たちを教育しなければなりません。永遠の愛をもって教育しなければならないのです。教室で会う時の縁だけではありません。自分が教えてあげた教え子たちを、一生の間、忘れてはいけません。そのような愛の絆を結ぶために努力しなければならないのです。

自分のすべての知識を、愛とともに連結する師が真の師です。生活の方便として、月給をもらうために教えるのではなく、愛の思いを抑えることができずに教えてあげざるを得ない師、生活が困難になるとしても教えなければならないという師にならなければなりません。夜も昼も訪ねていって、自分のもてる知識を愛で伝授してあげ、また、それを受けたいと思う師弟関係にならなければなりません。そのようにする師が真の師であり、そのような教え子が真の教え子なのです。

4   真の愛を中心として、社会や国家に必要な要件は三つあります。一つは、父母が必要です。もう一つは、先生が必要です。教育が必要だというのです。その次には、主人が必要です。師は、愛を教えてあげなければなりません。神様のように再創造の主体格をもつことができる人を育てなければならないのです。知識は一代で終わりますが、愛は永遠なのです。師は、父母の心をもって、自分の後継者になることができ、自分の家門、自分の国を任せられる人を育てる、という心をもたなければなりません。

5   真の師は、父母に代わって教え子を愛さなければなりません。学費を出せない学生がいれば、師が支援しなければなりません。募金運動をしてでも、学費を出してあげる学校にならなければなりません。もし学校でできなければ、そのクラスの学生たちの父母と先生が心を合わせ、教育していこうと考えなければならないのです。自分の家庭第一主義は滅びます。天国に行けません。

5   父母は、子女を教育するとき、自分の息子、娘としてのみ愛してはいけません。世界の人々のための祭物的な息子、娘として愛する父母にならなければなりません。そして、子女を懐に抱き、お乳を飲ませるときは、この地球星の人類を代表する母親の立場で、人類を代表する幼子にお乳を与えるという思いで飲ませなければなりません。そして、他人の子女も、自分の子女だという心情で接する母親になってみてください。

そのような母親のお乳を飲んで育つ赤ん坊は、偉大な人になるでしょう。すぐにはならなくても、一代、二代を経ていく間に、必ずその子孫の中から世界を治めることができる人物が誕生するでしょう。これは公式です。

7   神様はアダムとエバ、子女を教育してみることができませんでした。子女の道理に関する教育ができなかったのです。兄弟愛はいかなるものかという教育ができませんでした。それが恨です。そして、夫婦はどのように生きなければならず、夫婦の天理はいかなるものかということ、神様の愛を中心として見つめる道理を教えてあげることができませんでした。また、神様の代わりに横的に立てる父母教育ができませんでした。

アダムとエバは、神様の息子、娘であり、兄妹でした。その兄妹が大きくなって、夫になり、妻になるのです。彼らが息子、娘を生めば、父母になるというのです。そのアダムとエバが(十分に)教育を受けられないことによって、神様の創造理想を中心とした家庭を完成できませんでした。ですから、その家庭が完成するように、真の愛によって再び子女を教育しなければなりません。兄弟教育、夫婦教育、父母教育を再びしなければなりません。

教育事業を行う理由真の父母様が多くの教育機関を立てて教育事業に乗り出されたのは、個人よりも国家と世界のために生きる指導者を育てて神様の創造理想である心情文化世界を創建するには、何よりも教育が優先されるからである。そのため、それぞれの教育機関に共通して「愛天、愛人、愛国」の建学理念を掲げられ、人格と専門性を育むために、惜しむことなく多くの支援をされた。

8   この世界的環境をどのように収拾するかが問題です。ですから、教育が重要です。徹底した教育を行わなければなりません。祝福家庭の男性と女性が、原理原則を中心として完全に一つになり、一つになった父母が子女と一つになり、子女と一つになった一族が、七代を束ねて一つになり得る強力な教育体制を、どのようにつくるかが問題です。

教育体制と言えば、二つです。一つは内的な教育であり、一つは外的な教育です。内的な教育は、人格教育からすべての価値観の教育として、家庭から行わなければなりません。家庭を中心として、そのような教育ができる外的な学校を造らなければなりません。(ここに、)ブリッジポート大学や鮮文大学を造った理由があるのです。

世の中の学校全体が否定しても、それを支持できる教育体制をつくらなければなりません。一つの大学だけではできません。一元化された教育基準を中心として、いかなる大学よりも素晴らしい未来像がなければならないのです。社会のすべての疲弊したものを防ぎ、立ち上がって、夜も昼も、どこに行っても批判を受けず、支持を受けられる環境を、どのようにつくるかが問題です。

9   若い人々は、三ヵ国以上の言葉を話すことができなければならない時が来ました。ですから、忙しいというのです。皆さんの時代にできなければ、皆さんの息子、娘でも、そのような世界に同参(一緒に参加すること)させるべき父母の責任があります。私は、全体に責任をもった父母の立場で万民と向き合うのです。

ですから、世界的な大学を造らなければなりません。清平に超宗教神学大学院を建てる計画をしています。世界民族村を中心として文化の殿堂を造り、世界万民が訪ねてくるとき、自分たちの故郷の香りを感じ、本部に来て天の国の宮殿からすべての教育と訓練を受けて、世界に帰っていけるようにしなければなりません。

10  もし、父母が子女に対して、「私がお前を愛し、お前のために苦労しながら汗を流すのは、私のことを考えるのではなく、この国をもっと愛しなさいという思いからである」という愛国の志士の心情をもって教育すれば、そのような父母のもとで愛の教育を受けた子女は、父母が願う愛国の志士になるために努力するでしょう。その子女は、父母の愛を思い出すたびに、三千万民族(韓民族)のことを考えるでしょう。そして、民族のために生きる立場で勉強し、自分の民族が悲惨な状況に直面したときは、自分の父母以上にその悲惨さを感じるでしょう。

しかし、だからと言って、愛国者になるのではありません。そのような立場に立って築いた基盤がなければならないのです。そうであってこそ、それが千年、万年、国民が欽慕できる要因になるのです。そうでなければ、それはすべて過ぎ去ます。

学校において、何としてでも教え子たちに正しい思想を引き継がせようと苦心する師がいるとすれば、その人は大韓民国という国家の運命を心配しながら、教え子たちの手を握り、涙を流してこのように勧告するでしょう。「私に従うのではなく、国に従いなさい。私のために立派な行いをするより、国のために立派な行いをすることを願う」と言うのです。このような教えを受けた教え子たちは、その師が果たせなかった志を果たすでしょう。このように、師は自分の生涯を捧げて教え子たちのために精誠を尽くし、父母は自分の価値よりも国家と世界の価値を貴く思いながら子女のために精誠を尽せば、その師の教え子と、その父母の息子、娘は、国の中心人物になるでしょう。

11  神様が、教会という教育機関をつくっておいた目的とは何でしょうか。ここにすべての人種を集めて教育し、訓練しなさいということです。ここは訓練場所です。精神的な訓練場所、未来の国民と家庭のための訓練場所だというのです。教会が家庭の行くべき道、氏族の行くべき道、国の行くべき道を正しく教育しなければなりません。神様は教会を中心として、未来の家庭と氏族と国民をつくろうとするのです。

12  自分の国のためだけに生きる教育をしてはいけません。国境を越え、世界のあらゆる人を導いていくことのできる教育をしなければなりません。「世界は一つだ。勉強するのも世界のためにする」と言わなければなりません。いずれにせよ、世界は一つにならなければならないようになっています。ですから、結局は一つになるのです。

そのような点で、教育内容の中に宗教教育が必要です。それは、国境を越えることができます。その次に、思想的な教育が必要です。それは世界的です。国境を越えられるというのです。ですから、思想的な内容と宗教的な内容を兼ねた教育にならなければなりません。今後、どのような国家でも、世界のための教育理念に支えられた国家でなければ、世界人類の前に立つことはできません。

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責任言論、道徳言論を目指す真の父母様は、「言論はすなわち、真理の代弁者であり、良心でなければならない」と語られ、正統正論紙として「世界日報」が進むべき方向性を提示された。特に、世界が価値観の没落によって混乱している状況で、社会を指導する教育の責任を担わなければならないことを強調された。また、姉妹メディアである「ワシントン・タイムズ」「UPI通信社」などとの交流を通して、同際的ネットワークを強化しなければならないと語られた。

11  「世界日報」の「世」の字は、この世の中のことです。「日報」の「日」の字は、日にちの「日」です。ですから「世界日報」は、世界の日を報告するのです。どのような日かと言えば、悪い日ではなく良い日です。それでは、大韓民国にとって良い日とは何でしょうか。「世界日報」は、良いことをたたえ、悪いことはたたかなければなりません。それが正道です。責任をもつ言論人にならなければなりません。その信念に自分の命を懸けて責任をもたなければならないのです。

12  皆さんは国民の前に、新聞記者としての実績を残さなければなりません。その実績とは何でしょうか。皆さんの息子、娘に、「私は正義の道を歩んだ」と言って立て札を書いてあげ、遺言を残すことができる自信をもった新聞記者が何人いるかというのです。深刻な問題です。これが現実的な問題です。知識で世界を動かすのではありません。お金で世界を動かすのではありません。権力で世界を動かすのではありません。真をもって世界を動かすのです。真によって動かすのです。結局、「世界日報」は、正義の日々をいかに立てるかという闘いをするのです。

13  「世界日報」は、全世界の最も良いものを記録して、社会に指標を立てなければなりません。そのような立場で国を批評し、アジアを批評し、世界を批評しなければなりません。「これがキーポイントである」と自分が確定して発表したものが神様の絶対的な目から見るとき、何パーセント合っているでしょうか。新聞記者として記事はうまく書いても、それが神様の目から見るとき、何パーセント合うかというのです。問題はそこにあります。良心を欺いてはならないというのです。

14  言論機関は、社会教育の標準を立ててあげなければなりません。言論が世界を滅ぼしています。大学の御用学者のようになってはいけません。大学の二世たちを自分以上に貴く育て上げる責任を果たさなければなりません。教育を受けた大学出身者たちが社会に出ると、腐敗してしまいます。誰がそのようにしたのでしょうか。言論人たちの責任が大きいというのです。

言論人たちは、現実的生活の利益を追求することをより考えるのであって、公的なことや民族の将来は考えないというのです。ですから、責任言論、信義言論を主張しながら進めています。このようにして社会教育をするのです。

15  「世界日報」は、「セゲ(世界)イルボ」というからには、正義に立脚して「強烈に(セゲ)」進まなければなりません。どれほど強烈に進むのでしょうか。私よりも、さらに強烈に進まなければなりません。息子、娘、子孫が自分の先祖よりもさらに立派であってこそ、今後その家も、会社も、国も、滅びずに栄えるのです。私よりさらにがむしゃらに、さらに強烈に進みなさいというのです。瞬間を中心として闘う時は、生命を懸けるだけではいけません。「お父様が生命を懸けたならば、私は愛も懸け、生命も懸け、知識も懸け、お金も懸け、権力も懸け、お父様以上にもっと強烈に進もう!」と言って内外に一つになれば、世界が統一世界へと進む、新しい扉が開かれるでしょう。

16  これから「統一思想研究院」を、「世界日報」の研究機関として位置づけなければなりません。そして、今後、編集局長と論説委員と主筆、編集局の部長以上の人々は、幹部として、もちろん文章を書くことも必要ですが、思想的な面やあらゆる面で、堂々とした理論をもって、国家指導者たちを教導できる責任者にならなければなりません。

今まで私がしてきたすべてのこと、「科学の統一に関する国際会議」や「世界言論人会議」のようなものは、再教育することを標準にして全般的に準備してきたので、今や、この頂上の基準を韓国の言論界に結んでおかなければなりません。教育というものは、一定の教科書によって、国家の施政方針、すなわち教育部が定める法規内で動きますが、言論界はそうではないというのです。ですから、この言論界を中心として、新しい教育の方向を強化するためには、思想的な面を重要視しなければなりません。しかも、北朝鮮と対峙している立場なので、思想的な面に関心をもたなければならないのです。

17  私たちの新聞社には、モニター要員が必要です。五年から十年後に新聞社を動かすことのできる人を、誰がたくさん育てるかが問題です。ですから、モニター要員制度を活性化させなければなりません。これから、「新聞記者は学校の先生よりも高い位置に上がる!」という思想を入れるのです。そのような点で、私たちは道義教育と社会浄化、人倫や道徳の問題を扱う新聞を作らなければなりません。

18  「ワシントン・タイムズ」では千人以上が働いています。白髪交じりで額がはげ上がり、目の青い人々が、私を心から尊敬しています。

「世界日報」を、その「ワシントン・タイムズ」と連結させてあげようと考えています。「ワシントン・タイムズ」の人を、「世界日報」にいる人といつでも交換できるようにしなければなりません。「世界日報」の記者たちが特派員として仕事をしていては、役に立たないと考えるのです。交換要員として行って特派員ができるようにしてこそ、どこに行っても「ワシントン・タイムズ」新聞社を活用できるのであって、付いて回りながら、自分の仕事が生じたときだけ働いていてはいけません。みな一緒に交流できる体制をつくって、日本の「世界日報」や「ミドルイースト・タイムズ」も、この基準で編成しなければなりません。

一人か二人を抜いて、人が足りなくなれば、何人かで手伝いながら編集をしてでも、外国に行ってくることができるように編制してみなさいというのです。「百聞は一見にしかず」なので、様々な場所を通して交流できる道を用意しなさいというのです。そうして、一つの家庭のようにしながら、新聞社の徹底した方向を中心として、今後、希望的な「世界日報」にならなければなりません。

19  皆さんが記事を書くときには、自分の名前をかけて、責任をもって書かなければなりません。私がアメリカで「ワシントン・タイムズ」を造って出発するとき、「『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』を踏襲してはいけない」と言いました。それは宣言です。私たちは独自的です。独自的な標準を私が立てたのです。

日本の「世界日報」も、今や基準に達しました。部数を増やしてはいけないというのです。配達の部数を少なくして、新聞社に来て新聞を持っていくようにするのです。今や、分かる人たちは分かってくれるようになりました。政府でも分かってくれるのです。なぜでしょうか。時事分野では、世界情勢について誰も付いてくることはできません。情報において、私たちが世界の先頭に立ったからです。アメリカのような国は、新聞が進歩的です。ソ連の間接的な宣伝紙のようになっています。すべて敗北的で、退廃主義的な思想を鼓吹(こすい:励ますこと)する刺激的な論説を書いています。しかし、私たちは違います。ですから、目を皿にして勉強しなさいというのです。

20  「世界日報」を世界的なモデルケースとして、これから「ワシントン・タイムズ」のように、世界と通じるアジアの代表言論機関にしようと考えています。そうするためには、ワシントンDCで作った六十ページの「ワシントン・タイムズ」の記事すべてが、ここの「世界日報」に入ってくるようにしなければなりません。このようにするためには、世界のニュース紙面を今より倍に増やさなければなりません。

「ワシントン・タイムズ」に文化部や宗教部、家庭部があれば、そこから出てくる記事の内容を、ここで翻訳できる実力がなければなりません。英語版「ワシントン・タイムズ」の記事内容を読んで、すぐに韓国語に翻訳して、韓国の実情とアメリカの実情を混合させ、新しい新聞を作るのです。

21  AP通屠やUPI通信から、今まで特派員を派遣した場所は、世界各国で百ヵ所を超えません。しかし、私たちは、百八十ヵ所からあらゆる写真や専門的な記事の内容が送られてくるので、一国の記事をただそのまま韓国に紹介することができ、各国のものをいくつでも新聞に出すことができるのです。このように増やしたり減らしたりしながら、何ヵ国かの記事を用いて一気に作るようになれば、いくらでもこの新聞を見るようになっているのであって、ほかの新聞を見るようにはなっていません。部数のために、ほかの新聞に追従しながら作ってはいけないというのです。

22  世界が価値観の没落によって混乱状態に陥っているので、誰かが旗手にならなければなりません。それが必要な時です。共産主義世界が崩れ、民主主義世界が崩れるこの時に、誰が旗手になるのでしょうか。私たちしか、お父様しかいないではないかというのです。

今からは、自主的な時代となり、自主性を確立させなければならない責任があります。そのようなことを教育していかなければなりません。徹底的に教育しなさいというのです。もはや、私たちが追従していく必要はありません。「ワシンン・タイムズ」もそのようにしたので、非常に短期間のうちに、世界的基準をつかんで上がってきたのです。追いかけていってはいけないというのです。私たちは私たちの論調を中心として、堂々と進まなければなりません。

23  「世界日報」は、韓国にある十大新聞社を絶対に追いかけてはいけないというのです。私が「ワシントン・タイムズ」を造るときに訓示したことも、絶対に既成の新聞を追いかけてはいけないということでした。新聞は、国家的基盤における公認された立場で、国家や主権に影響を及ぼすことができます。そのような状況で新しく出てきた新聞が、既成の新聞を追いかけては、いくら(世の中の)空気を変える記事を書いても、関心を集めることはできないのです。

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第四節   韓国の「世界日報」 創刊目標と理念 真の父母様は、一九八九年二月一日、韓国のソウルで総合日刊紙「世界日報」を創刊された。「世界日報」は、「愛天・愛人・愛国」を社是に、「祖国統一の正論、民族の気概の発揚、道義世界の具現」を理念に掲げ、保守正論新聞としての地位を確立した。また、「世界日報」は創刊以降、世界の主要地域に特派員と通信員を置くなど、国際的ネットワークの構築を通して、国際ニュースに強い側面を見せてきた。

1   「宗教指導者が何ゆえに莫大な資金を投入して言論事業に力を注ぐのか。その本当の動機は何なのか」などと気にかけている人々が多くいます。それに対する答えを一言で要約すれば、今日の世界が平和か戦争かを決定するのに、言論の責任があまりにも重大であることを、私がよく知っているからです。

二十世紀の後半は、言論によって支配されている時代です。ですから、言論の力と責務が、原子爆弾や軍事力よりさらに大きくなっています。したがって、言論が一貫した真の価値観に立脚して正論を展開するとき、その言論は世界平和の旗手になり、無責任と誤導と扇動によって国民を幻惑するとき、その言論は世界平和を破滅させる道具になるでしょう。

2   私は、韓国を宗主国とし、世界百六十ヵ国に宣教基盤をもっている統一教会の創始者です。宗教指導者である私が、宗主国の韓国で総合日刊紙「世界日報」を創刊したのは、私たち人類すべてが理想とする平和と自由、そして、神様の創造理想が実現した、真の愛が花咲く人類共栄の世界を建設するために、言論の役割が必要不可欠であることをよく知っているからです。

3   「世界日報」が、産声を上げてこの地に誕生しました。「世界日報」は、自由言論の表象であり、責任言論の鑑になることを闡明して、皆さんの前に現れました。「世界日報」は、正義には多くの涙を流し、不義には赦しがないでしょう。「世界日報」は政党を超越し、ある特定の宗派のために存在するのではなく、国民と国家と世界のために、血と汗を惜しまないでしょう。

一言で言えば、「世界日報」は韓民族の矜持であり、世界の人々の誇りになるでしょう。「世界日報」は、アメリカの「ワシントン・タイムズ」と共に、東西にそびえ立つ真理の灯台となって、真実と偽りを明確に区分する知性紙、真の自由民主主義の灯火(ともしび)となるでしょう。「世界日報」は、正に皆さんの新聞です。皆さんの声であり、皆さんの代弁紙です。「世界日報」はすなわち、皆さんの良心宣言なのです。

4   統一教会は、神様の摂理を立てようとするところです。人類を救おうとするところです。私たちは新聞を作りますが、統一教会の機関紙を作るのではなく、神様のみ旨における機関紙を作ると考えなければなりません。神様のみ旨を中心とした摂理史的機関紙だと考えなさいというのです。統一教会の機関紙として考えてはいけないというのです。そのような観点をもってはいけません。ですから、毎日のように教育しなければなりません。み旨は、世界的なみ旨であって、統一教会の中のみ旨ではありません。これは、神様のみ旨です。

5   「世界日報」が私の話を聞けば、早く発展するでしょう。今まで言論人たちがもってきた、「言論人はこうでなければならない」という習慣性は、絶対的なものではありません。知識のために絶対性があるのではないというのです。今後、「世界日報」が発展するためには、どのようにすべきでしょうか。発展の根本動機とは何でしょうか。団結しなければならないというのです。上から下まで団結しなければなりません。

「世界日報」は、誰の会社でしょうか。自分の会社です。共通分母は何でしょうか。国を生かすことが共通分母です。国を生かすための自分の会社だというのです。ですから、職員たちは、愛国者たちが国のために一つになった以上に、ここで一つにならなければなりません。国と人類を中心として、そのようにならなければなりません。そうすればすべて終わるのです。

6   私が「世界日報」を創刊した目的は、会社の理念で明らかにしたとおり、「祖国統一の正論、民族の気概の発揚、道義世界の具現」にあります。これは、国家的立場から、誰もが願わざるを得ない内容です。さらには、人類文化史的な観点から、「世界統一の正論、人類の気概の発揚、平和的道義世界の具現」となるでしょう。私は天意に従って、国家と世界が平和世界になるように努力してきました。

7   食口たちが早朝三時、四時に新聞を持って家々を回りながら、大韓民国統一のために祈っています。そうでない食口は、(それぞれの立場で)先頭に立って、彼らに手本を見せてあげなければなりません。新聞によってたたかれ、新聞で損害を被った恨をもつお父様であることを知らなければなりません。「世界日報」の理念を見てください。お金を稼ぐために造ったのではありません。お金を奪い取って稼いでいる人たちをこらしめようと思います。歴史の伝統と未来の希望の行路には、このような誤ったすべてのものを清算してこそ、進めるようになっています。そのようにしなければ、連結されません。

世界の問題を早く解決しなければならない責任が、私たちにあります。そのようにすることによって、皆さんの生きる道を模索するのです。

8   私たちは、「世界日報」を越えて、大韓民国の言論界で社会の道義的な面を鼓舞し、未来の世界に希望を懸けた民族精神を見つめて、道義の刀を振るうことができる人にならなければなりません。

言論人として、正義の筆を手にすれば、刀よりも恐ろしいのです。刀で勝敗を競えば、敗者と勝者が早く決定しますが、文章はそうではありません。甲論乙駁(こうろんおつばく)して、何世紀も、何千年も正否を判断できないのです。ですから、皆さんは出発から終わりまで、はっきりとした姿勢で、責任的立場、深刻な立場に立って文章を書かなければならないというのです。「世界日報」の職員たちは、内外を一つに合わせるために、深刻な人々にならなければなりません。

9   南北統一をしようとすれば、隠れた人材が必要です。新聞を出すのは簡単なことではありませんが、民族を代表する新聞社を造らなければなりません。南北を統一しようとすれば、新聞社がなければならないのです。これから各市と道に月刊誌を作ろうと考えています。それで、今その準備をしています。この国をこのまま放っておいてはいけません。

私が千辛万苦の末に、これほどの基盤を築いてきたのは、天理を仰いできたからです。ですから、私はただそのまま歩んでいくことができません。南北統一に向けた正論紙として創刊された「世界日報」を、皆さんがいる村ごとに普及させなければならないというのです。商売をするための新聞ではありません。お金のために闘う新聞ではないのです。

10  韓国統一ができる雰囲気をつくらなければなりません。津々浦々、家ごとに出入りしなければならないのです。「世界日報」という新聞を持って、そのようにしなければなりません。「世界日報」を持っていく人は、天宙日報の主人です。愛の日報を持っていくのです。愛の安息所に運んであげるための天の国の使者たちです。そのような意味で、門前で迫害を受けても、沈黙しなさいというのです。口を開いてけんかをするようになれば、その次は(そこに再び)行くことができません。沈黙して自分の使命を果たすために一〇〇パーセント以上投入すれば、真の愛のひもは次第に太くなって縄になり、縄が集まって縄の束になります。このようにすることによって、韓半島は韓民族の始祖が成し遂げられなかった本郷になるのです。したがって、沈黙し、忍耐しながら、黙々と前進しなければなりません。そこから、み旨は自動的に完成するでしょう。

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8   私は、アメリカと法廷闘争をするテーブルの上で、「ワシントン・タイムズ」を創刊する資金の決裁をしました。「インサイト」と「ワールド・アンド・アイ」もつくりました。アメリカを生かすために、これらのことをしたのです。お父様がアメリカに責任をもつ立場に立ったことを知らなければなりません。アメリカを保護する立場に立ったというのです。いくら金城鉄壁のような悲哀の関門が迫ってきても、それを踏み越えるための、責任者としての使命と任務を全うしました。中心存在は、責任を負わなければなりません。また、保護する責任があります。アメリカを保護しなければならず、その次には、指導しなければなりません。自由世界の数多くの国家の運命が、ここにかかっているからです。

9   「ワシントン・タイムズ」は、時事解説を通して、アメリカが共産主義に対処できるように方向を示してあげ、「インサイト」は、国会議員たちが日々発言する内容に関して一〇〇パーセント、統計を出して発表します。どの国会議員がどのようなことを言ったかを、毎週紹介するのです。そうして、国会議員の左翼的な発言と国家にとって害になる発言を防止するのです。そして、「ワールド・アンド・アイ」は、世界の有名な学者たちを中心として、分野別に未来の方向性を示してあげ、アメリカが進むべき方向を指導しています。このようにして、一つの世界に進めるように努力しているのです。

保守世界の灯台 「ワシントン・タイムズ」は、アメリカ社会の伝統的な価値に基づいた保守的な論調を固守しながら、アメリカが進むべき政策の方向性を提示してきた。また、「ワシントン・タイムズ」は、冷戦時代の激動的な変化を、偏見なく掘り下げた報道をすることにより、ワシントンの政界で最も影響力のある言論としての地位を確立し、忌憚(きたん)のない論評によって好評を得た。「ワシントン・タイムズ」は、言論報道部門のほかに、編集部門でも言論界に革新的な旋風を巻き起こした。一九八八年十月十五日世界新聞編集協会は、アメリカとヨーロッパ、南米およびカナダの主要な新聞が応募した国際新聞編集大会において、「ワシントン・タイムズ」に最高賞を授与したのである。

*忌憚のない:遠慮のない

10  アメリカ議会から行政機関にいる官吏など、未来においてアメリカの中核になるべき人々が、進歩主義思想、進步世界の風潮に打ちひしがれて、方向を定められずに嘆きの極地に追われるようになりました。そのため、レーガン大統領が五人の富豪たちを集めて保守派の新聞をつくろうと決めました。しかし、アメリカ人たちが損害を被ることをしようとするでしょうか。やる人が誰もいないのです。

それで、アメリカが「怨讐だ」と言い、アメリカが追い出そうとしているお父様が、そこに足を踏み入れたのです。一九八二年一月一日に準備を始め、三月一日に新聞を作りました。一月一日に二百人を選定し、「三月一日に新聞を作りなさい!」と言って、五十八日で新聞を作ったのです。そのような歴史はありません。このようにして出発した「ワシントン・タイムズ」が、今に至っては、保守世界の灯台になったのです。

11  アメリカの行政府や情報機関も、「ワシントン・タイムズ」が世界を保護し、平和世界のために尽くしていることを知っています。今までの伝統から見るとき、統一教会は、アメリカでそのように反対を受けても争わず平和を追求し挙国的な国民教育とともに、正常な新しいキリスト教思想に根ざして歩んでいることを理解して、信任するのです。

アメリカの国民も、複雑な問題が起きれば、「ワシントン・タイムズ」がそれを正してくれることを知っているというのです。「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」は違います。しかし、「ワシントン・タイムズ」は一方通行です。キリスト教思想、保守派の伝統を中心とした新聞です。また、保守派だけではありません。右だけでなく、左まで抱いていくカインとアベルの思想をもっているので、ここで与党側の記事を三回出せば、必ず野党側(の記事)を一度、ないし二度まで載せて比重を合わせるのです。ですから、不平を言うことができません。

12  「ワシントン・タイムズ」は、世界の言論界の最先端を行っています。名実共に、保守世界随一の新聞になりました。今や、アメリカの言論界、「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」も、「ワシントン・タイムズ」が保守世界のトップの新聞であることを、みな認めています。インターネット新聞とともに、保守世界の結束運動をしています。ですから、保守世界を率いていくのです。保守世界は、キリスト教思想の延長です。キリスト教思想を導いていかなければならないのです。

キリスト教思想を導いていくというのは、教派的な基準ではありません。根本的な面で、旧教も新教もすべて一緒に導いていくのです。既に学界や、私たちを知っている人々は、統一教会でなければ滅びると考えています。私たちが導いていくようになっているのです。この言論界が一〇〇パーセント包括し、方向さえ転換するようになれば、いくらでも消化して余りある時代になりました。

13  今日、戦略防衛構想(SDI)が問題になっています。ソ連とアメリカが誘導弾の問題を中心として、原子爆弾が九対一の割合に広がった状態で、アメリカがソ連を防ごうとするのがSDI開発問題です。そのSDIは、私が「ワシントン・タイムズ」を先頭に立てて樹立させました。これは政府の政策にもありませんでした。

お父様は、追われていても、「ワシントン・タイムズ」を中心として背後をコントロールし、レーガン行政府が政策として受け入れるようにしました。レーガン大統領が会談のためにジュネーブに行く時、私たちの編集局長を送って、「SDI開発計画において後退してはいけない!」と説明させました。お父様が、それを決定するように約束させたのです。

14  「世界言論人会議」のロンドン大会で、言論界最高の編集局長とオーナーたちに会って何の会議をしたのでしょうか。保守世界の言論界が自分たちの利益のために行ったり来たりし、新聞がいくつもあれば、かえって国家の政策方向を立てるのに妨げになるというのです。そうして、世界の世論が空中に浮かんで飛んでいく雲のようになってはいけないというのです。

ですから、「ワシントン・タイムズ」が保守世界を代表し、インターネットを中心として世界の保守系新聞に記事を提供するために準備をしてきました。そうすれば新聞が一つになるのです。「ワシントン・タイムズ」は、インターネットを通して新聞の特級秘密や、通信社から入ってくるものよりも次元の高い記事を提供できるのです。そのため、超国家的な面で言論界の人々が関心をもち、「ワシントン・タイムズ」をまず参考にするようになっています。そのような水準にまで上がってきました。

15  言論は、行政機関に影響を与えることができなければなりません。そのような知識的な資料を、言論機関が供給してあげなければなりません。それは政府ではできないのです。ですから、政府が言論機関の記事をすべて集めて要約し、供給してあげなければなりません。そのような資料が政府から毎週出るのです。

ところが、その六五パーセントから七五パーセントは、「ワシントン・タイムズ」が取材したものです。この事実は、世界のあらゆる行政機関の方向を「ワシントン・タイムズ」がコントロールしているという話です。「ワシントン・タイムズ」の記事を中心として要約した内容が、公報機関を通して全世界に連結されていくのです。ですから、世界に莫大な影響を及ぼしているのです。このように、「ワシントン・タイムズ」が知識世界はもちろん、これから発展する世界的な潮流に貢献することは、偉大な功績です。このような基盤がつくられることによって、共産主義が衰えていくというのです。

今までは共産主義と民主主義の対峙問題を中心として歩んできましたが、これからは、キリスト教思想の再建と家庭倫理の確立を標準として進んでいくのです。

16  「ワシントン・タイムズ」は、膨大な資料を保有しています。コンピューターで特定の人を調査しようと思えば、即時にその人に関する内容をすべて選び出して見ることができます。そのようにしなければ、世界を動かすことはできません。アメリカの国防総省と国務省、ホワイトハウスと多くの図書館が、世界的な秘密に関しては「ワシントン・タイムズ」に問い合わせなければならなくなっています。このように、「ワシントン・タイムズ」は世界一の情報紙として知られているのです。ですから、「ワシントン・タイムズ」が書いた記事は、世界にその名をとどろかすことができ、世界に影響を及ぼすことができる力をもっています。

17  「ワシントン・タイムズ」には、北朝鮮問題に関する専門家たちがいます。国務省の北朝鮮担当官が「ワシントン・タイムズ」と関係を結び、情報を交換しながら問い合わせてきています。彼らは、これから摂理が進む方向を知りません。私たちに頼るようになっているのです。言論界や政治家まで、「ワシントン・タイムズ」を訪ねています。最高の情報が集まり、神経のように統合された所が新聞社です。「ワシントン・タイムズ」は、上位クラスにいる数十の新聞と競争しています。世界のあらゆる情報機関と、六大州で影響を及ぼす先進国の代表の国々が、「アメリカで最も保守的でありながら信任を受ける新聞は『ワシントン・タイムズ』である」と考えています。

18  情報世界から脱落すれば、世界のトップにはなれません。情報が重要だというのです。ですから、私は新聞社を造ったのです。「ワシントン・タイムズ」の素晴らしいところとは何でしょうか。「ワシントン・タイムズ」はアメリカにある新聞ですが、お父様は一国のために働くことはしなかったというのです。神様のみ旨のために生き、世界のために働くのです。ですから、「ワシントン・タイムズ」はアメリカで一番の新聞になり、最高の位置に上がるようになりました。

19  一九八五年に、アメリカの言論界で三百の新聞を選び、その中で言論界に最も大きな影響を与え、話題となり、特ダネをたくさん扱ってきた代表的な新聞を選定したのですが、「ワシントン・タイムズ」が選ばれました。私はアメリカから罵られ、共産勢力から「ワシントン・タイムズ」について脅迫、恐喝を受ける状況で、自由世界のために生き、神様のみ旨のために生き、神様が願う路線のために、受難の道を歩んでいるのです。

私たちは、その脅迫と恐喝に正面から立ち向かい、世界の癌のような基盤を爆破するのに、勇士となって走っています。正義の道理を訪ねていくべき歴史はもちろん、天は、このような団体を立てて、主人の位置に、中心の位置に置こうとするのです。天運がそのようにしているというのです。ですから、「ワシントン・タイムズ」を中心として、アメリカの言論界は自然に屈服せざるを得ないというのです。

20  「ワシントン・タイムズ」は、世界の八千の新聞社が集まったレイアウト大会で、百項目のうち、三十八項目で賞を受けました。それは、最優秀賞です。その大会では、世界的な大手新聞社の芸術・美術分野の専門家十二人が審査委員として集まり、審査を行いました。その審査委員の全員が、「一等」という評価を下して表彰されたことが一九七一年に一度あったのですが、一九八八年に、「ワシントン・タイムズ」が(そのような形で)表彰されたのです。

21  今、「ワシントン・ポスト」と「ニューヨーク・タイムズ」は、「ワシントン・タイムズ」の新聞編制に追従しています。レイアウトのようなものは、私がコーチしました。お父様は、そのような面で芸術的感覚が優れています。線を引くことから、レイアウトをすべて教えてあげました。それが十年間新聞の展示会で常に一等を取ったのです。

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アメリカの「ニューズ・ワールド」 真の父母様は、一九七六年十二月三十一日、アメリカでは初めて保守言論の旗印を掲げ、総合日刊紙「ニューズ・ワールド」を創刊された。この新聞は、一九八三年四月四日、題号が「ニューヨーク・シティ・トリビューン」に変更された。

6 今まで、言論界は正義の言論界ではなく、不正義の言論界だったので、私たちは正義の言論界のために立ち上がらなければなりません。これを正すことができなければ、アメリカを救うことはできません。直接的問題に引っ掛かっているので、私が手を付けるのです。宗教指導者が新聞社を造って、何をするのでしょうか。新聞が世の中を減ぼす元凶になっています。ですから、私の目が新聞に向かい、私の耳が新聞に向かい、私の鼻が、私の口が、私の手が、私の足が、私の心が新聞に向かっているのです。このような重要な基点、分岐線が新聞社になっているというのです。それはお父様の方針です。

その次には、伝道をしなければなりません。この二つが問題です。これをしなければ、アメリカが滅びます。世界が滅びるのです。それで、私は世界の宣教師たちに、あらかじめ新聞記者の訓練をしなさいと、特別に指示しました。各宣教師に特別措置をしました。「宗教を中心として世の中をつかみ、引っ張っていかなければならない」と言ったのです。これが私たちの言論機関の精神です。それが最も貴く、最も大きいのです。

7 私が「新聞社を造る」と言ったとき、「ニューヨーク・タイムズ」も「ワシントン・ポスト」もすべてあざ笑いました「レバレンド・ムーンが新聞社を造るというのか」と言いながら、あざ笑ったというのです。新聞社というのは、誰もが造れるものではありません。実力基盤がなければなりません。

言論機関というのは、そのように簡単ではないというのです。そこには、多方面に素質のある人的資源がなければなりません。それは、月給をあげてもできないのです。日本の「世界日報」を造るとき、四ヵ月前に組織を編成して造りました。「ニューズ・ワールド」を造るのは、四ヵ月もかからなかったのです。

8 私たちには、この国が危機に瀕しているとき、協助しなければならない責任があります。そのような観点で、天意に従って未来の防波堤を造らなければなりません。私たちは目に見えない闘いをしているのです。そうして一線を引き新しい基点と方向を定めていかなければなりません。私が個人と家庭と氏族を中心として転換点を形成したので、今や国家を中心として転換点を形成しなければなりません。今日、アメリカが保守的な右翼のほうに帰っていくようにしなければなりません。そのようにしなければ、神様のみ旨が成就されません。

み旨から見れば、今がこのような時だというのです。私がここで門を開けなければなりません。そうして、天意を受けて、そのようなことをしてみると、予想外の結果が起きました。私たちの「ニューズ・ワールド」が、世界的に有名な新聞になったのです。レーガンとカーターが大統領選挙を行うとき、「レーガンが選挙人団三百五十人以上を突破するだろう」と予測したのですが、その時は「カーターが勝つ」と言われている時だったのです。「ニューズ・ワールド」はそのような記事を全国に送りました。ですから、どれほど「狂っている」と言われたか分かりません。「恥をかくのを見よう」と言われたのです。

9 レーガン大統領は、私と何の関係もありませんでした。アメリカが世界のキリスト教の中心国家なのに、その伝統思想を忘れてしまいました。そうして、アメリカは今、共産勢力が乱立している実情にあります。それで、私が助けてあげたのです。大統領選挙の開票前日、「レーガン、地滑り的勝利」と「ニューズ・ワールド」で特筆大書しました。アメリカにある新聞社は千七百を超えます。そのような新聞社が「レーガンには見込みがない」と言っていた時でした。そのような状況で、「レーガンが勝利する」と発表したのです。

10 レーガンが大統領に就任する時、私は「強く雄々しくあってこそ、神様が共にいらっしゃる」と手紙を書いて送りました。これから、アメリカでデモがたくさん起きるでしょう。

また、世界的に、レーガン行政府を攻撃するための戦略が多く展開されるでしょう。共産勢力は、エルサルバドルにゲリラを送り、レーガンに痛手を負わせようと計画しています。

そのような世界的な戦略的計画のもとで、エルサルバドルで左翼のゲリラ戦が起きるというのです。これは間違いない事実です。ですから、この前、私たちの「ニューズ・ワールド」が「ニューヨーク・タイムズ」を攻撃しました。「ニューヨーク・タイムズ」が左翼系の勢力を支援しているのです。本当に痛ましい話です。言論界では、初めて「ニューヨーク・タイムズ」を打ちました。南米と中東にも新聞社を造り、ヨーロッパにも新聞社を造ろうとしているのはそのような理由からです。

11 一九八三年四月に、「ニューズ・ワールド」を「ニューヨーク・シティ・トリビューン」という名前に変更したのですが、その名前が本当に良いのです。これにより、初めてニューヨークに来る人は、「ニューヨーク・タイムズ」と「ニューヨーク・シティ・トリビューン」を見るようになります。アメリカ人たちの通念がそうです。

「ニューヨーク・シティ・トリビューン」と言えば、それは「ニューヨーク・タイムズ」と対等な立場だとみなすのです。また、「ワシントン・ポスト」と「ワシントン・タイムズ」を、一般の人々は対等に見ます。タイムズやトリビューンというのは、新聞世界における王の名前です。ニューヨークは、観光客がたくさん行き来する所です。ですから、彼らが時事に関する内容を知ろうとすれば、必ず新聞を買って読まなければならないのですが、このときには、「ニューヨーク・タイムズ」と「ニューヨーク・シティ・トリビューン」を買って読むようになるというのです。

12 今や「ニューズ・ワールド財団」に、韓国の「世界日報」が入らなければならず、アメリカの「世界日報」、日本の「世界日報」、「ワシントン・タイムズ」が入らなければならないというのです。その次には、「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、「ウルティマス・ノティシアス」、「ミドルイースト・タイムズ」も入らなければなりません。これらすべての言論機関が、「ニューズ・ワールド財団」の中に入っていなければなりません。

アメリカの「ワシントン・タイムズ」がある程度の成功基準に達すれば、強大な力になります。これがある軌道さえ越えれば、その収益性は大変なものになるでしょう。また、これと関連する機関、行政機関であれば行政機関を中心として、どんなことでもできます。膨大な事業をすることができる強大な力をもつというのです。

第三節 「ワシントン・タイムズ」 創刊の背景と主要な編集方針 真の父母様は、一九八二年五月十七日、アメリカのワシントンDCで総合日刊新聞「ワシントン・タイムズ」を創刊された。「ワシントン・タイムズ」は、左翼系進歩主義の攻勢からアメリカを保護する保守言論を目指した。「ワシントン,タイムズ」は、進歩派の言論の代表格である「ワシントン・ポスト」と共に、ワシントン地域の二大日刊紙として、アメリカ政府の政策に対する論評により名声を得た。特に一九九二年四月十二日、金日成主席に単独インタビューを行うなど、多くのスクープによって注目を浴びた。また、「ワシントン・タイムズ」の姉妹誌として真の父母様は、一九八五年に総合月刊誌「ワールド・アンド・アイ」と時事週刊誌「インサイト」を創刊された。

1 アメリカという国は、自由世界を主導しているので頭です。この頭が麻痺すれば、すべて死にます。ですから、仕方なく、お父様は世界の終末時代が来ればどうなるかを知ったので、これに対処するために、ほかの人が考えないような準備をせざるを得ませんでした。それで、「ワシントン・タイムズ」をつくったのです。

ワシントンDCにある、たった一つの新聞である「ワシントン・ポスト」は、左翼思想に染まっています。その新聞を毎日のように見る人々は、どのようになるかというのです。それで、五大財閥がこれを防ぐために連合して新聞社を造りましたが、失敗してしまいました。毎月、多くのお金を投入しなければならないからです。そのようにしなければ、ワシントンDCで進歩的な波を防ぐことはできません。

保守的な思想の新聞が一つもないというのです。その当時、アメリカに千七百以上の新聞がありましたが、保守紙、神側に立つた新聞は、(ワシントンDCでは)ただ一つ、「ワシントン・タイムズ」しかありませんでした。ですから東西南北の四方で、真っ暗な夜中の世界に、彼らだけが毎日のようにサーチライトを照らしている局面なのですが、不意に保守の灯台が現れるとはどういうことかというのです。

2 私に反対するアメリカを生かすために、私は「ワシントン・タイムズ」をつくりました。そして、アメリカの将来のために政党を教育し、指導者たちを教育したのです。真の愛は、怨讐を愛して余りあるものでなければならないというのです。ですから、このアメリカに建国の伝統を新たに立てなければならず、この国の国民が忠誠を尽くす以上に忠誠を尽くさなければなりません。韓国人である私が、韓国を愛する以上の愛国心をこの国に植えなければ、天の国の出帆ができないというのです。

3 一九四五年の光復以後から七年間で天が世界を収拾し、メシヤ圏世界に進出しなければならないのですが、(キリスト教の不信により)サタンが世界をすべて滅ぼしました。韓国を引き裂き、ドイツを引き裂き、全世界を二つに引き裂きました。そうして、サタン側が優勢になったというのです。その中で闘争した代表者がお父様です。アメリカに行き、旗をなびかせて、ソ連と衛星国家にブレーキをかけたのです。ソ連があのように崩れたのは、ゴルバチョフのゆえではありません。天のみ旨を中心として、お父様が「ワシントン・タイムズ」をつくり、反共体制を強化して世界的にブレーキをかけることによって、ソ連が敗れたというのです。

4 「ワシントン・タイムズ」は、家庭破綻を防止し、道義的な世界を目指しています。ですから、新聞の編集でも「家庭」という特別なページを設けて有名になりました。また、統一教会は、ワシントンDCで世界的な祝福結婚の行事を挙行します。アメリカでこのような喜ばしい知らせがどこにあるでしょうか。

外交の舞台や政治の舞台で名声をはせている人々が、統一教会の家庭運動の前には頭を下げるというのです。貧民は貧民なりに、上流層は上流層なりに、ここに関心をもっています。アメリカでその風が吹き荒れ、台風圏内に入るようになれば、すべての過去の出来事は過ぎ去り、新しい春が訪ねてきて、新芽が出てくる時代を迎えるのです。そのような希望をもって、このようなことをしているのです。

5 「ワシントン・タイムズ」が、アメリカを生かす旗手にならなければなりません。言論人たちをはじめ、誰が反対しても、今後、第二の憲法改正を通して、建国思想を是正しなければならないのです。

憲法を中心として、アメリカ国民が一つになっていません。新しいピューリタン精神を中心として、それ以上の天国の民の憲法をつくらなければならないというのです。キリスト教思想を離れては、それをすることができないので、そのような発表をしなければなりません。

6 「ワールド・アンド・アイ」の内容は、一般の新聞記者たちが書いた内容とは異なります。「ワールド・アンド・アイ」は、記事を書く場合、未来に対する方向を提示するのです。ところが、一般の新聞記者は、そのようなことはできません。学者たちの膨大な知識を通して、「アジアの状況はこうであり、アフリカの状況はこうであり、アメリカの状況はこうであり、ヨーロッパの状況はこうだから、このような結果になる」と、言論界を未来追求の方向に導いていくのです。

最初はそれが分かりませんでしたが、年がたつにつれて、そのような方向に学者たちが意見を集め、結論を出したすべての内容が、そのまま実現されます。ですから、世界の様々な方面の政策に多大な貢献をしてきたのです。

7 有名な学者たちが研究したことが、大学の図書館に埋もれています。ですから、世界の人類にとってどれほど損害でしょうか。それを即刻発表し、すべての知識人たちが活用できるようにしなければなりません。

世界的な研究資料は万民のものです。特定の学校の図書館の隅にのみ保管すべきものではありません。それを一九八五年十一月、「科学の統一に関する国際会議」の時に宣布しました。今、八十二ヵ国に「世界平和教授アカデミー」が編成されており、数万人の学者が連結されています。ですから、学者たちは、三ヵ月に一度ずつ原稿を送るのです。自分が所属する専門分野の系列で研究したもの、世界の問題を解決するに当たって役に立ち得るすべての資料を、即刻「ワシントン・タイムズ」の「ワールド・アンド・アイ」編集部に送るのです。この雑誌を私が一九八五年十二月から始めました。そうして、先頭を走る世界のすべての碩学たちが寄稿するので、教育界でこれを即刻、教えなければなりません。時代の先端で、世界の碩学たちを束ねて方向性を提示して前進しなければ、世界が滅びます。それは、アメリカにいるどの学者、どの言論人も、夢にも考えなかったことです。

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み言および摂理歴史の記録真の父母様は、生涯にわたって、多くのみ言と業績を残された。これを保存し、記録、編纂して、後世に永遠の資料として残すため、成和出版社と歴史編纂委員会、「平一企画」などを設立され「成和」誌や「統一世界」誌など、多くの媒体を創刊された。一九六一年十一月一日に出発した歴史編纂委員会は、歴史編纂と資料の収集および保管などを担当している。二〇〇四年十月一日に設立された「平一企画」は、各種の映像メディアを制作してきた。

12  今後の新しい文化世界創建のための伝統的資料を、どのように設定するかは、お父様に侍って生きる側近の人たちが重要視しなければならない中心問題です。

今までの責任者たちは、歴史的伝統を知らずにいます。これからの後代の子孫たちにとって、お父様が生きているこの当代、この当時の資料がどれほど貴いかを知らずにいるのです。お父様の説教集を編成することもそうです。火事になれば、このみ言がすべて吹き飛んでしまいます。ですから、歴史編纂委員会でもそれを知らなければなりません。私たちの行事で重要なものを、一級、二級、三級、四級、このように定めて、これを歴史の伝統的資料として残さなければなりません。

このみ旨は、統一教会だけで動かすことができるものではありません。統一教会を中心として、国家とアジアと全世界に影響を及ぼした、その伝統内容を編成していかなければなりません。そうすることにより、これから統一教会について調べようとする人がいれば、直ちにここに接して調べることができるのです。この文献を通して、歴史的伝統を追求することになるのですが、その追求する内容は膨大だというのです。自分たちのある一国家や一団体ではなく、世界的団体と世界的国家が入っていて、自分たちの一つの宗教的な団体ではなく、総合的な数多くの宗教団体が入っています。このようなものを見れば、若者たちは興奮せざるを得ません。ですから、資料が必要だというのです。

13  統一教会員たちは、歴史的資料についてよく知りません。現実と関係を結ぶことや、現在の環境で歩調を合わせることに汲々としているので、歴史というものを考えることができなかったのです。ですから、説教集を作るように、お父様がすべてしてあげました。奨忠洞(チャンチュンドン)時代の歴史や、梨花女子大学退学・退職事件のようなことを知らなければなりません。その当時の、転換時期における韓国の実状がいかなるものかを知らなければならないのです。宗教的背景に従って摂理をまとめてきたお父様は、すべて反対ではなく、和合できるようにまとめてきました。そのように関係を結んでいるのが個人的時代でしたが、家庭時代に連結できる思想的内容がなければなりません。ですから、説教集が必要なのです。過去、現在が必要です。ところが、過去のことはあまり知りません。復帰と言えば、旧約時代のエデン復帰派、新約時代のエデン復帰派、その次に、成約時代のエデン復帰派に分かれてくるのです。そのようなことを学問的に整理できる体系的な基準を立てなければ、関連性をもつのが難しいというのです。摂理史全体を知らないからです。ですから、過去、現在、未来を経ながら、これを再び補強してあげなければなりません。そのようなことを、歴史編纂委員会でしなければならないのです。

14  ある人がいれば、その人には小学校から中学・高等学校、大学まで出てきた歴史があるように、お父様にもそのような歴史があります。お父様がソウルを中心にして活動していた壮年時代が重要なのですが、誰もそのことについて詳しく知りません。一緒に釣りをしに通ったり、魚取りをするために付いて回ったりした人々の記録は多いのですが、それを連結させられる経験者がいません。歴史編纂委員会で、その人々を中心として連結できるように、インタビューでもしておかなければなりません。新たにしておかなければならないというのです。その人々が、詳細に自分たちの歴史を書かなければなりません。大概は同じ時代ですが、指示した命令によって、活動した内容が違うというのです。それを時代別に編纂すれば、文化史が出てくるのです。そのように整理しておかなければ、混乱が生じます。そのためには、すべての材料を再びつくってでも、説明したとおりに結果が連結された事実を総合して、観察できる記録を残さなければなりません。記録があってこそ博物館を造ることができ、博物館があることによって、補充材料をもってきて、表れていないものを二次的に復元できるのです。現在と過去を連結するものや、何段階かの証拠物をもって連結しなければならないのであって、突然、十年、二十年飛び越えてはいけないというのです。ですから、材料が必要です。

それで、日記を書きなさいと言っているのです。船であれば、船に関する日記、車であれば、車に関する日記、どこに行ったかをすべて記録しなければなりません。ここの主流的人物や核心メンバーが誰かなどを綴り、記録をもって博物館のようにしなければならないというのです。

15  韓国の歴史編纂委員会は、様々な本を制作できる基盤ができています。電算装置が整っていて、膨大な資料を瞬時に検索できます。「平壌」と打てば、お父様の説教集、すべてのみ言選集の中から、「平壌」と関連した内容を検索することができます。そのように検索できるシステムができているので、新しい冊子を編集するのは時間の問題だというのです。一瞬にして抜き取ることができます。そうして、体制を整えて本を作ることができるのです。

16  成和出版社では、早急に、お父様が講演したすべての内容をシリーズで編成しておかなければなりません。み言もそうであり、歴史の編纂もそうです。一九五七年に伝道に行ったときに書いた感想文のようなものを冊子として記録しておかなければなりません。特定事項のようなものを冊子にし、資料が多くあるものを整備しなければなりません。第一次整備、第二次整備、第三次整備、このようにしておいて、その次には博物館に積んでおかなければならないのです。

17  統一教会の歴史を明確にし、統一教会の現在の時点を明確にし、統一教会の未来を明確にしなければなりません。そのためには、お父様が語ったことをすべて整理しておかなければなりません。いくらすべてのことに通じる人だとしても、お父様の心については分からないのです。生きている間にそれが何のことかをお父様に尋ねて、答えをまとめておかなければなりません。後代のことを考えるのであれば、そのようなことを考えなければなりません。

み言集は子孫万代の宝物です。財産として譲ってあげなければならない宝物です。伝統を引き継ぐことができない人は流れていきます。いくら騷々しい世の中の環境でも、そこに流れてはいかないお父様です。今、文化時代を中心として、これを整備しなければなりません。

18  天の国にも電波があります。天には「天波」があるというのです。地にも「世波」があります。その次に「人波」があって、人間が暮らす実情はどうかということも、インターネットを通して、電波を通して連結するのですが、この電波を統一して送る会社が「平一企画」です。それを始めたので、天の知らせと地の知らせ、体と心が願う知らせを中心として表題をつくり、生活舞台に近づけるようにしなければなりません。そのためには、芸術分野や技術分野など、あらゆる活動分野に力を注いで、発展していかなければならないのです。

19  音は、独自に出すことはできません。相対的関係がなければなりません。波長は単体では出てきません。相対的関係から出てきます。電波には「天波」があり、地上にも相対的運動をする存在が波長を出す「世波」があり、心の世界から出す人格教育を中心とした道徳的観念の「心波」があり、そして、体には自分の個人主義的欲望、自分第一主義を主張する退廃的な思想の「肉波」があります。

「肉波」は、邪悪な世の中で、どれほどよく変わるでしょうか。「肉波」は、世の中を変化させるのではなく、世の中の変化に付いていき、「心波」も霊界の変化に付いていっています。ですから、「天波」と「世波」を主導する心と体の世界にならなければなりません。したがって、「心波」を完成した波動がインターネットで主流になり、完全に両世界を統括して、統一和合、平和統一をする「平一企画」にならなければなりません。多様な映像世界の実体像をどのように感覚器官に反映させ、知覚によって意識構造の世界で悟らせるかというのです。

20  コンピューターは秘密の宝箱です。大きな図書館が一つ入っているのと同じです。作業をしながら、何でも抜き出して使えるようになっています。統一教会が社会的に何か問題になったという場合、放送局を通してそのように問題とする背後を明らかにしたのち、それまでに蓄積された秘密の包みをほどき、原理の根本から詳細に統一教会の実像を紹介するのです。そのような競争時代に入ります。そのようになれば、一瞬にして世の中がひっくり返ります。それを今、準備しているのです。

ですから、最高の施設を造りました。現在の放送局にない最高の施設を備え、いつでもその資料を中心として、質の良いドキュメンタリーを作り、映画のように編集するのです。これからインターネットを通して、新聞社が競争しながら資料を抜き取って使うことができる最高のセンター(施設)を造るのです。そのため、日本とアメリカと韓国で資料ができれば、「平一企画」にすべて送るようになっています。ですから、世界のすべての新聞社は、プラグさえ差せば、ここの秘密がすべて流れていくのです。そして、個々人だけでなく、今まで言論界や政界、文化活動を行う世界で「統一思想」を危険視してきましたが、これから扉が開いていけば、世界はすべて一つの方向に追われていくのです。このような道をつくってあげなければなりません。

21  私たちの報道資料は、世界のいかなる新聞社も問題ではありません。「ワシントン・タイムズ」やUPI通信など、世界に広がっている新聞社の組織を中心とした膨大な資料があるのです。逐一取材して書くのはごく一部です。ですから、その内容のすべてを用いて、APやUPI通信社が報道する以上のものを「平一企画」で作らなければなりません。

この(APやUPI通信社の)人々は、ある大陸で事件が起きたとすれば、その大陸の中心機関に「あなたたちはどのように考えるのか」と尋ねて資料を作り、現地踏査もせず、議論をして評価したのちに記事を書きます。私たちは、国連加入国にすべて支部があり、現地踏査や現地でインタビューした内容を中心とした詳細な報告が入ってくるので、それを記事にして、最高の技術で特別に放送するのです。インターネットを通してこれを放送するようになれば、世界の新聞本部として、先端本部になるのです。

そのような基準を中心として、原理講義を紹介し、原理の内容を中心として、今まで埋もれていた秘密を知らせるのです。今までは、キリスト教や外部の世界が、このような内容が明らかになるかと思い、すべて押さえつけて消してしまおうとしました。そのような時代は過ぎ去ったというのです。

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第五節   週刊紙、および通信、映像、出版のメディア週刊新聞の創刊真の父母様は、一九八九年十月三日、韓国で「世界平和教授アカデミー」所属の教授たちを執筆陣に迎え、教授と学生を対象にした「全教学新聞」を創刊された。そして、一九八〇年四月二十一日、アメリカのニューヨークで中南米系の住民を対象に、スペイン語新聞「ノーティシャス・デル・ムンド」を、一九八三年三月一日、エジプトのカイロで、「ミドルイースト・タイムズ」を、一九九六年十一月二十三日、アルゼンチンのブエノスアイレスで「ティエンポス・デル・ムンド」を創刊された。一九九〇年九月七日「ワシントン・テレビジョンセンター」を開館されるなど、映像・放送メディアにも多くの関心を傾けられた。また、アメリカの有力な通信社であるUPIを二〇〇〇年五月十五日に引き継がれた。

1   「全教学新聞」は、教授と大学生を中心とした思想新聞です。これが、週刊紙として出ていたのが日刊紙になれば、社会にまで影響を及ぼす国民教育の資料になるのです。ですから、これから「世界日報」を読む人々は、この「全教学新聞」を読まなければなりません。お父様の思想を知らなければならないのです。統一教会員以上になるためには、お父様を中心として、実戦の場で経験を積まなければなりません。

2   「全教学新聞」は、各政党が建設的で進歩的、前進的に発展できるように影響を与えなければなりません。私が党をつくり、それらの政党と闘わなくても、党が正しい道を行けるように、指針と目標をつくっておかなければなりません。そのようなことをする人は、私しかいません。ですから、「全教学新聞」を作りました。

「全教学新聞」は、学生たちが作る新聞ではありません。新聞を作る人は教授たちです。ですから、「全教学新聞」を、言論人たちは軽く見ることはできません。ここにはパンチ力のある言葉が無限にあります。ですから、名前も「全教学新聞」です。「全国教授学生新聞」ではなく、「全国教授学問新聞」だというのです。教授たちが学問的に批評する新聞です。

3   言論界、学界、「世界平和のための頂上会議」、「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」の人々を総括して、社会の道義教育に力を注げるようにしようというのが、お父様の計画です。今まで言論界が世の中をめちゃくちゃにしてきました。私は何をするために教授たちを支援してきたのでしょうか。それをするために、韓国では「全教学新聞」を作り世界的には「ワールド・アンド・アイ」を作ったのです。

4   アメリカ内で、スパニッシュと黒人たちは、お父様に希望をもっています。ですから、黒人はワシントンDCを中心とし、スパニッシュはニューヨークを中心としているのですが「ワシントン・タイムズ」と「ノーティシャス・デル・ムンド」が、彼らを中心に連結されてきています。そして、ニューヨークでは、白人ではないすべての人種を糾合するための運動を、ニューズ・ワールド」がしています。

ユダヤ人も私たちに反対しますが、(その人たちまで)包括するための運動をするのです。南米がアメリカに対する宣伝を必要とすれば、私たちを通してしなければならず、スパニッシュや黒人たちがアメリカで全国的な活動をしようとすれば、お父様を前に立てざるを得ない段階に入ってきました。そのようにしながら、今に至るまで、科学者たち、世界の知識人たちを集めて、大学で大学原理研究会を中心として動いています。これらすべてのことが、全体的で世界的な観点から見るとき、内的強化のための不可避的な行動だというのです。

5   「ティエンポス・デス・ムンド」を造った目的は、家庭破綻を防ぎ、青少年を教育するためです。それを論題の中心として書いていくのです。それは、マフィアやギャング、政治家、スパイとして謀略を巡らす人も必要とする課題です。

これをどのように解決するかを今までお父様が考え、この版図を拡張することを一番の目的としてきたので、大きな文字で刷って強調してきました。それを重ねて強調しました。家庭破綻を防ぎ、青少年を教育することができるのは私たちしかいないので、これを先導し、正義の社会を具現するためにこの新聞社を造ったのです。

6   私たちは、学界組織をもち、新聞社組織をもっているので、新教と旧教を和合させる人は、私しかいないというのです。今、北米は北米自由貿易協定(NAFTA)を通じてアメリカの新教を中心に集まり、南米はヨーロッパ派のカトリックを中心に一つになっているのですが、この新教と旧教が争っています。ですから、争う新教と旧教を連合する運動を、私がしているのです。これを連結させるためには、新聞社が必要です。そうして、思想的な世界の情緒を中心として、南米の新聞社を一段階、復活させてくるのです。それをしているのが、皆が反対していた「ティエンポス・デル・ムンド」という新聞です。取材内容や編集においてトップを走っています。

7   中南米の三十三ヵ国は大部分がカトリックの国家ですが、お父様が南米に行くというので、みなが反対しています。そのような渦中で、お父様が「ワシントン・タイムズ」を中心として、南米に新聞社を造りました。アメリカの財閥たちが十年間、合同で造ろうとして造れなかったものを、九ヵ月で私が造ったのです。ブラジルよりアルゼンチンのほうがローマ教皇庁の直系です。ブラジルはポルトガルの影響下にあり、アルゼンチンはスペインの影響下にあります。ローマ教皇庁の直接的な影響下にあるアルゼンチンを中心として、私たちが「ティエンポス・デル・ムンド」という新聞社を造りました。それで、その国の秘密プロジェクトをすべて把握しているのです。三十三ヵ国がどのように動いているかを知っています。最高の情報の鍵をお父様がもっているのです。

8   放送できるように教育し、放送できる資料を作るシステムをワシントンDCに備えました。ですから、ドキュメンタリー映画のようなものを編成することでは、今ナンバーワンです。お父様がそのようなものを標準として、世界最上の施設を備えました。

ニューヨークやワシントンで一番であれば世界で一番です。日本の資材や機材の中でも最高、最上の資材や機材を投入して、世界にない施設を造りました。そうして、これに「アトランティック・ビデオセンター」と名づけたのです。「Aビデオセンター」という名前で有名です。

9   ワシントンDCには、「ワシントン・テレビジョンセンター」があるのですが、これは世界的な電子通信社です。映像通信社を造ったのです。今までは文字通信社でした。これは、記事をAPやUPIのような通信社を通して全世界に文字で送るのではなく、衛星を通して映像プログラムとして送るのです。送ってきたものをそのまま切り取って放り込み、回せばいいようになっています。視聴覚教育時代に入ってきたのです。万全の準備をしてそのような施設を備え、先日、落成式を行いました。

これから内的体制の人的構成は、教授たちを中心として行います。「世界言論人会議」と「世界平和のための頂上会議」などに関わりのある世界最高の知識人と学者、言論人、元大統領を中心として、後援会をつくるのです。そうして、世界の有名な国は、すべて私たちのこの通信番組を見ざるを得ないようにするのです。十五分のもので、その骨子だけ作っておけば、自分の番組を中心に放送し、中間にそれを揷入できるようにスイッチを押せば、入れ替わるのです。韓国であれば、韓国の放送局で作ったもののように制作し、世界的なニュースの材料を作って販売するのです。

10  今までは文字通信社を通した言論時代でしたが、これからは映像、テレビ通信社時代が来ます。それを私が最初に始めました。全世界の人々がこれを見ざるを得ないようにして、方向を収拾するのです。若い青年男女たちが、(退廃的な)ロックミュージックや、フリーセックスの内容を中心としたありとあらゆる騷がしい退廃的な雑誌によって腐敗していくのを、清算しなければなりません。

ですから、傑作映画を毎週一編ずつ作って世界に送るのです。また、時事解説など、時事に関するすべての内容を収め、一週間に映像を一編ずつ作って送るのです。そのようにすれば、それを見ざるを得ません。その主題歌を流行させ、暗黒の世界に落ちていく今日の方向を「回れ右!」と言って、新しいところに向けるのです。そのように放送するのです。アメリカでは、二十四時間、毎日のように普及させられる万全の準備をしておきました。

11  アメリカに「ニュー・フューチャー・フィルム」という私たちのビデオテープの工場があるのですが、そこから一日に五万本のビデオテープが出てきます。今まで全世界で作った映画を複製して分野別にするのです。教育映画、スポーツ映画、舞踊映画など、分野別に分類し、図書館のようにしておくのです。その次には、世界的に私たちと連結されている有名な学者たちを中心として、すべての専門分野のビデオテープを作ります。三時間もの、十時間もの、三十時間もの、五十時間ものを作るのです。五十時間あれば、すべて終わります。

有名な学者たちの講義をビデオテープに収めておけば、いつまでも使い続けることができます。このようにして、毎日のように私たちが出す教育的資料を見ることができるようにするのです。そうして、健全なビデオテーブを一年くらい見るようになれば、風潮が変わります。流行が変わるのです。このようにしなければ、世界的に乱舞する、この退廃的風潮を防ぐ方法がありません。

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「統一思想」と理想世界実現 「統一思想」は、今日の混乱した世界の様相をつくり出した、すべての誤った哲学と主義、思想を暴き、神様を中心に結束できる思想体系である。民主主義と共産主義の理念問題を克服し、国境と宗教、人種の問題などによって生じた各種の境界線を撤廃することにより、平和世界を実現できる思想として注目されている。一九七三年六月一日には、「統一原理」を思想的に体系化した理論書、『統一思想要綱』が発刊された。

22  三千万の民族(韓民族)を統一しようとすれば、三千万の民族全体を「統一思想」で武装させなければなりません。「統一思想」とは、お父様の思想です。この思想を三千万の民族全員に入れて、思想武装をさせなければなりません。今までは国家が統一教会に反対してきました。しかし、私たちは、「好きなだけ掘り出してみなさい」として、放っておくのです。彼らが掘り返すとしても、「統一思想」がこの国、この民族にあがめられる日が来るでしょう。世界万民が欽慕し、思慕する国をつくろうというのが「統一主義」です。必ずそのような時が来るでしょう。

23  今日、この世界は東西に分離されていますが、一つの中心を中心として互いに愛し合わなければ、世界が一つになることはできません。自分自体の国より、相手のほうが本当により貴く大切であるという、相対を尊重できる善の基盤が地上に現れるとき、初めて神様が願われる世界的な創造理想時代が訪れざるを得ません。この基準を通過したあとに、霊界を訪ねていかなければなりません。そのような道を教えてくれるのが「統一思想」です。

統一教会は、宗教という過程的な概念を超越して、良心と共に、心と共に、体と共に行動することによって、天倫の法度に一致して理念化できる、遠い将来の世界的基盤を築かなければなりません。「私」の家庭と氏族を経て、民族を越え、国境を越えて、自由な環境と世界への平面途上において歌を歌うことができ、神様を私の父として侍り、愛することができる善の王国をつくらなければなりません。世界万民がこのような善の王国が到来したことをたたえ、その国の国民になったことを天宙に永遠に賛美できる日を迎えなければなりません。それが、人類が願う幸福の理想世界を営むことであり、統一教会が模索していく終着点なのです。

24  今まで数千年綴られてきた文化史は、悲惨な歴史でした。今までの歴史は、サタンが神様に背反した歴史でした。しかし、神様が残すことのできる歴史の記録を、父母様の一代から始めるのです。父母様が今まで歩んできたものが、「統一思想」を中心とした伝統になっています。

父母様が成し遂げようとするその世界、父母様を中心として成し遂げられたその伝統の歴史を、皆さんがそっくりそのまま引き継ぎ、未来に残しておかなければなりません。父母様を中心として成し遂げられたことが、世界をすべて統一するのです。その母体が真の父母思想です。真の父母の伝統なくして、真の子女たちの歴史が出てくることはできません。文化の出発は父母から始まります。この短い期間が宇宙歴史の尺度になります。そのため、お父様は深刻です。

ですから、今に至るまで「『統一思想』の伝統的基盤を成立させなさい」と願っているのです。それを築いた基盤の上で、家庭が成立しなければならず、国家が成立しなければなりません。その主流思想は、自分を中心とした思想ではなく、全体を中心とした思想です。そのようにしながら、自分は全体のために犠牲になる道を行かなければなりません。これが「統一思想」の主流です。

25  地上で「統一思想」、「頭翼思想」を中心とした第一主義を中心に生きることが、結局は天上の完成主義の生活になります。地上で生きるとおりに天上世界に移され、完全に定着するようになるというのです。地上第一主義と天上完成主義の生活です。地上で幸せに生きてこそ、天上でも幸福だというのです。「人間の欲望は達成できない」と言うのですが、それは違います。真の愛をもてば、達成して余りあるのです。ですから、地上第一主義と天上完成主義の生活は、結局、真の父母を中心として、王権を中心として生活することによって成し遂げられるのです。真の父母の王権を中心として生活すれば、天上世界を完成するだけでなく、この地においてもあの地においても、永遠に保障される生活になるというのです。

26  個人の立場で世界的な十字架を背負い、ふらついても倒れてはいけません。倒れるとしても、家庭の基盤の上で倒れ、死ぬとしても、家庭の基盤の上で死ななければなりません。これが「統一思想」です。家庭は死ぬとしても、そこから家族を連れて氏族の垣根を越えなければなりません。また、氏族は滅びるとしても、民族の垣根を越えなければなりません。民族の肥やしにならなければなりません。あらゆる矢をすべて受け、あらゆる屈辱をすべて受けても、その悲惨な矢は天の栄光が約束されるものであり、悪の群れである怨讐の主権下にいる民がそのような事情を克服して立ち上がるときには、神様が誇れる民の伝統を立て、サタン世界に勝利の王国を建てることができる条件になるのです。

おなかをすかせながらも、腰の帯を締め、目の前にある怨讐の陣営を凝視して、一歩、二歩とよろめきながら歩んできた統一教会です。たとえ統一教会が滅んだとしても、統一教会が訪ねていくその国は滅んではいけません。ですから、皆さんを無慈悲に受難の道に追い立てているというのです。

27  今まで、人間世界では個人の相対観が異なり、家庭の相対観が異なっていました。この異なる相対観を総括的に収拾できる主流的な能力をもっているのは、神様の愛だけです。「統一思想」は、神様の愛と心情を中心として個人統一、家庭統一、民族統一、国家統一、世界統一を成し遂げ、最後には神様統一を経て、相対観を超越する世界を成し遂げようというのです。その時には、主権もありません。主権者が高いのでもなく、相対者が低いのでもありません。主権者は相対者のための存在であり、主体は相対のための存在です。そのような世界が来てこそ、今日、世の中で言う支配者や被支配者というようなすべての対立概念が解決するのです。

それは、ほかのいかなる論考を通してもあり得ません。ただ、神様の愛のほかにはないという結論が出てきます。今は、人間の愛にも相対観があります。「私はお金のゆえに愛する。何々のゆえに愛する」と言う人がいるのですが、それは純粋ではありません。ですから、相対観を超越できる神様の愛を尋ね求めていこうというのが「統一思想」です。これから民主主義世界も、共産主義世界も、この愛の基準に吸収させて一つにしなければなりません。そのようにしなければ、理想世界が訪れないのです

28  今日の世界が願うものがメシヤ思想です。民主世界と共産世界を一つにするのが、正にメシヤ思想です。カインとアベルが一つにならなければ、父母は復帰されません。誰がカインとアベルを一つにするのでしょうか。アベルがカインを一つにするのであって、カインがアベルを一つにするのではありません。アベルがこの世界を一つにするのです。私たちは民主主義の良い面と悪い面をよく知り、共産主義の良い面と悪い面もよく知っています。

「神主義」の良い面が、共産主義の良い面より、どれほど良いかを知らなければなりません。ですから、私たちはキリスト教を中心とした民主世界と、共産理念を中心とした共産世界について学んでいます。「統一思想」を中心として、これを統一しようというのです。メシヤ思想を代表するものは、中心的な真理であり、中心的な愛です。ですから、個人が行けば、個人的にメシヤ思想をもち、真理と愛によってどこにでも行かなければなりません。現在の困難と現在の混乱状態を心配するのではなく、これを克服しなければなりません。

そうして、真の真理と真の愛を拡張しなければなりません。それが、神様が願い、お父様が願い、人類が願う事柄です。それが私たちの義務であり、責任なのです。

29  どの国であれ、鎖国主義に進んだり、帝国主義を目指したりしてはいけません。その国家は世界に進まなければなりません。

大韓民国が統一された国として出発したとすれば、大韓民国で終結してはいけません。大韓民国一国から出発しましたが、世界が従っていける方向に進む、思想的な起源にならなければならないのです。そのような思想があるとすれば、それは人間の思想に一致するのではなく、神様の思想に一致するのです。

そのような観点で、統一教会は「統一思想」を主張します。この思想は、人から出てきたものではありません。その思想の骨子は愛です。私たちは愛を掲げて現れました。その愛は民族を越えた愛です。自分を中心とした家庭一元化運動ではなく、神様を中心として家庭を愛することにおいて、世の中のいかなる家庭を愛する度数よりも高い次元の愛を強調して出てきたのです。

これが可能になれば、これによって、新しい家庭を中心として歴史上になかった倫理観が形成されるでしょう。強い愛によって結合した倫理形態で、家庭の連帯が横的に発展すれば、これは氏族を越え、民族、あるいは国家を形成し、世界に影響を及ぼすことのできる主体的な心情的愛の起源をもって現れるでしょう。それは、全世界が公認するに違いありません。

30  「統一思想」を最初に書いたときは、本体論を中心に書きました。これを、お父様が「原相論に直しなさい」と言ったのです。原相論には、神相と神性に関することが出てきますが、それは宗教的な術語ではありません。学問的な術語として書いたのです。哲学は神様を知らないので、否定します。根本である神様が本来どのような存在かという内容が原相論です。「統一思想」には、理想家庭論と霊界論、天国論がありません。現在、十一の項目から成っていますが、それを入れて十三項目にしなければなりません。十三数に合わせなければならないのです。

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「統一思想」は「頭翼思想」、「神主義」 真の父母様は、長きにわたる祈りと瞑想の生活を通し、絶対真理である「統一原理」を探し出された。これを通して体系化した「統一思想」は、社会に適用すれば社会の問題が解け、世界に適用すれば世界の問題が解けるようになる。これは、いまだかつてなかった新しい世界観であり、宇宙微であり人間観であり摂理観であり、歴史観である。また、すべての宗教の教理や哲学の特性を生かしながら、全体を一つに包容できる統合原理でもある。このような「統一思想」に立脚した「勝共理念」は、共産主義を批判、克服できる明確な代案を提示する。左翼と右翼を一つに束ねることのできる代案思想が、正に「頭翼思想」、すなわち「神主義」なのである。

14 今日の宗教界を覚醒させ、世界的な思想界を新たに覚醒させる使命を果たすために、一つの目的観を提示したものが「統一思想」です。「統一思想」は、漠然とした立場を取るものではありません。神様を中心として、垂直的な方向を取っていくのです。その垂直的な方向とは、心情の基盤です。父母と子女の間の心情関係は、歴史が変遷したり、時が過ぎて歳月が長くなったりしたからといって、薄らぐことはありません。歴史が長くなれば長くなるほど、時間がたてばたつほど、薄らぐのではなく、かえって情が厚くなります。より深く結びつくというのです。もし父母と子女が離れ離れでいるとき、息子のいる所から父母に便りが来たり、あるいは父母が息子に便りを伝えたりすれば、その便りは、今までのあらゆる願いを充足させることができる刺激になります。その便りが、第二の出発の要因になり得るのです。これを、父子関係の心情世界を通して体得することができます。私たちが神様を「父」と呼び、この地に暮らしている人々を「子女」と言うとき、天の父母と地の子女たちが歩む道でも、それはやはり同じことなのです。

15 「統一思想」、「神主義」は、「頭翼思想」です。右翼でもなく、左翼でもなく、頭翼です。人類の真の平和は、右翼でも実現できず、左翼でも実現できません。その根本の理由は、右翼も左翼も、利己主義を解脱できないからです。自分を中心とし、自国の利益を中心として進むときには、永遠になくなることのない利害の衝突ばかりが存在するのであって、統一もなく、平和もありません。したがって、利己主義を打破する新しい世界主義が現れなければなりません。自分より他のために生きる利他主義は、ただ神様の理想からのみ出てくることができます。それは、神様が愛の本体であられ、愛の本質が自分を犠牲にして他を生かす利他主義だからです。したがって、「神主義」の本質は愛であり、この思想は、人間の四肢五体を動かす頭のような中心思想です。ですから、「頭翼思想」です。右腕も左腕も、実際、一つの体にぶらさがっています。頭がなければ、右腕と左腕は互いに赤の他人となって争いますが、頭が中心に定着していれば、右腕も左腕もすべて、頭の命令に従って、体全体のために働く、一つの協同体になるのです。

16 民主世界は唯心圏であり、共産世界は唯物圏です。民主世界は内的で天の側であり、共産世界は外的でサタンの側です。唯物と唯心は一つです。唯物と唯心が一つであることが分からずに、分かれて闘っています。高い頂上から見れば、「あなたも人であり、私も人だ」というのです。それが「統一思想」です。頂上では闘うことができません。

二本の手があってこそ完全です。一方の手だけではいけません。目も二つ、腕も二本、脚も二本ですべてペアです。道を歩くのを見れば、腕や脚が互いに反対に動きますが、それが正しいのです。互いに反対ですが、それが正しいというのです。ところが、何かをつかむときは、一緒に動きます。反対になるのも良く、一つになるのも良いのです。反対だからといって、すべて悪いのではありません。両方とも良いのです。ですから、「統一思想」は偉大なのです。

17 民主主義は兄弟主義です。兄弟主義を経て父母主義を求めていかなければなりません。そのためには、父母主義の教えと世界観がなければなりません。それが「統一思想」です。「頭翼思想」を中心とした「神主義」です。この論理的内容は、歴史とともに比例的基準で「相応相和」する主張であって、「相反相克」する内容ではありません。ですから、神様が立てる理想的な完成の時を中心として、カインとアベル、ソ連とアメリカ、左翼と右翼が、父母様を中心に回っていかなければなりません。回れ右をして本然の地に行かなければならないのです。

その道を行くために数多くの道人たちが現れましたが、その道人たちは、行くべき道を知らずにいるのです。神様とは何かを知りません。曖味なので混乱するのです。混乱した宗教を収拾することはできません。統一教会はあまりにも理論的です。理論を知っても、実践をしなければ駄目です。誰よりもそれをよく知っているお父様は、それがどれほど恐ろしいかが分かるので、走っていても、さらに速く走るために自らをむち打ったのです。そのようにしなければならないのが、天運の行く道です。

18 「神主義」とは何でしょうか。真の愛を中心としなければならないのですが、偽りの愛によって家庭が統一できませんでした。それが悪魔主義です。偽りの愛によって、統一されなかったのです。体と心が分かれ、夫婦が分かれ、息子、娘が怨讐になってしまったというのです。そうして、神様までも怨讐になってしまいました。そのように偽りの主人である悪魔主義が出発したので、「神主義」が出てこなければなりません。

偽りの愛によってこのようになったので、「神主義」は真の愛を中心として、真の個人、真の夫婦、真の家庭をつくらなければなりません。分離ではなく統一するのです。神様の真の愛で統一しなければなりません。これが「神主義」であり、「頭翼思想」です。

偽りの愛を中心として、すべてが怨讐になり、分離されてしまいました。統一がなく、家庭と家庭が分離されてしまったというのです。家庭を中心として、数十万の民族に分裂する様相を呈し、世界を戦場にしたのです。サタンが、神様のみ旨が成就されないように、混乱した世界をつくっておきました。偽りの愛によって分裂した世の中をつくったのが、悪魔主義です。これは分裂主義であり、地獄主義です。このように分裂した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を、真の愛と真の父母を中心として統一するのです。これは、悪魔と対峙する主義なので、「神主義」です。

19 「頭翼思想」とは何でしょうか。根がどこなのか分からずに混乱している枝葉のように、ばらばらに動いている四肢五体を、頭を中心として統一体にし、完全な人格をつくるための主義です。「神主義」は、真の愛を中心として統一する主義であり、麻痺したあらゆる細胞的な内容を「頭翼思想」を中心として統一する主義です。

サタン主義は分裂させ、細部をすべて麻痺させます。そのように分裂させたものを、神様の真の愛を中心として統一、連合し、完全なものにする主義が「神主羲」です。悪魔主義は、偽りの愛を中心として、自分だけのために生きる愛をもって、人間を戦場のような混乱の麻痺状態にしましたが、「神主義」は、真の愛を中心として、すべての麻痺を解いて完全に正常な人間にし、神様を父として侍ることのできる息子、娘にする主義です。

20 サタン主義によって分離され、「神主義」によって統一されるのです。体や精神だけを統一するのではなく心身を統一しなければなりません。精神自体が麻痺していて、体自体が麻痺しているため、体と心を完全に統一させ、正常な人間にして、神様を知り、悪魔を知る人になるようにしなければなりません。神様と悪魔を完全に知って、神様と悪魔を分立させることのできる主体的な人間を再び取り戻すためのものが「神主義」であり、「頭翼思想」です。ですから、「神主義」は、「統一思想」とも同じです。「統一思想」は、真の愛を中心として投入し、投入して忘れるものです。本然的な人間は、愛によって完成するようになっています。神様が無限に投入したその愛を通して、心身一体の統一圏を成し遂げるとき、ここから理想的な男性と女性が生まれるようになります。そうして、その男性と女性が結婚して家庭を築くようになるとき、その家庭から天下統一が始まるのです。真の愛の神様を中心として、体と心を統一し、家庭を統一して、神様の息子、娘になり、神様の愛の相対になるためのものが「神主義」であり、これを教えるのが「頭翼思想」です。

21 「統一思想」は、心情哲学です。心情哲学と言うときには、人と関係していることを意味します。思想や原理との関係より、人間と関係が結ばれていてこそ、人間の問題を解決できるのです。ですから、人格的な神様という規定は、本当に驚くべきことです。人格的な神様と言っても、相対がいなければ存続することはできません。人格的な神様が人間を造った目的は、愛の対象が必要だったからです。

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第一章  「統一思想」と国際学術活動 第一節   「統一思想研究院」 「統一思想研究院」と「統一思想」 真の父母様は、「心情文化世界を創建するためには思想と価値観の統一が必要である」と語られ、一九七二年八月二十日、「統一思想研究院」を創設された。特に、二十世紀の冷戦時代に際立って対立してきた、唯物論中心の共産主義と唯心論に基づいた自由民主主義の二大思想を批判、克服できる代案思想として「統一思想(頭翼思想)」を提示され、これを深く研究、発展させて、平和世界の具現に寄与するため、「統一思想研究院」を立てられたのである。

1   今後、新しい統一史観、新しい統一哲学の確立と、新しい文化世界の創建が、アジアの韓半島を中心として成し遂げられなければなりません。これは、神様が創世前から理想とされた最終的な希望の基点であり、心情の基点です。また、堕落世界を解怨成就できる基点です。

2   今後の世界は、私たちに包囲されるようになっています。このようになってこそ、多くの犠牲を払わず世界を短期問のうちに神様の懐に導いていくことができるのです。今、そのような計画を立てています。ですから、皆さんか理解できないことを展開しているのです。

それで今、「統一思想研究院」をつくっています。現代文明は、学問的な面で哲学を中心として左右されるので、このような学問的根拠を中心として体制を強化し、世界の新しい文化・思想界に影響を及ぼすだけでなく、主導権を握ることのできる基盤を築かなければなりません。

3   「国際勝共連合」のメンバーたちは、立派な講師になるために錬磨しなければなりません。そして、勝共連合の組織は、班組織を強化しなければなりません。このことに、勝共連合と統一教会全体が総力を挙げて取り組まなければならないのです。また、「世界平和教授アカデミー」と「全国大学原理研究会」、「(国際)基督学生連合会」も総力を挙げて取り組まなければなりません。そうして、まず十万人の班長を擁するようにしなければなりません。これからは精神武装をしなければならないのです。そして、「統一思想研究院」は、各組織の責任者たちが講義をするときに、横道にそれているかいないかを正しく指導、監督しなければなりません。彼らが講義したものを録音して、いつでも点検し、それが間違っているときには、すぐに正さなければなりません。私たちの団体が大きくなってきた以上、公認された内容を発表しなければならないのであって、私的な内容を発表して問題になってはいけないというのです。「統一思想研究院」は、思想的な体制整備の総責任を負わなければなりません。

4   日本とアメリカと韓国の「統一思想研究院」が会合を開いて歴史観を確立し、どのように宗教と思想を連結させるかを明確にしなければなりません。それを明確にしなければ、問題になります。派閥が生じるというのです。宗教と思想の問題とは、思想が先か、神様が先かということです。それをどこから定着させるかが問題です。互いに主張が異なるようになれば、分裂しやすいのです。ですから、アメリカのブリッジポート大学の研究員と、日本と韓国の専門家たちが議論し、評価を下さなければなりません。神様が先か、思想が先か、原理が先かというのです。思想というものは対象であって、主体になることはできません。また、思想の起源が問題になります。神様がいなければ、思想は空中に浮いてしまうというのです。根源を一つに規定できる論理的な核を中心として、思想を展開しなければなりません。思想の起源に対して答弁できなくなれば、将来において二つに分裂するので、問題が大きくなるというのです。本筋をつかんで決着をつけなければなりません。

5   この世界に誰が責任をもつのでしょうか。特定の個人の思想では、いくらやっても責任をもてません。歴史始まって以来、既に探究された材料をもう一つ余計に残す廃棄物になるだけです。そのように見るとき、この世界に誰が責任をもって導いていくのでしょうか。物本主義と唯物思想は、すべて失敗しました。また、人本主義思想は、享楽主義や退廃思想と直結します。ここで必要なものとは何でしょうか。

もし神様がいるとすれば、その神様は、この世界をどのように考えるかという問題を再検討しなければならないでしょう。これを理論的に追求しなければなりません。お父様は長年、歴史的な思想体系を検討しながら、これから民族が進むべき方向を考えてきました。そして「神様が見るとき人間世界に絶対必要な価値のある内容があるはずだ。歴史が追求し、人間が到達すべき最後の目的点があるはずだ」と考えたのです。

6   世界を動かそうとすれば、思想的な面で王座に上らなければなりません。これが最初の課題です。その次には、科学技術において、世界の王座に上らなければなりません。次に、経済的な組織編成において、世界の王座に上らなければなりません。その次は、言論界で世界の王座に上らなければなりません。このようにすれば、世界をすべて動かすことができます。

第一に思想、第二は科学技術、次に経済、その次に言論です。この四大分野で覇権を握る基盤を築けば、世界を動かすことができる精神的基調の前に、相対圏が形成されると考えるのです。そのようにしておけば、政治的基盤は自然にすべて解決します。今までお父様は、生涯を捧げてこのようなことをしてきました。原理的主体の前に対象圏の世界基盤を築くため、今まで一人で歩んできたのです。

7   今後、国家は必ず思想戦を迎えるようになるでしょう。思想戦に直面するという事実を、大韓民国の為政者たちは知らずにいます。私は特別な天の恵沢を受けた人です。未来について予感することができ、測定できる知能的な能力をもっています。そのような私が見通したことは、今後、世界史の路程の上に起きる思想戦で生き残る人にならなければ、世界を指導できないということです。

ですから、人が反対し、迫害しても、「私が行く目的は違う」と考えたのです。ほかの人々が、少年時代から青年時代の、花のような青春を誇ることができる時代をすべて無為に過ごして遊ぶ所を訪ねていくとき、私はその反対の道を行きました。「あなたたちはそのように行くが、私は思想戦を突破するこの道を行かなければならない」と思って、歩んできたのです。

8   「統一思想」とは何でしょうか。この宇宙の根本問題に対して、唯物史観と唯心史観という二つの史観が展開されたので、根本的で哲学的な問題を扱って解決するための方案を講究し、体系化したものが「統一思想」です。すべてのものを統合して新しい世界観と新しい人生観を提示する目的で新たに確立し、新たに体系化したものが「統一思想」です。

9   この世の中には多くの思想がありますが、「統一思想」は主体的な思想です。「統一思想」は神様の思想に通じるので、主体的な思想なのです。民主世界と共産世界を一つにする思想です。その次に、宗教者と非宗教者を和合させます。ですから、その目的は、統一世界、一つの世界をつくることです。

10  「統一思想」は、主体と対象の観念を基盤としています。統一は、二つが一つになって初めて成し遂げられます。男性と女性が一つにならなければならず、父母と子女が一つにならなければならず、家庭と社会が一つにならなければならず、社会と国家が一つにならなければならず、国家と世界が一つにならなければなりません。この統一観に基づいて、思想や理想という言葉が出てくるのであって、一つになり得る目的がなく、道がないとすれば、すべて砕けていくのです。そして、主体と対象の観念を入れれば、目的観は自然に出てくるので、共産主義の弁証法は砕けていくのです。

弁証法は、「発展するためには主体と対象が闘争しなければならない」と言います。矛盾したものが、互いに闘争しながら統一されるというこの論理は、完全に砕けていくというのです。それは目的を認めていません。主体と対象がなければ、存在を形成することは不可能です。これが一つになってこそ、完全なものになるのです。

11  本来、神様は、天地を創造するとき、神様のために創造したのではありません。神様は、自分のためである前に、まず相対のために天地を造りました。相対に完全に与えたあとには、その相対のすべてのものが自分に戻ってくるのですが、戻ってくるときは、与えたものにプラスされて、アダムとエバにまで戻ってくるのです。ですから、神様は億万長者になります。それゆえ、「良(善)し」と言われたのです。

完全に与えれば、その圏を占有するのです。与える方法には千万の種類があります。言葉でも与えることができ、行動を通しても与えることができます。その方法は無数です。そのような立場で、相対のために生きる世界観をもって出てきたのが「統一思想」です。聖書のすべての道理は、ここからすべて解けるようになるのです。

いかなる経書も、この原則に置き換えれば、その核を正確に知ることができます。そのような点から見るとき、「統一思想」の内容をもって進めば、驚くべき内的統一が成し遂げられます。外的統一ではなく、根本的統一が成し遂げられるというのです。神様の心情を掲げて現れてきたのが「統一思想」です。

12  私たちは今、国のために血と汗を流しながら活動していますが、国だけのためではありません。未来の世界のためなのです。超国家的であり、超民族的であり、超人種的な立場で、国境を越えて互いが愛し合い、生命までも交換できる大家庭をつくろうというのです。言い換えれば、神様を中心として血が通じ、生命が通じ、愛によって結束できる一つの大家庭をつくろうというのです。これが「統一思想」です。統一教会の思想であり、世界的な思想です。

13  私たちが福地天国を見つめて歩む統一の行路で、怨讐視すべきものとは何でしょうか。国境が問題です。民族感情を超越しなさいというのが「統一思想」の主張です。ですから、私たちは民族を超越しなければなりません。アメリカやアフリカの人々が問題ではなく、彼らを同族以上に愛する実践者になれるかが問題です。そのようにしなければ、世界を救える主導的な責任者になれないというのが「統一思想」です。

したがって、愛の道には犠牲と克服が伴うものです。その愛の本質と核心は、犠牲になり、自分を克服するところにあります。ですから、宗教では「犠牲になれ、奉仕せよ」と言うのです。それが愛の行く道だからです。犠牲になって泣くのではなく喜ぶのです。

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第九篇 心情文化世界のための言論、教育、芸術活動 神様が理想とされた世界は、心情文化が一つに調和した神中心の共同体である。創造理想は、個性完成、家庭完成、万物主管の三大祝福を成し遂げることであり、その世界はすなわち、神様の心情が人類文化の中に具現された心情文化世界である。真の父母様は、サタン文化圏を一掃し、天の文化圏、真の父母文化圏を再創造するために尽力され、その世界を成し遂げるために様々な活動を展開された。

真の父母様が目指された心情文化世界は、全人類が国境、宗教、人種など、すべての障壁を超越し、真の愛を根幹にして生きていく共生・共栄・共義主義社会である。そのような社会を建設するためには、心情文化世界の基になる思想の確立が優先されなければならないと考えられた真の父母様は、「統一原理」に基づいた「統一思想」を体系化し、その「統一思想」の絶対価値を人類文化に適用するため、様々な学術団体を創設、運営してこられた。

特に、碩学たちを中心に「世界平和教授アカデミー」を創設し、宗教と科学の統一を模索するため、「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を継続して開催された。この会議は、「絶対価値観による心情文化世界の創建」を主要な議題として扱った。

また、真の父母様は、平和世界を成し遂げるに当たって、尺度と通路の役割を担う言論媒体を創設され、「世界言論人会議」を通して言論人教育にも関心を傾けられた。特に、韓国とアメリカ、日本などの主要摂理国家に総合日刊紙を創刊し、世界的な言論基盤を築かれた。これとともに、世界の人々に対する教育にも心血を注がれ、韓国とアメリカに大学を設立し、愛天、愛人、愛国の精神を基に、若者たちを未来世界の指導者として育ててこられた。そして、韓国には小・中・高等学校も設立するなど、教育に多くの投資をされたのである。

さらに、真の父母様は、心情文化を実体的に花咲かせることのできる、各種の文化芸術団体とスポーツ団体を創設された。「リトル・エンジェルス芸術団」と「ユニバーサル・バレエ団」は、世界中で公演を展開し、国威の宣揚はもちろん、南北文化交流などにも大きく寄与した。また、サッカーチームも創設し、サッカーを通した世界平和の実現に尽力してこられた。このような真の父母様の高貴な足跡は、ひとえに、地球村に自由と平和と統一と幸福の理想世界、心情文化世界を実現するためのものである。

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4   カンボジアにおいては、二世に多くの期待をしています。皆さんは、大学で一生懸命に勉強をすることももちろん重要ですが、純潔がどれほど重要なことかを知らなければなりません。そして、皆さんの同僚たちにも純潔キヤンペーンを展開し、祝福結婚にたどり着けるようにしなければならないのです。また、皆さんは学校で、ために生きる生活を実践し、模範的な生活を送らなければなりません。お父様は食口たちに毎日み言を語られますが、いつもみ言を訓読されます。それは、み言が重要だからです。世界人類が、真の父母様を知らずに霊界に行くとすれば、どれほど悲惨でしょうか。カンボジアは宣教の歴史が短いのですが、皆さん一人が十人、百人を生かすために先頭に立ち、短期間のうちに根を下ろして、枝を張ることができるなら、この国は遠からず復帰されるでしょう。カンボジアとタイは、似たような文字を使っています。ここにはタイから来た食口たちもいますが、皆さんは神様のもとの同じ兄弟姉妹です。これから二つの国が互いに手を取り合って協力すれば、神様が喜ばれる実績を必ず収めるようになるでしょう。

5   モンゴルは、女性たちの活動が目立っています。様々な方面で、男性を凌駕する素晴らしい女性たちがたくさんいます。ですから、女性の皆さんが先頭に立って、真の父母様を知らない人がこの国にいないようにしなければなりません。女性の皆さんが勝負しなければならない時期になりました。特に、モンゴルの女性たちがさらに発奮すれば、この国が短期間のうちに神様のみ前に復帰されるでしょう。そして、み言に「夫は天であり、妻は地である」とありますが、男性たちも発奮しなければなりません。この国を復帰するために男性と女性が互いに協助すれば、その期間をさらに短縮させることができます。皆さん全員が発奮してくれるようにお願いします。

6   世の中でも、ある目镖を定め、それを成し遂げるためには、他の人より十倍、百倍、さらに努力する必要があることを、皆さんは知っているでしょう。皆さんは、周囲にいるすべての人々にこのみ言を知らせてあげることを目標として、それを成功させるために努力しなければなりません。特に、皆さんの血族がみな祝福を受けられるよう、最善を尽くさなければなりません。皆さんの活動によって、この国がどれほど早く発展するかを考えてみてください。み言を通して、キルギスが立ち上がることができるとすれば、それ以上の祝福はないでしょう。今までキルギスは、ソ連帝国に押さえつけられ、名もなく生きてきましたが、これからはそのように生きることはできないというのであれば、真の父母様を国民全員に知らせなければなりません。

二〇〇六年六月十八日の大会は、十分だとは言えませんが、種を蒔いたのです。皆さんは最善を尽くし、短期間のうちに豊かな実を大きく収めなければなりません。そのようになるとすれば、それよりもやり甲斐のあることはないでしょう。時間がありません。ですから、短期間のうちに真の父母様のみ前に素晴らしい実績を捧げなければなりません。

7   カザフスタンの皆さん一人一人が、みな革命家であり、創造主のような立場に立てる、途方もない祝福の立場に置かれていることを忘れてはいけません。真の父母様のみ言の中に、「堕落した世の中は野生のオリーブ畑」という言葉が出てきます。祝福を受けた皆さんは、真のオリーブを接ぎ木したのです。ですから、世の中のたくさんの野生のオリーブをそのままにしてはいけません。その野生のオリーブを切って、真のオリーブを接ぎ木しなければなりません。皆さんが正々堂々と祝福家庭としての責任と使命を果たすためには、精誠を尽くし、多くの人が祝福の隊列に参加できるように、努力しなければなりません。神様は、天一国を迎えるまでどれほど苦労されたか分かりません。お父様は、いかなる過ちもないのに、六度の獄苦を味わわれました。そのようにされても、最後まで摂理を導いてこられたのは、皆さんのためです。そのような点でも、祝福家庭は、神様と真の父母様のみ前に多くの負債を負っています。人間の本心は、百を受けたならば、返すときには一〇パーセント差し引いて、九〇パーセントだけ返したいと思うのではありません。一〇〇パーセント以上、一二〇パーセント以上返したいというのが本心です。今までは、真の父母様がすべての蕩減を払い、勝利的な基盤を築いてくださいましたが、今からは祝福家庭が立ち上がるべき時です。皆さんは、このみ旨を知らない人がいないようにしなければなりません。世の中の人々に、真の父母様を知らせなければなりません。真の父母様がこの時代に顕現され、私たちがこのように共に生きているこの時代が、どれほど重要な時であるかを知らせてあげなければならないのです。

中東・ヨーロッパ・アフリカ巡回 8   中東地域は、情勢が非常に複雑な地域です。ですから、世界巡回をするとき、周囲の人が「危険です」と言いながらやめさせようとする場合が多いのです。しかし、真の父母様は全世界を生かしてあげなければならない立場なので、危険であっても、訪ねていかざるを得ません。いまだこの地域が、互いに反目して争っているのは、神様のみ旨を受け入れられなかったからです。今や、互いの利害関係を飛び越え、神様を中心に手を取り合わなければなりません。神様の目には、黄色人、白人、黒人というものがあり得ず、宗教の壁、民族の壁、文化の壁があり得ません。二〇〇六年六月三十日のヨルダン大会で、このような内容を強調しました。この中東が生きる道は、過去よりも、現実を正しく見て進むことです。今、神様のみ意がどこにあるのかを正しく知り、真の父母に侍る生活をするとき、中東に永遠の平和が訪れるでしょう。神様のみ前に、私たちは同じ兄弟です。そして、神様は私たちの永遠の真の父母であることを、皆さんは忘れてはいけません。神様は、ヨルダンを立てられました。ヨルダンのすべての兄弟姉妹たちが、ヨルダンを立てられた神様のみ旨を知り、そのみ旨を実現するために努力しなければなりません。

9   皆さんは、真の父母様を誇り、知らせなければなりません。そして、真の父母様に似た者となり、真の父母様のみ旨を実践するために努力する皆さんにならなければなりません。皆さんがそのような人生を送れるようにしてくれる教科書であり、指針書が、真の父母様のみ言です。祝福家庭の皆さんにとって今、重要な使命は、氏族メシヤの使命を完遂することです。皆さんもいつかは霊界に行きます。皆さんが地上でそのような責任を果たせなければ、のちのち、皆さんと同じ時代を生きていた皆さんの氏族たちが讒訴するでしょう。皆さんがその讒訴を受けないようにするためには、一人残らず、彼らにすべて、真の父母様を知らせてあげなければなりません。特に、マルタの食口たちは、霊界から協助できる基盤を築かなければなりません。善霊たちがこの国に再臨して役事できるよう、相対基準を備えなければならないのです。これから皆さんは、生活の中で変化した姿を見せてあげなければなりません。皆さんがこの上ない精誠を捧げるべき時だという意味です。私たちは幸福な人間です。私たちは、世の中の人がもち得ない真の父母に侍って生きているからです。神様が私たちと共にいらっしゃることを忘れてはいけません。

10  二〇〇六年七月二日、ポーランドの天宙平和連合祖国郷土還元大会を成功裏に終えました。この場に集まった人だけでも、ポーランドを神様のみ前に立てるに当たって十分な人的資源になると思います。ですから、皆さんが彼らを中心にさらに拍車を掛け、ポーランドを復帰するために努力しなければなりません。その期間を短縮することは、皆さんの手にかかっています。ポーランドが祝福を受ける国になるためには、神様のみ旨を受け入れなければなりません。今回、集まった人々がみな感動を受けたので、今後も彼らにより多くの幸福を分けてあげ、より大きく育ててあげるようにお願いします。

11  ルーマニアを見れば、ローマに劣らない歴史をもっています。今まで皆さんは野生のオリーブとして生きてきましたが、これから、どのように真のオリーブとして完成したかによって、神様が皆さんの国に対してさらに多くの関心を注がれるようになるのです。善意の競争は、激しいほど良いのです。ここには何ヵ国かの人が集まりました。どの国が先に神様のみ意に添うかが重要です。

二〇〇六年七月三日、ルーマニアの天宙平和連合祖国郷土還元大会を、平和大使たちと皆さんの苦労によって、盛況裏に執り行いました。今からが始まりです。皆さんが生きて動けば栄えますが、じっとしていれば後退するでしょう。今、この国はヨーロッパ全体から見るときには、多くの面で発展が遅れていますが、み旨を中心として先頭に立てば、神様が見る基準では、先進国以上の位置に上がっていくでしょう。

12  真の父母様のみ言は、スロバキアを健康な国にする薬です。このみ言以上の薬はありません。この国にも家庭問題、青少年問題をはじめ、多くの社会問題が起きているという事実を知っています。

二〇〇六年七月四日の大会を成功裏に終えましたが、今回の大会で終わるのではありません。今からが始まりです。皆さんがみ言で武装し、み言を実践する生活をするとき、スロバキアはさらに強く、豊かになるでしょう。

13  天宙平和連合祖国郷土還元大会をしながら、国家単位の祝福行事をしたことは、全人類にとってどれほど大きな喜びになるか分かりません。特に、東ヨーロッパ地域にはロシア正教のゆえに祝福の恩賜を受け入れられない国もあります。それは、神様の立場から見ても、人類の本心から見ても、神様のみ旨に逆行することです。しかし、彼らを祝福することによって、生かしてあげなければなりません。

皆さんが、天一国時代に、真の父母様に侍り、このような行事に参加できるというだけでも、奇跡のようなことです。また、スロバキアが歴史的な行事に同参(一緒に参加すること)したことも、奇跡に違いありません。今回の行事に同参できなかった国のことを考えれば、皆さんは幸福な人々です。

その恩恵に対し、どのようにして神様にお返しできるかを研究しなければなりません。皆さんが一人で享受する幸福は、本当の幸福ではありません。幸福は分かち合うほど、より大きく返ってくるのです。皆さんは、受けるよりも与える立場がどれほど幸せかを感じながら、実践しなければなりません。

14  神様は、すべての人がこの世の中で真の愛を実践しながら生きるように創造されました。ところが皆さんは、そのような生活をしていますか。皆さんは、家庭と氏族、国のために、そのように生きていますか。今から一生懸命にみ言を勉強して、そのように真の愛を実践しながら生きようと決心しなければなりません。

多くの国から、今回のボスニア大会に参加しました。この国に種を蒔きました。しかし、ボスニアの皆さんには、この種を健やかによく育てなければならない責任があります。ですから、皆さんは隣国と密接な関係をもち続け、より大きく発展できるように努力しなければなりません。

15  あらゆる果実は、中身がしっかり詰まっていてこそ、「よく熟した」と表現されます。アルバニアが強く豊かな国になるためには、経済力も重要ですが、精神的に強い国にならなければなりません。アルバニアがみ言で武装すれば、数年以内に豊かな強い国にすることができます。真の父母様が、一九五〇年代、韓国で最初に出発するときは、食口たちが百人にもなりませんでした。アルバニアは三百人にもなるので、十年以内にこの国を何倍も強く豊かな国にすることができるというのです。アルバニアの将来は、皆さんの手にかかっています。

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真の家庭三代圏四位基台四十ヵ国世界巡回 「天宙平和連合」の創設記念世界巡回講演は、真の父母様を代表する真のお母様と、真の父母様の家庭の子女様、そしてお孫様の四家庭など、三代圏を中心に、二〇〇六年八月三十一日から十月十四日まで、四十ヵ国において十二ヵ都市ずつ、四百八十ヵ都市で行われた。真のお父様は九月五日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、真の家庭三代圏世界巡回路程勝利祈願特別集会を行われた。そして、十月十八日、天正宮博物館において、巡回大会勝利帰国歓迎集会も主宰された。

11 私は二〇〇四年、アメリカと韓国の国会で平和の王として推戴され、戴冠式を行ったあと、二〇〇五年九月十二日には、アメリカのニューヨークで「天宙平和連合」を創設しました。その勝利的基盤の上に、二〇〇六年六月十三日には、実体的天一国創建のための天宙平和の王真の父母様天正宮博物館入宮式と戴冠式を挙行しました。

「天宙平和連合」の創設直後から始まった私の世界百二十ヵ国み言巡回の勝利を受け継いだ韓鶴子総裁は、真の父母様を代表した立場で、去る六ヵ月間、全世界を駆け回りながら、百八十ヵ国のみ言宣布による巡回を勝利することによって、歴史的な母子協助の摂理を完成しました。真の父母の立場で真の子女たちを直接帯同し、彼らをみ言宣布と祝福行事の主管に同参させることによって、人類の最初の家庭で母格のエバが失ってしまった血統権とカイン・アべルの統一権を復帰、還元させたのです。

二〇〇六年八月二十日は、私が一生を通じて経てきた六度の無辜の監獄生活のうち、その最後であるアメリカのダンべリーの監獄で世界的次元の獄苦を堂々と勝利し、解放・釈放権を勝ち取った出監記念日の二十一周年でした。この意義深い日を慶祝し、また歴史的な世界巡回を勝利して到着する韓総裁を歓迎する意味で、去る八月二十日、私は世界的次元の平和大会を開催しました。世界百二十ヵ国、百二十万人の平和大使の指導者たちを代表する核心指導者三万人以上が韓国に集まり、平和世界実現のための決意を固める意味深長な大会でした。

このような摂理的な勝利圏の基台の上に、私は今や「天宙平和の王」の資格で、真の父母の家庭三代圏と共に世界の津々浦々を駆け回りながら、この後天開闢時代に天が人類に下した、天の秘密のメッセージを伝えています。

12 私はいつの時よりも深刻な心情で、二〇〇六年九月十二日の「天宙平和連合」創設一周年を迎えています。創設直後から始まった私の世界巡回は、昼夜を分かたず、安らぐ日もない強行軍でした。「天宙平和連合」の創設を期して天が下さった特別メッセージを、一人でも多くの人に相続させてあげたいという一念で、自ら願って犠牲の道に進み出たのです。

今回の世界巡回路程も同じであって、八十八歳になろうとする老齢で、いつ、どこで倒れるか分からない巡回の道でしたが、私は命を懸けてこの道を出発しました。もしかすると、今回が私としては最後の世界巡回路程になるかもしれません。天から印を押されて顕現した真の父母として、人類に残してあげる最後の遺言になるかもしれない天の秘密を明かすのです。どうか心の門を大きく開き、この貴い天のみ言を心に刻んで皆さんの生涯の基準とし、氏族と子孫に相続させてあげる知恵深い指導者の皆さんになってくださるようにお願いします。

13 世界百二十ヵ国で、堂々と祖国光復を宣布しました。また、百八十ヵ国に愛する妻と子女を送りました。戦場に送り出したのと同じです。これは、常識的に考えられることではありません。祖父と祖母の立場で子女たちを訓練し、二代の峠を越え、三代の峠を越えていきました。

今回、四人の孫と孫娘を祝福した基盤の上で、四十ヵ国に子女たちと孫と孫娘を送りました。旧約時代、新約時代、成約時代、三時代を代表する立場で、最初の祖父圏で失敗したことを開門するために、三代が旗を掲げて進み出たのです。

14 神様と真の父、真の母、カイン・アベルを中心として、最後まで世界を巡回しました。個人の体と心の争いから、男性と女性の争い、夫婦同士の争い、父母と子女の争い、氏族の争いなど、歴史のすべての事実を蕩減しようとするので、父母様が百八十ヵ国を巡回したのです。イスラエルのような国が、一度に百八十ヵ国になることはできません。初めて父母様の孫たちまで、三代が四十ヵ国を中心として巡回したのです。

まず、イスラエルが四十ヵ国と一つになっていれば、イエス様が死ぬことはありません。十二ヵ国だけでも一つになっていれば死ななかったというのです。それができなかったので、イエス様も引っ掛かり、イスラエル民族まで引っ掛かっているのです。第一イスラエルが誤ったのですが、そのすべてのことを赦してあげるのです。それで、三代が動員されて一つになり、代表的な四十ヵ国を巡回したのです。二代以上動員すれば、反対できないようになっています。このように三代が巡回するようになると、大統領以下、労働者も農民もすべて歓迎したのです。

15 韓国を中心として、地球星の軸を連結させてみるとき、裏側にあるのがウルグアイです。それで、父母様は数十年前にウルグアイにホテルを造り、必要なものをすべて準備してきました。お母様が行って巡回講演をするとき、ウルグアイ政府が国会議事堂を差し出し、大統領夫人を中心として、お母様と一つになって動きました。その背後で神様が役事(働き)したのです。大成功でした。ですから、父母様が「天宙平和女性堂」の名で、ウルグアイに一千万ドルを寄付しました。それは偶然の出来事ではありません。

16 今や天に侍って生きていける時が来たので、私たちは二〇一三年一月十三日までに、すべてを収拾して天のみ前に捧げなければなりません。ですから、三代が出動し、早く世界を回らなければならないのです。多くのチームが同じタイトルを掲げて一気に巡回するので、長くかかりません。三チームなら百二十日、四チームなら九十日かかります。

そして、祝福家庭も、父母様がしたのと同じように、三代を中心として世界を回らなければなりません。三代が一人のように、天の国に入っていかなければならないのです。

第六節 祖国郷土還元大会世界巡回での真のお母様のみ言 真のお母様は、二〇〇六年四月二十八日、アメリカのプリッジポート大会を皮切りに、八月十九日まで世界百八十ヵ国を巡回され、「天宙平和連合」祖国郷土還元大会を主宰され、多くのみ言を通して食口たちを督励された。真のお母様は、二〇〇五年の百二十ヵ国巡回講演の勝利を受け継いで、真の子女様を直接帯同し、み言宣布と祝福行事を主管することにより、人類の最初の家庭で、母の立場にいたエバが失ってしまった血統権とカイン・アベルの統一権を復帰・還元することに寄与された。新しいみ言の宣布とともに、血統を転換する恩恵が世界に広がったのである。

アメリカ・アジア巡回 1 皆さんは、祝福の時代を生きています。二千年前のイエス様の時代とは違い、今は未来に対するはっきりとした確信をもつことができます。ですから今日、私たちは、いかにして行くべきかを知っています。真の父母様のみ言は、皆さんの指針書であり、教科書です。ところで、皆さんは、このみ言の本体であられるお父様が、なぜ毎日訓読をしていらっしゃるのか、知らなければなりません。真の父母様が今日、皆さんに提示するビジョンは、夢ではなく現実です。必ずやそれを成就すべき責任が、私たちにあります。皆さんは常にみ言に接しているので、知らなくてできなかったという話は、口にすることができません。

将来、子孫たちから、「私たちの先祖は立派だった」と言われる立場に立てるようにお願いします。特にアメリカのマイアミ地域は、北米と南米を連結する非常に重要な地域です。二つの地域が一つになり、真の父母様のみ旨を実体的に成し遂げるに当たって、皆さんが中心になるようにお願いします。

2 お父様は、一九九六年六月十六日、島嶼国家の連合活動を通して世界平和を実現するために、「世界平和島嶼国家連合」をつくられました。島国を連合して、何をしようというのでしょうか。今まで、太平洋に散らばっている島嶼国家は、大陸国家に隸属してきました。これらの島嶼国家が力を合わせて、海洋時代に自らの声を上げ、世界平和実現のために先頭に立とうというのです。今や、島国が本当に重要な時期に差し掛かっています。大陸とは違い、海では移動が自由で、どこにでも行くことができます。

魚は自由に動き回ります。海は、それと同じように、すベての人がいかなる障害もなく、自由に行き来できる象徴的な地域だと考えることができます。真のお父様は、特に海を愛されて、この時間も、韓国の麗水で釣りをされながら、今回の大会の場面を映像で御覧になったでしょう。二〇〇六年五月二十八日、フィリピンのマニラで、天宙平和連合祖国郷土還元大会を執り行いました。

今回の百八十ヵ国巡回、天宙平和連合祖国郷土還元大会は、人間が真の父母様と真の子女を通して、真の血統を伝授される、特別恩賜の期間です。神様は、すべての人間が国境と人種、宗教を超越し、平和に生きていける世界を念願されています。フィリピンの食口の皆さんは、このような神様のみ旨を成し遂げてさしあげるために新たに決心し、どの国よりも先頭に立って、実践しなければなりません。

3 お父様が計画されることは、必ず成就するでしょう。インドは地理的に見るとき、アジアの平和を実現するに当たって、重要な位置にあります。世界の様々な国を巡回しながら感じたことは、中国の影響力が及ばない国がないということです。中国とともに、今後、世界の強国として浮上できる国がインドです。今、強大国が神様のみ旨とは関係なく、自国のことだけを考えて勢力を伸ばしているというところに問題があります。このような点を考えるとき、世界平和を実現するに当たって、インドの役割が大きいと考えるのです。この国がみ旨の前に立たなければなりません。今や、皆さんが実績を現さなければならない時になりました。ですから、み言を聞いて、流れていくような信仰生活を送ってはいけません。皆さんが熱心に活動をすれば、世界各国が皆さんを助けてくれるでしょう。特に、今晩の集会に来た人々を、皆さんが導かなければなりません。彼らを温かい心と愛で包み、抱くようにお願いします。そうして、彼らが皆さんに会いたくてしきりに訪ねてくることができるように、心情の固い絆を結んでおくようにお願います。

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30 「平和警察」と「平和軍」は、人間の体で生命の力を保護してくれる赤血球と白血球のようなものです。赤血球と白血球が互いに助け合って人体の生命を保護するのですが、天国に入城して開門できる境界線を越えるときまで、変わらずに絶対的な自らの姿をもたなければなりません。そうして、そのような姿をもって、絶対的な主人である神様が主管される、絶対、不変、唯一、永遠の天国に入っていかなければならないのです。

31 皆さんの体と心が闘ってはいけません。これが問題です。どのようなことがあっても、体と心が一つにならなければなりません。体が愛の種を先に植え、心を蹂躙して、性解放やフリーセックス、ホモというものが出てきたのです。酒とたばこと麻薬を中心として酔わせ、混迷させて、男性も女性も互いを占領するための混乱した戦場になっているのが、この世の中です。これを完全に清算してしまわなければなりません。そのようなことを担当する「平和軍」にならなければなりません。国連軍が韓国を中心として動員され、韓半島を解放しようとして失敗しましたが、再び私たちが「平和軍」を編成しなければなりません。

32 皆さんの各国に「平和警察」と「平和軍」が必要であるのと同じように、この宇宙にも、霊界と肉界の一つの独立した世界にも必要です。

平和を中心とする警察、もしくは軍隊は、天の天使世界にも必要なのです。二重だというのです。

地上で完璧であってこそ、天上でも完璧になります。全体が解怨された立場で、解放と歓喜を共に享受するために警察が必要であり、軍隊が必要なのです。

エデンの園で神様が保護装置をつくることができませんでした。保安装置をつくれなかったというのです。

33 「天宙平和連合」はアベル的国連です。天の国の国連と同じです。それに実効性をもたせるために、基盤をつくるのです。ですから、軍隊の力と警察の力が重要です。戦争が起きる所には、必ず軍隊が行って駐屯するのです。

私たちは行って、教育しながら消化しようというのです。それは問題ありません。

「平和軍」は、武器をもってどうにかするのではありません。ひとえに教育を通してするのです。「平和警察」も簡単な防御体制を備えて活動します。そのようにしておいてこそ力の背景ができるので、軽く見ることができなくなるのです。既に組織編成をしておきました。

第五節 「天宙平和連合」祖国郷土還元大会による百八十ヵ国巡回 祖国郷土還元大会、百八十ヵ国巡回 二〇〇六年三月二十五日、鮮文大学で開かれたソウル圏大会を皮切りに、四月三日までの十日間、主要な地域圏で百万人の市民たちが参加する中、「天宙平和連合」祖国郷土還元大会が挙行された。この場で真の父母様は、「神様の理想家庭と平和理想世界王国」というテーマのみ言を宣布され、続いて、祝福式を執り行われた。そして、四月二十八日から五月十日まで、「天宙平和連合」祖国郷土還元大会をアメリカとカナダの十三の主要都市で主催されたのに続き、八月十九日まで、真の子女様が同参(一緒に参加すること)する中、世界百八十ヵ国で世界巡回大会を開催された。

1 今までお母様は、私より多くの世界巡回をしました。公式的なみ言を中心として、お父様の実体を身代わりしたみ言をもち、女性を代表して、堕落したエバができなかったことを成して、その上で責任完成を完結しなければなりません。お父様が夫の立場で真理を探究し、サタンに勝っておいたのですが、その勝った基盤は世界的基盤です。

(ですからお母様は)百二十ヵ国を巡回し、百八十ヵ都市を抱いて、お産の苦労をしなければなりません。それで、血と汗を流しながらお産の苦労をしてきたのです。その次に、お父様の実体的勝利を受け継いで、エバとして果たすべきことがあります。エデンの園でエバが、夫に侍って愛することができませんでした。ですから、世界の誰もが知るお母様の名で世界を一周し、家庭に戻ってきて、定着しなければなりません。そのような時代に入るのです。

今日、歴史上に初めて夫婦と神様を中心として家庭が定着したのは、今回のこの期間しかありません。そして、お母様を中心として、女性たちがお母様の分身となり、世界の全人類を生んであげなければなりません。一人ではできないのです。

2 二〇〇六年三月二十五日から天宙平和連合祖国郷土還元大会を開催しました。それでは、どのようになるのでしょうか。国を祝福したので、今やすべての人が入籍をしなければなりません。全世界に、アダムの代わりに真の父母が一代として、そこから世界的な先祖の幹が出てくるのです。そこから枝が出て、一本の木のようになるというのです。

3 世界のすべての統一教会の人々が、祝福を受けて故郷を訪ねてきています。世界が、祖国郷土還元の世界だからです。ですから、どの国の食口であっても、その国が本郷ではなく、祖国ではありません。韓国が祖国であり、韓国が本郷の地です。

それゆえ、大移動が起きなければなりません。そのようにして、本郷の地に入籍しなければならないのです。入籍することによって、天の国の先祖になります。入籍ができなければ、恨になるのです。あとで入籍するようになれば、問題が起きます。きょう、ここに一緒にいても、何百代、何千代の差が広がるのです。

4 天宙平和連合祖国郷土還元大会は、何を意味するのでしょうか。「天宙平和連合」がアベル国連なのですが、皆さんはアベル国連の位置に上がっていますか。

その場に上がれば、自分が空っぽにならなければならないのです。ひたすら「私」の体全体が、復帰された絶対信仰の実体、絶対愛の実体、絶対服従の実体にならなければなりません。神様が創造するときの創造の対象物と実体が一つになった実体圏を備えてこそ、神様の愛が永住するのです。皆さんがそのような場に立っているかというのです。

5 二〇〇六年五月二十九日にお母様が講演する所が、インドネシアの首都ジャカルタです。霊界を総動員して、海洋圏と半島を中心に、海と陸地の文明を懐胎しなければなりません。そうして、祝福完成が成し遂げられるようになります。カイン圏である蒙古斑同族圏を、血族として連結しなければなりません。四方に散らばって暮らしている蒙古斑同族圏を血族として祝福して、一つの血統に束ねなければなりません。

国の祝福をしてあげるのです。もはや国で反対したり、世界で反対したりすることはできません。世界人類が黙っていないのです。今までは、父母様がしてきましたが、今からは祝福を受けた家庭が立ち上がらなければなりません。サタン世界の力よりも、宗教圏と国家圏が一つになって大きなアベル圏になり、蒙古斑圏を消化しなければなりません。力でするのではありません。神様の真の愛で一つにしなければならないのです。そのようにすることによって、新しい地上天国と天上天国の統一が実現し始めるというのです。

6 二〇〇六年六月二日、お母様がインドの大統領にまで会いました。インドの大統領は、「レバレンド・ムーンの家庭理想は、大変偉大なものだ」と言ったそうです。普通の人は、家庭を収拾して、一つの血統圏を形成するという考えができません。歴史的な記録を破ったのです。最高の指導者たちは、そのようなことがすぐに分かります。何のためにするのかが分かるというのです。

今まで一生の間、迫害を受けてきた父母様が、国家を越え、宗教圏も超越して、公開して祝福結婚式をするようになりました。今、家庭と青少年の問題が世界的に大きな問題になっています。これを解決するのは、父母様だけの特権です。

7 二〇〇六年六月二十九日に、お母様がイスラエルのエルサレムで講演をしたことに対して、アメリカの食口たちの間で大きな問題が起きました。「そこは今、戦争の本拠地なのに、なぜ行くのですか」と言うのですが、自分たちで決めることではありません。自分が現地に行って盾になろうとは考えもせず、言葉だけで心配していてよいのでしょうか。

責任者が私に電話をかけてきて、「このようになっているのですが、どのようにすればよいでしょうか」と言うので、「何をどのようにすると言うのだ。死ぬことが問題か、生きることが問題か。生きることが問題になって死の場に行ったとすれば、死の道も行かなければならないだろう!直面している問題に、自分たちが責任をもたなければならない!」と言いました。歴史とともに、自分が中心の位置に立ったならば、いつでもその中心の位置を守らなければなりません。

8 アフリカであと数ヵ所だけ大会をすれば、お母様の世界巡回は終わります。今回、世界ですべての人々を復活させる生命の祝福行事を挙行しました。そのすべての事実は、永遠に消えません。毎日のように成長して、年ごとに大きくなり、世界を覆って余りあるようになるでしょう。これから、次第にそのようになります。

お母様の美しい姿と美しい声、美しい天の恩賜の内容が、再創造の力です。ですから、お母様も巡回講演をしながら、聴衆の中に素晴らしい人々が多く集まるのを見れば、「天の恩賜にたっぷりと浸り、後代に尊敬される先祖になり、国々になってください!」という思いをもって、喜んで前進しなければなりません。

9 愛はお金よりも貴く、知識よりも貴く、権勢よりも貴いものです。ですから、お父様は、お母様がいなければかわいそうだというのです。お母様は今、アフリカ大会を終え、ウルグアイに移動している途中です。ウルグアイまで行くには、十六時間かかります。お母様がいなければ、地がないのと同じです。いくら世の中に良いものがあるといっても、それが貴いものではないというのです。

男性も女性も、相対がいなければなりません。互いに与え合える相対がいてこそ、下りていっては上がることができ、上がっていっては下がることができます。天地の道理がそのようになっているのです。

10 天宙平和連合祖国郷土還元大会がすべて終わったので、これからは世界的に一元化しなければなりません。それだけが、国家と世界を連結できる最後の私たちの使命です。真の父母の血族として霊界と肉界に責任をもち、地上にいる祝福を受けた家庭と霊界の祝福を受けた家庭が、同じ恵沢圏内で神様に侍り得る時代に入っていくのです。

今までは真の父母に従って、神様に侍るための本然の家庭を求める時でした。家庭を探し出したあとは、天地が父母に侍る侍義時代、侍ることによって救われる時代だというのです。信じる時代ではなく、実践する時代です。今やすべて成就したので、侍らなければなりません。還元時代が終わりました。

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平和大使 二〇〇一年七月三日から十二日まで、韓国の主要十二ヵ都市で開かれた神様祖国定着大会以降、世界平和運動の旗手として平和大使が任命されるようになった。平和大使は、各国の社会指導層の人士はもちろん、多様な階層によって構成されている。平和大使は、世界の隅々に真の父母様の心情を連結する毛細血管のような使命を遂行するのである。

17  神様王権即位式を行ったのちに、神様が「文総裁は、愛する息子の中の息子であり、忠臣の中の忠臣であり、聖人の中の聖人である。王権を樹立したのであれば、王座に上がらなければならないが、その場はどこか」と言いました。そのような場がないことが、神様には悲痛なのです。神様の息子として、本来立つべき位置に立てていないことが、唖然とするというのです。神様のそのような立場を知っているお父様も、神様王権即位式一周年記念礼拝で、祈りながら神様に「申し訳なく、恥ずかしい限りです」と申し上げました。地球星を一つにし、霊界を一つにし、神様の王権を樹立してお迎えしなければならないのに、そのようにできていない環境で、霊界に送った責任者である息子と地上の父母様が一つになり、霊界と肉界を生かそうと総動員命令をして教育しているのを見るとき、神様も面目が立たないのです。

神様が「私に天上世界の解放圏をもって王権即位式を捧げてくれたその息子が、今も悲しみの場所を歩いており、夜道を歩いているのに、その道に明かりをともす国がないことが恨である」と言われるというのです。神様のこの恨を解いてあげられる代表者が、天の国の平和大使です。天の国の密使です。

18  平和大使は、天の密使です。密使は、前線に出ている最高の全権大使、特権大使と同じです。平和大使は王を身代わりします。彼が決定したことは国家全体を代表するものとみなすため、密使なのです。国家の秘密を誰にも通報することはできません。平和大使は、特権大使よりさらに高い立場です。ですから、王宮にも行き来できる権限をもつのです。

19  平和大使たちは、これから一つの公的な名義を守らなければならない責任をもっています。神様の祖国光復のみ旨と、故郷光復のみ旨を知る一人の師として、最高の位置に行って、すべての国を最後に整理しなければなりません。整備ではなく整理です。そのように、国を整理できる責任が、平和大使の重責を担った人々にはあるのです。

特に、国家の最高指導者たちに、天の憲法を扱える指導者として、教えてあげなければなりません。言い換えれば、その国に万王の王、分捧王という王権を身代わりした大使として行き、これを教えてあげなければならない責任があるというのです。平和大使は天使世界を代表する責任者なので、所有権をもって行くことはできません。すべてのものをきれいに天のみ前にお返しし、いかなる所有権ももたない公的な基準で行かなければなりません。

20  平和大使たちは、自分の勢力基盤よりも天のみ前に忠誠を尽くし、天国に直行できる道を行かなければならないことを教えてあげるのです。平和大使の召命的時代が来たというのです。特に、平和大使たちは、絶対「性」を完成しなければなりません。エデンの園で先祖たちが絶対「性」を守ることができずに堕落した、その根を抜いてしまわなければならないというのです。

21  この地の平和大使は、天使世界のことを意味します。これは、堕落したルーシェルの兄のような立場であり、親のような立場です。地上で真の父母と絶対「性」を中心として解放の土台を越えましたが、霊的世界が二分されています。霊界にいる天使世界と神様の新しい世界が分かれているのを、連結させなければなりません。その中間に現れたのが平和大使たちです。

この分かれたものを一つにしなければならないというのです。そうして、地上で絶対「性」によって築かれた家庭と全世界が一つの家庭の土台に従う伝統によって一元化された世界になれば、サタンまでも屈服するようになるのです。そのようにして、平和大使は天使世界と霊界を一つにしなければなりません。

22  平和大使たちは、天使長ルーシェルの兄のような役割を果たし、父のような役割を果たさなければなりません。ですから、政治世界の根本を中心として、正さなければなりません。それをするために、私たちが準備したのが「教正堂」です。「教正堂」は、教えて正しい家を造るのです。そこに入って教育を受け、様々な種類の組織を再びつくらなければなりません。このために、国連軍(平和軍)が再び現れなければなりません。そのようになれば、国家の軍隊がなくなり、国連軍が現れるのです。国連軍が、代わりにその役割を果たさなければなりません。

23  父母様がソロモン諸島に、自由世界の海洋圏平和大使本部を造るための準備をしています。日本は島国ですが、オセアニアに属さず、、アジアに属しています。台湾も島国ですが、アジアに属しています。その次に、フィリピンも太平洋の真ん中にありますが、アジアに属しています。インドネシアも太平洋の中で一番大きな国になっていますが、やはりアジアに属しています。この国々を、父母様が一つにするための運動を今までしてきたのですが、大会を終えて、新しい島嶼世界の総合的な平和大使本部を造り始めています。ソロモン諸島にオセアニア平和大使本部を造ろうと思います。これらの国を一つの国にしなければなりません。

24  幼稚園に通う平和大使もいなければならず、小学校と中学、高校、大学、大学院に通う平和大使もいなければなりません。神様の代わりに、父母様が数多くの国に平和大使を立てて祝福したのと同じように、皆さんも父母様の代わりに、そのようにしなければなりません。平和大使がいる所は、どこでも行く先々で歓迎を受けられる基盤をつくればよいのです。そのようにして祝福が終われば、地上天国になり、解放・釈放の世界になるのです。

25  幼稚園児たちまでも、平和大使にしました。今や、二世を中心として行うのです。二世時代です。平和大使の息子、娘まで平和大使になれば、現在の二倍になります。彼らは天使長(の立場)であり、その家庭の息子、娘です。皆さんはアダム家庭の国連大使と同じなので、彼らを教育して、逆さまに引っ張って、飛んでいかなければならないというのです。ですから、幼稚園児、小学生、中高生、大学生、そして、大統領まで平和大使にしておけば、新しい世界が開かれるようになるのです。

「国連平和軍聖戦追慕連合会」、「平和軍」、「平和警察」 真の父母様は二〇〇四年十二月十三日、アメリカのワシントンDCで、六・二五動乱に参戦して世界平和と自由の大義のために生命を捧げた国連軍の将兵たちをたたえ、その犠牲の価値を広く知らしめるため、「国連平和軍聖戦追慕連合会」を創設された。そして、二〇〇六年六月十二日、「天宙平和連合平和軍・平和警察」の出征式を主宰された。真の父母様は、その場で彼らに対し、「人体の白血球と赤血球が、外部から病原菌が侵入するのを退けて健康を維持するように、世界の平和を守り抜く警備隊の責任を果たさなければならない」と語られた。「平和軍」と「平和警察」は、真の父母様の思想を中心として組織された平和共同体を守り、保護しながら教育する役割を担い、特に、サタン世界に浸透した悪の文化を浄化して、善の文化を定着させる使命をもっている。

26  天の国の「義勇軍」と「義勇警察」をつくるため、「国連平和軍聖戦追慕連合会」を創設しました。六・二五動乱に参戦した国連の十六ヵ国の在郷軍人が、ここに加わることができるのです。十六ヵ国に軍人たちがいるとすれば、その軍人たちは、参戦して戦死した人々の後継者になります。彼らをアベル、参戦した在郷軍人をカインとして、彼らを束ねてあげるのです。

27  「平和軍」をつくらなければならず、「平和警察」をつくらなければなりません。六・二五動乱のとき、十六ヵ国が参戦しました。六・二五動乱は、神様がサタンと闘った戦争です。聖戦だというのです。国連とアメリカが一つになり、韓半島の統一のためにやって来て、途中で失敗して帰ったので、これを収拾しなければなりません。それで、二〇〇五年七月二十六日に、「国連平和軍聖戦追慕連合会」の大会を行うのです。

28  韓半島の聖戦で戦死した勇士たちを中心として、「国連平和軍聖戦追慕連合会」という組織をつくり、生き残った人々を束ねようと思います。そうすれば、世界的な規模になります。各国の外務大臣や国会議員たちを立てて、「平和軍」をつくる前に、平和大使をつくることができます。

平和大使をつくれば、「平和軍」であると同時に、「平和警警察」になるのです。この人々は、軍隊に行っても教育することができ、警察に行っても教育することができます。その国の軍隊教育と警察教育まですれば、自然に「平和軍」、「平和警察」にまでなるのです。これは国境を超越しているので、どの国でも、闘争的概念を克服することができます。イスラエルとアラブ圏が今も戦争をしていますが、それを止めなければなりません。

29  二〇〇五年十月二十日、「天宙平和連合」創設記念世界巡回大会の当時、ウクライナで「平和軍」と「平和警察」の創設を宣言しました。ソ連が、相当な量の原子爆弾をウクライナに持っていって貯蔵しました。この爆弾があれば、世界を滅ぼせるのです。ボタンさえ押してこの原子爆弾が爆発するようになれば、その膨大なものが熱を放出し、数十里内にある第二の原子爆弾の基地の二つか三つだけが爆発しても、人類が滅亡するというのです。そのような危険千万な世界に私たちは生きています。ですから、聖書で強調しているように、早く武器を農機具に作り替えなければなりません。

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アベル国連と国連刷新の方向性 真の父母様は、世界平和は自国の利益だけを代弁する既存の国連では不可能であると考えられ、「超宗教指導者たちを中心とした上院を置く組織に改編しなければならない」と語られた。既存のカイン圏の国連を補完するアベル国連の創設を提唱されたのである。そして、二〇〇七年九月二十三日、アメリカ、ニューヨークのマンハッタンセンターで、元国家首班など、会員国の代表千二百人以上が参加する中、アベル国連創設大会を開催された。真の父母様は、カイン国連と対比されるアベル国連として、女性国連、青年国連、学生国連、宗教国連などを提示された。そして、特に、真の父母の心情をもち、真の父母国連をつくって人類を抱くとき、地球村一家族理想の具現が早まると考えられたのである。真の父母様は、二〇一二年七月十六日、京畿道加平郡雪岳面の清心平和ワールドセンターにおいて、アベル女性国連を創設された。

15  今から、私がアベル国連をつくります。「世界平和島嶼国家連合」、「世界平和半島国家連合」、「世界平和大陸国家連合」までつくりました。ここに加入した国の指導者たちが、「国連を信じないで、私たちがアベル国連をつくりましょう!」と言えば、世界はどこに付いていくと思いますか。

その目的は、青少年と家庭を教育することです。世界を生かさなければなりません。そのように教育することによって、平和が広がるのです。政治をするのではなく、教育をするのです。

16  アベル国連を宣布しなければなりません。迫害があっても何があっても、アベル国連の旗を掲げて立ち上がるのです。天下の津々浦々で、主人のいなかった所に主人が一時に現れ、主人を嫌う人々を連れて峠を越えていくのです。そうして、天国に行けるようにする訓練場に放り込むのです。今や、命令を聞かざるを得ません。そのように広く、大きな門を開いておき、歓迎してもてなす、そこに入ってきて修練を受けなければならないというのです。

17  世界を収拾できる人は、お父様しかいません。お父様が数年間でそのようにしたのではありません。神様が数千年前から計画してメシヤを送られたように、再臨時代を見つめながら、その準備をしたのです。ですから、世界がお父様を否定できません。霊界までコントロールするのです。そのように完璧な準備をしたあとに、国連を収拾するのです。お父様は、国連やヨーロッパの先進国を通してアジア全体を動員し、その準備をしています。それが終われば、アベル国連が現れるのです。

アベル国連は、第二次世界大戦の時に世界が一つになったのと同じような新しい世界を中心として、宇宙を越え、神様をお迎えする団体になるのです。ですから、十分な準備をしてあげれば、一つの方向に収拾されて、世界が天宙と共に一つにならざるを得ません。

18  これからはアベル国連が必要です。アメリカが(このまま)じっとしていることはできません。日本と韓国、中国、ロシアも、じっとしていることはできません。ですから、アベル国連の決定的な基盤を築かなければならないというのです。それを築こうとすれば、最も効果的な所はアメリカのワシントンDCではなく、ヨーロッパのスイスにあるジュネーブです。

スイスは小さな国です。政府の体制も、連合的な責任者たちが一年ずつ責任をもち、交替しながらうまくやっています。「いやあ、このような所もあるのだな!統一教会員たちも学ばなければならない。そして、訓練場所に適した所がここだ」と思いました。

これまで、交叉結婚をして連合体制をつくることができる所、そのような主人になれる所を探し求めていたのですが、ジュネーブがそのような所です。怨讐関係にある人々も、額を突き合わせ、互いに挨拶をしながら生きているというのです。ですから、交叉結婚さえすれば、本当に一つの家族になるだろうと感じました。

19  アベル国連は、カイン国連に対して闘争を仕掛け、打ち倒すのではなく、精誠の限りを尽くして、付いていかざるを得ないようにしなければなりません。今、国と国がすべてカインとアベルの二つの群れになっていますが、カインは、アベルである天の一族に付いていきながら、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして万物を造ったその基準の上に上がらなければなりません。

統一教会よりもさらに忠誠を尽くさなければならないのがカイン世界です。カイン国連がせざるを得ないのです。今までどれほど誤っていたかを理解し、アベルのために血を流しながら、アベル個人時代、アベル家庭時代、アベル氏族時代、アベル民族時代、アベル国家時代、アベル世界時代まで、ために生きなければなりません。

唯物論者や共産主義者たちが現れて、「神は死んだ。神はいない」と言いながら、唯心世界を追い出そうと、ありとあらゆることをしました。しかし、追い出すことはできませんでした。それを防ぐ父母様がいるので、できなかったのです。それを真の父母が来て収拾したので、真の父母の血統をそのまま受け継ぎ、未来の国家と世界がさらに繁栄できる起源をつくらなければなりません。皆さんの家庭がつくらなければならないのです。

20  私たちは、各国から国連に派遣された要人たちと一心一体となって、国連に協助すると同時に、彼らから「アベル国連に加入する」という決意文と決意書を受け取らなければなりません。

父母様は、アベル国連とすべての平和機構を中心として、韓半島に平和地域をつくるための準備をしています。北朝鮮の困難な情勢を鎮めるためには、早急にアベル国連を韓国につくらなければなりません。そうすれば、韓国と北朝鮮の境界線全体が、全世界の国々が保護できる地域になるのです。

21  アベル国連をつくらなければなりません。これを、板門店の平和地帯内に設定するのです。父母様は、第三イスラエルである韓半島に立てることを準備してきました。

その最後を締めくくるためのものが、二〇〇三年八月十五日「世界平和のための頂上会議」で発表したソウル平和宣言、すなわち第三イスラエル宣言です。第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルが定着する時代なので、アメリカまでもそれに協助し、周辺国家も協助しなければならないというのです。

22  アベル国連とカイン国連を一つにしなければなりません。そうして、平和国連を中心として、統一的な大家族を拡張した一つの国家形態の世界に戻ってこそ、地上・天上天国が成就されます。アダム時代の、堕落の痕跡がない愛の定着時代を、世界の頂上の位置で回復して合わせる場なので、天地の解放圏時代になるというのです。

23  アベル国連の設定は、カイン国連を包摂するためのものです。今、国連自体が私たちに反対していますが、知らないのでそのようにしているのです。

私たちは、国連の行く道を保護しなければなりません。アベル国連が兄の立場に立って、父母様がもったすべての権限を譲り渡すことができ、兄のものまでも譲り渡すことができる心さえもてば、一瞬にして世界的なものになるのです。そうして、その峠を越える活動をして、平和国連を設定しなければなりません。

平和国連というのは、一つになったものを意味します。「国連」という言葉には国家という概念が存在しますが、「アベル国連」という言葉には、国家の概念、国家連合の概念はなくなるというのです。ですから、平和統一世界に越えていくのです。

地上には国が一つでなければなりません。今、世の中には王権の制度もありますが、大統領制もあります。サタン世界の王権が倒れて兄弟時代に入り、今や家庭を中心とした王権時代から、国家・世界・天宙王権時代に越えていくのです。そのため、平和王権世界を望む統一教会のすべての制度は、これからアベル国連圏に入っていくのです。

24  平和国連は、カイン国連とアベル国連が一つになったということです。カイン国連は、既に無力な国連になりました。神様のみ旨の中で、世界に平和の基準を立てられる条件がありません。そのような時が来たので、初めてカイン国連とアベル国連が一つになった平和国連が現れたのです。カインとアベルが一つになり、真の父母を中心として、滅びる国連ではなく、世の中を救い得る国連の位置に来たので、平和国連が現れるのです。

25  国連というのは、遠い国のことではありません。「私の国」です。その上に「私」が立たなければなりません。国連の主人です。アダムとエバが国連の主人です。神様もそうです。その位置に上がらなければなりません。

平和国連を父母様が主張していますが、皆さん各自のものとして受け入れなければなりません。父母様が苦労してサタン世界に自然屈伏の環境をすべてつくったので、そのつくってあげた環境に秩序を立て、自由平準化させて幸福の礎となり得る世界の代表機関をつくらなければなりません。それが平和国連です。天の国にある王権の中心基盤です。それを父母がつくったのではなく、自分がつくったと考えなければなりません。自分のこととして受めなければならないというのです。

26  平和国連のためには、まず家庭が結束しなければなりません。家庭がなければ、サタン世界のカイン国連基盤を対等の立場で越えていくことができません。ですから、家庭が連合した国家形態がなければなりません。単位が家庭だというのです。それゆえに、祝福家庭、世界の家庭を中心として、国家を越えた基準で平和国連を立てたというのです。これは、驚くべき事実です。

27  アベル国連は、父母国連にならなければなりません。カインとアベルが一つになって、統一されなければならないのです。和合、統一、平和が実現されなければなりません。和合できない人は、統一がありません。そのような意味で、アベル国連ではなく、父母国連にならなければならないのです。父母国連の王が真の父母です。

28  これからカイン国連時代を通過し、アベル国連時代を通過して、真の父母国連の時代に越えていくのです。二つの国連が闘う時代ではありません。真の父母を中心とした、新しい平和統一のための真の父母国連時代です。

29  今や個人から全世界が父母国連を中心とした、新しい世界に越えていかなければなりません。その時は、天の国の法が出てこなければなりません。憲法時代に人るのです。法のない暮らしをして、自分勝手に行動していた時代では駄目です。

ですから、それを実践しなければなりません。父母様が歩んできたその道を中心として、皆さんも同じ歩み、同じ峠を越えて、同じ世界に入らなければなりません。開門した天国の世界で、地獄の門と天国の門の二つの門ではなく、一つの門に決定されるのです。

30  今や、カイン・アベル国連ではなく、父母国連の時代に越えていかなければなりません。父母国連は、カイン・アベル国連を知ってこそ、父母国連の役割を果たすことができます。その教育を今、始めました。

ですから、責任分担解放・釈放圏宣言教育です。責任分担解放圏宣言を教育しなさいというのです。それゆえに、神様が神様の役割を果たし、真の父母が真の父母の役割を果たし、神様と真の父母と一つになって、真の家庭の役割を果たすことができるのです。真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界に進むことができます。

真の父母様の「真の愛平和統一祖国光復」は、「父母国連天国の国実現」だということです。その一言に、すべてが含まれます。神様の祖国がありませんでした。真の父母様が探し求めている平和統一祖国光復は、真の父母様の国連天国です。その国のために、総動員しなければなりません。

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12 お父様が創設した言論機関が、共産世界の言論界が問題視するほど大きくなりました。「ワシントン・タイムズ」をつくり、「世界言論人会議」を開催し、言論人現地調査活動を始めました。このようなすべての活動によって、今、言論界がお父様の影響圏に入ってくることのできる段階になったので、共産世界が極度に脅威を感じています。

そうして、一九八四年五月十二日にアメリカに来るやいなや、直撃弾を撃ったのです。アメリカの歴史に、このようなことはありませんでした。共産勢力と組み合って闘ったのです。彼らはありとあらゆる非難の言葉を私たちに浴びせました。しかし、普通の団体であれば、当然なくなっているはずなのに、そのような悪宣伝の中でも、大きくなってきたのです。

13 「ワシントン・タイムズ」を中心に、「世界言論人会議」や言論人現地調査団活動を通して、世界の言論界に新しい方向を設定できる基盤を築いておきました。共産世界も最も問題視し、また、アメリカで進歩主義的な傾向をもつ言論機関が最も問題視しているのが、お父様の言論機関です。

このような言論機関をもっていることによって、世界の情報に関して最先端のあらゆる秘密が私たちのものとして入手できるのです。今の時は、情報戦争時代です。そのような世界で私たちが一つの基盤をもち、対処しているという事実は、驚くべきことです。

14 「ワシントン・タイムズ」が、レーガン・ドクトリンに多くの影響を与えました。それがなかったならば、ソ連の改革、開放は成功しなかったでしょう。そして、「ワシントン・タイムズ」は湾岸戦争の時、キリスト教とユダヤ教が分裂してはいけないと主張しました。結局、宗教戦争が起きれば人種戦争になり、人種戦争が起きれば数多くの白人たちの命が失われるのです。仏教と儒教は東洋圏の宗教であり、キリスト教は西洋圏の宗教なので、人種戦争が起こるというのです。

15 言論人たちは、普通の人たちと違います。世界の言論人たちがソ連を訪問するとき、当局では「自分たちが案内するとおりに付いてきなさい」と言いましたが、その言論人たちは、「ばかなことを言ってはいけない」と言いました。記者たちが、彼らの案内するとおりに付いていくわけがありません。連れて歩いてみれば、塀を登って越えたりして、三分の一はどこかに消えてしまいます。みな、周辺を駆け回りながら取材をし、完全にソ連の封鎖的政策の背後を暴露するのです。

それで、ソ連政府は、「大変なことになった。このようなことはあり得ない」と言うのですが、「それはうそだ」とは言えないのです。見て語ることだからです。言論人たちがソ連を一度訪問してからは、左寄りから右寄りに回ってしまいました。「ソ連は偽装作戦を行って人類をだましている。理論自体もそうだ。政治体制を通して、七十年歴史の背後がそのような偽装戦法によってできている。人類をだまし、国々をだまし、侵略して独裁基盤を世界につくった」ということをよく理解したのです。ですから、彼らは今や、これ以上行く所がありません。保守派を今までたたいてきたのですから、仕方ありません。お父様に付いてくることになるでしょう。

16 お父様は、世界の言論界を通して、モスクワにまで「言論人現地調査団」を投入しました。ソ連を引きずり出せるほかの道はありません。ソ連が政治局を中心として自由世界を上下に攻撃してくるのですが、それを防げるものは何もありません。もしお父様がいなければ、大変なことになるでしょう。共産勢力は、一九八四年までに世界赤化が可能だと考えていました。それをお父様が知って防いだので、ついに彼らは降参したのです。

ソ連を引きずり出すには、言論界を通じる方法以外に、ほかの方法がありません。ソ連自体が言論人たちを動員して、外交的に接触するための門戸を開放しているので、これを通して逆襲しなければならないのです。それで、お父様は「世界言論人協会」を創設し、ソ連に対して今まで十五年以上、活動してきました。言論を動員するしかありません。

アメリカには新聞社が千七百ほどあります。今までは、これらの言論社がソ連の外交政策に歩調を合わせてきました。ですから、アメリカは言論のゆえに崩れるのです。大統領選挙のときも、背後に集まって世論を自分たちの思いどおりに操作します。そのようなことに、お父様がブレーキをかけ始めたのです。そのようにして、今に至っては、すべての秘密世界を打ち砕く作戦を行うのです。それで、「言論人現地調査団」という記者団を構成して、世界の至る所に派遣するのです。

17 保守世界の王者の立場に立って、保守世界を復活させなければなりません。お父様が夢見た世界が、今、目の前に開かれました。ですから、「世界言論人会議」を始めて、今まで率いてきたのです。神様を中心とした世界の版図をつくっていくべきその道で、世界のトップたちを束ねつつあります。世界のすべての分野で「代表だ」と言える王者の位置に上がろうとしているのです。

ですから、私たちか百八十五ヵ国に新聞社をもつかどうかが、世界の多大な関心事です。また、百八十五ヵ国で有線テレビ改送奇をもつことも同じです。インターネットを束ねることは、自動的に可能です。その次に、束ねた事実を政治体制に連結させる道が必要です。流通路が必要なのです。情報を通して、そのような流通路をつくることが、私たちの急ぐべき課題です。

それにより、世界を頂上で指導できる道がつくられるのです。そのため、情報と報道の体制を世界的な基盤の上に設定するために、言論機関と有線テレビ放送局とインターネットを連結するのです。そのようになれば、私たちが主張したい内容を一気に伝えることができ、一ヵ所から世界に出ていくのです。

第二節 日本の「世界日報」とアメリカの「ニューズ・ワールド」 日本の「世界日報」 真の父母様は、日本で国際共産主義の脅威に対処する必要性を切実に感じられ、一九七五年一月一日、総合日刊紙「世界日報」を創刊された。

特に、「世界日報」は、冷戦時代の反共の旗印として、先頭に立って共産主義の脅威を警告し、冷戦終息以降は、自由と人権という人間の基本価値を守ることに力を注いだ。「世界日報」は、新聞やテレビなどの左翼系マスコミを批判し、責任ある報道を目指した。

1 これから、言論界に対して私がブレーキをかけなければなりません。何をもってかけるのでしょうか。私が言論機関をつくって、独自的な面から攻めていくつもりです。

この世界を滅ぼすのは言論界です。言論界が共産主義の手先になっています。遠くない将来に、「ニューヨーク・タイムズ」以上の新聞社を私が造ります。今、日本で日刊紙を創刊する準備をしています。共産党を早く凌駕しなければなりません。アメリカでもすることができます。私が命令さえすればよいのです。

今、新聞社にとって大変なことは、配達問題です。新聞を配達しなければならないのに、配達する手段がないために、次第に消えていくのです。私たちはこれから、いかなる新聞社よりも良い組織を備えることができます。「地方まで走りなさい」と言えば、走っていける基盤をもっているのです。

2 日本の私たちの日刊紙が「世界日報」です。一九七五年一月一日に創刊したのです。四ヵ月前から新聞の発刊を準備させました。四ヵ月前に、「新聞社を始めるから準備しなさい」と言ったのです。彼らは、新聞社を見たことがあるでしょうか。見てもできないのに、これをどのようにするのかというのです。ですから、最初は誰もが、「いやあ、どうするか」と言いました。しかし、「一九七五年一月一日に新聞が出なければならない」と、お父様が厳命を下しました。

そうしてついに、「世界日報」が出発したのです。創刊当時、人々は「日刊紙を作るというが、何ヵ月もつだろうか。六ヵ月ももたないだろう」と言いました。しかし、一年半が過ぎましたが、滅びることなく完全に体制を整えました。もはや完全な体制に入ったというのです。

3 私が日本の各地域に責任者を置き、「『世界日報』を毎日無料で分けてあげなさい」と言いました。誰にでも、いつでも無料で分けてあげなさいというのです。ですから、どれほど有り難いでしょうか。

その次に、「あなたたちには新聞を無料で差し上げます。広告を出すものがあれば、私たちの新聞に出してください」と言うのです。その地域全体、東京のある地域であればある地域全体のニュースを新聞に出してあげるのです。そして、広告を出せば、その圏内にある家はその広告を見るので、有名な新聞に広告を出すよりも、もっと効果的でしょう。

4 「世界日報」をつくっておいて、国際言論人指導者大会を始めました。初めての試みでしたが、成功しました。日本の左翼新聞の代表者たちまでも、「その会議は本当におもしろい会議であり、成功を収めた会議だった」と言いました。しかし、一方では「レバレンド・ムーンがこれをするのだから、間違いなく世界的に言論界を二つに分けることになる」という評価をしています。そこに参加した人々が驚いたのは、「世界日報」をお父様がやっているという事実です。

5 お父様は「統一思想」を中心として、世界的に経済とマスコミ、大学を動かせば、世界を動かせると考えています。皆さんは「世界日報」の記者という肩書をもっていくのです。皆さんを各分野で調査をしながら回るようにさせるつもりです。また、アメリカで働いている人も、特別な資料があれば、日本の「世界日報」に送るのです。そうして、日本の「世界日報」さえ定着できれば、アメリカの若者と日本人を訓練させ、世界の各地域で新聞社を造ることができます。そして、百三十ヵ所にニュースを供給できる通信社を造るのです。そのようにしなければ、共産世界から、言論基盤を中心として宣伝して入ってくる道を防ぐすべはありません。

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第二章  「世界言論人会議」と言論媒体の創設 第一節   「世界言論人会議」 言論の役割と責任 真の父母様は、心情文化世界の実現のため、言論媒体の重要性について語られ、多くの投資をされた。特に言論は、立法、司法、行政の三権に続く第四権力であり、世界平和の実現と自由民主体制の守護者としての使命が大きいことを強調された。このため、真の父母様は言論媒体を設立され、「世界言論人会議」を創設し、積極的に支援されたのである。

1   私は、四権主義時代を主張しました。立法、司法、行政の機関を越えていける主導的な役割を、第四権力である言論が果たさなければなりません。お父様は以前から分かっていました。それは、言論界しかないと考えたので、お父様は困難を顧みず、言論機関を創設して、世界の頂上の位置に上がってきたのです。アメリカで最高の中心の位置に立っているのが「ワシントン・タイムズ」です。

2   これからは、第四権力として、世界の言論機関を束ねて方向を提示しなければなりません。そのようにしなければ、世界は行く道がありません。そのために、お父様がずっと以前から準備してきました。言論を通して、神様と霊界を中心に、現在の生活と比較しながら正しく教育をするようになれば、人本主義思想や物本主義思想はすべて壊れていきます。フリーセックスやホモなどというものが完全に消え去るというのです。ですから、教育をしなければなりません。

3   今から世界は、三権時代が過ぎ去ります。第四権力である言論を中心にして、世界を正さなければなりません。お父様は、既存の「世界言論人会議」のことを考えているのではありません。大革命的なものを提示しなければなりません。ですから、「超世界言論界連合韓国大会」をしなければならないのです。超世界言論界連合の「超」とは何でしょうか。霊界を知らなければなりません。神様を知らなければなりません。神様を知って、霊界を知れば、世界の共産主義問題、政治問題がすべて解決されるのです。お父様は今まで世界と闘いながら、言論界の基盤を築きました。

今や「ワシントン・タイムズ」は「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」が問題ではありません。私たちが行く方向に合わせざるを得ないのです。この前、ロンドンの「世界言論人会議」で、「ワシントン・タイムズ」が保守系の主役を担ってほしいという要請を受けました。インターネットではトップの位置に上がってきています。そこにUPI通信まであるので、今や内外の内容を完全に備えました。

4   四権時代には、すべての面で私たちが方向を定めてあげなければなりません。その方向を定めることは、国ではできません。国連でもできません。言論界がしなければなりません。

韓国で、言論機関が選挙問題を左右するのを見てもそうです。言論界を悪用すれば、世の中を滅ぼしかねないのです。公正な立場で世界を指導するためには、天を背景にしなければなりません。宗教の世界的指導圏を背景にしなければ、世の中を滅ぼしかねません。ですから、言論という第四権力を中心として大会を行うのです。

5   今後、世界を何によって指導するのでしょうか。大学でもできません。政策でもできません。軍事力でもできません。それは、既にすべて実験済みです。共産主義でもできず、民主主義でもできません。四権時代を迎え、言論は共産主義について暴かなければなりません。正しいか間違っているかについて、言論界が掘り下げて調べる際に、答えられなければ退かなければならないのです。民主世界も同じです。言論界以上に短期間のうちに検証できる実力基盤をもったものはありません。言論はそのような力をもっているので、正しい言論機関にならなければならないのです。

6   現在のアメリカは、リベラルな人たちが三権の大部分を支配しています。第四権力の言論機関も同じです。アメリカに千七百以上の言論機関がありますが、「ワシントン・タイムズ」が彼らと闘っています。今や、千七百以上の言論機関の中で、三分の一が私たちに付いてくる環境になりました。「ニューヨーク・タイムズ」も、昔は統一教会のことを悪く報道し、「ワシントン・ポスト」も自分たちの思いどおりに報道しましたが、今や体制が変わりました。政府もそのようにできず、リベラルな側もそのようにできません。彼らが歪曲して報道したことが公になったのです。

「世界言論人会議」と言論人現地調査団の派遣 第一回「世界言論人会議」が、一九七八年十月十九日、アメリカ、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで開催された。「世界言論人会議」は、全世界の主要な言論機関の発行人、編集者、論説委員、記者、言論学者など、言論界の人士たちが参加する中、言論の責任と役割について議論し、真の言論像を確立するために毎年開かれた。特に、第十一回「世界言論人会議」は、一九九〇年四月九日から十三日まで、六十五ヵ国六百人以上の代表が参加する中、ソ連のモスクワで開催され、真の父母様は、四月十一日、クレムリン宮殿でゴルバチョフ大統領と、韓ソ関係の新たな幕を開く単独会談をされた。一方、真の父母様は、世界の言論人によって構成された言論人現地調査団が言論の死角地帯を取材できるよう、支援された。

7   アメリカで私たちを中心として、内的な環境と外的な環境が備えられてきたので、新聞社を造りました。新聞社を造るやいなや、四十の大新聞社の編集局長たちと発行者たちを、モスクワに訪問させました。これが大きな問題になりました。自由世界、民主世界で有名な「ワシントン・タイムズ」の代表であるお父様がこのようなことをしたと言って、ソ連では相当に敏感な反応を示しました。このような環境を中心として、これから言論界を動員し、頂上会談を開催しなければなりません。

そして、先進国では、ドイツならドイツ全体の省庁が二十あれば、その二十の省庁に対して取材団をつくらなければならないというのです。このようにして、ヨーロッパ全体の利益を追求させるのです。ヨーロッパ地域の一つの国家が、ヨーロッパ地域の平和のために進むに当たって支障となる政治風土を改善する運動を行い、成功すれば、他の国々まであとに続きます。このように、言論が取材し、紹介をすれば、有名な言論人たちが間違いなく糾合されると考えるのです。

8   私は「モスクワ大会」を宣言しましたが、モスクワに行くようになれば、ソ連の言論に質問をして攻撃するつもりです。共産主義について、何でも質問するのです。そして、「私が質問することに答えなさい」と言います。

そのようにしておいて、ソ連の言論界の代表と自由世界の言論界の代表が、アメリカの大統領とソ連共産党の書記長による頂上会談を取り持つのです。ですから、言論が必要です。既に言論が世界をコントロールできる時代になってきました。それで、そのような世界的な責任者たちを教育するために、今まで「世界言論人会議」をしてきたのです。

9   言論機関は、公正な立場で国民たちを日々、指導できる体制を備え、それが一つの目印となって、正しく選別してあげなければならないのですが、この言論機関自体が利益を追求しています。自分の会社の利益を追求した結果、社会の利益を無視し、それ自体の利益をより重要視するようになって、バランスが取れない段階に入ってきました。そして、背後では政治的に悪用され、お金さえあれば、思いどおりに動かすことができるというのです。ですから、社会の公的機関としての指導的な体制を備えて、いつでもバランスを取れるようにしなければならないのが、正道に立った世界的な言論機関です。

その次には、情報問題です。ソ連は、アメリカや自由世界に不利な方向を標準として、情報を収集します。今、ソ連と民主世界の政策樹立者たちが対峙している状況では、絶対にこれを是正することはできません。共産主義は、共産主義絶対理念の標準のもとで、共産主義の利益基盤の拡大を通して、自由世界の基盤を弱体化させようとしています。

情報の偏りを正してあげるのは道義的な教育です。ところが、今、道義的な教育をすることができません。ですから、影響を与えることができる世界的な言論人たちが一つになって、アメリカやソ連が自体の利益を中心として進んでいくことに、ブレーキをかけなければなりません。そのように世界に公布して、そのバランスを取ることができる方法で宣伝しなければならないのですが、それができずにいます。それが問題です。それで、私が言論界を教育しているのです。それが「世界言論人会議」です。

10  私は、アメリカで「ワシントン・タイムズ」を発行しています。アメリカに保守的な日刊紙がなければならないというのです。一九八二年の創刊以降、五年が過ぎましたが、今やアメリカで四大日刊紙の一つになり、世界的には唯一、世界の人たちの希望の新聞になりました。今、「ワシントン・タイムズ」が日刊紙として信望を集められるレベルに入ってきました。

また、今まで私は「世界言論人会議」も行ってきました。一九八七年九月二十日、数百人が集まる世界的な大行事をソウルで行います。このようにして、世界に方向を提示していくのです。ですから、この国際的な集まりに反対していた極左も、今に至っては、ここに加担しなければならない段階に入ってきました。そのようにしなければ、孤立するのです。今は、世界がそのように動くというのです。

11  科学の世界では、必ず結果を追求していくので、その原因と結果が一致しなければならないと言われます。これに相反する価値ある存在、価値ある実存はあり得ないというのです。そのようなものを追求し、神様の絶対的な基準を立てておいて、その基準と人間の思想的全体基準を連結させなければなりません。これが今、学者たちがしなければならず、宗教家たちがしなければならず、政治家たちがしなければならず、思想家たちがしなければならず、あらゆる分野の世界で先頭に立った人たちがしなければならないことです。

そのような意味で、私は思想的基準を中心として、言論人たちを社会の道義的な教育センターに束ね、方向性を提示するのです。中国人が見つめる方向と、アメリカ人が見つめる方向、フランス人が見つめる方向、ドイツ人が見つめる方向、ソ連人が見つめる方向が異なってはいけません。すべて一致した方向性をつくっておかなければなりません。それを私が、この世界でつくっておこうとするので、言論機関を中心として学者たちを束ね、指導させるのです。

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真の父母経 第246話

13 「世界平和教授アカデミー」を中心として、アジアの学者たちが力を合わせれば、アジアを代表する新しい百科事典であろうと何であろうと、作ることができます。ですから、多方面でやることが多いというのです。そのような意味で、教授の皆さんが一心同体になって協助できるなら、微力ながら私のもてる力を尽くして、皆さんの背中を押そうと考えています。

皆さんがそのような研究をするためには、研究室や会館も必要でしょう。ですから、私がそれを用意しようと考えています。しかし、皆さんはアジア的な主体性に責任をもつことができるでしょうか。日本の教授たちを教育することのできる、その何かをもっているのかというのです。ですから、「統一思想」や「統一原理」などをまず準備しなさいというのです。そうすれば、彼らを完全にリードしていくことができるのです。

14 今、一番問題になっているのが、二世です。二世、大学生たちを収拾しなければなりません。大学を収拾しなければならないというのです。これをしなければなりません。それで、私が教授たちを連れてきたのです。今や、世界の大学を指導する人々を、国家体制を中心として、南北統一の時代が来る際には、先頭に立たせなければなりません。彼らが先頭に立たなければならないのです。

二世をつかみ、お父様のように涙を流して、南北統一の思想を共有するのです。それで、私がその基地を教会につくってあげます。面の責任者になって、そこにいる中学・高等学校と小学校の先生たちを前にして、涙を流しながら愛国思想を植えてあげなさいというのです。そのようにすれば、南北統一は問題ありません。

教育を受けた人々が行って、郷里を整理しなければなりません。郷土がない人はいません。ですから、郷土学校をつくって、今からこのことをしていくのです。

これは、一時的にやったり、興味本位でやったりしていくことではありません。摂理観に合わせてしているのです。

教えてもらって、蕩減復帰歴史を進めるのではありません。私一人で進めてきたのです。私が理解し、そのようにするので、神様が協叻したというのです。偶然になったのではありません。

15 大学教授たちを中心として、全国の大学を動かし、教授を動かさなければなりません。また、地方の中学・高等学校を動かさなければなりません。その次に、小学校を動かさなければなりません。共産勢力が左翼色を帯びた教材を中心として学校に浸透してくるのを、今までは放置してきました。教育当局が責任を果たせなかったというのです。ですから、何としてでも地方で大学の総長を動かさなければならず、中学・高等学校の校長を動かさなければならず、小学校の校長を動かさなければなりません。

環境的に誰の制裁も受けず、自由に動ける権限をもっている人が教授です。お父様が統と班に郷土学校をつくったのは、この運動のためです。郷土を愛そうというのです。愛国は郷土から始まります。ですから、郷土学校を造って、かわいそうな人々を教育しなさいというのです。自分の血と肉が愛国心に燃えるのならば、夜を明かして村のかわいそうな人々を抱き、涙を流して教育しなさいというのです。

世界議長団の「一二・一八宣誓決意文」 第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」が一九八三年十二月十八日、世界七十二ヵ国の議長団七十数人をはじめとする五百五十人以上が参加する中ソウルのリトル・ンジェルス芸術会館で開催された。この日、真の父母様は、創始者として、「世界平和教授アカデミーと我々の決意」という題名で激励の辞を述べられた。七十二ヵ国の議長団は、真の父母様と共に、「神様の正義の善主権」、「神様のもとの一つの民」、「神様のもと、一つに統一された平和世界」、「宗教による新しい人格変化を受けた人類」、「神様の心情と愛に基づいた新しい文化世界の建設」などの目標を実現するための宣誓決意文を採択した。また、彼らは、十二月十四日から二十三日まで、韓国の八大都市で開催された勝共決起大会に参加した。

16 私たちが一九八三年に勝共決起大会をする際、アメリカのシカゴで「科学の統一に関する国際会議」を終えた教授たちを動員しました。

彼らは十一月二十八日から帰る予定だったのですが、韓国を訪問するようにしたのです。彼らに何をするのか説明もしないままそのようにしておいて、どれほど動くか見ていました。その時、世界に「世界平和教授アカデミー」の七十二の支部があったのですが、その代表たちが韓国に来ました。年末なのでスケジュールがあったにもかかわらず、みな参加したのです。

そうして、その人々を中心に勝共決起大会を行いました。それほどの基盤を学界にもっているのです。

17 一九八三年、第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」に参加した議長団が、勝共決起大会決意文を採択しました。その時、七十二ヵ国の「世界平和教授アカデミー」の議長団が韓国に来て、決意文を採択したのです。そして、彼らを集めておいて、全国八大都市で勝共決起大会を行いました。十二月十八日の決意文は、歴史的な記録です。

今後、歴史時代にこの教授アカデミーが何を誇るのでしょうか。平和世界を建設するとき、世界を指導しようとすれば、資料がなければなりません。ですから、このような資料を私がつくってあげなければならないというのです。

18 お父様は、韓国に南北を統一できる基地をつくりました。アメリカと日本、全世界の運勢を集め、韓国に連結しておきました。今回おもしろかったのは、イスラエルで高い地位にある人がお父様のところに来て、国に影響を及ぼす役割を果たしてくれるように願ったことです。また、アメリカで将来の運命を懸けた運動をしている人々も来て、お父様と一つになって世界の問題を解決することを願いました。その基盤の上に韓国が立つのです。そのようにしながら、全世界の知識人たちを、「世界平和教授アカデミー」を通してすべて集めたのです。世界七十二ヵ国の碩学たちを集め、世界の運勢をもっていって韓国に連結したというのです。

「六・二五動乱」の時、十六ヵ国の国連軍が韓国統一のために闘いましたが、統一させることはできませんでした。しかし、今日、全世界の自由世界の国民たちが一つになって総結束し、統一成就のために協助しなければならない世界的時代に入ってくるというのです。ですから、この七十二ヵ国の学者たちが韓国に行って、勝共という命題の前に宣誓して決意したことは、歴史的な事実です。

19 一九八三年に韓国で開催された「世界平和教授アカデミー世界大会」は、イスラエル民族の中でイエス様が失った国家と教会の基盤を蕩減すると同時に、七十二門徒が一つになれないことによってイエス様が亡くなったのを蕩減することになります。ですから、世界七十二ヵ国の「世界平和教授アカデミー」議長団を韓国に連れていき、韓国民族が協助せざるを得ないようにしたのです。その大会では、メシヤ宣布をするとともに、「民主世界であろうと共産世界であろうと、私の言うとおりにしなさい」と言いました。

七十二ヵ国から来た議長団は、私に対する証し人たちでした。アメリカが反対するのに、自由世界の指導層にいる人々、顧問の立場にいる人々が一つになって支援するというのは、世界的な事件です。その基盤の上で、サタンが今まで原理結果主管圏内を中心として支配していたすべての事実、今まで国と世界が行く道を、国で塞ごうとし、世界で塞ごうとしていたことを、取り除いておいたので、サタンは永久に地球星から退くようになるのです。今や、このみ旨は、真の父母と統一教会の能力でなければ成就されない運命に置かれたのです。

20 国家のトップたちの組織である「世界平和のための頂上会議」と教授組織である「世界平和教授アカデミー」を中心として、既に数十年前から彼らと関係を築き、世界の多くの学者たちと国家のトップたちを束ねてきたので、彼らがお父様を宣伝してくれるのです。今になってはその国の大統領たちがお父様を歓迎する段階に来ました。また、その国の大学総長や言論界の代表たちがお父様を歓迎する段階に入りました。世界的に今、いかなる分野でも、世界のトップの人々と接触していないところがありません。政治、経済、文化など各分野で、いくら有名な大学を出て、博士号をもっているとしても、お父様が指示した方向に従うようになるのです。

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真の父母経 第238話

ベーリング海峡海底トンネルと平和世界のビジョン 二〇〇五年六月二十五日から二十八日まで行われた、アメリカ四ヵ都市の巡回講演において、真の父母様は、北米大陸とロシア大陸を隔てているベーリング海峡の八十五キ口区間に海底トンネルを建設することにより、国境と人種、宗教、理念などの壁を超越した地球村一家族の平和世界を実現することを提案された。そして、これを具体化するため、二〇〇八年一月十八日、「財団法人・世界平和トンネル財団」を設立されるなど、積極的な支援に乗り出された。ベーリング海峡は、アメリカとロシアの二つの強大国が鋭く対立し、一時は民主と共産の両陣営を隔てた理念の壁でもあった。そのような点で両地域を連結することには、大きな象徴的意味がある。真の父母様はこれについて、「世界を一日生活圏にし、人種、宗教、文化、国家の壁を崩して、神様が願ってこられた世界平和をこの地球星に創建すること」と説明された。そして、特に国境は、人間の利己的な欲望ゆえにつくられたものなので、世界平和は国境を撤廃するときにのみ訪れることを強調されたのである。

10 父母様がアメリカで発表したのが、ベーリング海峡の国境線撤廃です。それが有名な事件になりました。これは万国が願うことです。国際平和高速道路を八車線で造り、世界平和の緩衝地帯を設定するのです。そのようにして、一日生活圏内に入ろうというのです。また、今後、飛行機で七時間あれば、地球を一周できる時代に入るようになります。そのような文化を主導し、準備しているのです。それで、皆さんは、世界のためにすべてのものを投資しなければなりません。

11 アメリカのアラスカとロシアの国境になっているベーリング海峡に、日付変更線が通っています。その境界線をなくし、二つの群れに分かれた地球星を一つにすることを決心して、アメリカでベーリング海峡に橋梁や海底トンネルを建設することを発表しました。これは、ロシアとアメリカだけの仕事ではありません。全世界の仕事であり、天地の仕事です。

12 もどかしいことに、いまだ神の国、神様の地がありません。ですから、現在のような国もあってはいけません。

国をなくそうとすれば、国境がなくならなければなりません。境界線がなくならなければならないというのです。それをなくそうと思うので、ベーリング海峡に平和の王の道路とトンネルを開通させようというのです。

国境をなくさなければなりません。今後、平和を愛する人々は、家を捨てて巡回しながらこの地で暮らすのです。百二十マイル圏内に緩衝地帯をつくって、そこで暮らすことができます。国境がなくなるとき、神の国ができるのです。

13 ベーリング海峡に橋梁を架けたり、トンネルを通したりして北米とロシア大陸を連結し、善なる目的で使用される物だけが行き交う道にしなければなりません。闘争と戦争の物資を移動させてはいけないのです。

神様の祖国の境界線を中心としてサタンを追い出し、神様の息子、娘たちが精誠を尽くして、これを建設しなければなりません。

神様の祖国光復のために、誰彼を問わず、しなければなりません。兄ができなければ弟がしなければならず、弟ができなければ兄がしなければなりません。父ができなければ息子がしなければならず、息子ができなければ父がしなければなりません。夫ができなければ妻がしなければならず、妻ができなければ夫がしなければならないというのです。

14 世界を一日生活圏にしなければなりません。そのためには、世界各地にピースキング・ブリッジとピースキング・トンネルを造らなければなりません。今までピースキング・ブリッジがなく、ピースキング・トンネルがありませんでした。これは、神の国と神様の故郷を探し出せる最後の橋であり、最後のトンネルです。

15 現在の世界の高速道路は、天の国の高速道路ではなく、サタン世界に属した高速道路です。ですから、ベーリング海峡を中心として、この地球星を包囲し、神の国にしようというのです。百二十マイルを緩衝地帯のようにし、八車線ずつで往来できるようにしておくのです。

そのようになれば、その下にある国々は自動的に、どこでもすべて通ずるようになっています。このような平和の王権を中心とした道路なので、この道路では争いをする武器のような物は運搬できません。軍需物資、戦争物資は通過できないようにするというのです。

16 二〇〇七年一月三日に、十二支派を編成しました。これは、ベーリング海峡を中心として世界的な公路を造るためです。神様が地球星にお出ましになるために必要なので、水と地、海と陸地の境界線を中心として、それを造らなければなりません。その公路は、平和の統一高速道路であって、戦争の統一高速道路ではありません。目を閉じても走れるように、八車線、十六車線で造るのです。このように、八車線と八車線で十六車線にしておけば、どれほど幸福な道路になるでしょうか。

宗教者たちがその公路を造るために、精誠を尽くして準備しなさいというのです。宗教者たちが一つになって、その道路を造ろうというのです。そこに、搾取したお金や、汚れたお金は、持ってきて使ってはいけないというのが、お父様の哲学です。

17 なぜベーリング海峡の問題を解決しなければならないのでしょうか。なぜ東洋と西洋が分かれたのでしょうか。ロシアとアメリカがなぜ分かれたのかというのです。ベーリング海峽がなかったとすれば、ロシアとアメリカが連結されるのです。そして、「統一思想」さえ知れば、自動的に国境がなくなります。問題はそこにあるのです。

水はどこにでも行くことができます。空気にも境界がありません。太陽の光も、隙間さえあればどこにでも入り込んでいくのです。このような生命の三要素である水、空気、太陽の光は、どこにでも流れていきます。どこでも、深い所を訪ねて入っていくのです。また、水は木のてっぺんにも上ります。毛細管を通して上がったり下がったりするのです。そのような要素と同じように、人々は便利に暮らさなければなりません。

一日生活圏をつくろうというのです。自動車に乗ってロンドンを出発し、ヨーロッパでもどこでも行ったり来たりして、行きたい所にはすべて行けるようになれば、どれほど便利でしょうか。今は、国境があるので、ビザの手続きだけでも複雑です。サタンがそのようにしておいたのであって、神様がしたのではありません。大宇宙で理想的な法度を通して動くときは、国境があっても、その国境を越えるのです。大宇宙が一つの宇宙として動くのです。ですから、境界線が問題です。

18 太平洋に柱を立て、土台を築いて橋を架けなければなりません。そのように橋を架けて、思いどおりに太平洋も渡って行き来できるようにしなければなりません。ベーリング海峡を中心としても、思いどおりに往来できるようにしなければなりません。ですから、地球星に国境があってはならず、天地にも国境があってはなりません。

対立しているイスラームとキリスト教、ユダヤ教は、一つの根から分かれたので、これらを再び一つの根として収拾して、神様のみ前に整理し、堕落していない本然の位置に立てなければなりません。ですから、宗教がなく、政治がない、一つの家庭の兄弟の友愛をもって、与え合いながら生きなければならないのです。

19 真の父母は、中東と韓半島、ベーリング海峡の三つの患難地域をすべて解放しなければなりません。ですから、必ずベーリング海峡に海底トンネルを設置しなければならないのです。旧約時代にはアダム圏家庭を築けずに破綻させ、イエス様の時代には国を築けずに破綻させました。

真の父母の時代には、ベーリング海峡を中心として、天地の統一世界を成し遂げなければなりません。そのために、来られる真の父母が責任をもち、三つの地域に向かって平和の旗を掲げ、立ち上がったのです。この歩みがどれほど息の詰まる歩みだったか分かりません。韓国が父母様の代わりに立ち上がるようになれば、祝福を受ける国になることができるのです。

20 本来、神様の理想の実現は、神の国、神様の家庭の上で成し遂げられます。それと同じように、日韓トンネルやべーリング海峡トンネルを私たちが造るのです。そのようなことをするのは、一日生活圏内に入るためです。この巨大な世界が、国境線を中心として複雑な環境と複雑な闘争の歴史を残すことによって、どれほど混乱した環境になるかというのです。

ですから、否が応でも、一つの世界をつくらなければならないというのが、人類の前に最後に残された課題です。そのことを私たちが引き受け、責任を果たさなければなりません。このような天の摂理的総整備の責任を、私たちが果たさなければならないというのです。

21 今後、日韓トンネルとベーリング海峡トンネルを、統一教会を中心として世界の十三の教団が連合して開拓しなければなりません。宗教界が担当して開拓すると発表しなければなりません。私たちは「万王の王神様解放圏戴冠式」を終えました。神様が顕現したのです。

釜山を中心として、南海全体に基盤ができています。島嶼国家を連結できる太平洋を中心としたハワイの基盤、世界の島と半島と大陸を連結できる基盤が、すべてできているというのです。その基盤を通して、私たちはアベル国連も宣布しました。その次は、父母国連を宣布しなければなりません。

万王の王の神様、お一人しかいない王の解放圏戴冠式が終わり、神様が顕現できる時代なので、恐れるものがありません。私たちが躊躇することはないのです。ふたをすべて開けることのできる、天の国の秘密と地の秘密をすべて現し得る基準まで来たので、これを一ヵ所に集めて、世界から注目と関心を集められるのです。経済問題、政治問題、国家と国家の間に絡み合った事情を解かなければなりません。

22 私はいち早く、日韓トンネルとベーリング海峡の開発に着手すると宣布しました。「ワシントン・タイムズ」にもこれに関する記事が出ました。このために今後、宗教者が先頭に立つのです。「ワシントン・タイムズ」が、統一教会の背景を中心として、日韓トンネルを造り、ベーリング海峡に橋梁を架けたりトンネルを掘ったりすることに、莫大な資金を投入することも意に介さないと発表しました。

政治家たちと金持ちたちがこの問題を巡って争っていては、何年かかるか分かりません。それで、宗教者が団結して、このことに責任をもつと発表したのです。

23 ベーリング海峡の「ワールドピース-キング・ブリッジ・アンド・トンネル」は、今後、人類史の和合と統一のための大役事、最も大きな記念碑的事業になるでしょう。人類のために、これをしなければなりません。

お金をたくさんもっている人がお金さえ出せば、技術を誇る人が来て、橋を架けたりトンネルを掘ったりすればよいのです。日本人やアメリカ人が一つになってトンネルを掘った、橋を架けたりしなければなりません。ここに教会と平和大使、NGOも参与しなければなりません。

24 ペーング海峡の道路は、地球星の平和の公的な道路として空中を連結させ、海を連結させ、陸地を連結させなければなりません。飛行機で飛び、船で往来し、車で動くところは、すべて公的な道路になります。特に、平和の王が設定した道路なので、この道路では戦争物資を絶対に通過させることはできません。

この公的な道路は私たちが管理するので、すべての交通手段に対して、軍需物資、戦争物資を載せては、一切往来できないようにするのです。戦争のために準備する世界各国の経費の消耗は、どれほど大きいでしょうか。平和理想を実現するためには、何でもすることができるというのです。

25 ベーリング海峡の開発のために、私は財団をつくって準備しています。そして、日韓トンネルも既に一九八一年に準備をして、工事をしてきているのです。いくらやっても、それを誰かが奪っていくことはできません。

そうなれば、世界が一日生活圏内に入るのです。このようにすることによって、時差を感じなくなり、世界が一つの村落のように志のある人が集まって教育もできサッカーもでき、オリンピック大会もできるのです。

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Editing ‘真の父母経 第238話’

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22 世界で最も複雑なのが島嶼国家です。

島嶼国家は太平洋の中にあるので、強大国がどこに行くにしても一隻の軍艦さえ向かわせれば、完全に占領して戦場になります。ですから、小さな国々が力を合わせて一つにならなければならないのです。

そのように一つになるためには、生活と文化的伝統、言葉や文字が同じでなければなりません。

23 一九九六年七月一日から、島嶼国家の代表者、その国を動かし得る重要な人物を十人ずつ日本に連れていき、二週間教育することになっています。この人々が自分の国の中心となり、その国の大統領や総理を中心として、放送を通して教育できる運動を行うために準備しているのです。

ここに参加する国は四十ヵ国です。重要な国々です。ですから、その人々を中心として、その国家の放送局と大統領、閣僚たちをすべて教育しようというのです。これは、夢ではありません。その人々は、私がもっている科学技術と実力を羨ましいと思っています。その背景を中心として、日本やイギリスのような島嶼国家の発展した経済力を投入し、助けてあげるのです。

24 太平洋の島嶼国家を解放する準備をしています。ハワイを中心として、日本とアメリカ政府の協助を受けて、大学のような教育機関をつくるための準備をしているのです。一連の連帯的関係を中心に、自由解放圏としてどこの誰でも、超国家的な面でいくらでも世界に飛躍できる基盤をつくるのです。そのような父母様のみ旨の足場ができつつあります。

25 海は無尽蔵な資源の宝庫です。海はお金持ちだというのです。海以上のお金持ちはいません。アメリカにある金銀財宝が問題ではありません。途方もない資源が海に埋蔵されています。神様が、その海を人間に譲ろうとして造ったというのです。太平洋のその深い海には、何かないものがあるでしょうか。

私たちは太平洋を定着地として定め、早く島嶼国家に学校を造ろうと急がせています。そうして、約六十ヵ国の島嶼国家から連れてくれば、島嶼国家の統一国家をつくることができます。そこに日本やアメリカのような国さえ同参(一緒に参加すること)するようになれば、世界島嶼国家連邦制をつくることができるのです。

昔の植民地国家は、奴隷概念から抜け出せなかったのですが、兄弟概念をもてば、イギリス連邦のようなものをつくり、「五大洋六大州に太陽の沈む日がない」と言える統一天下をつくって余りあるのです。

26 私が行く道は、蕩減するための道です。蕩減の道です。神様のゆえに行くのです。ですから、南米に行ってもどこに行っても、神様が責任をもたなければなりません。最近は、ハワイを中心として島嶼国家を束ねるのです。自分のために行くのではなく、蕩減するために行きます。死を覚悟して行くのです。私は、誰かに私の行く道を相談する必要がありません。私は、私なりに、行く道をすべて整えておいて進む人間です。

第二節 国際平和高速道路と日韓・ベーリング海峡海底トンネル 国際平和高速道路と日韓海庭トンネルの提案 真の父母様は、一九八一年十一月十日、ソウルで開かれた第十回「科学の統一に関する国際会議」において、国際平和高速道路の建設を提唱された。国際平和高速道路は、中央分離帯を中心にそれぞれ四車線で建設し、高速道路の両側面に沿って幅一キロを国際中立区域に定め、国境を超越する地域にしようという構想である。そして、インターチェンジに出入国管理事務所を置き、ノービザ出入国制度を導入して、武器を載せた車両の通行を禁止し、軍隊の移動を制限して、正に平和の公道となるようにしようという提案であった。そして、国際平和高速道路建設の一環として、日韓海底トンネルに関する構想も発表された。真の父母様は、日韓トンネルが建設される場合、日本の東京からイギリスのロンドンまで自動車や高速列車で走ることができ、これを通して世界平和が早まるものと予見された。これを具体化するため、一九八二年四月に、日本で国際ハイウェイ建設事業団が設立され、一九八三年七月には、日本の九州にある佐賀県の唐津と壱岐、対馬の陸上部と海域部の調査を開始し、一九八六年十月には、佐賀県鎮西町の名護屋から、日韓海底トンネルの掘削工事を開始した。

1 私たちは、長く続いた苦しみの世紀を締めくくり、迫りくる二十一世紀を迎えるに際して、本当の新しい文化を創造するためには、争奪と反目一辺倒の自国の利益ばかりを追求することから脱皮し、汎世界的次元の新しい価値観を確立することが、切実に求められる時点に到達したと考えます。合わせて、すべての隣国の幸福と平和なくして、自国だけの本当の平和が維持され得るのかと反省してみるとき、国籍を超越した人類愛のない世界平和というのは、考えられないのです。

このような観点から、既存の社会構造および経済構造に対しても、新しい学説が確立されなければならない時期も、正に今、この時代だと思うのです。さらに、新しい国際経済機構を創設して、過ぎし日の莫大な経済的浪費と損失を防ぎ、また全世界の国土利用計画を「世界と人類」という次元で新たに推進することによって、全人類に平和と幸福を共に享受できる権利を付与しなければならないのです。そうして、理想世界が到来し、永久平和が実現され、人間は誰もが幸せで豊かな生活を享受できるようにしなければなりません。

私はこの場で、「人類は一つの家族であり兄弟」という大命題のもと、このような理想を実践に移す一環として、東西諸国を連結する国際平和高速道路の建設を提案するものです。

2 日本と韓国と中国大陸を経て、南アジア、中東、ヨーロッパを経由し、ロシアまで連結するもの(ルート)を一次案として出発し、全世界の国家と国家の間の陸地と海底を一直線に貫通させます。そして、国際高速道路の中央部には、ニューマチック・チューブ・システムを設置して貨物輸送を担当させ、大都市では空港も兼ねる一方、インターチェンジの一端には出入国管理事務所を置き、ノービザで簡単かつ迅速な出入国制度を実施するようにするのです。国際高速道路の左右両側には、それぞれ一キロメートル以上の中立緩衝地帯を設置し、国境を超越した地域に設定して、超高速乗用車および観光バス利用者のための休養地を造成することにより、「超高速化」で一つの世界を束ねる地上天国案を提唱するものです。

このような試案は、今後の理想世界を一日でも早く短縮させて実現しようとする具体的方案の一部であり、これを通して科学者たちもまた、全人類の幸福と世界の平和のために貢献させることによって、世界を一日生活圏に束ね、新しい文化世界を創建するところに、その意義と目的があります。

3 世界情勢から見て、アジアで中国が問題ですが、この中国をどのように引き入れるかというのです。ここに、アジアで韓国がいかに生き残れるようにするかという重要な内容があります。

ですから、私は一九八一年の第十回「科学の統一に関する国際会議」を通して、国際高速道路の建設をあらかじめ宣布したのです。そして、すぐに日韓トンネル掘削のための準備をしてきました。今やあと一年だけあれば、このすべての設計が終わり、北朝鮮や中国に行くことができる世界高速道路(の建設)に着工するのですが、ここで日本が先頭に立つならば、アジアを連結させ得る新しい道が生じると考えるのです。

4 お父様は、一九八一年に国際平和高速道路の建設を提案しました。すべての国家の為政者たち、その次に教育責任者たち、そして、行政の責任者たちに数十年前に発表したことは、学界で有名な事実です。お父様が「日韓海底トンネルを中心として世界にまたとない高速道路を造る」と言ったのですが、ドーバー海峡の海底トンネルにも、私が影響を与えたとみなすことができます。

それで、そのトンネルの出口に近い所に土地も買いました。お父様が買っておいた土地が、ドーバー海峡の海底トンネルを掘るときに、基地になったのです。日本も、今まで掘削作業をしてきて中断していますが、これまで約十年間、私たちがお金を出して穴を掘りました。ですから、日本政府はそれを無視することができず、韓国政府も無視できないのです。

一つの世界、一つの文化圏を築くための神様のみ旨の中で、神様が統治する世界が実現されなければならないとすれば、この国際高速道路の理想は、避けられない計画です。必ずそのような時が来るというのです。ですから、世界平和のために国境を撤廃しなければなりません。そうして、各国が交流できる道が生じることによって、平和を中心としてバランスを取ることができるようになり、そこで縦的理想を立てて、世界を動かすことができるようになるのです。

5 日本人はトンネルを上手に掘ります。ドーバー海峡の海底トンネルを、日本人たちが通しました。日本の四つの島を連結し、また、ドーバー海峡の海底トンネルも通したのです。

今は韓国人がトンネルを一番速く掘ります。韓国人がそれほど上手に掘るとは知りませんでした。どの国よりも、韓国人ほど熱心に取り組む人はいません。韓国人たちが、中東の建設をすべてしたのです。中東で橋を架け、トンネルを掘り、ビルを造ったというのです。ですから、技術面で日本に負けません。

6 日韓トンネルを造っておけば、西洋や東洋から物資が日本を通して入ってきて、韓半島を経て大陸に運搬することができます。ロシア北部に行き、その次に中国の南部に行き、中国の真ん中を通って、中東とロンドンまで行くのです。その莫大な輸送物がすべて、韓国を通して運ばれるのです。

経済的な側面で、今の版図を数倍広げて、日本を越えてアメリカまで、アメリカを越えてヨーロッパまで連結されることによって、第二次世界大戦当時のイギリスとアメリカとフランス、日本とドイツとイタリアの六ヵ国を中心として、世界経済を動かすことができます。韓半島を中心に、世界最高の先進国の貨物とともに人が往来するようになるのです。

ですから、物と人が往来する過程で、すべての輸送路と交通路の中で、世界にまたとない便利な駅を開発し、発展させておけば、韓国の地はそれこそ、世界的な交通基地になるのです。

7 太平洋を船で通過していくより、汽車で何百もの車両をつなげて運転していくことができるように、アメリカから出発してカナダを通り、アラスカのアンカレッジを通過してロシア大陸に連結する鉄橋を架けなければなりません。そのように大陸を連結する鉄橋を架けて、汽車でどこにでも行けるようにするのです。

そのようなことを考えれば、日韓海峡は問題ではありません。その短い距離しかないそこにトンネルを掘ることは、朝飯前のような時代に入っています。近いうちに、海底トンネルが通ることになるでしょう。先端機械をもってすれば、それはそれほど難しいことではありません。

8 新義州(シニヂュ)を経て、中国の丹東(たんとう)を経て、北京を通り、ミャンマーに通ずる国際平和高速道路を造ることを構想し、その提案書を全世界の大統領たちに送るように言いました。中国を何としてでも引っ張り出さなければなりません。それは私がします。その時に発表した内容がそのようなものです。

満州には、韓民族が三百万人近く暮らしています。日本の同胞、アメリカの同胞、ドイツの同胞たちを私が糾合し、それをしようというのです。技術を動員させる能力があります。ですから、ドイツのすべての最高技術を結合させて、中国を後援しようというのです。

9 韓国の地政学的な位置を見れば、不思議です。どの国でも、アジア諸国に対して防御線をつくるためには、韓半島がなければならないのです。島国は既に、防御圏内に入ってきています。これは、陸地と連結されなければ、大きな問題になります。海上で運送するというのは困難なことです。ですから、陸地と連結できる最も近い所に韓半島があるので、中国やロシア、アジア諸国のすべての問題を収拾し、日本が物資を輸入するためには、この韓半島と連結できる橋がなければなりません。韓半島は大陸に通じ、太平洋につながる所です。アジア諸国で生産される品物を、近距離にある国々に普及できる十分な施設を備えています。ですから、中国やロシアが資源を海上で送るのは不便なので、韓半島を通して日本に送るようになるのです。そして、日本は外国と輸出入をたくさんするので、韓半島を経由して大陸に物資を移動させるのが便利だというのです。ですから、韓半島と日本の間にトンネルさえ通れば、簡単に陸地と連結されます。そうすれば、ロシアまでも連結できるのです。

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11  アジア文明は男性文明であり、西欧文明は女性文明です。宗教はアジアから出てきました。ですから、西欧文明はアジアを訪ねてくるようになっています。なぜ西欧文明が相対文明であり、アジア文明が主体文明なのでしょうか。

主流の宗教は、アジアから始まりました。神様が先に造ったアダムが主体であり、あとに出てきたエバが対象で相対的なので、アダム圏を中心としたアジア文明圏が、代表文明圏だというのです。イエス様がメシヤとして来た所もアジアです。イエス様の失ってしまった体を再び取り戻し、霊的勝利圏と連結させるためには、キリスト教文明を中心として、新しい体の版図であるアジアを統一しなければならない立場にあります。ですから、太平洋文明圏時代が訪れるのです。

12  摂理の基盤を中心として、文明は次第に世界を一周し、アメリカ大陸から太平洋文明圏時代に渡ってきました。言い換えれば、地中海文明圏から大西洋文明圏を中心としたイギリスに、その次にアメリカ文明圏から太平洋文明圏を中心として一周して、イギリスに相当する立場にある日本に渡ってきたのです。

日本が近代文明を中心として百二十年以上の間、歴史的な発展をしたのは、日本民族が優れているからだけではありません。神様の摂理がアジアで花咲かなければならないみ旨があるので、日本が発展したのです。イギリスのような島国が相対的な立場で発展しなければならないので、日本が西欧文明を引き継ぐ中間の役割を果たしたのです。ですから、日本文化はイギリスと同じです。

二つの国は、自動車も左側通行です。すべてのことにおいてイギリスの文明をそのまま引き継ぎました。ヨーロッパを回り、アメリカを回って入ってくる現代文明圏を一〇〇パーセント吸収できる基盤を築いたのです。それは、アメリカを中心とした文明圏を代行する立場に立って、アジアに連結させるための神様のみ旨です。神様が文明を発展させたのは、一つの理想世界を必ずや実現するためでした。ですから、ヨーロッパ文明は、必ずアジア文明と手を結ばなければならないというのです。

13  混乱と絶望と塗炭の苦しみの中で地獄に墜落しなければならない悲惨な運命が人類の前にあるとすれば、神様はどのような道を築いてこられるのでしょうか。統一の道だというのです。その統一は、天の側の文化圏の結成を通して実現されます。このように見るときヨーロッパの統一圏や南北米の統一圏は、キリスト教文明圏から形成されるのです。

今やキリスト教文明を統一的内容として消化し、ヨーロッパを一つに和合させ、南北米を和合させなければなりません。そのようにすることができるのは、キリスト教文化圏しかありません。そのような中で、この西欧のキリスト教文化圏がアジアに越えてくるのです。

それでは、神様がキリスト教思想を統一的な方案として、キリスト教思想を通してこの世界を収拾してくるとすれば、アジアはそれをどこで迎えるのでしょうか。日本は様々な神に仕え、中国とロシアは共産化され、たった一つ残っている韓国がキリスト教という垣根の圏内にあります。言い換えれば、太平洋文明圏時代が目前に迫ってくる環境を直視しながら、アジアで民族を挙げてキリスト教文化の背景を備え、受容態勢を準備した国があるとすれば、その国は日本でもなく、中国でもなく、ロシアでもなく、韓国しかないというのです。

14  アジア大陸とアフリカ大陸は一人の人間と同じであり、南北米大陸が一人の人間と同じです。アジア大陸が主体です。ここからすべて分かれていったのです。南北米は、アジアの地から分かれていったのです。(これを)一つにしなければなりません。

ハワイを中心として、アメリカと日本の間にある太平洋で一つにするのです。ですから、お父様が、お母様を通してアメリカを吸収させる業を行うのです。太平洋で一つになれば、西洋に傾いていたアメリカが、お母様を通してアジアと一つになります。

イエス様は、東洋で体を失ってしまいましたが、父母が一つになることによって、西洋文明が太平洋文明圏時代を経て、アジアに戻ってきて初めて一体になるのです。失った体がそこで一体になります。母子協助時代を通過し、父子協助時代の基準を中心として、環太平洋時代が来るのです。

15  東西文明が交流できる時代圏を迎えて、アジア文明を中心として西欧文明を消化できる文化圏を形成することにより、西欧文明とアジア文明が交流できるようにしなければなりません。東洋と西洋の文明の一つが男性であれば、もう一つは女性です。また、一つは精神文化圏であり、一つは物質文化圏です。

二つの文化が一つになってこそ、世界的な新しい統一文化圏時代が訪れるので、そこに拍子を合わせて生活を営むためには、内外の民族同士が一つにならなければなりません。物質文明を代表する西欧文明と、精神文明を代表するアジア文明が、互いに一つにならなければならないというのです。一つになりなさいというその命令は、私がします。実際にそのような世界文明圏をつくってみようというのが、統一教会が今まで活動してきた方向です。

16  アジアの宗教文化圏を中心として統合した所は、韓国しかありません。イエス様が亡くなっていなければ、ユダヤの国を中心として、インドと中国の文化を統一したはずです。インド文明を代表して韓国に連結されたのが仏教であり、その次に中国文化を代表するのが、結局は儒教です。その次に西欧文化を代表するのがキリスト教です。

キリスト教がローマに行って、ローマの国力を中心として勝利することにより、これが韓国で世界的な宗教として実を結び得る代表的基準を備えたので、韓国がユダヤ民族を越え、神様の祝福の基地にならざるを得ないというのです。インドから出てきた仏教が韓国に植えられ、中国の儒教が韓国に植えられ、キリスト教が韓国に植えられることによって、イエス様の時に成し遂げようとした文化の統一が、ここで実現されるようになるのです。

ローマ教皇庁を中心として西欧社会の統一世界をつくったのですが、すべて壊してしまいました。ですから、西欧世界の統一とともに、アジアまで統一できなかったというのです。それゆえ、そのローマの教皇庁のような新しい統一教会の教皇庁を中心として、西欧とアジアを連結する統一文化圏が形成されなければなりません。半島を中心として、新しい世界的文化圏が出てこなければならないというのです。

17  アダムとエバが堕落することにより、数億年の歴史過程という、長い期間を通して蕩減してきました。血肉を流しながら蕩減してきたのです。

今日、お父様が理論的な歴史の背後を隅々まですべて明らかにし、裂かれたものは縫い、穴の開いたものは継ぎ合わせて、堕落していない本然的姿を備えて越えなければなりません。ですから、神様を中心としてアダム、エバ、三天使長を復帰しなければなりません。それが韓国に来て実を結ぶのです。

韓国と日本を中心として、イタリアとイギリスが半島と島で誤ったことを蕩減復帰しなければなりません。ローマ教皇庁を中心として、半島文明が世界を支配したことを蕩減するために、新たにアメリカを中心としてつなぎ合わせてきたのです。

イエス様がアジアで亡くなったので、イエス様の体を取り戻して、万国解放とともに地上天国理念のラッパの音を、このアジア地域で響かせなければならないのです。そのようにしようとするので宗教圏が問題になっています。大部分の宗教圏(の発祥地)が、アジアにあります。イスラーム圏と仏教圏、儒教圏、キリスト教文化圏がアジアにあります。大部分の宗教の発祥地がアジア地域です。ですから、来られる主は、アジア統一のために宗教圏の統一を急がなければなりません。

18  太平洋文明圏の主役は、アメリカでもなく、日本でもありません。国連を導くことにより、太平洋文明を完成すれば、イエス様を中心として、分かれていた霊界と肉界が、初めて一つになるのです。ですから、ローマ(イタリア半島)に代わる韓国を中心として、日本とアメリカが一つにならなければなりません。半島国家の韓国を中心として、島嶼国家と大陸国家が一つにならなければならないというのです。島嶼国家と大陸国家を東洋で探し出してきて、再び合わせるのです。

韓国と日本とアメリカを中心として、イエス様の体を失った太平洋、アジア地域に戻ってきて、霊界と肉界が分かれて争っていた世界を合わせることによって、初めて統一世界の基準が成し遂げられるというのです。ですから、ここから海洋圏還元、陸地圏還元、創造理想圏還元、第四次アダム圏出現が展開します。

その基盤ができるためには、ハワイを中心として南米と北米が一つになり、またアジアとアフリカが一つにならなければなりません。これは双子の体です。双子になったその基準で、分かれていた西洋と東洋、天と地が、すべて海から結合しなければなりません。アダムとエバが海のような腹中から生まれ始めたので、ハワイを中心として、新しい海洋に結合するのです。

19  環太平洋文明圏時代を発表したので、今や環天宙平和文明圏の王権時代を発表しなければなりません。「環天宙平和文明圏王国時代」、そして、天一国です。大宇宙を中心として連結させる還元の道路が現れるのです。そうして、「環天一国平和文明圏帝国時代」です。国連に加入した多くの国がありますが、今や一つの国になるのです。

「環天一国平和文明圏、私の国時代」です。「私の国」を求めるのです。今から「環天宙平和文明圏王国時代」だというのです。天一国というのは、二人が一つになった国です。東西が一つになり、南北が一つになるのです。「天一国平和文明圏、私の国時代」です。それにより、神様解放、天上世界解放、地上世界解放、万宇宙解放、平和の王国時代になるのです。

ですから、真の父母の名によって、「天宙平和文明圏王国時代」と「天一国平和文明圏、私の国時代」を発表するのです。天地を抱き、世界の海を抱いて、すべてのものを根こそぎ天のみ前に捧げなければなりません。自分の国と自分の世界を捧げ、天地を捧げて、一つの存在になることを決心して生きなければなりません。

20  ハワイで行った宣布が「環天宙平和文明圏王国時代」であり、ハワイで行った大会のみ言の題目が「神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観」です。副題は「アメリカを中心とする国連と自由世界の方向」です。太平洋の海の世界と陸地の世界が一つになっていないので、一つにするために環太平洋文明圏時代の大会を行ったのです。それは、陸地を捨てるのではありません。

太平洋に摂理的基盤を築いたので、それを陸地にもっていって植えなければなりません。それが今回の二〇〇七年四月三日から行う大会であり、題名は、「天宙平和神文明圏開闢宣布」です。文化が出発するとき、海から出発して半島に行き、陸地に上がってきたので、その過程を経るのです。

半島国家であれば半島で太平洋の海を抱かなければならず、半島を中心として大陸を抱かなければなりません。その位置に立ったのです。

21  太平洋文化圏時代になったのですが、太平洋にある国々を中心として、背負っていかなければなりません。

この国々をすべて束ねるために、済州島でワールドカップ釣り大会をしました。その国々を連結させるためです。国連が管理できる体制をつくろうと、そのようなことをしているのです。ですから、趣味産業や、このようなすべてのものを、国連の部署に入れようと思います。

そのようにしようとすれば、難しい問題が一つや二つではありません。国連の安全保障理事会や経済社会理事会の幹部たちを中心として築かれた世界基盤を私たちが消化するための方法は、教育をすることです。

韓国が北朝鮮を消化するためには、教育をしなければなりません。神様をはっきりと知らせてあげ、霊界をはっきりと知らせてあげ、血統が変わらなければならないことをはっきりと知らせてあげなければなりません。知ることによって、すべての問題が解決します。

そのような意味で、太平洋文化圏にある発展途上国を含む五十二ヵ国が、「世界平和島嶼国家連合」に入っています。この国々を束ね、一つの国家体制を中心として、国連に連結させなければなりません。

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第三節   「世界平和教授アカデミー」 「世界平和教授アカデミー」創設の目的 真の父母様は、世界的な碩学たちを中心に、平和世界建設のための各分野の研究と活動を支援するため、「世界平和教授アカデミー(PWPA)」を創設された。「世界平和教授アカデミー」創立総会は、一九七三年五月六日、教授招請「統一原理」セミナーや大学原理研究会の活動などを通してつながった教授など、百六十三人が参加する中、ソウルで開催された。「世界平和教授アカデミー」は各国に支部を置き、各国の会員は「世界平和のための学問的寄与」という共同目標のもと、相互交流および協力をしている。特に、世界平和をテーマに多様な学術セミナーを開催し、一九八六年一月二十一日には、真の父母様の指示により、「世界平和教授アカデミー」の付設として、韓国各地の百ヵ所以上で郷土学校が設立され、恵まれない青少年たちの教育を支援するなど、対社会的な活動も展開してきた。

1   私たちは、統一科学という問題を中心として、全世界的に教授たちを招請し、年次行事を行っていますが、みな、ここにどれほど多大な関心を寄せているか分かりません。最初は批判もしましたが、最近になって、「レバレンド・ムーンが取り組んでいることは、すべてが深刻な問題だ」と言っています。このような段階に入って、推し進めていくのです。ですから、何としてでも教授たちを一つに糾合しなければならないと考えました。そのように教授たちを糾合するための作戦を韓国で展開しなければならないので、「世界平和教授アカデミー」を結成したのです。

言い換えれば、「全世界の教授たちが、この平和世界の建設のために、各分野で実際に行動することはできなくても、頭を使い、文章を書いて、方向を提示することにおいて先頭に立たなければならない」と言って、「世界平和教授アカデミー」という集まりをつくったのです。韓国では、既に成功しています。今後、韓国と日本と台湾を中心として、世界的に「世界平和教授アカデミー」が結成されるでしょう。

2   「世界平和教授アカデミー」の名で、「広場」という月刊誌を作っています。これを全世界の大学に発送したので、韓国でこのような運動を行っていることを、既に名のある教授たちはみな知っています。ですから、アジアで著名な教授たちを糾合し、「アジア平和教授アカデミー」を発起さえすれば、これがヨーロッパにも連結されるのです。それだけでなく、アメリカの東部と西部の重鎮となる教授たちを、「世界平和教授アカテミー」の核心要員にすることができます。この人たちは、お金を払っても心を動かせる人たちではありません。

このように、世界的に組織を編成して、何をするのでしょうか。父母様はこの「世界平和教授アカデミー」を中心として、ノーベル賞受賞制度のような制度をつくる計画をしています。ノーベル賞以上の賞金を設定して、世界記録を破る表彰制度をつくろうとしているのです。

3   世界を動かすのは、学者たちです。政治家たちが動かすのではありません。その国の政策を樹立するすべての分野で、主導的な頭脳の役割を果たす人は、有名な教授や学者たちです。その国の政策を遂行する人たちは、彼らの頭脳によってつくられたプログラムに合わせる人々なのです。

学者と大学生を見れば、学者たちは先頭に立ち、大学生たちはこの時代の後ろに立っています。彼らを連結させてこそ、中枢になります。背骨です。ですから、今まで統一教会は、反対を受けても彼らを連結させようとしました。ところが、そうするのは簡単なことではありません。ましてや、統一教会を指導しているお父様が世界的に論争の対象になっているので、彼らを連結させるというのは、簡単なことではないのです。

そのようなことを見ながら、私はアメリカで活動する将来のことを考えたのです。このことは、お金があるからといってできることではなく、それこそ、精誠を尽くして世界を愛する心をもたなければ、できないのです。

4   人間個人の体と心が分かれることにより、人類歴史はサタンの版図と天の版図に分離され、闘争の歴史を経てきました。個人から分かれて、家庭、氏族、民族が、歴史時代を経てきながら数多くの戦争をしたのです。歴史的に見るとき、宗教圏と政治圏が争ってきましたが、いつも政治圏が宗教圏を打ちました。また、科学世界と宗教圏が争ってきましたが、科学世界がいつも宗教圏を打ってきました。しかし、父母様の時代には、政治圏と宗教圏、また、科学世界と宗教圏の一体を成し遂げなければなりません。ですから、父母様が世界の学者たちを糾合してきたのです。

今まで科学者たちと宗教圏が、怨讐になっていました。これを統一しようとすればまず世界の学者たちを糾合しなければなりません。ですから、「科学の統一に関する国際会議」と「世界平和教授アカデミー」を編成したのです。これらの学者と統一教会が一つにならなければなりません。そうしてこそ、宗教圏と政治圏が統一されるのです。

5   私たちは、学界を収拾しなければなりません。学界を収拾するために、「科学の統一に関する国際会議」を開催してきました。この会議は、世界的な学者を一つにまとめるための、唯一の集まりになりました。また、世界の有名な学者たちを中心として、国家と国家を連結する「世界平和教授アカデミー」があります。二重作戦を行うのです。

世界的な一つのモデル型と国家的な一つのモデル型をつくることによって、国家的に成果のある人は、世界に行くことができるようになります。世界に進出できる道が開かれるのです。世界の有名な学術機関に影響を与えることのできる足場を整えようというのです。ノーベル賞受賞者を選定するときにも、私たちが背後で推薦します。頂上の位置に上がっていけるように支援するのです。

6   私たちが「科学の統一に関する国際会議」を主導しているので、教授たちに「このような世界的教授アカデミーがあるので、あなたたちもここに加入してください」と言えば、嫌だとは言いません。そうすれば、世界の十ヵ国なら十ヵ国の科学界の重鎮と手を結ぶことができます。

教授アカデミーに世界的な学者たちを加入させなければなりません。今後、アジアから始めて、世界の学者たちを教授アカデミーに連結させるためです。世界的な教授たちを一つに束ねてあげれば、今後の世界のために世界政策を樹立したり多方面の専門分野で世界的に影響を及ぼしたりすることができるのです。

そのようにするために、分野別に世界にない刊行物を作ろうというのです。そうして、経済分野、農業分野、科学分野など、各分野の雑誌は世界的に有名な人々が作るので、世界的に知られるようになっています。今後の世界政策を決定するときに影響を及ぼすことのできる、首脳部のようなものをつくっておこうというのです。

7   世界的な教授アカデミーを構成するようになれば、その名声が広く知られることになるでしょう。そのようになれば、どこに行っても私たちの基盤があるので、そのような人々を招請し、巡回教授団をつくろうと考えています。一つの大学だけで講義していてはいけないというのです。世界的に有名な大学を中心として、六ヵ月であれば六ヵ月間、巡回講演をさせます。その費用は、私たちが出そうというのです。このように世界的な巡回教授団をつくって、世界を一周させます。

そのようにしたあとは、どこの大学に行っても、関わりのある学者や学生たちが関心をもって押し寄せてくるでしょう。有名な人の主管のもとで学位をもらえば、その門下生たちも世界的に有名な人になるのです。そうして、約五、六年後に、一回りしながら学位を与えるようにするのです。このようになれば、この大学にノーベル賞を受賞した教授をはじめ、専門家たちが押し寄せるようになっています。

8   今後、世界的な教授アカデミーをつくって、約五百人の教授たちが大韓民国に入ってきたとすれば、大学が動くようになります。

これから私たちが世界的な大学を造れば、教授アカデミーから推戴を受けた世界的な大学教授たちを、私たちの学校に連れてくるのです。そのようにして、世界的な碩学たちを一ヵ所に集中させれば、世界的な大学になります。そうして、その大学を動かし、社会制度がそこに相対的な基盤を備えるようになれば、この国は世界的な文化国家になるのです。アメリカが近代に世界的な主導権を握るようになったのは、世界的な人材を抱くことのできる大学があったからです。そのような大学が民主世界で主導的な役割を果たせる人材を育て、各国で長官や局長になるようにしたので、アメリカが世界的な主導国になったというのです。

9   アメリカで大学を包摂するための間接的作戦を行うために、「世界平和教授アカデミー」をつくりました。この平和教授アカデミーを日本にもつくり、台湾にもつくったのですが、それをなぜつくったのか分かりますか。世界的にこの平和教授アカデミーを連結させ、今後、世界大学連盟をつくろうと考えています。世界的な大学を建てて、国際的な人材を養成しようとしているのです。

10  「世界平和教授アカデミー」をつくる時のエピソードがたくさんあります。当時、情報当局では、「政府の力で総力を注いで動いても十三人の教授しか集まらなかったのに、文某が教授アカデミーをつくるというのか」と言いました。それで、私は、「彼らは、大韓民国という国家的見地からそれをするが、私はアジア的見地からするのだ」と言ったのです。

それを準備するために、多くの人々が縦横に往来する基盤をすべて備え、韓国で「世界平和教授アカデミー」の編成を始めました。その次に、日本までは可能でしたが、アメリカはその当時、まだ基盤ができていませんでした。それで、アメリカを中心として「科学の統一に関する国際会議」を足場にして、ヨーロッパ諸国で「世界平和教授アカデミー」を段階的に編成したのです。

11  教授の皆さんは、「世界平和教授アカデミー」に籍を置いています。その間、多くの迫害も受け、ありとあらゆる困難な環境を経て働いてくださったことを、有り難く思います。しかし、それで終わってはいけません。今から、韓国を代表する学者たちを日本の学者たちと連結させる運動をしなければならないのですが、学者たちがそれをしなければなりません。日本がその運動をする段階に入り、アメリカがその段階に入り、イギリスがその段階に入ってきました。ですから、これを早急に連結させて、韓国を救い、共産陣営から防備しなければなりません。

このような巨大な連結体をつくり、韓国が今後行くべき道、すなわち南北統一をしてアジア諸国に影響を及ぼせる領域を標準として動かなければなりません。そのようにするために、学者たちが動員され、経済人たちが動員され、政治家たちが動員され、各分野が動員されて、結集できる基盤を編成しなければなりません。それは、学者たちしかできないのです。

12  韓国最高の知性と権威をもった学者の皆さんは、今や、この国が進む方向を教示してあげなければなりません。そのために研究をしなければならないのですが、個人の研究時代は過ぎ去りました。これからはグループ研究時代です。それも、国家内のグループ研究時代は過ぎ去り、アジアの学者たちを糾合したグループ研究時代、ひいては世界の学者たちを中心としたグループ研究時代が到来したのです。このような方向を備えなければ、世界に方向を教示できる道がありません。

ですから、大韓民国の風土ではできません。アメリカが絶対に必要だというのです。このような背後の基盤を築くために、私が韓国人の一人として、このようなことをしたのです。このような事実は夢のような話ですが、私は天意によって今後の世界が行くべき方向性をはっきりと知ったので、そこに少しでも役に立てることを願いながら努力してみると、このような結果が成し遂げられたのです。これは、全世界の知識人たちが一つになってすべきことです。

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役割と科学の絶対価値 真の父母様は、宗教と科学、そして、思想の統一をはじめとする世界的難題の解決のためには、神様を中心とした絶対価値観が定着しなければならないと考えられ、これを「科学の統一に関する国際会議」のテーマに掲げられた。第三回の会議からは、「科学と絶対価値」、「科学の求心性と絶対的価値」、「科学の調和と絶対価値の探求」、「変遷する世界における絶対価値の探求」、「既存価値の再評価と絶対的価値の探求」、「絶対価値の探求と学界の責任」、「絶対価値と人類平和のための模索」、「絶対価値の探求と新しい世界の創造」、「絶対価値と新しい文化革命」、「絶対価値と現代社会の再評価」、「絶対価値と科学の統一起源と人間の責任」など、「絶対価値」が会議の共通テーマとなった。

13  私たちが必要とするのは、産業革命や技術革命だけではなく、より大きな人間意識の革命です。社会問題の解決は、自然科学だけに局限されるものではありません。法規を超越しなければならず、社会科学や芸術、あるいは宗教などの領域にも影響を及ぼさなければならないのです。このような問題は、ある一国や一世代に局限されるものではなく、過去、現在、未来に影響を与える人類歴史の究極的な事柄です。このような人間意識の革命を通して、創造的で生産的な方法で、全人類の平和的共存のために、研究結果を使用するように導かなければなりません。

人間の理想は、個体目的と全体目的を完全に調和させるときにのみ、実現することができます。ほかのすべての研究分野と同じように、自然科学分野でも、一時的な個体目的は、長期間にわたって成し遂げられる全人類のための分野や、ほかの様々な分野を統合した幅広い全体目的とともに達成されなければなりません。そのようにすることによって、私たちの研究結果の真の意味を発見することができます。すべての特殊な研究分野を統合するために、私たちはより大きな設計と青写真を必要とします。それを通して、私たちが統合していこうとする共通理想が実現するようになるでしょう。

14  第四回「科学の統一に関する国際会議」の主要目的は、特殊な研究分野を統合するための青写真を作り出すことです。

人間は、その心が時間と空間に制限されない最高次元の根源に由来していることから見て、それ自身の中に生命をもっていることを知っています。このような根源は、宇宙的な心、あるいはすべての存在の第一原因と呼んでもよいでしょう。人間は、その生命を意味あるものにするために、宇宙における絶対価値の求心性を理解できなければなりません。

世界の全人類が、国家や氏族を超越した兄弟姉妹たちであり、一つの人間家族として生きていく新しい世界秩序を確立することによって、真の平和と幸福の理想世界を享有することができます。このようなことを実現するために、科学はその領域の外側から検討されなければならないのです。

15  科学(に関する)政策は、社会を全体として扱う中で決定されなければなりません。科学は、それ自体だけのためのものではなく、全人類の福祉のためのものであるという、全体目的の中心点を失ってはいけません。言い換えれば、科学の発展が人間の日常生活で意味をもつようにするために、人間は全体的な立場から価値の基準を討議し、また確立しなければならないというのです。

科学は、目に見える外的な事物に対する研究から始まります。しかし、科学は、目に見えない分野や、精神的次元の内的なものを理解するのに役立ちます。最後に、この二つの領域は統合されなければなりません。したがって、私たちは、外的な世界に置かれている中心点を捉えられなければならないのと同時に、最高次元の形而上学的世界の中心点を捉えられなければなりません。そうして、後者を不変の軸として、前者が授受作用によって永遠にその周囲を回るようになれば、時空のあらゆる存在に絶対的な意味と価値が与えられるのです。

16  皆さんが、ワシントン大会やヤンキー・スタジアム大会、汝矣島救国世界大会のようなものを見れば、「素晴らしい」と考えるのですが、それは大概、一時で過ぎていくと見るのです。しかし、世界的な大学者たちが集まって、すべての学問を超越し、一つの方向に向かうことができる伝統をつくったという事実は、地上世界で永遠にたたえられる材料として残るのです。

ですから、今後、その記録映像の一場面は、永遠に貴重な宝物として残ると考えます。そのようなものをこれから映像で見て、その伝統を考えるたびに、「レバレンド・ムーンはこれこれの思想をもって行い、その思想によってあのような反応が起こった」と言うようになるでしょう。それが世界的な動機となり、すべてがよみがえるのです。そのようになれば、この思想は結局、この教授たちによって、のちの時代を治めることができる若い青年たちの思想の中に入るようになるというのです。

17  私は宗教指導者として、また、科学者として、長い間、科学の問題や宗教と哲学の問題について関心をもってきました。ある一人の人が永遠性に関するどんな内容を追求しているとしても、またほかの人がいかなる事実を観察しているとしても、互いに異なる学術分野の間には一つの関係があると、私は信じています。実際、超越的な存在と関係なく、時間と空間の中で起きている何らかの事実を認知するというのは、不可能なことです。

宗教と哲学は、長い間、人間の良心を占領している抽象的で道徳的な問題を扱ってきました。私たちはいったいどこから来たのか、なぜ苦痛が存在するようになったのか、善悪とは何か、死後の世界は果たしてあるのか、このような疑問は、学術問題とは関係なく、すべての人がもっています。

科学は、宇宙の規則性と時間と空間における事物に対する理解に局限されています。科学は、過去数百年の間、目覚ましい発展を重ねてきました。しかし、価値観が確立されていない科学は、破壊的にならざるを得ません。核戦争(勃発)の可能性がこのことを物語っています。神学から物理学に至るまで、すべての知識は、その知識の目的と方向性を知らなければ、無意味なものであると言わざるを得ません。そして、価値基準の追求は、この目的のための追求になるのです。

18  私は「科学の統一に関する国際会議」を中心として、絶対価値を主張しています。十年、十五年、二十年、このように時間が過ぎていくほど、絶対価値に対して議論することは、「科学の統一に関する国際会議」を抜きにしてはできなくなるでしょう。ですから、第十二回大会からは、確固たる組織を編成して、新しい文化革命を起こさなければなりません。

仏教であれば仏教も、このような絶対価値を中心として、仏教事典を新たに作らなければなりません。キリスト教も、絶対価値を中心として、今までの神学体系を新たにつくって、事典を発行しなければなりません。経済分野でも、絶対価値の基盤の上に立った経済体制をつくらなければなりません。哲学もそうであり、すべての学問でそのようなビジョンを誰かが先導しなければならないのです。その誰かが、新しい文化革命の旗を掲げなければならないというのです。

このような途方もない背後を中心として、今後、韓国に希望の波が押し寄せるようになるとき、太平洋と大西洋を越えて、世界の歓呼の声を浴びながら前進できる一日が来るでしょう。それは、このような基盤を通してこそ成し遂げられると考えるので、私は迫害を受けてもそのような夢を描き、今まで歩んできたのです。

19  お父様は、「科学の統一に関する国際会議」を第十九回まで開催しました。学問は、相対的価値を認めなければなりません。その相対的価値は、単独ではつくり上げることができません。数多くのものの属性はそれぞれ違いますが、全体の中心的属性の内容とは何でしょうか。「絶対性」があるとすれば、「絶対性」だけでどのように相対を迎えるのですか。「唯一性」がなければなりません。それで、相対ができるのです。内的、外的には見えませんが、一つの核をつくり上げることによって、運動が起きます。主体と対象がなければならないのです。絶対、唯一、不変、永遠、これが四大原則になっています。変わらないからといって、それが一瞬にしてなくなってはいけません。ですから、「絶対性」は「唯一性」を備えなければなりません。絶対というのは天のことを言いますが、(それは)唯一的な存在です。「絶対」、「唯一」という言葉は、二つの存在が一つになったということです。これは、互いに内容を入れ替えることができるのです。自分のものであると同時に相手のものであり、相手のものであると同時に自分のものです。永遠に持ち続けて補充できる内容について言っているのです。

20  父母を愛の主人として決定づけてくれるのは、赤ん坊です。そして、夫を愛の主人にしてくれるのが妻です。絶対価値の決定は、相対がすることができます。神様がこのような原則を中心として創造し、宇宙が出発しました。その世界と反対の立場に立った人間が、自分を中心として出発したので、その人間がつくった世界は、「終わりの日」になれば、必然的になくならなければなりません。したがって、相対の価値を絶対視する理想だけが、新しい天地に定着できるのです。そのような理想だけが、家庭であれば家庭、愛であれば愛、平和であれば平和、すべてのものの基地にならざるを得ません。時になっていなかったので、私が「科学の統一に関する国際会議」で、そのような内容を中心とした「統一思想」の結論を下せませんでした。この世の中の教育界は、相対的価値を語るだけであって、絶対価値はありません。

21  私は「科学の統一に関する国際会議」で、絶対価値論を中心に、世界の有名な教授たちを教育しました。絶対価値の結論を出したのが、二〇〇四年です。ようやく先天時代と後天時代が転換する時になって、絶対価値を教えてあげました。父母が「愛の主人である」と言える資格は、赤ん坊が決定します。赤ん坊が、生まれるその時間に、父母を愛の主人にしてくれるというのです。また、女性と男性は、結婚して初愛を感じながら、(相手が)その愛の主人にしてくれるのです。夫を愛の主人にするのは妻であり、妻を愛の主人にするのは夫です。今までそのよな概念がありませんでしたが、絶対価値論を中心として、思想的な基調が成立したのです。

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第二節   「科学の統一に関する国際会議」 「科学の統一に関する国際会議」提案の背景 真の父母様は、絶対価値を中心に世界平和の実現を模索する「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を開催された。この会議は、一九七二年以降、世界の碩学たちが参加する中、継続して開かれた。第一回「科学の統一に関する国際会議」は、一九七二年十一月二十三日から二十六日まで、「現代科学の道徳的方向性について」というテーマで、アメリカ、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで開かれ、第二回会議は、一九七三年十一月十八日から二十一日まで、日本の東京にある帝国ホテルにおいて「現代科学と道徳価値」というテーマで開催された。特に第二回の会議には、著名な物理学者を含むノーベル賞受賞者五人が参加した。その後、「科学の統一に関する国際会議」では、「絶対価値」をテーマに掲げて世界の懸案を議論し、真の父母様が大会ごとに創設者として基調演説をされた。

1   お父様にとっては、天の召命を受け、世界をどのように収拾して神様が願う理想世界に導いていくか、その近道とは何かが問題でした。それで、教授社会を結束させ、「科学の統一に関する国際会議」をつくったのです。一九七一年に、アメリカを訪れた時、荒涼とした野原に立った孤児のようでした。周辺にはおおかみが群れをなしているのに、裸の孤児のような立場に赴いたのです。「この地に来て、三年半の間にこの国をひっくり返さなければならない。問題を起こし、激しく動かしてしまわなければならない」と考えました。そこでどのように基盤を築くかが問題でした。

2   私が初めてアメリカに行ったとき、アメリカの教会本部の一年の予算が、二万六千ドルでした。十年近く過ぎた今は、一ヵ月に使う経費が三百五十万ドルから四百五十万ドルになります。夢のような話です。何百倍の経済基盤を築いたというのです。このようになる過程で、ビザの問題が出てきて、アメリカ政府が日本食口とドイツ食口を追い出すという出来事が起きるようになったのです。しかし、すべて基盤を築きました。

このような闘いをして、何をするのでしょうか。世界的な反共戦線を確立しなければならないというのです。そのためには、若者たちだけではできません。ですから、ここに必要な最高の知識人、世界的な学者たちをどのように集めるかが問題になります。それで、「科学の統一に関する国際会議」を創設することになったのです。

3   「科学の統一に関する国際会議」が出発するとき、私は町役場の給仕のような姿でした。だからといって、それが悪いというのではありません。私はそれをすべて受け入れました。それに抵抗していれば、既にすべて崩れてしまっていたでしょう。私が基調演説をしたあと、世界的な物理学者の一人が、それに反対し、声を上げて飛び出していったということもありました。そのような扱いを受けたのです。

しかし、私は言うべきことを言ったのです。そのようなことを意に介さず、すべて忘れてしまいました。高い山になれば、風にもまず当たらなければならず、夏でも雪をかぶっていなければなりません。だからといって、その位置を守らなければ、どのようになるでしょうか。名山がすべて砕けていくのです。ほかの人々が豊かに暮らしているとき、そのように高い山の頂上で白い雪をかぶり、一人孤独に歩んできました。しかし、白頭山(ペクトゥサン)、あるいはヒマラヤのエベレストの山頂に登攀(とうはん:よじ登ること)する勇士たちの前には、それが希望峰になるのです。

4   お父様がアメリカに来て、すべて調査してみると、共産勢力が今まで政治と外交問題を中心として、政府に対して反対運動をしてきたというのです。これから大学を中心とした活動が急変するのは間違いないので、共産勢力が地下から上がってくる前に、私たちが頂点に行って彼らを防がなければならないのです。これは、国がしなければなりません。

しかし、国ができないので、私たちがしなければなりません。アメリカを救うためです。ですから、日本と中国を連結させて、これから膨大な連結体をつくろうと計画しています。科学者大会や政治学者大会のようなものを構想して、今後、国連で共産勢力が主導権を握るのを防止できる世界的な活動を展開しなければなりません。国がしなければ、私たちがしなければなりません。私がしなければならないのです。そのようなことをするための万全の準備を、皆さんが知らない間にしているのです。

このようなことを、なぜするのでしょうか。直接的にできる立場に立てないので、間接的にでもして基盤を広げ、私たちの正しい基盤を選別するためです。アメリカに新しい方向を提示し、民主世界に貢献できるやり甲斐のある使命を彼らにそのまま引き継がせて、それを天意に結びつけようという目的で、このようなことをしているのです。

5   「科学の統一に関する国際会議」の各分科ごとの専門委員たちは、専門的な学者であり、それぞれの分野で影響を及ぼした人たちですが、互いに統合して、全世界に影響を及ぼすためのプロジェクトを構想して推進することが、今日まで学界にはありませんでした。

私たちがこのようなことをしたことは、今後、統一教会が一目置く存在になることができる良い機会になるでしょう。これを続けていけば、お父様がアメリカで活動するすべての分野に対して、後援し同調する基盤が、最高の知識人たちを通してできるだろうと考えています。今まで、国際会議の中で学術会議は、分科別に専門分野の学者たちだけが集まり、行ってきたので、制限されていたのが実情です。しかし、(この会議は)膨大な全体分野の集会を開催するので、国際的な水準を代表するノーベル賞受賞者だけでも、七十人以上が糾合されるのではないかと考えています。

そのような観点で、この学術会議は、世界にない歴史的な記録を残すようになるでしょう。今やアメリカは、有名な十大学であれば、十大学のノーベル賞受賞者たちを中心として、その人々が主導して、今後の方向を提示していくようにしたり、人選をして学校別に組織化して、すべての教授たちに方向を提示したりすると同時に、学生たちを動かす運動を組織化しなければならないというのです。これが、お父様が「科学の統一に関する国際会議」にかける願いであり、観点です。

6   一九七二年、第一回「科学の統一に関する国際会議」をアメリカ、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで開催しましたが、三十二人が集まりました。当時、お父様は使い走りと同じで、隅っこにいるのかいないのか分からないように座っていました。ところが、拙い英語でしたが、私が設立者として話をしました。そうして、一年がたち、二年がたつと、その成果が良いので、お父様に対して「よくやった」と言うのであって、議長に対して「よくやった」とは言わなくなりました。

今になって、世界の学者たちはお父様を尊敬していて、当然、目上の人として接待しなければならないことが分かっているというのです。私が世界各国を回りながら、この「科学の統一に関する国際会議」に参加した学者たちを集めてバンケットをするとすれば、数百人が集まる中で、開催することができるのです。そのような世界基盤がすべてできたというのです。

7   世界的な碩学たちを動かすことのできる基盤を築くためにつくったのが、「科学の統一に関する国際会議」です。第二回大会は東京で開かれたのですが、東京大学を中心とした有名な学者たちを前に立て、世界の碩学たちを集めて大会を行いました。私はこの大会の創設者なので、挨拶の言葉を語ろうと考えていました。ところが、主人が挨拶するのは組織世界における常識であるにもかかわらず、私が講演し、挨拶をする式順がすべて抜けていたのです。それで、これを一晩でひっくり返しました。私を見くびって、(逆に)一発たたかれたのです。

その時でさえ、私に会ったことがなかった人は、私が何かの王冠やかぶり物をかぶり、修行服を着て出てくるものだと思っていました。「誰が統一教会の教主、文某なのか」と言って、私が登壇しても、私を見るのではなく、ほかの所を眺めていたというのです。そのひっくり返しておいた局面で、笑いながら、「私はアジアと世界の運命を懸けてここに立っている」という思いで、講演を行いました。堂々とその場に立ったというのです。

8   「科学の統一に関する国際会議」は、ニューヨークで第一回大会、東京で第二回大会を行いました。今度、第三回大会はロンドンで行います。第四回大会は、またニューヨークで行います。このようにして、世界の舞台にいる巨星たち、学界の巨星たちを糾合する運動をするのです。このように第四回までやって、世界的な著名人、言い換えれば、ノーベル賞を受賞した学者たち数十人がここに加担するという事実が明らかになれば、これは世界の舞台に向かって大々的に宣伝しても、言論機関に対して恥ずかしくない基盤ができるのです。そうして、ニューヨーク大会まで経たあとに、本格的に世界の学者たちを組織しようと考えています。その時までは、私たちが引っ張っていきながら、背後を押してあげるのです。

このようなことをするのは、これから世界を動かすためです。世界の専門分野の著名な学者たちをどのように動員するかが、今後の世界を動かすに当たって基礎になり、基本となるのです。

9   一九七五年十一月に六十ヵ国の碩学たちを集め、「科学の統一に関する国際会議」を開催しました。ノーベル賞受賞者や、世界で権威のある学者三百五十人を招請し、ニューヨークで大きなバンケットを行いました。これが既に、年数で五年目に人ったのですが、六年目になれば、世界の有名な学者たちの中で、知らない人がいなくなるでしょう。それに伴い、大学原理研究会の組織を世界的に強化させ、この人々と一つにしようと思います。

世界を動かそうと思えば、まず大学を動かさなければなりません。世界的な大学を動かす人が、これから世界を指導することができます。そして、言論界と経済界を動かす人が、世界を動かすことができるのです。

10  博士だからといって、自分の専門分野以外のことを知らないのではいけません。ですから、私が「科学の統一に関する国際会議」を創設し、学者世界の壁を崩したのです。科学を研究する人々は、自分の専門分野でなければよく知りません。経済学や政治学など、みな知らないというのです。ですから、私が「科学の統一に関する国際会議」を創設して、それを平準化したのです。

11  お父様は世界の有名な科学者たちを集めて、「科学の統に関する国際会議」を創設しました。最初は公の席で、彼らが「自分たちのことを利用しようとしている」と言いました。あなたたちを利用したからといって、滅びるものがどこにあるのかというのです。学界の壁を崩してしまった人は誰かというのです。有名な科学者たちと政治、経済、哲学の学者たちが、同じ大学で顔を合わせていても、互いに話しかけもしません。彼らを兄弟の関係にして、最高の学者たちを中心に連合運動を展開し、民族感情を越えて超国家的な民族心情圏と超国家的な統一的歴史を啓発できる活動を行ったのです。歴史的な事件の中でも、偉大な事件です。その大会のテーマも、私が決めました。そうして、彼らがお父様に対して最高の基準で侍ったのです。お父様が偉大な貢献をしたという事実に対して、歴史的にたたえることのできる記録として残しておいたというのです。

12  「科学の統一に関する国際会議」と関連し、私たちの使命は、第一に、重要な要人たちを選抜しなければならないということです。ここで選抜するようになれば、皆さんが推薦してくれなければなりません。重要な学者たちを選抜しなければならないのです。

第二は、長期的な関係づくりです。一時的にだけするのではなく、一度関係を結べば、維持していかなければなりません。皆さんは、長期的な関係を築くために努力しなければならないというのです。「科学の統一に関する国際会議」に一度出たきり、関係が切れてしまってはいけません。

第三は、これからアメリカであれば、アメリカの州から来る教授たちの費用に対して、すべてその州が責任をもち、各国から来る教授たちの費用に対して、すべてその国で責任をもつことができる組織をつくらなければなりません。そのようにしてこそ、世界的に発展するのです。

第四は、彼らが論説委員として活躍できるようにすることです。私たちが国際的な新聞社を造るとき、この人々が論説委員としてどれほど能力があるかを把握して、彼らが活躍できるようにするための準備を今からしなければなりません。そのような責任を、皆さんがもたなければなりません。「科学の統一に関する国際会議」を中心として、重要な人物の選出、長期的連帯、資金負担、大学や言論に活用する問題、このようなことに対して、今から皆さんが関心をもちなさいということです。

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第四章  環太平洋文明圏時代と韓半島 第一節   環太平洋文明圏時代の到来と韓半島 環太平洋文明圏の背景 真の父母様は、韓半島を中心とした環太平洋文明圏時代が到来することをいち早く宣言された。東洋と西洋の文明が韓半島で結実することにより、世界平和が定着できると見通されたのである。そして、「環太平洋圏の国家が復帰摂理の完成と完結のために、先駆的使命を果たさなければならない」と語られた。

1   人類歴史の発展過程を調べてみれば、人類最初の文明のうちの一つであるエジプト文明は、ナイル川を中心として形成された河川文明でした。すなわち、エジプト文明は、ナイル川を母体として発祥した文明だというのです。

そのエジプト文明は、どのようにして発展したのでしょうか。エジプト人たちは、「川の向こう側には何があるのだろうか」と関心をもっていました。いつも、川の向こう側に行ってみたいと願っていたのですが、そのような思いが、エジプト文明を発展させる精神的な背景になったのです。

河川文明時代が過ぎ去ったあと、地中海文明が形づくられました。彼岸を眺める切実な思い、希望の心情が動機となって、人類社会が発展してきました。彼岸に向かう切実な心情が、文明の革命を起こしたというのです。

2   文明は、河川文明から地中海文明に、その次は大西洋文明に、その次は太平洋文明に、その次は宇宙時代文明の順に発展するのです。大西洋文明時代は、白人たちが島嶼を中心として、足場を定めた文明時代です。

地中海文明は、ローマ封建時代の文明です。インドやエジブト、シリアは、昔の古代文明国家です。インダス川やナイル川、黄河を中心とした古代文明は、すべて河川文化でした。今は太平洋文明圏時代です。そして、宇宙時代と連結されています。

3   本来、キリスト教は東洋の宗教です。しかし、イエス様が亡くなったのちに、西欧を中心として発展したので、「西欧のキリスト教」という言葉が出てくるようになりました。逆さまに回ってくるのです。ローマを経て、イギリスを経て、アメリカ大陸を経由し、今や極東まで一周回ったのです。蕩減復帰は、歴史的環境と似た環境をつくって蕩減するのが原理です。そうだとすれば、「復帰歴史の中で蕩減しようとすれば、主はイスラエル民族のところに来なければならないのではないか」と考えるかもしれませんが、それはできません。

そのような観点で、必ず西欧文明と連結され得るアジアのある国、アメリカとやり取りができて関係をもち得る国、長い歴史をもった単一民族の国が必要だというのです。ですから、島国を経て逆さまに回っていくのです。

島国として、イギリスに相当する国が日本であり、イタリアに相当する国が韓国です。それゆえ、韓国は、霊肉を中心として、西洋文明と東洋文明を連結できる一つの見張り台になるのです。半島は、海と陸地が接し得る良い条件を備えているので、これは必ず文化の交流地になります。ギリシャやイタリアも半島であり、スペインやポルトガルも、半島を中心として連結されるのです。文化の移動は、半島を通して行われるというのです。

4   イエス様が体を失ったので、その本舞台の基台がなくなり、アジアの基盤を失ってしまいました。ですから、反対方向に進むのです。ローマに反対に引っ張られてしまったのです。アジアから西洋に行き、西洋から逆さまに回っていくので、蕩減の道に一致して血を流し、犠牲になりながら歩んだのです。そのようにして、ローマを中心としてイギリスとアメリカを経て、再び太平洋文明圏に一周して戻ってくるのです。

なぜかというと、イエス様の体を世界的に失ってしまった所がアジアだからです。ここで霊と肉が分かれてしまいました。ですから、西洋文明、すなわち物質文明が逆さまにずっと巡って、アジアに連結されるのです。

5   太平洋には黒潮という潮の流れが、四千マイルを中心として周期的に巡っています。太平洋に、このような主流があるのです。天運も同じです。太平洋に黒潮のような主流があるのと同じように、この人間世界にも黒潮のような思想的流れが存在し、全人類がその思想的主流に従って理想世界に進んでいける世界にならなければなりません。

このように見るとき、現世では、民主世界の中のアメリカを中心とした流れも黒潮になることができず、共産世界の中のソ連を中心とした流れも黒潮になることはできません。それは、人間による主義、思想の結果によってできているからです。

それでは、のちのち残って、黒潮のような主流になり得るものとは何でしょうか。すべての思想的世界を超越し、新しい宗教や思想を束ねて、大洋の中の黒潮のような役割を果たす運動になるのは何かというのです。それは、神様を中心とした新しい思想的運動、新しい思想的体系、新しい思想を中心とした歴史の出発になるのではないかというのです。

その新しい思想がこの地に暮らす全人類を幸福の大洋、理想世界に導くのです。アフリカやインド洋の波だからといって、太平洋に来ることができないということはありません。すべて混ざるのです。そうして、一つになるのです。

6   半島は、男性の生殖器と同じです。ですから、文明は半島から始まるのです。生命の理想的な起源は半島で設定されるというのが調和の原則です。進行法度の順理(道理にかなった)的過程を備えた中間に置かれているので、半島を中心として文化が発達したのです。ギリシャ半島やイベリア半島のように、そのすべての理想的基準が地中海を中心として形成されました。

男性と女性が一つになる愛が作動できる母体型がイタリア半島です。ですから、イタリア半島の文明圏は、歴史を支配するのです。イタリアの気質が陰陽の調和になっているので、そのような立場になっています。太平洋を中心としてそのような立地的立場にあるのは、韓国しかありません。日本がぴったりと包んでいます。

太平洋を中心として、愛の波動がこの大洋を動かし、大陸を動かし、天下を動かし得る調和の文化世界を創建できる所は、アジアにおいてイタリア半島に相当する韓国しかありません。すべてのものが象徴的になっているのです。

7   地中海は、女性の子宮と同じです。女性の子宮の一番深い場所、それがイスラエルの国です。ここで主が生まれました。生命の根源が出てきた、ここで問題になるのです。それが世界的版図を形成して、半島を中心に地中海を経て、大西洋と太平洋を経由し、そのような半島文化圏を中心として、世界統合が実現されなければなりません。本来は、イタリアを中心として統一されなければなりません。

ところが、イタリアがなぜ統一を成し遂げられなかったのでしょうか。ローマにおいてキリスト教文明を中心として教皇庁を造り、全世界を支配したのは、ローマのためではありません。それが分かりませんでした。ローマを犠牲にしてでも、中世の時代に全世界を統治できるように愛で抱いていたならば、その時に統一が成し遂げられていたでしょう。それができなかったので、その使命がイギリスに移っていきました。半島から島国に流れていったのです。

イベリア半島のスペインを中心として、海洋圏占領運動が十六世紀の初頭から始まり、海上路開発を中心として、イギリスと競いました。キリスト教思想を受け継ぎ、イギリスを中心としてローマ教皇庁に反対したのが聖公会です。そのような歴史的事実が、すべて道理に合うのです。

イギリスを中心として、そこで生まれた息子のような宗教が清教徒ですが、彼らが追い出されました。そのように追い出された新教がアベルの立場です。次子の側のこの清教徒が、新教文化圏を受け継ぐことができる新しい大陸に来て、新教の独立国を建てたのですが、その国が今のアメリカです。

太平洋文明圏時代の到来 人類文明史は、ギリシャとイタリアを中心とした地中海文明圏から、イギリスとアメリカを中心とした大西洋を経て、世界人口の過半数を占める太平洋文明圏に結実している。特に、韓半島は、環太平洋文明圏域において、過去のイエス様の時代における、イタリア半島のローマのような位置に置かれているため、大陸文明と海洋文明、東洋・西洋文明、精神文明と物質文明が出会い、大統一和合を成し遂げなければならない所である。また、太平洋沿岸と連結された国家は、六十数ヵ国に及ぶ。真の父母様は、「海が生命を懐胎し、養育するように、これらの国家が母の役割を果たすことによって、世界平和の実現に寄与しなければならない」と語られ、一九九六年六月十六日、日本の東京で「世界平和島嶼国家連合」を創設されるなど、島嶼国家連合運動にも多くの関心を傾けられた。

8   世界情勢を見れば、今の時代は太平洋時代に差し掛かってます。河川文化圏から地中海文化圏、そして、大西洋文化圏から太平洋文化圏時代に移動してきているのです。大西洋文化圏時代から太平洋文化圏時代に移動してくるのですが、ここで「主役をしよう」と言って出てきているのが、ロシアとアメリカです。

しかし、これから世界を指導するためには、アジア人を消化しなければなりません。それができなければ、世界を指導できないのです。アジアの人口が、世界の人口のうちで五分の三を超えます。ですから、アジア人を消化できない主義は、世界をリードできません。

9   太平洋文化圏を中心として、西洋文明と東洋文明がシルム(朝鮮相撲)をし、西洋文明が東洋文明の下に入ります。今、そのようなシルムをしているのです。東洋の文明は愛の宗教と愛の真理をもっています。ですから、神様は父母様を送って、人類を抱き得る新しい天の世界をつくるための、神様の真の愛を中心として天の懐に抱くための運動を行うのです。

10  物質文明を発展させたのは西洋人たちです。西洋世界は、知識を通して版図を拡張したのです。しかし、東洋では反対に、物質に背を向けました。ですから、精神的基準と物質的基準が一体化するとき、統一が起きるようになります。物質文明がアジアを訪ねてくるのです。太平洋圏で西欧文明とアジア文明が連合し、新しい世界に越えていく文明時代が訪れます。それが太平洋文明圏時代です。

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25  私(お母様)は、十年前にベネズエラのカラカスを訪問し、二〇〇六年八月七日に再びやって来ましたが、その間、ほとんど変わっていませんでした。それで、み言をすべての国民に紹介することに、さらに積極的に取り組まなければならないと思ったのです。

スイスに行ってみた人は感じたと思いますが、その国も周辺の強国に押さえつけられ、自立するのが大変な状況にありました。しかし、スイスは、思想的な面や政治・外交的な面で問題のある人々が様々な国から訪れて定着するには良い国でした。例えば、レーニンもそこで暮らし、宗教改革者たちもそこに住みながら活動をしたといいます。その国には未来を見通した善なる先祖たちがいたので、自然をそのまま保全しながら、強く豊かな国を造ることができたのです。

ベネズエラも預言者のような人々がいれば、スイスに劣らない美しい環境をもった国として、世界の前に登場できるだろうと思いました。世界の五大資源国の一つであるべネズエラが、なぜ貧しくなったのか理解できません。方法は一つです。為政者から国民に至るまで、真の父母を受け入れて新しく精神運動を起こさなければなりません。まず、皆さんだけでも決心して、一日二十四時間は短いと思いながら、平和と未来、そして、この国の永遠なる発展のために努力すれば、希望があるでしょう。

26  皆さんがペルーを復帰しようとすれば、大学生伝道に心血を注がなければなりません。そうして、彼らをこの国と統一教会の未来の指導者として養成しなければなりません。今までの誤ったすべての社会風習を、彼らを通して浄化し、教育すること以上に早い道はありません。

彼らが大学を卒業すれば結婚適齢期に入るようになり、そこで祝福を受ければ、真の家庭を築いていき、また、そのようにして社会に出ていけば、国全体が浄化されるでしょう。皆さんの二世たちが定着するためにも、まず大学生を伝道しなければなりません。国家メシヤの指導のもと、大学生伝道と二世教育をきちんと整えなければなりません。

27  チリが発展するためには、大学原理研究会が活性化しなければなりません。大学生の皆さんは、将来、この国の指導者と教会指導者として成長できる良い年齢です。大学生の皆さんの責任が重要です。ですから、皆さんは大学に通う間、勉強も他の人より良くできなければならず、すべての面で模範にならなければなりません。皆さんと同年代の学生たちが、皆さんと友達になりたいと思い、み旨を共に歩みたいと思える風土をつくらなければなりません。

私たちの教会の未来のためにも、大学原理研究会の活動が重要です。母親がカインとアベルを抱かなければならないように、教会全体が心を合わせ、彼らを抱かなければなりません。母親の立場である教会が、大学原理研究会を積極的に助けなければならないのです。大学生をよく教育しなければなりません。

28  オセアニア州を摂理的に見るとき、ニュージーランドは母の国の使命を果たさなければなりません。オーストラリアと一つになり、多くの島国を支援して教育すべき責任があります。それが母の国の使命です。今まで、ニュージーランドは眠っていました。今や、目を覚まして飛び立たなければなりません。真の父母様のみ言があり、世界的に築いておいた私たちの基盤もしっかりとしています。皆さんが見聞きしたことを、そのまま伝えさえすればよいのです。今から皆さんは、これまで真の父母様から代価なく受け取ったものを、世の中に回してあげなければなりません。皆さんも新たに決心し、二世たちも責任を果たさなければなりません。

29  オーストラリアに来る前、イスラエルと中東地域を経由してきました。平和大使たちが先頭に立って、天宙平和連合祖国郷土還元大会を成功裏に終えました。良い成果を収めてそこをあとにしたのですが、しばらくしてから戦争が起きました。そのことを考えると平和大使たちが目に浮かび、心が痛みました。

世界的なすべての問題を解決し、宗教と人種と文化の壁を越えようとすれば、真の父母を迎える道しかありません。それを啓蒙し、知らせてあげる人が祝福家庭の皆さんです。皆さんも中東の事態に対して、責任を感じなければなりません。皆さんが暮らしている地域や国で、真の父母様を広く知らせるべき責任があるというのです。私たちがこのように、真の父母様を中心として幸福と希望を論じ、平和を論じながら生きているこの時代に、そのようなことを全く知らずに死んでいく人類がいることを考えてみてください。皆さんが責任感をもって、彼らをみ旨の前に立てるために先頭に立たなければなりません。

30  韓国の農村では、啓蒙活動をしながらセマウル運動が始まりました。皆さんは、お父様を中心として草創期に韓国教会が発展できたことに、関心をもたなければなりません。この国、ソロモン諸島は、韓国から見れば、いまだ草創期と変わりません。真のお父様を中心として、神霊と真理によって礼拝を捧げていた時期を手本として、復興の炎が燃え上がるようにしなければなりません。

そして、今日、物質文明時代の弊害のうちの一つが、自然を破壊し、公害を起こしているということです。皆さんの国は、天が下さった天恵の美しさをよく育み、整えなければなりません。自然保護運動に、さらに積極的に乗り出さなければなりません。ですから、皆さんは真の父母様のみ言を中心に、国民に対して精神運動を展開していかなければならないでしょう。

31  パラオが大きな国々と競争して、同じ隊列に立つためには、原理のみ言を伝えなければなりません。

神様が創造される時のその心情と、真の父母様が、堕落した人類を復帰するためにこの地に来られ、勝利的基台を築かれたその事情多き内容を、皆さんは詳しく知らないでしょう。それを知れば、皆さんはこのみ言を愛さざるを得ず、このみ言の中心である真の父母様を愛さざるを得ません。そのように愛する心で、皆さんの国であるパラオを愛さなければなりません。

皆さんに反対するキリスト教徒たちは、心からこの国を愛する人ではありません。皆さんはこれから、このみ言を中心として真の愛を実践することにより、パラオが神様の愛する国になれるよう、先頭に立つようにお願いします。

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16  私(お母様)はケニヤに来るまで、多くの国を経由してきました。真の父母様のみ言が多くの奇跡を生んでいるのを目撃しました。今までアフリカは、大変な中を生きてきましたが、今やこのみ言を通して、皆さんが新たに生まれれば、さらに強く、豊かになり、世界に大きく寄与できるでしょう。しかし、皆さんがこの機会を失ってしまえば、永遠に発展途上国にとどまるしかありません。

ですから、もはや先進国を羨ましいと思う必要はありません。聖書にも、「先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう」(マタイ一九・三〇)とありますが、そのような時代に皆さんは置かれています。神様の祝福を逃してはいけません。

17  タンザニアに、様々な困難があることを知っています。エイズや家庭問題によって、父母を失った孤児たちが多いと聞きました。アフリカの様々な国も、このような状況に置かれています。ですから、純潔運動と真の家庭運動が切実に必要な所がアフリカです。皆さんが純潔運動と真の家庭運動によって、アフリカを新たに浄化していかなければなりません。

戦争を経験した一九五〇年代の韓国は、皆さんの国よりもっと難しい実情にありました。その時、お父様は少数の群れを動員して、国家復興の土台をつくられたのです。お父様は困難だった草創期に、中高生を中心として全国的に啓蒙運動を実施されました。そうして、地方で文字を教え、農村運動に力を注がれたのです。そのようにして基盤を築いたので、今日、韓国は先進国の隊列に加わることができました。

その時の韓国と今の皆さんの立場は違います。皆さんの周辺はみな同じ立場であり、また、助けを差し伸べられる立場にある国々もたくさんあります。皆さんが、この国の主人であるという意識をもち、この国を新たに復興させようという覚悟のもと、一日、二十四時間は短いと考えながら一生懸命に動けば、この国にも希望があるでしょう。

18  皆さんは、エチオピアを復帰し、強く豊かな国にするに当たって先頭に立たなければなりません。そのためには、国民の啓蒙運動から展開しなければなりません。この場に集まった平和大使たちも同じです。皆さんの家庭と皆さんの周辺から、この運動を実践しなければなりません。そして、全国民が平和で幸福に生きていくためには、皆さんから真の愛の生活を実践しなければならないのです。私たちは、とても幸福な人たちです。お父様は何もないところから、一人で出発しました。誰からの助けもない中で始めたのです。そうして、世界的な基盤を築きました。これは、奇跡と言わざるを得ません。もちろん、神様が共にいらっしゃったがゆえに、可能だったのです。神様が皆さんと共にいらっしゃることを忘れないようにお願いします。

南米・オセアニア巡回 19  私(お母様)はアフリカを歴訪しながら、真のお父様が、六・二五動乱によって韓国が廃墟になった状態から、何人にもならない食口を動員して国民啓蒙運動を展開されたことを紹介しました。

その時は、教会に成人した人が多くなかったので、中高生までも動員し、国民啓蒙運動を一生懸命展開しました。これを契機としてセマウル運動が全国的に拡大するきっかけをつくられ、それが、韓国を今日の豊かな国に導くことにおいて大きな役割を果たしました。原理のみ言を中心としたセマウム(新しい心)運動まで並行して行い、韓国が今日、先進国の隊列に加わることができるようになったのです。韓国が精神的、経済的に中心国家になることができた背景には、真のお父様の非常に大きな功労があったのです。

アフリカは、一九五〇年代や一九六〇年代の韓国より良い立場にあります。土地がどれほど肥決か分かりません。何でも、植えさえすればよく育つのです。それなのに、なぜ飢え死にする人が出るようになり、なぜ疾病に苦しむ大陸になったのでしょうか。本当に自分の国だという思い、自分の家族だという思い、主人意識をもった指導者たちがいなかったために、発展がなかったのです。

今日、下さったこのみ言は、私たちが生活するに当たって必ず必要な指針書であり、教科書です。このみ言のとおりに実践すれば、実現されないことがありません。どのように生きるべきかを、すべて教えてくれます。それなのに、なぜ貧しく、なぜ伝道ができず、なぜ発展できないのか、深く反省しなければなりません。

私がウルグアイに来て、モンテビデオ市内を回ってみたところ、廃墟のように感じられました。人が住む都市のようには見えなかったという話です。ウルグアイの皆さんは、反省しなければなりません。皆さんは途方もない祝福を受けました。皆さんが真のオリーブであれば、いまだ復帰されていない世の中は野生のオリーブ畑です。皆さんが繁殖できなければ、結局、数に押されるようになります。

すべてのことを、自分自ら解決しなければなりません。誰かがしてくれるだろう、誰かが助けてくれるだろうという考えを捨ててください。これは自分の仕事です。自分が動かなければ、自分の子女が死ぬこともあり得ると考えて、一生懸命にやってください。

20  アルゼンチンは、一時は豊かな国でした。アルゼンチンが再び豊かな国になるためには、皆さんの精神から変えなければなりません。そのためには、全国民を原理のみ言で武装させなければなりません。

祝福家庭の皆さんと平和大使たちが一つになり、新しい国を建設するに当たって、先頭に立たなければなりません。二〇〇六年七月三十日の祖国郷土還元大会で皆さんがそのような決心をすれば、私(お母様)がここを訪問したことが意味をもつでしょう。アルゼンチンと競争する国がたくさんあることを肝に銘じなければなりません。皆さんがどのような成果を収めるかによって、一等になることも、最下位になることもあり得ます。アルゼンチンの復帰は、皆さんの双肩にかっていることを肝に銘じるようにお願いします

21  ボリビアを神様のみ前に立てるためには、皆さんの責任が何よりも大きいと思います。食口の皆さんにはチャンスがあります。天宙平和連合祖国郷土還元大会の祝福行事を行うように、多くの人をみ旨の前に立てればよいのです。今回、アフリカ大陸を巡回しながら感じたことですが、人間の努力によって、いくらでも豊かに暮らせる国にすることができるというのです。肥沃な土地をもっていながらも貧しく暮らすのは、人間が無知だからです。真の父母様のみ言は、成熟した人間をつくり上げてくれるだけでなく、ボリビアを祝福される国として復興させてくれるでしょう。

22  二〇〇六年八月一日、祖国郷土還元大会のみ言をすべての国民に広く知らせ、真の父母様を知らせれば知らせるほど、希望をもつようになるでしょう。今や、そのような時になりました。天運が到来したのです。ですから、皆さんの責任が重要です。コロンビアにも祝福家庭の二世たちがたくさんいます。祝福家庭の皆さんは、彼らが自由な環境で真の愛を実践して生きていけるように、環境を築いてあげなければなりません。

多くの国々が、家庭問題や麻薬問題などで苦しんでいます。コロンビアも、麻薬、暴行、青少年問題、エイズなどで頭を悩ませています。このようなすべての問題を解消できるのが、真の愛・真の家庭運動です。ですから、コロンビアのイメージを刷新しなければなりません。今や、皆さんが行動で示してあげなければなりません。この国の隅々まで、真の父母を知らない人がいないようにしなければなりません。真の家庭、真の血統、真の愛の伝統を植えなければなりません。そのためには、大学原理研究会、青少年純潔運動など、すべての活動をしっかりと展開し、コロンビアが神様に記憶されるようにしなければなりません。

23  私(お母様)がアフリカに行ったとき、そこの人々に話したことがあります。「半砂漠地帯で富を享受している中東のイスラエルと比較すれば、アフリカは神様が祝福した土地です。それなのに、なぜ貧しい発展途上国に転落したのでしょうか。それを悟らせるために、真の父母様のみ言を伝えなければなりません」と言いました。アフリカを生かすためには、このみ言を伝える道しかないと考えるのです。

そして、彼らに「新しい理念を受け入れて新しく生まれ変わり、真の父母様の真の愛を自分の家庭から隣人、さらには国に拡大していけば、私たちのみ旨は早く成就するでしょう。そのようになれば、皆さんの国も、先進国に劣ることなく、先に進むことができます」という話をしてあげました。真の父母様のみ言を中心として内的に生まれ変わり、新しい人になる運動が切に願われます。

皆さんの中で、韓国に行ってみた人は分かると思いますが、韓国は先進国に劣らないほど発展しました。特にインターネットの分野は、世界のいかなる国よりも進んでいます。皆さんがどのように決心するかによって、皆さんの国、ジャマイカは、急速に発展し、変わっていくことができます。

真の父母様が世界を変え得る土台をつくったように、皆さんはジャマイカを変え世界を動かすことができます。この国にも祝福家庭が大勢います。皆さんの決心によって、ジャマイカが神様のみ旨の前に復帰される期間を短縮できるのです。

24  中央アメリカのカリブ海に位置する島国のバハマは、一四九二年にコロンブスが新大陸を発見し、最初に上陸した国です。これまで、スペインから植民地として支配され、イギリスの領土となり、一九七三年の七月に独立しました。

約七百の島によって構成されたバハマ諸島において天宙平和連合祖国郷土還元大会が開催できるのは、神様の大きな祝福に違いありません。今回は長い巡回旅程でしたが、新しい場所で、神様が長い間準備してこられた人に出会う喜びを味わいながら、二〇〇六年八月四日、バハマのナッソーまで来ました。

今回はみ言を伝え、祝福行事を行う巡回でしたが、ここバハマが神様のみ前に再び立つためには、このみ言と真の父母様を熱く受け入れる道しかありません。神様の祝福がバハマに共にあるように、皆さんが一生懸命に活動することを期待します。

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第三章  国連刷新運動と「天宙平和連合」 第一節   国連刷新運動 宗教国連と「超宗教超国家平和協議会」 真の父母様は、宗教を通した世界平和の実現のために、宗教者たちが主導する宗教国連の創設を提案された。二〇〇〇年八月十八日、アメリカ、ニューヨークの国連本部で開かれた「世界平和超宗教超国家連合」の総会で、真の父母様は、「世界と国連が行くべき道」というみ言を通し、今後、国連は宗教界の指導者たちを中心とした上院と、世界各国の代表者たちを中心とした下院によって構成し、国連を両院制で運営することを力説された。二〇〇三年十月三日、アメリカ、ニューヨークのマンハッタンセンターで超宗教超国家指導者約千五百人が参加する中、「超宗教超国家平和協議会(IIPC)」創設大会が開催された。真の父母様はこの日、「新しい国境線撤廃と世界平和」という題名で講演をされ、「地上天国完成は天地開闢完成」という揮毫を下さった。そして、特に、希望の中で創設された、新しい国連に当たる「超宗教超国家平和協議会」のために最善を尽くすことを参加者たちに願われたのである。

1   私は、宗教者たちを中心として宗教国連をつくろうと計画しています。彼らに出した提案は、宗教が世界平和を実現するに当たって先頭に立とうということです。神様は唯一です。絶対的です。ですから、いくら宗教が多く存在していても、一つの中心と連結されなければなりません。いくら四大宗教の教主がいるとしても、その教主の中に中心がなければならないというのです。

天が絶対唯一だとすれば、絶対的な一つのみ旨の前に、一人の代表者がいなければなりません。その代表者が現れれば、代表者の言葉を聞かなければなりません。宗教世界が一つになり、世界平和をもたらし得る活動をしなければなりません。それをしなければ、宗教は歴史的糾弾を受けるようになるのです。

2   これから、世界を神様のみ旨のもとに結束させなければなりません。そのように結束できる舞台が国連総会です。国連総会は、政治世界を代表する世界的な連合機構です。原理的に見れば、体を代表するのです。ところが、それが心を代表する宗教と闘っています。

体を代表するそれが、サタン的勢力圏を中心として、心の世界である宗教といつも闢争するのです。体と心が闘うのと同じです。それが世界的に連結されて、世界的な宗教圏と政治圏が闘うというのです。それを摂理的に見るとき、一つにしなければなりません。政治を代表する世界的機構が国連なのですが、そこに宗教国連が結合されなければならないのです。分かれた体と心が一つにならなければならないというのです。

3   神様の復帰摂理において、心と体が闘ってきたことを収拾しなければなりません。ですから、このことのためにお父様を中心として、良心を拡大した世界の終着点である「世界平和宗教連合」をつくらなければならないのです。

今後、争う宗教は、すべてなくなります。体の立場である国際連合を中心とした百八十二の国々は、自国の利益だけを考えるのであって、世界平和のことは考えません。互いが利用して、自分の国だけが豊かに暮らそうとしてはいけないのです。政治圏と宗教圏を中心とした心身紛争の歴史が世界的に終息し、闘っていた無神論と有神論を一つの代表機構で収拾しなければなりません。国連で収拾しなければならないというのです。ですから、宗教国連が出てこなければなりません。

4   人は体と心の二つでできているので、心を中心とした宗教国連のようなものが必要です。肉身を中心としたものは、政治国連です。数多くの国を中心として、サタン圏内に基盤ができているのが政治国連です。

ここに対置できるものとして、心の国連のようなものが現れなければなりません。分かれた体と心を一つにしなければならないのです。これをするために、「世界平和宗教連合」をつくりました。国連は体の基盤によってのみ構成されているので、心的基盤である宗教国連を編成し、体と心が一つになれるようにしなければならないのです。

5   今の国連は身体的なもので、精神的なものがありません。ですから、精神的なものをつくらなければなりません。それを一つに連結しなければならないのです。ですから、国連に良心を中心とした宗教圏の大使を立て、政治世界を正さなければなりません。

どのようにしてそれを正すかが問題です。ですから、私たちがアベル国連をつくるのです。神様を中心とした愛の世界、愛の主権世界をつくろうというのです。それは宗教圏が願うことであり、私たちの心の世界が目指す本然の道なので、万民がここに和合できるのです。

6   平和の世界をつくるのは、政治圏だけではできません。宗教者が加担しなければなりません。宗教者が手本を見せてあげなければならないというのです。国連であれば、国連自体が下院となり、現在の国連に上院ができなければなりません。これから上院は宗教圏が支配すべきです。野党と与党という立場から見れば、宗教圏が与党にならなければなりません。

そのようなことが一つになっていないのですが、誰が一つにすべきでしょうか。偽りの父母から分かれた世界的版図を、真の父母が統合しなければなりません。今、国連は浮いています。定着できていないというのです。国連は国ではないのです。ですから、ここで宗教圏が政治的内容まで備えなければなりません。そうして、父母国連、女性国連、宗教国連、青年国連、学生国連を創設し、国家形態をつくることによって、世界平和に向かう、あらゆる組織をすべて準備するのです。

7   宗教者を中心として、アベル国連をつくらなければなりません。今の国連は体に代わるものです。心に当たる国連がないというのです。堕落によって心と体が闘うようになりました。絶えずこの二つが争ってきたのが、人間の歴史です。この闘いをどのように終わらせるのでしょうか。休戦したり、終戦を迎えたりすることはできませんでした。それで、心の側を中心として、「世界平和女性連合」と「世界平和青年連合」、「世界平和宗教連合」、「世界大学原理研究会」が出てきました。これらの団体を中心として、新しいアベル国連をつくるのです。

8   私たちの目標は国連に加入することです。統一教会は、すべての組織基盤を備えているので問題ありません。国家を形成しようとすれば、土地が必要です。また、各国の大使館があります。それはカインの大使館ですが、私たちは政治世界の大使館ではなく、精神世界の大使館が必要だというのです。

ですから、都市も開発し、ローマの教皇庁のように条件さえ整えれば、国を建てることができます。国家を形成しようとすれば、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。そのようにして、国連に加入するときは、単独でするのではありません。宗教界が一つになって加入するのです。ですから、宗教国連をつくらなければならないというのです。

その次に女性国連、その次には青年国連、学生国連をつくるのです。そのように宗教連合をつくり、女性連合をつくり、青年連合をつくり、学生連合をつくって、これらが国連に加入すればよいというのです。

9   カトリックの教皇庁があるバチカン市国が国連に参加しています。そのようなものが宗教国連です。世界の宗教国連と共に連合国をつくり、宗教者たちがお金を出して一つの国、宗教文化圏国家を建てるのです。そうして、大使館を中しとして宗教者たちが協力し、基地を建てることによって国連に加入させれば、国連は完全な思想武装をすることができ、新しい方向を提示できるというのです。

また、世界に戦争や紛争が起きるのを防止できる宗教的背景、思想的背景が垣根になることによって、その中で家庭理想を実現することができます。すなわち、父母、夫婦、子女たちが一つになるというのです。真の父母を中心として、国連の上に一つの国、統一天国が形成されるのです。それを今、準備しています。

10  国連に上下両院の議会のようなものをつくると同時に、宗教圏の国々が国連に大使たちを派遣できるようになれば、宗教圏があらゆる面で先頭に立つようになるでしょう。そうすれば、共産勢力は自動的に退きます。そのようになってこそ、人本主義思想によって決裂した自由世界を束ねていくことができるのです。それを総会で決定すれば、即刻解決されるのです。そのような重大な仕事が残っています。

11  民族と国家、東洋と西洋を一度に祝福できる時が来ました。天地を一日で解放させることができます。釈放も一日、二日、一週間以内に決定して、発表できるのです。世界の人類を一週間以内に祝福できます。個人救援時代ではありません。家庭救援時代でもありません。「超宗教超国家平和協議会」が、天の側のアベル国連の象徴です。

12  神様の祖国と平和王国時代を宣布しました。ですから、既に平和王国時代が始まったのです。父母様を中心として、霊界のすべてが公式的に現れるまでには、数年間かかりました。二〇〇〇年を越えて、二〇〇一年から今まで四年間、その整備をしてきたというのです。私たちが「超宗教超国家平和協議会」を設立する時、「アベル圏国連」ということを言いました。天の側を中心としてアベル圏と言えば、個人時代、家庭時代全体のことを言うのです。アベル圏というのは、今までサタンが支配していたその世界を超えて、楽園と天国に至る道を開いておき、地獄から八段階を超えたアベル圏国家の形態が内的に設定されたということです。ですから、「超宗教超国家平和協議会」は、アベル圏国連として、カイン圏国連を包摂しなければなりません。カイン圏国連には、主人がいません。主人になり得る人を立てるために今まで活動しましたが、反対されました。ですから、それを越えて始めたのが、平和国連です。カイン国連とアベル国連が一つになったものが平和国連です。

13  今や、「超宗教超国家平和協議会」、すなわち、平和国連時代なので、カイン国連時代は過ぎ去ります。平和国連時代だというのです。平和国連時代のために立てたのが平和大使です。世の中には、平和国連もなく、平和大使もいませんでした。そして、平和の祭司長、平和の民族という概念もありませんでした。

14  憲法がなければ、機関別の法を立てることができません。「平和国連時代なので、立法、司法、行政、教育法を立てなさい」と言いました。今までの政教分離をひっくり返さなければなりません。それで、国連に上院のような宗教議会を立てずに、「超宗教超国家平和協議会」をつくったのです。カイン国連に代わって、アベル国連をつくりました。アベル国連は、カイン国連に優らなければなりません。国連には、相対がいません。宗教圏がないので、飛び越えることができるのです。ですから、アベル国連の名を掲げて、「平和国連」と看板を付けても、讒訴する人がいないのです。

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ゴルバチョフとの会談とソ連に対する指導者教育 モスクワ大会の期間である四月十一日、クレムリン宮殿で開かれた真の父母様とゴルバチョフ大統領の歴史的会談を通し、韓国との修交、韓半島統一、ソ連内における宗教の自由拡大の問題などが議論された。真の父母様はこの場で、無神論的唯物論の未来は滅亡しかないため、唯物論を廃棄し、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるよう勧告された。そして、真の父母様の提案により、鉄のカーテンによって閉ざされていたソ連と独立国家共同体の大学生および指導者クラスの人士を、アメリカなどの海外研修に送るプロジェクトが始まった。一九九〇年七月一日から八月十九日まで、四回にわたって三百八十人のソ連の大学生が、アメリカの統一神学大学院で開かれた国際指導者セミナーに参加した。そして、一九九一年一月から二月、ハンガリーの三ヵ所で七百人が参加する中、セミナーが行われ、一九九一年七月から八月には、大学原理研究会の主催により、バルト海沿岸の四ヵ所で二千人以上の学生が参加する中、二十四回にわたってセミナーが開催された。一九九二年一月二十六日から二月九日までは、ウクライナのクリミア半島の十八ヵ所で三千百六十人の学生のため、二十七回にわたるセミナーが開催された。一九九二年三月二十日から四月一日までは、高校教師と独立国家共同体の学生のための「統一原理」セミナーが開催された。このセミナーは、二十三ヵ所で四十回にわたって行われ、七千二百二十九人が参加することにより、それまでの修練生参加入数の最多記録を打ち破った。その年の夏には、八週間にわたって独立国家共同体の五つの地域の二十六ヵ所で開かれた百二十九回のセミナーに、一万八千四十二人が参加した。

13  ソ連が生きる道は、お父様が「やろう」と言うとおりにすることです。KGBは恐ろしい組織です。私たちは言論界を中心として活動をしてきたのですが、モスクワ大会は、KGBが背後で操り、身元保証はノーボスチ通信社が行いました。お父様が調べたところ、そのようになっていたのです。ですから、強大な勢力基盤になるのです。

その人々と私たちが共同で「世界言論人会議」を主催したという事実を、ソ連の人々は理解できません。これが三大不可思議の中の一つです。

三大不可思議とは何かといえば、第一は、お父様がオクチャブリスカヤというホテルに滞在したということです。そのホテルは、キユーバのカストロや北朝鮮の金日成主席のような人々が行って滞在する所です。そこにお父様が泊まっていたという事実が、不可思議なことです。

第二は、お父様がゴルバチョフに会ったということが不可思議です。お父様を捕まえて命を奪おうとひそひそ話し合っていた人たちが、なぜそのようにできるのかというのです。言い換えれば、ゴルバチョフがどうしてお父様に会うことになったのかということです。

第三は、ノーボスチ通信社と私たちが共同で言論人大会を主催したという事実です。これは、ソ連共産党の七十三年の歴史であり得ない事実なのです。

14  ソ連訪問の一週間の期間に、ソ連の内部が完全にお父様と連結されました。ゴルバチョフを中心として、核心要員、重要なメンバーたちが連結されたのです。ですから、ソ連に行っているアメリカ大使館、自由世界のすべての大使館が束になっても、お父様がしたことはできないというのです。そのような段階まで、すべて成し遂げておきました。

この次に、お父様がゴルバチョフに会って握手しながら、「私の言ったとおりにやらなければ、ソ連を救えない」と言えば、「そのとおりです」と言える段階にまで来たというのです。私の話を聞かざるを得ません。

なぜゴルバチョフがお父様に会えば喜び、幹部たちもお父様を好むのでしょうか。ソ連を生かしてあげるために来た人だからです。そのために借金を背負っている人がお父様です。借金をしても、その国を生かしてあげようとする人、借金をしてでも、ゴルバチョフを生かしてあげようとする人は、歴史時代にクレムリン宮殿を訪問した政治家や外交官の中にもいないでしょう。

借金をしながら行うのです。ですから、良心があるすべての人は戻ってくるのです。そこは怨讐の国です。私たちにどれほど反対したでしょうか。そこには、今も反対する人が大勢います。しかし、お父様はその国に、愛をもって、天国の理想をもって行ったのです。

15  お父様がソ連に行く時、共産主義系列の大統領を七人も連れて入りました。キューバの元大統領とイエメンの元大統領、私を紹介したコスタリカの元大統領などがそうです。「頭翼思想」を中心として左右を率いていくので、ゴルバチョフが無視できないのです。自分が一番頭を痛めている国が、その国々なのです。

このようなことを既にすべて収拾し、お父様を中心として集まっているので、その雰囲気をしっかりと利用するのは、自然の法則です。

事が実現するように追い立てていくのです。仕事が上手な人は、そのようにするのです。お金を持っているからといって、実力があるからといって、仕事が上手なわけではありません。環境に合わせて、それに乗じていくようにするのが、上手ということなのです。

16  モスクワに行って、お父様ははっきりと宣言しました。ソ連が生きる道は、ただ宗教的な道しかないというのです。お父様は、生涯を宗教指導者として過ごしてきました。共産主義世界の真ん中であるモスクワで、はっきりと宣言したのです。ですから、共産主義の指導者たちが驚きました。ゴルバチヨフもそれを聞いて同じように驚いたのです。

最後のバンケットでは、「ソ連は絶対に神様を知らなければならない。その新しい道を発見することが、ソ連が新たに復活する道である。再び帰らなければならない。そのようにしなければ道がない!取り除かれてしまう!」と、さらに強烈に話したのです。「神様を受け入れなければ終わりだ」と言いました。

「ソビエトの共産主義圏内にいるすべての人々は、共産主義を嫌っている。だから、皆さんは七十年前に戻らなければならない。原点に帰るべきである。ロシア帝国がどれほど繁栄していたことか!」と、このように宣言したのです。共産主義の中心に向かって対抗したのです。

17  お父様がソ連を訪問し、モスクワ大会を通して、共産主義を根本的にひっくり返しておきました。ゴルバチョフに会って、「マルクスとレーニンの銅像を撤去しなさい」と言ったのです。

「これを撤去しなければ、あなたが、これから世界的な歴史に記録を残す指導者だと言ったとしても、共産主義の名によって侵害されたすべての傷を埋める功を立てることはできない」と話しました。その功を立てられる条件になるので、彼は銅像を壊し、撤去してしまったのです。モスクワからマルクス、レーニン、スターリンの銅像を降ろさせた人が、正にお父様です。

18  お父様はソ連に行って一週間滞在し、帰ってくる時には涙を流しました。「モスクワよ、元気でいなさい。いずれまた来よう。あなたたちが待ち疲れる前に、私は来よう」と言ったのです。そうして、出発する時に歓声が聞こえました。ソ連から霊界に行った数多くの霊人たちの歓声が聞こえてきたというのです。「どうか、また来てください」と言う声でした。ですから、普通の人ではありません。それゆえ、統一教会には希望があるというのです。

今後、ソ連における統一教会の基盤と活動は、劇的に拡大されることを体験してきました。皆さんも、ソ連の衛星国家とソ連に対して関心をもたなければなりません。既に一九七〇年代から密使を送りました。アメリカ、イギリスなど、ヨーロッパの先進国の若者たちを教育して送ったのです。その人が、不意に消えてどこに行ったかと思っていたのですが、今見てみると、ソ連の宣教師になっており、その衛星国家の宣教師になっていたというのです。みな離れてしまったと思ったのに、そのようなことをしていたというのです。そのような歴史を経てきた師です。皆さんも、そのような道を行くベき責任の時代が来ました。

19  お父様は、ソ連のゴルバチョフと偶然に会ったのではありません。会わざるを得ないようにして、会ったのです。その夫人にまで会い、その指揮下にいる重要な人々にすべて会ってきました。十二年前からそれを計画しました。彼らは、ソ連の衛星国家を啓蒙した人がお父様であることを知っています。ソ連の共産主義が、お父様によって今そのようになったことを、すべて知っているのです。

一九八八年にゴルバチョフがアメリカに来た時、国会で演説することになっていたのを、誰がさせなかったのですか。お父様が背後で「ワシントン・タイムズ」を通してさせなかったのです。二年前にそのようにしたのですが、その人が、お父様を自分の奥の間まで親切に案内せざるを得ないことを理解したのです。

今やお父様が黙っていても、ソ連はお父様に付いてこざるを得ません。それで、ソ連政府の重要な幹部二百人をアメリカに連れてきて、教育することを計画してきました。有名な教授たち、経済学の博士たちを連れてきてプログラムを組み、教育することを約束してきたのです。

20  私は、モスクワで飛行機が離陸する十五分前に、ゴルバチョフが遣わした文部大臣に会いました。彼はお父様に、「あなたは共産主義を滅亡させるために先導的な立場で闘争歴史を残しましたが、宗教者であれば、滅ぶのを見て喜ぶ人ではないでしょう。共産主義が生きる道とは何でしょうか」と尋ねました。それで、「必ず、もう一度神様を崇拝しなさい」と答えました。

それを手伝うために、三千五百人から四千人近いソ連の青年指導者をアメリカに連れていき、数ヵ月間にわたって教育したのです。時がいつでもあるのではありません。

CIAは、お父様に対して、「共産主義者たちを連れてきて教育し、アメリカに広めようとしている」と騷ぎましたが、結局はお父様を信じました。ソ連を料理し、アメリカを先導して指導した実績基盤があったので、反対する名目がなかったのです。KGBの副委員長まで来て、教育を受けて帰りました。野党の党首も来ました。

そのような中、ゴルバチョフ政権の時に三日間のクーデターが起きたのですが、三千人の大学生のうちの有志が戦車の前に横たわり、動員されたクーデター軍を阻んだのです。のちに、ソ連の文部大臣がお父様に、感謝するという内容の手紙を送ってきました。そのような歴史を経てきたのです。その背後に、どれほど多くの苦しみがあったか分かりません。

21  一九九〇年十二月十三日に、ソ連とその衛星国家の党首たち五十八人が、アメリカを訪問しました。ソ連と衛星国家は互いに怨讐です。ところが、彼らが教育を受けてからは、互いに完全に一つになり、ムーン・パーティー・クラブ(Moon Party Club)、文党をつくって帰っていきました。

ヨーロッパの衛星国家をソ連と一つにし、共産圏を一つにできるのは、お父様の思想しかないというのです。このクラブをつくって、衛星国家が連合戦線を広げ、世界的にお父様の思想を中心として、国策、国家の施政方針を定めていけるように宣布するという覚悟をして、帰っていったのです。

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第三節   共産主義の終焉宣言とモスクワ大会 共産主義の終焉宣言 真のお父様は、ダンベリー刑務所に収監中、世界の碩学の前で「共産主義の終焉」を宣言するように指示された。ちょうどスイスのジュネーブで「ソ連共産帝国の滅亡」をテーマに、一九八五年八月十三日から五日間、第二回「世界平和教授アカデミー世界大会」が開かれることになっていた。当時、大会を前にして、大会の議長を任されたシカゴ大学の政治学者であるモートン・カプラン博士に向かって、真のお父様はこのような宣言をするように指示されたのである。カプラン博士は、政治学者として、遠回しに「滅亡するかもしれない(maybe)」という表現を使うのはどうかという見解を表明したが、真のお父様は譲歩せず、「共産主義の終焉」を宣言するよう強く求められた。この預言どおり、一九八九年十一月九日、東ドイツの東べルリン国境にある五十余りの検問所が順次、開放され、二十八年ぶりに冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩された。また、一九九一年十二月には、一九二二年から存続してきた、巨大な共産国家であるソビエト連邦の解体が宣言されるに至った。これにより、共産主義体制の終焉が現実となったのである。

1   お父様が「世の中がこのようになる」と言ったことは、すべて当たりました。世界は公式に従って発展します。「世界はどのようになる」と言えば、間違いなくそのようになるのです。「共産主義は、始まってから七十三年を越えられない」と言いました。これを四十年前から宣布したのですが、七十三年目に共産主義がきれいに吹き飛んでしまったのです。

お父様が予言をして、そのようになったのでしょうか。天地の大道の法度がそのようになっているというのです。それが正しいので、そのようになるのです。私が話をするとおりに世界は回っていきます。

2   ソ連帝国の滅亡をお父様は宣布しました。お父様がダンべリー刑務所にいる時、ジュネーブで開かれた「世界平和教授アカデミー」の世界大会で宣布したのです。その時、有名な政治学者であるシカゴ大学のカプラン博士が議長だったのですが、彼をダンベリー刑務所に呼んで、「ソ連帝国の滅亡を宣布しなさい」と言いました。

ところが、彼はリベラルな立場で本を十七冊書いたのですが、「自分がこのようなことを言えば、それらの本がすべて無効になるので言うことができない」と言うのです。そのように言いながら、「ソ連帝国が滅亡するかもしれない」というように、「するかもしれない(maybe)」という言葉を入れようというのです。

しかし、お父様は「駄目だ!」と言いながら、「見ていなさい。五年以内に共産党がどのようになるか。行って話しなさい!」と言いました。宣布をしてこそ、共産主義世界が崩れるのです。結局、五年もたたずに崩れました。

世界の学者たちは、お父様のことを理解できないと言いましたが、宣布してこのようになったので、「このようになるとは思わなかった」と言っています。最近になってようやく、「偉大な師です。尊敬して余りあり、私たちが知り得ない極秘の事実を、実践するための基盤を現実に築いた驚くべき、かつ歴史的な方です」と言っているのです。

3   共産主義を崩すことの先頭に立った人がお父様です。共産世界が倒れるようになったのも、お父様の功労であることを、世界の人々が知っています。日本の功労でもなく、アメリカの功労でもありません。

思想的に闘うには、思想をもって倒さなければならないのです。そのようにするためには、中国やソ連のような所で地下運動をしなければなりません。統一教会は数十年前から、中国とソ連で地下運動をしてきました。

それは、ソ連のKGB(国家保安委員会)や、中国の情報当局も知りませんでした。倒れてから「文先生の地下組織がロシアにあったのか」と言っているのです。そのようなことをしてきました。そういった背後の活動を人知れず今までしてきたのですが、結局、そういった結果になったのです。世界の情勢に合わせて準備したというのです。

4   ソ連共産党まで、お父様が解放しようと思います。闘いではなく、愛の論理をもって解放するのです。それが「神主義」であり、お父様の思想です。

その思想をもっているので、天下に羨むものがありません。孤独が占領することはできず、死亡の波はその前に色あせるのです。共産世界が総団結してお父様(に対する)除去運動をしていますが、お父様は行くべき道を知っています。この混乱した世の中を収拾する代案がどこにあり、生きる道がどこにあるのかというのです。

この世界を代表した一人の男性と女性が、神様の愛に従ってその良心が夢中になり、体が酔いしれて引かれていくというとき、人類がその男性と女性に従っていけば、すべて解決されます。それが大きくなれば、国が生じるのです。

5   お父様がダンベリーの監獄に入っていた一九八四年までのアメリカでの十二年間は、完全に共産化される方向に向かっていた期間でした。その流れをお父様が変えたのです。

共産勢力がアメリカを完全に足の裏で踏みつける限界の時が、一九八四年です。サタンはその時、お父様を監獄に放り込めば、自分の思いどおりになると思っていました。しかし、そのようにはならないというのです。お父様は法廷闘争をしながら「ワシントン・タイムズ」をつくり、「ソ連は滅亡するしかない」ということを発表したのです。

モスクワ大会 真の父母様は、一九九〇年四月九日から十三日まで、ワシントン大会の直後に宣言されたモスクワ大会を開催された。モスクワ国際貿易センターで開催されたこの大会では、元職・現職国家首班四十数人をはじめ、六十ヵ国から来た言論人、政治家、学者など、六百人以上が参加する中、第十一回「世界言論人会議」と第三回「世界平和サミット」、第九回「中南米統合機構」会議などが行われた。

6   ソ連の国民に一番必要なものは神様です。無神論によって敗北者となったので、今からは神様のことを知らなければならないというのです。神様がそのように導き、お父様を立てて「通告せよ」と言われるその心情を知ったので、きのうは怨讐でしたが、自分の愛する父、母、兄弟に接する以上の心をもって、彼らに接したのです。

七十三年間別れていた親不孝者が、放蕩息子の身の上になって父母を訪ねてくるのと同じです。その放蕩息子と向き合った父母が、指輪と服を準備してはめてあげ、着せてあげたのと同じように、お父様がそのようなことをしたのです。

7   お父様はモスクワ大会を宣布したので、モスクワに行くための準備をしています。それで「科学の統一に関する国際会議」、「世界言論人会議」、「弱小民族協会」を設立し、その次に元首相協会を構成して、ソ連を訪問しようと思います。

訪問するときは、五十人以上の元国家首班および総理を連れて、お父様が団長として行くのですが、手を差し出せば、共産党の書記長が握手せざるを得ないのです。その時、私たちのヨーロッパ伝道機動隊員数千人を連れていって、モスクワ大会ができるのです。そのために準備をしています。

8   ゴルバチョフが改革・開放政策を標榜したのちに、ソ連のモスクワを大きく揺さぶる大会を行うのは、一九九〇年四月に行う「世界言論人会議」と「世界平和のための頂上会議」が初めてです。ソ連の外務省、KGB、ノーボスチ通信社などを中心として摇さぶるのです。

ゴルバチョフの重要な側近の一人が、お父様に話したことがあります。お父様は四十年間迫害を受けながら苦労したのですが、(その人が言うには、)自分がソ連に帰って『原理講論』を分かりやすく翻訳し、党を通して三千万冊だけ若い人々に分け与えれば、統一教会が四十年間で伝道した以上の若者たちが一瞬のうちに伝道されると思うということでした。

9   お父様はソ連に行って、ソ連を称賛したり、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)に対して称賛したりしたのではありません。「神様を知らなければ、ソ連は滅亡する」と言ったのです。

神様が見つめていて、すべての霊人たちが今、「どのようになるか」と見つめている息詰まる局面なのに、そこに行ってソ連を称賛すればどうなるでしょうか。「私の話を聞きなさい!天に仕えなさい!」と言わなければなりません。そのようにしてこそ、霊界で「OK!」と言うのです。

10  モスクワ大会について、ノーボスチ通信社が「予想より十倍以上、成功した」と言っています。想像を覆したというのです。ソ連の歴史上にない、記録破りの大会でした。また、今回のことで、ソ連のKGBや政治局、ノーボスチ通信をはじめとする言論界などの各界の機関長たちが驚いたというのです。どのようにして、あのようなことをやってのけるのかというのです。共産党が一番だと思っていたのですが、覚醒したのです。

そのような意味で、お父様を本当に尊敬していたというのです。ノーボスチ通信社の貴賓として正式に招請され、プレゼントを贈呈されました。非常に感謝していたというのです。そのように、ソ連を一度揺さぶってきました。ですから、蕩減条件は余るほど立てたのです。

11  共産党を私の手で溶かしました。それは、世界がすべて公認するのです。民主世界も、今やお父様の手で救ってあげなければなりません。また、ソ連のゴルバチョフを救ってあげなければなりません。その冒険を顧みず、放蕩息子のような立場に立った人を、父母の心で救ってあげるのです。

金日成主席もそうです。一九八七年に、ゴルバチョフと金日成主席がお父様を亡き者にしようと暗殺計画を立てました。そのような、怨讐の中の怨讐です。その事件の調査もまだ終わっていないのに、白昼にモスクワに行き、北朝鮮に行ったのです。アメリカのCIAとFBIが驚いて、「どうか行かないでほしい」と言ったのです。しかし、宗教指導者としての責任があります。お父様が行って、その人々を救ってあげられるように舵を切っておかなければなりません。

12  一九九〇年四月九日から十三日まで行われたモスクワ大会を勝利したあと、私たちは全国的に真の父母歓迎大会を開催しました。モスクワ大会を勝利したなら勝利したで、その勝利が韓国の国民と何の関係があるのでしょうか。

モスクワ大会を勝利したのは、お父様個人のためではなく、統一教会のためでもありません。それは、韓国に勝利をもたらし、アジアに勝利をもたらし、世界に勝利をもたらしたのです。いくら大きな世界的勝利も、世界から始まって降りてくるのではなく、個人から始まって世界に上がっていくのです。今まで形成された歴史がいくら大きくても、その始まりは個人からです。

モスクワ大会を始めたお父様は、いったい何者なのでしょうか。摂理を経綸される神様のみ旨は、自由世界、民主世界を一つにすることです。神様のみ旨は、韓半島を一つにすることです。神様のみ旨は、分かれて争う宗教を一つにすることなのです。

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分捧王 真の父母様は、二〇〇八年四月十三日、国家メシヤの中から、一部を分捧王として初めて任命された。真の父母様は、世界各地に派遣される分捧王たちに、新天新地、すなわち天一国を完成する役割を任せられた。分捧王とは、イエス様の時代にイスラエルを統治していた地域の総督である「分封王」を、このように称したものである。真のお父様は、「もし、イエス様が十字架にかかって亡くなっていなければ、当時、強盛であったローマを通して、世界全域に分捧王たちを派遣することによって、解放・釈放の平和王国、すなわち天一国が既に実現していたであろう」と語られ、分捧王たちには、各国の最高指導者を教育し、み旨の前に立てる使命があることを強調されたのである。

18  天宙平和連合祖国郷土還元大会に、父母様と共に子女たちを同参(一緒に参加すること)させました。父の代わりに母、父母の代わりに息子、娘が一つになって、大会を開催したのです。血統を清めるのは、父だけではできません。卵子と精子を中心として二つが一つになってこそ、血統が清まるのです。ですから、父が母の行く道を築いてあげなければなりません。

イエス様が国家的基準で百二十ヵ国に分捧王を配置しなければならなかったように、その国の人たちを探し出すために行くのが百二十ヵ国の巡回路程です。ローマ時代のイエス様のように、分捧王になれる人を探し出すためのものです。その分捧王は、天の総督です。自分の国の大臣として、総督の位置で血統を清める権限をもち、カインとアベルを中心として、サタンの血統を断ち切るのです。ですから、母と息子、娘が一つにならなければなりません。

19  分捧王は、今まで王(の立場)を経験した人々を一つにしなければなりません。その王たちが六人いれば、その中で模範的な人を選ぶのです。二人を選んで、抽選するのです。ここに、人間の意向が介在してはいけません。家庭でも、父一人ではできません。父と母の二人を立てて、抽選をするのです。神様を中心として神様の承認を受けてこそ、その人が家庭でも主人になります。

自分勝手にやってはみ旨が成就されません。厳格な公式と原則に従って秩序世界が形成されているので、今まで大宇宙がぶつからずに運行しているのです。はるか遠い地の果てにいても、その法度に順応しない人は脱落し、消えていくのです。

20  国家メシヤは、昔のローマ時代の分封王と同じです。総督であり、アベル王だというのです。ですから、各国で分封王のように国家メシヤとなる人は、大使を任命し、完全に天の側ですぐにその国を指導できる立場になります。

21  これから、百九十四ヵ国に分捧王を任命しなければなりません。分捧王は、その国で、誰が次期大統領になるかという問題まで決め得る人のことを言います。ですから、カイン・アベルの王権の上に父母王権を立てなければなりません。天の立場からは、アメリカ大統領より分捧王がもっと貴いというのです。

22  天一国、平和王国の基金で、各国に大使館を造らなければなりません。そして、統一家の分捧王がそこに行かなければなりません。分捧王は、ローマで言えば総督です。皆さんが長兄となり、分捧王としてそこに派遣される時が来ました。皆さんは、世界の先祖の立場で国民を指導すべき使命をもって現れた群れです。原理を知らない人は、ここには参加することができません。ですから、神様の平和王国は、祝福家庭の真の祖国です。

23  国家メシヤは、ローマから派遣された分封王と同じです。分捧王は、ローマで言えば総督です。総督は、その国の国民を生かしてあげるアベル的王です。国家メシヤがその国の大統領を中心として、分捧王の立場で、総督の立場で一つにならなければならないのですが、一つになりませんでした。今や、条件的にでも帰って、み旨がこのようになっているので、このようにしなければならないということを、通告しなければなりません。

その国に行って、祝福家庭や食口がいれば、その国の責任者と一つになり、その国を復帰しなければなりません。そして、最下層に住む貧しい村の人々までも「知らない」と言う人がいないように、お父様が再臨主であり、救世主であり、真の父母であることを、知らせなければならない責任があります。

24  百九十四ヵ国に分捧王と平和大使たちがいます。各国に国家メシヤとして割り当てられた責任者たちは、分捧王としての責任を果たさなければなりません。その次に、分捧王は平和大使たちを直接管理して、天の国の眷属として生きていけるように教育すべき責任があります。時が迫っているので、早くそれを終わらせなければならない召命的責任が分捧王にあるというのです。

25  国家メシヤは、分捧王として、その国の国民を教育しなければなりません。国家メシヤがその国の王を教育し、その国の王だった人々を呼んで指示できる責任者にならなければなりません。

お父様は、そのような資格をもつ人になって余りある実力を備えることができる教材を、すべてつくってあげ、今まで教育しました。ですから、お父様は平和の王なのです。

王の中の王が、平和の王です。お父様は平和の王になり、神様をお連れして回るのです。ですから、王の王であると同時に、万国の王です。万王の王です。それゆえ、神様も共にいらっしゃるのです。数千、数万年の間、閉じ込められて身動きすることもできなかった神様を、私が門を開けて解放してさしあげました。

第三節   「蒙古斑同族世界平和連合」 プリチャッキ(ルーツ探訪)運動と真の父母様 一九八九年六月二十三日、韓国プリチャッキ連合会は、真の父母様を総裁に推戴した。真の父母様は、各姓氏が真の父母様の教えに従い、祝福結婚を通して真の愛、真の生命、真の血統を受け継げば、それだけ人類の復帰が容易になると考えられ、この団体にも多くの支援をされたのである。そして、プリチャッキ運動は、全人類が神様の血統を相続し、真の子女として生まれ変わるまで継続されなければならないと語られた。

1   私たちには、「プリチャッキ連合会」という組織があります。科学であれば科学の根、哲学であれば哲学の根、宗教であれば宗教の根がありますが、すべての分野で根を探し求める「プリチャッキ連合会」をつくろうというのです。プリチャッキとは結局、何でしょうか。平和、愛、統一、理想、奉仕というものの根は、絶対的な神様です。絶対神に帰るのです。ですから、人本主義思想が撤回されてしまうというのです。この根本の根を知らずにいます。その運動を展開しようというのです。

2   「プリチャッキ連合会」の中には、入らない系列がありません。世界に影響を与えようと動くすべての分野、歴史や科学や宗教など、すべてが「プリチャッキ連合会」に入るのです。政治家や経済人、科学者など、そのすべての根は一つしかありません。ですから、プリチャッキ運動を世界化させなければならないというのです。

「プリチャッキ連合会」は、まず蒙古斑同族を蒙古斑血族にしようというものです。そうして、血族を探そうというのです。血族が根になることはできません。血族の先祖が根になるのです。蒙古斑血族の先祖は、神様のほかには、地上の真の父母しかいません。すべて、そこに帰結せざるを得ないのです。

3   根が二つになることはできません。中心の根は一つです。それを紹介できる真理と理論的な世界観は、宗教から探し出さなければなりません。宗教の中で統一的な運動、平和運動として、一つの根の根源は人格的な神様であると同時に、儒教思想や仏教思想など、すべてのものを超越した単一的な根であることを結論づける内容が備わっていなければなりません。ですから結局、「統一原理」で決着をつけざるを得ないというのです。

4   祝福家庭の皆さんは単一同族です。北から来た人も、南から来た人も、すべて同族です。韓国で言えば、金氏、朴氏、文氏など、二百八十六の姓氏は単一氏族です。単一蒙古斑同族を束ねて新しい血族にするためには、地上統一血族圏を形成しなければなりません。

祝福結婚を通して一つの血族をつくれば、世界人類の七〇パーセント以上、三分の二以上が蒙古斑同族なので、世界には争う人がいないというのです。そうして、所有権と境界線のない、一人の主人である父の所有になるときには、世界平和の王土が始まるのです。根の根本が神様なので、神様を知らなければならないというのです。

5   アジア国家の大多数が蒙古の血族です。中東も半分は蒙古の血族であり、白人世界もそうです。蒙古斑同族と結婚すれば、蒙古斑同族になります。イスラエル人と結婚すれば、イスラエル民族になるのと同じです。それと同じように、今や真の父母によって血統が連結されたすべての血族を中心に、血統が同じ選民圏として「プリチャッキ連合会」の活動をするのです。先祖の「プリチャッキ連合会」に連結できる時代を準備しなければなりません。

解放と釈放時代を越えなければならないので、太平聖代、永遠なる一つの王国時代に前進していかなければなりません。今からすべきことは、血統を連結させることです。蒙古斑の血統が世界的に広がっているので、祝福を一瞬のうちに行わなければなりません。

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8   国家メシヤは、神様の代わりに投入すべき立場にいます。個人として投入するに当たって、自分の家庭でも何でも、すべて自分が責任をもった国以上に考えてはいけません。その国でお金を稼いで帰ろうとすれば、罰を受けます。帰れません。ですから、環境創造をしなければなりません。そのためには、命令をするとしても、愛を投入し、生命を投入しながら命令しなければなりません。そうすれば、サタンの血統をもったその人々が頭を下げるのです。そうすることによって、サタンの血統を根絶しなければなりません。強制的に根絶することはできません。自然屈伏させなければならないのです。再創造歴史がそうなのです。絶対的主体であられる神様が投入して忘れるところにおいて、神様の環境創造、神様の創造の偉業が成立するのと同じです。皆さんも同じです。

国家メシヤは、国家のために投入する真の父母です。ですから、そこにすべてのものを投入しなければなりません。自分のものはないというのです。自分の家や自分の土地を残しておいて、「今度、帰ったら住もう」という考えをもってはけません。帰る所がないのです。

9   国家メシヤは、その国で真の父を身代わりし、真の母を身代わりできる立場です。ですから国家メシヤの夫婦は、その国の大統領から、国家を代表した夫婦たちと縁を結ばなければなりません。その縁は、先祖から今の時代まで、また未来にまで連結されています。善なる先祖たちが多ければ、善なる先祖たちを中心として縁をもった全員が、地上と接触してくるのです。善なる先祖たちが、縁のある子孫たちを通して地上に連結されているのですが、その人々は現在、その国に責任をもった人々と比較するとき、高い位置に立った人々ではないというのです。

今まで、世界はサタン世界だったので、悪なる人々が、国を動かすに当たって先導的な立場に立っていました。しかし、善なる人はその反対の立場にいます。ですから、霊的な天使世界が先祖の善なる実績をもった子孫を訪ねてきて協助しようとするのですが、協助するその対象が高い位置の人ではなく、反対の位置の人であることがあり得るというのですそれゆえ、国家メシヤは地位の高い人ばかりを考えてはいけません。国家メシヤは、一国の大統領であれば大統領、王であれば王を身代わりした立場なので、国民全体を等しく考える心をもたなければなりません。そのようにしなければ、天の運勢全体がその国を訪ねてくるのを塞いでしまうことがあるというのです。

10  国家メシヤは、その国に宗教指導者がいれば、その宗教指導者が精誠を尽くす以上の精誠を尽くさなければならず、その国に愛国者たちがいれば、その愛国者たちに負けてはいけません。彼らよりさらに精誠を尽くす立場を取らなければならないというのです。それが国家メシヤの課題です。

神様のみ旨から見るとき、高い地位にいる人々に責任があります。ですから、重要な立場に行くほど、重要な分野、多くの分野に投入して忘れなければなりません。それゆえ、お父様の一生は辛苦の生活です。自分を中心として生きるよも辛苦の生活をするのです。つらくても、つらいとは考えません。

ですから、国家メシヤがどれほど重要な立場にいるかを知らなければなりません。お父様の代身、父母様の代身家庭として立てたので、そこに合わせて活動しなければなりません。

それゆえ、皆さんの家庭と統一教会を中心として、神様がその地に訪ねてきて活動できるようにするためには、皆さんが再創造できる主人の位置にいなければならないのです。神様の力をもらって、再創造できなければなりません。

11  国家メシヤという立場は、お父様と神様のみ前に条約を掲げて立てられた、条件的な責任です。自由な伝統に浸って生き韓国で暮らしていたその習慣性をもって、そこに立てることはできません。新しくならなければなりません。時代的な平準化基準で条件を立てなければなりません。そのような条件もすべて忘れて、昔のように自分勝手に行動していては、大きな審判が下るというのです。一族が滅ぶのです。いくつかの氏族が減べば、その国が行くべき道を行けません。国まで滅ぼしかねないことが起きます。

ですから、お父様はそれを知っているので、疑心を抱きません。一生の間、疑わずに生きるのです。私が信じ、私が約束したことは、訪ねていってでも必ず成し遂げてあげるのです。

ですから、サタンの条件から抜け出し、私を讒訴できないように、天にしかるべき条件を立てることによって自由解放の立場に立ってこそ、神様が私を守ってくださるのです。祭祀をきちんと執り行えば福を受けます。ですから、国家メシヤが条件的な責任を果たすのです。お父様の代わりに責任を背負っていったので、お父様の指示に従って、その国に福を分割してあげなければなりません。

12  国家メシヤは、自分が所属する国のどの食口たちよりも、朝早く起きなければならず、寝るときは遅く寝なければなりません。父母の立場だというのです。食口たちが服を着ることができずにいれば、自分の服を脱いで、与えなければなりません。そのようなこともせず、食口たちのことは気にも留めないで、自分に任せられた国家的な全権行使のみを行おうとしてはいけないのです。

13  国家メシヤは、心を中心として体を管理できる人にならなければなりません。経済分野で負けない経済人にならなければならず、宗教分野では、心霊世界について議論し、あらゆる信仰の伝統を議論するとき、誰も皆さんを負かすことができない、主体的存在にならなければなりません。そのようになれば、国家の大統領や国家首班が、皆さんを訪ねてこざるを得ないというのです。

14  国家メシヤは、お父様が歩んだ生涯路程をそのまま歩まなければなりません。自分の国を捨て、世界に行かなければなりません。私は「お金をあげる」とは言いませんでした。千辛万苦して稼ぎ、自立、自足しなければなりません。

国家メシヤは、氏族メシヤを配置しなければならず、家庭的メシヤをその国の一族を中心として配置しなければなりません。ですから、一族は、自動的に大移動するようになるのです。百八十家庭が連結されているので、祝福してあげれば、自分の後継者として氏族メシヤの立場に立て、その相対になる国を生かしてあげ、世界を代表するカインの国として広げておいてから、帰ってこなければなりません。ここに神様がその一族を中心として一国を設定できるのです。これは、しなければならないようになっています。

15  国家メシヤは、氏族メシヤ圏を確保しなければならず、家庭的メシヤの完成を中心として、サタン世界の家庭をこの地で整備しなければなりません。サタンの血統を断切しなければならないのです。それによって、霊界と地上が完全にひっくり返るのです。ですから、新しい本然の世界で、神様を中心として真の父母が付いていくことができ、真の父母を中心として国家メシヤが付いていくことができ、国家メシヤを中心として氏族メシヤが付いていくことができ、氏族メシヤを中心として家庭的メシヤが付いていくことができる、統一された構造的形態を形成しなければなりません。これが地上天国と天上天国の理念です。

今まで空いていた天上世界のすべてのものを、このように一度に合わせておいてこそ、神様の創造理想を完成することができるのです。アダムとエバを造られた本然の心と愛の実体圏を再び探し出し、この愛の実体を通して愛の実を収めなければなりません。そのような家庭的基準を中心として、国家形成の基準を立てることができる本然の位置に帰ってきたという条件を成立させ、神様の全体、全般、全権、全能の時代に行進するのです。その時には、何でもすることができます。そのような途方もない課題を抱えているのが国家メシヤだというのです。国家メシヤはアベル王です。その国のすべてに責任を負わなければなりません。

16  霊界の解放された国に向かわせ、国民を祝福してあげることによって天国に行けるようにするため、国家メシヤを配置しました。その国の大統領から国民の一人一人に至るまで、祝福しなければなりません。国家メシヤは、国家に送った真の父母です。真の父母は、天国に入っていける資格を賦与するのです。

17  国家メシヤ時代が過ぎれば、何の時代が来るのでしょうか。国家メシヤたちが責任を完遂すれば、地上天国時代が到来するというのです。目の前に迫ってくる途方もない時代を迎えるべき責任者たちが、勝手に行動してはいけません。その国のすべてのもの、始まりも終わりも自分を中心として、その一国の政治、経済、文化というすべての分野が影響を受け、回っていくようにしなければなりません。そのような厳しい責任を果たさなければなりません。メシヤにはそのような責任があります。

家庭的メシヤ、氏族メシヤ、国家メシヤという言葉は、過ぎ去っていく言葉ではありません。すべての動機が真の父母です。真の父母を中心としない家庭はあり得ず、兄弟はあり得ないのです。真の父母の血肉を通して生まれた子女が、真の父母を除外することはできません。ですから、真の父母がすべての出発であり、過程であり、結果です。

国家メシヤは、お父様が指示する内容に従っていかなければなりません。今まで行動してきたすべての習慣的体制、あるいは自分なりのやり方でやってはいけないというのです。今や公式的な路程に合わせて進まなければならない時代に入るので、その公式に従って動かなければならないのです。

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31 私たちがしなければならないことは、「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」を国連に加入させることです。これらを国連に加入させれば、統一の世界に越えていくのに問題がないというのです。「世界平和女性連合」は強力な団体です。一つしかありません。したがって、お母様を中心として完全に一つにならなければなりません。お母様が中心なので、女性連合が国連に入っていけば、これは問題ないのです。

ファーストレディーたちが女性連合の会員として国連に入っていくようになれば、統一国連は問題ないというのです。国連は根がなく、国もありません。お母様が、指導者世界、政治世界、大学世界、そして、若者の世界を率いています。世界のファーストレディーたちが女性連合の会員になれば、そのファーストレディーを自動的に国連大使として送るのです。

32 女性国連が展開すれば、世界から争いがなくなるのです。本来、女性は争いを好まないからです。その争いを防ぐ指導者が、お父様です。争いをしてはいけないという論理をもって解説してあげられる能力のある男だというのです。そのようにできれば、一つになるのです。ですから、これから女性国連ができれば、各国の大統領夫人、総理夫人たちがその国の女性国連の代表者になります。

第二節 国家メシヤと分捧王 国家メシヤは真の父母の代身者 真の父母様は、一九九六年一月一日、アメリカの世界宣教本部で挙行された「神の日」の記念式典で、三十三年在任の公職者と、二十一年在任の海外宣教師を表彰され、清平四十日修練の期間に教育をされた。そして、その後、教育を終えた彼らを国家(的)メシヤとして任命されたのである。国家メシヤは、真の父母の分身となり、世界各国を復帰する使命を遂行することになる。(真の父母様は、)「国家メシヤは、真の父母様が血と汗と涙で探し出された心情とみ言と血統転換という幸福の知らせを伝えなければならない」と語られた。

1 エデンの園で失ったすべてのものを、どのように復帰するのでしょうか。故郷に帰らなければなりません。それで、氏族(的)メシヤと国家メシヤを派遣しました。神様は、イエス様という一人のメシヤを送りました。

しかし、お父様は神様の立場で、百八十四ヵ国に国家メシヤたちを派遣しました。その国家メシヤは、イエス様の時の氏族メシヤより次元が高いのです。その違いとは何でしょうか。イエス様は結婚ができませんでした。家庭がありませんでした。ですから、お父様を中心として、祝福家庭が派遣されたのです。このような次元で派遣されるのは、直接主管圏です。

家庭がなければ天国が出発できません。それで、お父様は世界の人々を祝福したのです。そして、国家メシヤを派遣しました。彼らには家庭があります。彼らの定着地は直接主管圏です。直接主管圏は、サタンが侵犯することができません。

2 国家メシヤは、イエス様の解怨成就をしなければなりません。アダム家庭が失敗したことを、イエス様が解怨成就しなければならないのです。イエス様は、家庭的メシヤを立てて国家を統一し、ローマを消化しなければならなかったのですが、責任を果たせませんでした。お父様は、世界のローマ格であるアメリカや南米を中心として先導する立場に立ったので、彼らが反対できる時代的運勢は過ぎ去りました。世界を収拾できる立場に立っているので、世界的メシヤの立場で国家メシヤを派遣したのです。

国家メシヤが責任を果たせず、一つや二つの国がないからといって、神様のみ旨が成就されないわけではありません。イスラエル選民の一国をもって成就しようとしていたものが、百八十四ヵ国の全体均衡的なイスラエル圏になったのです。

ですから、万民が一緒に天の祝福を受けられる対等の位置に上がっていくのです。このようなことをする橋梁を架けるために派遣された人が、国家メシヤです。

その国の困難には、その国のメシヤがまず責任をもたなければなりません。誰かに責任を負わせてはいけないというのです。自分の家を売り、一族を売ってでも、その国を生かせるようにしなければなりません。

お父様は、もてる財産やあらゆるものを動員して、南北米を統一しようとしました。それと同じように、お父様のような精神をもって、統一的な一線を画さなければなりません。同じ計画のもと、同じ形態で成し遂げてこそ、天が協助します。そのようにしなければ、天が協助しないのです。国家メシヤはその国の総督と同じです。全権をもって治め得る時代が来ました。

3 韓国、日本、アメリカ、ドイツ、この四ヵ国の祝福家庭が百八十四ヵ国に入ります。この主要な四ヵ国の家庭が一つの国に配置されるのです。百八十四ヵ国に四人ずつであれば、七百三十六人です。ここで、アメリカの家庭が足りなくなれば、イギリスとフランスの家庭から補充させるつもりです。ドイツにはイタリアが加わるのです。七ヵ国の大使館に対応できる家庭が行くのです。

その七ヵ国の人々が行って、真の家庭運動をします。真の家庭運動は純潔運動であり、真の愛の運動です。アダムとエバが家庭で純潔を失い、真の父母を失い、真の愛を失ってしまいました。それを蕩減しなければなりません。このすべての家庭が一人の責任者、一組の父母のもとで一つになり、世界とその国に影響を与えなければなりません。この国の代表は、氏族メシヤや家庭的メシヤではなく、国家メシヤの立場で派遣されるのです。これが、国家メシヤの家庭グループになります。ですから、国家メシヤを百八十四ヵ国に配置したので、これが復帰されれば、自動的に世界的メシヤ圏は解放が始まります。王権復帰、地上天国が地上に顕現できる出発の運動が始まるというのです。

4 お父様は、世界解放の立場にまで上がってきました。個人的メシヤ、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、民族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤ、神様まで解放して、上がってきたのです。皆さんを国家的メシヤの位置に上げてあげるので、お父様と神様がするように、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなさいというのです。ですから、出発するときには家を売り、土地を売って、そのすべてのものをその国に持っていって植えるのです。お父様のようにすべてのものを投入しなければなりません。

皆さんが投入できるものが少ないので、氏族的メシヤとして、家庭的メシヤ百八十家庭を中心にして、行かなければなりません。皆さんが行くときは、彼らを大移動させるのです。その国に主体的メシヤの資格をもって行き、その国を救えばよいのです。

ですから、メシヤはカインとアベルを屈服させなければなりません。その国の元大統領と現職大統領を一つにし、閣僚たちを一つにしなければなりません。プラスとマイナスを完全に一つにして国家的転換点をつくり、一時に国家をつなげるようにしなければなりません。そのようにすれば、国家解放が実現されるのです。

お父様は、既に環境をすべてつくっておきました。お父様は、アダム完成、イエス完成、再臨主世界の完成まで、すべて成し遂げました。お父様の中には、イエス様も入っており、アダムも入っています。アダムが失敗し、イエス様が失敗したことをすべて完成したというのです。ですから、地獄から天の国まで梯子を掛けました。

サタンが梯子をへし折ろうとしましたが、もはや完全に屈服しました。サタンと闘って、屈服させたのです。ですから、今や高速道路ができ上がったのです。それは一つしかありません。お父様が四十年かかって勝利したところまで、皆さんは四千年かかっても上がっていけません。その勝利した梯子を、皆さんに貸してあげるのです。

5 国家メシヤは、歴史上初めて存在する肩書きですが、世の中で万年にわたって大統領をするより、もっと価値のあることです。その国の先祖になります。天の国建国の先祖になるのです。

6 国家メシヤは、国の父です。国民を教育しなければなりません。その国の大統領を教育し、閣僚たちを教育しなければならない責任があるというのです。そして、その国の人々を教育して、国会議員から閣僚、大統領にまでなれるように育てていくと考えなければなりません。そのような準備もせず、大統領に会って何かをしようとするのは、間違ったことです。

7 国家メシヤは、その国の人々が自然に感動できるように、手本を見せてあげなければなりません。人と同じように食べ、寝ていてはいけません。父母であれば、そのようにはできないのです。

手本を見せてあげなければなりません。問題は、指導者一人にかかっています。手本を見せずに語る人は偽善者です。「ために生きなさい」と言ったのなら、ために生きなければなりません。そのようにしなければ偽り者です。死ぬ瞬間まで、ために生きなければなりません。み旨をすべて成就できずに逝くというときには、身が切られる痛みを感じ、涙で悔い改めながら逝かなければなりません。死んでからも、ために生きる世界に行かなければなりません。

その膨大な拡大世界に歩調を合わせていこうとすれば、多方面の構造的形態がパート別に分立されている所で影響を及ぼさなければなりません。それをすべてカバーできる愛を中心として、生きなければならないというのです。

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「蒙古斑同族世界平和連合」の創設 二〇〇四年九月二十三日、ソウルで「蒙古斑同族世界平和連合(MPFWP)」が創設された。この機構は、全世界の七〇パーセントに及ぶ蒙古斑同族を束ねる汎世界的な平和連合体である。真の父母様は創設宣言文において、「人類歴史は、宗教や理念などの障壁が撤廃される大転換の時代を迎えている。真の愛、真の家庭の価値を中心に、和解協力、共生共栄、原形回復を通し、平和世界具現の先頭に立つため、『蒙古斑同族世界平和連合』を創設する」と言明された。そして、世界人類をいち早く救い、祝福してあげるため、人類の絶対多数を占めるモンゴリアンたちがまず団結し、その先駆となる使命を果たすことを促された。共通点があれば、それだけ容易に親しくなることができ、一つになることもできるため、蒙古斑という共通点を通して、人類を兄弟姉妹の絆で結ぼうとされたのである。真の父母様は、特に「蒙古斑同族が神様の善なる血統を清く継承、保存すべき主役であり、『蒙占斑同族世界平和連合』が長子としての使命を遂行しなければならない」と語られた。

6   堕落した世界を革命しなければなりません。ですから、国連に対して父母様が国境撤廃を宣言しました。国連がそれをしないので、「蒙古斑同族世界平和連合」をつくりました。蒙古斑同族は、世界で七〇パーセント以上になるというのです。歴史がそうなのです。

ですから、彼らが皆さんのように、父母様のみ言を聞いて「結婚しよう」と考えれば、天下に統一的な連帯関係が設定されるでしょう。また、蒙古斑同族が、父母様のみ言どおりに一つになって王権即位式と戴冠式を行えば、国境がなくなるでしょう。

7   蒙古斑同族は、世界のどこにでもいます。国境を超越し、南米の最果ての地にも蒙古斑同族はいるのです。また、南極を占領するために互いに競争しているその国々の間にも混じっています。ですから、同族同士が通じ合う道を妨げる方法はありません。

同族と言えば、一つの村や一つの家庭で互いに交わって暮らす人々のことを言うのですか、そこでは国境という言葉が入り込むことができません。そのため、内的・心的分野の統一教会の人々と、外的・体的分野の蒙古斑同族が、統一教会の信仰と価値観を中心として一つになり、世界を完全に束ねる同族形態の舞台が展開されるのです。

8   地上で国を一つにし、世界を一つにする方法はありません。それで、「蒙古斑同族世界平和連合」をつくったのです。これは国際連合と同じです。その道に従っていけば国境がなくなるのです。そこには、反対したり讒訴したりする人がいません。解放圏の平和世界を連結する橋がつながった場合、平和の国が現れるようになり、そのことゆえに、地上天国と天上天国が新たに出発するのです。

9   人類の七〇パーセント以上が蒙古斑同族です。「蒙古斑同族世界平和連合」が国連の上に立つようになれば、誰であっても、この連合会の総会で呼ぶときには、来ざるを得ないでしょう。その位置に至るようになれば、国連総会の基準を越えるので、アベル国連をつくる必要もありません。国境がなくなるようになり、そのように国境がなくなれば、どこでも通ずるようになるのです。蒙古斑は同族です。同胞は同族ではありません。血統が違う人も含めて協助するときは同胞になりますが、同族ではありません。同族は先祖の髪の毛から足の爪まで、すべて連結されているのです。皆さんの顔は様々ですが、その顔が先祖の顔とよく似ている人は、その先祖の後援を受けられる連帯関係があります。

同族は、血統を中心として見れば、数千年、数万年の歴史の結実なのです。数千、数万の先祖の血統が連結され、遺伝の法則に従って、ある時代には現れるようになります。白人の家庭でも、黒人の赤ん坊が生まれることがあり得ます。そのような実りとして結ばれているので、「自分は自分だけのものである」とは言えないのです。先祖を身代わりした「私」であり、連帯した一つの細胞を連結するようになれば、現在と未来の子孫まで、血統を通して連結される媒介体の私だというのです。血統さえ引っ張れば、すべて引かれてくるのです。

10  全世界的に血統転換を早くするために、「蒙古斑同族世界平和連合」をつくったのです。血統転換をする前に、まず(条件的にでも)所有権転換をしなければならず、所有権転換の前に、心情圏転換をしなければなりません。今は、それが反対になっています。心情圏転換をしなければ、所有権転換も、血統転換も意味ありません。最も難しいのが、血統転換、所有権転換、心情圏転換です。皆さんがいくら先進国で、お金持ちの国のアメリカや日本の人だとしても、心身が争っている人は天国に行けません。

お父様は、体がどこでどのように葛藤し、紛争しているのかという内容を論理的に教えています。サタンの愛で始まって堕落したので、それを蕩減復帰しなければなりません。自分の所有権は一つもありません。自分の体も自分のものではなく、良心も自分のものではありません。皆が革命をして、次元を一段階超越し、神様に連結しなければならないのです。偽りのオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ木しなければならないというのです。

11  第四イスラエル解放圏では、血統が一つにならなければならず、根が一つにならなければなりません。そうすることによって、第四次イスラエル国、すなわち統一され、解放された善なる万王の王の主権を中心として家庭を拡大した国家、家庭を拡大した世界を成し遂げなければなりません。家庭理想によって一元化された国々を糾合して、世界に連結するのです。

天地を中心とした家庭的な国家形態の姿が連結されることによって、神様を父母とする、祝福を受けたすべての血縁は、子女の立場で安息、太平聖代の本郷、本然の国の構成員になるのです。

12  再臨主が千辛万苦の末にイスラエル選民圏を回復し、イエス様の十字架の恨を取り除いて、復活の実体として現れました。この世のすべてを遮って、真の愛、真の生命、真の血統の絶対的な基準に立ち、今までのすべての愛と生命、そして、血統の起源を整備するだけでなく、消化、吸収しなければならない責任を負ったのです。血統転換のための祝福の知らせをこの地上にもってきた真の父母にサタン世界が反対し、天上世界と地上地獄に置かれている全人類が反対するその立場で、個人的な聖別圏として祝福をつなぎ、家庭、氏族、民族、国家、世界まで祝福をして成し遂げられた聖別圏の上で、初めて個人の祝福家庭王から氏族の王、民族の王、国家の王、宗教圏を中心とした超宗教超国家的王を身代わりするようになりました。

第二イスラエル圏であるアメリカの上下両院を中心として、宗教の創始者たちと宗教の地上代表者たちが心を合わせて一体になり、「真の父母」という名を失った真の愛の主人、真の生命の主人、真の血統の主人を中心として、サタン世界の数多くのカイン的王権を屈服させ、神様を中心とした永遠不変の平和の王権を樹立し、信仰界の一致圏で勝利の覇権を備えて、カイン圏の代表国として「蒙古斑同族世界平和連合」を創設しました。その場で初めて、失ってしまった兄弟権全体の一体圏を形成して、王権を奉献できる時代になりました。

真の父母様は、その期間に世の中を愛するために、カイン世界の個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天地だけでなく、地獄まで壁を崩し、平衡基準に共同の価値の位置を立てて、血統を中心とした祝福解放圏を備えて越えていけるようになったのです。そうすることによって、アダム家庭からひっくり返ったあらゆる血肉をもう一度立て直すようになりました。そうして、天を代表した平和の王として、天が立てられたその王権とカイン世界の「蒙古斑同族世界平和連合」を中心として、地上と天上世界の解放的勝利の覇権を受け継ぐことができる時代を迎えました。

13  平和の王は神様であり、また平和の故郷と平和の祖国は神様が暮らす国です。その神様を知らなければなりません。最も重要なことは、どのようにして絶対的な神様を理解するかということです。一つの地球星で暮らす人類なので、みな兄弟であり、一つの血統であり、一つの同族です。

神様の摂理観は、今まで隠されていました。そのように隠されていた事実を、いつかは明らかにしなければなりません。そのような内容を中心として、「蒙古斑同族世界平和連合大会」を行いました。この大会は、神様の息子、娘の大会、神様の家庭の集まりにならなければならないというのです。それが私たちの目的です。

14  蒙古斑のある人同士が結婚したとしても、世界の東西南北から押し寄せてきて結婚したので、そこには血統が混ざっています。五大洋六大州に拡張する過程で、血統が混ざったのです。同族と言っても、血統が違います。これを完全に整備するために、国家を越えた祝福基準の上で、蒙古斑同族圏を蒙古斑血族圏にするのです。血族は、血統が同じです。一つなのです。

15  私は、宗教者たちが一つになれる連合会をつくって、蒙古人たちも結束させることによって、一つの道を行くようにしています。彼らがカインとアベルです。彼らはお互いに争い合ってきましたが、初めて平和の勝利の旗をこの地上に立てたのです。

父母様に侍り、アダムとエバの恨を解怨したあと、神様のみ前に「神様、帰ってきました」と言いながら、大声で痛哭しなければなりません。神様と涙で離別したのですが、涙で蕩減復帰して、天の本然の場所に入宮するのです。そうして、神様が定着し、その民が満天下の主人になろうと宣誓する場で、初めて永遠の神の国が始まるのです。

16  蒙古斑同族を祝福によって結束させるのは、国境を撤廃する運動です。アジアの三十七ヵ国はすべて蒙古斑同族です。そこには、韓国、日本、中国はもちろんロシアまでも入っています。途方もないことです。アメリカの初代移住民のうち、三〇パーセントは蒙古斑同族が占めています。彼らを「統一原理」で束ねれば、世界平和は問題ありません。

アダム家庭で、カインがアベルの命を奪いました。この道を抜け出させるために宗教を立てたのです。神様が宗教を通して、カイン世界を吸収する時が来ました。善なる王権が始まったので、今から求めるべきものは、超宗教圏、超世界圏です。

アダム家庭で長子が次子の命を奪うことなく、父母の代身者となる長子権が成立していたならば、家庭が完全に定着できたでしょう。ところが、これが今、逆さまになっているので、(定着)できないのです。ですから、最後には蒙古斑圏を同族化して兄の立場に立て、兄の権威を立てて弟たちが自分の立場を訪ねていくようにしてこそ、天使世界、サタン世界と地獄にまでも解放が広がります。

解放の原則として、カイン世界を兄の位置に迎えようとしなければならないのです。そのようにしてこそ、平和の世界になります。今や、接ぎ木(の役事を)して、失ってしまった血統的根源をつなぐことによって、完全解放の位置をつかむようになるというのです

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第四節   「天宙平和連合」 「世界平和のための頂上会議」と「世界平和連合」 一九八七年五月三十日から六月四日まで、二十人の元国家首班が集まる中、ソウルのロッテ・ホテルで第一回「世界平和のための頂上会議」が開催された。「世界平和連合」の中心には、元職、現職の国家元首と世界の著名人による会議と討論の場である「世界平和のための頂上会議」がある。真の父母様は一九九一年八月二十八日、ソウルのリトル・エンジェルス芸術会館で「世界平和連合」を創設された

一九九〇年の、真の父母様とミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領の会談がこのきっかけとなったのである。真の父母様は創設大会において、「各国が利潤追求だけのための経済中心政策を行うことは控えなければならない」と明言され、世界の首班たちが集い、相互理解と信頼関係を深める新しい次元の会合を提案された。これを受け、頂上会議では各国の利害関係を越えた議題を中心に、世界平和実現の問題を議論してきた。

1   再臨主として来られる真の父母は、第三イスラエルの統一圏を形成しなければなりません。ここにアメリカが協助し、イスラエルが協助しなければなりません。誰もそのことを知らずにいます。ですから、これを知っている統一教会が責任をもたざるを得ないのです。また、父母様と関わりのある世界的なすべての人脈を連結しなければなりません。そのような意味で、「世界平和のための頂上会議」を結成したのです。

2   世界で問題になるのは、第一に共産主義、第二に宗教の没落、第三は青少年の淪落だと考えています。今、全世界の国家指導者たちが最も苦心しているのが共産主義問題です。世界の指導者クラスを大きく分ければ、一つは外的世界の国家指導者たちであり、もう一つは内的世界の宗教指導者たちです。

全世界の宗教指導者たちにとって問題となるのは、疲弊したこの宗教をどのようにして再復興させるかということです。その次が青少年問題です。お父様は、これらの問題を解決するために立ち上がりました。世界の学者たちを集め、この世界の多くの国の大統領や首相たちを中心に頂上会議を設立し、高い次元で未来の世界が行くべき道を提示しようというのです。そのことに既に着手しています。それが可能な線を越えて実践段階に入っています。

世界の学界でも、共産主義を退けられる人はお父様しかおらず、世界の指導者層でも、この世界を共産主義から救える人はお父様しかいないと見ているというのです。ですから、既に外的世界は、絶対価値を中心として世界の知識人たちを糾合することにおいて一段落したのです。

3   「世界平和のための頂上会議」を設立し、最高の学者たちを連結して、その国のトップを動かす基盤を築かなければなりません。今や頂上会議を設立しておけば、一つの国当たり、少なくとも元大統領や元首相が三人以上は入るので、彼らが集まり、現地でどんな人に対しても、「私たちの話を聞かなければならない」と言えるようになるのです。そうすれば問題は簡単です。その国の最高の学者たちと最高の権威ある人と、その国の元職・現職大統領たちがお父様のことを「良い」と言いさえすれば、世界が回っていくのです。

4   一九九五年の「世界平和のための頂上会議」に参加していたのは、各国の首相や大統領を務めた人々です。カイン圏です。新しい王権を約束するために来られる父母様の前には、カイン的な立場です。各国で大統領と元大統領はカインとアベルです。いかなる国でも、元大統領が三人以上います。七人までいる国もあります。その元大統領たちは、その国の大統領を動かすことができるのです。私は、そのような背後の基盤をすべて組みました。

ですから、この人々を中心として、大統領を動かし、お父様を国賓以上に歓迎できるようにするのです。お父様はこのような国を相手にします。その国の国民の三分の一以上を祝福の隊列に同参(一緒に参加すること)させるという約束を取りつけてから訪問するのです。

5   お父様は、世界的に「世界平和宗教連合」を中心として宗教界を連合し、「世界平和連合」を中心として政治を一つにする運動をしています。このような運動は、神様の摂理を知る人や、天の側の国家がしなければならないことです。まだ、そのような国家がないので、これを知っている人がしなければならないというのです。それがお父様の立場です。このようにして、個人から世界までさっと進んでいくのです。共産主義に対して勝利したお父様です。

6   旧約時代から世界的な新約時代の終結まで迎えようとすれば、イエス様の十字架の死によって生じたすべての争いを清算しなければなりません。父母様は、右翼と左翼、心と体が分かれたものを一つにするために、「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」を創設したのです。右翼と左翼の問題は父母様の手によって解決され、イスラーム世界も父母様を中心として祝福し、一つにまとめる活動をしています。

再臨主は、再び生き返ったイエス様の立場に立っています。ですから、思想界と宗教界を収拾しなければなりません。「世界平和宗教連合」は心の世界全体を統一したものであり、「世界平和連合」は体の世界を統一したものです。分かれた体と心を、世界的に実りを刈り入れて統一しなければならないというのです。

7   ヨーロッパでは、これからキリスト教文化を中心として一つの文化圏が形成されます。ところが、新教と旧教が闘っていることが問題です。新教と旧教を誰が一つにするのでしょうか。彼らを一つにできる人は、私たちしかいません。ヨーロッパが統一されれば、南北米も一つになります。北米は新教独立国家であり、南米はラテン文化の旧教国家として、これらが互いに闘っているのです。これらも、ヨーロッパが一つになれば、自然に一つになります。

ヨーロッパと南北米さえそのようになれば、アジア圏はそこに従っていかざるを得ません。アジアを代表し、統一教会を中心としてすべて連合していくのです。ですから、早急に日本と中国、そして、ロシアを一つにまとめておかなければなりません。そのような意味で、一九九四年三月の「世界平和連合」ソウル大会が必要だというのです。文化圏をもって価値観を設定し、一つになることができなければならないのです。

8   韓半島の周辺にアメリカ、日本、中国、ロシアの四大強国があります。この四ヵ国の重要な要人たちを組織して、世界平和会議を開催しようと思います。百二十ヵ国以上の代表を集めて国連をアベルに立て、世界平和会議を主唱し、四ヵ国の代表四人がサインして世界に発表するのです。そのようにすれば、いかなる国でも参加せざるを得ません。

ここには、アメリカ、ロシア、中国、日本などの経済界の最高クラスがすべて集まっています。ですから、その指示する方向に応じなければ、今後の貿易問題、外交問題など、すべての面で損害を受けるようになります。

それで、お父様は、「世界平和連合」をつくったのです。平和世界を成し遂げるためには、周辺のいくつかの列強だけが集まってはいけません。このような基盤をもって、今後、世界が行くべき方向を指導できる人はお父様しかいないというのが、最高の為政者たちが下した結論です。

9   今まで、世界に各種の平和会議が多くありましたが、知ってみれば、すべてが自分、あるいは自国の利益を優先させる会議なので、利己主義に目がくらみ、真の世界平和の道を探し出すことはできません。

私は「世界平和連合」のほかにも、「世界平和女性連合」、「世界平和宗教連合」、そして、「世界平和青年連合」まで創設し、二十一世紀を、ために生きる利他主義の新世界に導くための人類を代表する中央機構、すなわち民間国連のような汎世界的機構をつくろうという夢をもっています。言い換えれば、明けてくる二十一世紀を見越しつつ、互いにために生き合う世界と真の愛を実践する新しい世界秩序の確立に邁進しようとしているのです。私が創設したあらゆる機構と組織は、正にこのような世界的な愛の実践の場として設立された組織です。そして、「世界平和連合」は、創設してからまだ三年たっていませんが、このように多くの世界の指導者の同志をもつようになったことに、私はとても満足しています。皆さんは、私がこのような世界平和運動を起こした動機がどこにあるのかを正確に理解してくださり、私と共に真の平和世界建設に向かって邁進しましょう。

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「天宙平和連合」の創設 二〇〇〇年八月十八日、アメリカ、ニューヨークの国連本部で開かれた「世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)」総会において、真の父母様は、世界平和の具現のために国連を上下両院に再構成し、韓半島の軍事境界線を含む世界のすべての国境地帯を平和地区に指定することを提案された。続いて、二〇〇五年九月十二日、国連に代わる新たな平和機構として「天宙平和連合(UPF)」を創設された。真の父母様は、この日の基調演説において、「『天宙平和連合』はカイン的な既存の国連の前にアベル的な国連の使命を果たすようになる」とされ、「国連ができなかった限界を克服し、宗教と霊的覚醒に基づいて地球村の紛争と戦争を防ぐに当たり、民間国連の役割を果たすようになる」と強く主張された。そして、真の父母様は、「天宙平和連合」の創設直後から十二月二十三日まで世界百二十ヵ国を巡回し、創設記念大会を開催された。この期間に、ブルンジ、タンザニア、アルバニア、パラオ、ソロモン諸島などの現職大統領と総理など国家首班十人が、平和大使として活動することになるなど、各国の指導者たちが積極的に同参した。また、フィリピンとウルグアイの大統領、アルバニアの総理、カンボジアの皇太子など、各国の最高指導者たちと会談し、「天宙平和連合」を通した世界平和運動を積極的に推進することに合意した。

10 アベル国連である「天宙平和連合」を創設しようと思います。これは、国際連合と同じです。国際的な平和連合をつくろうとしているのです。ここに「天宙」という言葉が入らなければなりません。ですから、「天宙平和連合」という名前を付けました。天地の平和を中心として連合した一つの天宙平和統一国、すなわち天一国になるのです。ですから、「『天宙平和連合』を中心としてアベル国連を編成する」と、公式的に発表するのです。

11 天は平和と統一であり、サタンは闘争と分裂です。滅びるか栄えるかはそこで分かれます。サタンは天と共にいることができないので、悪はなくなり、善は残るというのです。ですから、「天宙平和連合」です。サタンが地からいなくなるので、地球星は、完全に栄える平和の境界内に抱かれるのです。私たちの活動目標は、「天宙平和連合」の創設とともに、祖国の地を回復することです。今や、これを私たちの生涯の目標として定めて、進まなければなりません。

12 天宙とは、宇宙の家を意味します。大きな家庭です。「天宙平和連合」は、大きな家庭を平和にする連合体です。大きな家庭に平和が訪れるので、地上・天上天国になるという意味です。その中心は神様です。

父母様が責任をもつのではなく、今からは神様が責任をもつ時が来たというのです。自分が中心になってするのではなく、神様に委ねなければなりません。霊界に委ねると、霊界で主導する内容と私たちが相対的関係さえ結べば、み旨は自然に成就されるのです。

ですから、皆さんの心は、どこに行き来しようと「天宙平和連合」に関心をもたなければならず、その世界に一歩でもより近づいていくために、神様にすべて委ねることができなければなりません。私たちが神様にあらゆることを委ねれば、神様が中心になるので、できないことがないのです。蕩減もなく、サタンの反対もないので、神様が思いどおりにできます。そのような時代が来ました。神様が思いどおりに、主人の役割を果たすことができるので、私たちが神様の背中に背負われていくという思いをもって進めば、迫害も飛び越えることができるのです。そこに「天宙平和連合」を立てた重要な意義があります。

13「天宙平和連合」はアベル国連です。父母様は既にアベル王権までも発表しておきました。アベル王権、「天宙平和連合」、そのアベルの国は、兄を滅ぼすのではなく、兄を協助することによって、世界の問題に対し、和合の伝統を立てて解決していくのです。

韓国と北朝鮮、ロシアと中国、ロシアとアメリカの問題も、結局、真の父母が入っていけば、争うことなく解決されるのです。共産主義の父母が現れ、民主主義の父母が現れたのですが、父母のことを知れば、この父母に反対できないのです。そこに絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、天地統一連合が生じ、それは、「天宙平和連合」時代からアベル国連時代を経て、アベルがカインを収拾し、天宙平和王権に越えていくのです。

14 父母様は、「天宙平和連合」の看板を掲げて、批判されようと、むちで打たれようと、冒険をしようと思います。きれいに有終の美を飾っていこうと考える人です。苦労で始まったので、苦労で終わらなければなりません。自分の欲心をもって終わってはいけません。息子の時代や孫の時はもちろん、何十代以降にも、再び補う必要がないようにするのが父母様の願いなので、一つの表題を、一年ではなく、十年、千年までも掲げていくのです。

15 アメリカで「天宙平和連合」の創設大会をするやいなや、百二十の国家を巡回しました。父母様が一生の間、蕩減しながら勝利したものを、百二十ヵ国にもっていって植えてあげたのです。まだ統一教会に反対する人がいますが、皆さんは少しも恐れることなく、推し進めていきなさいというのです。

統一教会の人々が、百二十ヵ国に出ていって、「父母様は、私たちの国に一度来るだろうか」と考えていたのですが、初めて百二十ヵ国を巡回しました。父母様が勝利したものを植えてあげるのです。ですから、一つも反対できませんでした。百二十ヵ国に、反対する人がいなかったのです。島国から半島、大陸まで、反対する人がいませんでした。

そして、勝利したものをすべてお母様に渡して、「カインとアベルを一つにしなさい」と言ったのです。それで、お母様が百八十ヵ国を巡回しました。お母様を立ててしたのですが、神様を中心として、いつでも父母様をお迎えしていくのです。

16 お父様は、二〇〇五年九月十二日から、イエス様が立てることができずに断絶されていた血統を立てるため、世界百二十ヵ国を巡回しました。血統を転換するのです。そして、お母様と一緒に巡りながら、お母様が行く道を開いてあげるのです。エバが堕落するときに血統を汚したので、それを正さなければならず、カインがアベルの命を奪ったので、それを正さなければなりません。お母様と息子、娘が一つになり、お父様が残しておいた道を行かなければならないのです。

イエス様が母(妻)を立て、その母と共に、息子が百二十ヵ国を巡りながら家庭理想を植えなければならなかったのですが、それができませんでした。今回の二度目の百八十ヵ国巡回では、分かれたカインとアベルを束ねるのです。個人、家庭、氏族、民族など、分かれたものをすべて一つにまとめるのです。そうして、お父様がサタンの血統を断ち切ってあげ、お母様が代わりにそれを受け継ぎ、世界的に息子、娘、カインとアベルの問題を解決するというのです。

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第二節「南北米統一連合」と「中南米統合機構」 カウサとアウラの創設と千万会員の確保 一九八〇年十月、南北米大陸の統一と協力を通した世界平和実現のため、元国家首班を中心に「南北米統一連合(CAUSA)」が創設された。アメリカのカーター行政府の人権政策により、南米で左翼政党が政権を握るなど、共産主義の浸透が露骨になってくるや、真の父母様は、南米の指導者たちを対象に「統一思想」教育を実施され、これが大きな反響を呼び起こした。このような基盤の上で創設されたカウサは、南米大陸の赤化を防ぐ先頭に立った。これとともに、一九八三年に中南米の国家が参加する中南米統合機構(AULA)」も結成された。

1   統一教会では真の父母に侍っていますが、それは国家と世界を越えていません。ですから、真の父母を迎えたことを、国家と世界と霊界にまで拡大する運動をするのです。これが、今日の統一教会の運動です。時が近づいてきています。

国家が統一教会、国家が真の父母を迎え入れる環境が、今迫ってきているというのです。その国は、どのような国でしょうか。最も悲惨な国から始めます。共産世界と民主世界によって患難を受ける国から始めるのです。それが南米のエルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラのような国です。それで、南米で「カウサ(「南北米統一連合」:CAUSA)」活動を国家次元で展開しているのです。南米二十六ヵ国に組織をつくったのちに、北米においてまでカウサの活動を行っているのです。

2   カウサを中心として、南米のあらゆる分野の復興のために、これから大統領たちを動かし、国会を動かして導いていこうと思います。お父様は、国もなく、追われた人です。しかし、そのようにできる内容を備えているので、私が真ん中に立てば、南米を一つにできるのです。お父様が真ん中に立てば、南米の指導者たちを一つにできると考えるのです。

アメリカでお父様の脱税容疑に関して論争が起きると、この国々は各国の大使館を通して、「アメリカ式の調査ではなく、私たちの情報機関を通してレバレンド・ムーンを調査しよう」と言い、お父様に対してすべて調査しました。お父様がアメリカで、何の罪もなく迫害を受けているという事実を彼らが調査し、結論を下したのです。「アメリカは間違っている。カーター政府は、反共主義者であり天のみ旨が必要とする人を迫害した政権だった」と判定しました。そして、「その時、先頭に立って闘ったレバレンド・ムーンは、私たちの同志の中の同志だ」という結論を下しました。南米が共に歩むことのできる同志だというのです。

3   南米の地位の高い人々に対し、カウサを中心として教育を終えました。一国で五百人ずつすれば、その五百人の中に、閣僚と州責任者など、あらゆる要人が入ります。そこは、私たちの版図圏に入っています。それで、私はウルグアイのモンテビデオに多くの予算を投じて、大きなホテルを造っています。ウルグアイは南米のスイスのような所です。その国の海岸線が美しいことで有名なので、世界の大富豪たちが途方もないお金を出して、ここに土地を購入しようと互いに競争し合っています。

ですから、この土地を売ってしまうと国家の将来にとって貴重なものを奪われてしまうと考え、法的に規制しました。「誰が購入しても、二十五年以上所有することはできない。二十五年後には返還しなければならない」としたのです。私がそれを百年に延長させました。お父様がホテルを造れるように、新たに法を通過させて許可が出るようにしたのです。この国は、お父様と「統一思想」を引き入れれば、南米が生き、自分の国が復興すると考えているのです

4   今までは、アメリカが教会と政治を分立する立場で来たので、私たちは教育を中心として歩んできました。これからは、この影響圏を拡大しなければなりません。底辺に影響圏を拡大して、カウサの会員を千万人以上に突破する運動をするのです。それを始めて、四千五百万人ないし五千万人をキリスト教圏から吸収しなければならないというのが、お父様の計画です。

そのようになれば、私たちが苦労しなくても、すべてのクリスチャンはもちろん、全宗教界を吸収することができます。そのように、新たにキリスト教が私たちと一つになることによって、ローマ教皇庁を中心として、南米やラテン文化を背景に、世界のキリスト教圏を完全に再復興させ得る道が開かれると考えるのです。

5   南北米で行っているカウサ運動は、勝共活動と同じです。アメリカは、連邦政府に上下院があり、また各州も、上下院の両院からなっています。ですから、中央政府が思いどおりに支配できません。各州に法があり、その州法によってすべての施策を展開していくようになっているのです。

ですから、政治界の大物たち、有名な人をすべてまとめておかなければなりません。そのような作戦を終えているので、今お父様は、アメリカの政界に相当な基盤をもっているのです。

6   アメリカで、千万人の勝共連合の会員を募集しているのですが、皆さんが祈ってあげなければなりません。アメリカでは「国際勝共連合」のことを「カウサ」と言います。カウサ会員一千万人募集運動が、一九八六年九月一日を期して始まりました。

アメリカ人たちは、ある団体にサインをして加入することに対して、自分の全生命と全財産が連結されていると考えるのです。その人々にとってサインをすることは、私たち東洋人とは違います。彼らはすべての責任を負うという気持ちで慣例的にサインをしてきたので、サインをして加入するというのは、普通のことではないのです。

ですから、これを始めるとき、アメリカの統一教会のすべての食口たちは、不可能だと考えました。今まで統一教会とお父様は、可能なことをしてきたのではありません。不可能なことを今までしてきたのです。生涯を通して行ってきたことは、その当時の人々の眼識を通して測定できる、ある限界内でしたことではありません。その眼識を越え、測定できない限界以上の範囲を通して摂理される神様のみ旨があったので、今まで統一教会を指導するお父様は、人々の想像できないことをしてきたというのです。

7   アメリカの一般人や中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)では、「サインをもらってカウサメンバー募集運動をしたが、それはすべて名前だけだろう。そのあと、どうするのか。それをして何をするのか」と言いながら、私たちを眺めています。しかし、私たちは何としてでも(一千万人の会員を)消化しなければなりません。

皆さんに「サインをもらいなさい」と言ったのは、消化するためです。(ですから)皆さんは、サインをもらう活動がすべて終わったからと言って、手を休めて何もしないでいてはいけません。私が一九八六年十一月二十四日、アメリカに到着したその日の夕方に、千万人の会員募集がすべて終わりました。日付も合いました。その時点に達したので、お父様がアメリカに戻ってきたのです。

これからどのように千万人を消化するかが問題です。彼らを何としてでも、私たちが消化しなければなりません、彼らを消化するために、お父様は既に全米にいるキリスト教の牧師三十万人以上を中心として連合運動を行い、その牧師たちを韓国に連れていくのです。

8   アメリカのキリスト教が、二百年間でヨーロッパの旧教文化圏のエキスを抜き取ってきたのと同じように、私たちも新しい地上天国理念をもって、全世界のキリスト教文化圏、統一されたその世界のエキスを抜き取り、新しい天国を造らなければなりません。それは、長くかかりません。あっという間です。南北米を中心とすれば一瞬なのです。

新教文化圏も捨てられず、旧教文化圏も捨てることができません。神様が理想とされる地上天国の実現が、旧教と新教を中心として一次、二次と失敗したので、この地を代表して成功しなければなりません。中世にカトリックを中心として成し遂げようとしたことを、成し遂げられませんでした。二つの世界です。ですから、真の父母の時代に旧教と新教を一つにして、地上に神の国を成し遂げられるモデル国家を立てなければなりません。

9   一九九二年八月にすべてを終え、真の父母を宣布することによって真の父母が設定され、地上に着陸時代が訪れたというのです。イスラエルの国とユダヤ教が失ってしまったものと、アメリカとキリスト教が責任を果たせなかったもの、そのすべてのことが蘇生し、定着できる時代に入っていくというのです。そうして、母と父が横的に立つのです。

イエス様の時は縦的に立ちました。縦的(なもの)には中心の一点しかありませんが、横的(なもの)には三六〇度(の広がり)があるのです。ですから、父母様はどの国にでも行けるのです。すべての国が歓迎します。

また、私は中南米を束ねて「中南米統合機構(AULA)」をつくりました。中南米のカトリック圏を一つにするのです。そして、北米の新教と南米のカトリック圏を一つにしようとしています。中心に立ってすべて消化するのです。そのような核心的な真理をもっています。そのように強力な武器をもっているのです。

アメリカの予備役将軍と国会議員教育 アメリカの指導者のためのカウサ教育は、予備役将軍と牧師、国会議員などを中心に実施された。共産主義の危険性を知らせ、アメリカ人の覚醒を促すこの教育は、カウサ一千万会員募集運動とともに展開された。その当時、アメリカの有識者と言論人に流行していた左寄りの進歩思潮は、背後にソ連がいる国際共産主義の世界赤化運動とかみ合い、自由世界全体を脅かしていた。真の父母様は、この問題を深刻に考えられ、全力を尽くして「勝共思想」運動を指導されたのである。そのような努力の結果として、共産勢力の拡大が阻止され、衰退するようになった。

10  共産主義に勝とうとすれば、まず思想戦で勝たなければなりません。思想戦で勝とうとすれば、大国と言われるアメリカで、それをすべて踏み越えて上がらなければなりません。

ですから、七千人のアメリカの州上院議員のうち、一九八六年の六月前までに、三千人の教育を終えるつもりです。アメリカの上下両院議員たちがカウサ教育を受けます。統一教会の思想を学ぶのです。「神主義」を学ぶのです。

また、アメリカの退役将軍、陸・海・空軍の四つ星将軍たちが、カウサ教育を受けています。一九八六年三月になれば、五十州で大勢の将軍たちが在郷軍人会の顧問になって、在郷軍人たちを教育できる体制ができます。

世界の共産党を一日も早く取り除くための最前線で、熾烈な闘争の旗手になっているというのです。皆さんが思想戦の先頭に立ち、敗者にならず、今まで勝者の旗手の立場を維持してきたというのは驚くべき事実です。

11  私は、アメリカで在郷軍人連合の運動をしています。それで、米軍の退役将軍たちを集めて教育するのです。在郷軍人会長団の人々を顧問団にして、地方別に五十州から陸・海・空軍の退役将軍たちを集め、「自分の故郷を中心に郷土防衛のための活動を強化しなさい」と言いました。年を取っているからといって、ただそのまま流れていくのではありません。「『私は年を取っていても、国のためにこのように生きて余生を送る』と言えば、それに誰が反対するだろうか。国を愛さなければならない」と言ったのです。

私はダンベリーの監獄にいながら、一九八五年、「国際郷土防衛連合」を創設しました。

その時から始めて、アメリカの退役将軍たちの教育がすべて終わる段階にあります。共産主義を防ぐためには、「勝共思想」でなければならないことが、既に決定的な段階に入ってきました。そのようになるので、行政府が影響を受けるようになり、その次には、政治家たちが影響を受けるようになるのです。

12  南米を救うために、アメリカの将軍たちによって構成された軍事顧問団を南米に配置するのです。共産党を防がなければならないので、この軍事顧問団を中心として、軍事情報とゲリラ戦に対して訓練させなければなりません。今日、自由主義世界の著名人たちは、お父様の影響圏内にあります。

それで、この計画を国際的に実現するため、「国際郷土防衛連合」を創設したのです。それがいつでしょうか。一九八五年六月七日、ダンベリーの監獄にいる時です。神様のみ旨、選民歴史観を終結させなければならない天命があることをお父様は知っているので、このことをするのです。

13  アメリカで、空軍、陸軍、海軍の傷痍軍人、将軍クラス以上の人は、既に私たちのカウサ教育を受けています。大将から、誰彼を問わず、有名な人はみな、カウサ教育を受けているのです。そこに、アメリカの在郷軍人全体の組織の長まで連結させる運動を促進している状況です。そして、「中南米統合機構(AULA)」という機構を創設しました。

今まで、アメリカの権威ある将軍たちが中南米を指導してきましたが、中南米のことを考える将軍たちはいませんでした。これからは、中南米のために生きることができるアメリカの四つ星将軍出身者を、三十一ヵ国に派遣するつもりです。お父様が月給をあげてでも派遣するのです。

共産主義ゲリラを撲滅するために三十一ヵ国を連合し、ゲリラ訓練とともに情報責任者たちを教育して、超中南米的軍隊を編成しなければなりません。そのようにしなければ、中南米が生きることはできないと考えるのです。

既にアウラ組織が編成されてきたので、それさえできれば、経済問題はこの連合機構を通して自動的に解決されます。共産主義を南北米基準で防がなければ、世界を赤化の危機から救うことはできないと考えるからです。

そのようにしながら、ヨーロッパ連合機構とアジア連合機構を編成しなければなりません。共産党が存在する時が、世界的機構を編成できる絶好の機会だと考えるのです。

このようにお父様は、他の人々が夢にも思わないことを今までしてきました。

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22  今後のアジア政策で、一番の要となる国が日本です。今は経済戦争を始めている立場です。しかし、あくまでも日本を除いておいては、アジアを導くことはできません。今はアメリカが親中政策を取っていますが、その文化水準から見て多くの違いがあるので、これをアメリカの文化基準と連結するのは不可能です。ですから、いくら身もだえしても、アメリカは日本を中間媒介体にせざるを得ないと考えるのです。それゆえ、その前に早く、韓国は国家的基盤を世界的に連結しなければなりません。これが、韓国が生き残る道です。

韓国の七百万の勝共会員の家庭が連結されれば、アメリカの牧師家庭を中心として、団結して入ってくるキリスト教の影響圏を結束させる道が自動的に連結されます。これは、国家的次元よりも国民的次元、家庭的次元で基盤を固めていくのです。その家庭の上でこの基盤を拡大し、私たちの要員を、国を動かせる要員として立てるようになれば、韓国と日本とアメリカが、新しい世界摂理史的な使命を果たすことができる位置に進むと考えるのです。

朝鮮総連と民団、そして南北統一運動 韓国は、地政学的に中国および北朝鮮と日本の間に置かれている。それゆえ、真の父母様は、日本が共産化する場合、韓国の保安が危うくなると語られ、朝鮮総連系の在日同胞を対象に行う勝共教育を強化する一方で、彼らを南北統一運動の先頭に立たせられた。このために、一九七二年五月一日、「国際勝共連合」の在日韓国人会が結成された。真の父母様は、特に在日同胞から先に一つにしなければならないことを強調され、朝鮮総連系に属した同胞たちを招請して、一九七五年九月、秋夕墓参団母国訪問を斡旋された。彼らは光復後、初めて故国を訪問し、家族や知人たちと感激的な出会いを果たした。この行事は、その後も数回にわたって行われ、当時、北朝鮮の偽装広報に惑わされて、韓国について誤って認識していた朝鮮総連の同胞たちに、新たな視点をもたせることになった。

23  お父様は、一九六五年から、日本で民団を中心に「国際勝共連合」の組織をつくろうとしていました。しかし、七年という歳月を失い、一九七二年になって「国際勝共連合」の在日韓国人会を組織したのです。それ以前は、民団の行くべき道がありませんでした。(今では)「勝共思想」をもたなければならないというのが一般論になっています。

日本にある朝鮮総連と日本共産党、そして、中国共産党、この三つの共産党と対決できる強力な韓国系団体があるかと言えば、ないのです。日本に大使と公使、情報員何人かが行っているのですが、その人々を中心としては彼らと対決できません。とんでもないことです。好むと好まざるとにかかわらず、統一教会の基盤を利用しなければならない立場になってきたというのです。統一教会は、「国際勝共連合」を中心として、朝鮮総連に備えることができる思想的な基盤をもっているだけでなく、朝鮮総連と一つになった日本共産党に備えることができる基盤をもっているのです。

24  日本の「国際勝共連合」は、日本人の団体ではありません。その団体の人々は、三千里半島に住む韓国人たちより、もっと韓国人らしいのです。その人々は、お父様が命令さえ下せば、とんなことでもします。

朝鮮総連の朝鮮大学校認可取り消し運動を一九六八年から始めて、四年目です。ですから、朝鮮総連では大変なことになっているというのです。彼らは最初、私たちを軽く見ていました。吹けば飛んでいくと思ったのですが、見誤っていたのです。私たちは範囲を広げているので、もう少しすれば、朝鮮総連系(の人たち)をつかむことができます。三年だけ過ぎてみなさいというのです。私がその対策を講じてきました。

そして、民団に私が手を付けなければならないので、それに対する特別措置を取ってきました。ですから、政府では「統一教会が民団にまで手を付けている」と批判しています。ありとあらゆる侮辱を受けながらも、このことをしているのです。

25  北朝鮮は、一九七〇年代後半からは、「七・四南北共同声明」を中心として統一方案を模索するでしょう。休戦ラインで分断された思想体制圏内にいるので、訓練され、基盤ができている韓国内では、それが不可能です。それで、彼らは今、日本でその方案を模索するために総力を注いでいます。

朝鮮総連によって民団を吸収し、また、民団の韓国青年団体協議会を吸収して、自分たちの一括的な組織圏内に放り込めば、名実共に朝鮮総連を中心として統一が成し遂げられたと、全世界に宣伝できる良い舞台になるのです。もし、民団が朝鮮総連に吸収されるとすれば、日本政府も四方が共産圏なので、共産圏に対する進路を模索せざるを得ません。そのようになれば、韓国は直接的な影響を受けるようになります。

これを防ぐために、今、日本に人を派遣して、全国的なブームを巻き起こし、民団を収拾しているのです。朝鮮総連が民団を吸収してしまえば、高い地位にいる政府の要人たちが北朝鮮に協力することが決定的になり、日本の情勢は北朝鮮一辺倒に進まざるを得なくなります。このようになれば、アジアは共産圏内にすべて包囲され、脅かされるようになるでしょう。統一教会員はもちろん、あらゆる人が日本共産党によって滅びるのです。

情勢的に見て、韓国にこのような危急の時が迫ってくるので、お父様が一人、これを防ぐために千辛万苦、背後で苦労しているのです。これから民団を再構成して、私たちの体制内で教育し、「国際勝共連合」の民団支部を結成して、全国にその組織網を広げていこうと思います。

26  日本にある民団が、朝鮮総連によって崩れ始めました。民団だけでなく、韓国青年団体協議会もすべて崩れました。ですから、私が一九六五年から、その幹部たちに「間違いなく今後、民団がこのようになるが、それを防ぐためには日本に『国際勝共連合』をつくって、それと一つになり、ここに防御線を張らなければならない」と話したのですが、彼らは鼻先で笑うばかりでした。そのように言ってから七年もたたないうちに、民団がそのまま落ちていくようになったのです。大使館もお手上げで、民団もお手上げになると、その時になってようやく、彼らは「国際勝共連合」に「後援してください」と言ってきたのです。

ですから、「いいだろう!闘いは我々が引き受けよう!」と言いました。しかし、むやみに闘えばすべて逆賊の墓に埋められてしまうのです。立場をはっきりさせようというのです。それで、お父様は「民団の責任者たちは、それに対して歓迎しなさい。大使館の公認を受けなければならない」という意見を提示しました。このように、私たちは日本で冒険的な活動を開始し、このばらばらになった民団を糾合して、精神姿勢を正してあげているのです。

27  お父様は、駐日韓国大使館と民団を訪ねていき、韓国で活動していた反共講演に関する実績を提示しながら、日本でも同胞を中心として反共講演をしなければならないと強く求めました。すると、大使館側は、国家の代表という立場で高飛車な態度を取り、民団側は同胞を代表する立場なので、団長以下幹部たちが、韓国のいかなる長官も問題にならないという態度で、特に反応を示しませんでした。

しかし、天はそこに韓国の地区長を一人送りました。まず、日本の四十七都道府県にある婦人会の代議員たち四百五十人以上が集まった所で、地区長が講演することになりました。それで、二十分間講演したのですが、実に十二回の拍手喝采を受けました。その集会の進行責任者と民団の責任者たちも、「衝撃的な感銘を受けた」と言いました。それが、私たちが心置きなく活動できる良いきっかけになりました。そうして、毎日のように民団を訪ねていって反共講演会の開催について交渉したのです。

また、反共講演をするときに、自首したスパイや北に送られたのちに帰ってきた人々が北朝鮮の実情を暴露することも必要ですが、それは一時的な効果にすぎません。また、その人々が「金日成主席はこうで、北朝鮮の実情はこうである」と話すとしても、それは日本の実情から見て、信じることができない暖昧な言葉にすぎないのです。ですから、そのような旧態依然の反共態勢では駄目だと主張しました。そうして、理論的な面で共産主義を根本的に暴き、共産主義はこうで、またこのように悪いので、歴史的に、あるいは時代的に必ず滅びざるを得ないという内容を赤裸々に提示しながら講義しなければならないと、積極的に説明したのです。

28  お父様は、一九七四年から七五年まで、力を尽くして大韓民国に対して責任を果たしました。「終わりの日」に、敗者の悲しみの苦い杯を飲むことが分かったので、(そうならないよう)お父様は精誠の限りを尽くしたのです。日本との国交断絶の悲運が訪れかねない、その背後で、私が血のにじむ闘争をしてきたことを、国民は知らずにいます。

この朝鮮総連問題を中心として、共産主義を防がなければ、韓国が生きる道がないことを知ったので、朝鮮総連問題を中心として六百人の若い青年たちを糾合し、教育しました。それをきっかけに、祖国訪問墓参運動が起きたのです。

29  朝鮮総連と民団を一つにしなければ、エバ国家の日本は立つことができません。彼らすべてがお父様を大歓迎することによって、お父様と一つになるのです。そうして、アダム国家の韓国とエバ国家の日本が一つになります。民団と朝鮮総連が一つになることによって、韓国と北朝鮮が自動的に一つになり、それによって北朝鮮の偽りの父と韓国の真の父母が条件的に転換されるので、エバが自動的にこれを抱いていき、その伝統を韓半島に連結させれば、韓国と日本の統一圏が広がるのです。これが摂理観です。

30  エバ国家の日本が使命を果たすためには、外的にもカインとアベルを消化し、内的にもカインとアベルを消化しなければなりません。そのために、日本が四十年間、包容しなければならないカインとアベルが、朝鮮総連と民団です。朝鮮総連は、日本から見るとき頭の痛い存在です。この朝鮮総連と民団を、日本が一つにしなければなりません。深刻な問題です。お父様が日本で朝鮮総連と民団を一つにすれば、日本政府は苦しい立場に追い込まれることもあり得るのです。

ですから、彼らを一つにするのは、お父様がするのではなく、日本自体がしなければなりません。今までこのように復帰路程を歩んできたことを、神様しか知りませんでした。それは、霊的な基準だったからです。肉的な基準で、その秘密を知る人はお父様以外にいません。霊的には神様、肉的にはお父様、このように二人しかいないのです。ですから、日本はまず、朝鮮総連と民団を一つにしなければなりません。そのようにしなければ、日本はアジアに出ていけないのです。

31  エバ国家の日本にある民団と朝鮮総連は、カインとアベル、エサウとヤコブ、ゼラとペレヅのような立場です。エバの腹中で二つの群れが争うのです。それがなければ、エバ国家になれません。ところが、日本は争いを助長しています。それでは、日本はエバ国家の使命を奪われてしまいます。ですから、統一教会員たちが彼らを一つにする活動を行うのです。どのようにして一つにするのかといえば、柳寛順思想を中心として一つにするのです。一九九〇年以前から、お父様はそのことを始めました。

これを統一するためには、日本にいる統一教会と女性たちを一つに束ねなければなりません。それで、「女性連合」を中心として、外的に有力な関係者の夫人、国会議員夫人、教授夫人などを連結したのです。父母様と縁をもった人々が、すべてそこに入っています。上流層にいる女性たちです。彼らと統一教会はカイン・アベルです。このカイン・アベルの女性基盤を中心として、お母様が立たなければなりません。お母様も、カイン・アベルがいなければなりません。このためには、エバの腹中にいる立場の民団と朝鮮総連を一つにしなければならないのです。そうして、日本がこれらを一つにするようになれば、朝鮮総連の代表と民団の代表が日本にいるので、南北統一の機運が芽生えるのです。

32  タマルの腹中でゼラとペレヅの双子が争ったのと同じ状況が、日本でも起きなければなりません。それが、北朝鮮の朝鮮総連と韓国の民団です。それを日本が消化しなければならないのです。消化するのは、日本自体だけではできません。お父様と一つにならなければなりません。タマルの腹中にいるゼラとペレブのように、一つの民族を代表した二つの団体を一つにしなければならないのです。

韓半島が南北に分断されたのは、日本にも責任があります。ですから、根本に入っていって、影響を与えることができます。それで、お父様は左翼と右翼を統一し、新郎の立場に戻ってくるのです。戻ってきて、金日成主席までも向きを変えさせておかなければなりません。左翼と右翼は息子です。長子権復帰をしたあとは、父母権復帰をするために、金日成主席までもお父様が束ねたのです。ですから、韓半島で統一圏さえ広がれば、西洋文明とアジア文明、この左右が一つになるのです。

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日本における「国際勝共連合」運動の拡大 日本は、左翼の学生運動および朝鮮総連系の学生の活動により、共産主義の脅威にさらされていたため、これに対応する「国際勝共連合」の活動は摂理上、重要な意味をもっている。「国際勝共連合」の会員たちは、印刷物の配布や街頭キャンペーンなどの活動を通して、共産主義者たちの偽装戦術に国民が惑わされないよう警告した。そして、日本共産党を対象に、マルクス主義理論について公開討論を行うことを粘り強く要求したが、彼らは応じなかった。

11  私たちは革命の隊列に参加しました。革命戦線というものは、千里の行軍や万里の行軍で終わるのではありません。その行軍は、生涯をかけて何代にもわたって続くものなのですが、今行軍している戦線よりも、今後迫ってくる戦線がさらに熾烈でしょう。その熾烈さに拍子を合わせ、固めた決意が倍加されなければならないのですが、それが減少するようになれば、敗北するのは当然です。自ら包囲されてしまうというのです。

私たちは今、このような局面で闘いを展開しているのです。今まで私たちが日本で勝共活動を行った内容が、日本共産党の機関紙「赤旗」に掲載され、全世界の共産国家にすべて伝わりました。この新聞は、ソ連はもちろん、中国にも送られます。このように見るとき、統一教会の活動は、民主世界より共産世界に多く知られているというのです。私たちは、新しい角度から共産党に条件を提示しなければなりません。共産党は、私たちの訴えに引っ掛かって、自ら釈明しなければならない時が来るでしょう。

12  ソ連帝国の共産主義理念を広げるための本部が、六大州の各国のどこにあるのかを私が探索しました。最高の言論機関と、第二次世界大戦前後の名のある政治家たちを中心として自ら調査団をつくり、数百万ドルの費用をかけてこれを暴露させた人がお父様です。

日本がアジアの基地になっているので、(共産主義者たちは)日本共産党の機関紙「赤旗」を中心として、会合を行いました。お父様の理論が共産主義を手も触れずに吹き飛ばしてしまったので、二十七ヵ国から「勝共理論」に対抗するために集まったのです。しかし、いくらやっても道がないというのです。

お父様は、かかしではありません。理論的に妥当な論理があるので、それを阻(はば)める理論体系はあり得ません。それを考えようとすれば、夢のまた夢です。そうなると、彼らは、ありとあらゆることをしました。国会においてまで問題になると、すぐに日本の東京大学やアメリカのカリフオルニア大学バークレー校で集会を行い、お父様を攻撃しました。しかし、公開された席上でも、お父様に戦略的に屈眼してしまったといのです。

13  日本共産党は、自分たちの新聞である「赤旗」を中心として、連続シリーズの形で統一教会と「国際勝共連合」を暴きたてるなど、様々な方法を通して攻勢をかけてきました。しかし、そのような攻撃では私たちの動きを押さえつけることはできませんでした。

反対があれば、その反対以上のことをすることによって、大衆は反対するほうに注目するのではなく、私たちの活動に注目するようになります。そのように推進することによって、「赤旗」が取材して発表するのは、「国際勝共連合」が恐ろしいからだという結論に達しているのです。

統一教会と「国際勝共連合」は、わずか十年か二十年以内に、日本全国に影響を及ぼすことができ、すべての分野で主導的な責任を担うことができると見るのが、日本の著名な人々の判断です。

14  日本共産党は、「今後、日本を赤化するに当たって、一番の癌のような存在が『国際勝共連合』と統一教会だ」と言います。ですから、日本で行うすべての勝共活動は、全世界の共産党に伝わるというのです。

「国際勝共連合」の理論体系を打破するために、一九七四年十二月に共産世界の十二ヵ国から最も理論的な学者を糾合し、「国際勝共連合」の反共理論を打破するための会合がもたれたことがあります。ところが、「統一教会の思想は、自分たちが理解できない深い宗教的背景に基づいているので、手を付けることができない」と言って後退したという報告を私は聞きました。

統一教会の思想は、自分たちには許容できない危険なものであり、恐ろしいものであるという判断を下さざるを得なかったのです。ですから、日本の共産党は、「統一教会員と会ってはいけない。勝共要員と会ってはならず、論争もしてはならず、闘ってもいけない。私たちが損をする。私たちがすべきことは、混乱させて退治することだ」と言っているのです

15  日本では勝共運動を中心として、昼には全食口が動員され、挙国的な活動を始めるでしょう。また、夜には全国的に復興会を開催します。全国巡回復興団によって、一ヵ月に一度ずつ復興会をしながら、食口たちの原理の実力を向上させ、信仰心を高揚させようとしています。また、「食口たちを至る所に配置し、講義しなさい」と言いました。

アジア反共大会を通して、日本にいる華僑と韓国の同胞を連結させます。日本に留学に来た数多くの学生たちを大会に参加させ、勝共連合の基盤をつくるのです。特に、留学生たちは、卒業後に本国に帰るので、日本で彼らを教育し、アジアに私たちの拠点を連結する計画を立てています。このような大会を、一次、二次、三次まで継続すれば、その基盤ができると考えています。韓国や日本の政府ができないことを私たちがしなければなりません。

16  私は、日本の「国際勝共連合」に対して、全国にいる警察と中学・高等学校の先生たちを連れてきて、教育しなさいと指示しました。中学・高等学校からすべて教育する計画です。韓国でもそのようにしています。中学・高等学校の三千人以上の校長を教育しました。

朝鮮総連の学校が二百校ほどになるのですが、民団の学校はわずか十校未満です。ですから、今後、日本の中学・高等学校を中心として、全面的に「国際勝共連合」が後援できる基盤を築かなければなりません。それによって、民団の人々に対する思想教育をしなければならないのです。その基盤のもとに大使館を連結させて、アジアで基盤を築かなければなりません。

今、朝鮮総連が朝鮮大学校で思想要員を育てている以上の基盤を、早急に築かなければならないのですが、私たちが学校を造ってそのようにするのでは追いつかないので、緊急作戦を行っているのです。

17  一九六五年に、お父様が日本に寄った時、日本で高い地位にいる、ある人物に会って話をしたことがあります。その時にお父様は、「あなたたちが今のように弱々しい態度を取っていたら、決して共産党に対抗できない」と強烈に主張しました。

既に共産党は、一九七〇年を期して、大学を中心に革命を起こそうと準備しています。彼らは、自分たちの組織基盤である労働組合を前面に出さず、現在、大学生たちを立てて事を起こしているのですが、これは、彼らが一九七〇年代を前にしてすべての計画を立て、大学を通してテストをしているのです。したがって、日本政府は、このような内外の問題によって、非常に切迫した立場に置かれています。

このような状況で、統一教会は、反共路線の先頭で、勝共を叫びながら現れました。私たちが勝共運動を宣布して立ち上がってから一年にしかなりませんが、これまで私たちの青年男女は一生懸命に活動してきました。それによって、官庁や自民党のすべての幹部は、反共戦線では大学原理研究会に頼らなければならないことを認めるようになったのです。

18  日本にある五十六の大学に、統一教会の大学原理研究会が登録されており、修士、博士たちがその背後で「統一理念」について研究するという出来事が起きています。また、左翼の学生たちと原理研究会に参加している学生たちが闘争していますが、この闘争で、ある大学の左翼系の学生たちがそっくりそのまま統一教会に入ってしまうという出来事が起きました。

共産党が、自分たちの活動を強化するため、要所要所に配置した地下団体の中の一つが、統一教会に丸ごと入ってしまったのです。これが問題になり、共産党員たちが統一教会に来て、内偵をしたり反旗を翻したりしながら騒ぎ立てました。そうして、東京大学と京都大学、東北大学など、あらゆる大学で問題になりました。原理研究会が大会をするたびに、騷ぎが起きたのです。

19  日本の東京大学の大学院生ら百二十人を、サンフランシスコに連れていって教育しました。今後、日本で共産化を防ぐことができる活動を、日本政府はできないのです。統一教会がそれを知ったので、その責任を果たさなければなりません。それで、お父様が自ら命令をして始めることになりました。

(それを聞いた人は)「もう遅いから無駄だ」と思ったのですが、「やってみなさい」と言ったのです。できなければ、命を懸けてするのです。共産主義者たちが入り込んできて反対するなど、ありとあらゆることが起きました。それで、東京大学の総長が日本の教会長と協議したのです。毎日のように会って協議するので、今や親しくなりました。大部分(の学生たち)が「行く」と言って自ら志願し、名前を書きました。ですから、東大の大学院生たちも、身を引こうにも引けなくなったというのです。

この大学院の学生たちは二十五歳以上ですが、四十歳もいます。それくらいになれば、社会で自分の意志と判断力をもって、堂々と知識人と自負できる立場です。ですから、結局、みな出発することになりました。

20  私は日本に寄って、国会議員たちに「韓国の国会議員、台湾の国会議員、日本の国会議員、この三国の国会議員たちが集まり、勝共セミナーをしなさい」と指示したのですが、それをそのままやって、成功裏に終わりました。国でもできないことを私たちがしています。そのような実績をもっているのです。

ですから、日本政府も勝共連合でなければならないと考え、韓国政府も勝共連合でなければならないと考え、台湾政府も勝共連合でなければならないと考えているので、今や、互いに私たちをつかもうとしているというのです。日本は私たちをつかんで韓国と台湾に影響を与え、韓国もまた私たちをつかんで台湾と日本に影響を与え、台湾も私たちをつかんで日本と韓国に影響を与えようとしています。

21  今や、韓国と日本とアメリカを中心に、自由世界をどのように連結するかが課題として残っています。言葉だけではいけません。どのように一つにまとめるかが問題です。これを一つにまとめるために、既に日本の「国際勝共連合」と韓国の「国際勝共連合」の姉妹結縁運動を行っています。

今回、私は日本の重要幹部の婦人たちを集めて訓示をしました。もちろん、幹部の男性責任者たちはみな知っていますが、女性たちも協助しなければならないというのです。「今や七百五十万になる『国際勝共連合』の会員の背後にいる婦人たちを結束させ、これから韓国の七百万家庭の婦人たちと連合する運動をしなければならない。何としてでも、日本の婦人たちを結束させなければならない。そのためには、家庭対家庭の結束を急がなければならない」と話しました。

このようにして、日本がいくら反対しても、私たちは神様の摂理の方向に従っていける確固たる体制を、日本と韓国につくらなければなりません。そのようにしなければ、アメリカを引き入れることができないのです。

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第二章  世界勝共運動と共産主義の終焉宣言 第一節   日本の「国際勝共連合」 日本の重要性と勝共運動 真の父母様は、共産主義の拡大を防ぐため、世界的に勝共活動を展開された。特に、日本を中心とした勝共活動は大きな成果を収めた。

韓国と日本は、地政学的な関係を越え、復帰摂理を担当するアダム国家とエバ国家として、切っても切れない責任と使命をもっている。そのため、真の父母様は、日本を共産主義の脅威から保護するため、早くから多くの支援活動をされ、日本の青年学生たちも献身的に勝共活動を展開して、大きな勝利を収めたのである。

1   韓国と日本がみ旨の中で、どのように一つになるかが重要な問題です。韓国政府も日本の「国際勝共連合」に対して、とても大きな期待を寄せています。一九七〇年九月に開かれる第四回世界反共大会が、日本にどのような影響を及ぼすでしょうか。現在、韓国の情勢を見るとき、一九七二年までが重要な時点です。ですから、み旨を知る私たちとしては、そこに備えて、一九七〇年に、より確固たる基盤を築かなければなりません。そのような意味で、世界反共大会は重要な使命を負っています。

ですから、まずお父様を中心として内的に団結しなければならず、その次には、外的に韓国食口と日本食口が団結して一つにならなければなりません。私たちは同じ運命に置かれています。このような問題を解くためには、右の方に回す内的な力が左の方に回す外的な力より強くなければなりません。そのために、私たちは千倍、万倍、精誠を捧げなければなりません。私たちに反対する無数の数の力を凌駕しなければならないのですが、私たちの力だけでは不足なので、神様の協助を受けなければなりません。

2   お父様の関心の対象が韓国だけに限定される時代は過ぎました。世界のために準備すべき時が来たというのです。ですから、世界的な試練と迫害の十字架を背負おうと努力しています。そして、最近は、国際情勢や共産党の動きに対して、大きな関心をもっています。このような世界的な問題を解決するために、私たちは霊的に闘い、まず霊的に責任をもって進まなければなりません。

神様のみ旨に責任をもった人が行くべき公式的な方向は、ある絶対的な基準を中心として進まなければなりません。神様が目指す道がこのようになっているので、その基準を中心として行く道には、わずかな違いもあってはいけません。そこには、個人の私的な感情が介在してはいけないのです。

3   韓国の立場から見るとき、もし日本が容共国家になれば、韓国は生き残れません。ソ連、中国、日本など、世界の強国の間で生き残れないというのです。ですから、エバ国家の日本を立てようとするのです。

アダム国家の韓国が、日本で「国際勝共連合」を中心として救国活動を支援しています。お父様は、日本を救ってあげたという立場に立たなければなりません。日本が反共国家になれば、韓国も生き残ることができます。韓国を救ってくれるのです。エバ国家の使命は、このように大きいというのです。

4   統一教会員たちは、共産主義の唯物史観に対する批判を徹底的にしなければなりません。そうして、韓国と北朝鮮の総選挙が実施されるとき、「統一思想」を中心として北朝鮮を完全に圧倒し、勝利の結果をもたらす功を立てなければなりません。そのようになれば、世界を復帰できる基盤が準備されるのです。ですから、忙しいのです。そのため、国家的な問題点を提示して、それを解決していくのが、統一教会員が負っていくべき責任と使命です。

現在、日本とアジアで共産主義が非常に大きな問題の焦点になっています。共産主義革命はソ連から出てきましたが、共産主義の行動は、労働者と農民を中心として広がっています。非常に組織的に動いているのです。

これから日本を治めようとする政治家にとっては、共産主義者たちとどのように闘うかが問題になります。今、日本は、思想的な再武装をする時間をもたなければなりません。思想的に再武装をしなければならない時が来たというのです。

5   共産党に対して、先頭に立つ立場で責任を果たすことによって、日本のすべての指導者が私たちに憧れることができるようにしなければなりません。ですから、共産主義の批判と克服に関する本を早く出版して各学校に普及させ、講義をすることによって、韓国で行っているように共産主義に対する批判精神を植えなければなりません。それで、反共教育ばかりをするのではなく、学問的にきちんと批判するのです。私たちの数が多くなり、大衆が歓迎すればよいのです。

共産主義者たちは自分たちの理想を成就するために、手段と方法を選びません。暴力までも用いるのです。ですから、歓迎を受けることができません。しかし、私たちは違います。戦法が根本から違うのです。彼らは、信じていた人の九〇パーセント以上が不信状態に陥ります。しかし、私たちは、信じ始めれば、ますます信じるようになるのです。これが違います。

6   一九六八年四月に日本の「国際勝共連合」を発足させました。その時、日本の幹部たちを集めて、「私たちは、これから日本のこの自由天地で反共、勝共活動をしなければならない」と言ったところ、彼らの中で誰一人として歓迎しませんでした。「お父様は、日本にどれほど共産党の基盤があり、彼らがどれほど極悪で熾烈な闘争をしているのか御存じないので、あのように言われるのだ」と言いながら反対したのです。

それで私は、歴史的なすべての内容を中心として、「このような運命が訪れてくるにもかかわらず、あなたたちはこれをしないのか!」と言って説得しました。その前に、すべて勝共理論で武装させました。勝共講義ができるように思想武装をさせ、街頭に送り出したのです。共産主義者たちがうようよいる中で、先頭に立ちなさいというのです。

そして、朝鮮大学校に派遣しました。男性を派遣しては駄目だと思い、肝の据わった日本の女性を思想武装させて、「これから三年半の間、死ぬ覚悟をして朝鮮大学校の前で勝共講義をしなければならない!あなたたちが行く道には、死の交差路が間違いなくある!覚悟せよ!」と言いました。そこにはエピソードが多くあるのです。朝鮮大学校は、日本の外務省を通して私たちに圧力を掛けようとしました。しかし、私たちは、根気強く、命を懸けて闘争してきました。東京駅や全国の有名な街頭で、共産主義者たちと積極的な闘争を繰り広げたのです。

7   日本の「国際勝共連合」は、共産党と闘争をしています。「朝鮮大学校の前で講義をするから、命を奪えるものなら奪ってみよ」と言って、朝鮮総連の人々がいるにもかかわらず、入っていくというのです。彼らは、私たちの活動を妨害しようと、引っ張り回したりします。それを見て他の人々は笑うかもしれませんが、それが大きな問題になるのです。またあるときは、一気に押し寄せてきて、一人の上に乗って首を押さえたりもします。そのようにして一週間ほどたてば、私たちに同情する人が出てくるのです。

そのように同情する人が何人か現れさえすれば、彼らの内部に分裂が起きるようになります。彼らが黙って見てみると、言葉に間違ったところがなく、行動に間違ったところがなく、道義的な面で間違ったところがないというのです。ですから、そこにおいて自分たちの言葉と行動が違うことを悟る人は、必ず良心が目覚めるのです。

そのようになれば、彼ら自身が「共産党によって犠牲になった」という思いを抱くようになります。このように、彼ら自体が暴発するように導ける間接的な戦法がいくらでもあります。私たちは今このようなことをしているのです。

8   私たちは日本で勝共活動をしていますが、共産主義が五十年間で世界の半分近い国々に莫大な影響を及ぼしました。アメリカ社会にまで共産主義が影響を及ぼしています。このように、世界的な版図をもった共産主義に対して、勝共というタイトルを掲げて少数の群れが立ち上がったことを一面的に見れば、「愚かで世の中を知らない者たちの行動だ」と言うかもしれませんが、それは見誤っているというのです。日本では、一九六九年十月七日に全国勝共国民大会を東京の日比谷公園で行ったのですが、ここに五千人以上が参加し、拍手をしながら歓迎したといいます。

共産党は今まで、日本が自分たちの思いどおりに間違いなく赤化されると信じてきました。それで、昼も夜も活動しながら、赤化するために努力してきたというのです。

ところが、彼らの前に私たち少数の統一の群れが反旗を翻して立ち上がったという事実は、日本の共産党にとっても問題になり、日本政府にとっても問題になりました。全国民が新しい角度から自らを批判し、将来を再検討できる立場に立ったというのです。私たちの行動は微々たるものでしたが、これは日本に一つの波紋を起こす結果をもたらし、この波紋は、アジア全域に及ぶ事件となったのです。

9   一九七〇年九月十五日から、世界反共大会が日本で開かれましたが、日本の歴史始まって以来の国を挙げての行事でした。ですから、人々の関心がそこに集中せざるを得なかったのです。一言で言って、挙国的な事件に間違いないという話です。したがって、日本共産党も統一教会の動きに対して恐怖を感じざるを得ないのです。背後を考えざるを得ず、心配せざるを得ません。その心配の度数が自分たちの備えた環境よりもさらに強くなるときには、彼らは第二戦線を準備し、第三戦線を準備するというのです。

10  お父様は反共主義者ですが、反共だけでなく勝共を主張しています。韓国で「国際勝共連合」をつくり、七百万人に勝共教育を行ってきました。これは、すべてお父様が指示して行ってきたのです。その上、今、日本の「国際勝共連合」は、自由民主主義を主張する人々にとって唯一の希望になっています。日本の各界の指導者は、異口同音に「『国際勝共連合』こそ日本の希望である」と語って、私たちに助けを求めています。すべて、お父様がそのようにしたのです。

お父様は日本の「国際勝共連合」に対して、「共産主義者たちと公開討論会を開きなさい」と言いました。「ラジオやテレビなど、すべてのマスコミを通して、大衆の前で討論会をしなさい」と言ったのです。そうして、共産主義理論と私たちの理論のうち、どちらの理論が正しいか白黒をつけようと言いました。それに対して共産党は、私たちの要請を拒絶するのはもちろんのこと、全国に「『国際勝共連合』とは絶対に討論してはいけない」と指令を下しました。彼らは実質的に敗北を認めたのです。

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第二章  世界勝共運動と共産主義の終焉宣言 第一節   日本の「国際勝共連合」 日本の重要性と勝共運動 真の父母様は、共産主義の拡大を防ぐため、世界的に勝共活動を展開された。特に、日本を中心とした勝共活動は大きな成果を収めた。

韓国と日本は、地政学的な関係を越え、復帰摂理を担当するアダム国家とエバ国家として、切っても切れない責任と使命をもっている。そのため、真の父母様は、日本を共産主義の脅威から保護するため、早くから多くの支援活動をされ、日本の青年学生たちも献身的に勝共活動を展開して、大きな勝利を収めたのである。

1   韓国と日本がみ旨の中で、どのように一つになるかが重要な問題です。韓国政府も日本の「国際勝共連合」に対して、とても大きな期待を寄せています。一九七〇年九月に開かれる第四回世界反共大会が、日本にどのような影響を及ぼすでしょうか。現在、韓国の情勢を見るとき、一九七二年までが重要な時点です。ですから、み旨を知る私たちとしては、そこに備えて、一九七〇年に、より確固たる基盤を築かなければなりません。そのような意味で、世界反共大会は重要な使命を負っています。

ですから、まずお父様を中心として内的に団結しなければならず、その次には、外的に韓国食口と日本食口が団結して一つにならなければなりません。私たちは同じ運命に置かれています。このような問題を解くためには、右の方に回す内的な力が左の方に回す外的な力より強くなければなりません。そのために、私たちは千倍、万倍、精誠を捧げなければなりません。私たちに反対する無数の数の力を凌駕しなければならないのですが、私たちの力だけでは不足なので、神様の協助を受けなければなりません。

2   お父様の関心の対象が韓国だけに限定される時代は過ぎました。世界のために準備すべき時が来たというのです。ですから、世界的な試練と迫害の十字架を背負おうと努力しています。そして、最近は、国際情勢や共産党の動きに対して、大きな関心をもっています。このような世界的な問題を解決するために、私たちは霊的に闘い、まず霊的に責任をもって進まなければなりません。

神様のみ旨に責任をもった人が行くべき公式的な方向は、ある絶対的な基準を中心として進まなければなりません。神様が目指す道がこのようになっているので、その基準を中心として行く道には、わずかな違いもあってはいけません。そこには、個人の私的な感情が介在してはいけないのです。

3   韓国の立場から見るとき、もし日本が容共国家になれば、韓国は生き残れません。ソ連、中国、日本など、世界の強国の間で生き残れないというのです。ですから、エバ国家の日本を立てようとするのです。

アダム国家の韓国が、日本で「国際勝共連合」を中心として救国活動を支援しています。お父様は、日本を救ってあげたという立場に立たなければなりません。日本が反共国家になれば、韓国も生き残ることができます。韓国を救ってくれるのです。エバ国家の使命は、このように大きいというのです。

4   統一教会員たちは、共産主義の唯物史観に対する批判を徹底的にしなければなりません。そうして、韓国と北朝鮮の総選挙が実施されるとき、「統一思想」を中心として北朝鮮を完全に圧倒し、勝利の結果をもたらす功を立てなければなりません。そのようになれば、世界を復帰できる基盤が準備されるのです。ですから、忙しいのです。そのため、国家的な問題点を提示して、それを解決していくのが、統一教会員が負っていくべき責任と使命です。

現在、日本とアジアで共産主義が非常に大きな問題の焦点になっています。共産主義革命はソ連から出てきましたが、共産主義の行動は、労働者と農民を中心として広がっています。非常に組織的に動いているのです。

これから日本を治めようとする政治家にとっては、共産主義者たちとどのように闘うかが問題になります。今、日本は、思想的な再武装をする時間をもたなければなりません。思想的に再武装をしなければならない時が来たというのです。

5   共産党に対して、先頭に立つ立場で責任を果たすことによって、日本のすべての指導者が私たちに憧れることができるようにしなければなりません。ですから、共産主義の批判と克服に関する本を早く出版して各学校に普及させ、講義をすることによって、韓国で行っているように共産主義に対する批判精神を植えなければなりません。それで、反共教育ばかりをするのではなく、学問的にきちんと批判するのです。私たちの数が多くなり、大衆が歓迎すればよいのです。

共産主義者たちは自分たちの理想を成就するために、手段と方法を選びません。暴力までも用いるのです。ですから、歓迎を受けることができません。しかし、私たちは違います。戦法が根本から違うのです。彼らは、信じていた人の九〇パーセント以上が不信状態に陥ります。しかし、私たちは、信じ始めれば、ますます信じるようになるのです。これが違います。

6   一九六八年四月に日本の「国際勝共連合」を発足させました。その時、日本の幹部たちを集めて、「私たちは、これから日本のこの自由天地で反共、勝共活動をしなければならない」と言ったところ、彼らの中で誰一人として歓迎しませんでした。「お父様は、日本にどれほど共産党の基盤があり、彼らがどれほど極悪で熾烈な闘争をしているのか御存じないので、あのように言われるのだ」と言いながら反対したのです。

それで私は、歴史的なすべての内容を中心として、「このような運命が訪れてくるにもかかわらず、あなたたちはこれをしないのか!」と言って説得しました。その前に、すべて勝共理論で武装させました。勝共講義ができるように思想武装をさせ、街頭に送り出したのです。共産主義者たちがうようよいる中で、先頭に立ちなさいというのです。

そして、朝鮮大学校に派遣しました。男性を派遣しては駄目だと思い、肝の据わった日本の女性を思想武装させて、「これから三年半の間、死ぬ覚悟をして朝鮮大学校の前で勝共講義をしなければならない!あなたたちが行く道には、死の交差路が間違いなくある!覚悟せよ!」と言いました。そこにはエピソードが多くあるのです。朝鮮大学校は、日本の外務省を通して私たちに圧力を掛けようとしました。しかし、私たちは、根気強く、命を懸けて闘争してきました。東京駅や全国の有名な街頭で、共産主義者たちと積極的な闘争を繰り広げたのです。

7   日本の「国際勝共連合」は、共産党と闘争をしています。「朝鮮大学校の前で講義をするから、命を奪えるものなら奪ってみよ」と言って、朝鮮総連の人々がいるにもかかわらず、入っていくというのです。彼らは、私たちの活動を妨害しようと、引っ張り回したりします。それを見て他の人々は笑うかもしれませんが、それが大きな問題になるのです。またあるときは、一気に押し寄せてきて、一人の上に乗って首を押さえたりもします。そのようにして一週間ほどたてば、私たちに同情する人が出てくるのです。

そのように同情する人が何人か現れさえすれば、彼らの内部に分裂が起きるようになります。彼らが黙って見てみると、言葉に間違ったところがなく、行動に間違ったところがなく、道義的な面で間違ったところがないというのです。ですから、そこにおいて自分たちの言葉と行動が違うことを悟る人は、必ず良心が目覚めるのです。

そのようになれば、彼ら自身が「共産党によって犠牲になった」という思いを抱くようになります。このように、彼ら自体が暴発するように導ける間接的な戦法がいくらでもあります。私たちは今このようなことをしているのです。

8   私たちは日本で勝共活動をしていますが、共産主義が五十年間で世界の半分近い国々に莫大な影響を及ぼしました。アメリカ社会にまで共産主義が影響を及ぼしています。このように、世界的な版図をもった共産主義に対して、勝共というタイトルを掲げて少数の群れが立ち上がったことを一面的に見れば、「愚かで世の中を知らない者たちの行動だ」と言うかもしれませんが、それは見誤っているというのです。日本では、一九六九年十月七日に全国勝共国民大会を東京の日比谷公園で行ったのですが、ここに五千人以上が参加し、拍手をしながら歓迎したといいます。

共産党は今まで、日本が自分たちの思いどおりに間違いなく赤化されると信じてきました。それで、昼も夜も活動しながら、赤化するために努力してきたというのです。

ところが、彼らの前に私たち少数の統一の群れが反旗を翻して立ち上がったという事実は、日本の共産党にとっても問題になり、日本政府にとっても問題になりました。全国民が新しい角度から自らを批判し、将来を再検討できる立場に立ったというのです。私たちの行動は微々たるものでしたが、これは日本に一つの波紋を起こす結果をもたらし、この波紋は、アジア全域に及ぶ事件となったのです。

9   一九七〇年九月十五日から、世界反共大会が日本で開かれましたが、日本の歴史始まって以来の国を挙げての行事でした。ですから、人々の関心がそこに集中せざるを得なかったのです。一言で言って、挙国的な事件に間違いないという話です。したがって、日本共産党も統一教会の動きに対して恐怖を感じざるを得ないのです。背後を考えざるを得ず、心配せざるを得ません。その心配の度数が自分たちの備えた環境よりもさらに強くなるときには、彼らは第二戦線を準備し、第三戦線を準備するというのです。

10  お父様は反共主義者ですが、反共だけでなく勝共を主張しています。韓国で「国際勝共連合」をつくり、七百万人に勝共教育を行ってきました。これは、すべてお父様が指示して行ってきたのです。その上、今、日本の「国際勝共連合」は、自由民主主義を主張する人々にとって唯一の希望になっています。日本の各界の指導者は、異口同音に「『国際勝共連合』こそ日本の希望である」と語って、私たちに助けを求めています。すべて、お父様がそのようにしたのです。

お父様は日本の「国際勝共連合」に対して、「共産主義者たちと公開討論会を開きなさい」と言いました。「ラジオやテレビなど、すべてのマスコミを通して、大衆の前で討論会をしなさい」と言ったのです。そうして、共産主義理論と私たちの理論のうち、どちらの理論が正しいか白黒をつけようと言いました。それに対して共産党は、私たちの要請を拒絶するのはもちろんのこと、全国に「『国際勝共連合』とは絶対に討論してはいけない」と指令を下しました。彼らは実質的に敗北を認めたのです。

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9 北朝鮮の「平和自動車」工場は、金日成主席が直接命じ、許可を得て造りました。金剛山観光と自動車工場は、金日成主席が私に頼んだのでやったことです。ですから、これは遺訓事業として引き渡さなければならない立場にあります。そして、それに対する様々な内容も、金日成主席が私と共同決議をして発表した内容に入っています。そのようなはっきりとした内容を金日成主席が公開せず、沈黙を守ってきたのは、本当に有り難いことです。私には「世界平和連合」という世界的組織を中心として各国に基盤があるので、自動車工場を造る能力があることを知っているのです。

10 北朝鮮の平壌の普通江近辺に、日本の食口たちが運営する普通江ホテルがあります。そこでは、アメリカ、日本、韓国のテレビ放送をいつでも見ることができます。(そのような所は、)北朝鮮でたった一ヵ所だけです。お父様をどれほど信じていれば、そのようにさせるのかというのです。外国からの訪問客たちが普通江ホテルを訪ねてくるので、ほぼ満員です。今は、赤字ではなく黒字を出しています。

北朝鮮では、ホテルに寄っていく客だろうと何かの団体だろうと、全く信用しませんが、普通江ホテルで働く十五人の日本の統一教会員たちは、本当に信用するというのです。彼らの中で子供を生んだ十二人は日本にも行ったり来たりしますが、ある限界内にいながら思いどおりに行き来できない環境で生活しても、不平を言う人は一人もいません。間違いなく法を守り、間違いなく約束を実行するので、信じられる人は彼らしかいないというのです。

誰が日本人をそのように育てたのかというのです。何の不平も言わずに生きていく人たち、そのような道を行く人々を見て、北朝鮮の人たちが共産主義社会と比較するとき、千里、万里の隔たりがあることを感じるのです。ですから、統一教会の人々が北朝鮮に入ってくれば、どこでも無条件に受け入れます。韓国政府の人々は駄目なのですが、統一教会員たちは、誰でも入っていける立場にあるのです。

11 お父様が北朝鮮を訪問したのちに、北朝鮮に経済基盤を築いてあげ、自由世界と通じる通信基盤をつくってあげました。普通江ホテルに衛星アンテナを設置して人工衛星と通じるようにして、自由世界の放送を視聴でき、自分たちが放送できる準備を私がすべてしてあげました。また、貿易ができる組織体制をつくって教育してあげたのです。

休戦ライン一帯に平和公園の造成を提案 真の父母様は、二〇〇〇年八月十八日に、アメリカのニューヨーク国連本部第二会議室で開かれた「世界平和超宗教超国家連合」の年次会議において、国連が韓半島の休戦ライン一帯の非武装地帯に、平和公園を造成する事業の先頭に立ってくれるよう促された。そして、「非武装地帯は、歴史の痛みを抱えた所であるが、ここに平和公園が造成されれば、韓半島の葛藤と緊張が解消され、統一を実現する契機となり得るだろう」と語られた。

12 今や、お父様がしなければならないことは、国連を導き、韓国の「板門店(パンムンヂョム)」を「金門店(クンムンヂョム)」にして、平和の基地を造ることです。

アメリカのラスベガスには、世界各国の財産が投入されています。フランス、アメリカ、ドイツなどが自分たちの国家の精髄をもっていき、注いでおいたのです。自国の文化的基盤を誇るための要件を中心として、カジノを大きく造りました。そのような競争は滅びる競争です。

ですから、お父様はその反対の立場で、板門店を金門店にして、宗教が誇る文化の精髄をもってこなければなりません。イギリス文化、アメリカ文化、フランス文化、ドイツ文化のいかんにかかわらず、宗教文化圏で誇っていたすべてのものを、この平和の基地にもってきて植えるのです。そこに、ルーブル博物館よりもさらに良い博物館を建てなければならず、宮殿を建てなければなりません。

13 休戦ラインを撤廃しなければなりません。休戦ラインの緩衝地帯を国連の所有にして、撤廃しなければなりません。韓半島に国連が入ってきて干渉できるようにすることによって、平準化しなければならないというのです。そこで直接交換もして、一国のように扱えば、すべて解決します。

それは、国連しかできません。それをするために、土地を買って、緩衝地帯と国境地帯、山岳地帯と川をすべて国連の所有にするのです。それが国民の願いです。それを早急にしなければなりません。国連がすべきことは平和世界を造ることですが、戦争をなくすためには、国境地帯を撤廃しなければなりません。国境は主に、高い山と川になっています。それを誰も干渉できないように、国連の所有にしなければなりません。その国境線をどのように自由に往来するかが問題なのですが、その国境の観念をなくさなければなりません。そうするためには、国境を越えて祝福結婚をしなければならないのです。交叉結婚さえするようになれば、あっという間に平和世界になります。国連がその道を保障してあげなければなりません。国境を撤廃して入っていけるようにしなければなりません。

14 国連とアメリカが一つになって、真の父母のための宮殿を、韓国の平和地域、板門店に建設しなければなりません。休戦ラインの緩衝地域には地雷が埋まっています。これから、北朝鮮と共に、地雷除去運動を急いでしなければなりません。国連が助けなければなりません。国連が韓国を独立させるために来たのですが、いまだに休戦ラインの問題を解決できていないのです。

第五節 真のお母様の大学巡回講演と大学生・青年統一運動 真のお母様の大学巡回講演 真の父母様の世界的な勝利圏を韓国に伝授し、これを南北統一と世界平和運動に連結させるため、一九九三年十月四日から三十一日まで、真のお母様の全国四十大学巡回講演会が開催された。

これを契機として、大学における運動圏(政治運動に積極的な人々のこと)勢力と「全国大学原理研究会」の葛藤関係が緩和され、互いに対話をして理解する契機が整えられ、南北の大学生と教授たちの交流およびセミナーが開かれるようになった。

1 これから世界の若者たち、二世たちを誰が指導するかが、世界的問題です。荒野四十年路程を歩んだイスラエル民族の一世は、荒野で倒れましたが、二世が(カナンに)入り、望んでいたものを探し出したのと同じように、世界がそのような時に越えてくるというのです。その二世は、新しい建国の思想と世界平和の思想で、国と世界を建設しなければなりません。イスラエル民族は、それができませんでした。このような蕩減復帰を、統一教会がしなければならないのです。このあらゆる問題が女性にかかっています。母親にかかっているというのです。ですから、母親が重要です。

2 これからは、母親が子女を教育しなければなりません。イスラエル民族はカナンの福地に入り、(現地の)既存の家庭とその息子、娘の影響を受け、イスラエルの王権を樹立することに失敗してしまいました。

これを蕩減復帰する意味で、私たちの二世と母親たちは、大学の二世たちがサタン世界に染まらずに地上天国を建設するよう、伝統的な思想を植えられるようにしなければなりません。逆さまです。母親と息子、娘が一つになり、どのようにして未来のイスラエル王国を建設するかというのです。それが使命です。

イスラエル民族の母親たちは、そのようなことを考えられませんでした。息子、娘と一つになってカナン七族に付いていったのです。彼らの家庭と息子、娘に付いていったことが問題でした。今、私たちはその反対にならなければなりません。母親と息子、娘が一つになって、未来の天国を建設しなければなりません。

母親が息子、娘を教育して、大学に影響を及ぼさなければなりません。ですから、世界の女性たちがお母様の分身になり、息子、娘を強制的に抱いてでも、一八〇度回らなければならないのです。そのようにするため、お母様が一九九二年から二年間、二百五十六ヵ所で精力的に巡回講演をされたように、皆さんもそのような活動をしなければなりません。そうして、国を救い、自分の親戚を救わなければなりません。

これは漠然としたものではなく、現実問題です。お父様が四十年間闘ったのは、現実問題です。天の国を取り戻さなければなりません。お父様がアメリカで講演するのも、お父様を中心としてお母様にバトンを渡し、大学まで動かしていくためなのです。今や、二世を母親たちが救わなければなりません。

3 お母様を中心として、大学原理研究会はアベルであり、大学の運動圏はカインです。カインとアベルの闘いを、お母様が収拾しなければなりません。韓国の右翼と左翼が一つになってアベルの立場に立ち、カイン側の北朝鮮の学生たちと統一を実現すれば、終わるのです。主権者たちがいくら反対しても、青年たちがお母様と一つになれば、統一の運勢がこの地上に訪れてくるのです。それが天運なので、このことを実行せざるを得ません。皆さんの燃え上がる若い心に、消えることのない火をともすべき時が今なのです。

4 お母様が、アメリカの国会で歓迎を受ける中で講演を行い、国連総会でも講演を行いました。国連は、自由世界の国会(と同じ立場)です。ここで歓迎を受け、エバ国家の日本に行っても勝利しました。韓国の大学では、左翼系の勢力が原理研究会を追い出しましたが、全国でお母様が、これを入れ替えておきました。長子権復帰です。キリスト教と運動圏が一つになって統一教会を打ちましたが、今からは入れ替わります。右側が左側になり、左側が右側になるのです。天のみ前に回って入っていくことにより、共産勢力が統一教会の側になるのです。先の者はあとになり、あとの者は先になるというのです。

5 一九九二年から九五年までの三年間で、お母様が果たすべき責任が大きいのです。お母様が先頭に立たなければなりません。三数は分別数です。その期間は、分別する期間です。ですから、お母様がアメリカから国連、日本、世界まで、すべて分別するのです。韓国では、四十の大学を中心として、巡回講演を行いました。四十の大学と世界四十ヵ国を連結するのです。これが、父母を中心として、カインとアベルです。そうして、初めて、お母様がお父様と対等な位置に立つのです。お父様のすべての勝利の覇権は、お母様に伝授されます。全世界が、第二次世界大戦後に父母様の家庭を歓迎できずに追い出したことを、父母様の家庭が二次的に全世界で歓迎を受けることで蕩減復帰するのです。

6 これからは、自分の一族と大学生、中高生を中心に伝道しなければなりません。今は二世時代です。イスラエル民族は、モーセの言葉を聞きませんでした。そして、カナン復帰作戦をするときは、モーセも死に、一世はみな滅びました。しかし、私は二世と共に入るのです。この地は、二世の地です。ですから、二世に責任をもつというのです。父母様の家庭の息子、娘とお母様を中心として、アメリカの百の大学で講演をしています。百の大学だけではありません。世界的に、今から三千三百の大学講演を始めるのです。日本の大学を始め、世界各国の大学生と中高生を収拾しなければなりません。アダムとエバが堕落する時の歳である十六歳から二十一歳まで、ここに三年を加えて、二十四歳までの青少年たちを収拾しなければなりません。それに私が責任をもつのです。そのような時が来ました。

7 キリスト教に対して、統一教会はアベル圏です。ですから、キリスト教は、長子権を奪還するために勝利してきた統一教会を打つことはできないというのです。ヤボク川の川辺で天使と闘って勝利したヤコブを、エサウが打つことができないのと同じような立場です。お母様がアメリカの国会で講演し、大学を抱きました。アベルである大学原理研究会を、運動圏の学生たちが暴力で追い出しましたが、お母様がこれを転覆させ、完全に同等にするのです。北朝鮮と韓国の関係が悪化した状況で、お母様が四十の大学で講演をすることにより、カインとアベルが取り戻されたのです。大学で反対する状況を変えておいたのです。それが、この上なく難しいことなのは分かっていましたが、せき立てました。これをきっかけにして、カインとアベルが一つになったので、北朝鮮の学生と交流するようになったのです。そうして、モスクワでの国際大学生指導者セミナーを皮切りに、ワシントンDCでの韓国大学生指導者研修、北京での韓国・北朝鮮大学生セミナーを大学原理研究会が開催することによって、北朝鮮のカインの学生たちと韓国の運動圏の学生たちを、原理研究会がリーダーとなり、父母様の名によって追い込んだのです。

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第三節 真の父母様の北朝鮮訪問と金日成主席との会談 故郷定州の生家訪問 真の父母様は、北朝鮮を離れてから四十年十一ヵ月ぶりに、北朝鮮政府の公式的な招請により、一九九一年十一月三十日、北朝鮮の地を再び踏まれた。十二月五日、定州の生家を訪問して親族にお会いになった。そして、「生家は世界の人々が巡礼する聖地になるだろう」と語られた。北朝鮮訪問は、国内外のマスコミの大きな関心の中で実現し、十二月六日、平壌のソジェゴル招待所で開かれた歓送式では、「愛は血よりも濃い」とされながら、「統一の原動力は真の愛である」と力説された。

1 私は北朝鮮を訪問し、故郷に行くのに、二機のへリコプターに分かれて乗り、二十八里を四十分で飛んでいきました。学校の運動場に降り、私の家があった所に向かったのですが、そこも車が走れるようにきちんと道が整備されていました。およそ十日間でその道を整備したというのです。自分たちの主席が来るとき以上に準備をしたのです。

私の父母の墓にも芝を植え、碑石を置いて、そこに文字を刻んで赤く塗ってあったのですが、みなよくやってくれました。また、私が暮らしていた家に行ってみると、すべてペンキが新しく塗られていました。金日成主席がそれを指示したのでしょう。

そこに土間があるのですが、その土間には石を積んでセメントを塗ってありました。庭には砂が敷いてありました。きれいに整えられていたのです。王のようなエサウが、弟を王のように迎えようとして、やったというのです。

2 金日成主席に、「私の故郷を開放しなさい」と言いました。私の故郷は、世界の人々が修練を受けながら参観できる場所になるので、差し出しなさいというのです。このような思いで押しまくりました。いくら反対しても、そこに引っ掛かるのです。天が垂らす公義の釣り針には、掛からないものがありません。私の父母の墓に台石を据え、芝を植えておいたのです。ほかの人がしたのではなく、金日成主席がそのようにしたのです。

私の故郷に行く道には二車線の自動車道が敷かれ、墓地まで行く道も、自動車が通れるように整備されていました。ですから、昔、イスラエル(民族)のヤコブを迎えたエサウより立派だというのです。なぜ立派なのでしょうか。

イスラエル民族は、第一の蘇生的イスラエルであり、キリスト教は長成的イスラエルです。アメリカは、私の故郷を聖地として開拓することは夢にも考えられませんでした。ところが、金日成主席がそのようにすることによって、第三イスラエルの民として権威を備えるようになったというのです。

3 私が金日成主席と会談した時、金日成主席が「文総裁、生家に行かれたそうですね」と尋ねるので、「行きました」と言いながら謝意を伝えると、(金日成主席は)「そこは今後、有名な場所になるでしょう。私がすべて考えて収拾します」と言いました。すると、その横にいた人々が、「はい、かしこまりました。主席様!」と言うのです。金日成主席の言葉は、神様の言葉のように実効(力)があります。

そこに私が一つ条件を付けました。「昔、私が住んでいた故郷のように造ってほしい」と言ったのです。その最初の形どおりに、ここはこのようにし、あそこはあのようにするようにと、すべて指示してきました。そのようにしておけば、世界万国に散らばっている統一教会員たちの巡礼地になり、私が昔、話したことを、生き生きと現実的な舞台で見て、感じることができるでしょう。

4 私が故郷に行った時、姻戚の八親等まですべて来ていました。私は言葉を一言も話しませんでした。皆が挨拶をしてすがりつき、放そうとしないのですが、私は共産党の世界をすべて知っているので、話をしなかったのです。

妹や姉に会うのですから、どれほどうれしいでしょうか。言葉を交わせば、その日にすべて上部に報告しなければなりません。妹の報告と姉の報告が異なれば問題になるのです。どのようにして全く同じように報告することができるでしょうか。甥も報告し、来ていた人々がみな報告書を出すので、その報告書が互いに合わなければ、大変なことになるのです。虚言になり得るというのです。

このようになれば、私が再びそこに行く道も塞がり、彼らが今後、生きる道も塞がるのです。

北朝鮮では一家族全体が報告をします。夫が報告し、妻が報告し、幼稚園児から祖父母まで、すべて報告するルートが違います。だからといって、一家族が全く同じように書いても問題です。「お前たち、口裏を合わせて書いたな!」と言われて問題になるのです。ですから、一言も語ることができません。そこは、話をすれば問題が生じるので、口があっても話ができない世界です。

5 私は、故郷の地、北朝鮮の地をすべて失ってしまいました。父母が惨事に遭ったことをすべて知りながらも、金日成主席を愛し、「私の父母を保護してくれてありがとう」と挨拶した人です。(父母の惨事を)知らない人ではありません。ですから、どれほど悲惨でしょうか。その母の墓の前に立つとき、痛哭が出てくるでしょうか、出てこないでしょうか。歯を食いしばっても涙をこらえることができないほどつらいのですが、この怨讐たちの前で私は涙を見せないようにしたのです「父母の墓参りのために来た」という言葉を残さないために、歯を食いしばって耐えたことを、私は忘れません。その問題が自動的に解決するまで、自らの精誠を尽くして南北統一を完成しようというのです。

6 私が北朝鮮の故郷の父母の墓を参拝した時、姉や妹は悲しみにあふれた心情で痛哭しました。「お母さん、お父さんが待ち望んでいたお兄さんが帰ってきました、弟が帰ってきました」と言いながら痛哭したのです。哀切なその痛哭の声を聞けば、人間なら涙を流さざるを得ません。

しかし、私はそこに文氏の息子として行ったのではありません。南北を統一できる主役として行ったのです。墓に埋められている人々の中には、悲惨な死に方をした人たちが多いのです。ですから、自分の父母の墓だけにしがみついて、かわいそうだと涙を流すことはできません。

姉と妹がそのように痛哭しているのを見ながら、「お父さん、お母さん、すみません。私は公的な人として来たので、泣くことはできません。南北統一をしてから来るときは、天下が、万国がひれ伏す中で、お父さんとお母さんが眠る場所と、お父さん、お母さんにお参りする場所を定め、孝子の責任を果たします。神様に侍り、万民の祝福を祈ってあげられる統一王国を建設してから、お父さんとお母さんにお参りします」と祈ったのです。

7 母は、私をとても愛しました。誰よりも愛したことを家族はみな知っています。自分たちを育てる中で、姉も(母が)弟をもっと愛したと思い、妹も(母が)兄をもっと愛したと思っていました。その母が、そのように愛する息子と死ぬ前に一度会いたいという恨を抱きながら悲運の道を行ったとも考えるのです。北朝鮮当局が、ありとあらゆることをしたと思います。私は、そのような北朝鮮を救ってあげるために行ったのです。

8 私の母は、本当にかわいそうです。息子、娘を十三人生み、五人を天に送って、八人の息子、娘を育てたのですが、私を一番愛し、私には何であれすべてしてくれた母でした。しかし、その母に対して、足袋の一足も、ハンカチの一枚も買ってあげたことがありません。それにもかかわらず、「私のために奉仕せよ」と言ったのです。

母に何も功がなくても、私のために尽くしてきたその功を、復帰摂理の最後の場に行ってすべて表そうと考えているので、その時までは、そのようなことをしなければなりません。実際、唖然とすることです。母が私を前にして、とてもやりきれず、鼻水や涙を流しながら声を上げて泣いていたことが、今も目に浮かびます。北朝鮮に行き、父母の墓の前に立って考えてみれば、不孝者だというのです。世の中では不孝者なのです。

9 皆さんも、お父様の故郷に行ってみたいでしょう。一九九一年にお父様が故郷に行って、失望しました。五十年前には、そこの山に木もたくさんありました。おおかみの鳴き声も聞こえたりしたのですが、今は木もありませんでした。その荒涼とした風景に失望したのです。むしろ「来なければよかった」と思いました。そのような状況を目にすると、過去の印象がすべて消えてしまうのです。

過去よりもっと素晴らしい環境を見て過去を消すのであれば、過去の記憶が簡単に消えるのですが、反対の立場で消そうとすれば、かえって昔の記憶がすべてよみがえるというのです。ですから、故郷に帰り、世界にいる統一教会の勇士たち、若い精鋭部隊を集めて、昔、お父様が目にした本当の故郷の姿を再創造しようと考えています。

金日成主席との歴史的会談 一九九一年十二月六日、咸鏡南道(ハムギョンナムド)興南市の麻田(マヂョン)主席公館にて、南北の懸案などについて真の父母様は金日成主席と会談をもたれ、その場で、韓半島の非核化と南北頂上会談、離散家族再会、金剛山開発などに関して合意した。真のお父様と金日成主席のこのような南北の懸案に対する合意は、それまで滞っていた南北関係が和らぐ契機となった。また、金主席との会談では、三万双の国際祝福結婚式を北朝鮮で開催する問題が議論された。真のお父様は、怨讐としてではなく、兄弟の愛で金主席を抱き、帰還されたのである。

10 一九八七年に金日成主席がソ連のゴルバチョフと共謀して、私を暗殺するために、二十五人の赤軍派を派遣した菊村事件の裁判がまだ終わらず、進行中でした。そのような怨讐と向かい合うに当たって、離れ離れになっていた兄弟を何千年ぶりに訪ねていくという兄の心、弟の心をもって、そのような(怨讐という)考えをすべて越えられる立場にどのようにして行くかが、私の悩んだ問題でした。それさえ越えれば、いら悪党でも屈服するというのです。

自分の息子、娘よりも、自分の妻よりも、自分の弟子よりも、自分の部下よりも、さらに愛するという心が必要です。ですから、私が行って、そこで再創造役事の奇跡が起きたのです。ゴルバチョフに会ったあとに世界が変化し、金日成主席に会ったあと、南北会談が難航していたことなどのすべての問題が即刻解決しました。このような事実は、そこに天が働いていることを立証しているのです。新しい世界が創建され始めるというのです。

11 私がいる限り、韓国は滅びません。南北統一をするためには、韓国と北朝鮮だけではできません。南北はアベルとカインです。神様の側と悪魔の側です。今やカイン圏はすべてなくなりました。中国(毛沢東)やソ連(スターリン)など、共産圏はすべてなくなり、残ったのは北朝鮮の金日成主席だけです。アベルが弟で、カインは兄です。カインである金日成主席を生かしてあげなければなりません。

韓国では金日成主席を殺そうとするのですが、そのようにする必要はありません。良い車と良い飛行機に乗せて世界に連れていきながら、自分が今までしてきたことの過ちについて、悟らせてあげなければなりません。そのようにして、怨讐を愛し、韓国を愛する立場に立てて、韓国は万国の王の中の王が来られる国であり、韓民族は善なる民族の中の善なる民族であると宣布させるのです。韓国を善なる国、善なる人たちが暮らす本郷だと宣伝させるのです。

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12  私は金日成主席に会いに行きましたが、彼が私に対して、今までどれほど多く非難しましたか。私もそうです。金日成主席に対して批判し、「引っ込めなさい!何が主体思想だ」と言いました。マフィアは悪いことを教えても、永遠に残そうとは考えないのですが、彼は永遠に残そうと、主体思想を掲げてきたのです。お父様が主張する主体思想と、金日成主席が主張する主体思想は、根本的に違います。

北朝鮮に行って金日成主席に会えば、彼の父母以上の思いをもたなければなりません。敵という概念をもっていけば、(こちらの)版図が崩れます。水平にならないのです。ですから、金日成主席のことを、あたかも四十年前に失った兄のように考える弟の立場に立ち、天のみ前で互いが敵愾心なく、歓談できるようにしなければなりません。

そのようにするためには、忠告すべきときは忠告もしなければならないのです。兄が誤ったのに、「お兄さん、大丈夫です!」と言っては、天が正義の立場に立てることができません。ですから、万寿台議事堂に行って、「主体思想では駄目だ。『神主義』でなければ世界の平和を実現することはできない!」という話をしたのです。

自分が赤い王になり、今まで銃剣を持ってやってきたのですが、今や最後の崖から落ちてしまいました。しかし、お父様は、崖から出発して、反対の位置に上がってきたのです。金日成主席は韓半島の北側にある手のひらほどの地で主体思想を主張していますが、お父様は全人類が暮らす地球星全体に「神主義」を主張して、公認を受けました。今ではもう統一教会が行く道から迫害の黒い雲は消え去り、歓声と歓迎一辺倒のムードだけが残りました。

13  私は「頭翼思想」について、北朝鮮の祖国平和統一委員会の委員長に話をしました。「頭翼思想」は「神主義」です。それで、人がなぜ生まれたのかという宇宙の根本問題から考えてみようというのです。哲学とは、人間の知性を通して神様を探し出そうというものです。神様を失ってしまっては、宗教も哲学も混乱するばかりです。最後に人間が求めるベものは、宗教を通してであれ、哲学を通してであれ、神様なのです。神様を中心として生きようというのです。今までの歴史を見るとき、人間は神様、根本を探し求めてきましたが、失敗しました。

それでは、「統一思想」を主張するのであれば、どのように統一するかというのです。その統一は、世界的な次元で始まるのではありません。統一の根本は、神様と人間です。神様が願われる理想と、人間が願う理想は同じです。しかし、何を中心としてその理想を実現していくのかというのです。神様はなぜ人間を造られたのでしょうか。ここで、進化論が問題になります。神様の創造論は、進化論より進んでいるのです。

人間の根本を見れば、男性がいて女性がいます。これは否定できない事実です。動物世界を見れば、雄と雌がいて、植物世界を見れば、雄しベと雌しベがあります。鉱物世界、分子世界を見れば、ブラス・イオンとマイナス・イオンがあります。原子世界を見れば、陽子と電子があるのですが、本来そのすべてが、一つになることを前提にして創造されたものであると言うことができます。

14  私は北朝鮮を訪問して、万寿台議事堂に行った際、そこに集まっている党の幹部たちに話をしました。「何が主体思想だ。人間の生涯を見れば、八十年も生きられないではないか。四十年の歴史を通して立てたものが正義になり得るのか。手のひらほどにもならない所で、いくら主体思想を通して強制的にすべてのことを解決しようとしても、そうはいかない!」と、堂々と話したのです。「『神主義』が正しい」と堂々と宣言しました。命を懸けたのです。

その国の真ん中に一人で入っていっても、恐怖感に包まれて躊躇してはいけません。神様の権威と体面はどうなるでしょうか。ですから、堂々と語ったのです。勝つか負けるかとい天下分け目の一大決戦のようなものです。そこでは、度量のある人が勝ちます。金日成主席は、やはり男らしい男でした。自分の秘書陣が三度も、「文総裁は危険な人物です。会ってはいけません」と報告したにもかかわらず、そのたびに金日成主席は、「だから私が会わなければならないのだ」と指示したというのです。

15  韓国がアベルであれば、北朝鮮をカインと考え、ために生き、投入しながら、神様のように忘れてしまわなければなりません。韓国の国民が北朝鮮の住民の二倍になるというのですから、二家庭が一家庭ずつ消化するだけでよいのです。国民同士、兄弟のように一つにならなければなりません。そのようにしてこそ、統一された国が出てくるのです。統一方案は、このような原理原則から出てくることが可能なのです。私に任せれば問題ありません。私の言葉どおりにしたならば、頂上会談のようなものはすべて終わっていたでしょう。

金日成主席が私と約束しました。(私が)「あなたと私は今や兄弟の間柄として、あなたを兄とし、私を弟としましょう。弟は文鮮明、兄は金日成、このようにしますか、しませんか」と提案し、そのようにすると約束しました。

接見室から玄関まで百メートル以上になります。そこから出てくる時、「お兄さん、手を出してください」と言いました。その手を誰も握ったことがなかったのですが、私が握ってこすり、焦げたとしても不平を言うなということです。

16  金日成主席と私が会った姿が収められた映像を一度見てください。私と金日成主席の顔と姿勢を見れば、誰がより堂々としており、誰が主体かというのです。私が彼を引き回したのであって、金日成主席の案内は受けませんでした。彼は手が少し震え、四肢が不自由でした。私より七歳年上で八十歳を越えていたので、兄の立場になりますが、私がつかんで引っ張り回したのです。

このようにするので、その周辺にいた保安の責任者たちがどれほど緊張したか分かりません。金日成主席の体が傷つきでもしたら、死刑だというのです。即決処分です。ですから、周辺の人々の神経はどうだったでしょうか。私が引き回したのであって、引き回されたのではありません。

17  金日成主席は、私についてよく知っていました。私が北朝鮮に行く八ヵ月前から情報をすべて収集したというのです。彼は度量も大きいですが、率直でした。「このような報告を受けました」と、私に率直にすべて話しました。ですから、私も率直に話しました。「度量が大きいと思ったのに、これは何だ」とパンマル(対等もしくは目下に対する言葉遣い)で語り、最後には、兄、弟と呼ぶようになったのです。

金日成主席は、今まで誰かに会って写真を撮る時は、いつも手を後ろに組み、「自分が一番だ」と言うように、白頭山の絵が飾ってある所に立って撮ったそうです。その部下たちが言うには、金日成主席が相手の手を握って写真を撮るのは、北朝鮮の歴史始まって以来、私が初めてだというのです。これは歴史的な記録です。「どのようにしたら、あのように一つになれるのか」と、党でも問題になり、北朝鮮全体でも問題になったのです。

18  金日成主席が八十歳になるまで、これほどの度量をもった人に会えなかったというのです。彼が私に会うとき、「怨讐に会う」という思いは少しもありませんでした。兄弟に会うとか、昔、最も親しかった友人に会うような感覚を覚えたというのです。共産主義理論では、神様を否定します。しかし、自分の心の世界がなぜそのようになるのか、分からないというのです。それを説明する方法がありません。(彼は)今も(私に)会いたいと思っているのです。

19  私が北朝鮮に行った時、サタン世界の再臨主型の人物である金日成主席を条件的に屈服させてきました。今や私が願えば、どこにでも行くことができます。金日成主席が私に、「文総裁が来ると言うなら、文総裁の故郷に、私が住む家よりもっと良い家を造りましょう」と言いました。それが自分だけの思いではないというのです。それで、私が「本当ですか」と聞くと、金日成主席は「もちろんです」と言ったのです。だからといって、私は金日成主席に利用される男ではありません。歴史がどのように流れていくのかを知っているのです。

20  金日成主席は、サタン世界の再臨主です。ですから、父母の位置に来ているのです。北朝鮮では、金日成主席を「父」と言います。金日成主席が父母の位置にいるというのです。それを、兄弟の位置に立てました。そうして、屈服させたのです。長子権を復帰して屈服させたので、父母権復帰が可能なのです。長子権復帰の基盤の上で金日成主席を屈服させることによって、父母権が復帰されます。

父母権を復帰することによって、王権が復帰されるのです。南北が統一されれば、新しい王権が成立するというのです。そのような次元に入ってきています。それによって、王権を中心として皇族が地上に現れるのです。真の父母である完成したアダムとエバが、王権と皇族圏を備えられていないので、それに向かって前進しなければなりません。

21  私が北朝鮮に行って金日成主席に会った時、彼に「あなたを兄とし、私は弟になりましたが、弟の言葉を聞かなければなりません」と言いました。「お兄さんの思想では、世界を料理することはできませんが、弟の思想なら世界を料理することができます」と詰め寄ったのです。北朝鮮より私のほうが、ソ連や中国にもっと大きな勢力基盤をもっているというのです。アメリカも同じです。韓国は私に反対しても、金日成主席自身は私のことが好きだというのです。

22  私は北朝鮮に行き、金日成主席と会ってきましたが、驚くべき事実とは何でしょうか。金日成主席のいとこの子供に当たる人が私に語ったことによれば、私が来る前に北朝鮮にいる霊通人たち、占い師たちに(私の)写真を鑑別してもらったところ、「この方は絶対に裏切らず、北朝鮮に利益になる」と言ったというのです。

有名な人がこのように話すので金日成主席が歓迎し、このように会うようになったと言いました。金日成主席が幹部たちを通してそのように報告を受けたので、金日成主席も(このことを)よく知っていると言いながら「最高幹部たちが文総裁を尊敬できる環境になりました」と誇っていました。

23  金日成主席の部下たちは、お父様のことを本当に特別な方だと思っているのです。ですから、「神様はいないとは言えない」と言います。金日成主席には、私が監獄生活をしていた興南の地で会いました。金日成主席の一人の部下が「神様はいないとは言えない」と言った言葉は当たっているというのです。「自分は興南で会っては駄目だと反対したのに、どうしてそのように願うとおり、興南に行って会うことになったのだろうか」と言いながら、「神様はいないとは言えない」と話したのです。そこで会ってはいけないと(その人は)思ったのですが、その真ん中に行って会ったのです。それはすべて蕩減復帰です。北朝鮮の地で苦労したすべてのこと、今まで天の摂理のすべてのことが、蕩減復帰されるのです。

24  私が北朝鮮に行った時、金日成主席が言うには、「あなたが言うカイン・アベル問題を中心として見るとき、アベル圏の韓国が責任を果たせず、北朝鮮が責任を果たすようになれば、韓国の福まで受けられるというのが、文総裁の理論的観点ではないですか」と言うのです。

それに、私がどのように答えなければならないでしょうか。驚くべきことです。「文総裁、あなたが来るというなら、何でもすべてしてあげます。私が生きるためにも、そのようにしなければならないことを知っています」と言ったのです。ですから、どのようにしますか。それで、私が個人的に誓約書を書いたものがあります。それが、私の手帳にすべてあります。そのようにしながら、サインをすべてもらってきたのです。

25  中国にいる韓氏という人が、お父様と一緒に北朝鮮に行きました。北朝鮮に行ってきたあと、中国にある韓国大使館がその人に様々な質問をしたのですが、その答えを聞いて、大使館が驚いたという報告がありました。大使館が「文先生が北朝鮮で、史上初の大きなことをされたというのですが、そのように度量をもって話をしたのは事実ですか」と聞いたというのです。お父様は、そこで党の幹部たちを教育したというのです。北朝鮮で、今まで偏見をもって対してきたのですが、もはやお父様に反対する人はいないと誇っていました。そして、北朝鮮がお父様に対してもっている否定的な認識を変えるために教育材料をつくり、四日間、教育したという報告も受けています。お父様に対して悪く思わないよう、そのようにしたというのです。

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26 私は、先に中国の門を開き、ソ連の門を開きました。今や北朝鮮の門さえ開けばよいのです。三万双国際祝福結婚式を話題にして、私が「日成兄さん、三万双を連れて北朝鮮に入ることになりますが、休戦ラインを開く自信はありますか」と聞くと、「あるとも、あるとも!いやあ、それは素晴らしい」と言ったのです。これは歴史的な秘話です。

金日成主席が、「三万双を連れて北朝鮮に入ってきてください」と言いました。それで、「ホテルがないではないですか」と言うと、「元山の松島海水浴場は世界的に有名な所ですが、その松林に数十万人が入ることができます。だから、十人当たり一つずつテントを持ってくれば、万事解決です」と答えました。それは、もっともな話です。そこに食べ物を運べばよいというのです。「元山港を開くから、船にすべて積んで運びなさい」と言うのです。これはうそではありません。

これについて韓国政府と折り合いをつけようとしたのですが、当局の人から「大変なことになります。国の威信はどうなるのですか」と言われました。彼らは統一よりも、国の威信が先でした。そのようにブレーキをかけるので、かえって互いの威信が立たないというのです。それで仕方なく、(三万双のうち)百数双だけ訪問してきたのです。

27 金日成主席は、「本当に三万双国際祝福結婚式をするのですか」と言いながら、好奇心をもっていました。どのように三万双を結婚させるのかというのです。それで私は「三万双は何でもない」と言いました。その後、三万双の結婚式をしてから、その写真を一度見せてほしいと思っていることを私は知っているので、「今回の三万双の結婚式の写真を持っていって、金正日総書記と金日成主席に見せてあげなさい」と言って、人を遣わしました。とにかく早急に、休戦ラインを開かなければなりません。金日成主席は度量も大きいのですが、よくできた男だというのです。金日成主席を説得して休戦ラインを開かなければならないのですが、その武器とは何でしょうか。(それが)祝福結婚式だと考えたのです。

金日成主席は、私と義兄弟の契りを結びました。ですから、私が「日成兄さん!」と言いながら、三回も念を押しました。食堂から送別の広場まで手をつないで歩きながら、「兄さん、弟を無視したら駄目ですよ!」と言うと、(彼は)「ああ、私もそれぐらいの約束は守れる人間です。何を願うのか、一度言ってみてください」と言ったのです。

第四節 北朝鮮投資事業と平和公園の提案 金剛山の開発事業計画 金日成主席との会談を通して、金剛山(クムガンサン)の開発事業が合意に至った。金剛山は、韓半島で最も美しく、素晴らしい景観を誇り、世界的な名勝地として遜色のない所である。真の父母様は、このような金剛山を開発し、世界の人々が訪ねてくれば、北朝鮮の経済発展に役立ち、南北統一と世界平和にも大きく寄与すると考えられた。

1 お父様は、世界的に有名な人士たちを観光地に招請し、世界的な懸案について対話をしようと思います。金剛山をそのような場所として定めています。金剛山は、世界で最高の観光地になるでしょう。そこは途方もなく大きいのです。済州島も大きいのですが、その半分ほどの土地に鉄条網を張り、北朝鮮の人もむやみにそこに入っていけないようにしておいて、通行証を作って出入りするようにしているのです。これから私たちが金剛山に行き来するときは、ビザがなくても自由に出入りできるようにするでしょう。

そこは地上天国です。そこに民族村を造り、その民族村に入ってきて暮らす人々に管理させます。世界の有名な人々が定年になれば、そこに別荘地帯を造って素晴らしい邸宅を建て、生活できるようにするのです。そのようにすれば、自分の国の観光地はさて置いてまずそこに来るようになるでしょう。そうして、先を争って自分の地域を素晴らしく造ろうとするでしょう。そのようになれば、自分の地域は自分たちで管理するのです。ですから、保安問題は心配ありません。悪い事件も起きません。その基準に世界の各民族が合わせて調和を形成するのです。

世界の各分野の最高の人々が来て、晩餐会もし、セミナーも開き、歌も歌い、踊りも踊り、何でもすることができるのです。世界の有名人が演説をし、セミナーを開けば、先を争ってその演説会とセミナーに参加しょうとするでしょう。そのような文化活動を展開することによって皆が親しくなり、理想的な場所になるというのです。今、そのような所を造ろうとしています。お父様がそのような地上天国のモデル的な場所を造るのです。

2 世界的な事業家や経済人など、多くの人々が金剛山に行ってきたでしょう。しかし、彼らは自分の利得を越えて、金剛山全体の美化を考え、未来の理想的な観光地を目的として開発しようとはしません。地面を掘って金塊が出てくれば、自分たちが持っていこうとするというのです。

そのような面があるので、北朝鮮政府はそのような人々を信じることができず、いくら見ても私しか信じられる人はいないと考えるのです。

訪ねてきては去っていった人々の経歴や態度、利権問題を中心として私と比較してみるとき、どのように考えるでしょうか。その人々を相手に金剛山を開発すれば、すべて台無しにしてしまうと考えたのです。ですから、今まで神様の保護によって金剛山が保存されてきたと考えるのです。それは驚くべきことです。しかし、私には欲心がありません。

国家次元で入っていかなければなりません。これさえするようになれば、ロシア、中国、アジア諸国まで束ねて飛行場を造るのです。観光のためというよりも、今後、アジア諸国を連結させる飛行場が自動的に造られるというのです。中東地域でもどこからでも、観光客が飛んでくるようになっているので、飛行場を造ることによって、アジア全域、ひいてはヨーロッパ地域やアメリカまで、全世界の航空路が開発される可能性が大きいというのです。

3 金剛山を開発すれば、世界一の観光地になり得ます。もちろん、お金はいくらでも入ってくるのですが、お父様はお金もうけとして考えているのではありません。そこを、中国とロシアをはじめとするアジアを動かす場所にしなければなりません。

お父様が特権をもつようになれば、金剛山に入る人は誰でも、一週間ほど原理教育をしてから通すのです。そこは二重、三重に谷ができていて、一週間ほどでは七ヵ所くらいしか見ることができません。ですから、二週間から三週間予約をした人には、原理教育をしながらきちんとしてあげるのです。

4 今すぐ、金日成主席が「統一教会員たちだけは入ってきて、聖地巡礼ができるようにしなさい!」と言えば、どのようになるでしょうか。それが観光になるのです。

定州を中心として私は幼少期に学校に通い、また、興南監獄にも行きました。平壌の景昌里にも行っていました。そのような以前の記録を探し出してそこを観光地にし、まず統一教会員たちだけでも巡礼するようにしようというのです。そのようにしておけば、その人々が十人であれ百人であれ、連れてくるのは問題ありません。

聖地巡礼をするようになれば、韓国にもそのような所が釜山や大邱など、何ヵ所もあるので、お父様が韓半島で苦労した所を訪問できるのです。私たちは韓国で二、三番手の観光会社を運営しているので、私たちの会社のバスを利用するのです。北朝鮮に来た観光客の中で、帰らない人がいたら互いに困りますが、私が指導する人々はそのような心配がありません。そして、金剛山から妙香山(ミョヒャンサン)、白頭山(ペクトゥサン)まで観光できるようにするのです。世界の統一教会の信者たちは、自分の故国より定州をもっと愛しています。ですから、そのようにすれば、得られる利益がどれほど大きいでしょうか。北朝鮮はこのような宝物をもっているのです。

ところが、それが光復後、四十六年間、延長されてきました。南北が一つになり、観光分野から協力していれば、数千億ドルを手に入れていたでしょう。戦争によって廃墟になることはなく、それこそ福地の中の福地で、幸せな国民として暮らすことができたでしょう。このようなことを考えるとき、北朝鮮全体が動いて、私を活用しなければなりません。そのようにできることを願っています。

「平和自動車」と普通江ホテル 真の父母様は、金日成主席との会談で、自動車工場の合弁投資事業にも合意された。一九九八年一月七日に出帆した「平和自動車総会社」は、統一グループの「平和自動車」が七〇パーセント、北朝鮮の機械工業専門会社である朝鮮連峰総会社が三〇パーセントを負担する合営会社であった。総面積三十三万坪の敷地に建てられた「平和自動車」は、北朝鮮の基幹産業を南北合営で設立し、南側が主導するという点で大きな意味がある。「平和自動車」はその初期に、イタリアのフィアット社の製品を組立生産した。また、平壌の繁華街にある普通江ホテルを一九九三年十一月に引き継ぎ、運営した。

5 私は北朝鮮に対して、兄の立場と父の立場ですべきことをするのです。利益は一銭も受け取りません。二〇〇二年四月六日に「平和自動車」の工場落成式をしますが、私はそこで一銭のお金も手にするつもりはありません。さらに投入しなければならないと考えています。そこに投入するとしても、私が自ら投入するのではなく、アメリカに投入させるのです。だからといって、周辺国家のロシアと中国をそこから撤退させるのではなく、アメリカを通して一緒に後援させるのです。そのようにしてこそ、ロシアと中国も生きるというのです。カインとアベルが一つにならなければ、滅びるようになっています。その原則はどこでも公式ですが、その公式によって解いていくのです。

6 現在の立場から見れば、北朝鮮は、私を抜きにしてはやってゆけません。今、「統一重工業」の技術を中心として、平和の看板を付けた自動車を造りました。北朝鮮で今「フィパラム」や「ボックギ」などの自動車を造っているのですが、平壌では、私たちの工場から出てきた自動車に乗るようになっているのです。これから三千台を造ってほしいという注文があったというのですが、三千台を造ろうとすれば、現在の施設では話になりません。

また、中国で一番良い車、一番良い機械の修理を北朝鮮でできるように準備しています。北朝鮮の産業を復興させるために自動車工場を造っておいたので、私たちの技術で自動車や船も修理してあげられるようにしようというのです。ですから、私一人で、誰もできなかったことをしたのです。

7 北朝鮮に自動車工場を造ったことや、ベトナムに自動車工場を造ったことは、冒険でした。ベトナムに自動車工場が入ることにアメリカが反対しました。しかし、ベトナムに入って開拓し、基盤を築いて、イタリアの会社と技術提携をすることになりました。そのようにして、私たちの工場が発展するので、ベトナムは「自分たちの国益に支障を来す」と言って、自分たちでイタリアと再び契約したのです。結局、私たちの自動車工場を閉鎖するように仕向けました。そのような様々な厳しい闘いをしながら造ったベトナムの自動車工場を移し、北朝鮮の「平和自動車」工場に連結させてきました。

ベトナムで自動車を造り、今まで損害ばかり出しましたが、これから赤字を克服できる基準で北朝鮮と手をつなぎ、中国まで連結させれば、相当に希望的な産業基盤の扉が開かれるのです。この基準を私が開拓したので、北朝鮮を中心として、中国まで連結させることができます。

技術を導入し、反対に流すことができます。それで今、「平和自動車」の技術を中心として、中国の安東県にある大きな自動車工場と姉妹結縁をし、技術的に助けてあげながら安い製品を造るのです。安い物をさらに安く造れる所が中国です。そこで造った物を「平和自動車」の製品として市場に出そうと思います。

8 北朝鮮で自動車工場の設立許可を受けたというのは、本当に驚くべきことです。世界の自動車産業の傾向は、どのようになるでしょうか。これから、世界的な自動車工業の主導権を握ることができる国は、アメリカではありません。アメリカは太平洋の向こうにあります。また、ヨーロッパでもありません。ヨーロッパ自体は工業技術が平準化されていて、競争が熾烈なため、そこでは経営を円滑にしていくことができません。

自動車産業が生きていくためには、他の国の基準を求めなければなりません。自分自体内で消耗(消化)できる基準ではないのです。そのように考えるとき、世界的に訪ねていくべき市場はどこでしょうか。中国があり、ロシアがあり、イスラーム圏があります。ここを販売市場にできる国が、世界の代表的な自動車会社をもつようになるというのです。

このような基準を中心として定着さえすれば、世界のすべての自動車会社の部品まで供給できるのです。北朝鮮は人件費が安いです。また中国と近いため、中国人たちをいくらでも用いることができます。国際的な技術さえもっていればよいのです。このように要件を備えて、ここで自動車工業を始めるとすれば、世界でかなう所がありません。ですから、北朝鮮に自動車工場を造ることに、世界のすべての専門家たちが焦点を合わせて注視するというのです。

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2   堕落したあとからは、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで、サタン王国になっています。この世界をどのように復帰するのでしょうか。個人を中心として、別々にここに植えるのです。反対になって引っ張っていかなければなりません。脱出しなければなりません。ですから、仏教のような高次的な宗教では出家をするのです。

そして、父と母を愛してはならず、兄や姉を愛してもいけません。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)という聖書の言葉は、逆説的論理ですが、それは、天の道を訪ねていく当然の道理的論理として受け入れなければなりません。ですから、お父様は、この世の中でこのような蕩減法を知って、個人から愛の焦点を合わせ、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、国家的愛の焦点を合わせてきました。そうするたびに、サタンがこれを撃破するためにあらゆる力を使うのです。

ですから、宗教は迫害の道を行きます。社会で良いと言われる道を行ってはいけません。涙と血を流さなければならないのです。頂上に登ってはいけません。目立たない場所にこもらなければなりません。そこが安全地帯です。サタンは傲慢なので、困難な所を嫌います。ですから、最も悲惨な場所が安全地帯です。

3   お父様が二十代から四十代まで過ごしてきた期間は、涙のにじむ闘争期でした。皆さんはそれを知りません。監獄を自分の生活舞台のように思い、拷問を受けるその道を一生の蕩減路程、代価を払うべき当然の路程と思って歩んでいきました。お父様は、国家と宗教界の反対を受け、三千万の民衆(韓民族)が反旗を翻して、反対しない人はいないほど、悲しい立場に追い込まれた歴史を残しています。

4   神様が創造する時、すべての心情を万物に投入し、人間に投入しました。ですから、すべての物質を神様に捧げようとしなければなりません。それで、統一教会の標語が出てきたのです。「涙は人類のために、汗は地のために、血は天のために流しなさい!」です。

そのように生きましたか。そのように生きていなければなりません。深刻な問題です。このように多事多端な蕩減路程です。個人のこの曲折を経ながら、零点をつくらなければならず、(そのために)障壁を壊さなければなりません。それをお父様がすべてしたのです。ですから、一生において重要な時には、監獄に入ったのです。

5   お父様の生涯を見てみれば、監獄にもたくさん行き、拷問もたくさん受けましたが、「ここで死ねば大変なことになる」と考えました。体に拷問の跡を残した立場、呻吟するその立場で死ぬとすれば、問題が大きいというのです

このような蕩減復帰の道に誰が責任をもつのかというのです。その立場で死を越えることができる感動と衝撃の涙を流せば、天がすべてを収拾してくれることを何度も感じました。拷問が問題ではなく、自分の苦痛が問題ではありません。使命を残して死ぬよりも、恐ろしいことはないというのです。

6   お父様は一生の間、自分を主張して生きてみたことがあません。監獄暮らしをするのと同じです。監獄に入った人は、御飯だけ食べ、おなかがすくときは我慢すればよいのですが、これはそうではありません。

そうして、地上では人がどんどん死んでいくのですが、それは、自分の手が切られるのと同じだというのです。それを感じなければなりません。涙なしに見つめることができない世の中であり、涙なしに神様と向き合うことができない世の中です。お父様は、冬に祈れば、綿のズボンがすべてぬれるほど涙を流しました。

7   お父様は、蕩減路程を開拓してサタン世界を克服し、勝利の基盤を築きました。それは、言葉は簡単ですが、実際は簡単なことではありません。想像もできない複雑な内容が絡み合っているというのです。一秒として失うことのできない緊張の生涯を掲げて越えてきたので、それ以上に深刻になれない人には、これを覆すことはできません。

8   お父様は、アダムに代わって来たので、世界的な蕩減路程を行かなければなりません。一対一の清算です。条件的な清算ではありません。皆さんは、条件的な清算をすることに問題はありません。

また、条件的な清算だけでなく、これからは歓迎できる条件です。自分の家庭が孝子の家庭になることを願い、国が忠臣の国になることを願い、世界が聖人の世界になることを願い、天地が聖子の天地になることを願うのです。

そのようになることができる教育をして、そのように導ける所は統一教会しかないので、世界がすべて願っていることをしなければなりません。このようにして、解放圏をすべてつくっておき、地上に定着できるその時から、「蕩減時代を越えた」と言うことができます。

9   父母は、死の境を越えている子女を見れば、じっとしていることができません。最後まで死力を尽くし、一言でも付け加えることによって復活するようになるならば、父母は万歳を叫ぶようになるでしょう。その境地にならなければ分かりません。

お父様は、一人でも生かすために生死を懸けて闘っています。人類の生命をめぐって闘ってきた生涯でした。それは霊界が知っています。そのような人は、天運が打つことはできません。

そして、いくら監獄に入ることになっても、むしろ反省するというのです。「私が果たすべき投入の限界までまだ至っていないのでこのようなことが起きた」と考えるのです。

それ以上にしなければならないと考えたときは、後悔がありません。後悔せず、忘れてしまいます。父母はそのような子女を見て涙を浮かべ、永遠を掲げて祝福するのです。心情圏には、そのような背後があります。

10  お父様は今まで、一生の間、蕩減復帰の峠を越えてきました。個人の峠を越え、家庭の峠を越え、氏族の峠を越え、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の峠を越えてきました。

世界が、これまでお父様に反対しました。そして、家庭的に父母たちが動員されて反対したのです。その次には、氏族、民族、国家を越えて世界が反対しました。すべての宗派が反対しました。しかし、除去することはできませんでした。

今になっては、そのように攻撃した側がみな、落ちていくのです。神様が公認します。攻撃して除去できなかったことによって、屈服するのです。ここで、お父様は戦いませんでした。神様の戦略戦術は、打たれて奪ってくるのです。神様の創造理想には、打つという論理がありません。

11  サタン世界を蕩減復帰していくとき、一番の近道は、その国で最も迫害を受ける道を行くことです。その国の監獄のどん底に、この直線の道が連結されています。垂直に通じる道は、受難の道であり、死の交差路のような監獄の道です。その道は、直線と通ずる橋と同じです。ですから、お父様は監獄を訪ねていくのです。それゆえ、天は監獄に追い込むのです。イエス様も、監獄を経て死にました。その国の主権者の怨讐になる立場が、監獄の底です。頂上に上がろうとすれば、監獄を貫いて上がっていく道が一番早いというのです。主権者を越えていく道で、義なる立場に立って(監獄に)追われるようになれば、主権者が悪なる立場に立つようになるときには、そこから出てくるやいなや、主権者の上に上がるのです。善なる人が監獄に入れば、その人の周辺全体が擁護し、押し上げてくれるようになっています。垂直線の段階に上がっていく一番の近道は、監獄の道を通して訪ねてくるのです。

ついに勝利者となる 真のお父様は、日本統治下で一度、北朝鮮の共産治下で三度、自由世界の大韓民国とアメリカでそれぞれ一度、合計六度にわたって、何の罪もなく監獄に入られた。打たれて奪ってくる蕩減復帰の原則を御存じであるがゆえに、耐えて、また耐えながら、ただ神様の摂理を一段階ずつ進めるため、監獄でもあらゆる受難を克服された。至る所に巣くうサタンの代表勢力に堂々と立ち向かいながら、暗闇の世を導く灯台の光となり、さらには、太陽の役割をされたのである。

そして、ついに真の父母様は、あらゆる反対と迫害を乗り越え、勝利された。

12  お父様が地上で監獄に行ったことがどれほど無念な事実か分かりません。皆さんと皆さんの先祖の体面と威信はどうなりますか。すべて首がかかっているというのです。この途方もない内容が連結されるのです。

何ゆえに六度も監獄に行ったのでしょうか。監獄に一度だけ行っても、赤線が引かれるのです。六度も行けば、それは、世の中に足を踏み入れて歩くことができない恥ずかしい姿になるのです。しかし、私は恥ずかしいと思いません。恥ずかしい国がそのようにしたのであり、死んではならないので私は生き残ったのです。監獄から生きて出てきたというのです。

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第五節   ダンベリー刑務所出監と真の父母様の勝利 「開天門の日」宣布 真のお父様は、一九八五年二月一日早朝、ダンベリー連邦刑務所からイースト・ガーテンにいらっしゃる真のお母様に電話をかけられ、霊界と肉界の門を大きく開いて連結する「開天門の日」を宣布された。そして、「これを通して地獄から天国にまで上がれる高速道路を築いた」と語られた。

1     お父様は、一人でゴリアテの前に現れたダビデのようにアメリカと闘っています。現在、闘い始めて十三ヵ月目です。十三数は、アメリカでは一番悪い数です。十三ヵ月間闘って終わらせるのです。四百日近く闘ってきているのです。

監獄に入り、天上にまで上れる道を開いておきました。地上地獄から天上まで高速道路を造ったのです。ですから、父母様として立ち得る条件を、監獄にいる期間にすべて立てました。

2   お父様は、一生を経ながら、父母の立場で子女たちが行くべき道に責任をもち、すべて築き上げました。皆さんが父母様を愛するその愛で、人類を愛する立場に立つようになれば、皆さんは父母様と一つになり、(父母様と)水平に立つようになります。そのようになれば、堕落した心情圏はその下に位置するようになるので、サタンが皆さんに手を出すことはできません。皆さんは、天の国に直通できるというのです。そのようなことを始めるためのものが、「開天門の日」宣布です。

私がダンベリーにいる時にしたのです。一九八四年七月から翌年一月まで、十三ヵ月の監獄生活の半分となる七ヵ月の期間に、監獄の一番どん底、地獄のどん底に入っていって門を開きました。その門を開いたので、心情圏を中心として、サタン世界を解放してあげられるのです。

3   一九八五年二月一日に、天上世界と地獄の門を開く「開天門の日」を宣布しました。極と極の位置に立てておいて連結したのです。平衡の極ではなく、垂直的な極です。これを連結する場で、初めて解決点が生じるのです。霊界と肉界を連結させるのです。神様の心をもって、愛の力が連結される業をしなければなりません。

4   地獄を解放しなければ、天国が完成しません。堕落する前は地獄がありませんでした。サタンの血で汚された根を天の血で清め、本然の根の形態を備えて再び実を回復するようになる時、天国の門が開かれるのです。

そのようなみ旨を知っている私たちが見るとき、天国の門が開かれる前に地獄が生じたというのは、悲惨な話です。「地獄がある」という話自体が悲惨なのです。堕落によって地獄ができました。地獄ができたので、地獄まで天国にしなければならないのです。真の父母は、地獄解放まで提示できる心情圏を、すべて展開させておかなければなりません。世界が切迫しているというのです。

5   霊界に行っている先君の王権を中心とした忠臣烈女たちが地上に降りてきて、「真の父母の王権を中心とした理想圏で、父母様にみな従っていきなさい」と言いました。霊界でも、父母様の知らせをすべて聞くのです。これからは良い知らせが入ります。みな「有名だ」と言うようになっています。ですから、「悪い」という言葉は消え、「良い、良い」といううわさが立って、霊界にいる自分の先祖たちがしきりに来て、教えてくれるのです。

霊界にいる善なる先祖たちが地獄にまで入っていって教育するのです。その門を私がダンベリーで開いておきました。一九八五年二月一日の午前三時に、監獄で、お母様と共に、地獄と天国に高速道路を造っておいたのです。

高速道路は通りましたが、準備をしなければなりません。車がなければならず、運転を習わなければならず、ガソリンがなければなりません。それは、皆さんにはないのです。自分の先祖たちがもってくるのです。自分の先祖たちが車をもってきてガソリンを入れ、運転を教えてくれて、善なる霊界に引き上げる運動を始めたというのです。

6   統一教会によって天国の門は開かれたのですが、まだお父様が行っていないので、天国に入った人はいません。私が探しに探し、底まですべてかき回して合わせてみると、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界、天の国の玉座まで直通できるたった一つの道があるというのです。

その道には、愛の旗で信号を送らなければならないのであって、それ以外の信号では通じません。行くことができないのです。天国に行く自信がありますか。愛の自動車を運転していくのです。そのようになれば、天使は愛の自動車に信号を遂り、天国に案内するのです。そこは高速道路になっています。

お父様はダンベリーで、お母様はイースガーテンで、初めて天と地が通じる門を開きました。ですから、天上世界に何千年も前に行った人々が天国に行こうとすれば、自分の子孫たちを通して、地獄を経由し、地上の位置に来なければなりません。天国に行こうとすれば、地獄に勝たなければなりません。地獄に勝った人が天国に行くのです。

7   私は、アメリカのどんな先祖よりも、血の涙を流しながら神様を紹介しました。ところが、彼らは反対に、自分たちの野心のために血を流させたのです。このようにして監獄に入って出てきたので、世界の長子権復帰が成立したのです。すべて、打たれて奪ってくる作戦を取りました。そこから世界復帰、天宙復帰時代になるのです。地獄世界解放のための闘いをしました。

アメリカで、一九八五年二月一日午前三時を中心として、開天門の役事を行ったのです。

私が自分自身のことをまず考え、統一教会を考えたならば、監獄に入りません。アメリカのことだけを考えるのではありません。地獄の門を開き、霊界に行っている歴史的カインを消化しなければなりません。そのようにしなければ、長子権の個人を復帰するための長子権の門を心情圏で開くことはできないというのです。

長子権の個人からすべて開いたので、世界史的な長子権を中心として出ていくとき、反対することはできないという結論が出るのです。

出監と真の父母様の勝利 真のお父様は、第二百十回アメリカ独立記念日の一九八五年七月四日、ダンベリー連邦刑務所を出所され、ニューヨークの外れにあるブルックリン、ハーフウェィ・ハウスに移監されたのち、残りの刑期を終えられ、一九八五年八月二十日午前零時、完全に出監された。模範囚に選定され、刑期が五ヵ月短縮されたのである。真のお父様はダンベリーでの受難を通して、真のお母様と一体となられることにより、世界的蕩減復帰路程を勝利に導かれたのである。

8   お父様がダンベリー刑務所から出てくる時には、多くの囚人たちが歓送しようとしました。そうして私が何日の何時に出所するかを彼らがあらかじめ把握したあと、「道に出ていって見送りしよう」と言っているのを刑務所の所長が知って、大変なことになったと考えたのです。文某が出ていく時、二百人近い人々がみな出てくれば大騒ぎになりそうなので、「午前八時に出所する」と言っておいて、七時に他の所から送り出したのです。

私が出発したあとに囚人たちがそれを知り、「全く、なぜそのようなひどいことができるのか」と騒ぎ立て、抗議したというのです。通りすがりのお客さんだと思っていた一人のアジア人が、荒々しく凶悪なその社会に入って、一年間で彼らと涙の交流をしたのです。

9   私がアメリカのダンベリーにある監獄に一年一ヵ月の間いた時、ダンベリーの多くの囚人たちが私を尊敬しました。彼らは、監獄から出ることになったら、自分がもっている貴い物を私にすべて預けて出ていき、統一教会を訪ねていくと言ったのです。今でも「訪ねてきなさい」と新聞に広告を出せば、訪ねてくる人たちが多いでしょう。

彼らに、「統一教会に行きたければ、監獄で訓読会をする時に参加しなければならない」と言うと、互いに「参加する」と言ったのです。そうすると、刑務所で問題になるというのです。七人以上集まらないように制限されているので、互いに先を争って集まろうとする環境がつくられました。

そのように暮らして監獄から出る時、その人々はお父様を見て泣きました。男性の囚人たちが、お父様のことが慕わしくて涙を流すとすれば、監獄生活を正しく送りましたか、送れませんでしたか。お父様が行く所は、どこでも問題になるというのです。

10  一九八五年は、アメリカ独立二百十年目になる年です。二百十回目の独立記念日の七月四日にダンベリーから出所したというのは、新しい歴史的次元、国家的次元に飛躍できる時代に越えていくことを示しています。独立記念日に解放されたというのは、新しい出発の表示だというのです。摂理史的な意義が大きいのです。ユダヤ民族がバビロンから二百十年目に解放されて故郷に帰ってきたという事実もそうです。新しい聖殿を造り、新しい国家理念をもって出発し、新時代に越えていくことを意味するのです。

ですから、一九八五年七月四日のアメリカ独立記念日は、お父様の日だというのです。そこには、そのような意味が込められています。年代的な期間で見てもこのような意義があり、このような摂理歴史が伴っていることを考えなければなりません。

今後、一九八六年七月四日になれば、お父様のことを思う人がアメリカに徐々に増えてくるというのです。そして、「統一原理」と「統一思想」を知る人々にとって、お父様がアメリカに来て監獄で過ごし、解放された日は、一生を通じて忘れようとしても忘れられない日になるのです。既に、独立記念日と言えば、お父様が監獄から出てきた日、解放された日であることを記憶せざるを得ないというのです。

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11 イエス様が十字架で亡くなったあと、三日と四十日を合わせて四十三日の期間に、イエス様が死の中から復活するなどの役事がありました。本来は、一九八五年七月八日にダンべリーから出てくる予定でしたが、七月四日に出てきました。七月八日からきょうの八月二十日までが、正に四十三日になる期間です。

イエス様が復活したのと同じように、イエス様が取り戻すべき復活圏、キリスト教文化圏を実体的に取り戻すためには、この期間にすべて、統一教会員として完全に立たなければなりません。アメリカ国民も、この期間にすべて回らなければなりません。ですから、この期間にお父様が復活するのです。昔、イエス様の時にはイエス様の弟子たちだけが復活の栄光を受けましたが、今や実体的にアメリカ国民まで合わせて、その栄光に参与できる基盤ができなければなりません。

お父様のことをサタンだと思ったのですが、分かってみれば天の人であり、私たちが反対すべき人ではなかったことをアメリカ国民が知るようになりました。そうして、キリスト教が悔い改めて立ち上がるということが、アメリカの中で今始まっているのです。

お父様がダンベリーにいた十三ヵ月の十三数というのは、イエス様を中心として十二弟子を合わせた十三数と同じです。この十三数は蕩減復帰数です。けれども、西欧社会では十三数が一番悪い数になっています。しかし、今や完全に蕩減復帰をしたというのです。

12 私が監獄に入る時は命懸けでした。そこでは、人を一人片づけてしまうことは簡単なのです。神様にとって、私の命が奪われては大変なことになるので、行くやいなや天が配置した人々がいました。そのような謎めいた内容が多くあるのです。夜になり、私が寝床に入って眠るときは、私を守ってくれる人がいました。夜十二時から早朝四時まで、眠らずに守るのです。それは、人間がしてくれるのではありません。私がダンベリーを出て、社会に出ていくための中間訓練場であるハーフウェイ・ハウスに行ったときもそうでした。出る前に、既に霊界通信網を通して、私を保護できるように一週間前から準備していたのです。黒人一人と中国人一人が待っていました。私が夜十二時から早朝五時まで寝るとすれば、その人々は交替でテレビを見ながら、ドアの所でしっかりと守っているのです。見張るのです。誰が保護したのでしょうか。神様が保護してくださったのです。

13 私が監獄から出てくると、アメリカの立派な牧師が十二人来て、私をつかんで抱きかかえたりして大騒ぎでした。私は会ったこともなかったのですが、その人々は、なぜそのようにしたのでしょうか。挨拶もしたことがなく、一度も会ったことがないお父様に対して、なぜ涙を流しながら喜んだのかというのです。

それは、アメリカという国自体に対する羞恥心と、お父様が宗教者として偉大な実績を積んで、善の道を中心として闘争したその価値を考えたからです。

自分たちの一生と比較するとき、みな頭を下げざるを得ないというのです。話をしなくても、老いたその人々が涙ぐみ、その青い目から大粒の涙が落ちるのを見ました。自分が監獄から出てくること以上に喜ぶのを見ながら、「善の世界はこのような所から、このようなチェーンがつながって発展するのだな」と思いました。滅びるしかないアメリカに、私によって新しい輪ができたのです。

難破して流されるしかなかった船に、錨の綱をくくりつける輪を、私がつくってあげたというのです。取り除く者がなく、切る者がない錨の綱でくくりつけるとき、アメリカは生きるのです。お父様が正義の綱でアメリカを愛したので、断ち切ることはできず、アメリカは復活してよみがえると考えるのです。

14 私がダンベリーに行くことによって、世界的な総蕩減をしました。ダンベリーに行ったのは、地上世界の全体から反対されるのを代表する立場で、十字架を背負っていったのと同じです。その十字架を背負った目的は、霊界の統一と地上の解放のためです。統一が目的だというのです。

ですから、私がダンベリーに行く時には、アメリカをはじめ地上のすべての団体が動員されました。ユダヤ教からキリスト教、宗教すべてが、その次にはアメリカから世界各国、すべてが動員されました。何しろ、中央情報局(CIA)を通して二十五ヵ国を調査したのです。このようにして、条件があれば引っ掛けて押し込めようとしました。そのように、世界的に自分たちのもてる力を尽くして反対したのです。

私たちがそのように反対を受けたのは、霊界を奪い返すためです。霊界を奪い返すことが目的です。私たちの統一基盤を打って倒し、破壊しようとしたのです。そこでは、お父様とアメリカ政府は一対一でした。言い換えれば、アメリカ合衆国が原告になり、私が被告になって闘ったのです。そうして、これをひっくり返しておきました。この事実は、霊界が統一圏に入ってきたことを意味します。ですから、一九八五年から約三年間、霊界が地上と歩調を合わせていかなければなりません。霊界の統一圏が広がったので、地上と歩調を合わせていかなければならないというのです。

15 歴史時代の宗教者の中で、世界的に最も迫害を多く受けた代表的な路程を歩んだアベル的な一人の人物が、二十世紀後半に現れたお父様です。そのような路程を歩みました。ダンベリー刑務所に放り込んで「滅びよ、死ね」と言ったのですが、神様が助けてくださり、滅びることもなく、死ぬこともありませんでした。分かってみれば、人類全体を救うための義人だったというのです。それでみな、頭を下げるのです。

16 神様が今まで、サタンを屈服させられなかった原因はどこにあるのでしょうか。そして、人類が今まで、サタンを屈服させられなかった原因はどこにあるのでしょうか。たった一つ、サタンが主張することがあります。「私が堕落したとしても、本然の原則的基準における父母の心情から見れば、神様は私を愛するようになっていて、神様の息子も私を愛するようになっています。そのように愛してこそ、天国に行くようになっているのが原理原則ではありませんか」と言うのです。このように言ってくれば、神様はどうすることもできません。ここにすべて引っ掛かるのです。

「天国に入れる資格をもった者になり、完成した人間の位置に上がろうとすれば、私(サタン)を愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、完成の位置に上がっていける道はありません」と主張するサタンの言葉に引っ掛かっているのです。

ですから、イエス様も十字架上で怨讐を愛しなさいと語り、お父様もダンベリーでアメリカ人全体のために祈って、愛の基準を立てたのです。

そのようにして、その愛の軸に、世界の数多くの民族が水平線で連結されています。アメリカに連結されたのです。アベルがすべて連結されたというのです。そのように連結された思想的基準の上では、サタンに侵害する権限はありません。

17 皆さんが復帰の道を行く過程では、豊かに暮らそうと考えることはできないようになっています。苦労しなければならないというのです。そして、夫まで監獄に送りながら、その夫のために精誠を捧げ、一家までも犠牲になろうとしなければなりません。そのような決意を固めるその場でのみ、天倫の歴史が連結されてくるのです。

今回、お父様は、お母様に対して有り難く思いました。ダンベリーを中心として、お母様はたびたび心情的に深い次元の谷間を経験しただろうと思います。そのように暮らしたので、基準が次第に上がってくるのです。今回、ダンベリーを通して、お父様の貴い価値がさらに分かるようになったというのです。

18 お母様が、私のゆえに苦労しました。監獄を信じることができますか。世界の共産党が狙っている状況なのに、そこは裸になって野原に横たわっているのと同じ立場なのです。お母様が涙を流しながら、そのダンベリーに毎日のように通いました。

イースト・ガーデンで生活しながら、涙を流さなかったと思いますか。日曜日の朝五時の敬礼式を行い、祈る時は涙を流しただろうと思います。子女たちも涙を流したでしょう。何のために、そのような涙を流したのでしょうか。

お父様はお金もあり、権威もあり、知識もあります。人々を指導することもできます。しかし、なぜ私がアメリカに来たのかというのです。なぜお父様が、争いを好む人になったのかというのです。それはひとえに、神様のみ旨のためなのです。

第六節 獄中での受難が示す教訓 復帰路程は蕩減の道 真のお父様は、準備されたキリスト教と中心人物たちが責任を果たせないことにより、六度にわたって獄中での受難を通して蕩減の道を歩まれた。そのような蕩減の道は、神様の恨を解怨成就しようという血と汗と涙の「天路歴程」(天国に向かって歩む道)であった。そして、真の父母様は、蕩減復帰摂理の縦的・横的八段階の過程を成功裏に締めくくられるのである。

1 復帰の道は、蕩減しなければなりません。復帰の道は、蕩減の道です。そこには、自分一身を中心として考え、「私はこのような立場でこのように生きなければならない」という観念がありません。全体的な観念がない中で、「天が残された受難の道を私が歩めずにいる」という事実を感じながら、一歩でも、より早くその受難の道を消化していかなければなりません。批判したり、難しいと思ったりすれば、消化できません。感謝の心をもって消化していかなければなりません。

皆さんと天の違いは、天は高く、皆さんは低いということです。ですから、自分はどのように天の掲げる位置に行くかを常に考えなければなりません。個人と天の違いは大きいのですが、どのようにして平準を取っていくかというのです。天は「私」を訪ねてこなければならず、私は天を訪ねていかなければなりません。私が天まで行くには、困難が大きいというのです。このようにして蕩減するのです。

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11  アメリカは、キリスト教というものが名前だけ残り、人本主義と拝金主義と共産主義が表面に立って国を動かしている立場にあります。今になってようやくアメリカ政府は、これがキリスト教にとって怨讐となり、キリスト教に反対するものになることが分かりました。国会では、宗教に有利な法の条文を何度もひっくり返し、自分たちの側に立って神様とは遠い立場に引っ張っていくことが分かりました。

ですから、お父様のダンベリー事件は、このような問題を掲げて、信仰の自由化運動による統合運動を提示できる良い機会でした。それで、監獄に入る前から信仰の自由化運動をするとともに、監獄に入ってからもキリスト教徒統合運動のための準備をしたのです。アメリカが持て余す共産主義に対処するための南北米統一連合運動(CAUSA)と、キリスト教再復興運動を中心にした神霊運動を連結させたのです。これがお父様の運動であり、統一教会の運動でした。

12  今までアメリカは、自分の国だけのためのアメリカだったのですが、それではいけません。世界のためのアメリカとして、世界を救い、世界をリードしなければなりません。ところが、世界をアメリカの支配下に置くことを願い、アメリカの利益を追求するために、神様も何もすべて放り投げたというのです。世界人類のための平和の世界創建ということを忘れてしまい、アメリカだけのための勝利的基盤を(国民に)相続させようとする態度をとってきたので、ここから神様の役事が離れてしまいました。神様が世界的に活動できる基盤が現れなかったというのです。

そこから、アメリカはだんだんと落ちていきます。それにより、カインが再び侵犯するのです。カインは、世の中の習慣性を中心とした伝統的な思想によって動きます。アメリカであれば、アメリカの生活を中心とした伝統があります。その習慣化された外的な世界基盤を中心として、そのもとにキリスト教をすべて追い込もうとするのです。ですから、その時からアメリカ政府がキリスト教に反対し、宗教の自由権を侵食して、学校で祈りを捧げることを問題視したり、キリスト教の学校に対する支援策を撤回したりするなど、次第に多の問題が現れ、それが、お父様がダンベリーに入る時に最高潮に達しました。そのような状況でダンベリーに入ることにより、初めて、そのようなことに対する覚醒が起きたのです。

13  イエス様の時代には、すべて失ってしまいました。弟子を失い、教会と国と世界と天地を失ってしまったのです。その失ってしまったものを、お父様がダンベリーから出てくることによって、すべて取り戻せる運勢圏になりました。これから世界を主導でき、リードできる実権をつくらなければなりません。

皆さんは八段階の蕩減路程について学びましたが、いつ誰が蕩減しましたか。皆さんができなかったので、お父様が長子の使命を果たすのです。アベルの証し人として、長子の使命を果たすというのです。このように、長子であるお父様を中心とした統一教会が、次子の位置から長子の位置に上がっていきます。昔の長子が次子の位置に立たなければなりません。逆さまにならなければならないというのです。

言い換えれば、長子だったサタン側のキリスト教が次子の位置に立ち、長子となった統一教会に順応してこそ、天の道理に従って回っていくことができるのです。蕩減復帰をしてこそ、長子権と次子権の基盤の上で父母様が世界的によみがえることができます。原理がそのようになっているので、この位置がなければ、世界を主導できる父母の世界圏が出てきません。サタンと闘って長子権を取り戻してくるのです。お父様が長子権を取り戻したので、長子と次子が回っていくのです。

ダンベリーに入った日は、一九八四年七月二十日でした。その時、黒人の代表と白人の代表が、お父様を中心として一つになりました。イエス様が十字架についた時は、イエス様を中心として二人の強盗が争いましたが、お父様の時代に彼らが一つになったという事実は、白人世界と黒人世界が連結される最上の橋が架かったことを意味します。

14  キリスト教の信者たちの中から、「神側にあるキリスト教が、政府や外的な人本主義思想、共産主義、唯物思想をもった人から指導を受けてはならない。キリスト教思想を中心として、アメリカを完全に元の体制に戻さなければならない」という覚醒が起きました。お父様がダンベリーに入ることによって、そのような運動が起きたのです。その運動も、組織も、お父様が始めたものです。

その時、七千人以上のアメリカの牧師たちを韓国に連れてきて教育しました。彼らは韓国に来て、「神様を中心としたキリスト教運動は、アメリカが一番ではない」ということを知りました。アメリカが一番だと思っていたのに、韓国のキリスト教が、外形的にではあっても、発展していたというのです。

15  私は、ダンベリーの獄中にいながら、七千人のキリスト教牧師の連合運動をしました。これは、旧約時代の七千の群れ、エリヤのところに残った七千人の群れと同じです。イエス様の時代にも、イエス様を中心として七千人が一つになっていたならば、イスラエルの国を動かしたでしょう。それを現実的自由世界の舞台で再現するのです。その時は国家基準でしたが、今は世界的基準なので、七万人の牧師を結集する運動を行うのです。

16  イエス様の前に、洗礼ヨハネを中心として七千の群れが結合していたならば、イエス様はあのように死ななかったでしょう。ですから、アメリカで七千人以上の牧師たちを中心として、三十二万人の聖職者に「統一原理」に関する内容を通告したのです。『世界への神の警告』という冊子を作って配布しました。そこには原理の秘密がすべて入っています。私の責任を果たしました。次子のアベル圏を中心として、長子圏を屈服させたのです。

監獄に入って、出てきてみると、「レバレンド・ムーンでなければキリスト教に新しい方向を提示してくれる人はいない」というのが、神学界の結論として出てくるようになりました。アメリカの朝野が、もはやお父様の思想でなければアメリカを収拾できないという結論を下しました。これからのキリスト教が行くべき方向、アメリカが行くべき方向を提示したのです。

17  イエス様の十字架路程の世界的な蕩減的同時性の時代を迎えたお父様は、仕方なく追われてダンベリーの監獄に入りました。それは、エリヤが祈った立場と同じです。アメリカのキリスト教が反対し、政府が反対しました。(お父様を)何とかしようと謀議し、自分たちのためにお父様が終わりになることを願ったのです。彼らは私の命を奪うことができなかったから奪わなかったのであって、奪える方法があったならば、ありとあらゆることをしてでも奪ったでしょう。しかし、自分たちの思いどおりにできなかったのです。

そこでお父様は、キリスト教の牧師を七千人以上集めて教育しました。原理の本から「勝共理論」「統一思想」、今まで語った重要な内容を抜粋して獄中で作った『世界への神の警告』という本も送ってあげました。

お父様が監獄に入ることによって、アメリカのキリスト教界では「政府が宗教を弾圧している」と言って、四十の教団が団結する運動が起きました。それで、お父様がいる獄中に入り、一週間ずつ自分たちも苦難に同参しようという「同苦の会」というものをつくって運動を展開するようになり、アメリカ全域で問題になったのです。

18  お父様は、ダンベリーにいながら、キリスト教の指導者七千人以上に対する教育を始めました。そのようにしてから、南北米統一連合運動を活発に展開し、また、キリスト教の牧師七万人を教育しました。四年間でそのようにしたのです。これが、キリスト教に基盤を築くための計画でした。

私たちがアベルの立場であり、キリスト教はカインの立場です。アメリカでキリスト教指導者たちと統一教会が一つになることによって、アベルとカインが一つになるのであり、キリスト教指導者たちと統一教会が一つになることによってアベルの立場になり、アメリカ政府はカインの立場になるのです。

これらを、神様の思想、真の父母の思想をもって一つにするのです。これが神様の目的です。このような基盤を築いたあとに、アメリカは本然の神様の側になるのです。アメリカの最後の目的は、神様の理想世界です。本然の地上天国です。それが最終的な目標です。それは、アメリカの目標であると同時にキリスト教の目標であり、統一教会の目標でもあります。このような基盤を築けば、世界人類を教育することは問題ありません。

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6   今日、私たちは北朝鮮と対峙しています。ですから、常に北朝鮮が韓国にスパイを浸透させようとするのですが、どこに浸透させるのでしょうか。統と班に浸透させるのです。それを点として線で結び、それに乗って中央にまで上がっていくのです。中央の頂上は指導体制が一つです。そこに向かっていくのです。それで、ある程度まで数が確保されるときには、地下組織を上部から編成し、統一的体制を形成します。そのようにして編制一元化を企てることが共産主義の戦略です。

ですから、私たちが注目すべきことは、敵がどこから浸透してくるかということです。統と班を通して浸透してくるというのです。それゆえ、この統と班をどのように組織化するかが問題です。私は「南北統一運動国民連合」をっくって、統一教会の組織、「国際勝共連合」の組織、「南北統一運動国民連合」の組織、新たにこの三つの組織に編成しました。

統一教会が頭であり、国民連合は足です。しかし、復帰時代には、頭からするのではなく足からするのです。大韓民国の国民が同じ軸を中心として回らなければなりません。そのような意味で、国民連合を中心として一つになりなさいというのです。国民連合を中心とするのですが、統と班に行って、一つになりなさいということです。

統一に備えた組織強化および教育 真の父母様は、韓国の経済成長と八八ソウルオリンピックなどにより、南北間の格差がますます広がり、北朝鮮の韓半島赤化統一に対する野心が大きくなるにつれ、汎国民的な勝共および統一運動の発展が、より一層、切実な問題になると語られた。特に、北朝鮮が韓半島での総選挙を提案してくることに備えて、徹底した「勝共思想」教育を実施しなければならないことを強調された。このため、末端の行政組織である洞、統、班、また面、里、班まで組織を緻密にし、強固にすると同時に、共生、共栄、共義の「神主義」すなわち「頭翼思想」を根本理念とする思想武装教育を本格的に展開された。

7   アメリカやソ連、日本は、韓国と北朝鮮が闘うことを願っていません。どのようにしてでも平和が持続することを願っています。中国も、一九八八年以降には方向転換し、自由世界と連結される道を開いていこうとしているのに、韓国と北朝鮮の間に紛争が起きれば、自由世界と関係を結ぼうとしていたことが一大打撃を受けるようになるので、紛争を願わないというのです。

世界情勢がこのようになっているので、北朝鮮は、間違いなく韓国と北朝鮮の総選挙を提案してこざるを得ないと思います。そうして、北朝鮮は「できる限り短い期間、四十日以内に総選挙をしよう」と言うでしょう。このように提案してくれば、韓国政府は受け入れざるを得ません。ところが、北朝鮮は、韓国の行政機関に対処するすべての組織から、市、郡と面、里、統、班まで、二重に組織しています。韓国の面、里、統、班まで二重編成をしておいて待っているのです。自分たちの計画どおり、ただそのまま全面的な宣伝攻勢に出てくるというのです。

韓国では、このような北朝鮮に対して備えておいたものが何もありません。神様の摂理から見るとき、悪魔は最後まで、限界に至るまで攻撃して、ようやく後退します。彼らが総攻勢に出るとき、韓国はそれを防ぐことができないと考えたので、お父様は解放後の四十年間、これを防ぐための準備をしてきました。

8   八八ソウルオリンピック大会を中心として、北朝鮮は隅に追いやられ、本当に困難な立場にあります。ですから、危険だというのです。金日成主席の性格から見るとき、「中国もソ連も信じることなく、行動を起こして韓国を急襲し、拳で握ってしまえばよいではないか」と考えるというのです。しかし、そのような攻撃ができなくなれば、必ず、「韓国と北朝鮮の総選挙をしよう」と言ってくるでしょう。「韓国と北朝鮮の総選挙をしよう」と言えば、ソ連も喜び、中国とアメリカ、日本も喜ぶようになります。不可避的に、そこに引っ張られていかざるを得ないというのです。

ですから、重要なことは、南北統一の雰囲気を造成することです。それで、韓国に「南北統一運動国民連合」をつくったのと同じように、世界に「東西南北統一運動連合」をつくらなければなりません。東洋と西洋の問題は、文化の格差です。文化的背景が違います。それが東西問題であり、南北問題は貧富の格差です。世界のいかなる国であろうと、ここにすべて引っ掛かっているので、「東西南北統一運動連合」をつくるしかありません。

9   自由民主主義の体制と共産主義の体制は、根本的に違います。自由民主主義体制は選挙によって大衆が指導者を選びますが、共産体制は労働者、農民、すなわちプロレタリアートの独裁政権です。ですから、反対する人は消してしまいます。共産党が指名すれば、いつでもその人は一〇〇パーセント当選するのです。独裁体制を永続化する方便として、そのようにしているというのです。

それゆえ、統一された体制をどのようにつくるかが問題です。そのようにするためには、思想的な面で民主体制と共産体制を越えることができ、消化できるもう一つの統一的な思想がなければなりません。そのような理論的基盤の上で統一体制を形成しなければならないというのです。統一体制の形成には、韓国が一つのモデルです。韓国を中心とした「南北統一運動国民連合」の形態をかたどってつくったのが、世界の「東西南北統一運動連合」です。韓国が正に世界のモデルになります。それに世界が付いてくれば、すべてが統一的世界体制に越えていくのです。

10  南北統一のために、どのように活動しなければならないのでしょうか。面と洞の単位を中心として活動しなければなりません。第一は、地方の面を中心とした里と班の強化、里と班をすべて教育しなければならないということです。面を中心とした里と班の教育です。第二は、都市の洞を中心とした統と班の教育です。

第三は、会館、教育場所の確保です。面単位を中心として教育できる場所を決定しなければなりません。第四は、後援会を結成しなければなりません。後援会さえ結成すれば、すべてのことが解決します。このように後援会をつくり、後援会に加入したすべての会員たちは、北朝鮮解放のために毎月、いくらかの会費を出すようにする運動をするのです。そのようになれば、これを中心として、里長と統長と班長を通して全体会議を行い、準備資金を集めることが可能です。最後に五番目は、後援会を中心として基金を確保しなければならないということです。

11  統一教会が一九六八年に「国際勝共連合」をつくってから、二十年間で、三泊四日の正式教育を受けた人たちが九十万人を超えます。誰ももつことができなかった、このような人的財産を連結させたというのは、誇るべきことです。

「国際勝共連合」だけでなく、私たちの教会が教育した人も、二百万人を超えます。二百万を超えるこの人々は、統一教会員にはなりませんでしたが、全国津々浦々に私たちの人脈として連結され、脈を打ち、血が通う基地になっているというのです。このような事実を政府も知らず、どの党も知りませんでした。

お父様が、一日でどこかの大会場、どこかの体育館を用意して大会をすると宣伝すれば、私に会うためにすぐに駆けつける隠れた人々がたくさんいるというのです。私たちは、これまで統と班の組織を結成してきましたが、お父様が話したこのような背後の人的資源が多くあるのです。これを基盤として、下部構造と上部構造を連結できる中枢的、中間的橋梁の基盤を拡張させるために行ったのが、韓国の指導者たちのアメリカ研修です。

韓国で政治家たちが地方自治制について議論し、大きなことを言っていますが、お父様の基盤を凌駕できるいかなる団体、いかなる政党もないと考えるのです。韓国だけでなく、日本とアメリカでも、このような実質的基盤を築いています。

今や行動を開始し、韓国から北朝鮮に潮水が流れ込んでいける力の橋頭堡を形成しなければならない時になりました。それができる人は、お父様しかいません。

12  「統一原理」と「頭翼思想」は、悪魔の世界では恐ろしいものですが、神様の世界では驚くべき武器です。韓国と北朝鮮の住民すべてに「頭翼思想」、神様の思想、「神主義」を教育するのです。

これが統一の最も早い答えになることは間違いありません。今、中東で起きているユダヤ教とイスラームの根深い争いを和解させることにも、「統一原理」」が必要です。シリアとエジプト、イエメンのイスラームの核心指導者四十人が、既に四十日教育を終えました。これは、兄弟ではできません。父だけができるのです。父母が来て、お互いが兄弟であることは間違いないと教えてあげるときには、一つになるのです。その父母が神様です。(父母なる)神様を教えてあげれば、すべて統一されるのです

13  私は、一生を通して共産主義と闘ってきた人です。私は、共産主義者たちから何度も命を脅かされ、一触即発の危機から命を守ってきました。しかし、私は、ある特定の共産主義指導者に反対したのでもなく、また社会主義に対して反対したのでもありませんでした。私は、創造主であられる神様を否定する唯物論に立脚した共産主義哲学が、真理でないことを知った人です。私は、神様の実存に対する徹底した体験と所信をもった者として、私たちの世界と人類が神様を求め、神様のみ前に帰らなければ、究極的に、人類は滅亡せざるを得ないと固く信じた人なのです。

そのような意味で、今日の自由主義世界、または資本主義世界が正しく進んでいるとは絶対に考えていません。かえって物質万能の資本主義世界の中に、唯物論と無神論の澎湃(ほうはい:物事が勢いよく起こるさま)が、過去の共産主義に劣らず、世界と人類の将来を脅かしていると考えています。

もし、宇宙の根本であられる神様がいらっしゃらないとすれば、この世の中に絶対価値の基準はあり得ません。そうなれば、人間の道徳と倫理の基準が成立せず、その社会は、人間が万物の霊長となり得る何の哲学的根拠ももち得ないのです。正にこのような無神論的物質万能主義から今日の世界のあらゆる難問題が派生し、世界に氾濫する民族紛争の悲劇、各宗教間の戦争と殺傷、麻薬による犯罪、フリーセックスによるエイズのような病気がもたらされているのです。

私は、このような問題を解決するための根本的な治癒策を見いだそうと苦心してきた人であり、その解答を神様から啓示を通して得た人です。すべての人間が、唯一なる天地の大主宰であられ、父母であられる神様を知り、その子女になることが、世界平和のための急務だと考えます。私は、左翼でもなく、右翼でもありません。私は、中心に立って頭主義、すなわち「頭翼思想」を宣布し、「神主義」がすなわち「頭翼思想」であることを宣布しました

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22 お父様は、一九六〇年代から勝共活動を展開しようと考えていました。その時から、法務部(日本の法務省に当たる)の対共関係の部署を通して、刑務所のスパイたちに勝共教育をしました。それを見ても、時は必ず訪れてくることが分かります。

一九六〇年から十年間、統一教会が歩んできた道は受難の道でした。しかし、これからは変わるでしょう。国家のために活動する統一教会なので、統一教会が発展できる外的な環境を国家がつくってくれるでしょう。私たちが勝共教育をしてきたのですが、勝共修練会で修練を受けてきた人々を見てください。なぜ、それほど変わるのかというのです。わずか数日問の教育を受けて、どのようにしたらそのように変われるのかというのです。

地方の有志たちを集めて教育したときにも、最初は自分たち同士で争い、ありとあらゆることが起きましたがあとから、「なぜ、五日間の教育を受けてこれほど変われたのか」と、彼ら自身もそれを不思議に思い、感嘆するほどでした。明らかに、理解できない何かがあるというのです。いくら尋ねてみても、彼らも「なぜそうなのか分からない」と言うのです。

23 「国際勝共連合」の活動が良い成果を収めているという事実を、大韓民国の人たちはみな知っています。ですから、内務部(日本の総務省に当たる)や情報機関では、自分たちの情報要員を秘密に送り込み、勉強させています。すなわち、国家観を担当する教授や、共産主義批判を担当する教授たちに教育を受けさせて、立体的に分析、報告させているというのです。

ところが、彼らが「これからはこのような教育を、国を挙げて行わなければならない。今まで、共産主義に対する批判はすることができたが、それを克服できる代案が分からなかった。しかし、今ようやくそれを学ぶことができて痛快だった」と報告するので、情報機関が驚きの目で見つめるようになったのです。

24 私たちは、反共闘争をしてきました。ところが、韓国政府は私たちを歓迎しませんでした。政府に隸属した多くの団体が、私たちの前で押されていき、勢いを失っていく環境になるので、かえって私たちに反対したのです。その機関長たちは、ありとあらゆる圧力を加えて私たちを消そうとし、当局と歩み寄って数多くの迫害を加えました。しかし、真理と公義は勝利するのです。

韓国では、一九七一年の一年間だけでも、千人以上のキリスト教牧師たちに勝共教育をしました。過去五年間に、合わせて六百五十万人を教育したのです。今になって、韓国における反共戦線の橋頭堡が統一教会であることを知り、すべて押し寄せてきています。今や、大学でも私たちが中心になっており、思想界でも既に中心になって、公務員、あるいは教育機関の思想講座は、私たちが担当するようになりました。

一九七一年にも「統一思想」を中心として、韓国の著名な教授四百人を教育しました。内的にはキリスト教を擁護し、外的には共産主義を防がなければならないのですが、それをする人が、私たち以外にはいません。反共戦線では、日本と台湾など、アジアの最先端で闘っています。

25 一九七九年十月の大統領殺害事件以降、統一教会は何をしたのでしょうか。金日成主席が韓国を侵犯できる良い機会だと考えたので、「国際勝共連合」を中心として七十万人の会員を確保し、団結大会を行いました。命を懸け、莫大な資金を投入しました。政府がこのようなことをしなくても、国民が何と言おうとも、これを抱き、基盤を築いて闘わなければなりません。

神様のみ旨によって、そのようにしたのです。反共戦線を構築し、韓国の地から共産主義を防ぎ止めなければならず、青少年たちの淪落を防がなければならず、没落していくキリスト教を復興させなければならないというのです。もしキリスト教が受け入れなければ、キリスト教を差し置いて、統一教会の基盤をもってしなければならないというのです。

26 一九八三年にお父様が韓国の為政者と関係者たちに会った時、彼らは非常に驚きました。それは、お父様が常に永遠の真理の側に立っていることを知ったからです。その時、韓国の国民は、大韓航空機撃墜事件とミャンマーのラングーン爆破事件によって、大きな苦痛を受けていました。しかし、彼らと会った時、彼らは、一筋の希望を見いだしたという表情で、お父様を迎えたのです。

国民は士気が大きく低下し、落胆した表情をしていましたが、共産主義に勝つ方法をお父様から見いだせるのではないかという希望を抱いていました。全国勝共決起大会の時、「共産主義に勝てる」というお父様の明快なメッセージに接し、すべての国民が歓迎しながら拍手で応えてくれたのです。お父様は、絶望の中で怒りを静めようとしている彼らに、希望を次き込んであげたのです。

27 私が勝共運動をする目的は、共産主義者たちを滅ぼそうということではなく、真の真理と真の愛によって彼らを解放して生かしてあげるためです。これが目的なので、今、水に溺れて苦しんでいる共産世界を、私心なく犠牲になって助けてあげようとするのです。

一九八九年十月十二日に開催された「世界平和教授アカデミー・ソ連重鎮言論人招請懇談会」に、私の招請でソ連の著名な言論人たちが韓国に来て参席しました。そして、帰国する時、彼らは断ろうとしたのですが、私が説得して彼らを平壌に送り、金日成主席にメッセージを伝えさせました。

そのメッセージの内容は、第一に、私は彼の怨讐ではないということであり、第二に、韓国赤化の野心を捨てなさいということであり、第三に、世界的な趨勢に逆行せず、真理に帰り、門を開いて手を広げれば、私たちは兄弟になって、みな一緒に繁栄し、幸せに暮らせるというものでした。

28 金日成主席を生かしてあげ、一人の証人として立てなければなりません。お父様はやはり偉大だと証する証人が必要です。私は、反共指導者ではなく勝共指導者です。共産党を滅ぼそうとするのではありません。共産党を救ってあげようとするのです。神様は善なる人を中心として救うので、(善の人を)滅ぼそうとする人は滅びていき、善の立場で打たれる人は栄えていくのです。これが天理の行く大道です。

第二節 「南北統一運動国民連合」 「南北統一運動国民連合」創設の背景 一九八七年五月十五日、ソウルのリトル、エンジェルス芸術会館において、「南北統一運動国民連合」が創設された。これに先立ち、五月四日から韓国の十大都市で、南北統一運動国民大会が開催された。真の父母様は、「国際勝共連合」の活動基盤を南北統一運動に転換させるため、汎国民運動である「南北統一運動国民連合」を立てられたのである。

1 お父様は、光復直後にキリスト教とキリスト教文化圏を中心とした国、カイン圏とアベル圏の世界的な国家が一つになれなかったことに代わって、一つになったという条件を立てるとともに、韓国が南北に分かれてお父様を追放したので、韓国に戻ってきて再び国民を収拾して蕩減復帰するのです。それで、「南北統一運動国民連合」をつくりました。

カナン復帰路程で、イスラエル民族がヨルダン川を渡ってカナンの地に入るのと同じです。結局は、北朝鮮に入っていかなければなりません。カナンの地にはカナン七族が暮らしていました。共産圏を中心として、そのような怨讐たちが私たちを狙っているというのです。私たちが入っていって、彼らを消化しなければなりません。

2 お父様が行く道は、新しい祖国を求めていく道です。定礎石を据えるべき最後の息詰まる帰着点に向かって前進しています。この国で行われた一九八七年の「四・一三護憲措置」から「六・二九民主化宣言」までの多事多端な環境の中で、「南北統一運動国民連合」というタイトルのもと、ここに鉄柱を差し、「あなたが退くか、私が退くか」という闘いを繰り広げたのです。

お父様はたった一人で走ってきました。一介の男として、個人を代表し、一族の族長を代表し、一国の民族を代表し、世界の万民を代表する立場で、それだけでなく、歴史時代に来ては逝ったすべての聖人、賢哲たちを代表して神様の愛の恨を解いてさしあげることにおいて、「私を手本にしなければならない」という権威をもち、追われてもこの道を死なずに走ってきました。

この事実は、私が優れていたからできたのではありません。神様もお父様を持ち上げて、誇りたいというのです。怨讐たちが自然屈伏し、自分の息子、娘よりも、自国の国民よりも先にたたえる歓声が、地上から湧き上がることを願う神様なので、お父様が試練の舞台を克服するとき、助けるのではなく激しく追い立てたのです。そこに、歴史にない賞を与えるための神様の愛があったというのです。それを知ったので、私は死ぬことなくこの場まで来たのです。

3 北朝鮮の人々は、金日成主席が命令さえすれば韓国を侵攻できる武装を完備しています。しかし、武装完備したその力、すなわち欲心によって押す力と、統一教会が愛によって押す力があるとき、宇宙の力はどちらを協助すると思いますか。天運は、私たちを協助するというのです。

ですから、「私の家庭を祭物の立場で犠牲にしてでも、北朝鮮にいる数千、数万の家庭を救おう」という真の愛の心をもたなければなりません。そのような心が芽生えるときに、北朝鮮は崩れるようになります。自然に根の下のほうから腐るようになります。生命の要素はすべて(根から)上がってくるので、そこでは死、死亡の世界が始まるのです。結局、統一教会が準備できていないために、北朝鮮が残っているのです。ですから、これを準備するために、お父様は「南北統一運動国民連合」をつくりました。

4 韓国を統一するというのは、世界全体を統一するのと同じくらい大変なことです。しかし、これが摂理的な焦点になっているので、すべてが一つにならなければなりません。一つになるためには、二つになるという過程を経なければなりません。そのようになってこそ、二つをすべて消化できる能力をもてるのです。その基盤の上に、一つの存在として残るようになります。

ですから、皆さんは罪悪に満ちたこの世界を統一しなければなりません。罪悪の世界を統一するためには、まず罪悪の世界で麴にならなければなりません。麴になろうとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。それは、力でするのではありません。愛でするのです。涙と血と汗を通してしなければなりません。

ですから、私たちは責任を果たさなければなりません。その責任を果たせば、統一の理念がこの地上に立てられるのです。したがって、私たちがやらなければならないことは、私たちの理念を基盤として、三千里半島から共産党を追い出すことです。アジアから追い出さなければなりません。この地から追い出さなければならないのです。

5 韓半島の韓国と北朝鮮さえ統一されれば、民主世界と共産世界が一つになるのです。これは、ユダヤ文化とギリシャ文化が一つになるのと同じです。これが一つになれば、東西が統一されるのです。宗教世界と文化世界、神本主義と人本主義、すべてのものが統一されます。

北朝鮮では金日成主席を「父」と言い、韓国では私を「父」と言って、二人の父が闘っています。一人はサタン側のメシヤであり、もう一人は天の側のメシヤです。二人のメシヤが闘うのです。そうして、お父様は上がっていき、金日成主席は下がっていきます。このようになることによって、世界の問題はすべて終わるのです。

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11  一九六五年十月、江原道で民間人家族がスパイに殺害される事件が起きましたが、その事件によって、与党と野党が口をそろえて、「江原道を反共模範道に指定し、反共闘争を強化しなければならない」と言っています。江原道が反共の模範道になり、これが次第に他の道にまで拡大していかなければなりません。そうして、十九歳から五十五歳までの男性たちによって反共組織を編成しなければならず、統一教会も反共闘争を強化しなければならないのです。このような局面なのですが、政府には反共闘争に対する理念的な代案があません。

私たちの勝共運動が、江原道から起きるようになった原因がここにあります。一列になって進んでいた群れ全体が回れ右すれば、一番後ろにいた人が先頭になるのと同じように、江原道は私たちの国で一番後れた道ですが、摂理的に見るときには、一番近い道になるのです。

また、江原道には軍の部隊がたくさんいますが、私たちが願うとおりに、これから統一教会の思想によって韓国軍を思想武装させることができます。そうして、北朝鮮までも思想的に押して上がっていくのです。

12  神様を身代わりし、民族のために立ち上がった皆さんが反共講義をするのは、幾人かの人のためではありません。復帰途上で、共産主義は必ず打ち破らなければならないサタンの勢力だからです。神様が、勝利する民族を立てようと苦心されているので、民族全体が歓迎するその日が来るまでは、自分たちが歓迎を受けることはできないという考えをもたなければなりません。

民族が歓迎するとき、皆さんが前に立つよりも、先祖として来ては逝ったすべての義人たちを前に立てて、神様を喜ばせてさしあげようという謙遜な心をもって向き合わなければなりません。もう皆さんは、歓迎を受ける場にいてはいけません。それは過程的な現象です。まだ皆さんには、越えていくべき峠がたくさん残っており、駆けていくべき道がたくさん残っています。その道を行くのに妨げとなる要件があっても、それを必ずや越えていこうという皆さんにならなければならないのです。

13  最近、地区長たちの報告によれば、地区長たちが道で人気者になったというのです。道知事が表彰しようとし、内務部の長官(日本の総務大臣に当たる)が表彰しようとするというのです。それは、理念的に見て、国が私たちを失ってはならないと認識したからです。昔は、お父様が少しでもどこかに出れば監視をしていた各警察局の情報課が、今や「統一教会でなければ駄目だ」と言う段階に変わりました。日陰が日向になり、日向が日陰になるのと同じ道理です。

彼らは、ますます急変する世界情勢のもと、さらには反共体制を強化すべき国家的な危機に直面した時点で、自分たちの生命と財産を失うことを恐れ、少し間違えば自分たちが死ぬだけでなく、親族や氏族まで死んでしまうこともよく分かっているのです。

14  ある地域長が、反共講師としてある地方に行った時のことです。講演会場には町の有志たち、警察署長から郡守に至るまで、公務員たちがみな集まっていました。ところが、「反共思想講座に責任をもった先生が来る」と言っていたのに、その先生は来ないで、どういうわけかぼさぼさ頭の青年がとぼとぼと歩いてくるというのです。最初は、彼のことを講師の使いをする人かと思い、「君、どこから来たのかね。講師の先生はいつ来られるのかな」と尋ねてくるので、彼は当惑するしかありませんでした。「きょう、講師として統一教会の誰々が来ると言っていたのだが、どうなったのか」と聞いてくるので、「私がそうです」と答えると、そのぼさぼさ頭の青年が講師だとは思わなかった彼らは、ひそひそと話し始めたというのです。自分の息子と同じ年頃の若い青年が講師とは、これ以上に恥ずかしいことはなかったでしょう。

しかし、自分たちが公文で招請したので、壇上に立たせないわけにはいきません。それで、二時間半にわたって講演をしたところ、仰天したというのです。反共講師である私たちの地域長たちは、大体が二十代の青年です。このような人々が群守や警察署長の友達になりました。

いくら理念が良いとしても、実績がその理念の基準に及ばなければ、その理念は価値を表すことができないのです。しかし、実績が理念の基準を越えるときには、その実績以上に、理念の価値が上がっていくのです。私たちは実績をもって闘わなければなりません。私たちは何ももたずに出てきましたが、忍耐心をもって実績を積み、近隣の人々を糾合しなければならないのです。

「国際勝共連合」の創設と勝共運動の展開 真の父母様は、国民啓蒙運動として、一九六五年十一月十日、反共啓蒙団を公式的に発足された。そして、一九六八年一月十三日、韓国全土の各道に組織された反共啓蒙団を一つに統合し、「国際勝共連合」を創設された。「国際勝共連合」の設立目的は、内的には韓国の国民を「勝共思想」によって思想武装させるためであり、外的には世界的に拡大する共産勢力に対処するためであった。

15  なぜ「国際勝共連合」をつくったのでしょうか。権力構造の、ある象徴的な一つの目標にするためにつくったのではありません。終局の目的達成のため、韓国に必要であり、世界に示し得る実績基盤に連結できる思想をもった団体がなければならないと考えたのでつくったのです。

私たちは、いずれにせよ思想戦の関門を通らなければなりません。何らかの主義をもったと誇る国でも、民主主義を追求しているアメリカでも、これから思想戦の関門で落伍する立場に立つようになれば、流れていってしまうのです。

私は、そのような面で終始徹底している人です。これから迫りくる世界の思想戦で、誰が主役になるのでしょうか。深刻な問題です。

16  私が今まで韓国で、教団を後援して超教派運動を進め、勝共活動をしているのは、南北統一のためです。南北の統一は、世界統一の起源になることを私は知っています。南北の解放は、世界の人類解放の起源になります。その根は一つです。その根が韓国にあるというのです。ですから、韓国解放のために生涯を捧げて闘ってきたのです。

今や、影響を及ぼし得る世界的な基盤を築きました。南北の分立は、私たちの民族が求めて起きたことではありません。強大国によって起きたことなので、これを解くことも、強大国の頂点を追い立てながらしなければならないのです。このように操ることができる背後をもたなければ、解放は不可能です。

17  私たちは、共産党を韓半島から追い出さなければなりません。韓国の歴史は、世界の歴史を縮小させたものです。ですから、韓半島は北朝鮮と韓国を中心として、民主世界と共産世界の最前線になっています。休戦ラインにある板門店は、世界で一つしかない討論の場です。これは、神様とサタンが対立している門と同じです。ですから、今や韓国が世界的な主導権を握ることができる新しい時代が来たのです。

ここで、共産主義を凌駕できる理念をもって、休戦ラインを押して越えていくことができ、キリスト教の腐敗性を抑制して新しい世界に駆けていける力の母体、団結の母体になれるのは、統一教会しかありません。ですから、統一という名前を中心として、世界的な新しい理想をつかんで前進していくのです。

18  お父様は、反共という言葉が好きではありません。しかし、反共をしなければ勝共が出てきません。反共をしてからさらに準備して、勝共をしなければならないというのです。

今からは、私たちが共産党に対して攻勢をかけなければなりません。お父様がこのための挙国的な団体を組織しようと計画し、かなり進んだのですが、世の中から反対を受けるようになり、今に至るまで延期されています。大変ですが、私たちは何としてでも、この段階を越えなければなりません。そうして、韓国を動かし、ひいては日本と中国を含むアジア全体を動かさなければなりません。今後、韓国とアメリカに世界的な反共団体をつくろうと思います。そうして、他の反共関連団体をすべて吸収し、新しい思想と理念で武装させて、反共指導要員を養成しようと思うのです。

19  私たちは、神様が喜ばれる道を求めながら、迫害を受ける道を歩んできました。それで、お父様は、今まで歩んできた道について考えてみました。ある時代の一時を思って神様に祈ったことが、そのとおりになりました。北朝鮮に入っていって祈ったその内容が、的中したというのです。韓国に来て、困難な峠を越えながら神様に談判祈祷をした、その時のことが思い出されます。神様が私をこのように苦労させるのは、滅ぼすためでもなく、死に追い立てているのでもありません。大きな誘惑と波風から抜け出し、希望の一時を迎えさせるための神様の摂理であることが分かりました。

私たちは寝ても覚めても、統一を考えなければなりません。第一次七年路程を歩みながら、私たちでなければならないという言葉が広まり始めました。国だけでなく、アジアが生きようとするなら、共産党を屈服させなければならないというのです。

20  「国際勝共連合」は、文字どおり、共産主義をこの地球村から追い出すことよりも、共産主義に勝利して消化できる運動をする連合体です。連合というのは、組織体を意味します。一人だけではできません。必ず組織体が必要だというのです。

共産主義は、世界的な組織基盤の上に立っています。その組織基盤が国家です。ですから、共産主義者たちは、世界のいかなる主義も消化できると考えるのです。「今日の民主主義も、私たちが行く道の前には必ず終わりを告げる。私たちだけが勝利する」と言うのです。共産主義は世界的な基盤、すべての国家を合わせたその基盤の上にあります。世界に向かって前進するそれ自体にもやはり、国々だけではなく、国家を連結させた世界的基盤があるからです。

ですから、共産主義を防ぐためには、私たちもそれ以上の組織的基盤が必要です。個人に連結された関係から、家庭を越え、氏族を越え、民族を越え、国家を越えなければなりません。それを克服し、それ以上の目的に向かって、一つの連結体をつくっていかなければなりません。そのように、切っても切れない関係の上で、世界的な共産主義、国家の上に立っている共産主義を防ごうというのです。

21  これから「国際勝共連合」の活動は、教会より先に立たなければならず、国より先に立たなければなりません。私たちは今、宗教の次元を超え、国家の次元を超えて、どの団体よりも先頭に立つことができる活動をしています。ですから、私たちの幹部たちに講義をするように指示しています。皆さんは「国際勝共連合」の活動を中心として、挙国的に新しい方向を定め、闘っていかなければならないのです。そのような段階に入ってきています。

統一教会の活動を通しては、国を率いていくことができません。キリスト教や数多くの教団が反対するというのです。しかし、「共産党に勝利しよう」と主張することに対しては、すべてがもろ手を挙けて歓迎するのです。私たちが勝共教育をするようになれば、宗派を超越することができます。

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23 イギリスで、責任者が報告した内容があります。ある婦人が、霊界で興進君と共に活動している背景を教えてくれたのですが、聖フランチェスコはイタリアで死んだにもかかわらず、一度もイタリアに行けなかったというのです。ところが今回、興進君が霊界に来て配置することによって、初めてイタリアに行けるようになり、「どれほどうれしいか分からない」と言っているというのです。

また、ドイツの南部にいた一人の主教は、ドイツで死んだもかかわらずドイツに行けなかったのですが、興進君に「ここで監督しなさい」と言われ、ドイツに来て働くようになり、「真の父母様に協助できる驚くべき恩賜を受けた」と言って喜んでいたというのです。その報告はすべて、お父様が語ったことと一致するのです。

霊界にいる人々は、興進君のことが分かりませんでした。「あの東洋の少年は誰だ。イエス様がそわそわしている」と言って不思議そうにしているので、興進君が「私が興進である」と言ったそうです。

するとイエス様が、「自分はオールド・キリスト(Old Christ)であり、興進君はヤング・キリスト(Young Christ)である」と言ったというのです。

第三節 ダンベリー刑務所での受難と獄中生活 聴聞会での証言とダンベリー収監 一九八四年七月二十日、アメリカのコネティカット州ダンベリーにある連邦刑務所に収監された真のお父様は、収監の前日に発表した声明書を通し、この事件の発端は脱税問題ではなく、政府の権力濫用による宗教迫害であると主張された。これに先立ち、六月二十六日には、アメリカ国会の上院司法委員会憲法小委員会の聴聞会で、堂々と無罪であることを証言された。

1 私は潔白です。私はいかなる過ちも犯していませんし、ただ、政府の権力濫用と迫害の犠牲者にすぎません。アメリカ全域の数千の聖職者たちが、私に対する政府の迫害について抗議し、宗教の自由守護という名のもとに一週間ずつ、私と入監することを決意しました。

神様は一九七一年、私に対して、「アメリカに来てキリスト教信仰の復活運動を展開し、この国の霊的基盤を回復させなさい」と命令されました。アメリカで信仰なき生活の暗い霊的雰囲気と宗教的な偏狭が現れる時期に、霊的覚醒を起こすために私を送られたのです。私自身は、共産政権の監獄で、死ぬ直前の状況まで耐え抜きました。私は、アメリカを霊的な死から目覚めさせる神様のみ旨のためであれば、むしろ監獄に行くことを願います。皆さんが私の活動を理解するならば、本当に私が税金を詐取するためにアメリカに来たと信じられるでしょうか。

事件の発端は、税金問題ではなかったのです。これは、政府による教会内の問題に対する侵害でした。私が有罪判決を受けたのは、私の宗教的な信念と活動以外に、いかなる理由もありません。これから私は教会の世界本部を、この国のために祈り続けるダンベリー刑務所に移すでしょう。私が神様に感謝することは、人類の歴史上、最も困難な時期に、私を宗教の自由守護のための指導者として、アメリカの霊的な覚醒運動に火をつける道具として用いていらっしゃるということです。神様の祝福がアメリカに臨むことをお祈りします。

2 私がダンベリーを訪ねていく時、世界の統一教会員たちは、「お父様が行かれたらどうなるのですか」と言いましたが、「今から新しい世界が始まることが分からないのか。ダンベリーの向こう側に天が何を準備しているか皆さんは知らないが、私はきょうそれを目にしている。アメリカの全国民が頭を下げ、世界の人類が屈眼する希望の土台を築く太鼓の音の響きが、皆さんには聞こえないのか」と答えました。夢を抱いてダンベリーを訪ねていったというのです。

監獄に入る時は、アメリカの朝野に影響を与える力をもった男が、敗者の悲しみの道を行くかのような姿でしたが、私は敗者ではありません。「あすの朝が明け、この門を開いて出てくれば、あなたたち(アメリカ政府)は秋を迎え、私は春の園を迎えて、新しい芽を出すだろう。あなたたちは、この青い園に足を踏み入れることができないという千年の恨を抱くだろう」と言いながら、堂々と夢の道を歩んだのです。

3 一九八四年七月二十日は、本当に永遠の歴史の中から抜いて消し去りたい日でした。お父様はダンベリーに出発する瞬間にも、皆さんを激励し、皆さんに希望を吹き込んでくださいました。二十日の夜十時にイーストガーデンを出発し、ダンベリー刑務所までお供いたしました。何回も唇をかみながら、固く決心しなければならないと自ら念を押しましたが、我知らず流れる涙をこらえることはできませんでした。車から降りる前にも、御自身に差し迫ってくることについては少しも心配されず、かえって私(お母様)を慰めるため、とても気を遣われる姿を目にしながら、私はただただ、どうすればよいのか分かりませんでした。

お父様は出発する前に、「私は監獄まで解放しに行く」と語られ、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈りなさい」というみ言を何度も繰り返されました。そして、二十二日のきょう、早朝にお父様が私に電話を下さり、皆さんに「神様の召命を受けた者として、キリスト教を燃え上がらせよ」と伝えてほしいと言われました。お父様の自由を保障できるかどうかは、皆さんにかかっています。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今までしてきたことと、また、今指示しているすべての内容を、あらゆる精誠と積極的な活動によって、必ずや成就してください。皆さんの精誠に神様が感動し、サタンは手を挙げ、歴史は新しい時代を迎えるでしょう。(真のお母様、1984/7/22)

4 お父様の恨がいくら多いといっても、神様の恨に比べることはできません。「(天の恵みを)そっくりそのまま与えよう」と思っていたら、監獄に行くことになったのです。日本帝国主義の統治下でも監獄に行き、北朝鮮に入っても監獄に行き、大韓民国に来てからも監獄に行き、アメリカに行っても監獄に入ったのです。ソ連、中国の監獄まで見据えながら行動しました。死ななければ、監獄に行くのです。

しかし、私は死ねません。監獄に行くようになっても、滅びることはできないというのです。私が監獄に行けば、監獄の壁を貫いて出てくるのです。アメリカのダンべりーの監獄に入る日、世界の統一教会員たちが来て、止めどもなく涙を流すのを目にして唖然としました。「皆さんはダンベリー刑務所の鉄の門だけを見つめている。ダンベリーの塀の向こう側の世界は見ることができずにいるが、私はそれを見つめている」と言いながら監獄に行ったのです。

解放のラッパの音が聞こえ、刈り入れの収穫の歓声が聞こえてきます。見ていなさいというのです。間違いなく跳躍が起きるのです。跳躍が起きなければ、跳躍が起きるように指導して教えなければなりません。今や、アメリカが私の世話にならなければならない時が来たのです。

5 神様が人を愛するとき、愛のふろしきを倉庫に残しておいて、八〇パーセントだけ愛したとすれば、欲深い人はじっとしていません。倉庫をすべてかき分け、なめ尽くすように探してみて、間違いないというときに、初めてこちらに振り向くようになるのです。人間はそのように欲深いというのです。神様は、神様の愛を残らず受けさせるために、そのように欲張りな人間を造りました。ですから、愛に乗っていく欲心は、千年の歴史が歓迎するのです。それゆえ、私は、愛に乗ってアメリカに行ったのです。

今、前面では反対していますが、また裏面では歓迎するのです。上は反対しますが下は歓迎し、現在は反対しますが未来には歓迎するというのです。それはどれほど素晴らしいでしょうか。ですから、私は心配しませんでした。監獄に入って横になっていても、どれほど気持ちが楽だったか分かりません。よく消化できます。どれほど気楽か分からないのです。他の人々は「死ぬ」と言って大騒ぎなのに、私はよく眠ることができ、よく食べることができました。監獄が問題ではありません。

尊敬を受けたダンベリー刑務所での収監生活 真のお父様は、世界的なゴルゴタの峠を越えるときも、決して挫折されなかった。罪なき監獄生活ではあったが、かえって模範的な生活を通し、刑務所にいる人々に大きな感動を与え、アメリカのために祈られた。アメリカに対する神様のみ旨があるがゆえに、アメリカを愛さざるを得なかったのである。真のお父様は、ダンベリー連邦刑務所に収監されている期間も、中断することなく摂理を率いられ、真の愛の生活を通して、囚人たちからも尊敬を集められた。特に、刑務所の雰囲気を一新して愛の環境をつくられた。

6 ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。私は言葉を一言語るにしても、彼らのことを思う心で語りました。ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。御飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。ところが、約三ヵ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、他の人々が座っているのです。座ってみると、私が座る場所もないほど人が集まってしまうのです。私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れてまた訪ねてきます。このようなことが起きました。

それは、嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。人心は天心に通じます。人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。ですから、言葉をもって伝道するのではありません。愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。

7 アメリカの監獄に行って愛そうという心をもった人が、監獄にいる一人の人を愛すれば、それはアメリカの国民全体を愛したという条件的立場に立つのです。その場には天地が同伴します。ですから、私はアメリカを愛したというのです。誰よりも愛しました。誰もが嫌だと思う監獄の囚人たちを、私は誰よりも愛したのです。そのような(愛の)表題を掲げて出てきて叫んでも、それに対して、「違う」と言うことはできません。そこにいた人々が証するのです。

差し入れをもらって、良いものがあれば、私のところに持ってきてくれようとするのです。そのような監獄生活を送るのは簡単なことではありません。人のために尽くしてあげなければなりません。ために生きるところから新しいものが創造されるのです。そして、ために生きる人が、その創造されたものを所有するのです。天理原則がそのようになっています。ですから、神様の創造は、ために生きる心情圏の園から始まったというのです。

8 ダンベリー刑務所に入っている時、どのようなことがあったでしょうか。統一教会を信じたのち、出ていったという人が、手紙を送ってきました。その人は七年間ファンダレイジングをしながら苦労し、あることがきっかけで離れたのですが、離れてみると、その七年間に学んだことによって、空腹の時には稼いで生きていける人になり、困難な時も自分が同情されることを願うのではなく、同情できる人になったそうです。

また、「統一原理」は、天下において合わない所がないというのです。その人は大学院を出たのですが、大学に行っても、そこの先生が未来のための道を示してくれたことはなく、自分の父母も、誰も、未来のために道を示してくれなかったそうです。しかし、たった一人、東洋から来たお父様からこのようなことを学べたので、心から感謝しますと書いてありました。

私はその手紙を監獄で読みながら、「よし!レバレンド・ムーンは死んでいない」と思いました。お父様は、死にゆくアメリカの人々を復活させ、新芽が芽生えるようにしているというのです。国を愛する若者たちを、アメリカの新しい未来のために支柱となる核心的な要職に配置したので、このアメリカは刷新されるでしょう。

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第四節   獄中での平和運動とキリスト教指導者たちの糾合 「共産主義の終焉」宣布と多様な勝共運動 真のお父様は、一九八五年八月、スイスのジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー世界大会」で、ソ連帝国の滅亡を預言した「共産主義の終焉」を宣布するようにされた。そして、中南米の赤化防止のため、「ワシントン・タイムズ」を通してニカラグアの支援活動を行われるなど、獄中でも、世界平和のために休むことなく多様な活動を展開された。

1   ダンベリーの獄中で、「共産主義の終焉」を宣布しました。私が監獄にいるとき、「世界平和教授アカデミー」の国際会議の責任者であるカプラン教授が三度も訪ねてきて、「終焉」という言葉をやめて、「ひょっとしたら(maybe)そうなるかもしれない」という言葉を使おうと言いました。ですから、「五年以内に事が起きれば、どうするつもりか」と尋ねました。五年以内にそのようになったのです。共産世界が滅びることを知っていた人は、お父様一人しかいません。言論界ゃ宗教界をはじめ、誰も分かりませんでしたが、世の中が反対するお父様だけがそれを知り、「共産主義の終焉」と天の国の開門を宣布したというのです。

2   アメリカは私に反対しましたが、私はアメリカを愛しました。アメリカ人以上に国のために生き、国を愛する位置に上がっていかなければなりません。そのようにしなければ、復帰歴史が成就されません。アメリカの国民の中で、自分の国を愛し、そのために尽くす愛国者たちよりも、私がその人々以上にアメリカを愛したという条件を立てられなければ、帰る道がありません。

ですから、「ワシントン・タイムズ」を造る時、最初に支払うお金を法廷のテーブルで決裁したのです。私をたたき潰そうと、すべてが追い立てるその中で、アメリカを生かしてあげるために「ワシントン・タイムズ」を造りました。

3   お父様がもっている武器は、愛です。アメリカも、私がダンベリーにいながら生かしてあげたのです。ダンベリーにいる時、「ワシントン・タイムズ」に「インサイト」誌と「ワールド・アンド・アイ」誌を創刊するように指示し、六つの団体をつくりました。それをつくったので、今日、世界的な基盤を築くことができたのです。

4   アメリカのレーガン大統領が、ニカラグアに対する千四百万ドルの支援案を国会に提出しましたが、拒否されました。だからといって、アメリカに住む二億四千万の民がいくらでもいるのに、神様は何がもどかしくて、ダンベリーにいるお父様を夜中に起こし、呼び出して命令を下されるのでしょうか。「あなたがすぐにしなければならない」と言われるのです。それで、すぐさまお母様に電話をしました。「『ワシントン・タイムズ』が生死を懸けて、ニカラグアの支援問題を解決しなければならない」と言ったのです。これは、言論界ではあり得ないことです。

その時は、レーガン大統領はドイツに行っていて、アメリカに不在の時です。責任者たちを呼び寄せ、「『ワシントン・タイムズ』が中心となってアメリカ国民を通じて千四百万ドルの募金を集めよう」と言ったのです。「私たちが責任をもとう」と言って立ち上がりました。それをしなければ、一ヵ月以内に、私が即刻、現金で支払うつもりでした。それで、「論説を書きなさい。宣布しなさい」と言ったのです。偉大な指導者は、先頭で宣布して、後ろに消えていくのです。「編集局長に直接電話をかけて伝えなさい」と言いました。そうして、「ワシントン・タイムズ」がこの募金運動を行って、ニカラグアを後援したいと思うすべての国民を動員したのです。

お父様の立場を神様が助けてくださり、巨大なアメリカの世論が七週で完全にひっくり返りました。このようになって、国会で二千七百万ドルの支援案を再度審議して、通過させたのです。

5   神様が、ニカラグアをはじめとする南北米を中心として、地上天国の基地をつくろうとアメリカを祝福してくださったにもかかわらず、南米を失ってしまいかねない状況に置かれるようになりました。神様が、アメリカには大統領もいて、牧師をはじめとするありとあらゆる人がたくさんいるのに、監獄に入っているお父様を訪ねてきて、「アメリカを救いなさい」と指令を下さなければならない悲惨な事実を、皆さんは考えてみたでしょうか。

その時、皆さんがお父様の指示を疑うのと同じように、「これは神様の命令なのかどうか分からない。少し待ってみよう」と考えていれば、どうなるでしょうか。お父様に直接命令を下したので成功したというのです。一日か二日遅れるだけでも駄目なのです。その時は土曜日の夜で、次の日が日曜日なので、アメリカの政府機関がすべて休む日です。その時は、仕事をしていないことを、神様はすべて知っているのです。もし月曜日の夜にそのようなことをしていれば、「ホワイトハウスと組んでやった」と言われる可能性があるのです。

6   神様は、お父様が監獄にいる時も休まず指示を出しました。ニカラグア問題を解決するために、ありとあらゆることをしなさいと言ったのです。お父様のゆえに、アメリカの世論がニカラグア問題を中心として沸き立つので、国会で棄却されていた支援案を再び通過させたのです。

お父様が「ニカラグアに二千七百万ドルの支援をしなさい」と言いました。もしそのようにしなければ、ニカラグアは共産勢力の手に渡り、メキシコからグアテマラ、ホンジュラスなど、五ヵ国も共産化され、本格的な戦闘態勢に入ったでしょう。国会でも、自分たちがしなければお父様が一人ですべて支払ってしまうことを知っているので、恥ずかしいこともあって支援案を通過させざるを得なかったというのです。そのようにせき立てたのです。

7   ダンベリーの監獄で六つの団体をつくりました。信仰の自由のために、九日間でつくったのです。そのような役事を一気にすべてしてしまいました。このように怨讐国家を救うためにつくられた体制が、今や厳然たる現実的社会の中枢的な場で問題になったのです。それに対してアメリカ国民は、反対するのではなく、付いていかなければなりません。そのように歓迎できる条件をつくっておきました。

それは、根本に帰っていける道をサタンが塞いでいるからです。自由世界を主導するアメリカをサタンが阻んでいるので、天のみ前に、アメリカ国民がアメリカを愛する以上にアメリカを愛したという条件を立てて、神様の判定を受けるのです。神様のみ前に愛を中心として、どちらがより秀でているかという価値基準を決定し、ダンベリーでの勝敗を競ってきたのです。

アメリカのキリス教聖職者の糾合と原理教育 真のお父様に対する宗教弾圧に抗議する集会が、アメリカの四十教団の聖職者たちが参加し、一九八四年五月三十日、ワシントンDCのローズ会館で開かれたのに続き、六月十一日にはニューヨークのシェラトン・ホテルでも開催された。このような宗教の自由と和合のために集まった聖職者たちを中心に、アメリカのキリスト教再復興のための活動が展開された。併せて、真のお父様は、ダンベリー刑務所に収監中の一九八五年二月二十八日、三十万人以上のアメリカの聖職者たちに、宗教の自由と和合を促す親書と原理講義のビデオテーブ、そして、『原理講論』をはじめ、み言集を送られた。また、キリスト教の聖職者七千人に対する教育を指示され、彼らを韓国と日本などに招請して、「統一原理」公聴会を実施された。

8   カナンの福地に入るのは、アメリカ政府に対して勝利するとき、可能になります。簡単です。裁判をする前にこのようなことが分かったので、万全の準備をして、アメリカ政府の背後の深い所まで動かせる基盤を築いてきたのです。昔のモーセのように失敗するお父様ではありません。カナンの福地に入ることもできずに死んだモーセと同じではないというのです。イエス様が十字架で亡くなって失ったものを復帰できる時が来たのです。キリスト教は、ローマ帝国を中心としたユダヤ教と同じです。そして、今、お父様はその時のイエス様と同じです。イエス様が十字架を背負う時は、ユダヤ教とローマ全体が分かれていきましたが、お父様が十字架の過程を越えていくこの時、統一教会員たちは逃げていきませんでした。十二弟子は逃げていきませんでした。キリスト教が反対する立場ではなく、歓迎する立場で、キリスト教の四十の教団が一丸となって宣誓をしたのです。ですから、アメリカ政府が「レバレンド・ムーンを支持し、協力する」と一言だけ言えば、すべて終わるというのです。

9   イエス様は、ユダヤ教とユダヤの国の歓迎を受けられなかったことを収拾し、反対の立場を中心として、再びユダヤの国とユダヤ教が協助できる基準を復帰するため、第三の舞台に進み出た時、迫害を受け、闘っている中で十字架を背負いました。

これと同じように、お父様も今日、国家的基準である韓国から、キリスト教と世界基準においてまで歓迎を受けられなかったことによって、第三者(無関係)の立場で追われるようになりました。ですから、そうならないためにアメリカに来たのですが、アメリカでもやはり反対を受けたのです。反対を受けながら、最後にはダンベリーの十字架まで掲げて立て直さなければならない運命の道を行きました。洗礼ヨハネがイエス様に侍ることができなかったことによって、ユダヤの国とユダヤ教の反対はもちろん、そこにローマの反対まで加わったことは、恐ろしい事実です。

統一教会が韓国で基盤を築けず、反対を受けることにより、キリスト教とアメリカの反対はもちろん、さらに世界的基盤をもった共産主義の反対を受けているという事実は、イエス様の時と全く同じ立場です。ローマが反対したのは、自由世界のアメリカが反対したのと全く同じです。ですから、アメリカの監獄に入って何としてでも教会を動かし、連合運動を起こさなければ、問題が大きいというのです。

10  私がアメリカに来た目的は、キリスト教を救うためです。キリスト教の牧師たちを何としてでも動かして、アメリカを神様が願われる方向に導いていきながら、世界のキリスト教を連合し、世界の国家を神様のみ旨の真ん中に引っ張っていこうというのが、神様のみ旨です。ですからアメリカの教会の牧師たちに対して、神様のみ旨の方向に向かわせることが、私がアメリカに来た目的です。

荒野四十年路程を経て、今やイスラエル民族が新しい地域に大移動をするとともに、定着しなければならない時が来るというのです。統一教会は、どこに行って定着するのでしょうか。神様が願っているアメリカに定着して、新しいアメリカをつくらなければなりません。新しいアメリカ、理想的なアメリカをつくることを神様が願われていると知っているので、お父様はアメリカに来たのです。

新しいアメリカをつくるためには、共産主義に対して勝利しなければならず、家庭破綻と青少年の淪落を防がなければならず、キリスト教の新しい復興を起こさなければならないというのです。そのようにしなければ、アメリカを生かす道がありません。

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9   私がダンベリーから出たあと、そこの責任者が、「一人の影響がここまで大きいとは思いませんでした」と語っていたという話を聞きました。お父様が監獄にいる間、酒を飲んでいた者たちは、酒を飲むとき陰に隠れて飲み、大麻のようなものを吸うときもお父様の目に映るかと思い、森の中に入って隠れて吸い、けんかをしていても、お父様が来るとやめたのです。なぜ囚人たちが、それほどおとなしくなったのか分からないというのです。

ところが、お父様が出ていって三日もたたないうちに、昔のとおりに戻ってしまったというのです。それを見て、「このような監獄世界で、語ることなく影響を及ぼして帰っていくとは、あの一人の人がどれほど偉大な力をもっていたのだろうか!」と話し、それが話題になったというのです。それは、私がした話ではありません。法務省の調査官たちが行って調べ、私に報告したのです。

私は監獄に行っても、どこに行っても、愛を中心として何かを残そうと身もだえしています。そのようなつらい人生行路を歩んでいくというのです。そのような世界の歴史的な代表者がお父様です。

10  私がアメリカに行って、ダンベリーでの監獄生活をしていなければ、アメリカのことがよく分からなかったでしょう。ダンベリーは小さな社会ですが、その国の一番悪いものと一番良いものがすべてありました。一番良い人と一番悪い人に会うことができました。私が彼らを心情的に一致させ、ひざまずかせて訓示できる立場に立ったのです。それは未来にアメリカ国民を教えていける心情圏の蕩減条件基盤になりました。ここでアメリカを完全に学び、知ることができました。その囚人たちは、ため息しか出ないのです。アメリカに対して、自分たちは間違ったことをしていないと思っています。

そこの監獄にいる賢い囚人たちは、会議をして、私がそこに入って間違ったことをすれば、私の命を奪おうと約束していました。そこでは、一晩のうちに人一人の命を奪うのは簡単です。普通なのです。それを私は知っています。その社会と闘うことなく、同化させていかなければなりません。結局、六ヵ月後には、彼らがみな、私を尊敬するようになりました。それがお父様の能力です。

11  ダンベリー刑務所にいる時、私は昼食時間にもよく仕事をしました。そのように過ごしているので、刑務所の炊事場の責任者が私の所に来て、「もう昼食の時間ですから、早く食事をしてください」と声をかけてくれました。人は、そういうものなのです。私が昼食時間や朝食時間を逃してしまうのではないかと、私のところに来ては促して食事をさせてくれ、自分の物をよく分けてくれたりしました。人の良心は監獄でも同じです。そのように生きれば、監獄に行っても友達ができ、私を擁護する人が現れるというのです。皆さんは、このことを忘れてはいけません。これは最も貴い話です。

天からそのように受け取ったので、受けたとおりに、その伝統を伝授しなければならないのです。他のために生きようとする人は滅びません。(そのようにして)滅びの道に進めば、宇宙が保護します。死の道に進めば、反対に命を奪おうとした人が死ぬのです。うまくいかないように思え、滅びるように思え、消えてしまうように思えるのですが、生き残り、栄え、発展するというのです。反対なのです。それは、神様が保護するからです。宇宙が保護するからなのです。

12  私は監獄生活もたくさんしましたが、全体のために生きる生活をしたところ、監獄で私のために命を差し出して従う人々をたくさん目にしました。工場で働くときも、彼らはお父様のそばに来て働こうとします。

ダンベリーでもそのように過ごしていると、ある人が「お父様と親しくなりたいのだが、近づき難くて話ができない」と言ったそうです。何度も私の所に行ってみたのですが、口が開かなくて話ができなかったというのです。それが不思議だというのです。お父様にはそのような何かがあります。

荒々しく拳を振り回していた人々が、なぜそのようになったのか分からないというのです。それでも、私に対して好感をもつのです。お父様には不思議な力があるということです。

神様の心情と、神様はどのようにいらっしゃるかを知り、全体のために生きようとしていくと、話をしなくても自然に権威がつくのです。

13  ダンベリー刑務所にいる人々の年齢の割合を見ると、三十歳前後の人が多くいました。それを越えると、だんだん少なくなっていきます。そこに入ってきた人の中の相当数が、麻薬のゆえに来た人々です。そして、大概、キリスト教の信仰をもっていた人々です。ほとんとがプロテスタントかカトリック信者の家庭の人々なのです。

そのような若者たちがそのようになったという事実は、ブロテスタントの指導者である牧師やカトリックの神父たちが、責任を果たせなかったことを意味します。彼らが悔い改めなければならないと切実に感じました。私がアメリカで新しい旗を掲げて現れて、そのように腐敗し、死の道に落ちていく若者たちにどれほど影響を及ぼしているのか、良い面で影響を及ぼしているのか、悪い面で影響を及ぼしているのかという問題を中心として、深刻に分析せざるを得ませんでした。

14  私が監獄に行っている時、本当におもしろかったのは、必ず天が相対する者を連れてきてくれたということです。本当に不思議です。ダンベリーに入ると、あるイタリア人がいたのですが、彼は私に会うと、訳もなくうれしくなるというのです。なぜそうなるのか不思議だというのです。御飯を食べて働きに出れば、お父様がいるかいないか一度来て確認してこそ心が安らかになるのですが、それはなぜかというのです。自分の妻と初めて愛する時も、このようなことはなかったと言いながら、本当におかしいというのです。

お父様といれば天下万事に心配がなく、一人で離れていれば、だんだん心配になるというのです。それで、私が寝るとき、その人が夜を徹して護衛をするということが起きました。それは、命じたからといってやりますか。お父様を保護しなければならないことが分かるというのです。自分は眠らなくても、守ってくれました。それは、自分から願ってするのであって、強制ではありません。自分の心がそのようになるのです。

15  お父様は、一度決定して実行したからには、その結果が悪かったとしても、不平を言いません。私はアメリカに来て迫害を受け、ダンベリーに行ってきましたが、それに対して不平を言わないのです。それがアメリカ社会を知り、アメリカ人を知り、西欧社会の制度を知るのに役に立つことはあっても、損害にはならないというのです。ですから、アメリカの人たちが知らない監獄の世界まで、私は知っているのです。

アメリカの実情を誰よりもよく知る人です。監獄まで知っているというのです。その監獄まで、これから天国化しなければならないのですが、その使命は簡単ではありません。

私が監獄にいた時、監獄にいる人の中で私に従ってこようとする人が本当にたくさんいました。だからといって、私が説教をしたわけでもありません。話はしませんでしたが、毎日過ごす生活を通して彼らに影響を与えたのです。ダンベリーにいた人々に、私が「集まりなさい」と言えば、恐らく監獄から出てきた人は、みな来るだろうと思います。多くのアメ力人たちは、(お父様のことを)「嫌だ、嫌だ!」と言うのですが、監獄にいる人々はお父様を歓迎したというのです。

16  ダンベリーの監獄に大きな岩があるのですが、今も懐かしく思うのが、そこに座って休めたことです。土曜日と日曜日は休まなければなりません。かといって、寝てばかりいられません。夏は部屋に座っていると息苦しいので、山のやや小高い場所にある岩の所に行って寄り掛かって座り、グウグウいびきをかきながら居眠りをして、はっと目を覚ましたことが何回もあります。それがどれほど懐かしいか分かりません。今まで私は、そのように寝てみたことがありませんでした。心置きなく、四肢を伸ばして眠ることができますか。公的な人は大変なのです。

17  アメリカの監獄に入っても、心配はしませんでした。監獄がどれほど気楽か分かりません。私は、以前は三時間しか寝なかったのですが、そこでは八時間寝なければ御飯をくれないのです。ですから、眠れなかったことをすべて蕩減しました。遊ぶこともできないほど忙しく生きてきたのですが、そこでは、休みの日になると、終日二十四時間、遊ぶしかありません。一日中、本を読んでも、誰も恨み事を言いません。ですから、「神様、ありがとうございます」と言ったのです。反対のことが起きるというのです。

分かってみれば、こちらからあちら側に行かせるための天の作戦でした。私がすることを、サタンはできないのです。私は二つの面をすべてこなしましたが、サタンは二つの面をこなすことができません。一つの面の専門家にしかなれないので、両面の専門家には負けるしかないのです。解放圏に向かっていくときにサタンが付いてくることができないので、アメリカが屈服し、世界が屈服するのです。今や、私に反対する人はいません。

18    イエス様も、十字架上で「怨讐を愛しなさい」と語り、お父様も、ダンベリーでアメリカ国民に対する愛の基準を立てました。お父様は、ダンベリーで怨讐を愛しました。ダンべリーに入ってみると、囚人たちが何人か集まって座れば、みな刑務所の職員たちを批判し、政府を批判していました。ところが、お父様は批判をせず、同情して彼らを感化させました。結局は、彼らが尊敬できる愛の環境で束ねたのです。お父様の愛に同化させました。愛はすべてのものを治めるのです。お父様は監房にいるのですが、彼らは我知らずお父様を尊敬し、お父様の愛に包まれていくようになったのです

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脱税容疑の裁判経過 ニューヨークの連邦地方裁判所は、一九八二年、真のお父様を脱税容疑の裁判にかけるための事前段階として、十二人の陪審員団を構成した。当初、教会側の弁護人は、裁判の公正性を理由に、陪審員による判定の代わりに判事による裁判を要求したが、ニューヨークの地方裁判所はこれを受け入れなかった。アメリカ政府の思惑どおり、一九八二年五月十八日、有罪評決が下された。ニューヨーク地方裁判所は、七月十六日、陪審員たちによる有罪評決を基に、献金百六十万ドルの利子十一万二千ドルに対する所得税と、五万ドルに相当する株式の配当金に対する税金として、一九七三年から七五年までの三年間で、七千三百ドルの納付義務があるにもかかわらず、これを脱税したとして、懲役十八ヵ月と罰金二万五千ドルを宣告した。弁護団は、十一月三日、連邦高等裁判所に控訴し、アメリカの宗教界と民間団钵は無罪請願書を相次いで提出した。アメリカの法廷でこのような評決が下されるや、アメリカでは、真のお父様の裁判に抗議する各キリスト教指導者たちによる「宗教の自由」大会が開催され、多くの良心的な人々が、「これは宗教弾圧である」と抗議デモを展開した。弁護団が控訴したが、一九八三年九月十三日、連邦高等裁判所で原審が確定し、八四年五月十二日、最高裁判所において上告が棄却され、刑がそのまま確定した。これにより、八一年十月十五日の起訴以降、八四年七月二十日の入監に至るまで、二年九ヵ月間続いた裁判は、事実上、幕を閉じたのである。

9 学校で、二人の学生が争うのを聞いてみると、互いに「自分が正しい」と言います。そうすると学校の先生は、とちらが公的かをもって判断するのです。簡単です。より公的なものを正しいと見なければなりません。私が裁判の法廷に出ていくとき、統一教会員たちが悲しむことはないのです。

アメリカ政府はアメリカのためだけに動きますが、私はアメリカ政府よりもっと次元の高い公的な道を歩んでいるのです。アメリカが私を批判し、私に何かの刑を負わせても、天の公法によって、私は勝利者として残るというのです。それが事実です。ですから、私は法廷に何回も立ちましたが、少しも恐れませんでした。統一教会は、神様だけを中心として、神様の心情世界のために行くのです。

10 今、アメリカで、お父様が脱税したと言って大騒ぎしています。私がこの国のためにどれほど多くのお金を使ったか分かりません。それは、アメリカが自由世界の中心国家だからです。衛星国家を犠牲にしても、アメリカを保護することによって、世界に公的な基盤を築くためです。アメリカが自由世界の中心なので、自由世界の一部を犠牲にしても、中心国家を生かすことにより、全世界が助かるというのです。

歴史はどちらに従っていくでしょうか。アメリカ国民も、行政府が行く道に従っていくのではなく、法廷闘争の道であっても、お父様が行く道に従ってくるだろうと考えるのです。アメリカの行政府がお父様の行く道についてくるというのです。現在のアメリカ国民の考え方よりも、さらに公的な考え方をもったアメリカ国民が出てくれば、彼らはすべて、お父様の後ろに従ってくるでしょう。ですから、私たちは勝利の道を歩んでいるのです。

11 お父様がアメリカのニューヨーク連邦地方裁判所の公判廷に立ったように、皆さんも今後、この宇宙の公判廷に立つ日が来るという事実を知らなければなりません。もし、お父様に対して一審の法廷で「罪がある」と言い、二審でも「罪がある」と言い、三審でも「罪がある」と言っても、天の国の法廷で「無罪だ」と言うときには、これがすべて否定されてしまうというのです。

天の国の法廷は、最高の歴史的最高裁です。アメリカ国民は、高等裁判所と最高裁判所まで上訴しますが、お父様には歴史的最高裁が残っています。皆さんも、いつかはこの法廷に立つようになっています。

お父様がもし歴史的最高裁判所に立つとすれば、生きてこの法廷で判決を受けるという事実がどれほど光栄でしょうか。死んでからその公判廷に立たなくても無事通過するので、どれほど光栄ですか。どれほど素晴らしいかというのです。皆さんは、死んでからそのような場に立ちたいですか、生きてそのような場に立ちたいですか。正義の道は、強く雄々しい道です。

そのように見るとき、お父様の思想がどれほど偉大で、どれほど素晴らしいでしょうか。どれほど驚くべき思想かというのです。このような何かがあるために、誰もが恐れるアメリカ政府を相手に、一人で闘っているのです。

12 お父様が脱税をしたという話が出た時、アメリカの食口たちさえも、火のないところに煙は立たないと考えました。アメリカの検察が、ありもしないことをお父様にかぶせて捕まえようといくら頑張っても、何も出てこないというのです。それでも、アメリカ国民はみな、事実のとおりに信じていません。お父様が、うそをついて詐欺を働く人だと考えているのです。一万ドルにもならない税金を納めなかったということで、今、調査をするために数百万ドルのお金を使いながら大騒ぎしています。どれほど愚かで、どれほど厚かましいでしょうか。第三者が、「百万ドルをあげるから、それを調査してほしい」と言えば、調査するでしょうか。罪があるのならば分かりませんが、罪がないのに、(罪を)なすりつけて大騒ぎしているというのです。

それは、イエス様の十字架の心情、怨讐を愛する心情をすべて感じることができる場だという結論が出てきます。そして、私は法廷闘争をしても、死にはしないだろうと考えました。イエス様の時代のローマとイスラエルの国のような立場に、アメリカと韓国があります。イエス様がローマの元老院に行って闘って勝ち、勝利の旗を立てていれば、キリスト教は血を流さなかったでしょう。ですから、ここで私たちが勝利すれば、世界の統一教会の宣教師が血を流す歴史は絶対にないと考えるのです。このような役事(働き)が起きます。

これを見るとき、今や私たちが闘える戦場、活動できる場が目前に迫ってきました。ですから、皆さんは総力を傾け、聖人の精神と義人の精神をもって突進しなければなりません。

13 私は陪審員を信じません。「陪審員制度は望んでいない」と言いました。それで、「陪審員は必要ない」と言ったのですが、アメリカの裁判所が無理やり採択したのです。お父様に対して「有罪だ」と言うので、全世界の統一教会員たちが一つになりました。このように見るとき、お父様は全体を歴史的に束ねるのです。そのように、束ねる一つの起源をつくって越えていく時です。

白人も涙を流し、黒人も涙を流し、黄色人も涙を流し、五色人種(すべての人種)が今回の脱税容疑で公判を行う期間に涙を流したでしょう。それは驚くべきことです。自分の国のために涙を流したのではありません。お父様と神様と世界のために涙を流したというのです。お父様一人のゆえに、世界人類が神様のために涙を流すことになり、お父様一人のゆえに、統一教会員たちが人類のために涙を流すことができたというのです。これは驚くべき歴史的な連結です。摂理史的に、すべてのものが連結されたというのです。

今回のことは、神様とお父様と全世界の人類が同じ場に立つことができる機会だというのです。ですから、歴史的な一つの転換期です。心情的に一つの高地を占領し、越えていく時だというのです。

14 今、法廷闘争をしながら「ワシントン・タイムズ」をつくっています。数千万ドルかかるのですが、そのお金を、世界とアメリカのために投資するのです。共産党を防ぎ、アメリカを救うために投資するのです。その次に、映画「おお!仁川」に五千万ドル以上を投入しました。お父様のためにしたのでしょうか。自由世界とアメリカのためにしたのです。それなのに、一万ドルにもならない所得税を出さないために、陰謀を企てて脱税をしますか。話にもならないというのです。

今後、アメリカは、この歴史的な恥をどこに行って覆い隠すのでしょうか。大変なことになったのです。顔も上げることができなくなりました。すべて記録が残っています。お父様の法廷闘争を中心として、アメリカはいつまでも批判を受けるでしょう。

アメリカにいる食口の皆さんは、このような国家的な恥と未来の歴史的な恥を防ぐために、一九八二年七月十四日の裁判まで、大同団結して、精誠の限りを尽くさなければなりません。皆さんは未来に責任をもち、今後、アメリカの恥を防ぐために全国で正義を叫びながら、アメリカ国民を正しい方向に向かせる機会にしなければなりません。皆さんの口が動かなくなるほど、疲れて目が開かなくなるほど、体が動かなくなるほど、前進に前進を重ねなければなりません。

15 私がアメリカ政府に引っ張られていくことはありません。アメリカ政府を教育し、アメリカの人たちを教育してでも、そのようにするでしょう。お父様が歩む生涯には昼だけがあり、夜はありません。夜はジャンプして越えていくのです。ここで私が何を求めていくのか、何を満たしていくのか、何を残していくのかが問題です。

私が脱税容疑で法廷に立つことによって、天が私のために悲しめば、私は「私のために心配しないでください」と言って天を慰めます。「日々、未来を確定させる時間をもっています」と言って天を慰めるというのです。天と地のことを考えてあげるのです。天を思い、人類を思うのです。

私が悪であれば、結局は下がっていかなければならず、アメリカ政府が善であれば、アメリカ政府が上がっていくでしょう。そのようなときは、上がっていくアメリカ政府をたたかずに、従っていかなければなりませんが、私が善のときは、アメリカ政府を捨ててでも、私は、私の道を行くというのです。ですから、昼夜なく最も困難な時に天を慰め、人類を愛せる人が聖人です。その道が、聖人の行く道なのです。

16 お父様が法廷の過程を経るからといって、アメリカに悪いものを残すことはできません。より良いものを残してあげなければならないのです。アメリカ国民に新しい精神を植えなければなりません。お父様のことを研究した人がこの法廷に来て、そこで(研究を)停止するでしょうか、跳躍するでしょうか。これは問題が大きいというのです。

私たちには希望があります。アメリカが公義の天理に従っていかなければならないのであって、公義の天理がアメリカに付いていくことはできません。公義に従っていく人は上がり、反対の道に従っていく人は下がっていきます。取り除くとすれば、誰が取り除くのでしょうか。宇宙が取り除くのです。この公法、公義が取り除くのです。お父様は一生の間、反対を受けました。この国を生かしてあげ、この国の未来の若者たちを生かしてあげるために、自由世界を生かすことのできる人をつくるために努力して、裁判にかけられたのです。

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西大門刑務所での受難の意味 真のお父様の五度目の監獄となる西大門刑務所での受難は、一部のキリスト教指導者たちの扇動と、否定的な世論を背景にした李承晩政権が引き起こした宗教弾圧と見ることができる。天が下さった、大韓民国からキリスト教を基盤として世界的に広がっていく機会を失い、統一教会は再び荒野路程を経ていくようになった。

6 お父様は滅びませんでした。大勢の人たちが、「統一教会の文某は裸になって踊る」と言いますが、私が本当に裸になって踊って批判されたのなら、恨むこともないのです。裸になって踊るのを見物したこともないのに、裸になって踊る魁首にさせられています。そのようにして、大韓民国の国民が福を受けられるなら、いくらでもしなさいというのです。私という一人の人間を打って呪うことによって、この民族が福を受けられるなら、それは善いことです。

ですから、すべてを甘受しようというのです。彼らが民族を愛し、国を愛する愛国心の発露からそのようにしたのであれば、私がそれを神様のみ前に神聖で義なるものとして紹介してあげましょう。

7 再創造の摂理は、お金によって成されるのではありません。権力によって成されるのではありません。知識によって成されるのではありません。真の愛によって、初めて成されるのです。

私は西大門刑務所に入りましたが、「大韓民国よ、滅びよ」とは言いませんでした。「キリスト教よ、滅びよ」とも言いませんでした。「彼らが気づかずにいる罪をお赦しください。哀れな大韓民国が犯した罪を蕩減するために、私にすべてを負わせてください。私を批判して福を受けられるのなら、どれほど良いでしょうか」という思いをもちました。そのような思いをもっているうちに、時代が過ぎ、一つの峠が過ぎました。

種を蒔けば、それを刈り取る時は、何百倍、何千倍になったものを刈り取るように、これからは、何十倍、何百倍も大きな愛の救いにつなぐことができるのです。天理の愛の道理を通して、生命の根が繁殖する原則に従って種を蒔けば、何百倍、何千倍のものを刈り取ることができます。この宇宙の愛の懐で、そのようなことが起きるのです。

8 お父様は、三千万の民族が「異端の魁首だ。滅びよ」と言っても滅びません。理由もなく打たれたのなら、損害賠償を受けなければなりません。このようなことをしようとするので、時にはみすぼらしい姿にならなければならず、時には後ろ指をさされなければなりませんでした。

この道を開拓しながら、あらゆる苦難に遭いました。そのたびに、「神様はこれよりもひどい風霜を経てこられたのに、私がどうしてこれしきの風霜を経ずにいられるだろうか!」と考えました。公的な立場で受けた、そのような事情が多ければ多いほど、人が手にし得ない宝物を倉庫いっぱいに満たすことができるのです。

9 韓国においても、監獄から出発したのが統一教会の歴史です。呪いと背反と迫害の道から始めました。私は骨のない男ではありません。西大門刑務所に入っていた時、拘置課長という人が私を見て言った言葉を忘れません。死んでも忘れられません。一ヵ月もたたないうちに、彼らが私を訪ねてきて、「昔、聞いていた統一教会の文某と、今、(実際に)知った文某は違う」と言って謝罪するのを、この目ではっきりと見ました。

正義は、どんなに残酷な迫害の鎖の中でも勝利することを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が求めているその群れの道に責任をもっていく道なので、落胆するのはやめようというのです。私は、落胆しませんでした。受難のむちの跡があまりにもたくさん残っているとしてもその時に受けた傷は、何ともないというのです。

10 平凡なことをも、絶対的な価値の基準に上げるのは、受難の境地でのみ可能です。皆さんが、獄中生活の中や、厳しい飢饉の状況に立たされれば、分かるでしょう。試練や受難は悪いことではありません。試練や受難の中で、生命の価値を立てていく力と希望と欲求をもった人にとっては、その試練と受難の困難が、困難としてだけで終わるのではなく、未来における喜びの刺激となり得るのです。また、未来の喜びだけでなく、希望の国を訪ねていくことができます。

困難を克服しようとする希望をもっていれば、その場から喜びの天国を成就することができます。困難を克服しなければ、どんな希望も成就されないので、愛の神様は、この先に迫りくる試練の舞台を克服できるように、人間を鍛錬させるのです。ですから、その鍛錬の過程は、鍛錬自体で終わるのではなく、喜びの刺激をより価値あるものとして感じられる、一つのプレゼントとして下さった受難の道だというのです。このように考えるとき、その受難は悪いことではなく、困難も悪いことではありません。それが、私たちの幸福の基盤となり、あすの幸福を相続できる要因になるのです。

11 孤独な道を一人、開拓者の使命と先覚者の使命をもってたどってきても、お父様は、孤独な立場でぶつかる出来事について、一切話しませんでした。命を懸けてきましたが、私は孤独な人ではありません。皆さんの同情も要りません。私は幸福な人です。

天地の大主人であられる神様が、私を理解してくださるので、いくら拷問で血を流し、身が引き裂かれ、筋が断ち切られる立場になっても、私は不幸ではありません。愛する息子をこのような立場に立てられた神様の心情は、それ以上に切ないことを知っているので、不幸ではないのです。その場で天をつかみ、天を慰労できる国を探し出そうと苦労しているので、どんなに拷問がひどくても、それが問題ではありません。重なり合う十字架の道が立ち塞がっていたとしても、その十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、お父様はそこで、新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです。

12 今までの歴史の過程を見る時、歴史の主人公は、その時代で受難の峠を克服しながら、その国の希望を抱いて闘ってきた人たちです。そのような人たちが、歴史の主人公です。聖賢たちは、天意に従い、人間の世の中で肯定するものを否定するのみならず、世の中の方向を変え、希望の世界に向かって自分の一身を捨てて、その理念とともに環境の試練を克服してきた人です。

その聖賢の人生は悲惨ですが、その心の内で受けたすべての苦しみが、かえって喜びの世界と関係を結ばせる動機になったのです。

これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。

13 私は、西大門の通りを、刑務所に向かって手錠をはめて歩いても、恥ずかしいとは思いませんでした。天地を見る時に、恥すかしいことはありませんでした。堂々としていたというのです。出所する時になって、四人ほどの看守たちが、「統一教会を信じます」と言ってきました。所長も私と何回か会いました。「世間で悪いと言われている男がこのような人だとは」と思ったのです。統一教会員たちが面会しようと、先を争うようにして門前に列をつくっていました。元気な青年男女たちが、明け方から列をつくって私に会おうとするのを見て、「ああ、よく知らなかったのだな」と感じたというのです。私たちは、そのような道を歩んできました。

皆さんは、過去に統一教会に反対していた教会と国から追い詰められ、追い出されて、囚人服を着ていたお父様を忘れてはいけません。囚人服を着て手錠をはめられ、裁判長の前に立ったお父様を忘れてはいけないというのです。今や無念なその時期を越え、私たちにも時が来ました。芽が出る春の日が来たので、地に種を蒔けば、芽が出るでしょう。

しかし、反対するところには芽が出ないでしょう。私たちが民族と同胞に代わって、これまで歴史的に築き上げてきた生命の偉業、愛の偉業をそのまま継承して立てるようになるとき、現在のキリスト教は今のところは私たちと怨讐になっていますが、その背後にいる数多くのキリスト教徒たちの行く道が、ここから開かれるのです。

第三章 ダンベリー刑務所での受難と真の父母様の勝利 第一節 真のお父様の脱税容疑での裁判 脱税容疑に関連した声明書の発表 真の父母様がワシントン大会をはじめ、アメリカで活発な活動を展開するや、これに反発する動きが組織的に起きた。その代表的な事件が、アメリカ下院の国際関係小委員会(委員長:ロナルド・フレーザー議員)聴聞会である。一九七八年三月二十二日から、四回にわたって朴普熙宣教師を証言台に立たせたこの聴聞会は、韓国政府がアメリカの議員たちに巨額のロビー資金を提供したという疑惑、いわゆるコリアゲートと結びつけ、統一教会の活動を阻止しようという政治的野心から起きたものである。

また、真のお父様は一九八一年十月十五日、脱税容疑でニューヨークの連邦地方裁判所に起訴され、数回にわたって法廷に出頭された。真のお父様は、そのたびに声明書を通して、アメリカを誰よりも愛しているが、いまだに人種差別と宗教的偏見が残っていると反論された。そして、アメリカと世界人類のために犠牲と奉仕の人生を生きてきたため、少しも恥じることはなく、潔白であることを言明されたのである。

1 統一教会は、日本で共産党を屈服させることにおいて、勝利の主軸になっています。これが国家的基準を越え、アジア基準を越えて、世界基準であるアメリカでも接戦になっていくので、全世界の共産勢力がお父様を攻撃するのです。ですから、あらゆる反対の嵐が全世界に吹いていきます。この嵐の影響を誰が受けたのでしょうか。今日の自由世界はもちろん、アメリカ自体も、キリスト教全体も、すべてがこの嵐を受けてお父様を総攻撃しています。お父様を擁護してサタン側に反対し、防御しなければならないにもかかわらず、反対の立場に立ってお父様と天の側に反対するというのです。

お父様は一人ですが、韓国までアメリカの影響を受けて、内的には支持するものの、外的には支持できない立場にあります。さらには、アメリカのカーター政府がコリアゲートと関連させ、フレーザー議員を立てて統一教会をたたき潰そうとしたのです。

2 ワシントン大会の会場に向かう時には、死刑囚が刑場に出ていくほうが易しいというくらい、本当に悲惨でした。しかし、神様の加護により、夢のようなことが起きました。地獄から復活したのです。ですから、このワシントン当局も突然、手を付けられなくなったのです。いつ市民と少数民族を通して、このような基盤をお父様が築いたのかというのです。

それで、彼らは延長作戦を取りました。徹底して世界的に締めつけていって、首を取らなければならないと考えたのです。フレーザー議員が代表してその仕事をしました。共産勢力とユダヤ人、キリスト教、アメリカ政府が一つになって攻撃を加えたのです。

アベルはいつも守勢に回り、カインはいつも攻勢をかけていたのですが、(それが)逆になりました。その時から、「フレーザー議員を攻めなさい!」と言ったのです。私が攻めていくことができるというのです。彼らが私たちを打つことによって、私たちが守勢から攻勢に転換しました。

3 アメリカでフレーザー議員と闘うときに、お父様が躊躇して「後退だ。世界を支配するその国と、どのようにしてぶつかれというのか」と、臆病者のように行動していれば、神様のみ旨を成就できず、完全に掃き捨てられてしまいます。

ゴリアテと戦ったダビデのように、何も恐れずに正面から攻めたのです。飛んでいく砲弾、飛んでいく矢のように、心臓部を突破していくという決意をもって、「お前が突破されるのであって、私が突破されるのではない」と言いながら進みました。このような闘いをしたので、アメリカが突破されたのです。今やどの角度から見ても、私たちが勝利しました。

4 お父様がアメリカで活動するのを見て、国会や国務省では大騒ぎです。そして、フレーザー議員が国務省と国会、共産勢力、ユダヤ教、キリスト教に代わって、統一教会に反対する旗手となって闘い、自分の力を過信して倒れたのです。全世界に知れ渡るほど大騒ぎをしました。ですから、国会議員たちがすべて私たちのPRチームになり、「ああ、おめでとうございます!」と言いながら、電話をかけて訪ねてくるようになりました。

それで、「勝った」と言って万歳を叫び、興奮している時、私は「あまり興奮せず、静かにしなさい」と言いました。負けた人は弱者ですが、天は弱者を打つようになっていないという話です。弱者を保護してあげるのが天の行く道ですから、「統一教会は、フレーザーに勝ったといってあまり喜ばないようにし、通りに出て踊ったり、自慢したりしないようにしなさい」と言いました。それはフレーザーに勝つと同時に、フレーザーの子孫にも勝つことなのです。その子孫たちが、お父様は素晴らしいと称賛するでしょう。

5 今回、フレーザー議員が選挙で負けたのは、お父様と闘って負けたからだということを、世の中はすべて知っています。一日に新聞の四面にわたって記事が出たのは、世界の歴史上、記録的なことでしょう。それが言論界の最後の攻勢だというのです。「フレーザーが勝つ」と言って喜んでいた共産勢力を、すべて一掃してしまいました。最後の闘いで、彼らが負けたのです。

ヤコブは天使と闘うとき、互いに組み合っていましたが、天使は、勝てそうにないので、ヤコブのもものつがいを外したのです。それでも、ヤコブは手を放しませんでした。そのようにして祝福してもらったのです。そのような闘いをしました。お父様は、その人々がいくら反対しても負けないというのです。神様が助けてくれるのかもしれませんが、お父様は頭が良いというのです。「文先生と闘っては利益にならない」として、「最も恐ろしい人」いう名札を付けられました

6 古今東西を問わず、義のために生き、神様のために献身してきた人々は、必ず険しい茨の道を行かなければならず、当代に大きな苦難を味わわなければなりませんでした。その代表的な方が、イエス・キリストであり、そのほかにも、世界の歴史時代に、その実例を数多く見いだすことができます。私は一生を捧げて、神様と世界の前に献身することを決心して以来、六十年の生涯を生きながら、多くの苦難を経てきました。このような歴史的教訓を知っている私が、どうしてこの時点まで来て、茨の道、苦難の道を嫌だと思うでしょうか。私はこのたび、アメリカ政府が私を告訴したことについて、無念であるとか、腹立たしいとか、恨めしいとは思いません。この機会が、誰よりも無念さを味わわされ、誰よりも恨めしさを味わわされ、誰よりも寂しさを味わわされた神様の苦痛に同参(一緒に参加すること)する機会だと考えれば、かえってこれが栄光の試練になることを主張したいと思います。私は、良心の呵責を感じません。私が歩んできた一生を振り返ってみるとき、真実に、神様のために生きてきた生涯であり、人類と世界の前に犠牲となり、奉仕する生活を送ったという確信があるため、私は世界のどのような法廷も、それ以上のものも恐ろしいとは思いません。私は今まで十年間、アメリカで、すべての心血を注いでアメリカを愛し、アメリカの精神と道徳の復興のために、血と汗を注いできました。歴史は、この事実を否認できないでしょう。

7 今日、神様の摂理から見るとき、アメリカが心を入れ替え、真実に神の国にならなければ、世界を共産主義の魔の手から救う道はありません。私がアメリカで手にしたものは何もありません。私は、世界の統一教会運動の総力をアメリカに傾注してきました。アメリカは、お金持ちの国、援助をする国として知られています。しかし、統一教会の場合だけは、それと正反対に、アメリカは統一教会から精神的、物質的に援助を受けてきた国なのです。もし私が、アメリカを愛し、このようにしてきたことが罪ならば、私はためらうことなく、断罪を受け、十字架の苦難を拒否することもありません。

8 今日、美しいアメリカ、偉大なアメリカに二つの弱みがあるとすれば、それは宗教的偏見であり、人種差別です。特に、人種差別の問題は、リンカーン大統領が血の代価を払ったにもかかわらず、いまだ未解決な部分として残っています。また、アメリカの現代史で、あの有名なマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は不義と闘い、高潔な祭物となりました。今やこの闘争は、統一教会の闘争になりました。東洋から渡ってきた統一教会の運動は、今日、アメリカで排斥されているすべての少数民族にとって代弁者となり、チャンピオンとなりました。私はこの機会に、アメリカで少数民族連合会を創設するに至りました。私は、今回の帰国に先立ち、その基金まで準備して帰ってきました。今、アメリカで燎原の火のごとく盛り上がっている少数民族連合の人権運動は、今後、一九八〇年代を走るアメリカにとって義なる運動になるでしょう。神様が生きていらっしゃり、真理があるとすれば、歴史はこの方向に流れていかざるを得ないのです。

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23 イギリスで、責任者が報告した内容があります。ある婦人が、霊界で興進君と共に活動している背景を教えてくれたのですが、聖フランチェスコはイタリアで死んだにもかかわらず、一度もイタリアに行けなかったというのです。ところが今回、興進君が霊界に来て配置することによって、初めてイタリアに行けるようになり、「どれほどうれしいか分からない」と言っているというのです。

また、ドイツの南部にいた一人の主教は、ドイツで死んだもかかわらずドイツに行けなかったのですが、興進君に「ここで監督しなさい」と言われ、ドイツに来て働くようになり、「真の父母様に協助できる驚くべき恩賜を受けた」と言って喜んでいたというのです。その報告はすべて、お父様が語ったことと一致するのです。

霊界にいる人々は、興進君のことが分かりませんでした。「あの東洋の少年は誰だ。イエス様がそわそわしている」と言って不思議そうにしているので、興進君が「私が興進である」と言ったそうです。

するとイエス様が、「自分はオールド・キリスト(Old Christ)であり、興進君はヤング・キリスト(Young Christ)である」と言ったというのです。

第三節 ダンベリー刑務所での受難と獄中生活 聴聞会での証言とダンベリー収監 一九八四年七月二十日、アメリカのコネティカット州ダンベリーにある連邦刑務所に収監された真のお父様は、収監の前日に発表した声明書を通し、この事件の発端は脱税問題ではなく、政府の権力濫用による宗教迫害であると主張された。これに先立ち、六月二十六日には、アメリカ国会の上院司法委員会憲法小委員会の聴聞会で、堂々と無罪であることを証言された。

1 私は潔白です。私はいかなる過ちも犯していませんし、ただ、政府の権力濫用と迫害の犠牲者にすぎません。アメリカ全域の数千の聖職者たちが、私に対する政府の迫害について抗議し、宗教の自由守護という名のもとに一週間ずつ、私と入監することを決意しました。

神様は一九七一年、私に対して、「アメリカに来てキリスト教信仰の復活運動を展開し、この国の霊的基盤を回復させなさい」と命令されました。アメリカで信仰なき生活の暗い霊的雰囲気と宗教的な偏狭が現れる時期に、霊的覚醒を起こすために私を送られたのです。私自身は、共産政権の監獄で、死ぬ直前の状況まで耐え抜きました。私は、アメリカを霊的な死から目覚めさせる神様のみ旨のためであれば、むしろ監獄に行くことを願います。皆さんが私の活動を理解するならば、本当に私が税金を詐取するためにアメリカに来たと信じられるでしょうか。

事件の発端は、税金問題ではなかったのです。これは、政府による教会内の問題に対する侵害でした。私が有罪判決を受けたのは、私の宗教的な信念と活動以外に、いかなる理由もありません。これから私は教会の世界本部を、この国のために祈り続けるダンベリー刑務所に移すでしょう。私が神様に感謝することは、人類の歴史上、最も困難な時期に、私を宗教の自由守護のための指導者として、アメリカの霊的な覚醒運動に火をつける道具として用いていらっしゃるということです。神様の祝福がアメリカに臨むことをお祈りします。

2 私がダンベリーを訪ねていく時、世界の統一教会員たちは、「お父様が行かれたらどうなるのですか」と言いましたが、「今から新しい世界が始まることが分からないのか。ダンベリーの向こう側に天が何を準備しているか皆さんは知らないが、私はきょうそれを目にしている。アメリカの全国民が頭を下げ、世界の人類が屈眼する希望の土台を築く太鼓の音の響きが、皆さんには聞こえないのか」と答えました。夢を抱いてダンベリーを訪ねていったというのです。

監獄に入る時は、アメリカの朝野に影響を与える力をもった男が、敗者の悲しみの道を行くかのような姿でしたが、私は敗者ではありません。「あすの朝が明け、この門を開いて出てくれば、あなたたち(アメリカ政府)は秋を迎え、私は春の園を迎えて、新しい芽を出すだろう。あなたたちは、この青い園に足を踏み入れることができないという千年の恨を抱くだろう」と言いながら、堂々と夢の道を歩んだのです。

3 一九八四年七月二十日は、本当に永遠の歴史の中から抜いて消し去りたい日でした。お父様はダンベリーに出発する瞬間にも、皆さんを激励し、皆さんに希望を吹き込んでくださいました。二十日の夜十時にイーストガーデンを出発し、ダンベリー刑務所までお供いたしました。何回も唇をかみながら、固く決心しなければならないと自ら念を押しましたが、我知らず流れる涙をこらえることはできませんでした。車から降りる前にも、御自身に差し迫ってくることについては少しも心配されず、かえって私(お母様)を慰めるため、とても気を遣われる姿を目にしながら、私はただただ、どうすればよいのか分かりませんでした。

お父様は出発する前に、「私は監獄まで解放しに行く」と語られ、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈りなさい」というみ言を何度も繰り返されました。そして、二十二日のきょう、早朝にお父様が私に電話を下さり、皆さんに「神様の召命を受けた者として、キリスト教を燃え上がらせよ」と伝えてほしいと言われました。お父様の自由を保障できるかどうかは、皆さんにかかっています。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今までしてきたことと、また、今指示しているすべての内容を、あらゆる精誠と積極的な活動によって、必ずや成就してください。皆さんの精誠に神様が感動し、サタンは手を挙げ、歴史は新しい時代を迎えるでしょう。(真のお母様、1984/7/22)

4 お父様の恨がいくら多いといっても、神様の恨に比べることはできません。「(天の恵みを)そっくりそのまま与えよう」と思っていたら、監獄に行くことになったのです。日本帝国主義の統治下でも監獄に行き、北朝鮮に入っても監獄に行き、大韓民国に来てからも監獄に行き、アメリカに行っても監獄に入ったのです。ソ連、中国の監獄まで見据えながら行動しました。死ななければ、監獄に行くのです。

しかし、私は死ねません。監獄に行くようになっても、滅びることはできないというのです。私が監獄に行けば、監獄の壁を貫いて出てくるのです。アメリカのダンべりーの監獄に入る日、世界の統一教会員たちが来て、止めどもなく涙を流すのを目にして唖然としました。「皆さんはダンベリー刑務所の鉄の門だけを見つめている。ダンベリーの塀の向こう側の世界は見ることができずにいるが、私はそれを見つめている」と言いながら監獄に行ったのです。

解放のラッパの音が聞こえ、刈り入れの収穫の歓声が聞こえてきます。見ていなさいというのです。間違いなく跳躍が起きるのです。跳躍が起きなければ、跳躍が起きるように指導して教えなければなりません。今や、アメリカが私の世話にならなければならない時が来たのです。

5 神様が人を愛するとき、愛のふろしきを倉庫に残しておいて、八〇パーセントだけ愛したとすれば、欲深い人はじっとしていません。倉庫をすべてかき分け、なめ尽くすように探してみて、間違いないというときに、初めてこちらに振り向くようになるのです。人間はそのように欲深いというのです。神様は、神様の愛を残らず受けさせるために、そのように欲張りな人間を造りました。ですから、愛に乗っていく欲心は、千年の歴史が歓迎するのです。それゆえ、私は、愛に乗ってアメリカに行ったのです。

今、前面では反対していますが、また裏面では歓迎するのです。上は反対しますが下は歓迎し、現在は反対しますが未来には歓迎するというのです。それはどれほど素晴らしいでしょうか。ですから、私は心配しませんでした。監獄に入って横になっていても、どれほど気持ちが楽だったか分かりません。よく消化できます。どれほど気楽か分からないのです。他の人々は「死ぬ」と言って大騒ぎなのに、私はよく眠ることができ、よく食べることができました。監獄が問題ではありません。

尊敬を受けたダンベリー刑務所での収監生活 真のお父様は、世界的なゴルゴタの峠を越えるときも、決して挫折されなかった。罪なき監獄生活ではあったが、かえって模範的な生活を通し、刑務所にいる人々に大きな感動を与え、アメリカのために祈られた。アメリカに対する神様のみ旨があるがゆえに、アメリカを愛さざるを得なかったのである。真のお父様は、ダンベリー連邦刑務所に収監されている期間も、中断することなく摂理を率いられ、真の愛の生活を通して、囚人たちからも尊敬を集められた。特に、刑務所の雰囲気を一新して愛の環境をつくられた。

6 ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。私は言葉を一言語るにしても、彼らのことを思う心で語りました。ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。御飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。ところが、約三ヵ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、他の人々が座っているのです。座ってみると、私が座る場所もないほど人が集まってしまうのです。私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れてまた訪ねてきます。このようなことが起きました。

それは、嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。人心は天心に通じます。人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。ですから、言葉をもって伝道するのではありません。愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。

7 アメリカの監獄に行って愛そうという心をもった人が、監獄にいる一人の人を愛すれば、それはアメリカの国民全体を愛したという条件的立場に立つのです。その場には天地が同伴します。ですから、私はアメリカを愛したというのです。誰よりも愛しました。誰もが嫌だと思う監獄の囚人たちを、私は誰よりも愛したのです。そのような(愛の)表題を掲げて出てきて叫んでも、それに対して、「違う」と言うことはできません。そこにいた人々が証するのです。

差し入れをもらって、良いものがあれば、私のところに持ってきてくれようとするのです。そのような監獄生活を送るのは簡単なことではありません。人のために尽くしてあげなければなりません。ために生きるところから新しいものが創造されるのです。そして、ために生きる人が、その創造されたものを所有するのです。天理原則がそのようになっています。ですから、神様の創造は、ために生きる心情圏の園から始まったというのです。

8 ダンベリー刑務所に入っている時、どのようなことがあったでしょうか。統一教会を信じたのち、出ていったという人が、手紙を送ってきました。その人は七年間ファンダレイジングをしながら苦労し、あることがきっかけで離れたのですが、離れてみると、その七年間に学んだことによって、空腹の時には稼いで生きていける人になり、困難な時も自分が同情されることを願うのではなく、同情できる人になったそうです。

また、「統一原理」は、天下において合わない所がないというのです。その人は大学院を出たのですが、大学に行っても、そこの先生が未来のための道を示してくれたことはなく、自分の父母も、誰も、未来のために道を示してくれなかったそうです。しかし、たった一人、東洋から来たお父様からこのようなことを学べたので、心から感謝しますと書いてありました。

私はその手紙を監獄で読みながら、「よし!レバレンド・ムーンは死んでいない」と思いました。お父様は、死にゆくアメリカの人々を復活させ、新芽が芽生えるようにしているというのです。国を愛する若者たちを、アメリカの新しい未来のために支柱となる核心的な要職に配置したので、このアメリカは刷新されるでしょう。

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5   無罪で釈放とは何でしょうか。無罪で釈放されたならば、大韓民国が私に補償しなければなりません。大韓民国は有罪だと宣布し、お父様は無罪だと言うのです。神様の法から見ると、「罪のない人に苦労をさせたとすれば、大韓民国、お前は有罪である。そして、文先生は無罪だということが分からないのか」と、このようになるのです。

大韓民国で反対する核心要員はキリスト教徒です。キリスト教徒は、神様を信じる群れでしょうか、神様に反対する群れでしょうか。「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一〇・三六)という聖書の聖句が成就しなければなりません。キリスト教が罪を犯してしまったというのです。罪を犯した人をかばう人は、関係者となり、その犯罪の共犯者になります。ですから、大韓民国が滅び、キリスト教が滅びることはあっても、お父様は滅びないのです。

西大門刑務所での受難の意味 真のお父様の五度目の監獄となる西大門刑務所での受難は、一部のキリスト教指導者たちの扇動と、否定的な世論を背景にした李承晩政権が引き起こした宗教弾圧と見ることができる。天が下さった、大韓民国からキリスト教を基盤として世界的に広がっていく機会を失い、統一教会は再び荒野路程を経ていくようになった。

6   お父様は滅びませんでした。大勢の人たちが、「統一教会の文某は裸になって踊る」と言いますが、私が本当に裸になって踊って批判されたのなら、恨むこともないのです。裸になって踊るのを見物したこともないのに、裸になって踊る魁首にさせられています。そのようにして、大韓民国の国民が福を受けられるなら、いくらでもしなさいというのです。私という一人の人間を打って呪うことによって、この民族が福を受けられるなら、それは善いことです。

ですから、すべてを甘受しようというのです。彼らが民族を愛し、国を愛する愛国心の発露からそのようにしたのであれば、私がそれを神様のみ前に神聖で義なるものとして紹介してあげましょう。

7   再創造の摂理は、お金によって成されるのではありません。権力によって成されるのではありません。知識によって成されるのではありません。真の愛によって、初めて成されるのです。

私は西大門刑務所に入りましたが、「大韓民国よ、滅びよ」とは言いませんでした。「キリスト教よ、滅びよ」とも言いませんでした。「彼らが気づかずにいる罪をお赦しください。哀れな大韓民国が犯した罪を蕩減するために、私にすべてを負わせてください。私を批判して福を受けられるのなら、どれほど良いでしょうか」という思いをもちました。そのような思いをもっているうちに、時代が過ぎ、一つの峠が過ぎました。

種を蒔けば、それを刈り取る時は、何百倍、何千倍になったものを刈り取るように、これからは、何十倍、何百倍も大きな愛の救いにつなぐことができるのです。天理の愛の道理を通して、生命の根が繁殖する原則に従って種を蒔けば、何百倍、何千倍のものを刈り取ることができます。この宇宙の愛の懐で、そのようなことが起きるのです。

8   お父様は、三千万の民族が「異端の魁首だ。滅びよ」と言っても滅びません。理由もなく打たれたのなら、損害賠償を受けなければなりません。このようなことをしようとするので、時にはみすぼらしい姿にならなければならず、時には後ろ指をさされなければなりませんでした。

この道を開拓しながら、あらゆる苦難に遭いました。そのたびに、「神様はこれよりもひどい風霜を経てこられたのに、私がどうしてこれしきの風霜を経ずにいられるだろうか!」と考えました。公的な立場で受けた、そのような事情が多ければ多いほど、人が手にし得ない宝物を倉庫いっぱいに満たすことができるのです。

9   韓国においても、監獄から出発したのが統一教会の歴史です。呪いと背反と迫害の道から始めました。私は骨のない男ではありません。西大門刑務所に入っていた時、拘置課長という人が私を見て言った言葉を忘れません。死んでも忘れられません。一ヵ月もたたないうちに、彼らが私を訪ねてきて、「昔、聞いていた統一教会の文某と、今、(実際に)知った文某は違う」と言って謝罪するのを、この目ではっきりと見ました。

正義は、どんなに残酷な迫害の鎖の中でも勝利することを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が求めているその群れの道に責任をもっていく道なので、落胆するのはやめようというのです。私は、落胆しませんでした。受難のむちの跡があまりにもたくさん残っているとしてもその時に受けた傷は、何ともないというのです。

10  平凡なことをも、絶対的な価値の基準に上げるのは、受難の境地でのみ可能です。皆さんが、獄中生活の中や、厳しい飢饉の状況に立たされれば、分かるでしょう。試練や受難は悪いことではありません。試練や受難の中で、生命の価値を立てていく力と希望と欲求をもった人にとっては、その試練と受難の困難が、困難としてだけで終わるのではなく、未来における喜びの刺激となり得るのです。また、未来の喜びだけでなく、希望の国を訪ねていくことができます。

困難を克服しようとする希望をもっていれば、その場から喜びの天国を成就することができます。困難を克服しなければ、どんな希望も成就されないので、愛の神様は、この先に迫りくる試練の舞台を克服できるように、人間を鍛錬させるのです。ですから、その鍛錬の過程は、鍛錬自体で終わるのではなく、喜びの刺激をより価値あるものとして感じられる、一つのプレゼントとして下さった受難の道だというのです。このように考えるとき、その受難は悪いことではなく、困難も悪いことではありません。それが、私たちの幸福の基盤となり、あすの幸福を相続できる要因になるのです。

11  孤独な道を一人、開拓者の使命と先覚者の使命をもってたどってきても、お父様は、孤独な立場でぶつかる出来事について、一切話しませんでした。命を懸けてきましたが、私は孤独な人ではありません。皆さんの同情も要りません。私は幸福な人です。

天地の大主人であられる神様が、私を理解してくださるので、いくら拷問で血を流し、身が引き裂かれ、筋が断ち切られる立場になっても、私は不幸ではありません。愛する息子をこのような立場に立てられた神様の心情は、それ以上に切ないことを知っているので、不幸ではないのです。その場で天をつかみ、天を慰労できる国を探し出そうと苦労しているので、どんなに拷問がひどくても、それが問題ではありません。重なり合う十字架の道が立ち塞がっていたとしても、その十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、お父様はそこで、新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです。

12  今までの歴史の過程を見る時、歴史の主人公は、その時代で受難の峠を克服しながら、その国の希望を抱いて闘ってきた人たちです。そのような人たちが、歴史の主人公です。聖賢たちは、天意に従い、人間の世の中で肯定するものを否定するのみならず、世の中の方向を変え、希望の世界に向かって自分の一身を捨てて、その理念とともに環境の試練を克服してきた人です。

その聖賢の人生は悲惨ですが、その心の内で受けたすべての苦しみが、かえって喜びの世界と関係を結ばせる動機になったのです。

これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。

13  私は、西大門の通りを、刑務所に向かって手錠をはめて歩いても、恥ずかしいとは思いませんでした。天地を見る時に、恥すかしいことはありませんでした。堂々としていたというのです。出所する時になって、四人ほどの看守たちが、「統一教会を信じます」と言ってきました。所長も私と何回か会いました。「世間で悪いと言われている男がこのような人だとは」と思ったのです。統一教会員たちが面会しようと、先を争うようにして門前に列をつくっていました。元気な青年男女たちが、明け方から列をつくって私に会おうとするのを見て、「ああ、よく知らなかったのだな」と感じたというのです。私たちは、そのような道を歩んできました。

皆さんは、過去に統一教会に反対していた教会と国から追い詰められ、追い出されて、囚人服を着ていたお父様を忘れてはいけません。囚人服を着て手錠をはめられ、裁判長の前に立ったお父様を忘れてはいけないというのです。今や無念なその時期を越え、私たちにも時が来ました。芽が出る春の日が来たので、地に種を蒔けば、芽が出るでしょう。

しかし、反対するところには芽が出ないでしょう。私たちが民族と同胞に代わって、これまで歴史的に築き上げてきた生命の偉業、愛の偉業をそのまま継承して立てるようになるとき、現在のキリスト教は今のところは私たちと怨讐になっていますが、その背後にいる数多くのキリスト教徒たちの行く道が、ここから開かれるのです。

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10  すべての人が「死ね」と言い、「滅びろ」と言ったにもかかわらず、私は滅びませんでした。なぜ滅びなかったのでしょうか。人々が罵(ののし)れば罵るほど、私が孤独であれば孤独であるほど、涙を流して私を慰労する人が次第に増えたからです。

私が刑務所に入っていれば、我先にと刑務所に面会に行こうとするのです。また、統一教会員たちは、午前八時以降に面会ができるのに、夜中の一時から列をつくって座りながら待っているのです。それが、西大門刑務所での記録です。ですから、人々が「人々を狂わせるにしても、どうやったらあそこまで狂わせることができるのか」と言ったのです。午前八時が過ぎてから面会ができるのに、夜中の一時から列をつくっているというのです。前日から来て座っている人もいました。

11  私が西大門刑務所に数ヵ月間いた時、人々は私を「統一教会の文某」と呼びました。おかしな話のようですが、刑務所に入ってみると、自分を王様のように思っていない人がいません。すべての人が横柄に振る舞うのです。

しかし、私は、私を見て何と呼ぼうと、何も答えずに黙って座っていました。入ったその日から黙っていました。一ヵ月でもそうしていることができ、二ヵ月でもそのようにしていることができます。しかし、一、二週間ほど過ぎると、彼らが私に気兼ねするようになりました。朝、起きてみると、私が祈っているのです。それをどうして止めることができるでしょうか。私は、彼らの中で一番の厄介者と言われる人、みなから「死んでしまえばよい」と思われているその人を連れ、一言、二言、言葉を交わしながらよく諭しました。「以前はあれほど厄介者だった人が、文という人が来てからその人が変わった」と言われるようになりました。こうしてしばらくたつと、人が話したわけではありませんが、監房の人たちの間で、その人が文某の言うことをよく聞くと、うわさになったのです。なぜなら、私も彼らのことを思う立場に立ち、大韓民国に代わり、大統領ももち得ない心情をもって、現在の韓国の運命と未来の韓国の運命、そして、この民族がもつべき国民思想を中心として、彼らのために涙を流し、祈ったからです。心情の主人になっているからです。善なる責任者の前には頭を下げなければならないのが天理原則であることは間違いありません。

12  刑務所でお父様を苦しめた人たちの顔が今も目に浮かびます。監獄の中でお父様についてのうわさが広まっても、一言も語りませんでした。西大門刑務所にいる時、監房の中にいるすべての人たちが、お父様のことをとても慕っていました。ですから、訪ねてくる人がたくさんいました。私を冷遇していた人たちが会いに来れば、すぐに彼らの心を看破して、「これからはそのような気持ちで私の前に来てはいけない」と叱りました。

また、そこにいた、牧師だという人は、お父様が異端であり、怨讐の立場だといって、最初はものすごい剣幕で、「あなたが主張する教理とはいったい何だ」と言って食ってかかってきました。しかし、最後には決まつた時間に訪ねてくるようになり、とても親しくなりました。うわさが大きく広がったので、刑務所の所長までが会おうとしたのです。

一緒に監獄に入った弟子たちも、熱心にお父様に従って侍るので、人々が「世の中があれほど罵り、反対していても、あそこまで徹底しているとは。なるほど、統一教会の文先生はただ者ではない」と言いました。お父様の立場は、このように、卑しいように見えましたが、最高に貴い立場であり、誰かに「代わりになりなさい」と言っても代われない立場です。どんなに大口をたたく人でも、絶対にできないのです。

13  人々は、「文某は不気味な人だ」と言って、色眼鏡をかけて見ますが、過去を考えてみても、私は恥ずべきことは一つもありません。誰かがそうなるように仕向けたか、でなければ、私がそうだったのか、二つのうち一つのはずです。誰かがそうなるように仕向けたとすれば、それは、そのように仕向けた人の責任です。そのようにさせた人は滅びますが、そのようにされた人は栄えるのです。悪なるものは滅びるのであり、善なるものは栄えます。純粋で、天下の歴史が公証する真の立場に立った場合は、滅びることはありません。手錠をかけられて歩いていくとき、通りがかりの女性たちまでも、横目で見ながら顔をしかめるのを見て、「よしあなたたちが歩くその足取りは高潔に見え、ここにいるこの男は哀れに見えるが、まだ比較する基準が現れていないから分からないだけだ。しかし、その立場が明らかになる時には、正否の判決が下るだろう」と考えて、今まで歩んできました。

14  お父様は、統一教会を中心に大韓民国を率いて出発すべきでしたが、監獄に入りました。監獄に入ってからも、「いつ出られるのだろうか」とは考えませんでした。監獄で十年間暮らそうと、あるいはそこで死のうと、み旨のための道であると考えて、泰然としていました。ほかの人とは違いました。その場で修練をしたのです。

何の修練をするのでしょうか。このすべてのことをいかに是正して、今後、生き甲斐のある道を行くかを考えました。泰山が幾重にも立ち塞がっていれば、トンネルを掘って高速道路を造ってでも行くのです。そうして倒れれば、神様が責任をもちます。しかし、気力が残っているうちは、神様の助けは要りません。それまで、自分のために祈る必要もありません。そうして、私の気力が尽きたにもかかわらず、み旨に私が必要であれば、「協助しないでください」と言っても神様は協助されるのです。

15  今日、統一教会が前進していく立場で、皆さんの一日一日の生活全体を、どれほどその時間圏内で、実感をもって全体化し、展開させるかが問題です。その深さ、あるいは高さを、キリスト教が出発した当時と比較してみた場合に、私たちのほうが大きければ、私たちは急進的な発展、急進的な勝利を成し遂げるでしょう。それから、敗者の悲しみを味わわなければなりません。顔を上げられないほどに羞恥を覚えてみなければならず、恥もかかされてみなければなりません。お父様にもそのような時がありました。西大門刑務所に行く前に法廷に立った時、かつてお父様に従っていた人が、「北朝鮮でも監獄暮らしをして、ここに来ても監獄暮らしをするのを見ると、まだその癖を捨て切れていないのだな」と言いました。その言葉を、私は今も忘れずにいます。

私は一生の間、監獄を出入りしながら闘ってきました。このすべての怨恨を集めて進んでいけば、その怨恨をすべて解いて余りある時が来るはずです。ですから、疲れようにも、疲れることができません。いくら唇が腫れ上がり、体の調子が悪くても、得意げになっている怨讐の背中を、私が両足で踏み越えていくまで、私は行くつもりです。サタンに対して最後まで闘っていくのです。

第三節   西大門刑務所からの無罪釈放 無罪で終結した「七・四事件」 一九五五年十月四日、真のお父様は、ソウル地方裁判所で無罪判決を受け、釈放された。食口たちは、喜びと感激で真のお父様を迎え、三日後、奨忠洞(チャンチュンドン)から青坡洞へ教会を移転し、十日に出獄歓迎会を行った。真のお父様は、平壌で自ら作詞された「聖励の新歌」を歌われ、新たな決意をされた。

1 一九五五年、梨花女子大事件などによって、国家全体が騷ぎ立て、私を捕まえて監獄に入れようとしました。李承晩政権を中心として、そのようなことをしたのです。罪を暴こうとしたところで、私には罪がありませんでした。あらゆるひどいぬれぎぬを着せようとしましたが、罪として引っ掛かるものはなかったのです。

その時は、北朝鮮から下ってきたので、頭を刈っていて、私が軍隊に入隊しようとすると、人民軍ではないかと疑われ調査の結果、軍隊に入れなかったのです。ですから、軍隊に行きませんでした。環境のためにそのようになったので、罪には引っ掛かりません。ですから、無罪で釈放されたのです。

その事実を、キリスト教徒たちは全く知りません。その時、今のように宣布していればよかったのですが、そのような時ではありませんでした。私が行く道には、世界的基準を中心として背負うべき十字架があります。

個人的十字架の道で敗者にならず、勝者になったといって、誇ってはいけません。その個人的勝利基盤の上に、家庭的十字架が訪れてくることを忘れてはいけません。

2    お父様が監獄に入ったことは、新聞に特筆大書してうわさを立てておきながら、無罪で釈放されたことは、とても小さな一段の記事を書きました。(それで)今までそのことを知っている人がいなかったのです。その時、監獄から出てきて闘っていれば、どれほど格好が良かったでしょうか、(しかし、)闘わないことによって、根まで引き抜いてしまったのです。

歴史上でお父様に反対した人は、根まで引き抜かれます。(彼らの)子女たちは、自分の父母が正しい牧師であり、正しい忠臣だと思っていたのに、実は逆賊の立場にいたことを知るようになるでしょう。(自分の)父母が、天の道理を尽くした天地の大父母(真の父母)に反対した逆賊の立場にいたことが分かった時、その子女が、父母の墓を掘り起こす日が来るでしょう。うやむやにする話ではありません。

3   自由党政権の時代に、五大長官(大臣)が私をたたき潰そうとしました。当時、文教部、内務部、外務部など五つの政府機関に、李承晩博士が特命を下し、「統一教会をなくしてしまえ」と通告したのです。調査したところで、何があるでしょうか。自分たちがうわさをすべてでっち上げたのです。白白(ペクペク)教の教主の話をしながら、ぬれぎぬを着せておいて探ったのですが、何の罪状も見つかりませんでした。裁判をしても何もないので、約九十日後に出てきたのです。

当時、世の中はみな、(私のことを)罪人だと思っていました。私は世界でも、そのことで罵られながら歩んできました。それでも、なぜ四十年間、黙っていたのでしょうか。打たれて奪ってくるのです。最も悪い人だと思って私をたたき潰そうとしてきても、「あなたたちのほうが滅びる。私を一度打ってみなさい。打てば自分たちが窮地に追い込まれ、木っ端みじんになるだろう」と考えながら歩んできました。私は何も間違っていません。

4   一九五四年に、統一教会という看板を掛けて出発するようになりました。その時もやはり、韓国において国家的な反対が起こりました。全体が反対しました。監獄に入る事件が起きたのです。

三年間は、常に蕩減をしなければなりません。原理がそのようになっています。蕩減復帰がそのようになっています。間違いなく、公式は公式どおりに適用されていくのです。当時、大韓民国がお父様をたたいて踏み潰そうとし、キリスト教と政府が一つになって、ありとあらゆることをして葬り去ろうとしました。しかし、公判廷で無罪の判決を受けて釈放されることによって、統一教会は存続できたのです。

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世界平和青年連合」の創設と南北セミナー 一九九四年七月二十六日、百六十三ヵ国の代表たちが参加する中、アメリカのワシントンDCで「世界平和青年連合」創立総会が開催された。韓国で、一九九五年二月二十二日に社会団体として登録された「世界平和青年連合」は、左翼と右翼の理念を超越し、和解と利他主義的精神に基づいた真の共同体を志向している。「世界平和青年連合」は、中国の北京で韓国と北朝鮮の大学生たちが参加する中、数回にわたって平和セミナーを開催するなど、韓国と北朝鮮の青少年交流に大きく寄与した。また、世界各国に支部を置き、青少年純潔キャンペーン、エイズ予防教育など、多様な活動を展開している。

16  モスクワで世界平和のための国際大学生指導者セミナーを行ったのが一九九四年二月でしたが、この大会をやろうと言った時、皆が「来年の春になるまでは寒くてできません」と言うので、私が「国が滅んで死ぬというのに、冬が何だというのか!滅亡と死は冬でも訪れてくる。モスクワがいくら寒くても、急がなければならない!北京大会も陰暦の六月を過ぎてしまえば大変なことになる」と言って、大会をしたのです。

「世界平和青年連合」も、本来は急いで一九九四年六月に創立しようとしたのですが、延期して七月二十六日に創立するのです。

そして、アメリカでは大学と連結し、三千の大学で講演をしました。大学原理研究会の組織圏内に放り込むのです。韓国でも、二百の大学を大学原理研究会の組織圏内に入れなさいというのです。その目的は南北統一です。北朝鮮の大学生と韓国の大学生だけではできません。アメリカの大学生とロシアの大学生、中国の大学生、日本の大学生を動員しなければ、できないというのです。

17  「世界平和連合」の創設大会で、アメリカの元国務長官のアレクサンダー・ヘイグが演説したのですが、その時、彼を私の部屋に呼んで話をしました。「私がロシアの賢い青年たちとアメリカ最高の大学の学生たちを教育して、世界青年連合会をつくろうと考えているので、あなたも協力しなさい!」と言うと、いかにも軍人出身らしく、「間違いなくそのようにします」と言いました。それで今、それに対する計画を立てています。

アメリカの大学生たちとロシアの大学生たちを中心に、自由世界と共産世界として、思想的に対峙してきた代表的な二つの国家の若い青年たちで隊列を組んでおくのです。そのようにしてから、長期休みの期間になれば、世界各国の大学に行って教育するのです。そうすると、これが世界的な問題になるので、いくつかの代表的な新聞に感想文を掲載すれば、必ず多くの大学生が押し寄せてくるのです。そのようになれば、各国の一流大学を中心として、「世界青年連合」や「大学生連合会」をつくることができるのです。

18  「世界平和青年連合」には、大学生と中高生、十七歳(数え)以上はすべて入ります。そうして、大学を中心としてすべてのことを実践するのです。ですから、女性連合は、今住んでいる町の息子、娘たちが通う中学、高校、大学を訪ねて回りながら、教育しなければなりません。二世たちを収拾しなさいというのです。そうして、女性連合を前に立てて、大学と中学、高校の思想的な理論教化(を行い)、キリスト教文化圏の理論教化運動を展開するのです。

19  四十五歳から五十歳の年齢の人たちは、大学を卒業したあと社会に出て、最も活動している重鎮たちです。彼らさえ掌握すれば、世界は回っていくのです。大学生までは横的に家庭に縛られています。今からこの小学生、中高生、大学生たちを縦的に束ねなければなりません。彼らと社会人、大学卒業者たちまで、国家的に束ねなければなりません。そうしてこそ、世界と一つにまとめることができるようになります。

小学生、中高生、大学生たちは、家庭の母親の懐を出たり入ったりします。大学卒業者たちは、国家の懐に入った立場です。これは縦的です。小学生、中高生、大学生たちは、国家基盤です。彼らを世界基盤で、「世界平和青年連合」に連結し、すべての国家を率いていかなければなりません。

そのためには、二世を伝道しなければなりません。ですから、全世界の統一教会は、大学を基地にして伝道しなければならないのです。その次には、大学を中心として、同窓会を動かす活動を展開しなければなりません。それが、今後、私たちが世界を収拾できる一番の近道だと考えるのです。

20  「世界平和青年連合」の会員は、縦的な家庭、国家、世界、天宙を連ねる伝統を真の父母様から受け継ぎ、地上天国の根幹となり、環境全体に模範となって、発展的歴史を維持していかなければなりません。

人類の上中下時代を連結し、直線的な縦的伝統を生活圏で確立しなければなりません。上中下時代とは、老年時代、中年時代、少年時代を言います。老年層の信頼を得て、青少年層の模範にならなければなりません。青年たちは家庭と学校を離れるのではなく、新しい家庭と新しい学校教育の結実体として、家庭と社会で責任をもち、教示する人にならなければなりません。青年たちは、家庭天国理念を完成し、道義的世界の具現に生涯の中心を捧げなければならず、心身一体生活の中心的標本となって、国家の公益を常に追求しなければなりません。

21  「世界平和青年連合」が重要な団体になります。青年たちは卒業生です。ですから、学校とは距離があります。社会に出ていっても、学校の後輩たちが誇ることができる組織をつくらなければなりません。そのようにしてこそ、正しい卒業生となり、称賛を受けられるのです。そうして、原理研究会と卒業生が一体にならなければなりません。また、同窓たちを同化させなければなりません。自分の村に同窓生がいれば、その村の主力部隊にして啓蒙し、民度を高める活動をしなければなりません。そして、左翼思想に対峙できる徹底した教育をしなければなりません。北朝鮮と対峙しているので、これから思想闘争をしなければならないのです。統一が成し遂げられたとしても、思想闘争は避けられないため、準備しなければなりません。ですから、共産主義に対抗できるよう教育を急がなければならないのです。

22  国家を新たに発展させる方法は、青年の再教育、家庭倫理の確立以外にはありません。ですから、国連大学をつくろうとしているのです。そして、大学連盟をつくって、どの教団を中心とした大きな大学であっても今回コディアクに呼び、「すべて同じ学制で編成して、希望する大学の卒業証書を何枚でもあげられるようにし、世界的指導者に育てよう」と話しました。国境、民族、人種を超越した場で、世界を神様の代わりに改革できる指導者をつくろうという運動が、「世界平和青年連合」です。

23  長い間、世界平和を実現するために、多くの機関を創設してきました。「世界平和女性連合」、「世界大学原理研究会」、「世界宗教会議」、「世界平和のための頂上会議」、「科学の統一に関する国際会議」、「世界言論人会議」、そして、「世界平和教授アカデミー」がそれです。

今や、今日の人類の救いの先鋒に立つために、「世界平和青年連合」を創設するのです。私は、若者が神様と家族と国家を愛し、最高の道徳的基準によって生きていけるようにするため、私のすべての清熱を尽くします。より具体的に「世界平和教授アカデミー」と衛星システムを連結し、国際教育高速道路をつくります。これは、世界のすべての若者たちに、最高の教育の機会を提供してくれるでしょう。私は、百六十四ヵ国のすべての会員国が、若者の精神道徳の回復のための教育プログラムに同参することを促します。「世界平和青年連合」を代表し、私たちはみな、愛と平和の世界創建のために精進していきましょう。私は皆さんの支持を通して、神様の祝福が永遠に共にある、第三の至福千年を成し遂げることができると確信します。

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8   お母様が、韓国の四十の大学で巡回講演をする目的は、大学を動かすためです。そうして、大学を中心として、運動圏を教育しなければなりません。彼らをソ連に連れていこうとしているのです。ソ連には、私たちの食口がたくさんいます。そこで二十一日修練をするのです。モスクワに連れていって、私たちが三週間だけ連れて回りながら、見学をさせてあげ、教育をすれば、すべてが回ります。そうして、韓国と北朝鮮の学生たちと、ソ連の学生、中国の学生たちが一つになり、アジア地域で共産主義思想に対峙できる連合会をつくるのです。いずれにせよ、共産主義は崩れるようになっています。ソ連がそうでしたし、中国も崩れています。「『統一思想』は、共産主義に代わる思想である」と言って教育するのです。北朝鮮の学生たちに、道を開いておかなければなりません。一番早いのがそれです。摂理的に見るとき、韓国と北朝鮮の学生たちは、カインとアベルです。そのようにすれば、父母は自然に一つになるのです。

9   韓国の四十の大学でのお母様の大講演会は、キリスト教と運動圏が分立され、私たちと一つになるきっかけとなりました。摂理史的に見るとき、これは蕩減路程で、この上なく必要な条件です。お母様を中心として、運動圏の学生たちと大学原理研究会が、大学で再び基盤を築かなければなりません。韓国の運動圏の学生たちをアベルとみなすなら、北朝鮮の学生たちは完全にカインです。韓国にいる運動圏の学生たちは、表面は赤いのですが、中は白いというのです。しかし、北朝鮮にいる学生たちは、完全に赤いのです。

今から、韓国の運動圏の学生たちと北朝鮮の学生たちを、モスクワに連れていって教育します。ここに、日本の朝鮮総連と民団の学生、日本の学生が加わるのです。韓国の学生たちを中心として、アメリカと中国、ソ連の学生たちが連合し、北朝鮮の学生たちを同化させなければなりません。ですから、私たちは最善を尽くして、北朝鮮にこれを知らせたのです。今、モスクワで世界平和青年運動の組織を編成しようとしています。そうして、超国家的に思想を超越して、青年運動を展開するのです。これは、大学原理研究会だけではできません。社会基盤がないので、大学を中心として、同窓生たちを束ねるのです。同窓生と学生は、カインとアベルです。彼らを束ねて組織をつくり、世界的に大運動を展開しさえすれば、急進的な発展を遂げることができます。ですから、お母様と「世界平和女性連合」と学生連合が、一つにならなければなりません。

二世を中心とした大学統一運動 真の父母様は、戦争を経験していない二世の大学生と青年を中心に、「頭翼思想」を理念とした南北統一運動を継続して展開された。一九八六年五月十五日に結成された「南北統一全国学生総連合(統学連)」と、十月十一日に発足した「全国大学教授学生南北統一運動連合(教学統連)」を中心に、活発な南北統一運動が展開された。大学教授と大学生に正しい南北統一の理念と座標を提示されたのである。

10  今は二世の時代です。二世を収拾する時だというのです。誰が彼らを収拾して、新しい理念を教育するのかというのです。韓国には、彼らを教育する団体がないと考えなければなりません。それは、現実的に現れ、歴史的に現れた事実です。

ですから、大学で「南北統一全国学生総連合(統学連)」と教授たちも動員しなければなりません。世界にないことが起きたのです。そのようにするのは、縦的なカインとアベルを一つにするためです。師弟関係も父子関係も縦的なカインとアベルです。強力な体制を中心として、進むべき時が来たのです。

11  南北を統一するのは、お父様でなければできません。教授と学生が連合し、その社会の有志と連結して、二世の若い青年たちを一つに束ねなければなりません。道なら道の大きな会場で大会をして束ねなさいというのです。そして、組織編成をしなければなりません。一つにならなければならないのです。

ですから、「全国大学教授学生南北統一運動連合」をつくりました。全国にいる教授と学生が一つになりなさいというのです。このような組織は今までなかったのですが、お父様によって初めて、歴史にないことが起きたのです。

12  一九八六年一月二十四日、漢南国際研修院に教授たちが集まり、新たな決意をしたのちに対社会活動を始めました。二月十七日から全国百六十六の地域で大学教授巡回講演会をするという、驚くべき歴史的一ページを記録するようになったのです。また、それから五ヵ月後には、世界の碩学たちを中心として、皆さんが協力し、全国二百三の地域で歴史的な新しいみ言の砲門を開きました。

これは、世界を越えて、歴史的に記念できる一つの記録になるでしょう。そこに名高い学者たちが動員され、先頭に立ったという事実は、驚くべきことです。このようなことができる団体をつくったのですが、その名称が「全国大学教授学生南北統一運動連合」です。お父様はこれに対して、多くの希望をもっています。

13  お父様は、一九八六年二月から「世界平和教授アカデミー」に所属する教授を立てて、全国で講演会を開催しました。それは、最高の知識人たちがお父様のために一つになったことを宣布する式です。この教授たちを中心として、お父様が地方にいる教授たちの所に行って教えるのです。お父様が教える際には、彼らが反対せずに歓迎しなければなりません。このようにすることによって、上は教授たちから、下は村人まで、完全に外的な基盤が一つになる立場に立つようになるのです。

「国際勝共連合」を中心として、カイン圏である国とアベル圏である統一教会が完全に一つになったというときには、政府も統一教会に付いていかなければなりません。このようになれば、世界的見地から、南北統一の運勢圏が私たちに訪れるというのです。

皆さんは、統一教会と勝共連合を中心に完全な国家組織として一つになり、南北統一をしなければなりません。神様の側ですべてのものが一つになれる環境を韓国につくったので、サタン側のカイン圏を吸収しなければなりません。今や、韓国を中心として、アメリカと日本、さらには中国まで連結させることができる垣根を巡らせたのです。

14  お父様が「全国大学教授学生南北統一運動連合(教学統連)」をつくり、教授たちと学生たちを束ねておきました。この時、韓国では学生たちが民主化を求めるデモをして大騒ぎしていました。私たちは彼らを収拾するために時局(に関する)講演をしたのですが、その時、運動圏の大学生たちが民主化を求める勢力と共に私たちに反対し、キリスト教もこれに加勢して反対しました。ですから、教学統連が先頭に立って、大学生と一般国民を教育しなければなりません。最後に私たちが立てなければならない所が、統、班、面、里です。

私たちがその闘いで勝利するか失敗するかという問題は、どこにかかっているのでしょうか。今後、若い二世たちを動員して、一世たちを収拾しなければなりません。これは、イスラエル民族が四十年後にカナンに復帰し、二世たちを中心として国を建てたのと同じです。ですから、二世圏が主動となって建国の歩みをしなければなりません。それが正に大学です。

二世は大学生と中高生です。二十歳前後の青少年たちを糾合しなければならないというのです。二世たちと教授たちが一つにならなければなりません。これは縦的なカインとアベルです。兄弟は横的なカインとアベルです。このようにして、教学統連が縦横に一つにならなければなりません。一つにならなければ、影響を与えられないのです。

15  一九九四年に入り、運動圏の学生たちがデモを起こしているのですが、ここに宗教界が影響を及ぼしています。このような運動圏を、大学原理研究会を中心として収拾しなければなりません。そのようにして長子権復帰をするのです。最近、運動圏の学生たちが原理研究会に協助し、大学でのサークル登録を手伝っています。去る二月にモスクワ、六月に北京で世界平和のための国際大学生指導者セミナーをした時、私が金日成主席を動かし、北朝鮮の大学生たちをそこに参席させて、韓国と北朝鮮の学生たちを会わせました。私がそのようにしてあげたのです。

自分たちがいくら会おうとしても、会うことはできません。南北統一を主導する人はお父様しかいません。これまで、北朝鮮の学生たちと韓国大学総学生会連合の責任者たちが会おうと苦心したにもかからず、会えなかったのですが、私が会わせてあげたのです。このように、統一のための主導的な役事を、お父様が行っています。

今までその基盤を築き、国家を超越して、韓国と北朝鮮を統一できる学生大会を糾合した立場に立ったので、これを後押ししてあげなければならないというのです。それで、全国の二百の大学に原理研究会を再び登録して、共産党以上のブームを起こせる活動をするようになりました。

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第一章  南北統一運動と北朝鮮訪問 第一節   勝共啓蒙運動と「国際勝共連合」 韓民族覚醒のための啓蒙運動 真の父母様は、一九六〇年七月二十日から四十日間、韓国全土の四百十三の地域に、七百人以上の人々を派遣して行った啓蒙運動を皮切りに、国民教育を大々的に展開された。神様の復帰摂理から見れば、世界の中心国家である韓民族の運命は、世界の運命と直結しているため、韓民族に対する啓蒙運動は、世界人類を覚醒させる前哨戦のようなものであった。それゆえ、若者を動員し、韓民族の摂理的使命に目覚めさせる国民運動として、勝共活動を始められたのである。勝共運動は、既存の反共政策が限界に至ったことを認識した土台の上で始まり、共産主義理論の限界と虚構性を論理的に批判し、その代案を提示することにより、国民思想運動として大きな役割を担った。

1   韓民族はかわいそうな民族です。長い歴史路程を経てきましたが、他の民族の前に豪語して進み出られるいかなる内容ももち得なかった民族です。もっているものもなく、誇るものもありません。

しかし、この民族が二十一世紀の新文化時代に、神様が願われる心情を抱き、人類の悲しみと苦痛を抱き締めて身もだえする民族になれば、さらには、神様の悲しみと苦痛を抱いて身もだえする民族になれば、世界を指導し、天の愛を受ける民族となるでしょう。

2   今日、韓民族のことを世界で一番哀れな民族だと言いますが、お父様は韓民族に一番の希望をもっています。民主世界と共産世界が対峙していますが、韓民族は絶対に哀れな民族ではありません。この韓民族に天的な動きがあるとすれば、韓民族は生きるのです。歴史は韓民族の歴史に、世界は韓民族の世界になってしまうでしょう。これは、私の言葉ではありません。分かってみれば、そのようになっているので話すのです。

歴史の背後から付いてこられる神様の解怨成就は、悲しみの路地裏から成し遂げられてきました。そこから喜びの基盤がつくられ、足場ができてきたのです。ですから、韓国は世界で問題になり、全世界のキリスト教の中で問題になるでしょう。これからは、統一教会が世界的な問題として台頭するでしょう。それは、自慢ではありません。よく祈る人は分かるでしょう。霊通した人は、証するのです。しなければ、天上の法に引っ掛かります。ですから、皆さんもしっかりと覚悟しなければなりません。途中でやめてはいけません。私たちの前にいかなる迫害が来ても、問題視しないという信念をもたなければならないのです。私たちが倒れたとしても、天のみ前に立てようとする忠孝の伝統を立てなければなりません。忠男、忠女の伝統、烈男、烈女の伝統、孝子、孝女の伝統さえ立てておけば、統一教会は使命を果たすのです。

3   三千万の民族(韓民族)が神様を知らなかったとしても、神様は韓民族の歴史と共にいらっしゃいました。義の心情を抱き、忠臣の道理を立てるために刑場の露と消えた、ある忠臣がいるとすれば、神様はその人の足跡とその人の心情、またその人が属している民族と共にいらっしゃったのです。

今日の「私」は、負債を負った者です。韓民族は、負債を負った民族の中(でも、より多く)の負債を負った民族です。かわいそうな人を救おうとする神様であり、堕落した子女を抱いて痛哭される父母の心情をもった神様であれば、豊かに一暮らす民族よりも、貧しい民族を見つめながら、より哀れに思われるでしょう。韓民族は、他の民族に誇るものは何もありません。持つべきものを持てませんでした。すべて奪われてしまい、すべて失ってしまいました。

ここで、再び私たちが何かをもつことができるとすれば、私は「血が沸き立ちながらも、行くべき道が分からずにさまよっている青年男女たちの心の中に、イエス様が神様に対して父と呼んだ燃え上がる心情をもたせてください」と願うのです。彼らがそのようになれば、この韓民族を他の民族が支配することはできないでしょう。私たちを哀れに思って御覧になる父の心情の前に、「(天の)お父様!私はこのように活動しました」と進み出る息子、娘が多くいれば、神様はこの世界と主義、思想を新たに生まれ変わらせるでしょう。そのような青年男女、そのような民族がいるとすれば、彼らは世界を支配するのです。

4   神様の願いが私たちの肩にかかっています。私たちは、天の主権を民族と人類と天宙に立てなければなりません。神様は、皆さんが自覚し、勝利の実績を残すことを待ち望んでいらっしゃいます。それはほかでもない、失われた天の民族と国土と主権を回復することです。

韓民族は、自覚することができずに眠っています。自分がどのようになっているのか、国土がどのようになっているのか、主権がどのようになっているのかを知らずにいるのです。私たちは彼らに、失われた民族と国土、主権を天宙に立てなければならないことを悟らせてあげなければなりません。命を懸けて回復させなければなりません。私たちは、天の民族と国土と主権を取り戻すために悔い改め、天の勇士として闘志をもって勇進すべき使命を帯びていることを、自覚しなければならないのです。

お父様も、責任を自覚してからは、寝ても覚めても、食べるときも、ただこれだけのために生活しました。自覚できない韓民族を自覚させる責任を負ったので、自負心をもって進むようにお願いします。

5   この地球上で最も大きな事件が起きたのですが、その事件が正に、共産主義の出現です。これがなぜ大きな事件なのでしょうか。厳然と生きていらっしゃる神様に対して、「死んだ」と言うからです。言い換えれば、共産主義は、神様が厳然と生きていらっしゃるにもかかわらず、「いない」と言うのです。罪の中で最も大きな罪とは、明らかにいるにもかかわらず、「いない」と言うことです。目をらんらんとさせて生きているのに、その人のことを「死んだ」と言えば、怨讐の中の怨讐になるのです。

自分の父母が生きているのに、「父母は死んだ」と言えば、それ以上の不孝はありません。それと同じように、神様が生きていらっしゃるにもかかわらず、「神は死んだ」と言うならば、それ以上の怨讐はないのです。この怨讐の主人公が共産主義です。ですから、共産主義に関するすべてのものを打破してしまわなければなりません。それゆえ、「勝共思想」で思想武装しなければならないというのです。

6   自分が最も愛するものは、自分だけでなく、家族全員が愛し、民族も愛し、さらには、全世界の人類が愛し、天と地、すべての存在が愛するものでなければなりません。それは、自分が愛する息子でもなく、夫婦でもなく、父母でもありません。それは、正に神様です。心情の流れる道筋の根として連ねることができ、誰も動かすことがてきず変更することができず、引き離すことができない、そのような中心的心情の主体である神様だというのです。

神様を愛するときには、民族的な隔たりも、いかなる伝統的な隔たりもありません。民族を超越し、伝統を超越し、環境を超越した立場で、万民が共通に愛し得る主体が神様です。人間が神様と自分との関係を知って、縁を結ぶ立場に進むようになれば、神様を愛さざるを得ないようになっているのです。ですから、神様は一体の場をつくるために、この世界を収拾してきています。それで、まず希望の一点を探し出すために、今まで思想と理念を中心として闘ってきたのです。これが今日、民主と共産の対決にまで至りました。

しかし、この世界は民主主義でも駄目であり、共産主義でも駄目だというのです。この二つは、より優れた一つの理念で糾合されなければなりません。全世界の人類は異口同音に、「一つの理念を追求し、(それを)謳歌できる時代に越えていかなければならない」と言っています。ですから、私たちは、神様と人類を一つにすることを一つの希望として、その途上に立っているのです。

7   今日の世界は、民主世界と共産世界に分かれています。ところが、民主世界が共産世界に追われている状況です。それは、民主主義に共産主義を凌駕できる思想的な内容がないからです。ですから、私たちがこれから、共産主義を凌駕できる主義と思想を立てなければなりません。それが天宙主義です。

天宙主義を中心として共産主義を批判できる道を模索しなければなりません。このことを一九六二年から準備し、一九六五年に始めました。共産主義に勝てる団体は、正に全国で大きく成果を収めている勝共啓蒙団です。

8   私たちは、世界的に拡大している共産主義を打倒するために闘っていかなければなりません。共産主義が世界の三分の一をのみ込み、民主主義の宗主国であるアメリカまで、その組織に引き入れようとしています。ところが、統一教会が、「共産党を打ち倒そう」と言いながら立ち上がって闘っているのです。このような私たちに対して、世の中の人々は関心がありませんでした。しかし、彼らは誤解していたのです。

最近、立場が逆転しました。今や「統一教会の講師でなければ駄目だ」と言って、車で探し回りながら、先を争って講師を連れていこうとしています。彼らは、統一教会が「共産党に勝とう」と言っているので、「勝共啓蒙団」という名前まで付けてくれました。ヤコブには、天使がイスラエルという名前を付けてくれました。ヤコブがそのように勝利したのと同じように、私たちも実権を握っていかなければなりません。共産党を自然屈伏させるのは、私たちでなければならないようになっています。思想的な面で、「統一思想」でなければならないというのです。

9   皆さんは、統一の理念をもって壁を越え、境界線を越えて、三千里半島と三千万の民族(韓民族)の前に進み出なければなりません。道端にいる青年たちであっても、連れてきて「統一理念」で教育しなければなりません。今、韓国の実情は、そのようなことが起きなければならない時です。そうでなければ、滅びるようになるというのです。

そして、この道を行くには、父母の心情をもち、僕の体で、涙は人類のために、汗は地のために、血は天のために注がなければなりません。そのようにしてこそ、皆さんの涙と汗と血の価値を、人類と地と天が分かってくれるのです。

神様は祭物の足場に乗ってこられます。ですから、統一教会の信徒は、個人的な祭物時代を経て、民族的な祭物の責任を果たし、世界的な祭物の道に進んでいかなければなりません。

10  民主世界の主体国であるアメリカを中心とした国々が、「神は死んだ」という内容をもって、一九六七年に世界を大きく騷がせました。歴史上に恨を残す出来事です。「神は死んだ」と言うのですが、三年以内に復活する時が来るというのです。イエス様は三日目に復活しました。死んだので、再び生きる時が必ず来るというのです。

それでは、このような役事(働き)を誰がするのでしょうか。今日の民主世界のキリスト教ではできません。世界的な思想をもった共産主義を凌駕できる理論を、キリスト教は備えることができていません。共産主義を凌駕できる理論をもった統一教会がしなければならないのです。ですから、統一教会は反共思想だけでなく「勝共思想」を掲げてきたのです。「共産党に理論で勝たなければなりません。「共産主義理論は、これこれこのような所が間違っている」と批判するだけでなく、その代案までも提示しなければなりません。

現在、統一教会が「勝共思想」をもって先頭に立っていますが、統一教会はまず、世界に向かって「神様は生きていらっしゃる」と宣布しなければなりません。今日の世界は、神様の運勢がそがれていく、最後の峠道に直面しています。そのような運命の道で、新しい理念を中心として、共産主義の無神論思想を退け、民主世界を神様の側に導いていく使命を、統一教会が果たさなければなりません。

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第八篇 南北統一と世界平和の実現 真の父母様は、人類始祖の堕落によって生じた地上地獄と天上地獄を撤廃し、創造本然の地上・天上天国を創建するため、生涯にわたってすべてのものを捧げられた。実に、その路程は人類が行くべき永遠の典型路程であり、鑑とならざるを得ない。この路程を踏んでいくことにより、地上と霊界で、神様と人類が夢見てきた平和な理想世界が実現されるのである。

真の父母様は、世界平和の実現のためには、無神論を掲げる共産主義勢力の拡大を防がなければならないと考えられ、南北に分かれた韓半島の統一のために、「国際勝共連合」や「南北統一運動国民連合」など、多くの機関を立てられた。

そして、共産主義の心臓部であるモスクワでゴルバチョフ大統領に会い、無神論を捨てて神様の元に再び帰るよう勧告された。続いて、北朝鮮を発ってから四十年以上を経て平壌を訪問し、金日成主席との会談を通して南北交流の扉を開かれた。

特に、真の愛と「頭翼思想」を根幹として南北統一と世界平和のビジョンを提示され、一九八五年八月、スイスのジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー世界大会」で「共産主義の終焉」を宣言し、共産主義と民主主義の理念戦争の幕を下ろすよう導かれた。

真の父母様は、世界平和実現のためには国際的な勝共運動が必要であると考えられ、日本とアメリカなどの地で多くの活動を展開された。特に、南北米の平和のために「南北米統一連合(CAUSA)」と「中南米統合機構(AULA)」を結成し、蒙古斑同族を世界平和運動の中心に立てるため、「蒙古斑同族世界平和連合」を創設された。さらに、世界平和のためには国連が改革されなければならないと考えられ、「世界平和連合」と「世界平和超宗教超国家連合」、「天宙平和連合」などを立てられたのち、宗教を上院とする平和国連のもとに世界が結集しなければならないことを強調された。

また、真の父母様は、実質的に世界を一つに結び得る国際平和高速道路の建設を提案され、日韓海底トンネルとベーリング海峡トンネルの建設のために、各種の国際会議と学術・広報活動などを展開された。そして、国境の撤廃を通して、神様が何よりも願われた「神様のもとの一つの世界」が、この地に実現されると考えられ、地球村を一つに連結し、円満に交流させるために尽力されたのである。

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13 私は、私自身を管理し、天のみ旨を選別していく正当な人生を、日陰のもとで送りました。サタン世界より、もっと日陰である監獄に入っていっても(そのように)暮らしたのです。むしろ監獄が避難所になりました。

私が監獄に入った時、私の父と母がどれほど泣いたか分かりません。私が「勉強をしたら、国を生かす」と言って、父と母が世話をしてくれたのに、学校を卒業してから監獄に入るとはどういうことかというのです。

私は監獄を訪ねていきました。共産世界に入っていって、誰よりも共産主義を分析しました。アメリカの監獄、日本の監獄、韓国の監獄、北朝鮮の監獄をすべて経験したのです。

14 北朝鮮に行って、三度も監獄暮らしをしました。共産主義に対して少しの未練ももたせないための天の作戦であり、共産圏内にあるキリスト教に関心をもたせなようにしようとする神様の作戦でした。共産圏内にある教会も信じることができないように、すべて切ってしまう作戦であり、その国も信じられないように切ってしまう作戦でした。一切を否定させるための作戦だったのです。韓国で反対を受けさせるのも、アメリカで反対を受けさせるのも「未練をもってはいけない」ということです。すべて切ってしまうのです。

今やすべての峠を越え、過ぎし日を振り返ってみれば、これはすべて、天がより貴いものを与えるための作戦だったのです。より大きいもの、より貴重なもの、より無限なものを与え、祝福の道を開拓するための神様の祝福だったというのです。ですから、今後は、定着したものを誰も占領できません。それこそ、このような受難の道を通して、サタンが占領していたすべてのものを完全に取り戻し、引き渡そうとする天の愛だったというのです。

15 今まで、私は、迫害を受けるのが好きで、このことをしたのではありません。悪口を言われるのが好きで、このことをしたのではありません。嫌ですが、嫌な味よりもっと良い味があるので、このことをしてきたのです。霊界に一度行ってみれば、どこの誰に対しても羨む必要のない味があるので、このことをするのです。このみ旨の味を知り、この世界を捧で打てば粉々になってすべて砕けるという実感が湧くので、このことをするのです。

皆さんは、お父様が生来、体が鋼鉄のように丈夫で、健康だからそのようなことをするのだと思うかもしれませんが、そうではありません。嫌なことをどうしてするのですか。一年、二年だけしてみなさいというのです。死んでしまうでしょう。それを良いものと思うから耐えられるのであって、疲れてやりきれないと思えば耐えられません。これを全うすれば、素晴らしい何かがあるので、このことができるのです。

16 神様は、私を愛していらっしゃいます。それを、私はよく知っています。しかし、私は生涯を捧げて神様を信じてきましたが、神様のみ前に抗議したいと思う時が一度や二度ではありませんでした。私が死地に入ると、神様は「知らない」とおっしゃるのです。

しかし、分かってみれば、「知らない」と言う父母の心は、どれほど胸が痛むだろうかというのです。助けてあげられるのなら、手足をおとなしく縛られたままにしておくのではなく、動いて千回でも、万回でも助けてあげたいでしょう。しかし、そのようにしてしまっては、統一教会の文という人が行く運命的な道を解決できないので、神様はそのような場で、第三者の立場に立たざるを得なかったのです。

17 私が道を歩む中で孤独なときに、神様が私を呼んで、「誰々よ、私がいるではないか」と言って勧告してくださったことを思い出します。そうすると、孤独な立場が問題ではありません。「私一人だと思ったのに、あなたが私と共にいらっしゃるのですね」と言って、力強く歩いていくのです。

ある時は、道を行く乞食を見ながら、「あの乞食が、私を訪ねてきた(天の)お父様の姿であればどうするか」と思って、痛哭に痛哭を重ねたこともあります。このような心をもって、どんなにみすぼらしい服を着た乞食だとしても、その手を取って人知れず痛哭できる皆さんにならなければなりません。私はそのような立場を何度も経てきました。

苦痛の中に一人いる孤独な立場で、「お父様は薄情な方でもあられるな。お父様は無慈悲な方でもあられるな。責任だけ任せておいて面倒は見てくださらない」と考えることもあました。ところが、そのたびに神様は、「誰々よ、お前が乞食を抱きかかえているとき、私が共にいた。誰々よ、お前が塗炭の苦しみの中で哀れな人と共に涙を流しているとき、私が共にいた」とおっしゃいました。

ですから、この道を行かずにいられますか。それで、イエス様も、「空腹のときに食べさせ、かわいたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し」(マタイ二五・三五)、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ二五・四〇)とおっしゃったのです。

18 神様の戦法は、打たれながら奪ってくるというものです。サタンは先に打って滅ぶのです。第一次世界大戦の時も打った側が滅び、第二次世界大戦の時も打った側が滅びました。第三次世界大戦は思想戦ですが、共産主義が世界を打っています。

ここで私は、最も代表的に打たれています。大韓民国が私に反対し、アメリカが私に反対しました。また、日本が私に反対し、中国が私に反対し、世界が一つになって私に反対しましたが、反対した悪なる世界の福を引き継いでくるのです。悪魔は、天地のすべての福を引き継ぐことができません。「終わりの日」になって、サタンはこの福を真の人に引き継いであげなければならないのです。

19 お父様は、神様のみ旨を疑つたことがありません。さらに、神秘的な未開拓の地を知りたいという気持ちで訓練しなければ、その時まで知っていたすべての基盤が流れていってしまうのです。次元の高い基盤を相続するためには、必ずその基盤に相当する蕩減を払わなければなりません。ですから、迫害を受けるようになるのです。

しかし、その迫害は悪いものではありません。それは、自分を完成させてくれるためのものです。ですから、監獄に行くことが問題ではなく、生死が問題ではありません。そのように生きて死ぬようになれば、霊界で何十倍、何百倍貴い所に行くことを知っているので、何の不平も言う必要がないのです。

20 監獄に入っていき、むち打たれて血を吐きながら倒れる時にも、神様のみ前に自分自身を心配する祈りはしませんでした。「お父様、私は、昔の預言者たちやイエス様と違います」と、心の中で誓いながら耐えてきました。「神様、私を助けてください」というような、つまらなくて男らしくない、弱々しい祈りはしませんでした。ただ神様のためにだけ祈り、それ以外には祈らなかったというのです。

神様が期待と希望をかけているのに、囹圄(牢獄・獄舎)の身になったと言って泣き顔で「助けてください」と祈ることはできません。日本統治下で、日本人たちに追われ、北朝鮮でも共産党に追われ、民主世界でも追われました。しかし、追われたとしても、世界に進んでいくのです。いくら迫害して追い立てても、行くのです。

21 イエス様は十字架を前にしてオリーブ山で祈るとき、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言いました。私の思いというのがどこにあるでしょうか。(弟子たちは眠りました。)このことでサタンに引っ掛かったのです。イエス様の思いと神様のみ意が一つにならなかったというのです。

そのことを知っていたので、拷問を受けて血を吐く場でも、「私はイエス様と違います。私の血は神様のみ意のためのものです」と言いました。神様のために血を根こそぎ捧げようと考えたのです。

私は困難なことがあっても祈りません。天が知っているのに、「神様、私を助けてください!」と祈ることはできません。全体が生きることができる方向を、私の体で教示するのです。そのような目標を中心として、今まで絶対信仰、絶対愛をもって歩んできました。一生の間、血の涙が流れる谷間を越えながら、神様を愛し、一体の心を抱いて進むのです。

22 お父様は一人です。夜の灯台のようなことをしています。夜、船に乗っていく人には灯台が貴重ですが、昼は、誰も灯台を重要視しません。灯台守を好む人はいません。その灯台守の役割をするのです。昼には分かりません。ですから、どのようにして灯台を昼間の太陽に変えるかというのです。それが蕩減復帰です。人間を中心として光を放ち、永遠に、神様の本然の太陽のように変えてしまおうというのです。灯台を太陽に変えなければならないのですから、それがどれほど難しいでしょうか。そのようなことを考えてきたのです。

監獄に入っていても、「第二の監獄はどこだ。第三の監獄はどこだ」と考えながら歩んできました。第六の監獄に行きながら、第七の監獄まで考えた人です。ソ連と中国の監獄に向かっていくべき道が残りました。それを準備していましたが、神様が守ってくださいました。その代わりに、死ぬ前に監獄以上の国を訪ねていくのです。ですから、ソ連に行きました。ソ連に行く時も、周囲から「どうか行かないでほしい」と反対を受けました。夜の監獄を解消するために、昼の監獄を訪ねていくのです。私が監獄に行き、私によって助けになったならば、昼になるのです。

23 お父様は今まで、一生の間、迫害を受けて追われましたが、滅びませんでした。本質的方向があるからです。自分を中心としてこのようにしたのではありません。より善なる人のために、より善なる位置のために、より未来に近づくことができる事情を標準としてそれを主張し、それを中心としてそこに合うように教育し、そこに合うように生きようとしてみたところ、迫害は受けるのですが、天地すべてがお父様を擁護するのです。

男性なら男性が行くべき道、家庭なら家庭が行くべき天理原則があります。その原則に一〇〇パーセント符合するときには、天地がすべて協助するようになっているのであって、破綻させることはできません。破綻させれば、天地のすべてが壊れていきます。この自然のあらゆる原則基準が混乱し、崩壊してしまうのです。

24 天国に入るためには、完成したアダムの位置、天使長が最後まで保護できる祝福の位置に立たなければなりません。そのような原理基準があるので、サタンの讒訴を越えて、怨讐を愛したという条件を立てなければ、天国に入れないのです。怨讐を愛さなければ、行くことができません。私も一生の間、このことをするのです。

ダンベリー刑務所に入っても、そのことをしました。私がダンベリーに入る時、アメリカの朝野で歓呼しましたが、私はダンベリーで彼らを愛しました。本然の愛をもって愛したので、サタン世界は頭を上げることができません。それを克服していきました。そこから新しい世界が開かれるのです。

25 世界各国が方向を失ったとき、お父様が中心になって、昼夜なく行くべき方向を開拓してきました。お父様が蕩減の道を経てくる時には、自分という意識がありませんでした。イエス様も十字架に釘打たれたとき、自分という意識がありませんでした。イエス様はローマ兵士らについて、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)と祈ったのです。そのようにして、未来にローマを占領できる条件を立てたのです。お父様も同じです。

日本の監獄、北朝鮮の監獄、韓国の監獄、アメリカの監獄まですべて通過してきましたが、そのたびに忘れなかったのは、愛の綱を切ってはいけないということでした。獄中にまでも、愛の綱を引き入れたのです。電線はどこを通ろとも、それを連結すれば、発電所の電気が切れない限り、電気がつくようになっています。神様の愛の電気も、電線さえ連結されていれば、どこでも電気がつくようになっているというのです。皆さんもそこに連結されれば、その電気によって復活すると同時に、新しい生命を得ることができます。

このように、はっきりとした希望の道があるというのです。それが私たちの幸福です。そうして、十字架の道を笑って越えていく立派な人間になるとき、サタンは後ろを振り返ることもなく、逃げ出していくというのです。このような人になるとき、復帰完成という結論が出てくるのです。

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14  霊界にいるキリスト教の霊たちが、イエス様を中心として地上に降りてきて協助しようとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。地上に存在するキリスト教が統一教会に反対するところでは協助できません。祭物を捧げた団体を通して、地上世界で横的に発展していくところに協助するのです。

今まで、霊界に行っているすべての霊たちと、真の父母の血族が霊界に行って、直接的に関係を結んだことがありませんでした。そして、霊人たちの願いは、真の父母と心情的絆を地上で結ぶことです。それができないので、地上にいた真の父母の息子を送れば、霊界に行ったその息子と関係を結ぶことによって、興進君を通して地上に降りてきて、キリスト教を協助し、消化する運動に協助できるというのです。それによって、イエス様を中心としてキリスト教の霊界が地上に再臨し、霊界全体が再臨できる環境が広がっていくのです。

文興進様の祝福結婚と霊界の総司令官 真の父母様は、一九八四年二月二十日、アメリカ、ニューヨークのべルベディア修練所で、文興進様と朴薰淑様の祝福結婚式を挙行された。聖和五十日目に開かれた文興進様の聖婚式により、天上と地上が一つになる契機が整った。真の父母様は、統一式と「愛勝日」の基盤の上に、文興進様に祝福結婚と養子を約束され、この土台の上で、霊界を解放するための真の愛の全権大使であり総司令官であると祝福してくださった。

15  イエス様は三十代で亡くなりましたが、興進君は十七歳で逝きました。それは、世界史的な原理結果主管圏が直接主管圏に連結される条件になります。父母様の愛を神様の愛の代わりに受けられる位置にいるというのです。ですから、サタンの干渉圏を越えるのです。

もちろん、天使長の保護も、保護ではありますが、原理結果主管圏内にいても、真の父母の保護のもとにあるというのです。そのため、地上で結婚させてあげられるのです。イエス様は、地上の真の父母の基準に通じる道を願います。地上では真の父母の基準の上でその蕩減条件を立て、復活する時にも真の父母の愛の圏内で復活するので、サタンの干渉を受けないというのです。それを地上に連結し、五十日目に祝福してあげたことは、驚くべき事実です。二千年後にイエス様が来て、成し遂げようとしたすべてのことを、一度にすべて成就したというのです。それは、第二アダムが原理圏内で祝福を受けたことを意味し、第一アダムが未完成だった基準を中心として、完成基準を立てたことを意味します。アダムが堕落する時は、長成期完成級ですが、これは、完成級の真の父母と直接連結される時なので、直接主管圏に入っていくというのです。ですから、今や霊界は、自動的に順応する時代に入るようになります。

16  一九八四年二月二十日は、興進君の聖和後、五十日になる日ですが、これはイエス様の当時の五旬節と同じです。百二十人がマルコの家の屋上の間(屋根裏部屋)で聖霊降臨とともに火を受け、世界的役事が起きたのと同じように、きょう興進君と薰淑さんが結婚することによって、百二十ヵ国の王たちがこの地に来て復活し、世界的役事を展開できる運動が起きると見るのです。

これは五旬節を代表したものです。霊界にある百二十の王権が臨むことができ、地上と一つになるのです。そうして、百二十ヵ国の中で、父母様に侍ることのできる一つの国さえできれば、そこから天国が開門されるのです。

17  興進君の新婦である薰淑さんが、一人で暮らしても神様のために忠誠を尽くし、真の父母のために精誠を捧げる孝女、孝婦となる立場に立つとき、祝福を受けた家庭は、三年路程や七年路程に対して不平を言える条件がなくなるのです。皆さんがサタンの讒訴条件を抜け出せる一つの起源と伝統が地上に現れるということです。これが、皆さんにとって最もうれしい知らせです。

皆さんが地上で相対をもっているのに、不平を言うことができるかというのです。サタンが讒訴できない基準を、私が皆さんにプレゼントとして与えるのです。皆さんが霊的に薫淑さんと一つになる時、サタンは皆さんの家庭を侵犯できなくなります。ですから、薰淑さんに代わって生き、興進君に代わって生きるという思想をもてば、サタンを除去できる途方もないことが起きるというのです。それで、祝福家庭に対して、三年路程に出発しなさいと厳命を下しました。

18  興進君の結婚式の日であるきょう、三年路程に出発しなさいという厳命を受けた祝福家庭は、夫と妻が今晩、互いに手を取り合って悔い改め、あすから新しい道を行かなければなりません。

ここで重要なことは、第一に、興進君に新婦がいなければ王国圏が成立しないということであり、第二に、霊界は天使世界と同じ立場にあるので、王権をもったその王と民がアダム世界である地上に来て、サタンの組織を奪い返し、天の国の王国圏を相続しておかなければならないということです。天使世界に相当するその天使たちが、アダムとエバが堕落する前に保護、育成していたのと同じその原理原則に従って、この地上世界を保護、育成しなければならないからです。

ですから、神様と神様に侍る天使たちが、神様に反対する天使たちを追放するのです。私たちが占領し、私たちが操ることのできる、真の父母の愛を中心とした原理結果主管圏だと主張できる時になったので、これが可能なのです。

その次に、第三は、皆さんに福をもたらすことができる灯台ができたということです。そうして、真の愛の橋になるのです。薰淑さんと興進君を中心として、真の愛の橋が架かったのです。ですからもはやサタンは干渉できません。それが原理観です。

19  心情圏を中心としてイエス様と興進君を見るとき、興進君が兄です。霊界に先に行ったイエス様は、長子の立場にいますが、その権限を次子に渡して、心情圏の基盤の上で真の父母の愛を中心とした本然の基準と通じなければなりません。そのようにしなければ、天国に入っていける門に連結されないのです。楽園の門が天国と通じる道が現れないというのです。ですから、五十日目に興進君と蒸淑さんの結婚式を地上でしてあげて、地上に往来できる立場に立てたのです。結婚させて地上と連結させました。

20  興進君を祝福してあげることによって、その相対が地上に残っているので、地上と天の国に愛の橋梁が架かり、イエス様が来て父母様の家庭と統一教会に協助できるようになりました。この道を開いてあげたので、イエス様を中心としたキリスト教は、地上の統一教会と一つにならなければなりません。

ですから、キリスト教を信じて先に逝った霊人たちは、天を協助する天使長のような立場で、地上の再創造過程を経るアダムとエバを協助するのです。天使長がアダムとエバを協助しなければならない道理に従って、統一教会とキリスト教が連合運動をするところに協助するというのです。そのため、地上の連結とともに天上の連結、心情圏の統一が起きることにより、今までキリスト教をよく信じて逝ったすべてのキリスト教の先君、先王が、霊界で各国家と区別されていたのが、すべて連結されるようになったのです。

神様の愛の心情圏を中心として国家を超越し、一つの統一圏を形成するという目的達成のために跳躍することが不可能だったのですが、今や、地上の心情圏と天上の心情圏を連結して統一圏を設定することによって、相対圏を形成できる恵沢の時代に入っていくというのです。それは、興進君と薰淑さんを結婚させたからです。

21  今まで来ては逝った統一教会の協会長や他の人々は、教会基準であって、国家や世界を蕩減する基準にはなれませんでした。しかし、興進君の場合は違います。国家的次元です。ですから、天の国の名分を身代わりできる司令官、霊的世界の主体が現れるというのです。地上と霊界を連結できる主体が現れるというのです。

結婚した人ではできません。結婚しなかったので可能なのです。霊界の人々は、まだ結婚していません。私はこのようなことを知っているので、今回、興進君に、「君に養子を選んであげよう」と約束しました。国家的基準で養子を選んであげることができるのです。

養子を設定してあげるというのは、理想相対を備えた父母と同じだということです。ですから、霊界は、未婚の女性と男性のように、結婚したいと思う人々が暮らす所ですが、結婚していない人々が暮らすその霊界の司令官になり、中心になるのです。

統一家では、世界のすべての運勢を集めて祭物的な立場で捧げるようになりました。ですから、興進君を愛さなければなりません。

22  興進君が霊界に行く前の一九八三年十二月三十日(現地時間)、統一式を終えてから祈祷をして、「君は地上を離れても、地上にいるのと同じように、君に養子を選んであげ、息子の隊列に同参させてあげよう」と約束しました。そのためには、地上で祝福をしてあげなければなりません。そのようにしなければ、そのことは不可能なのです。

神様は地上世界を救うためにメシヤを送りましたが、真の父母は霊界、霊的世界を救うために、父母様の代わりに全権大使として愛の王子を送りました。イエス様もその位置に行けませんでした。しかし、神様が、歴史始まって以来初めて、「私の息子」と言って愛することができる十代(の人)をもったというのです

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6   私は、興進君の車の事故が起きた現場を見に行きました。丘の道からトラックが下ってくる途中でブレーキを踏んだのですが、車がくるっと回ったのです。くるっと回ったので、直線で止まったのではなく、斜めに道を塞いだというのです。そして、興進君の車は右側を走っていて、興進君は左側で運転していました。運転する人は、自律神経の自動的な反応によって、瞬間的に危険を避けようとハンドルを切るのが原則なのですが、そのようには切らずに、車が斜めになっていたというのです。運転していて、なぜ反対にハンドルを切ったのかというのです。反対に切って、正面から突っ込んでいったのです。

それは、興進君が、一緒に乗った祝福二世の兄弟を愛していたからです。「あの兄弟たちには父親がいない」と言って、本当に愛したのです。夜、勉強する際にも、冷蔵庫から食べる物を探してきては一緒に食べたりしました。そのように愛したのです。「父親がいないから、私が愛さなければならない」と言っていました。その兄弟を意識して、ハンドルを反対に切ったのです。それで、興進君が代わりに犠牲になったというのです。私はそれを見て本当に感謝しました。

7   イエス様が十字架で亡くなる時、右の強盗と左の強盗がいました。それは、民主世界と共産世界です。共産主義は「神はいない」と言い、民主主義は「いる」と言います。今回、車の事故が起きて興進君が死にましたが、一緒に乗っていた二人の子供は助かりました。興進君は、本当に良いことをして逝ったのです。

いくらでも車を回すことはできたのですが、なぜ興進君は車を自分の側がぶつかるようにしたのかというのです。それが問題です。トラックの角にぶつかったのです。同乗していた二人は、「自分たちを意識してハンドルをそのように切った」と言いました。民主世界と共産世界を代表する犠牲の祭物として逝ったという理論的根拠を、ここで知ることができます。車に乗っていたその二人は、民主世界と共産世界を代表する、イエス様の右の強盗と左の強盗のような立場ですが、興進君は彼らの身代わりになって逝ったというのです。

イエス様の時代にはすべて死んでいきましたが、お父様の時代には興進君一人が祭物になったため、二人は助かり、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。

8   興進君は、国家的蕩減基盤の上で、自由世界と共産世界のために犠牲になりました。国家的基盤で共産世界と民主世界、この二つの世界を連結したのです。アメリカで事故が起きましたが、埋葬されるのは韓国でした。体は祖国に帰ってきて埋葬されたのです。それによって、興進君は、国家的基盤を築いた真の父母の勝利的基盤の上に立ったので、国家的な次元でいつでも霊界にいることができ、地上にも定着できる霊的基盤が与えられるのです。

イエス様が国家基盤を完成できなかったことを蕩減復帰すると同時に、イエス様自身が地上の国を訪ねてこられる基盤が、興進君によって連結されるというのです

9   お父様が最高裁判所で法廷闘争をするのは、イエス様が十字架にかかるのと同じです。しかし、今は十字架にかかって死ぬのではなく、十字架を背負って進む時です。イエス様の時代には、イエス様に反対してユダヤ教が砕けていき、ローマも砕けていきましたが、今は法廷闘争を中心として、キリスト教とアメリカがお父様と直接衝突するのではなく、一つになったので、イエス様の時代に失敗したことを蕩減復帰した時代に入ってきたのです

なぜ興進君が蕩減条件に引っ掛かったのかが問題です。父母様が十字架を背負っている時ですから、興進君も自動的にその圏内にいるというのです。神様とイエス様の立場を見ると、神様は父であり、イエス様は息子です。神様が十字架を背負っていくのではなく、息子が十字架を背負わなければなりません。

このような時代に、神様の代身の立場が父母様であり、興進君がイエス様の立場なので、息子であるイエス様が世界的な十字架を背負わなければならない蕩減的内容とぴったり一致しているというのです。

イエス様をサタンが打ったあとに神様が復活させたのと同じように、興進君をサタンが打ったあと、世界史的な内容として父母様が復活させたのです。ですから、イエス様は亡くなって霊的な門を開きましたが、興進君は肉的な門まで開きました。

イエス様の時代の五旬節の時と同じように、今は世界的な新しい霊肉を合わせた五旬節の時代だというのです。蕩減復帰です。キリスト教が反対したために失敗したことを、蕩減しなければなりません。イエス様が五旬節に聖霊と共に再臨し、百二十門徒と共に二千年間、キリスト教を中心としたキリスト教文化圏をつくって再臨主のみ前に奉献したならば、五旬節は必要ないというのです。ところが、反対したので、すべてが崩れたのです。

「愛勝日」宣布 真の父母様は、一九八四年一月三日午前四時、アメリカ、ニューヨークのべルベディア修練所で、文興進様が聖和された一月二日を「愛勝日」として宣布された。文興進様が祭物路程を行くことにより、死亡圏に勝つようになったことはもちろん、今までサタンが支配していた愛を神様が主管できる新しい出発の基準が立ったため、「愛勝日」と命名されたのである。

10  父母様が共産世界と民主世界の頂点で、興進君に責任をもち、一九八三年十二月三十日(現地時間)に病院を訪問して統一式をしてあげました。その場は、並大抵の深刻さではありません。誰よりも愛した立派な息子が突然、霊界に逝くのですが、涙を流すことはできません。統一式をしてあげたあと、葬儀を執り行う三日間にも、涙を流せないのです。その期間に「愛勝日」、(愛が)死に勝ったという式をしたのですが、父母様がそこで悲しんではいけないのです。

アダムとエバが誤ることによって死亡の谷間と死亡の地獄、天上世界の地獄と地上世界の地獄をつくり、神様と人間を分け隔てたこの峠を切り開くのです。その頂点に立ち、整備して息子を捧げました。ですから、どれほど深刻でしょうか。時間を遅らせることができるならば遅らせたいのが父母の心ですが、既に起きたことなので、そのようなときは、ためらうことなく、父母として天のみ前に喜びの心をもって送ろうというのです。お母様にも、「涙を流したら大変なことになる」と言いながら、「涙を流してはいけない」と言いました。そのように韓国で聖和式を行い、送り出してから、父母として涙を流したのです。すべて送り出してから、その行く道に対して祝賀の涙を流したというのです。

11  皆さんが自分の生命より以上に父母様を愛する限り、サタンはこれ以上侵犯できません。興進君が、皆さんに代わって逝ったからです。その上で、興進君以上に父母様を愛する皆さんになれば、サタンは身動きできないのです。今までサタンが愛を支配しましたが、これからは、神様が愛を支配するというのです。ですから、そのような基準で天と一つになり、「愛勝日」を宣布しました。

今や、皆さんが活動することに比例して、サタン世界が早く崩れ落ちていきます。ですから、「愛勝日」を中心として三年間は昼夜なく走らなければなりません。昼夜なく走りなさいというのです。そうして、興進君が昼夜なく、休むことなく民主世界の若者たちと共産世界の若者たち、霊界のあらゆる先輩、後輩たちを動員して活動しているので、それに負けないように活動しなければなりません。そのような決意をしなければなりません。

「愛勝日」が出てくることによって、カインがアベルを歓迎できる時になりました。昔は、愛すれば蕩減を受けなければならなかったのですが、今は、愛すれば福を受けるというのです。昔は、カインがアベルを愛すると、サタンに命を奪われて苦労しましたが、今ではもう、そのような時は過ぎ去りました。神様が福を下さる時が来たというのです。

12  一九八四年一月三日、「愛勝日」を設定してあげることにより、原理結果主管圏と直接主管圏内で、サタンの愛によって塞がっていたものを取り除いてしまいました。そのように取り除いてしまい、神様の愛をもつようになれば、地獄でもどこでも、境界線がなくなるのです。どん底まで思いどおりに降りていけます。そのようにして、上がってこなければなりません。天の世界の人に、サタン世界の人が屈服するようになっているからです。ですから、「愛勝日」です。

天の愛が過去・現在・未来圏まで身代わりして、サタン世界の死亡圏を取り去り、一掃してしまわなければなりません。そのようにしてこそ、それが勝利したことになるのです。「愛勝日」です。その場は、祭物になった息子を前にして、その息子に対して悲しい思いを抱いてはいけない難しい場です。その道を行かなければなりません。ですから、責任者たちは、興進君のようにしなさいというのです。皆さんが興進君のように仕事をしなければなりません。興進君はお父様に似ているといいます。神様が今に至るまで休んでいないように、お父様には二十四時間、復帰の一念以外はありません。実践しなければなりません。きれいに整備しなければならないというのです。興進君のようにしなければなりません。

13  あの国(霊界)では、興進君が愛の主体になっています。これは直接主管圏内です。堕落圏内を抜け出して逝ったので、神様が「私の息子である。サタン世界を越えた私の息子である」と言って愛することができる息子だというのです。ですから、お父様が幼かった時に愛せなかった歴史も蕩減するのです。

神様が興進君を愛するのは、真の父母を愛することなのです。今まで愛せなかったことに対しても、愛したという条件を立てることによって、すべてのことが解けて越えていくというのです。ですから、イエス様を解放し、お父様が過去に神様の愛を受けられなかったこと、完成級の位置で愛を受けられなかったことを、解怨成就できる基準になるのです。

イエス様が三十三歳で亡くなったので、三十三歳以下の若者たちは、イエス様の恵沢を受けられずに霊界に行きましたが、興進君が行くことによって、十代圏全体が愛の圏内に入っていけるようになるのです。十代圏が長成期完成級に連結されたので、原理結果主管圏がサタン圏の干渉から抜け出す時代に入ってきたというのです。

長成期完成級が、アダムとエバが堕落した年齢ですが、それを連結させることにより、十代はもちろん、幼かった時から、堕落していない圏内に越えていくようになるのです。それを蕩減してあげたのです。原理結果主管圏内にいるサタンが地上で権限を行使できず、後退する時代に入ってきたということです。

原理的に見るとき、真の父母様の息子をサタンに引き渡す条件はありません。犠牲になってはいけないのです。同じように、神様の息子であるイエス様を渡す必要はなかったのです。しかし、イスラエルの国とローマとユダヤ教を救うために、引き渡したのです。このように、父母様が興進君をサタンに渡さなければならない何の条件もありませんが、キリスト教、自由世界、全世界のために、興進君を渡したのです。

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17 お父様には世界のために行く道が残っています。アメリカのほかに、行く道がまだあるのです。それでは、アメリカはどのようになるでしょうか。皆さんが公判廷に立って、お父様以上に犠牲になって働こうという決意を固めなければ、アメリカの行く道、アメリカの将来が暗澹としたものになるというのです。

この国がお父様とこのように向き合うのであれば、どのようにして世界の国家の前に立つのでしょうか。既に傷を負っています。公義の天理はそのように教えるのだと、お父様は教えました。お父様に責任がないというのではありません。責任を負っているので、このようなことを言うのです。皆さんがこのような荷を負わなければならないことを知るとき、皆さんに対する思いはもつと深刻になります。子女たちの将来を祝福しようとするのが父母の心です。公義の道は、そのような法度の道です。ですから、法度の道を踏んでいくべ道が残っているというのです。

18 公義の天理を皆さんが引き継いで、お父様と共に監獄生活をするという思いをもち世界がか歓迎する時まで行こうと考えてください。脱税容疑でアメリカの法廷で闘争する期間は深刻でした。「私はこのように行く」と決めて出発したのです。私は悪意をもってアメリカを呪ったことはなく、アメリカの検事と判事を呪ったこともありません。

私は、神様のみ前に行っても堂々としています。アメリカの善なる先祖たちの前で堂々としているというのです。彼らは私の味方です。これからの子孫たちはお父様の味方です。その時、自分の子孫たちが知れば、どのようになりますか。ですから、善なる人、義人が行く道は決まっていますが、悪人が行く道は定まっていません。悪人は、いつでも滅亡するのです。

19 キリスト教がローマにおいて四百年で蕩減したことと、ヤコブから今までのユダヤ教を中心とした四千年間の蕩減路程を、お父様が四十年で帰結させようというのです。イエス様の三年路程の期間に該当するのが、この三年間の法廷闘争を中心とした総攻撃時代です。逆さまに蕩減するのです。蕩減路程は、逆さまになるというのです。ユダヤ教の時代を蕩減できるキリスト教が、父母様を迎えた今、この時がそうです。お父様がアメリカの法廷で闘争する三年間は、イエス様が世界的舞台でローマと闘って築かなければならなかった勝利基盤を、(再臨の)メシヤとしての三年路程において民主、自由世界で築く期間に該当します。今が勝利によって越えていく時だというのです。

その期間にイエス様が十字架に打ち付けられたように、お父様がアメリカに来て十字架に打ち付けられるのです。打ち付けられる出来事が法廷闘争です。

ですから、第一次ニューヨーク地方裁判所を経て、第二次ニューヨーク連邦高等裁判所まで行ったのは、イエス様が死んで生き返ったのと同じです。主審判事は私の味方でしたが、副審判事二人が反対したのです。それは、長成時代に該当します。第三次の連邦最高裁判所を中心として闘うときは、世論が動いて、「先生を釈放しなければならない」と主張しました。世界的基準で自由世界全体が完全に一つになり、キリスト教全体が一つになるのです。お父様が十字架を背負う場で、アメリカ国民と自由世界、キリスト教が一つになり、右側の強盗のようにお父様を支持したのです。

20 アメリカが反対していますが、お父様はアメリカを越えて、アメリカ(が願うこと)以上の願いをもって歩んでいます。きのうよりもあすが大きく、あすよりも一年後がもっと大きいでしょう。神様の願いである、世界人類が一つになる道を整えることができるとすれば、その道を選んで行こうとするのが、お父様の思想です。最高裁判所の判決が下りたとき、「神様!次は何を下さろうとするのですか」と言ったのですが、キリスト教が統一教会のもとに帰ってきたというのです。今回、法廷闘争で監獄に行くことにより、これから受け継ぐことになる大きな祝福は何かというのです。世界人類が、お父様の側に回ってくるでしょう。

私が行く道には、世の中にない統一された家庭が付いてきており、統一された民族と統一された国、統一された世界が付いてきています。ですから、この峠を越えて立つとき、その場では、統一された世界の群れが私を待っているというのです。

私が行くこの道は、希望の道だと思います。それゆえ、お父様は十字架の道を希望と歓喜の道として行こうと思うのです。きょうという日があるがゆえに、統一の伝統が父母様から息子、娘、祝福家庭、キリスト教、アメリカ、世界へと列を成して連結されるという事実を、私は知っています。これは、次第に大きくなるでしょう。

そのように素晴らしい道を出発しているこの日に、皆さんが涙でお父様を見送るということを、私は望んでいません。

涙を流すなら、お父様以上に十倍、百倍、この国とこの世界のために涙を流しなさいというのです。心が痛み、悲しいというなら、私が出てくる時に、千人を一つにし、一万人を一つにすることのできる統一の役軍(担い手)にならなければなりません。

21 み旨の道を歩みながら監獄生活をたくさんしましたが、私の生命が絶えない限り感謝して行こうという立場で歩んできました。ですから、それを喜びとして迎え、その結果は天のみ前に委ねるのです。私は死ぬしかないとしても、み旨を立てられた神様のかわいそうな立場を考えるのです。そうして、私にこのような苦痛を与えて峠を越えさせ、かわいそうな神様の摂理を継承するようにさせたと考えるのです。

今の時も同じです。この世界、精神世界が、お父様を中心として一つに統合されていくこの時に有終の美を飾るためには、犠牲を覚悟していかなければならないというのです。そのような伝統の道が残っていることを知らなければなりません。

第二節 文興進様の聖和と「愛勝日」の宣布 祭物として逝った文興進様 真の父母様は、一九八三年十二月十四日から二十三日まで、北朝鮮の赤化統一の野心を退けるために、韓国の八大都市で勝共決起大会を主管された。当時、真の父母様を暗殺しようとする群れが、最後の大会の場である光州に派遣されたという情報により、緊張が高まる中で行われた講演の時間に、次男である文興進様がアメリカで交通事故に遭い、一九八四年一月二日、聖和された。キリスト教国家が反対し、共産主義の脅威が増大する状況で、真の父母様に代わって蕩減の祭物になられたのである。

1 一九八三年十二月、韓国で、全国八大都市勝共決起大会を通して、全国民を完全に一つにする運動を行いました。また、世界とキリスト教を代表する七十二ヵ国の「世界平和教授アカデミー」の代表たちを集めて一つにしました。そのようにして、全国を完全に席巻したのです。サタンと激戦を繰り広げました。ですから、韓国全体がお父様の運動によって完全に沸き立ってしまいました。このようにしてサタンを治めようというのです。

その時、父母様の家庭は混乱時代でした。父母様の家庭が全世界を代表し、家庭的攻撃を受ける時だったのです。ところが、サタンはお父様を直接、攻撃できそうにないので、興進君を攻撃したのです。最後の光州勝共決起大会で講演する時間に、興進君の自動車事故が起きました。

2 私が一九八三年の十二月に韓国へ行くことに、アメリカも関心をもち、日本も関心をもっていました。三ヵ国が一つの方向に引っ張られたのです。

サタンがお父様をいくら侵犯したくても、蕩減条件を立てて越えたので、お父様が勝ったのです。民主世界が統一教会に反対しましたが、その反対する人たちに対して私が蕩減条件を立てて勝ちました。しかし、お父様の子女はまだ皆さんの代表の立場なのです。それで、興進君がそこで相対になったというのです。

サタンはいつも、最後にたたきます。全国八大都市勝共決起大会が成功裏に終わるその時間に、興進君の自動車事故が起きました。最後の光州大会の時、お父様が講演をするその時間です。十一時に始まるのに、十時には会場がぎっしり埋まってしまいました。お父様に危害を加えようとする工作員が活動できないよう、超満員になってしまったのです。動くこともできないほど、ぎっしりと埋め尽くされていました。工作員たちを自然に防ぐ、良い環境になったのです。ですから、サタンは仕方なく、お父様が最も愛する息子を連れていったのです。

3 お父様が韓国に帰ってきて勝共決起大会をするのですが、最後に残った所が光州でした。その時、霊通する人々は、お父様に対して「光州には行ってはいけない」と言いました。共産党がすべて集まり、お父様を隅に追い込んで一気に捕まえようとしているので、行ってはいけないというのです。「行ってはいけない」と言われて、行くのをやめるでしょうか。公的な人は、命を差し出して行くのです。ところが、天が役事しました。座っていた人が立ち上がれないほど、会場が超満員になったのです。それが、保護を受けられる道だったというのです。その時に多くの問題がありました。正にその時間に、興進君の自動車事故が起きたのです。

4 興進君の犠牲により、多くのことが成し遂げられました。彼は一番の孝行息子でしたが、今や真実で清い神様の子女として、神様の懐に抱かれたのです。もし興進君の犠牲がなかったならば、二つの不幸な大事件が発生していたかもしれません。北朝鮮が韓国を武力で侵犯したかもしれないし、お父様が地上における生涯を終えていたかもしれません。

しかし、韓国で勝共決起大会を通して勝利したため、サタンがお父様をこれ以上侵犯することはできなくなりました。ですから、韓国で勝利を収めるのと同じ時刻に、興進君を犠牲の祭物として要求したのです。

5 興進君は、二番目の息子として生まれ、お父様の保安問題に対して誰よりも心配した人です。お父様の前にもし悪者の頭が現れて銃を撃つならば、自分がその銃弾を代わりに浴びなければならないと考えていました。

イースト・ガーデンで祝福家庭を動員して、その訓練をしました。夜、祝福家庭を四方に配置し、秘密裏に襲撃させるのです。このようにして、警護員が本当に警護員としての仕事をするかということまで試験しながら、お父様の保安問題について心配したのです。

さらに、シカゴの「科学の統一に関する国際会議」では、警護員と共に夜を微して警護をしたこともあります。警護員を信じることができないというのです。子女が父を思う心情的基準とは程遠いと考えていました。もし銃弾を浴びなければならない場面に立てば、その人々は逃げていくけれども、「私は違う!」と言うのです。そのような精神的訓練を祝福家庭に行い、そのような行動ができるようにする訓練までしました。お父様のために命を捧げようというのです。

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12 監獄では、夕方に御飯を食べてしまえば、することがありません。ただ座って時間ばかりやり過ごさなければなりません。話すことしかすることがないので、世間話から何から、話題にならない話がありません。一番初めは自分が罪を犯した話から、自分の親の話など、すべて出てきますが、それから何ヵ月か過ぎると、話すことがありません。何も話さなかった人は私しかいないのです。ですから、私に話をしてくれとせがむようになっています。

それで、「どんな話をしてもいいのか」と念を押したあと、短編小説、長編小説を作って話をするのです。毎日のように小説を一編ずつ語るのです。誰の小説でもなく、どこかの文学作品に既にある内容ではありません。私が題名をつけて創作するのです。私には、そのような頭があります。長編小説を一晩でも何編もつくり出すことができます。顔を見ながら三日くらい話をしてあげれば、どんな話をしても、しきりに「おもしろい」と言うようになります。そのあとは、私が一番隅の狭い所に座っていれば、何度も引っ張り出されるのです。「嫌だ」と言っても、監房長が何度も引っ張り出すのです。私はどこに行っても最も悪い場所、便器の横で過ごしていたのですが、私が「出ていかない」と言えば、監房長が「私がそこに座るから、あなたはあそこに座りなさい」と言うのです。それが、本然の世界です。

13 収容者たちにとって最もうれしいこととは何でしょうか。監獄でも一度、思う存分に休みたい、仕事をする時間でも一度休みたい、というのが切実な望みです。ですから、作業する組を編成するときに、互いに仕事が上手な人同士で組になって超過達成をしようとします。仕事をすれば、私は誰にも負けません。何でも上手にやります。肥料かますを縛って運ぶにしても、何の仕事をするにしても、やれば、誰かに負けたりしません。ですから、私と同じ組に編成され、私が指示するとおりに働きさえすれば、組のノルマを早く終えます。そのようにして普通、午後一時半から二時には終えてしまうのです。それは誰も付いてくることができません。

御飯のことを考えていては、御飯が人を捕って食べてしまうのです。御飯のことを考えてはいけません。仕事をするなら、その仕事をおもしろく思って、「きょうは私が昼食時に一かますでも多く縛ろう。人よりもたくさんやろう」という一念で、一かますでもより多く縛ることに楽しみを感じながら働けば、疲れません。そうしてこそ、体を保っていくことができます。かますをいくつか片づけただけで「御飯を食べよう」と考える人は長続きしないのです。

14 肥料をかますに入れて秤に掛け、かますを運ぶのに、私たちの組は五分から十分かかりますが、私は平均五分間でやってのけます。他の組は十五分かかります。このように時間がかかっていては、責任分担を果たすことができません。山を崩していきながら秤を移動させるのですが、秤を四、五メートル以上移していれば遅れます。ですから、ほとんど動かさずに行う方法を研究しました。誰もこの方法のとおりに従わないので、仕方なく一人でしました。そのようにして、お父様が千三百かますのうち半分以上を一人でやっていると、みな良心があるので付いてくるようになるのです。

お父様は模範労働者でした。共産党から毎年、模範労働者賞をもらいました。その頃は体重が七十二キログラムでした。外見からはそれほど体重はないように見えますが、骨が重いのです。ほかの収容者たちはやつれていくのですが、私はやつれませんでした。ですから、あらゆる人の研究対象でした。

15 興南の肥料工場の硫酸アンモニウムには硫酸が入っているので、肌に付くとひび割れして、毛が抜けるようになります。肌が肥料かますに触れるので、ひび割れるのです。朝、血がぽたぽた流れます。硫酸アンモニウムがひび割れたところに入り、朝になって血が出たりすると落胆しかねません。それでも、「お前たちがいくらそのようにしても、私は生き残らなければならない」と思いながら、それを克服しなければなりません。これよりひどくなったとしても、やらなければならないというのです。

そこで人間の精神力がどれほど偉大かを知りました。そのような環境に少しも屈せず、堂々と最高の位置に立つことができたのです。ですから、監獄にいる人たちまでも、あとからお父様のことを尊敬するようになりました。仕事ができる誰それといって、賞をもらいました。そのようなことが起きたのです。結局は切り抜けたというのです。どんなに困難な監獄でも切り抜けていく余力がなければなりません。それを克服できなければならないということです。

空腹と寒さを克服しなければなりません。暑さはそれでも克服しやすいのです。また、睡眠を克服しなければなりません。たとえ死んだとしても、「お前は負けずに、勝利して死んだ」という思想を残さなければならないと思いました。このような基盤を霊的に残さなければ、再び地上で活動できる基盤を失ってしまうと考えたのです。

16 私が精誠の限りを尽くし、涙で勧告しながら教えた人たちが、興南の監獄でたくさん死んでいきました。そのような所でも私を呼びながら、「私の両親に、私はこのように死にますが、あなたと共に良い日を過ごしたと伝えてください」と言って、死んでいった人たちがいます。その時は、どれほど空腹だったか分かりません。御飯を口に入れて、かみながら死んでいく人もいます。するとその横にいる人たちが、先を争ってその御飯を取り出して食べるのです。それは、皆さんには理解できません。

そのような場所で、父母にならなければならず、そのような場所で、兄にならなければなりませんでした。そのような場所で、「私がこのようにしているのだから、あなたたちも倒れてはいけない」と言って、私が見本にならなければなりませんでした。ですから、そのような環境で、お父様は毎年表彰を受けました。他の人たちが「難しくてできない」という仕事があれば、私が行って、その仕事をしました。互いに易しい仕事をしようとする中でも私は最も難しい仕事を探し回ったのです。

17 私は学生時代に、共産主義の理論を勉強した友達と理論闘争もしてみましたが、その理論どおりにしてはいけないと思い、共産主義者たちと闘ってきました。共産主義がどのようなものか、詳細に知っています。(興南)監獄の組織は、共産党の組織の中で最も緻密な組織です。そのような中でも、お父様は自己批判をしませんでした。二年五ヵ月の間、自己批判書を書きませんでした。それで、要注意人物になったのです。

そのような中で、黙々と一等の労働者にならなければなりませんでした。生き残る方法は、それしかありません。少しでも後退し始めれば、生き残れないのです。ですから、すべてのことにおいてチャンピオンです。誰も私にかないません。肥料を詰めることにおいても私が一番であり、運ぶことにおいても、縛ることにおいても、また貨車に積むことにおいてもそうです。ですから、毎年、表彰されたのです。

監獄で花咲かせた真の愛 真のお父様は、最悪の場でも天に背くことなく、かえって天を慰労された。そのため、監獄の囚人はもちろん、ひいては共産党員たちまでも、真のお父様を尊敬し、従ってきた。特に、監獄で勝利する道は、ために生きて自らを犠牲にする道しかないと考え、真の愛を実践された。真のお父様は、死の道でもイエス様の恨を解き、再臨主の使命を果たそうとされたのである。

18 私が監獄にいる時、はったい粉をもらっても、一人では食ベませんでした。すべて分けてあげました。そのように分けてあげてみると、私の食べる分がなくなり、横の人たちが集めて私にもってきてくれるということが起きたのです。ですから、そこにいる人たちは、お父様に対して何も言えません。

また、三十人以上が一つの部屋で寝るのですが、私が最も悪い場所で眠りました。寝ている途中で起きて用を足しにいこうとすれば、便器が隅にあるので、人を踏みつけていくことになります。あまりにもぎゅうぎゅうに詰めて寝ているので、強く押しても駄目なら、足で蹴りつけるのです。そのようなことがよく起きました。

しかし、その人たちが、私に足蹴りをしてしまったとしても、次の日の朝に来て、「すみませんでした」と言います。ほかの人であれば、「きのうの夜、なぜそんなことをしたんだ」と言ってけんかが起きるのです。また、急ぎの時には、私のおなかを踏んで越えていったとしても、私であることに気づけば、「気がつかなくてすみません」と言います。お父様はそのように生きました。

19 私が興南の監獄にいる時、母が定州から興南にまで来て私に会おうとすれば、証明書を十八枚ももらわなければなりませんでした。母がそれをもらって、息子のためにと、はったい粉を持って訪ねてくるのです。はったい粉を作る米や麦があるでしょうか。あとで知ったことですが、村中を回りながら、物乞いをしたそうです。遠い親戚の所に行って、「息子がこのようになってかわいそうなので、哀れに思ってください」と涙を流しながら物乞いをして、はったい粉を作り、毎月持ってきてくれました。また、冬には凍え死ぬのではないかと思って母が服も作って持ってきてくれました。

そのようにして持ってきてくれたはったい粉を、その場ですべて分けてあげました。私一人で積み上げて、食べることはできません。良心が許しません。服は、囚人服を着ることはあっても、面会に来た時に持ってきてくれた綿入れのズボンの服は着ることができません。何年監獄にいても、面会に来る人がいない人がたくさんいます。彼らの前でそれを着て自慢する立場には立てません。その服も、もらったらすぐにすべて分けてあげました。そうして、破れた囚人服、肌の見える服を着ました。そのように風になびく服を着ている姿を見るとき、母はどれほど唖然として言葉が出なかったでしょうか。聖子の行くべき道は、このような道です。聖子の道理、愛国者の道理、忠臣の道理を果たそうとすれば、このような道を行かなければなりません。

20 興南はどれほど寒いか分かりません。「冬の風が吹くと、砂利も飛ぶ」と言われる所です。面会に来た母が息子を見ると、冬に下着も着ずに、ほとんど破れた単衣の囚人服をそのまま着ているのです。ですから、「持ってきてあげた下着はどこにやったのか。持ってきてあげた綿入れの服はどうしたのか」と尋ねました。母から見れば、はらわたが煮えくり返るのです。

私は母に、「自分よりもかわいそうな境遇の人にあげました。震えても一緒に震え、飢えても一緒に飢えようというのに、それが悪いでしょうか」と言いました。堂々としているというのです。天地の何人の前でも堂々としています。

そうすると、母が来て私に忠告します。「お母さんの事情も知らず、そんなことができるのか」と言うのです。「お母さんがお前のためにこのように準備してきたのに、それを誰が人にあげなさいと言ったのか」と言うのです。ですから、私が母に向かって、「私はそのような金某の息子ではありません。私は、そんなお母さんをお母さんと思っていません。むしろ(お前は)母親よりも立派だと褒めながら、『欲しい物があればもっと持ってきてあげよう』と言うべきなのに、それが忠告だと言うのですか」と言うと、母はただただ大粒の涙をぽろぽろとこぼしました。そのことを、私は忘れることができません。

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第二節   西大門刑務所での受難 流言飛語から始まった受難 梨花女子大学と延世大学の教授および学生たちの退職・退学事件は、真のお父様の受難へと続いた。キリスト教団体は、統一教会で起きた神霊の役事を、様々な流言飛語で妨害した。一九五五年七月四日、真のお父様が兵役法違反と徴発特別措置令違反の容疑で警察に連行、拘束される、いわゆる「七・四事件」が起きた。その後、教会幹部の四人も相次いで拘束された。

1   韓国の全国民が統一教会に反対しました。反対しない人はいませんでした。政府から教会、学校、宗教団体はもちろんのこと、家庭がすべて反対しました。お父様が悪く、統一教会が悪いために反対を受けたのではありません。

歴史時代の誤ったことや悪いことをすべて私たちにかぶせて、反対する要因をつくりました。キリスト教が私たちを憎み始めたのです。賢い人なら、統一教会の原理を聞けば、一週間以内にみな復帰されます。

当時は、原理のみ言をお父様が指導しました。ですから、来る人来る人、みな霊的現象を体験するようになりました。もし教会に行かなければ、霊的に気合を入れられたりしました。このようになったので、大変な問題になったのです。理論的に聞いてみると、賢い人たちはみな統一教会に行くので、でうすることもできず私たちをたたき潰すためにありとあらゆることをしたのです。

2   キリスト教徒たちは統一教会に対して、最初はキリスト教の歴史における邪教集団を悪く言いながら、「彼らと同じだ」と言いました。すべてをなすりつけるのです。そのようにして十年ほど過ぎると、情報機関で調査するようになりました。しかし、十年以上にわたって広がったうわさを、四十日しか調査しなかったのです。四十日間調査をして、「何もない」と言いましたが、それは、その機関が知っているだけであって、国家的に「統一教会の文某は何の問題もないので、これまでの話はすべてうそである」と言ったわけではないというのです。お父様が無罪判決を受けた時、新聞記事には数行しか載りませんでした。そのように全国的に広まった否定的な印象を何によって変えられるというのでしょうか。

ですから、統一教会の宣伝をしても反対し、そのうわさをひっくり返そうとしてもみな反対しました。それで、法的問題になって闘争が起き、警察部で私たちを調査した内容をもって「統一教会はそのような所ではない」と発表しても、信じないというのです。また、警察がそのように言うとすれば、すぐに「統一教会員たちが買収したのだ」と言っているのです。

3   夫婦で仲良く暮らしながら息子、娘をしっかりと養育し、「夫がいなければ生きていけない」と言っていた女性たちが、統一教会に入ってきたあとに変わったのです。教会に来て、午後五時になれば、家に帰って夕飯の支度をしなければならないのに、み言が始まると再び座り込んで、夜通しみ言を聞くというのです。当時は、明け方の四時まで語りました。平均二時間睡眠でした。

家で「教会に行ってはいけない」と言っても行くので、問題が起きました。「死んでも行く」と言うので、教会の牧師たちが中心となって反対したのです。篤実な信徒たちが病気になったというのです。そのようになると、ありとあらゆるぬれぎぬを着せられました。しかし、お父様は「かまわない。すべてかぶせてみよ」と言って弁明しませんでした。西大門刑務所の事件が起きた時にも、調査の結果、無罪で釈放されました。しかし、私が無罪で釈放されたことをキリスト教で言及するのを、一言も聞いたことがありません。

4   統一教会員たちが激しく反対され、迫害されていた頃は、おばさんたちが、買い物かごを下げて「市場に行く」と言って出ていくのですが、気がついてみると統一教会に着いているのです。そのようなことが普通に起こりました。珍しいことでもありませんでした。ですから、狂ったとか、何か電気装置を仕掛けたと言うのです。そのようなことが起きました。

実際の生活に影響を及ぼすというのです。そうならざるを得ません。催眠術のようなものも、そのような体験を通して可能になるのです。神様を中心として神霊的な道に通じれば、そのようにならざるを得ないというのです。祈りの能力がどれほど偉大かを、皆さんは知っているでしょう。その境地で、そのようなことが起きるというのてす

5   梨花女子大と延世大の事件の時にも、政府の五大長官(大臣)が出てきてお父様をたたき、統一教会を全滅させようとしました。罪状がないので、兵役忌避でたたこうとするのです。兵役忌避でたたこうとして、彼らは、「年齢を二歳も上げて兵役を逃れようとした」と言いました。ところが、いくら調査してみても、引っ掛かるものがないので、無罪で釈放されたのです。

6   私が、梨花女子大と延世大を中心として、六十日間ほど伝道をしてみると、二つの大学が大騒ぎになりました。放っておけば大変なことになりそうなので、お父様を異端として追い払い、ぬれぎぬを着せましたが、いくら調査しても罪がなかったのです。家庭を破壊し、人妻を強奪したとして調査してみても、何もありませんでした。ないというのです。

それで仕方がないので、今度は「兵役逃れをした」と言ったのです。私が兵役忌避をしたでしょうか。六・二五動乱のとき、私が頭を刈っていたために、初めは人民軍だと思われました。私が「軍隊に行く」と言ったにもかかわらず、「軍隊は駄目だ」と言われ、兵役免除に該当する「丙」の字を押されたのです。ですから、引っ掛かるところがありませんでした。そのように引っ掛ける罪状がないので、三ヵ月間騒いだ挙げ句、無罪で釈放したのです。

大部分の人は、私が無罪放免になったことを知りません。キリスト教の牧師たちは、お父様が無罪で釈放されたことを知っていますか。無罪と言っても、新聞はその記事をとても小さく載せたのです。統一教会員たちが「声明を出しましょう」と言いましたが、反対声明が問題ではありません。監獄に入ったことが問題になるのです。大韓民国が私を裏切りました。私はこの国を怨讐視すべきところですが、この国を復帰するためには、世界を経由して帰ってこなければなりません。蕩減復帰をしなければならないのです。

西大門刑務所での収監生活 真のお父様は、囚人番号三百九十番を付け、金元弼、劉孝元(ユ・ヒョウォン)、劉孝永(ユ・ヒョヨン)、劉孝敏(ユ・ヒョミン)など、幹部四人の弟子と共に西大門刑務所に入監された。記録に残る面会の行列をつくった食口たちに対し、真のお父様は、決して動揺しないことを願われた。一方、看守をはじめとする刑務所の幹部と監房の囚人たちの中には、真のお父様の人格に感化され、敬意を表する者もいた。

7   一九五五年に西大門刑務所に入ったことがあります。その時、「統一教会の文先生はああだこうだ」と言って、大変なうわさになりました。私が手錠をかけられて入ると、拘置課長が私を呼び、気合を入れようと乱暴に振る舞いました。私は心の中で、「あなたが一ヵ月以内に私に屈服するかしないか、今に見ていなさい」と思いました。

最初、入る時には、動物園の猿でも見物するかのように、猿扱いしようとしたのです。ですから私は、「どれ、あなたたちがやりたいようにやってみなさい!私はあなたたちのようなつまらない男ではない」と思いました。こうして一週間以内に、そこにいる看守たちをすべて意のままにしました。監獄でも「先生」という言葉を聞くようになりました。出所する時には、所長まで出てきて、「文先生!」と言ったのです。

8   私が西大門刑務所にいるとき、そこの拘置課長が、私のことをあざ笑いました。そのとき、私は相当に気分が悪く、一言、釘を刺しておいて、「ここで必ず所長まで屈服させて出ていこう」と考えました。何日か過ぎると、その人が朝、私の所に来て、「ぐっすりお休みになりましたか」と言いました。ある時は、じっとしていると、朝やって来て、そのままさっと通り過ぎます。「あなたはただ通り過ぎていくが、行く途中でまた戻ってこなければならない」と考えると、案の定、振り返るというのです。そうして、こちらに来てから、また行くのです。私が「あなたはもう一度来て、挨拶をしなければならない」と考えていると、また、そのようにするというのです。ある日、拘置課長が私のところに来て、「朝、餅を作って食べたのだが、餅が喉に引っ掛かってのみ込めない」と言うのです。餅がなぜのみ込めないのでしょうか。先祖が引っ掛かるようにしているというのです。彼の先祖たちが、お父様を冷遇すれば大変なことになると知っているので、そのようにするのです。ひそかに餅を作って食べたら、ひどい目に遭ったというのです。

私はそのようなことを既に知っていました。ですから、そのような話をしてあげたところ、私を見て「先生」と呼ぶのです。そのようなことがあってからは、お父様の言うことをよく聞いてくれました。そうこうするうちに、私が出る頃には、所長まで訪ねてきて、夏だからといっては、まくわうりを買ってくれたり、すいかを買ってくれたりするようになりました。そのようにしながら、兄弟の間でもできなかった話をするのです。お父様と一緒に生活する数ヵ月の間に、自分が(今まで)経験したことを話すのです。私が証をしてもらおうとして、彼を伝道するでしょうか。お父様が伝道しなくても、伝道されるというのです。

9   西大門刑務所で監獄暮らしをするとき、お父様に会おうと食口たちが必死の思いで面会に来ました。監獄暮らしをするお父様と面会すれば、それは歴史に残ることです。その時の面会証を持っている人たちに対して、あとで表彰します。それを持っている人がいれば、結婚する時に胸に抱いていき、その家庭の宝物として大切に保管しなければなりません。

監獄から出てくる時は、看守たちや所長まで出てきて見送り、看守たちの中には、お父様に従って教会に通うようになった人もいます。このように、天が行く道には怨讐が現れますが、必ずその道は開拓されるというのです。アベルになるためには、必ず神様と一体にならなければなりません。どのような受難の道を行くとしても、自分一人で行くと考えてはいけません。神様は、サタンの讒訴を受けない場で、アベルを決定するのです。

真の宗教は監獄から出発します。サタンも嫌う人間たちの集まったその世界でも、普通の人間がもつ、それ以上の希望と望みをもつようになれば、そこから新しい世界の歴史が出発します。そのようにしてこそ、サタン世界の讒訴を受けることなくまた高い位置に上がっても干渉されません。そこから、新しい世界まで連結される新しい出発の起源が生じます。そこから神様と一つになるのです。

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梨大・延大退学事件の波紋 一九五五年の三月から七月の間に、梨花女子大学と延世大学は、統一教会に通っているという理由で、教授と学生たちに「学校か、教会か」という二者択一を迫った。このとき、梨花女子大学の教授五人と学生十四人が、毅然と退職、退学の道を選んだ。そして、延世大学でも、教授一人が退職処分を受け、学生二人が強制退学になった。マスコミは、大学の対応について非難する記事を掲載した。当時、キリスト教と政府が統一教会を受け入れていたならば、国家的基準で新たな出発ができる基台が造成されるはずであった。

8   一九五五年に起きた梨花女子大事件は、挙国的でした。キリスト教と一つになった李承晩政権の五大長官(大臣)たちが、統一教会をなくすために総動員されました。

しかし、その闘いの舞台を克服したのちに、統一教会は暗々裏に内外の基盤を固めたのです。そこで勝利して現れ、キリスト教を否定し、大韓民国を否定して、新しいキリスト教の基盤を代わりに置き、すべての国家の国民を代わりに置ける再編成運動を繰り広げました。言い換えると、二世によって新しい統一教会、新しい国民の形成が可能になったというのです。

9   お父様は、神様を中心として、「人類の代わりに祭物となり、激しくむち打たれたとしても、人類を手放すことはできない」と言いながら、闘いに一人、責任をもってきました。

キリスト教が統一教会の言うことさえ聞いていれば、うまく回っていくようになっていました。七年以内に韓国がみ旨の中に立てば、世界のキリスト教を一つの方向に向かわせて、地上天国の理念世界と一致させるのです。キリスト教がお父様を迎えていれば、どのようになっていたでしょうか。梨花女子大と延世大は、アダムとエバと同じです。キリスト教の二世たちです。二世の核心を完全に握るのです。一世は堕落世界に半分が蝕まれています。昔はサタンが貴いものを取りましたが、今は神様が貴いものを取るのです。

10  梨花女子大と延世大事件の時、三ヵ月の間に梨花女子大がひっくり返るような出来事が起きました。三ヵ月の間に百人以上の学生が統一教会に通ったのですが、学校側が反対して通わせないようにしたため、「お風呂に行く」と言っては統一教会に行くようなことまで起きました。ですから、学校側が緊急対策を立てて防がざるを得ませんでした。それで、「統一教会か、梨花女子大か、二者択一しなさい」と言ったのです。どれほど切迫していれば、そのようなことを迫るでしょうか。統一教会に通う学生たちはみな、「退学する」と言いました。お父様が制したので、十四人だけが退学しました。その時、黙っていたならば、四十数人が退学していたでしょう。そうなれば、歴史的に問題を起こしかねないのです。そのような環境にありました。

11  梨花女子大の事件当時、あと六ヵ月あれば、三百人以上が暮らしていた寮が完全にひっくり返るようになっていました。燎原の火のごとく広がっていくのを防ぐすべがなく、学校全体がどれほど切迫していれば、学生たちに「二者択一しなさい」と言うでしょうか。二者択一を迫るなどということが、あり得ることでしょうか。ありとあらゆる子供たちがみな通っているにもかかわらず、「統一教会はいけない」と言ったのです。サタンが働いたということです。

それで、金活蘭(キムファルラン)総長が「統一教会について調査しなさい」と言って、そこの社会事業課長を務めながら神学や宗教問題について全権を握り、責任をもっていた金永雲博士を送りました。そのようにして金永雲が来たのですが、一週間で一八〇度ひっくり返ってしまいました。それで、学校に戻っていって話をするので、またキリスト教徒たちが来て、ひそひそささやくのです。じっと見ていると、み言さえ聞けば、すべてひっくり返るのです。ですから、一斉にひっくり返ってしまうことを恐れて、反対したのです。

12  梨花女子大の事件当時、寮にいた三百人以上の学生の中で、大勢の頭の良い学生たちが統一教会の原理のみ言を聞きました。このように、そっくりそのまま移ってしまいかねない状況になったので、梨花女子大が、あたかも火山が噴火したようになりました。ですから、大変なことになったというのです。

アメリカのメソジスト教会の財団から一年に数十万ドルすつ、それ以外のところからも様々な支援を受けていたのですが、その支援が打ち切られそうなので、これを歓迎することはできないというのです。ですから、政府を通してお父様をたたき潰すために、大統領まで動かしたのです。

13  六千年の春は一度だけ訪れます。いつでも訪れるわけではありません。アダムとエバを中心として、思春期というのは一度だけです。婚姻を決定する時まで春の風が吹くのですが、復帰摂理を中心として、数千年、数万年の歴史を経て、ついに韓国の地にその春の風が吹いたのです。梨花女子大事件もそうなのです。三百人以上の女子大生たちに風が吹き込んだのです。ですから、学校の塀を乗り越えたり、「お風呂に行く」と言って飛び出したりしたのです。

14  韓国は、厳しい日本統治下四十年の受難の道を経て、解放を迎えるとともに、アメリカを中心として宣教師たちと完全に一つにならなければなりませんでした。梨花女子大学と延世大学の事件が起きなければ、そのようになっていたでしょう。その大学生たちは二世です。お父様は復帰歴史をよく知っています。二世から逆に上がっていったというのです。

梨花女子大・延世大事件が起きなければ、その時、景武臺(キョンムデ)(当時の大統領官邸)と連結され、キリスト教全体が連結されていたのです。当時、金永雲氏は梨花女子大の社会事業課長でした。重要な教授たちがみな復帰されていたので、そこでは金活蘭総長が反対するようにはなっていませんでした。ところが、金永雲が報告をしたにもかかわらず、キリスト教の何人かの人たちが反対して、このような状況をつくったのです。

当時、梨花女子大と延世大さえ復帰され、反対していなければ、韓国のキリスト教はすべて復帰されるようになっていました。そして、その時、梨花女子大の五人の教授が退職させられ、十四人の学生が退学処分を受ける、歴史に類を見ない事件が起きたのです。復帰歴史はそのように大変なのです。その習慣化された伝統というものが、どれほど恐ろしいかを知らなければなりません。習慣化された伝統をもっているという事実が恐ろしいというのです。社会で暮らしてきたその風習や習慣がすべて残っています。神様は、それを認めません。新しく生まれた基準から出発するのは大変だというのです。

15  韓国で梨花女子大と延世大が統一教会をなくすために立ち上がるように、誰が操ったかというと、宣教師たちです。梨花女子大と延世大が、その時にお父様を中心として復帰されていれば、朴マリヤと李承晩大統領などの最高のリーダーを中心として、世界的な旗を掲げて登場できるように命令を下せたはずです。そうなっていれば、五千年の歴史を通して犠牲になった民族の上に訪れた天運を中心として、たった一度だけ受けた福をもって、国家創建とともに世界に号令できる盟主の立場に立つようになっていたでしょう。ところが、これをひっくり返してしまったのです。

16  梨花女子大騒動の張本人である金活蘭総長はどうなったでしょうか。それこそ患難を受けました。学校の教権という看板をもって、他の宗教団体を犠牲にしようとし、学生たちを犠牲にしました。正義に立脚したことではありませんでした。不義に立脚していたので、その代価を追及されるのです。

その時、金活蘭が統一教会を歓迎していれば、韓国は世界のすべての国家を踏み越えて、世界を動かす国家になっていたでしょう。四十年の歴史の重大な峠が、キリスト教を中心とした梨花女子大・延世大事件です。その四十年を失ってしまいました。

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第二章  梨大・延大退学と西大門刑務所での受難 第一節   梨大・延大退学事件 キリスト教の二世糾合と梨大・延大事件 一九五四年の協会創立とともに、摂理の主流は、キリスト教の一世圏から二世圏に移された。大学において、学生たちを中心に「統一原理」が伝播し始めた。その中で、梨花(イーファ)女子大学と延世(ヨンセ)大学は、キリスト教系の学校として、二世の典型的な代表格であった。しかし、政権と結託したキリスト教の反対と迫害により、一九五五年の三月から七月の間に、いわゆる「梨大(イーデ)・延大(ヨンデ)事件」が発生し、社会問題に飛び火したのである。

1   キリスト教は新婦の宗教です。キリスト教は、再び来られる新郎の前に、新婦一人を準備するために、ローマ(帝国時代)から数多くの迫害を受けてきました。このような歴史を経て、初めてキリスト教文化圏時代に新郎が来て、統一天下を築こうとしたのです。それが、第二次世界大戦の時です。第二次世界大戦以降に、キリスト教を中心として世界が統一されなければなりませんでした。世界が一つにならなければならなかったのです。争ってはいけません。

第二次世界大戦で、連合国であるイギリス、アメリカ、フランスが、枢軸国である日本、ドイツ、イタリアと戦って勝利しました。そのような勝利的基盤の上に、エバ国家とカイン国家とアベル国家が、来られる再臨主を迎えなければなりません。その時に再臨主を迎えていれば、この世界は統一天下をつくり上げていたはずです。お父様に会わなければならなかったということです。そうしていたならば、お父様が全権をもって、この世界を収拾していたはずです。中国、ソ連、日本、アメリカをはじめとして数多くの国々を、すべて収拾していたのです。

しかし、お父様を迎えることができなかったので、梨花女子大・延世大事件が起きました。延世大と梨花女子大、これは(キリスト教における)二世の男性と女性の最高の代表でした。そこでみ旨が成就していたならば、この国のすべての組織の中心になっていたでしょう。

2   韓国での延世大と梨花女子大の事件は、二世を中心として連結されていきます。キリスト教の一世と二世は、縦的には父子関係です。縦的に見れば父子関係になり、横的に見れば相対的関係になります。梨花女子大と延世大は、それ自体を相対的に見ると横的関係です。横的関係がアダムとエバのような立場になれば、縦的関係に当たる父母である一世と子女である二世が自然に一つになるというのです。原理原則において、一世と二世が完全に一つになれば、カインは屈服するようになっています。

二世が天の側に立っているからです。サタン側ではありません。神様の保護圏に入っているので、二世のアベル圏が一つになれば、一世たちは自然と一つになるようになっています。イスラエル民族において、一世は荒野で死にましたが、今は天の側の保護圏にあるので、一世は二世と共にカナンの地に入ることができます。そのような道理です。そのような環境を中心として、韓国で連結させようとしましたが、梨花女子大・延世大事件が起きたのです。

3   お父様は、日本統治下で地下に潜っていった神霊的な指導者と一つになり、解放後、それまで神社参拝をしたキリスト教の指導者と国まで収拾すべき責任がありました。しかし、彼らのもっている信仰観が異なっていたので、決裂してしまいました。その時、地下に潜って活動していたあらゆる指導者たちが、より一層反対しました。国と一つになって、当時、日本の帝国主義に協助していた人々も反対する立場に立つことにより、問題が起きました。一世に対する摂理は、一世である当時のキリスト教指導者たちを一つにすることでしたが、彼らが神様のみ旨に完全に反対する立場に立ったので、再び、二世たちを中心とした糾合運動が起きたのです。梨花女子大と延世大の事件は、それゆえに起きました。

4   お父様が生きているうちにすべきこととは、一世たちが反対するので、二世を中心として糾合することです。ですから、梨花女子大と延世大を中心として摂理が始まりました。その時、梨花女子大は、朴マリヤ(副総長であり、李起鵬-イギブン-副大統領の夫人)を中心として李承晩大統領の夫人とつながっていました。彼らが、宣教師の基盤を中心として、政府と完全に一つになっていたのです。これはアダムとエバと同じです。

一世たちが誤ったことを、二世を糾合して完全に一つにしなければなりません。その二世の中には、神霊的な人の息子、娘もいて、神社参拝をした人の息子、娘もいて、それから、宗教を信じない人の息子、娘たちもいて、すべて入っていました。すべてがまとまっていたのです。この二世たちと完全に一つになったとすれば、そこから一世たちが誤ったことを復帰して、国と教会を収拾し、世界の舞台へと進んでいったはずなのです。

5   韓国に主が来るようになれば、その当時のキリスト教では駄目で、さらに跳躍でき、飛躍できる新しい次元の道を歩まなければなりません。国家の独立が問題ではありません。世界を生かし得る思想的な何かがあれば、完全に一つになるのですが、それがありませんでした。解放直後の三年半の間に、お父様がそのことを果たそうとしましたが、すべてから反対され、私は一人、追い込まれました。そうして、アメリカ軍政時代が始まったのです。

その後も、梨花女子大事件が起きずに、支持されてさえいれば、宗教は自由なので、梨大の総長と李承晩政権を中心として、カインとアベルの位置の頂点に上ることができました。

梨花女子大・延世大事件によって、それが成就されなかったのです。そこにお父様を立てていれば、李承晩大統領とアメリカを中心としたカインとアベルの上に立ち、天下にまたとない飛躍をしていたはずです。お父様が四十歳の時には、天下統一が成就されていたでしょう。

6   キリスト教を基盤として出発しなければならないのが統一教会の運命ですが、キリスト教を失ったので、キリスト教と対等な教団を再びつくらなければなりません。それで、キリスト教の二世たち、キリスト教から追い出された二世たちを集めて基盤を築き、苦労させながら歴史的なすべてのものを蕩減していかなければならないのです。

すなわち個人的な垣根を崩し、家庭的な垣根を崩し、氏族的な垣根を崩し、民族的な垣根を崩しながら、キリスト教が世界史的な基準を中心として責任を果たせなかったことによって怨讐になったので、これに代わる霊的、肉的な基盤を築くために、統一教会は犠牲的代価を払わなければなりませんでした。

7   アダムとエバを中心として見ると、延世大と梨花女子大は堕落していない若い青年男女のような立場なので、父子関係で一つになれば、家庭的な四位基台圏を造成した形と同じです。その中には個人もあり、家庭もあり、氏族もあって、民族編成ができるというのです。そうして李承晩政権と完全に一つになれば、キリスト教を中心として国が一つになるので、国家的基準で父母が立てる位置が決定されるのです。そのようになっていれば、韓国を中心として、真の父母の理想は堅固な基盤をもって出発していたでしょう。

この国とキリスト教の背後に、宣教師とアメリカがいました。国を代表するアメリカ軍政の責任者である駐韓米軍司令官がいて、教会を中心としては宣教師たちがいましたが、この宣教師たちが反対することによって、すべてが行き違ってしまいました。イエス様の時代にユダヤ教が反対したことと、全く同じようになりました。これによって、お父様は、とんでもない異端者として追い込まれ、追放されたのです。荒野に追い出されたのです。四千年の間、天が準備したすべてを失ってしまいました。

これを再び収拾して上がっていかなければなりません。そうするためには、お父様が、キリスト教とアメリカが果たせなかった責任、大韓民国とキリスト教が果たせなかった連帯的な責任を負わなければなりません。大韓民国のキリスト教と政府は国家的基準です。世界的な時代を迎えてからは、世界的基準でキリスト教と国を収拾しなければなりません。

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平壌で四十日間、弟子を収拾 興南監獄を出られた真のお父様は、十日後に平壌に到着され、多くの人々が避難の途に就く状況でも、四十日間、散り散りになった弟子たちを一人一人捜し求められた。故郷の定州はそれほど遠くなかったが、父母や兄弟に会いに行かれなかったのは、アベルよりもカインを先に愛さなければならないという、蕩減復帰の道を行かなければならなかったからである。そして、金元弼と朴正華を連れ、南下の途に就いて、ようやく新しい出発をされたのである。

8   考えただけでも身震いをするほどの平壌でしたが、興南の監獄から出てきて、平壌を訪ねていきました。そこに食口たちがいたからです。世の中の人であれば、当然、自分の故郷を訪ねていくでしょう。私が監獄に入ったとき、私のことを考えてくれた何人かの食口が残っていることを知り、また、私がこのような生活をするようになったのは、天が動機となっていたからです。

そうして、以前、平壌にいたときに関係のあった食口たちをすべて捜してみました。反対していた人や離れていった人まで捜してみたのです。その人たちは、私が監獄に入ったから離れてしまったのであって、私がいる時に離れたのではありません。監獄に入る前に、私のことを信じると誓った人たちです。私に「離れる」と報告もせず、通告もしていないので、私には師としての責任があるというのです。彼らは裏切るとしても、天のみ前に「信じる」と誓い、約束した基準があります。その人たちに自ら会って、彼らが冷遇する時は、天もまた諦めるのですが、天がいまだに私に関心をもっている以上、それまでは師として誓った責任を取らなければなりません。

ですから、散らばっているすべての食口たちを捜したのです。私が自ら行くことができなければ、金元弼を遣わして会わせたりしていたので、故郷に行くことができませんでした。一週間、捜し回ったのに見つけられない人もいました。

9   お父様が興南の監獄から出てくる時に付いてきた人は四人です。イエス様は一人で逝きました。しかし、お父様が監獄から出てくる時は、四人が一緒に出てきたのです。咸鏡南道から平安南道まで、最も険しい山岳地帯を歩いてきました。東海岸を中心として、金剛山、雪嶽山のて太白(テベク)山脈、江原道、咸鏡道、平安道の三角地帯を越えてきたのです。

その時、北朝鮮の人民軍が太白山脈を通って逃げていきました。軍隊があちらこちらにいる巣窟を経由してきたのです。人民軍は逃げていくのに、私たちは南の方に行こうとしていたので問題になりました。迂回しようとすれば、四日、五日を無駄にしてしまうからです。(軍隊は、)連れていった囚人たちを銃殺して逃げていく状況でした。そのような危険地帯を経てくる時にも、「監獄から出てきた人にとっては、すべてが危険地帯だ。行けない所がどこにあるか」と言いながら、わざわざそのような所をたどってきたのです。そのようにして平壌に着きました。

避難民生活をしながら、平壌で伝道した時に集まっていた人たちを捜しました。「私が監獄に行く時に涙を流したその人たちを忘れずに捜すのだ」と思って捜したのです。中共軍が平壌に入城するという報道を耳にしましたが、会えずにいた一人のおばあさんを捜しに行きました。そのおばあさんが亡くなったことを知ってから、避難してきたのです。

10  北朝鮮で共産党があらゆる宗教団体を迫害してなくそうとしましたが、最後まで残った団体が私たちでした。当時は統一教会という名前はありませんでした。お父様が教える一つの集団だったのです。監獄から出てきてやるべきことは、教会の活動を続けることでした。ですから、まず平壌にいる昔の食口たちに会ってみました。お父様が三年近く監獄にいて、共産党が迫害をするので、あからさまに宗教生活ができる環境ではありませんでした。そのため、だんだんと地下に入っていったので、監獄から出てきてからも、そのようなことが全くできませんでした。

その時、以南に下る前に、昔、関係を結んでいたすべての食口たちに会ったのです。監獄に入るとき、彼らが涙を流して悲しんだことが鮮明に思い出されます。私が手錠をかけられ、五年の刑を宣告されて、「五年の間、元気に暮らしてまた会おう」と言った時、涙を流したそのことを思うと、今でも(その場面が)鮮明に浮かびます。監獄から出てきて、み旨の中で結ばれた食口たちを再び糾合するために、年老いた人から若い人に至るまで、思いつくすべての人たちを捜しました。

11  私が興南の監獄から平壌に出てきたのちに、三度も人を送って訪ねた人がいます。最初に行った時も門前で断られ、二回目に行った時も、三回目に行った時も門前で断られました。私としては、「背を向けよ」という神様の指示があるまで、最高の精誠を尽くさなければなりません。見捨てることはできないのです。ほかの人たちはみな以南に避難していくのに、十二月二日の夕方まで人を送って連絡させました。

そこで私が果たすべき責任は、すべて果たしました。天下のどこに行っても恥ずかしくないというのです。心情の理念をもって歩み始め、心情に受けた傷、私の胸中に植えつけられたすべての傷を抜き取り、新たな心情を神様のみ前に連結させ得るという自信を得てから、初めてそこを離れました。ですから、夜、平壌を出発したのです。

指導者はこのように、慎重に責任を負わなければなりません。死ぬような立場においても、神様が任せてくれた責任分野を終結させていかなければ、その人の行く道が塞がってしまいます。ですから、そのときに関係を結んだ人に対して、結論を出さなければならないのです。そうして、私が天地を前にして、現世や来世で、彼らの先祖が同情し、子孫が同情し得る場に立たなければなりません。そのようなことを考えたため、その人々を訪ねていったのです。

12  私は、八人の兄弟をすべて捨てた人です。北朝鮮で監獄生活をする時、これからの情勢がどうなるかを予想していた人です。平壌に行って、四十日間滞在していましたが、そこから二十八里だけ行けば私の故郷です。二日あれば故郷に行ってくることもできましたが、故郷にいる親兄弟たちには会いに行かず、み旨と向き合っていた人たちを一人残らず訪ねていきました。天のみ前に誓った人たちに会うために歩き回ったのです。故郷にいる父母や親戚を顧みず、食口一人のために命を懸けて捜し回りました。

13  私が平壌に行っている時、二日だけ歩けば、兄を連れてこられました。しかし、兄以上に国を愛したという条件を立てておかなければ、連れてくることができないのです。父母以上に国を愛するという条件を立てておかなければ、父母を連れてくることはできません。これが完全な蕩獄復帰です。アベルになるためには、カインを愛さなければなりません。

その次に、真の父母を迎えるためには、まずサタン世界の父母に侍らなければなりません。ですから、私はそのような役事をしたのです。それで、おばあさんたちを連れて出てきました。原則がそのようになっています。おばあさんたちを三位基台として結び、母子協助をすることができるサタン世界の三人の息子、娘を立ててきたのです。皆さんもこの原則どおり、そのようにしなければなりません。

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第五節   興南監獄解放と食口収拾 六・二五動乱と興南監獄解放 一九五〇年六月二十五日、六・二五動乱が勃発した。国連軍が結成され、連合軍が参戦した最初の戦争であった。この戦争は、民主世界と共産世界の対決の場であり、アベル型の人生観を集約した神本主義の唯心思想とカイン型の人生観を集約した無神論の唯物思想が対立した戦争であった。真のお父様は、国連軍の爆撃によって、戦争の勃発から百十二日目の十月十四日、興南監獄から解放された。国連十六ヵ国が参戦した六・二五動乱は、摂理から見れば、再臨のメシヤを神様が救出されるための聖戦であった。

1   六・二五動乱は、世界十六ヵ国の人々が血を流しながら、勝利を主張し、標榜した戦争です。そのような出来事は、神様の摂理に従ってきた人類の歴史上、初めてのことでした。一国の内乱のようですが、神様の摂理歴史の中で、このような戦争は初めてでした。それがお父様と連結されれば、天のメシヤ精神と連結されるのです。ですから、この戦争の歴史を明らかにすることで、全世界が受ける影響がいかに大きいかというのです。そのような意味で、メシヤが生まれた所が祖国です。人類の祖国になる韓国を保護し、祖国光復を成し遂げるために、六・二五動乱に多くの国を動員したのです。

2   お父様が興南の監獄にいる時、六・二五動乱が起きたので、共産党は、監獄にいるすべての囚人を、最前線の三十八度線に立てて殺害する計画を立てました。事態がますます緊迫してくるので、そこにいるすべての囚人たちの中で刑期の長い人たちは、より遠い場所に後退させ、残りの約三分の二は最前線に送り出そうとしました。人海戦術を行うために、良くも悪しくもすべて引っ張っていったのです。命令に従わない時には、すべて銃殺してしまう計画でした。

その時、八百人以上を興南から定平(チョンピョン)まで引っ張っていきました。本来、興南から元山までは汽車が通っていましたが、その時は国連軍の爆撃で線路が寸断され、十二里ほどを歩いていかなければなりませんでした。七十人余りしか残さずに、すべて連れていったのです。その時、お父様も連れていかれましたが、夜八時に出発し、夜通し歩いて夜明け頃には八里ほどの所まで行きました。昼は爆撃があるので歩くことができませんでした。汽車もまた夜の時間を利用しなければならないので、早朝四時前に到着するようにしたのです。一日では着かないので、二日かけて行く計画で、初日の夜は夜通し歩き、朝方に立ち止まりました。

ところが、中央から私たちを乗せるために下ってくる汽車に途中で事故が起き、仕方なく数日間そこに停車して留まることになったのです。そこにそのまま滞在すると、かなりの支障を来します。この囚人たちを連れていく途中で、万が一事件でも起きれば、問題が生じるような状況になったというのです。そうして、看守たちはほんの数人しかおらず、囚人たちはたくさんいるので、問題が起きるのではないかといって戻ることになりました。戻ってきてから、また三日後にその八百人以上の囚人を連れていったのですが、その時は、私は残ることになり、監獄から出てくるようになったのです。

3   興南の監獄から解放されて出てくる時、私の後ろに四人の人が付いてきました。「先生が行かれるところに付いていきます」と言ったのです。妻も子もすべて捨てて、私に付いてきました。その中に、文氏の姓をもった人が一人いました。文氏の中にカインが一人できたのです。「自分たちの故郷には帰らない」と言って、出てくる時に四人の人が平壌まで付いてきましたが、その文氏はある所に連絡を取りに行き、その間に私たちが南に下ることになったため、離れ離れになってしまいました。

彼はカインとして以北に残り、私はアベルとして以南に来たのです。私が北朝鮮に行くことになったとき、彼が死んでいなければ訪ねてくるでしょう。もしも死んでいたなら、私が彼の墓を訪ねていって、石碑を一つ建ててあげなければならないと思っています。「あなたの精誠が途絶えることがなければ、韓国と北朝鮮がこれから出会う日があるだろう」と思って、今も祈っています。私は、父や母のためには祈りませんが、彼のためには祈っているのです。

4   興南の監獄から出てくる時に、監獄から私のあとに付いてきた人の中に文氏という人がいます。この人は咸興(ハムン)にある咸鏡南道(ハムギョンナンド)の道庁で課長をしていた人ですが、名前を文正彬(ムンヂョンビン)といいました。部下が過ちを犯して捕らえられたのです。私と同じ監房にいたのですが、霊界から教えを受けて、お父様と縁をもった人です。

興南から平壌に出てくる時、私の後ろに付いてきました。彼には妻がいて、息子、娘がいました。私は監獄から出て、彼の家に立ち寄り、別れの挨拶をしてきたのですが、彼が付いてきたのです。これから平壌から南側に行こうとする時でした。金元弼の母親が教会の食口だったのですが、その母親が順安(スナン)に商売に行っていて不在でした。数日後には出発しなければならないのに、戻ってこないので、仕方なく金元弼の母親を連れてきなさいと、文正彬を送りました。

ところが、そこは、歩いていったとしても一日、二日もあれば戻ってくる距離なのに、戻ってこないのです。事態はますます緊迫してきて、中共軍に完全に包囲されそうだったので、このままでは駄目だと思い、仕方なく先に出発しました。ですから、それこそ「先生のために命を捧げる」と言って付いてきたその文氏という人は、出てくることができませんでした。金元弼の母親を連れてこようとして、南の方に出てくることができなかったのです。

5   私が監獄から出てきて平壌に行く時、付いてきた人がたくさんいました。「自分の故郷には行かない」と言ったのです。監獄から出たら、すぐに自分の故郷に帰らなければならないはずですが、帰らないというのです。彼らをみな帰し、四人だけ連れてきました。平壌に着くと、「自分の故郷に行ってきなさい」と言って、全員送りました。「何日何時まで来るように」と言いましたが、わずかにその日に間に合わずに後退したので、みなが従ってくることはできませんでした。

いつか、その人たちにまた会うでしょう。天のために忠誠を尽くし、天のために精誠を尽くす人は滅びません。天はお父様のことを愛しています。世の中の誰も知らない中で、寂しい時に天がそのように協助してくださった事実を体験しています。そのようなことが一度や二度ではありません。一度や二度ではないそのような過去を回想してみれば、その恩を忘れることはできないというのです。

6   私は、興南の監獄だけでも二年と五ヵ月間いました。そこから出てくるとき、労働しながら着ていた服を持ってきました。服の中で、作業着、ランニングシャツ、パンツ、このようなものはすべて木綿でできたものです。硫酸アンモニウム肥料工場で働いたので、木綿にそれ(硫酸アンモニウム)が付けば、木綿が溶けるのです。木綿は酸に弱いので、引っ張るとすべて破れてしまいます。ですから、長く着ていると穴が開いたり、ぼろぼろに腐食したりして、それを着ると乞食の中の乞食になります。臭いがして、どうしようもありません。服をこすると粉になってしまいます。それを捨ててはいけません。これが統一教会の歴史的な財産として宝物になるのです。

これを捨てることができないので、すべて布団の中にぎゅうぎゅうに詰め込みました。すべて布団の中に詰め込んだのです。そして、寝る時にはそれを敷いて寝ます。布団の綿を抜き取って、二年半の間着ていたぼろの包みを代わりに詰め込んだのです。監獄から出てくる時、持ち出す財産が何かあるでしょうか。興南から平壌までの十日間、それを背負ってきたのです。他の所帯道具はすべて投げ捨てて、それを持って出てきました。

そのようにして出てくる時、それをある食口に預けながら、「絹のチョゴリ、スカート、高級な絹の布団をすべて捨てたとしても、これだけは間違いなく私のところに持ってきなさい」と言ったのですが、それを先に捨てて自分たちの物だけをまとめて持ってきたのです。それで、それをなくしてしまいました。もしも今その(歴史を証する)材料があれば、私が説明をする必要はないでしょう。天下とも交換できない貴い材料です。

7   私が興南の監獄から出てくる時に、それまで着ていたそのぼろを持って出てきました。それを売ったところで一銭にもなりません。廃品回収業者にあげても、見返りに飴の半分もくれないのです。三年近い歳月を送りながら、絹のズボンとチョゴリは人にあげてしまい、その囚人服だけを着て暮らしていました。触るとぼろぼろと綿のように崩れていくそのぼろが、何のために必要だったかというのです。それは、十年、一世紀、あるいは数十世紀が過ぎたのちには、億万のお金を出しても買えない宝物になるのです。

今、エルサレムにイエス様が使っていた箸が一膳でもあるとすれば、それはたとえイギリスを渡すといっても買えず、アメリカを渡すといっても買えないでしょう。このような言葉を、今日の若者たちが聞けば笑うかもしれませんが、千金、万金よりもさらに貴いので、困難な環境を克服してまで、それを持って出てきたというのです。

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21  朝食を食べてから昼の十二時まで、どれほどおなかがすいたか分かりません。舌がすれて高熱が出た時のような臭いがします。そのような環境で、私もおなかがすくのですが、同じ囚人たちを慰労するために、一場の長編小説を話し続けるのです。そうすると、一ヵ月もたたないうちに、彼らが差し入れてもらったものを私のところに持ってきて、「先生の好きなように処理してください」と言ったのです。それは驚くべきことです。

原理は簡単です。ために生きる愛をもって完全投入すれば、そのようになるのです。天理の根本がそのようになっているので、その根本を私が抱き締めていくところには、それを破壊する人がいません。私がそのように行動すれば、出力は強くなります。悲壮な決意と涙が交差する誓いをして、代わりに死の道を行くという旗印を掲げて進み出る群れが現れました。ですから、これは間違いなく真理の道です。

22  私が監獄にいる時、忘れられない出来事がありました。私の誕生日でした。監獄は殺風景な所です。そこに平壌の人がいたのですが、その人が私の誕生日であることを知って、朝、自分が食べ残しておいた一杯のはったい粉をくれたことが、生涯忘れられません。いつか、何千倍にして返してあげなければならないと思います。

私は世話になるのが本当に嫌いな人です。世話になったら、必ず返さなければならないというのです。私は世話をするために来たのであって、世話になるために来たとは考えません。私が「やる」と言って進み出た道では、絶対に最下位にはなりません。

23  私が興南の監獄にいる時、私に従った人たちがいました。その人たちは、食べる物があれば、私に持ってきてくれました。はったい粉を紙に包み、汗の臭いがする股のところに入れて、分け合って食べようとして持ってくるのです。検査をするので、見つかったら大変なことになります。それが、どんなに豪華な晩餐よりも印象的なのです。

生きてきてみれば、それが一生の間、記憶に残ります。すべての認識器官がそこに浸らなければならず、そこで体恤された感覚をもって霊界に行かなければなりません。それが祝福です。自分のために生きるのではありません。自分よりも全体のために生きるのです。

24  私は、北朝鮮の興南の監獄にいる時、共産党の要員たちや囚人など、ありとあらゆる人たちを愛するために先頭に立って闘った人です。ですから、その監獄の共産党要員たちが、私を保護するために気遣ってくれるのが分かりました。自分たちが犠牲になったとしても、お父様の秘密を保護しようとしました。共産世界の極悪性が集約された組織が監獄ですが、そのような監獄の世界でも、私を保護する道があることを発見したのです。そのたった一つの道は、犠牲になって愛する道です。これを私は発見してきました。

その監獄で共産党の幹部だった人は、家からはったい粉が送られてくると、それを練って餅を作り、股の間に隠して、仕事をする所まで一里以上の道を歩いてくるのです。うっかりすると落ちて出てきてしまうので、隠していることが見つかる可能性があります。見つかれば大変なことになるのです。お父様と一緒に分け合って食べようとして、そのようにしたというのです。そのように自分の命まで懸ける危険なことがいくらでもあります。そうしながら、昼食時まで汗を流して働くのです。落ちて見つかると大変なことになるので、股間の奧深いところに隠します。そうすると、汗がしみて臭いがします。新聞紙のような物で包んだからといって、はったい粉に汗がしみ込まないでしょうか。汗がしみたからといって、それを捨てるわけにはいきません。

それを分けてくれるその時は、億万の宇宙を買って余りあるほどの愛の爆発が起こるのです。活火山が噴火するのです。そこでも、天の同志が蘇生するのをはっきりと見ました。ただその愛の道だけが、この世界を消化できることを知ったのです。

獄中の弟子を立てて蕩減復帰を勝利 真のお父様は、獄中の苦難を踏み越えて勝利された。監獄では、自らみ言を伝えて伝道することは不可能だったが、愛を実践することによって夢や啓示など霊界の協助を導き出し、十二人以上の獄中の弟子を立てられた。真のお父様は、イエス様が十字架にかかられるとき、イエス様に背いた十二弟子を復帰する蕩減条件を立てることによって、再臨主としての新しい出発のための基台を造成されたのである。

25  監獄には、私が「脱獄しよう」と言えば、命を懸けて付いてくる人たちがいました。死地においてイエス様の十二弟子が逃げたことを復帰しなければなりません。自動的に復帰しなければならないというのです。私が口を開かなくても、霊界が動員されて伝道してくれました。

お父様の囚人番号は五九六(韓国語の発音では、オ・グ・リユク)番でした。ある意味では、「悔しい(オグル)」という言葉に聞こえる番号です。ある人には、夢に先祖が現れ、差し入れのはったい粉を、少しも手を付けずにお父様のところに持っていくようにと命令をしたこともありました。それで、その人がはったい粉の袋を持ってとぼとぼと歩いてきて、「ここに五九六番はいますか。誰ですか」と言うのです。このように霊界が動員されて、食べる物を持ってきてくれたりしました。

その後、私が何も言わずに、平壌を経由して韓国に避難する際、四人の人が付いてきました。四位基台の復帰です。教会を中心とした四人を連れてきたのです。このように歴史は、復帰の原則を外れることはできません。

26  お父様は監獄で、極悪な死刑囚たちにも天の哀れみがあることを願いました。イエス様は、十字架で亡くなるとき、右の強盗に「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・四三)と言いました。お父様は、涙が重なり合う事情をもった人々に、新しい望みと希望を与えるために闘ってきました。監獄に入っても、そのようなことをしたのです。

その人たちを慰労してあげ、私が監獄を出る時に、親が自分の元を去るよりもさらに切ない気持ちで涙を流す場を、彼らに残してあげなければなりませんでした。そのようにしなければ復帰の使命に責任をもてないことを悟り、そのような気持ちで生きてきました。ですから、監獄を出る時、私にしがみついて痛哭する人たちをたくさん見ました。そのようにしたので、私が興南の監獄を出て韓国に来るときに、四人の人が、自分の親や妻子を捨てて私に従ってくるということが起きたのです。

27  お父様の監房から離れた他の部屋に、私に従う人が十二人以上いました。そのように離れて過ごしていても、工場への出発命令が下れば、十五分間ですべて行列をつくるのです。その時は、出てきてトイレにも行ったり来たりするのですが、ほかの人たちと一緒に大勢で行くとトイレが満員になります。それで、監房別に座るのですが、看守が見張っているので、お父様がいる所に行こうとしても行けません。境界線を越えられないのです。

その人たちにとっては、お父様に会うことが一日の中で最も光栄なことであり、生命の道でした。ですから、看守が立っているその下を腹ばいになり、這いつくばるようにして通過しながら、会いにくるということが起きました。見つかった場合には、逃走を企てたとして銃床の端でたたかれ、独房生活を一週間から三週間しなければなりません。三回見つかれば刑罰が重くなります。問題が複雑になるというのです。そのような中でも彼らは、お父様に会って挨拶をしていくことを一日の栄光と思い、そのように行動しました。また、自分たちに食べる物があれば、自分も空腹なのに、私のところに持ってきて分け合って食べるのを光栄なことと思ったのです。そのような心情的絆が、皆さんの知り得ない歴史的背後の伝統として残っているという事実を知らなければなりません。

28  お父様が共産治下の興南の監獄に行って、残忍な圧制と虐待を受けるようになったのは、実体的な復帰の天命を帯びていたからです。サタンの銃剣の前でも、この獄門を開けて出ていくことができる天の人を、天は探し出せるようにしてくれました。直接語らなくても、霊界の霊人たちが伝道して、お父様に従わせました。私は口を閉じていましたが、自分の先祖たちが直接現れて伝道したのです。そうして、お父様は、イエス様を捨てて逃げていった十二弟子以上の弟子を監獄で探し出したのです。

監獄から工場に出発する時間になると、共産党の物々しい監視の中でも、彼らはお父様に会おうとしました。すべての人々が仕事に行くために外に出て、ざわざわとしているのですが、そこで看守たちが銃を持って見張っているにもかかわらず、床を這って私を訪ねてきたのです。天が選んで会わせてくれた人たちは、そのように這ってきてでも、まず挨拶をしようとしました。神様はそのように役事(働き)されます。そこで蕩減基準、四位基台復帰の基準を立てたのです。

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第四節   模範的な監獄生活と勝利 獄中の聖者 興南監獄の収監者たちにとっては、御飯と休憩ほど大切なものはなかった。しかし、真のお父様は、忠母様が面会の際に持ってきた服と食べ物を、他の収監者たちに分け与えるなど、困難な状況でも、かえって神様を慰労し、蕩減復帰路程を歩むべき孝子、忠臣、聖子としての道を歩んでいかれた。真のお父様は、獄中で最も困難な仕事を一手に引き受けて行うなど、模範的な監獄生活を送られたため、共産党から三度にわたって模範労働者賞を受けられた。サタンからも認定されたのである。

1   興南の監獄で囚人たちは、少量の食事と重労働で、常に栄養をきちんと摂取できずにいました。胃は常に働かなければならないのですが、次の日の朝、起きると、自分のおなかが板のようになっていることに気づきます。それが共産党の労働者収容所の生活です。

監獄から作業場までの距離は、一里以上の道のりでした。毎朝監獄から作業場まで歩いていく時は、手をつないで四列に並ばなければならず、横には小銃と拳銃で武装した警備員たちが監視しています。もしも、列が乱れたり、手をつないでいないことが発見されたりすれば、その人たちは脱出をたくらんでいるとみなされるのです。ですから、自分の頭をまっすぐに上げることができません。いつもこのような状況でした。

お父様はそのような環境の中で、どのようにして生き残ることができたのでしょうか。人間は肉身だけではありません。もしも囚人たちが、食べ物だけを食べて生きるようになっていたならば、彼らは死んでいたはずです。精神力が重要です。

2   お父様は、興南の監獄にいながら、ほかの人の二倍まで仕事をしようと決心しました。仕事をするたびに、常に試験を受けていると考えたのです。より一生懸命に仕事をするとき、私の肉身がどのような影響を受けるのかを分析し、研究しました。時々速度を上げると、私の体が変化しました。もし普通に仕事をしていれば、私の体はどのように反応していたでしょうか。

私の組の十人の中には、何人か体の弱い人もいました。ですから、自分のノルマを完遂できない人たちの分を補うために、私のノルマ以上の仕事をしました。毎日そのようなことを続けました。作業をする間に御飯のことを考えていれば、働くことができません。ですから、仕事をする時、御飯のことは考えませんでした。常に、そうするような運命に定められている、そのような仕事をするために生まれてきたと考えました。まるで復帰摂理を行うかのように、常にすべての心情と誠意をその仕事に注いだのです。

3   お父様は監獄で作業する間、常に霊界で経験したことを考え、後日、子孫たちや従う人々に見せてあげる映画の主人公であると考えました。お父様に従う人々や子孫たちは、私が仕事をするのを見ながら感動するだろうという思いをもって働きました。

作業は、午前九時から始まり、十時過ぎに十五分間の休憩時間があるのですが、その時間にトイレに行きます。しかし、お父様は決してそのことを考えませんでした。休憩時間を告げるベルが鳴っても聞こえませんでした。周りに誰もいないことに気づいて、初めて休憩時間であることを知りました。体は仕事をしていましたが、霊は休んでいたのです。そのような精神で働いたので、体重が減らず、ほとんどそのままの体重を維持しました。体重がほとんど減らなかったというのです。ですから、看守たちはとても驚きました。

また、働きに行くたびに、常に最も困難な仕事を探して、それをしました。数ヵ月後、最高の労働者と呼ばれるようになりました。脱出の陰謀を企てることができないように毎日組み替えをしたのですが、組を新しく編成するたびに、囚人たちはみな、この最高の労働者と同じ組になることを願ったのです。お父様の後ろには多くの人たちが並んでいました。

4   お父様は、青春時代に疲れ果てそうになる時も多かったのですが、疲れ果てないようにしようとどれほど気をもんだか分かりません。それは、ただ何もせずにできることではありません。囹圄(牢獄・獄舎)の身になったときも、「神様、私に同情なさらないでください」と言いました。困難な状況でも、絶対に祈りませんでした。深刻でした。一週間でも、一ヵ月でも話をしません。これは何を意味するのでしょうか。難しければ難しいほど、「私の最高の知恵を絞り、最高の精誠を込めて、私によって神様がこの難しい環境を打開できる道を、いかにして模索するか」と考えました。

私によって私が救いを受けようと考えたのではありません。「この難しい心情的動機をつなげて、いかにして神様が痛哭し、悔しさと無念な思いをもちながら、これを強く打つことができるようにするか。怨讐の敵陣を撃破できる心情の爆発力をいかにして刺激させるか」という面を考えたというのです。そして、「早くここから出なければならない」とは考えませんでした。おなかがすけば、「腹よ、空腹になるならなってみよ」と思いました。これから世界が行かなければならない蕩減復帰路程を掲げて、空腹以上に深刻な立場で、神様を強く抱き締めて涙を流した時はありましたが、その場を免れるための努力はしなかったというのです。

5   千万の男がみな後退してしまうような峠がいくらでもあります。監獄に入って、「私がこの死の場で生き残るためには、御飯を半分だけ食べても生きようという決心をしなければならない」と思い、二、三週間、私の御飯の半分を他の人に分けてあげました。他の人の半分だけ食べて生きようというのです。ですから、いつでも心理的に御飯を食べなければなりません。半分しか食べられない境遇で、さらに半分もらって食べられるという心理的余裕が、生命を引っ張っていける力になることを発見しました。数ヵ月もすると体に変化が起こる理由が何か、すべて分かるので、死にゆく若い青年たちをたくさん生かしてあげました。

6   自分の体力を保全するためには、運動をしなければなりません。お父様が興南の監獄にいる時に考案した運動法があります。この運動をすれば、とても効果があります。そのようなことを続けたので、私は食べるのは少しですが、精神力で補充しながら体を鍛錬してきました。今の体とそれほど差はありませんでした。少しやつれていただけです。その時、監獄にいても、約七十二キログラムはありました。他の人たちは、ただ骨と皮ばかりになり、背中がやや曲がって、屍のように感じるほどでしたが、私は絶対に、そのようにはなりませんでした。

7   興南の監獄にいる時、普通の人たちは日曜日には休みます。あのきつい重労働をして日曜日になると、どれほどうれしいことか、それこそ安息日だというのです。ただありったけの力を振り絞って土曜日の夕方までは、どうにか我を忘れて働きます。正気ではありません。肥料工場に出掛け、仕事をして帰ってきたあとは、骨の髄から参ってしまいます。ただぐったりとするのです。御飯さえ食べたら、そのあとは倒れて起き上がることもできません。土曜日の夜と日曜日は、それでも自由が与えられるので、その場で食べて寝るのです。

しかし、寝るのが災いのもとです。お父様は三年近くその監獄にいましたが、昼寝を一度もしませんでした。絶対に昼寝をしないのです。心に決めた睡眠、心に決めた食べ物以外は欲しませんでした。

8   人は死ぬ時に、王子なら王子の権威を備えて死ななければならず、忠臣なら忠臣の姿勢を備えて死ななければなりません。のたれ死にすることはできません。お父様は、興南の監獄にいる時も、体を拭き、毎日のように冷水浴をしました。一日中肥料の山で仕事をしたので、硫酸アンモニウムが体に付いていて、皮膚がただれる可能性があります。そのような体を、夕方に飲むように与えられる水を飲まずに、明け方に起きてその水で手拭いをぬらし、冷水浴をしたのです。「出役(働きに出掛けること)!」という声がして準備するその時間に、サッサッサッサッと拭きました。

収容者たちに、便所で使うような水で沐浴させていましたが、私は死んでもその水ではしませんでした。ですから、水を飲むことが問題ではありません。自分の体を保護しなければならないのです。私は監獄にいながらも、ふくらはぎを人に見せたことがありません。いい加減な生活はしませんでした。興南の監獄で「獄中の聖者」という名前を残した人物なのです。

9   天に侍る人は、監獄にいるからといって、体をなおざりにすることはできません。これ以上ないほど疲れる労働をしても、座る場所を選んで座り、土曜日や日曜日には昼寝をしたことがありません。他の人たちは、重労働をして帰ってくると、御飯を食べるやいなや寝てしまいますが私はそのまま寝たことがありません。監獄で一緒に生活する人たちは、重労働で疲れて先に寝るので、お父様の寝る姿を見たことがないという話が出たのです。そして、明け方には誰よりも早く起きます。また、夜は必ず一人で運動をします。そこでは飲み水がどれほど貴いか分かりません。一口の水が命と同じです。

そして、小さな部屋に数十人がいるので、夏の暑い時には、汗をかき、服を脱いで絞れば汗水が出るのです。ですから、ひしゃくで何杯も水を飲まなければ生きられません。自分の体を清めた、その立場で天に侍るのが道理です。

そこでは、どんなに暑くても自分の肌を見せませんでした。肥料工場から出てくる肥料が窯で熱せられて出てくるので、どれほど暑いでしょうか。そのような暑い所でも、下半身を見せませんでした。貞節を守る女性以上の訓練をしてきたのです。いくら監獄での生活が険悪でも、私の行く道を遮ることはできません。

10  興南の監獄に入って肥料工場で仕事をするとき、とても暑い陰暦五月から六月の盛夏でも、お父様はズボンの裾を締めるひもを結んで仕事をしました。すねも出しませんでした。最近は半袖の服も着ますが、昔はそのような服が本当に嫌いでした。私の体を神様のみ前に捧げなければならない神聖な道が残っているので、神様のために精誠を尽くすところでは、誰にもこの体を見せたくないと思ったのです。ですから、一人で寝る時も、手足を広げて眠りませんでした。上に神様がいらっしゃるというのです。寝る時にも礼法があるのです。

11  私が共産党の統治下で監獄生活をしていたときは、要注意人物でした。その監房には、誰々を監視せよという命令を受けた二、三匹の犬がいました。その犬というのは、動物ではなく、「臭いを嗅ぐ人問」だというのです。それが分かったので、私は話をしませんでした。半月たつても話をしませんでした。そして、日曜日は寝ないことで有名でした。また、明け方に起きて冷水摩擦をすることで有名でした。

いくら困難な環境に置かれていても、天に侍る責任があります。地獄に行っても、そこで天国人としての生が光り輝かなければなりません。いくら薄手の服を着て寒くても、いくら追われる哀れな立場にいたとしても、自分が選ぶべき天との関係を優先させてきました。

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22  興南の肥料工場でする仕事は重労働です。一般社会の人でも、一週間に一度ぐらいは豚肉を食べなければなりません。豚肉は脂が溶けていきます。牛肉は脂が固まりますが、豚肉の脂は流れ落ちるので、細胞を洗浄する作用があるのです。肥料の成分が体の中に入って固まってはいけません。ですから、人々は、一週間に一度くらい豚肉の脂身を無性に食べるのです。しかし、そこに肉があるでしょうか。「御飯でもたらふく食べられたらよい」と思うのです。

朝御飯は、お父様なら三さじも食べれば終わりです。口を大きく開けて食べれば、三さじにしかならないというのです。それを食べて八時間、重労働をするのです。

収容者たちは、朝御飯を食べて工場に出掛けるのですが、工場まで一里以上の道のりです。一里を超える距離を歩いていけば、足もふらつきます。そのような状態で八時間労働をしなければなりません。

23  食べることができずに病気になり、死にかかっている人にとって、御飯は救世主です。一握りの御飯は、この世の一軒の家と取り替えても余りあるのです。ですから、御飯を食べている途中で息絶えると、その人の口にある御飯を取り出して食べるほどになります。狂気の沙汰といっても、そのような狂気の沙汰はありません。食べている御飯の中に石があって吐き出したものに御飯が一粒付いていれば、他の人がその石に付いた一粒を拾って食べるのです。生き地獄です。

そうしながら、反動分子を音もなく除去するのです。千人いたら、死んで監獄の後門から出ていく人が、一年で四百人近くになります。三年から四年もすれば、すべて死ぬということです。脂気がすべて抜けて死ぬまで仕事をさせるために、そのような政策を取るのです。無慈悲という程度ではありません。無慈悲なことにも、ある程度の限度があります。冷酷なことにも限度があるというのです。これは、限度をはるかに超えたことです。

24  私が興南の監獄に入っている時、千人近くの人がいました。その千人の中で、一年だけ過ぎると、四〇パーセントほどが死んで出ていきます。ですから、毎日葬式を行うのです。毎日、後門から棺が出ていくのを見なければなりません。自分の部屋にいる人たちも、そのように死んでいくのです。三十人いれば、十人以上死ぬことになります。

看護する人がいて、御飯を食べて死んでいくのではありません。病気になって苦しむことよりも、おなかがすく苦痛のほうが上回っているのです。病気になった人でも、仕事をしなければ御飯は半分しかもらえません。監獄で大きな一握りの御飯をもらうのと、半分をもらうのを比較してみると、大きいのをもらう時は天国のようで、小さいのをもらう時は地獄のようです。いくら話しても、皆さんには理解できないでしょう。

結局、仕事に出掛けて帰ってきて、やっと御飯がもらえるので、病気でも仕事をするのです。門を出る時に座り込んでいたとしても、這ってでも仕事に出掛けます。仕事をするふりでもしなければなりません。もう半分の御飯のために、あがきながら、仕事が終わるまで我慢するのです。帰って御飯をもう半分もらうことが、最高の理想だというのです。

ですから、御飯をもらう時間には、具合の悪い人はいません。自分のノルマに相当する御飯は、すべてしっかり食べるのです。そのように御飯をもらって戻り、死に物狂いでその御飯を食べている途中で、結局スプーンを落とし、目を閉じて死んでいく人が一人や二人ではありませんでした。

25  今でもお父様が一番忘れられないことがあります。私が興南の監獄にいるとき、母が一ヵ月に一回、面会に来ながら持ってきてくれたはったい粉を、監房にいる囚人たちと分け合って食べました。一つの監房に三十人以上いたので、たくさん分けてあげることはできず、新聞紙の切れ端に一さじずつ盛って、分けてあげたのです。

それは、牛カルビなど問題になりません。そこでの豆一粒は、外の世界での大きい雄牛十頭に勝るのです。いくら体面をつくろって威信をかざしたてる人でも、一粒の豆が落ちれば手を伸ばすようになっています。三十以上が一斉に手を伸ばし、互いに豆を拾おうとするのです。恐らく皆さんは,そのような境地を想象することもできないでしょう。

26  監獄にいる時、はったい粉を分けてあげる日は、正に祝宴の日です。お父様は、それをあげるのが惜しいからといって一人では食べません。絶対に一人では食べないのです。このはったい粉を水でこねて、はったい粉餅を作り、新聞紙に包んで作業場に持って出掛けます。食べたいのを我慢して、昼食の時間まで耐えなければならないのですが、その食べたい思いがどれほど切実か分かりません。それでも、それを分け合って食べたいので我慢するのです。汗を流して仕事をしながらも、一日中、そのことしか考えません。そうこうするうちに、昼食の時間になれば、それを分けて食べるのです。

私たちが働いていた肥料工場は大きいので、第一作業場と第二作業場に分かれていて、大きな肥料の山がそれぞれいくつかあります。作業時間にはそこで仕事をしますが、休み時間の十五分間は、それこそ天国です。その世界の生活というものは、体験してみたことがない人には分かりません。このような体験は、億万のお金とも交換することができません。それは血の涙で染まっているからです。自分の生涯のすべてを投入しなければならない世界が、正にその世界です。

27  監獄にいると、みな、おなかがすいて死にそうになります。肝油はどれほど生臭いでしょうか。その生臭い肝油に御飯を混ぜて食べても、生臭さが感じられないのです。それをコップに一杯そのまま注いで飲んでも、生臭くありません。それだけ体に脂気が不足しているということです。それがどれほど芳しいか分かりません。それだけ飢えているのです。ですから、(普通の人なら)仕事をしていても御飯が恋しく、自分が死ぬことも知らずに、ただ御飯ゆえに苦労して働くのです。働かなければ御飯を半分しかくれませんでした。御飯を半分しかもらえないというのは、死ぬほどつらいことです。そのような世界で彼らを慰労してあげ、彼らを教育してあげなければなりません。

私はたくさんの人を生かしました。「この工場で働けば、何ヵ月間はこのような症状が起き、また、このような症状も起きる。何ヵ月間はこれこれこのようになるが、この峠を越えられなければ必ず死ぬことになる。だから私の言うことを聞きなさい」と話し、大勢の人がお父様の言葉どおりに生活したおかげで、死にゆく環境の中で生き残りました。その人たちが弟子になったのです。ですから、監獄に行っても、教えてあげなければなりません。

28  興南の監獄にいる時、人々は御飯が恋しいので、どんなに具合が悪くても仕事に出掛けます。そうして帰ってきては、御飯をもらって三さじも食べられないまま、口に入れてかみながら死んでいく人もいます。すると、周りにいた人たち同土でけんかが起こります。口に入っていた御飯粒までも取り出して食べるのです。

お父様はそのような中でも、二、三週間も(御飯の)半分を人に分け与え、半分だけを食べて生きました。三年ではなく、五年、十年でも生きるのです。自然の中には目に見えない波長があります。自然が私を生かすために何かをあげたいと思うのです。私が自然を好むからです。近くの丘にりんご畑があれば、そのりんご畑から香りが漂ってきます。その香りをりんごのように感じて、ごくりとのみ込めば、本物のりんごを食べるのと同じなのです。

29  お父様は、りんご一つを握り締めて本当に感謝したことがあります。共産圏の監獄にいた時のことです。一年に二回、五月一日と一月一日には果物をくれます。りんごが一つ配給されるのですが、自分で良い物を選ぶのではなく、順番に分けてくれるのをもらうのです。虫食いの物でも、どんな物でも、ただ配給してくれる物を受け取らなければなりません。りんごを分けてもらうと、普通の人たちは受け取るなりむしゃむしゃと、一分もかからずにすべて食べてしまいます。

しかし、お父様は、「この色は、どれほどきれいなのだろう!この色を味わおう」と考えました。そして、「色を味わい、それから味を味わってみよう」と考えました。そうすると、口を開けて食べようという思いが湧かないのです。食ベずに取っておいてこそ、目の保養にもなり、匂いも嗅いだりできるので、食べようという思いをもつ自分になれないことを感じました。

かといって、それを持って行き来するような状況でもあません。ですから、食べることは食べるのですが、食べる時は、神様のみ前に祈りながら、「りんごを食べますが、私が世界で最初にこのような思いをもって食べます」という自負心をもって食べたことがありました。

30  お父様は、監獄で御飯をもらっても、「おかずがない」と不満を言うことはありませんでした。水を置き、おかずのない御飯を食べても、天の父を呼びつつ「あすの希望をもって歩んできたお前ではなかったか」と言って食べました。そこでは、おかずがあったとしても御飯と一緒に食べることはできません。

監獄の中は、食事をする人が千人近くいるので、お汁と御飯を一緒に与えることはできません。一時間以内に御飯を食ベなければなりませんが、お汁は向こうで、御飯はこつちでと、別々にくれるので混雑するのです。御飯だけ受け取るのに三十分かかります。そのように御飯とお汁を受け取っていれば、食事の時間が過ぎてしまいます。また、食事の時間が終わるやいなや、三分以内に作業場に出発しなければなりません。ですから、一方の手にお汁を受け取り、もう片方の手に御飯を受け取ってこのようにそろえて食べる余裕がありません。手当たり次第に、お汁はお汁で、御飯は御飯で列に並び、受け取ってすぐに食べるのです。御飯を先にもらえば御飯から食べます。おかずなしの御飯を食べるのです。

そこで、おかずなしで御飯を食べる方法を学びました。御飯だけでも本当においしいのです。私は昔から、おこげがとても好きです。神様はよくぞ私を訓練してくださったと思います。昔、私が食べたおこげの味が、その御飯の味です。そこにこげた味が少し加われば、普通の御飯には見向きもしなくなるほどおいしくなります。いつもそのように、お汁はお汁だけで、御飯は御飯だけで食べました。そのような場でも、私はみ旨を中心として生命を捧げる覚悟をし、神様のために孝の道理、忠の道理を尽くすのだと思って生活しました。

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11  興南は、冬に零下二三度まで下がる所です。そのような所でお父様は、単衣の服を着ていても寒いとは考えませんでした。その場で、「もっと寒くなれ。もっと寒くなれ。もっと寒くなれ」と思いながら、それを克服する闘いをしました。寒ければ寒いほど、綿入れのズボンと上着はすべて人にあげ、単衣の服だけを着て仕事をしました。厚い服は人に与え、単衣の服を着ようとしたのです。

また、最も困難な仕事はどこにあるのかと考えて、その場所を訪ねていこうとしました。ほかの人たちは最も易しい仕事を求めるのですが、最も困難な仕事を探し回ったのです。これを越えられなければ死ぬと考えました。そうでなければ、共産党やこの世界を制覇するという考えをもつことはできないのです

12  お父様の歯を見ると、割れているところがあります。監獄で針を作ろうとして割れました。監獄では針が本当に貴重です。手に入れることができないので、作って使わなければなりません。その時、肥料工場に肥料を入れるかますを結ぶために使う手かぎがありました。その手かぎの端を非常に軽く、百回でも千回でもたたくのです。突然強くたたいてはいけません。軽くたたくと平らになります。その平らになったところを、ガラスで裂くのです。

その次に、それを研いで針を作ります。その時、穴が丸いといけないので、歯でぎゅっとかんで細長く作るのです。その次には、これを切らなければならないのですが、切る道具がないので、歯でかみ切るのです。そうしようとしたところ、歯がこのように割れました。今でもこの歯を見るたびに、監獄での生活が思い出されます。

そのようにして針を作っておくと、そのうわさが監獄全体に広まり、土曜日になると針を借りに来るのです。すると王様のように座って、「あなたも受け取っていきなさい。あなたも受け取っていきなさい」と言いながら貸してあげるのです。そうしてから朝、出ていくとみな挨拶をします。そのような時には、針も作れなければなりません。私が精誠を込めて作った針なので、世の中で作った針よりもよく鏠うことができると考えました。

13  皆さんは、共産党の監獄での生活がどのようなものか、よく知らないでしょう。ソビエト革命後、多くのソ連人が強制労働に苦しみました。共産主義理論では、彼らの前に、何らかの有産階級や反共産主義分子たちがいてはいけません。共産党は反対者たちをすべて粛清したいのですが、世界の世論のゆえにそうすることができないのです。そこで共産党は、彼らを強制労働に動員して、厳しい労働によって彼らが死ぬ時を待つのです。

北朝鮮で監獄にいた時、お父様は強制労働収容所に収監されました。北朝鮮の共産党は、ソ連の経験に倣って、すべての囚人たちを厳しい労働に動員し、彼らが死ぬまで放っておきました。

14  重労働をさせて死なせるのが共産主義の作戦です。興南の監獄に入ってから三年過ぎると、ほとんどがみな死んで出ていきます。間違いなく三年以内にそうなります。食べ物をろくに与えずに重労働をさせるので、ここに入ってきた人は、まず死んだも同然です。

この世の普通の人の基準では、一日三食、脂気のある食べ物を食べて精いっぱい仕事をしても、十人で一日に七百かますしかできません。しかし、この工場では、その倍近くの量をしなければならないのです。食べる御飯は少なくて、大きな口で、三口も食べれば終わってしまいます。そうして重労働をするので、朝食を食べて工場に向かうその道で、既に足がふらつきます。そのような足を引きずっていって朝から仕事をするのです。その姿は、本当に悲惨極まりないものです。

15  私が仕事をした興南の硫酸アンモニウム肥料工場に、大きな広場があります。白い硫酸アンモニウムが生産されて出てくると、ベルトコンベアを通ってその大きな広場の真ん中に積もるのですが、滝の水が落ちるように、白いものが落ちてきます。その高さが二十メートルほどになります。そのように高い所から広いコンベアを通って落ちる様子は、滝のように壮観です。それが地面に落ちると冷めるのです。

熱いと固まりになるので、固まらない程度に冷ますために、そのように高い所から落とさなければなりません。落ちて積もった大きな肥料の山はピラミッドのようですが、それをすくって入れるのです。

しかし、時間がたったものは、熱で溶けて、岩山のように固まってしまいます。まるで氷山のように青白くなるのです。そのような肥料の山を中心として、それをすくって袋に入れる作業をします。大きな広場に八百人から九百人が出ていって仕事をするのですが、大きな山を二つに分けて積み上げるのと同じようなことをするのです。

16  お父様は、北朝鮮の共産政権の(興南)監獄に入って、二年五ヵ月の間、重労働をしました。何の労働かというと、肥料工場でする仕事です。硫酸アンモニウム肥料工場で、肥料がベルトコンベアに載せられて、広場の真ん中に落ちるようになっています。その肥料をかますに入れて秤に掛け、貨車に積む仕事をするのです。熱処理をして作るものなので、生産されて出てくる硫酸アンモニウムは熱いのです。それが冷めると塊になります。それを何年もの間放っておくと、岩のようになってしまいます。本当に大変な重労働でした。

一日八時間の労働時間に、一人一人の責任分担があります。十人一組になって仕事をするのですが、一組の一日のノルマは千三百かますです。これを八時間以内に終わらせなければ、食事が半分に減らされることになっていました。

17  硫酸アンモニウム肥料工場で仕事をしたのですが、そこはアンモニアガスが充満しています。ですから、硫酸アンモニウムが皮膚に溶け込み、絞ると水が出るほどです。どこを絞っても水が出てきます。細胞が、半分は死んでいるというのです。そのような環境では、精神力でなければ持ちこたえられません。

そこでは、いくらしっかり食べている人たちでも、三年も仕事をすると肺病になります。ならなければうそです。そのようなアンモニアガスが工場の中に満ちているのです。ですから、大体六ヵ月過ぎて咳をすれば、血の混じった痰が出ます。必然的に、そうなるようになっています。そこできつい仕事に疲れ果てず、自分の精誠の基盤を築き、蘇生した体をもってこそ持ちこたえられるのですが、普通の若者たちはそれを知りません。ですから、お父様が経験を通してそれを指導し続けてきたのです。

18  肥料工場でする仕事は、かますに肥料を入れ、秤に掛けて縛り、引っ張っていって貨車に積むことです。どんどんと肥料をすくい出すので、肥料の山の近くに場所を取ってはいけません。およそ十メートル、十五メートル離れた所からしなければなりません。ですから、その距離の分だけ、引っ張っていかなければなりません。

そうやって、それを港で待っているソ連の船に積み込むのです。数万トン積み込むのですが、それを毎日計算しながら、行わなければなりません。それが間違った場合は、大きな問題になります。国家間の外交問題がかかっているからです。ですから、ノルマは絶対に完遂しなければなりません。

そのような中で、仕事ができなければ二級に落ちるのです。かますを縫う仕事をする二級に落ちると、御飯は半分しかくれません。その次に、それもできなくなれば、縄をなう所に行くことになります。縄をなう所に行くと、御飯は三分の一にしかなりません。それは死ねということです。

結局、一握りの御飯をもらうために、必死になって働きに出るのです。夕方、帰ってきて、ほかの人と同じように一握りの御飯をもらうことが一番の希望なのに、その半分や三分の一をもらうことになれば、茫然とするのです。

ですから、死に物狂いで、御飯のために死ぬまで働かざるを得ないというのです。

19  お父様は、監獄でマラリアを患っても祈りませんでした。かえって、そのような時には断食をしました。「ようし、やるぞ!」と言って、薬も飲むことができずに二十四日間患っても、責任量の仕事を完遂していきました。朝、働きに出掛ける時に、監房から出るように言われます。広場に全員集めておいて、不法な所持品を持っていないか、すべて身体検査をします。そうすると、そこで一時間から二時間が費やされます。こうして九時に作業が始まるとすると、一里以上の道のりを歩いていくのに一時間から一時間二十分かかります。御飯を食べる時間を入れれば、二時間以上はかかるというのです。

ですから、働きに出るとなると、普通明け方の四時半に起きて、九時に作業場に到着するのです。そうやって出掛けて座り込むと、頭が非常にくらくらします。頭がくらくらして、立つことができません。ですから、横の人の肩をつかんで立ち上がるのです。作業場に行っても、自分の力で働くのではありません。

限度を超えた冷酷な監獄の食事 収監者たちには、少量の雑榖御飯と塩の汁物が配給された。御飯は粘り気がなく、大口で食べると、三口ほどにしかならなかった。それでも、仕事をしなければ配給量が半分に減るため、具合が悪くても作業場に出ていかざるを得なかった。御飯を食べながら死んだ人の口の中から、御飯を取り出して食べることもあった。正に、興南監獄は冷酷さの限界線を越えた場所だった。このような所でも、真のお父様は、最初の二、三週間、配当された給食の半分を収監者たちに分け与えられたのである。

20  監獄でお父様は、決して一言も話しませんでした。共産主義者たちの組織を知っていたからです。お父様にとって最も大変だったことは、虚偽の演説を聞いたあとに感想文を書くことでした。監視員たちは監視の目をお父様に集中させて、告発する条件を探し求めていました。共産主義者たちは、お父様の部屋にスパイを入れておきました。ですから、お父様は一言も話さなかったのです。

監視員たちは、一人の囚人に御飯を少し多めに与えて、その囚人を手先として利用しました。これは、とても簡単にできることです。共産主義の世界では、御飯で人々を操るのです。皆さんが御飯を食べながら、時々、石が入っているときがあると思いますが、ある人はそれを吐き出すでしょう。しかし、囚人たちは、吐き出したものまでも、ことごとくなめて食べるほどでした。このような状況が続いたのです。

21  お父様は、一九四九年十二月十七日から二十一日までの期間を、一生忘れることができません。当時、監獄に入っている人には、大概とうもろこし御飯や燕麦御飯、それから豆かすのようなものが与えられました。殺すことができないので食べさせるのです。

その期間には、そばを半分しかひいていないもので作られた御飯が与えられました。そのようなものを配給して食事にしたのです。それを最初に食べたときは、肌がむくみました。そばの御飯だけを食べると腫れるのです。その御飯を食べるとき、御飯に気をとられた人たちは、胃がどうなろうと食べます。胃のことを考えません。おなかがすいているので、それが食べづらくても、そのままごくりとのみ込んでしまい、病気になったのです。

お父様はそのことを既に知っていました。ですから、普段、御飯を食べる時間よりも三倍ゆっくり食べました。すべて一つ一つ皮を剥いて食べたのです。ほかの人たちは、その食べ物を食べて、消化できないので顔が腫れました。ですから、食べる時は、唾を倍以上も出すようにして、長時間かんで食ベなければなりません。その時、そば一粒一粒、すべて皮をむいて食べたのですが、それが一生忘れられません。

またその上、仕事は重労働をしました。その時、この世で御飯がどれほど貴重なものかを知りました。米一粒がどれほど貴いかを、その時に知ったのです。食膳が出されると、その時のことが思い出されます。

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9   皆さんは、世界に行ける主導的な運動を起こすべき、主体的な一つの団体をつくらなければなりません。これが、一九七五年を中心として出発する国際(伝道)機動隊です。

これから、(伝道)機動隊を先頭に立てて全世界を席巻していくでしょう。イエス様の時代において、百二十門徒は世界的代表の国家型なので、百二十ヵ国に宣教部を設置しなければなりません。ですから、一九七五年からは、その数に該当する私たちの宣教部をつくります

今までは、外国に宣教に行くとき一人で行きましたが、これからは三人ずつ一緒に送り出そうと思います。日本人、アメリカ人、ドイツ人を送りますが、お父様を中心として見れば四人と同じです。このようにして、私たちは超民族的であり、新しい国家の民族になるのです。なぜかというと、既に世界的時代を越えたからです。

私たちは、国家的基準の前に、アダム国家、エバ国家、天使長国家をもてる圏内に立っているので、世界が共同で出発できる時を迎えました。ですから、宣教師を三人ずつ送るのです。天使長国家であるアメリカから出発して日本に行き、その次には韓国で活動をするのです。アジアの天使長国家である中国、ヨーロッパのエバ国家であるイギリスと、天使長国家であるドイツなど、七ヵ国さえ連結させれば、どんな国でも私たちが自由に往来できる道が開かれると見るのです。

10  日本の若者たちにとって、アメリカは第二次世界大戦のときの怨讐国家です。ドイツの若者たちも、やはり同じです。ですから、日本とドイツの若者たちを、最も多くアメリカに来るようにさせました。日本人とドイツ人が、怨讐の国であるアメリカにおいて、自分の国よりもアメリカをさらに愛するようになれば、ここから世界の超民族的な新しい国が誕生するからです。全世界のために、誰かがこのような目標を立てて働かなければならないようになっています。

日本の若者たちが、日本を超越してアメリカでそのようなことをやり遂げることを考えるとき、これは日本の誇りとなるに違いありません。歴史的に、日本とアメリカの関係は非常に複雑です。ところが、彼らが今していることが歴史に残るようになるとすれば、これは将来、日本とアメリカを一つに束ね得る動機となります。このようなことを目標として、日本の若者たちが先頭に立ち、「ために存在する世界」建設のために活動しているのです。これは、皆さんと日本人全体の誇りに違いありません。そして、韓国人と日本人と台湾人この三ヵ国の人々を、アメリカで一つに束ねるのです。そうして、東洋に影響を与え、アメリカを抱えて動き始めるとすれば、日本が救われる道が開かれるかもしれません。台湾や大韓民国の現況を考慮するとき、そのような道を模索する以外には、共産圏から追われる緊急な立場にいるアジアを再生させる道はないと考えるのです。

11  アメリカは天使長国家です。アメリカは、堕落した世界で失ったものをすべてもってきてくくりつけなければならない復帰的天使長なので、すべて抱えているというのです。アメリカは、ヨーロッパを中心として、アベルの立場にあります。ですから、アメリカを中心として、韓国、日本、アメリカ、ドイツの四ヵ国を一つにするのが、神側にとって最も容易な道だという結論が出てきます。それゆえ、お父様が、韓国ではこれを一つにすることができないので、世界的舞台を中心として、自由世界の中心であるアメリカに来て基地を築かざるを得ないというのが原理観です。

私はここに来るとき、日本人を連れてきました。その次には、ドイツ人を連れてきました。その次には、お父様とアメリカ人です。ですから、四ヵ国を連結させる作戦をせざるを得ません。ところが、ドイツ人、アメリカ人がするのではなく、日本人がするのです。日本人がすべてしなければなりません。エバがしなければならないのです。日本は母の立場です。日本が二人の息子の国家を復帰しなければなりません。その国々の中で、アメリカは天の側であり、ドイツはサタン側です。ですから、アメリカで、日本の食口たちがアメリカの人たちとドイツの人たちを抱いてあげるのです。お父様はアダムの立場です。日本はエバの立場です。これは自動的なペアです。(アメリカ人とドイツ人を抱いた)そののちに、アダムとエバが一つになるのです。そのようになれば、アダムであるお父様が、その三人を抱くのです。そうして、二人の息子の立場にある国々を抱いてこそ、私たちは本郷に行くことができます。それが原理観です。お父様が百二十七ヵ国に宣教師を送り出すときも、アメリカ人ドイツ人日本人を送ったのですが、「あなたたちは一つにならなければならない。日本人を中心として一つになりなさい」と言いました。それは、命令されてするのではなく、自動的にしなければなりません。日本人宣教師は、アメリカと一つになり、ドイツを一つにしなければなりません。

12  今や全世界は、秋の季節の収穫を待っています。今までは統一教会に反対しましたが、これからは統一教会に反対してはいけません。統一教会に反対する雰囲気が、完全に消えています。世界は収穫の役軍を呼び求めています。神様は今回の機会に、収穫の役軍を動員することを願っています。人類は収穫の役軍を待っており、神様は収穫すべき役軍を送り出すことを願っています。ですから、皆さんの決心の上にお父様の決心を連結させ、代わりに行こうという決意をしてほしいというのです。お父様の伝統的な思想を受け継いで、新しい第二のレバレンド・ムーンになろうという決心をしなければなりません。そうすれば、お父様はいなくなっても問題ありません。ですから、全世界の統一教会の責任者たちと、宣教部で生活している宣教国の代表たちが、皆さんのような決意をすることにより、天地と霊的世界が連結されるという事実を宣布します。このような契機が設定されたという事実は、世界史的なことです。これは目に見えませんが、世界史的な出来事です。今からは、皆さんが第二のレバレンド・ムーンです。ですから、迫害を受け、困難なことがあるとしても、自分を中心として考えるのではなく、お父様を中心として考えなければなりません。第二のレバレンド・ムーンとして、「お父様はこのような立場で、どのようにされただろうか」と、常に考えなければならないのです。これが生活様式です。

13  世界に広がっている数多くの統一家の子女たちは、天の父母様を中心として、心情的な絆を結束させなければなりません。ここで与え合うその思いは、人間世界のいかなる心情の内容よりも、国家や天宙を中心とした膨大な心情的絆によるものでなければなりません。そのようになれば、自分を中心として神様と与え合うその心情的基盤は、「万民が通過しても、その方向が交わることはない。進み行く途中で切れることがない」と言える確固たる場になることができます。言い換えると、韓国と外国の宣教本部を中心として見れば、韓国を通した摂理の関係がその宣教本部を通して伝達されるときには、支障がないというのです。そのように伝達されることを願い、また伝達されれば、それを自分の国の全土に拡張させたいと思うのです。このように確固不動たる心情の橋が連結されているとすれば、その橋を通して、歴史と世界に新しい天運を引き入れることができます。このような点で、韓国であれば韓国を中心として、摂理的な立場から見るとき、中心は一点しかありません。その中心の支え、あるいは基盤が傾いてはいけません。これが傾けば、かえって破綻の要因になるのです。

宣教師たちの試練 世界の至る所に宣教師が派遣されるとともに、迫害も伴った。特に共産圏国家では、宣教師たちが地下で命を懸けて闘った。一九七六年一月二十三日、フランス・パリのヴィラ・オプレ教会で爆破事件が発生し、多くの食口が重軽傷を負った。フランスの食口たちは、エッフェル塔からトロカデロまで力強い抗議行進を行うなど、ヨーロッパの各教会の支援を受けて、三月まで講演と屋外集会を開催した。このような渦中で、一月二十九日、三百人以上の市民デモと襲撃により、一つの伝道所の器物が破損したこともあった。一方、一九八〇年十二月十八日には、笹本正樹・タンザニア宣教師が殉教するなど、宣教師たちが各国で相次いで苦難を受けたのである。

14  一九七六年(当時)、アフリカまで百二十七ヵ国に宣教師が出掛けています。しかし、四ヵ国からは追放されました。それは、共産党と闘ってそのようになったのです。ほとんどが共産国家です。ですから、百二十三ヵ国に行っているのですが、出ている最前線の宣教師たちは、困難なことに遭うときに涙を流して祈れば、すべて啓示で教えられるのです。

皆さんも啓示を受けますか。そのような体験がなければ、統一教会員ではありません。一〇〇パーセント、教えてくれるようになっているのです。統一教会を信じない人は、いくら説明しても分かりません。

15  一九七五年と七六年は、私たちに最高の迫害があった時でした。七五年に宣教師をすべて送り出しました。このようなことが摂理を短縮させるのです。一九八一年までにすべきことを、七六年までに短縮させるのです。その時は、全世界が統一教会に反対しました。百二十七ヵ国に宣教師を送ったところ、父母様が反対を受けると同時に、宣教師が監獄に行くという出来事も起きました。

16  お父様が皆さんを苦労させればさせるほど、神様は助けてくれます。霊界が助けてくれるというのです。外国の宣教師たちが監獄に入れば、神様が教えてくれます。それは本当です。事実です。私はよく知っています。私が一生の間、そのような困難にぶつかるたびに、神様が現れて、助けてくれました。その時が、私には誇らしい時であり、黄金時代でした。私には最も秘密めいた時でした。それは、私だけが知っているのです。

17  一九七五年に全世界的に派遣された宣教師たちが迫害を受けましたが、それは、一気に越えていくための出来事です。「統一教会はアメリカだけにあると思っていたのに、私たちの国にもあるのだな」と言われ、話題になりました。日本人、アメリカ人、ドイツ人、この三ヵ国の人々は、互いに怨讐です。彼らが一つにならなければなりません。また、今や新しい時代において、摂理的な立場から、その人々が使命を果たさなければなりません。ですから、世界を代表して、迫害を受けるのです。アメリカで立ったうわさが、各国に伝わります。アメリカで「良い」と言えば、みな「良い」と言う時代になりました。ですから、今や、一九七七年からは、すべて方向を変える運動をするのです。このようにして方向を変えれば、伝道するのは簡単です。そのようになれば、八十四人ほどなら、私であれば一週間以内にみな伝道してしまいます。一週間、修練さえすれば、すべて終わるのです。できるだけ、そのような時をつくり、皆さんが伝道を簡単にできるようにするために、今、このことをしているのです。

18  一九七六年まで、世界が統一教会に反対しました。世界全体が反対しなければなりません。ユダヤ教からキリスト教、その次にはイスラーム、ヒンドゥー教など、すべての宗教とすべての国の国民、共産世界までがそこに力を合わせ、総攻撃を仕掛けなければならないのです。そのようにしなければ、全体から勝利したという条件を探し出すことはできません。それが、一九七六年を中心として、アメリカで統一教会が繰り広げた一大闘争の歴史です。

一九七五年に世界の百二十七ヵ国に宣教師を送ると、世界がくるっとひっくり返りました。アメリカが大使館を通じて各国で反対させることにより、世界の統一教会の宣教師たちは、十字架の試練を受けるようになるのです。追いやられ、ありとあらゆることをされるのです。それは、サタン世界を否定することになります。私が否定しなくても、サタン世界が私を攻撃することによって、否定された立場に立つようになるのです。

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21  今まで、皆さんが父母様のみ意を受け入れ、内外的に様々な方面で努力しながら苦労してきたことを、日本をよく往来する指導者たちの話を通してたくさん聞いています。私は本当に、どのようにすれば皆さんを慰労し、励まして、少しでも力になれるのか、たくさん考えてみました。

人類歴史は栄光で出発しなければなりませんでしたが、アダムとエバの堕落によって、恨多き復帰歴史として出発しました。このような歴史を考えてみるとき、一人の生涯が、迫害と苦難と絶え間ない受難の路程を経て、今日の世界の統一教会の基盤として広がるまで、言葉では表現できない隠された事情が多くあったというのです。一言で言って、涙が止めどなく流れる中で、身の置き場もない血と苦痛の歴史であることを、皆さんは体験したでしょう。サタンは私たちに余裕を与えません。少しも譲歩することがありません。今回、アメリカにおける裁判を、皆さんは詳細に知っているでしょう。必ず、天が勝利されるというのです。

22  一九九二年に父母様が日本を訪問したのは、韓国と日本、アダム国家とエバ国家が一つになり、アメリカとドイツが一つになるようにするためです。それ以外のすべての国々は、地上天国の一族王国です。今まで、長子権、王国権をもっていませんでした。直系の長子権をもって、万人の歴史を指導して余りある伝統的な基準を立てなければならないというのです。天的な愛、真の愛を植えて定着することにより、一万年を越えても変わらない基盤を残すことが、神様の理想です。そのことを日本国民に再教育しなければなりません。

日本は国にとどまらず、真の父母と一つになって、世界に跳躍することができなければなりません。日本が今から、経済的に祝福を受けた基盤の上で、精神的な内容を備えるようになれば、心身分裂の悲劇の歴史が終わり、心身が統一されて完成実体を成し遂げた国になるでしょう。

第三節   世界宣教師の派遣と受難 世界宣教国の拡張 一九五八年に日本、五九年にアメリカで開拓伝道が行われたのに続き、世界宣教が本格化したのは、六五年の真の父母様の第一次世界巡回以降であった。第一次世界巡回をきっかけに、イギリス、イタリア、ドイツ、オーストリア、オランダ、ヨルダン、ブラジルなどの地に宣教師が派遣された。その後も宣教師の派遣は続いたが、一九七五年二月、日本巡回中に日本の教会本部で開かれた世界宣教師会議で、真の父母様は、世界九十五ヵ国に宣教師を派遣することを決定された。これにより、五月五日付で本格的に宣教師が派遣され、百二十七の宣教国が確定し、その後、百九十五ヵ国に統一教会が設立されるなど、世界宣教の歴史に新たな記録を打ち立てたのである。

1  私たちは、世界を救わなければなりません。一九七四年までに、百二十ヵ国に宣教師を派遣しなければなりません。これは必ずしなければならないのです。それを準備するために、お父様は世界四十ヵ国に百二十ヵ所の聖地を定めました。第二次七年路程中に、そのようなことを果たさなければなりません。

誰が派遣されるのでしょうか。祝福家庭を送れば、迫害がより少ないでしょう。ですから、他の食口たちよりは、祝福家庭を送らなければならないと考えています。しかし、もしふさわしい祝福家庭がいなければ、その国で生まれた父母や祖父母がいるなど、その国と特別な関係がある食口を選抜して送るでしょう。その国と何かしらの血統的関係を結んでいる食口がいれば、その食口を派遣します。

第三次七年路程に入れば、私たちはこの百二十ヵ国を基盤として、世界に進んでいかなければなりません。ですから、この第二次七年路程の間に、第三次七年路程を準備しなければならないのです。

2   一九七五年には、百二十ヵ国に三百六十人の宣教師を送るでしょう。今までは一人で送り出しましたが、これからは三人ずつ送るでしょう。一人は日本人、一人はヨーロッパ人、一人はアメリカ人で構成します。ヨーロッパ人千人で一チーム、アジア人千人で一チーム、その次に、南北のアメリカ人千人で一チームとして、国際(伝道)機動隊をつくります。そうして、三千人の国際(伝道)機動隊が回りながら、一つの国に一ヵ月ずつ行って、千人ずつ伝道する運動を強力に推し進めるでしょう。一チーム千人ずつですから、三千人が一ヵ月に一人ずつ伝道しようというのです。少なくとも、三ヵ月に一人ずつは問題ないと考えます。いくらできなくても、三ヵ月に一人ずつは伝道できるのです。ですから、急進的に統一教会の食口が増えていきます。

そうして、現在、国際(伝道)機動隊の中で、ドイツ人であるとか、フランス人であるとか、優秀な人々を、今後、国際的な宣教事業に輩出できるように準備しています。彼らは三年間、宣教活動をしなければなりません。三年あれば、完全に基盤を築くことができるというのです。

3   宣教師を送るとき、一国の人だけを送るのではありません。ドイツ人、日本人、アメリカ人、三ヵ国の人を一度に送って問題を起こす宣教運動は初めてです。ですから、その国で問題になれば、これは世界的な問題になります。その国が日本人に反対すれば、日本人もその国の人に反対するのであり、ドイツ人に反対すれば、ドイツ人もその国の人に反対するのです。全世界的に引っ掛かっていくというのです。ですから、全人類の讒訴条件から免れることができません。私は人類を救ってあげ、人類に希望を与え、善の運動を展開するために送るのです。ところが、それに反対するようになれば、反対した人が引っ掛かるのであって、善のために生き、善を支持するように導いた人は、引っ掛からないというのです。

4   イエス様が百二十門徒を中心として出発した基盤のもとで、キリスト教が世界的な出発をしたのと同じように、統一教会も百二十ヵ国に三人ずつ宣教師を送って、世界的な出発をしなければなりません。一九七五年四月、遅くても五月中旬までには、すべて送り出すでしょう。イエス様を中心とした三弟子のような四位基台の形態を形成したものを、全世界に広げておく作戦をするために、一九七五年に、百二十ヵ国に宣教の道を開かなければなりません。

そのようにしてこそ、今から国家基準を中心とした基盤と世界の横的基盤が相対的関係を結び、すべての霊が再臨して世界に協助できる基盤ができるのです。ですから、国家基準がなければなりません。そのようなことをここで総括的に蕩減してあげてこそ、すべての霊たちが地上全体を自らの活動舞台にして、自由に活動できるのです。

5   世界のキリスト教全体が一つになり、強力な組織を整えて国をコントロールできる基準になってこそ、神様のみ旨が成就されます。神様のみ旨の前に立てるのがアベルなので、アベルの立場にさえ立てば保護を受けるのです。ですから、そのキリスト教を中心として神様のみ旨を成就できるのですが、そうでなければ神様は離れてしまうというのです。

神様が打つとすれば、キリスト教を先に打ちます。今がそのような時です。カイン・アベル問題を中心として、世界の問題がこのように解決されていかなければなりません。それが神様の観点です。滅びてはいけないので、神様は、一つの団体がこのような使命に責任をもつことを願うのです。その団体が統一教会です。

このような実情が私たちの目の前に迫ってきたのですが、この事実に体と心でしっかりとぶつかり合って防ぐ責任を、誰が負うのかというのです。私たちが世界百二十ヵ国に宣教師を送りこのことをしようというのです。ですからアメリカを中心として、強力な体制を形成していかざるを得ないのが私たちの立場です。アベルの世界的版図を再確保しようというのです。

6   統一教会は、今まで国家的な使命を目標としてきましたが、これからは世界的な使命をもって展開する時なので、私たちの本部にいる祝福家庭の皆さんが責任を果たさなければなりません。ですから、三十六家庭から七十二家庭、百二十四家庭は、可能な限り第三次七年路程で、世界を代表して十字架を負うための先頭に立たなければならないのです。

三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭は、イエス様を中心とした国家的基盤の十二使徒と七十門徒、百二十門徒を象徴するのです。七十門徒は国家代表であり、百二十門徒は世界代表なので、百二十四家庭までは世界的責任が内外に連結されています。ですから、世界的な受難の途上で先頭に立って進まなければなりません。それゆえ、世界宣教は、み旨から見れば、本来、百二十四家庭、七十二家庭、三十六家庭が行かなければならないというのです。

7   なぜ日本人、アメリカ人、ドイツ人を宣教師として送るのでしょうか。今、統一教会が大韓民国を中心として、平面上で復帰すべき国家があるとすれば、それは日本、アメリカ、ドイツです。これらの国家を連結させれば、共産圏までも世界から追放できると考えるのです。

ですから、このような世界史的な責任を背負わなければならない国々が日本、アメリカ、ドイツなので、これらは今まで、復帰の使命において家庭が備えられなかった、言い換えれば、三十六家庭ができず、七十二家庭ができず、百二十四家庭ができなかったことを、世界的に出ていって代わりに蕩減しなければなりません。そうして、今後、それらの家庭が立つ位置のために、犠牲を覚悟して、代わりに進み出なければならないというのです。

国家が違い、民族が違いますが、彼らが私たちの家庭を代表して宣教の最前線に立ったという事実を知って、第三次七年路程が終わる時まで、皆さんの家庭が一致団結し、彼らと一つにならなければなりません。そうして、世界の運勢を回しておかなければならないのが、摂理的な観点から見た第三次七年路程です。ですから、できれば、彼らを代表し、彼らを総括的に指導できる体制を三十六家庭からつくらなければなりません。

韓国で、世界の六大州を巡回できる巡回師制度をつくり、それを次第に拡大して、その宣教部が発展するに従って三十六家庭を代表として投入し、七十二家庭を代表として投入し、百二十四家庭を代表として投入して、七年路程で、内外で一つになるようにし、世界復帰の運勢を回しておかなければなりません。これが、皆さんの家庭を中心とした第三次七年路程です。このような緊迫し、息詰まる歴史的な転換期に置かれているというのです。

8   私たちが世界的基盤を築くために、百二十ヵ国に宣教師を派遣する時、日本人、ドイツ人、アメリカ人を送りました。韓国人を送れば良かったのですが、その時、韓国はパスポートを取得するのが難しく、外国に送り出すことができませんでした。統一教会で「何々をする」と言えば、「駄目だ」と言われるのは明白です。ですから、仕方なく日本人、ドイツ人、アメリカ人を送ったのです。

彼らはすべて、第二次世界大戦の時には、互いに怨讐関係でした。彼らは、世界各国に派遣されていくのですが、煉瓦造りの家や豪華なビルに住むようにはなっていません。小さなテントで身をかがめて暮らすのです。「あなたたちがその国の民族の生命を指導しようとすれば、彼らよりもっと苦労しなければならない。あなたたちはいかなる困難があっても、一つにならなければならない」と話しました。そのようにして、その三人のうち一人は教会の責任者、一人は経済の担当者、一人は言論界の責任者として活動しなさいと訓示して送ったのです。

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一九七四年、四度にわたる日本訪問 真の父母様は、一九七四年二月一日、アメリカのホワイトハウスでニクソン大統領と会談されたのち、イギリスのロンドンを経由し、五日に日本を訪問して、二月八日まで滞在された。そして、四月二十二日には、二度目となる日本訪問をされ、四月二十五日まで滞在された。続いて五月六日から十三日まで、三度目となる日本訪問をされ、七日に東京の帝国ホテルで「希望の日」晩餐会を主宰された。この日の行事では、大蔵大臣と農林水産大臣などの閣僚と、四十人の国会議員をはじめとする千八百人以上の各界主要人士が参加する中、真のお父様は、「ために生きる」というタイトルで講演をされた。また、アメリカで四十ヵ都市大講演会を終え、この年の十二月二十五日から二十九日まで、四度目の日本訪問をされた。

13  世界の問題は、各国が互いに求める中心的基準が立っていないために生じます。もし、世界万民が慕い、求める核心を得られるとすれば、そこから新しい方向を見いだすことができます。統一教会は、日本で最も難しいことに責任をもとうとしています。動揺する日本で、動揺しない希望をもち得る基準を今、立てなければ、もう遅いのです。

ソ連やアメリカも解決できない問題を解決できる道を探し出した人が、正にお父様です。今から何十倍の数を、どのように集めますか。個人伝道も必要ですが、団体伝道も目標に定めて行わなければなりません。今、どれくらい緊急にキリスト教を動かせるでしょうか。団体を動かさなければなりません。日本の将来は、待ってくれません。日本を中心に、伝統の基準をどれほど積み上げるか、世界の中心を誰が養成するかが重要です。日本の若者を立て、世界の中心的伝統基準を立てようというのが、お父様の考えです。

14  今まで、日本の教会では信仰基準が間違って整理されていました。カインがアベルに屈服すればよいのでしょうか。もちろん、絶対服従させるのはよいのです。しかし、それだけでは通じません。カインを服従させようとするなら、自分自身(に投入すること)の三倍以上を投入しなければなりません。そのようなときに、一つ復帰されるのです。これが原理原則です。なぜなら、蘇生と長成はサタンがもっていて、完成基準が神様の基準として復帰の基台になっているからです。三倍投入すれば一つ戻ってくるのが、復帰路程の原則です。

15  父母様が地区長、あるいは教会長に任命した人が、「私はアベルであり、あなたたちはカインだ。直ちに服従せよ」と言ってはいけません。父母様が公職者を任命すれば、「アベルになりなさい」ということであって、アベルになったから任命するのではありません。人事措置は、「アベルになることを期待」する任命であって、「アベルになった」という任命ではありません。そのような理由ゆえに、日本教会が発展できなかったのです。多くの人々が心情的に傷つき、離れるからです。このような現実的問題を確かな原理的観点で解決しなければ、取り返しのつかない問題が起きるでしょう。私たちの行くべき道は忙しいのです。死ぬ前にこの蕩減の道を清算していかなければ、神様の元に行くことができません。まず信仰の基台を勝利した土台の上で、実体基台を勝利しなければなりません。実体基台は、サタンを自然屈伏させなければ、勝利できません。神様が旧約時代、新約時代、成約時代の三時代を通して得ようとされたアダムの実体を、現実世界で成し遂げたという基準を立てようとすれば、迫害を受けても離れない三人の弟子をもたなければなりません。

16  なぜ、日本の統一教会が発展しないのでしょうか。皆さんの信仰姿勢がよく確立されていないからです。地区長たちの観念的意識は、天的に通じる基準に立っていません。地区長は、命令だけしてはいけません。寝るときも、食口たちをまず寝かせる父母の立場に立たなければならないのです。良いものがあれば、食口たちにまず与えなければなりません。良い服があれば、自分が着てはいけません。これが原則です。食口のために真心を尽くして与えたのか、涙を流してみたのか、手を握りながら自分が責任をもって救ってあけようという心情圏に立ってみたのか、反省しなければならないのです。原理的な指導方法をいつも考えなければなりません。カイン・アベルの原理を誤って適用すれば、とんでもない結果が現れるのです。原則的方法を適用し、原則的な発展をするのが原理です。基準を立てなければ、原理的結果が現れません。そのようにするためにも、食口が必要です。

皆さんは、氏族メシヤにならなければなりません。氏族を救うメシヤになることが重要です。開拓伝道をする以上に真心を込めて、父母と兄弟に侍り、必ず一家と一族を復帰しなければなりません。数を増やす重要な位置に立っているのは、青年ではありません。

壮年たちは、社会的基盤をもっています。親族をいつでも導ける基盤があります。男性は男性の親族、女性は女性の親族と基準を合わせれば、数百人まで集められる条件をもっているのです。このような基盤は、青年に期待することはできません。統一教会の使命を果たすためには、これを守り得る数が重要です。数が少なければ、国に影響を及ぼすことができず、十分に防備することもできません。

今後、日本を動かすためには、社会的影響力のある壮年を伝道しなければなりません。ですから、原理を学ぶ以上に、氏族を復帰するために努力しなければならないのです。

18  祖国を離れ、他国でいろいろと環境的に困難な立場で、韓国の同胞の学生である皆さんが闘ってきたことを、お父様も知っています。学生時代、日本で勉強したので、誰よりもそのような心情がよく分かります。主権を失った国の国民が感じる悲しみを、ここにいる人々はよく分からないでしょう。

光復以前に生まれた皆さんの父母たちは、自分なりの考えを通すことのできない苦しい立場に置かれ、環境的にも主体的なビジョンをもったり、主張をしたりすることのできない不遇な立場で、様々な苦労をしてきたことを、皆さんは知らないでしょう。しかし、お父様はよく知っています。お父様は日本統治時代、日本の帝国主義に反対して地下運動をした経歴もあります。

国を愛せない人は、神様を愛することができません。国を失った人は、神の国を継承するようになっても、結局、それを失わざるを得ないことを、学生の時から考えていました。

皆さんは韓民族の血統を継承した人々ですが、この日本の地で暮らしています。皆さんの人生は、疎外され、苦しい生活の連続だったので、本国の韓国人とも少し違うでしょう。日本の中で信頼される人にならなければなりません。

韓国人同士で集まった場合、建設的な話よりは、悲観的で批判的な話ばかりすることが多くあります。そのような不平を口にする前に、まず自分が熱心に働き、周囲から尊敬を受けられるように努力しなければなりません。死の境地を越えても、神様の信頼を受けられる青年になるように、訓練しなければなりません。

一九七五年以降の日本訪問 真の父母様は、一九七五年一月二十日から二十二日まで、千八百双の祝福式に参加する日本食口たちのマッチングのために日本を訪問されたのに続き、二月十日から、日本の東京にある武道館で開かれた「希望の日」フェスティバルで演説するために日本を訪問された。

特に十二日には、世界宣教師会議を開催し、九十五ヵ国に宣教師を派遣することを決定された。そして、一九七八年九月二十日から二十五日まで日本を訪問され、当時の埼玉県の神川村で、千六百十双のマッチングと約婚式を主管された。

また、一九八三年当時、アメリカ政府は、真のお父様を社会的に葬り去るため、脱税容疑で起訴していた。そのような深刻な時に、日本教会の食口たちを激励するため、真のお母様がお一人で日本を訪問され、三月十三日から二五日まで滞在された。一九九二年三月二十六日、真の父母様は、日本の「北東アジアの平和を考える国会議員の会」の招請により、十四年ぶりに日本を訪問された。特に三月三十一日、東京のホテルニューオータニで午前は国家的指導者らと会談するなど、過密なスケジュールをこなし、四月一日に帰国された。

19  家庭教会は、父母様が世界的に勝利し、すべての氏族・民族・国家的基準を統合して縮小した世界を代表する基盤です。それは、世界の主権を縮小した基盤であり、世界人類を縮小した基盤であり、各民族を縮小した基盤です。ですから、ここで勝利した場合は、カイン圏家庭だけでなく、民族、国家、世界まで通じるのです。故郷に帰っても、それは世界まで通じるアベル圏、勝利圏になります。

家庭教会は、今から三年間、皆さんが完遂すべき目標となります。今回、父母様が日本を訪問したのは、そのようなシステムをつくるためなのです。父母様には、これをはっきり教えてあげるべき使命があり、皆さんには、はっきり知るベき使命があります。三百六十家庭の基盤を中心に、氏族復帰、民族復帰へと拡大していかなければなりません。

20  皆さんは、神様のみ前に、果たして面目を立てられる人だったのかを、考えてみなければなりません。復帰の世界的な開拓の道を父母様が歩んでいるのに、自分はどんな基準で父母様に向き合ってきたのか、冷静に批判し、きょうの位置をはっきりさせなければ、あすの勝利を迎えることはできません。国家的な側面で、日本がアダム国家に対応するエバ国家の位置に立っているとするならば、父母様が何らかの嫌疑を受けたり、苦難の道を歩んだりしてはいけないという観念をもっていなければなりません。堕落したエバが歴史的な過ちを犯したことを考えれば、その生涯全体を懸けて、世界を代表し、父母様の心情にたった一つの点でも傷を与えたりしないという思いをもたなければならないのが、エバ国家である日本の立場です。不平を言ってはいけないという意味です。完全否定の姿勢で、伝道の最前線に立たなければなりません。このような原則があれば、今すぐに完成することはできないとしても、未来においては完成できます。それは、父母様が保証することができます。皆さんは、歴史を延長して完成するのがよいでしょうか、父母様が生きている時代に完成するのがよいでしょうか。父母様が生きている時に完成するためには、必死に身もだえして力を養わなければなりません。

今日まで、歴史的に宗教を信じて霊界に行った人々は、いくら努力しても、現代に再び生まれることはできません。今の時代は、他のどの時代とも換えられない価値ある時代です。それを考えるとき、私たちは、この地上で父母様に直接お会し、このように教育を受けながらみ旨を成し遂げていくという事実に、感謝しなければなりません。

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第二節   真の父母様の日本特別巡回 真の父母様家庭の日本特別巡回 真の父母様は、一九六五年の第一次世界巡回(真のお父様のみ来日)と、一九六九年の第二次世界巡回、一九七一年の第三次世界巡回の際に日本を訪問され、それ以外にも、数回にわたって日本を訪ねては、食口たちを激励された。特に、一九六七年六月十二日から八月十日まで、真の子女様と韓国の幹部を帯同し、日本を訪問された。

この日本訪問は、真の父母様の伝統相続に焦点を合わせたものであった。具体的には、第一に真の父母様のみ言、特に『原理講論』の相続、第二に信仰の相続、第三に祝福の恩賜の相続、第四にエバ国家としての使命完遂などであった。真の父母様は、六月十七日から二週間にわたって、中心幹部修練会を開催されたのに続き、七月八日から二十一日まで、地方巡回をされた。

1   私(お母様)は、皆さんに会った時、言葉で表現することのできない切実な心情でした。心は皆さんといつもつながっていましたが、言葉が通じないことが残念です。言語の疎通問題が今後、日本の統一教会内で問題になると思うのですが、ひとまず心を通じ合わせ、親しくなる期間をもって、似ている面を探し出していくように努力したいと思います。言いたいことはあまりにも多くあるのですが、この胸の高鳴る思いを、言葉ではすべて表現することができません。

2   お父様が一九六七年六月十二日、日本に行った時に感じたことは、信仰の本国に対する日本の食口たちの心を単一化しなければならないということでした。今までは、外国に出ていって宣教活動をする宣教師を中心に動いてきたので、一つの方向に向かって一定に進むことができませんでした。これをそのままにしておけば、時間がたてばたつほど、食口全体に良くない影響を及ぼすだろうと思わされ、また心配にもなりました。

今回、本部の幹部たちを日本に連れていったのは、地方ごとに派遣して、日本の食口たちと心情的な絆を結ばせるためでした。それで、日本に到着して二週間、修練会を開催し、その次は地方を十三日間、巡回しました。そのように過ごしたのちには、日本の重要な工場にほぼすべて行ってみたのです。なぜなら、私たちが宗教的な問題を中心として信仰運動を行うことも重要ですが、今後、韓国の国家発展という遠大な目標を念頭に置いて計画を立てなければならないからです。

それで、現在、日本産業界の実際の状況がどのようになっているのかを見ようと、十ヵ所以上の工場を訪問したのです。そこで感じたのは、韓国もこれからは国を挙げて団結しなければならないということでした。

3   一九六七年に日本に行った時、日本の食口たちの祝福問題について考えました。ところが、日本の食口たちは祝福を受けることは夢にも思っていませんでした。彼らは、もう二年ないし三年してから祝福をしてほしいとのことでした。それで、お父様は非常に満足しました。「自分たち個人のためよりも、心から日本のために生きることができず、心から活動することができなければ、神様のみ前に立つことができない」と言うのです。それはもっともな話です。

このような一つの事実だけを推し量ってみても、今、皆さんに新たな姿勢がどれほど差し迫って求められているかが分かります。したがって、神様が皆さんに対してどれほど大きな期待と願いをかけているかを、はっきりと知らなければなりません。

4   統一教会は、今まで日本民族から弾圧を受けてきました。しかし、お父様は一九六七年に日本に行き、大きな旋風を巻き起こしました。お父様が日本に行くというので、日本の新聞記者たちが私に会見を申し込んできました。国家の高官や首脳たちも、「会おう」と言えば快く応じてくれるので、私も会ってくれるだろうと考えたのです。

彼らはお父様のことを知りませんでした。私は、彼らに会ってあげませんでした。門前で追い払ったのです。すると、彼らは悔しく思い、あることないことを言いながら、統一教会について騒ぎ始めたのです。結局、一九六七年の日本言論界で話題の中心になりました。統一教会に関する内容がトップ記事になったのです。

5   お兄さんはお父さんの代わりであり、お姉さんはお母さんの代わりです。そのような気分をどれほどもつかが問題です。兄弟姉妹の間では、自分を中心として相手を批判しやすいからです。このような限界をどのように克服するかが、日本を離れるに当たり、心配されることの一つです。どのようにすれば、教会の指導者を父母様の分身として感じられるのでしょうか。教会の責任者を自己中心的に見つめず、神様と同じ立場から見つめなければなりません。教会責任者の成長過程や学歴などを見るとき、自分より優れていないこともあるかもしれません。ある面では、教会責任者が自分に学ぶ立場に立つべきときもあります。そのようなとき、普通の人々は、責任者を一から十まで批判するものです。お父様はそのような文化になることを憂慮しています。日本の教会に、父母のような心情をもった食口がどれほどいるかが重要です。お父様は、そのような食口たちが多くなることを願っています。

6   共産党が問題です。まず先に、韓国が立ち上がり、共産主羲に対して精神武装をしなければならないので、徹底的に教育させました。今や韓国が勝共の基準を確立したので、日本も今後、勝共問題を解决する出発点をつくらなければなりません。日本は様々な面で、重要な位置にあります。摂理的に見れば、韓国と日本はアダム国家とエバ国家です。堕落は、二人のうち、エバが先にしました。エバが先に、サタンにだまされたのです。現在、日本はそのような立場に立っています。したがって、日本が自分を中心とした思いで動いてはいけません。エバが、エバ自身だけのことを考えて動くのではなく、アダムと相談しなければならなかったのと同じです。日本の若者たちの中には、何も知らずに、共産党や左翼に友好的な人々が多くいます。そのような見解からすれば、私たちは重大な責任を担っています。私たちは共産党に対して、理論的に正面から立ち向かわなければなりません。共産主義に対して、民主主義が優秀であることを見せてあげなければなりません。今までは、ずっとアメリカが後方を守ってくれたために安全でしたが、今後、いつでも無防備状態に置かれ得るのです。そのようになれば、いつやられるか分からないというのです。中共がいて、ソ連がいるので、日本としても、きちんとした計画をもって、至急に対応しなければなりません。

7   東京に行ってみると、日本共産党の看板が赤い文字で書かれ、堂々と掲げられているのを街で目にすることができます。また、彼らは真昼にも東京駅の前や渋谷駅の前で、自信をもって共産党の宣伝をしています。日本の国会でも、共産党員たちは社民党と手を結び、自民党に対して闘争を展開しています。自民党が発議したものにはすべて反対するなど、国会でも共同作戦を行っているのです。彼らがそのようにするのは、日本の共産主義者と労働者、農民全体を扇動して、彼らを一つの道具として利用し、地下基盤を強固にしようというところに、その目的があります。共産主義者たちは、そのようなことに血眼になっているというのです。

8   お父様が日本を巡回するとき、どんなことがあったでしょうか。日本の原理研究会の学生たちが、学校まで辞めて「日本を救わなければならない」と言いながら、開拓伝道の活動をしているのですが、このことについて新聞ごとに大きな話題になっていました。彼らの父母たちが、それについて新聞社に、一方では反対する投書を行い、一方では賛成の投書をしていたのです。特に、ある新聞では、統一教会に反対する内容ばかりを報道しました。

それで、私たちは、「この新聞は左翼新聞なので、勝共路線をとる統一教会が思想的に自分たちと敵対する立場であるがゆえに、私たちの教会を謀略にかけようとしている」と主張しました。すると、また違う新聞は、「統一教会に反対する報道内容は、すべて事実とは相反する」と報道したのです。このように、言論機関にも私たちに反対する側と支持する側があります。

私たちを支持する新聞は、父母たちが私たちに賛成する投書の内容を報道しています。その内容は、「青年男女たちを必ず統一教会に送らなければならない。今まで統一教会に反対した新聞の記事は、すべて偽りだ。私たちの息子、娘は、そこに行って、これこれこのような点が良くなった」というものでした。それで、お父様の名が毎回、出てくるようになったのです

一九七三年、三度にわたる日本訪問 真の父母様は、一九七三年七月八日に日本を訪問され、七月二十二日まで滞在された。この期間中、真のお父様は、七月十一日に狭山公園で静岡以北の食口たちを対象にみ言を語られたのに続き、十二日には兵庫県の宝塚研修センターで、名古屋以西の食口が集まる中、集会を主宰された。また、真の父母様は、八月七日から十日まで、二度目の日本訪問をされた。そして、十一月十七日から二十四日まで、この年、三度目の日本訪問をされ、第二回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」で演説をされるなど、多くの行事と集会を主管された。

9   日本は、二年以内に運命の審判を下さなければなりません。私たちは、いくつかの道を行くべき、重要な時点に立っています。後退することはできません。死を覚悟して、前進しなければなりません。作戦を変えなければならず、方向を転換しなければならない緊急事態に入っているのです。

改めて、決意を固めなければなりません。目的に向かって突進しなければ、日本は危険です。お父様が話したとおり、日本の情勢は流れていっています。アジア情勢も同じです。時間がさらにたてば遅いのです。一時間が惜しいのです。一時間、努力しなければ、数千年が飛んでいってしまう、悲惨な運命に置かれます。この一時間、一瞬が、危機に直面しているのです。皆さんにすべてがかかっています。

10  日本はアジアに連結される大陸を慕っています。その梯子であり、根拠地は韓半島しかありません。しかし、韓半島の上の方には北朝鮮があり、周辺ではソ連と中共が待ちかまえています。日本が被害を受ける瞬間、アジア全体が被害を受ける可能性があるのです。日本の使命は、エバ国家の使命です。自分が飢えても、アジア民族に経済援助、心情的援助をすることのできる国にならなければ、日本の将来はありません。それは当然の話です。「統一思想」を受け入れれば、日本民族は世界的な民族になることができます。日本は世界の先頭に立つ民族になるでしょう。新婦がお嫁に行ってよく尽くす場合、家のすべての世論(支持)が集中する主人になるのと同じです。ですから、日本は真の父母様と天に忠誠を尽くさなければなりません。それしかありません。使命を果たせば、日本は滅亡しないのです。

11  お父様が神様であれば、ここに集まった日本の若者たちを死ぬほど追い立てるでしょう。日本のために死ぬとすれば、その人によって、日本が本当に祝福を受けられるからです。神様は、万民のために死んだイエス様のように、犠牲となる人を祝福することができます。皆さんは歴史始まって以来、誰よりも深刻な立場で、強い愛国心と忠誠心をもって公的な立場に立ち、日本民族のために先頭に立つことを願います。どれほど素晴らしいでしょうか。どのみち一度は死ぬ人生をそのように生き、それ以上の真心を尽くした愛の心で死ぬという人がいるとすれば、永遠にこの一人を通して、神様は日本を祝福せざるを得ません。神の国は、皆さんの中からよみがえるでしょう。

12  日本は、アメリカ、フランス、イタリアなど、西洋文明圏に対して新しい先駆者となる東洋の代表国家になり得るでしょうか。日本は、「エコノミックアニマル」と呼ばれています。これは、気分の悪い言葉です。世界の多くの国が、世界の中に多くの名前を残してきましたが、日本は何を残しているでしょうか。日本は、日本のために生きています。このような日本人が、日本のために生きるのと、世界のために生きるのとでは、どちらが素晴らしいでしょうか。

日本人が世界のために生きようとすれば、過ぎ去った歴史を蕩減し、新しい伝統をつくらなければなりません。先祖たちが誤ったすべてのことを正していかなければなりません。ですから、皆さんは歴史的に先祖が犯した罪を蕩減復帰しなければなりません。現代の日本が犯した罪も、蕩減復帰しなければなりません。そのようにしてこそ、私たちの時代が来るのです。過去を蕩減できなかった人は、自分の理想的な現実を迎えることができません。日本がために生き、血と汗と涙を流しながら真の基準に符合する実績をもつことが重要です。完全投入しなければなりません。

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13  私は、今まで日本の国を動かすために努力し、アメリカの朝野で、新しい文明圏を形成できる雰囲気をつくるために努力してきました。韓国は、韓国自体だけでは、今後、生きていくことができません。三千四百万が団結して北朝鮮の共産党を打倒したとしても、その後ろに残った中共とソ連を克服できないのです。今日の共産主義は、神様に代わり、悪魔を中心とする宗教形態を背景として登場しました。神側の宗教を中心とした統一文化圏の世界国家を形成して、共産主義を屈服させなければ、世界に希望はありません。統一教会の信徒たちが、国家と国民を代表し、民主世界において神側の宗教を代表し、結束して進み出るべき時が、正に今です。韓国の統一教会員たちは、今回の救国世界大会によって、世界に精神的姿勢と誇りを植えてあげなければならないことを忘れてはいけません。正に今、この活動において、韓国の統一教会の食口たちを中心として、世界の統一教会の食口が結集しています。ここで一つとなり、歴史にない、神様のみ旨による一つの「統一思想」を中心とした勝利的旗印を、初めて表すべき場が汝矣島広場における大会です。ここで勝利すれば、世界文明園において、神様が西欧大陸、ナイル川を中心として地中海、ローマ、イギリスを経て、アメリカ大陸で形成した文明圏を、太平洋文明圏に移すようになるのです。

14  汝矣島広場は歴史的な広場なので、今回の救国世界大会は、神様のみ前に歴史的公義の審判を受ける立場に立つのです。統一教会は、それこそ世界史的な神側に立った団体か、民族を生かすことのできる団体か、そうではない団体かというのです。

統一教会の家庭は、民族的家庭を代表して導くことのできる主体性をもったのか、統一教会の人々は、この民族と向き合って主体性を生かし得る個人個人になったのかを、救国世界大会で見せてあげなければなりません。そのような天からの公義の判定を受ける良い機会だというのです。

これだけではなく、世界人類の前に公義の判定を受けた権威を立て得る時であり、民族の前に今まで悲しく恨めしかった歴史的なすべてのものを清算し、新しい受難の代価として善意の功績による恵沢、恩徳を受けられる時だというのです。ですから、この瞬間こそが深刻なのです。

15  救国世界大会には、大勢の人々が集まるでしょう。そして、霊界から数千億が集まるというのです。皆さん一人で一万人にもなれるという決意(をもち)、六十ヵ国を代表する皆さんの国の国民全体が集まったというのです。皆さんの先祖と霊界が動員して、どれほど注目するでしょうか。

皆さんは、「私はフランス人だ」、「私はドイツ人だ」という感情を抜き取ってしまわなければなりません。超民族的な感情をもたなければなりません。神様の名のもとには、そのようなものがあり得ません。ですから、皆さんは、六十ヵ国を代表する代表者として参加したという誇りをもたなければならないのです。

16  一九七五年六月七日、国際(伝道)機動隊を中心として汝矣島で救国世界大会を行った時、キリスト教と統一教会の間に大きな争いが起きました。私たちの(伝道)機動隊は、全世界の若者が参加し、祖国光復のために入城して、反対するキリスト教、反対する主権、反対するその何ものかに対して闘ったのです。

その時は、蕩減復帰をする時です。主権的な基準の前に、今や家庭を取り戻したので、国とぶつからなければなりません。そうして、父母様を中心として、政府と一つにならなければなりません。政府と一つになり、すべてを動かさなければならないのです。国家版図を中心として、釜山、大邱、大田、ソウルの四大都市でキリスト教と統一教会が正面衝突をしました。それで、「今、国際的に後援を受ける中で復興会をしているのに、なぜ反対するのか」と言って、完全にキリスト教を降参させました。このようになって百二十万が集まったのです。

その時、韓国政府も驚きました。六十ヵ国以上の人々が来て、「私たちの信仰の母国を侵犯する時には、私たちが守護する」と宣布したのです。それで、実質的な面において、国と霊肉を中心として私が主導的な位置に立つのです。

17  皆さんが軍隊の訓練を受けるときには、「大韓民国のために」という観念をもって受けましたが、今からは違います。これから皆さんは、伝道して義勇軍をつくらなければなりません。支署長と面長、郡守を動員して義勇軍を編成し、何としてでも彼らを教育しなければなりません。

今後、有事の際には、村に代わり、郡に代わって一つの義勇軍を編成して、何千、何万の人を指導できる自分にならなければならないという気概をもってください。お父様は、この緊急な時に、国際義勇軍をつくって有事の際に備える主導的な基盤が必要なので、指示を下したのです。

今後、統一教会を中心として、キリスト教徒たちとすべての宗教者たちまで糾合し、「義勇軍編成運動をしよう」と主張するのです。その際、郡守と警察署長まで招請し、「これは統一教会のためではない。実権は皆さんが握り、訓練だけ私がしてあげよう。幹部たちの精神武装まで私がしてあげよう」と言いなさいというのです。このようなことをしなければならない時が来ました。

18  イエス様が十字架で亡くなったのは、三年の公生涯路程の二年目の時からかみ合わなかったからです。そうして、イエス様は逆さまに落ちていきましたが、今は二年目の過程から、かみ合わずに反対に上がっていきます。一九七五年、七六年、七七年の三年の期間は、世界的な霊的勝利の基盤の上に、肉的勝利の基盤を連結させる時です。ソウルの汝矣島広場で救国世界大会を通して、国家基準を中心として霊肉勝利の条件を立てたので、それが可能なのです。そのような勝利の条件を立てたので、誰がいくら反対しても、私たちを追い出すことはできません。私たちをいくら打っても、彼らは勝利できないという原理的な絶対権限を私は知っているので、腹を決めて今闘っているのです。

19  大韓民国は、世界の運勢を迎えられる時が来たので、反対してはいけません。民族的な出動をする時が来たので、一九七五年に初めて世界の若者たちを韓国に連れてきて、韓国の若者と一緒になって、「希望の日」フェステイバルという、歴史にない、国を挙げた大行事を挙行することができました。ですから、「希望の日」フェステイバルには、我知らず、勢いに押されて数多くの人々が集まりました。どんな宗教の集会もかなわない歴史的な記録を破ったのが、一九七五年の「希望の日」フェステイバルでした。このような基盤を基にして、国家的な勝利の基盤に連結したのです。イエス様の時代に、霊肉を中心として国家と世界を連結できなかったので、一九七五年に霊肉を中心として、国家基準と世界基準を完結しなければなりません。

このような摂理観があるので、一九七二年から父母様が本格的にアメリカで活動したのです。韓国の統一教会が、霊的基準では国家より高い位置、主導的な立場に立ちました。キリスト教が反対しても、統一教会が問題の中心となり、すべての人々の関心を呼び起こせる宗教となって、霊的な国家的勝利基盤の上に、霊的世界基準のキリスト教を連結するためのものが、アメリカにおける三年間の作戦でした。そうして、一九七五年に勝利の霊的基盤を世界的に連結し、ようやく大韓民国に来て、霊肉を中心とした勝利の基準を決定する闘いをしたのが、汝矣鳥広場の救国世界大会です。

第五節   アメリカ建国二百周年の記念大会 ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会 真の父母様は、アメリカの建国二百周年記念行事を二度にわたって開催された。その一回が、一九七六年六月一日、ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会である。五万人が参加する中で開かれたこの大会は、悪天候と反対勢力の蠢動の中で行われたが、真のお父様は「アメリカは神の希望」というテーマのもと、「私は病に蝕まれていくアメリカに、医者として、消防士として来た」と訴えられた。この講演は、アメリカの誰も成し得ない歴史的宣言であった。完成路程である第三次七年路程の決戦を、世界の中心であるアメリカ、それもアメリカの中心的都市であるニューヨークで行うことにより、世界史的な善悪の分岐点において、総蕩減的な基準を立てられたのである。六月十四日付の「ニューズ・ウィーク」誌は、表紙に真のお父様の写真を掲載し、「一九七六年の人物」として報道した。

1   イエス様は、ユダヤ教を中心としてイスラエル民族を糾合するための三年の闘いで失敗し、十字架で亡くなりました。ですから、統一教会は、霊的キリスト教世界の中心国家であるアメリカに、霊肉を中心として勝利した韓国の国家的基準をもってきて、くっ付けるのです。霊的基準は世界型であり、肉的基準は国家型です。肉的基準において、国家型の基準を世界型の基準まで拡大しなければならないのが、イエス様の三年の公生涯に該当する世界的時代です。ですから、一九七六年は、イエス様の三年の公生涯路程において、二年目に該当する年です。イエス様が十字架で亡くなるようになった動機は、一年目ではなく、二年目に決定しました。一九七六年は、イエス様の公生涯の二年目、イエス様が十字架で亡くなるか否かが決定される、その期間に該当するのです。

第三次七年路程の三年路程において、二年目である一九七六年こそ、世界史的な決着をつける期間です。蘇生を経て長成数に該当します。長成数は中心数です。一、二、三の中心数です。上下、前後、左右において該当する中心数なので、復帰摂理は、常に二数を中心として決定打を加え、ここで勝利しなければならないのです。イエス様が国家的基準で勝利するか否かを決定する三年路程の二年目に十字架を負うことが決定し、その余波によって十字架を背負ったというのです。それと同じように、アメリカでお父様がこのような闘いをしているのですが、アメリカの朝野が大騒ぎです。アメリカはまた、二千年を蕩減する二百年の歴史に該当します。二百年の二数と二年目がぴったり合ったのです。今日、この二百年を二年目に蕩減し、霊的世界基盤だけを備えたところに、霊肉を中心とした世界基盤を結成できるか否かという、最後の戦線が私たちの前に残っているのですが、その戦線が、一九七六年のヤンキー・スタジアム大会です。この大会は、空前絶後の戦争なのです。

2   ヤンキー・スタジアム大会で、お父様が失敗するか成功するかという問題は、宇宙史的な意義があります。これは、神様とイエス・キリストまたキリスト教はもちろん全世界の人類と統一教会、そして、統一教会の文先生の命を懸けた闘いです。このようなことをサタンは知っているので、アメリカの言論機関と私たちに反対する人々を通して、私たちを攻撃するのです。お父様が幼い頃から願い、待ち望んだその日が、ほかでもない一九七六年六月一日です。

その日が来るのは、この上なくうれしいことですが、勝利できなければ、この上なく悲惨になるのです。そのため、その日は、うれしい日であると同時に恐ろしい日です。ですから、私が壇上で勝利の旗を立てるか、敗者の旗を立てるかが問題です。もし敗者の旗を立てるようになれば、統一教会が行く道と人類の前に、悲惨なことが起きるでしょう。そのようになれば、神様のみ前に私は顔を上げることができなくなるのです。

また、皆さんはもちろん、神様と霊界のすべての霊人たち、そして、全世界の宗教が、共産世界の侵略の嵐に見舞われ、やがてこの世界は荒地になり、今までの宗教はすべて消えてしまうでしょう。共産党に踏みにじられるというのです。そのようになれば、一九八〇年にならないうちに、アメリカもすべてひっくり返ります。このようなことを知っているので、私たちはヤンキー・スタジアム大会を中心とした歴史的な責任を背負い、この戦線に立ったのです。

3   統一教会の時代圏にも、蘇生時代、長成時代、完成時代があります。蘇生時代は父母様を中心とした家庭時代であり、長成時代は大韓民国を中心とした時代であり、完成時代は世界を中心とした時代です。第三次七年路程は完成時代に該当する時なので、世界的中心であるアメリカで決戦を行うのです。それが、ヤンキー・スタジアムを中心とした一九七六年六月一日の闘いです。

サタン世界の六数を蕩減し、七数に越えていく時だと考えるので、六月一日が良いとして、この日に決定したのです。

4   一九七四年までに第二次七年路程を終え、一九七五年から七七年までに第三次七年路程の三年路程が終わります。ですから、一九七六年が三年路程で中心となる年です。その年がアメリカ独立二百周年と完全に一致したのです。その決着をヤンキー・スタジアムでつけます。この場における勝利は、カインの失敗を蕩減復帰できるものであり、ノアの失敗、アブラハムの失敗、モーセの失敗、洗礼ヨハネの失敗、イエス様の失敗、今まで誤ったキリスト教のすべての失敗を、一つの世界的国家を代表してすべて結実させ、清算するのです。

ここで私たちが破格の勝利をもたらすようになれば、アメリカの宗教界と、アメリカの各界、各層で問題になるでしょう。そのようになれば、もはや父母様に対して反対するのではなく、研究しなければなりません。皆さんに対しても研究しなければなりません。宗教界でもどこでも、すべて頂上を見つめて登っていくというのです。

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4   世界的なキリスト教文化圏を吸収し、韓国を中心として、帰結させなければなりません。ですから、一九七四年、お父様が全世界のキリスト教の中心国家であるアメリカに行って、一つの州ももらすことなく、隅々まで巡回しました。すべて巡回しながら旋風を巻き起こし、大勝利の旗をもってくるのです。

私は、韓国では反対を受けましたが、アメリカに行って勝利しました。韓国は国家的基準ですが、アメリカは世界的基準です。国家は世界的基準に含まれます。ですから、国家を越え、世界的基準を築いたのです。今までは国家圏内で私が攻勢を受けましたが、今からは世界的基準で私が攻勢をかけるのです。反対です。蕩減するのです。勝利したので、天運を集めて韓国に来たのです。

5   お父様がアメリカで勝利した基盤を総合した一つの材料が、マディソン・スクエア・ガーデン大会です。これが一九七四年までの三年期間の実りです。

それを中心として、七五年一月十六日の「希望の日」韓国晩餐会の時、お父様自身が、初めて韓国の公の席上に現れました。そこには、社会的に地位の高い人々がたくさん来ました。民主世界文化圏の影響を受けた人々が韓国で主導的な役割を果たしていますが、彼らが外信を通して調べてみると、文先生という人は普通の人ではないというのです。そのような人々が晩餐会に参加しました。

そうして、一九七五年を中心とした一つの作戦が始まったのです。それを起点として、お父様が登場しました。聴衆の中で、反対していた人が顔を赤くし、事前に理解できなかったことを恥ずかしく感じながら、「そうでなければならない」と言わざるを得ない立場に立たせた日が、正に一月十六日です。

その次には、統一教会の祝福家庭を立てなければなりません。それが一九七五年二月八日の千八百双の祝福結婚式です。統一教会の祝福家庭が国際的に結ばれることによって、この民族の前に確固不動たる基盤が築かれたのです。千八百双の祝福結婚式を開催することによって、全世界を一度、揺さぶっておきました。

その次には、国民の前に影響を与えなければなりません。世界の統一教会員とこの国民のうち、どちらがより強いか見てみようというのです。誰が主体かというのです。それを示してあげたのが、「希望の日」フェスティバルと七百人近い国際(伝道)機動隊員たちの活動でした。ですから、天的運勢から見ても、統一教会は勝利するようになっていたのです。

誰がいくら反対しても、統一教会は勝利しなければなりません。それは、原理観がそうであり、神様の摂理のプログラムがそうだからです。今まで誰もできなかった歴史的な旋風を巻き起こすという所信を、お父様はもっています。私が打てば、キリスト教は反対しようとするのですが、いくらしてみたところで、付いてくることができないというのです。このような闘いが、予想したとおり釜山から起きました。大邱でも反対しました。ソウルから、仁川、全州、光州、大田でも同じでした。そして、汝矣島広場にまで来て、反対をしたのです。そのような闘いを汝矣島広場でもしましたが、勝利を収めました。国家と民族を動かせるようになったのです。私たちには内的な力があるというのです。イエス様の時代の氏族的基盤を、皆さんが各分野で築き上げ得る根が、全国にすべて張られるようになりました。まだ芽は出ていませんが、ここに接ぎ木すれば、一気に大きな木になることができると考えます。結局、汝矣島広場を中心として、国家を凌駕し得る基準を成し遂げたのです。これは、人間の力でしたのではありません。天運がそのような竜巻をこの韓半島で起こしたのだと考えるのです。

7   韓国は国家体制を備え、ある基準で共産世界を凌駕できる経済的基盤を立てましたが、思想的な面では凌駕できる何の対策もありません。このような精神的武装に、今日、キリス教が責任をもつことはできないというのです。そのようなことが私には分かったので、統一教会が精神的武装をする責任を果たさなければならないという思いで、今まで世界舞台と連結させ、準備してきたのです。そのような事実が、外的、内的に現れた結果を見ることができるのが、「希望の日」フエステイバルの大会です。

救国世界大会 韓国の歴史上、類例を見いだせないほど大規模な勝共大会である救国世界大会が、一九七五年六月七日、六十ヵ国から来た千人以上の代表をはじめ、全国各地から百二十万人がソウルの汝矣島広場に詰めかける中で開催された。真のお父様は、「世界の中の韓国」というテーマで講演された。特に、世界各国の代表が、信仰の祖国であり、聖域である韓半島を保護するために国際義勇軍を編成し、有事の際には参戦することを宣言するなど、救国の喊声と熱気が天をつく大会となった。

8   国際(伝道)機動隊がアメリカから日本を経由して韓国を訪れたのですが、摂理的な流れがそのようになっているので、そのような作戦をするのです。復帰時代なので、お父様がアメリカに行って旋風を巻き起こしたそのすべてのものが、日本を経て韓国にまで入ってこなければなりません。そのように、世界的な第一次霊的世界イスラエル圏と第二次キリスト教イスラエル圏を、肉的な第三次世界的イスラエル圏に結びつけなければ、第三次国家的イスラエル圏が第三次世界的イスラエル圏に発展することはできません。これは、摂理上における必然的な帰結であり、歴史的な帰趨です。

9   韓国は、摂理史的な立場から見るとき、総合文明圏を形成して統一しなければならない使命が残っています。兄弟同士では一つになれません。父母が来てこそ、統一することができます。兄弟たちが争うのを、韓国が「統一思想」によって統一できるというのです。このようになることにより、神様を中心とした理想的な祖国が創建されます。そこから世界は、初めて平和の世界、一つの世界、統一の世界、勝利の世界に収拾されていくでしょう。そうして、地上に天国を形成すると同時に、神様と一致しなければなりません。天上天国の主体であられる神様を地上にお迎えし、統一された一つの天国を形成しなければなりません。これが、統一信徒たちが果たすべき使命です。そのような基盤のもとで、初めて父母と子女が一つになることにより、平和の天国生活が始まるでしょう。「希望の日」フェステイバルを勝利に導いたので、汝矣島での救国世界大会も勝利に導かなければなりません。ここで勝利した内容と材料をもって、日本とアメリカと自由世界に影響を及ぼさなければなりません。この大会は、霊界が総結集し、世界の人が総結集して、未来において私たちの子孫が希望の基盤として眺めながら、祝福を待ち望む大会にならなければなりません。ですから、神様の解怨成就、人類兄弟の解怨成就、今後の希望的な後代の解怨成就をすべて完結できる大会が、正に救国世界大会なのです。

10  一九七五年四月一日から全国九ヵ都市で「希望の日」フェスティバルをすることによって、統一教会と統一教会の人々が表に出たので、キリスト教ではそれを憎むのです。霊界から啓示を受けた人が、「今回、統一敎会に負ければ、キリスト教は終わりだ」と言ったというのです。「ひたすらがむしゃらに闘って統一教会を減ぼさなければならない」と言いながら、ありとあらゆることをしましたが、私たちは滅びませんでした。完全に圧倒してしまったのです。蘇生の釜山から長成の大邱、完成のソウル、そして、仁川を経て全州、光州、このように九つの都市に付いて回りながら反対しました。とにかく、彼らは、もはや思い残すことはないでしょう。

そして、六月七日、汝矣島広場の救国世界大会の時には、「雨よ、降れ」と祈り、「雨が降らないなら、その代わり、反対に太陽が燦々と照りつけるようにしてほしい」と祈ったというのです。このような闘いをして、結局、統一教会が表に出たというのです。そうして、個人として現れ、家庭として現れ、私たち全体として現れ、その次に民族として現れなければなりません。

11  統一教会自体で見れば、汝矣島広場の救国世界大会は一つの冒険です。大きな冒険です。その広場を満たすというのは冒険ですが、私たちがこのような大掛かりなことを行うのは、この時代の運勢に合わせることになるのです。神様の摂理から見るとき、この時がどのような時かが分かるので、この時代に合わせて、このような大会をしなければなりません。

今、韓国は全世界が注目する情勢に直面しています。韓国の動きは、韓国自体だけでなく、全世界に影響を及ぼすことができる段階に入ってきました。韓国が直面していること自体を見れば、民主世界が勝利へと進む道を模索するか、もしくは共産世界が勝利する道が形成されるかという、分かれ道に立っているのです。

ここで、誰が道案内をするかが問題になります。誰が先に、ここで天運に合わせられる旗手の使命を果たすのでしょうか。民主世界が勝利するためにも、ある動機となる個人なら個人、団体なら団体、国家なら国家が存在しなければなりません。

歴史は、個人を中心としたり、団体を中心としたり、あるいは国家を中心とするなどして、必ず新しい次元に転換されて発展していくのです。このような緊迫した実情において、もちろん大韓民国が天の運勢に合わせようとしなければなりません。しかし、大韓民国自体は、天がどのようにして、大韓民国を通して世界に行こうとしているのかが分かりません。

ですから、ひとえに、これを知っている、宗教を代表したある団体が責任をもたなければならないというのです。その宗教団体の中でも、統一教会がそのような旗手の使命を果たさなければなりません。このような責任を統一教会が果たそうといって進み出たのが、ソウルの汝矣島における救国世界大会です。

12  韓国政府打倒が、全世界の共産勢力の宣伝目標になっています。アジアで最後に残った西欧文明圏の基地が、まず韓国です。共産勢力は次に、日本解放を主張するでしょう。その次には、アメリカ解放を主張するでしょう。これが、公式的に展開されるのは間違いありません。ですから、内的に韓国の統一教会と、日本の統一教会と、アメリカの統一教会が完全に結束し、韓国と日本とアメリカを席巻して、主導的な旗印を掲げなければなりません。今や、そのような時が近づきました。韓民族は、塗炭の苦しみの中で死ぬか生きるかという時点にいます。そのため、今、私たちは国を挙げた「希望の日」フェステイバルを掲げて現れました。こうして、宗教的基準で統一教会にはかなわないという勝利的実績を見せてあげたのです。これが、国民運動として、国を挙げて同胞とソウル市民を糾合し、世界に宣布する救国世界大会です。

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17  マディソン・スクエア・ガーデン大会は、摂理的な観点から見るとき、歴史的意義があります。アメリカにおける一九七二年から七四年までの三年期間は、イエス様当時の三年期間に該当するのです。ですから、この大会は、イエス様が亡くなることなく成功したとすれば、ローマ帝国に行って、大講演会をしようとしたその基準に相当するのです。ローマがイエス様を歓迎し、イエス様と一つになれたとすれば、そこから世界的に、天の国のみ旨が展開するようになっていたでしょう。ローマの支配を受けるイスラエルの国のような立場にいる国が、現在、アメリカの援助を受ける韓国です。同じです。そのようなアメリカの中心都市がニューヨークであり、ニューヨークの中心部の集合場所がこのマディソン・スクエア・ガーデンなので、ここに爆発的な火をつけなければならないというのは、摂理的な観点で歴史的な意義をもたざるを得ません。ローマはイスラエルと怨讐の立場にあり、今日、アメリカはキリスト教を中心として、ローマのような国ですが、昔のイエス様の時代とは違う環境です。すなわち、アメリカは、神様が二千年間苦労して、この一時のためにつくっておいた、歴史的基盤だというのです。

18  私たちは、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会に二万五千人(を動員し)、超満員にしようと思います。道端で一度会っただけでは、いくら精誠を尽くして出会ったとしても、流れていってしまいます。一度出会ったその人に再び会って同じ効果をあげようとすれば、もう一度同じくらい努力しなければなりません。家を訪ねていき、通り過ぎる道端の人に対して精誠を尽くすぐらい精誠を尽くせば、その人は逃げていかないのです。二回、三回訪ねていって精誠を尽くせば、その態度や純粋性、現在のアメリカが必要とする青年らしさを見て誰もが感動するので、若者がそのように切実に求めることを聞き入れざるを得ないというのです。自分の息子のようであり、娘のような人たちなので、そのようになるのです。

自分の息子、娘はヒッピーになり、家を出ていってぶらぶらしているのに、「この世の中で、あの人はあそこまで純粋でいられるのか。あのような人と私が親しくなることによって、私の息子、娘も良い方向に向かわせる一つの道ができるだろう」と考えるようになれば、同意するのです。必ず関心をもって、この若者の勧めに応じるようになっています。

19  私たちがマディソン・スクエア・ガーデンの競技場を借りて講演するということを、アメリカ社会が低く評価することはできません。その上、私たちは、一般の広告会社を通して、アメリカのニューヨークで三十万ドルにも及ぶお金を宣伝費として使っています。外部の会社を通して宣伝すれば、費用は五倍ないし七倍もかかるというのが、一般的な慣例になっています。ビリー・グラハム牧師のときでさえも各教派が協助して行うのに、お父様は単独で三年以内にすべてやってのけました。そして、私たちはみな、若者たちです。今回、アメリカの青年六百人以上が断食祈祷をしましたが、この事実を志ある人々は相当高く評価しています。それから、組織力が強いことを認めています。また、お金をもっていることを認めるでしょう。このように、数百万ドルをかけて大会をするのを見るとき、アメリカのどんな財閥も無視できないのです。それにもかかわらず、「マディソン・スクエア・ガーデン大会は失敗するだろう。人が集まらないだろう」と思っています。私がそれを完全にひっくり返すでしょう。これをひっくり返すようになれば、私たちが今回活動した全体が、その人々の研究材料になるのです。世界的に有名な人が、たくさん問い合わせてくるでしょう。

20  アメリカは世界的な中心国家なので、ここで私が巡回講演を行っているのです。そうして、三年間で随分と上がってきました。最初、私が「リンカーン・センターで集会をする」と言ったときには、誰も鼻先で笑うことすらしませんでした。「お父様は、集会を一度して逃げ出すだろう」と言ったのです。その次に、カーネギー・ホールでするときにも、「半分、三分の一も埋められないだろう」と言いました。しかし、一ヵ所だけではありません。アメリカ全域で、講演を一九七三年から行いました。カーネギー・ホールから二十一ヵ都市、一九七四年には三十二ヵ都市を回り、アメリカ全土を席巻しました。このような活動は、膨大な資源がなければ不可能です。お父様の移民問題が生じると思って、瞬時にしなければならないと考えました。そのようにして、集会を成功裏に終えたのです。ヨーロッパの食口たちがアメリカに来て、三年間、お父様と一緒に活動をしたのですが、彼らが歩調を合わせることができなければ、アメリカに基盤を築くことは絶対にできませんでした。

21  第二次七年路程を終結して第三次七年路程に越えていき、韓国と日本とアメリカが世界的な事件に引っ掛かり、上がったり下がったりするこのような時に、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会を行いました。私たちがアメリカまで来る際には、霊的な国家的基準を中心に連結させてから来たのです。キリスト教が霊的世界の基盤なので、霊的な国家的基準を越えることによって来ることができましたが、肉的基台が成立していなかったので、これをどのように連結させるかが問題でした。これが一週間の期間内に連結される条件として提示されたということは、驚くべき事実です。韓国とアメリカ、韓国と日本がいくら分かれていくとしても、この統一教会はアメリカと一つになることができるというのです。

摂理的に、キリスト教圏内に霊肉を中心とした国家的基準形態の条件を立て、霊肉を中心とした世界的な第三次七年路程を出発できる起源を確定できたのが、マディソン・スクエア・ガーデン大会でした。これを蘇生として、長成と完成の大会をすることにより、一九七六年、七七年、七八年までのこの三年の期間で、アメリカを貫いて世界を越えていける一つの起源をつくらなければなりません。この三年間で、霊肉を中心として世界的な基盤を築かなければならない分野が残っているというのです。

22  マディソン・スクエア・ガーデン大会を通して天の国を取り戻し、その場を通して万民を解放しようとする神様のみ旨が成就されることを知らなければなりません。そこがジャンプできる一つの基盤になり、歴史的事件になります。ここで、数多くの民族が同じ心をもち、同じ努力をして、同じ汗を流し、顔立ちや感情は違うかもしれませんが、皆が一つの体のように動けば、このニューヨークを見つめながら絶望するしかなかった神様が、ようやく皆さんを見て、希望をもつ良い機会になるというのです。

23  一九七二年にニューヨークのリンカーン・センターで講演を行い、七三年にはカーネギー・ホールで講演を行い、七四年にはマディソン・スクエア・ガーデンで講演を終えました。お父様は、三年の期間に、心の中で誰も分からない神様の作戦を定めました。ですから、アメリカに来る時は深刻だったのです。三年間で、必ずアメリカ人全体にこれを伝えなければならない責任があるというのです。そのようにしなければ、神様の摂理に支障があることが分かったので、この機会をどのようにしてつかむかと、今まで苦心してきました。

最初に問題になったのは、人がいないということでした。三年の期間でこのマディソン・スクエア・ガーデンを満席にして余りある人員を準備しなければならないのですが、それをどのようにするかを悩みながら、目標にしてきたのです。

24  アメリカを中心とした第二次七年路程までは、サタンが天を攻撃する時でしたが、第三次七年路程からは世界的基準を越えていく時代に入るので、アメリカに向かって攻勢をかけなければなりません。

昔はカインがアベルを攻撃しましたが、今はアベルがカインに攻勢をかけるのです。今まではサタンが攻撃しましたが、第二次七年路程で一九七一年までに蕩減条件を立てて越えてきたので、今やサタンが屈服しなければならない時に入りました。サタンが攻勢を受ける時に入ったというのです。ですから、世界的基準を中心として、アメリカで攻勢をかけ始めたのです。

一九七二年に、父母様が「アメリカで七ヵ都市講演会を行う」と言った時、誰も成功するとは夢にも思いませんでした。それは、アメリカの食口たちも、信じなかったのです。一九七二年に講演会をすることも、アメリカに来て初めて発表し、始めたのです。誰も知りませんでした。

その次からは、二十一ヵ都市を攻めました。その時は、「カーネギー・ホールを埋められるわけがない」と言われました。しかし、カーネギー・ホールをすべて埋めたので、アメリカ人たちが「素晴らしい」と考えるようになり、結局は、まともに見つめるようになったのです。その次には、三十二ヵ都市で引き続き講演会を行いました。

第四節   「希望の日」韓国大会と救国世界大会 韓国「希望の日」フェスティバル 「希望の日」韓国晩餐会が、一九七五年一月十六日、著名な人士七百人以上が参加する中、ソウルの朝鮮ホテルで開催された。真のお父様は、「ために生きよ」というテーマで講演され、この日の晩餐会で、指導者層の人士たちを集めた韓国の公式的な席上に初めて登場されたのである。そして、四月一日から五月十六日まで、韓国九大都市の「希望の日」大講演を主宰された。この大会は、アメリカでの勝利を韓国に連結させるためのものであり、真のお父様は「人類の新しい未来」というテーマで講演された。「希望の日」大講演は、世界統一十字軍が先頭に立って活動し、キリスト教の反対にもかかわらず、成功裏に行われたのである。

1   第二次七年路程完結まで三年を残し、お父様は一つの時代を先駆けていかなければならない使命があるので、アメリカに渡りました。キリスト教が築いた基盤は世界的基盤ですが、統一教会に反対することによって、完全に崩れざるを得なくなりました。この世界的基盤を再び収拾して統一教会に連結しなければならない天意(があり)、霊的にでも世界的に連結させなければならない天意があるので、お父様はアメリカに渡ったのです。

アメリカは民主世界を代表する国家であり、世界のキリスト教を代表する国家なので、お父様は民主世界の国家の代表であるアメリカに渡り、三年間、攻勢をかけました。キリスト教を中心として韓国では攻勢を受けましたが、世界的舞台では攻勢を仕掛けたというのです。天が優位に立ったという事実を展開してアメリカ全域を席巻する際、彼らは反対しましたが、私たちが行く道を妨げることはできず、私たちは勝利の旗を掲げ、一九七四年十二月二十九日を期して韓国に帰ってくることができました。

このような事実は、それこそ世界的な霊的運勢を一手に集めて握ったことを意味します。この国家と民族の前に、国家的基準を代わりに立てて帰ってきたというのです。そこから、この民族に霊肉を中心とした世界的事件を展開しなければなりません。

2   今は、天運が大韓民国に押し寄せてきて、私たちが責任を果たすことを願っています。天運が大韓民国に来たのですが、どこにも行くことができず、ぐるぐる回りながら、竜巻を起こしているのです。ですから、方向を提示することが、私たちの使命です。現在の時点は、このような時なのです。天運の方向を私たちが受け継いでいける道を提示すべき時になりました。統一教会で三百人の(伝道)機動隊が実際に活動するようになれば、数十万人が押し寄せてくるでしょう。このように、自ら願って共産党を打ち倒す先鋒隊だとすれば、これは世界的です。そのようになれば、日本も統一教会を立てて国家的に後援し、アメリカも後援するでしょう。全世界に、共産党を防ごうとする国があるとすれば、「統一教会、どうぞいらっしゃいませ!」と言うでしょう。統一教会は嫌いですが、共産党が憎いので、「どうぞ来てください」と言う時代になりました。百二十ヵ国に私たちの道を開いておいたのです。彼らは、韓国で開催される「希望の日」フェステイバルに対しても、関心をもって見守っています。

3     イエス様当時の三年路程では、ユダヤ教がイスラエルの国と合同で反駁する立場に立ちましたが、今日、アメリカを中心とした統一教会の作戦は、ユダヤ教の立場のようなキリスト教に向かって攻勢をかけていくのです。私は、韓国では攻勢を受けましたが、反対に、世界舞台で攻勢を仕掛けて勝つようになれば、韓国で被ったすべてのものを蕩減復帰することができます。ですから、三年路程を中心としてアメリカ全域を回りながら、攻勢をかける闘いを展開したのです。これが波紋を起こして、三年の期間で一大勝利を収め、すべてのキリスト教徒が認める環境を造成し、韓国に帰ってきました。韓国に帰ってきて、勝利的キリスト教文化圏を霊的に引き継いで、連結しておきました。このように連結するとともに、家庭を中心として、主体と対象の関係基盤を韓国に連結しなければなりません。今や、国際(伝道)機動隊が韓国に入ってきて一つになり、国を挙げた活動をしなければなりません。

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天勝日」と「地勝日(天地勝利の日)」宣布 真の父母様は、一九七六年十月四日、アメリカ、ニューヨークのベルベディア修練所において、ワシントン大会の勝利記念集会をもたれ、この日を「天勝日」と宣布された。

ワシントン大会を通して、霊肉を中心とした世界史的勝利基盤が整ったことを宣布されたのである。そして、真の父母様は、一九七七年二月二十一日、ニューヨークの世界宣教本部において、十一ヵ国七十四双の祝福結婚式を主宰された。続いて、二月二十三日、真の父母様の御聖誕日に新しい時代の宣布と「地勝日」を制定、宣布されたのである。

28  私は新しい時代、新しい真理を宣布するために、アメリカに来ました。人々が私を受け入れようと受け入れまいと、それを宣布することが、神様から与えられた義務です。それは、神様が私に現れ、「アメリカに行って真理を伝えなさい」と語られたからです。アメリカでの巡回講演を通して、私はこの宣布の任務を多少なりとも完遂しました。「希望の日」フェスティバルを行った期間に、五十州を歴訪しました。それは、一般的な概念の伝道集会だということだけではありませんでした。それは、神様の摂理であり、霊的な面でも、大きな意味があります。霊界についてどれほど洞察し、理解しているか分かりませんが、統一教会の運動では、その世界があまりにもはっきりとしています。統一教会の運動は、横的な運動だけでなく、神様との縦的な運動でもあります。統一教会が行うすべての活動は霊界に反映され、また、霊界の出来事は私たちを通して反映されるとともに、この二つの世界が共に働くのが、私たちの運動の特徽です。横的な見解からすれば私たちの活動は、恐らく意味がないでしょう。時には、時間と財力と精力を浪費しているように見えるかもしれません。しかし、時として、私たちが地上で行うことが、霊界を助けることになります。また、聖霊が地球上に満ちあふれるようにするための条件を造成しているのです。

アメリカのキリスト教と宗教団体は、一般的に、世俗的な考え方に傾いており、世俗的な文化に汚染され、斜陽の一途をたどっています。しかし、統一教会は違います。私たちは、統一教会の運動の中で、いかなる精神的退歩も感じません。私たちは開拓者であり、私たちの意志は活火山のようです。私がワシントン大会以降に行った様々な演説の中で、「全霊界が協力する時が正に今である」と語ったことを、皆さんは聞いたでしょう。霊界は、私たちの運動に協力する準備ができています。

私はワシントン大会ののち、一九七六年十月四日を「天勝日」として宣布しました。これを契機に、新しい時代が幕を開け、霊界では宗教間の障壁が、事実上、崩壊しました。実際に、霊たちが地上世界を協助しています。このような現象は、様々な様相を呈しながら起こっているのです。

29  今まで霊界は、すべて塀で塞がっていました。仏教を信じていた人は仏教圏に入り、儒教を信じていた人は儒教圏に入り、キリスト教を信じていた人はキリスト教圏に入り、イスラームを信じていた人はイスラーム圏に入るのです。このように、宗教ごとの系列に分かれた霊界になっていました。そうして、世界的な一時、すなわちメシヤが来る時まで自分の宗教のために準備をするので、塀を積み上げてきたのです。

人間の堕落によって生じた神様の恨とイエス様の恨、お父様の今までの恨を、すべて霊界と肉界で解ける基準が立つまでは、その塀を崩すことができません。ワシントン大会で勝利することによってそのような恨を解くことができるようになったのです。ですから、霊界が統一されます。霊界が今や一つの組織体になり、それに従って地上も相対的に一つになるのです。

30  一九七六年十月四日は、お父様にとって忘れることのできない解放の日でもあります。私が韓国で西大門刑務所に入ってから出てきた日でもあるというのです。そこから始めて、アメリカに来てワシントン大会まで勝利し、解放を記念する一日として、この意義ある日をもったこと、二つの解放を祝うこの日を迎えたことを、有り難く思います。まずは、神様のみ前に感謝し、それから、皆さんに感謝いたします。

それで、きょうという日は、ワシントン大会の勝利を祝うと同時に、膨大な内容と天的な意義をもっているので、この日を統一教会で歴史的に守るべき記念の日として定めました。天が勝利した「天勝日」という祝祭日として定めたのです。

31  ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会のとき、「私はアメリカが病気になったので、医者として来た。また、アメリカが火事になったので、消防士として来た」と言いました。ワシントン大会では、「退廃していくアメリカの青年たちを救い、あすの希望の若者として導くために来た」と堂々と宣布したのです。その言葉が、「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」によって宣伝されました。それでも「私はレバレンド・ムーンのことを知らなかった!」と言うとすれば、それは話にならないのです。私は自分の責任を果たしました。そのような意味で、この大会がどれほど歴史的な大会であり、一九七六年がどれほど歴史的な年であったか分かりません。歴史的な転換の年でした。

このようになって、霊界のすべての霊たちが、お父様歓迎ムード一色になりました。分かれていた霊人たちがお父様によって一つになり歓迎するムードをつくったのです。ですから、一九七六年十月四日に「天勝日」を定めることができました。霊界には、今までは、仏教、キリスト教、儒教、イスラームの集団に分かれて多くの境界線があったのですが、それをすべて統一したのです。ですから、「天勝日」、神様が勝った日だと宣言したのです。

32  今までの神様の摂理運動の歴史において、重要な年が一九七六年です。ワシントン大会を中心として、神様が統一教会を保護し、支持して、大勝利を収めました。韓国の谷間からお父様が現れ、自由世界の中心国家であり、全世界が羨むアメリカで、ゴリアテの前のダビデのごとく、内的闘いを繰り広げたのです。皆さんも信じませんでした。しかし、事実です。このように闘うとき、天が介入し、歴史が介入し、人類が介入し、未来が介入して、「私たちが勝利した」と宣布できる日、それが「天勝日」なのです。

33  「天勝日」は、サタン世界で神様の血統を中心として、血縁関係において転換期をつくり出した世界的に代表となる日です。その次には、死亡の世界で死ぬしかなく、地獄に行しかないこの人々に接ぎ木(の役事)をして、永遠の生命に転換させることのできる世界的な基準を立てた日です。また、死亡世界の塗炭の苦しみの中で呻吟していた人類が、神様の愛を中心として解放圏で喜ぶことができるその日を、全世界を懸けて選び出し、勝利の杭を打ち込んだ日です。

それでは、「天勝日」は、天の側を中心として、どの基準になったのでしょうか。サタン世界の個人が反対することは問題になりません。家庭的サタン反対圏、氏族的サタン反対圏、国家的サタン反対圏、世界的サタン反対圏が、真の父母の前では対抗することができず、背を向けて地獄に向かっていく時代に転換される時です。

34  私たちは、サタンの血縁世界から解放されました。サタンの生命圏から解放され、サタンの愛圏から解放され、サタンの文化背景を中心とした国家と民族、伝統から解放されたというのです。そのすべてのものがサタン側だったのですが、これから、新しい伝統を受け継いだ私たちには、個人もありますが、家庭もあり、氏族もあり、民族もあります。世界の五色人種を編成して、国家、民族解放時代に越えていっているのです。闘わなくても解放されるようになっています。「解放の世界に前進すべし!」、これを標準として誇る日が「天勝日」です。その伝統を中心として、「私たちは、一つのアダム文化圏、一つの真の父母、真の神様の文化圏を創造する勇士として生きるべし!아주!」という群れが、統一教会員です。

35  一九七七年からは、アメリカにおける私たちへの反対はすべて過ぎ去ります。三年間、国税庁から来て調査し、AP通信が大騒ぎし、国会でも大騒ぎでした。私たちは、既にそのような峠をすべて越えました。お父様とぶつかったのです。そのようにしなければ、条件が成立しません。もしワシントン大会を終わらせなければ、すべてが崩れてしまいます。上がれなくなるのです。(もし失敗すれば、)お父様が再臨することを遺言で残して死ななければなりません。キリスト教が数多くの犠牲的代価を払ったのと同じように、統一教会も数多くの代価を共産勢力に払うことになったでしょう。

しかし、ワシントン大会を終えることによって、一九七七年二月二十三日、お父様の誕生日を中心として、新しい時代に入っていくという「地勝日」(天地勝利の日)を発表するのです。今までは霊界と肉界との間がすべて塞がっていました。そのように塞がっていたものを、今や壊すのです。個人復帰、家庭復帰、氏族復帰をして破壊し、条件を立てて上がっていくのです。

もしワシントン大会がなかったならば霊界と肉界との間が塞がってしまっていたので、霊界が肉界に降りてくる道がありません。人間の世界に来て、定着して働くことができず、少し協助しては、また行かなければならないのです。行ったり来たりしなければならないというのです。これが開かれることによって、数多くの善の霊たちが、自分の子孫の家庭、個人にまで訪ねていける領域ができました。

善の霊人たちが地上に降りてきて何をするのでしょうか。サタンと霊的に闘わなければならないので、霊的境界線ができ始めるのです。このような時代に入るので、世界が二つに分かれる現象が起きます。キリスト教も分かれ、共産主義も分かれ、家庭も分かれて、すべて分かれるのです。

一九七六年以前は、闘えば悪の側が勝ちました。悪の側が優勢だったのです。カイン側が勝っていたのです。霊界と肉界が塞がっていて、また、すべてがサタン圏内にあったからです。しかし、これからは道が開かれ、無制限に霊人たちが協助するので、闘えば闘うほどアベル側が勝利するというのです。

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5   皆さんはきょう、一九七六年四月一日から六十日間、ヤンキー・スタジアム大会を支援するための全国特別復興伝道集会を行うのですが、どのようにしなければならないのでしょうか。六千年の歴史を代表して生きなければなりません。アダムとエバが堕落して落ちたことを、ここで復帰しなければなりません。ですから、縦的な六千年の歴史を、横的に六十日間で私たちが総蕩減しようというのです。

それゆえ、歴史時代におけるノアよりも、さらに一生懸命にしなければなりません。アブラハムやイサク、ヤコブよりも、さらに一生懸命にしなければなりません。そして、モーセ、洗礼ヨハネ、イエス様よりも、もっと一生懸命にしなければなりません。この期間には、父母様と韓国の食口よりも、さらに一生懸命にしなければならないというのです。そのようにすれば越えていきます。このままアメリカを放っておけば、滅びるようになっています。

この六十日間が、私たちがアメリカを生かせる期間です。滅びる民主世界を復活させ得る期間です。共産勢力の脅しを防ぐ堤防を造れる期間です。青少年たちの倫理的破綻を防ぎ得る期間になるのです。さらには、キリスト教が滅亡するのをここで防ぎ、新たに復活させることができる期間です。この期間さえ過ぎれば、神様が初めて摂理のみ旨を新しいヤコブ時代に転換させる、大宇宙史的な時代が訪れるのです。

6   今まで皆さんは、ヤンキー・スタジアム大会を支援する全国特別復興伝道集会のために六十日間活動してきましたが、五月三十日からの最後の三日間に行う作戦次第で、運命が決定します。ですから、今回の三日の期間に統一教会が運命を懸けざるを得ません。イエス様のときも、十字架の死の三日間ではなく勝利の三日間をもたなければなりませんでした。しかし、勝利の三日間をもてずに死の三日間をもつことによって、今日の霊的な世界のキリスト教が出発する歴史的転換点になったのです。

統一教会でも、世界史的なアメリカの三年路程で、ヤンキー・スタジアム大会を中心としたこの三日の期間こそ世界の運命を決定する歴史的な期間です。ですから、皆さんと天がこの三日の期間を勝利することによって、反対していたニューヨークの境界線を越え、解放の旗を掲げて世界に出動できる起源が整うというのです。

7   ヤンキー・スタジアム大会が始まる前に、これ以上ないほどの風が吹き、雨が降りました。雨にぬれながらも、逃げることを知らず、パンドを動員してラッパを吹き、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の歌を歌う時、どれほど痛ましい思いだったでしょうか。口では歌っているのですが、目からは涙があふれ、雨と涙が混ざって流れたのです。そのような中で、「雨がやめばどれほど有り難いだろうか!雨よ、早くやんでくれ!」と叫びたかったでしょう。そのように考えなければ、人ではありません。心が完全に統一されたというのです。

二十分間でそのように教育できる能力は、神様だけがもっているので、私は「ああ、私の愛する神様!」と言いながら、感謝の祈りを捧げました。アメリカの若者たちに神様の心情を(十分に)理解させてあげられなかったのに、今回の行事で理解させてあげることができたのです。ですから、有り難い雨でした。

「雨よ、やめ」という心情で統一され、世の中を愛することができるその場が、神様の心情圏の場だと考えるのです。数千人がこのような思いを学んだとすれば偉大な贈り物をもらったというのです。皆さんがその時の思いをもって、一生の間、何かに取り組めば、成功せざるを得ないのであり、神様が協助せざるを得ないでしょう。ですから、神様が、ニューヨーク市民や反対する人々よりも、愛する統一教会にプレゼントを下さるために、そのような時間を与えたと考える時、感謝しなければならないというのです。そのような意味で、きょうは「大勝利の祝福」という言葉がふさわしいのです。

8   私は、ヤンキー・スタジアム大会の三日前に、「この三日間は、イエス様が十字架で亡くなり、地獄に行って伝道する三日間に該当する期間である」と言いました。ですから、「ああ、私が話したように、三日間、雨が降った」と思うのです。

イエス様が十字架で亡くなることによって、霊と肉が分かれました。み旨の半分は成就され、もう半分は成就されていないため、そのような結果と同じことがこの大会に現れるだろうという予感がありました。そのため、統一教会が肉的復活を成し遂げるためには、外的な肉的基準を中心として、打たれなければならないのです。ですから、「ここで、何かがあるはずだ」と思いました。

イエス様が、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七・四六)と祈る時、天にすがったのと同じように、私たちも神様にすがり、帰っていける出来事が起こらなければならないというのです。大会の日、雨が降ってみな、ばらばらになるはずなのに、私たちは団結して父を呼び求めたため、父と一つになることのできる良い機会になったのです。

9   ヤンキー・スタジアム大会で、「神様は無情だ。なぜ雨がこの時間に降ったのか」と言うこともできるのですが、お父様は、「神様!これは何でしょうか」と言ったのではなく、「ありがとうございます」と祈りました。ある日本食口の父親が霊界に通ずるのですが、彼が見たところ、雨はすべて霊人体たちだというのです。イエス様が十字架で亡くなる時、神殿の幕が裂け、死んだ霊たちが復活して下りてきたのと同じことが起こったというのです。

ですから、ここから霊界が協助するようになり、ワシントンDCに向かうのです。霊界から地上を協助できなかった時代から、地上を協助する時代に入ることにより、イエス様が霊的にこの地上に再臨復活し、キリスト教の霊人たちに働き掛けて、今後、キリスト教の運勢を集めて統一教会に結合させる時が訪れるのです。

10  ヤンキー・スタジアム大会に、七百人近い皆さんの父母、兄弟が来て、さらには韓国の同胞たちが来ていました。これを聖書の歴史で見れば、カイン・アベルと全く同じ立場なのです。今まで彼らは、すべて自分なりの観点をもって、批判的で不平を言う立場から見つめてきたのですが、この時間だけは一つになったというのです。これは驚くべき事実です。

歴史はカインとアベルの闘いの歴史です。カインとアベルの闘いで分立され、一つになれなかったのですが、ここでカインとアベルが外的、内的に一つになりました。ここに世界史的な原因があるというのです。これを見るとき、父母様は韓国と一つになる立場を代表し、皆さんは皆さんの家庭と一つになる立場を代表しているので、これさえ一つになれば、ここから世界を動かせる起源が芽生えると考えるのです。ですから、世界的な新しい出発ができるというのです。

11  一九七六年から、統一教会をなくすために、共産主義者たちが捏造をしたり、わざと共産主義の専門家たちを投入したりして、内部分裂工作をしようとするでしょう。そのような人々がたくさん入ってくると私は予想しています。先日、「デイリーニューズ」の記者が来て、三日間、スパイ活動をしたのと同じように、いくらでもそのようにできるのです。ここは公開された所なので、制裁がありません。私の一生で、アメリカに来てこのように生命の脅威を感じながら闘うのは、最初であると同時に最後です。アメリカの地におけるヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会のような闘いが神様の願いであり、イエス様の願いであり、人類の願いであり、また、過去に来ては去った先祖たち、現在の世界、未来の子孫たちの願いだからです。すべての願いの峠がここにあり、ここで判決を下さなければならないので、このことをせざるを得ません。「希望の峠を越えよう。望みの峠を越えよう」というその峠が、正にヤンキー・スタジアム大会です。マディソン・スクエア・ガーデン大会は蘇生であり、ヤンキー・スタジアム大会が長成で二番目なので、この時が一番難しいのです。三番目は問題なく越えていくと思います。

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アメリカの主要都市大講演会 アメリカの二十一ヵ都市講演会は、一九七三年九月七日、「ニューヨーク・タイムズ」に全面広告を掲載することをもって始まった。真の父母様も自ら著名人士にコンタクトを取りながら大会の準備を急がれ、全国五十州とワシントンDCに派遣された五十一の世界統一十字軍を中心に、大々的な活動を展開された。その基盤の上で、一九七三年十月一日から七四年一月二十九日までの四ヵ月間、「キリスト教の危機と新しい希望」をテーマに、アメリカの二十一ヵ都市で「希望の日」大講演会を主宰されたのである。講演内容は、「人間に対する神の希望」、「アメリカに対する神の希望」、「キリスト教の将来」などであった。真の父母様は、講演会の期間に、各界の有力者たちからの支持を引き出し、市長から幸運の鍵と感謝状、激励文、名誉市民証を授与された。また、三十二の大都市講演会は、一九七四年二月十六日から四月二十日まで、「キリスト教の新しい未来」をテーマに、先の二十一ヵ都市を除いた残りの地域で延長して開催された。

9   お父様は、一九七三年の末に二十一ヵ都市で大講演会をしようと思います。以前に行った七ヵ都市も加えるのです。ですから、十四ヵ都市だけ選べばよいのです。今後、ニューヨーク(にある修練所と同)水準の修練所を、ワシントンDC、セントルイス、デンバー、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ダラスに造らなければなりません。できれば、食口たちが集中する所に力を注がなければなりません。十月一日、ニューヨークから行うのです。来年は五十州で行います。そうすれば、もはやアメリカの人たちは、誰もお父様の話を聞いたことがないとは言えません。その次には、皆さんが進み出るのです。これをするためにも、皆さんか基盤を築かなければなりません。伝道しなければならないのです。一つの州で五十人以上にならなければなりません。基本の食口がいなければなりません。ですから、十月まで、一生懸命にやらなければならないのです。

10  アメリカにおいて、一九七三年十月、二十一の州の代表都市を通して攻勢をかけるでしょう。このようにして反対がなくなれば、五十州でそれを行い、その次には、皆さんが毎日のように公開講義を行うのです。このようにして、一九七八年までにアメリカ全域にこのブームを起こし、キリスト教指導者たちが「これからは統一教会を研究しなければならない。統一教会を探らなければならない」と言って、全体が一つの垣根の圏内で、世界に向かって動くことができるようにしておいてこそ、アメリカが復帰されます。今後、国家的な基準では、キリスト教の再復興と共産主義の脅威からの防衛、この二つの問題が、次第に切迫した問題として登場するだろうというのが、お父様の観点です。間違いなくそのようになるでしょう。ですから、それに対する準備さえしておけば、間違いなく、このアメリカがそのような立場に立つようになるので、私たちを前に立てざるを得ない時が来るだろうと考えるのです。ヤコブが天使に勝ったあとにエサウを訪ねていったのと同じように、皆さんはキリスト教会との闘いで勝ったあとに、共産主義と闘わなければなりません。言い換えれば、皆さんが教会基盤を築いたあとには、共産主義に勝てる理念によって武装し、全世界に進軍しなければならないというのです。ですから、「民主世界、キリスト教、共産世界の誰が反対しても、問題ない」という信念をもたなければなりません。「神側に私が立っているので、神様は私たちを祝福してくださる」という信念をもちなさいというのです。

11  アメリカには、韓国、日本、台湾、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、オーストリアなど、十ヵ国の人が集まっています。十ヵ国の人々が、民族と国家を超越し、神様のみ旨と超民族的な心情を中心として、新しい起源をつくることのできる、厳粛で驚くべき瞬間です。私たちはここで、一つの目的のために共に死ぬことができるという信念をもっています。今や三年路程は、一年半が残っています。この三年の期間に、アメリカが世界的な責任を果たせるようにするため、今、イギリス、あるいはアジアから、大学院生たちを連れてくるのです。一九七二年と七三年に、六十人近い上院議員と下院議員たちに会ったのも、これを準備するためです。お父様が、アメリカで七二年に七ヵ都市、七三年に二十一ヵ都市、七四年に五十ヵ都市を中心とした復興会を計画したのは、アメリカの人々に知らせるためでした。お父様の話を聞いたことがないという言葉が出てこないように、知らせるためだったのです。言い換えれば、新しいイスラエル、カナンの福地に向かう出動のためのものなので、この三年間にすべて知らせてあげなければならないというのです。イスラエル民族がカナンに復帰するとき、その民族がどこにいるとしても、一人残らず知らせてあげなければならなかったのと同じように、この三年間は、新しい世界的な第三次カナン復帰路程に向かって出発できるようにするための宣布をしなければならない期間です。ですから、モスクワに向かって進軍しようというのです。皆さんは、このような信念をもたなければなりません。共産世界は今、アメリカに向かって進軍してきているのですが、私たちは反対に、モスクワに進軍しなければならないのです。

12  一九七八年までには、アメリカにも共産党が脅威となる時代が来ます。これは、摂理上、避けられないことです。その時までに、統一教会の思想を中心とした基盤を、アメリカの中にしっかりと定め、すべての分野に影響を及ぼすことのできる活動体制を備えなければなりません。ですから、二十万人のアメリカの指導者たちに対し、三年以内に「統一原理」と「勝共理念」と「統一哲学(思想)」についての本を三冊ずつ、六十万部を無料で配布する計画を立てています。そして、一九七三年十月一日から三年間、アメリカで大講演会を始めなければなりません。二十一ヵ都市を中心として、大々的な講演を実施するでしょう。十月一日からカーネギー・ホールを借りて、講演を行う準備をしています。ですから千人を動員しなければならないというのです。

13  一九七四年二月十六日からは、アメリカで再び巡回大講演会を出発しなければなりません。ですから、四十ヵ都市を定めて、韓国に帰ってきました。このようなことを始めるのは、一個人の欲望や、統一教会の復興のためではありません。神様が格別に愛するアメリカで、今後行くべき新しい信仰的な路線を提示しなければならないみ旨があったからです。それを今までやってきてみると、全国的な問題が起きたのです。アメリカ国民に、お父様のことが広く知らされたと思います。言論界が動員された問題や、想定外の問題が起こって全国的な問題となり、さらにウォーターゲート宣言は、実に歴史的な大きな旋風を巻き起こしました。国内だけでなく、外国にいる統一教会の食口たちが、お父様の指示に従って歩調をしっかり合わせてくれることにより、正にアメリカの言論界や社会的に地位の高い人々が、私たちの活動に対して過小評価したことについて、電話、あるいは紙面上で謝罪してきています。私たちが今まで活動してきたことが、彼らに相当の影響を与えたことを感じて帰ってきました。

14  一九七四年の「希望の日」巡回講演会の期間に、私たちに対して積極的に反対するその背後には、必ず共産勢力がいて操っているはずです。路傍伝道隊が活動する所には、共産主義者たちが来ていると思います。ニューヨーク集会の時から全国で反対し続けているのは、そのような動機からだと、摂理的に考えるのです。今、キリスト教を見れば、私たちに反対する人たちもいて、支持する人たちもいますが、彼らはいずれにしても、反対する人のほうに傾くと見ています。

共産勢力を蘇生級とすれば、キリスト教が長成級で中間なので、これはイエス様の時代のユダヤ教に相当するのです。ですから、キリスト教は、イエス様の時代に反対したユダヤ教と同じなので、必ず反対します。

原理的に見れば、蘇生圏と長成圏はサタンの支配下にあり、私たちは完成圏の基盤をもって世界的基盤を越えることができる時になりました。ですから、私たちが完全に民族を超越し、強力に一つにさえなれば、サタンは退くというのです。このような原則が原理観です。蘇生圏と長成圏はサタンが思いどおりにできますが、完成圏に入れば、思いどおりにできないのです。

15  私はアメリカに来て、皆さんが信じられないことを、今までたくさん行ってきました。年数では三年ですが、一年八ヵ月にしかなりません。このように見れば、今後、私たちはどれほど影響を及ぼすことができるでしょうか。これは、既に韓国で証明され、日本で証明され、台湾でもそのような基準を認定する段階に入ってきました。一九七三年七月一日に「勝祝日」を定め、一年以内に「勝恨日」を決定しました。それらの日は、西欧文明世界において、天から記念することのできる一番目の日であり、二番目の日です。アメリカですべきことを韓国に行ってしたのは、韓国にも世界的運勢を結んであげなければならなかったからです。それは、皆さんが初めて聞くことであり、考えもできなかったことです。私たちが実践してこのような基盤を築き、「世界が私たちの舞台である」と自信をもって私たちの視野で見つめられるようになったのは、驚くべきことです。私は、アメリカに来て、今や成功しました。それは、私がしたのではありません。神様がしたのです。

ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン「希望の日」フェスティバル 真の父母様は、一九七四年九月十七日から十二月二十三日まで、アメリカの八大都市で「希望の日」大講演会を主宰された。先立って行われた三十二ヵ都市と合わせて、アメリカの四十ヵ都市における大講演会の最後の日程であった。初日は晩餐会、二日目は講演会が開かれた。特に、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開かれた「希望の日」大講演会は、当時のアメリカの宗教集会としては新記録を樹立した大会であった。九月十七日、ウォルドルフ・アストリア・ホテルで開かれた前夜祭の晩餐会では、千七百人以上の著名な人士が参加し、六つのテレビ局をはじめとするマスコミの熱気を带びた取材競争の中、アメリカの有名な霊能者であり、予言者であるジーン・ディクソン氏が真のお父様を証した。十八日の講演会では、指定席二万五千席のほかに、五千席の臨時座席を追加で設置したが、二万人以上が入場できないほど、大盛況を呈した。真のお父様は、「キリスト教の新しい未来」というテーマで熱弁を振るわれた。

16  今日の民主世界について見てみると、アメリカと韓国は、ローマ帝国とイスラエルの立場と同じです。イエス様の当時には、ローマ帝国とイスラエルが一つになってイエス様を打ちましたが、今の時は韓国人とアメリカ人が一つになって、お父様を打つようになります。打たれることによって、蕩減復帰されるのです。アメリカは民主主義の国なので、ローマ帝国とは違います。キリスト教を捕らえて滅ぼすことができる基盤ではなく、何を語ったとしても、命まで奪うことはできない民主主義の国です。

また、共産勢力が旗を掲げてやって来て、お父様に反対します。これは世界的事件です。お父様には、韓国のキリスト教はもちろん、アメリカのキリスト教も反対し、アメリカ人も反対し、共産勢力も反対するので、これは世界的なすべてのものが反対する条件になるのです。しかし、いくら反対しても、お父様を訪ねてくる人々の気勢にすべて押されて倒れてしまうのです。それが正に一九七四年九月十八日、マディソン・スクエア・ガーデン大会です。

これは、キリスト教に代わる民主世界と統一教会が真っ向からぶつかって、統一教会が越えていく時間です。このようにして、世界的峠を越えました。ユダヤ教がイエス様の命を奪い、ローマがイエス様の命を奪いましたが、そのような立場にいる統一教会とお父様の命は奪うことができないのです。追い出すことができません。ですから勝利したというのです。これは、歴史的な起源が始まる瞬間です。

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11  孝進オンマ、どれほど苦労が多いでしょうか。早産になるかもしれないと心配したという知らせを聞いて、本当に申し訳なく思います。しかし、安定したということで幸いです。また、譽進、孝進がよく遊び、愛嬌を振りまくことを聞き、心から故国に思いをはせます。また、八月上旬が予定日だと思いますが、その時までに私が故国に帰ることができなくてすみません。

しかし、天が共にあることを思いながら、七月上旬にはカナダと南米大陸を経て、七月十五日にはイギリスの首都ロンドンに到着予定となっています。そのように過ごしてから、ヨーロッパ大陸を一ヵ月ほどかけて巡回し、ギリシャ、エジプト、ヨルダンを経由してアジア大陸に渡り、九月下旬か十月上旬には故国を目にする予定です。期待の思いでとても待ちきれないことを、よく知っています。特に体に気をつけて、健やかに過ごしてくれることだけを祈っています。また、この複雑な事情でいくら苦しくても、少し耐えれば良い方向に行く日が来るでしょう。

今、ワシントンDCでの生活は韓国と変わりませんが、食事の時や、眠りから目覚めるたびに、故郷への思いに浸ることがあります。そして、便りをそわそわと待ち望む思いを禁ずることができません。そのたびに、お母様も毎日のように、配達員が来るのを待っているだろうと思うと、便りを毎日のように伝えられないことを、心から申し訳なく思う時が何度もあります。

それで、今は八日の四時十五分ですが、外出準備の時間を利用し、待ち望むお母様に、急いで短い手紙を書いています。これまで、多くの人と対面しながら過ごしてきました。そして、時間さえあれば英語の勉強をしようとしていますが、能率が上がりません。しかし、続けています。お母様も、英語だけは勉強しなければなりません。アメリカに来て、さらに切実に感じました。少しずつでも続けてください。流れていく歳月を巡り、み旨のための精誠を乗せて送ります。いつも安らかであることを祈りながら、終わりにします。一九六五年六月八日、ワシントンDCにて。

12  お母様へ。今しがた、送ってくれた譽進の絵を見て、育ってゆく子供たちの知恵に、より一層心が満たされています。絵を見ると、本当にとても上達しているので、大きく成長しているのだろうと思います。とても会いたいです。孝進も、かわいい盛りのようですね。私をしきりに捜す姿が目に浮かびます。大きくなったでしょう。早く帰って会いたいです。新たに生まれる赤ん坊を思いながら、八月七日頃を一人で指折り数えたことが一度や二度ではありません。大変心配しているようですが、すべてを天のみ前に委ね、心配しないでほしいと思います。私は、そばにいなくても、心だけはずっと一緒ですから、天のお父様を仰ぎ、祈るばかりです。今、とても大変でしょうから、気をつけてください。譽進の手紙から、不安な気持ちを窺うことができました。出産は、お母様の計画どおりにするのもよいと思います。平安な気持ちで過ごせるように願うばかりです。

それから、時が訪れ、私たちの忠誠が求められる時期になりました。精誠の限りを尽くして、本部でも国外でも、努力が必要であることを切実に体験しています。本国がよくやってくれるので、うれしく思います。報告書を見るたびに、感謝するばかりです。すべて、天の苦労のお陰です。私たちは真の天的使命に、さらに深い責任を覚悟しなければなりません。日本の便りを聞いても、本国と同じく発展しているという報告です。アメリカも発展しています。先生が通ってきた所は、時の運が共にあることが分かり、感謝に堪えません。

早く目的とする「神の日」を成就させなければなりません。そこに向かって、また前進しなければならないでしょう。よく耐えて、勝利へと越えていくお母様の貴い姿が栄光を受けるように、私はすべてを尽くし、助けたいと思います。これから行く道に光明が宿ることを願って進みましょう。ぜひとも、体に気をつけてください。

食口を率いて未来の建設のために準備し、幸せな家庭を成就して天のみ前に捧げましょう。そうして、天宙復帰の聖業を高々と輝かせましょう。

普熙から、旅行計画書が届くと思います。それに従って旅する予定です。これからの道に天的意義があることを祈り、み旨に従っていこうと思います。アメリカの食口たちの苦労が、物心両面で大きいです。み旨に従って忠誠を尽くす食口たちの貴い姿を覚えていてください。これまで、私は多くの人々に会いました。とても気になっていると思います。ここの食口と、同行者たちも元気です。

世界を連ねて聖地を選ぶことが基台となり、全体の運動に天の恵みが宿ることを願いながら、忙しい旅に出発する日を望みつつ、整理しています。一九六五年六月二十二日、ワシントンDCにて。

13  孝進オンマ、この数日間も無事に過ごしたと思いつつ、また平安を祈ります。世界の変遷を促す歳月は、矢のように過ぎ去っていきます。既に、出発してから六ヵ月が過ぎました。あすが七月一日ですから、今、正に忙しく出発のための準備をしています。アメリカでの生活はきょうで終え、あすから再び休む間もない世界巡回で忙しくなります。きょうはアメリカの上院議員二人に会い、帰ってきてからすぐにペンを執りました。アメリカの状況は、ほぼ見当がつくようになりました。その他、二十五日にはアイゼンハワー元アメリカ大統領に会い、その何日か前にも上院議員に会いました。現代の世界的指導者たちに会ってみました。そのあと、いろいろと考えることが多くあります。私たちの大いなる理念を中心として、今後の世界宣教のためにいろいろと参考になることが多くあります。お母様は、韓国での使命がどれほど大変でしょうか。ありがとうございます。み旨のため、天に向かって孝女の責任を果たしてくださることを願うばかりです。

今、孝進と譽進の写真の前で手紙を書いています。彼らに見られている気分です。早く帰って会わなければと、写真を見て思いながら書いています。本当に会いたいです。さらに予定日が迫ってきていますが、私が一緒にいてあげられなくて申し訳ありません。出産に関しては、協会長とよく相談して行ってください。食事に気をつけ、栄養を考えてください。孝元氏の報告に、生活が思いどおりにいかず、その影響がお母様にまでいっているという言葉があり、一方で心配していますが、節約すると報告にあったので、感謝しています。天が責任をもてるように皆が精誠を尽くし、ただ忠孝の道理を立ててください。こちらはみな元気でいます。そして、今回は、アメリカ食口の物心両面での苦労が大きいと思います。将来、天が助けてくれることを祈るばかりです。送ってあげた旅行日程をまた送りますから、受け取って安静にしてください。保護の中、無事に帰国できることを待ち望んでいます。子供たちを連れて、苦労が多いと思います。

四十数ヵ国を歴訪するつもりです。出発したあと、連絡先をお伝えします。韓国の現在の事情をよく知っている私としては、そのために祈るばかりです。今の旅も、将来の韓国の道をならすためのものだと思いながら、民族の前に申し訳なく思う気持ちをなだめようと思います。旱魃がひどいということで心配です。そのような時ほど、統一の役軍(担い手)はさらに発奮しなければなりませんね。暑い夏の季節、苦労させることを申し訳なく思います。四方を見ながら、手本となる立場に立とうとしていることに同情します。責任を負った者たちの重大さを、さらに切実に感じると思います。いつも平安を祈りながら、忙しい中での乱筆、失礼します。十月中旬にはまた会えることを願いながら、安らかで健やかに過ごせるよう、祈るばかりです。それでは、元気でいてください。一九六五年六月三十日、ワシントンDCにて。

14  孝進オンマ、今ちょうど、スペインの首都マドリードの飛行場から、イギリスに向かって出発しました。十四日の午後八時十五分です。太陽がスペインの山野を照らしています。もう少ししたら、たそがれが訪れるでしょう。農業国ですが、それほど農地が肥沃には見えません。山にも木が多くありません。飛行機からは、遠くに白みがかった霧がかかり、天と地が薄らいで見えます。二時間だけ飛べば、西欧文明の中心国家であるイギリスの首都ロンドンに到着し、金永雲氏に会う予定ですが、そこの様子はどうなのか気にしながら飛んでいます。二ヵ月余りで何人伝道したのか、新しい食口たちと一緒に迎えに来ているだろうと思います。

太陽が西の雲の中に隠れ始め、山野には暗闇が訪れます。ドーバー海峡を飛び越えていくこの道が、み旨の道を高める道になることを願っています。イギリスまで行けば、本当に故郷に帰る気分になると思います。きょうは、スペインで観光バスに乗り、宮殿と博物館を見学しました。王宮は二十六年間かけて建築したもので、ヨーロッパ文明を総合した芸術品が驚くほど積まれていました。博物館を見ても、三千点以上あるという絵の中に、有名な傑作がたくさんありました!今、飛行機は雲の中に包まれていきます。日の光は、空を紅色に染めながら、横の窓にペン先の影をまだらに映しています。客室乗務員が促す夕食のため、仕方なくペンを置かなければならないようです。

故郷の便りを、イギリスに行けば受け取れると期待しながら飛んでいます。食口全体が無事で、お母様の体の健康と子供たちも無事であることを思いつつ、遠く心の中で慕わしさがつのります。全体の活動状況を知りたいですし、また、会える日が待ち遠しいです。私たち一行はみな無事なので、安心してください。近くにいる食口たちにも、よろしく伝えてください。白い雲に乗り上げてはまた通り過ぎ、山野を広い庭園にして飛ぶ騷音とともに、展望の一景を思い出としながら、ひたすら通り過ぎていきます。日の光も黒い雲に遮られ、明るかった機内も少し暗くなります。それではここまでにします。元気でいてください。一九六五年七月十四日、イギリス行きの機上にて。

15  孝進オンマ、今ドイツに来て、数日がたちました。ドイツは国民性が勤勉な国民であることを、戦後の復興の様子を見てさらに感じました。全国的に六〇パーセントも破壊されて廃墟になった土地を、新しい国土に造り変えたのを見ると、韓国に対する私たちの立場を改めて思い、今後の私たちの責任が大きいことを切実に感じます。

ドイツに来て、本部の便りを待っていたのですが、何の知らせもないので気になっています。きょうは八月四日です。お母様のことを思い、追憶の日であることを、遠く離れて記憶しながら、昨年のこの時(一九六四年八月四日、惠進様の聖和)のためにお祈りします。もう八月ですから、臨月に入り、どれほど心配しているかと思いつつ、すべての面において委ね、やり抜いてくださるようお願いします。今、ちょうど外出の準備をして応接室に来てみると、新たに変更された巡回旅程を韓国に送るというので、急いで書いています。

新しい赤ん坊の名前ですが、男の子なら「興」の字、女の子なら「仁」の字にしてくれればと思います。皆が祈ってくださったお陰で、私たち一行は無事に過ごしています。あすはドイツを離れます。十八日頃、イタリアに到着する予定です。そちらに手紙を送ってください。その頃には、出産が終わっているでしょう。皆によろしく伝え、体に気をつけてください。しきりに心が故国を訪ねていきます。子供たちは元気ですか。それから、協会長に相談して、私がアメリカに出発する時に持っていったのと同じハンカチを二十枚用意し、同じはんこを押しておいてください。お土産を買っていくのは、重くて不可能だからです。帰ってから、お土産の代わりにするようにしてください。皆の平安と健康を願いながら、これで終わります。旅行スケジュールで、イタリアの宿所が変更してあります。一九六五年八月四日、ドイツにて。

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8   お母様へ。過ぎし日々は多くの思い出とともに新たに、また新たに繰り返され、もう七十日が過ぎました。生活、風情が変わるとともに、遠く故国の山河を慕う思いをもつのは、人情の常のようです。多くの声援と忍耐の中で、過去を築いてきた地、涙で訴える地、多くの希望の土台を築こうと情熱を燃やした地、それが正に私たちの故国であるという深い回想の中で四十五年を振り返ってみれば、すべてがほかには知る者のないみ旨のための道でした。私の生涯はみ旨のためのものですから、天の苦労の前に再びあすのための覚悟をもち、忠誠を尽くすことを新たに決意するものです。

これまで多くの苦労と忍苦の中で、はるか遠い千里の道を築いてきた過ぎし日が再び思い出される四月十七日(陰暦三月十六日)の前日です。お母様を天的な使命の前に立て、天と地が案じる中で歩んできた日々を、勝利で越えて築いてきたその大きな心性の前に、この異国の地から感謝を捧げます。今や多くの子女の母親としての立場を、また案じなければならない苦労の道を遠くから同情しながら、四月十七日を過ごすと思います。私たちの過去に曲折が多ければ多いほど、み旨と歴史の前に、力強いやり甲斐となることを体験するとき、その過ごしてきた価値を賛美し得るのではないでしょうか。また耐え、また決意し、また越えていくべき復帰の路程を、力強く越えて走っていきましょう。私たちの天国、私たちの世界と私たちの福地のために、精誠を尽くし、努力しましょう。定められた生涯の路程で、その誰かのために走り、ただ一つだけの貴い人生において、目的の前に心からの感謝をお返しし、高貴な真の父母様の使命を高く賛美しながら、あすまたあすと勝利で歩みましょう。五年後のことを思えば、お母様はよく歩んできてくれたと思いながら、今後のお母様がさらに慕わしくなります。

十年が過ぎ、またさらに過ぎれば、私たちの過去がさらに高く、貴く表されることを期待します。その時には、私たちのみ旨と家庭も様々な形に変わり、天が願う真の手本となる本郷の家に到達してさしあげられるよう、さらに決意する次第です。お母様も過去を回想しながら、十六日を過ごすと思います。歴史的な聖婚日だったことを、誰が知っていたでしょうか。ただ天だけが喜び、サタンは悲しみに浸った日ではなかったでしょうか。天は福を与えようとし、サタンは讒訴しようとする中での新天地の家庭出発だったことを思うと、私たちがもう少し深い精誠と高い徳を備えていればと思わされ、改めて考えることが多くあります。

そして幼い子供たちのことを思います。会いたいです。時々、写真を見たりしています。ここも春です。韓国の山河も春だろうと思います。時間をつくって、春の陽気を浴びに一度出掛けるのもよいと思います。先生(お父様)と一緒に楽しむように万物を愛し、深く慰労されることを願います。私も食口たちと一緒に、ワシントンDCのいろいろな場所を見学しようと思います。忙しい生活の中で、心を楽に保ち、妊娠中の健康に気をつけて、ビタミン摂取に励んでください。昨晩、電話で声を聞いて感激しました。様々な事柄をたくさん残し、会った時に記念として聞かせてあげます。それでは、乱筆で失礼しました。一九六五年四月十六日、ワシントンDCにて。

9   孝進オンマへ。四月三十日に出発してニューヨークに向かい、四日目の五月三日夜十時半に到着しました。帰途の自動車の中で、多くの場所に手紙がたくさん来ているだろうと話しつつ、同時に心でそのように願いながら、到着するやいなや尋ね、協会長とお母様からの手紙を受け取って封を開け、驚きました。前回、手紙を受け取ってからすぐに返事を書き、送るように普煕に渡したにもかかわらず、まだ受け取れていないというのは、間違いなくどこかでなくなったのだと思います。その返事を思い返しながら、また書いてみます。便りを伝えるのが、電話で話してからは初めてになります。

妊娠期間で疲れがあるとのこと、申し訳なく思います。便りのない期間が十五日を越えましたね。私は安心して、再び来る手紙ばかり待ち望んでいました。この期間は、ワシントンDCで主に多くの人々に会っていました。詳しい内容は、あとで知らせようと思います。恐らくお母様にも会っていれば、私をさらに敬ってくれるだろうと、時々思うこともあります!そして、願い、祈るのは、健康でいてくださいということです。

出産のことは心配しないでください。その時が近づいてきたので伝えようと思います。お母様が好きなように定めてお産をしてもよいでしょう。ニューヨークに行って、お母様をこれから世界の舞台の上に立たせようとすれば、アメリカに来て生活を習得し、一緒に住む必要があると切実に感じました。しかし、今は状況的にそのようなことができないので、申し訳なく思いました。ニューヨークを訪問し、毎日のように同行できないことを思うたびに、お母様を考える回数が増えました。このことを思うときこの期間が私たちにとってさらに大きく役立つ時間であることを、天のみ前に感謝します。

二十五人の食口と同行し、ニューヨーク市の重要な要所を回ってみました。あとでまた写真を送ります。文明の力が、これから天国建設に大きく貢献しなければならない、絶対的要因であることを切実に感じました。きょう、ロンドンとローマから手紙が来ました。そこに、私たちの教会が建ちます。オランダにも行き、フランスも行く予定です。今回の在米中に、多くの宣教国を定めて実行していきます。期待しながら、たくさん祈ってください。疲れているようです。許してください。それでは以上にします。お元気で。協会長にもよろしく伝えてください。皆も元気で過ごしているでしょう。近い人に手紙を書くなら、このような内容を伝えてもよいと思います。一九六五年五月四日、ワシントンDCにて。

10  孝進オンマへ。歳月があっという間に過ぎていきます。もう別れてから、あと数日で満四ヵ月です。本部の便りを伝え聞くたびに、平安であることを感謝しています。ただ無事で、大きな使命の前に忠誠を尽くすことを祈るばかりです。この期間も一人重責を負い深慮していることを知るたびに私は心強く思います。天的な責任に忠孝の道理を立て、万世に追慕されるお母様をしきりに思い描いています。純潔なその身の上に、平和と平安が永遠に宿ることを願います。

本当に、過ぎし多くの行事に苦労が多かったことを心から慰めてあげたい思いでいっぱいです。ぐっすりと眠りについたその姿の上にますます平安があるようにと祈るばかりです。私は心から心配しながら、挙行されるその式典に福があることを願っていました!深く慕う、心もよく知っています。人生航路において深く体験するあらゆることが、のちのち私たちの家庭に福をもたらす重要な動機となる、そのような期間になることを待つばかりです。

今、時刻は夜の一時四十分です。こちらは静かな夜です。故国の夜が懐かしくなります。この時間、故郷は昼でしょうから、少しおかしくはありますが、夜だと思って送ります。お母様は、どのように眠っているのでしょうか。アメリカのことをいつも考える、その気持ちをよく知っています。早く来てくださればと思うその崇高な心情に、安らかな深い眠りを与えてくださいと、私は願うばかりです。遠い他国の地に、隔てられ、思うすべての事情が、香り高く、誇らしい条件になることを、今夜も私は思い描いています。

妊娠中ですが、おなかの子もますます健康であることを願います。私たちの家庭の上に天の大きな保護があることを、お母様も感謝してください。天地の運命を輝かしいものとする家庭であるようにと私はどれほど願っているでしょうか。天も、私たち統一信徒も、そのように考えていますので、今後、ますます子女の教育に力を注がなければならないことを感じます。復帰の路程は悲しみと痛みであり、その重荷を成就の大きな栄光に変えることを喜びとして思い描きながら、私はどれほど耐えなければならないだろうかと思い、決心するものです。お母様をどのようにして天の孝女にするかと考え、私のために生きる烈女よりも、天のために生きる烈女になりなさいと忠告する私の心を、一人で振り返ってみると胸が痛みます。天に行って誇り、あらゆる女性の中の勝勢者となったお母様の姿を、私が万天宙に賛美するその日を願いながら、再び勧告をする私の心も痛みます。

率いている側近の皆にも会いたいですし、気掛かりです。共に歩む運命を天地と共にして、静かな香華のごとく咲くよう、その血と汗と涙を肥やしとしなければならないその方(お母様)を私は仰ぎ慕いながら、愛顧したいという思いを、安らかに受け止めてください。私が帰国したら、またみ旨のために行こうとばかり勧める私に同情してください!天もそうであり、地もそうなのですから、すべてはお母様の貴さを立てるためであることを思い、最後の心情の十字架を立派に越えましょう。女性の貴い生涯に同情する、本当に尊敬されるお母様になり、歴史において功徳の手本となって、私よりもお母様の気高さと貴さを表すお母様の生涯にならなければなりません。

ソウルに、この忙しさを伝えようとするたびに、皆に感謝します。努力に比例し、成果が見えてくるでしょう。送ってくれた血書を受け取り、二十一日を守ろうと、準備の沐浴をしてペンを執りました。アメリカの便りが大変気になっているかと思い、紙面がとても長くなっていきます。生活を見れば、食事は韓国と変わらず、足りないものはありません。忠誠を尽くすスッキとギスクがいるので、不便なことなど考えたこともありません。時間があれば英語の本を手に取り、格闘しています。本当に、時間がたくさん必要です。お母様も、会話の練習をしてください。結局のところ、暗記するのが一番良い方法のようです。それ以外では、主に人に会うことです。思いどおり進展が見られます。遠くない将来、お母様と一緒にアメリカで生活することも考えています。良いものを見れば、そのようなことを考えます。

それから、体に気をつけて、あまり憂鬱にならず、朗らかな一日を歌い、食口たちと天を慰めてください。それでは、元気でいることを祈りながら、ペンを置きたいと思います。食口たちによろしく伝えてください。一九六五年五月二十一日、ワシントンDCにて。

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5   孝進オンマ、重大な責任と忙しい生活の中で、み旨に対する使命にどれほど苦労が大きいでしょうか。最後まで忍耐を通して、あすの目的のために力いっぱい努力してくださることと思います。ありがとうございます。きのうはニューヨークを出発し、道を急いで、バーモント州のブラトルボロ(Brattleboro)にあるホーリーモーテルに泊まり、今、出発直前にペンを執りました。きょうは、オハイオ州のクリーブランド(Cleveland)に向かう準備で忙しくしています。その時間を利用して便りを伝えることを申し訳なく思います。四月二日になる前にワシントンDCに戻り、「父母の日」を迎えようとしているので、本当に忙しいです。北部地方は今、冬の季節で本当に寒いです。

先日送ってくれた手紙を、ワシントンDCで受け取りました。便りを受け取り、言葉にできないほどうれしく思いました。離れて連絡を取り合う事情にある中で、より深い感情と重大さを感じます。さらに、子供たちと食口たちと共に、ソウルで過ごしていたすべてのことが、いつも思い出されます。このようにして過ごしている間に、いろいろと苦労をかけることがあれば、それが私たちの間により大きな力をもたらし、絆を深く結んでくれることになると感じます。ですから、生きていく中で、大きなみ旨のために耐えて歩んできた過去もまた貴いことを、お母様も十分に体験するだろうと思います。この世にいる間、大きな責任と使命に涙しながら、勝利のために行進することが本当に貴いと改めて思うとき、お母様に対して本当に感謝することが大きく、また多いことを感じます。大きく気高いみ旨ですから、それに比例する苦労にも耐えていきましょう。

近くにいる多くの食口たちの無事を祈りながら、子供たちと共に体に気をつけて、私が子供たちと会う時まで、勇ましく闘ってください。あすの希望と世界の舞台を夢見ながら、今、準備を一生懸命にして、巡回の日を描きつつ、喜ぼうと思います。どうかしっかり闘って、責任を果たす貴いお母様になってくださることを、心から願っています。会いたくなったら、家族が写った写真を時々見ながら、もう一度会える日を楽しみにしています。

譽進が学校に通い始めて、もう随分大きくなったと思うと、お母様の責任がさらに大きくなるだろうと心配になります。孝進も、私のことを捜しながら、しっかりと育つていると思うと、慕わしくなります。本当にお母様は立派にやり遂げて、私にとって最も貴く、誇らしい女性の中の女性になるだろうと思いながら、本当に私は幸せ者であると心から感じつつ、歩んでいこうと思います。どうか気高く貴い勝利したお母様になってください。私も真の父になり、天地のために生きようという一片丹心を抱くばかりです。それでは、お元気でいてください。一九六五年三月二十日、ブラトルボロにて。

6   孝進オンマ、一晩過ごし、三月二十五日になりました。もう別れてからあと三日で満二ヵ月ですね。その間、ソウルで忙しい生活を送りながら、多くの体験をしていることと思います。み旨を中心として、大衆の前でいつも気をつけ、公的な生活館の中で気を抜いて過ごすこともできない生活を、遠くから同情してやみません。さらに、多くの人々を前にして、今はもう自分一人の体ではないのに、大変申し訳なく思います。毎朝、聖地を訪ねるその姿を心から心配し、一方では貴く思っています。多くの人の手本になってくれていることに、感謝するばかりです。他の人とは違って、心情的十字架を越えていこうとするその大きな使命は、私だけが知るところであり、さらに広く、高く、貴く敬愛を受けるお母様になってくださることを、心から祈るばかりです。皆によろしく伝えてください。手紙を一つ一つ書けない事情を理解させてあげてください!

子供たちに対しても、気苦労が多いでしょう。今は、皆の成長した姿を想像しています。私は毎日のように、忙しいアメリカ北部巡回路程を送っています。南部と違って、北部は寒い季節です。気候も変化して雪の降る日が多くあり、自動車の運転に気をつけなければならない道が多くあります。非常に遠い道のりを訪ねて回る、その大きな意義を思いつつ、復帰の路程の悲しみを体験することも多くあります。州ごとに異なる風景を見ながら、天の大きな摂理がある地だということを切実に感じます。天の復帰摂理の苦労を改めて思います。お母様が、私の行く先々に心で同行しながら祈ってくれていることを思うと、本当に有り難いです。大きな責任に対して私も深く敬愛しながら、今後のみ旨に対する誠心を大きく期待します。いつか、お母様と一緒にアメリカとヨーロッパを歴訪する日を願いながら、多くのことに思いをはせています。いつも健康に気をつけ、今後の道を固めるために、さらに努力してくださることを願ってやみません。天の威信と責任を重く受け止めながら、あすの希望を高めていくようにお願いします。

気になることが、日を追うたびにしきりに増えていきます。きょうは、コロラドの州庁所在地のデンバー(Denver)で書いています。恐らく手紙を見て、この場所を探してみることと思います。朝食を食べたら、(ユタ州の)ソルトレークシティー(Salt Lake City)に行って、相哲(サンチョル)氏に会う予定です。木曜日なので、気になっているかと思い、忙しい中ですが少し書いています。来週のうちにワシントンDCで「父母の日」を迎えるため、路程を急いでいます。そこで便りを受け、また連絡します。どうか体に気をつけ、勉強を頑張ってください。

生活の中で、時間をつくる余裕が常にあるでしょうか。一度過ぎれば戻ってこない青春の良い時期を、み旨のために大事にして捧げましょう。手紙を書くたびに、念を押すかのように何度も書いてすみません。それは、夫としての責任もあり、のちのち感謝することになると思いますので……。また、ほかに誰が勧めるでしょうか。時間の貴さをよく御存じでしょうから、申し訳ありませんが、心に留めて努力し、私が驚くほど忠実に過ごしてくれることを願うばかりです。心深くお父様を思い、それを体恤することも必要です。み旨を中心とした高貴なお母様を慕い求める私であることを、よく御存じだと思います。死のうと生きようと、私たちの使命となったみ旨を、私たちが成し遂げていかなければなりません。どうか元気で過ごしてくれることを祈りながら、これでペンを置きます。一九六五年三月二十五日、デンバーにて。

7   お母様へ。「父母の日」を迎え、報告を兼ねて書いてくださった手紙を読みました。御苦労様でした。やはり、お母様の貴さに対して改めて感謝しました。私がいない間、二回の行事のために苦労が大きいことがよく分かります。しかし、天の願いの前に責任を果たしたことを、私はうれしく思います。この「父母の日」が私たちの暮らす地球上に顕現したという事実を考えるとき、私たち真の父母の立場がどれほど恐ろしい立場であるかを切実に感じます。

六千年前に神様が造られた本然の世界で、神様が喜ばれる中で成就し、行うべきだった祝典の儀式を、今日の私たちが責任をもつという、途方もない使命の前に、身の引き締まる思いです。数多くの預言者と先祖が犠牲と悲惨な歴史路程を綴りながら、天地のためにどれほど多くの涙と汗と血を流してきたでしょうか。数えることのできない、天のみぞ知る曲折の多い道を歩んでくる中で、私は体験とともに蕩減路程を経る悲しみの道を耐えに耐え、お母様一人を迎えて平和の勝利を誓っています。そのようにしながら、暮れゆく青春を我が生活とし、たそがれの道をたどって果てしなく遠い夜明けに向かい、四十数年の生涯を歩み、天地の悲しみを体験しながら、天の勝利の一日として成し遂げられた「父母の日」であることを思えば、千里遠程の恨多き過去とともに、お母様を貴く思わずにいられるでしょうか。しかし、六回目を迎える「父母の日」を過ごしながらも、責任と使命を再び勧告しなければならない私の心情は、残された世界的な父母様の成就のためであることを思うとき、お母様に多くの苦労を再び残し、一緒に行かなければならない運命に対して深く同情します。

しかし、最後まで、私たちの恨を解くまで前進することが、私たちの目指すべき目標として残っています。様々な十字架の上で、お母様の責任がどれほど大きいかを知っている私が、海外で心から深く祈っていることを知って、妊娠中ですから体に気をつけ、あすの責任が輝かしいものとなるようにしてください。天地が貴く思い、万民が喜ぶ日である「父母の日」の中心が、実体をさらに貴く慕うことを思えば、すべてを祭物とするようさらに輝かせなければなりません。若い心に気高い誠心、天の責任と世界を抱きながら、幸福な歴史的生活の勝利圏を創造する神聖な主人公の責任を完遂し、天地が共にその懐を慕う、貴いお母様になられることを祈るばかりです。私たちのために命を懸けることを覚悟した人々が本当に多いことを、まず忘れてはいけません。

また、私たちを見つめながら、生命の灯台として侍る、そのような人に生命を与えようと思えば、光の本体にならなければならないという厳粛な命令を受けているのです。韓国と日本とアメリカのほか、多くの国の人が、いや、さらに多くの民族が、私たちのためにそのようにするというのであれば、負債を負って、私たちの歴史的背後にこの暗闇の一点を残してはいけません。ですから、責任を負った人の苦しみを、私が分からないでしょうか。神聖な「父母の日」、ハレルヤ、その実体の栄光を仰ぎつつ天に心から侍ります。復帰の喊声が鳴り響く中、聖なる徳を高く積み、父母の使命を越えましょう。今書いている手紙とともに、協会長の手紙の内容を考えると、大変、苦労が多いことが分かります。感謝しながら、勝利するよう心で願っています。どうか健康に気をつけて養生し、責任を果たしてください。旅の途中で、今ワシントンDCで「父母の日」を過ごし、今後の整理のために忙しくしていました。訪ねてくる人がいたり、考えなければならない問題もあったりして、今になってペンを執りました。

ここでも初めて迎える「父母の日」であり、先生を迎えてアメリカで初めて迎える「父母の日」です。ですから、忙しい全国巡回路程を終え、サンフランシスコを経由して、飛行機でアメリカの首都ワシントンDCに三月三十一日に到着し、「父母の日」を過ごしました。ワシントンDCの食口たちの誠心誠意により、私はアメリカに来て、歴史的な式と行事を行うことができました。多くの地方の食口たちも参加しました。神様が共にある中、三日間、昼夜を分かつことなく時間を過ごしました。良い集会を体験できました。ソウルを思いながら椅子を置き、大陸と大洋を越えて、お母様を思う瞬間を心に記憶しながら、厳粛に執り行いました。アメリカの食口たちも礼服を着て敬拝を捧げ、天のみ前に栄光となるように祈りました。五色人種(すべての人種)が一つになって行う式は、私の生涯でも初めてでした。しかし、もう少し広く、全世界に広げていかなければならないと決意しながら、無事に執り行いました。

恐らく、ワシントンDCにとどまる間は、そのような日程で過ごして日本に行く予定です。その他の人々にも会わなければなりません。七月中旬までにはヨーロッパに出発しなければならないでしょう。次の旅程は、追ってお知らせします。いつも、安らかでありますように。一九六五年四月七日、ワシントンDCにて。

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第四節   世界巡回中に送られた真の父母様の手紙真のお父様は、第一次世界巡回の路程中、韓国にいらっしゃった真のお母様と真の子女様、劉孝元協会長、食口たちに自筆の手紙を送って励まされた。休む間のない旅程においても、一九六五年二月十五日にサンフランシスコから最初の手紙を送られ、それ以降、数十回にわたって手紙と絵葉書などを送られたのである。真のお父様は、それらを通して当時の巡回状況とその時々の感慨を披歴しながら、活動を督励された。手紙からは、特に真のお母様と真の子女様、そして、食口たちに対する深い愛と期待、巡回路程に対する感慨をかいま見ることができる。本部の幹剖たちもまた、手紙を通して真のお父様に活動報告を行った。

真のお父様が真のお母様に送られた手紙1   お母様へ。故国を離れてから、もう二十日になろうとしています。この期間、多くの歴史を残しながら、日本を経由し、アメリカのサンフランシスコまで来て、新しい文化の生活をたどり、また、多くの名勝地を見物しながら、お母様のことを思い出します。み旨のための複雑な生活の中で、一人、どれほど気苦労が多いだろうかと思います。経験が浅い中では、感動することも、励まされることも多いのは当然ですが、今回の期間、多くの祈りを捧げながら、環境に勝利することをただただ願っています。

アメリカに来て、離れてみると、私たちが互いにどれほど貴い存在かを改めて感じ、互いがどれほど大きな使命を担っているかを、多くの点で体験して、感謝するばかりです。天地の責任と歴史的運命を解決しなければならないという、誰にも代わることができない一組の夫婦であることと、私たちの良し悪しによって全体が左右される、その焦点の上に立っていることは、どれほど重大な生涯の職責でしょうか。

ですから、天に対しては忠孝の道理を果たし、地に対しては努力の限りを尽くし、歴史的な願いに対しては解怨成就しなければならないという立場を、末永く輝かせる夫婦にならなければなりません。この重大な責任を果たそうと、私は日本の食口の前でも、アメリカの食口の前でも、天のみ前でも、精誠を尽くそうと、ただただ努力するのみです。食口たちの切なる表情と誠心を尽くす姿を見るとき、やはり天の子女たちは違うことをひしひしと感じます。その分、真の父母の立場が恐ろしいことを感じます。

考えている多くの問題(の解決)にも、だんだんと慣れてきています。日本の食口とアメリカの食口は、本当に対照的です。詳しい内容は次に持ち越すことにして、省略します。心の中に天国を所有し、それを分けてあげなければなりません。多くの付き添いの人々を慰め、母らしい姿を大きく育んでください。私も、故国が今置かれている立場と外国に対する使命を案じつつ、新しいあすを描きながら、力いっぱい、今回の旅を終えようと思います。

それでは、伝えたいことはたくさんありますが、再会して伝えることができる日を待ち望みつつ、紙面ではここまでとします。いつも平安であることを析りながらこれにて失礼します。一九六五年二月十五日、サンフランシスコにて。

2   お母様、多くの日々が、数える間もなく過ぎ去っていきますね。もうひと月になろうとしています。この間、故国の山河も、思いの中に描く、はるか遠くの異国の地のように感じます。手紙に書かれているとおり、ラスベガスという都市にいます。ここは、世界でも有名な賭博場として知られている所です。朝にロサンゼルスを出発し、アメリカ(本土)で最も高いホィットニー(Whitney)という山で聖地を選びました。そして、一番の盆地になっていて、東半球で最も低い場所として有名なデスヴァレー(Death valley)という所を訪ねて聖地を定め、三時間走って、今ホテルにいるところです。

あすの朝八時にはここを出発し、定めたコースに従って巡回することになるので、そのように承知しておいてください。手紙で連絡する時間もなさそうです。便りがなくてもあまり気にせず、決めた時間に従って、勉強と、自分が直面している多くの重大な問題のために祈りながら、責任を果たしてくれるようにお願いします。

先日、サンフランシスコの住所に(お母様が)送った手紙がロサンゼルスに送られてきたので、しっかりと読ませていただきました。孝進、譽進の便りがうれしかったですよ!やはり、遠く離れると思い出されてしまうのは、どうしようもないですね。妊娠中ですから、気をつけて養生してください。

私は、既に出発した路程なので、アメリカの地でも自らの責任を果たさなければならないという使命感から、きょうとあす、時間を短縮してアメリカ大陸の南部に向かっています。大きな天的使命を果たす日まで、誠心を尽くそうと思います。これまで、アメリカに来てサンフランシスコとロサンゼルスに寄りながら、アメリカの食口たちと大変親密に、特に違和感もなく過ごしてきました。やはり食口ですから、本国と比べてもあまり支障を感じないので、安心してください。これから、アメリカは努力次第です。非常に大きなアメリカ大陸に、天の炎が燃え立つことを心から祈るばかりです。

歴訪の同伴者として、永雲、崔、アメリカの青年二人の合計五人で出発し、ただただ広い道、どこまでも続く道を、三月の一ヵ月間かけて走り、ようやくワシントンDCに到着する予定です。ネバダ州のほかに、いくつかの州は砂漠地帯になっていて、一週間は砂漠の地を通らなければならないというので、しっかりと気を引き締めているところです。特にアメリカで切実に感じたことは、今後の統一教会の運命は、アメリカの地と闘わなければならないということです。高い文化施設と発達した交通機関には、本当に驚かされます。

ですから、私たちの運動の本格的な世界発展は、アメリカを抜きにしては成し得ないというのが、事実として体得されます。韓国はあまりにも小さな国であると感じます。しかし、摂理的な見地から見れば、それも一理あると思いながら、荒廃した故国にもう一度思いをはせ、私たちの使命が大きいことを感じつつ、祈るばかりです。私たちの理念に加わったアメリカの食口は、私が本国で伝えたのと同じです。本国の教会食口たちとその他の問題も、み旨の中で変わりない立場であることを思いながら、現在の立場をしっかり守っていこうと思います。

そのほかに、お母様が苦労して育てた近くの大勢の食口たちからも、責任感が感じられます。どうか、しっかりと面倒を見てあげてください。みな、み旨のための祭物であることを、誰が知っているでしょうか。お母様、本当にありがとうございます。大きな使命のために責任を担っても、変わらずに接することができる素質をもっていることを、本当に天のみ前に感謝します。それをさらに発揮して、大きな発展を実らせる良い期問になることを願うはかりです。

天と私たちの関係がどれほど貴いかを深く体験する機会であると思っています。子供たちにも、お父さんは元気でいると伝えてください。食口たちにもよろしく伝えてください。旅の途中、時間をつくって少しばかり綴りました。どうか体に気をつけて、責任を果たしてください。それではこれで失礼します。一九六五年二月二十五日、ラスベガスにて。

3   孝進オンマ(「孝進のお母さん」の意)、教会の便りも気になります。この間、子供たちと共に何事もなく過ごしていることと思います。復興団の成果はどのようになっているか、知らせてくださったらと思います。か弱い体で責任を果たしているのを見るとき、天はさらに貴く感じられるだろうと思いつつ、遠く、太平洋を越えて韓国の地に思いをはせます。離れれば会いたくなるのが、人情の常のようです。

私は異国の地でも、よく適応するほうなので、万事においてそれほど支障はありません。アメリカ大陸をさらに力強く巡回しています。きょうは、もう三月六日の午前一時五分です。今ちょうど、数百マイルを走り、アーカンソー州のリトルロック(Little Rock)という州庁所在地にあるローズモーテルを宿に定め、しばしこの手紙を書いています。私は、つい何時間か前、他の州で夜八時に聖地を定めました。アメリカに来てちょうど十番目の州に聖地を決定したのです。今回の巡回をしながら、一九六〇年になる前に(韓国を)巡回した時のことが思い出されます。「アメリカの地よ、お前はこの大きな体をかがめ、いつ天に侍ろうというのか」、正にその使命のために、私は力強く天的プログラムを進めています。始めたからには、勝利を収め、世界復帰の基盤を願うばかりです。手紙は書かないと言ってやって来ましたが、もしかしたら期待しているかもしれないと思うと、心が落ち着かず、急いでペンを走らせています。

私たちの使命はますます大きくなります。異国の食口も、本部の食口も同じです。先生に対する態度から、非常に大きな責任を切実に感じています。ですから、お母様が担う重責を案じざるを得ません。一生懸命に勉強しなければなりません。体も健康でなければなりません。たくさん祈らなければなりません。私としては、本当に申し訳なく思っています。か弱い身でありながら、しっかりと付いてきてくれて感謝しています。お母様を連れてアメリカの地を再び訪ねることを思いつつ、しっかり養生してくれるようにお願いします。すべてを天に委ねていきながら、大きく勝利した自己を天のみ前に立てることを願います。いつも安らかであってください。手紙は書けませんが、協会長によろしく伝えてください。それでは失礼します。一九六五年三月六日、リトルロックにて。

4   お母様へ。今、アメリカの首都ワシントンDCでペンを執っています。一ヵ月余りが過ぎました。私は何度も変化の境地を通過してきました。つまり、巡回の路程で毎日忙しいスケジユールをこなしながら、今までにない大きな地形的変化を経験したのです。今回は主に聖地を定めましたが、きょうの十一時までにワシントンDCの聖地を定めることにより、二十一ヵ所を決定したことになります。あとで写真を見せてあげることができるでしょう。

西部から東部まで回ったので、今度は北部に向かって出発する路程が待っています。大きな大陸を一周しながら、人知れず全米の各州に聖地を定めることにより、アメリカにおいて今後、発展があることを願っていますし、またそのようになることを知っています。今回、アメリカの食口たちは、初めて私に会い、様々な面で印象的なことが多くあるようです。いろいろなことを体験しながら、一緒に来ることができなかったことを本当に申し訳なく思いました。しかし、私が道をならしておき、次の機会に一緒に来ればなお良いと思い、またみ旨がそのようになっているので、ただすべてに感謝するばかりです。

人は、離れ離れになっていても、再会することに思いをはせる時間が、大きな助けになると思います。お母様も、多くのことを回想しながら、今後の決意をしたことと思います。私たちがさらにみ旨に孝を尽くす者として、多くの人々の手本になることを決心する良い期間になることを祈るばかりです。さらに、子供たちを連れて苦労が多いと思いますが、感謝しながらそれに耐え、あすを準備し、真のお母様の責任において末永く光を発してくれることを願ってやみません。体に気をつけて、勉強もして、多くのことを祈りながら、気高い責任に対して末永く光り輝いてください。子供たちに会いたいですね。「お父さんを待っているだろうな」と思うたびに写真を見ています!お母様もですよ!子供たちに「お母さん、大好き」と言われる貴いお母様を、私も貴く思います。父親がいない間にたくさんの体験をして、うれしい便りを聞きたいです。

アメリカにいる食口たちも勇ましいです。本部の食口たちが、一生懸命に責任を果たさなければならないことを感じます。きょう、十四日は日曜日なので、夕方、集会をします。十二日には六十数人来たので、夕方もそのくらい集まるでしょう。アメリカも努力次第で将来が決まります。本部の近況を教えてください。すぐ、北米の州の巡回に出発しようと思います。家族と地区長たちや食口たちに、手紙を書けなくて申し訳ないと伝えてください

ワシントンDCの気候は、韓国の気候に似ています。きのうは多くの場所を見学しました。ホワイトハウスにも入ってみました。国会議事堂にも入って見学しました。いろいろな面で非常に参考になりました。将来の希望を描きながら、都市を回りました。それでは、また次の機会に。お元気で。一九六五年三月十四日、ワシントンDCにて。

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第一章  日本統治下と北朝鮮共産治下での受難と勝利第一節   独立運動と京畿道警察部での受難地下独立運動と収監真のお父様は、一九四一年四月から一九四三年九月まで、日本で留学生活を送られた。そして、この期間、国を愛さない人は天を愛することができないという信念により、地下独立運動をされたのである。一九四三年十月中旬に帰国された真のお父様は、留学当時に独立運動をしたことが露見し、一九四四年十月、京畿道警察部に拘束され、翌年二月まで苦難に遭われた。

1   お父様は、日本統治下で地下運動をしました。そこから私の行く道を決めたのです。日本に行っている時には、お金持ちやあらゆる人たちからの誘惑もたくさんありましたが、お父様は誰とでも友達になることができました。

その人たちは、私が何者かは知りませんでしたが、自分たちが必要なときにはいつも私を仲間に入れました。そうしながら、私に対して、自分の胸の奥にある秘密を我知らず、ありのままに話したのです。

2   お父様が日本留学に行った時、上海臨時政府を中心として地下運動をしました。日本の特高警察の資料の中に、お父様の名前が出ているのを誰も知りませんでした。先日、日本からその資料を持ってきました。お父様が韓国を中心として三ヵ国を往来しながら独立運動をしたというのが、特高警察の記録に残っているので、今では誰もが認めるのです。

3   昔、お父様が日本の東京での勉強を終えて帰ってくる時、二十一年後にまた会おうと祈って渡ってきました。その後、二十一年ぶりに再び日本に行きました。当時、日本で地下運動をしながら、共産主義者と組んで合同作戦を行ったこともあります。ありとあらゆることをしました。

お父様の後ろには、いつも刑事たちが付きまといました。私が韓国に行くとなると、彼らは韓国にあらかじめ連絡をし、「誰々が今、韓国のどこどこに行く」と知らせるのです。このようにして、お父様が駅の改札口を出ると、会いたくない人たちがやって来て、「今、来たのか」と言うのです。今まで、そのようなことがたくさんありました。

4   日本で地下運動をした代表的な人がお父様です。二重橋のある東京の近郊に住みながら、地下運動をした人なのです。日本のことを誰よりもよく知っています。貧民窟からすべて研究したのです。日本の大臣の秘書室に入り、秘書として文書を作成する仕事をした経験もあります。その時、日本の将来は長くないと見たのです。

若い学生時代から、地下運動を奨励しながらそのような活動をしたことを、お父様は語らないので、誰も知りません。関釜連絡船に乗って往来しながら独立のための秘密交渉をしたり、釜山から新義州と中国の安東(現在の丹東)まで「ひかり」号に乗って往来しながら、独立運動の背後の人脈をつなげ、地下運動をする内部人士たちに連絡する活動をした人がお父様です。

5   お父様は、韓民族が日本統治下の四十年の受難の中にあったとき、獄中生活をしました。監獄に行ったのです。民族の解放のために監獄に行きました。ありとあらゆる口車で、「出世させてあげよう、優遇してあげよう」と言ってきましたが、お父様は苦難の道を選んできました。天が、怨讐の日本に対して関心ももたせないようにしたのです。神様が監獄に入れたのは、日本に対して完全に断ち切るための作戦でした。今考えるとそうなのです。日本政府を支持する人は、上の人たちから下の人たちまで、すべてお父様に反対する立場に追い込んだというのです。苦難の道を選んで越えてきなさいということです。

6   神様との心情関係を経て神様の保証人となり、サタンの公認を受ける立場まで開拓するために、統一家が出発しました。これは誰も知らないことです。

その背後には、あまりにも多くの悲惨な道があります。私は、日本統治時代から監獄を出たり入ったりしました。血を吐き、十本の指から血を流す場でも、「これが十ヵ国の血に代わり、十の民族の血に代わる祭物として捧げられるとすれば、どれほど光栄でしょうか」と祈りました。私が救われるよりも、私一人が死んで国が解怨成就され、国が解放されるなら、どれほど良いだろうかと考えたのです。

7   万民が共通に願い得る最高の希望であり、万民が探し求めるべき本然の目的基準は、本然の父母を探し出すことであり、本性が指向する故郷、すなわち本性の世界を探し出すことです。したがって、過去の人も、現在の人も、未来の人も、これらを勝ち取らなければ、その国に幸福が宿ることはできません。これが天理原則です。

お父様は、このために他のすべてを投げ捨てました。父母も捨てました。お父様が監獄に入った時は、日本帝国主義時代でした。ですから、その当時、お父様は、国を裏切る逆賊の立場に立つことがなくなったので、むしろ監獄に入るようになったことを感謝しました。お父様が追求していたのは天の国の主権だったので、その当時、主権があった彼らの立場からは、(独立運動を)許すことができなかったのです。日本の圧制圏内にいたので、この世的なことに対しては、一切関心をもつことができませんでした。ですから、父母を捨て、家庭を捨て、出世できる環境をすべて捨てて、失われた国を捜し出すため、この道に進み出たのです。

8   私が二十代の若者として夢を膨らませ、批判されながら歩んでいた時、母は「ああ、あの子は、勉強をさせたのに、あのようなことをしている」と言いました。私は、賢いと言われていました。次男として生まれましたが、文氏の家門では期待が大きかったのです。ですから、母は私のためにあらゆる精誠を尽くしました。ないお金を集めて外国にまで送って勉強させたのに、監獄に引っ張られていったのです。日本統治下の頃、監獄に訪ねてきて涙を流す母のことを考えても、そのようなことはしないほうがよかったのですが、そのように生きました。このような境遇にいることに対して、母は言葉を失っていました。「私は、母の息子として間違ったことはしていません。文某の家に生まれ、その家門を汚したことはありません。大韓民国の伝統的思想を中心として批判してみても、良心に呵責を受けるものはありません。私が牢屋暮らしをする身になったからといって、この息子がかわいそうだと涙を流す母は願いません。ここで忠告をして、激励てくれながら、あすの希望のために、韓民族が解放されてアジア全体の主導権を握れる道を開拓するために、いかなる冒険にも堂々と挑みなさいと勧告できる母が私には必要であって、それ以外は必要ありません。私は神様の息子であると自負する人です」と言いました。

9   私の手で大勢の人に家も買ってあけ背広もあつらえてあげましたが、両親にはハンカチの一つも買ってあげませんでした。親不孝をしたのです。親不孝と言っても、これほどの親不孝はありません。

日本統治時代に、日本から帰ってきて監獄に入っているとき、母が訪ねてきて涙を流すと、私は青天の霹靂のように怒鳴りつけました。「あなたの息子である文某という人は、小心者ではありません。私の目に映っているのは、母よりも、世界と神様の悲しみです。だから、それを晴らすためにこの道に来ているのです」と言いました。

怨讐を愛する道を行く京畿道地域とソウルの四つの警察部を管轄する日本の京畿道警察部は、悪名高いことで有名だった。真のお父様は収監されていた期間、ありとあらゆる激しい拷問を受け、血を吐くほどむち打たれた。そして、刑事たちは、地下独立運動を行った同志の名前を言うように要求したが、真のお父様は最後まで口を開かなかった。義理と約束を果たすために、肉身の苦痛を越えられたのである。

真のお父様は、死が目前に迫る中でも、同情を求める祈りはされず、むち打たれる場でも、かえって拷問する人々を赦し、彼らの福を祈られた。

一九四五年二月に京畿道警察部から釈放されるまでの監獄生活は、将来の公的活動に備え、真のお父様と天が深く交流する期間であった。

10  お父様は、手錠もたくさんかけられました。監獄に入れば、「文某が入ってきた」とうわさが広がります。すると次の日、日本人たちがぶしつけに入ってきて挨拶をするのです。しかし、それは歓迎の挨拶ではありません。ここに来ているのか、いないのかを見るためなのです。学生時代にも、普段から警察部を出入りしていました。また、拷問台で少しも動じずに振る舞ったことのある人です。そのような歴史がたくさんあります。

お父様は、日本人から何度も拷問を受けました。彼らの拷問はとてもひどいものでした。今の若い人たちを捕まえて、あの時のように焼きごてを当てながら拷問すれば、していなことも「した」と言ってしまうでしょう。

11  日本統治下で、お父様は軍靴を履いた足でおなかを蹴られる拷問も受けました。二人が左右で手をつかみ、もう二人が上から踏みつけるのです。そのようにされれば、おなかの皮はどうなりますか。そうしてトイレに行き、一度座って立てば、どれほど苦しいでしょうか。しかし、落胆はしませんでした。「いやあ!素晴らしい!」と思ったのです。神様のためにそうなったというのは、世の中にはないことです。

それでも、釈放されて出る時には、彼らに親切に接して出てきました。五、六時間の間、激しい拷問を受けて気絶し、ばたっと倒れるとき、むしろ拷問をする彼に対して同情心が生まれるのです。その時の思いは本物です。「あの時の、あの誰々はどこにいるだろうか」と思い出されます。享楽を追い求める人たちには、このようなことをいくら説明しても絶対に理解できません

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第七篇 真の父母様の受難路程と勝利真のお父様は、生涯で六度にわたり、無辜の獄中の苦難を味わわれた。日本統治下で一度、北朝鮮の共産治下で三度、大韓民国で一度、そして、アメリカで一度の監獄生活をされ、その期間だけでも五年に及ぶ。六度の監獄生活は、天のみ旨を成し遂げるための苦難の路程であるが、監獄は、精神と肉体の活動が制限された所である。特に興南監獄では、寒さと飢えは言うまでもなく、窒素肥料の硫酸アンモニウムをかますに入れて運ぶという、苛酷な重労働に苦しまなければならなかった。さらに、西大門刑務所とダンベリーでの受難は、自由世界で行われた言われなき迫害であった。蕩減復帰の道は、かくも遠く険しいものだったのである。

真のお父様は、絶体絶命の危機の中でも、苦難を大きな義のための試練と捉え、神様を慰労された。特に、打たれて奪ってくる天の摂理歴史を御存じの真のお父様は、かえって監獄が神様の愛を最も深く体恤できる避難所であると語られた。このような逆説的な論理が、果たしてどこにあるだろうか。結局のところ、人類が受けるべき蕩減を代わりに背負われ、人類の救援摂理のための勝利の条件を立てられたのである。

神様が準備してきたキリスト教が責任を果たせないことにより、真のお父様は、北朝鮮の共産治下での受難を通し、新しい出発の基台を築かれた。特に、再臨主に出会うために精誠を尽くしていた神霊教団の腹中教を通して、真のお母様と縁を結ぶ機会をおもちになった。真のお父様が大同保安署で受難に遭われていた当時、共に拘束されていた腹中教の指導者は、真のお父様のみ言を受け入れなかったが、真のお母様が六歳の時に腹中教団から祝祷を受けたため、結果的に真のお父様と連結されるという奥妙な摂理的役事(働き)だったのである。

真のお父様の受難は、新たな摂理を進める契機となった。特に興南監獄での受難は、イエス様の十字架での死を蕩減復帰する摂理的条件を立てられたもので、出獄して南下したのちに行われた「世界基督教統一神霊協会」創立の基盤となった。そして、ダンベリーでの受難を通しては、アメリカのキリスト教聖職者を一つに束ねる奇跡を生み出された。併せて、真のお母様は、心情的にお父様と一体となってダンベリーの受難路程を共に歩み、世界的蕩減復帰摂理を勝利へと導かれた。このように恨と迫害の歴史を越えて勝利されるまで、真の父母様は血と汗と涙の「天路歴程」(天国に向かって歩む道)を歩まれたのである。

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第一章  真の父母様の世界巡回第一節   第一次世界巡回最初の世界巡回とその意義真のお父様は、一九六五年一月二十八日に韓国を発ち、歴史的な第一次世界巡回路程に出発された。そして、日本、アメリカ、カナダ、中南米五ヵ国、ヨーロッパ十七ヵ国、中東六ヵ国、アジア八ヵ国の順に訪問され、日本を経由して、十月十日に帰国された。第一次世界巡回は、モーセの時、カナン復帰のために四十日間、エリコ城を偵察したように、世界的カナン復帰のために四十ヵ国を連結しなければならない摂理的意義をもって、行われたのである。

1   「世界基督教統一神霊協会」を創立し、政府に登録するとともに、民族的基盤を立てました。今後は、世界的な祭物の立場を立てなければなりません。神様がアダムに「万物を主管しなさい」と語られたみ言を、お父様を中心に韓国で実現し、それを世界に連結させていかなければなりません。

お父様は、堕落以前の基準で祝福の条件を立てました。ですから、霊界は堕落する前の天使長の立場を探して立て、地上は堕落する前のアダムの立場を探して立てたのです。この基準を立てることにより、霊界は地上を協助することができます。堕落していないアダムに、天使が協助したという条件を立てるためです。

それで、世界四十ヵ国を巡回し、二百五十六日目に帰ってきました。四十掛ける六の二百四十に、四掛ける四の十六を加えれば二百五十六です。四数と六数を復帰しなければならないからです。ですから、世界巡回を終えて帰ってきた日の十月十日は、意味があるのです。

2   一九六五年の内に、十二ヵ国に宣教に行かなければなりません。それに無理があることは分かっています。しかし、復帰の時期はいつでもあるのではありません。それは、海の真ん中の一点の水しぶきのようなものです。粟一粒のような基準が海全体の価値に相当するような時が、復帰の時期です。その時期は一度しかありません。

人とお金はいくらでもあり、また、あすでも千年後でも、いつでもあります。しかし時はいつもあるのではありません。この時期に宣教に出ていくことには無理があるというのはもっともです。無理をしないで復帰することはできません。犠牲は当然のことなのです。復帰は、使って余ったものでするのではありません。血を天の側に捧げなければなりません。自らの血と力の原動力、これをもって復帰するのです。

3   カインとアベルが立てなければならない天的な位置と中心を、韓国で蕩減して立てなければなりません。このような分野に向かって総進軍しなければならないということが、七年路程での使命です。今や氏族基準と民族基準を立て、国家基準を立てて、世界的な時代に越えていくべき時が来ました。今は、一つの国家の思想がその国に局限される時代ではなく、世界的な問題になる時代です。ですから、統一教会に対する天的な意義がどれほど大きいかをよく知らなければなりません。

私たちは今まで、堕落した世の中に橋を架け、摂理的な基盤を築いて上がってきました。一九六〇年から一九六七年までの七年路程が終わると同時に、統一教会は世界的なカナン、すなわち世界的なイスラエルに向かって進軍しなければなりません。ですから、これに対する準備のために、お父様は四十ヵ国を歴訪する際、十四ヵ国に統一教会の宣教部を設置したのです。

4   一九六五年から、ドイツの統一食口たちがその近隣の国々に配置され、開拓伝道に出るようになりました。宣教国が十四ヵ国を超えなければなりません。一九六七年には四十ヵ国以上の基盤をつくり、世界的な作戦を立てようとすれば、そのような材料と計画が必要なので、その国々を訪問したのです。

私たちの本郷、私たちの祖国、私たちの世界を成し遂げるために、これは私たちが求めていくべき最後の目的地です。私たちが行くこの道は、間違いなく神様のみ旨に役立つ道であり、伝統を残すことができる歴史的な基盤を築く道になることを知って、ためらうことなくこの道を行かなければなりません。世界的な舞台で血と汗を流すことを本望と思って行かなければなりません。

5   お父様は、第一次世界巡回の期間に、歴史上、最も多くの波瀾、曲折があることを予想しました。そうでなければ、お父様が行くべきみ旨の道とは違います。押し寄せてくる台風の中で道を築き、安息をもたらすことができなければならないからです。静かな所で道を築けば、その人は台風を知らない人になります。一気に押し寄せてくる台風と怒濤の中を、かき分けていくことができなければなりません。

六千年間、その波がうねり、人類を襲って死亡の世界に追いやる苦役があったので、その波を静めて、遮ることができなければなりません。ですから、きょうも骨身にしみる心情で、心の真ん中に強い衝撃を受けながらも歩んでいるのです。

6   第一次世界巡回路程で、私が世界を見て回って帰ってくる時、心で深く感じたことがあります。今日、世界について「ああだこうだ」と言う人は多くいます。しかし、そのようなことは問題になりません。天が志す目標が重要です。ですから、私たちは、天が願われる立場に立ち、アベル的な基準でカインに代わって祭物になり、民族的な責任と世界的な責任を果たす世界的な祭物にならなければなりません。国のためにカインを屈服させ、世界のために祭物になろうという立場に立たなければなりません。そのようにしてこそ、天国がつくられるのです。

7   お父様は、世界を巡回するとき、多くの十字架を目にしながら、私の使命はあのすべての十字架をなくすことであると再確認しました。子女たちを通してでも、なくしてしまうでしょう。キリスト教は、十字架の道理ではなく、復活の道理です。そのような意味で、イエス様は祭物を捧げず、未来の希望の条件として(自らが)ゲッセマネを越え、カルバリを越えていったのです。

8   統一教会は、多くの困難に遭い、今後、三千万民族(韓民族)が遭遇する困難の峠を先に越えていかなければなりません。それが祭物の道です。祭物となって犠牲になることによって、死ぬしかない民族を生かすことができ、贖罪することができるのです。祭物になった人が困難な峠を越えながら、先に打たれ、先に犠牲になり、神様のみ前に血を流すことにより、その恩賜を受けて民族が復帰されるのです。また、それによって、祭物になった人は恩賜を受け、復活することができます。統一教会員たちは、そのような道を行かなければなりません。このような使命を若い人々が果たさなければならないのですが、やりたくないと思っています。

今回、民主世界を中心として世界を巡回しながら見てみたことは、ほかでもありません。どの国に神様はいらっしゃることができるのか、どの民族を神様は愛することができるのか、ということを考えながら見て回ったのです。どの民族も、神様を愛さなければなりません。今は、環境的に神様を忘れてしまいやすい社会的条件がそろっています。

9   お父様は、第一次世界巡回路程で、四十ヵ国を回りながら、大韓民国のためにたくさん祈りましたが、世界のためにもたくさん祈りました。ある国を訪ねていけば、その国の人々は、お父様を大韓民国の人とばかり考えます。彼らのそのような考えが何ヵ月、何日、何時間続くか、それが最も気になりました。歴史的・文化的背景が異なる環境で生きてきた人を、どのように感じるのか、日本に行く時に最も心配したことがそれでした。

お父様が、「私は韓国人であり、あなたたちは日本人だ」という感情をもてば、彼らもそのような感情をもつというのです。そのようになれば、いくら世界主義を主張しても、世界主義について実感できません。ですから、正にこのような問題に対して多くの祈りを捧げました。他の所に行ってぶつかるのは問題ではありません。最も原則的なことが問題です。日本に行っても、アメリカに行っても、どこに行っても、「他の国」という観念から抜け出さなければなりません。

四十ヵ国、百二十ヵ所の聖地を選定真の父母様は、一九六二年十月五日から七日まで、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会を中心として、ソウル一円に五つの聖地を選定されたあと、そこの土と石を採取され、一九六五年に世界四十ヵ国を歴訪しながら各国の聖地を選ばれた際、そこに韓国から持ってきた土と石を埋められた。これは、韓国の首都ソウルの聖地を世界に連結し、精誠と勝利の基盤を同等な基準で分配するためであった。そして、真のお父様は、「三十六家庭、七十二家庭を探して立てて民族的中心をつくり、世界国家型である百二十家庭を立てたため、世界国家摂理時代に入る中で、四十ヵ国に百二十の聖地が必要だ」と語られた。聖地の選定は、人間が堕落する前に天地万物を創造した基準と同じである。それゆえ、アダムの勝利圏における心情基準で、天の子女の立場である宣教師を各国に派遣できるようになり、世界的活動基盤が整ったのである。

10  お父様の前には、神様の主権、神様の民、神様の地を探し出すべき世界的な使命が残っています。これを中心として忠臣になり、孝子になることが第二の使命であり、聖別をしなくても活動できる環境をつくることが第三の使命です。

この三つの使命を中心として、奉献式をしなければなりません。このために、聖地をつくらなければなりません。そうして、これを中心として一つになり、天と連結できなければならないのであり、そのためにお父様は、神様に代わり、イエス様と聖霊に代わる基準を探して立てなければなりません。そのあとで初めて奉献式をすることができるのです。

11  これから、統一教会の運勢は、国家を経て、世界的な運勢へと成長していくでしょう。もしこの国、この民族が受け入れなければ、世界が受け入れるでしょう。これから世界万民がもろ手を挙げて歓迎する歓声が、三千万の民族の胸に響く日が必ず来ることを確信します。

このような日を迎えるために、韓国に勝利の基盤を整える聖地を選定するようになったのです。聖地の選定は、蕩減復帰の原則によって、または神様の創造法度に従って行うのです。

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第六篇 世界巡回と世界宣教神様は、再臨のメシヤをこの地に送って人類を救い、世界平和を実現するための環境を、あらかじめ造成された。科学文明の発達によって地域間の交流を円滑にし、政治、経済、文化など、全般にわたって宗教的価値を保護し、信仰の自由を基本権として認める自由民主主義を発展させてきたことが、その良い例である。そして、神様は、第二イスラエルであるキリスト教の中心国家としてアメリカを選ばれた。

真の父母様が一九六五年一月以降、世界巡回に発たれたのは、世界復帰のための基台を造成するためであった。特に、第一次と第二次の巡回が聖地の選定と宣教部の設置、祝福結婚式の主宰など、宣教基盤の準備に重点を置いたものであったとすれば、第三次の巡回は、アメリカのキリスト教再建に重点を置いて進めたことに大きな意味がある。第一次の巡回中には、アメリカの四十八の州を巡回しながら、五十五ヵ所の聖地を選定するなどして精誠を尽くされ、第二次の巡回の時には、アメリカを中心にした世界宣教のため、本格的な準備をされたのである。

真の父母様は、一九七一年十二月十八日、ワシントンDCに到着されたのち、まず初めに七大都市講演を通して、神様の摂理国家としての覚醒と、キリスト教の責任を明確にし、共産主義の脅威などについて提起された。この当時、日刊紙に講演会を知らせる広告を掲載し、イエス様の十字架の死をテーマにした十万ドルの懸賞小説の公募を発表するなど、アメリカ社会に大きな衝撃を呼び起こした。特に、一九七四年九月十八日のニューヨーク、マディソン・スクエア・カーデン大会と、五万人が参加した一九七六年六月一日のニューヨークのヤンキー・スタジアム大会、三十万人が集まった同年九月十八日のワシントン大会を通して、神様のみ旨とビジョンを満天下に公表された。

真の父母様は、成功裏に進むアメリカ宣教に合わせ、一九七五年二月、日本で開かれた世界宣教師会議において、世界九十五ヵ国に宣教師を派遣することを決定され、百二十七の宣教国を確定された。そして、各国の世界統一十字軍を動員し、一九七五年、韓国で「希望の日」晩餐会と救国世界大会を成功裏に開催された。

一九六七年六月には、韓国の幹部を帯同して来日されるなど、数回にわたって日本を訪ね、宣教活動を督励された。また、日本は、一九九四年から九七年までに数次にわたって約一万二千人の女性宣教師を百五十ヵ国に派遣するなど、エバ国家、母の国としての責任を果たすために努力したのである。

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第三節   平壌刑務所と興南監獄での受難平壌刑務所収監と公判共産治下の宗教抹殺政策は極限に達した。真のお父様は、キリスト教団の嫉みと誣告(ぶこく)(故意に事実と異なる内容で人を訴えること)により、一九四八年二月二十二日、平壌内務署に拘束され、四月七日の公判では社会秩序紊乱などの罪で、五年の刑を言い渡された。しかし、判決文の中に出てくる「虚構」という表現については異議を提起し、修正するようにされた。真のお父様が伝えた真理は、決して虚構ではないからである。真のお父様は、法廷を出られる際、悲しむ食口たちに手を振って、彼らを慰められた。

1   お父様が教会運動をすると、すぐに食口たちが増えました。当時、北朝鮮当局の政策は、すべての宗教を抹殺することでした。また、キリスト教の牧師たちは、自分の教会の信徒たちがたくさんお父様のところに来たので、私を告発しました。その結果、三回目の投獄に遭うことになりました。平壌の内務署に拘束された日が一九四八年二月二十二日です。

2   一九四八年四月七日は、お父様にとって忘れられない公判の日です。キリスト教団の嫉視と共産党当局の宗教抹殺政策によって、二月二十二日に平壌内務署に拘禁され、二月二十五日には髪を刈られました。共産治下で宗教公判が行われるというのは、あり得ないことです。公判は、四月三日から四月七日に延期されました。四月三日は、拘禁されて満四十日になる日でした。

3   私が平壌の内務署で公判廷に立つことになった時、北朝鮮にいるキリスト教の牧師たちが来てありとあらゆる罵声を浴びせました。それで、「あなたたちの子供と私の子供のうち、どちらが立派になるか見てみよう。あなたたちの教える教会員と私が教える教会員と、どちらが優れているかを見てみよう。死んでも私のほうが優れているだろう」と考えたのです。そのような、人が知ることができず、人が感じられない衝撃を、いまだに忘れていません。寝ながらも、そのようなことを考えるのです。その場で、天のみ前に私が孝の道理、忠の道理を尽くそうと誓ったその誓いを、どのように実践するのかというのです。疲れようにも疲れていられません。くたびれようにも、くたびれている暇がありません。忙しいというのです。ですから、彼らが考えもつかないことをするのです。話もせず、じっとしているからといって、意気地がないのではありません。私の行く道が忙しいので話さないのです。正しくないことを見たら我慢ができない人です。

4   お父様が平壌の刑務所に入っていくとき、食口たちは自分の夫が死ぬよりももっと切実に心配しながら、「先生、今行ってしまったら、いつまた来られるのでしょうか」と言いました。しかし、お父様は、「私が行って会わなければならない人がいる」と答えました。その時、そこに行けばある人と出会うだろうと約束されていたのです。足が震え、嘆息し、痛哭する怨恨の道であるにもかかわらず、その道を行きました。それは、希望する天国に行く道だからです。このように喜びの心で行けば、地獄も天国に変わるのです。神様もそのような心をもっているでしょう。それで、そこで出会わなければならない人たちとすべて会い、新しく決意しながら第二次の出発をしたのです。

5   平壌刑務所にいる時、裁判を受ける日が、本来は一九四八年四月三日でしたが、共産党が教会を弾圧する口実をつくろうとして期日が遅れ、四月七日になって受けました。その日は、食口たちが一緒に集まりました。しかし、彼らはその時から分裂し始めました。

刑を受けて監獄に行く時は、かえって希望に満ちた足取りでした。なぜなら、刑務所にも神様があらかじめ準備した人がいるからです。

監獄には午後三時頃に入り、入ってから三日目となる日に、金氏という青年に会いました。彼はもともと、日本統治時代に陸軍士官学校砲兵科を卒業し、日本軍砲兵大尉として服務していた時に終戦を迎えた人です。終戦後、彼は北朝鮮人民軍に入隊し、砲兵司令官の腹心の部下として服務していましたが、その時に国家機密漏洩罪で死刑宣告を受け、死ぬ日を待つのみでした。その上、自殺を企てたものの、それが発覚し、鎖でつながれていました。

彼の話によれば、ある日、夢の中に白髪の老人が現れ、自分の名前を呼びながら、「お前は絶対に死なない。お前は南から平壌に来た青年を迎える準備をせよ」と教えてくれたそうです。しばらくして砲兵司令官の保証のもとで、彼に対する処罰は死刑から四年八ヵ月に減刑されました。それから再び夢の中にその老人が現れ、「教えたとおりに信じていない」と叱責しながら、「幾日もせず、南韓から来た若い先生に会うだろう」と教えてくれたというのです。

6   平壌刑務所で、天から直接の命令を受けた人に会いました。彼は、霊界からの教えを通して、私に関する証を直接受けていました。私に会うことが既に一年前から、天の約束として準備されていたのです。このように真を追求し、大きな希望の基盤を築かせようとするので、ここまで天が根を張るのです。

このような天の事情を考える時、私がこの道を排斥し、この道を遠ざけようという気持ちがあれば、天倫の前に立つことができない反逆者になることを徹底して信じました。私が考える前に、天はそこで大きな関係を私と結ばせるために準備していたのです。しかし、(その人が)我知らず反逆する立場に立つことを悟れていないのを見るとき、とても興味深いことでした。

7   お父様が入った監房に、金氏という人がいました。その時、お父様の年は二十九歳で、彼も二十九歳でした。一九四八年四月二十八日の明け方に、愛する息子が死刑宣告を受けるや、心を痛めて病にかかった上に、交通事故に遭って死んだ金氏の父親が夢の中に現れ、彼を連れて、宮殿のような所に行ったそうです。そこには階段があったのですが、階段を上るたびに聞いたことのない音が聞こえたといいます。階段を三段上るたびに三拝をしながら上がっていくと、そこにはまぶしい玉座があり、その上に一人の青年が威厳をもって座っていたというのです。彼の父親が「顔を上げてあの方を見なさい」と言うので、そちらの方を見上げたのですが、さしてくる光彩があまりにもまぶしくて、はっきりと見ることはできなかったそうです。

金氏は、お父様に初めて会った瞬間から心が引かれ、お話を少しでも聞いてみたい衝動を感じていたのですが、三日目にしてようやく、「お話を聞かせてほしい」と懇願しました。お父様は金氏に、今まで歩んできた路程を「ロレンス」という仮名で、三日間、聞かせてあげました。そうしながら、ここに神様が約束した人がいることを知りました。その人が正に、監房長の金氏だったのです。

お父様は彼に「あなたは誰にも言えない自分だけの心配事をもっているでしょう?」と言いながら、その心配事が何か尋ねてみました。その問いに彼は驚き、それまであったすべての内容を詳細に打ち開けて、自分が夢の中で見た、玉座に座っていた青年が正にお父様だったことを初めて悟るようになりました。

8   お父様が平壌刑務所にいる時には、私が男のムーダンであるといううわさが立ちました。相手が話す前に既に分かって、尋ねるので、そのようなうわさが立ったのです。このようなわさを共産党当局も耳にして、お父様のことが恐ろしいのか、取り調べをする時も、三人以上の看守が見守っていました。

お父様は平壌刑務所から興南監獄に入る時に、サタン世界から神様の世界に越えていける一つの結果をもたらすために、このような現象が起こるのだと思いました。そのような所に行っても、正体を明らかにせず、内外で変わってはならないと考えたのです。イエス・キリストが万邦に、世界の前に、人類の胸の中で灯火(ともしび)になることができたのは、自分の生命を左右する環境でも消えることのない心情をもって死の関門を突破したからです。

それが今日の歴史と文化の起源になりました。すなわち、文化世界を創造する起源になったというのです。統一教会も、そのような基盤から出発したということを知らなければなりません。

獄の中の獄、興南監獄に移監真のお父様は、一九四八年五月二十日、平壌刑務所から、獄の中の獄と呼ばれる「興南特別労務者収容所」(通称、興南監獄)に移監された。収監番号は五百九十六番であった。興南監獄は、寒さと飢え、重労働を伴う途方もない作業量ゆえに、普通の人には耐え難い所であった。特に、監獄内のアンモニアガスと粉塵が汗と反応して、肌がむけてただれる皮膚病と肺病により、一年で収監者の四〇パーセントが死にゆく現実の中でも、真のお父様は肉体の健康を維持され、同僚たちよりもはるかに多くの労働量をこなされた。死の影がちらつくこの場所で、真のお父様は知恵と愛で苦難を克服されたのである。

9   お父様が興南の監獄に手錠をはめられて行くとき、平壌に残る食口たちが手を振りながら見送ってくれたことが忘れられません。私は涙を流しませんでしたが、彼らは子供が死んでいくのでもなく、夫が立ち去るわけでもないのに、ひたすらすすり泣いて涙を流しました。それがどれほど悲壮だったでしょうか。それを見ながら、「天を訪ねていく人は不幸な人ではない」と思いました。

私がどんなに鉄格子の中で苦難を受けたとしても、私を訪ねてくれる旅人、監獄を訪ねてくれる彼らは、自分の血族を越え、民族愛を越えて、天上の心情圏を地上の監獄と連結させるに当たって、恥辱を物ともせずに行動した人たちです。これは驚くべき事実です。

10  興南は、潮風が吹くと砂利が飛ぶような所です。ですから、肌が出ているところは、何でもいいので覆いたくなります。突き刺すように入ってくる風が、どれほど怨讐か分かりません。朝早く九百人以上の囚人たちが労働に動員されて出ていくとき、出掛ける前に検査をします。単衣(ひとえ)の服を着た人たちを、明け方五時から七時頃まで二時間以上、その寒い所に座らせておくのですから、どうなるでしょうか。「ウォウォウォウォー」と声を出して震えます。それは本当に痛ましいです。我知らず「ウォウォウォー」と震えるのです。いくら声を出すなと言っても、そうなります。

お父様が過ごした部屋には三十人以上いました。夏には、下から水がしみ出てきます。そこでも私は、一番暑い所、一番臭いがする最低の場所で過ごしました。そこで、寒い冬のことを考えるのです。冬の主人になれる人が夏を支配することができ、夏の主人になれる人が冬を支配することができます。困難を支配できてこそ最高の富を支配できるのです。天はそのような富む者をつくろうとするのです。

ですから、苦労しましたが、それが祝福でした。そのように反対の実績が得られたのは、蕩減復帰において一致したからです。そのような祝福の実績を残さなければならないというのです

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第二節   平壌大同保安署での受難真のお父様は、天が備えられた韓国のキリスト教指導者の不信により、新たな基盤を築くため、一九四六年六月六日、北朝鮮の平壌に到着された。真のお父様の伝道集会は神霊的な恩賜に満ち、多くの信者が押し寄せた。すると、キリスト教の指導者たちによる密告と共産政権の宗教弾圧がかみ合い、平壌到着から二ヵ月後の八月十一日、真のお父様は、韓国政府のスパイであるなどの容疑で、大同保安署に収監された。当時、許浩彬(孝彬)をはじめとする腹中教の幹部たちも大同保安署に収監されていた。

1   お父様が二十七歳の時は、共産世界の平壌に行って闘った時期です。その時代と今の時代とを比較してみれば、皆さんは幸福な人たちです。その時だけでも、七十人以上のキリスト教の牧師が団結してお父様に反対しました。北朝鮮の共産治下でキリスト教がキリスト教連盟をつくり、共産党と一つになって反対する環境で、彼らと向かい合って闘いました。私たちの理念さえもてば、どこに行っても核心要員を引き抜ける力がつきます。

その時、私は平壌の景昌里という所にいたのですが、それぞれの教会では「景昌里に行くとハンサムな異端の男がいるが、彼の話を聞いただけでだまされてしまう」といううわさが立ちました。特に「女性たちは行ってはならない」と、大々的に宣伝されたのです。

2   お父様は、共産党の統治下にある北朝鮮に入っていったのですが、すぐに捕まりました。私が南側から来たので、李承晩の手先だというのです。しかし、いくら調査をしてみても、根拠をつかむことができませんでした。それで、「男のムーダン(霊媒)である」とか「社会を乱す」などと言って捕まえ、閉じ込めたのです。

その時、本当に何度もむちで打たれました。拷問もたくさん受け、ひどい扱いをたくさん受けました。そのような道を歩んできた人です。とても劇的な場面が数多くありました。それらを、希望に満ちたあすを築くための一つの過程だと考えれば、貴重な時間だったのです。

3   サタンは、個人を使って私を攻撃させ、家庭を使って最も憎むように仕向けます。国家をも使って、どうしたら命を奪えるかと、その方法を探し求めています。イエス様の命を奪ったようにとんなことをしてでも命を奪おうとするのです。

ですから、私に反対するために、すべてが動員されました。共産治下の北朝鮮に入って、監獄暮らしをしました。私を韓国のスパイに仕立て上げ、「李承晩政権の手先だ」と言いながら、あることないこと、ありとあらゆる言葉を浴びせかけました。「北朝鮮政権を略奪するための回し者だ」と言うなど、ありとあらゆることをしたのです。命を奪おうとして放り込んだというのです。

その時、「ああ、神様のみ旨も何も、大変でできそうにもない。すべて放棄しよう」と思っていれば、そこで終わっていたでしょう。しかし、「世界が滅びる前に、私が滅びる立場に行くことはできない。世界が残っている限り、生き残らなければならない。いかなる拷問を受けたとしても、死の境地に出くわすことがあっても、神様のみ名によって、神様のみ旨を成し遂げるために闘うのだ」と考えました。

4   私は平壌で共産党に捕まり、手錠をかけられて監獄に引っ張られていきました。日本統治下の時には、日本の警察官に引っ張られて監獄に行ったこともあります。

私は、希望に満ちた心をもって監獄に行きました。なぜなら、監獄に行けば、ある人に会う約束になっていたからです。霊界を通して、ある人に会うように予定されていました。その人に会うために喜んで入っていったのです。そこに行けばこのような人に会えると思うと、それが正に希望の出発になるのです。

5   腹中教の許浩彬氏は、一生涯あらゆる精誠を尽くして信仰の道を歩んでいきました。その背後の歴史を見ると、皆さんには想像のつかない道を歩んだのです。宗教者を怨讐のように扱う共産党の圧制下で激しい拷問を受けても、自分たちの信仰心を守っていきました。

その拷問を受けた内容は、言語に絶するものです。蒸し暑い夏の季節に、彼女たちは苧麻(からむし-ちょま、まお:麻織物の原料)のチョゴリ(薄手の服)を着た身でどれほどむちを打たれたのか、その服が穴だらけになったという話を聞きました。数十回も気絶し、彼女の弟は拷問に耐えられずに死んでいきました。四十人以上の責任者も投獄され、悲惨な状況で拷問を受けました。お父様もそのような立場で、同じ団体の一員とみなされて、投獄されたのです。

6   蕩減復帰原理によって、お父様は、私を待って準備していた集団に会いに行くことはできませんでした。イエス様が亡なられた理由は、彼が新婦を迎えられなかったからです。イエス様を迎える新婦が準備されていなかったからです。それが、イエス様の亡くなった原因でした。

ですから、再臨主が来る時、その準備された集団は、新婦の位置で準備したものをもって訪ねてこなければなりません。もし、その準備された集団の指導者だった許浩彬氏が、主がいらっしゃる所を知るために神様に祈っていたならば、神様がその人にその場所を教えてあげていたでしょう。ですから、お父様は彼らが来るまで待っていました。彼らのいる所に行くことはできないというのです。

その期間にお父様は、アンナのような女性に会いました。その女性は、二つの立場の業をしていました。彼女は、時には天の側で業をし、時には中間の立場で業をしたのです。天の側でなければ中間の立場です。お父様は、その年を取った女性に出会ったのち、許浩彬氏に人を送り、お父様が誰なのかを祈ってみなさいと伝えました。しかし、許浩彬氏は、一つの大きな兆候を期待したのであって、一人の若い男性などは期待してもいませんでした。お父様は、許浩彬氏に特別な人ではなく、普通の人を送ったのです。許浩彬氏は、その人が大きな使命をもっていることを悟れず、彼を送り返しました。そのあとにも、一人の若い女性をその集団に送りましたが、許浩彬氏からは何の反応もありませんでした。その時、許浩彬氏は、自分の集団の幹部たちが一堂に会したとき、自分が受けた「春香が監獄で彼女の夫に会ったように、お前も監獄で主に会うだろう」という啓示を説明していたのです。

7   お父様が平壌で許浩彬氏に会おうとした当時、北朝鮮は共産主義者たちが占領していました。その時、共産主義者たちは、許浩彬氏の集団が人々からたくさんの寄付金を集めて、良い服を作り、良い家を買ったことを知るようになりました。それで、彼らはこの集団の指導者たちを宗教的詐欺師として告発し、彼らを監獄に放り込んだのです。

そして、その時にお父様も、その集団と関係があると告発されました。実際には、何の関係もありませんでしたが、そのように告発されたのです。そうして監獄に入ることになり、その集団の指導者と同じ部屋に閉じ込められました。

許浩彬氏のもとでその集団を率いていた一人の男性が、同じ部屋にいるという状況になったのです。その日が一九四六年八月十一日です。

その集団の指導者たちは、共産主義者たちによって、とても苛酷な拷問を受けました。共産主義者たちは、あらゆる宗敎を抹殺しようとしたのです。

大同保安署での受難と釈放真のお父様が大同保安署で受けた拷問は、非常に苛酷なものだった。一週間眠らせない、棍棒で袋だたきにするなど、特殊な拷問が加えられた。真のお父様は、百三日目となる一九四六年十一月二十一日、半死半生の状態で釈放された。信徒たちは、お父様が多くの血を吐いて、瀕死の状態に陥っていたため、亡くなられたあとの問題まで議論していたが、奇跡的に回復された。その後、集会所を移転され、引き続きみ言を伝えられた。

8   お父様は、共産党から一週間眠らせないという拷問も受けたことがあります。拷問を受ける時は、「こいつ、お前が耐えるか、私が耐えるか見てみよう」と思い、おもしろい時間だと考えました。普通の人たちは、一週間眠ることができないと、うつらうつらしながらすべてを話してしまいます。

お父様は、目を開けていてもよく眠ります。それを研究しました。その時、訓練をしたので、今も眠気がすると、その方法を利用するのです。また、拷問を受けて、あざができたり、痛いところがあったりすると、それをほぐす方法を研究したので、疲れた時にはその運動をします。私は今でも、普通、一日に一時間だけ眠れば、持ちこたえられるのです。

9   平壌で開拓する時、キリスト教の牧師と長老の夫人たちがお父様のところに押し寄せるので、七十人以上の牧師が投書して、お父様を監獄に放り込みました。南側から来たスパイとみなし、ソ連の共産党まで来て取り調べをするのですが、ひどい拷問を受けました。彼らは真っ赤な部屋で一週間眠らせません。三日眠れなかったら人は狂ってしまいます。

真っ赤な部屋に一人で入れておき、白い座布団に座らせて、三日から一週間、睡眠を取らせないのです。お父様は、「お前が私を眠らせないようにできるか」と思いながら、目を開けて眠りました。眠る訓練をしたのです。目を開いたまま眠るのです。当時、「文某は男のムーダンで妖術まで使うので、聖書に出てくるような奇異なことがそのまま起こる」とうわさになっていたので、横に見張りがいました。

10  お父様は、力もあり敏捷です。できない運動がありません。私が運動するという時には、何をしても三等以内に入らないものがありません。そのような能力のある男でしたが、袋だたきに遭ったのです。

東西南北の十二方位すべてから打たれても、ただ黙って打たれなくてはならない時が一度や二度ではありませんでした。ありとあらゆる拷問を受けました。そのような拷問を受けて打たれても、「打て!こいつら!」と言って耐え抜きました。棒でたたかれても、「打ってみろ!こいつら!」と言ったのであって、情けなく「ああ、助けてくれ!」とは言いませんでした。机の脚(の角材)でたたかれても、「お前が折れることはあっても、私は折れるものか」と思いました。たたかれて歯が半分ほど欠けてしまったこともあります。

お父様がそのような恥辱の場で流した汗は、何の汗でしょうか。大声を張り上げたとすれば誰よりも張り上げ、血を流したとすれば誰よりも流しました。涙を流したとすれば、誰よりも流したというのです。

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12  忠臣とは、どのような人でしょうか。国のために誰よりも多くの犠牲を払った人が、より輝く忠臣になるのです。孝子とは、どのような人でしょうか。生涯を捧げて、その生命が尽きるほど父母のために生きる人が孝子です。生命を捧げた人と捧げていない人のうちで、どちらがより孝子かというと、生命を捧げていない人は、孝子になる資格がありません。そして、国のために生命を捧げた人が忠臣です。生命を捧げていない人は、忠臣として扱いません。私たちは生命を捧げる覚悟をして歩むのです。

お父様は、正義のために、命を既になげうっていたのです。小心者ではありません。私は、日本統治下で学校に通いながら闘った人です。私が監獄に入れられ、口を割ってしまえば、七十人の同志たちの首が飛ぶようになっていました。しかし、答えませんでした。約束をしたら、その約束を履行する人なのです。あらゆる手段、方法を動員して加えられる拷問を受けながら、たとえ死ぬとしても、口を開きませんでした。

13  日本統治時代、私はありとあらゆる拷問を受けても、白状しませんでした。京畿道警察部の主任がいくら拷問しても、白状しなかったのです。「話さない」と言えば、それでおしまいです。三百六十五日、いくらでもやってみなさいというのです。何度気絶して意識が戻ったとしても、「なんだ。ちょっと眠らせてくれ」と冗談を言うのです。「もっと寝ていたいのに、どうして起こすんだ、こいつら」と言うのです。そうしているうちに、拷問とも友達になりました。

誰が来ても、「おいおい、そうやったら痛くない。こうやって、こうやりなさい」と言いました。明らかに解決できそうにないので、一言言ってあげるのです。そうして、「お前たちが無理に印を押させたことを、公判廷に出たら私が話す」と言いました。男なら、自分が決意したとおりにしなければなりません。このような男です。そのような人なので、今まで迫害を受けてきても滅びませんでした。

14  お父様は、決して寂しいとは思いません。寂しく思ってはいけないのです。日本統治下の時から監獄に入って、たくさんの拷問を受けました。頭が切れて体が血だらけになるほど、ありとあらゆる拷問を受けたのです。そのたびに神様は、耐え抜ける秘法を教えてくださいました。

ある時は十二時間取り調べを受け、拷問を受けて這って進むこともできないほどになり、何度も気絶しては意識が戻る、そのような過程を繰り返しても、私は口を開きませんでした。サタンが世界を占領して天の秘密を探り出そうとしましたが、私は何も言いませんでした。

すべてが私の一言にかかっているので、死んだとしても絶対に口を開くことはできませんでした。角材で身の毛がよだつ拷問を受けても、話さなかったのです。

義理を果たすことができなければなりません。一度約束をしたら、自分が滅びたとしても守らなければなりません。このように拷問を受けたあと、一晩過ぎれば、その日は悲しい日であると同時に、忘れられない日として残るのです。

15  お父様は、むちで打たれ、血を吐き、皮膚が腫れ上がるような場でも、「この血は、歴史を裏切った先祖の血です。私にはまだ行く道が残っていますので、背負う十字架があるならば、もっと負わせてください」と祈りました。これは、どれほど男らしい祈りでしょうか。今までそのような路程を歩んできました。

「耐え忍んで進みますが、いつの日か報いる日がやって来るでしょう。ですから、父よ、耐えてください。韓民族を審判しようとされるならば、最後の審判をされる前に、私に通告して審判してください。また、世界を審判しようとされるならば、最後に私に通告して審判してください」と言ったのです。

自分の不運を嘆いたり、自分の身の上について愚痴をこぼしたりするような人に比べれば、どれほど立派な男でしょうか。歴史時代に一度現れ、霊界に行っても、世界的にあがめられる人になってみなさいというのです。どれほど素晴らしいことでしょうか。

そのようにできる時は一度しかありません。この時を逃せば、もうないのです。その機会をつかまなければなりません。

16  運動がどれほど素晴らしいことか分かりません。疲れてつらいときは、用を足しに行って、きっかり五分間だけ運動すればすっきりします。そのようなことを学んだので、獄中でも死にませんでした。拷問を受ける場に行ったとしても死ぬことはないのです。

拷問を受けるときには、必ず血を流していかなければなりません。水を飲ませて、おなかでもどこでも、ぎゅっぎゅっと踏みつけるのです。ですから、それに耐えるためには、まず浣腸をして、小便の代わりに後ろから抜くように、抜け道をつくらなければなりません。そのためには、血を流していかなければならないというのです。

神様はどれほど知恵の王か分かりません。非常に疲れると鼻血が出るでしょう。鼻血が出なければ脳出血になるのです。鼻血が出るのは、その防止策です。疲れたときには血圧が高くなることを知っているので、噴出するのです。

それと同じように、拷問を受けるときには、抜け道をつくるために必ず血を流さなければなりません。ですから、唇をかむか、舌をかむかして血を流し、穴を開けておかなければなりません。そのようなことを私が教えて、多くの人を助けてあげました。私のような人の生涯路程は、楽な道ではなく、簡単な道ではありません。今まで数多くの死の道がうねって続いてきましたが、その峠をすべて越えました。

17  お父様は、日本統治時代の末期に刑事たちから無数の拷問を受けました。国を愛することを知らない人は、神様を愛することもできないのです。ですから、日本で独立のための地下運動をしました。そのような闘争をして故郷に行くと、誰それが帰ってきた、ということを日本の警察は不思議なくらいによく知っていて、付いて来るのです。

警察に捕まって取り調べを受けるときには、血を吐きながら、何度も死の境をさまよいました。しかし、共に活動した同志たちに対する責任と義理のために命を懸け、「私一人で闘った」と言いました。殺すと脅かされても口を割りませんでした。「言わない」と言ったら言わないのです。(日本の統治から)解放された時、すぐに京畿道の警察部に勤務していた人たちを整理することもできました。しかし、滅んで涙を流しながら行こうとする彼らだったので、そのまま送り出してあげました。

18  植えなければ刈り取ることはできません。怨讐を生かすために、夜に逃がしてあげた歴史が残っているので、日本の若者たちは、お父様に対してその恩を返さなければなりません。日本の国が返さなければなりません。ですから、二十代に監獄生活をしたことに対して、神様に有り難く思うのです。

日本の監獄に入ったので、韓民族の悲惨さが分かりました。すべて教育です。日本がどれほど悪いかを、監獄に入って知ったのです。いくら愛国者の話や本を通して知ったとしても、実感が湧きませんでした。それを信じることができなかったのです。本は勝手に考えて書くことができます。

しかし、監獄に入り、拷問を受けて血を流す過程で、その同志たちと共にいながら、初めて韓国の悲惨な状況が分かるようになりました。このような民族を誰かが解放しなければならないという義務感をもつようになったのも、監獄に入ってからでした。監獄が、お父様にとっては偉大な先生になったのです。復帰摂理路程で、誰一人として触れることができない礎石を据えられた一時でした。

19  お父様は、我が民族が日本統治下で、日本人たちにどれほど虐殺されたかをよく知っています。ですから、日本人たちのことを考えただけでも(怒りと悔しさで)身震いがします。しかし、アジアで日本を無視することはできません。アジアで三国路線を広げるためには、敗れはしましたが、日本は必ず必要な国だというのです。民族性から見ても、間違いなくドイツ民族以上の団結力が生まれるでしょう。

復讐してはいけません。復讐で始めればまた復讐で終わり、そうして、結局は滅びるのです。それゆえ、統一教会は新しい世界をつくるために、「統一理念」を中心として、まずこの国と民族を救わなければならないという新しい糾合運動をしたのです。

20  世の中がいくら反対しても、私は滅びません。私を監獄に閉じ込めても、私の心と私の理念は、閉じ込められません。私を打ちなさいというのです。打てば、今まで私が神様のみ前に歩んできた道と、神様が築いてこられた道とが連結されるのです。

ですから、「打つなら打て!私がお前を憎むか憎まないか」と言いながら、怨讐を愛する心がどれだけ強いかを鑑定しなさいというのです。むちで打たれ、血を吐きながらも、「ああ!よく打たれた。歴史的な怨恨の人類に代わって打たれた。私は打たれて忘れ、記憶にとどめておくことはしない」と言い、「神様!彼らをお赦しください」と言いました。その立場を通過しなければなりません。そのためには、自らを犠牲にする立場に自分を立てなければならないのです。そうすれば簡単です。

日本統治下で、私は十二時間近く拷問を受けて血を吐いたこともあり、十五分間で人を狂わせる、生涯忘れられない拷問も受けました。それでも、奇跡的に生きて出てきたのです。

しかし、私は、彼らに対して怨讐のように接することはしませんでした。彼らに福を祈ってあげてから行く責任が私に残っているので、彼らの何を見て福を祈ってあげるかを、その監房で悩み、研究したのです。

それでも、人には良心があるので、私を拷問した人が、朝、人々がすべて出ていったあとで、誰にも分からないように謝罪するのです。それを見ると、人間は誰もが同じです。彼らも、良心はだますことができないというのです。

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19  アメリカの(キリスト)教会を見ると、若い人々がいません。ですから、若い人々を私たちのような人々に育てて、その教会に送らなければならないと思います。その次に、共産主義の脅威に対する防備に、誰かが責任をもたなければなりません。私たちの兄弟が今、鉄のカーテンの中であるとか、共産圏国家の地下で命を懸けて闘っています。彼らの中の一人がお父様に遺書を送ってきたのですが、「お父様、最期の時が迫ってきました。いつか霊界でお目にかかります」という内容の手紙でした。このような闘いをしているのです。誰が共産主義を防ぐのですか。私たちしかいないというのです。

20  一九八〇年十二月に、アフリカで私たちの宣教師が犠牲になりました。その報告を聞いて、「君は、自らの行くべき道を行ったのだ。その国の統一教会の先祖になるだろう」と言いました。「君がもし、私のような立場で、世界のためにそのように死んだのであれば、世界の先祖になるだろう」と思うのです。私も、そのような道を歩んでいます。その人のために同情しなくても、彼は誰よりも公的な人生を生きたのです。

21  ある宣教師が、アフリカで暗殺されました。今まで拠点となる地がなくて、多くの苦労をしました。共産勢力が、父母様に従う人々を見たところ、すべて問題だったので、暗殺したというのです。暗殺するとき、「お前の願いは何か」と尋ねたところ、「願いはない。私は、私たちの父母様がいらっしゃる所に向かって敬拝をしてから逝くことができれば、何の後悔もない。私は勝利者として、父母、親戚、故国を離れて、アフリカの奥地で一人逝くとしても、悲しむことはしない。愛の道理である天道を明らかにして逝くのだから、死ぬとしても、恐ろしいことがあるだろうか」という遺言を残して逝きました。その人は日本人です。

愛が慕わしくて、「愛の天国に行く」と言って国境を越え、世界の孤独な場で死の道を行くとしても、死を恐れることなく行けるその男性は、どれほど歴史的な人物でしょうか。そのように行動したのは、父母様を通して愛の道を知ったからです。愛の道において教えてくれる教育が、本当の教育です。愛の場において約束したことは、千年、万年たっても忘れないのです。霊的な体があり、肉的な体があれば、霊肉の細胞がすべて共鳴する場で愛の心が通じる過程では、そのようになるというのです。ですから、愛を中心として、愛し合う間柄で約束したことは、千年、万年たっても忘れません。

22  皆さんが宣教に出て困難にぶつかるたびに、お父様が獄中生活をしながら迫害を受け、今も法廷闘争をしていることを思えば、相当な力を得ることができるでしょう。それが困難でも克服しなければならず、自分が責任を果たさなければならないことが分かるでしょう。

皆さん自身が、お父様の生涯を通して影響を受けたのと同じように、皆さんの生涯を通して、後代が影響を受けるというのです。同じです。そのようなことを、今後、歴史に記載する材料にしなければならないのですが、誰にでもあり得る普通の材料は、歴史に残りません。悲惨で唖然とするような材料が、歴史に残るというのです。

アフリカや南米など、このような開放されている社会は問題になりません。しかし、閉鎖された社会にいる私たちの食口の中には、今、監獄に入っている人もいて、あるいは死刑になった人もいるのです。このような事実は、これからの歴史に非常に大きな影響を与えるでしょう。

23  開放された社会に宣教師が出掛けていますが、一般の統一教会員たちが知らない間に、閉鎖された社会にも宣教師が入っています。そのような人の中においても、国際祝福結婚式に(直接)参加すべき人がいるのですが、そこでこの日を記憶しながら、国際祝福結婚式(の日)に臨んでいるのです。

そのような人々によって伝道された人たちは、どれほど父母様に会いたいと思うでしょうか。しかし、父母様に会うことができずに帰っていくのです。このような大衆集会の場に参加することを願うのですが参加できないというのです。道端で会ったり、どこかで会い、互いに指示をしたり、受けたりして行かなければなりません。そのような事実がいくらでもあるのです。

皆さんが苦労した記録もあると思いますが、閉鎖された社会の背後で、このような過程を経てきながら宣教をした記録も多いということを、いつも覚えておかなければなりません。開放された社会に行っている宣教師たちが大変だとしても、そこに行っている宣教師たちほどではないというのです。彼らはそこにいる間、一瞬も気を抜くことができません。真理の言葉を語っても、その一言ゆえに、自分のすべてが破綻することがあるというのです。

24  共産世界で暮らして霊界に行った人々が、「統一教会が世界的な使命を担ったとするなら、共産世界にまで入ってきて伝道をしなければならないのに、なぜしないのか」と讒訴する可能性があります。今も、共産治下の監獄に私たちの食口がいることを知らなければなりません。

一九七六年にアメリカのベルベディアから全世界に宣教師を送り出したのは、世界から迫害を受けようというものでした。お父様が問題になる中で、宣教師たちが全世界的に迫害を受けるのです。ですから、霊界や世界の人々が、「レバレンド・ムーン!そのような真の道があるならば、その道を私たちの国民に知らせなければならないのに、なぜ知らせてくれなかったのですか」と讒訴することはできません。宣教師たちが出向いているので、讒訴できないというのです。お父様が言ったことが事実であるとすれば、統一教会に神様の祝福の日が待っていることは間違いありません。

左翼勢力の組織的反対フランスの統一教会爆破事件は、共産勢力が介入していたことが明らかになった。この事件に対しては、アメリカの国会議員と朝野の人士たちまでもが問題視した。また、あるときはベルベディア修練所も爆破するという情報が人り消防署と警察が動員されたこともあった。ニューヨークでは、真の父母様に対する反対デモが起こった。このような反対勢力は、大部分、国際左翼勢力がその背景に存在していた。

25  一九七六年一月二十三日、フランスのパリにあるヴィラ・オプレの統一教会で爆破事件が起きました。これは摂理的に見るとき、相当な被害だと考えることもできますが、私はそのようには考えません。かえって、良い兆候であると見るのです。統一教会、少数の人々が属しているこの団体を、全世界の共産勢力とキリスト教が攻撃するという事実は、強者が弱者を攻撃するものだという結論が出てきます。

「ニューヨーク・タイムズ」の記事を見て分かるように、共産勢力と保守主義のカトリックやプロテスタントの信者たちがデモをするなど、私たちに反対していると言いますが、それは全体的な傾向から見るとき、大衆が私たちに同情する良い内容だと思うのです。強者が弱者をたたけば、弱者が間違っていたとしても、一般の人々の心理は、弱者に同情するのです。統一教会は一つも間違っていません。

今回も、統一教会をなくそうという声が上がったときフランスの警察は、「国家に被害をもたらすことをしていないので、宗教の自由を許す国として、何もすることはできない」と言いました。このようなことを見ても、一般の人々がそのような観点で統一教会を詳細に理解するようになり、それは弱者を陥れるためにしたことだという認識さえもつようになれば、大衆は完全に私たちの側に付くようになると考えるのです。

26  フランスの教会爆破事件によって、男性食口と女性食口が負傷しましたが、彼らは英雄になりました。そして、フランス人ではなく、オランダとノルウエーから来た人が負傷したというのは、さらに歴史的なことです。

外国人たちが犠牲になったというのは、国際(伝道)機動隊の伝統がしっかりと立つ良い歴史的材料だと見るのです。私たちがフランスのために、ヨーロッパのために活動していてこのようになったことをフランス国民が知れば、フランス国民は、オランダにも頭を下げなければならず、ノルウエーにも頭を下げなければなりません。

国際(伝道)機動隊にアメリカ人が多くいて、フランス人、ドイツ人が多くいるとしても、他の国から来た一人がこのようになれば、その一人のゆえにその国は、世界的な尊敬を受ける国家になるというのです。このような観点から、これは驚くべき事件です。

この爆破事件によって、国際(伝道)機動隊は命を捧げるとともに、死ぬまで天のために闘ったという伝統を立てることができ、輝く新しい歴史的な基準が残されるという事実を考えるとき、彼らは世界の歴史における英雄になったというのです。

27  今までは、サタン側が統一教会を打つとしても、言葉で打ってきました。言葉で打っただけであって、暴力を行使して統一教会を破壊することはありませんでした。ところが、フランスで起きた爆破事件は、蕩減をして天が踏み越えていくに当たって、かえって良い条件になったのです。

フランスで統一教会が爆破されたという事実は、統一教会が歴史的な蕩減条件を立てるに当たって、一つの条件になったというのです。サタンが、打ってはいけない領域を打ったというのです。それは、私たちが攻勢をかけていける一つの条件になります。ですから、反対し、迫害するすべての出来事は、偶然に起こるのではありません。結局は、統一教会が勝利できる、外的条件を天が立てていくのです。

28  一九七六年六月のヤンキー・スタジアム大会を中心として、大きな闘いか起きるでしょう。反対勢力があらゆる方法で私たちを包囲することも知っています。ありとあらゆることをしようとするでしょう。そして、一九七六年のワシントン大会さえ越えれば、歴史的な転換時代に入ります。

今から約四ヵ月残りました。残ったこの期間を中心として、ひっくり返す段階に越えていくと見るのです。自分たちが不利な立場に追いやられることが明らかなので、最後の発悪をするのです。

パリの統一教会がテロに遭ったのもそうです。アメリカでもそのような現象が起きる可能性があります。ベルベディア修練所も爆破すると言われ、消防署から人が来たり、警察が動員されたりすることがありました。フランスでそのようなことが実際にあったので、信じざるを得ないのです。

それは、保守的なキリスト教と共産党が共謀して行ったというのです。それを「ニューヨーク・タイムズ」が正式に報道したので、もはや「共産党が背後で操っている」と私たちが白昼に宣伝しても、アメリカ国民は反対できなくなりました。今や、有利な条件を中心として、越えていく段階にあるのです。

29  一九七五年、アメリカのニューヨークで、お父様に対する反対デモが起きました。ありとあらゆる人々が来て大騒ぎになりました。「デイリーニューズ」は、五日間、四面にわたってシリーズで私たちに関する記事を載せました。トップを走る新聞社でそのようにしたとすればこれは衝撃的な事件です。それほど、私が問題になっているのです。これからは攻勢をかけて越えていきます。天倫の時になれば、アメリカではなく全世界が何を言っても、天のみ前に押し寄せるようになるのです。

30  統一教会に、なぜ若い人々が入ってくるのでしょうか。白人の若者が徐々にたくさん入ってきています。サタンの側で統一教会のレバレンド・ムーンを最も憎むのですが、憎んでいる人々の息子、娘たちが入ってくるというのです。それはあだ討ちです。恨を解くことです。

サタンは神様の息子、娘を捕まえて殺しましたが、天の側は怨讐サタンの子女たちを連れてきて、殺すのではなく、生かしてあげるのです。それが違います。それで、「反対父母の会」ができました。

歴史始まって以来、自分の息子、娘を拉致するという出来事がどこにあったでしょうか。二十世紀に、先進国の代表国家と言われるアメリカで、最も極悪なことが起きています。これは歴史にないことです。

31  「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」が統一教会に反対し、全面的な攻勢を仕掛けてくる際に、記事を見てみると、「反対父母の会」というものがあります。若者たちがお父様に付いていくので、統一教会の洗脳工作によってみな狂ってしまったと悪宣伝するための「反対父母の会」、若者たちを拉致していって逆洗脳するという「反対父母の会」があるのです。その「反対父母の会」がある一方で、私たちは、それに対処するための「賛成父母の会」という組織をもっています。

ところが、言論機関は、「反対父母の会」に三百五十人が集まれば、丸をさらに一つ付けて三千五百人と伝え、三十五人集まれば三百五十人と報道するのです。私たちはその時、七百人近く集まって「賛成父母の会」の会議を行ったのですが、これは丸を一つ抜いてしまい、七十人だと書いたのです。

これは、アメリカの言論界に、既に共産勢力が浸透していることを意味します。共産勢力によって完全に左右されるアメリカの言論界だと見なければならないのです。そのような闘いをしています。これは、すべての言論界を結集して、お父様打倒運動をしようということを示しています。一九七六年が最大の激戦の時期でした。

32  統一教会では、孝の道理を教え、忠の道理を教え、聖人の道理を教えています。

神様の息子になろうとすれば、国家主義的愛国者の名をもっているだけではいけません。世界のために生きた愛国者の名をもたなければなりません。孝子にしても、世界のために生きた孝子の名をもたなければなりません。一般社会の父母たちが見る観点や国家が見る観点とは異なるので、統一教会は反対されるのです。反対する父母たちが出てくるのは、共産勢力が操っているからです。父母たちが世界的な反対活動をするのは、現在の日本の反対父母たちがしているのではありません。日本共産党などが、世界的共産党の背景を中心として反対しているのです。

33  アメリカで裁判があるので、ドイツとイギリス、フランスでも裁判が起こっています。共産党がそのように操っているのです。世界に連合戦線を展開しながら、共産勢力が私を捕まえてしまおうとしているところに、民主世界が協助しています。私は、本当に素晴らしいことが起こったと思います。法廷闘争で負けてはいけません。勝てば、統一教会の宣教歴史で、血を流すことはなくなります。イエス様がローマの元老院に行って、闘って勝ったという証拠、そのような事実を残していたならば、キリスト教は殉教の宗教にならなかったでしょう。それを私は知っています。後代の子孫たちが行く道で血を流すことを防ぐ責任を、私が果たそうと身もだえしているのです。

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第三章  日本特別巡回と世界宣教師の派遣第一節   エバ国家、母の国である日本の責任日本がエバ国家となった背景真のお父様は、一九四五年八月十五日、韓国が光復を迎える中、キリスト教を基盤として神様のみ旨を本格的に展開しようとされた。そして、このような構想が実現する場合、第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランスを中心に、世界へ進出しようとされたのである。これらの三つの国が、アベル国家、エバ国家、カイン国家として一つになれば、世界復帰は難なく実現されるだろうと考えられたのである。

しかし、キリスト教の不信によって、このような構想が現実化されなくなると、神様は、イギリスの代わりに日本をエバ国家として立て、新しい摂理を展開された。母が子女を生みお乳を飲ませて養育するように、日本がエバ国家として、アジアをはじめとする世界を養い、育てる国になれるよう、日本を祝福されたのである。

1   第二次世界大戦の直後に連合国と枢軸国が一つになり、新婦圏、すなわちキリスト教文化圏が新郎であるお父様に侍っていれば、四十年の悲哀の歴史はなかったでしょう。その時は、真の父母のモデル的な基準を中心として、世界的な勝利基盤の上で、すべての家庭を七年以内にここに直結させることができる摂理的な時でした。ところが、エバ圏、言い換えれば、新婦のキリスト教文化である西欧文明圏が、来られる再臨主であるお父様に侍ることができず、一つになれなかったために失敗したのです。一つになれなかっただけでなく、反対することにより、完全にサタン世界に戻りました。

ですから、お父様は荒野に追われた立場に立ち、再び上陸することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家を形成しました。そうして、今まで世界的な迫害の過程で、世界の反対圏に蕩減条件を立ててきたのです。世界的な迫害圏、世界を代表した家庭圏、民族圏、国家圏、世界圏、天地のすべての反対を、四十年間、通過してきたというのです。

2   第二次世界大戦後のイギリス、アメリカ、フランスを見れば、エバ国家であるイギリスは、島国として、いつでも大陸を恋い慕います。アメリカは、イギリスが生んだアベルです。旧教が新教を生んだのです。フランスは、連合国側のカインです。その反対のサタン側は、日本、ドイツ、イタリアです。このように、連合国と枢軸国が対峙したのです。このように二つに分けて植えたものを、総合的な収穫期を迎えて清算しなければなりません。サタンを完全に屈服させなければならないのです。しかし、イギリス、アメリカ、フランスがお父様に反対したため、すべて失敗しました。そのようになっていなければ、当時、日本やドイツが神側に立つ道はありませんでした。アメリカを再び選択したのは、蘇生、長成がなければ成約時代が完成されないからです。再臨主が立つためにも、アメリカを復帰すればユダヤ教とキリスト教、旧約と新約を復帰したことになるので、これを再び整理しなければならなかったのです。ですから、アメリカを再び選んだのです。第二次世界大戦後に、アメリカと日本とドイツが世界的な権限をもつようになりましたが、それは、お父様がアベル国家とエバ国家、カイン国家として、それぞれ選択したからです。

3   世界を一つにするためには、民主世界圏内にカイン・アベル国家、その次には、アダム・エバ国家がなければなりません。それで、世界的に、韓国がアダム国家です。アメリカを中心としたキリスト教文化圏がお父様を受け入れていたならば、エバ国家はイギリスになるのです。

イギリスと世界のキリスト教文化圏を中心として一つにするのですが、キリスト教が反対することによってそれができなかったので、アジアに帰ってきて、韓半島を中心として怨讐の国である日本が登場したのです。復帰時代に入り、日本がエバ国家の立場なので、世界の終末時代に経済圏を整える母の責任を担うのです。エバによって失われたものを、日本が取り戻さなければなりません。

4   過去には、韓国と日本が互いに怨讐関係にありました。しかし、蕩減復帰をしようとすれば、一番愛する人と一番憎む人、一番愛する国と一番憎む国を、天のみ前で互いに相対的な立場に立てなければなりません。そのようにしなければ、天地を復帰することができません。

韓国を中心としては日本、アメリカを中心としてはドイツが、相対的な立場です。したがって、韓国はアダム型国家であり、日本はエバ型国家です。また、アメリカは天使長型国家であり、ドイツはサタン側の天使長型国家です。ですから、韓国が一つになれば、この四つの国を復帰することができるのです。この四つの国が一つになれば、世界が復帰されます。このようになることにより、霊界と肉界を復帰できるのです。天宙と世界を復帰するためには、この四つの国が祭物にならなければなりません。この四つの国を復帰するためには、韓国が祭物にならなければならないのです。

5   イエス様は、霊的勝利の基台だけをつくりましたが、父母様は霊肉を合わせた世界的な統一圏摂理によって、ここまで上がってくることができました。一九七二年から三年間、私たちが結束し、日本でも一生懸命に動けば、日本は世界的に認められる国になるでしょう。なぜなら、日本がエバ国家だからです。

今から日本は発展するでしょう。三年の期間が過ぎれば、発展するようになるというのが原理観です。ですから、それを迎えるために、特にそれを成就するために、(伝道)機動隊を編成したのです。早く人材を養成しなければなりません。

エバ国家から母の国へ新世紀の到来を目前に控えた一九九四年から九七年まで、約一万二千人の日本女性宣教師が、世界宣教のため、約百五十ヵ国に派遣された。真の父母様は、世界巡回のたびごとに、彼ら宣教師を激励された。そして、このような基台の上で一九九八年一月一日、「日本をエバ国家から母の国に昇格させる」と発表されたのである。

6   これから、アメリカは長子権の国、日本は母の国、韓国は父の国になります。韓国と日本とアメリカ、この三国は一つの国です。一九九八年四月十七日、きょうから一つの国であると考えればよいでしょう。この三つの国が一つにさえなれば、全世界をコントロールするのは問題ありません。この三つの国が一つになれば、残りの国々はすべて、あとから付いてくるようになっています。統一された平和世界が、この地上に現れるようになるのです。それが正に地上天国です。

7   父母様が選んだエバ国家が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で父母様の命令に従う以上、長子の国であるアメリカが父母の国と一つにならなければなりません。母の国日本、息子の国アメリカが一つになって、父母様に付いてこなければなりません。すべて怨讐です。韓国と日本が怨讐であり、日本とアメリカが怨讐であり、アメリカとドイツが怨讐です。怨讐の国が一つになるには、愛によってために生き、塀をすべて崩してあげなければなりません。そのようにしてこそ、そのあとから付いてくるのです。それが摂理の清算原理です。

8   エバの国である母の国と、アダムの国である父の国が出てこなければならず、長子権の国が出てこなければなりません。アダムとエバは、堕落していなければ長子権です。その次に、父母権、その次に、王権です。個人的長子権、個人的父母権、個人的王権と国家的長子権、国家的父母権、国家的王権と宇宙的長子権、宇宙的父母権、宇宙的王権、このようになります。ですから、アダム家庭では、長子権がカインであり、父母権がアダムとエバであり、それが将来、王権になります。その次は、先祖です。神様を中心として先祖になるアダムとエバなのです。それを失ってしまったので、これを蕩減復帰しなければなりません。ですから、世界的な長子権がアメリカになっており、世界的なエバ権が日本になっており、世界的なアダム権が韓国になっています。共に暮らさなければなりません。それゆえ、アメリカも自己所有ではありません。息子の所有ではないのです。また、エバの所有、母の所有ではありません。息子の所有、母の所有がある前に、まず父の所有がなければなりません。

9   世の中には、父の国や母の国、長男の国というものがありません。父母様が韓国と日本とアメリカを、父の国と母の国、長男の国と定めました。ですから、エバは、母と父と兄の三者を思慕しなければなりません。エバにはお兄さんが必要であり、お母さんとお父さんが必要です。今から日本は、長男を養育しなければなりません。そして、母の国として、父の国と一つになる環境をつくっていかなければなりません。エバが堕落することによってすべて壊れてしまったので、それをまたつくり、元どおりにしておかなければならないのです。

10  韓国人は、韓国にだけいてはいけません。日本やアメリカに行って、(生活環境を)切り替えて暮らすのです。また、世界の人々が韓国、日本、アメリカに入籍するのです。入籍すれば、国家観をすべて忘れるようになります。アフリカの人々が入籍するようになれば、アフリカ人ではありません。歴史的環境であるとか、貧富の格差であるとか、伝統的なすべてのものが変わるのです。

ですから、韓国と日本とアメリカの三国を中心として、父の国、母の国、長子の国の伝統を受け継がなければなりません。父と母と長子を通して循環が起きるのです。

11  エバ国家である日本は、タマルとマリヤの世界的な結実体です。世界的な結実体というのは、国家を中心としたマリヤとタマルの立場にいるということです。タマルは民族的な解放、マリヤは国家的な解放の立場にいました。お母様は、天宙の解放のための立場にいます。そのような責任があるので、サタン側の長子である世界だけでなく、サタン的なすべてのものを否定して、反対に、天の側の宗教圏を抱いたのです。

そのように神様に付いていくためには、世界的なサタン圏を完全に切ってしまい一八〇度、反対側に回っていかなければ、エバ国家、母の国の国民として、責任を果たすことができないというのが原理観です。これは、救援摂理の最終的な結論です。母の国としての責任を果たすためには、民族的なタマルの使命圏と国家的なマリヤの使命圏を越えていかなければなりません。そのようにしなければ、母の国として定着できないのです。

12  日本は母の国です。いつでも、父の国の意向に従っていける母の国にならなければなりません。アメリカが長子権に立っているなら、父母の国の意向に従っていく国にならなければなりません。また、母の国が日本であるとすれば、父と天の父母の幸福のために祭物の道を行かなければならず、すべてを犠牲にし、祭物として捧げることのできる奉献の伝統が立っていなければなりません。父に侍って暮らすことのできる生活的な中心国家にならなければならないのです。父の国のための母の国であり、母の国のための長子の国にならなければなりません。その次に、万国があれば、万国全体が父の国の安寧のために歩調を合わせなければなりません。

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第六節   アメリカ議会招請講演とウォーターゲート宣言アメリカ議会招請講演真のお父様は、アメリカ議会の招請により、二度にわたって講演をされた。当時、真の父母様に対する関心が高まる中で、上下両院議員が招請したのである。一九七四年十月八日、真のお父様は、国会議事堂のダークセン上院ビルにて「神様の摂理の中にあるアメリカ」というテーマで講演された。この日は、上下両院議員百八十五人が参加し、み言を傾聴した。この講演は、九月十三日、上院外交分科委員長などが、上下両院議員十二人の連署による招請状を真のお父様に送付し、上下両院議員全体に公文を送ることによって実現した。二回目は、一九七五年十二月十八日、上下両院議員たちの招請を受け、アメリカ国会議事堂のコーカス・ルームで、二百人が参加する中、「アメリカを中心とした神様の計画」というテーマで講演された。

1   私は、アメリカ国会に行って講演する準備を今まで(渉外チームに)させてきました。これまで六ヵ月間訓練してきたのは、その目的のためです。それで、一九七四年十月八日に、私が国会に行って講演をすることになっています。ところで、アメリカ社会では、「レバレンド・ムーンは神秘の存在だ」と言っているのです。国会の上下両院議員たちも、一度も私の講演を聞かないまま、どこかに行ってお父様に関する話が出たとき、答えることもできずに口を閉じていれば恥をかいてしまう、そのような段階に入ったというのです。

今回、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーテン大会で、そのような雰囲気が相当に高まりました。上下両院議員が来ることができなければ、その補佐官でも必ず送ることにしたというのです。「どのような話をしたのか知らなければいけないので、送ることにした」という報告を聞きました。ですから、「レバレンド・ムーンに対して、上下両院議員の皆さんが協助してください」と言えば、間違いなくワシントン大会のために協助するだろうと思います。

2   ホワイトハウスから、国会の上下両院議員たちとアメリカ国民たちが統一教会の思想をもって武装すれば、どのようになるでしょうか。建国の中心に当たるキリスト教が没落するこの時に、キリスト教を再起させることができ、破錠しかけている家庭と倫理を再起させることができ、青少年を再起させることができ、すべてのものを復活させることのできる原動力になるでしょう。

個人的にそのような人になれば、世界的代表者になり、家庭的にそのようになれば、世界的代表家庭になり、アメリカ国民がそのようになれば、数多くの国家を代表する歴史上になかった国民になり、アメリカがそのようになれば、世界はその圏内で一つにならざるを得ないと考えるのです。

この国会にいらっしゃる上下両院議員の皆さんは、この思想がレバレンド・ムーンの思想であるとは、夢にも考えないでください。これはレバレンド・ムーンの思想ではありません。これが、神様のみ旨の中で人類に通告しなければならない、一つの深奥な真理であることを知り、これを国会に適用し、この国家、国民に対して国民思想として適用すれば、アメリカがそれこそ「神様のもとの一つの国家」という言葉のように、名実共に世界の主体的国家になることは間違いないと思います。

そうすれば、その国こそ、地上天国に違いありません。そこに、真の理想と真の愛と真の幸福と真の真理が存在できるのです。

3   何としてでも、韓民族の将来のためにアメリカの朝野に影響を及ぼし、私たちの基盤を拡大していかなければなりません。ですから、ニクソン大統領を支持した問題を経て上下両院の基盤をつくり、国連の舞台で活動し始めたのです。何としてでもアメリカ議会に足を踏み入れておこうと、彼らの前に行って講演までしました。それとともに、政治(家)だけではなく、政治的影響力をもった人々を通して国民との関係基盤を確保し、世論全体の基盤が必要だったので、そのような世論基盤を築き、今やアメリカで私は相当に有名になりました。

私が最初に彼らに会った時、「二年間でこのような旋風を巻き起こすが、あなたは信じるか」と言うと、「信じられない」と鼻で笑いました。アメリカで自分こそが実力者だと考え、二十年以上の功績を積んで、今や上院議員の立場にいる人々なので「外国から来た青二才のレバレンド・ムーンという人物が、アメリカで二年間に何をどうするのか」と、鼻先でせせら笑ったのです。

しかし、今や彼らが信じるほどになりました。私が話すことは、うそではないと考えているというのです。この間、私がしたことは、大したことではありません。しかし、彼らに同情される統一教会の文某になっては絶対に発展できません。私が助けてあげなければならないのです。ですから、何はともあれ、助けになることをたくさんしたのです。

ウォーターゲート事件とアメリカの覚醒一九七二年六月、ニクソン大統領再選のための秘密工作班が、ワシントンDCのウォーターゲートビルの民主党全国委員会の本部事務室に、盗聴装置を設置したことが発覚した。これにより、ニクソンは、大統領職を辞任する一九七四年八月まで、苦境に立たされた。真の父母様は、アメリカの精神と信仰、価値観が一大危機に直面したと判断され、一九七三年十一月三十日、「許せ、愛せ、団結せよ」という旨の「ウォーターゲート宣言」を「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」の全面広告で発表された。この事件によって、アメリカの経済的危機が招来し、世界的な指導力が喪失することを憂慮され、この隙を狙った国際共産主義が勢いを増すことがないように警告されたのである。そうして、真のお父様は、一九七四年二月一日、ホワイトハウスの大統領執務室で、ニクソン大統領と会談された。

4   一九七二年と七三年を中心として、アメリカの大統領が気勢をくじかれました。お父様は、ニクソン大統領に対するウォーターゲート宣言を行いました。そこで、お父様と一つになれば、生きる道があるというのです。ですから、お父様は上院議員と下院議員たちに対して、一人残らず、すべて手紙を書きました。これは偶然の事件ではありません。二年目にホワイトハウスと私たちが交差する点をもったという事実は、歴史的な事件です。ウォーターゲート事件を論じるときは、必ず歴史的に、お父様の名前が残るようになっています。これは、いくら否定しようとしても否定できません。

5   アメリカが、ウォーターゲート事件を中心として混乱した時、私は「神様に帰ろう」と叫びました。神様に帰るためには赦しを受けなければなりませんが、赦しを受けようとすれば、アメリカ国民も赦しなさいというのです。これが「ウォーターゲート宣言」です。赦しなさいというのです。他人の罪を赦せなければ、自分も赦しを受けられません。個人的に、教会的に、挙国的に、ニクソン一人を条件とし、「あなたたちもそのような姿の罪人なのだから、まず悔い改めて、ニクソンも赦しなさい」と言ったのです。

お父様がアメリカでニクソンの赦免問題を呼び起こしたのです。民主世界が没落するようになるのは、キリスト教が没落するからです。キリスト教が没落するのは、すべての国家の問題、すべての世界の問題を神様に談判して対処せず、自分の意向によって進めているからです。エデンの園で堕落する状況と同じなのです。

6   お父様自身が一人でアメリカの地に進み出た時は、一個人として現れました。天の命令を受け、三年という期間のうちに、二億四千万近い国民に、お父様の意思を伝えなければなりません。聞こうと聞くまいと、うわさを立てて知らせてあげなければなりません。それをどのようにするのでしょうか。基盤はなく、協力者もいない上に、反対までされる状況でした。そのような環境をどのようにして切り開いていくのでしょうか。直行しなければならず、心臓部を貫いていかなければならないというのです。ですから、行くやいなや有名な上院議員たちに会いました。下院議員たちにも会い、それから著名なアメリカの人士たちにもたくさん会いました。

その次は、ホワイトハウスをどのようにして切り開いていくかということでした。そこからしなければならないと考えたのです。そのような時、ウォーターゲート事件が起きました。ウォーターゲート事件を中心として、私が手を付けることになったのです。全国民が反対し、全国民が希望をなくして落胆する立場にいるので、ここでキリスト教思想を中心として、一つの方向を提示しなければならないと考えたのです。

7   私は長い間、数多くの宗教と宗教者たちを訪ねてみました。数多くの地方議員、有名な人士たちに、みな会ってみました。そして、その国の名士たちにもみな会ってみました。彼らの胸の内には、世界を救おうという考えは全くありませんでした。ウォーターゲート事件の時も、まかり間違って転べば、アメリカはどん底に落ちてしまうというのです。

数多くの宗教指導者、ビリー・グラハムのような世界的に有名な人々が、国の先頭に立って国民運動を起こし、それを防がなければならない立場であるにもかかわらず、彼らは、夢にもそのような考えをもつことができずにいたのです。

ですから、東洋の一角で生まれた文という人が責任をもったのです。しかし、それは適当にやってできることではありません。命を懸けて神様に談判し、神様が願われることが何であるかを探ったのです。私は政治家ではありません。神様のみ言に従って行動する人です。国を守り、世界を守り、進むべき方向を誰かが言わなければならないようになっているのです。それを知ったので、冒険の道を覚悟しました。統一教会は、最後の決断を下したのです。

8   お父様は一九七二年、アメリカの七大都市で初めてみ言を宣布しました。その基盤の上で、一九七三年に二十一ヵ都市を掲げて、闘っていきました。この期間に、ウォーターゲート事件を中心として、六十日前にこれが提示され、二十一ヵ都市巡回路程を一月二十八日に締めくくりました。その後、ワシントンDCに来て、ニクソンにまで会うことになりました。

私が会おうと言って会ったのではなく、ニクソン大統領がその日にちを決め、自ら会うことを求めてきたのです。偶然に会ったのではありません。どこかの国の元首がニクソン大統領に会おうとすれば、一年半も前にあらかじめ、すべて約束しておかなければならないのに、私とこのように会ったのは歴史的な事件でしょう。一月三十日に国会に送る教書を発表するため、二週間、誰にも会わずにスケジユールをすべて空けておき、教書発表が終わって二月一日、あらゆる国家の代表者たち、いかなる大使たちも押しのけて、お父様に会ったのです。

会った時、お父様は、ニクソンと向き合って、「一緒に祈りましょう」と言いました。ニクソンも頭を垂れて祈りました。歴史的なその会見の直前に祈りを捧げたというのは、歴史的な事件です。劇的な会談をもちました。お父様が話をする中で、彼は、この国で誰よりも自分を愛し、自分のために心配している人がお父様であることを知って深く感謝しながら、本当に心を激しく揺さぶられ、喜んでいることを、如実に感じることができました。これを見れば、歴史的な事件に違いありません。ローマ皇帝がイエス様を招待して会うのと同じ立場だというのです。

9   アメリカ自体が、ウォーターゲート事件によって真っ逆さまに落ちていくのを、お父様によって止めることができるのです。お父様によって、キリスト教に新しい方向を提示し、アメリカを中心とした民主世界に新しい方向を提示して、彼らが志を立てるようになりました。私がニクソンに会ったので、このことが可能なのです。お父様は、神様のみ旨によってニクソンに会いました。ですから、彼に会って祈りを捧げたのです。それは偶然の出来事ではありません。人々は知りませんが、その摂理時代において、大きな峠を越えることが既に決定されていたのです。

10  私は、ニクソン個人を見て支持したのではありません。大統領職を支持したのです。これは、アメリカ国民が今後、知らなければならない問題です。国の主権者が新しい政策を立て、その国の運命を決めるときには、特権をもたなければなりません。そのような意味で支持したのです。

ニクソンがいたならば、ベトナムとカンボジアがあのようにはなりませんでした。私が予想したとおりになったのです。数十億ドルに達する武器を共産世界に丸ごと渡してしまう、国家的な恥になることをしたというのは、民主世界を指導する国家として惨敗だというのです。

11  私がニクソンを支持したのは、ベトナム戦争をアメリカの勝利で終わらせるという目的があったからです。早く終わらせなければならないというのです。そうすれば、アジア防御圏が延長されると考えたのです。ですから、ニクソン・ドクトリンを修正しなければならないという結論に達しました。ニクソン・ドクトリンのとおりになれば、韓国の安全保障の問題は自動的に下火になっていくのです。アメリカとアメリカ大統領が一つになり、アジアと一つになる道を神様が願っていらっしゃるのに、アメリカと大統領を分立させ、これを破綻させようとしているというのです。

ですから、私は、「許せ、愛せ、団結せよ」と主張しました。そうすれば、そこでキリスト教がニクソンと一つになり、全国民と一つになるでしょう。私が主張したことが動機となってそのようになれば、お父様と一つになるのです。お父様がアメリカを救い、一つにした功労者として登場するというのです。そのようになれば、ニクソンは私に相談するようになります。そのようになっていたならば、このウォーターゲート事件は即刻、解決したでしょう。

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アメリカの三大大会勝利とモスクワ大会宣言ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーテン大会、ヤンキー・スタジアム大会また、ワシントン大会の三度にわたる大規模集会は、蘇生、長成、完成の三段階の勝利を意味し、摂理史のすべての失敗を、世界的国家を代表して清算するという意義もある。真のお父様は、ワシントン大会の翌日の一九七六年九月十九日、共産世界の解放のために、次の大会はモスクワで開催することを公表された。モスクワのクレムリンを切り開いてこそ神様と人類の解放が起きると語られ、真の愛を通して世界の隅々に自由の鐘を響かせようと力説されたのである。

21  今日、アメリカは世界の縮小版です。アメリカの運命は、世界の運命と神様の摂理を左右するでしょう。神様は、この国で展開しようとする明確な計画を立てていらっしゃいます。私はヤンキー・スタジアム大会で、「もし皆さんの家庭で病が発生すれば、外部から医者を連れてくる必要がないでしょうか。もし皆さんの家から火が出れば、外部から消防士を連れてくる必要がないでしょうか。神様は、私に医者と消防士の責任を任せてアメリカに送られたのです」と語りました。

一九七六年九月十八日のワシントン大会でも私は、「神様は、この国に新しい啓示を伝えるために私を送られました。そして、特にアメリカの未来の指導者となる若者たちを御自分のもとへ導くようにと、私を召されたのです」と宣言したのです。

22  一九七五年六月七日、六十ヵ国の代表たちが参加する中、韓国で百二十万の救国世界大会を開催しました。これは、国家と国民、実体を中心として、勝利の立て札を立てたことになります。今やアメリカで三年路程と連結すれば、霊肉の実体を中心として、アメリカが新しい一つの希望の国へと前進することができると考えるのです。これが摂理観です。ですから、アメリカのニューヨークにあるマディソン・スクエア・ガーデン、ヤンキー・スタジアム、ワシントンDCにおいて、三次にわたる国を挙げた大会を行うことにより、韓国で築いた勝利的結果を、アメリカの地で実体として成し遂げるのです。それにより、世界的な一つの中心型をつくり上げて、新しい道を開くことができるのです。

23  ワシントン大会までは、激戦を繰り広げなければなりません。マディソン・スクエア・ガーデン大会によって、初めてアメリカ国民が驚き、「いやあ、レバレンド・ムーンはこのような人なのだなあ!」と言ったのです。大会の前日、私たちが開いたバンケットにCBS放送編集部の副責任者が来て、私に「レバレンド・ムーン、自信はあるのか」と尋ねるので、「自信がある」と答えました。「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」などが不可解な出来事として捉え、「その会場をどのようにして満たすのか」と言いながら、懐疑的な目で見ていたのが、ほんの数日前のことのようです。

彼らとしては、アメリカの言論機関で実施した今までのあらゆる調査を通して考えてみるとき、それは不可能だと思えるのですが、「自信がある」と言うので、不可解でありながら、それが非常に新鮮だというのです。

しかし、私が知っている天は、彼らがコンピューターで出した統計を凌駕できる能力があると確信していました。

そうして、想像を絶する意外な破格の勝利を収め、その時から世論の注目の的になり始めたのです。「この団体は、強力な団体である。レバレンド・ムーンは問題の男である」と言いながら、世論が総攻撃し、集中砲火を始めました。一九七二年からの三年間で、お父様が世界的にうわさとなりました。アメリカの全国民が知らなければならず、自由世界の国民全体に三年間で知らせてあげなければならない責任があったのです。

24  最初は、アメリカの食口全体を糾合し、国際(伝道)機動隊を編成して全米を巡回しながら、マディソン・スクエア・ガーデン大会からヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会まで行うことを内密に話しても、誰もが「信じられない話だ」と思いました。

まず、統一教会員たちが信じることができませんでした。ですから、アメリカの一般大衆が信じてくれることを願っても、それはあり得ないことです。そのため、一般の言論機関や有識者たちは、「アメリカのことを知らない一人の男がアジアから現れても、何日かすればいなくなる」と度外視したのです。

しかし、彼らが見つめるのは平面的な観点からであり、私が見つめるのは立体的な観点からです。横的に見つめる全体の力よりも、縦的に見つめる全体の力が常に強くなければならないという信念を、お父様だけがもってきたのです。

25  一九七五年から七七年までの三年の期間に、世界の統一教会は受難の道を歩んでいます。ですから、ヤンキー・スタジアム大会は、アメリカだけでするのではなく、全世界が一緒にするのです。この三年間の世界的な受難の道のうち、二年目の一九七六年に、ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会で勝利し、その次に、ワシントン大会で勝利するようになれば、三年の峠を越えるのです。もしヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会に勝利し、一九八一年まで通過すれば、共産圏は私たちの門の中に入ってくるのです。そのようにさえすれば、七年間のうちにモスクワまで到達するだろうと、私は考えます。これが原理観です。万一、ここで誤れば、また二十年延長されます。共産勢力を押しのけることができなければ、多くのキリスト教徒が虐殺されるでしょう。血を流すようになるというのです。このような恐ろしい歴史的時代が待っているのです。これは、漠然とした話ではありません。歴史は、原理観的な立場で発展してくるのです。

26  統一教会で祝福を受けた家庭全体が動員され、民族を感化しなければなりません。このようにしていけば、必ずプラス的な立場で世界に前進できる舞台が現れるのです。間違いなくそうです。自由世界であれば自由世界を一つにしたあとに、プラス、すなわち主体となり、ソ連や共産世界に必ず影響を及ぼすようになるというのです。

そのような観点で、お父様はワシントン大会後、モスクワ大会を宣言したのです。ですから、今、モスクワ大会のために激しい勢いで準備をしています。皆さんが知らないソ連の衛星国家の地下で、この時間にもみ旨のために命を懸けた闘争が繰り広げられているというのです。

27  ワシントン大会後、モスクワ大会を宣言しました。そのため、共産主義追放運動を私が展開し、文化使節を通して共産世界のすべての文化活動にブレーキをかけるでしょう。今、その運動を始めています。共産主義者たちを追放するのです。ですから、皆さんは共産主義者たち以上にやらなければなりません。サタンは、力が弱いときに占領し、攻撃してくるのです。今まで私一人の開拓時代には、そのようなことを物ともせず、沈黙と無言で歩んできました。

一回の三次にわたる七年路程が終わり、子女たちが第二回の三次にわたる七年路程を出発するときには、万全の準備をして、強い信念と強い体力を備え、その伝統を残さなければなりません。共産世界は、皆さんが引き受けて闘わなければなりません。私が父母の立場で闘うことはできません。また、銃剣を持って、力で闘うことはできません。愛をもって闘わなければならないのです。共産主義者たちは、民主世界を滅ぼして共産世界をつくろうとしますが、私たちは民主世界も救い、共産世界も救ってあげる体制をつくらなければなりません。

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ワシントン大会アメリカの建国二百周年を記念するワシントン大会が、一九七六年九月十八日、三十万人が詰めかける中で、成功裏に開催された。

この大会は、アメリカの国と宗教・言論界などが総攻勢をかける中で開催され、注目を集めた。この日、真のお父様は、「神のみ旨とアメリカ」というテーマのもと、「神様は、この国に新しい啓示を伝えるために、そして、特に退廃していくアメリカの青年を救い、未来の指導者となる若者を導くために、私を送られた」と宣布された。ワシントン大会は、短期間で三十万人を動員し、アメリカの宗教集会史上、最多動員数を記録した。

12  ワシントン大会を行うその時は、六千年歴史の交差点が生じる瞬間であり、世界を懸けて天地の蕩減が生じる瞬間です。息詰まる緊迫した時間が私たちの目の前に待っているというのです。それで、ワシントンDCを攻めるのです。これを世の中の人々は理解できません。お父様は命を懸けて行うのです。私のためではありません。神様が勝利するためにするのです。人類が反対したことを完全に蕩減復帰し、収拾して越えていくために、全世界が反対し、神様が協助しなくても、私は行くのです。お父様は、「私だけが残った」と思いながら、息詰まる時間に向かって越えていくというのです。かわいそうな人です。孤独な人です。神様が協助することもできません。

皆さんは、お父様の手によって仕方なく引かれていくのです。皆さんが行かなければ、皆さんの国と皆さんの先祖が滅び、皆さんの息子、娘が滅びます。ですから、イエス様が十字架で亡くなる時、「わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」(ルカ二三・二八)と言ったのです。皆さんは、お父様のためではなく、皆さんの国のために、皆さんの子孫のために行くというのです。私のために行くのではありません。私のために行く必要は一つもありません。

私は皆さんの世話にはなりません。私がやらなければ、皆さんの国を滅ぼし、皆さんの先祖と子孫を滅ぼすだけでなく世界を滅ぼし、神様を滅ぼすことを知っているのです。私が行かなければ、世界が滅び、神様が滅びるというのです。ですから、死んでも行かなければなりません。お父様が六十一歳になるまでに、世界的路程を蕩減する夢を実現できる最後の峠がワシントン大会です。これは、生きてゴルゴタを越える峠だというのです。

13  ワシントン大会を中心として、アメリカの国務省、法務省、すべてが反対しました。世界全体が反対し、お父様に対する追放運動が起こったのです。その期間に、私は世界に宣教師を送り、完全に相手になって取り組むことができ、全世界からの反対に立ち向かえるようにしました。全世界から総攻撃を受ける中で、ワシントン大会を中心としてつばせり合いをしたのです。

ここから個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減条件を中心として、完全に清算して越えていきました。統一教会が現れて以来、全世界、サタンが統一教会を押し出そうとした最後の戦争でした。

14  ワシントン大会は、お父様や統一教会のためにするのではありません。統一教会にとっては損害が大きいのです。人的資源において犠牲になり、経済的に犠牲になり、すべての面において犠牲になっています。お父様は死を覚悟して行っています。ヤンキー・スタジアム大会の時には、十二の団体が私の殺害を企てたという知らせを聞きました。ワシントン大会にはもっと来るでしょう。反対派たちも、ワシントン大会が最後の峠なので、私自身が総力を注ぐことを知っているのです。彼らも今、持てる力を尽くしてクラブをつくり、謀議をしています。「暴動を起こすなど、どのようなことをしてでも、これを失敗させなければならない」と言いながら、共産勢力まで謀議に加わっているのです。国務省など上部機関を通して、お父様が会場に来られないようにしようと、ありとあらることをしています。

15  一九七六年を中心として、統一教会は世界的に迫害を受けました。その中でも、三十七ヵ所に宣教師を送りました。最大の迫害期間に、ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会を行いました。ワシントンDCの三十万人大会もそうです。ヤンキー・スタジアム大会が終わったあと、私たちはワシントン大会の許可を受けました。アメリカ政府は許可せざるを得なかったのです。四十日で歴史的な大会を行うというのです。ですから、アメリカ政府は非常に慌てふためきました。アメリカ政府としても、手がつけられなかったのです。後退せざるを得ませんでした。神様は、世界的に宗教の自由がある民主主義制度をつくりました。再臨時代のみ旨を保護するための方便としてつくった主義が、民主主義です。

16  ワシントン大会のために、私は原稿を四回も書きました。何度も祈り、精誠を尽くしても整理できませんでした。神様はなぜ、そのような作戦をされるのかというのです。その日はだんだんと迫ってくるのに、語る内容が決まらなかったので、私の心は言い表せない境地に入りました。

それで私は、一週間前までこの状態が続くだろうと思いました。天は、私のことを知らずに、そのようにするのではありません。私が語るその時間には、天が必ず働いてくださると考えました。そのようになればなるほど、必ずその言葉には不思議と引き寄せる力が生じ、不思議と愛の心情が溶け出し、不思議と人々が巻き込まれてくるだろうと考えたのです。それで、ワシントン大会をするその時間に、人々が霊的な雰囲気に巻き込まれ、我知らず歓声を上げたのではないかと私は思います。

17  一九七六年九月十八日、ワシントン大会の時、私は死刑宣告を受けた人が刑場に出ていくよりもっと深刻な心境でその場に出ました。その前は、朝を夕方と勘違いしたことが何度もあり、夕方を朝と思ったことが何度もありました。それは、私と神様だけが知っているのです。

それを、お父様にとって歴史上最高の精誠を尽くす一つの転換点と定め、万民のための祭祀の日として神様のみ前に設定していきました。神様はこのような時間を迎えようと待っていたため、その時間に出ていく私自身は、「祭司長の責任を負い、世界に代わり、数多くの宗教に代わり、神様の心情を地上に引き下ろさなければこの世界が滅びる」と考えたのです。その日、あそこまで大勢の人々が集まり、整然と事故なく大会を執り行えたのは、お父様がしたことではなく、神様がしてくださったことだというのです。

18  アメリカで、お父様が個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減条件を立てて上がっていったという話は、皆さんには分からないでしょう。言葉では何となく分かるのですが、よくは分からないというのです。ですから、世界的な蕩減条件を皆さんに強調するのです。ワシントン大会には、そのような意義があります。

私の一代で最も深刻だった時が、ワシントン大会だと思います。その時の心境は、天地と全人類を前にして、刑場に出ていく人の心情でした。絞首台に上がる気分だったというのです。それほど霊界も深刻であり、地上も深刻でした。

19    一九七六年に行ったニューヨークのヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会は、世界的事件です。ですから、アメリカの人々がお父様を、良かれ悪かれ、すべて知るようになっています。私の責任は果たしました。それゆえ、西洋で生きて霊界に行った霊人たちや、アフリカで生きて霊界に行った霊人たちが、私を讒訴することはできません。そして、地上で生きている人類も、私を讒訴することはできないのです。ですから、一九七六年は、お父様と統一教会の年だと結論づけることができます。「ニューズ・ウィーク」では、お父様を一九七六年に「今年の人物」として記事を出しました。その人々は、私のことが好きで記事を出したのではなく、それが事実なので出したのです。

お父様は、霊界にいるすべての霊人たちと、地上の人類に対して責任を果たしました。アメリカの国民に対して責任を果たし、悪い人ではなく良い人であると言えるよう、ワシントン大会を通してすべて成し遂げておいたのです。反対していた人も称賛せざるを得ず、「お父様は傑出した人だ」と言わざるを得ないように、結論を下しておきました。

20  ワシントン大会を中心として、私がアメリカに来てこれまでしてきた闘いが一段落したことを宣布します。私が一九七一年十二月十八日、ワシントンDCに着陸しながら考えたことは、「昔、イエス様はローマで闘うことができなかったが、私は民主世界を代表するアメリカの地で闘い、勝利に導くことができるか」ということでした。その時の思いが、今も鮮やかによみがえってきます。

これまで、アメリカの言論機関と全国民が統一教会と私に反対しましたが、その反対を突破し、今日、私たちがこのような大会まで執り行ったという事実は、神様が生きていらっしゃるという証拠を如実に見せてくれたものだと思います。

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第三節   アメリカ主要都市の巡回講演旋風を巻き起こした巡回講演真の父母様は、第三次世界巡回の期間中、アメリカ、イギリス、ドイツの主要都市で講演会を主宰された。一九七二年一月二十八日には、「ニューヨーク・タイムズ」と「デイリーニューズ」に、講演会を知らせる型破りの全面広告を掲載した。特に、「イエス・キリストと十字架の苦難、それは神様のみ旨だったのか、人間の失敗だったのか」をテーマとした小説の懸賞公募は、国内外のマスコミに大々的に紹介されるなど、関心が集まった。これを通して、真の父母様の活動が世の中から注目を浴び始めた。

第三次世界巡回が出発してから六十日目の一九七二年二月二日、歴史的な大講演会の開幕行事として、「神様大会」がニューヨーク、ウォール街の広場で開催された。そして、二月三日から三月十一日まで、アメリカのニューヨークをはじめ、フィラデルフィア、ボルティモア、ワシントンDC、ロサンゼルス、サンフランシスコ、バークレーなど、七大都市で講演が行われた。講演会の宣伝ポスターのテーマは、「きょう、神が語られる」であった。講演者については、「新たな精神的覚醒を呼び起こす、東方から来た新しいクリスチャン・リーダー、文鮮明先生」と大きく紹介されていた。統一教会は、短期間のうちにアメリカで旋風を巻き起こすことにより、若い人材と強い組織力など、強力な活動基盤をもった団体として浮上したのである。

1   一九七一年十二月にお父様がアメリカに行った時、アメリカの食口たちは、「お父様はアメリカの実情に疎いので、アメリカに来ても今まで自分たちがしてきたことを中心に、ただそのまま推進すべきだ」と言いました。アメリカで大復興会を開催するとか、大問題を起こす活動をするということは、夢にも考えられない時でした。また、アメリカに行っている宣教師たちも、アメリカの実情に合うように進めていかなければならないという意見でした。しかし、お父様は「あなたたちは私の指示に従わなければならない。私が決めたら、決めたとおりに動くべき立場にいるのだから、あれこれ言わずに私が提示するとおりの方向に動きなさい」と言いました。

ところが、このように指示したにもかかわらず、見ていると、彼らは自分たちの国の実情をよく知っているので、お父様の言葉を頭の中に入れず、活動することに躊躇しているのです。それで、私が自らニューヨークに行き、リンカーン・センターなどと契約して、一九七二年二月六日からアメリカ七大都市巡回講演会を始めました。それは冒険的なことです。そのようにしてから、イギリスを経て、ドイツを経て韓国に帰国し、一九七二年十一月に再びアメリカに渡って、二年目の一九七三年に大講演会を開催しました。そのようにしなければならない責任を担っていたので、七三年に二十一ヵ都市を選定し、大講演会を開催したのですが、これが七四年一月二十八日に、ようやく終わりました。

2   一九七二年から三年の期間を中心として、アメリカの七ヵ都市で三日間ずつ、原理的な三数を中心として二十一数に合わせて巡回講演を行い、その次に、イギリスとドイツまで合わせて、九ヵ都市の巡回講演を行いました。さらに、一九七三年にはアメリカの二十一ヵ都市で講演会を開催し、七四年までに四十ヵ都市を中心として、作戦を終えるのです。この期間に、何としてでもアメリカ国民に知らせなければなりません。悪いうわさが立つなら立ち、良いうわさが立つなら立てばよいというのです。それでも大丈夫です。イエス様がそうであり、お父様も今までそうでした。アメリカ国民に、どのようにして知らせるかが問題です。もしうわさを聞けば、神様が選んであらかじめ立てた人々が、霊的に連結されて集まってくるようになります。神様は、既に滅びるしかない国だとしても、七千以上の群れ、七数はいつでも残しておくのが原則なので、神様の新しい摂理を望み、新しい世界が展開されることを願う人々は、統一教会の動きに必ず方向を合わせなければならないというのです。

3   第二次七年路程が終わる三年前に、世界基盤を築かなければなりません。イエス様が三年路程を終えて世界に行かなければならないのと同じように、お父様はこのような過程を連結させるために、第二次七年路程の期間に世界路程を連結させる使命があるのです。ですから、一九七二年にアメリカから準備を始めて、第二次七年路程が終わる七四年の四月二十日までに、アメリカ全域に父母様を知らせなければなりません。

アメリカ全域に、父母様のことを知らない人がいてはいけません。この三年間は、何としてでも父母様を知らせなければならない時です。このように知らせようとあのように知らせようと、悪く思おうと良く思おうと、知らせなければなりません。ですから、「ニューヨーク・タイムズ」と「タイム」、「ニューズ・ウィーク」など、世界的な言論機関を通して問題を提起しているのです。

4   私たちは、一九七二年から七四年まで、アベル的な基準でアメリカ国民に何を与えるべきなのでしょうか。神様の内的な生命と外的な面の何かを与えなければなりません。内外で与えなければならないのです。ですから、この三年間では、お父様が自らみ言を与えようと思います。

お父様の一生で、大衆に対し、公式集会に現れるのはこの時が初めてです。メシヤが行くべき道は、国家基準から世界基準に行くものであって、それ以下では行くことができません。私たちは世界的時代に向かっているので、このようなことを始められるというのです。ですから、この三年間は貴い時です。これは、歴史始まって以来の、霊界と人類が注目する重大な事件です。この期間には、十ヵ国の人々が加わって活動をするのです。

5   お父様は、一九七二年二月六日、ニューヨークのリンカーン・センターの巡回講演から、ワシントンDC,ドイツのエッセンまで、原稿を持って講演をしたのではありません。どこかに行って即席で話をしても、聴衆をつかむことができる訓練をしなければなりません。「私が語ることについては問題ない」という信念をもって行わなければなりません。

そこにおいて、どのようにして感情を立体的に一体化させるかが最も重要な問題です。これは、お父様が長い間生きてきて経験した結果です。大衆に影響を与えることのできる感情に、自分がどのように浸るかが問題であって、語る内容だけが問題ではありません。そのような境地に入っていけば、いつの間にか、言葉は普段と同じように出てくるのです。作文もその場でするのです。千万の群衆を魅了してしまう雄弁家は、聴衆とその時の感情によって、すべての言葉の方向が変わり得るため、その環境をよく収拾しながら、そこに拍子を合わせて力を加えてあげることができなければなりません。

6   民主主義をもって、アメリカを生かし、指導することはできません。キリスト教思想をもってしても、アメリカを生かし、指導することはできません。共産世界も、その共産主義理論をもって世界を一つにすることはできません。そのような時は、既に過ぎ去りました。ですから、一九七二年に父母様がアメリカに来るやいなや、アメリカの教会に対して攻勢をかけたのです。アメリカの歴史上、初めてのことをやりました。

結局のところ、キリスト教に対して攻勢をかけたということです。それでも、彼らは反対できずに見つめているのです。かえって、神様のみ旨を思い、心配しながらキリスト教を見つめ、望みを抱いていた人々が、父母様に対して新たに関心をもって見つめる段階に入ってきました。

7   一九七二年から七八年までの七年間が、アメリカの危機です。このような期間に、アメリカで世界的な基盤を築いてこそ、七四年までの三年路程を中心として、初めて世界的な第三次七年路程を勝利の結果として完成し、神様のみ前に束ねてさしあげることができるのです。新しい時代を中心とするときは、いつも三年が必要ですが、この三年の期間が終わる時が一九七四年です。三年の期間を通して、新たな時代に進もうというのが摂理観です。

いつも、三年先駆けて準備しなければなりません。モーセが三年間準備したのと同じように、この三年に該当する期間を中心として、新しい時代に越えていかなければなりません。その時まで行けば、アメリカは私たちについてこなければならなくなります。ですから、私たちが主体的な使命を果たさなければならないというのです。

8   お父様は、僕の基盤と、養子の基盤と、息子の基盤と、父母の基盤を築いて上がってきました。私がアメリカにまで来て活動できるのは、国家的基準を中心として、その基準を完結したからです。その基準を今、アメリカを中心として世界的に連結させようとするのです。それが、皆さん、ヨーロッパの人々と合同で歩む一九七四年までの、この三年路程の期間です。

韓国を中心として見れば、第一次イスラエルとして、僕の国の失敗を復帰した基準を立てておき、世界的な基準で養子の使命を果たさなければならないキリスト教の使命を受け継ぎ、世界的代表の基準を立てたという条件を、霊的な基準で立てました。そのため、世界的なキリスト教国家であるアメリカに来てそれを延長させ、世界的にその基盤を拡大できるのです。

僕の基盤を失い、養子であるキリスト教の基盤を失ってしまったので、それを再びつくっておかなければなりません。ですから、結局、イエス様が霊的に再臨し、霊的な基準ではあっても国家を保護できる基盤を築いたので、国家的基準を中心として世界に発展できたのと同じ立場を連結させることによって、今日、世界伝道をすることができるのです。世界復帰運動ができるというのです。

一九七二年から七四年までの三年路程の期間に、皆さんに何を教えてあげようというのでしょうか。お父様が勝利した基盤です。僕の国家基準までに失敗したことを復帰した勝利基盤と、養子の世界的基盤まで失ったことを復帰した勝利基盤を、皆さんと世界の各民族に相続させてあげるための闘いが、この三年路程です。

養子にはなりましたが、養子より息子にならなければなりません。皆さんは、息子にならなければならないのです。イエス様が三年路程で民族と世界に向かっていこうとしたことに代わって、皆さん自身が世界的な基盤を迎えなければなりません。その期間がこの三年の期間です。それによって、皆さんが養子の時代から息子の権限を引き継げる時代に越えていくのです。結局、私たちの運動は、イエス様が語った新郎、新婦を探し出すための世界的運動と同じなのです。

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世界統一十字軍の組織と活動世界統一十字軍(国際伝道機動隊)は、世界復帰の使命を果たすため、超国家,超民族的に活動する天の国の平和軍である。世界統一十字軍は、アメリカの各州に派遣されて伝道活動を展開したことはもちろん、アメリカとヨーロッパ、日本、韓国などの地で開催された各種集会、特に「希望の日」晩餐会の成功のために、先頭に立って活動した。アメリカで開催された四十ヵ都市の大講演会を勝利した勢いに乗って、三百人の隊員が一九七五年一月十五日、日本に到着して活動したのちに、二十六ヵ国から六百七十三人が下関からフェリーに乗って釜山港に入り、韓国に入国した。ここには、日本の隊員三百人以上が加勢していた、三月二十七日、真のお父様は釜山港に直々に来られて、彼らを迎えられたのである。

6   韓国で一九七〇年から七三年までは、最高の峠を越えていく期間です。この期間さえ越えていけば、国際情勢が変遷し、国家的に北朝鮮が行動できる時が過ぎていくのです。北朝鮮が韓国を侵犯できる運勢は、行き違うようになります。サタンの世界的な時は、一九七七年と七八年です。ですから、今や、アメリカに力を注ぐべき時が来ました。世界的な防御線を張らなければならないというのです。

そのため、私はアメリカで八十五人を動員し、新しい復興団を組織して、バス二台で全国的に旋風を巻き起こす運動をしています。一九七三年にはバス十台を、七四年には五十台を用意して、(伝道)機動隊員二千人を動員しようと思います。このように、アメリカ全域に防御線を張らなければならない時期に来たというのです。

このようにして、アメリカの上下両院を通して共産勢力が入ってくるのを、私たちが防がなければなりません。これは、アメリカ自体も知らずにいるのです。私たちがしなければなりません。アメリカが私たちのみ旨を中心として、私たちと一致しさえすれば、世界の共産勢力を防ぎ止めるのは問題ありません。

7   一九七二年に、アメリカの若い青年たちを動員して(伝道)機動隊をつくりました。彼らは個人的に、この国で誰よりも犠牲になることを覚悟し、世界人類のために誰よりも犠牲になることを覚悟した立場で、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的に思想が欠乏したアメリカ国民に、新しい私たちの思想を注入しようと立ち上がったのです。今の計画では、一九七三年に四百人、七四年には二千人を何としてでも動員し、各州に少なくともバス一台を中心とした(伝道)機動隊をつくろうと思います。そのようにしなければ、一九七七年、七八年のアメリカの危機を防ぐことができないと考えるのです。

言い換えれば、アメリカのキリスト教を糾合しなければならないということです。一つにならなければなりません。アメリカ国民は、キリスト教思想を中心として新しい伝統を確立しなければなりません。ここに、今後アメリカが死ぬか生きるかという問題がかかっています。アメリカ一国が滅びることが問題ではありません。ここに世界の運命がかかっているのです。み旨を知り、天のために生きる気持ちがあるので、国家と国民を超越し、皆さんに対してこのようなことをしているというのです。

8   アメリカにいる食口を中心として、国際(伝道)機動隊が活動する基準を、ごく短期間のうちに平準化するでしょう。今から、五十州で一ヵ月に一人を立てることを標準として活動するので、相当飛躍的な発展をするでしょう。七百人を動員して、一年に十二人ずつ拡大するようになれば、八千四百人です。ですから、一番先にこの(伝道)機動隊を走らせなければなりません。そうして、十二人ずつ目標を立てて、活動させるのです。その基準を中心として、アメリカ全土にいる食口たちに「ここに付いてきなさい!」と言って、優秀な人を引き抜き、(伝道)機動隊を編成するのです。一九七四年の間に、これを完成します。そうして、訓練された責任者を育て、各州で七十人単位で(伝道)機動隊を編成し、そこで核心となり得る食口たちを育てておけば、その次からは、その州自体を中心として、都市で活動するのです。一つの州の四つか五つの都市で(伝道)機動隊をつくり、一ヵ月ずつそのようにして、繁殖させるのです。このような急進的な対策を取って基盤を築き、三万人を突破しさえすれば、アメリカ全体を動かすことは問題になりません。

9   今、国際(伝道)機動隊が動くのは、実際に無理なことです。アメリカで活動できる人員が不足している実情で、精鋭部隊である国際(伝道)機動隊三百六十人を引き抜くのは、アメリカにおける活動に莫大な被害を与えます。しかし、アメリカだけを中心とすることはできません。世界の様々な国でも、アメリカで動いているように、平均化活動をせざるを得ないのです。ですから、宣伝しておかなければなりません。アジアでは日本と台湾と韓国、その次に、ヨーロッパに入り、イギリスを中心としてイタリア、フランス、ドイツ、オランダの五ヵ国で活動することによって、アジアとヨーロッパ一帯にうわさが立つようにするでしょう。アメリカでうわさが立ったそのごとくに全世界にうわさを立て、宣伝しておかなければなりません。このようにすることにより、ヨーロッパにいるすべての食口たちも刺激を受けるようになり、自動的に、アメリカで動いていることを標準型として、世界の各宣教国が受け入れるようになるでしょう。また、その原則を中心として、これから組織的な体制を強化し、宣伝やすべての面において、その基準を中心として強力に訓練することができます。ですから、これは避けられない作戦なのです。

10  アジア人を通して、アメリカの人を積極的に後援したという伝統を立てなければなりません。これが父母様の今後の作戦です。そのようにしようとすれば、アジア人の中で誰を用いなければならないでしょうか。韓国人は、経済問題で苦しんでいます。また、国家的条件で外国に出ていこうとすれば、ビザやパスポートが問題になります。韓国政府は、経済的にドルが消耗するので、できるだけ外国に送り出さないようにしています。しかし、日本は招請状さえ来れば、三日以内に四年期間のパスポートが出てくるので、日本人が出ていかなければならないのです。

日本はエバ国家ですから、世界の人々のために母の使命を果たすべき責任があります。母が手を掛けてこそ、発展するというのです。ですから、アジア人を代表する日本を前に立てて伝統を立てようというのが父母様の計画です。

11  お父様は、イギリスに行っても(伝道)機動隊をつくりました。そして、イギリスにもセンター(教会施設)を買ってあげてきました。また、ドイツに行っても、ミニバス六台を買ってあげました。それから、八人乗りで移動トレーラー式のキャラバンを六台買ってあげました。それを並べれば、百メールくらいになるでしょう。壮大です。ここまで支援してあげたのですから、彼らが動かずにいられるでしょうか。

今、イギリスとドイツに火がつきました。ドイツ人たちにも「アメリカ人に負けるな」と言い、イギリス人たちにも「アメリカ人に負けるな」と言うと、互いに負けまいとするのです。また、日本に行って、「あなたたちはドイツ、イギリス、アメリカの人たちに負けるか、負けないか」と聞くと、「負けない」と言うのです。

12  ドイツのエッセンにある協会本部に行ったところ、正門の大きなガラスドアに銃痕がありました。それで、なぜこのようになったのかと聞くと、二週間前に共産主義者たちがやったというのです。統一教会は世界的に憎まれています。共産主義者たちは、あらゆる威嚇と恐喝、脅迫を行い、裁判所を通してもろもろの謀略を立てて、統一教会をたたき潰そうとしています。

しかし、裁判所に引っ張られていきながらも、今まで闘ってきたのです。そして私たちが行く一週間前に、最高裁判所の判事から、「これから、統一教会のいかなる活動も法的に保障してあげるから、どこででも活動してよろしい」という判決文が出ました。それまでは、共産主義者たちが数多くの中傷謀略を行いました。それでも聞く耳をもたないので、脅迫と恐喝を行い、のちには銃弾を正門に撃ち込んで、見境なく命を奪おうとしたのです。

このようなことを見る時、彼らはみ旨のために死生決断をして闘っているというのです。そのような深刻な立場に立っているので、私たちは生死を懸けて歩むというのです。ですから、その責任者は一日が忙しいのです。朝に出掛けて、八時間以上活動しなければ、帰ってくることができません。自分の責任分担をすべて完遂するまでは、絶対に帰ってくることができないのです。このように強烈に活動しています。

13  私たちには世界的な(伝道)機動隊があるので、これから優秀な成績を収めた人がいれば、彼らを連れて歩こうと思います。世界各国にいる(伝道)機動隊員を激励するために、世界巡回をさせようと思うのです。今、(伝道)機動隊がアメリカに編成され、イギリスに編成され、ドイツが三番目です。日本と韓国にも、(伝道)機動隊を編成するでしょう。そのようにして、お父様が世界を旅行するときは、(伝道)機動隊を激励するために優秀な人々を連れていくかもしれません。

今、韓国では大学を買収しようと計画しています。そのようにして、成績の良い人は韓国に留学させようと思います。皆さんは、世界の舞台を私たちの足場にして活動できる、本当に素晴らしい時代に生まれたことを知って、立派に闘わなければなりません。

14  (伝道)機動隊は、韓国にだけあるのではありません。日本にもあり、アメリカにもあり、ドイツにもあり、イギリスにもあります。少なくとも、今、五ヵ国の(伝道)機動隊が参加しています。そのように参加して闘う目的は、五ヵ国を天のみ前に復帰してさしあげるためです。このような闘いをしています。闘いにおいてどの国が一等になるかは、闘ってみなければ分かりません。

皆さんはそれでも「韓国が一等になるだろう」と思うかもしれませんが、うさぎが先に走っていっても、昼寝をすれば亀に負けてしまうというのです。最初にやって来たからといって、「他の人々が裕福に暮らしているから、自分も裕福に暮らそう。息子、娘と豊かに暮らそう」ときょろきょろよそ見していれば、うさぎの立場になるのです。

15  国際伝道機動隊は、天の国の平和軍団です。国のために、自分の目的のためではなく神様の目的のために、全国を回りながら、大韓民国の若者たちが今後行くべき道を示してあげるために編成された(伝道)機動隊だというのです。

世界の行くべき道を新たに示してあげなければならないので、この一ヵ所を中心として、国が違い、民族が違っても、超国家的で超民族的な立場で、このような活動をしなければなりません。世界の新たな運勢を受け入れられるように、道をすべて開いておかなければなりません。(伝道)機動隊の皆さんは、国家の運命を左右する選抜隊です。皆さんが、統一教会の古い教会員たちよりも先頭に立ったのです。

16  (伝道)機動隊は、一週間に一ヵ所ずつ巡回します。最初は、郡庁所在地を一括して巡回しなければなりません。統一教会の人々がいなくても、巡回しなければなりません。宿所がなければ、どのようにするのでしょうか。「私たちは国民運動を起こすために出発した隊員たちです」と、全市民に宣伝すればよいのです。村の人々に、「親善を図るために来た(伝道)機動隊です」と宣伝するのです。家がなければ、(伝道)機動隊長が「朝何時までに、どこどこに集合しなさい」と命令を下します。そのようにして、一人ずつ村の班長の所に行くように配置するのです。(伝道)機動隊員の皆さんが村に行けば、まず班長を訪ねていって、宣伝しなければなりません。「国民たちが互いに助け合う運動をするよう指導するために、この班に来ました。班の中の誰かの家に行って、一晩寝なければなりません」と言って、訪ねていった家の片隅で眠るのです。

皆さんが訪ねていったその家の正門を通るとき、庭の掃除がされていなければ、ほうきを持って掃除してあげます。そして、その家の床を拭いてあげ、トイレ掃除もしてあげるのです。絶対に世話になってはいけません。その家に入ったからには、そこにいる人々に考えさせる何かを残して出てきなさいというのです。眠って朝起きれば、どの家でも、起きてきたお客さんを冷遇できません。冷遇すれば、その家にとって良くないことが分かるのです。一晩寝たお客さんには、御飯を食べさせて送り出すのが韓国の家庭礼法になっています。御飯を恵んでもらって、ただ出てくるのではなく、食事代の価値を残して出てきなさいというのです。

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23  アメリカを中心とした摂理を推進させるのは、キリスト教が統一教会に反対することにより、世界の霊的基盤であり、世界的キリスト教の中心であるアメリカまでも侵食されたからです。しかし、一九七〇年代の初めに統一教会がアメリカに行き、反対を受けずに歓迎されることによって、キリスト教を復活させることができました。大韓民国は国家的立場で反対しましたが、アメリカが世界的立場で歓迎したという条件を立てることにより、再び韓国に帰ってきて、国家的に失敗したことを連結させられるのです。そのようにしなければ、生きる道がありません。ですから、一九七二年にアメリカ全域にわたって巡回講演を行い、ヨーロッパにまで連結させる大会をしながら、外的世界の基盤を築いてきました。アメリカのキリスト教や、その国の誰一人としてできなかったことを、短期間のうちに席巻して果たさなければなりません。アメリカを中心とした全自由世界が、ここで旗印を高く掲げて歓迎すれば、世界的圏内で統一教会を中心に祝福を受けることができる場に再び進んでいきますが、反対すれば、被害が大きいというのです。それで、復興会を始めながら、一九七三年四月三十日に永住権を取得したのです。

24  お父様は、この地上に再臨主、新郎として来て、新婦となる母を迎え、アダムとエバが堕落した、その位置から出発しなければなりません。「統一原理」から見るとき、アダムとエバが長成期完成級で堕落し、その位置で愛の関係を通して子女を繁殖したので、お父様は間接主管圏を完成した基準、すなわち直接主管圏内から出発することができません。完成基準を残した長成期完成級から出発することによって、七年路程を前にしてサタン圏内に降りていき、家庭をもって激しい風霜を経なければならないのです。

父母様の家庭が祭物となる時代になるというのです。アメリカで、数多くの迫害を受けました。み旨を成し遂げることができずに亡くなったイエス様が生前に遭った立場を再現させ、それを民族、国家、世界の基準を総合した基盤の上で蕩減しなければなりません。ですから、サタンを除去したという条件を立てなければ、天理の道を道理にかなった基準に連結させる道がないのです。そのため、父母様は摂理史的な運命を背負い、アメリカに向かわざるを得なかったのです。誰かと相談して行ったのではありません。神様とお父様以外には、誰も知りませんでした。

一九七一年、アメリカの地に降り立つ時、お父様は無名の一人の青年のような姿でした。しかし、三年でアメリカをひっくり返しておかなければならず、十二年以内に天の側に向かわせなければならないという使命を背負っていたのです。

私がアメリカでしたことは、何だったのでしょうか。人類歴史を代表して、誰よりもアベルを愛しました。実践路程で勝利的覇権を握らなければならなかったのです。神様のために、地のために祈ることにおいて、私以上に心情的な祈りをした人はいません。神様を痛哭させる一人の息子の姿で人類を抱き締め、解怨成就という怨恨の基盤をつかんで闘わなければなりませんでした。

25  一九七三年七月一日、アメリカで「勝祝日」という歴史的な記念日を制定しました。今まで様々な記念日を韓国で制定しましたが、世界で勝利を祝う日を制定したのは、今回が初めてです。統一教会の歴史に、新たな起源を備えた日です。「勝祝日」は、第二次七年路程における残り三年のうち、半分の峠を無事に越えたので、制定することができました。峠をすべて無事に越えたので勝利を祝うのです。

今からはいくらサタンが反対しても、反対するほど(逆に)崩れ落ちていきます。昔と違うというのです。遠くない将来、統一教会が全米で台風のような旋風を巻き起こすでしょう。アメリカのいかなる主権者でも抜き取ることのできない基盤を築いたのです。

26  父母様は、アメリカに来るやいなや手を付けて、一年以内にアメリカ教会自体の中に整備基盤を築きました。私たちが活動できる体制を備えた基盤を築いたので、一九七三年七月一日に勝利を祝う日、「勝祝日」を制定したのです。神様の心情を中心として、この世界に足場を築くことのできる勝利の焦点を成立させたというのです。

神様の心情世界に内的な勝利基準を立てるためには、必ず外的に勝利の結果が現れなければなりません。それで、一九七三年にアメリカ全土で活動を展開したのです。一九七三年と七四年に、四十ヵ都市で大講演会をすることによって、お父様がとても有名になりました。そのようにしながら、国家基準でアメリカの大統領と関係を結ぶところまで連結させておいたのです。

第二節   世界統一十字軍の活動世界統一十字軍の編成真の父母様は、一九七二年の第三次世界巡回の期間に、アメリカ(五十人)、イギリス(十五人)、ドイツ(オーストリアを含む、六十人)、日本(六百人)韓国(三百六十人)の五ヵ国を対象に、世界統一十字軍(国際伝道機動隊)を結成された。世界統一十字軍は、神様のみ旨を伝える前衛部隊として、若い人々を中心に出発した。真の父母様は、一九七三年、新年の初めから修練会を開き、世界統一十字軍の組織編成および活動方針を立てられた。一月三十一日には、ヨーロッパ食口の世界統一十字軍の班編成を指揮して九十九人を十の班に分け、二月一日にアメリカの各地に配置されるなど、世界統一十字軍の活動に全力を投入されたのである。

1   統一教会は、世界的な教団の立場で犠牲にならなければなりません。全世界のキリスト教徒と全世界の人類に代わって、アベルの使命を果たさなければなりません。ですから、一九七二年一月八日にアメリカで、新しく世界統一十字軍という名称の世界的組織を結成したのです。この世界統一十字軍の本部は、韓国ではなくアメリカです。世界の十字軍だというのです。

十字軍というのは本来、中世時代に様々な国のキリスト教徒たちが、ムスリムと闘ってイスラエルを奪還するために出発した遠征軍です。同じように、私たちも新しいイスラエル圏を奪還する運動を始めようというのです。統一教会がこの公式的な原則に従って行動するとき、統一教会は滅びず、世界を制覇するようになるというのです。これは、神様のみ旨を中心とした結論です。

2   一九七二年から三年路程の期間は、世界最後の統一戦線を守護しなければならない時です。国家もこの三年路程を経なければならず、世界も三年路程を越えていかなければなりません。三年路程を越えていくべき世界的運勢圏内に来たので、この時に私たちは総結集しなければなりません。霊界が総動員して協助できる時なので、地上で世界的に総動員命令が下される時に備えて準備してきたのですが、それが国際伝道機動隊の編成です。

3   韓国でもお父様を恐れ、日本や中国の高位階層の人々も、お父様をとても恐ろしく思っています。このような基盤を、誰の協助も受けず、お父様一人、素手で築いてきたのです。誰かからの後援や援助もなく、相談する相手もいませんでした。その代わり、私が何かをしようと思えば、神様は喜ばれるのです。私が相対できる方は神様お一人しかいませんが、最も頼もしいお方です。

今後は、お父様が何かしようと言うことに対して、皆さんが同調するかしないかによって、世界的事件を起こせるか起こせないかという問題が左右されます。神様の願いを成就し、今までの人類の願いを成就して、歴史的な希望の国を開門できる人は私たちしかいないという信念をもって、これに反対するサタンの先鋒である共産世界を打破して勝利の基盤を築く勇士になろうと決意しなければなりません。「私たちが天国を開門しなければならない」という信念をもった勇士として団結し、総進軍しなければなりません。このような平和的十字軍を編成するために、第三次世界巡回を行っているのです。それで、その名を「世界統一十字軍」と名づけました。アメリカ十字軍、ドイツ十字軍、イギリス十字軍、この三ヵ国が一つになり、共産世界を防御できる時を早く準備しなければなりません。

4   お父様は、超民族的、超国家的な立場で世界的な十字軍を編成して(韓国に)帰ってきました。世界統一十字軍です。天が選び立てたイスラエルの国、天の国の聖殿を守り、天の国の聖殿を争奪するために数多くの民族を糾合し、イスラーム圏と戦った軍隊が十字軍です。

そのような戦いを、もしイエス様の時代に、イエス様を中心として行っていれば、失敗したでしょうか。その時は、地上の国が許されていない状態で戦ったために失敗しましたが、私たちの時代には、そうではないというのです。韓国が包囲されれば、お父様はアメリカに行って基盤を築き、アメリカの青年たちを動員して「韓国を奪還せよ」と命令するでしょう。そのようにして十字軍を編成し、北朝鮮以上に動員すれば、問題なく勝利するのです。

この国の解放のため、韓半島の怨恨のどん底である三十八度線を撤廃するためには、韓国にいる韓民族が団結しなければならないことはもちろんですが、それとともに、世界の民族が加わって、大韓民国を協助できる基盤を広げようというのがお父様の考えです。ですからその遠征部隊が間もなく編成されてやって来ます。

歴史始まって以来、「世界統一十字軍」という名をもって、天の直接的な命令に従い、軍隊を編成して横的な自分の国と民族に対し、「天に帰りなさい」と言いながら闘いを展開した教会、あるいは宗教はありませんでした。大変な時に最前線に出ていった軍隊を、自分の生活よりもっと重要視する民族になれば、その国は滅びません。世の中が大変になっているにもかかわらず、「十字軍とか機動隊などと言うが何が軍隊だ。やりたければやり、やめたければやめればよい」という無関心な人々は、滅びるようになっているのです。

5   一九七四年まで、霊的三年期間を中心としてキリスト教文化圏を連結させたとすれば、今からは肉的三年期間を中心として、肉的世界基盤を連結させなければなりません。ですから、一九七八年までのこの期間に、霊的、肉的に世界的な基盤を築かなければならないのです。そうして、第三次七年路程の期間に、霊肉を中心とした世界的な蕩減復帰の基盤を西欧社会に築かなければなりません。これがお父様の使命です。霊肉を中心とした世界的基盤を完結しなければならないというのです。

ですから、この三年間に、アメリカですべての基盤を築かなければなりません。肉的基盤までも、築かなければならないのです。これが、どれほど難しいことか分かりません。これが終われば、そのまま世界に押していくのですが、霊的には一九七五年から、世界に押していくのです。それが国際(伝道)機動隊です。それが、アメリカから世界に向かって一歩を踏み出す運動です。

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11  お父様は、韓国で活動していたときも、アメリカで活動するときも同じです。特に変わることはありません。心が同じです。アメリカに来ていますが、大韓民国の一人として来ているのではありません。観点が違うというのです。「私がたとえ髪は黒く、肌の色は黄色人種で、アジア人の顔であっても、私の心だけは、天のために生き、世界のために生きる純粋なアメリカ人である」と考えるのです。

ですから、アメリカの中に属している私ではなく、アメリカのために生きる私だというのです。観点が違います。そのため、アメリカでのあらゆる受難を、甘んじて受けようというのです。アメリカでのすべての困難を、他人事ではなく、自分のこととして責任をもつのです。

12  私が一九七一年にアメリカの地に渡った時、「あなたたちアメリカを神様が祝福してくださったのは何のためか。それは、アメリカが民主世界を代表し、来られる主を迎える一つの世界を準備するためである。そのようなみ旨の中で神様が祝福したのだ。ところが、アメリカは滅ぶようになった」と強く主張しました。「もはや、アメリカのキリスト教は希望をもつことができない。私は韓国の地で生まれ、哀れに追いやられている立場だが、あなたたちには私が必要ではないのか。気に入ろうと気に入るまいと、私のするとおりにしなさい」と言いながら、孤独な身でアメリカ大陸に足を踏み入れたのです。

民族をあとにし、追われる立場の身ですが、このアメリカの民を自分の民よりもっと愛さなければならない運命にあることを私は知りました。私は、自分のために生まれたのではありません。夜も昼も自分のために生きようとはせず、自分のために死のうとはしませんでした。「神様と人類のために生きることができる場が私の前に来たのだから、歓喜で迎えなければならない」と考えたのです。

13  私はアメリカに行って、「イエス様が三年の公生涯路程の中で、ローマを動かし、世界平和の基地を形成しようとしてできなかったことを、アメリカで私が形成しよう。三年以内にアメリカで、私のことを知らない人が誰もいないように幼子の中にもいないようにしよう。イエス様が民族の反逆者として死んだのと同じように、アメリカ国民が私に対して、殺してしまおう、と言うところまで行くだろう」という話をしました。それが一番早い道なのです。ですから、すべて計画どおりにしたのです。

14  私たちには、韓民族を抱え、世界の共産圏を抱えて、神様を中心に談判祈祷しなければならない三年路程が残っています。このような切迫した問題があるので、私たちの活動基盤を世界的に拡大しなければなりません。ですから、一九七二年の秋には、十二ヵ国以上の国で(伝道)機動隊をつくるでしょう。そのようにして、彼らを直接管理するのです。国内に長くいることはできないでしょう。

私は、この大韓民国の息子として生まれ、大韓民国の誰にも負けないほど国を愛しました。愛国者たちにも恥ずかしくないほど忠誠を尽くしました。第二次七年路程が終われば、苦労した人々をすべて世界的な人物にするのです。アメリカに行って活動しながら、ヨーロッパ一帯の先進国家を指導できる巡回師を育てなければならず、監督要員たちを育てなければならない責任があるのです。

15  時が差し迫るように巡っていき、時間が切迫しているので、お父様が命令したことに対して必ず結果が付いてこなければなりません。それをしなければ、赦しよりも叱責を受けるようになるでしょう。皆さんは、世界史的な犠牲(を払い)、皆さんが想像できず、皆さんの先祖ができなかった歴史的な犠牲を払う覚悟をしなければなりません。そして、絶対服従しなければなりません。そのようにしながら、謙遜にすべてを受け入れなければならないのです。

今、皆さんは、ここべルベディアに来てお父様に会っていますが、お父様は、最前線で皆さんに会おうと思います。巡回に出なければならないというのです。今回、アメリカの上下両院の議員の中で有名な人、私が会いたかった人には、ほぼ全員会いました。次は、何人かの世界的な学者に会おうと思います。その次に、最前線にいる皆さんに会わなければならないというのです。皆さんは、寝ても覚めても、一切をお父様に合わせなければなりません。

16  アメリカが霊界を動かす基盤を築くために、アメリカの指導者たちに会っています。上院議員たちを中心としてアメリカを動かすためには、彼らの先祖を動員しなければなりません。彼らは国の各州の指導者ですから、言うならばカイン的存在です。

彼らが私の動きに関心をもつようにしてこそ、霊界が相対になり、私たちのみ旨を展開できる霊的基盤が造成されるというのです。アベルに屈服する人が一人でもいれば、そこから基盤が定まるようになります。それで今トップの人々にすべて会っているのです。

17  イエス様を中心として見てみるとき、イスラエルの国の人が一つにならなければならず、その次には、ユダヤ教が一つになって、イエス様と一つにならなければなりません。ところが、国が反対し、教会も反対しました。ですから、今、アメリカの責任者たち、イスラエルの主権者のような人々が、み旨に対して反対しない基盤を築くことが最も急務なことです。

それで、アメリカの最高責任者に会い、次には教会の責任者に会うのです。国の最高責任者に会ったあとは、アメリカで最も有名な教会の責任者を呼んで会うでしょう。その時は、政府の権威ある人々の後援を受けて推進される計画を立てなければなりません。そのようにすれば、霊界が地上に協助できる基盤がつくられます。

言い換えれば、教会と国が一つになり、通じる道ができるので、霊界は地上と連携できるのです。カイン、アベルが連携するのと同じです。それが、お父様によって成し遂げられたため、結局、蘇生、長成、完成が平面的に形成されるというのです。そのようになれば、旧約時代、新約時代、成約時代の霊界全体が協助することができます。そのような基盤を築こうというのです。それを今、しなければなりません。お父様は、それを最も重要な問題と見ています。

18  一生を中心として見れば、お父様がアメリカで過ごした期間が一九七二年からなので、年数で二十七年です。お父様の一生において四十年復帰路程の半分以上をアメリカで過ごしたのです。自分の国を離れて、なぜアメリカに来て、このように重要な時を過ごしたのかというのです。

この時期が、お父様にとって最も重要な時です。基盤を築いて実を結ぶ時に、なぜアメリカに投入したのか、ということが歴史的な質問です。それは、キリスト教のためです。キリスト教は、イエス様が残した世界的な実績基盤です。イエス様が残した実績基盤であるこのキリスト教のために、アメリカに来たのです。

キリスト教は、旧教と新教に分かれています。これが一つにならなければなりません。聖霊の役事が母の役事であり、イエス様の役事が父の役事です。イエス様と聖霊が父母の立場でつくっておいたキリスト教なので、兄弟が一つにならなければならないのに、分かれているというのです。

19  今年、アメリカで大復興会をしようと思います。九月から来年四月まで、ですから、満七ヵ月にわたって行おうと思います。それを一九七四年まで行いながら、アメリカの重要な責任者たちと教会の重要な責任者たちが、父母様について関心をもてるようにし、彼らをすべて横的に連結させなければなりません。アメリカを動かす動機になるので、それをしなければならないというのです。

ですから、上院議員たちも、父母様と関係を結べば皆さんにつないであげます。地方につないであげるのです。そのようにすれば、自然に地方はカイン・アベル復帰の基盤になります。

アメリカ定着と「勝祝日」宣布真のお母様は一九七三年二月二十六日、真のお父様は四月三十日、アメリカの永住権を取得することにより、アメリカを中心に世界宣教を展開できる基礎を整えられた。特に、「一九七二年から七四年までの三年期間は、イエス様の三年路程を世界的な舞台で連結させる期間である」と語られ、一九七三年七月一日、アメリカのベルベディア修練所において、韓国、日本、アメリカ、台湾、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、オーストリアなど、世界十ヵ国の代表が参加する中、第二次七年路程で世界的勝利の足場を築いたことを祝う記念日として、「勝祝日」を宣布された。

20  皆さんは、世界のために生きなければなりません。ですから、世界の途上、皆さんを前に立てて苦労させなければなりません。これがどれほど悲惨でしょうか。皆さんには分からない事情があるのです。お父様は原理を知ったので、死なずに生きてこのことをしているのです。

一九七二年から三年間、このようにすることによって、何を蕩減できるのでしょうか。イエス様は、公生涯の三年間で父母になることができず、子女をもてなかったことが恨になりました。それを収拾する基準が、この三年の期間に立てられるのです。皆さんは、イスラエルの国に代わり、民族に代わる家庭的基盤として登場できるので、父母様は世界的出発をすることができるというのです。そのような基盤のもとに、父母様はアメリカの地に入ったのです。

21  ドイツ人、日本人は、アメリカ人と怨讐関係です。ところが、日本人がアメリカに来て命を懸けて「アメリカを救おう」と言い、ドイツ人が来て命を懸けて「アメリカを救おう」と言うのです。主にドイツ人と日本人をアメリカに連れてきて、旋風を巻き起こしています。このようにしているので、反対派の人たちがその知らせを耳にするようになりました。

私は既に、すべて知っています。一年半以内に基盤を築くことができなければ、日本とドイツから来た統一教会の人々が追放されるというのです。私も追放されます。しかし、追放されるわけにはいきません。ですから、第一次、第二次の巡回講演が終わったあと、一九七三年四月三十日に永住権を取得しました。そのようにして一年半以内に完全に基盤を築き、アメリカ人を(リーダーとして)代わりに立てるようになったのです。そして、経済基盤をつくりながら、怨讐関係の日本とドイツの人々を教材として、アメリカの青年たちを教育しました。

22  一九七三年、父母様の永住権取得を中心として、それこそ霊的基盤、世界のキリスト教版図を復活させる基準を立てました。それは、霊界全体のすべての勝利的基準を立てたことになるのです。韓国から世界舞台にキリスト教文化圏を連結した基準の上で、勝利的な実体の実績基盤を連結しなければなりません。そのために、父母様が韓国で祝福家庭を動員して成し遂げたことを基盤として、一九七一年にアメリカに行き、七三年に定着するための準備をしたのです。そのようにしようとすれば、アメリカで勝利した基盤がなければなりません。勝利的基盤がなければならないのです。そのような霊的基盤を築き、一九七三年四月にアメリカの永住権を得て、七四年十二月二十四日に、韓国に帰ってきたのです。ですから、十八ヵ月の間に決定的な基盤を築きました。

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第二章  真の父母様のアメリカ摂理と巡回講演第一節   真の父母様のアメリカ摂理出発困難を経て実現したアメリカ路程第三次世界巡回は、真の父母様がアメリカに滞在しながら世界宣教活動を主導するために推進されたが、序盤から難関にぶつかった。韓国出発から、日本を経由してカナダ、アメリカ到着に至るまで、多くの困難が伴ったが、奸余曲折の末にアメリカに到着され、アメリカを中心とした世界宣教の陣頭指揮を執られるようになったのである。

1   一九五九年に、世界的基盤を築くため、アメリカに宣教師を配置しました。宣教師たちが責任を果たしていれば、相当な影響を及ぼしたでしょう。私がアメリカに行って、二一年路程を通して血を流す路程を経なくても、難なく勝利できる基盤を築いていたのです。急がれる天のみ旨と天的な使命を知っていましたが、アメリカにいる宣教師たちを中心としては、アメリカを手際よく処理できませんでした。彼らはアメリカを相手にすることができないというのです。それで一九七一年にアメリカに行く時、神様と約束をして出発しました。韓国と日本を突破したので、アメリカを突破しなければならないと考えたのです。

2   私たちが最初、韓国から日本に出発しようとした時が、韓国政府が国家非常事態を宣言(一九七一年十二月六日月曜日)する正に前日でした。よくよく見れば、事態が切迫しているというのです。それで、出発しようとしたのですが、日曜日で手続きができないのです。外務部旅券課課長の決裁を受けておかなければならないのですが、受けていませんでした。日曜日だとしても出発しなければならないのに、認証書がないので出発できなかったのです。ところが、出国三十分前に旅券課の課長と会うことができました。それは天の役事です。

3   一九七一年に、私がアメリカに出発する時には食口たちに話しませんでしたが、神様の特別な命令があり、三年間で、アメリカに対する世界史的な使命を果たさなければならない責任を感じて、アメリカに向かいました。アメリカ国民に対して、どのように三年間で新しいキリスト教、新しい信仰の道へと向かうように方向を設定してあげるかということが、神様の求めるみ旨であると知ったので単独でその巨大な国に行ったのです。

行く道がどれほど大変だったか、金浦空港を出発する時から問題が起こりました。その時、出発できなかったはずなのですが、特別な縁が結ばれて出発できました。そして、日本に寄ってみると、そこでも問題が起きました。アメリカに入ろうとすれば、ビザがなければならないのですが、ビザが出なかったのです。入らなければならない神様のみ旨があったので、どのような冒険をしてでも、アメリカに入らなければなりませんでした。

それが思いどおりに行かないので、カナダに入ってその道を開こうとしました。それで、カナダにいる統一教会の食口たちを前に立てました。私に対して、アメリカ国務省が何を理由に入国許可を出さないのかを、カナダにあるアメリカ大使館に行って調べたのです。

アメリカ国務省から来た報告は、「レバレンド・ムーンは一九六七年以降に、共産勢力と一つになって協助した前歴があるので、入国させることはできない」というものでした。誰かが、統一教会の文某という人は共産党と手を組んで協助したという報告をしたのです。それで、それに対して抗議しました。アメリカの上下両院議員たちに電話で連絡を取り、彼らを通してカナダにあるアメリカ大使館を四方から攻めたのです。

ですから、彼らは国務省に連絡したのですが、その時、かなり大きな問題になりました。韓国大使館まで問題になったのです。このようにして、自分たちの報告が事実でないのが明らかになることによって、仕方なく私にビザを出し、アメリカに入れるようになりました。

4   カナダで数日だけでも延長されたとすれば、入ることができません。それを見て、悪の勢力、見えないサタンの勢力が、神様のみ旨を成就しようとするその道に、あらゆる手段で反対していることを如実に感じました。そうして、カナダからワシントンDCに行こうとするのですが、希望する時間に飛ぶ飛行機がありませんでした。

当時、「リトル・エンジェルス芸術団」が、一九七一年十二月十八日にケネディセンターで公演するその時間までに、そこに行く約束をしていました。何としてでも、その時間に合わせて到着しなければならないのですが、飛行機がないので、仕方なく双発機に乗って非常に低く飛び、山合いを通りながら六時間もかかって到着しました。このようにしてアメリカに入ったのです。

アメリカを中心とした世界宣教摂理の背景一九七一年十二月十八日は、真の父母様がアメリカに入城され、世界摂理の路程を本格的に出発された歴史的な日である。そして、一九七二年から七四年まで、アメリカで活動された三年間は、真の父母様が神様のみ旨を中心としてアメリカを立てるため、渾身の力を注がれた期間である。特に、天の側のアベル国家であるアメリカを中心に、世界宣教の堅固な基盤をつくられたのである。

5   氏族(的)メシヤ圏を立てようとすれば、国家的基準と世界的基準を探し求めなければなりません。神様の代わりにメシヤを派遣するためには、家庭的基準を越え、国家的基準を越えて、世界的基準まで行かなければなりません。神様は、一度選んだ人が失敗すれば、二度と再び用いることはありません。二度と使うことはないので、イスラエルの民も四十年間、二世を通して役事をしたのです。失敗した一世を再び立てることはできません。キリスト教がお父様と一つになれないことにより、四十年を中心として、蘇生旧約時代と長成新約時代をサタンにすべて奪われたので、基盤がありません。旧約イスラエル圏、新約キリスト教圏ができあがってこそ、成約完成圏が立てられます。蘇生と長成が立てられたあとに完成が立てられ、旧約と新約の上に成約が立てられるのです。ところが、それが完全にサタン世界に行ったので、再び取り戻してこなければならないのですが、それを一人ですることはできません。アメリカを奪ってくるためには、闘わなければなりません。なぜなら、父母様がアメリカを天の側のアベル国家に定めたからです。父母様がアメリカを選んだので、その期間にアメリカを解放してあげなければなりません。現代のローマであるアメリカを、大韓民国を中心として世界に連結させて、世界的版図を立てなければなりません。アメリカはイスラエルとローマの延長である世界版図なので国家基準と家庭基盤を中心として、全国的な版図を私たちが拡大しなければなりません。

6   第二次七年路程の期間は、国家的基準です。第三次七年路程は世界的基準です。ですから、私は世界復帰路程を行くのです。したがって、世界を回りながら、韓国に寄れるなら寄るのであって、私が韓国に来て闘わなければならない時代は過ぎました。

その代わり、韓国で闘った以上に、世界の舞台でこの三年の期間に熾烈な闘いをしなければなりません。アメリカの朝野を動かさなければなりません。韓国で方向を提示したのと同じように、民主世界を主導するアメリカが今後の行くべき道を見失ってしまったので、私が三年間で基盤を築くのです。統一教会と父母様の家庭を中心とした二十一年路程がアメリカで終われば、統一教会の家庭を中心とした勝利の版図が世界的に現れるでしょう。家庭を中心として編成したので、家庭的世界圏を拡大できる時代に入るというのです。

7   一九七二年から残りの九年を越えれば、統一教会は世界的な宗教として登場するでしょう。これは、皆さんだけがするのではなく、父母様も一緒にするのです。全員が一緒にしなければなりません。

父母様は、今まで杭を打ち込み、縄を掛けておきました。そして、旗を掛けておきました。今年も、アメリカを中心として伝道をするために、ニューヨークに家を買い、今後、ワシントンDCにも家を買って、大々的に世界的な教育を行うことを計画しています。そのようにして、アメリカの上院議員たちや著名な人士たちと連結させるための活動をしているのであり、大学教授たちを中心にアジア協議会から世界協議会をつくるのです。今後、アメリカが共産勢力の活動舞台になることを防備するための準備をしていくのです。

8   復帰は、外的なことからしていかなければなりません。いくら心的な基準ができていても、外的な基準、体的な基準を収拾しなければ復帰ができません。旧教は外的な基準である体の部分であり、新教は反対を受ける立場である心的な基準です。新教のアメリカが、旧教のヨーロッパのすべてのものを、二百年間で受け継いだのです。完全に移して世界の新教と旧教を連合し、外的世界と内的世界を統合して起きたのが第二次世界大戦ですが、ここでキリスト教文化圏が勝利したのです。

歴史始まって以来初めて、内外を統一しました。神様を中心として内外を統一した時は一度しかありません。この時、統一基盤をもったのです。外的世界と内的世界を初めてキリスト教の名で統一した時は、第二次世界大戦終結直後しかなかったというのです。ですから、アメリカの願いは、「神様のもとの一つの国」でした。これは、イエス様が抱いた願いです。イエス様が願っていたのは、イスラエルの国を中心とした「神様のもとの一つの国」だったのですが、失敗したので、カインとアベルであるユダヤ教とイスラエル民族を一つにして、国を取り戻そうとしたのです。これを成し遂げることができなかったので、世界的舞台で国を探し求める立場に立つようになり、「神様のもとの一つの国」という言葉が出てきたのです。

9   私が国を背にし、韓国の食口たちのもとを離れてアメリカの地に一人現れる時のその悲壮な心情は、誰も分かりませんでした。しかし、「あなたのみ旨により、このアメリカ大陸を私の手中に渡してくださり、私の手に握らせてください。私は強く雄々しく歩みます。私の栄光のためではなく、民主世界のために、この国を父のみ前に復帰しなければなりません」と祈ったのです。

ここに暴風雨が吹きつけ、受難の道が何重にも横たわっているとしても、これを回避するのではなく、直行するでしょう。既に、手錠をはめてFBI(連邦捜查局)とCIA(中央情報局)の鉄格子の中で眠ることを覚悟したのです。

10  私は、アメリカに行くやいなや、一九七二年からアメリカで有名な上院議員たち、私が必要だと思う人にすべて会ってみました。彼らを中心として、ホワイトハウスをどのように動かし、上下両院の議員たちにどのように影響を与えるかという問題について祈りながら、今まで信仰の道を開拓してきたのです。アメリカ全体を思想武装させなければなりません。なぜなら、巨大な全世界の共産勢力が、今日、アメリカを最高の敵とみなし、四方から矢を放つ立場にいるからです。アメリカがそれを防ぐためには、神様を中心として、国家的に確固たる精神武装ができていなければなりません。

共産党は神様を否定しますが、マルクス共産主義理論を中心とする経済体制の世界観を中心として現れる一つの宗教形態と同じです。その時代において、物質的に神様のような権威をもって現れるのが共産党です。彼らは、所願成就のためであれば悪魔サタンと同じように行動するので、彼らが行く道には許しがありません。自分にとって妨げになれば、切り捨ててしまうのです。このような共産勢力に備えるためには、天の側でも、すべての国家を代表するアメリカが確固たる精神武装をしなければならないというのです。ですから、彼らに会ってそのようなことを主張したのです。

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真のお父様が食口たちに送られた手紙16  孝元氏と食口の皆さんへ。この期間、みなお元気でしたか。皆のことを遠くから慕っています。もうお別れをしてから二十数日がたちました。金浦空港を出発した日、多くの食口たちの大々的な歓送を受け、過去と今と未来を心の中で思いつつ、感慨無量でした。千人以上の若者たちが、一人の師に誠心のこもった歓送の思いを表してくれたことに対し、天のみ前に感謝すると同時に、それがただ天の栄光になることを願い、心で申し訳ないという思いを抱きました。食口たちの前で手を振りながら、振り返って別れを告げる時の決意は、今も心の中にみなぎっています。立派に闘うことを願う思いと、今回の巡回に天が定めた高い意義を心に抱きながら広場を回り、デッキに出て手を振ったことが鮮やかに心に残っています。最後に搭乗台に上がる時、故国の地を見つめながら、「四十数年の歳月を共にした故国の地よ、元気でいなさい!」と思い、感謝しながら、何とも言えない感慨を覚えました。

「故国の地よ、食口たちをしっかり養育し、しっかり守ってほしい!」と心から念を押しながら、搭乗台に上りました。同時に、食口たちの歓声の高まりに対して、心の中の祈りで答えながら飛行機に乗り込みました。もう少し、食口たちのほうを向いて眺めようとしたのですが、乗務員の勧めに従い、そのまま中に入ってしまいました。席に着き小さな円形の窓から外を見ながら、二ヵ月間、元気でいることを祈るばかりでした。出発時間になって飛行機が動き始め、食口たちの姿が見えなくなって数分後、離陸しました。

飛行機は、金浦空港を離れて次第に高く上がり、一万メートル以上の上空に高度を定めて東京に向かいました。韓国という故国の地を通り過ぎ、日本の地が見え始めると、すぐに時間となり、東京着陸の信号とともに到着しました。大勢の日本食口の歓迎を受けながらデッキを降りる際、深まっていくたそがれに、羽田飛行場のネオンサインと赤い電気の光が刺激的でした。次の瞬間、日本の食口全体が先生に気づき、大きな歓声で迎接エリアの前のほうに押し寄せる中、返礼の意を表し、空港の税関を通って出口に進むと、食口全体の出迎えに囲まれてしまいました。その後、高速道路を走り、四十分で東京の教会本部に到着しました。道路の周辺を見回してみると、二十数年前からは見違えるほど発展した様子を窺うことができました。

食口全員が参加する中、歓迎集会に臨み、初めて日本語で所感の一端と日本食口たちの新たな覚悟を深めるみ言を伝え、十二時過ぎになって東京での生活に入りました。その後、十五日間は巡回期間として忙しい日程を組み、日本全国を巡回して、十二日にアメリカに向かいました。到着は、十二日の朝五時頃でした。

異色な風情を感じながら、歓迎に出てきたアメリカの食口たちと喜びの中で会い、自動車で空港をあとにして教会に着き、食口の前で挨拶の言葉を述べて歓迎和動会を終え、アメリカでの生活を始めました。多くの名勝地と重要な都市を選び、数日が過ぎて、ようやく遠く韓国を思い、食口たちの名を呼びながらペンを執りました。

天の加護があることを祈るばかりであり、複雑な日程を送り、多くの苦労をしながら過ごしていると思いますが、心配はしないようにします。十九日からサンフランシスコを発ち、全米のすべての州を巡回する路程を出発して、ワシントンDCには三月二十四日か二十五日に到着する予定です。アメリカの巡回に四十日近い日程が必要になるでしょう。この期間の日程表はサンフランシスコから送りますから、便りを伝えようとするときは、そこの住所に手紙を送らなければなりません。そのあとの日程は追って知らせますので、そのように承知して、苦労が多いと思いますが、耐えながら、大きな使命に誠心を尽くしてくださるように願います。食口の皆さん、お元気で。一九六五年二月十五日、サンフランシスコにて。

17  食口の皆さんへ。故国が平穩であることを、皆さんが伝えてくれた知らせを通して、よく知っています。先生が出発する時、故国の山河は冬の季節でしたが、今は春も過ぎ、夏の季節になりました。既に六ヵ月がたちました。自然が移り変わっていくように、み旨の道も移り変わっているだろうと思いながら、はるか遠い三千里の山河、故国を慕わしく思います。四十年以上の生涯を涙と血と汗でぬらしながら手にしたその地と民族、その中でも、食口たちをどうして忘れることができるでしょうか。将来の平安な祖国と食口たちの安泰を、夢にも忘れることができません。いくら外国の文化が優れ、偉大だとしても、心情を通して連結したその崇高な力の前には、自然と頭が下がる思いがします。共に苦労しながら交わした情と、何にも増して強い力は、時代と世界を超越して存在することを痛感しています。そのような私が、どうして故国の山河を忘れるでしょうか。

以前に先生が全国を巡回しながら祈っていた心情と、いかなる他国でも見いだせない痛切な思いを、様々な国々を訪問するほど体験するだろうと思います。日本とアメリカを訪ねていくとき、私たちの先祖たちが責任を果たせなかったことを感じれば感じるほど、子孫である私たちの時代にその責任を蕩減しなければならないことを思いながら、現在の統一食口の立場がそうであることを知っています。

しかし、どれほど長く忍耐して闘っていかなければならないのかを思うと、私たちの行く道で、再び十字架を目標としなければならないことを、より一層感じます。けれども、私たち民族の悲惨な歴史より、天の悲惨な歴史がもっと大きいことを感じます。天宙のための役軍である統一信徒たちが行く道を見つめるとき、私たちの哀れさも大きいですが、私たちを指導し、導かれる天のお父様の苦痛と悲しみがどれほど大きいかを、誰が推し量れるでしょうか。天と地に大きな過誤をもたらした人間の責任が私たちにあることを思えば、心苦しく、焦るような思いで喉が締めつけられ、思わず涙したくなります。

しかし、再び行かなければならない道で、上がるか下がるかの運命を決しなければならない祭物的立場にいる私たちは、四方を見渡すのではなく、祭壇から離れてはいけない犠牲の祭物であることを忘れてはいけません。韓国の困難もありますが、世界のより大きな困難が残っていることを知らなければならない私たちなので、国家的十字架も私たちが忍耐して背負い、世界的ゴルゴタまで越えて意気揚々と前進しなければなりません。私たちに残された国家的十字架と世界的十字架に向かって勇進する若き闘士たちにならなければなりません。

私は、外国を巡りながら、今後の計画のために世界的基盤を準備しなければならないことを痛感し、日本とアメリカから青年たちを各国に派遣するつもりです。今年中に十二ヵ国以上にならなければならず、さらには、早く二十ヵ国に広げなければなりません。外国の青年食口たちが本国の青年食口たちに負けないと決意するのを見て、天のみ前に感謝しています。私は今、ワシントンDCでブラジル宣教師の任務を携えてきた日本の青年を見てうれしく思っています。彼は二一歳の青年で、言語も全く分からない中、命を懸けて他国に向かうのですが、その統一青年の勇気をうれしく思うのです。

本国にいる食口の皆さん、本国の威信と体面を立てるためには、国内だけでも天的な要求に臨む責任を果たしてくれることを、外国の食口たちは切に願っています。本国は、苦労の汗と涙と血を流した十字架の道を行く手本を、全世界の統一青年たちに伝統として残してあげなければなりません。私たちには、それ以外に必要なものは何もないのです。しかし、これ以上に貴い宝がどこにあるでしょうか。忍耐して、また忍耐して歩んでいけば、光明のあすが私たちを待っています。本国の旱魃が厳しいようですが、私たちは、そうであるほど忠誠を果たすべき道が訪れてくると思って越えていかなければなりません。ですから、先生は最も暑い季節に出発しようとするのです。外国の地で熱い汗を流しながら、故国の地で苦労する食口たちの汗と困難を体験したいと思います。

あすは七月一日ですが、これからアメリカでの生活が半分くらい残っています。私は食口たちの将来と天の責任を通じた忠誠を、世界の至る所で輝かせてみようと思います。外国歴訪は、全体が共にあることを手紙で伝えて出発します。天の保護が私よりも食口の皆さんにあることを願うばかりです。

紙を書いてみるとまた苦労しなさいと書いてしまいました。しかし、行くべき運命なのですから、どうすることもできません。師の道と父の道を相続する人たちの世界は、私たち韓民族に向かって訪ねてきているではないですか。耐えていきましょう。精いっぱい忠誠を尽くしましょう。

また、夏季伝道期が訪れます。三年路程と四年路程が私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。今、韓国の事情と世界の事情を見て、耐え忍び、死なずに残って、称賛される人になることを願います。これから出発すれば、十月の中旬くらいに祖国に到着します。大勢の食口たちから手紙をもらいましたが、返信できないことを理解してください。外国の知らせを伝えることができないことを了解してください。書きたいことはたくさんありますが、送別の時間になり、先生の登壇を告げる賛美の声が聞こえてきたので、これで筆を置くことにします。

ソウルの報告によれば、食口たちが一生懸命に活動しているとのことですが、そのように一生懸命に活動する食口たちに感謝します。再会する時まで全員が健康であることを願い、天的な使命に忠僕となることを願います。乱筆をお許しください。常に平安であることを願います。食口の皆さんへ。先生より。一九六五年六月三十日、ワシントンDCにて。

真のお父様が興進様に送られた手紙18  興進!気品があり、熱い心をもっている私たちの興進。お父さん、お母さんに会いたいだろう。お父さん、お母さんは興進のことを一番愛しているよ。だから、本当に会いたいな。今はアメリカで、韓国に一番近いサンフランシスコに来ている。二十六日にはニューヨークに行くよ。兄弟姉妹同士で愛し合いながら、元気にしていることだろう。お父さん、お母さんが帰る頃には、随分大きくなっているだろうね。勉強を一生懸命にして、お兄さん、お姉さんに自慢しなければならないよ……。ハンサムな興進だから、そのようにすればどれほど格好いいだろう!クリスマスと新年に、たくさんの福があるように。本当に会いたいよ。それでは、元気でね。一九七二年十二月二十四日、サンフランシスコにて。

真のお母様が孝進様に送られた手紙19 孝進、会いたいな。いつでも呼んで、思い出し、走っていって抱き締め、放したくない、良い子でかわいい、大切な、愛する息子。あなたたちの父母を愛する天の心もまたこれと同じなのですから、孝進、少しの間、離れ離れですが、あなたたちは幸せな天の息子であり、娘です。寝ても覚めても、いつも小さなものから大きなもの、小さなことから大きなことについて天と相談し、天を前に立てて生活するあなたたちになってこそ、さらに大きな祝福と愛が共にありますよ。私たちの孝子、孝進!天の孝子であり、地の孝子であり、全宇宙の孝子、孝子の手本になる私たちの善良で賢い孝子である孝進、愛しています。

この前の子供の日、電話でだったけれど、あなたの凜々しく成長した姿を感じることができました。お父さんとお母さんは、み旨に従っていつも忙しい生活で、あなたたちと過ごす時間が少なくてとても残念だけれど、お母さんもお父さんもあなたがいるから、頼もしく思います。孝進、あなたは普通の子たちとは違います。ほかの子たちと一緒にいても、あなたの根本を、天の品位を損なってはいけません。ですから、他の人よりもさらに一生懸命に学び、努力して、あなたの実力を豊かに育まなければなりません。そのようにしようと思えば、他の人が眠る時もあなたは努力しなければならず、一分一秒が惜しいことを感じなければなりません。世の中の有名だというあらゆる博士たちを、越えなければならないでしょう。孝進なら、やれば何でもやり遂げることができますよね。お父さん、お母さんは、いつもあなたを誇らしく思っています。近いうちにまた会ったとき、お父さん、お母さんをたくさんたくさん驚かせてくれますか。

孝進、写真を何枚か送るので、興進と一緒に見てね。興進のことを、たくさんたくさん愛してあげてね。あなたはお兄さんだから、お父さんの代わりでしょう。おいしいものがあったらまず興進にあげ、良いものがあれば弟を思って世の中にまたとないお兄さんであり、弟でしょう。「お父さん、お母さん、僕よりも弟の興進をもっと愛してください」と言えなければならないでしょう。格好いいお兄さんになるよね。すてきな服を着て、ハンサムなだけが格好いいことではありません。これはすべて殼です。心が、心のもちようが立派であってこそ、本当に格好いい人です。孝進はよく分かっていると思います

お父さん、お母さんはあなたに対して、大きな夢をもっています。格好いい人、本当に格好いい孝子、孝進になってほしいという夢です。お母さんは待ちながら、いつも祈っています。健康でいてください。元気でね。一九七三年五月十二日、ベルベディアにて。

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天情父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳31 二〇一一年の標語は、「天情父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳」です。新年に天地が一体的統一の心をもち、神様の祝福と万民の祝福を受け、万天宙に宣布し、分別してください。

32 二〇一一年二月三日のきょう、天地、霊界と肉界の勝利的覇権の権限をもった父母様が、天地全体を連結し、勝利の覇権的王の位置に立って、二〇一〇年十一月四日、「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」で語ったみ言を、父母様の生涯路程全体を中心とする教材教本を代表するみ言として宣布します。そこで語ったみ言の中には、第四十四回「真の神の日」のみ言と、神様王権即位式で語ったみ言がすべて入っています。ですから、もはやみ言を語らなくてもよいのです。

父母様は死んだ人ではありません。表象的な銅像ではあません。生きた人として、全体勝利の覇権的王座の旗をこの地上に掲げて登場できる、新しい時代に出発する日がきょうなのです。

33 天宙の中心になる核と柱である天地父母、真の父母、天宙の善王、子孫たちが一体になり、無限な大宇宙の愛によって咲き始める、永遠の理想祖国、永遠の霊界と共に生きていける地上・天上天国を創建しなければなりません。そうして、天の父母と地の父母が一心一体になり、真の愛の種を万国万海、天地のどこにおいても、祝福をけた天の民たちが、真の愛によって蒔いたものを養育することを(願い)、父母の愛と夫婦の愛と兄弟の愛の花の種から芽が出たものを育てることを願います。

そうして、永遠無窮な天宙の真の父母の血統と連結された、すべての父母と兄弟が一つになり、永遠無窮に真の愛の結実をもって生活し、守ってあげられる標準として生きることを願います。真の父母様の名で、地上と天上における一心一体となった実体の一つの中心、一つの核と一つの柱を中心として、永続的な天国理想を拡大し、守っていくことを願います。

天地人真の父母勝利解放完成時代34 二〇一二年の標語は、「天地人真の父母勝利解放完成時代」です。天地人真の父母は一つであって、二つではありません。皆さんは一つになった場で、皆さんの生涯のプログラムを再び組んで、父母様と一緒に歩調を合わせていかなければならないので、自己の所有はすべて天に捧げなければなりません。そうして、天から再び返してもらうのです。

今回、Dデーの父母様の結婚式の時に、天の国の印を父母様が受けて、皆さんに分けてあげるので、皆さんの八代がこのみ言の中で一つになって、同化、同族、同権の時代に越えていかなければなりません。そのようにしてこそ、天地人真の父母の定着が終わるのです。それでこそ、思いどおりにできるのであって、それができなければ、永遠に引っ掛かります。どんな困難があるとしても、それぞれの家庭がこのような実績を残さなければならないと話しました。父母になり、先祖になる人々は、必ず三代を経て浄化することを忘れてはいけません。そのようにしなければ、天地の道が遮られ、塀で塞がれるようになります。

35 皆さんは、二〇一二年一月二十八日、真の父母様の御聖誕日であるきょうから、前後左右、全体の環境条件を越えていかなければなりません。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代をすべて越えなければなりません。最後に引っ掛かったものを、死生決断し、全力投球して越えなければなりません。皆さんは入籍問題を解決しましたか。皆さんが「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」の冊子を見て分かるように、教本教材がすべてできています。現時点において自分がいる所で願うことが、大韓民国を越え、アジアを越え、世界を越えて、天地を越えていかなければなりません。今や、天地人真の父母の勝利圏と解放圏と完成圏を越えた時代に入るのです。ですから、息をすることから変わらなければなりません。歩き方が変わらなければなりません。

36 二〇一三年、天暦一月一日、元旦と「真の神の日」を迎えました。今や、私たちは天の父母様を敬い畏れながら、高く奉ってさしあげなければなりません。そして、地の果てまでみ言を伝えなければなりません。聖書にも、み言と鉄の杖で万国を治めなければならないとあります。それはどのような意味でしょうか。伝道しなければならないということです。

神様がお住まいになる国が必要です。天の父母様がお住まいになれる国です。国ができるには民が必要です。それでは、どのようにしなければならないのでしょうか。伝道しなければなりません。神氏族メシヤの使命を果たさなければなりません。残された生涯において、皆さんはこれをしなければならないのです。これができなければ、霊界に行って、真のお父様にお会いする面目がありません。真のお父様が、「私が地上でこのようにあなたたちに教え、お母様までもあなたたちにこのように切実に頼んだのに、なぜしなかったのか。このことはあなたたちだけでなく、あなたたちの子孫のためにも、必ずしなければならないことである」と言われるでしょう。

創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう37 二〇二〇年まで私たちが携えていくべき標語は、「創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」です。私たちは、日々生活する中で、天の父母様を忘れてはいけません。私たちが地上生活をする間、創造主であられる天の父母様が造られたこの地上界が、きちんと保存されなければなりません。ですから、私たちの使命は、伝道をして人々を教育することです。堕落した人間を復帰しなければならないということです。私たちがすべきことは伝道です。

その次に、天の父母様が全力を尽くして創造されたこの美しい自然を、きちんと保全しなければなりません。人間の無知によって、今、世界の至る所で、どれほど多くの被害を受けているかを考えてみてください。今日の私たちがあまり被害を受けていないからといって、立ち止まっていてはいけません。この人間の無知を悟らせて、環境をきちんと保全しなければなりません。死にゆく地と海を生かさなければなりません。それを私たちがしなければならないのです。ですから、天の父母様のように真の主人意識をもって、みな一つになり、互いに協助しながら、このことを必ず成し遂げなければなりません。

38 すべてのことにおいて責任意識がない人は、流れていってしまいます。真の主人、これは私たちが二〇二〇年まで、この国の復帰と世界の復帰のために、一日も、一時間も、一分一秒も忘れてはいけないことです。考え、また考えて、天の知恵を借り、人間としてできるあらゆる方法と能力を動員して、変えておかなければなりません。私たちが変えておかなければ、私たちの未来はありません。

私たちは、統一の一家族です。どこにいても、心を一つにし、志を一つにして、この目的を達成しなければなりません。そうして、創造主、天の父母様が私たちを信じ、喜ばれる実績を、毎月、毎年、より大きく、高くお返しする真の孝子、真の孝女、真の忠臣になろうというのです。ただ行ったり来たりする人になってはならず、すべてのことに責任をもった立場で、主人意識をもち、責任ある行動をしなければなりません。

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天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳23  二〇〇八年の年頭標語は、「天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳」です。「天宙平和連合」と「天一国」という言葉が入りました。神様が求める国は、二人、二つの組、二つの内外、二つのクラブが統一された国、天一国です。天宙というのは、天の国と地の国の主人たちが暮らせる家です。

24  二〇〇八年の標語である「天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳」に、「七八禧年」という言葉があるのですが、まだ禧年は終わっていません。二つの世界の七八が一つになって万歳をすることによって、九数は問題なく越えていきます。

九数が私たちのものになるというのです。そして、十数、十一数、十二数までですが、十二数は六数と六数を合わせた数です。

前編の一から六までと後編の七から十二までが、カイン・アベルのペアになって、ギアがかみ合い、回っていくように、一つの統一的運勢圏に越えていくのです。ですから、双合七八禧年万歳です。

25  二〇〇八年の年頭標語を通して、双合七八禱年を発表することにより、七数から八数に越えてきました。真の父母は神様の代身者です。神様が真の父母を信じ、この地上に来臨するのです。父母が中心ではありません。中心は神様です。天宙平和連合天一国双合七八禧年時代が来たと宣布したのですが、そこの王の中の王は、真の父母ではなく神様です。真の父母は責任を完遂し、この地を離れなければなりません。ですから、一日が忙しいのです。千年、万年、待てる余裕がありません。そのようにできる日を千年の希望のDデー(D-Day)として定め、祈り、願わなければなりません。

原理は、何の原理でしょうか。神様を解放しようというのです。真の父母は既に解放されています。しかし、数多くの人を救ってあげる責任が残っているので、一つの生命でもサタン世界に残さず、解放してあげ、神様を立てることによって、解放を公認されなければなりません。そのようにできるその日が、父母様の生涯の決定的なDデーだというのです。

天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代26  二〇〇九年の標語は、「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」です。絶対「性」とは、一人で成し遂げられる言葉ではありません。神様が男性格主体であるだけでは、絶対ではありません。相対的な何かがなければならないのです。天地父母天宙安息圏に入らなければならないのが絶対「性」ですが、天だけではできません。神様が一人で絶対「性」と言うことはできません。ですから、絶対「性」の中で相対的な存在になろうとすれば、どんな属性を備えなければならないのでしょうか。絶対「性」の前に必要なものとは何でしょうか。唯一です。

絶対になろうとすれば、二つではなく一つ、唯一でなければなりません。その次に、変わってはいけません。絶対の前には唯一がなければならず、永遠がなければならず、不変がなければなりません。絶対だけでは駄目で、唯一でなければならず、不変でなければならず、永遠でなければなりません。絶対を支えてあげられる重要な属性が必要だというのです。一番重要な中心属性である絶対には、唯一がなければならず、不変がなければならず、永遠がなければならないのです。

27  「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」の「血統権」の「権」は、「圏」の字ではなく、力のことを意味します。最高の理想的な力としての「権」の字を書くのです。「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」、そこにすべて入っています。

統一教会の結論は、蘇生、長成、完成を通してそれらが一つになり、第一次のアダム時代旧約時代、第二次のアダム時代新約時代、第三次のアダム時代成約時代、第四次アダム時代を経て、心情圏世界に安着してこそ、整理が終わると考えるのです。

その結論を出すのが易しいことでしょうか。旧約時代は蘇生時代であり、新約時代であるイエス様の時代は長成時代であり、成約時代は完成時代として、世界を一つにして天の国まで行くのです。そうして、天の国に住む神様に侍って暮らそうという、第四次安息圏安着時代を夢に抱いているのです。

28  「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」において、安息圏は個人、家庭、氏族、民族など、八段階の安息圏があります。レベルがすべて違います。

八段階は種類が違うのですが、父母様がこの八段階をつなげたのです。父母様の腹中生涯から、神様解放圏の位置までつなげました。

アベル国連を中心として、神様と父母様の王国連圏が出てくるようになれば、統一天下を中心として一つにならざるを得ません。勝利した真の父母国連、一つの血統を中心とした理想世界統一解放・釈放永遠太平聖代になるのです。人類の祖国と本郷の地を完成したというのです。

真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳29  二〇一〇年の標語は、「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」です。清心一萬勝一は、流れていく話ではありません。きょうの勝利的な転機を迎える表題が「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」です。天の代身者の権限と相続権が与えられる時間なのです。

30  二〇一〇年を迎えての特記事項は、「新・旧暦を統一する時代」だということです。今や陽暦は必要ありません。陰暦は、千歳暦(せんざいれき)を中心として千年の歴史になっていて、万年の歴史になっています。陰暦は伸びたり縮んだりします。しかし、陽暦はそのようにはなりません。陰暦は三年に一度ずつ、十二ヵ月が十三ヵ月になるのです。それで、十三数になることもあるのですが、十三の峠を越えるのは難しいのです。

十三の峠を越えれば、新天地になります。神様によって「あなた」と「私」が出発したので、神様を中心として、カインとアベルが平和に家庭と一族をつくることができます。一族を七代や八代までつくれるというのです。

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7   アジアで、韓国、日本、台湾の三ヵ国を中心として連結してこようとしたのがお父様の作戦でした。それが今や、世界時代に越えていきます。アジアで防ぐことができなかったため、それが世界にまで及ぶのです。これを、第二戦線であるアメリカが防がなければなりません。アメリカで防げなければ、第三戦線はドイツになります。

一九七七年は、一九一七年に共産国家が出発してから六十年がたつ年です。それで、お父様はアメリカに行き、「一九七七年、七八年になれば、アメリカは共産世界の脅威を防ぐことができなくなるだろう」と話しました。

そのようになる前に、統一教会員たちは三年間でそれを準備しょうというのです。三年間準備して完全に防御戦線を拡大することが、お父様の第三次世界巡回の中心的計画でした。

アジアの日本と韓国と台湾に続き、第二防御線を準備しなければならないので、西洋で自由世界を代表する国家を中心として、アダム国家型、エバ国家型、天使長国家型を備えなければなりません。これらの国が、アメリカとイギリスとドイツです。

ですから、今まで韓国が築いてきた基盤を、そこに植えてあげるのです。連結させるのです。今や、父母様が韓国だけに住まなくてもよい時が来ました。第三次世界巡回路程を終えて韓国の地に帰り、責任を果たせば、韓国の(国家レベルの摂理)時代は過ぎていきます。

8   キリスト教は、霊的救いの宗教です。実体を失ってしまいました。今までは僕復帰の歴史、言い換えれば、天使長復帰の歴史だったのです。今までの霊界の役事がそうです。

イエス様は、亡くなって霊界に行っていますが、愛を受けられる息子の使命を担いました。息子になれば、父の家に行かなければならないのですが、父の家に入ることができずに楽園に入っているので、天使長復帰の使命に責任をもってきたのが、キリスト教の霊的救援摂理です。ですから、これから統一教会が霊肉を中心として、イエス様が追われていったとき以上の基準さえつくっておけば、天使長世界は屈服するようになっています。

イエス様が父の家に入れなかったのは、国家基準で勝利できなかったからです。国家基準を抜け出すことができる基準さえ立てば、天使長世界は地上に絶対服従するようになるのです。そのようになれば、霊的アダムを中心とした本然の世界圏が形成されます。その基準を立てるためのものが、第三次世界巡回路程です。

9   統一教会は、霊肉を中心として、国家基準で、いまだにアベル的な勝利の基盤を築くことができていません。しかし、霊的な基準で国家基準と世界基準を見るとき、思想的な面では私たちが先頭に立ちました。私たちの理論は、誰にも負けません。宗教で言えば、統一教会が内外に公認される時が来ました。ですから、外的にはまだですが、内容ではそのようになったというのです。霊的基準で、国家を越えたアベル基準を復帰したというのです。

霊的基準でアベル復帰を完成したので、霊的基準でカイン復帰の完成に向かって出発できるのです。お父様は第三次世界巡回路程で、霊的カイン世界であるキリスト教文化圏に「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣布しました。アメリカはカイン国家の代表国なので、その代表国に宣戦布告をしたのです。

昔、イエス様の時代には、霊肉を中心としたアベルの立場を宣布して、イエス様は命を奪われました。したがって、国家に対して霊的な立場で宣布をしたのですが、命を奪われることなく、反対されずに帰ってくるとき、そして、歓迎を受けたという立場に立つときには、肉的復帰の出発時代に入っていくというのです。原理がそうなっています。そのために行ったのが第三次世界巡回路程です。そのようにして帰ってくれば、韓国は肉的復帰の内的基盤がつくられていくというのです。

10  今回、アメリカで大衆集会を開くようになれば、それはお父様の生前において初めてのことになるでしょう。少なくとも、七ヵ都市でこのような集会を行う計画です。各都市で三日間ずつ行い、二十一日かかるでしょう。これは、公的にみ言を宣布する路程の最初の出発です。皆さんは、この計画に対して責任感をもたなければなりません。反対や迫害があるでしょう。また、歓迎する人もいるでしょう。ですから、ラジオと新聞を利用しなさいというのです。そうして、皆さんが各都市の細部計画と日程を立てれば、お父様がみ言を語るでしょう。また、ドイツとイギリスでも集会を開催します。これは、歴史的な事件です。今回が第三次世界巡回なので、お父様が自ら語らなければなりません。お父様は、この日を待ってきたのです。

11  父母様が韓国を出発する時には、霊的基準で既に韓国を越えていたのです。韓国が統一教会の方向に従ってこざるを得ない霊的基準を、既に設定してきたというのです。それは、現政府やキリスト教が、統一教会の活動と行く道を標榜せざるを得ない段階に入ってきたということです。霊的基準では、キリスト教の権威を越えて、国家基準を越える蕩減条件を成就することができました。一九七二年、七三年、七四年の三年路程の期間に、韓国を離れ、民主世界の中心国家であるアメリカを中心として、全世界に連結させなければなりません。キリスト教民主世界について見てみれば、アダム国家型がアメリカであり、エバ国家型がイギリスであり、天使長国家型がドイツです。ですから、霊的な面でこの三ヵ国を連結させる運動のために行ったのが、一九七二年の三ヵ国を中心とした講演会でした。これは、イエス様の当時に、ユダヤ教を中心としてローマまで連結させなければならなかったように、その相対的国家を中心として連結させる、新しい福音宣布の戦争なのです。

12  アメリカの七ヵ都市をはじめ、イギリスとドイツで講演会を開催しました。なぜアメリカで七ヵ都市を選んだのでしょうか。アメリカは世界的主導国なので、世界に影響を与え得るこれらの地域を選ぶことによって、イギリスやドイツにとって一つの基準になるため、そのような作戦をせざるを得ませんでした。これは、どこまでも霊的な運動です。ですから、肉的基準を連結しようとすれば、このようなことを通して、韓国と連結しなければなりません。一九七二年に入り、そのような基盤を中心として私が新たに出発し、日本食口とドイツ食口、そしてイギリス食口たちを動員したのです。アメリカを中心として、アメリカ食口はもちろんのこと、イギリス食口、ドイツ食口、日本食口など、主導的な国家の食口たちが動員されました。お父様が築いたその霊的な一次基盤の上に、一九七二年から七四年まで、全世界の統一教会員たちを連れてきて、この基盤と一致させる運動をしてきたのです。霊的にするのであって、肉的にするのではありません。お父様だけが霊的基盤を築けばよいのではなく、食口たちが相対的に霊的基盤で一つにならなければなりません。

世界宣教の基盤造成真の父母様は、一九七二年十一月二十一日に韓国を出発し、日本を経由して、二十三日にアメリカに到着された。第四次世界巡回というタイトルで韓国を出発したが、実際には、アメリカに滞在して宣教活動を集中的に展開し、八ヵ月後の一九七三年七月二十二日に帰国された。このときのアメリカ訪問の目的は、世界宣教の基盤造成と世界統一十字軍(国際伝道機動隊)の再教育であった。第三次世界巡回当時に編成された世界統一十字軍の実績を検討し、国家を超越して世界的な舞台で活動ができるように、拡大、改編したのである。また、真のお父様は、一九七二年十一月二十三日から二十六日まで、ニューヨークで開かれた第一回「科学の統一に関する国際会議」において、「世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務」というタイトルで基調演説をされた。

13  お父様は、国家なら国家を中心として、統一の一族であれば統一の一族を中心として、成し得る限界まではすべてやりました。今からは、皆さんがお父様のために生き、み旨のために生きることにおいて、より大きな範囲で責任をもち、全世界的に活動しなければならない時になっていきます。

言い換えれば、今までは皆さんがお父様についていきながら活動してきましたが、これからは、それではいけないのです。反対に、皆さんが(自ら)訪ねていって活動できる立場に立ってこそ、お父様が定着することができます。

今、お父様個人を見れば、いまだに定着できていないのです。環境的にもそうです。父母様の家庭が定着してこそ、祝福を受けた家庭が順番に定着していくのです。祝福を受けた家庭が、すべて定着しなければなりません。そのような基盤が広がり、このような一つの国家さえ成立すれば、世界復帰は短期間のうちに成就されるというのです。

14  皆さん自身が、お父様の使命を引き継ぎ、責任を果たせるかが問題です。お父様が国のために闘い、国のために迫害を受けたのであれば、皆さんは国のために迫害を受けるより、世界のために迫害を受ける覚悟をしてこそ、国が保護を受けられる圏内に立つようになるのです。言い換えると、お父様が個人的に侵犯を受ける問題が生じるようになれば、それを皆さんが世界的に責任をもって防げるか、守れるか、ということが問題になります。

父母様の第三次世界巡回路程と同じように、皆さんも世界に対して巡回路程のような新しい道を、三回以上行かなければなりません。個人的にも行かなければならず、家庭的にも行かなければなりません。父母様の家庭が直面する受難の道や、外的に直面する何かがあるとすれば、そのすべてに責任をもち、サタンから守ろうという決意をもった家庭がなければならないのです。

15  今の世界の国々を見るとき、アメリカも共産党に襲われやすい状況であり、日本も、韓国も、ドイツもそのようになっています。すべて、サタン圏に追われる立場にいるのです。その闘いの標的、目的を失い、いかなる方向に進んでいるのかを、自由主義国家圏では誰も知りません。そのような時が来れば、その時が終末です。

その反面、統一教会は、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、このように復帰の基盤を広げて、条件的には既に世界の横的基盤までつくりました。父母様は、三次の世界巡回路程を中心として、韓国で二十年以上闘って収めたその実績を、そのまま横的に世界に連結させる運動をして帰ってきたのです。

16  私たちは、外的な世界時代に向かって前進しなければなりません。ですから、「死線を越え、命を懸けて行きなさい」と言えば、無条件に行かなければなりません。このようにして、韓国だけでなく、世界的な機動戦線をつくらなければなりません。一つは共産圏であり、一つは民主圏ですが、世界を中心として、このような内外の戦線を守護すべき責任があるので、一九七二年は「統一戦線守護」という目標が出てきたのです。

このようなことを私がアメリカでしょうとするのですが、そこでも、サタンがどれほど反対するか分かりません。アメリカの食口たちに一次、二次と話をし、三次まで話をしても、信じなかったというのです。信じないようになっています。ですから、父母様が自ら先頭に立ち、経費を出してその基盤を築いてあげて帰ってきた路程が、第三次世界巡回路程でした。今度は伝道機動隊を再教育するために行きます。これが第四次世界巡回路程です。再教育をして強い組織をつくり、徐々に世界的な舞台に拡大していくでしょう。

17  お父様は、第三次世界巡回路程中、時間がないにもかかわらず、一週間でアメリカの上院議員十人に会いました。そして、下院議員十五人にも会いました。今や、お父様は有名になりました。「ニューヨーク・タイムズ」と、「ワシントン・ポストIの一面を使って記事が出ました。アメリカの七大都市で復興会をし、リンカーン・センターを借りて、彼らもできないことを今までしてきたので、お父様が「会おう」と言えば、上院議員も好奇心からでも会うようになっているのです。

会って、これからのアメリカの展望について話をしました。また、今後、共産党に引き込まれてはいけないと警告したことが問題になっています。上院議員百人のうち、十人に会ったのですから、十分の一に会ったことになります。その人たちに会って国際情勢について話したため、お父様の言葉は、すべてうわさになるようになっています。ですから、第四次世界巡回中にアメリカに行けば、またどのような影響を及ぼすだろうかと、あらゆる人が注目しています。

大韓民国では、国会議員を一人も門の中に入れず、訪ねていくこともしなかった私が、なぜアメリカでは、そのようなことをしなければならないのでしょうか。それは、今後の作戦のためです。大韓民国が問題ではないというのです。

18  父母様はそう遠くない将来、第四次世界巡回路程に出発するでしょう。これからニューヨークに行けば、一九七二年十一月二十三日に、「科学の統一に関する国際会議」で講演しなければなりません。それは、私が創設しました。世界的に優秀な人々を、韓国に呼び集めなければなりません。そのようにしてこそ、韓国を生かせるのです。統一教会員たちが、今後、世界に行く道も築いておくのです。

世界的な環境ができるのも、そう遠いことではありません。父母様は、世界巡回に出発すれば、何ヵ月間か滞在し、また帰ってくるでしょう。韓国を完全に離れるのではありません。アメリカに早く統一教会の食口をたくさんつくり、韓国人を家庭ごと連れてきて一緒に住みたいと思うような状況にしておけばよいのです。ですから、そのような基盤を造成しなければなりません。

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強行軍の中で世界の食口を激励真の父母様は、第二次世界巡回の期間を強行軍で歩み、各国の宣教師と食口たちを激励して新たな指針を下さった。特に、第二次世界巡回の期間にアメリカ、ドイツ、日本において、十ヵ国、四十三双の祝福結婚式を主宰された。

9 世界を巡回しながら外国の食口たちに、「願いは何か」と尋ねてみると、皆が「韓国に送ってほしい」と言いました。実際は、父母様が送ってあげるのではなく、自分たちで、自ら来ればいいのですが、来るときは、ただ来るのではなく、条件を備えていなければなりません。その条件とは、韓国語ができなければならないということです。今は英語が世界共通語になっていますが、これから見ていなさい。父母様が生きている間に伝統を立てておけば、今後、世界語は間違いなく韓国語になるでしょう。

第二次世界巡回路程中、ドイツで十一ヵ国の宣教師を集めて会議を行いました。少なくとも一九七〇年四月までには、聖地を選んだ四十ヵ国に宣教師を派遣する計画です。そして、三年後には百二十ヵ国にまで宣教師を派遣するでしょう。今や私たちの時が近づきました。皆さんは、私たちの思想が途方もないものであるという事実を知らなければなりません。また、私たちの民族がこれから世界的に誇り得る民族になることを知り、統一教会に入ったことを誇りに思わなければなりません。

10 世界各地を回るたびに、外国の人たちがお父様にすがって涙を流すのを見るとき、うれしい反面、悲しい心情にもなりました。数多くの人々の中で、彼らが私を慕い、私が行ってしまうといって涙を流すその絆は、どこから出てきたのでしょうか。六千年前から出てきたというのです。

アダムとエバが罪に対して全責任を背負って神様の懐を離れるとき、(絶望の)涙を流していったので、そのときの絶望によって分かれていった人類が、歓喜の希望の中で出会うためには、この地上に涙の海ができなければなりません。そうでなければ、それを蕩減復帰することができないのです。

民族と国家を越え、東洋と西洋の文化を超越し、その方が涙の交差路を行くとき私も行き、その方が死ぬとき私も死ぬという決心をしなければなりません。そうすれば、たとえ自らが滅んでも、自分は勝利者であるということを感じるでしょう。

11 私が数十ヵ国を巡回しながら、数多くの民族に願ったこととは何でしょうか。その人々は、韓国人のことを取るに足らないものと思っていました。それなのに、韓国にいる私という人の何が良くて、従わなければならない運命に置かれているのかというのです。私が願うことは、私に従うのではなく、神様に従うことです。私を愛そうとするなら、神様を愛してから愛しなさいというのです。

このような人々と向き合うとき、私が責任者として、一つ忘れないことがあります。それは、彼らに負債を負っていくのか、負債を負わせていくのかということです。私は絶対に負債を負いません。彼らが夜を徹して精誠を捧げたとするならば、私も夜を徹するというのです。ですから、眠気に襲われ、疲れていても、それが問題ではありません。この国を経てきた数多くの恨多き霊人たちが、私を仰ぎ見ているとすれば、彼らのために悩まなければならないのです。彼らの心情とどのように一致するかが問題です。絶対に負債を負わないというのです。ですから、私が行った国で与えたものに対しては、蕩減しなければなりません。

12 父母様は、第二次世界巡回をしながら、各地にいる私たちの宣教師に指示をしました。そうして「一九六九年六月一日から四ヵ月間は、全世界的に信仰の祖国である韓国のために精誠を捧げなさい」と言ったのです。世界の食口たちが、朝になれば韓国に向かって切実に祈っているというのです。

今回の世界巡回の期間は、父母様にとって本当に大きな闘いの期間でした。疲れも限界に達しました。彼らは数年間、父母様が来るのを心から待ち望み、ようやく会ったのですから、時間制限というものがありませんでした。夜十二時になろうと、一時になろうと、父母様が少しでも長くいてくれることを願う彼らの気持ちが分かるので、それを無視して、疲れたからといって思いどおりに休むことはできませんでした。アメリカから、ドイツをはじめとするヨーロッパ、日本を経て帰ってくるときには、それこそ精神力で持ちこたえることができたのであって、そうでなければ倒れていたでしょう。本当に無理をしました。

13 第二次世界巡回路程中にも、父母様はアメリカと日本とドイツで、多くの人を祝福してあげました。祝福家庭でも他の家庭でも、男性と女性が一緒に暮らすのは同じです。それでは、何が違うのでしょうか。一番貧しい人と一番のお金持ちの人を互いに比較してみると、何が違うのでしょうか。同じように目があり、鼻があり、口があり、耳があるというのです。韓国で一番のお金持ちでも、乞食の服を着せておけば、乞食と変わらないように見えます。乞食ではなくても、乞食の振る舞いをすれば、乞食に見えるというのです。しかし、たとえ乞食の服を着たお金持ちが死んだとしても、世の中の人々は「お金持ちが死んだ」と言うのであって、「乞食が死んだ」とは言いません。

このように、表に現れた姿は同じだとしても、その内容が違うのです。これと同じように、統一教会が違うのも、その内容が違うというのです。神様を中心とした家庭は貴いのです。

第三節 第三次世界巡回世界的宣教基盤を築いた第三次巡回真の父母様は、一九七一年十二月五日から七二年五月八日まで、十五ヵ国を対象に第三次世界巡回を行われ、この期間、特にアメリカ、イギリス、ドイツの三ヵ国の主要都市で講演会を主宰された。真の父母様は、アメリカのビザの問題で日本とカナダを経由し、十二月十八日、紆余曲折の末、アメリカに入国したのち、巡回講演をされるなど、目覚ましい活動を展開された。そして、一九七二年三月十六日にイギリスのロンドンに到着し、二十日から二十二日まで巡回講演を行われ、三月二十三日にはドイツのエッセンに到着して、二十八日から三十日まで巡回講演を行われた。三月三十一日、オランダに到着された真の父母様は、フランス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、イスラエル、イラン、インド、タイ、台湾、日本などの地を経由して、帰国の途に就かれた。真の父母様は、第三次世界巡回を通してアメリカに滞在しながら、その間、個別的に行われていた宣教活動を組織化し、食口たちを直接、教育することによって、宣教の新しい時代を開かれた。

1 第三次七年路程が一九七五年から出発するので、三年前から基盤を築かなければなりません。その基盤を築くことができなければ、世界的な第三次七年路程で、有効かつ適切な勝利を収めることができないのです。それで、一九七二年から三年間を準備期間に定めたのです。三年の間に、この峠を乗り越えなければなりません。

父母様は、第三次七年路程を通して、大韓民国を世界に連結させる責任を果たさなければならないので、今まで大韓民国で築いた基盤を中心として、一九七二年にアメリカなど、世界の重要な国家に相対的な基盤を築いて帰ってこなければならないのです。その基盤を築くのが第三次世界巡回路程です。

2 一九七〇年、十ヵ国が参加する中、韓国で七百七十七双の祝福結婚式が行われました。それは、第三次世界巡回を準備するためのものでした。また、韓国で築いた基盤をその国々に連結させるためのものであり、その基盤を他の国々に横的に拡大するためのものでした。したがって、この祝福結婚式に参加した人々は、韓国に来なければならなかったのです。

3 お父様は、第三次世界巡回路程において世界的な計画を立てています。今までは韓国のキリスト教を救おうとしましたが、これからは韓国のキリスト教よりも、世界のキリスト教とアメリカを救ってあげなければなりません。ですから、新しい角度に方向を定め、国際的な活動を準備しようと思います。そのようにするためには、相当な資源が必要です。そして、講師たちや若い人々を準備しておかなければなりません。

遠くない将来に、韓国を代表する世界的な復興団が出現する時が来るでしょう。全世界を代表する復興団が世界を歴訪するでしょう。そして、国家を代表する復興団が世界を歴訪できる組織を、遠くない将来につくります。そのようにして、何ヵ国かの復興団が一つのチームとしても活動し、あるいは何ヵ国かにおいて同時に活動する作戦も実施しようと思います。

4 今からは、世界的な基盤を築くための準備をしなければなりません。国内外で統一教会が追われる時は過ぎていきます。私たちが世界に旋風を巻き起こさなければなりません。共産党が新たな整備をして世界進出を夢見るのと同じように、これに備えて天の側も新たに整備し、外的な世界に影響を及ぼしていかなければなりません。ですから、世界本部を建てよと汝矣島の土地を買い、世界的な修練所を造らなければならないので、清平の土地を買うのです。世界的な大学を建てるためにも土地を買いました。外的に備えて世界に進軍しなければならない時になったので、このような準備をしてきたというのです。ですから、今回、世界巡回に出れば、少なくとも四十ヵ国以上に宣教部を設置して帰ってこなければならないという使命を感じています。そして、数年以内に百二十以上の国に宣教部をつくらなければなりません。

5 「六・二五動乱」は、北朝鮮が韓国を打つことによって起きた戦争です。この時、民主世界が韓国を支援し、北朝鮮の侵攻を防いでくれたため、韓国を守ることができたのです。ここには十六ヵ国が参戦したのですが、これは四数に四数を掛けた数です。それでは、なぜ民主世界の代表国家が韓国に来て戦ったのでしょうか。摂理的な次元から見るとき、韓国は彼らの祖国のような立場なので、彼らが祖国光復のために血を流さなければ、民主世界が生き残る道がないからです。それによって、民主世界がお父様を助けてくれたことのようになり、国を助けてくれたことのようになりました。

言い換えれば、お父様が獄中から出てくることができるようにしてくれ、国が滅びるところを助けてくれたので、その両方を助けてくれたのと同じ立場になったというのです。ですから、民主世界が再び福を受ける道が開かれるようになったのです。

今、アメリカも落ちていき、イギリスも落ちていっています。このような時に、私がその恩を返す活動をしているのです。アメリカも引き上げてあげなければならず、イギリスも引き上げてあげなければなりません。統一教会が神霊を中心として、霊的基準において勝利できる完全な内外の基盤を築いたという立場に立ってこそ、霊的民主世界のキリスト教圏を協助しこのように引き上げることができるというのです。統一教会がそのような立場で世界を連結させるためのものが、第三次世界巡回路程です。

6 一九七一年は、第二次七年路程の中間の年です。この年に父母様は、第三次世界巡回をしているのですが、これには大きな意味があります。韓国を出発して日本に行き、カナダに寄つてアメリカに来ました。アメリカに来るまで多くの障害物と闘わなければなりませんでしたが、そのような困難は次第に減っていくでしょう。

カナダは、アメリカに対してエバの立場にあります。カナダはエバの立場にあるイギリスの延長だからです。父母様は、韓国で収めた勝利的な基盤を、日本、カナダ、そして、アメリカに連結させようとしていました。カナダを経由してアメリカに来たのですが、カナダがアメリカに対してエバの立場にあるので、そのようにすることができたのです。

父母様がアメリカにその勝利的基盤を連結させようとしたので、サタンはそれをさせないようにしようと全力を尽くしたのです。ここに来るのに多くの困難があった理由が、そこにあります。また、アメリカの国務省もじっとしてはいませんでした。そのような条件を打破することによって、天が韓国で復帰した勝利の基盤を皆さんが相続できるようになったのです。

アメリカの次は、ドイツに行く予定です。イギリスを経由して行かなければなりません。それが成功すれば、そのような条件はなくなるでしょう。復帰摂理は、公式なくしては成し遂げられません。徹底的に公式に従わなければならないのです。

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アジアおよび日本第二次巡回真のお父様は、一九六五年九月七日、インドのニューデリーに到着したのち、アジア八ヵ国を歴訪しながら聖地を選定された。七日から十一日までニューデリーに滞在していた元サラワク王のアンソニー・ブルック卿からは、特別な案内を受けられた。十二日からインドのコルカタ(カルカッタ)を回られ、二十八日まで、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピン、香港、台湾などを歴訪された。九月二十九日、日本に到着された真のお父様は、十月一日に日光、五日、六日に箱根、熱海を訪問され、エバ国家である日本の使命などについて語られた。そして、真のお父様は、出国から二百五十六日ぶりとなる十月十日、韓国に戻ってこられたのである。

46 お父様がアジアの南方国家を歴訪しながら、最も大変だったのが暑さでした。暑い所で宣教をするのが一番難しいというのです。インドのコルカタ(カルカッタ)に行って約一週間滞在したのですが、温度が摂氏四十一度まで上がりました。ここで伝道をしようとすれば、本当に大変だろうと思いました。

皆さんの中で、そこに行く人はいますか。アジアでどこに人がより多く住んでいるかと考えてみるとき、極東地方より熱帯地方にたくさん住んでいるのです。中国でも、全人口の半分が暑い地方で暮らしています。割合で見れば、アジアでも、北より南に人が多くいるというのです。

47 皆さんは、日本統一教会の最も困難な立場に立つことができ、困難なことに責任をもつことができる人にならなければなりません。私たちの目的を達成するためには、果てしなく前進しなければなりません。皆さん一代で成し遂げることができなければ、二代、三代の子孫を通してでも、必ずやその目的を達成しなければなりません。世界的な波が打ちつけてくるとき、その中に飛び込む人の数によって、民族的な勝利が決定されます。統一教会の食口たちは、目に見えない世界的な運動をしていますが、それはある一時になれば、この地上に現れ、問題になるでしょう。そのような時期が間違いなく来るでしょう。その時になって、日本が一番目になれば、日本は世界の中心になるのです。

48 今後の問題は、世界を動かすことです。そのためには、第一に理念の徹底化、第二に組織の強化、第三に共同活動で一致しなければなりません。ですから、私たちは共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。さらに進んで、組織化しなければならないのです。私たちには夜も昼もありません。食事も忘れてしまうのです。私は、そのような人々をたくさん育てようと思います。

日本もそうです。近いうちに日本でも、政府が統一教会に対して注目しなければならないようになっています。そのような時期が来るというのです。皆さんによって日本は救われるのです。その基盤が立てられれば、ある峠を越えてからは、組織運動をしなければなりません。

第二節 第二次世界巡回世界宣教に拍車を掛けた第二次巡回真の父母様は一九六九年二月二日から五月二日まで世界二十一ヵ国を対象に、第二次世界巡回を行われた。二月二日、日本の東京にある本部で地区長会議を主宰し、三日には名古屋に到着して、リトル・エンジェルスの日本における最終日の公演を参観された。二月四日、アメリカ巡回に出発された真の父母様は、三月十六日からはポルトガル、スペイン、イギリス、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、エジプト、キプロス、イスラエル、イランなどの地を巡回された。そして、イランのテヘランを出発し、インドのニューデリー、タイのバンコク、香港を経由し、四月十八日午前零時頃、日本の東京に到着、五月二日に帰国された

1 一九六九年は、失われた世界を取り戻すために、民族の運命から国家の運命、すなわち最高の峠を越えなければならない非常に重要な時期です。アジアで、さらに最高の峠を越えていかなければならない時です。父母様は、このような覚悟で約百日間、世界を巡回しようと思います。

新しく入ってきた統一教会員たちも、過去、どのように生きてきたにせよ、この途方もない思想を中心として、伝統を立てなければなりません。年を取った人は、過去を否定して犠牲になり、年の若い人は、統一教会の未来のための役軍にならなければなりません。そうして、この思想をこの民族と国家の前に一つの基点として立て、その目的が達成される瞬間まで総進軍しなければなりません。

ですから、民族を愛し、国を愛する中で、神様に侍って生きていける三千里半島になり、三千万の民族がもろ手を挙けて神様を歓迎するようになって、この国の主権全体が神様をたたえる世界的な事件が起こる三千里半島になるようにしなければなりません。そのようにして、世界を統一するだけでなく、指揮することができ、二十世紀だけでなく、数十世紀以降にまで新しい歴史時代を開く、源泉的動機となる基盤を整えようというのです。これが統一教会員たちの行く道です。

2 一九六八年に入ってから時代が変わりました。「神の日」を設定したというのは、エデンの園で失ってしまった本然の基準を、勝利的に探して立てたことを意味します。ですから、今までは神側の人々を犠牲にして救援摂理をしてきましたが、今からは蕩減歴史の方向が変わったので、反対の現象が起こります。神側の人を犠牲にして祭物にするのではなく、サタン側の人を打つことによって蕩減する時代に入ったというのです。ですから、国際情勢を見ても、東ヨーロッパでも新たに西欧の思想が芽生えるようになったのです。そして、世界的に優れていると誇る人々の勢いが、それ以上に上がらず、(勢いを)そがれて下がっていきます。最高の基準で世界を動かしてきた彼らの勢力が、今や下がっていかなければならない運命の時代に入るようになります。父母様は、一九六八年から一九七〇年までの三年の期間を、摂理的に一つの過程として見ています。したがって、摂理的に見るとき、この三年の期間は、私たちが全体的に一つの過程を革新して清算し、越えていかなければならない期間です。アジアの情勢も慌ただしい状態に置かれています。その上、韓国を中心として見るとき、韓半島の情勢は、今年、一九六九年が危険な峠なのです。

3 今の時代は、相当に緊迫した時です。世界を巡回しながら感じたことは、全世界が私たちの(目指す)み旨を緊急に求めているという事実です。一九六五年と一九六九年では、天地の差があります。世界には想像もできないほど、多くの変化がありました。アメリカやヨーロッパなど、世界のどこに行っても、今や私たちの(目指す)み旨でなければ世界は収拾できないことを、目の前の事実として感じられました。歳月が流れれば流れるほど、私たちの(目指す)み旨は広がっていき、世界はだんだんと死亡圏内に落ち込んでいくようになるでしょう。

4 これから、皆さんは、統一を中心として祈らなければなりません。また、聖地を中心として祈るのですが、父母様が世界巡回を終えて帰ってくるまで、男女を問わず、時間ができ次第、聖地で祈りなさいというのです。早朝に行けなければ、昼や夕方に聖地に行って祈るのです。

父母様が草創期に、この聖地で涙を流しながら祈ったことを考えてください。これまで聖地を選定し、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めるまで、どれほど苦労の道を歩んできたかを考えてください。それを中心として、一九六八年一月一日、「神の日」を定めるまで、どれほど苦労したかを知らなければなりません。

神様もかわいそうだったのであり、父母様もかわいそうだったのであり、統一教会員たちもかわいそうでした。今や、統一の起源を全世界に打ち立てなければならない責任が皆さんにあります。たとえ硬い石の上に座って祈るとしても、石が涙を流し、山や川が頭を下げるほど祈らなければなりません。私が世界巡回をする間、皆さんは、本当は昼食を抜かなければならないのですが、そのようにさせたいとは思いません。その代わりに、聖地祈祷を熱心にしなさいというのです。「統一の歌」を一生懸命に歌い、その心が民族感情と人類および神様の復帰摂理に対する統一的な感情をもつようにして、万民が手本とすることができるよう、聖地を中心として精誠の限り、祈りなさいというのです。また、父母様が帰ってくるときには、数多くの民族に統一の起源を立てる責任を果たして帰ってくることができるように、祈らなければなりません。

5 お父様が世界を巡回しながらエルサレムに寄った際、オリーブ山に登って、古いオリーブの木が立っているのを目にしました。二千年前にイエス様がぺテロ、ヤコブ、ヨハネの三弟子を率いてゲッセマネの園に登り、三度の祈りを捧げた時、その三弟子が、恐らくその木の下で居眠りしたのでしょう。そこは、イエス様に叱責を受けた場所であり、弟子のユダが来てイエス様を売り渡した場所ですから、口では言い表せない所です。ところが、そこに来る人々はみな、「私たちの主は、死ぬためにここに来られ、私のために死んでくださった。よくぞ死んでくださった」と考えるというのです。本当に口では言い表せない所なのです。

6 一九六九年に二十一ヵ国を歴訪しながら、一九六五年に四十ヵ国を歴訪した時とは、世界的な情勢に多くの違いがあることを感じたのですが、神様の復帰摂理を中心として見るとき、今や、神様が目指すみ旨と、この世界の情勢が一つになる時が近づいたという結論を下すことができました。一九六五年にお父様がアメリカに行った時、アメリカ人の社会生活を見て感じたことは、民主主義の先導国家として、自分たちの国でなければ世界を収拾できないという自負心を、いつももっているということでした。それを、彼らの社会の中でかいま見ることができたのです。

しかし、今回行って感じたことは、アメリカ自体の力では、アメリカはもちろん、民主世界全体の問題を収拾できないことを、全国民が認識しているということでした。このような社会的状況と社会的流れを全般的に推し量ってみるとき、私たちが果たすべき使命の時期が差し迫ってきていることを切実に感じました。

東南アジアと、その他のアジアは言うまでもなく、ヨーロッパ一帯のすべての国が、アメリカと同じだというのです。ですから、このような時に、「統一理念」を中心として、世界的な使命を果たすべき統一勇士たちの世界的な任務は、極めて重大だというのです。

7 私はアメリカの食口たちに、「アメリカという国が太平洋の遠くにあるからといって、ベトナムから手を引いてうまくいくと思いますか。共産党はアメリカの中にもあります。もしベトナムから手を引いてしまえばブラジルやメキシコのような国がそばにあるではないですか。私が一九六五年に南米一帯を調査してみた結果、南米の大部分が反米思想をもっていました。ここで、キューバの近隣諸国のうち、一国だけでも共産圏に加担し、メキシコのような国に火をつければ、アメリカの鼻の先でベトナム戦争のようなことが起こるのが、なぜ分からないのですか。十年以内に共産党がそのような政策をもって、アメリカの地に火を放つことを考えないのですか。アメリカはそのようになっています」という話をしました。間違いなく、そのようになっているのです。

ですから、アメリカが対共作戦で後退することはあり得ないというのです。それで、私がこれに備え、アメリカにおける防衛網を張るために全力で活動するように強調してきました。

8 神様の六千年の歴史を通して解けなかったすべての歴史的な問題を、お父様の一代で解きました。もはや死んでも、「統一原理」は世界を制霸するようになります。いくら日本の一億の国民が反対しても、「統一主義」には勝てません。神様は、日本自体だけを求めるのではなく、世界を必要とするからです。霊界と地上世界、天宙を必要とするからです。神様は、環境を先に造られました。今は、少しだけ動けば、世界がすぐに動く時代圏に入ってきています。統一教会の青年たちは、「神様がいない」ということを夢にも考えることができません。神様は、観念的な神様ではなく、生活圏内に実存される神様です。神様の心情は、感傷的な心情ではなく、実証的な心情です。復帰の路程を完全に通過しなければ、言い換えると、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙のあらゆる圏内に入ってサタンに讒訴されない基準を立てなければ、祝福の条件を立てたと言うことはできません。

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34  アメリカがいくら暮らしやすいといっても、神様の本然の心情を中心として見るときには、神様の喜びの資料になることができず、栄光の象徴に近づくことができずにいます。このように、アメリカの天地が悲しみと嘆息のどん底に引き込まれていくのを神様が見るとき、唖然としてしまうというのです。

ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルに行って祈ったことがあります。アメリカの燦爛たる文化として造り上げた、世界で最も高いというビルです。「このニューヨークの地で、お前を中心として天と縁を結ぶ人々がどれくらいいるのか。お前にも蕩減の道を歩ませよう」と考えました。ニューヨークの地をいくらくまなく探しても、神様と本然の心情に通ずる真の父母がこの地上に来られるとき、真の血縁的な絆を結んで息子、娘になれる人がいませんでした。ニューヨーク市民の中で、一人でもいるかというとき、いなかったのです。アメリカ国民をくまなく探し回っても、いませんでした。アメリカ人が住む前から、アメリカの主人は神様です。インディアンが住む前から、神様が主人なのです。したがって、神様が最も愛する人が、アメリカの主人になるのです。

35  今日のアメリカ合衆国は、二千年前のローマ帝国と同じ立場にいます。「二十世紀のローマ」と言えるアメリカは、自分たちの文化ばかりを誇っていた一世紀のローマのようになってはいけません。また、他国を支配するためだけに苦心する国であってもいけません。

神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけのためのものでもなく、ある国家だけのためのものでもありません。また、世界だけのためのものでもありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。アメリカの兄弟姉妹の皆さんは、神様がこの地の上に大きな祝福を下さり、この場を準備されるまで、どれほど多くの苦難に遭ってこられたのかを知らなければなりません。今や、偉大な理念が本当にこの地上に誕生しなければなりません。世界人類は一つの兄弟であるという、偉大なイデオロギーが誕生しなければならないのです。

36  私は、韓国を愛しています。しかし、私の使命は、韓国よりもつと大きく、世界的なところにあります。私の祈りと関心は、韓国を越えて全世界に集中しています。同じように、アメリカの兄弟姉妹たちも、アメリカだけのために祈ったり、あるいはアメリカに対してのみ関心をもったりしてはいけません。

皆さんは、アメリカの人々だけのために十字架を背負ってはいけません。全世界のために十字架を背負わなければならないのです。アメリカだけのために泣いてもいけません。涙を流すならば、世界のために涙を流さなければなりません。皆さんは、全世界のために血と汗を流さなければならないのです。世界を愛するがゆえに、アメリカを愛するという立場に立たなければなりません。

37  一九六五年にアメリカに行った時、アイゼンハワー元大統領に三大条件を実践しなさいと話しました。歴史的な問題、宗教的な問題、そして、思想的な問題をどのようにするのかについて尋ねました。初めは、面会時間が五分間と定められていました。ところが、二十分超過したのです。「帰る」と言うと、彼は名残惜しそうにしながら、私を二階に連れていき、自分の生活館を見せてくれました。そして、彼は、自分の一世一代の忘れ難い記念品をくれました。また、チャーチルやスターリンのような人たちとどのようにしたということなどを誇つたりもしました。

統一教会は、アメリカを第一飛行場にしなければなりません。そして、統一教会の一人の青年が現れ、全世界に向かって何かを語ったとき、「事実がそうである」と人類が共感すればよいのです。

38  私はアイゼンハワー元アメリカ大統領に会い、「六・二五動乱」の参戦問題を中心として話をしました。「民主世界が作戦を立てて共産世界を防ぐ立場に立たなければ、民主世界が共産世界に勝ったとしても、共産世界はイスラーム圏を通して、再び民主世界に対抗してくる」と言ったのです。

サタン側である左翼は、外的な共産世界と内的な宗教型(イスラーム原理主義)を中心に一つになっているのですが、神側の立場にある右翼は、外的な民主世界と内的なキリスト教が一つになれませんでした。神様が六千年間計画した人を送るために準備したアメリカが、右翼的な立場で天を擁護しなければならないにもかかわらず、カイン圏と手を結んで同調するというのはあり得ないことです。

アメリカは、民主世界の主導的な責任を担って今まで歩んできました。アメリカ国民は、神様がアメリカを二百年間、無限に祝福してくださったことを知らなければなりません。サタン世界のものを奪い返して与えたのです。サタン世界を凌駕できる力を与え、次に、怨讐の国民よりも大勢の国民をもたせました。その次に、物質主義が問題になることを御存じの神様は、物質主義を防止できる祝福をアメリカに下さいました。アメリカは、右側の強盗の責任を担当し、どんなことがあっても神様を擁護し、キリスト教を擁護し、物質中心の生き方になることを防ぐために最後まで責任をもたなければなりません。

中南米、ヨーロッパ、中東巡回真のお父様は、一九六五年七月三日にパナマ、四日にコロンビア、五日にチリ、七日にアルゼンチン、八日にブラジルなど、中南米の五ヵ国を歴訪された。そして、七月九日にブラジルを出発し、アフリカのセネガルを経由して十日、ポルトガルに到着され、八月二十四日までヨーロッパの十七ヵ国を巡回された。続いて、八月二十四日にギリシャのアテネを出発し、エジプトのカイロに到着したあと、九月六日まで中東六ヵ国を歴訪し、世界の食口たちを激励された。特に八月三十一日、エルサレムの聖地巡礼の際、イエス様がゴルゴタの山頂まで十字架を背負って登られた路程を回想しながら、哀切なその事情を酌んで深く慰労された。

39  お父様がブラジルに行ったとき、現地の言葉も話せないある日本の食口が、神様のみ旨を伝えるため、若い年齢でありながら、自ら進んで十字架を背負うのを見ました。その荒地のような場所に行って苦労しているのを見て、心が痛みました。

心情の世界は、国境と武力で遮ることはできず、いかなる思想も遮ることができません。その人は、既に日本人ではありませんでした。韓国人より、もっと心情的でした。たそがれ時の飛行場に立ち、飛び立つお父様を涙で見送るその忠誠にあふれた姿を、私は今も忘れられません。世界に向かって祭物として訪ねていく、その涙の基盤の中で統一の役軍(担い手)に出会うことができなければ、このみ旨と使命は民族的なものにしかなれないというのです。

40  ヨーロッパを巡回しながら祈って考えてみましたが、アルプスを越えるのは問題ではありません。ヒマラヤを越えるのも問題ではありません。それ以上の困難な所、最前線に行って闘うのです。これがお父様の作戦です。この道は復帰の道なので、原理原則に合わなければ解けません。私たちは、切迫した時を迎えています。

共産党がどうして「自分たちの怨讐は宗教である」と言ったのかというのです。「宗教の怨讐は共産党である」という世界的命題のもと、私たちは闘っているのです。

41  ローマのバチカン宮殿の前で神様に祈りを捧げました。「神様、二千年の歴史をもち、六億以上の信徒をもつ教会がここに建つています。しかし、彼らがどのようになるかを考えるとき、心配せずにはいられません。数え切れないほど分裂した教派と教団を、父なる神様が願われるとおりに、一つに統一いたします」と祈ったのです。

そこは、ヨーロッパ文明の総本山の地であり、また集結地です。ヨーロッパ文明の真髄が集まっている所です。しかし、神様が私と共にあるので、今に見ていなさいという気持ちで祈りを捧げました。真と偽りがぶつかれば、偽りが砕けるのが原理です。

42  ナセルを中心として軍部が治めているエジプトを訪問した日は、エジプト軍創設記念日でした。それで、その国の軍事規模など、いろいろなことを調べたのですが、エジプト軍も最新型の武器で武装していることが分かりました。それから、エジプトの首都カイロでは、彼らの工業や産業の発展状況を見ることができなかったので、カイロから四十里以上離れたアレクサンドリアに行って、彼らの産業と工業の発展状況を見たところ、エジプトがいくら大きなことを言ってもかなわないだろうと思いました。

見てみると、その時のエジプトは、イスラエルより十年ないし二十年は遅れていました。ですからお父様は、「エジプトが東西冷戦を利用して計画したことが、第一次は的中して発展したが、今や方向転換しなければならないだろう」と思って帰ってきたのです。

43  お父様は第一次世界巡回の時に、シリア、イスラエル、ヨルダンを中心として、中東一帯を注意深く調べてみました。それは、彼らの背後にいる霊人たちがどのように動いたかを知りたかつたからです。

また、新たに入ってきたイスラエル民族には、「野営地」とも言える彼らの収容地があります。この民族は、主権を復帰しようという復古思想をもち、昔アブラハムが祝福を受けた地を再び訪ねてきたのです。

このようなことを見るとき、イスラエル民族からその選民思想を抜き取ることはできないと感じました。彼らの選民思想は、彼らがどのような環境に追い込まれても、終始徹底しているというのです。

44  お父様がエルサレムを訪問した時、イエス様がゴルゴタの山頂まで登っていく途中で倒れたという所に、立て札が立っていました。三回も転んだというその場所を見つめながら、「イエス様は、このような蕩減の道を通っていったのだ」と思いました。

その場でお父様は、「暗黒のような二千年前に、新しい天的な使命を背負い、砂漠と荒野のような、このまっただ中に訪ねてこられたイエス様の事情は、どれほどやるせなかったでしょうか。しかし、大きく豊かな多くの民族をすべて押しのけ、このようにひどくみすぼらしく、ひどくやせたイスラエル民族を訪ねてこられたのは、民族復帰の恨を一日も早く解こうとした父の事情があったからだということを知りました」と祈ったのです。

そこを訪問する人はみな、イエス様が抱いた事情を深く慰めてさしあげる祈りをしてこなければなりません。そのようにしてこそ、その場でサタンは気をもみ、神様は慰労をお受けになることができるのです。ですから、サタンは悲しくて泣き、神様はうれしくて泣くことができなければなりません。アダムが堕落することによって、神様が痛哭し、サタンもアダムも涙を流しました。復帰の道では、神様とサタンに涙を流させなければならないのです。「私」の涙が神様を泣かせ、サタンまでも泣かせられなければ、復帰することはできません。

45  お父様は、エルサレムに行った時、多くのことを感じました。そこに行ってみれば、半分は砂漠地帯です。らくだを見て、あの大きな体格でおなかいっぱい食べることができるのだろうかと思うほど、草のない半砂漠地帯でした。そこを眺めながら、韓国は福地の中の福地だと悟りました。

そこのぶどうのつるは、一抱えにもなりません。昼には太陽の熱で、三分の一が枯れてしまいます。その葉があまりにもしおれて、ぶどうのつるなのか、何のつるなのか分からないほどです。他のつるのようです。ところが、昼が暑い分、夜と明け方には露がたくさん降ります。その露で、植物が再び生気を取り戻すのです。このように、イスラエルの地、ユダヤの地で育っている植物のごとく、ユダヤの民たちも明け方を待ち、その静かな早朝に、神様のみ前で絶叫して祈ってきた民族であることを切々と感じました。

また、彼らの目をじっとのぞいてみると、何かあるのです。感動のようなものがあります。感動して歌う歌が最高の叫びであり、心霊のこもった祈りなのです。ですから、「ここから新しい歴史が始まったのだ」と感じました。

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23  お父様は、私たちの教会がある所に行くたびに、「これからアベル的な存在の基盤を復帰しなければならない」と祈ります。このための摂理的な計画によって、聖地を選定してきました。

聖地を選定することは、環境復帰の基盤を整えることでもあります。ですから、それぞれの場所にアベル的な財政支援をしなければなりません。それで、訪ねた国ごとに貯金をしてあげました。アメリカに行けばアメリカのお金で、日本に行けば日本のお金で、ドイツに行けばドイツのお金で、預金通帳をつくってあげました。

その通帳に預金できるというのは、子女が、万物と向き合える心情的な関係に同参(一緒に参加すること)できる特権を父母から付与されたのと同じです。皆さんがお父様の行く道に同参するのは、世界史的な誇りです。それは、物質復帰のためのアベル的な祭壇を築くときに重要な条件になります。

24  世界四十ヵ国の百二十ヵ所に設定した聖地では、火が消えてはいけません。そして、韓国が一つの放送局になり世界に電波を送らなければなりません。韓国から電波を送れば、世界の聖地でその電波を受信し、天のみ前に感謝と頌栄を捧げることができるのです。聖地は、神様の地上の哨所(先鋒の施設)であるにもかかわらず、その哨所を守る人がいません。統一教会の預言者や食口たちは、神様のみ前に悲しみの群れとなってはいけません。聖地に対する神様の思いはこの上なく深いのに、子女たちが現れないので、神様の心はどれほど悲しいでしょうか。聖地に対する神様の悲しい気持ちに対しては、皆さんが謝罪することもできますが、神様のみ前に忠孝の道理を立てると約束しておいて、その約束を履行できず、神様がそれによって悲しみを感じるようになるときには、取り返しがつかなくなります。このようになれば、再び忠臣、烈女になることができないのです。

日本第一次巡回真のお父様御一行は一九六五年一月二十八日、第一次世界巡回の最初の地である日本の羽田空港に到着し、日本の食口たちから熱烈な歓迎を受けられた。この日、日本の本部で歓迎大礼拝が行われた。翌日、真のお父様は、統一旗を日本教会に授与され、統一教会の印を押したハンカチを全員に下賜された。その後、東京と名古屋などの地を歴訪しながら聖地を選定され、二月十二日の午前、アメリカに向かわれた。

25  お父様は、日本を離れてから二十年ぶりに日本に来ました。日本についての思い出がたくさんあります。命を懸けてこの道を出発し、今まで歩んできました。何度死ぬ覚悟をしたか分かりません。悲惨な死の状況に直面したときに、どのような態度を取るかを決定してから出発したのです。私が韓国で今までこのようなことをしてきたのは、食べるものがなかったからではありません。名誉に駆られてではありません。誰かが慕わしくてではありません。ただ、神様と神様の心情を知っているからなのです。

26  世界の人類全体ができないことを、日本の国民が先頭に立って行えば、日本の国民は世界をリードする国民になります。そのような人格にふさわしく、そのような理念をもって、神様の心情を体恤しながら暮らす人は、神の国に残り得る天国の民です。

まず、日本を復帰しなさいというのです。お父様以上に国を愛してください。お父様が愛する以上に世界を愛してください。お父様が愛する以上に父なる神様を愛しなさいというのです。もし、皆さんの前でお父様が倒れても、泣いてはいけません。お父様が愛する神様を誰が愛し、お父様が愛する人類を誰が愛し、お父様が愛する天宙を誰が愛し、お父様が担っている責任を誰が担うのかというのです。そのように愛することができない立場で、神様に嘆いてはいけません。これが、皆さんに残したい言葉です。

27  お父様は、皆さんに会い、皆さんの苦労をたたえ、涙で「立派だ」と言ってあげたいのですが、まだ言うことができません。闘って疲れている皆さんに、「さらに行かなければならない」と言いたいのです。私たちの道は、世界的な城壁を積み上げていくものです。それは、私たちの血と肉で積み上げなければなりません。(ですから、)皆さんに「十字架を背負いなさい」と言うのです。死ぬ場に出ていきなさいということです。神様が闘志に満ちた心情をもつ勇士を送り、打ってまた打っても終わらないサタン世界です。六千年の怨讐です。人類の怨讐であるサタンをこの手で屈服させなければなりません。私たちが神様の子女として生活してきた忠孝と、私たちが残した功績に対して、すべての万物が公認しています。その公認の価値は、いかなるサタンでも讒訴できません。このような立場に立って闘う一人の人が日本にいるとすれば、神様は日本を捨ててでも、その一人を選ぼうと言われるでしょう。世界にそのような一人がいるとすれば、世界を捨ててでも、その一人を選ばれるのです。

28  お父様は、日本の地に足を踏み入れたとき、心の中で「神様の心情にふさわしい、真をもった私を迎え入れる人がいれば、その心情を神様が記憶してください」と祈りました。私は、いまだに行かなければならない十字架の道を残しています。この十字架の道で、兄弟たちの迎え入れる心が衰えることはないと感じました。

私たちは、神様の世界、希望の一つの世界、神様が理想とされる目的の地を建設するまで、涙で歩まなければなりません。歩む道には、蕩減もあり、茨の道もあり、崖道もあるでしょう。一発の砲弾となって敵中に飛び込んでいかなければならないこともあるでしょう。しかし、私が逝ったあと、「誰がこの心情を引き継いで歩んでくれるのか」と尋ねる神様を刺激できる勇猛な心をもって歩む人がいるとすれば、その人は人生路程における勝利者です。私たちはいつでも、「神様の目的に応えているか、その真ん中に立っているか、すべての生活がその目的に向かっているか」と、自らを分析してみなければなりません。

そこには、神様の願われる世界だけが存在しなければならず、神様との関係だけが存在しなければならず、その意味だけが存在しなければなりません。神様に対する希望、神様に対する事情と心情だけが存在しなければなりません。神様を中心とした独立性と融合性、統一性だけが存在しなければならないというのです。そのような人間になれば、その人は世界をリードすることができます。

29  私たちは、日本に与えられた使命に対して、責任感をより強くもたなければなりません。天を代表する人に、「平安に暮らしたい」という考えは決して許されません。神様がどんな願いをもっているのか、直接体験しない限りは分かりません。自分が死ななければ、その心情を知ることはできず、苦労を通してのみ、それが初めて分かるのです。神様の心情の中に生きる人にならなければなりません。お父様は、全世界が反対しても、必ずこの道をかき分けていくでしょう。一人でも闘うという決心が既にできているのです。

北米巡回真のお父様は、一九六五年二月十二日、アメリカのハワイ、ホノルルを経由し、十三日にサンフランシスコ国際空港に到着された。そして、三月二十九日までの四十三日間、アメリカの四十八の州を走破される旅程の中で、五十五の聖地を選定された。また、三月三十一日に再びワシントンDCに到着したのち、三ヵ月間の滞在中、アメリカ全域にわたる宣教基盤の確立と、世界十二ヵ国の宣教地のために陣頭指揮を執りながら、具体的な方法を練られた。そして、二十一日修練会などに参加した食口たちに、多くのみ言を語られた。六月二十五日には、ペンシルベニア州のゲティスバーグで、アイゼンハワー元大統領を表敬訪問し、会談された。

30  お父様は、外国人はあまり泣かないと思っていました。ところが、アメリカに行ってみると、むしろもっとよく泣くというのです。私が何時に到着するか分からないのに、その日に来るという知らせだけを聞き、飛行場に来て一日中待っていたのです。待ちわびて気持ちが高ぶっていたのか、お父様が到着して飛行場にゆっくり現れると、待っていた人々の中には、泣く人、笑う人など、様々な人がいました。

文化が違い、歴史が違いますが、同じ統一教会員になってみると、笑うのもみな同じであり、泣くのもみな同じでした。笑うときに歯が見えて、泣くときに涙を流すのも、韓国人と大差なかったというのです。

31  私はアメリカにおいて、四十三日間で四十八の州を巡回しました。一日に七百キロメール以上、車で走らなければなりませんでした。サンフランシスコでは、ツインピークスという名の聖地を選定しました。母の聖地と父の聖地です。アメリカ全体で、五十五ヵ所の聖地をつくりました。その聖地を守る人がいません。聖地を守る人がいないので、統一教会が発展できないのです。

一週間のうちに、東部で大会を行い、西部でも行いました。三日に一度ずつ、東西を行き来しながら行ったのです。車に乗って、ロッキー山脈を一週間に一度ずつ越えました。アメリカに愛国者がいたとしても、私に学ばなければなりません。私の記録を破ることはできないのです。

エピソードもたくさんあります。ホテルに行って眠るのではなく、車の中で眠り、砂浜があれば砂浜で眠ったりもしました。眠りから覚めて、寝袋から顔を出すと、星が光り輝きながら「ぐっすりお休みになりましたか」と言うのです。そのような時でも、夢を多く抱いていました。

32  アメリカの四十八の州を回る時、食パンとベーコンだけを持って回りました。それを一食に一切れずつ食べたのです。パンとベーコン、それからキムチです。若い人なら一食に三つずつ食べても足りないのですが、一つずつしか食べませんでした。逸話がたくさんあるのです。

夜十二時頃になると、早朝五時に起きなければならないので、三時間眠るためにホテルに行くことはできません。ですから、「車が故障した」と言って、道端に車を停めて休むのです。道端で一眠りすればよいのです。四人なので、ホテル代が一人、八十ドルだとすれば、三百二十ドルを節約できます。それだけあれば、一週間食べて暮らせるというのです。そのように節約しました。

そのようにしながら、いくら大変でも、一日に七百キロメートル走らなければなりません。千三百キロメートルまで走ってみたこともあります。そのようにして、四十三日間で四十八の州を巡回したのです。

33  お父様は、アメリカに行った時、民主主義思想を基盤としてつくられたアメリカ文化を見て回りながら、「全世界に号令をかけることができる中心本部が正にここだ。これから創建する新しい文化世界は、ここを踏み上がることができる世界でなければならない」と考え、そのために祈りました。

なぜ、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを誇るのでしょうか。これは、流れていく一時代の自慢の種にはなり得るかもしれませんが、新しい世界を創建するときには、一つの立て札にも、塔にもなれないのです。新しい福地の文化を中心として、新しい世界、新しい歴史を創建しようとされる神様の願いは、それよりもっと高い境地にあるというのです

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祖国創建11  一九八四年の標語は「祖国創建」です。私たちには世俗的な国がありますが、私たちは、そこで安住することができず、放浪する現代のロマのようにさまよっています。私たちは、永遠なる幸福の国に定着することを望んでおり、真の父母の国である祖国を待ち望んでいます。最近になって、父母様によって、数多くのキリスト教の宗派が、和合と一致のための運動に参加しているのを目にすることができます。

「終わりの日」になったとき、彼らが訪ねてきて、それまでの過ちを悔い改め、赦してほしいと切に願う場面を想像してみてください。父母様が完全な勝利をする場に誰が同参するでしょうか。参加するのと参加しないのとでは、天と地ほどの違いがあります。

一九八四年は、摂理史においてこの上なく重要な転換期です。私たちは、勝利の街道を走っています。一九八三年三月、アメリカで伝道機動隊を編成し、全体を動員しました。その活動は、福音伝道のための最も遠大な最初の事業でした。父の国である祖国創建のためなのです。

12  皆さんは、統一教会の民族を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の国家を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の世界を通して天国に行くのでしょうか。世界がある前に国がなければならず、国がある前に民族がなければなりません。今は、民族はありますが、国がありません。

この国は世界万民が理想とする国家なので、国境を超越し、民族を超越し、氏族を超越し、すべての人種を超越して糾合された一つの国です。これが正に、神様の願う地上天国です。ですから、この国をつくることが私たちの目標です。神様の世界を通してこそ、神様の天宙を造ることが可能なのです。

13  今まで、歴史過程のカイン・アベルを中心として長子権復帰の基準を取り戻し、父母様が世界的蕩減路程をすべて準備しました。そうして、真の父母様の家庭を中心として、長子と次子の権限を世界的基準で連結させることができるこの祝福の日を、神様がどれほど待ち望み、父母様がどれほど待ち望んだでしょうか。人類がどれほど待ち望んだでしょうか。「祖国創建はここから始まるのです。ここから祖国創建の曙光(しょうこう)がさしてきます。

今、新しい時が熟しました。外的にすべて熟していくのです。お父様が語る環境に合うように、外的に熟していくので、皆さんさえ完全に一つになって、長子と次子を中心として闘争がなくなれば、ここから統一家を中心として地上天国理念が実現されていくのです。このようにしておいてこそ、家庭教会の出発ができます。家庭教会は天国の基地、天国の定着地であると教えてあげましたが、これが終わらなければならないのです。

天国創建14  一九八六年、新年の年頭標語は「天国創建」です。今までは「祖国創建」でした。天国を創建するには公式があります。その公式が、歴史路程におけるカイン・アベル問題です。堕落しなかったならば、アダムとエバが長子となり、長女になって、神様の直系の子女になったはずですが、堕落することによって、長子の位置を奪われました。

人間の堕落以降、今までサタンが長子の立場を取ったので、神様は次子を支配できる立場で歩んできたのです。ですから、これを復帰しなければならないのですが、無理やり復帰することはできません。サタンの愛によって神様が長子圏を失ったので、長子圏を復帰するためには、サタンの愛以上の愛をもたなければなりません。そのようにしなければ、長子圏を取り戻す道がありません。

堕落した父母、あるいは堕落した兄、堕落した世の中がもっているあらゆる愛は、すべてサタン圏に属した愛ですが、このサタン圏の愛が、長子圏に属した愛です。今日までの、世の中の人々の夫婦の愛、父母の愛、子女の愛など、これらすべての愛は、長子圏、堕落圏に属した愛です。

ですから、この長子圏を越えていくためには、次子の立場から反対に蕩減復帰しなければなりません。蕩減というのは、そのまま越えていくことができません。必ず代価を払わなければならないのです。

15  祖国といえば自分の国です。これは、世の中の国の観念です。祖国といえば自分の国の観念であって、天国の概念ではありません。ですから、地上世界で、まずアベル圏を設定しなければなりません。それが祖国創建です。今や「天国創建」です。天国になるためには、カインとアベルが一つにならなければなりません。この地上と霊界、地上の国と霊界の国がカイン・アベルを中心として一つになった立場に立たなければ、天国創建はできません。

一九八六年の標語は「天国創建」です。ソ連とアメリカが一つになれば、その次は地獄と天国が一つになります。地獄と天国がいつ一つになるのでしょうか。

一九八五年二月一日、その門を開く「開天門の日」を宣布しました。お母様はイースト・ガーデンに、お父様はダンべリーにいながら、午前三時に祈り、愛の道理を立てて橋を架けました。今や一九八五年が過ぎ去り、一九八六年が始まりましたが、その祈りをすることによって、世の中が反対に回るようになりました。時計の針が回るように回ったとすれば、一周すべて回り終え、今からは逆に回り始めるということです。今までは統一教会が世の中に踏まれながら歩んできましたが、一九八六年からは、統一教会が世の中に現れる時になったのです。

祖国統一16  一九八七年、新年の統一教会の標語は「祖国統一」です。この祖国統一を漠然と考えてはいけません。その標語が世界的で天宙的であるというときには、問題が大きいのです。この道を打開していく公式的方法について、私たちはこのように言います。「個人は家庭を克服しなければならず、家庭は氏族を、氏族は民族を、民族は国家を、国家は世界を、世界は天宙を克服しなければならない」。統一教会が歩む公式的方法を、このような摂理的過程を中心として提示しているのです。個人完成と家庭完成、これは一つのチームと同じです。

個人が完成しようとすれば、体と心の争いを克服しなければなりません。内的な基準で体と心の争いを克服し、一つにならなければなりません。そのようにしてこそ、外的還境の家庭圏に影響を及ぼすことができます。体と心の争いを整備しなければなりません。そして、家庭から氏族に進んでいこうとすれば、もちろん家庭のあらゆる困難なことを克服しなければなりません。そうでなければ、氏族圏に進むことができないのです。また、氏族圏内で氏族のすべてが統一されなければ、民族圏に進めません。

それでは、「祖国統一」という標語は国家的基準でしょうか、世界的基準でしょうか。問題となる内的なアメリカの国民性と国を収拾してから、世界に越えていくことができます。国のすべての苦痛を克服してこそ、世界の環境を消化できるのです。このように行くのが公式路程です。それが世界的なものを越えて天宙的だという時には、この地上のあらゆる問題を克服しなければなりません。地上の地域問題からあらゆる問題を克服してこそ、天上世界の問題を環境的に消化して、神様の愛の圏内に入っていくのです。

17  一九八八年の標語を、一九八七年と同じく「祖国統一」と定めました。いまだに南北統一が私たちの前に残っているからです。皆さんが精誠の限りを尽くして霊界を動かし、このことを遂行するとき、韓国の全体的な組織編成を強化することにより、対処していかなければなりません。私たちが準備することによって、北朝鮮の政治風土が変わるようになります。祖国統一は、誰彼なしに、北朝鮮も韓国も、いずれ成し遂げなければならない宿命的課題として残っています。

南北に分かれたのは、大韓民国の国民が誤ったからではありません。世界の強大国によって分かれたのです。ですから、韓半島の統一は大韓民国の人だけではできません。強大国が協助できる道を開かなければ、いくら北朝鮮が韓国を解放して統一したとしても、その統一は永続することはできず、いくら韓国が軍事力を強化して北朝鮮を統一したとしても、それが永続することはできません。

強大国をまとめて南北統一をする道だけが、悠久なる統一方案になるというのです。それは、摂理史的見地とも一致するのです。

18  今日、韓国の領土が神様の祖国光復の基地になるという驚くべき事実を知れば、この韓民族が眠れるでしょうか。「してはいけない」と言っても、昼夜を分かたず生命を投入するでしょう。財産が問題ではありません。自らの全体と韓国全体を投入してでも、これを成就しなければならないという義務感をもつ大韓民国となるに違いありません。

今日、父母様が祖国統一を願うのは、滅びるしかない国家背景を中心としたものではありません。これまでの歴史になかった超国家的な祖国光復、神様が探し出そうとする祖国光復のための途上で、すべてのものを消化できる思想的体系を備え、論理的な教育を通して社会を変化させることができ、吸収、消化できる主体(的な)思想をもった人を育てていこうと思うのです。ですから、共産主義が問題ではなく、民主主義が問題ではありません。それで、共産主義が私を恐れ、民主主義が私を恐れるのです。丸ごと食べられてしまうと考えるのです。

一九八八年の年始めに立てた標語は「祖国統一」ですが、その祖国は、本然の主体である神様が願う祖国です。この全宇宙の国は一つです。この世界は神様の民が暮らせる基盤です。霊界は、私たちが永遠に暮らせる一つの理想的住宅であり、国なのです。

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第三節   家庭教会活動と祖国創建に重点を置いた一九八〇年代真の父母様は、一九八〇年一月一日、ニューヨークの世界宣教本部において、年頭標語を「家庭教会は天国基地」と発表されたのに続き、一九八一年は「家庭教会は私の天国」、一九八二年は「家庭教会の勝利」、一九八三年は「家庭教会は我々の定着地」など、一九七九年から八三年までの五年間、家庭教会と関連した年頭標語を立てられ、本格的な家庭教会活動を展開された。そして、一九八四年と八五年は「祖国創建」、一九八六年は「天国創建」、一九八七年と八八年は「祖国統一」、一九八九年は「韓国統一」など、一九八四年からは、神様を中心とした祖国創建と韓半島統一を追求する年頭標語を発表された。

家庭教会は天国基地1   統一教会員たちは、一九八〇年代に、どこに向かうのでしょうか。一九八一年からは、本格的に家庭教会活動を展開しなければなりません。第三次七年路程が終われば、完全に家庭教会体制が展開されなければなりません。それがみ旨から見た観点です。ですから、一九七九年には、皆さんが「家庭教会を通じた天国完成」という年頭標語をもって一年間過ごしてきたのであり、一九八〇年には「家庭教会は天国基地」という標語をもって、一年間進んでいこうと考えています。

家庭教会がなければ、天国が実現されないというのです。家庭教会がなければ、すべてのことができません。家庭教会は天国の基地です。天国とはどのような所でしょうか。天国という所は、安息する所であり、幸福が宿る所であり、愛が宿る所であり、平和な所です。

それでは、安息するのですが、「私」一人だけが安息するのでしょうか。もちろん、私がいなければならず、父母がいなければならず、子女がいなければならず、家庭がなければならず、氏族がなければならず、民族がなければなりません。全世界がそこに入るのです。いくら私個人が安息したくても、父母が安息できず、妻が安息できず、子女が安息できないとすれば、安息することはできないのです。皆さんは「真の父母様に侍っている」と言いますが、その真の父母様が安息できない立場にいるとすれば、その真の父母様のもとにいるすべての人々も安息できないのです。

2   「家庭教会は天国基地」という言葉は、意味もなく語る言葉ではありません。家庭教会を探し出すまで、どれほど蕩減を払ったか分かりません。家庭教会を探し求めるために、歴史時代において宗教者たちが血の涙を流しました。血肉を削って求めてきたのです。「家庭教会」という言葉が出てくるまで、神様は嘆息されていたというのです。

この家庭教会が出てくることによって、お父様が翼を広げ、天下に堂々とした男として現れることができ、統一教会が誇れる圏内に来たというのです。皆さんは家庭教会を誇らなければなりません。父母よりも誇り、兄弟よりも、愛する人よりも、子女よりもさらに誇らなければなりません。今や家庭教会活動は、次第に簡単になってきています。今年変わり、来年も変わります。だんだんと易しくなっていくというのです。

家庭教会は私の天国3   一九八一年の標語は、「家庭教会は私の天国」です。統一教会員たちは、早く家庭教会活動をしなければなりません。メシヤが家にいるべきでしょうか。使命を果たすためにイエス様が家を出たのと同じように、皆さんも家を出なければなりません。そのようにすべき時なので、一九八一年には皆さん全員、家庭教会活動をしなければなりません。

私が家庭教会について、一九七八年、七九年、八〇年、三年間、教えてあげました。時間があるたびに、教えてあげたのです。今や準備がすべてできているので、皆さんは家から出掛けなければならないというのです。

4   統一教会の皆さんがすべきことは、三百六十軒の家庭教会活動です。皆さんは、いずれにしても、個人基準を越えて家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙基準まで蕩減条件を立てることはできません。ですから、父母様が皆さんに世界的な蕩減をさせるため、縮小した舞台として決定してあげたのが家庭教会です。これは、全体を代表した型として、サタンと神様のみ前に決定的な条件になります。そのため、ありとあらゆることをうまくやっても、家庭教会活動ができなければ、天国に行くことはできません。

天国とは、サタンが讒訴できない環境、すなわちサタンの讒訴圏を抜け出した環境です。ですから、そのような環境天国をつくろうというのが家庭教会です。それでは、アダムは何ゆえに堕落したのでしょうか。環境天国をもてなかったからです。氏族圏ができれば、家庭天国は自動的に所有できるのです。本来、神様の理想は、家庭天国の実現です。その氏族圏の中で、家庭天国は自然に形成されるのです。また、環境天国の勝利圏を確保することができます。統一教会に入って家庭教会活動をしなければ、父母様に侍ることができず、天とも通じることができません。

5   一九八一年からは、皆さんの時代です。今まで父母様が引き受けていた天のすべての責任を皆さんに伝授してあげて、皆さんがとどまる中で、父母様の仕事を代行してみ旨を成就できる時が来たというのです。一九七九年から八〇年、八一年まで三年目ですが、今や家庭教会を中心として、皆さんが活動する時代に入りました。家庭教会という標語を掲げたのは一九七九年ですが、その時は「家庭教会を通じた天国完成」であり、その次に、八〇年は「家庭教会は天国基地」でした。そのような標語をもって、皆さんは二年間、準備してきました。

その基盤の上で、八一年の年頭標語として「家庭教会は私の天国」を立てました。その「私の天国」というのは、父母様の天国ではありません。皆さんを中心とした天国です。父母様の天国ではなく、皆さんを中心とした「私の天国」だというのです。今まで、「家庭教会を通じた天国完成」と「家庭教会は天国基地」は全体を標準としたものでしたが、今や皆さんを中心として成し遂げられる、直接的な時代に入ったのです。

家庭教会勝利6   一九八二年の標語は、「家庭教会勝利」です。家庭教会は、堕落した父母が現れたので必要なのです。それを復帰するためにイエス様が父母として来たのですが、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つにならなかったので、イエス様は亡くなりました。それを蕩減しなければなりません。その罪を蕩減しなければ、天の国に入れないのです。

それでは、家庭教会だけで終わるのでしょうか。氏族教会ができなければならず、民族教会ができなければならず、国家教会ができなければならず、世界教会ができなければならず、天宙教会ができなければなりません。

7   家庭で勝利してこそ、氏族基盤ができます。家庭教会があるので、結果的に氏族基盤もあるのです。家庭で勝利してこそ、氏族基盤に向かって前進できます。カインとアベルの二人が一つになれば、その家庭を中心としてアベル家庭になるのです。その次に、アベル氏族圏が広がります。氏族基盤を築いてこそ、家庭が完成するのです。氏族基盤が垣根にならなければ、家庭が安息する所がないというのです。

氏族基盤が備わったあとにこそ、家庭が完成するのです。また、氏族基盤を復帰してこそ、自分の家が安息できます。その次に、自分の息子、娘も、そこで安息できるというのです。

家庭完成後には休むこともできますが、それで終わるのではありません。また上がっていかなければなりません。その次は、氏族勝利です。家庭勝利をしたので、氏族勝利をしなければなりません。

家庭教会は我々の定着地8   一九八三年の標語は、「家庭教会は我々の定着地」です。これは空想ではありません。プログラムによってすべて合わせてきているのです。「統一原理」を教えてあげる先生、宗教を統合し、共産主義を収拾して「統一思想」を教えてあげられる先生にならなければ、世界人として地上天国に行くことができません。地上天国に入れば、宗教も超越し、共産主義も超越するのです。

その主流思想は、知識でもありません。権力でもありません。お金でもありません。それは愛です。今まで人間の愛は、自分を中心としていましたが、神様の愛は自分を犠牲にするのです。簡単なことです。ですから、父母様も今までアメリカで犠牲になりました。愛を植えるためでした。怨讐を愛したという伝統を残そうとしたのです。

9   父母様が定着できなければなりません。自由世界に対する責任を果たしたというのです。家庭教会に行って、定着しなければなりません。ですから、一九八三年は非常に重要な年です。全世界が今後、統一教会を新たに研究しようとします。そして、そのようにできる万全の準備が整えられ、今や峠を越える時が来ました。太陽が昇る時だというのです。

世界の有名な学者たちを動員し、神学者を動員して、その位置を引き継がせてあげるかもしれません。白人たちができないのならアジア人を連れてきてでも配置しアメリカに住む少数民族を動員してでも配置するでしょう。

10  一九八二年の標語は「家庭教会勝利」でしたが、皆さんは勝利したでしょうか。一九八一年は、「家庭教会は私の天国」としたのですが、私の天国をどれほど愛しましたか。一九八〇年は「家庭教会は天国基地」としたのですが、それについてどれほど考えてみましたか。また、一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」でしたが、天国完成のためにどれほど努力しましたか。

韓国のすべての祝福家庭に動員命令を下しました。日本の祝福家庭も動員し、アメリカの祝福家庭まですべて動員するでしょう。これに参加できなければ、皆さんも流浪するロマ(ジブシー)の行脚を永遠に続けなければならないでしょう。定着できないというのです。霊界に行っても、父母様を訪ねてくることができません。キリスト教で言う個人的楽園が生じたのと同じように、家庭的楽園が生じるというのです。

家庭的楽園では、妻が讒訴し、息子、娘が讒訴するでしょう。サタンが讒訴するのではありません。皆さんの妻や夫、皆さんの息子、娘が讒訴するというのです。それがどれほど悲惨なことかを知らなければなりません。

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天国実現11  一九七五年は、「天国実現」という表題を掲げて歩まなければなりません。皆さんは、このみ旨に従って、どのようにしなければならないのでしょうか。これからは、何が一番早い道でしょうか。世の中に出掛けていって伝道して回る必要はなく、すべて自分の故郷に帰りなさいというのです。故郷に帰って、世の中で働いていたより、もっと一生懸命にやりなさいというのです。もう少しだけやれば発展します。これを知って、家庭を中心として氏族を糾合し、民族を糾合できる道に従って、進まなければなりません。

一九七五年からは、これが完成的な基準なので、自分の氏族に平面的な基準で接触できる時が来ます。ですから、今後はすべての道が容易に開かれるだろうと見るのです。皆さんがどれくらいの版図で天国実現を可能にするかによって、天の国にとどまる皆さんの所有権が決定されるのです。誰であっても、実践する人に与えるというのです。皆さんが天国実現に対する新しい方案を中心として、実践しなければなりません。

12  一九七五年の標語を「天国実現」と定めたのですが、私たちがすべきことは、天国を実現することです。言葉だけでなく、天国をどのように実現するかが、大きな課題になっています。天国を実現するのですが、本来の天国基準は、神様の創造原則を中心として設定されるのです。

堕落したその世界は地獄になりましたが、堕落していないその世界は天国でした。神様は絶対的な方なので、その方が立てたみ旨は変わりません。唯一無二であられるその方のみ旨なので、人間が堕落したとしても、そのみ旨は唯一無二のみ旨として残っているのです。ですから、その絶対的なみ旨を立てて完結しなければ、創造主として、全知全能であられる神様として、威信と権威を立てることはできないのです。

そのため、今まで僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代へと反対に通過して上がってきたのが歴史的な路程でした。このような観点から、天国には神様が再び現れなければなりません。創造の過程が必要ない立場に立たなければならないというのです。再創造しなければならない立場では、天国実現はできません。創造が終わり、創造目的が実現されてこそ、天国が成し遂げられるのです。

子女による天国実現13  一九七六年の標語は、「子女による天国実現」です。皆さんによる天国実現であって、父母様による天国実現ではありません。一九七五年までは、漠然と「天国実現」と言いましたが、今や子女による天国実現なので、天国実現の内容が具体的です。

愛の公約を中心として宇宙が回るようになるとき、全体の影響圏が「私」によって広がるので、私は個人ですが、天国の雰囲気を導くことができ、家庭が天国にとどまることができるのです。すべて通じます。また、統一教会の氏族圏において天国が広がり、国家圏において天国が広がり得るのです。このようになってこそ、地上天国が実現されるのです。

14  一九七六年一月一日のみ言の題名は、「子女による天国実現」です。神の子女による天国が実現されるためには、昔の息子、娘ではできません。完全に変わらなければならないというのです。皆さんが完全に変われば、ここから新しい分野の天国実現が一歩一歩、近づくのです。ですから、神様によって天国が実現されるのではなく、息子、娘によって天国が実現されるということです。アダムとエバが神様を絶対的に信じたならば、神様の息子、娘になったでしょう。

しかし、アダムとエバは、神様のみ言を絶対的に信じることができなかったことにより、サタンの息子、娘になりました。堕落してしまったというのです。ですから、この時に神様のみ言を絶対に信じる息子、娘にならなければならないというのです。そのため、父母様のみ言を神様のみ言として絶対的に信じるようになれば、神様の息子、娘になるのです。

理想家庭による天国実現15  一九七七年の標語は、「地上天国と理想家庭」、すなわち「理想家庭による天国実現」です。今まで神様の願いは何だったのでしょうか。堕落した世界で、サタンの讒訴を受けない世界的な道の上に立った一つの家庭を追求してきたのが、復帰摂理のみ旨です。堕落することによって、神様の直接主管を受けられる家庭の起源を迎えることができなくなりました。ですから、完成した家庭が出てくるためには、サタンの侵犯を受けて堕落することなく、神様の愛を直接受ける圏内に入って、神様と一つになり得る家庭の起源を、言い換えれば、理想的なアダムとエバの完成基準を成就しなければなりません。

これからは、統一教会を中心として、神様の愛を直接受けられる家庭圏内に入ることによって、サタンが反対すればするほど、かえって天に利益をもたらすことができ、天に復帰され得る反作用的作用をする時代に入ります。ですから、これからは、反対すれば反対するほど、その反対する程度によって、サタン世界は崩れていき、私たちは拡大していくでしょう。

16  統一教会の当面の課題は、天国を実現することです。そのようにするためには、理想的な家庭の基盤を皆さん各自で、あるいは皆さんが置かれた所で、成就しなければなりません。そのようにしてこそ、崩壊したサタン世界圏をすべて吸収する一つの起源になり、足場になり得るのです。

今から皆さんは、どのような考えをもたなければならないのでしょうか。堕落していない本然の世界で、神様とアダムとエバが完全に一つになったのと同じ生活圏(を形成し)、真の父母を中心として、その父母と内的な生活においても外的な生活においても、すべての環境的な生活が一致化する生活圏を形成しなければなりません。そのようにしなければ、神様が主管できる真の家庭になれません。本来、神様の創造理想から見れば、子女は父母と永遠に一緒に暮らすことができ、永遠に別れることができません。そのような立場にいることを自ら感じる自分たちにならなければなりません。父母様と皆さんが父子の関係にあるとすれば、ここに真の父母と真の息子の関係が成立しなければならないのです。

ところが、その真の父母と真の息子の関係は、皆さんと父母様がいくら結ぼうとしても、結ぶことはできません。神様がここに介在しなければならないのです。父母様の家庭に神様が共にあると同時に、皆さんにも神様が共にあって、神様が束ねてくれてこそ、ここで新しい天の家庭の心情を体恤することができるのです。

公式路程を通しての天国実現17  一九七八年の統一教会の標語は、「公式路程を通しての天国実現」です。これを成し遂げようとすれば、まず父子の関係である父母と息子、娘が、神様を中心とした一つの心情を備えなければなりません。家庭と同じように、責任者たちは母の立場なので、そのような心情的絆のつながりをもたなければなりません。それを中心として、雄々しく勇進しなさいというのです。そのように闘っていかなければなりません。ですから、神様の愛を中心としてこの表題を掲げ、実践していきなさいというのです。

18  家庭を拡大したものが国です。アメリカは、数多くの民族が集まっています。数多くの民族が集まったその背後には、数多くの文化的背景がそろっています。国の主権者は、国の神様です。国において、神様の代身者だというのです。また、国の主権者は国の父です。皆さんの家では、父母が神様です。神様の代身者です。

同じ公式が国家にも適用されます。その主権者が妻と完全に一つになり、息子、娘と完全に一つになれば、その国が完全に一つになるのです。その主権者と息子、娘たちは、自分の家庭のために生きる人々ではなく、国のために生きる人々です。国のための生命であり、国のための愛でなければならず、国を中心とした環境で生活しなければなりません。大統領も、神様を中心として個人天国を実現することができ、夫婦同士、家庭を中心として家庭天国を実現できなければなりません。それを核心として、国と一つにならなければならないのです。

家庭教会を通じた天国完成19  一九七九年、新年の標語は「家庭教会を通じた天国完成」です。家庭教会という言葉は本来、エデンの園から始まらなければなりません。教会と言えば、宗教のことを言うのですが、宗教は神様を抜きにしては語ることができません。宗教という文字を解いてみれば、「宗となる教え」です。家で言えば、棟のことです。すべての教えにおいて、原理的であり、原則的であり、中心になる教えという意味があります。ですから、神様を抜かせば、宇宙はすっかり崩れてしまうというのです。

宗教は、新しい宇宙の家を造るための摂理の基盤なので、土台を築き、柱を立て、すべてのものを備えたとしても、この棟木を載せなければ、すべてのものができ上がらないのです。

20  家庭教会の役軍(担い手)は、神様のように教えてあげることができ、神様のように愛することができる人でなければなりません。父母の立場で愛し得る教会、そのような人、そのような国民、そのような世界人類になれば、神様が地上のどこにでもお出ましになって、天国になり得るのです。第一は教育、第二は愛です。ですから、犠牲にならなければなりません。そのようになるとすれば、そこからは神様が離れることができず、神様を父母のように侍らざるを得ず、神様を師のように侍って学ばざるを得ず、神様と一緒に暮らさざるを得ないというのです。

このような思想を立て、このような思想を教えてあげるために、アベル的な人、天の側の人がいなければなりません。そのアベルの中に、王がいなければならないのです。個人的チャンピオン、家庭的チャンピオン、氏族的チャンピオン、民族的チャンピオン、国家的チャンピオン、世界的チャンピオンがいなければなりません。歴史始まって以来、天地を中心とした神様の摂理の中で、初めて全体を代表したチャンピオンがいなければならないというのです。

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12  統一教会がしようとすることは、イエス様がこの地に来てしようとしたことです。イエス様が探し出そうとした個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成の基準、すなわち神様が探し出そうとされた家庭と氏族と民族の基準を、私たちが広げてきました。そして、百二十四家庭を韓国の各地に配置しながら、聖地を選定してあげたのです。

その聖地を中心として、一体的な関係を備えていきながら、使命を果たすことを要請しました。このようにすれば、個人的な使命を果たしたことが基準となり、世界史的な全体の責任を中心として、世界と連結される勝利の時代が訪ねてくるようになります。それで、ソウル地域に東西南北の四大聖地と中央聖地まで、五つの聖地を選定したのです。

このようにして、世界と連結される勝利の時代が来たので、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日を期して、ソウルの五ヵ所の聖地から土と石を採って、外国に持っていく準備をしました。この土と石は何でしょうか。アダムが堕落することによって、神様はアダムだけを失ったのではなく、世界をすべてサタンに奪われました。しかし、今や神様が訪ねてくることができる勝利的な基盤が整えられたので、地を取り戻せる時代圏内に入ってきました。ですから、聖地にある土と石は、神様が臨在される基盤になるのです。ですから聖地を宣布したのです。

13  聖地を条件にして、三千里半島を愛さなければなりません。この地で暮らしたいと思い、この地で汗を流したいと思わなければなりません。この地に血のにじむ歴史の伝統があることを知って、父を記憶しなければならないというのです。祝福を受けるのは、途方もないことです。祝福を受けた人は、神様に代わって、「私が決めれば天宙も従う」という思いをもち、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が具備されて、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。

聖地と聖物を守ることができなければなりません。これらを守ることに総力を傾けなければなりません。祝福を受けた家庭を貴重に思わなければならないのです。祝福家庭は、皆さんが守らなければならないというのです。高潔に生きて死ぬことができる、神聖な地を探し求めなければなりません。聖地と聖なる民を、早く復帰しなければならないのです。

14  神様と人間と聖地が一致すれば、どのような関係が広がるでしょうか。堕落する前のアダムとエバが復帰された基準を立てることができるようになります。聖地を選定することはエデンの園で失われた人と地と万物を復帰できる地を備え、人を探し出し、神様と向き合える焦点を決定することです。

また、聖地を決定すれば、どのようなことが起きるでしょうか。アダムとエバが堕落する前は、霊界が正に天使世界でした。天使世界は、アダムとエバが早く完成し、神様の愛を受けられる生活圏内に入ることを願っていました。天使世界は、アダムとエバを協助し、アダムとエバが神様の子女となり、神様を中心とした家庭を形成して、神様の愛を受けられる平和の基盤を築くことを願ったのです。ですから、聖地は神様から祝福を受けた家庭のように聖別された所なので、そこに霊界が協助することができるのです。

15  今後、民族的な運勢とともに、世界的な運勢が歩調を合わせていく時が来ます。ですから、韓国の首都ソウルで選んだ聖地を、世界的に連結するのです。国内だけでなく、世界的に連結するのです。このように聖地を選んだ基盤の上に、神様が愛する息子、娘を送れば、神様をお迎えできる基盤を築けるようになります。そのようになれば、霊界が協助しなければならないのです。

世界の国々を歴訪しながら聖地を選定しておき、統一信徒たちを一日も早く配置しなければならないと考えました。ここに配置される人々を、復帰されたアダムとエバの基準に立て、今まで霊界が接し得なかった基準を蕩減させるでしょう。そうすれば、地上で横的な闘いを展開できるようになります。天使が堕落させたので、天使たちがこの地に来てサタンを追放するために、協助しなければなりません。これが蕩減復帰の原則です。霊界を動員し、地上からサタンを追放しなければなりません。

第一次世界巡回で百五ヵ所の聖地を選定しました。聖地を百二十ヵ所、選定しなければなりません。これによって天の領土が生じるのです。このように聖地を祝福することによって、国家主権が天の側に越えてくるようになるのです。

16  人を探し出したあとは、地を探し求めなければなりません。お父様が四十ヵ国を巡回した理由は、聖地を選定するためでした。韓国で堕落前の基準を立てたので、聖地を選定することができたのです。世界四十ヵ国で百二十ヵ所の聖地を選ばなければなりません。百二十家庭は、百二十ヵ国を象徴します。韓国では七十数を中心として、七十二ヵ所を探し出して条件を立てなければなりません。アメリカよりさらに多くの聖地がなければなりません。聖地が選ばれたということは、人間を創造する前に地を造ったのと同じ立場です。ここに聖徒が立てば、人間と地が創造されたのと同じです。ですから、天使世界と霊界が協助せざるを得ません。それゆえ、百二十ヵ所の聖地をもつことは、百二十ヵ国の領土をもったことになるのです。

17  百二十四家庭を祝福することによって、イエス様が願われた相対的な理念を取り戻した基盤ができました。それによって、人間をすべて取り戻した基準ができたのです。その次に、万物を取り戻すべき立場に立ちました。このような立場で、四位基台を中心として、世界の国家を代表した四十ヵ国に百二十ヵ所の聖地を定めました。

四十ヵ国を中心とした百二十ヵ所の聖地は、百二十ヵ国を象徴します。それは、お父様が四十歳の時、すなわち一九六〇年に聖婚式を行ったので、四十年を代表したものです。その四十歳を基盤として、世界的に百二十ヵ国と連結させたのです。四十ヵ国で百二十ヵ所の聖地を選んだということは、世界的百二十ヵ国と私たちのみ旨が、物質的関係において一致したことを意味します。万物を復帰できる条件を立てたというのです。

それによって、統一教会は、神様が取り戻そうとする息子、娘を探し出し、氏族と民族を代表する代表者を探し出し、世界を代表する人を探し出し、万物を代表する聖地を探し出したので、ここから天の国の運勢は、統一教会を中心として回り始めるようになったのです。

18  世界的に百二十ヵ所の聖地を選定しましたが、その時、お父様と崔元福(チェウォンボク)、金永雲(キムヨンウン)、崔奉春(チェボンチュン)がそこに参加しました。摂理的に見れば、崔奉春はエバ国家である日本を代表し、金永雲は世界的な天使長国家であるアメリカを代表する立場で、アダム国家を中心として四位基台の型が備えられたので、この四人が世界を巡回することになったのです。

そこにおいて、男性がエバ国家の立場になり、女性が天使長国家の立場になりました。このように互い違いになったというのです。それは、内的なアダムとエバを象徴的に合わせておいたのです。

このように重要な巡回が第一次世界巡回路程でした。その時、世界を巡回しながら、主にその国の中央官庁や博物館を訪問しました。歴史と現実の主権とを結びつけて見てみようとしたのです。

そのようにしながら、韓国から持っていった石と土を聖地の至る所に埋めて、その国の石と土を持ってきたのです。韓国から土と石を持っていったというのは、み旨を中心として「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めた勝利的基盤全体を持っていったのと同じ結果になります。それをそこに埋めたというのは、その国に福を運んであげたのと同じです。また、そこから持ってきたというのは、韓国がその国とやり取りできる恵沢圏内に入る道を開く基盤になるというのです。

19  お父様は、なぜ世界を巡回したのでしょうか。今まで勝利した基準を、世界的に分配してあげなければならなかったので、世界巡回を行ったのです。韓国で成し遂げた使命は、韓国を中心とした勝利的基準なので、それを世界の全人類に分け与えなければなりません。

聖地を決定すれば、堕落する前の天地が生じた基準と同じです。人間を創造する前に、万物が生じたのと同じです。ですから、霊界が地上に役事(働き)する基台が成立し、そこにアベル格であるアダムの勝利圏、堕落していない心情基準をもった私たちの天の子女を送れば、その人を中心として、み言の実体再創造と心情基準の出発が成し遂げられます。それで、世界的に宣教師を早く送ろうとするのです。

20  お父様が聖地を選び、祈ることができる地を定めておきました。追われ追い回されるとき、祈る所がなかった私たちにとって、神様のみ前に訴え得る聖地が選定されたということは、歴史的であり、世界的な勝利の立て札を立てたことになります。このような基準を拡大するために、一九六五年に世界を歴訪しながら、四十ヵ国に百二十ヵ所の聖地を選定しました。多くの経費を使いながら、様々な国に聖地を選定し、そこの石と土を韓国に持ってきたのですが、(それは、)そのようにしなければならない神様の摂理があるからです。このようなことは、歴史にないことです。

このようなことをするのは、天地の運勢に拍子を合わせ、神様の摂理的なプログラムに合わせるためです。四十ヵ国、百二十ヵ所の聖地は、神様の選民圏を守ってくれる地です。この地は、肉身をもった人々が守れないとしても、霊界の霊人たちが守ってくれます。神様が共にいらっしゃることのできる立て札を打ち込んで闘える基盤をつくり、民族復帰運動の闘いを勝利に導く基点を立てるためのものなのです。

21  私が聖地を探し出すのに一番難しかった所は、レバノンのベイルートでした。ベイルートの海辺は、軍隊が守っていました。軍隊が守っているのに、午前三時に月と星が輝く天を見ながらそこに向かい、ベイルートの海岸地帯に聖地をつくりました。中東で聖地をつくった所が、レバノンとシリアです。

シリアの聖地とレバノンの聖地をつくるために、夜にこっそりと、誰にも分からないように四人が入って聖地の選定をしました。そして、イスラエルのエルサレムまで行って聖地をつくりました。闘いの中でも、これほどの闘いはないという激戦の途上で、聖地の境界線をつくったのです。

22  シリアに行って聖地を選ぶときは、七時間以上かかりました。ですから、世界の聖地の中で最も印象に残っている所がシリアです。そこに行った時、東ヨーロッパを中心とした国際博覧会が開かれていました。そこで、ソ連の衛星国家が自国の産物を展示していました。私はソ連の展示館に入ったのですが、その時の印象が忘れられません。

昼には聖地を選ぶことができず、夜に選んだので、多くの時間を消耗しました。昼に道で立って祈るキリスト教徒がいれば、人々が石でたたき殺そうとするのです。それで、一緒に座っていたセルビア人の助けを借りて聖地を選定しました。このように聖地を選んだのが、ついきのうのことのようです。

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第三章  主要な名節の宣布第一節   「心情復活の日」と「実体復活の日」宣布「心情復活の日」「実体復活の日」宣布の背景真の父母様は、三子女の祝福式を執り行った翌日の一九六〇年四月十七日を「心情復活の日」、一九六一年四月十七日を「実体復活の日」として宣布された。真の父母様の聖婚式以降、心情復活、実体復活、万物復活の基台を築き、失ってしまった神様の心情圏を実体で復活させることによって、「父母の日」を通して子女と万物を探して立てたのである。

1   本来、「父母の日」は、「心情復活の日」と「実体復活の日」が宣布されたあとに現れなければなりません。復活の過程を探ってみると、心情復活、実体復活、万物復活となっていきます。太初に神様は、人間の堕落によって万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、心情を失ってしまったので、逆に心情復活、実体復活、万物復活をしてこられるのです。それを通して、「父母の日」と「子女の日」、そして「万物の日」が探し出されるのです。

これを成し遂げるために、お父様自身が茨の道を歩みながら蕩減してきました。このように蕩減条件を立てたので、サタンの讒訴条件を免れて、祝福された「父母の日」を設定することができたのです。

2   人類始祖であるアダムとエバが堕落することによって、「父母の日」と「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を立てることができませんでした。それで、統一教会では、これらの日を定めたのです。このような事実は、歴史上、空前絶後の出来事です。

「神の日」や「子女の日」は、何の価値もない日ではありません。「子女の日」が現れるためには、堕落したすべてのものを復帰しなければなりませんでした。堕落することによって心情的問題に引っ掛かり、実体的問題に引っ掛かり、それから天使長に引っ掛かりました。堕落した順序を見れば、天使長が問題になり、それから体と心を通して心情まで問題になりました。すべて引っ掛かってしまったというのです。このように、すべて引っ掛かっています。

これを復帰するためには、神様と一致する心情をもって現れなければなりません。ですから、統一教会には「心情復活の日」があるのです。「心情復活の日」が宣布されなければなりません。心情復活が先です。堕落は、サタンと人間の体が一つになることによって、心情が被害を受けたのです。ですから、復帰路程では、反対にしなければなりません。「心情復活の日」を先に宣布し、それから「実体復活の日」を宣布しなければなりません。

3   一九六〇年に聖婚式をすることによって、父母の立場を縦的に決定しました。ですから、復帰の過程を経る皆さんは、そのような形の道を歩まなければなりません。それで、「父母の日」を設定して、横的な立場で「子女の日」を宣布するようになったのです。そうして、父母様を通して、み言復活、心情復活、実体復活が出てきました。このようになったので、初めて一人の男性を中心として祝福を成し遂げ、新しい歴史時代へと入っていけるようになったのです。そうして、皆さんに対しては父母になったので、皆さんを新時代の息子、娘として祝福してあげるのです。

ですから、皆さんは、蕩減路程において、父母様のように実体復活の過程を経なくてもよいというのです。父母様がそれをすべてつなげてきたので、父母様に付いていきさえすれば、皆さんはサタンの讒訴を受けずに進んでいけるのです。

4   アダムは、心情世界が不十分な立場で堕落しました。神様の心情を知らずに堕落したのです。心情を体恤してきた人は、この歴史時代においてイエス様しかいません。しかし、イエス様は心情復帰の基準を立てることができませんでした。アダム一人が神様の心情を蹂躙したのではなく、アダムとエバが共に蹂躙したので、彼らが心情的に一致するまでは、神様の心情解放の基準を立てることができないというのです。ですから、イエス様が再び来て、心情復活圏をつくりあげなければなりません。

キリスト教が二千年間ありとあらゆる犠牲を払ってきましたが、このような理念をもった原理と天理を通した心情的背景を備えて、「今から神様の心情を解いてください!」と言える基準は現れませんでした。ですから、このような夫婦が現れてこのようなことをしてこそ、神様の心情解放が起き、それにより、天の国の「心情の門」が開くとともに、人間の夫婦においては、真の心情の天国型が(ここから)始まるのです。

5   神様の心情的壁をつくったことに対して、一人の男性と一人の女性が蕩減条件を立てることにより、心情的基準と心の方向が一致した立場で、「あなたが背負った十字架を代わりに引き継ぎ、個人と家庭と氏族と民族と国家と世界を中心として実体的に闘って勝利いたします」と言うことができなければなりません。それにより、神様の心情世界から人間の心情世界へと移されなければなりません。それは、アダムとエバが堕落したので、人間の先祖の立場から解かなければならないのです。神様を解放し、神様の心情的十字架を解かなければならないというのです。

そのためには、心情的な受難の道を通して、愛の十字架を担おうという夫婦がいなければなりません。その十字架を背負って、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的峠を越えなければなりません。そうして、その峠を越えたと宣言する日がなければならないのです。「神様が子女を愛し、万物を愛するように、この二人が、そのようにいたします」と言わなければなりません。それで、一九六〇年四月十一日の父母様の聖婚式が過ぎて七日目となる四月十七日を期して、「心情復活の日」を宣布したのです。天と地上に心情復活を宣布した日です。人間世界に残された心情問題さえ世界的に解決すれば、地上天国と天上天国は必ず成し遂げられるのです。

6   地上に顕現する神様の愛を中心とした心情的復活圏を成就しなければ、完成の基準を立てることはできません。そのような復活を中心として、統一教会で「心情復活の日」を宣布しました。その心情復活を基盤にしなければ、実体復活を探し出す道がありません。

結局は、心情と神様の愛を中心として、心が神様と一つになり、その一つになった心と神様の愛を中心として、体が一つにならなければなりません。横的に体が心情圏を形成するためには、今までサタン圏内から侵犯されていた讒訴基準を超越しなければならないのです。越えなければなりません。ですから、実体復活圏を成就しなければ、神様の心情を横的に連結させることはできないのです。一九六〇年と一九六一年にそれぞれ「心情復活の日」と「実体復活の日」を宣布することによって、初めて完成したアダムならアダム、完成したエバならエバが、ここから現れることができるというのです。

心情復活と実体復活真の父母様は、「心情復活の日」について、六千年を通して初めて、神様と人間が公式的に心情の紐帯を結んだ日であることを強調された。そして、すべての人間は、再び誕生する実体復活の条件を立ててこそ、祝福を受け、神様のみ前に立ち得る恩賜圏内に入ることができると語られた。

7   私たちは、いずれにしても心情の門を通過しなければなりません。心情の門を通過したという条件を立てなければ、復活できません。イエス様も、心情の問題を解決できなかったので、天国に入れませんでした。ですから、一番目も心情であり、千番目、一万番目も心情です。この心情の門を開いてこそ、天国の門が開かれるのです。天国の門が開かれる日、その体と心と心情に傷を受けていない人が天国に入っていけるのです。

8   復活するには、私たちの心情が問題です。天の願いどおりに、現実において価値のある味を出す人にならなければなりません。今まで復活を完結したという人が天にも地にもいなかったのに、この哀れな民族が暮らす韓半島から復活が成し遂げられるということは、頭を下げて感謝しなければならないことです。この基準を達成した人がいるとすれば、その人は億万のお金とも交換できない人です。

その人は、すべてを失ってしまった人のようですが、すべてをもっている人です。心情の主導権を握って来られる父のみ前に、喜びと幸福と楽しみをお返しする息子であり、娘です。ですから、私たちは、その人の心情世界につながらなければなりません。神様は私たちの父であり、主は私たちの新郎です。

神様は、私たちに慕わしさと「神主義」と忠誠を教えてくださいました。今から私たちは、父子の心情、夫婦の心情、君臣の心情をもって、主義を統一させていかなければなりません。その父の名のもとでは、互いに赦せないことがなく、曲折が残ることがありません。新郎の名によっては、譲れないことがないのです。一人の君主の名のもとで忠誠を尽くすのですから、一つにならざるを得ません。これが心情復活の総結論です。

9   アダムとエバが堕落する時には、神様と心情的基準が一致していませんでした。ですから、それ以上に上がらなければなりません。神様の命令であれば何でもやらなければならない、地上のあらゆるものを断ち切ってやらなければならない、とひたすら思わなければなりません。このような自覚が生じなければならないのです。すなわち、心情復活の段階がなければならないというのです。ですから、父母様がこの道のために、心情復活式をしたのです。

10  皆さんが、実体復活できる存在になろうとすれば、歴史的な基準を蕩減し、現実の闘いで倒れずに勝利しなければなりません。そうしてこそ、実体復活ができるのです。そのようになる日が「実体復活の日」です。この地に、イエス様の使命を受け継ぎ、神様の心情を受け継いで来られる方がいらっしゃるとすれば、その方がこの世界の主人公です。実体復活は心情まで通じなければなりません。その日は、天地が回っていく日です。

「実体復活の日」が現れるためには、実体の父母がいなければならず、実体の子女を立てなければなりません。皆さんは、実体復活を通じて栄光の立場に進んでいかなければなりません。そのためには、血みどろの闘いをしなければならないのです。そうして、栄光の主権を立てなければなりません。この道は、死のうと生きようと行かなければならない道なのです。

11    統一教会に来ると不思議です。いっそのこと荷物をまとめてきて、教会にずっといたいと思うのです。家から荷物をまとめてくることが、どれほど希望に感じられるか分かりません。ですから、逃げるようにして来るということがなければならないのです。そのように感じ、そのようにしなければなりません。そのようになれば、それが実体復活です。体が天の領域に入ったという切符をもらうのです。実体復活圏だというのです。そのように心情復活と実体復活圏がつくられてこそ、神様の愛を通じた血統的絆の連結が出発するのです

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真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂16  一九九七年の標語は、「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」です。「真の父母様を誇り愛そう」は、一九九六年の標語でした。今年、三百六十万双の祝福が完成すれば、これは天宙史的な事件になります。

三百六十万双の祝福が完成したとすれば、その次は三千六百万双の祝福をするのです。サタン世界のあらゆる完全数を越える勝利的覇権が、地上に設定されると見るのです。

三千六百万双を完成したのち、三億六千万双、三十六億双をするようになれば、人類がすべて祝福を受けるのに何年あれば終わるか、考えてみなさいというのです。

家庭は、アダムとエバの時から、男性と女性にとって必ず必要だったように、どんな時代、どんな延長の歴史を経ても、この公式は変わりません。そのような二人が一つになって着地するのが、アダム家庭でした。そのアダム家庭は、歴史性を超越し、永遠に続くというのです。

17  「真の父母を誇り愛そう」という言葉を、皆さんの前に掲げるためには、父母様が神様を誇り、愛さなければなりません。そうして、神様が見るとき、「本当によくやった。愛した」という条件を立てたことを受け継いで、皆さんも真の父母様を誇り愛さなければなりません。父母様が神様を誇り、愛したのと同じように、皆さんも神様を誇り、愛さなければならず、真の父母を誇り、愛さなければならないというのです。そのような伝統的内容を知らなければなりません。

父母様が世界的メシヤだとすれば、国家的メシヤの立場でなければ、父母様を誇れる道がありません。国家的メシヤが、そのもとにいる人々に誇るために教育しようとすれば、氏族的メシヤをもたなければなりません。そして、氏族的メシヤが自分のもとの後代と先祖に誇るためには、家庭的メシヤの系列をもたなければならないのです。それがメシヤ思想であり、真の父母が行くべき道です。

メシヤと言えば真の父母のことですが、真の父母になろうとすれば、神様を誇るのと同じ伝統を家庭に立てて、自分の父母を誇らなければなりません。神様を愛するのと同じように愛さなければならないのです。そのような家庭的な愛と誇りの圏を中心として国家的な愛と誇りの圏、世界的な愛と誇りの圏、天宙的な愛と誇りの圏に上がっていき、天の祝福に代わって下りてきて、初めて天国の家庭として、解放圏を手にして生活できるというのです。

真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切18  一九九八年の標語は、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」は、一九九七年の標語です。

今年の標語は、「三億六千万双の祝福完成」であり、その次には「サタン世界の血統断切」です。それさえ刻みつければよいのです。昨年は「真の父母」でしたが、今からは「真の神様」です。そして、三億六千万双の祝福完遂であり、サタン世界の血統断切です。このために神様が苦労したのです。この根を抜いてしまわなければなりません。これを抜き取れる力が、父母様にはあるというのです。

19  私たちは、祝福行事をして、今まで四千万双の祝福を完成しました。これは世界的事件です。一時に通り過ぎる事件ではなく、歴史にただ一度しかない事件です。誰も再び行うことはできないのです。過去にもなく、未来にもありません。この三億六千万双の祝福は、歴史に一度しかないのです。一度しかないこの三億六千万双の峠を前にして、私たちが歴史をすべて清算するのです。

神様を解放し、サタン追放、汚したサタンの血統を完全に断切、撤廃しなければなりません。大転換と大転覆の時代が果るのです。私たちが今まで成し遂げた四千万双の祝福は、世界がすべて知っています。知らない国がありません。

ですから、皆さんは現地に行って、青少年の問題を解決しなければなりません。青少年の問題は、私たちの家庭も、私たちの町も、私たちの国も責任をもてず、どんな環境も責任をもつことができません。すべてにとって問題です。

青少年の時に堕落することによって、アダム家庭が破綻したのですが、エデンにおいて春の季節にそのような種を蒔いたものが、秋の収穫期の「終わりの日」になって、世界的に実を結んだのです。これをまとめて、すべて燃やしてしまわなければなりません。残すもの、収めるものは一つもないというのです。大転覆させなければなりません。

真の祝福天宙化とサタン血統根絶20  一九九九年の年頭標語は、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。サタン血統根絶は、サタン世界と関係がないということです。真を中心とするとき、偽りが相対の位置に立つことはできないというのです。ですから、一九九八年には「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」として、「真」という言葉を使いました。神様が真の位置に立たなければならないというのです。

今までは神様が救援摂理をしてきたので、サタンに押さえられてきました。しかし、アベル的基準でカイン的基準を自然屈伏させ得る環境を経るために、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という言葉を使ったのです。三億六千万双の祝福をすれば、サタン世界の血統を断切できるのです。

既に一九九八年九月三十日を中心として、越えていくことができる時代に入ったので、今や天と地において、相対的関係の闘争的時代が過ぎ去ります。峠を越えたというのです。今、地上における三億六千万双の祝福完成は、この峠に集まってするのではありません。本然のアダムとエバの位置に立ち、世界人類を祝福することによってこの峠を越え、本来、アダム家庭の位置に立つべき人たちが祝福を受けた立場に立ったので、天と地を塞いでいた塀が崩れていくのです。

ですから、一九九九年はサタン血統根絶です。根を抜いてしまわなければなりません。そのためには、祝福の恵沢圏を天宙、霊界と肉界に一元化しなければならないというのです。

21  今年は一九九九年ですが、九九九の九数はサタン数です。九九九は、蘇生、長成、完成ですべて十数に近づきます。解放数になるとみなすのです。真の祝福とは、祝福が完成したという意味です。ただの祝福ではありません。真の祝福の天宙化です。神様の心に最後に残った宇宙的解放の定着、完全に定着できる真の家庭を祝福してあげようというのです。

その次には、サタンの根を根絶しようというのです。最後です。一九九九年を逃すことなく、精誠と愛の心を宇宙に拡大して祝福するようになれば、世界は自然に従ってきます。「私」がプラスになっているので、マイナスが付いてくると考えるのです。そのような心をもって、皆さんの町に祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。皆さんが、家ごとに愛の絆を残していない所がないようにしなければなりません。そのようにしてこそ、神様が主体として愛の心で日の光のごとく照らしてくださるように、解放圏が広がっていくというのです。

それを知っても行くことができなければ、脱落して、あの国(霊界)に行っても嘆くことすらできません。ですから、福を受けようと考えず、理解してほしいと思ってはいけないというのです。父母様がそのように生きてきました。神様が関心をもっていなくても、それをしたのです。報告もせずにしたのです。そのようにしてみると、自然にできたというのです。自然の道理です。アダムとエバが報告して完成するようになっていますか。自然の道理によってできるようになっています。ですから、神様に報告しなくても、その前に出ていって、報告したこと以上の価値として実を結ばせるというのが天理大道の原則です。

22  一九九九年の標語は、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。「断切」には様々な方法があります。葉も断切し、枝も断切し、大きな幹も断切します。「断切」という言葉は、根を抜くという「根絶」とは違うのです。

女性の根を抜かなければならず、男性の根を抜かなければなりません。根の出発はサタンです。サタンが先に根を下ろしました。皆さんはその根につながっています。皆さんに堕落性が残っているのは、サタンが関係を結んだからです。

神様の最後の願いは、皆さんの家庭を一つ一つ救うことではありません。サタン世界の根をどのように抜くかということです。この根を抜くときは、神様が怨讐のようにたたいて抜くのではありません。偽りの愛によってこれを植えたので、抜くときは真の愛で抜かなければ、抜けないというのです。

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新しい家庭と統一祖国7   一九九三年、新年の年頭標語は、「新しい家庭と統一祖国」です。今や、全世界が心を一つにして祈り、精誠を捧げた一九九二年が過ぎ去りました。去る一年間は、お母様を中心として世界史的な役事(働き)を行った年であり、歴史始まって以来、初めて女性解放を宣布した年でした。

今までは、超国家的に女性たちが解放されませんでした。女性が堕落をもたらしたので、この堕落したことを越えていかなければ、女性解放時代が訪れません。摂理的に見るとき、そうなのです。神様の摂理歴史は、救援することです。救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。このように見るとき、救援摂理は女性を探し出すための歴史でした。これが、今まで誰も分かりませんでした。

救援摂理は男性を探し出すためのものではなく、女性を探し出すためのものです。人類歴史が誤ったのは、女性が誤ったからです。女性が愛の道を誤って行ったために、今日までの歴史がこのように偽りの歴史になりました。これを復帰しようとすれば、再創造の役事をしなければなりません。再創造歴史の過程を経なければならないのです。

8   私たちは、一つになった祖国を成し遂げていかなければなりません。それは家庭から始まります。新しい家庭から、一つの祖国、統一された祖国が生じるというのです。祖国統一ではありません。祖国統一といえば、祖国が分かれたものを統一するという意味になります。

しかし、「統一祖国」という言葉は、新たに統一された祖国が始まることを意味するのです。ですから、「新しい家庭と統一祖国」が新年の標語になるのです。新しい国で統一しなければなりません。新しい国の統一が祖国の光復です。そのような時代に越えていきます。

9   今年の標語は「新しい家庭と統一祖国」ですが、これは、まず「私個人」が統一されてこそ、成し遂げられる言葉です。私個人が統一されなければ、何もできないのです。そして、男性は女性によって生まれたので、絶対的に女性と統一されなければならず、女性は絶対的に男性と統一されなければなりません。適当にではありません。御飯を食べること、おなかがすくことよりも、さらに真実(なこと)です。深刻な問題です。絶対的な真理です。アダムとエバが祝福を受けたとすれば、その場は初愛を交わす場です。初愛は絶対的なのです。

ところが、初愛を売り飛ばす人々が多くいます。そのようにして夫に接すれば、幸せに暮らせるようにはなりません。今までは、男性に節操がありませんでした。男性に「貞操を守りなさい」と言っても、守れませんでした。女性にだけ貞操を守ることを強要しました。それは、エデンの園で女性が貞操を失ってしまったからです。今後、統一教会では、女性の貞操より、男性の貞操をもっと重要視しなければなりません。

真の父母と成約時代安着一九九四年の標語は、「真の父母と成約時代安着」です。安着は、定着と意味が違います。安着は、すべてのことが成就して位置を定めるという言葉です。人間が堕落することによって、個人が未完成となり、家庭が未完成となり、氏族が未完成となり、民族、国家、世界、天宙が未完成となりました。創造主であられる神様にとっても、創造理想を完成しようとしたすべてが失敗に終わったというのです。しかし、神様は失敗の立場に立つことができないので、再創造過程を経て、これを蕩減復帰して本然の位置に戻すのです。そのような役事をするのが救援歴史です。

11  個人で真の父母と成約時代を安着させ、家庭で安着させようというのです。そうして、国で安着させるのです。これが神様の創造理想です。天の国を求めなければなりません。その国は、天国と通じるのです。三大原則です。個人で安着させようというのです。ですから、体と心を統一しなければなりません。夫婦が真の愛で統一されなければなりません。争ってはならず、涙があってはいけません。自己主張をしてはいけません。自己主張をするとしても、天理原則に従って主張しなさいというのです。父母様はすべて教えてあげました。四大心情圏、三大王権を中心としてすべて教えてあげたので、今からそのように生きなければなりません。

自分の家庭は、地上天国と天上天国のモデルです。そこには、祖父母、父母、夫婦、息子、娘まで、四代の系列が存在します。世界の各国も、祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘のような四代の系列になっています。個人は家庭、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界のために犠牲にならなければなりません。より大きなもののために犠牲になる原則を中心として、世界の人々を自分の家庭にいる祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘以上に敬わなければなりません。世界の人々を自国の国民以上に敬えば、天国の本宮と一致した立場で完成し、天国のどこにでも入っていけるのです。

真の父母様の勝利圏を相続しよう12  一九九五年の標語は、「真の父母様の勝利圏を相続しよう」です。勝利圏というのは、天地のすべての伝統、今の人類と、今後生まれてくるすべての子孫たち、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、このようなすべてにおいて勝利したということです。神様が救援摂理をしながら、歴史時代に失敗したすべてのことが恨として残っているのですが、真の父母様がアダム家庭から綴られてきた恨の根を抜き取りました。このような内容の勝利的記録を残したのです。

今まで、サタンが歴史を支配してきました。このサタンの歴史を取り除かなければならないというのです。世界がサタンの世界的勝利圏を受け継いできたため、その恨の根を抜き取らなければなりません。アダム家庭から、ノア家庭、アブラハム家庭の恨の根、ヤコブからモーセ、その次に、洗礼ヨハネとイエス様の時代のあらゆる恨を抜いてしまわなければなりません。

このサタン世界に、何をもって勝利するのかというのです。父母様のみ言と一つになる道しかありません。真の父母様の歴史的なこのすべてのみ言は、勝利の覇権を提示するための一つの宣言文です。ですから、年頭標語に「真の父母様の勝利圏」という言葉を使ったのです。

13  南北統一の運勢が近づいています。一九九五年を中心として南北統一をし、天のみ前に奉献して、三千里半島に神様の解放の場を探し出さなければなりません。お父様は一生の間、誰一人からも補助を受けずにこの道を行ったので、皆さんも誰かの補助を受けてはいけません。お父様の補助も受けてはいけません。父母様の補助を受けずに父母様以上のことを成し遂げるとき、父母様が訪ねていって、父母様がもつ財産まで相続させてあげるというのです。そのような孝子、忠臣の道理を備えたあとには、世界史的な聖人、聖子の道を難なく占有できる道が一九九五年の自らの行動いかんによって決定されます。脱落する天の孝子、忠臣、烈女にならないように、真の父母様の勝利圏を相続させるのです。

ですから、平面上で代を継ぐことは問題ありません。家庭で孝子になれば、忠臣の代を継ぐことは問題ありません。国で忠臣になれば、聖人の代を継ぐことは問題ありません。天の国の直系の王子の立場に立てば、平面上で聖子の道理も問題ないのです。そのため、孝子の基盤は忠臣の足場になるのであり、忠臣の足場は聖人の足場になるのであり、聖人の足場は聖子の足場になるのです。

父母様が天の悲しい事実を蕩減復帰して、初めて孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を地上で完結したので、この全体を一九九五年の元旦に、統一教会と世界にいる人々に相続させるのです。

真の父母様を誇り愛そう一九九六年の標語は、「真の父母様を誇り愛そう」です。一九九五年の標語は、「真の父母様の勝利圏を相続しよう」でした。

神様の願いや人類の願い、すべての万物の願いとは、真の父母がこの地に現れて、神様の真の愛が出発することです。それが創造の始まりであり、創造の過程であり、創造の目的と結果でした。人間が堕落しなかったならば、真の父母がこの地上に現れ、真の愛を中心として家庭を築いていたでしよそれが神様の願いであり、神様が人間を創造した理想でした。

堕落していないアダムとエバが、この地の真の父母になったならば、神様の真の愛を中心として、鉱物世界、植物世界、動物世界、被造世界の全体が一つになっていたでしょう。それにより、真の父母を中心として、すべての被造物が神様の愛の懐に抱かれていたでしょう。ですから、神様は、この地のアダム家庭を中心として、アダムとエバと共に一つになりこのすべての万物を主管しながら、愛の中で暮らさなければならなかったというのです。それが神様の願いでした。

15  真の父母様を誇り、愛さなければなりません。愛するのですが、自分の夫よりも、自分の息子、娘よりも、自分の国よりも、この地の堕落した人類のすべてのものよりも愛さなければなりません。世の中になかった愛をもって父母様を愛してこそ、皆さんも世の中にない愛の世界を相続するというのです。そうしてこそ、神様の息子、娘になり、天の国の皇族になり、天の国の民になるのです。そのようになり得る時代圏に入るのです。一九九七年に三百六十万双が祝福結婚をすれば、天国が展開するようになります。

天国はどれほど遠いでしょうか。ですから、天国に入ろうとすれば、真の父母を誇らなければならず、真の父母を証しなければならず、真の父母を愛さなければなりません。それを準備せざるを得なかったので、一九九六年の元旦に「真の父母様を誇り愛そう」という標語を定めたのです。

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韓国統一19 今までは、いくら祖国光復を叫んでも、その国がどこにあるのか分かりませんでしたが、今や分かりました。今、一九八八年が過ぎ去ったので、それが韓国であることを明らかにするのです。ですから、この国、韓国で摂理的転換期を宣布し、「世界統一国開天日」を宣布しました。ソウルオリンピック大会を前後して、世界の二世たち(オリンピック選手)と統一教会の二世たち(宣教師)が内的に結束したことを条件として、新しい転換時代において、すべての問題を中心に希望的な世界に行けることを宣布しました。

この基盤は、人間世界はもちろん、霊界でもそのようになるのです。私がこれを宣布することによって、日本の先祖たちが韓国に来て助けることができるようになります。怨讐の国同士、互いに愛することができる愛の時代に入ったので、日本の善霊たちが、日本を犠牲にしてでも韓国の統一を後援できるようになり、アメリカでもイギリスでも、どんな国でも関係なく、世界のあらゆる国の善霊たちが、韓国統一のために後援できる霊的勢力基盤が地上に連結されたというのです。

20 今日、韓半島の統一をどのように成し遂げるべきでしょうか。数多くの宗派があり、数多くの集団があり、数多くの家庭があり、数多くの政党がありますが、それ自体が愛に和合した存在となり、自らを投入して共鳴体的な相対を創造できる行動をしていません。

政党が行くべき道は、国の富、国の利益のために役立つことです。政党は、国の利益のために心配しなければなりません。一方向的な党の利益ばかりを中心とするようになれば、国を蹴飛ばしてしまうのです。

韓国にこのような中心がないので、父母様が全世界の統一教会員たちをこの地に連れてきて、新しい氏族編成を中心として、民族編成を完結し、国のために統一運動をしなければならないというのです。韓国を愛の共鳴圏に感化させなければなりません。それを一九八九年、新年の初日から始めなければなりません。そのようになるとき、統一韓国が誕生するのです。それ以外に道がありません。その時、神様が個人と家庭、氏族、民族に訪ねてくるのです。

第四節 真の父母を誇り、祝福に力を注いだ一九九〇年代真の父母様は、一九九〇年と一九九一年は「ネナラ(私の国)統一」、一九九二年は「セナラ(新しい国)統一」、一九九三年は「新しい家庭と統一祖国」など、一九九〇年代の序盤に、統一問題を中心に年頭標語を発表された。そして、一九九四年は「真の父母と成約時代安着」、一九九五年は「真の父母様の勝利圓を相続しよう」、一九九六年は「真の父母様を誇り愛そう」など、一九九〇年代の中盤には、真の父母に対する誇りと愛を中心に年頭標語を提示された。そして、終盤に祝福目標の完遂を年頭標語の主要主題として掲げられた。すなわち、一九九七年は「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」、一九九八年は「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」、一九九九年は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」など、その年の祝福目標を中心として発表されたのである。

ネナラ(私の国)統一1 一九九〇年の標語は、「ネナラ統一」です。「私の国の統一」です。摂理史から見るとき、一九八〇年代は重要な時代でした。この一九八〇年代に摂理史的転換期を迎えられなければ、摂理史にこの上なく大きな難関が残ったでしょう。これが、父母様が苦心したことでした。しかし、一九八〇年代を中心として、全摂理史において蕩減すべきすべての内容を越えました。統一家が世界の頂上の位置に登ってくるまでに、四十数年の歳月が流れたのです。

2 今年の標語は「ネナラ統一」ですが、これはまず、個人の心と体が一つにならなければなりません。また、夫と妻が一つにならなければならず、父母の前に子女が一つにならなければなりません。神様を中心として一つになり、本源地的自覚を再認識する「私」を探し出すまでは、国の理想圏にも接することができません。

ですから、きょうから全体を代表する私にならなければなりません。神様を代表し、宇宙と世界、国、民族を代表するとともに、家庭では夫と妻、息子、娘を代表する私にならなければなりません。家庭の祖父母、父母、息子、娘を拡大したものが世界人類です。三段階の階層で連結されています。祖父母、父母、息子、娘です。

ところが、自覚すべきあらゆる基準を失ってしまいました。皆さんの家庭を代表する総合的な核の基準を(失い)、アダムとエバの家庭から世界に連結できる本源地を失ってしまったのです。今やその本源地を確定すれば、凍りついた氷山が春の日を迎えて溶けていくように、世界(の問題)は自動的に解消されていくでしょう。ですから、このように自覚した私から始まる私の国を求めなければなりません。

3 一九九〇年に私が、一九九一年も同じ標語をもって年頭の辞とすることにしたので、一九九一年の標語も「ネナラ統一」です。昨年も「ネナラ統一」になり、今年も「ネナラ統一」です。その次の三年目となる来年は、これを完結するための「セナラ統一」になるでしょう。ですから、一九九二年まで、私たちはこれを実践しなければなりません。

4 一九九〇年代を出発するこの日、父母様が世界を再収拾して、統一天下に向かって前進すべき時点で、皆さんが命令を受けているこの瞬間が、どれほど厳粛な時間なのかを知らなければなりません。

「ネナラ統一」が成し遂げられるその時は、歴史始まって以来、何万年、何億万年、摂理史を中心として待ち望んでいた神様の願いが着地できる、息詰まる瞬間です。また、数多くの宗教者たちが無念な思いを抱きながら血を流し、「自分たちの悔しい恨を解いてほしい」と天に祈って所願成就の一日を願ったすべてのことが、地において成就されていません。それが地に成就される息詰まる時間が目前に現れたというのです。

ここで言う「ネナラ統一」は、この韓半島だけを中心としたものではありません。世界の国家を代表するものです。世界国家です。本来は「ネナラ統一」に「ネセゲ(私の世界)統一」を入れて、「ネナラ統一とネセゲ統一」としなければなりません。それを略して「ネナラ統一」としたのです。

世界の人々が、各自、自分の国を統一して韓国に連結すれば、世界になるのです。「私の国統一」のために、今までのどんな愛国者や忠臣よりも、さらに精誠を尽くしていく歩みを早めながら、涙とともに「さらに行かなければならない」と拍車を掛ける日々の生活を誇らなければなりません。天の伝統を記録するとき、一行でも登場できる歴史的な資料を残さなければならないのです。

セナラ(新しい国)統一5 アメリカで一九九二年一月一日にメモした内容です。「セナラ統一」という題名のもとに四つ(の項目が)あります。

第一は長子権復帰です。「セナラ統一」をしようとすれば、長子権復帰をしなければなりません。民族的に復帰しなければならず、国家的に復帰しなければならないということです。

第二は父母権復帰です。氏族メシヤを中心として、新しい父母が設定され、連結されなければなりません。父母権設定、長子権復帰です。長子権の父母が現れなければなりません。これが真の父母です。長子権が復帰されれば、長子権の父母が現れなければならないというのです。

次に、第三は王権復帰です。長子権の父母が王の中の王ですが、父母権復帰、王権復帰にも、長子の意味が入らなければなりません。王権も長子権の王権です。それが天の国の王であり、地の国の王であり、万王の王です。これは、真の父母に対して語る言葉です。

その次に、皇族圏復帰が出てくるのです。神の国の王を中心として、皇族が設定されていません。イエス様が万王の王として来たと言いますが、皇族がいないというのです。自分の血統を通した直系の王子、王女の家庭がないというのです。それが復帰されなければなりません。本来、エデンの園で、アダムとエバは皇族でした。この皇族圏から、すべて連結されてこなければならなかったのです。

6 アダムが失敗し、イエス様が失敗し、キリスト教が失敗したことだけでなく、真の父母に侍る再臨時代に失敗したすべてのことまで、お父様一身が責任をもたなければなりません。これを知って収拾し、復帰できる人は誰もいません。ただお父様しかいないというのです。

アメリカを中心として、世界的版図を勝利的に収拾しようとしたことまで、すべて失ってしまいました。これにも責任をもたなければなりません。そのすべてのことに、キリスト教やアメリカのようなどこかの国が責任をもつことはできないのです。お父様と一つになるべき相対圏に立っていた、これらすべてのものが破壊され、喪失したので、これを再創造しなければなりません。再びこれを収拾しなければならないというのです。

ですから、一九四五年に七年を足した一九五二年、この時に、既にきょう語る「セナラ統一」、新しい国が統一されなければなりませんでした。アメリカは、新教を中心とした独立国家です。新教国家として、アベルです。この新教を中心としたアメリカ、第二イスラエル圏が、全世界を抱くようになるというのです。世界を抱いて主人になるのは、アメリカではありません。来られる真の父母と連結されなければなりません。そのようになることによって、真の父母を中心として、宗教と国家が一つになる基盤の上に立つのです。

この宗教は、全世界的に統一された立場に立ちます。それが、カインとアベルが一つになることです。体と心が分かれたものが、世界的に統一されなければなりません。ここには主義があるのですが、その主義は真の父母主義であり、アダム主義です。

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内外天一国理想が完成されますように15  二〇〇五年の標語は、「内外天一国理想が完成されますように」です。ここで「内外」というのは、内的な天の国と外的な天の国のことを意味するのです。天一国というのは、二人が一つになった国です。心と体が一つになり、男性と女性が一つになり、父母と子女、天と地が神様と一つになったものです。内外の「内」は神様を意味し、「外」は真の父母を意味するのです。ですから、「内外天一国」を解いて言えば、内外的な天宙平和統一王国という意味です。

内的な天一国自体では、完成できないようになっています。外的な天一国を通して完成するのです。外的なこの体によって、天と地がすべて破壊されたからです。今や、内外天一国です。天一国時代が到来し、平和統一王国時代が到来し始めるというのです。

16  皆さんは、父母の前に子女の名分、国の前に忠臣の名分、世界の前に聖人の名分、天地の前に聖子の名分を備えることができなかった子女の道理を、皆さん一代で完結しなければなりません。皆さんは祝福を受けましたが、すべて個別的です。皆さん個人がエデンの園で失ったものを探し出すためには、父母の血統を連結した一つの血族として、父母に代わり、息子、娘の道理を中心として、孝子の家庭、忠臣、聖人、聖子の家庭を備えなければなりません。

そのようにして、どの家庭、どの国、どの民族にも、世界、地球星のどこにも境界線、限界線がない、父母様が自分を主張できる解放、釈放の基盤の上で、自由天地のごとく活動できるように、皆さんの家庭と国と天地に一元化され、愛の血統で連結された解放天地をつくらなければなりません。そのようにしてこそ、地上・天上天国が解放され、神様に侍ることができなかったところから復帰完成した億千万世の太平聖代、億万歳と褒めたたえ得る太平時代が来るというのです。

ですから、天宙平和統一王国を完成するのも「私」であり、天一国の王権を完成するのも私だというのです。私の家庭だというのです。皆さんの家庭が、そのような責任を果たさなければなりません。

天宙平和理想モデル摂理安着時代17  二〇〇六年の標語は、「天宙平和理想モデル摂理安着時代」です。摂理安着時代の中には、摂理家庭安着時代、摂理国家安着時代、摂理世界安着時代、地上天国安着時代まですべて含まれます。天宙平和理想モデル摂理安着時代で、その摂理の中では、モデル摂理家庭安着時代、モデル摂理国家安着時代、モデル摂理世界安着時代まで一つになっているのです。

18  二〇〇五年に、真の父母様が百二十ヵ国を巡りながら語ったみ言の題名が、「神様の理想家庭と平和世界のモデル」です。それが二つとも成就されていません。神様の理想家庭というとき、堕落した世界でその理想をどのようにして探し出すのでしょうか。

平和世界のモデルというのは、「終わりの日」に、新しい世界の新しい建国理念を中心として出発できる内容です。世の中に数多くの歴史を経て家庭モデルが一つ現れ、地上・天上天国のモデルが一つ現れてくるので、「神様の理想家庭と平和世界のモデル」と題名を定めました。そこには歴史がすべて入るのです。

19  「天宙平和理想モデル摂理安着時代」が二〇〇六年の標語ですが、モデル家庭時代は旧約時代を意味します。次に、モデル国家時代は、イエス様の時代である新約時代を意味します。その次に、モデル世界時代は、霊界と肉界の統一世界時代である成約時代を意味するのです。

再臨主が闘争と争いなしに難なく突破し、天宙平和理想モデル摂理安着時代を発表したのですが、これがどれほど素晴らしいことか分かりません。家庭安着時代も過ぎ去り、国家安着時代も過ぎ去り、今や世界安着時代だけが残っているのです。

天宙平和天一国太平聖代億万歳20  二〇〇七年の年頭標語は、「天宙平和天一国太平聖代億万歳」です。天宙平和連合は、統一教会が今、展開している世界平和運動の主題です。「天宙平和連合」という言葉は、神様が暮らせる地と家を意味します。人にはまだそれができていません。神様が暮らせる家と地、あるいは万物が連帯的責任を負っているのですが、万物は、神様が家を建てて暮らすのに必要な慰労の対象です。愛の象徴として重要な物だというのです。万物は、それぞれが個性真理体として、どんな存在でも自分自身を誇らないものがありません。優劣に関係なく、すべてそうなのです。

しかし、人間は、自分を誇る人をたたえることはありません。温柔、謙遜でなく、自分を中心として考える人には、「後ろに下がりなさい」と言います。しかし、自分を離れて公的なことを考える人には、「福を受けてください」と言うのです。神様も、そのような人を好むというのです。

21  二〇〇七年の標語は「天宙平和天一国太平聖代億万歳」ですが、何が太平聖代なのでしょうか。いくら天一国があっても、神様の創造本然の理想、神様と共に暮らせる環境がなければ、天一国の意味がないということです。環境的内容が具備されなければ、そうだというのです。美人だとしても、美人としての身なりを整えてあげてこそ、美人としての価値を感じるのと同じように、天一国がいくら良くても、神様が暮らしたいと思う家として、内外の内容を十分に具備し、誰でも入って暮らしたいと思うことができなければならないというのです。

そして、息子、娘として永遠に暮らしたいという思いをもてる、情にあふれた所にならなければなりません。その情をさらに与え、情を輝かせることが、神様の創造、天宙平和創造の理想の境地だというのです。そのような美しさが内外に満ちあふれていることが理想なのですから、どんな人でも慕わざるを得ないほど良い所だとすれば、太平聖代になるのです。

天宙平和の起源である神様に侍って暮らす家から、平和が訪れるというのです。そのような意味で、「太平聖代」という言葉は、幸福が途絶えることなく永遠に続く誇らしい時代、誇らしい世界だということです。億万世、億万年にわたって喜びの解放権限をもち、誇りをもって暮らすことができるのです。

22  「天宙平和天一国太平聖代億万歳」という標語で語っている太平聖代の時代が、私たちの生活圏を既に通過しています。天運が通過しています。その通り過ぎる運勢を、私は知っているのです。ですから、今、皆さんが大革命、大変革を起こし、入れ替えるべき問題とは何でしょうか。

お父様一人を信じて従っていくことは、歴史的な証人たちを立てるだけで、いつでも歴史時代に再現できます。お父様が去ったあと、皆さんはどうするのかというのです。今、知って、聞いて、またそのもろもろのことが事実ならば、どのようにすべきなのでしょうか。神様がいらっしゃることができる宮があるという事実、祖国があるという事実、郷土があるという事実を忘れてはいけません。

しかし、その祖国が、私の望む祖国の形を備えることができず、郷土も、私が願う基準になっていません。私が頼みたいことは、私が旅立つとしても、私が願うとおりに、より次元の高い祖国を創建し、より美しい理想郷を残せるようにしなければならないということです。

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天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳7   「天一国」の「天」の字は、「二人」を意味します。そして、「二の字は、上の水平と下の水平のことを意味するのです。天上世界と地上世界が平和にならなければなりません。ですから、天宙平和という意味が含まれるのです。「天一国」の水平(一)は、統一の「一」の字です。それで、二〇〇一年の標語は、「二人が真の愛を中心として、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成しよう」というものでした。

真の愛でなければ、み旨を完成できません。絶対、唯一、不変、永遠、絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を完成しようというのです。それが、二人が一つになった国、天一国です。天宙という言葉は、天地の家を意味します。男性も女性も水平になって、天に侍らなければなりません。侍る天を中心として、「私」の体と心が一つにならなければならず、その次に、夫婦が一つにならなければならず、父母と子女が一つにならなければならず、兄弟が一つにならなければなりません。すべて二人です。

主体と対象圏がどこでも一つになるには、真の愛でなければ駄目なのです。真の愛が中心になります。個人的中心、家庭的中心、次第に大きくなっていきます。その次には、父母と子女の中心、兄弟の中心になります。そうして、家庭定着です。

家庭定着ができれば、家庭を中心として氏族と一つになり、氏族が一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族が一つになれば、民族を中心として国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は神様と一つになった統一的国家にならなければなりません。そのようになれば、横に行っても縦に行っても、ぶつかることはないのです。

8   二〇〇二年の標語は、「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」ですが、その自由、平和、幸福は、真の愛を中心として語る言葉です。真の愛を中心とした自由、真の愛を中心とした平和、真の愛を中心とした幸福です。これは家庭にも入り、すべてに入ります。一人で幸せになることはできません。幸福の基礎は家庭しかないので、これを連結できる家庭がたくさん繁殖しなければなりません。

四位基台は、祖父母、父母、自分たち夫婦であり、息子、娘まで含めれば四代です。これが一つのカテゴリーです。四位基台の上で、アダムの孫からは数十双が出てきても大丈夫です。これが種になっていて、モデルが出てきたので、ここから十二支派が出て、数百支派が出てくることができます。息子、娘をたくさん生んでペアをつくるほど、アダムの家庭が栄えるのです。

ですから、四位基台完成のもとで四系列が出てきます。祖父母、父母、自分たち夫婦の三代が暮らせば、息子、娘が出てきます。三代を中心として、創造本然のアダムとエバの息子、娘と孫たちが出てくるのですが、この四代からは種になって、結婚さえすれば、天国にそのまま入ります。それが一つのモデルなのです。

真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように9   二〇〇三年の標語は、「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」です。ここに、神様の創造理想の全体が入っています。個人、家庭、氏族、民族、国家において、真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子です。

そして、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されます。ここでの相続は、神様の王権を占領した基盤で成し遂げられるようになるのです。

堕落した世界の個人の所有権や国に属しているものは、すべて否定されなければなりません。それは、結局は堕落した世界の結果物です。神様が願わない怨讐の血統に連結され、汚された世界です。神様は、その影がかかることさえも好みません。戦争によって大勢の人たちが死に、興亡盛衰を経てきたこの悪の世界を、神様が管掌(かんしょう:役目の権限をもってつかさどること)することはできないというのです。

10  真の愛によって、私たちの家庭は天一国の主人になり、孝子にならなければなりません。主人になるというのは、孝子になったあとに語る言葉です。

その次には、忠臣、聖人、聖子の真の家庭になってこそ主人になります。それは、ただ盲目的に語った言葉ではありません。これは、天理原則において避けることができない一つの礎石を据えた立場なので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、自分は千辛万苦の受難の道も感謝しながら、百回、千回死んでも、無限大の世界のために行かなければなりません。

神様が宗教圏を中心として愛し、信じることのできる、御自身の側にいる人が犠牲になっても、耐えるしかなく、助けてあげられない(神様の)無念な心情を皆さんが体恤し、行く道を前にして涙が前を遮り、血と汗が自分の周囲にしみ渡っていてこそ、サタンが皆さんに入ってくることができないのです。ために生きて涙を流し、ために生きて血を流したその跡があるので、サタンが来ることができないというのです。サタンは利己主義です。利己主義なので、その場を侵犯できません。

11  家庭のモデルが忠臣と通じ、忠臣のモデルが聖人と通じ、聖人のモデルが聖子と通じ、聖子のモデルが王権と通じます。ですから、真の父母がいらっしゃる天一国には、真の父母、真の主人、真の師、真の王が行くのです。孝子、忠臣、聖人、聖子、王権と同じです。その位置まで越えていってこそ、相続を受けます。はっきりと教えてあげるのです。いくらうまやっても、中間では駄目です。福を受けようとしてみなさいというのです。死んだのちには、墓場に行かなければなりません。これは、墓場ではなく、天国に行ける間違いのない道です。今や、世の中がすべて知っています。

ですから、二〇〇二年七月四日、ワシントンDCで天の解放宣布式を行うとき、霊界の決意文を宣布しました。第一は、「絶対真の父母である神様と真の父母様を知って信じる」、次に「絶対真の師である神様と真の父母様を知って信じる」、その次に「絶対真の主人である神様と真の父母様を知って信じる」、また、その次に「真の父母様を神様の実体として、真の父母、真の師、真の主人として信じて行動する!」です。

王です。王にならなければなりません。真の父母、真の師、真の主人です。王は一人しかいません。ですから、「統一家の祝福家庭は、父母様を王として、侍りなさい」と言いました。そうしてこそ、相続を受けます。王の前に行って王子になってこそ、相続を受けるのです。聖子になってこそ相続を受けます。それを受けられなければ、あの国(霊界)に行って引っ掛かるのです。

神の祖国と平和王国時代宣布12  二〇〇四年一月一日、きょうから「神の祖国と平和王国時代」に入ります。宣言ではなく宣布です。宣布というのは、そのような時代になったということです。これは、個人だけでなく、全世界、天地に及ぶので、宣布の内容は既に宣言時代を通り過ぎたのです。

その言葉は、神様の祖国光復はもちろん、神様の平和王国時代も既に宣布されたので、そのような世界に生きる人として、そのような立場に立ち、神様の平和王国を完成しようということです。

13  「神の祖国」という言葉を二〇〇四年一月一日のけさ、宣布したので、これから神の祖国が始まります。そして、平和王国を宣布しました。神の祖国と平和王国が始まったので、その場は堕落した世界と何の関係もない場です。堕落する前、神様が願った神の国、神の祖国です。その祖国の領土で親族が暮らすことができ、民族が暮らすことができ、国々が暮らすことができます。全体が天の国になり得るのです。仮想ではない実存的存在圏です。

この祖国の上から、すべてのものが始まり、議論されなければなりません。「祖国」とは、このように貴い言葉だというのです。祖国がないところで成し遂げられたものは、すべてなくなります。国がなければ、「大韓民国」という言葉も、「白衣民族」とい言葉もあり得ません。

神様が願う祖国の地の内容が、歴史時代を経て個人から家庭、氏族、民族、国家に連結され、世界の祖国光復を宣布できるその時になれば、このすべてのものが、祖国の上で存在し始めるというのです。しかし、そこから脱落したので、蕩減法で代用するために、今までは条件的基準を中心として生きてきました。神の祖国の領土ができたという時には、過去の条件的立場でその名分を立ててきたものをすべて踏みつけ、断ち切り、ひっくり返して、この祖国の領土の上に再び立てて改造しなければならない時代になるというのです。

14  皆さんが夢の中でも考えなければならないことは、神の祖国と平和王国です。神様は祖国を願い、人間は平和王国を願いました。天が願い、地が願ったことを所願成就したので、死ぬとしても感謝しなければなりません。皆さんがこの地上に生きて、死ぬ時になれば、地に対して感謝し、万物の前に恥ずかしくないように忠孝の涙を流さなければなりません。自分自身の享楽のために生き、楽しみのために生きて涙を流す、恥ずかしい息子、娘になってはいけません。

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第五節   天一国理想の実現に力点を置いた二〇〇〇年代真の父母様は、二〇〇〇年代を迎え、神人愛一体理想を成し遂げて天一国理想を実現し、天地人真の父母勝利解放完成を目標とする年頭標語を発表された。すなわち、二〇〇〇年は「真の愛の天宙化は新千年天国完成」、二〇〇一年は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語において、真の愛を通した一体化を強調された。続いて、二〇〇二年は「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」、二〇〇三年は「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」、二〇〇四年は「神の祖国と平和王国時代宣布」、二〇〇五年は「内外天一国理想が完成されますように」、二〇〇六年は「天宙平和理想モデル摂理安着時代」、二〇〇七年は「天宙平和天一国太平聖代億万歳」、二〇〇八年は「天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳」など、天一国と関連した年頭標語を提示された。そして、二〇〇九年は「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」、二〇一〇年は「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」、二〇一一年は「天情父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳」、二〇一二年と一三年は「天地人真の父母勝利解放完成時代」など、天地人真の父母様の一体化と勝利を標語として発表され、二〇一四年から二〇年までは、年頭標語として「創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」を発表された。

真の愛の天宙化は新千年天国完成1   二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。「真の愛の天宙化」という言葉は、真の愛の家という意味です。存在世界の真の愛の天宙化です。「天宙」とは、神様の家を意味します。神様がとどまり得る家は、新しい千年を通じて完成するという標語です。真の愛の天宙化を通して、神様がどこにでも永遠に住める新千年時代の天国完成が出発するというのです。

2   天国は、自由が永遠にある所であり、希望が永遠にある所であり、幸福が永遠にある所であり、真の愛と真の生命が永遠にある所です。神様の家で暮らしながら、神様とすべてが一つになっているので、間違いがありません。ですから、統一教会では、互いに愛することによって、世界のすべての人々が「私の家である。私たちの家である」と考え、一緒に暮らしていくのです。統一教会の人々は食口です。

家庭と食口が天地安息圏の中心にいるので、このような公式原理に従って、統一教会は家庭第一主義、兄弟第一主義、食口第一主義を主張するのです。それが、真の愛を中心として、真の血統と連結された真の家庭です。

3   二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。千年王国時代を築かなければならないというのです。「新千年天国完成」時代に越えていくというのです。漠然としていません。家庭が国家を探し出すことによって、エバが堕落した長成期の基準を越え、アダムとエバの完成基準を越えて、家庭、氏族、民族、すべてを祝福し、天地のすべてが向きを変えるのです。それにより、第三次アダム時代に蕩減を解消し、解放的第四次アダム圏時代になったので、国家を越えた家庭にならなければならないというのです。

国に戸籍を登録できる時代になったので、自由勝利の定着圏になるというのです。ですから、家庭の解放です。エデンの園で入籍が必要のない家庭になったので、ここでは自由です。父母様が教えるみ言のとおり、一つになって生きれば、自主的な立場で、地上と天上のどこに行っても行路の制限を受けない、解放時代に向かっていくので、もはや国境はすべてなくなるのです。ですから、自主的な立場で祈らなければなりません。今までは「切に願います」と祈りましたが、これからは報告です。善意の報告なのです。

解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように4   「家庭盟誓」の八節の終わりに、最も重要な一つの単語があるのですが、それが「解放」という言葉です。神人愛一体理想を成し遂げ、地上天国と天上天国の解放圏を完成しようというのです。二〇〇一年の標語は、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。「真の愛の主体性」とだけ言えばよいのに、「真の愛の主体性」の次に、「絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」が入ります。

この標語は、新千年紀の期間にも必要なものですが、特に子女たちと父母が共にこれを成し遂げて、地上天国を完成しなければならないというのです。神様だけでなく、皆さんも成し遂げなければなりません。父母様だけではありません。

解放された天地父母と解放された子女が成し遂げなければならないのです。一心一体になって成し遂げなければなりません。そして、真の愛の主体性、主流思想です。主体性と言えば、骨子について言っているのです。神様が成し遂げようとした絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げなければならないというのです。

5   二〇〇〇年十二月三十一日までの二千年の期間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時代でした。今やそのような時代は過ぎ去り、黎明が訪れ、新しい成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代になりました。ですから、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語は、一時だけでなく、永遠に続くあの世でも皆さんに残る課題だというのです。そして、家庭がどれほど貴いかを知って、一心同体になり、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。

そのためには、世界主権を復帰してさしあげなければなりません。すべての主権下にある家庭が、天地父母、神様の伝統思想に従っていけばよいのです。個人を復帰し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の真の愛の理念的国家観を形成しなければなりません。また、真の父母の理念となる国家観を完成しなければなりません。そのよな責任が、祝福を受けた家庭である皆さんにあるので、きょうからは祈りの内容が変わります。

今までは、「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ…」でした。祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参(一緒に参加すること)できません。真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新たに連結させたので、真の父母の息子、娘の絆を掲げているのです。

永遠不変の神様に統治されるこのすべてが、堕落していないアダムとエバの実体圏として祝福を受けたとすれば、神様の愛と神様の生命が連結され、神様の血統が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から束ねられ、これが種になって拡大されたはずですが、三代を通じたこの結実的血統の種が植えられませんでした。これが堕落です。父母様が一代だとすれば、皆さんは二代ですが、皆さんが息子、娘を誤って育てれば、堕落した後裔のその伝統から抜け出すことができないというのです。

6   今後、父母様の所に思いどおりに訪ねてくることはできません。条件を提示するでしょう。国ができれば、厳格にするのです。世の中の法のうちで、大韓民国の法が問題ではありません。その十倍以上の法を中心として、越えていくべき道が残っているというのです。一生において、それを越えていかなければなりません。そのような過程が残っているので、これから皆さんは、どのように生活しなければならないのでしょうか。祈祷時代は過ぎ去りました。救世主がいてこそ、祈りも通じるのです。救世主が解放圏にすべて導きました。解放圏を開いておいたのです。

ですから、二〇〇一年の標語は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。一緒に協力するのです。協力して、報告することがうまく行ったのか、行かなかったのかを見て、うまく行かなかったときは、挽回しなければなりません。挽回するまでは報告できません。祈祷ではなく、報告です。良い報告ができる実績をもてなかった人は、父母様がいる場に来ることができません。

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第四節   「万物の日」宣布献貢式と「万物の日」宣布真の父母様は、一九六三年、陰暦六月六日(陽暦七月二十六日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で献貢式を開催された。天の子女の名で、サタン圏に属していた天下の万物を神様のものとして取り戻し、お捧げする儀式であった。真の父母様は、この献貢式を期して、陰暦五月一日に遡り、翌年から毎年、この日を「万物の日」として記念するようにされた。真の父母様は、三年路程の終結宣布の翌日である一九六三年、陰暦五月一日(陽暦六月二十一日)を「万物の日」と定められたのである。

1   きょう、献貢日を迎えた皆さんは、今やすべての条件を立てて、国がなく、民がなく、領土がなくて悲しまれる父のみ前に、「これから天国の民を立て得る神様の息子、娘が現れ、その息子、娘が勝利して家庭を築き、家庭を束ねて民族と国家を築き、国家を動かして世界的基盤を築く歴史が始まりますので、喜んでください!」と言うことができなければなりません。

統一教会を中心として見るとき、宗教的に一次的な勝利の基盤を築いておき、聖婚式を通して二次的な出発を宣布するようになりました。私たちが今までこの国に宣布した中心内容は、私たちの真理と祝福です。聖婚家庭を通して、そのようなことを宣言してきました。このように、一次、二次を経てきながら、国家的な大行事として宣布し得たというのは、私たちが今後、天国を建設するのに、国家と縁を結ぶようになる、時代的な恵沢圏内に入ってきていることを意味します。

2   人間は、信仰、心情、実体を失って堕落しました。お父様は、神様に最も忠誠を尽くすために、最も信じられないことを語る人は誰か、と探し求めました。「私は神の夫人である」と語る人、「私が主である」と語る人などを訪ね、彼らが歴史を代表する信仰をもっているか、心情をもっているか、実体になったかを試験したのです。

信仰を決定したのちに、心情復活と実体復活を宣布しました。そして、縦的に取り戻してきたものを横的に立てたあとに祝福をしたのです。この基準の上で(天が)褒美を与えたということです。

また、このように横的な基準が立てられたあとに聖地を選定しました。このような背景で、神様にすべてのものを捧げるという条件の献貢式をすることによって、縦的なものが横的に展開され、平面的な基準が生じるようになったのです。

3   きょう、献貢日を迎えて、皆さんが参加したこの場に来るまでの道は、涙の道でした。この場は涙の場です。どれだけ泣いても止められない涙の場であり、痛哭しても形容し難く、どんなものによっても遮ることができない場です。ただ、自らの心の奥深くに、他の人が知らない抱負をもったとすれば、何か外的な物をもっていることが福であると思うのではなく、心の奥深くにもっているこの怨恨とこの悔しさを、億万のお金とも換えられない無限の価値のものとして感じなければなりません。これを貴く思うことができ、これを完結するための責任を背負うことができる心が必要です。

その心を、皆さん全体の中心心情として仰ぐようになるとき、神様はここで初めて、六千年の深い悲しみを私たちに相続させることができるというのです。

この場は、神様の悲しみ全体を厳粛なものとして相続する場です。それを相続しておいて、父が立てようとされた本然の万物を、万宇宙と世界に、父の喜びのものとして復帰してさしあげる基盤を築こうという信念だけが、皆さん自身にとどまらなければなりません。そのようになってこそ、ここに参加できる資格をもつことができるのです。悲しい歴史をもった天の曲折を忘れてはいけないというのです。

4   (天の)お父様、この献貢金は、万物をすべてお父様のみ前に捧げる条件の祭物でございます。これを締めくくるために真の父母を立てられ、真の家庭を立てられ、真の聖地を立てられました。

この聖地を基盤として、精誠の込められた心の基盤の上に条件を立て、数多くの子女たちが集めたこの献貢金をお父様のみ前にお捧げいたします。これは、この国全体を象徴するものであり、これは全天宙を象徴するものであり、これはお父様の六千年間の悲しみを解怨してほしいという、この上なく微々たる条件物でございます。物質それ自体を御覧にならず、その背後に連結された心情だけを御覧になるお父様であることを知っておりますので、この条件をお父様のみ前にお捧げいたします。

ここには血の涙が混ざっています。統一信徒たちが聖地を探し求め、涙を流しながらお父様のみ前に訴えた心情の絆が連結されていますので、エデンの地の上に、韓半島の上にある万物をお父様のものとして今や掌握してくださり、お父様の民として、お父様の国として掌握してくださって、全世界を掌握できる勝利の基盤として受け取ってくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。

5   私たちは、天地万物を造った神様に、蕩減基金をお捧げしなければなりません。聖別してお捧げしなければならないのです。アブラハムが祭物を捧げるとき、鳩だけを裂かないことによって、すべてのことが失敗に帰しました。天地がすべてひっくり返ったというのです。アブラハムが祭物を誤って捧げることによって、すべてのものが落ちてしまったのです。

今回、私たちがすることの中には、ありとあらゆることがあるでしょう。血を売って差し出す人もいて、あらゆる苦労をしながら商売をする人もいるでしょう。皆さんがそのようにできなければ、恨になります。そのような歩みを見るたびに、涙を流す立場に立たなければなりません。宇宙的な理念を中心としたみ旨であるとすれば、その理念圏内に立った父母を中心とした兄弟、そのような兄弟を中心とした家庭、そのような家庭を基盤とした天宙が必要です。ですから、万物を復帰する一日」を制定したのです。

6   ユダヤ教がイエス様の命を奪うことによって、神様のみ前に非常に大きな釘の跡を残しました。積み重なったその恨を解かなければ、天と地を復帰できません。完全復帰のためには、本来、万物の祭物時代、子女の祭物時代、父母の祭物時代を経なければなりません。ところが、アダムとエバが神様に背いてから、ただの一度も父母の立場で祭物を捧げたことがありませんでした。

しかし、皆さんの前に「父母の日」が立てられるようになったので、父母を通じた「子女の日」が出てこなければならず、「万物の日」が出てこなければなりません。これによって、神様の心情を解怨成就し、父母の心情、子女の心情、万物の心情(嘆き)を解怨成就しなければなりません。そのようにしてこそ、アダムは堕落しましたが、私たちは堕落しなかったという条件を立てて、嘆息圏を抜け出せるようになります。ですから、私たちは、そのような日々を定めるとき、逆さまにして、まず「父母の日」を定め、それから「子女の日」、「万物の日」を定めたのです。

7   「万物の日」は、どのようにして出てきたのでしょうか。エデンの園でアダムとエバが堕落することによって蒔いた罪の種が、彼らの息子たちであるカインとアベルとして収穫されました。ですから、罪の種を蒔いた父母が復帰されなければなりません。そして、天宙史的な父母復帰の基台を中心として、忠孝の道理を果たすことができる子女の基準を復帰しなければなりません。この基準が決定されたあとに、初めて「万物の日」が出てくるようになったのです。

この地上に広がっている万物は、この上なくかわいそうな立場にいます。神様が希望の中で造った万物であり、神様があらゆる精誠をすべて尽くして造った万物でしたが、人間が堕落することによって、万物は人間に代わって贖罪の過程を経なければならなかったのであり、悲しく犠牲にならなけれしばなりませんでした。人の命を奪って祭祀を捧げることはできないので、万物を祭物として犠牲にする祭祀を捧げてきたというのです

8   復帰路程においては、万物を復帰し、子女を復帰し、父母を復帰してきました。万物を祭物として捧げ、その次に、息子を祭物として捧げました。その次には、父母に向かって上がってきました。ですから、霊的に父母がその十字架を負ったのです。イエス様と聖霊が、そのような迫害を今まで受けてきました。キリスト教がそうだというのです。それゆえ、逆さまに上がってきたのです。

私たちの時代には、これをまた逆さまに立ててこなければなりません。ですから、「父母の日」を定めたのは、この十字架の長成段階を越えることを意味します。「子女の日」もそうであり、「万物の日|もやはり同じです。このようなことをすべてしておいて、「神の日」を設定したのです。

「万物の日」に対する姿勢万物は、本来神様に属したものであるため、すべての財産は神様に奉献しなければならない。特に祝福家庭は、所有物を神様のみ前に捧げ、神様の名によって再び相続を受けなけれfならないのである。真の父母様は、万物が、真の主人に出会い、公的な権限と価値を賦与され、真の愛の管理を受けなければならないと語られた。また、日常生活のすべての必需品は、被造万物を象徴した物であるため、いい加減に扱ってはならず、貴く扱い、評価することを強調された。

9   「万物の日」を通して、これから第三の父母との絆を私たちが結んでいかなければなりません。ですから、万物を愛さなければなりません。慈悲の思いをもって万物を愛する心を育み、鳥を愛し、動物を愛し、すべてのものを愛する心を育んでいくことによって、今後、父母に対する愛も実践でき、人に対する愛も実践できるのです。

堕落圏内において、三大嘆息圏を神様から、人類の父母から、人類から、万物から解怨成就できる道は、ただ統一教会の道しかありません。そのような道を開門する最初の出発の日々が「父母の日」であり、「子女の日」であり、「万物の日」です。万物は第三の父母です。ですから、自分の体を愛するように、万物を愛し得る皆さんにならなければなりません。愛する主人には、すべてのものが付いてくるようになっているのです

10  「万物の日」を祝う理由は何でしょうか。皆さんの所有する万物を、神様のみ前に結束させるためです。そのためには、皆さんの私有財産はもちろん、共同財産である国のすべてのものを、神様のみ前に復帰してさしあげなければなりません。これが皆さんの責任です。また、世界、地球星を神様のみ前に奉献してさしあげなければなりません。皆さんには、この地球星を神様のみ前に奉献してさしあげる責任があるのです。

奉献するときは、必ず父母の名を通してお捧げしなければなりません。そのような所有の権限が、どんな天地にも連結される領域をつくっておいてこそ、「万物の日」を祝う目的が達成されるのです。

11  人間を再創造しようとすれば、アダムとエバが創造される前の世界から再創造しなければなりません。ですから、アダムとエバの前に造られた被造万物がなければなりません。しかし、人間が堕落することによって、そのような被造万物が「私」にはありません。

そのため、統一教会では、七数の半分となる三年ないし三年半の路程で、必ず自らを再創造できる天の物質的要件を復帰しておかなければならないのです。それは、神様がするのではありません。

六数は蕩減路程期間であり、七数は安息圏であると考えるとき、三年ないし三年半の路程は必須です。このようにして、自分の血と肉を注がなければなりません。自分の血を与えたからといって、それが物質的条件になるのではありません。血と肉を投入して、サタン世界の物質を聖別できる立場に立たなければならないのです。それは、自分の欲心のための物質ではなく、宇宙的で公的な物です。天の公的な物にならなければなりません。神様の物にならなければならないのです。

12  お父様は、草創期に狩りに行きました。早朝に出掛け、夕方に太陽が沈み、真っ暗になるまで山から下りず、夜はそこで眠ってまで狩りをしてきたのです。韓国の高い山という山は、すべて踏破しました。

ある時は、猪を捕まえようと出発したのですが、十四日が過ぎるまで、猪の足跡一つ見つけられなくても続けました。他の人々は、「お父様はなぜこのようなことをするのか」と不平を言いました。猪を捕まえようと歩いたのではなく、山を踏破したのです。高い山と低い山、深い谷間を踏破しました。それがすべて終わったので、その次は海に行きました。

海に行って、船に数十年間乗りました。一九六三年に「天勝号」を造ったのです。アメリカでは、船を造って乗り始めてから、生涯にわたって乗り続けました。早朝五時に出ていって、夜十二時に帰ってくるのです。雨が降っても雪が降っても、毎日のように出掛けました。だからといって、魚を捕まえようとしたのではありません。精誠を捧げたのです。これは、神様が造った隠された宝物です。永遠に生きる実体として造っておいたのです。ですから、五大洋をくまなく探し、すべて踏査したのです。

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勝利的主管者となろう9   一九六三年の標語は、「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えるベき期間でした。しかし、一九六三年からはその段階を越えて、万物を復帰する年に入るので、これからは継続して同じ標語を用いるでしょう。それで、聖地復帰が必要なのですが、何としてでも聖地(となる地)を買わなければならず、一旦買えば、絶対に売ることはできないのです。生きても聖地の近くに行って生き、死ぬとしても聖地の近くに埋葬されようとしなければなりません。

聖地(となる地)は、血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないというのです。万物の主管主になるためには、まず勝利しなければなりません。勝利は、神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。(それが)私たちの標準なのです。

10  私たちは、生きた資料を作るために苦労しなければなりません。一九六三年から五年間は、「勝利的主管者となろう」という標語を中心として活動しなければなりません。よく耐え、我慢してきたので、今から攻勢をかけましょう。今からは万物を復帰しなければなりません。

皆さんを生きた教本にしようと思うのです。教会的な使命時代は過ぎ去り、民族を懸けた闘いが始まるでしょう。個人を中心とした家庭の時代が過ぎ、家庭を中心とした民族の時代が来るので、天を中心とした民族をつくらなければなりません。

11  皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個体の勝利的な基台を築いていかなければなりません。この「勝利」というものは、過去にも願い、現在にも願い未来にも願っていくべき言葉です。神様も願ってこられ、地も願ってきて、私たちの先祖たちも願ってきた言葉でした。しかし、堕落したその日から今日まで、人類と神様は、お造りになったこの理念の世界において「勝利」という言葉を携えることができず、「悲しみ」と「悲惨」という言葉を携えてきているのです。生活環境の中から私たちが願わないすべての要件を完全に除去するまでは、完全な勝利はあり得ません。

12  皆さんは、どのような勝利的主管者になるべきでしょうか。信仰を中心として、信じることにおいて勝利的主管者にならなければなりません。そのためには、闘って勝たなければならないのです。完全に勝利するためには、すべてから公認を受けなければなりません。闘って勝つのはもちろんのこと、勝ったあとは天地の公認を受けなければならないのです。そのようにして、初めて信仰を中心とした勝利的主管者になります。公認を受けるのですが、ある限定された時間圏内でのみ公認を受けてはいけません。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなければなりません。そこには、個人から世界まで、すべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。

13  第一次七年路程の中で、後半の四年路程の標語を「勝利的主管者となろう」としました。この期間に私たちは、神様のみ前に地を探して立ててさしあげなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで、どこに行っても全体が歓迎できる安全で自由な環境を整えることが、この四年路程の期間に皆さんが果たすべき責任です。

神様は勝利的な立場で天地を主管できませんでした。勝利的な基盤の上で、栄光の姿で天と地と万民を主管できずにいらっしゃるというのです。復帰路程に従ってきた数多くの先祖たちも、勝利的な主管者になることができませんでした。

二千年前、神様のひとり子であるイエス様も、その使命を完結するために来ましたが、その方もまた、この地上で勝利的な主管者になれませんでした。それで、イエス様と聖霊が今まで二千年間、勝利的主管者の基盤を整えるために闘ってきているのです。

この勝利的主管者の最後の基準は、神様です。必ず、神様が先にこの勝利的な基準に上がらなければなりません。神様が勝利的な位置に上がるまでは、この地の誰も勝利的な位置に上がることはできません。天と地の勝利的な主管者の位置を確立するために来られる方が、再臨主なのです。

14  統一教会は、勝利的な父母に侍らなければならず、勝利的な子女をもたなければならず、勝利的な養子をもたなければならず、勝利的な僕の群れを備えなければなりません。ですから、私たちはどんな立場であっても出ていって、サタンを退けることができなければなりません。僕として出ていってもサタンを退け、養子として出ていってもサタンを退け、直系の息子、娘の名分で出ていってもサタンを退けなければなりません。さらに、父母の名で出ていってもサタンを退けなければならないことは、言うまでもありません。このような立場に立ってこそ、勝利的主管者という名をもてるのです。

僕の立場における勝利的主管者、養子の立場における勝利的主管者、直系子女の立場における勝利的主管者、父母の立場における勝利的主管者のうち、どの位置でも備えなければならないというのです。皆さんがこのような立場ですべて団結し、勝利的な決定権をもったとすれば、何らかの制限された環境で動いてはいけません。勝利的主管者の権限を、民族であれば民族全体が歓迎しなければならず、ひいては、その威信と権威が民族を越えて地上で勝利を決定することはもちろん国家的な最高の権限をもって、世界に対して命令できる基準まで行かなければなりません。そのようにしてこそ、神様が地上に定着でき、天国の建設が地上で本格的に始まるのです。

お父様には、僕の僕、僕、養子、子女、父母の立場まで経てこなければならない歴史的な宿命があります。全体に責任を負ったお父様は、縦的に流れてきた歴史を横的に蕩減する勝利的な実体として立ち、これを収拾しなければならないというのです。

15  第一次七年路程の期間は、峠だとすれば最も高い峠であり、谷間だとすれば、一番深い谷間です。父母様が流した血と汗と涙が、この谷間にたまっています。この峠や谷間をそのままにしておいてはいけません。平地にしなければなりません。平地にするのですが、山を削って谷間を埋めるのではなく、この峠を根こそぎ運び出さなければなりません。

原則的に、この七年路程はたった一度だけです。復帰摂理歴史において、二回目はあり得ません。ですから、一片丹心で最後の峠を越え、勝利的主管者にならなければなりません。この勝利的主管者になれなければ、天国に入ることはできません。

全面的な進撃をしよう16  一九六八年に、私たちはどのような道を行くべきでしょうか。今年は「平和を先導する全面的な攻勢をかけよう」、すなわち「全面的な進撃をしよう」という標語を中心として、第二次七年路程を出発しようというのです。これが、新年の初めから全国と全世界に広がっている統一教会員たちに勧告する課題です。

17  一九六八年の標語は、「全面的な進撃をしよう」です。「進撃」を「前進」と言うこともできます。「進撃」は過激な言葉だと言うのであれば、「全面的な前進をしよう」と言うことができるというのです。

この「全面的前進」という標語のもとに活動するためには、第一に内的整備、第二に目標意識の確立、第三に敗者となった結果を体恤しなければなりません。私たちは、以上の三つを備えて、必ずや勝利しなければなりません。内容を整備して前進するのですが、無謀に取り組んではいけません。そして、怨讐を推察して作戦を行うのですが、夜も昼もその環境を選別して行わなければなりません。

18  一九六八年は、第二次七年路程の出発と同時に、「全面的な進撃をしよう」という標語を立てて、推し進めてきた年でした。全面的な進撃は、ある個人を中心として行うのではなく、全体を中心として行い、世界を動かしていかなければならないのです。統一教会がそうであるように、韓国もそのような時があるでしょう。韓国がそうであるように、アジアもそのような立場で進まなければならず、世界もそのような立場で進まなければなりません。

ところが、世界もアジアも私たちの国もすべて、はっきりとした目的がありません。ですから、目的なく流れていく時代思潮に従って苦難を経なければ、新しい問題を中心として、個人的な分野を全体的な動向に合わせることができないのです。

しかし、統一教会は天的な目的を中心として、全面的な進撃という標語のもとで現れました。ところが、ここで全面的な勝利を成就できなければ、標語だけが残るようになります。すなわち、私たちは全面的な進撃という標語を中心として出発しましたが、その目的を達成するまでは、いまだ多くの過程が残っているというのです。ですから、最低限、大韓民国を中心として、国家的に統一教会が全面的に是認される基準まで行かなければなりません。

その時までは、私たちがこのような体制を続けなければならないので、一九六九年も同様に、「全面的な進撃」を標語にするようになったのです。ですから、一九六九年までは「全面的な進撃」という標語を中心として、体制と活動を強化しながら動くことを皆さんに宣言します。

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第四章、年頭標語と段階的摂理目標の設定第一節、摂理的基盤の造成に総力を傾けた一九六〇年代真の父母様は、一九六〇年から毎年、年頭標語を発表され、すべての食口に摂理の方向と目標を設定してくださった。一九六〇年代には、聖婚式と真の子女様の誕生、祝福家庭の輩出はもちろん、真の父母様が直接、先頭に立って七年路程を歩まれ、全世界の統一食口が行くべき方向を提示された。

そのため、年頭標語も、一九六〇年は「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」一九六一年は「父の代身者となろう」、一九六二年は「見せてあげて誇り得る者となろう」、一九六三年から六七年までは「勝利的主管者となろう」、一九六八年と六九年は「全面的な進撃をしよう」など、総力を挙げての活動を督励する内容に定められた。

そして、特に一九六八年一月一日午前三時、「神の日」を宣布され、真のお父様の二十一年路程と食口たちの第一次七年路程を終えて、第二次七年路程を出発されたのである。

生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう!1   一九六〇年の標語は、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。一九六〇年は、縦的な歴史を横的に蕩減復帰する年です。ですから、神様のみ前に最大の実績を残さなければならない年です。最大の実績を残すためには、環境を吸収して出発しなければなりません。外的には、サタンの讒訴条件を除去できる年が一九六〇年です。

それゆえ、この期間に民族的、国家的なメシヤの基準を立てなければなりません。その時は社会から迫害を受けた時期で、私たちが自由にみ言を伝えられる時がいつ来るかと、気をもんだ時期でした。今は、天のものとして(実績を)立てるべき時です。「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、実績を立ててサタンの讒訴条件から抜け出さなければならないことを意味します。

2   「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、どのような意味でしょうか。人間はサタン世界で生きているので、蕩減の因縁を整え、サタン世界と分別された立場で、歴史的なすべての罪悪を蕩減復帰して勝利しよう、すなわち個人復帰をしようということです。それが人間の希望です。個人復帰をすることによって、神様の息子、娘になり、神様の代わりにサタンを審判できる権威をもった子女になろうというのです。

3   私は一九六〇年、この年の初めに、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、すなわち「この一年に、一生を通して忘れられない最も大きなことをしなさい」と、皆さんの前で宣言しました。

皆さんの手の中にお金がありますか。皆さんの生涯において、一身の幸福のためにお金を稼ごうと闘ったことはありますか。そのようなお金があるならば、天の国のために使わなければなりません。豪華な家にしがみついて今まで闘ってきたのですか。天の民を安息させるために、そのようなものは忘れてしまわなければなりません。このような悲壮な覚悟をしなければならないのです。今日、世界の人類がそのような立場に立てば、平和の世界になるでしょう。平和の王者は、そのような道を行く人です。平和を建設できる人は、そのような人です。

三千万の民族が泣き叫ぶ所に向かって進んでいくとき、「血と汗を流す所があるなら、私が行こう。罵(ののし)られる所があるなら、私が行こう」と言いながら、歯を食いしばる立場で、父を呼び求めながら涙を流す絆を残すことを、私は皆さんに強調しているのです。私はそのような道を歩んできました。今も、皆さん以上に胸が痛む思いがあります。天のためであれば、どんなことでもすべて行う覚悟ができているというのです。

父の代身者となろう4   一九六一年の一年間、私たちが標語にして進むべきことは、「父の代身者となろう」です。皆さんは、これからこの一年間に、父の代身者であることを自ら体験するように願います。神様は、天と相対になるものとして地を造り、御自身に代わる実体対象として人類の先祖を造られました。神様のかたちをかたどって私たち人間を造られ、人間のかたちを象徴的にかたどって、先に万物を造られたのです。すべての被造物は、大きく見れば一つの塊であり、小さく見れば、すべて神様の代身存在として造られています。

私たちが代身存在の立場に立つためには、まず中心についてはっきりと解明しなければなりません。すなわち、私たちが神様の代身存在だとすれば、「神様はどのようなお方か。神様と私はどのような関係か」ということを解明しなければならないというのです。神様と「私」は本来、一体であることを忘れてはいけません。神様と私は、引き離そうとしても引き離せない一体の関係です。天が頭だとすれば、私たちは胴であり、天が胴だとすれば、私たちは肢体です。私たちと引き離そうとしても引き離せない立場にいる神様だというのです。

5   私たちは、世界的な混乱の時期に置かれています。混乱の時代に置かれている私たちが考えるべきこととは何かといえば、神様が私たち人間を造った本然の中心目標がどこにあったかということです。父と私たちは一つです。天と地は一つです。二つではありません。ですから、私たちは一つの中心の前に、死のうと生きようと、一つにならなければならない必然的な立場に置かれています。

ある目的があるとすれば、その目的を達成するためには、志が同じで、事情が同じで、心情が同じでなければなりません。そうでなければ、その目的を完全に成就することはできないのです。神様には、堕落した人間を、事情が通じ、心情が一つになり得る希望の園に導かなければならない責任があるので、神様と一つになるべき立場に立った人間も、やはり志が一つでなければなりません。二つではいけません。

神様のみ意であると同時に「私」の志であり、神様の事情であると同時に私の事情であり、神様の心情であると同時に私の心情だということを皆さん自身が体得し、そのような立場に立ったという自信をもたない限り、神様の代身者になることはできません。代身者になろうとすれば、必ず一つにならなければなりません。一つにならなければ、代身者にはなれません。ですから、堕落した私たち人間が目指すべき目標は、神様と一つになることです。

一つになるためには、願いが同じでなければならず、事情が同じでなければならず、ひいては心情的な一致点を備えなければなりません。そうでなければ、堕落した私たち人間は、神様と一体になることができないのです。

6   統一教会員たちは、今まで困難な道を歩んできましたが、消え去ることはありませんでした。最後まで残る人が父の代身者です。神様は皆さんに対して、息子、娘として、そして、代身者として、この国の三千万の同胞のために行きなさいと、喉が痛むほど泣き叫んでいらっしゃいます。至る所に、父の代身者、父の愛を受ける息子、娘を送りたいと思われるのです。

「あなたは私の代身者であり、息子、娘である」と言うことができ、サタンを退けて神様の真の愛を受ける人になることを願われるのです。皆さんが行く道は、豪華絢爛な道ではなく、神様の代わりに死ななければならない道です。天の父に代わって死の道をも行くべき立場にいる皆さんなので、息子、娘ですが、死の道を前にして闘っていかなければならないというのです。

見せてあげて誇り得る者となろう7   一九六二年の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」、すなわち「見せてさしあげられる者になろう、誇れる者になろう」ということです。逃げていくサタンを、どこまでも追っていかなければなりません。神様は個人を現して誇りたいと思われ、家庭を現して誇りたいと思われるので、このために闘って勝利しなければなりません。そのようにしてこそ、霊界と肉界を連結できる息子、娘になります。闘いに勝ってこそ、誇れるのです。皆さんは、天の家庭の復帰のために闘わなければなりません。一九六二年には、見せてあげることができ、誇ることができる基準を立てなければなりません。

闘う時は、神様を中心として、または天の家庭を中心として闘わなければなりません。そうして、勝利しなければならないのです。闘うとしても、最も苦しい場で闘わなければなりません。一番難しくて大変な労働者、あるいは乞食の中の乞食から始めて、頂上を圧倒して屈服させなければならないのです。父母と合同作戦をしなければなりません。父母と子女が力を合わせ、伝道しなければならない時です。父母と子女、一つの家庭が銃床(じゅうしょう)を並べて闘い、天的な家庭、氏族、民族を形成して全世界を復帰しなければなりません。これからは家庭を中心として闘わなければならないのです。

8   一九六二年は、歴史的に二度とない年です。それでは、この年をどのように迎えなければならないのでしょうか。神様が願われることを、何人かの統一教会の信徒だけでも解怨してさしあげようという目標のもと、新年を迎えなければならず、また、責任をもたなければなりません。

今年は、皆さんがサタンの讒訴を避け、神様の心配の対象にならず、前後、左右、上下、内外に不足のない存在にならなければなりません。神様が今まで摂理しながら誇りたいと思われた願いの実体にならなければなりません。また、天と地、全被造万物に認定され、ひいてはこの地とサタン世界にまで見せてあげ、誇り得る実体にならなければなりません。この一年はそれを実践し、やり遂げる皆さんにならなければなりません。

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第三節   「子女の日」宣布「子女の日」の意義真の父母様は、一九六〇年、陰暦十月一日(陽暦十一月十九日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、感謝祭礼拝を自ら主宰され、翌年、この日を「子女の日」として公布された。「子女の日」が決定されることにより、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を抜き取ってしまい、人類を悪から解放できる起源がつくられた。この日は、堕落人間たちが歴史始まって以来、初めて子女として勝利し、神様の字宙的な栄光の場に同参できるようになった記念の日である。

1   神様は、「父母の日」が立てられることを六千年間、待ち望んでこられました。本来は、堕落した人間の子孫たちが待ち望むべき日であるにもかかわらず、かえって創造主であられる神様が、六千年間、その日を待ち望んでこられたのです。ゆがんだ歴史が始まったその日から、数多くの峠の道で、神様には悲しいことも難しいことも多くありましたが、その中でもたった一つ願ったものが「父母の日」でした。

その日が探し出されることによって、神様は御自身が共にいられる人類の真の父母を立てて、「あなたたちは人類の真の父母である」と命名できるようになるのです。そうして、神様が立ててくださる父母の名をもって出てくることによって、父母の祝福の基準が立てられます。ここにおいて真の子女が立てられるようになり、それによって、地上で「子女の日」を迎えることができるのです。

2   一九六〇年、「父母の日」(一九六一年に宣布)を設定したあと、「子女の日」を設定しました。人類の父母が登場するとき、子女も決定されるのです。子女を決定する場に進む前に、父母の出発線があるというのです。

しかし、復帰路程では、父母だけでなく子女の縁も固めなければなりません。横的な縁である子女を中心として見れば、「父母の日」がまず出発し、「子女の日」はあとから出発しなければなりませんが、復帰しなければならない立場では、「子女の日」が先に出発し、「父母の日」はあとから出発するのです。横的な基準で「父母の日」を設定し、「子女の日」を宣言したのです。そうして、天地の間の歴史が始まって以来、初めて「子女の日」が現れるようになりました。

この日は、天地の間に勝利の歓声を上げることができる日です。この日が設定されることによって、霊界は時を迎えたので、絡まっていたものがほどけていきます。ですから、この地上の悪の勢力は、次第に消滅していくのです。

3   「子女の日」を迎えれば、どのようにしなければならないのでしょうか。まず、皆さんの息子、娘の家に行って宴をし、その次に自分の家に集まって宴をし、その次に、教会に出てきて宴をしなければなりません。このように、蘇生、長成、完成の三時代の形で宴をしなければなりません。象徴復帰、形象復帰、実体復帰の立場に合わせなければならないのです。

息子、娘たちが「子女の日」を迎えることができずに死ねば、天上に恨が残るという事実を知らなければなりません。ですから、私たちの息子、娘を中心として世界を復帰しなければならず、私を中心として楽園に行っているすべての善霊人たちを復帰しなければならず、教会を中心として天地の道理を探し出してこなければなりません。このような三段階の原則を経なければならないのです。

皆さんは、家庭的な環境から、この日を記念しなければなりません。子女たちが、その日が来るのを待ち望めるようにしてあげなければならないというのです。世の中の子供たちが「晴れ着を着て、おいしい物を食べられる、その日がいつ来るのか」と言いながら祝日を待つ、そのように指折り数えて待つ心をもち、「子女の日」が来ることを喜ぶ立場で準備しなければなりません。

4   人間が堕落することによって、父母を失ってしまい、子女を失ってしまい、万物を失ってしまいました。これを蕩減する基準を立てるためには、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てなければならなかったのですが、その中でも立てるのが一番難しい日が「子女の日」です。アダムとエバが真の子女になれなかったからです。それでは、真の子女になろうとすれば、どのようにすべきでしょうか。

一つの血統をもって生まれなければなりません。真の子女になるためには、父母の前に孝行の道を全うしなければなりません。孝子は、どんな困難な環境も収拾しなければならず、その環境から認定を受け、父母から認定を受けなければなりません。

神様は、アダムとエバに「万物を主管しなさい」と言われましたが、アダムとエバは、「万物を主管できる」と認定を受けなければなりません。そして、希望の中心として、み旨に責任をもてる子女だという認定を受けなければなりません。父母の心情に一致しなければならないのです。過去と現在、未来に差異があっては孝子と言えません。忠臣と言うこともできません。孝子や忠臣は変質してはいけないのです。孝子や忠臣は、過去を代表し、現在を代表し、未来を代表できなければならず、神様の心情を中心として、時間と空間を超越した立場で認定を受けなければなりません。

「私の誓い」制定真の父母様は、一九六二年十月二十八日、第三回「子女の日」を期して、全文五節からなる「私の誓い」を制定、公布された。真のお父様は、「誓いとは、神様と未来を前にして約束するものである」と語られた。そのため、誓いを述べようとすれば、神様と心情が通じなければならず、「私の誓い」で各自が真の息子、娘になるという誓いをすることによって、神様と心情一体を成し遂げられることを強調された。「私の誓い」は、一九九四年五月一日に「家庭盟誓」が制定されるまで斉唱された。

5   皆さんが誓いを立てることができるか、一度考えてみてください。今まで神様のみ前に誓いを立てた人はいません。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いを立てようとすれば、心情が通じなければなりません。この誓いは、真の息子、娘になるという意味の誓いです。

一、天宙の中心存在として、父のみ旨(創造目的)と任せられた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。

二、 父は六千年間供え物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続権を与えたまわんとなさる聖なるみ旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。

三、 怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代わりに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。

四、 父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。

五、 我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍(担い手)であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。

このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を懸けて闘うことを私は、宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。

6   なぜキリスト教は再臨思想を語るのでしょうか。それは、神様の愛と生命と血統を中心として、新しい種を受けなければならないからです。アダムとエバが堕落することによって、偽りの種を受けました。ですから、新しい種を受けなければなりません。そのようにしてこそ、新しい種をもってくる真の父母の名をもった真の息子、娘の真の愛と真の生命を中心として、真の血統的論理を中心として、邪悪な世の中を克服して余りあるのです。また、そのような自主的な力をもった民になるのです。

「私の誓い」に出てくる内容のとおりに、私たちは、一つの主権を誇ります。その次に一つの民を誇ります。その次は一つの血族です。それから一つの国土です。この地は、「私」のものです。私たちのものです。人間は、誤って生まれました。誤って生まれたがゆえに、再び生まれさせようとするので、天が加担し、双胎(双子を身ごもること)で摂理するのです。双胎時代です。エサウとヤコブのように双胎です。腹中まで訪ねて入っていくのです。誤って生まれたので、新しい型を通して腹中まで探索して入っていきます。再び生まれなければ救いはないというのです。「重生」という言葉は、キリスト教にだけ存在するのであって、他の所にはありません。

7   皆さんは「私の誓い」を聖日ごとに唱えますが、それを習慣的に唱えてはいけません。この誓いで最も重要なのが五節です。神様を中心とした一つの主権を誇るのですが、一つの国にならなければなりません。ところが、なぜ多くの国になったのでしょうか。愛のゆえです。愛によって、そのようになったというのです。今日、このすべてのものが、一つの愛の道を行けず、様々に枝分かれして自分だけを主張する愛に付いていったために、そのようになったのです。その愛の主人になれる人は、男性と女性です。

個人を愛し、家庭を愛し、国を愛し、世界を愛するという愛の標準が変われば、自然に分かれていきます。ですから、いつでも現世の人が重視されます。男性と女性が分かれることは、愛がないところから始まるのです。

8   「私の誓い」の五節の中に、「一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り」という内容があるのですが、「一つの言語と文化を誇る」というのが、なぜ血統や心情よりも先に出てきたのでしょうか。人は生まれて、言葉を知ったあとに血統と心情を知るようになるからです。原理に従って、すべてそのように書いたのです。

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第二節   統一基盤と天国実現の土台を築いた一九七〇年代真の父母様は、一九六〇年代に家庭と教団の基盤を築いてきたとすれば、一九七〇年代には、世界に影響を及ぼし得る国家的基盤を築かなければならないとされ、勝共および超教派運動など、対外的な活動に集中された。そのため、一九七〇年は「勝利的統一戦線」、一九七一年は「統一基盤確保」、一九七二年から七四年までは「統一戦線守護」などの年頭標語を定められた。一九七〇年から五年間は、世界進出のための陣営を整え、本格的な活動を展開する期間であった。特に一九七二年以降、新年をアメリカで迎えられ、四十ヵ都市の講演など、アメリカ中心の世界宣教活動を準備された。そして、一九七五年一月一日、青坡洞一街の旧本部教会で「天国実現」を年頭標語に定められ、第三次七年路程の出発を宣布された。続いて、一九七六年は「子女による天国実現」、一九七七年は「理想家庭による天国実現」、一九七八年は「公式路程を通しての天国実現」、一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」などの年頭標語を通して、理想家庭実現と家庭教会活動による天国実現のための具体的方案を提示された。

勝利的統一戦線1   今、私たちは一九七〇年を迎えました。今年は、「勝利的統一戦線」という標語を立てて、一年間、走らなければなりません。第二次七年路程の前半期の二年間は、「全面的な進撃」という標語を中心として進まなければならないと言いました。勝利をもたらすためには、全面的進撃という過程を経なければならないからです。そのようにしなければ、勝利できません。

今年は、私たちがアジアだけでなく、世界を中心として際立った活動をしなければなりません。そのような責任を果たすべき時代になったので、「勝利的統一戦線」という標語を立てざるを得ないのです。勝利をするというのは、簡単なことではありません。神様が今まで復帰摂理を遂行してこられた唯一の目的も、勝利するその日を迎えるためでした。アダム家庭からノア家庭を経て、モーセ時代を経て、洗礼ヨハネとイエス様の時代を経て、六千年の歴史をつないできた神様が、今まで闘ってこられたその唯一の目的も、勝利の一時を迎えるためなのです。

2   一九七〇年代を新たに迎えるけさ、ユダヤ教に代わる統一教会が、民族を糾合する使命を遂行するための最初の一歩を踏み出します。今は個人的な勝利の基準が既に立てられ、家庭的な勝利の基準も既に立てられ、氏族的な勝利の基準も立てられました。ですから、今や宗教的な勝利の基盤を決定し、新しい舞台に向かって進出しなければなりません。これは、神様のみ旨をただそのまま迎えることができた、ユダヤ教とイスラエルの国のような時代圏内に入ることを意味します。

このような時代圏を用意するために、神様は歴史を通して今まで準備してこられたのであり、外的世界もそれに符合するように、時代の思潮を導いてこられました。そうして、私たちを引っ張ってきた結果が、今現れている情勢なのです。ですから、私たちが波紋さえ起こせば、新しい歴史がアジアを越え、世界的に反響を巻き起こしていくでしょう。そのようにできる時が、正に一九七〇年代だというのです。

私たちは、今まで怨恨の時代、蕩減の時代、代価を払わなければならない無念な時代を生きてきましたが、この一九七〇年からは、そのようなものをすべて終息させ、新しい歴史時代に入らなければなりません。今まで私たちがこの国、この民族のために闘ったことが、栄光の結実として収められる時が来たのです。

3   皆さんは、個人から勝利的統一戦線を展開しなければなりません。勝利的統一戦線とは、神様の愛を中心として一つになることです。個人の心と体が一つになったとき、そこに神様が臨在されます。このように与え合うところに神様が臨在されれば、そこには必ず繁殖が起きるのです。神様が臨在されないとすれば、繁殖が起きません。天地創造の原則がそうなのです。

すべてのものは神様の愛が動機となって造られたので、神様を抜きにしては繁殖が起きることはありません。与え合えば、そこに神様が臨在され、また繁殖も起きるのです。このような統一戦線を、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界に展開していかなければなりません。

現在、統一教会は、民族を中心として、国家を探し求めていける立場まで上がってきました。民族と国家に影響を及ぼすことができる時代圏に来たというのです。世界的な情勢は、万全の準備をして私たちの門前にまで来ています。今や一皮だけ剥ければ、飛躍するようになっているのです。

統一基盤確保4   一九七一年の年頭標語は、「統一基盤確保」です。言い換えれば、統一の基盤を確保しなければならないということです。このような意味で、この標語を設定しました。今までは「全面的な進撃」や「勝利的統一戦線」という標語を設定し、み旨が外部に向かって進むことができる環境を、一九六〇年以降から十年間、開拓してきました。

一九六〇年以降から一九七〇年まで、それこそ消耗戦をしてきたのです。自分たちの利益のために闘ったのではなく、外的な環境の困難、言い換えれば、統一教会が行く道の前に横たわっている障壁を崩すために、多くの犠牲的代価を払ってきました。

私たちは、ソウルであればソウル、中央であれば中央の最高の位置から出発したのではありません。み旨が願う標準を中心として見るとき、最高の基準から出発しなければならないにもかかわらず、私たちは、この民族と数多くの教団から反対を受けることによって、それとは反対に、最低の末端、下部から出発し、上部へと今まで発展してきたのです。その期間に、数多くの個人が犠牲になったのはもちろんのこと、統一教会の家庭も多くの犠牲を払いました。韓国だけでも、統一教会に属した人々を中心として、その背後にいる親戚や、心情的な基盤を通して関係している数多くの人々が、私たちのゆえに困難に遭いました。

とにかく、私たちは一つの目標を中心として、この国で必要、かつ適切な時を迎えるために、外部に広がっているあらゆる迫害の障壁を崩して勝利の一路を開拓するために、一九六〇年から十年間、あらゆる努力を投入してきたのです。そうして、一九七一年から一九八〇年までの十年間は、私たち自体の中に、強固な基盤を築かなければならない状況に置かれているというのです。

5   私たちの願いは、統一することです。心と体が一つになり、夫と妻が一つになり、息子、娘と父母が一つになり、家庭と氏族が一つになり、氏族と民族が一つになり、民族と国家が一つにならなければなりません。これが統一です。このような基準を立てようとして、一九七一年の標語に「統一基盤確保」を掲げたのです。

統一基盤は、個人から家庭と、氏族と、民族と、国家基準まで広がってこそ、確固として立てられます。それでこそ、神様が統一できる主体的な基準を、国家を中心として初めて立てられるのではないかというのです。

統一戦線守護6   一九七二年の標語を、「統一戦線守護」という言葉で掲げました。これは、今年が私たちの教会の歴史的な一つの基点になるということです。結論として、「統一戦線守護」とい標語を立てたのは、内部を安定させようということです。

外部の人が全体に責任をもち、何としてでも内部を安定させようとするとき内部は安定するのでありそれによって全体が上がっていくのです。ですから、全世界にいる統一教会の食口たちは、中心のために互いが一つの方向に動かなければなりません。そのような個人、家庭、氏族、民族、国家が多ければ多いほど、個人が世界的であり、家庭が世界的であり、氏族が世界的であり、民族が世界的であり、国家が世界的になるのであり、そのようになるとき、自動的に天国ができるようになります。世界的に現れるのです。

統一戦線を守護するところには、このような原則的な思想的基盤、生活的基盤、活動的基盤ができていなければなりません。そうでなければ、理想的な天国は不可能です。一九七二年から、そのような使命を果たさなければならないことを感じたので、一九七二年の標語を「統一戦線守護」と定めるようになったのです。

7   国家の危機と世界の危機を防ぐためには、防御線を張らなければなりません。それで、「統一戦線守護」という言葉が出てきたのです。韓国に築いておいたあらゆる基盤の上に、世界的に網を張り巡らせなければなりません。霊界が協助しているのです。問題は簡単です。

皆さんは、どれほど団結した立場で、国のために総動員されるのでしょうか。統一教会は、一〇〇パーセント動員されなければなりません。ここにおいては、男性も女性も関係ありません。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時は、老若男女を問わず、すべて立ち上がらなければなりませんでした。それと全く同じ時です。世界的なカナンの福地に向かって、世界に新しい国の選民圏を形成するために立ち上がるイスラエルの国の出発と同じなので、父母様が指示するところに全体が動員されなければなりません。

8   一九七二年に、私たちは「統一戦線守護」という膨大な(内容をもつ)標語を掲げてきました。この守護の限界線は、自分の一身の限界を言うのではありません。国家が限界線になり、国家を越えて世界を守らなければならないという、重大な使命を背負うという意味における防御を言うのです。

ここでまず守らなければならないこととは何でしょうか。天が地から攻撃を受けるようになるとすれば、この時は直接、天が攻撃するでしょう。その目的は、世界を守ろうということ、世界的な摂理において被害を防ごうということです。世界のために生きる神様の心情に、安息の基盤を築くことができる道を造ろうというのです。

9   これから、どんな国ももてなかった伝統を立てなければなりません。どんな国も動かせない伝統を立てなければならないというのです。このようになれば、民主世界を守れる天的な基盤が条件的にでも残ります。このような点から見るとき、私たちの国が一つになるだけでなく、多くの国の人が完全に一つになることが、個人の統一戦線を守護できると同時に、家庭、氏族、民族、国家、世界の統一戦線を守護できる天の伝統的基準になるというのです。

そのため、個人的な統一戦線守護よりも、家庭、氏族、民族、国家、世界的な統一戦線守護をどのように確保するかが、統一教会に任せられた使命です。ですから、今後、皆さんが完全に一つになり、これを成就していかなければなりません。もし、皆さんがアメリカでそのような基盤を築いて一つになれるとすれば、アメリカ全域にこのようなブームが起き始めるのです。そうすれば、共産世界は下り始めます。善が上がっていく時、悪は一緒に上がれません。下がっていくのです。

ここで事が成就されれば、日本がいくらサタン圏内にあり、韓国がいくらサタン圏内にあるとしても、救い出せる道が生じるのです。これを父母様がアメリカで、一九七二年から七四年までの三年間に計画しています。一九七四年まで、超国家的な団体として、世界の数多くの人々がアメリカ全域で活動していますが私たちがアメリカで見本になり得る団体であることを提示しなければなりません。その次からは、すべてのことがうまく解けていくと考えるのです。

10  一九七二年、七三年、七四年は「統一戦線守護」という標語のもとに、私たちは前進しています。これは、ある個人に対して語る言葉ではなく、ある限定的な地域に対して語る言葉でもなく、ある国に対して語る言葉でもありません。私たちは、全世界に対して統一戦線を守護しなければならないと、天のみ前に誓い、進み出た群れです。

統一戦線を守護しなければならないというのは、全世界と連結して神様のみ旨を成就するとき、サタン世界に侵犯を受けないように保護、育成し、前進できる立場を確保しなければならないということです。

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勝利的主管者となろう9   一九六三年の標語は、「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えるベき期間でした。しかし、一九六三年からはその段階を越えて、万物を復帰する年に入るので、これからは継続して同じ標語を用いるでしょう。それで、聖地復帰が必要なのですが、何としてでも聖地(となる地)を買わなければならず、一旦買えば、絶対に売ることはできないのです。生きても聖地の近くに行って生き、死ぬとしても聖地の近くに埋葬されようとしなければなりません。

聖地(となる地)は、血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないというのです。万物の主管主になるためには、まず勝利しなければなりません。勝利は、神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。(それが)私たちの標準なのです。

10  私たちは、生きた資料を作るために苦労しなければなりません。一九六三年から五年間は、「勝利的主管者となろう」という標語を中心として活動しなければなりません。よく耐え、我慢してきたので、今から攻勢をかけましょう。今からは万物を復帰しなければなりません。

皆さんを生きた教本にしようと思うのです。教会的な使命時代は過ぎ去り、民族を懸けた闘いが始まるでしょう。個人を中心とした家庭の時代が過ぎ、家庭を中心とした民族の時代が来るので、天を中心とした民族をつくらなければなりません。

11  皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個体の勝利的な基台を築いていかなければなりません。この「勝利」というものは、過去にも願い、現在にも願い未来にも願っていくべき言葉です。神様も願ってこられ、地も願ってきて、私たちの先祖たちも願ってきた言葉でした。しかし、堕落したその日から今日まで、人類と神様は、お造りになったこの理念の世界において「勝利」という言葉を携えることができず、「悲しみ」と「悲惨」という言葉を携えてきているのです。生活環境の中から私たちが願わないすべての要件を完全に除去するまでは、完全な勝利はあり得ません。

12  皆さんは、どのような勝利的主管者になるべきでしょうか。信仰を中心として、信じることにおいて勝利的主管者にならなければなりません。そのためには、闘って勝たなければならないのです。完全に勝利するためには、すべてから公認を受けなければなりません。闘って勝つのはもちろんのこと、勝ったあとは天地の公認を受けなければならないのです。そのようにして、初めて信仰を中心とした勝利的主管者になります。公認を受けるのですが、ある限定された時間圏内でのみ公認を受けてはいけません。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなければなりません。そこには、個人から世界まで、すべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。

13  第一次七年路程の中で、後半の四年路程の標語を「勝利的主管者となろう」としました。この期間に私たちは、神様のみ前に地を探して立ててさしあげなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで、どこに行っても全体が歓迎できる安全で自由な環境を整えることが、この四年路程の期間に皆さんが果たすべき責任です。

神様は勝利的な立場で天地を主管できませんでした。勝利的な基盤の上で、栄光の姿で天と地と万民を主管できずにいらっしゃるというのです。復帰路程に従ってきた数多くの先祖たちも、勝利的な主管者になることができませんでした。

二千年前、神様のひとり子であるイエス様も、その使命を完結するために来ましたが、その方もまた、この地上で勝利的な主管者になれませんでした。それで、イエス様と聖霊が今まで二千年間、勝利的主管者の基盤を整えるために闘ってきているのです。

この勝利的主管者の最後の基準は、神様です。必ず、神様が先にこの勝利的な基準に上がらなければなりません。神様が勝利的な位置に上がるまでは、この地の誰も勝利的な位置に上がることはできません。天と地の勝利的な主管者の位置を確立するために来られる方が、再臨主なのです。

14  統一教会は、勝利的な父母に侍らなければならず、勝利的な子女をもたなければならず、勝利的な養子をもたなければならず、勝利的な僕の群れを備えなければなりません。ですから、私たちはどんな立場であっても出ていって、サタンを退けることができなければなりません。僕として出ていってもサタンを退け、養子として出ていってもサタンを退け、直系の息子、娘の名分で出ていってもサタンを退けなければなりません。さらに、父母の名で出ていってもサタンを退けなければならないことは、言うまでもありません。このような立場に立ってこそ、勝利的主管者という名をもてるのです。

僕の立場における勝利的主管者、養子の立場における勝利的主管者、直系子女の立場における勝利的主管者、父母の立場における勝利的主管者のうち、どの位置でも備えなければならないというのです。皆さんがこのような立場ですべて団結し、勝利的な決定権をもったとすれば、何らかの制限された環境で動いてはいけません。勝利的主管者の権限を、民族であれば民族全体が歓迎しなければならず、ひいては、その威信と権威が民族を越えて地上で勝利を決定することはもちろん国家的な最高の権限をもって、世界に対して命令できる基準まで行かなければなりません。そのようにしてこそ、神様が地上に定着でき、天国の建設が地上で本格的に始まるのです。

お父様には、僕の僕、僕、養子、子女、父母の立場まで経てこなければならない歴史的な宿命があります。全体に責任を負ったお父様は、縦的に流れてきた歴史を横的に蕩減する勝利的な実体として立ち、これを収拾しなければならないというのです。

15  第一次七年路程の期間は、峠だとすれば最も高い峠であり、谷間だとすれば、一番深い谷間です。父母様が流した血と汗と涙が、この谷間にたまっています。この峠や谷間をそのままにしておいてはいけません。平地にしなければなりません。平地にするのですが、山を削って谷間を埋めるのではなく、この峠を根こそぎ運び出さなければなりません。

原則的に、この七年路程はたった一度だけです。復帰摂理歴史において、二回目はあり得ません。ですから、一片丹心で最後の峠を越え、勝利的主管者にならなければなりません。この勝利的主管者になれなければ、天国に入ることはできません。

全面的な進撃をしよう16  一九六八年に、私たちはどのような道を行くべきでしょうか。今年は「平和を先導する全面的な攻勢をかけよう」、すなわち「全面的な進撃をしよう」という標語を中心として、第二次七年路程を出発しようというのです。これが、新年の初めから全国と全世界に広がっている統一教会員たちに勧告する課題です。

17  一九六八年の標語は、「全面的な進撃をしよう」です。「進撃」を「前進」と言うこともできます。「進撃」は過激な言葉だと言うのであれば、「全面的な前進をしよう」と言うことができるというのです。

この「全面的前進」という標語のもとに活動するためには、第一に内的整備、第二に目標意識の確立、第三に敗者となった結果を体恤しなければなりません。私たちは、以上の三つを備えて、必ずや勝利しなければなりません。内容を整備して前進するのですが、無謀に取り組んではいけません。そして、怨讐を推察して作戦を行うのですが、夜も昼もその環境を選別して行わなければなりません。

18  一九六八年は、第二次七年路程の出発と同時に、「全面的な進撃をしよう」という標語を立てて、推し進めてきた年でした。全面的な進撃は、ある個人を中心として行うのではなく、全体を中心として行い、世界を動かしていかなければならないのです。統一教会がそうであるように、韓国もそのような時があるでしょう。韓国がそうであるように、アジアもそのような立場で進まなければならず、世界もそのような立場で進まなければなりません。

ところが、世界もアジアも私たちの国もすべて、はっきりとした目的がありません。ですから、目的なく流れていく時代思潮に従って苦難を経なければ、新しい問題を中心として、個人的な分野を全体的な動向に合わせることができないのです。

しかし、統一教会は天的な目的を中心として、全面的な進撃という標語のもとで現れました。ところが、ここで全面的な勝利を成就できなければ、標語だけが残るようになります。すなわち、私たちは全面的な進撃という標語を中心として出発しましたが、その目的を達成するまでは、いまだ多くの過程が残っているというのです。ですから、最低限、大韓民国を中心として、国家的に統一教会が全面的に是認される基準まで行かなければなりません。

その時までは、私たちがこのような体制を続けなければならないので、一九六九年も同様に、「全面的な進撃」を標語にするようになったのです。ですから、一九六九年までは「全面的な進撃」という標語を中心として、体制と活動を強化しながら動くことを皆さんに宣言します。

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第四章、年頭標語と段階的摂理目標の設定第一節、摂理的基盤の造成に総力を傾けた一九六〇年代真の父母様は、一九六〇年から毎年、年頭標語を発表され、すべての食口に摂理の方向と目標を設定してくださった。一九六〇年代には、聖婚式と真の子女様の誕生、祝福家庭の輩出はもちろん、真の父母様が直接、先頭に立って七年路程を歩まれ、全世界の統一食口が行くべき方向を提示された。

そのため、年頭標語も、一九六〇年は「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」一九六一年は「父の代身者となろう」、一九六二年は「見せてあげて誇り得る者となろう」、一九六三年から六七年までは「勝利的主管者となろう」、一九六八年と六九年は「全面的な進撃をしよう」など、総力を挙げての活動を督励する内容に定められた。

そして、特に一九六八年一月一日午前三時、「神の日」を宣布され、真のお父様の二十一年路程と食口たちの第一次七年路程を終えて、第二次七年路程を出発されたのである。

生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう!1   一九六〇年の標語は、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。一九六〇年は、縦的な歴史を横的に蕩減復帰する年です。ですから、神様のみ前に最大の実績を残さなければならない年です。最大の実績を残すためには、環境を吸収して出発しなければなりません。外的には、サタンの讒訴条件を除去できる年が一九六〇年です。

それゆえ、この期間に民族的、国家的なメシヤの基準を立てなければなりません。その時は社会から迫害を受けた時期で、私たちが自由にみ言を伝えられる時がいつ来るかと、気をもんだ時期でした。今は、天のものとして(実績を)立てるべき時です。「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、実績を立ててサタンの讒訴条件から抜け出さなければならないことを意味します。

2   「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、どのような意味でしょうか。人間はサタン世界で生きているので、蕩減の因縁を整え、サタン世界と分別された立場で、歴史的なすべての罪悪を蕩減復帰して勝利しよう、すなわち個人復帰をしようということです。それが人間の希望です。個人復帰をすることによって、神様の息子、娘になり、神様の代わりにサタンを審判できる権威をもった子女になろうというのです。

3   私は一九六〇年、この年の初めに、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、すなわち「この一年に、一生を通して忘れられない最も大きなことをしなさい」と、皆さんの前で宣言しました。

皆さんの手の中にお金がありますか。皆さんの生涯において、一身の幸福のためにお金を稼ごうと闘ったことはありますか。そのようなお金があるならば、天の国のために使わなければなりません。豪華な家にしがみついて今まで闘ってきたのですか。天の民を安息させるために、そのようなものは忘れてしまわなければなりません。このような悲壮な覚悟をしなければならないのです。今日、世界の人類がそのような立場に立てば、平和の世界になるでしょう。平和の王者は、そのような道を行く人です。平和を建設できる人は、そのような人です。

三千万の民族が泣き叫ぶ所に向かって進んでいくとき、「血と汗を流す所があるなら、私が行こう。罵(ののし)られる所があるなら、私が行こう」と言いながら、歯を食いしばる立場で、父を呼び求めながら涙を流す絆を残すことを、私は皆さんに強調しているのです。私はそのような道を歩んできました。今も、皆さん以上に胸が痛む思いがあります。天のためであれば、どんなことでもすべて行う覚悟ができているというのです。

父の代身者となろう4   一九六一年の一年間、私たちが標語にして進むべきことは、「父の代身者となろう」です。皆さんは、これからこの一年間に、父の代身者であることを自ら体験するように願います。神様は、天と相対になるものとして地を造り、御自身に代わる実体対象として人類の先祖を造られました。神様のかたちをかたどって私たち人間を造られ、人間のかたちを象徴的にかたどって、先に万物を造られたのです。すべての被造物は、大きく見れば一つの塊であり、小さく見れば、すべて神様の代身存在として造られています。

私たちが代身存在の立場に立つためには、まず中心についてはっきりと解明しなければなりません。すなわち、私たちが神様の代身存在だとすれば、「神様はどのようなお方か。神様と私はどのような関係か」ということを解明しなければならないというのです。神様と「私」は本来、一体であることを忘れてはいけません。神様と私は、引き離そうとしても引き離せない一体の関係です。天が頭だとすれば、私たちは胴であり、天が胴だとすれば、私たちは肢体です。私たちと引き離そうとしても引き離せない立場にいる神様だというのです。

5   私たちは、世界的な混乱の時期に置かれています。混乱の時代に置かれている私たちが考えるべきこととは何かといえば、神様が私たち人間を造った本然の中心目標がどこにあったかということです。父と私たちは一つです。天と地は一つです。二つではありません。ですから、私たちは一つの中心の前に、死のうと生きようと、一つにならなければならない必然的な立場に置かれています。

ある目的があるとすれば、その目的を達成するためには、志が同じで、事情が同じで、心情が同じでなければなりません。そうでなければ、その目的を完全に成就することはできないのです。神様には、堕落した人間を、事情が通じ、心情が一つになり得る希望の園に導かなければならない責任があるので、神様と一つになるべき立場に立った人間も、やはり志が一つでなければなりません。二つではいけません。

神様のみ意であると同時に「私」の志であり、神様の事情であると同時に私の事情であり、神様の心情であると同時に私の心情だということを皆さん自身が体得し、そのような立場に立ったという自信をもたない限り、神様の代身者になることはできません。代身者になろうとすれば、必ず一つにならなければなりません。一つにならなければ、代身者にはなれません。ですから、堕落した私たち人間が目指すべき目標は、神様と一つになることです。

一つになるためには、願いが同じでなければならず、事情が同じでなければならず、ひいては心情的な一致点を備えなければなりません。そうでなければ、堕落した私たち人間は、神様と一体になることができないのです。

6   統一教会員たちは、今まで困難な道を歩んできましたが、消え去ることはありませんでした。最後まで残る人が父の代身者です。神様は皆さんに対して、息子、娘として、そして、代身者として、この国の三千万の同胞のために行きなさいと、喉が痛むほど泣き叫んでいらっしゃいます。至る所に、父の代身者、父の愛を受ける息子、娘を送りたいと思われるのです。

「あなたは私の代身者であり、息子、娘である」と言うことができ、サタンを退けて神様の真の愛を受ける人になることを願われるのです。皆さんが行く道は、豪華絢爛な道ではなく、神様の代わりに死ななければならない道です。天の父に代わって死の道をも行くべき立場にいる皆さんなので、息子、娘ですが、死の道を前にして闘っていかなければならないというのです。

見せてあげて誇り得る者となろう7   一九六二年の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」、すなわち「見せてさしあげられる者になろう、誇れる者になろう」ということです。逃げていくサタンを、どこまでも追っていかなければなりません。神様は個人を現して誇りたいと思われ、家庭を現して誇りたいと思われるので、このために闘って勝利しなければなりません。そのようにしてこそ、霊界と肉界を連結できる息子、娘になります。闘いに勝ってこそ、誇れるのです。皆さんは、天の家庭の復帰のために闘わなければなりません。一九六二年には、見せてあげることができ、誇ることができる基準を立てなければなりません。

闘う時は、神様を中心として、または天の家庭を中心として闘わなければなりません。そうして、勝利しなければならないのです。闘うとしても、最も苦しい場で闘わなければなりません。一番難しくて大変な労働者、あるいは乞食の中の乞食から始めて、頂上を圧倒して屈服させなければならないのです。父母と合同作戦をしなければなりません。父母と子女が力を合わせ、伝道しなければならない時です。父母と子女、一つの家庭が銃床(じゅうしょう)を並べて闘い、天的な家庭、氏族、民族を形成して全世界を復帰しなければなりません。これからは家庭を中心として闘わなければならないのです。

8   一九六二年は、歴史的に二度とない年です。それでは、この年をどのように迎えなければならないのでしょうか。神様が願われることを、何人かの統一教会の信徒だけでも解怨してさしあげようという目標のもと、新年を迎えなければならず、また、責任をもたなければなりません。

今年は、皆さんがサタンの讒訴を避け、神様の心配の対象にならず、前後、左右、上下、内外に不足のない存在にならなければなりません。神様が今まで摂理しながら誇りたいと思われた願いの実体にならなければなりません。また、天と地、全被造万物に認定され、ひいてはこの地とサタン世界にまで見せてあげ、誇り得る実体にならなければなりません。この一年はそれを実践し、やり遂げる皆さんにならなければなりません。

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第五節   「神の日」宣布「神の日」宣布の意義と背景真の父母様は、一九六八年一月一日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、歴史的な「神の日」を宣布された。「神の日」は、「父母の日」と「子女の日」と「万物の日」を探して立てた勝利的基盤の上で宣布された。真の父母様は、一九六〇年、神様の祝福の中で聖婚式を挙げられて以降、第一次七年路程を勝利で締めくくられたのち、「神の日」を宣布されたのである。真の父母様の聖婚後、八年目となる正月一日に、この日は、神様の創造理想が実現し、神様が地上に安着される、歴史始まって以来、初めて迎える喜びの日であると語られた。

1   「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」はありますが、まだ「神の日」はありませんでした。神様は天地を創造されましたが、その天地の中で、神様を中心として喜べる日は迎えられませんでした。ですから、一九六八年一月一日を「神の日」として設定しようとするのです。

2   一九六八年一月一日は、神様が初めて愛を中心として霊界を統合し、地上を統合するために着陸された記念の日です。神様の愛を中心として父母の絆が結ばれたその父母を、「真の父母」と言います。

一九六八年一月一日は、初めて神様が、地上で創造理想を中心として願われた日であり、アダムとエバが神様の愛を中心として一体となることによって、歴史始まって以来、初めて神様が地上に着陸できる喜びの日です。その日が「神の日」です。

天下がすべて反対しても、この日は神様にとって、歴史始まって以来、創世以後、初めての喜ばしい日であり、良い日なのです。

3「神の日」に対する歴史的動機を探ってみれば、一九六八年に統一教会で制定したためにできた日ではありません。この日は、神様が天地を創造する前からありました。ただ現れていなかっただけであって、神様の創造理想の中にあった日であり、神様が万物を主管できる栄光の位置に登場する時、自動的に生じ得た日です。ですから、神様は、その願いの基盤の上に万物を造り始めたのです。

神様は、造られた万物を見て「この上なく良(善)い」と言いました。「神の日」が成し遂げられれば、万物自体が愛の条件になり得るので、その日を祝い、高めるという意味で、「良(善)い」と言ったのです。創造の偉業に喜びと賛美の条件が伴うのは、「神の日」を中心として語られたからです。

神様がアダムとエバを造って、万物をその指揮下に入れ、主管しなさいと祝福した動機とは何だったのでしょうか。神様は、御自身のみ旨が成就されたあと、直系の子女であるアダムとエバが、神様に侍る家庭を編成する日を迎えることを願いました。神様は、その日を中心として、アダムとエバを祝福するのです、その日以前には、永遠に残る喜びと栄光はあり得ないというのです。

4   第一次七年路程の期間に、何をしたのでしょうか。家庭に入り込むサタンの因縁をすべて切らなければなりませんでした。そのような過程を経て、一九六八年を迎えながら、神様が訪ね得るこの家庭を中心として、民族と国家と世界を代表する立場で、サタンの讒訴条件を内外ですべてえり分けなければなりませんでした。それを平面的な立場でえり分けると同時に、過去の歴史路程において、来ては逝ったアダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、モーセとイエス様が果たせなかったことを中心として、内的な蕩減をしなければなりません。

これができなかったことによって、キリスト教が二千年間、十字架の路程を歩んできたので、私たちもこれを内的、あるいは実体的に蕩減しなければなりません。これをした期間が第一次七年路程です。このようにして、一九六七年を越え、ようやく一九六八年の一月一日を「神の日」として設定したのです。

5   世の中では、誕生日を迎えて祝い、結婚記念日を迎えて祝いますが、「神の日」を迎えられないとすれば、人間としては祝賀の日々を迎えることができません。私たちが祝える日がないというのです。

しかし、今までそのような日々を祝うことができたのは、より良い日を国家的な日として、より良い日を世界的な日として立ててきたからです。世界における労働の日や女性解放の日などの日は、すべて「神の日」を探して立てるための方便的な祝賀の日です。その祝賀の日々は、それ自体で喜びを享受する日ではなく、今まで「神の日」を探し求めてくる過程で必要な方便的で条件的な祝賀の日であって、絶対的な名称を使える祝賀の日にはなり得ません。人間が最高に祝える日は「神の日」です。

ですから、人間は、神様を祝う日、神様が喜ばれるその日を迎えられなければ、いくら良い日があっても、その日を祝うことはできないというのです。しかし願うその一日を前にして、その日を憧憬しながら、世界的な喜びの日として(その日と)連結させるために祝う記念の日であるとすれば、その日は(祝うことを)許されるのです。

6   「神の日」とは何か知っているでしょうか。世の中の何が反対し、何がどうだとしても、妻の夫に対する心が変わってはいけません。夫が行く道を行こうという思いが変わってはいけないというのです。

エバが、信じることができない立場で堕落したので、神様が信じ得る立場に立たなければならず、また、神様が信じ得る立場とともに、夫が一〇〇パーセント信じ得る立場に立たなければなりません。

エバがアダムを滅ぼしたので、女性は一〇〇パーセント信じることができない歴史を経てきたのですが、初めてお母様を神様が一〇〇パーセント信じ、お父様が一〇〇パーセント信じることによって、「神の日」を設定できたというのです。それが一九六八年です。

7   サタン世界に対して、決定的な勝利の基盤を内的にも外的にも整えたので、初めてエデンにおける「神の日」を定めるようになりました。本来、完成したアダムとエバが愛の絆を結んだならば、「神の日」が始まったでしょう。そのように始まらなければならなかったのですが、第一次七年路程が終わることによって、初めて「神の日」を宣布するようになりました。ですから、完成基準の父母の絆を中心として、神様の愛と一致できるのです。

「神の日」が定められることによって、神様の愛を中心として新しい家庭が出発したその基準は、エデンの園で堕落せずに成熟したアダムとエバを神様が祝福し、愛の絆を結んでくれた基準に匹敵するというのです。そのため、サタン世界が讒訴をしたり、蕩減条件を提示したりするのではなく、天の権限をもって天使長を統治できる家庭的時代圏に上がるようになりました。今や時が変わったというのです。

8   「神の日」は、人間始祖が夢にまで願っていた完成段階の位置に立てる日であり、創造本然の世界が願う日であり、神様が万物を造って願われた日です。被造物と創造主が願っていた日です。したがって、この日は、アダムとエバが祝福の目的を実現できるその日になります。また、この日は、人類の善の先祖になるアダムとエバが、たとえ個体は違っても、神様を中心として生命の一体化を実現できる基点になる日です。

アダムとエバが神様と分離された立場で(神様とは)異なる生命の絆を継承し、悪の先祖として出発した、あらゆる恨の条件を越えて善の立場に上がり、神様の新しい生命の絆を備え、神様の愛を中心として再出発できる立場に立つようになることによって、初めて「神の日」が設定されたのです。

神様の主管権回復時代真の父母様は、「『神の日』宣布を契機として、サタン世界が天の国の王権、父母の王権、子女たちの王権、万物に対する王権の支配下に入った」と語られた。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を宣布することによって、すべてのものが神圏、真の父母圏、真の子女圏、真の万物圏に属しているため、いかなるものも、サタンが略奪していくことはできないということである。

この日をもって、真のお父様の二十一年路程と、食口たちの第一次七年路程を締めくくり、第二次七年路程を迎えるようになった。

9   神様が救援摂理をしてきた基盤は、死亡圏であり、悪の主管圏でした。神様が直接主管できる基盤を喪失したのです。神様は、愛によって造ったこの天地万物の愛の主人としてアダムとエバを立てておいたので、アダムとエバと万物が一体になれば、その基盤の上で、神様が直接主管することができます。しかし、万物の中心である人間が神様の愛と一体になることができず、サタンと一体になったので、神様が直接主管できる基盤がサタン世界に移されたのです。

サタン世界の非原理的な愛の因縁を通して築かれたこの世界は、神様との関係が断たれた世界なので、神様は創造原理によってこの世界を収拾してこなければなりませんでした。

10  「神の日」が探し出されるまで、七年の歳月がかかりました。父母様がこの七年路程を行かなければなりません。神様に出会うのは直接主管圏ですが、原理結果主管圏の三段階を経て、十数の段階を越えるようになるとき、愛を中心として神様と連結されるのです。その日を訪ねていこうとするので、七年の期間を費やしたのです。

一九六〇年、父母様の聖婚式以降、子女たちを率いてすべての日を定め、満七年になって八年の最初の日となる一九六八年一月一日を、ようやく「神の日」として定めたので、そこから父母様は、世界的に影響を及ぼしていくことができます。世界的な宗教として、統一教会が成長していけるというのです。

11  人類と神様が出会える道を失ったのは、人間始祖の堕落によって家庭を失ったからです。失った家庭を探し出して、一九六八年一月一日を「神の日」として設定することにより、神様の直接主管圏内に入るのです。このように、神様の直接主管圏内に入ったので、この位置は、アダムとエバが堕落したこととは関係のない位置です。この位置は、天使長も完全に屈服しなければならない位置です。

ですから、今やサタン側の長子の基準を蕩減復帰し、神側の長子の基準を立てた立場なので、サタン自身も完全に屈服しなければならない時代に入ったのです。一九六七年までは、アベルがカインを屈服させてこなければならないので、神様は愛する人を犠牲にして、蕩減復帰してくる時代でした。

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第二節   「父母の日」宣布「父母の日」宣布の背景一九六〇年、陰暦三月一日(陽暦三月二十七日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された真の父母様の約婚式は、事実上、真の父母様がこの地に顕現された日である。そのため、真の父母様は翌年一九六一年、陰暦三月一日の約婚記念日を、「父母の日」として発表された。また、一九九四年の第三十五回「父母の日」には、主要な名節に「真の」の字を付けて「真の父母の日」のように称すると語られた。

1   神様は、「神の日」と「父母の日」と「子女の日」をもてませんでした。神様が目指される創造の理想は、心情一体です。神様、アダムとエバ、子女に続く心情的な一直線を形成するためのものが、創造目的です。神様は、調和の道理を立てて創造されました。したがって、神様は、再創造の方法とその設計も、この原則によってされるのです。神様は、「子女の日」をもつと同時に「父母の日」「神の日」を立て万民が祝う日をもってこそ、すべての記念日を完結するようになるのです。

2   「父母の日」は、歴史時代に父母が誤ったすべてのことを、霊的、肉的に蕩減した勝利基盤の上でのみ設定されます。アダムとエバが真の父母にならなければなりませんでしたが、彼らが堕落することによって、メシヤであられるイエス・キリストが来て、イスラエル選民圏を中心に、国家的基準で真の父母の基盤を築かなければならないのです。これが原則です。

3   真の父母が、この地上で真の父母として立つためには、必ず実力で勝敗を決しなければなりません。真の父母としての資格を備え、勝利しなければならないのです。まずサタンを屈服させ、その次に霊界に行って、養子の父母を屈服させなければなりません。このようにして、蘇生、長成、完成の父母の三代の歴史を経ていかなければなりません。そのようにしたのちには、この地上に子女の立場で生まれた人間を救える心情的内容や、生きる道を開いておける全般的な条件を備えなければなりません。そのようにしなければ、父母になることができないのです。

この地上の人間が、なぜこのようになったのでしょうか。父母が誤ったからです。ですから、その父母には、死んだ子女を生かさなければならない責任があります。それゆえ、子女を生かす方策を立てなければ、父母になることができません。したがって、歴史過程は、蘇生、長成、完成の三時代の父母の歴史を経てきます。その中で最後に残る父母は、肉界でも霊界でも、サタン世界で勝利の決定権をもって現れる父母なのです。

4   天と地が統一されなければ、すなわち、霊的な世界と地上世界が統一されなければ、完全な統一を実現することはできません。いくら偉大な人物が出てきて世界を一つの思想で統一しようとしても、天倫の法度が残っており、神様が厳然と存在する限り、それは妄想にすぎません。

今日、統一が実現できない原因はどこにあるのでしょうか。すべてのものが塞がっているからです。これを崩すまでは、統一が実現されません。心情の基盤から心の基盤、生活の基盤だけでなく、存在するすべての世界で隔たりがあり、溝ができているので、それを清算しておかなければ、統一されないのです。清算すべき溝は、地上だけでなく天上世界にまで無限に連結されていますが、この溝を何によって打開するのでしょうか。これは人間に責任があるので、人間が解決しなければなりません。ですから、主がこの地上に来るためには、塞がった霊界と無限の闘争をしなければならないのです。

今日、地上に統一的な世界観が立てられつつあるのも、実は霊界で統一的な役事(働き)が起こっているからです。その霊界の役事が地上に反映され、実体的な現実として展開されています。統一は、どのように成し遂げられるのでしょうか。地上に「父母の日」を立てることによって成し遂げられるのです。「父母の日」は、天地の間に勝利を決定する日であり、神様が願ってきた勝利の日として立てられる日であり、人間が願ってきた歴史的な実を結べる日であり、万宇宙の失われた主人を探し出せる日なのです。

5   今まで、善の中で現れるべき真の父母の血統がこの地上に現れなかったので、今日、人類は孤児のような立場にいます。すなわち、サタンの息子と娘であり、怨讐の息子、娘として生まれたというのです。しかし、神様の愛の法度から見て、人間は天の国に帰ることができます。ところが、サタンが人間を鉄の鎖で縛り、(天の国に)行けないように蹂躙しているというのが今日の状況です。その鉄の鎖を切ってしまい、最後の生死を決断できる人類の希望の起点が「父母の日」です。

6   真の父母は、(男性と女性の)二人がいなければなりません。二人いなければ、真の父母の基準の上に立つことができません。そして、霊的な闘いで勝利の基準を立てたとしても、地上に実体の真の父母が立てられなければ、実体世界で勝利の基準が立てられません。いくら霊界で勝利の条件を立てたとしても、地上に真の父母が立てられなければ、霊的世界の足場に該当する基盤を、この地上に築くことはできないというのです。ですから、今後、来られる真の父母は、このために生命を捧げ、地と天に代わって闘っていかなければならないというのです。このような闘いの期間が、四十年の期間です。

真の父母は、この四十年の期間にどんな闘いを経なければならないのでしょうか。まず、霊界で霊的な試練を経なければなりません。その次に、地上で実体的な試練を経なければなりません。その中でも倒れることなく、中心をもって進み出て、初めて霊肉合わせて真の父母を立てることができるのです。すなわち、六千年の摂理歴史の願いを果たせるということです。「父母の日」は、霊肉合わせて真の勝利の基点を定めた日であり、真の父母の理念が出発した日です。

「父母の日」の意義アダムとエバが神様を中心として真の父母になっていたならば、その時、「父母の日」が立てられていたはずである。しかしアダムとエバが堕落することによって立てられなかった「父母の日」を取り戻すため、神様は今まで摂理してこられた。このように「父母の日」は、アダムとエバが誤ったことを、真の父母が霊的、肉的に蕩減した勝利基盤の上で設定されたのである。

7   メシヤとは、神様の愛をもって体と心が一つになった、本然の理想的な男性の型を備え、堕落性を超越した立場で来られる方です。そのような方が一つの中心となり、世界の人をそれと同じように育て、天国に入らせるために来られるのです。そのメシヤは、何を探し求めなければならないのでしょうか。

メシヤは新郎として来られるのですが、新郎は新婦を探し求めなければなりません。新婦はエバです。エバを失ってしまったので、メシヤはこの地上に来て、エバを探し出さなければなりません。統一教会では、「真の父母」という言葉を中心として、歴史上、初めて「父母の日」を発表しました。神様の本然の愛を中心とした男性と女性が夫婦になる「父母の日」を設定したのです。神様を中心として、男性の体と心、女性の体と心が、水平線で完全に一つになり、神様が願った理想的な完成圏が出発した日が「父母の日」です。

8   人間始祖が堕落したので、今、この地球上には神様が愛し得る直系の子女が存在せず、養子たちだけがいます。神様も、天地間の偉業を相続させてあげなければならないのですが、血統が違う養子だけがいるので、たやすく相続させてあげたいと思うでしょうか。父母であれば、突然現れた他人の子女に、天地間の偉業を相続させてあげたいでしょうか。それは、本来の創造の原則に外れることなのです。天地創造の原則は、本来の息子、娘に偉業を相続させるようになっています。

本来の息子、娘を取り戻すためにあったのが今までの歴史です。神様の実の息子の使命と資格を備えてこられる方が再臨主です。ですから、最高の新婦は、再臨主の妻になる人です。彼らは、人類の真の父であり、真の母です。そのような父と母が出てきたあとは、その方々の息子、娘が出てこなければなりません。この父と母が現れる日が、正に「父母の日」です。この日は、統一教会における誇らしい日です。今、ようやく歴史上に「父母の日」が現れました。失われた神様の栄光を代わりに現し、人類の勝利をたたえ、悪に対して公義の法度で裁きの権限を行使できる、私たちの父母が現れたというのです。これが、この地上では福音の中の福音です。

これを宣布したのが「父母の日」なのですが、(この日が)正に陰暦の三月一日です。人間が堕落しなかったならば、(今日の)私たちに「父母の日」は必要ありません。アダムとエバが堕落せずに子女を生んだとすれば、その子女たちがアダムとエバを「お父さん、お母さん」と呼ぶその日が「父母の日」であり、「神の日」だったでしょう。

9   私たちは「父母の日」を立てましたが、この「父母の日」が、統一教会だけの「父母の日」になってはいけません。私たちだけが迎える「父母の日」になってはいけないというのです。世界万民が迎える「父母の日」にならなければなりません。この日には、万世の恨が積もった峠を越えるために、今も呻吟している父母様の心情が宿っています。ですから、切迫した心情を抱き、この罪悪の世界を破綻させ、解放のラッパの音と解放の歓声が天地に満ちる、その一日を迎えられるようにしなければなりません。

私たちは、このような解放軍としての使命を果たさなければならないのです。そのようにしなければ、その父母の息子、娘として「忠孝の道理を果たした」と言うことはできません。この日は、統一教会の垣根の中の少数の群れだけが祝える日ではなく、万民が祝える日です。すべての歴史にわたって、永遠にたたえることができる日です。未来の万民たちが、誇らしい日、喜びの日、栄光の日として永遠に記念し、たたえることができる日なのです。

10  皆さんは、「父母の日」を本当に自分の「父母の日」として立てなければならず、皆さんの家庭の「父母の日」として立てなければならず、社会の「父母の日」として立てなければならず、国家の「父母の日」として立てなければなりません。そのようにしてこそ、世界の「父母の日」として立てられるのです。

世界の「父母の日」として立て、天宙の「父母の日」として立ててこそ、本来、神様が真の父母を立てようとした創造理念が完結し、人間が堕落することによって「父母の日」を立てることができなかった恨が解怨されるのです。さらには、この天上天下に「父母の日」を立ててこそ、復帰の恨が完全に解怨されるというのです。

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18  「世界平和教授アカデミー」を通して、全世界的に原理研究教授会をつくります。今、韓国と日本でそれをしています。そうして、教授たちが「統一原理」を研究し、しきりに発表しています。

私たちは今まで、「科学の統一に関する国際会議」をたくさん行い、多くの学者たちをまとめてきたのですが、そのような学者たちを中心に、どのようにすればその国の責任者たちが統一原理公聴会をすることができるようになるかを研究しなければなりません。

反対するキリスト教の責任者たちと教授が対話しなければならないというのです。教授と対話するようになれば、牧師たちは完全に頭を下げます。

その次には、今の既成宗教と一つになって、たくさんの人と接触させなければなりません。教会が一気にこちら側に来れば、人々が一遍にやって来るというのです。

このように多角的な活動を展開して、何としてでも六百人ずつ行い、三万人を完全に確保して教育しなければなりません。私たちが国家的に動けば、若い人々が押し寄せるのです。

指導者に対する「勝共思想」教育と海外研修真の父母様は、一九六八年一月十三日に「国際勝共連合」を創設され、韓国では各界各層の指導者たちを対象に、南北統一に備えて「勝共思想」および「統一思想」の教育を持続的に実施された。そして、「国際勝共連合」は、アメリカと日本で研修を行い、「勝共思想」と真の父母様の世界的活動を紹介することによって、韓国の社会指導者たちに多くの感動を与えた。

19  南北統一に備えて、組織編成をしておかなければなりません。平和大使たちを「勝共理論」と「統一思想」、「統一原理」で武装させることにより、世界を収拾していかなければなりません。

何としてでも、百二十ヵ所に平和大使を配置しなければならないのです。平和大使たちを班里面(パンリミョン)、班統洞(パントンドン)に配置しなければなりません。地方や首都圏もみな同じです。そのようにすれば、全体がまとまった組織になります。そのような組織をつくって、毎日のように思想武装をしなければなりません。

20  お父様のことを愛国者だと認定する人々から、必ず教育しなければなりません。国会議員たちに「原理」と「勝共理論」、「統一思想」まで教育しなければなりません。お父様に勝つことのできる何かがないのなら、付いてきなさいというのです。韓国の政治の風潮では、何もうまくいきません。アメリカや日本も同じです。

お父様は絶対価値を中心として、今まで平和運動を行ってきました。そのようにした人は私しかいません。世界がこれを大いに尊敬しています。尊敬することで終わってはなりません。尊敬した基盤を歴史の伝統にして、後世に残さなければならないのです。着地が必要です。

21  キリスト教徒たちが「統一原理」を聞いて、驚いています。アメリカ研修に参加した校長たちの中にも、キリスト教徒たちがたくさんいます。そこには異議があり得ません。良いといううわさをみな聞いたというのです。昔は、同じみ言を聞いても、悪いと考える目で見て、そのような耳で聞いて、そのような心をもって聞いたので、それがすべて、自分をたたき潰そうとし、食いものにしようとする言葉にばかり聞こえたというのです。

今や、うわさがたくさん立ったので、一度聞かなければならないと思って、心の門を開いて聞いてみると、一〇〇パーセント響くのです。最近、国家を導いていける思想として教育するに値するものがないので、教育部(日本の文科省に当たる韓国の中央行政機関)から私たちの責任者の所に何日かごとに訪ねてきては、「教育してほしい」と言うのです。

今や、互いにアメリカ研修に参加しようと言って列をつくっています。今回は、キリスト教の長老たちを連れていこうと思います。既に教育を受けた人は二万人近くなりますから、今や中流階層はほぼすべて通じます。知らない人がいないというのです。

22  今まで、「国際勝共連合」と統一教会を通して訓練を受け、教育された人々は本当にたくさんいます。皆さんが今まで関わりをもってきたその人々を、すべてまとめなければなりません。

その次には、アメリカ研修に行った教授と小学校、中学校の校長、教頭、教師たちをすべてまとめるのです。ですから、今回、私たちの協会の組織を一元化しました。今まで原理研究会の学生たちは別途に活動しましたが、今やそのような時は過ぎ去りました。みな一つの家に入ってきて暮らすべき時が来たのです。怨讐たちはすべて倒れました。ですから、みな一つに束ねたのです。

今に学生局ができるでしょう。学生局は、教授たちと中学、高校の校長たち、小学校の教師たちまで束ねて配置しておくのです。すべての家庭が、教育機関に関係しています。家庭には小学校や中学、高校、大学に通わない子女たちがいないので、このような教育機関で中心となって動けば、その家庭は相対的に、自然に動くようになっています。

学生さえ復帰しておけば、学校の先生や家庭がすべて動くというのです。私たちは学生を動かすことができます。学生たちを連れてきて一週間だけ原理を教えてあげれば、すべて回っていくのです。

23  アメリカ研修に行ってきた人が、五万人を突破しなければなりません。今までアメリカ研修に行ってきた人が三万人を超えると考えます。五万人に研修を受けさせれば、一つの郡(地域)では二百人になります。

アメリカ研修をさせたのは、今後、国家を動かすときに、中心となって動く人脈が必要だからです。彼らは教育を受けたあと、「これから私たちの国は、統一教会のこのみ旨を中心として収拾しなければ希望がない」と感じるというのです。また、国家基準だけでなく、世界に通じ、世界に発展し得る人脈と連結させる所は、統一教会の基盤以外にはないことが分かるというのです。彼らが、希望の方向を私たちに向けているのです。

24  父母様は、中学、高校の活動に力を注ごうと思います。アメリカ研修に行ってきた中学、高校の教師たちと校長、教頭たちの中で、三分の二ほどが私たちの体制圏内に入ってきました。今後、校長、教頭を中心として一つになれば、学生たちを教育することに問題はありません。

これから、これを学制に引き上げるに当たって、一番早い道は、大学教授よりも中学、高校の先生たちです。教職員を中心とした活動と学生の教育が、絶対に必要なのです。この時に定着しさえすればよいのです。大学では、もはや一段階落ちます。大学は学科別になっているので、卒業の同期だといっても、心情的な絆がうまく結べません。

しかし、中高生たちを見れば、同じ科目圏内で、単一の責任を受け持った先生がすべて教えてくれるのです。ですから、同じ父母をもつ兄弟のような心心情的絆を結ぶことができます。

それゆえ、一番重要なのは、中学、高校のような教育機関にどのように思想的な内容を植えておくかということです。これは必須的な条件です。

このような強大な背後の勢力基盤を教育するのです。そして、校長が称賛し、学生たちが称賛するようになれば、父兄たちは自動的に付いてくるのです。彼らを教育することにより、食口化運動をしなければなりません。

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6   個人は、国のために生き、世界のために生きる道を模索していかなければなりません。その次には、家庭がその道を模索していかなければなりません。ですから、「祝福家庭から出発しなさい」と言ったのです。

家庭が国を愛する道を行かなければなりません。夫だけが国を愛してはいけません。妻も子女たちも愛したという条件を立てていかなければなりません。これが、四位基台が備えるべき条件です。

いつ家庭が神様を愛し、国を愛してみましたか。愛することができなかったので、四位基台的な愛の一つの起源を準備するために、統一教会は仕方なく、統一運勢の時代が目前に迫るこの時に、祝福家庭の婦人全体を動員しているのです。

7   皆さんたち祝福家庭の婦人が総動員され、地方に出ていけば、どのようなことが起きるでしょうか。夫と息子、娘を残して出ていくことによって、皆さんの家庭の四位基台は、母親を中心に分かれるのです。ですから、皆さんの息子、娘は母親を慕うようになります。

また父親は、妻が地方に出掛けて活動することを中心として、息子、娘を教育するようになります。「今、あなたの母親は、国と天のみ旨のために出ていって闘っている」と言いながら、子女たちが改めて母親を尊重する方向に教育できるのです。それこそ、母親を中心として、母子一致の基準を決定できる良い機会です。それだけでなく、夫婦が互いに協助して完成できる良い機会でもあります。

言い換えれば、家庭の四位基台が一時に協助し、目的を完成できる機会だというのです。そのような機会は、この期間しかありません。神様は六千年間、母子協助の基盤のために苦労してきましたが、ここでは、母子協助の完成はもちろんのこと、夫婦協助の完成までして、四位基台完成の協助基盤を決定することができるというのです。

8   一九七〇年十二月一日から、祝福家庭の婦人たちは総動員されなければなりません。男性たちが、「今回は、妻たちだけが動員されるので私とは関係ない」と考えるとすれば、妻とは何の関係もない人になります。

誰々の妻を動員し、誰々の母親を動員するというのは、家庭を代表して動員するということです。家庭を代表するだけでなく、教会を代表して動員するのです。ひいては、大韓民国が責任を果たせずにいるので、大韓民国を代表して動員するのです。大韓民国だけでなく、世界を代表して動員するのです。世界だけでなく、霊界の霊人たちと数多くの先祖たちを代表して動員するというのです。ですから、今回の動員にやり甲斐を感じなければなりません。

9   家庭を第一線に立たせるときは、夫よりも妻を立たせなければなりません。初めに堕落したのは、アダムではなくエバです。エバが天使長と非原理的に一つになることによって、神様と一つになれる道を壊してしまい、神様の子女になれる道も壊してしまい、アダムと永遠の理想的な夫婦になれる道も壊してしまいました。また、神の国と世界まで、完全に破綻させてしまいました。この張本人がエバです。

エバがこのような結果をもたらしたので、今日、統一教会の祝福家庭の婦人たちが、サタン世界の家庭を復帰するために第一線に進み出るようになったのです。これは、エバが天使長と堕落する前の段階の立場を再現し、家庭を代表してその立場に立ったのと同じです。

祝福家庭の婦人、千二百人を百二十ヵ所に派遣したのは、全体の数を代表して派遣したのです。派遣された所は大韓民国の地ですが、大韓民国という限定された地ではなく、世界全体の国家を象徴的に代表する地だというのです。

10  女性たちの開拓路程にも、蘇生、長成、完成の三段階の路程があります。それは、なぜでしょうか。神様は、今まで六千年間、復帰摂理をしてくるとき、男性を中心として三度行ってきました。それは、女性を解放するためのものでした。このように、縦的な面で男性たちが蕩減してきたので、女性たちは横的な面で先頭に立って蕩減しなければなりません。縦的な蕩減を横的にしなければならないというのです。

このように、三次の路程を通して個人を復帰し、家庭を復帰し、氏族、民族、国家を復帰しなければならないのが神様の摂理です。ですから、国家復帰の路程までは、女性たちが三次の開拓路程を経ていかなければ、蕩減原則の路程が完結されません。

11  いくら困難な道があるとしても、いつでも一つになり、祝福家庭婦人の三年動員期間を越えていかなければなりません。一九七〇年代を目指していくこの時に、願った基盤が一九七〇年から一九七二年までの三年の期間にできれば、韓国は心配することがなくなります。今は、韓国に協助してくれる方も神様だけであり、信じる方も神様しかいません。

北朝鮮は、武力で大韓民国を南侵できる万全の準備を整えており、さらには中国とソ連が背後で加担しています。このような共産圏を東北部において迎えているのが、大韓民国の実情です。

ここにおいて、日本は今、中国と手を結んで進む立場にあります。これを見るとき、大韓民国の進む道は、前後が塞がっています。このように、周辺国家によって包囲された状況の中に大韓民国がいることを理解すれば、大韓民国の国民として安逸な生活を送ることはできないというのは、言うまでもないことです。

12  イエス様は、三年の公生涯路程を行きました。その三年の公生涯路程の目的とは何でしょうか。何を求めるためのものなのでしょうか。エバを探し求めるためのもの、すなわち家庭を探し求めるためのものです。家庭を探し出して氏族を求めるためのものであり、氏族を探し出して教会を求めるためのものであり、教会を探し出して国を求めるためのものです。これが、イエス様が三年の公生涯路程で願った最高の望みでした。

その望みの限界点が(これから)選別されるのではなく、選別された基盤の上に立てる時代圏内に入ってきたのですが、その時が一九七一年だというのです。

ところが、ここで問題になるのは、祝福を受けた家庭が、真の父母様の家庭を中心として、完全に一つになっているかということです。サタンが讒訴する立場ではなく、完全に団結して、真の父母様の家庭と一つになっているかが問題です。完全に一つになって、国境線を越えなければなりません。サタンと闘って、最後の境界線を突破しなければならないのです。

祝福家庭の婦人たちの活動方針祝福家庭の婦人は、くじ引きで任地を決定し、三十六家庭、七十二家庭などの先輩たちが班長になって活動を開始した。

真の父母様は、「本来は一人で任地に向かわなければならないが、世の中の環境には危険があるため、十人で一つの班を編成し、配置することになった」と語られた。また、イエス様の十二弟子が分裂した立場を蕩減し、族長編成の基盤を代わりに完結するため、すべての婦人は自分の生活習慣を捨てて、一つにならなければならないことを強調された。

韓国の国民が「統一教会員と一つにならなければ、韓国は生きることができない」と認めた勝利基盤の上で、真の父母様はアメリカを中心として、世界に進出されたのである。

13  愛する夫と子女を犧牲にし、み旨の道に従って国と世界のために行こうという家庭は、神様のみ前に残るのです。このように、夫をあとにし、子女をあとにして、か弱い女性が国のために生き、世界のために先頭に立って進んでいく歩みの前に、神様が共にいらっしゃることは間違いありません。

父母様は、祝福家庭婦人の動員を断行しながら、内心で少しの呵責も受けませんでした。私自身が安楽な生活をしようというのではないからです。その人たちを立てて、父母様が利益を得ようというのでもありません。利益があるとすれば、私の利益ではなく、国の利益として、世界の利益として、歴史の利益として、人類の利益として、神様の喜びとして残そうというのです。それが私たちの願いであり、それが私たちの行くべき頂上の標準です。

ですから、そのようにできる喜びが統一教会内の喜びとしてだけでなく、民族と国と世界の喜びとして残り、仰ぎ見る対象、記憶の対象にならなければなりません。そのためには、このような道しかないので、父母様がこのようなことを断行するようになったというのです。

14  祝福家庭の婦人たちが動員され、第一線に出ていくときには、乳飲み子を連れていってはいけないと、特別命令を下しました。乳飲み子を預けておく父母がいなければ、遠い姻戚に預けて出掛けなさいというのです。

そのようにすれば、統一教会が悪く言われることを私は知っています。「結婚するやいなや、どうして三年間、家を留守にするのだ」と言いながら、父母や親戚たちが批判するようになっているというのです。乳飲み子をもった母親たちは、乳飲み子を実家の父母に預け、父母がいなければ、おじの家に預け、そうでなければ嫁ぎ先の家に連れていって預けて、任地に行きなさいというのです。

そのようになれば、否が応でも引き受けてくれるのです。そのまま放っておいて見殺しにすることはできません。そのように、その乳飲み子を育ててあげることによって、彼らが恵沢を受けるようになります。

家庭が滅びるしかないのですが、福を受けさせるためには、無理やりにでも連れていって預けなさいというのです。批判はすべて浴びてあげるというのです。そのようにすれば、批判しながらも乳飲み子に関心をもつようになります。批判しても幼い乳飲み子に情が湧き、自分たちが言い過ぎたと思うのです。

その次には、親戚と一族が関心をもつようになり、国家が関心をもつようになります。また世界も「女性がどのようにして世界を救うのか」と言って、関心をもつようになります。ひいては天宙、全被造万物と天使世界が関心をもつようになるのです。歴史始まって以来、初めてのことを統一教会で行うのです。

15  お父様が、一九七〇年十一月一日から水澤里で行っている祝福家庭婦人動員修練会に行くと、ある人が来て、「子供たちをすべて家に置いて動員に応じなさいというのですが、どのようにすべきでしょうか」と尋ねました。それで、「どのようにしなければならないかは、あなたたちが分かるだろう」と答えました。どのようにすべきかは、皆さんがもっとよく知っているというのです。

その道は、私が行く道ではありません。私が行くべき道は、既にすべて通過しました。私が行く道にも患難時代があり、波風がありましたが、すべて通り過ぎたというのです。

今や皆さんが種になって、春の季節を迎えて植えられなければなりません。実になるためには、その環境をすべて整理しなければならないのです。葉が落ちて枝ばかりが残った木に付いている一つの実は、つまらないものではありません。つまらないものがくっついているのではないのです。純粋なものを植えなければなりません。

家庭であれば家庭において、一番貴重なものを抜き取って植えなければなりません。家庭で一番貴重なのは、父親でもなく、息子、娘でもなく、母親です。ですから、母親たちを動員したのです。

16  一九七〇年に、全国にいる統一教会の祝福家庭の婦人たちを動員しました。祝福家庭の婦人たちに「この国が悲運の運命を迎え、非常事態が差し迫っているので、この民族が生きるためには、家庭と子女を犠牲にしてでも、国を守護できる道を行かなければならない」と主張し、三年間、子女たちを預けさせ、乞食の姿ですべて送り出したのです。

そうして、批判する親戚の家に、「この子は私たちの息子ですが、私が三年間、行ってこなければならないので、少し面倒を見てください」と言うなど、ありとあらゆる悲劇的な背後を残して行脚の路程を出発し、闘ってきたのです。

統一教会を悪く言う人々にも、「統一教会は悪いが、三千万が統一教会の人のようになれば、この国、この民族は滅びないだろう」と言える思想を植えてあげなければなりません。流れていく歴史と、行く当てもない天地において、歓迎を受けられない姿で排斥される立場に立ち、それが歴史的なその何かとして残ることを願いながら命令するお父様も、かわいそうな男なのです。

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28 父母様が第三次七年路程を定めて行ったこととは何でしょうか。復帰の目的完成というその結果に向かって前進を誓い、家庭否定、国家否定、アジア否定、世界否定をしてでも、第二の推進力をもち得る愛の基点を残そうとしました。それが残るだろうかというのです。そうして、堂々と戻ってこられるかというのです。

戻ってくるとすれば、どんな人として戻ってくるのでしょうか。権力をもつ権威者として戻ってくるのではなく、愛の勝利者として戻ってこようというのです。これこそ、お父様が結論づけた一つの基準でした。それが真の愛です。自分の子女を愛する以上に父母を愛し、父母を愛する以上に氏族を愛し、氏族を愛する以上に民族を愛し、民族を愛する以上に国家を愛し、国家を愛する以上に世界を愛しなさいというのです。

第三節 四十日啓蒙伝道と全国巡回復興会四十日伝道の出発真の父母様の聖婚以降、一九六〇年七月二十日から始まった夏季四十日啓蒙伝道活動は、全国に民族復帰の火種をつける契機となった。

全国四百十三地域に六百五十九人が派遣された。ソウルでも家庭訪問と原理講義を継続し、パゴダ公園(現在の夕プコル公園)など、主要な公園で伝道が実施された。食口たちが真の父母様と共に四十日間、麦だけの御飯を食べながら、あらゆる苦難と迫害に打ち勝ち、心情的に一体化した期間だった。

1 アダムからイエス様までの四千年歴史、アブラハムから今までの四千年歴史を蕩減するための蕩減期間として立てたのが、四十日伝道期間です。このような峠を越えていかなければならないのですが、行く道は一つしかありません。いくら広く、何千里にもなる道でも、最も早い道は一つしかないというのです。蕩減の道も同じです。

四千年路程があり、四十年路程がありますが、それは四十数を中心とした期間です。この峠を越えるためには、近道を築かなければなりません。この代表的な期間が、四十日伝道期間だというのです。

2 夏であれば夏、冬であれば冬を中心として活動した四十日伝道期間が、歴史的な期間になるでしょう。

この期間に、皆さんは誰も越えられない峠を越えていかなければならず、誰も行けない道を行かなければなりません。そのようにしなければ、復帰の山頂を越えていくことはできません。これが問題です。

この道は、必ずや行くべき道です。生きている時に行けなければ、死んでからでも行かなければならない道です。

天の道を訪ねていく人々は、いつでも孤独な人々です。自分の周囲のすべての環境がいくら整然とそろっていたとしても、自分自身が越えていくべき峠において、それを克服できる装備をそろえていなかったり、その山頂より低い基準に立ったりすれば、その人は必ず敗北者の行路を歩むようになります。

ですから、責任をもった人々はいつも深刻なのです。皆さんが統一教会の食口の一員として付いていくのは簡単かもしれませんが、責任をもった人々は全体を率いて導いていかなければならないので、いつも深く眠ることができません。その責任者がどのようにするかによって、勝敗の結果が左右されるのです。

3 統一教会は、一九六〇年から本格的に夏期四十日伝道活動を始めました。その理由は、私たちが今日のすべての環境に支配されてここで終わるのではなく、未来に拡張しなければならないからです。そのために、世界的で全体的な分野に関係を結ばなければならないというのです。

活動するすべての存在も、現在、現れたその時代だけでなく、未来を象徴し、世界全体、制限された環境全体を象徴し、過去を象徴して、一つの代表的な表象として現れています。

ですから、皆さんは過去を代表しているというのです。歴史時代を代表し、この世界を代表し、未来を代表して生きているというのです。そのような人生を生きる存在が貴いのです。

4 皆さんは、夏季四十日伝道期間に麦飯を食べなければなりません。皆さんは祭物にならなければなりません。祭物は、自我意識と所有観念があってはいけないのです。私たちは、僕の位置を経て、養子の位置を経たあと、息子、娘の位置に進まなければなりません。イエス様は祭物として亡くなられました。祭司長になろうとしたのですが、民たちの不信によって祭物として亡くなられたのです。再臨主は、祭司長の資格で来られます。そうして、子女の位置に進むのです。

一九六〇年一月一日の朝、お父様は皆さんに、「三年間、服役する立場に立ちなさい」と言いました。

「心では父母の心情をもち、体では僕の立場に立って、血と汗と涙で祭物になり、祭司長の位置に進んで贖罪の責任を負い、息子、娘の位置に進んで父の代身者となってサタンを審判しよう!」。

これが私たちの標語であり、実践要綱です。皆さんは父の心をもった息子、娘として、血と汗と涙を流さなければなりません。血と汗と涙で道をぬらし、血と汗と涙で村と村を連結しなければなりません。

5 皆さんが真の父母の息子、娘になるためには、蕩減法を通し、父母の骨髄を通して出てきたという原理的な条件を立てなければなりません。そのようにしてこそ、息子、娘の位置に出てくることができるのです。このような条件を立てる期間が、一九六〇年を中心に、一九六一年と一九六二年の三年間にわたって行った四十日伝道期間でした。

この期間には麦飯を食べました。なぜ麦飯を食べなければならなかったのでしょうか。この三年間が蕩減期間だったからです。

この期間は、父母様の直系の子女を中心として四位基台を復帰して越えていく期間であり、皆さんは父母を中心としたカイン・アベルの関係を立てて、カイン・アベルを一致化させていく期間でした。

6 解放以後、民族の哀しい歴史に対して代表的な責任をもち、民族が望む基盤を願ってきた道があるとすれば、それは統一の道であり、そのような集まりがあるとすれば、統一教会しかありません。このように歩んできた統一教会なので、滅びることはできません。

私たちが伝道に出掛けた時、老若男女を問わず、すべての人に追われました。嘲られる悲しみによって込み上げる涙が露のようにたまり、落ちていくやるせなさを抱いてきたのです。朝日を見つめながら、あすには輝く日の光を浴びる自分の姿を希望とし、きょうは悲しみの日、忍耐の日、きょう訪れる夜は十字架の時間として、これを克服することを数十年経ながら今まで生きてきたのです。

このように追われてきた統一の群れが、何か分かりませんが、韓国で愛国、愛族の群れとして認められるようになりました。私たちが国のために闘い、努力していることが認められたというのです。

ですから、今や宗教団体を語るとすれば、統一教会を抜きにすることはできないでしょう。排斥していた群れがひざまずいて、涙で歓迎する基盤を築いたのです。

真の父母様の地方巡回真の父母様は、一九六〇年の夏季四十日伝道に合わせ、七月三十日から八月十九日までの二十一日間、ジープ型の車に乗って全国の伝道地域を巡回し、啓蒙隊員たちを激励された。開拓の第一線に立つ伝道師たちは、感激の涙で真の父母様の御一行をお迎えした。

真の父母様は、夜が明けるのも気づかずに伝道師たちの活動報告を傾聴し、多くのみ言を語ってくださり、麦だけの御飯を召し上がるなど、食口たちと共に過ごしてくださった。このような真の父母様の地方巡回は、その後も続けられたのである。

7 お父様が皆さんを伝道に送り出し、巡回した一九六〇年がとても印象に残っています。最近は、巡回をしてみれば、大勢の人々が「お父様が来られる」と言って、通りに列をつくって挨拶します。しかし、それよりも、冷たい風の吹く所で寂しく立っていたみすぼらしいその時の姿、死亡世界に立つ見張り番のように、あるいは生命を懸けた天のみ旗のように、精誠を尽くし、頭を垂れて祈るその心に、神様が天地の縁を結んでくださるのです。

このようなことを見れば、困難な立場にいるとき、神様と心情的な絆が結ばれることが分かります。

エリヤも人々に追われ、追い出されて、「わたしだけ残りました」(列王紀上一九・一〇)と訴えた時、その心情の前に神様が同参してくださいました。このように、神様が共にいてくださったために、エリヤに勝利の決定権が新たに与えられたというのです。

8 お父様が二十一日間、地方を巡回した当時に考えたことは、「この道が、今は険しい山道だが、将来、大勢の人々が車で走るようになるとき、最高の道だと言える道を、統一教会の食口たちの手によってつくってほしい」ということでした。

この道は、私一個人だけの道ではありません。連続的な道です。皆さんの中には、この道が一時的な道だと思って、自分なりに行く人がいるかもしれませんが、お父様はそうではありません。この道は、一時的な道ではありません。この道は、民族と人類と霊人たちと父が行くべき道です。

個人と家庭と社会と国家の国民、そして、霊人たちと大主宰であられる神様がお出ましになるとき、その道を見て、「息子、娘が楽に行けそうだ!」と感じるようにしなければなりません。

9 お父様も、野宿をしながら地方を巡回しました。開拓伝道をする時には、全員がそのようにしました。ジープ型の車に乗って、夜も昼も二十四時間走るのです。寝る所もどこにもありませんでした。ですから、車の中で寝たのです。お父様は、そのような訓練ができています。所構わず眠ると露でぬれてしまうこともあるので、車で寝るのです。車に乗れば、そのまま休息です。目的地が三十分の距離でも、目さえ閉じれば、すぐ眠りに落ちるのです。

10 お父様は、地方教会を巡回するとき、統一教会員たちがあまりにも悲慘な立場で生活しているのを目にします。そのたびに、神様に「お父様、彼らと共にいてください。私がこのような環境を経てくるとき、あなたは私と共にいてくださり、私がお父様に代わってこのような立場に立ったとき、行く道が残っていると勧告されたではないですか。このような絆を彼らとも結んでください」と祈りました。

皆さんの悲惨なその立場が、悲惨なだけで終わってはいけません。悲惨な立場でも、善を中心として勝利の凱歌を歌える姿で現れなければなりません。そのためには、悪の世界を根本的に審判できる神様の王子にならなければなりません。激しい風浪が打ちつける所に皆さんを追い立てなければならない、この師の立場をよく知らなければなりません。

「私」が神様を愛し、神様が私を愛していらっしゃることを知るなら、世の中のいかなる貴い希望の場があるとしても、それを捨てて神様の心情をつかみ、訴え得る場に進まなければなりません。

11 私が地方を巡回するとき、涙で食口と向き合う時が多くあります。難しい環境でも耐えて歩むのを見れば、物悲しく思ったのです。悲惨であれば悲惨であるほど、その悲惨さの中で天と心情的に一体になります。

父のために苦労しようと思い、食事を抜きながら父を呼ぶことができる場では、天の心が張り裂けるのです。み旨のために歩む中で、牢屋に閉じ込められ、むちで打たれて涙を流す拷問の場では、天の心情が爆発するのです。

そのような場で父のみ前に孝子の名牌(めいはい)(名前や職名を記す木片)を打ち立てよう、忠臣の名牌を打ち立てようと決意しなければなりません。「歴史時代にそのような人はいなかったが、このような歴史的な心情の背後を知って天を慰労し、今までの歴史上の恨多き殉教の烈士たちを解怨成就してさしあげなければならない」と言いながら、「あなた方が行った道はこのようなものだが、私もこの道を行くことによって、あなた方を慰労し、あなた方の恨を解くという約束を、近い未来に必ずや成就してさしあげます」と誓うことができなければなりません。

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15  アベル世界、神側の世界が民主世界だとすれば、カイン世界、サタン側の世界が共産世界です。私たちがアメリカで勝利して、この第二次七年路程を越えていくようになれば、霊的基準において世界的なサタン世界は、後退しなければならない段階に入ります。

共産世界は、世界的な実体基盤をもっている一方で、私たちは、いまだにその基盤をもつことができていません。そのため、共産世界が私たちに反対している立場で、皆さんが知らないうちに、父母様は共産世界と闘える基盤を立てるように急がせていることを知らなければなりません。

アベルの立場であるこの民主世界は、共産世界と対立した立場で、霊と肉に分かれているのと同じなので、私たちが霊的な面において占領していくに従い、肉的な面においても、ここに関係をもって勝利し、占領できるようにしていかなければならないというのです。

第三次七年路程と私たちの責任真の父母様は、一九七五年から一九八一年までの第三次七年路程を設定し、世界復帰の基盤を築く期間であると語られた。

第一次七年路程は家庭的に、第二次七年路程は国家的に、第三次七年路程は世界的に摂理の基盤をつくるための祭物の期間であるため、み旨のためにみな、生きた祭物にならなければならないことを強調されたのである。

真の父母様は、第三次七年路程では、内的勝利基盤の上に、実体基準一体化運動を通して、一つの世界に進むと語られた。内的勝利は真の父母様によって成し遂げられ、外的勝利は子女の立場である食口たちが成し遂げなければならないということである。真の父母様が主管される内的基準を中心として、全身全霊をかけて実体基準一体化を果たすことを願われたのだった。

特に、この期間を土台にいかなる犠牲があるとしても、民主世界を越え、共産圏を越えてこそ、天の勝利圏を立てることができると語られた。

16  一九六〇年にお母様を迎えたのは、旧約時代の完成とイエス様の時代の新婦圏を立てたことになります。このようにして、長成期完成級で堕落した基準を越え、世界的完成基準、世界的第三次七年路程を越えていかなければなりません。

父母様の家庭を中心として、アダム家庭から蘇生と長成と完成の二十一年の期間、一九六〇年から一九八一年までの三次の七年路程が、地上で必要なのです。その二十一年路程が、アダムの時代、イエス様の時代、再臨主の時代まで、三次にわたって六千年歴史を越えていく条件です。すべて平面的に清算しなければなりません。

17  第一次七年路程は、父母として責任を負う時です。父母の家庭が完全に定着する期間です。第二次七年路程は、子女たちの家庭が完全に基盤を築く期間です。そして、第三次七年路程は、氏族と民族が定着する時だというのです。この大韓民国が定着するためには、世界が大韓民国のために協助できる垣根にならなければなりません。

18  お父様が地上にいる間に、いかに国家復帰と世界復帰をするかが、私たちの使命です。七年路程は三次にわたって行かなければならないのですが、第三次七年路程までに世界に現れなければなりません。

ヤコブが霊的な天使を屈服させ、カイン側の兄エサウを屈服させたのと同じように、私たちは、世界的なサタンを屈服させて、共産世界を屈服させなければならないのです。

ヤコブが自分の生命を懸け、死を覚悟して天使と夜を徹して闘い、勝ったのと同じように、私たちも死を覚悟して闘わなければなりません。ヤコブが打たれたのと同じように、統一教会も多くの犠牲を払わなければなりません。そのような覚悟をしなければ、世界を救うことはできないというのです。

お父様の一代において、栄光で出発すべきみ旨の道でしたが、キリスト教が信じないことによって、二千年間、イスラエル民族が歩んできたものを、二十一年路程で蕩減してくる道が三次の七年路程です。

19  父母様がすべて責任をもって闘って勝った基盤の上に、皆さんが行かなければならない第三次七年路程が残っています。

皆さんが七年間、アメリカを中心として思いどおりに活動できる基盤ができています。堕落した立場にいるこの地上の人間を復帰するに当たって、皆さんが世界を代表し、アメリカを天のみ旨の前に立て、世界的な一国を復帰したという条件を成立させることによって、皆さんは神の国の国民になり、神様の息子、娘になれるのです。

このような特権を皆さんに与えようとして設定したのが、世界的な第三次七年路程です。皆さんは、天の国の建国の勇士にならなければなりません。この原理原則を中心として、世界は回っていくのです。

20  統一教会は、一九七五年から霊肉を中心とした世界舞台に前進できる時に入っていくようになります。共産世界にまで進撃できる門が開かれるのです。父母様は、世界基準を越える十分な条件を立てました。

一九七五年から第三次七年路程に入ります。第三次七年路程の三年の期間に、統一教会員たちは、父母様がアメリカのマディソン・スクエア・ガーデンで行ったように、問題を提示しなければなりません。この三年路程を、皆さんが実際に行かなければならないというのです。

21  一九八一年、第三次七年路程が終わるまでに、私たちは、中心と完全に一つになって、自分自身を犠牲にするとしても、感謝する心をもってこの道を突破しなければならない歴史的な課業を背負っています。アメリカという国、もしくはある特定の国が、あるいは世界が突破できないことを、私たちが突破しなければならないというのです。一九八一年までにそのような舞台を築くことができるか、これは深刻にして困難な道に違いありません。

しかし、神様がいて、原理がそのようになっているので、これはできるようになっているのですが、皆さんがどれほど父母様と一つになっていくかという問題が、その成否を左右するというのです。皆さんは歩みながら倒れることができますが、父母様がそのようにすることはできません。

22  どんな犠牲があっても、第三次七年路程までには民主世界を越えて、共産圏を制圧できる基準を越えなければなりません。このような基準を越えなければ、天の勝利圏を立てることができません。勝利できないというのです。

言い換えれば、共産圏の侵犯を受けるようになれば、条件的な侵犯だとしても、それはサタンが侵犯することになるので、私たちは、共産圏を完全に制圧できる基盤を築いて、越えていかなければなりません。

このような点において、父母様がアメリカで第三次七年路程を中心として整備作業をしているのは、完全に勝利するためです。上院と下院を中心とした内的基盤を強固にするとともに、全国を反共体制で強化させて、どのようにして引っ張っていくのか、これは第三次七年路程において私たちが果たすべき使命です。

23  父母様は、第三次七年路程において、アメリカを中心とした活動体制を強化しなければならないと考えます。そのようにしなければ、韓国は行く道がありません。ですから、一九八一年までは、世界的基盤を築いていかなければなりません。

一九八一年は、三次の七年路程の二十一年を締めくくる年なので、この時までに国を越えて、世界にまで発展できる基盤を築かなければなりません。世界的蕩減路程を経なければ、世界的宗教として登場することはできないのです。

神様が統一教会の上で摂理してこられるとすれば、私たちは、必ずそのような条件的な公式路程を通して、行くべき責任を果たさなければなりません。この責任を果たすことに、あらゆる精誠を尽くして歩調を合わせなければ、その国の民、その世界の人類になることはできません。ですから今、この闘いをしているのです。

24  第三次七年路程において活動したと認定を受けることは、この上なく偉大なことです。この期間に氏族メシヤの立場で家庭教会を勝利して進み出るときには、それこそ皆さんは、万世に誇り得る先祖になります。

もし第三次七年路程を勝利で終え、新しい国への入籍が行われれば、すべて父母様に付いていくというのです。国境を超越し、すべての氏族と民族を超越して、そのまま父母様に付いていける特権が与えられるのです。皆さんが第三次七年路程で勝利すれば、世界に現れることができます。

いつでも先祖になれるのではありません。驚くべき時代が、皆さんの目前に近づいてきていることを知って、皆さんは第三次七年路程の期間に、精誠の限りを尽くして同参しなければなりません。

25  第三次七年路程の期間に、何としてでも世界舞台に向かわなければなりません。神様はもちろん、霊界にいるイエス様や数多くの霊人たちも、「今やここまで来たのだから、もう一歩だけ行こう。あと一歩で越えよう」と言うのです。

このことについて私たちが霊界に対して祈るように、霊界でも地上に対して祈っているというのです。ですから、統一されるのです。今までは、私たちが霊界のために協助しましたが、今や霊界が私たちを協助するというのです。

26  お父様が一九七一年十二月十八日、アメリカの地に来て感じたその時の心情を、皆さんももっていかなければなりません。お父様がアメリカの地において足を踏み締めて誓ったのと同じように、皆さんもそのような覚悟をもって、第三次七年路程が終わるまで、影響を及ぼすことができる活動をしなければなりません。

ですから、世界宣教に出ている若者たちにも、「責任を果たせなければ帰ってきてはいけない」と言いました。皆さんも、父母様が後援しなくても、自分が責任をもった州で必ず大きな影響を及ぼそうという信念をもちなさいというのです。

皆さんは、アメリカのために、そして、統一教と父母様、皆さん自身のためにこのことをするのです。決して後退してはいけません。

27  皆さんは、第三次七年路程を歩んでいますが、この路程は一九八一年までです。父母様は、皆さんよりも先駆けて歩みました。

今は、お父様個人の責任ではなく、世界的な責任を担っています。皆さんが父母様を「父母様」と呼ぼうとするのなら、この七年路程を経てきてから呼ばなければなりません。

その期間に何をするのでしょうか。神様が七千年歴史の中で、万物の復帰、人間の復帰、心情の復帰をしたので、私たちはこの七年路程において、経済の基盤を築かなければならず、人間の復帰をしなければならず、その次には、皆さんの愛を取り戻さなければなりません。

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22 夏季四十日伝道期間に、できる限り全体が動員されなければなりません。時を逃さずに参加して、責任をもった立場で任された天の精兵の目的を達成してくれることを願います。父母様は、一九六四年に入ってから、三千里半島を歩き回たいという思いが切実です。今が、そのような時なのですですから、去る四月に原理大講演会をして、地域長たちを再び配置しておきました。

どのようにして一九六五年の一年間を闘い抜く準備をするかという問題のために、父母様はとても心配しています。今回も、二千人以上を動員するでしょう。この民族を生かそうというのです。

23 私たちは、民族と人類のために、天のみ前に忠孝の標本にならなければなりません。そのためには、歴史的な恨を解怨するために、私たちの生活が天を中心とした目的と観に一致しなければなりません。

原理大講演会は、短い期間でしたが、勝利しました。カイン的な世界をアベルが屈服させるように、キリスト教を屈服させ、宇宙史的な勝利の神様にしてさしあげなければなりません。カインがアベルに屈服すれば、天使が本然の位置に復帰するようになり、創造本然のみ旨が成就されます。統一教会の信徒たちはキリスト教を屈服させ、み旨を成し遂げなければなりません。

24 神様が共にいる所は、最も困難な場です。私たちの若さを、神様のみ前に忠誠をもって捧げなければなりません。孝子になろうとすれば、若い時になりなさいというのです。お父様が神様をつかんで祈った心情で、皆さんも民族のために忠誠と孝行を尽くさなければなりません。これから入教する人は、困難な立場で忠誠を尽くした皆さんとは違います。

お父様が青春の時、神様のみ前にすべてのものを捧げたので、皆さんも若い頃から神様のみ前にそのようにしなければなりません。お父様が今まで大邱でこのような原理大講演会ができなかったのは、時になっていなかったからです。今や大邱は、原理大講演会を通して霊的に一段落したので、皆さんは地方に帰ってキリスト教のために苦労することにより、彼らを自然屈伏させなければなりません。

キリスト教は、霊肉共にカインです。数千年の土台を築いたキリスト教なので、皆さんはヤコブがエサウを自然屈伏させたその知恵で、屈服させなければなりません。

25 統一教会全体が一つになって、父母様の代わりに責任をもち、家庭を保護して、この民族と国家を統一の理念を中心として心情的に抱き、理念的にその位置を立てていかなければなりません。皆さんに天のみ前に責任を果たさせ、父母様が天と向き合ったその基準を、皆さんが動くことで延長させ、持続させようとするので、全体を動員することを皆さんに命令しました。ですから、一九六四年十月一日から実施する全国巡回原理大講演会の期間は、皆さんが責任を果たすことができ、天のみ前に今まで果たせなかった民族的な使命を、何らかの条件を立てて進められる一時だというのです。

事実、私は、この三千里全土の数多くの教主たちと群衆の前で叫び、数多くの群衆を教育して三千里半島を動かし、三千万の民族の運命を解決したいという思いが強くありますが、一つの体ではそのようにできないので、皆さんがお父様の四十代の年齢を代表した者として、叫びながら天の使命を担えなかった恨を解かなければなりません。

ですから、皆さんは今回の原理大講演会の六ヵ月の期間を中心として、蕩減的な条件を立てておき、至誠を尽くす生活をしなければならないのです。

26 一九六七年まで二十一年間、お父様が苦労したのは、ある一面では対社会活動ができる場を整えるために苦労したのだとみなすこともできます。その方法以外には道がありませんでした。そのように闘って収めた内容が公認されるとき、すなわち三千万の民族が認めるとき、その背後に非常に大きな内容があることを知るようになるでしょう。その時から、神様は実際に歴史を動かすようになるでしょう。

ですから、お父様は統一教会員たちを苦労させているのです。このように導いてきた結果は、社会を中心として収められるでしょう。このことをしようとすれば、単純な社会人では駄目で、必ず核心要員が必要です。その補給路は、早くから神様が用意しておかれました。

このような準備を通して、私たちは外的な基準を定め、内的な基準を備えなければなりません。今や、ある教会がいくら反対するとしても、彼らの思いどおりにはいかないでしょう。これからは続けて復興会を開き、彼らが統一教会を誤解していたと悟るようにしなければなりません。そうして、この社会に天的な絆を結ぶ環境を広げるのです。

第四節 祝福家庭の総動員活動祝福家庭婦人三年総動員の意義三十六家庭から七百七十七家庭までの祝福家庭の婦人が、一九七〇年十二月一日から三年間、総動員され、全国百二十ヵ所に十人ずつ、千二百人が配置された。

真の父母様は、家庭を破綻させたのがエバだったため、女性を第一線に立てるのであり、妻が国のために苦労する際に、夫も息子、娘と共に愛国の伝統を立ててこそ、復帰された家庭として立つことができると強調された。また、特に祝福家庭の婦人に対しては、北朝鮮が再び南侵する危険性があるため、臨津江(イムヂンガン)が凍らないよう、任地で特別に祈りの精誠を捧げることを願われた。

それ以降、千八百家庭と六千家庭、六千五百家庭、三万家庭など、すべての祝福家庭の婦人にも、このような伝統が継承された。

1 お父様が蕩減路程の道を出発する時は、家庭を犠牲にして出発しました。お父様が北朝鮮に向かって出発したのとは反対に、皆さんは女性の立場で、韓国のために家を離れなければなりませんでした。北朝鮮のサタン世界に向かっては男性が出発し、韓国のカインに向かっては相対的に女性が出発したのです。

イエス様の願いは、三年の公生涯路程の中で、家庭的な土台を準備することでした。イエス様が後のアダムだとすれば、この後のアダムの前に、後のエバの基盤が形成されなければなりませんでした。そのようにして、後のエバが志をもって歴史的なイエス様に侍ってさしあげなければならなかったのですが、そのようにできませんでした。

その三年の期間を蕩減する期間が、祝福家庭婦人たちの三年総動員伝道期間です。祝福家庭の婦人たちを三年間、動員した理由がここにあるのです。

2 一九七〇年十二月一日から、祝福家庭の婦人たちが動員される理由はどこにあるのでしょうか。イエス様は三年路程を歩みましたが、女性によってみ旨を成就できず、民族を失い、国家を失ってしまいました。

ですから、祝福家庭の婦人たちは、イエス様の三年の公生涯路程の恨を解いてさしあげるために、三年路程を歩みながら、イエス様が失った民族と国家を取り戻し、世界まで取り戻してさしあげる基盤を準備しておかなければなりません。そのようにしてこそ、イエス様が願い、待ち望んできた新婦の基準を決定できる立場に立つのです。そのようになってこそ、自由奔放な位置で解放を謳歌することができ、天を中心とした平面的な基準の前に、新しい家庭を出発できるのです。これが原理的です。ですから、一九七二年までの三年間、開拓の道を行かなければなりません。

今は、お父様が北朝鮮で監獄生活をしていた三年と同じ期間です。お父様は監獄生活をしましたが、皆さんは監獄生活ではありません。皆さんは自由な韓国の地で、お父様が北朝鮮の地で監獄生活をしていたのと同じ道を行くのです。

この期間は、天が祝福できるキリスト教、(特に)キリスト教の女性たちがお父様に侍らなかったために、お父様が受難の路程を行かなければならなかったことを、すべて再び解いて越えていける重要な時期です。これを知って、み旨を中心として国のために、あらゆる忠誠を尽くさなければなりません。

3 世界を復帰するためには、家庭より氏族をもっと愛し、氏族より民族をもっと愛し、民族より世界をもっと愛さなければなりません。ですから、世界復帰のために急がなければなりません。それゆえ、七百七十七双の祝福が終われば、一九七二年までの三年間、女性たちを全員動員しなければなりません。

なぜ動員するのでしょうか。今まで皆さんは、個人的蕩減時代を経てきました。皆さんが個人的蕩減時代を経てくるとき、父母様は家庭的蕩減時代を既に経てきました。家庭的蕩減時代を経たので、「神の日」、「万物の日」、「子女の日」、「父母の日」が現れたのです。しかし、皆さんはまだ、そのような基準を備えることができていないので動員するのです。

4 一九六〇年代までは、個人が勝利を誓う時でしたが、一九七〇年代に入ってからは、家庭が十字架を背負うべき時です。一九六〇年から一九六七年までは、すなわち「神の日」を制定する時までは、お父様自身が家庭の十字架を背負う時でした。家庭の諸般の要因を蕩減し、越えていかなければならなかったのです。

そうして、三年が過ぎ、一九七〇年を迎え、第二次七年路程の三年を越えるときには、家庭的勝利の基盤を備えなければならないのですが、これを備えることができていないので、必然的に再び祝福家庭の皆さんが、十字架の道を行かなければならないというのです。

それで、一九七〇年十二月一日から、七百七十七双の祝福を受けた家庭の婦人たちに、「総動員せよ」と通告するのです。これだけでなく、その人たちを中心として、祝福家庭全体を動員するのです。

5 復帰摂理のみ旨は、家庭を中心とした摂理の拠点として、家庭基盤をいつの時代も築いてくるのです。個人が中心ではなく家庭が中心です。個人は、家庭を求めて縦的な蕩減の過程を経ていくために必要なものです。ですから、私たちは、家庭を中心として、縦的な出発をしなければなりません。

この縦的な出発を破壊したのが、女性であるエバだったので、女性を立たせるのは原理的に妥当な見解です。それで、「一九七〇年十二月一日から三年間、祝福家庭の婦人たちを総動員しなさい」と言ったのです。

このようにして、息子、娘が母を訪ねていき、夫が妻を訪ねていってこそ、復帰されるのです。その妻が、国のために苦労するので、夫も国を愛するのであり、このような息子、娘と国を愛する思想を蕩減の過程で立ててこそ、復帰された家庭として新たに収拾され得るのです。

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教役者・教授原理公聴会一九七〇年十一月二十六日から二十八日まで、既成教会の牧師二十八人が参加する中、第一回牧会者原理公聴会が開かれたのを皮切りに、数十回にわたって牧師たちに「統一原理」を紹介した。一九七一年だけでも、合計十二回にわたって九百十五人が参加するなど盛況を呈し、彼らの大部分は、「統一原理」に多大な感銘を受けたと、感想文を通して明らかにした。

これとともに、一九七一年一月十日から十一日まで、多くの大学教授が参加する中、第一回教授招請統一原理セミナーが開催されたことを契機として、その後も数十回にわたって公聴会を開催した。真の父母様は、このように、各界の指導者たちを対象に統一原理公聴会を開催することを指示された。

9   伝統的キリスト教は、お父様に対して今まで数十年間、反対してきています。しかし、一方通行で反対し続けていると、大変なことになるというのです。反対していた人々が、「統一教会はそうではない」と言いながら、歓迎するようにしなければなりません。

そのようなことをしなければならないので、今に至るまで、反対するキリスト教徒たちを対象に、公聴会を行っているのです。ですから、地方教会でもかなりの問題になっています。「統一教会が牧師たちを連れていって伝道している」と、大騷ぎしているのです。

10  キリスト教の牧師たちを中心として統一原理公聴会をするのに、たくさんのお金がかかります。そのお金で地域本部を造るほうがよいのではないかと思うかもしれませんが、お父様は、そのように考えません。葉は落ちてしまうので、葉よりは枝と幹が問題だと考えるのです。

大韓民国で最高の位置にいる人々が学者たちであり、キリスト教で最高の位置にいる人々が牧師たちですから、第一に、牧師たちに対して、お父様が果たすべき責任を全うするために精誠を尽くさなければなりません。

彼らが私たちの「原理」を一度聞けば、問題にならざるを得ないのです。ですから、一度聞いて(今までのものとは)違うと思い、二度聞いて(さらに)違うと思うのです。

ある人々は、「二十世紀の奇跡である」と言いますが、これは奇跡ではありません。原理原則の立場で、どれほど徹頭微尾、事を進めていくかが問題です。そのような立場に立たなければ、すべて流れていってしまうのです。ですから、精誠を尽くさなければなりません。

精誠は、いい加減に尽くすのではなく、かわいそうな人を思って尽くさなければなりません。お父様は精誠を尽くすとき、ある人がぼろを着ているという思いが湧いてくれば、寒いときでも服を脱ぎ、その人のために祈ることが多くありました。そのような基準があるので、今日、これほどの基盤を築くことができたのです。

11  統一教会は、キリスト教から追われてきましたが、彼らから歓迎を受け始めました。これが一九七一年からです。統一原理公聴会を通し、牧師たちを千人以上連れてきて教育しました。

そこには、「統一教会のために生命を捧げて闘います」という人々が多くいます。統一教会の原理をもって説教する牧師たちも多いというのです。そのような牧師たちが全国にたくさんいます。そのみ言をもって説教さえすれば、信者たちが(聖霊の)火を受けて喜びます。何回かしてみれば、これは間違いなく天のみ言であることが分かるというのです。

12  イエス様の時代に一つになれなかったユダヤ教とイスラエルの国を、今日、私たちが一つにしなければなりません。お父様が今の時代に有り難く思うのは、今日、統一教会とキリスト教の牧師たちが互いに往来するようになったという事実です。

統一教会は、草創期にキリスト教から迫害を受けましたが、今やキリスト教の牧師たちが往来できる圏がつくられたというのです。これは、数千年の歴史を蕩減できる立場に立ったということです。

もともと、牧師招請原理公聴会を三次までするだけでも、条件に引っ掛かりません。しかし、六月までに七次をすることになります。一九七一年は、七千年歴史を横的に蕩減する運勢に匹敵します。ですから、統一原理公聴会を、何としてでも一九七一年六月末までに、七次までは終わらせようと思います。

この公聴会に参加した牧師の数が六百人を一人でも上回れば、条件に引っ掛かりません。しかし、七百人を超えてみようというのが計画です。このようにすれば、お父様の責任を果たすことになるのです。

このことをするために、これまでどれほど苦労したか分かりません。皆さんが知らない中でそのようなことをしてきました。統一教会員の数が問題ではありません。蕩減をどのようにしていくかが問題なのです。

13  完全なプラスと完全なマイナスが一つになるときには、宇宙が永遠に保護します。

私たちがキリスト教と一つになるというのは、キリスト教を生かしてあげようということです。完全なプラスの位置に立って、完全なマイナスの位置にいる彼らを生かしてあげようというのです。マイナスの位置にいる彼らが私たちと一つにならなければ、(代わりに)国が巻き込まれてきます。越えていくことができるのです。

真をもって行動する人は、真の結果と向き合うようになるのです。ですから、この全天地を動員して、法度的な立場で私たちを保護できる絶対安定圏が、私たちの行路にあることを忘れてはいけません。

片方の足では統一ができません。合わせなければなりません。合わせようとすれば、これが対角線にならなければならないのです。ですから、統一しようとすれば、統一教会がキリスト教と一つになり、国と一つにならなければなりません。それが一番の近道です。

キリスト教徒たちは、二週間だけ「統一原理」の教育を受ければ、皆さんより勝るというのです。そのようになり得る事実が、目の前にはっきりと見えるのです。ですから、いかなる困難があっても、このことを実践しなければなりません。

14  復帰路程において、アベルはカインを復帰してから現れます。誇って復帰するのではありません。自然な立場で復帰しなければなりません。

キリスト教牧師統一原理公聴会にも、お父様は現れません。現れないのですが、彼らが私に反対したので、彼らが訪ねてきて、頭を下げなければなりません。大韓民国が復帰されるまでは、(原理公聴会に)現れないというのです。神様の威信があるのです。私が口下手だからではありません。理由があり、天の法則があるというのです。

皆さんの使命は、カインを救ってあげることです。個人においては個人的アベルなので、個人的なカインを救ってあげなければならず、家庭的アベルであれば、家庭的カインを救ってあげなければならず、氏族的アベルになれば、氏族的カインを救ってあげなければならず、民族的なアベル統一教会であれば、民族的なカイン教団を救ってあげなければなりません。それでこそ、そこから初めて、国家と向き合うことのできる資格をもつ人になるのです。

今、最も急を要することは、どのようにアベルになるかという問題です。そのようになれば、統一教会の願いは一度にすべて成し遂げられるのです。

15  一九七一年の正月から十二月初めまで、キリスト教牧師統一原理公聴会を開催し、今まで八百人以上の牧師たちが公聴会を経ていきました。また、大学を中心としては、教授招請統一原理公聴会を四回行いました。

大学は、私たちでなければ、学生たちが新しく行くべき道を提示することはできません。文教部当局も、そのような見地から私たちを見ています。また、勝共路線を中心として見るときも私たちでなければならないという立場が浮き彫りになっています。

このような実情を見るとき、み旨を中心として絶頂まで来たと考えるのです。このような時が来たので、統一教会の食口たちは、全体を代表する個人として、その価値を表さなければなりません。

ですから、そのような問題を前にして、私たちは全国的に新しい活動体制を整えて動き始めました。祝福家庭の婦人たちが今、全国に出ていって活動しているというのです。婦人たちが出ていって活動するとともに、この家庭と関係のある食口たちも、ここに歩調を合わせているのです。

16  大韓民国は、このまま行けば滅びます。思想が弱々しくて腐敗しているものを掃除し、清算できなければ滅びるのです。ですから、ここには私たちの思想が必要です。間違いなく必要だというのです。

最初に、「統一教会でキリスト教牧師統一原理公聴会をする」と言った時は、「牧師たちが来ると思うか」と嘲笑しました。それは、天倫を知らずに口にする言葉です。今や、来るなら来て、やめるならやめなさいというのです。そこの代表となる三、四人の人さえ協助するようになれば、あとからすべてが支持するようになるのです。

17  統一教会が生きていける道は、どこにあるのでしょうか。統一教会自体では、絶対に駄目です。

統一教会が生きていこうとすれば、必ずキリスト教を中心にした宗教界を動かさなければならず、その次には、大韓民国において政策を樹立する数多くの背後の人物たちを動かさなければなりません。そのような準備をするために、教授たちを教育するのです。

前回の第三回統一原理公聴会にも五十数人が参加しましたが、相当な効果がありました。私たちが莫大な経費を使いながら、大学の有名な教授たちを中心として統一教会の「原理」を研究させ、各自の専門分野から見た「統一原理」に対する批判とともに、彼らの所感を添付したものを早く冊子にしようと思うのです。著名な教授たちが公認した冊子を見る人々は、反対することができないでしょう。

ですから、それを一刻も早く作らなければなりません。今まで、三度にわたる教授たちの公聴会を通した実証的な証を通して見るとき、誰もが認めざるを得ないというのです。

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第六節   社会指導者に対する「統一原理」「統一思想」「勝共思想」教育「統一原理」「統一思想」「勝共思想」教育の必要性真の父母様は、一九七〇年代以降、キリスト教の牧師と大学教授、公務員など、社会の各界指導者を中心に「統一原理」と「統一思想」、「勝共思想」の教育を大々的に展開された。

これは、統一運動について正しく知らせるという目的もあったが、南北統一に備え、世界平和の基盤を確保することに、より大きな意味があった。

1   私たちには、国家を中心として、一九七〇年代に新しい局面を打開しなければならない責任があります。この環境を克服しなければならないというのです。

私たちが、一九七〇年に入ってから、キリスト教の牧師たちを招聘(しょうへい)して原理公聴会を行い、教授たちを中心として原理セミナーを開くのは、これが一九七〇年代において、国家的な環境を私たちと連結させ、全面的な方向を打開するに当たって重要な契機になると考えたからです。ですから、父母様がこのような作戦をしているのです。

これから、大学を中心に、このような作戦を強化していかなければなりません。そして、今後、日本に対する思想武装についても、私たちが責任をもたなければならない時がすぐに来ると予想しています。

このような立場から、私たちの責任がどれほど貴いかを知らなければなりません。皆さんは、過去のような困難がなくなったと思って、安逸な環境を願ってはいけません。そのような思いをもてば、今後、より範囲が広く、大きな相対的与件を私たちが打開し、克服することが非常に難しいというのです。

これから迫ってくる試練が大きければ大きいほど、過去に私たちが克服できなかったことまでも克服しようという信念を備えなければなりません。ここには、多くの犠牲と受難と逆境の路程が残っています。この環境を打開して克服したとすれば、その克服は大韓民国だけの克服ではなく、アジア的な克服になるでしょう。

2   共産党は、宗教を阿片だと言い、また、宗教をなくしてしまおうとします。神様までも否定しているのです。今まで世の中の主義の中で、神様と敵対し、「神様はいない」と(体系的に)主張した主義はありませんでした。「神様はいないのではないか」と思いながらも、「いるだろう」と信じてきたのですが、「神様はいない」という主義が出てきたのを見れば、これが最後だというのです。

私たちは、キリスト教世界と共産世界を制覇できる原理の内容を備えています。韓国では、新しい哲学思想を中心として教材を作り、教育論や論理学など諸般の理論を備えて、既に社会の指導者たちを中心に教育しています。キリスト教の牧師たちと教授たちに、新しい思想として「統一思想」を教育しているのです。

今、韓国の学者たちは、韓国が世界を指導できる思想的な母国になり得ると考えています。このような立場から、自負心をもち、統一教会を背後で後援する教授たちがたくさん出てきています。「統一思想」でなければならないという学者たちが増えているというのです。

また、キリスト教を見るとき、「統一教会でなければならない」という段階に入りました。

学界と宗教界、この二つの分野において、内外に完全に思想武装をすれば、私たちにかなう者はいないというのです。

3   一九七一年に入り、父母様は、大学を私たちのみ旨とどのように結束させるかという問題、軍に対してこれから教育できる道をどのように開くかという問題、この国、この民族を代表する国会にどのように影響を及ぼすかという問題、この三大目標を中心として力を注いできました。

皆さんが知っているように、大学は大学で教育しており、軍では将兵から最高の将軍たちまで教育しています。最近は国防大学でも私たちが講義できるようになりました。今後、これが持続的な道として決定されるだろうと考えています。

これほどの位置まで上がってくるのに、神様は多くの苦労をしてこられました。このような基準が全体に連結されれば、これは政府であれば政府で、あるいは国会であれば国会で、関心をもたないようにしても、もたざるを得ません。ですから、政府は政府で、そのような基準に連結させなければなりませんが、私たちの宗教界を中心として見るとき、まずキリスト教と統一教会がどのように関係を結ぶかが、問題にならざるを得ないのです。

4   一九七二年を目の前にした今、世界情勢が複雑になっています。複雑になる分、私たちの時が近づいてくるのです。今、南北の離散家族を探す運動に北朝鮮も呼応しています。もちろん、彼らも赤十字社を通してするのですが、(北朝鮮は)政策的な基準を立てたあとに出てくるでしょう。そうすれば、結局は彼らに巻き込まれていきやすいのです。思想武装をしなければ、そのときになって追い込まれるというのです。

今後、離散家族が南北に行ったり来たりすれば、どのようになるでしょうか。北朝鮮で共産主義の思想教育をするように、韓国でも強力な思想教育をしなければなりません。思想教育ができる団体がなければならないのですが、そのような団体は統一教会しかありません。思想教育をして、和合できるようにしなければなりません。

5   これから南北総選挙時代が必ず訪れるので、そのときに備えるために、私たちが千万以上の人員を確保しなければなりません。

統一教会は、「国際勝共連合」とともに「勝共思想」を備えています。ですから、そこに加入することができるそれだけの人員を、どのように国家から後援を受けて準備するかが問題です。お父様は、常にこれを考えていたのですが、そのような時代が私たちの目前に迫ってきています。

経済復興、経済開発五ヵ年計画を推進することももちろん必要ですが、今、足下に火がついているのは、この民族の思想武装をどのようにするかという問題です。このような観点から、統一教会もキリスト教と対話をしていますが、一つになれずにいます。いまだに根本的な立場において、一つになれていません。

彼らをどのように誘導し、一つの方向を備えていきながら、この民族を引っ張っていくことのできる形態に展開するかが問題です。

全体に責任をもったお父様は、このような問題を至急、解決しなければならないので、第一次、第二次と彼らの意向を打診して、国の悲運を心配する立場から共同戦線を立てて、彼らにどのようにして勝共精神を入れるかという問題を考えたのです

6   サタン世界に勝つためには、「原理」を知らなければなりません。共産世界に勝つためには、「勝共理論」を知らなければなりません。闘っている共産世界と民主世界を一つにするためには、「統一思想」を知らなければなりません。ですから、皆さんは「原理」に合格し、「勝共理論」に合格し、「統一思想」に合格しなければならないのです。

私たちに残っている仕事は、サタン世界を追放し、共産世界を撤廃して、民主世界と共産世界を一つにすることです。この三つです。そうすれば、すべて終わります。

共産主義は、「神様はいない」と言います。個人完成をすることにおいても、この共産主義思想が残っている限り支障があり、家庭においても、共産主義思想が残っている限り大変なことか起こります。天国もそうです。神様かいないとすれば、すべて崩れてしまうのです。

今や共産主義は、個人に影響を及ぼす圏内にあり、家庭に影響を及ぼす圏内にあり、世界に影響を及ぼす圏内にあるので、これを倒さなければなりません。ですから、「統一原理」と「勝共理論」と「統一思想」をもって、世界的に思想武装をしなければならないというのです。

7   韓国では、離散家族を探す運動が歴史上、初めて展開しています。家族を取り戻せば、一つの国を復帰することができるので、サタン側と神側が今、家族を取り戻すために闘っています。韓国にある板門店という所は、神様とサタンが対面して闘う、地上で唯一の場所です。今が、分岐点の頂上です。ですから、今年、キリスト教の牧師たちを招請して、原理修練をしました。もしこの期間に、父母様と私たちの教会が、「私たちを迫害するすべてのキリスト教徒と国家を滅ぼしてください」と神様に祈るとすれば、この摂理は成就されません。迫害は良いものです。共産主義者たちの迫害が、かえって私たちに良い結果をもたらしてくれました。私たちを悪から分立させ、一つになるようにしてくれたのです。

しかし、結局、私たちは共産主義者たちまでも救わなければなりません。私たちは愛によって、アダムとエバを復帰しなければなりません。そして、天使長が言葉をもってエバを堕落させたので、私たちもみ言をもって、天使長を復帰しなければなりません。私たちは、自由世界の人々と共産主義者たちを、愛と真理によって救わなければなりません。ですから、皆さんは共産主義者との論争で負けてはいけません。

私たちは、「原理」によって民主主義世界と闘い、「勝共理論」によって共産主義世界と闘っています。それゆえ、「原理」と「勝共理論」は、復帰の二つの柱なのです。

8   「統一思想」教育、「勝共理論」教育、その次には、「統一原理」教育を、統、班に入ってしなければなりません。「統一思想」教育は、教授たちを中心として国民連合が責任をもち、「勝共理論」教育は勝共連合が責任をもち、「統一原理」教育は、統一教会が責任をもって行えばよいのです。他の教育はできなくても、急いで「統一原理」教育をすることが、早く解放される道です。「統一原理」の勉強を急いでさせなければなりません。

そうして、食口化運動をしなければなりません。そうすれば、自分たちが蕩減の道を行かなければならないことを知って、その道を行くことにより、カインを解放することになるのです。アベルの立場で、カインを復帰しなければならないというのです。

ですから、皆さんは「国際勝共連合」の支部長であるとか、統一教会の教会長であるとかは関係なく、全国民を教育しなければならないのですが、教育すべき哨所(先鋒の施設)が統、班です。それをまずしなければなりません。統、班の人々を教育して基地をつくりなさいというのです。

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20  家庭教会がなければ、故郷に進むことができず、故郷に進むことができなければ、祖国に進むことができず、祖国に進むことができなければ、天国に進むことができません。家庭教会をつくれば、故郷がつくられ、祖国がつくられ、世界がつくられ、天国がつくられます。

どんな人よりも愛して、一つになるようにしなければなりません。霊界の人や、世界の人や、すべての存在を一つにしなければなりません。愛によって一つになるようにしておかなければならないのです。そのようになれば、家庭教会を中心として、小さな太陽、小さな星のようなものが昇るのです。一つ出てきて、二つ出てきて、真っ暗なこの世の中に、光り輝く天国が開門されるというのです。その時には、この地上に、太陽のような神様がお出ましになれるのです。

21  家庭教会に行く時、義務的に行かないでください。愛の心に満ちあふれて行かなければなりません。自分の息子、娘が監獄に入っていたり、自分の愛する人が監獄に入っていたりすれば、「私は監獄に訪ねていかなければならない」と考えて行くのではなく、我知らず監獄に向かうのです。そのような心情で行かなければなりません。そのような愛の心をもって、愛の鐘の音を聞きながら、「私は行く」と考えて行くのではなく、自分も知らないうちに、行かざるを得なくて行く所が家庭教会です。

その家庭教会は、私を滅ぼすのではなく、私を天国の愛、神様の愛の相続者にするための所です。そのようにするために神様が私を導いていることに対して、感謝しなければなりません。

統・班中心の活動真の父母様は、一九八八年一月一日から、南北統一と南北総選挙に備えて本格的に統班撃破(トンパンギョッパ)運動を展開することを指示された。そして、社会組織の根幹である統と班の支部長教育を大々的に実施した。また、家庭教会活性化のためにも、統・班中心に活動展開することを強調された。

家庭教会活動の基盤が統・班組織であるため、そこから四方に向かって、家庭全体を一元化して消化するための運動が統・班中心の活動であり、このような活動を通して全国民の信仰化が成し遂げられなければ、この国を生かすことはできないと語られたのである。

22  真の父母主義を中心として、世界に新しい春の風が吹き始めました。皆さんの心に新芽が出てきているのです。ですから、韓国の統班長を教育し始めました。花は、新しく出てきた柔らかい枝に咲きます。統支部長所属の班長を中心とした家庭は、新芽に該当します。その新芽から花が咲けば、韓国に希望があるでしょう。統支部長から班長を中心として芽が出てくれば、それを枝として育て、植えなければなりません。そうして、根を張り、新しく生まれるその家庭は大韓民国に代わり得る家庭になれるのです。

その技は、木を身代わりすることができます。その枝を中心として咲いた花は、同じ花になることができ、同じ実を収穫できるので、それは宇宙の宝物であり、人類の宝物としての価値をもちます。そのようになれば、「種をもらっていってはいけない」と言っても、間違いなくもらっていくでしょう。それを見通して、父母様が先頭に立ちました。今や統支部長の編成がすべて終わりました。

しかし、残った班をどのように編成して定着させるかが問題です。ソウルで組織(編成)が終われば、全国組織があっという間にできます。今や皆さんは、花を咲かせることができる活動をしなければなりません。

家庭に花が咲かなければなりません。皆さんの息子、娘が愛国思想を受け継いでこそ、根を下ろすことができます。そのようにしてこそ、新しい実として土着化し得る基盤を強固にできるのです。

23  家庭教会をするときに一番重要なのが、統支部長と班支部長です。その次には洞支部長です。洞支部長、統支部長、班支部長、この三人が三位一体にさえなれば、すべて終わります。そのためには、地上に定着させなければなりません。父母様が枝だとすれば、根を張らなければならないというのです。そのようにしてこそ、世界的に育ちます。

歴史始まって以来、初めて韓国で天国の根を下ろすのです。ですから、班支部長を中心として班の定例会を行い、十家庭でも二十家庭でも消化運動をするのです。ここに栄養を与えて根が伸びるようにします。すべての枝の栄養、幹の栄養、葉の栄養が枝を伸ばすようにしてこそ、木が大きくなるのです。

統一教会の組織全体は、根になり得るその班の支部長や班の定例会を中心として、その都市の全家庭に対し、真の父母に侍るカイン・アベル圏をつくらなければなりません。カインである班支部長を中心として皆さんがアベルになり、その次には班の定例会を中心として、イエス様の前における十二弟子と同じように、十家庭以上が団結しなければなりません。

そのようになれば、この地にサタンの基盤が存在できません。これが目標です。その根が次第に深く張っていくようになるとき、私たちの枝、父母様の枝は、世界に伸びていくのです。

24  お父様が統支部長と班支部長を立てるまで、四十年かかりました。四十年間投入して努力し、ようやくそれを立てておきました。郡責任者もいくらでも立てることができ、洞責任者もいくらでも立てることができますが、統支部長と班支部長をどのように連結して生かすかが問題です。その人々を生かしておかなければなりません。

一人は縦的代表であり、一人は横的代表なので、その二人が復活すれば、その都市がよみがえります。これが、私たちの基地です。そのようにしておけば、キリスト教が反対しても、統班支部長が守るようになるのです。統班支部長を中心として、キリスト教の要員たちを消化できる能力があれば、キリスト教の反対やあらゆる副作用はすべて解決されます。これが、統班撃破運動の焦点です。

25  統、班には大統領も入り、長官たちも入り、みな入っています。ですから、統一教会の細胞組織がすべきことは、統班撃破です。家庭でひっくり返して打ち込んだので、家庭で正さなければなりません。国でもありません。そのため、個人の信仰を徹底化して、家庭を中心として拡大できる主体になり、環境的条件を相対として一つになれば、より大きな分野の主体的立場に立ち、より大きな環境を収拾するのです。そのように、さらに大きく拡大し、国と世界まで連結されるのです。カイン・アベルの消化運動です。

カインを消化できなければ、アベルになることができません。カインに勝利した上で、アベルになるのです。相対的立場ではありません。消化して吸収したあとに、アベル圏が成立するのです。そのようにしなければ永遠にアベル圏が成立しないので、救援摂理の完結が地上で成し遂げられません。

体と心を中心とした家庭で定着しなければなりません。根を下ろさなければならないのです。ですから、統班撃破というものが、どれほど偉大か分かりません。

26  父母様は、流れていくことができません。万民の前に父母として来て、今やサタン世界を整備し、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界圏で、「頭翼思想」を中心として、左右を収拾しようと進み出ることができる最高の頂上まで上がってきました。

ここに上がってくる時までの恨多き事情を誰が知っているでしょうか。しかし、私は流れていきませんでした。悪がはびこってきたこの歴史を貫いて上がってきて、このような基盤を築きました。これを蹂躙してはいけません。血の代価によって綴られたものに、世話になろうとしてはいけません。血の代価によって連結しなければなりません。それが恩賜に報いる道であり、父母様のみ前に立って、自分の姿を正しく表すことのできる道です。

それが統班撃破です。家庭に根を下ろさなければならないというのです。

今まで、私たちが追求してきた目標、理想的な定着点とは何でしょうか。神様の愛を中心とした父と母、そして、息子、娘を中心とした新しい家庭が根を下ろさなければなりません。根が深くなれば深くなるほど、芽は出るものです。そこで悪魔の根を切ってしまい、芽を切ってしまわなければなりません。どこから切らなければならないのでしょうか。班から切らなければなりません。これをしなければ、南北統一は不可能です。

27  父母様を中心として、挙国的な活動をしなければなりません。ですから、全国的に皆さんが自分の故郷に帰り、影響を与えて根を下ろさなければならないのです。根を下ろすようになるとき、神様が収穫できる新しい実を結ぶ木になるでしょう。

それでは、その種をどこに蒔かなければならないのでしょうか。畑に蒔くのではありません。自分の一族に蒔かなければなりません。父母と兄弟たちに蒔かなければならないのです。それが四位基台です。創造理想は四位基台の完成です。愛の理想の完成です。

ですから、愛の理想の中心である家庭に植えなければなりません。父母を通して種が生じたのと同じように、そこに行って(実を)取り入れ、一周回ってこなければなりません。これが循環法度です。循環論理によって実を取り、父母の愛のもとに(その種を)植えなければなりません。このようにして、父母と兄弟が喜べる深い愛の根を下ろせば、生き残るのです。これが統班撃破の目的です。

28  韓国と北朝鮮を解放する近道が統班撃破です。北朝鮮に自分の父母、自分の従兄弟、あるいは親戚がいるとすれば、彼らに会う時、しがみついて泣くように、今や各家庭を訪ねていって、心情的に涙を流すことができなければなりません。

このような心情的な絆ができ、神様と共に同伴し得る環境ができれば、「私」によってその家庭が、神様が訪ねたいと思う愛らしい家庭として誕生します。そのような喜びの歓声とともに、解放のその日が私の目の前に近づいてくることを知っているので、このようなことをするのです。ですから、皆さんは真の兄弟の関係を経て、神様が求めている愛の家庭が形成されるように、神様の心情的通告者としての使命を果たさなければなりません。

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9   今は世界的な時です。父母様が、「百二十人を伝道しなさい」と言って祝福家庭の婦人たちを動員した年が一九七〇年でした。その時は国家的な時でしたが、今は世界的な時です。イエス様を中心とした国家的な時を蕩減復帰して解放されたので、迫害がない所で、世界的な基準を中心として氏族メシヤになるのです。

氏族メシヤとは何でしょうか。皆さんが家庭教会をつくって使命をすべて果たせば、氏族メシヤになります。ですから、自分の信仰の息子、娘たちを連れてきて、教育しなければなりません。親族です。霊的な信仰の息子、娘たちを中心として一つになり、氏族的なメシヤ圏を復帰することによって、霊界の他の一族も後援するのです。そのようになれば、連合的な戦線ができ上がります。

10  三百六十家庭教会をなぜするのでしょうか。三十六は十二数の三倍です。十二数は天理の度数です。これは、霊界の十二の真珠門のことを意味します。三十六家庭の数と同じです。また、旧約時代、新約時代、成約時代の三段階の運勢を連結させることができます。それは、天道を解くために出てきたのです。

三百六十日の一日というのは、永遠を代表する一日です。皆さんがそのような観点で一日一日、家庭教会を訪ねていくことは、歴史時代の数多くの日を、神様のみ前に勝利の日として立てるための活動なのです。三百六十家庭は、人類が天の国を建てられず、勝利の日を立てられなかったことを取り戻すためのものです。言い換えれば、三百六十家庭は、三百六十日を神様のみ前に立てるためのものであり、天の国を人類と共有するようにするためのものです。ですから、三百六十家庭が必要なのです。

11  アダムとエバが堕落することによって、神様を地球上から追放してしまいました。皆さんが三百六十家庭をもつことによって、その三百六十家庭に神様を顕現させることができるのです。

その次に、アダムとエバが堕落することによって追放してしまった天使世界が、地球上に顕現できる基盤になります。また、堕落することによって万物を失ってしまいました。三百六十家庭は地球星と同じであり、失われた宇宙の象徴なので、万物がその中にすべてあるのです。

その次に、世界人類を失ってしまいました。三百六十家庭は、世界の三百六十氏族のような全体を表象的に象徴した代表数なので、そこには万民を代表する数の人がいます。それをすべて復活させなければなりません。

復活させて、神様のみ前にお返しすることによって、皆さんは、過去の歴史において、堕落した私たちの先祖たちが失敗したすべてのことを復帰するのです。神様の顕現、天使世界の顕現とともに、万物の復帰、人間の復帰をして、この世界から地上天国化するのです。

12  なぜ家庭教会をしなければならないのでしょうか。長子復帰をしなければならないからです。長子を復帰してこそ、父母が復帰されるのです。

今、復帰歴史は、アベル、次子として長子復帰の路程に向かっていく途中です。世界的カイン、長子を屈服させて、復帰できる基盤が家庭教会です。ですから、カイン圏の長子復帰圏基盤とアベル圏の長子復帰圏基盤が一つになれば、氏族メシヤ圏の使命が終わり、氏族的真の父母の位置に登場するようになります。そうして、真の父母を中心とした氏族自体が、天国に入れるのです。

皆さんの中で、一九八一年まで三年間、三百六十家庭圏で絶対服従した人は、努力しなくてもそのまま天国に入っていける恵沢を受けます。これは恵み多い事実です。今や、ようやく統一教会時代に入ってきて、長子カインが次子アベルを打った歴史から、アベルが長子の位置に立ち、カインを屈服させられる時を迎えるようになりました。これからは統一教会に反対すれば、即座に被害を受けるようになるのです。即座に裁かれます。そうして、これが世界的な版図に展開されるでしょう。

13  神様は、今までメシヤを送り、人類を救おうとしました。神様が人類をどれほど救いたかったでしょうか。父母様の時代になって家庭教会をつくったという事実は、天の勝利となり、摂理の終局であり、すべての歴史の終局であり、サタン世界の終局であり、天国の始発点になるというのです。ですから、皆さんは、父母様の伝統を受け継がなければなりません。

14  統一教会が主張してきたのは、伝統を受け継がなければならないということです。神様の復帰摂理における心情の伝統を受け継がなければなりません。

その次には、父母様がこの伝統を立てるために歩んできた一生のあらゆる心情を、皆さんが引き継がなければなりません。

これを引き継げる一つの基盤が家庭教会であり、その運動が家庭教会運動です。家庭教会をもたなければ、天の国に行く時、父母様に付いていくことができません。これから家庭教会が、全世界的に二十四万になれば、全人類に対して配置するのです。そのようになれば、教会は完全になくなります。

韓国人は、これから家庭教会の配置を受けることができる恵沢圏内にいます。いまだに世界の至る所で家庭教会が配置されていないため、民族大移動をしなければなりません。家庭教会の配置を受けるために、全世界に大移動する時代に入るというのです。

15  これから皆さんは、家庭的に愛をもってサタン世界を攻撃するのです。家庭をもって、腐敗したサタン世界を攻撃するのです。すべて壊してしまわなければなりません。そのような時が来ました。ですから、皆さんに対して、「一気に家庭を動かすことができ、氏族を動かすことができ、民族を動かすことができる家庭教会運動をしなさい」と言ったのです。これさえ終わらせ、これさえできれば、世界を引っ張ってくることができます。「これさえ成し遂げれば、私が天国を築くことができる」と言える時が来たというのです。

16  お父様が今まで四十年間闘ってきたすべてのものを総合して、決算できる場が家庭教会です。家庭教会第一主義時代です。家庭教会は今後、何にならなければならないのでしょうか。皆さん自身の家庭教会が、氏族教会にならなければなりません。家庭教会ではなく、今や氏族教会に発展していかなければなりません。

皆さんの金氏や朴氏という氏族教会さえ連合すれば、民族は自然に生じます。氏族復帰の基盤さえできれば、国家は自然に生じます。氏族教会、民族教会、国家教会、世界教会、天宙教会に連結されるのです。

家庭教会は愛の実践場真の父母様は、「三百六十家庭(軒)とは、世界的蕩減基盤を連結した世界を代表する一つの中心型であり、ここにおいて勝利すれば、自分の氏族は世界的氏族圏に登場し、同じ価値の位置で蕩減するようになる」と語られた。そして、三百六十家庭の中に私を愛してくれる人がいないと考えるのではなく、私が愛してあげられなかったことを無念に思うことを強調された。愛してあげられなかったことを嘆かれる神様と同じ心で、三百六十家庭で、「遮るものはどこにもない」と言える勝利者になることを願われたのである。また、三百六十家庭は、すべての人を自分の兄弟や父母よりも愛するようにする修練場であり、どのような人でも愛することができるようになるとき、完全な主体になることを明言された。

17  皆さんの心で愛の鐘の音を聞きなさいというのです。そのようになれば、「私の口は愛の言葉だけを語るようになっていて、そうでない言葉は語らないようになっている」と言うようになるでしょう。愛の言葉でないものは、耳が聞かないようにし、愛でないものは目が見ないようにするのを感じなければなりません。

そのように生きれば、間違いなく皆さんは、遠からず神様の愛に酔うことができる境地に入るでしょう。霊界と直接通じ、家庭教会に関する難しい問題を、上手に、無意識のうちに、たやすくすべて解決できる主人公になります。三百六十家庭のどんな問題でもすべて解決できる、神様を身代わりする主人になるでしょう。

私がそのような愛の場に入っていけば、話をしないようにしようとしても、言葉が出てきます。本当に不思議なことがたくさん起こります。ありとあらゆることが起こるのです。自分が恐ろしい人であることを感じるようになります。このように、愛において、すべてのことが決定されるのです。

18  女性として生まれ、お嫁に行くようになれば、本家を離れて自分の夫に付いていくのと同じように、統一教会を信じてからは、家庭教会の活動をしていかなければなりません。そのようにしてこそ、天国に入ることができます。お嫁に行くのと同じです。それを経なければ、天国に入れません。いくら父母様に付いていこうとしても、付いていけないのです。それができなくなれば、皆さんの息子、娘がしなければなりません。

ですから、夫が妻のために生きる以上に、妻が夫のために生きる以上に、そして父母が子女のために生きる以上に、家庭教会をしなければなりません。そうして、家庭教会圏内の人々が「このように私たちを愛してくださり、私たちはこの愛を学ぶことができたので、あなたに愛をお返しします」と言うその内容が、家庭教会圏内にすべてカバーされるとき、そこは神様の領域であると言うことができます。地上の天国圏だと言えるのです。新しい文化、新しい運動によって一つになり、新しい復興を起こすことができるのです。

19  家庭教会は、皆さん夫婦から出発しなければなりません。夫は、愛を探し求める家庭教会の基盤であり、妻は、愛を探し求める家庭教会の基盤だというのです。愛を主管しなければなりません。ですから、夫は、妻を愛する以上に家庭教会を愛さなければなりません。妻より愛することができなければ、その愛は真の愛になり得ません。皆さんの息子、娘以上に愛することができなければならないのです。

なぜ、そのようにしなければならないのでしょうか。悪の世界から本然の世界に入るために、その境界線を突破しなければならないからです。それは家庭や国よりもさらに大きいので、自分の妻や子女よりもさらに愛するという基準を立てなければならないというのです。そうでなければ、家庭教会をいくら動かしても効果がありません。それ以上でなければならないというのです。

真の愛を携えていくようになれば、そこには神様が付いてきます。宇宙が付いてきます。誰も遮る人はいません。そこにおいては自然に環境が溶け出し、すべてが押し寄せてくるようになっています。そこにある木が慕わしく、そこにある道が慕わしく、そこにある家々が見たくて行かざるを得ないというのです。無意識のうちに訪ねていきます。知って、行かなければならないと思って行くのではなく、我知らず訪ねていくというのです。そのようにさせる運動が起こってこそ真の愛が拡大されるのです。

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17 一九七〇年代は、外的に活動をするとしても、ごく少数の人に限って活動させるのではなく、食口全体を動員して活動させ、最後の限界線を越えておかなければなりません。

ですから、一九七〇年十二月一日から三年間、祝福を受けた婦人たちが総動員されました。さらに、この期間は、今まで精誠を尽くして努力してきたすべてのものを投入し、最後の限界線を越えられるか(どうか)、その勝敗を決定する重要な期間だと見ています。

ですから、婦人たちが十人一組に編成され、百二十ヵ所の伝道任地に出動することになります。各地区本部から地域本部、区域本部にまで出動し、一九七二年までには、私たちの教会の内的な精鋭食口を十二万人以上、確保しなければなりません。現在いる食口たちが一ヵ月に一人ずつ伝道するようになれば、今より倍以上の数を実質的に確保するだろうと考えています。

18 祝福家庭の婦人たちが動員されるのですが、幸いなことは、一人だけで行くのではないという点です。本来は一人で行かなければならない道ですが、世の中があまりにも険悪なので、皆さんの同志である姉妹たちと一緒に行くのです。ですから、ここにおいては環境に侵犯される条件が完全になくなります。ひたすらみ旨だけのために協助できる互いの基台が形成されるというのです。

もし、自分本位に過ごして互いに争いが起きたり、何かの問題が起きたりすれば、それは大きな問題になります。班員たちの間で問題が起きれば、全体の責任は、班長が負わなければなりません。一番先頭に立って働かなければならない人が班長です。

班長としてまずすべきことは、十人の班員を一つにすることです。イエス様に従った十二弟子が分裂したその立場を、今日、皆さんが蕩減しなければなりません。男性たちができなかったことを、女性たちが代わりにするのです。ですから、み旨を中心として完全に一つにならなければなりません。

ここにおいて十数は、十二数に該当します。本来は一班を十二人で編成しようとしました。これは、イエス様の弟子たちが分裂した環境を女性たちが身代わりして、一体となった環境を整え、天のみ前に一つになるためのものであり、一つになれずに分裂したイスラエルの族長編成の基盤に代わり得る基盤として完結するためのものです。このような二重的な使命が皆さんにあることを知って、まず一つにならなければなりません。

19 一九七〇年に祝福家庭の婦人たちが動員されて基盤を築くことによって、父母様が国家的基準に立つようになりました。三年が過ぎてみると、状況が変わったのです。「統一教会は正に愛国団体であり、統一教会員のようにならなければ、我が国が生きることはできない」という世論が全国化したのです。

大韓民国の国民より、私たちがもっと犠牲になり、キリスト教より私たちがもっと犠牲になりました。より犠牲になる人が祝福を受け、伝統の道を占有するのです。安楽に過ごそうとする人々、自分だけが豊かに暮らそうという人々は、落伍します。その活動が終わる前の一九七二年以前に、既に統一教会は愛国の団体として、国や国民の間で、「統一教会のようにならなければならない」という意見が一般化され、広まり始めました。

三年以内に国家的蕩減基準を立て、反対するキリスト教と闘ってキリスト教以上の国家基準を立てたので、その基盤を中心として、父母様は海外に、世界の舞台に進出するようになりました。そのようにして、アメリカを連結したのです。

第五節 家庭教会と統班中心の活動家庭教会と氏族メシヤ活動真の父母様は、一九七八年三月十五日、アメリカの州責任者会議で、家庭教会活動を強調され、四月一日から三万人の食口確保を目標に、『原理講論』と原理講義のカセットとビデオテープを配るなど、本格的に活動することを強調された。

そして、一九七八年九月二十五日に帰国され、「堕落した人間が復帰できる蕩減条件が三百六十家庭教会である」と語られ、全食口に十月一日から、家庭教会活動を行うことを指示された。

十八歳以上の食口は全員参加するが、祝福家庭は家庭ごとに、その他は個人ごとに、三百六十家庭(軒)を復帰するために活動することが原則であった。こののち氏族メシヤとなり、真の父母様が世界的に成し遂げられた勝利基盤を受け継ぐことを願われたのである。

また、一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」、一九八〇年は「家庭教会は天国基地」、一九八一年は「家庭教会は私の天国」など、年頭標語を通してこのことを強調された。

1 一九七八年十一月十二日、きょうを期して、皆さんにメシヤの資格がある者として家庭教会の区域に出ていきなさいと命令します。これからは、そこに出掛けるのです。家庭教会をつくるまでは、帰ってこられないことを知らなければなりません。死ぬまで帰ってくることができません。霊的にも帰ってくることができないのです。

2 父母様は、世界的に反対を受けながら、世界的基盤の上に蕩減条件を立て、第三次七年路程の三年路程において、二年目を越えていく一九七六年九月十八日にワシントン大会を勝利して基盤を築き、初めて故郷に錦を飾ることになります。そうして、故郷の韓国に戻ってきて、氏族メシヤになれるという贈り物を皆さんに渡してあげるのです。

今から統一教会がすべきこととは何でしょうか。この氏族メシヤ圏の三百六十家庭を伝道して、彼らが歓迎できる基盤さえできれば、自分の故郷に帰っていくようになっているので、このような圏内で世界的に統一教会を歓迎すれば、どのようになるでしょうか。この三年の期間に、その基盤を築かなければなりません。

イエス様は、三年の公生涯路程においても氏族メシヤになれませんでした。世界に走っていける道は、ここしかありません。人類全体がそのような価値ある位置、父母様の犠牲的功労を相続できる時代に入ったというのです。そのように相続を受けられる条件は、父子関係の絆をもっているからです。

3 統一教会がすべきことは、家庭教会です。復帰摂理の終着点は、家庭教会です。私たちが一九五四年の協会創立以降、二十五年目に家庭教会運動まで宣布できたことは、偉大な成功です。天地がすべて祝賀する成功になるのです。

父母様が苦労したのも、これをつくるためであり、イエス様が亡くなったのも、これをつくるためであり、神様が六千年間摂理されたのも、これをつくるためでした。このようにしてこそ、天国が広がります。この時に、天国の門が開かれます。そのため、イエス様がぺテロを通して天国の門の鍵を地上に残していったというのです。

4 家庭教会は、天宙を縮小したものであり、世界を縮小したものです。そこにはイギリスも入り、アメリカも入り、ソ連も入り霊界も入っています。すべて入っているのです。また、旧約時代、新約時代、成約時代がすべて入り、無宗教の人、良心的な人、宗教者がすべて入り、その次にイスラーム、仏教、キリスト教など、すべての宗教が入っています。

全天宙を代表した一つの表象であり、その縮小体が家庭教会です。

誰がそのようにしておいたのでしょうか。自然になったのではありません。父母様が、サタン世界のエッセンスをすべて集約させておきました。そこでために生きることは、皆さんの家庭から氏族、民族、国家、世界、天宙においてまでために生きる条件になり、そこで犠牲になり奉仕することは、全世界のために一生の間、犠牲になり奉仕したことに代わり得る条件になるのです。皆さん夫婦が、この過程を経ていかなければなりません。

5 父母様を中心として、完全に一つになった立場で結束したという条件基盤を皆さんに伝授してあげたのが家庭教会です。家庭教会は蕩減条件ですが、この蕩減条件のことを皆さんは知りません。

個人の責任分担においてサタンが侵犯することにより、家庭の責任分担に拡大されました。個人の責任分担で終わるはずのものが、堕落することによって家庭の責任分担に拡大され、氏族の責任分担、民族の責任分担、国家の責任分担、世界の責任分担、天宙の責任分担に拡大されました。地獄世界にまで拡大されてしまったというのです。

このような責任分担圏が残っています。これを越えていく道がありませんでした。しかし、お父様が来て、今まで四十年の期間にこれをすべて越えていける条件を立てました。

皆さんには、五パーセントの責任が残っています。この道を行かなければなりません。この道を完成するためには、家庭教会の三百六十家庭を中心として、一つにならなければなりません。讒訴を受けずに、どこの家でも歓迎される立場に立ちなさいというのです。そのようになれば、父母様が今まで築いておいたすべての歴史的勝利の蕩減条件を伝授してあげるのです。

6 家庭教会とは、世界的な勝利の全体版図を最小単位に縮小した、一つの祭壇です。三百六十家庭は、世界の三百六十の一門にもなるのです。三百六十は、縦的な時間を意味し、横的な空間を意味します。そして、三百六十は、世界を代表したカイン圏です。

皆さんの前に、世界を代表する長子の立場のカイン世界が残っています。天国になるにはアベル、弟として、兄を屈服させなければなりません。ですから、長子復帰をしなければ、父母様を迎えることができません。アダムとエバが堕落することにより、カインが長子の立場で生まれたので、これを解消するためには、次子の立場で世界を代表した長子圏を屈服させなければなりません。一度に屈服させなければならないのです。

皆さんは、お父様が世界的条件を中心として勝利した基盤の上にいるので、その心情を受け継がなければなりません。家庭教会は、歴史時代に、神様のみ前において、長子復帰の世界史的なすべてのものを一時に蕩減することができる祭壇です。

7 家庭教会の三百六十家庭は、世界的な蕩減条件を築いたものに連結して、世界を代表した一つの中心型として現れたものです。ここで勝利すれば、自分の氏族は世界的氏族圏に登場し、同じ価値の位置で蕩減するようになります。そうして、初めて彼らを一つにして蕩減し、父母の位置に登場するのですが、メシヤの資格を備えて、氏族メシヤ、すなわち自らは新郎の位置に立って新婦を迎えることにより、氏族的真の父母になるのです。

8 家庭教会は氏族基盤です。イエス様の当時、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つになれなかったので、それを蕩減復帰しなければなりません。それがすべて残っています。イエス様は家庭をもつことができませんでした。ですから、皆さんが家庭をもたなければならないのですが、そのためには氏族基盤をもたなければなりません。氏族基盤がなければ家庭をもてないのです。皆さんの家庭がその中心に立たなければなりません。氏族的な基盤があってこそ、家庭が救われます。

皆さんが家庭をもとうとすれば、家庭教会をしなければなりません。家庭教会運動をすれば、イエス様ができなかったことを蕩減できるというのです。それは、洗礼ヨハネの家庭やヨセフ家庭と同じです。イエス様は、洗礼ヨハネとヨセフ家庭が一つにならず、家庭をもてなかったので十字架に打ち付けられました。私たちは、それを蕩減しなければなりません。家庭をもとうとすれば、そこからしなければならないのです。ですから、家庭教会がどれほど重要かを知らなければなりません。家庭教会さえ完成すれば、自動的に世界国家になります。一つの世界になっていくのです。

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4   一人の完成格の男性の前に、一人の完成格の女性として、お母様を連結させるための期間が第一次七年路程です。この第一次七年路程が、父母様の家庭基準を設定する期間だというのです。ですから、その時期に父母様が神様を中心として家庭を築いたのです。その時になって、ようやく四位基台の復帰形態として、地上に一つの家庭的な基点を構築しました。

この父母様の家庭を中心として、祝福家庭が完全に団結しなければなりません。家庭を中心として、完全に一つにならなければならない期間が、第二次七年路程です。第二次七年路程は、父母様の家庭を中心として、祝福を受けた家庭が完全に一つになるべき期間だというのです。完全に一つになって、一つのアベル圏になり、民族基準を再び収拾しなければならないのです。

5   一九七四年までの第二次七年路程の期間には、大韓民国の復帰と天国基盤をつくらなければなりません。復帰は、霊と肉を中心として行わなければなりません。ですから、教会的にはみ言を中心として霊的に、世界的には思想を中心として肉的に動かなければなりません。そのため、民主世界がもち得ない勝共思想を、統一教会が掲げていくのです。

これは、モーセが出エジプトをする時、彼らを導いてくれた火の柱と雲の柱に該当します。火の柱と雲の柱を中心として、外においては世界共産圏を屈眼させ、内においては家庭の法度を立てるのです。これが世界舞台に連結されていくようになれば、地上天国が完成するのです。

6   男性や女性が復帰されたとすれば、一人の新婦と新郎を迎えなければなりません。そうして、真の父母の位置が決定されれば、この真の父母を中心とした真の氏族と真の民族を編成して、復帰していかなければなりません。このようにするためのものが第一次七年路程でした。

このようにして、民族編成を終えたあと、国家的基準の蕩減条件を立てることによって、国家的な限界線を越えることができる時代圏内に入るのです。このような国家圏内から世界に越えていける運勢が私たちの前に近づき、韓国がアベルの立場に立つようになったので、カイン的なサタン世界と神側の霊界が、一つの国を形成するための統合運動をしなければなりません。

世界人類が、このような責任を中心として協助できる新しい時代に入ります。ですから、今から統一教会員たちが行く道には、今まであった哀れで悲惨な歴史過程はないというのです。

第二次七年路程において私たちは、世界的な復帰の限界点を越えなければなりません。神様のみ前で、皆さん自身を中心として、民族的な限界点を越えて責任を果たしなさいというのです。そして、祝福を受けた人々はみな、家庭的メシヤの責任を完遂しなければなりません。

7   皆さんが今まで歩んできた第一次七年路程は、イエス様を中心として解怨成就するための蕩減復帰の条件として消耗されましたが、これからは、皆さん自身を中心として蕩減復帰し、自らの願いを解怨成就するための時代に入ります。ですから、皆さん個々人は氏族メシヤになり、世界的な出発をしなければなりません。

それゆえ、皆さんがこのような使命をもって世界に向かう道は、神様のみ旨を伝えながら反対を受ける道ではなく、歓迎を受けながら行ける道になりました。そのような時代圏内に移されたというのです。これが、真の父母を中心とした世界的な復帰の限界点であり、七年の期間を中心として、その基準を越えるようになったのです。

8   一九六八年から第二次七年路程が始まったので、その時から子女の路程が始まりました。子女は、父母が歩んだ路程を見本にして歩まなければなりません。失われた信仰の子女を復帰し、父母の祝福を受けなければならず、万物の祝福まで受けて使命を引き継ぎ、安息の年を迎えなければなりません。もし、これを一九六八年からこの七年間でできなければ、二十一年に延長されます。

「神の日」は、真の父母様が神様の実体として現れる日なので、人間に屈服しなかったサタンが、神様の実体となった真の父母様に屈服する日だというのです。この「神の日」を立てることによって、天使がアダムに屈服し、カインがアベルに屈服したという条件が立てられました。

第二次七年路程は、復帰された長子の立場で出発する期間です。過去には、次子の立場で長子の位置を奪わなければならなかったので迫害を受けましたが、今や長子の位置で福を分け与える立場になったので、私たちを憎むこともなく、迫害もしないでしょう。そのような時になりました。

今や応じなければ、たたいてでも天の子女として復帰すべき使命が長子にあるというのです。第一次七年路程で父母様がメシヤの使命をもって役事したように、第二次七年路程では、皆さんが氏族復帰のためのメシヤの使命を果たさなければなりません。

9   天のみ前から追い出された群れ、天が立てなかった人々を探し出して、彼らを救ってあげるために行く路程が第二次七年路程です。また、イエス様が追い出されていない立場で探し出したのと同じ基準を立てるために、統一教会の息子、娘たちが出動して第二次七年路程を歩むのです。

今は氏族を復帰する時です。父母様が皆さんに「全面的に進撃しなさい」と言いましたが、それは今の時が、イエス様が漁夫を訪ねて弟子にし、教会を築いて家庭的な基盤を立て、全面的に進撃しなければならなかった時と同じであり、地上でも準備が整い、霊界からも協助するようになっているので、完全な作戦を行うことができるからでした。

父母様は、一九六〇年から一九六三年の間に祝福をしてあげることによって、家庭復帰の基準を立てました。したがって、食口たちも第二次七年路程が始まった一九六八年から三年間、すなわち一九七〇年までにこの基準を立てなければならないのです。

10  第二次七年路程では、民族のために忠誠を尽くしたそれ以上の忠誠で、自分の父母兄弟と親戚を復帰しなければなりません。すなわち、氏族全体を神様のみ前に復帰しなければならないというのです。今まで、皆さんの先祖たちは、神様の全体的な復帰摂理と何の関係もない先祖たちでした。

しかし、皆さんが氏族を復帰することによって、真の氏族的な父母の使命を完遂するようになり、霊界の善の聖徒たちも、皆さんと共に再臨復活の恵沢を受けられる特権的な恩賜が広がります。そうして、善の先祖たちが地上に無数に再臨できるようになるのです。

そのような時代が来るので、悪のサタン世界は次第に消え、統一の運勢が新しい世界に次第に越えてくるようになります。ですから、原理的に見るとき、私たちの活動いかんによって、一九七四年までに急進的な発展をするでしょう。

11  国家的な次元で勝利の基準を定めたあとに、第二次七年路程を中心としては、父母様の家庭ではなく、祝福家庭を立たせました。ですから、国のためにその家庭がどのように立つベきかを教えてあげなければならず、国のためにその家庭がどのように奉献して、どのように公的な道を行くべきかを、国民に教育しなければなりませんでした。そのため、祝福家庭全体が動員されました。第二次七年路程は家庭的な路程なので、全祝福家庭が動員されたのです。

一九七〇年に入ってから三年間は、全祝福家庭の妻たちが、子女と夫を残して出動しました。お母様と同じ道を行かなければならなかったからです。

夫と暮らし、息子、娘を抱えて暮らしていた家庭から離れる時は、夫が怨讐であり、息子、娘が怨讐でした。ですから、あらかじめ怨讐視したのです。このように、前もってすべて決定しておいたので、彼らが怨讐として現れたとしても、サタン側になりませんでした。サタンの条件に引っ掛からなかったというのです。それが愛でした。

聖書にある「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一〇・三六)というみ言が、統一教会ですべて成就されたのです。これは、言葉だけではありません。歴史がそのようになっています。

12  一九七四年は、第二次七年路程の最後の年です。内的な第一次七年路程に外的な第二次七年路程を結びつけることを、今まで私たちがしてきているのです。それが一九七四年までです。

結局は、統一教会の祝福家庭が第一線に進み出て、総力を挙げてサタンと対決する時期です。ですから、一九七〇年、七一年、七二年のこの三年間、統一教会のすべての祝福家庭の夫人たちは、子女たちと夫、家庭をあとにして出ていったのです。

父母様がその基盤を引き継いで、世界的にようやく父母と子女が一つになれる霊的起源を整えたので、その基盤に乗り、アメリカという国を中心として作戦を行うことができたというのです。

父母様がアメリカにまで来て、このようなことができるというのは、イエス様がイスラエルの国とユダヤ教と霊的に一つになり、ローマに入城して、死なずに伝道するのと同じなのです。

13  一九七四年までの二度の七年路程は、ヤコブの十四年路程に該当する期間です。ヤコブは十四年の期間を通して家庭を探し出し、天地に錨を下ろしました。それと同じように、統一家が第二次七年路程を経ることによって、家庭を中心として初めて、この地上に完全に錨を下ろすのです。

統一教会の祝福を受けた家庭は、どんな家庭よりも幸せで、誰よりも徹底した愛国と愛族の群れであり、神様のみ旨を立てて世界を愛し、人類を愛する群れであることが公認される時が来ます。そのようになれば、祝福家庭が初めてイスラエルの権限をもって、地上に錨を下ろし、足場を固める時になるのです。

第二次七年路程を成功裏に完成すれば、神様の祝福が大韓民国と統一教会に集中することは決定的でしょう。その時は、反対していたイスラエルの国や反対していたユダヤ教と同じように、反対していた大韓民国と反対していたキリスト教の前に、統一教会が対等な位置に立つのです。対等であるだけでなく、統一教会が優位に立つようになるので、その教会と国が付いてこなければ滅びる運勢圏を迎えるというのです。

14  第二次七年路程が終わる前の三年の期間は、世界的な七年路程に前進するための準備期間です。この第二次七年路程の終わる前の三年路程の期間は、世界的な七年路程を本格的に出発するための準備期間でした。これは、イエス様が生きていた当時、ユダヤの国を一つにし、ローマの国を一つにできる基盤を連結させるときの霊的基準に代わる立場です。

それでは、イエス様の時と今の時は、どのような違いがあるのでしょうか。イエス様の時は国家的時代でしたが、今の時は世界的時代です。そのような違いがあります。ですから、この三年路程を中心として、民主世界を代表するアメリカに来てこのような基盤を築くことにより、勝利できることを見せてあげたという点において、歴史的意義があるというのです。

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22 私たちは、「天国を成し遂げた」と言って笑う声が、三千里半島と全地球上に高々と響き渡る、その日のために行進しなければなりません。このような立場にいる私たちなので、休む暇がありません。御飯を食べていても、涙を流しながら痛哭する統一信徒たちにならなければなりません。

なぜ、そうでなければならないのでしょうか。神様が願った(地上)天国を築いてさしあげ、イエス様と聖霊がすべては成し遂げることができなかった恨と、満足に食べることもできずに祭物の過程を経ていった千々万の聖徒たちが、地上天国を完成することができなかった復帰の恨を解いてあげるためです。そのようにしてこそ、彼らが解怨成就されるのです。このような途方もない内容を知り、この途方もない使命を背負った私たちに、休む暇がどこにあるのかというのです。脚が折れるとしても、死ぬとしても、全力を尽くして行かなければならない復帰の道が残っています。ですから、父母様は皆さんに「三年路程を行きなさい」と命じました。

その道を行くときには、誰もが死を覚悟しなければなりません。一片丹心で自分が立てた志を果たすためには、寝ずにおなかをすかせながら、冒険をしてでも行かなければなりません。このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。

皆さんはそのような立場で倒れ、犠牲になっても、嘆いてはいけないというのです。天国を建設するために足場を築く勇士に対して、どうして怨讐の矢が向かってこないでしょうか。どうして怨讐が自らを包囲することがないでしょうか。そのようなことがあり得るというのです。

しかし、師のために、神様のために生きる思いは、自分自身のためのものではなく、この民族のためのものであり、世界のためのものです。ですから、その場は神聖な場です。たとえその道が遠くても、近道を探し求めて、喜んで行かなければならないのが、統一勇士たちの歩みです。

23 父母様は、イスラエル民族の立場である大韓民国とこの民族が、責任を果たせない立場に立つのではないかと心配しています。皆さんを前に立てて栄光があれはその栄光を先に皆さんに与えたいのです。それを知って第一次七年路程の残りの四年期間を歩まなければなりません。今は皆が疲れてしまいかねない時なので、さらに奮闘しなければなりません。

アダムとエバが堕落して、カインとアベルという実を結んだので、これを、食口たちを中心として蕩減復帰しなければなりません。祝福家庭を中心として蕩減復帰しなければならないというのです。もし各地域において、他人が行こうと行くまいと忠誠を尽くして進む孝子、孝女の家庭があるとすれば、その家庭は、その目的に向かって、父母様に代わり、涙と血と汗で民族的な恨の峠を越えていきつつあるとみなすことができます。

この民族のために、涙で福を願いながら、一日一日を感謝して暮らす人がいるとすれば、その人は父母様の相対になります。そのような人々によって天的な歴史が(峠を)越えていくようになります。ですから、第一次七年路程の後半の四年期間、皆さんは責任を果たし、民族的な勝利的主管者にならなければなりません。そうすれば、民族的な勝利の日を皆さんが迎えると同時に、神様が迎えるようになります。

皆さんはこれを知って、「日久月深」(願いが時とともに強くなる様子)で祈らなければなりません。そのようなことが終わったあとは、世界的な勝利的主管者にならなければなりません。それによって、万民がそのような恵沢圏内にとどまるようになって神様をたたえる時、私たちは初めて解放されるのであり、「神の日」を完全な勝利の日として立てるようになるのです。

24 父母様は、一九六五年十二月三十一日と一九六六年一月一日の両日にかけて、韓国の七ヵ所に聖地を立てました。このような基準を立てて、国家的基準において個人復帰、家庭復帰、氏族復帰が始まったのです。

私たちは、神様が取り得る個人的な勝利の基盤、家庭的な勝利の基盤、氏族的な勝利の基盤、民族的な勝利の基盤を備えなければなりません。

ここにおいて氏族は、統一教会の祝福家庭を意味し、民族は、このような氏族によって形成された統一民族を意味します。今後、私たちは、統一民族を編成しなければなりません。ですから、私たちは、韓国でカイン・アベルが立てるべき天的な位置と中心を蕩減して立てなければならないのです。このような使命分野に向かって総進軍することが、第一次七年路程において果たすべき使命です。

25 第一次七年路程出発の最初の年の標語が、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。これは男性として、母を探し求めようということです。

二年目の標語は、「父の代身者となろう」です。初めてお母様を探し出したので、復帰された天国に向かって、父なる神様の代わりに役事できるのです。これは、お父様の一生について語った言葉です。

三年目の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」です。見せてあげて誇れるのは息子、娘です。これは、皆さんの復帰路程を中心として語った言葉です。ですから、この標語は皆さんの標語と同じです。

皆さんは、第一次七年路程を中心として、天のみ前に生涯最高の年にしなければなりません。失われた男性によって失われた女性を探し出す、最高の年にしなければなりません。

そうして、神様の代身者になり、見せてあげて誇らなければならないのです。

その次には、勝利的主管者にならなければなりません。四位基台を完全に復帰したので、勝利圏を主管しなければならないのです。

一九六〇年にお父様が「今回の七年路程が過ぎれば、私が必要とし、私が動かせる完全な基盤ができるだろう」と話したとき、皆さんは夢のような話だと思いましたが、今見れば、その時に話したとおりになっています。

26 第一次七年路程を勝利しましたが、父母様は七年路程において血の涙をたくさん流しました。いくら難しいことがあるとしても、夜も昼も一つの目的を達成するために駆け回りました。「誰々が行かない」と言って恨むこともなく、「友達がいない」と言って恨むこともありません。神様が既に定めた摂理の結果を収めるべき使命があるので行くのです。

そうして、この世界に広がっている善の結実を収めなければなりません。心情の鎌で刈ることによってこのような結実を収め、分かれた自らを統一し、分離した天情と人情を統一しなければなりません。

私たちの体自体は、たとえ切れ味の良くない鎌の刃先だとしても、収穫するときに用いられる道具としての実体にならなければなりません。このような実体を通して、今日、滅びていく世界を正しく導き、神様の心情を中心として、新しい中心の世界に越えていかなければなりません。それが統一教会員たちの使命です。

27 私たちは、一九六〇年を中心として新しい勝利の基盤を準備することができました。すなわち、二千年前にイエス様が願った基準を、この地上で復帰できる摂理の基盤を準備したというのです。このような途方もない歴史的な基点が準備できたので、一九六〇年から新しい歴史時代に入るようになりました。

第一次七年路程の七年間に、民主主義が世界を収拾できず、共産主義が世界を支配するようになれば、すべて滅びるようになります。ですから、皆さんは、滅びつつあるものを栄えさせ得るこの七年の期間を中心として、民族を復帰し、国家的な民族形態を形成しなければならず、ひいては世界が一つになれるようにしなければなりません。この七年の期間内に、すべて復帰しなければなりません。

イエス様がこの地に来て願ったことは、イエス様自身を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を探し出し、その探し出された「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を中心として、サタンが讒訴できない絶対的な権限をつくり、神様のみ前に栄光をお返しできる「神の日」を探し出すことでした。

これをイエス様が願ったので、私たちはこの目標を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てたのであり、第一次七年路程を越えるために、一九六八年一月一日を「神の日」として設定したのです。

第二節 国家・世界復帰の基台を築いた第二次・第三次七年路程第二次七年路程と私たちの責任真の父母様は、第一次七年路程は父母の路程であり、その後、一九七四年までの第二次七年路程は子女の路程でもあると語られた。特に、この期間の年頭標語である「全面的な進撃をしよう」、「勝利的統一戦線」、「統一基盤確保」、「統一戦線守護」にもよく表れているように、国家復帰の基台造成のために全力を傾けた期間である。

第二次七年路程は、祝福家庭が氏族(的)メシヤの使命を果たし、先祖の位置を復帰しなければならない期間であった。この期間には、民族・国家復帰の基盤を築くために、まず氏族を復帰しなければならないと語られた。

1 一九六〇年から一九六七年までの第一次七年路程では、父母が縦的な基準を中心として勝利しました。ですから、第二次七年路程は皆さんの時代です。ここからは、皆さんが横的に闘わなければなりません。第二次七年路程は長成時代です。歴史はいつでも、二番目を中心として決戦を行いました。それと同じように、韓国がどうなるかという問題が、第二次七年路程にかかっています。

第二次七年路程が終わる一九七四年までには、韓国が統一教会のみ旨に協助しなければなりません。そのようにせずにみ旨を遮り、この原則に符合しなくなるときには、神様が許さないでしょう。このような基盤を中心として、私たちは前進しなければなりません。

第二次七年路程が終わる時には、国家基準を越えなければならず、第三次七年路程を越える時には、世界基準を越えなければなりません。

第三次七年路程が終わるのは一九八一年です。その時までには、世界基準を越えなければなりません。これは、原理の軌道を蕩減復帰するに当たって、横的に過ぎ去った歴史を再現しなければならないからです。

2 第一次七年路程を通して、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を成就することにより、イエス様が果たせなかった父母の役割を果たせる責任基準を立てておきました。その次には、真の父母として責任を果たした勝利の基盤に従って、子女たちもその国を探して立てられる時まで、これを内外で一つにしなければなりません。そのようにしてこそ、イエス様がこの地上で生きて成就すべきであった本来のみ旨を完結するというのです。

真の父母が勝利した基盤に従って、子女たちがその基盤を再び国家基準を越えられるところまで築いていくのが第二次七年路程です。ですから、一九六八年から七年の期間は、国であれば国の全体分野まで、イエス様当時のユダヤ教が反対し、イスラエルの国が反対した基準を越える期間に該当します。

3 一九六八年からは、家庭的な十字架を背負っていく時です。六千年の歴史は、個人的に十字架を背負ってきました。しかし、家庭的に十字架を背負っていくべき期間が残っているというのです。

今までその十字架を、誰も背負おうとしませんでした。イエス様も、民族と国家に代わる十字架を背負い、家庭を築いて、世界に向かって進まなければなりませんでした。しかし、民族と国家の十字架を背負って亡くなられたので、再蕩減しなければならないのです。それによって、個人的な十字架の道、家庭的な十字架の道が残るようになりました。このように、六千年の歴史が険しい峠の道を経てきたので、両面的な蕩減をしていかなければなりません。

これをするために、お父様は一九六〇年まで、個人的な十字架の道を歩んできたのです。この十四年路程は、ヤコブが歩んだ十四年路程と同じ期間です。その期間を越えてこそ、家庭を築いて、その家庭の四位基台を中心として地上に定着し、伸びていけるのです。

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第五節   『聖歌』の発刊聖歌の起源と意味聖歌には、真の父母様の苦難と勝利の歴史が余すことなく含まれている。特に、真の父母様は、瞑想と深い祈りを通して多くの聖歌を作られ、神様に賛美と栄光をお返しして、食口たちが歌うことができるようにされた。真のお父様は、一九四六年八月十一日、平壌の大同保安署で苦難に遭われ、約百日後の十一月二十一日、瀕死の状態で釈放され、一九四七年の初め、食口たちを集めて集会をされながら、「勝利者の新歌」を作られた。これが最初の聖歌であった。そして、一九五〇年十月十四日、興南監獄から出て自由の身になられ、二十数日後の十一月初め、平壌で「聖励の新歌」と「栄光の賜物」を作詞された。「聖励の新歌」(の韓国語の歌詞)には、「新」という接頭語が十三回も出てくるほど、新たな出発の決意に満ちあふれており、「栄光の賜物」には、新しい世界と新しい歴史の建設に対する感激と希望が躍動している。真のお父様は、一九五一年、釜山避難時代にボムネッコルの土塀の家で「悩める心に」を、一九五三年、水晶洞の三番目の家で「復帰の園」、「聖苑のめぐみ」を、一九五九年二月十七日、第一回全国伝道師修練会の参加者のために「朝日に輝く」を、一九六一年、全国四十日伝道に派遣された食口を激励するために「統一勇士の歌」を作詞された。特に、「悩める心に」には、釜山避難時代にサタンの勢力から挑戦を受け、追われる生活の姿と、罪人の立場を抜け出して救いの道に向かう聖徒たちの心情が、とても切実に表現されている。「復帰の園」にも、釜山の水晶洞(スヂョンド)教会時代、あらゆる困難の中でもあとに引くことができなかった真のお父様の、復帰路程に対する覚悟と決意が深く込められている。そして、「聖苑のめぐみ」には、神様に対して常に喜びの心をもって賛美し栄光をお返ししながら、大きな恵みに報いようという覚悟が込められている。聖歌には、食口たちが作詞した歌と、外部の歌だが、食口たちが好んで歌ってきたものがある。食口たちが作ったものとしては、「我は行く」、「苦難と生命」、「東の勇士」、「わが身の十字架」、「誓い」、「宴のとき」、「栄光の日」、「成和勇士の歌」、「我は供物」、「輝く御国」、「復帰の心情」、「成和青年歌」、「日曜学校こどもの歌」、「成し遂げよう」、「光は東より」、「すべて捧げて」、「一つに集え」、「われら統一勇士」、「新エデンの歌」、「主は来たる」「農園の歌」、「主はわがすべて」がある。そして、外部の人士たちが作った歌として聖歌に編入されたものは、「園の歌」、「召されし身」「わが仔羊」、「嘆きを吹きとばせ」、「主の道」、「捜し出された羊」、「心には願えど」、「園の春」がある。一九五六年十月四日、真のお父様と食口たちが作詞した曲を集め、『聖歌』の初版が発行された。

1   統一教会の聖歌の中で、「統一勇士の歌」の内容は、第一が心情です。一番は、「心情の因縁で世界は生き」で始まります。真理の因縁で世界が生きるのではありません。人が生きていくのは、生命の源泉である愛によってです。神様の愛によって、生きていくのです。真理は道しるべです。実体と関係を結ぶための橋と同じであり、心情を伝達するための中間形態です。「心情の因縁で世界は生き」というときの心情は、神様の心情です。

この心情は、神様が今に至るまで堕落したこの世界に対して抱いている、蕩減復帰すべき恨の心情ではなく、解怨しようとする心情です。神様の恨を解いてさしあげようとすれば、まず神様の恨とは何かを知らなければなりません。神様の恨は、御自身が真実に愛し得る個人を探し出せなかったことであり、家庭を探し出せなかったことであり、氏族、民族、国家、世界、天宙を探し出せなかったことです。

2   神様の第一の願いとは何でしょうか。神様が探し出そうとされた個体が恨の条件に引っ掛かっているので、「私によって生じたすべての恨の条件を、私が解きますので、受け取ってください」と言い得る個体としての解怨が成就されなければなりません。そうして、家庭か解怨成就され氏族、民族、国家、世界が解怨成就されることが、神様の願いです。

しかし、一つに結んでくださった神様の心情に通じなければ、絶対に一つになれません。人間の権力ではできません。神様の心情から見るとき、世界は一つです。「一つに結ばる本然の縁」が、本来の私たちの関係です。堕落したこの世界の関係は、私たちの関係ではありません。一つに結んでくださったこの心情が、本来の関係なのです。

その次に、「永遠に授受するわれらの故郷」です。本然の縁によって一つに結ばれることにより、永遠に与え合うようになります。本然の心情を中心として永遠に与え合う、そこにおいて初めて、私たちの本郷が広がるのです。その次に、初めて「幸福」という言葉が出てきます。

3   復帰の心情をもって進む民族は、韓民族です。全世界に光を照らしてあげるので、全世界がその光の中で兄弟になり、願われた善の父母に永遠に侍るのです。そうして、必ずや一つの世界を成し遂げるようになります。「統一勇士の歌」の一番は、心情です。心情の因縁によって、永遠に与え合う私たちの本郷は、すべての人間が暮らす所です。本郷が良いというのは、父母と家族がみないるからです。ここで重要なのは心情です。すべての幸福の道を築いておいた所が、私たちの本郷、幸福の基地です。

二番は、人格です。無限の(愛の)人格によって光を放つ人でなければならないのですが、堕落した人間は、これを失ってしまいました。人格によって光を放つのは、無限だというのです。無限の(愛の)人格によって光を放ち、造られた万物の栄光の灯台にならなければなりません。そうして、生命が湧き立つ本然の姿にならなければなりません。これが、人間の価値の主体になるのです。ですから、それ自体が永遠に、万世に希望の価値として花を咲かせるのです。永遠の万世に希望の価値をもった存在として、全宇宙に花を咲かせる人になるのです。

三番は、真理の世界です。「秩序の基に真実を立て」の「秩序」とは、真理の世界を意味します。真理による秩序の基の上に、「真実」を立てなければなりません。それは、人類が必要とする「真実」を立てるためです。「真実」とは、永遠を約束するものです。永遠を約束する不変の値値、高く立てられる真理の標柱です。このような標柱をもった人は、変わらない価値をもった人です。揚々たる善なる日を美しく飾るのです。永遠に伸びていく善なる一日一日を美しく飾るというのです。

四番は、「東方に明ける輝く文化、全ての民は同胞と、願いし善き父母永遠に侍り、誓いて成さん一つの世界」です。このように見るとき、心情によって人格をつくりあげるのですが、人格をつくりあげようとすれば真理がなければならないということです。その次に、一つの世界に栄光が臨むようになるのです。皆さんはそのような栄光を得るために、これから進まなければなりません。

4   「勝利者の新歌」は、私が作ったものです。この歌の四番に、「創りし主のみ旨」が出てきます。このみ旨を出発しながらつくった昔の歴史が、きょう、花を咲かせた現場、新しい天国の名前を代表する天一国の広場を前に、最初の年、最初の朝の集まりでこの歌詞を聞きながら、本当に感慨深かったのです。その夢は、偽物の夢ではなく(神様の夢であり)、神様の代わりに(私が)夢見たものだったので、間違いなく成し遂げられるというのです。

5   「栄光の賜物」というときは、栄光の言葉よりも、苦労した話が先に出てきます。苦労が、すべてのものを支える土台になっていることを知っているからです。地上世界と天上世界が一つになるようにしようとしたので、「迎えん」という言葉を繰り返しました。そのように生きた人は、涙なくして向き合うことができません。

監獄から出てきて作ったのです。東方に寂しく来て、西方に行けば、福が来ると思ったのですが、反対を受けました。願いに願ったあらゆることをすべてしてみました。すべて、徒労だというのです。私一人で行かなければなりません。アメリカと国連までも救う道を行かなければならないと思い、今、ここに入ってきて、忙しくそのことを清算するのです。

6   興南監獄から出てきて、平壌で食口たちを収拾するとき、私が精誠を尽くしながら作った歌が、「栄光の賜物」です。その歌を聞けば、その時の状況がどのようなもので、お父様の立場がどのようなものであるかが、よく描かれています。

そのような過程を経てみてこそ、その歌が自分の歌になるのです。そのように生きなければなりません。他人の歌ではありません。「私」の歌であると同時に、私の家庭の歌であり、私の家庭の歌以上に私の一族の歌であり、私の国の歌であり、私の世界の歌だというのです。

そのような過程を経てこそ、永遠のあの国(霊界)に行き、父母様に侍って一緒に喜び、幸福を享受できる解放された王子、王女になることができます。皆さんは、そのような過程を経なければなりません。

7   「園の歌」を歌いながら酔いしれ、涙を流し、「壁も私の友達だ」と言いながら暮らした頃が懐かしいときが多くあります。この「園の歌」とは、夫と妻の夫婦で暮らすその園、そのような環境のことです。そのように生きなければなりません。お互いが主になり、主の相対になって、すべてが喜び得る花が咲いたので、香りが漂わなければならず、蝶と蜂が和動しなければなりません。千種類のものが和合し、和動しなければならないというのです。町内に住みながら、関心を残せる夫婦になれなければ、その町内で負債を負うのです。

統一教会員は、「園の歌」の歌声が聞こえれば、いくら遠くにいても、みな喜びます。その歌声がする所に行ってみたくなるのです。そこに行って一緒に歌えば、良かったり悪かったりという喜怒哀楽が同伴するようになります。言葉というのは有り難いものであり、言葉の中でもさらに有り難いものが、歌です。

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第四節   『原理解説』と『原理講論』の発刊『原理解説』と『原理講論』『原理解説』の執筆作業は、『原理原本』を基礎として、劉孝元協会長により一九五五年五月から進められた。一九五七年に入ってから真のお父様の監修を受けた原稿が、毎月「成和」に掲載され、最終校正作業を経て、八月十五日、『原理解説』という名で発刊された。この日、真のお父様が直接署名された二百十二冊が、地方伝道地に発送された。一九六六年五月一日には、『原理解説』をより体系化し、講義しやすくした『原理講論』が発刊された。

1   解放後、七年目に私がすべき召命的責任を果たすため、教本、教材である『原理原本』を作りました。『原理解説』を発表したのが一九五七年であり、『原理講論』は一九六六年に出ました。一九五七年と一九六六年には九年の差がありますが、九年間に、お父様は原理のすべてを準備して進み出たのです。

2   『原理原本』を中心として『原理解説』を出版しました。何ももたずに教育することはできないので、本が必要だったのです。小学校さえ卒業すれば、誰でも本をもって教育できるので、伝道の一線に出ていきました。十五歳以前に伝道に出た人もいます。エバは十六歳の時に堕落しました。ですから、純真な心情が燃える時に伝道を始めたのです。そのような歴史は、統一教会しかありません。中学生の時から伝道に出たのです。

3   統一教会の責任者たちが伝道に出ていく時は、二人ずつ送り出しながら、旅費も持たせず、手ぶらで出発させたこともありました。そのまま行って、起草しておいた『原理原本』を中心として伝道をしたのです。その時は、『原理原本』を書き写しなさいと配ってあげたのですが、それを書き写した人たちがいます。

金元弼は、私の書いた『原理原本』を直接書き写して、自分で勉強し、「ああ、神様はこうだ」とおおよそ分かっていました。そのような立場で『原理解説』が出たので、本格的な教育を行いました。一週間あれば十分です。これは、読むことさえできれは教育できます。『原理解説』の骨子だけを選んで覚え、教育するのです。

4   お父様に会うこともなく、従った最初の人が劉孝元協会長でした。彼は『原理原本』を読んで、お父様に従っていこうと決心したのです。彼は手紙を書きました。劉協会長は、お父様よりも六歳年上でした。洗礼ヨハネはイエス様よりも六ヵ月年上でした。ですから、劉協会長は洗礼ヨハネの立場です。彼は、洗礼ヨハネの立場で原理を解説しなければなりませんでした。劉協会長が原理の本を書く時、彼に、「このように、またはあのように書きなさい」と指示したのです。

5   お父様は、釜山避難時代の一九五一年に、『原理原本』を書き始めました。詩のように書いたのです。それは、誰もが理解できるわけではありません。私が説明をしてあげて、初めて分かるようになっています。『原理原本』を誰にでも分かるように解説しておいたのが『原理解説』です。

6   『原理講論』を書くとき、すべて文章を鑑定し、間違っていれば直させました。ですから、『原理講論』は、お父様と霊的に連結されているのです。電球は、発電所と送電所、配電所を経た電気がソケットを通して連結されることによって、光を発するようになります。見境なく引っ張ってきても駄目です。

ですから、これから歴史が過ぎれば過ぎるほど、お父様のほかに、誰でも本が書けるというわけにはいかなくなるのです。私の語ったことが、いつでも問題になります。私がどのように語ったのかが問題になるのであって、他の人が語ったことは問題にならないというのです。他の人たちが語ったことは霊的に連結されません。

7   『原理解説』の次に出てきたのが『原理講論』です。『原理解説』を通して学んだ人が『原理講論』まで教えるので、その水準は大学以上です。国が歩み得るあらゆることが『原理講論』の中に入っています。『原理講論』に、政治問題、経済問題、社会問題、歴史問題に関する内容がすべて出てきます。『原理講論』に精通しさえすれば、世界のどんな国の大学教授にもなることができ、大学教授をも教育して余りある実力者になるというのです。

「統一原理」と『原理講論』『原理講論』は、真の父母様が明らかにされた「統一原理」を体系化し、講義しやすいように整理したものであり、創造と堕落、復帰など、神様の摂理史全般を解き明かした根本真理を収めている。真の父母様は、一九六〇年代の初めから、変化、発展する時代相に合うよう、「統一原理」の叙述方法と内容の伝達において、より平易で論理化された体系が必要であることを感じ、劉孝元協会長に執筆を指示された。劉協会長は、「統一原理」を宣布された真のお父様の代筆使命者として、『原理講論』の原稿の一つの行、一つの単語の中に、真の父母様の心情と真理を、より完全に込めるため、徹頭徹尾、渾身の力を注いだ。

8   「統一原理」としてこれまで発表した内容の中で、新たに(検討を)試みるものが部分的にあります。しかし、最初から最後まで、啓示の基本的な内容は少しも変更されません。例えば、「創造原理」、「堕落論」、「メシヤの降臨とその再臨の目的」などで見られる中心思想は、決して変わらないでしょう。「統一原理」は、それに対して協議をして変えたり、人々が好まないからといって変わったりするものではありません。そのようなことは決してあり得ないというのです。

9   「統一原理」は、一つの哲学でもなく、学説でもなく、言葉それ自体のように「神様の原理」です。これは神様の不変の真理です。一度その真理が明らかになれば、その原理どおりに生きなければならず、その原理のもとで行動しなければなりません。少なくとも、その原理の成就のための基台が造成されなければならないというのです。そうすれば、サタンが侵犯できません。

ある一人の人が真理と完全に一体になったときには、サタンが彼を神様から引き離して連れていくことができません。例えば、神様とアダム、エバが真理を中心として完全に一つになっていたとすれば、サタンが侵犯する余地はなかったでしょう。

真理は実体化されなければなりません。真理は、生きている人間の中で存続し、完成されなければならないのです。そのようにならなければ、真理はサタンに奪われ、誤って利用され得るのです。ですから、私は、あらゆる条件が造成され、真理がある線まで実体的に具現される時までは、新しい真理を公表しません。

10  「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。それは、私自身の生活経験です。この「統一原理」は私の中にあり、私は「統一原理」の中にいます。多くの人々は、私がただ真理の発表者であり、その伝達者にすぎないと言いますが、私は真理のとおりに生きており、それを具現しました。

したがって、人々が私と私の行動を理解する唯一の方法は、「統一原理」に通じることのみです。「統一原理」を知って研究することによってのみ、私を理解することができます。原理を研究すればするほど、私をさらによく理解できるというのです。

11  お父様が発表すべきことは非常に多くありますが、もう少ししてから発表しようと思います。『原理講論』がすべてではありません。皆さんは、お父様がどこでどんなみ言を語ったかを、まず知って行動しなければならないのですが、そのようにできずにいます。『原理講論』には、お父様について明らかにされていません。『原理講論』にはイエス様までのことが入っています。イエス様を中心として語ったのです。それなのに、『原理講論』だけを重要視すれば十分であるかのように思っています。

お父様がどのようなみ言を語ったのか、心で従い、苦しみを共にして同調しながら、そして、その生活に感激し、あすの歴史創造の旗手として責任を果たせる統一教会の信徒たちにならなければなりません。このような心情が欠如すれば、発展しないのです。

12  お父様は、数多くの学者たちが研究したものをすべて否定するわけではありません。調べてみて、事実ではないことだけを否定するのです。霊界に入り、隅々まで探してみて、(「統一原理」が)事実だということが分かったので、悪口を言われながら、その内容をもって世界と向き合ってきました。

ですから、統一教会のみ言は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。真理が、「そうだろう」という話がどこにあるでしょうか。物理や化学の公式では「そうだろう」という言葉はありませんが、真理も同じです。実証的で科学的、論理的な結果が出なければなりません。「統一原理」は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。

私たちが語る心情というものも、漠然としたものではなく、具体的です。私たちが語る人格も、漠然としたものではなく、具体的な人格です。み言も、漠然としたみ言ではなく、具体的なみ言です。この具体的な心情と人格とみ言は、普遍的な妥当性をもってこの現実世界に符合し、この現実世界において永遠の位置を決定して、現実世界のすべてのものを統合し得る内容でなければなりません。

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16  今後、大学原理研究会を核心的な活動体制にしようと思います。ですから、彼らの中で決意が徹底している人々を地域要員として配置し、活動させようと思うのです。このように活動を強化しておけば、これから短期間のうちに私たちの教会が発展し、原理研究会も大きく発展するだろうと思います。今後、そのような面で推し進めていこうと考えているので、皆さんは全般的な内容を知って、新しい分野で決意しなければなりません。

そして、原理研究会を世界的に組織し、国際大会をたくさん開催しなければなりません。韓国だけでなく、日本やアメリカなど、多くの国で開催しなければなりません。今後、原理研究会の重要なメンバーたちを各国の核心要員として活動させるために、超国家的な要員として養成しようと思います。

17  お父様に対して気に掛けつつ、今まで甲論乙駁しながらいろいろと批判していた人々が、「科学の統一に関する国際会議」に参加し、私たちのことを宣伝する状況にまでなりました。大学で理論的な人、哲学を研究するとか、宗教や思想を研究する人が何人かだけ私たちのことを宣伝するようになれば、自然科学や社会科学を研究する人々は、そのまま付いてくるようになります。

ですから、その教授たちが私たちの教会に対してある程度関心をもつようになれば、大学原理研究会の活動を何としてでも急進的に展開して、彼らをここに連結させることを考えています。原理研究会の機動隊をつくって出動(伝道)させたのも、彼らを連結させるためでした。

そのため、アメリカの各州の代表たちと各都市の責任者たちは、今まで「科学の統一に関する国際会議」を通して連結されているすべての教授たちを自分の祖父や父、叔父のように思い、積極的につき合いなさいというのです。そうして、その人々を中心として一般の学生たちを推薦してもらい、外的な原理研究会の形態をつくることもできるのです。

18  大学原理研究会の正会員は、大学に旋風を起こさなければなりません。勉強をすべき青春の男女たちのその元気旺盛な熱気をすべて発散させて、天理原則の価値ある愛の深い谷間を掘り下げていかなければなりません。そうして、世界に伸びていける道を築かなければならないのです。

天のみ意は、共産勢力と教会の没落、青少年の淪落を心配しています。淪落の道に陥る青年男女をつかみ、信仰が破綻していくキリスト教をつかまなければなりません。そして、キリスト教思想が壊れ崩れる、そこに乗じて入ってくる共産勢力の侵入を防がなければなりません。

19  大学において活動する大学原理研究会に対して、大きな期待をもっています。教会復興活動や勝共活動を、原理研究会に結びつけなければなりません。原理研究会が、超教派運動よりも、YMCAやYWCAのような団体とどのように連合し、大学で活動するかというのです。また、復興会活動を通して大学生たちが伝道されれば、私たちがその人々とどのように連帯関係を結ぶかという問題を中心として、原理研究会の活動に集中しようと思います。

今後、原理研究会の活動は、大学内の活動だけで終わってはいけません。大学生であれば、中学、高等学校を卒業したので、必ず母校があります。そして、現在自分が在籍している学校があります。学校には自分個人だけがいるのではなく、学校の同僚たちと友人がいて、自分の専攻学科を中心としては同期たちがいます。このような同窓や友人、同期たちと私的に接することができる活動体制を強化していかなければなりません。

20  大韓民国の政府当局が、私たちの活動に対して「勝共」という名称を認定したのは、ヤコブがヤボク川のほとりで天使と競って勝つことによって、イスラエルという名前を得たのと似たような事例です。このような点から見て、み旨を成就できる勝利の立て札は、既に立てられたと考えます。今や縦的な勝利の基準はできたので、これを基盤として横的にも勝利すべき組織が必要です。キリスト教だけではできません。世界を統一の理念で復帰しなければならないのです。このためには、学問的で思想的な土台を中心に行わなければなりません。このような一連の活動を具体的に調べてみれば、思想を中心に学界と関連づけて展開しているのが勝共運動であり、教会を中心に展開しているのが対外伝道活動であり、学生を中心に展開しているのが大学原理研究会の運動です。

21  大学内で、共産思想をもった赤色分子たちが浸透する路線を、勝共活動をして事前に封鎖しようというのです。このような点で、大学原理研究会のすべき仕事が、どれほど重要なことかを知らなければなりません。

「統一原理」の最後の勝敗は、世界的な学界によって決定されます。それゆえ、「統一原理」を世界に提示するためには、まず国内の各大学の宗教学科や哲学科の権威ある教授たちに「統一原理」を紹介しなければなりません。そうして、この教授たちが「統一原理」を世界の学界に提示し、世界化できるようにしなければなりません。

そのようになる前に、私たちは、対内的、対外的に基盤を築いておこうというのです。

22  共産党は、労働者と農民、あるいは労働組合を中心として活動しています。また、大学を中心として、教授と学生たちを操っています。これが今まで、共産党が世界を侵食してきた一つの方便です。

大学で教授と学生を団結させて、労働者と農民を扇動し、大衆デモを中心として混乱を起こしてくるのですが、それを防ぐために、大学原理研究会は必ず教授たちを収拾しなければなりません。そのような意味で、随分前から「世界平和教授アカデミー」を立てて活動してきたのです。この「世界平和教授アカデミー」と原理研究会が一つになって進まなければなりません。

23  日本とアメリカの大学原理研究会は、共産勢力と第一線で闘っています。韓国では、地下活動をする共産主義者たちと闘うことはできますが、彼らが誰か分かりません。文書を通して活動できる環境条件だけそろっているのであって、直接、白昼に生死を懸けた対決をする立場には出ていくことができていないというのです。しかし、日本では白昼に出ていって、生死を懸けて対決する闘いにおいて、私たちが勝利の立て札を立てました。

そして、アメリカでは、一九七九年から原理研究会がこのことを展開し、一九八〇年の末には、既にアメリカ全域で大学を席巻していた共産主義一色のすべての風潮を食い止めました。日本で勝利したのと同じ結果をもたらしたというのです。数百人の共産党系列の学生たちがデモを行う所に、原理研究会の会員五人が行って収拾した事例もあります。ですから、アメリカの大学の共産勢力は、「原理研究会の学生たちに会ってはいけない」と言っているのです。日本で行ったのと同じ結果が、アメリカの原理研究会でも起きているというのです。

24  日本では、YMCAやYWCAのようなキリスト教団体の活動は微弱です。私たちがそれに代わる組織をつくり、教育していきながら活動をしようとしたので、時間がかかりました。学校の当局も反対し、教師たちも反対する中でこのことをしているというのは、どれほど胸の詰まることかというのです。共産党の言葉にすべて乗せられたのです。それがどれほど悲惨だったかを、私の目で見て、報道でも見ました。皆さんはそのようなあきれ返る事情が多かったことを知らないでしょう。

お父様は日本のために闘いました。日本の中心大学から闘っていったのです。政治的な面で影響圏をつくり、社会分野で共産党の基地を討伐しなければなりません。ですから、日本共産党がお父様をどれほど恐れているか分かりません。「統一教会が存在せず、原理研究会さえ存在しなければ、日本は間違いなく共産化され、赤化されるはずなのに、統一教会のせいで大変なことになった」と言っています。そのような準備をしてきました。

25  アメリカの若者たちの心に火をつけなければなりません。大学原理研究会の活動を中心として大学を正常化させ、家庭を訪ねていって、家庭教会を中心として伝道しなさいと命令したのです。アメリカの家庭の若者も、私たちのような若者にしなければならず、大学では私たちの青年のような青年にしなければなりません。そうして、アメリカが反対せず、お父様を支持する環境になっていけば、その次は共産勢力をつかむのです。

お父様が今まで韓国で勝共活動をしたその伝統を日本に伝授し、アメリカに伝授し、ソ連にまで伝授しなければなりません。大学では原理研究会がどんな活動をしなければならず、現在の家庭教会活動はアメリカでどんな伝統を残さなければならないかを知らなければなりません。そうして、私たちは、共産主義の問題と青少年の淪落問題を解決しなければなりません。皆さんが原理と徹底した家庭的基盤を中心として、彼らを教育しなければならないのです。

26  皆さんは、天意に従う若者たちにならなければなりません。そこには異議がありません。お父様が歩んだのと同じように、黙って自分の行くべき道を決意しながら、進まなければなりません。皆さんを通してそのような雰囲気が大学に拡大し、一つの風潮になるとすれば、大韓民国の大学において新しい希望の灯台となるでしょう。

日本の大学原理研究会は、韓国の大学原理研究会よりも先を行っています。今や、アメリカの大学原理研究会が動いています。ドイツのベルリンに原理研究会の若い青年たちを集め、ベルリンの壁の問題を提起させるでしょう。数多くの若者たちを集めて、ベルリンの壁を私の手で崩そうというのです。皆さんにそのようにする勇気がないとすれば、大韓民国を守護する若者にもなれず、世界を守護する統一家の原理研究会会員にもなることはできません。私たちは、その目標に向かって、強く雄々しく前進しなければなりません。

27  私たちが大学の学生たちと教授たちを動かせなくなれば大韓民国は生きる道がありません。西ヨーロッパの国々もすべてそのようになっています。

ベルリンで共産勢力が反対し、市民たちが反対する中、大学原理研究会の世界大会を行うのです。第一次、第二次、第三次の大会を終わらせ、今回、ベルリンの壁を撃破するでしょう。大学生を中心に問題を起こし、共産勢力を追い出す運動をするのです。それは、ただ座っていてできることではありません。それは考えられません。誰かが血と汗を流さなければならないのです。銃弾を浴び、血を流しながらも、しなければならないのです。そのようにしなければ、南北を統一することはできません。

28  大学で左翼系列の人々を連れてきて、教育しなければなりません。現在、世界的に見れば、共産主義体制はなくなりましたが、民主主義体制も瓦解状態に入ってきています。かえって、共産主義という反対勢力がここに反作用を起こし得る動機となり、自体内において自覚をもたせる活性剤の役割を果たしました。共産主義が崩れることによって、民主世界が思いどおりにできるという考えは、誤った考えです。かえって、共産主義がなくなったあとに、民主世界の崩壊状態はより一層進むでしょう。

左翼系列も混乱状態に入っており、民主世界も混乱状態に入っているので、それこそ、両面の教育をすべき時が来ます。

それでは、教授たちにそのようなことを教育するだけの実力があるかといえば、そうではありません。学校でも、それに対する対策を立てて防げる内容がないというのです。そのような防御的な教育を私たちが提案しなければなりません。ですから、大学原理研究会を中心とした大学活動を衰退させてはいけない時だと見るのです。

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11  清平修練所の前にある湖を「天心湖(チョンシムホ)」と名づけました。そして、前の山は「仙人峰(ソニンボン)」と名づけ、それから「天成山」の右にある山を「天善山」と名づけました。修練所のすぐ前にある山の名前を、お父様が頂上に登っていって「仙人峰」と命名したのです。

そして、ここの修練所の右に、「天聖山」に向かってずっと伸びて上がっている所を「天引台(チョニンデ)」と名づけました。今後、私たちの修練所の本館を造る場所です。そこは精誠の度数が満ちていて、外国から訪ねてくる特別な人々以外は絶対に入れません。聖域地帯をつくって王宮のようにするのです。あの山の下には、一万五千坪ほどの平地を造れる所があります。そこから道を造ろうとしているので、神様が導かれるという意味で、「天引台」と名づけたのです。このように、すべてその名前を解き明かせば、理想の園が現れるようになっています。

12  世界の人々のために尽くすことができる場所がなければなりません。そこが清平です。この清平の地に国際修練場を造るのです。今後、そこには何を造るのでしょうか。私たちの宣教部がある各国のブロック、つまり日本であれば日本ブロック、アメリカであればアメリカブロックを造ります。膨大な地域を買い、アメリカブロックであればアメリカ人たちに任せるのです。アメリカ人たちが来て修練を受けられるように、アメリカ人たちの趣向に合う村を造ります。各国の文化を総合できる環境都市、総合村落を造るのです。

そして、その中央に私たちの修練所を造るというのです。そうして、外国で苦労した人々は、必ずこの本部に来て修練を受けさせ、本部に来て修練を受けて帰ることを光栄だと思えるようにしようというのです。そのようにするためには、景色が良くなければなりません。そして、外国の人々が韓国に来て巡回するとき、印象に残る所にしなければなりません。

清平修練所の建設真の父母様は、一九七一年七月十二日、ソウルの青坡洞と京畿道九里市の水澤洞に続く、摂理史の完成的聖地として、京畿道加平郡雪岳面松山里山七五の一番地に、清平修練所を建てられた。この修練所は、建坪九十三坪、講堂七十坪で、二百人以上が寝泊まりできる木造スレートぶきの建物だった。真の父母様は、梅雨期の悪天候の中でも毎日現場を訪れ、一つ一つ監督された。修練所の最初の集会は、十二日から五日間、二十八人のキリスト教牧師が参加する中で開かれた全国牧師夏季修養会だった。

13  清平に修練所を造るとき、二ヵ月ほどかかるところを、八日で完成させました。七月一日に「土台を築きなさい」と言って、二日から建築を始めました。ですから、一週間ですべて造ったのです。清平に造った修練所は九十三坪です。修練所の講堂だけでいえば約七十坪になるので、二百人以上は寝ることができます。

そのような建物の建築を、一週間でやり遂げたのです。きょうまで入れれば、満十日になります。きょうは一九七一年七月十一日ですが、本来はきのうまでに終えようとしました。ですから、きょうを越えてはいけないというのです。このように、八日間ですべて終わらせ、その次には色を塗るのです。ペンキを塗って、約三、四日間で飾り付けをします。しかし、その飾り付けは、大げさにするようにはなっていません。なぜなら、今は避難する最中にお嫁に行くのと同じだからです。美しく装うことなくお嫁に行っても、新郎に会って幸せに暮らせばよいのです。

14  清平で修練所を造るのに、天気さえ悪くなければ計画どおりに進行したでしょう。ところが、梅雨になったので問題です。きょうか、あすくらいに作業が終わると思っているのですが、終わらなくても、あすはキリスト教の牧師たちが集結することになっています。きのうは、雨が激しく降り注いでいるのに、材料を購入してきて仕事をしなければなりませんでした。

そうかといって、電話があるわけでもないので、直接出掛けて材料を購入しなければなりませんでした。仕方なく、お父様が土砂降りの雨を浴びながら船に乗って出てきました。雨がどれほど激しく降っているのか、船に乗って出てくる姿が、あたかも逃げ出す人のようでした。後ろから機関銃で撃ってくるので、それを避けるために逃げ出してくる、そのような立場と同じでした。そのようなことが、本当にたくさんあったのです。

15  天幕を張っておき、キリスト教の牧師たちを迎えて修練をするのは、私たちの教会で初めてのことです。天気は雨が降ってじめじめしているのに、テントから出たり入ったりしなければならないので、本当に悲惨だというのです。このような立場で全般的な計画を立て、「一九七一年七月八日までに修練所を建てなさい」と言ったのです。

このような状況で、働く人々を何としてでも集めなければなりませんでした。ですから、今回、約三十人を地方に人事異動するとともに、地区長のもとにあった部長クラスのポストがなくなったので、その人々に対して、すぐに上がってきなさいと伝えました。清平で特別修練会をしながら、彼らに地面を掘るように言ったのです。

16  清平で働く人々は、今まで数十日間、地面を掘りました。そのようにしながらも、普通四時間から五時間しか眠ることができません。ですから、死にそうだというのです。きのうは、私が「負傷者は立ちなさい」と言うと、二十六人中、八人が立ちました。三分の一が負傷者でした。それで状態を見たのですが、ひどい負傷ではありませんでした。その場は、蕩減する場です。私は今回、地区を新しい編制に改編しましたが、地区で実務の責任をもっていた人々を計画的に呼んできたのです。

17  私は大工ではありませんが、何十年と家を造ってきた人がする仕事も、私がコーチをしてこそ、きちんと仕上がるのです。そのようなことを見れば、専門家というのがほかにいるのではありません。深刻な立場でその標準の価値を中心として観察するようになれば、それが合うのか合わないのかすぐに分かるのです。オンドルを敷くのも、お父様が「オンドルはこのように敷かなければならない」とコーチするのです。

ある時は、井戸を掘る人々が来て、井戸をどこに掘るベきかと尋ねたのです。大工たちが仕事を誤って私に厳しく言われ、再び取り外して作業をするのを見て、自分たちも間違ったら(厳しく)言われそうなので、私の所にやって来て尋ねるのです。ですから、「井戸は、固い土地と柔らかい土地の境目があれば、その境目が直線に伸びて折れる所を掘れば、水が出てくる」と答えると、「いつ井戸を掘る方法をみな学んだのですか」と言うのです。私が何を学んだというのでしょうか。道理がそのようになっているというのです。

今まで統一教会を指導する責任者として、すべての問題を解決してきたことが、今やすべて公式化されています。さっと見て、このようにしなければならない、ということがすぐに分かるのです。今はこうだが、結果はこのようになるだろう、ということが分かるのです。見るときは、一ヵ所だけを見るのではなく、全体を見ます。家の敷地をならすときも全体を見てならすのです。すべてがそうです。

18  清平修練所の屋根にスレートを載せるのですが、スレートを持ってくるように三日前から契約していました。ところが、その時、連絡を取る人がどこかに行ったので、工事の最終日にもスレートが到着しませんでした。大変なことになったというのです。全国牧師夏季修養会に参加するためにキリスト教の牧師たちが来るのに、その日に終わっていなければ、あらゆるものがすべて崩れるのです。

ですから、お父様が追い回しながら、「お金を出さなければスレートを渡すことはできない」と言うところを頼み込み、さらに小型の発動機船を借りて夜十一時半にようやく修練所に積んできました。それをすべて降ろすと、午前二時半頃になりました。ですから、発動機船は帰らなければならないのですが、既に夜が更け、通行禁止の時間になっていたので、その主人がここで一晩泊まることになったのです。

ところが、その人が寝て朝起きてみると、夜の間にスレートはもちろん、屋根の棟まで載っていたのです。その人は、その時、雨が降っていたので、「臨時であのように載せておいたのだろう」と考えたのですが、どうしたことか、載せられたスレートの上には、働いている人が一人も見えないのです。夜中の数時間の間に、完全にスレートを載せて屋根を覆ったのです。ですから、この家には、「お化け屋敷」という別名が付きました。

これをよく見てみれば、色を塗っておいたのでよく似合います。また、立って眺めてみると、平たいものがひれ伏して修行する形になっています。ですから、お父様は今後、この地域が世界的に有名になると考えるのです。

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第六節   清平聖地の開発と修練所の建設清平聖地の選定真の父母様は、一九六〇年代から人種と文化、宗教、国境などを超越して、世界の人々が共に集まって暮らす天一国共同体モデルを立てるため、京畿道加平郡にある清平湖一帯を中心に、多くの精誠を注がれた。特に、釣りとテント生活を通して精誠を尽くされながら清平一帯の土地を購入し、摂理の基盤とされた。真の父母様は、一九七二年七月十日、清平修練所の前の蔚業山(ウロプサン)の頂上から、この一帯二十一ヵ所の名前を新たに命名された。裏山である天聖山(チョンソンサン)は本来、長楽山(チョンナクサン)と言い、塀風(びょうぶ)の形をしている。真の父母様は、山頂から少し下った所にある平地を本殿聖地と定められた。今日の天正宮博物館が建てられた所である。周辺の山野は、修練所を中心に牡丹の花の形をしており、復帰されたエデンの園を象徴している。

1   お父様は、韓国全土の山河をすべて回ってみました。一九六〇年代に皆さんを全国各地に配置して、全国の名山をすべて踏査してみたのです。統一教会の錨をどこに下ろすか、この基盤をどこに築くかを念頭に置いて、踏査しました。良い場所は、必ず湖を挟んでいなければなりません。しかし、東海岸はソウルからあまりにも遠いのです。西海岸は都市が集中していて、干満差が非常に激しく、海水が引けば干潟になり、また泥水なので良くありません。ソウルから(車で)三十分くらいの場所を探し求めたところ、雪岳面の松山里(ソンサルリ)を選ぶことになりました。その地域は本当に素晴らしいのです。私が清平地域で最も良い場所に定着したのです。

2   お父様がここ清平に来てみると、良い場所でした。ですから、ここに定着して祈り始めました。私が一生の間、精誠を捧げて祈る道をつくり始めたのです。どんなグループでも、最高のグループは、精誠の基盤の上に立てられています。このようにして、独りで蔚業山の頂上に登って祈ったのが、ついきのうのことのようです。私は、一握りの基盤しかない人ですが、決心したことで、今までできなかったことはありませんでした。一度やると言ったことは、必ず成し遂げてみせるのです。

3   お金は、国家的、世界的で、天的な内容を中心として使わなければなりません。そのように考えるので、父母様は清平に土地を買っているのです。そこに土地を買うのは、世界のためです。世界のために働ける基盤を築いておくために、清平に土地を買うというのです。今や民族時代を過ぎ、漸進的な世界時代の前に立ったので、この時代のための国際的な教育機関を造らなければなりません。ですから、堂々としているのです。そのためには、いくらお金を使っても良心の呵責を受けません。

4   清平の地は、世界の祖国の地、全人類の心情的故郷の地にならなければなりません。天地が仰ぎ得る勝利的創造理想を完成させ、天地が連結されて神様の心情を解怨成就できる地になるだけでなく、世界の故郷の地になり得る神聖な土地になることを祈ってきたのですが、これが本格的に出発できる時点に達しました。ですから、この周辺の八百万坪の土地を買ったのです。

山とこの周辺の土地は、私たちの未来の故郷のための地です。すべての信仰者の故郷になり得る基地になっています。今、世界百八十五ヵ国に私たちの基地がありますが、父母様の願いは、ここをその百八十五ヵ国のあらゆる歴史的伝統を展示できる歴史的な基地にすることです。それだけでなく、この基地で各国の文化を背景にした伝統を新たなものにすることができ、天との関係をどのように結ぶかを教える修練所、教育場所を用意するのです。そのようにするために準備した土地として祈っていたことが、そのまま歴史的な事実として連結され得るようになりました。このような世界版図を統一教会がもったことは、驚くべき勝利の結果であると考えているのです。

5   お父様は、よく清平に行きます。待っている人がいるから行くのではありません。誰もいないのです。私が昔、この道を築きながら苦労したその場所が慕わしく、山野が慕わしく、聞こえてきた風の音と鳥の声が慕わしくて行くのです。その流れいく自然の摂理を通して、天の感動的な世界に接触したその気分が慕わしくて行くのです。その慕わしさは、死ぬまで誰も抜き取っていくことはできません。

困難な立場で、おなかをすかせた立場で耐え、瞑想をしながら天と共に絆を結んだ、その時間が慕わしいというのです。吹いてくる風の流れを感じるとき、それが過去の認識を現実の生活圏内において促してくれるからです。過去に感じたそれが刺激的な動機になったとすれば、現実では生活的な動機として顕現し得る立場になるので、それを好むのです。

6   父母様は、清平の地形が良いことを知り、土地を買い始めました。清平湖を中心として、私たちの修練所を造る場所を準備したのです。今、修練所があるその場所は、本来、家を建てられる敷地が全くありませんでした。そこには墓が一つと、桑の木が十五本くらいしかありませんでした。清平全体の山野を回りながら見てみると、そこが中央地帯でした。ですから、仕方なくそこにテントを張り、土地を買い始め、修練所を建てたのです。

今まで土地をたくさん買ったのは、今後、ここを国際修練所、世界の若者たちが来て修練を受けられる世界本部のような所にしようという計画があったからです。ここにあるそれぞれの谷間を、アメリカ村、イギリス村、ドイツ村などに定めるのです。そのようにしておけば、世界の人々がここを誇り、仰ぎ見る、一つの観光地にもなるだろうと考えます。

7   清平は、すべてのものが完全に定着して、新しい出発ができる所です。その名称もそうです。清平の「清」は清いことを意味し、「平」は平らなことを意味します。すなわち、清平は清く平らなことを意味するのです。ですから、すべての整地作業ができているので、設計して柱さえ立てればよいのです。いつでも出発できるというのです。

8   清平修練所の前を右に渡っていけば、平らな土地に私たちの別荘があります。その別荘は「天留荘(チョニュヂャン)」というのですが、その裏に行って見れば、本当に絶妙な所です。この地域全体が牡丹の花のようになっているのです。

平壌に牡丹峰(モランボン)があるでしょう。その牡丹峰はなぜ有名なのでしょうか。牡丹の花を見ると、花びらにぐるりと囲まれたその真ん中に、黄色(の雄しベと雌しベ)が調和をつくり出すようにして存在しています。それは、種を産む所だからです。平壌の牡丹峰は、そのような地形なので有名なのです。

それと同じように、この地域は、天聖山を中心としてそのようになっています。この山を越えると、全く風情がなく、登って見てみれば、好き勝手になっています。しかし、天聖山を塀風として、前に連結されているすべての山野が、牡丹の花びらのようになっているのです。

9   清平修練所の前庭から眺めると、川の水が流れているのを感じることができません。川の水がどこから流れてきて、どこに行くのか分からないのです。川の水が入ってくる道も分からず、出ていく道も分からず、湖のように思えるほどです。そして、この修練所から見下ろせば、それこそ絶景です。ここは、湖畔と山野が調和した美しい場所として、世界に誇る価値があります。このような景色の良い所に来て修練をしてこそ、修練生たちが山を眺めても、庭を眺めても、高尚な考えをもつようになるのです。夕暮れの山頂、一番高い峰に沈んでいく太陽や、明け方、高い峰に昇る太陽、その中を飛んでいる鳥、その中で働く人々の風景など、このようなすべてが調和するようになるとき、思わず見とれて夢想圏内に入っていきます。空想したり、夢を描いたりもするというのです。これによって、若い人々の気迫が大きく上昇します。

ですから、未来において一度、この水に乗って大西洋を渡り、あの山を越えてヒマラヤ山脈とインドを通過するなど、このようにいくらでも連想できるあらゆる材料になるのです。人々が景色の良い所を好むのは、新しいアイデア、新しい夢を描けるからです。飛んでいく鶴が一幅の絵のように調和したり、青い湖に小舟が一艘浮かんでいたりしても、詩を詠むようになります。また、うれしくなれば思わず立ち上がり、拍子を合わせて踊りも踊るのです。そのようにできる環境的条件を備えた所が清平修練所です。

10  清平修練所一帯を見れば、本当に形が整っています。この修練所の裏山全体を「天勝台(チョンスンデ)」と名づけました。そして、裏山は本来、「長楽山」というのですが、私が「天聖山」と名づけました。「天聖山」をはじめ、三つの峰があるのですが、その真ん中の峰は「聖」の字を書いて「天聖山」、右側の峰は「成」の字を書いて「天成山」、左側の峰は「城」の字を書いて「天城山」としました。

三つの「チョンソン山」は、それぞれ「神聖」を表し、「完成」を表し、「保護」を表すのです。この三つの「ソン山」を定めるとき、一里以内にこの山よりも高い山があってはいけないと考えました。さらに高い山がある山脈が、その山並みを伸ばして長楽山を経ていくようになっていてはいけないというのです。それで、お父様が登ってみると、長楽山が高々と直線になっていたというのです。それこそ、本当に形が整っていて、塀風のようになっていました。

そして、ここの水は、一日に何百回と、いつでも変化します。これは造化を意味します。造化というのは、希望を意味し、無限を意味し、全体の繁栄を意味するのです。そのような点から見るとき、この清平修練所の位置は、非常に明堂(ミョンダン)(風水説でとても良いとされる敷地)だというのです。

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真の父母様の愛唱曲真の父母様は、各種の集会で自ら歌を歌われたり、食口たちを呼んで歌を歌わせたりしながら、雰囲気を盛り上げられた。「サランへ」、「オンマヤ、ヌナヤ」は、名節行事や和動会で御夫妻が一緒に歌われ、食口たちと合唱した歌である。真の父母様は、本郷を失ってしまった人類の救いを思われ、故郷を慕う歌詞が記された歌(「カゴバ」、「故郷無情」、「郷愁」)と、寒い冬に打ち勝って春に芽生える新芽のように、新しい生命と希望が躍動する春の歌(「春の乙女」、「四月の歌」など)も好んで歌われた。真のお父様は、麗水の清海ガーデンで海洋摂理を主管されながら、「舟歌」を日本の食口たちと熱唱され、日本の歌である「故郷」や「赤とんぼ」も食口たちと共に合唱された。孤独なみ旨の道を象徴する独島(竹島)に関する歌詞が記された「ホルロアリラン」と、変わることのない衷情を歌った「千年岩」も好まれた。聖和の直前には、お孫様を膝や机の上に座らせて、「翁草」を一緒に歌って楽しまれた。「大韓八景」や「祖国賛歌」などを歌い、神様の国が早く訪れることを念願された。

9   「ホルロアリラン」は、独島(竹島)に関する歌ですが、「トクト」は、「独」の字に「道」と考えることができます。台風に遭い、小さな顔(島)がどのように一晩を過ごしたかというのです。白頭山の澄んだ水と、雪嶽山の澄んだ水が東海(日本海)に(流れ)、東の方を訪ねていきます。日が昇る所を訪ねていくのです。その次に、船に乗っていくのですが、独島を訪ねていき、錨を下ろして、朝日を浴びるというのです。統一教会員たちは、この歌をみな知らなければなりません。

独島は、寂しい島ではありません。島は、エバを意味するのです。エバが道を修める「独道」です。女性たちが子女たちを抱き、この独島の歌を教えてあげなければなりません。これは、涙なくしては歌うことができません。内容が深いというのです。

10  「千年岩」の歌は、お父様にダンベリー生活を回想させる歌です。お父様は、監獄に行くからといって寂しいのではなく、離れているからといって寂しいのではありません。太陽の光は、夜も昼も、どこでも遮られることなく、明るい光の王権をいつでも維持できるというのです。ダンベリーを思いながら、この歌を歌わなければなりません。

二番は、夕方になり、夜が更けるようになることを意味します。夜更けになれは、私が息をして暮らしている所を明るくするのです。暗闇の世界に行っても、み旨の道を証しなければならず、監獄にも天国の光を照らさなければならないというのです。そのような意味で、お父様は「獄中の聖者」という言葉を残しました。

その次に、最後の部分は、世の中に羨むものはないということです。今やすべて知り、すべて体験し、すべて探し出しました。そして、「歳月が行き来する町角」では、角度を合わせなければ落ちるというのです。そのようなことを考えなければなりません。

自分勝手にしていては、脱落してしまうのです。自分が行くべき道をまっすぐ訪ねていって、天が願う理想天国を創建し、主人になりなさいということです。

11  「カゴバ」は、アリラン峠を越えて、故郷を愛し、国を愛する道を訪ねていこうという歌です。アリランの十二峠を越えていくのです。それが、統一教会が行く道と合います。復帰路程に一致するというのです。歌詞の内容が、故郷を慕いながら、本郷の地を求め、祖国光復のために行くべき復帰路程と同じなので、この歌を歌うのです。

その歌詞が問題ではなく、その歌の内容をどのように消化するかが問題です。夜には昼を慕いますが、黎明が過ぎれば、昼が訪れてきます。迫害を受けるのは、怨讐世界のあらゆるものを相続させるための神様の経綸です。ですから、迫害は悪いものではありません。

迫害を、自ら進んで探し求めていく人には、峠の向こうに平地があり、さらに大きな山を越えれば、さらに大きな平地が生じるのです。そこに湧き水が流れ、続いて小さな川ができて、さらに大きな川となって、国を東西に貫いて包容できる波として流れていくその周辺には、無限の平原、広野が生じるというのです。故郷を離れたのちに帰ってくる切実なその心情が、復帰の心情を求めていく統一教会の事情と一致するのです。

12  「広野の男」という歌があります。男であれば、すべてのことを放り投げて、荒涼とした広野を走るのもよいのです。

一度、そのように生きてみる必要があります。妻が伝道の一線に出ているときに、夫がずだ袋で食べ物を背負い、お金をもってその妻を訪ねていく気分は素晴らしいものです。道端の大きな木の下で、哀れな姿で出会い、過去の自分の過ちを悔いる心をもって、「お前、どれほど苦労しただろうか。座ろう。お前は寂しい立場で困難を克服しながら、私を背後から支えるために苦労してくれた」という場において、千年の愛の絆が結ばれるのです。

13  「輝く大韓」に出てくる「ディンドンデンドン」というのは、詩的で音楽的です。統一教会を「ディンドンデンドン教会」と言ってもよいのです。どこに行っても、高い所、低い所に拍子を合わせられる、良い内容の言葉です。

統一教会は、本当におもしろい教会です。年を取った人、若い人など、様々な人々が集まって話をすれば、通じることができ、理解することができます。塀が高くないので、和合することができるのです。友達になり、親しく縁を結べる良い所であることを、私は感じます。誰かに初めて会っても、距離が遠くなく、塀で塞がれていないことを感じられるのは、幸せな環境です。

皆さんが信仰生活をするとき、そのような面を備えて、一生の間、生きるその影響圏というのは、どのようなものでしょうか。どこに行っても影響を及ぼして生きることができ、記憶に残る指導者たちが多く生まれるでしょう。このような願いを抱いて、私もこのことを続けているのです。

14  「大韓地理歌」の内容が良いのですが、そこに愛国思想が入っています。統一教会を信じる世界の人々は、この歌詞の内容に従い、韓国に関する知識基盤を中心として、思想と伝統を受け継がなければなりません。その次に、白衣民族、倍達民族の弘益(ホンイク)理想をもって、神様のみ旨に従える民にならなければなりません。そのような思想的骨子がすべて入っているので、著者が誰か、私が調べてみたところ、牧師である私の従祖父がこの文を書いて、私の父に教えてくれたというのです。

15  統一は、私たちの精誠によって、私たちの力によって、私たちの努力によって成就しなければならないという思いをもって、「統一の歌」を力強く、一度歌ってみましょう。私たちが行くべき道は、韓国と北朝鮮を復帰することです。しかし、共産主義は世界的な体制を整えて、がむしゃらに根を張っています。ですから、共産主義を屈服させ、三千里半島から追放する時まで、私たちは茨の道を行かなければなりません。この国を早く復興させなければなりません。

私たちの家庭が内外に団結し、南北を統一して、自主的な国家を形成しなければならないのです。私たちは、世界的な怨讐サタンと対決しています。ですから、内的な復興をしなければなりません。外的な復興は、内的な復興の上で自然に存在するようになります。神様を愛し、真の父母を愛し、氏族を愛し、家庭を愛すれば、復興するのです。

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6   若者たちは、「価値あるものがない」と言って落胆するのではなく、「より価値のあるものを創造しよう」という信念をもって生活していかなければなりません。そのような生活をしていくとき、第二の希望を抱くようになり、また、その希望に向かって発展していけるのです。腐っていく木の枝のような若者たちを再創造し、環境を整理していこうという信念をもたなければなりません。

成和学生たちの中には、反対する環境を克服してきた人もいるでしょう。様々な環境を経てここまで流れてきたと思いますが、これからは、ひたすら神様の創造理念をもって、より良く、より価値のある環境を創造していこうというのです。

7   神様のみ旨に責任をもち、この時代を収拾しようとする責任者がいるとすれば、その人は、受動的な人ではなくリーダーです。統一教会も今まで、考える時代から、準備する時代と実践する時代を経てきて、ある程度までは基準が立っているので、統一教会や統一教会の食口たちは、受動的な立場ではなく、主動的な立場に立っています。

しかし、いくらそうだとしても、個人的な勝利の基盤を築かなければ、個人的なリーダーの立場に立つことはできず、ひいては家庭、氏族、民族、国家、世界的なリーダーの立場にも立つことができません。そのため、成和卒業生の皆さんは、み旨から見て今がどのような時代かを知り、そこに合わせて、まず個人的な勝利の基盤を築かなければなりません。今は氏族と民族が一気に連結され、氏族的な勝利の基盤の上で、民族を収拾しなければならない時代です。

8   成和学生の卒業証を受け取ってから離れた人たちがいるのですが、その人たちは、モーセがイスラエル民族を率いてカナンに行く途中、荒野で不平不満を言い、「行けない」と言って反対してモーセを追い出そうとした群れと同じです。皆さんは、自分が考える内的な世界において、心を中心として闘い、勝利の基盤を築かなければなりません。そして、その場で誓って、たゆまず準備し、善なる自分にならなければなりません。そうして、最後の実践舞台である世界舞台において立派に闘い、勝利することによって、最高の栄光の場に参加できなければなりません。

9   歴史の主人は、不平を言い、腹を立てる人々の中にはいません。不平を言い、腹を立ててばかりいる人は、神様も嫌い、友達も嫌い、父母や兄も嫌います。不平を言う人を好む人はいません。かえって、不平の思いを変化させて感謝し、あすの希望にあふれ、望みに燃えて、国と世界のために「私」が生まれたという思いをもたなければなりません。

自分がもっているものを分け与えたいという思い、自分が着ているものを与えたいという思い、自分が食べているものを分け与えたいという思い、自分はいくら粟飯を食べ、粗末なお粥を食べても、他の人にもっと与えたいという思いがなければなりません。

このような心をもって、他の人のために与えることができない立場で悲しみを感じながら祈り、それを考える人がいるとすれば、その人はその国の主人です。それゆえ、勉強するのも自分のためにするのではなく、生まれたのも自分だけのために生まれたのではないというのです。世界のために、歴史のために生まれたのです。

10  私たちは、狭い心を広げなければなりません。広げて、さらに広げなければなりません。神様を解放し、イエス様と聖霊を解放し、霊界にいるあらゆる千々万の聖徒を解放して、南北統一を私たちの手で成就しなければならないのです。

左右に分かれて混乱したこの世界の方向を定め、統一の地上天国に変革しなければならない使命が、青少年の皆さんの双肩に掛かっています。そのような私として寝床に入り、そのような私として朝起きるとき背負わされた重責が自分を押さえつけているのが分かるので、敗者や愚か者になって倒れるのではなく、これを貫いて上がっていき、輝く価値を「私」によってプラスさせ、神様と子孫に渡してみせるという決意に徹しなければなりません。これが、この時代における統一教会の青少年たちの使命です。

11  若者は、どんな環境でも勝利しようとします。敗者になることは、絶対に嫌います。皆さんは若者として、天の側に立ち、大韓民国を発展させなければなりません。ですから、社会の各分野で歴史的な業績を残さなければならず、それらの分野を新しく変えなければなりません。皆さんは、そのようにすべき立場にあります。皆さんは全員、青年たちです。

今、世の中の大部分の青年たち、特に大学生たちは、自分自身を中心として、自分の国でどのように出世をするか、または自分の幸福な人生をどのように築くかという問題をめぐって苦心しています。しかし、統一教会の若者たちは、そうであってはいけません。

自分自身だけの幸福を考えるより、さらに次元の高い倫理観に立脚し、民族のために、世界のために考えなければなりません。そのように次元が高く、広い視野の幸福観をもたなければならず、その幸福観を実践できなければなりません。皆さんは、このような中心的な使命意識をもたなければならないのです。

韓国の「全国大学原理研究会」真の父母様は、一九六六年一月九日、第二回大学生および青年特別修練会において、「今後、大学に大きく関心をもって、行くべき道を探し出せずにさまよっている大学生たちを目覚めさせ、糾合する努力をしなさい」と語られた。そのみ言が動機となり、修練会に集まった若者が志を一つにして、大学の原理運動の旗手になることを誓い、一月十日、韓国の「全国大学原理研究会」が創立された。「全国大学原理研究会」は各大学にサークルとして登録され、「統一原理」を伝え、勝共活動を行う先頭に立った。

12  民主と共産の二つの陣営を統一するのが、私たちの使命です。それをするためには、全国の二千四百の面に、少なくとも一人ずつは配置しなければなりません。三位基台を造成して配置しようとすれば、七千人以上はいなければなりません。その人々は、大学出身者以上でなければならないのです。梨花女子大学と延世大学を中心として行おうとしたことが崩れて、方向が変わりました。それで、中高生を中心に行うようになったのです。

第一次七年路程の三年路程の期間は、この民族に、統一信徒たちと(行動を)共にしなければならないことを見せてあげるべき期間でした。

韓国は、現在の状態では共産主義の浸透を防ぐ道がありません。彼らは、中流層以下に浸透します。ですから、私たちは、地方にいる人々に原理を伝え、生活指導と啓蒙運動を続けてきました。各面の三位基台は、理念指導と生活指導と啓蒙運動に責任をもたなければなりません。

大学生たちを一年ずつ地方に送って、中等教育に責任をもたせるようにすれば、彼らは農村の事情も体得し、愛国心ももつようになるでしょう。民族のために祭物となる真の思想を大学に残しておかなければなりません。そのためには、審判者の責任を果たせる若者を立てなければなりません。これが、「全国大学原理研究会」の創立目的です。

13  国家の興亡は、その国の若者たちにかかっています。あすの自分を創造すべき人々を立てるために、全国大学生修練会を行うのです。植物の芽が育つためには、適切な環境がそろわなければならず、環境に適応できなければなりません。歴史的な向上線に立った先祖がいたとすれば、その人は幸福な人です。「私以降の未来をどうするのか」と考えながら、「私」と子孫が一貫した目的をもって進むことができるとすれば、その道は幸福な道だと言えます。歴史の中では、正しい方向に向かうほど発展します。

今日、この地上に数多くの人間が暮らしていますが、彼らの目的は一つです。それは、多くの植物が日の光に向かうのと同じです。神様は、中心の芽を立て、横的な環境を形成する歴史を綴ってきました。今も神様は、その芽になり得る個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を訪ねてきます。

韓国は、このような芽の立場に立たなければならず、そのためには試練を経なければなりません。芽は、すべての枝が受ける試練を一時に受けますが、前進して克服しなければなりません。このように、私たちも世界的な試練を克服しなければならないのです。

14  統一信徒は、泉にならなければなりません。泉の水は湧き上がります。滝とは反対です。山の獣も泉の水を求めてきます。泉がない山は、名山になることができません。

特に大学生の皆さんは、腐敗した大韓民国を清くする泉にならなければなりません。泉の水は、湧き上がって、(汚れを清めながら)清さそれ自体を汚さない所に流れていこうとするでしょう。泉の水が人間の生命と関わりをもつためには、その純粋性を失ってはいけないのですが、純粋な泉の水とは、岩を貫いて出てきた水です。ですから、誰もがそのような水を飲もうとするのです。皆さん全員が泉になることを願います。

15  大学原理研究会の核心的な会員が、どれくらいになるかが問題です。そのような基準で、大学を中心に社会活動を展開するために学舎を造り、運営することにしました。学舎を各大学に一つずつ造らなければなりません。このようにすれば、相当な効果が出るようになっています。

ですから、原理研究会を中心とした学舎と、成和学生たちとの関係を強化しなければなりません。そして、三年生、四年生になればみな、原理講義ができる責任者にならなければなりません。このようになれば、この人たちを各大学の各学科に配置して、私たちの思想を指導できるようにしなければならないのです。このように組織を強化しておけば、短期間で急速に発展すると思います。

また、大学出身者たちを全国に配置しようと考えています。大学生たちは、社会や教会で主導的な役割を果たさなければなりません。教会で主人の役割を果たし、自分の責任を果たさなければならないというのです。皆さんは教会の雰囲気を知り、若い人々が教会にとって希望の標準となり得る雰囲気を形成しなければなりません。

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12 私たちは、第一次七年路程において六千年の罪悪歴史を終結しようとされた神様のみ意があったことを知っています。また、二千年前のイエス様以降、キリスト教が血のにじむ殉教の祭壇を築きながら、残された摂理の因縁を終結するために苦労してきたという事実も知っています。イエス様と聖霊はもちろんのこと、み旨のためにこの地に来て、一時の恨を残したまま、サタン世界を心でのみ踏み締め、志を立てて誓いながら、犠牲の場、あるいは死の場に進んだ数多くの先知先烈(先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)たちがいることも知っています。このように、歴史の要求は一つの時代と一つの基点に集中し、サタンと神様の決戦を提示してきました。

それでは、この闘いを終結させる使命を果たすべき責任者とは誰でしょうか。この民族の中で、追われ、追い出されてきた統一の群れが、このような重大な責任を担っているという事実を、世の中の人々は知らずにいます。しかし、神様は御存じなので、今に至るまで私たちと共に険しい道を開拓し、賛同してくださるのです。これは、私たちだけがもった特権であり、私たちだけがもてる誇りです。歴史過程においてこれを感じられる、やり甲斐のある期間が第一次七年路程です。

13 皆さんは、二十一年前にお父様が公式路程を出発した時点に置かれています。お父様はキリスト教から迫害を受け、国から追われ、多くの霊通人から反対を受けました。しかし、今はそのような時代ではありません。皆さんは、これから国と宗教と数多くの教派と霊通人たちが世界的に証し、歓迎できる時代圏内にいます。そのような点から見れば、皆さんはお父様より恵まれた立場に立っています。

過去においては、活動をしても、まかり間違えばすべてひっくり返して蕩減しなければなりませんでしたが、もはや皆さんにとっては、そのような時代は過ぎ去りました。すべての条件が良くなったのです。それこそ、蕩減の時代は過ぎ去り、栄光の時代が私たちの前に近づいてくる良い時代だというのです。これが、子女の立場にいる皆さんに該当する期間です。

父母が誤り、人類の前に苦難の基準が立てられました。しかし、お父様が父母の立場で責任を完結したので、子女の立場にいる皆さんは、すべての迫害と讒訴の基準を越え得る位置に出発できるのです。この期間が、正に第一次七年路程です。

民族復帰のための基台を築いた第一次七年路程第一次七年路程は、真の父母様が歩まれた路程であり、祝福家庭にとっては模範となる路程であった。一九四五年の光復(失った主権を取り戻すこと)以降、真のお父様は、個人的十四年路程を勝利され、聖婚以降の七年路程から、食口たちが真の父母様のあとに従い始めた。

特に、真のお父様のみ言によれば、七年路程の前半三年間は、失ってしまった父母と子女を探し求める期間であり、後半の四年間は、物質的・環境的基盤の造成と同時に、民族的基盤を開拓するための期間だった。真の父母様の路程に同参する子女たちの立場での七年路程は、個人の目を完全に開かせ、立ち上がらせ、走らせて、個人が実績を立てながらみ旨の前に栄光の勝利者となることに主眼を置いた期間であった。

14 皆さんが七年路程の期間に果たすべき使命とは何でしょうか。個人的な勝利の主管圏を備えなければならず、家庭的な勝利の主管圏を備えなければならず、氏族的な勝利の主管圏を備えなければならず、民族的な勝利の主管圏を備えなければならず、国家的な勝利の主管圏を備えなければなりません。

しかし、堕落の子孫である皆さんは、自分で七年路程の道を行くことはできません。ですから、神様は、真の父母を立て、霊界と肉界にその道をつくるようにして、皆さんを行かせるのです。

15 アダムとエバが堕落することによって、真の父母を失ってしまいました。また、真の子女を先ってしまいました。その次に、万物を失ってしまいました。それから、神様を失ってしまいました。失ったこの四つを取り戻さなければなりません。

アダムとエバが堕落することによって、長成期完成級から落ちて堕落した人類の先祖になり、堕落した息子、娘になりました。また、万物も堕落圏内において胸の痛む恨をもった万物になりました。人間がサタン主管圏内に入ったので、すべて失ってしまったというのです。

統一教会でこのようなことを復帰した基準を立てた時期が、第一次七年路程である一九六〇年から一九六七年までの七年間です。この期間に、失ったものを復帰できる基準に上がったというのです。

16 皆さんを、なぜ一九六〇年から第一次七年路程に加担させたのでしょうか。その前から加担させずに、なぜ一九六〇年から加担させたのかを知らなければなりません。復帰歴史は、蘇生、長成、完成の三段階を経ていくようになっています。七数を中心として三段階を経なければならないので、二十一数期間が過ぎてこそ、その基盤が築き上げられるのです。

ところで、蘇生期と長成期までは、堕落によってサタンの侵犯を受けた期間です。父母の立場にいる人が堕落したので、蘇生と長成の期間には、父母が果たすべき使命があります。父母が立てるべき試練と苦痛の基準に、子女たちは参加できません。子女たちは、完成段階に該当する七年の期間に、復帰の道を行かなければなりません。この期間は、サタンの侵犯を受けていない基準で、復帰の道を行ける期間です。この七年の期間に皆さんが苦労したことは、蕩減の内容になるのではなく、実績として残るのです。

17 聖婚式をしたのち、この地上に神様を中心とした真の父母が現れました。歴史始まって以来、悪の父母が生まれたことはありましたが、神様を中心とした善の父母の基準は、この地上に設定されませんでした。これが設定されれば、サタンは、歴史始まって以来、今まで人類を支配してきたすべてのものを奪われるのです。ですから、サタン勢力は、あらゆる力を尽くして本格的に反旗を翻し、迫害せざるを得なくなります。

なぜ聖婚式をしてからも迫害を受けなければならないのでしょうか。それは、聖婚した基準が長成期完成級であり、まだ七年路程が残っているからです。この七年路程をどのように越えるかが問題です。この七年路程を越えてこそ、直接主管圏に到達します。

原理結果主管圏を経て直接主管圏まで到達するには、責任分担というものがあります。アダムとエバは神様を中心として、絶対的に一つになれる愛の理想を備え、それが分かれようにも分かれられない位置にまで進んで、直接主管圏内で神様を中心とする愛を主とした家庭基盤を築かなければなりませんでした。そのようにしていたならば、その基盤から天地が合徳し、男女が合徳することにより、新しい愛の基盤、新しい生命の基盤、新しい血統の基盤を中心として、四方に平面的な拡大が展開していくのです。

18 統一教会の食口たちにとって、第一次七年路程は、お父様が民族の運命を決定できるアベル的な路程に同参(一緒に参加すること)する期間です。お父様が東に行けば東に付いていき、西に行けば西に付いていって、皆さんは葉になろうと枝になろうと、落ちてはならず、折れてはいけません。この七年路程は、枯れたとしても、折れない枝と、落ちない葉の立場に立てておくための期間です。

ですから、この七年路程の期間に、できれば皆さん全体が動員されなければなりません。この期間には、世界的なサタン全体が集中して攻撃してきます。その時期が一九六〇年からです。その時は、大韓民国のすべての人が反対しました。お父様を捕まえて投獄しようと、行列をつくって警察署に投書しました。このように全体が反対する立場に立たなければ、蕩減にならないというのです。

19 第一次七年路程は、お父様の二十一年路程の終局を準備するためにありました。皆さんは個人で第一次七年路程に参加しましたが、世界史的な意義から見れば、これは歴史的な数多くの人間を代表して参加したのです。その期間に皆さんが捧げた精誠は、決して無駄にならないでしょう。これは千秋万代にわたって地上の絆として残り、天上に行けば数多くの善の霊たちが賛辞を捧げ得る基盤になるでしょう。このような期間は、地球上に再び訪れることはないのです。

歴史の恨を解くために、三千里半島において統一の旗印を掲げてきた私たちは、今まで迫害と非難の矢を受けながら歩んできました。しかし、私たちは、歩みを止めませんでした。追われ、追い出されても、自身を内的に成長させると同時に、外的に整備することを怠りませんでした。そのようにすることによって、今や大韓の三千里半島のどこにおいても、統一教会が行く道を遮る人はいません。

どんな銃剣でも遮ることができない基準を立てなければならないという決心が、天的な基準から見るとき、このような途方もない勝利をもたらしました。このような条件を立てたので、それを中心として、新しい歴史を創造することができたのです。

20 第一次七年路程の期間に父母様は、家庭的な基準を立て、氏族的な基準を立てながら、教会を通して民族的な蕩減条件を立ててきました。このような内的な基準は、イエス様の当時に成し遂げなければならないことでしたが、失敗したので、再蕩減したのです。ですから、この七年路程の期間にこれを合わせるために、尽力してきたのです。

21 第一次七年路程の三年路程を通過しながら、皆さんはかわいそうなこの民族に代わって何をすべきなのでしょうか。もう一度、倒れながらでも、走っていかなければなりません。善の世界を建設する役軍(担い手)として準備し、鍛錬する試練の途上において、サタン世界から讒訴を受けない伝統を立てなければなりません。

鍛錬を受ける過程で立てた伝統を、新しい天国理念の世界でも永遠に残る伝統として残さなければなりません。そのようにしなければ、「人生において行くべき道をすべて行った」と言うことができず、人生において果たすべき責任を全うしたとみなすことができません。

皆さんが天のみ前に忠誠を尽くすことを願い、天の真の孝子、孝女になることを願えば願うほど、苦痛が伴い、試練が伴っても、それに備えなければなりません。未来において全人類が「私」の価値をたたえ、万宇宙が感謝する立場に立ち、万宇宙の前に幸福の条件をつくってあげるためには、皆さんがしっかりと準備しなければならないのです。

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第二章  七年路程の設定と対外的基盤の拡大第一節   民族復帰のための基台を築いた第一次七年路程第一次七年路程の出発真の父母様は、一九六〇年の聖婚以降、一九六七年まで民族復帰の基台を立てるために第一次七年路程を設定された。そして、この期間を前半の三年路程と後半の四年路程に分け、総力体制で活動を展開されたのである。

七年路程は、神様の摂理に従って、誰もが行かなければならない道である。真の父母様は、七年路程を通して、段階的に蕩減復帰摂理を導かれた。七年路程は、摂理の主役たちが責任を果たせば次の段階に発展していくが、そのようにできないときは、摂理が延長される。

したがって、第一次七年路程は、真の父母様と食口たちが緊張した日々を送りながら、摂理的責任を果たそうと努力した期間だった。特にこの期間は、後日、すべての食口が歩むべき典型路程と言えるほど、多くのことが推進され、摂理的な土台が据えられた。

真の父母様の聖婚を起点として始まった七年路程は、一九六〇年の七月、全食口一斉伝道活動により本格化した。

1   人間は、長成期完成級で堕落したので、完成段階が残っています。その完成段階の期間が七年です。蘇生、長成、完成の三段階の七年ずつをすべて足せば二十一年、満では二十年になります。韓国の年齢で二十一歳、満で言えば二十歳の時は、人間が成熟期に入る時です。成熟期に入れば、愛の神様が自動的に結婚させてくれるようになっているのです。

アダムとエバは、神様を中心として祝福を受け、人類の真の父母として公に約束されなければならなかったのですが、それができませんでした。許されていない圏内で堕落し、このような段階を残しておいたので、残ったこの七年の恨によって、六千年歴史に千年王国の千年を加えた七千年歴史の恨が残るようになったのです。一年が千年、七年が七千年に延長されてきたというのです。私たちは、これを七年で蕩減するのです。これが七年路程です。

2   堕落した子孫として生まれた人間であれば、誰もが七年路程を歩まなければ、絶対に天国に行けません。

聖書には出ていませんが、本来、イエス様も二十七歳から三十三歳までの七年間を中心として、第一次七年路程を出発したのです。そして、三十四歳から四十歳までが第二次七年路程であり、もしイエス様が二十歳から出発していれば、第三次七年路程になるのです。

そのようにして、イエス様は、四十歳までに世界的な基盤を築かなければならなかったのですが、民族が従うことができずに亡くなったため、それが聖書に七年の大患難として残っているのです。

3   皆さんが祝福を受ける位置は、完成した位置ではありません。父母が歩んでいった十字架の橋があるとすれば、その橋をそのまま歩いていかなければなりません。飛んでいくことはできないのです。

山の頂上に登るためには橋を通らなければならないというとき、その橋が危険であるとすれば、鉄筋で補完することはできますが、橋の上を通らなければならないというのはどうしようもありません。ですから、お父様が歩んだ七年路程は、永遠に残るのです。個人的七年路程と家庭的七年路程は、永遠に残るのです。

人間は長成期完成級で堕落したため、そのままでは完成段階に上がっていくことができません。堕落線以上に上がって、初めて原罪を脱ぐことができます。長成期完成級で原罪を脱ぐのではありません。皆さんが祝福を受けようと進み出たのは、完成期完成級ではなく、長成期完成級の位置です。

4   七年路程は、神様の息子、娘を決定する期間です。これは、イエス様の解怨成就をしてあげることによって決定します。ですから、私たちが国のために精誠を尽くし、教会のために精誠を尽くし、民族のために精誠を尽くして、イエス様の恨を総括的に蕩減しなければなりません。

父母様に従ってこの七年路程に参加できなかった人々は、誰彼を問わず、いつかはこのような七年路程を経なければなりません。これは公式です。七年路程は不可避なものです。今後、統一教会に入ってくる人は、七年路程を経なければなりません。七年路程は、誰もがみな、行かなければならないのです。

5   皆さんは、七年路程を絶対的に行かなければなりません。イエス様は、三年路程を行く途中で失敗しました。この三年路程を歩み、七年路程を越えたならば、四十代に越えていくのです。三年路程を歩むことによって、第一次七年路程が三十三歳までに終わらなければなりません。

ところが、イエス様はそれを越えることができませんてした。すなわち、第一次七年路程を越えられなかったというのです。第一次七年路程を出発し、三年路程に引っ掛かったのです。したがって、家庭復帰ができませんでした。

しかし、統一教会は、三年路程において家庭復帰をしました。今後は、世界的な復帰の役事(働き)をしなければなりません。

6   皆さんは、イエス様の恨と神様の恨を解怨してさしあげなければなりません。イエス様の恨が解怨されるまでは、神様の恨も解けません。ですから、まずイエス様の恨を解かなければならないのですが、そのためには、イエス様に三年の公生涯路程があったように、皆さんも三年間、公的な道を行かなければならないのです。三年間で百二十人を伝道できないでしょうか。精誠を尽くせばできるのです。

そのようにしたのち、聖殿を建て、祭壇を築き、祭物を供えて祭司長にならなければなりません。このように勝利したという条件を立てたのちに、初めて天の息子、娘として祝福を受けることができるのです。ノア家庭からヤコブ家庭の形態を復帰していくのです。そのようになるとき、初めて皆さんは、イスラエルの支派のような個別的な一つの氏族の先祖になれます。これが、私たちの行くべき道です。

7   統一教会は、一九六〇年から始まった第一次七年路程のうち、三年路程を通過してきました。三数は子女を探すための分別数であり、四数は万物を探して立てる数です。私たちは、このような一次的な計画において成功しました。この三年間に勝利して、世界に進出する基盤を築いたのです。

このような土台の上で、第二イスラエルを探し求めなければなりません。ですから、これから残りの四年は、民族復帰のために活動しなければならない期間です。力の限りを尽くして、国民と国土を復帰するために活動し、勝利しなければなりません。お父様が歩んできた四十年を、皆さんは四年間で歩むのです。

今後、統一教会という看板を外すことも、皆さんの手に掛かっています。統一教会ではなく、統一韓国をつくり、その基盤の上に、統一世界を成し遂げなければなりません。皆さんが責任を果たせなければ、他の民族を動員してでもするでしょう。

8   イスラエル民族には、四十年の荒野路程以前に三日路程がありました。この三日路程を経たあとに、ようやくカナン復帰路程を出発できたのです。そして、イスラエル民族は、カナンに入っても再び四十数を探して立てなければなりませんでした。復帰摂理がこのような路程を経てきたので、今に至るまでお父様も、四十年路程を経たあとに三年路程を歩まなければならず、四年路程を歩まなければなりません。

ですから、私たちは三年路程を歩み、また、四年路程を歩んでいるのです。このような過程を経て、初めて復帰歴史を終結し、天の主権を立てることができるのです。

真の父母が中心になって歩む三年路程を経て、万物を復帰する期間、すなわち四方性を備えるための四年路程を経なければなりません。これが七年路程です。この七年路程で、蕩減復帰を終結していかなければなりません。真の父母を探し出すまでの歴史路程を中心として見れば、三年路程、四年路程、四十年路程は短い路程ですが、これは歴史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な無念を総体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な十字架を全体的に蕩減復帰する期間です。

9   第一次七年路程の三年は、歴史的な蕩減期間を縮めた最小限の年数であり、個人の蕩減期間です。ですから、統一教会の食口は誰でも、この三年期間を経なければなりません。心情一体だと語ったので、皆さんは全員、父母様の心情を知らなければなりません。今晩、父母様は何をされるのだろうか、目を開けたまま夜を明かされるのではないかと考えながら、父母様の立場に立って父母様に似るようにし、父母様の心情を感じてみなさいということで許したのが、この三年という特赦期間です。

三年間、一年に四十日啓蒙伝道活動を二回ずつしても、全体的に見るとき、一年に満たない期間なのに、これさえしないとすれば、話になりません。本来、この期間は、断食しながら越えなければなりません。ぜひとも、この期間に皆さんが立つ位置を探し出し、信仰の目的を正しく探して立てることを願います。もし時を逃せば、そのような位置や目的も失ってしまい、父母様とも無関係になるのです。

10  お父様さえ信じていけば、皆さんは押し出されません。三年だけ克服してください。一九六〇年にお父様は、三年間、懲役生活をするつもりで、伝道の任地において僕暮らしをするようにと、皆さんを送り出しました。お父様も、青い囚人服を着て蕩減復帰し、勝利したという条件を立てました。お父様が追われてあちこちに逃れていたときがあったので、皆さんも今、追われる環境に置かれなければなりません。

そうして、縦的に蕩減すべきことを蕩減できずに残してきた歴史的な恨を、皆さんが横的な道を歩むことによって、蕩減復帰しなければならないのです。

11  第一次七年路程は、僕の僕の立場から、直系の子女の立場までの段階を復帰する道です。それゆえ、七年路程の間に、カインを愛するために僕の立場に立たなければなりません。ですから、私たちは、出ていって伝道しなければなりません。原理を中心として心情的に愛してみようというのです。

誰それの血統を中心とした息子、娘としてではなく、天情に通じ得る神様の心情的一致点を探し出して愛してみようというのです。また、生活的一致点と希望的一致点を探し出して愛してみようというのです。神様を中心とする、心情の一致、行動の一致、希望の一致をもって一度やってみようということです。

神様の願いとは、世界を取り戻すことであり、神様の行動とは、世界を救う復帰摂理歴史を主張して歩んでいくことです。また、神様の心情とは、愛せない人をも愛することができるようにすることです。

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天宙清平修錬苑起工式と奉献式真の父母様は、一九九七年三月十日、旧・清平修練所一帯に、全世界の食口たちを教育する国際的規模の天宙清平修錬苑(天城旺臨宮殿)を建てる起工式を挙行され、一九九九年十一月七日、完工とともに奉献式を行われた。

19  一九九七年三月十日、きょうは清平聖地で天地が記憶し得る場を整え、統一家の新しい訓練道場、あるいは精誠を捧げる聖殿、ひいては天と地が連結され得る一つの心情的世界を出発する起源地、一つの宮殿と言える建物を造るために、起工式を行う日です。この事実は、歴史的であり、天の摂理史に何よりも重要なこととして記録されるでしょう。

この清平聖地は、私には忘れられない所です。現在、造られたこの修練所を中心として、今から三十年前に誰も知らない統一教会という小さな教団をつくり、ここが摂理史において世界万民が仰ぎ見ることのできる超宗教的で超理想的な基地になるだけでなく、故郷の地になることを考えて発表しました。その三十年前を思えば、感慨深いのです。

20  清平の地は、霊と肉を中心として、天地と協力した立場で個人が出生できる基地、家庭が出生できる心情的基地、あるいは国家が出生できる心情的基地、さらには世界と天地が出生できる心情的基地だけでなく、地上天国と天上天国を建設できる心情の基地になり得る地です。

統一教会が試練を克服できる立場に立つとすれば、飛躍的に発展することができます。世界の若者たちが集まって教育を受け、祝福家庭が修練を受けて世界に前進していけることが、この清平の地で成し遂げられるという事実は、大韓民国のすべての地に代わって誇ることもでき、民族と国家が誇るだけでなく、アジアと世界の全人類が誇り得ることなのです。

21  きょうは、清平聖地に神様の殿堂を起工する祝賀の日になりますので、この基地が天と地を連結し得る板門店になれるよう許諾してください。分裂した南北を統一し、天の統一的金門店になり得る表示として、霊界と肉界において善悪を分別することができ、正義の基準を立て得る一つの出発基地を建設する起工式になりますので、天地全体が祝賀の日として迎え、神様を中心として地上の真の父母と一つになり、心情的土台を準備し、永遠の歴史時代と後続時代を越えられるようにしてくださり、心情的統一圏を連結させ得る、歴史を代表した伝統か橋梁となれるように祝福してください。万民を兄弟愛で束ね、万国を一つの兄弟国として束ねて、天地が一つの兄弟国家として、神様と真の父母が統治する、新しい地上と天上の王権時代に進入できる祝福の門を大きく開いてくださることをお願い申し上げます。

霊界に行ったすべての先祖たちが、地上に連結されたその子孫たちと一体化し、平和の世界に向かう統一的理想が日進月歩するよう許諾してくださり、あなたの願いである長子権復帰を通過し、父母権復帰を通過して、王権復帰時代に全世界を一つの国として抱き得る神様の全体・全般・全能時代に進入できるように祝福してください。ここに集まった各国の食口たちが精誠を捧げ、起工式を祝うこの場を喜んで御覧くださり、万国と連結され得る祝福の拠点となるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。

22  一九九九年十一月七日、天城旺臨宮殿の奉献式に先立ち、天が注視する中、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭が一体となって神様に侍り、勝利の主権顕現を霊肉で誓い得る、勝利の宮殿の名をもつ拠点を奉献するこの日を迎え、この聖別式を行うようになったことを心から感謝申し上げます。

天がこの日を記憶し、天の所有権として決定して、千年、万年、子孫万代が仰ぎ見る基地となり、愛の伝統的霊肉一体心情圏の出発基地としてください。ここが天下に思慕の宮殿となり、愛の宮殿となり、血統的関係を尊重できる崇拝の宮殿になるよう許諾してください。

それによって、常に天地父母が中心になり、万世の愛の統治権によって、愛で連結された世界化運動において、聖別拡大のための記念的な一つの起源の地となるよう許諾してくださることを、切にお願い申し上げます。

23  韓民族はもちろんのこと、世界に広がっている数多くの国々が一つの血族として単一民族圏を編成し、神様を中心とした自主的な愛の主権世界を建設するために歩んできたすべてが、国家を越えて世界化時代に先頭の位置に立って模範を示すべき出発の出現基地として、この宮殿を建設いたしました。これを(天の)お父様が直接主管され、霊界全体が一体化し、祝福を受けた先祖たちと地上の祝福を受けた子孫たちが一つになって、統一天下、平等、平和の世界に前進できる解放地上天国、解放天上天国の時代を迎えるようにしてください。

このすべてのみ旨を引き継いで、万民の胸に生命の絆を通し、愛の血統的な結束を誓う修練宮殿として、お父様のみ前にこの時間、奉献いたしますので、天上世界にいるすべての霊たちと、すべての存在たちが注目する場において、地上の全世界の人類を代表し、万物を代表し、焦点を合わせた勝利の一つの基地として、あなたの天の国の王子、王女の権限を備えられる勝利的な人間の解放者たちを養育できる殿堂として、受け取ってくださることを切にお願い申し上げます。

天正宮博物館入宮および奉献真の父母様は、神様王権即位式を挙行されたのち、二〇〇一年七月八日に本殿聖地である天正宮博物館の起工式を行われた。そして、五年後となる二〇〇六年六月十三日、天宙平和の王真の父母様天正宮博物館入宮・戴冠式を挙行された。真の父母様のみ言によれば、本殿聖地とは、神様が住める皇宮であり、本然の家である。そして、天正宮博物館は、「二人が正しく造った宮」であり、神様が主権をもって、万事を主管できる主人の中の主人、王の中の王となられ、億兆蒼生が永遠に共存、共生できる天国理想圏の本宮である。

24  清平に、天の国の王宮を造るのです。国連に加入した国家全体が一つになって、地上に造らなければなりません。ロシアのような国も、王宮を立派に造りました。フランスのルーブル博物館のようなものが問題ではないほど、その何倍以上、価値あるものとして精誠を尽くし、永遠の宮殿を造らなければなりません。それが、神様のみ前に相続を受けた私たちが果たすべき義務だというのです。

25  天正宮博物館は、神様の故郷であり、神様の祖国であり、人類の故郷です。「天正」は、二人が争いを解消してしまったことを意味します。ひっくり返すのです。「宮」の字は、ウ冠(宀)の下に法を意味する「呂」の字が合わさったものです。天の正しい法が、宮を調整するという意味があります。ですから、天正宮博物館には、勝手に来ることはできません。四位基台の祝福を経て、三代が解放の立場を備えなければ、入ってこられないようになっているのです。

26  真の父母様の家庭が、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代圏を代表した三代が一つになって四十ヵ国の巡回集会を完結することにより、天正宮博物館に入宮するようになりました。天正宮博物館に入宮するためには、あらゆる条件から自由になることができるように蕩減しなければなりません。ですから、摂理史と一致するプログラムが進行しているのです。

天正宮博物館の「天」の字は、二人を意味します。「正」は、「止」の上に「一」の字をかぶせておいたものです。正してくれるのです。「正」の字がそうです。すべてのものを蕩減して、停止しなければなりません。天の統一的な横的基盤、真の父母の基盤を中心として停止し、入っていくべき所が天正宮博物館だというのです。そうして、今、新たに出発するのです。

27  天一国の名を中心として、王権即位式、王権奉献式を終えました。そして、この場は、その王権を代表した天宙父母と天地父母と天地人父母が合徳し、善の王の中の王として、戴冠式を終える場でございます。

あなたのみ前に申し上げます。あなたの勝利の基盤を築くため、これまで主管した全体、関わりをもったすべての所有権、すべてのものをみな分け与え、今や、(天の)お父様のみ前に何の荷ももたないまま、忽然とこの場に立ちました。その代わり、エデンにおいて失ってしまったアダムの血統を取り戻す主人となられ、カインがアベルを殺すことによって繰り広げられた混乱の世界の中で主人となられて、カイン・アベルがなく、争いがない国を取り戻すための、あなたの天一国理想心情統一圏、統一的家庭形態の世界的版図を、お父様のみ前に整えてさしあげるのでございます。

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11  妻は、自分の夫を神様の代身者と考えなければなりません。また妻は、夫の娘にならなければなりません。夫として、神様の失われた娘を復帰しなければならないというのです。神様は、堕落によって母と妻と娘、三つを失ってしまいました。ですから、神様の娘を、夫の立場から復帰しなければなりません。そして、妻は、夫を父親以上に信じなければなりません。今までの体験を総合した価値以上の価値を発見した基準に立って、向き合わなければならないのです。そのような心情基準を復帰できなければ、サタンが破壊した理想相対の基準を回復することはできません。

それと反対に、男性は、自分が妻の息子であるという心情をもたなければなりません。自分の妻に対して、自分の母親のようであり、自分の娘のようであるという心情が沸き立たなければなりません。「私がいなければ一日も過ごすことができず、夜も昼も絶対的に必要な私たちである」という心情をもたなければならないのです。そのようにして、夫婦一体にならなければなりません。

12  自己を主張し、自己防御第一主義の態度を取るのが堕落した世界です。これからは保護主義時代です。方向が違います。夫は、「妻が幸せでないのは私の責任です」と言い、妻は「夫が幸せでないのは私の責任です」と言うのです。

その責任追及において、咲かなければならない花が愛の花です。その愛の花は、自己を主張するときには咲きません。互いに生命線まで越えてために生きようとするときに花が咲くのです。花が咲くことによって、その花の色と香りを訪ねてくるのが天使世界であり、神様なのです。

13  夫たる人は、妻の前に、神様よりさらに素晴らしい方だと記憶されなければなりません。妻から、「私は、神様を見ることはできなかったが、私の夫を通して神様に出会った。純粋な愛とは何か分からなかったが、夫を通して純粋な愛がどのようなものであるかが分かった。また、夫を通して、兄の愛がどのようなものであるかが分かった。また、夫を通して兄弟の愛が分かった。夫はすべての愛を教えてくれた張本人である」と言われる男性にならなければなりません。

また、そのような母の代表であり、新婦の代表であり、姉の代表の心情を誘発できる愛の絆を体恤しながら生きていく男性にならなければなりません。そのような教育を受け、「そのような教育でなければ窒息する」と言うほど、それが生活習慣となって、どの社会においても、年配の人に接すれば、「私のおじいさん、おばあさんであり、私のお父さん、お母さんであり、私のお兄さん、お姉さんである」と考えられる心情をもたなければなりません。

そのような心情が世界の至る所で普遍化し、そのような家庭における心情が普遍化する環境が広がる所であれば、そこは間違いなく天国です。

そのように生きる人は、どこに行っても反対を受けません。その人がどこに行こうと、神様はその人と共にいらっしゃるのです。ですから、その人はどこに行っても寂しくなく、どこに行っても滅びません。

14  皆さんは、どれほど神様のように人類を愛したでしょうか。年の幼い人を見れば自分の息子、娘のように考え、自分の弟、妹と似たような年齢の人を見れば、自分の弟、妹のように考えなければなりません。夫婦も同じです。自分が好む人として懐に抱きかかえてあげ、配慮してあげなければなりません。

夫婦が一つになって、神様の代わりの立場で再創造の心情圏を体恤させるものが、息子、娘の出産です。父母は、生まれた息子、娘を見つめながら、互いに抱くのです。これは宇宙的なものです。宇宙的な愛の相対だというのです。祝福を受けた夫婦が子女を生めば、その子女を通して神様と同じ心情を体恤します。赤ん坊を抱き、お乳を飲ませたりするのは、すべてそのためにすることです。

ですから、皆さんは神様の真の愛の相対だというのです。「私たち夫婦と同じように、あなたたちも真の父母の道に従っていこうとするなら、これこれこのような道を行きなさい」と言うのです。そのように子女が育ち、結婚をすれば、すべてが完成するのです。

15  統一教会に入ってくれば、記録カードにすべて記入するようになります。祝福家庭としてどのように生き、お父様が語ったみ言を何パーセント実行し、何時間活動したのか、その時間まで記録するのです。そうすれば、何をどれくらいしたかがそのカードにすべて表れます。このように、夫婦が今までどのような恵沢を受け、統一圏内で生きたかという判定基準が出てくるのです。そのまま通り過ぎることはありません。適当にやっては通じません。この地上でもそうですが、霊界に行っても同じです。

統一教会で祝福を受けた家庭であれば、霊界にすべて名簿があるので、名前だけ言えば、誰が何をしたのか分かるというのです。それが霊界と地上において違えば、大変です。そは通じません。ですから、この地における生活が重要です。一日一日、負債を負った生活をするのではなく、負債を負わせる生活をしなさいというのです。負債を負ってはいけません。

16  結婚後、一歩踏み間違えれば、永遠の道からずれてしまいます。世の中で結婚するのと同じように考えれば、回復できない恨の条件が残ります。今、夜を明かしながら涙で父母様を呼び、昔のその口がどれほど慕わしく、その時間がどれほど幸福だったかを考えながら、取り返しのつかない(状況の)まっただ中に捕らわれている祝福家庭がいるでしょう。その道を再び継承できるとすれば、「どんなことでもする」と言うでしょう。女性として、世の中で踏みにじられる運命を経たとしても、「その道を回復できるなら行く」と言う人がいて、男性として、世の中から見て苦しい道を経ていくとしても、「その道を回復できるならば、どんなことでもする」と言う人がいるのです。

しかし、既に外れてしまったのです。世の中の何よりも、祝福を受けた家庭をどうするかが、父母様にとって一番の問題です。彼らを再び赦すことができる道を模索したいというのが父母様の心ですが、父母様もどうしようもありません。それをしようとすれば、復帰原理を作り直さなければならないのです。また、このようなことをしておいて、恨になり得る条件を残したいと思いません。

17  祝福を受けた家庭は、どこに行くべきでしょうか。自分の家庭に行く人は、流れていきます。お父様も、結婚した目的は、家庭を救うためではありません。国のために生き、天宙復帰の使命を果たすために行くのです。目を開ければそのことのために誓い、涙を流すなら、そのことのために涙を流しながら行かなければなりません。これは、今後の歴史に、父母として残してあげるべきプレゼントです。このように行くのが、家庭を中心とした生活哲学です。このような伝統がなければなりません。

祝福を受けた家庭が、もしそのような道を行けない立場にいるならば、「千秋の恨を抱き、天を見るのも恥ずかしく、地を見るのも恥ずかしく、師を見るのも恥ずかしい」と言いながら、身の置き場を知らず、千年、万年、流れるとめどもない涙をもって贖罪の哀訴をし、神様の同情を願う立場に立つなら分かりませんが、そうでなければ、神様のみ前に行くことはできないのです。

18  皆さん、祝福を受けた家庭は、天地を中心として、聖子の道を行かなければなりません。世の中では聖人の道理を主張しますが、私たちはそれ以上の位置に立たなければなりません。ですから、聖子の道理を受け継ぐためのものが祝福です。私たちが、横的な面において孝子になり、忠臣になり、聖人になって、聖子が連結されるのです。それが、アダムが行く創造の理想です。「私が、孝子になり、忠臣になり、聖人になり、聖子の道理を果たします」と言わなければなりません。

今まで、天のみ前に孝子が存在せず、忠臣が存在せず、聖人が存在せず、聖子が存在しなかったので、その代表的な道を行こうという思想だけが、国を創建できる理想的基調になるのです。天のみ前に孝子であるがゆえに、天のみ前に国をもつことができ、天のみ前に忠臣であるがゆえに、天のみ前に世界をもつことができ、天のみ前に聖人であるがゆえに、天のみ前に天地をもつことができます。皆さんの家庭は、天地を売り払って買った以上の価値があるというのです。

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純潔運動と真の家庭運動純潔運動は、人間の先祖の堕落によって形成された性稟を清算し、真の愛の秩序を青少年期から指導していこうという運動である。真の父母様は、人類最大の懸案である青少年問題と家庭破綻問題は、純潔運動を通してのみ解決され得ると考えられ、中高生を対象に純潔運動を大々的に展開された。特に、アダムとエバが堕落する以前の、思春期の年齢層である中高生を中心に純潔教育を実施し、祝福をすることにより、サタンの血統を根絶し、神様の保護圏内で成長するようにしなければならないと語られた。

10  私たちが掲げているのが、純潔と絶対「性」です。純潔運動と真の家庭運動だというのです。その純潔運動と真の家庭運動は、真の愛が中心にならなければなりません。真の愛を中心とした純潔と真の家庭であって、真の愛がなければ、純潔もなく、真の家庭もありません。「純潔」と言えば、すぐに「真の愛」を考えるのです。

それから、真の家庭は、節操がなければなりません。春香(チュニャン)と李道令(イドリョン)のように、鉄石のごとき節操によって、絆を尊重しなければならないというのです。そのようにすることにより、真の家庭が実現できるのです。

11  大学に、純潔運動と真の家庭運動を定着させなければなりません。青少年問題をどのように防ぎ、真の家庭をどこで定着させるのでしょうか。中高等学校と大学を連結させるのです。そうすれば、すべて終わります。

現在、青少年たちが退廃的な思想に染まっています。小学校の十二歳から始まって、二十四歳まで、病に蝕まれています。それをどのように治すのでしょうか。

村や国の中枢的な人物たちが垣根となり、押してあげなければなりません。そうしてこそ、法的な措置を取れるのです。今、家庭を疲弊させている同性愛とフリーセックスから、法で制裁を加えなければなりません。そして、家庭が模範にならなければなりません。

キリスト教の伝統的思想を中心として、家庭が正しく立たなければならないのですが、そのようになっていません。そのようなものを、すべてつくり変えなければなりません。家庭もつくり変え、青少年もつくり変えなければなりません。つくり変えられる基準は、家庭ではありません。学校から行うのです。

小学校から中高等学校、大学を中心として、国のすべての重鎮たちが一つになり、家庭的伝統を立てるのです。家庭教育を徹底的に行い、家庭絶対主義を主張していかなければなりません。

12  二十一世紀は、真の家庭理想主義が伝統になります。父母様がすることは、それしかありません。真の家庭、真の父母、真の血統です。サタンの血統の根が村にまで入ってきます。ですから、純潔運動デモをしなければなりません。デモをしなければ、氏族メシヤ(の立場)をキリスト教徒たちに奪われてしまうというのです。今や純潔運動は、家庭を中心として行っていかなければなりません。国家が主導するのではありません。ですから、早くデモをしなさいというのです。純潔運動をしなければ、奪われてしまいます。先取権を握らなければならないのです。誰が先に特許を取るかということです。三人ずつ、デモを続けなさいというのです。真の父母、真の血統、真の家庭、真の愛です。

13  純潔を守ることにより、エイズを防止できます。これは絶対的です。これが、統一教会が最後に整理すべき課題です。青少年の解放とともに、新しい祝福の血統を連結するとき、地上天国が連結されるというのです。人間の先祖が青少年の時に蒔いたものが、今、実を結ぶ時になったので、これを清算しようとすれば、青少年を中心として、新しい伝統を立てなければなりません。そのようにしてこそ、地上・天上天国を連結させられます。ですから、私たちが中高等学校で純潔教育をしたのです。真の家庭教育、青少年の純潔運動を私たちがしました。国がすべきことを私たちがしたというのです。

14  父母様が、世界的に真の家庭運動を始めました。韓国で真の愛運動、純潔運動本部をつくり、千万近い中高生たちに思想武装をさせました。それをしながら、どれほど反対を受けたか分かりません。反対を受けても、主人が故郷と祖国を守らなければならないという思いで、このようなことをしたのです。今やすべてのことが、世界版図圏内に現れる、主体的な観をもてる時代になりました。

15  若い青年たちを、堕落しないように教育しなければなりません。ですから、純潔運動をするのです。純潔運動をしながら、模範的な青年男女たちは、村や地域の代表者として表彰しなければなりません。そのような学生たちは、学校で優待しなければなりません。純潔を守っていく学生たちは、教師や校長が進み出て、応援してあげなければならないのです。今後、父母様が結婚させてあげる人は、純潔な人です。世界各国から推薦を受けて、結婚させてあげるのです。

16  青少年たちが、異性に対して目が開ける前に、人間の先祖が堕落する時の誤った意識構造を克服できるようにしなければなりません。これを、自分の家庭と村、国からしなければなりません。ですから、国家的次元において、純潔運動を展開せざるを得ないというのです。皆さんに純潔運動をしなさいと指示しましたが、大学や中高等学校を問わず、私たちしかこれをする人がいません。それを自他が公認しています。純潔教育ができる資格をもった人は、私たちしかいないのです。ですから、世界史的な召命的責任が、私たちにあるというのです。

17  今、国家祝福時代を過ぎ、世界祝福時代に入ります。ですから、純潔キャンディーを食べさせるのです。腹中に赤ん坊がいるとき、母親が純潔キャンディーを食べるのが重生式です。赤ん坊が生まれて食べるのは復活式です。結婚する時に食べるのは永生式ですが、この時は、聖酒を飲まなければなりません。それは、誰もが飲まなければなりません。そのように便利にしたのです。今や、どのようなことをしても、サタンは反対しません。条件に引っ掛からないというのです。道を塞いで、行き来する人に聖酒を与えるとき、そこに順応すれば、天下は私たちの側に回ってくるのです。

18  成約時代の安息圏は、祝福の場です。成約時代は、世界的に約束が成し遂げられる時です。世界人類の家庭が祝福を受けられる恵沢圏内に入ってくるのです。これが、真の父母によって成し遂げられるというのです。ですから、サタンの血統がなくなります。

条件的にそれをするために、中高等学校で純潔キャンディーを食べさせるのです。本来は、腹中からサタンの血統を清算しなければなりません。重生です。既に生まれた人は、腹中ではできないので、復活酒を飲ませます。

幼稚園から小学校、中・高等学校の生徒たちには、復活酒の代わりに純潔キャンディーを食べさせるのです。そこでサインを一つずつ、ステッカーの形で貼りつけてあげます。真の父母によって、そして、真の父母と共に純潔を守るという印をあげるのです。これを真の父母がくれたので、純潔な息子・娘になるために、純潔を守るというのです。純潔な愛によって、純潔な結婚をしなければなりません。それは、父母たちが願うことであり、学校教育の理念です。そのように生きるのが、理想的な人生です。

19  すべての青少年たちは、神様が再創造したアダムとエバと同じなので、ペアを組んであげるのです。彼らは絶対に純潔を守らなければなりません。ペアを組んだ二人が、互いに保護し合わなければならないというのです。アダムとエバは、時を待ち、神様から愛の祝福を受ける時まで純潔を守らなければなりません。父母様から祝福を受ける時まで、純潔を守るために共同で助け合わなければなりません。そうして父母に許しをもらい、承認を受けなければなりません。

神様は父母の中の父母であり、師の中の師であり、主人の中の主人です。それゆえ、学校に行くようになれば、学校を代表した校長先生、それから、父母の代表が、子供たちを中心として祝福を受けさせるのです。子供たちは、結婚を思いどおりにできません。それが統一教会の法です。

20  サタンの血統を根絶するために、父母様がすべての準備をしておきました。堕落は、周辺に保護できるものがなかったので起きたのです。中高等学校で、純潔教育をすべて終えました。今、学生たちの純潔が破壊されています。インターネットを見れば、話になりません。これをどのように救うのでしょうか。

すべての家庭の父母が、神様の代わりの立場で、息子、娘を保護しなければなりません。結婚していない息子、娘は、堕落していないアダムとエバの立場と同じなので、絶対に見本となれる関係を結ばなければなりません。アダムとエバは赤ん坊の時から結婚を見つめて進んでいきます。幼児時代、兄弟時代、約婚時代は、すべて結婚することが目的です。ですから、世の中では、息子、娘に「自分の相手を見つけなさい」と言うのですが、これからは真の父母が命令して、「相手を見つけなさい」と言うのです。エデンに帰ってきたというのです。

全世界がエデンの園に入ったので、復帰された家庭になりました。その復帰された家庭では、神様のみ前に、堕落していない本然の位置で、息子、娘に相対を結んであげなければならないというのです。アダムとエバは、成長しながら、自分の相対に出会うための準備をしました。

そうなるように約束をして立てたのに、待つべき成長期間の長成期完成級で堕落したのです。神様は、そこに法的措置を取ることができず、サタン世界内に落ちて堕落する危険性があるので、「取って食べてはならない」と警告していたのです。

21  幼稚園に通う子供たちは、堕落していない神様の息子、娘のような立場なので、幼稚園からしっかり教育しなければなりません。幼稚園から小学校、中高等学校の十六歳までに、いかなることがあっても父母の懐を離れないように、しっかり育てなければなりません。

十八歳さえ越えれば、結婚ができる年齢になります。これからは、できるだけ、中高等学校を卒業し、大学課程にいる人々を祝福してあげます。それが一番良いのです。父母の懐で育てた息子、娘たちを、世の中と接触させず、純潔な子女たちとして結んであげなければなりません。

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第二節   祝福家庭の伝統と生活祝福家庭の伝統と責任真の父母様は、「祝福家庭は、真の父母様の伝統を受け継ぎ、父母と夫婦、子女が一つになることはもちろん、自分の家庭よりも氏族と民族、国家、世界を先に考え、ために生きなければならない」と語られた。特に、祝福家庭の定着時代は、母と子女の責任時代であるため、兄弟であるカイン・アベルの一体化、母と子女の一体化、そして、真の父母様の家庭との一体化を成し遂げなければならないことを強調された。

1   統一教会で祝福を受けたというのは、血統を転換したということです。マークを一つ付けたのですが、だからといって、それですべて合格ではありません。条件的なマークです。条件的な血統、条件的な生命、条件的な愛だというのです。この条件的な血統が絶えず生き生きとして広がっていけば、サタンはもっていけません。この生命が育てば、サタンがもっていけないというのです。真の愛が連結されているので、サタンと関係がないのです。その愛と生命と血統が育っていけば、サタンはもっていけません。

しかし、この条件的なものが死んでしまったときには、誰もがもっていきます。ですから、祝福を受けたことに対して、すべてを与えられても取り替えることはできないというほど貴く思い、育んでいかなければなりません。祝福がどれほど貴いかを知らなければならないのです。

2   父母、夫婦、そして、子女が一つになる所が家庭です。その三つがなければ、家庭は成立しません。そのような家庭から、氏族、民族、国家、世界、天宙、地上天国に発展するのです。絶対父母、絶対夫婦、絶対兄弟が一つになるセンターに神様が臨在します。それが家庭の基地です。軍隊の基地と同じです。そこから氏族、民族、国家、世界、天宙、そして、地上天国と天上天国に連結されるというのです。神様の理想が成し遂げられる所が家庭基地です。

真の父母がいなければ、真の家庭はあり得ません。真の父母がいなければ、真の子女も存在し得ないからです。理想的な夫婦であれば、息子、娘をもたなければなりません。それでこそ、理想家庭を成し遂げられます。理想家庭は、三代が連結されたそのような基盤の上でつくられるのです。そうでなければ、理想家庭は成し遂げられません。

3   神様の息子、娘が祝福を受けて完成することにより、神様の愛も完成されます。それにより、神様は、父母としての愛が完成した基盤の上で、永存できるようになるのです。そのように、愛は自分から見いだせるものではありません。男性の前に絶対真理体は女性です。絶対真理の本体であられる神様の愛は、男性の前に女性がいなければ、永遠に探し出せません。その愛を完成させることはできないのです。

皆さんも、結婚しなかったならば、愛を知ることはできないでしょう。そうすれば、父母のありがたみも分からず、息子、娘のありがたみも分からず、夫のありがたみも分からないのです。愛を中心として一体圏に連結させてくれる人が夫であり、夫を愛の一体圏に連結させてくれる人が妻だというのです。

4   祝福を受けた夫婦は、祝福を受けたその日から果たすべき責任があります。その責任とは、夫婦が一つになり、家庭を形成して生きるだけではなく、二人が一つになって、民族、あるいは国家を形成しなければならないということです。祝福を受けた人が十人であれば、十人の家庭が一つになって新しい世界観のもと、一つの氏族を編成しなければなりません。新しい国家を形成しようとすれば、まず、新しい氏族を編成しなければならないのです。その氏族は、分裂した氏族ではなく、一つに統一された氏族でなければなりません。

ですから、祝福を受けた十人の目的は、互いに同じでなければならないのです。これらの家庭は、サタン世界において探して立てた少数の家庭なので、いつでもサタン世界の攻勢を受ける立場にあります。そのため、いつでも一つになって団結し、その環境を圧倒して入り込んでくる外部の力を凌駕できるように結束しなければならないのです。その力を凌駕しようとするなら、自体内で完全な統一が成し遂げられなければなりません。

そのように一つになった姿になれば、いくら外的にサタンの侵犯を受けても、十分に打ち勝つことができます。このように結集した実体を備えた所から、サタン世界の侵犯を受けない新しい氏族が形成されるのです。そのような団結した氏族を通して民族が形成され、その団結した民族を通して新しい国家が形成されるのです。

5   皆さんが祝福を受けたのは、自分たち夫婦のためではありません。夫婦のために生きる前に、氏族のために生きてこそ、夫婦として安息できる立場が成立します。また、氏族は国家のために生きてこそ、氏族が安息できる立場が成立し、国家は世界のために生きてこそ、国家が安息できる立場が成立するのです。このような観点で、祝福は、皆さん個人のためのものではないというのです。皆さん各自が、祝福は全体を代表するものであるという信念をもっていかなければなりません。そのような立場から、互いが一つになって家庭を形成するようになるとき、初めてその家庭は、世界に向かえる家庭になるのです。

もし、そのような祝福家庭が一家庭しかないというときには、その一家庭がその責任を絶対的に負わなければなりません。そのような信念のもとで歩む家庭が多ければ多いほど、すなわち、そのように歩む過程で一家庭、一家庭が残るようになれば、復帰摂理は進展するのです。ですから、同じ道を行く家庭が多いとしても、互いに頼ってばかりいるのではなく、各自が自主性をもちなさいというのです。

そのような家庭が、国家のための家庭であり、世界のための家庭です。そのような自覚のもとで歩んでいく家庭であれば、その家庭で生まれた子孫たちも、国家のために生き、世界のために生きる人になるというのです。そのようになれば、その夫は歴史的な夫になり、その妻は歴史的な妻になるでしょう。また、その子孫は、神様の復帰摂理の途上において世界を復帰するために必要な氏族になるでしょう。そのような氏族的な絆を備えた夫婦になったとすれば、彼らは新しい時代において、(氏族の)先祖の位置に登極するでしょう。

6   祝福を受けた夫婦は、自分たちの思いどおりに生きることはできません。神様の公約のために、その国の公約のために生きなければなりません。自分の相対が優れているか劣っいるかが問題ではなく、行くべき目的性が問題です。すなわち、自分たちが生きながら、子孫が行くべき正常な道をどのように築いておくかが問題です。皆さんを見ると、夫と妻が互いに「自分を愛しなさい」と言うのですが、そのような立場は間違っているというのです。そのような愛は認められません。

「自分を愛しなさい」と言う前に、まず「国家を愛し、世界を愛しなさい」と言わなければなりません。そのようにしてから、「自分を愛しなさい」と言うべきです。これが、祝福を受けた家庭として行くべき道です。これは、夫も妻もすべて同じです。「私を愛する代わりに、国を愛し、世界を愛し、天を愛しなさい」と言わなければならないのです。

7   祝福家庭は、自分の家庭より氏族をもっと愛さなければならず、民族をもっと愛さなければならず、さらには国と世界をもっと愛さなければなりません。そして、自分の親戚と祝福を受けた同僚たちを愛さなければなりません。このようにして、互いが連結された一つの家庭があるとすれば、その家庭は、いくら多くの家庭があるとしても、際立つのです。男性と女性が一つになって結合したその家庭からは、国家を愛する形、世界を愛する形、天を愛する形が表れるというのです。

このように、夫婦は一致しなければなりません。「私だけを愛してほしい」と言い、「あなたは私のものだ」など、今まで世の中の夫婦が習慣的に語ってきた言葉を、祝福家庭は語ってはいけません。ですから、妻たる人は、時間さえあればそのような夫にならないよう、精誠を尽くさなければなりません。また、夫たる人も、時間さえあればそのような妻にならないよう、精誠を尽くさなければならないのです。互いにしっかり力を合わせて助け合い、導いてあげなければなりません。その道を行くに当たって、傷心しないように、互いに勇気を与え合い、導き合う責任を一緒に背負っているのが夫婦であり、家庭だというのです。

8   私たち統一家は、現在の立場にとどまっているのではなく、発展しなければなりません。国家の運勢をもち、世界の運勢をもって生まれる子孫を残さなければなりません。結婚は、新しい民族、新しい国家を形成するために、そのようにできる人材を模索しようとしてするものです。今まで世の中の人々は、自分のために結婚すると考えました。しかし、統一教会では、民族のために、世界のために結婚するのです。私たちの家庭は、歴史路程に存在した数多くの家庭を救える救世主の家庭です。

その立場は、世の中のすべての人々のために蕩減復帰して、霊界にいる霊人たちと後代の子孫たちのために、代わりに道しるべとなり、行くべき道を開いてあげる立場だというのです。そのような救世主の立場に立つために、「私」は生きているのだと考えなければなりません。

9   今や、子女家庭の定着時代にならなければなりません。子女家庭の定着時代は、第一に、母の責任時代です。母がメシヤの責任を果たさなければなりません。

第二に、子女の責任時代ですが、カインとアベルが一体になるべき時代です。カインとアベル、兄弟が一つになり、完全に一体とならなければなりません。カインとアベルを分別するため、歴史時代に多くの犠牲を払ってきましたが、再び子女たちが争うことがあってはいけません。どの町に行ってもカインとアベルがいますが、町全体のために犠牲になり譲歩する人がアベルになり、主人になります。このようなことを知っているため、争うことができないというのです。子女の責任時代は、カインとアベルが一つにならなければならない時代です。

第三に、母とカイン、アベルが一つにならなければなりません。母の責任時代、子女の責任時代が、家庭において定着する時代なので、母と子女が一つになって、夫と父を復帰しなければなりません。母と子女が一つにならなければ、父の復帰ができません。それが絶対的に一つになるためには、母が責任を果たさなければならず、カインとアベルが一つにならなければなりません。そして、それで終わるのではありません。

第四に、真の父母の家庭との一体時代に入ります。そうして、祝福全体化時代に至るのです。

祝福家庭の家庭生活真の父母様は、「祝福家庭は、神様と真の父母様に代わって人類を愛さなければならない」と語られた。そして、祝福家庭が配偶者を神様の代身者と考えながら愛して、手本を見せなければならず、そのような生活習慣と心情が世界的に普遍化されるとき、天国が成し遂げられることを強調された。特に、真の父母様は、聖子の道理を受け継ぐことが祝福結婚の目標であるため、祝福家庭が孝子から聖子までの道を行くことを願われた。

10  神様が探し求める家庭の基準は、皆さん自身の家庭にだけ局限されたものではありません。神様が探して立てた家庭は、世界に行くことができます。国家を代表することができ、世界を代表することができ、天を代表することができる家庭をつくるために訪ねてきた歩みが、祝福の歩みなので、天の父母の家庭を通して祝福を受けなければなりません。

そして、祝福を受けたあとに、精誠を尽くす家庭として正常な道を行くとき、その息子、娘たちは、統一教会の大運をもって生まれるでしょう。その父と母がいくら愚かであったとしても、その子女たちは天の運勢をもって生まれるというのです。ですから、天の運勢をもって生まれる子孫をどのように残すのでしょうか。父母が精誠を尽くす基準によって、その内容が決定されるのです。すなわち国のため、世界と天のためにどれほど忠誠を尽くし、どれほどその心が切実で、至誠を尽くしたかによって、今後、生まれる子孫の運命が左右されるというのです。

自分の欲心をもって動いてみたところで、天はその人に同調しません。自分個人の欲望を充足させようとするときは、神様はその場に共にいらっしゃいません。世界と国家と民族のために生きる立場にいるとき、神様は必ず共にいらっしゃいます。ですから、より広く、高い愛を探して立てなければならないのが、祝福家庭の道です。

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第三章  真の家庭運動と祝福家庭の伝統第一節   青少年の純潔と真の家庭運動真の家庭運動の必要性真の家庭運動は、人間の先祖の堕落によってつくられたこの世界を、神様を中心とした創造本然の世界に復帰するに当たって、最も根幹となる摂理的活動である。特に、神様を中心とした理想家庭を通し、地上・天上天国を実現しようと、人種と国家、宗教などを超越し、世界的規模の祝福結婚式を展開している。真の父母様は、青少年の純潔運動とともに、祝福結婚式を通した真の家庭運動を、大々的に展開された。

1   悪の実を植えた人類の先祖によって、悪の結実となったものが青少年の淪落と家庭破錠です。アダムとエバが堕落することにより、家庭が破綻しました。その結実が世界的に成し遂げられるので、それこそ、今は大患難時代です。国や世界がすべて患難なのですが、一番の根となる家庭が、患難を迎えたというのです。どこに行くべきかを知りません。おじいさんがおじいさんの役割を果たせず、父母が父母の役割を果たせず、夫婦が夫婦の役割を果たせず、子女が子女の役割を果たせない時代になりました。そこに個人主義思想が位置を占め、神様もなく、世界もなく、国もなく、社会もあり得なかったのです。

2   世の中で、価値観の没落について語っていますが、その価値観は、金銭的な価値観でもなく、知識的な価値観でもなく、政治的な価値観でもありません。価値観の一番の中心になるものは、真の愛の価値観です。

真の父母が、真の愛の価値観を受け入れて立てなければならず、真の夫婦がその価値観を受け入れて立てなければならず、真の子女がその価値観を受け入れて立てなければなりません。その内容は変わりません。父母が成し遂げるべき価値観、夫婦が成し遂げるべき価値観、兄弟が成し遂げるべき価値観は絶対的であり、一つです。

この絶対的価値観を中心として、統一が成し遂げられるのです。父母、夫婦、兄弟を除いて、自己中心の個人主義だけをもってしては、統一天下、一つの世界を成し遂げることはできません。

3   今、「世界化時代が来た」と言っていますが、何を中心としてそのように言うのでしょうか。経済や学問、体育などを中心としてそのように言っていますが、(理想)家庭の世界化であることを知らずにいます。

世界の問題は、経済問題でもなく、政治問題でもなく、家庭問題だというのです。特に、先進国家では家庭がすべて壊れていきました。フリーセックスが家庭をすべて壊してしまったのです。ですから、(理想)家庭の世界化運動を知らなければなりません。真の父母が教えてきた理想家庭とは何かを、知らなければならないというのです。

4   真の愛を中心として見れば、この世界は真空状態にあります。空気がありません。そこに空気が一気に入れば、爆発するのです。今、そのような爆風を起こしているのが祝福運動です。真空になった世界に、そのような爆風が来て、きれいに清算するのです。その主人が真の父母です。

真の父母の血統を中心とした子女、氏族、国家が生じることにより、悪の世界を救うのです。どのような妨害があっても、真の愛の力があるため、問題ありません。真の愛の力は、高圧電気のようなものなので、そこに触れさえすれば、一瞬にして燃えてしまうのです。

5   人類の繁栄と平和統一世界は、万人の願いであると同時に、神様の願いです。個人であれ、国家であれ、世界であれ、主体と対象が神様を中心としてために生きる真の愛を実践する中で、理想的な平和が成し遂げられるのです。しかし、愛は一人では現れません。相対的関係の中において現れるのです。父母の愛は、子女をもってから、その人を通して結実し、子女の愛は、父母がいるがゆえに、その人を通して結実します。神様の創造も、一人では触発されない真の愛の理想を、実体化するためのものです。ですから、真の愛を中心とした父子関係が成立したのです。

神様は、父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王です。神様は、いつでも真の愛を施す永遠の真の父母であり、真の師であり、真の主人です。人間は神様の子女として、まず神様のような真の父母、真の師、真の主人の道を行かなければなりません。これらすべては、互いにために生きる真の愛によって助け合い、相対の位置を定着させることにより、愛の理想を完成するようになります。天理の大道は、このように利他的にために生きる真の愛から、本当の自己成就を成し遂げられるようにするのです。

真の愛を中心として、上下の父母関係、左右の夫婦関係、前後の兄弟関係が調和する中で、理想的な家庭ができます。家庭が拡大し、国家、世界、天宙が完成するのも、同じ原理と公式です。教育、言論、芸術、救護の活動など、父母様がつくり上げた世界的な基盤なども、すべて同じ公式に従い、ために生きる真の愛を投入することによって、理想世界を成就しようというものです。真の父母、真の師、真の主人の人格を目標とした、ために生きる真の愛を教える教育は、まず初めに、家庭で行われるのが理想的です。

6   冷戦が終息した今、私たちは、社会の道徳と家庭の愛を脅かす多くの問題に直面しています。性道徳の退廃と麻薬の濫用が、既に若者たちを脅かしています。世界のすべての国々が、このような問題を抱えています。

単にこのような問題をなくそうとすることだけでも、「実に驚くべきことだ」と言われるほどですが、私たちの前にあるこのような問題は、そのような意図以上の何かを求めています。

世界は、このような問題の本質を把握し、「神主義」に立脚してこの問題を解決する若い指導者たちを必要としているのです。私たちは、このような問題が、精神の問題を無視したところに起因していることを悟らなければなりません。

7   本来、神様は、アダムとエバが理想的な父母として完成することを願われました。神様の愛らしい子女として、そして、彼ら自身が愛する子女の父母として、神様の理想的な家庭を築かなければなりませんでした。そのような家庭は、愛と平和の理想世界のための出発点になったでしょう。しかし、不幸にも、そのような家庭を築けなかったことにより、理想的な国家と世界を具現する夢も消えてしまったのです。

そうであるとすれば、どのように理想的な家庭を回復できるでしょうか。

世界平和は、単に精神的な構造の問題だけではありません。それは、一個人から始まり、家庭の愛によって育ち、地球家族において結実する生き方です。神様を中心とした強い真の家庭の確立を通して、若者たちを物質中心と暴力、そして性的堕落から回復させられるのです。

8   真の家庭運動が席巻すれば、終わりです。真の家庭運動しかありません。それは、真の父母だけが手を付けられる特権です。神様とサタンが人類を中心として闘っているのですが、これを解決できる人は真の父母しかいません。神様もできず、サタンもできません。

真の父母は、神様を拘束している鉄鎖(てっさ)を断ち切り、サタンを除去しなければなりません。神様を解放しなければなりません。サタンが服従しなければならないというのです。今、世界は、政治、経済、文化など、あらゆる面で家庭問題と青少年問題を解決できずにいます。それは、真の父母だけができるのです。青少年問題、家庭問題、神様とサタンの闘争問題を偽りの父母が生み出したので、これを解決し、世界平和と地上天国を実現できる人は、真の父母以外にはいないというのです。

9   世界的に、一番解決するのが難しいのが青少年の問題と家庭破綻の問題ですが、これには誰も手を付けられません。各国の教育省や国防省も手を付けられず、政治や経済の力をもってしても手を付けられないというのです。一国だけでなく、全世界が同じ状況です。霊界も同じです。神様も同じです。これは、真の父母の特権です。

アダムとエバが十代のときに堕落して、カインがアベルを殺すという事件が起きました。最初の家庭で、あり得ないことが起こったというのです。これを是正しなければなりません。家庭を完全にひっくり返して、絶対愛、絶対に純粋な血統を植えなければなりません。青少年が堕落して、家庭が破綻したので、「終わりの日」になれば、植えたとおりに全世界が完全にめちゃくちゃになるのです。フリーセックス、同性愛、エイズのようなものが勢力を振るうことにより、すべて滅びるようになっています。

この世界の家庭問題、青少年問題を解決できる処方薬と、治せる方法を知っている専門家、医者が、真の父母だというのです。世界がすべて、そのように思っています。

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第五篇 摂理基盤の拡大と年頭標語一九六〇年四月十一日(陰暦三月十六日)の真の父母様の聖婚式は、新しい摂理歴史が出発する基点である。この日から、第一次七年路程が始まり、対外基盤拡大のための多様な活動が本格的に展開された。そして、全国に教会が建ち、食口が増加して地方組織も強化された。毎年、冬・夏季啓蒙伝道活動が展開され、大学原理運動、超教派運動、勝共運動などを通し、宗教界と社会に対して活動を展開していった。

真の父母様は、「啓蒙運動を始め、行く道を知らずに苦しむ韓民族の前に、生命の鉄の杖を持って進み出て叫びなさい」と食口たちを督励された。食口たちの血と涙の努力により、国民は統一教会を改めて認識するようになり、協会が政府に登録され、安定した活動基盤が整った。

一九六三年、協会は創立十年目にして、摂理史的に第三イスラエルとして祝福を受け、社会団体として政府に正式登録された。ユダヤ教の立場を復帰する土台を整え、ローマ帝国に相当するアメリカでの登録に続き、韓国でも登録を行うことにより、神様の摂理が一段階、前進する契機となったのである。

真の父母様は、一九五七年に『原理解説』を出版されていたのに続き、一九六六年、『原理講論』を発刊された。『原理講論』が出版されることにより、社会に向けた原理の伝達に、より拍車を掛けることができるようになり、原理公聴会、原理大講演会、特別復興会などを通して、「統一原理」でなければ、この国と、この民族の行く道はないことを示したのである。そして、大学では、「全国大学原理研究会」の活動を展開して、共産主義思想の浸透を防ぎ、教授と学生にこの国とこの民族のために行くべき道を提示した。

真の父母様は、一九六〇年から三次の七年路程を設定され、内外の基盤の拡大に拍車を掛けられた。特に、第一次七年路程は、真の父母様が韓国の解放直後、復帰できなかった個人、家庭、氏族の復帰を通して統一氏族を編成し、民族復帰の基盤を造成することに力を注いだ期間であった。この期間に、真の父母様は、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を制定、宣布されたのち、「神の日」を探して立てられた。また、毎年初めに年頭標語を発表され、その年の摂理的目標を定めて、新たな年を出発された。

そして、真の父母様は、「第一次七年路程と第二次七年路程の勝利基盤の上に、世界舞台に進み出ることができるようになった」と語られた。

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第三節   祝福家庭の共同体生活三位基台を立てることになった真のお父様は、祝福家庭に対して三位基台を編成してくださり、三位基台を兄弟以上に愛することを願われた。「共同体生活も、この三位基台を基盤にして始まる」と語られた。三位基台は、エデンの園におけるアダム家庭のカインとアベル、セツの夫婦が復帰された家庭をつくり、神様の創造理想を実現するモデル的基台を意味する。

1   私たちの教会では、男性三人、女性三人、このように三位基台をつくりました。なぜこのようにしたのかというと、主に侍るべき私たちは、アダム家庭のアダム夫婦とその三人の息子と三人の嫁の型に代わり得る、モデルを備えなければならないからです。ですから、この三人が一つにならなければ、また破壊される恐れがあるのです。

特に三人の男性が一つにならなければなりません。死のうと生きようと、霊的に一つになり、一つの体のようにならなければなりません。ですから、ある時間的な限界圏内の基台ではなく、時間性を超越した主体的な一つの型を備えなければなりません。そのようにしなければ、再び来られる主のみ前に立つ面目がないのです。

もし三位基台の三人が一つになって、み旨に代わり得る原則的な足場をつくるとすれば、言い換えれば、何が起こっても私たちは変わらないという覚悟をもった三位基台になっているとすれば、天はこのような基台の上でみ旨を成し遂げられるでしょう。このような内容を備えるために、皆さんを中心として三位基台を編成しました。

アダム家庭の三数を復帰する路程が、今日、私たちの教会の三位基台編成です。したがって、三位基台を中心として互いに一つになれなければ、天のみ前に立つことはできません。三位基台が一つになることによって、アダムの家庭で失ったものを復帰しようとされる神様の摂理を、成し遂げることができるのです。

ですから、二千年が過ぎたヤコブの時になって、十二人兄弟を探して立て、摂理されるのです。これと同様に、三数を基本として十二弟子を探し出して一つになったあとで、初めて皆さんは父母を迎えられるようになり、さらには一つの支派に代わり得る氏族圏内に入ることができます。これが、アダム家庭の時からヤコブ家庭の時まで、二千年の歴史を蕩減するための絶対的基準でした。ですから、モーセもこの道を通らなければならず、イエス様もこの道を通らなければならなかったのです。

3   真の父母を迎えるためには、真の夫婦になって、真の家庭をつくらなければなりません。そうしてこそ、その上に真の父母を迎えることができるのです。皆さんは、父母様を信じて従いますが、その気持ちと同じくらい、他の人が皆さんを信じて従う存在にならなければなりません。そのようにして、イエス様が探し求めた家庭の型を備えなければなりません。そのような時に、万民は兄弟になります。このようにするために三位基台を編成しました。

ですから、皆さんはこれから、何かをする時は一人でしてはいけません。伝道をするとしても、一人でしてはいけないのです。このような三位基台を造成し、自分たちが父母の立場に立った時でも、兄弟同士でさせてはならず、彼らと一つになってしなければなりません。父母と兄弟が一つになってこそ家庭が成立するのです。そして、これが一つの民族型を備えようとすれば、このような家庭が十二家庭いなければなりません。十数以上になってこそ、民族的な条件を代わりに引き受けることができるのです。

4   信仰の道は一人では行けません。信仰の同志が必要です。三人以上が一つにならなければなりません。ですから、三位基台が必要なのです。人間の性稟の主体であられる神様も、三つの基準を望んでいらっしゃいます。神様は、人間が過ちを犯したとしても、直接教えることはできません。縦的には教えることはできませんが、三人が一つになっていれば、一人が誤ったとしても、二人が誤らなければ、その人の過ちを教えてあげられるのです。

山での祈りも、三人以上が共にしてこそ恩恵が早く降りてきます。祈ったあとには、自分たち同士で互いに話し合わなければなりません。他の人と話し合えばサタンが侵犯します。三人が心から信頼し合える美しい姿を備えるようになれば、それを見て、周囲の人々が羨ましく思うようになり、そのようになれば、神様のみ旨は自然と繁殖するのです。神様が助けてあげなくても、三人が一つになれば、そこから新芽が生えるようになるのです。食口と接するときはその人を傷つけないように注意し、信仰生活の助けにならない話をしてはいけません。

5   皆さんは、現在置かれている立場において、怨讐を選別しなければならず、それから、自分の置かれている立場が昼なのか夜なのかを知らなければなりません。言い換えると、恩賜が共にある立場なのか、恩賜が離れた立場なのかを知らなければならないということです。

前進するにしても、神様が協助する舞台を備えて前進しなければなりません。一人で前進せずに、同志と共に前進しなさいというのです。そのためには、自分の環境が昼なのか夜なのかを知らなければなりません。そのようにしなければ、自らの能力では持ちこたえることができません。同志が必要です。ですから、み言に三位基台の法度が出てくるのです。

したがって、三位基台を備えて合同で前進しなければなりません。神様は、一人で前進することを好みません。一人で前進すると、失敗する可能性が高いからです。合同作戦を行いながら前進しなさいというのです。

6   将来の理想世界は、家庭の三位基台を中心として成立しなければなりません。創造目的とは、四位基台を完成することです。人間が先に四位基台を完成しなければならないので、すべて家庭を形成するのです。人間は神様に似るのであり、人間を中心とした社会は、神様を中心とした人間に似るのです。

今に至るまでお父様は、世界各国に統一教会を立てて、そのようにしようとしています。世界がすべて、そのようにならなければならないことを知っていますが、それを公にできずにいます。しかし、このような原則を通して、世界がそのようになるというのです。理想世界は、全世界が一人の人間の姿を形成する世界です。そこでは、国家と民族を超越するのです。

7   神様が結んでくれた三位基台、この三位基台の価値を感じられてこそ、神様の理念を感じることができます。三位基台の価値を感じられてこそ、神様の生活を代わりに地上ですることができるのです。

三位基台を編成する目的は、行動統一と生活統一、その次に理念統一をするためです。そのために、私たちは三位基台の組織をつくるのです。生活統一と行動統一と理念統一です。理念のある行動は、組織的で原理原則的なのです。

祝福家庭の三位基台と氏族復帰祝福家庭は、三位基台が一つの家で一緒に暮らしながら、兄弟の愛を体験しなければならない。そして、堕落していないアダム家庭の三人の息子によってつくられるはずだった三位基台をモデルとして、各氏族を復帰できる基台を立て、氏族メシヤの道を行かなければならない。真の父母様は、「祝福家庭は、家庭的三位基台を完成したのち、真の父母様の家庭を中心に四位基台を成し遂げるようになるとき、天国に入るようになる」と語られた。

8   祝福家庭は、三位基台を編成して暮らさなければなりません。その家庭に子女が生まれれば、四位基台が成立します。三位基台の家庭の中で、子女のいない家庭があれば、その家庭に自分の子女を養子として送ることができなければなりません。しかし、その家庭で子女が生まれるようになれば、自分の子女を返してもらうこともできるのです。

9   家庭は、全体に代わる最小単位です。家庭の過ちが全体の過ちにつながるので、個人の過ちは赦されても、家庭の過ちは赦されません。個体の喜びを全体の喜びにしようとする心情にあふれていなければなりません。個人的な事情と主観と希望を捨てて、全体の事情と主観と希望を立ててこそ、より大きなものに融合できるのです。

家庭は全体を生かすためのものです。ですから、家庭は送電所のようなものです。家庭を通じて全体と和合していけるようにしなければなりません。それゆえ、三位基台は一つの家で暮らさなければなりません。今は、家庭を再整備すべき時です。

10  統一教会は、「食口」という言葉を使います。三位基台を中心として見れば、すべて兄弟です。お父様は、この責任を担って今まで歩んできながら、僕の立場にいる人を深く愛し、兄弟を深く愛し、子女を深く愛しました。そのようにしながら、僕の時代を通過し、兄弟の時代を通過し、子女の時代へと上がってきたのです。皆さんは、父母に侍って生きることができなければなりません。

それでは、父母に侍って、どのように生きるのでしょうか。高潔に美しく生きなければなりません。これが今、お父様が心配していることです。これから皆さんの生活が変わらなければなりません。創造目的は、真の父母に侍り、孝の法度を天宙に立てて進んでいくことです。これが、天地創造の原則でした。

11  祝福家庭の三位基台は、完全に一つにならなければなりません。三位基台が経済問題で互いに助け合わなければならないのです。自分個人や自分の家庭の問題ばかりを心配するのではなく、三位基台の家庭が互いに同じ立場で助け合い、慰労しながら一つになって進みなさいというのです。そうして、三位基台の家庭が経済問題を超越して精神的に一つに結合し、一緒に食べて暮らせる基準ができたならば、そこから新しい歴史が始まります。怨讐が彼らに侵犯しようとしても、三位基台の三家庭が完全に一つに団結して歩んでいけば、退けることができるのです。したがって、三位基台を中心とした体制を強化しなければなりません。これが、家庭としての基準を立て、この時代の新しい起源を備えるところで重要な条件になります。

三位基台の家庭は、十二家庭のために生きなければなりません。十二家庭が神様のみ前に公的な立場に立ち、功を立てるために生きなければならないのです。そうして、三位基台の家庭が中心となって、東の方なら東の方、西の方なら西の方、南の方なら南の方、北の方なら北の方、そして、一年の四季と十二ヵ月を代表した絶対的で公式的な形態を備えなければなりません。「私」の家庭が動機となって、どのようにその基準にまで引き上げるのかが問題です。そうして、三家庭が互いに動機となって引き上げるようになれば、この三家庭を中心として三十六家庭まで広げていくことができます。これが統一教会の発展原理です。私たちは、家庭を中心としてこのような体制をつくらなければなりません。

12  三位基台を中心として団体活動をするには、皆さんは主体と対象の観念が透徹していなければなりません。言い換えれば、神様のみ前において、いつも主体と対象の関係を考えなければならないということです。自分が対象の立場なのか主体の立場なのかを、いつも考えなければなりません。そうして、対象は対象として絶対的な対象になり、主体は主体として絶対的な主体になりなさいというのです。もし、これが成立しなければ、団体運動はうまくいきません。

三つの家庭が三位基台になったのであれば、そこにおいて一つの家庭は必ず主体の立場に立ち、他の二つの家庭は対象の立場に立って、主体の立場に立つ家庭を中心として一体になり、天の家庭を糾合しなければなりません。主体と対象の関係が結ばれたなら、授受作用が成されなければなりません。授受作用が一〇〇パーセント成されてこそ、神様が臨在されるのです。そうでなければ、神様は臨在されません。

13  私たち自体内において、主体と対象の観念をもつことが重要です。主体と対象の関係は縦的な関係です。そして、公私の関係は横的な関係です。主体と対象の関係は、言い換えればカインとアベルの問題になります。それでは、どのような人が主体になるのでしょうか。心情的に熱い人が主体になるのです。三位基台の三人の中で、一人が死の境地に直面したり、一番困難であったりしたとき、その人に対して心情的に温かく接してあげる人が主体性をもつのです。理知的な人よりも情的な人、理論的な人よりも神霊的な人が主体になるのです。

ですから、これから皆さんが主体を決める時、三位基台の中で、み旨のためにより公的な基準を中心として多くの努力をし、多くの涙を流し、多くの血の汗を流した人を主体に選ばなければなりません。世の中では、賢く、たくさんの知識をもっていて、手際の良い人を投票で選びますが、天の法はそうではありません。情緒的な面で心情的にその幅が広く、度量が大きく、熱い人が主体になるのです。

すべての問題がここに帰結します。主体と対象の関係、公私の関係において、神様を介入させるのかサタンを介入させるのか、ということが問題です。

14  皆さんは、いまだに家庭的な真の父母の位置に入れない立場に置かれています。ですから、家庭的な真の父母の位置を探し求めていかなければならないのですが、その父母をそのまま探し出すことはできません。落ちて下がっていったので再び探し求めて上がっていくためには、兄弟の橋を架けなければなりません。すべてを犠牲にしたとしても、真の父母を探し求め、自分自身が真の父母になるためには、歴史的な解怨の条件をもって蕩減したという基準を立てなければなりません。そうでなければ、天は皆さんを受け入れることができないのです。

皆さんは父母に侍るべき立場にいるので、父母に侍る兄弟の基盤を築かなければなりません。これが三位基台の意義です。三位基台の兄弟たちが、天の父母に侍る中心を備えて、三兄弟が一つになり、十二兄弟が一つになる時、初めて天の国の家庭として資格が与えられるのです。その家庭は、教団なら教団、民族なら民族、国家なら国家を代表する形態を備え、その上に父母を迎える基準を準備しなければなりません。そうしたのちに教団的な形態を備え、世界的な父母を迎える準備をしていかなければならないのです。

15  祝福家庭は、父母様の家庭を中心として四位基台を造成しなければなりません。このようにして形成された家庭が、本来アダムが形成すべきだった家庭の型です。これができなければ、氏族メシヤとして、イエス様のみ旨をもって出発することができません。神様を中心として四位基台を造成した家庭が四方性を備えると、十二家庭が形成されます。イエス様を中心として、三弟子が祝福を受けて四位基台を造成しなければなりません。そのようになれば八人家族になるのですが、これはアダム、またはノアの八人家族を身代わりするようになります。しかし、イエス様はこのみ旨を成し遂げることができませんでした。祝福を受けなければ、天の子女にはなれません。

父母様の家庭と皆さんの三位基台の家庭が、神様を中心として一つになれば、サタンのすべての讒訴条件を断ち切って、氏族メシヤの立場で世界に向かって進んでいくことができます。そのように四位基台を造成して、八人家族が一つにならなければなりません。

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16 肉的世界はサタンの活動舞台、霊的世界は神様の活動舞台になって、常に行き違ってきました。これが復帰摂理時代に恨の要件として残っていることは間違いない事実ですが、これを行き違うようにさせてはいけません。神様を中心とした心情圏と、神様を中心として統制を受ける身体圏をつくらなければなりません。生活圏内でこれを発展させることによって、統一基盤が確立されるのです。

これが一致した男性と女性が一つになれば、一つの家庭的一致点になります。そして、その家庭的一致点をもつ家庭が三位基台を中心として、十二数なら十二数が一つにならなければなりません。そのようになることによって、氏族的な境地を越えて民族的な境地の立場になるとともに、一つの伝統的起源、統一的起源を形成するに当たって、新しい伝統がつくられるのです。

17 父母様を中心として三十六家庭が存在するように、金氏なら金氏の家門で、先に祝福を受けた家庭を中心として、金氏家門の三十六家庭型がなければなりません。三十六家庭を満たせなければ、十二家庭型の先祖にでもならなければならないのです。

それは、皆さんが、皆さんの息子、娘を中心として三位基台を造成してつくっていかなければなりません。そうして、皆さんが、皆さんの氏族の先祖になり、皆さんの家庭を中心とした新しい支派編成をしなければなりません。それが十二支派型です。十二支派の形態と同じように十二弟子がいなければならず、十二弟子が中心となって七十人門徒がいなければならず、さらに百二十人門徒のような形態を備えていかなければなりません。これが直系の氏族です。

18 皆さんを祝福するのは、父母様の特権です。父母様の特権を通じて祝福を受けるのです。この祝福は、予約的な祝福です。これを実現するためには、内的基準をきちんと仕上げなければなりません。それで、内外の家庭でその立場を代わりにするのです。すなわち、アベル家庭である父母様の家庭の前に、皆さんの家庭がカイン家庭の立場で立つ道しかありません。そうなれば、皆さんの家庭はその基準に達していませんが、父母様の家庭を中心としては、そのようになることができるのです。

そのためには、皆さんの家庭を中心として、父母様の家庭の代わりに息子の家庭の立場で、カインの家庭を探して立てなければなりません。

その家庭を立てるために、皆さんが氏族復帰をしなければならないのです。それで「氏族メシヤになりなさい」と言うのです。皆さんが氏族を復帰することによって、皆さんの家庭はカイン的家庭の先祖になり、さらに長孫(韓国では、長男の長子を指し、祭祀をつかさどる人を意味する)的な家庭になって、父母様の家庭はアベル家庭になるのです。家庭的三位基台を復帰して、父母様の家庭を中心に四位基台を造成しなければなりません。これは公式です。天国は、信仰の三子女を立て、自分の家庭と完全に一つにし、父母様の家庭に侍って行かなければなりません。それが天国に入る方法です。

19 統一教会で祝福を受けようとする未婚の男女たちは、誰彼を問わず、信仰の三子女を復帰して、家庭を築かなければなりません。家庭を復帰してからは何をするのでしょうか。家庭だけでは世界復帰はできません。ですから、支派を編成しなければなりません。氏族を復帰しようとすれば、皆さんが祝福を受けることによって、三人の息子が家庭を身代わりするのと同様の立場に立たなければなりません。ですから、皆さんが祝福を受けたあとに、家庭的な三位基台がつくられるのです。

父母様に関して言えば、皆さんが家庭を中心として父母様と四位基台を連結しなければなりません。皆さんの家庭の三位基台が一つになって、父母様の家庭と完全に一つにならなければなりません。そうでなければ、天国に入れないのです。これが成し遂げられることによって、個人の四位基台よりも、氏族的な三位基台がつくられます。家庭編成ができるのです。それによって支派編成が成し遂げられるというのです。

20 皆さんは、原則的な秩序を立てなければなりません。僕として合格し、養子として合格しなければなりません。そうして、心情的な関係を通して神様のみ前に忠誠を尽くした度数が極限に達するようになる時、三位基台の家庭基盤を中心として忠誠を尽くしたという時には、祝福家庭を天に代わる息子、娘と考え、夫婦の契りを結ばせてあげようというのです。これが復帰の道です。

その道を新しい伝統とし、私たちの文化の起源とし、私たちの生活の土台として、私たちの国と世界に永遠に残すようになるとき、天の国は建設されるのです。これが「統一思想」です。

そのようになれば、この伝統的思想を立てるに当たって、先祖になるのです。祝福を受けた家庭は、そのような先祖にならなければなりません。氏族に代わって氏族のメシヤにならなければなりません。これは誰もがしなければならないことです。このこと以外には、考えることも、行動もしてはいけません。それが、統一教会の信徒たちがすべきことです。ましてや、祝福を受けた家庭は言うまでもありません。

三位基台と共同体生活真の父母様は、「私たちが統一されなければ世界を統一することはできない」と語られ、三位基台は三年間、一つの家族のように暮らしながら、一つの兄弟の心情を体恤し、互いに愛する訓練をしなければならないことを強調された。そして、「氏族を越え、国と世界が一つになり得る共同体生活の伝統を立てることによって、天国に直行できるようになる」と語られた。

21 皆さんは、三位基台を編成しなければなりません。三つの家庭が、必ず一つの家で暮らさなければなりません。今までは堕落した人間なので、すべて分かれていましたが、その分かれていたものが、復帰時代を通過するとともに、一つになっていくのです。ですから、自分を中心として、自分の家庭だけがうまくやろうとしていた時代は過ぎました。これからは、皆さんが自分の一家庭ではなく、三家庭を中心として共同生活をしなければならないのです。その三つが合わさって、少なくとも十二家庭が一つにならなければなりません。

そして、その家に、ある食口が訪ねていけば、自分の生活基準に従って、いつでも精誠を込めた姿で接しなければなりません。もしお父さんが来られて、「御飯が欲しい」と言われれば、いつでも即座に準備してあげられるようにならなければならないのです。そのような公的な概念をはっきりとさせなければなりません。

22 本来、三位基台は、三年以上共に暮らさなければなりません。三位基台は子女を取り替えて暮らしても、自分の子女と全く同じように感じられなければなりません。それを煩わしく思えば落第生です。三位基台のうち、一つの家庭の夫が死んでも、生活などの心配はしなくてよいというのです。そのような時は、残りの二つの家庭が共に責任をもたなければなりません。私たち(の現状)は、み旨からどれほど遠い距離にいるでしょうか。サタンが「カインをアベルと同じく愛しました」と公認し得る基準を立ててこそ、サタンは離れていくのです。

三位基台の家庭の子女たちを連れてきて育てるときは、自分の子女よりも、二倍、三倍の精誠を尽くして育てなければなりません。三位基台が一つにならないのにどうして世界を統一できるでしょうか。三つの国が一つにならなければなりません。イエス様を愛した以上にこの世を愛さなければならないのです。三位基台は一つの兄弟です。この三人が一つになれば、父母様の代わりになることができます。三位基台を忘却して、自分の家庭本位に生活すれば、滅びるようになっているのです。名前だけ父母様の代わりになるのではなく、責任と心情において、父母様の代わりにならなければなりません。

23 皆さんは、平面的な基準において、縦的な三時代型を横的に蕩減する型です。それで、すべて三位基台にくくるのです。三位基台は、蘇生、長成、完成を経なければなりません。ですから、蘇生、長成、完成であって、一人で完成することはできません。三家庭が一つであって、一家庭で一つではありません。皆さん一人だけの家庭では立つことができません。ですから、お父様も三家庭を立てたのです。一人で立つことはできません。

また、そこにおいて良い物があれば、「私から!」と言ってはいけません。完成した位置に立つためには、二つの時代の恵沢圏を経なければなりません。完成しようとすれば、蘇生、長成を経なければならないのです。自分がいくら完成しているとしても、蘇生、長成を通過して、完成の位置に立っているのです。良い物があれば、彼らに三分の二以上を分けてあげなければなりません。お互いにそのようにしなければならないのです。ですから、これから共同生活をしなければなりません。その三位基台が共同生活をして、一から十まで完全に「間違いない。サタンも讒訴できない」と言うことができなければなりません。そうしたのちに、サタンが分立されていくのです。

24 皆さんが三位基台を造成するためには、何をしなければならないのでしょうか。一つの家で暮らさなかったので、一つの家で暮らしながら、皆さんが蕩減復帰をしなければなりません。ですから、これからアパートを建て、そこに日本人、韓国人、アメリカ人、ドイツ人が一緒に暮らすようにして、生活的に訓練しようと思います。それと同様に、韓国でも三位基台の家庭が一つの家で暮らしていかなければなりません。御飯を食べるにしても、粗末なお粥を食べるにしても、三家庭が共に食べて暮らさなければなりません。

絶対に後援を受けてはならないというのです。縦的に後援を受けるのではなく、横的に後援を受けなければなりません。自立しなければならないというのです。三兄弟が一つになり、六人が一つになれば、何でもできます。天地をすべてひっくり返すこともできるというのです。二人か、三人の人が祈れば天が共にあるといいますが、三位基台が一つになれば、できないことはないのです。これが統一教会の誇りです。今から、私が直接指示して、三十六家庭からすべて、一つの家で三家庭ずつ暮らせるようにしなければなりません。三兄弟が一緒に住んでから、世間に出ていかなければなりません。一つになるまでは出ていけないのが原則です。ですから、この世の兄弟に優る復帰家庭を立てなければなりません。私たちが統一されなければ、世界を統一することはできないのです。

25 天国には家庭が入るようになっています。今後、四位基台、父母様を中心として三家庭が一つにならなければなりません。父母様が教えるすべての天理の規約を中心として一体化できるように、一つにならなければならないのです。

黒人、白人、黄色人が信仰の三位基台になった場合は、そこで三年間、一つになる訓練をしなければなりません。個別の生活はできないのです。そうして、その周辺の十二家庭、または三十六家庭で一つの地域になっていれば、その全体の公認を受けた家庭は、自由解放だというのです。

26 アダムとエバが一体化すれば、カインとアベルも一体化して出発するようになります。そのようになれば、東洋で韓国と日本を中心に、新しい理想的な出発が始まり、東洋と西洋の一体化が成就するようになります。そして、真の父母が還国、国に帰るのです。神様の環境のもとに帰っていくのです。神様の還国時代です。天の父母様、完成した父母様が初めて帰国時代、国に帰っていく時代になったというのです。思想的にも、心情的にも、すべてにおいて統一世界が可能です。ですから、生活共同体ができるようになります。

日本人と韓国人、ドイツ人とアメリカ人が、すべて一つの家庭でその訓練をしなければなりません。民族感情や、氏族、民族、あるいは文化の細部に至るまで、様々に絡み合った過去の讒訴的派閥であるサタンの権限を、完全に消化して一つになる環境をつくらなければなりません。そのために生活共同化時代へと入っていくのです。祝福家庭は二人だけではありません。八人にならなければなりません。四ヵ国の家庭が父母様のために訓練しなければなりません。八人の共同体と同じです。四人が各自ペアを組めば、八人になります。韓国人と日本人とアメリカ人とドイツ人が一つの家庭の中で、一緒に生まれた双子、四つ子のように生活共同体を形成しなければならないのです。今からそのような生活訓練をするつもりです。

ですから、日本人は日本人なりに、韓国人は韓国人なりに生活してはいけません。伝統の原理的方式によって生活環境を改造することで、未来の世界はそれに従い、皆さんの子孫も天国直行の完成圏に入っていくようになるのです。

27 韓国を中心として、四ヵ国から十二ヵ国まで連結しなければなりません。その十二ヵ国さえ連結するようになれば、十二支派が編成されるのです。ですから、これから大移動が起きます。

韓国人たちは外国に出ていき、また外国人たちは韓国に来るのです。それゆえ、韓国語を学ばなければなりません。いつでもそれができるわけではないので、皆さんが外国に出ていって、韓国語を教えてあげるために小学校を建てなければなりません。

これから祝福を受けた家庭は、小学校を建てなければなりません。各国の教会を中心として、皆さんが出ていって韓国語を教えてあげ、伝統的信仰基準を中心に祝福家庭を束ね、共同生活をしながら、今後、成長する子女たちを養育できる小学校を造っておかなければならないというのです。

28 世界を一つの大きな木と考えれば、自分の家庭は、その木における小さな枝の中の枝に該当します。自分の家庭は、樹齢が数千年にもなる大木の一本の枝です。自分が最も愛する基盤となる枝のために、またその芽のために互いに尽くそうという気持ちで授受する共同体を形成するようになれば、天運が保護するので、自動的に理想圏へと成長していきます。

自分の家庭は、自分一個人の家庭ではありません。また、男性と女性は、その家庭を代表すると同時に、世界的で天宙的な存在です。人間の体でいえば、一つの細胞は、数十兆にもなる全体の細胞を代表するのです。その数十兆にもなる細胞は、一つ一つ愛によって満たされます。すべてが愛に同参(一緒に参加すること)するのです。したがって、真の愛を中心として完全に統一された家庭は、天宙と連結されるのです。

ですから、自分の家庭ばかり考える人は長続きしません。自分の国ばかり考える人も、長く続かないのです。

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5 七百七十七家庭は、三年間は先頭に立たなければなりません。最後の使命を遂行しなければならないというのです。今まで祝福家庭は、そのようなことがありませんでした。このように祝福が全般的に成就されることによって、神様の願いは今、地上で成し遂げられつつあるのです。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へと行くために、カインとアベルが一つにならなければなりません。上がるためには、カインとアベルが勝利しなければならないのです。それが原則です。ですから、世界のために犠牲にならなければなりません。各国がそのようになれば、世界統一は自動的に訪れるのです。お父様はその戦法で歩んでいます。

世界的に注目を集めた千八百双祝福結婚式千八百双国際祝福結婚式が、一九七五年二月八日、ソウルの奨忠(チャンチュン)体育館で挙行された。この日の祝福式には、韓国から八百九十二双(在日同胞十八双を含む)、日本から八百十一双、欧米から百十一双、台湾から二双など、合計千八百十六双が参加した。この中で、八十七双が国際的なカップルとなり、合計二十ヵ国の人々が参加した。祝福式では国土統一院長官の祝辞が述べられ、行事後、ソウル市内でパレードが行われた。

6 一九七五年二月八日に千八百双の祝福結婚式を挙行しました。統一教会が個人的に初めて公に姿を現し、家庭的に初めて公に姿を現すときは、父母様の家庭だけではなく、全世界の統一教会員たちが、世界の前に現れなければなりません。このような神様のみ旨があるので、家庭的に勝利して一つの杭を打たなければならないのですが、第一次七年路程、第二次七年路程の功績を土台として、第三次七年路程の上に、父母を中心として皆さんの家庭を平面上に横的に展開させ得る、一つの示威、一つの攻戦を広げたのが、千八百双の祝福行事でした。

7 第三次七年路程に入って、すぐに千八百双の祝福が行われました。第三次七年路程は、神様のみ旨から見ると、堕落圏ではなく完成期圏内に突入したので、皆さんがこれを歴史的に輝かしい伝統として残さなければなりません。千八百家庭の祝福は世界的な祝福です。二十ヵ国から集まってきて世界史的な祝福を受けたのです。

世界の超民族的な伝統基準を立てるに当たって、韓国を代表する皆さんは、恥ずかしい男になってはいけません。各国がその競争です。韓国ではたくさんの家庭が祝福を受けたのですから、主体国として輝かしい伝統を立てなければなりません。アダムとエバが自分たちの思いどおりにして堕落しましたが、それと同じようにして再び堕落するのではなく、神様と父母様のみ言を絶対的な支えとして、神様が願い、父母様が願う家庭にならなければなりません。

二千七十五双と六千双祝福結婚式一九八二年七月一日、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、二千七十五双国際祝福結婚式が開催された。真のお父様が法廷闘争をしている過程で開催されたという点で、その意義は大きい。この祝福式には、一九七九年五月に約婚式を挙げた七百五双と、一九八〇年十二月に約婚式を挙げた八百四十三双、一九八二年六月に約婚式を挙げた六百五十三双が参加した。一九八二年十月十四日には、ソウルの蚕室(チャムシル)室内体育館で六千双国際祝福結婚式が開催された。六千双の祝福結婚式には、韓国から千五百双、日本から三千六百双、東南アジアから九十双、アメリカから百五十双、中南米から百双、ヨーロッパから四百双、アフリカから六十双など、八十五ヵ国から参加した。

8 一九八二年七月一日に、二千七十五双の祝福結婚式を行いました。結婚というのは、一双だけがしてもその近所で祝祭をするのに、数千双が結婚することに反対するというのは、道理から外れていることです。この祝福行事でデモをする人がいないので、警察が驚いたでしょう。西欧社会においては大きな衝撃だったはずです。これから皆さんは、私たちの祝福結婚式を大いに誇らなければなりません。

9 今、お父様は、アメリカで法廷闘争をしています。普通の人であれば、喪中の家のようになり、(泣き叫んで)大騒ぎになることかもしれませんが、二千双以上を結婚させてあげました。これには重要な意義があります。お父様の歴史を記録するとすれば、こういう時であるほど、このようなすべてのことが、より貴重な価値をもつというのです。お父様に反対するその国のために、このような公的なことをしているという事実は、歴史がひっくり返ることです。そのようなことを、なぜこのように急がせるのでしょうか。それは、お父様がモスクワ大会のために行くべき道が残っているからです。

10 六千双の祝福結婚式は、摂理史的に見ると、歴史的な一つの終着的な結末をつける行事でした。韓国から出発した統一教会が、今まで韓国にそのままとどまっていれば、全世界に影響を与えたり、全世界の人々の心情を一つに合わせたりする結果をもたらすことはできなかったはずです。それで、国際的な舞台に拡張する世界的な拡張運動を通して、全世界の人々の心情を糾合させられた良いひと時だったと考えるのです。ここに参加した国は、八十五ヵ国です。自由世界はもちろん、共産圏にいる人たちまでもここに参加したことは、歴史的な事実です。

この大会自体は、霊的に見れば、数多くの霊界の先祖たち、八十五ヵ国の先祖たちがみな団結する場でした。摂理上には様々な祝福すべきことや誇るべきことがたくさんありましたが、霊的世界全体が超国家的な立場で団結できる時は、神様の摂理歴史の過程を通してこのひと時が初めてでした。そして、世界八十五ヵ国の若者たちが、この場で祝福を受けるその瞬間の環境や、祝福を受ける本人たちもまた、国家を超越して一つの焦点を合わせていたというのです。霊界が見つめる焦点と地上で見つめる焦点が一致し得た時は、今まで歴史上にもありませんでしたが、今後もないでしょう。これは、超世界的な慶事でした。ですから、神様の立場から見るとき、誇らしいことだというのです。

11 統一教会は、愛の世界をつくるために祝福結婚式をします。統一教会は人種差別を認めません。真の愛においては、「白人は異なり、黒人は異なる」と言うことはできません。統一教会が偉大であり、統一教会員たちの違うところはその点です。六千双の国際祝福結婚式の時にも、私は日本の女性たちと黒人たちを七十双ほど結婚させました。強制したのではなく、自分たちが望んでしたのです。

12 六千双の祝福を受けた人を世界に配置しました。そうすることによって人種が完全に束ねられ、縦横の歴史が完全に転換するのです。上下の歴史が完全にひっくり返り、東西が入れ替わるというのです。それにより、すべての歴史的な潮流が変わるという話です。潮流が変わります。家庭的理想は、愛を中心として成就するのですが、世界で有史以来、初めて愛の潮流が神側から押し寄せ始めたのが今回の祝福です。

初めて地球星に愛の思春期が訪れるのです。六千双の祝福結婚式によってそのようになります。六数はサタン数ですが、サタン圏内を撃破できるのが六千双です。愛の六千双の旗を翻すことによって、サタン世界は完全に退くのです。

第四節 六千五百双、三万双、祝福二世の祝福結婚式交叉祝福時代を開幕した六千五百双祝福結婚式六千五百双国際祝福結婚式が、一九八八年十月三十日、一和の龍仁(ヨンイン)工場で挙行された。この祝福結婚式には、十七ヵ国からの参加があったが、韓国の新郎と日本の新婦千四百三十五双、韓国の新婦と日本の新郎九百七十三双など、日韓の交叉結婚が相当数を占めた。また、日本の新郎と日本の新婦三千六百六十双も参加した。真の父母様はこの約婚式で、主に写真を御覧になって結婚相手を決めてくださった。

1 六千五百双を祝福する時、日本人と韓国人を交叉結婚させました。なぜそのようにしたのでしょうか。アダム国家は韓国であり、エバ国家は日本です。アダムとエバが自分勝手に結婚することによって世界を失ってしまったのですが、今や国家的基準でひっくり返しておいたのです。

2 国家基準の二世たちが交叉結婚をすることによって、サタン世界は崩壊し、父母様の全権時代の土台の上で、理想天国が出発するようになります。その歴史の象徴物として集まってきたのが六千五百双です。これを一週間以内にしました。最初、日本の幹部たちは「そのようなことはできません」と大騒ぎしましたが、死に物狂いでやるようにというお父様の命令に従ってやってみたところ、日本政府の機関が協力するようになり、韓国大使館が協力するようになりました。日本も助けたという条件を立て、韓国も助けたという条件を立てたのです。

3 一九八八年十月三日に「世界統一国開天日」を宣布しました。そのように宣布することによって、国が生じるのです。アダムとエバが個人的に堕落してサタンのもとに行ったので、これを蕩減し、復帰していくときに、サタン世界を代表するアダム国家とエバ国家の二世たちを中心として歩んでいくようになるのです。彼らはカナンに復帰したのと同じです。イスラエル民族は、カナンに復帰してカナン七族に染まり、結婚を誤って病にかかったのです。ですから、道義がすべて破壊され、乱れた社会環境になりました。

そのように、すべて流れていくしかない環境の中で、父母様が韓国の二世たちと日本の二世たちを交叉結婚させたのです。それは国家と国家が結婚したのと同じです。エデンの園で個人的に結婚を誤ることによってサタン世界になったのですが、天の父母と真の父母を中心として、アダム国の代表とエバ国の代表が交叉結婚をすることにより、国家的に天に抱かれ得る門が開かれるのです。

4 韓国と日本は怨讐の国ですが、これを押しのけて、韓国で交叉結婚をしました。韓国も反対できず、日本も反対できませんでした。写真を見て結婚し、言葉も通じない国の人たち同士が結婚するというのは、歴史上になかったことです。六千五百双の祝福行事を、すべてが歓迎する中で神様の名によって行うので、サタンは付いてこられなかったというのです。

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11 五千年の歴史を経てきながら、私たちの民族は様々な苦労の道を歩んできました。悲しみがあっても、どこかに行って訴えることができず、憤りや悔しさがあっても訴えることができない中で、この民族は歩んできました。

それでは、民族をつかんで、皆さんはどのようにすべきでしょうか。孤児のようなこの民族ですが、私たち同士で手を握って痛哭することができなければなりません。そうしてこそ、この民族が生きることができるというのです。兄弟に過ちがあろうとなかろうと、天が許した同じ血と骨肉をもって生まれた兄弟なので、自分個人の事情を越え、父母の歴史的な血統と心情に結合するために泣くことができる、雅量のある人たちが現れなければなりません。そのような青年たちが求められているのです。

そのような青年たちの血潮がたぎる情熱が、一身の出世と欲望のためのものであれば、それは一個人の限界圏内で終結するでしょう。

12 人間の本来の理念は、無限大の(限界)線を何度も越えて神様をつかみ、喜ぶことを願うのです。したがって、人間本来の理念のために、情熱を注がなければなりません。

この民族が経てきた歴史路程に神様の摂理があったとすれば、その摂理の終局に、神様はどのような群れを求められるでしょうか。それは、神様のみ旨を成し遂げるために泣くことでしょう。一つのみ旨に思い悩んで泣き、一つの心情に思い悩んで泣き、一つの行動に思い悩んで泣きながら、先に供え物になろうという群れです。神様は、そのような群れを求められるのです。

13 私たちが良心的な基準を探し求めていくところには、悪が対立していて、サタンが反駁できる余地があります。ですから、私たちは、私たちの心と天の心が一体となるその基点の上で人情と天情が一体になり、私たちの理念と天的な理念が一体となるその基点の上で私たちの生命と天の生命が一つになり、私たちの愛と天的な愛が一つに絡み合うその基点の上で、天と絆を結ばなければなりません。

天と私たちの心が一つになり、生命が一つになり、理念が一つになり、愛が一つになった絆を、何によって断つことができるでしょうか。堕落した人間同士が結んだ情の絆も切ることができず、泣き叫んで大騒ぎするのに、天情に絡めて一つになったその絆を誰が断ち得るでしょうか。いくら罪悪の力が強く、地の権勢が強いとしても、この心の根本で結ばれた情的な流れの一つの基準を曲げることができるものは、何もないというのです。

そのような基準を見つけ出す時まで、歴史は苦しみ、人類は塗炭の苦しみの中でうめくのですが、これを防ぐ勇者は地上にいないのでしょうか。このような責任を担い、このような使命の路程を開拓するために、自分の体を一つの爆弾として、一つの原子爆弾として、サタンの都城を崩してしまおうという、火のついた爆発的な心情をもった勇者がいることを、私は期待します。このような勇猛さを備えた天の精兵たちが、大勢現れることを天は願っています。

14 最後に残る一つの理念の場に向かって動いていくようにするのは心情です。心情が最終的に「私」のすべてを決定してくれるのです。この心情一つだけをつかみ、注意深く探し求める人が、聞かせてくださるみ言を聞くことができ、見せてくださる幻想を見ることができ、生活におけるあらゆる実情を分析することができます。

自分に与えられた責任を感じつつ、気をもむ心情と不安な心を抑えながら、新しい理念を探し求めて動く青年男女たちがいて、彼らの泣き叫ぶ声が聞こえる、そのような心情の動きがあるなら、皆さんは、彼らの心情を通して、歴史的なすべてのことと、長い間感じてきたすべてのことを一度に感じられるでしょう。その心情を感じ、自己を覚醒して、「天が求めていた理念の主体がこれだったのか。世界が求めていた真の姿と、天地の前に立てて誇り得る姿がこれだったのか」と、我知らず叫ぶ瞬間をもつ人だけが、歴史の主人であり、摂理の主人であり、天倫の主人なのです。

今日、皆さんは、関係と絆の世界において責任を果たし、実績を残さなければならない人生行路を歩んでいます。そのようになれば、自分を誇ることができ、「本然の人間に代わる勝者の姿が私だった」という覚醒が訪れるでしょう。そのような瞬間に、この世界と宇宙は皆さんのものになり、神様も皆さんの神様になるでしょう。

15 私たちによって、天と地と人類の幸福の基点がこの地上に現れなければなりません。このことに誰かが責任をもたなければなりません。涙が前を遮って歩くことができず、身もだえしながらこれに責任をもとうと、ひれ伏して訴える人がいれば、その人の膝に頭を埋めて痛悔しなければなりません。凄惨で絶望的な境遇にありながらも、自分の一身を顧みず、その立場で感謝する心をもって、天のために、み旨のために血と汗を流しながら進んでいく群れがいるなら、決死的に彼らに従っていくことができなければなりません。このような信者、このような良心的な人士がこの民族の中から、特にこの民族の青年男女たちの中から現れなければ、この民族は滅びます。

「私が、神様の永遠不変の理念的な足場です。この姿は、たとえぼろを着て、おなかをすかせ、備えたものがないとしても、心情においては、私でなければあなたの手をつかんであげる人がなく、私でなければあなたの服をきれいに整えてあげる人がなく、私でなければあなたの履物を直してあげる人がいません。あなたのいかなる一部分も、私でなければなりません」と言える群れが集まれば、闘わなくても、このサタンの天下を征服できるのです。重要なのは、私たち自身です。

第三節 「成和学生会」と「全国大学原理研究会」「成和学生会」と成和同窓会統一教会の初期の活動は、成和出身者たちが主導した。一九五五年十月二十三日、中等部と高等部の「成和学生会」がそれぞれ結成され、それ以後、教会活動の中枢的役割を担った。「成和学生会」を修了した正会員と、仮修了した準会員で構成された全国成和同窓会の創立総会が、成和七期までの卒業生が参加する中で、一九六三年十一月八日から十五日まで開催され、以後、毎年総会が開かれた。

1 「成和」という名前を、なぜ若者たちに付けてあげたのでしょうか。血が沸き立つ若者、純潔の血が沸き上がり、神様の感情に同化され得る血をもった若い青少年たちが必要だというのです。それで、若者たちに「成和」という名前を付けてあげました。成和の意味は、「成し遂げて和合する」ということです。一つの目的を成し遂げて和合するのです。和合したので、二つではなく一つです。麹と同じです。

家庭には、祖父、祖母、あるいは父、母がいますが、ほほえましい姿の子女たちもいなければなりません。それでこそ、その家に笑顔の花が咲くのです。そのような意味で、成和の若者たちがもつ責任は大きいのです。これから成和学生の皆さんは、神様を解放してさしあげる旗手になるという信念をもたなければなりません。神様が六千年間、闘ってこられた信念以上の信念をもった人がいるとすれば、み旨を成就できなくても、神様はその人に仕事を任せるのです。

2 「成和」の「成」は、創造理想の完成を意味します。すなわち、宇宙全体の完成を意味するのです。本来、完成(期)の基準を立てる時期は、人間始祖が堕落した年齢である十六歳の時からです。ですから、二十歳前後の成和を中心として、すべてのことが成就されるのを願われる神様です。未来完成の位置を占有できるのは、青少年の時期です。

お父様は、青少年期に願いの標準と生涯の目標を立てて決心しました。皆さんは、神様の正しい系統を引き継いだ者として、直行しなければなりません。

3 堕落した子孫たちは、嘆息圏内で生きています。皆さんは、このような嘆息圏内で善の基台をつくろうという信念をもって闘争していかなければなりません。より大きな善を創造しようとすれば、信念をもって誤った環境を踏み越え、闘争しなければなりません。このように能動的に行動するとき、悪の環境も善の環境に吸収されるでしょう。第二の創造が始まるというのです。

どんな環境にぶつかっても、どんな波が打ちつけてきても、これを克服していこうという信念をもった人が多ければ、この国は滅びません。お父様もこのような信念をもって闘っています。

再創造をしようとすれば、相対的な位置ではなく、主体的な位置に立つ存在にならなければなりません。再創造の価値をもつことができないので、「成和学生会」が発展できないのです。行く途中で倒れれば、結局、滅びます。皆さんは、再創造の目標を立てて行進していかなければなりません。自分自身から再創造しなければなりません。「善を創造する私」、「善を代弁する私」として再創造しなければなりません。

「私」は善を立てることもでき、善を壊すこともできる存在です。二股に分かれた道に立った母体です。より良いものを願う欲望を満たそうとすれば、神様のみ前に対象の位置に立たなければなりません。私たちは、地上で善を擁護し、悪を憎む人たちになろうというのです。

4 統一教会は、今まで歩んできましたが、まだ世界舞台に向かっていくべき道が残っています。ですから、父母様は世界に向かっていくのです。行く時は、誰にも屈せず、負けません。また、何かの問題を解決するための勇猛さも誰にも負けず、闘いにおいても、誰にも負けませんでした。このような心をもって進まなければ、世界的な勝利を期待することはできません。今、いくら民族的な勝利をしたとしても世界的な勝利の道は遠いというのです。

今まで皆さんがどんな立場で若い時期を送ったのかを考えなければなりません。神様のみ旨と統一の理念圏内で生きていますが、いつでも父母様が目指し、神様が目指す勝利の世界に行くために、自らの立場を批判できなければなりません。そして、その批判によって自ら悲しみを感じる小心者にならず、それを基に発展できる大きな器にならなければなりません。したがって、皆さんはこれから天上世界が許す天の王子になり、王女になり、栄光の天国を完成するために、若い時期によく準備しなければなりません。

5 私たちは、サタンの鉄条網から抜け出せる時まで、神様のみ旨に従って進まなければなりません。神様は、本当に「私」の父であり、私は神様の息子、娘であることを知って、忘れることができずに残っている神様の恨を解いてさしあけるべき責任があります。

私たちは、神様の恨を解くことによって、神様を解放してさしあげなければなりません。そして、自由な神様として万国を統治するとき、少しでも妨げになる障害物があるとすれば、「私」が責任をもってすべて取り除き、自由と平和の天国として万国を主管する堂々たる絶対者としてお迎えしようと思わなければなりません。

そのような信念をもった成和学生、若者がいるとすれば、その人は本当に偉大な若者です。このような若者たちによって、今後、世界は新しい方向に進むようになるでしょう。皆さんが実際にこのような若者になったとすれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは見苦しい姿ではありません。そこには無限の希望が宿っているのであり、その姿は神様の希望と幸福の基盤になるのです。

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第二節   「成和青年会」「成和」の意味と「成和青年会」一九五四年十二月三十一日、協会に初めて「成和基督学生会」が出帆した。「成和」という名称は、真のお父様が直接、命名してくださったものであり、以後、多くの団体にその名称が活用された。み言によれば、「成和」は、完成と和動、すなわち互いに和して完成していくという意味である。「成和基督学生会」は、一九五五年三月二十七日、「成和青年会」に名を変え、一九六〇年まで協会活動の中心となった。この日、機関誌「成和」創刊号が発刊された。

1   皆さんは、「成和青年会」というこの字の意味を知らなければなりません。「成和」という言葉は、何かの刺激によって受動的な立場で和合しなさいということではありません。能動的に和合しなさいということです。

このような意味を中心として出発した皆さんなのに、朝は喜んでいても、夕方には泣いて騷ぎ、また夜になれば自分のしたいようにすべてしています。それではいけません。神様のみ旨を知る人たちであれば、朝に泣き、夕方や夜には喜ばなければなりません。それにもかかわらず、皆さんは、初めは喜んでいても、あとになって「ああだこうだ」と言って多くの条件を付けるのです。

ですから、成和学生の卒業生たちに苦労をさせるのです。皆さんを最前線に送り出して、倒れさせ、死の淵に追い込んでこそ、民族を救えるとすれば、そのようなことをさせなければなりません。

2   「成和」という言葉は、どのような意味があるのでしょうか。化学の「化」は本質まで変わりますが、成和の「和」は違います。絶対的な相対性と神様の本質としての「成和」だというのです。皆さんは、正にこの「成和」としてみ旨を果たしていくのです。

皆さんは、自分を中心とした世界観と生活観、自分を中心とした天的な心情を強固にしなければなりません。そうして、完全な種として結実して、殼を脱がなければなりません。それでこそ、真の穀物になるのです。それなのに、「先生の姿は立派だが、弟子たちの姿はそうではない」と言われてはいけません。

3   成和の「和」は、個性がそのまま生きているのです。「個性真理体」という言葉があります。ここに千人いれば、この千人はみなそれぞれ違います。個性をもっているのです。その個性を中心として一つになるのが「成和」です。「化合」は、個性が変わって一つになることですが、「成和」は、個性をもったまま一つになることを言います。

「成和」は、すべての個性が合わさって成し遂げたという意味なのです。そのように成し遂げることを「統一」と言います。各自の個性が連結されて完成すれば、完全に一つになるというのです。統一が成し遂げられるのです。

4   「成和青年会」の「成和」という字を調べてみると、「成」は完成を意味し、「和」は和動を意味します。「互いに和して完成していく」という意味になるのです。そのためには、第一に、皆さんがみ言の過程を通過しなければなりません。第二に、皆さんは、神様が相談できるほどの人格をもつ存在にならなければなりません。一つ一つ相談しなくても、心情的に通じなければならないのです。そして、何よりも、和動の中心にならなければなりません。前後、上下、左右に和合できる人格体にならなければならないのです。そうして、祝福の実体になることが標準です。

イエス様も、青年時代にみ旨の一線で働きました。三十歳前後の青年時代は、人生で最も重要な時期に該当します。お父様の若さに皆さんの若い情熱をプラスして働かなければなりません。再創造の偉業に加担して、栄光の条件を備えることができるのは、この一時しかありません。

私たちは徹頭徹尾、世の中の人たちに対して、「私はあなたたちと同じではない」という心情を備えなければなりません。「あなたたちは成し遂げることができないのか。私はできる!」、このような精神を常にもっていなければなりません。いかなる困難の中でも、「私はあなたたちと同じではない。歴史的にも、時代的にも、平面的にも、どこを見てもそうだ」と言えなければなりません。あらゆる困難なことに対して、「私」が動かなければならないという決心がなければなりません。

5   皆さんの中に、生命が躍動している青年男女はいるでしょうか。そのような人がいるとすれば、教会の牧師、長老の前に天倫を立証し、彼らの人格を批評して、天的な価値の前に審判できる資格を備えなければなりません。神様の心情に外れたことは、天上のいかなる存在も、地上のいかなる存在も受け入れないという覚悟をもたなければなりません。

皆さんは、統一教会に入ってきたのであれば、既成宗教の観念を超越しなければなりません。懐疑的な信仰観念を踏み越えて立たなければなりません。

今までの信仰観念の立場は、神様が臨在できる安息所になることができず、イエス様の実体に侍ることができる安息所になれないので、それを情け容赦なく踏み越えることができる勇断さをもたなければなりません。

6   若い人々は、その若い時期が長く続かないことを知らなければなりません。どのみちみ旨を知った人として、天のみ前に献身しようと進み出たのですから、貴い青春時代を何の未練もなく天のみ前に完全に捧げようというのです。そうすれば、それがどれほど貴いか、考えなければなりません。

時々、青春時代をみ旨と共に無意味に過ごしたと後悔する人々を目にします。そのような人々は、み旨がどのようなものであり、若い時代にみ旨と共に過ごしたことがどれほど価値のあることかを忘却した立場で不平を言い、嘆息するのです。

この若い時代には、必ず峠があります。各自には、必ず最高の絶頂期と言える青春時代があるのですが、その一時を誰と共に過ごすかが問題です。自分の一身や一家の幸福のために過ごすことより、国と世界のために、歴史とともに永遠に残り得る問題を中心として生きることが貴いというのです。

青年に対する時代的要求と使命協会創立以降、中心となったのは青年と学生であった。意気衝天の勢いをもつ青年と学生は、教会の力であり、花だった。そして、草創期の食口たちは、大部分が社会的に地位のある人々であり、錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。そのため、「統一教会は知識人だけが行く教会だ」といううわさも広まった。青年たちは、草創期の教会の柱として、民族と世界を復帰する先兵の役割を果たし、真のお父様も青年たちを野外に連れ出しては、克己訓練をさせ、自然と親しむ機会をもたせるなど、彼らを指導者として育成するために尽力された。

7   一般の大学生たちは、学校を卒業すれば社会に出ます。それから、家庭を築くようになります。それは、皆さんももちろんであり、お父様も同じです。形は似ています。学校を卒業したあと、大韓民国の国民の一員として国に貢献できる道を探し求めていくのです。

ですから、社会なら社会のある道徳圏内で生活をするようになります。男性は男性として、女性は女性として、家庭を築いて暮らすようになるでしょう。このように、向かっていく方向はみな同じです。しかし、社会に出た人は、その歩みが社会でとどまり、家庭に入った人は家庭でとどまるでしょう。その家庭と社会を越えて、国家と世界に向かい得る、自律的で自主的な信念で一日一日の生活を開拓していくことができず、その日その日を、生き甲斐をもって送り得る能動的な実体になれなければ、いつも悲観と失望の中で生きていくようになるのです。今、若者たちの中には、そのような人も多いでしょう。

しかし、私たちは、彼らとは行く方向は同じですが、立場が違います。家庭ができれば、私たちはその家庭の家長になりますが、一つの家庭の家長だけで終わるのではなく、自分を中心とした個人的な家庭の環境を打破し、氏族に連結され得る家庭の道をつくらなければなりません。そうして、民族を統合できる核心的な家庭の形態を備え、世界の家庭へと向かっていかなければなりません。このように、私たちは一般の青年たちと立場や考える範囲が違います。

私たちは、このような使命を果たすべき個体なので、このような面で影響力を発揮できる主体的な個体として能動的に実践するためには、外的に実力を備えなければなりません。そうして、力の母体にならなければならないのです。力がなければ、このすべてのことを達成し得ません。

8   青少年がもつべき誇りとは、どのようなものでなければならず、神様が訪ねてこられる青少年とはどのような人でしょうか。これが問題です。

それは、不信の先祖であるアダムとエバが汚した路程に従っていく青少年ではありません。疑ったり、不平不満を言ったりする若者たちではありません。「絶対犠牲、絶対信仰、絶対服従、絶対順応するのみである」と言える純粋な青少年でなければいけません。復帰時代の限界点が近づくこの時に生まれた成和の中高生、統一教会の青少年の皆さんが立っている立場は、流れていった歴史時代とは違います。皆さんは、霊界と肉界の統一的な基盤を備え、肉的(実体的)なアベルの基盤を備えて、新しい世界に登場しなければなりません。

「統一思想」を携え、この境界線を越えて、新しい旗手として旗を持って進み出るべき群れは、年を取った壮年や老人ではなく、血潮がたぎる若者たちです。そのような輝かしい青少年の群れを、この地球上のどこか一ヵ所からでも発見できるその日が来てこそ、神様の六千年の恨が解けるのであり、アダムの怨恨の基盤になっている罪悪の根を抜いて覆すことができるのです。これを発見できず、これと出会えなくなる時は、天宙が暗黒のまま延長されます。ですから、神様が呼び求めている世代は、青少年世代なのです。

9   皆さんは、先祖たちの歩んでいった路程を経なければなりません。私たちは今、荒野に出たイスラエル民族と同様です。モーセとイスラエル民族は、荒野で追われて苦難に遭い、イエス様は民族とユダヤ教から排斥され、家庭から不信されましたが、皆さんも、そのような悲しく悔しい立場を経なければなりません。だからといって、落胆しないでください。

皆さんがこのような悔しい立場で果たすべきことがあるとすれば、それは歴史的に苦難を受けられた父の心情を体恤し、先祖たちの苦痛は自分の苦痛だと思って、千年、万年、そのみ旨のために変わらずに団結し、サタンに対する敵愾心を抱いていかなければならないということです。そのようにできる青年男女を、天は求めているのです。このように、天的なみ旨に徹する本物の青年たちを、天は探し求めてこられました。

民族に代わって私たちにこのような使命を任せたとすれば、私たちは父の怨恨の心情を感じ、父の悲しみを自分の身に抱いて、怨讐に向かって進撃できる精兵にならなければなりません。そのために皆さんは、皆さんの生活と理念を統一させなければなりません。天の悲しみと、イエス様の悲しみと、先祖たちの悲しみと、子孫たちの悲しみを解怨するために、進まなければならないのです。

10  青年男女の皆さんは、自分自身が着飾る前に、この三千万の民族が着飾るようにしようという心、自分自身を考える前に、この地上の万民を考える心が湧き出なければなりません。さらには、一株の草までもつかんで泣いてあげられる心が、自分も知らぬ間に心中で爆発しなければなりません。このような心情をもつことができなければ、完全な神様の息子、娘になれないのです。そのような人間は、神様の涙の実であり、神様の苦痛の実であり、また神様の血の祭壇の上に上がる供え物なのです。

それでは、この民族の行く道を開拓する人は誰でしょうか。本当にこの民族のために地をたたき、胸を打ちながら痛哭する人が現れなければなりません。この世界を救う人は、青年男女たちなのです。

第二節   「成和青年会」「成和」の意味と「成和青年会」一九五四年十二月三十一日、協会に初めて「成和基督学生会」が出帆した。「成和」という名称は、真のお父様が直接、命名してくださったものであり、以後、多くの団体にその名称が活用された。み言によれば、「成和」は、完成と和動、すなわち互いに和して完成していくという意味である。「成和基督学生会」は、一九五五年三月二十七日、「成和青年会」に名を変え、一九六〇年まで協会活動の中心となった。この日、機関誌「成和」創刊号が発刊された。

1   皆さんは、「成和青年会」というこの字の意味を知らなければなりません。「成和」という言葉は、何かの刺激によって受動的な立場で和合しなさいということではありません。能動的に和合しなさいということです。

このような意味を中心として出発した皆さんなのに、朝は喜んでいても、夕方には泣いて騷ぎ、また夜になれば自分のしたいようにすべてしています。それではいけません。神様のみ旨を知る人たちであれば、朝に泣き、夕方や夜には喜ばなければなりません。それにもかかわらず、皆さんは、初めは喜んでいても、あとになって「ああだこうだ」と言って多くの条件を付けるのです。

ですから、成和学生の卒業生たちに苦労をさせるのです。皆さんを最前線に送り出して、倒れさせ、死の淵に追い込んでこそ、民族を救えるとすれば、そのようなことをさせなければなりません。

2   「成和」という言葉は、どのような意味があるのでしょうか。化学の「化」は本質まで変わりますが、成和の「和」は違います。絶対的な相対性と神様の本質としての「成和」だというのです。皆さんは、正にこの「成和」としてみ旨を果たしていくのです。

皆さんは、自分を中心とした世界観と生活観、自分を中心とした天的な心情を強固にしなければなりません。そうして、完全な種として結実して、殼を脱がなければなりません。それでこそ、真の穀物になるのです。それなのに、「先生の姿は立派だが、弟子たちの姿はそうではない」と言われてはいけません。

3   成和の「和」は、個性がそのまま生きているのです。「個性真理体」という言葉があります。ここに千人いれば、この千人はみなそれぞれ違います。個性をもっているのです。その個性を中心として一つになるのが「成和」です。「化合」は、個性が変わって一つになることですが、「成和」は、個性をもったまま一つになることを言います。

「成和」は、すべての個性が合わさって成し遂げたという意味なのです。そのように成し遂げることを「統一」と言います。各自の個性が連結されて完成すれば、完全に一つになるというのです。統一が成し遂げられるのです。

4   「成和青年会」の「成和」という字を調べてみると、「成」は完成を意味し、「和」は和動を意味します。「互いに和して完成していく」という意味になるのです。そのためには、第一に、皆さんがみ言の過程を通過しなければなりません。第二に、皆さんは、神様が相談できるほどの人格をもつ存在にならなければなりません。一つ一つ相談しなくても、心情的に通じなければならないのです。そして、何よりも、和動の中心にならなければなりません。前後、上下、左右に和合できる人格体にならなければならないのです。そうして、祝福の実体になることが標準です。

イエス様も、青年時代にみ旨の一線で働きました。三十歳前後の青年時代は、人生で最も重要な時期に該当します。お父様の若さに皆さんの若い情熱をプラスして働かなければなりません。再創造の偉業に加担して、栄光の条件を備えることができるのは、この一時しかありません。

私たちは徹頭徹尾、世の中の人たちに対して、「私はあなたたちと同じではない」という心情を備えなければなりません。「あなたたちは成し遂げることができないのか。私はできる!」、このような精神を常にもっていなければなりません。いかなる困難の中でも、「私はあなたたちと同じではない。歴史的にも、時代的にも、平面的にも、どこを見てもそうだ」と言えなければなりません。あらゆる困難なことに対して、「私」が動かなければならないという決心がなければなりません。

5   皆さんの中に、生命が躍動している青年男女はいるでしょうか。そのような人がいるとすれば、教会の牧師、長老の前に天倫を立証し、彼らの人格を批評して、天的な価値の前に審判できる資格を備えなければなりません。神様の心情に外れたことは、天上のいかなる存在も、地上のいかなる存在も受け入れないという覚悟をもたなければなりません。

皆さんは、統一教会に入ってきたのであれば、既成宗教の観念を超越しなければなりません。懐疑的な信仰観念を踏み越えて立たなければなりません。

今までの信仰観念の立場は、神様が臨在できる安息所になることができず、イエス様の実体に侍ることができる安息所になれないので、それを情け容赦なく踏み越えることができる勇断さをもたなければなりません。

6   若い人々は、その若い時期が長く続かないことを知らなければなりません。どのみちみ旨を知った人として、天のみ前に献身しようと進み出たのですから、貴い青春時代を何の未練もなく天のみ前に完全に捧げようというのです。そうすれば、それがどれほど貴いか、考えなければなりません。

時々、青春時代をみ旨と共に無意味に過ごしたと後悔する人々を目にします。そのような人々は、み旨がどのようなものであり、若い時代にみ旨と共に過ごしたことがどれほど価値のあることかを忘却した立場で不平を言い、嘆息するのです。

この若い時代には、必ず峠があります。各自には、必ず最高の絶頂期と言える青春時代があるのですが、その一時を誰と共に過ごすかが問題です。自分の一身や一家の幸福のために過ごすことより、国と世界のために、歴史とともに永遠に残り得る問題を中心として生きることが貴いというのです。

青年に対する時代的要求と使命協会創立以降、中心となったのは青年と学生であった。意気衝天の勢いをもつ青年と学生は、教会の力であり、花だった。そして、草創期の食口たちは、大部分が社会的に地位のある人々であり、錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。そのため、「統一教会は知識人だけが行く教会だ」といううわさも広まった。青年たちは、草創期の教会の柱として、民族と世界を復帰する先兵の役割を果たし、真のお父様も青年たちを野外に連れ出しては、克己訓練をさせ、自然と親しむ機会をもたせるなど、彼らを指導者として育成するために尽力された。

7   一般の大学生たちは、学校を卒業すれば社会に出ます。それから、家庭を築くようになります。それは、皆さんももちろんであり、お父様も同じです。形は似ています。学校を卒業したあと、大韓民国の国民の一員として国に貢献できる道を探し求めていくのです。

ですから、社会なら社会のある道徳圏内で生活をするようになります。男性は男性として、女性は女性として、家庭を築いて暮らすようになるでしょう。このように、向かっていく方向はみな同じです。しかし、社会に出た人は、その歩みが社会でとどまり、家庭に入った人は家庭でとどまるでしょう。その家庭と社会を越えて、国家と世界に向かい得る、自律的で自主的な信念で一日一日の生活を開拓していくことができず、その日その日を、生き甲斐をもって送り得る能動的な実体になれなければ、いつも悲観と失望の中で生きていくようになるのです。今、若者たちの中には、そのような人も多いでしょう。

しかし、私たちは、彼らとは行く方向は同じですが、立場が違います。家庭ができれば、私たちはその家庭の家長になりますが、一つの家庭の家長だけで終わるのではなく、自分を中心とした個人的な家庭の環境を打破し、氏族に連結され得る家庭の道をつくらなければなりません。そうして、民族を統合できる核心的な家庭の形態を備え、世界の家庭へと向かっていかなければなりません。このように、私たちは一般の青年たちと立場や考える範囲が違います。

私たちは、このような使命を果たすべき個体なので、このような面で影響力を発揮できる主体的な個体として能動的に実践するためには、外的に実力を備えなければなりません。そうして、力の母体にならなければならないのです。力がなければ、このすべてのことを達成し得ません。

8   青少年がもつべき誇りとは、どのようなものでなければならず、神様が訪ねてこられる青少年とはどのような人でしょうか。これが問題です。

それは、不信の先祖であるアダムとエバが汚した路程に従っていく青少年ではありません。疑ったり、不平不満を言ったりする若者たちではありません。「絶対犠牲、絶対信仰、絶対服従、絶対順応するのみである」と言える純粋な青少年でなければいけません。復帰時代の限界点が近づくこの時に生まれた成和の中高生、統一教会の青少年の皆さんが立っている立場は、流れていった歴史時代とは違います。皆さんは、霊界と肉界の統一的な基盤を備え、肉的(実体的)なアベルの基盤を備えて、新しい世界に登場しなければなりません。

「統一思想」を携え、この境界線を越えて、新しい旗手として旗を持って進み出るべき群れは、年を取った壮年や老人ではなく、血潮がたぎる若者たちです。そのような輝かしい青少年の群れを、この地球上のどこか一ヵ所からでも発見できるその日が来てこそ、神様の六千年の恨が解けるのであり、アダムの怨恨の基盤になっている罪悪の根を抜いて覆すことができるのです。これを発見できず、これと出会えなくなる時は、天宙が暗黒のまま延長されます。ですから、神様が呼び求めている世代は、青少年世代なのです。

9   皆さんは、先祖たちの歩んでいった路程を経なければなりません。私たちは今、荒野に出たイスラエル民族と同様です。モーセとイスラエル民族は、荒野で追われて苦難に遭い、イエス様は民族とユダヤ教から排斥され、家庭から不信されましたが、皆さんも、そのような悲しく悔しい立場を経なければなりません。だからといって、落胆しないでください。

皆さんがこのような悔しい立場で果たすべきことがあるとすれば、それは歴史的に苦難を受けられた父の心情を体恤し、先祖たちの苦痛は自分の苦痛だと思って、千年、万年、そのみ旨のために変わらずに団結し、サタンに対する敵愾心を抱いていかなければならないということです。そのようにできる青年男女を、天は求めているのです。このように、天的なみ旨に徹する本物の青年たちを、天は探し求めてこられました。

民族に代わって私たちにこのような使命を任せたとすれば、私たちは父の怨恨の心情を感じ、父の悲しみを自分の身に抱いて、怨讐に向かって進撃できる精兵にならなければなりません。そのために皆さんは、皆さんの生活と理念を統一させなければなりません。天の悲しみと、イエス様の悲しみと、先祖たちの悲しみと、子孫たちの悲しみを解怨するために、進まなければならないのです。

10  青年男女の皆さんは、自分自身が着飾る前に、この三千万の民族が着飾るようにしようという心、自分自身を考える前に、この地上の万民を考える心が湧き出なければなりません。さらには、一株の草までもつかんで泣いてあげられる心が、自分も知らぬ間に心中で爆発しなければなりません。このような心情をもつことができなければ、完全な神様の息子、娘になれないのです。そのような人間は、神様の涙の実であり、神様の苦痛の実であり、また神様の血の祭壇の上に上がる供え物なのです。

それでは、この民族の行く道を開拓する人は誰でしょうか。本当にこの民族のために地をたたき、胸を打ちながら痛哭する人が現れなければなりません。この世界を救う人は、青年男女たちなのです。

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第一章  協会登録と内的基盤拡大第一節   協会の法人登録と聖殿の建設協会の法人登録一九六〇年十月十四日に協会機構が初めて確定したのち、教会の発展に伴い、組織にも多くの変化があった。一九六三年五月三十一日、創立十年目にして、協会が社会団体として政府に正式登録され、十月四日、維持財団の法人認可も獲得した。これにより、真の父母様は、民族復帰のために、内外に対してより一層の拍車を掛けることができたのである。

1   私たちは、一九六〇年まで激しい迫害を受けました。それ以降ももちろん迫害を受けましたが、私たちは、次第に成長してきたのです。復帰摂理は、カインとアベルにおける闘いです。私たちが協会を政府に登録しようとしたとき、文教部(日本の「文部科学省」に当たる韓国の中央行政機関「教育部」の旧名称)で登録業務を扱っていたのですが、その時、文教部長官が私たちの申請を拒否しました。私たちは、それと闘わなければなりませんでした。

一週間後にそれが覆されたのです。その一週間は、七十年、七百年、または七千年に該当します。その当時、それが覆されなかったとすれば、私たちは、どんな宗教的な運動もできなかったでしょう。それは覆されるようになっていたのです。ついに、一九六三年五月三十一日、協会が政府に、正式登録されました。

2   統一教会は、第三イスラエルとして祝福され、忠孝の道を相続できるユダヤ教の立場に復帰されました。ですから、協会の政府登録証が出たのです。ローマ帝国と同じ(立場の)アメリカにも登録され、ユダヤの国と同じ(立場の)韓国にも登録されました。

このように、宗教を中心として世界的な舞台を築いておいたので、今からは誰も私たちを追放できず、抑え込もうとしても抑え込むことができないのです。ユダヤ教は、イスラエル民族の思想的な分野を担当し、新しい天地に向かっていく方向を教えてあげるべき使命がありました。これからその方向を教えてあげる責任を、統一教会が果たさなければなりません。

3   私たちの教会が政府に登録されたのは喜ぶべきことでしたが、お父様は喜びませんでした。なぜなら、また別の闘いが残っていたからです。神様がお喜びになる時、共に喜ぼうと思うのです。あと四年が過ぎれば、第一次七年路程が終わり、お父様の二十一年路程も終わります。

この民族は、次第に混乱に陥っていきます。私たちは、この時に備えなければなりません。贖罪の祭壇は、統一教会しかありません。四年が過ぎたあとには、この民族を代表して動員され、世界のために犠牲となり、奉仕しなければならないのです。そうして、涙と血によって世界を復帰しなければなりません。韓国が問題ではないのです。世界と天宙を神様にお返しするために祈らなければなりません。

4   お父様は、他の人々が知らないことを知ったので、かわいそうな人になりました。ですから、第一次七年路程の三年の期間は、足を伸ばしては眠れなかったのです。老若男女が頭を下げて「指導してほしい」と言い、民族と国家が従ってくるようにしなければなりません。統一教会が政府に登録されることによって、どんな権勢も、行く道を遮れない立場に立つようになりました。神様は、再び来られる主が死ぬことがないようにしようと、民主主義を立てられました。(しかし、)協会が登録されたといって安心することはできません。

5   今日、統一教会は、どのような立場に置かれているのかというのです。どのような時代的な過程に置かれているのでしょうか。第一次七年路程の三年の期間は、どのような期間なのでしょうか。イエス様は、三年の公生涯路程の末に、十字架を背負いました。そのため、民族を中心として勝利の足場を築く期間が崩れたのです。そうして、神様のみ旨が延長されたのですが、いつまでも延長されるのではありません。日本統治下の四十年と三年のアメリカ軍政期間は、原理的に、イスラエル民族のエジプト苦役四百三十年の期間に該当します。

それでは、三年のうちの最初の年は、どのような年だったのでしょうか。最初の年は、立つ場がないので、肉界と霊界が一つになって立場を整える年でした。統一教会としては、生死を決定する年でした。お父様が一九六〇年に聖婚することによって、初めて個人が定着するようになりました。一つの基点を立てたのです。それは、どのような基点でしょうか。モーセが紅海を渡る前の三日期間に立てたのと同じ基点です。復帰歴史のすべてのものが、この三年の期間にすべて入っています。この期間を終えることにより、造成された四位基台を中心として、協会登録をしたのち、一九六三年の陰暦四月十三日に、宣布式を行うようになったのです。

世界本部の敷地購入および地方教会の建設世界宣教本部建設のため、一九七一年四月十四日、ソウルの汝矣島において一万四千坪以上の敷地を購入した。食口たちも、一坪ずつ購入することを通して精誠の条件を立てたのである。真の父母様は、世界巡回を終えて帰国されるたびに、ここに寄って祈られた。そして、全国の教会聖殿建設のために資金を支援され、一九七四年六月十日、忠南(チュンナム)教区の新灘津(シンタンヂン)教会を皮切りに、一九七六年まで、全国で百八十八棟のAタイプ聖殿が建てられた。

6   父母様が地方に行って、みすぼらしい教会の門をくぐるとき、教会がこのように悲惨なことを誇りに思います。「この悲惨な姿が、今の時代には悲惨なものとして流れていくかもしれないが、歴史的な時代が訪れるようになれば、この悲惨さは、旗を高々と掲げて万国、万民の前に誇りとなるだろう」と考えるのです。

他の人の世話をして眠りに就く人には平和の解放が訪れ、勝利の栄光の称賛の声が準備されているというのです。ですから、統一教会は次第に上がっていくのです。それゆえ、私はどこに行っても恥ずかしいことがなく、どのような人に会っても堂々としています。

7   本部と言っても、青坡洞の本部が世界本部ではありません。私は外国の食口たちに、「この青坡洞の本部は、これこれこのような歴史を中心とした何かをもっている所なので、みすぼらしいけれども、ここを忘れてはいけない」と言いました。しかし、ここが世界本部にはなり得ません。

世界本部というものは、一番だという意識を与えなければなりません。また、世界本部は新しい所に造らなければなりません。そのような意味で、汝矣島に土地を買うことになったのです。世界本部の土地を買おうとすれば、新たに出発できる所に買わなければなりません。そのような所に世界本部を造らなければならないというのです。世界のために世界本部がなければなりません。

8   今や、統一教会も時が来たので、本部を造らなければなりません。ですから、韓国に四ヵ所の土地を設定しておいたのです。四位基台を復帰できる経済的基盤を築かなければならないので、このことをしています。国家や世界に対して、今後、私たちが必要とする基地を用意するため、これに着手しているのです。

9   世界本部は、世界を指導しなければならない殿堂です。世界本部を建てようとすれば、二万一千坪は買わなければならないのですが、今は買おうとしても買えなくなりました。ですから、仕方なく一万四千坪の土地だけでも買わなければならないと考えています。

その土地は、韓国の食口たちが買わなければなりません。父母様は、精誠の限りを尽くして国を越えに越え、このようなことをしているのですが、み旨を知った人として、ここに加担できなくなるとすれば、千秋万代に恨が残るでしょう。

10  韓国を見れば、今や私たちが立ち上がるべき時になりました。また、汝矣島にも世界本部を立派に建てなければなりません。今後、汝矣島は、ソウルの中心街になるでしょう。それを見れば、神様が保護され、私が予想したことがすべてぴたりと当たりました。そして、世界本部の前に広場ができるのです。

11  これから、全国に教会を建てなければなりません。ですから、土地の準備をしなければなりません。皆さんが協力し、本部も協力して、何としてでも教会を建てなければならない時が来ました。一九七五年には千人の国際機動隊が日本を訪れ、韓国まで来ます。そうすれば、千人全員がソウルに一度にとどまることはできないので、八大都市を歴訪させなければならないでしょう。ですから、教会を造らなければならないというのです。皆さんが互いに協力して一つになり、教会を建てなければ、その教会は長くもたないのです。

皆さんが精誠を尽くし、血と汗を流しながら建てなければなりません。それを建てる時に大変であれば大変であるほど、その教会を見つめるたびに信仰を維持できる、一つの表象的な殿堂になるのです。

12  私は、A型教会建設運動をしようと思います。その費用の半分は、皆さんが用意しなければなりません。その半分を用意した所から造ってあげます。材料を持っていって組み立てさえすればよいのです。「どこどこに準備できました」と言えば、本部でその場所が適しているか否かを鑑定するのです。

建物を避難場所のような所に建てておくと、建物が死にます。趣や前後、左右のすべての環境が、建物を造ることによって合うか、合わないかを鑑定するのです。そのように鑑定して不合格になれば、他の所に建てなければなりません。もし合格した敷地があれば、次は基礎を造るチームが行くのです。そのチームが先に行って、基礎だけを築きます。

その次に、そこに骨組み、骨格を建てればよいのです。トラックに材料を載せていって柱と門を建てるのです。そのように骨格を建てておけば、瓦を載せればよいのです。雨が漏れないようにしておき、その次に左官作業をする人が行って壁を塗り、床張りをする人が床を張ります。そのように責任を分担させ、移動しながら一気に教会を建てるのです。

13  一九七五年の「希望の日」晩餐会の集会以降、キリスト教が私たちに反対するとしても、一般国民は支持し得る段階に入りました。迫害を受ける時は困難でしたが、歓迎を受けられる時になったので、皆さんも故郷の山河を訪ねていき、皆さんの氏族を訪ねて天の国の族譜を作る時に加入させなければなりません。皆さんの一族を族譜に編入させなければ、皆さんは先祖から讒訴を受け、今後、子孫から讒訴を受けるでしょう。

父母様は、本部教会を建てる土地を買っておき、地方教会を造っておきました。そして、清平で、世界の若者たちを教育できる修練所と大学の敷地を買うようになりました。

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21 私は、家庭で自分の好きなように生きてきた人にも、すべて道を開いてあげる特赦を下しました。祝福を受けなさいというのです。自分の父と母を、堕落していないアダムとエバの立場、堕落していない天の国の息子、娘の立場に立ったのと同様の価値として認定するのです。統一教会でそのように認定すれば、世界的にも認定せざるを得ません。

お父様が「世界平和女性連合」の創設とともに、女性解放運動を通して門を開け放つことによって、家庭を中心として堕落したアダムとエバが、再び家庭基準に帰ってきた立場に立ったので、外的世界の家庭に特赦を与えるのです。それがいつでもあるわけではありません。この期間が過ぎれば、すべての既成家庭が祝福を受けるためには、氏族メシヤの前に出ていかなければならなくなります。氏族メシヤたちが祝福をするのです。

22 太陽は、朝、昇る時間になれば、自動的に昇ってきます。ですから、与えられた難しい条件の中でも、世界の人たちのために環境を創造して祝福をするのです。それは歴史的です。本格的な祝福は一九六一年からです。そして、祝福が世界化するのは一九九二年からです。その時までは忍耐し、一九九二年から拡張させたのです。統一教会の祝福を世界化したというのです。女性時代の到来とともに、そのようにしました。

23 キリスト教とイスラームは、イスラエルの立場から見れば怨讐です。彼らは、自分たちが一つになるとは夢にも思っていません。しかし、彼らを一つにしなければなりません。ですから、一九九二年四月十日、世界既成家庭祝福結婚式を通し、お父様がお母様と共に、彼らを祝福してあげました。イエス様が亡くなることにより、真の母を探し出せませんでした。それゆえ、今回の祝福結婚の祝宴とともに、すべてを連結したのです。イエス様の復活圏です。それは国家基準です。

ローマを踏み越えて世界的版図の上で再び生き、二千年歴史を超越して勝利的版図を固めて救い、お母様を世界的エバ圏として立てておいたのです。ですから、女性解放時代が来るのです。今や最後です。祝福をしてあげれば、すべて終わります。そうすれば、地獄に行く道が一八〇度、回るのです

24 今まで全世界にいる祝福家庭は、すべて同じ水準の位置に入ってきています。キリスト教徒や他の宗教人を問わず、真の父母の特権によって、すべての家庭を同じ位置に立ててあげるのです。

アベルを祝福したのは、カインを祝福してあげるためです。ですから、同じ位置に立てるのです。

祝福家庭の父母たちは、自分の好きなように結婚して、統一教会に反対した人たちです。その父母たちを、氏族メシヤという名を中心として、堕落していないアダムとエバの位置に上げなければなりません。このようにして、真の父母様を中心として、家庭、氏族、民族、国家、世界的なすべての中心分野に連結されるのです。

ですから、一九九二年八月の「世界文化体育大典」の時に、全世界的に一般の既成家庭に門をすべて開けてあげるのです。祝福を受ける立場に立てば、天の血族圏内に入ってこられる道が開かれるようになります。

独身祝福式最初の独身祝福式が、一九六三年三月二十八日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された。年齢問題などの事情により、地上で相対を迎えて祝福を受けられない場合、まず独身祝福を受け、霊界において相対に出会えるようにしたのである。この日の祝福式には、入教六年、六十歳以上になった食口四十一人(男性一人、女性四十人)が参加した。以後、数回にわたって独身者の祝福式が開催された。

25 年を取っているために、嫁ごうにも嫁げない六十歳以上の人たちに対して、一九六三年の「父母の日」に集まるように言いました。彼らが死んだあとに行く、家庭的な楽園型をあの世につくってあげるためです。今までの楽園は、家庭的な楽園ではありません。相対関係が決定されていませんでした。天使世界のように、すべて相対がいません。しかし、この時代において父母様が、そのような年を取った人たちに、この地で相対理念をもたせて、あの世に約束された楽園的な家庭をつくっておかなければなりません。

天国は本来、家庭を中心として、父母や妻子を引き連れて入る所なのですが、それができなかったので、父母様が、楽園的な天国がつくられるようにしなければなりません。ですから、その人たちを保護してあげなければならないのです。地上で相対と結ばれずに死んで霊界に行くようになれば、霊人たちの相対になれるという約束の基準だけでも立てておかなければなりません。

26 お父様がアダムの立場で、堕落したエバを復帰してこそ、この復帰されたエバを通して、自分の相対を復帰してあげられます。お父様がエバを復帰してあげるので、初めて天の側に立つようになることによって、未来の夫を探してあげられるというのです。アダムがエバの言うことを聞いて付いていって堕落しましたが、復帰時代には、完成したエバの言うことを聞ける霊人を探し出し、それと一つになることによって復帰するのです。

そのように霊界で相対を探し出して約婚式をし、エバ復帰式をして、その次に、聖酒を通して霊的に愛を復帰してあげる式をするのです。それをしていってこそ、皆さんがあの世で選択権をもてるのです。そこには待っている霊人たちがたくさんいます。数多くの霊人たちが自分を相対として選んでくれることを願っています。そのような特権があるのです。ところが、特権があるからといって、皆さんが先に行って「私たちだけで暮らしましょう」とは言えません。父母様が行く時まで待たなければならないのです。私が霊界に行って承諾しなければなりません。皆さんの思いどおりにはできないというのです。

27 一九七八年十一月七日午後五時五十三分を期して、百一双の約婚式を挙行しますので、聖なる(天の)お父様の名によって許諾してください。この地上にいる娘たちと、霊界にいる息子たちが一つになり得る縁を許諾してください。地上の娘と霊界の息子を相対として結んであげるに当たって、未来に永遠なる世界に行き、家庭を築ける権限を天の名と真の父母の名によって与えますので、お父様、お受けください。

全霊界の霊人たちが願う崇敬の的として、一人一人が残ることを知っております。彼らと共に、地上のある期間を過ごし、霊界に行って結ばれ得る一つの縁をここに決定いたしますので、お父様、お与えください。そうして、霊界に行っても真の父母の名とともに一つになることによって、永遠なる夫婦の縁を設定することを願いますので、お父様、許諾してください。地では実体をもち、霊界では未来の条件的な霊的実体として祝福の道を開くことを願いますので、お父様、許諾してください。この百一双の約婚を許諾してくださることを願いながら、これより挙行する結婚式も許諾してくださることをお願い申し上げます。

第三節 七百七十七双、千八百双、二千七十五双、六千双の祝福結婚式国際祝福結婚時代を開幕した七百七十七双祝福結婚式七百七十七双国際祝福結婚式は、一九七〇年十月二十一日、ソウルの奨忠(チャンチュン)体育館で開催された。この日の祝福式には、韓国から五百三十九双、日本から二百三十五双、欧米から十六双など、十ヵ国から合計七百九十双が参加し、祝福式後、新郎と新婦たちは、四十二台の大型バスに分乗して、ソウル市内でパレードを行った。真の父母様は、「七百七十七家庭の祝福を通して、祝福結婚式を世界的に拡大する意味がある」と語られた。

1 一九六九年に、世界の数多くの国を代表する四十三家庭を祝福してあげました。国家基準の四百三十家庭の前に、四十三数の相対的家庭です。韓国のすべての氏族たちが天の圏内に加わる特別な恩恵を受けたのですが、これは世界の民族が加われる内的基盤になりました。この相対的基準を連結させれば、外的世界の氏族も内的世界の蕩減基準にある韓国民族と連結され得るというのです。ですから、それ以降は、国際結婚時代に入ります。

韓国の統一教会員は、韓国の民族的統一教会員ではなく、世界的統一教会員になるのです。ドイツの統一教会の食口がいれば、その食口はドイツの民族的統一教会の食口ではなく、民族的統一教会の食口を越えて、世界的統一教会の食口圏内に入ります。結婚国際連合時代です。そのような時代に入るので、その時から七百七十七双を中心として、国際結婚時代が始まるのです。

2 世界は、統一教会の運勢圏に入ってきて、次第に動くようになります。ですから、一九七〇年十月二十一日に、初めて国際祝福結婚式をしました。それが七百七十七双です。これは、世界的にすべてのものが近づいてきていることを意味します。七百七十七双を祝福する前までは、父母様が直接行って祝福をしてあげました。韓国に連れてきて祝福をしてあげてはいけないというのです。

ところが、初めて韓国で世界的に七百七十七双の国際祝福結婚式をしました。そこに十ヵ国の人が参加しました。このようにして家庭理想を中心として、世界のどの国であっても、神様に帰っていける道が完成したのです。この時を中心として、世界の運勢は統一運勢へと戻ってこられるようになりました。

3 父母様が、一九七〇年の七百七十七双祝福式に十ヵ国を参加させたのは、世界を代表して十数を蕩減するためでした。それによって、家庭を中心として世界的に新しい支派を編成できます。世界的に結んだので、世界的な支派を編成できるのです。

超民族的な基準で新しい支派編成ができる基準を立てておいたというのです。そうしなければ、韓国人以外はここに入ってこられません。韓国民族本位で進むようになれば、超民族にはなれません。しかし、このようにすることによって、超民族的な道が開かれるのです。キリスト教が世界的な基盤を築いてきたその型を、私たちが摂理的なみ旨の前に民族編成をし、世界を代表する蕩減的な民族型としてまとめておいたのです。

4 七百七十七家庭の祝福を通して、世界のどの民族であっても天に行けるように橋を架けました。十ヵ国を中心として役事をしたのです。四十三双も十ヵ国の人が参加しました。十数以上にならなければなりません。世界の十ヵ国が初めて天と共に、横的に左右に往来でき、家庭がどこに行ったとしても引っ掛からないように門を開けておいた世界的な宣布式が、七百七十七双の祝福です。三掛ける七は二十一、三数と七数の恨の峠を蕩減復帰する目的は、二十一年路程において、霊肉界と男女を中心として、サタンの讒訴圏から逃れるためです。

世界的に祝福家庭が讒訴圏から逃れ得る完全な基盤を、十ヵ国を中心として築いておいたのが七百七十七家庭です。それが終わったので、韓国のものは世界のものになり、世界のものは韓国のものになるのです。

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十ヵ国、四十三双祝福結婚式真の父母様は、一九六九年の第二次世界巡回路程中、十ヵ国、四十三双祝福結婚式を主宰された。そして、「世界巡回中に行われた十ヵ国、四十三双の祝福は、韓国の四百三十双と連結させ、世界に祝福を連結させる意味がある」と語られたのである。真の父母様は、二月二十八日にアメリカのワシントンDC教会で十三双(新婚七双、既成六双)、三月二十八日にドイツのエッセン教会で八双(新婚七双、既成一双)、五月一日に日本の東京教会で二十二双(新婚十二双、既成十双)を祝福された。

13  一九六八年から始まった第二次七年路程を中心として、世界が回っていきます。世界では、カインとアベルが闘っていたのと同じ立場で、右翼と左翼が闘っています。この争う世界を収拾して、新しい家庭、新しい社会、新しい国家、新しい世界を築いて、発展していかなければなりません。それが原理観です。それが、統一教会の果たすべき使命です。

こうして、一九六八年一月一日を中心として、「神の日」をこの地上に設定しました。この日は、統一教会として勝利した日です。そうして、四百三十双まで祝福してあげました。このような勝利の日を横的に、世界的に連結させなければならないので、父母様は一九六九年に世界を歴訪しながら、四十三双を祝福してあげました。これは、韓国における四百三十双の祝福と連結したものです。

四十三双を祝福してあげることにより、十ヵ国を横的な舞台に連結させたのです。韓国で成し遂げられたことを世界化しなければならないというのです。

14  四十三双の祝福は、国際結婚が多いのです。アメリカ人はドイツ人、オランダ人はイギリス人、このように国際結婚をさせました。(欧米では)同じ国の人同士では、ほとんど結婚させませんでした。世界を復帰するためには、民族的な感情や愛を超越して、世界的な感情をもたなければなりません。それで、国際結婚をさせたのです。そのようにしても、全員が「うれしい」と言うので、それを見るお父様も気分が良かったのです。

お父様が祝福をしてあげたあと、彼らに「韓国のために何をするのか」と尋ねました。彼らはみな「何でも仰せのとおりにします」と答えました。歴史上に、アジア人の一人として、ヨーロッパでこのようなことをした人は今までいません。このようなことを見ながら、「統一思想」がどれほど途方もないものかを、いま一度感じさせられました。

15  四百三十家庭を祝福することによって、大韓民国が統一教会と連結され得る立場に立つようになりました。それは、韓国の国民が、統一教会を信じてはいないのですが、四百三十家庭を中心として第三イスラエル圏の恵沢を享受できる圏内で、蕩減条件を立てたのと同じだというのです。ですから、大韓民国が選民圏になったのです。

四百三十家庭を祝福したその次は、世界的に大韓民国の領土と国民を拡大させなければなりません。ます聖地を選定しそれから四百三十家庭に接ぎ木の役事をしなければなりません。ですから、第一次世界巡回で四十ヵ国を中心として聖地を選定し、第二次(世界)巡回において四十三家庭の祝福をしました。四百三十家庭に相対する数の四十三家庭を、日本とアメリカとドイツを中心として連結させるのです。これは世界史的です。そうすることによって、世界の数多くの信仰をもっていない人類も、イスラエル圏の恵沢を受けられるようになりました。

四千年あるいは六千年の間、ユダヤ教とキリスト教の歴史を経てきましたが、そのように伝統を引き継いで信じてきた彼らと同じ恵沢圏内に、たとえ信じていなくても、平面的時代において加われる特権を与えるというのです。このような基盤が形成されました。

既成家庭の祝福結婚式既成家庭だけの最初の祝福結婚式が、一九六三年二月八日、二十六双が参加する中、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された。そして、四月七日、二回目として、二十七双に対する祝福式が開催された。彼らは、祝福結婚式を受ける前に家庭を築いていた夫婦であり、大部分が協会の草創期に貢献した、教会の元老クラスの食口たちであった。真の父母様は、彼ら既成家庭が、後輩家庭の手本となり、垣根にならなければならないことを強調された。一方、一九九二年四月十日、「世界平和女性連合」創設大会の直前行事として、千二百六十七双の世界既成家庭祝福結婚式が行われた。この日は、韓国と日本をはじめ、三十三ヵ国から参加者が集った。特に、真の父母様は、中東のイスラーム圏九ヵ国から四十五双が参加することにより、宗教と国家を超越して祝福が公に開放されたと語られた。

16  既成家庭とは、この世において自分たち同士二人で結婚して築いた家庭です。その家庭が、神様の願う家庭として認められるためには、原理的な立場から見るとき、男性ならその男性が、神様が家庭を中心として探し求めてくる歴史において、代表的な中心者にならなければなりません。さらにまた、歴史的な伝統を引き継げる男性にならなければなりません。アベルからノア、アブラハム、モーセに至るまで、私たちの先祖たちが神様の歴史を支えた伝統的起源を、そっくりそのまま引き継ぐべき代表的存在が、家庭をもった人なのです。

それでは、その家庭を代表する男性が身につけていくべき思想や生活観、生涯路程とは、どのようなものであるべきでしょうか。既成家庭を中心として愛していた、その愛以上の立場に、男性が先に立たなければなりません。それにより、昔家庭をもって夫婦同士で愛し合っていた立場を否定して、新たに結ばれた夫婦として、歴史時代にない新しい愛の絆を立てなければなりません。

17  既成家庭は、既成家庭ではない家庭の垣根にならなければなりません。言い換えると、歴史時代にアベルが犠牲になったことを蕩減してあげられ、家庭的摂理においてアベルが信じられる家庭にならなければなりません。

過去においては違いました。過去にはお互いに反発の要因になりました。しかし今は、問題があれば訪ねていって相談することもでき、相談だけではなく、自分を訪ねてきた家庭を誰よりも心配し、保護してあげられる家庭にならなければなりません。家庭として見れば、兄の家庭と同じだからです。カインは兄です。アベルは弟です。皆さんはすべて兄弟たちです。既成家庭が兄ですが、これは願わざる兄の立場に立ったのと同じです。

したがって、祈るにしても、どちらがたくさんしなければならないのでしょうか。過去にはアベルたちが、よりたくさんしました。カインを救うために、アベルが天のみ前に多くの精誠を捧げたのです。しかし、今の時代は、カイン家庭がアベル家庭のために、より多くの精誠を捧げなければなりません。

18  大抵、既成家庭は、今まで暮らしてきた習慣的な生活をそのまま保っていきやすいのです。昔と違うところがありません。祝福を受けて変わったこととは何かというのです。昔のその男性と同じ立場、その女性と同じ立場にいるので、まかり間違えば常習化しやすいのです。そのような立場にとどまってはいけません。新たに家庭を編成したので、その家庭は昔の家庭よりも歴史的な家庭にならなければなりません。男性が女性のために生き、女性が男性のために生きるとき、昔とは異ならなければなりません。昔は自分たち二人だけのために生きましたが、今は自分たちだけのために生きるのではなく、神様のために生きなければなりません。

アダムとエバは、神様のために生きられなかったことによって堕落し、悲しみの家庭として出発しました。既成家庭の人たちが、そのような神様の秘められた心情を解いてさしあげ、解怨成就してさしあげられる夫婦になる時、神様はその家庭を基盤として新たに訪ねてくる息子、娘を中心として、希望がもてるのです。

19  既成家庭で育っている子女は、祝福を受ける以前の子女とは違います。また、父母とも全く違います。そのように格段の差を決定し得る責任は、まず男性にあり、その次に女性にあります。夫婦がこの責任を十分に果たさなければなりません。また、この夫婦がすべきこととは何でしょうか。妻は、堕落した男性に侍る立場に立ってはいけません。また、男性は、堕落した妻に侍る立場に立ってはいけません。結局は、堕落しなかったアダムとエバの基準を立てて、初めて侍ったと誇れなければなりません。ですから、既成家庭は、昔と次元が異なる立場にいる家庭であることを知らなければなりません。

祝福を受けた家庭として、なおかつ既成家庭として、再び結ばれたその家庭が、天のみ旨を中心として一つにならなければなりません。一つになれなければ、天のみ前にそれこそ面目がありません。

過去においては、天のみ旨を知らない立場で悲しみの歴史を綴ってきました。み旨を中心として新たに結ばれても、昔の伝統と習慣に染まった生活形態を反復すれば、それは天のみ前に二次的な悲しみを呼び起こすのです。そのようなことがあってはいけません。ですから、昔とは著しく変わらなければなりません。新しい歴史の流れをわきまえて、新しい伝統を樹立すべき責任が既成家庭にあるのです。

20  既成家庭は、新しく祝福を受けた家庭の人たちが、よく見ていることを知らなければなりません。新しく祝福を受けた家庭の人たちは、自分たちだけで新たに家庭を出発したので、家庭に関することをよく知りません。また、子女を育てることにおいても、既成家庭と比較し、まねしやすいのです。このような点から見ると、既成家庭は極めて重要な立場にいます。ですから、既成家庭は、過去とは違う立場に立って模範にならなければなりません。過去とは異ならなければならないというのです。著しく違わなければなりません。著しく違うものにならなければ、天の家庭、天が願う家庭として立つことはできません

また、カインの立場だとしても、自分一人ではありません。新しく祝福を受けた家庭の前に、カイン的な家庭として模範にならなければならず、そこにプラスにならなければなりません。このような伝統が、統一教会の既成家庭を中心として成立しない限り、今まで自分たち同士で結婚した世界の数多くの家庭は、復帰される道がないのです。

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第二節   七十二双、百二十四双、四百三十双の祝福結婚式七十二双は、カイン・アベルの氏族的復帰型七十二双の祝福結婚式が、一九六二年六月四日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で開催された。七十二双は、カイン・アベルの二つの型として立てられた家庭であり、三十六家庭を基盤にした家庭型を氏族型に復帰した家庭である。この時から祝福結婚式委員会が結成され、祝福結婚式の趣意書が発表された。祝福式は、二十四双ずつ、三回にわたって行われた。

1   アダムとエバの息子であるカインとアベルから闘いが始まりました。それで、この世界をこのように台無しにしてしまいました。それは、その子孫たちが闘争の世界をつくったということです。これを蕩減復帰しなければなりません。そのためには、三十六代の息子、娘たちが、神様のみ前で、闘わずに一つになったという条件を立てなければなりません。ですから、カインとアベルに分立した数、すなわち三十六の二倍の数である七十二家庭を立てたのです。この七十二家庭が立てられることによって、カインとアベルが闘わずに四位基台をつくり上げる、歴史的な先祖の基盤を築いたのです。サタンに対して防備できる絶対的な基準が立てられたというのです。

2   神様の願いは、個人の救いだけではありません。家庭の救いを求め、氏族の救いを求めるのです。ですから、イスラエル十二支派の支派長だけではいけません。族長が必要だというのです。三十六家庭のカインとアベルが必要なので、これを内外として、横的に二つの家庭を連結させ、七十二家庭を立てました。これは横的世界の出発のためです。これは族長になります。族長圏が生じるのです。

3   七十二家庭は、イエス様の七十人門徒に該当します。この家庭は、イエス様が十二弟子と七十人門徒を中心として氏族を編成しようとしたものを実現した型です。イエス様の十二弟子と七十人門徒を家庭型で復帰した氏族型が七十二家庭なのです。言い換えると、三十六家庭と七十二家庭は、イスラエル民族を中心としたイエス様の十二支派と七十人門徒のようなものであり、イスラエル民族を指導できる代表的な型を復帰した型です。これは、神様がイスラエルを中心として復帰しようとした基本数がすべて復帰された型なのです。

公開された最初の祝福行事、百二十四双百二十四双の祝福結婚式が、一九六三年七月二十四日、ソウル市民会館で開催された。百二十四双は世界を代表し、イエス様の百二十門徒を象徴する。百二十四双の祝福結婚式は、韓国人だけで行った最後の祝福であり、公開して開催された最初の祝福である。祝福結婚式後、新郎と新婦たちは、百五十台の自動車に分乗してソウル市内でカーパレードを行い、市民の注目を集めた。

4   私たちが祝福結婚式を外部に公開するようになったのは、百二十四家庭からです。それは世界型だからです。大韓民国は、既にキリスト教圏から見ても、世界的な現時点から見ても、世界の運勢を中心として摂理を推進する主体国なので、百二十四家庭を世界の代表として設定する時だと考えたのです。百二十四家庭は、世界を代表する型です。三十六家庭と七十二家庭の祝福は、私たちの教会内で行いました。これは、ユダヤ教を中心として民族形成の基盤を築くのと同じことなので、私たちの教会を中心として内的基盤を確保するものです。その次に、外的基盤を見ると、世界史的なキリスト教文化圏と接触するために、百二十四家庭を中心として世界基盤を拡大していくのです。百二十四家庭が祝福を受ける時には、国連の加盟国も百二十四ヵ国になるべきなのですが、それが間違いなく合うようになります。それは、世界国家の代表である韓国において、内的蕩減の要因を確立させる世界史的な条件を立てる祝福だったというのです。

5   イエス様の十二弟子の十二数を十倍した百二十数は、平面的な世界を代表できる数です。ですから、この百二十人門徒と同じ数を合わせるために、百二十双の祝福をしたのです。本来は百二十家庭ですが、四方数である四双を加えて、百二十四家庭を祝福しました。イエス様の百二十人門徒に代わる百二十四家庭は、世界的な型です。

その人たち自体に世界を統治し、世界を支配できる権限があるというのではなく、世界の代表型として、世界的な蕩減条件を立てる基盤になるということです。ですから、百二十四家庭を立てることによって、神様が世界的に訪ねてこられ得る基準を立てるようになったのです。それゆえ、国連の加盟国が百二十ヵ国を超えれば、その時が終末だと言えるのです。

6   百二十四家庭の祝福をする時、その中には前科者の四家庭を入れました。必ず、前科者たちを入れなければならないので、入れたのです。天の役事(働き)は、犠牲にするための役事ではなく、万民を救うための役事なので、信仰をもつ信者はもちろんのこと、信仰をもたない良心的な人、罪を犯した人、監獄に入っている人までも、みな救ってあげなければならないというのです。ですから、世界的な国家代表を立て、家庭的な門を立てて、世界万民が入ってこられるようにしたのです。

それと同時に、今までに罪を犯して獄中で呻吟している人までも通れる門を立てて、開けてあげなければなりません。そのような意味で、百二十四家庭を中心とした祝福の基盤が成立するようになったのです。

7   百二十四家庭の祝福結婚式をする時は、とても素晴らしかったのです。結婚式が終わってから、みなタクシーに乗ってソウル市内を回りました。百五十台のタクシーが走るので、市民たちはみな驚きました。首都ソウルがひっくり返り、三千里半島が揺らぐ立場で挙げるこの結婚式は、男性でも女性でも、一度やってみる価値がある結婚式ではないでしょうか。今後、世の中が私たちに付いてくるかこないか見てみようというのです。次は外国人たちも連れてきて祝福式を行う予定です。

四千三百年を蕩減する四百三十双祝福結婚式四百三十双祝福結婚式が、一九六八年二月二十二日、ソウル市民会館で開催された。四百三十双は、韓国歴史四千三百年を蕩減復帰する型である。真の父母様は、日本からの三人を含めることにより、祝福を外国に連結する条件を立てられた。この祝福結婚式後、新郎と新婦たちは観光バスと自動車に分乗し、ソウル市内でカーパレードを行った。

8   統一教会が韓国で、まだ国家基準の蕩減ができていない状態で執り行われたのが四百三十双の祝福でした。四百三十という数字には、どのような意味があるのでしょうか。祝福をした年の檀紀四千三百年と、イスラエル民族のエジプト苦役路程四百三十年に該当するのが、四百三十という数字です。イスラエル民族の理想である民族解放の基準を中心として、韓国のすべての国民が、神様のみ旨の前に立てる道を開いてあげたのです。それは相対理想の道です。

今までの宗教のように、個人の理想を中心として道を開いてあげたのでは役に立ちません。統一教会は、相対理想の道を四方八方に開いてあげました。ですから、全国民を動かし、歴史を通して歴史的蕩減の実体を自分の一代で成し遂げなければなりません。

9   韓国が開国してから四千三百年となったその年に、四百三十家庭が祝福を受けました。ですから、四百三十家庭は、すべての氏族を代表しているのです。大韓民国のすべての氏族を代表して参加したのです。一人も入れなかった姓氏があったとしても、親戚関係、母方の実家や叔母の家などから入るので、すべてが連結されます。各姓氏がみな四百三十家庭と連結されるというのです。ありとあらゆる人がすべて入りました。

また、歴史を見る時に、赦されない罪を犯した人も入っています。大韓民国の全国民にも、四千三百年間経過する中で、罪を犯して天のみ前に立てなかった人にも、道を開いてあげたのです。すべてひもを付けて橋を架けてあげました。そうなることによって、大韓民国がおのずと生きる道ができ、天の国と連結され得る道ができるのです。

10  三数と四数は天と地を象徴します。四数と三数を掛ければ十二数になります。十二数は調和数です。天地の調和数が十二数なので、全体数を代表します。ですから、大韓民国において四千三百年目に、四百三十数に該当する祝福をしてあげたのです。大韓民国において、四百三十数を合わせて祝福してあげたのは、大韓民国の家庭は、誰でもみな、いつでも自由に天国に入っていけるという意味です。ですから、天国にすべて入っていけるという条件を立てたのが、四百三十家庭の祝福なのです。国家基準を中心として見れば、誰でも天国に入っていける基準が、四百三十家庭の祝福によって設定されました。

11  一九六〇年を中心として、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭を中心に今まで歩んできているのです。そして、七年路程の最後の峠を中心として、四百三十双(実数は四百三十六双)を祝福してあげようと思います。それは、六百六十六数以上の祝福数を立てなければならないからです。六数はサタン数であり、その位置は神様のみ前では怨讐の立場です。私たちは、この六数を越えなければなりません。ですから、既成家庭まですべて合わせて七百六十家庭が、七年の期間内に祝福を受けることになるのです。

12  お父様は、エバを復帰し、天使長を復帰したので、ついに責任を果たしました。アダムとしての責任を果たしたというのです。このような環境で、家庭を中心として息子、娘たちを愛し得る時になれば、善なる人が蕩減する時代ではなく、悪なる人に蕩減させて、善が利益を得る時代に変わるのです。これからは統一教会の運勢圏に入ってくるようになります。皆さんが祝福を受けて一つになり、氏族メシヤとして家庭的四位基台の基盤を整え、お父様のように四方に上がるようになる時、天運はここから動くというのです。天の復帰摂理は、この原理を通過しなければなりません。このような世界を中心にしなければ、天国を完成できません。

ですから、皆さんの家庭は、父母様の家庭と完全に一つにならなければならないのです。中心を離れた枝はあり得ません。お父様は、四百三十家庭を祝福する時に、「氏族メシヤになりなさい」と言いました。言い換えると、イエス様と聖霊と同じ使命、すなわち「復活したイエス様」と「聖霊」の実体として、その氏族を救う役事をする氏族メシヤになりなさいということです。霊的ではなく、実体としての氏族メシヤの使命を果たしなさいというのです。

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第五節 祝福の世界化三十六万双祝福結婚式三十六万双国際祝福結婚式が、一九九五年八月二十五日、ソウルオリンピック主競技場で開催された。この日の祝福式は、人工衛星による生中継を通して、百六十ヵ国五百五十三地域で同時に行われた。これ以降、祝福結婚式は、その数を増加させつつ、世界的に拡大された。

1   人間の先祖が堕落し、神様のみ前で結婚を誤って追い出されました。ですから、真の父母の名により、全体、全般、全権、全能の権限をもって、万民解放圏を宣布するのが三十六万双の祝福です。

この三十六万双は、アダム圏、ノア圏、ヤコブ圏を完成するものです。アダム圏の完成、イエス様圏の完成、再臨主圏の完成を平面的に代表する数なので、三十六万双が結婚しなければならないというのです。三十六万双が問題ではありません。三百六十万双、三千六百万双の祝福結婚ができる時代に入ったのです。

2   イスラエル民族は、四十年の荒野路程を過ぎ、七年路程で国を建てる伝統を立てられませんでしたが、私たちは建国理念、その国を建てる伝統を立てなければなりません。今や四十年路程が過ぎていきます。ですから、残るこの七年路程の中で、建国思想と統一的世界、平和の理念に満ちた国民として結束しなければなりません。

それゆえ、先輩となる一世と二世が、カインとアベルとして一つにならなければなりませんが、一世は失敗したので、(このままでは)荒野で倒れる危険性があるというのです。これをどのようにして束ねるのでしょうか。急いで祝福をすることによって救ってあげようというのが、三十六万双の結婚です。そこには多くの既成家庭が参加します。

3   三十六数は、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭までの三十六家庭を意味します。ですから、この三十六数は先祖数です。それで、三十六万双の祝福は、世界的な全体の背骨であり、先祖のような祝福になるのです。これは、世界的に長成期に該当します。この結婚式さえすれば、どのようになるのでしょうか。今、全世界の家庭が破壊されつつあります。これを清算することが問題です。混乱したこの家庭をどのように収拾するかという問題に、世界が頭を悩ませています。したがって、統一教会が三十六万双の青年男女たちを中心として、新しい家庭を編成し、その家庭が理想的で幸福な暮らしをしていくときには、世界の破壊された家庭は、すべてここに関心をもたざるを得ません。これは世界的事件になるのです。

4   三万双から祝福を世界的に公開しました。そこには国家の二番目の実力者まで参加しました。大臣クラス以上が入ったのです。三十六万双の祝福結婚式には大統領も参加しました。世界の峠を越えなければなりません。そして、三万双から三年後に三十六万双をすることによって、三数を越えるのです。これは不可能なことでした。知って信じた方は、神様と父母様しかいませんでした。しかし、祝福をしてあげました。責任を感じるからです。

今やサタン世界を完全に越えていきます。蘇生家庭圏の世界版図である三万双を基盤とし、長成圏の三十六万双を中心として、先祖たちが誤った峠を越えていくのです。三十六万双は、三十六家庭を世界版図の上で越えていくというのです。

5   三十六万双の祝福をするために血の汗を流しながら、一九九五年八月二十五日が来ることがどれほど恐ろしかったか分かりません。私は、一九七六年九月十八日にワシントン大会をしましたが、それ以上の心情でした。天のみ前に宣言した威信と体面が、ここで崩れてしまうか、跳躍するかという問題でした。深刻だったのです。神様の御加護と愛によって、その目標を達成するようになりました。その孤独で悲惨に生きたお父様に同情する神様がいたので、誰も考えもしませんでしたが、三十六万双の祝福を超過して達成したというのです。

6   三万双の結婚式をし、三年後に三十六万双の結婚式をするというので、「それはできる」と言った人は誰もいませんでした。世の中に、このようなことをする人はいません。どこの誰も、このようなことをする人はいないのです。国も、このようなことをする国はありません。これは記録的です。サタン世界の家庭全体を踏み越えて上がっていったのです。長成的基準である三十六万双を勝利したので、サタン世界の国を踏み越えて上がるのです。

今や残っているのは三百六十万双です。これは全権時代です。結婚全権時代に入るのです。サタン世界の国家的基準を越える家庭の足場を世界に広げておいたので、真の父母時代を経て王権時代に入っていきます。

7   三万双の祝福をする時、できると思って出発したのであって、できないとは思いませんでした。ですから、神様の御加護があったのです。皆さんは、三万双の祝福をする時も、「見込みがない」と言いました。三十六万双は想像もできないことです。しかし、「必ずできる」と言いました。ですから、神様から「OK!」という答えをもらって始めたのです。

三年間、毎日、夜になっても、どこに行っても、この焦点を引っ張って回りながら、その焦点に合わせて精誠を尽くしました。私の精誠は、世界人類の精誠に負けないというのです。誰も知りません。神様と私だけが知っているのです。完全な主体は完全な対象をつくり上げます。完全な対象の信念は、完全な実体の信念として神様が成就させるべき責任があるのです。その信念どおりになりました。

8   三十六万双の祝福は、真の家庭、理想家庭を実現しようというものです。神様が願う理想家庭を実現しようというのです。自分の息子、娘が理想家庭を形成しないことを願う父母がどこにいるでしょうか。しかし、それは父母が願ったとしても不可能です。夢のような話です。政治力でもできず、経済力でもできず、外交能力あるいは軍事力でもできないのです。ところが、父母様の教えは既に世界を越え、民族と教団、教派を越えて、このような結婚式をするようになったというのです。これは夢のような事実です。

9   皆さんは祝福結婚をして、世界一の夫婦になりたいと思うでしょう。そのためには、妻は夫を愛する以上に国を求めなければならず、夫は妻を愛する以上に国を求めなければなりません。そのようにしなければ、家庭が安息する道はありません。今までは長成期完成級の峠を越えられなかったので、私が完成した父母として治めることはしませんでした。干渉しなかったというのです。

今や、時を越えました。四十年の峠を越えて、三十六万双の祝福を突破することにより、三万双から始まって、蘇生期と長成期を越えたというのです。ですから、サタン世界のいかなる人も統一教会を阻むことはできません。その峠を越えたのです。

三百六十万双から四千万双へ一九九七年十一月二十九日、アメリカ、ワシントンDCのRFKスタジアムにおいて、世界各国に人工衛星を通して生中継される中、四千万双国際祝福結婚式が開催された。この祝福式は、当初、三百六十万双の祝福として予定されていたが、その数が増え、四千万双の祝福として執り行われたのである。第三回「世界文化体育大典」の一環として挙行されたこの日の祝福式では、世界六大教団の代表からの祝賀メッセージが発表され、霊人祝福も共に行われた。

10  三百六十万双を祝福すれば統一天下になるのですが、統一天下は、何を中心として回るのでしょうか。この三百六十万双は錨です。悪魔の主管下で習慣化され、汚されている地上世界を清算できる錨だというのです。ここに綱をつないで皆さんを押し出すのですが、錨綱が切れてはいけません。それが皆さんの家庭にならなければならず、皆さんの一族にならなければなりません。切れるのではないかと思い、一族を結び、国家的なメシヤを結んであげるのです。

11  皆さんは、皆さんの先祖からすべての家庭に、責任をもたなければなりません。真の父母は、アダムから今までのすべての家庭に責任をもちました。それが世界的版図になったので、家庭を越え、国家を越え、世界まで越えていって解放し、すべて一束にして、同じ価値を中心として三百六十万双を祝福するのです。そこには国境もなく宗教や風習や文化といったものがありません。平面的に、全世界の村々に同じ家庭を配置したので、神様が取り戻した、アダムの堕落していない本然的家庭基準を展開しておいたというのです。

12  三百六十万双さえ祝福すれば、天の祝福が世界圏にまで連結されることによって、すべての日が安息日になります。被造世界において、春夏秋冬の四季を通じて神聖な日が続くのです。そのようなことを今、準備しています。

私たちは、神様と真の父母に侍って、聖日にだけホーリフード(聖餐)を食べました。今からは、全体・全権時代とともに、三百六十万双の祝福によって、世界圏以上(の段階)に入っていくので、万物が嘆息していたその嘆息圏から抜け出し、一週間ずっと、私たちが神様と真の父母に侍って食べ、眠り、あらゆる生活ができる侍義時代に入るのです。

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霊人祝福と霊界解放真の父母様は、霊界解放のため、一九九五年八月二十五日の三十六万双祝福結婚式以降、数度にわたり霊人に対する祝福式を共に行われた。特に、三十六万双祝福結婚式の前の日、早朝に忠父様と忠母様、大兄様、そして大母様の家庭に対する祝福結婚式をされたのに続き、一九九七年十一月二十九日の四千万双祝福結婚式において、霊界祝福式を主管された。そして、この年の十二月一日、霊界祝福開門宣布式をされ、続いて一九九八年六月十三日の三億六千万双祝福結婚式の時、聖人と殺人鬼に対する祝福も共にされた。このように、霊人たちに対する祝福式が成し遂げられることにより、霊界の地獄が解放され、すべての霊人が天国に行く道が開かれたのである。

12 三十六万双の祝福式をする前の日に、父母と兄を祝福しました。それで、家庭的に父母と兄、息子、娘の三位基台ができるのです。それだけではなく、大母様の家庭を祝福してあげ、その息子、娘たちをまとめたのです。そのように三時代を経て、初めて真の父母を中心として父母様の息子、娘と皆さんの家庭が、カインとアベルとして結ばれるのです。この三大先祖が初めて祝福を受けた位置に立つことによって、霊界の分立されたすべての先祖たちを解放できます。

この先祖から拡大したので、何千年もかけてその数がいくら多くなったとしても、この先祖さえ解放しておけば、すべて解放されるのです。先祖は父(の立場)です。その父が勝利したことは、いくら子女が悪くても、相続されるようになっています。父子関係を中心として相続権が生じれば、あらゆるものが相続される圏内に入っていくようになります。それで、霊界解放と地上解放が成し遂げられるのです。それがどれほど複雑か分かりません。それをすべてまとめなければなりません。

13 三百六十万双の祝福が終わる日には、興進君と大母様に命じて、父母様の祝福を移行させるのです。興進君と大母様が祝福してくれるというのです。そのようになれば、統一教会で独身祝福を受けた人が、霊界に行って、昔の自分の夫と息子、娘を探し出し、家庭を再編成できます。そのような時代が来ました。その時がいつ来るか分からないので、独身祝福をしてきたのです。

ですから、国家的基準においてその限界を解消できない場合には、すべて他の人と祝福をしなければなりませんが、今や親族を祝福するとき、一人で祝福を受けても、再編成するようになるというのです。一族が地獄に行っても、呼んでくることができ、地獄を一時に解放できます。地獄から天国になり得るよう、真の父母が「坦坦大路(タンタンデロ)」(平らな大路)をすべて築いておいたので、運転さえすれば、車に乗って走っていけるのです。

14 三百六十万双の祝福をする時は、天と地が接する時です。縦的世界と横的世界が接する時なのです。ですから、アダム家庭と全人類が堕落していない立場に立って、祝福の日を待っています。エデンの園でアダムとエバが家庭完成を成就するのです。宇宙の価値を相続する代表的家庭になったからです。

皆さんが祝福を受けた家庭になることによって、皆さんの先祖たちや子孫たちも解放され得る統一的な解放時代が来ました。アダムとエバが堕落し、イエス様が失敗しましたが、再臨主が来て完成することによって家庭を築き、成約時代を迎えたように、皆さんの先祖たちは誤りましたが、皆さんが再臨主に属した家庭のようになっているので、皆さんの先祖たちも解放され得る統一圏時代になったというのです。祝福後に天上世界がすべて解放されます。そうして、地上祝福時代から霊界祝福時代へと拡張されるのです。

15 地上世界で三億六千万双の祝福が終わったので、霊界では祝福が始まります。ですから、サタンの血統を断切するのです。サタンが讒訴できる時代は過ぎ去るというのです。真の父母の全権時代、全体、全般、全権、全能の時代が来ます。真の父母が権限を行使できる時代が来るのです。神様が、アダムとエバを造って「良(善)し」とされ、喜びながら「人がすべて生き物に与える名は、その名となる」(創世記二・一九)ようにされた、特権時代が来るというのです。

16 三億六千万双の祝福を完成して、サタンの血統を断切しなければなりません。最後です。

それをするために、地獄の門と天国の門をすべて開け放すのです。昔、怨讐視していた人たちが、父母様を迎えて侍る歓迎の祝宴を開くのです。今までは、父母様を家庭に迎えられなかったばかりか、氏族、民族、国家、世界に迎えられませんでした。天下に初めて開く祝宴の中で、怨讐となった兄弟、怨讐となった男女が、再び神様の法度に従い、天地の大道を明らかにして入っていくというのです。そこから地上天国に向かうのです

17 創造当時は神様の所有だったものを、人間の堕落によって失ってしまいました。これを神様にお返ししなければなりません。今まで神様には息子、娘がいませんでしたが、真の父母によって真の息子、娘が生まれるのです。再創造するのです。それは、神様がするのではありません。真の父母だけができるのです。真の父母が完全に所有権を神様にお返しします。そうして、真の父母が家庭を取り戻し、神様にお返しするのです。

三億六千万双の祝福をすれば、サタンの血統が断ち切られます。そのようになれば、神様が「地上と天上の天国に、やっと私の家庭をもてるようになった!私が主人だ!」と宣布します。本然の理想的概念が出発するようになるのです。堕落によって失ったものをすべて取り戻します。再創造の過程で経てきた受難の道は終わり、家庭から天宙まで解放されるのです。

18 三億六千万双の国際祝福結婚式の行事の時に、霊界に行っているすべての聖人たちを中心として、神様のみ前に怨讐となっていたすべての霊人たちの解放を宣布しなければなりません。地獄と中間霊界にとどまっている人々は、神様との血統的な絆が結ばれていないので、血統的な絆をつないであげなければなりません。アベルが祝福を受けられる環境的条件ができれば、カインも共に祝福を受けるのが天理原則なので、怨讐を愛する位置に立たせなければなりません。

神様の直系子女たちの前に、弟の位置に立ててあげるのです。カインがそうです。今まで、聖人たちは宗教圏において蕩減するために苦労し、悪人たちはサタン側で破壊し、分立させるために苦労してきました。しかし、この時には、真の父母が善と悪、神様とサタン、カインとアベルに分かれていたすべての歴史を、祭物的立場で蕩減して一つにしなければなりません。そうして、分かれたものを統合する時代に入るのです。

19 アダム自身が、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の一体圏を成し遂げられなければ、神様の創造目的が未完成になるので、神様が解放されません。神様もどうすることもできないのです。それは真の父母の責任です。真の父母が天宙を大革命しなければなりません。ですから、四大聖人たちを祝福し、最高の悪人たちも祝福してあげたのです。怨讐の壁を崩さなければなりません。そうして、平等圏を形成するのです。

海の水が引いて、再び入ってきて満潮になるとき、水平を形成して回ります。汚れたものだけでなく、その前に流れていった水がすべて入ってきて満潮になれば、回るのです。そうして、新たに入ってくる水に押されて出ていき、満潮圏では水平が形成されます。神様が人類の解放圏を形成するためには、その満潮圏のような状態から出発しなければならないのですが、その基準を立てるためのものが聖人と殺人鬼の祝福でした。

20 神様がサタンと怨讐関係になっていれば、永遠に平和の世界はできません。神様がそのような怨讐関係を消化し、創造した時以上に愛する心をもたなければ、サタンは屈服しません。それは何を意味するのでしょうか。怨讐と怨讐が出会い、夫婦の契りを結んだとしても、神様が怨讐を愛したように、互いに愛し合わなければならないということです。そのように愛し得る交叉結婚をしなければ、平和の世界ができる道は開かれません。父母様はそのような内容を知っているので、怨讐たち同士で交叉結婚をさせざるを得ないのです。ですから、聖人と殺人鬼たちまで、同じ場で結婚させてあげたのです。

21 神様は、地獄まで解放して、全霊界から地上まで清算することを願います。そのことは、真の父母ができるのです。それは、怨讐の中の怨讐を祝福してあげなさいということです。神様の心はそうです。愛する人を怨讐に抱かせてあげても、福を祈ってあげられる立場に立たなければ、そのようなことは不可能です。ですから、サタンまでも祝福するのです。真の父母は、歴史的なすべての罪悪を蕩減してそれを宣布し、一つ一つ節目をつけて越えてきて、解放された王の位置に立っているため、それができるのです。

ですから、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで解放できます。父母様が、神様まで解放できる基盤をつくりました。今や、最終定着地まで来ました。これからは、いかなる障壁もありません。ですから、全人類を祝福してあげるのです。

22 三億六千万双の祝福をすれば、真の父母の名と地上の祝福家庭を中心として、分かれていたすべてのものが統合される時代に入ります。このような大転換時代に、「三億六千万双の祝福完成とサタンの血統断切」を宣言しました。

アダムが完成していれば、地獄や中間霊界というものはありません。ですから、祝福の前に霊界と地上を整理しなければなりません。そうしてから、霊界のすべての聖人たちを、独身祝福を受けて今まで一人で暮らしてきた女性たちと祝福してあげるのです。ですから、今後、宗教圏が一つに収拾されます。その次には、サタン世界にいる悪人を祝福してあげるのです。

23 人類歴史で初めて、真の父母が、聖人たちと同じように悪人たちまで愛したというのです。これが大きな問題です。神様が悪の世界のあらゆるものを清算して正す時です。ですから、すべて頂上まで登り詰めました。これ以上、上がるところがありません。サタンもこれ以上、上がりようのない最頂上で(縦的に)結んであげました。

真の父母が横的なものを縦的に結んであげることによって、横的な悪人たちが縦的に通じるようになったのです。そのような歴史的な大転換期が、三億六千万双の祝福です。それは大事件です。それが成功したので、天上の門が開き、地獄から天上まで通じる道が開かれました。真の父母が蕩減条件を払って、人類と共にそのように祝福したことは、大事件です。

24 祝福を受けた家庭の入る所が天国です。父母様が三億六千万双を祝福することによって、その先祖たちが天国に入るのです。この地上でそのように祝福する前に、霊界を祝福してあげました。一九九八年六月十三日に始まったのです。

聖人と殺人鬼たちを祝福してあげたのですが、聖人は長子の立場であり、殺人鬼は次子の立場です。その次子たちが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をもって長子に従うようになることで、横的に水平になったのです。国家の怨讐と世界の怨讐たちが同じ次元で祝福を受けたのです。父母様が人類にそのような祝福を相続させてあげました。そうすることによって、初めて全人類が真の父母の基準をもつようになったのです。

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第六節   先祖解怨と霊人祝福式先祖解怨真の父母様は、「霊界の先祖たちは、子孫が解放しなければならない」と語られ、一九九九年二月十二日から、天宙清平修錬苑において、直系七代の先祖をはじめとして、解怨式を挙行するようにされた。真の父母様は、「先祖たちが地獄に行っているとしても、真の父母様の特権によって祝福する時代的恵沢圏に入ってきているため、彼らが解怨式と祝福式を経て地上に再臨し、子孫たちを協助するようになれば、天国に行くことができる」と語られた。

1   霊界に行っている皆さんの先祖は、天使世界の天使と同じです。そして、皆さんが生きている世界は、アダムとエバの世界に該当します。また、将来の子孫は、未来世界に該当するのです。霊界はアダムとエバを助けてあげなければならない立場と同じなので、アダムとエバの立場にいる皆さんに、霊界の先祖たちが天使の使命をもって協助します。そのように協助することによって、ついには解放が起きるのです。これが原理です。

2   先祖解怨をしなければなりません。子孫が解いてあげなければなりません。アダムとエバの息子、娘が復帰してあげなければならないのです。アダムとエバはできません。アダムとエバと一つになって、二世が復帰してあげなければならないのが原理観です。避けられない事実です。解怨式は、六千年の歴史において初めて現れました。時になったので、私が「やりなさい」と言って、してあげるのです。

3   先祖解怨式をすべてしなければなりません。七代を解放しなければなりません。七代から遡(さかのぼ)って百二十代(当時)までしなければなりません。その先祖たちを中心とすれば、一度に百二十代の祝福ができるのです。そうすれば、地獄の門が崩れるでしょうか、崩れないでしょうか。それをしなければ私が霊界に行ってから困るのです。霊界で引っ掛かってはいけません。霊界を整理しておけば、地上はいつでも霊界を通して解決されるのです。

4   真の父母の命令と宣言によって、聖人や賢哲たちと宗教圏に属しているすべての霊人たち、良心的な息子、娘として生まれて、この地上で成長できずに恨を抱いて霊界に行った幼い子女たちから、十六歳以上のすべての霊人たちまで祝福できるようになりました。霊界の胸痛む境界線を越えていけるように、万国の先祖たちを解怨し、それだけでなく、解怨成就を経た人たちが祝福の場にまでとどまれるように、門を開いてあげました。

清平の興進君と大母様が、大兄様をはじめとする統一家の一族を中心として、すべての善霊たちと協助し、地上の実体圏世界と相対基準を造成して、真の父母と共に高い基準において連結させて、真の父母と切ることのできない絆が結ばれるようになったのです。

5   再臨時代に真の父母が来て、故郷の地を探し出し、国を探し出して、天地の汚された血統を正すのです。天宙清平修錬苑で、先祖を解怨し、祝福しています。霊界は永遠の世界なので、地上とは異なり、これを一度復帰すれば、それで終わりです。すべてが一つの方向になっているので、血統を正せば、それを絶対視するのです。

統一教会の祝福は、国ができる前には教会内の祝福であって、国の祝福ではありません。ですから、堕落する危険性がある教会の祝福から、国の祝福時代に越えていかなければなりません。それゆえ、国を探し出して入籍しなければならないのです。国の基準を越えなければなりません。国の基準を越えてからは、世の中の国を願ってはいけません。神様のみ旨を中心として絶対一方通行なのであって、行ったり来たりすることはできません。もはや、許すことはできないというのです。神様は、堕落した地獄で叫ぶ怨声を聞きたいと思いません。真の父母は、いかなる犠牲を払ったとしても、霊界と肉界の騷々しいすべてのことを整理しなければならないのです。

6   どんな霊人も、先祖解怨を通して教育を受け、祝福を受けるようになれば、善なる霊になります。皆さんの先祖たちが地獄に行ったとしても、解怨をして祝福を受けるようになれば、天国に行けるようになるのです。地獄に行った先祖たちが、真の父母様の時代的恵沢圏内に入って祝福を受けることが、霊界でどれほど貴い価値があるかを理解して、ここに合わせるのが容易ではないことを知らなければなりません。ですから、一心、一体、すべてを捧げて精誠を尽くしてこそ、その場に行けるのです。

今まで神様は、霊界で光として現れました。実体のダイヤモンドのように、光として現れるのです。実に畏れ多く、驚くべき象徴体である神様が、光として現れて訓示したのですが、神様が人類の父母の立場で訓示できる道は少しもありません。教えてあげられず、指導することもできません。神様は、中間の立場で代行できる内容だけを解決したのであって、始めと終わりを締めくくることはできません。霊界や肉界で、父母様がその始めと終わりを制定して実践の場をつくらなければ、霊界の興進君も働けないのです。

7   今まで聖人たちを地上に再臨させ、四十日教育をして霊界の垣根を崩し、霊界の先祖を解怨するのです。先祖解怨は、先祖が今まで嘆息圏で、恨を抱いている神様のみ前に孝子になれなかったので、孝子になれるように道を開いてあげるものなのです。そうして、家庭から神様に侍ることができる時代を迎えました。

本来は、霊界で先祖に対する祝福というものはあり得ません。天使世界は相対的所有権を賦与されなかったからです。

ところが、来られる再臨主が、今までアダムが十六歳以降にサタン世界に残したものをすべて清算し、切り捨てて祝福をしてあげるのです。

ですから、霊界の家庭が地上に降りてきて、祝福を受けたアダム家庭を協助でき、従うことができる時になったというのです。地上のアダム的実体祝福家庭を兄として侍り、弟の位置で絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。そのような位置に立つことによって、アダム圏文化創造世界を成し遂げるために、天上世界も地上世界に歩調を合わせなければなりません。

8   女性であるエバが堕落して哀れな世界をつくったので、女性が天使長世界の先祖たちを解怨してあげ、祝福してあげなければなりません。それによって、霊界が地上に降臨して助けてくれる影響圏が大きいというのです。それは言葉では語れない膨大な実を結べるのです。実際に努力してそのようにならなければ、「統一原理」が間違っているのです。

先祖たちを解怨し、祝福することは、天宙清平修錬苑を通さなければなりません。父母様が興進君に任せているから、そうなのです。韓国で解怨式と祝福式をしています。エバ国家である日本も先頭に立って、一人も欠けることなくきれいに整理しなければなりません。

9   先祖たちを解怨し、祝福してあげなければなりません。自分の一族、姓氏がすべて来て祝福し、天上世界と地上世界に解放の基盤を築けるのに、これを重要視しないということはあり得ません。強制的にでもしなければならないのです。霊界にいる人々には理想相対がいません。相対圏が許されていないのです。自分の母もどれほど茫然とし、兄弟たちもどれほど茫然とするでしょうか。真の父母の祝福の権限をもって、自分の一族をすべて祝福してあげなさいというのです。

10  天宙清平修錬苑で、先祖たちを連れてきて教育し、解怨して祝福してあげます。解怨はただそのままできるのではありません。代価を払って、自分の民族全体が解放され得るように道を切り開いてあげなければなりません。根が塞がっていて、幹と枝、葉、花、実が塞がっているというのです。これを解怨してあげなければなりません。解怨は途方もないことです。

天の生命をもった正常な根と幹と芽を中心として伸びていける枝をつくり、その枝を接ぎ木しなければなりません。そうして、全体に本然の幹と芽を中心とした枝が出て、葉が出て、花が咲き、実を結ばなければなりません。そのような真のオリーブの木の畑だけが残るようにしなければなりません。

それが、天一国の人々がすべきことであり、天一国が清算すべき召命的責任です。

11  先祖解怨をしたら、祝福をしてあげなければなりません。先祖たちが血統を転換できずに霊界に入ったので、地上にいるアベル家庭がそれをしてあげることによってアベルの家庭が兄になり、先祖たちが弟になって、真の父母様が備えたすべての家庭基準が立てられるようになるのです。氏族メシヤ圏において、そのように交替するのです。兄と弟二人が一つになっていれば、その一族が祝福を受け、村全体が祝福を受けることができます。ですから、郡でその姓氏を中心として氏族メシヤの責任を果たせば、郡全体も巻き込んで祝福してあげられるのです。

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13  外形的には、統一教会がキリスト教についていくように見えるかもしれませんが、内的には、どれほどの闘争歴史を経てきたか分かりません。サタンを分立し、分別するための闘争をしてきたというのです。そうして、人類が再び神様の懐に抱かれるようにするための救いの道を、個人から八段階まで経て、全世界の民族が、祝福家庭を中心として世界基準を越えられるようになりました。それが三百六十万双の祝福であり、四十年の峠を越えるのです。

14  父母様は、今まで十二の峠を越えました。三百六十万双が十二(番目)の峠です。この十二の峠を越えなければなりません。「アリラン」という言葉は、「愛」の字、「里」の字、峠を意味する「嶺」の字です。愛する里を訪ねていくのだと考えるのです。韓国民謡の「アリラン」に「十二の峠」という言葉があります。十二の峠を越えるために苦労をしたのです。今や十二の峠を越えたので、一瞬のうちにすべて平準化されます。ですから、どこにでも行けるのです。

15  一九九七年七月十五日に三百六十万双の祝福完了を宣布するまでは、本当に追い詰められた気持ちでした。ところが、天が役事したのです。八月に入って私たちは「天地父母天宙安息圏」を宣布したのですが、その日が八月九日です。そのような時がまた来るというのです。霊界の門が開かれ、この地上に霊人たちが降りてきて、想像できない事件が世の中に起きるということが分かりました。それで、七月十五日に「三百六十万双完了」を宣布したのです。

16  三百六十万双の祝福とともに行えるのは、おなかの中にいる子女、その祝福家庭の子女たちにも聖酒を飲ませることです。自分の生涯をかけて、「私はこのように生きてきたが、おなかの中にいる子女は、堕落した血統と関係がない、絶対純潔の血統を受け継いだ子女である」と言いながら、聖酒を伝授するという条件を忘れてはいけないというのです。その国と一つになって、天に誓って宣布しながら、聖酒を飲ませなければなりません。そのようにすれば、重生するのです。おなかの中の子女は、サタンの子女ではありません。

三億六千万双から四億双まで三億六千万双国際祝福結婚式が、一九九八年六月十三日、百九十五ヵ国に生中継される中、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて開催され、続いて一九九九年二月七日、ソウルの蚕室オリンピック主競技場でも、三億六千万双国際祝福結婚式が挙行された。真の父母様は、「本来この祝福結婚式は、長子圏国家であるアメリカに続いて、母の国である日本で開催されなければならない」と明かされたことがある。この時、霊人祝福式も行われた。そして、二〇〇〇年二月十三日、ソウルの蚕室オリンピック主競技場で四億双第一次祝福結婚式が開催された。四億双第二次祝福式は、二〇〇一年一月二十七日にアメリカのニューヨーク国連本部で、四億双第三次祝福式は、二〇〇二年二月十六日にソウルのオリンピック公園フェンシング競技場で開催されるなど、数回にわたって四億双祝福結婚式が挙行された。

17  三百六十万双を祝福すれば、本来は完全に水平になるのです。川の水が海に入っていこうとすれば、その水はすべて水平にならなければなりません。大きな川の水が海に入る時、速度が最も遅いのです。できるだけゆっくりと入ります。それは、主体である海水に、完全に吸収されるということです。すべてのものが天地の道理を中心として運動し、存続するのです。なぜ三千六百万双が終わってすぐに三億六千万双を始めるのが良いかというと、もはや峠を越え、谷間を下りきったからです。蘇生・長成期を越えたので、長成期完成級を越えていける段階に至ったのです。ですから、三億六千万双に入ります。これは完成圏です。

18  父母様が苦労するのは、愛の理想、絶対愛を中心とした理想的な天国を探し求めるためです。そのために今まで歩んできているのです。愛の理想をすべて探し出したあとは、相続させてあげなければなりません。これをすべて相続させるためのものが三万双の祝福です。三万双の祝福は蘇生、三十六万双は長成、三百六十万双は完成の基準です。ですから、一九九七年に三百六十万双、三千六百万双の祝福をしましたが、どれほど忙しいか、天から滝のように水が落ちてきたも同然でした。

今や三億六千万双さえ勝利すれば、この世、この地上に心情圏の統一世界が訪れるので、この心情圏で暮らしてから逝く家庭は、アダムの家庭を完成したことと同じになります。したがって、地上天国で暮らしてから天上天国に入るようになるので、天国の門が開かれるというのです。

19  成約時代は、結婚理想を完結しなければなりません。アダムの家庭でひっくり返ったものを、三億六千万双を通して復帰するのです。これを越えたあとは、アダムが堕落していない本然の父母として、本然の愛、本然の生命、本然の血統を中心として、自分の直系の子女たちを祝福できる時代が来ます。ですから、第一次アダム時代、第二次アダム時代、第三次アダム時代を経て、第四次アダム圏時代へと越えていくのです

三億六千万双の祝福が終わる時には、蕩減が必要ない第四次アダム圏時代に入ります。それによって、エデンで自分の父母が神様に代わって祝福できる時代に入るので、万民の前に、自分が祝福した一族たちを中心として、天国に直行する道が生じるというのです。第一次、第二次アダム時代に蕩減が必要だったのは、サタンが汚した血統の痕跡が残っているからです。しかし、第四次アダム圏時代に入って、サタン世界の血統を断切することにより、その痕跡が完全になくなったので、エデンの園で行うように、解放的な場で万民、人類全体の家庭が、平面上で一度に祝福を受けるのです。

20  四億双の祝福を完遂するためには、小学校、中学校、高校、大学を中心として純潔誓約式をしなければなりません。純潔誓約式は、未婚の男女をそのまま放置しておくと堕落するので、保護しようということです。ですから、学生の父母と学校と警察が一つになって、青少年が脱線しないように環境的条件をつくってあげなければなりません。青少年たちは、堕落していないアダム家庭の息子、娘と同じ立場なので、再び堕落しないように環境的に保護しようというのです。

アダムとエバが堕落したのは、保護し得る環境的なものがなかったからです。そのように、たった二人だったので堕落しましたが、これからは、父母と一族が加わり、学校と先生が加わり、警察が加わって、堕落できないよう環境的に保護する体制をつくらなければなりません。

21  父母様が霊肉を中心として国家基準で迫害されたあらゆることを除去し、サタンを屈眼させました。そうして、神様と一体圏の家庭的基盤を定着させたので、イスラエル民族に代わって蕩減したイエス様の時代の国家基準を世界に連結すれば、すべて終わるのです。霊界、サタン世界の地獄まですべて追い出しました。

地上再臨ができるようにしておいたので、皆さんを後援することによって、イスラエル圏世界化時代が訪れました。世界万民が祝福を受けられる選民圏内に入り、イスラエル圏世界化時代に入ったので、統一教会が四億双を祝福するのです。霊肉世界を中心として完全に峠を越えたので、父母様に従って絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情をもてば、すべてを越えるのです。

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21  二世教育で父母様が強調したことは、今まで暮らしてきたすべての習慣性を忘れてしまいなさいということです。統一教会から始まって、統一教会の伝統を受け継ぎ、習慣化しなければなりません。父母様と神様を中心として習慣化しなければならないのです。

二世たちが祝福も受けず、自分の好きなようにしようとしたならば、再び戻ってこなければなりません。統一教会から抜け出して結婚することはできません。イスラエルには、淫行を行えば、石で打ち殺すという法がありました。今後、それ以上の恐ろしい時代が来るかもしれません。天理に背く人たち、自分の一国を滅ぼし、世界を滅ぼす人たちは、この地上に存在する価値がありません。深刻な問題です。

22  統一教会の皆さんは、世俗化してはいけません。一大浄化運動をしなければならない日が来ます。二世三十六家庭の皆さんは、父母様が語れば、語ったとおりに動かなければなりません。皆さんが誤れば、皆さんの七十二代の先祖たちが引っ掛かってしまうのです。霊界でデモが起きます。「統一教会に入ってきて、祝福を受けて生んだ子女が、何たる有様だ」とデモをするというのです。そのようになれば、その息子、娘がうまくいくはずがなく、行く道が楽ではありません。仕方がないので、父母様が罪の荷を背負い、十字架を背負って、ひもを付けながら断ち切ることなく今まで歩んできているのです。

また、父母たちは、「私の息子が二世祝福を受けたので、適当に動いてもよい」と考えてはいけません。皆さんは、み旨を世界に発展させ、世界の祝福基準を立てて、万年解放の祝福という、解放の道を行くべき運命が残っていることを知らなければなりません。誰が先頭に立つのでしょうか。祝福家庭が責任を果たせなかったので、息子、娘たちを先頭に立たせなければなりません。

23  祝福家庭の二世の皆さんは、ひたすら父母様の言うことだけを聞かなければなりません。そうでなければならないのです。脱落してしまいます。二世たちが十字架を負わなければなりません。皆さんの父母が誤ったことまで十字架を負わなければならず、今後、自分の息子、娘が誤っても、その十字架を負わなければならないほど、重要な立場にいます。そのようにならないためには、皆さんが三世代を中心として、責任をもって十字架を負い、犠牲にならなければなりません。父母様は、皆さんを犠牲にしてでも、越えていかなければなりません。

ですから、父母様の言葉に絶対に順応しなければなりません。口があるからといって、好き勝手に話ができるようにはなっていません。この世と社会に対して不平を言えば、サタンが入るようになっているのです。弁証法の論理は闘争概念です。不平から始まるのです。サタンが神様のみ旨を破綻させながら、理論的な基盤をもって現れ、世界舞台を混乱させるこの時に、その間に挟まり、そこに染まってはいけないというのです。

24  四十年以上にわたるお父様の時代において、四千年の歴史をひっくり返して隅々まですべて収拾し、心情の根源から、その外れてしまった道まですべて正して、人類の解放圏まで提示することによって、神様がこの地に君臨して天国を建設できる道理を広げることができたという事実は、夢のような話です。これはうそのようですが、事実です。ですから、恵まれた立場にいるというのです。お父様は、国を探して立てる時までは、自分の脚を見せませんでした。監獄に入っても、(衣服を)すべてきつく締めていました。サタン世界に見せることを嫌いました。また、所かまわず座ることはしませんでした。そのように体の管理をしたのです。どこかに座る時には、必ず聖別して座り、立つ時も必ず聖別して立ち上がりました。汚さないために、そのように暮らしたのです。

お父様が歩んできたのは、サタン世界を分別するための本然の姿勢の道であることを知って、二世の皆さんだけでもその伝統を相続しなければなりません。その伝統を受けられなかったことが皆さんの父母の恨だと思って、二世の皆さんだけは、この伝統を受け継いで生きていこうと身もだえしなければなりません。

25  二世たちは、安逸な考えをしてはいけません。伝統的な歴史の理想を立てなければなりません。そうしてこそ大きな木になるのです。皆さんには、まだ迫害が残っています。外部の迫害がなければ、父母様と皆さんの父母が迫害するでしょう。それは正常なことです。それが、誰もその根を引き抜けないように打ち込んであげることだからです。

愛で打ち込んであげなければなりません。どこの誰も引き抜けないように、終始変わらない思想の根を打ち込んでおかなければなりません。それが基盤になっていれば、それによって芽が出るようになります。そこに該当する比例的存在として生まれるのです。神様が、一族を中心として祝福するのも同じです。

26  祝福家庭の二世たちをしっかりと訓練しなければなりません。二世の皆さんも開拓伝道に出なければならないのです。大きな木になるためには、深い所まで根を張らなければなりません。深く根を張るためには、どのようにしなければならないのでしょうか。山の頂に植えた木は、根を下ろせず、枯れてしまうものです。深い谷間に根を下ろしてこそ、肥やしも富み、保護も受けられるのです。上にあれば、風が吹いて冷えるのです。風が吹けば、倒れるようになります。ですから、深い谷間に根を下ろさなければならないというのです。

この世の万事において、良いものがすべて高い所にだけあるのではありません。良いものは、高い所にもありますが、最も低い所にもあるのです。木で言うならば、最も大事なところが根です。根は、見えないよう底(土の中)に張っています。根は、真ん中の根からまっすぐに伸びなければなりません。ですから、真ん中の根を中心として深く入れば入るほど、その四方に支根を張らなければならないのです。それに比例して、木自体に付いている幹と枝も大きくなります。根が先です。種を見ても、根が生えながら、芽が出るのです。天と人間の関係を見れば、逆さまです。人間の根は天なのです。

27  私が皆さんを祝福してあげるのは、皆さんより優秀な人を残すためです。二世の三十六家庭と七十二家庭は、み旨どおりに歩まなかった場合、問題が大きいというのです。お父様は、このみ旨ゆえに国を捨て、父母を捨て、妻子を捨てました。国を捨てたというのはどういうことでしょうか。サタン世界が私を押し出したのであって、私が捨てたのではありません。

島に流刑になり、海を泳いで上陸して、今このことをしているのと同じです。そのような伝統を受け継げるように、自分の基盤を築かなければなりません。お父様は、世界的な基盤を築くためにこのようなことをしたので、二世の皆さんは、自分の基盤を築いて、親戚や同志、自分と関係のある人たちに借りをつくってはいけません。

28  皆さんが有り難く思わなければならないのは、四十年のカナン復帰路程のみ旨について考えるとき、今、統一教会は、カナンの福地に既に入っているということです。民族的基準において、今後、統一教会を遮る道はありません。統一教会の風土に従わなければ国家が存続できないことを、識者から一般大衆までが感じる段階に入りました。ですから、ここから突き進まなければなりません。ここから新しく突き進み、機関車になり、砲弾となって撃破し、新しい歴史を展開すべき時点に立っているその人々は、祝福家庭の二世たちです。正に皆さんがしなければならないというのです。

結婚とは、単純に自分個人を中心とした結婚ではありません。統一家において、一大革命を提唱するために結婚しているというのです。ここには、第三者のいかなる考え方や観念も介在してはいけません。あくまでも真の父母様を中心として歩まなければならないのであって、第三者が介在してはならないのです。

29  ヤコブの息子は十二人ですが、彼らの中で最も祝福を受けた息子は、十一番目と十二番目のヨセフとベニヤミンです。兄弟の中で十人の兄がサタンの振る舞いをしました。この兄たちが二人を憎んだのです。そのような十家庭以上が反対し、冷遇する立場で、愛する心をもって乗り越えていかなければならないことを、代表して示してくれたのです。

ヨセフは、兄たちが自分を(涸れた)井戸に突き落として殺そうとし、売り飛ばしましたが、兄たちが自分を死の場に追い込んだのではないと考え、すべての権威とすべての欲望を忘れて兄たちを愛しました。ヨセフがそのように兄たちを愛したという条件によって、イスラエル民族全体が助かったのです。二世の皆さんも、そのような道を行かなければなりません。

祝福家庭の二世たちを祝福してあげたのは、一人で豊かに暮らしなさいということではありません。統一教会に反対し、統一教会を嫌っている、十人の兄弟のような環境にいる彼らを救ってあげるためであり、彼らを抱いて神様の愛の圏内に入っていける責任的使命を担わせ、代表として歩ませるためです。言い換えると、ヨセフのような立場で祝福を受けた家庭の息子、娘たちなのです。これが、祝福家庭の子女たちの行くべき道です。祝福を受けた家庭の息子、娘たちを、神様と父母様が祝福してあげて、良い暮らしができる環境をつくってあげたとすれば、その環境は、皆さんのためのものではありません。世界のためのものです。

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5   ソウルオリンピックの競技が行われている真っ最中であった一九八八年九月二十七日に、父母様は「摂理的統一転換式」を宣布しました。これを土台として、十月三日に「世界統一国開天日」を宣布することができました。そのようにすることによって、主体国であるアダム国家の韓国と、対象国であるエバ国家の日本の二世たちを結び合わせたのです。オリンピックの時に世界の青年たち、二世たちを一つにしたので、統一教会内の韓国と日本の二世たちを交叉結婚させたのです。この交叉結婚は、アダムとエバが個人的な一組の夫婦の立場で堕落したことを復帰するために、国家的な立場のアダムとエバが、息子、娘を代表して行う結婚です。一個人として堕落したアダムとエバが国家的代表の立場に立つことによって、二世たちを完全に統一するのです。この二国を統一するので、その一つになった基盤の上に父母様が立つのです。

6   一九八八年十月三十日に、六千五百双の合同結婚式をしました。日本人と韓国人の交叉結婚です。一般の人たちは、「統一教会員たち同士、写真を見て結婚させた」と言いましたが、新郎新婦同士ではすべて言葉が通じると思っていたのです。しかし、互いに言葉も通じません。言葉も分からない人同士が結ばれて、数千人が座っているのですが、静かだったのです。

なぜ静かだったのでしょうか。言葉が通じないからです。ところが、手はしっかり握っていたというのです。そこで手を離してはいけません。一万五千人が集まったので、一度相手を見失ったら、互いに見つけるのが難しいからです。ですから、御飯を食べる時も手をしっかりつないでいます。言葉が通じない中でもひたすらつかんでいる姿が素晴らしいのです。そのようなことは、統一教会でなければ見られません。

超国家、超人種の結婚大祝祭である三万双祝福結婚式一九九二年八月二十五日、ソウルオリンピック主競技場で、世界百三十一ヵ国の善男善女が参加する中、三万双国際祝福結婚式が開催された。この祝福式は、第一回「世界文化体育大典」の一環として行われ、祝福の世界化時代を開いたことに大きな意味がある。また、航空便予約の問題などで入国できなかった六ヵ国の祝福対象者たちのために、衛星中継による祝福結婚式が実施され、彼らも同じ時間に共に祝福の礼式に参加することができた。

7   一九九二年に三万双の世界的な祝福をしました。三数は完成数であり、天の数を代表します。蘇生、長成、完成です。三万家庭を祝福したということは世界的です。三万双の結婚後には、統一教会の合同結婚式に対する反対がなくなっていくというのです。私たちが三万双の結婚式をすることによって、国際的につながるようになりました。そこには、国家もなく、国境もなく、民族もなく、文化(の壁)もありません。

今まで結婚する時は、その境界線を越えられず、自国を中心として、自国内でも自分の一族を中心として、それも自分と関係のある一族だけを探し求めて結婚しましたが、これを完全に取り払ったのです。国境や民族、人種、宗教、文化の壁をすべて取り払い、同じ兄弟として結婚運動に初めて加わる役事が、国際祝福結婚式だというのです。

8   三万双の祝福は、国家を超越し、地域を超越し、宗教を超越し、政治圏を超越して行った国際結婚です。三万双なら六万人になります。それほど多くの人たちが、十日でもなく、一日ですべて結婚したというのです。

一国の人たちだけではありません。百三十ヵ国以上の国から白人、黒人、黄色人を問わず、すべての人種の人たちが来て参加したのです。肌の色がいくら違うとしても、生き方は同じです。一つです。ために生きる生活文化は同じだというのです。たとえ貧しく暮らしても、人のために生きるのです。そのような家庭が全世界に広がります。私たちのような人たちが、世界のほとんどを占めて、二十年後に一つの国家、一つの世界になると考えてみてください。そのような時が来るのです。

9   三万双の祝福の時は、功のない人まで祝福してあげました。そのようにしたのは、氏族メシヤを送り、一族を解放するためでした。親たちが今まで統一教会に反対し、その氏族全体が統一教会に反対しました。激しく反対した人たちは、むしろ統一教会に入った子女たちをもつ親たちでした。その反対した親を解放してあげるのです。

10  世界の家庭を連合して、世界の国をつくらなければなりません。国家を超越した世界家庭の連合がつくられなければなりません。それを象徴するのが、今回の三万双の世界的な祝福式です。これは世界家庭復活式です。

この世界家庭復活式をするに当たって、ここに日本やアメリカを問わず、全世界が反対しました。しかし、父母様が家庭を引き入れて思いどおりにしても、反対するのではなく、歓迎できる時代になったという時には、皆さんが家庭伝道をしても無事通過するというのです。ですから、皆さんは、主体の力量をもてる実証的な内容を備えなさいというのです。

11  海水が満ち始めると、満潮まで六時間もかかります。水平まで行こうとすれば大変なのです。しかし、時が変わりました。ですから、蕩減復帰を通して、国家基準と世界基準を備えるようになれば、一時間以内に平面基準に立てます。時代の恵沢圏によってそのようになるのです。

真の父母が来られるのは、全世界の万民を平等な立場で祝福するためです。サタンの讒訴がなければ、世界人類を一度に神側に返したいと思うのが神様の心情です。ですから、この満潮圏の立場に立つ条件として、一週間だけ修練を受ければ、満潮になったのと同じ基準で祝福できるのです。そのようなことをしたのが三万双の祝福です。

12  アダムとエバが結婚を誤ってしまったので、祝福結婚を通して万国に統一圏を形成していかなければなりません。ですから、神様の名によって結婚式をするのです。三万双まで父母様を中心として結婚式をしました。これは平面的です。同じ恵沢圏内にあるのです。カインとアベルが闘うのではなく、一つになりました。カインとアベルが天のみ前から遠く離れているのですが、神様の愛によってカインとアベルの世界的版図を一つにするという天のみ旨を成し遂げなければならないので、世界的な祝福式をするのです。

天がサタン側を追放して世界を収拾し、初めて天宙から世界、国家、民族、氏族、家庭まで基盤が固められるのです。このようになることによって、天が訪ねてこられます。そうして、地上に来られる主と一つになることによって、サタンを追放した家庭の起源をつくるのです。そのような家庭を代表する世界的時代が、三万双の祝福を中心として、三年路程を経る時です。

13  神様を中心として結婚できなかったことが堕落の原因なので、神様と真の父母様を中心として結婚しなければなりません。そうしてこそ、その族譜圏内に入るのです。三万双の結婚式の時は、このような族譜圏に入り得る準備をしなければならないので、世界人類を平面上に立て、父母様が責任をもって解放の位置に立ててあげるのです。誰でも一週間の修練を受け、「祝福を通して、真の父母が歴史全体を蕩減してくださることにより、自分たちが解放される」ということを信じればよいのです。

二世祝福と祝福二世家庭の責任祝福二世の最初の祝福結婚式が、一九八六年四月十二日、三十六双が参加する中、ソウルのリトル・エンジェルス芸術会館で開催された。この日、真の父母様は、参加者たちに「新しい歴史を展開すべき時点において、皆さんは自分個人を中心として結婚するのではなく、統一家において一大革命を提唱するために結婚するのだということを知らなければならない」などと語られ、新しい歴史的一ページをつくるという重大な使命を背負って、この式典に臨むことを願われた。

14  祝福家庭の二世の根は、父母様です。ですから、皆さんは、父母様の言葉を絶対視しなければなりません。誰よりも、自分の家庭よりも絶対視しなければなりません。父母様の国と父母様の世界圏、天地を取り戻し、それを迎えるための伝統を伝授させるためなのです。

天と世界と国の伝統を縦的に連結させるための第一の門戸、すなわち葉や枝が皆さんの家庭です。ですから、皆さんの家庭は、天を代表し、世界を代表し、国家を代表する横的な代表です。それゆえ、皆さんには国の伝統がなければならず、世界の伝統がなければならず、天の国の伝統がなければなりません。それが皆さんの主流思想です。皆さん二人が一つになって、サタン世界の歴史と隔離された、新しい一族として出発するのです。

15  二世の皆さんを、なぜ祝福してあげなければならないのでしょうか。二世自体の家庭を選ぶ時、その家庭が世界の途上で迫害を受ける家庭に属していれば、その二世たちを祝福してあげることはできません。しかし、摂理的に見ると、今や統一家において祝福家庭も迫害を受ける時代を越えました。誰がそのようにしたのでしょうか。皆さんの父母がしたのでしょうか。真の父母がしました。真の父母の上には誰がいますか。天の父がいるのです。このように、三代の父母に侍ってこそ復帰されるのです。

縦的中心である神様と真の父母を中心として、縦横に連結されるここにおいて、皆さんは父母に侍らなければなりません。三代の父母です。お父様は、縦的な父母に侍ることにおいては落第しませんでした。間違いなく侍ってきました。そうして、地上に着陸したのです。上から完全に根を張りました。着陸したところに、様々な家庭が水平線を中心として存在し、皆さんの父母は水平線になった家庭ですから、平和基準によって万国の家庭をつなぎ得るモデルにならなければなりません。

16  統一家に二世祝福があったことは驚くべき事実です。子女たちが祝福を受けることによって、今までの祝福家庭の過ちによって侵犯された条件を再び防御できる、神様の第二防御線ができたというのです。

国を中心として、皆さんを祝福してあげたという事実を知らなければなりません。父母様が築き上げた世界基盤の上に、大韓民国の国民が、霊的には統一教会の方向に従っていくようになっています。

17  二世祝福を受けた人たちは、祝福家庭の先導者にならなければなりません。雁の群れが飛んでいく時には、先導者がいて、行く方向を案内するのと同じです。皆さんの一族を中心として金氏なら金氏、朴氏なら朴氏を代表して、ここに呼ばれて来たというのです。皆さんは国を探し求めなければなりません。そのような点で、皆さんは自分たちのために祝福を受けたのではありません。

18  お父様は、家庭を中心とした天国の基盤を築くために、四十年間苦労してきました。国家との激しい闘い、厳しい風雪を経ながら、その位置を訪ねていったのです。神様の愛と真の父母を中心として成し遂げられた家庭中心の天国基盤と、カイン父母の四位基台の基盤が、天と共に完全に一つになる時、天国はそこから出現します。ですから、二世たちを先頭に立て、蕩減復帰の条件として二世三十六家庭を祝福したのです。

19  二世祝福を受けた家庭は、悪魔サタンを一度に放り出せる個人的な権限を回復しようというのです。「私は、世界と天宙を代表し、神様の立場を代弁することはできないとしても、私個人の立場でサタンを放り出せる息子であることは間違いない」と言えなければなりません。個人を代表して、サタンの胸ぐらをつかんで追い込める自信をもって、サタンが恐れるようにならなければなりません。宇宙の大怨讐、悪魔を個人的に屈报させ得るチャンピオンにならなければならないというのです

20  二世の祝福家庭は、本来、東西南北、上下、前後、左右を通してサタンが侵犯できない家庭です。皆さんは、愛を中心として、東に、南に、北に、西に、広がっていかなければなりません。そのような責任を果たさなければならないのが、二世の祝福家庭です。今後、二世の祝福家庭は、男女問題に引っ掛かってはいけません。

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第二節   祝福結婚の相対決定とその条件祝福結婚のための基準と条件真の父母様は、「千年、万年、努力を重ね、天上世界と地上世界の万民が仰ぎ見る中で祝福結婚式に参加しなければならない」と語られた。そして、祝福に先立ち、原理修練と伝道、断食精誠などの基本的条件を立てなければならないことを強調されたのである。また、祝福結婚式には、必ず両親から承諾を受けて臨まなければならないと語られた。

1   祝福を目の前にしている皆さんは、過去から現在に至るまで、自分の生活を批判してみなければなりません。皆さんの中には、祝福に対して自分なりに考える人が多くいます。「教会でいつも行われるのが祝福だ。私自身もこのような条件が成立していて、教会に入ってきて何年過ぎたから、そこに該当する資格をもつ者になっただろう」と思うかもしれませんが、そのように考えてはいけません。

この日は、神様が六千年間、願ってこられた一日です。ですから、この一日を迎えることにより、失ってしまった息子を探し出し、失ってしまった娘を探し出すようになるのです。彼らを通して、神様の愛を連結できる一致点が整い、ここから神様のみ旨を展開できる横的な基盤が用意されるのです。このように、神様の心のうちに一致し得る心をもち、祝福の一日を迎えるために準備する息子、娘がどれほどいるかというのです。

2   神様は、サタンがアダムとエバを侵犯することにより、栄光の一日を迎えられませんでした。ですから、神様は、サタンに侵犯されたアダムとエバを凌駕し、祝福を受けられる夫婦をもたなければなりません。サタンが神様の息子、娘を訪ねていって再び奪う立場に立てば、神様は威信を立てることができません。

ですから、皆さんは、自分の事情をもって祝福を受けようとしてはいけません。祝福は、神様が認定せざるを得ない位置から出発しなければなりません。これが、堕落した人間として取るべき態度です。そうであるにもかかわらず、そのようにできないときには、敗者として残るのです。皆さんがこの場において一度誤るようになれば、皆さんの子孫が引っ掛かり、また、先祖まで引っ掛かるのです。

3   統一教会に入ってくれば、恋愛できないようになっています。堕落とは、神様を抜きにして、人間が自分たち同士で愛し合ったことです。自分たちだけで愛し合ったのです。今日の世界は自由な社会なので、「結婚は自分たち同士でしなければならない」と言いますが、そうではありません。エデンの園でアダムとエバが堕落しなかったならば、神様の立ち会いのもとで結婚式をしたはずです。主礼は神様が務めるのです。

アダムとエバが幼い頃は、兄妹のように分別なく過ごしましたが、成長してみると、自分たちが相対的関係にあることが分かり、思春期圏内に入るようになります。女性を見ても、時が満ち、男性を見ても、時が満ちているというのです。男性は顔に髭が生えるのを見れば分かり、女性も外形を見れば分かるようになっています。

時になれば、自然に神様が夫婦の契りを結ばせてくださるのです。夫婦の契りを結ぶのは、神様の立ち会いのもとで行われるのです。愛の主人は、アダムでもなく、エバでもありません。愛の主人は自分ではありません。神様なのです。

4   愛は一つです。その愛と向かい合える夫も一人であり、妻も一人です。皆さんは、結婚する前に恋愛をし、不倫な愛の関係を結んだことがあれば、悔い改めなければなりません。そのような考えが残っている限り、皆さんは神様の愛の圏内に入れません。本来、神様の愛を先に体験しなければなりません。

皆さんの記憶の中に、昔、愛していた人がいれば、その人の名前まで忘れてしまわなければなりません。「その名前を知っているような気はするのだが、忘れてしまって思い出せない」というほど、その愛がどんな愛であっても、すべて忘れてしまわなければなりません。夢の中でも、そのようにならなければなりません。そのようにならなければ、祝福結婚ができないのです。

ですから、昔、愛したそれ以上の心をもって神様を愛することができ、教会を愛することができ、真の父母に対してそのような思いが湧き出る境地に入らなければなりません。まず、神様を愛し、真の父母を愛するのが原則です。世の中の愛の観念が残っていてはいけません。

5   皆さんは、これから清算することがたくさんあります。統一教会に入ってきて、「私は誰々と結婚する」という考えはもてません。そのような人は、いまだにサタンの愛の綱をぶら下げているのです。きれいに清算しなければなりません。純粋に育ったアダムとエバのように、一人の男性、一人の女性として、神様を父母と思い、その真の父母の愛を受けなければなりません。そのような立場に立つようになれば、霊界と肉界の統一が起こるのです。それは原理的です。原理がそのようになっています。

6   祝福結婚の相対決定は、天がして、父母がするのです。すなわち、アダムの父である神様がするのです。そのような点で、韓国の伝統的な婚礼式は、天法に近い結婚方法です。(韓国ではもともと)父母の承諾がなければ、絶対に結婚できませんでした。これは絶対的です。

ですから、自分の好きな人がいれば、直ちに父母に報告しなさいというのです。その人が好きだという言葉が口から出る前に、まず父母の公認を受けなさいというのです。二人がつき合ってもよいと認めてくれれば、それは大丈夫でした。報告して恋愛をするのは、罪になりませんでした。しかし、報告をしないでするのは、認められなかったというのです。

7   一番幸福なのは、純潔な女性と男性が、神様の喜ぶ場で、天上のみ旨に従って礼式(結婚式)を挙げることです。そのような人は、天地の幸運児です。天下の人生行路と万事において、成功した人です。

そのようにできなければ、断腸の思いで、天地がひっくり返る切実な悔い改めをしなければなりません。そうして、清い心と体をもって、「父よ、私は恥ずかしい身です。どうすればよいでしょうか」と言うとき、父は、「そうか、私はお前の気持ちをすべて知っている。赦そう。そのようなつらい峠を越えてきたことが、父の喜びである」と言われるというのです。

ですから、そのようなことをすべて知り、赦すという天の同情の力が、自分自身にとどまるようになった上で、祝福の場に参加しなければなりません。

8   理想的なものは、きょうあるのではなく、あすにあります。ですから、私たちが「理想的な相対だ」と言えるものとは何でしょうか。二人が良いからといって、理想的な相対になるのではありません。未来の子孫のことを思うところに、理想的な相対がいるのです。結局は、反対です。

「天のために最も理想的な相対だ」と言える人とは、どのような人でしょうか。一番の極と極、最も嫌いな人同士が出会って一番好きになれば、ここから最も良いものが出てくるというのです。み旨のために生き、神様のために生きて多くの苦労をすれば、福を受けるのと同じです。世の中の結婚観とは反対です。そのような立場においても、「私は反対のものを感謝して受ける」と言い、「私はどのような女性、どのような男性に対しても、神様と共に理想的に愛し、暮らす」と言えば、神様は正反対の人とも結婚させてくれるのです。父母様が、そのような立場で祝福をしてあげた人もいます。彼らが一つになって暮らしさえすれば、傑作の息子、娘が出てくるというのです。

一つの時代が良かったなら、もう一つの時代は悪いのです。理想的な相対は、天上にいるのではなく、地獄のどん底にいると考えなければなりません。そこから新郎、新婦を求めなければなりません。

9   祝福は、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏個人として、福を受ける立場に立つためのものではありません。ある一人の人が、祝福の場に臨むためには、何を先に備えるべきでしょうか。ここには必ず、まず備えなければならないものがあります。祝福は、個人のためにしてあげるのではなく、その個人を通して氏族、民族、国家、世界に代わる新しい家庭をつくるようにするためにしてあげるのです。その家庭は、自分の個体、金氏なら金氏だけのための家庭ではありません。その金氏だけの家庭ではなく、民族と国家に代わり、さらには世界に代わり得る家庭です。このような家庭を築かなければ、祝福が成立しません。

なぜなら、人類の先祖、アダムとエバは、個体としては二人ですが、歴史的な始発点に立っているため、その二人だけで終わるのではありません。その二人を通して、新しい家庭と新しい氏族、民族、国家が必ずや顕現するでしょう。このような世界的な基盤が決定する場が、正に祝福の場なのです。

10  統一教会の祝福を受けるためには、先に、様々な条件を具備しなければなりません。まず、万物を復帰したという条件を立てなければなりません。次に、サタンから自分自身を取り戻したという条件を立てなければならず、さらに、三人の信仰の子女がいなければなりません。最低限、三人の子女がいなければならないのです。なぜなら、堕落したからです。そして、堕落した人間を復帰するためには、創造原理による再創造過程を経なければなりません。七年間で、このようなすべての内容を備えられなければ、祝福の場に出ていくことはできません。

堕落したので、神側に再創造しなければならないのです。再創造しようとするなら、神様に代わる立場に立たなければなりません。そして、人間を再び造ろうとするなら、神側に属した物質がなければなりません。その物質を通して、自らを再び造る過程を経ることができます。ですから、必ず三年以上、万物を主管する訓練をしなければならないのです。世界から、自分を再創造する物質を集めなければならないというのです。自分の体を犠牲にしながら、そのような基盤を築くのです。

その基盤の上で、三年半の間、サタンと闘って勝たなければなりません。サタンがいくら迫害しても、落ちていかず、神様のみ前に永遠に立てる自分自身を探して立てると同時に、この期間に三人の息子、娘、すなわち信仰の三子女を探し出さなければなりません。霊界の協助を受け、霊界と縁を結ぶべき立場なので、信仰の三人の息子、娘をこの期間に探し出さなければならないのです。この条件を備えなければ、堕落していない本然の完成した夫婦になることはできず、完成した本然の夫婦にならなければ、天国に入ることはできません。

11  皆さんの中で、断食をしてみた人は分かると思いますが、断食はそれほど簡単なことではありません。しかし、統一教会では、正式な教会員になろうとすれば、一週間の断食祈祷をしなければなりません。普通の人たちは、一週間ないし八日間、御飯を抜けば、大概は死ぬと考えています。

私たちがこのようなことをするのは、何のためでしょうか。生命を懸けた一つの目的を中心としているという事実を確認し、自信をもつためです。これは、神様ゆえにするのであり、人類ゆえにするのです。また、サタンゆえに断食をします。サタンに対する防御線だという確固たる信念の中で、私たちは断食をするのです。また、私たち個人にとっては、このような絶食をすることにより、生活の恐怖心をいつでも除去できるというのです。私たちは、このような自信をもつために、断食をします。

一つの目的と一つの世界的なみ旨のために、「一週間、断食するとしても、私は前進する」という信念をもつことは、偉大な伝統になるでしょう。

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13 交叉結婚は、韓国と日本から始めました。日本と韓国は、怨讐関係でした。交叉結婚のような血統を混ぜることは死んでもできないことを、韓国人は歴史的によく知っています。国家を超越し、大陸を超越して交叉結婚をすることにより、血統水平圏をつくることができます。それは誰も変えられないので、超国家的になるのです。そのようになれば、国家間で国境撤廃運動が起こるようになります。民族の統合によって国境撤廃をすることにより、新しい文化交流時代が来るのです。そのように交流することによって、統一を成し遂げます。それは、真の父母と天を中心とした文化を中心として、決着をつけるためのものです。

真の結婚の意味真の父母様は、祝福結婚を通して、真の愛を中心に真の夫婦と真の父母、真の子女、真の兄弟の伝統を立てなければならないと語られた。特に、真の愛には、相続権と同位,同参(一緒に参加すること)権があるため、祝福結婚をすることにより、神様と真の父母様の真の愛の伝統を受け継ぎ、これを社会と国家、世界に拡大させていくとき、初めて天国理想が実現され得ることを強調された。

14 創造原則から見れば、自分が相対を創造するのではありません。相対は神様が創造したのです。父母が生んでくれるのが原則です。その天理原則、再創造の法度に従って、父母、神様が相対を探し出してくれるのが天理の公約です。真の父母様は、このような原則によって天倫の公約を中心として秩序を立てる基準を知っているので、この基準に従い、神様の保護のもと、真の父母という名によって、皆さんの結婚を執り持てるのです。これが統一教会の結婚観です。

15 結婚は、自分のためにするのではありません。天地の道理に合わせ、上下を備えるために愛するのです。前後を備えるためにするのです。男性のためにするのではなく、女性のためにするのではありません。天理の法度を合わせるためにするのです。

上下、前後を完全に縮小させ、一つにまとめ、愛でトゥルマギ(外出するときに一番外側に着る外套のような服)を作るのです。そのようになれば、それは愛で一つになった宇宙の核心体になります。ですから、宇宙の中心である神様の愛を中心として、その愛の主体と「私」が相対的関係を結び、太陽系に属しているすべての惑星が軌道を回るのと同じように、永遠に軌道を回りながら進むのです。夫婦は、一つの宇宙の人格を完成するときに、神様のみ前で主体と対象をつくりあげる細胞のような存在として残るのです。

16 男性と女性は、愛のゆえに生まれました。ですから、「私」が完成するために結婚をするのです。私が完成者になるためには、相対を迎えなければなりません。結婚をするのは、私だけでは半分にしかならないからです。世界の半分にしかならないのです。月で言えば、半月にしかなりません。完全な月になろうとするので、男性には女性が必要であり、女性には男性が必要なのです。ここにおいて、相対に「私のために生きよ」と言えば逃げていきますが、ために生きようとするときには、付いてくるようになるのです。

17 女性は、男性がいなければ愛の主人になれません。男性がいなければ、女性は愛の関係を結ぶことができません。女性の愛を完成させるのは男性です。男性が愛を完成させるのですが、それを男性のものとしてはいけません。その愛の実は、女性に返してあげなければなりません。また、女性は、男性の愛を完成させる主人です。

女性が女性ゆえに生まれたとすれば、女性は百年もたたないうちにいなくなります。女性が生まれたのは男性のためであり、男性が生まれたのは女性のためです。女性と男性は、神様の愛ゆえに生まれました。神様の愛の相対です。神様を愛の主人にするのは、神様お一人ではできません。祝福を受けた夫婦が神様を愛の主人にしてあげるのです。アダムとエバが結婚するその時間に、神様はすべての愛の主人になります。ですから、愛ゆえにアダムとエバが生まれたというのです。

18 多くの宗教で、「独身生活をしなさい」と言いますが、統一教会では祝福結婚をするのです。祝福結婚は、宗教の歴史にはありません。祝福結婚は、自分勝手にするものではありません。神様の命と父母の承諾を受けなければなりません。これが伝統です。結婚は、神様と父母から連結されてこそ、成し遂げられるのです。自分勝手に結婚してはいけません。結婚式の場は、最高の貴いものを父母から相続する厳粛な場です。その最高の貴いものを相続する前にその最高の貴い主人が、神様からその福をつないであげなければなりません。

ですから、結婚は、世界人類を代表した立場で、神様がつないでくれる位置に上がってしなければならないのです。種は、いくら多くても、最初の種と内容や価値が同じでなければなりません。数千、数万になっても、アダムとエバがもっていた本然的価値と同じでなければならないのです。それが変われば、種が変わってしまうのです。

19 結婚は、愛で一つになるための本然的基準に合わせるためにするものです。原因と結果が一つになっているので、これを誰かが壊すことは永遠にできません。縦的に神様がいらっしゃり、横的に男性と女性がいます。東にいる男性は、西にいる女性を訪ねていきます。また、女性は男性を訪ねていきます。そのように、横的に訪ねてくるのです。神様は、人間を愛によって造りました。彼らがすっかり成長して、相対(関係)になるときには、男性の目は女性、女性の目は男性に向かいます。

アダムとエバが成熟した場合、女性が一步進めば、男性も一緒に一歩入ってこなければなりません。同じように合わせなければならないのです。そうして、中央で神様の愛に出会わなければなりません。結婚した初日に、愛を通して球形をつくるのです。そして、神様は愛の核になり、アダムとエバは愛の副体(客体)になります。これを移して植えることによって、核心的な愛の種を受け継いだのが心であり、副体的な種を受け継いだのが体です。そのように心と体が一つになったのが、完成したアダムとエバなのです。

20 結婚は、神様を占領するためのものです。神様を占領すれば、真の愛には相続権があるので、神様も「私」のものになります。妻のものは夫のものであり、夫のものは妻のものです。愛を中心として、私のものになるのです。愛には相続権があります。また、同位権(があって)、同じ位置に行くことができます。その次に、同参権があって、どこに行くにも付いていくことができます。

ですから、愛によって一つになるときには、神様が私のものになります。神様に所属したすべてのものが、私のものになるのです。これにより、人間の欲望の最高基準である、天地を造った神様を私のものにすることもでき、天地のすべてのものを私のものにすることもできるので、私は王子のような位置、王女のような位置に立つのです。そのような王子、王女の位置に立って、天の国の王権を受け継ぐためにするのが結婚です。

21 祝福結婚は、神様と世界のためのものです。世界を愛し、世界を代表した立場に最も近い人を愛するのです。女性は父と夫、兄、弟に代わる立場として男性を愛さなければならず、男性は母と妻、姉、妹に代わる立場として女性を愛さなければなりません。この四つの立場に代わり、世界を愛する心で最も近い位置において愛し、尊敬しながら、互いにその刺激を感じるように結んであげた関係が夫婦です。世界的な愛を与え合える、最も基本単位的な基盤が夫婦です。

ですから、結婚すれば、妻を母と姉、妹の代わりに愛さなければなりません。また、夫を父と兄、弟の代わりに、それ以上の愛の心をもって愛さなければなりません。これが、理想相対を中心とした家庭の夫婦愛です。公式がそのようになっています。

22 結婚するのは、世界を愛する訓練をするためです。また、万民を愛する資格をもつためです。今まで、これが家庭で終わり、「あなた」と「私」の間で終わってしまったので、ばらばらに分かれ、砂粒のようになったというのです。これがサタン世界です。しかし、私たちは、あなたと私の関係を結ぶだけで終わるのではなく、世界と天地と共に関係を結んでいくのです。ここから天国ができ、新しい血族が始まります。

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2 統一教会が韓国政府に登録された当時、大きな争いが起きました。その時が一九六三年です。お父様はこのような日が来ることを知っていたので、これに備えた天的な基準を立てなければならないと考えました。それで、海外宣教を準備したのです。それは、アベルが拘束されれば、カインを立てて蕩減復帰できるように準備するためでした。昔は、カインがアベルを殺害しましたが、今や外国を中心にカインの祭壇を形成してアベルの祭壇を敬うようにすることができ、アベルの祭壇を救うことができるのです。そのような世界的な関係を結ぶために、追われに追われながらも外国に宣教師を送ったのです。冒険をしながら、アメリカに三人、日本に一人を送りました。

私たちは、反対する自由党の政権下で成長してきました。自由党政権は、統一教会がなくなるものとばかり思い、このように発展するとは思わなかったでしょう。このように成長するまでには、血のにじむ歴史と、皆さんには想像もできない内容があります。このような時であるほど、必ず国家的な弾圧があるので、それに備えるための内的な準備をしなければなりませんでした。このような責任を感じて、アメリカと日本に宣教師を送り、ドイツにも送ったのです。

3 私たちは、世界の前に作戦が必要です。もつれ合った世界を、真の父母を中心として立て直すことができなければなりません。世界的な蕩減復帰路程を越えていくべきときには、五パーセントの責任があります。私たちは、国家的基準を立てて世界の様々な国に宣教師を派遣しました。イエス様当時のイスラエルのような韓国で定着し、世界の中心だったローマのようなアメリカで定着しました。ですから、ユダヤ教とイスラエル民族に追われ、迫害され、悲しみに暮れたイエス様の事情とは違います。皆さんは、過去数年間にお父様が語ったことが、今になってどうなったかを知っています。私たちが億万のサタンと闘って死んでも、その亡骸がカナンの地に埋められさえするのであれば、それは栄光にならざるを得ないのです。

4 私たちは、韓国に対する使命だけではなく、世界に対する使命も果たさなければなりません。統一教会を発展させるために、お父様は自由党政権の迫害を受けながら、日本とアメリカに宣教師を派遣しなければなりませんでした。今とは違い、当時は韓国政府が迫害し、反対しました。ですから、宣教師を密航船に乗せて日本に送ったのです。しかし、お父様は神様の摂理から見ていました。もしそのようにしていなければ、今日のこのような勝利基盤は、絶対につくることができなかったでしょう。

5 大韓民国が生き残り、さらに、日本を生かし、世界を生かすためには、強力な宗教理念と思想をもって、日本国民を中心とした文化的中心都市、あるいは中心基盤の上にいかに定着化するかが問題でした。日本に行って糾弾されるのではなく、日本の人たちを教化して、いかに私たちが主体的な立場で定着化できるか、それだけが、未来において韓国が生き、日本が生きる道だと考えたのです。

日本に宣教に行ったその青年は、日本で身を潜める立場で統一教会を開拓しそれこそ新しい基盤を形成するようになりました。そうして、私たちは、国民的な運動よりも、何としてでも日本の為政者たちへの道を突破しようとしました。韓国を日本とアメリカに、何としてでも連結させなければなりません。こうして日本に影響を与えるために、統一教会は活動を始めたのです。

日本に宣教師派遣真のお父様は、一九五八年五月三十日の早朝、忠南の鶏龍山・甲寺の裏庭にある松林で、崔奉春(日本名、西川勝)に二時間近くみ言を語られたのち、日本宣教師として派遣することを決定された。誰よりも日本を愛する心で、ただ日本を救うために、そのようにされたのだった。崔宣教師は、抑え切れない胸の高鳴りと感慨を抱いて、一九五八年七月十五日、釜山を出発し、いくつかの場所を経て広島の呉港に向かう航海の途中で、日本の当局に不法入国者として捕らえられ、収容所への拘束、病院への入院、病院脱出ののちに東京に到着し、その後、み言を伝えた。そうして、一九五九年十月二日、新宿区戸塚町二丁目八五番地で行われた最初の礼拝をもって、日本教会が出発したのである。

6 日本とお父様は、一対一で見れば怨讐です。日本統治下で、たくさんの拷問を受けました。しかし、神様は怨讐を打てとは命令されません。怨讐に着る物がなく、食べる物がなければ、「その人のために施しなさい」と言われるのです。ですから、お父様は、日本に崔奉春を宣教師として送りました。日本全体が反対し、韓国自体が反対することを知っていました。しかし、お父様は、数十年後にはそれが韓国のためになり、日本のためになることを知っていました。両国の国民が手を合わせて感謝する日が必ず来ることを知っていたので、いかなることがあっても日本に宣教師を送ったのです。

統一教会に対する弾圧が絶頂にある時、日本宣教師の派遣を決定しました。一人の人手も惜しいその時に、涙をこらえて日本に人を送ることには、誰も知り得ない苦悩があったのです。死を覚悟して成し遂げた業績は、日本の歴史上において消し去ることができない事実です。

今になって韓国は、お父様に対して感謝しています。神様は日本を愛しています。お父様も、日本の歴史上、誰よりも日本を愛しました。日本人以上に日本を愛するのです。神様が愛する日本であれば、日本人以上の心情で日本を愛さなければなりません。

7 日本は私にとって怨讐ですが、私が日本をどの国よりも愛することによって、今後、アジアで神様のみ旨を展開できる相対的基準になり得るのです。そのようにしなければ、主体国の前に、相対的国家を探し出すことはできません。日本には歴史的にそのような使命があるので、誰よりも愛する心をもち、日本を救うために借金しながら宣教師を送ったのです。それは、日本のためでした。

8 私たちが日本の宣教事業を開拓した時が一九五八年です。その時は自由党の政権下にあり、韓国と日本の国交正常化に激しく反対していた頃でした。そのような状況で、大韓民国が生き残るためには、どのようにしなければならないのでしょうか。

北朝鮮は、金日成主席を中心としてソ連と中国が後援する立場にあることは間違いないので、この難局を解決する一つの突破口を開くためには、日本を通していかなければならないと考えました。ですから、日本に宣教師を派遣して活動させたのです。その当時は日韓の間に外交関係がなかったので、大韓民国の統治下にある一国民として、日本に宣教師を派遣することは困難な時代でした。

9 私たちのみ旨が世界的なみ旨ならば、隣国の日本にもみ旨を展開すべき責任があり、世界の各国にもみ旨を展開すべき責任があります。ですから、私たちは受難の道を経ながらも世界に宣教師たちを送らなければなりません。世界的な責任を果たすにおいても、食べて余ったり、使って余ったりするからするのではありません。厳しい中でするのです。私たちが日本を開拓する時もそうでした。当時、借金をして宣教師を日本に送りました。なぜなら、日本を誰よりも愛したという条件を立てなければならないことを知っていたからです

宣教師を送り出す時、「あなたは滅びたとしても、日本を救わなければならない」と言いながら送りました。「死んでも行かなければならない」とせき立てたのが、ついきのうのことのようです。足もとに火がついて、自分の生活も厳しいのに、借金をしてそのようなことをするので、理解ができないというのです。このように、み旨の道は、良い時に平坦な歩みをするのではありません。

10 お父様は、日本に出発する宣教師に、「あなたが無事に到着するまで、眠らずにあなたのために祈り、あなたのために精誠を尽くすつもりだ。死んでも任務を果たすまでは戻ってきてはいけない」と言いました。

彼は、釜山を通って日本に着くなり捕まって、広島の吉浦拘置所に拘留されました。その後、いくつかの収容所を転々とさせられ、韓国に送還される身となりました。しかし、お父様から切符をもらい、命を懸けて行った男として、たとえ死ぬようなことがあったとしても、帰ることはできません。送還のために下関に向かう途中、列車から飛び降りようとしたのですが、速度が速く、トンネルも多かったので、それはできませんでした。そうして下関に着いて、送還されるのを待つだけという状況になりました。送還されればすべてが崩れてしまうのです。ですから、知恵を絞って、断食をしました。

一週間、十日間と断食をするので、熱病のようなものにかかって、医者から心臓病と診断されたのです。そうして治療するために病院に入院しているときに、逃げ出してしまいました。その後、伝道をして、日本統一教会の勇士たちをつくり上げたのです。

11 お父様は、日本に宣教師を送りました。天運は、人間がつくった制度と法を超越したところから訪れるのです。私は天運を知っているので、そこに備えようとするため、常に死が交錯し、苦痛が交錯し、迫害が交錯するところを歩んできました。人が望むままにしていれば、何の迫害があるでしょうか。そのようなときは相いれません。遮る時には遮るのです。ですから、統一教会員たちは、このような道を行くのです。

12 日本に最初の宣教師を送る時、私が頼んだことは、「誰よりも日本の人を愛しなさい。涙を流しながらも、追われながらも愛しなさい。追い回されながらも愛したということを、その人たちが証できる事実を残しなさい」というものでした。

他国の人として、日本民族がその国のために忠誠を尽くした基準を突破して越えていくようになるときは、その民族は頭を下げなければならないというのです。これが鉄則です。そのような立場で、収容所に引っ張られていっても、逃げ出して伝道を始めました。そのことを、現在の制度のもとでは悪く思うかもしれませんが、日本民族はいつまでも記憶にとどめるでしょう。当時は反対する立場で批判し、条件を挙げて反駁したかもしれませんが、歴史が過ぎるに従って、残した事情は、今後生まれてくる数多くの子孫たちを、涙とともに抱き得る動機の源泉になるのです。

アメリカに宣教師派遣真のお父様は、一九五九年一月二日、食口たちと汝矣島(ヨイド)の臨時飛行機で、最初のアメリカ宣教師として派遣される金永雲を歓送された。金宣教師は、梨花女子大学の教職者として在職中の一九五五年三月、統一教会の信仰を理由に退職処分となっていたが、アメリカ宣教の使命を受けたのである。金宣教師は、アメリカに到着し、オレゴン大学に研究員として就職したが、学校をやめ、天の密使のような立場で伝道活動を行った。英語の原理教材を制作し、新しい真理と霊的体験を渇望する人々が集まる所を訪ねていき、原理を伝えた。真の父母様の精誠と金宣教師の活動により、アメリカ教会は、一九六二年九月十八日、カリフオルニア州政府に「世界基督教統一神霊協会」を法人団体として登録し、続く一九六三年四月には、アメリカ連邦政府から認可を受けた。

13 歴史は、同時性の時代を形成していくので、霊的理念を中心とした第二イスラエルが存在するようになります。今のキリスト教は、二千年前のユダヤ教の立場です。民主主義は、キリスト教を中心とした世界をつくらなければなりません。韓国はユダヤの国と同じ立場であり、アメリカはローマと同じ立場です。韓国のキリスト教は、内的イスラエルを代表する内的ユダヤ教の立場で、世界のキリスト教の縮小型であり、韓国は内的イスラエル国家の立場です。イスラエルがローマの属国だったように、韓国はアメリカから経済と文化の影響を受けています。

統一教会と韓国民族と韓国のキリスト教が一つになっていれば、イエス様当時のイエス様とユダヤ教が一つになれなかったことを蕩減できたでしょう。しかし、彼らが不信することによって、統一教会はイエス様のようにゴルゴタの道を歩むようになりました。それでも、私たちはここにおいて勝利しました。私たちの教会が、反対するキリスト教と闘って勝利した形として、登録許可が下りたのです。アメリカでも登録されたので、今や四位基台を中心として本然の家庭を取り戻すことができるようになりました。

14 私たちは、世界的な宣教事業を早急にしなければなりませんが、まずアメリカを中心とした宣教を早くしなければなりません。世界を見回すと、今はアメリカが世界の中心にならざるを得ません。経済的な面から見ても、政治的な面、軍事的な面など、すべての面でアメリカが中心になっています。

もちろん、ヨーロッパが西欧文明を築くのに開拓的な使命を果たしましたが、今は先導的な役割をアメリカに譲りつつあります。イギリスに行き、若い人たちを引き止めて尋ねれば、アメリカに相当憧れていることが分かります。イギリス人たちは、保守的な国民性をもっていて、自分の国について何かしら誇っていますが、彼らもまた、新たな立場で発展しているアメリカを羨ましく思いながら、アメリカに行きたいと思っています。それは、ドイツもそうであり、フランスもまた同じです。

このような観点から、すべての階層の人たちもそうですが、特に一般の青年たちは、いかにアメリカに追いつくか、ということに関心が高まっています。このように西欧のすべての国家の人々がアメリカに憧れているのを見れば、アメリカが先導的な役割を果たしていることが、実証的な結論として現れているのです。この先導的な役割をアメリカがどのように遂行していくのかが問題です。

15 アメリカに宣教に行った金永雲氏は、伝道をするとき、霊能者を訪ねていきました。「さあ、この本がどのような本か祈ってみてください」と言いながら伝道したのです。本当に高次元の伝道方法です。そして、「私が誰か祈ってみてください」と言ったというのです。彼らが祈ってみると、雷が落ちるようになります。「その方が門を開けて入ってくれば、姿勢を正し、敬拝を捧げてお迎えしなさい。その方にはお金がないから、支援してあげなさい」と教えてくれたというのです。統一教会は、アメリカでそのようにして出発しました。

16 お父様はアメリカに宣教師を、東部と西部、西北部に配置しました。東部には男性、西部には女性、西北部には男性を配置しました。東部の男性宣教師はアダム型であり、西部の女性宣教師はエバ型であり、西北部の男性宣教師は天使長型です。アメリカには、エバが先に来ました。エバが先に来てアダムの道を築き、天使長の道を築いて、三人を一つにする使命を果たさなければなりませんでした。お父様はそのように考えました。原理観がそうなのです。

彼らが一つにならなければなりません。三人がばらばらになれば、天使長国家の運命を左右することはできません。このような摂理のみ旨があるので、一九六〇年の患難時代にこのような作戦のもと、アメリカに宣教師を送ったのです。

17 今、アメリカが新たに覚醒する時が来たと考えます。アメリカの地に新しい夜明けが訪れなければなりません。皆さんは、アメリカにある全体の州に責任をもたなければならないのです。この州から他の州まで、皆さんの活動が拡張されなければなりません。たとえ皆さんの数が制限されているとしても、皆さん各個人がこの責任を完遂しなければなりません。もし皆さんがこの責任をやり遂げられなければ、どのようなことが起きるか分かりません。

皆さんが責任を果たせなければ、アベルの立場にあるアメリカは、カインの立場にある共産主義政権を通して苦難を受けるようになるでしょう。自由陣営全体が患難を受けるようになるのです。しかし、皆さんが責任を完遂するならば、民主主義を救うことができ、自由を構築することができるでしょう。

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第二章  祝福結婚式の歴史第一節   三十六家庭の祝福結婚式三子女祝福の摂理的意咮一九六〇年四月十六日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、金元弼・鄭達玉(チョンダロク)家庭、劉孝元・史吉子(サキルヂャ)家庭、金榮輝・鄭大和(チョンデファ)家庭の三子女祝福結婚式が挙行された。真のお父様は、聖婚式の前に三子女の約婚式をされることにより、イエス様の三弟子を中心として一つになった理想圏を成し遂げたという条件を立てられた。そして、「祝福家庭も、信仰の三子女が約婚したのちに、自らが祝福を受け、その後、その三子女を祝福させる条件を立てなければならない」と語られた。

この日の祝福式では、万物を復帰する式である第一次式に続き、三双が永遠の夫婦になる祝福の礼式である第二次式が行われた。その第二次式は、「子女を復帰する式」と「婚礼本式」の順で進められた。真のお父様は、「一人の男性と一人の女性は、それぞれ神様の一性に似た者である。彼ら一男一女の結合は、神様のプラスの性稟とマイナスの注稟に似た中心体である。さらに、夫婦は、神様の全体を表象する理念の結合である。特に、男性はプラスの性稟を代表することによって真の父の分身となり、女性はマイナスの性稟を代表することによって真の母の分身となる。愛によって一つになることは、天宙を抱くことである。これは、宇宙の出会いである」という旨の婚礼の辞を下さった。そして、三子女の祝福は、霊肉ともの完成救援の意味があると語られた。

1 一九六〇年に父母様は、聖婚式を挙げる前に、三十六家庭のうち三家庭を約婚させました。そして、父母様が聖婚式を挙げたのちに、この三家庭を祝福してあげました。それは、イエス様を中心としたぺテロ、ヤコブ、ヨハネのように、お父様を中心に三子女が神様の理想圏に立ったという条件を立てたのです。決して分かれることはできないという勝利的基盤を立てたのです。

2   アダムの代わりはイエス様であり、イエス様の代わりは再臨主です。再臨主も、完全に服従する三人の信仰の子女をもたなければ、真の父母の立場に立てないのが公式です。生死の境地を乗り越えて、迫害のまっただ中でも従っていき、孝道を尽くせる三人の弟子をもたなければなりません。お父様は、そのような三弟子を一九六〇年四月に探して立てました。

復帰路程は、逆に探し求めて上がっていくものなので、祝福は子女の立場にいる人が先に受けるのです。家庭圏はヤコブの家庭なので、十二数の基準を基盤にしなければなりません。三弟子、三子女を中心として、それと同じ基準を通過しなければならないのです。

アダム家庭におけるカイン、アベル、セツ、三人の復活体として相対基準をつくり、その基台の上で約婚の立場を越えて、実体的に父母の立場を決定したのが一九六〇年の聖婚式でした。神様の恨になっていたアダム家庭の三子女と父母が一体となった立場を確立したのです。それがこの地上において、歴史始まって以来、初めて韓国で成就したことは、世界的な事件です。この時から韓国に新しい歴史の運勢が回り始めたと言うことができます。その基台の上で、一九六〇年四月に三子女を祝福したのです。

3   このような神聖な儀式は、神様の希望であり理想です。アダムとエバが成熟すれば、かなえてあげようとした神聖な儀式です。神様の創造理想の心情の中にあったものであり、実に歴史的な出来事です。このような式典は、創造以後、初めて起きたことです。これから、皆さんの体は供え物の立場であるという心情で生きていきなさいというのです。一男一女は、無形であられる神様の実体対象として現れた息子、娘です。男性は神様のプラス性稟を、女性は神様のマイナス性稟を代表した実体対象なのです。

4   信仰の息子、娘が、皆さんのために命を捧げることができるでしょうか。自分のことを考えない信仰の息子、娘をもったでしょうか。それは簡単なことではありません。自分の息子、娘を十人育てるよりも大変なことです。

お父様もそうです。お父様は、お母様と聖婚する前に、三人の息子、娘の約婚式を行いました。そのようにしてから、聖婚式をしたのです。そのようにしなければなりません。

聖婚式は私が先にするとしても、そのような条件を立てておいてこそ不平を言わないのです。そのようにしたのは、アダム世界につないでカイン世界を生かすためには不可避なことです。三天使のような信仰の息子、娘はもちろん、自分のすべての所有を天のみ前にお返ししてさしあげなければなりません。

5   統一教会の祝福を受けた人たちは、血統が転換された人たちです。血統を転換するのが祝福です。祝福家庭は血統転換をしましたが、悪主権の中にいます。これを復帰しなければなりません。そのためには、父母様を中心として個人的に絶対従順で従わなければなりません。三天使長と同じ立場が三十六家庭の三家庭です。彼らが一つにならなければなりません。個人的にそのような基準に立って一つになり、その次は家庭的に一つにならなければなりません。この三家庭が一つになれなければ、個人が被害を受けるようになり、家庭が被害を受けるようになり、氏族が被害を受けるようになります。さらには、父母様の家庭にまで被害が及ぶのです。ですから、この三家庭が重要です。

三十六家庭は復帰された人類の先祖三十六家庭の祝福結婚式が、一九六一年五月十五日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で開催された。真の父母様は、三十六家庭をアダム家庭(第一家庭)、ノア家庭(第二家庭)、ヤコブ家庭(第三家庭)として、それぞれ十二家庭を立てられ、「彼らは地上と霊界の先祖家庭である」と語られた。第一家庭は既婚家庭であり、第二家庭と第三家庭は未婚家庭である。三十六家庭は、一九六〇年四月に祝福結婚をした三双と、一九六一年五月に祝福結婚をした三十三双を合わせた数である。祝福式は、「第一、第二、第三イスラエル家庭聖婚式」という名称で、午前四時三十分から午後五時まで、三次にわたって挙行された。特に、婚礼式は一双ずつ入場し、聖婚問答と聖婚宣布、礼物交換と握手、真の父母様の祝祷の順序で行われた。祝福式後、披露宴において真のお父様は、新郎新婦たちの蕩減棒行事を主宰された。新婚旅行としては、バスを借り切って仁川の松島(ソンド)と朱安(チュアン)を巡り、一緒に魚釣りを行った。そして、五月十八日の三十六家庭の家庭宣誓式のあと、任地活動に出発した。真の父母様は、「三十六家庭は真の父母様の家庭の金城鉄壁の垣拫となり、肥やしにならなければならず、後輩家庭に対しては手本とならなければならない」と語られた。

6   三十六家庭は、復帰路程において、私たちの先祖たちが神様のみ前に召命され、遂行できなかった使命を完遂することによって、サタンに蹂躙された歴史を復帰した立場です。三十六家庭は、神様の復帰摂理の心情を継承し、完成した人類にならなければならないのです。すなわち、先祖にならなければなりません。神様の摂理において、失敗した先祖ではなく、勝利した先祖の基準を地上に確立させたのが三十六家庭です。ですから、三十六家庭は、復帰された人類の先祖なのです。

7   三十六家庭のうち、第一家庭である十二家庭は、既婚家庭です。既婚家庭が祝福を受け、この地に連結されることによって、自分たち同士で結婚して暮らしたのちに霊界に行った霊人たちが、地上と一体化するのです。この時には、霊界にいるすべての先祖たちが地上に再臨できるようになります。

それから、ノア家庭からアブラハム家庭まで、失敗して失ったものを取り戻しました。三人の息子を復帰することによって、ノア家庭が失敗したことを再び取り戻すのです。アブラハムの代は、ヤコブの家庭で終わるのですが、アブラハム、イサク、ヤコブの三代が、すべての縦的な歴史を横的に蕩減復帰するのです。自分の好きなように結婚した既婚家庭が祝福を受けることによって、そのような家庭を再び取り戻したという条件が立てられたので、結婚して霊界に行った霊人たちが、復帰される基準が立てられました。

次に、約婚段階まで来ている未婚の男女を祝福してあげなければならないのですが、これはイエス様と聖霊が約婚段階にあるのと同様です。しかし、彼らは、み旨を願う内的な心情的基準が強く立てられていませんでした。この段階で、未婚の男女を中心として、自分の時代以前の堕落したすべての人たちを束ね、代表として蕩減するために、三十六家庭の祝福が行われるようになったのです。ですから、三十六家庭は、失った三十六代に代わる先祖なのです。

8   三十六家庭の祝福は、先祖たちが失敗したことを、現実において横的に一度に蕩減復帰するためのものです。これをするための闘いが三十六家庭を中心として起きるのです。この世の人たちは、祝福について理解ができないでしょう。祝福を受ける人たちは、この世の父母や関係のある人たちと相談してはいけません。神様が意図されたことは、サタン世界の誰にも知らせたり、相談したりすることができません。ですから、神様の特権によって、皆さんが行くべき道を決定したあとに招請状を送ったのです。神様が子女を失った歴史的な恨を蕩減復帰しなければならず、縦的な歴史を現実において横的に蕩減復帰して、先祖たちの願いと先祖たちが立てようとした基準を再び取り戻さなければならない立場にいたので、三十六家庭を祝福したのです。

9   三十六家庭は、歴史的な蕩減条件を踏み越えた家庭です。ですから、現実的な基準で、天の家庭を前に立てて進まなければなりません。三十六家庭は過去の代表者であり、来られる主は現実の代表者になるのです。過去と現実がここで初めて完全に勝利した立場になるとき、世界的な出発をせざるを得ません。これが三十六家庭のもつ責任です。三十六家庭は、歴史的な蕩減条件を防ぎ止めることができる結実の家庭です。言い換えると、歴史的な蕩減条件圏を立てて誕生した家庭だというのです。それは歴史的です。父母様の家庭は、その歴史と時代的基盤の上で勝利した家庭、現実的立場で勝利的権限をもって現れた家庭です。ここにおいて、父母様の家庭と三十六家庭が完全に一つにならなければなりません。

皆さんの家庭は、父母様の家庭がなければ、現実において新しい世界へと進む道がないのです。皆さんの家庭が先頭に立って行くことはできません。父母様の家庭が、現実的基準を中心として先頭に立って行くのです。ですから、皆さんは後ろで垣根になり、肥やしとなって、父母様の家庭が発展できるように、あらゆる精誠を尽くさなければなりません。そうしてこそ、皆さんの家庭が発展するようになるのです。

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第四篇 祝福結婚による人類救援真の父母様の中心使命は、堕落して原罪をもつようになった人類を救済することである。その中心に、原罪を清算して堕落した血統を正す祝福結婚摂理がある。

祝福結婚は、サタン中心の悪なる血統を、神様を中心とした善なる血統に転換させる儀式である。堕落以降、乱れていたサタン中心の愛を清算し、神様を中心とした愛の秩序を立てることに大きな意味がある。祝福結婚摂理は、真の父母様の特権によって、神様を中心とした人類一家族理想を実現する出発点であり、過程であり、結果となるのである。

一九六〇年四月十六日の三家庭の祝福結婚式を皮切りに、三十六家庭から七十二双、百二十四双、四百三十双までの祝福が民族・国家的な祝福の型であるとすれば、七百七十七双から千八百双、二千七十五双、六千双を経ながら、国際祝福結婚式のかたちを整えるようになる。

六千五百双の祝福は、日韓交叉祝福結婚式として行われ、三万双以降は、世界的に祝福が大きく拡大された。

三十六万双の祝福とともに、霊人祝福の道が開かれ、真の父母様の愛を通した善なる血統圏時代が開かれるようになり、一九九七年十一月二十九日、四千万双国際祝福結婚式を霊人祝福式とともに挙行することにより、霊界解放と天宙的な祝福圏を立てられた。

真の父母様は、祝福結婚式とともに、青少年問題と家庭崩壊の問題を根本的に解決するため、純潔運動と真の家庭運動を大々的に展開された。これは、青少年を中心に、純潔の伝統と愛の秩序を正しく立て、超宗教、超国家、超人種の領域に拡大してこそ、創造理想世界を実現する土台ができるためである。祝福結婚が拡大され、大衆化していくとき、神様のみ旨実現が具体化されるのである。

真の父母様は、祝福家庭が自分の家庭よりも、氏族と民族、国家、世界を先に考えて、ために生きなければならないと語られ、相対者を神様の代身者と考えながら、隣人に手本を見せることはもちろん、氏族と国家、世界、天宙を復帰するため、先頭に立たなければならないと語られた。

特に、祝福家庭の三位基台を編成してくださり、祝福家庭は三位基台の家で共に暮らしながら、兄弟の愛を体験し、全人類が国境と人種、宗教などを超越し、互いに愛し合いながら生きていく共同体生活の伝統を立てなければならないことを強調された。

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25 お父様が夫婦にしてあげたのに、それを「嫌だ」と言う人は、絶対にうまくいきません。絶対的に従っていく人は福を受けます。最初はうまく合いません。私たちがボルトとナットを合わせてはめるとき、最初は対ではない物のように、うまく合いません。結婚してすぐに合うことはないのです。お互いが合わせなければなりません。合わさることを願いながら、合わせようとすべきであって、「嫌だ」と言っていては永遠に合わせられません。女性たちが、化粧品容器のふたを閉める時もそうです。すぐにはカチッとかみ合いません。夫婦同士も同じなのです。三年間、合わせる訓練をしなければなりません。三代にわたって見習うようにしなさいというのです。祖父と祖母がどのようにするかを見て、父と母がどのようにするかを見て、三代を通して合わせなければならないのです。

26 結婚は、一生の重大な問題です。愛する相対が自分よりも優れていることを願うのが人間の望みであり、神様の望みです。それを知っているので、父母の立場から、これをうまくしてあげなければなりません。結んであげるときも、上がって、下がって、水平になって、統一されて一つになれる近い距離にいる人を結んであげなければなりません。黒人か白人か、という人種が問題ではありません。皮膚の色が問題ではありません。そのような意味で、お父様がしてあげる祝福結婚式が伝統として立ちました。

過ごしてみれば、自分たち(で選ぶ)よりも良いというのです。息子、娘を見ても、父母より優れているのです。そのような伝統が立ちました。ですから、数万双が、写真を見ただけで結婚するのです。

27 三万双の祝福結婚の時、写真で約婚をしました。これは驚くべきことです。サタン世界にはありません。結婚するに当たって、絶対的な零点の位置、絶対信仰をもった立場に立ったというのです。エバは、堕落することによって絶対愛をもてませんでしたが、彼らは、国境を越えて、サタン世界にはない愛の道を求めていきました。父母様を絶対的に愛し、神様を絶対的に愛する立場に立ったのです。

28 「お父様が結んでくれる結婚相手が理想的である」という評判が立ちました。三年は暮らしてみなさい。三年間暮らしてみて、評価しなさいというのです。子女を一人、二人、生んでみなさい。そうすれば、お父様がうまくやってくれたか、うまくやってくれなかったかが分かります。その時になって、「ああ、お父様でなかったら、このような息子は生まれなかったでしょう。お父様、ありがとうございます」と言うでしょう。皆さんが結婚するのは、自分のためではなく、子孫のためです。先祖と子孫のために結婚するという事実を知らなければなりません。

第三節 祝福結婚関連の主要儀式約婚式、聖酒式、蕩減棒行事祝福結婚式は、堕落の過程を象徴的に再現して、蕩減する儀式である。そのため、約婚式と聖酒式、祝福式、蕩減棒行事などの儀式を通し、神様の子女として生まれ変わる過程を経るのである。特に、約婚式は、アダムとエバが堕落する前の約婚段階の状態に復帰するための儀式であり、聖酒式は、原罪を清算し、サタンの血統を神様の血統に転換する儀式である。祝福式は、真の父母様の勝利圏を相続し、祝福家庭として責任完遂を誓約する儀式である。蕩減棒行事は、過去に下部を誤って用いて堕落したことを蕩減する儀式であり、新郎と新婦が互いに臀部(でんぶ)を棒で三回ずつたたくのである。

1 「統一原理」において、信仰基台と実体基台を中心として成し遂げようとすることとは何でしょうか。堕落する前の約婚段階の立場に復帰しようというのです。堕落する直前が約婚段階なので、堕落していないアダムとエバの位置に復帰しなければならないということです。堕落する前の約婚段階に復帰しようとすれば、どのようにすべきでしょうか。アダムとエバが偽りの愛によって堕落して偽りの父母となり、この偽りの父母を中心として、三人の息子であるカインとアベルとセツ、そして、彼らの妻まで含めた八人家族が堕落した立場に立ったので、この八人家族の形態を復帰するための内外の内容が、正に信仰基台と実体基台です。これを復帰したあとに、天の父母に侍って越えていかなければなりません。天の父母が、正にメシヤです。

ですから、実体基台を通過したあとには、必ずメシヤのための基台が造成されなければなりません。堕落した人間の前にこのメシヤがいなければ、本然の位置に復帰できません。堕落したアダムとエバの子孫である人間は、誰彼を問わず、メシヤを迎えなければ原罪を脱ぐことはできません。そのメシヤが、真の父母です。

真の父母が必要なのは、真の父母の愛によって再び接ぎ木の役事(働き)をしなければならないからです。ですから、メシヤである真の父母が現れなければ、堕落した人間が原罪を脱ぎ、罪のない解放された位置から、完成段階の祝福を受けられる位置に進めないのです。それゆえ、約婚式は、アダムとエバが約婚段階で堕落したことを復帰する式です。

2 皆さんは、堕落によって汚された血統を清算し、創造本然の善なる血統に復帰しなければなりません。六千年歴史をすべて清算し、蕩減復帰する式をしなければ、祝福の場まで行けません。約婚式は、アダムとエバが堕落する前の約婚段階の状態に復帰しなければならないので行うのです。

3 聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまう式です。言い換えると、原罪を抜いてしまう式なのです。原罪がある人は、祝福の場に出ていけません。サタンの血統的内容を自分の体の内にそのままもっている立場なので、神様を中心とした祝福の場に出ていこうとしても、出ていくすべがありません。ですから、必ず原罪を清算しなければなりません。

この原罪は、偽りの父母の愛によってつながっているので、これを清算しようとすれば、真の父母の愛を中心として、蕩減条件を立てて歩んでいかなければなりません。そうしなければ、原罪を脱ぐすべがありません。この原罪を脱がなければ、完成した立場での神様の愛を中心とした祝福はあり得ないのです。

4 私たちが復帰されるためには、再び腹中に入っていかなければならないのですが、実際にそうすることはできません。ですから、愛を中心として一体になり、復帰された条件を立てるのです。そのようにして復帰されたアダムに戻っていき、一体となって血統を受け継がなければなりません。

エバは、堕落する時、サタンを中心として霊的な堕落をしました。その次に、アダムと一つになって肉的に堕落しました。ですから、それを復帰するために、完全に復帰されたアダムを迎えて、霊的に一つになる式が聖酒式です。愛の関係を復帰する式です。そのような条件を立てなければなりません。そのように霊的に一つになり、神様のもとに帰った女性となって、実体として男性を復帰するのが、祝福結婚式です。

5 聖酒には、二十一種類に及ぶ様々な貴いものが入っています。血統転換をするためには、そうでなければなりません。そこには、堕落世界の血統が連結された条件と、復帰された世界の血統が連結された条件が入っています。これらを連結して行わなければ、サタン世界を復帰できません。そのように連結したその基盤の上で、祝福を受けて生んだ息子、娘たちは、堕落世界を乗り越えられます。血統的に、それを克服できるというのです。しかし、それは簡単なことではありません。

聖酒式は、血統を転換する式です。真の愛は、個人の心情から神様に直通するのです。そのような血統転換式をしなければ、堕落していないアダムとエバの位置に帰れません。約婚時代のアダム・エバ圏に入って成熟したという条件をもって、結婚式を行うのです。結婚をしても、蘇生、長成、完成の完成基準ではありません。ですから、七年間、修養しながら、夫婦が共に完全な方向を求めていかなければなりません。そして、自分の息子、娘が、自分たち夫婦を「神様よりも偉大だ」と言えるように、教育しなければなりません。そのような父母になって一家族を引き連れていかなければ、その家庭は祝福家庭であると言えません。

6 祝福式後に蕩減棒で打たれるのは、下部を誤って使って堕落したからです。三時代の血統を汚した怨恨の峠を越えるための条件物です。この痛みが取れる時には、息子、娘が解放された立場で、天のみ前に両手を挙げて万歳を叫ぶことができるのです。その時は、天地万物と天の国全体が呼応しなければなりません。

聖別期間と三日式(三日行事)祝福結婚後、四十日聖別期間を経たのち、夫婦生活に入るようになる。四十日聖別期間は、ヤコブから再臨主の時までの四千年と、真のお父様が歩まれた四十年の四十数を越える蕩減期間である。この期間は、全体のみ旨と天の国を慕いながら、精誠を捧げなければならない。そして、三日式(三日行事)を通して、蘇生、長成、完成の三時代を復帰したという条件を立てたのちに夫婦生活をしなければならない。聖酒を通して内的に、聖巾で体を拭くことによって外的に清めたあと、三日式を通して実体を復帰するのである。二日間は新婦が上になって愛することにより、母の立場で新郎を生んであげ、三日目には新郎が上になって愛することにより、本来の息子の位置を回復し、主管性を復帰するようになる。これにより、神様の永遠なる夫婦であり家庭として、蕩減復帰されるのである。

7 祝福結婚後の四十日間の聖別期間は、四十年期間に該当します。お父様の四十年期間に当たるのです。この四十数を越えなければなりません。復帰路程において、ヤコブから四千年後に再臨主を迎えました。その四千年数を越えなければならないのです。ですから、そのような四十数を越えなければなりません。原理がそのようになっています。

蕩減は、愛によってしなければなりません。神様の愛を受け継ぐために四十の峠を越えて、初めて愛を結ぶのです。これは、四千年の歴史を蕩減することです。アダムからイエス様までの四千年間は、愛を探し出すための歴史です。また、ヤコブを立てて再臨主まで四千年延長してきたのも、愛を探し出すためなのです。理想的夫婦を探し出すためなのです。目的はそれしかありません。

ですから、四十日は、それを蕩減的な条件として立てる期間です。この期間は、全体のみ旨を考え、天の国を慕わしく思わなければならないのであって、自分の妻や夫を考えてはいけません。夫婦が共同的な立場で、神の国とそのみ旨のために精誠を捧げなければなりません。四十日間は夫婦関係をするのではありません。その四十日間が終わってから夫婦生活に入るのです。

8 統一教会には、三日式があります。その過程を経なければなりません。それは、すべての病の根源をみな暴き、解毒して治療できる注射針です。

結婚して四十日の期間を経たあと、最初に夫婦が愛の関係を結ぶとき、女性が天の側(上)に上がるのです。二回まではそのようにします。蘇生、長成、二度まで、サタン側が天を押さえつけました。ですから、それをひっくり返しておかなければなりません。三度目に、初めてひっくり返すのです。天地血統転覆式だというのです。

9 女性がエバの立場であれば、男性は天使長の立場です。ですから、結婚相手がいません。女性の前に相対がいないので、女性が再び生んであげなければなりません。その実体を生んであげるためにするのが、三日式です。四十日を中心に、歴史を代表して再び生んであげるのです。このようにして、三代を経て生まれます。

旧約時代、新約時代を経て、成約時代の位置に来て、初めて夫が生まれたので、三日目は夫が妻の上に上がるのです。妻が二回、上に上がり、三回目は地に定着することができるため、夫が上に上がるのです。父母様のみ言に絶対服従し、妻を母として、侍ることのできる過程を中心として、旧約時代、新約時代を経て、成約時代に夫の位置に上がってきたという条件的な式が、三日式です。

10 神側の息子と夫がいないので、女性を通して再び生んであげなければなりません。堕落によって、エバがアダムを生むのと同じです。ですから、実体的復帰式は、三日間、行います。それが蘇生、長成、完成の三段階です。このような立場で、三日間の儀式の中で蘇生、長成は、女性が上になって復帰し、生んであげるのです。

その次に、復帰されて男性が上に行くようになります。初めて男性が上になり、生活圏を築くことができるというのです。そのようにしてから、三年間、男性は自分の妻に従わなければなりません。

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真の父母様の祝福結婚における相対決定基準真の父母様は、一九六〇年四月十六日の三家庭の祝福結婚式以降、個人と家庭はもちろん、子孫まで見通しながらカップルを結んでくださり、祝福結婚式を執り行われた。また、国籍や人種、宗教などを超越してカップルを結んだり、写真を通して相対を決めてくださったりした。

12  お父様は、数多くの人々に、霊界を通して相対を決めてあげますが、手が先にすべて分かって動くのです。手が探し求めていきます。謎です。それがどうして分かるのかというのです。普通に歩いていても、足が止まります。視線が向く所があります。どんな装置が仕掛けてあるのか、そのような何かがあるのです。山に入って精神修養をすれば、サタンと神様と個人の欲望の三角地帯が、どのようにして定着するのか分かります。精神を統一して無我の境地に至れば、手足がそちらのほうに行くのです。そのような何かがあったので、ここまで生き残ってきたのです。

13  お父様は、人を見分けることができるので、結婚相手を結んであげるのです。お父様は、八歳の頃には、近所では結婚させてあげる代表者でした。写真を持ってきて見せると、さっと見て、合わない場合は影が差します。ずれが生じるのです。すぐに分かります。写真を見て、放り投げれば、(結婚する相手としては)良くありません。ですから、近所で有名になりました。二枚の写真を持ってきて、「どうか」と言ったときに、写真をそのまま置いた場合は結婚しても良く、投げてしまった場合は良くないということです。良くないのに結婚すれば、(結果が)良くありません。今もそれは同じです。

世界に数多くの祝福家庭がいますが、数百、数千人が一ヵ所に集まる所で、相手を結んであげました。そこに来た人の中には、自分の理想相対を霊的に見た人たちがいます。霊界から、その相対がどの国の誰だということを教えてくれるのです。数多くの人々がそのように霊的に教えられているのですが、お父様はどのようにしてそれと一致させるのかというのです。

14  私は、たくさんの人たちを結婚させてあげました。人の一生に責任をもつのは深刻な問題です。お父様は人を見ると、どのような素質があり、どのような人かが分かります。未亡人になる運命なのか、男やもめになる運命なのかまで分かるというのです。このようなことをする時、お父様は地上にいるのですが、非常作戦を行います。アンテナを高くします。お父様の心を空中に浮かせておくのです。そのようにしてカップルを組み合わせておけば、間違いありません。

それでも、言うことを聞かないので、十三人もの女性を候補として選んであげた人もいます。お父様も本当に我慢強いのです。自分で「(この人では)嫌だ」と言っておいて、なぜ私に選ばせるのでしょうか。私が合わせてあげるほうが、自分たちよりも良いからです。私が果たすべき責任は果たしました。私は、この世に来て、祝福をしてあげるために精誠を尽くし、立てるべき条件を立てたのです。

15  お父様は、数多くの人を指導してきたので、人を見ると、すぐに分かります。あのような男性の顔と、このような女性の顔を合わせれば、どのようなタイプの子女が生まれるかが分かるのです。ですから、ある男性の相対を選びながら見回すと、その男性に合う女性の顔が浮かび上がってきます。そのように、お父様の手が分かるのです。写真で合わせる場合も、手が動きます。目で見なくても、歩いていけば立ち止まって手が写真に触れるのです。そのようにして決められたものを自分勝手に引き裂いてしまえば、大変なことになります。

16  お父様が約婚してあげる時は、数千人ずつ集まってするようになります。「五人ずつ希望する人を書きなさい」と言えば、一〇パーセントにもならない男性と女性にすべて集中します。一対百を超える人もいます。ですから、お父様の言うことを信じなければなりません。

不思議なことは、自分の相手が誰だということについて、すべて夢のお告げを受けるということです。そのように夢のお告げで受けたことを生命視して、首を長くして待っているのに、お父様が間違えばどうなるでしょうか。統一教会が教えてあげたことがうそになります。それをどのように合わせるのでしょうか。大韓民国の国民の中に、それを合わせられる人はいません。私の手が分かります。歩く足が分かるのです。そのようにしてあげれば、霊界から教えられたことと間違いなく合うのです。

17  男性が熱ければ、女性は冷たくなければならず、女性が熱ければ、男性は冷たくなければなりません。そのように相対を結んであげなければなりません。お父様はちらっと見れば、熱い存在か冷たい存在か、すぐに分かります。和合できるように結んであげるのです。それは、誰でもできるわけではありません。ある僧侶は、「自分は一生の間に一組を結ぶことも大変なのに、文総裁は数億組を結ぶとは、どのような才能があって、そのようにするのだろうか」と言ったそうです。その数億組の人を見る目があるので、そのようにしてあげるのです。

私が結婚させてあげた人々は、全員良いのです。ありとあらゆる人たちがいるというのです。上がる運勢と下がる運勢の中間で、互いに合わせて暮らさなければなりません。お父様がそのように結んであげたので、統一教会の祝福家庭の子女は、父や母よりもみ旨のために忠誠を尽くせば、父や母よりもうまくいくようになっているのです。じっくり様子を見ると、み旨のために精誠を尽くしたかどうかが分かります。父と母の二人を見て、その息子、娘を見れば分かるのです。

18  人を見ると、下がっていく運勢にある人がいて、上がっていく運勢にある人がいます。結婚を誤ると死んだり滅んだりするという話は本当です。男性と女性が二人とも上がっていく運勢であれば、吹き飛んでしまいます。逆に、下がっていく運勢同士で合わされば、短命になります。その子女も長生きできません。それを調整しなければなりません。

お父様は、カップルを結んであげる時、高くなる基準をもつ人は低くなる基準をもつ人と結んであげます。そうしてこそバランスが取れるのであって、二人とも高くなる場合は吹き飛んでしまいます。ですから、結婚、愛の道が恐ろしいのです。

運命をどのように調整するかによって、一生の問題が潰れたり、楕円形になったり、水平になってなくなったり、丸くなったりもします。丸くなってこそ長続きするのです。

19  統一教会の食口たちが祈れば、「あなたの理想相対はこのような人だ」と見せてくれます。北極圏に住んでいた白人でも、遠い所にいる島国の人を見せながら、「あなたの理想相対はこのような人だ。真っ黒い顔が理想相対だ」と言うのです。祈れば、いつでもそのように見せてくれます。

約婚をする場では、黒人が幾人もいないので、あり得ないことなのに、そのような人がどこにいるのかというのです。ところが、向こうの隅に座っている黒人を探し出して結んであげるのです。

その白人は、白人たちの中に座り、「黒人はいないな。私の相対だといって霊界から教えてくれたことはうそだ」と思った瞬間、その人をお父様が探し出して、結んであげます。お父様は、どのようにして霊界から教えられたとおりに合わせるのかというのです。五色人種(すべての人種)の中から、間違いなくそのように合わせてあげるのです。

20  お父様が結婚相手を結んであげるのですが、数千人が座っている端のほうにいても、相対がすぐに分かります。他の人々はぼんやりと見え、相対になる人だけが見えるのです。ですから、自分が啓示を通して十年前に見た人と、間違いなく結んであげるのです。お父様の手が向かいます。足が進むのです。

そのようにして結んであげたものを、自分勝手に評価し、統一教会の祝福結婚を非難する人は赦されません。お父様がすべて蕩減してやってあげるのに、非難する人は救いを受けられません。神様のみ前に祝福を受けたことを畏れ多く思い、もう一歩さらに上がっていくために、恥ずかしさを感じなければなりません。皆さんの先祖たちの中には、逆賊がいないでしょうか、殺人鬼がいないでしょうか。祝福を受けた皆さんが、その血族の結実として、明るく輝く太陽の光のように、永遠に輝く存在になれるだろうかというのです。

21  平和の世界を成し遂げることにおいては、怨讐同士が結婚して一つになる、それ以上の直短距離はありません。日本人と韓国人が交叉結婚をすれば、半分は変わるのです。それを二度もすれば完全に変わります。ですから、怨讐同士がいかにして早く祝福結婚をするかというのです。それを歓迎して結婚するようになれば、平和の世界は必ず早く訪れるのです。超民族的な結婚をさせることにおいては、お父様がチャンピオンです。記録をもっています。

また、カップルを組んであげるのも、でたらめではありません。皆さんがいくらカップルを合わせようとしても、お父様が見る基準を凌駕することはできません。初めて会った時は気持ちがそれほど良くなかったとしても、暮らしてみれば良いのです。一生に一度だけの結婚であり、最も大切な結婚という問題に責任をもとうとするのですから、どれほど慎重でしょうか。遊びではありません。子孫を見るのです。子孫をどのように変えていくかというのです。

22  お父様には怨讐がいません。「怨讐は滅びよ」とは考えません。もし怨讐がいるとすれば、天国をつくることはできません。自分が喜べる基盤をつくろうとすれば、怨讐がいてはいけないのです。ですから、お父様は聖人と殺人鬼を(一緒に)祝福してあげました。これだけでなく、聖人の子女と殺人鬼の子女を祝福してあげるのです。そのような時代に越えていくので、韓国と日本の人たちは交叉結婚をするのです。今まで怨讐の間柄だった韓国人と日本人が一〇〇パーセント交叉結婚をするのです。そうすれば、一つになるようになっています

23  お父様は、皆さんの結婚相手を、何を信じて結んであげるのでしょうか。自分の目から見て良いという人よりも、将来、良い息子、娘を生める相手を選んで結んであげるのです。

ですから、息子、娘のために結婚しなさいというのです。もし皆さんが互いに良いと思う人と結んであげて、息子、娘を生んだのに、世の中の男性も女性も、誰も見向きもしない息子、娘であれば、どうするのでしょうか。それより不幸なことはありません。それは一生、不幸になるのです。自分自身の体が不自由であったり、自分に何かの欠点があったりすることよりもさらに大きな不幸を感じます。

ですから、私たちの結婚は、子孫のためにするのです。それゆえ、結婚する当事者たちの見た目はともかく、彼らがもった良い点だけに似た息子、娘を生むことができる人同士、いかにしてカップルを結んであげるかが問題です。

24  皆さんが自分の相対を探し求めようとしても、お父様から見れば、貧相な姿の人を選んでいるのです。自分たちが好きな人ばかり探し求めれば、子女はみな貧相になるでしょう。良い二世を生んで偉大な人物に育てなければ、その国は繁栄しません。それを考えて、お父様は真剣な立場で皆さんの相対を結んであげました。

そのように結んであげる際に、写真で決めたというのは偉大なことです。皆さんの両親も、「それは本当か」と言うはずです。結婚するとなれば、見合いなどもしなければならないのに、見合いはしません。そのようにして決定された自分の相手の写真を見て、踊っているというのです。写真も見ずに喜んだ人もいたでしょう。そのように相手を結んであげたその基準は、世界の基準を越えています。サタン世界は、このようなことができません。それができる人はお父様しかいないのです。

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第一章  祝福結婚の主要儀式第一節   祝福結婚の意味血統転換と愛の秩序の確立真の父母様は、一九六〇年から祝福結婚を通し、人間救済の新たな章を開かれた。祝福結婚は、サタンの血統を神様の血統に転換し、神様を中心とした愛の秩序を回復することに大きな意味がある。特に、祝福結婚は、国家と人種、宗教などの障壁を崩し、全人類が交叉結婚をすることにより、神様のもとの一つの世界を実現することに大きく寄与している。

1   本来、エデンの園において、アダムとエバが完成の位置に進んだときに祝福があるはずでしたが、堕落することにより、神様を中心とした祝福は成し遂げられませんでした。ですから、神様は、四千年の歴史を経ながら選民イスラエルを探し求め、メシヤを送って、イエス様の時代に祝福を実現しようとされたのです。しかし、祝福が成就されないことにより、第三次のアダムの再臨時代になってすべての国家的・世界的勝利基盤が築かれ、新たに祝福が始まりました。歴史的事件です。創世以降、神様の愛と神様の生命と神様の血統を一つに束ねることはなかったのです。

2   人類の先祖であるアダムとエバは、自分たちを中心とした誤った愛によって堕落しました。自分たちを中心とする愛によって、天使長を介入させ、堕落したのです。そうして、神様を追放し、本然のアダムとエバを追放した結果になったのです。このように、神様が許していない愛の縁を導き入れることにより、人間には原罪というものが生じました。ですから、人間にとって、この原罪を脱ぐことが重要な問題です。

人間は偽りの父母によって生まれたので、真の父母の愛の縁を再現させなければ、原罪を脱ぐことができません。原罪は、偽りの父母の愛によって植えられたので、この愛を否定するためには、真の父母を中心とした愛の土台がなければならないのです。

3   アダムとエバが神様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従できる基準を失ってしまい、偽りの結婚をすることにより、血統と所有権をひっくり返し、一族を滅ぼしました。ですから、血統を復帰しなければなりません。真の父母の純潔な血統を、永遠に自分の子孫に残すことができなければなりません。アダムとエバは、純潔な血統をつくり上げることができずに結婚しましたが、私たちは、祝福結婚を通して絶対血統、絶対所有権、絶対心情圏を復帰しなければなりません。

4   父母様は、霊界と神様をはっきりと知り、神の国と血統がどれほど重要かを知っています。その血統を復帰するのが祝福です。偽りの父母の誤った結婚によって滅亡せざるを得ない人類を、真の父母の名をもって神様と連結させた血統圏をつくることによって、本然の神の国へと戻っていくようにしようというのです。ですから、祝福家庭は途方もないものです。天国に入っていくチケットをあげたのです。

5   アダムとエバが完成する場合、神様が結婚させてあげることにより、神様はアダムとエバの体の中に入って一つになるのです。真の愛によって一つになることにより、神様の形状が完成し、相対が完成し、家庭が完成するようになります。見えない天のお父様の愛と、見える天のお父様の愛が一つになってこそ出発するのです。結婚を通して初愛を結ぶ、その場で連結されます。愛を中心として天地が一つになり、男性と女性が一つになり、神様の生命と人間の生命が一つになり、神様の血統と人間の血統が一つになるのです。

アダムとエバは見える神様の体なので、神様が赤ん坊から兄弟、夫婦、父母の位置へと進んでいくのと同じことを、人間世界に譲り渡してあげるようになります。ですから、神様がアダムの家庭を通してしようとされたことが、私たちの家庭で起こるのです。それゆえ、見えない神様の愛と生命と血統と良心が、見える神様の愛と生命と血統と良心と一つにならなければなりません。結婚を通して、そのように一つになるのです。

6   祝福は本来、父母が息子、娘に自分たちの愛を伝授し、愛の夫婦、子女、家庭、国家、世界のすべてのものを伝授してあげることです。堕落していないアダムとエバが祝福を受けるというのは、神様が縦的な父母になって、天宙のすべての所有権をそのまま伝授してあげることを意味します。それが祝福結婚式です。

祝福を受けた家庭が、世俗的な観念をもって男性と女性が結婚するものだと考えてはいけません。祝福がどれほど恐ろしいかを知らなければなりません。「真の父母」という思想は、創世前からありました。神様が人間を創造する前から「創造の中心は真の父母の完成である」という概念があったというのです。その真の父母を成立させるために、この天地万物も生まれたのです。

7   真の愛を中心としては、すべてのものが一つにならなければなりません。一人では、一つになりません。一つになるためには、水平にならなければなりません。思春期になれば、男性は女性、女性は男性を求めて、水平に並んでくるのです。そうして、中央に来て出会うようになります。その中央に、愛の伝統の垂直線に沿って神様が降りてくるのです。

ですから、結婚式をするとき、愛の主人は神様です。愛の根となる神様が、アダムとエバが結婚するところに臨むのです。アダムとエバに、無形の神様が臨在するようになります。天地が一つになるのです。天の父母と地の父母が、愛を中心として一つになるのが結婚式です。

男性と女性が一体になる、そこに神様が入るようになります。内的な性相と形状である神様が、外的な性相と形状であるアダムとエバに入っていき、愛によって二つの世界が一つになるのです。

8   統一教会は、愛の秩序を正しく立てて、統一しようというのです。統一の中で、一番難しいこととは何でしょうか。力をもって、外的なことはある程度収拾できますが、内的な人格が基盤になった愛の世界までは収拾できません。愛は、力に左右されることはなく、お金に左右されることはなく、知識に左右されることはありません。真のものによって動くのです。ですから、男注や女性は真の愛を求めていきます。男性と女性は、真の愛を見つめて動かなければなりません。

9   エデンの園で、アダムとエバ、天使長が、神様の言葉を聞かずに家庭を出発しました。そのような子孫である最近の若者たちは、誰の言葉も聞かないというのです。そのような時が来ました。フリーセックスの根源は、エデンの園における堕落です。そのように蒔かれたものが、世界において実を結ぶのです。未婚の男女がそのように堕落しました。人間の価値が、動物よりも劣るようになったのです。肉的な満足を得るために、動物と同じような愛を交わすのです。(サタンは)人間が神様のみ前に帰ろうとしても帰れないよう、めちゃくちゃにしておいたのです。

しかし、神様は生きていらっしゃいます。このような人間を哀れに思い、この地にメシヤを送られました。そうして、この地でメシヤを通して人格の標本を提示し、愛の秩序を立て、家庭の秩序を立て、国家と世界と神様の秩序を立てて、一つの世界をつくり上げるのです。誰も手が付けられないことに統一教会が手を付け、再創造をしてきています。これが成し遂げられる日には、世界が一つになり、悪なるサタン世界を天の国へと転換させられるのです。

10  統一教会が世界的な祝福をしてあげるのは、家庭時代が訪れる時に中心的な使命を果たせるようにするためです。祝福式は、百何十ヵ国でも一度にしてあげられます。彼らはみな兄弟です。みな兄弟として見るのです。他の国の人だとは考えません。みな祝福してあげて、世界の代表家庭を配置していかなければならないというのです。

そのように、すべての家庭が真の父母様に付いてくれば、真の父母を中心として父子関係が結ばれ、四位基台を完成した相対的家庭基盤をもったのと同じことになるので、真の父母が勝利したすべてのものを伝授されるようになります。ですから、それを再び伝授してあげるために、氏族(的)メシヤとして家庭に戻っていくのです。

11  民族と国家、文化と伝統を超越して、一つの新しい家庭文化を創建したのが、統一教会の祝福結婚式です。天の国の圏内にすべての国が入ります。「神様のもとの一つの世界」です。堕落とは、心と体が分かれたことです。心と体が分かれ、夫婦が分かれ、父母と息子、娘が分かれたのが堕落です。家庭的堕落が起こったのです。アダム家庭が堕落したというのです。アダム家庭で失ってしまったので、私たちは完成した家庭を探し求めなければなりません。

12  天運は、世界が一つの垣根となり、人類が一つの地球家族になることを求めています。科学技術の驚くべき発達は、情報、通信、交通の革命により、人類全体を一本のひもで束ねつつあります。ですから、超国家的な協力を必要としており、一つしかない地球を保存するためにも、国際的に共同歩調を取ることが求められるようになりました。しかし、何によって人間の利己的で自己本位的な考えを変えさせ、自国の利益中心の国家競争を根本的に解決するのでしょうか。

各自が、自分自身の始原であり、根である神様に対する根本的な自覚と、天理に従うところからその答えを探し出さなければなりません。神様の真の愛、すなわち、与えてもまた与えたいと思い、与えても記憶しない、そして、対象を自分よりもさらに愛する真の愛を中心としてのみ、答えが出てくるのです。全人類は、唯一なる真の父母のもと、同じ兄弟であるという自覚をもつとき、答えが出てきます。神様と真の父母のもと、人類が一つの大家族を築き、互いにために生きて和合するとき、すべての問題が解けます。

私は生涯を通して、真の愛の道理を教育し、実践してきました。ために生き、与えながら、世界的な基盤を築いてきました。世界の各国でために生きながら、利他的な実践生活をする若者たちを養成してきました。それだけでなく、超国家・超人種・超宗教的な真の愛の理想家庭を築く、国際祝福結婚の行事を主導してきました。これは、人類文化歴史を変える行事です。真の愛によって国境を崩し、人種の壁を貫いて憎悪と闘争を克服して、互いにために生きる理想家庭が誕生することにより、新しい文化世界が形成されつつあります。

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18  「統一教会」という名前をもって生まれたという、それ自体が冒険です。「統一教会」と言えば、すべての宗教を統一しようという教会です。どれほど膨大で、どれほど途方もない内容でしょうか。キリスト教の歴史を見ても、二千年の間、その伝統を選別していくために、数多くの学者や数多くの教派を通して新しい学説が出てくるようになり、またそれが良くないとしてひっくり返したりしながらキリスト教文化圏を形成し、一つの世界的基盤を備えました。そのようにしながら、キリスト教は数多くの教派に分かれたのです。キリスト教自体が統一できていません。このようなキリスト教を統一するだけでも問題なのに、宗教だけではなく、ひいては世界を統一し、その次は霊界まで統一しようというのです。

19  皆さんが神様のみ言を絶対視し、神様と一つになって悪のサタン世界を打ち破り、サタン世界の主権を天の主権に戻すために闘わなければ、来られる主は、そのような闘いを再びしなければならないのです。再び来られる主が孤独な立場でそのような境遇に遭ってはいけないので、いかなる苦労の道でも自ら責任をもっていくという運動が、世界的に起こらなければなりません。そうでなければ、今後のキリスト教の行く道は塞がってしまうのです。

それで、統一教会では何をしようというのでしょうか。神様のみ言を絶対的に信じる群れになろうというのです。いくらサタン世界の反対があったとしても、私たちは神様と一つになろうというのです。そうして、神様の愛を中心として、サタン世界を解放する運動をしようというのが、統一教会の使命です。この地上には民族を超越した新しいキリスト教の基盤がないので、世界的にそのような基盤を築こうというのです。昔、イスラエル民族がつくりあげられなかった主権形態の基準を、この地上で備え、再び来られる主が新しい世界的な役事ができる基盤を築こうというのです。

20  宗教の真理とは、どのような真理でなければならないのでしょうか。内容だけを説明する真理は必要ありません。体と心と心情が「そうです」と言えるものが現れなければなりません。そのような主義、そのような理念が必要なのです。そのようなものが私たちの周囲から聞こえてきたり、関係を結んだりするようになると皆さんの心はそこに引かれていくでしょう。時間と空間を超越して引かれるような感じを受けるみ言があれば、皆さんは荷物をすべてまとめて、そこに従っていきなさいというのです。滅びることはありません。その人は歴史とともに残るでしょう。

そのような人になろうとすれば、皆さんは昔のその姿ではいけません。ふさわしくない仮面を脱ぎ捨ててください。宗教家は宗教家の仮面を脱ぎ捨ててください。良心家は良心の仮面を脱ぎ捨ててください。宗教の看板を外してください。皆さんは今、統一教会に通っていますが、私は統一教会の看板を外す日を待ち望んでいます。統一教会の看板を掲げたのは、相対的な条件があるからであり、闘争相手が現れたからです。看板を外してしまわなければなりません。心の世界や心情の世界に何の看板が必要でしょうか。何もなくても自分自ら分かります。何もなくても、自らするようになるのです。それが、解決できる第一基準です。

21  統一教会の創立目的は、私たちの教会だけに局限されたものではありません。統一教会の創立の日を、範囲を広げて、この国をみ旨の前に新しく立てるための日に連結しなければならず、全世界的には、この地上に天が願う天国を立てるための創立の日に連結しなければなりません。その使命を果たすために、統一教会が創立されました。統一教会は、今まで歴史過程において現れた普通の教会とは異なり、全体的な摂理に代わって総蕩減をし、総決算をすると同時に、未来における希望の標準の前に、神様が喜び得る勝利基盤を残さなければならない、全般的な責任を担っているのです。

ですから、統一教会の創立は、一介の教派の創立ではなく、全体の摂理を身代わりして、み旨を中心とした一つの基盤を地上に立てるためのものです。このように創立された教会の基盤の上で、個人が天のみ前に新しく立てられなければならず、その個人を通して新しい家庭、氏族、民族、国家、世界へと進んでいける伝統的思想を強固にしなければなりません。

食口の意味と使命協会は、真の愛の食口共同体を志向する。食口は、一つの食卓を囲んで座り、一緒に食事をする家族を意味する。食口たちは、神様の愛と創造理想を中心として、この地に天国を実現すべき使命をもっている。そして、イエス様が父母と親戚、教会、民族、国家、世界を愛せなかった恨を解いてさしあげるべき責任がある。そのため、統一家の食口は、理念と宗教、人種、国境など、すべての障壁を飛び越え、神様のもとの一つの世界を実現するために、全力で邁進しているのである。

22  今日、選ばれた地上の聖徒たちが団結して、天の家庭から天の氏族、天の民族をつくりあげ、イエス様がイスラエル民族と四千年の歴史を代表したように、皆さんが民族の次元を超え、世界と六千年の歴史を代表して現れるようになれば、神様の審判の行使は撤回されるでしょう。このような基準を成就するために、私たちは「統一教会」という看板を掲げるようになったのです。

また、私たちは、互いに「食口」と呼んでいます。私たちは食口です。私たちは、兄弟ならぬ兄弟として、氏族ならぬ氏族として、一つの兄弟と氏族になって、天倫のみ旨に責任をもつイスラエルを形成していっています。私たちは、このことのために、イエス様の悲しみを体恤しながら開拓の道を行かなければならず、サタンとの闘いの路程を経て、神様のみ旨を完成する立場にまで進んでいかなければなりません。

23  私たちは、統一教会をつくりました。これは、失ったユダヤ教を再び捜して立てたのと同じことです。また、統一の一族たちは、失った氏族を捜して立てたのと同じことであり、失った兄弟を再び捜して立てたのと同じことなのです。

そのような意味で、統一教会の私たちは一つの兄弟です。その兄弟の関係を経なければ氏族を形成できません。また、兄弟の関係を結ばなければ、教会も、民族も、国家も形成されません。ですから、この兄弟の関係を中心として連結させるべき使命が統一教会にあるのです。そのような意味で、「食口」という言葉が成立します。食口を通してこそ兄弟の関係が結ばれるので、この「食口」という言葉は、天国を造成するときの下地になるのです。ですから統一教会は食口という言葉を使います。したがって、統一教会の食口同士で、互いに愛を与え合わなければならないのです。

24  統一教会は、「食口」という名称をもっていますが、皆さんの家庭でも、その一員を「食口」と言います。それでは、私たちは何を中心として「食口」という言葉を使っているのでしょうか。神様の愛と神様が人類を愛したいと思う高貴なその縁とその関係、そして、神様が本来探し求めている創造理想を中心として「食口」と言っているのです。

ですから、私たちの関係は、歴史上のすべての人たちが願っていたものです。そのような関係が、私たちの「食口」という言葉の中にあるのです。このように、私たちは中心的な関係をもって現れたので、直接的に愛する立場にいたとしても、誰よりも近い立場で愛の関係をもって愛さなければなりません。また、間接的な立場にいたとしても、この世の誰よりも高い立場で愛さなければなりません。

25  皆さんが寝ている時間にも、み旨を抱いた私たちの兄、姉、または食口たちの中には、眠らずに涙を流す人たちがいるでしょう。自分が満腹の時に飢えている食口がいるのです。ですから、御飯を食べても涙のにじむ心、眠っても涙のにじむ心をもって、彼らのために霊的な力で助けてあげ、祈りで訴え、祭壇をつくってあげなければなりません。

「常に祭壇をきれいに掃除して待機していますので、夜昼も私を供え物として捧げられるようにしてください」と祈らなければなりません。自ら行動し、実際の責任を十分に果たすことができないならば、そのような内的準備だけでも共にして闘っていく皆さんになってこそ、患難の途上で十字架の過程を経る食口としての縁だけでもつかんでこられるのです。そうでなければ、一緒に闘っている彼らとは、遠からず分かれてしまいます。そうなれば、皆さんは脱落し、敗残兵になってしまうというのです。

第二節   青坡洞本部教会摂理の中心基地となった青坡洞・旧本部教会一九五四年五月一日、ソウル市城東区北鶴洞の三つの門の家に協会が創立されたのち、一九五五年一月十七日に、本部教会が城東区興仁洞二四一の四四番地に移転された。そして、四月二十七日には、本部教会が中区奨忠洞一街三七番地にある庭園付きの二階建ての建物に移転され、真のお父様がソウルの西大門刑務所から出監された直後、一九五五年十月七日には、龍山区青坡洞一街七一の三番地に再び移転された。それ以降、協会は、一九六三年五月三十一日、この住所で社会団体第二百六十一号として政府に登録された。真のお父様は、ここで血のにじむ祈りと精誠によって摂理を拡大させていき、昼夜、食口たちを教育しながら、世界に向けた本格的な摂理を準備されたのである。

1   今日、世界で神様のために死んだ人がどれほどいるのかという時、エリヤが「ただわたしだけ残りました」(列王紀上一九・一〇)と言ったように、その言葉しか語れません。天地の中で、このような父の心を中心として、堕落した世界に救いの基盤を広げてきた所が、このように悲惨でみすぼらしい青坡洞一街七一の三番地の統一教会です。ここを見つめながら、六千年の恨を晴らそうと歩んでこられた神様は、どれほど哀れでしょうか。そのような私自身を見つめると涙があふれます。

皆さんも、神様以上に沈鬱な立場でそのような境地に入れば、涙があふれるのです。皆さんはそのような心情にどれほど接してみたでしょうか。情的に深い統一教会で、このような心情を捧げて神様と向き合えるかというのです。皆さんは、今までそのことを考えられずにいたのです。

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北鶴洞の三つの門の家で協会出発協会の看板を掲げた北鶴洞の三つの門の家は、軒先に手が届くほどのみすぼらしい家だった。そのため、看板は近所の子供たちが外しては遊びに使ったり、反対する人がたたきつけて割ってしまったりしたため、再びつなげて掛けるなど、何度も壊された。頭を下げて三つの門を通過し、家の中に入ると、二、三坪の広さの庭の片隅に井戸があり、その横に甕を置く小さな台があった。右には、三人が横になればいっぱいになり、足がつく半坪ほどの居間があり、左には、一坪にならないサランバン(客間を兼ねた主人の部屋)があった。居間には男性たち、サランバンには女性たちが寝泊まりした。低い天井は、頭がつくと板が傾いた。このように、協会は草ぶき小屋のような所から出発したのだった。

真のお父様は、少ない人数しかいなくても、まるで数千人いるかのように、上着が汗でびしょぬれになるほど、大きく力強い声で祈り、み言を語られた。一人に対してみ言を語られるときも、一時間以上、涙を流しながら切実に祈られた。神霊に満ちた恩恵によってその場にいる全員が痛哭し、涙で床をぐしょぐしょにぬらした。一九四五年の光復後、準備されたキリスト教が真のお父様を受け入れなかったため、蕩減路程を経たのちに協会を立てて、世界復帰の出発基台を築かれたのである。

7   私が一番初めに付けた統一教会の看板は「世界基督教統一神霊協会」でした。キリスト教を統一することも大変なのに、神霊まで統一しようと言ったのです。当時、お父様はお金が一銭もありませんでした。横になると足が(壁に)つくくらいの部屋なのですが、それも借りたものでした。そこから始めたのです。訪ねてくる人たちのために、僕のような立場で私はやるべきことをすべてやりました。私が、僕の立場、養子の立場でそのようにして、合格していくのです。そうして私が解放されていくのです。

8   最初に統一教会の看板を付けた家は、粗末な家でした。その家には三つの門がありました。私のように、背が高くて太っている人が入ろうとすれば、体を横にして頭を下げて入らなければなりません。そこに「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けました。世界のキリスト教を統一しても、ものすごいことなのに、神霊的な世界までも統一しようと言ったのです。世界のキリスト教も統一しますが、神霊的な世界も統一しようという協会なのです。どれほどすごいでしょうか。軒先に「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けたのですが、のぞいて見ると、門が三つです。

9   統一教会の看板をソウルの北鶴洞にある家に付けたのですが、当時、その家は、恐らくソウルで最も小さな家だったでしょう。部屋に入って横に寝れば、足が(壁に)つきます。縦に寝れば、何とか足を伸ばして寝られます。そのような部屋が一つあり、そのほかにも部屋がありましたが、その部屋も同じような部屋でした。それで、その家が有名なのは、門が三つあるということで、「三つの門」と言います。その門は、大きいものではなく、頭を下げなければ入れないほどの小さな門です。また、看板を付けたのですが、軒先が手の届く所にあるので、看板の位置は子供も触れられるほどの高さでした。看板を、大きな家に付けることができず、想像もできない、誰も信じられない最も小さな家に付けたのですから、誰がそこに関心をもつでしょうか。看板が同情されるほど、どれだけぞんざいに扱われたか分かりません。近所の子供たちが遊ぶ時は、これを外して遊び道具に使ったりもしました。それにどれほど傷がついたか分かりません。また、反対する人が来ては、「キリスト教を統一するとは異端だ!」と言いながらそれをたたきつけて二つに割ったこともありました。それでも、そのような歴史的な看板をそのまま捨てられないので、その看板に釘を打ちつけてつなげてから、また掛けたのです。

10  私は、いくら軒の下や、穴蔵にいたとしても、「私が神様をここにお迎えしなければならないのに、この場は精誠が足りない」と思いました。「復帰原則において、最も小さな家で世界的な精誠を尽くせる代表者が現れなければならないのではないか」と思ったのです。これがお父様の思想です。それから、「もう少し大きな家で世界的な代表に適応する精誠を尽くさなければならないのではないか」と考えたのです。

このように、統一教会は小さな所から出発しました。北鶴洞の三つの門の家から発展して、このように大きくなってきたのが統一教会です。これが統一教会の主流思想です。そのような立場で、天下にすべて知られるほどうわさを立てながら歩き回っても、「統一教会は小さい」と非難する人は一人もいませんでした。その立場で何をしたのかが問題です。

「世界基督教統一神霊協会」の意味と目標「世界基督教統一神霊協会」の創立は、キリスト教が果たすべき使命を代わりに果たすという意味がある。もちろん、「世界基督教統一神霊協会」は、神様の復帰摂理を最終的に担当すべき父母宗教である。そのため、その名称に「世界基督教」という言葉が入った。「統一」は、キリスト教はもちろん、他の宗教、世界人類まで一つに束ねるという意味である。「神霊」は、真理とともに霊肉界の調和を通して、地上と天上に天国の基盤を立てようという意味を内包している。「協会」は、霊肉界統一圏を完成し、創造本然の理想世界を実現する団体という意味をもっている。

11  今まで「世界基督教統一神霊協会」という看板をどうして掲げてきたのでしょうか。「基督教」という文言を付けてきたので迫害されました。それを外してしまえば、旧約聖書と新約聖書を捨てなければなりません。旧約がなければ新約は出てくることができません。それが誤ったので、新しい約束なのです。新約がなければ成約は出てくることができません。旧約の上に新約が出てきて、新約の上に成約が出てきたので、キリスト教と連結されなければならないのです。

キリスト教はユダヤ教の延長です。それを捨てれば、お父様の立つ位置がありません。サタンの支配する国家的基準は長成期完成級ですが、それを越えて、お父様が自主的な基盤を獲得するまでは、キリスト教の上に、新約と旧約の上に立たなければなりません。

12  お父様は、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない名前を付けました。果たして統一は可能なのでしょうか。それは間違いなくそうなるでしょう。キリスト教だけを見ても、今まで四百以上の教派に分かれて争ってきました。しかし、私は、それがそれほど難しいものとは思っていません。

ために存在するという鉄則をもった教派なら、またその教派以上にすべての教派が努力するなら、そこでは必ず一つになると考えます。もし異教だとしても、その宗教が主張する、その精神以上の努力ができるなら、その宗教まで一つになると考えるのです。

主体でいらっしゃる神様がそのような方なので、そのような方の相対的な位置を守っていけば、自然に神様の力によって一つになれるはずです。この話は論理的です。

したがって、一つになるというのは、それほど難しいことではありません。このような原則の上に立って、統一教会は始まりました。

13  「統一」の「統」の字は、「指導を受ける」という意味ではなく、「統治する」という意味の字です。統治しなければなりません。統治するためには、統治できる内容がなければなりません。主体者としてすべてを備えなければならないのです。主体者は責任をもたなければならず、保護しなければならず、育成しなければなりません。ですから、統一教会は、天地に対する責任をもたなければなりません。その範囲が違ってくるのです。その次は、保護しなければなりません。悪の世界から侵犯されているこのすべての実相世界を聖別して、保護しなければならないのです。善のみの環境体制で保護してあげなければならないのです。悪いものはなくしてしまわなければなりません。それだけではなく、発展しなければなりません。統一教会は、統治して一つにしようというのです。統一教会を中心として一つにしようというのではありません。この全宇宙を創造した根本である神様、主体である神様を中心として一つになろうというのです。

14  統一は簡単です。統一という言葉は、一番の福音です。皆さんが父や母の前に自信をもって出ようとすれば、心と体が一つになった立場に立たなければなりません。良心から見て、自分の体の行動から見ても、教育的な道理の基準から見ても、行動が外れていない一致した立場、一つになった立場においては堂々としているのです。統一された基盤の上では堂々としているのです。孝子は、父母の前で、情的な面でも、生活的な面でも、堂々としています。堂々としたその基盤の上で父母も生きようとし、その家門も立てようとするのが天地の道理です。ですから、「統一教会」という言葉、それ自体が偉大なのです。天地をすべてかき分けて調べてみると、これでなければならないので、お父様は「統一教会」という言葉を付けたのです。

15  新約と旧約を通したすべての宗教のみ旨を代表し得る息子の宗教は、僕の宗教と養子の宗教と通じるのです。それが連結されると同時に、その息子の宗教を通し、父母の宗教圏を通して、霊界と神様の世界にまで公認される一つの体系が形成されなければなりません。そのようになる時、世界のキリスト教は自動的に統一されます。このような内容をもって「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げました。キリスト教の統一のための神霊的な協会です。「統一協会だ」と思うかもしれませんが、「統一協会」ではなく、「統一のための神霊的な協会」です。ですから、世の中では統一教会の人のことを「何かに取りつかれたような人たちだ」と言います。「統一教会の人たちは普通ではない」と言うのです。また、「統一教会の人たちは狂った人たちだ」とも言いますが、韓国語では「狂った」と「達した」は同じ発音です。ですから、これは目的に到達したという意味です。新約聖書と旧約聖書の内容に到達し、霊界にいるすべての霊人たちが、神様の愛を中心として成就することを願う、そのみ旨に到達した宗教なのです。ですから、統一教会は、神霊的な役事が続くのです。

16  統一教会も、神様の協助を受けなければなりません。もちろん、韓国の善なる霊人たち、皆さんの善なる先祖のような善なる霊人たちの協助も受けますが、世界の聖人たちの協助を受けようというのです。範囲が広いのです。

キリスト教だけの協助を受けていてはいけません。それは、あくまでもキリスト教系列の世界一つだけを考えることなので、それではいけないのです。全世界を一つにするためには、キリスト教の霊人たち、イエス様を中心とした霊人たちだけの協助を受けてはいけないのです。超宗派的協助を受けなければなりません。皆さんの善なる先祖たちの協助を受け、大韓民国の忠臣、烈女たちの協助を受け、ひいては全世界の聖人たちの協助まで受けなければならないのです。

17  神様が人間の堕落以降、六千年の間、歴史を導いてこられた最後の目的とは何でしょうか。天地をかけて祝福してあげられる息子、娘を探し出すことであり、忠臣を探し出すことであり、烈女を探し出すことです。この歴史は、地上のある地域を中心として成就するでしょう。その場で心情を通して天の代わりに宣布する言葉に、天上が動くのです。その言葉が真の良心をもつ人々の心に伝播すれば、彼らの心は激動し、その動きがこの地上に起こる場合には、サタン世界は崩壊するでしょう。このような目標のもとに、世界に向かって、天地に向かってのろしを揚げた皆さんは、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない看板を掲げた以上、絶対にこの一時代で倒れてはいけません。私たちは、天のお父様の心情を察して、個人を通し、家庭を通し、社会を通し、国家を通し、世界を通して、天宙にまで行ける内容を備えなければならないのです。それができなければ、看板を外してしまわなければなりません。今に至るまで皆さんが従っているお父様は、一生の目標を、この道を突破することに置いています。

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草創期の伝道活動の雰囲気真のお父様は、全国各地に伝道隊員を派遣するに当たり、片道の交通費と服二着だけを持っていくようにされた。また、「麦御飯より良い食べ物を食べてはならない」と言われた。伝道隊員たちは、はったい粉を水に混ぜて飲み、時には犬の餌をもらって食べながら、最低の位置で開拓伝道をしたのである。一日働いて一食食べるのがやっとだった

その時代、伝道隊員は、満足に食べることができず、歩きながら足がもつれることも多かった。み言を伝える前に、朝早くから起きて村の掃除をしたり、畑の草取りなどをしたりしながら関係を築いた。草創期には、大部分の人がすべてを置いて出てきたので、家族や世の中の友達、隣人から激しい反対を受けた。一九六〇年以降から、食口たちによって、ソウル市内の主要な公園をはじめ、地方の各都市でも街頭での伝道活動が活発に展開された。

8 私たちは、年を取った方々や幼い人たちを問わず、これまで血のにじむ闘争をしてきました。あらゆる試練が前途を塞ぎましたが、ただみ旨だけを考えながら打ち勝ってきました。食べることもできず、着ることもできず、涙と血と汗を注いで足場を築きました。

私は皆さんに、三年路程を出発する時、罪人のように行こうとお願いしました。ですから、三年間、罪人ならぬ罪人となって歩んできたのです。私は、皆さんがサタンに奪われないように、後退しないように闘ってきたことを知っています。任地を守るために、血を売ってまで闘ってきた食口がいることも知っています。皆さんは、制限された環境で苦労をしましたが、その苦労には途方もない背後がありました。その苦労は、前途のためにあらかじめ備えたものなので、新しい方向に向かっていく基盤になるでしょう。

9 当初、統一教会が伝道する時は、人の口では伝道しませんでした。夢のお告げを通して、「統一教会に行きなさい」と言われ、行かなければ(霊界から)棒でたたかれたりして伝道された人たちがたくさんいます。霊界から伝道したのです。霊界から息子、娘に、「どこそこに行けば、文先生という人に会えるだろう」と言われて、伝道されました。行こうとしなければ、追い立てたり、追い出したりしてでも、必ず行かせました。そのようにして集まった人たちが統一教会の食口です。

10 草創期に伝道に出ていた責任者たちは、迫害が激しいので、これ以上ないほど寂しい思いをしたのです。互いに消息が分からず、気になれば、中高生や大学生たちを通して連絡を取り合って会うのです。ところが、その距離が大概、五里、十里です。「いついつに二人で会おう」と言って中間で会うことになります。五里の道なら、二・五里ずつ歩いてきて会うのです。(しかし、)会う場所があるでしょうか。ですから、十字路や派出所の前、橋の下など、名が知られている所で会うのです。そのようにして会っても、食べる物があるでしょうか。そのように久しぶりに会ったなら、昼食を食べるとか、夕食でも一緒に食べなければならないのが人情の常であるにもかかわらず、そのようにできない立場で別れるのです。その中には、兄のような人もいて、姉のような人もいて、弟や妹のような人もいます。そこで交差する心情の切なさは、到底言葉に表すことができません。

ですから、過去に自分の兄弟や父母を中心として暮らす中では、もつことのできなかった情熱を、投入するようになるのです。「今度来る時は、何としても昼食を御馳走してあげなければ。鶏肉を買ってもてなそう!」と思ったあと、一週間働いてでもそれを準備するのです。そのようにしながら、働いたという話はしません。あとで、働いてそれを買ってきたという事実を知った時には、血が沸くのです。感激して涙を流すようになれば、口元が先に震えます。そのような境地で再び会えば、二人で抱き合い、祈りながら張り上げる声がどれほど大きいか分かりません。近所の人たちが周りをぐるりと取り囲んでいることも知らずに祈った、当時のそのような出来事は、すべて歴史的な資料となるのです。

11 韓国で開拓地に行って伝道した当時は、一日働いた稼ぎで一日暮らすのが大変でした。一日働いた稼ぎで、一食食べて暮らすのが大変な時だったのです。若い人たちが道を歩きながら、足がもつれることがいくらでもありました。伝道師たちがある町に開拓に行ったのですが、食べる物がないとき、その町で働こうとすれば、町にうわさが立って迫害がひどくなりかねないので、仕方なく十里以上離れた所に行って働いた人たちがたくさんいます。

伝道師たちが本部からお金を持っていって伝道したのではなく、そのような事情の中で開拓伝道をしたのです。それでも、絶対に食口たちに自分の事情を話しませんでした。ですから、食口たちは分かりません。六ヵ月たち、一年たってからそれを知っては、痛哭するのです。そうして、指導者に弁当を持ってきて食べさせてあげる運動が起きました。ですから、その御飯を食べなければならない指導者の心はどれほど悲惨でしょうか。また、弁当をくれたその学生が、学校に行って昼食を抜くことを考えざるを得ないのです。このような中で、互いにそれを克服しながら、「私たちは死んでもみ旨を成し遂げよう」と言って、心情的な連帯感に浸っていたのです。

12 統一教会の成和学生会は、中高生たちで構成されているのですが、その中高生たちが統一教会の伝道師たちを食べさせて助けました。父母の反対があまりにもひどいので、父母が作ってくれた弁当を順番に伝道師に持っていってあげたのです。学生たちが三十人とすると、一日に三人ずつ弁当を置いていけば、十日間に一度回ってくるので、朝昼晩と順に持っていってあげるのです。このように学生たちの弁当を食べながら開拓した歴史があります。

それを父母が来て見たとすれば、どれほど痛哭したでしょうか。しかし、それが問題ではありません。国をつかみ、み旨の世界のためには、そのようにしてでも、これから迎える栄光の日を称賛しようとしたのです。

13 統一教会に入る前までは、誰よりも良い弁当を持って通っていた学生が、統一教会に入ってからは、弁当を持たずに来て、昼食の時間は一人で校庭にこっそり隠れていて、また教室に戻ってくるのです。それが友達に見つかったりもしました。自分の親に知られたら大変なことになるのです。

一度や二度ではなく、ずっとそのようなことをしているので、友達が彼の母親のところに行って、「息子さんは、以前は弁当をきちんと持ってきていたのに、最近、統一教会に入ってからは持ってきません。なぜ、お母さんなのに、昼食も用意してあげないのですか」と話す出来事が起きたのです。それで、その母親が息子に、「お前、学校で弁当を食べていないそうじゃないか。どうなっているんだい」と問い詰めれば、事実を話さざるを得ません。親たちがこの事実を知るようになると、ますます強く反対します。

そのようなことが全国的に頻発しました。その上、全国のキリスト教徒たちは、「神様の羊を奪っていくおおかみの群れが入ってくる」と言いながら反対しました。そのような環境で、彼らを指導していたお父様の心は、いかばかりだったでしょうか。

14 今まで私たちは、外的な分野を中心として、私たちの前を塞いでいる国の恨多き壁を崩すために、受難の道を歩んできました。お父様は、この国と、この民族に対して恨みを晴らそうという気持ちもありましたが、神様のみ旨を知っているので、いかなる困難も甘んじて受けてきました。

この三千里半島を、誰が血の汗を流して守り、神様の心情を抱き締めて、誰が忠誠を尽くしてきたのかという時、神様を中心として、私たちだけが主張できる内容をもっているので、私たちだけが、訪れる天運を迎えることができるのです。

第五節 日本とアメリカの宣教海外宣教師の派遣真のお父様は、四十日伝道を通して韓国内の伝道活動がある程度定着すると、海外宣教に取り組まれた。西大門刑務所における受難の翌年である一九五六年、忠南(チュンナム)の鶏龍山(ケリョンサン)・甲寺(カプサ)で祈りを捧げる中で、日本がアジアで再び重要な位置に立つ時が来ることを予感されたお父様は、ソ連と中国が北朝鮮を後援する立場にいるので、その難局を打開する一つの道を開くためには、日本に宣教師を送らなければならないと考えられた。もし、日本が共産圏に立てば、必ずや韓国が脅威にさらされると考えられたのである。そのため、怨讐の国だった日本を愛することによって、神側の相対国家として立てようとされたのだった。困難な条件の中でも、日本に宣教師を送らなければならなかった意義がここにあった。これとともに、イエス様当時のローマに当たるアメリカにも宣教師を派遣し、世界宣教の中心国家として立てようとされたのだった。

1 お父様は、自分の父や母に侍るように、心から人々に侍りました。さらには、社会や国家復帰のための基台を立てるために、面識のない人たちにもそのように接してきました。このような原則のもとでは、自分の国家だけを気遣うことはできませんでした。最もひどい迫害を受けている中でも、祈りと関心は韓国のためのものではありませんでした。日本とアメリカに宣教師たちを送るために最善を尽くしたのです。

日本に宣教師を送る当時は、韓国と日本の間に国交正常化が成立していませんでした。ですから、宣教師は、正常な手続きを踏めないまま、小さな船に乗ってひそかに日本へと渡っていかなければなりませんでした。アメリカに宣教師を送る時も、私たちがどれほど多くの苦難に遭ったか十分に見当がつくでしょう。その当時、私たちがアメリカに宣教師を送るということは、誰も考えられないことでした。そのような環境だったにもかかわらず、私はアメリカに原理の種を蒔くために、誰かを送らなければならないと決心し、日夜、苦労を惜しみませんでした。

復帰摂理の原則は、外部から内部へと訪ねてくるのです。したがって、国が神様から栄光の祝福を受けるためには、摂理のみ旨が外部から内部へと訪ねてくるように、事を進めていかなければなりません。

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継続して行われた原理講義草創期は、劉孝元協会長が伝道対象者に対する原理講義を担当した。初めての人は、夕方に講義を聞かせ、三日が過ぎた人は、大抵三日間、泊まり込みながら、修練会方式で講義を聞いた。体が不自由な劉協会長は、横になったまま用紙に講義内容を書き記して講義を行った。講義のあとには、真のお父様が全身汗だくになるほど、渾身の力を尽くしてみ言を語られた。

新しい食口が、この過程を通して深奥な原理のみ言に感化を受け、感服して、み旨の道を行くことを決断した。劉協会長は、一日に十八時間講義をするという記録を立てたこともある。

19 昔、劉孝元協会長は、三年八ヵ月の間、一日も休まず講義をしました。そのような歴史があります。彼は不自由な体でそのようにしたのです。それを考えると私は無慈悲な人です。今のように食口がたくさんいたわけではありません。新しい人が来ると、その一人を座らせて講義し、新しい人が来なくても、そのまま食口たちに毎日続けて講義をしたのです。そのようなことを見た人もたくさんいるでしょう。

20 劉孝元協会長に講義をさせているとき、私は寝ませんでした。中二階の部屋に座って、すべて聞いていました。誰が来て聞いているという報告をすべて受けました。夕方、講義をしに降りてきて、話し始めてから一分もしないうちに居眠りするのを見て、お父様は涙を流して祈りました。そのような涙の交わりがあったのです。

そのような事情かあります。そのように統一教会の歴史はとても悲惨でした。何ゆえに私がそのようにしなければならず、何ゆえにその人がそのようにしなければならないのかというのです。それは神様ゆえです。それでも霊界が役事しないとすれば、霊界はないというのです。

21 教会に人がいなくても、戸を開けて、痛哭しながら説教をしてみてください。そうすれば、周囲の人たちが、どうしたのかと聞いてくるでしょう。人々がそれを見物するために入ってくるのです。その時、「私の話を少し聞いてみてほしい」と言って、講義をするのです。皆さんが、涙を流しながらそのようにしてみなさいというのです。

その涙は、誰のために流すのでしょうか。国のため、人類のため、世界のため、神様のために流すのです。その道しかありません。

もし講義をしている途中で倒れたら、私が看護してあげましょう。そのようにして死んだら、私が葬儀もしてあげます。そうすれば、霊界に行っても弁明の余地があるのです。「お父様の言うとおりに、喉が張り裂けんばかりに講義をしていて倒れた」と言えます。ですから、それはどれほど深刻でしょうか。生きるか死ぬかの覚悟でしなければなりません。そのようなことをしたので、神様がお父様を押してくれたのであり、世界的な人物になったのです。

22 一週間、統一教会に来て、修練を受けてから市内に出ると、何千年も前の電車が走っているとか、バスが逆に走っていると思うほど、全くの別世界に見えます。人々が前に歩いていくというのに、すべて後ろに歩いていくように見えるのです。それほど変わります。そのように感じた人たちに、「統一教会に来てはいけない」と言えば、来ないでしょうか。

昔、草創期に、正門を閉めて鍵をかけても、垣根を乗り越えて入ってきたり、「入ってきてはいけない」と正門から追い出しても、裏門から入ってきたりして、わんわん泣きながら夜を明かして祈るのです。夜を明かすのが常でした。そのような雰囲気が必要です。大騒ぎになるようになっていました。

そのためには、昼夜なく講義をしなければなりません。それで、劉協会長に「一日十八時間講義をしなさい」と言ったのです。

第四節 韓国百二十地域の最初の四十日開拓伝道百二十地域における四十日開拓伝道真のお父様は、一九五七年七月一日、食口たちと七日断食を共にされたのに続き、七月二十日から全国百二十ヵ所に二人ずつ四十日開拓伝道師を派遣された。このように、本格的な伝道活動によって食口たちが増え、地方の至る所に教会が建てられると、一九五八年には、地方伝道体制を強化された。一九五九年には、協会主管の四十日全国伝道師修練会が三次にわたって開かれ、以後、継続して四十日原理修練会が指導者の教育課程として実施された、

1 神様のみ旨を成就してさしあげなければならない私たちは、どのように生きるべきでしょうか。自分自身の内外の問題ばかりを解決する人生になってはいけません。自らの問題を越えて全体的な問題と関係を結び、永遠の価値を実現させようという責任感をもって立ち上がらなければならないのです。そのようにするとき、皆さんは天的な福音のみ旨を成就してさしあげることができます。皆さんがそのような使命感をもって伝道の道に進めば、神様が共にいらっしゃるのです。皆さんがそのような心をもって「ために生きる生活」をすれば、そこには必ず愛の再創造の役事が展開するというのです。

2 四十日特別活動は、一九五七年七月二十日から始まりました。韓国統一教会の全食口が、七月一日から一週間断食を始めました。一週間断食をしながら出発したのです。お父様もその時に、断食をしながら四十日特別活動を宣言しました。統一教会では、常に七月二十日を中心として、夏季四十日伝道活動をします。この時期は、学校も夏休みに入る最も暑い時です。一番暑い時に、み旨のために汗を流しながら努力しなければなりません。それが蕩減条件を立てる上で有用なのです。大きな蕩減条件になります。ですから、その期間を選んだのです。最も大変な時です。

伝道に出る時は、お金を持たずに行きます。お金があれば、すべて一ヵ所に集め、ほかの人に分け与えてから行くのです。自分の生活は現地に行って解決するのです。血の汗を流して労働をしたり、何かをしたりして生活しながら、その地方の人々を助ける運動をしなければなりません。それが訓練です。

一九五七年に、統一教会として初めて百二十ヵ所に、(食口を)伝道に送り出したのですが、その時は、お金は行きの交通費だけを持ち、服も二着だけ持たせました。「四十日の間、断食もするのだから、行って、はったい粉を食べながら、四十日間、活動しなさい」と言ったのです。そして、「働きながら食べる物をもらうところから始めなさい」と言いました。そのように(して任地に)行って、それを克服してきました。人間として最低の立場から始めたのです。お父様は三年間、誕生日に断食をしました。食卓もなく、御飯を床に置いて食ベました。また、おかずはキムチ、しょう油をはじめ、三つだけ食べました。このようにして上がってきたのです。蕩減復帰です。服も、もらい物を着たのです。

4 草創期に食口たちが伝道に出ていく時、不平を言ったり、お金のことで愚痴をこぼしたりしながら出発することはありませんでした。人から批判されながらも、一人の生命を救おうとして、明け方に町中のあらゆる犬からほえられたのです。ですから、町の人々から後ろ指をさされて、その町では働くことができないので、早朝に起きてバスに乗り、働くために十里の道を行かなければなりませんでした。そうして、町に帰ってきて、働いて稼いだお金でポン菓子を買い、宴を開きながら人を集めて講義をしました。そのようなことが輝かしい摂理史の資料として残っています。初代教会の歴史に残り得る資料を残したのです。

5 一九五七年から伝道期間を定めておき、伝道に出掛けました。互いに道端で出会って喜んだその時間や、また互いに別れる時、山腹を巡りながら再会を期して涙で離別した時間は、皆さんが億万のお金を出しても買えない時間です。それにどのような価値があるのか、皆さんは分かっているでしょうか。

この上なく貴い事情をすべて流してしまうとすれば、何が貴いと言えるのでしょうか。今後、国内だけでなく、世界的舞台まで、皆さんはお父様と同行し、万民の前に天の伝統を誇り、新しい思想を植えてあげられるみ業をしなければなりません。それでは、皆さんはいつその材料をつくり、いつその材料を収拾するのでしょうか。この時しかありません。

6 一九五〇年代、統一教会を出発する以前に、お父様は多くの人にあらゆる訓練をさせました。断食をさせ、開拓伝道をさせながら、すべての分野の訓練をしたのです。

お父様に会いたくて訪ねてきて、帰るのが遅くなれば送ってあげ、夜を明かして行ったり来たりすることがたくさんありました。それはお父様だけでなく、食口たちもそうでした。

当時、韓国には自動車があまりなく、みな歩いて通いました。月夜や夜明けに、互いに涙を流しながら、国のために、天のために、未来のために誓って出発した、そのような忘れられない事情がたくさんあります。そこから愛国心が生まれるのです。

この世で初恋に夢中になる、それ以上に次元の高い霊的雰囲気の中で活動していたことが、いつも懐かしく思われます。そのような絆をいかに誘発するかということが、教会を指導する人たちの責任であり、自分たちの活動目標として立てるべき事柄です。その伝統基盤をいかに連結させるかということが、皆さんが努力すべき標準なのです。

お父様が、そのようにこの基盤を築いてきた伝統を尊重し、伝統と教育と行動を考えながら、自分の後継者たちを育てなければなりません。今いくらうまくやったとしても、未来の後継者たちが今よりも劣るならば、落ちて下がっていくのです。今よりも未来のほうがさらに良くならなければなりません。未来のために今、投入しなければならないことを忘れないでください。

7 責任者たちは、み言の宣布も重要ですが、必ず実績を刈り取ることができなければなりません。蒔く責任者になるのではなく、蒔いたあとに刈り取る責任者になりなさいというのです。刈り取るまでには三年以上かかります。すぐに刈り取ろうとしてはいけません。それが原理です。ですから、三年苦労しなさいというのです。

それで、お父様は、一九五七年に百二十ヵ所の伝道地を設定し、派遣しながら、「皆さんは、三年間、服役し、そこに売られていって奉公するという立場で、村なら村に行って忠誠を尽くしなさい。そして、彼らに忠誠の道理を教えてあげなさい。それだけでなく、実践して見せてあげなさい。そうすれは必ず、皆さんが語らずとも、自分たちができることを引き継ごうと言ってくるだろう。誰も彼もがそのように言ってくるとき、皆さんはその村で完全に定着することができる」と言ったのです。

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北鶴洞の三つの門の家で協会出発協会の看板を掲げた北鶴洞の三つの門の家は、軒先に手が届くほどのみすぼらしい家だった。そのため、看板は近所の子供たちが外しては遊びに使ったり、反対する人がたたきつけて割ってしまったりしたため、再びつなげて掛けるなど、何度も壊された。頭を下げて三つの門を通過し、家の中に入ると、二、三坪の広さの庭の片隅に井戸があり、その横に甕を置く小さな台があった。右には、三人が横になればいっぱいになり、足がつく半坪ほどの居間があり、左には、一坪にならないサランバン(客間を兼ねた主人の部屋)があった。居間には男性たち、サランバンには女性たちが寝泊まりした。低い天井は、頭がつくと板が傾いた。このように、協会は草ぶき小屋のような所から出発したのだった。

真のお父様は、少ない人数しかいなくても、まるで数千人いるかのように、上着が汗でびしょぬれになるほど、大きく力強い声で祈り、み言を語られた。一人に対してみ言を語られるときも、一時間以上、涙を流しながら切実に祈られた。神霊に満ちた恩恵によってその場にいる全員が痛哭し、涙で床をぐしょぐしょにぬらした。一九四五年の光復後、準備されたキリスト教が真のお父様を受け入れなかったため、蕩減路程を経たのちに協会を立てて、世界復帰の出発基台を築かれたのである。

7   私が一番初めに付けた統一教会の看板は「世界基督教統一神霊協会」でした。キリスト教を統一することも大変なのに、神霊まで統一しようと言ったのです。当時、お父様はお金が一銭もありませんでした。横になると足が(壁に)つくくらいの部屋なのですが、それも借りたものでした。そこから始めたのです。訪ねてくる人たちのために、僕のような立場で私はやるべきことをすべてやりました。私が、僕の立場、養子の立場でそのようにして、合格していくのです。そうして私が解放されていくのです。

8   最初に統一教会の看板を付けた家は、粗末な家でした。その家には三つの門がありました。私のように、背が高くて太っている人が入ろうとすれば、体を横にして頭を下げて入らなければなりません。そこに「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けました。世界のキリスト教を統一しても、ものすごいことなのに、神霊的な世界までも統一しようと言ったのです。世界のキリスト教も統一しますが、神霊的な世界も統一しようという協会なのです。どれほどすごいでしょうか。軒先に「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けたのですが、のぞいて見ると、門が三つです。

9   統一教会の看板をソウルの北鶴洞にある家に付けたのですが、当時、その家は、恐らくソウルで最も小さな家だったでしょう。部屋に入って横に寝れば、足が(壁に)つきます。縦に寝れば、何とか足を伸ばして寝られます。そのような部屋が一つあり、そのほかにも部屋がありましたが、その部屋も同じような部屋でした。それで、その家が有名なのは、門が三つあるということで、「三つの門」と言います。その門は、大きいものではなく、頭を下げなければ入れないほどの小さな門です。また、看板を付けたのですが、軒先が手の届く所にあるので、看板の位置は子供も触れられるほどの高さでした。看板を、大きな家に付けることができず、想像もできない、誰も信じられない最も小さな家に付けたのですから、誰がそこに関心をもつでしょうか。看板が同情されるほど、どれだけぞんざいに扱われたか分かりません。近所の子供たちが遊ぶ時は、これを外して遊び道具に使ったりもしました。それにどれほど傷がついたか分かりません。また、反対する人が来ては、「キリスト教を統一するとは異端だ!」と言いながらそれをたたきつけて二つに割ったこともありました。それでも、そのような歴史的な看板をそのまま捨てられないので、その看板に釘を打ちつけてつなげてから、また掛けたのです。

10  私は、いくら軒の下や、穴蔵にいたとしても、「私が神様をここにお迎えしなければならないのに、この場は精誠が足りない」と思いました。「復帰原則において、最も小さな家で世界的な精誠を尽くせる代表者が現れなければならないのではないか」と思ったのです。これがお父様の思想です。それから、「もう少し大きな家で世界的な代表に適応する精誠を尽くさなければならないのではないか」と考えたのです。

このように、統一教会は小さな所から出発しました。北鶴洞の三つの門の家から発展して、このように大きくなってきたのが統一教会です。これが統一教会の主流思想です。そのような立場で、天下にすべて知られるほどうわさを立てながら歩き回っても、「統一教会は小さい」と非難する人は一人もいませんでした。その立場で何をしたのかが問題です。

「世界基督教統一神霊協会」の意味と目標「世界基督教統一神霊協会」の創立は、キリスト教が果たすべき使命を代わりに果たすという意味がある。もちろん、「世界基督教統一神霊協会」は、神様の復帰摂理を最終的に担当すべき父母宗教である。そのため、その名称に「世界基督教」という言葉が入った。「統一」は、キリスト教はもちろん、他の宗教、世界人類まで一つに束ねるという意味である。「神霊」は、真理とともに霊肉界の調和を通して、地上と天上に天国の基盤を立てようという意味を内包している。「協会」は、霊肉界統一圏を完成し、創造本然の理想世界を実現する団体という意味をもっている。

11  今まで「世界基督教統一神霊協会」という看板をどうして掲げてきたのでしょうか。「基督教」という文言を付けてきたので迫害されました。それを外してしまえば、旧約聖書と新約聖書を捨てなければなりません。旧約がなければ新約は出てくることができません。それが誤ったので、新しい約束なのです。新約がなければ成約は出てくることができません。旧約の上に新約が出てきて、新約の上に成約が出てきたので、キリスト教と連結されなければならないのです。

キリスト教はユダヤ教の延長です。それを捨てれば、お父様の立つ位置がありません。サタンの支配する国家的基準は長成期完成級ですが、それを越えて、お父様が自主的な基盤を獲得するまでは、キリスト教の上に、新約と旧約の上に立たなければなりません。

12  お父様は、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない名前を付けました。果たして統一は可能なのでしょうか。それは間違いなくそうなるでしょう。キリスト教だけを見ても、今まで四百以上の教派に分かれて争ってきました。しかし、私は、それがそれほど難しいものとは思っていません。

ために存在するという鉄則をもった教派なら、またその教派以上にすべての教派が努力するなら、そこでは必ず一つになると考えます。もし異教だとしても、その宗教が主張する、その精神以上の努力ができるなら、その宗教まで一つになると考えるのです。

主体でいらっしゃる神様がそのような方なので、そのような方の相対的な位置を守っていけば、自然に神様の力によって一つになれるはずです。この話は論理的です。

したがって、一つになるというのは、それほど難しいことではありません。このような原則の上に立って、統一教会は始まりました。

13  「統一」の「統」の字は、「指導を受ける」という意味ではなく、「統治する」という意味の字です。統治しなければなりません。統治するためには、統治できる内容がなければなりません。主体者としてすべてを備えなければならないのです。主体者は責任をもたなければならず、保護しなければならず、育成しなければなりません。ですから、統一教会は、天地に対する責任をもたなければなりません。その範囲が違ってくるのです。その次は、保護しなければなりません。悪の世界から侵犯されているこのすべての実相世界を聖別して、保護しなければならないのです。善のみの環境体制で保護してあげなければならないのです。悪いものはなくしてしまわなければなりません。それだけではなく、発展しなければなりません。統一教会は、統治して一つにしようというのです。統一教会を中心として一つにしようというのではありません。この全宇宙を創造した根本である神様、主体である神様を中心として一つになろうというのです。

14  統一は簡単です。統一という言葉は、一番の福音です。皆さんが父や母の前に自信をもって出ようとすれば、心と体が一つになった立場に立たなければなりません。良心から見て、自分の体の行動から見ても、教育的な道理の基準から見ても、行動が外れていない一致した立場、一つになった立場においては堂々としているのです。統一された基盤の上では堂々としているのです。孝子は、父母の前で、情的な面でも、生活的な面でも、堂々としています。堂々としたその基盤の上で父母も生きようとし、その家門も立てようとするのが天地の道理です。ですから、「統一教会」という言葉、それ自体が偉大なのです。天地をすべてかき分けて調べてみると、これでなければならないので、お父様は「統一教会」という言葉を付けたのです。

15  新約と旧約を通したすべての宗教のみ旨を代表し得る息子の宗教は、僕の宗教と養子の宗教と通じるのです。それが連結されると同時に、その息子の宗教を通し、父母の宗教圏を通して、霊界と神様の世界にまで公認される一つの体系が形成されなければなりません。そのようになる時、世界のキリスト教は自動的に統一されます。このような内容をもって「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げました。キリスト教の統一のための神霊的な協会です。「統一協会だ」と思うかもしれませんが、「統一協会」ではなく、「統一のための神霊的な協会」です。ですから、世の中では統一教会の人のことを「何かに取りつかれたような人たちだ」と言います。「統一教会の人たちは普通ではない」と言うのです。また、「統一教会の人たちは狂った人たちだ」とも言いますが、韓国語では「狂った」と「達した」は同じ発音です。ですから、これは目的に到達したという意味です。新約聖書と旧約聖書の内容に到達し、霊界にいるすべての霊人たちが、神様の愛を中心として成就することを願う、そのみ旨に到達した宗教なのです。ですから、統一教会は、神霊的な役事が続くのです。

16  統一教会も、神様の協助を受けなければなりません。もちろん、韓国の善なる霊人たち、皆さんの善なる先祖のような善なる霊人たちの協助も受けますが、世界の聖人たちの協助を受けようというのです。範囲が広いのです。

キリスト教だけの協助を受けていてはいけません。それは、あくまでもキリスト教系列の世界一つだけを考えることなので、それではいけないのです。全世界を一つにするためには、キリスト教の霊人たち、イエス様を中心とした霊人たちだけの協助を受けてはいけないのです。超宗派的協助を受けなければなりません。皆さんの善なる先祖たちの協助を受け、大韓民国の忠臣、烈女たちの協助を受け、ひいては全世界の聖人たちの協助まで受けなければならないのです。

17  神様が人間の堕落以降、六千年の間、歴史を導いてこられた最後の目的とは何でしょうか。天地をかけて祝福してあげられる息子、娘を探し出すことであり、忠臣を探し出すことであり、烈女を探し出すことです。この歴史は、地上のある地域を中心として成就するでしょう。その場で心情を通して天の代わりに宣布する言葉に、天上が動くのです。その言葉が真の良心をもつ人々の心に伝播すれば、彼らの心は激動し、その動きがこの地上に起こる場合には、サタン世界は崩壊するでしょう。このような目標のもとに、世界に向かって、天地に向かってのろしを揚げた皆さんは、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない看板を掲げた以上、絶対にこの一時代で倒れてはいけません。私たちは、天のお父様の心情を察して、個人を通し、家庭を通し、社会を通し、国家を通し、世界を通して、天宙にまで行ける内容を備えなければならないのです。それができなければ、看板を外してしまわなければなりません。今に至るまで皆さんが従っているお父様は、一生の目標を、この道を突破することに置いています。

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第四節 釜山と大邱の開拓伝道釜山開拓時代真のお父様は、釜山に到着された一九五一年一月からほぼ半年間、転々と居所を移しながら、避難民生活をされ、同年八月、ポムネッコルに土塀の小屋を自ら建てて住まわれ、新しい食口を迎える準備をされた。神様が失ってしまった子女を探し求めてこられた、それ以上の慕わしさをもって、山に登って涙の祈りを捧げるなど、多くの精誠を注がれたのである。その結果、神様の啓示に従い、食口たちが一人、二人と集まり始めた。『原理原本』の執筆を終えた日の一九五二年五月十日、高麗神学校の二年生だった姜賢實伝道師が導かれ、その年の十二月一日、早くからキリスト教団で牧会をしていた李耀翰(イヨハン)牧師が加わるなど、天は準備された聖徒たちを送ってくださった。真のお父様は、一九五三年一月、食口たちが増え、一部で反対が激しくなると、ポムネッコルの土塀の小屋から水晶洞へと引っ越し、水晶洞でも何回か居所を移された。

1 お父様は、「六・二五動乱」の時に釜山に避難し、そこで三年の期間を過ごすとき、大勢の人たちが声を張り上げる中、かつて会おうと約束していた人の呼ぶ声が聞こえてくるように感じましたが、会う方法がありませんでした。その慕わしさは、胸が締めつけられるほどのものでした。それは、神様が人間を捜し求めてきた思慕の心情を、地上にいる息子に体恤させる良い時期でした。自分の父母が慕わしくて涙を流すのではなく、父母のために夜を明かすのではありません。

天が進むための足場であるカインとアベルを中心とした復帰の原則を、どのように解決するのでしょうか。それは、自分の血族でもできません。外的な血族を中心として、勝利の基盤の上に氏族基盤を立て、民族的基盤へと行かなければならないのが復帰の路程です。

2 お父様は、釜山の凡一洞で、神様と縁を結ぶ食口たちを慕っていた時に、あらゆる精誠を尽くして待ちました。霊的に見ると、彼らが来ることは来るのですが、実際には近くに来ていないのです。ですから、時が来るのを待つしかありませんでした。凡一洞では、食口といえるのは、お父様まで合わせて三人しかいなかったのです。その頃、私たちは霊的に交流しながら、山河を友として暮らしていました。

3 お父様が凡一洞にいた頃、本当に人が慕わしく、一人で座ってしきりに独り言を言う時が多かったのです。白い紙一枚隔てた向こう側から、大衆の話し声がすべて聞こえます。聞こえることは聞こえるのですが、顔は見えません。その白い紙一枚さえ取り除いてしまえば、大衆が来ることができるのです。そのように捜し求めている人の声が聞こえるというのです。ですから、人を慕わしく思うのです。朝起きてから夕方まで、時間が過ぎるのも忘れて人を慕わしく思います。

人を慕わしく思う心は、この上なく貴いものです。その度数が満ちれば、人が訪ねてくるのです。その心をもって、その人と向き合うようになれば、人は霊的な存在なので、その場から立ち上がろうとしても、足が固まって立ち上がれません。不思議なことが起きるのです。その環境に完全に包まれるようになります。統一教会の出発には、そのような役事があったことを、皆さんは知らなければなりません。皆さんは、人を慕わしく思わなければなりません。自分の妻子が問題ではないのです。み旨のために、人を慕わしく思わなければなりません。

4 「父母の心情で、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために」というみ言を、いたずらに主張したのではありません。お父様がそのように生きました。

その標語のとおりに、出ていって伝道してみなさいというのです。お父様の言うことが本当かうそか、テストしてみなさいというのです。食口がいなければ、戸を開けたまま、食口を慕わしく思うようになると、人が訪ねてくる音がすべて聞こえます。そのように慕わしく思うのです。そうすれば、必ず道は開かれるようになっています。姜賢實が初めてポムネッコルに私を訪ねてきた時も、お父様は失った我が子を慕わしく思う気持ちで過ごしていました。

5 ボムネッコルの土塀の家の時代に、「凡一洞の頂にサタンの魁首が現れたので、キリスト教徒たちは行ってはいけない」といううわさが立ちました。私たちだけで礼拝を捧げても、既にその近所の教会がみな知って、「行ってはいけない」とこそこそ言いふらすのです。しかし、絶対に失望はしませんでした。私は、山に登って祈りながら、霊的にサタンの胸ぐらをつかんでたくさん闘いました。「この闘いでお前が勝たない限り、お前が私に屈服する日が来るだろう」と言いながら闘ったのです。そのようにして出発しました。

6 釜山のボムネッコル時代、凡一洞に教会が一つありました。その教会の人たちが私たちを見て、人も良く、聖書もたくさん知っていて、教会にも通ったという話を聞いたので、伝道しよとしたのです。お父様は、彼らの話を聞いてあげました。彼らが話をする時、よく聞いてあげたのです。それで、私が間違いなく自分たちの教会の信徒になると思って喜び、最初の日はそのまま帰りました。その翌日に、間違いなくまた来ます。その時は、私が「一つ尋ねてみましょう」と言いながら話をするのです。そのように尋ねれば、彼らは答えられません。彼らに、「イエス様とはそんなに無知なのですか。聖書はいい加減にできているようですね」と、このように一言、言っておくのです。私が優れているからこのように言うのではありません。その人が聖書をよく知らないので、そのような話をしたのですが、誰も聖書が間違っているとは言えないようになっています。聖書を知らない人がどうやって伝道をするのですか。お父様は、「私は教会には通っていませんが、私が知っている聖書の話を一度聞いてみませんか」と言いながら、話をそれとなく始めていきます。

最初は、その人が聞いて消化不良を起こすような話は絶対にしません。様子を窺って、神経質な人ならば、私は神経の鈍い人のように話をします。そのように数時間だけ話をすると、私の言うことを聞くようになっているのです。

7 釜山避難時代、凡一洞に家を建て、三人が集まって伝道したり、祈ったりしました。当時、彼らに話をするとき、お父様は、三人を前にして話をするとは考えませんでした。三人ではなく、三千万人であると考えたのです。「今この人たちに話をしているが、現在の数億のキリスト教徒と、全人類に対して話をしているのだ」と考えました。三人を前にしても、汗を流しながら、町内に響き渡るように話をしたのです。

聖日にさえなれば、近所で「あの人、また大騒ぎしている!」と話すほどでした。膝を突き合わせて、こそこそ耳打ちをしても、すべて聞こえるはずなのに、およそ百五十メートル離れた井戸のそばにいるおばさんにまで聞こえるように話をするのです。そのようにするので、その近所の教会に通っていたおばさんが、通りすがりに聞くようになりました。それで聖日のたびに来て、外で聞くおばさんがいました。未婚の男性たちが住む部屋には入りづらかったのです。そのおばさんがのちに入ってきてみると、むちゃくちゃです。世の中にはない話や、世界が揺れ動くような話をひたすらするのですが、座っている様子を見ると哀れなのです。しかし、世界を統一するとか何とか言いながら、「神様は私の父であり、私は神様の息子である。天国が建設され、地獄が崩壊する」と言っているのです。

8 凡一洞に井戸があるのですが、そこに水をくみに来た人たちは、私たちが礼拝を捧げ始めると、「あの家はけんかをしない家だとうわさになっていたが、この頃はけんかをしている」と言って不思議に思ったのです。ある時には、神学校に通う人が来て、「あなたよりも立派な人が歴史上にたくさん現れて統一世界を夢見たのに、みな成し遂げられませんでした。それなのに、ここであなたが統一するのですか」と言うのです。その時、私が話をしながら、よくよく考えてみても、本当に哀れでした。水が流れるように溝を掘り、その上に家を建てたので、オンドルの下では、ちょろちょろちょろと水の流れる音がするのですが、そのような家に座って、そのような途方もない話をするのですから、誰が信じるでしょうか。

彼らは、私より良い物を食べ、良い服を着て、良い暮らしをしているのですから、私の話には信じられるところがないというのです。そうして私の話を聞いてみると、うぶな顔つきで、そのような人には見えないのに、「何がどうだこうだ」と言いながら大騒ぎしているのを見てからは、近所の話題の種になりました。お父様が語る話を聞いてみると、世界が行ったり来たりし、天地がひっくり返ったりする内容です。お化けが出そうな家に住んでいますが、世界を手の上に載せて思いのままにしたり、天地をひっくり返したりしながら、韓国と世界を統一するという途方もない話をするので、うわさが立ったのです。「あの近くに行ってみると、井戸端では無口だったあの人がものすごかった」といううわさが立ったので、人々がどんどん集まってくるのです。

9 私が釜山の凡一洞の谷間で避難生活をしていたとき、釜山港のたくさんの船を見て、「私の手で造った船に乗って、一度釜山港に帰ってこなければならない」と思いました。すべての港口に出入りする大きな船を見て、「私の愛する息子、娘があの船に乗って世界に号令できるその日、自由と平等の舞台の上で、そのようにできる環境が整うひと日がいつ来るのか」と思いながら、神様が日久月深(イルクウォルシム)(願いが時とともに強くなる様子)、千万年史を行き来しつつ望んでいたことを考えるとき、その先頭に立って、大洋を目指して前進する航路に立つならば、それは驚くべき事件です。

10 釜山は、避難民が集まってきた所でした。ですから、韓国にいる篤実な信仰者たちにも、みな会える所です。そのような過程を経ながら、教会が出発しました。学生時代における黒石洞の教会の歴史、平壌の教会の歴史、それからソウルの教会の歴史、このような歴史がすべて絡まっているのです。そして、北朝鮮の監獄から出てきて、(その後、韓国で)三人の女性と一人の男性の、四人を立てました。男性は天使長の代わりに立てたのです。女性は、玉世賢(オクセヒョン)おばあさん、池承道(チスンド)おばあさん、李奇完(イギワン)さんです。李奇完さんはソウルにいました。そうして、四人を中心として、初めて新しく釜山から出発したのです。そして、水晶洞で、以前に日本人が所有していた家屋を一つ手に入れて、教会を始めました。

大邱開拓伝道真のお父様は、新しい食口が集まると、李耀翰牧師に有名な牧師と神霊的な指導者たちを訪ねさせるなど、伝道に目を向けられた。特に一九五三年七月二十日、姜賢實伝道師に、「生きていらっしゃる神様が、私たちの側に立って協助していらっしゃることを忘れてはならない」という激励のみ言をかけられ、服一着だけを持たせて、大邱の開拓伝道に出発させられた。この時、初めて原理が公に宣布されたのである。そして、八月中旬、李耀翰牧師を再び大邱に派遣された。姜伝道師が築いた土台の上に教会を建てる、というみ意があった。そのようにして、三、四十人の新しい食口が集まり、礼拝を始めるなど、キリスト教団の迫害と反対の中でも、教会が早々に出発できたのである。

11 草創期には、私一人でした。そのように始め、何人かの食口たちを集めて、全国にいる神霊的な人たちを訪問させました。その中に、伝道のため大邱に送った姜賢實伝道師がいました。その伝道師は、凡一洞の天幕教会に責任をもっていた女性でした。凡一洞の谷間には寺しかなかったのですが、一番端の家におかしな青年がいるといううわさを聞いて、伝道しようと訪ねてきたのです。それで、その時、み言を語ってあげたのですが、神様が役事をして、毎日毎日訪ねてくるようになりました。

そうするうちに、その天幕教会を捨てて統一教会を信じる決心をしたのです。

そうして、その後、伝道のために大邱に送りました。大邱は、以南(現在の大韓民国)のエルサレムといわれる地域なので、そこに送ったのです。送る時は、何も持たせずに送り出しました。旅費も与えず、「出ていって伝道しなさい」と言って送り出すしかない、その時の事情がありました。ですから、霊界からたくさん役事しました。大邱に行ったのですが、行く所がないので、霊界がコーチして、会うべき人に会わせてくれたのです。

大邱教会は、そのようにして始まりました。

12 姜賢實伝道師に、「大邱に行って開拓伝道をしなさい!」と言いました。それで、開拓伝道に出て泣きながら歩いているので、神様が勧告したのです。大邱に行った時、「あなたは今ここに来て泣いているが、私は千年の恨を抱いて働いている」と神様から勧告されたので、逃げようとまとめていた荷物を再びほどいたそうです。よくよく見ると、神様は、こちらの事情を一つも聞いてくれません。(ただ、)開拓伝道をしなさいというのです。

ですから、「私の代わりにどこそこに行きなさい」と言われて行くと、ある時は汽車の切符を買って待つ人がいたり、行く道中に祝いのお膳の支度をして待つ人もいたりしたのです。

13 伝道をする時は、座って心配ばかりしてはいけません。お金を使ったからといってできるものではないので、精誠を尽くさなければなりません。そうして祈ると、天が教えてくれるのです。足に豆ができるほど活動し、事を起こしてこそ、そこから役事が始まるのです。

姜賢實の証を聞いてみてください。知人が一人もいない大邱の真ん中に、開拓伝道に行ったのですから、誰か歓迎する人がいたでしょうか。通りをさまようしかないので、どれほど落胆するでしょうか。「神様、どこに行かなければなりませんか」と自分の身の上を嘆くと、「あなたは今、一日でそのような状態になるのか。千年、万年の間、そのようにし続けてきた神の心情と比べれば、話にもならないではないか」と言われたそうです。苦労をもっとしなければならないというのです。

神様と出会い、神様のみ旨を探し求めていくのは、易しいことではありません。

14 お父様が大邱にいた時は、一ヵ月間に十三回も引っ越しをしました。そこでは、私を知らない人がいませんでした。キリスト教徒たちが写真を持って歩きながら、私の顔さえ見かければ、「文誰それが現れた」と大騒ぎでした。どこそこに現れたというと、教会で毎日のように「異端の頭である誰それを追放せよ」と大騒ぎしながら、その都市全体がうなり声を上げて追放しようとしたのです。

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9   お父様は、一九五七年頃、約四百人の食口のためにいつでも祈ってあげていました。最近は、私は祈らないようにしています。しかし、ある限界点まで越えていくためには、祈ってあげなければなりません。祈ると、どのような心霊状態なのかが分かります。祈れば、自分と関係している食口たちは枝のようなものなので、神様が必ず教えてくれます。

精誠を捧げてみてください。食口たちのために精誠を捧げれば、彼らの心霊状態が傷つくときは、様々な姿で見せてくれます。うなだれている時もあり、ふろしきで顔を覆う時もあり、様々な姿で見せてくれるのです。気分の良いことがあった食口の場合は、すぐに笑う姿が見えます。また、悲しいことがある時もすぐに分かります。

10  精誠を捧げる時間がなければなりません。明け方に起きる時は、休んでいた視神経が目覚める境界線にあるので、必ず見せてくれます。それを見て、「きょうは教会で何かが起きそうだ。きょうはこのような食口が来るようだ」といったことを感知しなければなりません。

有能な医者は、患者の顔色だけを見ても、何の病を患っているのか分かります。歩く姿だけを見ても分かります。そのように、皆さんも霊的なアンテナを高くして、鑑定する能力がなければなりません。そのためには、精誠を捧げなければなりません。

祈りというのは、本当に恐ろしいものです。無言でいながら、その環境を完全に占領するのが祈りです。お父様は、どこに行っても、自分の目標を中心として二十四時間祈ります。御飯を食べながらも、息をしながらも祈ります。それは、自分のためのものではありません。人類のためであり、神様のための祈りなのです。

そのような一念を中心として、精誠を込めて四方を一周すれば、平衡を保って円形になります。私が祈ることによって上がっていけば、この圏内は天が主管し得る領域になるので、この圏内の良心的な人士たちは引っ張られてくるのです。会えば、我知らず引っ張られてくるのです。ですから、いつでも精誠を捧げなければなりません。

草創期の熱気と愛の風一九五〇年代、真のお父様は、真心を込めて食口を指導された。夜が更けるまで食口の事情を最後まで聞いてあげ、多くのみ言を語られた。壇上に立たれるときは、涙を流しながら説教をされた。食口たちは、真のお父様のことを慕いながら常に教会を訪ね、教会に来れば、なかなか家に帰ろうとしなかった。このような神霊と真理、愛にあふれた雰囲気の中で、教会は受難を踏み越え、新たな跳躍の足場をつくり上げたのである。

11  お父様は昔、食口たちを育てるのが一番楽しいことでした。夜遅くまで話をします。夜十二時になって、食口たちが帰りたくても、話をする喜びに酔いしれて語り続けるのです。お父様は、午前一時、二時、三時になっても話をするのですが、居眠りする食口たちもいます。それはどれほどの差があるでしょうか。

講義しながら酔いしれ、講義しながら涙を流し、講義しながら感謝し、講義しながら考えるのです。地獄に行く生命でも、注射を一本だけ打ってあげれば、良くなってくるのです。それはどれほど興奮することかというのです。天が共にあるので、そこには電気が通るのです。

何億ボルトが通っていくような力が共にあり、世の中が揺さぶられる気分がします。どれほど痛快でしょうか。そのような時は目をつぶろうとしても、つぶることができません。寝ていても、はっとして目が開きます。

12  皆さんは、神様の心情に代わり、神様の創造的役割に代わって、人々を救ってあげるために、どれほどの努力をしたでしょうか。深刻な問題です。

お父様は講義もし、説教もたくさんしましたが、一九五〇年代は、涙なくして説教した日がありませんでした。痛哭しない日がありませんでした。あらん限りの力を尽くし、血の汗を流して気が遠くなる境地や、「私は死ぬ」と言って倒れた境地から立ち上がろうとしてこそ、天が慰労してくれ、役事してくれるのです。

ですから、皆さんが今まで出掛けていって働き、伝道をたくさんしたならば、寝る前にその村のために祈ってあげなければなりません。自分が責任をもつ郡ならば郡のために、最も高い山に登って祈り、高い山に登れなければ、最も深い谷に行って祈りなさいというのです。止まってはいけません。それから、最も神聖な所、聖殿に行って祈るのです。聖殿において涙が乾いてはいけません。

13  歴史に残るのは、実力ではありません。実績が残るのです。準備が残るのではなく、基盤が残るのです。これはどこにでも適用されることです。これはお父様の言葉ではありません。学校や、どこに行っても同じです。ですから、語る時は、そのまま語ってはいけません。実績をもって語らなければなりません。

講義する時は、痛哭してでも感動を与えなければならないのです。ですから、お父様は草創期、その激しい迫害の渦中でも、血の汗を流しながら説教をしました。喉が張り裂けんばかりに説教をして、集まった人に感動を与えました。きのう以上にきょう、より迫害を受けて疲れたとしても、これから行くべき道が残っているので、力を投入するのです。力を投入しようとするので、消耗戦をしなければなりません。ですから、私はあらん限りの精力をすべて注ぎ込むのです。そのようにして引っ張ってきました。なぜならば、実績を残さなければならないからです。

14  一九五七年と一九五八年頃、お父様はどのような人だったでしょうか。どんなおばあさんでも、どんな人でも、その人の話を最もよく聞いてあげる先生でした。彼らから、「大韓民国で自分の話を一番聞いてくれる人」と言われていました。

ですから、おばあさんたちが来ると、嫁いだ日から夫をどのように愛したかという話まで、すべて私にするのです。今まで話したかつたことをすべて打ち明けるのです。お父様を訪ねてくる人は、誰もが「先生は私の話をすべて聞いてくれる」と言いました。それからは話すことがないので、お父様が話すのです。ここに器があれば、その器を逆さにしてすべて出しきってから入れれば、入ります。

話を聞いてあげる時には、本当に興味をもって聞いてあげます。夜を明かしながら聞いてあげるのです。話を心から聞いてあげ、また、心を込めて自分の話をするのです。それが秘訣です。そのように与え合うのです。

15  私が伝道をする時は、八十歳になる老人が訪ねてきても、若い人に接する時と変わらずに接しました。そのような思いをもって接するので、天地において誰も嫌だとは言いません。そのような人が来れば、先祖に出会ったように喜んで接しなければなりません。自分の祖母より喜んで接するのです。天からすぐに(結果が)出てくることはありません。ですから、そのような気持ちで接しなさいというのです。そのおばあさんに接するのは、天の秩序的法度です。年を取った人と接することは、天の道理に従った橋を架けることになるのです。神様こそ、最も年を取ったおじいさんです。

16  お父様に従ってきた人たちは、心情的な絆で結ばれているので、お父様を思いながら涙を流す人がたくさんいます。息子もいて、孫もいて、夫もいるのですが、涙をぼろぼろと流すのです。皆さんもそのようにすることができなければなりません。食べ物があれば、とっておいて、あとで一緒に分け合って食べようとし、ひたすら和動して、大変なことを解いてあげようとし、困難なことがあれば、私が開拓してあげようとします。ですから、町中で大騒ぎになり、国から追放しようとするにもかかわらず、お父様に従ってくるのです。

昔、私たちにはそのような雰囲気がありました。伝道に出掛けて、人が伝道されれば、自分を伝道してくれた人に無性に会いたくて、毎日教会にやって来るという雰囲気がありました。「そのような雰囲気をつくって指導しなさい」と言ったのです。新しく入ってきた人たちを、そのように指導しました。自分の家よりも良いので、家に行こうともせず、学校よりも良いので、学校に行こうともせず、職場よりも良いので、職場にも行こうとせず、みな教会に集まろうとしました。それが問題になったのです。

17  草創期、統一教会の女性たちは、教会に行きたくて行きたくて仕方がありませんでした。心の中で、「ああ、行きたい」と声を張り上げるのです。その声が聞こえ始めます。声が聞こえると、もう別世界の言葉を語り出します。霊界に通じるのです。神様の愛が電気だとすれば、その愛に通じ得る電線が連結されているのと同じです。その境地に入るようになれば、もうすべてが見えるのです。自宅にいながら、お父様が何をしているのかすべて分かります。「きょうは気分が悪いので、私が行けば先生も気分が良くないだろう」ということがすべて分かるというのです。それでも、行かないわけにはいかずに訪ねてきます。

この青坡洞の峠は、不思議な峠です。磁石が南北に向くのを誰も止めることはできません。「教会に行かない」と決心し、部屋から出て庭をぶらぶらしようと思っていたのに、門を開け、いつの間にかバスに乗って教会に向かっているというのです。我知らずに来てしまうのです。そのように不思議な力があります。そのようなことを感じたことのない人たちは、本当の愛が分からないのです。

18  統一教会員たちは、追われに追われる最も哀れな人たちです。雪の降る冬の夜に、家から追い出された哀れな境遇の食口たちや、追い出されて行き先もなく、壁にすがるようにして祈っていたその人たちを私は知っています。このような恨が胸に残っているのですが、天の耐え忍ぶその心を私は知っているので、反対する家族を赦しました。

彼らが知らずに犯した罪なので、赦すのです。様々な事情があります。その胸に天と地の恨を抱いて歩いていることを誰が知っているでしょうか。私はそのように歩んできながら、多くの涙をのんだのです。

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11 本部に対して自分が願っていた基準と違うからといって、それを中心として悪く批評すれば、その人が今まで本部を慕わしく思った、その慕わしさが瞬時に消えてしまいます。もし「私たちの願った所がここなのか」と思い、口を開いてそのような言葉を一言でも言ったなら、その人がその時までいくら精誠を尽くしてきたとしても、その精誠を尽くしたものがそこで無効になってしまうのです。

みすぼらしい本部を見ながら、「私が精誠を尽くしてきた所がこれでよいのだろうか。私がいかなる犠牲的代価を払ったとしても、この本部をどんな教会の本部よりも立派な本部にしよう」と決意して、涙とともにこの場で天のみ前に訴える人がいれば、彼は誰よりも次元の高い、天の懐に抱かれる良い同志になるだろうと思います。外国の食口たちなら、誰もがすぐにそのような思いを感じざるを得ないという話を、間接的に、または直接的にたくさん聞いてきました。外国の食口がそのように考えるのなら、本国にいる統一教会の食口として、この本部を見ながら感じる思いが、その外国の食口たちと比較して引けを取ってはいけません。

12 青坡洞の本部教会で歴史にない聖婚式を挙行しました。ここで、歴史にないことをしたのです。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めました。ここで一九六〇年に聖婚式をしました。三十六家庭を祝福し、七十二家庭を祝福しました。歴史的な場所です。この場所を汚してはいけません。ここに教会を建てようと思えば、すぐにでも建てられます。この建物を壊してしまい、韓国のどの教会にも負けない教会をすぐに建てることができるのです。お父様は、精誠を尽くさなかったり、神様を中心とした動機にならなかったりすれば、欲をもったり、何かを願ったりする人ではありません。真実の伝統の歴史というものは、(形だけの)手段や方法を通してできるものではありません。

13 皆さんの目の前にある統一教会がすべてではありません。その背後の何を見つめているのかというのです。私は、世界の数十ヵ国を回りながら、数多くの宮殿をすべて見物しました。その宮殿に行って見るたびに、「私は小さい家で世界を生かそう」と思って帰ってきた人です。

この小さな家で、世界の豪華な家で捧げる以上の精誠を尽くし、神様が記憶される精誠と心情の泉をつくれば、喉の渇いた人がこの泉を訪ねてくるのではないかというのです。岩穴でも山の尾根の高いどんな所でも意に介さず、湧き水があふれ出る所なら、誰もが訪ねていくのです。そこから出てくる水が真の湧き水なら、そこに都市もできます。そこは文化の発祥地になり得るのであり、歴史の起源地になり得るのです。

14 本部教会の柱を見ると、私がある時、この柱を抱えて涙を流したことが思い出されます。歴史が回想され、当時、国が私たちに反対していた状況が目の前にはっきりと浮かびます。そのような刺激が必要です。

ですから、愛する人の一枚のハンカチを一生の間、宝の中の宝として胸に抱き、愛の幸福を感じる人たちがいるのです。ほかの人であれば、持っていって簡単に捨ててしまうかもしれないハンカチですが、自分の命よりも貴く思い、何よりも大切にする人がいます。値段からすれば、いくらにもなりませんが、そこに愛が宿っている時は、無限の価値をもつようになるのです。

第三節 真のお父様の精誠と信仰指導精誠と投入真のお父様の西大門刑務所出監と、青坡洞一街の旧本部教会定着以降、一九五七年の前半期までは、新しい段階への発展のために体制を整える期間だった。真のお父様は、旧本部教会を中心に、食口教育に心血を注がれ、劉孝元協会長の原理講義とともに、伝道に注力する時期だった。また、よく野外に行っては訓練をし、親睦も深めた。信仰の熱意や礼拝、原理講義など、実質的な信仰生活は、この上なく熱烈なものだった。真のお父様は、ジャンパー姿で礼拝を執り行われ、狭い聖殿であったが、礼拝の時には昼夜を問わず、食口であふれ返った。その中には、十数人の大学教授をはじめ、高学歴の婦人食口と青年食口が多く参加していた。伝道活動は、自発的に行われていた。

1 一九五七年から開拓伝道をする時、お父様は一日に二時間しか眠りませんでした。食口たちを連れて、夜を明かしながらひれ伏して祈りました。そうして、一九六〇年代に新しい世界へと出発する際、私自身が天のみ前に恥ずかしくない二十一年路程を勝利するために、七年間、その準備をしながら訓練したのです。

2 統一教会をつくったあとは、部屋にかがんで座り、毎日のように七年間、午前三時、四時まで精誠を尽くしてきました。「私の精誠をすべて注ごう。倒れるまで注ごう。おなかがすいても注ごう。眠気が襲ってきても注ごう。天が公認するときまで」、このように心情で種を植えつけたので、今日、統一教会の教会員たちに受け入れられなかったとしても、この種は、神様の心情を通して世界に連結されていくでしょう。必ずそれがいつか刈り取られる日が来るので、韓国で刈り取ることができなければ、世界で刈り取られるだろうと考えました。

3 統一教会の草創期に、お父様は鼻血を流しながら祈りました。「歴史的な血に代わって、万民が恥ずかしく思うだけでなく、万民が痛哭しても報いることのできない鼻血になり得るなら、それはどれほど光栄だろうか」と考えました。「万民が受けるむちを私が受けるのだと叫ぶ立場で打たれるなら、どれほど栄光のむちになるだろうか」と考えたのです。事実がそうです。

それでは、愛国者の中で最高の愛国者とはどのような人でしょうか。国のためにむちを十回打たれた人と、百回打たれた人がいれば、百回打たれた人のほうが愛国者です。また、千回打たれた最高の愛国者がいても、もし一万回打たれた人が現れれば、その人が福をもっていくのです。それでは、一万回打たれた人の前に、十万回打たれた人が現れればどうなるでしょうか。その時は、福をもつまいとしても与えられるのです。福を受ける道は、その道しかありません。

4 お父様が青春時代に犠牲になって準備したものを、皆さんが引き継ぎ、それこそ勝利の場、万国が称賛する場で、万国を愛し、万国のために生きていくことによって、お父様以上の栄光の場に出ていかなければなりません。座って何もせずに、ただ福だけを受けられるでしょうか。皆さんは、これから先頭に立たなければなりません。お父様は、草創期に、邪悪なこの世で流れていく人にならないよう、食口たちを昼夜訓練したのです。

雨の降る日、ざあざあと降る雨に打たれながら冠岳山(クァナクサン)に登るのです。登る途中で滑ったりしても登るのです。登らなければなりません。今後、国家と闘い、世界と闘う広大な戦場に進み出て、敗北者や敗残兵にならないようにするために訓練してきました。ありとあらゆる批判を受けながら、そのような訓練をしたのです。

5 お父様は、一九五七年に食口を育てるとき、一対一作戦をしました。残るものは一対一作戦です。一人の前で講義をする時も、百人、千人の前で講義をすると考えてしたのです。その一人に数千、数万人の人がつながっていると考えました。私がどんな命令をしても聞くことができる人にするためには、私がそれだけの精誠を尽くし、そのようにできる動機をつくってあげなければなりません。

そうなる時に、三段階の関係が結ばれるようになります。私と皆さんが一つになり、皆さんと地方にいる食口が一つになるのです。このようにならなければなりません。なぜ三段階になっているのでしょうか。神様とアダムが一つになり、アダムとアダムの息子が一つになったことと同じなのです。それが原理です。三段階の完成ができなければ、四位基台の完成圏が現れません。ですから皆さんは、自分と同じような人をつくっておかなければなりません。

6 お父様は、誰かが私に心情的なことを一言だけ語っても痛哭します。そのような、心情をもっています。いつでも神様のことを思うと胸が詰まり、背骨がきしんで突き刺さるかのような、何かがあります。私自身も、どうすることもできません。そのような領域があるので、祈らなくても、生活のすべてが祈りの生活です。ですから、喉が締めつけられて倒れ、木にしがみつき、電信柱にしがみつく、このような神様の抑え難い唖然とする事情があり、悔しくて胸が痛む事情がいくらでもあるのです。ある時は、体を支えていられないほどの心情を体恤するのです。

その理由を調べてみると、その時間に神様にとって悲しい出来事があるのですが、どの場所でそのようなことが起きるのかを教えてくれるのです。それは、私が中心的な責任をもって地上に来たので、霊肉を中心として収拾してあげ、心情的基盤を連結させなければならない使命があるがゆえに、必ず私に連結させて通告するのです。

7 統一教会はみな、麦御飯を食べているので、乞食たちまでが「行っても麦御飯しかくれないので、行ってはいけない」と言った時もありました。一番下から始めて、一歩一歩踏み上がってきました。私は誕生日のお祝いをしませんでした。この地上に生まれた人の中で、誕生日も迎えられずに死んでいった人がどれほど多いでしょうか。そのようなことを考えると、私がそのような人たちに同情してあげ、霊界に行って関係を結ぶために、三年間、誕生日に断食をしたのです。

また、昔は、この壇上では背広を着て説教をしませんでした。労働服から出発したのです。説教をする時、一人しかいなかったとしても、その一人を前にして、血の汗を流し、涙を流しながら精誠を尽くして説教をしたのであって、通りすがりの客を迎えるようにはしませんでした。今では、そのようなことが懐かしく思われます。

8 お父様は、伝道するために、生涯にわたってあらゆるものを投入してきました。患者が病院に来れば、医者は、寝るのを忘れてその患者のために生命を投入する責任と義務があるように、お父様は、統一教会の食口たちを育てるためには昼夜も忘れるのです。朝御飯を食べていながら、これは夕御飯だと思うことがたくさんありました。そのような伝統的な歴史があります。

皆さんが伝道するとき、流れていく水もとどまって称賛したいと思い、魚たちまでも、皆さんの食膳に上がれたらよいと思って同情し得る環境を残さなければなりません。

そうなると、それらを食べて暮らしている人が動き出すのです。ですから、自分が責任をもつ所は、入ったことのない家がないほど、十回でも、百回でも回らなければなりません。

神様は千回、万回、回りながら、人間を探し求めてきました。皆さんがそうしてこそ、神様の息子、娘となって、相続を受けることができるのです。ですから、皆さんも村々を訪ねて、百回、千回、回るのだと思い、回ることができなければ、涙を流しながら悔い改めなければなりません。人の心霊に責任をもつ指導者たちは、そのようにしなければなりません。そうして、正しい真の父母、縦的な真の父母と横的な真の父母の道理を代身者として受け継いでこそ、(食口たちは)曲がることなく、まっすぐな方向に合わせて位置をつかみ、従ってこようとするのです。

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2   私たちが結んできた絆は、立体的な絆です。それは、今まで歴史上にあった何かの思想を基調として現れたものではありません。神様の心情と神様の創造理想を基調として、本性の人格を標準として始まった絆です。これは、あらゆる絆の核心なので、絶対視しなければなりません。その絆がここ青坡洞で現れました。「青坡」とは、青い丘を意味し、青い丘というのは理想を象徴しています。彼岸の理想世界を望みながら歌う人々が暮らす所、生き生きとした希望を謳歌するのが青坡洞です。ですから、平面的な四位基台を出発できる基盤が、青坡洞の統一教会本部だというのです。

3   青坡洞の本部の場所には、昔、ある寺があったのですが、日本統治下の時代に日本人が所有していた建物です。これがまた、歴史的な建物なのです。一九五五年に、当時、西大門刑務所に入っていた私が釈放され、行き来する所もないので、非常手段を使って手に入れたものです。自ら用意したのです。

最初、ここはお化け屋敷のようでした。真っ黒になっていた柱をすべて洗濯用の苛性ソーダで磨いたのです。

歴史的な因縁がぶつかり合った家です。「この家から、怨恨に満ちた恨を解かなければならない。むちを打った群れを屈服させなければならない。(私を)追い出した群れを、逆に追い込まなければならない」という信念をもって歩んできました。今もその信念は失っていません。いくら一人でいても、天下をつかんで打てる気迫は、いつも宿っています。

4   私たちは、韓国を生かせる旗を立てなければなりません。その旗が高々と掲げられる先々で神様の勝利をたたえるため、私たちはここに集まりました。この場所は、外見的に見れば何でもありません。お父様は、土窟のような、とても小さなみすぼらしい家で暮らしながらも、世界を一度指導してみようという夢をもっています。ある人は、青坡洞の本部教会の建物を見て、「統一教会は世界的に話題になっているにもかかわらず、本部の建物はどうしてこんなにみすぼらしいのか」と言います。お父様が見てもみすぼらしいのです。屋根が壊れてめちゃくちゃです。それでもそれをそのままにしておくのは、壊れたその瓦屋根を直すお金がないからではありません。屋根を直すそのお金を節約して、民族のために使うためです。

これがいつか芽を出して育つ日には、この民族は統一教会を理解するでしょう。私たちが、この民族のために闘ってきたという歴史的な事実を知るとき、この民族は痛哭するでしょう。三千里の山河にそのような一日が来ることを宿願としながら、その日を迎えるために今も進軍しているのです。私の家に傷がつくことが問題ではありません。この国と、この民族に傷がある以上、私の家は安らかではいられません。

5   これからは、本部の権威を守らなければなりません。本郷を見たいと思い、行きたいと思い、暮らしたいと思って、(本部を)慕わしく思う彼らに対し、何度見ても永遠に見たいと思い、また会いたいと思い、暮らしたいと思う心を一層かきたててあげ、士気を高揚させてあげなければなりません。神様に代わって全人類と向き合うことができる立場に立てなければ、本郷の人ではありません。

そのように会いたくて訪ねてくる外国の食口たちを、一日、二日、あるいは一年でも喜んで迎え、額を突き合わせて暮らせる心をもたなければなりません。また、彼らが私を好きになれば、私が彼らと苦楽を共にして過ごそうという、ゆとりのある心の準備をしておかなければ、祖国であり本郷だといって訪ねてくる多くの外国の食口たちに、大きな傷を与えることは間違いありません。

青坡洞は、今日の青坡洞で終わるのではありません。これから統一教会が建てられるあらゆる所から、数多くの食口たちがこの韓国を「本郷の地、祖国の地」と思いながら訪ね、それ以上に青坡洞を愛して訪ねてくるでしょう。かといって、私たちの現在の環境的な不備を落胆する必要は全くありません。今後、人々は、良い場所を選んで雄大な中で礼拝を捧げる所を慕うのではなく、正に青坡洞のここを慕いながら訪ねてくるのです。

本部教会は歴史的聖地ソウル青坡洞一街の旧本部教会には、一階に礼拝堂、二階に真のお父様の寝室、協会本部事務室、式典会場、相談室および職員の宿所などがあった。当時、日曜日になると、聖殿が手狭になるほど食口が集まった。真のお父様のみ言によって恩恵が夕立のように降り注ぎ、礼拝の雰囲気はいつも神霊に満ちていた。毎日行われる劉孝元協会長の原理講義を通して、食口はさらに復活した。聖殿は、常に精誠を捧げる年配の女性をはじめとした食口たちであふれ、霊的な役事が相次いで起こった。祈りと涙と笑い、報告と証、原理講義と賛美の声が途絶えることのない、心情の溶鉱炉であった。また、ここは、真の父母様の聖婚式と四大名節の制定、真の子女様の誕生、三十六家庭、七十二家庭の祝福式などが行われた歴史的なゆかりのある、始まりの地である。全国の食口が旧本部教会に向かって敬拝をしたり、祈りを捧げたりするなど、すべての精誠がここに集められた。青坡洞の旧本部教会は、真の父母様の涙の跡がにじむ神聖な祭壇であり、歴史的聖地である。そのため、み旨を知る人であれば、世界各地からここを慕い、訪ねてくるようになる。真のお父様は、むやみに改造してはならず、原形を大切に保存しなければならないと語られた。ここは、たとえみすぼらしかったとしても、歴史的な事情と曲折がしみ込んでおり、懐かしさにかられる聖なる所だからである。

6   統一教会の本部は、ソウルの青坡洞にあります。皆さんは、果たして本部にいる資格があるでしょうか。言葉では言いませんが、お父様は一日に数十回も涙を流します。お父様がどのように過ごしているのか、側近たちはみな知っているでしょう。お父様は一言語っただけで、ひたすら痛哭するのです。非常に敏感な人です。三千里半島に散らばり、この時間にもおなかをすかせた立場で哀切な祈りを捧げる食口がいて、自由のない環境で迫害を受け、困難に遭っている食口たちがいます。そのような食口たちに心情関係を伝達すべき媒介体が皆さんです。本部にいる人は罰を受けるとしても、より大きく受けます。ですから、お父様は新しいみ言を語るたびに、本部では語りません。先に地方に行って語り、それから本部で語ります。本部にいる人たちより、地方にいる人たちのほうがたくさん祈ります。本部にいる人として、「天地に恥ずかしくない」と言える人にならなければなりません。

7   皆さんは、青坡洞の本部の写真を見たり、本部を思い出したりしただけでも涙を流す人がいることを知らなければなりません。また、皆さんは、痛哭しながら訪ねてくる彼らを、心から喜んで歓迎し、切実な心で接してあげ、心の友となって慰めてあげることができなければなりません。

皆さんは、本部で生活しながら、今まで関係を結び、共に風霜を経てきたので、無事に天のみ前に祝福を受け、天のみ前に誇れる人たちになるようにしたい、というのがお父様の気持ちです。

8   狭い本部教会にたくさんの人が座っているので、無理があることは知っています。しかし、これは私たちだけが知っているのではありません。神様はもっとよく御存じです。このような姿をこの世の人が見れは、あざ笑うかもしれませんが、お父様はそのように思いません。神様に「私たちの教会を建ててください」とは祈りませんでした。このような場にいることを、むしろ光栄に思っています。

本部教会で、ある集会が行われるとき、入り口の後ろで押し合いへし合いしながら、先を争って入ろうと大騒ぎです。これを哀れに見るのではなく、これを御覧になる神様の切ない心情を慰めてさしあげるために、「一時はこのようなことがあってもよいのではないでしょうか」と祈ることができる心をもって参席しなければなりません。このような人がいてこそ、これからこの世を蕩減復帰できるのです。

このような環境は、悲惨な境地にいる私たちの民族だけがもち得る真実な財産であり、蕩減復帰し得る材料になるのです。このような環境が、不幸の要件ではなく、むしろそれによって神様の内面の事情に深く入っていくことができ、私たちの教会を造ってあげたいと思う神様の心情的な基準を、私たちに連結させることのできる恵沢と恩賜の条件になるというのです。

9   これから青坡洞の本部教会を、全世界の人々が訪ねてくるようになるでしょう。夢のような話ではありません。私がここで暮らし、ここでみ旨を探し求めて歩んできたので、私が指導する理念に従って、国境を越えて訪ねてくるでしょう。家を新しく建てようとすれば、すぐにでも建てられます。しかし、この家は歴史的な行事をした所であり、天地が痛哭した所です。多くの人が痛哭した場です。血を流し、身もだえしながら訴えた場です。永遠に忘れられない曲折によって流された涙の跡がにじんでいる所です。涙がしみ渡った聖なる祭壇です。(それを知らずに)適当に入って、適当に出ていく所ではありません。お父様は、そのようにしませんでした。

10  お父様が精誠を尽くしたこのすべての基盤を、皆さん自身が蹂躙してはいけません。統一教会が神様の六千年歴史を経て天のみ旨と向き合ってきた教会であるとすれば、この道を通ってきながら、涙の跡を残せる歩みのできない人は、天の人になることができません。私はそのように信じています。

この床に涙しながら伏して祈るとき、この場が、千年、万年、父が待ち望んできた希望の一つの基盤であることを感じてみたでしょうか。骨髄からにじみ出て、血肉が結ばれた心情で、自分の一身のあらゆる意識を忘れ、涙だけで始まり、涙だけで終えることはできない悲しみと切なさが、自分を占領したことがあったでしょうか。そして、自分の環境を忘れて訴えた時が皆さんの生活の中であったかというのです。もしそれがないというとき、お父様がそれ以上の立場を通して基盤を築いておいた土台があれば、その土台の精誠が皆さんを讒訴するでしょう。

お父様も、神様が億千万世の受難の道を歩まれながら、み旨のために尽くした精誠が私を審判するだろうと思います。その精誠を中心として、私が審判の場に立つので、それが最も恐ろしいのです。精誠を尽くした神様のみ前に、いかにして同情を受ける一時を私の環境に残すかという問題を中心として、この上なく身もだえする生活を、お父様はしてきているのです。

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第三節   『原理原本』の執筆神様から公証を受けた原理真のお父様は、一九五一年五月十一日、『原理原本』の執筆に入られ、翌年の五月十日に完了された。食口がそばで忙しく鉛筆を削ってさしあげなければならないほど、執筆に没頭された。『原理原本』を書かれる間、涙を流しながら聖歌を歌われ、また、涙を流しながら祈られた。時には、裏山にある小さな平地まで登り、歌を歌い、瞑想を続けながら心血を注いで書いていかれたのである。「記録第一巻」から「記録第五巻」に分けて記述された『原理原本』は、各巻ごとに四ヵ所の穴を開けて束ねられ、合計六百九十ページ以上に達した。本文の内容は、主に鉛筆でハングルと漢字の横書き草書体で書かれ、校正と校閲作業は、黒と青、茶色のインクを使い、ペンで行われた。薄く下線を引くときには赤い色鉛筆が使われた。特に、中間の十ページほどの分量(二百九十一—三百ページ)の本文は、青色のインクぺンで書かれている。『原理原本』は自筆で作成され、現存する最初の原理記録であるという点で、その意味は甚大である。初期には、この『原理原本』を弟子たちが筆写し、順番に読んでいた。

1   原理のみ言を語るときに、私は聖書を参考にしません。聖書にない内容です。神様から直接伝授されたものです。新約聖書は、イエス様が直接書いたものではありません。使徒たちが編集した内容が多いのです。

真は真のものとして、そのままにしておきなさいというのです。自分の神学観や自分の理論をもってきて、こぶのようにつけ加えてはいけません。神様の公証を受けたのか、自分の理論を加えなさいという許可を受けたのか、というのです。私は許可を受けていないものを発表したことはありません。私が行った上で発表してきました。間違いありません。ですから、滅びないのです。

2   凡一洞にいる時は、粗末な服を着て、頭はぼさぼさのまま、男性二人で土窟のような家で過ごしました。他の人からは、哀れに見えたはずです。金元弼が「お金を稼いでくる」と言うので、私は「そうしなさい」と言いました。その当時は、『原理原本』を書いていましたが、同志一人がどれほど貴く、従ってくる一人の人がどれほど貴かったか分かりません。

皆さんも、このように、人に対する味を知らなければなりません。ですから、金元弼が会社に出掛けるときは、必ず一キロ以上付いていったものですが、そのようにして初めて気が楽になりました。また、夕方になって帰ってくる頃になると、必ず迎えに出たのですが、その会う時の気持ちは、言葉では言い表せないものでした。そのように帰ってきて夜眠るのですが、布団がなくて、おくるみ一枚だけをかぶって寝たものです。その時は、そのように暮らしました。

3   お父様は、埠頭が見下ろせる凡一洞で「原理」を書きました。『原理原本』を起草したのです。詩のように書きました。私が骨子を抜き出して書いたので、説明しなければ、他の人々はよく分かりません。そのように、『原理原本』を起草しておいて、一九五二年五月に『原理原本』の執筆を終えました。『原理原本』以降、『原理解説』、そして、『原理講論』が発刊されました。

4   お父様は、聖書だけを見て原理を探し出したのではありません。「創世記が人間の堕落を記録した章ならば、ヨハネの黙示録は復帰の章である。これが生命の木としてこのようになったのなら、生命の木として復帰されるのだ。それが合わなければ聖書はうそである」と思いました。種を植えて生えたものは、種に返るのです。これが合わなければなりません。種から出た芽は上に伸びるべきであって、横に伸びてはいけません。それが合わなければならないのです。

今日の原理の教えは、推理的な方法を通して摂理史観に一致しているのです。名実共に神様が生きている限り、その神様が愛を中心として摂理のみ旨を展開していく限り、世界は必ずその文化圏を中心として統一時代を迎えなければなりません。そして、天地創造がどのように成し遂げられ、なぜ神様が愛を好むのかなどを明らかにしたのです。

5   神様は、すべての悲しむ人たちを慰労してくださいます。また、神様は、生死禍福を主管される主人でいらっしゃいます。ですから、あらゆることをその方に委ねようとするのです。人のために心配できる心をもったところには、神様の相対的な形態が備わっているので、「いらっしゃらないでください」と言っても、いらっしゃるのです。善なるところには、「いらっしゃらないでください」と言っても、神様がいらっしゃるというのです。ですから、『原理原本』を見れば、対象や対象の価値という内容までも、すべて異なる形で解釈しています。与え合えば、必ず相対性が備わるので、与え合うほど対象の基台ができるようになります。それで、神様や善、真を中心として動けば、それは残るようになっているのです。

6   皆さんが「原理」の本を持ち歩くときは、この上なく大切に扱わなければなりません。この本が一冊しかないと考えてみてください。お父様がこの本の原稿を草案するとき、その原稿の管理をどれほど深刻にしたか考えてみなさいというのです。もしそれがなくなり、私が死んでしまったらどうなるでしょうか。世界が左右されるのです。

この「原理」の本一冊で一族の興亡が決まり、一国の興亡が決まり、この世界の興亡が決まり、天地の興亡が決まり、永遠の生命が左右されることを、考えてみたことがあるのかというのです。そのようなことを考えてもみなかった人たちが、心情世界の様々な人たちとつながろうとすれば、どれほど遠いかを考えてみてください。

7   お父様は原理を中心として、原理とともに今まで歩んできました。苦労で築かれた基盤です。原理の本には、血と汗と涙が入り混じっています。ページごとの内容に入り混じっているお父様の血の涙が、皆さんに訴えかけていることを知らなければなりません。お父様が若い青春を犠牲にしてここに投入したのです。血と涙が皆さんに訴えかけているというのです。そこに引っ掛かってはいけません。無価値な原理ではありません。神様が粛然として頭を下げるのです。仰ぎ見る原理です。

真理の真髄、『原理原本』真のお父様は、『原理原本』について、真理の真髄を圧縮して記録したものであることに加え、本然の心情を通して愛の力を爆発させることができる歴史性を備えたみ言であるため、論文的表現よりは、詩的表現を用いて記述せざるを得なかったと強調された。様々な宗教の経典を隅々まで探究していた劉孝元協会長は、『原理原本』に初めて接し、驚くべき真理の世界に心酔して、一ページを筆写するのに何日もかかるほど、涙を流し続けたと告白した。

8   お父様は『原理原本』を書く時、詩的に書いたので、一枚の中に数十枚分の解説が必要な内容を編成しておきました。一般の人たちはよく理解できません。

劉孝元が医学を勉強したというので、「その内容について一度説明してみなさい」と言うと、「できません」と答えるのです。そこでお父様が一ページの内容を解説してあげると、その場で敬拝をしました。「いくら説明しようとしても、私の頭では及ばない内容があることが(今までは)分かりませんでした」と言ったのです。

9   釜山に避難してきて、一九五一年五月十一日、『原理原本』を書き始めました。『原理原本』は詩的に書きました。それは、誰が見ても分からないのです。私が劉孝元に説明してあげたので、頭がすっきりしたのです。そうして、「なんと、このような内容だったとは!」と言いながら、その原本を見てページごとに涙を流すので、涙でぬれた原稿になりました。キリスト教の根本、共産主義の根本が、すべて砕けていくというのです。

10  劉孝元協会長は、私の話を聞く前に、『原理原本』を読んで、「自分の体が永遠に天のみ前に捧げられる祭物になったとしても感謝します」と書面で誓ったのです。私が孤独な時に、その人に出会いました。このようなことが神様の役事です。その時のお父様の心情は深刻でした。深刻なので、その場で神様が役事したのです。神様があらゆる役事をしてくれるのです。そのようにして、今まで歩んできました。

11  お父様は、劉孝元協会長に、原理の全幅的な体系を備えることができるように教えてあげました。『原理原本』は詩的に書いたものです。かなり飛躍し、圧縮して書きました。

劉協会長がその本を見て痛哭したのです。『原理原本』の内容に感動した、恐らく歴史的にも、統一教会の原理に接した代表的な人だと見るのです。ですから、劉協会長は、私に会いもしないうちに、「弟子になる」と言ったのです。手紙を書いて、「私はこのみ言をもって永遠に先生に仕える弟子になります」と誓った人です。それで、私はソウルから釜山の影島(ヨンド)に下っていき、二十一日間修練会をしました。修練会をするとき、劉協会長は自分が初めてお父様に会うので、いかにして会うのかという問題について心配していたのです。そして、お父様に会うやいなや、自分の過去の深刻だった事情をすべて話したのですが、私が今でも忘れられない内容がたくさんあります。その時の影島での修練会ですべての人が霊界に通じ、霊的体験をしました。その修練会が終わってから世の中に出てくるとき、修練生たちは、「このような世界があったのか」と思うほどの変化を感じたのです。

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第三章「世界基督教統一神霊協会」の創立第一節   協会創立の背景協会創立の摂理的背景真のお父様は、一九五三年九月十七日に上京されたのち、ソウルを中心とした本格的な活動を模索されると同時に、大邱と釜山の教会を訪ね、開拓の最前線で苦労する食口たちを指導し、激励された。そして、不信に陥ったキリスト教と国家指導者たちの代わりに多くの精誠を尽くしながら、再出発のための信仰基台を立てられた。自ら、摂理的アベルの使命基準を探して立てられたのである。このような縦的蕩減復帰基台の上に、ソウル、釜山、大邱など、三つの地域の教会基盤を中心として、実体基台復帰のための横的摂理の活路を模索された。そして、一九五四年五月一日、ソウル市城東区(ソンドング)北鶴洞(プッカクトン)、現在の中区(チュング)新堂洞(シンダンドン)三九一の六番地にある、いわゆる三つの門の家で「世界基督教統一神霊協会」を創立された。協会の創立は、イスラエル民族とキリスト教、ひいてはイエス様ができなかったことまで蕩減した土台の上に、彼らに代わって真のお父様が一人、立つようになったことを意床する。結局、キリスト教団の不信によって歩むことになった蕩減復帰路程を勝利した基盤の上で、協会が立てられ、真のお父様を中心に新しい神様の主流摂理が始まり、新しい変革が社会と国家、世界全般にわたって現れ始めたのである。

1   お父様が解放直後、キリスト教と手を握って出発しようとした時、キリスト教の牧師たちが反対することによって、それが失敗してしまいました。その次は、大韓民国と手を握らなければなりませんでした。イスラエルの国とユダヤ教がイエス様を迎え入れなければならなかったように、大韓民国とキリスト教は、お父様を迎え入れなければならない立場であるにもかかわらず、反対の立場に立つことによって、教会と国が分立されていったのです。

ですから、イエス様が追い出されて、キリスト教が異邦の宗教になったことを蕩減復帰しなければなりません。それで、キリスト教がサタン世界を経て発展したように、お父様も世界的サタン圏の共産主義である北朝鮮に入ったのです。そこから再び復帰してくるので、個人的蕩減が必要であり、家庭的蕩減が必要であり、氏族的蕩減が必要です。ですから、今まで苦労してきたのです。一度でできることを何度もひっり返しながらやってきました。

それゆえ、統一教会を中心として、ユダヤ教の代わりをさせるのです。ユダヤ教の代わりにキリスト教をつくったのですが、そのキリスト教が責任を果たせなかったので、責任を果たすことができる基盤としてつくったのが統一教団です。

2   大韓民国政府が樹立されてからは、神様のみ旨の中でキリスト教や神霊的な団体が立ったのではなく、お父様が立ちました。反対され始めたその時から、一人で神様のみ前に立ったのです。聖書の聖句に「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一〇・三六)とあるように、キリスト教が同じ家の家族であるにもかかわらず、怨讐の立場に立つことによって、その時まで築いた基盤をすべて投げ捨てて、神様のみ旨は、ひとえにお父様を中心として、新たな次元で出発しなければならない悲惨な運命に立つようになりました。

その時からキリスト教も神様のみ旨から遠ざかり、民主世界も神様から遠ざかって、結局、逆に落ち始めました。ですから、お父様は受難の過程を経なければならないので、一九四八年から三年間、監獄生活をすることになりました。結局、北朝鮮も韓半島の地なので、サタン側の一線に行き、そのような闘いをしなければならず、韓国もサタン側なので、韓国でもそのような闘いをしなければなりませんでした。南北を中心として、そのような闘いをせざるを得なかったのです。北朝鮮は旧約時代に相当し、韓国は新約時代に相当すると考えます。それで、以北(現在の北朝鮮)に入って三年間、監獄生活をし、一九五〇年十二月に以北から出てきて、四年間、韓国で基盤を固め、一九五四年五月一日に、「世界基督教統一神霊協会」を創立するようになったのです。

3   イエス様が連行され、獄中生活を経て十字架で亡くなっていったので、復帰路程においても獄中から出発しなければなりません。栄光の座から出発しようとしていたすべての道が、反対に十字架の路程へと展開されたので、統一教会の歴史も獄中から出発し、新しい次元へと前進するようになったのです。

イエス様が監獄にいる時に十二弟子を失ったことを、実体的に復帰すべき歴史的使命があったので、神様は、私が語らずにいる中でも、監獄にいる囚人たちを通して、失われた数の基準を取り戻すために霊界を動員したのです。二十四人のメンバーが、獄中で、天命によってひそかに結束して出発しました。監獄から出てくる時、四人が一緒に来ました。四位基台の復帰の原則に一致する歴史的条件を、神様が立てたのです。そのように興南の監獄から出て平壌に行き、昔、失った食口たちを再び糾合して出発したのが、現在の統一教会です。

4   統一教会は、今まで六千年の歴史をかけて神様が摂理してきた復帰路程を蕩減しなければなりません。個人的な問題、家庭的な問題、国家的な問題を蕩減復帰しなければなりません。イエス様が国家を中心として成し遂げるべきだった全体的な問題を蕩減復帰しなければならないのです。神様の摂理が、今日、韓国を中心として動いています。解放前まで神様は、預言者的な使命をもつたくさんの人物を送って準備してきました。ここには、婦人たちを中心として摂理した一面があると同時に、男性たちを中心として摂理してきた一面もあります。神様は、摂理のみ旨を立てるために、この民族が知らず、信仰者たちが知らずにいる中で、特別に選んだ人たちを立てて、内的、外的に役事をしてきました。ですから、この国、この民族は、解放後に新たな発展的内容をもって出発しなければなりませんでした。そして、このみ旨を伝えるために統一教会が出発したのです。

5   サタン側である北朝鮮は、韓国を占領するため、一九五〇年に「六・二五動乱」を起こしました。その時、マッカーサー総司令官が仁川上陸作戦をし、興南を空襲して勝利をもたらすことによって、お父様は興南監獄から出て、韓国に下ってきました。

その時、韓国は完全にばらばらになっていました。それまで、ソウルでもどこでも築いてきた基盤が完全にばらばらになったのです。韓国政府が完全に荒らされてしまいました。

お金のある人は逃げようとし、キリスト教の牧師たちは息子、娘を外国に留学させるなど、国内は混乱時代に入りました。

ここから統一教会は基盤を築いてきたのであり、統一教会の基盤ができるに従って、この国も新たな政府の形態へと収拾されてくるようになりました。それが摂理観です。社会が混乱したのは、むしろ、天の摂理がサタン側を利用して、神様のみ旨を築き得るよう、環境をつくってあげるためでした。それで一九五四年に協会を創立し、そこから混乱した社会環境を経て、新しい基盤を拡大してきました。そうして、政府と対峙し、キリスト教と対峙しながら、統一教会は発展してきたのです。

6   お父様は、口があっても話しませんでした。この民族にしみ込んだ多くの恨があっても耐え忍びました。それは、お父様が意気地なしだからではありません。イエス様が三十数年の生涯を耐え忍んでこられたのを知り、神様がイエス様以降、二千年間も耐え忍びながら、み旨を成就するための基盤と、時を整えるための強固な土台を築こうと、心を砕いてこられたのが復帰の路程であることを知ったので、耐え忍んだのです。「台風よ、吹け。吹雪よ、吹け」と言いながら耐えるのです。そのようなものは一時です。過ぎ去るようになっています。今日の社会において、自分の幸福を自慢する人たちも同様です。過ぎ去るようになっています。それでは、お父様の責任とは何でしょうか。追われながら監獄に入る時、お父様はその立場で何をしなければならないのでしょうか。世界の人類のために打たれ、世界の苦難をすべて引っ張って殲滅(せんめつ)しなければなりません。「世界の苦難の道を開拓していく上で、これくらいの困難がないだろうか」と考えて、苦難をむしろ当然のことと思いました。お父様が愚かだからそのように思ったのではありません。復帰摂理歴史は、必ずそのような場で決着をつけて次の段階に行かなければならないので、私はそのような道を行こうとし、またそのような人が求められたので、「世界基督教統一神霊協会」を創立したのです。

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9 私は、避難時代である三十二歳の時、釜山の草梁に初めて来たのですが、まだ若かった頃です。今よりもっとハンサムでした。私は、釜山鎮区(プサンヂング)第四璋頭に働きに通いました。その埠頭で小豆粥を売っていたおばさんたち、蒸し餅を売っていたおばさんたちのことが思い出されます。また、草梁には労務者収容所があったのですが、そこの小さな部屋で『原理原本』を書いたことが思い出されます。とても小さな部屋だったので、横になってもまっすぐには寝ることができず、対角線に寝なければなりません。対角線に寝ても足が壁についてしまうのです。

10 釜山で避難民生活をする時、私の周囲には人々がたくさん集まってきました。私が興味深い話をしてあげると、彼らは食べ物を持ってきて、分け合って食べました。しかし、ずっとそのように暮らしてばかりはいられないので、小屋を一つ準備したのですが、犬小屋よりは少し良い程度でした。

泥土と岩石を材料にして造った、とてもみすぼらしい住みかでした。家を建てられるような土地は一坪もありませんでした。それで、山の斜面に小屋を建てたのです。建ててみると、床の真ん中を湧き水が流れていきました。屋根は古い箱で覆いました。部屋はとても小さなものでした。また、ぼろぼろの服を四ヵ月間、そのまま着ていました。そのような凄惨な状況でしたが、霊的に選ばれた人たちが、私を訪ねてきたのです。

11 お父様は、この道を出発しながら、釜山の凡一洞につばめの巣のような家を建てることになりました。家を建てるにはシャベルが必要です。シャベルを借りようとしても、誰も貸してくれませんでした。避難民たちはお金になりさえすれば何でも売ってしまうので、そのような人だと思って、貸してくれないのです。家を建てなければならないのに、シャベルもなく、お金もなければ、どうするのでしょうか。仕方なく、火搔きでしました。つるはしもないので、火搔きで地面をならしたのです。また、煉瓦を作る道具を借りようとしましたが、それも貸してくれませんでした。それで、アメリカ軍の部隊に行って戦闘糧食の段ボール箱をもらい、角を広げて貼りつけ、その上にこねた土を塗って家を建てました。とてもたくさんの土を使いました。そのようにして、つばめの巣のような家を建てたのです。

12 以北にいる頃から会っていた食口たちが、韓国に下ってきました。昔のお父様を忘れることができず、訪ねてくるのです。聖日になると、釜山の凡一洞の小さな家で礼拝を捧げました。家は小さいのですが、その家がどれほど有名か分かません。土地がないので、山の斜面を削って建てました。そのようにしても誰も何も言わないので、山の斜面を横に掘って建てたのです。雨が降るとその部屋から水が湧き出ました。どれほど味わい深いでしょうか。二十一世紀の最高の文化住宅です。ですから、仕方ないではないですか。地面をおよそ半尺ぐらい掘り、石を拾ってきて水門を造るのです。水門を造って、その上にオンドルを置きました。そのオンドルの下には湧き水が流れるのです。そのような有名な家です。

13 一九五三年に休戦協定が結ばれましたが、(それ以前の)「六・二五動乱」が続いている時のことです。当時、アメリカから入ってくる軍需物資の船団が、列をつくって釜山港に入ってきました。毎朝起きると、お父様はそれを数えるのです。普通は五十隻で、ある時は百隻を超えることもありました。それを見れば、戦況がどうなるかを知ることができます。軍需物資を補給する船の数が増えているのを見ると、「ああ、この戦争は熾烈になるだろう」と考え、船が少なくなれば、「ああ、もう戦争が小康状態になるのだろう」と考えました。その当時、お父様に従っていた食口たちが何人かいました。霊界を通じて縁をもち、出会った食口たちが、凡一洞に一人で住んでいたお父様を急ぎ足で訪ねてきたのが、ついきのうのことのようです。

14 お父様は昔、避難時代に釜山でたくさんの涙を流していた時がありました。世の中にそのような家はありません。岩の上に家を建てておいたのです。入ってみると、小さなテーブルが一つ、それから絵を描くキャンバスがありました。「六・二五動乱」に参戦したあと、故郷に帰るアメリカ軍部隊の人たちに肖像画を描いてあげたキャンバスが一つあったのです。テーブルとキャンバスの二つしかありません。悲惨なことです。お父様は、左右四ヵ所にポケットが付いたアメリカ軍の作業服を赤褐色に染めて着ていました。また、真っ青に染めた韓国服のズボンを、裾のひもも結ばずにはいていました。靴はゴム靴を履いていました。それも同じ大きさのものではなく、片方は大きく、もう片方は小さいものを引っ掛けて歩きました。そうして、岩の上に独り寂しく座り、祈りながら涙を流したのですが、その岩が涙岩です。

15 私たちが釜山で避難生活をした時、金元弼が絵を描いて売りました。私は枠を作り、紙に線まで引いてあげました。顔に鼻だけ描けば、あとは私がすべて塗りました。共に夜を明かしながら描いたのです。夜の十二時から始めて、一晩で肖像画を三十枚まで描きました。それをすべて描くためには、線を先に引かなければなりません。三十枚ずつ持ってきたら、まず線を引き、その線に沿ってかたどって描くのです。ですから、その線をすべて私が引いてあげるのです。

一枚につき四ドルでした。アメリカ軍の人たちが帰国するとき、自分の妻にお土産にする物があるでしょうか。自分の妻の肖像画が最も良い贈り物であることを知って、その仕事をしたのです。今なら三十ドルや四十ドルどころか、三百ドルくらいはもらえるでしょう。ですから、一晩で二十枚以上描くのですが、それを一人では描けないので、私が手伝ってあげました。夜を共に明かしたのです。

16 私は、金元弼を連れてボムネッコルで暮らしていた時が良かったと思います。その時が良い時だったというのです。幼稚園や小学校の時代が最も良いのです。なぜなら、父母が自分を迎えに来てくれたり、待っていてくれたり、自分のために尽くしてくれる時の(心の)ゆとりが、どの時期よりも多いからです。ですからその時期が、ほかのどの時期よりも良いのです。

その頃は、互いにために生き合う心に満ちていました。そのようなことを感じたので、あの頃が良かったというのです。お父様とみ旨を中心として、心情的な絆が、ほかのどの時期よりも深かったので、あの時が良かったと思うのです。

17 釜山の凡一洞の聖地は、共同墓地の近所にあり、石だらけの谷間のほかには何もありませんでした。そのような所に、お父様はみすぼらしくて粗末な仮小屋を建てました。しかし、その中で暮らしながら、この地上のいかなる宮中で栄光を享受しながら暮らす人よりも、神様の息子として孝行ができる一番の道を歩んでいました。また、誰も及び得ない深い内心の基準に到達することが願いでした。その当時は、外面的に見ると、何もありませんでした。一文の価値もない人のようでした。ひげはぼうぼうと生え、顔は黒ずむままに黒ずんでおり、服装は韓国服と洋服を合わせて着ていたのです。

18 皆さんは、釜山のボムネッコルの聖地で、お父様が岩を抱きかかえて悲痛に思った心情を知らなければなりません。

「六・二五動乱」の時、貨物船で埋め尽くされた釜山港、武器を運ぶための船で埋め尽くされた釜山港を眺めながら、どのような祈りをしたのか、皆さんは分からないでしょう。その時のその祈りが、すべて成就しました。統一教会は、名実共に孤児の立場、世の中の誰も歓迎せずに見捨てられた立場から立ち上がりました。通過しなかったところがありません。忠孝の道理を果たし得る道があるのなら、その道を訪ねていこうと身もだえしながら準備した男が、皆さんが従い、信じ、侍る、お父様なのです。

19 世界の有名な牧師たちが今(一九八六年)、韓国を訪問していますが、何のために韓国に来るのでしょうか。私が座っていた釜山の聖地を訪ねてくるのです。その時は、それこそ避難民として哀れな姿をしていた時でした。そこに座り、「あの大海を渡り、私が心で待ち望んだ心情の絆の種を、あの国に行って蒔いておかなければならない」と考えました。氷山のようなこの世界に、父母がどこにいて、妻子がどこにいて、子女がどこにいるのかというのです。その時が「六・二五動乱」の時です。釜山の海を眺めながら、そのような祈りをしました。神様は、「見てみなさい。この先、世界はこのようになる」と言いながら、大きな商船、天の商船に私を乗せ、数多くの群衆が歓呼するのを見せて、慰労してくださいました。

第三節 『原理原本』の執筆神様から公証を受けた原理真のお父様は、一九五一年五月十一日、『原理原本』の執筆に入られ、翌年の五月十日に完了された。食口がそばで忙しく鉛筆を削ってさしあげなければならないほど、執筆に没頭された。『原理原本』を書かれる間、涙を流しながら聖歌を歌われ、また、涙を流しながら祈られた。時には、裏山にある小さな平地まで登り、歌を歌い、瞑想を続けながら心血を注いで書いていかれたのである。「記録第一巻」から「記録第五巻」に分けて記述された『原理原本』は、各巻ごとに四ヵ所の穴を開けて束ねられ、合計六百九十ページ以上に達した。本文の内容は、主に鉛筆でハングルと漢字の横書き草書体で書かれ、校正と校閲作業は、黒と青、茶色のインクを使い、ペンで行われた。薄く下線を引くときには赤い色鉛筆が使われた。特に、中間の十ページほどの分量(二百九十一—三百ページ)の本文は、青色のインクぺンで書かれている。『原理原本』は自筆で作成され、現存する最初の原理記録であるという点で、その意味は甚大である。初期には、この『原理原本』を弟子たちが筆写し、順番に読んでいた。

1 原理のみ言を語るときに、私は聖書を参考にしません。聖書にない内容です。神様から直接伝授されたものです。新約聖書は、イエス様が直接書いたものではありません。使徒たちが編集した内容が多いのです。

真は真のものとして、そのままにしておきなさいというのです。自分の神学観や自分の理論をもってきて、こぶのようにつけ加えてはいけません。神様の公証を受けたのか、自分の理論を加えなさいという許可を受けたのか、というのです。私は許可を受けていないものを発表したことはありません。私が行った上で発表してきました。間違いありません。ですから、滅びないのです。

2 凡一洞にいる時は、粗末な服を着て、頭はぼさぼさのまま、男性二人で土窟のような家で過ごしました。他の人からは、哀れに見えたはずです。金元弼が「お金を稼いでくる」と言うので、私は「そうしなさい」と言いました。その当時は、『原理原本』を書いていましたが、同志一人がどれほど貴く、従ってくる一人の人がどれほど貴かったか分かりません。

皆さんも、このように、人に対する味を知らなければなりません。ですから、金元弼が会社に出掛けるときは、必ず一キロ以上付いていったものですが、そのようにして初めて気が楽になりました。また、夕方になって帰ってくる頃になると、必ず迎えに出たのですが、その会う時の気持ちは、言葉では言い表せないものでした。そのように帰ってきて夜眠るのですが、布団がなくて、おくるみ一枚だけをかぶって寝たものです。その時は、そのように暮らしました。

3 お父様は、埠頭が見下ろせる凡一洞で「原理」を書きました。『原理原本』を起草したのです。詩のように書きました。私が骨子を抜き出して書いたので、説明しなければ、他の人々はよく分かりません。そのように、『原理原本』を起草しておいて、一九五二年五月に『原理原本』の執筆を終えました。『原理原本』以降、『原理解説』、そして、『原理講論』が発刊されました。

4 お父様は、聖書だけを見て原理を探し出したのではありません。「創世記が人間の堕落を記録した章ならば、ヨハネの黙示録は復帰の章である。これが生命の木としてこのようになったのなら、生命の木として復帰されるのだ。それが合わなければ聖書はうそである」と思いました。種を植えて生えたものは、種に返るのです。これが合わなければなりません。種から出た芽は上に伸びるべきであって、横に伸びてはいけません。それが合わなければならないのです。

今日の原理の教えは、推理的な方法を通して摂理史観に一致しているのです。名実共に神様が生きている限り、その神様が愛を中心として摂理のみ旨を展開していく限り、世界は必ずその文化圏を中心として統一時代を迎えなければなりません。そして、天地創造がどのように成し遂げられ、なぜ神様が愛を好むのかなどを明らかにしたのです。

5 神様は、すべての悲しむ人たちを慰労してくださいます。また、神様は、生死禍福を主管される主人でいらっしゃいます。ですから、あらゆることをその方に委ねようとするのです。人のために心配できる心をもったところには、神様の相対的な形態が備わっているので、「いらっしゃらないでください」と言っても、いらっしゃるのです。善なるところには、「いらっしゃらないでください」と言っても、神様がいらっしゃるというのです。ですから、『原理原本』を見れば、対象や対象の価値という内容までも、すべて異なる形で解釈しています。与え合えば、必ず相対性が備わるので、与え合うほど対象の基台ができるようになります。それで、神様や善、真を中心として動けば、それは残るようになっているのです。

6 皆さんが「原理」の本を持ち歩くときは、この上なく大切に扱わなければなりません。この本が一冊しかないと考えてみてください。お父様がこの本の原稿を草案するとき、その原稿の管理をどれほど深刻にしたか考えてみなさいというのです。もしそれがなくなり、私が死んでしまったらどうなるでしょうか。世界が左右されるのです。

この「原理」の本一冊で一族の興亡が決まり、一国の興亡が決まり、この世界の興亡が決まり、天地の興亡が決まり、永遠の生命が左右されることを、考えてみたことがあるのかというのです。そのようなことを考えてもみなかった人たちが、心情世界の様々な人たちとつながろうとすれば、どれほど遠いかを考えてみてください。

7 お父様は原理を中心として、原理とともに今まで歩んできました。苦労で築かれた基盤です。原理の本には、血と汗と涙が入り混じっています。ページごとの内容に入り混じっているお父様の血の涙が、皆さんに訴えかけていることを知らなければなりません。お父様が若い青春を犠牲にしてここに投入したのです。血と涙が皆さんに訴えかけているというのです。そこに引っ掛かってはいけません。無価値な原理ではありません。神様が粛然として頭を下げるのです。仰ぎ見る原理です。

真理の真髄、『原理原本』真のお父様は、『原理原本』について、真理の真髄を圧縮して記録したものであることに加え、本然の心情を通して愛の力を爆発させることができる歴史性を備えたみ言であるため、論文的表現よりは、詩的表現を用いて記述せざるを得なかったと強調された。様々な宗教の経典を隅々まで探究していた劉孝元協会長は、『原理原本』に初めて接し、驚くべき真理の世界に心酔して、一ページを筆写するのに何日もかかるほど、涙を流し続けたと告白した。

8 お父様は『原理原本』を書く時、詩的に書いたので、一枚の中に数十枚分の解説が必要な内容を編成しておきました。一般の人たちはよく理解できません。

劉孝元が医学を勉強したというので、「その内容について一度説明してみなさい」と言うと、「できません」と答えるのです。そこでお父様が一ページの内容を解説してあげると、その場で敬拝をしました。「いくら説明しようとしても、私の頭では及ばない内容があることが(今までは)分かりませんでした」と言ったのです。

9 釜山に避難してきて、一九五一年五月十一日、『原理原本』を書き始めました。『原理原本』は詩的に書きました。それは、誰が見ても分からないのです。私が劉孝元に説明してあげたので、頭がすっきりしたのです。そうして、「なんと、このような内容だったとは!」と言いながら、その原本を見てページごとに涙を流すので、涙でぬれた原稿になりました。キリスト教の根本、共産主義の根本が、すべて砕けていくというのです。

10 劉孝元協会長は、私の話を聞く前に、『原理原本』を読んで、「自分の体が永遠に天のみ前に捧げられる祭物になったとしても感謝します」と書面で誓ったのです。私が孤独な時に、その人に出会いました。このようなことが神様の役事です。その時のお父様の心情は深刻でした。深刻なので、その場で神様が役事したのです。神様があらゆる役事をしてくれるのです。そのようにして、今まで歩んできました。

11 お父様は、劉孝元協会長に、原理の全幅的な体系を備えることができるように教えてあげました。『原理原本』は詩的に書いたものです。かなり飛躍し、圧縮して書きました。

劉協会長がその本を見て痛哭したのです。『原理原本』の内容に感動した、恐らく歴史的にも、統一教会の原理に接した代表的な人だと見るのです。ですから、劉協会長は、私に会いもしないうちに、「弟子になる」と言ったのです。手紙を書いて、「私はこのみ言をもって永遠に先生に仕える弟子になります」と誓った人です。それで、私はソウルから釜山の影島(ヨンド)に下っていき、二十一日間修練会をしました。修練会をするとき、劉協会長は自分が初めてお父様に会うので、いかにして会うのかという問題について心配していたのです。そして、お父様に会うやいなや、自分の過去の深刻だった事情をすべて話したのですが、私が今でも忘れられない内容がたくさんあります。その時の影島での修練会ですべての人が霊界に通じ、霊的体験をしました。その修練会が終わってから世の中に出てくるとき、修練生たちは、「このような世界があったのか」と思うほどの変化を感じたのです。

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第二節   釜山での新しい出発釜山に至る路程と避難生活真のお父様は、ソウルの黒石洞に到着されたあと、明水台の新イエス教会時代に親しかった信仰の同志、郭魯弼(クァクノピル)の家を訪ねたが、既に釜山に避難していた。その家に荷物を置き、数日間,滞在された。一九五〇年十二月三十日には、昔の下宿先である李奇鳳(イギボン)の家族を、人づてに聞いて探し求めた末に見つけ出し、夜遅くまで語り合った。三十一日、郭魯弼の家に帰ってきたところを、突然押しかけた警官の職務質問に遭い、黒石洞の派出所に連行された。そして、真のお父様は、金元弼と同じく、防衛軍の徴集という名目で、昌慶宮(チャンギョングン)で身体検査を受けられた。短く切った髪と、「北朝鮮から下ってきた」という言葉に、検査員は、逃亡兵かスパイかもしれないとの心配から、丙種(免除)判定を下した。このようにして不合格証を受け、金元弼と共に黒石洞の郭魯弼の家に再び戻って、一九五一年、新年の初日を迎えられた。二日後、身体検査の不合格証を持って派出所に行き、避難民証の発給を受け、一・四後退(中共軍参戦による、韓国軍の後退)により一月三日、ソウル全域に避難退去令が下りると、真のお父様一行も、釜山を目的地として再び避難していかれた。

1   私が以北から以南に来る時、丸刈りの頭のままで来ました。昔は軍隊に行くと、頭を刈りました。私も以南に来て、若者なので軍隊に行かなければなりませんでした。昌慶宮で若い軍人たちの身体検査をしていたのです。

私は監獄から出てきたばかりでしたが、体つきはやせていませんでした。それで、兵役調査をしたのですが、私に対して、「どこから来たのか」と聞くのです。当時はスパイと軍人が入り混じって歩いており、見分けるのが難しい時でした。髪の毛を刈っていたのでスパイではないかと思ったのです。もしスパイを軍隊に送ったら、自分の首が飛ぶので、調査後に免除の「丙種」という落第のはんこを押してくれました。それで、それを持ち歩いたのですが、どこに行っても万事に通じました。証明書はそれしかなかったのです。

2   皆さんは、お父様が苦労したことを知っていますが、その苦労をただしたのではありません。人民軍が叫びながら追いかけてくる中、避難地の釜山に到着しました。避難民の中では、私たちが一番遅く到着したはずです。洛東江戦線の戦闘が終わったあと、釜山に到着したのです。

避難してくる中で、ソ連軍が迫ってくる危険、中共軍が迫ってくる危険、北朝鮮軍が迫ってくる危険を経てきました。ですから、避難生活をたっぷりと味わったのです。その中で忘れることのできない出来事がどれほど多いか分かりません。それは、お父様の一生において通り過ぎる歴史の一つの歩みではなく、歴史時代の蕩減という恨の穴を埋めるための歩みでした。私が、後ろを眺めながら、「これから行くべき道は楽に行くことはできない」と、決意して行く人であることを忘れてはいけません。避難生活のとき、家がないので芝生の上や砂場で、空を布団と思って眠り、星を見つめながら、三千里半島に恨の涙をたくさん流したのです。

3   平壌から歩いて釜山まで来るのに、五十五日かかりました。御飯ももらって食べたりしながら来たのですが、おもしろいことに、天は本当によく御存じだというのです。おなかがすいて疲れて、「あさってぐらいに鶏が手に入るだろう」と考えると、そのようになります。それが分かるというのです。

あるおばさんが現れて、「いらっしゃいましたか」と挨拶するのです。それで「どなたですか。私は知りませんが」と言うと、「昨夜、私の何代前のおじいさんが現れて、きょう貴いお客様が来られるから、鶏も料理し、餅も作っておくようにと言うので、準備しておきました」と言います。「その方がどのような顔立ちなのか御存じなのですか」と尋ねると、「見かけはみすぼらしい行人(こうじん)として来るとのことでしたが、見るとあなたの顔とそっくりです」と言うのです。

皆さんはそのようなことを信じられますか。そのようにして、餅も鶏肉も御馳走になったのですが、そのようなことが多くありました。

4   北朝鮮で私に従っていた食口は、積極的な人たちでした。夜も昼も、私がどこに行って誰に会おうと、付いて回りながら大騷ぎした人たちだったのです。しかし、監獄に入って出てくると、みないなくなってしまいました。私が忘れることのできない食口たちまでも、みないなくなりました。私が懇切な手紙を書いて、人を遺わして伝達した人がいたのですが、その人のところに行ってみると、その人も既に変わっていました。「先生が神様の息子なら、どうして監獄に行くようなことがあるのか。先生の教えは、すべてよこしまなものだ」と言って、手紙も何も受け取りもせずに、「異端の人物が現れたな。また異端の行いをしようと訪ねてきたのか」と言ったというのです。それで、その手紙を持って、避難してきました。慶尚北道(キョンサンプクト)の永川(ヨンチョン)に行くと線路があり、その横にできた道路に橋があります。その時、釜山に下るために、永川のその橋を通ったのですが、持ってきたその手紙を、もう一度読んでから、破って投げ捨ててしまいました。その時が一九五一年一月十八日です。

そのような忘れられない事情がたくさんあります。あれほど熱心な信仰をもっていた人も、信じられない背信者となって離れていくことを、私は既に知っていました。監獄にいた時、その人の霊が来て挨拶をすると、泣きながら「私は離れることになりました」と、自分の事情を話すので、「そんなことがあるのか」と思っていたのですが、案の定、その時に離れていったのです。

避難民生活とその苦難真のお父様は、一九五一年一月二十七日、釜山の草梁(チャリョン)駅に到着され、金元弼と共に、待合室でバター缶を使って御飯を作り、飢えをしのいで最初の夜を過ごされた。当時、釜山は避難民でごった返していた。翌朝から、ソウルの黒石洞の家に住所だけを残して、避難してきていた郭魯弼を探し、三日間過ごされた。そして、一月三十一日、偶然にも日本留学時代の友人である嚴徳紋(オムドンムン)に出会い、嚴徳紋の強い勧めを断り切れず、すぐに富民洞(プミンドン)にある一間の彼の借り部屋に移り彼の妻と二人の子女ら、四人家族と共に、窮屈な生活を始められた。一週間、み言を聞いた嚴徳紋は、ひざまずき、「あなたは私の友ではなく、私の先生であり、偉大な聖人であり、哲人です」と告白した。真のお父様と金元弼は、四月初旬頃、草梁駅の裏にある、労働者の宿所として使われていた狭いバラックに入って十日ほど過ごし、道で偶然出会った、興南の獄中の弟子である金元徳(キムウォンドク)の槐亭洞(クェヂョンドン)の家にも半月ほど滞在され、解放前に電気会社の職員社宅として使われたボムネッコルの入り口の家で、五月から八月まで、四ヵ月ほど下宿された。また、第三埠頭で荷物を運ぶ仕事をしながら半月ほど過ごされた。ある時は、日当たりの良い森の中や、防空壕でも眠られるなど、涙ぐましい避難民生活をされた。そして、もらった御飯を召し上がり、時には見知らぬ家の軒下に身を寄せられた。

5   釜山に着くと人で超満員でした。部屋はどこに行っても空いていませんでした。ごみ箱や空箱のような所にも二、三人の人がいました。韓国の全域から避難してきた人々がすべて釜山に集まったのです。まるで、煮え返る釜のようでした。足の踏み場もないほどでした。町はいつも超満員で、まっすぐに立っていても、押されていくような日常生活だったのです。

釜山に来たのに、着る物もなく、食べ物もないので、一銭でも稼がなければなりませんでした。そのような環境で様々な仕事をしながら、新しい教会運動を始めていきました。また、家がありませんでした。その時は二月なので寒い時期です。夜に仕事をして、夜中の十時から十二時頃に帰ってくるので寒かったのです。ですから、オーバーを膝までかぶせて、海老のように身をすくめて眠ったことが今でも印象に残っています。その時かぶったオーバーを、記念として残しておくようにと食口に預けたにもかかわらず、ぼろぼろのオーバーだといって捨ててしまいました。今それが残っていて、皆さんが目にすれば、見ただけで涙をぽろぽろと流すほど記念になるオーバーでした。そのようなことをしながら、一歩一歩、歩んできて今日の基盤を築いたのです。

6   嚴徳紋氏は学生時代の友人ですが、その友人に、水晶洞(スヂョンド)の十字路にある朝興銀行の前で、雨の降る日の昼の十二時頃に出会ったのです。出会うなり我知らず叫んでしまい、道行く人たちがみな振り返りました。嚴徳紋氏は、私に会うとは思いもしなかったそうです。私が北朝鮮で死んだものと思っていたのです。嚴徳紋氏は私に会うなり、「自分の家に行こう」と言いました。今でもそのことを感謝しています。大勢の人が絶えず避難してきたために、家という家の軒下にまで座り、夜を明かすしかなかったのです。ですから、午後一時、二時の最も暖かい時間にオーバーをかぶって、近くの山に登り、岩の間に座って寝ていた状況で、嚴徳紋氏が家に連れていってもてなしてくれたことは、今も忘れることができません。

お父様の興南監獄以降、釜山までの路程は、四ヵ月という長い期間でしたが、皆さんは、お父様の服がその間にどれほど汚れたか、想像もできないでしょう。服があまりにも汚いので、裏返しに着ていました。また、寝られるような場所もありませんでした。そのように薄手の服を着て下ってきた時が十二月だったので、とても寒かったのです。釜山に着いてからは、寒さを避けるために、夜に基地の埠頭に行って働きました。仕事をするほうが、寝るよりも楽だったのです。そして、昼は山に登って、林の中で寝場所を決めて眠ったり、一人の時間をもったりしました。

8   お父様は、釜山に避難してきて、波止場のほとりでも寝て、山の中でも寝ました。おもしろいというのです。軍人の外套を敷いて寝る時は、二月の初めなので寒かったのです。夜は寒いので、出掛けてお金を稼ぎ、昼は十時から二時の間に寝ます。その時は日当たりの良い所に行き、じっと座って、雉(きじ)のようにしっかりと寝場所を定めて寝れば、それで良いのです。寝て起きて服を着ると、金サッカ(李朝末期の放浪詩人)の詩が思い浮かびます。そうしてお金ができ、お粥を食べたくなったら波止場に出掛けるのです。波止場のほとりのおばさんたちが、冷めるのではないかと布切れで小豆粥を包み、自分のかわいい一人息子を抱いて愛するように、大事に手渡してくれます。このお粥を買って食べるのです。その時は、その人たちが友達でした。

凡一洞の土塀の小屋で新しい出発真のお父様は、一九五一年八月、釜山市東区凡一四洞一五一三番地、ボムネッコルの一番奥、水晶山の中腹に、小さな土塀の家を造られた。石と土だけを積み重ねて造ったところ二回も崩れ落ち、三回目にようやく完成した。中は二坪に満たない部屋が一つだけだった。別途に台所はなく、外の片側に釜を一つ置いたかまどがあった。その横に足を伸ばし、腰をかがめてようやく出入りできる、高さ一メートルの出入り口があった。腰を伸ばせないほど低い屋根は、戦闘糧食の段ボール箱でつなげてあり、晴れた日は空が見え、天気の悪い日は雨が降り注いだ。雨が降ると、部屋の片隅に小さな泉が湧き、下からは溝を流れる水の音が聞こえた。山のほうの煙突を通って入ってきた水は、部屋の下を通り、かまどへと流れ出てきた。床には何重にもむしろを敷き、その上にかますを三重、四重に広げて敷いたあと、さらに幅と長さのある敷布団を広げて敷いた。真のお父様は、一九五一年の後半期には、金元弼の仕事の世話をしながら内的準備に力を注がれた。朝早く出勤し、夜遅く帰ってきた金元弼は、副業で、アメリカ軍の軍人がもつ写真を見て肖像画を描く仕事をした。一枚四ドルの絵を一日に十枚前後、多いときは三十枚まで描いた。真のお父様は、『原理原本』を執筆しながら、夜には釜山市内や海を眺めて摂理の未来を思い浮かべられ、早朝には山に登って涙の祈りをされた。

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10  私が平壌に行って伝道活動をする時、神様がどれほど多くの準備をされたかということを、知らなければなりません。私に会う二十年前に、「ある家でこのような方に会ってみ言を聞くだろう」と知らせてくれるほどでした。お父様が数えの二十七歳の時に以北に行ったので、七歳の時から天が役事したのです。その時は私も知りませんでした。それをこの世の人たちは信じられるでしょうか。

ですから、多くの人たちがお父様を注視してきたのです。そのような人たちが今、地上で証しています。その人たちは、天使長の立場でお父様について証する使命を担うのです。原理的観点から見ると、私が現れる前に、私以上に精誠を尽くさなければなりません。それで、何世紀も前から、お父様に侍る霊人たちが再臨時代に向けてこの地に協助してこそ、地上のサタン世界へと進んでいける基盤がつくられるのです。

11  おじいさん、おばあさんたちは、お父様のことが好きです。数えの八十歳になるおばあさんたちが、私が平壌にいる時、霊界から教えられて私を訪ねてきました。杖をついて歩くおばあさんたちが、どういうわけで訪ねてくるのでしょうか。霊界から教えられて集まったおばあさんたちは、私の服の裾をただ一度でも触って家に帰れば、その日は自然に踊りを踊るのです。

服の裾でも一度触れるようになれば、帰る時は軽やかに飛んでいくようだというのです。帰ってから、御飯も食べずに一日中踊っても気分が良いというのです。何か妖術を使ったわけではありません。真の愛の雰囲気に接すると、そのようになるのです。無性にうれしいのです。与えてもうれしいというのです。ひっきりなしに与えてもうれしく、悪口を言われてもうれしく、これ以上ないほど誠実に働いてもうれしいのです。

12  玉世賢おばあさんも、誰かが伝道したわけではありません。「主はどのようにして来られるのか」と祈り、霊界に通じてみると、「主は雲に乗って来るのではなく、人として来る」と言うのです。神様がそのように教えてくれたのです。ですから、「信じてはいけない」と誰が言っても、絶対に信じるようになっています。

祈るとき、「主はいつ、どこに来ますか」と言うと、「平壌に来ている」と教えてくれるのです。「景昌里の小さなある家の部屋に隠れていらっしゃる」と教えてくれたのです。お父様はその頃、そこに隠れて過ごしていたのでうわさが立たず、探し出せなかったのです。その時は、景昌里で開拓する時でした。

13  お父様が平壌に行っている時、訪ねてきたおばあさんがいました。その時、私は数えの二十七歳でしたが、そのおばあさんは七十二歳でした。吉善宙牧師の時から李龍道牧師を経て、恩恵を受けたおばあさんなのですが、この世のものとは思えない驚くべき奇跡の役事を数多くしました。このおばあさんは、平壌の牡丹峰で祈りを捧げ、「これから日本は、韓国のキリスト教を完全に排斥するようなことを必ず起こすから、その時に備えて準備せよ」という啓示を受けたのです。

そのおばあさんは、必ず午前二時か三時に祈ります。しかし、そのおばあさんの夫は反対していました。そのおばあさんは、あらゆる反対を退けて、長年にわたって祈ってきたのです。

このおばあさんは、韓国が選ばれた国になることを知り、また、平壌にいる女性たちに、「これからこのような世界になり、韓国に喜びの幸運の時がやって来るだろう」と教えてあげました。

そのように祈ってくれた方がいたので、神様が役事してきたみ旨が残り得るというのです。一人で来て追い込まれ、追われて一人で死んでいってはいけません。地上で自分の生命を祭物にして、神様のために相対的な立場で祈ってくれる女性がいたので、神様の復帰摂理の基盤が、この地上に残り得たのです。

14  お父様が数えの二十七歳の時、平壌に行くと平壌で騷ぎが起き、ソウルに行くとソウルで騷ぎが起きました。当時、町に行くと、町の人たちが夜も眠らず私のいる部屋にしきりに来ようとするので、論難の的になりました。

町の子供たちまでも、私のいる家のトイレに来て用を足そうとしました。どうしてそうなるのかというのです。子供たちに会うと、おもしろいおとぎ話を聞かせてあげます。御飯を食べるのも忘れるほど、ひたすら話してあげるのです。一日の間に数十もの遊びを考え出して、一緒に楽しく遊びました。そうしながら子供たちに、「お前のお母さんはどこに行ったのか。お前のお父さんはどこに行ったのか」と聞いてすべて調べておき、子供たちを連れて遊ぶのです。

私の家に来て遅くまで遊べば、疲れて寝るようになっています。そうなれば、伝道するためにその家を訪問することができるのです。それはどれほど良いでしょうか。子供たちが夜遅くまで遊んで眠ったら、お父さん、お母さんのところにおんぶしていきます。自分の子供をおんぶしてきてくれるので、有り難いことではないですか。そこで、「お茶でも飲んでいってほしい」と言うようになれば、役事が起きるのです。

15  私が以前、平壌で下宿していた家で、三歳になる子供と出会った際、敬拝したこともあります。幼い子供に対して、天のように侍りました。幼子のようでなければ天国に行けないというので、まず、子供たちにそのようにしたのです。その子が涙を流しながら「やめてください」と言う立場まで高めてあげるのです。

幼い子供に対して詩を詠み、歌を歌い、神様の息子だと称賛できるようにするためには、尊敬語を使ってたたえることができなければなりません。そうなる時に、神様の公認を受け、その子供がたたえることができるようになるのです。

天地の法度において、上下関係がねじれてしまったので、これを正して、このように復帰の道を選別してくるのです。そのようにして相対圏をつくっておき、彼らが喜んでそのようなことを相続して行える基盤が築けたので、初めて先生の位置に立つようになったのです。

キリスト教指導者たちの不信と大同保安署での受難平壌で真のお父様の教会が、恩恵深い役事によって活気を帯びるようになると、篤実なクリスチャンたちが自分の教会に行かず、真のお父様がいらっしゃる所にばかり来るようになったため、彼らが所属していた教会の牧師と長老たちが、真のお父様の集会所にまで来て、狼藉(ろうぜき)を働き、一部の教会員を拉致していったこともあった。のちに、彼らは、自分たちの思うとおりに解決されないと見るや、共産党当局に、真のお父様が南から来た怪しい人物であり、不法集会を行う者であると告発し、真のお父様は、一九四六年八月十一日、大同保安署に収監された。そのような中でも、大同保安署の中で神霊教団の教主に会うことを霊的に察知され、そこに入られたのである。大同保安署には、腹中教の教主である許浩彬と、その人に従う幹部たちが収監されていた。許浩彬は女性で、真のお父様とは違う監房にいたが、男性の幹部は真のお父様がいらっしゃる監房に入っていたため、その人と多くの会話をされた。当時、腹中教は、主が許浩彬の腹中にいると考え、おなかが振動するたびに出てくる言葉を通して、信徒たちを指導していた。真のお父様は、その信仰を否定して監房から釈放されなければならないと伝えたが、許浩彬は真のお父様の言葉を信じなかった。そのため、真のお父様は、最後の手段として、秘密裏に紙切れを許浩彬に送られた。許浩彬は、真のお父様の言葉を信じるか、無視するか、二つに一つを選ばなければならない立場に立たされた。しかし、彼女は、真のお父様に会ったこともなかったため、結局、真のお父様のみ言より、自分の信仰を守ることが、自分の侍っている主に対する道理であると考え、その紙切れを捨てようとした。真のお父様のことをメシヤと分かれば、その紙切れを大切に保管したはずだが、それが分からず、無情にも捨てようとしたのである。そうして、その紙切れが保安署当局に発見され、真のお父様は厳しい拷問を受けて、瀕死の状態で保安署の外に放り出されてしまった。このような真のお父様を、景昌里教会の食口たちが教会にお連れして、この上ない精誠で看護したのである。これにより、真のお父様は健康を再び取り戻すことができたが、許浩彬と幹部たちは、その後、獄死するなど、凄惨な最期を迎えた。

16  一九四六年六月、共産党は以北の全域で、新しい宗教団体に対する弾圧を始めました。ですから、それと類似する団体があれば、糾弾されざるを得ない立場でした。当時、お父様は平壌の景昌里で伝道活動をしていました。なぜ以南(現在の大韓民国)にいた私が以北に行ったのでしょうか。

その当時、韓国の信仰の中心地は平壌であり、またそこで信仰の闘争歴史が綴られてきたからです。このように、天が準備した基盤の上で新たな出発をすべき使命があったので、以北に行ったのです。そうして、そこで伝道活動をしていたところ、八月十一日に共産党に捕まって大同保安署に入ることになりました。

17  一九四六年にお父様は、共産党に捕まって平壌の大同保安署に入りました。当時は、平壌で、キリスト教界が解放を迎えて、教会を再建しながら歴史的な使命を果たすために新しく出発していた時でした。このような環境の中で、平壌に行って新しい運動を展開したのです。当時のキリスト教界では、この民族に訪れた解放の喜びとともに、日本統治下で圧政を受けながら悲痛な信仰生活をしてきたすべての恨を取り除き、新しい望みと希望にあふれた教会の再建と信仰の革新運動が起こっていました。

そのような新しい再建の火が広がる状況の中で、景昌里教会が出発することになりました。このような環境の中で活動をしているうちに、キリスト教の中心となる信徒、または特別な恩恵を受けた人たちが、自分の所属教会に行かずにお父様のところに集まってきました。それで、当時、平壌で問題になり始めたのです。その時、お父様は西門(ソムン)から近い景昌里で伝道をしながら、教会出発の基盤を立てていました。

18  お父様が許浩彬氏の集団と関係があるとして監獄に入っていた時、許浩彬氏に紙切れに書いた手紙を送りました。お父様は「この手紙を書いた人は天の使命をもった人物である。あなたは祈ってその人がどのような人なのかを調べなければならない。もしあなたが啓示を受けたすべてのことを否認するなら、あなたは釈放されるだろう」という内容を書いて送りましたが、その紙切れが看守に発覚しました。それで、お父様はひどい拷問を受けました。一九四六年九月十八日、午後二時のことです。

その時、韓国にいるアメリカ軍のスパイとしても告発され、ソ連の調査官によって尋問を受けましたが、無罪であることが判明しました。それで、お父様は、一九四六年十一月二十一日の午後に釈放されました。許浩彬氏とその追従者たちは、お父様の言葉に従いませんでした。一九五〇年に「六・二五動乱」が起こった時、彼らはすべて虐殺されてしまったのです。その集団の失敗ゆえに、お父様はほかの人たちを探し求めなければなりませんでした。条件的な数を探し出せるまで、活動したのです。

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21 お父様は解放後、金百文氏と共に出発しようとしました。金百文氏と私は、カインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場にいました。彼は、キリスト教を信仰していましたが、「イエス様は神様と同位である」と言いました。根本をよく知りませんでしたが、その人が神霊的な面では、当時のキリスト教で、最高の信仰基準にいたことだけは間違いありません。そして、金百文氏の一番弟子や神霊的な信徒たちは霊界に通じていたので、霊界から「文先生に従っていきなさい」と教えられたのです。しかし、私はそこに入って一言も語りませんでした。なぜなら、他人の基盤に入ってその基盤を崩してはいけないからです。彼らを自然に屈服させなければなりません。

ですから、私は、涙もたくさん流しながら、模範的な信徒の一人として黙々と過ごしたのです。その信徒たちがお父様に従おうと決心するので、ここから問題が起こりました。

第二節 平壌での伝道生活と大同保安署での摂理「平壌に行きなさい」という神様の命令真のお父様は、一九四六年五月二十七日頃、「三十八度線を越えなさい」という天の命令を受け、北朝鮮に進駐したソ連軍によって共産主義体制が構築されている平壌に、六月六日に到着された。東洋のエルサレムと言われた平壌では、キリスト教信仰の中心地として、崩れ落ちた教会の再建を夢見ていた。真のお父様は、イスラエル修道院で信仰的な交わりをもっていた、平壌・景昌里(キョンチャンニ)の信徒の家にとどまりながら、み言を伝えられた。

1 内的な基準において代表的な使命を担った人と、外的な基準において代表的な使命を担った人が出会える一時があります。言い換えると、今までの六千年歴史の頂上で、必ずカインとアベルが出会うことになるのです。ですから、カインとアベルが出会う、その頂上の位置で蕩減復帰しなければなりません。カインが天道に従い、アベルに順応する基準を備えるようになれば、カインとアベルが一つになって蕩減の峠を越えることができます。カインとアべルがこの峠を正常に越えれば、互いに相手の位置へと進んでいくのです。このように越えなければならないのですが、カインとアベルがこの基準を立てることができず、アベルだけが越えるようになりました。

本来、お父様がこの道を出発する時、李承晩博士と協力して進んでいくのが神様のみ旨でした。摂理的に見れば、そのようになり得たのですが、その時、キリスト教が過ちを犯すことによって失敗してしまいました。それで、高い基準を失ってしまったので、低い基準へと下がってしまったのです。下がる時は、必ず最低の位置まで下がらなければなりません。ですから、すぐにお父様は以北(現在の北朝鮮)に行きました。以北に行って、再び上がらなければならなかったのです。

2 お父様は、この道を出発する時、生命を差し出す覚悟ができているかを考えました。言い換えれば、死ぬ時はどのように死ぬのかということも考えたのです。銃殺されることも考え、五車(オチャ)(車裂きの刑)によってずたずたに引き裂かれて死ぬことも考えました。そうして、死ぬ時にはどのような言葉を残していくのかということも考えました。

どうすれば生きられるのかを考えたのではありません。大韓民国を中心として役事しなければならないので、死の場を求めていったのです

怨讐と対決する場、つまり怨讐を訪ねていきました。怨讐の本拠地を訪ねていったのです。韓国のキリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に回ったので、それを取り戻すためにサタンの巣窟である以北に行ったのです。

3 お父様は、世界的な共産党と闘わなければならないので、そのために以北を訪ねていきました。手錠をかけられて囹圄(牢獄・獄舎)の身になることを覚悟して、訪ねていったのです。いくら暴悪な試練が私に襲いかかってきても、私はそれに屈服しませんでした。いくらひどい飢えの状況でも、神様の威信を失うことはしませんでした。組織的な生活圏内でいくら切迫した生活をしたとしても、天の法度を破りませんでした。お父様はすべてのことにおいて、拘束されても、すべてを取り戻すことができ、さらに神様のみ前に新たな出発の動機と新たな生き甲斐を探し出してきました。そのようにして出発したのです。「生きよう」というところから出発したのではなく、「死のう」というところから出発したのです。

4 イエス様が、反対を受けることによって異邦の宗教を通し、異邦の民族を経て再び戻ってきたように、お父様もそのようにしなければなりません。そのようにして怨讐の国を復帰しなければならないのです。それで、以北に入りました。

以北では、すべてが怨讐です。敵国です。足の踏む所すべてが怨讐でした。国や教会はもちろん、民衆までもお父様を打ち倒そうとしました。そのような場で生き残る方法とは何でしょうか。拳で対抗すれば滅びます。犠牲になって奉仕しなければなりません。十回打たれても彼らのために福を祈ってあげ、千回冷遇されても彼らのために祈ってあげる作戦を立てたのです。このような作戦を実行してきました。千回、一万回、悔しさを味わったとしても、神様が愛していて、神様が耐え忍んでこられたので、そのようにしなければならないのです。

5 お父様は一人でした。一人ぼっちでした。新教を中心に基盤をつくろうとしたのですが、失敗しました。反対を受けたのです。驚くほどの反対を受けました。

弟(アベル)を打って始まった歴史だったので、弟を迎え入れるということは、神様を正しく知らなければ難しいことです。自分が置かれた環境に基づく因習的な教理や内容をそのままもっていては、とても難しいのです。ですからお父様は、既成教会から反対される立場に立ったのです。それは追い出されたイエス様と同じ立場です。実体のイエス様の立場を受け継いだのと同じです。ですから、お父様は、復帰路程を経なければなりませんでした。二千年の歴史を二十年で蕩減しようと闘いました。そのような蕩減をするために、サタンの本拠地である以北に行きました。サタン世界の共産圏に行ったのです。

み言の伝播と押し寄せる信徒一九四六年六月六日、平壌に到着された真のお父様は、景昌里に一間の部屋を借り、そこで祈りの精誠を捧げながら教会活動を再び開始された。その時まで平壌には多くのキリスト教会があり、篤実なクリスチャンが大勢いた。真のお父様は、周囲から刺すような目で見られていたが、早く、多くの生命を救うためにみ言を伝えなければならないという一念で、新しい食口を探し求められた。終日、門の外を見つめながら、食口たちが来るのを待たれたことも多かった。自分の足で真のお父様がいらっしゃる所に訪ねてきた人々がおり、また、彼らを通して他のクリスチャンたちが集まってきた。特に、真のお父様が到着されたのちに、真のお父様に関する啓示を受ける人たちが現れた。霊界の導きによって、篤実な信徒たちが訪ねてきたのである。それで、真のお父様は、彼らを中心に礼拝を導かれた。真のお父様のために、以前から準備された人々が大勢おり、その中には、真のお父様の聖誕前から、真のお父様に出会うために準備されていた人もいた。霊界は時空を超越するため、心情世界の絆がそのように奥妙に結ばれていたのである。そのようにして縁をもった人々は、真のお父様の裾に触れさえすれば、飛び上がるほど感激し、踊りを踊るほど真の愛に感化された。真のお父様は、老人はもちろん、誰が訪ねてきても、夜を徹してみ言を語ってくださった。

6 解放後、三年間、混乱時代が訪れました。キリスト教の混乱、政治界の混乱など、混乱時代が訪れて、すべてのものが定着できませんでした。キリスト教自体も、主が来るのか、み旨がどのようになっているのか、分かりませんでした。その時、再建(チェゴン)教会や高麗(コリョ)派などと称して、様々な教派が現れました。互いに自分たちが正しいと主張しながら、競争した時期でした。お父様が、地下から出てきてキリスト教徒たちを収拾しなければならなかったのですが、彼らは「主は雲に乗って来る」と信じていました。「人として来る」と信じている人は一人もいませんでした。ところが、許浩彬派と金聖道派と白南柱派は、既にそのことを知っていました。彼らは成約的準備派です。その人たちは、主が人として来ることは知っていますが、会うことはできません。いくら主に会ったとしても、その人が主のようには思えないのです。それが難しいのです。直接教えてあげることはできません。

必ず、このような窮地に入っていって自分で探し求めなければなりません。神霊的な人も神霊的でない人も同じなのです。神霊的な人は、霊界から教えられて初めて動くのであって、教えてくれなければ微動だにしません。また、通じることができない人は、み言を聞いて歩まなければなりませんが、み言といっても、キリスト教ではすべて「雲に乗って来る」と言うのに、一方では「人として来る」と言うのです。ですから、その言葉もまた信じられません。このような渦中で問題が起きたのです。お父様は、平壌に行って、キリスト教の四十以上の教会から最も賢い人たちを引き抜きました。当時は、聖書のみ言で教えてあげなければなりませんでした。別な話ではいけません。その時は霊界が役事してくれました。霊界が連結してくれるのです。天があらかじめ準備して、神霊的な人たちを送ったのです。

7 平壌にいる時、サタンの役事がどれほど多かったか分かりません。そのような中でも、お父様は食口のために精誠を尽くしました。朝、ある食口のために祈ってから、その食口が来るか来ないか待ってみると、間違いなく来るようになっています。このように神霊的な雰囲気の中で祈ってみると、祈りには、どれほど価値があり、どれほど効果が現れるのかが分かります。それでこそ、仕事をしてもおもしろく、神様が共にあるという信念をもつようになるのです。

8 聖書のみ言については、私にかなう人はいません。私が平壌に行ったのは数えの二十七歳の時であり、若々しい青年でした。当時、北朝鮮のエルサレムと言われた平壌市内の大きな教会の賢い人たちが、私のところに来て、みな心を奪われました。

聖書の「ローマ人への手紙」や「ヨハネの黙示録」について解釈するのを見て、その人たちの目がひっくり返りました。今もその人たちが生きていれば、「千年史についてすべて精通している。どうすればそのように分かるのか」と言うでしょう。

9 私が以北の平壌に行っている時、一人のおばさんに会ったのですが、私より年が三十歳ほど上でした。そのおばさんが、「霊界から教えられて先生に会いました」と話しながら、「不思議です」と言うのです。「何が不思議なのですか」と尋ねると、「そんなことはあり得ないのに、本当に不思議です」と言いながら首をかしげるのです。それで「何が不思議なのですか」と再び尋ねると、「自分には全くの謎です」と言って、「自分が数えの二十四歳の時に先生の指導を受けた」と言うのです。私はまだ生まれてもいなかった時なのに、指導を受けたというのです。

それは、平面的には理解できない話です。しかし、立体的な面から見るとき、神様は縦的父母なので、その父母の心情を追い求める人は、いつも神様と一緒にいなければなりません。ですから、姿形は今、現れたのですが、心情の世界は昔も今も同じです。このように、心情を主管する神様は、未来でも会える関係を常にもっているので、霊界は時間を超越しているのです。

そのような心情の世界観があるので可能なのです。仮に神様の心の中に、これこれこのような男性がある時に生まれるだろう、という考えがあれば、その心情を通してその人を教えることができ、関係を結ぶことができるというのです。それは、心情世界の関係があるから可能なことです。

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第一章  真のお父様の公式路程出発第一節   公式路程の出発とキリスト教団の不信世界大戦における天の側の勝利と公式路程の出発第二次世界大戦で、キリスト教文化圏を中心とした天の側が勝利することにより、再臨主を中心とした摂理的基台が造成された。そして、韓国が一九四五年八月十五日、日本の植民統治四十年を締めくくり、解放を迎えたことは、神様の摂理史に大きな区切りをつける出来事だった。韓国が日本の圧政から抜け出すとともに、摂理が新たな段階に進むことができるようになったのである。

1   第二次世界大戦は、イギリスとアメリカとフランスなどが連合し、日本とドイツとイタリアに対して戦った世界的な戦争です。堕落する時に蒔いたので、蒔いたとおりに刈り取らなければなりません。アダム、エバ、その次に、カイン、アベルによって蒔かれたので、世界も二つに分かれます。天の側もアダム、エバ、カイン、アベル、サタン側もアダム、エバ、カイン、アベル、このように二つのグループに分かれるです。

個人によって蒔かれて結実したものが、世界的な国として現れるのです。ですから、イギリスは天の側のエバ、アメリカは天の側のアベル、フランスは天の側のカインです。日本はサタン側のエバ、ドイツはサタン側のアベル、イタリアはサタン側のカインです。第二次世界大戦で天の側とサタン側が戦って、サタン側が負けました。

2   第二次世界大戦の間、韓国は日本の統治下にありました。韓国の愛国の志士たちは、日本の圧制に対抗して闘いました。人間始祖が堕落することにより、神様は四位基台を失ってしまいました。ですから、神様の復帰摂理の目的は、この四位基台を復帰することでした。それで、聖書や神様の摂理の中に四数が多いのです。聖書には、四十年と四百年の蕩減期間が何度も出てきます。すべての復帰と蕩減が、この原理に従って成し遂げられたのです。

韓国が、神様の摂理においてアダム国家になろうとすれば、エバ国家の統治下に置かれなければなりません。エバ国家に打ち勝つことによって、独立を勝ち取らなければならないのです

当時日本は、ドイツやイタリアと結合していたのですが、これらの国は、摂理的にすべてサタン側の国家です。天の側には、アメリカとイギリス、フランスがありました。第一次世界大戦の時、ドイツはほぼ破壊されました。しかし、ドイツが二十年のうちに復旧できたのは、第二次世界大戦において、神様の摂理の中で果たすべき大きな役割がドイツにあったからです。

(人類歴史においては、)先に攻撃した国が常に敗れてきました。(第二次世界大戦においても、)アメリカ、イギリス、そして、フランスが連合して、サタン側の国家に勝利したのですが、韓国は四十年間、日本から支配を受けなければなりませんでした。日本はサタン側のエバ国家でした。その四十年期間に、日本は、韓国の文化的伝統や、甚だしくは韓国の言語までなくそうとしたのです。

3   イスラエルの国とキリスト教が、霊肉を中心としてサタン圏に支配されながら闘ってきたのと同じように、韓国も四十年間、肉的な面において怨讐に支配されながら、霊的な面においては、この国のために生命を捧げることを覚悟した群れを中心として、独立運動をしてきました。このような気概を中心として、神様は摂理の縁を打ち立ててきました。そうして民族を糾合、結束させ、キリスト教を中心とした人々が主導して、国を建てるようになったのです。

そのように、キリスト教徒たちが霊的な面において、日本占領期四十年の弾圧の中で、国もない立場で死の道を自ら進んで歩み、国を愛する忠節の道理を立てたことは、摂理史的に重大な意義があるのです。

4   韓国の独立とともに新しい摂理的運動が、第二次世界大戦で勝利したアメリカを中心として始まらなければなりませんでした。キリスト教とアメリカを中心とした世界的勝利基盤の上に、新しい歴史時代における神様の摂理が出発しなければならなかったのです。

お父様は、新しい原理を中心として地下活動をしてきたのですが、第二次世界大戦の直後は、お父様が表に現れなければならない時でした。

そして、韓国には、アメリカ軍が駐屯して軍政が立てられるようになりましたが、その軍政に従事する人たちの中には、外国留学から帰ってきた人たちが大勢いました。そのような人たちが軍政と一つになり始めました。また、神社参拝を中心として日本政府の手先の役割を果たしていた人たちが、アメリカの軍政と結託していました。しかし、地下運動をしたキリスト教徒たちは国内派だったため、外国に対してはあまりなじめず、アメリカの軍政と関係を結ぶ立場にはなれませんでした。それで、日本政府を支持していたキリスト教徒と、日本政府に反対していたキリスト教徒が、分かれるようになったのです。

5   宗教の目的は、アダムを完成することです。また、神様の救援摂理の目的は、アダム完成です。エデンの園で神様が創造をするとき、天使はアダム完成を協助しました。神様は、天使を頌栄と協助の対象者として造りました。神様の目的や天使長の目的が、アダムを完成することなので、その基準を世界、霊界と肉界を前にして再蕩減しなければなりません。ですから、霊肉を中心とした天の側に立った天使圏の宗教がキリスト教です。キリスト教を中心として、全世界が動き得る環境がつくられたのが、第二次世界大戦の直後でした。全世界が天の側に引き渡されたというのです。その時にアダムが現れるようになっています。

霊肉を中心としたサタン世界と、天の側の天使圏が闘って勝敗を競ったのが、第二次世界大戦です。聖書上で見れば、ハルマゲドン戦争だというのです。第二次世界大戦が天の側の勝利で終わったという事実は、霊界の天の側の天使圏と地上の天使圏が、サタン世界に対して勝利したということです。ですから、アダムが現れ得る時が来るのです。それゆえ、第二次世界大戦の直後に、再臨主顕現時代が来るというのです。

6   第二次世界大戦も終わりに近づく頃、日本帝国の圧迫によって篤実なキリスト教徒たちは信仰生活が困難になり、彼らは、韓国の地に決定的な審判や判決を下してくれることを神様に祈りました。

神様によって、または霊界によって直接導かれた多くの人たちがいましたが、彼らは日本の警察が捕まえようとするとき、逃げたり、脱出したりすることができました。彼らのほとんどは、日本がいつ敗北するのかを知っていました。また多くの人たちが、「第二次世界大戦後は、世界の歴史が韓国を中心に展開するだろう」という啓示を天から受けました。

お父様もそのようないくつかの団体とつながりましたが、たとえお父様がそのような団体とつながったとしても、その時のお父様は、皆さんが今学んでいる原理のいかなるものも、決して語ることができませんでした。なぜならば、神様からのみ言もあったのですが、「韓国が解放され、このことを始められる環境ができた時に動き出す」と神様に約束していたので、その時には語れなかったのです。神様のみ旨は、一人だけでは成就できません。共に働き得る対象がいなければなりません。

さらに神様は、第二次世界大戦後にすべてのキリスト教会が分裂することを教えてくれました。

7   一九四五年の解放直後に、お父様を中心とした統一運動は、一度に世界を統合できるキリスト教文化圏を中心として出発しなければなりません。その立場においては、既に国家基準を越えるようになるのです。

その時、韓国には主権がなく、キリスト教文化圏を中心としたアメリカが、天使長の勝利圏基盤の上で養子の基盤を受け継ぎました。その土台の上に世界的版図の基盤を造成していれば、天使世界の完成と養子世界の完成が成就して、直系の子女を迎えられる世界文化圏の時代へと入っていくのです。

イエス様を中心としたアベル文化圏を築いたので、天使長圏と養子圏がつながり、実子圏と連結できます。縦的な歴史が横的に一つになるのです。これを収拾して統一しなければ、サタンの基点を取り除けません。

8   お父様が(一九四五年)八月十五日の光復節の前に、キリスト教を中心にすべての基盤を築いていれば、神社参拝を拒否して監獄に閉じ込められた再建派は、お父様の信仰の基盤の上で中心になっていたでしょう。そのようになっていれば、キリスト教が私の言うことをすべて受け入れて、連合軍を迎え入れる立場に立つのです。世界全体が連結され、連合軍が入ってくるのを、監獄に入った人たちが迎えるようになったはずです。

その時、連合軍が入れば、以北(現在の北朝鮮)で直接歓迎するようになります。そうなっていれば、韓半島は南北に分かれなかったはずであり、神霊的な人たちが連合軍を中心として一つになれば、サタンが侵犯するところがなかったのです。ところが、このような状況が崩れてしまったので、仕方なくこのすべてのものを条件的にでも、再び探し求めなければなりませんでした。

しかし、この時に、この神霊的な集団が受け入れなかったので、お父様は孤独な立場で人を送って三度以上通告し、天のみ前に報告してから、彼らに、「あなたたちが受け入れなかったときには、あなたたちの国家と世界が破壊され、今まで立てられた功績は天がもっていってしまうだろう」と言いました。そのように通告し、お父様が刈り取ることのできる基盤を築いて、韓国の解放を待ったのです。解放が訪れるときには、世界のどこにでも出ていかなければならないのです。

9   お父様は、日本帝国の統治下で、圧制を受けていた時代を過ごしてきました。ですからいくら大きな抱負をもち、いくらあふれんばかりの希望を胸に抱いていたとしても、自分の内的心情を吐露できる環境が与えられていませんでした。何か斬新な考えをもっていたとしても、それを口にして語るためには、必ず周囲を窺い、内外に鑑定しなければなりませんでした。「これなら安心だ」とはっきり感じることができなければ、いくら立派な思想や理念をもっていたとしても、語れる時代ではありませんでした。不自由な時代だったのです。

そのような環境で、お父様は人知れず復帰の路程、今まで原理の中に現れた復帰路程をたどり、闘いながら準備してきました。そうして、一九四五年に解放を迎えました。二十六歳の時でした。

その時、解放を迎えて、民族全体が祝いながら喜びました。万歳を叫びながら大騒ぎし、我々の天地になったといって世界を揺さぶり、ひっくり返すような喜びが天を突くほどの騷ぎでした。私もまたうれしく思いました。

しかし、私は解放を迎えたその日以来、「この国が解放された」といって万歳を叫んだことはありません。うれしくても喜ぶことはできませんでした。その理由は、この民族には新しい出発をすべき使命があると同時に、お父様も新しい歴史的な出発をしなければならなかったからです。復帰世界に向かって第一歩を踏み出さなければならなかったのです。それで、まずは韓国の地に立っていたので、韓国の地を中心として、さらにはソウルを中心として、復帰の道を開拓するために全力を尽くして出発しました。

キリスト教指導者の不信と神霊教団復帰摂理は、世界史的な転換期である一九四五年の解放直後、キリスト教の指導者たちを中心に天の主権を立て、世界を復帰できる絶好の機会を迎えた。しかし、キリスト教がこのような摂理を担当する真のお父様を受け入れないことにより、新たな摂理的基盤を整えなければならない困難な状況に直面することになった。このように、ソウルを中心とした第一次の出発摂理が挫折し、一九四六年六月以降、平壌を中心に第二次の出発摂理が進められた。しかし、真のお父様は、神様が長い歳月をかけて準備したすべての摂理的基盤が崩れるとともに、獄中の受難の道を歩まなければならなくなったのである。

そして、韓国のキリスト教の中には、日本帝国の神社参拝強要に屈した教団もあったが、信仰の貞操を守り、解放の日を待ちながら闘った愛国的な地下教会の信徒も多くいた。神霊教団は、このような状況の中で、解放の十四年前から活発な活動をし、再臨主を迎えるための基台を築いていった。

特に、韓半島の東の元山を中心に男性たちの神霊役事(働き)が起き、西の鉄山を中心に女性たちの神霊役事が起こった。その中で、女性の代表は聖主教の金聖道、腹中教の許浩彬、「主なる神の夫人」と称する朴ウルリョンであり、男性の代表は新イエス教会系統の李龍道、金百文であった。

特に、洗礼ヨハネの使命をもっていた金百文は、真のお父様について「全世界のソロモン王の栄光が臨むようになるだろう」と証したが、真のお父様に侍って従わないことによって、摂理的な出発をすることができなかった。

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第三篇 公式路程の出発と「世界基督教統一神霊協会」の創立真のお父様は、一九四五年八月十五日、韓国の解放とともに、復帰摂理のための公式路程を出発された。神様の解放と人類の救援、平和世界の実現に向けた大長征の始まりであった。何よりも待ち望んだ新時代が開幕したが、摂理の道には、形容し難い苦難が横たわっていた。真のお父様が新しいみ言を発表できない状況で、牧師や長老に会わなければならなかったため、彼らから摂理の新しい主人として認められるのは、ほぼ不可能なことであった。そのため、真のお父様は、神様と直接、交流できる神霊教団を訪ねていかざるを得なかった。当時、霊的なレベルが最も高い位置にいた金百文が率いる、イエス教会イスラエル修道院を訪ねていき、一九四五年十月から六ヵ月間、あらゆる精誠を尽くして奉仕活動をされたのである。金百文は、翌年の三月初めに、真のお父様について、「ソロモン王の栄光により来られた方」と証したが、その後は、侍って従わなかったため、真のお父様は、「これ以上、金百文を中心として神様のみ旨を成し遂げることはできない」と判断されそこを離れていかれた。

真のお父様は、このように韓国で摂理の基盤を築くことができなくなったため、北朝鮮の平壌に行きなさいとの啓示を受け、一九四六年六月六日、平壌に到着し、祈りによる精誠の祭壇を築かれた。平壌では、天の導きにより、篤実なキリスト教徒たちが集まり、彼らの伝道により、多数の礼拝参加者が来るようになった。しかし、教会員を真のお父様に奪われたと考えた牧師や長老たちの反対と告発により、真のお父様は、その年の八月十一日に、平壌の大同保安署に収監されることになった。そのような中でも真のお父様は、大同保安署で神霊教団の指導者と出会うことを知り、希望を抱いて入っていかれたのである。そこには、肉身再臨の啓示を受けていた腹中教の教主、許浩彬(孝彬)が捕らわれていた。

真のお父様は、許浩彬に、「私が誰か、祈ってみなさい。すべてのことを否定して出ていきなさい」と書いた紙切れを秘密裏に送ったが、彼女の不信によってその紙切れが看守たちに発覚し、共産当局の激しい拷問を受け、瀕死の状態で釈放された。結局、真のお父様は、朝鮮半島の南と北のどちらにおいても、キリスト教の指導者たちと神霊教団から反対を受けることにより、イエス様がユダヤ選民とユダヤ教の反対によって、四十日断食と三大試練を経たように、大同保安署での容赦のない拷問と、三大試練の路程を行かれるようになった。

その第一は、「主なる神の夫人」と語る朴ウルリョンを通した試練である。真のお父様は、僕の僕の位置から、神様の実体対象の位置まで上がっていく縦的八段階の蕩減復帰路程において勝利された。第二の試練は、霊界において、聖賢たちを中心とするあらゆる霊界の代表者たちを対象に、四十三日間にわたる真理闘争の路程であった。真のお父様は、血統転換、所有権転換、心情圏転換の三大主題についての熾烈な論争ののち、「文鮮明の主張が正しい」という神様の公認と御印を改めて受け、勝利された。第三の試練は、イエス様の使命継承者として再出発するため、イエス様が十二弟子を失って十字架の苦難を経たことを蕩減復帰する路程であった。真のお父様は、十字架にかけられた位置と同じ興南特別労務者収容所(興南監獄)で、十二人以上の弟子を復帰して勝利された。

特に真のお父様は、一九四八年五月二十日から二年四ヵ月と二十五日間、興南監獄で強制労働の苦役を受けることになった。興南監獄は、劣悪な食事と環境、苛酷な強制重労働により一年に囚人の四〇パーセントが死んでいくという、生き地獄だった。真のお父様は、そこで生き残らなければならず、言葉も行動も思いどおりにできない立場で、弟子たちを探して立てなければならなかった。伝道の方法は、天を感動させ、献身的な生活によって霊界を動員する道しかなかったのである。霊界にいる先祖たちが、収容所にいる子孫たちに夢のお告げや啓示を与え、多くの人々が真のお父様に侍り、従うようになった。

六・二五動乱の渦中、国連軍の上陸進撃により、興南監獄から九死に一生を得て解放された真のお父様は、昔の食口を訪ねるため、徒歩で十日間かけて平壌に向かわれた。最初に、獄中生活をする前に伝道された金元弼を訪ね、食口たちを訪問するようにされたが、彼らはみな、真のお父様の意向に従わなかった。四十日間の平壌滞在ののち、真のお父様は、金元弼と、監獄から先に出てきた足の折れた朴正華を自転車に乗せ、一九五〇年十二月四日に三人で平壌を出発し、徒歩で南下の道を歩まれた。

南下して五十五日目の一九五一年一月二十七日、釜山の草梁(チョリャン)駅に到着された真のお父様は、その年の五月十一日から一年かけて、『原理原本』を執筆された。そして一九五三年七月二十日、姜賢實を最初の開拓伝道師として大邱に送られたが、これが最初の公開原理宣布であった。

真のお父様は、一九五四年五月一日、ソウル北鶴洞の三つの門の家で、「世界基督教統一神霊協会」を創立された。協会の創立は、真のお父様が北朝鮮において蕩減路程を勝利した基盤の上で、キリスト教に代わるアベル的教団を立てたということであり、神様の復帰摂理が、協会を中心に新たに始まったことを意味する。

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10  世界のキリスト教文化圏を中心とした民主世界は第二イスラエル圏であり、キリスト教は、民主世界の思想的な指導を受け持つべき立場、すなわちイスラエルの国に対するユダヤ教と同じ立場です。イスラエルとキリスト教は、このように霊的につながるようになっています。

したがって、再臨の役事は、霊的なイスラエル圏を相続し得る勝利的基盤を整えた上でしなければなりません。霊的な個人から霊的な家庭、氏族、民族、国家、世界圏まで、勝利的な基盤を整えて地上に現れなければなりません。

そうでなければ地上収拾作戦ができないというのが再臨の役事です。

霊界を屈服させて指揮下に置き、神様のみ旨に従って地上に君臨しなければなりません。このようになれば、地上では実体的な再蕩減路程を経ていけばよいのです。

このような点から見て、霊的に世界的なイスラエル圏が勝利しました。霊的に勝利したこの世界的イスラエル圏は、世界的な天使世界に該当します。したがって、再臨主は第三アダムなので、第二アダムであるイエス様が霊的に勝利した霊的イスラエル圏の足場を、相続しなければならないのです。

11  韓国は、解放後、キリスト教圏である民主世界の保護によって、世界が一つになったところに建てられました。その時にお父様は、新しい歴史的な使命を果たすため、建国当時の要人たちと手を結んで、最高の位置から出発することを期待しました。そのようにならなければならないにもかかわらず、キリスト教を代表した幾人かの牧師が反対することによって遮られ始めたのです。キリスト教を中心とした国家形態ができなければならなかったのですが、キリスト教の最高指導者たちが反対することによって、韓国のキリスト教が反対する道が生じるようになりました。

12  日本の帝国主義が、韓国のキリスト教を抹殺するために神社参拝をさせたのですが、そこには神社参拝を受け入れた群れと、神社参拝を拒否した群れがありました。神社参拝をしなかった人は獄中や地下に入り、神社参拝を受け入れた人は表に出るようになりました。

ですから、地下にいた内的な神霊集団の人々が主体となって、外的な人々を再教育して収拾していかなければなりません。その時、彼らは、「主は人として来て、自分たちの団体を指導する」との啓示を受けたのですか、その人がどのような人として現れるのかということは分かりませんでした。

彼らは一つになり、大韓民国が新たに独立する時に、それを主導する役割を果たさなければなりませんでした。ところが、解放後、内的な神霊集団が主体にならなければならないのですが、逆に神社参拝をした群れ、アメリカで勉強し、都合よく社会と接触してきた人たちが主体になりました。神様に対する新しい概念を中心とした再臨思想と連結された概念のもとで、教会の復興運動が起きなければならなかったのです。

解放当時、韓半島のキリスト教会のほとんどが以北にありました。大多数が平壌を中心として存在していたので、以北がキリスト教の中心になりました。ですから、以北の地で行われる教会運動が、国家的な基礎となり、精神的な基調となり得るキリスト教の新しい世界的活動のための神様の摂理基盤にならなければならなかったのですが、そのようにはなれませんでした。

国を中心として、カインとアベルの闘いをしたのです。教会の基地が立つ前に、サタンが先に入ってしまいました。先にカインの国が位置を占めたのです。ですから、仕方なく南側だけでも守るために新しい国を建てたのです。統一を成し遂げることができず、二つの国ができました。キリスト教を中心に統一された国家基盤を形成してこそ、神様のみ旨の基盤になるのですが、完全にサタン圏に移り始めたのです。

13  光復後、韓国では、神社参拝をしたキリスト教派と、神社参拝に反対して監獄に行った再建教会派、それから神霊的な集団、このように三つの部類ができました。キリスト教派は蘇生、再建教会派は長成、神霊派は完成です。

この神霊派がエデン復帰派ですが、旧約的エデン復帰派は朴東基派、新約的エデン復帰派はイスラエル修道院の金百文派です。その次に、成約的エデン復帰派は、婦人たちが主動となった許浩彬派です。彼らは、蘇生・長成・完成型の縦的な復帰をします。旧約時代、新約時代、成約時代の横的な復帰をするのです。再建教会派と神霊集団が完全に一つにならなければなりません。

そのような基盤の上に、お父様が立たなければならないのですが、洗礼ヨハネがイエス様を信じられなかったように、神霊集団の責任者たちは、主が人として来ることは知っていたのですが、その人が誰なのかは知りませんでした。

14  金聖道氏は、エバ的使命者であり、許浩彬氏はマリヤ的使命者です。許浩彬集団は、イエス様がこの地上に来て三十三年間生き、み旨を成し遂げられずに、(本来)願わない十字架の死の道を行ったため、それを復帰するためのあらゆる準備をしました。そして、「再び来られる主は、韓国人として来られるだろう」と言いました。その方の背丈はどれくらいで、体格はどうだということまで啓示を受け、衣服から寝具に至るまで、一切を準備したのです。

本来、そのようなものをすべて準備しなければなりません。それを準備した人が地上にいなければ、主を送ることができないというのです。昔、イスラエル民族が、主が横になる一間の部屋を準備できず、イエス様は飼い葉桶に寝かされるようになりました。そのような恨をもった神様なので、神様は一人を選んで、生活のあらゆる物、すなわち服と部屋と家庭用品の一切を準備させたのです。この時代に文化生活を営む東洋、西洋の誰にも負けない最高の水準で、すべての物を準備させました。

15  韓半島の東海岸地方で起きた霊的な運動集団には、李龍道牧師がいました。彼は、人々に多くの聖霊の火を受けさせました。そのようなことをすることによって、天は霊的な働き手を一つにまとめようとしたのです。霊的な運動も、二つの形態に分かれました。一つは内的で、もう一つは外的でした。

李龍道牧師を中心として新イエス教が出てくるようになりました。当時、許浩彬氏の腹中教と新イエス教を統一せよという、天からの指示がありました。それで、西の集団が一つになるために、東の集団がいる所を訪ねていきましたが、東の集団は西の集団を受け入れませんでした。この二つの集団が統一に失敗することによって、神様は一つの新しい運動、新しい分野の開拓者を必要とするようになりました。

神様は、御自身の指示を受け入れられる、他の一人の人を願われました。その人が金百文氏でした。白南柱氏は蘇生段階であり、李龍道氏は長成段階、そして、金百文氏が完成段階でした。李龍道牧師はイエス様と同じ立場であり、一九三三年に三十三歳で亡くなりました。このことから、神様が主のためにどれほど多くの準備をされたのかを知ることができます。神様は、日本の圧制に耐え抜けるようにしようと、そのように早くから準備をしていました。このような環境の中で、お父様は、自分が行くべき道のために準備を始めたのです。

16  お父様は数えの二十五歳前後の時に、全国にいる神霊的な人たちを訪ねて回りました。名のある牧師や名のある僧侶、易者などをすべて訪ねたのです。そうして、彼らの信仰観と私の信仰観を比較したり、理論的に討論したりしました。そのような牧師たちに、「堕落とは何か」と尋ねましたが、分かっている人はいませんでした。人間がどのように堕落したのかを知らないのです。根本が曖昧な基盤から出発したものは、いくら過程が驚くべきもので、結果が世界的だとしても、完全な完成の終着点に帰着することはできません。

しかし、彼らは、堕落の根源を全く知らなかったのです。お父様は、どのように堕落したのかという事実をすべて知っている観点から、大勢の神霊的な人たちに会ってみましたが、彼らは知りませんでした。だからといって、時になっていなかったので、発表することもできませんでした。

17  お父様は、少年時代を経て、青年時代を経て、分別がつく頃から聖書の内容を深く探究するうちに、神様の摂理がどのようになっているかを、すべて悟るようになりました。そうして二十六歳の時に、解放とともに新たな出発をすることになったのです。

まず、地下教会を遍歴しました。解放前数えの二十四歳の時から地下教会の遍歴を始めたのです。「神霊的な人たちはどのような道を歩むのか。神様の摂理はこのように進まなければならず、このように準備された団体が必ず存在しなければならないのだが」と思いながら、有名だと言われた神霊的な人々に数多く会ってみました。しかし、彼らは神様のみ旨やその方向を知りませんでした。ですからそのような人々を中心として精誠を尽くしてみ言を伝え、関係を結びました。

地下教会の責任者は知らなくても、その教会の中で霊界に通じる神霊的な人たちは、お父様を証しました。私が一週間だけ立ち寄れば、そこにいた神霊的な人たちが私の後ろに付いてくる現象が起こりました。ですから、地下教会も二つに分かれるようになったのです。神霊的な教会を編成するために、志のある人を集めなければなりません。

その人たちに教えなければならない内容は、主は雲に乗っては来ないということでした。これを十年ほど伏せたのちに発表していれば、数多くのキリスト教徒たちがお父様のもとに来ることを知っていましたが、天はそのようにすることはできません。正面から闘争しなければならないのです。神様は目に見えません。ですから、見える機関となり、見えないサタン世界と対峙し、克服して越えていかなければなりません。

18  お父様は、解放後三ヵ月目となる一九四五年十月に、金百文氏に会いました。私は、彼に大きな使命があることが分かりました。当時彼は、プロテスタントの修道院を一つもっていました。彼は「修道院を一つ所有するように」と天から言われていました。また、「再臨主を迎えられる勢力を準備するように」と言われたのです。それが、彼が天から聞いた内容です。ですから、お父様はその集団を訪ね、彼に会い、六ヵ月間彼と共に過ごしました。その期間に神様は、様々な方法で役事されました。

19  お父様は、金百文氏の集団に行き、僕暮らしをしました。当時、どれほど多くの涙を流したか、皆さんは考えることもできません。皆さんが想像もつかない切なる心情をもって祈ったのです。その時、祈っていた床には涙がしみ込み、流した涙が乾く日がありませんでした。

私は、彼が教えてくれた内容を批判することもできました。口さえ開けば、彼らを完全に屈服させることができたにもかかわらず、そこでは一言も話さずに、奉仕の生活を続けたのです。そのようにしたところ、神様が共にいてくださいました。彼らも霊的に明るい人たちなので、天が彼らに、お父様に従いなさいと命令を下したのです。

20  イエス様が洗礼ヨハネから祝福を受けたように、お父様は金百文氏からすべてを相続する予定になっていました。出会ってから数ヵ月後に金百文氏は天から啓示を受け、彼は私の頭に手を置いて、全世界のソロモン王の栄光が臨むようになるだろうと祝福しました。お父様が金百文氏に会ったことは、大きな意味をもっています。もし、金百文氏が天から、そのような祝福をしてあげなさいという啓示を受けたのなら、彼はすべてのことを知るために、私に質問をしなければなりませんでした。それが彼の五パーセントの責任分担でした。

ところが、当時、彼に従っていた篤実な追従者たちがお父様に従ったのです。彼はそれを知って、そのことを良く思いませんでした。いずれにせよ、お父様は彼から祝福を受け、彼がもっていたものを相続したのです。

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第二章  真のお父様の南下と釜山路程第一節   真のお父様の南下路程弟子と共に歩んだ南下路程真のお父様は、一九四八年二月二十二日から一九五〇年十月十四日まで、二年七ヵ月と二十一日間、平壌内務署と平壌刑務所、興南監獄において厳しい拷問と苛酷な強制労役の中、死の淵を越えて蕩減路程を勝利された。

興南監獄を出獄されたのち、既に大勢の人々が避難していた平壌で、昔の食口の収拾に専念され、四十日後に南下された。

真のお父様は、十二月四日の夜、平壌のキリスト教を代表する新婦格の金元弼と共に、獄中の弟子を代表する天使長格として、負傷した朴正華を自転車に乗せ、大同江の下流から、船便で川を渡られた。黄海道(ファンヘド)の碧城郡(ピョクソングン)に着き、青龍(チョンニョン)半島の南端から龍媒島(ヨンメド)に入ったが、再び戻って凍りついた臨津江(イムヂンガン)を渡り、南下された。

平壌から二人の弟子と共に南下する苦難の路程は、堕落した人類を導き、創造本然の理想世界に率いていく、天の摂理の一面を象徴的に見せてくれるものであった。

1   私は、興南の監獄から出て平壌にまで来ても、両親が故郷にいるのは知っていましたが、故郷に行くことができませんでした。いくらでも行ってくることができたにもかかわらず、行けなかったのです。その時、故郷に行けなかったのは、監獄に入る前に私に従っていた食口たちの安否が気遺われ、彼らに会って収拾し、すべて通告してから故郷に帰らなければならないという考えからでした。それが天に従う正道です。

そうしているうちに、突然戦況が変わり、故郷には行けなくなりました。このような情勢になることは予測していました。それで、故郷に立ち寄らず、その食口たちを急いで捜し回ったのです。ですから、三十八度線を越える時に、「私がこのように故郷をあとにして発つのは、天のためであり、私が再び帰ってくる時は、私の手で以北(現在の北朝鮮)を解放し、私の故郷の地を訪ねて、天の勝利を称賛いたします」と祈りました。その祈りを中心として闘ってきたのです。

2   興南の監獄から出て、平壌に行って何をしたのでしょうか。平壌で事件に巻き込まれて監獄に入る前まで私に従っていた食口たちに、会わなければなりませんでした。それで、一人一人にみな会いました。最後の三人のうち二人は、年を取って亡くなっていました。もう一人は、所在が分かり、人を送って会おうとしましたが、結局会うことができず、避難の途に就きました。一九五〇年十二月四日に平壌を出発しました。

人民軍が(平壌に)入城して粛清をする過程の中で、私たちは出発したのです。その時、私は、足をけがした朴正華という人を自転車に乗せてきました。人民軍の銃声を聞きながら下ってきたのです。国道は人民軍が占領していたので、避難民たちはそのほかの小道や、道のない野原や山を越えて三十八度線まで南下してきました。ですから、人民軍とはわずか三里内外しか離れていない道を通ってきたのです。

朴正華が避難の途中で、「このままでは三人とも死んでしまいます。ですから、私が抜けましょう」と言いました。行く道で足手まといになることを知って自決しようとしたところを、私に叱られ、最後まで付いてきたのです。龍媒島に出る時は、朴正華を背負っていきました。朴正華を背負っていったのですが、潮水が入ってくれば、みな溺れて死ぬかもしれません。あの困難な泥道を歩いたことが忘れられません。

3   三十八度線を中心として、国軍警備隊は南側にいて、人民軍は北側にいました。三十八度線で警備隊が見張っているので、南側に行く道がすべて塞がってしまいました。それで、一般人は一人も三十八度線を越えることができませんでした。ですから、青丹(チョンダン)という所から船に乗って出なければなりません。三十八度線に問題が生じたことを、私が誰よりも先に知りました。

国軍警備隊が道の要所にいるので、三十八度線に問題があれば、彼らがまず先に移動するのです。一日前に国軍警備隊が移動することを知ったので、すぐに三十八度線をあとにしました。歩いて埠頭に行ってみると、埠頭から龍媒島までが一・五里です。(ぬかるみの中、人を背負って)二時間以内に一・五里をどのようにして行くのでしょうか。水が引き始めるのを見て、一・五里の道を歩かなければならないのですが、水が引く時から渡り始めて、水が戻ってくるよりも速く歩いてこそ、一・五里を渡ることができるのですが、危険千万です。天を信じて、あらん限りの力を尽くして走った時の思いが忘れられません。その一・五里の泥道を走ったのです。ですから、体は、頭から足の先まで泥だらけになりながら、潮水が埠頭を越える前に、やっとのことで渡り終えました。

4   私は、以南(現在の大韓民国)の地に下る頃、北朝鮮がどのようになるかということを見通していました。ですから、三十八度線をいかに越えるかという問題をめぐって、相当に苦心しました。

もしその時、私の言うとおりにしていなければ、出てくることができなかったのです。休みなく先を急がせました。警備隊員たちが三十八度線からすべて後退していたので、事態は非常に不利でした。そのような時は、素早く先に動かなければならないのです。

このようにして、龍媒島を通って韓国に向かう船に、一旦は乗ろうとしたのですが、その時、警備隊員がすべて後退していた状況だったので、一般人たちは船に乗ることができませんでした。ですから、龍媒島に行ったのに、私たちの乗れる船がないので、再び戻ってきて、三十八度線を越えて下ってきたのです。

5   私たちが臨津江の近くに到着した日、夜の間に臨津江の川辺まで行かなければならないという、そのような何かを感じました。そういう時、お父様は、非常作戦、非常措置を取るのです。アンテナを最高に伸ばして調べるのです。普通の時には、そのようなことはしません。

ですから、他の人たちは夕方になったといって、他の日と同じようにみな村に入って場所を取るのですが、私たちだけは午前零時を過ぎて一時に、臨津江に隣接する家に到着しました。その家の人は、みな韓国に行って、いなかったので、そこに入りました。ところが、私たちが到着した日まで、臨津江が凍らなかったのです。「今夜この川が凍らなければならないのだが」と心配したのですが、神様が保護してくださり、ちょうどその日の晩に凍りました。それで、明け方早くに越えていきました。

私たちが一番早く来たと思ったのですが、その村に先に来ていた人たちがたくさんいました。そして、国連軍の撤収に伴って、私たちの一行を最後に、道を塞いでしまったのです。そのあとに来た人たちは、みな後ろに引き返しました。このような時に一分でもうろうろしていれば、どうなっていたでしょうか。人の運命は時間が問題だというのです。躊躇していればすべて台無しにしてしまうのです。

そのようなことが私たちの人生にもたくさん起こるのですから、天道をかき分けていく道で、何事も起こらないことがあり得るだろうかというのです。ですから、どれほど深刻でしょうか。

6   興南の監獄から出たあとは、何一つ持っていない旅人でした。平壌から韓国まで下ってくる約二ヵ月間は、乞食をしました。ある時は、言葉で表現できないほど食べたいと思うこともありました。それでも、「神様、きょう食べる物がないので、何か下さい」という祈りは絶対にしませんでした。かえって神様を慰労したのです。

ある時は、「あすは間違いなく、ある美しい婦人が道端で何かをくれるはずだ」と考えると、翌日に間違いなく、考えたとおりに真っ白い服を着た婦人が道端で待っていて、「昨晩、夢で万端の準備を整えて待っていなさいと言われ、このようにお待ちしておりました。どうぞ召し上がってください」と言うのです。そのような出来事がたくさんありました。誰も否定できない生きた実績をもっているのです。

そのように助けてくれた村には、時が来れば、恩を返そうと考えています。神様もそうです。お父様と神様が互いに抱き締め合って泣いたその悲しみは、地上の人々は誰も知りません。その深い深い神様に向かう心情は、推し量ることができません。それを考えると、すべての細胞が締めつけられるようです。

三十八度線を越える時の決意真のお父様は、三十八度線を越える時、「必ず、この手で自由世界を糾合して共産党を消化し、北朝鮮を解放して、南北を統一する」という、悲壮な誓いの祈りを捧げられた。真のお父様は、その日の祈りと誓いを忘れることなく、一生涯、闘ってこられた。臨津江を渡ったあと、紆余曲折の道のりを、ソウルまで八十数キロ歩くのに、一週間かかった。一九五〇年十二月二十一日、臨津江から出発して汶山(ムンサン)駅に到着し、十二月二十七日に漢江を渡り、平壌を発ってから二十四日目に、学生時代に過ごされたソウルの黒石洞に到着されたのである。

7   私は、三十八度線を越える時に祈った言葉を忘れません。「お父様、私は以南の地にまいります。私は以北に来て、み旨を成し遂げることができず、敗者の悲しみを抱いたまま、獄中の身の上を免れることができずに、追い立てられる群れの歩みに従って以南へとまいります。以南に行けば、また反対を受けるでしょう。十年の道、二十年の道、立ちはだかる道がどんなに遠いとしても私は行きます。行って、またこの道を訪ねてこなければならないことを知っておりますので、三十八度線より北に私が行けなければ、私の思想を植えつけて子孫に行かせるようにし、彼らが行けないのなら、私に従う弟子たちにでも行かせるようにいたします」という決心をして下ってきた人です。十年の歳月を一心不乱に闘ってきたのです。私が天のみ前に誓って進み出た歩みは、皆さんとは違います。

8   私が三十八度線を越えながら心で誓ったことは、誰一人として知らないでしょう。また、以北の興南監獄で三年近い歳月を送り、三十八度線の南側を中心として天のみ前に祈ったことを、誰も知らないのです。「悲しい環境ですが、きょう、三十八度線を越えます」と言って涙ながらに祈ったことを、一緒に来た人も知りません。私のために精誠を尽くした父と母を故郷に残し、「この親不孝者が再び帰ってくる日まで待っていてほしい。死なずに待っていてほしい」と言って出発したことを、私は忘れずにいます。また、私が共産党から拷問を受けながら、「私がこの目の黒いうちに、お前の一族を屈服させ、お前の口で神様の偉大さを称賛するその日を迎えてみせる。私は死なずにその日を迎えるのだ」と誓って決意した事実を、皆さんは知らないでしょう。それは今もなお、骨身にしみる心情として私に残っているのです。

9   お父様は一人、以北の地から追われる身で韓国を目指して下ってきました。それがついきのうのことのようです。その期間に夢のような出来事がたくさん起こりました。

興南の監獄から出て、韓国に下ってきたのは三十一歳の時で、まだまだ若い頃でした。その時、監獄から出ながら決心したことが、再出発でした。いくら困難なことが北朝鮮の地であったとしても、そこでのすべての困難を忘れ、その困難だった事実が、私の行く道に損害をもたらすのではなく、第二の出発をする上で一つの刺激剤になるだろうと考えました。

私は、いかなる道を通ってでも、み旨の道を完成すべき責任を感じていたので、監獄から出てきた三十代の若者として、新たに出発するという決意が強かったのです。(平壌から)三十八度線を越え、慶州を経て釜山まで来るのに、二ヵ月ぐらいかかりました。その時、釜山に来てみると、どこにも身を隠すことができないほど避難民たちでいっぱいでした。それで、仕方なく土窟を掘って避難生活をせざるを得なかったのです。

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11 お父様は、試練の渦中でも不平を言いません。迫害を受けるまっただ中に入っても、不平を言わないのです。国や町や家庭や個人が終局において攻撃してきましたが、私に勝つことはできませんでした。すべて敗れていきました。最後には、神様までもがお父様に反対しました。しかし、神様がいくら理解し難いことをしても、私は神様をつかんでいました。そうして霊界で四十三日間闘ったのです。

神様が反対するので、神様を中心としてイエス様が反対し、孔子が反対し、釈迦が反対し、ムハンマドが反対し、霊界全体が一つになって反対しました。しかし、四十三日間闘いながら、譲歩しなかったのです。神様は、四十三日の間に決裁をしなければならないようになっていました。それで神様は、お父様が天と地において最高の勝利者であると宣布したのです。

第四節 興南監獄とイエス様の使命継承路程イエス様の使命を全うするための蕩減路程興南監獄の試練は、再臨のメシヤとして、イエス様の使命を全うしていかれるための蕩減摂理路程である。再臨のメシヤは、クリスチャンたちが反対する中で、イエス様の使命を全うしていくために、十字架によって亡くなられずに、生きて監獄から出てこなければならないだけでなく、イエス様が失ってしまった十二人以上の弟子を、十字架上(監獄)で探して立てなければならない。北朝鮮の興南監獄は、人間を徐々に殺す十字架と同じであったが、真のお父様は、イエス様の使命を全うしていくための蕩減路程を勝利的に締めくくられたのである。特に、周辺の人に対して伝道することはできなかったが、霊界にいる囚人の先祖たちが子孫に夢で現れ、真のお父様に特別に良く接し、侍るようにと教え、真のお父様が監獄から出てこられるときには、十二人以上の弟子をもつようになられたのである。そして、興南監獄に収監されたのち、最初の二、三週間は、食事の半分を他の囚人たちに分けてあげ、定州にいらっしゃる忠母様(実母)が、定州から興南まで来て差し入れしたはったい粉と服も、すべて彼らに分け与えられるなど、人のために自らを犠牲にしながら、収容期間に三度も模範労働者賞を受けられた。毎日配給される飲料水の一部を残しておき、体を清められるなど、神様の息子であるという自覚をもって模範的な生活をされたため、天も感動せざるを得なかったのである。

1 イエス様は、霊界の地獄のどん底に行って、三日間の受難の道を克服しなければなりませんでした。イエス様が霊肉を中心とした勝利の基点をもたなければならなかったのです。ですから、道を切り開いておかなければ讒訴される立場になってしまうので、道を築かなければなりません。それゆえ、イエス様が霊界の地獄に行って開拓し、道を切り開いたのです。

お父様はそのような原則を知っていたので、以北(現在の北朝鮮)に行って監獄に入ったのです。私が平壌刑務所で手錠をかけられて刑罰を受けている中でも、「誰々に会うだろう」ということを、すべて約束されていました。「そこに行けば、イエス様の三弟子のような人に会うだろう」ということを約束されたのです。復帰の運勢圏の中では、そうでなければ天道と合いません。ですから、手錠をかけられて監獄に行く道も、最高の希望の道でした。

「これこれこのような人に会うだろう」という、その希望をもって監獄に入っていったのです。絶望の中で訪ねていったのではありません。私が監獄に入ったので、そこで道を築き、その苦労の功績を通して、その門が自動的に開くようにしなければならないのです。そのようにするには、完全に蕩減しなければなりません。監獄暮らしをして、獄中で祭物にならなければならないのです。それで、監獄に入っても、最も難しいことを私が引き受けて行いました。

2 解放後、お父様は、怨讐たちが群れをなす以北の地でみ言を伝えました。それで、監獄の道から出発したのです。お父様は平壌の監獄に入っていくときも、死なないことを知っていました。その上、「これこれこのような人に会うだろう」ということまで知っていました。お父様に何か必要な物がある時は、無知蒙昧な強盗や窃盗犯、殺人犯などの大勢の囚人たちに、霊界が「どこそこの監房に番号が五百九十六号の人がいるから、その方にこのようなものを持っていってさしあげなさい」と伝えて、来させたりしました。冬になって寒くなるのに、お父様の着る服がなければ、彼らに着る服を持ってこさせたり、また、私が食べることができず、おなかがすいた時には、思いがけない人に、お父様の名前と番号を教えて、食べ物を持ってこさせたりしました。そのようなことが一度や二度ではありません。

平壌の監獄に入れば誰に会うのかを知っていたので希望の中で一九四八年五月二十日まで過ごしました。その時、監房の窓辺をかすめた柳の葉を眺めながら、思いにふけったことが、ついきのうのことのようです。今も記憶が鮮やかです。そこで、天のみ旨に従っていくことを約束した人たちに会いました。彼らに会うことによって、怨讐の地、最も深い谷間から天の密会が始まったのです。そこから天の兵士を募り始めました。家庭と社会から追われ、追い出されたので、そのように監獄から始めたのです。

3 お父様が平壌刑務所から手錠をかけられて興南の監獄に行くのに、十七時間かかりました。それで、その車内で何を考えたでしょうか。深刻でした。唖然とするほど深刻な立場にいるお父様を見る神様は、どれほどかわいそうでしょうか。神様の六千年の摂理歴史を再び蕩減復帰しなければならないのですが、私のほかには誰もする人がいないのです。これを蕩減復帰しようとすれば、数千年はかからざるを得ません。知っている人は私しかいません。

ですから、すべての山野の外景を眺めながらどれほど深刻だったでしょうか。私一人しかいないのです。その時、最も悪辣な強盗と二人組になって手錠をはめられていました。

そのような状況で「いかにしてこの環境で生き残るか」を考えるのですから、どれほど深刻だったかというのです。

お父様は、以北の平壌と興南の監獄で、イエス様の公生涯に該当する二年八ヵ月の期間を送り、十二人の人を復帰することができました。十二人を復帰することによって、イエス様が失ったすべての条件を復帰することができたのです。たとえその人たちがお父様に従わなかったとしても、お父様が釈放される時、彼らの位置に、ほかの人たちを立てることができました。

お父様は、計画していたすべてのことを完遂したので、天は、天使長国家であるアメリカと国連軍を通して北朝鮮を攻撃するようにし、お父様を解放しました。そうして、監獄から出てくるようになったのですが、その時、四人の人が私に従いました。国連軍が韓国を守ってくれたので、その条件によって、天の運勢は再び民主世界に戻ってくることができ、キリスト教を復帰するための役事を始めることができたのです。

5 イエス様が死の道を行くことになった時、イスラエル民族が裏切り、愛する三弟子までも裏切りました。ですから、蕩減復帰の原則によって、監獄にいる時、イエス様が失った十二弟子と同じ数を蕩減復帰しなければならなかったのです。このような立場にいたので、お父様が興南監獄にいる時、口を開かなくても第二イスラエル圏内にいる霊界の霊人たちが伝道して、その数を満たしてくれました。このような歴史的な関係を経てきたのです。

共産党の厳しい監視と注目を受ける獄中生活でも、人知れぬ心情的な団結運動を、神様が責任をもって行ってくださいました。そこでは、あからさまに伝道することはできませんでした。しかし、お父様が口を閉じていても、霊界から伝道してくれたのです。

北朝鮮・興南での蕩減路程において勝利された真のお父様真のお父様は、興南監獄で、誰よりも遅く休み、誰よりも早く起きる生活をされ、労働現場においても、同僚のために尽くしながら、最も難しい仕事を一手に引き受けられた。「監獄の聖者」と呼ばれるほど模範的な生活をされたため、天が感動せざるを得なかったのであり、すべての蕩減復帰摂理の条件を立てられた。興南監獄では、国連軍が興南に上陸したのち、一九五〇年十月十二日から、囚人たちを処刑し始めた。真のお父様の処刑日は十月十四日だったが、国連軍が、この日、総攻撃を断行すると、北朝鮮の人民軍が退却するとともに、真のお父様と収監されていた人々はみな、解放された。そして、真のお父様は、監獄から解放された直後、徒歩で十日かけて平壌に向かわれた。

6 十月十四日は、興南の監獄から出てきた日です。そこに入っていくとき、私はどれほど深刻だったでしょうか。何としてでも生きていかなければなりません。生き残ろうとすれば、死ぬと思われるような状況を通過しなければなりませんでした。ですから、労働する所で、いつでもその仕事場で模範となる人物として登場する人が私でした。それが生きていく秘法です。

働く人たちは数十人ではなく、千人近くいるのですが、看守たちが私を選定して、最高の実績を上げ得る材料にするのです。そのようになるのはたやすいことでしょうか。そのようにして生き残ったのです。

お父様は、このような道を走ってきて、み旨を成し遂げてきました。恨多き復帰の峠を越える責任者はどこに行ったのかというのです。民族の怨恨、世界のキリスト教が失敗した怨恨、呪い得るそのすべてのことに対して、私が責任をもって消化してきました。神様と共に働く人になり、その方の味方になり、自分の道を再創造して、私を中心としてキリスト教文化圏以上のものを編成してきたのです。

7 私が興南の肥料工場で働くことにおいてチャンピオンになったので、人々はみな私のあとにばかり付いてきました。朝、出ると班を編成するのですが、毎日同じ人たちと仕事をすることはできません。ですから、班を編成するとき、私がトイレに行っていたとしても、戻ってくるのを待って、私の後ろに付くのです。

そうすると、その中で最も仕事ができる人たちが集まり、そこで私が隊長になります。かますを縛ることから、引きずり出して貨車に積むことまで、することがとても効率的で、公式化されているのです。

ですから、仕事をしているとは考えず、他のことを考えます。国家的、世界的なあらゆることを材料にして、未来のプログラムを練るのです。そのようなことを考えながら働いていると、時間が過ぎるのも忘れます。ですから、他の人と同じように汗を流しますが、疲れを知りません。このようにすることが、精神的に力になるのです。このようにしていたところ、表彰があるたびに、毎回模範労働者に選ばれて賞をもらいました。そのようにして生き残ったのです。

8 「六・二五動乱」中の一九五〇年八月一日、アメリカ軍の日29爆撃機が総攻撃をし、興南を大々的に爆撃しました。お父様はこのようになることを予見していただけではなく、お父様を中心に直径十二メートル以内は、神様が守ってくださることを知っていたので、近い人たちに、みな私の周りにいるように告げました。お父様は、その中でじっと瞑想をしていました。爆撃のことは考えずに、今後の理想世界について考えていたのです。

結局、思想や理想をもった人こそ価値があるのです。このように復帰の使命を担った人を霊界に連れていけば、神様にとっては天宙的な損害になるので、神様はいかなる犠牲を払ってでも防備することを願ったのでありそのようにせざるを得ませんでした。

9 連合軍が爆撃をする数日前から、共産党は囚人たちを処分し始めました。ある日、彼らが麻ひもを集め始めたのです。お父様は、直感的に最後の時が近づいてきたことを感じました。お父様は本当に深刻な祈りを捧げました。

看守が、一人一人を呼び出して別の場所に移動すると説明しました。それが最後の道でした。そして、一人一人、井戸の中に逆さまに落として殺害したのです。次の番がお父様でしたが、その日の夜の午前二時頃、国連軍の総攻撃により、生きて興南監獄を出ることができたのです。

10 一九五〇年に国連軍が北朝鮮を爆撃したのですが、最初に興南を爆撃しました。お父様のいた興南監獄がその近くにありました。お父様は、その国連軍によって自由の身になったのです。そうなるまでに多くのいきさつがあります。

お父様は、東海岸にある興南から平壌まで歩いて帰ってきました。西側の平壌まで歩いていったのです。お父様は、以前に従っていたすべての人たちに、私が帰ってきたことを知らせながら弟子を捜してみましたが、ほとんど戻ってきませんでした。しかし、何人かの人を集めることができたのです。

11 一九五〇年十月十四日に釈放され、東海岸から平壌に向かって歩きました。平安南北道の境界線付近に来たとき、人民軍が、逃走しながら、峠を越えるたびに敵対する思想をもつ人たちを粛清していました。数十人ずつ並ばせて処刑していた、その峠を越えてきたのです。

その時は、刑務所から釈放されて、囚人服ではないほかの服を着て出てきていたので、人民軍は(私たちが)自分たちの敵ではないと思いました。死の峠を四回越えたのです。その時、四人の人が一緒に付いてきました。

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第三節   八段階の蕩減復帰と霊界での四十三日勝利真のお父様の縦的蕩減復帰路程真のお父様は、金百文から祝福された土台の上で、完成格エバの立場の女性に出会わなければならなかったが、それが、「主なる神の夫人」と自称する朴ウルリョンであった。彼女は当時、神様が導き、霊界が従って活動する立場にいた。そのため、真のお父様は、エバからの主管権復帰のため、朴ウルリョンを訪ねていかれたのである。真のお父様は、彼女の子女たちに付き添って世話をすることはもちろん、最低の立場で彼女に仕えながら、犠牲と奉仕の道を歩まれた。その老女は、僕の僕から、僕、養子、庶子、直系の息子、天の国の総理大臣、イエス様の位置、神様の対象実体など、真のお父様を段階的に証した。このようにして、エバからの主管権復帰歴史を締めくくり、縦的八段階の地位を探して立てられたのである。

1   男性から祝福の相続を受けたならば、女性からも祝福の相続を受けなければなりません。そうでなければ復帰ができません。ですから、金百文氏の集団を中心に男性から祝福を受けたので、女性からも祝福を復帰しなければなりません。そのようにしなければ、今まで韓国の地で神様が築いたすべての摂理基盤を相続することができません。

男性の前でそのような基準を立て、そこから分かれて出てきたので、次は女性の前で蕩減復帰をしなければなりません。女性が根本的な堕落をしたので、根本復帰をしなければなりません。ですから、今まで女性たちが受難の道を経てきたのです。僕の門を開け、養子の門を開け、息子、娘の門を開けるために、歴史路程で受難の道を歩んだというのです。

2   平壌に不思議なおばあさんがいる、といううつわさが飛び交っていました。神霊的な集団は、そのような事実を互いに隅々まで連絡し合っていました。その不思議なおばあさんは、自分のことを「神の夫人」と言っているというのです。世間の人たちは、「そのおばあさんは気が狂っている」と言いました。キリスト教でも「気が狂っている」と言いました。しかし、お父様はそのような女性が現れることを願っていました。その知らせを聞いた時、どれほどうれしかったか分かりません。お父様はその知らせを聞いて、「天よ復帰の使命を中心として、天倫の法度の土台をこの三千里半島につこのような女性たちを通して、神様が築いてこられたものを解決すべき問題が残っているので、私は平壌に行きます」と祈ったのです。

結局、キリスト教が従うことができなかったので、再蕩減の役事をしなければなりません。すべてを神様が導いてくださいました。三十八度線を越える時も、虹が前を導いてくれました。十二里の道を直接導いてくれたのです。このような驚くべき導きを受けて、平壌にいる朴というおばあさんに会って蕩減復帰の役事をしたのです。

3   いくら再臨主だとしても、祝福を受ける過程を経なければなりません。「あなたは世界的なアベルです」という祝福を受けなければならないのです。そのように祝福してくれる人に出会い、夜も昼もあらゆる精誠を尽くし、「すべての福を渡しても惜しくない」と思う心をもつようにしなければなりません。そのような基盤の上に、天が共にある世界的な祝福を受けなければならないのです。アベルとしての祝福だけでなく、メシヤとして祝福を受けなければなりません。再臨主になるためには、世界的なアベルの位置、メシヤの後継者の位置に立って祝福を受けなければならないというのです。しかし、息子がメシヤを祝福することはできません。それをするのは母親しかいません。メシヤが生まれるようにする方は母親しかなく、神様しかいません。メシヤは女性を通して生まれるので、祝福してくれる人は母親と神様しかいないのです。

ですから、「神の夫人だ」と言う女性が現れなければなりません。「神の夫人だ」と言う母が現れて、「自分が侍るべきメシヤである」と証言しなければなりません。そのような証言をするためには、その母から「お前は私の愛する子である」と言われるように、絶対服従しなければならないのです。そのような中で上がっていかなければなりません。そのような祝福を受けるためには、僕の僕としての本分を果たさなければなりません。

4   人々がお父様に従って侍りたいと思い、何か貴い物を持ってきてくれると、お父様は、神の夫人と自称する朴というおばあさんの家族にすべて持っていって捧げました。今日、統一教会員がこの民族を復帰するために、農村に行っておじいさん、おばあさんの世話をしたり、赤ん坊の鼻を拭いてあげたりすることは問題にもなりません。女性たちにもできない、そのおばあさんの洗濯の世話までしてあげました。どんな命令でも言うとおりにしなければなりません。復帰路程の公式がそのようになっているからです。

蕩減復帰歴史は僕の基準から上がってきたので、お父様自身も必ず僕のように扱われなければなりません。僕のように扱われるその立場で精誠を尽くせば、ますます復帰されるのです。どれほど心がはずんで楽しいか分かりません。その期間は、お父様が「原理は必ずこうである」ということを大きく開示する時までの試験期間でした。事実がそうかそうでないかを試験する期間だったのです。

このようにしたならば、天は必ず祝福をしなければなりません。僕の僕の位置から祝福復帰をしてくるのです。それが過ぎると、僕の中で最高の僕になります。そうしてさらに精誠を尽くすと、養子の位置で養子の祝福をしてくれるのです。

5   私が、「神の夫人」と語る人を訪ねていってみると、霊的な生活をしているのです。霊界の聖人、賢哲たちを連れて踊りを踊ったりしていました。イエス様が説教し、孔子が出てきて語り、モーセがやって来て話をするのです。

その中に入ったのですが、最初、お父様は僕、天使長の位置に入りました。すべての人たちが、「天が愛する僕の僕が来た」と言いました。その次は、自分たちよりもあらゆる面で優れているので、「ああ、僕だ!」と言いました。そのように証をしなければなりません。その次は「イエス様の弟だ」と言い、そのあとは「イエス様と双子だ」と言います。それが復帰です。その次は「お兄さんだ」、「天の国の総理大臣だ」、このように上がっていくのです。総理の次は神様です。天の国の総理なので「天の国の王だ!」と言うようになるのですが、王になるだけではいけません。

「霊界について教えてくれる先生の中の先生であり、父の中の父である。父であると同時に先生であり、先生であると同時に王である」と、このように神様に代わって呼ばれるようにならなければなりません。その次からは、今まで私が僕の僕として朴というおばあさんに侍ってきた道と、完全に逆の道を歩まなければならないのです。

四十三日の霊界勝利路程真のお父様は、縦的八段階の位置を探して立てられたのち、四十三日間、霊界の試練を経ていかれた。イエス様と全霊界の聖人、賢哲たちが、真のお父様の原理のみ言に反駁する状況となった。そのため、真のお父様は、天理原則をもって、そのような反対に立ち向かい、独りで決着をつける闘いをされたのである。神様は、真のお父様の主張が復帰の恨を解く原則であり、天倫の秘訣の中の秘訣であると最終的に判定して、御印を押してくださった。

6   お父様は、朴というおばあさんから祝福されたのちに、「私は誰々で、あなたは誰々であるから、復帰の恨を晴らそうとする天のみ旨に屈服しなさい」と言いました。自分の思いどおりに操り、自分の思いどおりに「来なさい、行きなさい」と言うことができていた若い青年がそのように言い出し、とりわけ「私は神の夫人だ」と言っていた局面なのですから、屈服しなければならないとは、唖然としたでしょう。そこでそのおばあさんがおとなしく従っていれば、お父様も苦労しませんでした。そのように従順にするのは大変なことです。千人なら千人が、そこですべて敗れ去っていくのです。屈服せずに反対したその時から、そのおばあさんは気が狂ってしまいました。

内外の祝福基準を兼ね備えるようになるまでの、霊的な試練は言語に絶するほどでした。それは四十三日間にわたる試練期間でした。その時は、霊界のすべての霊人たちが責め立てたのです。

しかし、お父様は、天理の原則をもって彼らと闘いました。一人で四十三日間、今まで生まれては死んでいった数多くの霊界の道人たち、イエス様や神様まで動員された全霊界と闘いました。天地を争いの場にするわけにはいかないので、神様は四十三日の期間が満ちれば、そこで判定を下さなければなりません。天理の原則でなければ天と地が滅びるのです。お父様が探し求めてきたこの道は、間違いありません。結局、お父様は、最後の勝敗を決める闘いで、勝利したという判決を受けたのです。

7   再臨主がしなければならないこととは何でしょうか。キリスト教の反対によって、天上世界と地上世界、霊肉の版図を備えた勝利的覇権が完全に崩れました。それで、それを再び創建しなければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家の四千年間の復帰歴史を、霊界から再び整理していかなければならないのです。ですから、霊界に入っていって大勢の霊人たちを中心として闘いました。ここにおいて、霊界が反対しました。サタン側の立場で、「異端だ」と言って反対したのです。

蕩減復帰は避けることができません。それを個人から収拾しなければなりません。真理をめぐって理論闘争するのです。地上天国は拳をもってつくるのではありません。理論闘争と真の愛をもってしなければなりません。ですから、四十三日間にわたって霊界に大混乱が起きました。教主たちを中心として、宗教指導者たちが責任を果たせなかったことや、復帰の過程では心情を中心として、血統転換していくことを知らずにいたのです。このようなことをお父様が発表することによって、霊界も知るようになり、このような過程において、彼らのほうが理論闘争で負けたのです。

8   再臨主になろうとすれば、霊界に入って神様の御印をもらってこなければなりません。お父様は、霊界に入って四十三日間の闘いをしました。地獄のどん底から天上まで、皆が「文先生は異端者だ!」と言いました。それを下から整理していかなければなりません。最後には、聖賢たちと神様のみ前で談判して、正義の主人は誰かを決する闘いをしなければなりません。

その時、「霊界に来たすべての人々は血統が違っている。血統転換をしなければならないことを知っているのか」と言いました。二つ目は所有権転換です。「地上で暮らしながら自分の所有意識をもっている人は、天の国の背信者である!」と言ったのです。教主たちがいくら偉いといっても、ここに引っ掛かっています。ですから、お父様は霊界で闘う時、自信満々に「異端がどうした」と言い張りました。

最後には、霊界に大混乱が起きそうなので、神様が審判長として判決を下さなければならないのですが、神様まで反対したのです。アダムが天に背いたので、蕩減復帰の原則によって神様もアダム完成者に背かなければなりません。そのようにしてこそ、神様の心に築かれた壁が崩れるのです。そうして全体が反対し、神様まで向こう側に立っている中で、たった一人、お父様だけが残りました。

かといって、混乱の渦中にある霊界を、そのままにしておくことはできないのです。神様が最後の判決を下さなければなりません。神様は、お父様が言う血統転換、所有権転換、心情圏転換をしなければならないというのは事実だと言ったのです。そのような勝利の覇権者として御印をもらって、降りてこなければなりません。

9   解放直後、自由世界を中心として、韓国とキリスト教全体が一つになってお父様に反対しました。イエス様の命を奪い、洗礼ヨハネの命を奪ったのと同じことが韓国で起こったのです。サタンがアダムの命を奪ってアダムの家庭が滅び、イエス様の命を奪ってキリスト教文化圏が延長したように、世界時代が来たので、全権を駆使して平面的に攻撃するのです。肉的に攻撃するのも恐ろしいことですが、霊的に攻撃するのです。霊的世界と肉的世界を総合してお父様を攻撃します。神様がサタンに、「お前が望むことは何でもしてみよ!すべてしてみよ!」と言われたのです。

サタンが望むのは、霊的世界全体と肉的世界全体が一つになって、父になれる資格があるかないかを、自分が試験するということです。サタンが「私は世界と天地に私の子孫を通して基盤を築きました。それから抜け出すためのものが真の父母なので、この二つの陣営の闘争圏内から解放されなければ真の父母にはなれません!」と言えば、神様も原理的な面から「そうだ」と言わざるを得ないのです。それを知っているお父様は、世界の攻撃を受ける前に、まず霊界に入り、数多くの段階の霊界を統一しなければなりません。

10  アダムが神様に反逆したことを蕩減復帰しなければなりません。蕩減復帰の法則は本当に冷酷です。容赦がありません。人間が神様を打ったので、「終わりの日」に再臨主として登場するためには、アダムが神様に反逆したことを蕩減復帰しなければなりません。ですから、神様は、愛するのではなく、打ってしまうのです。

そのような中で、神様が反対するのですが、「これでなければならない」と言って争うのです。これをそのまま放置しておけば、霊界の混乱が継続するので、神様は四十三日以内に「誰が勝利した」という決定的な宣言をしなければなりません。その宣言と同時に、勝利したという御印をもらってこなければならないのです。根は神様です。ですから、全体の勝利的覇権をもったその位置で神様の御印をもらって地上に降りてきました。四千年間継続してきた霊界のあらゆる紛争を収拾したのです。

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第四節   真のお母様の苦難と勝利の道人知れず歩まれた苦難の道真のお母様は、天の新婦として立つ聖婚式を前後して、あらゆる苦難を踏み越え、勝利の道を歩まれた。絶対主体であられる神様と真のお父様のみ前に、絶対対象として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の手本としての路程を歩まれた。真のお母様は、いかなる逆境にあっても、摂理であれば、それを貫いて進む強いお姿をお見せになった、真のお母様は、「私が歩んできた道は、考えるだけでも耐え難い苦難の連続でした」と回顧された。

1   お父様がどのような方かを知っているため、皆さんは、それと同じように、ただそのまま、私(お母様)が非常に幸福で、すべての面において完全な人であるに違いないと考えるでしょう。「あなたは神様がそのように創造され、本来、完全な姿でお生まれになった方ですから、御自分では何の努力もする必要がなく、ただその位置に選ばれたのです」と考えるかもしれません。そして、天宙の母として、お父様に出会い、幸せな家庭をもって、人生を楽しんでいるというのが、私に対する人々の一般的な見解でしょう。しかし、お父様がその位置に立たれるために苦難と十字架の道を歩まれたように、私も当然、私なりに、信じられないほどの忍び難く、耐え難い十字架を背負ったのです。

もちろん、私も初めから完全な人間として出発したのではなく、完成まで進まなければなりません。その到達すべき基準があまりにも高く、時には目標までたどり着くのが本当に不可能であると思われたこともあります。その使命を果たし、神様の期待に応えるためには、非常に困難な試練と苦難、そして、絶対的な信仰が必要でした。私は、そのような立場にいたのです。過ぎし日のこのような事情と、私が歩んできた路程に関して振り返って考えてみるとき、涙があふれるのをどうすることもできません。これについて話そうとすれば、苦難と試練の記憶がすべて生き生きとよみがえるので、私はそれを話すのが非常につらいのです。

2   私(お母様)が歩んできた道は、考えるだけでも耐え難い、苦難の連続でした。神様は、選ばれたお父様に試練を与えられたように、私にも何度も試練を下さいました。そして、サタンも、お父様とイエス様を試みたように、私に対して、やはり試みました。メシヤが通過されたような過酷でひどい試練を、このか弱い女性が通過したのです。私は実に、荒々しい海に浮かんだ小さな帆舟のようでした。一方で、その当時は、私に訪ねてこられる神様の恵みを、最も深く感じた時でもありました。

私が苦痛の中にいるときも、神様は、自ら現れて啓示を下さり導いてくださいました。そのような直接的な導きがないときも、私を愛し、守ってくれようとする周囲の人々を通して、(神様は)絶え間なく導き、啓示を下さいました。ですから、当時は、大変に困難な試練と苦難に耐えなければならない時だったにもかかわらず、同時に、その時こそ、最も美しく、神様の恵みに満ちあふれた、本当に神様が共にいてくださることを実感できる時でもありました。このようにして、完成に向かって苦悩しながら歩んだ成長期間が終わり、天が願われる基準に到達した私が、その当時を振り返るとき、その苦難に満ちた記憶がすべて、喜びに変わったのです。

私はいつでも、お父様と深い対話をし、交流することができました。お父様と私の間には、尽きない話題と限りない理解があり、無限の信頼に満ちあふれた対話がありました。お父様とそれほど多くの話を交わさなくても、深く互いの事情を理解することができました。なぜなら、お父様が通過してこられた事情と、私が歩んできた道が、神秘的なほど、非常に似ていたからです。お父様とは、共通の一つの目的を深く理解し、それゆえに不屈の信仰ですべてのことを忍耐し、すべての苦難と闘って完成基準に到達して、今やサタンが一切侵入できない基準まで歩んできたという勝利感があります。お父様と私が向かい合うとき、互いに感じる勝利感によって、私は限りなく慰められ、平安を得ることができました。

3   私(お母様)は、自分自身の体験を通して、神様について、神様がどのようにそのみ旨を成就されるのかについて、多くのことを知りました。人生において、私は、本当に天国と地獄をすべて通過してきましたが、そのどちらも、神様が期待される、完全に成熟した人格を形成するために必要なものだったことを知るようになりました。

もし私が、天国の喜ばしいことだけを享受してきたとすれば、天国の生活をそれほど深く味わい、感謝することができなかったでしょう。私は、地獄のどん底までも通過し、その苦い味も体験しました。「これ以上、このように難しい道を進み続ける力が私にはありません。この道を進み続けるのは絶対に不可能です。神様!なぜ私にこのような道を行けと言われるのですか」と、数え切れないほど尋ねました。私に必要だったのは、真に朽ちることのない不屈の信仰と決意と忍耐であり、それが今日の私自身をつくり上げたと言えます。

皆さんが天国に行く道において、天国的な面だけを期待してはならないというのです。地獄的な面も当然、予期しなければなりません。地獄のどん底の監獄を通過することも、当然、予期しなければなりません。それこそ、神様の恩恵を感じられる最も貴い部分であると言えます。そのような過程を通過するとき、皆さんはより堅固に立つことができ、円満で総合的な人恪と霊性を備えた人格者として、さらに成熟することができるでしょう。そして、天国をより深く体恤できるでしょう。そのような体験が、いつか皆さんの誇りとなるでしょう。勝利と忍耐の記録こそ、いつの日か皆さんの誇りとなるでしょう。

勝利された真のお母様真のお母様は、満ちあふれる慈愛をもって、時には限りなく崇高な涙をもって、時には少女のような清らかなほほえみで、時には澄み通って地の果てまで響く玲瓏(れいろう)な声で、暗闇を貫く輝かしい光を発せられた。真のお父様は、「真のお母様の勝利によって、復帰摂理を完成、完結、完了することができた」と語られ、真のお母様の勝利に対して、「実に、無私こそが成功の鍵」であることを強調された。

真のお父様が一九九九年六月十四日の「真の父母様天宙勝利祝賀宣布表彰牌」の中で明らかにされたように、真のお母様は、「神様の特命と復帰摂理歴史の結実として結ばれた本然の神様の子女であり、人類の真の母の使命」をもってこの地に来られ、「天のみ前に真の子女の使命、夫の前に真の妻の使命、そして、子女の前に真の父母の使命」を完遂された。そして、真のお母様は、天だけが記憶される中、蕩減復帰の苦難の路程を勝利し、永遠なる真の父母の伝統を立てられたのである。

4   お母様は、家庭の母として、教会の母として、天宙の母として、当然、真の母として、より大きな責任をもつようになります。そのようなお母様が他の人に比べて特別な点は、生まれつき鋭敏な霊的直観力をもっていることです。また、人物や事物に対する洞察力と観察力がとても正確で、直観力も非常に鋭く、明晰ですから、お母様の心に反映されたものはいつでも真実だというのです。その次に、お父様に対する絶対的な忠誠心をもっており、誰が何と言おうと、何でもやると深く決意していることです。それがお母様の信念でもあります。そのような信仰と信念があるので、その苦難の歳月にも、目的達成のため、実に信じ難いほどの忍耐力をもって勝利してきたのです。

5   お父様は、お母様がみ旨に対して特別な性稟をもっていることを深く感謝しています。それは、お母様が常に私心なく、自分の子女だけでなく、皆さん食口に対しても、何でも与えようとすることです。自分の物のうち、何か貴く思う物があれば、いつも誰かに与えたいと思い、与えることを喜びとするというのです。世の中の多くの人々は、真のお母様には多くの喜びがあり、宝石や服などをたくさんもっていると思うかもしれませんが、事実は決してそうではありません。

何でも、自分が良いと思う物は誰かにあげて喜ばせたいと思っています。天候が突然変わったある日などは、お父様と外出しなければならないのに、箪笥(たんす)の中に服があまりなく、その天候に合うふさわしい服を見つけられないときもありました。もちろん、そうでなければ、お父様自身の伝統に付いてくることができないのですが、お母様はお父様以上に質素な生活をしてきたのです。

6   お母様は、ひたすら完成基準に向かって、七年間闘ってきました。この七年という期間に、実に様々な非難と中傷、うわさ、誤解などが真の父母様の家庭を取り囲み、渦巻いていました。非難と中傷と迫害ゆえに血を流すような期間でしたが、それらすべてのものが、必要だったのです。問題は、お母様がこのような試練に耐え非難されてもそれを克服して越えられるかということでした。

お母様はすべてのことに勝利しました。お母様はひたすら沈黙を守って、耐え忍ばなければなりませんでした。このような事情の中で、歳月が流れていきました。しかし、いかなることが起こっても、お母様は最後まで不屈の信仰によって忍耐し、犠牲になりながら、沈黙を守り、信仰し続けてきたのです。そして、ついに、非難されてきた事情がすべて逆さまになり、皆がお母様に頭を下げ、「この方は、本当に天宙のお母様であられる」と考えるようになりました。そのように尊敬し、侍るようになったのです。

7   時には、とても信じられないことが起こったりもしました。お母様を非難していた人々は結局、一人ずつ離れていきました。お父様は原理を知っているので、このような類の事情をいかに主管し、指導者としての使命を果たして、最終的な勝利をもたらすべきか、よく分かっていたのです。もし原理を知らなかったならば、本当に、どのように処理すべきか分からず、うろたえたでしょう。結局は、愛です。愛が中心であり、すべてが愛の問題なのです。そして、愛の問題が極端な方向に行くこともあり得るというのです。お父様は、愛を征服し、復帰するために来ました。そして、それは神様に対する心情復帰でもあります。それこそ、愛の十字架でした。しかし、お母様は、このような困難を経ながらも、ただの一言も弁明しませんでした。お母様自らその苦難の意味を悟って忍耐し、ついに勝利したのです。

8   お母様について話すことができるのは実に勝利的な信仰だったということです。お父様に対する絶対的な信仰でした。お母様も大母様も、共に勝利しました。この天宙的な勝利以降、今やお父様として、そこにふさわしい栄光を(お母様に)与えることにしました。大母様も、生涯を通してお母様の母親にふさわしい、正当な尊敬と栄光を受けなければなりません。もしそれらを受けることができずに亡くなれば、子孫にその結果が現れるでしょう。原理的観点から見るときお父様はお母様に、これまでとは違う形で向き合っています。それが復帰の過程です。それほど難しく、大変なことなのです。これがどれほど難しいことか、皆さんはとても理解できないでしょう。

お母様と大母様は、最も光栄で、責任ある立場に選ばれたのですが、統一教会の最も低い立場で入教し、最も低い位置からその路程を出発しました。このことから、私たちは神様の祝福が、最も高く、光栄で神聖な所で受けるものでは決してなく、人間の悲惨で最低な立場に打ち勝って受けるべきものである、という教訓を学ぶことができます。そのようにしてこそ、祝福が永遠のものとなり全人類を包容できるものとなるのです。

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第三節   天が選んで立てた真のお母様三代にわたる準備真のお父様のみ言によれば、新婦基盤全体を代表した女性が人類の真の母になるには、それにふさわしい摂理的条件が具備されなければならない。その第一の条件は、サタン世界の讒訴を越え得る内的な血統的内縁(内的な縁故)である。人類の女性全体を代表する一人の女性が立てられ、真のお母様にまで連結するため、その背後には三代にわたる一人娘の女性がいなければならないというのである。それゆえ、真のお母様の母方の家系は、三代にわたって一人娘をもうけることにより、天の側に聖別されてきた。そして、外祖母の趙元模女史と大母様、真のお母様は、一人娘として、周辺に親戚が多くなく、しがらみのない暮らしを通して分別生活をしながら、天の新婦基盤を準備したのである。

1   誰でもお母様になれるというわけではありません。すべての摂理が、エバの歴史を中心とした摂理と連結された関係を中心として出てくるのです。そのような内外のすべてを合わせ、主が来られて三人の女性の協助を受けて結婚式をするようになるのですが、その時、三人の女性は、蘇生、長成、完成と同じです。

祖母から母、娘まで、三代が一つになったというのは、旧約時代、新約時代、成約時代が連結されたということです。それによって、父母が定着できる時代に入ってくるのです。お母様が中心です。蘇生が中心ではなく、長成が中心ではありません。ですから、歴史時代のあらゆるものが三段階を経なければなりません。平面的時代のあらゆるものは、三番目の段階を完成してこそ、完成の段階に立つのです。

2   お母様は、世界の女性たちの代表です。その人類全体の女性を代表して一人の女性が受け継ぎ、お母様にまで連結されたのです。ですから、お母様の背後には、三代が連結されなければなりません。本来は一人娘にならなければなりません。アダムも一人息子であり、イエス様も一人息子です。再臨主も、神様のみ旨から見れば、一人息子です。一人息子のみ旨を立てていくので、一人娘でなければなりません。ですから、復帰摂理から見ると、男性と女性が相対的な立場で一つになって結ばれ、世の中のサタン世界を越えて天の国へと行かなければなりません。

3   お母様お一人がお生まれになるためには、三代が一人娘であると同時に、三代が、来られる主のために生きた功績の基盤がなければなりません。お母様の背景を見ると、趙元模おばあさんから洪順愛おばあさん、そして、お母様まで、三代が一人娘です。また、洪氏おばあさんは、再臨主を迎えるための神霊教団の重要な幹部として教育されてきました。そうして、南に避難してくる頃に、お母様が許浩彬氏の母親から「天の花嫁になるだろう」という祝福を受けたのです。お母様がそのような祝福を受けた基盤は、天が準備したのです。

4   お母様の三代が再臨主を迎えるための準備をしました。歴史は、そのようにして上がっていくのです。プロテスタント教会から反対され、カトリック教会からどれほど反対を受けたでしょうか。李龍道牧師を中心として新イエス教会をつくったといって、どれだけ迫害を受けたでしょうか。神霊的な役事と韓国の中心人物たちをすべて連結させて、お母様が祝福を受けました。お母様の家系は、十二人を超えてはいけないのです。

5   腹中教は、主が人として来て母を選定し、十二使徒を立てるという信仰をもっていて、主に侍る訓練をさせました。お母様は、その特定集団を通して訓練を受けました。その腹中教の教主の母親がお母様を呼び、祝福してくれました。気づいてみると、祝福をすべて受けていたというのです。そこに男性がいてはいけません。できるだけ一人娘でなければならないというのです。

6   来られる再臨主を歓迎するために準備した代表者が李龍道牧師です。李龍道牧師は、既成教会から追い出されて新イエス教会をつくり、鉄山の金聖道と連結され、白南柱を通して東と西が連結されたのです。ですから、大母様の家庭を中心として、一つは新イエス教会へと進み、もう一つは女性を中心とした腹中教へと進んだのです。

腹中教において、主を迎えるために、先導的な代表として家を出て歩んだ人が大母様です。新イエス教会から祝福を受け、腹中教から祝福を受けたのです。お母様の家門を見ると、そのようにしてきたというのです。そうでなければなりません。

天の新婦としての準備生活神様は、ひとり子として再臨主を送られ、ひとり娘である天の新婦をあらかじめ準備してこられた。真のお母様は、幼少時代に周辺から「天の新婦になるだろう」という霊的な証を、数回受けていた。「小羊の婚宴」が近づくと、真のお母様が天の新婦になるという夢の啓示が、多くの食口にも現れ、特に、大母様も夢で啓示を受けた。白い礼服を着た女性食口たちがピンク色の花を手に持ち、真のお父様の部屋に入っていくのだが、後ろを振り返ると、食口ではない女性たちも花を持って立っていた。その時、大母様は、「神様は女性を失ってしまったので、六千年間、女性を探し求めてこられたのだな」と考えた。そこで、真のお母様が、お座りになっている真のお父様の前に歩いていくのが見えた。その間、天から雷鳴と稲光が起こり、一ヵ所に集まった。そして、大勢の人々がその光景を羨ましそうに眺めているのだった。その時もやはり、大母様はそれが何を意味するのか分からなかった。それでも、大母様は、夢の啓示が実現されるように精誠を尽くしながら、真のお母様を養育してきたのである。

7   大母様が主を迎えるために歴史的な受難の道を歩んできたので、お母様もそのような訓練を経た歴史があるのです。み旨のために真心を尽くす夫の道であるならば、それ以上に熱心に従う女性と、そのような家門が必要です。そのように考えて、お母様を迎えたのです。

8   大母様は、迫害を受け、新イエス教会から腹中教を経て、統一教会まで来ました。三つの教団に仕えた歴史がなければ、お母様の先祖になることはできません。大母様がお母様を生んだのも、霊界の命令があって生んだのです。そのような歴史があります。そうでなければ、お母様として誰でも連れてきて立てることはできないのです。

9   母になるためには、三時代の祭物的な家庭にならなければなりません。一人娘の歴史を残さなければなりません。大母様がお母様を身ごもって、一人でこの道を出発したのです。純潔な夫を探し求める三時代の女性たちが歩まなければならない、十字架の峠を越えて育てなければなりません。お母様として、誰を選んでもいいのではないのです。お母様にとってお父様は、祖父の代わりであり、父の代わりであり、夫です。ですから、お父様と向き合うときは、兄のように思い、父のように、祖父のように、王のように思ったというのです。それゆえ、お父様がそれを知って、そのような妹の位置から育てていかなければなりません。婚約者の位置、夫婦の位置、母の位置、祖母の位置、女王の位置まで上がっていくようにしなければならないのです。

10  お母様を尊敬せざるを得ません。三つの教団を経てきました。大母様から、「主が来られるので、主に侍ろうとするなら、このように侍らなければならない」と何回も聞いたので、それが骨髄にしみ込んでいるのです。そうでなければお母様になることはできません。

この十七歳の娘が、女王にならなければならないのです。天の国の女王の位置まで進んでいかなければなりません。ですから、結婚したのちに、統一教会において、相対の位置、母の位置、祖母の位置、その上の女王の位置に上がらなければなりません。母と言えば、その母は国を代表する母です。妻と言えば、その妻は王の代身の妻なので、王として侍るのです。

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10  私は二十歳(数え)になるまで、血の涙の過程を経ながら生きてきました。乞食たちと友になり、彼らを自分の兄のように、自分の母のように愛する心をもつことができなければ、神様の心情圏に入れないことを知っていたので、そのような修練過程を経るために、日本に行っても、民族を越えてそのようなことをしました。私は、土木現場に行ってお金を稼ぎ、友人の学費を出してあげたりもしました。皆さんもその道を行かなければなりません。なぜそのようにしたのでしょうか。困難な曲折の道を自ら願って歩もうとしたからです。

11  雪の降る日や、台風が来た日は学校に行かず、土木現場に出掛けて働きました。そのような時は、とても気持ちが良かったのです。台風が吹いていた時なので、そこで手が真っ黒になっても、雨に当たって、きれいになってしまいます。そのような中で汗を流しながら働きました。その気分は本当に爽快です。

また、その中に悪い人がいれば、こらしめてあげました。時には大男をやっつけたりもしました。また、土木現場には班長がいて、搾取するのですが、給料の三割をかすめ取っていきます。ですから、「そのようなことをしてはいけない」と強く抗議しました。私は、普通の人が恐れるような人たちに対しても、「そのようなことをしてはいけない」と言って、彼らの言うことに従いませんでした。かえって彼らが私に降伏したのです。

12  昔、東京にいた時、二十七の区域にリヤカーで配達する配達夫の仕事をしました。自ら訪ねていってしたのです。お金が必要だったからではありません。訓練が必要だったのです。運送会社ならば、運送会社の人々を説得しなければなりません。知らなければ説得できません。夏に電信柱をリヤカーに載せて十字路を通るとき、電信柱が横に傾いたのですが、人々がそれを見て、大騒ぎになりました。十字路を渡っていて横に傾き、リヤカーがぐるっと回ってしまったのです。それで、男女の別なく逃げていった姿が、ありありと目に浮かびます。

また、今記憶に残っていることは、貧民窟での生活です。そこでぼろをかぶってしらみを取っていた生活が、今も生々しく記憶に残っています。神様の息子が最前線の将兵になり、サタン世界を征服するためのゲリラになったのです。

13  日本にいる時、土木現場に通ったことと、銀座でリヤカーを引いて歩いたことが、今でも生き生きと記憶に残っています。それは、私が御飯を食べるためにやったわけではありません。若い頃に苦労することにおいて、私が模範にならなければならないと思ったのです。

学校に行けなくなった学生を卒業させるために、私が何ヵ月間か学校を休んで、彼らの父や母の役割までしました。夜もありませんでした。夜中の二時に起きて、そのような仕事をしたりもしました。ありとあらゆることをすべて経験したのです。何のためにそのようにしたのでしょうか。私が人より愚かだったからではありません。会社に行って仕事もしてみて、字を書いて売ってみたりもしました。ある時は、会社で現場監督もしてみたのです。

14  私は、世の中についてよく知っています。既に幼い頃から八道江山(パルドガンサン)(韓半島全土)で行かなかった所がありません。

日本に行っても、行かなかった所がありません。困難な所はすべて回りながら、ありとあらゆる仕事をしてみました。大きな会社の使い走りから何から、すべてやってみました。そこでどんな扱いを受けても、私は一言も言いませんでした。通りすがりの一人の留学生にすぎないのですが、何を考えているか分からないというのです。貧民窟からすべて通過していきました。結局は自分の実力を備えなければならず、実力をもって実績を残さなければなりません。

自己主管と真の愛の道を体験真のお父様の日本留学時代は、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」という標語を自ら実行する期間であった。特に、体をむやみに見せたりせず、五官の統制訓練などを重ねられた。そして、人情を越えて天情を立て、留学時代は、一貫して「日本人を誰よりも愛する条件を立てよう」という思いで、怨讐の国の人を兄弟のように、父母のように切々と愛する修練過程を経ていかれた。

15  私は、少年時代にこの道を修めてくるとき、自分を主管するまでは映画館の前も通りませんでした。酒場の前も通りませんでした。自分が自分を主管するまでは、何をしてもすべて失敗します。主管するのが一番難しいことは何でしょうか。

眠りの問題が一番難しいのです。その次に空腹です。そして、情欲の問題です。これが三大怨讐です。ですから、徹夜しながら、それを主管するための修養過程と考えてきたのです。

おなかをすかせながら、修養過程と考えて歩んできました。一人で暮らしながら、修養過程を通ってきたというのです。自分を主管する前に宇宙主管はできません。自分を主管してこそ宇宙主管ができるのです。自分を主管してこそ神様を呼ぶことができるのであり、神様の主管圏を願うことができるのです。これが原理観です。アダムは、自分を主管できなかったので堕落したのです。

16  日本が戦争をするとき、東京の新宿の裏通りなどを見て回りました。そういう所について研究し続けました。どこに行っても、自分にプラスになるものを得てくるのです。悪い所に行っても、消化できることは消化します。そのような主義です。良い環境を探し回る人ではありません。

修養するときは、必ず静かで荘厳な場所や、深い山のような所に入らなければならない、ということでは話になりません。静かな所でなければ勉強できないというのは、私には通じません。モーターやエンジンが動く工場でも勉強しました。そのようなことが得意です。様々なことをしながら準備するのです。腕っ節の強い人が弱い人をいじめる時には、彼らを単独で片づけます。私一人で闘うのです。それは、公のためにそのようにするのです。これは人生哲学に必要な問題です。

17  私は、皆さん以上に希望が山のようにあります。しかし、皆さんを僕の道に追いやらなければならない時が来るので、私自身も先に僕の立場で歩みました。そのようにしなければ、僕の生活をさせる資格をもつ人になることができないのです。

他人に僕の生活をさせようとすれば、自分自身が先に僕にならなければなりません。この国の僕にならなければなりません。私は、忠実な僕になって、三歳の幼子にまで朝晩侍ったことがあります。その幼子に神様のように侍ったのです。また、日本留学時代、しらみが湧く貧民窟でも暮らし、石炭も背負い、塩も背負ってみました。やらなかったことがありません。そのような歴史があったのです。

その恨を皆さんが解かなければなりません。それでは、感情的あるいは心情的な決意の基点をどこでつかむのでしょうか。そのような基点をつかむ場に、皆さんは私の代わりに行かなければなりません。皆さんがそのような場で涙を流し、迫害を受けるなら、皆さんの血管でお父様の血が躍動するのです。

18  私は、人々がしないことは何かを研究しました。「私は食ベずに我慢できるだろうか」と考え抜いた末、「できる」という信念をもって訓練に臨みました。御飯が出てくれば、いつもどんぶりで三、四杯を一気に食べてしまいます。それくらいおなかをすかせていました。ある日、「どれほど食べられるか試してみよう」と思いました。

戦時中だった当時は、食券というものがありました。その食券があったので、「何杯食べられるか、よし一度試してみよう」と思い、友達を連れて食堂に入りました。そこで食事をしたのですが、親子丼を七杯も食べました。七杯も食べると、首が回らないのです。それはおなかがすくよりもさらに苦痛でした。動くこともできませんでした。そのようなこともしたのです。

しかし、いつもそのようなことをしていたと思ったら大間違いです。私は、いつもおなかがすいていました。それでは、なぜそのように過ごしたのでしょうか。自分のおなかだけを満たしていれば、自分から民族が遠くに逃げていってしまうからです。神様も自分から遠くに逃げていってしまいます。おなかがすいて食べたくても、それ以上に民族と神様を愛さなければならないと考えました。それが真理であり、信条でした。このようにしながら、この道を開拓してきたのです。

19  東京にいた学生時代、雨が降る日は、学生服を着ていましたが、できるだけびしよぬれになった労働者の横に行きました。一番ひどい臭いがする所に行くのです。行って、「この方が私の兄、私の父だったらどうしただろうか。私のためにこのような悲惨な状態にいるとすれば、私はどうすべきなのだろうか」と考えました。

また、電車に乗れば、車中の学生たちのうちで、身なりのいい学生たちを見ながら比較するのです。「君たちが笑って過ごしているうちに、君たちの青春が流れていき、君たちの一生が流れていくが、私の思いの中では、私の一生が輝き、将来、希望の太陽が昇るのだ」と思いました。「私には未来が保障され、希望があるが、君たちには未来の希望がない」と考えるのです。

一生の間、真の父母の名を立てることは、極めて難しいという事実を知らなければなりません。すべての人に対して、主体性をもち得る自分自身を発見しなければならないのです。

20  お父様は、日本で勉強していた学生時代、故郷の家に行く際には、電報を打ちませんでした。また、定州駅から家まで、およそ二里になるのですが、できるだけ風が吹いて寒い日や、雨が降る日に歩いていくのです。歩きながら祈ってみると、「実に素晴らしい方が世の中をつくられたな!」と悟るようになります。

日が傾いて夜になった時や、白い雪が降った晩に、一人で歩きながら感じたその思い出は、一生の間忘れられません。小さなお土産を両手に交互に持ち替えながら家に向かうとき、両親がどのような顔で迎えてくれるだろうかと思うと、とても感傷的になります。それを考えると、その期間がどれほど幸せな期間だったか分かりません。

早期卒業と帰国真のお父様は、当時の戦時状況の変化により、学期が半年短縮され、一九四三年九月三十日、早稲田高等工学校電気工学科を第二十五期生として卒業された。真のお父様は、卒業と同時に、故郷の家に帰郷の日程を知らせる電報を打ち、十月四日発の関釜連絡船乗船チケットをあらかじめ購入された。

出発当日、友人たちの見送りを受け、東京駅のチケット売り場に入ろうとした時、どういうわけか、心が不安になり、足まで動かなくなったため、悩み抜いた末に出発を保留された。

その日、真のお父様が乗船しようと予約した関釜連絡船・崑崙丸は、十月五日午前一時十五分頃、沖ノ島の北東約十海里の海上で、アメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃を受け、沈没した。帰郷日を延期したとの通知を受けていなかった故郷の本家では、事故の知らせに接するやいなや、大騷ぎになった。真のお父様は、「今は、民族の恨を解いてあげられないまま帰るが、近いうちに、必ず日本の青年たちに対して命じ、教える時が来るだろう。その時、もう一度会おう」という内面の誓いを立てながら、十月中旬、帰国の途に就かれた。

21  卒業する当時は、太平洋戦争中でしたが、兵役問題もあり、六ヵ月短縮して、九月に卒業しました。故郷の家には、関釜連絡船で帰り、何時に到着すると電報を打っておきました。ところが、その船が戦争のため、沈没してしまったのです。故郷では、乗船者名簿を調査しましたが、私の名前はありませんでした。それで、皆、死んでしまったと思い、大騒ぎになって、村全体がひっくり返ったのです。

22  私が日本から帰る一九四三年、崑崙丸(こんろんまる)が沈没しました。卒業を六ヵ月短縮したので、下関を経由して、韓国のソウルまで行くチケットを買ったのですが、その時に乗るべきだった船が崑崙丸です。汽車に乗ろうと、東京駅に入ったのですが、気分がおかしいのです。それで、その汽車には乗りませんでした。家には、間違いなく何日に到着すると連絡しておきました。チケットを買って、既に何時の便で行くと連絡しておいたので、故郷ではその日、その時間に来ると思っていたのです。ところが、東京駅で私が引き返したのです。その船が沈没してしまいました。その時、私は東京駅に見送りに来ていた友人と、熱海かどこかに行きました。ですから、故郷では、「帰る」という連絡があった人が来ないので、死んだものと思ったのです。

その時、私の母は、気が動転したのです。定州からソウルまで五十八里の道のりですから、汽車では十時間かかります。それを、釜山まで行こうとするのですから、どれほど気が動転していたでしょうか。チマもはかず、薄手のズボンだけはいて飛び出したのです。靴がいつ脱げたかも分からずに走り続けたので、アカシアのとげが足の裏に刺さって固くなっているのも分かりませんでした。それを、私が帰ってきたあとに抜いたという話を聞いて、私は「ああ、父母の愛はそのように偉大なのだなあ!」と悟りました。

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明水台教会設立と教会学校の生徒指導真のお父様は、ソウルの黒石洞(フクソクトン)時代の初期、日本統治体制の影響下にあった教会の独善的教会行政と教理中心の信仰形態に異を唱え、韓国的聖霊運動を主導したペンテコステ教会と交流をもたれた。そして、西氷庫(ソビンゴ)ペンテコステ教会に通われ、一九三九年の秋、黒石洞に新イエス教会を建てるに当たって、主導的な役割を果たされた。平壌から李浩彬、朴在奉(パクチェポン)牧師が頻繁に訪ねてきて、復興会と聖書写経会を行ったときには、そこに同参され、彼らと深い交流をもたれた。そして、新イエス教会の教会学校の生徒たちを格別な愛情で指導され、長期の休みの際に平壌に行けば、教会学校で説教をされた。

25 私は、学校に通いながら教会学校の学生たちも指導しました。黒石洞教会でも、西氷庫教会でも、そのようにしました。当時は、夜になると寒いので、漢江が凍り、水の割れる音がしました。一人でいると恐ろしいのです。そのような漢江を渡りながら、西氷庫教会の教会学校の学生たちを指導しました。私は、教会学校の学生たちを上手に指導したのです。涙を流しながら話をしました。

一度そのように泣きながら話をしてあげれば、学生たちがもう十分だと言うはずなのに、追いかけてきて「また話してほしい」と言うのです。

26 私は、三人の友達と力を合わせて、ソウルの黒石洞に明水台・新イエス教会を造りました。私が学費をはたいて投資したのです。今も教会の跡は、すべて残っています。そして、新しい教会が始まる前、多くの人々をそこに連結させるために、西氷庫を中心として伝道したことが思い出されます。冬になると漢江がかちかちに凍り、水面の氷が割れて、とても恐ろしい音がしました。恨の多い歴史時代でしたが、思い出もたくさんあります。

27 私は、幼い子供にも敬拝した人です。三歳の子供を天の王子のように思い、精誠の限りを尽くして侍りました。私は、公証できる内外のあらゆる歴史的勝利の基台を築いて話すのです。幼い子供から勝利してきました。これを三代以上できなければなりません。そのような伝統をもたなければならないのです。幼い子供たちを私自身の希望の相対とみなし、教会学校の学生たちを指導した名指導員です。彼らを誰よりも愛しました。その子供たちが、学校にも行かずに、私のあとを付いて回ろうとしたのです。カインを愛する歴史を開拓することが私の使命だからです。

28 李浩彬牧師、朴在奉牧師、韓俊明(ハンヂュンミョン)牧師が新イエス教会の主な責任者でした。それで、彼らが建てた平壌の新イエス教会には、数千人の学生がいました。その教会は名が知れ渡っており、教会堂も非常に立派に建てられていました。

私が教会に寄るときは、いつも学生会に責任をもち、指導しました。それで教会学校の学生たちを指導することで私は有名になりました。ですから、教会の牧師たちをよく知っていて、また青少年を中心に有名になったので、誰もが自分の家に私を招待しようとしました。

29 私は、平壌にある新イエス教会の李浩彬牧師、韓俊明牧師、朴在奉牧師に対する秘密の内容を、誰よりもよく知っています。

彼らに、「あなたはこのような召命的責任を中心として、このように生きることを分かっているのですか」と尋ねると、答えられなかったのです。「そのような行動をしてはいけない」と忠告しました。ですから、私のことを最も恐れたのです。旧約・新約聖書の秘密をすべて知っていました。

学生だった私がそこに立ち寄れば、数千人の教会学校の学生たちが、「話をしてほしい」と私のところに来るほど、有名な学生指導者でした。子供たちがすっかり夢中になり、私が帰るときは、停留場にあまりにも多くの人が集まるので、牧師たちがみな、防御線を張って私を保護しました。ですから、その三人の牧師は、いつでも私の言うことを聞くのです。

第四節 日本留学と原理の究明神様解放の志を抱いて真のお父様は、未来の摂理のためにより大きく、広く準備しようと、日本留学に旅立たれた。一九四一年三月三十一日、京釜(キョンプ)線のひかり号列車に乗ってソウル駅を出発し、四月一日、関釜連絡船・昌慶丸に乗って釜山を離れ、下関に向かわれた。そして、四月初旬、早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科に入学された。

1 私は小さい頃から、「この国が日本よりも強い国だったら、このようにはならなかっただろう」と考えていました。問題はそれです。弱いから、弱い背景と弱い基盤に立っているから、悲惨な運命の道を避けられない、ということを切実に感じました。その時に思ったのは、「世界で一番の強国はどの国か。アメリカだ」ということでした。

その時、既にアメリカについて知っていました。「それならば、アメリカは日本よりも大きな国だが、アメリカも、日本がするように、自分の国権を拡張するために、弱小国を占領してこのようなことをするだろうか、しないだろうか。同じだ。している。だとすれば、正義の国家、この世界を代表し、正義の立場に立って弱小国を保護し、育ててくれる正義の国はないのだろうか」と幼い頃から考えていました。もしそのようなことができる何かがあるとすれば、それは何かと考えたのです。歴史的に見るとき、人間世界では不可能ですが、もし創造主がいるとすれば、創造主なら可能だというのです。

ですから、「創造主、絶対者がいるなら、私はその絶対者を通して国を生かし、圧迫を受けている民族の解放を成し遂げよう」と思いました。それで、神様がいるかいないかという問題に取り組み、宗教を探査しました。神様がいるのなら、その神様に自分が一度会わなければならないと思ったのです。そうして十代を過ごし、二十代に向かいながら、信仰路程において様々なことにも悩みました。

そのような中で、「日本に行ってみなければならない。日本を経てアメリカに行ってみなければならない。現地に行って、弱小民族が悲痛な目に遭い、迫害を受けるとはどのようなことなのかを体験しなければならない」と考えたのです。

2 漢江の鉄橋を通り過ぎる時、涙をぽろぽろ流したのがきのうのことのようです。孤児のごときこの民族を置いて日本に行く時、汽車の中で外套を頭からかぶり、釜山まで痛哭しながら行きました。

ある日本人のおばさんが汽車の中で泣いている私を見て、「学生さん、親御さんでも亡くしたのですか。そのような悲しみは、人なら誰にでもあることではないですか」と言いました。しかし、私の悲しみは、ひとえに国を愛する気持ちでいっぱいになってあふれ出た悲しみでした。国を愛せない人は、天を愛することができないのです。

3 私は、日本留学に行くため、ソウルから「ひかり」という汽車に乗って釜山に行く時、「私が日本に行って学んでくることは何か。この国を解放し、成長しつつある次の世代が、希望にあふれて前進と出世ができる道、自主的独立国家を備えられる道を、私が築かなければならない」と決心しました。

汽車が漢江の橋を通り過ぎる時、手すりをつかんで、とめどもなく涙を流したことを今も思い出します。「私が帰ってくる時は、涙を流して帰ってくる男にはならない」と考えました。

4 私は、釜山から船に乗って日本に行ったのですが、その時、連絡船の中で、とめどなく涙を流したのが、ついきのうのことのようです。当時は日本統治時代です。ですから、哀れなこの民族を、誰がその束縛から救ってくれるのかというのです。私は星を見つめながら夜を明かし、この民族の解放の一日のために、涙を流して精誠を捧げました。この民族のため、神様のみ前に「私はこれから旅立ちますので、帰ってくるまで、神様、この民族をお守りください」と祈ったのです。そのように涙を流しながら恨の心情を残したのが、きのうのことのようです。

5 私は、早稲田大学附属高等工学校に入って、夜間部に通いながら勉強しました。それは、苦学生たちの費用を援助してあげるためでした。私は労働者生活をしながら暮らしたのです。それを皆さんは知りません。今、生きている人たちがこのことを涙で訴えなければ、日本は立つことができません。日本の人たちが、姿勢を正して立つことができない恥ずかしい歴史を抱き、痛哭とともに謝罪しなければならない日が残っているというのです。

6 日本統治時代の時、日本の友人もたくさんいました。その友人たちにも、分け隔てなく接してあげました。彼らは、難しい事情があると、私のところに相談に来ました。「韓国はどうなのか」と言いながら、大勢の友人たちが訪ねてきたのです。そのような日本の友人たちに負けたくないと思いました。彼らが一言話せば、私は二言話すのです。私は本当に早口です。日本人に話す時も、迅速に話します。素早く話せるように研究して訓練しておきました。今後、日本の青年たちまで自分の手で消化し、世界のために用いると誓ったのです。普通の日本人以上の常識をもって弁論ができる能力を備えなければならないと思って訓練しました。

7 昔は、言葉を速く話さず、ゆっくりと話しました。日本に来て、日本語を学びながら、一分間で誰がより多く話せるかを日本人と競争したりもしました。彼らに負ければ眠れませんでした。三十分ほど話をするのに、ゆっくり話せば千語しか話せないところを、ある時は倍以上速く話し二千語以上も話しました。ですから、訓練が必要なのです。

「原理」の究明と心身訓練真のお父様は、日本留学時代から、原理の究明と体系化に没頭された。聖書全体を反復して読破し、新たに究明された原理と照らし合わせて検証された。下宿先の机の上には、いつも韓国語、日本語、英語の聖書が置かれていた。特に、韓国語と日本語の聖書には、文字を判別するのが難しいほど、傍線などが引かれていた。膨大な天倫の拫本真理を体系化する過程は、誰も道案内できない、ただ独り、孤独に歩む探究の道であった。そして、学業のほかにも、下層の生活から中流層と上流層の生活まで、等しく経験しながら、つらい修練をされた。将来、途方もない使命を完遂するため、いかなる環境においても限界線を突破し、目的地点まで進もうと、万事に対処できる力を蓄えられた。特に、家から送られてきた生活費は、貧しい人々のために使い、背負子(しょいこ)や荷車で物を運ぶ仕事などもされた。労働者の友人であると同時に、兄弟ともなり、一緒に血と汗を流しながら苦楽を共にした。「萬苦の勝者、栄高の王者」になることを、訓練を通して自ら体得されたのである。

3 私は人々に、自分がどのような思想をもっているのか、全く話しませんでした。友達も知りませんでした。私は、聖書を研究したり、宗教関係の書籍や、普通の人があまり読まない哲学書も読みました。早稲田大学の政経学部に通う友人がいたのですが、共産主義を勉強していたその友人と激論を交わしたことがあります。

また、路傍に立って大声で演説したこともあります。桜の花が満開で、多くの人が集まっている所でも演説をしました。その時代に対する批判をしたのです。「あすの青年は、これこれこういうようにしていかなければならない」と叫びました。その時に預言したことが、今になってそのまま的中しつつあります。その時、友人たちが見物に来て、私が演説しているのを見て仰天したのです。

9 ソウルの学校から推薦を受けて、早稲田大学附属高等工学校に入りました。学校の勉強の代わりに、教会関連の勉強をし、また、聖書にある未知の事実を突き止めるため、聖書を深く読みました。聖書の一つの章を中心として、五年間研究しても、解決できないことがあります。その一つの章が問題だというのです。それが根です。そのように、聖書の中で最も難しく、難解な問題をすべて明確に解かなければなりません。そのようにして解き明かしたのが「原理」のみ言です。天と共にこれを解き明かしたので、天が無関心ではいられないのです。天はすべて知っているというのです。

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真のお父様との出会い聖主教の金聖道は、長男の鄭錫天(チョンソクチョン)に、「神様が任せてくださったこのみ旨を、私が成就できなければ、他の人を通してでも成し遂げる。その代身者も、私と同じように淫乱集団として誤解され、迫害を受け、獄中での苦しみを味わうだろう。そのような教会が現れれば、真実の教会であると思って、訪ねていきなさい」という遺言を残した。そのため、鄭錫天は、姉の鄭錫溫(チョンソゴン)と共に、母親の代でこのみ旨が成し遂げられなくても、次の代、あるいはその次の代になれば、必ず成し遂げられると信じ、南下したあと、家庭で熱心に礼拝を捧げながら、このみ旨が成し遂げられているところを探し回った。その頃、新聞に報道された梨花女子大学退学事件の記事を読み、鄭錫溫が娘と共に奨忠洞(チャンチュンドン)のソウル統一教会を訪ねるようになった。その後、真のお父様は、一九五五年十月四日、西大門刑務所から無罪で釈放されたのち、鄭錫天の消息を聞き、大邱の東城路(トンソンノ)にある鄭氏の家を自ら訪問された。これにより、のちに大母様と真のお母様が、真のお父様に出会うことになったのである。

10  真のお父様が西大門刑務所から出監され、復興会の激励のために大邱に来られた一九五五年十一月頃、春川にいらっしゃった大母様は、鄭錫天氏から手紙を受け取りました。聖主教とそっくりな教会がソウルにあるというのです。そして、真のお父様が今、大邱に来てみ言を語られるから、早く来て聞きなさいということでした。しかし、大母様は、事情があってすぐには大邱に行くことができず、翌月、十二月に行かれました。大母様が大邱に行くと、鄭錫天氏は、「ようやく主を探し出しました。腹中教で服を準備してお迎えしようとしていた方を、ようやく探し出したのです。その方が、大邱に来てみ言を語られました」と語り、その方が既にソウルに上京されたと伝えました。また、腹中教で教えていたことと全く同じことを教えていると話しました。大母様は、今からソウルに上京すれば、お慕いしていた方にお会いできるという思いでうれしくもありましたが、なぜかしきりに不足さばかりを感じたといいます。このように、心の準備をしていると、その日の晩、黄金の龍が一双、ソウルの方に向かってひれ伏している夢を見たのです。大母様は心の中で、「大邱に来る時は白い龍を見たが、大邱を発とうとする時には黄金の龍が一双現れるとは、本当に不思議だ」と思ったといいます。そして、すぐにソウルに上京し、青坡洞一街の旧本部教会で真のお父様にお会いして、挨拶をお捧げしました。驚くべきことにその方は、腹中教時代に二回夢でお会いした、正にその姿であり、夢にまで慕い求めた主の姿だったのです。大母様は、あまりにも畏れ多い気持ちになり、身の置き場がなかったといいます。

11  私(お母様)は、北朝鮮ではお父様にお会いすることができず、南に下ったのち、ソウルで初めてお会いしました。その時、私は満十三歳で、小学校を終えたあとでした。当時は、大母様と共に入教してから、いくらもたっていない時でした。その頃、私は江原道の春川に住んでおり、お父様はソウルにいらっしゃったため、互いに遠く離れていました。一九五六年三月、大母様に連れられて青坡洞教会に行き、初めてお父様にお会いしたのです。私は、お父様と出会ったあと、青坡洞教会に通いながら中学校を卒業し、高校に進学しました。

12  お父様が学生服を着た私(お母様)を御覧になったのちに、じっと目を閉じて感嘆されたことが、今も記憶にはっきりと残っています。すべては天が準備なさっていたと常に感じます。私の性格から見ても、生きてきた背景から見てもそうです。

イサクがアブラハムと、祭物を捧げるために山に登っていく時、アブラハムに「祭物はどこにあるのですか」と尋ねるのですが、アブラハムは「神様が既に準備されている」とだけ言いました。しかし、幼いイサクは、既にそこで状況判断をしていたのです。

それと同じように、私も、「私が何かをしなければならないようだ」という状況判断を、幼い頃からしていました。再臨主の相対として準備された自分であることを、それとなく感じていたように思います。

私は、既に私に定められた道を行かざるを得ないように生まれついたのです。他の女性であれば耐え難い立場でしたが、私はすべてのことに打ち勝ってきました。

13  皆さんは、お父様が聖婚を決心されて、初めて私(お母様)に出会った時、最初の会話がどのような内容だったのか、最も気になるでしょう。当時の食口たちはみな、お父様のことを慕っていましたが、同時に近寄り難く感じてもいました。しかし、私は近寄り難いとは思いませんでした。私が何を言っても怒ることがないといった印象で、まるで私の母方の祖父にお会いしているかのように感じました。

周辺の人たちの中には、恐らく「あの人(お母様)は、年は幼いがとても肝が据わっている」と感じていた人もいたと思います。私は当時、祖父のようにも感じ、父のようにも感じ、そして、夫のようにも感じ、兄のようにも感じ、息子のようにも感じたのです。

14  アダムとエバは、神様のみ言に背いて堕落しましたが、私(お母様)は、「神様が警告しなかったとしても、当時は神様と一問一答していた時代なので、本心の作用によってみ言を守れたのではないだろうか」と考えたこともあります。私は、神様の摂理歴史を思いながら成長してきました。私が満十七歳でお父様に出会った時、「神様が大変な苦労をして歩んでこられた蕩減復帰摂理歴史を、私の代で終わらせる。私が終わらせる」と自ら決心しました。私は、そのような内容を誰かに教育されたわけではありませんが、そのような決心をしたのです。そのように決心することができたのは、私が神様を知ったからです。

15  私(お母様)は、お父様に会った時、摂理歴史を知りました。「原理」を勉強したわけでもないのに、蕩減復帰摂理歴史が分かったのです。ですから、私は、「お父様が再臨主として使命を完成、完結したと宣言するためには、私の力が絶対的に必要だ。私は誰にも任せることなく、私自ら責任を果たす。私が生きている限り、このみ旨は発展し、成功する。サタンを必ず追い払う」と決心しました。このために、私は心と体をすべて捧げて犠牲になったのです。

韓国における信仰生活真のお母様は、外祖母の趙元模女史と洪順愛大母様と共に、一九四八年に南下されたあと、ソウルと大邱、西帰浦、春川などの地を転々としながら、信仰生活をされた。大母様が、大邱で過ごしていたとき、見知らぬ一人の男性が真のお母様を見て、「天地において貴い娘」と証をするなど、真のお母様はどこに行っても注目の的であり、多くの霊的な証を受けられた。

16  聖主教の金聖道氏は、獄中の苦難に遭ったあとに他界し、残った家族が中心となって命脈を保ち、許浩彬氏を中心とした腹中教がそのあとを継ぎました。しかし、聖主教は、北朝鮮の共産党治下で定着することができなくなりました。特に、金聖道氏の長男の鄭錫天氏は、南に下り、鉱山事業をしばらくしたあと、大邱の東城路(トンソンノ)に家を構え、米と石油の商売を始めました。その大邱で、六・二五動乱を経る中、鄭氏の家族と大母様の一行が出会うことになったのです。大母様は、鄭錫天氏の家族と集まって話をし、「私たちが北朝鮮にいたとき、聖主教の新しい主(金聖道氏)と腹中教の許浩彬氏を通して多くの恵みを受け、大きな役事(働き)が起きました。再臨主は韓国に来られるでしょうから、この道を探し求めるため、集まって一生懸命に祈りましょうと、心を合わせました。鄭氏の姉である鄭錫溫(チョンソゴン)氏も、釜山から来るようにさせ、大母様は、大勢の食口たちと共に、熱心に祈りながら信仰生活をしていくようになりました。

17  大母様が大邱で小さな店を出していたある日、笠をかぶった通りすがりの道人が、小学生だった幼い私(お母様)を見て、驚くべき証をしました。「この娘は、十人の息子にも勝るので、しっかり育ててください。数えの十七歳になれば、年の差が大きい人と結婚する貴い娘です。陸海空の財産をもつ富者として暮らすでしょう」と言うのです。

大母様がその言葉を聞いて驚き、どういうことかと尋ねると、(その人は)「生まれる時から、そのような運命に生まれたのです」と言いました。大母様は、その言葉を聞いてから、真理のみ言を求めて、さらに一生懸命に信仰しなければならないと決心されました。そして、「再臨主に出会うまでは、世俗に染まらないよう、正しく育てなければならない」と考え、済州道に行って生食をするなど、厳しい霊的な鍛錬生活をされました。

その後、真のお父様に出会ってからは、私を統一教会の重要な働き手として育てようと思われました。そのように、一つのほこりも付かないようにされたのです。それほど、天のみ旨に捧げるための摂理には、極端で、かつ涙ぐましい事情が秘められていたのです。

18  趙元模おばあさんは、家庭礼拝を捧げながら聖別された生活を送り、私(お母様)に聖書の話もたくさん聞かせてくださいました。大母様は、聖書を熱心に奉読し、真心を尽くして信仰生活をされたため、私の周辺には常に聖書がありました。私は、自然に聖書を読むようになり、天の父母様が導かれる生活をしました。このような生活は、大邱に避難した時や動乱後、済州道と春川に転校してからも、そのまま続きました。大邱で教会学校に通う時は、学生代表として歌もよく歌いました。

19  大母様は、避難していた大邱で聖主教の金聖道氏の長男である鄭錫天氏に会ったのち、新しい主が韓国に来られるという信仰をもって祈りに励み、松葉を食べる生食をしながら暮らしました。

当時、小学生だった私(お母様)は、かわいらしくて勉強もできたので、周囲の人々に人気がありました。しかし、大母様は、私が注目の的になることを負担に思われました。私について「主の娘」という啓示や証がたくさんあったからです。結局、大母様は、再臨主に出会うため、一九五四年に済州島に渡っていかれました。私は、ひどい船酔いで苦労したことが思い出されます。

20  大母様の関心は、いつも「天の花嫁である」という祝祷を受けた私(お母様)を、世俗に染まらず純粋に成長させることに集中していました。「六・二五動乱」が終わった翌年、混乱した地を離れ、済州道で約九ヵ月間過ごしました。当時、済州道には、聖主教の金聖道おばあさんの次男、鄭ソクチン(鄭平和-チョンピョンファ)氏がいました。その人は、イエス様の苦難を体恤するために、茨の冠をかぶって十字架の苦痛を再現するほど、熱烈な信仰をもった人でした。

大母様は、その方と共に、より一層篤実な信仰生活に励みました。昼は畑を耕して生食をしながら、夜は祈りと精誠を尽くす日々でした。

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12 ソウルで母方の叔父を捜す時も天の保護がありました。やっとのことで三十八度線を越え、苦労の果てに以南に下っては来たものの、叔父を見つける見通しが立ちませんでした。祖母と大母様は、どう捜したらよいか分からない状況で、あちこちさまよいながら訪ね歩きました。とても難しいことでした。そうこうしているうちに叔父の友人に出会い、便りを知ることができました。天佑神助(天の神の助け)でした。

その時、叔父はソウル近郊の軍隊の幕舎に住んでいましたが、私たちが訪ねていくと、とても喜び、「いつも故郷にいる家族を思って心配していたところに、このように訪ねてきてくれたので、とてもうれしい」と言いました。それで、急いで家を一つ借りて暮らすようになったのですが、あとで分かったのは、そこが正に青坡洞の旧本部敎会からとても近い所だったということです。

13 私(お母様)が数えの八歳の時、「六・二五動乱」が勃発しました。それで、ソウルから避難することになったのですが、その時、叔父が私たちを助けてくれました。当時、陸軍本部の医務将校だった叔父が、漢江の橋が爆破されるという情報をあらかじめ入手したのです。漢江の橋の通過証を持っていた叔父は、軍用車に乗ってきて、祖母と私を乗せて南の方に避難することになりました。大母様は、ただひたすら主に出会うことだけを思い、絶えず精誠を尽くしながら過ごされたのですが、その避難の途に最初は同行できませんでした。

漢江の橋を渡る時、叔父は私たちに「橋を渡ったらすぐに降りなさい」と言いました。私たち一行は、叔父に言われるがまま、橋を渡るやいなや降りて身を伏せたのですが、その瞬間、漢江の橋が「ドカーン」と爆発して、崩壊したのです。その時、漢江の橋を渡っていた多くの軍人が川に落ちて亡くなりました。幸運にも私たち一行は、叔父の助けで命を取り留めることができたのです。

今も漢江の橋を渡る時は、あの日のことが思い出されて心が痛みます。私と同年代の韓国人のほとんどは、戦争と厳しい受難時代を経てきていますが、私は、すべてにおいて絶えず天の保護があり、無事に過ごすことができました。大母様は、避難生活で私が風邪をひいた時は、飴を口に入れて咳を抑え、けがをした時は、アロエに御飯を擦り潰して傷口に塗り、治療してくださいました。

14 私(お母様)たち一行は、一九五〇年六月二十八日の午前三時に漢江の人道橋が爆破されたのち、南の方に避難してきました。そして、全羅道にある軍人家族避難収容所に留まり、九・二八ソウル収復後に帰京し、空き家になった日本家屋で過ごしました。そのような中、中共軍が介入することによりソウルは再び共産軍の手中に落ちるようになりました。そして、一九五一年の一・四後退の時、再び避難の途に就いたのです。軍人の家族は、他の避難民より先に特別列車に乗ることができ、そのお陰で、ソウルを発ち、大邱に降りてきました。その時、陸軍本部が大邱に移され、そこに勤務していた叔父の家の近くに住むことになりました。私は、このような避難路程において、いつでも神様が共にいらっしゃることを実感しました。神様は、北朝鮮から韓国に来るときも、韓国での避難の渦中でも、常に保護してくださったのです。

第二節 学生時代と真のお父様との出会い天の導きのとおりに生きてきた学生時代真のお母様は、ソウルの孝昌小学校をはじめ、大邱、西帰浦(ソグィボ)、春川などの地を経ながら学業を続けられた。特に、春川の鳳儀(ボンウィ)小学校の生活記録簿には、「非常にしとやか、親切で、どこか高尚な態度も見られ、級友の中で最も女性らしい」と記録されており、この学校を卒業する時には優等賞を受賞された。

その後、真のお母様は、一九五六年四月から一九五九年三月まで、聖正(ソンヂョン)女子中学に通われた。真の父母様は、善正中学校に校名が変わったこの学校を、一九八七年四月に引き継がれている。また、真のお母様は、一九五九年三月、現在のカトリック大学看護学部の前身であるソウル聖ヨセフ看護学校に入学された。

1 私(お母様)は、南に渡ったあと、ソウルの孝昌洞(ヒョチャンドン)に部屋を借りて過ごし、孝昌小学校に入学しました。そして、大邱と済州道に移ってからも、勉強を続けました。大母様が、私をより清く育てようという意図から、一九五四年に済州道に渡ったあとは、西帰浦の新孝(シニョ)小学校、すなわち今日の孝敦(ヒョドン)小学校の五学年に転校しました。その後、江原道・春川の補給廠長(しょうちょう)として発令を受けた母方の叔父が、手紙を二度も送ってきて春川に来るようにと言うので、そこに行くことになりました。

そして、春川・孝子洞(ヒョヂャドン)の叔父の家と近い薬司洞(ヤクサドン)で部屋を借りて暮らしながら、一九五五年二月、春川の鳳儀小学校に転校し、すぐに六学年に進級したあと、翌年の一九五六年三月二日に、第十一期として卒業しました。その後、叔父の助けで一九五六年四月十日、ソウルの鍾路区(チョンノグ)社稷洞(サヂクトン)にある聖正女子中学校に入学して、一九五九年三月二十五日、第三期として卒業しました。この期間は、叔父の家族と共に、敦岩洞(トナムドン)と新堂洞(シンダンドン)で生活しました。いとこと共に生活しながら、社稷洞に通学したのです。

2 私(お母様)が中学生の時、学校で運営委員長をした記憶があるのですが、その時、全校生徒のいる前で壇上に上がり、決定事項を話さなければなりませんでした。その話を終えて下りていくと、国語の先生をはじめ幾人かの先生が、「いやあ!鶴子は大したものだ!」と言うのです。いつも周囲の人々には、静かでおとなしい学生という印象を与え、気安く近づけない感じを与えていたのですが、そのように発表するので、驚かれたのです。しかし、私はただ説明しただけなのです。それが、私が大勢の人々の前で話をした初めての経験でした。

3 最近、私(お母様)を訪ねてきた一人の友人がいます。同じ地域に住んでいて、一緒に中学校に通ったのですが、彼女のお父さんは、私にとてもよくしてくれました。また、一年上の先輩が私を見て、端正できれいだと言って、多くの関心をもってくれました。その先輩は、カナダに住みながら、たびたび私に手紙を送ってくれたり、韓国に来ると会ったりもしました。いつだったか、私が通っていた学校に行ってみると、当時の国語の先生がまだいらっしゃいました。その国語の先生のお顔が思い出されます。また、数学の先生も、私にとてもよくしてくださいました。

4 私(お母様)が高校に進学する頃は、戦争が終わったあとで、道路という道路が負傷者であふれていました。戦争孤児や子供たちは、飢餓と疾病でとても苦しんでいました。病気になったとしても、すぐに治療を受けられる人はまれでした。彼らは、とてもかわいそうでした。彼らの痛みを治癒してあげたいと思い、看護学校に入ったのです。彼らを助けてあげられる道を探すためでした。

5 私(お母様)は、どの学校に行っても先生から愛され、よく面倒を見てもらいました。まじめに見えたからか、先生たちがよく面倒を見てくれたのです。また、先生たちから「君は今どきの学生とは違うね。少し外に出て歩いてみてはどうだ」と言われたりもしました。ただ、悩みが多いなどの理由からそのようにしていたのではなく、静かに座っているのが好きだったのです。

思春期や、成長期にも、私は生きることに対する悩みはもちませんでした。母方の祖母や大母様が、常に天に侍って生きる信仰を植えつけてくださったからです。大母様の厳格な指導のもとで、様々な本を熟読しながら過ごしました。そうして、気の合う一人、二人の友人と一緒に果物の木を育てて、田園生活をしながら暮らしたいとも考えていました。友人たちとの会話では、「あなたはまじめな人だけど、お嫁には先に行くでしょう」と言われたこともありました。

聖婚したのちは、過去の学生時代のことを考えることがなかったので、特別に思い出せることがありません。また、考える暇がありませんでした。最近になって、時折訪ねてくる友人たちがいて、その時の記憶が少しよみがえったりするのす。

6 私(お母様)は、平安で静かな雰囲気の中で読書や音楽を楽しむ学生として知られていました。また、かなり知的なイメージの学生としても知られていました。極度に感情的でもなく、極度に怒りを表に出すこともなかったのですが、初めて会う人には、むしろ少し冷たい印象まで与えていたと思います。

私は寄宿舎で、修道女のような生活をしました。さながら温室の中に咲く一輪の花のように、完全に外の環境から自分自身を隔離していたのです。今になって初めて、それがいつか主にお会いして、主の花嫁になる人として聖別するための天の準備過程だったことを知りました。

7 私(お母様)は、一九六〇年まで、衣服で包むように、自分自身をほとんど現さない生活をしました。天が私を世の中と妥協することのない生活へと導かれるので、簡素な生活環境の中で暮らしたのです。神様は、私がサタン世界の空気を吸うことも嫌うほど徹底的に保護してくださり、そのような環境の中で、私は、私自身の考えをすべてなくし、天が導く生活だけをしました。

そして、常に日記を書きましたが、不思議なことに、何げなく書き綴っていたことが、「私たちの願いは統一」など、ほとんどがそのような言葉だったのです。後日、お父様のみ言を聞いてから、そのようなことが意味のあるものとして思い出されました。

8 お母様は、壇上でもとても有名です。壇上で初めて歌を歌ったのが、高校二年生の時です。歌がうまいことでとても有名になりました。誰を前にしても、壇上に上がればチャンピオンのように堂々としていました。

9 お母様には一つも欠点がありません。とても良いお母様です。それは、ただ自然にそうなったわけではありません。男性たちに対するとき、お父様と比較して、「お父様がこうだから、あの男性たちもこうだろう」と考えるのです。そのたびに心が広くなるので、良く見えるというのです。お母様の目と手を見てください。どれだけ鋭敏か分かりません。一言語ると、主語がどうなっていて、目的語がどうなっていると指摘するのです。鋭敏なのですが、よく分析するというのです。十代の時、友人たちから印象的な女性、記憶に残る女性と思われたという話を聞きましたが、鋭敏だからそうなのです。ですから、行き来する道も、何の考えもなしには通りません。自分の心が向く所だけを通るのです。

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第四章  真のお母様の摂理的準備時代第一節   信仰的な環境の中で過ごした幼少時代精誠と祝福の信仰生活真のお母様は、洪順愛(ホンスネ)大母様が再臨主を迎えるための信仰生活に専念するにつれ、幼少時代を主に母の実家で過ごされた。そうして、外祖母である趙元模(チョ・ウォンモ)女史と大母様を通して、信仰の精髄を習得されたのである。大母様は、真のお母様が以北(現在の北朝鮮)にいらっしゃった六歳の時まで、サタンがあらゆる方法を用いて危害を加えようと付いて回るのを、夢の啓示を通してたびたび目撃し、乳母のような立場で、精誠を尽くして真のお母様を養育した。したがって、真のお母様は、天の新婦としてお立ちになるまで、大母様と共に苦難の道を歩まざるを得なかったのである。

1   私(お母様)が生まれてから一ヵ月ほどたって、大母様の夢に「新しい主」、金聖道おばあさんが白い雲に乗り、白い服を着て現れました。そして、「順愛、その赤ん坊のために心配しただろう。心配するな。この赤ん坊は主の娘であり、あなたは乳母と同じである。お乳だけしっかり飲ませて養育しなさい」と語られました。大母様は、その命令を心にしっかりと刻んで生きていきました。私は幼少の時、普通の赤ん坊とは違いました。一歳になる前に歩き、言葉まで話しました。一言一言、非常にはっきりと話したのです。ですから、母方の祖母も、「この子はやはり違う」と言ったといいます。そのように賢く、少しも欠けた所がなかったというのです。

2   母方の祖母の趙元模おばあさんと洪順愛大母様は、再び来られる主を迎えるための準備と信仰で一貫した生涯を送られました。世の中と妥協されず、安逸な家庭環境の枠にはまった信仰ではなく、二十四時間すべてを天のみ前に奉仕し、主を迎えるための準備に、この上ない精誠を尽くされました。

大母様は、そのような信仰生活を送ったので、ほとんど家にいらっしゃらず、私(お母様)は幼い頃、主に祖母と一緒に多くの時間を過ごしました。それで、祖母を通して、自然に、かつ当然のように信仰を受け入れるようになったのです。

3   母方の祖母は、私(お母様)に対する天のみ旨を御存じで、私が世の中に染まらず、純粋に育って天のみ前に用いられ得る貴い娘として成長できるよう、多くの精誠を注がれました。祖母は、いつも私に「お前の父親は天のお父様だ」と言われました。ですから、父親と言えば、肉身の父のことを思わず、いつも天のお父様のことを思ったので、神様のことを思うと、いつも心が温かくなるように感じました。また、外的に見ればすぐには理解し難い環境で育ちましたが、特別な不平不満はありませんでした。いつも何かが私のことを包んでくれているような感じがあり、常にゆとりのある心で過ごしていました。

大母様や祖母にも、肉身の父親に関してや、お二人がどうしてこのような生活をしているのかなどといった質問は、全くしませんでした。肉身の父母に対する恨みや不満は、私の人生には全くなかったのです。

4   私(お母様)は、六歳(数え)の時まで平安南道の安州で過ごしましたが、その六年間、大母様の夢にはいつもサタンが現れ、私の命を奪おうとして付きまといました。ですから、大母様は、サタンと六年間、闘い続けられたのです。それでも深い意味は分からないまま、「なぜサタンがこれほどまでに追い回しながら、この子の命を奪おうとするのだろうか」と、ただ不思議に思っていたそうです。

5   大母様は、新イエス教会と聖主教を訪ね回り、最後は腹中教で、再臨主が来られることを待ち望みながら祈りに没頭しました。当時、私(お母様)は数えの四歳ぐらいでしたが、私も大母様に従って敬拝を捧げるなど、精誠を一緒に捧げました。朝と晩には公式的な敬拝の時間があり、各自、黙想祈祷を捧げつつ、たびたび敬拝を捧げました。以南(現在の大韓民国)に下ってきた数えの六歳まで、その生活は変わりませんでした。

6   私(お母様)の幼少時代は、主の花嫁になる者として聖別するための期間だったと思います。本来、私の性格は外向的ではなく、世の中から離れて、自分自身の世界を楽しむほうでした。真のお父様も、趙元模おばあさんや大母様について、天情の道理を私に引き継がせるために骨身を削るのも意に介さず、一片丹心、神様のみ前に絶対服従し、絶対従順する道を行ったと語られたことがあります。そして、ありとあらゆる誘惑の環境に触れさせないようにするため、天が私を世の中から離して聖別生活をさせたのであると語られました。

南下後、戦争と受難を克服外祖母の趙元模女史と洪順愛大母様と真のお母様は、腹中教に行き来された一九四八年、北朝鮮の共産党当局の宗教弾圧により、十一日間、共に収監された。このように、共産党が次第に猛威を振るうようになるや、趙元模女史は、「以南に行こう」と提案した。その頃、「以南に行きなさい」という天の啓示があった。以南は、三人にとって非常に不慣れな場所だったが、ちょうど、鉄山・聖主教の金聖道の長男の鄭錫天(チョンソクチョン)が先に南に行ったという話を聞いたため、彼を訪ねていこうと決心した。また、大母様の弟の洪順貞(ホンスンヂョン)は、日本留学中、戦時状況に伴って中途帰国することになり、陸軍士官学校の薬剤官教育を受けたのち、中尉として任官し、軍に服務中であった。その弟に会うことも兼ねて、三人は一九四八年、真夜中に出発し、死線を越えて、千辛万苦の末、南に渡ったのである。

7   私(お母様)が安州に住んでいた時、大母様は信仰的惰熱ゆえに、ほとんど家を空けていました。そのような状況だったので、私は常に、母方の家族たちが面倒を見てくれる中で育ちました。キリスト教を信仰していた父は、共産党当局の脅威を避けて、一九四六年、やむなく先に南へと下りました。その頃、父が家に訪ねてきて、大母様に「一緒に行こう」と言ったことをかすかに覚えています。

8   共産治下で信仰をもつことはとても困難でした。趙元模おばあさんは、韓国にいる息子の洪順貞氏に会うため、大母様と私(お母様)と共に南下の途に就きました。私たち三代の母子は、南下する途中でも、主に向かって敬拝を捧げました。洪唯一おじいさんは、平壌がエデン宮であるという啓示を受けて、これを守るために残られ、それ以降、会うことはできませんでした。

9   私(お母様)が南に下る道は容易ではありませんでした。すき返した田畑に沿って歩いていこうとするので、足を取られ、寒さに震えながら南へ南へと移動しました。私たち一行が、やっとのことで三十八度線の近くに到着した時のことです。物々しく警備に就いていた北の人民軍に捕まってしまったのです。彼らは、私たちを空き家の物置に閉じ込めました。そこには、既に捕まった人たちがいました。人民軍は、男性には乱暴に対しましたが、女性と子供にはきつく接することはありませんでした。

大人たちは、寒さに震えながら歩哨(ほしょう)に立っている人民軍に食べ物を持っていってあげなさいと、私を使いに行かせました。私は震える心を抑え、笑顔で食べ物を人民軍に渡しました。何度かそのようにしたところ、人民軍の人たちの心がとても穏やかになりました。ある日の夜、人民軍が、「故郷に帰りなさい」と言って私たちを解放してくれました。生死の岐路において、温かい愛の力が生命の道へと導いてくれたのです。

10  母方の祖母は、私(お母様)といつも一緒にいらっしゃったのですが、祖母と通りを歩くと、人々が私のことを「とてもかわいい」と言って誰もがかわいがってくれました。それで、当時は、人々があまり出歩くことができない時だったのですが、私はあちらこちら歩き回りながら、人のお使いもたくさんしてあげ、多くの愛を受けました。韓国に下ってくる過程でも、子供や女性たちの中に幼い私がいたので、無事に南に渡ってくることができたのです。

やっとのことで三十八度線を越えたばかりの時でした。韓国の軍人たちが人の気配に気づき、こちらに銃口を向けて撃とうとした瞬間、私が歌を歌ったのです。すると、軍人たちはその歌声を聞いて銃口を下げました。そして、私たちを温かく迎えてくれたのです。「こんなにかわいい娘さんを連れてくるとは、大変な苦労だったでしょう」と言って、南側へと導いてくれました。

11  大母様が腹中教に通っていた頃に、母方の叔父である洪順貞氏が日本留学から戻り、南に下って軍に入隊しました。叔父は知識人で、とてもおしゃれな方でした。当時、知識人たちの間では、共産主義理論に同調する人がたくさんいました。叔父もまた共産主義思想が良いと思っていましたが、理論とは違う北朝鮮の共産体制を見て失望しました。理論と矛盾する体制を見て、親がいる北には行かず、南に行って軍に入隊したのです。

(その後、)母方の祖母が、軍隊にいる叔父にどうしても会いたいというので、大母様と私(お母様)と一緒に、叔父に会うために南下したのです。その時からソウルにとどまり続けることになりました。

南下した当初はソウルの孝昌洞(ヒョチャンドン)にいました。そこで小学校にも入学しました。その後、私は行く先々で羨望の的になり、周囲の大勢の人たちから愛されて育ちました。もし私が早く結婚しなければ、この世に奪われる可能性が高かったので、幼い年で聖婚させて、天が先に私を抱かれたのではないかと思いました。

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4   五山普通学校では、日本語を使ってはいけませんでした。皆さんも知っているように独立万歳運動の三十三人のうちの一人で、日本と怨讐の立場で闘争した代表的な人物である李昇薰(イスンフン)氏が建てた学校であり、そのような学校の伝統があるので、日本語を使わせなかったのです。

ところが問題は、私たちが敵を知らなければいけないということでした。敵について詳しく知らなければ、敵と闘っても対策を立てられないという思いがしました。それで、定州普通学校の四学年に、編入試験を受けて入りました。そこに入ってから、日本語が流暢にできるようになって卒業したのです。そのような過程を経ながら、信仰の道や人生の根本など、難しい問題について考えるようになりました。

5   定州普通学校に編入し、学校で日本語を習いました。片仮名、平仮名を勉強したのが、ついきのうのことのようです。それを一晩ですべて覚えてしまいました。学校に行ってみると、三年生、四年生、五年生の子供たちが日本語で話していました。

その当時の私は、年がいってから学校に入ったので、背が高かったのです。それなのに、日本語が一言も分からないのですから、他の人たちが踊っているその真ん中で、何もできずに一人でただ見物ばかりしているのに、恥ずかしいことさえ分かっていないというような状況でした。その時の気まずさは、感じたことのない人には分からないでしょう。ですから、稲妻のように、一年生、二年生、三年生、四年生のすべての本を半月ですべて覚えてしまいました。そうすると、聞き取れるようになったのです。

6   私は、頭が悪くないので、どんな勉強をしても世界的な学者になっただろうと思います。そのような頭をもったからといって、私が勉強して世界に名だたる学者になって何をするのか、そのような問題を深刻に考えました。

そのような学者になったところで、黒板の前でチョークの粉を吸い込み、一生の間、腰が曲がるまでひたすら研究ばかりして死ぬのです。そのようにしてすべての根本問題を解決できるのかといえば、それはできないというのです。

それならば、人間として行くべき道のうち、どんな道が最も困難で大変な道かを考えました。歩むのが大変といわれる道を私は行きたかったのです。人間として今まで歴史時代において、過去、現在、未来に誰もできなかったこと、できないことを、私が一度しなければならないと考えました。

7   私が勉強する時は、稲妻のように勉強しました。数年かけてすることを、瞬く間にやってのけました。私の故郷は、定州から北東方向に約八キロメートルの距離にある農村です。灯蓋(とうがい)(灯火用の油皿を載せるもの)に明かりをともして勉強したのが、ついきのうのことのようです。

午前二時、三時まで夜を明かしながら勉強していると、父や母が、「おい!もう寝なさい。体をあまり無理させてはいけない」と言いました。いつもそうでした。その時、私が常に友としたのが夜の虫たちでした。夏は夜の虫を友としたのです。そのように座って、午前二時、三時まで勉強しました。田舎の夜は本当に静かです。昆虫たちが月夜に鳴く声は、とても神秘的なのです。

ソウル留学生活真のお父様は、定州公立普通学校を卒業され、一九三八年四月十二日から一九四一年三月八日まで、ソウル黒石洞の京城商工実務学校に通われた。真のお父様は、誰よりも早く登校され、教室の掃除を一手に引き受けてされるときも多かった。そのため、同級生たちも気兼ねし、むやみに接することができなかった。か弱い学生は保護してあげ、力があっておごりたかぶる者たちとは正面から向き合い、是非を正された。闊達であられたが、普段は寡黙で真面目だった。天道を明らかにし、人格の完成を目指して、常に沈黙された。真のお父様の学籍記録には、「明朗で活発、飾り立てることなく真面目、そして、強靭、健全であり、自ら率先してあらゆることに熱心に取り組む」、「身体が健康で、出席状況は良好、特にサッカーを好む」と評価されている。

8   謙遜な人は上がっていくのです。学校の友達の中でも、自分の位置や境遇も分からず、拳を振るう学生たちがいます。しかし、謙遜な人、自分に実力があってもおごり高ぶらない学生もいます。そのような人には、何かしら威圧感があります。主管性が宿っているのです。近づきたいと思うのですが、彼がじっとしていても、なぜか近寄り難いのです。皆さんの友達の中にも、そのような人がいるというのです。

私は学生時代、あまり話をしませんでした。学校に行っても絶対に饒舌にはなりませんでした。一日中、話をしない日もありました。ですから、同級生たちは、私のことをとても近寄り難く思っていました。学校の先生よりも近寄り難かったのです。かといって、私が彼らを恐喝したり、脅迫したのでもなく、たたいたりしたのでもありません。

それでも、彼らは私に対して、むやみに接することはできませんでした。

また、彼らは、悩みがあると、私のところに来て相談したのです。

9   学校の友達は、私のことを恐れていました。同じクラスの友達とは、会えば遊んだりしながら過ごしましたが、私のことを恐れたというのです。私は、余計なことは話しませんでした。困っている友達がいれば、私は人知れず、その友達を助けてあげたことがたくさんありました。

また、私は運動選手でした。相撲選手であり、サッカー選手でした。鉄棒もできました。体は大柄ですが、敏捷でした。黒石洞の我が物顔でいる人たちと、一週間のうちに全員会ってみました。そこで誰が親分なのかを調べて、彼らを私が教育すると考えながら暮らしたのです。

10  私の中学校時代は、一人で掃除をすべてやりました。学校を愛することにおいては、私が先頭に立ちたいという気持ちがあったので、全校生徒に代わって私が掃除しようと考えたのです。そのような時は、人が手伝ってくれることを嫌いました。一人できれいにしようとしたのです。それで、人がした所をまたやり直すことになります。そのように何度かしているうちに、友達が「お前が一人でやれ」と言うのです。それで自然に一人で掃除をするようになりました。

11  私は、一度つかんだら放しません。若い時もそうでした。村中から見えるものでも、私がすべて検証するまでは信じませんでした。学校で数学の先生が公式を教えてくれると、それを中心としてその先生を追い込んだ人です。誰がこのような公式をつくったのかというのです。ですから、暴いて、かき分けて、掘ってはまた掘り返しました。適当にではありません。何であっても、適当にしては通じないのです。

12  私が学校に通っていた時は、試験問題に何が出るのか分かりました。学校の先生が講義をする時、どれほど深刻かを見ます。自分の気に入った学生の目をまっすぐに見ながら語るのです。その学生が隅にいれば、隅のほうを見ます。「誰を見るだろうか」と思いながら、学校の先生に注目するのです。「先生が勉強のできる学生を見て強調しているのを見ると、これは間違いなく試験問題に出る」と思えば、A、B、Cと印を付けておきます。

一冊の本の中で十ヵ所だけ印を付けたあと、それだけ勉強しておけば落第しません。その周辺まで見ておくので、答えを書けば、三〇パーセントから四〇パーセントは当てられます。講義をよく聴いたので、そのようにできるのです。

自炊生活と涙の祈祷真のお父様は、ソウルで過ごされた学生時代の三年間、自炊しながらの下宿生活を通して、苦行に近い生活訓練と多様な経験を積みながら、学業と信仰に精進された。当初、しばらくの間はソウルの銅雀区(トンヂャクク)鷺梁津(ノリャンヂン)から通学し、主に黒石洞で自炊しながら下宿をされた。特に、故郷の家からは十分な学費が送られてきたが、井戸のつるべの鎖が手に張り付くほどの酷寒の中でも、火の気のない部屋で過ごし、冷たい水をくみ上げて御飯を作るなどの自炊生活を通して、貧しい中で生きていく人々の生活を直接、体験された。この時から、昼は常に断食をされた。常に一食一品だった。空腹の時こそ、神様の心情に近く接することができるからである。そして、一日に十二時間以上、祈りに没頭されることもあった。そのため、膝と肘にたこができるほどだった。特に、学校の近くの松林、そして、教会の裏側にある瑞達山(ソダルサン)の岩の丘と、山の向こう側、銅雀洞の麓で、深刻かつ凄絶な談判祈祷もされた。そのような中で、神様の心情を体恤しながら心情的一体を成し遂げられたのである。

13  ソウルに来て自炊生活をしていた頃、冬はとても寒かったのです。平均気温が零下一七度から二一度ほどでした。若かった頃は、それくらい寒かったのです。真冬に火の気のない部屋で暮らし、冷たい水で御飯を炊くのです。

そして、今も私が忘れられないことがあります。山の尾根に掘ってある深さが十尋(約十八メートル)以上の井戸があったのですが、この井戸水は本当に良いものでした。つるべは、緒が切れるので、鎖でつないでいます。それをつかむとき、手が張り付いて「ふうふう」と息を掛けたことが、ついきのうのことのようです。そのような生活をして、人が生きていくことを、身をもって知ったのです。

14  私は、女性がいなくても一人で生きようと、あらゆることを研究しました。一生、独身生活をするとしても、このみ旨を私の一生の事業とすると定めて出発した人なので、できないことがありません。私に必要なものは、誰の世話にもならずに、自らの手で解決するというのです。私は、食事を作るのも上手です。包丁さばきを見れば、素人かどうか、すべて分かります。また、おかずを作るのを見れば、腕前が良いか悪いかすぐに分かるのです。私は七年以上、自炊生活をしました。

私には、たくさんのおかずは必要ありません。地方に行くと、おかずをたくさんお膳に並べますが、それは好きではありません。一種類でも口に合えばよいのです。私は、一つのことに向き合えば、その終わりまで見届けてしまう気質です。おかずもそうです。いくらおかずが多くても、箸は付けてみますが、食べるおかずは一種類だけです。一種類だけ買い、料理して食べるのです。

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15  統一教会の歴史を訪ねていく人は、黒石洞を訪ねざるを得ません。黒石洞が白石洞(ペクソクドン)になるのです。私が昔、暮らしていた暗い谷間のような所が、世界万民に明るい日の光を照らしてくれる伝統の基地にならなければなりません。ノドゥル(漢江の南にある地域の昔の地名)もそこにあります。しかし、昔の姿が今は一つもありません。

昔、その時代に黒石洞で暮らしていた人には会えませんが、子孫たちが大勢います。その父母と関わりのある私が、彼らと会えば、どれほど感激的でしょうか。そうなれば、そこから歴史が復活します。昔のことを語りながら、歴史を復活させて、時代を花咲かせるのです。

16  私が今でも忘れられないことがあります。私が黒石洞に住んでいた頃、上道洞(サンドドン)に越えていく所に松の木が生い茂っていて、その向こうには草花を育てている日本家屋がありました。そちらの方に回っていくと田んぼがあり、その向こうに村があるのですが、そこに開拓伝道のために通った家がありました。

ある時、見知らぬ人が病で道に倒れていました。それは、新学期が始まり、学費を持ってきた時だったので、三月末頃でした。よくよく聞くと、その人は息子のいないかわいそうな人でした。「天安(チョナン)に自分の娘の家がある」と言うので、私が学費をすべてはたいて、旅費と病気の治療費まですべて出してあげました。その時、私の足が離れませんでした。背を向けられなかったのです。そのようなことを見ると、その人の先祖は悪くない先祖なのです。

ですから、私が財布にあった、本を買うお金と下宿代をすべて持たせて行かせたのです。そこから三キロメートルほど背負っていったことが、ついきのうのこどのように思い出されます。

そのような人と天が会わせてくださったのなら、天が「同情してあげなさい」と言われる以上に同情してあげたからといって、絶対に損にはなりません。天が十くらい助けてあげなさいと言うことに、百くらい助けてあげるようになれば、九十は、私が天のみ前に功績を積んだものとして扱われるのです。天が十くらい助けることを望んでいるのに、五だけ助けてあげるのではいけません。天が十くらい助けてあげることを望むときは、十以上助けてあげなければならないのであって、十未満ならば、皆さんの恩恵の道が塞がってしまうのです。それが原則です。公式がそのようになっています。

17  私は、おなかがすかない日がありませんでした。お金がないからではありません。四月初旬に家から学費が送られてくると、五月にはすべて使ってしまいます。すべてかわいそうな人に分けてあげるのです。そのようなことが多かったというのです。そうして何をするのかというと、新聞配達をしたり、物を売ったり、何でもするのです。蕩減の道を行かなければなりません。また、平安道の故郷を離れてソウルにやって来て、言葉にも慣れず、風習にも慣れず、最初の夏休みがどれほど待ち遠しかったか分かりません。

母が私のことをどれほど愛したか分かりません。み旨を知ってからは、その母をどのようにして振り切るかというのです。また、妹たちはお父様のことを愛しています。それをどのようにして引き離すかというのです。ですから、その父や母が現在の立場で望む道とは、反対の行動を取らなければなりません。それで、夏休みに入った日、すべての学生たちが自分の故郷に帰るといって町が慌ただしく、学校が慌ただしくなっているにもかかわらず、一人、部屋に鍵をかけ、「私は、今からこの部屋で、誰々や誰々が帰ってくるまで、私のすべきことをするのだ」と言って、休みの期間を過ごしたのです。

18  すべての人は、宇宙を主管することを願っていますが、自己主管もできていません。それで、お父様は、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」と言ったのです。まず、食欲から主管しなければなりません。食欲は、断食によって克服できます。一週間は問題ではありません。普通の人であれば死地を越えてしまう、そのような境地の訓練を受けなければなりません。

空腹を克服しなければならないのです。日本統治下で自炊生活をしていたとき、米が貴重だったので、友人たちは先を争って御飯をもっと食べようとしていましたが、お父様は、そのようにしませんでした。さじと箸を先に置く人が、あとに置く人の主人になります。原則がそのようになっています。お父様の生活は、毎日が新しいのです。きょうよりあすが新しくなければなりません。天は新しいことを願っていると信じて、実践してきたのです。そのようにしたところ、誰も成し遂げられない世界的な版図を備えるようになったのです。

19  私は、物心がつく頃から昼食を食べませんでした。国もない立場で、三食欠かさず食べる資格があるかと思ったからです。御飯が慕わしくなる生活を本当にたくさんしました。御飯を慕うより、民族を慕う道を行きました。「御飯より民族と国をもっと愛さなければならない」と考え、故郷を離れてソウルにいる時は昼食を食べなかったのです。そのような生活をしました。ポケットにお金がなかったわけではありません。お金があれば、貧しい人たちに分けてあげたのです。

20  私は、一日に四時間以上眠りません。それが習慣になりました。忙しい時は、一日一時間だけでも構いません。眠ることにおいて、人類歴史の中で一番短く眠る代表者が私だと思います。一生をそのように暮らしてきました。また、私ほどひもじい思いをした人はいないはずです。御飯がないわけではありません。おなかをすかせた人々の、救いの手を願い、解放を願う叫び声が聞こえてくるので、御飯を食べることができないのです。

三十歳までは、昼食を抜いて二食だけ食べる二食主義でした。一日に御飯を五杯食べても軽く消化して余りある壮健な体格の人が、二杯も食べずに青春を過ごしました。御飯に対する慕わしさよりも、愛することを優先させる訓練をして、神様を愛し、国を愛する生活の基準を立てようと努力してきたのです。

21  私は、どこに行っても涙を流しながら祈る立場にいたので、その事情が何か知らないのに、同情する人たちがたくさんいました。また、皆さんが私に接するように、行く先々でそのように接してくれる人たちがたくさんいました。下宿先の主人のおばさんは、祝祭日のような時に夜通し準備した料理、あるいは夫のために準備した料理を、私がいる部屋に持ってこなければ自分の部屋に戻れないということもありました。何もせずに自分の部屋に戻ると、突然目の前が真っ暗になるというのです。自分たちも、どういうことか分からないのです。神様は、女性たちの精誠を込めたその料理までも、私に食べさせるために、彼女たちの心を動かしたのです。そのような役事(働き)がたくさんありました。

ですから、私は、神様の愛を夢にも忘れたことがありません。千回、万回、この身が砕け、骨が粉と化すことがあったとしても、忘れることができません。過ぎ去った歴史過程において、神様は、私がいかなる場にいようと共にいてくださり、私のためにそれほどまでに苦労してくださったのです。

22  祈るときは、背が曲がり、膝にたこができるほど祈らなければなりません。私の膝には、祈りながらできた昔のたこが今でも残っています。祈りは床の上でしなければなりません。涙も流さなければならないというのです。私は、祈りながら流した涙の跡が乾かないほど、涙を流す境地を何度も越えた人です。流れていく男ではありません。

23  復帰の道は、たやすいものではありません。私は皆さんのように食べて、寝て、気楽でいたでしょうか。「原理」自体が、どれほど深刻でしょうか。私は、祈るために膝にたこができました。どれほど多くの涙を流したか分かりません。人生の行く道を解決できずに死んでいく人々が大勢いることを知り、それを解決するために、常に目を赤くして祈りました。祈りながらあまりにも涙を流しすぎて、日の光も見られないほどになることもありました。そのようなことをしながら、この道を尋ねてきたのです。

24  皆さんは、毎日のように祈らなければなりません。祈祷生活においても、一日の十分の一を捧げなければならないのです。(一日の)十分の一に当たる二時間二十四分は、毎日祈らなければなりません。私が最も長く祈った時は、身を伏せて十七時間、十八時間、普通でも十二時間祈りました。昼食は食べません。そうして痛哭するのです。そのようにしなければ、生きていくことができません。四方が完全に塞がれて出口がないときは、祈って初めて針の穴ほどのものが見えるのです。

そのような試練の過程を経て「原理」を探し出しました。皆さんは「原理」の本を握りしめて泣いたことがありますか。一生は大切なものです。一度過ぎ去れば二度とやって来ません。結婚して息子、娘を生み、荷物を背負って、リヤカーを引いてあくせくしているうちに、そのまま終わってしまうのです。深刻です。そのように生きていては、善の世界はやって来ません。

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真の父母経 第41話

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22 父、母、村人のすべてが私を信じていました。「文氏家門の恐ろしく、賢い者」とうわさになりました。相撲でもボクシングでも、できない運動がありません。どこに行っても三等以下に落ちることがなかったのです。すべて一等になるようになっています。

一等になる人の二倍、三倍努力するのですから、一等にならないはずがありません。私はそのような人です。ですから未知の人生問題や宗教問題の根本、根っこを掘ってひっくり返したのです。一度手を付ければ、それが終わるまで、御飯を食べることも、寝ることも忘れてしまいます。蕩減復帰に最も必要な性格なのです。

23 私は、泣き始めたら一時間で終わるのではありません。それで、あだ名が「ハルウリ(一日泣く子)」でした。一日中泣いてこそ泣きやむので、ハルウリというあだ名が付いたのです。

また、泣くときも、じっと座って泣くのではありません。村が吹き飛ぶかと思うほどの大きな声で泣きました。村中のおじいさん、おばあさんが出てきて見物せよというのです。こうして村中を大騒ぎにし、寝ていた人まで起こすほど泣いたのです。一大事でも起こったかのように泣き続けました。喉が腫れて声がかれ、しまいには声が出なくなるほどでした。そして、泣いてもじっとしたまま泣くのではありません。バタバタと跳ね回りながら、傷つき、皮膚が裂けて血を流しながら泣きました。

それほどなのですから、私がどんな性格かよく分かるでしょう。よくよく見ると、神様は本当に知恵深い方です。私はそのような性格の所有者なので、一度やると決心すれば、死ぬまで諦めません。

24 私は、性格が積極的で健康なので、活動範囲が普通の人の三倍にはなりました。雪が降るような時は眠りません。夜、いたち狩りに行くのです。おなかがすくのも忘れて歩き回ります。ですから、私の母は相当に苦労しました。私は、並外れた人です。十代になると、既に父と母を意のままにしていました。それほどの子供だったので、私は、このようなことをしているのです。まかり間違えば引っ掛かってしまうのですが、その性根に父母も降参しなければなりませんでした。私は、たとえ骨が折れても譲りません。死んでも譲らないのです。

「間違っていましたと、一言言いなさい」と言っても、答えません。間違っていないのに、どうして「間違っていました」と答えるでしょうか。

25 私は、誰にも負けない粘り強い性格をしています。幼い時には、けんかをして相手を降参させきれなければ、三、四ヵ月、眠れなかった人です。そのように粘り強い男です。恐ろしいといえば、誰よりも恐ろしい男なのです。

人に負けることを絶対に嫌う人です。負けたことがありません。何をしても必ず勝つのであって、負けることは考えもしません。勝つか負けるか、すぐに分かります。私が手を付けた場合には、死なない限り勝つのです。そのような性格の持ち主です。

26 私は、性格がとても性急な人です。一言でも悪口を言われれば、我慢ができない性格です。誰かに一発たたかれたら、耐えられない人です。また、誰に対しても負けるのが嫌いな人です。私はそのような気質と性格をもっているので、できないことがありません。どんな運動をしても、私が勝ってみせるという性格をもっています。私は頭も悪くありません。

そのような私に悲惨な境地、これ以上耐えられないという境地が、何十回、何百回あっただろうかと考えてみてください。恥ずかしいといえば、それ以上に恥ずかしいことはないという境地が、一度や二度ではありませんでした。しかし、それをすべて克服してきたのです。神様がそうされたからです。神様も火のような性格があるはずですが、その性格のままに一度動けば、世界を一掃できる立場にいるにもかかわらず、それを神様は、強い意志で耐えられたので、世界が残っているのです。

27 私が若い時は、同じ年頃の子と相撲をして負けたことがありません。私の村にいる私より三歳年上の人と相撲をして、私が一度負けました。田舎で暮らした人は分かるでしょう。アカシアの木が、春の季節になって水分を吸い上げるとき皮を剥ぐと、松の木の皮のように剥がれます。ですから、春の季節に木が水分を吸い上げるとき、何度もしならせると皮が落ちるので、それを一気に剥がすのですが、これが硬いのです。このアカシアの木と相撲を取るのです。「こいつ!お前を倒すまでは御飯を食べるものか!」と思って、六ヵ月目に彼を倒して馬乗りになりました。そうするまでは、御飯を食べることも忘れ、寝ることも忘れてしまうのです。

28 私は、八歳の時から、姉、遠い親戚、村中の人たちまで、嫁や婿に行く時、写真を見てたくさん結婚させました。幼い時も、私が「きょうは雨が降る」と言えば雨が降りました。また、「一週間以内にこの村で人が一人死ぬ」と言えば死にました。そのような逸話がたくさんあります。

ですから、結婚しようとする人が、私に相手の写真を持ってきて、「これをちょっと見てほしい。良いか、悪いか」と尋ねるのです。ちらっと見て「悪い」と言えば、必ず悪いのです。見るのも、長くは見ません。見て「良い」と言えば、それは良いのです。そのような歴史をもっています。

29 私は、村では五山の家の小さな(目の)子で通っていました。目が小さかったので、村で「五山の家の小さな目」と言えば、私のことだと分かります。目があまりにも小さくて、母が私を生んだ時、「目がない」と言ってしばらく見つめたといいます。目を広げてみると、ぱちぱちまばたきしたので、安心したそうです。そのような目が必要です。

遠くまで見ることができる素質をもって生まれたので、今日の世界はもちろん、神様の心情と事情まで解剖して探り出し、(神様の心情に対する)解剖学を論理的にまとめた男です。そのような価値を知るようになれば、世界は私にだけ付いてこようとするのです。私に会いに行こうという行列が、玄界灘を越えて太平洋の真ん中にまで続くでしょう。

30 私は、牛も見ることができます。販売場で牛を見て、「あの牛は悪い」と一言言えば、その牛は売ることができないのです。牛は、首筋が整っていなければならず、前足が整っていなければならず、後ろ姿が整っていなければならず、腰が整っていなければなりません。この四つが整っていれば、良い牛なのです。

昔、父が牛を買いに行く時には、私も付いていって鑑定してあげました。父が知らない牛に関する話をしてあげると、「お前、どうしてそれを知っているのか」と言われました。

私は、既に生まれながらにして知っていました。ですから、今日、世界で誰もできないことをしているのです。

31 昔、私が子供の頃、通りに出て、行き交う人を見てどのように感じるかを調べたりしました。「あの人は、間違いなくこうだ」と思うと、それが本当に正しいか正しくないか、付いていきながら打診してみるのです。その人に、「あなたは、こうだったでしょう?」と尋ねてみるのです。それは霊界から教えてくれるのではなく、私の心が既に知っているのです。

それで「あなたは、このような人でしょう?」と尋ねてみると、「どうして分かるのですか」と驚きます。間違いなく当たります。じっと座って、あの部屋に誰がいるのか、良いことをしているのか、悪いことをしているのか、良い人が住んでいるのか、悪い人が住んでいるのか、ということがすぐに分かるのです。

第二節 神様からの召命蕩減の道を行った家族真のお父様が天から召命を受けられたことを前後して、家族と周囲の人々は厳しい蕩減を払わなければならなかった。十六歳(数え)になる頃までに、あらゆる試練が押し寄せた。サタンの讒訴条件を清算し、完全な天の側の勝利の基点を確定するため、摂理上、不可避な犠牲が伴ったのである。三代にわたって兄弟たちが客死し、行方不明になった。さらに、真のお父様を含む六男七女の兄弟のうち、格別に愛情をかけた五人の弟妹が相次いで夭折(ようせつ)した。天は、真のお父様が世の中で心を寄せ、頼れる関係や、関心をもつ外的環境を、ことごとく切ってしまった。この世のどこにおいても心安らかに過ごせない緊張した日々を、一生の間、経てこられたのである。

1 統一教会のみ旨を引き継ぐためには、誰もが蕩減路程を経ていかなければなりません。私は十六歳(数え)の時、この道を出発することになりましたが、その時には、十三人の兄弟のうち八人だけを残して五人が死にました。また、犬が死に、牛が死に、馬が死にました。奇怪なことが起きたのです。このような理解し難い出来事を、皆さんは知らないでしょう。謎のような出来事が本当に多かったのです。私の家庭を中心として、完全に破綻させるための悪魔の計略があったというのです。これは現実的な内容です。

万国を代表して勝利の覇権をつかむためには、末端の血族においても、その戦場でサタンが讒訴できない内容を提示しなければならず、本人自身の歴史性においても、世界万民、世界人類を代表して歴史的勝利圏を誇り得る条件を提示しなければなりません。統一教会も同じです。統一国を創建するにも同じなのです。

2 霊的な現象は、見えない世界で起こるのではなく、実際に見える所で様々に現れるのです。サタンはあらゆる手段を使って、お父様の一家を滅ぼすことを計画しました。その渦中で、兄と姉が精神的におかしくなり、大変なことになりました。若い頃、そのような霊的背景と霊的世界の問題があったのです。

気が狂ったと思った兄が、よく見ると何か話をしているのです。兄が話すときは独り言のように語るのですが、その内容が途方もないものでした。また、言い方が時によって違いました。何人かの霊が来て、一日中話をするのです。そのことがお父様には、すぐ分かりました。

3 私自身にとって最も親しかった友達、天が祝福してくれる立場にいる友達は、すべて連れていかれました。この世で信じ、頼れるものは、一つ残らず断ち切られてしまいました。その中には、平安北道の人もいて、黄海道(ファンヘド)の人もいました。誰よりも親しかった友達が、全員連れていかれたのです。

また、私が最も愛した妹が連れていかれました。私の家庭には娘が多かったのですが、母方の叔母の家には娘がいなかったので、叔母さんが懇願し、この妹は叔母の家に行って暮らしていました。それで、私はいつも、その妹のために祈りました。その妹は、兄に対して絶対的でした。ですから、妹にとって良いことであれば、兄としてどんなことでもしてあげたいと思っていたのですが、その期待までもすべて断ち切られてしまいました。妹だけでなく、愛する弟も連れ去られてしまいました。このようなことを見ると、蕩減には許しがないのです。そのような過程を経なければなりませんでした。

4 私のことを愛してくれた友達は、すべて霊界に連れていかれました。なぜ彼らを霊界に連れていったのかを、今考えてみると、私が彼らと私情を交わすかもしれないのでそうしたというのです。神様のすべてのみ旨に責任をもって歩んでいく私が、彼らと私情を交わす恐れがあるからです。神様は、私がこの世で関心をもつ人は、すべて連れていってしまいました。

このようなことをよく知っているので、他の道に行こうにも行けないのです。私が愚かなのでこのようなことをしているのではありません。どれほど多くのことを考えたでしょうか。

十六歳(数え)の時、神様からの召命を受ける真のお父様は、長老派教会に入教する頃、新しい学問の修学とともに、思考の幅が広がってより深く考えるようになり、将来の問題と現実の問題について深刻な疑問に逢着された。理由も分からない中で起こる家の患難とともに、日本統治下における民族の悲惨な姿、そして、弱小民族の苦痛と悲哀を深く体感された。同時に、人生の根本問題について苦悩しながら、解決点を探そうと身もだえされた。そのような中、定州普通学校に転校した直後、十六歳になった年の一九三五年四月十七日の早朝に、長い時間、涙ながらに山上で祈りを捧げていたところ、イエス様の顕現を体験することになる。イエス様は、奥深く驚くべき事実を多く語られ、その後、何回にもわたって直接対話を交わされた。真のお父様は、神様から天命を受けられたのち、故郷とソウル留学、そして、日本の東京留学を経ながら、将来の摂理的使命者として、責任意識の体得と信仰を深化させる準備期間を過ごされた。

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12  私は、靴下を自分で編んで履き、服も自分で作って着ました。寒くなると、帽子も自分で作ってかぶります。私が姉たちに編み物を教えてあげました。皆さんもみ旨のためには、一人で暮らす準備もしなければなりません。パンツなども、綿布を持ってきて、型を取って作ってはけば、ぴったり合うようになっているのです。

母の足袋も作ってあげました。母が「おやまあ、いたずら半分に足袋を作っていると思ったら、足にぴったり合うわね!」と言うほどでした。そのようなことを、すべて研究しておかなければなりません。服も編んで着ることができなければならず、靴下や帽子も作れなければなりません。そうであってこそ、一人で暮らしても、み旨を成就することができるのです。

13  最近、私が懐かしく思う食べ物があります。私が食べたことのない料理がどこにあるでしょうか。世の中の有名だと言われる料理はすべて食べてみましたが、今でも一番懐かしいものは何だと思いますか。昔、田舎では「五月のじゃがいも峠」(じゃがいもが収穫される前の農家の食糧事情が悪化する春の端境期のこと)というものがありました。(普段は)じゃがいもばかり食べていたのですが、(その時期は)麦を収穫し、麦で御飯を作って食べました。麦飯も、最近の平麦飯ではなく丸麦飯です。その丸麦を水にふやかして炊いた御飯は、スプーンでぎゅっぎゅっと押してすくっても、粒がこぼれ落ちるのです。それにコチュジャンを混ぜて食べたことが思い出されます。それが今でも懐かしいのです。

他のものを混ぜるとおいしくないのです。ぴりぴりするほど辛いコチュジャンを混ぜて、薄赤い御飯を一口食べると、歯の間からぼろぼろと出てきます。それで口を閉じてもぐもぐと食べたのですが、そのことが今でも懐かしいのです。

14  田舎に行けば、本当におもしろくて、素晴らしいことがたくさんあります。そこであらゆることを研究し、材料を収集して、将来の大きな人生設計のために準備をするのです。私には、そのような経験がたくさんあります。

ですから、農村に行けば農作業もでき、海辺に行けば漁夫になって魚を捕ることもできます。私は網打ちをするにしても、明け方に出ていきます。どのみちやるのなら記録を出すのだ、という信念をもってするのです。明け方、一番鶏が鳴く頃に出掛けて、星が出るまでそれをして帰ってきます。私は常に、世界において何であっても、負けるのは駄目だという主義です。どこに行って何をするにしても、絶対に負けないという考えをもっています。ですから、人には絶対に負けません。私が精誠を尽くす時もそうです。

涙が多く情にあふれた少年真のお父様は、幼い頃から涙の多い方だった。この上なく情が深く、同情心の厚い少年だった。鳥や魚を捕まえ、家で育てているうちに死んでしまうと、親の立場を考えながら涙を流す、切ない童心の情を表された。弱い友達をいじめる人に立ち向かっていったこともあった。御飯を食べられない人がいるといううわさが耳に入れば、両親に隠れて、米の入った甕(かめ)から米を運んであげ、子供が生まれたのに食べる物がない家には、わかめと米を持っていってあげたこともあった。お祝いの日に新しい服も着ることができない貧しい立場にいる友達のために、深い温情を施された。

15  六歳を過ぎて七歳になれば、物心がつく頃です。学校に通う年の頃には、村にいる身重の女性たちのおなかがどれくらい膨れたら、いつ頃赤ん坊が生まれるか分かりました。私は、そのような女性たちについて調べ、米がなければ、一ヵ月前から米を持っていってあげました。妊娠した女性の家にわかめがなければ、わかめを買ってあげたりしました。

ですから、貧しく暮らす人たちは、すべての秘密を私に報告しました。そうなると、秋になれば、とにかく栗でも取って分けてあげたくなり、とうもろこしでも取ってその家に持っていってあげなければ、心が安まりません。そのような訓練をしたので、世界の人たちをみな、食べさせて生かそうとまで考えたというのです。

16  昔、村の中で、私の家は暮らし向きが良かったのです。満足に食べられず、貧しく暮らす村の友人が、弁当に粟飯や麦飯を入れてきて食べるのを見ると、取り替えて食べることはあっても、それを見て、何もせずに自分の御飯を食べることはできませんでした。

また、友人の両親が病気なのに、病院に行くお金がない時には、父や母のところに行って涙を流しながら、「私の友人の誰々の両親が病院に行けるよう、お金を下さい」と言いました。

年が十一歳くらいになった時、「米、大豆一斗(約十八キロ)を売って誰々を助けてあげるのだ」と父に宣布しました。そうして、父に内緒で一斗の米を担いで二里の道を歩いていったことが、今も思い出されます。縄や何かのひもでそれを結んで担いでいかなければならないのですが、そのまま担いでいくので、どれほど息がはずんだか、何度もハアハアと息が切れました。それが今も忘れられません。一生の間忘れられないでしょう。そのすべてが、み旨のために歩むことができる立場に立たせたのです。

17  私は、冬に震えて通り過ぎる乞食を見れば、御飯も食べられず、眠ることもできませんでした。そのような性格でした。それで、父と母に、「部屋に入れて御飯を食べさせてから送り出してあげよう」と言いました。それが、天の愛する根本になり得るものではないでしょうか。

村で御飯を食べられない人がいるといううわさを聞いたならば、どうやって助けてあげようかと考えて、夜眠ることができませんでした。それで、私は両親に内緒で、米櫃{こめびつ)から米を取り出して分けてあげたりもしました。

18  私は餅が好きでした。私が母に「餅を作ってほしい」と言うと、母は「畑仕事もしなければいけないし、息子や娘を結婚させようと思えば、反物も織らないといけない。だから忙しい」と言って、作ってくれません。休む間もない忙しい母でした。それなのに、しきりに「食べ物を作ってほしい」と言うので、簡単な小豆餅や蒸し餅のようなものを作ってくれるのですが、大きな蒸し器に餅を作っておくと、それが三日ももちません。すべて分けてあげるのです。

村で心配なことがあれば眠れません。それをよく考えてみると、天がそのような心情を指導したのではないかと感じるのです。村に貧しく暮らす人がいたりすると、どうにかして良い暮らしができるようにしてあげたいと思うのです。村で何か起きれば、それを人ごとではなく、自分のこどのように思ってするのです。心根がこのようになっていなければなりません。天性がそうでなければなりません。川上の水が澄んでいてこそ、川下も澄んだ水になるのです。人は霊的な存在なので、そのように生きてこそ、他の人たちがその人を頼りにして暮らしたいと思うのです。

19  私が幼い頃、我が家では数百箱規模の養蜂をしていました。養蜂をするときには、巣板をぴったり付けておくと、そこに蜂が巣を作って蜜の貯蔵所を作ります。巣は自分で作るというのです。その巣板は高価なものです。それをキャビネットのような所に積んでおくのですが、それを見つけて、(蜜蠟を)すべてこねるのです。

田舎に行くと、油がなくて明かりをともせない家があります。そのような家には、石油はあげられなくても、ろうそくの火だけでもつけられるように、それをあげました。そうしないと心が落ち着かず、我慢できないのです。ですから、(蜜蠟を)すべてこねて、一つ一つ配給してあげました。

私は世間知らずだったので、その当時のお金にするといくらになるか分かりませんでした。それで結局、父にひどく叱られました。ひどく叱られましたが、絶対に「間違っていた」という言葉は口にしません。父も、結局は途中で諦めて叱るのをやめてしまうのです。

20  ある障害者の夫婦がいました。男性は目が見えず、夫人は体に障害がありました。この夫婦は、村中で模範的な夫婦でした。夫人がいつも足を引きながら杖をついて夫を案内してあげるのです。口も曲がり、様々な障害をもっているのですが、夫はこの上なくその夫人を愛していました。冬になると、どこにも住む所がないので、必ずうちの精米所を訪ねてくるのです。

すると、むしろしかないので、私が布団を持っていってあげ、毛布も持っていってあげたりしました。それで、私のことを随分と気に入ってくれていました。そうこうするうちに、彼らが死んだという話を聞き、悲しくて泣いたことが思い出されます。

21  私も皆さんのように、はつらつとして希望にあふれた青春時代がありました。私は、このみ旨を知る前からかわいそうな人の友達になろうと考えていました。貧しく暮らす人に関心をもちました。子供たちがいても、裕福で力のある家の子供たちとは親しくしようとしませんでした。反対の生活をしたのです。村に御飯を食べられない貧しい人がいれば、私は寝るのも忘れてそれを解決してあげようとしました。こうしてすべての人と友達になって、すべての人の友達以上の道を行かなくてはならないと考えたのです。

不撓不屈の性格と予見能力真のお父様は、幼い頃から一つのことをとことんまで突き詰める性格と、決して屈しない勝負根性の持ち主だった。正しいと判断すれば、絶対に先延ばしにしたり、待ったりせず、即座に行動に移された。このように幼少時代は、神様の救援摂理を完成すべき真の父母となるための資質と禀性を育てる期間だった。そして、真のお父様は、幼少時代から近隣の人々の病苦と災難を予見するなど、特別な霊力を見せ、周囲の人々を驚かせた。

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第三章  真のお父様の摂理的準備時代第一節   自然と共に過ごした幼少時代自然と共に過ごしながら得た教訓真のお父様は、定州普通学校を卒業する頃までの十八年間、故郷である定州郡徳彦面上思里の周辺の二里から三里(八~十二キロ)を活動舞台にして、幼少時代を過ごされた。自然などから悟りを得る、重要な期間だった。真のお父様は、好奇心と探究にかける熱意が並み外れており、典型的な農村環境の中で、多彩で多様な情緒と資質を育まれた。特に鳥や昆虫などを通して、子に対する親の愛を観察しながら、人間愛の道理を確かめるなど、すべての事物が真のお父様にとっては情緒的な友となり、教材となったのである。

1   成長していく上で、情緒的に多くの教材を残してくれる所が故郷です。山を眺める時にも、忘れられない情緒的な網の目が張り巡らされています。また、小川を見る時にもそうです。小川には数多くの魚が棲み、数多くの虫たちが棲んでいます。そのようなものをすべて学びの材料として活用した場合には、自分が成長するようになります。そして、あらゆる知識の供給を受けるに当たって、忘れられない基本的な教材になるのです。

山河にいる動物や植物、自然界に関するあらゆるものを教材にして、自分が内的に成長する過程で、豊かさを身につけることができる多くの材料を与えてくれる所が故郷です。ですから、故郷の山川を懐かしく思うのです。

2   私が住む地、私が見ている周辺の村や山の尾根、山の向こうの地域まで、見ようと思えばいつでも行ってみたのです。私は幼い頃そうでした。そこに貯水池があれば、貯水池にいる魚という魚は、すべて捕まえてみます。鳥もすべて捕まえ、虫もすべて捕まえます。捕まえてみなかったものがありません。ですからよく知っています。ざりがにはもちろんのこと、魚がたくさんいる所はどこで、山の獣はどこにいるのかを、残らず知っているのです。そのようなものを何から何まで調査したので、魚を捕りに行くとき、どこに行けばよく捕れるのかを知っているのです。

3   私は毎日のように山に通い、平地では過ごしませんでした。山を歩き回ったのです。山に行けば、花もたくさんあり、鳥も多く、獣も多く、博物館のように、ないものがありません。人が作ったものは、自然から学んで作ったものが多いのです。自然を愛さなければなりません。満月になれば、私は家で寝ようとはしませんでした。松林に行きます。私の育った所は、おおかみもいて、虎もいましたが、月夜がどれほど神秘的か分かりません。

大きな松の木の下は、松葉が多く、草もあまり生えないので、雨が降ったとき、そこに座ったり寝転んだりしてもぬれません。どれほど素晴らしいでしょうか。そのような所に行って明るい月を見ると、吹いてくる風の音が神秘的です。そして、風で大きな木が揺れると、様々な色に反射するのです。それに酔いしれるというのです。不思議なことに、木と木がぶつかると音がするのですが、その音が人の話し声に聞こえるのです。「原理」は、そのような自然の中にすべてあるのであって、他の所にあるのではありません。

4   私は自然が本当に好きでした。ですから、山に行って座ったまま昼寝をすることもありました。大きな木に寄りかかり、自然の中で昼寝をするのです。そのように過ごしながら、山菜を採って食べたりもしました。このようなことが忘れられません。情緒的な人間として育つための、基本的な教材を私に提供したのだと思います。

山川にある木がすべて同じ木でも、それぞれの形が印象に残ります。それが情緒的な面において、追憶となって記憶に残る一つの教材であり、博物館なのです。

5   私の村に訪れる渡り鳥を、私はすべて知っていました。しかし、ある時、初めて見る渡り鳥がいました。まだら模様がどれほどきれいか分かりません。渡り鳥は、雛を産んで故郷に帰るのですが、どこで雛を産むのか、どうしてここに現れたのかを考えてみました。その鳥が現れた理由は簡単です。その周辺に巣があるか、水を飲みに来たか、この二つのはずです。水を飲む場合も、良い水を飲まなければならないので、良い水を探し求めて来たのです。

ですから、泉を探してみます。泉を探して良い泉があれば、間違いなくその泉の水を飲みに来るのです。それで、泉を見つけ出して二週間ほど見張りました。間違いなく水を飲みに来るはずなので、毎日のように朝から行って見張るのです。案の定、その鳥を発見しました。現れたのです。鳥たちを見ると、本当に不思議です。

6   故郷に小川があるのですが、私がそこに棲む魚という魚はすべて捕ってみました。どじょうもいて、鰻もいて、ありとあらゆる数多くの淡水魚がいますが、それらをすべて捕まえてみました。大きな池があれば、これらの魚をそこに投げ入れていたはずです。最近は、家でも魚を育てたりしますが、その時、そのようにできる池があれば、どれほど良かったでしょうか。

その頃は分別がなかったので、水たまりをつくって入れました。魚はどのような水でも、すべて生きていけると思っていました。ところが、一晩寝て起きて見ると、魚がすべて死んでいたのです。その訳も知らず、「精誠を尽くしてお前を生かしてあげようと思ったのに、どうして死んでしまったのか」と悲しみました。

そのようなところを見ると、私は情的な人です。死んだ魚を見ても、「おい、お前のお母さんが泣くだろうな。僕が泣いてあげるよ」と言いながら一人で泣きました。

7   私の家から二里余り離れた所に海がありましたが、私は他の人より短時間で往復しました。また、私は、鰻を捕るチャンピオンでした。私が小さい頃、「小さな目の子」と呼ばれていたのですが、その「小さな目の子」が鰻を一日に数十匹捕って煮込み、豚に食べさせたり、牛に食べさせたりしていると、うわさになりました。ですから、お客さんが来て鰻の話をすれば、私は「準備しておいてほしい」と言って、鰻を捕まえに飛び出していくのです。食事の時間に合わせて鰻を捕り、お客さんが喜ぶ料理を作って接待しました。鰻スープや、鰻の煮込み料理を食べようと口癖のように言っては、それを思う存分食べるのです。

8   万物は、人のためにつくられました。ごく小さな動物にまで真の愛を施すことができる主人の資格を備えるようになれば、恥じることなく堂々と神様の愛を受けることができるのです。子犬も人の愛を願い、すずめも人の愛を願い、くもも人の愛を願います。すべてが主人の愛を受けようとするのです。

昔、私は鳥を捕まえるチャンピオンでした。ですから、私が捕まえたことがない鳥はいません。渡り鳥たちも、捕まえられなければ、夜も眠れませんでした。

幼い頃はそうでしたが、成長してからは、その鳥たちに餌をあげ、泉を掘ってあげました。私が真心を込めて泉を掘れば、鳥がやって来て水を飲むというのです。また、私が食べ物をあげるとそれを食べ、私が行ったり来たりするのを見ても、飛んでいきませんでした。自分たちを傷つけないことが分かれば、人を好きになるようになっています。それは、人が万物の主人だからです。

9   動物たちも、春になれば、愛の相手を求めてさまよいます。鳥たちもそうで、昆虫たちもやはり同じです。夏に昆虫の鳴き声を聞いてみてください。その鳴き声には、二通りあります。一つはおなかがすいて鳴く声であり、もう一つはつがいになる相手に会いたくて鳴く声です。合図は簡単です。「おなかがすいているので、友達と一緒に何か食べに行こう」、それから「良い相手を探しに行こう」の二つです。

私は田舎で暮らしたので、昆虫を本当にたくさん捕まえました。また、捕まえてみたことがない動物はいません。山猫からたぬき、うさぎなど、すべて捕まえてみました。それは興味が尽きません。それらは一匹で住んでいると思っていましたが、すべて相手がいました。すべてつがいです。昆虫の世界も、鳥類の世界も同じです。

10  私は五葉松を愛しています。五葉松には、人間が食べられる実がなるからです。また、五葉松の実は、誰でもむいて食ベられるというものではありません。石で割らなければならないからです。どのように割ればよいか、その方法を知って割ろうとしても、正確にたたいてこそ割れるのです。ですから、誰もがむいて食べられるわけではないのです。

またこれは、植えても、凍ってひびが入ってこそ、初めて芽が出ます。普通のものとは正反対の時に植えるのです。春に植えるのではなく、秋に植えなければなりません。凍らなければならないのです。どのようにしても、その本質の素性は変わりません。その環境や与えられた条件に支配されることがなく、反対に環境全体を爆発させ得る内容をもっているので、そこから春を迎え、芽が出て、五葉松の木として育つのです。それが五葉松です。

これは、東西南北を中心にして、一つの中央線があります。そのような意味で、私は五葉松を愛するのです。また、この木はとてもよく育ちます。まっすぐに上がっていきます。根もまっすぐで、芽もまっすぐに上がっていくのです。

自給生活の訓練真のお父様は、幼少時代、田畑の耕作、苗植え、草取りなど、田舍のあらゆる農作業を経験された。特に稲、豆、とうもろこし、さつまいもなどを上手に育てる秘訣、畑への肥料のまき方、山での落ち葉のかき集め方などを身につけながら、少年期を過ごされた。そして靴下や服、帽子も手作りで編んで使うなど、自給生活に強い一面をお見せになった。

11  私は学校に行って帰ってくると、もろ肌を脱ぎ、先頭に立って仕事をします。兄や姉たちと競争しても、いつも私が一歩先を行きました。農村で王のような勝利的農夫の称号を受けられなければ、その農夫の世界では指導者になれません。ですから、どのような土地に大豆を植えなければならず、小豆を植えなければならないのかをすべてよく知っています。

土地を見て、「ここは、さつまいもがよくできるのに、なぜこれを植えているのですか」と言えば、「そのようなことがどうして分かるのか」と言われます。すべて経験を通して知っているのです。私が農村に行けば、農夫の中の農夫です。漁村に行ってもそうです。船も造り、鮪(まぐろ)を捕まえるシステムも開発しました。

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9 許浩彬女史は、大母様に「再臨主が履かれる革靴と紗帽(サモ)を安州で作ってきなさいと、天がおっしゃっています」と言いながら、自分が受けた啓示を伝えてくれました。大母様はその話を聞くやいなや、安州で革靴と紗帽を上手に作ることで有名な家を訪ねていって、「精誠の限りを尽くして作ってください。お金は欲しいだけあげますから、最高の物を作ってください」と言い、サイズを書いて帰ってきました。一週間ほどしてから行ってみると、革靴は上手に作ってあるのですが、紗帽が気に入らないのです。その紗帽を受け取るやいなや、腕がしびれ始め、目がぐるぐる回り、身動きすることもできなくなりました。挙げ句の果てには、その家の床に足がくっついてしまったのです。そこで、「もう一度作ってほしい」と言ったところ、体が少しずつ動くようになりました。大母様が目をむいて紗帽を作った人を叱ると、(その人は)ぶるぶる震えながら、「きちんと作り直します」と言いました。一週間後にもう一度行ってみると、今度は本当によく作ってあり、気に入ったといいます。お金を払って平壌に持っていくと、心が落ち着きました。その話を許浩彬女史にすると、笑って喜んだといいます。それから約一ヵ月後に、また夢を見ました。大母様は、夢のお告げを非常にはっきりと受ける方ですが、一ヵ月前に(夢で)会ったその方がまた出てきて、「私はもっと北に行って勉強しなければならないので、あなたが一番大切にしている掛布団と敷布団、それから洋服を一着、背負い袋に入れてほしい!」と言われるのです。それで、「そのようにいたします」と答えて家に入ると、不思議なことに、掛布団と敷布団がきれいに準備されていました。洋服も、淡い色の服でしたが、良い布でできた物が準備されていました。ですから、「本当に有り難く、驚くべきことだなあ!」と思いながら、真心を込めてそれを包み、背負い袋に入れてさしあげました。すると、それを担いで「私は三年したら来るから、あなたは三年間、心変わりせず、待っていなさい」と言われ、北に向かって、口笛を吹きながら独り寂しく行かれるのです。その後ろ姿を見つめながら、大母様はいつまでも泣きました。独り、勉強しに行かれる姿が、この上なく寂しく見えたのです。もちろん、その間に心変わりすることはあり得ませんが、「取るに足らない私に向かって、三年間、変わらずにいなさいという、畏れ多いみ言を下さって行かれるのだなあ」と言って泣いている途中で、夢から覚めました。そのように、大母様は再臨主と既にお会いしたのです。

10 一九四六年八月、腹中教信徒の中の一人が共産党当局に密告して、許浩彬女史と腹中教の幹部たちが警察に捕まり、大同保安署に拘禁されました。内務署員が許浩彬女史に、「お前の腹中にいるイエスはいつ出てくるのか」と尋ねると、彼女は「数日後に出てこられる」と答えました。天から、しきりにそのような指示が下りたのです。許浩彬女史は、再臨主が監獄において出てこられる日時を話していたため、二、三十人の信徒が白い服を着て、毎日監獄の門の外に立っていました。また、内務署員は、それまで作っておいた服を、一つ残らず持っていってしまいました。

天から「再び作りなさい」という指示が下り、一年間以上、精誠を尽くしてもう一度その分を作りましたが、その時もまだ、許浩彬女史は出獄できずにいました。

11 一九四六年六月頃、お父様はソウルを離れ、北朝鮮の平壌に行き、景昌里で集会所を開き、伝道をされました。その頃、北朝鮮の共産党当局は、宗教団体に対する弾圧を始めました。腹中教の許浩彬女史などが、宗教の名を語って人をだましたという罪で立件された時、お父様も、それと類似した団体の指導者であり、李承晩政権のスパイであるなどの容疑で、大同保安署に拘禁されました。特に、摂理的新婦格として準備された腹中教が、新郎格であるお父様のところに自ら訪ねてくることができなくなるや、お父様は二度にわたって人を送り、勧告されました。それでも、最後まで拒否した結果、神様は獄中にまで訪ねていかれたのです。

お父様は、八月十一日から百日間、獄中での苦難に遭いながら、許浩彬女史と接触しようと数度にわたって手を打たれましたが、許浩彬女史は、最後までお父様が誰であるか気づかず、そのような摂理的に適切な(天の)処置に対して、顔を背けたまま不信の道に行ってしまいました。お父様は十一月二十一日、過酷な拷問により瀕死状態に陥ったまま、放免されました。天の加護が共にあったのです。しかし、その頃、腹中教幹部の多くは拷問を受けて死亡し、その後の六・二五動乱でも戦没しました。天の祝福と恩賜に対して、責任を果たせなかった摂理的使命者の結末が、どれほど過酷で厳しいかを教訓として教えてくれる、生きた歴史です。

12 大母様と趙元模おばあさんは、生涯にわたって再臨主を迎えるための準備をする信仰生活を貫かれました。世の中と妥協したり、安逸な家庭環境に安住したりせず、全面的に天のみ前に奉仕しながら、至誠を尽くされました。大母様が主を迎えるために、歴史的な受難の道を歩んできたがゆえに、私(お母様)もそこに同参(一緒に参加すること)したのです。私もそのような訓練をしました。み旨のために行く道であれば、何であれ犠牲にしてきたので、私たちの家門に神様が共にあったのです。

13 大母様の生涯のように、皆さんも誇ることができる一生を送らなければなりません。真の父母様の両家の父母のうち、大母様が最も高齢までお父様に侍られた方でした。それで、お父様は、「大母様」という称号を下さったのです。そのように「大母」の称号を受けるまで、天のみが知る血の涙の精誠祈祷をされました。

お父様に侍る前は、再臨主に会わせてくださいと祈り、お父様にお会いしてからは、真の父母様の家庭のために一層精誠を尽くされたのです。なぜなら、霊的によく御存じだったからです。真の父母様の家庭を守るために、サタンとの闘いをされたのです。大母様は、十年間、闘病生活をしながらも、真の父母様の家庭のために祈られました。

14 今後皆さんは、自分のために財物を積み上げておいてはいけません。節約するのは良いのです。しかし、み旨のために節約しなさいというのです。自分の一族と一国家、南北統一のために、皆さんがもっているものをすべて投入することができなければなりません。自分の家ばかり保護してはいけません。ただもつべきものは、神様の愛によって真っ赤に燃え上がる、その一つの心情だけです。

ですから、大母様のように、二十四時間、神様のみ旨と父母様のみ旨を成就させることを考えて生きなければなりません。大母様には、その考えしかありませんでした。それ以外のことは考えもしなかったのです。私たちが尊敬すべき方です。ですから、「大母」という名前を私が授けたのです。

15 大母様は、父母様の聖婚以降、労働者の妻から皇族まで、ありとあらゆる女性がお母様を打つという局面を収拾するために苦労しました。お母様一人では、これに耐えられないので、三代にわたって打たれなければなりません。その代を受け継ぐために、責任を果たしたおばあさんであることを知っているので、お父様は「大母」という名前を与えたのです。女性たちが行く愛の道で、泰山峻嶺(大きな山と険しい峰)のように立ち塞がっている垣根を崩してしまわなければ、お母様に降りかかってくるので、「あらゆる重荷を私に背負わせてください」と痛哭し、そのことをしてきました。「父母様の家庭のあらゆる心配を解消してください」と言ったのです。

そうして、今や恨多き犠牲の道を通じて、国家基準を越え、世界基準を越えて、統一天下に向かい、解放に向かって前進できる時代に来たのです。

この転換期に自分の責任を果たして逝き、すべての人が忠心で奉るべき資格をもったので、「大母様」としたのです。皆さんは、この方の一片丹心の心情を引き継ぎ、自分の子孫に対して、神様に侍る伝統を正しく立てなければなりません。このおばあさんは、神様に侍るために生きました。神様を皆さんの家庭に迎えるには、それ以上の一片丹心、忠情の道理を尽くさなければなりません。

一九八九年十一月四日、揮毫を「忠心奉身」としましたが、忠誠に満ちた一片丹心の心をもって、生畜の祭物になる道を歩みきったこのおばあさんのように歩むとき、迫害なく神様から福を受けることができるでしょう。

16 大母様は、生涯にわたり、ただ一つの所に向かって信仰生活をしてこられた方です。その中で私たちが特別に記憶すべきことは、新たな摂理歴史において「再臨主が人として来られる」と宣布し、新しい教団を準備したすべての役事に、最初から参加してきたということです。聖主教を中心として母の系統を引き継いだのは金聖道であり、それが一代目です。

そして、もう一つの系統が腹中教の許浩彬です。その系統で信仰の主流的歴史の伝統を引き継ぎ、来られる再臨主を迎えるために、選抜走者として走ってこられた方が大母様です。

お母様を生んで三代のエバの役事を経たのですが、お母様の時代に来て実を結ぶことができるというみ旨を暗々裏に知って、準備してきたおばあさんなのです。その間にあった苦労というものは、とても言い表すことができません。周辺にいる兄弟や親戚、仲間など、誰も理解できないこの道を独りで歩み、生食をしながら、ありとあらゆる役事を経てきたのです。

しかし、最後まで自分の中心思想を曲けずに歩んでくることによって、お母様がお父様と出会える基台を造成しました。

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10 「韓民族」という言葉は、その源流を尋ねてみれば、「韓」に由来します。「韓民族」とは、古代から私たちの民族を呼ぶ固有の名称です。その意味は、最も秀でた民族であり、偉大な民族として、天のみ旨を立て、世界を一つにする天孫民族ということです。そして、韓氏は悠久な歴史をもった王族の血統であり名門の血統として知られています。このような血統を通して、天は母を求めてきたのです。

11 「한(「韓」も同音)」とは、一つという意味であり、神様も意味し、宇宙万象の合一も意味します。また、大きいという意味があり、宇宙万象を包容するという意味もあります。満ちるという意味で、充満していることを意味します。そして、神聖で立派であり、世界の「最上」と、万象の「太初」であることも意味しています。私たち韓(한)民族は、神様の天命を受けて歴史の主体となり、真理の主体となって、神様のみ旨を地上に実現する役割を担う民族なのです。

12 私たちの民族は、倍達民族です。「倍達」というのは、光明の国、輝く国、天をあがめ尊ぶ国を意味します。それで檀君を倍達王ともいうのです。数千年前の上古時代から、既に私たちの民族のことを倍達民族と言ったのです。

聖書の歴史を見ると、天はノアやアブラハムなどの中心人物を立てて役事(働き)をしてこられ、結局はイスラエルを選民として選んでイエス様を送られたのと同じように、大昔から天孫民族として、弘益人間(ホンイクインガン)(広く人間世界に利益を与えること)の思想をもつ天民として、韓民族を選んで準備されたというのです。結果的に、再臨主を送る摂理をされたと言うことができます。

したがって、私たちは、後天開闢時代に、平和王国創建の先鋒に立てるため、天が選んだ選民の血族が韓民族であることを、肝に銘じなければなりません。

13 訓民正音(フンミンヂョンウム)とは何でしょうか。正しい音を聞いて学び、訓(おし)える国民は、千年の歴史、万年の歴史においてすべてが滅んでも、残るというのです。それが東夷民族であることを、私は知りました。古朝鮮から四千年の歴史と見ていますが、古朝鮮の前に三千年の間、「韓」があったのです。その「韓」の韓半島における根拠地が清州であると考えています。私は今、東洋史における古代韓国の歴史書を編纂し、年代的関係が途切れている歴史をつなげようとしているのです。

第三節 真のお母様と神霊教団新しい天の摂理を準備した神霊教団神様が再臨のメシヤを韓国の地に送るための摂理を急がれる中、一九〇〇年代初頭から、このような神様の摂理を、先立って知っていた篤実なクリスチャンの間で神霊運動が起こり始めた。その神霊運動は、李龍道師を中心とした新イエス教会、金聖道の聖主教、許浩彬の腹中教に脈々と受け継がれた。このような基盤の上に、天の新婦を迎えるための摂理が、神霊教団を中心に、同時に進められてきたのである。

1 神様は、今まで韓国の地で、キリスト教を中心に神霊の役事をしてきました。解放前の一九三〇年代と一九四〇年代に、神様はこのための準備をさせてきました。神様のみ旨に従うべきキリスト教は、そのような立場で神様の内的な事情に従い、内的なみ旨を立てなければなりません。神様は、数多くの家庭を通して、あるいは数多くの開拓者を通して、このような役事をしてこられました。

鉄山、平壌、または元山のすべての動きは、その時代的環境に対応させるためでした。キリスト教が従わなければならなかったので、それを一歩前進した環境で、神様は準備させてこられたのです。

2 神霊的な役事をした人の中で、鉄山に金聖道という方がいました。そして、咸興(ハムン)には白南柱という人がいました。白南柱氏は、総督府から聖主教の認可を得た人です。霊界からすべて教えられてそうしたのです。

「裸足で鉄山に行きなさい」という霊界の指示を受けた白南柱氏は、鉄山に行きました。咸興から平壌まで六十里から七十里にもなります。裸足で鉄山に行って金聖道女史に会いました。そのようにして東と西が会ったのです。会って、来られる主がこの地に来た時に、苦難を受けないように準備したのです。そうして、聖なる「聖」の字と主人の「主」の字を入れた「聖主教」がつくられました。

しかし、金聖道女史の主張と、その他の人の主張との対立が表面化するようになりました。金聖道女史は、「天が私を中心として、エバの使命について教えてくれたのだから、主が来られれば私がお迎えしなければならない」と主張したのです。

3 金聖道女史の家庭が責任を果たせないことによって、その使命は至誠を尽くして金聖道女史に侍っていた許浩彬という婦人に引き継がれました。その婦人は、すべて主を中心として生活をしてきました。天は、その婦人にまず罪を脱ぐ方法を教えてくれ、その次に生きていく方法を教えてくれ、またその次には、主が来られたあとに子女を育てる方法を教えてくれました。

その許女史は、主に侍って生活し得る法度と全体的な規則を立てて準備しました。許女史は、解放前からそのような準備をしなければなりませんでした。七年前からそのような準備をしてこなければならないというのが原則です。そのようになっていれば、韓国の解放を中心として、再臨理念が出発するようになっていました。そうしてこれを引き継いで、新しい役事をしていかなければなりません。その時は一段階離れます。「自分が主である」と言うのではなく、「主を生む」と言います。腹中を通して主が生まれるというのです。それは、復帰だからそうなのです。それがマリヤ的使命です。

4 二千年前、イエス様がイスラエルの地にお生まれになるまで、天は多くの準備をされました。イエス様が天の家庭を形成し、一つになった国家をつくり、世界へと出ていくことができるよう、あらかじめ準備させました。しかし、その当時、準備されて責任をもっていた中心人物たちは、天の深いみ旨や事情よりも現実問題に汲々とし、イエス様のことをきちんと理解できず、イエス様に侍ることもできずに、ついに十字架に送ってしまったのです。ですから、イエス様の復活後、二千年間続いてきたキリスト教文化を中心として、新しく来られる主を迎える新婦としての準備がすべてできるよう、天は無知な人間たちを悟らせながら役事してこられました。

天は、韓国を選民の国として選ばれ、韓国のキリスト教の歴史がまだ浅いにもかかわらず、解放前後を通して、新しい主を迎えるための内的な準備をする団体を立てられました。腹中教を立てた許浩彬夫婦を通して、天は内的にどのように再臨主に侍るべきかを直接的に教えてくださいました。イエス様が生まれてから、三十三年の生涯路程を歩み終えるまでの不幸だった恨を解いてさしあげるため、すべての衣服をそれぞれの年齢に合わせて作るようにするなど、あらゆる準備をさせたのです。

真のお母様に結実した神霊役事の基盤真のお父様は、「金聖道を中心とした聖主教と、許浩彬を中心とした腹中教が、大母様を経て、お母様にまで連結されてきた」と語られた。特に、洪順愛大母様は、来られる主を迎えるために、神霊教団である聖主教と腹中教に通って多くの精誠を尽くし、献身した。そのような過程で、許浩彬の母親が真のお母様に対して、「天の新婦になられる方」と祝福したのだが、これはあらゆる神霊役事の精誠基盤が、大母様を経て真のお母様に承継されたことを意味するのである。

5 根のない木がないように、お父様とお母様が真の父母様の名前をもつに至るまでの過去の根を知らなければなりません。人は誰でも、良い環境、良い家族、良い血統を、どのようにして最後まできちんと整えるかが重要です。

大母様は、一九一四年、陰暦二月二十二日、平安北道の定州で出生され、来られる主をお迎えし侍るために、一生の間、渾身の力を尽くして生きてこられた方です。今までのすべてのキリスト教徒たちは、主を迎えるために生きましたが、大母様の一生は、それとは異なる道を歩まれました。主を迎えるために、実践の道を歩まれたのです。

6 二千年前のイスラエルの国においても、主を迎えるための内的な準備が多くあったように、解放前の韓国においても、再臨主を迎えるために準備した団体が数多くありました。そのように、復帰摂理の役事を内面的に果たしてきた団体も数多くあったのですが、母方の祖母と大母様は、そのような団体を訪ね回りながら、ひたすらみ旨のためだけに、ひたすら主に出会うその日を準備するために生きてこられたのです。結局、そのような信仰生活が、私(お母様)をこの場にまで導きました。

母方の祖母と大母様は、絶えず深い信仰生活をされました。常に分別され、清潔な生活、清い生活をされました。私は、生活のほとんどを大母様から学びましたが、母方の祖母からも影響を受けました。

7 趙元模おばあさんは、キリスト教の家庭で生まれました。信仰心と愛国心が篤く、すべてのことに熱心でした。一九一九年、三・一万歳運動が起こった当時、満五歳になった大母様を背中に背負い、その隊列に加わって万歳運動をしている写真を見た覚えがあります。それほど、素晴らしい方でした。大母様も、このような祖母の熱心な信仰生活の影響を受けて、十九歳までは長老派教会の信仰をもっていらっしゃいました。

鉄山で、金聖道女史が教主をしている聖主教が活発に集会を行っていましたが、祖母と大母様は、そこで熱心に信仰生活をされたのです。

8 私(お母様)が生まれた翌年の一九四四年頃、大母様は、趙元模おばあさんと共に腹中教に入り、主を迎えるための準備をしました。ある日、許浩彬女史が、「女性はみな、服を一着ずつ作ってこそ、再臨主が顕現されても恥ずかしくない」と言いながら、午後一時くらいになっていたのですが、大母様に向かって、「夜になるまでに服を一着作りなさい」と言いました。普通の人の服であれば、数時間で作ることができますが、主の服を作るというので、いい加減にはできませんでした。しかし、大母様は従順に従いました。手がぶるぶると震えましたが、感謝の思いでその仕事をやり遂げました。

ある時、大母様は、夜も昼も霊的に再臨主に侍って暮らす許浩彬女史がとても羨ましくなり、「夢の中でも、再臨主に一度お会いできれば、死んでも恨みはない」と思いました。すると、夢のお告げがあったのです。

夢の中で、大母様はきれいな小屋にいました。上下に白い服を着て、台所で食事の準備をしたあと、ぬれた手をエプロンで拭きながら出てくると、祖母が、「この部屋は、誰も入れない部屋だ」と言うのです。しかし、言い返すわけでもなく、丁寧に扉をそっと開けて入り、おとなしく座ったといいます。すると、壮健な方が、東に向かって机を一つ置き、頭に手拭いを巻いて座って勉強していたのですが、さっと向きを変えて座るのです。そして、「私は、あなた一人を探し求めるため、このように勉強しているのだ」と言ったというのです。そのみ言が非常に有り難く、畏れ多くて、涙が自然と流れ、言葉が出なかったといいます。それで、その方の手を握って泣いているうちに、目が覚めたというのです。起きて初めて、「本当に不思議だ。あの方が恐らく、再臨主なのだろう」と思ったといいます。そのように、大母様は夢のお告げを通して、真のお父様に初めて会われたのです

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第二節   真のお母様の家系天が準備された家系真のお母様の父親である韓承運(ハンスンウン)氏は、一九〇九年一月二十日、父・韓炳健(ハンビョンゴン)と母・崔基炳(チェギビョン)のもと、五人兄弟の長男として生まれ、教鞭生活を送る中、一九四六年五月頃に南下した。そして、南下後はソウルと京畿道の小学校で奉職するなど、一九七四年二月まで、四十一年にわたって教育界で活躍した。洪順愛大母様は、一九一四年、陰暦二月二十二日、篤実なキリスト教信仰をもった父・洪唯一(ホンユイル)と母・趙元模(チョ・ウォンモ)(一八八九年、陰暦十一月七日—一九六二年九月三日)のもと、一男一女の長女として、平安北道の定州で生まれた。母方の祖母、趙元模女史は、勤勉で活動的な新時代の女性だった。その先祖の中の一人である趙漢俊(チョハンヂュン)が、私財をはたいて平安北道定州の撻来江(タルレガン)に大きな石橋を造ったという話が伝わっている。

1   私(お母様)は、一九四三年、陰暦一月六日の明け方、平安南道の安州で生まれました。私の村は、都会から遠く離れた所ではありませんでした。家の裏には小さな山があり、小川が流れる、とても穏やかで、温かい感じを与える所でした。ちょうどめんどりがひなを抱くような感じです。裏庭には、家族が食べるために栽培していたとうもろこし畑がありましたが、そのとうもろこしがとても大きかったことを覚えています。お父様の故郷である定州と、私の故郷である安州の間には、川が一つあります。

2   私(お母様)の故郷である安州は、昔から軍事的にも政治的にも、とても重要な所でした。それで、平安道という地名は、平壌と安州から一文字ずつ取って付けられたのです。その地域は平野なので、農業に適していて、食べ物が豊富でした。古朝鮮の時期には、既に町を形成していたといいます。

そこを流れる清川江(チョンチョンガン)を中心として、平安北道と平安南道とに区分されますが、お父様の故郷である定州までは約六十キロメートルで、平壌までは七十五キロメートルほどです。大母様は、聖主教があった鉄山(チョルサン)まで行って、新しいみ言を求め続け、毎日のように精誠を尽くしましたが、鉄山は実に百二十キロメートルも離れている所でした。

3   真のお母様の母方の祖母である趙元模おばあさんは、趙漢俊の直系の子孫です。この趙氏は、国の名に使われる「趙」の字です。ですから、国の母になる方が大母様の母親でした。このように、伝統のある歴史がつながっています。それは実話です。

定州にある撻来江(タルレガン)の橋は、数十年過ぎても誰も修理せず、放っておいたために崩れだし、人が渡れなくなりました。その橋を通っていく道が塞がってしまったのです。そして、それを放っておいたので、洪水が起こって橋が崩れ、土砂が押し寄せてきて埋まってしまいました。

そこに預言がありました。「岩を削って撻来江の橋に立てたチャンスン(村の入り口に立てた村の守り神の像)のような標石が埋まってしまう日には、国がなくなり、現れる日には、韓国に新天地が広がる」という預言があったのです。

4   中国の使臣が韓国に来ようとすれば、定州にある撻来江を渡らなければならないのですが、その当時は橋がありませんでした。橋を架けるお金が国になかったのです。そこで国は、その橋を架けてくれる人物を探すために、公示文を貼り出しました。その時、私(お母様)の母方の先祖に当たる趙漢俊おじいさんが、私財をはたいて橋を架けたのです。橋は石橋でしたが、その下を船が通れるほど大きな橋だったといいます。そのおじいさんは、橋を造るのに全財産を使い果たし、銅銭三文だけが残ったそうです。それで、「あすは橋の竣工式に行く」と言って、その残ったお金でわらじを買っておいて眠りにつきました。すると夢の中に白い服を着たおじいさんが現れて、「漢俊よ、お前の功労は大きい。それでお前の家門に天子を送ろうとしたが、残しておいた銅銭三文が天に引っ掛かったので王女を送ろう」と言ったというのです。その夢を見てから撻来江に行ってみると、その丘の上に石の弥勒仏ができていたといいます。

5   橋の竣工後、撻来江の河岸の土の中から、石の弥勒仏が勢いよく出てくると、村の人々は小屋を造って、雨風を浴びないようにしました。その弥勒仏が次第に大きくなり、屋根を突き破るようになると、改めて新しい小屋を造りました。ところが、不思議なことに、この弥勒仏はおなかがふっくらと出ていました。問題は、趙氏一族に生まれた娘たちもみな、弥勒仏のようにおなかが出て、結婚もしていない乙女が、妊娠していると誤解を受けたことです。それで、ふっくらと出ている(弥勒仏の)おなかを削ったところ、そこから血が出てきたそうです。石から血が出てきたのですから、不思議で霊妙でもあり、恐ろしくもなってきて、急いで石灰を塗って塞いだといいます。そして、馬に乗って弥勒仏のそばを通り過ぎるときは、馬から降りて礼を尽くさなければ、馬の足が地面にくっついて動かなくなる、という話も伝え聞きます。

このように、衷情(ちゅうじょう)に満ちた趙氏の家門を通して、天は趙元模おばあさんを送られたのです。そのように神様の環境創造が、その趙漢俊おじいさんの時から始まり、私(お母様)にまで連結されたのです。

6   お母様の母方の祖母は趙氏ですが、その趙氏たちが住んでいる所は、裕福な村でした。国の官職に携わった人たちが集まって住む、瓦ぶきの家が立ち並ぶ村です。そこに趙漢俊というおじいさんがいたのですが、お母様の母方の祖母が、その直系の子孫です。ですから、そのような伝統を中心として、母方の祖母と大母様が、お母様をとても愛しました。真心を込めてお母様を育てたのです。

大母様が、来られる主をお迎えしようと、八道江山(パルドガンサン:韓半島全土)を駆け回るのに忙しく、満足に家庭生活をすることができないので、母方の祖母がお母様を育ててくれました。そして、霊界についてのあらゆる秘密を、誰よりも知ろうとしたのがこの家門です。

7   母方の祖父である洪唯一おじいさんは、背が高くて美男子でした。初めてお父様にお会いした時も、容貌がそっくりで、同じ印象を受けたので、見知らぬ人のようには思えませんでした。それに、その時代に、嫁にハイヒールを買ってあげるほど、新しい考え方をもつおじいさんでした。

母方の祖母である趙元模おばあさんは、小さくて顔がきれいな上に、勤勉で活動的でした。勉学ばかりに多くの時間を割くことはできませんでしたが、当時としては新時代の教育を受けた女性であり、ミシン販売をされていました。ミシンを売ったあと、故障したミシンの修理もしたのです。

天の新婦を準備した韓民族真のお母様の本貫は、忠清北道の清州である。真のお父様のみ言によれば、「忠清」は「心の中心が清い」という意味であり、「清州」とは「清い郡」ということである。川や海の水が澄んでいれば、魚だけでなく、水底までのぞき見ることができるように、「心の中心が澄んだ道人になることを目標にして歩む人々が暮らす郡」という意味である。そして、清州韓氏(チョンヂュハンシ)の「韓」は、「韓国」を代表し、「宇宙」を代表する。また、「韓(ハン)」は「一(ハナ)」を意味するものとして、「一番」という意味もある。神様が、清州韓氏を通して天の新婦を準備されたのである。

8   韓国は、四千三百年の歴史をもち、その歴史の中に古朝鮮時代がありました。私たちの民族は、天文を研究して天の運勢を解き明かした東夷民族です。天文学の博士たちだったのです。韓国の歴史を見ると国教があったのですが、新羅時代と高麗時代には仏教、朝鮮時代には儒教でした。私たちの民族の起源を遡ると、古朝鮮以前に韓氏が住んでいたとい記録が出てきます。

9   私たちの国の歴史学者たちは、古朝鮮以前の時代に、檀君(ダングン)をお生みになった桓雄(ファヌン)が治める国があったと主張しています。

歴史の記録に出てくる「桓」は、昔の発音に従えば「韓」と表記します。ですから、桓雄と韓雄は同じ言葉です。もちろんこれを「神話だ」と言って中傷する人たちもいます。しかし、檀君神話には、韓民族を天孫民族として選んだ神様のみ意が込められています。その当時の遺物や関連資料も発掘されていて、それが事実であることを示しています。

「韓民族」という言葉や「大韓民国」という国号の根源を知っている人は、多くありません。その根源は「韓氏朝鮮」から見いだすことができます「韓氏朝鮮」と呼んだのです。私たちの民族が「韓民族」であり、私たちの国号が「大韓民国」となったのは、正にこの「韓」に由来しているというのです。結局、韓氏の先祖がこの国を建てたという話です。

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第二節 真のお父様の家系家門の伝統南平文氏(ナムピョンムンシ)の始祖である武成公(ムソンゴン)・文多省(ムンダソン)は、西暦四七二年二月に、今日の全羅南道(チョルラナムド)羅州市(ナジュシ)南平邑(ナンピョンウプ)楓林里(プンニムニ)にある、長者淵(チャンヂャヨン)という池の近くにある大きな岩の上の石箱でお生まれになったが、その石箱には赤い字で「文」と刻まれていたと伝えられている。南平文氏の族譜を見ると、新羅時代の慈悲(チャビ)王が、夢の中で「この国に特別な赤ん坊が生まれたので探しなさい」という命を受け、南平にある文巌(ムナム)という岩で泣いている赤ん坊を探し出したところから、文氏の先祖が出発したと記録されている。また、文多省は、真興(チンフン)王の時代に輔相(ポサン)(大臣を従え、国王を助けて国を治める人)を兼ねて大国師(テグクサ)(国王の学問上の師)に昇格したのち、端正な容貌をした人々を選んで、風月主(プンウォルヂュ)(花郎徒-ファランド-の首長)と呼び、孝、忠、義を教えたという。真のお父様は、「南平文氏は、伝統的に良心的であり、操を立てて不義と妥協しない、恐るべき頑固さをもった一族」とされ、「八道江山(パルドガンサン:韓半島全土)から我が家を訪ねてくる人は、誰であっても厚くもてなしてから送り出しなさい」という家門の伝統があると語られた。

1 世界の人々は、お父様の血統がどこに連結されているのかを探ります。大韓民国の歴代の先祖たちが犠牲になった土台の上に連結されているのです。犠牲とは何かというと、肥やしになることです。肥やしのある所に生命の種を植えると、よく育ちます。歴史時代に受難を経て、苦痛を受けたその民族は、生命の種を受けてすくすくと育てることができます。このような受難を経た地域では、聖人が出生するのです。義の人、義の主張、義の国、義の主義が発生するようになっているのです。

2 お父様は、南平文氏です。南平という言葉は、南の平地を意味します。南とは理想のことです。南の国に平地を築いていける活動舞台、自然舞台が待っているというのです。文は「文章」の「文」の字です。文の字を見ると、「又」の字の上に点(、)を載せているので、祭祀にお供えするお膳と同じです。

ですから、文氏は祭司長の責任を果たさなければなりません。祭主にならなければならないのです。祭物を供え、神様の恨を解いてさしあげる祭主にならなければならないということです。私はそのように考えて生きてきました。

3 自分の先祖の中で、国の忠臣や聖人、聖子の功績をもつ人がいれば、その人を先祖の中の先祖として奉らなければなりません。文克謙(ムングッキョム)という方は、高麗時代に、武官と文官の間を行き来しながら和解を取り結ぼうとして客死しました。文克謙おじいさんは、歴史的な伝統をわきまえて、朝鮮時代五百年の歴史を綴り得る橋を架けたのです。そして、綿の種を中国から持ち込んだ文益漸(ムンイクチョム)おじいさんから二十三代目に私が入っています。

4 私の家は、曽祖父が引っ越してこられてから定州に住み始めたのですが、家には家訓があります。その家訓とは、「八道江山を慕いつつ、八道江山から貴い客が訪ねてくることを願い、来る客人たちを、真心を込めてもてなしなさい。通りすがりに訪ねてくる客人たちを、真心を込めてもてなしなさい。そうすれば、八道江山の福が、我が一族に訪れる」というものです。

ですから、訪ねてくる客人の接待に手抜かりがあってはいけないというのです。その背後に何がついているのか分からないので、この上ない真心でもてなして送り出せば、後代に福がやって来るのです。「三千里の全土から訪れる福なので、その福はそのような基盤の上で出会うようになり、そのような基盤を通して福を受ければ、さらに三千里半島を越えて世界に分け与えられる福が押し寄せてくる」と考えるのです。

5 私が両親に有り難く思うことは、家訓があるために、「家に出入りする人を絶対にそのまま帰さずに、必ずもてなしてから送りなさい」と言われたことです。乞食が来たといって冷遇してはいけないというのです。私の祖父もそうでした。伝統がそうだったのです。

冬に乞食が訪ねてきて「御飯を下さい」と言えば、食事中でも祖母や母が即座に出ていくのですが、準備をしていなければ、祖父が自分のお膳を持って出ていくのです。知らないふりをして御飯を食べることができません。乞食に食事をあげて、自分は食べられなくてもかまわないというのです。私は、今まで世界の人々のためにそのようにしました。

湖南(ホナム)地方、嶺南(ヨンナム)地方など、八道江山(パルドガンサン)の人々が、以北(現在の北朝鮮)を経て中国に行くときには国道を通っていきます。村に来て一晩泊まっていこうとすると、「あっちに行けば文氏の家があるから、そこに行って泊まりなさい」と教えられるのです。それで、私の家はいつも、春夏秋冬、四季を通して客間が空いていませんでした。ですから、食事の用意をする母が、一生の間苦労したことを私は知っています。八道の人々に御飯を食べさせた、その家門は滅びないのです。八道から歓迎される後裔が生まれるというのです。

6 私の家には、いつも人がたくさんいました。私が八歳の頃、眠りから覚めて起きてみると、見知らぬ人たちで客間がいっぱいでした。そうして夜に宴会をしました。どうして集まっているのかと尋ねてみると、「独立軍が来た」と耳打ちするのです。その時、その人たちは天幕のような所で寝泊まりし、屋根にも上って歩き回り、塀も片手を付いて飛び越えるという話をたくさん聞きました。

その人たちに、夜食として麵料理を作ってあげました。鶏を料理して麵を作るほうが、御飯の仕度よりも早く、たくさんの人に食べさせることができるからです。おなかをすかせた人がいれば、主人が食べられなくても、彼らに食べさせなければならないというのが家訓でした。そのような教育を受けたのです。

7 真の父母の家門にも、愛国忠臣の歴史的伝統を備えなければなりません。私の家では、不思議なことに、家族の中で誰かがたばこを吸ったりお酒を飲んだりすると蕁麻疹(じんましん)が出ます。お酒も飲めず、たばこも吸えません。また、家庭の伝統で立派な点は、妾を置いたことがないことです。ですから、私の祖父の代から見ても、儒教思想を中心に最高の信仰をもってきました。

私の従祖父は牧師でしたが、預言書に関するすべてのことに通じていました。私の母や家族も、祈ると未来について知ることができました。

真のお父様の家族南平文氏が平安道と咸鏡道(ハムギョンド)一帯に根を下ろしたのは、忠宣公(チュンソンゴン)・文益漸(ムンイクチョム)の五人の息子のうち、三男の毅安公(ウィアンゴン)・文中實(ムンヂュンシル)の時からであり、その中で毅安公の五代目の子孫である文達(ムンダル)が平安北道の定州に定着した。真のお父様の高祖父・文成學(ムンソンハク)は、毅安公の十九代目の子孫に当たり、禎浩(チョンホ)、禎機(チョンギ)、禎紇(チョンフル)など、三人の息子をもうけた。その中で末息子の文禎紇が、正に真のお父様の曾祖父であり、上思里に初めて基盤を築いたのである。

そして、文禎紇は、致國(チグク)、信國(シングク)、潤國(ユングク)の三人の息子をもうけたが、長男の文致國が真のお父様の祖父である。文致國は、真のお父様について、「この子は将来、大きな人物になるので、彼が願うことは何でも助けてあげなさい」と語った。文致國は、慶裕(キョンユ)(一八九三年、陰暦七月十一日~一九五四年十月十一日)、慶福(キョンボク)、慶球(キョング)など、三男二女をもうけ、文慶裕忠父様は、延安(ヨナン)金氏の慶繼(キョンゲ)(本名は周觀(チュグァン)、一八八八年、陰暦十月十五日~一九六八年一月七日)忠母様と婚姻をした。忠母様は定州の有力者で、独立運動と五山学校の設立にも携わった父・金伯洪(キムペコン)と母・仁同張氏(インドンチャンシ)のもと、三男二女の長女として生まれ、朝鮮時代に最も多くの科挙合格者を輩出した延安金氏の家門で富裕な生活を送りながら、貞潔で気品を備えた姿に成長した。背が高く、闊達、情熱的な性格だった忠母様は、真のお父様の再臨路程において、完全な母子協助の摂理基盤を築く犠牲的な人生を送った。

8 私の家庭は、曽祖父の時に神様の祝福を受けました。しかし、祖父の時になって蕩減を受けました。祝福を受けたあとには、蕩減を受けることになります。イスラエル民族も、祝福を受けたあとには、必ず蕩減を受けました。十の祝福を受けたならば、必ずそれだけの蕩減を受けなければならないのです。

ですから、私が神様の召命を受けるまでに、私の家庭に相当な混乱が起きました。財産を失い、人命被害もありました。それだけではなく、私の身近な人々に混乱が起きたりもしました。このように、祝福を受ければ、絶望的な状態に至るまで、神様はその家庭をサタン世界に差し出します。そうすると、サタン世界がしきりに打つのです。三代にわたって蕩減の歴史がありました。

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3   大母様は、私(お母様)を生んだ直後に神秘的な夢を見たそうです。日本の統治下で太平洋戦争のまっただ中の頃でした。朝鮮総督府では、家ごとにくまなく探して、穀物と金物を手当たり次第に奪っていきました。戦争に必要な補給物品と武器を生産するためでした。奪い取った大量の物資は、日本列島に天高く積み上げられていきました。

ところが、ある瞬間から、供出された物資が船に積まれ、玄界灘を越えて韓国の地にやって来たそうです。そして、それが私の家の前庭に一つずつ積まれていったといいます。日本に行っていたすべてのものが、そっくりそのまま返還されたというのです。そこで、大母様は夢から覚めたそうです。今考えてみれば、その夢は、カインとアベルを和解させ、一つにして、天の父母様へと進んでいくべき母の道を象徴的に見せてくれたように思います。

4   韓国には、聖書とイエス様を信じさえすれば天国に行けると、単純に、そして盲目的に信じている形式化したキリスト教団とは異なる、特別な霊的教団が多くありました。彼らは、再臨主を迎える準備をし、主の花嫁を立てさせるため、神様から多くの啓示を受けていました。これが、私(お母様)が生まれた前後の宗教的状況であり、私は特別に準備された霊的な家庭で生まれました。私がきょう、その当時のことを思い、悲しみに浸ったのは、大母様が所属していたその教団が、到底言葉にできないような苦難を経たことが思い出されたからです。彼らは、常に神様の啓示を受けながら過ごしていました。そして、蕩減路程を通して、主の道を平坦にするために、実に信じ難い苦難の道を歩んできました。また、その中のある人は、監獄で死んでいきました。

彼らは、神様から召命を受けた人々として、神様に献身的に侍りながら、いつかはメシヤに出会えることを唯一の希望にして、苦難を越えていったのです。彼らは再臨主を迎えるために、多くの準備をしました。例えば、さじから衣服に至るまで、一切を準備しました。彼らは、服のサイズまで知っていたほど、非常に詳細に啓示を受けていました。しかし、彼らは不運にも、言葉では言い尽くせない苦難の中で、主に出会うことができず、一人、また一人と死んでいきました。彼らの使命は、三代にわたって引き継がれたのですが、彼らの啓示の最後の頂点において、私が生まれたのです。

「天の新婦」として祝福真のお母様の聖誕は、単なる一個人の誕生という次元を超え、神様の摂理史の結実という次元から、その意味を見いだすことができる。二千年のキリスト教歴史は、再臨主を迎えるための韓国の神霊運動に連結され、これは再び、外祖母である趙元模女史、洪順愛大母様、真のお母様の三代にわたって結実した。特に、真のお母様が聖誕されて間もなく、聖主教の金聖道が拘束され、拷問の後遺症によりこの世を去ってからは、許浩彬(孝彬)の腹中教がその使命を受け継いだ。その後、許浩彬が投獄されて不在となる中、腹中教を率いた許浩彬の母親は、六歳になった真のお母様に対して、「天の新婦になられる方」と証して祝福した。また、真のお母様の聖誕以前にも、「宇宙の女王になるだろう」などの多くの預言があった。そのような過程を経て、再臨主を迎えるための精誠の基盤が、真のお母様に継承されたのである。

5   私(お母様)の父は、安州でお生まれになり、生涯を教師として生きられた教育者です。体格が良く、体力もあり、繊細な性格で、常に奉仕をしながら暮らしたといいます。何よりもキリスト教の信仰に忠実で、教鞭生活ゆえにいつも忙しい生活を送りました。李龍道牧師の「新イエス教」でも幹部として活躍し、大母様は祖母と共に、安州の「新イエス教」を拠点として信仰生活をされたので、自然に顔を合わせる機会がありました。お二人は、この頃に婚姻されました。

信仰生活に精進していた時、大母様が啓示を受けました。「洪唯一(ホンユイル)の娘よ、喜びなさい!お前の子が男の子であれば宇宙の王になり、女の子であれば宇宙の女王になるであろう」という啓示でした。この啓示を受けて結婚する当時、父の韓承運は二十六歳、大母様は二十一歳でした。それ以後、主を探し求めるために、絶えず尽くされた大母様は、鉄山の聖主教に通われ、婚姻して九年目に私を身ごもられたそうです。限りない精誠と篤実な信仰生活を通して、一つの生命を得たのです。

6   私(お母様)が生まれた時、神様が地上に主を送る計画について啓示を受けた、許浩彬という方がいました。その許浩彬女史の母親が、私が六歳の時、「この方こそ、天の新婦になるだろう」と預言したのです。許女史の母親は、「幼い少女が天の新婦になるであろう」という啓示を受けていました。当時、神様によって予定され、召命を受けた神霊教団が、主に以北に広まっていました。そして、平壌は、東方のエルサレムと言われるほど、キリスト教の勢力がとても強い所だったのです。

7   北側では、共産党の勢力が大きくなり、宗教に対する弾圧も激しくなりました。それで、許浩彬女史も、一九四六年八月に、平壌の大同保安署の監獄に入ったのですが、監獄で再臨主に出会うという啓示がありました。その時、お父様も平壌で伝道している中で捕まり、同じ監獄に入ることになりました。その監獄で、許女史の一番弟子を通して、許女史に送った手紙が看守に見つかり、お父様はひどい拷問を受け、歯まで折れる受難に遭われました。

私(お母様)が南に下る前に、許女史の母親が啓示を受けて私を呼びました。六歳の時でした。許浩彬女史の集団は、再臨主のために新婦の使命を果たす団体だったのですが、その名目のもとで私に祝祷をしてくれたのです。これから大きな使命を果たす人であるという祈祷を受けました。白いチマチョゴリを着たおばあさんが私一人を呼んで、「天の啓示があった」と言って祝福をしてくださった記憶が鮮やかに残っています。

8   北の西海岸地方に金聖道女史の聖主教がありました。金聖道女史が死んだあとは、許浩彬女史が引き継ぐようになりました。大母様は、その許女史に篤実に従っていた人でした。大母様は、お母様が四歳の時にその集団に連れていったのですが、許女史の母親が、六歳になったお母様を祝福しました。それは、お母様に使命が受け継がれる出来事だったのです。お母様に会った時に、お父様はそのような事実を知りました。神様によって準備されていたすべてのものが、一九六〇年に成し遂げられました。ですから、今、真の父母が現れるようになったのです。ここから子女に対する祝福が始まるようになりました。

真のお母様の名前の意味真のお母様がお生まれになった頃、父親の韓承運(ハンスンウン)氏が夢で鶴を見て、真のお母様の名前を「鶴子」にしたという。

真のお父様は、真のお母様の名前について、「恨(韓国語で「韓」と発音が同じ)を抱いた神様について最高に学んだ学者(韓国語で「鶴子」と発音が同じ)となり、神様の相対の位置に進む」という意味があると解釈された。また、韓鶴子の「子」の字は、「神様の王子と縁を結ぶように生まれついたこと」を象徴すると語られた。

9   私(お母様)が生まれる頃、父は、夢のお告げ、幻想を御覧になったそうです。とてもうっそうとした松林の中に、澄んだ美しい陽の光がさし込み、二羽の鶴が和合する姿が見えたというのです。それで父は、私の名前を「鶴子」とお付けになったそうです。

10  お母様の名前は「鶴子」ですが、「鶴子」というのは「鶴の息子」ということです。鶴は、ヒマラヤの山脈を越え、平原に行って卵を産みます。これはエバの使命と同じです。「子」というのは息子のことを意味します。それは結局、女性として息子を慕うことを意味するのです。お母様の使命は、ヒマラヤ山脈を越えて平和の世界で息子、娘を生むことです。そして、鶴は入り混じったものを食べず、きれいなものだけを食べます。栄養があって、あっさりしたものだけを食べるのです。鶴は、一度飛び始めると、なかなか方向を変えません。そして、高く飛びます。それで、東洋では、鶴をとても愛するのです。

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9 昔、私一人を亡き者にするために、私の家族に信じられない様々な霊的現象がありました。私はそのような環境の中で生まれ、様々な困難な環境を自らすべて解決してきました。もちろん両親もいて、親戚もたくさんいました。その中で従祖父(文潤國)は牧師でしたが、有名な方でした。漢文にもたけていて、中国の歴史にも精通している方でした。また、平壌神学校を出て英語もできました。西洋文明も見通すことができる、独立運動の先駆者でもありました。

そのような家庭的背景をもっていましたが、すべての問題を私一人で解決してきたのです。それは、どこの誰に相談しても分からないことです。私が将来歩もうとするその道については、両親も知らず、誰も知らないのです。その背後で、霊的現象によって一家族、親から親戚に至るまで、様々な問題が起きました。たくさんの出来事がありました。サタンはよく知っているので、私を中心に家族全体に悪影響を及ぼすのです。

10 私は、三・一運動を主導していたある家門で生まれました。私の従祖父、文潤國おじいさんがそのような人でした。私は、従祖父から「お前は、私よりも立派な孫にならなければならない」という話を聞きながら育ったのです。そのおじいさんは、私をとても愛しました。五山学校を建てたその背後には、私の従祖父がいます。

11 私の父について言えば、法がなくても正しく生きることができる方でした。もし父がどこかで急に借金をしてきた時には、その借金を返すと約束した日に、利子まで返してあげなければ耐えられない方でした。どのようなことがあっても、その約束を履行するのです。約束を遂行することにおいては、模範的な方でした。

12 私の母は、十三人の息子、娘を生みました。私の上に姉が三人もいます。息子としては私が二番目です。五人が亡くなり、残ったのが六人の娘と二人の息子でした。ですから、母がどれほど衝撃を受けたでしょうか。息子を育てて亡くし、娘たちも育てて亡くしたのです。

弟が死んで、その棺を父が運んで埋葬したのですが、私の兄は手伝うことができませんでした。父が責任をもって簡単な棺を組み立て、そこに弟の亡骸を入れて、肩に担いでいって埋めたのです。母は子供を亡くして泣いているので、父は一人で埋葬しました。そして、帰ってきても手を洗いませんでした。三日過ぎてから、ようやく手を洗って御飯を食べ始めたのです。息子を埋葬して、どうして手を洗って御飯が食ベられるでしょうか。それを見ると、父は法がなくても正しく生きていける人でした。先祖の遺言を法より恐れる人です。

13 私の母は、厚い徳のある方でした。男勝りの方で、とても激しい性格でしたが、嫁の役割は上手にこなしました。舅が朝、どこかに出掛けるというと、それに合わせて明け方から食事を作ってさしあげました。一生の間、不平も言わずに、そのようにしたのです。私は、母から多くのことを学びました。

14 私は、母にとても似ています。私の革命的な気質は母に似ているのです。父は学者です。父は、一度聞けば、最近のコンピューターのように忘れません。記憶力が優れていました。私の創造力は母に似たのですが、母方の祖父もそうでした。革命的な素質が多かったのです。母方の祖父は、自分の村で海と関連した仕事をするにも革命的でした。それで、私が六歳、七歳、八歳の時、その母方の祖父の家に行っては、祖父に付いて回りながら魚を捕ったりしたのですが、それをどれほど興奮して待ったか分かりません。

15 私の母は、赤ん坊をたくさん生みました。十三人を出産したのですが、母が語った言葉があります。「この世で『楽しい、楽しい』と言っても、ほかに楽しいことはない。赤ちゃんを生んで、お乳をあげて育てる、それ以上に楽しいことはない。年を取って赤ちゃんが生めないから、すべてがつまらなくて仕方がない」と語っていたのです。

母の顔を見ると、多くの苦労をしてかさかさになった顔です。様々な風霜をすべて経た母親の顔です。しかし、愛らしい赤ん坊を育てた、その苦労の姿がいいと言うのです。愛は困難と犠牲を伴いますが、その犠牲を忘れさせるのです。真の愛を実践すれば、犠牲になったことを忘れるようになります。そのような犠牲が肥やしとなり、肥料となるのです。また、自分の肉となり、骨となって、喜びになります。愛になるというのです。

16 私の兄は、弟の私に対しては、絶対的でした。カインの立場で完全に蕩減できる基台が自然に造成されたのです。兄の信仰は徹底していました。八・一五解放と六・一五動乱が起こることをあらかじめ知っていました。あらゆる困難な問題を、霊界の指示を通して解決するという、信仰態度を身につけていました。私の兄は、「歴史上に数多くの兄がいて、数多くの弟がいたが、自分の弟は歴史的な弟である」と思っていました。ですから、私が何か言うと、それを絶対視して、従ってくれました。

私が平壌にいる時のことです。その時は、復帰摂理の途上において、とても大きな役事があったのですが、私が頼んだことは、普通の考えでは信じられないことだったにもかかわらず、兄は様々な内容を整えて弟のために手助けをしました。その頼みがどれほど難しいことであっても、躊躇せずに助けてくれる兄でした。

17 兄は霊界に通じていたので、知っていました。「兄弟関係はどの家にもみなあり、一族の誰もが縦横に関係をもっているが、兄弟の中で私の弟が歴史で一番の弟だ」と、それだけは分かっていたのです。霊界からそのように教えてくれたというのです。

ですから兄は、私がしようと言うとおりに、すべてしました。「家を売る」と言えば家を売り、「牛を売る」と言えば牛を売り、学費がなければ土地を売ってでも出してあげようと、一つも反対しようとはしませんでした。ですから、カイン・アベルを復帰したのです。

第二章 真のお母様の聖誕第一節 真のお母様の聖誕とその背景聖誕の宗教的背景神様は、ひとり子である再臨主をこの地に送られ、ひとり娘、実体の聖霊である天の新婦を送るための摂理を進めてこられた。特に、天は復帰されたエバを送るために神霊教団を立て、多くの準備をされた。それゆえ、真のお母様の誕生の背景には、神霊運動が韓半島において大きく広がっており、お母様の家庭はその中心に立っていた。真のお母様は、一九四三年二月十日、陰暦一月六日、母方の実家である平安南道安州郡安州邑(アンジュウプ)信義里(シニリ)二六番地において、父・韓承運(ハンスンウン)氏と母・洪順愛(ホンスネ)大母様(テモニム)のもと、一人娘として聖誕された。

1 摂理歴史の中心人物を見れば、母の役割がどれほど重要か、私たちはよく知っています。アブラハム、ヤコブ、モーセ、イエス様なども、その妻や母親の果たす役割によって、新しい歴史をつくり、花咲かせました。しかし、内的には、悲惨で苦痛に満ちた恨の歴史をつくってきたのです。私(お母様)が生まれたことや、今日までのことも、すべては偶然ではありませんでした。解放前に有名だった李浩彬(イホビン)牧師が啓示を受けて、仲人を務め、父と母を結婚させたのです。

2 普通の子は、生まれると「おぎゃあ!」と泣きますが、私(お母様)は泣かずに「ラッラ、ラッラ」と言ったそうです。すると趙元模おばあさんが、「この子は大きくなったら音楽家になるようだ」とおっしゃったそうです。

また、大母様が最初のわかめスープを飲んで、私を抱いて眠りにつくと、角の生えた真っ黒なサタンが近寄ってきて、「この子が生まれたことによって私は死んでしまう」と言いながら、赤ん坊の命を奪おうとしたそうです。それで大母様は、「サタンよ、退け!この娘は、私にとって本当に大切な娘なのに、どうしてお前は命を奪おうとするのか」と叫んだそうです。

よほど大声で叫んだのか、祖母が「まあ、お前は気が弱っているようだ」とおっしゃったそうです。大母様が「そうではなく、角の生えたサタンが来て、赤ちゃんの命を奪おうとしたので、大声で叫んだのです」と言うと、祖母は「それは不思議なことだ」とおっしゃったそうです。

ですから、大母様は、「この世に生まれるなり、サタンが命を奪おうとするところを見ると、この子は精誠を尽くして育てなければならない。今後、世俗に染まらないよう、清く美しく育てて主に捧げなければ」と思われたそうです。

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第二篇 真の父母様の聖誕と召命神様は、人間の先祖であるアダムとエバが堕落したため、イエス様をメシヤとしてこの地に送り、救援摂理をしようとされたが、イスラエル民族とユダヤ教が不信して責任を果たせないことにより、再び韓民族の中に人類の救世主、再臨主として真の父母様を送られた。

神様の救援摂理を担当することになる真の父母様の聖誕は、その意味から見るとき、神様の摂理史における大事件であるがゆえに、多くの前兆があった。真のお父様の聖誕に先駆け、生家の前のねずの木に金鶏が止まり、鳴いて飛び去ったということや、真のお母様の聖誕前に、洪順愛大母様に「あなたの子女が息子であれば宇宙の王になり、娘であれば宇宙の女王になるだろう」という啓示が下りるなど、多くの証が現れた。

真のお父様は、十六歳(数え)になられた年の一九三五年四月十七日、山上で涙ながらに祈る中、神様から召命を受けられたのち、将来の摂理的使命者として、故郷で三年、ソウル留学三年、そして日本留学二年半と続く準備期間を送られた。特に、ソウルでの学生時代には自炊しながらの下宿生活を通して、苦行に近い生活訓練を経ながら、学業と信仰に精進された。そして、日本留学時代には、学業のほかにも祖国の独立運動とともに、原理の究明に没頭しながら、多様な体験をされた。

真のお母様は、外祖母の趙元模女史と大母様が再臨主を迎えるための信仰生活に専念することにより、幼少時代を主に母方の実家で過ごし、信仰の精髄を身につけられた。そして、南下したあとは、孝昌小学校をはじめ、大邱、済州道の西帰浦、春川などの地を経ながら学業を続けられた。

真のお母様は、一九五六年、小学校を卒業した満十三歳の時、真のお父様に初めてお会いになった。真のお母様は、「お父様は、私を御覧になった瞬間、目を閉じられ、つぶやくように、『ああ、神様!韓鶴子というこのように立派な女性を、この韓国に送ってくださったことを感謝します』と語られた」と回顧された。

神様は、人類の救いのために、ひとり子である再臨主とひとり娘である天の新婦を送ろうと、長い間準備してこられた。その基盤の上に、真のお父様と真のお母様が「小羊の婚宴」をされ、人類の真の父母様として登場されたのである。真の父母様は、復帰摂理を完成、完結、完了し、勝利されて、真の愛、真の生命、真の血統の善の先祖となられたのである。

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第一章  真のお父様の聖誕第一節   真のお父様の聖誕とその背景聖誕の時代的背景神様が再臨主としてこの地に送られた、真のお父様の聖誕を前にして、民族的には、日本の占領下において、数年間の凶年が続いて大患難が押し寄せ、国際的には全世界が二つに分かれ、植民地争奪戦を繰り広げるなど、終末時代を彷彿とさせる大混乱が起こった。このように、国内外で混乱の様相が極限に達したのは、再臨主の地上聖誕のための世界的蕩減基台を立てる天の摂理と見ることができる。真のお父様は、三・一運動の翌年、一九二〇年の陰暦一月六日(陽暦二月二十五日)、平安北道(ピョンアンプクド)定州郡(チョンヂュグン)徳彦面(ドグォンミョン)上思里(サンサリ)二二二一番地において、父・文慶裕忠父様と母・金慶繼忠母様の間に、六男七女の次男として聖誕された。

1   本来アダムとエバは、堕落しなければ人類の真の父母となり、神様の心情に通じ、神様の事情に通じ、神様の願いと目的をすべて達成したはずでしたが、堕落することによってそのような計画が挫折したのです。ですから、これを再び取り戻すためには、再創造の歴史を経なければなりません。

言い換えると、アダムを再創造して、失った人類の真の父の立場に再び立て、神様が彼の頭に手を乗せて、「お前は、私が創造の理念に基づいて造ったアダムであり、私の事情と心情を推し量れる息子である!」と祝福してくださらなければなりません。

このような責任を背負って、この地上に来られる方が再臨主です。ですから、六千年の歴史は、神様が取り戻そうとされる、一人の完成した人類の先祖をつくるための歴史なのです。

2   神様は、イエス様がみ旨を成し遂げられず、地上に養子の(父子)関係だけを残して亡くなられたので、彼を再びこの地に送ることを約束してくださり、キリスト教を中心に、直系の(父子)関係を取り戻すことができる土台を開拓するため、二千年間、摂理してこられました。したがって、今日、全世界に広がっているキリスト教徒たちは、神様が愛される真の息子に直接、接ぎ木されなければなりません。

それでは、歴史の終末時代に、主はいかなる資格をもって来られるのでしょうか。真の父母の資格をもって来られるのです。しかし、イエス様がこの地上に来て、真の父母の立場にまで進むことができなかったため、すなわち、栄光の中で神様に侍り、万民を代表して神様を慰労する生活的な土台をもてなかったので、メシヤが再び来られるとしても、栄光の主として来ることはできないのです。

ですから、再び来られるメシヤは、イエス様がこの地に来て成し遂げられなかったみ旨を継承し、神様を慰安してさしあげられる孝誠(真心を尽くして父母に仕えること)の道理を先に果たしたうえで選ばれ、サタンまでも屈服させ、神様に栄光をお返しできる土台を立てておかなければなりません。そのようにするまでは、真の父母の資格を備えることができません。これが、今まで神様が摂理してこられた復帰摂理の概観です。

3   第一次世界大戦から今まで、混乱の世界、戦争の時代が連続しています。この歴史的路程は、偶然に形成されるのではなく、人類史という巨大な歴史をめぐって、蕩減の役事(働き)を行っているのです。

世界のあらゆる知識人たちは、「今は急変する世界である」と言っています。一般の人々は、世界がこのように急変すれば、絶望の世界に到達する危険性が高いと見ています。希望の世界に到達すると考える人は、極めて少ないのです。近代文明を指導してきた西欧文明は、既に没落したばかりか、「もはや真っ暗闇の世界に入った」と言う人もいます。西欧文明を指導するうえで、精神的な支柱となってきたキリスト教はもちろん、キリスト教を中心とした家庭や社会や国家が、傾くだけ傾いているのです。そのようえ、世界の若者たちの中で未来を考える人たちは、極めて暗澹たる立場で悩まざるを得ない時代に置かれています。神様は、そのような絶望の終着点に向かって、そのまま走らせるのではなく、これに代わって、新たな次元の世界へと、希望の場所へと連結する道を考えざるを得ないというのです。

4   第一次世界大戦以降、六十年から七十年の期間は、世界的な激動の時代だと見ることができます。この期間は、受難の道を行かざるを得ない歴史的な運命の期間でした。お父様もこの期間に生まれ、今まで苦難を受け続けながら過ごしてきました。

それでは、神様の摂理において、この歴史の重大な受難期、激動の受難期は、何を目的として訪れるようになったのでしょうか。苦難を受ける背後で、滅びるか再生するかの二つの内容を、歴史はいつも決定してきたのです。この期間は、この二つの問題を決定しなければならない歴史的な運命の期間です。このような立場から、天の父は人類を滅亡に導くわけにはいきません。いかなる手段や方法を使ってでも人間を救わざるを得ないというのです。

この期間は、神様が特別な摂理の基準をこの地上に立てる重大な期間です。ですから、神様は、苦難の中で歴史を引いたり押したりすると同時に、その背後で、新しい天の摂理の基盤、発展の基盤を再生させてこられたことは間違いありません。

5   日本は、東洋を中心としてイギリスの文化を受け継いできたのですが、大陸文化を中心とする韓国は、メシヤが来られる地中海文化圏のローマと同じ立場で出発しました。

アダム国家である韓国に再臨主が来ることになっていたので、私が生まれる前、アダム国家として越えるべき蕩減期間がありました。それで、韓国が四十年間、日本に隸属したのです。私が生まれた一九二〇年当時は、蕩減期間です。ですから、歴史的な全体摂理史を終結させるみ旨を、私の家門において受け継がなければならなかったのであり、それゆえ、私の家族が伝統的蕩減路程を経ざるを得なかったのです。

6   私が生まれた時期は一九二〇年です。三・一運動が起きた年が一九一九年ですから、その翌年に生まれたのです。私が生まれる前の三年間は、凶年になりました。三年以上、凶年になり、最も困難な時に、三・一万歳事件を中心として、国家が混乱する時代に入ったのです。

このように国家が、日本の統治下でサタン側の方向に合わせて引かれていくので、ここに革命を提示し、新たな方向が現れるようになりました。三・一運動を主導した人々は宗教家たちでした。キリスト教と天道教を中心とした人たちが主導してきました。そうして新たな方向、日本帝国主義の方向ではなく、アメリカの方向に従っていくようになりました。

キリスト教が国家と民族を中心として、完全にその文化圏を平準化圏として形成できたという事実は、韓民族が日本帝国主義の統治下において、アメリカを中心としたキリスト教文化圏に方向を合わせてきたために可能だったのです。これは驚くべき事実です。そのような歴史的な反響を巻き起こした運動から、キリスト教は急進的に発展し始めたのです。

7   一九一九年三月一日は、韓国が日本の統治から独立するために万歳運動を起こすことによって、多くの人が犠牲になった日です。なぜ三月一日にそのようなことが起きたのでしょうか。私がこの期間に胎内に宿り、生まれなければならないからです。宿った時から十ヵ月すれば、一九二〇年の正月です。

そうして、条件的にでも国を取り戻して主が生まれるべきであって、条件的にでも国がなければ、来られる主が空中に浮いてしまうため、天はそのような役事をしたのです。私一人が生まれるには、多くの血を流さなければならないというのです。それで一九一九年が凶年になり、そのような良くないことが起きました。天の摂理は、そのように展開してくるのです。

8   十六歳(数え)で殉国した柳寛順烈士は、堕落していないエバと同じ立場にいました。アダム国家におけるエバと同じだというのです。そのエバの立場にいた柳寛順烈士の体を、サタンの立場である日本帝国が六つに分けてしまいました。六数はサタン数です。柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くすため、一身を犠牲にしながら独立運動をしたのです。

独立万歳運動が盛んだった一九一九年に、私はおなかの中にいました。独立していない地でそのまま生まれるわけにはいかないので、私の生命を中心としてそのような闘いがあったのです。その時から十ヵ月後の一九二〇年に生まれました。

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韓半島と定州韓半島は、東西洋文明を結ぶ橋の役割を果たしながら、再臨主が誕生できるよう準備してきた摂理的な地である。真のお父様のみ言によれば、「定州」は、神様の愛が地上に着陸できる基点であると同時に、神様があらかじめ定められた郡である。そして、真のお父様が誕生された上思里(サンサリ)は、天を欽慕して敬うという意味における代表的な地として位置づけられ、世界の聖地になるであろうと語られた。

9   アジアの東北地域に位置する韓半島は、現代文明を受け継ぎ得る地理的条件を備えた日本と接触できる位置にあります。大陸と接触する場合、大陸自体に直接接触するよりも、半島を経なければなりません。ですから、いつも文化交流の役割を果たす所は半島でした。そのような意味で、韓半島が東洋と西洋の文明を結実させ、結合させる橋梁の役割を果たしてきたのです。神様は、必ずそのような半島を中心として摂理されるので、この民族が、その文明を受け継いで収拾する役割をしてこなければなりません。終局において、文明は宗教を通して結実するのです。

10  メシヤは、いかなる国に来るのでしょうか。原理的観点から、その方は、独立した国に来ることはできません。なぜでしょうか。イスラエルの国と、その国を動かせるユダヤ教が基盤となってメシヤを迎えるべきだったのですが、メシヤを迎える立場になれなかったのです。ですから、イスラエルの国とユダヤ教は、国を失って追い払われていました。イエス様の立場から見ると、イエス様を迎えるべきその国と、その教会がなくなったも同然なので、イエス様は、相対する国と教会がない立場から出発するようになったのです。ですから、神様は歴史時代を通して、そのような立場にある一国を、再臨の一日と連結させる準備をせざるを得ません。

イスラエルの歴史が悲惨な分裂の歴史で出発したので、それを収拾するためには、最下の段階にある歴史的な国家を立てなければならないのです。歴史的に見るとき、そのような立場にある国が韓国です。韓民族は、地域的にも歴史的にも、ユダヤ民族と似た内容をたくさんもっています。

11  歴史的に見るとき、信仰心に燃えている民族は、どの民族でしょうか。「ハナニム(神様)」という言葉も聞くことができず(ユダヤ教、キリスト教のような宗教がなかったこと)、預言者や烈士のいかなる預言もないまま、五千年の歴史を保ってきた韓民族は、なぜか分かりませんが、天に対する信仰心が秀でているのです。東半球の、爪のように小さなこの国が、今まで幾多の時代を経て、五千年の歴史を保ってきたという事実は奇跡です。

韓国の歴史を見ると、周辺国から数百回にわたって侵犯される、危険な歴史路程を経てきました。それでも韓民族は、民族の気概として流れるその何かをもって希望の一日を望んできました。この極東の韓半島を動かしてきた希望の民族精神があったがゆえに、今まで闘ってこられたのです。このような精神をもって活動してきた民族に、メシヤが来ないでしょうか。

情的な面でも、極東では韓国人以上に情熱的な人々はいません。また、韓国は、東方礼儀の国と呼ばれてきました。信義の宗教、希望の宗教であると主張していた仏教も、儒教も、キリスト教も、今や限界にぶつかっています。しかし、韓国は、民族精神を中心として、世界理念に燃える隠れた情熱が、心から湧き上がっている民族です。

12  韓国は、五千年の歴史を経てくる間、今まで犠牲になってきました。中国に多大な影響を与えたのが韓国人です。韓国民族は東夷民族であり、本来、戦争を嫌い、平和を愛する民族です。ですから、中国大陸を捨てて半島に集まったのです。孔子も「そこに聖人が住む」と東夷民族をたたえながら、「東夷民族のところに行きたい」と言いました。

韓国の歴史を見ると、他国を侵略したことがありません。数多くの侵略を受けましたが、侵略をしたことがないというのです。その代わり、不義の攻撃を受けるときには、火のようになります。負けないというのです。それこそ正義に燃える民族です。満州やシベリアのような所を回りながら死んだ韓国人の亡骸(なきがら)を調べても、煙管(きせる)と火打ち石しかありません。他の国の人は刃物を持って歩きますが、韓国人にはそのようなものがありません。ですから、ロシアや中国のような国で、韓国人が夜に、「コリアンだ」と言いながら門をたたけば、ほとんどの人たちは門を開けて、「入りなさい」と歓迎するのです。そのような民族が暮らす国なので、お父様のような人が現れてくるのです。

13  お父様の故郷は、北朝鮮の平安北道定州です。そこについて語るべき話がたくさんあります。幼い頃の逸話がたくさんあるのです。今後、世界の人々が、そこをイスラームのマッカ(メッカ)や、キリスト教のエルサレムと同じように考えるようになるのです。

皆さんは、生きている間に、お父様の故郷に行ってみなければなりません。もし皆さんが、そこに行くことができずに霊界に行けば、「生きている時にいったい何をしていたのか」と後ろ指をさされるのです。

14  皆さんが「私は真の父母に侍った。出発から侍り、最後まで侍った」と言えてこそ、天国の民になり、天の国の皇族として現れ得るのです。ですから、父母様をお迎えし、出発した所に帰るのです。皆さんの故郷は本来、エデンです。真の父母様が生まれた所がエデンです。人間は、堕落によって故郷の地を失ってしまいました。ですから、真の父母がエデンの園の主人になるのです。真の父母が生まれた所が人類の故郷なので、皆さんの故郷も、父母様が生まれた所にならざるを得ません。

聖誕の前兆と名前の意味真のお父様の聖誕を前後し、多くの吉兆が現れた。一九一九年の三・一運動以前には、真のお父様の生家の前にあるねずの木に金鶏が止まり、鳴いて飛び去ったことがよくあったという話が伝わる。そして、曾祖父である文禎紇(ムンジョンフル)が一双の龍が海から昇天するという夢の啓示を受け、真のお父様の代の「行列」(ハンニョル)(一族間で、始祖から数えた男性の世代の上下関係を表す語。同じ行列の男性は、名前の一字に同じ漢字をもつ)の字を「龍」の字とし、「龍」の字と「明」の字をもって名前をつけたが、真のお父様は一九四五年、光復直後に公式摂理路程を出発されたあと、平壌における伝道時代に、その大きな摂理的使命にちなんで、天から「鮮」の字と「明」の字を新たに受け、改名された。

15  私の母は、私を身ごもり、出産の日が近づいた頃、実家に行きました。母の故郷である大山洞の前には、帝釈山という大きな山があります。四方から眺められる、一つの象徴的な山です。

母が、出産する日を待っていたある時、悪天候になって暴風が吹き、山と村全体が雲に覆われたそうです。そこに一筋の光が現れると、その帝釈山の頂上に黄金の龍が現れ、山腹を回りながら昇っていったというのです。母がそのあとを少し離れて追いかけ、山頂まで来たので座って喜んでいると、その頂上がたちまち海になったのです。その海に尾で水を打ちながら身をくねらせる黄金の龍が二頭現れ、「天下よ、達者でいなさい」と挨拶をすると、天に昇っていったそうです。

母はそのようなものを見たので、心の内に秘めておき、私が八歳の時、「どう見ても、お前が果たすべき責任のようだ」と言いながら、この話をしてくれました。み旨を知ってみると、天との約束の中で、そのようなことがすべて啓示されたというのです。母も啓示をたくさん受けました。特別なことが起きたり、家で難しい問題が起きたりすると、母が事前に察知して、それに備えるために精誠を尽くすという経歴があったのです。天と地が一つになった場で、すべての困難を解決したのだと考えることができます。

16  私の母が、私を呼んで話してくれたことが忘れられません。曽祖父の時も、祖父の時も、夢のお告げで龍を見て、同じ夢のお告げを嫁である母も見ました。「どうもお前がその実体ではないかと思う」と言って話してくれたことが忘れられないのです

母の実家の前にある帝釈山(チェソクサン)の上で、二頭の黄金の龍が如意宝珠(仏教において様々な霊験を表すとされる宝の珠のこと)をくわえて昇天するのを見たそうです。それを母は、事実と考えたのです。昼間にどしゃぶりの雨が降っている時、山を見るとそのような現象が見えたというのです。

17  私の名前を見ると「鮮」の字があります。これは魚と羊ですが、海と陸地、水と地を意味します。ですから、のどかで明朗だという意味でもあります。夜、雨が降ったのち、朝が燦爛と輝けば鮮明です。「明」の字は日と月です。ですから、地ものどかで、天ものどかだという意味の二文字が合わさったのです。また、天は男性を意味し、地は女性を意味しますが、この二つが一つになったことを意味します。清く、明るく、明朗だということです。

そして、「文」というのは、真理を意味します。名前のとおりのことを私はしています。それで一生の間この名前を見ながら、「私は、このようにしなければならない。このようにしなければならない」と思ってきたのです。

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20 皆さんは、天国の民にならなければなりません。真の父の国、真の母の国、真の長子の国があれば、そこに連結されて、天国の民が生まれるのです。ですから、「私」が天国の民であり、息子、娘であり、主人だというのです。家庭から出発して、天国の主人になります。天の皇族圏に入るのです。家庭の主人は孝子、国の主人は愛国者ですが、これが一つに連結されなければなりません。一つの道を行かなければなりません。孝子から愛国者、愛国者から聖人、聖人から聖子になるのは、一方向です。後戻りはあり得ません。神様は、一つの道を行くことを願うのです。

最初は、孝子にならなければなりません。神様が「お前が絶対に必要だ。困難な場でも幸福な場でも共にいよう」と言うことのできる私にならなければなりません。「一生の間、永遠に共にいたい」と言うことのできる、私にならなければならないというのです。誰がいくら否定し、迫害しても、皆さんはその道を行かなければなりません。天国の民になれば、そこには蕩減がありません。一度成し遂げた結果は、永遠に存続するのです。ですから、私たちに一つの希望があるとすれば、再創造されることです。

21 真の父母は、真の愛の主人です。真の父母は愛の王です。私たちは、最も貴いものを失ってしまいました。それをどのように取り戻すのかが問題です。

真の父母、真の愛、真の生命、真の血統は、サタンがいくらじたばたしても、どうすることもできません。神様のみ旨に永遠に一致するためには、神様と人類が真の愛を中心として、主体と対象の立場で、永遠の関係を結んでいかなければなりません。

私たちがこのような結論に到達できなければ、人類は神様の創造理想である真の愛を中心とした生活を営んでいくことはできません。これが原理です。誰も否定できません。ですから、真の父母が絶対に必要です。

22 アダムの堕落によって、数え切れないほど多くの塀が生じたのですが、真の父母が現れて初めて、天上世界も、地上世界も、愛を中心として塀のない道にしておきました。行くか行かないかは、自分にかかっています。真の父母によって、すべての村に高速道路ができました。

高速道路を行こうとすれば、自分の努力で車を手に入れて、訪ねていかなければなりません。真の父母によって、人類歴史の心情的世界と、霊界、肉界を塞いでいた塀が崩れたので、大きな水道のパイプを通って全家庭に水が流れ込むのと同じように、滞りなく行ける道が開かれたというのです。それで、地上と霊界の統一圏が、初めてこの基盤の上に形成されるのです。

23 今から私たちは、創造本然の夫婦であるアダムとエバの伝統的基準を確立し、創造理想の夫婦圏完成を通して真の父母となり、真の息子、娘に真の愛、真の生命、真の血統を再び相続してあげなければなりません。そのような使命が祝福家庭にあることを忘れてはいけません。真の父母になったのは、個人が家庭的勝利圏から氏族的勝利圏、民族的勝利圏、国家的勝利圏、世界的勝利圏、天宙的勝利圏だけでなく、神様の解放圏まで成就させるためなのです。

24 真の父母は家庭を収拾し、救世主は国を収拾するのです。この一つの責任があります。真の愛と真の生命の種をもって接ぎ木することによって、収拾できるのです。人類は、堕落したので、偽りの愛、偽りの生命の種を受けました。これが野生のオリーブになったので、真のオリーブから接ぎ木を受け、真の愛に連結されて、真の愛を中心とした生命を再び受け継がなければならないというのです。そのようにしなければ、真の父母の血族になれません。

25 すべての責任者たちは、自分の代身者、もしくは相続者を立てるとき、自分より優れた存在を願うのが天地創造の道理なので、主人となる人は、自分に従い、侍る最も近い息子、娘に、「自分よりも優れた人になりなさい」と言って、道を開いてあげなければなりません。サタンは、そこから落ちていくように門を閉じてしまいましたが、皆さんがそのようにすることによって、堕落した血統の痕跡がない完全、完結の本然の血統を受け継ぐことができるのです。

そうして、天の国において、統治の主人として、真の父母、真の師、真の王として、血統的に神様と父子関係を結べる位置で、「私」が信じ、実行することによって、神様が築いておいた真の父母家庭の代身者、真の父母の相続を受ける代身者として、すべてを相続させてあげられるようになるというのです。これが天地に宣言する宣言文であることを知って、実践しなければなりません。

26 皆さんも真の父母にならなければなりません。そうだとすれば、氏族的真の父母になりますか、民族的真の父母になりますか、国家的真の父母になりますか。国家的真の父母になれば、そのまま天国に上がっていくのです。個人(および家庭)的な真の父母は多くいます。ここにおいて一番の人が、氏族的真の父母に上がるのです。また、民族、国家、世界的真の父母に上がるのです。

真の家庭にならなければ、天国に入れません。天国は家庭が入るのです。天の国の編成は、家庭を連合して行うようになります。連合を通して公式をつくるのです。すべてのものが連結されて、公式をつくるのです。皆さんも完成した家庭をつくらなければ、天国に入れません。それが真の父母主義です。真の父母として行く道です。

27 聖書に「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ一四・六)とありますが、愛が抜けています。「わたしは道であり、真理であり、命である」というのですが、それをもって何をするのでしょうか。私たちは愛を入れなければなりません。「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛なので、だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行ことはできない」と言わなければなりません。イエス・キリストが愛の中心者です。真の父母になることができます。体が心に似ているのと同じです。真の父母時代に入って、真の父母に似れば、神様に似るのです。

28 神様の父母の心情と同じ心情圏を自分がもって、どのように一体化するかということが問題です。天上世界や地上世界、先祖たちや霊人たちや天使世界が、すべてそれを中心として擁護し、保護するようになっているというのです。一番の問題がそこにあります。

骨髄の骨髄から神様と連結されていて、その肉身、体全体が真の愛の絆によって連結されているので、真の愛を中心として、主人と関係を結べるようになっているのです。被造世界のすべての周辺、この宇宙というものはすべて、そのような主人の前に一つとなり、主人を保護すべき立場になっているので、恨を残したまま途中で死ぬことはないというのです。そのため、「私」の骨髄から、体と私の思いすべてが一つになり、真の愛の関係の中で、万宇宙の主人の資格、神様が創造するときに願った創造理想的主人の位置に、いかに立てるかということが問題です。その主人が、神様のすべてに似た息子、娘なのです。

29 私たちには、完成概念があります。その完成をどのように成し遂げるのでしょうか。公式に従っていけばよいのです。

「このようにすれば、理想家庭を築くことができる」という公式があります。氏族、国家、世界、天宙に対する公式が、すべてあるというのです。そのような絶対公式の主人が神様です。

ですから、定着することは問題ありません。大きな公式と小さな公式が一つになって完成するのです。個人基盤、家庭基盤、氏族基盤、国家基盤、世界基盤に拡大します。そうすれば、神様のすぐそばに立つのです。

中心というのは、縦的に霊界と通じることを意味します。皆さんが、神様の息子、娘だというのです。神様に似た子女です。神様は、心と体が一つになっています。

しかし、皆さんの心と体は、今も闢っています。いつ統一されますか。一つになる過程、中間の立場にいるというのは、完成できなかったことを意味します。ですから、謙虚になり、他のために尽くそうとし、献身しなさいというのです。

「私は真の父母様の代表者である。私は神様と一つに連結されている。私はチャンピオンである」という観念をもっていれば、皆さんは中心の位置に立つことができます。「私」は第二の創造主だというのです。個人完成は問題ないということです。家庭完成も問題なく、氏族完成も問題ないのです。国家を越えて影響を及ぼすこともできます。国境を越えて隣の国と連結できるというのです。

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人類が行くべき真の父母の道人間は誰しも、アダムとエバの堕落によって、宿命として復帰の道を行かなければならない立場に置かれた。神様のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の生活をすることにより、億万のサタンを自然屈伏させ、勝利された真の父母様の典型路程を、そのまま歩んでいかなければ、堕落の因縁を清算する道はないのである。

真の父母様は、地上だけでなく、霊界における凄絶な霊的闘いまでも勝利し、神様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従して、ために生きる実体となられ、その勝利圏を祝福家庭に相続させてくださる恩恵をお与えになった。人類は、真の父母様の真の愛、真の生命、真の血統の伝統を相続し、真の父母となって、氏族メシヤと天一国の民としての責任を果たさなければならない。

13  人間は、堕落した父母から生まれたため、絶望の中で呻吟しながら、目的と方向も分からないまま、日々変化する立場で生きてきました。

しかし、私たちが行く道は、変わりません。朝はこのようにして、夕方にはあのようにして、というようなことはできないのです。「真の父母が行く道が私の道であり、真の父母が暮らす生活が私の生活であり、真の父母が立っている場所が私の場所であり、真の父母の世界が私の世界である」という思想を強固にもたなければなりません。そして、「真の父母を慕うことにおいては、世界で一番慕っている」と言わなければなりません。真の父母に侍って行く道にいくら暴風雨が吹きつけても、これを幸せなこととして消化し、歩んでいくことができなければなりません。

ですから、未来になれば、世界の復帰や、一つの世界というものを夢見る必要はありません。皆さんはそのとき、歴史的伝統と希望の基準になる真の父母の家庭を身代わりすることができる、未来の世界的な家庭になりなさいというのです。この原則は変わりません。その原則になる家庭が、真の父母の家庭です。

14  皆さんは、自分自体で完成するのではありません。純然と、父母様の愛によって完成するのです。子女が父母の懐から生まれれば、良し悪しにかかわらず、その父母の形態に似るのです。それと同じように、統一教会では、真の父母の道理を教えてあげます。それが、皆さんには福の中の福です。

人間の願いは、真の父母に出会うことです。死の道を行っても会うべき人が、真の父母だというのです。歴史をすべて失ってしまい、時代をすべて失ってしまい、自分の子孫をすべて失ってしまうとしても、真の父母に出会うならば、歴史を取り戻すのであり、時代を取り戻すのであり、未来を取り戻すのです。このような方が、正に真の父母です。堕落した過去の歴史は、一つの世界を願ってきました。ある一時に、平和の世界がこの地に立てられるということを、未来の希望として抱いてきたのです。

15  今、父母様の家庭を中心として、世界人類の家庭と、家庭対家庭として向き合える時が来ました。復帰時代になったので、天の側の家庭モデルをつくっておき、サタン世界の家庭に道を教えてあげるのです。息子、娘が父母に仕えるのと同じように、妻が夫のために、子女が父母のために、妹が兄のために尽くすのと同じように、今まで完全となり得なかった道理を超越し、完成した一つのモデルを掲げるのです。

真の愛を中心として、縦横の真の父母の心情をすべて受け継ぎ、完成した息子、娘になってこそ、真の父母になるのです。神様の心の中で構想した完全な兄弟の理想を成し遂げたあとには、夫婦になります。夫婦の中でも、願ってきた最高の完成した夫婦になるのです。この夫婦が父母になるのですが、父母としても完成した位置にいる父母です。神様が天の家庭を中心として、理念として待ち望んだ心情的、系列的な完成実体として現れたのが、真の父母です。

16  皆さんの中心は、神様と真の父母という概念をもたなければなりません。これが、元来の標準の立場です。ここから新しい未来に拡大していかなければなりません。このように拡大された世界をつくらなければなりません。皆さんは、絶対的な、元来の真の愛を中心とした家庭体系を形成しなければなりません。これが、神様と真の父母様の伝統的な出発点です。

ところが、皆さんは今、このような立場とはあまりにも違うというのです。世の中の多くの悪い習慣と観念ゆえに、誤った方向に進んでいます。このようなことが、将来、神様が審判するときに讒訴条件になります。最も恐ろしい条件を、皆さんはもっているというのです。今から誤った習慣、条件を一掃してしまい、真の家庭体系を確実につくっていかなければなりません。

17  祝福を受けたすべての家庭は、真の父母にならなければなりません。世界全体の家庭の真の父母化時代です。世界的な統一をするための基盤の上に父母と子女が定着したので、全世界の祝福を受けた家庭は、真の父母化時代に入っていかなければなりません。

第一に、すべての祝福家庭の婦人たちは、お母様の伝統を相続しなければなりません。真の父母になろうとするので、その婦人たちは、お母様の伝統を受け継がなければならないのです。皆さんも、真の父母化時代において、氏族圏内のすべてを一つにするため、お母様の代わりにお産の苦労をしなければなりません。真のお母様は、聖霊の立場なので、霊肉共に生んであげなければならないのです。これは母の責任です。若い青年と一世の男性まで再び生み変えなければなりません。復活させなければならないのです。

第二に、家庭的メシヤ圏を解放していかなければなりません。再び生み変えて解放してあげなければなりません。再び生み変えなければ復活できないのです。重生しなければなりません。家庭と氏族を生んで一つにしなければなりません。氏族メシヤが氏族の場で、あらゆる氏族を一つの氏族圏にしなければならないのです。それで、真のお母様の立場で再び生み変え、家庭と氏族的メシヤ圏を一致させなければなりません。アダム家庭、イエス様の家族が失敗したことを、蕩減復帰しなければならないので、そのようにするのです。

18  今や皆さんが、アダムとエバ以上に、神様と共に暮らした個人的生活基準の家庭を越え、民族、国家、世界、天宙まで、家庭理想を完結しなければなりません。偽りの父母になったアダムのすべてのものを、真の父母が一代で清算しなければなりません。歴史時代にサタンが植えた、汚れた死亡の血について、今まで誰も知ることができなかったのですが、真の父母の一代でこれを整理し、神様の愛の一体圏心情的世界を中心として、家庭を越え、氏族、民族、国家、世界を越え、天宙を越えて、初めて本然の基盤として定着するのです。

神様と共に、アダムとエバから今まで、人類の旧約時代、新約時代、成約時代、第四次アダム心情圏を通して、初めて定着したというのです。皆さんの家庭は、今まで数千万年を経て解放されたアダム家庭の位置を受け継いだため、これから皆さんは、新しい一族の先祖になるのです。

19  家庭では孝子の道理、国では忠臣の道理、世界では聖人の道理、天宙では聖子の道理を果たすことによって、家庭理想のモデルをつくらなければなりません。自分の家庭は、個人を代表するだけでなく、氏族、民族、国家、世界、天宙の代表型として、これを成し遂げていくのです。そのようなとき、アダムが個人の立場で堕落したように、世界の数千億を一人のように、一つの家庭のように考えて、一時に蕩減しなければなりません。祝福家庭の各自の責任です。そうして、自分たちが立てた功績を中心として、各自祝福を受けた家庭が、新しい氏族になるのです。

サタン世界は、個人から氏族に広がっていきましたが、今や全世界が合わさって、世界個人型、世界家庭型となり、世界完成型である真の父母のモデル基準と一致し得る相対基準にならなければなりません。皆さんの体が祭物的な立場で印を受け、家庭全体を身代わりして、世界人類のモデル型に一致できなければなりません。そのモデル基準を開拓するために、父母様の一代で今まで開拓の歴史を歩んできたのです。

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7   真の父母が現れて、家庭のあらゆるモデルを見せてあげ、教育してあげない限り、平和世界は、その起源がありません。真の父母が世界的に展開してきている国際祝福結婚は、単なる一教団の結婚儀式ではありません。神様の愛の伝統を立てる救国、救世の運動です。青少年たちには、婚前純潔運動を実施します。そして、成人たちには、神様の真の愛を中心に、夫婦間の絶対信義と貞節の誓約のもと、祝福結婚をするように導く運動をします。真の愛の家庭を通して家庭の崩壊を防ぎ、国と世界に平和の礎石を据えるのです。

特に、政治的、歴史的に不和で怨讐関係にあった国家間の人々が、その高い塀を越えて、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになるため、平和の範囲は、国家を越え、人種を飛び越えることになります。真の平和に向かう高次元の公式は、不和と怨讐関係である家門、さらには怨讐国家の子女たち同土が交叉結婚祝福をして、天地が願う、真の愛を中心とする真の家庭完成の祝福圏を成立させることです。怨讐同士が交叉結婚をしてこそ、平和の出発が始まります。家庭でもそうであり、国同士でもそうであり、思想同士でも、そのようにしなければなりません。そうすれば、思想界を越えて、思想界以上の幸福と平和の世界になります。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発するのです。

8   真の父母様が歩んできた蕩減路程を絶対的に信仰すれば、霊界において過去のすべての塀を越えていける条件になります。父母様に侍ったその基準が、霊界と連結されるからです。父母様が教えてあげた真の愛、真の生命、真の血統を中心として、心情一体を実現しなければなりません。

真の父という概念を中心として、心情と和合できる血統に連結された息子、娘になり、その息子、娘が、その神様の愛と生命の実の実体として、夫婦になるのです。夫婦になることによって、二性性相の正分合本体の心情圏に一致し、天上世界と地上世界において縦的に一つになるのです。同時に、夫婦生活を中心として東西が一つになり、息子、娘を中心として前後が一つになるのです。それは、家庭モデルの金型と同じです。モデルの表題です。

そこでは、神様の愛をすべて感じることができます。息子から感じることができ、娘から感じることができます。生命も息子から、娘から、血統も息子から、娘から感じられます。それが左右関係、上下関係として一体になっているため、神様の生命を身代わりした息子、娘になり、夫婦になることによって、横的な基準で神様の愛、生命、血統が連結されるのです。

9   神様は主人です。神様は先生です。神様は父母です。これが三大主体思想です。真の父母になるためには、師の中の師にならなければならず、主人の中の主人にならなければならず、父母の中の父母にならなければなりません。真の主人、真の父母、真の師になろうとすれば、真の神様をはっきりと知らなければなりません。

真の神様の理想を中心として、真の人間、真の家庭、真の国家と国民を教えてあげるのです。しかし、今までそれを知りませんでした。真の父母は、正しく歩む道を教えてくれる人です。真の父母になれる道を教えてくれるのです。また、真の主人になれる道を教えてくれるのです。

10  天正宮博物館で揮毫した表題とは、「天一國眞聖徳皇帝億兆蒼生萬勝君皇太平聖代萬事亨通」です。この標語を中心として生きなければなりません。今や誰が干渉しなくても、天地の道理をすべて体得し、生きるべき道、公式的な道が分かったので、これ以上、教材は必要ありません。これが最後です。

11  父母様は今、地上で全体を越えて、勝利の覇権の位置、神様の王権樹立とともに、自主国勝利の解放世界と円一統一世界まで成し遂げました。そのため、父母様を中心として完全に一つになるのは、創世前から創世以後の摂理歴史全体の完結を、「私」自身が判定するためなのです。判定されたその勝利の覇権をもって、神様の印とイエス様の印と真の父母の印を受けてこそ、解放になります。そのような途方もない内容を、私たちがすべて個人的に蕩減することはできないので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。

そのため、父母様を中心として、皆さんの所有観念や欲望、このようなすべての基準が、父母様以上に越えることはできないのです。

絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、相対的実体圏を、私個人から、家庭を越えて、国家、世界、天宙まで越えるとしても、変わることのない家庭モデルの形態をつくり上げなければなりません。皆さん個人と家庭において、祝福を受けた基準が、全体を越えて公認を受けられる主体的立場に立ってこそ、創造理想世界、堕落がなかった本然の世界に帰るのです。円一統一世界に越えていくというのです。

12  個人から家庭、氏族、民族、国家、世界に、自由に往来できるモデルが、真の父母様の家庭なので、ここと永遠に一体にならなければなりません。そして、真の父母様の伝統を受け継ぎ、家庭から世界まで、すべて神様と真の父母様と真の子女として同和してこそ、統一された祖国が完成するのです。いつでも真の父母様の家庭が、そのモデルです。そのため、真の父母様の家庭とすべてのものが、一つにならなければなりません。世界とすべて連結されなければなりません。真の父母様の家庭は、一体となった皆さんの家庭のモデルでもありますが、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を越えて、全体のモデルになるからです。ですから、自由に往来できるモデルが父母様の家庭なので、ここと永遠に一体にならなければなりません。これは、父母様が個人から家庭、氏族、民族、国家、世界のモデルになるための伝統でもあります。

その伝統を受け継ぎ、家庭から世界が、神様と真の父母と真の子女として同和してこそ、統一された祖国が完成するのです。同和するというのは、完全に和合して、一緒にいるということです。真の子女とは、父母様の直系の子女のことを言います。ですから、真の父母の家庭を手本として、世界が一つにならなければなりません。そのモデルは、神様と真の父母を身代わりするためのものです。真の父母と神様を身代わりするためには、真の父母と直系の子女を中心として、一つに統一されなければなりません。それでこそ、祖国統一が成し遂げられるのです。

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真の父母様の聖婚式イエス様の路程を再蕩減するために、血と汗と涙の道を歩んでこられた真のお父様は、一九六〇年三月二十七日午前四時、ソウルの青坡洞一街にある旧本部教会で、再臨主を迎えるために、精誠の限りを尽くしてきた洪順愛大母様の一人娘であられる真のお母様と約婚式を行われた。四日後の三月三十一日に、真の父母様の聖婚式と三弟子の祝福式について正式決定がなされ、四月十一日(陰暦三月十六日)午前十時、全国の各教会から選抜された七百人以上の食口が参席する中、旧本部教会で、歴史的な真の父母様の聖婚式が挙行された。第一次式は「蕩減復帰父母の式」、その後すぐに挙行された第二次式は「栄光の父母の式」であった。

16  お母様を迎えたのは、解放から十四年たった一九六〇年です。なぜ十四年後なのでしょうか。人間始祖が長成期完成級で堕落したので、蕩減復帰の原則によって、十四年の迫害路程において韓国に着陸し、統一教会という祭壇をつくり、キリスト教や大韓民国と闘いながらお母様を立てたのです。お母様を立てたところから、初めて地上に着陸するのです。お母様を立てるため、アダム時代からノア時代、アブラハム以降の時代に、摂理史的に問題となったことに対して蕩減条件を立てました。

イスラエルの国とイスラエル民族を設定してきた歴史的なすべての問題を、キリスト教文化圏が受け継ぎ、二千年間、霊的ではありましたが、蕩減したすべてのものが、崩れたも同然になりました。ですから、十四年後にお母様を選ぶ時は、イエス様が十字架で亡くなった、その時と同じ立場なのです。

言い換えると、大韓民国はユダヤの国と同じ立場です。ユダヤの国を中心として見ると、キリスト教はユダヤ教と同じ立場であり、統一教会はその時のイエス様とキリスト教と同じ立場です。国と教会から迫害を受けて十字架を背負ったので、それと全く同じ環境で闘って勝利しなければなりません。蕩減復帰しなければならないのです。

17  お父様は、結婚式場に出る前日まで、警察署で調書を作りながら闘いました。大勢の裏切り者たちが讒訴する出来事や、イエス様の十二弟子が反対したように、統一教会で信仰の篤かった十二人が、一つになって反対する出来事が起きたのです。統一教会の味方になっていた人も反対し、キリスト教も反対し、国も反対したのです。イスラエルの国とユダヤ教とイスカリオテのユダが一つになり、イエス様の命を奪ったのと同じ運命に追い込まれました。その時が正に一九六〇年、陰暦三月十六日です。その時は、反対の絶頂期でした。もう一歩進むか進めないか、死ぬか生きるか、ここから新しく出発できるかできないか、という境界線にいました。

このような境地で新しい歴史的なことを成し遂げたのです。その日は、神様が最高の天運を宣布する日になりました。イエス様が語ったように、新婦を迎えられる歴史的な日になったのです。それが聖婚式です。そこから巻き返しの第一歩を踏み出したのです。初めて天の中心をつかみ、環境を処理して、急進的な発展を計画し始めたというのです。

18  蕩減復帰歴史は、原則を経なければなりません。原則的な条件を経て越えていくのです。その時に統一教会に通っていた人たちが離れ、イエス様の十二弟子が反対したように、十二人が団結して反対し始めました。そのような過程を必ず経なければなりません。

お父様に対して国が反対し、キリスト教が反対し、統一教会から離れた人たちが反対しました。この三つの集団が一つになって反対したのです。これをサタン側から見ると、国は蘇生、キリスト教は長成、離れていった人たちは完成です。このように攻撃を始めたのです。

19  七年間準備して、父母様の聖婚式をしました。その時には、キリスト教をはじめとして、すべてが反対しました。一九五五年には、監獄暮らしまでしたのです。監獄でも闘いました。その後、一九五七年から、断食をして、宣布式をして、本格的に全国的な基盤を築き始めました。攻勢をかけ始めたのです。伝道して全国に拡大していったのです。統一教会は、新しい段階に入るようになりました。そうして、一九六〇年まで、国家的な基盤を築いて影響を及ぼし、国が反対し、キリスト教が反対する段階に入って聖婚式をしたのです。

イエス様が捕まり、十字架に向かっていったのと同じ環境で、聖婚式をしなければなりません。その時は、国が反対し、キリスト教が一つになって反対し、すべてが反対しました。

20  約婚式から十五日後に聖婚式がありました。聖婚式は、「蕩減復帰父母の式」と「栄光の父母の式」の順に進められました。

第一次の式には、両脇に十二人ずつ介添人が立ちました。白いチマチョゴリに長いベールをかぶって新婦の装いをした私(お母様)は、聖歌の「宴のとき」の合唱が響き渡る中、お父様と共に二階の階段から降りてきて、行礼台(ヘンネデ)(礼式を行う壇)に上がりました。お父様の祈りと宣布に続き、代表食口の頌辞と頌詩の奉読が続きました。

引き続き、第二次の式は、韓国伝統の紗帽(サモ)(官服を着るときにかぶる黒い紗(しゃ)で作った官吏の帽子)と冠帯、チョクトゥリ(女性が礼服を着るときにかぶる冠)に婚礼服を着て行われました。お父様が神様に宣誓され、一同が四拝をしたあとに、対面して三拝、礼物交換、対面一拝で礼を終えました。それから、代表食口の記念品奉呈と頌辞の奉読がありました。続いてお父様が、神様のみ前に宣誓されたあと、参加者たちのために手を挙げて祝福祈祷をしてくださることによって、歴史的なすべての行事が締めくくられました。

21  お父様は、聖婚式の参加者たちに、お父様の印が押された参加券を配ってくださいました。お父様は、「将来、この券さえあれば、地獄に行く人も天国に行く」というみ言を語られました。これは、真の父母様の聖婚式がどれほど貴いものかということを強調されたみ言であり、その場に参加した人たちに対しても、その価値を大切に心にとどめておくようにという意味だと思います。

また、天の啓示によって聖婚式のテーブルが準備されました。四十種類のものが並べられた祝宴のテーブルが、壇上に盛大に置かれていました。お父様は、一つの大きなテーブルで私(お母様)と共に食事を召し上がりました。そして、即席で祝賀披露宴が続きました。官服と婚礼衣装から韓国服に着替え、お父様と一緒に楽しく踊りました。お父様が先に歌われたあと、私にも歌うように求められました。それから、食口たちにも指名され、一緒に歌を歌いました。

人類初の真の父母に即位する聖婚式は、その意義と価値から見て、万民が慶賀と賛美と栄光と頌栄を捧げるべき摂理的礼典でしたが、質素に執り行われたのです。

22  天よ、勝利の旗を揚げてくださり、地よ、歓喜の報いを父のみ前にお返しください。栄光、栄光、無限なる栄光、天地が合わさって喜びをお捧げできるこの時間であることを知っておりますので、末永く後代の万象まで、この喜びの時間を保持するようにしてください。お父様、太鼓をたたいてサタン世界に向かって進軍に進軍を重ね、お父様の子女たちを早く復帰の勇者として立てるために、あらん限りの血肉をすべて注ぐ私たちとなるようにしてくださり、誓いを立てる私たちとなるよう許諾してくださることを、切にお願い申し上げます。この日、お立てになった娘を受け入れてくださり、勝利の月桂冠をかぶせてくださり、恨に満ちたあらゆるものを断ち切れる娘となることを許諾してください。

23  きょうの聖婚式が行われるまで準備してこられた神様の心情は、何をもってしても形容できません。この一つの場に娘を送ってくださり、六千年の摂理と父のみ旨を成し遂げようとされるあなたの召命の前に、言葉にできないほど畏れ多いばかりです。み旨が成し遂げられる日まで、心情やすべての面において、皆さんと一つになって歩んでいくことをお誓いいたします。

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第三節   聖婚式後の七年路程と真の子女の誕生真の父母様の聖婚式後の七年路程一九六〇年の聖婚以後の七年間は、真の父母様の家庭がサタンの侵犯を受けない条件を立てながら、神様の直接主管圏内に入ることができる、本然の家庭基盤を完成する期間であった。

聖婚式後、真の父母様の家庭は、長成期完成級の峠を越え、完成期の七年を経る過程で、霊肉界からの攻撃に立ち向かい、闘って勝利しなければならなかった。同時に、七年路程は、真のお母様にとって、み旨に対する絶対服従によって蕩減条件を立て、真のお父様と絶対的に一つにならなければならないという、(御自身の)責任分担(完遂)の期間であった。

また、七年路程は、真のお父様が神様のみ旨を中心として、真のお母様を完成基準に立てていく相対完成の期間でもあった。御夫妻が信仰と愛と実体で一つになる期間である。さらに、この時から、祝福家庭は生まれてくる真の子女様と腹中時代から一つになり、真の子女様をアベルとして、愛さなければならない。御夫妻は、真の父母様の家庭と祝福家庭を率い、人類歴史上、最初の四位基台家庭完成のための七年路程を開拓していかれ、ついに勝利された。七年路程の内的蕩減過程を経て、この期間に、人類始祖の堕落によって立てられなかった「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を設定したあと、一九六八年一月一日に「神の日」を宣布することによって、神様の四大名節をすべて復帰されたのである。

1   お父様は、一九六〇年まで何をしたのでしょうか。ヤコブの路程と同じ十四年路程を歩んできました。ですから、一九六〇年からの七年路程は、皆さんにとっては第一次七年路程ですが、お父様にとっては二十一年路程の最後の路程です。この七年路程を中心として、私たちはこの民族と出会う運勢をつくらなければなりません。

神様は、前半の三年路程では、内的に家庭的な基準を立て、後半の四年路程では、外的に社会的な基準を立てながら、七年路程を合わせてきたのです。このためにお父様は、家庭的な代表、民族的な代表、世界的な代表を探し出したという条件を立ててきました。そのために「万物の日」を設定し、その土台の上で世界的に聖地を選定しました。

2   イエス様がダビデの氏族、すなわちヨセフの家庭を中心として一体になり、イスラエル民族の反対を受けることなく、勝利の一路を開拓し、イスラエルの国を蕩減復帰しなければならなかったのですが、それができなかったので、統一教会はそれを蕩減復帰する歩みをしているのです。

ですから、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰をして、統一氏族を編成しようとしているのです。統一氏族を中心として、大韓民国の前に民族復帰の使命を果たすため、第一次七年路程を設定して活動してきました。これによって大韓民国では、統一教会の行く道を阻むことができなくなりました。イエス様が復活の権限をもって、新しい世界を目指して出発できる時代圏を復帰した、という条件を立てた立場に立ったのです。ですから、第一次七年路程を行くことによって、民族的な蕩減条件を立て、イエス様の願いである民族救援の基準を、再び立てるようになったのです。

3   蕩減復帰の解怨成就において、エバ完成のための蕩減復帰歴史がなければなりません。

お父様は、アダム復帰完成のための闘争歴史を経て、勝利の基台を築いてきた堂々たる男性として立つことができますが、女性が堂々たる女性として立つためには、エバの蕩減復帰路程を経なければなりません。そのためには、誰も分からない心情的闘争はもちろん、実体的闘争、信仰的闘争までしなければなりません。ですから、お母様も、切迫した道を開拓してきたのです。

そうして、第一次七年路程が終わることによって、初めて「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を迎えたのであり、初めてこの地上で女性としての資格を得て、同等な位置に立つようになったというのです。

4   お父様は、個人的な蕩減路程を終え、家庭生活の土台を備えた一九六〇年代からは、家庭的十字架の道に突入するようになりました。六千年の歴史を蕩減すべき使命を担っているので、皆さんや教会よりも、家庭的十字架をどのように蕩減するかという問題を中心として歩んできました。このような過程を経て「父母の日」を定め、「子女の日」を定め、「万物の日」を定め、「神の日」を定めたのです。一九六〇年から始めて、一九六八年正月一日を期して、「神の日」を宣布するまでの内的な受難の路程を、皆さんは知らないでしょう。お父様は、サタンと対決し、家庭的段階に越えて、立ち得る基盤を築いたのです。

5   第一次七年路程の期間には、父母として初めて蕩減歴史を解怨成就し、天地に残った堕落の起源をすべて清算する、内的な闘いをしてきました。この時期は、血統的問題において、アダムとエバが失敗した歴史的なすべての曲折を解いて、清算すべき内的闘いの時です。み旨の前に自分の身はもちろん、自分の心情問題までもすべて捧げるという天との関係を選んで立てながら、第一次七年路程を完結することによって、勝利した父母が誕生するようになったのです。

6   一九六〇年を迎えて、お母様をお迎えすることによって、統一教会が本格的に出発することになりました。国家が反対し、キリスト教が反対する中で、国家を貫き、キリスト教を貫いていける基盤を築いてから、お母様をお迎えするようになったのです。

お母様を迎えたとしても、お母様は、結婚してすぐにそのままお父様と一緒に暮らせるわけではありません。皆さんに結婚後の三年期間があるように、外部から家庭を尋ね求めてくる歩みをするのです。皆さんは、原理の道をそれと同じように行くのです。第一次七年路程では、多種多様で複雑な家庭の問題を、すべて蕩減する路程を経ていかなければなりません。第一次七年路程は、お母様を中心とした家庭的基盤を築く期間です。これはまた、長成期完成級でアダムとエバが堕落したので、長成期完成級から完成期完成級へと越えていく時なのです。

7   神様は、六千年間何をされ、神様の一貫した歴史的な望みとは何だったのでしょうか。それは、一人の母を探し出すことです。アダムを送ったあと、すなわちアダムを再創造したあと、彼を通して一人の母を探し出そうというのです。これは再創造です。本来、神様がアダムを創造したあと、アダムを中心としてエバを創造したので、再創造においても、アダムを送ってエバを探し出すのです。つまり、母を探して立てるのです。

そうするために、この第一次七年路程の間、サタン世界の讒訴条件から免れ得る道を、お母様が行くようにしたのです。

そうするためには、お母様自身がサタンと直接闘ってはならず、お父様を絶対に信じ、常に一つにならなければなりません。そうしてこそ、サタンの侵犯を受けないというのです。また、アダムが責任を果たせずにエバを失ったので、アダムの立場を復帰し、サタンを屈服させて勝利基準を立てなければならないのですが、七年期間は、このようなことをすべき期間です。

その基準を立てたあとは、お母様を立てて心霊的な基準をつなげ、堕落した父母の立場を蕩減復帰して、真の父母の土台を立てなければなりません。

8   第一次七年路程は、堕落していないアダムとエバが行くベき道でした。父母が行くべき道だったのです。ですから、サタンがいくら讒訴しても、この期間を無事に突破しなければなりません。そのような家庭的代表の道を築き上げるのが、お父様を中心とした第一次七年路程です。

ですから、この七年の期間に、お母様とお父様を中心として、歴史時代にもつれたすべてのものをほどかなければなりません。この七年期間は、エバがアダムを主管したことを覆し、完全にアダムの権限を立ててエバを再び教育すべき時です。言い換えると、エバを教育して、アダムの基準の前に、どんなことでも絶対服従して順応することができ、生命を犠牲にしても従っていく基準を立ててこなければならないのが、この第一次七年路程の期間です。

9   父母様の家庭が定着するのは、容易なことではありませんでした。世界的頂上の位置まで行かなければならないのです。蘇生、長成、完成の位置を経ていかなければなりません。その完成基準は七年路程です。アダムとエバが長成期完成級で堕落して落ちてしまったので、父母様の家庭も、そこから七年路程を経たのです。一九六八年正月一日、「神の日」を定めるまで、お母様は、女性として行くのが難しい道を行かなければなりませんでした。そのような道をすべてかき分けて、無事に天の試験を通過したので、今日の素晴らしいお母様になったのです。

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第四節   真の父母時代と救援摂理の完成真の父母宣布と救援摂理完成真の父母様は、聖婚後の七年路程を通して、神様を中心とした家庭的四位基台を完成することによって、地上天国を創建できる出発の基台を立てられるようになった。また、復帰摂理の進展に従って、各時期にふさわしい蕩減条件を立てて勝利することにより、サタンが侵犯できないよう、それに相応する宣布式を挙行された。

真のお父様は、一九九〇年四月十一日、モスクワで開催された言論人大会で、ゴルバチョフ大統領に会い、「無神論を放棄しなさい」と勧告し、帰国後、四月三十日から、全国十二ヵ所で開かれた「モスクワ大会勝利帰国真の父母様歓迎大会」を通して、韓国国民に「真の父母」を宣布された。

特に一九九二年八月二十四日、第一回「世界文化体育大典」の祝賀晩餐会において、世界の指導者たちに対し、「私は今年の七月初め、韓国の五大都市で開催された世界平和女性連合指導者大会で、私と私の妻である韓鶴子総裁が、人類の真の父母であり、救世主であり、再臨主であり、メシヤであると宣布しました」と発表された。

真の父母様は、祝福結婚を通して人類を真の血統に転換させる、超人種、超宗教、超国家的次元の革命的大役事をしておられる。天の真の愛と生命と血統をもって来られる真の父母だけが摂理的な時を知り、それに合わせて人類の救援摂理を完成させるのである。

1   第二次世界大戦後にキリスト教が反対したため、お父様は四十年間、洗礼ヨハネが成し遂げられなかったことと、キリスト教が失敗したその基準を、再び蕩減復帰しなければなりません。それをしなければ、新婦を探して立てる道がないのです。四十年間で洗礼ヨハネの失敗を完璧に復帰し、キリス教文化圏を完全に復帰して、アメリカを収拾するのです。サタンからアメリカを奪い返してくるのです。

それで、お母様がアメリカの国会に行って「真の父母と成約時代」を宣布し、国連にまで行って宣布するのです。自由世界を代表するのが国連です。新婦の基台を失ってしまったので、お母様が新婦の立場に立ってアメリカと一体になり、自由世界と一体にならなければなりません。それで、国連に行って堂々と真の父母を宣布したのですが、反対がありませんでした。完全にその上に立って「真の父母と成約時代」を宣布しましたが、全員が感動し、拍手したというのです。

2   人間の先祖が堕落することによって、四大心情圏と三大王権を失ったのですが、今、真の父母の名を中心として、解放された立場で、第二次世界大戦以降のあらゆる事実を、四十七年という期間をおいて再蕩減し、この位置まで来ました。お母様が今まで生涯にわたって、内的に孤独な心情の道を歩んでこられたのも、この日に備え、宿命的な使命を準備するための期間だったからです。

一九九二年を迎え、四月から「世界平和女性連合」を中心としてお母様が総裁の名をもち、世界の女性解放とともに、万民の家庭を天のみ前で抱き得る父母が顕現したという事実を中心として出発し、七月にはメシヤを宣布し、真の父母を宣布し、救世主を宣布し、再臨主を宣布しました。そうすることによって、この地上に中心がなく、希望の基盤がなかった家庭と、国の混乱した環境に、一つの軸を備えられる摂理史的な定着地帯を整えました。神様が懐に抱ける条件を立てて、お母様の解放と二世の解放を宣布できる時代を迎えるようになったのです。

3   韓国は、再臨主が来られる所です。その再臨主がお父様です。一九九二年七月三日、きょう、初めてこのような話をするのです。初めて文字に書いて「再臨主は誰だ」と語りました。何と書いておいたのですか。「文鮮明」です!初めて書いたのです。発表したので、はっきりと知らなければなりません。これからは、天下にすべて公開します。

4   一九九二年八月、「世界文化体育大典」の期間中に、リトル・エンジェルス芸術会館で、八つの分野で世界的なトップクラスの人を一千人ほど集め、「私がメシヤであり、救世主であり、真の父母である」と宣言しましたが、それでもうなずくのであって、頭を横に振る人はいませんでした。お父様は、世界を股に掛けて思うままに回る人ですから、政治に対して批判できないでしょうか。転換時代を見極めることにおいて、私以上の感覚や頭をもっている人はいないというのです。それは、世界が公認します。ですから、それを宣布しなければなりません。それを宣布しなければ、定着できないのです。結婚式をしてこそ、夫婦として定着します。

全国を巡りながら宴をしたので、これからは宣布して定着しなければなりません。そうすれば、天地が定まるのです。一つの国を形成するようになるとき、閣僚を選んだとしても、選ぶだけではいけません。その事実を宣布してこそ、定着するのです。ですから、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であることを宣布したので、定着するようになるのです。

5   神様を中心として真の父母宣布をしました。堕落していない解放の真の父母が、この地上に現れたと世界的に宣布しました。真の父母が出てきたので、息子、娘も真の父母になり、その方の教えを受けたあらゆる人たちも、真の父母になれるのです。堕落することによって、「真の父母」という言葉も、真の父母という存在もなくなったというのです。

6   お父様がソ連のゴルバチョフと会ったのは、旧約時代のエサウとヤコブの出会いと同じです。ヤコブの立場にいるアメリカ、日本、韓国を代表したお父様が、エサウの立場にいるソ連、中国、北朝鮮を代表したゴルバチョフと会い、彼の心の中に天の真の愛を植えてあげたというのは、サタンを自然屈伏させるヤコブの還故郷になるのです。

今やエサウには、兄弟と一つになり、天の父母に侍る道だけが残されています。兄弟である自由世界と一つになり、天の父母に侍ることだけが、共産圏の生きる道です。これは歴史始まって以来、最大の事件であり、天の側の勝利をもたらす新しい起源になるのです。それゆえ、帰国し、大韓民国の国民と民族の前に、真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布したのです。

7   真の父母宣布をしたので、世界的、宇宙史的な転換時期が訪れてきます。真の父母のあとに従っていこうとすれば、真の父母の息子、娘がいなければなりません。真の父母の一族がいなければならず、真の父母の一民族がいなければなりません。真の父母宣布をしたのなら、真の子女を中心とした真の家庭宣布がなければならないのです。家庭だけではありません。第一次のアダム、第二次のアダムが失敗したので、これを蕩減できる氏族メシヤ圏を確保して、真の父母に代わって宣布式をしなければなりません。そうしてこそ、大転換的な国家基準と世界基準の基盤ができるのです。

8   アダムが失敗したことを、イエス様が収拾しようとしてできませんでした。イエス様が失敗して亡くなったので、再び来られる再臨主は、完成した第三次のアダムとして来て、第一次のアダムが失敗したこと、第二次のアダムが果たせなかったことを復帰しなければなりません。本来人類は、(完成した)第一次のアダムの子孫になっていなければなりません。イエス様が死んでいなければ、人類はみな、イエス様の息子、娘になるのです。そのようになっていれば、既に統一天下ができていました。

イエス様が死なずに結婚して息子、娘を生んでいれば、イエス様の一族がこの地上に長孫(韓国では、長男の長子を指し、祭祀をつかさどる人を意味する)として王権を残し、千年、万年継承するはずでした。民主世界は兄弟主義です。父母主義ではありません。兄弟同士で争うのです。父母がいないので争うのです。ですから、父母主義に帰らなければなりません。この地上の兄弟主義、この世界を収拾するためには、真の父母が出てこなければなりません。

9   エデンの園でアダムとエバが十代の時に堕落しました。堕落は男女の問題です。そのような種を蒔いたので、全世界的に秋になったために、青少年の問題や家庭崩壊の問題が深刻になるのです。それで、主人がいない立場で嘆息しているのが、今の世界万民の実相です。ここで、どのように本来の主人を探すのかということが問題です。そのような意味で、真の父母が出てくるようになったのです。

偽りの父母によって汚されたあらゆるものは、消えざるを得ません。それを打ち壊す「終わりの日」になれば、その反対の神側は、真の父母を中心として新しい個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の観が立てられるようになります。それで、地上と天上のあらゆるものが一つになる世界を求めざるを得ません。そのために真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を出発させなければならないのです。

10  メシヤは、真の父として来られる方です。人間始祖の堕落によって偽りの父母が現れ、人類が偽りの血統を相続して生まれたため、人類に対する救援摂理は簡単なことではありません。その血をいくら清めても、きれいにならないのです。ですから、何千万年たっても、人類の救いは終わりません。偽りの父母によって汚されたそれ(血統)は、神様もどうすることもできません。人間が責任分担を完成して、神様の血統を相続し、子孫たちに引き継がせてあげなければなりません。それが創造理想です。そのような創造理想をアダムとエバが壊してしまったので、それを復帰しない以上は、神様が正すことはできません。

それで、真の父母が現れて、蕩減復帰するのです。逆さまになったものを、本来のとおりに戻すことを蕩減復帰というのですが、それは、ただそのままできることではありません。反対の道を準備して戻っていかなければなりません。その蕩減復帰の路程を通過しなければ、本然の世界に帰る道は永遠にないのです。

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31 二〇一〇年、陰暦五月十五日、この日付が重要です。この日、お父様とお母様が最後の宣言をしました。その時、韓国とそれ以外に対する方針を、お父様とお母様が約束しました。間違いなく、お母様がお父様と一つになって進むことを約束した時間です。それを公布した時間が、二〇一〇年、陰暦五月十五日午前三時二十五分です。堕落した世界の終幕の闘いにおいて、お母様がお父様と神様を中心として約束したのですが、それが二〇一〇年、陰暦五月十五日午前三時二十五分の出来事です。

その時、「三時は初不得三(精進すれば必ず成功するという意味)の三時代を代表し、旧約・新約・成約時代の完成、完結、完了の時代を迎え、真のお父様と真のお母様の最終一体圏が完成、完了した全体、全般、全権、全能の時代を奉献、宣布する」と言いました。(2010.07.01,清海ガーデン)

32 天地のすべての存在が、二〇一一年十二月十一日、きょうこの時間に焦点を合わせています。真の父母がこの地上において、主人である創造主の本然の基準を完成、完結、完了することによって、地と天、父と子女、家庭と世界が一体となって解放、釈放され、天宙の真の父母の勝利と創造理想世界の勝利の覇権を完成・完結・完了宣布するこの日となりました。

神様!真の父母様万万歳!万宇宙の解放勝利の覇権の王者、真の神様と真の父母一体圏家庭の天国となるようお許しくださった、すべてのことを成し遂げました。すべての勝利の主権が決定されたものとして宣布いたします。天と地、天地父母が一体となり得るけさ、完成解放終了を宣布する、この時間となったことを感謝いたします。アーヂュ!(2011.12.11,天正宮)

第五節 真の父母様に倣い、真の父母となる道真の家庭のモデルを立てられた真の父母様人間は本来、神様の愛の中で個性完成し、真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築かなければならない。真の家庭は、父母の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、子女の愛を順次感じて、体得する「生活の時空間圏」であり、創造目的を完成する根本基台であるため、すべての人間の願いとなる。真の家庭の一員となった人間は、真の愛の実体となり、神様のみ旨に背いて人に損害を与えたり、万物世界を悪用したりすることができなくなる。真の父母様は、神様の創世以後、最初の真の家庭理想を完成することにより、人類が手本とすべき人生のモデルを立てられたのである。人類は天地人真の父母様が神様を愛し、人を愛し、万物を愛される、愛天、愛人、愛国の「ために生きる生活」をしてこられた、生涯の伝統を手本として、そのごとく生き、実践しなければならない。

1 父母様の家庭が、全体家庭を代表しています。それで、世界人類の家庭を水平に置いて、再創造するのです。原理原則を中心として、すべて、一つにさせるのです。四大心情圏と三大王権と皇族圏が形成されるというのです。長子権から父母権が成立し、王権が始まり、皇族圏が始まるというのです。それが形成されてこそ、神様が夜も昼も、思いのままに通過できるのです。

個人から世界のどこに行っても、すべて表面的に連結され得る概念が、統一された祖国です。家庭がすべて、連結できなければなりません。新しい家庭を中心として、すべてに通じることができてこそ、祖国になります。新しい家庭が連結されたものが、祖国です。「私」がそのようなモデル家庭になれば、どの家に行っても、そこにいることができるというのです。神様が思いのまま、自由に動くのと同じです。

2 霊界に行って幸福な人とは、どのような人でしょうか。自分の家に付いてきて、一緒にいたいという人が大勢いて、たくさんの人が出入りするとすれば、その人は幸せなのです。民族が違い、環境が違いますが、体と心が一つになり、夫婦が一つになり、父母が一つになり、子女が一つになった新しい家庭組織があれば、どこでもすべて合うのです。長子権復帰、父母権復帰、王権復帰と四大心情圏復帰ができれば、統一教会の世界になるので、通じない所がありません。新しい家庭には、そのような責任があります。一つのモデルにならなければなりません。

このような完全な家庭を連結させたものが祖国です。それでこそ、神様が共にいることができます。神様も皆さんも、真の父母を慕います。自分が慕うように皆さんも慕うので、神様が思いのままに入っていけるのです。そのように連結された家庭が大きくなったものが祖国です。モデル家庭が真の父母家庭であり、その家庭を手本として、数多くの家庭を輩出することができるのです。

3 堕落した人間世界に一番必要なのは、神様の本然の愛を中心として堕落圏を乗り越えた真の父母です。原理で言えば、責任分担を完成するその圏内を越えた人が、真の父母です。間接主管圏から、直接主管圏に入った人です。直接主管圏は、愛に一致した世界です。このようになれば、他の主人が現れることはできません。絶対的です。

愛に一致すれば、二人の主人を願わないのです。神様も他の主人を願わず、人間も他の主人を願いません。これをもって、永遠の基地になるのです。それがモデルとなります。それが家庭に拡大し、氏族、民族、国家に拡大し、その愛の軸を中心として、天運が回るようになっています。

4 創造本然の理想世界は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、真の子女、真の兄弟、真の夫婦、真の父母の四大心情圏を完成することによって成し遂げられる世界です。人間始祖が神様のみ旨を不信し、天使長と不倫の血縁関係を結ぶことによって、人間は悪の種を受け継ぐようになりました。このような愛の関係により、人類は悪なる父母と悪なる子女を通して、悪なる生命と悪なる血統の根をもつようになったのです。

このすべての堕落の起源は、正に青少年期に発生しました。青少年期は、一生で最も重要な時です。今日の若者たちは、無分別な価値観の混乱によって、人類始祖がそうであったように、堕落のどん底に陥っています。フリーセックスや利己主義などにより、道徳と倫理を否定し、父母と子女を否定し、家庭を貴く思っていません。このような地上地獄になったので、地上天国を実現するためには、このすべてのものを、神様の絶対的真の愛の基準を中心として、神側に一八〇度転換しなければなりません。

すなわち、悪魔が人類の家庭を崩壊したので、神様は人間を救うために、その反対の経路を通して、真の父母を中心とした真の家庭のモデルを立ててきました。神様は、創造本然の立場において、愛と平和の世界を願っているのです。

5 今、この世界は、家庭が崩壊していっています。父母自体も無秩序であり、兄弟も分裂しています。一つの家族がすべて、中心もなく反対方向に向かっています。その家庭の崩壞状況を解決するために、真の父母が必要なのです。真の父母を完全に知ることによって、家庭は収拾されるのです。

現在の家庭だけでなく真の父母を知らず、崩壊した人生を生きては死んだ過去の先祖たちの家庭も再び地上に呼び、復帰させることが可能になりました。それが再臨復帰です。子孫も同じです。原理の内容をはっきり知って、体恤する基準の上に立てば、子孫を守り、正しい道に導いていくことができるのです。ですから、真の父母が必要な理由は、真の家庭によって収拾するためなのです。

6 神様の創造理想は、八段階の真の愛のモデルの主人を完成することです。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルを完成するのです。真の神様の真の愛、真の生命、真の血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変なる真の愛を中心としたモデルとして相続されるのです。真の愛を中心としてこそ、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になります。

父を愛の主人にしてくれるのが息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのが妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのが弟です。反対に、子女に父母がなく、妻に夫がなく、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の位置を探し出せないのです。

真の愛の主人になるためには、相対を自分よりも高め、そのために生きなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭においては夫婦一体、兄弟一体、そして、国家一体を形成して、八段階の理想モデルである愛の圏を完成しなければなりません。

そうして、父母と子女、夫婦、兄弟姉妹、国々が、すべてこのような真の愛を中心に、八段階モデルの主人になることを願うのが、私たちの理想家庭と国家です。ここから永遠の世界的平準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また、天上天国も自動的に成し遂げられるのです。

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19  四千年の期間に相当する過去四十年間、父母様は、安らかに寝ることができませんでした。全人類と全国家が反対してきました。その期間、どのように個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙圏を克服できるかということに対して、身もだえしました。その峠を何度も越えていく道は、サタン世界とは全く違う道でした。天宙の背後にいらっしゃる神様と交流して、サタン世界の塀を一つ一つ崩しました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の塀まで、一つずつ崩して高速道路を造ったのです。そのようにして人類は、アダムとエバが堕落する前の立場に復帰されたのです。

その時には、アダムとエバが行く所なら、どこへでも神様が付いていくことができます。そのような立場を再び取り戻したのです。天の世界が来て、サタン世界は退きます。サタンは、父母様が行く道を妨害できないというのです。サタンは常に屈服するしかありません。

20  私の前にある個人的な塀、家庭的な塀、国家的な塀を含め、積み重なっていた八つの塀をすべて突破しました。四十年間で、アダムとエバがいくらでも回っていくことができ、行ったり来たりできる道をすべて築いてきたのです。その道は、私が個人的に回って余りある道です。数多くの宗教と国家が反対しました。しかし、私は突き進みました。それで、死なずにここまで生きてきたのです。

今や、すべて成し遂げました。すべて成し遂げたので、死んでも何の問題もありません。真理が残っているからです。原理が残っています。これは、神様の法廷で判決を受けた勝利の公布文です。サタンも否定できません。

21  復帰というものや完成というものは、アダムが一代でしなければなりません。真の父母一代で、すべてのことを整理しなければならないのです。ですから、どれほど忙しいか分かりません。そのため、宣布式をするのです。宣布式をしてこそ、神様がそこに旗を立てることができるからです。ですから、数多くの宣布式をすることによって、神様が主人になる旗を立てるのです。旗を立てた所は、真の父母と神様が主管できる権利圏内に入ってくるのであって、サタンの権利圏内には入っていかないのです。

父母様は、アメリカを経て、ソ連を経て、韓国に帰って真の父母宣布式を全国的に行いました。そのことによって、民族が反対せず、環境的条件が歓迎したという杭を打ち込むのです。それからは、サタンは後退しなければなりません。その宣布の内容を信じて従う人々が、その宣布圏内に入ってくるようになれば、サタンが引っ張っていくことはできません。国をもたずに暮らしていた人でも、国境が設定されたのちには、その国の法と環境に合わせて従っていくようになれば、その国の民になるのと同じです。

22  お父様が、正に天から印を受けて顕現した、人類が何よりも待ち望んできた救世主、再臨のメシヤ、平和の王だということを明らかにしなければ、霊界でも地上でも問題になります。ですから、宣言をしたのですが、宣言したものは、憲法を決定して宣布したのと同じなので、その法に一致していない人は失敗者になり、法に一致することを宣言して立ち上がった人は、永遠に残ることができるのです。すべての完成標準になることはもちろん、法の決定標準になる憲法以上の位置にあるので、包み隠さず、すべて発表しなければならないのです。

今までは発表しませんでしたが、お父様自身が今後、逝く時には「すべて成し遂げた」と言うことができ、み旨を中心として関与したその環境圏内で、お父様と関係を結んでいないものはないという事実を明らかにしてから逝ってこそ、天上世界でも初めて安着するのです。

それと同時に、地上でもそこに相対となって一つになることによって、平和の天国が連結されるのです。驚くべき話です。お父様自身も、生死の境を乗り越え、死なないように最高の精誠を込めてこの位置にまで来たのであり、このことを宣布しているというのです。(504-203, 2005/08/16)

23  目に見えない神様ですが、見える実体以上に真の父母として、侍ろうと思わなければなりません。暗闇を除去し、光の中で光の道に従い、地獄の解放圏まで、天上世界にサタンの足跡や影もなくなるその場まで、解決すべき責任があるのです。そのため、この責任分担を果たさなければなりません。神様の責任分担を果たして、神様が「私の天下だ。私の天宙だ」と言えるようにならなければなりません。

ですから、昼夜に限界線がなく、常に二十四時間、光明天地なので、光明天地の王になるのです。神様だけが王になることができます。私も、すべてを神様に引き渡してこそ、「蕩減、解放、釈放を成し遂げた」と言うことができます。これが責任分担の完成圏であり解放圏です。天の国に境界線がなく、地獄に境界線がないというのです。霊界の大きな谷間を平地にするのです。そうして、誰もが思いどおりに霊界の先祖と共に暮らすのです。先祖を呼べば来るようになっていて、先祖の言葉を聞いて実践できるのです。そのような天国本来の基準をつくって、神様が「すべて成し遂げた」と宣布しなければなりません。

私が創造理想も完成したので、神様の責任分担完成となります。原理原則を知らずに堕落したので、真の父母が教えて一体圏をつくらなければなりません。そうであってこそ、解放圏地上理想天国、本郷の地に平和が宿り、神様に侍ることができる祖国光復が始まります。(598-108, 2008/09/19)

24  お父様は、既にすべて越えました。私が考えても、夢のようなことを成し遂げたのです。どのようにして、このようなことをすべて成したのかというのです。自分がやったとは夢にも思いません。天が内外においてすべて整えておいて、枠組みを築き、訓練して、また枠組みを築いて、すべて成し遂げたのです。天がより苦労したというのです。ですから、私は不平を言わずに生きる人です。(311-107, 1999/08/19)

25  人間は、堕落によって故郷と祖国を失ってしまいましたが、地球星が私たちの故郷の地であり、神様がいる所が私たちの祖国です。どのように孝子、忠臣、聖人、聖子になり、どのように王になるかをすべて知りました。知らないことがありません。ですから、地上天国と天上天国が成し遂げられるのです。

第四次アダム圏時代が来ます。それゆえ、「七・八節」を中心として真の父母の完全定着、そして「九・九節」と「三・十節」を中心として解放圏を宣布しました。偽りの父が、神様が創造したすべてのものを消し去り、破壊したので、真の父母が再創造してすべて復帰完成し、統一世界、家庭理想一体地上天国時代を開いたというのです。解放圏を中心として、第四次アダム圏の堕落していない本然の世界、何千年もの間、空いていた天国を一度にもってきて合わせられるようになりました。

ですから、神様が解放され、サタンまでも赦されて天国に入っていける基盤がすべてできたのです。父母様も今や、解放されなければなりません。そうして、最もどん底の谷間にいる人々まで、天国に連れていかなければならないというのです。(313-282, 1999/12/26)

26  お父様は一生の間、迫害を受けながら、ために生きてきたので、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な反対圏をすべて収拾しました。ですから、お父様は、個人完成と同時に家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の完成を間違いなくしたのです。六千年の歴史がかかっても完成できなかったことを、すべて成し遂げました。ですから、今の世界には蕩減がありません。

第四次アダムの心情圏を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対投入をする場合には、相対的に上がっていくようになるのです。高速道路があれば、自動的に宮殿の前まで直行できるのと同じです。何も妨害するものがありません。問題は、どのように運転するかということと、ガソリンがあるかということです。ガソリンだけ供給してもらえれば、いくらでも走ることができる時代になりました。(332-042, 2000/09/04)

27  神様は、一代だけでなく、数千年の救援摂理を継続し、この時まで四千年の復帰歴史を導いてきました。全体は六千年ですが、イスラエル選民圏を中心とした四千年の復帰歴史がねじ曲がっていったのです。ですから、お父様が、これを四十年間で蕩減復帰しなければなりません。

そのようにして、一生を通して築いておいたあらゆる道を、お母様にすべて伝授してあげました。夫を自分の祖父のように信じ、自分の父のように信じ、自分の兄のように信じなければならないのですが、そのように生きてきたというのです。それがお母様の立派なところです。(256-219, 1994/03/13)

28  摂理的禧年(すべてのものが元の位置に戻る、喜びの年)の二〇〇七年を迎えて、父母様を中心としてすることとは何でしょうか。お父様は、無形の神様に代わってこの地上に現れ、天の機密、地の秘密、人間の秘密をすべて解き明かし、蕩減して、勝利した基盤をお母様に譲り渡しました。お母様は、これを中心として百八十ヵ国で、そして、カインとアベルが一つになって、四十ヵ国で一体圏家庭を中心に収拾したのです。その次には、皆さんの家庭が行かなければなりません。

神様が一代、アダムが二代、それからアダム家庭のカインとアベルが三代ですが、三代圏を失ってしまったので、お父様がこれを越えて勝利したのです。お母様がこれを越えることによって、エバ圏が勝利して、父母様が勝利したのです。(569-071, 2007/07/22)

29  お父様は、監獄を訪ねていきました。平壌に行く時、既にどのような人に出会うかという約束がありました。どのような人に出会い、どのようなことをしなければならないかが分かったのです。イエス様が監獄に行く時、十二弟子がいましたが、すべて裏切りました。しかし、お父様は、獄中を経ながらも、十二弟子以上を取り戻したのです。失ってしまったものをすべて捜し立ててこそ、蕩減復帰になります。

ですから、今後、記念塔を建てる場所はどこでしょうか。お父様が獄中生活をした場所が、記念になり得る実体の位置を築いた場所です。ダンベリーの苦難以上の基準を中心として、お父様とお母様が一つになり得る一体圏を発表したのです。(566-183, 2007/06/19)

30  真の父母様は、すべての蕩減復帰摂理歴史を完成、完結、完了され、新時代を開いてくださいました。天一国の時代を開いてくださいました。今や皆さんは、み旨を知らない多くの皆さんの隣人と、さらには多くの国の人々を教育して、天の父母様と真の父母様のみ旨と一つになれるように導かなければなりません。その道だけが、天のみ前に負った負債を返す道であり、世界の前に使命を果たす道になるのです。(真のお母様、2013.10.22, 日本・神戸)

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11  今までお父様が、どれほど困難な立場にいたか分かりません。普通の人であれば、数百回でも放棄し、逃げ出したいと思うほど、恐ろしく、深刻な立場でした。しかし、その立場でびくともしませんでした。その道を行くことが使命だと思ったからです。もしこの道が簡単な道だったならば、サタンが先に選んでいたでしょう。サタンが行くことのできない道をお父様は行きました。

このようにしてその領域を家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで拡大するのです。それで、真の男性の立場で、神様と断絶した世界人類の仲保者として立ちました。そして、高速道路を築いて神様をお迎えしてくるのです。そうすれば、神様が天宙基盤から世界、国家、民族、氏族、家庭基盤にまで降りてきます。神様が降りてきてとどまる場は、父母圏の位置です。今ではもう、サタンが越えてくることのできない領域をつくりました。

12  お父様は、有名な王国の王子として生まれたのではありません。誰も認めてくれませんでした。韓国は、戦争で傷ついた小さな国なので、そこに再臨主が来るとは誰も思いません。再臨主は、イエス様が死ぬことによって始まった民主と共産、イスラームとキリスト教の四大怨讐圏の争いが世界的に発展して収穫期になった時に来て、これを収拾して統一しなければなりません。名実共にそのようなことをしました。すべて成し遂げました。

そこで大成功するまで、多くの複雑な内容があります。一家族が巻き込まれて苦労することとは比較になりません。一国の苦労は何でもないのです。忍耐力をもって、すべて整理してきました。

13  主が再び来て、左翼と右翼の世界を統一しなければならず、宗教世界を統一しなければなりません。左翼と右翼の世界を一つにし、宗教世界を一つにすることを、お父様がしています。アメリカ政府がしたのではなく、ソ連政府がしたのではありません。来られる主は、イエス様が成し遂げられなかったことを、成し遂げなければならないのです。このようにしなければ、復帰することはできません。これを乗り越えていくことができないというのです。歴史は、そのまま成し遂げられるのではありません。

歴史は、摂理と共に進むのです。お父様が出てくることによって、摂理と共に歴史が進み、神様が生きていることを歴史的に証できるようになりました。神様を否定できない時代に来たのです。

14  祝福家庭は、イエス様の立場にいるので、国を復帰しなければなりません。イスラエルは、南と北に分かれました。北朝の十支派と南朝の二支派に分かれたのです。レアとラケルによって一つにならなければならなかったものが、紛争によって国家的な基準で分裂してしまいました。イエス様は、そのような立場で亡くなったのです。それを象徴するのが、右側の強盗と左側の強盗です。それがカインとアベルの立場で世界的な基準になっているので、その基準の上に再臨主が来て転換し、勝利圏を形成して統一しなければなりません。

ですから、再臨主の使命をもった人は、共産主義を整備しなければなりません。それで、お父様は、共産主義を打倒する世界一のチャンピオンとして働かざるを得ませんでした。民主主義を一つにしなければならず、世界を一つにしなければならず、アメリカまでも収拾してあげなければなりません。そして、宗教界と政界がすべて一つになるようにしなければならないのです。

15  真の父母には、間接主管圏と直接主管圏を連結させる責任があります。サタンに引っ掛かっている個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の塀を、どのように壊すかということが問題です。サタンはサタンなりに、継続するこの神様の役事をどのように遮るかと考えています。このように、互いに対決してきているのです。サタンがしつこく、神様に敵対しているというのです。ですから父母様は、サタンと神様の中間で、いつもサタンを除去する業をしてきたのです。サタンの讒訴を受けない位置で、このことを進めていかなければなりません。それで、蕩減路程が出てきたのです。それが人間の責任分担です。

今まで人間は、責任分担を果たせませんでした。サタンは、それがメシヤの責任であることを知っています。ですから、すべてのサタンの勢力を総動員して、真の父母を攻撃したのです。父母様は、サタンの塀を壊す業を、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界まで経てなしてきました。

16  昔は、主流宗教を信じて善なる名を残し、善なる霊界に行っている霊たちが神様のみ意に従って、地上の摂理を助けました。そこを通さなければ、地上と関係を結べる道が今までなかったのです。真の父母様がこの地上に現れ、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的伝統を立てて闘い、勝利して越えてきたので、これからは宗教圏解脱です。世界的な勝利の版図を備えたため、真の父母時代には宗教がなくなります。

アダムとエバ自体が堕落しないで真の父母になっていたならば、宗教は必要ありません。そのようになっていたならばそれ自体を中心として、永遠に天と一体となって合徳するようになり、その一体的理想を中心として、先祖たちがいつでも、地上で暮らす自分の子孫と連結するようになるのです。イスラエルの民族的選民圏、キリスト教の世界的選民圏、統一教会の天宙的選民圏を中心として、すべてのものを蕩減復帰したため、宗教圏解脱時代が来るのです。ですから、霊界が地上世界と平面的に接することのできる時になるのです。

そのため、宗教を信じない人々も、選民圏を通して宗教を経て、霊界と連結され、過去の時代が過ぎていくようになります。真の父母の勝利によって、宗教を信じない人々も宗教主流圏内で旧約完成時代、新約完成時代、成約完成時代に連なっていき、霊界に行ったすべての先祖が、いつでも地上の自分の子孫たちを訪ねてきて、協助する時が来るというのです。

真の父母様の最終一体・救援摂理完結宣布真の父母様は、二〇一〇年、天暦五月八日(陽暦六月十九日)午前二時二十分と、五月十五日(陽暦六月二十六日)午前三時二十五分、アメリカのラスべガスにおいて、神様と縦的に一心、一体、一念、一和、一核を成し、御夫妻が横的に最終一体を成し遂げた基盤の上で、旧約・新約・成約時代の完成、完結、完了と、全体、全般、全権、全能の時代を宣布された。

そして二〇一一年、天暦十一月十七日(陽暦十二月十一日)、天正宮博物館において、「天地のすべての存在が焦点を合わせ、創造主、神様が探して立てられた創造本然の基準のもとで、すべての摂理の完成、完結、完了と最終勝利を宣言する」と語り、「すべてのことを成し遂けた!」と発表された。

海洋天正宮において、天暦十一月十七、十八日「天一国最大の勝利の記念日」という宣布文を記し、「神様と真の父母様一体完了!神様が完成、完結、完了!아주! 侍奉天国成る。祝文鮮明、アーヂュ!」と宣布された。また、真のお父様は、二〇一二年、聖和(天暦七月十七日、陽暦九月三日)される二十一日前の天暦六月二十六日(陽暦八月十三日)、地上の生涯における最後の公式宣布文を次のような要旨で残された。

「きょう、最終的な完成の完結をお父様のみ前にお返しし、今までの一生をお父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今や精誠を捧げてすべての生を終了する時間を備え、氏族メシヤが三百八十七ヵ国さえ復帰すれば、すべて終わることを宣布します。そのことのためのすべてを成し遂げました!すべて成し遂げました!アーヂュ!」。

17  お父様は、精神的にもそうですが、この体でも、すべてのことにおいて、誰も付いていくことができない伝統を立てています。天地を思って精誠を尽くしています。その精誠がしみ渡って天地に連結されるようになるとき、その精誠が主流となってサタンが侵犯できないのです。天の眷属とすべての霊人たちが橋を架け、この道を通ってお父様が築いた基盤上に来ることに対しては、サタンが反対できません。今や完全にみ旨をすべて成し遂げたというのです。

18  お父様が行く道を、皆が反対しました。アメリカとソ連、中国が反対し、金日成主席が反対し、すべて反対しました。それをすべて越えたのです。左翼を崩壊させ、共産世界の解放とともに、サタン圏を完全に統一して、一つの基準で束ねるのがお父様の使命です。今や、この道を行くとき、塀がありません。今まではありとあらゆる塀がありましたが、すべて崩しました。個人から神様、八段階まで行ったので、塀のない中を帰ってくることができるのです。これが統一です。個人統一、家庭統一、氏族統一、民族統一、国家統一、世界統一、天宙統一です。お父様がサタン世界の塀をすべて崩し、統一された環境をつくって、祖国を訪ねるのです。

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真の子女の誕生と四位基台完成聖婚以後、真の父母様の家庭には、長女・譽進様と長男・孝進様を筆頭に、十四人の真の子女様がお生まれになった。長男と長女の誕生は、イエス様が果たせなかった四位基台を成し遂げるものであり、真の父母の家庭の四位基台完成は、復帰摂理上において人類が手本とし、成し遂げなければならない里程標となった。真のお母様が一線に立つ食口たちと共に麦御飯を召し上がるなど、同じ心情で生活しながらお生みになったのである。

食口たちはカイン的子女として、真の子女様と愛によって一つとなり、双子のような立場で、再び生まれる条件を立てなければならなかった。それゆえ、真の父母様は、子女様の奉献式の際、食口たちに三大祭物条件として三つの贈り物を配られたのち、わかめスープと御飯と牛乳を振る舞われた。

10  父母様の家庭に息子と娘が生まれることによって、皆さんも再び生まれる道ができました。そのような条件を立てるためには、一緒に生まれたという条件を立てなければならないので、赤ん坊が母親のお乳を飲むのと同じ条件を立てる式がなければなりません。ですから、譽進が生まれた日を期して、全国的に全食口が御飯とわかめスープを食べる式を行いました。孝進の時も全国的にこの式を挙行しました。このように、お母様のお産とともに生まれたという条件を立てなければならないのです。

11  皆さんは、お父様のおなかの中に入り、生まれていない赤ん坊の種のような立場で条件を立て、お母様のおなかの中を通して、再び生まれたという条件を立てなければなりません。皆さん一人では生まれることはできないので、父母様の息子、娘を通して再び生まれたという条件を立てなければならないのです。そのために、父母様の息子、娘を中心として、お母様と共にすべての食口が、御飯とわかめスープを食べる式を行ったのです。

ですから、ここで譽進が登場してくるのです。譽進が最初の娘です。これですべての条件を蕩減し、すべての女性たちが、お母様のおなかの中から再び生まれたという条件を立てました。実際は、皆さんが三年間一つになるという式を行わなければなりません。孝進は最初の息子です。男性たちも同様です。したがって、女性たちは、譽進の誕生日をアベル的誕生日として記念しなければならず、男性たちは、孝進の誕生日をアベル的誕生日として記念して、一つになったという実体的条件期間が必要なのです。

12  一九六三年、陰暦四月が過ぎる前に、食口同士のわだかまりを、すべて解かなければなりません。そのようにしてから、怨讐のために福を祈ってあげなければなりません。この期間は、一九六二年以前に教会を出ていった人たちに、再び戻ってこられる恵沢を付与する期間です。そうすることによって、サタン世界に対して「門を開けよ」と言える条件を立てることができるのです。このような時があることを知っているので、怨讐を憎みませんでした。

一九六三年一月十八日は、孝進が誕生して二十一日目になる日です。この日は、皆さんがより一層、喜ばなければなりません。

13  「真の父母」という言葉が成立するためには、子女と一つになる起源がなければなりません。

人間が堕落したので、外的な子女と内的な子女、カインとアベルがいるのです。ですから、一九六一年から一九六三年の間に、譽進と孝進の二人の子女が生まれたということは、復帰摂理において、この上なく貢献する出来事になるのです。このようになることによって「万物の日」を立て、第一次七年路程が終わって、初めて「神の日」を宣布することになったのです。

第一次七年路程が終わったのちの一九六八年から、統一教会は順調な発展を始めました。「神の日」を定めたということは、エデンの園で、堕落せずに完成基準に到達したことを意味するのです。

14  イエス様は、イスラエル民族に排斥されたので、そのイエス様の位置を復帰するためには、再臨をして果たすべき困難なことが残されているのです。もちろん既に肉身をもって生まれ、成長してしまった私たちは、文字どおり完成したアダムの体内にある種の立場に戻っていくことはできません。ですから、私たちは、真の父母様から生まれた真の子女と一体にならなければなりません。それによって、生まれ変わるための条件を立てていくのです。

カインがアベルに完全に屈服することによって、両者は共に復帰されるという原理があるので、この原理によって、カインの立場にいる人は、アベルの立場である罪のない真の子女と、一体化しなければならないのです。彼らと一体化することによって私たちは復帰された子女として同じ恵沢を受けることができます。そのようなわけで、罪のない真の子女が真の父母を通して生まれる時に、皆さんは、食べ物やその他、同じ成分の物を分けてもらったという条件を立てなければなりません。

このようにして、皆さんは、真の子女の立場に同参する路程を通過していかなければなりません。誰を通して真の子女と一体化し、新しく生まれ変わる子女として条件を立てるのでしょうか。父だけでは十分ではありません。真の父母を通さなければなりません。いくら父が重要だとしても、父だけではなく、父母とその子女を通さなければならないのです。

15  韓国では、一九六〇年から一九六三年までの三年の期間に、国家基準を中心として、全祝福家庭が復帰の路程を歩みました。この期間は、イエス様が国家を失ってしまったので、国家復帰の使命を果たすために、全体が出ていって活動した時でした。その時は、お父様もお母様も、一線に出て活動する人たちと共に麦御飯を食べました。お膳の上で食べたのではありません。腹中にいる子女たちも、そのようにして一緒に食べたという条件を立てる生活をしなければなりません。

16  譽進と孝進が生まれる時に、わかめスープを食べた人がいるでしょう。カインとアベルが一緒に生まれたという条件を立てたのです。祝福を受けたカインの立場の家庭は、神様以上にアベルに侍らなければなりません。真の父母以上に侍らなければならないのです。そこには、この世の概念があってはいけません。腹中から一つになっていなければなりません。双子として生まれなければならないのです。そうして長子権を復帰するのです。

タマルの息子ペレヅとゼラが腹中で入れ替わったように、生んですぐに絶対信仰、絶対愛、絶対服従圏を家庭的に連結してこそ、入れ替わるのです。これは言葉だけではありません。創造以前に神様が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で造ったので、皆さんの家庭を、そのような環境的条件を中心として、父母様に連結しなければ、自分の相対的な存在圏が生じないのです。

17  皆さんは、お母様のおなかの中に入ることができないので、父母様の子女たちと一つにならなければなりません。皆さんは三年間、腹中の子女の立場に立たなければなりません。ですから、皆さんに一九六〇年から一九六二年までの三年間の標語を、第一に「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、第二に「父の代身者となろう」、第三に「見せてあげて誇り得る者となろう」に定めました。ここで見せてあげて誇りなさいというのは、四位基台の復帰を意味します。

皆さんは、この三段階を中心として、腹中にいる赤ん坊と共に食べ、共に暮らしたという条件を立てていくのです。お母様も三年間は、皆さんが麦御飯を食べる時、共に麦御飯を食べ、皆さんが出ていって活動する時、同じ条件の活動をしました。譽進と孝進は、お母様が麦御飯を食べて生んだのです。言い換えると、お母様も皆さんと同じ心情で生活したということです。

18  天使長は、アダムとエバが創造されたその時から、彼らが結婚する時まで、仕え、奉仕し、敬わなければなりませんでした。天使世界がアダムとエバを敬うことができずに堕落したので、その恨を解くのです。この復帰の過程は、最初にアダムとエバが創造されたことと同じです。

ですから、皆さんは、信仰の三子女を立てて、彼らを皆さんの子女が腹中にいる時から仕える立場に立たせなければなりません。それができなければ、天国に入ることはできません。皆さんの息子、娘だけでは、天国に行くことができないのです。しかし、皆さんがそのような蕩減条件を立てて祝福を受け、息子、娘を生めば、その息子、娘には血統復帰が必要ありません。ところが、それができなければ、天国に行く前に引っ掛かってしまうのです。

父母様は、一九六〇年代に、子女たちを中心として腹中から復帰してくることによって、そのような条件をすべて立てました。当時、皆さんはわかめスープを食べ、牛乳も飲み、御鈑も食べました。そのすべてが条件です。

19  一九六三年まで、父母様も麦御飯を食べながら活動をしてきました。三年間は蕩減しなければなりません。家庭的蕩減をしなければなりません。そのようにしながら、皆さんは外に出ていって闘うのです。父母様が麦御飯を食べる時に、一緖に食べなければなりません。内的な面と生活の面において、世界的な供え物の過程を経ていきながら、息子、娘を捧げなければならないのです。そのようにしてきました。皆さんは、譽進が生まれたあとに御飯とわかめスープを食べましたが、それはお母様の血を受けることを意味します。お母様が御飯とわかめスープを食べる時に、その血を受けるのです。

孝進を生む時も、その基準を中心としてそのようにしました。このようにして「子女の日」を探し出しました。それから「万物の日」を探し出してきました。父母様は、そのような基準を中心として、祝福の一日を立ててきたのです。そのようにして、第一次七年路程が終わり、父母様の家庭が解放されるとともに「神の日」を設定したのです。

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第四節   真の父母は神様の実体神様は縦的父母、真の父母は横的父母神様の実体対象として創造した男性格の代表がアダムであり、女性格の代表がエバである。二性性相の中和的主体として自存しながらも、無形でいらっしゃる神様が、太初に人間を一男一女として創造された目的は、実体世界と相対するに当たって必要な体をまとうためであった。アダムとエバの二人の体をまとい、実体世界と自由自在に交流し、作用するためだったのである。体をまとっていない無形の神様では、有形実体世界と相対するときに限界があるからである。

したがって、アダムとエバが心の中に神様をお迎えし、一体となって完成した基盤の上で結婚し、子女を生んで家庭を築けば、アダムとエバは外的で横的な真の父母となり、神様は内的で縦的な真の父母になるのである。

1   神様は、無形でいらっしゃるため、死んで霊界に行っても見ることができない方です。したがって、肉身をもって生きる人間と関係を結んで暮らすためには、神様も体をもった父として、この地上に顕現されなければなりません。このような天理ゆえに、神様は、人類の最初の先祖であるアダムとエバを創造されました。彼らを通して、神様は御自身の姿を有形と無形の両面で顕現させようとされたのです。有形世界と無形世界が調和して一つになる姿であり、宇宙が一つになることの象徴でもあります。

肉身をもって生まれた人間として、どのようにすれば無形でいらっしゃる神様の体になることができるのでしょうか。神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。神様のこのような属性を完全に伝授し、創造した最高の傑作が人間です。有限な物質世界の原理原則を基にして造った肉身は、永遠ではありません。ですから神様は、アダムとエバが完成に至れば、彼らの中に内在し、完全一体となることによって、アダムであると同時に神様であり、神様であると同時にアダムであるという、永遠なる真の愛の関係を結ぼうとしたのです。

もし、アダムとエバが堕落せず、神様の戒めを守って個人完成を成し遂げ、神様の祝福のもと、結婚式を挙げることさえできていたならば、彼らの子女たちはもちろん、子々孫々、永遠に神様の属性を相続して生きる神様の体になったでしょう。

2   神様は、御自身を絶対投入して、愛の絶対対象を造られました。愛の実体対象が必要で造られたのです。地上世界はもちろん、天上世界においても、実体がなければ、実体の子女に相対できないので、形状として体をまとわなければならないというのです。これが完成した真の父母の形態です。

そして、神様は、地を中心として愛することのできる愛の対象が必要だったので、創造の摂理をされました。その基台の上に、神様は、御自身の絶対対象として造った人間が永存するようにするため、繁殖の機能をお許しになったのです。これが、神様の三大創造要素です。

神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。堕落がなかったならば、アダムとエバが結婚するとき、神様はアダムとエバの心の中に入り、彼らと一体となって愛を実現したでしょう。そうして、神様は縦的な真の父母、アダムとエバは横的な真の父母になったでしょう。二つの父母から血肉をもらって生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分になって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができたのです。

3   神様の体のような方が、真の父母です。真の父母は、完成したアダムとエバです。完成したということは、縦的な神様と横的なアダムとエバが一つになったということです。ですから、アダムとエバは神様の体になり、神様はアダムとエバの心のようになっているのです。真の愛が、そのようなことを可能にするのです。

縦的な神様も、横的なアダムとエバも、互いにために生きる愛を実践するのです。天と地の全体を身代わりして存在しているのです。

4   人間は、神様と真の父母に侍らなければ、その存在価値さえなくなるのです。神様と真の父母、すなわち縦的な真の父母と横的な真の父母の二つの真の父母が一つになってこそ、「私」が出てくるのです。言い換えれば、神様は縦的な真の父母、完成したアダムとエバは横的な真の父母となって、その二つの父母が一つになった基台の上で私の心身統一が実現し、天国と神様が連結されるということです。したがって、神様と真の父母に侍らなければ、何もできないというのです。

天宙の代表的家庭とは、堕落する前、アダムとエバが神様と共に理想としていた家庭です。ですから、天宙の代表的家庭と中心的家庭とは、天上における代表であり、地に降りてくれば、八段階の円形で垂直に位置する家庭です。垂直の立場で、天上の代表と中心が一つになった位置だというのです。

5   神様は、愛の起源であり、生命の起源であり、血統の起源なので、それが人間の愛と生命と血統と一つになり得る場がなければなりません。神様は、縦的な父母の位置にいます。堕落していない人間は、横的な父母の位置に立つのです。アダムとエバは、子女であると同時に兄弟であり、夫婦であり、のちには息子、娘を生んで、神様の位置に上がるのです。息子、娘を生んで愛するというのは、神様が人間を創造して喜んだ、そのすべてのものを相続することです。

真の愛によって相続するのですから、自分の息子、娘はそれほど貴いというのです。天地とも換えることができず、自分の一身とも換えることができない価値をもつようになるのです。

6   アダムの息子、娘は、神様の愛の圏内に至ることができませんでした。堕落していないアダムの息子、娘になっていれば、横的に連結され得る地上天国が成し遂げられていたはずですが、縦横が連結されなかったので、天国ができませんでした。

ですから、息子、娘は、二つの国を受け継がなければなりません。天上の国と地上の国、縦的な国と横的な国、縦的な父母と横的な父母の血統を受け継いだので、縦的な父母の内的なすべてのものと、横的な父母の内外のすべてのものを伝授された息子、娘だというのです。

天の皇族は、二つの国を受け継いだ生活を実際にするのです。皇族になれば、二つの国でいつでも受け入れられる完成的な基盤の上に立ちます。その生活を通して、子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛を拡大しなければなりません。

それが公式化され、完成することによって、縦的な国と横的な国を受け継いだ天地の完成的家庭になるのです。神様の内的な心情と、アダムとエバの外的な実体のあらゆるものを体験できる家庭生活をした人々が、天の国の皇族圏に属するのです。真の愛を中心として、神様は縦的な父母であり、アダムとエバは横的な真の愛の父母であり、息子、娘はこの二つの世界の理想を受け継いだ血族だというのです。

7   神様を一代とすれば、二代になるべき方が真の父母です。その二代が神様の祝福を受け、真の血統を連結させなければ、三代が生じません。その三代復帰が、統一教会の理想です。神様は縦的な父です。霊界まで無限に連結される父です。そして、実体の横的な父がいます。縦的な父が神様であり、横的な父が真の父母です。それが九〇度で、愛によって出会うのです。そこが、夫と妻も一つになる所です。

夫と妻が一つになる定着地が、男性と女性の生殖器です。その生殖器を通じなければ、男性と女性の生命が一つになりません。それが一つとなって、血統が連結されるのです。神様の愛を中心として、真の生命を相続し、完成したアダムとエバが主体と対象を形成することによって、神様の見えない性相と形状の結婚式となるのです。そのように、無形実体と有形実体が一つになるのが結婚式ですが、そのように結婚した初夜に、神様の愛を体恤します。

その結婚は、人間としてのアダムとエバが結ばれるのではないのです。これは、宇宙の根本的な問題です。皆さんの前には、神様と真の父母だけがいなければなりません。神様の愛、生命、血統と真の父母の愛、生命、血統以外には、何もあってはいけません。

8   神様は縦的です。アダムとエバが横的にやって来て出会うときには、中央で出会い、直接向き合わなければなりません。男性と女性は、縦的基準において平等です。二人が抱き合って一つになろうとするとき、必ず縦が現れるのです。縦を中心として、互いに回るのです。愛は一体を形成します。「父子一体」、「夫婦一体」、「兄弟一体」という言葉は、愛を離れてはあり得ません。

男性と女性の体は、神様の実体であり、体です。これが一つになるとき、縦的な基準を求めて上がっていくのです。縦的な基準が先に連結されます。縦は、引力により引っ張られて降りてくるのです。横よりも早く降りてきます。縦的な基準が中心となって一つになり、回るようになれば、全体が一点を中心として球形を形成するのです。これが核となり、アダムとエバは客体となって、愛の球形体を完成するのです。それが息子、娘が完成した愛の実体です。

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9   霊界の地獄世界を撤廃し、天国の門が閉ざされているのを完全に撤廃する、宿命的な事業の曲折を解くために、生涯を捧げてきました。私がこれを認めなくても、環境が認めて侍ることができる、その基盤の上で命令できなければなりません。私は「真の父母」という言葉を言いませんでしたが、霊界から直接、啓示を受けて、真の父母であり、メシヤであり、救世主であると認めたのです。

個人的なメシヤ、個人的な真の父母、個人的な救世主はいくらでもいます。天宙的なメシヤであると、天と地が公認しなければなりません。「あの方は、私たちの真の父母でありメシヤである」と公認する霊界の統一的基盤で、そのように仰ぎ見ることができる勝利の覇権の位置に立たなければなりません。

10  メシヤは、国家を代表して、世界的アベルとして来るため、カインがアベルの命を奪った歴史を蕩減できる国家的基準が完結すれば、その基盤の上に初めて、父母の内容を備えて来られるのです。ユダヤの国とユダヤ教が一つになり、カインとアベルが歪(ゆが)ませた歴史を一つにできる国家的基盤が完結することによって、初めてイエス様は真の父母の位置に立つのです。

復帰歴史においては、兄弟が一つになったあとに、父母が現れるのです。国家的基準においてユダヤ教とイスラエル民族が一つになり、ユダヤ教と祭司長がカイン復帰を通して一つになることによって、その国家的基盤の上にメシヤが顕現できるというのです。その方がイエス様でした。イスラエル民族とメシヤが一つになっていたならば、エデンの園でアダムを中心として分立されていたカインとアベル、分立されていた国家的基準を一つに完結することによって、メシヤは父母の形態を備え、新しい家庭編成と同時に、世界的に顕現することができたでしょう。

11  第二次世界大戦以降、アメリカを中心として全体が長子圏でした。長子権、父母権、王権を成し遂げなければなりません。そうして、父母を迎えなければなりません。長子権はすべて成し遂げましたが、父母を知りません。来られる再臨主、父母を迎えて王権復帰をしなければならないのです。ですから、「神様のもとの一つの国」ではありません。父母が来てからは、「神様のもとの一つの世界、一つの宇宙、一つの天宙」をつくらなければなりません。そのような世界になれば、地上天国が実現するというのです。

この自由世界の歴史には、「神様のもとの一つの世界」であるとか、「神様のもとの一つの宇宙」であるとか、「神様のもとの一つの天宙」という概念がありません。神様のみ旨が成就し得る最後の時に、地上に真の父母が来て、父母権復帰、王権復帰をすることによって、「神様のもとの一つの世界、一つの宇宙、一つの天宙」になり得るのです。イエス様がユダヤの国において、国を探して立てることができず、「神様のもとの一つの国」を成し遂げられなかったので、これを取り戻すために世界的頂上に来たのです。

しかし、「神様のもとの一つの国」では、霊界が入っていません。これは一つの宇宙、一つの天宙ではないので、「神様のもとの霊界と肉界」になっていないというのです。再臨主が来て、それを成し遂げるのです。

イスラエルを中心として、イエス様が「神様のもとの一つの国」をつくってローマまで占領したならば、一つの世界になり、その次には霊界まで統一したならば、「神様のもとの一つの宇宙、一つの天宙」になるのですが、それを完成できなかったため、このことが残っています。これは誰も知らずにいます。ただ神様と来られる再臨主だけが知っているというのです。

12  メシヤは、父として来なければなりません。兄として来れば、争うようになります。父母として来てこそ、最後になるのです。ですから、「真の父母」という言葉は驚くべき言葉です。真の父母がいるので、真の父がいて、真の母がいて、真の愛があるのです。真の愛を中心とした真の父母から、真の息子、娘が生まれることができるのです。真の家庭がそこに存在することができ、真の家庭を連ねて横的に拡大すれば、「神様真の氏族、民族、国家、世界、天宙になります。そこに神様が君臨するということは、理論的に異議がありません。

真の父母は、過去にも存在せず、後代にも存在しません。歴史上に一組しかいない真の父母が現れたという事実は、これ以上に喜ばしいことがないというのです。それとともに、血縁的関係、父子関係をもったというときには、真の父母の勝利の覇権を、ためらうことなく相続しても恥ずかしくないのです。それは、自分を超越して、無限の世界にまで「私」を案内してくれます。「真の父母」という言葉が、どれほど途方もないものか分かりません。神様は、真の父母を表題にして、人間を創造しました。その真の父母の愛の中で、真の家庭と世界、真の地上天国と天上天国が連結されるのです。

13  堕落の峠を越え、真の父母の勝利的足場を中心として、新しい地上・天上天国の解放・釈放時代を宣布できる時に入ります。堕落しなかった基準を取り戻していくことができる時になったというのです。ですから、霊界と肉界が一つにならなければなりません。霊界を知らなければ脱落するのです。神様と聖人、偉人がすべて統一決議をし、霊界の楽園から地獄までも決議して解放を宣布したので、地上もそのような立場に立ててあげようとするのです。

救世主、メシヤ、真の主人である再臨主が来て、すべて完成しました。「真の父母」の名を中心として、神様と愛によって一体となり、新しい解放の世界に越えていけるようになったというのです。そのため、神様が玉座から降りてきて、地上で一緒に暮らしながら、関係を結ぶことができる時代に入りました。

復帰摂理を完成された真の父母様神様の復帰摂理歴史は、アダムとエバが堕落したことを蕩減復帰して、人類の真の父と真の母、すなわち真の父母が登場される時まで継続する。真の父母は、堕落した人類に救いのみ手を差し伸べ、行くべき方向を提示する唯一の中心モデルとして顕現される。歴史はここから収拾され、実を結び、出発するのである。それゆえ、失われた過去が復帰されるのも、分裂した世界が一つの世界に収拾されるのも、その一つの世界が起源となって天国が成し遂げられるのも、真の父母によるのである。そのため、真の父母は復帰摂理の完成者となられる。

真の父母は、人間の最高、最終の希望であるがゆえに、歴史的願いは真の父母が顕現してこそ成就されるのである真の父母が現れたその時代が、歴史完成の出発点である。

14  真の父母とは、神様が創造の出発から創造の過程、蕩減復帰歴史路程において、目標としてきた願いです。

真の父母の顕現が実現されなければ、世の中を正すことはできません。神様は、個人の理想的な愛を中心とした完成体の中心であり、家庭的完成体の中心であり、氏族、民族、国家、世界的完成体の中心です。

アダムを中心に地上でその完成体中心の対象的基盤をつくろうとしたものが、サタンによってすべて閉じられてしまいました。そのため、真の父母が来て、再び完成的個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙基盤まで連結しなければなりません。真の父母と一つになることによって、天国に入って自動的に神様と一つになれるようにすることが、救援摂理歴史の目的です。

15  堕落がなかったならば、「真の父母」という言葉が必要なく、「救援摂理」や「復帰摂理」、「再創造摂理」、「復活摂理」などの言葉も必要ないでしょう。堕落することによって救援摂理が存在するようになったのであり、救援摂理を成し遂げることのできる救世主が現れるようになったのです。その救世主は、食い違った過去の出来事を清算するために、神様を代表し、人間を代表して現れた主人公です。

この主人公がすべきことは、サタンを取り除くことです。これは、神様自らがすることはできません。アダムの支配を受けるべき立場にいる天使長が、アダムをひっくり返してしまいました。アダムを主管したのです。ですから、アダムが失った主人の位置を再び取り戻すために救世主が現れなければなりません。そうして、神様に侍り、原理的内容を提示して、僕であるサタンを自然屈伏させ得る立場に立たせなければ、神様の創造理想的な平和の基点を地上に実現できないのです。

16  復帰摂理は、再創造の摂理です。神様が再創造を行うには、本然の創造原理を通して行わなければなりません。その創造原理の中心が、一人の完成した男性であり、一人の完成した女性です。そのような完成した男性と女性は、夫婦となり、愛の道を行かなければなりません。愛の橋を架けなければ、神様のみ前に行けません。これが創造理想の道理です。

今まで、神様は、アダム一人を再び探そうとしましたが、探し出すことができませんでした。人間が堕落したその日から、今まで再創造の原理原則に従って、アダムを求めてきたのが宗教です。世界的宗教には、再臨思想があります。教主たちが再び来て、平和の世界、理想的世界に導くという再臨観があります。その方が何人もいるのではありません。一つの中心、完成したアダムを標準としてきたのです。

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17  アダムとエバは、(天の)父母によって完成し、(天の)父母と一つになることによって、アダムとエバのすべての息子、娘が勝利圏に立つことができます。このようになるには、八段階を通過しなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階を越えなければなりません。堕落したのはアダムとエバの個人ですが、堕落圏は天宙に及んでいます。個人であるアダムとエバが堕落したのですが、その結果は、この世界だけでなく、天宙的に連結されています。地上から霊界まで連結されているのです。この圏を奪還しなければ、解放は不可能です。ですから、数多くの宗教がこれを越えるために、多くの蕩減を払ってきたのです。

しかし、堕落の子孫であるがゆえに、ここから抜け出すのは、自分の力では不可能です。これを招いた張本人は、どこまでもアダムとエバです。アダムとエバがその先祖です。その悪なる先祖によって堕落したので、完成した先祖が来てすべてのことを解明し、誰もが抜け出せるように、その内容を教示しなければなりません。そのように勝利した主人でなければ、その峠を抜け出すことはできません。その方が結局は、再臨主であり、真の父母です。ですから、真の父母は、個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成、世界完成、天宙完成を成し遂げ、最後には神様まで解放しなければならないのです。

18  人類は本来、神様の子女として造られましたが、怨讐サタンの血統を受け継いだために、サタンの主管を受けるようになりました。そうして、今まで人類は、怨讐の子女としての扱いを受けてきたのです。

したがって、真の父母は、子女を取り戻さなければならず、歴史的な先祖にならなければなりません。真の父母は、歴史過程において汚されたすべてのものを清算し、サタンが讒訴できない立場を立てておかなければなりません。肉界から霊界に上がったり、霊界から地上に降りてきたりしても、サタンが讒訴できない立場を築いておかなければなりません。真の父母が往来する道において、サタンが讒訴できる条件を遮らなければなりません。サタンが讒訴できるようになったのは、人類の先祖が失敗したからです。ですから、人類の真の先祖として来られる真の父母は、過去、現在、未来に通じることができる道を、完全に築いておかなければなりません。

19  歴史始まって以来、今に至るまで、神様とサタンが闘っています。神様もその闘いをやめさせることができず、サタンもやめさせることができません。その闘いは、アダムとエバの堕落によって起こったものです。それでは、これをどのように正すことができるのでしょうか。

神様は、再創造をしたいと思うのです。復帰路程は再創造の路程です。再び創造しなければ、解決することができません。ですから、宗教を通して再創造しようとするのです。数多くの宗教の中で、ユダヤ教、キリスト教、統一教会が中心です。三段階で上がって、「終わりの日」の再臨の時、真の父母が顕現するのです。

その真の父母は、神様の秘密、サタンの秘密、そして人間の秘密まで、すべてのことを知っています。サタンの世界は前後、左右、上下が無秩序です。再臨のとき、真の父母がこの地上に現れて、それを清算し始めるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界まで清算するのです。その次に、人間が願う神様の創造理想が、主流として登場します。ですから、この主流を形成することが統一教会の目標です。そのような高速道路を造るのです。その道に従って走るようになれば、理想世界、天国が連結されます。

そこには妨げとなるものがあり得ず、サタンが存在できません。きれいな世界です。人間の目的がすべて成し遂げられるのです。そこから、霊界と肉界の解放が広がります。そのような世界が私たちの本郷です。このように悲惨になったのは、人間の堕落のためです。これは誰も解決することができません。この地上に真の父母が現れることによって、そのすべてのことが問題なく清算されるのです。

20  父母様が行く道は、そのまま平坦に行くのではありません。いくつもの谷間を埋めて、越えてきました。神様は、私の父母だというのです。千年の恨、万年の恨を抱き、天の父母と地上の父母の恨を合わせて解いて、責任を果たさなければならないイエス様の使徒、キリスト教の信者たちの中に、そのような心情をもって、天と地の父母を解放しようという心をもった人はいません。彼らは、信じて福を受けようとしています。それは、霊界ですべて引っ掛かります。神様は、滝のように涙を流しています。その神様を解放することが父母様の使命です。

21  再臨主は、人類の真の父母の立場で再び真の愛の家庭を探し出し、天地父母の位置を経て、人類の救援摂理を完成しなければなりません。メシヤは、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりも、さらに栄光をもって、立派に神様に侍ることができる孝子、孝女の家庭から出発しなければなりません。メシヤは、真の愛を中心とした父の位置で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない、人類の理想的核となる家庭の主人です。

ここから祝福結婚家庭を連結し、地上天国と天上天国を完成するのです。

22  永遠の愛に酔いしれて永生を賛美し、永生の価値を神様と共に永遠に賛美できる栄光の場が、キリスト教で言うところの新郎と新婦が新たに出会う場です。新郎と新婦が出会う場は、数多くの人間を代表した場、神様と人間が出会う場です。

しかし、新郎と新婦という位置が、本来の人間として希望した最高峰ではありません。新郎と新婦の位置は、過程にすぎません。

父母から生命が出発するとき、父母と同じ位置から出発したのですから、父母である神様のみ前に帰る道を求めなければなりません。生命の起源が神様と同じ位置に立たなければなりません。その位置に立って、神様の愛の保護圏内で育てられ、現れなければならないのが新郎と新婦です。ですから、新郎と新婦の位置が理想ではありません。

人間が行くべき最後の終着点は、真の神様を父母として侍り、その真の息子、娘になるところです。そこが、人間の願う最後の希望峰であることは間違いありません。このような観点から、統一教会は真の父母理念を提示しました。

新郎と新婦の過程を経て、堕落していない本然の息子、娘の位置に入り、神様によって造られた人間が堕落したので、これを再び復帰して完成し、神様を真の父母として侍り、永遠の価値の一体であり、永遠の生命の一体であり、永遠の愛の一体と化して、新しい再出発をしなければなりません。そうして、この地上に顕現することが、復帰の途上における人間が行くべき最後の終着点です。

このような目標に向かって行く道が、復帰の路程です。今まで神様が人類に対して救援摂理をしてきたのも、このような目的に到達させるためでした。

23  神様に侍ることのできる真の男性と女性が一つになり、互いに離れようとしても離れられず、別れようとしても別れられない真の夫婦となり、真の息子、娘を生まなければなりません。神様を中心とした真の父母、真の夫婦、真の息子、娘となって、四位基台をつくらなければなりません。このような真の息子、娘が、宇宙と人類の中心になります。彼らを中心とした国が、中心国家になるのです。中心がない国は滅び、中心がない世界は落ちていくのです。そのため、文化は世界を回りながら発展していきます。このような中心をもって出発し、発展した文化は、絶対に滅びません。

それゆえ、真の父母は、神様をお迎えして、すべての家族の中心にならなければなりません。その生活制度は、万民が生活できる生活制度であり、ここから見つめる国家観、ここで議論される世界観、ここで教えてくれる理念は、全世界の万民が共通してもつべき国家観であり、世界観であり、理念です。人類は、一つの門に向かって、「終わりの日」の時を願いながら、今まで歩んできました。

真の父母の願いは、人類が神様を中心として、真の家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙をつくり上げることです。そのようになれば、神様の愛までも復帰することができるのです。

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3   皆さんは今、神様の顔を見ることができません。皆さんは、神様の顔を見ることができないので、おなかの中で暮らしているのと同じです。今日の人間は、このような事情に置かれているのです。ですから、重生しなければなりません。霊的な救援摂理は完結し、霊的には重生しましたが、それだけではいけません。霊肉共に重生しなければならないのです。将来、主が来られるというのですが、その主は真の父母として来られます。実体をもった人類の父として来られるのであり、実体をもった新郎としてこの地上に来られ、実体をもった人間の中から新婦を探し出すのです。そうしてこそ、堕落していない真の父母になるのです。

アダムとエバが堕落することによって、真の父母を失ってしまったので、今日の人間には、堕落した父母はいますが、堕落していない真の父母はもつことができずにいるのです。ですから、復帰摂理を経て、実体をもって真の父母の使命を完結するために来られる方が再臨主なのです。歴史的な真理をもって来られる主は、イエス様の霊的救いを基盤として、霊肉共に完全な息子、娘を生むことができなかったので、それを完結しなければなりません。

4   イエス様は、この地上に後のアダムとして来られました。聖霊もこの地上に来て新婦の体をもつことができませんでした。霊界に行ってみると、聖霊は母なる神です。イエス様が地上において実体を備えれば、新婦は天道のすべての内容を知り、すなわち真理の中で新婦の資格を完遂して、メシヤが来るのを待ち望み、彼を迎える準備をしなければなりません。そうして一つの家庭を準備し、一つの国家を準備し、世界を準備しなければなりません。これが、新婦の果たすべき責任です。

ですから、一九六〇年代に入って、女性運動が世界的に広がったのです。この地上に人がいくら多くても、すべて悪なる血統を受けて生まれた堕落の子孫なので、母としての愛を施せる、真の女性が現れなければなりません。「終わりの日」が近づけば近づくほど、そのような代表的な存在が現れる時が近づくので、世界的な女性運動が広がるのです。

これからは、多くの女性が男性を凌駕できるのです。終末期は、堕落したことを女性が復帰できる時なので、終末期である今、女性は天的なエバを代表して立ち上がれる恵沢圏にいます。今日、女性たちが解放とともに、そのような立場に立てるようになったので、この時に真の母が現れなければなりません。私たちは、その母に地上で侍ることができなければなりません。人類は、このような時を迎えて神様を求めていくので、地上に新婦が立てられなければならないのです。

5   統一教会は父母の宗教です。僕の宗教から養子の宗教、庶子の宗教、その次に直系の息子、娘の宗教、息子、娘の宗教から母の宗教を通して発展してきました。

神様は、今まで母を探し求めてきました。相対がいなかったのです。神様は、男性格の主体なので、女性格の相対がいなければなりません。その方は、神様の相対であると同時に、この地の王妃であり、氏族の王の王妃であり、家庭の王の王妃です。ですから、祖母の代身であり、母の代身であり、妻の代身であり、娘の代身です。母がそうです。本来、母がいれば、すべてそうなるのです。天の国の王妃になり、この国の王妃になり、その次に自分の先祖たちの祖母になり、母になり、妻になり、娘になるのです。それをすべて合わせたものが母の価値です。

6   皆さんは「家庭を信じる」という言葉を聞いたことがありますか。キリスト教徒たちに「誰を信じるのか」と尋ねれば、「イエス様を信じる」と言うのであって、「イエス様の家庭を信じる」とは言いません。仏教徒たちに尋ねても「お釈迦様を信じる」と言うのであって、「お釈迦様の家庭を信じる」とは言いません。これからは、家庭救世主宗教が現れなければなりません。それが真の父母主義です。真の父母宗教です。真の父母宗教は、四位基台を造成する真の父母の生活宗教です。そうなれば、父母が息子、娘の救世主になります。聖書のヨハネの黙示録を見ると、復帰歴史に関する内容が出ています。それで、聖書は偉大だというのです。このような復帰の原則があるので、聖書の最終章に復帰の内容を入れるようになったのです。

ヨハネの黙示録に「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(二二・一七)と記録されていますが、花嫁とみ霊とは何か分かりますか。花嫁は主の妻になり、み霊は霊的なものなので、ここに霊肉が合わさった母が現れなければなりません。イエス様は、人類の父であり男性なので、女性の中から母を探し出して新しい世界へと救わなければなりません。

7   お父様は、立派なお母様を迎えました。顔が美人だから立派なのではありません。心が美しいので、顔が美しいのです。心が美しいので、声も美しく、容姿も優雅なのです。お父様は、神様の哲学を自らが成し遂げ、教える師です。その原理どおりに行くために、お母様を神様の代わりに称賛しながら生活してきたのであり、大衆に称賛して宣伝したのです。それが原理に通じるからです。

8   世の中の人々は、お母様のことを「美人だ」と言うのですが、どのような人が本当の美人か、私は研究しています。

美人とは、顔がきれいだからといって美人であるわけではありません。心がきれいであってこそ、「美人だ」と言えるのです。それでこそ、千年過ぎても、その美貌を損なわず、和気あいあいとした、清い姿を保てるのです。そのような女性が、環境を美しく輝かせ、かき抱いてあげることができます。そのような女性が美人の中の美人なのです。そのようなお母様なので、私は、お母様が美人の中の美人だと思うのです。

9   お母様は、とても知恵深い女性です。お母様は、目が素晴らしいのです。にこっと笑う時には、私はその笑う魅力的な目に惚れ惚れしてしまうのです。そのような魅力的な目をもっています。それから、私は、お母様の鼻が本当に好きです。良いことがありそうであれば、鼻がひくひくと笑います。それがお母様の魅力なのか分かりませんが、夫をそのように感動させるのです。

それから、深刻な時は、お母様はできるだけ口を突き出さないようにします。そのような口が美しいのです。そして、態度が美しいのです。お母様は、本当にきれいなところがたくさんあります。女性たちがそのような武器をもてば、「万事亨通」(すべてが思いどおりにいくこと)する秘密の鍵をもつことになると思います。

10  お母様の特別なところは何かというと、霊感が鋭いことです。天性的な素質をもっています。そして、お父様が「しなさい」と言うことは何でも「する」と決意し、また、その決意したことをいつも忘れずにいるので、受難の道も克服できたのです。それは、目的を中心とした忍耐心に当たるものです。また、私がお母様に有り難く思うことは、自分の貴いものを自分の息子、娘ではなく、皆さんに、ためらうことなく一〇〇パーセント与えようとするところです。それは、神様が贈り物として下さった性格だと思っています。

11  お母様は、二十年間で十二人以上の息子、娘を生んで、ヤコブの家庭を完全に蕩減復帰しなければなりません。イエス様の十二弟子が一つになれず、どのようにしたでしょうか。結局は、イエス様を売ってしまいました。別々の氏族で結ばれた兄弟圏が問題でした。ヤコブ家庭は、四人の女性が生んだ息子、娘なので問題になりました。その問題を克服するためには、二十年以内に十二人以上の息子、娘を生まなければ、お母様の使命が不可能になるのです。そのような面から見ると、二十歳を越えれば、お母様になることができません。満十八歳までです。韓国の年では十九歳までです。

ですから、四十歳のお父様が十七歳のお母様と結婚したのです。お父様が十六歳の時に、あらゆることを決心して立ち上がったように、女性も十六歳を越えてその基準に合わせなければ、女性の解放圏を連結する道がありません。

12  歴史において、女性たちが経たあらゆる惨状の過程を経たとしても、不平を言わず、夫のために生きることができ、さらに苦労ができる女性はいませんでした。ですから、「本当に、み旨の前に立っている私は、何一つ弁明の余地がありません」と言う人はそのような風霜をたくさん経験したのでむしろ私が落胆する時に、慰められる対象になるのです。そのようなところから始めるのです。

心情的な蕩減をしなければなりません。上がっていく時も引っ掛からず、下がってくる時も引っ掛かってはいけません。二十歳前まで下がってきて、二十歳前の少女を天が相対として許可すれば、その少女は、どんな困難な立場に立たされても、順応できなければなりません。ですから、孤独な背後から探すのがよいのです。お母様には、父親もなく、兄もなく、みないませんでした。ただ一人、天のためには何でもするという、洪という母が背後にいるだけでした。

13  お母様は、聖婚式の時に十七歳でした。お父様は四十歳でした。四十歳の男性が十七歳の娘をお母様として迎えることにしたのです。しかし、摂理史では仕方がないことです。そのようなお母様を迎えて成し遂げてきたのです。ですから、約婚する時、お母様に「私はこのように行かなければならない」とすべて話しました。プログラムどおりに行くので、お父様を尊敬するのです。

このように攻撃されるときにはこのように越えなければならず、ここから攻撃されるときにはこのように越えなければならない、と教えてあげたのです。その道のとおりに行くので尊敬するのです。その道が困難であっても越えなければならず、行かなければなりません。

14  私(お母様)は、聖婚式の一ヵ月前に、お父様が夢に現れ、天から特別な啓示を受けました。「その日が近づいたので準備しなさい」と、啓示が下りたのです。その時は、いわば天が求婚したというより、天の訓令が下されたのです。訓令があった時、私は完全に自我を離れた立場にいました。私はその時、天の摂理でなければ、そのような大きなことを判断できる能力がなかったので、無我の境地になる以外になかったのです。

そして、祈らざるを得ませんでした。「今まで私は、み意のままに生きてまいりました。今、神様のみ意が何だったとしても、神様の摂理の目的がどのようなものだったとしても、命じられるままに従います」と、私は啓示に対して答えました。それは、私が満十七歳の時の二月頃でした。私は、完全に無我の立場で準備していたので、当時の事情などを分析したいとは思いませんでした。神様のみ意のままに応じることを、ひたすら願っていました。

15  私(お母様)の母方の家に伝説のような物語があります。私の母方の祖母である趙元模の趙氏一族に、趙漢俊の弥勒についての記録があります。一九九一年に、お父様と北朝鮮に行ったとき、そのようなものがあるかと聞いてみました。するとまだその弥勒はあるということでした。

趙漢俊の弥勒についての伝説によると、天の王女を送ると約束し、国のための精誠を記憶し、忠誠の家門で私が生まれるようにしたというのです。その母方の祖母から大母様が誕生され、大母様を通して私が生まれました。再臨のメシヤを迎え、再臨のメシヤの相対を育て上げるための神様の環境創造が、その趙漢俊の弥勒から始まり、私にまで連結されたのです。皆さんがみ旨や天のみ前に精誠を尽くしたものは、必ず天が記憶してくださいます。ですから、私は、お父様に会った時にすべてが分かったのです。環境創造の中で誕生し、育ったので、私が果たすべき、私が成し遂げるべき使命が分かったというのです。

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18  お父様は、個人的に霊的な世界で勝利しました。そのために、この地上で激しい嵐に襲われながらも、「死んではならない」と何千万回、決心したか分かりません。怨讐に出会う峠を越えていくたびに、「私は倒れてはいけない。私は死んではいけない。私が死んだらこのみ旨を誰が立てるのか。いくら苦労をしたとしても、四肢が切られ、不自由な体になって寝たきりで暮らすことになったとしても、私は死んではいけない」と、どれほど心の中で誓ったか分かりません。そのようにしながら、今まで困難な道を歩んできました。

基盤のない状態で、名が知られることを恐れるのです。基盤を固める前に、名が知られるのではないかと恐れました。そのような場合には、サタンの攻撃があるのが原則だからです。それで、死なずに四十歳の峠を越える日を待ち望みながら、歳月が早く過ぎていくことだけを黙って願っていました。アブラハムが復帰の基準を立てた以降の四千年の歴史を、「終わりの日」に四十数を立てて越えなければならないことを知って、四十の峠が早く過ぎていくことを指折り数えて待ったのです。また、それはお父様の宿願でした。天宙の前に一身を立て、死なずに責任を果たすために、身もだえしながら今まで歩んできたのです。

19  神様は、四千年を経てイエス様を送られました。イエス様は、長い歴史を経て来られた方です。生まれる時は、母親のおなかを通して十ヵ月で生まれたのですが、地上に来るために、四千年前から準備された方なのです。そのような歴史的な由来をもって生まれたので、その時までの四千年の歴史を蕩減できたのです。

イエス様は、四十歳の時にそのような歴史的な蕩減をすべきでしたが、ユダヤ民族の不信によってそれができなかったので、私たちが七年路程において蕩減しなければなりません。皆さんは、「四十数復帰」ということを学んだはずです。イエス様が四十歳の峠を越えられなかったので、私たちには、四十代の峠を見つめていくべき路程が残っているのです。つまり、そのような蕩減路程が残っているので、再び来られる主も、七年の大患難に逢着せざるを得ません。そのような原理的根拠があるのです。

20  一九六〇年の四十の峠をいかにして越えるのでしょうか。原理が教えてくれる四十の峠を、どのように越えなければならないのでしょうか。イエス様は、三十三歳で亡くなったので、その後の四十の峠を迎える七年を越えることができませんでした。それで、人間の世界に七年の大患難が残されているのです。ですから、この峠をいかにして越えるかというのです。

この峠を越えるためには、ヤコブが経てきた復帰路程と、数多くの先祖たちの絡み合った蕩減路程を遡らなければなりません。その道には、友もなく、同僚もいませんでした。「従います」と言った人たちは、行く道の前に重荷になり、とげを刺し、荒れ地をつくったのであって、そこで助けになった人は(一人も)いませんでした。

21  お父様一代から見ると、四十歳までは個人の勝利基準を中心として、初めて横的な基盤へと越えていく時でした。今まで復帰歴史の目的は、アダム一人を立てることだったので、一九六〇年代は、アダムを中心として勝利するための基盤を築く時でした。その勝利は、イエス様が失敗した国家基準での勝利です。

ですから、一九六〇年代の統一教会は、イエス様が失敗せざるを得なかった運命圏を、お父様の満四十歳を基準として、実体的に蕩減して越えなければなりませんでした。そのような過程にあった統一教会は、一九六〇年代に激しい迫害を受けました。お父様に勇気がなく、神様のみ前に人間として善悪を分別するという、決定的な宣誓ができていなければ、歴史は遅延していたでしょう。

22  父母様の聖婚式は、地上において記念するに値する天宙的な大事件でした。世界的基準で縦的蕩減条件を、横的にこの地上で解決する実体として、霊肉共に勝利の基準を立てたのです。お父様は、聖婚式の前にイエス様の三弟子、反逆したその弟子を復帰しなければならない立場にいました。

聖婚式の目的は、アダム家庭を蕩減する条件を立てることです。人間の父母であるアダムとエバは、夫婦関係において堕落しました。堕落が夫婦を通して起きたので、復帰は一人ではできません。男性一人では復帰されません。女性一人でも天国に行けません。したがって、二人で解決していかなければならないのです。堕落したアダムとエバの立場を復帰して、真の父母の基準を地上で立てなければならないというのです。三弟子の約婚という問題を中心として、解決しなければなりません。

23  復帰は、アダム家庭の復帰を目標として行うのです。アダム家庭が失敗したので、そのみ旨がノア家庭に移されました。神様は、ノア家庭を中心として、世界のすべての人々を洪水審判で滅ぼし、サタン侵入の条件を越えた家庭を立てて、摂理の基盤を地上に構築しておこうとされました。それがアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセに移され、イエス様につながって、私たちの時代まで来たのですから、そのすべてのものを蕩減しなければなりません。

アダム家庭を基準にして蕩減しなければならないのです。アダムが失ってしまった三人の信仰の子女を復帰しなければ、真の父母の立場に立つことができません。それで、イエス様には、三人の弟子が絶対に必要なのです。その三人は、アダムとエバにとって、三天使長を象徴します。三天使長が一つになって、アダムとエバに服従しませんでした。侍らなかったのです。その結果、堕落世界になったので、完成した父母の境地に立つためには、三天使長格である三弟子がいなければなりません。再臨主も、完全に服従する三人の信仰の子女をもたなければ、真の父母の立場に立つことができないというのが公式になっています。

自分の生死の境地を乗り越えて、迫害のまっただ中でも従っていき、孝の道を行くことができる三人の弟子をもたなければなりません。お父様は、そのような三弟子を一九六〇年四月に探して立てました。復帰路程というのは、逆に探し求めて上がっていくものなので、祝福は子女の立場に立っている人が先に受けるのです。家庭圏はヤコブ家庭なので、十二数の基準を基盤にしなければなりません。三人の弟子、三人の子女を中心として、それと同じ基準を通過しなければならないのです。

24  父母様は、一九六〇年に聖婚式をしたあとに聖塩を作りました。真の父母様は、堕落した世界の物に相対できないからです。そのような物に、神様の息子、完成した父母は相対できないのです。そのため、すべて燃やしてしまわなければなりません。燃やす条件として聖塩を採択したので、これを振りかけることによって、サタン世界を清算してしまい、天の側が取り得る条件的、方便的な物として使用できるようになるのです。天の国が設定されれば、この世の国のすべての骨董品、この世の国のあらゆる物は、そのまま使うことはできません。

第二節   真の父母様の聖婚式聖婚と真のお母様イエス様は、アダムとエバの堕落によって始まった歴史を終結し、神様の創造理想世界を復帰するために、この地に来られたが、ユダヤ民族とユダヤ教徒の不信によって、このみ旨を成就することができず、再臨の約束を残されたまま、霊界に行かれた。真のお父様は、イエス様のあとを継ぎ、一九四五年八月十五日、韓国の地で、光復とともにメシヤとしての公式路程を出発された。

しかし、メシヤとキリスト教徒が一つになるための最初の摂理路程が、彼らの不信により失敗することによって、キリスト教に代わる新しい摂理団体の基盤を築くため、三大祝福の条件復帰のための蕩減路程と受難路程を歩まれるようになったのである。

そうして、一九五四年五月一日、ソウルで「世界基督教統一神霊協会」を創立し、その時から、新約時代の全体を蕩減復帰する七年路程を歩み、聖誕から四十年の蕩減路程を勝利することによってサタン分立路程を立て、ついに一九六〇年四月十一日、真のお母様と共に、神様から最初の真の父母として、栄光の聖婚式を行われるようになったのである。

1   二千年前に使命を果たすことができず、十字架で亡くなられたイエス様の願いを、二千年過ぎた今、私たちが果たさなければなりません。第一次でユダヤ民族を中心として成し遂げようとしてできなかったので、今、私たちが第二次としてキリスト教の世界的な版図を中心として、父と母の出会いを実現してさしあげなければなりません。このような基点をつくらなければ、神様の真の直系の息子、娘になれません。ですから、このような基準を連結させて合わせようとするのが再臨理想です。

再臨理想においてもまた、真の家庭があってこそ天道が出発するのであり、これがあってこそ真の愛と真の幸福が出発するのです。

2   故障したものは、元の状態に修理しなければなりません。世界も新しい世界、国も新しい国、民族も新しい民族、人も新しい人、息子も新しい息子、娘も新しい娘になることを願います。ですから、新しい息子であるイエス様が来られたので、新しい娘もいなければなりません。

ところが、新しい娘を探している途中で、イエス様は亡くなりました。宇宙の希望である一人の母を探して立てるためのイエス様の路程には、苦難も多く、迫害も多かったのです。あの村からこの村に、あの野からこの野に追われ、逃げて歩きながら迫害を受けた哀れなイエス様でした。ダビデの系統であるヨセフの家庭を中心として、み旨を立てようとしたイエス様が、家庭でみ旨を立てることができなくなることによって、家を出て三年の公生涯の道を歩んだのです。

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10  天地ができて以来、人間が初めて神様のみ前に孝子、孝女となって、新郎、新婦として登場する日、神様が「地上の様々な逆境の中で、天の心情を求め、天の父母を訪ねてくるのに、どれほど苦労したか」と語られ、無形の神様の代わりに、実体をもつ真の父母として祝福してくださる祝宴が「小羊の婚宴」です。真の新婦の約束と理念を備えた基準と、真の孝子、真の孝女の基準の上に立てて、式を挙げるのが「小羊の婚宴」です。この祝福を受けたその日から真の父母になります。無形の神様を身代わりした有形の実体をもつ、人類の真の父母になるのです。

人間は本来、堕落していなければ、善なる世界で立派に育ち、神様の愛の祝福を受けて、神様の心情に通じる子女になることができました。ですから、神様が「あなたたちは私の心情を受け継ぐことができる孝子、孝女だ」と言える心情関係を完結しなければなりません。心情が通じなければ孝子、孝女になれないのです。神様がどのような路程を歩んできたかを知らなければなりません。そうして創造理念の前に掲げられる、本然のアダムとエバの形態を整えなければならないのです。「小羊の婚宴」は、正にその形態を整える式です。

11  「小羊の婚宴」の日は、六千年前に失った真の父母を迎えて祝宴を開く日です。本来、堕落していない人間は、子女の立場から父母が開く祝宴を見ることはできません。父母があとから来たので逆になったのです。真の父母を迎え、真の子女を生み、新しい世界を建設しなければならないのですが、堕落した人間が繁殖したので、逆になったのです。皆さんの願いは、真の父母に会うことです。

逆になったものを、反対に再び探していかなければなりません。これが蕩減復帰です。したがって、逆に生まれた人間は、すべて反対に行かなければなりません。世の中が願うこととは異なる、反対の道を行かなければならないのです。

12  イエス様は、新婦を探すことが一代で果たすべき目的であったにもかかわらず、この使命を成し遂げることができませんでした。そうして、御自身は新郎であり、信徒は新婦であるいう遺言を残されたのです。ですから、神様は、第二イスラエル圏内にある世界で、国を問わず最もよく信じる信徒たちを中心に、特等新婦を求めていらっしゃるのです。その新婦を求めてきたのが、イエス様以後の二千年歴史です。新婦を探し出すことによって、真の先祖が現れ、真の先祖が現れることによって、真の父母が現れるのです。

本来、エデンの園で真の先祖である真の父母が現れなければならなかったのですが、人間の堕落により、六千年が過ぎた今になって、初めて神様は再臨時代を中心として、真の先祖を探し出したのです。言い換えれば、サタン世界の前に勝利した一人の男性が現れ、一人のエバを再創造した基準において神様の祝福を受け、聖婚式を行うことによって、初めて、六千年前に人類の真の先祖が立てられるべきだった基準を復帰したのです。数多くの堕落の子女が繁殖した六千年を経て、ようやく反対に、真の父母が現れたのです。

真の父母の聖婚式は救援摂理史の転換点一九六〇年四月十一日に挙行された真の父母様の聖婚式は、蕩減復帰歴史において、長成期完成級の蕩減の峠を越える歴史的な瞬間であった。真の父母様の聖婚式は、世界的で天宙史的な事件である。長い長い摂理史の基盤の上に、完成したアダムとして来られた真のお父様は、地上での摂理基盤を築いたのち、エバである真のお母様を迎えられた。天の代身である真のお父様と、地の代身である真のお母様が一つになり、分かれていた天と地が初めて連結されるようになった。アダムとエバが堕落して互いに怨讐となり、神様と断切させていた塀が崩れるようになる救援摂理史の歴史的転換点を迎えたのである。

13  「歴史は、一九六〇年代から大変遷時代に入った」と歴史家たちは言います。「統一原理」を中心として言えば、「一九六〇年代に、神様の名を中心として地上のすべての困難をかき分け、キリスト教文化圏がすべて失敗し、その基地となる韓国が反対する環境にもかかわらず、初めてこの地上で神様と真の父母の名を中心として聖婚式をしたところから、歴史は新しい方向に変わるようになった」と言うことができます。変化するその歴史の環境が死亡世界へと次第に落ちていき、人類が分裂して破綻の世界へと向かうように思えますが、変化する歴史時代は、次第に互いに異なる地域的環境を越えて、世界へと進む時代に急変していくというのです。

神様と共に、父母様の血族を中心として横的に拡大すべき摂理時代を迎え、思想の混乱が起き、伝統の混乱が起きます。揺さぶるのです。キリスト教もすべて揺さぶるのです。それゆえ、解放されてから十四年がたつまで、韓国のキリスト教を見ると、再建教会も、神社参拝をした教会も、同様でした。

そこから、韓国を中心として、世界に向かって跳躍できる神様の摂理の道が開き始めるのです。その始発点が、正に一九六〇年四月の聖婚式でした。この聖婚式をして、「父母の日」が設定されることによって、人類歴史において偽りの父母から受け継いだ、汚れた愛と生命と血統を初めて清算し、神様を中心とした本然の新しい愛と生命と血統の関係が、この地上に根を下ろし始めたというのです。この世界は今まで、堕落した天使長の血統を引き継いできましたが、一九六〇年に父母様が現れたその日からは、本然のアダムとエバの血統が、神様の愛を中心として根を下ろし始めたのです。

14  復帰摂理における絶頂であり頂点は、一九六〇年でした。その時、お父様は、国家と国民、すべての教会、そして、すべての人たちから迫害を受けたのです。その当時、死ぬか生きるかを決定しなければならない、切迫した立場でした。統一教会が生き残るか滅びるかの瀬戸際にありました。その困難を切り抜けて聖婚式を挙行したのです。

その時点から新たな歴史が出発しました。その時が歴史の転換点だったのです。多くの歴史家たちも、「一九六〇年は歴史の転換点だった」と言っています。その時からすべての問題が解決し始めたのです。

15  父母様が聖婚した一九六〇年四月十一日、その日は外的に見ると平凡な日であって、特別に変わったことはありません。しかし、その日、聖婚式をしたことが、他の日とは全く違うというのです。

聖婚式をしたので、今や歴史は、一人の人によって左右されるようになりました。その一人の人が現れるまでの時間が、民族的で世界的な関係をもったものだったのか、また、その期間が歴史的な関係を経て、時代的な関係を経て、未来の関係を経ていける基盤になっているのか、現れたものは簡単に見えますが、それが全体を集約させた代表的な核になる時、歴史はその日を研究するようになるのです。

16  人類の先祖であるアダムが、長成期完成級でエバの言葉に従うことによって主管権を失ったので、これを蕩減復帰するために、イエス様は、神様の愛と一致する完全な人格を備え、創造目的を完成する人間としてやって来て、そこに一致する人の女性を探さなければなりません。アダムを通してエバを創造したように、再創造の順序を経て、エバ、すなわち新婦を立て、新しい家庭を成立させて初めて、完成世界に向かって上がっていけるのです。

その時が正に堕落した時代の「終わりの日」であり、新しい時代が出発する時なのです。その時が一九六〇年でした。今日この地球上に、真の父母を中心とした関係が現れたことは、天宙史的な出来事にほかなりません。

17  神様の目的と創造の偉業は、アダムとエバが祝福を受けることによって、すなわち聖婚式をすることによって成し遂げられます。このようなことを成し遂げるために役事してくる復帰過程を考えてみるとき、人類の先祖が堕落したのは長成期完成級なので、今日の人類は、これを再び尋ね求めて上がっていかなければなりません。蘇生期は僕の時代に該当し、長成期は養子の時代、完成期は嫡子の時代に該当します。したがって、僕の時代である旧約時代を経て、イエス様の福音がこの地上に現れることによって、歴史は養子の時代圏に越えていくようになったのです。

人類始祖が養子圏である長成期完成級で堕落したので、その息子の外的な形態と関係を整えて再びつくり直し、長成期完成級の位置まで上げておいて、初めて実子圏を相続できるのです。すなわち、人類始祖が長成期完成級から落ちたため、この長成期完成級に行ってこそ、復帰することができるというのです。しかし、堕落は家庭で起きたので、復帰するときにおいても、この家庭の形態を備えなければ、その基準に上がっていくことができません。それで、統一教会では、父母様を中心として、一九六〇年にその基準を越えたのです。

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第三節   真の父母は復帰摂理の完成者真の父母は再臨主、救世主、メシヤの使命完成者堕落した人類の前に顕現された真の父母は、真の愛なる神様の実体である。真の父母は、神様の救援摂理を展開する再臨役事の主人であり、人類を偽りの愛と悪なる血統から真の愛、真の生命、真の血統に転換し、宗教を一つに統一する救世主、メシヤの使命をもっている。真の父母を中心とした家庭の伝統を受け継ぎ、新しい文化を創造する本然の世界では、神様と一つになって完全なる愛の授受作用を行うようになるので、救世主が必要なく、原罪がない立場であるがゆえに、父母、夫婦、子女、家庭全体が、神様と共に永遠に暮らすことができるのである。それが、神様が摂理してこられる歴史の最終目的である。そのようになれば、初めて神様の復帰摂理の目的と人類が願う理想世界が成し遂げられるのである。

1   神様の復帰摂理は、神様が地上に定着するためのものです。地上で完成基盤を失ってしまったので、再び復帰して完成しなければならない責任が神様にあるのです。その目標に向かって、これまで復帰摂理をしてきたのです。神様が完成した夫と妻を立てることが、メシヤを送られた目的です。

旧約と新約の最終摂理の目的は同じです。新約時代は、旧約時代の完成圏を形成しなければなりません。成約時代は、新約時代の完成圏を越えなければなりません。そのため、完成した成約時代の中には、新約完成圏と旧約完成圏がすべて入っています。イエス様は、旧約時代を完成するために来ました。イエス様の中に旧約時代がすべて入って完成することによって、一つになるのです。それが新約時代です。イエス様を中心にそのことを成し遂げようとしたのですが、できなかったので、再臨時代に延長されたのです。

ですから、再臨時代である成約時代には、旧約時代の完成と新約時代の完成が成し遂げられなければなりません。すべてのことが、再臨主によって収拾されます。この再臨主によって、旧約時代圏と新約時代圏、歴史的なすべてのことが収拾され得る出発が実現されるのです。

2   アダムとエバが堕落することによって、怨讐の愛と、生命と、血統を受け継いで、神様のすべてのものを破壊しました。イエス様の時代に、国家的な基準において霊界と肉界が統一されていれば、第二イスラエルの国は必要ありません。イエス様は、ローマまで一つにし、イスラエルの国と天地、霊界と肉界を統一しなければなりませんでした。それができなかったので、お父様が一時代、高い次元に延長させて二千年を合わせ、アダム家庭での失敗、イエス様家庭での失敗をはじめ、塞がったすべての塀を崩さなければなりません。霊界と肉界、霊界の楽園と地獄の塞がった塀を崩してしまわなければなりません。

そのために神様は、「文鮮明は救世主である!再臨主である!メシヤである!真の父母である!」と宣布するのです。「真の父母」と言えば、「救世主、メシヤ、再臨主」と言う必要はありません。真の父母と一体化したものと見ればよいのです。

3   真の父母は、救世主です。世の中を救ってあげなければなりません。偽りの父母が偽りの愛によって世の中を生み出したので、世の中を救うには、真の父母の真の愛によって救わなければなりません。

宗教を一つにする人がメシヤです。宗教を統一させ、真の愛を中心として、家庭定着を目指すのです。世の中も家庭定着を目指し、平和を目指します。宗教も平和統一を目指すのです。その次に、第一イスラエルであるユダヤの国と第二イスラエル圏も、その国を中心として家庭の失敗、国家の失敗、世界の失敗、このすべてのことを取り戻すために、第一アダム、第二アダムを経て、第三アダムを中心として進んでいくのです。そうして、天上世界と地上世界の失ってしまったすべてのものを初めて取り戻し、その上に立っている方が真の父母です。

真の父母は、世の中の救世主の王です。真の父母はメシヤの王です。真の父母は、旧約時代、新約時代、成約時代の王です。真の父母は、見えない神様を身代わりする実体です。真の父母は、神様のために生まれたというのです。自分のためではありません。神様も、真の父母のために存在します。真の父母も神様も、真の愛によって一つになるのです。

4   メシヤ、救世主がこの地に来て、空腹から解放してあげることも必要であり、また、その国が受難の中にいれば、そこから解放してあげることも必要です。しかし、それよりも先に、救世主が来て何を解放すべきかというのです。

第一に、愛を解放してあげなければなりません。救世主は、愛を中心とした解放者です。その次には、生命の解放者です。その次には、血統の解放者です。血統が変わったので問題なのです。血統が同じだというときは兄弟圏に入っていくのですが、血統的に変わったのです。言い換えれば、私たちが生まれるときに、根本である血統を中心として解放してあげることが、(メシヤがもつ使命の)骨子だというのです。

5   人間は、堕落していなければ、神様が分かるようになっています。心で分かるのです。世の中が何と言おうと、自分がどこに行くべきかが、自然に分かるというのです。体は自然に心と一つになるようになっているのであって、心と体が闘うようにはなっていません。堕落したので、角度が合わないのです。

この角度を合わせようとするので、宗教世界では必ず体を打ちなさいというのです。そのため、断食をし、奉仕をし、犠牲となって、血を流さなければなりません。悲惨で哀れな状況に直面しなければ、本然の位置に行くことができません。そのようにして、角度を個人的に合わせなければならず、家庭的にも合わせなければならず、氏族的にも合わせなければならず、国家的にも合わせなければならず、世界的にも合わせなければなりません。そのようにするために、真の愛を中心として、世界的に角度を合わせるモデルとして来られる方がメシヤです。

6   お父様が再臨主であり、メシヤであり、真の父母であることを、人々は、そのままでは信じません。再臨主であるなら、再臨主となり得る実績と実権がなければならないのです。サタン世界に勝ち、彼らが公に認める証拠をもった上で立たなければ、メシヤの自覚性(自分の立場や能力、本分などを自ら悟る稟性)や真の父母の自覚性を見いだすことはできません。

ですから、数多くの苦労と困難を経て、地上世界や天上世界で、真の父母、救世主として侍ることができる基盤の上に立ってこそ、メシヤや真の父母の自覚性が天地を越える基準まで進むのです。それができなければいけません。ですから、お父様一代で数多くのことをしました。どの国にもできないこと、どの個人も夢にも見ることができないことを、すべて成し遂げてきたというのです。

7   メシヤとして召命された責任とその観をめぐって、「私がメシヤだ」ということを、お父様が自分の思いで決めてはいけません。環境的に見て、「メシヤなのだな。行かざるを得ない」という自覚が先立たなければなりません。

堕落は、エデンの園のアダムとエバが自分自体を自覚することから起きたのです。復帰も同じです。その基準は、言葉だけではありません。神様が祝福するからといって、立てられるものではありません。祝福したならば、祝福したとおりに実践し、それに間違いがなければ、同居し、同位圏に立って相続することができます。同参(一緒に参加すること)、同位、同居することによって相続するのです。「間違いなく真の父母であり、間違いなくメシヤである」と思わなければなりません。夜に光る灯台と同じです。

灯台は間違いなく、夜に光を照らしてくれます。ですから、メシヤは、世の中がどんなに暗くても、暗い世の中に明るい光を放たなければなりません。

8   万物は、神様のものです。万物の主人が神様なのです。ところが、今に至るまでサタンが主人の振る舞いをしています。愛には、同位権、同参権が存在し、祝福と相続が関わっているので、自動的にサタン圏に移っていくのです。神様のみ座に座ったまま、その周囲まで侵入して主管しています。それが解放される道はありませんでした。今まで何千年の歴史を経てくる間、解放される道がなかったのです。そうして、創造以来、本来の家庭理想基準を復帰するために、今まで苦労してきました。

お父様が生まれて、初めてその前後左右のすべてを整理し、サタン圏から防備するための対策と公式を立ててきたのです。ですから、サタンは後退せざるを得ないというのです。そこに異議を唱えれば、引っ掛かってしまいます。真の父母は、そのようなことをすべて勝利しました。個人的な勝利圏家庭的な勝利圏をすべて立てたというのです。

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37  キリスト教では聖霊について語ってきましたが、聖霊とは正に、母なる神です。後のエバです。人類の母であるエバが堕落したので、神様は、後のエバとして、母なる神である聖霊を送られたのです。穴が開いたならば、開いたその穴を埋めなければならず、失ってしまったものがあれば、失った所に行って探さなければならないように、エバによってこの地上の人間がすべて死亡世界に入ったので、聖霊が来て、再び産みの苦しみを経ていくのです。

聖書を見ると、「女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう」(テモテI2・15)とあります。これは、今日、地に住んでいる婦人たちに対して語った言葉ではなく、エバに対して語った言葉です。

エバが堕落せずに人類の真の先祖になっていたならば、この地上に善なる息子、娘を生んだはずですが、堕落してサタンの子女を生んだので、エバが再び生まなければ、人間は救いを得られないということです。ですから、聖霊がこの使命を背負い、今日、人類を抱えて産みの苦しみを経ているのです。その出産がすべて終わってこそ、エバが救われ、聖霊の使命が終わるのです。

38  人間が堕落することによって、霊と肉が断絶したので、霊と肉が一致した立場に立たなければなりません。イエス様は、この地に来て、聖霊を立てましたが、それだけではいけないのです。イエス様は、再臨の約束を残して逝ったので、その約束を果たすために、再び来なければなりません。その再臨の理想とは、エデンの園で失ってしまった実体の母を探すことです。

イエス様の願いの成就は、霊肉が合わさり得る一つの理念世界において可能となります。そのようになってこそ、霊肉を備えた父母が天地間に現れるのです。

39  神様の復帰摂理を中心として、女性たちが世界を動かし得る一時代が来たというのは、この地上に女性を代表し得る一人の聖霊の実体、この地上に復帰し得るエバが現れる時になったことを例証しています。そのような方になるためには、真の妻となり、真の母にならなければなりません。その資格をもつ人になったのちには、真の女王にならなければなりません。この三つの素性をもたなければならないのです。そのような行いに、責任をもって余りある人格をもった女性にならなければなりません。

神様は、天の国の真の母になることができ、真の妻になることができ、真の王妃になって余りある女性を求めるのです。神様のそのような召命を受けるときは、勇敢無双(他に類を見ないほど勇敢なこと)にサタン世界を退けて進んでいける女性でなければなりません。

40  母を復帰する路程が、どれほど熾烈だったかを知らなければなりません。アダム一人を取り戻すために、数多くの闘争をしながら、血を流す曲折を経てきたのがこれまでの歴史でした。それと同様に、母を取り戻してくるときにも、どれほど犠牲的代価を払ったか分かりません。母の基準を引き継いでいくために、数千年前に啓示を受けて準備した人から代を引き継いで、この時代を迎えたのです。

ろうそくの火を受け継いでいくのと同じです。聖火を中心として消えないようにしながら、地上の「終わりの日」までつないできたのです。どれほど多くの犠牲的代価を払ったか分かりません。

41  聖霊は、霊的な母のことを意味します。イエス様と聖霊が一つになり、霊的な子女を繁殖させ、世界的な基盤を築いたのがキリスト教です。そのように、霊的にのみ世界的救援摂理の基盤を築いてきたので、このキリスト教の基盤を中心としては、霊肉を中心とした神様のみ旨を実現することはできません。ですから、イエス様が再臨しなければならないというのは、必然的な帰結です。肉的世界が未完成でとどまっているからです。

霊的キリスト教世界の基盤を、肉的世界基盤まで連結させなければ、霊肉を中心として、神様の新しい世界的歴史に越えていくことはできません。

42  イエス様は、アダム家庭で失敗したことを、国家的に復帰しようとしました。しかし、イスラエル民族がイエス様の命を奪ったため、国家的カイン、アベルが現れ、それが世界にまで連結されたのです。イエス様は、国家基準を越えられなかったので、恨を抱いて逝きました。

そうして、イエス様は、国なき霊的開発の哨所(先鋒の施設)として現れるようになりました。母なる神である聖霊は、体がありません。ですから、油のような聖霊、水のような聖霊、風のような聖霊として、すべての人々に感動を与え、体をまとうことができる新婦創造の役事をしてきたのです。

そうして、お父様の時代になって、世界的基準でお母様を立てました。それにより、地上で実体圏解放まで成し遂げられたのです

43  お母様は、母方の祖母と大母様、お母様自身まで、三代を経なければなりません。そのようにしなければ、母の位置に立てないのです。母方の祖母は聖主教、大母様は腹中教を経てきました。そして、大母様は、実体の主に侍ろうと、故郷の地を離れ、茫々たる荒野で独り暮らしをしながら、お母様を育てたのです。

44  お父様は、いい加減に結婚することはできません。三代のエバの役事を経た娘を新婦として迎えなければならないのです。お母様は、そのような役事を経てきました。聖主教、腹中教の代を継いできて、一次エバ(趙元模)、二次エバ(大母様)の祝福を受けてきたのです。大母様を通してそのような役事をしてきたのです。

蕩減復帰の原則に従ってそのような過程を経ることにより、来られる主を勝利の版図に立てるべき責任があるのです。イエス様が結婚できなかったのも、このような蕩減復帰の原則に合わなかったからです。

45  真の父母は、カインとアベルが一つになった基盤の上に現れます。真の父母が現れる時になったので、母である聖霊と父であるイエス様が、初めて霊界からこの地上に訪ねてきて、真の父と真の母の実体と共に、祝福を成し遂げるのです。そうして、一九六〇年に家庭出発をすることによって、血統を接ぎ木して祝福家庭をつくるようになり、霊界の解放圏と地上の解放圏を連結させて、サタンまで屈服させたのです。

46  今や、真の父母が地上に現れたので、イエス様はお父様と一つになり、聖霊はお母様と一つになるのです。イエス様の母親であるマリヤと、洗礼ヨハネの母親であるエリサベツが協力できずに、イエス様が亡くなりました。本来、イスラエルの国とユダヤ教の人々全体がイエス様の前に一つとなって、イエス様の新婦を準備しなければなりません。そうして、人類を再び生まなければならないのです。

そのように、世界的な舞台においてイエス時代に横的にできなかったことを、この時代に蕩減しなければなりません。お母様を通して上がっていかなければなりません。それが平面的に広がることによって、全世界的にお母様を宣布するようになるのです。世界人類は、お母様のおなかの中に再び入り、お父様と一つにならなければなりません。

47  家庭には、母と子女がいます。家庭において男性(夫)は、天使長の位置にいます。そのため、まずアダムの位置にいるお父様を中心として、一つにならなければなりません。そして、真の母の分身として、世界のすべての女性は、父と一つにならなければなりません。そうして、本来の父の息子、娘だったという条件を掲げ、再び生まれて復帰されるのです。お父様の息子、娘として再び生まれたという立場に立たなければなりません。

アダムとエバが結婚する前、アダムの骨髄に赤ん坊の種として存在していた、その場にまで入っていかなければならないというのです。それを、真の愛によって連結させるのです。発電所の電気が、出ていっては(巡り巡って)戻ってくる作用をするように、連結されなければなりません。そうして、真の愛によって重生しなければならないというのです。お母様は、聖霊の実体と同じです。

48  お母様は、世界を代表した女性として、息子、娘を抱きかかえています。お母様に従う女性たちは、お母様の分身になります。お母様を、自分の夫以上に愛さなければなりません。お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです。再び生まれる道がありません。赦そうとしても、その根拠がないのです。お母様は、生命を復活させる方です。再び生んで祝福するのです。

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第二章  真の父母様の聖婚と真の父母時代第一節   真の父母様の聖婚と「小羊の婚宴」聖婚式と「小羊の婚宴」ヨハネの黙示録第十九章に預言された「小羊の婚宴」は、真の父母様の聖婚式によって実現された。創世記で失われたアダムとエバを、ヨハネの黙示録で取り戻して一致させるのである。御夫妻の聖婚式は、人類歴史の終末時代に、第三アダムとして来た再臨のメシヤが、その配偶者であり第三エバである聖霊の実体を新婦として迎え、神様が真なる人類始祖の夫婦として祝福してくださる式であった。誤って生まれた人類は、生まれ変わらなければならないため、真の父母が必要である。

アダムとエバが成長期間の長成期完成級で堕落して偽りの父母に転落し、またイエス様までもイスラエル選民から不信され、十字架を背負われるようになったことを蕩減復帰した位置で、真の父母様の聖婚式が挙行されたのである。

1   本来、人間始祖は、善なる父母として出発しなければなりませんでしたが、悪なる父母として出発したため、人間は、すべて悪なる父母の血統を受け継いで生まれました。神様の愛を「私」への愛としてそっくりそのまま受け、神様の懐に抱かれて、神様の直系の愛を通した血族として残された息子、娘にならなければならないのですが、そのようになれなかったというのです。ですから、その本来の立場に帰らなければなりません。これが正に、新郎と新婦を迎える「小羊の婚宴」です。

主がこの地上に新郎として来て、一人の新婦を探し、一つの基準の上に接ぎ木しなければならないというのです。それがキリスト教の主張する内容です。その基準を設定し、確固たる目的を立てた宗教が、キリスト教です。ですから、今日、民主世界がキリスト教文化圏において発展するのです。真の父母を迎えようとすれば、そのように発展しなければなりません。

今まで宗教は、一人の真の息子をつくるために努力してきました。神様は、一人の真の息子を探し出すために、今まで苦労されたというのです。ですから、世界宗教の教主たちの中には、女性がいないのです。(041-028;1971-12-12))

2   数多くの宗教の経書の中で聖書が偉大なのは、神様が人類の親であると掲げてきたからです。これがキリスト教思想の源泉です。その次に、イエス様は「ひとり子である」と言いました。ひとり子は、父なる神様の愛を初めて受けることができる息子です。その次に、キリスト教思想は新婦思想です。イエス様はそのようなひとり子なのですが、新郎として来たのです。そのため、新婦が必要です。ひとり子がいるので、ひとり娘が必要だというのです。

新郎と新婦は、男性と女性です。新郎新婦の宴の日とは、神様が初めて愛の旗を掲げて現れる日です。そのような婚宴の席が、エデンの園から願われてきたのです。これが台無しになったので、人類世界の終末において、この婚宴の席を再び回復しなければならないというのです。(135-125; 1985-10-04)

3   イエス様は、「私は神様の息子だ」と言いました。そして、「神様は私の父だ」と言いました。その次に、「私はひとり子だ」と言いました。ひとり子は、初愛を受けることができる王子です。神様の息子の中でも、初愛を受けることができるひとり子だというのです。初愛を独占できる息子なのです。その次に、ひとり娘がいなければなりません。新郎はひとり子であり、新婦はひとり娘です。結婚式をしなければなりません。それが「小羊の婚宴」です。主がこの地上に来て婚宴をするのです。

「小羊の婚宴」をするようになれば、家庭をつくるようになります。神様が願うものが家庭です。神様が願うのは、人類を神様の愛を中心としてひとり子とひとり娘とし、神様が本当に愛し得る家庭をつくることなのです。(160-272; 1969-05-17)

4   聖書を見ると、「終わりの日」には、メシヤが来て「小羊の婚宴」をするという内容が書かれています。「小羊の婚宴」とは、神様の血統関係を中心として夫婦になることです。そのようにして、人類の真の父母が現れたとすれば、サタンは存在できません。血縁的関係を中心として、その血統を結んでくれるのが、父と母、男性と女性、性相と形状の実体です。

神様の愛を動機として生命を動かし、愛と生命と血統が一つになって渦巻くのです。その中で女性と男性の主人が入れ替わり、二人が一つになって共に「主人だ」と言えるところから、生命の種、子孫が連結されるのです。それが創造理想です。ところが、そのようなものがすべて壊れてしまいました。それを取り戻すためには、代わりに万物を取り戻し、人間を取り戻し、父母を取り戻さなければなりません。これが救援摂理の骨子です。(325-131; 2000-06-30)

5   再臨主が来られて婚宴をすると言われています。婚宴、つまり「小羊の婚宴」をするには、イエス様を中心として新婦がいなければなりません。その新婦が、堕落する前のアダムの前にいたエバです。イエス様は第二次のアダムであり、来られる再臨主は第三次のアダムです。ですから、第三次のアダムが、堕落する前のアダムとして来て、堕落する前のエバを探し出し、「小羊の婚宴」をしなければならないのです。

結婚することによって人類の父母になるべきアダムとエバが、堕落したことによって悪なる父母になりました。それで、私たちが堕落する前の善なる父母に出会うようになれば、復帰されるのです。ですから、人類には善なる父母がいなければなりません。「小羊の婚宴」をするのは、善なる父母として即位するためです。

6   人間は本来、堕落せず、時と環境を整えて神様の祝福を成就した真の先祖にならなければなりませんでした。ところが、それができずに堕落した先祖になったので、万民の前に堕落していない善の先祖が登場しなければなりません。その人は、天にいる霊人たちにとっても父であり、地に暮らす人たちにとっても父になれる方です。そのような方を、キリスト教では再臨のイエスといいます。

「小羊の婚宴」は、再臨のイエスが父として来られて、母を立てる祝宴です。キリスト教の真理とは、正にこのことなのです。キリスト教の中心はイエス様であり、イエス様の中心は愛です。聖書の中心も愛です。愛の中心は新郎と新婦であり、新郎と新婦の中心は「小羊の婚宴」です。この「小羊の婚宴」の中心的な意味は、本来、神様が許可した時と環境を整えて、天と地を相続できる真の人間先祖として祝福を受けることなのです。

7   神様は、失ってしまったアダムとエバの代わりの存在を求めています。聖書では、イエス様を後のアダムと言い、完成したアダムを生命の木と言っています。ですから、イエス様は、失ってしまった生命の木の代わりとして来られた方です。

しかし、イエス様は、使命を完結することができませんでした。神様と息子が喜ぶことができる一日をもつことができなかったので、再臨という言葉を残すようになったのです。神様がイエス様と共に喜ぶことができる一時、六千年の恨の心情を吐露し、神様と、あるいは今後来られる主と息子、娘の関係を結ぶ日が来るのです。神様のひとり子、イエス様がこの地上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。

神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘を求めるための歴史です。聖霊は、神様の娘として来られました。神様を解怨するその日が、「小羊の婚宴」の日です。(004-303; 1959-10-11)

8   今まで宗教は、理想的な一人の男性と理想的な一人の女性を求めてきました。神様が「この人は、私がありったけの愛を注ぐ人だ」と言い得る、一人の男性と一人の女性を求めてきたのです。キリスト教でいう新郎と新婦とは、世界をすべて網羅して、神様の愛を受けることができるひとり子とひとり娘を探し出すことを意味します。完成した男性と女性がこの地上で出会い、婚宴を行ってこそ、新しい世界が開かれるのです。ですから、来られる再臨主は、新婦を探し出して「小羊の婚宴」をしなければなりません。(041-027; 1971-02-12)

9   人間が堕落していなければ、原罪のない息子、娘を生み、そのまま天国に行ける家庭をもっていたはずです。そこに立った父母は真の父母です。また、その家庭は、神様と一つになった家庭です。その息子、娘は、神様の家庭の子孫です。このようなみ旨を創世記で成就できなかったので、ヨハネの黙示録に至って、新郎と新婦の名を立てて成就しようというのです。

新郎は、完全な真の父として来られる方です。新婦は、神様が愛することのできる真の母として登場する方です。アダムとエバが堕落していなければ、神様を中心として結婚式をしたはずですが、堕落したことによって、サタンを中心として結婚式をしてしまったので、それを取り戻して神様を中心に初めて聖婚式を行うというのが、ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」という言葉なのです。

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24  統一教会で言う真の父母も、やはり人です。人と言えば、男性と女性を意味します。その男性と女性(が誰かということ)は、神様を中心として論じなければなりません。アダムとエバが偽りの父母になったので、真の父母がそのアダムとエバを身代わりした位置に来て、善の父母にならなければなりません。言い換えれば、アダムとエバが未完成で偽りの先祖になったので、代わりに真の父母は、神様を中心として完成、成就できる位置に立たなければならないのです。

本来、神様が創造当時に、完成したアダム理想として見いだそうとしていたその位置が、真の父母の位置なので、その位置を再びはんだ付けして、その理想を主張している人がお父様です。統一教会では「真の父、真の母」と言いますが、外見を見れば、皆さんと異なるところがありません。しかし、根が違います。皆さんは、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根をもって生まれましたが、真の父母は根が違うというのです。神様を根として、初めて歴史上に真の愛の論理を中心とした統一論理をもって現れた、主人公だというのです

25  お父様が血統的にサタンの讒訴を受けるようなことがあっては、何にもなりません。皆さんを祝福する式は、イエス様が亡くなったのち、二千年の間苦労して再臨し、新郎新婦となった位置を引き継がせてあげる式です。その式は、統一教会の祝福家庭を立てる式です。皆さんが祝福を受ければ、天国に入る門は常に開かれています。サタンが讒訴できなくなってくるというのです。

26  堕落以降、すべての罪悪が全人類の体を征服しました。サタンの血統が連結されたのです。それを否定できる道が蕩減路程です。真の父母は、それをすべて清算しました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的な段階で蕩減しました。真の父母によって真の血統に連結され、すべて終えたのです。皆さんは、小メシヤの位置にいます。

父母様は、サタン側の血統に属しているのではなく、神側の血統に属しています。根が違います。皆さんの根はサタン側であり、父母様の根は神側です。神様から始まる本然の真の愛を真の父母が相続し、それを皆さんに連結してあげるのです。皆さんも接ぎ木されたあとに、真の父母に属するようになるのです

27  お父様は、この地に来て、サタン世界を中心として、縦的八段階と横的八段階を勝利しました。アダムが罪を犯し、サタン圏内に入ったのです。罪さえなくなれば、本来の位置に帰ってくることができます。しかし、自分自身が原罪を清算することはできないのです。真の父母が、真の愛によって清算できるというのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、八段階を中心として、すべて清算しました。

アダムが十六歳で堕落したので、十六歳になるまでは、本然のアダムの体です。(アダムは)天の国にある神様のあらゆるものを相続できる本然的な、堕落していない完成に向かう男性でした。このアダムが失敗したので、再臨主が来て、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙においてまで闘い、サタンを追い払いました。罪を清算したのです。原罪を抜き取ってしまったというのです。お父様は、アダムの十六歳から今までのアダム世界とは関係のない、勝利したアダムの位置で全人類を取り戻したのです。

28  私は、韓国の田舎のある農民の息子として生まれましたが、その根源が違います。人の中には、世の中に生まれながらにして(道理を)知っている人がいます。それを「生而知之(生まれながらにしてこれを知る)」と言います。また、学んで知る人がいます。それは「学而知之(学びてこれを知る)」と言います。

私は、生まれながらにして知っていたり、学んで知ったりしたのではありません。「天而知之(天によりてこれを知る)」だというのです。天のみ旨の中で生まれれば、知るようになるのです。神様の心まで分かるというのです。そのため、今まで世の中から反対を受けながらも、その世界で死なずに生き残ったのです。

29  皆さんが神様と一致すれば、神様はあらかじめ、創造的な準備をしてくださいます。皆さんがそのような立場に立つようになれば、霊界から教えてくれるというのです。

以前、私に一度も会ったことがないのに、私が生まれる前から私に侍ってきたという人がいました。私よりもずっと年配の人が、私が生まれる前から、既に私と出会い、侍ってきたのです。

それは、神様の予定によって、そのようになり得るのです。中心となる一人を世の中に送り出すときは、性相的にも形状的にも、同じ基準を中心として役事しなければなりません。ですから、神様は、私が生まれる前から、私の形状を使って役事されたのです。

30  お父様は、ある家門の息子として、この地に生まれたのではありません。私自身は、十歳を越えてから、既に世の中のあらゆることが分かりました。ですから、身内や隣近所で有名でした。その世界が分かるように、天が何千年も前から準備して生まれたというのです。私が生まれる前に、私に会った人が多くいるのです。私は地上には現れていなかったのですが、私よりも年配で、通じる人々は、既に私に指導を受けていたというのです。

再臨主として来られた真のお父様と聖霊の実体として来られた真のお母様イエス様は、イスラエル民族の不信により、十字架にかかって亡くなられ、地上で真の父母の道を歩むことができなかった。その後、復活したイエス様は、霊的な新婦を探し出されたが、その方がすなわち聖霊である。イエス様は霊的な真の父、聖霊は霊的な真の母として、堕落した人類を霊的にのみ重生させる、限定的な救援摂理をされるようになった。霊肉ともの救援摂理を成し遂げるため、イエス様は再臨されなければならない。それゆえ、再び来られるイエス様は、肉身をもって地上に誕生される第三アダム、すなわち再臨のメシヤとして、準備された聖霊の実体を新婦に迎え、人類を霊肉共に完全に重生させる実体の真の父母にならなければならないのである。原罪をもっている人類は、実体の真の父母を通して原罪を清算し、霊肉の完全なる救いを可能にする重生、すなわち血統転換の恩寵を受けるようになる。

31  アダムが失敗したために、代わりに送られたイエス様は、第二アダムです。聖書でも、イエス様のことを後のアダムと言いました。先祖を失ってしまったので、真の先祖を復帰しなければなりません。

イエス様は、人類の真の父格です。そして、聖霊は人類の真の母格です。このように、真の父と真の母を霊的に立てて、これを実体の形状としてこの地上に現すことが再臨の目的です。人類の前に真の息子、娘が現れる時が、「終わりの日」です。

真の先祖を失うことによって堕落した子孫となり、真の父母と血統的な関係を結ぶことができなかったので、反対の経路を通して、失ってしまった息子、娘を探す時なのです。

32  キリスト教の中心は、イエス様です。新郎であられるイエス様が、新婦を迎えるのです。これが正に、「小羊の婚宴」です。「小羊の婚宴」とは、イエス様と聖霊である一人の女性が、実体をまとって結婚式を挙げることです。キリスト教では、「父」は神様であり、「子」はイエス様だと言います。「聖霊」は母なる神です。

母なる神であるため、その聖霊を受けなければ、重生することができません。母なる神である聖霊が生んであげなければなりません。父母の愛を通さなければ、人が生まれるということはありません。これが天理です。

イエス様は父であり、聖霊は母です。すなわち、イエス様は新郎であり、聖霊は新婦なのです。皆さんの心に聖霊が臨み、新郎であるイエス様を聖霊が思慕する力と皆さんの心が一致するとき、火を受けます。生まれ変わるのです。それにより、霊的父母との愛の関係を通して、新しい生命が注入されるのです。これが、キリスト教で言う重生です。

33  真の父は、完成したアダムです。アダムが堕落して、人類の真の先祖になれなかったので、私たちはすべて、真の先祖ではない、偽りの先祖の子孫です。ここにおいて、真の先祖として来られた方が、メシヤです。真の父だというのです。それで、キリスト教では三位神について語っています。イエス様は真の父であり、聖霊は真の母なので、この父母の愛を受けてこそ、重生できるというのです。

子女は、父母の愛なくしては生まれることができません。そのため、ヨハネの黙示録に「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(22・17)とあります。

そのような日は、聖霊が実体をまとう日です。その時が再臨時代です。新婦の身支度を終える日です。「小羊の婚宴」は、失ってしまった真の父母を、逆に迎え入れる日です。

34  イエス様は父です。聖霊は母なる神です。母なる神によって感動を受けなければなりません。エバ、母によって失ってしまったので、完成した母なる神が来て「私」の心と体を清め、完成した父と霊的に一つになる体験をしなければなりません。そのような体験をしなければ、重生する道はないのです。

「聖霊に逆らう人は赦しを受けることができない」と言われています。天の父と人の子に逆らうことは赦しを受けられますが、聖霊に逆らえば赦しを受けられないというのです。

聖霊は母なる神です。母の胎中を通らなければ、人が出てくることはできません。間違って生まれたので、再び生んであげなければなりません。偽りの愛で間違って生まれたのですから、真の愛によって、真の父と真の母の立場で再び生んであげなければならないというのです。

35  イエス様が家庭基盤を備えるためには、新婦である聖霊を迎えなければなりません。実体の聖霊を迎えれば、平面的な基準を中心として、思いどおりに活動することができます。ところが、弟子たちが息子、娘の基準を立てられなかったために、イエス様は霊的な条件のみを立てたのです。これがイエス様の恨です。このように、地上で完全蕩減の基準を立てられなかったので、イエス様は仕方なく、昇天するようになったのです。

男性は天の代身であり、女性は地の代身です。イエス様は人類の真の父であり、聖霊は人類の真の母です。したがって、聖霊が実体をまとって降臨しなければならないのですが、実体であるひとり娘が現れなかったので、そのみ旨を成し遂げられなかったというのです。

36  天国は、男女が共に家庭を築いて入る所です。しかし、イエス様は、この地に来られて、新婦を探し出すことができず、息子、娘をもつことができずに亡くなられたので、今に至るまで、楽園で二千年間、祈りながら、聖霊に役事をさせているのです。

女性が先に罪を犯したので、女性神である聖霊が母として現れ、罪を清めて世の中をきれいにすれば、イエス様は再び新郎として、新しい種をもって再臨しなければなりません。再充電し、新しい天地の真の父母の血族によって、神様を中心とした新しい世界をつくろうというのが、神様の目的です。このような世界がつくられてこそ、「神様の計画がみ意のとおりにすべて成し遂げられた」と言うことができるのです。

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16 万民にとって、神様は永遠なる無形の内的父母であり、完成したアダムとエバは、永遠なる有形の外的父母になります。最大の愛は、主体と対象が永遠の愛を与え合い、完全に一つになるときに現れ、結実します。真の愛の中では、自動的に統一が起こり、また、生命が連結し、理想が実現するのです。神様のみ前に最も貴い対象存在であるアダムとエバに、神様の愛を中心に父母と子女として、主体と対象として、また無形の創造主と有形の実体として、完全に調和統一された、永遠の愛と生命の理想を実現させることが神様のみ旨でした。

よく「創造主と被造物が対等の位置に立つことはできない」と言われてきました。もしそうだとすれば、その創造主の前に、愛の理想を実践することは不可能です。神様の愛の理想は、子女であるアダムとエバを有形実体対象として立て、永遠に彼らと合一しようとするものでした。神様は、人間の中に住むことを願われます。無形の神様の愛の理想が、実体の人間を通して実現する基点は、人間が神様の対象体として完成する瞬間です。

17 地上の王はアダムとエバで、横的な真の父母であり、天上の王は神様で、縦的な愛の王です。男性と女性が愛し合うその時が、創造主と被造物が真の父母として合徳する時間です。地上天国、すなわち横的天国を出発させ得る王の顕現と、縦的な天上天国の王の顕現が、その愛から出発するのです。

世の中の貴いすべてのものの中心、本宮が男性と女性の生殖器です。その宮の主人は一人です。王宮の主人は一人の男性であり、一人の女性です。生命の王宮も、血統の王宮も同じです。地上天国の王も一人であり、天上天国の王も一人です。アダムとエバが結婚する日が、神様の結婚式の日だということです。アダムとエバが愛の関係を結ぶことによって、初めて神様を完成させ、解放の位置に立たせてあげるのです。

18 人間は、神様を身代わりした生命の種です。神様は生命の種の根本です。神様の種を相続した人間が、横的な子女を繁殖しなければなりません。種の主人が真の父母です。そこから繁殖して、それを横的に幾筋にも伸ばし、拡張するのです。それが公式です。

最も多くの祝福を受けた父母は、息子、娘が多い父母です。息子、娘が多い家庭の父母が、祝福をたくさん受ける基盤を立てるのです。個人の価値を完成すれば、この家庭基盤を自動的に相続するのです。結婚をすれば、前後左右が一つになります。ここが正に、完成点になります。そこに神様がいらっしゃるのです。子女の完成がここで実現され、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成がここで実現されます。すべて見えない神様と連結されるのです。

心で願うすべてのことは、これに似ます。この位置が見える神様の位置です。その中に兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛があります。ですから、彼らは息子、娘を相続するのです。

見えない神様の創造が始まったとき、見える世界に登場するのと同じです。父母の理想、夫婦の理想、兄弟の理想、子女の理想、この四つが父母の中にあります。それで子女を生むのです。子女が徐々に成長し、兄弟になり、夫婦になり、父母になって、完全に一つとなって四方を回るようになるとき、完成するというのです。そこから再創造が始まります。見えない神様が顕現したのが夫婦です。これが理想的な夫と妻です。彼らの結婚初夜、そこに神様が訪ねてこられるのです。

19 無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をまとい、有形世界に永存される父母になるのです。このときアダムとエバは、真の父母、真の先祖になります。神様が体をもった父になるので、見えない無形と有形が一つになるのです。それは、天宙が一つになることを象徴します。そのため、神様の形状に似た、体を備え得る姿としてアダムとエバを造ったというのです。

そうして、アダムとエバを天の国の王宮の王座に登らせ、その王の心の中に神様の王宮を造るのです。王国は、愛の王国です。

20 アダムとエバが神様の体を備えれば、神様は彼らの心の中にお住みになり、有形世界である地上世界と無形世界である霊界を治めるようになったでしょう。これは、神様が治めることであると同時に、アダムとエバが治めることでもあります。

この地に神様の王国、すなわち平和王国をつくっていったでしょう。アダムとエバは、地上天国の王であると同時に、天上天国の王になったでしょう。神様の属性をそのまま受け継ぎ、アダムとエバはすべての被造物の上に、絶対的存在であり、唯一の存在であり、永遠で不変なる真の愛の実体の父母、実体の王、実体の主人、実体の師になったでしょう。今日の人類は、すべて神様の体をまとって生きる分身体になっていたのです。

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9   真の縦的父母が神様であり、真の横的父母が真の父母様なので、父母を知らない人は、天宙の祝福権を相続する権限がありません。真の愛によって結ばれた心情圏においては、父母も子女も、神様も真の父母様も、平等な所有権をもつようになるのです。縦的父母は神様です。横的父母は真の父母様です。それをはっきりさせなければなりません。

10  神様は、垂直的に唯一の愛の主人公なので、「縦的父母」と言います。堕落していない本然の人間の先祖は、横的で水平的な父母です。そのため、九〇度になっています。これは周回しても、どこでも同じ位置が維持されるのです。水平と垂直が九〇度になっているものは、東西が上下になっても不平はありません。

神様の位置が男性と女性の位置に来てもよく、息子、娘の位置が母、父の位置に行ってもよく、祖父と祖母の位置が孫と孫娘の位置に行っても通じるというのです。ここにおいて、統一圏が形成されるのです。人間の家庭構成理念のための統一的基盤が生じるのです。ここでは消耗がなく、闘争がないので、平和の真理が万年にわたって作動できるのです。

神様は真の父母の形状で永存創造本然の世界では、アダムとエバが完成し、真の夫婦の愛によって完全一体となれば、その上に神様が臨在して人類の真の父母になられる。無形の神様の姿にそのまま似た実体対象であるアダムとエバが完成し、神様と一体となった真の父母として子女を繁殖することにより、理想家庭と理想世界を築くのである。そのようになれば、完成した人間を通して霊界と地上界が連結される。人類の最初の先祖であるアダムとエバが真の父母となり、地上での生涯をすべて終えて、完成した霊人体として霊界に入れば、そこにおいても神様は、真の父母であるアダムとエバの形状をもって顕現されるようになる。すなわち、神様は、完成したアダムとエバである真の父母に臨在し、二人の形状で永存されるのである。それゆえ、堕落した罪悪世界を創造本然の世界に蕩減復帰し、創造理想世界を完成された真の父母様は、地上と霊界において、神様の永遠なる形状になられるのである。

11  神様が二性性相に分立して本性相と本形状の実体となり、本陰性と本陽性の実体となって地上に顕現することによって、天宙のすべての存在は神様の実体になります。神様は、二性性相の中和的存在であり、位置や次元においては男性格主体だというのです。

その男性格主体が、真の父母を中心として実体の中に入ってきて、血統が一つになり、愛と生命が一つになるのです。そのような一体の位置において、天の国の眷属として、創造理想が完結した全体、全般、全能の世界の相続者として、皆さん各自が永生の天国で主人家庭の位置を占有しなければなりません。神様も、霊肉が勝利した実体世界を願っています。

12  神様は、なぜ人間を創造したのでしょうか。神様も体をまとわなければならないからです。アダムとエバが神様の体になるのです。その次には、愛の対象が必要で人間を創造しました。そして、天の国の民を繁殖するために、神様の実体対象を立てたのです。そうして、神様の息子、娘たちを生み、子女として天国に迎え入れさせようというのです。そのために、神様は人間を創造しました。

皆さんが霊界に行けば、そのような本然の形態を備えなければなりません。神様の代わりに、民を率いなければならないのです。神様の代わりになる愛の対象がいなければなりません。それをこの地で完成していくのが夫婦です。凹凸が初めて一つになるのです。これは、天地が一つになることです。男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。男性も女性も、愛の対象をもたなければなりません。その次に、神様の形状にならなければなりません。神様のようにならなければならないのです。神様と同じものをもっているので、小さな神様であることは間違いありません。

人間が永遠の世界において、自分の位置と価値と栄光の場を占有できる所に訪ねていくこと、それが「亡くなる」ということです。「亡くなる」というその言葉は、啓示的です。(韓国語の「돌아가다 (亡くなる)」という言葉には「帰る」という意味がある)そのような目的で生活し、そのような実体を収めて霊界に行き、神様の家庭的、氏族的、民族的、国家的対象になり、すべての栄光の実体として、無限の世界で永存することが、存在する私たちの理想です。

13  宇宙は、神様の形を中心とした象徴的な実体です。その次に、形象的な実体であり、実体的な実体です。すべてのものが、本体に似ているというのです。最もよく似たものが形象的なものであり、形象を主体として似たのが象徴体です。象徴世界、形象世界、実体世界は、別々になっているのではなく、一つになっています。象徴、形象、実体を中心として見るとき、それを三段階と見るのですが、その中心はたった一つしかないというのです。一つなので、統一された位置にならざるを得ません。象徴も一つを願い、形象も一つを願い、実体も一つを願います。この世の中の象徴的な存在は万物です。形象的な存在は人間です。実体的な存在は神様です。

神様は、見えない無形としていらっしゃいます。その無形の神様が有形の神様として顕現するためのものが、創造理想です。神様は見えない世界の実体にもなりますが、また、見える世界の実体にもなりたいと思うのです。そのため、見える世界の実体を再び造っておいたのが人間なのですが、その人間の出発基地が真の父母だというのです。真の父母は、見える世界において象徴的中心存在であり、形象的中心存在であり、実体的中心存在です。それゆえ、この見える世界の真の父母の中心は、見えない世界の神様を身代わりした実体と一体になっているのです。

霊界も同じです。霊界にも象徴世界があり、形象世界があり、実体世界があります。内容が見えないだけであって、見える世界と同じように、内外になっているというのです。すべての中心は一つです。見える世界の中心も一つであり、見えない世界の中心も一つです。見えないこの実体の中心は、霊界に行って定着するためのものなのです。

14  本来、アダムとエバは、神様を見ながら育つのです。霊眼で見るというのです。神様は、実体としては、アダムとエバを通して現れます。自己伝授です。見えない神様をすべて伝授して、アダムに現れ、体をまとうのです。心は見えませんが、心のことが分からないのではありません。分かります。心が主体として、すべて引っ張って回るのです。

アダムとエバは、自分勝手に生きることができません。心を中心として、一つになって進む立場で生きるようになっているというのです。ですから、私たちは、心を絶対視しなければなりません。心は、父母に優り、師に優り、神様に優るというのです。愛が理想とすることは、自分の何千万倍、優れていることです。そのため、神様自体を、アダムとエバ自体がすべて感じるのです。自分一人で行動できないというのです。アダムとエバが神様を感じ、形体としても分かるのです。「私のように一つになっているのだなあ!」ということを感じるというのです。

15  霊界に行けば、神様は真の父母として現れます。真の父母の心の中に神様が入るので、見えるというのです。神様は、対象を必要として創造しました。対象がいなければ、愛を感じられません。完成のために対象を造り、体をまとうために造りました。その次に、繁殖するために造りました。地に実体がなければ、繁殖できないのです。

この三大要件ゆえに、神様は創造を行いました。神様も体をまとわなければなりません。体をまとうためには、対象が必要です。対象の体を身につけさせたのが、アダムとエバです。そのため、アダムとエバのその姿が、神様の姿になるのです。

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14  人間は、家庭から出発しました。家庭を縮小してみれば、夫と妻によってできているので、ひとり子になったのであれば、ひとり娘を迎えなければなりません。このひとり子とひとり娘は、堕落していない本然のアダムとエバにならなければならないのです。ひとり子とひとり娘は、息子、娘を生まなければなりません。

真の父母に侍り、息子、娘を完成させようとすれば、与えられた環境において、祖父、祖母、母、父、四方のために生きることができなければなりません。息子、娘は父母のために生き、父母は息子、娘のために生き、その父母はまた、(彼らの)父母のために生きなければなりません。祖父は孫のために生き、孫は祖父のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きれば、それは祖父母、夫婦、兄弟がすべて入るというのです。

このような原則において、一つの家庭の標本を中心として見るとき、互いにために生きる家庭であれば、天国家庭であることは間違いないという論理が出てきます。

原罪がないイエス様と再臨主人類の始祖アダムとエバは、サタンの誘惑に陥り、善悪の実を取って食べることによって罪を犯し、それが原罪となった。原罪は、神様の血統を汚した不倫なる性犯罪であった。神様の愛によって代を継いでいくべき人類が、サタンの偽りの愛によって子孫を繁殖したのである。

聖書のマタイによる福音書の記録には、イエス様がキリストとして生まれるまでの血統的系譜が出てくる。堕落したアダムの後裔の中から、善悪の血統を分立、転換しながら、千年にわたってサタンとの血縁的関係を清算してきた蕩減復帰摂理歴史の基台の上で、ついに原罪のない、イエス様が神様のひとり子として誕生されたのである。

このように、原罪と関係なくお生まれになったイエス様は、人類の真の父として、真の母を迎え、真の父母の位置に進み、原罪のない直系の子女を誕生させる一方で、堕落した人類を重生させ、原罪を清算させるために地上に来られた。しかし、イスラエル民族の不信により十字架にかからなければならなくなるやいなや、このすべての課業を、再臨して成し遂げることを約束されたのである。

それゆえ、第三アダムとして来られる再臨主は、イエス様を中心としたあらゆる蕩減復帰摂理の歴史的伝統と結実を、霊肉共に相続すると同時に、メシヤの立場から出発し、真の父母の位置に登極することにより、地上で神様の創造理想を実現する使命を完遂されるのである。

15  イエス様は、サタンが讒訴できる位置を抜けだした立場で生まれたので、原罪がない方です。サタンの主管圏内においてサタンと相対したのが原罪ですが、イエス様はサタンの讒訴条件を越えてお生まれになった方なので、原罪とは関係がないというのです。このために入れ替える歴史があったのです。エサウとヤコブの時に入れ替え、また、ペレヅとゼラの時に入れ替えて、勝利の基盤を築いてきました。ですから、イエス様は、原罪と関係のない人間として生まれたのです。

16  イエス様は、神様の主管下で生まれた息子なので、原罪を免れた立場に立ちました。サタンの讒訴条件をもっているがゆえに原罪があるというのですが、原罪を免れた立場に立っているため、本然の基準、堕落する前のアダムの位置に帰ることができるのです。ですから、イエス様だけが第二次のアダムになることができます。人類の先祖として、アダムが失敗したことを復帰できます。アダムの位置を身代わりできるのです。ここから新しい歴史時代に入ります。

イエス様は無原罪で生まれたので、サタンの讒訴から完全に脱しました。サタンの讒訴から脱すると同時に、サタンを完全に屈服させました。天使長を屈服させたというのです。イエス様は、このように神様の息子として、堂々と本然のアダムの位置に立つことができました。

17  聖書には、ヤコブが母であるリベカと一つになって、兄エサウと父イサクを欺き、祝福される話があり、また、タマルが舅と関係を結んで生んだペレブとゼラを中心として、ユダの支派が祝福を受けるようになったという内容が出てきます。このような、人倫や道徳観において解決できない内容が、どうしてあるのかということが問題です。

そして、マタイによる福音書を見れば、四大淫女についての話が出てきます。タマルが出てきて、バテシバが出てきて、ラハブが出てきて、ルツが出てきます。マタイによる福音書は創世記に相当するものですが、歴史時代において、最初の章になぜこのような神聖ではない、汚点をもっている女性たちが出てきたのかというのです。

このようなすべての問題は、堕落論を知らなければ解決するすべがありません。お父様の時代になって、初めてそれをすべて明らかにしてあげたのです。

18  ヨセフと婚約したマリヤは、エバとちょうど同じです。アダムとエバは、堕落する時、婚約した立場にいました。アダムとエバが婚約段階にいる時に堕落したのと同じなので、これを蕩減復帰するためには、リベカの伝統を引き継がなければならず、タマルの伝統を引き継げる女性がいなければなりません。そのため、血統を清めた女性を代表した基準で、それを相続できる位置に立った人がマリヤでした。

マリヤは、神様の息子、娘を生むために生命を捧げることを覚悟し、犠牲になる道でも、神様のみ旨を立てた女性でした。タマルのように、イスラエルの王権を立てることを最高の希望と思い、自分の身がどうなろうと、死のうと生きようと、自分を通して神様のみ旨を継承しようとした歴史的な女性でした。

19  マリヤは、自分の生命を懸けて、神様のみ旨を誰よりも熱心に追求する女性でした。ちょうどタマルのように、志操を守って忠節を尽くし、貴い天の血統を残すためには、いかなる冒険でも強行できる大胆な立場に立っていた女性が、正にマリヤでした。

天使ガブリエルが現れ、マリヤに「あなたはみごもって男の子を産むでしょう」(ルカ1・31)と告げたとき、マリヤは、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」(ルカ1・34)と答えました。そして、天使が再び、「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1・37)と言うと、マリヤは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1・38)と答えたのです。その立場は、死を覚悟しなければ行くことができない立場です。

その当時、未婚の女性が身ごもれば、モーセ五書に基づいて、石で打たれて殺される時代でした。神様は、自分の命よりも神様のみ旨を尊重し、自分の威信や体面よりも神様のみ旨を尊重するマリヤを通して、イエス様を懐妊するようにさせたのです。ですから、イエス様は、神様のみ旨によってマリヤのおなかを通して生まれた、歴史上初めての神様の息子です。

20  マリヤの腹中にいるイエス様に対しては、サタンが讒訴できません。イエス様が生まれるようになったのも、マリヤが動機になったのではなく、神様のみ旨を中心として、神様の命令によって生まれたので、神様が動機となったのであり、また出生に至る過程も、腹中の勝利の基盤をもつマリヤの腹中から生まれたイエス様だったので、イエス様には、サタンのいかなる讒訴条件もあり得ないというのです。

歴史時代に、腹中から始まったアダムとエバ以降のあらゆる闘いの基盤を、初めて腹中から分別したというのです。このような血統をもって現れた人がイエス様でした。

ですから、イエス様は、いかなる預言者や、いかなる世界的な宗教指導者とも、その根本が違うというのです。イエス様は、サタンが讒訴できない血統的な内容を備えて来られた世界的な代表者です。また、歴史的な内容をすべて清算して来られた方なので、正に神様を中心とした血統的な内容をもって生まれた最初の人に違いありません。イエス様は、このような動機や過程を経て、神様の真の息子として、この地上に誕生するようになったのです。

21  イエス様の父親は、ヨセフではありません。天の側の天使長圏の人物です。堕落した天使ではありません。神様がそのようにさせました。

サタン世界を凌駕し、天の側となり得る基盤を築き、種を植えて、そこで神様の心情圏を受け継いでこそ、本然のアダムとして認められるのです。イエス様は、そのような位置で、血統的に分別された種を受けて生まれました。そのような人は、歴史始まって以来、一人しかいません。ですから、メシヤ、救世主になることができるのです。初めて神様を中心として、愛の絆を通して生まれた代表的で唯一の人なので、「ひとり子」という言葉が成立するのです。

22  人類歴史上、国家的次元で万王の王権をもって来るイエス様は、血統を転換して勝利的伝統を受け継いで来ました。ですから、マリヤの腹中で妊娠しても、サタンが「彼は私の息子である」とは言えないようになっています。タマルの心情的伝統を受け継いだ歴史的な基準の上に、国家的次元でマリヤが身ごもったため、エバの失敗を蕩減復帰したのです。

女性たちが行くべき道において結実の位置に立ち、血統転換、すなわち長子復帰完成基準の心情圏の上で身ごもったので、腹中にいるときから、サタンが「私の息子である」と主張できないのです。イエス様は、歴史的に清められた血統的基盤の上でマリヤの腹中に宿ったため、長子圏内で身ごもったとしても、サタンが「自分の息子である」とは言えないというのです。

腹中から長子権を主張できる息子が地球星に生まれなければ、神様の長子の血族圏を立てることができません。イエス様は、堕落の人類歴史の上に、神様の心情を受け継ぐことができる最初の代表者になり、歴史的な代表者となることによって、初めて「私は神様のみ前にひとり子である」と言うことができました。これは、愛を中心とした長子権復帰において代表者になったので、メシヤになることができる、ということです。

23  イエス様は、血統を清めた上で来ました。双子の時代、すなわちエサウとヤコブを通して長子権を復帰し、タマルの腹中でペレブとゼラの、歴史にない闘いを通して、ひっくり返すことによって、血統転換をしました。歴史がすべて見せてくれたのです。

聖書は、本当に啓示的です。世界史、文化史、宗教史において欠かせない宝典です。人類歴史に関する曲折の事情と秘密が、すべて含まれています。それを解かなければなりません。このようにして、血統を復帰しなければならないのです。マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統が転換されています。血統が転換された位置から来たので、イエス様の相対となり得る新婦も、血統転換歴史の過程を経なければなりません。

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4   イエス様が地上に来られることによって、初めてひとり子という名をもつようになりました。神様が失ってしまった歴史時代、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神様の愛を受けることができる血統的内容を中心として、地球星にひとり子が生まれたのです。しかし、ひとり子は生まれましたが、ひとり娘はいませんでした。

神様は、四千年間の救援歴史を通して、完成したアダムを再び創造したのと同じです。神様は、アダムに似せてエバを造りました。アダムの相対になることができるように、アダムを造られた原則、その青写真に基づいて造ったのです。聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性を造ったと記録されています。それは、骨子をまねて造ったということです。ですから、完成したアダムは、この地で失ってしまったものを取り戾すことができるひとり子です。

神様は、直系の真の愛の血統を通してアダムを取り戻しましたが、エバは取り戻すことができませんでした。エバを取戻そうとすれば、今までの堕落以降の歴史を、家庭から再び復活させ、接ぎ木して国をつくらなければなりません。そのために準備しておいたのが、ヤコブからのイスラエル民族の十二支派です。選民思想を中心として、ヤコブの十二人の息子が着地し、世界に勝利の版図を拡大させたものが、イエス様が来られる時までの二千年間のイスラエルの国とユダヤ教なのです。

5   イエス様が堕落した人間たちに対して、神様の息子、娘であることを示したことや、「私は神様の息子だ。神様のひとり子だ」と語った事実は、偉大なことです。そして、「ひとり子」という名が地上に現れたという事実は、神様が数千年の蕩減歴史を経てくる中で、吉報中の吉報です。それで、ひとり子を中心として、ユダヤの国とユダヤ教、カインとアベルを入れ替え、血統を入れ替えなければなりません。

しかし、イエス様は、ひとり子という名をもって来ましたが、ひとり娘に出会うことができませんでした。そのような人に出会うには、そのままでは出会うことができません。準備された基盤がなければならないのです。個人と家庭、氏族を基盤として連結されていかなければなりません。このようにして個人、家庭から血統を転換させなければなりません。

6   人類が生まれてから四千年ぶりに、この天地間に神様のひとり子が生まれました。良い知らせです。幸福な知らせです。それで、キリスト教で「福音」という言葉が出てくるようになったのです。福音とは、幸福な音信です。その時まで神様のひとり子が現れることができず、人類が神様を中心とした愛の関係を結ぶことができなかったために、人類にとってそれが恨でした。しかし、その恨を解いてあげる一人の代表的な男性が現れたので、それ以上に幸福な音信はないのです。

もしひとり子が現れていなかったとすれば、大変なことになります。歴史上にそのような人が現れたので、全人類が彼の側にならなければならず、天地も彼の側にならなければならず、創造主も彼の側にならなければなりません。ですから、その道を妨げる人は滅び、歓迎する人は栄えるようになります。

ひとり子が現れたことが幸福です。神様は、先にひとり子を送られました。それで、今までの歴史は、男性がつくってきたのです。ひとり子が来たならば、その次には、ひとり娘がいなければなりません。

7   神様は、真の愛を中心として、縦的な父母としていらっしゃる方です。垂直は一つです。横的な位置で垂直になるのは、九〇度の一点です。男性の位置も九〇度の一つであり、女性の位置も九〇度の一つです。二つではありません。人類歴史で初めて、その九〇度に合わせて愛を受けた人が、ひとり子です。

そのひとり子の前には、ひとり娘がいなければなりません。メシヤはひとり子として来て、ひとり娘を求めなければならないのです。しかし、そのまますぐに求めることができるわけではありません。アダムを通してエバを造ったので、この世の中に来て、エバを探さなければならないのです。サタンが奪っていったエバを取り戻さなければなりません。

ひとり子であるイエス様が、神様の息子として、ひとり娘を迎えて、男性と女性が九〇度の角度で一つになれる道を合わせておかなければ、天地が通じません。神様には二性性相があるので、ひとり子とひとり娘が一つになった、その場に神様が入ってきて臨在するのです。

8   神様は、アダムとエバの堕落以降、失ってしまった子女が戻ってくることを、ただ待っていることはできませんでした。神様は、人間がサタンの讒訴条件を抜け出すことができる道を探し求めてこられたというのです。その路程が、どれほど大変で、悲惨だったでしょうか。サタンが王になっている世界で、神様の立場はどのようなものだったでしょうか。

ひとり子イエス・キリストを、サタンの讒訴条件を免れた位置で誕生させるまでの神様の苦労は、到底言い表すことができませんでした。その時、イスラエル民族がひとり子であるイエス様と一つになっていたならば、ローマを越え、世界に進むことができました。真の父母にならなければならなかったのです。

しかし、ユダヤ教とイスラエル民族が責任を果たせなかったので、イエス様は「再び来る!」と言われました。神様は、四千年ぶりにひとり子を探して立てましたが、ひとり娘は探し立てられなかったのです。神様がアダムとエバを創造したように、ひとり子がいれば、ひとり娘もいなければなりません。イエス様と聖霊の摂理が、正にそれです。

私たちは、原理を通して、中心人物や民族が責任を果たせないとき、神様が代身者を立てることを学びました。したがって、イスラエル民族が責任を果たせないことによって、ひとり娘を立てることができなかったので、神様はひとり娘を別に育ててこられたのです。

9   人間世界で神様が愛の主人であれば、その愛を中心とした神様の家庭がこの地上になければなりません。その神様の本郷の地があれば、その本郷から本郷の一門が始まり、その一門から民族が始まり、その民族から国家と世界が始まり、それによって、地上に天国が広がるでしょう。

人間の本郷は、人類が願い、神様が願う所であり、天地が和合して万宇宙の存在が「幸せでうれしい」と言い得る所、神様が踊りを踊ると同時に、万宇宙が神様を中心として踊れる所です。そのようにできる日を迎える本郷が現れていたならば、今日、この世界は、不幸な世界にはならなかったでしょう。

神様の愛を中心とした息子、娘すなわち、ひとり子とひとり娘が、神様の愛を中心として完全に一つとなって家庭を築いたならば、その血統を受けて生まれた息子、娘たちは、心と体が一つになっているのです。

10  イエス様は、イスラエルの国を中心として、世界を平和の王国にするためにこの地に来られましたが、いくら彼に能力があり、実権があって、それを成し遂げると考えたとしても、家庭を築くことができなければ失敗するのです。

世界は、家庭が集まってできるのです。この家庭は、心と体が闘う人たちでは築けません。いくら絶対的な権威をもって死の峠が迫ってくるとしても、天道を捨てる人になるならば、神様が願われる家庭を築くことはできないのです。

心と体が一つになったひとり子が、心と体が一つになったひとり娘を迎えて家庭を築くのです。家庭をつくるまでは、世界を復帰したとしても、それをまた失うようになります。家庭は、血統が連結されたものです。民族全体が血統で連結されれば、同族になるのです。

11  イエス様がこの地に来られた目的は、新婦を迎えることです。愛を中心とした人格的な新婦を求めようとしたのです。ですから、キリスト教を代表して、世界的なキリスト教の舞台に新郎を迎え、その新郎を中心として結婚してこそ、新郎と新婦の愛圏がつくられるのです。新郎と新婦が一つになり、神様が取り得る愛園が始まります。

ひとり子の愛圏をもって、ひとり娘の愛圏を手にすると同時に、このひとり子とひとり娘を中心として、新郎と新婦の愛圏が確立します。いくら国が大きく、歴史が長く、優れた文化背景をもっているとしても、それは問題ではありません。

神様を中心としてひとり子とひとり娘が一つになる、夫婦の愛の基準が貴いのです。

堕落によってこれを失ってしまったので、これを取り戻さなければ、世の中の万事は無意味なものです。したがって、神側においてひとり子とひとり娘となり、新郎と新婦として夫婦の愛圏をつくらなければなりません。夫婦の愛圏が成立すれば、自動的に子女の愛圏が成立するのです。

12  イエス・キリストは、「私は神様のひとり子だ。神様は私の父だ」と言いました。ひとり子というものは、神様の初愛をそっくりそのまま受けたということです。神様のひとり子はいたのですが、ひとり娘がいません。ひとり娘に出会うことができなかったので、神様の初愛をすべて受けるひとり娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。

再臨主が来て「小羊の婚宴」、すなわち婚姻をしなければなりません。神様の初愛をそっくりそのまま受けた男性と、神様の初愛をそっくりそのまま受けた女性が、家庭をつくらなければならないのです。その位置が、堕落していないアダムとエバの位置です。

13  メシヤは、神様の本然の直系の息子の立場で、神様の愛、絶対愛を中心として、生命の種をもって来る方です。その息子を再び探して立てることが、神様の救援摂理史の主目的です。

メシヤは、この地上に来るとき、何ももってくることはできません。彼には国もありません。何もないのです。相対を失ってしまったので、相対もいません。エバとカイン、アベルを失ってしまったので、主人の役割を果たせないのです。それで、それを取り戻しに来るのです。ですから、キリスト教は、新郎として来られるメシヤを迎える新婦の宗教です。

キリスト教の核心真理は、驚くべきものです。イエス様のことをひとり子と言いました。ひとり子とは、アダムのことです。堕落したので、ひとり子がいなくなり、ひとり娘がいなくなったというのです。ひとり娘は、サタンに奪われました。神様が造ったものを、サタンがすべて台無しにしたので、それを取り戻さなければなりません。アダムを中心としてエバを造ったのと同じように、天の新しい息子の種を送って、エバを再び創造しなければなりません。

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10 本来のアダムは、個人であると同時に、家庭の中心であり、国家の中心であり、世界の中心です。文化も、アダムの文化です。そこから言葉が始まり、すべての関係が広がります。真の父母を中心として結ばれた関係から始まる歴史も、新しい文化創造の起源になり得るのです。ここから初めて、人類の真の歴史が始まるというのです。真の家庭と、真の社会、民族、国家、世界が顕現するのです。その伝統的思想が、いつにおいても中心になります。

今までの歴史においては、未来に希望の世界を求めてきましたが、これからは未来を見つめて進むのではありません。ここにおいて築かれたその思想を中心に、それを手本として歴史が発展していくのです。それが中心になります。このように、過去、現在、未来の中心を決定し得るものが、国を中心として設定されます。その国が成立すれば、その国の文化が過ぎ去っていくことは、永遠にありません。その国の文化は、世界的に連結され、生き生きと栄え続け、文化的源泉として残るのです。統一です。始めと終わりが同じだというのです。

真の父母は真のオリーブ聖書の創世記に出てくる、エデンの園の生命の木と善悪を知る木は、完成した父と母を象徴する。そして、堕落せずに完成した人間始祖アダムとエバを根とした人類は、本来、地上天国で生き、死後には天上天国に行って、永遠に生きるようになるのである。神様の創造目的は、人類が神様を中心とした家庭を築き、同じ兄弟、同じ親族になることである。

堕落した人間は野生のオリーブであるため、真のオリーブである真の父母により接ぎ木され、真の人間に生まれ変わらなければならない。それにより、神様の創造理想世界、すなわちエデンの園において出発しなければならなかった永遠の理想天国が成し遂げられるのである。人類の願いは、真の父母を迎え、神様を中心とした善なる家法を代々伝授し、一つの言語、一つの文化、一つの天の主権を中心に統一世界をつくることである。

11 真の父母は、絶対的な神様の愛と血統と完全に一つになった方です。そのような真の父母が結婚して築いた家庭を真のオリーブの家庭とするならば、堕落した世界の人々は、野生のオリーブだというのです。その野生のオリーブの枝を切ってしまい、真のオリーブの枝と芽を接ぎ木すれば、それがのちに真のオリーブの家庭になるのです。そこに、神様の真の愛、真の生命、真の血統、真の良心が再び連結され、それが完成すれば、地上・天上天国が広がります。

神様は、三代目となる孫と孫娘をもつことができませんでしたが、サタンは孫と孫娘をもち、氏族をもちました。それが繁殖し、数多くの国家をつくり上げたというのです。今まで神様は、完成した一人の男性をもつことができませんでした。完成した一人の女性ももつことができませんでした。その完成した男性として来られる方が、メシヤです。メシヤがやって来て、真の父母の位置を立てなければなりません。その次に、本然の家庭を復帰することができるのです。

12 アダムとエバが人類の真の先祖になっていれば、救い主も必要なく、宗教も必要ありません。宗教が必要ない善なる世界は、神様が喜ばれる世界です。神様は、地上にそのような世界がつくられることを願われるのですが、地上にそのような世界はつくられませんでした。

堕落とは、一つになれなかったことです。そうして、真の父母になれず、偽りの父母になったのです。ですから、私たちは、悪なる父母の血統をすべて消してしまい、真の父母の血統を受けて、天に帰らなければなりません。皆さんは、野生のオリーブとして生まれました。真のオリーブにならなければならないのに、野生のオリーブになったので、これを切ってしまい、真のオリーブの木を接ぎ木されなければならないのです。

13 天の真のオリーブとして来られる方は、皆さんを再び生んでくださる真の父母です。生命は、必ず父母を通して受けるのが天理だからです。真の父母は、天の真の愛、真の生命、真の血統の根をもってこの地に顕現されます。サタンの偽りの愛を根として生まれた人類を、きれいに根元から切ってしまい、真の愛の芽を接ぎ木する使命を果たすために来られる方が、正に真の父母です。このように、私たち人類が求めるべき真のオリーブの根は、神様の真の愛の根です。その根は、真の父母からのみ出発し得るのです。

14 真の父母は、真の愛と真の血統をもって来ます。偽りの父母は、偽りの愛と偽りの血統をつなぎ合わせてきました。堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければならないのです。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。

「父母」や「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結されなければ、絶対に成立しません。それは、神様も引き離すことができません。サタンも引き離すことができないのです。

ですから、成約時代を迎え、真の父母様による祝福結婚を通して、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰することができるのです。本然の基準である神様の真の血統につながれて、野生のオリーブ畑であっても真のオリーブ畑にならなければならず、真の愛を中心として、真の父母様と一体、一心、一念にならなければなりません。

15 真の父母とは、完成したアダムとエバのことを言います。そのアダムとエバから家庭、氏族、民族、国家、世界、地上天国と天上天国が連結され、神様まで解放されなければなりません。真の父母は、すべてのことを完成できる立場にいます。神様が地上に送られた最も貴い方です。その真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従で従っていけば、自動的にすべてのことを克服していけるのです。父母は、愛、生命、血統を相続させます。その愛、生命、血統を相続するのが、息子、娘です。すべての宗教の目的も、地上に真の父母の完成基盤を築くことです。

人類を救う唯一の方法は、真の愛、真の生命、真の血統を連結させることなのです。偽りの父母がそれとは異なる愛、生命、血統を連結させて堕落した世界になったので、地獄に落ちるようになりました。それを一八〇度転換させるために、真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を連結するのです。祝福を通して神様の真の愛を連結し、真の生命を連結し、真の血統を連結するのです。野生のオリーブに真のオリーブを接ぎ木するのが祝福です。

真の父母は、この世界の偽りの子女、野生のオリーブのような子女たちに真のオリーブを接ぎ木して、堕落していない実として収穫し、天の国の倉庫に再び入庫しなければなりません。これが、この地上でメシヤが果たすべき責任です。メシヤは、真の愛を中心として、真の息子、娘の種をもって来るというのです。

堕落することによって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の因縁を通して、神様が願わない怨讐の子女となりました。

このように、血統的に偽りの愛の因縁が結ばれたので、救援摂理を通してきれいにするのです。

第二節 再臨主である真の父と聖霊の実体である真の母真の父母になるべきひとり子とひとり娘神様の願いは、アダムとエバが創造本然の姿のまま成長、完成し、真の家庭を築くことであった。神様は、絶対愛によって精誠を尽くし、御自身のすべての願いを懸けて、ひとり子アダムとひとり娘エバを造られた。しかし、堕落が起きたため、神様は彼らに代わる存在として、まずひとり子であるイエス様を送られた。創造の順序に従い、本然のアダムを先に復帰されたあと、そのアダムを通してエバを復帰しようとされたからである。したがって、本然のアダムに代わる、後のアダムとして来られたイエス様は、本然の後のエバを探し出し、夫婦になることによって、人類の善なる始祖である真の父母にならなければならなかった。

1 イエス様の思想の中で最も偉大なことは、神様が自分の父であり、自分は神様のひとり子であると主張したことです。ひとり子ということは、父なる神様の初愛を占有しているということです。初愛を受けられる立場に立ったというのです。

神様がキリスト教を世界的な宗教にせざるを得なかった理由は、イエス様が「私は神様のひとり子である」と主張する立場に立ったからです。ひとり子というのは、神様の愛を強調した言葉です。ひとり子は、神様の初愛と結ばれた個人なのです。

2 エデンの園のアダムは、神様のひとり子です。エバは、神様のひとり娘です。彼らが成長し、春の日になって花が咲くとき、二人が互いに春の歌を歌いながら、「あなたは私のお兄さんではないですか」、「あなたは私の妹ではないですか」と言えば、神様はどのようにするでしょうか。明るく咲いた花が香りを漂わせるようになれば、神様が(二人を)結んでくださったでしょう。

神様が結婚式をしてあげることによって成し遂げようとしていた創造の最高の理想が、アダムとエバを中心として成し遂げられるのです。彼らがひとり子とひとり娘としてよく育ち、思春期まで行こうとすれば、期間が必要なのです。

3 イエス様は、「私は神様のひとり子だ」と言いました。ひとり子に必要なのは、ひとり娘です。イエス様がこの地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできません。家庭の土台を整えなければなりません。

ひとり子だと主張したイエス様の目的は、世界を統一して号令することです。それをする前に家庭をつくらなければならないのです。イエス様は、家庭をつくることができませんでした。ですから、この地上の人間たちを救おうとすれば、「このようにしなければならない」と言える家庭が出てこなければなりません。一つのモデル家庭が出てこなければならないのです。

イスラエルの国を救う前に、家庭をつくらなければなりません。もしイエス様が、神様のひとり子としてひとり娘に出会って結婚式をするとすれば、その結婚式の主礼は、間違いなく神様がしてくださるのです。救援摂理の最高の目的は、神様が愛する一つの家庭をつくることです。それで、神様の愛を中心として、ひとり子とひとり娘の立場で成長し、神様を父としてお迎えできる場で祝福を成し遂げ、人類の真の先祖の基盤を整えるのです。その場を失ってしまったので、再び取り戻さなければなりません。

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第一章  真の父母の復帰摂理史的意味第一節   真の父母は人類の真の始祖真の父母は、完成したアダムとエバ神様は、永遠に喜びを享受するために人間を創造された。人類の始祖として造られたアダムとエバは、神様の絶対的な真の愛の対象である。人類はただ一双の始祖から始まるため、この一男一女以外に、他の真の愛の血統がつくられることはない。もし、アダムとエバが神様の絶対愛を通して完成し、善なる子孫を栄えさせていたならば、創造主であられる神様を縦的な無形の真の父母としてお迎えし、完成したアダムとエバは、地上の横的な実体の真の父母となり、理想家庭が実現したはずである。また、真の家庭を根源として繁栄したアダムとエバの一族が民族、世界へと拡大し、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」と言われた神様の三大祝福を完成した世界が成し遂げられていたはずである。その世界がすなわち、神様が地上で実現しようとされた理想天国である。

1   神様が男性性稟と女性性稟を併せ持っていらっしゃるということは、神様のかたちに造られたというアダムとエバを見て、知ることができます。それが一つになってアダムとエバを創造したというのです。それゆえ、神様の位置で、主体と対象の人間、すなわち完全な男性と女性が一つにならなければなりません。

神様がアダムとエバを創造されたのと同じ愛を中心として、そこから初めて息子、娘が生まれるのです。神様が創造した最高の傑作である人間も、結論として、人間(自身)が創造したという位置に立ててあげるために、男性と女性を造ったというのです。ここから、夫婦が完全に一つになることによって生まれる息子、娘は、神様がアダムとエバを造って喜ばれた喜びの偉業までも、相続することができるのです。

神様は、息子、娘を生んで愛することができる愛まで、人間に下さいました。言い換えれば、絶対的な神様がもっているすべてのものを、愛する息子、娘の立場にいる人間に、そっくりそのまま賦与されたというのです。

2   本来のアダムとエバは、神様の体です。実体をまとった神様として現れるための存在が、人類の善なる始祖だったというのです。神様が彼らの心の中に入ってきて、体と一つになり、与えて、また与えたいと思うので、回るようになります。そして、発動機が回るように回り、さらに回って、完全に統一されるのです。そのような種を蒔いたとすれば、そのような種の実を結ぶようになるので、その種はいくら裂いてみても、そのような内容を備えた種にならざるを得ません。

しかし、堕落したので、造り直さなければなりません。神様を再びお迎えし、種を改良しなければならないというのです。神様は、共に生命を分かち合い、共に愛するために、天地を創造しました。ですから、男性と女性は、無形の神様を永遠に愛の実体として登場させるのです。愛の中心実体として登場させるのが、人類の善なる先祖、真の父母です。

3   アダムとエバは、真の父母です。家庭を中心として見るときは、父母が中心なので、家庭の王であり、王妃です。その息子、娘は、未来の王、王妃になり得る後継者です。堕落していない本然のアダムとエバを中心として見るとき、祖父は神様の王権を私たちの家庭に運んできてくれた立場であり、父母は万国に広がる家庭を代表した家庭の王です。本来の家庭の王です。その次に、息子、娘は未来の王孫(王位継承者の長子)として、王権を受け継ぐ王子、王女の立場です。

4   人間始祖の堕落によって、神様が経綸し、神様が創造理想として立てようとされた人類の真の先祖を失ってしまいました。いくら立派で何不自由なく暮らしている人がいて、天下をすべて動かす人がいるとしても彼らは堕落した先祖の血統を受けて生まれました。これが、最も痛恨なことです。堕落した始祖をもった人類は、サタンの地獄に向かって猛進しているので、これを遮り、真の先祖として来て、真の子女として抱いてくれる本然の主人、本然の父母を求めてさまよってきたのが人類の歴史です。

そのため、神様は、四千年の歴史を通して復帰の道を歩み、また歩んで、堕落前のアダム、エバと同じ立場の位置を訪ねてくるのです。

5   堕落していないアダムとエバは、人類の真の先祖です。真の父と真の母です。体をまとった人類の真の父母です。そのアダムとエバが堕落したため、人類がサタンの子孫になったのです。アダムとエバが堕落せずに、本然の神様の心情に通じて、神様が喜ばれる中で、善男善女として聖婚式を執り行い、人類の真の父母になったとすれば、万物はアダム、エバと和動しながら、喜んでその家庭に必要とされるものになったでしょう。

アダムとエバが幸福を謳歌し、神様を永遠の父として、侍ることができる人類の真の父母となり、人類の標本となる真の夫婦となり、神様のみ前には真の子女となったならば、誰も、彼らを奪っていくことはできないというのです。それは、主人が一人だからです。心情の主人も一人であり、愛の主人も一人です。そのようなお方が神様であられます。

6   堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に帰っていく復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は、世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めるのです。

神様は、歴史を通して、御自身の理想的な対象になり得る真の家庭を求めてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは、内容が根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出すことができなければ、理想的な国も世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てなければならないという原則が、ここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位となります。

堕落しなかったならば、アダムとエバは真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。アダムとエバを真の父母として繁栄した人類は、一つの大家族をつくり、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。

7   神様の復帰摂理歴史は、悲しい歴史です。神様がアダムとエバを失ってしまったことが悲しいのです。それだけではなく、アダムとエバを失ってしまうと、その二人でとどまるのではありません。

アダムとエバを失ってしまったということは、アダムとエバの一族を失ってしまったことになるのです。その一族が拡大されて民族になり、一つの国家を形成し、一つの世界に拡大されていたはずなのですが、すべて失ってしまったというのです。ですからアダムとエバを失ってしまうことによって、天の国の王権を中心としたその王国を失ってしまい、天の国の民族を失ってしまい、天の国の氏族を失ってしまい、天の国の家庭を失ってしまったのです。天の国の男性と女性、ひとり子とひとり娘を失ってしまったのです。

ですから、救いの歴史である復帰摂理歴史は、これを取り戻す歴史です。

アダムとエバが堕落していなければ、子孫が繁栄し、今日、数十億の人類がすべて天の国に登録され、家庭がそのまま天国に入っていくようになっているのです。

8   人類始祖が堕落することによって、人類は真の先祖をもつことができず、真の子孫になれませんでした。神様も真の神様の位置に立つことができませんでした。神様を中心とした真の家庭、民族、国家を形成しようとした、そのすべてのことが成し遂げられなかったというのです。そのため、私たちは、再び真の根を求めなければならず、真の家庭が住める国を求めなければなりません。

ですから、神様は、救援摂理を通して希望の世界、真の平和の世界、愛の世界、統一の世界、一つの世界を追求してきたのです。それを成し遂げるために、神様は救世主を送ってくださるのです。真の父母がこの地に来て、個人的な中心、家庭、氏族、民族、国家、世界の中心を教えてあげることによって、全人類を本然の世界に戻そうというのが摂理歴史です。

9   再び来られる主が、空中から雲に乗って来て、霊的に、妄想的な国家を創設するというのが、神様の願いではありません。その方が再び来られるのは、この地を足場として、神様のありったけの愛を受けることができる一人の新婦を迎え、人間の先祖が六千年前に人類の真の先祖になれず、偽りの先祖となることによって失ってしまったものを、取り戻す役事(働き)をするためです。

それゆえ、神様の愛と一致し得る位置に立てる完全な男性と、神様の愛に通じ得る位置に立てる完全な女性が、歴史時代に必ず現れなければなりません。

今この時が、新郎として来られる主を迎える新婦として立つことができる時です。ですから、この位置は、エデンの園でアダムとエバが愛を受けた、それ以上の位置であり、アダムとエバを祝福してくださった、それ以上の位置です。地上にそのような基点が生じてこそ、サタンが侵犯できません。人間始祖アダムとエバが、そのような勝利の位置に立つようになったとすれば、天使長はサタンにならず、完全なる僕の位置で人間に侍る立場に立ったでしょう。これが創造原則です。このような位置を失ってしまった人類は、孤児です。ですから、このような位置を取り戻すことができる人類の真の父母が、この地上に現れなければなりません。

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一九四五年八月十五日、韓半島が光復とともに南北に分断される時、真のお父様は韓国でキリスト教を中心として公式路程を出発された。しかし、予定されていた神霊教団の不信によって、北朝鮮の平壌に行かれて伝道活動をされたが、ここでもキリスト教団の嫉妬と共産党当局による罪の捏造によって監獄での苦難を経験され、二度にわたり厳しい苦難の道を行かれなければならなかった。真のお父様は、六・二五動乱によって興南監獄から出獄される時まで、霊肉共に蕩減復帰の勝利的基台を立て、南に下ってついに一九五四年五月一日、ソウルで「世界基督教統一神霊協会」を創立された。これは、真のお父様が三十四歳になられた年の出来事であり、イエス様の三十三牢の受難の生涯を蕩減復帰する条件を立てられた土台の上で、キリスト教団に代わってアベル型教団を立てて新しく出発されたのである。協会創立以降、真のお父様が発表する原理のみ言に感動し、数多くのキリスト教徒たちか押し寄せるようになるとこれに脅威を感じた一部のキリスト教団が、真のお父様をより一層、迫害し、(真のお父様が)投獄されるという事態にまで至った。しかし、従う弟子たちが真のお父様を再臨されたメシヤとして、それまで以上に固く信奉するようになり、長成期完成級に復帰する勝利的条件を探して立てるようになった。

これにより、光復後、公式路程の十四年を経た一九六〇年四月十一日、ついに天が特別に聖別し、大切に育てて準備してこられた聖霊の実体である真のお母様を新婦に迎え、天の祝福により、「真の父母様聖婚式」が挙行された。再臨のメシヤが準備された聖霊の実体である新婦を迎え、真の夫婦となる聖婚儀式を意味するヨハネの黙示録第十九章の「小羊の婚宴」が、ついに成し遂げられたのである。太初に天地を創造された神様の創造理想が実現する関門が開かれ、創造本然のアダムとエバが、真の父母として顕現される歴史的な日を迎えた。ついに人類は、霊肉共に原罪を完全に清算できる重生の恩賜を受けられるようになったのである。

真の父母様は、真のお父様が「世界基督教統一神霊協会」を創立してから四十年となる一九九四年、これに代わって「世界平和統一家庭連合」の創立を宣布された。人類の真の父母である御夫妻が一つとなり、サタンを屈服させるためのあらゆる条件を蕩減復帰されたため、「世界平和統一家庭連合」を共同で創立なさることができたのである。これは、復帰された人類の真の始祖として来られた真の父母様を中心とした理想家庭を、全世界的に拡大して成し遂げられる世界こそが、理想世界であることを意味する。

真の父母様は、二〇〇一年一月十三日の「神様王権即位式」と、二〇〇六年六月十三日の「天正宮博物館入宮式および天宙平和の王真の父母様戴冠式」を通して、神様の恨を解怨成就することにより、神の国がこの地に安着できる土台を築かれ、二〇一三年天暦一月十三日を天宙平和統一国(天一国)の基元節と定められた。真のお父様は、聖和(二〇一二年、天暦七月十七日、陽暦九月三日)される二十一日前、地上の生涯における最後の公式宣布報告を通して、救援摂理の「最終完成の完結」を宣言され、すべての祝福家庭が国家を代表する氏族(的)メシヤとなれという祝福とともに、「すべて成し遂げた!」と宣布された。

真の父母様こそ、無形の神様の二性性相を、有形の実体として完成された真の人間の原型であり、真の父母様がその人生と行跡を通して立てられた伝統と教えは、人類が手本とし、学ばなければならない模範である。絶対、唯一であり、あとにも先にも現れることのない真の父母様は、人類歴史において、永遠に神様の愛と真理の光を照らす根源であられるのである。

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15.真の平和世界と真の父母国連世界の安着日付:二〇〇九年六月一日

場所:韓国、ソウル、コエックス(COEX) コンべンシヨンセンター

行事:文鮮明先生自叙伝出版記念会

絶対、唯一、不変、永遠の新しい神様の血統を、新たに祝福によって受け継いだ、真に愛する家庭と新しい天一国市民の皆様。きょう私たちは、実に特別で絶対的な摂理時代の一時と一日を迎えました。万王の王であられる真の父母様の戴冠式と金婚式、そして自叙伝の出版を記念することはもちろん、「世界基督教統一神霊協会」が創立以来五十五周年となる意義深い時であり日です。

それとともに、きょうは新しい「真の平和世界と真の父母国連世界の安着」を天上天下に宣布する新しい歴史的大会を行う六月一日でもあります。この喜ばしい時と日に、万有の生死禍福を主管される天のお父様が、このように華やかで美しい季節と一日を開いてくださったことに対し、感謝の意を込めて、一緒に盛大な拍手を神様にお捧げしましょう。神様は、生命が躍動するこの季節に、万物の霊長である私たち人間も、万物とともに心ゆくまで新しい生命の創造に同参しなさいと手招きしていらっしゃいます。花のように美しく咲き、太陽のように明るく、川の水のように澄んだ人生を生きなさいと祝福していらっしゃいます。

歴史の中の摂理的結実特別に天が新たに愛する食口の皆様。私たちは、去る一月一日と一月十五日、そして三十一日の三回にわたって、歴史的な「万王の王神様の新しい解放圏と戴冠式および金婚式」を挙行しました。特に一月三十一日には、東洋圏を代表する韓国の天正宮博物館において、そして西洋圏を代表するアメリカのニューヨークにおいて、このように同じ日に二カ所で、歴史上、空前絶後の摂理的行事を天のみ前に奉献するという記録を立てました。

今年の四月以降の季節は、私たち夫婦が聖婚式を行ってから五十回目となる季節です。独裁に抗議して咆哮(ほうこう)する若い学生たちの絶叫が、ついに韓半島にやってきた一九六〇年度の陰暦三月十六日、私たち夫婦は、聖婚式を通して天から印を受け、人類の真の父母、真の師、真の王の険しい復帰摂理路程を出発しました。それから五十年、神様を完全解放•釈放してさしあげ、万王の王としてお迎えするまで、私たち夫婦が歩んできた蕩減復帰摂理の路程を、どうして筆舌ですべて説明できるでしょうか。遠い将来、歴史家たちが証明し、記録することになるでしょう。

皆様はよく御存じないと思いますが、真の父母様の戴冠式と金婚式がもつ摂理的意味は、実に途方もないものです。人間始祖の堕落によって神様の真の血統はなくなり、サタンの偽りの血統が人類歴史を支配してきた事実は、皆様も原理を学んで御存じであると思います。血統が入れ替わった人類の歴史は、結果的に肉界はもちろん、霊界までも徹底して善悪のカインとアベルの相いれない対立、闘争の関係で入り乱れてしまったではないですか。このような悲惨な歴史に対し、誰一人として解決法を見いだすことができないまま、今まで放置された状態で歴史は流れてきているのです。

しかし、これからは時代が変わります。真の父母様の戴冠式と金婚式を契機として、カイン•アベルの完全一体圏の門が開かれつつあります。神様の本性的心情を相続し、共有する完成、完結の段階、すなわち堕落の痕跡さえない原状の人間に復帰される恩賜圏に進入する新しい時代なのです。「〇」と「X」の原理的次元から考えてみても、「〇」の立場であられる神様の善主権が「X」の立場であるサタンの悪主権を、痕跡も残さずに根こそぎ抱き、消化させる時代圏を意味します。これ以上、実体の神様として役事される真の父母様と無形の神様を区別する必要のない地上•天上天国が実体的に皆様の目の前で広がる、そのような時代圏が開かれつつあるのです。

そのような特別な意味をもつこのとき、私たちは去る四月二十一日から十三日間、私たち夫婦の戴冠式と金婚式を慶祝し、今後、人類の平和祭典としてオリンピックゲームを凌ぐものとなる「圓球ピースカップ•カイン・アベル天宙連合大会」を盛大に行いました。特に今回の第一回大会には、真の父母様の招待ですべてのことを後回しにして駆けつけてきたブラジルのソロカバ•サッカーチームが、大きな役割を果たしてくれました。二〇〇八年度のブラジル•サンパウロ地域FAカップ優勝チームのソロカバチームは、今回の短い期間を通して、韓国、日本、北朝鮮、そして中国を代表する四ヵ国のチームと競技をもち、南米サッカーの真髄を見せる素晴らしい競技を繰り広げました。皆様、ソロカバチームに激励の拍手を送ってくださいませんか。

皆様。私は、きょうこの貴い新しい式典を天のみ前に奉献する意味で、もう一度去る一月以降、「万王の王戴冠式と金婚式」の時に宣布した天のメッセージを皆様と共に奉読しながら、きょうの行事に対する意味を心の中に刻印しようと思う次第です。

真の父母を求めてこられた神様真の父母と共に平和を愛する天一国市民の皆様。きょうは実に貴く喜ばしい日です。私たちは、共に歴史的で摂理的なこの日を心ゆくまで慶祝し、私たちの永遠の真の父母であられる神様に、尊敬と栄光、そして限りない賛美をお捧げしましょう。霊界の数千億の人類も、この祝福の一日を祝賀するために再臨し、この場に共にいる厳粛な瞬間です。神様は、万宇宙を創造されたのち、この上なく待ち望まれ、願ってこられた日が、正にこの日です。

御自身の子女として創造したアダムとエバが、天の血統を汚し、暗闇の中に隠れてしまったその日以来、神様は、言い表すことのできない苦痛と悲哀の中で、数千、数万年間耐え忍び、待ち続けてこられました。御自身が万王の王として登極し、失ってしまった子女と万物を再び抱き、千年、万年、太平聖代の平和王国を享受して暮らすその日を、首を長くして待ち望んでこられたのです。

皆様。神様は、創造摂理以前から万王の王であられました。しかし、被造万物を創造された以降には、実体をまとわれ、愛の対象圏であるこの現象世界を治める実体の万王の王として顕現されなければならない天道が残っていたのです。それで、神様は、真の愛を中心として、御自身の代身者であり相続者である地上実体世界の真の父母を求めてこられました。

今日、私たち夫婦が、畏れ多くも天から印を受け、神様の実体として立ち、万王の王戴冠式と金婚式を執り行うこととなり、実に喜ばしく思いながらも、天のみ前には申し訳ない心を抑えることができません。いまだに六十五億の人類を完全に天のみ前に復帰してお捧げできていないまま、私の年は既に九十歳に至りました。

天を真に愛する天一国市民の皆様。時が急がれています。天はもうこれ以上、私たちをお待ちになりません。御自身の実体として役事する地上の真の父母を通して、新しい天法を立て、万王の王の権限をもって、この地球星を復帰する真の愛の革命を促進化するのです。したがって、人類と万物万象を探し立てて治める新しい天法の概要を、きょうこの厳粛な場を通して天上天下に宣布する次第です。

第一に、三〇〇〇年に向かって歩んでいるこの時代は、後天開闢の時代です。後天開闢の時代は、これ以上、神様は蕩減復帰原理に束縛されず、万王の王の職権によって霊界と肉界を治める新しい時代です。環太平洋圏が中心軸となり、この地球星を再び原状に戻す摂理の逃避城(逃れの町)時代です。全人類は、これから新しい天道と天法の時代の枠を抜け出すことができなくなるのです。したがって、皆様の一挙手一投足は、水晶のように清く澄んだ人生にならなければなりません。

第二に、神様を縦的な絶対軸として、絶対「性」の価値を全人類に天の憲法として教育する教育革命を完遂しなければなりません。この道こそが人類に善の真の血統を伝授してあげることができ、神様の真の家庭理想の完成を成し遂げる道だからです。純潔、純血、純愛が今後人類の教育理念となるのです。

第三に、地球星を幾重にも取り巻いているあらゆるサタンの垣根と城壁の囲いをきれいに燃やしてしまい、政党、宗教、人種、文化、そして国家間の和合と平和を探し立てるために、新しい分捧王と平和大使、そして父母国連を先頭に立てるのです。

カイン格の国連の位置にいる既存の国連とアベル国連が一つになり、新しい次元の真の父母国連、すなわち真の平和世界国連を中心として、戦争、疾病、飢餓など、サタン側世界のあらゆる悪の問題を解決していくのです。天の神様が共にあり、真の父母が共にあるので、人類は選択の余地なく必ずこの道に行くようになります。個人の利己主義はもちろん、集団の利己主義までもきれいに洗い清め、これ以上、サタン的な選挙が必要のない良心と道理に従う世界を創建していくのです。

第四に、堕落人間の血統を清め、真の家庭を立てて平和王国を実現する最高最善の方法は、交叉祝福結婚しかありません。和解と平和も血統を通して訪れるのです。黒人と白人、東洋と西洋、仏教とキリスト教、ユダヤ教とイスラームが、お互いに交叉し、交体しながら、真の父母様が立てた祝福結婚の伝統を受け継いでいくならば、この世界は自動的に神様の祖国と本郷を探し立てる一つの家族圏になるのです。「神様のもとの一つの家族(One Family Under God)」の理想天国が実現されるのです。銃と大砲を溶かしてすきをつくり、鎌を作る新しい平和の世の中が開かれるというのです。

第五に、神様は、人間を御自身の愛の対象として創造されました。同様に、御自身の子女である人間のためには、その相対格に自然環境を準備してくださいました。山川草木が欠如した空虚な砂漠に、御自身の子女たちを捨てておく神様ではないのです。したがって、人類は、神様のように自然を保護し、愛してあげる義務があります。一輪の野生の花に出会っても、深い心情の対話を交わし、共鳴圏を形成する本然の人性を開発して暮らしなさいというのです。この道が人間回復の近道になります。

本性の新しい真の家庭天に選ばれた貴賓の皆様。きょう、皆様は、実に貴い天福を受けられました。万王の王が経綸する摂理的歴史の出征式に参加していらっしゃいます。歴史的な大転換期の渦を直接目撃していらっしゃいます。縦的万王の王であられる神様の実体として万有を統治する横的万王の王真の父母様の戴冠式と金婚式、そして自叙伝出版祝賀式に招待されました。これ以上に貴く、歴史的な瞬間が、またいつ訪れるでしょうか。天宙の数千億の皆様の先祖たちまでも、この時間、喜びと歓喜に満ちあふれ、地軸が揺さぶられるほど歓呼の声を上げ、踊りを踊っているでしょう。

どうか心の目を開け、この奇跡のような歴史的な瞬間を皆様の霊魂に刻印してください。皆様の生涯にいつまたきょうのような祝福と栄光の日を見ることができるでしょうか。きょう私がお伝えするこの天のみ言を、今後皆様の生涯の指針としてくださることを願います。

天に選ばれた内外の貴賓の皆様。奉読したメッセージを通して感じられたことと思いますが、今人類は、新しい天理と新しい天道が直接地上界を治める新しい摂理時代圏に入っています。神様の新しい本性的心情基準を相続しなければ、誰も新しい天国に入っていくことができない、そのような新しい摂理時代である第四次本然のアダム圏時代なのです。

きょうこの新時代の摂理的な真の父母様の戴冠式と金婚式、そして自叙伝出版と協会創立五十五周年記念式の行事を通して、皆様の人生の中でカインとアベルを徹底して区別し、新しいアベル圏に統合し、善を中心に立て、旧約、新約、成約の三時代圏と私たちの家庭の三代圏を復帰する知恵深い新しい天一国市民の家庭となることを願います。新しい真の祖父母、真の父母、真の孫と孫娘が共に手をつないで新しい天国に入っていく本性の新しい真の家庭を完成して暮らすことを願うみ言です。これが正にきょう私たちが共に慶祝する新しい「真の平和世界と真の父母国連世界安着大会」の意味だということを肝に銘じ、また肝に銘じてくださることを願います。

万国の万王の王であられる真の神様の大いなる新しい祝福が、皆様の新しい家庭と新しい国、そして新しい全天宙の上に高く高く満ちあふれることを、勝利された真の神様と真の父母様の名によって祈り、宣布いたします。万天宙に神様の祝福が満ちあふれることを願いながら、私のお話を終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

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「天宙平和連合」宣布とアベル国連の責任皆様。昨今の世界情勢を冷徹に分析してみてください。共産主義の仮面を脱いだとはいいますが、今も核兵器と強力な軍事力を誇示している太平洋圏の好戦的な強大国は、虎視眈々と力のない小さな島嶼国を狙っています。どの国家でも、小さな島嶼国としては、単独でこの強大国の政治、経済、軍事的攻勢にはかなわないでしょう。彼らがその気になれば、一日でも無血占領を敢行できる力をもっているのです。

皆様。環太平洋圏に安定と平和が定着するとき、人類の平和も保障されるでしょう。怒涛のごとく押し寄せてくる周辺の強大国の途方もない津波を、単独では阻止することができません。環太平洋圏のすべての島嶼国が一つに団結し、神様が願う神文明圏の祖国を創建しなければならない時が来ました。

赤道を中心におき、南北に散在している太平洋圏の小さな鳥嶼国はもちろん、日本、台湾、フィリピン、インドネシア、ソロモン諸島、オーストラリア、ニュージーランドなど、すべての国家が、一つの国のように連合前線を張り、人類の平和と安定を保障してくれる環太平洋文明圏を守らなければなりません。日ごとに激しくなっていく環境破壊と戦争から、人類の未来の命綱であり生命線である海洋圏を保護して生かし、未来の平和のために本然の資源を守るべき責任が皆様にあるという意味です。

皆様。このような人類の諸般の問題を解決するために、私は二〇〇五年九月十二日に、神様の摂理史を花咲かせる「天宙平和連合」の創設を満天下に宣布しました。「天宙平和連合」は、今から後天時代のアベル国連的役割を果たすでしょう。カイン格の既存の国連の刷新とともに、世界各地において、私の教えである「天父主義」、すなわ真の愛、真の家庭主義を伝授されて走っている数百万の平和大使たちを動員し、「神様のもとの人類一家族」の天命を必ず完遂しなければなりません。

交叉祝福結婚によって血統転換の大役事を成し遂げるべき皆様。「天宙平和連合」は、超宗教・超国家的な次元で、交叉祝福結婚を通して堕落前のアダムの本然の血統に復帰する、人類の血統転換の大革命を遂行する前衛隊となるでしょう。ある人は、不可能なことだとあざ笑うかもしれません。

しかし、神様のみ旨がある所には必ず道があります。皆様も一度考えてみてください。実体の神様の名で役事しているレバレンド•ムーンの教えに従い、もしアメリカとロシアのような国が超国家的次元で交叉祝福結婚を決行したとすれば、どのような結果が出てくると思いますか。二つの国は、永遠の絶対主人である神様と一つの家族になるでしょう。数億の孫と孫娘が暮らしている国に向かって、どうして銃剣を向けることができ、核兵器を発射できるでしょうか。

七十億の人類を神様の真の同族血統に変え、この地に神様が願われた本然の理想祖国と本郷の地を求め、太平聖代の理想天国を創建する聖業が、地球星の至る所で既に勢いよく燃え上がっています。

愛する指導者の皆様。この意義深い聖なる禧年の期間と共にある天運の流れを逃さないでください。地球星の七五パーセントを占めている海洋圏を、皆様が先頭に立って保護し、発展させなければなりません。様々な公害と資源の枯渇によって死につつある地球星を回生させ、人類の未来を約束してくれる新しい本然の資源の宝庫を、ほかのどこで見いだすことができるでしょうか。

きょう皆様がこの場に足を運ばれたのは実に貴いことです。今や「強い大韓民国」の旗幟(きし)のもとに、皆様は団結しなければなりません。この運動は遠からず大韓民国を越えてアジアへ、アジアを越えて世界へと伸びていく烽火となるでしょう。「天宙平和連合」の思想が、すなわち「強い大韓民国」の叫びであり、真の愛を根幹とする神様の平和思想が、すなわち「強い大韓民国」の根だからです。神様の真の愛の理想である平和思想を凌駕する理念や思想がどこにあるというのでしょうか。天は必ず勝利するようになっています。

きょうこの意義深い場を共にしてくださった貴賓の皆様は、私がお伝えするこのメッセージを心の奥深くに刻んでください。天上の数千億に至る祝福を受けた皆様の善なる先祖の家庭も、この時間、地上に再臨し、皆様と共にこのメッセージを受けています。彼らも、子孫である皆様を通して地上で完成し、真の父母、真の師、真の主人の位置まで出ていかなければならないからです。このように霊肉界が共に生き、呼吸し、苦楽を共にしているという事実を、皆様は忘れてはいけません。

アべル国連の導き手として先鋒に立とう皆様は今、後天開闢時代の摂理を主導するアベル国連の「平和軍」と「平和警察」としての使命を果たす歴史的な人物にならなければなりません。人類の福祉と世界平和のために、崇高な献身の道を歩んだ皆様の人生を、歴史は決して忘れないでしょう。「平和軍」と「平和警察」は、私が創設し、今世界的規模で発展しています。「天宙平和連合」の旗を掲げ、「平和軍」と「平和警察」の先鋒に立ち、「強い大韓民国」を叫ぶ皆様の英雄的な姿を見たいと思います。

どうか私がお伝えしたきょうのメッセージを胸に抱いてお帰りになり、皆様の子女や若者たち、さらには皆様の国家を教育する教材として活用してくださることを願います。神様の祝福が、皆様の家庭と皆様の国家、そして環太平洋圏と平和国連、また「強い大韓民国」の出発に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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14.父母国連を中心とした平和世界の創建日付:二〇〇九年一月三十日

場所:韓国、京幾道、加平郡、天宙清平修錬苑

行事:真の父母様御聖誕九旬祝賀宴

尊敬する各国の首脳、そして地球村の指導者の皆様。大望の新年を迎え、公私共に御多忙でいらっしゃるにもかかわらず、きょうこの意義深い行事に御出席してくださった皆様を、私と私の妻韓鶴子総裁、そして私の家族全員の名で歓迎する次第です。きょうは、私たち夫婦が誕生した日です。

寂しく孤独な一本道の人生皆様。天の摂理は、実に奥妙に進められます。青年期に入ったばかりの十六歳(数え)の身で天命を受け、天の道を出発しました。今でも、きのうのことのようにはっきりと感じられる出来事でした。一九三五年の復活節の早朝、まだ冷たい北風が吹きすさぶ初春の定州の地、猫頭山のふもとで、私は天にすがり、身もだえする一世一代の大決心の瞬間を迎えました。

ただ畏れ多く、夢のような天の命令を前にして、必死に辞退する私の胸は、いつしか神様の熱い涙で満たされていました。山と野原、そして家と学校ばかりを夢中になって飛び回っていた私の思春期の時代は、いち早くこのように生死を懸けた祈祷と果てしない挑戦の海へと飛び込んでいくようになったのです。

そして、九十歳の誕生日を迎えるきょうに至って回顧してみれば、私の人生は実に寂しく孤独な一本道の人生だったことを告白せざるを得ません。天の召命を受けたその日から、私の一生は、ただ天とのみ通じながら神様のみ旨を成し遂げるために走る、マラソン選手のような人生だったのです。

周囲を見渡してみたり、誰かと妥協したりできる、そのような道ではありませんでした。師を訪ね求めていくことができる道ではありませんでした。肉親の父母にさえ孝行できない道でした。天命に従い、六十五億の人類を胸に抱き、息を切らせながら目的地だけに向かって疾走してきた血と汗と涙の長い苦難の歳月でした。

皆様。今私たちの前には、約束の年二〇一三年のその日が厳粛に近づいています。

天が数千年間待ち続け、真の父母様が生死の境を数限りなく行き来しながら築いてきた基盤の上に、数千億の人類が願ってきた地上•天上天国完成のその日が、四年後にそびえ立っています。避けていける道ではありません。休んでいける道でもありません。途中で放棄できる道ではないのです。

またその道は、天運の導きに従い、私たちが共に歩んでいくべき宿命の道です。希望に満ちあふれ、喜びで完走しなければならないコースです。祖父母、父母、子女、孫と孫娘の四代が共に手を取り、ハレルヤを歓呼しながら迎えるべきその日が、皆様の目の前で広がるのです。

国連は一家族の姿で奉仕すべき世界の指導者の皆様。きょう私たちは、実に歴史的な一日を慶祝するためにこの場に集まりました。去る六十有余年の間、それでも天の側に立って人類の福祉と平和のために総力を注いできた国連の崇高な努力と精神を、歴史は忘れないでしょう。

しかし、三〇〇〇年に向かって怒涛のように疾走する今日の世界は、旧態依然たる既存の国連の処方箋では、はなはだ力不足であることを、自他共に認める時点に来ています。言い換えるならば、今のこの時は、後天開闢時代の「新しいぶどう酒」を入れる二十一世紀の人類にとって、「新しい皮袋」が切実に必要とされる時点だというのです。

この歴史的な要請に添って天が祝福としてくださったものが、正にきょうこの場で宣布する「父母国連」、すなわち「平和国連」です。平和の王である真の父母の資格で、私が人類に伝える天の特別なプレゼントです。それでは、「父母国連」とはどのような意味でしょうか。関心をもっている方々もいるでしょう。しかし、難しく考える必要はありません。

国連とはどのような意味でしょうか。すべての国家の連合体ということです。それで「国際連合」と呼ぶのではないですか。第二次世界大戦直後に、これ以上戦争のない平和世界をつくるという念願の中で創設された世界機構です。百九十数ヵ国が会員国として加盟している世界政府のような機構です。毎年、数千億円の予算を使っている地球村の大企業と同じようなものです。

しかし、私が生涯を通じて説破してきた「神様のもとの一家族(One Family Under God)」の教えの次元で一度考えてみてください。国連も結局、一家族のような姿で、人類の平和のために奉仕しなければならない使命をもっています。人類一家族の範疇を抜け出すことはできないのです。

父母国連格の平和国連したがって、後天開闘時代を出発して天が宣布した「アベル国連」の立場から見れば、既存の国連はカイン格の位置に立っている「カイン国連」です。既存の国連が百九十三ヵ国の会員国を抱えているのに比べて、わずか二年にしかならない「アべル国連」は、既に全世界的に百九十四ヵ国に支部を置き、躍動的に平和運動を展開しています。

しかし、カインとアベルは兄弟間の横的関係です。したがって、家庭の秩序と法度を立てて治めるには、縦的な父母の役割が必須です。カインとアベルは、兄弟として一つになり、父母に従順に従うという天道と天理に従わなければなりません。

ですから、世界的規模で「カイン国連」と「アベル国連」は、父母格の国連である「平和国連」の名のもとに一体になり、平和世界の創建のために過渡期的な使命を果たさなければならない義務があるのです。

これから「平和国連」は、天宙平和万王の王として登極された真の父母様を中心軸として、世界各国に派遣された分捧王たちを先頭に立て、地上•天上天国完成のその日を繰り上げる使命を果たさなければなりません。

真の父母の代身者と相続者の使命それでは、分捧王とはどのような意味でしょうか。これもまた関心をおもちの方々がいるでしょう。イエス様当時のことを考えてみてください。イエス様に侍って人類一家族の夢を成し遂げる弟子たちが受けるべき職位であり使命が、正に分捧王でした。

ですから、その分捧王たちが、イエス様の分身として世界に通じるローマの道を通り、地球星の至る所に派遣され、イエス様の代身者、相続者としての使命を完遂しなければならなかったのです。そして、イエス様に侍ってこの地球星に平和の王国を創建することが、その当時の分捧王たちの使命だったのです。

同じように、今人類の真の父母である平和の王から分捧王の使命を受けた世界の指導者たちは、真の父母の代身者と相続者としての責任を果たさなければなりません。つまり、この地に永遠の平和を定着させる天命を完遂しなければならないという意味です。人種、宗教、国家、文化の壁をきれいに崩し、「神様のもとの一家族」の平和天国を創建する真の愛の溶鉱炉の使命を果たさなければなりません。私が既に世界的に組織し編成しておいた「平和軍」と「平和警察」も、この崇高な使命に総動員されるのです。

貴賓の皆様。皆様は、きょうこの歴史的な大会に参席することによって、天の召命を受けました。

肉的五感にのみ頼って生きている皆様の目には見えないかもしれませんが、今皆様お一人お一人の後ろには数千、数万人の善なる先祖たちが共にいるのです。天の命を受け、皆様を助け、激励するために駆けつけてきた有り難い方たちです。彼らは今、喜びと歓喜に満ちあふれてハレルヤを叫んでいます。

皆様の霊的な五官を稼動させてみてください。私たちの人生に絶対的に必要な要素である万物も、両手を大きく広げて皆様を歓迎しています。三〇〇〇年に向かって疾走する今日の時代は、ために生きる人生を中心とした真の愛の時代です。後天開闢の時代です。寂しく野原に咲いている一輪の野菊も、真の愛を与え合うことのできる真の主人を待っているのです。

私が「二十一世紀は環太平洋圏の時代である」と宣布したのも、このような脈絡からです。歴史の中心軸に従い、絶えず発展、移動してきた人類文明圏の帰着地が環太平洋圏です。六大州を抱く太平洋圏を保護し、愛し、今後人類の命を守ることができるように養い育てなければならないのが私たちの責任です。

み言集は大勢の学者たちが研究すべき天理の宝庫皆様。神様を父母として侍り、一家族となって暮らさなければならない人類に、今まで私が説破してきた天のみ言を記した本が、既に一千巻以上になっています。実に途方もない分量です。一人の人間としては、一生をかけても読破するのが大変なほどの分量です。このみ言集は、歴史を通して大勢の学者たちが研究し、発掘しなければならない天理の宝庫です。

皆様は、きょうこのような膨大な天理の核心内容を記した小冊子を受け取ってお帰りになり、御家族の方々全員で精読され、今後、皆様の家庭の家法、家庭の伝統としてくださることを願います。

もし皆様の家庭が、この冊子が伝える教えのとおりに暮らすならば、天運も皆様の家庭を避けていくことはできず、青史に輝く聖人、聖子の家庭となるでしょう。万王の王、神様の大いなる祝福が、皆様の家庭と国、そして全天宙の上に高く高く、満ちあふれることを祈ります。ありがとうございました。

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真の家庭が平和理想王国の土台皆様。真の愛はどのような愛であり、真の家庭とはどのような家庭をいうのでしょうか。絶対的神様の真の愛は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きる愛です。与えても、与えたという事実すら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に、心身をすべて捧げて孝行しながら喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。

真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくるのです。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠のものなので、誰でもこの真の愛を率先して実践するとき、神様と同居して共に楽しむことができ、同参権、相続権までも享受するようになるのです。

このように、天国に入る絶対必要条件であるために生きる人生、すなわち真の愛の人生とは、すべての創造の平和理想的モデルとなる、神様を中心として平和に暮らす新しい理想家庭の人生です。人類には今、誰もが真の家庭を探し立てることのできる道が大きく開かれました。

皆様。共にために生きる人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根から真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないという意味です。このように、祖父母、父母、孫と孫娘を中心として、三代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

皆様。神様も、どこかへ外出しても懐かしく思って、再び訪ねてこられる家庭を築きなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねられる家庭を準備しなさいということです。それが、正に神様に侍って暮らす生活です。

そのような家庭では、神様が縦的な良心の主体となり、その縦的主体に従って皆様は心と体を統一するのです。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛、このように四大愛圏、すなわち四大心情圏が完成するのです。このような家庭であってこそ、上下、左右、前後が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、永存する神様のモデル的理想家庭と理想国家と平和理想王国になるのです。もし全世界が、このような真の家庭で満ちあふれるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める、道理に従う世界となるでしょう。

人類の未来は環太平洋国家圏にかかっている平和を愛する指導者の皆様。この地球星に現存する七十億の人類の中で、五十億に近い人たちが、皆様の隣人であり、親戚である環太平洋圏の兄弟姉妹です。言い換えれば、私たち全員が根を同じくする蒙古斑同族圏の同族です。神様の平和理想を中心として、私たちが祝福を受けて一つの血統で団結すれば、できないことがどこにあるでしょうか。人類の未来は、今や環太平洋圏の諸国にかかっているのです。

皆様。天の摂理は今、アメリカ大陸を経てイギリスと同じ立場である日本列島において島嶼文明の花を咲かせ、人類の救世主であり、再臨のメシヤとして顕現された真の父母の祖国、韓半島で結実すべき宿命的瞬間を迎えています。

韓半島は、イエス様当時のローマと同じ立場に立ち、世界の問題を解決しなければならない超宗教圏と超政治圏の紛争地域とみなされています。地政学的な次元から見ても、韓半島は今、世界平和を定着させるための、最も先鋭な対立地域として浮かび上がっています。

人類文化が、韓半島を中心とする太平洋圏において結実しなければならないというのは、神様の蕩減復帰原理のためです。朝鮮戦争の時には、有り難くも、アメリカを中心とする国連軍が動員されましたが、神様が願われる祖国と故郷を取り戻すというみ旨を成し遂げることができず、途中下車することによって、物質の略奪、人の略奪、有神論と無神論の対立など、世界的次元の葛藤と紛争は、冷戦という名で継続してきました。

このような難題を蕩減復帰するために、私は、既に七年前に創設した「天宙平和連合」の名で、祝福を受けた天の女性たちを中心として、より平和を愛し、奉仕し、犠牲になる「平和軍」と「平和警察」まで組織編成し、教育して、先頭に立てました。これらは、神様を中心とする世界平和を具現する平和の前衛隊として、神様の願いである平和理想世界を創建するようになるでしょう。

皆様は、よく知らないと思いますが、韓半島の核問題解決のために、最善の国際共助体である六ヵ国協議の背後を助け、民主主義諸国と共産主義諸国を和解させ、その解決策を提示しているのも、レバレンド•ムーンが伝えた新しい天父主義の平和、和合の原則だという驚くべき事実を明らかにしたいと思います。

この切迫した時点において、アメリカと国連の役割は、果たして何でしょうか。環太平洋圏の中心に位置しているアメリカのハワイは、東洋と西洋を結ぶ架け橋であり、南と北を連結する鎖です。韓半島は、アメリカ大陸を背負い、太平洋圏のすべての島嶼国を糾合し、潔太平洋圏を保護し、守らなければなりません。重ねて申し上げますが、それは正に、人類の未来が、韓国と日本、そしてアメリカを中心とする環太平洋圏の保全にかかっているからです。このような天のみ旨をよく知っていた私は、去る七〇年代から三十三年間、生涯の黄金期を、アメリカを中心として世界平和のために精誠を尽くしました。その勝利的土台の上に、私は、再び韓国に戻り、神様の祖国と故郷を定着させる摂理を完成させつつあるのです。

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第一篇 真の父母様の顕現と真の父母時代 人類の最初の先祖であるアダムとエバは、「善悪を知る木からは取って食べてはならない」(創世記二・一七)と言われた神様の戒めを守り、成長期間を無事に通過して完成した人間になったのち、祝福を受けて人類最初の夫婦となり、善なる人間始祖となるべきであった。

しかし、アダムとエバは、サタンの誘惑に勝てず、個性を完成する以前の成長期間である、長成期完成級の段階で善悪の実を取って食べ、血統を汚すという罪を犯し、これが原罪となった。これにより、アダムとエバは善なる人類始祖になることができず、悪なる子孫を繁殖することにより、堕落した家庭、氏族、民族、国家、世界がつくられ、神様が願わない地上地獄と天上地獄が生じてしまったのである。

神様は、堕落した人類を救うため、メシヤであると同時に第二アダムの使命者として、ひとり子であるイエス様をアダム以降四千年ののちに、選民として育ててきたユダヤ民族に送られた。もし彼らがイエス様を信じ、一つになっていたならば、イエス様はその中から第二エバを探し出し、新婦として立て、聖婚式をして神様を中心とした夫婦になり、真の父母となって、人類の救援摂理歴史を完遂したであろう。

第二アダムとして来られたイエス様のメシヤ路程が、選ばれた者たちの不信によって道半ばで挫折するや、神様は再び、第三アダム、再臨のメシヤを送る摂理をされるようになった。復活されたイエス様と聖霊の重生の役事(働き)を通した、キリスト教の霊的救援摂理の二千年史は、第三アダム、再臨のメシヤを迎えるための基盤だったのである。

再臨のメシヤは、空中降臨ではなく、イエス様の時のように、女性の体を通して神様のひとり子として生まれるのであり、ユダヤ教団がイエス様をメシヤとして侍らなければならなかったように、キリスト教団は、再臨のメシヤを信じ、侍らなければならない。再臨のメシヤは、人間始祖が罪を犯し、原罪をもつようになった背景をはじめとして、徹底的に究明することにより、サタンの正体を明らかにして罪の根を抜き、霊界圏を相手に、生死を懸けた闘いに勝利し、最後にはサタンを自然屈伏させ、数多くの教主と宗主から、「再臨のメシヤ、真の父である」という証言を受け取らなければならない。これとともに、救援摂理の結実として準備されたひとり娘、聖霊の実体を探し出し、新婦として迎えてこそ、再臨のメシヤのみ旨は、地上に着地できるのである。

神様は、このような再臨のメシヤの真の父母摂理を完成するため、この地に二人のお方を誕生させられた。それが、再臨のメシヤ、すなわち第三アダムとして来られた文鮮明・真のお父様と、第三エバ、すなわち聖霊の実体であり再臨のメシヤの新婦として来られた韓鶴子・真のお母様である。

御夫妻は、「弘益人間(広く人間世界に利する)・在世理化(世を治め教え導く)」の開天・開国理念により悠久なる歴史と文化の伝統を備え、神様を敬い、平和を愛好してきた韓半島に誕生された。一九二〇年、陰暦一月六日、平安北道の定州でお生まれになった真のお父様は、天の特別な摂理の役事によって幼少期を過ごす中、十六歳(数え)になった年の復活節を迎える週に、イエス様を通して、「再臨の使命を受け継がなければならない」という神様からの召命を受けられた。それから真理探究のため、血のにじむ苦難の道を歩まれ、ついに創造原理、人間の堕落と罪の根、人間の責任分担および蕩減復帰摂理の原理原則を明らかにし、救援摂理の歴史過程に錯綜するあらゆる曲折を解かれたのである。

神様は、蕩減復帰摂理の中心主体として再臨主を地上に送られるとともに、その方の相対、配偶として来られる第三エバを復帰する摂理を進めてこられた。再臨主の誕生を前後して、韓半島に神霊運動が大きく広がるとともに、真のお母様の家系も、その中に加わるようになる。このような摂理的背景の中で、真のお母様は、一九四三年、陰暦一月六日、母方の実家のある平安南道の安州でお生まれになった。真のお母様は、再臨主の地上誕生を信じてきた外祖母の趙元模女史、洪順愛大母様、真のお母様へと続く三代のひとり娘の家庭で成長することにより、天の新婦として備えられた生活を出発された。そして、腹中教の許浩彬(孝彬)氏の母親が、六歳になった真のお母様に「天の新婦になられる方」と祝福をするなどの、霊的証があったのである。

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16.神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観II日付:二〇一二年三月七日

場所:韓国、ソウル、汝矣島(ヨイド)、六三ビル、グランドボールル—ム

行事:強い大韓民国汎国民運動本部出征式

尊敬する内外の貴賓の皆様。皆様とこのようにお会いでき、実にうれしい限りです。私と私の家族全員の名で皆様を歓迎いたします。

皆様。きょうのこの大会は、「強い大韓民国」運動が全国的に基盤を築き、本格的な活動を繰り広げるための出征式です。ですから、私はこの場において、歴史的に韓半島を中心として神様が展開された深い摂理的内容についてお話ししたいと思います。それとともに、私が最近宣布した環太平洋中心の摂理的な内容についても、皆様に紹介しようと思います。

後天時代と環太平洋時代貴賓の皆様。私は、天一国七年が始まると同時に、神様と人類が、数千年の歴史上、ただの一度も経験できなかった摂理的次元の禧年の期間を宣布しました。

天がこの年を起点として大きく祝福されたのです。数千、数万年の歴史を通して、執拗なまでに神様の胸を苦しめ、人類を足かせの沼から抜け出すことができないようにしていたサタン主管権、すなわち悪主権の先天時代がついに終わり、この年を頂点として、今から人類は、神様を中心にお迎えし、新しい善主権の時代である後天開闢の時代を大きく開いていくことができるようになったのです。

このような途方もない天の摂理が、皆様の知らない間に進行しています。今では、世界百八十五ヵ国で私の教えを相続して、天がこの時代に下さった特命を遂行するために、昼夜を分かたず走っている平和大使たちの数が、数百万になっています。したがって、きょう私は皆様に、今後人類が行くべき方向と天の摂理的プログラムを宣布するという次元で、「神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観—アメリカを中心とする国連と自由世界の方向」という題目で、天のみ言をお伝えしようと思います。

皆様。人類歴史の発展史を深く観察してみれば、歴史の背後で、絶えず役事される天の意志と息遣いを、はっきりと感じるようになります。世界四大河川地域を中心として第一歩を踏み出した人類の文明史を、一度振り返ってみてください。

ナイル川を中心とするエジプト文明、チグリス•ユーフラテス川を中心とするメソポタミア文明、インダス川を中心とするインダス文明、黄河を中心とする黄河文明、これらを私たちはよく知っています。その後、人類の文化は、地中海圏に上陸し、ギリシャ半島のギリシャ、イタリア半島のローマといった地中海の半島文化として、花を咲かせるようになります。

歴史は、再び発展を繰り返しながらヨーロッパ大陸文化として定着するかと思われましたが、この大陸文化も、再び大西洋圏のイギリスで島嶼文明の花を咲かせる土台となります。しかし、四海を平定し、「その地に日が沈むことはない」と叫び、気勢をあげていた大英帝国も、再びその華麗な文化のバトンをアメリカ大陸に譲り渡した事実を、私たちは、歴史の中に目撃するようになります。このように、アメリカ大陸に着陸した人類の文化は、ついにキリスト教に根をおく民主主義の甲胄をまとい、宗教の自由と人権平等の旗印を掲げて闘い、第一、第二、第三次世界大戦を勝利することによって、無神論的悪主権の代名詞だった共産主義がひざまずくようになります。

しかし、人類文化史の発展がここで終わるのではありません。そして、それは、アメリカが偉大であるがゆえに、成し遂げられた結果でもありません。摂理的プログラムに合わせ、天はアメリカという国を第二イスラエルとして選び立て、中心宗教であるキリスト教を通してアメリカの国民を育て、訓練させ、その結実段階の摂理を成し遂げてきたのです。

平和世界創建の牽引車の役割を果たすべきアメリカ皆様。しかし、問題は今からです。地球星を一周回ってきた人類文明史の発展は、ついに太平洋圏に到着しました。今や人類歴史は、環太平洋圏を中心として完成、完結すべき摂理的時点に到達したのです。

この摂理的プログラムは、もはやいかなる力も妨げることができません。悪主権下で勝ち負けを繰り返していた先天時代の蕩減路程は、飛躍する環太平洋時代の足首をつかむことはできないのです。天が二〇〇七年を禧年の期間として宣布された特別なみ旨が、正にここにあります。

皆様。環太平洋時代の到来が意味するところは、実に大きなものです。人類のメシヤとして来られたイエス様が、み旨を成し遂げていたならば、世界はどのような姿に変わっていたと思いますか。

イエス様は、全人類を救うために来られた救世主、メシヤだったのであって、地中海東方の片隅に位置するイスラエルだけを救うために来られた方ではなかったのです。その当時、人類文化は、既に地中海の中心であるローマを拠点として、四海を掌握し、治める準備ができていました。

したがって、天は、イエス様がローマを教化して統治し、その強大なローマの力を借りて、世界人類を救ってくれることを期待していたのです。しかし、歴史は、あまりにも悲惨な十字架の惨刑で終わったイエス様の最後を記録しています。数千年をかけて準備した土台の上に、ようやく御自身のひとり子であるイエス様をこの地に送られ、心を痛め、気をもみながら、一挙手一投足を見守られた神様の心情はどのようなものだったでしょうか。人類の始祖として創造されたアダムとエバが、堕落によってエデンの園から離れていった時よりも大きく凄惨な恨が骨身にしみる悲劇となってしまったのです。

それから二千年、神様は歴史の裏道で、人間には到底想像もできない受雖の路程を歩まれながら準備してきた第二イスラエルの国がアメリカです。キリスト教国として、新教と旧教が適切に按配されているアメリカは、旧教と新教を一日も早く和合統一させ、イエス様の時代に成し遂げることができなかった二十一世紀のローマの役割を完遂する使命を帯ぴているのです。

七十億の人類の和合と統一を成し遂げ、この地に平和理想世界を創建するための、牽引車の役割を果たすべき摂理的次元の責任が、アメリカという国に負わされているという意味です。これは単にレバレンド•ムーンの言葉ではありません。天が今日、アメリカに下された天命です。

それでは、私たちはいかにして旧教と新教を一つにできるのでしょうか。神様は既にその答えを、人類の真の父母として顕現されたレバレンド•ムーンを通じて送ってくださいました。真の愛の人生を実践躬行し、霊界の実相をはっきりと知って、モデル的理想家庭である真の家庭を探し立てなければならないという、天からの至上命令をもって来られた方が、正に人類の真の父母であられるレバレンド・ムーンなのです。

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天国に行く教材中高等学校で学ぶことができる教材、その次に大学と大学院の教材、その次にその国を中心とする教材です。天の国と地上世界は違うのですが、サタンの宮ではなく、天国にある本来の堕落前のエデンの園で、神様を中心として、真の父母の王を中心としてどうするのですか。分かれた兄と弟の血統を、父母が一つになって処理しなければ、神様も処理できないようになっています。

サタンが神様に代わって骨となり、本体となりました。そのようになったのです。しかし、父母様が神様と一体になりました。体になれるのが真の父母であり、骨になれるのが真の神様です。その精子は死なず、なくならなかったので、神様の胸骨の中に埋められ、今日の真の父母へと受け継がれたのです。

父母がこの教材を準備しなければなりません。幼稚園、小学校、中高等学校、大学、大学院の博士コースまで、十年、二十年かかるかもしれません。その教材を作る費用は父母が出さなければなりません。その教材の費用を出してあげて博士となり、大学院、大学、中高等学校、小学校、幼稚園の先生、どんな教育機関の先生であろうとすべて消化することができます。真の父母の代身者であり、真の師の代身者であり、真の王の代身者にならなければなりません。

この教材で教育を受けた天下の六十五億の人類は、天上世界においても、教材が必要ない人になるので、天国に行くのです。教材を必要とするなら、天国に行くことができません。教材なしで天国に行ける人をつくるためには、父母になった人たちが、幼稚園の教材、小学校の教材、中高等学校の教材、大学の教材、大学院の教材を準備しなければなりません。その教材を買ってあげれば、教材と共に一緒に御飯を食べ、仕事をしなければなりません。結局、そのようにして天下にこの教材が必要なくなるようにするのです。

そのような家庭の一族、一族の七代先祖たちが一つになり、そのような環境をつくれば、地上に神様が喜ぶ家庭の一族だけが残る、そのような国にならざるを得ません。万万世が太平聖代億万歳を叫ぶことができ、神様が解放され、すべてのものが解放される天国こそが、神様の祖国と神様の故郷、私たちの祖国と私たちの故郷であり、それが同じ血統によって綴られていかざるを得ないのです。血統がなければならないという事実は否定できません。ですから、祝福を受けなければならないのです。祝福がどれほど価値のあるものかということを知らなければなりません。教材は、父母の代身であり、統一教会の代身です。

本然の世界になれば、統一教会もなくなります。皆様の家庭で、神様の代身として、先祖の代身として、子孫の代身として、三代圏がこの教材をすべて備えれば、その天国圏が、神様の統治する世界と国家、全宇宙とならざるを得ません。異議があって弁論できるサタン世界の弁護士、検事、裁判長がいるならば、出てきてみなさいというのです。一時間で面食らって追い出されるでしょう。

万事亨通(すべてが順調であること)で一つの結論が出ました。歓迎するなら、手を挙げて十二回万歳しましょう。「どこかに行きなさい」と言えば命懸けで移動できる、自由解放の民族にならなければなりません。

釈放の相続者として、神様の王子、王女となり、その本郷の場である天の国に一緒に行ってあげるのが、神様の家庭の食口ではないですか。この法を守らなければなりません。永遠に従う天の国の憲法が出発してこそ、新しい天国が始まるのです。

きょうからすぐに本を買って、自分のポケットに入れて歩きなさいというのです。これが鏡となり、そこに映る自分の姿が間違いなくそのとおりにならなければなりません。ほかの人になってはいけません。変わってはならず、色が変わってもいけません。父母たちもこの教材を中心として、息子、娘に神様の息子、娘として侍ることができるようにしなければなりません。

真の父母が保証できる人生東西南北の四方、北斗七星、南十字星を見つめることができ、それを感じる人が、どうしてがらくたのようになって離婚することができるでしょうか。本来、結婚は一度しかありません。革命です。アメリカも革命ができなければなりません。革命を起こさなければならないのです。

このように、真の父母、真の師、真の王、神様までも解放させた主人が保証する証拠的基準、天の国の弁護士が使うことができ、天の国の検事が使うことができ、天の国の判事が使うことのできる、憲法の中の絶対憲法の基準になるので、これに反する法はこの世にないことを知って、そのとおりに生きてくださることを願います。皆様が「そのように生きる」と言うので、先生は感謝して韓国に帰ります。そして、二、三年以内に韓国で、意のままにどんなことでもするでしょう。

日韓トンネルを掘らなければ、韓国がべーリング海峡トンネルを掘るのです。私一人でやっても余力があります。先生が立ち上がりさえすれば、十分にできるというのです。財閥を一遍に一晩で集めることができるではないですか。集めることができますか、できませんか。今に分かるのです。

絶対信仰、絶対愛、絶対服従をするに当たって、自らの名誉も自らの名分もなく、私という種も元手もないのに、何を主張できるというのでしょうか。神様が再びつくることのできる関係的内容がないではないですか。そのような立場において、父母は祝福を受けた息子、娘に、先生の説教集と『世界経典』、『百科大事典』を準備しなければなりません。

共産世界と民主世界の争いを止める材料が、すべて教材になっています。昼も夜も永遠に暮らせる土台になるので、神様は永遠に死なずに生き、神様と私たちの子孫は、永遠に死なずに先祖と共に生きるので、永遠の天の国に共に入るのです。そのように、永遠の世界、天国に行くのが原理なので、天国の民になることは原則なのです。

この時代は「神様霊連世協会」時代今や、天の国における相続権、代身者の権限を渡しました。父母の代わりに所有権を相続させ、父なる神様が所有していたものまで相続させてあげたので、皆様が訓読会で父母に代わる位置に立ちなさいというのです。師に代わる位置、王に代わる位置にさえ立つようになれば、すべてのことが可能なのです。

先生は国から追われる環境にありましたが、そのように国から追われれば、もっと大きな所に行って、その世界で私が代身者であり、相続者であると考えました。国の大統領の前に行っても、「私があなたに代わる相続者である。あなたは真の父母の代身者、相続者になれなかったではないか。あなたの権限を中心としてすべて売り払って、私と神様に捧げなさい!」と言うことが可能です。それは天の法によって保障されているのです。皆様が、これから必ず覚えておいて、実践しなければならない点を、最後の結論としてお願いしたいと思います。それは、今、私たちが生きているこの時代が、人間の目には見えませんが、摂理的な目で見れば、歴史上最も重要かつ深刻な時だという点です。人類が直面している最大の転換期であり、分水嶺を越えつつある時なのです。したがって、この時代は「神様霊連世協会」時代です。すなわち、「神愛人協会」の時代であり、「天地父母(天一国)協会」の時代です。言い換えれば、人類は今、神様の祖国と本郷を探し立て、完成解放の天国を成就し、永遠の幸福と安楽を享受できる天の特別恩賜圏の時代に入ったということです。

どうか、皆様の心と体を清く保ち、天の召命に応えて、悔いのない「正午定着」的人生を生きることを願います。このような天の願いを忘れずに生きると決心する人は、拍手で歓迎してください。ありがとうございました。

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『統一百科大事典』先生は、生きた百科大事典として、百科事典にない内容の言葉を使うのです。三分の二以上は百科事典にない言葉を使います。ですから、『統一百科大事典』を作っておきました。録音テーブさえあればよいのです。すべてつくり終えました。ですから、『統一百科大事典』が出ることによって、一つの文化世界が創造されるのです。二つあれば二つの百科事典、三つあれば三つの百科事典、四つあれば四つの百科事典です。そのようになれば、共産圏の百科事典、ロシア百科事典、アメリカ百科事典、インディアン百科事典まで出るようになるのです。

先生はすべてのことを解き明かして、共産圏が何も言えないようにします。「負けました。蘇生的旧約時代も負けました。長成的宗教圏内でも負けました」と言わせるのです。霊界を否定していた共産圏ですが、霊界にいる共産圏の先祖までが降りて来て、「霊界は統一されている」という事実を認めているのに、共産圏は民主世界の宗教圏を握って、王のような振る舞いができるでしょうか。

この中で、祝福を受けて生まれた子女たちは手を挙げてください。皆様は、父と母の愛に同参して生まれた人たちです。父母の血肉を連結できる代表的な人が皆様です。母でもなく、父でもありません。神様の血統を受け継いだということを知らなければなりません。

王となる人たちはもちろん、アメリカの民主主義やあらゆる主義をすべて崩して、二世を中心として父母、祖父、王たちがこの『平和神経』で教育するのです。それが祝福を受けた家庭の訓読会です。

訓読家庭の基準の伝統を受け継げば、一斉に天下が天の国の皇族圏内に入ってきます。そのような教材を作りました。この教材は誰のものでしょうか。皆様の父母の中で、酒を飲み、たばこを吸い、浮気をし、ありとあらゆることをしている人がいるでしょう。彼らをどのようにして救ってあげるのでしょうか。

再びこの本で教育を受けることによって、父母と一つになり、神様の血統を同じ位置で受けたという、同レべルの関係が出発したことになるので、父母に代わる位置に上がっていくことができます。父母に代わる位置に上がるのです。この本で、皆様が主人になるのです。もし父母が誤れば、祝福二世たちが彼らを教育するのです。

今まで分かれていた父と母を、分かれていた民主世界と共産世界を、息子、娘たちがこの教材をもって教育すれば、自動的に統一されます。二世の解放圏が生まれるのです。万民解放の教材として、この本を持っていって教育すれば、その国民は天の国の国民にならざるを得ません。この本は、天の国の教材として作ったのです。

二世が家庭訓読会の指導者皆様。韓国の幼稚園から小学校、中高等学校を卒業するのです。そうすれば早いのです。韓国の幼稚園を一年、その次には小学校を六年、中高等学校を六年通えば十三年です。高校を卒業し、この本まで知れば、世情に通じるようになります。十三年ですべて分かるようになるのです。

その次に大学と大学院です。カイン•アベルを中心として、アベル圏として博士コースを経るためには、八ヵ国の本を参考にできる能力がなければなりません。そのような能力がなければ、ハーバード大学の正式な博士コースに入れません。

子女も、八ヵ月すれば、一年足らずで親の言葉が大概理解できるでしょう。三年もかかりません。二年半でその国の言葉にすべて通じます。三歳になればすべて通じるのです。幼稚園に入って、その時から一つの国の言葉、一つの言語を学ばなければなりません。

母国語が分からない人は天国に入れません。ですから、このような貴い本を、真の父母様が読む原本で実際に作らなければなりません。それが千年、万年残るのです。今後、ダイヤモンドで作った本、または金や白金で原本を作って保管しておかなければなりません。セーヴルにメートルの原器を保管するのと同じです。セーヴルはフランスにありますが、そこにすべての原器が収められています。

アメリカが三十四年間、文総裁を受け入れなかったために滅びてしまいました。イスラエルの国まで第三イスラエルが相続し、第四次アダム圏時代を連結するものをみなつくっておいたのですが、それをボイコットして皆様の思いどおりに生きるのですか。

きょう、二世たちがたくさん集まりました。誰がそのようにしたのですか。今まで誰もできませんでした。ただ一人の人物だけができたのです。このように見るとき、私も心配することがありません。アメリカを離れますが、教材を作りました。これは、皆様の教材です。

皆様の父母が誤ったならば、「お父さん、お母さん、悔い改めてください。私を通して再び祝福を受けなければ、生きる道がありません」と言える皆様にならなければなりません。父母を再び祝福できる教材が出たので、訓読会の祖となるのは皆様しかいません。二世が家庭訓読会の指導者になるのです。

ベ—リング海峡と日韓トンネル今まで根が抜かれて空中にぽかんと浮かんでいたロシアと中国が、再び共産主義に戻ろうとしています。そうなれは、ベーリング海峡プロジェクトを放り出してしまいます。べーリング海峡プロジェクトを十年前から発表したのですが、どのようになりましたか。日韓トンネルも日本が妨げています。

日韓トンネルとべーリング海峡計画を、「ワシントン•タイムズ」と宗教圏が責任をもって公開し、発表してしまいました。すべて準備して日韓トンネルを掘るのです。日本が掘らなければ、どのようになるでしょうか。

その代替となる島が対馬です。いつでもトンネルを掘ることができます。対馬は、日本本土を中心として長崎県に属しています。自動的に日本の門が開きます。そこから広島、大阪、京都と名古屋の門を開くのです。京都が開けば、東京を中心として門を開き、日本政府の門を開きなさいというのです。

トンネルを掘らなければなりません。トンネルを掘ることが貴いのです。日韓トンネルを掘れば、太平洋まで通じます。日韓トンネルを掘れば、ハワイにまで自由に行く道も開けます。

ハワイは海洋圏北緯二三度、南方を中心として境界線になっているのですが、南北までも私がすべて連結させ、ハワイさえ通ればどこにでも行けるので、どのようになるでしょうか。天下万国に通じる道がすべて開かれるので、べーリング海峡とハワイを中心として旅行できるのです。

韓国の地を中心として、すべての歴史が解かれるのです。祖国光復が成就するというのに、韓国の人は、成就しないと言えるでしょうか。文総裁の教えを受ければ、誰もが「正しいです!」と言います。レバレンド•ムーンが教える内容を知れば、誰もこの本の内容を否定できないのです。

韓国は神様の祖国神様の祖国となる国は韓国しかありません。絶対的母国と本郷の地は韓国しかないのです。韓国の神様「ハナニム」は、お一人しかいません。一人の主人を信じてきたこの民族しか残ることはできないのです。レバレンド•ムーンが神様に代わって一つの王国をつくり、すべてを整理してここに来ました。ですから、その人が願う統一の血族とその人が支持する国が神様の願う国なので、神様が、地上•天上のどこでも自由活動することができ、満たされていないものがなく、できないことがないと言える解放された地上•天上天国になるのです。皆様も神様に代わって働くことができるというのです。

カインは誰でしょうか。先に研究して基盤を築いた民主世界がカインです。これからはアベルが入れ替わることによって、祖父が孫になり、父が息子になり、兄が弟になって、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することができます。その世界のカイン圏はどのようになるでしょうか。神様のように敬い、父母様のように敬い、自分の一族よりも敬うことのできる人は、天の国の眷族となります。天の国に国庫金を納めなければならず、税金を納めなければならず、通行証をもらわなければなりません。そうしてこそ、神様の祖国と故郷が生まれるのです。

そのような所に帰らなければなりませんか、帰ってはいけませんか。今回、すべてを話してあげたのですが、ここから抜け出したければ、「きょうから真の父母は必要ない」と言って抜けなさいというのです。しかし、唯一残っている中心が真の父母、王の中の王です。お一人しかいない神様、神様の位置を、今初めてつかんだのです。不平は言えないでしょう。神様の代わりとして皆様が侍るのです。そして、宗教の看板をすべて外し、国の看板をすべて外すのです。

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イエス様の十二弟子の不信と猟師の歴史十二人の息子は十二支派であり、イエス様まで入れて十三数です。十二弟子の前に十三数を見つけることができなかったのですが、十二人弟子がイエス様を否定したというのです。それでイエス様が亡くなられたのではないですか。

そのようにして天地を滅ぼした罪の系統が残り、北極の猟師の歴史へと受け継がれたのです。カイン格である北極の猟師たちは、食べ物がないので、川の流域や平野地帯を占有しました。天の民となる人たちが、そこに住まなければならないのに、最も貧しく暮らしていた猟師たちが、銃を造って占領したのです。

猟師たちは血を見ることを好むのです。狩猟に行く時は四人で出発したのに、帰ってくる時は一人で帰ってきます。あの山この山と移動して回りながら、獣を狩猟して捕まえます。そうしていくうちに、「あいつは危険だ。我々の物を奪うかもしれない」といって殺害するのです。春に殺害し、夏に殺害し、秋に殺害して、狩猟をした獲物を独占します。そうして、生活のために狩猟した獲物を一人で食べます。ですから兄弟もなく、親子もなく、親戚もないのです。

そのように捕まえたあとには、帰らなければなりません。帰ってから、春には農業をしなければならないのですが、猟師が農業をすることができますか。ですから、さらに高い山岳地帯を訪ねたり、一部の人たちは釣り場へと向かうのです。

釣り場には主人がいません。審判の時は動物をすべて審判しましたが、魚は審判しませんでした。それでは、釣り場で魚を捕まえるためにはどうしたらよいでしょうか。スウェーデン、ノルウェーが海賊の基地だったことを知っていますか。

狩猟に行けば、各国の人が集まって最後に一つの国の人だけが残るのですが、その純白人が銃を研究して機関銃まで作ったのです。それがチェコ•スロバキアです。ヨーロッパの科学文明がチェコ•スロバキアで始まりました。そのようにして始まったのが猟師の技術です。狩猟に行って、チェコ•スロバキア人同士が命を奪い合うのです。一頭の熊をめぐって二人が闘うというのです。

猟師とアメリカ狩猟は誰がするのでしょうか。犬にさせるのです。猟犬を飼って狩猟をするのですが、犬は、おおかみ、虎、ライオンがいれば、直ちににおいを嗅ぎつけて分かります。雪の上の足跡を見たり、臭いを嗅いだりして、熊か虎かが分かるのです。平原地帯では、においを嗅いで、熊か虎か分かります。北極では雪の上の足跡を見て分かるのです。足跡が問題です。熱帯地方では、犬がにおいを嗅げば、ライオンでも何でもみな分かります。

水に生息する獣の中で、アナコンダという蛇は体が大きくて、ライオンや虎、おおかみのような、大きな生きものを、巻きついて食べるくらいです。水の世界で残るのは蛇しかいません。それを知っているので、天が水を中心として審判したのです。このような話は、ただ語っているのではありません。文総裁がどうしてそれを知っているのかというと、天が教えてくれたので知っているのです。

アメリカ人は左利きの人が大勢います。白人には左利きがたくさんいるのです。白人たちは主に猟師をしていたので、銃を持って歩き、担いで歩くので反対側の肩を使うことができません。寝るときも左手を枕代わりにして眠り、左手を中心として仕事をしました。それで、左利きが多いのです。

ニューヨークの中で、最も恵まれた地域がイースト•ガーデン地域です。湖があり、釣り場があります。そして、鹿やあらゆる動物を育てられる所は、ニューヨークでこの地域しかありません。泉のほとりです。また、ベアマウンテン(州立公園)とは、熊(ベア)が行って暮らした所で、アメリカ東部における中心のマウンテン(山)という意味です。

先生はここを、なぜ釣りの中心本部としたのでしょうか。ニューヨークの沖合では、冬でもストライプトバス(シマスズキ)を釣ることができます。春夏秋冬、いつでも釣りができるのはニューヨークしかありません。ニューヨークなので、魚も盤石の上にいるのです。地球星が壊れても、ニューヨークは残るようになっています。避難所です。長生きする欅(けやき)がある所がニューヨークです。木の中で、種をたくさんもっているのが欅です。

ところで今、民主主義を滅ぼしているのはアメリカです。すべてが個人主義者に変わりつつあります。神様を中心とする理想主義に帰らなければなりません。また、神様は真の愛を中心とする独裁の王です。サタンは悪の独裁の王として世の中を滅ぼしますが、天の国の独裁の王は、三大王権を守って育てていくようにするのです。

神様の故郷の地イスラエル民族が救世主であるイエス様を捕らえて命を奪いましたが、再臨の主も同じです。第二イスラエルであるアメリカが、宗教圏を中心として文総裁を捕らえて亡きものにしようとしたのです。これからは、先生がやろうとすれば、できないことがありません。アベル国連の看板をつけて進み、真の理想的な一つの家庭、一つになれる家庭を立てるのです。

世界には六千以上の言葉があります。そのような異なる言葉を一つに統合できるのは韓国語しかありません。カナダラマバサアデャチャカタパハ!この文字は、世界のどんな言葉であれ、上からでも下からでも読み書きできます。四方において主人の振る舞いができる言語なのです。そのような文字をもっているのが韓国の民族です。

「東夷族」とは何でしょうか。東方の国の、矢を上手に放っ戦のチャンピオンです。頭が良いので戦に勝ちます。あらゆる戦法を用いて常に勝利するのです。高句麗は、千年王国を築きました。その高句麗がいまだに死なずに韓国で実を結ぼうとしているので、中国が大騒ぎです。「世界平和と言えば、中国とロシアだ」と言うのですが、中国やロシアという国家はあっても、それらは宗教圏を一つにすることができません。中国がロシアと一つになり、二国が協同して宗教圏を迎えなければなりません。私はゴルバチョフ大統領にそのようなことを話し、「神様さえお迎えすれば、モスクワは統一天下の王国となるだろう」と言ったのです。

しかし、モスクワでもできず、北京でもできず、ニューヨークでもできませんでした。ワシントン地域でもできませんでした。すべて失ってしまいました。どこで成し遂げられるのでしょうか。今や残っている所は、一つしかありません。神様を中心とする王権、神様の祖国と故郷の地は、先生の生まれた平安北道定州の地にならざるを得ないという結論が出ました。それが真の父母の地です。

真の父母によって、真の神様も生まれ、真の先祖も生まれ、真の民族も生まれ、真の国家も生まれ、真の世界も生まれて、統一天下の一つの血統にまとめることができるのです。そのようなことを、強制ではなく道理に基づいて行うのです。

祝福の価値が分かれば文総裁に従わざるを得ません。文総裁の思想を理解する世界では、投票が必要ないのです。すべて祝福を受けたというのに、どうして投票が必要でしょうか。

次の選挙が最後だと言ったでしょう。その次は投票がなくなります。文総裁が看板をつけて前進するのです。「私の言うことを聞きなさい!」と言うのです。国連が、言うことを聞かなければ、「闘うならいくらでも闘ってみなさい!」と言います。それは、最下級の水平にすぎません。その水平とは何かというと太平洋の海のようなものです。

太平洋が満水になれば、残れる島はハワイしかありません。そこにはどんな山があるか知っていますか。そこには地球星で最も高い天文台があります。山の歴史から見て、海底から測れば一番高いのです。そこは海抜四千三百メートル以上ですが、海まで含めれば一番高いのです。海底だけでも一万メートル以上あるので、一万四千三百メートルになります。地球星の一番底から山になっているのが、ハワイのコナにあるマウナ•ケアという山です。世界で一番のコーナー、世界で一番遠い所なのです。

そこに私が入っていき、ハワイ•キング•ガーデン、ハワイ•クイーン•ガーデンを造りました。地球星で最高に高く、一番のコーナーがコナですが、コナで一番良いのがコーヒーです。そこに、最高の品質を誇る、私たちのコーヒー農場があります。文総裁がハワイに歩哨所を造ったのは、四十年前のことです。北朝鮮に行くときも精誠を尽くした所です。北朝鮮の金日成主席のところに行って談判するときも、まずハワイに行って精誠を尽くし、原稿を書いたのです。

ロシアのゴルバチョフ大統領は、韓国語で「均等に縮める」という意味になります。自分しか残っておらず、世界を狭めたり広げたりできるのは私しかいないので、私の言うことを聞きなさいというのです。私の言うことを聞いて宗教を承認したので、ソ連に解放がもたらされたのです。

西欧キリスト教文化圏と東欧キリスト教文化圏の争いが、第二次世界大戦です。一つの兄弟の争いです。ロシアは長子、ヨーロッパは次子、三番目の息子は統一世界文化圏です。歴史の流れと歴史のすべてが、内外の事実と一致するのです。

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17.平和の主人、血統の主人日付:二〇〇九年七月七日

場所:アメリカ、ニューヨーク、イースト•ガーデン

行事:アメリカ独立二百三十三周年記念集会

皆様が知らなければならないことは、これから、先天時代から後天時代へ、カイン・アベルの時代へと移行するので、新しい歴史を編成する重要な時代に入るという点です。

一秒で世の中が変わる時代は変わりますが、皆様の暮らす生活環境は変わりません。私たちは、昼と夜の正確な分かれ目に気づかないように、春と夏が一秒で変わることに気づきません。零時前と零時後の一秒を中心としても気づかないのです。きのうときょうは、同じ日のように続いていますが、新しい日へと変わり、時代や世界も新しい時代、新しい世界へと転換するのです。歴史も同じです。先天時代と後天時代が一秒を中心として分かれますが、それをとらえることができないのです。

皆様は習慣性を中心として、きょうもきのうの時間が延長したものと思っています。だとすれば、昔、かつてあった歴史的事実、千年、万年の歴史的価値はどうなるのでしょうか。その千年、万年持続した生が、一秒で変わることに誰も気づかないのです。

この全体の個人的な転換時代、家庭的な転換時代、それから父母を中心とした子女の時代、先祖が出発する時代、それから王と祖父の時代、祖父と父母の時代、父母と夫婦の時代、夫婦を中心として子女の時代へと転換することが、すべて分からないというのです。

目が瞬きする間に先天時代と後天時代が交差するのです。にもかかわらず、それを知らずに暮らしています。皆様は目が瞬きすることに気づいていますか。息をしていることを考えますか。東と西も分かれ、北と南も赤道を中心として分かれています。しかし、南と北、東と西がどこで分かれているのかはっきり分かりません。それを知らなければなりません。同じ一秒と一秒であっても、先天時代と後天時代、上天時代と下天時代、前天時代と後天時代というふうに、天宙次元で違ってくるのです。

皆様。「圓球」という言葉があります。私たちは、「圓球ピースカップ・カインアベル天宙平和連合大会」を開催しましたが、皆様は、宇宙が変わったことに気づきませんでした。天地が一つになることにも、分かれることにも気づかず、天地が分離して堕落することにも気づきませんでした。ー秒の間に世の中が変わっていることを、私たちは知らずに暮らしているのです。絶対信仰の個人的な存在、絶対愛の個人的な存在、絶対服従の個人的な存在も、すべて一秒で分かれることを知りません。

また、陰暦を使うか、陽暦を使うかによって、世界が二つに分かれました。西洋と東洋に分かれたのです。先祖は同一ですが、どのようにして西洋と東洋に分かれ、国と国に分かれ、兄弟もすべて分かれたのでしょうか。これが問題です。

平和の主人「わたしはアルバであり、オメガである」(ヨハネの黙示録一•八)といいますが、そのアルファとオメガの中心は真の愛です。神様は、創造の根本動機であるその核の位置で相対を創造し、一つになろうとされましたが、それがどうなったのでしょうか。堕落しました。血統が一つになって家庭の基盤をつくり上げようとしたのですが、それが果たされず、なくなってしまいました。

アメリカの家庭が神様の家庭と言えるでしょうか。生命の起源である父母の二性性相が分立した一つ一つのものは、何によって一つにならなければならないのでしょうか。愛ゆえに生まれ、愛を通して出発したので、その目的も愛のためでなければなりません。男性独りでは愛することができません。ですから、女性が必要なのです。

レバレンド•ムーンの思想は平和思想です。レバレンド•ムーンは平和の主人、血統の主人です。アルファの愛とオメガの愛があるとすれば、過程的な愛とは何でしょうか。この二つが遠ざかれば遠ざかるほど、球形の中を満たすものがありません。隙間さえあれば、空気が通り、水が通り、太陽の光が通ります。

生命の根本要因は、空気と水と太陽の光であり、そのうちの一つでも欠けてはいけません。水がなくても、すべての生命がなくなってしまいます。空気がなくても、太陽がなくても、なくなってしまうのです。皆様はなくならない自信がありますか。

ですから、「神様のもとの一つの家族(One Family Under God)」という言葉はどれほど驚くべき言葉でしょうか!神様の生命の綱、神様の空気の綱、太陽の光がそこに通じているというのです。そのような解釈をしてこそ、感動をもって愛の理想相対を求めることができます。そうでなければ、統一天下が成就されません。

皆様。生命を捧げる覚悟ができていますか。ここに、ウェストポイント陸軍士官学校に通う生徒たちもいますが、国のために死ぬ覚悟をしなければならないことを学んだでしょう。

自分の愛と家庭と一族を破綻させても国を生かさなければならない、それを教えるのがウェストポイントの伝統思想なのですが、そのようなウェストポイントの伝統思想は、今どこにあるのでしょうか。アメリカの伝統思想をどこで見ることができるでしょうか。個人主義であふれているのです。

個人主義の世界は存在することができません。個人主義、家庭主義、民族主義、国家主義、世界主義でも存在することができないので、それ以上を主張するのが天宙主義です。「天宙」の中にはすべての国が入っています。それを指向するのがピースカップ主義です。

すべてのことを教えてくれる教材神様はモーセに、イスラエル民族を率いてカナンの地に入るように特命を与えるとき、「今から故郷に帰りなさい。カナンの地に帰りなさい!」と言ったのです。そのとき、一人でも契約の箱が通る道に妨げとなれば、その国は根本的になくなるようになっていました。一人が誤れば、全体が誤ることになるのです。

その当時、国の興亡をかけた方策をヨシュアに与え、カナンの三十一ヵ国の民たちは、契約の箱が過ぎいく時に、契約の箱に対して礼を尽くして何度も頭を下げて謝罪し、千回、万回、敬拝をしなければならないのです。そのような姿にならなければ通じません。自分に欲と野望があって屈服しない群れは、根本から取り除かれてしまうのです。ですから、一人が屈服しなくなれば、その一門、その国をなくしてしまうのです。

第二次世界大戦は、英、米、仏と日、独、伊の対決でした。イギリスは母であり、アメリカはイギリスの息子です。フランス(「仏」は韓国語でブル)は何でしょうか。いつでも火事(「火」ほ韓国語でプル)を起こす火鉢に火種が残っているのがフランスです。火種が生きているのがフランスです。英、米、仏に対して、日本、アジアが中心になろうとしました。

蘇生、長成、完成の三時代、旧約時代、新約時代、成約時代を経て、第四次アダム圏の時代に定着できる準備をしたのですが、皆様は、そのみ旨が分かりますか。分からないので、今回このすべてを教える教材を作りました。父母たちは、この教材を子女たちに買ってあげるのです。息子が十二人ならば、父母の本を中心として十三数です。十三冊で教育するのです。「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」をこの本で教えることで、息子と娘が神様と分かれることなく、完全に一つになるのです。

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真の父母の勝利的伝統の相続このように、真の父母と全人類が一致して血と汗と涙で起こした勝利の土台の上に、私は、去る二〇〇三年、イスラエルのエルサレムにおいて、キリスト教、ユダヤ教、イスラームの推戴を受け、イエス様を王の王として天上天下に宣布しました。それとともに、二〇〇四年には、私がアメリカと韓国の国会で平和の王として推戴されました。そして、二〇〇六年六月には、ついに「天宙平和の王戴冠式」を挙行するようになったのです。

皆様。二十一世紀に入った今日の人類は、実に歴史的な転換期に置かれています。永遠の世界平和を定着させられるのか、あるいは、二十世紀まで反復してきた暗鬱な戦争と対決の歴史を再び繰り返すのかを、決定せざるを得ない時点に来ています。

皆様も御存じのように、人類は、二十世紀に入って本格化した植民地争奪戦と第一次、第二次世界大戦を経験しました。そして、神様の祖国光復の摂理的次元で国連軍が動員され、世界の十六ヵ国が参戦した韓半島での聖戦、また東西冷戦など、絶えず繰り返されてきた戦争と反目の時代を経なければなりませんでした。

このような渦の中で、私は、生涯の全過程を神様の平和理想世界王国の具現のために捧げてきました。さらに私は、第二次世界大戦が終わると同時に創設された国連が、永遠の世界平和実現のために、神様のみ旨に従う名実共の平和の機構となることを切に祈ってきました。

しかし、一九四五年に創設された国連に、世界平和のために貢献した素晴らしい業績がないわけではありませんが、創設六十周年を超えた今日の姿は、その本来の創設目的を遂行するに当たって、深刻な困難に直面していることを、自他共に認めています。加盟国が二百ヵ国に迫っていますが、自国の権益ばかりを代弁し、主張する国連代表部の役割は、今、世界紛争の解決と世界平和の具現に対して、創設当時からの限界を露呈しています。

皆様。私は去る二〇〇五年九月十二日に、ついに神様の摂理史を花咲かせる「天宙平和連合」の創設を満天下に宣布しました。「天宙平和連合」は、今から後天開闢時代のアベル国連的役割を果たすでしょう。カイン格の既存の国連の刷新とともに、世界各地において、私の教えである「天父主義」、すなわち真の愛、真の家庭主義を伝授されて走っている数百万の平和大使たちを動員し、「神様のもとの人類一家族」を成し遂げる天命を必ず完遂しなければなりません。

皆様。「天宙平和連合」は、超宗教•超国家的な次元で、交叉祝福結婚を通して堕落前のアダムの本然の血統に復帰する、人類の血統転換の大革命を遂行する前衛隊となるでしょう。ある人は、不可能なことだとあざ笑うかもしれません。

しかし、神様のみ旨がある所には必ず道があります。皆様も一度考えてみてください。実体の神様の名で役事しているレバレンド•ムーンの教えに従い、もしアメリカとロシアが超国家的次元で交叉祝福結婚を決行したとすれば、どのような結果が出てくると思いますか。二つの国は、永遠の絶対主人である神様と一つの家族になるでしょう。数億の孫と孫娘が暮らしている国に向かって、どうして敵対感を抱くことができ、銃剣を向けることができるでしょうか。

召命された皆様。人類を神様の真の同族血統に変え、この地に神様が願われた本然の理想祖国と本郷の地を求め、太平聖代の理想天国を創建する聖業が、地球星の至る所で既に勢いよく燃え上がっています。きょうこの時間にも、世界百八十五ヵ国では、一万二千カ所ずつの訓読、祝福大会の責任を完遂するために、火花を散らす競争が繰り広げられています。きょう皆様がこの場に足を運ばれたのは実に貴いことです。この意義深い聖なる禧年と共にある天運の流れを逃さないでください。

地球星の七五パーセントを占めている海洋圏を、皆様が先頭に立って保護し、発展させなければなりません。様々な公害と資源の枯渇によって死につつある地球星を回生させ、人類の未来を約束してくれる新しい資源の宝庫を、ほかのどこで見いだすことができるでしょうか。

今は、天宙的女性時代を代弁する海洋時代が開かれました。海を中心として、超国家的で超大洋的であると同時に、本性の女性文化圏である海洋圏文化を創出し、環太平洋文明圏が主人となる神文明開闢時代を産出するにおいて、真のお母様を中心としてすべての娘たちがー心一体になり、勝利的産苦を完成完結するための機関車の使命を果たさなければならないという点を、肝に銘じてくださることを願います。

きょうこの意義深い場を共にしてくださった貴賓の皆様は、私がお伝えするこのメッセージを心の奥深くに刻んでください。天上の数千億に至る祝福を受けた皆様の善なる先祖の家庭も、この時間、地上に再臨し、皆様と共にこのメッセージを受けています。彼らも、子孫である皆様を通して地上で完成し、真の父母、真の師、真の主人の位置まで出ていくことができなければならないからです。それだけでなく、彼らは、王の王であられる真の父母様と一心一体になり、堕落前の本然の姿で、その方の命令に絶対基準で従い、同参して侍る人生を通し、地上•天上天国の創建に総動員されなければなりません。このように霊肉界が共に生き、呼吸し、苦楽を共にしているという事実を、忘れないようにお願いします。

それとともに、私がきょう、皆様にもう一つ特別にお願いしたいことは、真の父母様のみ言集一千巻以上の中から要約、抜粋した「平和メッセージ」のみ言を、覚えるほど耽読し、人生の指標としてほしいということです。神様が先頭に立ち、霊肉界が一つになって皆様を保護し、助け、神様が願われた平和理想世界を成し遂げ、永遠の解放、釈放を享受して暮らすようになるでしょう。

後天開闢時代における私たちの責任皆様は今、後天開闢時代の摂理を主導するアベル国連の「平和軍」と「平和警察」としての使命を果たす歴史的な家庭を探し立てなければなりません。人類の福祉と世界平和のために、崇高な献身の道を歩んだ皆様の人生を、歴史は決して忘れないでしょう。「平和軍」と「平和警察」は、私が創設し、今世界的規模で発展しています。

アベル国連の旗を掲げて「平和軍」と「平和警察」の先鋒に立つ家庭に、皆様のような英雄たちでなければ、誰を探し立てるというのでしょうか。世界各地から集まってこられた指導者の皆様。摂理の結実期であり、神様の祖国光復をこの地、大韓民国でまず完成、完結しなければならない切迫した時点に立った今日、皆様は何をされますか。先天時代と後天開闢時代が交差しながら引き起こされる、極度の利己主義と排他主義の壁に閉じ込められ、自己の安楽と栄達ばかりを追い求めて人生を終える愚かな人になりますか。否が応でも、皆様は既に天から召命を受けました。二〇〇七年九月、私が天と地に宣布して出帆させたアベル国連の輝く旗が皆様を導くでしょう。

一方では、カイン格である既存の国連の改革を速やかに完成し、また一方では、世界のすべての国の政治、経済、文化、教育など、すべての分野において、神様の創造理想である神心情圏を軸として広がっている、アベル国連の神文明圏革命を完成しなければならない天命を受けたということです。

したがって、韓国も例外ではありません。「天宙平和連合天一国双合七八禧年」の天運の前に、すべての壁と垣根が溶け落ちてしまうでしょう。サタン世界で万難を克服して勝利した天宙平和の王、天地人真の父母様のその勝利的伝統を継ぎ、神心情圏時代の主人になってください。今や神様の祖国光復は、私たちの手で成し遂げなければなりません。

今、皆様が身を置く民主主義は、真の家庭、真の父母主義の時代、すなわち神文明心情圏の時代を求めていく過渡期的な兄弟主義であることを忘れずに、敢然と民主主義の峠を飛び越え、革命的な飛躍をしてください。

指導者の皆様。皆様がはっきりと知らなければならないことがあります。摂理的に見れば、「天宙平和連合」はアベル的位置に立っており、「家庭堂」は世の中を代表するカイン的立場に立っています。去る第十八代総選挙に出師の表を出した候補者たちは、真の父母様が天宙的次元の勝利を勝ち取られた、その伝統を相続しなければなりません。

それと共に、世界百九十四ヵ国が参与しているアベル国連の舞台で、大韓民国が祖国の役割を果たすことができるようにするために、皆様全員が、今後行われる大統領選挙と国会議員選挙、そして郡守、市長、道知事などの地方自治団体長選挙はもちろん、各種の長官選任にも積極的に参加し、必ずや最後の時を勝利しなければなりません。皆様の目的は、これからすべての国家の既存政党を一つに結び、皆様の分捧王たちを中心として、この地球星に本当の祖国光復を成就することです。

天のみ前に宣布して始めた日韓海底トンネルとべーリング海峡トンネルプロジェクトも、真の父母様と祖国光復のみ旨を完成させる主人の位置で、必ずや成功させなければなりません。アベル格である天一国とアベル国連、そしてカイン格であるアメリカと既存の国連を一つに結び、天宙的次元の水平を探し立て、万王の王であられる神様を軸とし、平和の王であられる真の父母様と皆様の分捧王、そして皆様が一心一体になり、堕落のなかった本然のエデンの園、すなわち祖国創建を完成しなければなりません。

貴賓の皆様。宇宙に散在する森羅万象も、その大小に関係なく、すべて一つの根から始まりました。堕落によってすべての関係が断絶され、人間が無知に陥ったために簡単に感知することができないだけであって、万物はもちろん、太陽までも、それぞれの基準と形態の中で真の父母、真の家庭に侍って共鳴圏を形成し、ために生きる人生、すなわち真の愛を中心とした真の血統圏の世界で暮らしたいと思うのです。

その世界こそ、死のない場所であり、教育が必要なく、先もあとも必要ない所です。電気学でいう負荷のかからない水平の位置で、万物も人間と共に神様だけを中心として暮らす道理に従う世界、すなわち善の王国を完成し、永遠に太平聖代を享受しながら暮らしたいと思う、そのような世界です。

皆様。堕落によってアダムとエバは、霊肉共にサタンに渡してしまいました。しかし、イエス様は、十字架の苦難を通して、肉身は失ってしまいましたが、四十日の復活期間を勝利して霊的復活を完成され、人類に霊的救援の道を開いていかれました。

そのような次元から見るとき、今回のへリコプター事故は、実に途方もない摂理的意味をもっています。サタンの最後の総攻勢の中でも、真の父母様は、霊肉共に完全実体の勝利を勝ち取られたのです。摂理歴史の中で失ってしまった真の家庭三代圏を、一滴の血も流すことなくそっくりそのまま復帰、安着させたのです。

夢にも忘れることができないその日、七月十九日、ヘリコプター事故の当日には重生完成を、それから二十日目の七八節、八月七日には復活完成を、そしてきょうは、事故から四十日目を勝利で締めくくりながら、永生完成の日を宣布する次第です。神様を中心にお迎えし、摂理の最終的理想圏である新天新地を開き、永遠の解放・釈放を謳歌する永生の新しい日を宣布します。

今、皆様の前には、新しい時代と新しい国を約束する二〇一三年一月十三日のその日が近づいてきています。神様の血統と完全な祝福を保全し、本来の真の神様を万有の父母として侍り、永遠の禧年を享受して暮らすことができる平和の実体王国、すなわち天一国のその日に向かって、私たちは総進軍しましょう!皆様と皆様の家庭、そして祖国光復の聖業の上に、神様の祝福と恩寵が共にありますように。アーデュ。ありがとうございました。

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真の父母様の業績平和を愛する環太平洋圏の指導者の皆様。私は、実に形容し難い受難の路程を克服して勝利し、今日この地位まで来ました。決して個人の栄達と慰安のための人生ではありませんでした。生死が行き交う茨の道でも、天の印を受け、天のみ旨がどこにあるかをはっきりと知った私だったために、人類救援という天命をつかんで身もだえする、不死鳥の人生を生きてきました。そうして、アメリカと世界の宗教界、学界、政界、および各界各層の指導者たちから、私は次の八つの分野でチャンピオンの呼称を受けるようになりました。

一番目に、レバレンド・ムーンは、神様を最もよく知るチャンピオンです。これまで神様は、全知全能の方であられ、被造万物の世界とは絶対的な主従関係であり、尊敬と栄光の玉座にいらっしゃる方であると考えられてきました。しかし、事実は正反対です。

私は、摂理的使命を出発しながら、神様と人間の関係が父母と子女の関係だということを知ったのであり、最初のアダムをサタンによって失ってしまったのち、神様は、悲しみと嘆息と恨の神様になられたことを悟りました。私は、生涯を通して、その神様の恨を解怨してさしあげ、神様の心情を解放•釈放してさしあげようと全力を尽くしてきました。ついに、二〇〇一年一月十三日、「神様王権即位式」を奉献してさしあげることによって、神様の栄光と権威の玉座を取り戻してさしあげたのです。

二番目に、レバレンド•ムーンは、サタンを最もよく知るチャンピオンです。これまで人類は人間を堕落させ、すべての悪行を主導する悪魔サタンの正体が何かを知りませんでした。私は、摂理を出発した草創期に、十四年以上の間、血のにじむ霊的な祈祷生活を通して、天上世界のあらゆる秘密を深く調べていく中で、すべての悪の根源であるサタンの正体が何であり、さらには、サタンの戦略と戦術が何かを知るようになりました。

堕落によって血統を汚してきたことがサタンの戦略戦術だったため、私は、天の側に本然の血統を探し立てようと全力を尽くしてきたのであり、このような天の戦法が世界的に広く知られた交叉合同祝福結婚運動なのです。

三番目に、レバレンド•ムーンは、人間を最もよく知るチャンピオンです。人間は、どこから来て、どのように生き、どこに行くのか、堕落した人間は、なぜ心と体が争い、葛藤しているのか、生と死の意味は何か、本当に死後の世界は存在し、このために地上生活はどのようにするべきか、などに対する多くの疑問は、レバレンド・ムーンが明らかにした「創造原理」で詳しく説明しています。

人間の生は、腹中から地上生活を経て、永遠の死後の世界にまで連結されているのです。レバレンド•ムーンは、人を見れば、その人の運命を直観する視覚があります。そのため、世界の大勢の若者たちの配偶者を結び合わせてきました。

四番目に、レバレンド•ムーンは、霊界を最もよく知るチャンピオンです。死後の世界である霊界は、地上生活の延長として、すべての人間が自然に行く世界として実在する世界です。したがって、祝福を受けて原罪を清算したのち、霊人体を完成して肉身を脱ぐ人たちには、死ではなく聖和という神聖な儀式を通して、永生の天の国に行く道を歓送し祝賀するのです。歴史時代に来ては逝った数多くの聖賢、烈士たちが、今霊界に実在しており、真の父母様から祝福を受けて絶対善霊となり、神様の地上摂理を手伝っているという事実を知らなければなりません。地上生活の一瞬一瞬は、そのまま天上に記録され、後日、霊界に行く日に、地上生活の審判材料になるのです。したがって、すべての人間は、より大きなもののために犠牲になることを喜ぶ、真の愛の人生を実践しなければなりません。

五番目に、レバレンド•ムーンは、イエス様を最もよく知るチャンピオンです。神様の息子であり、救世主、メシヤとして来られたイエス様が、準備されていた当時のユダヤ教団の指導者たちから反対され、最後に十字架で処刑されたことは、人類歴史において、最も悲劇的な事件です。イエス様は、第二のアダムとして、神様を中心とする理想家庭のモデルを成就し、全人類を接ぎ木してあげなければなりませんでした。

ローマを経て西欧文明の基礎となり、大西洋と太平洋文明圏の中心核となっているキリスト教は、再び来られる再臨主のための新婦的基盤であることを理解しなければなりません。キリスト教徒たちは、神様のみ旨を広げることもできずに十字架に追われたイエス様の、悲しい心情世界を理解しなければなりません。私の教えを通して、イエス様の使命と十字架による救援の限界、そして再び来られなければならない理由などが、はっきりと明らかにされています。

六番目に、レバレンド•ムーンは、聖書および各宗教の経典の核心内容を最もよく知るチャンピオンです。聖書を中心とする各教団の主要な経書は、人間始祖の堕落によって無知に陥った人間たちを、再び神様のみ前に帰す道が暗示されている秘密の啓示書です。

したがって、重大な内容が比喩と象徴で描写されているのです。比喩と象徴は、天から来るメシヤによってのみ明確にされます。したがって、旧約の律法の核心内容を明確に教えてくださった方がイエス様であり、レパレンド•ムーンの教えを通して、新旧約の聖書全体に貫き流れる神様の救援摂理に関する天の秘密が、明確に現されているのです。聖書は、神様の創造理想と堕落、そして復帰の道が隠された秘密の啓示書です。レバレンド•ムーンが明らかにした「原理」は、各種の経書で疑問視されていることに対するすべての答えが、明快に表されています。

七番目に、レバレンド•ムーンは、人類歴史を最もよく知るチャンピオンです。歴史は、単に漠然と反復しながら循環する歴史ではありません。明確な方向と目的をもって流れているのです。人類歴史は、本然の創造理想を回復していく蕩減復帰摂理歴史であり、救援摂理歴史です。

歴史の始源と方向を明確に知っている私は、このような摂理的観点から、一九八五年、ソビエト連邦の最全盛期に、スイスのジュネーブでの国際学術会議を通して、共産主義の終焉を予言するなど、唯物史観の終末を予見したのです。これからは、すべての国家と宗教がそれぞれの垣根を崩す時です。そうして、「唯一なる神様のもとの一家族(One Family under God)」となる時代が急速に到来するでしょう。歴史の主管者は、神様であられます。今後、天運の到来により、歴史の軸が、アベル国連を中心に、天一国を創建するための超宗教•超国家の世界へと急速に前進させるでしょう。

八番目に、レバレンド•ムーンは、真の家庭の価値を最もよく知るチャンピオンです。神様の創造理想は、神様を中心とする真の家庭をつくることです。アダムの家庭が成し遂げられなかった真の家庭の理想を取り戻し、地上•天上天国の基盤を構築するのです。

私が主導してきた祝福結婚運動は、単純な結婚儀式ではなく、原罪を清算し、本然の真の血統によって天に接ぎ木する神聖な行事なのです。真の家庭は、真の愛、真の生命、真の血統の根源です。本然の真の理想家庭を通して、真の国、真の世界、真の天国が建設されます。家庭における真の父母を中心とする四大心情圏と三大王権の基礎が天一国の土台になるのです。

二〇〇五年九月十二日、「天宙平和連合」の創設以降、レバレンド•ムーンは、三代圏祝福理想の完成を通して、み言と祝福で全人類を神様のもとの一つの家庭にしようと、私と韓鶴子総裁、さらに直系の子女たちと孫、孫娘の三代圏が進み出る世界巡回を完了しました。さらに、アメリカのキリスト教代表百二十人、宗教圏代表千二百人、そして一万二千人の平和大使たちが、国家代表として世界百九十数ヵ国を巡回し、真の父母様のみ言と祝福行事を行うことによって、神様を中心とする神文明世界を成し遂げていくために、真の家庭の価値が人類の普遍的価値として定着するようにしたのです。

以上のように、レバレンド•ムーンは、八つの分野のチャンピオンとして世界に広く知られてきましたが、天の助けにより、全人類が協助して勝利しなければならない標的として残されているのです。

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10.韓国タイムズ航空金浦航空産業団地起工式日付:二〇〇六年六月十日

場所:韓国、京畿道、金浦市、大碧里(テビョリ)

行事:韓国タイムズ航空金浦航空産業団地起工式

尊敬する航空業界の指導者、内外の貴賓、シコルスキーの役員の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、はるばる駆けつけ、「韓国タイムズ航空」の金浦航空産業団地起工式に参席してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。また、世界的な仁川国際空港と開港五十年を経た金浦国際空港の中間に位置するこの場に、金浦航空産業団地が名実共に先端の航空技術団地として発展できるよう、外国投資法人の指定と産業団地の承認をしてくださり、きょうの起工式を執り行うことができるようにしてくださった皆様に、重ねて感謝を申し上げます。

私は、一生をかけて神様の真の愛を実践するために生きる人生の道理を教えてきました。これは、個人にだけでなく、家庭と社会、国家、すべての次元に適用される基本原理です。そして、貧しさに苦しんでいた祖国の韓国が、より豊かな生活を享受でき、さらには全世界のために与えることができる国になろうとすれば、精神的な基盤だけでなく、堅固な工業技術基盤がなければならないという信念をもち、約四十年前に統一重工業を設立し、先端の自動車工業技術をドイツの会社から導入し、今日の韓国自動車工業の技術基盤を固めました。

超宗教•超国家的活動によって世界平和を追求してきた私は、べーリング海峡を貫くトンネルか、または橋梁を建設し、世界を一つに連結する大規模なプロジェクトに挑戦し、すべての技術が人類の平和と福祉に寄与するよう、最善の努力を傾けています。三十四年以上にわたる海外活動を終えて帰国する際、私は、工業技術の中でも最高の精密度が要求される航空技術の基盤を確立し、韓国をして二十一世紀の機械産業、特に航空宇宙産業の発展に貢献できるよう「韓国タイムズ航空」を設立し、世界最高のへリコプター技術を誇るシコルスキー社と技術協力を締結するに至りました。

今から「韓国タイムズ航空」は、民需用の大量人員輸送のためのへリコプター開発に力を注ぎ、ヘリコプター産業の新しい地平を開き、韓国の大衆交通体制に革新をもたらすことはもちろん、国土活用の効率を高め、国民生活の質の向上に大きく寄与することを期待します。

また、「韓国タイムズ航空」は、私が世界百八十ヵ国以上に築いた統一グループの基盤を通して、平素から私が主唱してきた「技術平準化」を実現することによって、「韓国タイムズ航空」が、韓国が「工業大国」になるための大きな一助となることはもちろん、世界万民の幸福を増進させることを願います。

皆様。私はこれまで、世界人類の福祉と平和実現のために、多方面にわたって持続的に努力してきました。私は、二〇〇五年九月十二日、アメリカのニューヨークにおいて「天宙平和連合」を創設し、全世界百二十ヵ国にその創設メッセージを伝播する世界巡回を終えました。

「天宙平和連合」をアベル国連の位置に立て、新しい国際平和機構へと発展させていくことはもちろん、カイン格の既存の国連を改革し、国連の中に世界的宗教指導者たちによって構成された上院格の平和議会を創設して、既存の安全保障理事会と同等の位置の議決機関として立てようというメッセージです。既存の国連代表部のように、一定の国家の権益ばかりを代弁する代表ではなく、超国家的で超天宙的な次元で、本当に人類の福祉と平和のために働く平和議会の創設を意味します。人類の平和と福祉のためのこのような途方もないプロジェクトを推進している私は、世界的に平和の王であり、人類の真の父母と呼ばれています。

「韓国タイムズ航空」も、究極的には、このような遠大な志のための、大きな一助となるでしょう。この間の、産業資源部と建設交通部など、関係各署と金浦住民の皆様の御声援に感謝申し上げ、皆様全員に、天の祝福が満ちあふれることをお祈りします。ありがとうございました。

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9.真の父母は神様の体日付:二〇〇五年八月一日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:「二〇〇五世界文化体育大典」祝賀晩餐会

尊敬する国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。きょうこの貴い日を迎え、私は儀礼的でお決まりの挨拶を申し上げるために、この場に出てきたのではないことを御了承くださるようお願いします。人類を罪悪から救うために、真の父母の資格でこの地に顕現した私です。短い時間ですが、天がきょう、皆様に下さるメッセージの一端をお伝えすることで、私の挨拶に代えさせていただきたいと思います。「真の父母は神様の体」という題目のみ言です。

皆様。神様を御覧になった方はいらっしゃいますか。神様は無形でいらっしゃるので、死んで霊界に行っても見ることができない方です。したがって、肉身をもって生きる人間と関係を結んで生きるためには、神様も体をもった父として、この地に顕現されなければなりません。このような天理ゆえに、神様は、人類始祖であるアダムとエバを創造されました。彼らを通して神様は、御自身の姿を有形と無形の両面で顕現しようとされたのです。そのようになる場合は、有形世界と無形世界が調和して一つになった姿であり、宇宙が一つになったものをも象徴しています。

そうだとすれば、肉身をもって生まれた人間として、どのようにすれば無形でいらっしゃる神様の体になることができるのでしょうか。神様の属性は、絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠愛です。神様のこのような属性を完全に伝授して創造された最高の傑作が人間です。有限な物質世界の原理原則を土台としてつくった肉身は、永遠に存在することはできません。それで神様は、アダムとエバが完成に至れば、彼らの中に内在して完全一体をなすことによって、アダムであると同時に神様であり、神様であると同時にアダムであるという永遠の関係を結ぼうとしたのです。

もしアダムとエバが堕落せずに神様の戒めを守って個人完成し、神様の祝福のもとで結婚式を挙げることさえできていれば、彼らの子女たちはもちろん、子々孫々、永遠に神様の属性を相続して生きる神様の体になっていたでしょう。また、真の愛の絶対価値圏は、必ず真の愛の相対圏を確保することによってのみ可能なので、アダムとエバさえその基準に立てられていたならば、人類は、子孫を通じて、自動的に神様の絶対相対の位置で永生福楽を享有することができたのです。結局、人間の堕落は、神様に最も大きな打撃を与える結果を招いてしまいました。縦的には父母と子女の関係であり、横的には神様御自身であると同時に子女である人間を、神様はまるごと失ってしまったのです。

アダムとエバが神様の体を備えれば、神様は、彼らの心の中にお住まいになりながら、有形世界である地上世界と無形世界である霊界を統治するようになっていたのです。それは、神様の統治であると同時にアダムとエバの統治でもあります。それと共にこの地に神様の王国、すなわち平和王国をつくり上げたでしょう。アダムは、地上天国の王であると同時に、天上天国の王になっていたのです。神様の属性をそのまま受け継ぎ、アダムはすべての被造物の上に、絶対的存在であり、唯一の存在であり、永遠で不変な真の愛の実体の父母、実体の王、実体の主人、実体の師になっていたのです。今日の人類は、神様の体をもって生きる分身体となっていたでしょう。

そうだとすれば、何が問題となったのでしょうか。それは、堕落が元凶です。堕落は、人間を無知の世界へ追い込んでしまいました。父母を失った天涯の孤児にしたのです。目の前に広がる山川草木は見ることができても、その根である神様に対しては、聞くことも、見ることも、感じることもできない不感症患者にしてしまったのです。しかし、人間よりも大きな苦痛と悲哀の中に落ちた方が神様です。御自身の創造理想を強奪され、愛する息子、娘を強奪され、真の愛の理想の園として創造しておいた地球星まで、怨讐サタンの籠絡の場として渡してしまったのですから、どれほど悔しさで胸が痛み、寂しい恨の心情だったでしょうか。呆然とせざるを得ません。皆様は、このような神様の立場に対して、どれほど多くの慰労の涙を流したことがあるでしょうか。

愛する息子を怨讐に渡さざるを得なかった神様、権限がなく、能力がないからではなく、天理原則として立てておいた愛の天道を、御自身自らが踏みにじることはできなかったので、涙で耐え忍び、待ち望まれながら、復帰摂理を進めてこられた私たちの父でいらっしゃいます。創造主であられる御自身までも否定しなければならない辱めを受けながら、子女を探し求め、はるか遠い蕩減復帰の道を歩んでこられた方です。全知全能であられる神様も、真の血統を復帰するには、このように地獄よりも大変な路程を経なければなりませんでした。

だからといって、神様が主導してこられた復帰摂理は、天理原則の軌道を外れた無作真の摂理になることはできません。サタンの偽りの父母の血統を受け、堕落の後裔に転落した人類を、再び天の真の血統に復帰してあげる真の父母を探し立てなければならないのです。

アダムが完成し、神様の祝福結婚を受けて立てるべきだった天の血統を、再び取り戻してあげる体をもった神様を、この地上に立てなければならないのです。サタンとは無関係の真の家庭、真の国家、真の世界をこの地球星に立てなければならない天の摂理があるのです。それで、二千年前に送られたイエス様は、第二アダムとして来られたのです。しかし、アダム以降四千年という期間にわたって準備してきたユダヤ教とイスラエルが天のみ旨を果たすことができず、イエス様を不信してしまいました。結果的に、救世主でありメシヤとして送られたイエス様を中心とする人類の血統転換は挫折してしまったのです。再び天は悲嘆の谷間を行き来しながら、天地開闢の一日を待ってこられました。サタンの偽りの血統を完全に根こそぎ抜いてしまい、天の真の血統を出発させることができるその一日を待ってこられたのです。

皆様。このような途方もない天宙的次元の押印を受け、この邪悪な世界に現れた人が、正にきょう皆様の前に立っているレバレンド•ムーンであることを知らなけれはなりません。皆様は御存じないと思いますが、私の生涯を振り返ってみれば、実に推し量ることのできない試練と苦難の生涯でした。サタンの六十億の軍隊を相手に、一騎当千の悲壮な覚悟で闘わなければならない孤独で凄絶な闘いでした。

怨讐サタンを自然屈伏させ、奪われた天の御璽を取り戻さなければならない、決して負けることのできない闘いだったのです。数限りなく霊界を渉猟し、四大聖人はもちろん、神様にまで挑戦状を差し出し、創造の神秘を明らかにし、人類救援のための答えを探し出すために、名状し難い試練を経ました。また、地上界の救援よりも霊界の救援のほうが先でなければならないという天理を知り、まず霊界の救援を完成しました。その土台の上に、神様が安心して体を使うことのできる完成人間としての道を駆けてきました。天の真の血統が二度と汚されることのない、真の血族を出発させた真の父母の道を完遂したのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的次元を越え、霊界の数千億の人類までも、真の血統に復帰してあげなければならない救世主、メシヤの道を歩んできました。青盲(目はあいているが、実際には物が見えない眼病のこと)となった六十億の人類に光をもたらす真理の光をもって尋ね求めてきた道でした。

今や、人類の行く道は、あまりにも確かなものとなりました。後天時代の超高速道路を走っている皆様の生涯に、もうこれ以上障害物はありません。心を大きく開いて天のみ言を受け、人間完成の道を歩んでください。真の父母の分身となり、心ゆくまで天の祝福を伝授してあげる後天時代の横的真の父母になってください。地上で平和王国を創建し、永遠に神様を真の父母として侍って生きる恵まれた天国の主人になってください。地球星の至る所では、いまだに荒々しいうめき声が途絶えていません。人類の未来を心配し、世界平和の具現のために第一線で走っている指導者でいらっしゃる皆様の役割が、非常に大きいことを肝に銘じてくださるよう願います。

私がこのように公的な場でお伝えするメッセージは、私自身の哲学や統一教会の理論ではありません。天が六千年間準備してきた天理であり、天道です。神様は、真の父母である私の体をお使いになり、実体の真の父母としての摂理を進行させていらっしゃいます。どうか、新しい天の希望を抱いてお帰りください。真の父母様に侍って平和王国創建の隊列の先頭に立つ皆様となってくださるよう願います。どうか、真の父母様の代身者となり、相続者となってください。神様の祝福が皆様と皆様の国家の上に永遠に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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神様の恨と創造理想的論理私たちは、神様が泣き叫びながら、「私の息子よ、私の娘よ!」と数万年、数百万年叫んでこられたという事実を知らなければなりません。全知全能でいらっしゃる神様が、なぜ哀れでいらっしゃるのかと反問する人もいるかもしれませんが、神様は、愛する息子、娘を失った衝撃から抜け出すことができないのです。自ら抜け出す道があったとするならば、神様は今まで長い復帰摂理歴史路程をたどりながら、苦労される必要はなかったのです。

神様はなぜ恨を抱き、サタンを直接懲罰することができないのでしょうか。堕落した世の中でも、子女が犠牲の道を行けば、そのまま放っておく父母はいません。そうだとすれば、愛の本体であられる神様は、愛の対象である人類を死ぬ立場に永遠に放っておくことはできないのです。神様が本来理想とされたその人間、その世界を回復しなければなりません。

それで神様は、救援摂理、すなわち復帰摂理を進めてこられたのです。復帰摂理の過程において、神様の苦労がどれほど大きいかということに対する理解も、とても重要です。神様は真の父母として、堕落した人間の苦痛をそのまま御自身の苦痛として感じて摂理をしてこられました。

堕落した人類の始祖は、悪魔サタンの偽りの愛、偽りの生命を受け継ぎ、サタンが人類の偽りの父母、偽りの主人の振る舞いをしてきたので、救援摂理は容易ではありませんでした。ある人は、キリスト教で全知全能だという神様が、なぜ無力な神様になり、滅びつつある人類を傍観するのかと疑問をもったりもします。

しかし、人間が自ら罪を犯したので、それを解決できる解放圏に対する条件を人間自身が立てなければ、神様は人間を無条件に解放することはできないのです。それができる神様であれば、初めから人間始祖をエデンの園から追い出したりはしなかったはずです。ましてや、サタンが血統的な因縁を掲げて主人として君臨しているので、なおさら難しいのです。

創造理想の本然的基準にはあり得ないことが発生し、本然の父母の位置を奪われることによって、神様は、創造主であられるにもかかわらず、これに干渉することもできず、また全体的に責任をもつこともできない立場に立つようになったのです。

どんなに全知全能でいらっしゃる神様だとしても、堕落した人間世界とサタンに対しては、単に能力で審判してしまうことはできないのです。永遠の真の愛の対象として創造された人間であるがゆえに、一度に整理することはできず、真の愛で復帰摂理を進行してこられたのです。また、サタンから讒訴を受け、蔑視されながらも、犠牲と絶えず与える真の愛で対してこられました。

サタンは神様に、「あなたの創造理想を中心として、愛の絶対圏理想である真の単一氏族圏をつくるための愛の血統圏が、このようにみな減んで破壊状態に至ったのに、今も創造理想的論理が適用されると思われるのですか」とあざ笑ってきたのです。そのようなとき、神様は何と答えたらよいのでしょうか。どれほど呆然とすることでしょうか。それでも、神様が受難の過程を通して長い復帰摂理を進めてこられた理由は、どこにあるのでしょうか。全知全能でいらっしゃるからでしょうか。違います。愛する息子、娘を取り戻すための真の愛の理想のためです。御自身の事情は差し®いて、人間の事情を理解してあげようとされる神様なのです。ですから、悲しい人には悲しい事情をもって訪ねてこられ、無念と悔しさで胸を痛めている人には、そのような事情をもって訪ねてこられたのです。

神様の事情と心情を慰労すべき尊敬する指導者の皆様。皆様は、神様とどれほど深く事情を通じたことがありますか。神様のためにどれほど涙を流したことがありますか。神様の苦労を身代わりするために、四肢が引き裂かれる道でも訪ねていこうと身もだえしてみたことがありますか。それはできなかったのです。神様は、私たちの事情を慰労しながら訪ねてこられ、裏切った子女に対して変わることのない父母の心情で長い歳月の間、訪ねてこられたのです。

しかし、父母でいらっしゃる神様は、万民が嘆息圏を抜け出さない限り、御自身も嘆息圏から抜け出すことができません。神様はそのような立場にいらっしゃるので、私たちは、神様の事情と心情を慰労し、解放してさしあげなければなりません。それでは、何によって神様を解放してさしあげることができるのでしょうか。神様が、愛の対象である子女を失ってしまい、万民を子女として愛することのできない拘束圏にいらっしゃるので、私たちは、神様が万民を自由に愛する解放圏を、神様のみ前に取り戻してさしあげる責任があります。神様の拘束は、人間の堕落が原因だったので、人間は、堕落線を乗り越えて勝利した息子、娘となって、神様を解放してさしあげなければなりません。

歴史的に人間は、神様の心の中に途方もない苦痛があることを知らずに生きてきました。レバレンド•ムーンは、このような恨と苦痛の神様であることを悟ってから、何日も、何週間も痛哭しました。統一教会の出発には、そのような深い事情があることを皆様は知らなければなりません。

神様が、真の愛に背いて怨讐の懐に抱かれた人間に対して、「私の息子よ、私の娘よ!」と切ない思いで叫んでこられたのですが、そのような父に対して、喉がかれるほど「私のお父様!」と叫んだことがありますか。舌が渇き、息が詰まりながら切実にお父様を呼んでみたことがありますか。堕落した群れは、神様に対する何の内容も備えることができませんでした。私たちのあらゆる感情と五官の作用は、すべて世俗的なものです。本然の神様に対するものは一つもありません。公義の法では、神様に対するものは全くありませんが、ただ一つ、愛の法をもって向き合う道があるのです。

神様の解放と釈放人間が堕落することによって、神様は自由に振る舞うことができなくなられました。したがって、人類始祖も自由にできないように拘束され、天使世界や数多くの宗教人、あらゆる人類もまた拘束圏内で生きるようになりました。

神様は拘束された方です。息子、娘を失ってしまった父母、孝子を失ってしまった父母の心を解いてさしあげるためには、本然の孝子以上に、あらゆる面でその十倍以上の誠意と努力を尽くして孝行をしたとしても、本然の心へと解放してさしあげることは簡単ではないでしょう。それでも、レバレンド・ムーンは、早くから「神様を私の手で解放してさしあげよう!」と決意して生きてきました。

宗教の真の使命とは何でしょうか。それは、愛の心情で神様を解放し、人類と霊界を解放し、そして地球星まで解放するのです。多くの人々は、神様が私たちを解放してくださるだろうと信じてきたかもしれませんが、事実は神様が心情的に拘束されていることを知って、私たちが神様を解放•釈放してさしあげなければならないのです。

このために、「人類のせいで神様が拘束を受けていらっしゃるのだ。私のせいで神様がサタンの讒訴を受けていらっしゃるのだ。私のせいでイエス様も苦難を受けられたのだ。お父様、解放の位置に移してさしあげます。イエス様も、聖霊も、解放の位置に移してさしあげます」と言うことができる、信仰と希望に飢えた人、愛に燃える人を、神様は長い間探し求めてこられました。

今までこの地には、神様が主管する、統一された神様の民と真の愛の主権を中心とする国家はありませんでした。それにもかかわらず、全能の王を賛美していたのですから、神様の心情は自由であられたでしょうか。神様のみ前に孝子がいなかったのであり、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たしながら、天国を守ることのできる真の愛の体制がなかったので、神様がお立ちになる位置がなかったのです。それで神様は、今まで囹圄(牢獄)の身で軟禁状態にとどまってこられたのです。この恨をいかにして解くのでしょうか。神様の本質的な愛の実践運動以外には方法がありません。したがって、最後の宗教は、神様が哀れで無念な方であることを詳細に教え、人間を本然の心情的な世界に連結させることができなければなりません。

私たちは今、真の愛運動を通して神様を解放・釈放してさしあげなければなりません。そうでなければ、天道が立て直されず、この地上に理想世界は訪れないのです。真の愛運動は、私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」と「平和国連(超宗教超国家平和協議会)」がアベル的立場であり、そして「蒙古斑同族世界平和連合」がカイン的立場で一体になり、歴史の恨を植えつけたカインとアベルの分立の歴史に終止符を打ちつつあります。

アメリカは今や、自由世界を代表する兄の位置で、神様のみ旨の完成のために先頭に立たなければなりません。そして政党間において、または人種間において、利害や打算を前面に押し出して国民を分裂させ、欺瞞に満ちた利己的で個人主義的な思考の枠組みから抜け出すべきです。そして、神様が皆様の家庭、皆様の国に臨在して暮らしたいと思われる、自由と平和が花咲く真の国家を立てなければなりません。そのために、私たちは手を取り合い、神様を解放•釈放してさしあげ、創造理想を完成した地上天国、平和王国を創建しましょう。神様の祝福が永遠にこの地に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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8.神様の心情の解放、釈放のための孝子、忠臣になろう日付:二〇〇四年十二月十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット•ワードマン•パーク•ホテル

行事:共同遺産朝餐頂上会議

尊敬する元•現職の国家元首、世界の宗教界と各界を代表する指導者、アメリカの高名な指導者、そして紳士淑女の皆様。天が決定され、進行される摂理の時と方向をあまりにもよく知っている私は、きょうこの時点において、全世界六十億の人類に伝えてあげる天の警告的次元のメッセージを持って、この場に出てきました。

歴史上、誰も明確に知ることができなかった神様の事情と心情を、皆様に明らかにすることによって、今摂理的終末期に処している人類が果たす責任と方向性を正しく提示しようと、きょう私は「神様の心情の解放、釈放のための孝子、忠臣になろう」という題目でお話ししようと思います。

神様の恨と悲しみ真の愛の本体であられる神様が、なぜ人間を創造されたのかというと、独りでいれば刺激がないからです。喜びというものは、相対関係によってわき出るものです。独りでは喜びの刺激を得ることができません。神様も愛の対象が必要なのです。独りでは愛することができません。このために人間は、神様の真の愛のパートナーである子女として創造されたのです。

このように、神様は人間の父であり、人間は神様の息子、娘です。神様の骨の中の骨、肉の中の肉、骨髄の中の骨髄のすべてを投入して創造されました。父と息子が出会うことのできる最高の場所は、愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心です。神様は人間に対して、全知全能であられる御自身と同等、同位の立場に立てるようにおつくりになりました。それで、人間の本心は、最高のものを希望するのです。

創造理想完成は、どこから始まるのでしょうか。それは、神様ではなく、正に人間から始まるのです。神様の理想は神人一体なので、人間の完成がない限り、神様の完成もまたあり得ないのです。そうだとすれば、神様は、人間始祖のアダムとエバが神様に似た無限の価値的存在になることを、どれほど待ち望まれたでしょうか。ところが、アダムとエバが堕落することによって、神様は真の息子、娘をもつことができなくなりました。

したがって、真の愛を中心として血統的な関係をもつ、神様の家庭も成し遂げることができなかったのです。その代わりに、偽りの父母により、偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結ぶことによって、堕落の子孫である私たちには心と体の闘いが起きました。そして、アダムとエバは怨讐となったのであり、彼らの息子、娘たちの間には殺戮が起きました。結果的に神様は、アダムとエバを真の人類の先祖として、人類の父母として、御自身の息子、娘として向き合うことができなくなりました。神様は、二人といない息子、娘、永遠のひとり子とひとり娘を失ってしまわれたのです。

堕落と血統堕落が男性と女性の間で起きたというのは、聖書の文字どおり、善悪の実を取って食べたことなのでしょうか。果物を取って食べたことが原罪になるのでしょうか。異性間で堕落するのは、過った愛しかありません。人間始祖が果物を取って食べたことによって、その子孫が千代、万代、罪人になることはありません。それは、血統的に罪の根を植えたので、遺伝法則によって永遠に持続されるのです。

不倫な淫行関係によって、エバは、天使長と一つになり、次に、アダムと一つになることによって、アダムとエバは、神様を中心とせずに、天使長を中心とした夫婦関係を結んで家庭をつくるようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、結局サタンの血統を受け継ぐようになったのです。本来、創造理想の中で、愛は所有権を決定するようになっています。したがって、一旦、愛の関係を結べば、その愛を中心とした主体と対象は、互いの所有権をもつようになるのが原理です。このような原理的基準で、天使長が堕落して悪神になったサタンは、不倫の愛の因縁を通して、堕落人間に対する所有権を堂々と主張できるようになったのであり、人間の本当の父が神様でいらっしゃるのに、かえってサタンが父の振る舞いをしているのです。それで、ヨハネによる福音書第八章四十四節でイエス様は、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と叱責されたのです。

今日のキリスト教徒たちは、み座の上にいらっしゃる万軍の主は全知全能でいらっしゃるので、自由に号令され、万事思いどおりにできると思っていますが、実際の神様は恨を抱いて悲惨な立場にいらっしゃる方です。純粋な本質的愛をもった神様のみ前に理想的対象として描かれたアダムとエバが、堕落して離れていったとき、神様の心はどれほど悲しまれたことでしょうか。堕落の当事者より、そしてこの世のいかなる人よりもっと悲しまれたのです。失ってしまった内容が深ければ深いほど、そしてその価値が大きければ大きいほど、その悲惨さはより一層大きいのです。そのような神様は、失ってしまった子女を取り戻すために、今まで復帰の道をたどってこられました。

神様は、漠然とした方ではありません。具体的な人格を備えた方でいらっしゃいます。ですから、私たち人間と、最高の真の愛の関係をもとうとされるのです。しかし、最高の愛と喜びを人間と共に永遠に分かち合おうとされた神様は、その出発点を人間始祖によって失ってしまわれました。それは正にアダムとエバの堕落のためです。

本然的真の父母の位置にいらっしゃるべき神様が、父母の位置を奪われてしまったのですから、どれほど悲痛でいらっしゃったでしょうか。偽りの父母である怨讐サタンの血統を譲り受け、真の父母が分からない堕落した子女を見つめなければならない神様の心情は、どれほど痛むでしょうか。人間の悲惨な姿を、その瞬間ごとに見つめる神様の心情、父母の心情はいかばかりでしょうか。

宇宙全体とも取り替えることのできない真の愛の実体対象を失うことによって、万物万象まですべて失ってしまい、創造理想全体が崩れるような悲しみの神様になられたのです。天宙の王座を怨讐に奪われた無念な神様になられたのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理を徹底しながら真の愛を投入されたので、堕落の結果に対して、より一層切なく思わざるを得ない神様になられました。神様は、御自身の理想を強奪され、愛する息子、娘を強奪され、天宙の王権を強奪されて、なおもサタンから讒訴を受けてこられたのです。

このような嘆息の歴史は、堕落以後、世界的に訪れるものだったので、創世記によれば、神様も堕落の結果に対して嘆息されました。使徒パウロは、万物が嘆息し、私たちの先祖も嘆息し、全人類までも嘆息して、「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」(ローマ八•一九)と語っています。それは、すべてのものが嘆息圏を抜け出すことを願ったからです。

ですから、人間の創造本然の特権的価値を喪失して苦しむ無価値な人生を見つめる神様の内情的心情は、どれほど悲惨でいらっしゃるでしょうか。この人間たちは、本来は、愛と生命、そして血統を通して神様の直系の子女となり、天国の栄光を一身に受けなければならなかったのですが、敗者の仮面をかぶり、苦痛と嘆息と絶望の中で苦しんで人生の幕を閉じる立場に立っているので、それを見つめる神様は、どれほど苦しまれているでしょうか。一般的に信じられているように、全知全能で栄光のみ座に座った神様だとするならば、自分の息子、娘が死んでいくのに、神様はみ座に座ったまま、「こちらに上がってきなさい。私は席を立つことはできない!」と言われるでしょうか、それともみ座を蹴飛ばして下りていかれるでしょうか。

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三代が調和して暮らす家庭皆様。共に生きる生活の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭の姿が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根に、真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないということです。

そのような家庭には、歴史の根が生きており、天国の根が張っているのです。地上天国の根が張っている所が、そのような家庭です。永遠に継続する王権の根も、ここに定着するのです。過去、現在、未来の根が、それぞれ祖父母、父母、孫と孫娘に代表され、過去の根は霊界を代表し、現在の根は地上世界を代表する王宮であり、未来の根は孫と孫娘を王子、王女として立て、二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿を建てて暮らすのです。このように、祖父母、父母、孫と孫娘を中心として、三代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

人類が一つの家族となり、お互いに心の壁を崩し、国家間の国境までも除去しようという共生、共栄、共義社会の実現運動も、このように一つの家庭から始まるのです。したがって、私たちが真の家庭を探し立てることは、この地において天宙平和王国創建を早める摂理的召命だということを肝に銘じなければなりません。

神様も、どこかへ外出しても懐かしく思って、再び訪ねてこられる家庭を築きなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねられる家庭を準備しなさいということです。それが、正に神様に侍って暮らす生活です。

そのような家庭では、神様が縦的な良心の主体になり、その縦的主体に従って皆様は心と体を統一するのです。そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛、このように四大愛圏、すなわち四大心情圏が完成するのです。

このような家庭であってこそ、上下、前後、左右が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、したがって、永存するようになるのです。もし世界が、このような真の家庭で満ちるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める世の中になるでしょう。皆様も一度考えてみてください。誰が皆様の善し悪しを一番よく知っていますか。皆様の祖父母であり、皆様の父母であり、皆様の夫、皆様の妻、皆様の子女たちです。家庭の中で解決できないことがあるでしょうか。父母と子女が、夫と妻が、兄と弟がお互いにために生きる人生の模範を示すとき、許し難い過ちがどこにあり、罪を犯す隙間がどこにあるでしょうか。天理と天道が治める世界は、自然な世界です。遮るもののない真理と道理に従う世界です。影が生じない絶対価値による「正午定着」の世界です。

尊敬する「蒙古斑同族連合」の代表の皆様。このような驚くべき摂理的な時を教え、悟らせてくださった神様と真の父母様に、私たち全員が感謝と栄光をお返ししなければなりません。「蒙古斑同族連合」は、今や使命が明確になりました。「天宙平和連合」を縦的なアベルとし、そして世界の宗教圏と国家圏を横的なアベルとして侍り、カイン的立場に立ってこの地に平和理想世界王国を創建する主役にならなければなりません。

皆様は、今、摂理的第四次アダム心情圏の時代である解放•釈放時代、すなわち後天開闢の時代に進入しています。蕩減復帰で染まっていた旧約、新約、成約時代までの先天時代を勝利した、影のない「正午定着」時代であり、アダムの堕落以前の本然の理想世界を創建していく時代です。平和の王、真の父母を中心として、霊界と肉界が一体圏を形成した全体、全般、全権、全能の真の愛の心情圏の時代、すなわち天宙平和統一王国の時代を意味するのです。

皆様全員が、億兆蒼生の平和の王である神様を、真の父母として侍って暮らす、真の王子、王女になってください。真の父母様の祝福結婚を受けて血統転換を完成することによって、「蒙古斑同族連合」を「蒙古斑血族連合」に還元させましょう。それが正に皆様に下された天命であることを肝に銘じ、天宙平和統一王国創建の真の主人になりましょう。皆様の国家と家庭の上に、天の恩寵が満ちあふれることをお祈りします。ありがとうございました。

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真の愛の人生皆様。真の愛は、公益性を備えた無形の秩序や、平和や、幸福の根源です。真の愛は、宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人を生み出してくれる愛です。真の愛は、神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん神様までも引っ張れば付いてくるのです。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力をもっていることが、真の愛の価値です。したがって、天国に入るのに絶対に必要な条件が、正に、ために生きる人生、すなわち真の愛の人生なのです。

ところが今日、私たちが身を置いている現在の世界を見てください。極度の利己主義の罠にかかり、物質万能を叫び、価値観を喪失したまま、享楽と腐敗の沼にはまり込んでいます。アルコール中毒者がはびこり、麻薬やフリーセックスでも足らずに、今では近親相姦という獣にも劣る蛮行を勝手気ままに行っても、堂々と顔を上げて生きています。

女王格の女性、祖母格の女性、母格の女性、妻格の女性、娘格の女性、このようにすべての段階の女性たちを蹂躙しても、世の中を闘歩する「人面獣心」の者たちが氾濫する世の中になってしまいました。夫婦同士で、お互いの夫と妻を取り替えて楽しむスワッピングが猛威を振るう世の中になってしまいました。このような振る舞いこそ、人倫と道徳破壊の極致であり、堕落行真の断末魔的姿にほかなりません。神様の創造理想世界の完成が、夢にも見ることができない地獄になってしまいました。

このようなすべての問題は、私たちの始祖、アダムとエバの堕落にその根を置いています。長成期完成級にいたアダムとエバが、サタンの誘惑によって堕落してしまいました。時でない時に、性的に堕落してしまったのです。

このように、男女間の不倫な性的結合が正に堕落となったので、数千、数万年を経てきながらも、人類はいまだにその堕落の血統圏を抜け出すことができないまま、おぞましい蛮行を継続しているのです。神様の胸に釘を打ち込む逆賊行為です。

皆様。人間は、男性も女性も独りでは半分の人間にすぎません。神様の創造がそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を、お互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻だというのです。

したがって、お互いにために生きる真の愛を中心として一つになってこそ、相対の主人の位置に立つことができるのです。言い換えれば、人間は、誰彼を問わず、結婚を通して主人の位置を確保するときに、半分の人間ではない、完全な人間になるのです。

人間の生殖器は、限りなく神聖な所です。生命の種を植える生命の王宮であり、愛の花を咲かせる愛の王宮であり、血統の実を結ぶ血統の王宮です。この絶対生殖器を中心として、絶対血統、絶対愛、絶対生命が創出されます。絶対和合、絶対統一、絶対解放、絶対安息が展開するのです。それでは、生殖器の主人の位置を求めて何をしようというのでしょうか。その位置で神様の愛を占領しようというのです。神様は三大愛の主体であられます。天宙の主人として、真の愛の師、真の愛の主人、真の愛の父母であられます。これが正に、真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真のモデル的家庭の人生を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも、モデル的理想家庭の平和王国に変えることができるのです。

真の父母の使命堕落することによって、最初のアダムは本然の真の血統を失ってしまい、したがって、本然の夫婦になることができず、本然の家庭をつくることができませんでした。真の師、真の父母、真の王になるべきだったアダムは、サタンの血統を受け継いだ偽りの師、偽りの父母、偽りの王に転落してしまったのです。イエス様も、この地に降臨した目的が、ほかのところにあったのではなかったのです。

第二アダムとして来られたイエス様が、もし十字架で命を失ってさえいなければ、イエス様も、堕落とは関係のない本然の天の血統をもって最初のアダムの失敗を復帰し、人類の救世主として真の家庭を立て、人類の本郷である平和理想世界王国、すなわち地上天国を創建していたでしょう。しかし、来られた主を理解し、侍ることができなかった弟子たちとユダヤ教の指導者たち、そしてイスラエルの国家指導者たちの不信が、イエス様の生涯をあのように無念で悲惨な姿で終わらせてしまったのです。

一つの血統も残すことができないまま、突然逝かなければならなかったイエス様の恨に満ちた心情を知る人は、どこにいたでしょうか。二千年間キリスト教の歴史が進行してきましたが、本当にイエス様の悲しい事情を想像だけでもしてみたキリスト教徒がいたでしょうか。再臨の約束だけを残したまま、跡形もなく、突然旅立たれたイエス様、その肉身は、既に土になってから久しいのですが、天がイエス様を通して成し遂げようとされたそのみ旨は、今、歴史の終末期を迎え、天の印を受けて顕現された真の父母様を通して完成しつつあります。しかし、真の父母の使命を完遂すべきレバレンド•ムーンの生涯もまた、言い表せない苦難と迫害で綴られた恨の生涯でした。第一アダムと第二アダムが果たせなかったすべてを蕩減復帰し、完成しなければならない第三アダムである真の父母の使命は、救世主、メシヤ、再臨主の使命はもちろん、すべての教主たちの使命までも総体的に完遂しなければならない人生なのです。

神様の宇宙創造がそうだったように、少しの誤差も許容できない人類再創造の大役事でした。誰一人として相談すらできない孤独な路程でした。神様までも顧みられず、徹底して独りで訪ねていかなければならない茨の荒野路程でした。幾度も反復される生死の岐路で血を吐きながらも、天との約束を成し遂げるため、再び立ち上がらなければならなかった不死鳥の人生でした。

かつて日本留学時代に地下で独立運動をしたとして、また解放直後、共産治下の平壌で天のみ旨を伝播しているときに、自由国家として誕生した李承晩政権下でも、そしてさらには、民主主義の世界的な代表国であると誇るアメリカにおいてさえも獄中の苦労を経験するなど、一生に六度も無実の獄中闘争を経なければならなかったレバレンド•ムーンの波瀾万丈な人生を、誰か理解する人がいたでしょうか。

かわいそうな神様のために、そして死亡圏で苦しむ堕落した人類を救い上げるために、歯を食いしばって耐えて生きてきた悲惨な生涯でした。今でも誰かが、私のこのような心情の内情をかいま見て、一言だけでも投げ掛けたなら、私の涙は滝のようになるでしょう。

皆様。しかし、今ではもう罪悪の蕩減復帰時代である先天時代が過ぎ去り、天法によって治める法治時代、すなわち後天開闢の時代が到来しました。真の父母様から祝福結婚を受けて血統転換を完成し、「正午定着」的な人生、すなわち影のない人生を営みさえすれば、皆様は今から自動的に天国に入っていける、恩賜圏の時代に入ってきているのです。まずこの地上界で真の家庭を立てて、天国生活をしてから人生を終えれば、そのまま天上の天国に連結され、永生を享受するようになるのです。

したがって皆様は、今から家庭という枠組みの中で、神様を一番上の父母として侍り、全員が子女となり、血縁を中心に苦楽を共にして生活することによって、完成した父子関係を形成しなければなりません。神様と真の愛の相対圏を形成して暮らしなさいということです。

天国は、地上界で先に完成されなければなりません。有形世界の天国が無形世界の天国を完成する前提条件になるということです。したがって天国は、銀河系の向こう側に隠れている空間の世界でもなく、人間の頭脳の中にだけ存在する想像力の副産物でもありません。皆様の真の愛を中心とした人生を通して、初めて創造される実体的な地上天国のことをいうのです。その基盤の上に肉界を抜け出れば、自動的に無形実体の天上天国に入っていくようになっています。地上界で天国生活をしてから逝ってこそ、天上でも天国生活ができるようになる、ということです。

木の上でよく熟した実であってこそ、食庫の中でも最上の収穫品として選別されるということを言いました。皆様の人生が、木の上から虫に食われた地獄行きの人生になってはいけない理由が、正にここにあります。結局、天国行きか地獄行きかは、皆様が地上での人生を通して、自ら決定することを忘れてはいけません。

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実在する霊界皆様。人間には心と体があり、心の上位には霊人体があり、その霊人体が入っていって暮らす霊界はもちろん、肉身が暮らしている現実世界のどこにでも神様は実在されます。そして、人間は、真の愛を通して神様と完全に一つになるとき、完全な人になるのです。

このような観点から、完全な人とは、たとえ小さな個体の姿だったとしても、全体歴史を代表した存在であり、また、未来のすべての関係を代表する存在なので、天宙的な価値を備えるようになるのです。私たちが本当に人間のこのような天宙的な価値を知れば、生きていくときに、心を先に立てて従っていく人生を生きていくべきだということが明確になるでしょう。

それで皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも感知し、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、永遠の師である良心の命令に絶対服従して生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されるのです。神様の創造がそのようになっています。

人間の構造をよく見ると、神様は、本来人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり、主人として立てるために霊人体を創造されました。したがって、人間は、地上界で百年くらい生きて肉身の役割が終われば、自然に、そして自動的に無形世界の霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長です。神様が創造してくださった、人間の永遠の本郷なのです。

霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠不変の方であられるように、御自身が創造された霊界も永遠不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結んで暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持して生きていかなければならない宿命的存在です。

人間の霊人体と肉身の関係について見るとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらい生きて死ぬのですが、霊人体は、時間と空間を超越して永生します。いくら地上界で良い服を着て、良い物を食ベ、裕福に暮らす人も、結局、死ぬのではないですか。したがって、皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった完成実体を形成して暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させる責任があるということです。ところが、霊人体の完成は自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体になった人生の土台の上で、初めて完熟した霊人体が結果として実っていくのです。

皆様。秋になって、倉庫に入っていく、よく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と主人の細やかな世話が絶対に必要です。無精で見識のない主人に出会った果樹園の果物は、あらゆる疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として選別されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべてが同じ果物というわけではありません。すべての果物が、市場に出して売れる完成品になるわけではないのです。

木の上で完熟した果物は、自動的に主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場にある地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は、肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を形成し、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるのです。

また、地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、このような天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様の姿は、肉界での人生を一〇〇パーセント収録した霊人体の姿です。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れるのです。

神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自分の審判官になるということです。このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で、快楽ばかりを追い求める背徳の人生で終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。天国行きと地獄行きが、きょうこの時間、皆様の考えと言行で決定されるという事実を、はっきりと肝に銘じてくださるよう願います。しかし、霊人体自体が真の愛の人生を主導し、実践できるのではありません。皆様の霊人体は、必ず体と心の円滑な授受作用によって展開する肉身の人生を土台とした真の愛の人生を通してこそ成長し、完熟し、完成するのです。

しかし、皆様の中では、外なる人と内なる人が絶えず葛藤し、争っていることを否定できないでしょう。あとどのくらいこの争いを継続されますか。十年ですか。百年ですか。宇宙のすべての存在には、厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間を、そのように不完全な状態で創造されたのではないというのです。外なる人である肉身の誘惑を果敢に振り切り、内なる人である良心の道に従って人生の勝利を達成することが、皆様の人間たる義務であり、責任だということを知らなければなりません。このような人生を生きる人は、天運も共にあり、霊人体を完成することもできるのです。

皆様。天国はどのような所で、地獄はどのような所だと思いますか。どのような人たちが入っていく所が天国でしょうか。間違いなく存在するとすれば、そこはどこにあるのでしょうか。天の向こう側の銀河系の外でしょうか。それとも、人間の想像力の所産でしょうか。人間ならば誰でも、一度くらいは自問し、苦悶してみた内容でしょう。

一言で言えば、天国とは、神様の真の愛が満ちあふれ、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の外形であり、内容となっている世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って次の世界の霊界に移っていく人生を生きる人たちの世界です。したがって、その世界には、反目や嫉視があり得ず、お互いがお互いのために生き合うことが自然な世界です。お金や名誉、あるいは権力が支配する、そのような世界ではありません。一人が成功するのは全体を代表して成功することであり、一人がうれしく思うのは全体のためにうれしく思うことであり、一人が喜ぶことは全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です。

天国は、真の愛の空気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸して暮らす世界です。いつも、どこでも、生命が躍動する世界です。構成員のすべてが真の神様の血縁として関係を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。神様の本質的愛である真の愛だけが治める世界です。したがって、神様も、真の愛のために存在されるのです。

そうだとすれば、真の愛とは、どのような愛でしょうか。真の愛とは、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたことすら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛が真の愛です。神様の人類創造は、何の見返りも期待せず、条件もつけずに与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造です。

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12.天宙平和統一王国創建の真の主人日付:二〇〇六年十月十四日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:第五回蒙古斑同族世界平和連合総会

天の摂理的要請によって創設され、今名実共にアベル国連としての位置を立てていく「天宙平和連合」と「蒙古斑同族連合」の発展のために、世界各地で苦労しておられる指導者の皆様。お忙しい日程を後回しにされ、今大会に参席するために駆けつけてこられた皆様を、天宙天地人父母である私と私の真の家庭の家族全員の名で歓迎する次第です。

皆様。今回の大会は、特に摂理的に大きく深い意義があります。この「蒙古斑同族連合」創設以後、既に五回目の開催となる世界大会であることはもちろん、「天宙平和連合」が創設されてから一年で、三回の世界巡回を勝利し帰国した本然の真の家庭を代表する韓鶴子総裁を歓迎する、世界的次元の歓迎大会でもあります。

真の家庭一代圏の勝利私と共に韓総裁は、二〇〇五年九月十二日、アメリカのニューヨークで「天宙平和連合」を創設した直後、その創設メッセージを宣布し、世界百二十ヵ国の巡回を完了しました。この真の父母様の勝利的基盤を受け継ぎ、韓総裁は、今年(二〇〇六年)の春から再び二次として、世界百八十ヵ国でみ言宣布大会を開催し、真の子女たちを直接み言宣布に同参(一緒に参加すること)させることによって、真の家庭の二代が共に勝利する、実に驚くべき快挙を成し遂げました。この勝利は、天宙的次元でカイン圏の子女とアベル圏の子女を一つに結び、真の父母様に奉献する摂理的所有権まで転換する勝利でした。

この勝利的基台の上に、去る六月十三日には、ついに天と地が一つになり、神様と天地人真の父母様が安着される天正宮博物館奉献式と天地人真の父母様の天宙平和の王戴冠式が挙行されました。実に、歴史上空前絶後の大勝利でした。歴史の背後で数千、数万年の間、涙を流され、独りで恨の摂理路程を歩んでこられた神様が解放•釈放を受け、天宙の王であり、主人として、永遠に安着される日でした。

天正宮博物館に入住された神様と真の父母様の勝利は、今、世界六十五億の人類を天の眷属に還元させて抱く、恩賜の大長征へと続きました。去る八月三十一日、私が韓国で最初のテープを切り、三回目として出発させたみ言と祝福の世界巡回が、真の父母と真の子女たちはもちろん、真の孫と孫娘まで帯同し、真の家庭の三代圏が全世界四十ヵ国を巡回し、祝福を施す大長征において、堂々と勝利を勝ち取って帰国した喜びの日でもあります。今回の世界巡回が特別である理由は、真の父母の家庭の三代圏が動員されたという点にあります。

毎日、真理と祝福で一ヵ国ずつを復帰していくための天宙平和王国軍の進軍でした。各国の十二カ所の主要都市で同時多発的にみ言を宣布し祝福を与える、人類最大の慶事でした。歴史上、いかなる聖人も夢見ることができなかった、真の家庭の三代が総動員されたという事実は、人類歴史に永遠に記録され、永遠に称賛される奇跡であり、天の解放的勝利です。さらにきょうは、私にとっても、また一つの忘れることのできない歴史的な勝利の一日でもあります。解放直後から北朝鮮の共産治下で天のみ言を伝播している途中で興南監獄に投獄された私が、二年八ヵ月間の獄苦を経ている中、国連軍によってついに自由の身となった勝利と解放の日なのです。一九五〇年十月十四日、その日は、天が奇跡を起こさざるを得なかった、実に危険千万の一日でした。人類の真の父母としての印を受けた私が処刑を受ける日だったため、天がどうして顔をそむけていることができたでしょうか。

このような途方もない摂理的背景を含んでいるきょうという日を、私は、神様の保護のもとで、人類の真の父母として、天のみ前には尊敬と栄光を、地の上には祝福と愛を施す歴史的な勝利の一日として宣布するものです。

「天宙平和連合」と「蒙古斑同族連合」世界の指導者の皆様。今わずかに一年を超えた「天宙平和連合」を、私たち全員が力を合わせてアベル国連の位置に立てる使命が私たちにあることを忘れないでください。

新しい天宙平和機構として発展させていくことはもちろん、サタン圏を代表するカイン格の既存の国連を改革して、国連内に世界的宗教指導者たちで構成された上院格の平和議会を創設し、既存の安全保障理事会と同等の位置の、神様の保護を受ける議決機関として立てなければならないというのが天の命令です。既存の国連代表部のように、自国の権益ばかりを代弁する代表ではなく、超国家的で超天宙的な次元で、心から人類の福祉と平和のために働く平和議会を創設しなければならないという意味です。

このような神様の創造理想的目的と趣旨をもって出発した「天宙平和連合」の出現は、決して、ある一人の人間の知恵から出てきた結果ではありません。天が、新千年紀を迎えた人類に下さった最高、最大の祝福です。したがって、「蒙古斑同族連合」も、今から「天宙平和連合」の天が賦与した崇高な志を成就していく伴侶として、その役割を果たすことを願います。

そのような意味から、きょう私は、人類にとって絶対に必要な天の啓示を「天宙平和統一王国創建の真の主人」という題目で、もう一度お伝えしようと思います。この「蒙古斑同族連合」創設の時にお伝えしたメッセージです。どうか心を無にして天の声に耳を傾けることができる、知恵深い指導者になってくださるように願います。

万有の創造主であられる神様は、全人類の真の父母です。ある特定の宗教や人種、あるいは特定の地域の人々だけのためにいらっしゃる、そのような制限された概念の父母ではありません。その名称を「ヤハウェ」と言ってもよく、「アッラー」、あるいは何かほかの名前でもよいのです。重要なことは、神様は確実に存在され、万人の真の父母として、今も生きて創造のみ業を継続していらっしゃるという事実です。御自身が太初に立てられた天理原則に従って宇宙万象を経綸され、歴史を摂理しておられるのです。

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11.天一国は太平聖代の理想天国日付:二〇〇六年六月十三日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:天宙平和の王真の父母様天正宮博物館奉献式と戴冠式

世界万国の頂上たちよ、地球星の津々浦々から、この貴い歴史的で摂理的な日を慶祝するために集ってこられた天の貴賓たちよ、天一国の市民として再び生まれる霊肉界の民たちよ!万有の創造主であられ、人類の永遠の真の父母であられ、天宙の大王であられる神様に、霊肉界三千億以上の人類すべての名で限りない感謝と栄光をお捧げしましょう。

天一国の民の道永遠に罪悪と苦痛の中で苦しみ、地獄行きを免れることのできない堕落の後裔となった人類を救うために、自らすべての蕩減復帰を完成された天地人真の父母様、天宙平和の王の前に、勝利を称賛する声を高らかに叫んでください。

皆様はきょう、歴史上あとにも先にもない、驚天動地の摂理歴史的大事件の現場に立っていらっしゃいます。天宙平和の王が、ついに栄光の登極をされる日です。皆様の目には見えませんが、今、皆様一人一人の頭上には、数千、数万人の善の祝福家庭の先祖たちが臨み、共にこの荘厳な瞬間を慶祝しているという事実を忘れないでください。天地万物も喜び、共に叫ぶハレルヤの賛美が、全天宙いっぱいに響き渡っています。

皆様が本当にこの日の価値を知れば、到底このようにじっと座ってばかりいることはできないでしょう。全地球星を回り、喜びと歓喜と称賛の声を限りなく叫ばずにはいられないでしょう。

皆様。二〇〇一年一月十三日は何の日だったか御存じですか。天が何よりも待ち望まれ、願ってこられた「神様王権即位式」の日でした。人類の真の父母として印を押されて出発したレバレンド•ムーンが、名状し難い受難と茨の蕩減復帰路程をついに勝利し、完成した基盤の上で奉献した人類最大、最高の慶事でした。数万年の間、嘆息と恨で綴られた道を父母の心情で摂理してこられた神様に、ついに解放と釈放の日を奉献した日でした。神様を縦的な真の父母であり天宙の大王としてお迎えし、天一国の旗を高々と翻し、新しい天の主権の出帆を天上天下に宣布した、実に摂理的な日でした。

それから三年、台風のように吹きつける天運の鍵を握り、一日を千年のように走って勝利した真の父母様の基台の上に、天はついに二〇〇四年五月五日、「双合十勝日」を宣布しました。長き恨の歳月の先天時代を閉じ、この地に新天新地を創建できる後天開闢の時代を開いてくださったのです。実体的にこの地球星を天のみ前に還元させるための歴史的大革命の出発でした。

愛する天一国の民の皆様。きょう皆様は、実体的天宙平和の王の戴冠式に参席し、天一国の民として入籍できるようになる、実に例えようもない天の恩賜を受けています。数千、数万に及ぶ皆様の先祖たちも、この日の恩賜ゆえに、永遠に皆様に感謝するでしょう。

聖書を見れば、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三三)とあります。きょう皆様は、ついに後天時代の実体的主権となる「神の国」、すなわち天一国が創建される奇跡の中の奇跡を目撃していらっしゃいます。実に天は奥妙に役事されます。新千年紀の元旦に、既に天一国の地平を開いてくださっていたのです。しかし、皆様の生前に、このように、夢のような天宙平和の王の登極の日が訪れるとは、誰が想像したでしょうか。

天の国の民の皆様。きょうこの貴く恵まれた勝利と栄光の日、二〇〇六年六月十三日を期して、私は、天宙平和の王として全天上天下に、天一国の民ならば誰もが知って実践躬行すべき天道的次元の基本義務と使命を宣布しようと思います。

一番目に、皆様は今から、縦的真の父母であられる神様の真の子女として、皆様の家庭で三代圏を形成して暮らし、四大心情圏を完成し、永遠に神様を縦的な軸として侍って暮らさなければなりません。さらには、横的真の父母であられる天宙平和の王を永遠の横的軸として敬い、天一国の市民として絶対服従の人生を率先垂範することを肝に銘じなければなりません。ために生きる人生、すなわち真の愛の実践を、皆様の人生の基準として立て、真の家庭を築いて、子々孫々、天の血統を完全に保全し伝授できる、罪のない純粋な真の子女たちを養育しなければなりません。

二番目に、どのような境遇でも皆様の心と体を一つに統一して暮らさなければなりません。私も、いち早く天の道を決心しながら、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」という標語を掲げ、悲壮な覚悟で出発しました。天は既に、皆様がこの目的を達成する道案内として良心を下さいました。良心は、皆様の師よりも先に、皆様に関して隅から隅まで知っています。皆様の一挙手一投足はもちろん、考えまでもすべて見通しているのです。

良心はまた、皆様の父母よりも皆様に関して先に知っています。さらには、皆様の良心は、神様よりも皆様をよく知っています。したがって、皆様の人生の中で良心を神様の代わりの位置に立て、影のない「正午定着」的な人生で絶対服従の道を行けば、皆様は間違いなく心と体の共鳴圏を形成し、統一を完成するでしょう。

交叉結婚を通じた平和世界三番目に、霊界は既に統一が終わりました。問題は肉身をもって暮らす地上界の人類です。罪悪と患難の塗炭の中で苦しむ彼らもみな、皆様の兄弟姉妹たちです。彼らを正しく教育し、天一国の民に還元させる使命が皆様にあるのです。人類は、誰もが例外なく堕落の後裔だということを認知し、真の父母様から祝福結婚を受け、血統転換をしなければならないという事実を、はっきりと悟るように教育する使命が皆様にあります。同時に、三千億を超える人類が完全に天の血統に復帰されるその日まで、交叉祝福結婚の恩賜を通して、真のオリーブの木に接ぎ木する役事を継続してあげなければなりません。

四番目に、皆様の一生は、母の腹中で十ヵ月、地上界で空気を呼吸して約百年、それから永遠の天上世界で永生するように創造されました。皆様が生まれて、正常で健康な人生を営むには、腹中での準備が絶対に必要であるように、皆様の地上生活は、次の段階である霊界の人生のために、徹底した準備の人生でなければならないということです。言い換えれば、皆様は、いつ、どこで、何をしても、霊界の先祖たちが皆様と共にいることを忘れず、霊界と歩調を合わせて暮らす人生でなければなりません。精誠と祈祷で霊界と交わって暮らす、地上で完成した霊界人になりなさいということです。

五番目に、天一国を営み、治めるには、民の力が絶対的必要要件だということです。今皆様は、先天時代の残滓である利己的個人主義の仮面を未練なく脱ぎ捨てなければなりません。天から所有権転換の手続きを受けるためには、皆様のすべての所有権を一旦天のみ前に奉献し、所有権還元式を通して、再び受けるという手続きを経なければならないという意味です。

皆様。さらには、天一国の民は、誰もが天のみ前に人類の福祉と平和のための基金の募金活動に参与するようになります。しかし、税金の形式ではなく献金として、収入の十分の三をまず先に国家に捧げて暮らす模範を示さなければなりません。強制ではなく、自発的に喜んで天のみ前に捧げる心情の奉献でなければならないという意味です。

天一国市民の生き方六番目に、後天開闢の時代は、人間の堕落によって失ってしまった創造本然の理想世界を再び探し立てる時代です。神様が創造してくださった宇宙万象、すなわち自然環境も、人間の人生を豊かなものにするためには絶対に必要な条件です。人間と自然は、愛の主体と管理の対象として、互いに調和する中で共鳴圏を形成して暮らすようになっています。自然を破壊し、環境を汚染する行為を、これ以上放置し、容認してはいけません。

環境を保護し、愛する知恵深い天一国市民になってください。自然に帰って、解放と釈放の人生を楽しんでください。自然を愛することは、すなわち人間を愛することであり、さらには神様を愛することです。皆様の人生が自然と共鳴圏を形成して生きるようになるとき、その中で人格完成の花を咲かせるようになるでしょう。

その中で、真の心情文化と芸術世界の花が咲き、創造本性を中心として、神様と人間、そして万物が一つに調和して暮らす創造本然のエデンの園となるでしょう。このような真の愛の人生を実践する天一国の民に、どうして天が大いなる福を下さらないことがあるでしょうか。永遠に福楽を享受して暮らすようになるでしょう。

七番目に、天地開闢の後天時代は、天と真の父母様が開門してくださいましたが、この福多き栄光の時代を花咲かせ、実を結ばせることは、今皆様の手にかかっているということです。

アベル国連の位相を確立していく「天宙平和連合」の旗のもと「平和王国警察」と「平和王国軍」の二重的使命を果たす天の密使となってください。天が下さった祝福家庭とこの恵まれた地球星を、皆様でなければ誰が育て、守るのでしょうか。億兆蒼生の平和の王、神様を真の父母として侍って暮らす真の王子、王女になってください。天宙平和の王に侍り、真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和王国を創建しましょう。

愛する天一国の民の皆様。きょう、この貴く神聖な日を心から慶祝し喜んでください。これまでのすべての憂いと懸念を払いのけてしまい、心から天の父と真の父母様に侍り、喜んでこの日を慶祝してください。

皆様の貴い精誠が集まり、きょうこの日をより一層輝かしいものにしています。この美しい清平湖畔の山川草木が、皆様の希望に満ちた壮途を祝福してくれています。皆様の子孫たちも、子々孫々、皆様にこの日があったことを誇り、保護し、賛美するでしょう。天のお父様の大いなる恩寵と祝福が、皆様と皆様の家庭の上に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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善主権の時代である後天開闢時代尊敬するジョージ•ブッシュ元アメリカ大統領、そしてサンギネッティ•ウルグアイ元大統領をはじめとする中南米圏の元・現職首脳および内外の貴賓の皆様。まず、忙しい日程を先に延ばし、このように本国際指導者大会に参加してくださった皆様に、私と私の家庭の名で心から感謝を申し上げます。

貴賓の皆様。国際連合の創設趣旨に従い、世界平和を守るという崇高な志を抱き、朝鮮戦争において多大な犠牲を払った国連軍、アメリカをはじめとする十六ヵ国の参戦国に、み旨を中心として七千万の韓民族に代わり深甚なる感謝の心情をお伝えします。人類を罪悪から救い、御自身の創造理想を完成しようとされる神様の摂理的観点から見れば、朝鮮戦争は、単純な一国の戦争ではありませんでした。神様の摂理を完結するうえで、決定的な役割を成し遂げた歴史的な聖戦だったのです。

私と韓半島を中心として繰り広げられた神様の深い摂理的内容を、ここで一つ一つすべて説明することはできません。したがって、きょうは、私が最近宣布した環太平洋を中心とする摂理的内容を皆様に紹介しようと思います。

貴賓の皆様。私は、昨年の二〇〇七年が始まると同時に、神様と人類が、数千年の歴史上、ただの一度も経験できなかった摂理的次元の禧年(すべてのものが元の位置に戻る年、歴史始まって以来、改めて迎える喜びの年)を宣布しました。天がこの年を大きく祝福されたのです。数千、数万年の歴史を通して、執拗なまでに神様の胸を苦しめ、人類を足かせの沼から抜け出すことができないようにしていたサタン主管権、すなわち悪主権の先天時代がついに終わり、この年を頂点として、今から人類は、神様を中心にお迎えし、新しい善主権の時代である後天開闢の時代を大きく開いていくことができるようになったのです。

このような途方もない天の摂理が、皆様の知らない間に進行しているのであり、今では、世界百八十五ヵ国で、私の教えを相続し、天がこの時代に下さった特命を遂行するために、昼夜を分かたず走っている平和大使たちの数が、数百万になっています。

したがって、きょう私は、皆様に今後人類が行くべき方向と天の摂理的プログラムを宣布するという次元で、「神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観—アメリカを中心とする国連と自由世界の方向」という題目で、天のみ言をお伝えしようと思います。

皆様。人類歴史の発展史を深く観察してみれば、歴史の背後で、絶えず役事される天の意志と息遣いを、はっきりと感じるようになります。世界四大河川地域を中心として第一歩を踏み出した人類の文明史を、一度振り返ってみてください。ナイル川を中心とするエジプト文明、チグリス・ユーフラテス川を中心とするメソポタミア文明、インダス川を中心とするインダス文明、黄河を中心とする黄河文明、これらを私たちはよく知っています。

その後、人類の文明史は、地中海圏に上陸し、ギリシャ半島のギリシャ、イタリア半島のローマといった地中海の半島文化として、花を咲かせるようになります。歴史は、再び発展を繰り返しながらヨーロッパ大陸文明として定着するかと思われましたが、この大陸文化も、再び大西洋圏のイギリスで島嶼文明の花を咲かせる土台となります。

しかし、四海を平定し、「その地に日が沈むことはない」と叫び、気勢をあげていた大英帝国も、再びその華麗な文化のバトンをアメリカ大陸に譲り渡した事実を、私たちは、歴史の中に目撃します。このように、アメリカ大陸に着陸した人類の文明史は、ついにキリスト教に根をおく民主主義の甲胄をまとい、宗教の自由と人権平等の旗印を掲げて闘い、第一、第二、第三次世界大戦を勝利することによって、無神論的悪主権の代名詞だった共産主義がひざまずくようになります。

しかし、人類文明史の発展がここで終わるのではありません。アメリカが偉大であるがゆえに、成し遂げられた結果でもありません。摂理的プログラムに合わせ、天はアメリカという国を第二イスラエルの代表として選び立て、中心宗教であるキリスト教を通してアメリカの国民を育て、訓練させ、その結実段階の摂理を成し遂げてきたのです。

皆様。しかし、問題は今からです。地球星を一周回ってきた人類文明史の発展は、ついに太平洋圏に到着しました。今や人類歴史は、環太平洋圏を中心として完成、完結すべき摂理的時点に到達したのです。この摂理的プログラムは、もはやいかなる力も妨げることはできません。悪主権下で勝ち負けを繰り返していた先天時代の蕩減路程は、飛躍する環太平洋時代の足首をつかむことはできないのです。天が禧年を宣布された特別なみ旨が、正にここにあります。

皆様。環太平洋時代の到来が意味するところは、実に大きなものです。人類のメシヤとして来られたイエス様が、み旨を成し遂げていたならば、世界はどのような姿に変わっていたと思いますか。イエス様は、全人類を救うために来られた救世主、メシヤだったのであって、地中海東方の片隅に位置するイスラエルだけを救うために来られた方ではなかったのです。その当時、人類文化は、既に地中海の中心であるローマを拠点として、四海を掌握し、治めることができていました。したがって、天は、イエス様がローマを教化して統治し、その強大なローマの力を借りて、世界人類を新しい神文明圏へと救ってくれることを期待していたのです。しかし、歴史は、あまりにも悲惨な十字架の惨刑で終わったイエス様の最期を記録しています。

皆様。神様の創造理想を完成する神文明圏の構築は、真の愛の人生を実践躬行し、霊界の実相をはっきりと知り、モデル的理想家庭である真の家庭を探し立てることであり、これは天からの至上命令です。それでは、新しい神文明圏の真の愛はどのような愛であり、真の家庭とはどのような家庭をいうのでしょうか。

皆様。絶対的神様の真の愛は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたという事実すら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に、心身をすべて捧げて孝行しながら喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくるのです。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の絶対的真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠のものなので、誰でもこの真の愛を率先して実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむことができ、同参権、相続権までも享受するようになるのです。このように、天国に入る絶対必要条件であるために生きる人生、すなわち真の愛の人生とは、すべての創造の平和理想的モデルとなる、神様を中心として平和に暮らす新しい理想家庭の人生です。人類には今、誰もが真の家庭を探し立てることのできる道が大きく開かれました。

皆様。共にために生きる人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と真の愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって慕らす家庭が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根に、真の愛の幹が生じ、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないという意味です。

このように、真の祖父母、真の父母、真の子女を中心として、三代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使と分捧王たちの使命であり、神様の願いであることをはっきりと知らなければなりません。もし全世界が、このような真の家庭で満ちあふれるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める、道理に従う世界となるでしょう。

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13.神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観I日付:二〇〇八年八月二十七日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:重生完成、復活完成、永生完成の日宣布式(ヘリコプター事故後四十日)

世界百九十数ヵ国から、きょう、この貴く摂理的な日を慶祝するためにお越しくださった貴賓の皆様。初めに、私たち夫婦と一行全員を無事に保護してくださった神様に、そして私たちのために祈祷と精誠をもって声援してくださったすべての方々に、心から感謝申し上げます。

私はきょう、実に感慨無量です。八十有余年の生涯は、ただ摂理を成し遂げるためにあらゆる受難と獄苦を経るなど、生死の峠を数限りなく行き来しながら生きてきた生涯です。世の中が知らない中、一人でサタンとの熾烈な闘争を続けてきた人生です。

皆様。神様は真に奥妙に摂理をされます。誰も想像できなかった大型へリコプター事故において、天は霊界を動員し、真の父母である私たち夫婦の身には、サタンも無理に手を出すことができないように措置されたのです。人間の目にはとても神秘的な奇跡の中の奇跡に見えるでしょう。しかし、これはヘリコプター事故の歴史上、類例を見ない不可思議な出来事として記録されています。

二〇一三年一月十三日を祖国光復完成の日として公表し、夜昼なく心血を注いでいる私を、天がどうして見捨てることができるでしょうか。御自身の実体として地上界でこの聖業を成し遂げていくレバレンド•ムーンに、神様が共にいらっしゃらなければ、誰が摂理を完成し、人類を再び神様の懐へと取り戻すことができるでしょうか。

神様の大いなる恩賜を受けて、このように皆様の前に再び立つことができるようになった私たち夫婦は、真に感慨無量です。人類の真の父母として天の印を受けた私たち夫婦は、堕落の血統として生まれ、父母のいない孤児として数千、数万年の間、さまよっている人類を救い、一緒に連れて帰ってきなさいという天の至上命令を受けました。

今から四年余りが残っている二〇一三年度に向かう最後の段階として、「双合七八禧年」を宣布し、霊肉界の万邦に総進軍命令を下したこの時点に、このような不意のへリコプター事故に遭ったのです。

しかし、天はこの事故を通して、もう一度、無知蒙昧な人類に、天が生きて役事していらっしゃることをはっきりと見せてくださったのです。今や皆様は、私と手を取り合って爆発的な真の愛、真の家庭革命を遂行し、全人類を祝福家庭化しなければならない切迫した時点にいることを、一時も忘れてはいけません。

分捧王中心の摂理時代貴賓の皆様。きょうこの貴い日を迎え、世界各国から来られた皆様にお伝えしようとするメッセージは、去る四月三十日から五月二日にわたって、アメリカのテキサスとワシントンDCで開催された、南北米の首脳たちのセミナーで宣布した天のメッセージです。人類は既に新しい時代圏である後天開闢の時代に入っています。平和の王として即位した私の命を受け、世界各地に派遣された分捧王たちを中心として天が役事され、この地に新天新地、すなわち天一国を完成させる時代です。

皆様。イエス様の前に洗礼ヨハネが責任を果たしていたならば、ユダヤ教とイスラエルの反対にあって十字架の道に追い立てられるイエス様にはならなかったはずです。洗礼ヨハネと共に、イエス様はイスラエル民族を導き、天が数千年にわたって準備してきたローマを平定し、治めることができるようになっていたはずです。

そのような基盤さえ確保していたならば、イエス様は世界へ通じるローマの道を通して、世界全域に分捧王たちを派遣していたでしょう。彼らは平和の王となられたイエス様に代わる代身者であり、天のみ旨を伝授された相続者としての分捧王の役割を果たして、この地球星に、国境がなく、垣根のない解放•釈放の平和王国、すなわち天一国を創建していたでしょう。

しかし、人類はサタンの計略から抜け出すことができないまま、再び二千年間の蕩減復帰の道を歩んできた事実を私たちはよく知っています。洗礼ヨハネ一人の失敗が、このように途方もない結果をもたらしたのです。天の摂理は、決して中断されても、放棄されてもいけないというのが天理です。ついにこの地、大韓民国が天の選択を受け、摂理を完成させる祖国となりました。真の父母様がこの地の精気を受けてお生まれになったからです。

私は既に摂理の三大中心国に、アベル格の分捧王を任命、発表しました。摂理上、祖国の位置にある韓国を代表して天宙平和連合(UPF)世界会長を、母格の国家である日本は日本天宙平和連合会長を、そして摂理的に長子格であるアメリカにはワシントン•タイムズ会長を立てて派遣しました。

それとともに、カイン型の分捧王として、北米圏を代表してジョージ•ブッシュ元アメリカ大統領をその候補に選任し、南米圏を代表してサンギネッテイ元ウルグアイ大統領を立て、南米大陸に平和運動を展開します。そして、摂理的に祖国となる大韓民国のカイン型分捧王の位置には、全国民の元老として尊敬されている素石李哲承総裁を選任しました。

皆様。私はこのように世界各国に分捧王たちを派遣する手続きを躍動的に進行させています。彼らは決して、洗礼ヨハネのような失敗を、二度と繰り返すことのできない時代圏に入ってきています。十字架の道に忽然と去られたイエス様の時とは異なり、平和の王として天の印を受けた私は、必ずやこの地球星に神様の祖国光復を完成させなければならないからです。天が共にいらっしゃり、平和の王が中心軸として立ち、世界津々浦々に派遣された子女たちと分捧王たちを導き、永遠の平和が定着する本然の理想天国を創建するのです。

どうか心と体を一つにして、きょう、天が下さるこの天の秘密の一端を皆様の心の中に刻印してください。今後の皆様の活動と人生を指導してくれる天道のみ言が、きょうのこのメッセージに込められていることを肝に銘じてください。

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真の父母の使命を受けたレバレンド•ムーン皆様。しかし、天は、真の父母の愛によって、かわいそうな人類に再び恩寵を施してくださいました。二千年間のキリスト教の歴史を通して、イエス様を中心とする霊的復帰摂理を展開してきた基台の上に、再臨のメシヤの顕現を祝福されたのです。再臨されるメシヤは、真の父母の使命を完成しなければならないという途方もない重荷を背負って来られます。その方は、何よりも先にサタン圏に勝利し、その次には、霊界圏までも勝利しなければならない使命をもってこられました。肉身の五官では感知できないサタン界と霊界圏を相手に、生死をかけた闘いに勝利し、最後には、悪魔サタンを屈服させることはもちろん、霊界の数多くの道主と教主までも屈服させなければならないのです。かといって、強制してできるものではありません。神様の人格と真の愛を中心として、宗教と宇宙の根本を明らかにし、彼らを納得させ、自然屈伏させるのです。

このような途方もない真の父母の使命を受けてこの世界に現れた人が、正にこの場に立っているレバレンド・ムーンです。「真の父母」という単語は、世の中のいかなる百科事典にもありません。レバレンド•ムーンが作り上げた言葉でもなく、世の中の誰かがつけてくれる名前でもありません。神様が私たち夫婦に下さった天命であり、祝福なのです。

真の父母の位置は、救世主、メシヤ、再臨主の総体的な使命を負わなければならない、歴史上空前絶後の責任をもつ位置です。したがって、いまだに堕落圏に属している人類には、真の父母に侍り、天のみ旨を成就するにおいて必要ないくつかの条件があります。

第一に、蕩減革命を完成しなければなりません。すべてのものを捨てて真の父母に侍り、従っていかなければならないという意味です。友を捨て、師を捨て、さらに自分の父母までも捨てて、真の父母に従わなければなりません。総生畜献納の基準を立てた時にこそ、天は再び私たちに祝福と恩寵を許してくださるのです。サタン世界とのすべての因縁と関係を、少しの人情ももたずに無慈悲に除去し、完全に零点に戻って天地開闢の新しい出発をしなさいという意味です。

第二に、良心革命を完成しなければなりません。すなわち、この世の中のいかなる主権や理念を前にしても、一点一画も加減することなく、神様が賦与してくださった本心の指向性に従い、真の愛、真の生命、真の血統の伝統を守りなさいという意味です。天のみ前でも、万物の前でも、一点の恥ずかしさもない「正午定着」的な生を生きなければならないということです。

私たちの生が、一心、一体、一念、一核の境地に到達し、純潔、純血、純愛の「性」を永遠不変の伝統として安着させ、一和統一時代を花咲かせるとき、初めて良心革命は完成するのです。

第三に、心情革命を完成しなければなりません。神様が訪ねてこられて、すべてのことを共に相談し、共に暮らしたいと思われる真の愛の世界を完成しなければならないのです。言い換えれば、心情革命は真の愛革命です。「ために存在する」という万古不変の真の愛の実践を意味するのです。私たちが他のために生きることを考えてみてください。真の愛の根源であられる神様が、正に私たちの中にお住まいになり、私たちのために生きられるようになるのです。私たちにとって、これ以上の喜びと栄光がどこにあるでしょうか。心情革命が完成したところでは、家庭破綻、人種間の紛糾、国境紛争、そして宗教的摩擦のようなサタン世界の残滓は、見いだすことができなくなるのです。永遠の平和王国が建てられるというのです。

蕩減、良心、心情革命によって天のみ旨を成就しよう尊敬する貴賓の皆様。私たち夫婦は、平和世界をこの地上に創建しなければならないという天命を完遂するために、去る一九九六年、統一教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として新しい出発をしました。天のみ旨は、真の家庭を根本とする人類平和にあるのであって、ある特定の教会や宗教の定着にあるのではないからです。

私たちは、過去数十年間、超宗教超国家的次元で多くの活動をしてきました。そのような土台の上に、二〇〇三年十月三日には、アメリカのニューヨークにおいて「平和国連」を創設し、世界平和の具現に向かって力強く飛躍し始めました。世界の至る所で、レバレンド•ムーンの宣布に従い、教会の十字架を外す運動が燎原の火のように広がっています。数千人の聖職者たちが、中東紛争の震源地エルサレムに雲霞のごとく集まり、超宗教超国家的次元の平和大行進を行っています。

二〇〇三年十二月二十二日には、大勢のユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームの聖職者が、手に手を取って平和を謳歌し、イエス様を王の王として推戴する戴冠式を執り行いました。二万人以上が結集するエルサレムの独立公園において起きた奇跡です。イエス様の恨が解かれる日であり、真の父母様の勝利が天上天下に宣布される日でした。

皆様。私たち夫婦に賦与された真の父母の使命が天命だとすれば、今から私たちと手をつなぎ、この地球村に平和の天国を創建しなければならない皆様の使命もまた天命なのです。今や、天の時が訪れました。燃える希望を心の中に抱いてお帰りになり、皆様各自がメシヤとして、また真の父母として世界平和を具現する働き手となられることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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5.メシヤと真の父母日付:二〇〇四年一月二十七日

場所:韓国、ソウル、新羅ホテル

行事:「超宗教超国家平和協議会」創設記念および真の父母様御聖誕祝賀晩餐会

世界各国からお越しの高名な指導者、尊敬する国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。この場は、きょうで八十四回目を迎えた私と、韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために設けられた晩餐会場です。しかし、私たち夫婦は、今晩自分たちがお祝いを受けるよりも、ここに席を共にしてくださった霊界の聖賢たちと霊界の祝福家庭、そして「世界平和のための頂上会議」に参加された皆様にこの晩餐をもてなしたいと思います。

偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ人類皆様は、ここ数日間、「世界的危機に対する地球村次元の統治」というテーマのもとで、多くの討論と会議をされたことと思います。皆様の汗と情熱が結集され、日増しに危機へと向かう今日の世界に、新しい希望と夢を植えつける契機になると思います。もう一度、このように私たち夫婦の故郷韓国に来られ、大望の天一国四年を共に開いてくださったことに対して、深甚なる感謝をお捧げします。

今晩私は、八十有余年の生涯をかけて、天のみ旨のみを伝えて生きてきた伝統に従い、「メシヤと真の父母」という題目の天のメッセージを伝えることによって、挨拶の言葉に代えさせていただこうと思います。人間は本来、神様の子女として創造され、神様の子女として成長し、神様から祝福結婚を受けた家庭となり、子孫万代、罪のない善の血統の子孫たちを繁殖させなければならない運命をもって生まれました。人類の始祖アダムとエバは、神様を縦的真の父母として侍り、真の父母であられる神様を軸として横的実体の真の父母にならなければなりませんでした。その世界は、メシヤという言葉が存在する必要のない世界になっていたでしょう。その家庭は、創造本然の理想家庭になっていたのであり、その世界は、神様の創造理想が完成した地上天国になっていたでしょう。そのような世界で暮らして肉身の生を終えれば、人間は誰もが自動的に天上天国に入籍し、永遠無窮に自由と平和と幸福の世界で暮らすようになっていたのです。

しかし、不幸にも、人間始祖の堕落によって、人類は、抜け出すことのできない絶望の奈落に落ちてしまったのです。霊的五官を通して神様と直接通じながら暮らし、肉的五官を通して万物を自由自在に主管し、それと同時に霊界と肉界を代表した真の主人、真の父母、真の王にならなければならなかったのです。

しかし、彼らは、堕落によって霊的五官が完全に麻痺してしまい、目は開いていても見えない、そのような立場に転落してしまいました。肉的五官にのみ頼って生きなければならない片側だけの人間になってしまったのです。父母である神様を見ることも、その声を聞くことも、感じることもできなくなったので、どうして父母の愛を知ることができ、その事情を知ることができるでしょうか。

メシヤは真の愛、真の生命、真の血統の実体本来、神様が占有する真の父母の位置に、サタンが押し入ってきて、偽りの父母の振る舞いをしながら人類を徹底的に拘束し、奴隷にしてしまったのです。したがって、今日私たちがもっている愛、生命、血統はすべて、サタンがアダムとエバに蒔いた偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだものにならざるを得ないのです。このように直系の子女として生まれた人類が、サタンの偽りの血統を受け、僕の僕の位置に転落してしまったという事実を御覧になった神様の苦痛は、どれほど大きかったでしょうか。

しかし、原理原則の神様は、御自身の立てられた創造原理と創造理想を自ら破ることはできないので、数千、数万年の復帰摂理を通して、救世主メシヤを待ち続けてこられたのです。宗教によって、それぞれ異なる名前で呼ばれていますが、その名前が弥勒仏であろうと真人であろうと救世主であろうと、人類が必要とし、神様が求めてきた方は、真の父母であられるメシヤお一人だったのです。そうだとすれば、メシヤは誰であり、どのような人でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙まで歩み、信仰と希望と愛の実体として立つことができる主人です。そのような方をメシヤとして侍ることができる時に、はじめて人類歴史上に残っている信仰が結実されるのであり、希望が結実されるのであり、愛も結実されるのです。

その結実体には、人類歴史が息づいており、私たちの過去、現在、未来が連結されています。人間はもちろん、天とも連結されています。メシヤは、堕落によって父母を失い、天涯の孤児になってしまった人類のために来られた、実体の真の父母、真の主人、真の師、真の王になる方です。偽りの父母のもとで苦痛を受け、呻吟していた偽りの子女たちを、真の子女として取り戻して立てるために来られた真の愛、真の生命、真の血統の実体であられるのです。

ユダヤ人の不信によって真の父母になれなかったイエス様皆様。二千年前、天はイエス様をメシヤとしてこの地に送られました。父母を失った子女たちを再び抱き、天のみ前に復帰させるために来られた方が、正に真の父母であられるイエス様でした。アダムとエバは、堕落によって真の父母の位置を失ってしまい、真の夫婦にもなることができず、真の子女をもつことができなかったので、神様に三代圏の血統、すなわち孫と孫娘を抱かせてさしあげることができなかったのです。

したがって、神様は、再び数千年間準備し、選民として立てたイスラエル民族を通して、救世主でありメシヤであるイエス様を送られたのです。歴史上、初めて一つの国の主権と国土と民を立て、その基盤の上に、全世界をサタンの偽りの血統から復帰させ、真の善の血統へと復帰するための闘いの総司令官として来られた方がイエス様だったのです。

しかし、立てられたユダヤ教とイスラエル民族の不信によって、イエス様は、無念にも十字架によってその一生を終えてしまったのです。真の父母となって真の子女をもち、王の王として即位されなければならなかったメシヤが、神様の祝福を通じた真の夫婦の位置まで行けなかったことによって、真の父母になることができなかったことはもちろん、真の子女を繁殖することもできずに、十字架で亡くなってしまったのです。

ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」は、正にメシヤが新婦を迎えて真の夫婦になる儀式を意味するのです。その当時、もしイスラエルとユダヤ教がイエス様を敬い侍っていたならば、神様が望まれた創造本然の世界、すなわち平和の天国は、その時に既にイエス様の血族を通してこの地上に成し遂げられていたのです。

このように、二番目のアダムとして来られたイエス様の真の父母の摂理は、選ばれた人たちの不信によって途中で挫折し、人類は、再び再臨のメシヤを待たなければならなくなってしまったのです。

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真の父母と真のオリーブの木それでは、父母の心情圏の完成は何であり、またどのように成し遂げられるのでしょうか。どんなに貴く立派な夫婦だとしても、子女を生まなければ永遠に父母になれません。父母の位置は、初めての子女が誕生して、産声を上げたその瞬間に決定されるのです。神様は人間を喜びの対象として創造されたと述べました。同じように、夫婦が子女を生んで育てるのは、子女たちを通して神様と同じ永遠の喜びを感じるための創造の役事なのです。

父母は子女を生み、実体の神様の立場で、天の子女として養育しなければなりません。そのようにすることで、無形の神様がアダムとエバを養育した、その真の父母の心情圏を体験して相続できるのです。見えない神様の創造の役事を、自分たち夫婦を中心として、息子、娘を養育しながら体験するのです。

神様の代わりの第二創造主となる栄光を受けるようになるというのです。ところで、神様は、アダムとエバを創造することによって、第二代の創造主の基準は立ててくださいましたが、第三代の創造主の位置に立てられる孫と孫娘を見ることができなかったことが、歴史的な恨みとして残されてしまいました。堕落によって血統がひっくり返ってしまったサタンの子女たちを、御自身の真の血統として立てることができなかったのです。

したがって、野生のオリーブの木として生まれた人間が、メシヤとして来られた真の父母の恩恵によって、真のオリーブの木に接ぎ木されて血統転換をする、祝福結婚を通して善の子女を生むことは、神様に三代、すなわち孫と孫娘を抱かせてあげる摂理観的な次元の孝の道になることを知らなければなりません。第三の創造主の歴史的出現を意味するのです。

このように、一つの家庭を中心として、神様が創造理想として願われたその理想が完成されるのです。そして、この完成された真の家庭が拡大して、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、すなわち地上天国と天上天国を実現するのです。

父母は天に代わる立場なので、家庭の中心です。その一方で、子女は地に代わる立場にいます。天は主体の位置であり、地は対象の立場です。したがって、主体となる父母には、子女を天のみ旨に合うように養育し、結婚させなければならない義務があります。二度とサタンが讒訴できない純粋で善の血統を保全して、子々孫々天の血統を伝授できる土台を築かなければならない責任があります。堕落によって失った本然の父母の位置を再び探し立て、父母の心情圏を完成する唯一の道が、正にこの道なのです。

三大王権と真の家庭主義皆様。三大王権とは何のことをいうのでしょうか。一言で言うと、四大心情圏が真の夫婦の愛の一体を中心として完成するならば、三大王権は、アダムとエバが罪のない善の子女を生み育てることによって完成します。

神様が一代であれば、アダムは二代、そしてアダムの子女たちは三代目になります。皆様の家庭を見ると、祖父母は神様の代わりの立場として一代になり、父母は二代になり、子女は三代になるのです。祖父母が過去を代表する王と王妃なら、父母は現在の世界を代表する王と王妃であり、子女は未来世界を代表する王と王妃であり、このような三時代圏は、皆様の家庭においてすべて探し立てることができるのです。

このように一つの家庭圏で「正分合」の創造過程が展開されるのです。祖父母が「正」であるなら、父母は「分」になり、再び「合」となる位置は子女が立つのです。したがって、祖父母を愛し、彼らに侍ることによって、私たちは過去を学んで相続します。父母を愛し、彼らに侍りながら、子女たちは現在を学んでいくのです。また、祖父母と父母は、孫と孫娘と子女を愛することで未来を感じ、望みをもつようになるのです。

本来、アダムとエバが完成していたなら、アダムは完成した天国の父になると同時に王になったのであり、エバは完成した母になると同時に王妃になったのです。また、彼らは家庭の主人になったのであり、家庭的王権、民族的王権、国家的王権、世界的王権が生まれていたのです。神様は天上天国の王であり、アダムは神様の実体として地上天国の王になったのです。

したがって、皆様の家庭を見るとき、祖父母は神様が送った天の全権大使であると言えます。祖父母に対して神様のように侍り、敬わなければならない理由はここにあるのです。そして天に侍る父母は、人類を一つの家庭として抱く、家庭の王と王妃です。未来に責任をもつ子女たちは天の伝統を固守し、王である父母に孝と忠誠を捧げ、善の王統を受け継がなければなりません。

さらに進んで、天の三代圏完成を平面的に一代の家庭で総体的に成し遂げることが、真の家庭主義の始まりです。このように、本然の家庭は、神様が創造目的としてお立てになった地上天国と天上天国の典型になるのです。言い換えれば、四大心情圏と三大王権を完成した家庭こそが、人類が願う平和王国をこの地上に創建できる土台になるのです。

ですから、家庭は天の国の王宮です。その構成員である家族はみな天の王族です。しかし、祖父母、父母、子女のいずれかを問わず、真の愛の一体圏を完成できなければ、三大王権の完成も見ることができず、四大心情圏の完成も不可能なのです。

尊敬する指導者の皆様。聖書を見ると「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(マタイ九•一七)という聖句があります。皆様の知らない間に、古い皮袋だった「先天時代」は過ぎ、既に新しい皮袋の「後天時代」が開門しました。真の父母の顕現とともに天運がこの地に到来したのです。二十一世紀の出発とともに、神様の創造理想である地上天国が、この地球上に創建されなければならない宿命的で絶対的な摂理が活発に展開されています。今や天の召命を受けた皆様には、ただ一本道、平和王国をこの地上に創建する使命があるのみです。

霊界は既に門を大きく開け放し、四大聖人はもちろん、数百、数千億の善の先祖たちが暴風のように集まってきています。皆様の一挙手一投足を監視し、皆様を助けて、地球星に散らばっている数百、数千の各種の境界線と国境線を撤廃し、総心情圏解放の時代、すなわち天一国を創建することを熱望し、皆様を訪ねてきています。真のオリーブの木として新しく生まれ変わった皆様は、新しい目と新しい耳と新しい心で、皆様の善の先祖たちを迎えて、真の家庭主義を実践躬行する先覚者とならなければなりません。

時代的召命と天運の到来皆様。天命によって私を真の父母の位置に立ててくださった天のみ旨を、私ははっきりと知っています。真の父母は、世界を救う救世主の使命を完遂しなければなりません。人類の罪を拭うメシヤの責任を果たさなければなりません。真の愛を中心とした祝福結婚を通して、新しい真のオリーブの木の畑である真の家庭が、この地球星に満ちあふれるようにしなければなりません。

私に降りたこの召命的天命は、今、革命的速度で完成されつつあります。交叉結婚で結ばれた数多くの祝福家庭が、世界の津々浦々で「超宗教超国家連合」の旗印を掲げ、または「蒙古斑同族世界平和連合」の名前で、天一国創建のために走っている姿を直接確認してください。彼らは正に、命懸けで走る天の特攻隊員たちです。

今はいかなる勢力も、この真の愛の革命の烽火を消すことはできません。天運が共にあり、全霊界が私たちと共に働くこの新天新地創建の風を、誰が止めることができるというのでしょうか。謙虚な姿勢で、津波のように押し寄せる天運を迎えてください。

今は、家庭時代です。天運に逆行する利己的個人主義の行為と人倫を破壊する不道徳な行為は、天罰を免れることができません。神様の創造理想圏に入った真の家庭を創建してください。皆様自らが真の父母になってください。その家庭に神様が臨在されるでしょう。永遠の平和と幸福がその家庭にあふれるでしょう。

「超宗教超国家連合」運動と「蒙古斑同族連合」運動は、既に人類を先導する雲の柱と火の柱になっています。皆様の座右の銘は今や、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」です。蒙古斑を真の愛の斑に昇華させ、この地球星を神様の祖国、私たちの祖国として創建する前衛隊になってください。真の愛の甲冑をまとい、この地から悪の勢力を追い出す勇将となられることをお願いします。

きょう私がお伝えしたこの天命を大事に受け取られたことと思います。今からは、いつどこで何をなさるにしても、私たちは天を中心とした一つの家族です。皆様の良心を通して天は役事されることを、ぜひとも覚えておいてくださるようお願いします。

神様の祝福が、皆様と皆様が新しく創建する真の家庭の上に永遠に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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四大心情圏と三大王権したがって、真の家庭主義の核心は、人間関係の一番の根源になり、真の家庭を完成するために絶対必要条件となる四大心情圏の完成と三大王権の完成です。四大心情圏とは、子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏をいいます。人間はこの地に誰かの子女として生まれ、兄弟姉妹の関係を結びながら成長し、結婚して夫婦となり、子女を生むことによって父母となる過程を経ていくようになっています。したがって、四大心情圏と三大王権の完成は、家庭の枠の中で成し遂げることができるように創造されているのです。

それでは、まず子女の心情圏の完成とは何を意味するのでしょうか。人間は、誰もが選択の余地がない状態で、誰かを父母とする子女として生まれます。大統領の息子として生まれることや、世界最高の美人の娘として生まれることなど、それは私たちの選択権ではありません。しかし、生まれたその瞬間から、私たちは宿命的に父母の保護を受けて成長するようになります。

父母に仕えて、一緒に暮らしていきます。この中で私たちは、父母のために命までも捧げようという、子女としての父母に対する愛と孝の道の心情を習得して育っていくのです。

父母が直接教えてくれるのでもなく、学校で習うのでもありません。子女のために献身的に真の愛の生活をしている父母の姿を見て、体恤して悟るのが子女の心情です。成長して分別がついていく中で、この子女の心情は完成されるのです。父母のためにすべてを捧げ、永遠に捧げる生活の基準を完成するのです。父母が口を開く前に父母の心を読み取り、父母の願いどおりに侍って仕える生活をするのです。父母の目を見ただけで、その心情を推し量り、真の子女としての道理を尽くす生活の姿です。横的な真の父母であられる肉親の父母にだけでなく、縦的な真の父母であられる神様にも同じ絶対的基準の子女の心情を捧げる生活です。子女の心情圏の完成は、このようにして成し遂げられていくのです。

次に、兄弟の心情圏の完成もまた、一つの家庭で兄弟姉妹同士が調和して暮らしながら、父母の生活の姿から体恤し、学んで完成する真の愛の心情圏です。父や母に似ていく心情圏です。人間関係でいえば前後の関係です。兄が主体なら、弟は対象の立場です。

しかし、兄を絶対的価値の主体の立場に立ててあげるのは、対象である弟です。兄を父のように仕えて敬い、姉を母のように信じて頼る、そのような美しい兄弟の心情圏が完成するのです。兄は弟に対して、あたかも父母が子女を愛する心情で面倒を見てために生きる生活であり、弟は兄や姉に対して、父や毋に仕えて侍るように敬って侍る真の愛の実践です。

互いに足りない点を補い合い、良い点は育て、学び合う真の兄弟愛が完成するのです。誰も引き離すことのできない血を分けた兄弟姉妹間の愛であり、心情圏です。このように、真の家庭圏で真の子女の心情圏と兄弟圏を完成した子女たちは、世の中に出ていっても、清くて明るい太陽のように輝く生活をするようになります。大人たちに会えば、自分の父母に侍るような同じ心情で敬って仕えるのであり、青少年たちには、自分の兄や弟のために与えるように、真の愛を分けてあげながら暮らす子女、万人から愛される子女となるのです。

いつどこで誰に会っても、人よりもう一つ多く与え、いかなる仕事をしても、人よりも一時間多く仕事をし、いかなる状況でも、自分のことよりも、人の立場や境遇をまず考慮して譲歩する真の愛と心情の所有者として尊敬を受けるのです。たとえ年齢は幼い姿だったとしても、老若男女を問わず、誰もが信じて頼る中心人物になります。このように一つの家庭の垣根の中で体恤した兄弟の心情圏の完成は、人間の永生における絶対的な価値を育てていくようになるのです。

夫婦の心情圏回復と祝福次に、夫婦の心情圏の完成はどのようにして成し遂げられるのでしょうか。親子や兄弟の関係とは異なり、夫婦の関係は、初めから血縁で結ばれた絶対的関係ではありません。育ってきた環境や境遇が異なる一人の男性と一人の女性が互いに出会い、新しい生を一緒に創造していく、実に革命的な決断と決心で結ばれた関係です。

しかし、夫婦の関係は、真の愛で一心一体になれば、血縁よりも強い、絶対的な関係に変わるのです。夫婦関係の中には無窮無尽な宝物が隠されています。一度天を中心として夫婦の関係を結んだなら、永遠に別れることができない絶対関係になるのです。

アダムの家庭を見ると、アダムとエバは共に同じ神様の息子と娘ですが、エバはアダムの妹の立場で出発しました。アダムはエバの兄の立場でした。しかし、彼らは成長して夫婦になったのです。同じように、夫婦間の関係は一つの血を分けた兄弟姉妹の次元で始まらなければならないのです。

共に神様を真の父母として生まれ、永遠に侍って生きなければならない宿命をもっているのです。ここになぜ離婚という魔の手が伸びてくるのでしょうか。天が見守っており、良心が監視して待ち構えているのに、どうして畏れ多くも自分の永遠の喜びの伴侶を捨てることができるでしょうか。神様の愛が、絶対、唯一、永遠、不変であるように、夫婦間の愛も、絶対であり、唯一、永遠、不変なものです。神様の創造原則、すなわち天理がそうなっているのです。

心身一体で夫婦の心情圏を完成した夫婦は、神様の喜びであり、宇宙の願いです。真の父母の心情圏を完成させる絶対的な必要条件です。神人愛一体を完成させる絶対価値的基準の真の家庭の土台です。したがって、夫婦の位置は、神様と子女が一つになった位置であり、兄弟が一つになった位置であり、父母が一つになった位置なのです。四大心情圏の絶対的主体の位置であり、対象的位置でもあります。妻にとって夫というのは、理想的な天の息子を迎えさせてくれる位置であり、天の兄を迎えさせてくれる位置であり、天の夫、天の父を迎えさせてくれる絶対的な位置です。夫にとっての妻も、同様に絶対的存在です。

しかし、人間始祖の堕落によって、この神聖な人間関係の枠は粉々になってしまったのです。ですから、原理原則の根源であられる神様は、原理と原則から外れない範囲内で、堕落した御自身の子女たちを再び復帰しなければならない、悲しい恨の心情をもっていらっしゃることを知らなければなりません。

ですから、神様の真の愛を中心として、人類の救世主、メシヤとして顕現された真の父母から祝福結婚を受けて真の夫婦が誕生する結婚式は、六千年間積もった神様の恨を解いてさしあげる解放•釈放の瞬間であり、その家庭の幸福が約束される新しい出発の瞬間になるのです。

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7.真の父母は神様と人類の希望日付:二〇〇四年十二月二日

場所:韓国、江原道、龍平リゾート

行事:第二回「蒙古斑同族世界平和連合」世界大会

尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。「蒙古斑同族世界平和連合」運動に参加するために、この場までお越しいただいた皆様に心から感謝申し上げます。

メシヤと真の父母私が創設したこの連合運動は、また一つの世俗的な国家をつくろうというものではありません。新しい民族主義運動の出発でもありません。蒙古斑同族圏の糾合運動を通して、すべての塀と国境を撤廃し、六十億の人類を一つの家族に結び合わせようとい平和合と統一の運動です。

したがって、私はきょう、いまだに暗闇の中で一寸先を見ることもできないまま生きている人類に、天が特別に下さった真理のみ言をお伝えしようと思います。心の扉を開き、天が下さる真理を受けて、この乱れた時代において選ばれた人となれるようお願いします。「真の父母は神様と人類の希望」という題目でお話しいたします。

皆様。本来、神様は人間にとって、師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、父母の中の父母、すなわち真の父母であられます。しかし、人類の先祖であるアダムとエバの堕落によって人間は、神様を失って孤児になってしまった自分たちの立場さえも悟ることができないまま、数千年を生きてきました。教えを下さる真の師を失い、従い仕えて生きなければならない真の主人を失い、忠誠を捧げなければならない真の王を失い、永遠の真の血統を伝授してくれる真の父母を失った嘆きの歴史でした。

ですから、堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。堕落とは無関係な方であり、サタンの讒訴圏を抜け出た方です。天の真の愛、真の生命、真の血統をもって本然のアダムとして来られる方です。国家的基準で息子圏を代表したメシヤとして顕現される方です。これがまさしくメシヤの降臨です。

来られるそのメシヤは、完成したアダムの資格で来られるので、まず神様が絶対的基準で愛する真の新婦を迎え、真の夫婦の位置まで進まなければなりません。

神様の創造理想を完成しなければならない本然の夫婦理想を完成する位置です。その土台の上に、純粋な天の血統を受け継いだ真の子女を生むようになるのです。その子女は、二度と堕落の前轍を踏まない、永遠の善の血統を初めて受け継ぐ子女なのです。

真の愛と真の家庭主義しかし、メシヤの使命はここで終わるのではありません。真の父母の位置まで進み、絶対的な真の家庭を探し立てなければなりません。この真の家庭を中心として、神様の創造理想を完成した地上天国と天上天国を創建できるのです。この目的のために、堕落の後裔である六十億の人類は、誰もが例外なくメシヤの真の家庭に接ぎ木されなければなりません。心情的な接ぎ木はもちろん、伝統的な接ぎ木をしなければなりません。

それでは、どのようにして接ぎ木されるのでしょうか。皆様は、堕落性を受け継いで生まれた野生のオリーブの木です。野生のオリーブの木は、百年、千年待っても、真のオリーブの木に変わる突然変異は起きません。永遠に野生のオリーブの木として残るだけです。その血統が変わらない限り、野生のオリーブの木であるという境遇から抜け出すことはできないのです。したがって、六千年育ってきたこの野生のオリーブの木を幹まで無慈悲に切り捨て、その位置に真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければならないのです。その芽が成長して木になれば、そこには真のオリーブの木の実が実るのです。

同じように、堕落した人類は、罪悪のサタン世界と完全に絶縁して、真のオリーブの木であられる真の父母を通して真のオリーブの木の芽を接ぎ木する祝福結婚を受け、真の血統を出発させなければならないのです。

そのようにして出発した真の血統は、真のオリーブの実である真の子女を得るようにさせるのです。堕落人間にとっては、この道だけが、真の父母の愛を通して生まれ変わり、真の愛、真の生命、真の血統を相続できる唯一の道なのです。

このように、真の子女が生まれて真の父母が生じれば、自動的にそこには真の家庭が定着するのです。ここから正に真の家庭主義が創出されます。真の家庭主義は、神様の真の愛主義です。

国境を超越し、すべての平面的な世界を超越して、主体と対象の間において互いに与え合う生活です。与えても、与えたことを忘れて、絶え間なく与える愛です。受けた人は受けたもの以上にさらに加えて返す発展的な愛です。このような犠牲的で崇高な真の愛の関係が継続されて拡大されれば、その世界が正に真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界として発展するのです。さらに進んで真の霊肉界、すなわち真の天宙が安着するのです。

真の愛の力は、このように途方もなく、推し量ることのできない宇宙創造の力です。結局、真の愛の力だけが神様の創造理想世界、すなわち地上天国と天上天国を創建できるのです。また理想世界は、誰かが大きな権力を握って号令する世界ではありません。その世界は自動的に私たちの心が動いて、神様の愛に呼応して和動する万民兄弟主義世界です。私たち全員が望む世界は、いったい何なのでしょうか。

皆様。神様も成長過程を経て完成しました。人間が成長過程を必要とするのも、神様に似ているからです。真の家庭主義を、より具体的に人間の成長の温床となる家庭の枠の中で見てみましょう。エデンの園におけるアダムの家庭は、神様が理想とされていた真の家庭の典型でした。無形であられる神様の存在を実体として現すための四位基台の創造でした。

創造主である神様は、御自身を主体の位置、人間を対象の位置として創造され、神様の心の中にだけ存在した無形の子女、無形の兄弟、無形の夫婦、無形の父母を、アダムとエバの創造を通して実体として完成しようとされたのです。アダムの家庭を中心に実体の子女としての真の愛の完成、実体兄弟としての真の愛の完成、実体の夫婦としての真の愛の完成、そして実体の父母としての真の愛の理想を完成し、無限の喜びを感じようとしたのです。

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絶対信仰、絶対愛、絶対服従それでは、堕落の後裔となった人類が、果たしてどのような方法で、堕落性を脱ぎ、相対を通して絶対価値観を探し立て、個人、家庭、国家、世界的次元で、神様が願われた平和天国をこの地上に創建できるのでしょうか。

第一に、神様に似なければなりません。神様が宇宙万象を創造されるとき、どのようにされたのでしょうか。神様御自身が打ち立てられた創造の原則と秩序を絶対的基準で信じて、服従されたのではないでしょうか。その上に、また絶対的基準の真の愛を植えつけてくださいました。

皆様の人生も、これからこの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の三大原則に従って実践すれば、天上の五大聖人はもちろん、皆様の善の先祖たちが総動員されて、皆様の幸福を保障してくれるのです。皆様が父母のために、夫婦間が互いのために、兄弟姉妹たちが互いのために、このような絶対的基準の信仰と愛と服従を施してみてください。そこに、どうして利己的な個人主義や、享楽ばかりを追い求める非原理的な根が伸びるでしょうか。皆様が絶対的基準にさえ立つならば、天も絶対的基準で皆様を保護し、守ってくださるのです。

第二に、人類は選択の余地なく堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔であるがゆえに、皆様の個人の人生において、三大革命を完遂するという課題が残っています。蕩減革命と良心革命、心情革命のことです。「蕩減革命」とは、皆様のすべての内的•外的所有権を完全に蕩減して勝利し、その蕩減圏を超越する基準を立てるようにしなさいということです。過去において、サタンの支配圏時代だった「先天時代」に習得したすべての習慣と思考までも、果敢に振り払う革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいということです。

その基盤の上に、新しい「後天時代」を生きる座標である絶対価値観的な真の愛を実践し、永遠に神様の真の子女として生きなさいということです。さらには、皆様のすべてのもてる物や外的な所有権も、一旦天のものに帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別したあと、再び天の祝福として相続する革命的な実践過程を経なければならないのです。すなわち、二度とサタンが所有権を主張できない聖別された財産として、天の富を積んでいきなさいという意味です。

「良心革命」とは、何を意味するのでしょうか。良心の声に絶対服従するという内的な革命です。皆様の中で、今も善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑とが、絶えず葛藤を続けているという事実は否定できません。そのような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用をはっきりと知らなければなりません。

また良心は、皆様の一挙手一投足を、さらに皆様の思いまでも、一点一画の加減なく把握しています。皆様の師よりも先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。

このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様自身が呵責を受けます。皆様の霊人体にほこりがかかり、垢がつき、傷がつくのです。その傷は、永遠に消すことができず、そのまま霊界に抱えていかなければならない、恐ろしい荷物です。したがって、革命的な次元で、自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて、神様のみ前に進むその日まで、傷がなく、澄んで、きれいな霊人体を大切にしなさいという至上命令なのです。

「心情革命」の意味は何でしょうか。神様は、人間を御自身の子女として創造されたと述べました。そうであれば、神様と皆様をつなぐひもは、何のひもでしょうか。父母と子女の間の愛であり、心情です。父子の間で心情が通じなければ、どうして父母と子女が、愛と尊敬の関係を維持できるでしょうか。

数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷になっています。このような束縛から抜け出すためには、赦し、与える真の愛の生活を、粘り強く継続していかなければなりません。そのようにして、神様の心情的な所有圏内に帰着できなければならないのです。

皆様の心情のひもが、今もサタン世界の虚栄を追い求める利己的な個人主義に縛られているならば、皆様の将来は、非常に暗澹たる絶望と嘆息の道になるのです。しかし、ために生きる人生、すなわち人のために先に譲歩し、与える、生産的な生き方をするならば、皆様の心情のひもは、神様の心情と永遠に一つになるのです。

言い換えると、偽りの父母との心情的な因縁を完全に切って、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受け、天の真の血統を確保しなさいという意味です。

第三に、皆様は毎日、瞬間ごとに皆様の生を点検しながら生きなければなりません。皆様は学生時代、試験問題を前にして、その答えが「〇」なのか「X」なのか分からず、慌てた経験があるでしょう。皆様の一生も同じです。推し量ることができないほど変化無双に展開される日常生活の中で、瞬間ごとに、皆様自ら御自身の生を「〇」と「X」の概念で分析し、点検して、採点する生活をしなければならないという意味です。その形や性格から見て、「〇」は「X」を包容し、消化することができます。しかし、「X」は「〇」を包容することができません。

皆様の答えが「〇」の時は、皆様の生は肯定的で、希望的であり、縦的に天に軸を立て、影のない「正午定着」的な生を送っている時です。ために生きる真の愛の精神で、怨讐までも赦して包容する、深く広い生です。

しかし、皆様の答えが「X」の時は、不安と焦燥、恨みや猜疑心などの否定的な要素で心がいっぱいに満ちた、恥ずかしい姿なのです。心や考えが狭く、閉鎖的で、周囲の誰も目に入らない、利己的で個人主義的な生の姿です。

したがって、皆様の選択は火を見るよりも明らかです。毎時、瞬間ごとに、「〇」をもらう生活を営まなければなりません。一カ所もゆがんだり、角ができたりしない、完全無欠の「〇」をもらわなければなりません。いつ、どこに投げても、中心と九〇度の直角を形成する「〇」の姿にならなければならないのです。

明るく燃える太陽を見上げても恥ずかしくなく、広大無辺の宇宙に対しても堂々としており、森羅万象を前にしても一点の隠すものがない、真の「〇」を探し立てる人生を送ってください。「〇」は、和合と統一と平和の象徴です。「X」が死亡を象徴するならば、「〇」は愛と生命を意味します。体と心が完全に一体になったとき、皆様の姿は「〇」として顕現するのであり、体と心が葛藤により混乱を引き起こすとき、皆様の姿は、「X」として現れるのです。

後悔のない人生を生きよう皆様。今や人類は、神様と真の父母様に感謝と栄光をお返しすべき時を迎えました。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放•釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、永遠に感謝と賛美をお捧げしなければなりません。太初に、アダムとエバの失敗によって、罪悪と血で染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出して、天の貴い召命の前に、悲壮な覚悟で立ち上がる時が来ました。

皆様はきょう、この場になぜ来られることになったのかを、もう一度、深く考えてみてください。主催側の招請を受けて、晩餐に参加するためですか。自分の意思であろうと他人の意思であろうと皆様は、既に天の召命を受けました。この場に立ったレバレンド•ムーンが、十六歳(数え)の青年の身で、突然天命を受け、神様を解放•釈放してさしあげ、人類をサタンの束縛から救い出すための八十年の生涯を、血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様もこれからは、「超宗教超国家圏の解放と安着」の崇高なみ旨を成就するため、生命を捧げる覚悟で立ち上がらなければならないのです。

皆様。あの東の空に輝かしく昇る太陽のように、今、天運が全世界を照らしています。数千、数万年間覆っていた暗闇のとばりが、ついに晴れつつあるのです。皆様の心の中には、既に天命が根を下ろしています。避けることのできない宿命の道です。

勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる時が来ました。レバレンド•ムーンも皆様も例外なく、いつかは霊界に行くことになります。きょうお聞きになった天のみ言を深く胸に刻んでくださり、今からは、ぜひとも後悔のない人生を生きなければなりません。これが、私がアメリカを離れつつ最後に皆様にお伝えする天のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そしてこの摂理の国、アメリカに永遠に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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個人完成は心と体の統一から始まるこのように、天国の起点は、個人ではなく、国家や世界でもなく、正に家庭なのです。私たちの愛する家庭がそうであるように、天国は、一度行ったら二度とそこから出たくないと思い、数百回、数千回会っても、また会ってみたいと思うようになる、愛する人々が暮らしている所です。万人が共通して行きたいと思う本然の故郷です。

しかし、そのような天国は、一度にできるのではありません。時代が変わって天運が共にあるからといって、棚からぼた餅式に天国が私たちの目の前に現れるわけではないのです。私たちは、まず天国家庭をつくることができる人格者にならなければなりません。言い換えれば、個人完成を成し遂げなければならないのです。個人完成を通して真の人格者になるためには、心と体の調和統一を完成しなければなりません。

本来、人間は、心と体が一体になり、何の相克も不和もなく生きるように創造されました。主体である心に対象である体が絶対服従し、渾然一体となって生きるように造られたのです。しかし、人類の始祖アダムとエバの堕落によって、すべての人間は堕落の後裔として生まれ、堕落性を受け継いだので、仕方なく心と体の相克の中でもがいて生きているのです。

歴史上、誰一人として心と体の一体を完成して生きた人はいません。人類を救おうとされる神様の救援摂理は、休むことなく継続されてきましたが、個人完成を成し遂げ、心と体の闘いから解放された人がいなかったのです。数えきれないほど多くの人々が、深い山中に穴蔵をつくり、一生をかけて祈祷と苦行で死闘をしても、その闘いから自由になった人はいなかったというのです。

その理由は簡単です。歴史上、今まで誰もその方法を知らなかったからです。いかなる道人や哲学者も、この心と体の闘いだけは止めることができませんでした。個人的に志を立てて、修行の道を歩んだからといって、得られる答えではないからです。天の摂理を理解して召命を受け、神様が数千年間、進めてきた復帰摂理を完成させることができる段階にまで進み、天と地が共に認める立場で勝利しなければ、考えることもできないのです。このような使命を完遂するために、救世主として、そしてメシヤと真の父母の資格をもってこの地に降臨された方が、正に二千年前に来られたイエス様でした。

しかし、天の摂理を完成してさしあげるために、神様のひとり子として来られたメシヤであるイエス様も、最後にはユダヤ教とイスラエルの不信によって十字架上の露と消えてしまいました。機会があるたびに「怨讐を愛せよ」と訴えるように叫ばれたイエス様の教えも、私たちの心と体の闘争を終息させてはくれませんでした。

天倫の秘密を明らかにしたレバレンド•ムーン天は、もうこれ以上待つことができなくなりました。今や、レバレンド•ムーンの勝利的基盤の上に、あらゆる天倫の秘密を明らかにしていらっしゃるのです。人類救援の最終段階の摂理を締めくくる再臨のメシヤとして、救世主として、そして人類の真の父母としての使命を勝利的に完遂したレバレンド•ムーンを通して、人類が個性完成を成就し、人格革命を完成し、この地上に理想天国を創建できる真の愛の絶対価値観的な真理を明らかにしているのです。

皆様。私たちの心と体を和合統一させる唯一の道は、ために生き、真の愛で投入して忘れてしまい、対象の位置で絶対服従を通して主体的愛の主人を完成させる絶対価値観の実践以外にはありません。堕落性の根のような利己主義を脱ぎ捨て、徹底して人のために徳を施す絶対価値観的な人生、大のために小を犠牲にする共生共栄共義的な人生を守り通すことができなければ、心と体の和合統一は不可能なのです。

結局、心と体の和合統一を成し遂げた個人完成者たちが集まって形成された本然の真の家庭が現れない限り、地上天国の実現は不可能だということです。したがって、人間は、誰でも心の根のような三大主体思想、すなわち父母、師、主人よりも先にある良心の声に絶対服従する生活を送らなければなりません。心の作用を通して伝えられる良心の声を聞き、いつでもどこでも軌道修正できる、水晶のように澄んだ心を維持しなさいということです。

いくら体の欲望が強くても、「原理」の教えに従って、意図的に良心のほうにより大きな力を与えるようになれば、肉身も従ってこざるを得ないのです。それができなければ、断食や禁欲などを通して体を打たなければなりません。泥水になってしまった池にも、継続して澄んだ水が流れるようにすれば、結局、澄んだ池になるのです。

これ以上、皆様の心を悲しませてはいけません。良心の忠告に逆らって心を悲しませれば、皆様の父母はもちろん、師と神様までも悲しませてしまうのです。良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。

世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になりなさいということです。自分の心と体の和合統一はもちろん、新しい天下が目の前に広がる、そのような世界を発見するようになるでしょう。

心身一体の境地に達すれば、良心と肉身が共鳴圏に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において、初めて理解できるのです。心に尋ねると神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのかどうかを教えてくれます。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に通じ、皆様の永生問題について、徹底した準備ができる生活を送るようになるでしょう

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平和の起源は正に「私」それでは、どうすれば平和の世界が訪れるのでしょうか。第一の条件は何でしょうか。一つになる起源を見いださなければなりません。それを見いだせなくなるとき、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身が一つになったのかと問うとき、一つになった私を発見できないのです。心と体が闘うでしょう。男性と女性が闘う時、幸福ではあり得ず、平和ではあり得ず、希望はあり得ないのです。

「終わりの日」になればなるほど、心の分野と体の分野とに分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。心と体が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。

統一教会では、神様の内的に統一された真の愛の動機を解き、神様のように真の愛で、よりために生きる論理的な形態を備えているので、思想界や宗教界が追随できない体系として、「終わりの日」において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地になるのです。

神様の、ために生きる真の愛によって神人一体になり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳(和合)を成し遂げ、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対して存続できる人はいません。ですから、みな歓迎するようになっているのです。

それでは今後、世界はどのようになるのでしょうか。今、世界に住んでいる万民は、老若男女を問わず、一つの世界を願っています。その一つの世界は、戦争する一つの世界ではなく、平和で自由な立場での一つの世界です。そこには民族の分裂、あるいは人種間の紛争や文化の違いからくる習慣的な相違による壁のようなものがないのです。

それで世界の万民は、一つの真の愛の文化圏と対応して、自由で平和な一つの国を願っているのです。平和の世界は一つの世界です。平和を目的とした世界に向かう道は、二つあるのではありません。老若男女が願う希望の世界、平和の世界は一つの世界です。しかし、民族を見ても、その中に様々な団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党と与党、そしてありとあらゆる党が現れて、各自が自分たちの道を行こうとするのです。ですから、方向がどれだけたくさんあるでしょうか。そこで問題が生じるのです。

歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を追求しながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりの日に至っては、希望をもってあすにはより次元の高い一つの世界に向かって進む立場で指導できる人がだんだんと少なくなっているのです。

すべての学問を超越し、社会の構成と体制、あるいは慣習を超越して決定しなければならないことは、始まりがどこからかということです。始まりは、真の神様でなければなりません。その神様自体が始まりから過程を経て、神様が人間を創造したとすれば、創造主の理想実現というその目的地まで到達する道を再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかと言えば、平和の世界は一つの世界だからです。人間が進む方向と神様が進む方向との二つの方向があるとすれば、一つの平和の世界は現れないので、不可避的に結論は、一つの方向にならなければならないのです。

ですから、人間を中心とした世界を打破し、真の神様第一主義の世界を確定しなければ、一つの平和の世界に向かう道を発見できないのです。ですから、心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が、私たちの人生において最も大切な問題です。

心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるのでしょうか。世界でもなく、国でもなく、宗教でもありません。私自身において、心と体が絶対的に統一された平和の基準を確立することが、宗教指導者の目的であり、そのようにならしめることが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義の目的なのです。ですから、皆様がいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、この世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内においては、永遠の神様のような心と体の統一は果たすことができないのです。

神様の真の愛、真の生命、真の血統と平和世界の創建個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなければ、理想的な宗教や天国といったものは、すべて夢にすぎないのです。神様を中心として真の神様の子女一体圏を見いだすところに統一の起源があるのです。神様は心と体が闘いません。

それでは、人間はどうして心と体が闘うのでしょうか。心身が一つになって、平和の大王である父と息子が一つにならなければなりません。神様の真の愛、真の生命、真の血統が一体になる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子が一つになるところで、真の愛、真の生命、真の血統が一つにならなければならないのです。堕落した私たちは、本然の神様と天の国の理想的な環境圏をはっきりと知らなければなりません。

神様自体とみ旨から見た天国と一体になろうと懸命に努力するところから、父なる神様のようになる道を見いだすことができるのです。そこにおいてのみ、平和の個人、天国と一体になって暮らす、父と子の喜びの平和世界ができるのです。

ですから、今から再臨主である真の父母がこのすべての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体になるようにすることによって、地上•天上天国を完成するのです。霊界に行った聖人、賢人たちを中心としたすべての人々が、この道を共に願っているのですが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一致圏を教えてあげることによって、地上•天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。

愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の皆様。人類の真の父母となるメシヤが再臨するこの時代、韓半島の南北が、銃剣ではなく愛と真理によって統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖賢と先祖たちが降臨し、直接私たちと通じ合って暮らすようになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に幸せな人たちです。

今こそ全人類は、人種と理念、そして国境を超越して、平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくださることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので、参考にしてくださり、全体的な内容は配布された冊子を通して研究してくださるようお願いします。

天も地も、共に永遠の世界で天地父母様に侍り、大家族を形成した天上と地上の天国世界で、真の愛で兄弟となって平和と幸福の中で暮らせるようお祈りいたします。神様の限りない祝福が、皆様の家庭と国家と世界に満ちあふれることを願う次第です。ありかとうございました。

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堕落はフリーセックスの根今日、皆様が身を置いている周囲を一度、見回してみてください。極度の利己的な個人主義、度を越えた私生活の追求、そして、青少年たちにフリーセックスの風潮が蔓延しています。洋の東西を問わず、家庭の尊厳性と価値を弊履のごとく投げ捨てて、肉身の享楽を追い求め、挙げ句の果てに、麻薬中毒者やエイズ患者になって、悲惨な姿で人生を終えているではありませんか。人間の本心は、極度の個人主義や肉身の快楽だけを追い求めるという、とんでもない放蕩の道は願いません。「宇宙と国家、町や近隣、そして家庭において、父母と兄弟の愛を受けながら暮らしたい」と思うのが、天が与えた本心の指向する人生です。

しかし、それとは正反対の道を突き進んでいるので、良心は燃え尽きてしまい、本心との相克を感じるようになり、かえって薬を飲んで自殺する道を選ぶ事件が日に日に増えているのが、今日の現実ではないですか。「自分のまいたものを、刈り取る」という歴史的教訓が、ぴったり一致していることを目撃するのです。

アダムとエバがエデンの園で何の種を蒔いたのでしょうか。フリーセックスの種、すなわち不倫の性関係による種を蒔きました。それで彼らは、堕落直後に下半身を覆ったのです。したがって、秋の収穫期である「終わりの日」には、青少年たちの間にフリーセックスの風潮が世界的に蔓延する現象が必ず現れるのです。サタンは、無秩序な性関係を通して、誰一人として神様のみ前に帰ることができないようにしようと発悪するようになるのです。全人類をめちゃくちゃにして、地上地獄をつくることがサタンの目的だからです。

皆様。幼い子女たちも、親がしまっておいたお菓子をつまみ食いしているところを見つかれば、手を隠し、口を隠すのが本能の作用です。もし、アダムとエバが善悪の実を取って食べたとすれば、罪を犯した手や口を隠さなければならないのに、なぜ下半身を隠したのかということです。これだけを見ても、堕落は淫乱によって行われたことを否定できないのです。血統関係による問題だけに、神様もどうすることもできない悲劇でした。

皆様。天国と地獄は、どこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、礼拝堂でしょうか、国家でしょうか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になったのです。それが、天地をひっくり返す、人類歴史上、最大の悲劇を引き起こしてしまいました。

目の見えない人のように方向を失ったまま、むやみに生殖器を使えば地獄行きであり、反対に、これを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、自動的に天国に行くのです。どこの誰がこの事実を否定できるでしょうか。

疑問が生じたのであれば、私が天理を記した『原理講論』を熟読し、それでも疑問が解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得ることができるでしょう。レバレンド•ムーンの教えを受け、今では、世界の数千、数万の若者たちが、フリーセックスを撤廃して、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のように広がっています。フリーセックスが、自己の欲望とサタンを中心とする偽りの愛である反面、絶対愛は、神様を中心とする真の愛なのです。

今までは、多くの文学作品や言論媒体が、歴史的にフリーセックスを刺激し、あおる傾向にありました。しかし、これからは、政治家、経済人、文人、言論人、宗教人、哲学者など、あらゆる分野の指導者たちが、一斉に先頭に立ち、人類の亡国の病、フリーセックスを追い出さなければなりません。

世界平和のための礎石を据えるのも、真の愛の絶対価値観を創出するアダムの家庭であり、世界平和への道を破壊するのもアダムの家庭です。ですから、始祖となるアダムの家庭が重要だということを銘記しなければなりません。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたことも、今や時が訪れたからです。

地獄となってしまったこの世界を、果たしてどのような方法で変えることができるでしょうか。真の愛を中心とした和合統一の実践だけが絶対価値観を取り戻す唯一の道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対的な基準に立っているので、私たちもこれに見習って生きなければなりません。

家庭の大切さと真の愛皆様。家庭はなぜ良いのでしょうか。それは、父母の真の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目にはどんなにみすぼらしくても、輝く真の愛の核をもつ心情で結ばれた人たちによってつくられた本然の家庭になったとき、人間はもちろん、神様までも自由を感じられるのです。真の愛が欠如した自由は、決して真の自由ではありません。

私たちがある家に客として行ったとき、不自由さを感じるのは、まだその家と深い真の愛の関係を結ぶことができていないからです。すなわち、真の愛の関係が四方性を備えていないので、ぎこちなく、不自由さを感じるのです。そうだとすれば、本然の家庭で最高最上の価値とは何でしょうか。本然の父母です。本然の父母はなぜ良いのでしょうか。永遠の真の愛の主体だからです。

真の愛を中心に、一生の間、関係を結ぶことができる最も近い位置にいらっしゃる方が、正に本然の父母です。私たち人間が生まれて、最初に喜びを与え合う相対が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあるのです。私たちがうれしいとき、一番先に喜んでくださり、私たちが悲しいときも、誰よりも先に悲しみの涙を流される方が、本然の父母です。ですから、世の中では、父母のいない子を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。

そして、二番目は、愛する夫と妻が、本然の家庭において最も貴い価値のある存在になるのです。夫と妻は、条件的な愛ではなく、無条件的な本然の真の愛を与え合う夫婦でなければなりません。

たとえ初めから、天が与えた絶対的で永遠の次元の真の愛の関係をもって始まった愛ではないとしても、夫婦という絶対的次元の関係を土台とした相対関係で結ばれた本然の真の愛になれば、その真の愛こそが、家庭に幸福と喜びをもたらす根幹になるのです。

しかし、このような理想的本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終わるならば、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びになることはできません。夫婦には、必ず本然の子女がいなければならないという意味です。「夫婦二人だけで幸福に暮らそう」と考えて子女を生まなければ、人類は、二代を越えることができずに絶滅してしまうでしょう。本然の子女から戻ってくる真の愛を受けて生きることができてこそ、真の夫婦として、本然の父母の位置まで上がっていくようになるのです。

ですから、その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の真の愛なのです。絶望ではなく、あすの希望として芽生える理想的な環境を慕いながら、明るく肯定的な姿勢で、子女が本然の父母のために犠牲になり、真に愛すれば、その愛は、家庭の幸福のための純粋で真実な価値としての本然の真の愛になるのです。

このように、本然の家庭において三代圏を形成し、本然の父母による子女のための犠牲的な本然の真の愛と本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女による本然の父母のための真の愛が完璧に具備された本然の家庭があるならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭になるのです。

世の中では、どのような人を幸福な人だと言うでしょうか。何をもって幸福の基準とするのかということです。外的にほかの人がもつことのできない能力や権勢をもっているからといって、幸福な人でしょうか。皆が羨むほど、たくさんのお金をもっていれば、幸福なのでしょうか。世界的な碩学となり、万人が羨む位置に上がったからといって幸福なのでしょうか。

絶対に違います。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障することはできないのです。幸福を求めていく条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体になることはできないということです。結局、真の愛で一つになった本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の真の子女がいるとき、その家庭において真の幸福は始まるのです。

皆様。天国はどのような所でしょうか。神様の「創造原理」によれば、天国は、先にこの地上世界で完成されなければなりません。本来、人間は、肉身をもって地上で天国生活をし、その肉身を脱げば、自然に霊界の天国に移動して永生するように創造されたのです。

そうだとすれば、私たちが創建すべき地上天国は、どのような姿でなければならないのでしょうか。その答えは遠くにあるのではありません。本然の家庭と天国は、その形が同じなのです。基本的に、家庭には本然の父母がいて、本然の夫婦がいて、本然の子女がいて、本然の兄弟姉妹がいます。その家庭が真の愛を中心として一つになれば、和合と統一は自動的に訪れるのです。その基台の上に、真の愛と真の生命と真の血統が連結され、理想の目的も可能になるのです。

本然の祖父母は、本然の父母に真の愛の伝統を相続させてあげることができなければならず、本然の父母は、本然の子女に同じ真の愛の生を譲ってあげることができてこそ、真の本然の家庭であると言うことができるのです。

本然の兄弟姉妹の間においても、祖父母と父母に似て、お互いにために生きる生活を実践する真の愛の本然的関係が形成されるとき、その家庭は天国家庭になります。その中でどれか一つが欠けても、本然の家庭単位の天国は不可能です。夫婦の間で、互いを愛する以上に父母を愛することができなければならず、父母を愛する以上に祖父母を愛することによって、真の愛の価値観を中心とした伝統が立つのです。

本然の家庭が天国の典型であると述べました。したがって、本然の父母は、国家の主人のような立場に立つようになり、本然の子女は、国民のような位置に立つようになり、万物は、国土に代わる位置に立つのです。

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6.摂理史観から見た価値観的和合と超宗教•超国家圏の解放と安着日付:二〇〇四年十月二十六日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ライ•ブルック•ヒルトン•ホテル

行事:アメリカ四大都市特別巡回講演

尊敬するアメリカと全世界の宗教界、政治界、言論界、そして学界の指導者の皆様。私は、きょう万感の思いでこの場に立ちました。かつて、摂理の国であるアメリカのキリスト教を覚醒させ、他宗教を糾合して世界救援の足場とする天命に従ってこの国を訪れたのですが、既に三十四年の歳月が流れました。

天命を受けてやって来たアメリカ皆様の中には、私のアメリカ到着時の最初の警告メッセージを、今でも記憶している方がいらっしゃることと思います。「レバレンド•ムーンは、この病めるアメリカを手術するために、そしてアメリカの火事を消すために、この国に訪ねてきた」と堂々と天上天下に宣布しました。

一九七〇年代初頭、摂理の国であるアメリカの二十一主要都市で「希望の日」の巡回講演を通して、私は二億七千万のアメリカ国民に大覚醒を促しました。アメリカから神様が離れていらっしゃることを警告したのです。白昼に横行する殺人と強姦、白人と黒人の人種間の紛争、青少年の堕落、極度の利己的な個人主義の拡散、共産党問題、宗教間の対立と葛藤など、これらの問題を清算し、新たに生まれ変わらなければ、この国に希望はないことを、はっきりと警告しました。

そして、このような問題の解決策は、政府や学校で見つけ出せるのではなく、まず心ある宗教指導者たちが一つになり、超宗教•超国家的に力を合わせなければならないということを叫びました。それから三十有余年が過ぎた今日のアメリカは、どのような姿になっているでしょうか。私がこれまで、アメリカをつかみ、世界平和を実現するために、どれほど多くの汗と涙を注いだかということは、神様だけが御存じです。

きょう、この場に参席された皆様が、正に私の汗と涙の結実として選ばれた方々です。しかし、アメリカには、まだ険しい道が残されています。レバレンド•ムーンは、アメリカ人ではありません。私は、既に天の指示を受け、祖国復帰のために、韓国に場所を移して天の摂理を進めています。

今、この国の将来は、皆様のような良心的な指導者の手にかかっています。どこの誰が皆様の国を救ってくれるのでしょうか。アメリカの将来に対して、夜眠ることもできずに心配し、犠牲までも甘受しようと立ち上がる政治家や思想家に、どこで出会うことができるでしょうか。ここにお集まりになった皆様以外にはいません。皆様が奮い立ち、二億七千万のアメリカ国民を導く機関車にならなければならないのです。

そのような意味で、私はきょう、「摂理史観から見た価値観的和合と超宗教•超国家圏の解放と安着」という題目で、天がこの時代に下さった新しいみ言の一端をお伝えしようと思います。どうぞ、このメッセージを胸深く刻み、今からは、この国アメリカと人類のために、皆様が行くべき方向と目的を設定する価値観として考えてくださるようにお願いします。このメッセージは、単に皆様とアメリカだけのものではなく、六十億人類、そして全霊界にまで宣布する「召命的天命」であり、選択の余地のない絶対的真理の新しいみ言です。

神様の絶対相対圏として創造された人間皆様。神様が人間を創造された目的は何でしょうか。全知全能であられ、遍在される神様も、独りでいることを願われなかったので、まず天宙を人間のための環境創造の一環として創造され、その基盤の上に、御自身の絶対愛の対象として創造されたのが、正に人間です。神様は、その対象である人間が神様御自身よりも立派で偉大な存在になることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。世の中でも、父母は、子女たちが自分たちよりも成功し、立派になることを願うではありませんか。これはすべて、神様が祝福として下さった父母の伝統的愛なのです。子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受け、真の愛、真の生命、真の血統の結実となる真の子女を繁殖して、真の家庭において、真の永遠の理想天国を成し遂げて生きる姿を見て喜びを感じることが、神様の創造目的だったのです。

真の愛の主人になる道は、まず相対のために自分を徹底的に犠牲にし、投入して忘れる真の愛の実践を通して開かれるようになります。神様が人間を創造される時も、先に御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、その上で一〇〇パーセント投入されたのです。絶対相対圏を絶対価値圏として立てるのです。真の愛の主人は、独りで成就するのではありません。必ず対象を通して成就されるのです。

そして、この絶対的価値圏の真の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、永遠に父母が真の愛の主人になることができないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を御自身の真の子女として、絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。そうして、絶対主体と絶対対象の価値観が生じて、完成するのです。

宇宙の秩序を見ると、大きいからといって無条件に小さいものを犠牲にして取り込むようにはなっていません。そのような点から見るとへレニズムに基づいた弱肉強食による「適者生存」の理論は、根本的に間違っています。ために存在し、真の愛で投入して忘れる、絶対服従の対象として、主体的な真の愛の主人として完成させようとする絶対価値観を、彼らは見落としているのです。

また、真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るようになります。しかし、神様の「創造原理」は、闘争による生存と発展ではありません。主体と対象の関係の中で、相互授受作用をしながら、絶対価値観に向かって調和統一を追求する「原理」です。小が大のために犠牲になったとしても、それを闘争と見てはいけないということです。相互発展のための投入と見なければなりません。

個人は家庭のために、家庭は国家のために、そして国家は世界のために生き、犠牲を甘受することが、どうして闘争と言えるでしょうか。このように絶対的価値圏は、先に互いが相手を真の愛の主人格として立ててあげる、そのような真の愛の完成を成就させるためのものなのです。

サタンの発悪と利己主義したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底してその根を絶やさなければなりません。これは、堕落性の根のようなものであり、あらゆる悪の原因を提供しています。個人的次元の利己主義的行動や集団個人主義的行為も同様です。それは、真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲になって与える代わりに、自分のために人を犠牲にし、自分の利益ばかりを追求することは、破廉恥な行為です。それは、堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中に、巧妙に入り込んだサタンが人類に植えつけた毒きのこなのです。

一身の栄達と慰安のために、「目には美しい」からといって、一度、自由行動を取ってしまえば中毒にかかり、一生、苦労しても抜け出すことが困難な悪の計略であり、罠です。私たちの体を見ても、自由に「自分のもの」であると主張できる部分は一つもありません。

父母の愛によって生まれた私たちは、九九•九九九パーセントが母親の血と肉と骨です。残りの〇.〇〇一パーセントは、父親の精子と見なければなりません。そこで私たちが、どうして「自分のもの」と主張することができ、利己的な個人主義に対する名分を見いだすことができるでしょうか。私たちの四肢五体は、すべてが母親の延長だという事実を認めなければなりません。すなわち、私たちの体のあらゆる要素は、既に父母の精子と卵子に包含されていたのです。誰彼を問わず、例外がありません。

「前」と「後」について考えてみてください。「前」という言葉自体が、既に「後」を先有条件として認めているものであり、また「上」という言葉も、「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」と言うときは、「右」を前提として語る言葉なのです。同じ論理で、「男性」という言葉も、「女性」という存在が先にあって成立するものです。

すなわち、男性は女性ゆえに生まれたのであり、女性は男性ゆえに生まれたのです。男性がいなければ女性は必要ありません。同じ脈絡で、女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。結局、自分のためにのみ生まれたものは一つもないということです。あらゆる存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。

また、人間の五官について考えてみてください。皆様の目が、目そのものを見るために生じましたか。目、鼻、耳、口、手、すべてが相対のために生まれました。そうだとすれば、この五官を総動員して生命を維持し、活動を継続させるその力とは何でしょうか。それは、真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛の実践のために生じた必要な道具にすぎません。このように、自分のためにのみ生まれたものは一つもありません。

ですから、ために生きて徳を施し、愛で犠牲になり、服従で愛の主人を完成させる人生こそが、神様の創造理想にかなう生き方なのです。私たち人間は、相対のために創造されたので、当然、相対のために生きてあげるのが天理です。ここから真の愛の絶対価値が創出されるのです。

神様は、エデンの園に人類の始祖であるアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器を共に許諾されました。何のためだったのでしょうか。彼らが成長して完成すれば、彼らを結婚させ、罪のない真の子女を繁殖するようにして、御自身の創造理想である地上天国を、アダムの代でこの地上に完成しようとされたみ旨があったのです。

しかし、問題は、アダムとエバの堕落にありました。彼らの堕落によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が生じてしまいました。神様の愛と生命と血統を保全して伝授すべき彼らが、反対にサタンの血統を受け、サタンの血統を伝授する存在に転落してしまったのです。したがって神様は、無価値的な存在となった彼らを、エデンの園から追い出さざるを得なくなりました。

本来、地上世界で、アダムは神様の体となり、エバは新婦にならなければならなかったのですが、堕落によって自分たちの心と体と理想が病に冒されるようになり、怨讐になってしまったのですから、そのような悲惨な状況を見つめられる神様の心情は、どれほど悲痛だったでしょうか。堕落は、自らを地獄へ葬り去る行為です。人のものをも奪っていく盗賊行為です。堕落は、フリーセックスの根となり、利己的な個人主義の祖になりました。

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天一国に入籍すべき宿命的課題天の国の大勢の高官から称賛を受け、すべての人が新しい国である天一国に入籍し、新しい国民として入っていかなければならない宿命的な課題が厳然として残っている事実を知らなければなりません。このような使命を完遂できずに死んで霊界に行けば、それが引っ掛かるのです。ですから、生きている間にすべてのことを清算するために、あらゆる至誠を尽くさなければなりません。

皆様の五官のすべてを百回、千回燃やしても越えていけないその道に、誤謬を残した自分の一生であり、摂理史だったという事実に、誰が責任をもつことができるのでしょうか。神様が責任をもつことができるでしょうか。神様は責任をもつことができないのです。神様が責任をもつことができるのであれば、アダムとエバを最初から堕落するように放ってはおかなかったのです。

再創造の主人は誰でしょうか。神様ではありません。皆様自身であり、皆様の家庭です。ですから、「天一国主人、私たちの家庭」というのです。神様がつくられた至極小さな動物から天上世界、大宇宙、すなわち太陽系の一千億倍を越える宇宙全体が、神様の愛の圏内において秩序的な存在としてペア•システムになっています。これらすべてを、サタンが血を汚すことによって分けてしまいました。

したがって、真の父母が再びより分けて再創造しなければなりません。皆様も、神様の真の愛で植物を愛し、動物を愛し、地を愛して、真の主人になれなかった恨を解かなければならない解怨の責任があるのです。ですから、新しい人生観、新しい宇宙観、新しい天宙観が確立されるのです。本来は、家庭堂は必要ありません。神様を父母として侍って暮らす家庭が必要なのです。それができていないので、蕩減する過程において、どのようなことがあっても、それを成就しなければなりません。それで家庭堂を立てて、そのことを遂行しているのです。

真の父母の生涯は恨の路程神様が行きたいと思っていらっしゃるのですが、私たちが代わりに祭物になり、越えていける道を開拓する王子の中の王子であり、王女の中の王女であり、天地の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭に間違いないという自覚をもって行かなければなりません。そうして、神様の愛を受けることができ、神様の心情圏内に千年、万年とどまりながら、恨に満ちた神様と向き合うとき、面目がないと涙を流し、一身全体が血と汗で燃やされても足りないことを感じなければなりません。そのようにして行くのが天を訪ねていく王子、王女の道であり、責任を果たせなかった家庭が、その失敗の責任を免れるただ一つの道であることを知らなければなりません。

皆様自身を中心として、神様までも私が創造し、私が自らの手によって破壊したので、天の国と天の宮殿までも自らの手で再び建設し、その上で解放された神様と千年、万年暮らし、堕落していなかった家庭より、千倍、万倍の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭になると思えば、そこに地獄があり得るでしょうか。それ自体が天の国の王宮の中心部となって、神様が地上のどこにでもついて来て、王宮のようにお住まいになることができるのです。

レバレンド・ムーンも、この統一教会を立てて導いてきながら多くの苦労をしましたが、今までの苦労は、苦労ではありません。深く、広く、高く恵みを体恤し、それを感謝できる心情圏を体得する、そのような立場まで経てきたので、そのように感じることができたのです。その立場に立ってみたことのない人には分かりません。神様はレバレンド•ムーンに誇るものがありません。神様の出発過程を解放し、神様が息子として愛する立場に立つことができなかったのです。それを取り戻し、神様を神様の位置に立て、すなわち神様を父の位置に立ててさしあげ、子女として愛を受けることができなければならなかったのです。ところが、子女が堕落することによって、そのようになることはできなかったので、それが人類の行くべき恨の歴史だったというのです。神様の婚姻届、神様の出生届をしなければ国がありません。

真の父母様の生涯も、やはり恨の路程でした。真の父母は、神様と同じ価値基準で歴史性を帯びて摂理してきたので、今後世界がその内容を知れば、毎日のように痛哭するようなことが起きるでしょう。ちょうどイスラエル民族が嘆きの壁で涙の悔い改めをしているのと同じように、痛哭するというのです。この道を越える恨の解放圏を備えなければなりません。

ついに神様が天地をすべて解放し、結婚式ができる時代圏に入ってきました。神様が婚姻届をしたので、その息子、娘たちも出生届ができるのです。神様が、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの三代圏を越えて、それができるようになることによって、神様が本然の位置に戻られるのです。

天一国の民は天の国の皇族今や皆様は、天地父母であられる真の父母様の勝利圏の上で、結婚届と出生届ができる二つの権限を、完全に相続できるようになりました。そのように暮らすことを決意して、寝ても覚めても忘れずに一心、一体、一念、一和の生活をする天一国の民となれば、天の国の皇族になることは間違いないという事実を信じて実践してくださることをお願いします。

選民圏を代表した第一イスラエルの「エルサレム宣言」、第二イスラエルの「ワシントン宣言」、そして第三イスラエルの「ソウル宣言」の発祥の地となる鮮文大学の現場において開催された「ラステイング•ラブ•コンファレンス」に参加した二世圏の指導者の皆様、そして、「ソウル宣言」に参加するため、きょうこのリトル•エンジェルス芸術会館の大劇場に席を共にしてくださった一世圏の世界の指導者の皆様に、深く感謝申し上げる次第です。

皆様は今後、天の選民圏を受け継ぐ一世と二世の指導者です。ぜひとも、皆様全員が一体になり、国連の刷新とともに、新しい「アベル国連」の再創造のための歴史的な聖業に召命されて、きょうこの「ソウル宣言」の現場に立っていらっしゃることを、心に刻んでくださるようお願いいたします。このすべてを神様に感謝しながら、参席者の皆様の家庭と皆様の国に、神様の大きな祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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成約時代の開幕とアメリカでの活動私たちの心はイエス様を通して神様に近づくことができますが、体はいまだに悪の誘惑を受け続けているのです。それで、使徒パウロさえも、肉身の欲求と霊の欲求の葛藤で煩悶しました。キリスト教の多くの偉大な聖職者たちも、そのような葛藤ゆえに苦しんできました。成約時代が開かれながら直面した主要な課題は、いかにして霊的救いと肉的救いを共に成就するかということです。それで再臨主が必要なのです。

神様は、再臨を準備するために、カインとアベルが世界的次元で和合できる基台が必要でした。その基台は、第二次世界大戦を中心として造成されました。キリスト教的連合国はアベル圏であり、国粋的軍国主義の影響下にあった枢軸国はカイン圏です。連合国が勝利した直後、アベル圏の国家は敗戦国を包容し、キリスト教を中心として統一された平和世界を創建するための基台の潮流が形成されました。神様は再臨主を迎える基盤を造成することができたのです。

ところが、このようにすべての準備が整ったにもかかわらず、神様の救援摂理は、その当時に完成されませんでした。神様の代身者が神様のみ言を携えてきましたが、二千年前のイエス様のように、その方は激しい迫害と全世界的とも言える誤解を受けるようになりました。イエス様のときに、イスラエルの民が、天から火の車に乗って降りてくるエリヤの再臨を待ち望んでいたように、キリスト教徒たちは、イエス様が雲に乗って天から降りてこられることを期待しながら再臨主を待ち望んでいたのです。

第二次世界大戦以後、その重要な時期に、神様は私の夫に、韓国のキリスト教徒たちに新しい真理のみ言を伝えるように指示されました。ところが、キリスト教の指導者たちは、このみすぼらしい青年が新しいみ言を伝える機会を剥奪しました。この宗教指導者たちは、私の夫と一つになるどころか、逆に夫に付き従う人が増えるのを妬みました。彼らは私の夫の話を聞こうともせず、盲目的に反対しました。甚だしくは夫に関するうそや虚偽を広めました。彼らは夫の人格を抹殺しようと、夫の教えとは正反対の淫教であるとか貪欲だとのうわさを広めたのです。悲劇的にも、世の中は神様が選ばれた代表を拒み、その方を荒野へと追い出してしまいました。

第二次世界大戦後、キリスト教が私の夫と一つになることができなかったので、キリスト教の道徳的権威は、驚くほどに失墜しました。アメリカや、キリスト教に基盤を置くその他の国々もまた、文化的、社会的に深刻な危機を迎えていました。そうして冷戦が始まりました。第二次世界大戦の期間中、二つの側に分かれていたように、世界は再びカイン圏とアべル圏とに分かれました。イエス様の左にかかった強盗のように、神様を否定する共産主義はカイン側です。右の強盗のように神様の存在を認める民主主義はアベル側です。

冷戦時代における最初の戦闘は韓国動乱でしたが、その戦争に国連の旗のもとに自由世界十六ヵ国が参加しました。一九八八年のソウル•オリンピック前までは、互いに敵対的だった百六十ヵ国は、平和的に一つの所に集まることができませんでした。結局、一九九一年に世界的次元のカイン側とアベル側を代表する韓国と北朝鮮が国連に同時に加盟することによって、それぞれ百六十番目と百六十一番目の加盟国となったのです。韓国は、神様が真の父母を送った国なので、韓国からこのような多くの調和と和合が達成されるようになるのです。

過去四十年の冷戦の期間中、私の夫は、失ったメシヤを迎えるための基台を再び探し立てるために、すべての障壁を崩す闘争をしました。その期間、人々は私の夫を完全に誤解しました。夫は、神様のみ旨のために、北朝鮮の共産主義下で送った三年の収容所生活をはじめとして、無辜の投獄生活を六度もしました。そればかりかマスメデイアは、「私利私欲のために若者たちを洗脳する残忍な怪物のような存在である」と言って、夫を罵倒してきました。

文鮮明牧師こそ世界で最も多く迫害を受けた宗教指導者だということに異議を唱える人がいるでしょうか。私の夫が受けてきた苦労を思うと私の胸は張り裂けそうです。しかし、夫はいつも、「神様は、御自身の摂理のために迫害を受けてきた人たちを慰労しておられる」と言って、私を安心させてきました。夫と私は、過去の失敗を復帰するために、蕩減の道を歩んでいます。過去二十年間、私の夫は、二千年前のイスラエルの国とユダヤ教の立場に代わる、韓国と統一教会を中心として、旧約時代を蕩減するために苦労をしてきました。その基台の上に私たちは、一九六〇年に国家的な次元で真の父母の聖婚式を挙行しました。

その後、一九七一年に、夫と私はアメリカに来ました。この国は、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラエルの国と密接な関係にあるため、摂理史において非常に重要な役割を担っています。ですから、その後二十年間、私たちは新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。旧約、新約、成約時代のすべての摂理は真の父母を中心として完結されなければならないことを考えたとき、イスラエルとアメリカと韓国は、神様に選ばれた国だという共通の運命をもっています。ですから、民主世界と自由世界を代表するアメリカは、無神論的共産主義国家である北朝鮮と民主主義とキリスト教が栄えている韓国の統一のために活動しなければなりません。

紳士淑女の皆様。神様が、アメリカ自体のためではなく、世界を救うためにアメリカを祝福されたことを知らなければなりません。アメリカの初期における清教徒たちは、富を求めてアメリカに来たわけではありませんでした。彼らは、この地で神様に侍り、より誠実にキリスト教の信仰を続けるためにアメリカに来ました。アメリカが祝福を受けた目的を想起できなければ、アメリカに対する神様の祝福は中断されるでしょう。

神様は、摂理歴史を導いてきた力が何であるかを、夫と私に悟らせてくださいました。神様が私の夫に啓示してくださった真理は、「統一原理」の中に含まれています。「統一原理」は、摂理史的観点から人類歴史と聖書の内容を考察し、数千年間解けなかった疑問に対する答えを提示しています。

その内容を真剣に研究した人たちは、これこそが、神様の下さった真の贈り物であり、今日、私たちの社会が直面する問題に対する唯一の解決策を提示していることを発見しています。さらには、共産治下の旧ソ連でも、政府指導者と数千人の若者たちが、私たちの教えを学ぶことで、新たな人生を見つけました。結局のところ、彼らは共産主義思想の抑圧から解放され、彼らの国を救う霊的な真理を渇望していたのです。

女性の重要な役割と祝福敬愛する皆様。第二次世界大戦後、キリスト教の基盤が失われたことによって、神様の摂理は一九九二年まで四十年間延長されました。それで、一九九二年四月、夫と私は「世界平和女性連合」を創設しました。去年、私は真の母の心情で、第二次世界大戦中に、世界的カイン側を代表する国家だったドイツ、日本、イタリアと、世界的アベル側を代表する国家だったアメリカとイギリス、そしてフランスを含む世界の十二ヵ国を巡回しました。

これらの国で、ロシアと中国のときと同じように、私は百万人を超える女性指導者たちに、「共に真の父母を迎える基台を築きましょう」と力説しました。このような基盤の上に、今、夫と私は、最初の真の父母として成約時代の到来を宣布することができました。この場に来られたすべての方が、私たちの導きによって真の父母となることを願います。

各家庭が立ち上がり、全世界の救援摂理を完遂するメシヤ的使命を果たすべき時が来ました。皆様の家庭を復帰したのちには、皆様の社会と氏族と国家を復帰しなければなりません。私たちは、このような使命を果たす人を「氏族的メシヤ」と呼びます。成約時代には、母の役割が非常に重要になるでしょう。母は、子女と夫を一つにし、家族を真の父母に連結させなければなりません。私たちは既に、数千人の氏族的メシヤを全世界に派遣しました。遠からず、本然の家庭理想が全世界的に成し遂げられるでしょう。

すべての完成した家庭で、祖父母は神様と善なる先祖に代わって、王と女王の位置に立つようになるでしょう。父母は現在の人類を代表する王と女王の位置に立つようになります。そして子女は、すべての未来の子孫を代表し、王子と王女の位置に立つようになるのです。これら三代が一つになるとき、過去、現在、未来の三世代が一つの所で調和して暮らすようになるのです。このような理解の基台の上で、最初の真の家庭の出現を皆様にお伝えすることができ、大変光栄に存じます。十三人の子女と二十人の孫をもつ私たち夫婦は、神様と人類のために、私たちの人生を完全に捧げています。この三代は、祖父母が聖書でいう生命の木の中心の根となり、父母はその中心の幹となり、子女はその枝となります。

皆様も、真の家庭と理想国家、そして理想世界を建設するための私たちの努力に協力し、この生命の木に接ぎ木されることを心から願います。成約時代が到来することで、アダムとエバを創造し、再び神様と共に暮らそうとされた、神様の本然の目的を、私たちが完遂するようになるでしょう。このようなことを知って、私たちは、個人的に心と体が一つになり、家庭においては夫と妻が一つになり、父母と子女が一つにならなければなりません。そうすれば、私たちは神様の愛を中心とした理想家庭を完成することができるのです。

一九九二年、私たちは韓国で、神様のため、互いのため、世界のため、自らの人生を捧げることを誓う三万組の合同祝福結婚式の主礼をしました。今日、多くの家庭は、父母が子女を効果的に指導できずにいます。特に、愛や結婚などの私的な問題において、そのようになっています。しかし、私たち夫婦は、世界百三十一ヵ国から若者たちを呼び集め、歴史的な方法で、彼らの尊い愛の夢を実現させてあげました。そのように、神様を中心とした家庭が集まって、理想国家と理想世界を構築するようになるのです。

そのような家庭を形成していけば、社会の没落現象はなくなります。確実に神様の子女となった人たちは、これ以上アルコールや麻薬の誘惑の奴隷となることはないでしょう。さらには、夫婦間の愛の神聖さを理解することで、不倫と乱婚に対抗し、強く立ち向かう道徳的な力をもつようになります。最終的にその力が合わされば、戦争、人種の偏見、世界的飢餓を根絶できるのです。このような基盤の上に、私たちは真の幸福と自由と平和を享受する世界を建設できるはずです。

敬愛する皆様。この国の指導者として、皆様は、深い心情で心の扉を大きく開き、このメッセージの意味を御理解してくださることを願います。神様の理想を完遂することによって、すべての人が神様の祝福の場に至ることを心からお祈りします。アメリカに神様の祝福が共にあることを願います!どうもありがとうございました。

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2.真の父母と成約時代日付:一九九三年七月二十八日

場所:アメリカ、国会議事堂

行事:アメリカ議会招請講演(真のお母様)

敬愛する上下院議員、ならびに尊敬する紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださったことに、深い感謝の意を表す次第です。皆様はこの偉大な国家の指導者として、アメリカと世界を、やがて来る千年王国へと導く責任を担っています。平和と繁栄の未来に対する約束は、きょう私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。

御存じのように、今日のこの世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちた世界です。私たちは、家庭破壊や社会における道徳的退廃の問題などに直面しています。私たちは、このような問題に関して、幾度となく論議してきましたが、その解決策はいまだに見つかっていません。それはなぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、現象的な面だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするためには、神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に処している事実を知らなければなりません。

神様の創造理想と偽りの歴史の出発神様は、真の愛を体恤するために、この世をお造りになりました。神様は、アダムとエバとして知られている人類始祖を創造されました。彼らは、真の愛によって自分自身が完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統をもつ完全な家庭を築かなければなりませんでした。アダムの家庭で神様の真の愛の理想が実現されていれば、メシヤが必要ない世界になっていたはずでした。初めて完成した彼らの家庭が、すべての家庭の標本となり、その家庭が氏族、国家、世界へと拡大したのです。そうなれば、その世界は真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたでしょう。

ところが、不幸なことに、このような神様の理想は実現されませんでした。聖書の教えによれば、人間の堕落によって、アダムの家庭全体を失ってしまいました。第一に、アダムとエバが、サタンを中心とした自己中心的な偽りの愛で偽りの父母になることによって、真の父母の位置を喪失しました。第二に、カインがアベルを殺害することによって、真の子女の位置を喪失しました。

その最初の家庭が自己を中心として愛することにより、彼らは善よりも悪を繁殖するようになったのであり、偽りの生命と血統を子孫に相続して、偽りの世界をつくり上げました。ですから、神様の救援摂理歴史が始まったのです。神様は、御自身の真の愛を中心とした真の父母を復帰するために、アダムとエバに代わる一人の男性と一人の女性が必要でした。そうしてこそ、神様の本来の計画に従って真の家庭が形成されるのです。

本然の家庭を復帰するために、神様は、カインとアベルが一つになるようにして、真の子女の位置を先に取り戻し、それから、真の母と真の父の位置を取り戻すというように、人間が堕落するようになった経路とは反対の経路で役事(働き)されます。真の父母を復帰するための基台として、カインとアベルを和解させることが復帰歴史の全路程を通して続いてきた神様の公式でした。堕落によってもたらされた憎悪を取り除こうと、神様は人間始祖の堕落後、二人の兄弟を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立たせる役事をしてこられました。

神様の戦略は、カインに打たれたアベルがそれを耐え忍ぶことによって、カインを抱き、失った祝福を取り戻すことでした。そうすることによって、神側はサタン側に勝利し、神様の位置を復帰してきました。この公式に従って、神側の男性と女性は、大きな苦痛を受けてきたのであり、神様の摂理上、前面に立った宗教は、サタン側から最も過酷な迫害を受けてきたのです。

最初の家庭の侵犯と復帰路程紳士淑女の皆様。このように自己中心的な不貞の愛のために、人類初の家庭は侵犯を受けるようになり、利己主義と貪欲の歴史が続いてきたのです。神様の復帰歴史は、個人次元から始まります。サタンもまた、それを知っているので、個人次元からその努力を集中して反対します。これこそが、この「終わりの日」に、自己中心的個人主義が人々の生き方を支配する理由です。

人々は、周囲の人から次第に疎遠になるのを感じるようになり、国家や社会、さらには家族に対する責任感さえも、さほど感じなくなっていきます。増加する離婚率の統計は、結婚に対しても責任感をほとんど感じていないことを意味しています。すなわち、父母は自分の子女に対して責任をもとうとせず、人間の尊厳性に対する感覚を全くもち合わせていない人たちは、自分自身に対する責任さえも取ろうとしません。

一九六〇年代、理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求するために、周辺に蔓延する物質主義を排斥しました。しかし、その過程で、彼らは道徳性と責任感まで捨ててしまいました。その結果として今日の社会は、麻薬と不倫、犯罪、そして自殺などにより苦痛を受けています。これらの中で、神様が最も胸を痛められているのは、フリーセックスによる性的な愛の誤用です。

愛とは、純粋な感情の刺激から誘発されます。しかし、フリーセックスは、純潔や真の情緒を破壊します。私たちは、不倫や離婚という犯罪にどれだけ多く接してきたでしょうか。一夜のかりそめの愛、そのどこに神様が臨在されるのでしょうか。性的に虐待を受ける幼い子女たちは、どんな悪夢にうなされているでしょうか。

エイズの犠牲となった死亡者数が日ごとに増加していく中、学校では妊娠の危険性のない安全な性生活を教え、婚前性交は避けられないと言って学生たちにコンドームを配っているのが現状です。乱婚に寛大な社会は、神様のみ旨とは絶対的に相反する所です。

一方、神様のみ旨に従って生きる人たちは、先ほどお話しした例とは一八〇度異なった人生を生きます。歴史を通して、自己犠牲的で神聖な道を歩んできた人たちは、反対側の世界の人々から、激しい反対と迫害を受けてきました。その一つの例として、統一教会を挙げることができます。統一教会の信徒たちは、純粋で、自己犠牲的に生きようと努力してきました。統一教会は、戦争で引き裂かれ、暗鬱だった韓国で生まれ、世界的なひどい迫害にもかかわらず、わずか三十八年で世界的レベルの宗教運動へと発展し、神様が教え導き、助け続けていらっしゃることを証するに至りました。

紳士淑女の皆様。宗教では、過ったことは、復帰過程を経て回復できると教えています。「統一原理」では、蕩減を払うことによって、過ったものを取り戻す方法について説いています。堕落したエバは、自らの過った行為を正すために、自らに課せられたすべての責任を負わなければなりませんでした。それは、エバが真の父母を復帰するための基台として、まず、子女であるカインとアベルが一つになるようにすることを意味します。

カインは、アベルが神様の代身者として選ばれた人だという事実を悟って、弟と一つにならなければなりません。しかし、カインがアベルを殺害することによって、アダムの家庭を復帰する機会を失ってしまいました。そこで、神様は、堕落したエバの位置を取り戻すことのできる別の女性を待たなければなりませんでした。聖書に出てくる女性の中で重要な一人が、イサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母として、リベカはエバがアダムの家庭で立っていたのと同じ位置にいました。

しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。カインがアベルの命を奪ったように、長子エサウはヤコブが祝福を受けたことを知って、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの協助によって、結局この二人の兄弟は抱き合って和解しました。

この和解は、摂理上、重要な勝利となりました。しかし、それは神様の血統を象徴的に純潔にする意味にすぎませんでした。すなわち、神様の血統の実質的な純粋性は、腹中で取り戻さなければならなかったのです。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にいたことを理解すると、イスラエル選民の血統の中からイエス様がお生まれになった理由を理解することができます。タマルは舅であるユダをだまして、ペレズとゼラを身ごもりました。聖書には、二人の息子が母の腹中から互いに先に生まれようとして闘ったことが記録されています。

タマルが出産で苦しんでいるとき、ゼラの手が母の腹から先に出て、産婆がその手首に赤い糸を結びました。するとゼラの手は再び母の腹中に引っ込み、もともと弟となるはずだったペレズが先に生まれました。このようにして次子が長子の位置を、生まれる前の腹中で復帰したのです。伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。今、私たちが知っているように、神様はイエス様を誕生させるために、サタンから神様の血統を取り戻す役割を果たすように、彼女たちを祝福されたのです。

こうして二千年が過ぎたのちに、聖母マリヤがタマルの勝利圏を相続する立場で現れました。彼女はしかるべき蕩減を払い、アベルを長子の位置に復帰することによって、家庭、氏族、そして国家的次元へと拡大されたカインとアベル的存在を一つにする責任を担っていました。その当時は、正式な結婚以外の方法で子を身ごもった女性は、石で打ち殺すのがならわしとなっていました。マリヤは命の危険を顧みず、神様の召命に応じてイエス様を懐妊しました。

マリヤの信仰とリベカとタマルの役事で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対する主管権を主張できませんでした。ですから、イエス様は、神様の完全な直系の血統をもった真の息子の位置でお生まれになったのです。イエス様が神様の最初の息子として、聖人の中の聖人であられ、神様の真の血統の先祖となられる理由がここにあります。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。

また、マリヤには、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていた、イエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにする責任がありました。多くの人々が洗礼ヨハネに付き従い、彼は多くの人々に尊敬されていました。そのような洗礼ヨハネがイエス様と一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして認めるときに、重要な要因でした。彼らが一つになっていれば、「小羊の婚宴」のための基台が造成されていたのです。そうすれば、イエス様は人類の真の父としての位置を確立し、新婦は人類の真の母となっていたはずでした。さらには、地上天国が建設されていたでしょう。

洗礼ヨハネは、イエス様に洗礼を与えるとき、明らかに啓示を受けたにもかかわらず、イエス様と一つになることができませんでした。洗礼ヨハネの協助なしにユダヤ民族がイエス様を信じ、付き従うことは不可能なことでした。結局、イエス様は独りで、御自身が誰であるかということを宣布する困難な道を歩まれました。イスラエル民族の不信に直面したイエス様は、人類のための霊的救いの道だけでも成就するために、御自身の生命を捧げることを決意されました。しかし、イエス様は、霊的救いと同様に、地上で肉的救いの道を開くために、救世主が再び来られなければならないことを知っていました。

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神様を中心とした新しいモデルを探すべき皆様。大韓民国の主人は誰でしょうか。大韓民国を誰よりも愛し、大切にする人です。ですから、皆様が誰よりも大韓民国を大切にし、愛するようになれば、主人になるまいとしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神様が願う平和の時代がやって来るのです。私たちは神様の恨を解いて、神様を解放してあげなければなりません。

そして、神様が自由に万国を統治するに当たって、少しでも差し障りのある障害物があるならば、自分が責任をもってすべてを取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管する堂々たる絶対者として侍るという信念をもった若者がいるならば、その人は実に偉大な若者です。そのような若者によって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。

皆様が、実際にこのような若者になったとすれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、限りない希望が宿っているのであり、その姿は神様の希望と幸福の土台になるのです。取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが、互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければなりません。そのような基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱することがなければ、そのような基盤を通して、世界に平和の天国が連結されるのではないでしょうか。

東西南北を中心として、四方に広がって立てれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されなければならないでしょうか。牢獄からつくられなければなりません。牢獄に入って、イエス様のように主管性を復帰した基準と本性的基準の自律的な平和の心情をもって、感謝の歌を歌ったことがありますか。それが問題になるのです。

神様はかつて、使徒たちがそのような立場にいるとき、それを天国化するために牢獄の門を開け、自由に行動できる権限まで賦与したのではないでしょうか。神様は、皆様がかつてのその使徒たち以上に希望と期待をもつ資格を備えることを願っています。終末には、新しい創建の方向を、現世と反対にしなければ生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。それが新しい統一の歴史的な方向性です。第三者を犠牲にしてきた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和は訪れないのです。

私たちは、いかにして十字路を越えるのでしょうか。自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく、国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。それを段階的に、正常に何ら妨げるものがなく行路を通過していくならば、すべての怨讐が待ち受けている十字路は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由化が形成されるようになり、天地に平和の王国、神様の願われる理想世界が実現されるのです。

この世界でも、神様を中心とした新しいモデルを探さなければなりません。家庭での父母が子女を愛する道理が、今日、人倫と道徳の原則になるのではないでしょうか。父母、夫婦、子女の関係を中心とした、統一教会で言う「四位基台」の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を、いかにして決定するかということです。

統一と平和の世界、そして真の愛世界を掲げて統一と平和を夢見るには、そのような基本問題が残っているので、これを決定しなければ統一世界の到来は不可能です。個人的な男性の形態と女性の形態を中心として、家庭的な形態を形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆様は知らなければなりません。自分が犠牲になり、自分の家庭や国が犠牲になったとしても、国家や世界が良くなる新しい価値観をもって出発できる、そのような思想的な体系があるならば、その思想的な体系を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。

一つが上がれば、別の一つは下がるのであり、一つが下がれば、別の一つは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので、罪悪から脱出できる一つの方向性を備えて勝利の天国を創建する時がやって来るのです。包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、「怨讐を愛しなさい」と語られました。

これまでサタン世界には平等圏がありませんでした。その平等圏をつくる作戦とは何でしょうか。サタン世界で他のために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら、打った人々を屈服させ、恩恵を与えることによって完全な平等圏が生じるのです。怨讐の対決圏を解消する舞台を、このように築いてきたので、ここに初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まります。

天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシヤや、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を負わせ、犠牲を払わせてきたのです。ですから、多くの聖人たちがやって来て、その部分を死で塊めていきました。多くの国々が栄えては滅んでいったのは、その谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等をつくりました。平等とは、平和だということです。

本来、神様の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバが一つになることによって、神様が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う「四位基台」です。この四位基台を完成する基盤を失ったので、いかなる歴史時代を経たとしても、これを設定しない限り、人類の平和やユートピア、理想世界というものを描いてみたところで、何の役にも立たないのです。原則を否定し、原則を離れては、理想郷はあり得ません。

二千年間、ローマ帝国の迫害時代に、形容し難い迫害の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマをのみ込んで余りあったキリスト教が、今日、自由主義のアメリカでは、第二次世界大戦以後の数十年間で、どうしてあんなにも衰えてしまったのか、それが謎です。ユダヤ教が神様を信じ、愛しているのに、なぜヒトラーが六百万人を虐殺したのでしょうか。理解のできない謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったからです。「終わりの日」に、民族を中心として、神様の本然の真の愛と接触点をもたなくなる時は、サタンの餌食として完全に砕けていくのです。

それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのでしょうか。今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知識人たちも語っていますが、世界を指導する人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのでしょうか。経済力と政治力を中心として指導する能力のある人はいくらでもいます。お金がなく、政治体制がなくて、それができないのではありません。神様の理想に通じる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこから初めて平和の起源と私たちの本心が安息できる理想郷が出発するのです。

真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地において、神様の心情に通じる真の愛であれば十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れるとき、大宇宙は私の友となるのであり、そのような真の心情に徹して天下に現れるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。今後、人間世界に理想世界がどのように訪れるか分かりますか。真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は見いだせないのです。

ローマを見てください。アメリカを見てください。アメリカはお金がなくて滅びるのではありません。真の愛の器官の主人が誰なのか、何に由来して創造されたのかを今まで知らなかったのです。サタンのゆえに知らなかったのです。それを明らかにするために、天地のすべての邪悪でよこしまな性の問題で、サタンがめちゃくちゃにしたすべてを一掃するために、真の父母の名をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。

寒帯地方からの風が温帯地方に吹きつけることによって、温帯圏内のすべての木の葉は枯れ落ちるのです。それで冬になって、実まですべて落ちるようになります。しかし、そのような中でも生命をもつ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えます。

解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎えるその時代において、真の生命の種をこの天地に蒔けば、二度と冬を迎えることのない解放の温帯圏に進出するようになるのです。統一教会の思想とぴったり一致します。

自分自身を是正するためには、困難な道を歩まなければなりません。南北を統一するほうが簡単でしょうか、自分の一身を統一するほうが簡単でしょうか。南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、内的な自分自身の統一はできません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現することができません。世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の見込みはいつでも、どこでも見いだすことができるのです。

過去と現在を照らし合わせてみると、結果は必ず一つの目的に向かって進むのです。一つの目的とは統一であり、平和です。一つの平和なのです。二つではありません。しかし、私自体は統一をいつ実現するのでしょうか。私が統一できないのに、統一された世界を管理できるでしょうか。それは理論的に通じません。ですから、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻です。宇宙史的な問題なのです。

アダムの時には国がありませんでした。自分の家庭さえ収拾すればいいのです。家庭さえ正しく立てればいいのです。結局は、良心と肉身の一体と家庭の一体です。夫婦、男女が一つになることが、世界的な問題です。これが一つになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解くならば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体を完成すればよいのです。

この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うからです。男性と女性は二人で闘うようになっています。ですから、世界平和の基地はどこでしょうか。韓国でもなく、日本でもなく、アメリカや世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争するその拠点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。

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純潔、純血、純愛の伝統を残すべき尊敬する貴賓の皆様。レバレンド•ムーンが家庭堂の創堂式で宣布したみ言の主要な内容は何か御存じでしょうか。婚姻届と出生届に関するみ言です。レバレンド•ムーンの婚姻届ではなく、神様の婚姻届、神様の出生届のことを言っているのです。神様は、アダムと共に結婚式をすることができませんでした。婚姻式をすることができなかったのです。神様御自身が宇宙創造の主人として、アダムと共に出生届をすることができませんでした。誰のせいでできなかったのでしょうか。堕落したアダムのせいです。

それで、真の父母は、「神様王権即位式」を泰献してさしあげた土台の上で、神様を解放してさしあげなければなりません。自主的な立場で天地の微小なものから大きなものまで思いどおりに創造された神様が、堕落のゆえに、自由自在に自己主張できる天一国主人として出発できなかったという、その無念な事実を皆様は知らなければなりません。神様を解放できる再創造の解放圏を、アダムとエバとその家庭が滅ぼしてしまったので、アダムとエバの完成家庭は、神様の再創造の権限を、堕落がなかった本然の世界に返しさえすれば、一度にこの宇宙を新しくできるのです。ですから、皆様は、今から神様のみ旨の方向に従って、新しい家庭の信念をもって決心できるならば、万事が思いどおりに運ぶでしょう。

なぜ私にユダヤ教が必要で、なぜイスラームやキリスト教が必要で、なぜ統一教会が必要でしょうか。それは、怨恨の宿る堕落の結実体を一掃してしまい、真の父母であるレバレンド•ムーンの手によって、解放された神様の本然の王宮圏から、天下のすべてが天国の王権の所有圏に復帰できるようにしているという事実を知らなければなりません。そのような内容を確実に知ったならば、皆様もきょうを新しい出発の日として定め、自信をもって責任を果たす、そのような信念をもった神様の息子、娘にならなければなりません。その次には、神様を中心とした家庭にならなければなりません。

皆様も天の側の政党の側に立って、今まで天を苦労させ、宗教圏を受難の中に追い込んだサタン側の政党に属した様々な国々を整理していこうと決心しなければなりません。私が暮らしたい本郷の地、故郷の地を建設するための主人にならなければなりません。万物にまでも真の愛を施す皆様にならなければならないのです。

万物、すなわち植物も動物も、再創造しなければなりません。彼らは、堕落ゆえに真の愛の相対圏を失ってしまいました。アダムとエバが十六歳になる時までは存在しましたが、それ以降は分割されてしまったのです。自分が失敗して世界全体を滅ぼしてしまったと考え、自分が責任をもって復帰しようというそのような祝福家庭であってこそ、天一国主人になるのです。

全人類が、地獄圏と天国圏、すなわち天上世界と地上世界の双子のように、同時に生まれた立場に立ったことを考えなければなりません。ですから、兄弟です。父と母が愛する兄と弟、そのような同位圏の家庭に入っていって体恤できる心情を感じることができなければ、皆様は、あの世に行って、王宮を中心に家庭完成をして生きることができず、その周辺ばかりを回り続けるそのような生活を、千年、万年繰り返すようになるのです。

皆様は、祝福を受けた新しい家庭の先祖として、純潔、純血、純愛の血統を残すために、すべての精誠を尽くさなければなりません。その峠を越えるために百回、千回死んだとしても、皆様には、死ぬ前に完結しなければならない家庭的責任があるのです。ですから、常に一心、一体、一念の精神でその道を行かなければなりません。神様が深刻な立場に立ち、統一教会を立てたレバレンド•ムーンも深刻な立場に立ってその原則の道理と軌道をつくっておいたので、否が応でも、皆様も最善を尽くして走っていってこそ、目的地に到達できるのです。

新しい天国理念時代が訪れたので、つまり国家形態を皆様と皆様の祝福家庭の上に立てることのできる新しい時代が来たので、徹底して整備し警戒する心をもたなければなりません。天の創造理想的目的を成し遂げるのに不足のない天の王子、王女の家庭にならなければなりません。そうして、勝利の基盤を相続して神様に侍って暮らしながら、地上と天上で万年太平聖代の国、一つの文化、一つの世界、一つの兄弟、一つの家庭を拡大した家庭圏として帰らなければならないのが、統一教会の行くべき全体目的であることをはっきりと知らなければなりません。

イエス様と十字架イエス様は、蕩減復帰を終え、結婚して家庭を築き、イスラエル民族を一度に天国に従属させる祝福結婚をしてあげ、ローマまで祝福結婚をしてあげていたならば、四十代までに地上•天上天国をすべて成し遂げていたのです。イエス様の命を奪った以降もイスラエルとパレスチナが継続して闘っているのです。兄弟が一つになれませんでした。そこにおいて一つの宗教、一つの文化圏、一つの国、一つの心情圏になっていなければならなかったのですが、その場に、ユダヤ教ばかりでなく、キリスト教が生じ、イスラームが生じたという恨めしい内容を知らなければなりません。

最近アメリカでは、十字架を除去する運動が展開されていますが、それが問題ではありません。イエス様の命を奪ったのです。真の父母の命を奪った罪は、人類が滅亡しても、イスラエルが千代、万代犠牲になっても、赦しを受けることができないのです。イスラエル民族は、罪の代価をすべて満たしたわけではありません。そうでなければ、どうしてヒトラーが、イスラエル民族をあれほど好きなように殺戮することができるでしょうか。罪の代価を蕩減する量が満ちていなかったので、天の承諾を受けてそのようなことが起きたのです。同じように、今日もそのような歴史的同時性の時代に入ってきています。

歴史的にユダヤ教とイスラームとキリスト教が分かれましたが、今や統一教会を中心として、ユダヤ教、イスラーム、そしてキリスト教が全世界的に一つになる同時性の時代が来たのです。蕩減復帰は、同時性圏によって完成されます。この時代は、世界的な同時性圏時代ではなく、天宙的な同時性圏時代です。ですから、再臨主は、メシヤであり救世主でなければならないのです。また救世主は、世界を平和の天国にしなければならず、その世界には、宗教的不和があり得ません。

再臨主というのは、最初に来た主人が定着できずに去っていったので、再び来る主人のことです。再び来て真の父母になり、地上世界と天上世界の解放圏を完成しなければならない歴史的な事実が、摂理史とともに綴られていることを人類は知らなかったのです。今はもうそのことを知ったので、皆様もそのまま実践躬行し、その峠を越えて神様の御殿に進み、天下を治める解放的理想圏に入っていくことができなければなりません。

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4.再創造の主人日付:二〇〇三年八月十五日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「二〇〇三世界平和のための頂上会議」

尊敬する元•現職の国家元首、イスラエル圏の指導者および青年学生の指導者、そして紳士淑女の皆様。暗く暗鬱だった先の世紀を跳び越え、新しい夢と希望によって新しい千年紀を祝福してくださった神様に、まず感謝を捧げる次第です。今この瞬間にも、民主と共産の先鋭な対決が続いている、地球上で唯一の国家である大韓民国に皆様を招請し、このような大会を開催したのは、個人的に見れば、この国が私の祖国だからでもありますが、神様の摂理から見れば、この小さな韓半島が人類平和を創出しなければならない二十一世紀の中心国家だからです。

恨の神様を幸福の神様に私は、きょう「再創造の主人」と題して、神様の摂理に対する皆様の理解を助け、またこれから平和世界を創建しなければならない私たちの使命と責任が、どこにあるのかを明らかにしようと思います。

尊敬する貴賓の皆様。今私たちが身を置いているこの時代は、摂理的大革命時代です。すべての国家と宗教は、これまでのような生活様式を越えて、今から新しい摂理観のとおりに生きなければならない実践的な生活の内容があることを知らなければなりません。この地上界だけではなく、霊界、すなわち私たちが肉身を脱いだのちに入っていって暮らさなければならない死後の世界も同じです。

私が新たに任命した平和大使の数は、全世界的に既に数万人に達しています。新しく任命された平和大使たちは、時折、「私たちはどのように生きなければならないのか」と尋ねます。統一教会が歴史を通して経てきたそのすべての道を公式的に歩むことによって、現在の霊界の実相と地上世界の統一的な内容が、すべて現実生活の中心的内容になっていることを理解して、その内容に合わせて生きてこそ、霊界と一体になることを確信しなければなりません。今からは、自分がその中で生きているという自信をもたなければならないのです。

レバレンド•ムーンの語る内容は、過去も現在も変わっていません。新しい世界のみ旨のために、その内容のために生きるか生きられないかということが、理想天国実現の主役になれるかなれないかを決める原則なので、その原則に従って生きなければなりません。そのように理解して、今まで観念的な生活をしてきたとすれば、実際的な生活として、天国と霊界と肉界と一体化できる生活を、私たちの生活環境を越えて国家圏内にまで一致させてこそ、地上天国と天上天国が実現されるのです。

ある国の国民ならば、国民が生きてきたあらゆる伝統的な思想や観念を中心として考えてきたものを克服し、新しい次元で一体化できる基準を、今全世界的に新しく立てなければならないのが、天一国主人の立場だということを知らなければなりません。

レバレンド・ムーンが再創造摂理をしていくのに、神様の創造した世界をすべて失ってしまい、神様まで失ってしまった人類なので、堕落していないアダムの位置に責任をもち、神様が創造して失ってしまった世界を再びつくらなければなりません。恨の神様を幸福の神様へと解放してさしあげなければなりません。ですから、統一教会は、「神様王権即位式」と「天宙天地真の父母様真の愛平和統一家庭王即位式」まで奉献して捧げたのです。

再創造の主人は私たちの家庭今日まで神様は、手をつけることができなかった創造された全体世界に対する蕩減復帰を、真の父母様を通して完成しなければなりません。再創造の主人は神様ではなく、蕩減する主人も神様ではありません。それは、アダムの責任だったという事実を知らなければなりません。アダム一代で整備しなければならないのです。そのようにしなければ、神様が本来の理想を中心として出発したその本然の位置に立つ道がないので、全知全能であられる神様が、長い歴史を通して無能な神様の立場で苦労してこられたという無念な事実を、皆様は知らなければなりません。

神様の国と神様の生活圏が発展してきた個人時代、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙時代まで越えていくことができ、天上世界と地上世界を自由自在に往来できる解放された自分だということを自ら悟る皆様となり、神様までもお迎えしてさしあげなければなりません。そうして、神様の王宮から神様の国を創造して奉献しなければ、完成したアダムの使命は終わらないのです。天上世界のすべての聖人、賢人たち、地上世界のすべての聖人、賢人たちは、栄光の中で生きているのではありません。堕落以後、今に至るまで、その目標を中心として完成するために継続して努力しているだけではなく、解放された地上•天上が一体となった真の愛の理想圏が実現される時まで、それが継続することを知らなければなりません。

皆様が地上でこの使命を完結できなければ、あの世に行っても、その完結できない限界内において、越えていくべき峰を前にして、修練過程を経なければならないのです。地上世界でこのような時を迎えるようになったことを天下の何よりも貴く思い、自分の国よりも、自分が現在生きている世界よりも、自分の愛と生命よりも貴い道を、私たちがすべて相続して転換するために、そのようなことをしていることを知らなければならず、現在の私たちの生活がどれほど貴重かということを知らなければなりません。

そのような天理を立てて神様を解放し、神様が創造して完成できなかったものを完成させなければならない責任が、神様にあるのではないことを知らなければなりません。その責任が神様にあるならば、アダムとエバを堕落するような状況に置くこともしなかったのです。堕落の責任がアダムとエバにあったということは、途方もない事実です。今まで人類歴史の中で、そのような内容を知った人が一人もいませんでした。

再創造の主人は、神様ではなく、皆様の家庭です。ですから、本然の国、天一国の主人である「私たちの家庭」が重要なのです。レバレンド・ムーンが若い青年の時に、このようなことをすべて悟り、そのような結論の上に統一教会という看板を掲げて現れたという事実を知らなければなりません。したがって、皆様もその本然の位置から新しく出発しなげればなりません。

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さらには、交叉祝福結婚こそ、この地に平和理想世界を実現する究極的方法であり、手段であることを、はっきりと教えてあげなければなりません。そして、皆様の家門と氏族、そしてこの韓民族が、みな共に交叉祝福結婚の神聖な隊列に進み出なければなりません。

皆様。歴史上、空前絶後のこの後天開闢の貴い時代を、肉身を土台とする五感にばかり頼って暮らしている皆様の目では直接感知できないことが、本当に残念に思います。一日も早く霊的な五感も開き、天の摂理が今この時代にどのように成し遂げられていっているのかを、はっきりと認知して生きていける皆様となることを願います。皆様の立場から見れば、代価なく受けたこの天運の時ですが、絶対的基準で設定した摂理的プログラムは、ただ皆様を待ってくれるばかりではないという点を肝に銘じてください。

倍達民族(韓民族のこと)の精神を保全し、白衣民族の気概を守ってきたこの韓民族の平和大使の代表でいらっしゃる皆様は、今一つに団結すべき時が来ました。これ以上無駄にする時間はありません。金氏ならどうで、朴氏ならどうだというのですか。慶尚道と全羅道が一つになれない理由がどこにあるのですか。民団と朝鮮総連も、みな同じ韓半島に根を置いています。韓国と北朝鮮はどうですか。同じ一つの血統を分かち合った兄弟姉妹の関係ではないですか。私たちは、白衣民族の子孫であり、弘益人間の崇高な志を立てて準備させた天孫であり、後天開闢時代に平和王国創建の先鋒に立てるために、天が選び立てた選民の血族であることを肝に銘じるべき時です。

私たち全員の究極的な目標は、神様を中心にお迎えして生きる「神の国」と「神の義」を探し立てることです。「神の国」とは、どのような国でしょうか。三代が調和し、お互いに信じ、尊敬し、頼り、愛で一つになって暮らす真の家庭と同じ姿の平和理想王国を意味するのです。すなわち神様主権の国が、正に「神の国」だというのです。

そうであれば、「神の義」は何に対して語られたみ言でしょうか。天道と天理を意味するのです。あらゆる権謀術数が支配しているこの邪悪な世界を、天的真の愛の権勢によって審判し、正義と真理に基づく解放、釈放の、真の愛と平和の理想世界を創建せよという至上命令です。人類は、いずれ一つの家族になります。現代科学の目覚ましい発展も、一つの地球村家族を編成していくことを大きく後押ししています。白人と黒人が、東洋と西洋が、みな一つの家族として交わって調和し、美しい平和理想王国をこの地球星に創建するようになります。

そのような次元で、私が創設した「天宙平和連合」と「蒙古斑同族連合」の役割が、より際立つようになります。「天宙平和連合」は、今既存の国連のアベル的位置に立ち、民族的で国粋的な国連代表部の角逐の場ではなく、汎世界的で超世界的な天宙的次元で、人類の平和と福祉のために崇高な革命を遂行していくでしょう。外的で、形式的なスローガンに縛られる国連ではなく、より根本的で実質的な次元で、人類のためのメシヤ的使命を果たすようになるでしょう。

平和を愛する平和大使の指導者の皆様。世界人口の七四パーセントを占めている蒙古斑同族は、世界で最も大きな単一同族体です。五十億に近いこれらの人々を糾合し、この地球星に真の愛の台風を起こさなければなりません。

皆様とレバレンド•ムーンは、同じ韓半島で生まれ、同じ文化圏を享有しています。皆様は、私の教えである真の愛、真の生命、真の血統を通じた真の家庭完成の真理を伝播し、教育する平和大使であり、天の密使です。平和大使となった皆様は、今から天の真理をもって、死の道も恐れない預言者的な信念と誇りで走らなければなりません。天の密使となって走られる皆様の永生は、天が必ず責任をもってくださるでしょう。

皆様。私たち全員が共有している蒙古斑は、単にモンゴリアンを表示するために生じた生理的な斑ではありません。後天開闢の時代が訪れるとき、真の父母様を中心として全人類を糾合し、統一する求心点とするために、いち早く天が下さった東夷族の印です。さらには、蒙古斑同族の中心軸の位置に立っている韓民族は、六十五億の人類の先頭に立ち、真の父母様の伝統を伝授する代身者としての使命を果たさなければならない選民です。神様が太初に人間を創造され、願われた創造本然の平和理想世界創建が、皆様の目前で、今実現されつつあることを忘れないでください。これが正に奇跡でなくて何でしょうか。

世界の至る所に、交叉祝福結婚家庭が天の真の愛の根を下ろしています。新しい天の血統が実を結んでいます。この美しい地球星を本然のエデンの園に育て、人類は今から永遠の平和と幸福を謳歌し、子々孫々、天一国のハレルヤを心ゆくまで叫ぶ日が近づいています。

皆様と皆様の家庭、そしてこの韓民族の上に、神様の大いなる祝福と恩寵が共にあることを願います。ありがとうございました。

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人間は今まで、歴史を通して、絶えず人間を中心とする平和運動ばかりを展開してきました。その良い例が民主と共産の対決です。個人の権益と自由をどれくらいより認定し、保障するのか、その程度の差だけであって、民主主義も共産主義も、すべて父母を失った子女たちがカインとアベルに分かれて争う、兄弟間の紛争の範疇を抜け出すことができませんでした。

人類は、誰彼を問わず、例外なくサタンの血統を受けて生まれたサタンの子女たちです。皆様自身のことを一度考えてみてください。日常生活の中でも、時々刻々、あらゆることにおいて善と悪が皆様の内部で主導権の争奪戦を展開しているではないですか。したがって、このような不完全な人間ばかりを中心として展開する平和運動は、歴史的に常にその限界にぶつかり、挫折してしまったのです。

世界平和実現の華やかな夢を抱いて出発した国連が、今日その生まれながらにしてもつ限界点にぶつかり、人類にこれ以上希望を与えることができずにいることも、正にこのような理由のためです。一言で言えば、天が直接運行し、歴史を摂理できる時を迎えられなかったということです。

皆様。しかし、今では、時が変わりました。過去八十年以上の歳月を捧げ、ただ天の道だけを歩んで勝利したレバレンド•ムーンの勝利的基台の上に、ついに後天開闢の時代が宣布されたのです。罪悪と足かせの沼で苦しんでいた人類を解放、釈放させ、自由と幸福の世界である創造本然の理想世界を創建する天運の時が、私たちと共にあるのです。天がレバレンド•ムーンに人類の真の父母としての印を押され、新時代を開いてくださったことには、いくつかの明確な理由があります。

第一に、ために生きる人生、すなわち真の愛の人生の価値を実践して勝利し、人類に伝授してあげたその勝利的基台のためです。人間は、誰もがために生きるように生まれました。しかし、堕落による無知のために、正反対の道である利己的個人主義に陥ってしまったのです。歴史上、初めてこのような天の秘密を明らかにし、人類を教育してきたレバレンド・ムーンの波瀾万丈の人生を、神様はよく御存じでいらっしゃいます。

第二に、私は、一生を捧げて万難を克服し、勝利的基台を立てたのであり、真の愛の実践教育を通して、神様と人間が父子間の関係を再び回復し、確立できるすべての条件を充足させたのです。愛の怨讐である姦夫サタンの子女となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の奴隷となって生きていた人類に、真の愛の根源であられる神様の真の血統に復活、重生される道を開いてあげました。真の愛の人生を通して個人完成を実現し、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界を立てる道を完全に開いてあげたのです。

皆様。私たちが世の中を生きていってみれば、たくさんの縁と関係が、必然的に私たちの人生に影響を及ぼすようになることを発見します。ところが、大部分の関係は、人間の恣意による選択権の中で結ばれるようになります。皆様が置かれた環境条件の中で、必要によって結ばれる関係だというのです。このような関係は、後天的な関係であり、人間の努力いかんによって、いつでも変えたり、なくしたりできる人倫的次元の関係にすぎません。

しかし、生まれる時から天が賦与してくださった天倫は、私たちの選択権の外にある原初的関係であり、宿命的関係です。血縁だからです。父母や兄弟を、嫌いだからといって取り替え、選挙で選ぶことができないのも、それが血縁的関係だからです。一度、金氏の家門の子女として生まれれば、永遠に金氏の家門の血統をもって生きるようになるのです。

ところが、今も人類が罪悪の落とし穴から抜け出すことができずにいる理由は何でしょうか。最初からサタンの偽りの血統を受けて生まれたからなのです。摂理的なみ旨と目的を中心として天が授けてくださった本然的で、原理的な血縁ではなく、人間の失敗によって引き起こされた後天的で、非原理的な関係だという意味です。

言い換えれば、堕落して父母を失ってしまった孤児の立場になったとしても、天が下さった父母と子女の根本関係がなくなったわけではないのですが、堕落によって無知な植物人間となり、父母が厳然として生きていらっしゃるのに、気づくことができずに生きる、目の見えない人生になってしまったというのです。

したがって、堕落の血統を所有している人間は、誰彼を問わず、例外なく血統転換を経て再び生まれなければなりません。その道だけが、神様が下さった創造本然の血縁に還元する唯一の道だからです。

血統転換をして人類を再び神様の子女として探し立てる最上の方法は、交叉祝福結婚です。交叉祝福結婚は、人種、文化、国境、宗教の壁を跳び越え、すなわちすべての怨讐関係の鎖を断ち切り、新しい次元の天的血統を創造する革命的役事です。神様が、この現象世界を摂理されるために、実体をまとって顕現された平和の王、真の父母を通して再創造される神聖な血統転換の儀式なのです。

愛する平和大使の代表指導者の皆様。皆様も一度胸に手を置いて静かに考えてみてください。今日、私たちが身を置いているこの戦争と反目の世の中を、何か他の方法で救うことができるでしょうか。怨讐の家門、さらには怨讐の国とも、交叉祝福結婚を通して、憎みたくても憎めない一つの家族になること以外に確実な方法がどこにあるでしょうか。皆様は、後天時代を導いていく世界百二十万の平和大使を代表する指導者の位置に立っていらっしゃいます。今後、人類の平和と幸福に責任をもち、「平和王国警察」と「平和王国軍」の使命を完遂しなければならない天の密使なので、四大聖人はもちろん、数十、数百代にわたる皆様の先祖たちまでが総動員され、皆様の一挙手一投足を見守っています。

したがって、皆様の使命は、今、火を見るよりも明らかになりました。まずは、皆様の親族と知人たちに、後天開闢の時代、すなわち天一国創建の時が来たことを周知させなければなりません。天がこの時代に、真の父母様を中心として全世界的次元で展開していらっしゃる摂理的内容を、教育すべき責任が皆様にあるという意味です。

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3.天地父母統一安着宣布日付:二〇〇二年六月二十一日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:天地父母統一安着宣布大会

この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に御参加された高名な紳士淑女の皆様。愛する祖国の兄弟姉妹の皆様。そして、この歴史的な大会を見守ってくださっている全世界七千万の皆様に心から感謝申し上げます。

私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布の時代を迎えました。六千年間、天と地が何よりも待ち望んできた平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神様の摂理的な内容と神様の心情を完全に知るところから、すべてが解決されるのです。

平和世界はいかにして訪れるのか今日、人類が平和の世界を語り、一つの世界を語っていますが、まずは私個人から一つになり、平和をつくることが問題です。ですから、そのような実情を知る神様がおられ、心ある人間、偉人がいるとすれば、自分個人を一つにする作業をしようと考えざるを得ないのです。

皆様はよく、「互いに愛し合い、互いに奉仕し、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいく」と言います。「愛しなさい」というのは、「与えよ」ということです。「自分から相手に働きかけよ」ということです。「互いに愛を受けよう」、「愛してほしい」ということではありません。互いに奉仕するようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの立場の磁石が必ずプラスに向かうように、良心の力によって神様を知ることがてきます。

良心の力によって神様に接近すればするほど、何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じることができ、平和の母体となる神様の愛によって、自分の五臓六腑全体が刺激を受け、衝動的な感銘を感じることができる人間になるのです。

「自分は今までこのように生きてきたが、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならない」と考え、気力が足りなければ、ひざまずき、骨が固まって死ぬことがあっても、「私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間に尽くさなければならない」と夜を徹して祈祷しなければなりません。国土を守り、人類が至るべき幸福の基盤を見つめながら生きながらえ、「私が死んだとしても、世界を生かしてほしい」と祈れば、その老人の墓は雑草に覆われたりはしないでしょう。

いくら醜くしわがよっていても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとして現れ、歩く姿が憔悴していても、その道が希望の灯台として輝く座標になると分かるとき、自分の生涯において、悪の友となり、悪の足場を広げてきたこの恨を踏み越えて、「私の生涯に、もう一度だけ善の基盤を加重させて行かなければならない」と切実に願うようになるのです。そのような運命の道があることを知り、休まず急いで行かなければなりません。

そのため、私も今まで生きてきた生涯で、そのような趣旨から六度も投獄の苦難の十字架を背負ったのであり、海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で、異端者だと指弾される時も、反対される時もありました。しかし、私の行く精誠の道理が、皮膚の色が違う民族を通して正統の主流思想であることを知り、天のみ前にひざまずき、天を慕うことに歩調を合わせる道であるならば、私はどこにでも駆けつけるという思いで、一生の間生きてきました。

私たちが天の精兵となって勝利してこそ、神様が永遠に喜ぶと同時に、イエス様と聖霊も永遠に喜び、聖賢たちまで喜ぶ平和の時代が、この地上に到来することを心に銘じなければなりません。それで、個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いまで経るようになるのです。また、神様とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和の時代が訪れるのです。そのような原則的な過程を通して摂理してこられた神様の事情を、皆様は悟らなければなりません。

神様がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和の時代がやって来るのです。神様の悲しい心情の中心を一掃し、解怨する時がやって来ない限り、人類の平和も実現されず、天的な一つの理念もこの地上で結実の時を迎えられないことを、皆様は知らなければなりません。

もし真の人間がいて、人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設する一つの主義と思想をもって現れるとすれば、その人は個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠とその切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。それができないとすれば、人の世には恨のない平和の世界、幸福の世界、自由の園の建設は不可能なのです。

天国創建の時代における永遠の指導者の条件皆様が宇宙的な天国の理念を代表する存在となり、神様の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開するならば、平和の世界がこの地に建設されるのです。ですから、自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の子女だけが子女ではないのです。

皆様が、すべての人を自分の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人になれば、死亡の世界で苦しむ多くの民を見つめるとき、涙なくしては向き合うことができないはずであり、兄弟や幼い人々を見つめる時も、彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。そのように本当に神様のような皆様になるならば、皆様を中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。

神様は、サタンから先に打たれても、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、命を奪われながら取り戻してくるのです。そのような作戦を取らなければ、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。

皆様は家庭を率い、国と世界のために進まなければなりません。大韓民国において、個人的な時代、家庭的な時代、氏族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家に方向を提示できる案内役を担わなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神様に侍ることができてこそ、霊界と肉界は統一された平和の世界となるのです。

そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天の世界の栄光の表彰を受けるようになるのです。自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流して闘ったとするならば、その人は滅びません。その人が流した血は、死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるからです。そのようにして創建されたその場所こそが、私たちが行かなければならず、とどまらなければならず、残さなければならない基盤なのです。

そして、皆様が天のみ前に「天よ!あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われていたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠にすべての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷するとき、神様が「おお、そうか!」と言える立場で、神様の喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。

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神様を解放してこそ真の解放の道が開かれる堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復して、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された「終わりの日」は、真の父母が顕現する日です。言い換えると堕落によって父母を失った人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時なのです。

したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、望みの結実体であり、勝利の結実体です。統一教会は、このような伝統を、国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を跳び越え、黒人と白人、黄色人種の人々が同じ兄弟姉妹として一つになり、夫婦となることは、地球村を一つにしようとする神様のみ旨の成就において、最も重要なことの一つなのです。

今日、そのように人類は、失った本然の兄弟姉妹、夫婦、親子の関係を回復し、究極的に、我が子を失って嘆いてこられた神様を解放してさしあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。今まで民主主義は「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。それとは違い、これから私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決すれば、人間の解放はもちろん、人間の自由回復は自然と成就されるのです。

アメリカは様々な面において、神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、命を懸けて信仰の自由を求めて国を探してきた清教徒たちです。

彼らは真の信仰の自由を求め、愛する親兄弟と故郷に別れを告げ、さらには国まで捨てる覚悟で命を懸けて大西洋を渡ってきました。

メイフラワー号がニューイングランドに到着したのは、一六二〇年十一月の晩秋のことでした。出発した百二人のうち、その年の冬を越えられずに寒さと飢えにより半分以上の人々が死にました。彼らが立派だったのは、子孫のために翌年に蒔く種を残して、自分たちは飢え死にしていったという事実です。

建国精神を失ったアメリカを生かすために努力してきたレバレンド•ムーン清教徒たちは、何をするにも神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは一年目の収穫を手にして神様に感謝を捧げ、先に教会と学校を建ててから自分たちの住む家を建てました。清教徒たちが開拓していく路程で農業を営むときも、戦争するときも、いつも先立たせたのが祈祷でした。

独立戦争当時、かの有名な最後の激戦地であるフォージ渓谷で、ジョージ•ワシントン将軍は、戦闘をしながら、決戦に臨むその瞬間に、命を懸けた祈祷を捧げたでしょう。神様のみ旨を先立たせた戦闘において、神様はアメリカの手を挙げてくださったのです。

当時、世界的な強大国だったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは神様と神様の愛する息子、娘が共に戦ったのです。ですから、アメリカという信仰の自由の国家が成立したのです。今もアメリカは、国会が開院するときに祈祷で始めます。大統領が就任の宣誓をするときも、聖書に手を置いて神様のみ前に誓いを立て、聖職者の祈祷を受ける国です。

さらには、貨幣にも「我々は神を信じる(In God We Trust)」という言葉が刻まれている唯一の国です。このようにして、アメリカは信仰の自由を確立し、プロテスタントを信奉する世界的な形態を整えた国家となったのです。

ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりも進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに達する離婚率は、家庭の神聖さを余すところなく破壊しています。

そのような現実を心配された神様の声を聞いた私は、いち早く一九七一年に祖国と家族を後にしたままアメリカに渡ってきました。そして私は、数度にわたって全国を巡回しながら「火事の家に消防士として来たのであり、病気にかかったアメリカを治療する医師として来た」と叫びました。

既にそのとき、私は、神様がアメリカから離れつつあることを発見しました。アメリカのあらゆる所に神様がいらっしゃらなければならないのですが、反対に随所から神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から、神様が離れつつありました。振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタン五番街を歩きながら、アメリカを離れられる神様にすがってとめどなく涙を流したことが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは、私の予言したとおり、道徳的に衰亡の道を歩んでいます。

アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人皆様。どうしてレバレンド•ムーンがアメリカで反対され、苦労し、このように叫んでいるのでしょうか。私は神様がアメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の御苦労を誰よりもよく知っているので、この三十四年間、アメリカにいながら、一日として気を楽にして過ごしたことはありません。

アメリカの主人は誰でしょうか。白人でも、黒人でもありません。神様がアメリカを愛されるように、アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人なのです。アメリカは地上に神の国を立てるために選ばれた長男のような立場の長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的にアメリカの地に主におられながら、神様のみ旨を成就してくれることを切実に願っていらっしゃいます。

一方、私は、神様のみ旨に従って、一九八二年に「ワシントン・タイムズ」を創刊し、アメリカの行くべき正しい方向を提示する保守紙としてアメリカの世論をリードしてきました。そして、真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて強力な救国救世運動を展開してきました。それらすべては、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことができるようにと願う心から投入したのです。

私が一九六五年にワシントンDCを訪問した時に定めた、ホワイトハウス近くの聖地には、今も夜を徹してこの国アメリカのために祈祷する人々が大勢います。皆様は、心の扉を開いて、あの清教徒をはじめとした歴代の愛国の烈士たちの切なる願いを聞くことができ、そのような叫びを、そのような望みを聞くことができなければなりません。

神様を中心とした真の父母、家庭、国家、世界を探し出すべき時内外の貴賓の皆様。歴史的な二〇〇四年は、六千年間追求してこられた神様の救援摂理歴史が終わり、エデンの園で失った創造理想が天宙的に実現する時です。人間の堕落によって主人を失ってしまった万物の嘆きも解放される時であり、長い間分かれていた父母と子女が再会する、これ以上涙のない新しい天と新しい地がつくられる時であり、地上と霊界が一つに通じ、地上と天上に「神の国」が建設される新しい時代が訪れました。

生きておられる神様の直接主管が、全体、全般、全権、全能の勢力として現れる時代です。東洋と西洋の全体が天地父母を中心として「唯一なる神様のもとの一つの宇宙」として、地球星大家族主義世界が実現する時です。それは聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代の完成を意味します。今や時が来ました。アメリカがもう一度、覚醒すべき時が来たのです。

第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を探し出すベき時なのです。そうして離れようとされる神様を再びお連れしてこなければなりません。六千年間も準備して訪ねてこられた神様は、アメリカを離れられたら、どこに行かれるでしょうか。

神様に正しく侍るならば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は、自ずと解決されます。五色人種が一つになって生きていくアメリカは、地上天国のモデルです。この時に私たちは、一致団結して人類の進むべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様のみ前に導く先導者的な使命を完遂しなければならない時です。その歴史的な課業を完遂するために、みな共に参加してくださるようお願いします。

神様が直接主管される時代の到来去る三月二十三日に、ワシントンDCに位置するアメリカ国会議事堂で、天宙•天地•天地人父母様に対する平和王即位式は、神様の王権を地上に実体的に安着させた偉大な宣言でした。さらにまた、当日、議事堂で行われた天宙平和統一理想天国の宣言は、国連国家祝福家庭連合時代を開いていく歴史的な起源となりました。

今や、天宙・天地•天地人父母を中心として理想家庭が基盤となって、地上天国、天上天国が現実的に実現される天一国四年になりました。それで四月のこの期間において、「天使世界の解放、釈放」に続き、「カイン•アベルの釈放」、さらにきょう第四十四回「真の父母の日」を契機として、「父母様の釈放」の日となったのです。

ひいては、今度の五月一日は、「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年を迎え、「国家の釈放」の一日を迎えるでしょう。解放、釈放の時代を迎え、今後、全体、全般、全権、全能の神様にすべてを任せ、直接導かれる神様の直接主管の時代が到来するのです。

改めてこの場にお越しくださった皆様に深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、私の話を終えようと思います。皆様の御家庭と国に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。

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キリスト教の使命皆様は、自分の子女が死んでいくというそのような深刻な心情で、世界の人類のために祈ってみたことがありますか。皆様は個人を犠牲にして家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか。そのような点では、誰も自信をもって答えることができないでしょう。そのような絶対的な基準の代表者として来られた方が再臨主なのです。

人間始祖が堕落して以来、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダムの時から二千年後にアブラハムを立てられ、その子孫の中から選民を立て、新しい家庭、氏族、民族を編成したのですが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体で迎えるための主流民族となったのです。主流民族にならなければなりませんでした。

その主流の真髄を調べてみると、本来、人間始祖アダムとエバが果たせなかった使命を再現するための基準と理念が必要だったのですが、それが正にメシヤ思想であり、キリスト教徒たちの立場からして見れば、新婦思想なのです。主を新郎として迎えるために、新婦としての資格を準備することが、キリスト教の最も重要な使命なのです。

そのような重大な使命があったにもかかわらず、ユダヤ民族はイエス様を十字架で処刑することによって、第一イスラエルとして召命を受けたユダヤ民族は流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。神様は、その一つの目的を中心として六千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。

それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一する思想であり、本然の理想家庭を築くことのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった真の父母の位置を取り戻すということです。

聖書の教えを見ても、メシヤは、父の権勢をもって来られ、聖霊の実体の立場である新婦に出会い、真の父母の位置を回復される存在です。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」の後に、新郎と新婦は真の夫婦の段階を経て、真の父母となるのです。

そのような使命のために来られた方がイエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難の路程は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。

イエス様は茨の道にあっても、「彼らの罪をお赦しください!」と切に求めました。死んでいく場でも、未来の勝利を期して、ローマと、反対する群れを祝福したのです。

ですから、イエス様の生涯は三十三年で終わったわけではなく、神様の援助の中で、歴史とともに続いてきたのであり、彼の精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得なかったのです。

文明の循環と温帯文明圏の出発地内外の貴賓の皆様。アメリカは今、世界で最高の強大国と言われていますが、神様の摂理の線上に正しく立たなければ、いつまでも強大国であり続けることはできないでしょう。人類史を文明論から見ると、古代文明の発祥は主に熱帯圏で始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明と中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。

人間が堕落しなかったならば、春の季節に当たる温帯文明から文明が始まるべきでしたが、熱帯文明から始まり、秋の季節に当たる冷帯文明圏に属するようになりました。それは自由世界を中心とした温帯文明圏であり、西洋文明がその中心です。赤道を中心として見ると、その文明圏は大体北緯二十三度圏に連結しており、アメリカ、イギリス、ドイツなど西方の先進諸国がこれに該当します。

秋の季節に当たる涼帯文明圏が終わり、冬の季節に当たる寒帯文明がしばらく押し寄せてくるようになります。それが共産主義の出現でした。知識人たちの多くは、ソ連の解体後に、戦後の冷戦体制は終わったと考えていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化した民主と共産の二大思想の代替理念として世界の随所に蔓延しています。

本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、人間の堕落によって熱帯文明の原始的な状態から出発したのです。これからは、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を越えて、古代から人類が追求してきた真の春の文明である温帯文明が現れるでしょう。

誰が寒帯文明の冬の季節を溶かすことができるのでしょうか。権力や経済、科学や知識では不可能です。河川と海岸を中心とした文明の循環を調べてみても、文明は循環しています。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、その地中海文明は、イギリスとアメリカを中心とする大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明圏で結実するようになるのです。

そのような文明史的な観点から見ると、韓半島の位置は極めて重要です。韓国は、北方にロシアと中国をつなぐ寒帯文明圏の極地点があり、南方にはアメリカと日本をつなぐ涼帯文明圏の極地点があります。したがって、ここに二大文明を消化できる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するというのが摂理観です。

そのような側面から、その二大文明の結実地である韓国から、人類的課題として残されている世界の南北問題と東西問題を解決するために生涯を捧げてきたレバレンド•ムーンが現れたというのは、神様の摂理的な帰結と言わざるを得ないのです。

実際に、私が生涯を通して人種と理念と国家を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、そのような神様の摂理に沿った道だったというのです。これは摂理史的な原則であって、私がつくりあげた特別な理論ではありません。

真の父母として展開してきた「神様のもとの一つの世界」運動天のみ旨を悟った私の活動は、理論だけではなく、以上のような神様の構想を実現するため、外的に五大洋六大州で私の手が及んでいない所がありません。アラスカ、南極、南米の三十三ヵ国、旧ソ連邦の各国とアジア、アフリカ大陸の国々など、全方位的な宣教と事業基盤を通して、到来した新千年紀の時代に、人類が直面する公害や食糧問題などを解決できるように準備をしてきたのです。近年にはブラジルのパンタナールとアマゾンを中心として、地球環境保全に対する実質的な基盤を整えてきました。

一方、内的には、これまで「国際合同結婚式」と「真の家庭の価値誓約運動」を通して、これまで四億組を目指して式典を挙行し、神様が長い間、待ち望んでこられた理想家庭を土台とした地上天国の建設に拍車を掛けてきたのです。

内外の貴賓の皆様。これまで世界は、政治、軍事、経済面において優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たないとき、永遠の国はありません。輝かしいギリシャ•ローマ文明の滅亡が、そのよい例です。今日、超強大国にそびえ立ったアメリカは、過去のロ—マと同じ立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯というよりは、道徳的な堕落という内的な原因によって天の運勢が離れたからでした。

一時期は労働者と農民を主体とみなす唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心として世界の人口の三分の一、地球面積の三分の二を占有したこともありました。しかし、それも永遠には続きませんでした。今後は、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来るでしょう。

宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげる預言者です。しかし、今のように四分五裂となって継続されてきた教派間の葛藤と宗派間の争いは、神様の摂理に対して障害となるばかりです。

ですから、私はかなり前から教会の全体予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決するために努力してきたのであり、さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教団体間の和解と一致によって、人類平和を増進する運動の先頭に立ってきました。全人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現に向けた神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。

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真の愛で真の家庭理想を完成「世界平和女性連合」の指導者の皆様。皆様は、連日の大会で疲れもあり、「十日ほどしかたっていないのにまた大会をするのか」と口から不平も出るでしょう。しかし、私と共に毎日精誠を尽くせば、神様の善なるみ旨が成し遂げられるのです。

私は皆様を利用するつもりはありません。むしろ皆様にとって私が必要でしょう。韓総裁と一体になり、その分身のようになって、皆様の家庭から子女を正しく教育し、夫を正しく導かなければなりません。そうして、皆様一人一人が真の愛の理想のもとに、神様の祝福を受けることを願います。私の最大の関心事は、皆様の各家庭が真の愛で一つになって真の家庭理想を完成することです。

「世界平和女性連合」の市、郡、面、里、そして洞、統の指導者である皆様によって、道義が再建され、真の愛の実践運動が展開されるならば、それ以上の愛国運動がどこにあるというのでしょうか。麻薬追放、禁酒禁煙運動、売春街の撤廃、指導者たちの不道徳の一掃、青少年の脱線防止、正しい道義を展開する運動など、私たちのやるべきことは山ほどあります。

韓国の社会が、女性指導者の皆様によって浄化され、真の愛により和平を成し遂げた時に、初めて南北統一の民族的宿願も成就するのです。そればかりでなく、私たちの民族が世界を指導する平和な世界が形成されるでしょう。

効果的な女性連合運動にするためには女性指導者の皆様。私は今日まで、自分が実践していないことを弟子たちに指示したことはありません。ですから、皆様は、私が精誠を尽くした分の百分の一でも真の愛を実践して、救国の大きな運動を起こしてくださるようにお願いします。最も効果的な女性連合運動の単位は面と洞、そして里と統です。このような基本単位から、真の愛の運動が班を越えて家庭にまで定着するようになるのです。このようにして、本来の堕落しなかった本郷に帰ってきて、神様と分立された家庭を取り戻し、永遠に定着するようになるのです。

今日まで神様は多くの御苦労をしてこられました。完成したアダムを育てるために、ありとあらゆる御苦労をしてこられました。そのようにして真の父が生まれ、真の天の男性が生まれたのです。サタン世界は、この男性が真の新郎、主人、地上•天上天国の王として来られる方であることを知っています。ですから、全世界の男性たちは、世界を代表した個人、家庭、国家、世界、天宙を合わせて、その方を滅ぼそうとするのです。

しかし、その方は、サタンが浴びせる迫害と謀略、中傷を歴史的に受ける立場から、世界的個人、家庭、国家、世界、天宙的勝利を収めて神様と一体になり、歴史上初めての勝利者となって、サタン世界の個人、家庭、国家、世界、天宙を取り戻してくるようになったのです。

真の父のあとに従ってくる立場にいた真の母が、歴史上初めて対等な立場に立てられて、全世界に女性解放を宣布しました。それによって、真の父と真の母が子女を率いて神様のみ前に出て、天の全体、全権、全能を相続して本然の家庭を出発し、氏族と民族、国家、世界天宙を取り戻して、み旨が完成した世界を再編成するのです。すべての男性は天使長の立場にいるので、すべての女性を返さなければならない立場に立つようになったのです。完成したエバである真の母の分身の立場に立った女性は、分身的エバの立場で真の母と一体になった条件で真の父と一体になった条件を得ることによって、真の父母の思想で息子、娘を教育しなければなりません。

真の父母の家庭と一体になって創造理想の家庭を復帰しようこのような教育を通して、息子、娘が真の息子、娘格の立場で母と子が一体になり、世の中の父を再教育し、再び真の父母の祝福を受けて接ぎ木する立場で、真の父母の家庭的道理を体得するようになるのです。アダムとエバが家庭において堕落したので、復帰も家庭でしなければなりません。

里、統、班を越えて家庭に定着しなければならないので、家庭で真の父母様と出会わなければなりません。真の父母様は個人の峠、国家の峠、世界の峠、天宙の峠を勝利して越え、再び私たちの家庭を救うために、天宙から世界、国家、家庭へと訪ねてこられるのです。そのために準備したのが今回の大会です。去る四月十日の大会は、真の父母様の世界大会であり、国家単位である道、市、郡大会を経て、面、里、統、班大会を経て、家庭にまで至らなければならないという目的があります。

「世界平和女性連合」の組織の責任者は、真の父母様の家庭と一体になることで、家庭復帰が可能となり、勝利者となるのです。そうして、氏族を連結させなければなりません。既に真の父母が全国と世界に氏族的メシヤを配置したので、彼らによって教育を受けて一体になれば、国家復帰も自然に成就するのです。

このようにして、南北統一はもちろん、世界統一と地上と天上の統一を完成し、神様も解放されて、初めて神様を中心とした太平聖代を迎えるようになるのです。真の母と全世界の女性が一つになって新婦の立場に立ち、新郎として来られた真の父と共に創造理想的な家庭を復帰しましょう。ぜひ「世界平和家庭連合」の会員となり、祝福を受ける家庭となることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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神様の救援摂理は原状を回復する復帰摂理韓総裁がその基調講演でも触れたように、キリスト教では「人間が善悪を知る木の実を取って食べて堕落した。すなわち不信の罪を犯して堕落した」と教えています。人間始祖は、堕落していなければ、神様の貴い息子、娘、すなわち神様の王子、王女として、神様の血統を受け継いでいたのです。また、彼らは父なる神様の所有、つまり万有も相続するようになっていたのです。そして、彼らは成長して、理想的な愛の夫婦となり、完成するようになっていました。しかし、彼らは堕落することによって、神様の血統を喪失し、神様の所有を奪われ、神様の心情を失ってしまいました。

神様の救いの摂理は、原状へと回復する復帰摂理なので、人間は血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰の使命を担当しなければなりません。結果的に、堕落することによってサタンと一体になったアダムとエバが、サタンに従って地獄に行くようになったのです。エバのあとには長子カインが、そのあとには次子アベルがついて行くのです。

神様の復帰摂理は、あとに出発した善側の象徴である次子を立てて、先に出発した悪側の象徴である長子を屈服させることにより、サタンを分立する条件を立てながら進めてきました。復帰摂理の根本は、血統と所有と心情を転換する、復帰されたアダム、すなわちメシヤを送るところにあります。しかし、本然の息子の心情的な立場を一遍に復帰することはできません。

僕の僕の立場から出発して、一つ一つ復帰していかなければなりません。サタンが権勢を握っているこの世においては、善側のアベルが、僕の僕の立場から真の愛でカインのために生きることにより、サタンが讒訴することができず、かえって称賛し、公認せざるを得なくなるようにする、そのような使命を果たさなければなりませんでした。

そのようにして、僕の使命、養子の使命、庶子の使命、直系子女の使命を果たして、愛と情の秩序に従って復帰されて上がっていくのです。あらゆる段階ごとに、サタンが讒訴できないように、真の愛でカインのために生きてこそ復帰が可能なのです。

直系の子女の立場でアベルがカインを屈服させて一つになれば、その基台の上に母のエバが立つことができ、そのエバが責任を果たせば、アダムが立つことができるのです。この時初めて神様がその基台の上に臨在できるのです。そこに、縦的で必然的な復帰摂理の八段階の過程があるのです。別の面から、復帰の段階を横的に見ると、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、そして神様に至るまで八段階があります。

「頭翼思想」と「神主義」イエス様は第二のアダムであるメシヤとして来られたのですが、不幸にも、選民イスラエルがイエス様のことが分からず、十字架上で亡くなるようにしてしまったのです。再び来られる再臨主は、聖書の文字どおりに空中から雲に乗って来られるのではありません。今年(一九九二年)の十月二十八日に、信じる者は空中に引き上げられるなどと宣伝する人たちもいますかそのようなことは起きません。私の言うことを信じてくたさい。絶対にそのようなことは起きません。十字架で行かれた主なので、十字架を通してこそ再び来られるのです。

イエス様が十字架で亡くなられる際に、十字架を中心として三種類の人々がいました。罪人ですが罪を悔い改めてイエス様のことを証した右の強盗がその一番目です。二番目は、罪人でありながらその罪を悔い改めずにイエス様を誹謗した左の強盗です。そして三番目がバラバです。彼は当然十字架につけられて死ぬべき罪人だったにもかかわらず、ユダヤ人たちがイエス様を十字架につけて処刑したことによって、代わりに恩赦の恵沢にあずかった罪人です。

再臨の時には、この三種類の人類が世界的に拡大して現れるのです。西欧のキリスト教圏は、一番目の右の強盗の立場です。原罪はあるものの、主を信じる善なる立場です。無神唯物思想の共産圏は、二番目の左の強盗の立場です。中東のイスラーム圏は、三番目のバラバの立場です。バラバは、イスラエル民族がイエス様を十字架で殺害することにより、代わりに命拾いをした立場で中東地域を占有するようになったのです。

イエス様が十字架で亡くなることによって生じたこの三種類の世界的な結実を、イエス様が復活した立場で来られる再臨主は、すべてを収拾しなければなりません。西欧キリスト教の収拾のために新しい宗教改革運動を起こし、その一方では共産主義の無神論思想を克服して、共産圏の全体を神様の側に取り戻さなければなりません。そのように左翼と右翼を克服し、統一調和させる思想が、すなわち私の提唱した「頭翼思想」と「神主義」なのです。

先ほどお話ししたように、既に「頭翼思想」によって左翼と右翼の世界を収拾しているのです。また、閉鎖的で熱狂的なイスラームとも、歴史始まって以来初めて和解し、協力し合えるようになり、去る四月には、中東の八ヵ国の代表が統一教会の合同結婚式にも参加するという奇跡が起きたのです。堕落人間の罪悪を清算する祝福式を主催し、左右両陣営を収拾して、歴史的な葛藤を解消し、さらにイスラーム圏とも和解する奇跡を遂げたのです。

再臨主、救世主、真の父母であることを宣言これは人間の能力や計画だけでできるものではありません。神様が私をメシヤとして立てられ、これまで救世の摂理をしてこられました。私は再臨主、救世主、真の父母として、その使命を果たしてきたのです。時が来たので、このことをこの場で宣言する次第です。

聞く者は幸いです。この民族が私の言うことを聞けば、この国はどんなに幸いな立場になるでしょうか。為政者たちが私の話を聞けば、どれほどよいでしょうか。聞くか聞かないかは各自の責任ですが、結局は、万民が私の言うことを聞くようになる時が来るのです。多くの人々は、救世主は審判の権能をもっている栄光の主であると思っています。しかし、それは間違いです。神様はこの罪悪世界を御覧になりたいとは思いません。一瞬で審判してしまいたいとも思われるのです。しかし、真の愛の神様は、人間の永遠の生命を常に御心配されます。皆様は、このように長い間耐え忍びながら、真の愛によって自然屈伏させる神様の心情を知らなければなりません。

堕落した人間からすれば救世主ですが、神様からすれば、太初に失ってしまった真の愛の創造理想を成就する真の息子であり、真の父母です。救世主は、堕落によってもたらされた神様の恨を晴らしてさしあげるために、生涯を捧げて犠牲の道を開拓してこられた方です。栄光の中にのみいらっしゃる方ではありません。常に神様の心情と共に痛哭し、サタンを屈服させるために心を痛められる方です。神様の創造目的を成し遂げるために心血を注ぎ、気をもんでいらっしゃいます。救世主は、失った子女を尋ね求めて、サタン世界をさまよいつつ、僕の僕の姿で泣き叫ばれる神様のことを誰よりもよく知っているので、神様の心情が完全に解怨されない限り、栄光を受けることができないのです。

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1.真の父母様の再現と理想的家庭日付:一九九二年七月七日

場所:韓国、釜山、社環体育館

行事:「世界平和女性連合」指導者大会

韓鶴子総裁、御来賓、そして満場の女性指導者の皆様。きょう私は、韓総裁の話を通じて大いに慰労を受けました。天命に従い一筋の道を走ってきた私の生涯は、波瀾万丈の苦難の道でした。

人類の根本問題に対する解答天道を立てる道は、妥協のないまっすぐな道です。人間的な面目や人間的な威信を主張できない道であり、ひたすら神様のみ旨だけのために歩む孤独な道でした。個人に運というものがあるように、家庭や国家にも家運と国運があり、さらには世界の運があります。そして天地全体には天運というものがあります。しかし、どんなに良い運勢をもって生まれた人であっても、気運が傾く時は苦難を受けるのです。良い個人運や家庭運に生まれついた人であっても、より大きな国運が傾く時は、共に没落せざるを得ません。

さらには、国家や世界の方向も、すべてを包括し、あらゆるものの上にある天運の方向と進行によって決まるのです。ですから、この世で天道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合わせるようにすることなのです。

今日、韓国の国家的病弊や世界の問題を考えてみてください。経済不況、環境汚染、政治的な不条理、人種と宗教の紛争、倫理と道徳の退廃、価値観の崩壊など、様々な病弊や問題に対して、いったい誰が根本的に解決できるのでしょうか。人間の知恵や努力だけではできません。お金の力や権力を総動員しても解決できません。むしろ、人類の病弊はますます深まる一方なのです。

今や人間は、謙虚に天の声に耳を傾け、神様が提示される解決の道を探さなければなりません。この国と人類は、私の教えを受け入れなければなりません。これは自分自らを誇ろうとしているのではなく、神様のみ旨がそのようになっているからです。神様は私を通して天道を明かしてこられ、また人類の根本問題に対する解答を与えてくださいました。

苦難と逆境の中で築き上げた驚くべき基盤これまで、私に対する歴代政権による無理解と迫害は、私に無念の牢獄生活を強いてきました。また一部のキリスト教徒たちの偏見と悪意に満ちた反対は、様々なうわさをつくりあげ、私の行く道を実に困難なものにしました。しかし、神様の守りがあり、私は世界的に奇跡的な勝利の基盤を築き上げてきました。これは、歴史始まって以来、前例のない驚くべき基盤なのです。特に、全世界のキリスト教を代表した国として準備されたアメリカでは、かつて有色人種の誰もがもち得なかった記録的な基盤を私はもっています。もちろん私はアメリカにおいて、人種差別や宗教的な偏見によって多くの苦難を受け、無念の監獄生活までも耐え抜かなければなりませんでした。

しかし、私は、根底から揺れるキリスト教の基盤を再建し、麻薬や不倫で重病を患っている青少年たちを「アメリカの希望」になるよ宗教育し、訓練しました。アメリカにおいて、私の基盤は誰も無視できなくなりました。日本やヨーロッパにおいても同様です。既に、世界百六十ヵ国の宣教部は、それぞれの国において、信仰運動とともに、倫理と道徳の再建運動の表象となって発展しています。

私は一九八〇年代の初めから、「ソ連帝国の滅亡」をテーマとして、世界的な学術会議を開くように提案してきました。一九八五年に発行された学術研究誌は、ソ連共産帝国の滅亡を最初に予言した世界的な資料となりました。そのような基盤の上で、ソ連を訪問してゴルバチョフ大統領と会いましたが、今はソ連の十五共和国のうち三共和国が統一教会を国教にしようという動きを見せています。既に数万人の大学生たちが私の思想を学び、七百以上の大学で原理研究会という統一教会の大学生の集まりが組織されました。また、高校の教師と生徒の数万人が、今年に入って修練を受けています。

このようなことは、人間の力だけでできた結果でしょうか。これこそが、生きて働かれる神様のみ業が共にあった生きた証なのです。徹底した無神論者たちが、四泊五日の修練教育を通して、神様を中心とした人生観と宇宙観をもつ人格者へと変わっていく奇跡が起こっているのです。

中国においても大きな基盤を築きました。パンダ工業都市の建設など、重要な事業が数十年前から準備されてきており、私たちのたくさんの地下宣教師たちが苦労してきました。また、昨年(一九九一年)十一月三十日、平壌を訪問し、金日成主席と会ったのも、すべて天命によるものなのです。

今まで南北統一のために尽くした私の精誠は、神様のみが御存じであられます。南北統一は、可視的な韓国と北朝鮮の統一だけではなく、神様が中心となられた摂理的な統一です。南北統一は私の基盤を通さずしては成就されません。摂理が要求する統一は、統一自体が目的ではなく、その統一の基盤の上に永遠の自由と平和と幸福と理想を花咲かせるためなのです。

ですから、力による統一や相手を不幸にする統一であってはいけません。相手のために与えては、また与える真の愛による統一でなければなりません。祖国統一は、一個人や一政党、あるいは政権の利益のために利用されてはなりません。私たちすべての愛の心と実践が、北の地の同胞たちの心に届く時に、真の統一が訪れるでしょう。

世界平和を実現するために創設された「世界平和宗教連合」女性指導者の皆様。私はために生きる神様の真の愛を中心として、今日まで超教派、超宗派の和合運動を世界的に展開してきました。宗教団体間の和解や交流なくして、どうして世界平和が訪れるというのでしょうか。今も中東、アイルランド、インドなどの地では、凄惨極まりない宗教紛争が繰り広げられているではありませんか。

私は昨年八月二十七日、世界のあらゆる宗教の最高指導者たちを集めて「世界平和宗教連合」を創設し、宗教者たちが和合と協力によって世界平和を実現することに合意しました。実に貴い組織です。宗教は、それぞれの個別性も重要ですが、それに劣らず、互いに共通点も多く、絶対者を追求する同じ目的をもっています。すべての宗教は、神様がその全体摂理の目的のもとにお立てになったということが重要なのです。ですから、お互いに和合しなければなりません。

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18.平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道日付:二〇〇四年四月十九日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ニューヨーカー•ホテル

行事:第四十四回「真の父母の日」

尊敬する内外の貴賓の皆様。まずはきょう第四十四周年「真の父母の日」を祝うために全世界からお越しいただき、この場に参加してくださった各界各層の指導者の皆様に心より感謝申し上げます。特別に今回、きょうまで常に私と共にあられ、守ってくださった神様にすべての栄光をお返し申し上げ、深い感謝を捧げます。

今は解放、釈放の時代私は生涯を通じて、神様の創造理想を実現するという一念で、諸般の難問題の解決のために苦心してきました。分かってみると神様は、栄光と尊貴な玉座にいらっしゃる方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し出して救うために全力を尽くしてこられた、悲しみと嘆きと苦痛の神様でした。

そのような神様のみ旨と心情を知るようになった私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も、季節も、環境も跳び越え、ひたすら神様のみ旨を成就するために全身全霊を尽くしてきた日々でした。今や摂理の進展は、天一国宣布四年目を迎えました。摂理の進展に従って、昨年五月四日の「創造理想主管圏大転換時代宣布」と七月十三日に宣布した「蕩減復帰摂理の撤回」を契機として、蕩減革命、良心革命、心情革命の烽火が燃え上がっているのです。

二〇〇三年八月二十日に宣布された第四次イスラエル国を実体化するための努力と第一イスラエル圏である中東の平和のための精誠によって、ついに二〇〇三年十二月二十二日、エルサレムでイエス様の王権即位式を奉呈しました。このような勝利的基台の上で、二〇〇四年三月二十三日、第二イスラエルであるアメリカの国会ビルで平和王権即位式が行われ、それを契機として、人類に真の解放、釈放の時代が近づいてきました。年頭に宣布した「神様の祖国と平和王国時代」が現実化され始めたのです。

私は去る一九七一年に、天の命令に従ってアメリカに渡ってきました。三十年以上もの間、あらゆる迫害を受けたにもかかわらず、私がきょうこの場に皆様と席を共にすることができたのは、神様が共にいてくださったお陰であると思います。

きょうのこの意義深い日に、皆様と共に神様の摂理的な視点から歴史と世界を理解するために「平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道」という題名でお話しいたします。

神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末は、サタン主管の悪なる歴史の終末であり、同時に神様主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって、終末とは天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち終末は、個人完成を完結させなければならない「終わりの日」であり、家庭、民族、国家、世界、さらには天宙の完成を完結させなければならない「終わりの日」なのです。

世界を指導する超民族、超宗教の理念が必要神様は、摂理路程において終末期を迎えるたびに、神様中心の理念圏に人類を引っ張ってこられましたが、実際、人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整備して善なる立場に立つということを成し遂げることができませんでした。しかし、神様は、絶対、唯一、不変、永遠の方なので、神様のみ旨に対する予定もまた絶対です。

ですから、神様は、堕落によって人類が失った真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通して、天上と地上に神様が運行するその世界を探し出して成し遂げられるのです。神様が探しておられる本然の世界は、どのような世界でしょうか。その世界は、真の父母を中心とした真の世界です。

しかし、人類は堕落によって、歴史の過程ではなく、歴史の始まりの時点において、人類の真の父母と真の世界を失ってしまいました。その結果、堕落によって、私たちが住んでいる地も、人類が所有する理念も、どれ一つとして真の父母と直接関係をつないでくれるものはないのです。ですから、人類は何よりもまず「真」を見つけなければなりません。

そうして、真の父母、真の夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が、真の神様の心情を通じて共に動ずることができる、そのような日が、人間世界において悪なる世界の「終わりの日」になるのです。そのような理想が実現するその時が「終わりの日」であり、すなわち再臨の時期です。ですから、再臨の時期は、火の審判があり、地が割れ、信じる人が空中に引き上げられたりする、そのような天変地異の現象が起こるわけではありません。絡み合った曲折の悲運の歴史が蕩減され、個人から家庭、社会、国家を経て、世界が正しく立てられる時なのです。

縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び探し出し、横的に連結させて、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成し遂げる時です。人類が願って生きてきたその日が、人類の希望であり、人類歴史が行くべき終着地なのです。ところが、個人も、家庭も、国家も行く道を失ってしまいました。

危機の世界を救うためのレバレンド•ムーンの生涯世界では各種の公害問題や食糧問題、さらには宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要な原因になっています。誰がこの世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。

過去に共産主義国家も自らの民族主義を越えることができませんでした。今日の強大国アメリカも汎米主義理想を越えることができずにいます。自国の利益だけを前面に立てる場合には、世界を指導することができません。自らを供え物としてでも世界人類を抱き、より次元の高い理想的な国に前進しようという理念によって団結した、ある民族、ある宗教が必要な時です。

そのような側面から、私は神様の命を受け、ここアメリカに来て、青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的な危機に対して強い警告を与えるとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。皆様はレバレンド•ムーンの教えの核心が何か気になるのではないでしょうか。その答えは簡単です。

第一は、「より大きなもののために犠牲となって生きよ」ということです。個人は家庭のため、家庭は氏族のため、氏族は民族のため、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は神様のために生きよということです。

そのようにすれば、その神様は結局、「私」を訪ねてこられるのです。家庭でも、父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。よりために生きる人が善の中心者になるのです。

第二は、怨讐を愛することです。神様は、堕落して悪魔サタンの子女となってしまった人類を救うために、ひとり子イエス様を遺わして、犠牲の道を歩ませました。怨讐を実の子よりも愛するところには、サタンも自然屈伏するのです。いつもサタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて取り戻してくるのが公式的なものとなっています。私が全生涯を通じて、数多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日、全世界百八十五ヵ国に宣教基盤を築くことができたのは、そのような天理に従って生きてきたからです。

内外の貴賓の皆様。今まで神様が投入し、犠牲となったものはすべて、誰のためのものでしょうか。それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った「私」一人を救うためだったことを知らなければなりません。

堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければならないのです。ですから、代表的な一人の人が現れて、「この時代の責任を果たします。神様に人間が負わせたすべての負債を清算し、堂々と善なるものをお返しできる私になります」と自覚しない限り、復帰する道はありません。

漠然とした立場では絶対に蕩減復帰はできません。観念的であってはいけません。悲惨なことがあれば、神様に代わって、悲惨さを被っている当事者以上の心情をもつことなしに、神様の心情に到達することはできないのです。

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より大きいもののために投入して生きてきた生涯ユダヤ教とキリスト教の歴史的な実例まで挙げてお話しする、私の深い心を受け入れてくださることをお願いいたします。キリスト教の知識がさほどない指導者たちは、理解に支障があるのではないかと思います。しかし、今日の日本は、キリスト教圏を摂理してこられたその歴史的な神様が自ら主管される摂理の中心に置かれている、そのような立場であることを悟ってくださるようにお願いいたします。

神様の創造理想を地上と天上世界に成し遂げようというのが、より大きいもののために投入して生きてきた私の生涯なのです。このような摂理的な観点から、これまで私が力を注いできたいくつかのことをお話ししようと思います。

第一に、今晩、「ワシントン•タイムズ」創刊二十周年を祝賀する祝賀宴を行うに当たり、なぜ「ワシントン•タイムズ」を創刊したのかということです。私はこれまでの二十年間、途方もない財力を投入してきました。ここに何らかの政治的な目的は微塵もありません。神様の摂理の中心国家であるアメリカを正しく立て、救世救国の理念によって世界を指導する立場に立つことを願って創刊したのです。

アメリカが享受している政治、経済、軍事的な強国としての祝福は、アメリカだけのためのものではありません。「唯一なる神様のもとの一つの国」という理想がアメリカ建国のスローガンであるとすれば、今からは、「唯一なる神様のもとの一つの天宙」を指向しなければなりません。

第二に、宗教間の対話と和合が、平和世界実現の決定的な条件だということです。信仰儀式や教理が異なっているとしても、善を指向する根本的な教えは一つです。さらに、宗教の出発は、霊的無知を打開するための神様の摂理の一環として、文化圏の背景に適合するように出発したのです。今からは、「家庭理想を通じた平和理想世界の実現」をモットーとして共に出会わなければなりません。

私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」、超NGO(非政府機構)であるWANGO(世界NGO連合)運動、そしてアメリカで真の家庭運動を主導しているアメリカ聖職者連合運動もその一環です。宗教間の対話と和合のために、去る四十年間、私が創設した統一教会自体の予算よりも多くを超教派超宗教運動に投入してきたのは、このような神様のみ旨を知っているからです。

第三に、人種間の葛藤を解消し、唯一なる神様のもとの一つの兄弟姉妹として、地球村大家族の世界を指向してきたことです。五色人種すべての人は、共に平等な神様の子女たちです。肌の色や歴史的な背景が優劣をもたらすことは微塵もありません。神様を中心とした祝福結婚を通して、超人種的に真の家庭の理想を実現することは、一つの世界を創建していく近道なのです。

これを看破した私は、一九六〇年代以降、人種や国境、文化を超越して国際交叉祝福結婚を主導してきたのです。特に、日韓米三ヵ国の女性たちを世界の男性たちが配偶者として迎えたいと考えるケースが多くなります。世界がだんだんと近くなるに従って、国際祝福の貴い価値は、より一層輝くようになるでしょう。

日韓米三ヵ国の摂理的位相この機会に、三ヵ国の根本的な関係を摂理観的側面から探ってみようと思います。人類歴史は、神様の救援摂理歴史であり、救援摂理とは、失ってしまったものを取り戻す復帰摂理です。

したがって、エデンの園において堕落したアダムとエバと天使長との関係と堕落した家庭の最初の結実であるカインとアベルとの関係が世界的に拡張されたものが、今日の韓国と日本、そしてアメリカと世界の関係なのです。六千年の全体歴史を総蕩減する終末において広がった国際関係も、摂理的な理解から探ってみなければなりません。日本は、伝統的に女性神である天照大神を信奉する国です。

ですから、今回の会議に、日本からは、エバ国家、女性国家の代表として男性指導者たちが参加し、韓国とアメリカからは、主に女性たちが参加したのです。韓国は、摂理的にアダム国家であり、さらには父の国なので、その女性指導者たちは父の妹格となり、神様のみ旨のために共に思い悩み、精誠を尽くさなければなりません。

本来キリスト教は、来られる主の前に新婦の立場です。したがって、キリスト教の代表国家であるアメリカの女性は、再臨摂理の前に娘の使命、妹の使命、新婦の使命を果たさなければなりません。日本は、堕落したエバの立場を世界的に蕩減するために、今からは成熟した神側の母の国としての使命を果たさなければなりません。そのために日本が摂理的に歩んでいく道は、娘として、妻として、母として、女王として、世界の前に犠牲になってでも愛する、そのような道を行かなければなりません。

さらに、日韓米の三ヵ国が中心となって平和世界を成し遂げていくためには、理想的な愛の一家族にならなければなりません。怨讐関係だった過去の恨みを洗い流して一つになる道は、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちが互いに交叉結婚をすることです。互いが親戚関係を結び、血縁関係が成立すれば、真の愛の理念に基づいて平和世界を成し遂げていくモデルが生まれるようになるのです。

このように、神様の立体的なみ旨を知っている私は、以前から怨讐国家同士だった韓国と日本、さらに日本とアメリカの若者たちを一つに結ぶ国際交叉祝福結婚を主導してきたのです。先ほどもお話ししましたが、アメリカは、第二イスラエルの使命国家、さらには長子国家として、天の父母に侍ることの先頭に立ち、世界の兄弟国家を助け、導いていく使命をもっています。ですから、アメリカの女性たちの使命は大きく貴いというのです。

新しい三国協同体の誕生を期待私は、今回の会議を通して、人類の未来に影響を与える広範囲な主題に関して、皆様がより深く真摯な討議をされ、共通の合意点に到達されることを願います。併せて、皆様のここワシントンDCでの三日間共に過ごすことによって、心の奥深くからの友誼を増進させる機会となることを願います。

この集いは、三ヵ国の指導者たちが中心となり、二十一世紀を開く新しい基礎を固める契機となるでしょう。皆様の三ヵ国間において、多様な分野で継続して議論し、協力し合いながら、相互連帯を強化させることができるよう、新しい三国協同体が誕生することを期待します。

紳士淑女の皆様。このような日韓米三ヵ国の連帯のための新しい活動は、世界的次元の平和と奉仕の文化を創建する真摯な目標を掲げて持続されるのであり、すべての目標は、必ず成功の座に至るでしょう。この会議が、皆様と共に出発したことだけにとどまらず、今後、皆様によってアジアと世界を導く集いに成長することを願います。皆様に神様の御加護が共にあることを願います。

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19.後天開闢時代の平和大使の使命日付:二〇〇六年十二月八日

場所:韓国、京畿道、一山、韓国国際展示場(キンテツクス)

行事:平和と統一のための平和大使全国大会

尊敬する平和大使の代表指導者の皆様。きょう皆様は、実に歴史的な歩みをされました。新千年紀を知らせる力強い鬨の声が、いまだに私たちの耳元に響いている今日、六十五億の人類の胸の中に、新しい希望と未来を約束してくれる後天開闢時代の双合十勝圏が宣布されてから、既に二年目を越えつつあります。実に一日が千年のようであり、千年が一日のような、天一国創建の多忙な日々が続いています。

このように貴い摂理的な時を迎え、私は、きょうこの場を借りて、選ばれた韓民族の誇らしい子孫として、弘益人間(広く人間世界に利益を与えること)の精神を受けて生まれた全国平和大使の代表指導者であられる皆様に、今後、人類が行くべき方向と使命について、天が下さった特別メッセージをお伝えしようと思います。「後天開闢時代の平和大使の使命」という題目のみ言です。

皆様。古今東西、老若男女を問わず、共通の夢があるとすれば、果たしてそれは何でしょうか。誰もが待ち望んできたものは、「平和理想世界の実現」でしょう。しかし、人類歴史上ただの一度も天が喜ぶ恒久的平和を実現させられなかったということが、歴史的な恨として残されてきました。

何が間違ったために、このようになったのでしょうか。一言で言えば、人間が神様の創造理想を知らないという無知に陥ったからです。数千、数万年待っても、無知からは完成を期待することはできません。

皆様。神様の創造は実に奥妙です。御自身の子女であり愛の対象として創造した人間の完成と幸福のために、森羅万象を先に創造され、環境を準備されました。

神様の創造物の中で傑作の一つである花について、一度考えてみてください。何げなくぽつんと野原に咲いている名もない花に至るまで、花には明らかに創造主の意志と目的が隠されていることを、簡単に発見することができます。花としての生を表現し、完成していく姿は、実に驚異的だと言わざるを得ません。

まず花は、万物の霊長である人間も真似できないほど、美しい色相と陰陽の調和を顕示しています。そして、絢爛な色相に魅了されて寄ってくる蜂や蝶たちの心をとりこにしてしまう、万能の香りも発しています。さらには、あまりにも強くてまぶしい、見つめることも大変な太陽の光を包み、生命を創造して守ってくれる自然の光に変える、和合と平和の光を発散しています。こまめに門前を出入りし、自分の種を繁殖してくれる蜂や蝶たちのためには、甘い蜜を提供することで報いるという道理も忘れていません。

皆様。神様の創造の神秘性は、私たちが言葉ですべてを描写することはできない、実に無限の境地です。したがって、人類最高の画家が描いた絵だとしても、生きた一輪の野性の花とも比較することができません。取るに足らない、たった一つの花を創造するにおいても、このように万物万象と調和し、共生、共栄できる道を開いておかれた創造主、神様であられるのです。ましてや、御自身の子女であり、永遠の愛の相対者であり、相続者として創造した人間の位置はどうでしょうか。

千万種類の花が満開になっても、厳然たる創造の原則のもと、それぞれが個性真理体としての位置を守り、調和した大自然を形成し、共生、共栄する順理(道理に従うこと)を見て、人間も調和と平和、そして自由と幸福を求めて永生しなさいという、天の祝福と恩寵が私たちと共にあります。言い換えれば、人間は、誰もが天が賦与された個性体としての人生の姿と特性があります。すなわち、人間は誰もが個性真理体としての特権を受けて生まれるのです。老若男女、地位の高低を問わず、人間は誰もが自分だけの、固有で個性のある人生の路程を歩まなければならない宿命的存在だという意味です。

皆様。六十五億の人類の中に、皆様と一〇〇パーセント似た人を探し出すことができますか。もう一度考えてみてください。皆様と同じ個性を所有した人がいると思われますか。同じ日、同じ時間に生まれ、同時に死ぬ双子だとしても、彼らの人生は同一でしょうか。世界最高の美男子であっても、最高の醜男がもっている独特な真理体としての個性をもつことはできないのです。知恵の王であられる神様は、正分合作用の変化、発展を通し、今も永遠の個性真理体の創造を継続していらっしゃいます。神様の創造原理がそのようになっています。

ここから私たちは、人間の人間としての絶対価値的基準を発見するようになります。花と蝶の相対的関係と調和のように、人間同士も、お互いにために生きる真の愛を分かち合って生きるようになっているのです。このような真の愛の人生の中で、調和した主体と対象の関係を花咲かせるとき、人間としての絶対価値の基準が設定されるという意味です。

皆様。花と蝶が相互間に主体と対象の関係を設定し、授受作用を通して存在し繁栄していくように、人間と万物、人間と人間、人間と天の間にも、厳然とした創造原理的関係が予知、予定されているのです。森羅万象の個性真理体が調和と統一の中で成し遂げた総合体である大自然は、人間に対して絶対対象の位置に立ち、主体である人間の絶対価値を実体化させる絶対役割を果たすようになります。

同様に、人間は、人間たちの間においても、家庭という基本枠の中で三代圏を形成して暮らしながら、上下、左右、前後の縦的、横的関係を学び、身につけるようになります。個々人全員、個性真理体としての絶対価値を実体化する主体と対象の関係による授受作用を通し、和合と愛の人生を追求するようになるという意味です。

人間と神様の間はどうでしょうか。創造主として、絶対、唯一、不変、永遠の位置をもっていらっしゃる神様も、知ってみれば、御自身が立てた創造原理圏内で被造万物と授受作用を継続しながら、主体的立場に立っていらっしゃるのです。いくら絶対者だとしても、対象と与え合う授受の関係を離れては、喜びを感じることはできないからです。

人類の最初の先祖であるアダムとエバが、もし堕落せずに、創造原理に従って人間完成、すなわち人格完成を成し遂げていたならば、人類は、絶対価値的存在の位置に立ち、上には神様を主体として迎えて絶対服従し、下には自然界の万物を対象として、永遠の平和王国を享受するようになっていたでしょう。地上界だけでなく、霊界でも永遠の天国市民として生きるようになっていたでしょう。

そうだとすれば、全知全能であられ、不可能はない神様の子女として創造された人間、なぜそのように無知の状態に落ちてしまったのでしょうか。人類の先祖アダムとエバが、天使長の偽りの愛に誘惑されて堕落の道へと陥ってしまったからです。この事件こそ、人類歴史上、最初の悲劇であり、最も恨めしく、悲しい恥辱となってしまったのです。

したがって、遠大な創造理想をもって御自身の子女であり、真の愛の絶対的相対として創造した人間を捨てることのできない神様は、長久の歴史の中で、悲壮、凄絶な恨の心情で耐えてこられました。誰も知ることのできない歴史の裏道で、囹圄(牢獄)暮らしをして耐えてこられた人類の永遠の真の父母であられるのです。

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イスラエル民族が不信した背景旧約聖書を見れば、イザヤ書第九章、第十一章、第六十章の三つの章を見ると、救世主が栄光の主として堂々と来ることが記述されていますが、第五十三章では苦難を受けることが預言されています。信じて迎えることができずに、イザヤ書第五十三章の預言が成就され、栄光の主の預言は延長して再臨のときに成就されるようになることを、皆様は知らなければなりません。

新約聖書も、旧約聖書と同じように、メシヤが来ることに対する預言は、蕩減復帰の原則によって両面で預言されています。ヨハネの黙示録第一章七節を見れば、再臨するメシヤは、間違いなく雲に乗ってやって来ることが記述されています。しかし、テサロニケ人への第一の手紙第五章二節を見れば、「主の日は盗人が夜くるように来る」と預言されています。雲に乗って来るのに、盗人が夜くるように来ることができるでしょうか。今日のキリスト教徒たちは、雲に乗って来ることは信じ、盗人のように来ることは信じていません。

ですから、私たちは、知恵深くなければなりません。旧約時代の実情から見て、主が雲に乗ってくることもあり、人として来ることもあることを私たちは知らなければならないのです。ユダヤ民族が何よりも待ち望んだメシヤを神様が送ってくださったにもかかわらず、どうして彼らは、来られたメシヤを殺害してしまったのでしょうか。

旧約聖書のマラキ書は、新約聖書の黙示録に該当します。マラキ書第四章五節以下を見れば、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と堅く預言されているという事実を私たちは知らなければなりません。

エリヤは、イエス様が来られる九百年前の人であり、火の車に乗って昇天した人です。人々は、火の車に乗って行ったエリヤがそのままの姿で来ると信じていたところに、エリヤが来たという話もなく、突然イエス様がメシヤを宣布したのです。

すると人々がイエス様の弟子たちに、「あなたの先生がメシヤであるならば、エリヤはどこにいるのか」と質問するので、弟子たちがイエス様のところに来て尋ねる場面が、マタイによる福音書第十七章十節から十三節の内容です。

「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」。

するとユダヤ人たちの不信はより一層深まり、イエス様が洗礼ヨハネをエリヤだと言ったのは、自分がメシヤを装うためであると不信したのです。さらに、ユダヤ教とイスラエルの国を滅ぼす魁首だと言い、ベルゼブルの頭だと決めつけてしまいました。

このように、イスラエル民族が信じていた観点が、イエス様を送られた神様の摂理のみ旨とは異なっていたという事実を知らなければなりません。この地上に神様のみ旨を成し遂げるために、万民に神様から送られたメシヤは、ユダヤ教徒たちが従わなかったことによって、食い違いの事情を抱えたまま死んでいったという無念の歴史が、私たちの知らない中で起こっていたのです。

イエス様は、ユダヤ民族中心の救世主を待つ信仰の前に現れました。実際にイエス様を通した神様のみ旨は、ユダヤ教とイスラエルの国を越え、全世界を救おうとされるものでした。地で期待する希望と天で成し遂げようとするみ旨がずれてしまったのです。

再び来られる主の場合も同様です。再臨主のために準備された基盤は、せいぜいキリスト教徒だけの救援を願うというのが精いっぱいの信仰基盤でした。しかし、再臨主は、神様が願われる世界と万民の救援、さらには創造本然の理想世界を成し遂げようとして来られるのです。

その世界は、信じて救われるような宗教圏の世界ではありません。堕落とは無関係で、宗教が必要ない、宗教を卒業した真の愛と真の父母の世界を成し遂げようとして来られるのです。

創造主神様の根本は真の愛です。真の愛は、与えて、また与えて記憶しない利他的愛です。この真の愛によって天国を成し遂げようとされる神様のみ旨のために、私は、生涯を投入して与えながら生きてきました。

摂理の中心三ヵ国である韓国、日本、アメリカは、平和理想世界を形成する模範にならなければならない位置にいるのです。天道に従い、世界と全体のために生きて大きく与えるとき、無限な神様の祝福による繁栄を成し遂げるでしょう。もし、自国の利益だけを追求すれば、摂理の中において中心の位相を守ることができず、もっているものも失うことになるでしょう。

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16.摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位相日付:二〇〇二年五月二十一日

場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン•ナショナル•ホテル

行事:韓国、日本、アメリカ三ヵ国指導者会議

高名な韓国、日本、アメリカの最高指導者、そして紳士淑女の皆様。皆様がアメリカの首都ワシントンDCにいらっしゃいましたことを心から歓迎いたします。韓国と日本とアメリカは、共に太平洋圏の国家です。そして、韓国と日本は、隣同士であるばかりでなく、両国ともアメリカと同盟関係を結んでいます。この三国とも、互いに内外に連結した共同目標をもっています。

二十一世紀は太平洋時代私たちは今、二十一世紀に入っておりますが、この二十一世紀は太平洋時代だと言われております。言うまでもなく、太平洋時代は、この日韓米の三国によって主導されるでしょう。それだけでなく、世界は、この三国のモデルに従っていこうとするでしょう。しかし、指導的な立場というものは、自動的に成り立つものではありません。それは、関連国家の相互間における強力な連関性を土台として成り立つものであり、特にその指導者レべルにおいての相互連関を絶対に必要とするものです。

したがって、皆様がこの日韓米三ヵ国会議を通して、緊迫した当面の問題を論議すると同時に、お互いの友誼を誓うことによって、新しい二十一世紀を開拓する基盤を準備してくださることを願います。

三ヵ国の指導者の皆様。私は、この会議に参加するために、六千マイルにもなる遠い所からここまで訪ねてこられた代表者をはじめとした、すべての参加者の皆様に儀礼的な挨拶をしようと、この壇上に立ったのではありません。

神様と一心、一体、一念で生きてきた私の生きた経験によれば、神様は、歴史と現実の中で生きて役事される方です。このような摂理的観点から、韓国、日本、アメリカの位相を知るということは、とても重要なことです。

神様の創造理想は、アダムとエバが神様の真の愛によって真の人として完成し、真の父母となり、真の家庭を成し遂げることです。その真の父母と真の家庭を始原として、人類は、真の社会、真の国家、真の世界、さらには天宙へと繁栄しながら、地上•天上天国を成し遂げるようになっていました。ところが、不幸にもアダムとエバは、未完成段階において、天使長の偽りの愛によって堕落してしまいました。また、真の父母ではなく偽りの父母となったアダムとエバが築いた最初の家庭において、兄カインが弟アベルを殺害することによって、罪悪が結実してしまったのです。

イエス様の死と第三アダムである再臨主本然の創造目的を回復するために、神様は、第二アダムである救世主をこの地に送って摂理を進められました。その摂理のための最初の基盤がユダヤ教とイスラエルの国でした。その基盤の上に、イエス様が救世主として来られたのです。

イエス様は、このように真の父母と真の家庭の理想を、選民イスラエルの国において成就し、それを全世界に伝播するために来られたのです。しかし、ユダヤ教とイスラエルの国は、イエス様がメシヤであることを理解することができず、イエス様を不信したのです。その不信はとうとう極に達し、イエス様は、再臨を約束されながら十字架の道を行かれました。復活されたイエス様は、霊的に第二イスラエルであるキリスト教の基盤を立て、これを世界的に築いていかれました。世界のキリスト教によって摂理される神様のみ旨は、第三アダムとして来られる再臨主を迎える準備をすることです。

アメリカは、すべてのキリスト教を代表した国家、すなわち第二イスラエルの長子国家です。アメリカは、建国の始祖たちの信仰も、建国の精神も、すべてキリスト教に由来します。神様が準備された地において、アメリカが短い歴史の中で世界を指導する強盛な国になることができたのは、再臨主として来られる第三アダムのみ旨に従うという神様の摂理によるものなのです。第二次世界大戦のとき、アメリカ、イギリス、フランスを中心とした連合国が、日本、ドイツ、イタリアを中心とした枢軸国に勝ち、キリスト教の基盤を極大化したことや、韓半島に熱烈に受け入れられ結実するキリスト教を宣教した主な国がアメリカだったという点、第三イスラエルである韓国の防衛に、国連軍の旗のもとで十六ヵ国の派遣軍が一つになって犠牲的な支援をし、二つの国が特殊な関係を維持している点など、すべて神様の摂理の中で行われているのです。

準備されたキリスト教が、第二次世界大戦直後に、私を通して神様の教えを受けていたならば、七年以内に神様が望まれたみ旨が成し遂げられていたでしょう。アダム国家である韓国の統一も成し遂げられていたはずであり、共産圏の世界的な膨張もなかったでしょう。ところが、不幸にも、キリスト教が先頭に立って私に反対し迫害したのです。摂理の中心存在を拒絶したキリスト教は、衰退の道へと落ちていきました。第二次世界大戦直後と比較するとき、今日の教会は、信仰も、熱意も、純粋性も、生命力も、すべて失いつつあります。

世界のキリスト教が責任を果たせなくなることによって、エバ国家(母の国)になるべきイギリスの代わりに日本が選ばれました。実際、神様の中心摂理であるキリスト教圏とは関係の遠い日本は、天の特別な恩恵で選ばれたのです。このような点から、日本は神様の使命を果たしてくださることを願います。

それでは、神様が送られた摂理の中心である救世主は、なぜいつも不信されるのでしょうか。堕落によって築かれた悪主権の世界なので、善の実体を歓迎しないのです。これを憂慮された神様は、イスラエル選民とユダヤ教を立ててイエス様を迎えるようにされたのであり、世界的なキリスト教基盤を築いて再臨主を迎えるようにされました。しかし、選んで準備した第一イスラエルと第二イスラエルの、摂理に対する無知と自己中心的な思考のために救世主は苦難を受けられたのです。

メシヤが雲に乗ってやって来るものと思っているユダヤ教徒の前に、人として現れたのですから、信じられなかったわけです。旧約聖書を間違って解釈することによって、メシヤの命を奪ってしまったという事実を知らなければなりません。また聖書の預言は、両面で預言されていることを知らなければなりません。

なぜかというと堕落した人間は、気まぐれにああしたりこうしたりするからです。神様と一つになっていた人が、背を向けてサタンと組んで神様を滅ぼし、サタンと組んでいた人が、神様のところに戻ってきてサタンを滅ぼすということがあるのです。

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還故郷する氏族的メシヤの姿勢還故郷する氏族的メシヤの姿勢は、堂々として毅然(きぜん)たるものでなければなりません。そこには不平はあり得ません。大声で痛哭しながらでも行かなければならない宿命の道です。数千数万年、子女を失った恨の心情を抱いてお待ちになった父なる神様の事情を知るならば、涙なくしては行くことのできない道であることを知らなければなりません。

また、愛の種を蒔くために行く皆様の足取りは、希望に満ちあふれていなければなりません。一度蒔いた真の愛の種は、誰一人として盗んでいくことができません。真の愛の心情の種だからです。その種から芽生えた家庭や国家は、永遠に神様の所有として残り、子々孫々神様の代身者を輩出する天の名門の家となり、一等国となるのです。

皆様。今、神様の人類救援のための摂理は、完結すべき切迫した摂理的時期に到達しました。子女を愛する父母の心情が、取りも直さず神様の人類に対する愛であり、心情なのです。このまま放置しておくことはできないこの世界の淪落と不道徳を正し、永遠に戦争と葛藤の壁を撤廃するために、神様はついにこの地にレバレンド•ムーンを派遣されました。神様御自身の実体として顕現した救世主、メシヤ、再臨主、真の父母の資格を賦与して送られたのです。

そして最近、神様は自ら書信を送られ、レバレンド•ムーンの一生を慰労し、激励するだけではなく、霊界の五大聖人と数多くの歴代の預言者と王たち、そして驚くことに、ヒトラーのような希代の殺人鬼だけでなく、スターリンやレーニンのような赦し難い共産主義者たちまでも、レバレンド•ムーンの教えを受けて悔い改め、感謝の手紙を送ってきています。

しかし、過去を顧みれば、当然、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たして侍り、奉るべき真の父母であるレバレンド・ムーンに対し、人類は逆に、迫害と苦難で綴られた荒野路程八十有余年を歩ませてしまったのです。だからといって、挫折したり放棄したりするレバレンド•ムーンではありません。その程度の人間であるならば、神様は最初からレバレンド•ムーンを御自身の代身者として、この地に降臨させることはなかったはずです。

言葉で言い表せない受難と逆境を克服しながらも、レバレンド•ムーンは、一度たりとも神様を恨んだり、与えられた使命を避けたりすることなく、ついに神様のみ旨を完成させてきました。天の摂理を知らない皆様は、自分だけの志を立てて生きてきたかもしれません。しかし、レバレンド•ムーンの一生は、天のみ旨に従い、天宙の公人として一点一画の狂いもない真の父母の真の愛を実践する生活によって、人類救援のためにすべての蕩減を勝利してきた生涯でした。

真の父母の伝統に従って真の師、真の主人、真の父母となろう尊敬する貴賓の皆様。今や人類は、希望をもって力強く前に向かって前進できる時代圏に入りました。既存の国連の不正と不条理を根絶し、人類の様々な問題をその根本から解決できる「アベル国連」が誕生したのです。去る十月三日、レバレンド•ムーンの志に従う千五百人余りの世界の指導者たちがアメリカのニューヨークに集まり、この歴史的で摂理的な「アベル国連」の創設を成し遂げたのです。

レバレンド•ムーンは、既に三十八年前、アイゼンハワー•アメリカ元大統領と会って「アベル国連」の必要性を力説したことがあります。ところが、天の時を悟り得ない責任者たちの無知によって、きょうまで摂理が延長されてきたのです。しかし、天はこれ以上待つことができなくなりました。今年、摂理的な要請によって、レバレンド•ムーンに従う数多くの義人たちが、怨讐間の感情を拭い去って立ち上がりました。

同じ場に一緒に座ることも拒否してきた宗教指導者たち、すなわち第一イスラエル圏を代表するユダヤ教の聖職者たち、イスラーム圏を代表する中東の聖職者たち、そしてキリスト教を代表するアメリカの聖職者たちが、エルサレムに結集して、互いの手を握り「エルサレム宣言」を発表しました。続いて、第二イスラエル圏であるキリスト教を代表するアメリカの首都ワシントンDCにおいても、数多くの宗教指導者たちが教派を超えて集まりました。彼らは、霊界から送られた、五大聖人をはじめとする多くの指導者たちの決意文に呼応して、地上決意文を宣布しました。

このように、エルサレムとワシントンDCでの宣布の土台の上に、去る八月十五日には、韓国ソウルで第三次宣言である「ソウル平和宣言」を採択し、参加したユダヤ教、イスラーム、キリスト教などの聖職者全員の名前でこれを満天下に宣布しました。

「アベル国連」が創設されるまでには、このような摂理的な準備と段階があったことを覚えておいてください。「アベル国連」とは「平和国連」のことを言うのです。既存の国連がカイン的国連であり、紛争の国連であるのに対して、「アベル国連」は、世界平和を保障する国連だからです。これこそ神様の人間創造以来、最も革命的で驚異的な事件と言わざるを得ません。

これから世界は急速に変わっていきます。全霊界の千二百億組を越える善なる祝福家庭が総動員されており、地上界でも、今は数万人の平和大使たち、そして世界の至る所でこの「平和国連」の成功のために烽火を掲げた指導者たちの数が数百万人に達しています。

人類は、今や「平和国連」を通して神様と人類が何よりも待ち望んだ「平和の天国」をこの地球上に創建すベき責任があります。神様を私たちの王として迎え、内的には天一国、外的には第四イスラエル国を中心として、この地上に霊界と肉界の二つの世界を代表する超宗教超国家的平和世界を創建して安着させる責任があるのです。

平和国連を通して地上•天上天国創建レバレンド•ムーンは、今まで八十年余りの間に血と汗と涙で築いてきたすべての基盤を、今喜んで「平和国連」の所属として帰属させることを満天下に闡明(せんめい)する次第です。また私が創設し、現在世界百九十一ヵ国に宣教部を設置している家庭連合をはじめとして、数十の各種団体と機関が最初に「平和国連」の所属になるのです。アメリカの「ワシントン•タイムズ」とUPI通信社、中東の「ミドル•イースト•タイムズ」、南米の「ティエンボス•デルムンド」、韓国と日本の「世界日報」などのすべての言論機関も、きょうからは「平和国連」の代弁言論となるのです。

さらに、韓国の鮮文大学、アメリカのブリッジポート大学、仙和芸術中高等学校、善正女子中高校などの様々な教育機関も、「平和国連」の崇高な目的のために指導者を養成する専門教育機関となります。スポーツ部門でも大韓民国最高の名門サッカーチームとなった一和天馬サッカーチームはもちろん、ブラジルの有名プロサッカーチームとして定着したソロカバとセネも、同一目的のために力を合わせるでしょう。

皆様。レバレンド•ムーンには、世俗的な未練は何もありません。十六歳(数え)という青年の年から天命に従って歩んできた八十年余りの生涯でした。残る生涯も、引き続き天命を実現するために、未練なく天のみ前に奉献していきます。「平和国連」を通して神様の恨を解いてさしあげ、真の愛を中心とした自由、平和、統一、幸福の地上、天上天国を必ずこの地上に創建してみせます。

貴賓の皆様。どうか今からでも心の扉を大きく開き、一心、一体、一念の精神で天の召命を受けられ、真の父母様の伝統に従って、真の師、真の主人、真の父母の生活を実践躬行してくださるようお願いします。その道が正に天と真の父母様の代身者となる道であり、相続者となる道なのです。そして、平和王国を創建する真の愛の道理であり、使命なのです。

貴賓の皆様。きょうこのように尊い天のみ言に接することになった御縁を大切に心の奥深くに刻み込むように願います。今から新しい次元の生活を開拓していく皆様の壮途に、天の大いなる祝福を祈願する意味で、私の報告祈祷文を代読させて本大会を天のみ前に奉献しようと思います。ありがとうございました。

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還故郷と氏族的メシヤ活動皆様。人類は、再び故郷を訪ねていかなければならない運命に置かれています。ところが、故郷を一時離れた人はその故郷を再び訪ねていくことができますが、故郷を失った人は、思いどおりに帰っていくことができません。人類歴史の始まりとともに、人間は故郷を失ってしまい、追い出されて彷徨するジブシーとなって生きてきました。帰ろうとしても帰ることのできる立場に立つことができず、帰る道も知らないまま、故郷を失った旅人となって数千年さまよっているのです。

北朝鮮から独り避難してきて失郷民となって暮らしている方々は、その無念でつらい生活がよく理解できるはずです。友人もなく、兄弟もなく、父母もない立場です。

故郷があることは知っていますが、思いどおりに訪ねていくことができる故郷ではありません。訪ねていく道も知りません。極端な環境で生活しなければならない立場です。それこそ何の基盤もなく、ゼロから再び人生を開拓していかなければならない壮絶な立場なのです。たとえ運がよく、避難生活の中で裕福になり、出世したとしても、彼の心の深いところに根づいた故郷に向かう哀切な願いは、消し去ることはできないのです。

同じように、人間始祖の堕落によって天涯の孤児となってしまった人類は、今日まで故郷を失ってしまったかわいそうな立場に転落して生きてきたのです。故郷の主人であられる神様が厳然として待っておられるのに、人類は故郷に帰るという願いまでも忘却したまま生きてきました。天地の前に顔も上げられない恥ずかしい姿になってしまいました。

六十億に規模が拡大する時まで、人類は昼夜を区別できない悲惨な生活を送ってきたのです。そのような子女たちの姿を見つめておられる神様は、どれほど悲惨な心情でしょうか。子女の悲惨な姿を見て、父母以上に悲しく苦痛に思う人がどこにいるでしょうか。神様は人間を御自身の子女として創造されたのです。

そうだとすれば、神様の願いは何でしょうか。何としてでも、道に迷った子女たちが故郷を訪ねてこられるように解放してあげることです。その道を開くための作戦が宗教の出現です。宗教運動を通して、それぞれが置かれている環境、言語、文化、民族的背景、理念、体制、思想を超越して、共に故郷に帰っていくことができる基盤を築いてこられたのです。神様は、皆様が暮らしている環境圏を数限りなく訪ねながら、心を痛め、気をもみつつ、その日だけをお待ちになったのです。

各時代と文化に合う宗教運動を通して摂理してこられた人類の縦的真の父母が、ほかならぬ神様であることを、皆様は知らなければなりません。このすべてのものは、ある特定の宗教団体のためのものではなく、ある特別な国家のためでもありません。すべてが皆様自身の解放のための、神様の真の愛の発露だったのです。皆様が自由に故郷を訪ねていける橋を架ける作業だったのです。

したがって、皆様一人一人は、皆様の家族はもちろん、皆様の国家と人類全体を代表し、さらには霊界に行っている皆様の先祖たち、そして、将来生まれてくる皆様の子孫までも代表する立場に立っていることを銘記してくださるようにお願いします。そのような貴い解放された姿として、天と人類の前に責任を完遂する私たちにならなければなりません。

私たちが故郷を慕うのは、そこにために生きる愛があるからです。父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣人、親族たちの愛が所々にしみ込んでいる地です。そのすべての縁と関係が、ために生きる愛によって結ばれており、すべて抱きかかえたいと思う情愛深い所です。解放された自分となって、そこに堂々と現れ、山川草木を抱き、一家親族を愛しながら歓喜の歌を歌いたいと思うのが、故郷を失った旅人の郷愁であり、願いなのです。

故郷を追われ、本郷の心情の根を失ってしまい、故郷に行きたくても行けなかった、永遠の孤独の敗亡者である人類が、流浪の旅人として生きたのちには地獄にしか行けなかった人類が、今や解放されて、夢にも忘れられなかった故郷を訪ねていくことのできる道が開かれたのです。人類にとって、これほど大きな祝福の日がいつまたあるというのでしょうか。アダムとエバが失ってしまった故郷を、皆様が見つけ出してあげるのです。

天一国家庭を探し立てることが氏族的メシヤの使命皆様が故郷を訪ねていく時は、アダム完成の立場で、イエス様完成の立場で、そして再臨主の代身者の立場で行くのです。その家庭には神様が臨在されます。祖父母、父母、子女、孫と孫娘が一緒に暮らす四代の家族となるのです。祖父を歴史的な先祖の根として侍って暮らさなければなりません。

そのような家庭に歴史の根が生きており、天国の根が伸びて入ってきているのです。地上天国の根が下りている所がそのような家庭です。永遠に続く王権の根もそこに定着するのです。過去、現在、未来の根がそれぞれ祖父母、父母、孫と孫娘で代表されるのですが、過去の根は霊界を代表し、現在の根はこの世界を代表する王宮であり、未来の根は孫と孫娘を王子と王女として立て、二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿を建てて暮らすのです。

このように祖父母、父母、子女、孫と孫娘を中心として、四代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが氏族的メシヤの使命であり、神様の願いなのです。神様も、どこかに外出してから、慕わしくて再び訪ねてくる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねていくように、気楽に訪ねることができる家庭を準備しなさいというのです。それがほかならぬ神様に侍って暮らす生活なのです。

そのような家庭には、神様が縦的な良心の主体となり、その縦的主体に従って皆様は心と体を統一するのです。そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛の四大愛圏、すなわち四大心情圏が完成するのです。そのような家庭であってこそ、上下、前後、左右が一つに連結され、球形運動を続けながら、永存するようになるのです。

皆様。結婚はなぜしなければならないのでしょうか。主人の位置を見いだすためです。男性も女性も、独りでは片側の人間にしかなりません。神様の創造はそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻なのです。互いにために生きる愛を中心としてこそ、相手の主人の位置に立てるのです。このような主人の位置を確保するために、人間は結婚するのです。

それでは、主人の位置を見いだしてからは何をしようというのでしょうか。その位置で神様を占領しようというのです。神様は三大愛の主体でいらっしゃいます。天宙の主人として、「真の愛の師」、「真の愛の主人」、「真の愛の父母」でいらっしゃいます。これが正に真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真の家庭の生活を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも平和の王国に変えることができるのです。

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真の愛の回復のために生涯を生きてきたレバレンド•ムーン皆様。フリーセックスはサタンの罠です。世の中の裕福な人たちは、その財力でサタンが仕掛けた罠にはまり、享楽にふけりながら死んでいくのです。サタンは邪悪な人々に、より大きな財物の祝福を与え、彼らが絶対に退廃の沼から脱出できないように防御壁を張っておくのです。酒、たばこ、そして麻薬とフリーセックス、この四つがサタンの主な武器であることを、皆様は知らなければなりません。このような武器を通して、サタンは、人類が肉体的な満足に酔って苦しみ、そのまま地獄行きの列車に乗るように導くのです。

それで、レバレンド•ムーンは、「人類はこのような悲惨な地獄行きから抜け出し、良心の呵責を受けない真の人間となって真の愛の生活に戻らなければならない」と教えているのです。心と体を一つにして天国行きの列車に乗ることができる唯一の道がその道だからです。

言い表すことのできない反対と迫害の中でも、レバレンド•ムーンは、八十年余りの生涯を、ひたすら真の愛の回復による人類平和の具現に命を懸け、犠牲の道を歩んできました。決して一瞬たりとも倒れませんでした。命を狙って襲いかかってくるサタンの前でも、絶対的なプラスの立場を固守して、あらゆることを克服し、自動的に絶対的なマイナスを確保してきたのです。一言で言えば、本然の創造原則に従ってきた生涯でした。

レバレンド•ムーンは、宇宙の原則に従って生きてきました。いかなる苦難と逆境の中でも、絶対に妥協せずに天の道を歩む一本道を貫く男です。勝利者の位置まで進みさえすれば、神様をはじめとしてあらゆる被造万物が、万歳して歓迎する道がその道であることをはっきりと知って出発したからです。サタンは、いつも天とレバレンド•ムーンを嘲弄しながら、自分の勢力版図を誇ってきました。

「私の武器は永遠にさびつかない。いくら全知全能の創造主である神様も、このような戦いでは私に勝てない。見よ!体のほうが良心を完全に踏みにじっているだろう。今では愛も、完全に私の計略どおりに転落してしまった。祖父が孫娘と、息子が母親と連れ添って暮らすおもしろい世の中になっているではないか。このような悪の世界を、どのようにして再び神様の理想世界にひっくり返すというのか。どこの誰にそのようなことができるというのか」。

しかし、神様はこのように叫んでこられたのです。「待っていなさい、サタンよ!真の父母であるレバレンド・ムーンの活躍によって、地上界では既に真の愛の影響圏が次第に広がっていっているではないか。真の父母が真の愛の主人である。真の愛の王である。サタン、お前もこの真の愛の前では、なすすベがないではないか」。

救世主、再臨主、メシヤであるレバレンド•ムーン皆様、それでは、真の愛はどのようにして復帰するのでしょうか。これは真の父母の責任です。いつも良心世界が勝利する本然の世界、すなわち人間にとって最も高貴なその絶対善の世界を探し立てなければならないのです。その秘密は簡単です。

真の父母、真の愛、真の生命、真の血統の前では、偽りの父母であるサタンは、いくらじたばたしてもなすすベがないのです。神様のみ旨に永遠に一致するためには、神様と人類が真の愛を中心として主体と対象の関係を永遠に結んでいくことです。そのような永遠の関係の中に、どうしてサタンが割り込むことができるでしょうか。

皆様が、神様の創造理想であるために生きる真の愛を中心とした生活さえするようになれば、祝福を受けて真の血統に連結され、永生まで保障されるのです。皆様の子孫を通して、真の愛、真の生命、真の血統が永遠に続いていくのです。

しかし、そこには真の父母が絶対に必要です。誰彼を問わず、人類は例外なく堕落の後裔です。堕落によって一寸先も予見できない盲人になっているのですから、誰が誰を救うことができるというのでしょうか。

神様が直接送られた誰かが、すなわち、人間の堕落とは無関係の立場に立って世界を診断し、人類を死亡の道から救い出せる、その誰かが現れなければならないのです。正にその立場でレバレンド•ムーンが来たのです。神様がレバレンド•ムーンを人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母として、印を押して送られたというのです。

したがって人類は、今後真の父母の教えに従って、絶対良心圏を復帰すればよいのです。そこから初めて絶対的な所有権も得られるのです。絶対愛権と絶対生命権、そして絶対血統権も、正にそこから見つけ出すようになるのです。

したがって皆様は、まず、神様と一つになる道を見いださなければなりません。それは何を通して可能でしょうか。ために生きる愛の基盤はどこから出発するのでしょうか。皆様の愛の器官です。皆様の生殖器が、ほかならぬ皆様の愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮なのです。そこを通して生命が結ばれ、そこを通して愛が成就し、そこを通して血統が連結される、この厳然たる真理を、人類は今日まで知らずに生きてきたのです。

知ってみれば、これよりも貴い真理はありません。数千、数万年間、人間を支配してきたサタンも、ほかならぬこの生殖器を通して支配してきました。一八〇度方向を変えて、人間の堕落を引き起こしたのです。

真の父母の勝利圏と氏族的メシヤもし堕落がなかったならば、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母などの単語は必要ありませんでした。しかし今、人類の真の父母がこの地に再臨したので、人類はサタンの束縛から解放されるようになったのです。堕落によって失ってしまったあらゆるものを再び回復できるようになったということです。また本心を通して、人間の本然の価値を取り戻せるようになりました。二度とサタンがのぞき込めない絶対的な善の世界圏を完成するようになったのです。

真の父母の勝利圏とは何を意味するのでしょうか。サタンとの闘いにおいて、すべて勝利したということです。個人的な圏内で勝利し、家庭的な次元で勝利し、氏族的、民族的、国家的、世界的な基準で完全勝利を得たのです。それは決してたやすくはない険しい路程でした。しかし、万難を克服して勝利を勝ち取り、ついに二〇〇一年一月十三日に「神様王権即位式」を奉献することによって、神様までも解放してさしあげる奇跡を成し遂げました。

世界的な次元で共産主義の根を抜き、アメリカのキリスト教を再び生かしてあげている人もレバレンド•ムーンです。それは、真の父母の任務なのです。それだけでなく、没落した共産主義諸国までも、真の父母は再び真の愛で赦してあげ、抱いていくのです。共産圏を解放させ、生かしてあげているのです。

皆様。レバレンド•ムーンは、既に十年以上前から、世界のすべての祝福家庭に「氏族的メシヤになりなさい」と宣言しました。自分たちの氏族の新しい先祖になりなさいというのです。皆様のあらゆる先祖が歴史を通して切実に抱いてきた願いが、ほかならぬ氏族的メシヤです。

人類のメシヤとしてあらゆることに勝利した真の父母様の基盤を相続させてあげるので、皆様も氏族的次元で勝利したメシヤになりなさいということです。レバレンド•ムーンから祝福を受けて祝福家庭の隊列に入った家庭は、今や世界を率先して導く指導者であり、氏族的メシヤとして人類を救う救世主になるのです。

数千、数万年待ち望んでこられた神様の恨を解いてさしあげる孝子となり、愛国者となるのです。あれほど悪辣だったサタンの反対と迫害に勝利し、あらゆるものを相続させてくださる真の父母の勝利圏を、あらゆる方面に展開する前衛隊となって、全世界を解放し、天のみ前に探し立てるのです。氏族的メシヤは、人類のメシヤから分かれた枝のようなメシヤ格です。この分枝メシヤから葉が出て、花が咲き、実を結ぶようになれば、その実は、大本のメシヤの価値をそのまま一〇〇パーセント所有するようになるのです。善なる霊たちが保護できる圏内に進入するようになるというのです。

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17.平和国連を通して平和天国を完成しよう日付:二〇〇三年十月十五日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「超宗教超国家平和協議会」創設韓国本部大会

尊敬する内外の貴賓の皆様。今日の世界は、前後、左右、東西、南北のどこを見回しても、戦争と疾病、人種紛争と宗教的葛藤、そして不倫と腐敗が荒れ狂う絶望の世界です。

大小二百ヵ国以上の国々が五大洋六大州に広がって角逐戦を繰り広げているこの地球星において、果たしてどの国が、今日の人類が直面している様々な問題を解決してくれると思いますか。五十年ほど前、世界平和政府を標榜して出帆した国際連合の現住所はどこにあるのでしょうか。

国連は、自国の利益に血眼になり、政治的な力学関係の奴隷になっている極度の利己主義者ばかりが乱舞する舞踏場となり、一歩も踏み出せない人のような姿に転落してしまいました。世界平和の具現はいうまでもなく、一寸先も予見できない今日の世界情勢に対しても、何の解決策も希望も提示できずにいます。

世界的混乱の原因皆様。きょう私は、実に感激と感動に満ちあふれた思いでこの場に立ちました。私たちは、まず神様に感謝を捧げましょう。今や人類に光明の新時代が明けてこようとしています。神様の恩寵と愛が全世界を照らす平和の天一国を創建する天地開闢の鬨の声が、地軸を揺り動かしています。きょう私は、「平和国連を通して平和天国を完成しよう」という題目で、天がこの時代に人類に下さったみ言の一端をお伝えしようと思います。

この世界には、六十億に及ぶ人類が暮らしていますが、人間の根源がどうなっているのか、ということについて、はっきりと知っている人は誰もいません。失敗したのか成功したのか分からない不明確な過程で歴史は出発し、その歴史が継続して今日まで続き、今は六十億という人類になったのです。

出発が不明確であり、過程も不明確なので、その終わりも不明確にならざるを得なくなったのです。ですから、今日の世界は、混沌と混乱の連続です。

最初から正しい道を見いだしていたならば、混乱や混沌はなく、そのまま地上、天上天国に向かう一方通行となっていたのです。しかし、人間の堕落によって、そのような一方通行の道を失ってしまった人類の運命は、善でもあり悪でもあり、時には上がっては、また下がったりしながら流れてきました。

それでは、善に向かっていた道が、どうして下がっていくようになったのでしょうか。下がっていきたいとは思わなかったのですが、下がっていってしまったのです。それが問題です。善を続けたかったにもかかわらず、仕方なく下がっていってしまったのです。それでは、なぜ善に向かっていたものが下がったのでしょうか。人間の生活が善の絶対的な原則に反するときには下がってしまうのです。それは何を意味するのでしょうか。善と悪の交差を意味するのです。

この世のどんな王や大統領でも、自分たちの主権がいつ上がりいつ下がるのかを知らずに生きています。主権者は、永遠に上がることを願うでしょう。しかし、いかなる主権者でも、真の善の基準に一致せず符合しないときには、必ず勢いがなくなって滅びるようになり、下がっていくのです。

それでは、善悪を主管するのは誰でしょうか。いくら強大な権力を行使する王朝があったとしても、その王朝の支配権によって善と悪が左右されることはないという事実を私たちは知っています。言い換えると、いかなる主権者も、自分の思うままにこれを調整することはできないのです。何か見えない背後の力によって調整されているという事実を私たちは否定できません。

一つの国を見ると国法があります。善を立てるために国法は存在するのです。あらゆる国の憲法が、このように善を擁護し守るために制定されたのであって、破壊する目的で制定された法はありません。したがって、国法を犯せば、誰でも監獄に行くのです。

ところが問題は、どのような国でも、主権者の資質次第で善の基準が誤って適用されることもあるということです。ですから、人類は今日まで、繁栄する道と滅びざるを得ない道の二股の道であえいでいるのです。

人間の堕落の結果人間は二重構造になっています。良心はプラスで天の側に属し、肉欲に支配された体はマイナスでサタン側に属します。本来は、心と体は神様を中心に完全に一つになるべきだったのですが、人間始祖の堕落によってそのようになることができず、体がまた別の主体の立場に立とうとしたので、心と体の間に衝突が起こり、ついにはサタンが体を占領するようになったのです。

堕落を通じ、愛の綱を伝ってサタンの血統を連結させ、人類を繁殖させてきたのです。これが問題です。この心と体の争いは、癌やエイズよりも恐ろしい、慢性的争いになっています。したがって、いかなる犠牲を払ってでも、体を再びマイナスの位置に追い込まなければならないのです。宇宙の法則によって、同じ極同士は反発し合うようになっています。しかし、主体と対象が完全に一つになれば、天運を受けるようになり、宇宙が自動的に保護してくれるようになっているのです。

絶対的な主体があれば、絶対的な対象、すなわち相対は生まれるのです。レバレンド•ムーンの生涯を見ても、天命を受けて出発した絶対的な主体の生涯の前に、アメリカが反対し世界が反対しても、絶対的主体はなくならず、かえって絶対的な主体を打った側は自動的に対象圏となって吸収されるのです。それは、善なる側に立って反対を受ければ、周囲すなわち宇宙が保護してくれるからです。そのような原理的な観をはっきりと知っているので、レバレンド•ムーンは、個人的な闘争、国家的な闘争、そして世界的な闘争を経ながら闘って勝利してきました。

人類歴史を調べてみると、今まで神様は、原則的な方向、すなわち真の愛の目的に向かって進んできたのですが、悪魔は、それとは反対の破壊的な勢力によって敵対してきました。サタンが先に人間始祖を堕落させて先手を打ち、家庭、氏族、民族、国家、世界を占有しました。最初に地獄行きとなった人間は、人類の最初の先祖アダムとエバです。天国に入ることができなかったのです。このように、サタン圏によって被造世界が先に占領されたという事実を、皆様は知らなければなりません。

それでは、悪魔とは何でしょうか。神様の民を自分の民にして占有しようとする存在です。他人の子女を拉致して自分の子女にし、厚かましく所有権を主張する恥知らずな者です。ところが、そのような罪悪が露見してすべて奪われるのではないかと心配するあまり、創造の根本となる神様の良心が向かうべき未来の道に、逆に向かって座りこみ、神様と人類の解放を妨げているのです。

その手段として、あらゆる人類の体を占領し、神様が最も理想として重要視される愛をめちゃくちゃにしてしまったのです。今日、皆様が目撃するフリーセックスがその良い例です。愛の道を混乱の中に陥れ、良心が体を自由に主管できないようにするのです。この二つがサタンの戦略であり戦術です。

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そのような現実を心配された神様の声を聞いた私は、いち早く一九七一年に祖国と家族をあとにしたままアメリカに渡ってきました。そして私は、数度にわたって全国を巡回しながら「火事の家に消防士として来たのであり、病気にかかったアメリカを治療する医師として来た」と叫びました。

既にそのとき、私は、神様がアメリカから離れつつあるのを発見しました。アメリカのあらゆる所に神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に随所から神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から、教会から、神様が離れつつあったのです。

振り返ってみるとニューヨーク、マンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れられる神様にすがって、とめどなく涙を流したのがきのうのことのようです。不幸にもアメリカは、私の予言したとおり、道徳的に衰亡の道を歩んでいます。

皆様。どうしてレバレンド•ムーンがアメリカで反対され、苦労し、このように叫んでいるのでしょうか。私は、神様がアメリカを訪ねてこられるまで流された血と汗と涙の御苦労を誰よりもよく知っているので、この三十年間、アメリカにいながら、一日として気を楽にして過ごしたことはありません。

神の国建設のために選ばれた国として資任を果たすべきアメリカの主人は誰でしょうか。白人でも、黒人でもありません。神様がアメリカを愛されるように、アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人です。アメリカは、地上に「神の国」を立てるために選ばれた長男のような立場の長子権代表国なので、今もイエス様は主に、霊的にアメリカの地におられながら、神様のみ旨を成就してくれることを切実に願っていらっしゃいます。

一方、私は、神様のみ旨に従って、一九八二年に「ワシントン•タイムズ」を創刊し、アメリカの行くべき正しい方向を提示する保守紙としてアメリカの世論をリードしてきました。そして、真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて強力な救国救世運動を展開してきました。それらすべては、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことができるようにと願う心から投入したのです。

私が一九六五年にワシントンDCを訪問した時に定めた、ホワイトハウス近くの聖地には、今も夜を徹してアメリカのために祈祷する人々が大勢います。皆様は、心の扉を開いて、あの清教徒をはじめとした歴代の愛国の烈士たちの切なる願いの声を聞くことができなければなりません。

内外の貴賓の皆様。今始まったばかりの新千年紀は、六千年間追求してこられた神様の救援摂理歴史が終わり、エデンの園で失った創造理想が天宙的に実現する時です。人間の堕落によって主人を失ってしまった万物の嘆きも解放される時であり、長い間分かれていた父母と子女が再会する、これ以上涙のない新しい天と新しい地がつくられる時であり、地上と霊界が一つに通じ、地上と天上に「神の国」が建設される時代なのです。

生きておられる神様の直接主管が全般、全能の勢力として現れる時代です。ひいては、東洋と西洋の全体が天地父母を中心として「唯一なる神様のもとの一つの宇宙」として、地球星大家族主義世界が実現する時です。それは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代の完成を意味します。

旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代今や時が来ました。アメリカがもう一度、覚醒すべき時が来たのです。第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を探し出す時なのです。そのようにして、離れつつある神様を再びお連れしてこなければなりません。

六千年間準備して訪ねてこられた神様が、アメリカを離れられたら、どこに行かれるでしょうか。神様に正しく侍りさえすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は、自ずと解決します。五色人種が一つになって生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。この時に私たちは、一致団結して人類の行くべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様のみ前に導く先導的な使命を完成しなければならない時です。その歴史的な課題、課業を完遂するために、みな共に参加してくださるようお願いします。

改めてこの場にお越しくださった皆様に深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、私のお話を終えようと思います。皆様の御家庭と国に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうこさいました。

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宗教指導者の使命と責任天のみ旨を悟った私は、理論だけではなく、以上のような神様の構想を実現するために、外的に五大洋六大州で私の手が及ばない所はありません。アラスカ、南極、南米の三十三ヵ国、旧ソ連の各国とアジア、アフリカ大陸の国々など、全方位的な宣教と事業基盤を通して、到来した新千年紀の時代に、人類が直面する公害や食糧問題などを解決できるよう準備してきました。近年には、ブラジルのパンタナールとアマゾン川を中心として、地球環境保全に対する実質的な基盤を整えてきました。一方、内的には、これまで「国際合同結婚式」と「真の家庭の価値誓約運動」を起こし、ここに約四億三千万組が参加し、神様が長い間、待ち望んでこられた理想家庭を土台とした地上天国の建設に拍車を掛けてきたのです。

内外の貴賓の皆様。これまで世界は、政治、経済、軍事などの分野で優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一線上に立つことができないとき、永遠の国はありません。輝かしいギリシャ•ローマ文明の滅亡が、その良い例です。今日、超強大国としてそびえ立ったアメリカは、過去のローマと同じ立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯というよりは、道徳的な堕落という内的な原因によって、天の運勢が離れたからでした。

一時期は労働者と農民たちを主体とみなす唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心として世界の人口の三分の一、地球面積の三分の二を占有したこともありました。しかし、それも永遠には続きませんでした。今後は、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来るでしょう。ですから、全人類が希望をもつことができなければなりません。

宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげるべき預言者の中の預言者です。しかし、今のように四分五裂となって継続されてきた教派間の葛藤と宗派間の争いは、神様の摂理に対して障害となるばかりです。

真の父母は人類歴史の希望であり、望みであり、勝利の結実体ですから、私はかなり前から教会の全体予算のかなりの部分を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決するために努力してきたのであり、「世界平和宗教連合」を創設し、宗教団体間の和解と一致によって、人類平和を増進する運動の先頭に立ってきました。

最近では、「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでワシントンDCで七回にわたって「国際訓読セミナー」を開いてきました。全人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現に向けた神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。堕落によって失ってしまった神様との心情的な関係を回復して、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。

したがって、神様が約束された「終わりの日」は、真の父母が顕現する日です。言い換えると堕落によって父母を失った人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、望みの結実体であり、勝利の結実体なのです。

統一教会は、このような伝統を、国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を跳び越え、黒人と白人、黄色人種の人々が兄弟姉妹として一つになり、夫婦となることは、地球村を一つにしようとする神様のみ旨の成就において、最も重要なことの一つです。

今日、そのように人類は、本然の兄弟姉妹、夫婦、親子の関係を回復し、究極的に、我が子を失って嘆いてこられた神様を解放してさしあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。今まで民主主義は「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。それに対して私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決すれば、人間の解放はもちろん、人間の自由回復は自然と成就されるのです。

アメリカは徹底した信仰をもつ清教徒が建設した国内外の貴賓の皆様。特別にきょう、アメリカの主要都市で、神様の摂理を語っているのは、大変深い意味があります。アメリカは様々な面において、神様の祝福によって準備された国です。

アメリカを建国した先祖たちは、命を懸けて信仰の自由を求めて国を探してきた清教徒たち(ピルグリム•ファーザーズ)でした。彼らは真の信仰の自由を求め、愛する親兄弟と故郷に別れを告げ、さらには国まで捨てる覚悟で命を懸けて大西洋を渡ってきました。メイフラワー号がニューイングランドのプリマスに到着したのは、一六二〇年十一月の晩秋のことでした。出発した百二人のうち、その年の冬を越えられずに寒さと飢えにより半分以上の人々が死にました。彼らが立派だったのは、子孫のために翌年に蒔く種を残して飢え死にしていったという事実です。

清教徒たちは、何をするにも神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは一年目の収穫を手に神様に感謝を捧げ、先に教会と学校を建ててから自分たちの住む家を建てました。清教徒たちが開拓していく路程で農業を営むときも、戦争するときも、いつも先立たせたのが祈祷でした。

独立戦争当時、かの有名な最後の激戦地であるフォージ渓谷で、ジョージ•ワシントン将軍は、戦闘の決戦に臨んだその瞬間に、命を懸けた祈祷を捧げたでしょう。神様のみ旨を先立たせた戦闘において、神様はアメリカの手を挙げてくださいました。当時、世界的な強大国だったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは神様と神様の愛する息子、娘が共に戦ったのです。ですから、アメリカという自由信仰のプロテスタント国家が成立したのではないでしょうか。今もアメリカは、国会が開院するときに祈祷で始めます。大統領が就任の宣誓をするときも、聖書に手を置いて神様のみ前に誓いを立て、聖職者が祈祷をする国がアメリカです。さらには貨幣にも「我々は神を信じる(In God We Trust)」という言葉が刻まれている唯一の国です。このようにして、アメリカはプロテスタントを信奉する世界的な形態を整えた国家となったのです。

ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりも進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに達する離婚率は、家庭の神聖さを余すところなく破壊しています。

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神様の救援摂理とメシヤ思想内外の貴賓の皆様。今まで神様が投入し、犠牲となったものはすべて、誰のためのものでしょうか。それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った「私」一人を救うためだったということを知らなければなりません。堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければならないのです。

ですから、代表的な一人の人が現れて、「この時代の責任を果たします。神様に人間が負わせたすべての負債を清算し、堂々と善なるものをお返しできる私になります」と言って自覚しない限り、復帰の道はありません。漠然とした立場では絶対に蕩減復帰はできないのです。観念的であってはいけません。悲惨なことがあれば、神様に代わって、悲惨さを被っている当事者以上の心情をもつことなしに、神様の心情に到達することはできません。

皆様は、自分の子女が死んでいくというそのような深刻な心情で、世界の人類のために祈ってみたことがありますか。自分自身を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか。そのような点では、誰も自信をもって答えることができないのです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が再臨主なのです。

人間始祖が堕落して以来、救いの摂理を展開してこられた神様は、二千年後にアブラハムを立てられ、その子孫の中から選民を立て、新しい家庭、氏族、民族を編成したのですが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体で迎えるための主流民族となったのです。その主流の骨髄を調べてみると本来、人間始祖アダムとエバが果たせなかった使命を再現するための基準と理念が必要だったのですが、それが正にメシヤ思想であり、キリスト教徒たちの立場からして見れば、新婦思想なのです。

主を新郎として迎えるために、新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。そのような重大な使命があったにもかかわらず、ユダヤ民族は、イエス様を十字架にかけて殺害することによって流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。神様は、その一つの目的を中心として六千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。

メシヤ思想は世界救援、理想家庭、真の父母の回復それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一させる思想であり、本然の理想家庭を築くことのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった真の父母の位置を取り戻すということです。聖書の教えを見ても、メシヤは、父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性に出会い、真の父母の位置を回復される存在です。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」も、新郎と新婦が真の夫婦の段階を経て、真の父母になることを意味するのです。

サタンを中心とした偽りの父母によって、神様が理想とされたアダムの家庭が失われました。神様が望まれた真の家庭、真の氏族、真の国家のすべてを失ってしまったのです。ですから、今日、地上にメシヤを遣わし、その失われたものを取り戻そうとするのが摂理観なのです。

そのような使命のために来られた方、その方がイエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は茨の道にあっても、「彼らの罪をお赦しください!」と切に求めました。死んでいく場でも、未来の勝利を期して、ローマと反対する群れを祝福したのです。ですから、イエス様の生涯は三十三歳で終わったわけではなく、神様の援助の中で、歴史とともに続いてきたのであり、彼の精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。

人類文明の発達史とその結実地内外の貴賓の皆様。アメリカは今、世界で最も強大な国と言われていますが、神様の摂理の線上に正しく立たなければ、いつまでも強大国であり続けることはできないでしょう。人類の文化史を見ると古代文明の発祥は、主に熱帯圏で始まりました。

マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。文明論から見れば、人間が堕落しなかったなら、春の季節に当たる温帯文明から文明が始まるベきでしたが、熱帯文明から始まり、秋の季節に当たる涼帯文明圏に入りました。それが自由世界を中心とした温帯文明圏であり、西洋文明がその中心です。赤道を中心として見ると、その文明圏は大体北緯二十三度圏に連結しており、アメリカ、イギリス、ドイツなど西方の先進諸国がこれに該当します。秋の季節に当たる涼帯文明が終わり、冬の季節に当たる寒帯文明がしばらく押し寄せてくるようになります。それが共産主義の出現でした。知識人たちの多くは、ソ連の解体後、戦後の冷戦体制は終わったものと考えましたが、いまだに唯物論と無神論は、無力化した民主と共産の二大思想の代替理念として世界の随所に蔓延しています。

本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、堕落によって熱帯文明の原始的な状態から出発したのです。これからは、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた真の春の文明である温帯文明が現れるでしょう。

それでは、誰が寒帯文明の冬の季節を溶かすことができるのでしょうか。権力や経済、科学や知識では不可能です。河川と海岸を中心とした文明の循環を調べてみても、文明は循環しています。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、その地中海文明は、イギリスとアメリカを中心とする大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明圏で結実するようになるのです。

そのような文化史的な観点から見ると、韓半島の位置は極めて重要です。韓国は、北方にロシアと中国をつなぐ寒帯文明圏の極地点があり、南方にはアメリカと日本をつなぐ涼帯文明圏の極地点があります。したがって、ここに二大文明を消化できる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するというのが摂理観です。

そのような側面から、その二大文明の結実地である韓国から、人類の課題として残されている南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド•ムーンが現れたというのは、神様の摂理的な帰結と言わざるを得ないのです。実際に、私が生涯を通して人種と理念と国境を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、そのような神様の摂理に沿った道だったのです。これは摂理史的な原則であって、私がつくりあげた特別な理論ではありません。

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15.新千年紀における人類とアメリカが行くべき道日付:二〇〇一年二月二十五日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ブロンクス、ガーデン•オブ•プレィヤー・カテドラル•チャーチ

行事:アメリカ五十州巡回訓読大会

尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、私の話を聴くため、御多忙にもかかわらず参加してくださった、聖職者を中心とする各界各層の指導者の皆様に、心より感謝申し上げます。何よりも常に私と共にあられ、守ってくださった神様に、すべての栄光をお返し申し上げ、深い感謝を捧げます。

今は天の摂理を完成させる時私は生涯を通じて、神様の創造理想を実現するという一念で、諸般の難問題の解決のために苦心してきました。神様は、栄光と尊貴な宝座にいらっしゃる方ではなく、堕落によって地獄に落ちた子女たちを捜し出して救うために全力を尽くしてこられた、悲しみと嘆きと苦痛の神様でした。そのような神様のみ旨と心情を知るようになった私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も、季節も、環境も跳び越え、ひたすらみ旨を成就するために全身全霊を尽くしてきた日々でした。

過去八十年の歳月を振り返ってみるとき、あらゆる迫害があったにもかかわらず、私がきょうこの場に皆様と席を共にすることができたのは、神様が共にいてくださったお陰です。この意義深い日に、皆様と共に神様の摂理的な視点から歴史と世界を理解するために、「新千年紀における人類とアメリカの行くべき道」という題名でお話しいたします。

神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末は、サタン主管の悪なる歴史の終末であり、同時に神様主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって、終末とは天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち個人完成を完結させなければならない「終わりの日」であり、家庭、民族、国家、世界、さらには天宙の完成を完結させなければならない「終わりの日」なのです。

神様は、摂理路程において終末期を迎えるたびに、神様中心の理念圏に人類を引っ張ってこられましたが、実際、人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善なる立場に立つことを成し遂げられませんでした。しかし、神様は、絶対、唯一、不変、永遠の方なので、神様のみ旨に対する予定もまた絶対的です。ですから、神様は、堕落によって人類が失った真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通して、天上と地上に神様が運行するその世界を探し出して成し遂げられるのです。

神様が探しておられる本然の世界は、どのような世界でしょうか。その世界は、真の父母を中心とした真の世界です。しかし、人類は堕落によって、歴史の過程ではなく、歴史の始まりの時点において、人類の真の父母と真の世界を失ってしまいました。その結果、堕落によって、私たちが住んでいる地も、人類が所有する理念も、どれ一つとして真の父母と直接関係をつないでくれるものはないのです。

誰がこの世界に責任をもつのかですから、人類は何よりもまず「真」を見つけなければなりません。そうして、真の父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が、真の神様の心情を通じて共に動ずることができる、そのような日が、人間世界において悪なる世界の「終わりの日」となるのです。そのような理想が実現するその時が「終わりの日」であり、すなわち再臨の時期です。ですから、再臨の時期は、火の審判があり、地が割れ、信じる者たちだけが空中に引き上げられる、そのような天変地異の現象が文字どおり起こるわけではありません。その時期は、絡み合った曲折の悲運の歴史が蕩減され、個人から家庭、社会、国家を経て、世界が正しく立てられる時なのです。

縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び探し出し、横的に連結させて、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成し遂げる時です。人類が願って生きてきたその日が、人類の希望であり、人類歴史が行くべき終着地なのです。

ところが、個人も、家庭も、国家も行く道を失ってしまいました。世界では各種の公害問題、食糧問題、さらには宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要原因になっています。誰がこの世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。過去に共産主義国家も自らの民族主義を越えることができませんでした。今日の強大国アメリカも汎米主義を越えることができずにいます。自国の利益だけを前面に立てる場合には、世界を指導することができません。自らを供え物としてでも世界人類を抱き、より次元の高い理想的な国に前進しようという理念によって団結した、ある民族、ある宗教が必要な時です。

このような側面から、私は、神様の命を受け、アメリカで青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的な危機に対して強い警告を与えるとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。

真の父母の教えの核心皆様は、レバレンド•ムーンの教えの核心が何か気になるのではないでしょうか。その答えは簡単です。第一は、「より大きなもののために犠牲となって生きよ」ということです。個人は家庭のため、家庭は氏族のため、氏族は民族のため、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は神様のために生きよということです。そのようにすれば、神様は結局、「私」を訪ねてこられ、一緒に暮らしたいと思われるのです。家庭でも、父母は子女のため、子女は父母のため、夫は妻のため、妻は夫のために生きなければなりません。よりために生きる人が善の中心者になるのです。

第二は、怨讐を愛することです。神様は、人類を救うために、ひとり子イエス様を遣わして、犠牲の道を歩ませました。怨讐を、実の子よりも愛するところには、サタンも自然屈伏するのです。いつもサタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて取り戻してくるのが公式的なものとなっています。私が全生涯を通じて、数多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日、全世界百八十五ヵ国に宣教の基盤を築くことができたのは、そのような天理に従って生きてきたからです。

キリスト教の宣教の歴史を見ても、イエス様を信じたキリスト教の信者たちの歩んだ道は、追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように二千年の歴史を経ながら、殉教の血の跡が土壌となって、民主世界という巨大な体制を発展させてきたのですが、今日、そのような原動力となったキリスト教が危機に瀕しています。キリスト教の理念を中心とした国々が、神様を否定し、イエス様を否定し、さらに神様の摂理を否定しています。挙げ句の果てに「神はいない。神は死んだ」という神学まで主唱しているのを見るとき、今まで真の子女を探し求めて、あらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情はいかばかりでしょう。

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誰が真の愛の主人の位置にするのか神様が男性と女性を愛する位置、血統的関係を結ぶ真の愛の主人の位置を誰がつくるのかというと、その息子、娘以外にはいません。

息子、娘は、神様の性相が分立されて生まれた立場なので、息子、娘の価値は同等であることを知らなければなりません。神様が腹中の赤ん坊を愛することができなかったので、私たちの家庭に生まれた赤ん坊を通して、愛する息子の主人、娘の主人の位置を復帰するのです。

そうして、幼児時代の主人を通り、子女時代の主人、兄弟時代の主人、夫婦時代の主人、父母時代の主人になるのです。初めて孫を見ることによって、神様は主人になることができるというのです。神様が一代であり、アダムとエバが二代なのですが、三代となる孫を悪魔が奪っていったので、その息子、娘を通して、神様の代わりに真の愛の主人の位置を蕩減復帰するのです。

そのようになれば、そこから神様が第二次的な父母として認定するのです。それは、アダムとエバを真の愛で愛していた位置と同じ父母の位置です。このように三代を経て初めて、子孫万代に完全な種として、神様の孫を祖父が真の愛で愛し、父が真の愛で愛するようになるのです。その孫は、二代の真の愛を受けるようになるというのです。祖父は霊的世界の代表であり、第二代のアダムは現実世界の王権の代表です。

このように、二つの国を代表した真の愛の血統を受けて生まれたので、その孫は未来における天の国の霊界と地上の王権が結実した価値をもつのです。それで初めて息子、娘の時代において地上天国を治めることができ、三世代から万世の結実となって広がっていきます。ですから、宗教が必要なく、父母の言うことだけを聞き、一つになって真の愛で愛していけば、すべての人が天国に行くようになっています。それが八段階の真の愛を中心とする創造理想的本然の形態だったのです。

これを再び取り戻してあげてこそ、天上世界の十二真珠門が開かれ、地上世界の国境を超越して統一された一族として収拾され、地上の解放世界と天上の解放世界、統一の王国である地上•天上天国が開門するのです。腹中時代、幼児時代、思春期時代、結婚時代、子女時代、そして父母時代、祖父母時代、王時代の八段階です。神様は、その八段階の、鉄石のモデル的愛の伝統基盤をこの地に備えられなかったので恨が残ったのです。

それでは、この八段階の真の愛の主人になることができなかった悔しい恨をどのようにして解いてさしあげるのでしょうか。それは、真の父母がこのようなサタン世界の秘密と天の国の秘密をすべて知って教えてあげ、空白を満たしてあげることによって、多くの穴が開いた八段階を完成させてあげるのです。血統の門を通してのみ、天国に行けるのです。

腹中時代と幼児時代にも、神様の真の愛の相対となり、約婚時代にも神様の相対となり、夫婦時代と父母時代にも、祖父母時代にも、王時代においても、神様の真の愛の相対的実権をもって完成したとすれば、その見える実体圏である半分の家庭が、見えない神様の実体圏と合わさり、心と体が一つとなった真の愛の伝統の血統を受け継ぎ、天上•地上の統一圏の世界に自動的に結束され、天国の民と天国の家庭にならざるを得ないのです。天国の解放的な息子、娘、解放的な主人になるということです。

八段階の真の愛の主人となって国境を撤廃しようですから、男性と女性は、神様の形状的実体として、自負心をもって暮らさなければならないのです。そのような主人にならなければならない伝統的血統が連結されるのが夫と妻の道であり、子女の道です。そのような一族が連結され、国と天宙が連結される血統が重要であることを知らなければなりません。ですから、結婚をなぜするのかというと、半分の男性がもう片方の女性と出会うことによって、完全な真の愛を完成する一組になるためです。

神様は片方だけのものを取ることはできません。男性と女性が出会って完全に一つになるとき、神様も入り、真の愛の関係を結ぶことによって、縦的な真の愛の伝統を樹立するようになるのです。

ですから、先祖を尊重しなければなりません。その民を真の愛で愛さなければなりません。その王権を中心として国民と一つにならなければなりません。国民を忘れて暮らす王は詐欺師です。悪魔の後継者であり、国境をつくっているというのです。

今や人類は革命しなければなりません。天から真の愛の天運を受け、それを家庭に定着させ、その真の愛の絶対的な主人として神様を立てなければならないのです。

私たちは、あくまでも結果的な存在であり、その原因である神様に、絶対信仰と絶対愛と絶対服従で侍り、従っていく大革命をしなければなりません。その道を通してのみ完成があるのであって、自分が異議を提示するときには、二つの主体が生じ、破壊的な国境が生じることを知らなければなりません。

したがって、今から皆様は、愛の道において国境をつくるようなことをしてはいけません。「夫も私のことを愛しなさい。息子、娘も私だけを愛し、父を愛してはならない!」と言う人は死ななければなりません。女性は子女を抱き、本然の父の愛を受けなければならないのです。

さらに母親は、子女を育て、夫の生命の種である精子に対する真の愛の結実に報いてこそ、神様に属するようになるのです。女性ゆえに、神様の八段階の愛の門が破壊されたので、女性が何よりも精誠を尽くして男性たちを再創造し、息子、娘を再創造し、祝福を受けた家庭において、神様の八段階の愛の主人を神様のみ前に完成させなければなりません。

ですから、私たちの家庭を中心として、天下の天国の門、十二の真珠門のどこに行っても、地上•天上天国の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで歩いて回っても、誇って余りある真の愛の王座、王権を備えなければなりません。そのようにできる、神様の血統を完成させた息子、娘の資格をもつ人にならなければ、天上世界と天国の民になれないことをはっきりと知らなければなりません。

改めて申し上げますが、私たちが肝に銘じなければならない最も重要な内容は、国境撤廃です。国境撤廃にも、民族の国境撤廃、宗教の国境撤廃、人種の国境撤廃、天国と地獄の国境撤廃などがあります。また国境線を偽りの父母がつくったので、真の父母以外にはそれを撤廃する人がいないという事実です。神様もできず、サタンもできません。ただ人類の真の父母として来られたその方だけが、このことを成し遂げることができるのです。

皆様は、このような神様の真の愛で解放することを決心してお帰りになり、天の国の主人となってくださることを願います。ありがとうございました。

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私たちは、海に囲まれた半島国家が歴史的に貴重な文明を花開かせたことを知っています。偉大な宗教理念や思想の多くが半島国家で発生し、人類の精神世界を指導してきました。バルカン半島で発生したギリシャ哲学、イタリア半島で花開いたキリスト教文化、インドのヒンドゥー教文化と哲学、アラビア半島のイスラーム文化、東南アジア半島で結実した仏教文化、イベリア半島での航海術、スカンジナビア半島でのノルマン文化などがそうです。このように、半島国家は世界文化史に最も大きな影響を及ぼしました。

人類歴史において文明が発展していく流れを見ると、河川流域から発生した古代大陸文明は、ギリシャ、ローマ、イベリアなどの半島文明に移動していきました。その半島文明は、イギリスを中心とした島嶼文明に移り、その島嶼文明は再びアメリカを中心とした大陸文明を経て、日本の島嶼文明に戻ってきました。今この文明の巡礼は、韓国において半島文明として結実しなければならないと見るのが摂理観です。

別の方面から見ると、ナイル川とチグリス川など河川沿岸の古代文明が、ギリシャ、ローマ、スペインなどの地中海を中心とした文明へと移りました。その文明は再び、イギリスとアメリカに続く大西洋文明へと移り、この文明はまた、アメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明として結実するようになります。イタリア半島で結実して世界化されることがメシヤのみ旨だったので、イエス様の再臨、すなわち真の父母の再臨によって摂理の中心にならなければならない所は、半島国家である韓国であるとみるのです。

地球は陸地と海洋から成り立っています。海は、最も単純な生命が誕生して以来、母の役割を果たしてきました。このように、海は、養育し、抱いてくれるので、女性を象徴し、陸地は男性を象徴すると考えることができます。したがって、海洋に位置する島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家だと言うことができます。

特に半島国家の国民には、大陸と海の両面からの敵に備える生活から生まれた強靭さと勇猛さがあります。また、開拓し、探険する進取の気質に富んでいるので、きらびやかな文化を花咲かせ、またそれを世界に伝播するようになったのです。新たに千年を迎えなければならない時点において、半島国家は、摂理的に貴重な使命を果たさなければならない国々です。これらの国は、これまで世界文化に寄与した功労と共通した経験を半島国家連合として結集し、平和世界を実現するために先導的役割を果たさなければなりません。

尊敬する指導者の皆様。今まで私は、人類が平和世界で幸せに暮らすことのできる道を教えてきただけではありません。困難な開拓を行い、平和世界を実現するための様々な組織を創設しながら、多大な支援によって育成しています。「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和教授アカデミー」、「世界平和島嶼国家連合」などは、すべてこのような目的のために創設された組織です。今回、「世界平和半島国家連合」を創設するのも同じ目的です。

人類の幸福と平和理想を実現するには、多くの障害があります。政治的、経済的利害関係の衝突をはじめ、様々な否定的要因が数多くあります。その要因の中で最も根本的なものは、人間が自己の中で心と体が衝突を起こし矛盾していることです。長い人類歴史を通して、この心と体の葛藤は、完全に解決されたことはありませんでした。人間始祖の堕落の結果が、このように深刻で悲惨なのです。

自らの内に矛盾と葛藤をもった人たちが家庭を形成しているので、その家庭が完全に和合一体を完成することができるでしょうか。特に、真の愛による心情の完成的な体恤もなしに、愛の責任性も忘却したまま、倫理、道徳の完全な基準を立てられないとき、家庭は揺れ、破壊されるのです。家庭が壊れるのに、平和な社会、国家、世界を期待できるでしょうか。

私は、去る七月三十日から八月一日まで、アメリカの首都ワシントンDCで「世界平和家庭連合」創設大会を開きました。ジェラルド•フォード、ジョージ•ブッシュの二人の元アメリカ大統領をはじめ、四十ヵ国の元•現職国家元首および首相と世界の百二十ヵ国以上の代表が一堂に会し、歴史的な世界大会を開催したのです。これは、これまで私が、真の愛の平和世界実現のために生涯を捧げて築いた世界的な組織と基盤の上に創設した、最も貴い機構です。

今日、人類は、神様の真の愛の中で心と体の調和、一体を完成することによって、本然の人間性を回復しなければなりません。人類は純潔運動と真の家庭実践運動を通じて、永遠の幸福の基盤を築かなければなりません。そのためにこの機構をつくったのです。

神様の経綸と歴史の帰趨を見ると人類は、国境と人種を超越し、神様を真の父母として侍って生きていく巨大な一つの家族です。一つの世界家族として、一つの囲いの中で調和して協力すべき運命共同体なのです。これ以上、隣人と他国の困難が私と無関係ではあり得ない時代が来ました。

私たちは、人類が戦争と犯罪、麻薬と暴力、環境汚染と生態系の破壊、倫理の退廃とエイズなどに巻き込まれ、落ちていくのを傍観することはできません。これから私たちは、神様と歴史の前に応えなければなりません。大きく和合して一つにならなければならない人類が、何をもって、どのように現実を克服し、迫りくる新千年紀を希望の中で迎えることができるでしょうか。

そして、個体や自国の利益を超えてために生き、信頼しながら生きる平和世界を形成し、またこれを支える新しい価値観をどのようにして確立するのでしょうか。科学技術の燦爛たる楼閣の上で、人本主義の眼鏡をかけて偶像崇拝に誘惑されるのではなく、本心の扉を開けて謙虚に答えを探さなければならないのです。地上で見いだせなければ、天から来る声を通して解決しなければなりません。

今回の皆様の討議が、平和世界の夢を実現するために、大変有益で意義のある会議となることを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護がいつも共にあることを祈ります。

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10.二十一世紀における半島国家の役割 日付:一九九六年八月二十日

場所:韓国、ソウル、シェラトン•ウォーカーヒル•ホテル

行事:「世界平和半島国家連合」創設大会

尊敬する議長、全世界からお越しの貴賓、韓国各界の代表、ならびに紳士淑女の皆様。人類の福祉と平和世界の実現のための皆様の労苦に称賛の意を表します。また、私の祖国である韓国の地を訪ねてくださった皆様を歓迎いたします。二十一世紀まで四年を残した現時点において開催される今回の会議が、人類に平和世界に対する確実な希望を与えてくれる意義深い討論の場となることを願いながら、人類の究極的な理想と世界平和実現に対する私の考えを表明することにいたします。

私は、世界の主要強大諸国が、理念と資源をめぐる戦争を起こすことによって、多大な苦痛を受けた韓半島で育ちました。私は幼いときから人生と宇宙の根本的な疑問に対する答えを探そうと尽力してきました。生きておられる神様を体恤によって知り、また、その神様が歴史の中で人類と共に歩んでこられた真の愛の主人であられることを知りました。罪と矛盾と闘争に満ちあふれたこのような世界を、神様が計画し、創造したとは、私には信じられませんでした。

今ここで青少年期の経験を長々とお話しする時間はありません。ただ、私の青少年時代は、真理の探究のために没頭し、身もだえする生活だったことを申し上げておきたいと思います。私が究明した、統一教会の教理解説書である『原理講論』は、平凡に得られたものではありません。「原理」の根本は、胸の痛む祈祷の中で、イエス様をはじめとする霊界の聖賢たちとの交流はもちろんのこと、神様との深い交流によって探し出したものです。妨害するサタンとの血闘戦で得た勝利の結実です。私は、この「原理」の教育と実践によって人類を指導するために、緊張の中で生涯の一瞬一瞬を捧げています。「原理」は世界百八十四ヵ国に伝播され、人をして、生きた神様と生命ある関係を結ばせ、その人生を変化させています。

私たち人間は、神様によって創造されたので、神様と関連した夢と理想世界に向かうことを熱望する心をもって生まれました。いかなる悲惨な環境の中でも、人間は理想的な平和世界に向かう希望を捨てません。「理想世界」というときの「理想」とは、原因者であられる神様に由来したものです。神様は、権力や栄光、または富のために世界をお造りになったのではありません。神様には、権力、栄光、富に対する欲望はありません。絶対、唯一、不変、永遠であられ、万有の原因者であられる神様は、これらすべてを、既にもっておられるからです。

しかし、神様がいかなる欲望ももっておられないと考えるのは正しくありません。神様は真の愛の本体としていらっしゃいます。神様も愛を体恤されるためには相対が必要です。愛とは、主体と対象の関係、すなわち相対と関係を結んでこそ可能な経験であり、喜びだからです。いかなる存在も、一人孤立して愛を感じることはできないのです。神様も例外ではありません。神様の創造の動機は、真の愛とその対象である真の人です。神様は、御自身と自由に愛を与え合うことのできる存在として人間を創造されました。人間は神様の完全な愛の対象体として造られたのです。人間は、神様の息子と娘です。創造主である神様は、人間の真の父母であられます。

神様は、アダムとエバが真の愛を中心として純粋に成長し、真の人になることを願われました。神様は、彼らの外的で生物的な成長のための足場として、美しく繊細に準備した環境である万物世界を創造されました。このような環境の中で、人間は成長して大人になり、発展します。

神様は、人間の内的性稟と愛の人格に、より深い関心をもっていました。彼らは、真の愛の経験を通して神様の真の愛に似て完成するのです。愛の力は、内的で非物質的な力の中で最も強力なものとして創造されました。人間はそのような愛の力を、神様の愛と神様の法度の中で体恤することによって、父母であられる神様に似るのです。

人間が無限な真の愛の主人になるためには、責任性を遵守しなければなりません。人間は、真の愛によって神様と一体となって神様に似るとき、初めて愛の完成体、完全な人格を所有するようになるのです。神様の愛が、人間の幸福と生命と理想の源泉となる理由もここにあります。アダムとエバは、神様の真の愛の中で真の男性と真の女性となったのちに、互いが真の愛によって真の夫婦となり、その次に子女をもって真の父母となるようになっていました。

人間は、成長期間を通じて神様の真の愛を段階的に体得していきます。人間は生活の中で父母の愛を通して子女の心情を感じ、兄弟の愛を通して兄弟の心情を感じ、夫や妻の愛を通して夫婦の心情を感じ、子女を通して父母の心情を体恤するようになっているのです。この四つの愛と心情がとどまる基台が家庭です。

ですから、家庭は人間の愛と幸福と生命と血統の基地になるのです。家庭以外には、いかなる所でも四つの愛と心情を学び、体恤することはできません。愛は経験を通して感じ、知るものだからです。人間個々人や家庭、社会、国家や環境の完成は、家庭の中における真の愛の具現を根拠としています。

世界の現実はどうでしょうか。人類は、技術の発展によって生活が便利になったにもかかわらず、人間性を喪失するなど深刻な危機を迎えています。戦争と葛藤、暴力と犯罪、そして麻薬など、ありとあらゆる病弊が人類を不安にさせています。さらに深刻なことは、若者たちの性道徳が急激に崩れ、離婚率が急増し、幼い未婚の母の問題と家庭破壊が人類社会の根底を崩しています。

人々は、様々な面において平和と幸福を追求し続けてきましたが、満足できる成果を得ることはできませんでした。第一次、第二次世界大戦が終わり、戦争を防止するために創設された国際連盟と国際連合の二大機構が、全世界的な活動を展開してきたにもかかわらず、いまだに平和世界は訪れていません。

宗教団体の努力でも幸福な世界は実現しませんでした。また、国際共産主義の理想やファシズムの夢でも理想世界の実現は失敗しました。高度の技術も、政治的な努力も、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。これは、人間の不幸と苦痛の根源が、神様に背いた堕落に由来しているのに、その根源から問題を解こうとしなかったからです。

アダムとエバは、性関係を結ぶことによって神様の原理から離れるようになり、真の愛の中で自ら成長する前に子女をもつようになりました。アダムとエバは、神様を不信し、結果的にサタンに従って偽りの夫婦、偽りの父母となることによって、人類歴史が出発したのです。彼らの子孫が、神様の創造理想とは関係のない、罪と戦争と苦痛の中で生きることになるという結果を招来したのです。神様の心情は、どれほど悲しみに打ちひしがれたことでしょうか。

神様は何としても、本来計画された真の愛と平和の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理は、原状復帰の摂理、すなわち復帰摂理です。このような復帰摂理のために宗教を立てられ、善の版図を広げてこられました。

神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結させる全責任を負って来られる方です。したがって、メシヤは真の父母として来られ、根本から正して回復しなければなりません。メシヤとして来られたイエス様は、真の父母の使命をもってこられました。彼は地上において、人類を真の愛で重生させ、真の人、真の夫婦として回復させ、真の父母となるようにするために来られたのです。不幸にも、彼は地上の不信によってみ旨を完全には果たすことができずに、逝かれながら再臨を約束されました。真の父母として再び来られ、神様の創造理想を完全に回復しなければならないからです。

イエス様はユダヤの地にお生まれになりましたが、ユダヤだけのためのイエス様ではありませんでした。メシヤであり、真の父母の立場で来られたイエス様のみ旨は、地上に神様の理想、すなわち真の愛の平和世界を実現することでした。当時、ユダヤはローマ帝国の属国でした。イエス様のみ旨がユダヤを基盤として成就され、さらにローマを経て世界まで成就されることを願われる神様の摂理があったのです。

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皆様。今、創設される「世界平和連合」は、過去の「国際連盟」や「国際連合」とは異なり、真の本然の平和理想と真の父母の理想をもって、最終的に世界平和を達成しようと雄大な新しい出発をしました。人間同士だけで平和を謳歌しようとするのではなく、神様の中で、神様と共に平和を謳歌しなければならないという斬新な覚醒がなければなりません。世界平和の中心は神様であられ、その原動力は真の愛なのです。

世界平和を熱望する貴賓の皆様。きょうこの殿堂には世界各国の政界、学界、各宗教の代表者たちが一つの屋根の下に集まりました。そして、特に最近まで東西に分かれて冷戦を続けていたその両陣営の代表者たちが、東西という障壁の意識をもつことなく、ただただ和解と協調の精神で参席しました。

一九八九年十一月九日に、ベルリンの壁が崩れた時から、世界は正に改革と変遷、和解と親善へと駆け上がっています。世界平和の道が、今や大きく開かれました。

今、私たちは、きょう宣布される平和獲得の大原則に立脚して、真の平和を成し遂げる時であり、発展途上国の貧困を解放し、強大国は犠牲を払ってでも、発展途上にある新しい民主主義国家を手助けしなければなりません。各国家における政策が利己主義を克服する、それ自体が大革命です。その方法は、私たちすべてが父母の位置に上がっていって見つめることです。そうすれば、すべての国家が兄弟にならざるを得ません。一組の父母のもとに一つの兄弟、社会、国家を形成することのできる歴史的な機会に直面しています。

来たる九月の国連総会に、韓国と北朝鮮が共同で加盟することになっています。これは、私たちが平和世界を指向するまた一つの画期的発展です。そうなれば、「国際連合」の総加盟国は、今や百六十三ヵ国になります。それでは、今百六十三ヵ国がすべきこととは何でしょうか。無慈悲な植民地政策によって、弱小国を搾取する時代は過ぎ去りました。

今や弱肉強食は旧時代の残骸になりました。超強大国が武力競争で、世界を恐怖の中に追い込んだ時代も過ぎ去りました。人類は、今、核兵器の恐怖から解放されなければなりません。今は正に聖書にあるように、「そのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ書二•四)時です。

相互信頼と道義の時代が明けてきつつあります。「国際連合」のすべての加盟国は、今、互いに尊敬し、愛し合いながら、私たち人類の共同の敵に宣戦布告をしなければなりません。私たち人類の共同の敵は、貧困と無知と疾病と罪悪です。今や人類は、貧困と無知と疾病と罪悪から解放されるべき時が来ました。これからは「私の国」という定義は発展的でなければなりません。もちろん私が生まれて暮らしている国が、まず「私の国」であることに違いありませんが、より大きな見地から見るならば、私の父であられる神様がつくられた世界は、すべて「私の国」なのです。

このように見たとき、先進国が先端技術を独占し、発展途上国に先端技術を分け与えないことは、大きな罪と言わざるを得ません。国家間に良いものがあるならば、早く分け合わなければなりません。新しいものを発見すれば、直ちにその恵沢を互いに分け合わなければなりません。人類に手助けになることであるならば、ためらわずに国境を越え、これを実践しなければなりません。私は世界の技術の平準化のために、長い間全力投球してきた人です。

皆様。皆様は、神様によって平和の働き手として選ばれ、この場に送られた方々です。今後、九年で西暦二〇〇〇年が訪れます。二〇〇〇年というこの峠が、私たちの生きている時に偶然に訪れるのではありません。これは、歴史の新しい転換点です。新しい歴史が胎動しているのです。平和の二十一世紀が近づいてきています。しかし、その平和はただで来るのではなく、神様と人間が協力し、与えられた責任分担を果たす時にのみ可能なのです。そうであるならば、私たちは残り九年間に、平和を阻害するすべての要素を除去する作業を終えなければなりません。

新しい時代、二十一世紀は共義の時代です。新しい時代、二十一世紀は物質が支配することのない、精神と霊性の時代です。新しい時代、二十一世紀は、神人一体になって生きる時代です。新しい時代、二十一世紀は、他のために生きることが、自分のために生きるよりも永遠の価値があることを悟って生きる時代です。利己主義は色あせ、共生共栄共義の利他主義がついに凱歌をあげる時代、それが正しく明けてくる二十一世紀なのです。

それは平和の時代です。それを名実共に「天国」と言うのです。このような希望と光明の二十一世紀には、私たちがきょう創設する「世界平和連合」がその理念を提供し、世界人類を教育し、摂理に従って今後訪れる平和世界の牽引車の役割を果たさなければなりません。同連合は、また世界の道徳性を明るくする灯台にならなければならないのです。

平和の使徒、貴賓皆様。光明な新しい日が私たちを待っています。きょう、私たちは、使命感に燃えなければなりません。今、私たちの最後の一滴の汗と涙と血までも注いで、人類共同の目的を果たさなければならない歴史的使命が、私たちを呼び求めています。その最初の仕事が、神様を私たち個人、家庭、社会、国家、世界に迎えてさしあげることです。天が共にいらっしゃるとき、これに敵対する人がいるでしょうか。

尊敬する同志であり、兄弟であられる皆様。人類の前に置かれた最後の崇高な課業、恒久的世界平和定着の使命の前に立ち上がり、光明な世界に向かって共に前進いたしましょう。神様をお迎えして、世界の真の平和を成し遂げましょう!ありがとうございました。

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私たちはこのような世界の基本理念を「神主義」、または「頭翼思想」と称します。ために生きる愛、互いにために生きるところに平和があるのは当然のことであり、そのような世界を宗教的に表現すれば、「地上天国」といいます。少なくとも全知全能であられる神様の作品であるならば、このような平和と幸福の世界をつくられたはずであり、そうでないとすれば、そのような神様はいらっしゃらないのです。これが創造本然の真の平和の理想だったのです。

ところが、このように神様の美しい理想世界を実現しようとする人類歴史の最初に、エデンの園で、人類の始祖は神様を失ってしまいました。言い換えると、人類の始祖である一男一女が神様のみ前に罪を犯し、神様の国から追放されたのです。その瞬間、人間は神様の聖殿になれず、悪魔の巣窟となってしまったのです。そして、その悪魔は利己主義の本山です。

人類の始祖からこのようになったので、その子孫、すなわち今日の人類は、神様が自分たちの父であられることや自分たちが真の兄弟姉妹であることを忘れてしまったのです。そして、人間は怨讐同士の関係になってしまいました。本来は他人の命を奪えば、それは取りも直さず自分の命を奪うことになるのですが、霊性が鈍くなった人間は、兄弟の命を奪っても心の痛みが感じられなくなっているのです。

そこにおける人間は、自分だけがいて全体がないので、利己主義が個人から家庭、社会、国家、世界に広がるようになりました。そうなれば、自分と利益がぶつかる場合には、互いに争い合うようになります。戦争を起こします。それが戦争の起きる原因なのです。

それでは、創造主であられる神様は、この堕落した世界をどのようにしようとされるのでしょうか。神様は厳然として生きていらっしゃいます。神様は、今も全知全能であられます。また、その神様は、愛の神様であるといいます。その神様は真の平和の世界を再び見いだそうとするのです。言い換えると創造本然の世界を復帰、または再創造しようとしていらっしゃいます。ここから私たち人類は、真の平和に対する希望をもつことができるのです。神様は、人間一人一人から邪心を追い出し、御自身が住まわれる聖殿に復帰させようとされるのです。

ですから世界平和は、一個人の完成から始まるのです。個人個人が神様の聖殿として完成した人間にならなければ、世界平和は芽生えません。世界平和の出発点は、正しく皆様一人一人なのです。

皆様。皆様は、私たち一人一人の体の中で、常に戦争が続いていることを御存じでしょうか。それは、個々人の体の中における心と体の熾烈な闘いです。本来、心と体は切り離そうにも切り離すことのできない、一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落は人間の体を悪魔に引き渡したのです。その時から人間の体は悪魔の僕になりました。

人間の良心は、神様を代表する心です。良心は自分のために存在しません。天の義のために存在します。良心は常に善に向かって走ろうとします。それに対して体は反抗します。体は自分だけが安らかであろうとし、利己的であり、本能的欲求に従って肉欲のままに行おうとします。良心はこの体を叱責し、心に従わせようとします。ここに常に血の出るような葛藤と闘争が、一つの体の内で起こるようになるのです。

ですから、昔から歴史を通じて、すべての宗教は自分の体を打つ道を教えてきました。宗教とは、肉欲を制御し、体を心に屈服させる道場なのです。人間を創造本然の人間へと引っ張っていく道場です。

しかし、神様を自分の内に迎えることができなければ、誰一人として自分の体を征服できる人はいません。ひたすら神様の真の愛と真理の力を中心としてこそ、主体である心は対象である体を従わせ、神様と一体理想を完成するようになっているのです。これが、宗教が語る完成した人間なのです。

このように神様を中心として体を屈服させ、完成した男性と女性、すなわち、善男善女が神様の祝福を受け、夫と妻として結ばれるとき、地上に天が計画された理想的な一つの家庭が出発するのです。そしてその理想家庭は、理想的社会、国家、世界の基礎になるのです。

「家和万事成」という言葉があります。一つの家庭が平和であるならば、万事がうまくいくという言葉です。完成した家庭は平和の家庭であり、それは天国の基礎となります。家庭の原動力は真の愛です。自分よりも神様、あるいは対象を命のように愛する、純粋で美しい犠牲的な愛、それが真の愛なのです。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりも大きい力を創造されませんでした。真の愛は神様の愛なのです。

神様は万物と人間の創造のために、すべての力を投入されました。すべてを投入し、また投入されました。他のものは投入すれば、すべて消耗しますが、真の愛だけは投入すれば投入するほど、もっと盛んになり生み出されます。真の愛は、百を投入すると百二十が返ってきます。ですから、真の愛を実践する人は、滅びるように見えても、滅びることなく永遠に栄えながら永生するのです。

このように真の愛で築かれた家庭が基礎となって社会が形成され、国家が形成され、世界が形成されます。そのような社会、国家、世界は、真の愛が原動力となる相互奉仕の社会であり、国家であり、世界です。そこには葛藤の代わりに和睦が、誤解の代わりに理解が、分裂の代わりに団結が、自分の利益の追求の代わりに全体の利益の追求がある、犠牲と奉仕が美徳になる社会、国家、世界なのです。そのような神様の理想実現が、すなわち真の世界平和の理想なのです。

聖書にある「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一•二七)という聖句は、見ることのできない無形の神様が、人間として実体化されたことを意味します。人間の始祖アダムとエバが神様の理想を実践していたならば、彼らによって歴史の中で最初の家庭が完成されたのであり、そこから繁殖される完成した子孫たちが、正しく理想社会、国家、世界を形成したのです。

ですから、無形の神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母であられ、人間始祖アダムとエバは、真の愛を中心とした横的な真の父母として、永遠に人間の歴史上に君臨したのです。

完成したアダムとエバは人類の真の父母であり、人類はこの真の父母を中心として人類大家族、同胞として兄弟主義を完成したのです。ところが人類は、この真の父母を失うことによって孤児となってしまい、兄弟がすなわち怨讐になり、国と国は反目し、敵対視する関係になってしまいました。

ですから、人類歴史の新しい出発に先立ち、神様が必ず成し遂げなければならないことは、失ってしまった人類の真の父母を探し立てられ、人間たちを孤児の状態から解放されることです。ですから、人類の真の父母の顕現は、神様の摂理の中心役事なのです。

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8.世界平和に向かう道 日付:一九九-年八月二十八日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和連合」創設大会

尊敬する元•現職国家元首、各国から参加された世界の指導者の皆様、敬愛する学者、世界の宗教指導者の皆様、そして紳士淑女の皆様。きょう私は、「世界平和連合」を創設する歴史的なこの式典に、尊敬する世界の指導者の皆様がこのように大挙して参席してくださり、満場の盛況を博してくださったことに、心からの謝意を表する次第です。

人類歴史が始まって以来、平和を切望しなかった時代がなく、平和を望み求めなかった人は一人もいませんでした。しかし、人類歴史は、人類の希望とは正反対に、常に絶え間ない戦争と罪なき血で染められてきました。これはなぜでしょうか。

近代史に至っては、世界は二回にわたって世界大戦を起こしました。一九一四年、サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺される一発の銃声によって点火された第一次世界大戦は、たちまちのうちにヨーロッパ全域を火の海にし、十六ヵ国が参戦した中で三千万人の死傷者を出す凄惨な戦争となりました。

このヨーロッパの惨状を見た世界の指導者たちは、いかなる代価を払ってでも、もう再び戦争を起こしてはならないという痛切な覚醒から、アメリカのウィルソン大統領の提唱により「国際連盟」を結成しました。しかし、「国際連盟」は四十種余りの国際紛糾を処理したものの、強大国間の紛糾の処理に失敗し、ウィルソン大統領の偉大な夢は跡形もなく消え去り、アメリカ上院の批准も得られないまま、「国際連盟」は結局、失敗で幕を下ろしてしまったのです。ここに、戦争を防ごうとする人類の渇望は挫折しました。

そして、それから二十年もたたずして、再び世界は第二次世界大戦の惨禍の中に巻き込まれていきました。第二次世界大戦は大西洋のみならず、太平洋までも火の海にしました。数千万の人類が殺傷され、ついに二発の原子爆弾の投下とともに辛うじてその終結を迎えました。世界が再びこのような生き地獄になるのを防ぐために、今度は一九四五年四月二十五日、サンフランシスコで「国際連合」、すなわち国連を創設するに至りました。「国際連合」の歴史は一九九一年現在まで、四十六年になります。

それでは、過去四十六年間、人類は戦争を知らずに平和に生きてきたでしょうか。そうではありませんでした。戦争は再び数限りなく起こりました。韓国動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争をはじめとして、実に六十回以上も人間同士が殺し合う歴史が繰り返されたのです。

なぜ、このように平和というのは難しいのでしょうか。きょう私たちは、「世界平和連合」の創設に先立ち、平和が成し遂げられないその理由を先に究明しなければなりません。そうでなければ、今後も前轍を踏むのは火を見るより明らかだからです。

紳士淑女の皆様。これまで人間は、平和を叫んでいただけであって、その真の平和の意味を知ることができませんでした。平和の真の哲学をもてなかったのです。ですから、真の平和を成し遂げる方法が現れなかったのです。貴賓の皆様、その理由は、分かってみると簡単なことです。人間は神様を見失うことによって、平和をも失ってしまいました。また人間は、神様を差し置いて、人間同士で平和を見いだそうとしたのです。それは根本的な誤りであり、それが真の平和を得られない根本的理由なのです。

全知全能であられる神様は、愛の神様であられ、平和の神様であられます。その神様が、互いに争い、命を奪い合う世界をつくられたはずは絶対にありません。神様は、人間を神様の形状どおりに造られ、人間は正しく神様の聖なる霊が住まわれる家のような聖殿として造られたのです。

人間一人一人が神様の聖殿として、神様をお連れして暮らす家として完成したならば、どうして人間同士の闘争と殺戮があり得るでしょうか。創造本然の世界において、人間が争うということは、右腕が左腕と争うのと同じことであり、自分が自分の手で自分の目を抜いてしまうのと同じことなのです。そのような本然の世界では、戦争は起きようにも起こり得ませんし、互いに愛し合い、仲睦まじく暮らす世界であり、いかにして神様にもっと栄光を捧げるかという善意の競争だけがある世界です。

そこには葛藤があり得ず、誤解もあり得ず、美しい協調と相互協助でただただ和睦団結して、美、真、善を追求する平和の世界のみが永続するのです。その世界は神様に似た世界であり、神様の理想と本質のために生きる世界なのです。

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アメリカ建国二百周年の祝祭に、レバレンド•ムーンがなぜ大騒ぎするのかと反対する人もいますが、皆様、考えてみてください!家中が病気にかかれば、医者は外部から来なければならないではないですか。火事が起きた場合にも、消防隊を外部から呼ばなければならないではないですか。このような使命で神様の召命を受けて、この文という人が外部から来たのです。体に効く薬は口には苦く、病気に対して手術をしようとすれば、痛みが伴うものです。救おうとする手が痛いところに触れたからといって、その手を払いのけるべきでしょうか。

私は三年間、千辛万苦してアメリカの青年たちを教え導いてきました。彼らは、天を中心とした家庭と教会と国家の設計を明確に知っています。病にかかって完全に死ぬ前に、火がついてすっかり燃え尽きてしまう前に、このアメリカを救わなければならない緊迫した天の事情をあまりによく知っているので、彼らは夢中になって、熱狂的に命を懸け、深刻な努力を必死にしているのです。皆様の立派で愛らしい息子、娘たちが、神様のみ旨に従って悪と対決する最前線で、天の十字軍となって勇敢に戦っています。悪の勢力を完全に打ち破り、神様の国をこの地球上に建設することが万民の神聖な義務なのです。すなわち、まず神様がかくも愛し、準備されたこのアメリカの地に、地上天国のモデルを立てようとするのです。

皆様。嘆息と涙のない世界を築くために、ここにため息をつき、涙を流しながら立ち上がった青年の群れがいることを覚えておいてください。苦難と闘いを知らない世界を建設するために、きょうも苦労して闘っていることを知ってくださることを願います。私たちの闘いは神様対サタンの闘いです。神様のみ名にかけて闘うとき、いずれ私たちは、いかなる犠牲をおったとしても、絶対に後退することなく必ず勝利するでしょう。

この文という人に反対し、迫害することが問題ではなく、そのことが、神様のみ旨に反対し、神様を迫害することになるのではないかと恐れなければなりません。神様のみ旨でなければ、そのまま放っておいても遠からず自然と減んでいきますが、神様のみ旨である場合は、いくら迫害しても滅びません。文という人は何ゆえにアメリカに来て、このように受難の道を歩んでいるのでしょうか。名誉のためでしょうか。違います。お金のためでしょうか。それはあり得ないことです。権力のためでしょうか。断じて違います。このアメリカという国は、私の愛する神様が非常に愛しておられる国です。ですから、この国の国民たちが神様に背いたとしても、神様は到底見捨てることはできず心を痛めておられるので、そのような神様を父として侍る私としては、苦労を顧みずに命令に従ってきたのです。

御自身がお選びになった国、このアメリカを先に救い出したのちに、アメリカをして全世界を救わせようとされる大きなみ旨があることを、私はあまりによく知っているからです。それを知らずにサタンと組んでいては必ず滅びるのであり、神様をお連れすれば必ず勝利するのです。

皆様。二百年前、建国当時に皆様の先祖たちが独立軍を起こし、神様のみ名によって闘うときに、ジョージ・ワシントンは、フォージ渓谷でひざまずいて神様に祈りました。ついに世界が震えたイギリス軍との闘いで堂々と勝利したのは、神様が義と認め、共にいてくださったからです。その時に神様は、世界の中心となる国家の土台を築いてくださったのです。それから百年後、神様のみ旨に背いた、甚だしい人種差別を御覧になった神様は、エィブラハム•リンカーン大統領を立てて奴隷を解放させ、南北戦争に勝利させることによって、世界の中心となる超民族的土台を築いてくださいました。この時はアメリカとアメリカの国民にとって、外的な試練の時でした。しかし、建国二百周年を迎える今日のアメリカは、現在、大きい内的な試練の時期にぶつかっているのです。それは宗教の試練期であり、世界史的思想の試練期なのです。

一方、神様を否認する悪魔の思想、共産主義が世界的に総攻撃を始めています。神様が、特別お選びになって立てられたこの国アメリカこそが、彼らの最高の目標となっています。今、正にアメリカが、神様のみ前に立つか倒れるかの試練を受けているのです。その内的思想の闘いにおいても、み言と思想の根本であられる神様に侍らなければ、決して勝利することはできません。神様に侍るアメリカが中心となって、唯心民主主義世界と唯物共産主義世界との対決において、共産主義無神論の世界を完全に克服し、超民族的であり、超国家的でありながら、世界的な次元で神側が勝利を収めなければなりません。そうなれば、神様はこの国に、新しい次元の世界的な思想の土台を築いてくださるでしょう。

第三世紀へと向かう今日のアメリカは、建国当時、宗教的迫害に耐えられず、各国から集まってきたプロテスタントの信徒たちを結束し、神様のみ名によって一つの国、すなわち「神様のもとの一つの国家」を建てました。同様に今は、思想的迫害に耐えられず、共産圏から自由世界に越えてきた新たな国民たちを結束して、超キリスト教的であり、超世界的な神様のみ名を中心として、ついには共産世界にまで勝利して、神様のみ名によって一つの世界、すなわち「神様のもとの一つの世界」を必ず成し遂げるでしょう。

そのためには、今日のキリスト教は一つにならなければなりません。今のままでは絶対にいけません。新たな宗教改革が起きなければならないのです。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト教的、超思想的革新運動を起こし、世界の宗教を統合する方向に前進しなければなりません。

キリスト教はこの西欧的なキリスト教だけでは絶対にいけません。アジアを連結し、東西の文化と思想を統合して、神様のみ前に結束できる世界的思想の土台を整えなければなりません。そのような膨大な内容を備えた新宗教運動が必ず起きなければならないのですが、そのような意味で統一教会が出発したのです。アメリカでそのような運動が成就してこそ、即座に世界へと波及していくことができるのです。

私たちは、キリスト教に立脚した「神主義」の思想でアメリカを覚醒させ、この地に神様の理想国家のモデルを建設するために立ち上がらなければなりません。それが成就する日、全世界はアメリカを模範として、人種と国境を超越した地上天国の建設に加担するようになるので、神様を父母として迎える兄弟姉妹として、互いに愛し合い、仲良く幸せに暮らす人類大家族理念の世界、言うなれば、神様がはるか昔の太初から計画された永遠の理想世界、地上天国を私たちの手で築き上げなければなりません。

それが私たちの至上課題であり、神様が私たちに与えてくださった神聖な義務です。神様は今、私たちを通して声高に叫ばれるので、その声に呼応し、その号令に足並みをそろえて、理想世界へと邁進しましょう!統一の群れが万難をものともせず、先頭に立つでしょう。

親愛なる市民の皆様。きょう私たちは、この場で聖なる神様のみ前に、この神聖な義務に従って成し遂げてさしあげることを共に誓いましょう!満場の皆様。神様のみ名のもとに結束、団結して、地上天国建設へと総進軍しましょう。

私たちは固く団結し、神様に限りない感謝と栄光をお返しし、ここに世界万民の名によって、偉大なアメリカの建国二百周年を祝い、三百年代のアメリカの将来に、より一層大きな神様の祝福があることを祈りながら、私の話を終えようと思います。皆様とアメリカに永遠の神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。

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6.世界平和のための挑戦と可能性 日付:一九八七年六月一日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第一回「世界平和のための頂上会議」

尊敬する議長、元大統領、政府首脳、内閣首相、王族、貴族、内外の来賓および紳士淑女の皆様。平和を追求する一念により、この場にお集まりいただきました世界の指導者の皆様に、このようにしてお話しできますことは、私の無量の喜びとするところです。

歴史を通して見るとき、人間は常に平和を渇望し、その達成のためにあらゆる面において努力を重ねてきました。人類は、平和を得るために他を征服したり、時には平和のために降伏したりすることもありましたが、今世紀に入ってからは、戦争以外の方法により国際間の対立を解決しようと試みた、二つの貴重な事例があります。それが正に「国際連盟」と「国際連合」です。しかし、このようなあらゆる努力にもかかわらず、人類は平和を成就することができず、歴史は紛争を繰り返しており、破壊と暴力が頻発しています。

それでは、なぜ今日に至るまで平和を成就できなかったのでしょうか。その理由は、実に個々人の内部における闘争が解決されないまま、果てしなく続いてきたからです。世界の紛争は、このような個人の内面における闘争の発露なのです。人間の理想と現実の間には矛盾があり、その矛盾の焦点は、正に個人の霊肉間の闘争にあるのです。

人間の精神は、高い理想を追求します。人間の精神は、すぐに神様にまで到達するようになります。肉身は、私たちのその理想を具現する道具なのです。しかし、そこには、努力と鍛錬と自己犠牲が要求されます。人間の精神が追求することと肉身が追求することとの間には絶えず緊張が生じます。

人間の歴史には二つの平行する思潮が生まれました。その一つは、理性的で外面的な肉身の優位を強調するものです。例えば、肉体的な満足や、肉体的な美、そして科学に重点を置くものなどですが、これらすべては身体的感覚を土台にした実証を重視するものです。もう一つの思潮は、宗教的伝統であり、これは人間の肉身を超越する価値を重視するものです。それは精神的法則や価値、また神様の啓示など、科学の実証対象とはなり得ないものです。人間の生活において見ることのできるこれら二つの思潮が、正に今日の世界で見る二つの対立したイデオロギーの根源なのです。

民主世界、すなわち自由世界は宗教的伝統から出発し、発展しました。民主主義の現代的概念は、正に「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一・二七)という聖書のみ言に見いだすことができます。人間が神様の子女であるがゆえに、民主世界においては人間を尊重するということです。ですから、人間に対して選択の自由を最大限に許容するのです。なぜならば、自由なくして人間の行動は価値をもつことができないからです。

一方、共産主義は、人類歴史において、より外面的で世俗的な思潮が結実したものです。啓蒙思潮とフランス革命を経たのち、マルクスは暴力と社会工学的技法を応用して、神様に対する信仰を退け、暴力による社会秩序の構築を主張しました。マルクス主義の社会工学的技法は、神様を否定する人間観を根拠にしています。

しかし、その結果はどうでしょうか。たとえマルクスの見解や主張を擁護する人たちがいたとしても、マルクスの理論を実験し、実践してきた七十年の歴史をもつソ連などにおける結果は、一言で言って、ただ悲劇的な失敗であるとしか言えません。共産主義の勢力を堅固にするために、一億五千万の罪なき人命が犠牲となってきましたが、マルクスが約束したような正義と繁栄の世界は、どこにもその実体を見いだすことができません。今日、これら二大イデオロギーとそれを信奉する国々は、地球上でお互いが正面切って対決し、かつて想像することもできなかった巨大な破壊力をもって、全世界を脅かしているのです。

私は、このような観点から、世界平和の問題に対する解決方案として、次の根源的な三つの段階を厳粛に言明しようと思います。この提案は、最も根本的なものなので、大変理想主義的にも見えます。しかし、いかなる建物であっても、粗末な基礎を直さない限り、建物としての役割を果たせないように、私の平和のためのこの提案は、根源的な基礎から出発しています。まず、究極の世界平和とは、神様と人間との平和、次に人間相互間の平和、そして世界の平和という、この三段階を経なければなりません。

私は、全生涯を捧げて修養の道を歩んできました。さらに、宇宙の根本と神様の実在という問題について、誰よりも苦悶してきました。血と涙の出る修道の過程を経て、私は生きた神様の実在を明白に知ることができました。そして私は、生きておられる神様と直接対面する体験までもつに至ったのです。そこで、宇宙の根本であられる神様との平和を得ることができなければ、この地球上において真の平和を論ずることはできないことを悟ったのです。

神様は、宇宙の第一原因であられ、森羅万象の創造主です。そして私たちの愛する父であられます。神様は、特別なみ旨を成就するために万物を創造されたのですが、その目的は、正に愛の具現にありました。神様は真の愛の根源であられますが、いかに全能の神様であっても、お一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様は愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が返ってくることを願っておられるのです。その対象としての最高の被造物が、すなわち私たち人間なのです。このような理由から、人間には目的があるのです。人生の目的は、成熟して神様と永遠の真の愛の関係を実現することにあります。正に、これが神様と人間との間に、平和を築くことのできる根本原理なのです。

神様と人間との平和関係を樹立したのちに、私たち人間相互間の平和を成就できるのです。人間相互間の平和のために、根本的に必要な関係とは何でしょうか。それもやはり、愛の関係以外にはあり得ないのです。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、そして他のすべての世界宗教は、私たちが全能の創造主、すなわち神様の子女であることを教えています。

これはすなわち、私たちは兄弟姉妹であるという意味です。ですから、私たちは神様のかたちどおりに創造された者であることを理解することによって、互いが兄弟姉妹であることを悟らなければなりません。神様の子女を愛することが、神様に栄光を帰す最善の道となるのです。私たちがこのことを正しく理解することによって、人間相互間の真の平和の関係を設定する根拠を得ることができるのです。

世界平和の達成こそは、人類の長い間の念願でした。ところが、その達成もまた、本質的には、先ほどお話しした、人間個々人の平和を成就するのと同じ方法によるのです。世界は今、現実的には二大体制が対立しています。しかし、それは単に自|||世界と共産世界の葛藤だけではありません。それはより根本的に対立する価値観の葛藤なのです。

一方は、神様を肯定する価値体系であり、もう一方は神様を否定する価値体系です。共産主義の出現は、ある面から見れば、そもそも人間が神様の道徳律を実践できなくなったところから始まったのです。共産主義は、ある一面非難のイデオロギーです。それは神様を信奉する人たちが神様の理想を具現できなかったことに対する非難なのです。彼らが非難を受けても当然の内容があったので、共産主義は膨脹することができたのです。

しかし、実際に神様の創造本然の理想世界が具現する時には、共産主義は立場を失ってしまうのです。ですから、世界の問題は、根本的には精神の問題です。世界の問題の解決は、神様の実在を肯定するところから始まるのです。

今日、世界の救いのために必要なことは、正に次元の高い精神的覚醒です。世界は神様の実在を悟り、有神論的原理に基礎をおく世界観によって再武装しなければなりません。この神様中心の世界観のみが、今日の価値の混乱を克服できるのです。

もちろん、このような精神的価値観の運動は、外的には政治、経済、軍事面における結果的現実として現れます。しかし、精神的覚醒の根本は、縦的には神様に対する信仰と横的には人間相互間の真の愛で成就されるものでなければなりません。

このように、高次元的な価値で覚醒した土台の上で、国家間の関係が変化していかなければなりません。これまでは、経済発展の背後における原動力は、利潤に対する欲求でした。それによって人間の潜在能力が大いに発揮され、巨大な世界的発展を成し遂げ、先進経済大国をつくってきたのです。

しかし、このような先進国が利潤追求の動機を超えなければならない時代を迎えました。利他的愛が国際関係の次元に適用されなければなりません。先進国はむしろ、他のために奉仕するその目的のゆえに、神様の祝福を受けていることを悟って、世界の発展途上国のために犠牲を甘受できなければなりません。そのようにして、悲惨な発展途上国の惨状を解消するために、先進国が先頭に立たなければなりません。

皆様。もし豊かな国がそのような態度をもったとすれば、その国は委縮したり、急激に衰退したりするようになると思いますか。決してそういうことはありません。かえって、その反対になります。しかし、もし先進国が利潤追求以上の高貴な理念をもち得ないならば、彼らがいくら努力したとしても、その繁栄は、衰退に転じ、歯止めが掛からないでしょう。隣人が飢餓、疾病、または無知のゆえに犠牲となって死んでいくときに、どうして世界が平和であり得るでしょうか。すべての先進国が結束しさえすれば、飢餓、疾病、無知の三大悪を退ける、世界平和のための前線を構築できるのです。

最後に、国家間の利害を超越する関係を土台として、実際に神様をお迎えした世界共同体が出現しなければなりません。二十世紀の後半に入った今日、世界が日増しに沈滞していく現状に、私たちは気づかざるを得ません。いかなる国も、今や離れ小島ではいられません。また、いかなる人であっても、他の人との相互依存的関係なくして、繁栄を期待することはできません。

したがって、相互理解と信頼を増進するために、国々の共同繁栄を追求する共同体が建設されなければならないのです。世界は今や地球村と言われるほどに、急速に狭まってきています。すべての人々の生存と繁栄が、正にこの協同精神にかかっています。人類は、神様のもとの一つの大家族であることを悟らなければなりません。この協同を通してのみ、私たちは環境を保護することができ、またすべての人々の文化水準の向上と自由、正義および尊厳性の確保を期待し約束できるのです。このような協同精神の土台となるのは何でしょうか。それは、世界共同体のすべての国々は、ただ神様のみに根源をおく共通の価値体系と永遠不変の原理を尊重することです。

私たちは共通の夢をもっていますが、それは、理想世界実現という念願です。かつて預言者たちは、これを「地上天国」と呼んできました。これは今まではるか遠い目標のように思われてきましたが、今や実現可能であり、なおかつ必ず成就すべき目標なのです。なぜならば、正にこれが創造主の本来の理想だったからです。「世界平和のための頂上会議」の重要な意義が、正にここにあるのです。

私たちがあすを展望するとき、ある面においては暗澹たるものがあります。しかし、私は失望しません。なぜならば、神様が本来の理想をこの地上に実現されるという聖書のみ言、すなわち「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」(イザヤ書四六・一一)という約束の中に、神様の決断を見ることができるからです。ですから私は、世界の平和は必ず訪れるという確信をもっています。

私たちのこの「世界平和のための頂上会議」は、世界平和を論議する最も次元の高い集まりとなるでしょう。この会議は神様の霊感を受けて召集されたものであると私は感じています。私たちは世界平和のために、神聖かつ荘厳な召命を受けてこの場に集まったのです。これから私たちが達成する課業は、私たちの子孫と全人類に残す貴重な遣産となるでしょう。

世界平和の主導的役割を担当するために、皆様が遠い旅路を経て、地球の片隅にある韓国に来られましたことを、心から感謝し、祝賀申し上げます。私は皆様の経験と智恵と卓越した政治的指導力を大いに信頼するとともに、私たちのこの課業を通して、二十一世紀には新しい平和の時代がこの地上に到来することを信じています。皆様が慎重かつ思慮深く始められるこの「世界平和のための頂上会議」の上に、神様の栄光と祝福が共にありますことをお祈りいたします。ありがとうございました。

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12.韓国統一と世界平和 日付:一九九二年八月二十二日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第五回「世界平和のための頂上会議」

尊敬する元•現職の大統領、国家元首と首相の皆様、ならびに各界からお集まりの世界の指導者の皆様。きょう私は、「世界文化体育大典」の一環として開催される第五回「世界平和のための頂上会議」の開幕を心からお祝い申し上げます。

また「韓国統一と世界平和」を大きな主題とする今回の会議に参加するために、世界各国から私の祖国を訪ねてこられた、たくさんの指導者の皆様に熱い感謝を捧げます。

未来の新しい理念 今日の世界問題は、あらゆる多様な分野が相互複合的に連結されていることがその特徴です。したがって今回、「世界文化体育大典」という名のもとに、思想や政治分野をはじめとする学術、宗教、言論、科学、芸術など、すべての文化的分野の世界問題を幅広く一つ所で扱うようになったことは、世界平和の真の道を模索する上で画期的な貢献となるだろうと思います。

さらに今回の会議は、体育オリンピックと共に開催され、人間社会の精神的な面と肉体的な面を、均衡を保ちつつ発展させる方向性を提示する意義をもっています。

特に世界百三十ヵ国から、国籍と人種を超越して三万組の善男善女たちが集まる中で挙行される、歴史上最大規模の合同祝福結婚式は、二十一世紀とともに新しい歴史時代を迎える世界人類が、神様を中心に互いに和合することによって世界平和を実現する、平和の大道を見せてくれる壮挙になるでしょう。

過ぎ去った人類の歴史を振り返ってみると、一瞬たりともこの地上に真の自由と平和と幸福が実現された日はありませんでした。実際に、経済的平等という理念のもと、「人類を搾取から解放する」と言った共産主義は、むしろ闘争と貧困の凄惨な結果ばかりをもたらしました。

そればかりでなく、自由の理想を前面に立てて共産主義と対決してきた自由民主主義も、結局は、甚だしい利己主義と道徳的価値観の崩壊の中で呻吟しているという事実を、私たちは目撃しているのです。戦争の砲煙がこの地球上から消えるどころか、かえって一層激烈な葛藤と混沌ばかりが横行し、未来の世界を暗くしています。

しかし人類は、自ら経験してきた数多くの試練や苦痛に対して、誰も恨むことはできません。なぜならば、人間自らが、歴史の背後から人類を摂理してこられた神様の理想と目的を完全に排除したまま、人間のみを中心とした思想体系を立ててきたからです。

たとえ神学的な思考が時折考慮されたことはあったとしても、神様の根本的なみ旨と理念をはっきりと知らないまま、歴史の究極的な方向に対して、皮相的な観察ばかりが行われてきたからです。

したがって、未来の新しい理念は、人間に対する神様のみ旨と理想をはっきりと究明するだけではなく、神様と人間の関係を明確にできなければなりません。

真の愛は世界共通の平和の原理 本来人間の心と体は、神様の真の愛を中心として、完全な一つの統一体を形成すようになっています。そして、このように神様の真の愛で心と体が一つになった男性と女性が、神様の真の愛を中心として出会い、夫と妻として一つの家庭を完成するようになれば、その家庭は、神様の真の愛を中心として一体となることによって、真の自由と平和と幸福の根源地になるのです。

神様の真の愛は、相対のために無限に与えようとするものです。愛の心をもつ父母は、自分の子が自分たちよりも立派になってくれることを願うので、子女のために多くのものを与えては、またもっと多くのものを与えようとするのです。愛する夫と妻もまた、相手が自分よりも優れた人になることを願うので、相手のために投入してはまた投入して、それを忘れるのです。

このように真の愛の特性は、相手のために投入してはまた投入しようとするところから、その作用が誘発され始めるのです。神様は、このように人間のために与える真の愛の主体的な立場にいらっしゃり、与えてはまた与える愛の本性がその作用を継続させることによって永存されるのです。人間は、神様のみ前に永遠の愛の対象として立ち、神様と共に永遠に愛を受けては返す、愛の一体関係をつくることが、神様のみ旨であり、人間の理想でした。

このように、神様と人間が真の愛を中心として、その理想の統一点を共有するようになるとき、初めて人間は、真の自由と平和と幸福を享受するようになるのです。このような原理は、一人の個人だけでなく、家庭と社会と国家、そして世界に至るまで共通の平和の原理として適用されるのです。このように人類は、神様の真の愛を中心として、神様と統一体の理想を成し遂げていかなければなりませんでした。それが人類歴史の根本的な方向だったのです。

韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則 しかし人類歴史は、このような神様の方向と一致した道を歩んでくることができませんでした。それは正に人間の堕落のゆえです。人類歴史を通して、誰一人として、神様の真の愛を中心とした一体になった夫と妻になれなかったのであり、したがって、神様の真の愛に基づく真の父母の理想を成し遂げることができなかったのです。

反対に人類は、悪魔を中心とした結婚生活を通して、偽りの愛と生命と血統を受け継いできたので、これを清算して、神様の本然の愛と生命と血統を再び取り戻すために、真の父母として来られるメシヤを待ち望み、準備してこざるを得なかったのです。人類歴史が初めからこのような神様の理想的方向と一致していたならば、人類は、幾重にも分かれて互いに争い、葛藤と搾取と抑圧によって屈折した、そのような姿を見せることはなかったはずです。真の愛を中心とした真の父母、真の家庭、そして真の社会と国家と世界の統一的歴史をつくってきたはずなのです。

分断された韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則は、神様の真の愛を通して心と体が一つになった真の個人と真の家庭を完成するときに初めて可能なのです。さらにこの原則は、取りも直さず、世界が真の自由と平和と幸福を実現するための平和の原則にも拡大できるのです。

ですから、韓半島の統一は、未来の統一された一つの世界、さらに神様と人間までも一つにできる重要な契機をつくるものなのです。

きょう「韓国統一と世界平和」について議論する、ここ韓半島は、人類歴史を通じて葛藤してきた神本主義であるヘブライズムと人本主義であるヘレニズムの二つの思潮が、自由民主主義と共産主義という名のもとに鋭く対峙する、理念的対立の歴史的現場です。ですから、韓半島での理念的な分断克服は、すなわち統一された一つの世界を指向する理念的指標になるでしょう。

一九五〇年に勃発した韓国動乱は、第二次世界大戦後、全世界が米ソ両国を中心とする冷戦時代に突入する最も具体的な始発点でもありましたが、実に韓国動乱は、世界の民主陣営と共産陣営が鋭く対立する縮小版として、歴史の二つの系統となってきた神様の勢力と悪魔の勢力が対決する最前線だったのです。

このような観点から考えてみるとき、韓国動乱は、世界の善側を代表して悪魔の勢力と戦った聖戦とならざるを得なかったのです。今、冷戦時代の始発地域である韓半島が統一されなければ、本当の冷戦時代の終息は期待できません。

去る一九八八年にソウルで開催された第二十四回オリンピックがもつ意味は、大変大きなものです。十二年間も米ソ両陣営が互いにボィコットしたオリンピックに、初めて東西の両陣営が共に参加し、東西和合の始発点がつくられました。また類例なく世界から百六十ヵ国の国々が参加し、全世界の和合の象徴になったりもしました。

そしてこのオリンピックは、世界を健全なものにするには、肉体的な面だけではなく、精神文化的な面での発展がより一層重要だという認識をもたらす契機にもなりました。

そうして私は、八八年のソウル•オリンピックの幕が下りると同時に、全人類の精神と肉体の両面を、均衡を保ちつつ啓発させることのできる、新しい次元の人類の大祝典「世界文化体育大典」を開催するための準備に着手し始めたのです。

霊的な大覚醒が必要な時 韓半島の葛藤は、先進国と発展途上国との間の葛藤だけではなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界問題の解決に対し、重要な方向性を提示する指標になるのです。今日の世界は、霊的な大覚醒が必要な時を迎えています。

個人や国家や世界のすべてが、神様の実在に対する新たな理解だけではなく、神様と人間が再び出会い、切っても切れない本然の関係を再び取り戻さなければなりません。このために私が提唱したのが、真の愛を中心とする「神主義」なのです。この「神主義」は、左翼でもなく、右翼でもない「頭翼思想」と呼ばれています。

私は、真の父母の使命を引き継いだのち、この「神主義」を通して世界平和を実現するために、あらゆる受難と試練を経験してきました。この「神主義」は人々に、人類歴史を通して人本主義に押し出され、物本主義によって忘れ去られた神様を再び探し出させ、神様と人間が共に出会う一致点を教えています。

無神論の本山として知られている旧ソ連でも、既に数万人の政治指導者、学者、宗教人などが、四泊五日の修練会を通して、「神主義」を悟り、新しい霊的ルネサンス運動に拍車を掛けています。

神様と人間が出会って一つになる場は、正に真の愛の場です。真の愛の中で、人間は神様に会い、永生を追求できるようになることによって、すべての世界問題を克服できるのです。すなわち、自分を犠牲にして、他のために生きる真の愛を通して、人種間の対決や、暴力、貧富の葛藤、環境破壊などに関する解決点を見いだすことができるのです。そして、真の愛を中心として一つになった家庭は、永遠と連結されるので、倫理、道徳の腐敗や青少年の堕落を防止できるのです。

真の愛によって一つになるとき、人類の未来は明るい 二十一世紀の新しい歴史は、神様と人間が真の愛を中心として再び一体化するところから、その出発の起点を探し出さなければなりません。個人や家庭、社会、国家、世界のすべてが、真の愛の中で一つになるとき、人類は明るい未来が約束されるのです。

尊敬する世界の指導者の皆様。今日の時代は、既に政治、経済、文化などすべての面で国境を越えた超国家主義時代に差し掛かっています。これまで皆様が責任を負い、奉仕してきた国家単位の時代は過ぎ去り、これからは世界が一つに協力しなければならない新しい世界の舞台が開かれつつあるのです。

今日のこの世界はわずか何人にもならない小数の指導者たちによって、影響を受けて導かれています。この場にお集まりの皆様すべてが団結して、世界の人類を導く小数の指導者を教育し結束させるために先頭に立つ人になるならば、世界の未来は、皆様の手に委ねられるでしょう。

平和世界の達成は、すぐ目の前に見えています。二泊三日の皆様の会議が成功裏に行われ、人類の未来に新しい里程標がつくられることを願います。皆様のすべてに神様の加護が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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3.アメリカは神様の希望 日付:一九七六年六月一日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ヤンキー・スタジアム

行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会

親愛なるアメリカ市民の皆様。そして世界からいらした尊敬する代表者の皆様。私はきょう、「アメリカは神様の希望」と題してお話ししたいと思います。

きょう私たちは、壮大なヤンキー・スタジアムでアメリカ独立二百周年を祝う歴史的な祭典に集まりました。ヤンキー•スタジアムでのきょうの集会は、次のような意味で唯一無二のものであると言えます。その第一に、私たちが開くこの祝祭が徹頭徹尾神様の名によって行われたことです。

今日、私たちは、「世界における自分の国」を考えながら暮らさなければならない、新しい次元の時代に差しかかっています。私たちが暮らしているこの地上には、二種類の人たちがいますが、その一つは自分だけを中心として生きる人であり、もう一つは個人と家庭を越え、国家と世界のために生きる人です。古今東西を問わず、主導的役割を果たしてきた人たちは、より公的な生活をした人たちでした。個人よりも家庭のため、家庭よりも国家のため、国家よりも世界のため、世界を越えて神様のために生きる人が、より公的な人と言えるでしょう。義人や聖人は、全人類と神様のために生きた人たちですが、イエス様は正にその代表的な人物です。そして、神様こそが最高の公的な方であられます。堕落して御自身に背いた人類を見捨てずに、一途な心で人類を罪悪と塗炭の苦しみから救おうとされるのです。

救援摂理の目的は、ひとり子イエス様を送り、最悪の場合には彼を犠牲にしてまでも、世界を救うことでした。選民イスラエルを立てたのも、彼らを通して世界を救うためであり、キリスト教を立てたのも、それを通して全世界を救おうとされたからです。

ですから、ヨハネによる福音書三章十六節には、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるのです。ひとり子を犠牲にしてまでも世界を救おうとされた神様は、今も中心宗教であるキリスト教を犠牲にしても、世界を救うことを願っておられるという事実を、すべてのキリスト教徒たちは、夢にも思わずにいるのです。神様が願われる家庭と教会と国家は、人種を超越しなければならず、国籍を超越しなければなりません。すなわち、五色人種が仲良く混じって暮らす統一した混合民族型、それこそが神様の喜ばれるみ旨なのです。

それでは、アメリカを見てみましょう。アメリカは果たして神様がお建てになった国でしょうか、それとも人間の意志によって建てられた国でしょうか。このことをはっきりと知らなければなりません。皆様、アメリカはあくまでも神様がお建てになった国なのです。

アメリカの先祖である移民者の中には、二種類の人がいたのですが、一つは自分を中心として一獲千金を夢見て来た人と、神様を中心として自由理想の国をつくろうと、より公的な夢を抱いて来た人です。前者が中心になっていれば、国籍の違う異色民族同士の分裂と闘争が絶える日がなく、不義と罪悪にあふれた国になっていたはずです。しかし、神様が関与されたお陰で、天を中心としたヨーロッパのキリスト教徒たちの移民によって、色の違う民族がみ旨の中で一つになって、家族となり、教会となり、国家となったのです。それがほかでもない、皆様の先祖が建てたアメリカの誇り高い伝統なのです。

皆様の家庭を御覧ください。国籍を超越した異色の民族が混合した世界統一型の家庭です。皆様の血統の中には、五色人種の血が流れています。先祖の時代から互いに怨讐同士だった様々な氏族の血が一つに混ざり合って調和した一つの家庭なのです。そのような家庭が教会を形成し、国を形成するとき、超民族型の家庭から超民族型の教会、そして超世界的家庭が成立するのです。そのようにして神様の理想国家が成立するのです。このような国は歴史上にアメリカしかありません。それは明らかに神様によって成し遂げられたことを知らなければなりません。

アメリカの人々は、世界万邦からやって来ました。ここでは人種を問わず、信仰による差別はなく、文化の背景を問題としません。この地上のどこから来ようと、「私の家」と言える国、それが正にアメリカです。したがって、アメリカは世界の縮小体であり、人種と国籍を超越した理想のモデルとして、長い間隠されてきた新大陸の上に神様が直接お建てになった国です。復帰摂理の中で、特別に油を注いで立てられ、保護し、育成しながら、わずか二百年の間に豊かな祝福を与えてくださった国であることを、はっきりと知らなければなりません。祝福は決して独りでにやって来るものではありません。そこには必ず責任が伴います。それを投げ出すならば、神様を投げ出す恩知らずとなり、天の祝福は余すところなく奪われ、最も悲惨な絶望の国となるでしょう。既にそのような兆候が見えているではないですか。

愛するアメリカの市民の皆様。神様の怒りを恐れ、深く悔い改めなければならない時が来ました。神様を中心とした真の超人種主義者であり、超国家主義者であり、超世界主義者であり、そしてそのような家庭と教会と国家をもつことを誇りと考える人であってこそ、真のアメリカ人と言えるでしょう。神様の目には黒人も、白人も、黄色人種もありません。このような「神主義」的観点から人間を見て、世界を見ることができなければなりません。

皆様の先祖たちが血と汗を流して成し得た建国精神に立ち返りましょう。「神主義」思想に立ち返りましょう。アメリカの建国は、神様が動機であり、原因であり、根本です。常に神様が中心となるならば、一つになって繁栄しますが、神様を無視する日には、人間の力だけでは到底一つになることはできません。

皆様。アメリカには本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の教会に本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の社会に、国家に、本当に神様はいらっしゃいますか。神様がいらっしゃるならば、コンクリートのように強く団結できますが、神様が離れた場合には、洪水の時に砂の一粒一粒が散らばるように、一度に跡形もなく流れていってしまうでしょう。神様と一つになることによってのみ、アメリカは、誇り高き最高の先進国家として祝福を失うことなく、世界的権威と指導力を維持できるのです。もしもそれができず、神様が間違いなく離れていかれる日には、この国がサタンの手に渡ってしまうのであり、そうなればアメリカは今後、世界において最も悲惨な生き地獄と化すのです。神様の与えてくださった祝福が大きいだけに、試練もそれに比例して大きいことを知らなければなりません。

一九六〇年代当時は、世界の希望はアメリカであり、アメリカの希望はこのニューヨークでした。しかし、今、アメリカの国際的信望は地に落ちてしまい、ニューヨークは罪悪の都城、悪魔の都市へと変わりつつあります。シカゴやロサンゼルスもそうです。このようにサタンがアメリカの全域において主人となるならば、神様は顔を背けるしかなく、挙げ句の果てにアメリカを離れざるを得なくなるでしょう。今がそのような時であることをはっきりと知らなければなりません。異色民族の団結の力となっていた神様が離れるので、家庭は破綻し、教会は分裂し、この国は細胞が腐っていく人体のように、体中が致命的な病にかかっているのです。その隙に乗じて、共産主義の火の手が、この国を丸ごとのみ込んでしまおうとしています。じっとしている時ではありません。誰かが何とかしなければならない切迫した状況なのです。

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11.真の父母様北京到着の談話文 日付:一九九一年十二月七日

場所:中国、北京空港

行事:北朝鮮訪問後の北京到着談話文

私は今回、妻と共に北朝鮮政府の招請を受けて、平壌を訪問することになりました。これは、私が北朝鮮を最後に離れた一九五〇年十二月から、満四十年と十一ヵ月ぶりに実現した歴史的機会でした。

私は、北朝鮮に対して恨が多いと言えば誰よりも多い人間です。私は、宗教指導者であることと一貫した反共の信念のため、北朝鮮政権から到底語ることのできない迫害を受けた者です。また、到底形容できない拷問を受けながら、三年近く興南で監獄生活をする中で、多くの罪なき囚人たちが死んでいくのを見ました。私が今日、健在なのは一つの驚くべき奇跡であり、ただ神様の特別な加護と恩賜によるものであると思います。しかし今回、私は統一教会の創始者として、真の愛の精神で北朝鮮に行ってきました。真の愛というのは「愛することができないものまでも愛する精神」です。ですから、イエス様も「汝の敵を愛せよ」とおっしゃったのではないかと思います。

平壌に入っていく私の心情は、秋の空のように晴れ渡ったものでした。怨讐の家に行くのではなく、私の故郷、私の兄弟の家に行くようでした。「許せ、愛せ、団結せよ!」という私の終生の信条をもって北朝鮮の地を踏みました。

また、私が過去四十年の東西冷戦時代に、世界の誰よりも徹底した反共主義者であり、「国際勝共連合」の創始者として一生を勝共闘争に捧げてきたことは、世界中の知るところです。しかし、私の勝共思想は共産主義者を葬る思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救援の思想です。私はベルリンの壁の崩壊以後、共産国家が崩れると、すぐに彼らに新しい価値観を教育し、それらの国を生かしていくことに全力を尽くしてきました。特にソ連と東欧のみならず、新生民主主義国家の政治家、知識人、教授、大学生たち数千人が、私の招待でアメリカと日本に来て、真の民主主義を学び、「神主義」と「頭翼思想」に感銘を受けて帰り、進んで自分の国を活かす運動の先頭に立っていることは、既に広く知られている事実です。冷戦時代の終焉とともに到来した平和の運勢を世界的に拡散させるために、私は「世界平和連合」を創設し、国際的な平和運動を主導しているのも、私の信念の所産なのです。

私は北朝鮮で、離れていた家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が張り裂けるような痛みを感じました。それは、愛する人たちが南と北に別れて、きょうも再会の喜びをもつことができずにいる数多くの同胞たちを思い起こしたからです。そのうちの多くの人は、永遠にその機会をもてずに死別してしまうしかないことを考えたとき、我が民族の分断と離散の悲劇を一日も早く終結させなければならないと骨身にしみて自覚させられました。そして、このたび金日成主席との会談で、私は南北離散家族相互訪問問題を前向きに解決していく努力をしてくれるよう要請しました。しかし、共産主義問題を解決し、世界平和を実現することは、ただ理念的な対立の解決や教育だけでは達成できないと考えます。世界を生かすには経済的支援も非常に重要なことだからです。ですから、私は既に中国に二億五千万ドルを投入して、「パンダ自動車工業都市」を建設しているのです。

私が北朝鮮を見る視点も同じです。一つ違うことは、北朝鮮は他人の国ではなく、私の同族の国であり、私と血統を同じくする兄弟姉妹だという点です。「血は水よりも濃い」と言います。私は北朝鮮の二千万同胞を私の兄弟姉妹として愛しています。熱い心で彼らを愛しています。しかし、我が民族の宿願である祖国統一は、政治的、経済的、軍事的方法だけでは成し遂げられません。それよりも先行しなければならない基本要件があります。真の愛を原動力とした政治、経済、軍事問題の関係改善が統一の土台にならなければならないという点です。真の愛というのは、父母の愛のような無条件の愛です。そして、隣人のために自分の生命をちりのように捨てることのできる犠牲精神がすなわち真の愛です。そのような意味で、私は北朝鮮との経済協力および交流を広げ、経済開発事業に積極的に参与する意思があることを表明しました。

私は今回、「平和の使徒」として平壌に入城しました。私は、どんなことがあっても、この韓半島に再び同族同士の戦争を自ら招くことがあってはならないという固い信念をもっています。その意味で最近、アメリカの朝野で持ち上がっている北朝鮮の核施設空襲論は極めて危険な発想です。北朝鮮はイラクではありません。これは、全面戦争を引き起こすことは明らかであり、その恐るべき結果は誰も予測できません。アメリカは、韓国国民の生存権を脅かすことに対して、何よりも慎重に判断することを願います。

北朝鮮との核問題については、平和的に解決できると私は考えます。相互に尊重する真の対話を通して、必ず平和的に解決しなければなりません。私はその対話の道を開こうと平壌に行ったのです。そして、対話を通して平和的に解決しようとする使命感でその道を大きく開いて帰ってきました。私は、今回の北朝鮮訪問の成果が、大韓民国政府と北朝鮮当局者間の発展的な対話と交流を増進させていく良き契機となることを心から願う気持ちで、北朝鮮を訪問したのであり、今やそれが成功裏に成し遂げられるという確信をもつに至りました。

今日、私たちの課題は祖国統一です。これは私たちの宿命であり、私たちが生涯をかけて成し遂げなければならない終生の聖業です。私は、今まで神様のみ旨に従って統一の聖業を成し遂げる一念で生き、残りの人生もひたすら神様のみ旨を成し遂げる一念で生きていくつもりです。統一を念願する韓国と北朝鮮七千万同胞のすべてが、これから葛藤と闘争を終息させ、和解と愛で、民族の同質性を回復する事に、民族を挙げて取り組んでくださることを願う次第です。「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」時が今であると考え、統一祖国の明るい新世紀を迎える準備を急がなければなりません。

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10.真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞 日付:一九九一年十一月三十日、十二月六日

場所:北朝鮮、平壌、牡丹館(モランクァン)招待所、ソジェゴル招待所

行事:真の父母様北朝鮮訪問歓迎および歓送晩餐会

私は四十年ぶりに平壌にやって来ました。そして、平壌が世界的都市として美しくつくられているのを見て、とても驚きました。あの清くて青い大同江(テドンガン)の水が、「今までどこに行っていたのか」と私を歓迎してくれているかのようでした。私は北朝鮮の約二千万人の同胞を本当に愛しています。「血は水よりも濃い」と言います。私たちは同じ血統を引いた歴史的兄弟姉妹です。

親愛なる北の兄弟姉妹の皆様。家族たちと会った瞬間、私は喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを感じざるを得ませんでした。愛する人たちが南と北に別れ、きょうも出会いの喜びを分かち合うことのできない一千万人の同胞たちがおり、多くの人たちは、永遠に再会の機会を得ることがないまま、死に別れるしかないということを考えるとき、民族分断の悲劇は一日も早く終結しなければならないことを、きょうほど痛切に感じたことはありません。

我が民族は単一民族として悠久なる歴史において輝かしい文化を誇ってきました。しかし不幸なことに、我が民族は外部の意思によって強要された分断四十六年を生きてこなければなりませんでした。

これからは、二度と外部の勢力によって民族の運命が左右されることがあってはいけません。しかし、神様が守ってくださり、今では統一の時が近づいています。統一は民族の宿命であり、私たちの時代の課題です。私たちの時代に祖国の統一を実現できないならば、私たちは、先祖や子孫に永遠に頭を上げることができないでしょう。

祖国統一の聖業に関する深い対話を期待 七千万同胞が対話と和解で大同団結し、今回の出会いを契機として万難を克服し、統一のその日に向かって躍進していかなければなりません。そのために私たちは協力しなければなりません。祖国の経済復興も共に成し遂げなければなりません。私は祖国統一のために身命を捧げる覚悟ができている人間です。私が、ここの同胞たちのために何をするかは、金日成主席と金正日秘書の構想を聞いて決定しようと思います。

このたびの私の北朝鮮訪問が還故郷の意義深いものであることは言うまでもありませんが、この歴史的な機会に金主席にお会いし、直接感謝の言葉をお伝えし、民族の団結と祖国統一の聖業に関して深く話し合う機会があることを切に願う次第です。

最後に、祖国統一に向かって私たちが共に総進軍することを誓い、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。

尊敬する尹基福(ユンギボク)委員長、そして尊敬する金達玄(キムダルヒョン)副総理、また今夜この場にお越しになった北朝鮮同胞の皆様。私は去る十一月三十日、夢にまで思い描いた故郷の地、北朝鮮にやってまいりました。これはもっぱら金日成主席の温かい御配慮があったからこそ可能だったと思います。私は北朝鮮に滞在中、歴史も深い、美しく建設された平壌はもちろん、名実共に世界一の名山である金剛山も生まれて初めて鑑賞し、四十八年ぶりに私の故郷、定州も訪れる機会をもつことができました。

故郷を訪ねてみると、私の生まれ育った家が七十二年も過ぎた今日まで、そのまま保存されており、家族や親戚たちが四十二人も集まり、私たち一行を歓迎してくれました。年を取れば取るほど、遠く離れていれば離れているほど、行ってみたくなる所、会ってみたくなる人たちのいる所が故郷です。私はその故郷に来たのです。しかし私は、家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを覚えました。それは、今日、私と同じように幸福になれないでいる一千万人の離散家族たちのことを思ったからです。

私も、もはや七十歳を超えていますが、私のような高齢者たちは、愛する人たちと会うこともできず、近いうちにこの世を去らなければならなくなるでしょう。このような悲劇がどこにあるでしょうか。

ところが、思いがけず、金日成主席の温かい人道主義的な御配慮によって、悲惨な離散家族たちが再会できる希望が生まれました。来年から離散家族が再会できる制度を設けることを約束したのです。

皆様。私にとって南に持って帰る贈り物で、これ以上良いものはありません。離散家族再会のこの知らせは、南の約四千万人の血を沸き立てるでしょう。南では、にわかに金日成主席の徳望に感謝して敬うようになるでしょう。

統一の原動力は真の愛 私はきょう、金日成主席と長時間にわたって会談する機会を得たことを、光栄の至りと存じます。もちろん、人それぞれ意見や見解の差はあるのは事実ですが、寛大で温かく、徹頭徹尾民族を愛されるその愛国精神は、私に大きな感銘を与えてくれました。私は今回、金主席にお会いし、直接感謝の気持ちを伝える機会をもつことができ、私にとってこれ以上の幸せはありません。

皆様。私は今回、八日間の故郷訪問中、国賓として手厚いおもてなしを受けました。尹基福委員長、そして金達玄副総理、その他私たち一行のために御苦労された方々に、熱い感謝を捧げます。皆様は真心をもって私をもてなしてくれました。私も心から北朝鮮同胞の皆様を愛しております。

私は今まで、統一の原動力は真の愛であると強調してきました。私は今回、北と南の間に真の愛の絆が結ばれたことを経験しました。

私は、最初にここに来たとき、「血は水よりも濃い」ということを強調しました。今、この地を離れるに当たり、民族をつなぐ愛が永遠であることをお祈りいたします。そして、ここを発つに当たって一言申し上げたいのは「愛は血よりも濃い」ということです。

二十一世紀の経済的奇跡と祖国統一 皆様。昨日、尹基福委員長と私は共同声明を発表いたしました。そこにおいて私たちの祖国統一は、外勢の介入や干渉なく、自主的に対話と交渉を通して、平和的に実現しなければならないことで意見が一致しました。

また私たちは、我が民族が二度と戦争の惨禍を被ることがないように、南と北が相互不可侵に合意し、核エネルギーは、ただ平和的目的にのみ利用し、韓半島においては、核兵器の製造や配置があってはならないと主張しました。このような北朝鮮の平和的な真意を曲解する人がどこにいるでしょうか。また私たちは、北朝鮮に向けた海外同胞たちの経済的投資を歓迎し、私は北朝鮮当局が推進している経済事業に、様々な形で投入していく用意があることを披瀝しました。

私は、北朝鮮の豊かな資源と訓練された労働力と賢明な知恵、それに世界的な技術と資本が合わされば、二十一世紀の経済的奇跡は、正にここ北朝鮮の地で起こるという事実に微塵の疑いもありません。これはまた、統一に向かう偉大な建設なのです。

皆様。結論として、私は、北朝鮮訪問を通して受けた、熱い感激を胸に抱いてここを発ちます。統一への熱望はより一層熱くなり、統一の可能性は目に見え始めました。私たちは共に和解し、理解し、愛し合い、そして一致団結して、私たちの宿願である祖国統一の日を一日でも早めていきましょう。最後に、尊敬する金日成主席と金正日秘書の御安泰をお祈りしつつ、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。

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当時、神様のみ旨を成就しようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者とプロテスタント運動者が合致して、イギリス全体が一つになっていたとすれば、超国家的な立場で、神様のみ旨の中で一つになり、名実ともの「ユナイテッド•キングダム(United Kindgom:連合王国)」という世界的な国家形態を築いたのです。

しかし、イギリスは、この重大な使命を悟り得ず、神様の祝福をイギリスだけのためのものとして享受し、一方、清教徒を迫害し、植民地から搾取する立場に陥ってしまったので、そこで神様のみ旨は再び移らざるを得なくなったのです。

当時、清教徒が、反対と迫害に耐えかね、苦難を打開し、信仰の自由を求めて、教会と国を捨てて立ち上がったカナンの地のような所がアメリカ大陸でした。天のみ旨を携えて、命を懸けて大西洋を渡ってきた代表的な群れが、皆様の先祖「ピルグリム•ファーザーズ」だったのです。彼らと共に天の祝福はアメリカ大陸に移りました。そのようにしてここに集まった超民族的清教徒の群れは、信仰の自由のために神様のみ旨の中で強く団結し、独立軍を起こしてイギリスと戦った結果、神様の加護のもとに勝利しました。このようにしてプロテスタントを中心とした超民族的な国家が形成されたのですが、これが正にアメリカの建国の歴史です。

そのようにしてアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである全世界救援のみ旨を果たす重大な使命を負うようになったのです。アメリカの建国理念が「神様のもとに一つの国」だったことは、何も偶然なことではなく、すべて神様のみ旨の中でそのようになったのです。

このように、神様は六千年の摂理歴史を勝利で完結させる目的のために、イスラエルの失敗以後の二千年歴史を、第一イスラエルの国とユダヤ教に代わる立場で相続、継承したのがアメリカとキリスト教でした。

イエス様以降二千年間に失敗した内外の条件を、二百年の歴史を通じて清算し、アメリカは精神文明と物質文明を兼ね備えて、神様のみ旨の中で世界を救うために再び来られるメシヤを迎える条件を具備した国になったのです。そうしてキリスト教とアメリカが一つになって、神様のみ旨を世界的に完結すべき、第二イスラエル型の世界的国家となったことを、皆様は知らなければなりません。

アメリカ国民は神様のみ旨を知って覚醒すべき 今や、アメリカ国民は、今日のアメリカを築いた神様の祝福が、決してアメリカだけのための祝福と思ってはいけません。この祝福は世界のための祝福であり、またアメリカ自体も、アメリカだけのための国ではなく、世界人類のためのアメリカであることを深く悟り、全世界人類の救援のために、いかなる犧牲や十字架も避けてはいけません。

イスラエルとローマ帝国とイギリスが、神様のみ旨を受けたにもかかわらず、その使命完遂に失敗した内容を知って、アメリカは必ず神様のみ旨を成し遂げる国にならなければなりません。アメリカは、超民族的に構成された国という意味で、世界を救うことのできる最もよい条件を具備しています。このように五色人種が合わさって暮らす国は、かつて歴史上になかったのであり、神様の加護がなかったとすれば、既に分裂し、争いながら滅んでいくしかなかったはずですが、むしろ祝福を受けて栄えることができたのは、驚くべき神様のみ旨があったからです。アメリカの国民は、今や神様の祝福の意味を知って、深く覚醒しなければなりません。

アメリカは、精神文明と物質文明の極致を築き上げた、神様のみ旨の中に準備された代表国家として、第一イスラエルがメシヤを渇望したように、再び来られる主を待ち望み、迎えて、創造理想を完結した統一世界を成就する国にならなければなりません。

第一次、第二次世界大戦を勝利に導いたのも神様であり、アメリカをして国連を編成させたのも神様のみ旨でした。本来国連は、キリスト教を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家の加盟は、絶対に神様のみ旨ではなかったのです。

またアメリカは、戦後の処理を間違えました。第二次世界大戦に勝利した連合国と三国同盟国(日独伊)がもっていた国までも適切に保護し、管理する責任が、アメリカにありました。もしアメリカが神様のみ旨を知っていたならば、サタン側の国家であるソ連を堂々と制圧し、世界万邦の自由国家を集め、民主世界に結束させて、神様のみ旨の中で全世界を復帰しなければなりませんでした。その時こそ、それができる良い機会でした。しかし、アメリカは、当時アジア諸国と東欧衛星国家を実質上共産圏に与えてしまい、韓国とドイツを分断させてしまいました。

第二次世界大戦の勝利は、神様の版図を広めて、世界へと進出させようとした神様の祝福の結果でした。しかし、アメリカは、結果的に若者たちの血の犠牲を無駄にしてしまい、神様を否定する不倶戴天の怨讐、共産主義世界を有利にしてしまったのです。その時、犠牲となった若者たちの怨恨の血の叫びが、いまだ絶えずにあることを、アメリカは知らなければなりません。

さらにアメリカは、自由陣営を守護すべき聖職から後退することによって、ベトナムのようにその保護下にいた国を一夜にして悲運の供え物としてしまったがゆえに、アメリカの国際的信義は地に落ちてしまい、怨みの声が日々高まっています。国連はその機能を喪失したまま、共産主義国家の独り舞台となり、イスラエルとアメリカと韓国は片隅に追われる恥辱を受けています。そればかりでしょうか。アメリカにおいては、様々な尋常ではない国内問題が日増しに深刻になっています。人種問題はもちろん、麻薬問題、青少年の淪落と家庭破錠、犯罪問題などです。どれ一つ取ってみても深刻でないものはありませんが、中でも共産主義問題は致命的です。

神様に侍るとい宗教会が、これらの問題を解決する主役を担わなければならないのですが、教会は日に日に若者を失い、ある所は養老院化しつつある状況です。家庭と国家と世界を見つめながら全体のために生きるという神様のみ旨に背き、極度の個人主義的な人生観と価値観によって生きるアメリカ人は、神様の審判を免れることができないことを恐れなければなりません。このままでは、神様は離れていかれ、そうなればアメリカは祝福を奪われて悲惨になるのです。既にそのようになりつつある現実を直視しながら、誰よりも国会議員の皆様をはじめとする為政者の皆様が覚醒し、頑張っていただきたいと願います。

皆様の心の中には神様はいらっしゃいますか。皆様の家庭に、皆様の町に、皆様の社会に、皆様の国家に神様はいらっしゃいますか。またホワイトハウスに神様はいらっしゃいますか。もっと重要なことは、教会に神様がいらっしゃるかということです。今では、それさえも疑問です。

神様はすべてを一つにさせる力なので、神様が共にあってこそ、個人の心と体もう一つになり、夫婦と家庭が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになり、東洋と西洋が一つになり、世界が一つになり、天と地もう一つになり、神様と人間が一つとなった統一の世界が来るのです。そのような世界になれば、共産主義は影すらもなくなるでしょう。神様さえいらっしゃれば万事が解決されるのですが、神様を失う日にはすべてを失ってしまうのです。

そのようなことを知ったからには、すべてを犠牲にし、アメリカ全体を犠牲にしてでも、探さなければならないのが神様であり、全世界の人類であることをはっきりと知らなければなりません。アメリカが覚醒し、国民が団結して、神様を中心として再び結束する運動を起こさなければならないのです。キリスト教を団結させ、すべての宗教を糾合して、次元の高いみ旨の世界に向かうアメリカとなれるように、精神的革新運動が起こらなければなりません。

アメリカは世界のために先頭に立つべき しかし、今のキリスト教のままでは、それはできません。汎国民的に教育して、徹頭徹尾精神武装させる新しい指導理念が絶対に必要です。それは現在の民主主義理念だけではできません。共産党を追放し、神様を中心とした愛と真理で、新しい社会秩序を樹立する運動が起こらなければなりません。そのような目的に向かって青年たちを結束、団結させ、アメリカを覚醒させて、世界的使命を担当しようと準備、訓練しているのが正に統一教会運動なのです。

統一教会は、それを成し遂げる内容と理念と実践力をもっています。アメリカを中心とする神様のみ旨とその計画を理論的に明らかに教えてあげ、アメリカをはじめとする西洋の物質文明と東洋諸国の精神文明をつなげて、全世界に統一文化圏を築き上げることによって、神様のみ旨である創造目的を完成した理想世界をこの地球上に建設しようとしているのです。韓国は、西洋文明と東洋文明が連結するアジアの高きやぐらであり、最後に残された基点となるのです。

そのような意味で、アメリカが韓国を保護せざるを得ないのは、神様のみ旨によるものであることを知らなければなりません。そのように東西を連結するという驚くべき歴史的使命を悟れず、自国だけで定着しようとするアメリカを再び覚醒させ、その使命を果たさせるために、神様はレバレンド•ムーンをアメリカに送られ、活動するように命令されたのです。

神様のみ旨の中で、アメリカの果たすべき至上課題は、イスラエルとローマ帝国、イギリスのような国々の前轍を踏まずに、その建国精神に立ち返って、徹頭徹尾神様に侍る国として、み旨の公式どおりに教会と国家が一つになり、アメリカを犠牲にしてでも全世界を救おうとする立場で、神様と共に力を尽くして地上天国を築く時まで先頭を走る旗手としての使命を果たすことです。そうすれば、アメリカは永遠であられる神様のみ旨を完成させ、永遠に祝福を受ける国となるでしょう。

きょうこの会場、この時間が、将来訪れる統一された理想世界、すなわち地上天国の礎を据える契機となることを願います。皆様と皆様の御家庭、皆様の仕事場、皆様の国に、万福が宿ることを願いながら、私のお話を終わらせていたたきます。ありがとうこざいました。

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2.アメリカを中心とした神様の計画 日付:一九七五年十二月十八日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカス•ルーム

行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会

親愛なるアイコード議員、国会議員の皆様、そして紳士淑女の皆様。まず私はアイコード議員の親切な御紹介の言葉に対し、衷心より感謝の意を表し、また御多忙中にもかかわらず、このように参加してくださった皆様に感謝申し上げます。

アメリカ人は洗脳されるほど愚かではない きょう私は、美しいアメリカ国会のこの殿堂で、皆様にお話しすることができ、光栄に存じます。優秀であられるアメリカの国会議員各位をお迎えして、お話しできるこの機会は、私にとって二度目です。その最初の機会は一九七四年十月八日でした。それから約十四ヵ月が過ぎたきょう、私は再びこの殿堂に立ちました。

これまで十四ヵ月が経過する間、私は次第にアメリカのマスコミにおいて論難の的になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は私の写真を表紙に載せ、カバーストーリーとして扱いました。ある写真は、本人よりも見栄えよく写っているように感じられるものもありました。広告代を一銭も払っていないのに、私のことをこのように有名にしてくれたアメリカの言論機関の各位に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいか分かりません。

アメリカの言論機関が物議の焦点としているのは、私がアメリカの青年たちを洗脳していると思っていることです。それでは、賢明なアメリカ人の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々は、このレバレンド•ムーンによって洗脳されるほど愚かな人々でしょうか。いいえ、違います。私の答えも同じです。私は、アメリカの人々を尊敬しています。それにもかかわらず尊敬するアメリカの人々がこのような非難をすることが理解し難いのです。暴力を使ってまで非難するのは理解できないことです。

しかし、きょうは、弁明するためにここに来たのではありません。私は神様が伝えるようにと言われたみ言を証すために来たのです。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話ししようとする題目は「アメリカを中心とする神様の計画」です。

創造理想世界復帰のための神様の摂理 私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的な方です。したがって、神様のみ旨も、永遠、不変、絶対的なものにならざるを得ません。神様が人間を創造される際に、その目的と理想があったのですが、その目的が成し遂げられていれば、その世界は、愛によって統一された世界となり、神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人類大家族の世界となっていたでしょう。

言うなれば、その世界は、み旨の中で一つに統一された世界なのです。この統一という課題が、今日人間にとって最も重要なものであり、そのために極めて難しいものとして残されているのです。個人においては心と体が一つになり、家庭と家庭が一つになり、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間が一つに統一された世界なのです。言い換えれば、神様の創造目的が完成した世界が、統一の世界です。

しかし、今日の現実はこのような理想世界からは、あまりにかけ離れたものであり、何かが根本的に間違っていることは明らかです。それは何でしょうか。人間の先祖アダムとエバの堕落によって、神様のみ旨が成就しなかったのです。ですから、個人の心と体が分かれ、家庭と家庭、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間のそれらすべてが分かれ、分裂と不調和の中で生きているのです。このように分裂した人間自体は、本然の機能を失ってしまった病気の状態にあるのです。神様の人類救援の目的は、この病に伏した人間を診察、処方して治療する医者を送り、病気になる以前の状態に原状復帰させようとすることであり、この救援の摂理は、すなわち復帰摂理と言えるのです。ここにおいて医者として来られる方がすなわちメシヤなのです。

それでは、メシヤの降臨に先立ち、神様は何をどうされたのか、そしてメシヤは来て何をしようとしたのかが問題です。神様はみ旨を成就させるために必要な中心宗教を立て、それを基盤として神様の選民である中心国家を立て、その中心宗教と中心国家を通じて世界全体を救援し、復帰しようと摂理してこられたことをはっきりと知ることができます。その中心宗教がすなわちユダヤ教であり、その中心国家がイスラエル選民国家でした。その宗教とその国家の使命は、メシヤを迎えて、全世界を救援するみ旨を完成することです。神様のみ旨成就に先立ち、たとえ困難に直面し、犠牲の十字架を背負うようなことがあったとしても、全世界を救わなければならないのが、その中心宗教の使命であり、またその中心国家の使命なのです。

このような明らかな公式的み旨があって、神様はメシヤを送る前に、ユダヤ教を立て、彼らを通してイスラエル民族を訓練し、メシヤを迎える準備をさせてきたのです。そうして、神様のみ旨であり、民族のみ旨である人類救援の摂理は、メシヤによって完結され、統一された理想世界が成し遂げられるはずでした。

中心宗教と中心国家の使命がキリスト教とアメリカに移る しかし、二千年前に、メシヤが来られたとき、どうなったでしょうか。ユダヤ教とイスラエル民族は、世界万邦が自分たちの足もとで制覇され、イスラエル民族だけが栄光の座に着くことを夢見ていたのです。彼らは、世界の救援という至上課題を先に考えるべきだったにもかかわらず、自分の国を先に考えたのです。そこから、世界のことを先に考え摂理される神様やメシヤと彼らとの間に、大きなずれが生ずるようになったのです。

そのような中で、メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤として世界を救援するために、教会と民族に対して世界に向かう革新的な言動を取っているうちに、既存の立場を固守するユダヤ教とイスラエル国家の反対に追われ、ついに十字架に架けられて亡くなってしまったのです。その後、み旨成就に失敗したユダヤ民族は悲運の道を歩むようになり、イエス様を中心としたキリスト教は、国家の基盤を喪失したまま、信徒たちは迫害の中で多くの殉教の代価を払いながら、ローマ帝国でみ言を広め始めました。

ここで知らなければならないことは、選ばれた者がその使命を果たせなかった場合に、神様は、み旨を成し遂げるにふさわしい宗教を再び立て、そこにふさわしい中心国家を再び立てるということです。そこでキリスト教がその中心宗教として、み旨のためのより高い立場でユダヤ教の使命を受け継ぎ、当時世界的な国家だったローマ帝国にとどまるようになったのです。

そのようにして準備したユダヤ教とイスラエルの国は失われてしまったのですが、キリスト教は、ユダヤ教とイスラエルの国の失敗を清算するための四百年間の迫害の末、ローマに国教として受け入れられるほどの基盤を築くようになりました。

当時、教皇庁が中心に立ち、ローマ帝国と完全に一つになって、全世界の救援を目指して前進しなければなりませんでした。もしもローマ教皇庁が、そのようなみ旨をはっきりと知って、国家と一つになり、いかなる犠牲の十字架を負ったとしても屈せずに前進していたならば、世界を救って余りあったでしょう。しかし、教皇庁は、神様のみ旨に背き、自分たちを中心として国家を動かし、そのもとに隸属させる機関と化してしまったのです。

このように神様のみ旨とは反対の道を行くので、神様は教皇庁から離れるようになり、中世暗黒時代が到来するようになりました。その後、教皇庁の威信は人本主義の思潮に襲われ、地に落ちてしまいました。ですから、神様はプロテスタント運動を起こし、世界救援の道を再び整えなければならなくなったのです。このような風潮に乗じて、自分の離婚を正当化しようとしたイギリスのヘンリー八世は、カトリックに対して反旗を翻し、議会を動かし、首長令を発することによって、ついにイギリス国教会を打ち立てました。

その時のイギリスは、プロテスタントと和合できる良い機会をもっており、ヘンリー八世は自ら悔い改め、次元の高い教会と国家を目指して前進できる立場に立っていました。神様のみ旨は、ローマ帝国を離れてイギリスに移り、世界救援の道を整えていたので、イギリスという小さな島国が、数百年の間にその版図を広げ、「五大洋六大州に日の沈むところがない」といわれる世界的な強大国になりました。

神様がこのように、イギリスに文明の極致を享受させ、輝かしい祝福を与えたのは、イギリスだけのためではなく、世界を救おうとされる神様のみ旨を成就させるためでした。

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2.アメリカを中心とした神様の計画 日付:一九七五年十二月十八日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカス•ルーム

行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会

親愛なるアイコード議員、国会議員の皆様、そして紳士淑女の皆様。まず私はアイコード議員の親切な御紹介の言葉に対し、衷心より感謝の意を表し、また御多忙中にもかかわらず、このように参加してくださった皆様に感謝申し上げます。

アメリカ人は洗脳されるほど愚かではない きょう私は、美しいアメリカ国会のこの殿堂で、皆様にお話しすることができ、光栄に存じます。優秀であられるアメリカの国会議員各位をお迎えして、お話しできるこの機会は、私にとって二度目です。その最初の機会は一九七四年十月八日でした。それから約十四ヵ月が過ぎたきょう、私は再びこの殿堂に立ちました。

これまで十四ヵ月が経過する間、私は次第にアメリカのマスコミにおいて論難の的になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は私の写真を表紙に載せ、カバーストーリーとして扱いました。ある写真は、本人よりも見栄えよく写っているように感じられるものもありました。広告代を一銭も払っていないのに、私のことをこのように有名にしてくれたアメリカの言論機関の各位に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいか分かりません。

アメリカの言論機関が物議の焦点としているのは、私がアメリカの青年たちを洗脳していると思っていることです。それでは、賢明なアメリカ人の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々は、このレバレンド•ムーンによって洗脳されるほど愚かな人々でしょうか。いいえ、違います。私の答えも同じです。私は、アメリカの人々を尊敬しています。それにもかかわらず尊敬するアメリカの人々がこのような非難をすることが理解し難いのです。暴力を使ってまで非難するのは理解できないことです。

しかし、きょうは、弁明するためにここに来たのではありません。私は神様が伝えるようにと言われたみ言を証すために来たのです。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話ししようとする題目は「アメリカを中心とする神様の計画」です。

創造理想世界復帰のための神様の摂理 私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的な方です。したがって、神様のみ旨も、永遠、不変、絶対的なものにならざるを得ません。神様が人間を創造される際に、その目的と理想があったのですが、その目的が成し遂げられていれば、その世界は、愛によって統一された世界となり、神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人類大家族の世界となっていたでしょう。

言うなれば、その世界は、み旨の中で一つに統一された世界なのです。この統一という課題が、今日人間にとって最も重要なものであり、そのために極めて難しいものとして残されているのです。個人においては心と体が一つになり、家庭と家庭が一つになり、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間が一つに統一された世界なのです。言い換えれば、神様の創造目的が完成した世界が、統一の世界です。

しかし、今日の現実はこのような理想世界からは、あまりにかけ離れたものであり、何かが根本的に間違っていることは明らかです。それは何でしょうか。人間の先祖アダムとエバの堕落によって、神様のみ旨が成就しなかったのです。ですから、個人の心と体が分かれ、家庭と家庭、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間のそれらすべてが分かれ、分裂と不調和の中で生きているのです。このように分裂した人間自体は、本然の機能を失ってしまった病気の状態にあるのです。神様の人類救援の目的は、この病に伏した人間を診察、処方して治療する医者を送り、病気になる以前の状態に原状復帰させようとすることであり、この救援の摂理は、すなわち復帰摂理と言えるのです。ここにおいて医者として来られる方がすなわちメシヤなのです。

それでは、メシヤの降臨に先立ち、神様は何をどうされたのか、そしてメシヤは来て何をしようとしたのかが問題です。神様はみ旨を成就させるために必要な中心宗教を立て、それを基盤として神様の選民である中心国家を立て、その中心宗教と中心国家を通じて世界全体を救援し、復帰しようと摂理してこられたことをはっきりと知ることができます。その中心宗教がすなわちユダヤ教であり、その中心国家がイスラエル選民国家でした。その宗教とその国家の使命は、メシヤを迎えて、全世界を救援するみ旨を完成することです。神様のみ旨成就に先立ち、たとえ困難に直面し、犠牲の十字架を背負うようなことがあったとしても、全世界を救わなければならないのが、その中心宗教の使命であり、またその中心国家の使命なのです。

このような明らかな公式的み旨があって、神様はメシヤを送る前に、ユダヤ教を立て、彼らを通してイスラエル民族を訓練し、メシヤを迎える準備をさせてきたのです。そうして、神様のみ旨であり、民族のみ旨である人類救援の摂理は、メシヤによって完結され、統一された理想世界が成し遂げられるはずでした。

中心宗教と中心国家の使命がキリスト教とアメリカに移る しかし、二千年前に、メシヤが来られたとき、どうなったでしょうか。ユダヤ教とイスラエル民族は、世界万邦が自分たちの足もとで制覇され、イスラエル民族だけが栄光の座に着くことを夢見ていたのです。彼らは、世界の救援という至上課題を先に考えるべきだったにもかかわらず、自分の国を先に考えたのです。そこから、世界のことを先に考え摂理される神様やメシヤと彼らとの間に、大きなずれが生ずるようになったのです。

そのような中で、メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤として世界を救援するために、教会と民族に対して世界に向かう革新的な言動を取っているうちに、既存の立場を固守するユダヤ教とイスラエル国家の反対に追われ、ついに十字架に架けられて亡くなってしまったのです。その後、み旨成就に失敗したユダヤ民族は悲運の道を歩むようになり、イエス様を中心としたキリスト教は、国家の基盤を喪失したまま、信徒たちは迫害の中で多くの殉教の代価を払いながら、ローマ帝国でみ言を広め始めました。

ここで知らなければならないことは、選ばれた者がその使命を果たせなかった場合に、神様は、み旨を成し遂げるにふさわしい宗教を再び立て、そこにふさわしい中心国家を再び立てるということです。そこでキリスト教がその中心宗教として、み旨のためのより高い立場でユダヤ教の使命を受け継ぎ、当時世界的な国家だったローマ帝国にとどまるようになったのです。

そのようにして準備したユダヤ教とイスラエルの国は失われてしまったのですが、キリスト教は、ユダヤ教とイスラエルの国の失敗を清算するための四百年間の迫害の末、ローマに国教として受け入れられるほどの基盤を築くようになりました。

当時、教皇庁が中心に立ち、ローマ帝国と完全に一つになって、全世界の救援を目指して前進しなければなりませんでした。もしもローマ教皇庁が、そのようなみ旨をはっきりと知って、国家と一つになり、いかなる犠牲の十字架を負ったとしても屈せずに前進していたならば、世界を救って余りあったでしょう。しかし、教皇庁は、神様のみ旨に背き、自分たちを中心として国家を動かし、そのもとに隸属させる機関と化してしまったのです。

このように神様のみ旨とは反対の道を行くので、神様は教皇庁から離れるようになり、中世暗黒時代が到来するようになりました。その後、教皇庁の威信は人本主義の思潮に襲われ、地に落ちてしまいました。ですから、神様はプロテスタント運動を起こし、世界救援の道を再び整えなければならなくなったのです。このような風潮に乗じて、自分の離婚を正当化しようとしたイギリスのヘンリー八世は、カトリックに対して反旗を翻し、議会を動かし、首長令を発することによって、ついにイギリス国教会を打ち立てました。

その時のイギリスは、プロテスタントと和合できる良い機会をもっており、ヘンリー八世は自ら悔い改め、次元の高い教会と国家を目指して前進できる立場に立っていました。神様のみ旨は、ローマ帝国を離れてイギリスに移り、世界救援の道を整えていたので、イギリスという小さな島国が、数百年の間にその版図を広げ、「五大洋六大州に日の沈むところがない」といわれる世界的な強大国になりました。

神様がこのように、イギリスに文明の極致を享受させ、輝かしい祝福を与えたのは、イギリスだけのためではなく、世界を救おうとされる神様のみ旨を成就させるためでした。

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4.神様のみ旨とアメリカ 日付:一九七六年九月十八日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントン•モニュメント広場

行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会

尊敬するアメリカ市民の皆様、そして世界の代表の皆様。きょう、神様のみ名によって、アメリカの独立二百周年を祝賀する歴史的なワシントン大会に、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、心から感謝を捧げる次第です。

神様のみ旨を実現できなかった中心的国々 私はきょう、「神様のみ旨とアメリカ」と題してお話ししたいと思います。神様は、永遠、不変、唯一の絶対者であられるので、神様の創造目的も、永遠、不変、絶対的なものであり、一つの目的のもとに統一された単一理想世界を築くことでした。しかし、今日の現実は、統一ではなく、分裂と不調和の世界、すなわち個人において、心と体が分かれ、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべてが分かれ、分裂と闘争で綴られた混乱の様相を呈していますが、ここには根本的に、ある大きな過ちが介在しています。その原因を、宗教では人間始祖が神様に背いて堕落したところにあると見ています。

このような人間を救おうとされる神様は、人間を堕落前の立場に原状復帰するために、救世主、メシヤを送られるのです。したがって、救援摂理はすなわち復帰摂理です。堕落とは、人間が神様に背き、そのみ言を不信することによって、神様に似た人格と愛を具現した個人と世界を完成することができず、かえってサタンと組み、サタンの言葉に主管されることによって、サタン的人格とサタン的愛による悪の世界を形成したことなのです。

したがって、原状に復帰するためには、反対にサタンを排斥し、失った神様を探して、神様のみ言に従順に従うことによって、天的な人格と愛を完成しなければならないのです。神様は最も公的な方であられ、サタンは、徹頭徹尾自己を中心とした私的な存在です。したがって、神様のもとに帰るための復帰の公式は、最終的に神様に似ることなので、徹頭徹尾私的なことを犠牲にし、公的なことを立てて、自己を中心とした利己主義から人のために生きる利他主義へと帰り、奉仕生活をしなければならないのです。公的な人は神様に似ているので必ず栄え、私的な人は神様に背いたので結局は滅びるのが天理なのです。

人類歴史は、これまで闘争の歴史だったので、神様とサタンが人を奪い合う闘いでした。堕落によって悪の歴史が先に出発したので、闘いはいつも悪の側が先に攻撃して善の側を打ち、善は打たれながら守勢にまわりましたが、神様が善の側であられるので、いつも勝利を収めるようになり、結局は打たれて取り戻してくるようになったのです。第一次、第二次世界大戦の時にも、私たちが知っているように、先に打ったほうが結局は滅び、第三次世界大戦を云々している今日も、サタン側である共産国家が至る所で闘いを仕掛けていますが、結局は神側が勝利するようになるのです。

復帰摂理のもう一つの公式は、メシヤを送られる前に、中心宗教と中心国家を立てて役事されることです。神様は先にイスラエル民族とユダヤ教を立てられ、その準備された基盤の上にメシヤであるイエス様を送られ、すべての人間が次第に彼と一つになるようにして善の版図を広げていき、世界復帰、すなわち天国の理念を具現しようとされたのです。

アダムから四千年もかけて準備されたイスラエル民族とユダヤ教が、イエス様を迎えて一体となり、犠牲精神をもって神様のみ旨に従っていたなら、その当時すぐに中東圏とアジアを統合して西洋を連結し、全世界の地の果てまで急進的にみ旨を伝播することによって、神様の主権によって統一された地上天国を建設していたはずでした。しかし、イスラエル民族とユダヤ教が、このような使命を悟ることができず、責任を果たすことができなかったがゆえに、イエス様は十字架を背負うようになり、それによって地上天国の理念は実現されず、霊的にのみ救援を可能とする第二イスラエル型のキリスト教圏を形成するようになったのです。

キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の歴史を清算して勝利し、キリスト教を国教として立てるようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。当時、教皇庁とローマは、いかなる犠牲も辞さずに、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心として全世界を結束させ、統一理想世界を建設しなければなりませんでした。

しかし、教皇庁は、そのような重大な使命を悟ることができず、教権を乱用して腐敗が氾濫するようになり、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨から再び離脱してしまいました。これに反対して立ち上がった人本主義の台頭によって、宗教改革とプロテスタント運動が始まると、これに対する迫害と弾圧は日に日に激しくなっていきました。当時のイギリス国王ヘンリー八世がカトリックに反旗を翻し、議会に新しい法を通過させてイギリス国教会を立てましたが、これがヨーロッパ全域のプロテスタント運動を糾合する絶好の機会になりました。

当時、イギリスが、「大英帝国の領土には日が沈むことがない」と言われたほどに大きく祝福されたことが世界のための祝福だったことを悟り、清教徒、プロテスタント運動をする人たちと一つになり、犠牲の先頭に立って復帰摂理を成し遂げてさしあげていたなら、その時に既に準備されていた基盤の上に超民族的な国家として、名実共の「ユナイテッド•キングダム」が形成されていたはずでした。しかし、イギリスが責任を果たすことができずに彼らを迫害したので、彼らは国籍を超越し、神様のみ前に固く団結して、激しい迫害を避けてアメリカ大陸へと渡り、定着してプロテスタント独立国家を形成したのです。これが正に今日のアメリカが誕生するようになった摂理的背景です。

今、キリスト教とアメリカは一致団結し、復帰の聖業を成し遂げてさしあげなければなりません。アメリカはここで結実した西洋文明を抱いて東洋文明と和合し、その上に中東を連結することによって一大統一文化圏を形成して、地上天国を完成しなければならないのです。

摂理的責任を負うべきアメリカ み旨の主役であるアメリカは、まず神様の摂理の第一中心宗教だったユダヤ教と、ユダヤ教を引き継いだキリスト教と一つになり、新しい啓示を中心として「終わりの日」に神様のみ旨によって現れた統一教会と手をつないで、世界の宗教統一に立ち上がらなければなりません。ユダヤ教は旧約を中心としたみ旨の先祖なので第一世型の長男であり、キリスト教は新約を中心とした第二世型の次男であるとすれば、統一教会は約束を成就する「成約」の内容をもつ第三世型の末の弟です。この三つの宗教は、み旨の三兄弟なので、それらの母体であるイスラエルとアメリカと韓国は、み旨の三兄弟国となるのです。国連でサタン側の共産圏からこれら三国が同じように追われているのは、み旨の観点から見て、共同運命に置かれているからです。この三国が一体化して手をつなぎ、国連本来の使命と機能を回復し、内的には宗教を統一し、外的には世界統一を成し遂げなければなりません。「神様のもとの一つの世界」は、神様の永遠、不変、絶対の願いであり、目的なので、必ず成就されるのですが、まず宗教統一をしてこそ可能なのです。一人の父であられる神様に侍り、一人のメシヤのもとで「神主義」によって固く結束すれば、神様が共におられるので、世界復帰、すなわち地上天国の具現は時間の問題なのです。

既に超民族的に結束したアメリカは統一世界のモデルなので、アメリカに与えてくださった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、同じ神様の子女である全世界の兄弟姉妹たちに分け与えるべき祝福であることをはっきりと知って、世界的に築かれたキリスト教の基盤の上に世界の主導国家としての責任を果たし、選ばれた国家としての使命を完遂しなければなりません。

イスラエルも神様の期待に応えることができませんでした。ローマもそうであり、イギリスもそうでした。これからアメリカはどこへ行きますか。以前に摂理を担ったそれらの国の前轍を踏まず、いかなる犠牲も辞さずに、世界復帰の先頭に立って、統一理想世界、すなわち「一人の神様のもとの一つの世界」を成就する主役の使命を果たすよう悟らせるために、神様はレバレンド•ムーンをこの地に送られ、み旨を代弁させ、特にアメリカの明日に責任をもつべき主人公である青年たちを指導するようにと命令されたのです。

アメリカは今、人種問題、青少年の淪落問題、キリスト教の没落と共産主義の問題など、様々な深刻な問題を抱えていますが、何よりも無神論に立脚した共産主義の脅威は最も深刻であり、この時間にも世界の各地で浸食してきているのです。これは、単にアメリカだけの問題ではなく、神様にとって、そしてすべての宗教人と自由世界のすべての人々にとって、深刻かつ切迫した問題です。

皆様。今この時に、神様は悲痛に叫ばれています。神様が二千年間準備されたアメリカは、大きく覚醒し、神様が仰せになった重大な世界的使命を果たさなければなりません。そのためには、最終的にアメリカが徹頭徹尾、「神主義」に帰り、共産主義を克服し、共産世界を解放し、地上天国建設の旗手にならなければなりません。アメリカはきょう、覚醒しなければなりません。あすでは遅いのです。

私は、アメリカを尊敬しているだけではなく、本当に愛しています。神様が愛で祝福され、み旨成就の主役として準備された偉大な国、アメリカが第三世紀へと向かう大きな歴史の入り口にいるので、私たちは共に、全能の神様のみ前に、絶対に失望させず、神様の本然の願いをかなえてさしあげることを固く誓いましょう。

きょう、この神聖な場で、みな共に地上天国の礎石を据えましょう。神様の摂理の同参者、また天国の開拓者として立ち上がりましょう!統一を願う働き手たちよ、きょう、この場とこの歴史的瞬間は、私たちにとって献身の場であり、決意の時間です。私たちの汗と血と命を捧げて神様の召命に応えようとするなら、正にこの場、この瞬間に、天と地と人類の前に誓い、地上天国を私たちの手で成し遂げることをもう一度表明しましょう!

神様の祝福が皆様と皆様の御家庭とこの美しいアメリカに永遠に臨むことを願いながら、私のお話を終えようと思います。多くの御家庭が参加してくださったようです。皆様、ささやかではありますが、今夜、花火を皆様の御家族と共に楽しんでくださることを願ってやみません。皆様の御健康をお祈りいたします。ありがとうございました。

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皆様。このようなことは、天理を知らなければ分からないことです。それが事実だとすれば、韓国はどのようになるのかということが問題です。韓国は、善悪の闘争史を清算しなければならない最終的対決の地です。北朝鮮はサタン側に代わる最悪の地なので、金日成主席のことを「父母なる首領」と呼んでおり、四十年以上の間、金日成主席が全権を行使しているではありませんか。四十年前に韓国とキリスト教が、神様に侍り、文総裁と統一教会を天の側の父母の位置に立てていたなら、今日の韓国は世界的父の国となっていたはずです。

しかし、キリスト教と韓国の反対にぶつかり、真の父母の立場を世界的に立てることができないまま追い出され、金日成主席は偽りの父母の位置を占有し、天の側に反対しながら、共産圏の先頭走者として悪の父母となって振る舞ってきたのです。それは、蕩減法によってそのようになったのです。今や最後です。真の父母というものがサタン世界に立ったのは初めてです。

しかし、文総裁と統一教会は、全世界の反対を受けながら最悪の立場から、天の作戦によって、打たれながらも世界的基盤を築き、世界共産圏を屈服させる勝利的な立場を確立したのであり、中国とソ連を越えて怨讐格であるゴルバチョフ大統領に会い、歓迎されることによって、摂理的新起源の世界が始まったのです。これは、旧約時代のエサウとヤコブの出会いのようなものです。

ヤコブの立場にあるアメリカ、日本、韓国を代表した文総裁が、エサウの立場にあるソ連、中国、北朝鮮を代表したゴルバチョフ大統領に会い、彼の心の中に天の真の愛を植えてあげたということは、サタンを自然屈伏させるヤコブの還故郷となるのです。これから、エサウには兄弟と一つとなり、天の父母に侍る道だけが残っているのです。兄弟である自由世界と一つとなり、天の父母に侍ることだけが、共産圏が生きる道なのです。

これは、有史以来、最大の事件であり、天の側の勝利をもたらす新起源となるのです。ですから、文総裁は、直ちに帰国し、大韓民国の国民と民族に真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布したのです。そうして初めて天は、金日成主席の基盤、悪のサタンが退くように陣を張るのです。今後どのようになるか、今後の道を見ていてください。

真の父母歓迎大会を全国でしましたが、真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布することによって、北朝鮮と金日成主席の集団に対峙できる天の側の基盤を確立したのです。金日成主席を中心としたサタンを愛し、救ってあげなければならないのです。金日成を中心としたサタンを愛し、救ってあげようと、天の側の立場にいる文総裁と統一教会は走っているのです。

金日成主席は「神はいない」というサタン側の共産主義世界の代表者である反面、文総裁は「絶対的に神は存在する」という民主世界の代表です。韓国を中心として北朝鮮を消化し、吸収することによって、一つの父母である真の父母の心情をもち、歴史的な善悪闘争を越えて平和世界を創建しなければならない宿命的な課題の前に、今回「世界平和連合」を創設し、摂理史的なみ旨に合わせようとするのです。これから「世界平和連合」という言葉が出てくるでしょう。

結論的に、これからは文総裁と統一教会と韓国が一つとなり、北朝鮮を消化する時代へと入るのです。私たちがソ連と中国と北朝鮮を中心として平壌で大会を開催しようとするのも、摂理史的な意義をもっているのです。

天の側であるアメリカ、日本、韓国は、力を合わせ、物質万能のユートピアを慕いながら物質的地獄世界に落ちた共産世界を救うために、放蕩息子を歓迎して迎える兄弟の立場に立たなければなりません。この道こそが、サタンを自然屈伏させる道となるのです。神様は悪を打って屈伏させてはいけません。自然屈伏させなければなりません。

このようになれば、サタンも天の側に屈服し、天上と地上に闘うことのできる基盤がなくなるので、自動的に世界平和は成就されるのです。そうして韓国は、神様を中心とした祖国となり、神様の創造以後、初めて理想の基盤を築くようになるのです。創世以後から始まったサタンとの闘いが、ついに終わります。六•二五動乱とともに始まった世界的冷戦時代は、八八年のソウル•オリンピック大会を起点として、その幕を降ろすようになり、これからは文総裁の思想を精神的な支柱として、韓国は新しい太平洋時代の中心国として世界を領導していく道が大きく開かれるようになったのです。

この先、太平洋時代が来ることが、世界の学者たちの研究結果であることは、皆様も御存じのはずです。それがどのようになるのかということが問題です。神様がこのように文総裁と韓国を祝福してくださったのです。

皆様。これから私たちは、経済人でも誰でも、すべての人たちが、心を合わせて、北朝鮮を解放し、世界の統一に向かって進んでいかなければなりません。地球家庭時代を迎え、「天の真の父母様に侍って千年、万年暮らしたい」と言うことのできる基盤を築かなければなりません。この文総裁と統一教会は、摂理史的使命を完遂する中心である心的な立場に立っており、体的な立場には、物質的なものを追求する経済的分野が立っているのです。

皆様。ここで一つお話ししたいと思います。どうして統一運動が経済行為をするのでしょうか。心と体が分かれています。天と人間、真の中心と偽りが対峙しているので、これを統一しなければなりません。ですから、このような心の中心である天の完成のみ旨を中心として、体の中心が相対にならなければなりません。これが反発してはいけないのです。ですから、統一運動は経済的行為をするのです。また、共産主義と闘争せずにはいられません。そのようなすべての摂理史的内容をもって始めるのです。

物質的立場を追求する経済的分野は、体の立場に立っています。本来は、心と体が一つにならなければならなかったその理想が、今ここでも成就されなければならないのです。心のような天のみ旨に、体のような経済界が従わなければなりません。一体となって、地球家庭を形成し、平和世界をこの地に創建するためにも、北朝鮮をはじめとする共産世界を支援しなければならない義務があるのです。

それで、韓国、日本、アメリカが共に努力し、兄弟を助ける、そのような真の愛の精神で団結しようという崇高な志をもって、きょうこのように皆様をこの場所にお招きした次第です。天意に従い、この文総裁と共に世界を中心とした経済観をもって進んでいくならば、天が助け、万事が意のままになるでしょう。ぜひ世界の選民の経済観をもって、祝福を受ける韓国と世界に向かって進んでいきましょう。神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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世界の戦争史を見てみましょう。第一次世界大戦もサタン側から先に打って滅び、第二次世界大戦も悪の側から先制攻撃をしましたが、かえって敗北してしまい、第三次世界大戦である思想戦でも、共産主義が民主主義を先に打ってきましたが、ソ連は滅びてしまったではないですか。このように、善の天の側は、迫害を受けながら発展してきました。したがって、迫害は、サタン側、あるいは怨讐側のものを相続させてくれる一つの方法になるのです。迫害されるのはただ苦痛を受けることではありません。迫害は、怨讐世界の所有権を相続する一つの手段なのです。

善の神様は先に打つことができません。神様は先に打つことができないので、打たれて取り戻してくるのです。このような神様の作戦法を通して見るとき、神様の側に立った善の主流は宗教にならざるを得ないのです。そのような主流宗教として歴史路程を通し、血を流しながら成長してきたのがユダヤ教でした。選民思想をもった民族だという理由で、追われ、追い込まれながら、犠牲の血を流し、その代わりに打たれる蕩減条件を立ててきたのです。

旧約時代には、供え物を通して子女たちが行く道を築いてきました。そして、四千年後、メシヤであるイエス様を送られ、子女たちが信じて侍るようにし、サタン世界であるローマを復帰し、サタンを追い出して、神様だけが主管する世界にしようとされました。

このように、善主権を復帰するのがイエス様の使命であり、イスラエルを中心としたユダヤ教の使命だったのです。ユダヤ教とイスラエルが一つとなり、全世界のために投入し、また投入する原理を実践していたなら、イスラエルが世界へと出ていく道が開かれたはずでした。しかし反対にイスラエルとユダヤ教は、かえって世界のほうが彼らのために生きなければならないという思想で、「怨讐を愛せよ」と言われたイエス様までも十字架にかけました。それで、キリスト教は血を流す二千年間の受難の歴史を通して、父母であられる再臨主の時を待ってきたのです。

迫害の歴史を経ながら、キリスト教が第二イスラエルの立場に立ち、イエス様が果たし得なかったみ旨を果たすために、世界的天側のローマ型であるプロテスタント独立国家アメリカを中心として、第二次世界大戦後、世界統一圏として国連を立てて自由世界に復帰しようと限りなく血を流してきたのです。

アメリカを中心として再臨主であられる真の父母が現れ、神様の統一圏が形成されれば、全世界は統一世界へと前進したのであり、キリスト教を中心とした世界の文化圏が形成されたのです。すなわち、真の父母思想を中心とした成約時代を完成できたはずでした。

しかし、キリスト教とアメリカ、さらには自由世界が、自らを投入して他のために生きる生き方を実践することができず、アメリカはアメリカ自体を中心として世界を主管しようとする立場に立つことにより、統一教会は迫害と苦難の道を歩まざるを得なくなりました。韓国を中心とした統一教会は、血を流す迫害の道を歩んできましたが、これからは世界の頂上の位置にまで上がるようになったのであり、「頭翼思想」で左翼と右翼を共に収拾できる時代に来ているのです。

真の父母様は、血を流す道を通して、地上に神様をお迎えする使命を遂行しているのです。真の父母様が十字架を背負うのは、神様を地上にお迎えするためです。旧約時代に万物を犠牲にしたのは、子女を迎えるためであり、新約時代に子女たちが血を流したのは、父母が来る道を準備するためです。そして、父母が来て血を流すのは、神様をお迎えするためなのです。歴史はそのような過程を通して発展するのです。

今や「頭翼思想」は民主と共産、左翼と右翼を横的な立場で収拾し、「神主義」を通して縦的に霊界まで統一して、天地父母時代である統一時代を迎えるようになりました。そうして、サタンの反対がない本然の世界、神様と真の父母様の真の愛を中心としてために生きる世界から、私だけのために生きてほしいという、そのような利己主義的世界を越え、天上天国、地上天国世界へと前進するのです。その世界は、真の愛を中心とした利他主義世界となるので、謀略、中傷、不信の風潮などが蔓延する、死亡の世界とは関係がない世界になるのです。こうして、全世界的に真の父母を中心として、真の家庭の基盤の上に人類を接ぎ木する理念を通して、新しい復帰家庭と新しい秩序を確立し、神様を中心とした永遠の理想世界になっていかなければなりません。

韓国は、統一教会を中心とした第三イスラエル選民国となり、サタンに勝利した勝利国家となるのです。第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを勝利圏に立て、神様のみ前に奉献しなければならないのです。第一イスラエルはユダヤ教、第二イスラエルはキリスト教、第三イスラエルは統一教会ですが、統一教会がこの全体の歴史を蕩減し、この宇宙を神様のみ前にお捧げする使命を果たさなければならないということです。

文総裁と韓国は、天の作戦を中心として見ると、歴史的な善を代表する人と国です。それで、文総裁は悪の側から世界史上、個人的な立場で最も多くの迫害を受けた代表です。そして、家庭、氏族、民族、国家、世界的にも、そのように迫害を受けた代表です。さらには、霊界から最も多くの迫害を受けた代表ですが、打たれながらも、すべての面で勝利的結果を獲得し、世界的に発展したのは、神様が保護してくださったからなのです。これが、文総裁の築いた世界的基盤です。

しかし、これからは迫害から解放され、誰一人として行く道を遮る者がいない時代に入ったので、すべての勝利的世界の時代へ進出することだけが残っているのです。韓国の歴史において数多くの忠臣、烈女たちが、あれほど多くの血を流した悲痛な歴史を残したのも、天の作戦によるものであり、单一民族として「東方礼儀之国」の面目を守りながら、歴史上類例を見ない九百回以上の侵略を受けながらも、その血統を守らせてきたのも、福を与えるための天の作戦だったのです。

また、白衣民族として、純潔で高尚な敬天思想を固守してきたのも、天の選民へと向かう道のためだったことを知らなければなりません。六•二五動乱のときも神様がお守りになり、人類の祖国回復のために国連の旗幟(きし)のもと、世界十六ヵ国の若者たちが韓国の地で血を流しました。祖国光復のためにです。

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南北統一はどこから何によって成し遂げられるのか ですから、南北を統一できる方案は、南と北のために死ぬことができる群れになる道しかありません。それ以外に、統一できる道はありません。心から一緒に暮らしたいという心がなければならないのです。人間はどのように生きるのか、あるいは私たちの人生航路はどのように行くべきか、ということを念頭において見るとき、その骨子を要約すれば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。一つになって永遠に一緒にいたいと思い、一緒に暮らしたいと思う心です。上下を問わず、一緒にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、一緒に暮らしたいという思いに徹した人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。

「一緒に暮らしたい!」という、その内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に「一緒に暮らしたい」という思いがあるでしょうか。明らかに、私たちが共に暮らすことができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。

このように見るとき、上下、前後、左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通して認定できる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛です。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万人をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。したがって、愛国者の心のように、民族と共に暮らしたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びではなく、私たちすべての永遠の喜びとして残るものでなければならないと誓う、真の心情基盤が問題なのです。真の愛と心情の関係をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。

皆様。学歴のない女性でも、博士と結婚して愛の関係を結べば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に暮らそうという情の関係をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席できる特権があるのです。神様御自身がそのようなお方なので、一つになることができる生活内容をもてば、同参できる資格が自動的に付与されるのです。

それでは、南北統一はどこから、何をもって成し遂げるのでしょうか。力で屈服させれば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。そのやり方では、統一を成し遂げることはできません。たとえ韓国の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと一緒に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道は開かれるのです。北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、「あなたたちの困難と共に私は生きている。解放の一日を準備し、あなたたちの前に現れるであろう」と誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。

皆様。その最初の段階として、郷土とともにどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に暮らしたいと思わず、郷土とともに慕らしたいと思わない人が国を愛するというのは偽りです。国とともに生きてこそ、世界とともに生きるようになっています。そして、世界とともに生きてこそ、神様と生きるようになっています。ですから、郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。

政治の指導者たちは国をどれほど愛しているでしょうか。彼らに、国民と真心から一緒に暮らそうという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。分かれた南と北がそのまま一つになることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服できる心の決意と実践が必要なのです。「本当に一緒に暮らしたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい!」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。

南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国の問題を心配する場合は、世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来と世界の将来を見通さなくてはいけません。

そして、「私は、あなたたちと一緒に暮らす運動を本当に展開する」と誓わなければなりません。それが聖人の道理に通じれば、聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の愛の相続者」、あるいは「み旨の後継者」になるということを、私は生涯を通して確認したので、きょう皆様にこのようなみ言を伝えているのです。

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限りない犠牲による受難の道の克服 皆様。日帝治下において反日地下運動をした私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は日本人を愛しました。地下独立運動をしたかどで私を引っ張っていき、激しい拷問をした日本の警察官たちは、私の一言で処刑される運命だったのですが、反対に追われている彼らを安全に日本に送ってあげたのです。今日、日本の多くの若者たちが、なぜ私に命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるからです。それは、国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛しながら生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、彼らは我知らず天命に従っているのです。

私は、日帝治下において、当時の日本にも恨みがありました。しかし、日本は既に敗者でした。天は、滅びた者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する人に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天であるので、敗者に向かって再度打つならば、打った者の子孫が滅びるのです。アメリカもまた、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥ったアメリカを救うため、父母、兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。

また、キリスト教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。互いに愛で和合しなければならないのです。二つが和合し、大韓民国を天のみ旨の前に立てて、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つになっていたならば、すべてが解決されていたのです。しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前には、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐などと対峙してきながらも、闘わない条件を立てるために、限りない犠牲を払いながら、受難の道を克服してきたのです。

南北を統一する方案 内外の貴賓の皆様。既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成主席の主体思想で武装をしています。私たちは、彼らを消化できる神様の真の愛を中心とした思想で武装しなければなりません。

北朝鮮は、ソビエト連邦から来た冷たい風が吹きつける北方文明です。私たちは、温帯圏の文明で、彼ら自身を溶かすことができるような作戦を取らなければ、互いが滅びるのです。ですから、私たちは、徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。私たちの思想は、個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心として物事を進めようとします。それで彼らは、自分の敵が現れれば、除去してしまうのです。

私たちは、そうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を結ぼう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう!」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕できる私たちにならなければなりません。

私たちが彼らに影響を与える環境をもたなければ、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になる復帰の国家が成立しないのです。したがって、韓国と北朝鮮は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。お互いが利益となる愛を探し求めなければならないのです。皆様。現在、南と北の方向が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする、二つの分かれ道があるのですが、その目的が異なっているのです。どのように統一されるかという問題について見るとき深刻です。その主体的な使命は誰がしなければならないでしょうか。

それを韓国が主導するようになれば、北朝鮮が反対し、北朝鮮が主導するようになれば、韓国が反対するでしょう。互いが「自分のいうとおりにしよう!」と言うときには、統一されないのです。自分自体に固執する立場からは、必ずまた決裂するでしょう。これをどのように克服するのかということが問題です。問題は、韓国を愛する以上に北朝鮮を愛する人が韓国に現れなければならないということです。同様に、北朝鮮を愛する以上に韓国を愛する人が北朝鮮に現れればよいのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。韓国の誰よりも相手の国を愛する人、北朝鮮の誰よりも相手の国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。どんなに考えても、それ以外に道があるでしょうか。

それでは、これをどのように実践するかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも苦労し、韓国の人よりも苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決の方案なのです。

悪の世界と善の世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張できる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾できるのです。そのような意味から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない状況に立たされたとき、神様のため、イスラエル民族のための道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬ以外にはないと考えたのです。それが十字架の道理です。

人類を愛することにおいて、有史以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、有史以来、誰よりも愛したので、滅びる歴史がそこから新しい方向を取り、より次元の高い善の目的の世界へと進むようになったのです。それがキリスト教文化圏です。それは歴史的な事実です。

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皆様。真の愛が求めていく道は直短距離を通るようになります。神様とアダムとエバを連結する真の愛の道も直短距離で形成された垂直しかなく、東西に連結する夫婦間の真の愛の道も直短距離で一つになる点として、九十度の一点しかありません。

人間も成熟し、男性と女性が真の愛を中心として縦的、横的な直短距離で行って出会えば、縦的な垂直線と横的な水平線とも出会い、自動的に九〇度になるのです。この点が、正に垂直と水平の出会う点であり、絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結んでくれる中心点であり、モデルとなる点なのです。

ところが、アダムとエバが成熟する前に、天使長によって、この角度が狂ってしまったのですが、これが正に堕落です。人間は堕落を通して悪魔の血統を受けたのです。自分のことだけを考える主義と自覚性、そして自主性をもって行うのが悪魔の行動なので、堕落した人間は、自己第一主義ですべてを考えるようになったのです。

神様は全体第一主義です。神様に似た善の人は、全体のために生きるのであり、サタンに似た悪の人は自分のために生きるのです。ここで天地が分かれ、天国と地獄が分かれ、善の人と悪の人、公人と私人が分かれるのです。

今日、自分の肉身を満足させようとする愛の道を走る退廃した者たちは、この地球星からすべて一掃しなければならないのです。だからといって、すべて抹殺するというわけではありません。サタン側の人類を例えて言えば、野生のオリーブです。神様が分立して探し出した人類は、宗教圏の野生のオリーブで、神様の所有権の中にいます。ですから、神様が自由にできるのです。再臨主が来られれば、一度に切って接ぎ木しやすいよう、準備してきたのです。

そのようにして、真のオリーブとなって本然の状態へと返ります。ですから、宗教を信じる人も真の父を探さなければなりません。彼らも真の父の生命の種を受けられずに生まれたからです。本来の真の愛を中心として、神様の血統と連結された真の息子、娘としての理想を果たすことができなかったのです。それでメシヤが来なければならないのです。

皆様。メシヤとは何か御存じでしょうか。偽りの父母から生まれ、偽りの根を植えたものを引き抜いてしまい、真の父母として来られ、本然の形態を復帰してサタンを追放し、すべての人が歓迎できる自由解放の天国世界を創建する重大な責任をもって来られる方です。しかし、今日のキリスト教は、果たしてそのようなことを考えているでしょうか。

それでは、神様はどのような方でしょうか。神様は縦的な真の愛の父です。どれだけ近い方でしょうか。それで、堕落していない本然の真の父母、すなわち再臨主が来られれば、神様の垂直と人間の水平が九〇度で合うことができるようになるのです。九〇度の角度で合わせることのできる教育をするのです。真の愛の共鳴圏に入れば、天と地がはっきりと見えるようになります。

釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったその言葉も、その共鳴圏の核心に入ってみると、天下がすべて自分の手中に入っており、神様が自分の中におられ、天理が自分と共に連結されているので、そのような言葉を言うことができたのです。真の愛の共鳴圏に入るようになれば、信仰も必要なく、救世主も必要ありません。解放です。すべて終わるのです。

このように、神様が人間を創造された理由は、第一に真の愛の対象を得るためであり、第二に体をまとわれるためです。体が貴いのです。天上天国に体をまとって生きていた息子、娘たちが来るようになるので、神様も形体を備えた父として臨在されなければなりません。

その体が何の形態かと言うと、本然のアダムとエバの内的な形態です。それでは、神様と本然のアダムとエバは、どこで出会うのかが問題です。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九〇度の角度しかありません。この点が、真の愛を成立させる公式点なのです。

神様は縦的な真の愛の父母であられ、完成したアダムとエバは、横的な真の愛を中心とした父母です。このような二つの親の愛と生命と血統を受け継いで生まれた私の心は、縦的な私となり、体は横的な私となって、この縦的な私と横的な私が統一されるとき、人間は永遠の神様の真の愛の対象となるのです。

それでは、人間において、真の愛の起源と真の生命の起源、そして真の血統の起源は、果たしてどこでしょうか。驚かないでください。生殖器です。ところが、この生殖器が天理を破壊した凶悪な宮殿となってしまいました。悪の本源地となりました。そこが天地の一番の悪になったので、下品なものになったのです。皆様、夫と妻も、それを中心として生きているではないですか。父と母、祖父と祖母も、それによって生きるのに、なぜ下品でなければならないのでしょうか。天理を破壊したものだからです。

したがって、神様のみ前に淫乱な都市や淫乱な国は滅びるのです。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたように、ローマが滅びたのも、何もほかの理由で滅びたのではありません。節操を守れなかったために、淫乱に陥って滅びたのです。

アメリカがなぜ滅びつつあるのか分かりますか。私は早くから警告しました。近親相姦の関係がどれほど多いか御存じでしょうか。祖父が孫娘を連れて暮らし、母がいるにもかかわらず、父が娘を連れて暮らすのです。終末的な滅びの兆候が満ちたので、天から審判される時代に入る、この恐ろしい事実を知らないのが先進諸国です。ですから、審判されないために私と統一教会が必要なのです。

アメリカのキリスト教も、プロテスタント、カトリックを問わず、私の言葉さえ聞けば統一することができます。なぜならば、統一できる内容をもっているからです。しかし、キリスト教徒たちの態度はどうでしょうか。誰よりも彼らを心配し、生かしてあげようとしても、かえって私を怨讐扱いしてきました。聖書にも、「飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる」(イザヤ書五八•一〇)とあり、神様も、戦争に負けて白旗を振る人を打てば、神様の怨讐になると言いましたが、果たしてキリスト教はそのようにしているでしょうか。

皆様。はっきりと知らなければなりません。皆様が、神様の愛と神様の生命と神様の血統、真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を相続した真の息子と娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘わない統一天下の根になる起源が生じるのです。このように、ために生きる真の愛と合一してこそ、家庭の統一も可能になるのであり、黙々と十年、百年、子女のために愛を与える親の愛が光るのです。神様はそのようなお方です。

それでは、文総裁が今日、全世界の統一教会員たちを率いて指示していることとは何でしょうか。創造の原則に従って、ために生きては、またために生きなさいという真理です。理想的愛の対象を探し出すためのものが失敗したために、正義の血統を根付かせることのできなかったこの世界に、皆様が新たな生命の種をもって浸透しなければならないと教えています。

皆様。共に父母の心情で僕の体を使い、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大主人である私たちの天の父母の恨を解いてさしあげる歴史的な十字架を背負ったことを忘れず、救世の道へと前進しましょう。

皆様。真の統一の群れが国境を越えて全世界へと広がり、五色人種が地球星に向かってために生きてはまたために生き、投入してはまた投入する、それが子々孫々に及んでいき、歓喜の叫び声と共に私たちの旗が十旗、百旗と増えて翻るようになるとき、どのようになるでしょうか。その世界は地上天国となるのです。宗教が必要ありません。国境が必要ありません。警察官も必要なくなります。統一教会員になれば、罪を犯しなさいといっても犯すことはできません。生理的に既に分かるようになるのです。

ですから、このような運動から真の愛の統一は始まるのであり、真の統一世界は不可避的に顕現するのです。このようなみ旨を中心として、天運と神様が直接主管し保護できる永生の真の道に向かって前進しましょう!皆様は一人ではありません。皆様の一家と一族が合同し、この驚くべき道に向かって前進することを決意する方々は、この時間、文総裁と共に両手を挙げて歓迎しましょう。神様の祝福があることを、そして「真の愛と統一世界」の主人公となられることを願いながら、私のお話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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皆様。今日の人間世界での愛は、自己を中心とした愛ですが、それがどこと関係があるかといえば、心ではなく体です。この体が悪魔の錨綱(いかりづな)を掛ける杭となっているのです。心が天に代わるプラスの位置にいるのですが、体がもう一つのプラスとなって、心を弄(もてあそ)んでいるのです。これを改めなければならない道が、私たち人間の生涯の義務なのです。これを御存じであられる神様が修理工場としてつくったのが宗教です。したがって、天は「心を中心として、より悪の体があるので、その体を強制的に屈服させなさい」と通告するのです。それで、「断食せよ、犠牲になって奉仕せよ」と言うのです。

体の欲望を弱め、心の言うとおりに従う習慣性を、三年から五年以上かけて伝授してもらうのです。それが宗教生活です。その次には、「絶えず祈りなさい」と言いました。それで、心は環境に引っ張られていきやすいので、中道の位置で精誠を尽くして、三倍、四倍の強い力を受けて体を引っ張っていきながら、習慣化させなければなりません。その二つの方法しか修理する道は絶対にありません。そのような修養の宗教の門を通過しなければ、本然の人間の道を求めていくことができないのです。哲学の道、知識の道、習慣的な良心の道だけではできません。

心と体が一つにならなければなりません。心は縦的であり、体は横的です。しかし、人間が堕落していなければ、最初から心と体は一つになっていたはずですが、神様の本然の理想と一つになることができなくなった事実をつくったのが怨讐です。それが正に堕落した天使長なのです。その悪魔サタンが人間を堕落させたのですが、善悪の実を取って食べて堕落したといわれています。その善悪の実を取って食べたアダムとエバはどこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。下半身を隠しました。これが悪を撒いた種になったのです。

青少年時代、成熟していないときに堕落しました。そのようにして植えられた悪の種によって、人間世界に悪の血統が及ぶようになったので、終末になると全世界的に青少年たちがアダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮に流れれば、サタンの全権時代が地上に到来したと思ってよいのです。このようになるとき、神様の鉄槌と審判が訪れるのです。

今日、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、世界の先進諸国を見てください。東西、四方から押し寄せるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるのでしょうか。刹那的な刺激を求めていく享楽主義、紊乱な愛では飽き足らず、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。それらは、体が死亡へと引っ張っていく道です。決して心の道ではないのです。

心は手を挙げて痛哭しています。天理大道において、人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまいました。誰かが人類をこのような環境から救いの道に導くことができなければなりません。それが統一教会です。世界には希望がありません。

統一教会は、真の愛の理想によって神人と心身を統一する所です。神様が、真の愛、真の生命、真の血統を所有していらっしゃり、私たちはそこから出てきたので、私たちにも、真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければなりません。人間は、神様の真の愛を中心として、父子一身の関係をもって生まれることにより、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されていなければなりませんでした。

ところが、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだ堕落人間となり、体と心がサタンと神様の第一線となって、闘い続けているのです。ですから、唯一このような内容をよく知っている文総裁は叫ばざるを得ないのです。

誰もが文総裁の言うとおりにさえすれば、体を屈服させて、心と一〇〇パーセント一つになるようにできるのです。そのようにして、心と体が一つになった皆様は、神様御自身の愛のパートナーとして永遠の対象となるのです。

愛には相続権、同居権、同参(一緒に参加すること)権という偉大な三大属性があるので、神様の絶対的な真の愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、いつでも同居できる権限をもつようになります。そうなれば、皆様は目を閉じなくても神様を見るようになり、神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭する、そのような体恤世界があるのです。堕落した世界でも、母の愛は、息子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かる場合が多々あるではないですか。寝ていても名前を呼び、大声を上げて目覚めるのです。

愛にはそのような力があるので、その愛と一つになれば、二つの世界は共存し、通じるようになるのです。言い換えれば、神様の本質的な真の愛、千年、万年ために生きても、さらにために生きようという、そのような真の愛を私の心と体に一〇〇パーセント吸収できる属性をもつようになるとき、心には真の愛の根が生じ、神様が感じるすべてのことが通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。

真の愛を中心として、心の世界の共鳴体となることができるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を備えるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません

このような真の愛に共鳴する論理を中心として見るとき、私たち人間がそこに一致して同一圏に入れば、神様の愛が私の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界であると言うことができるのです。そのような、天下を抱く父と母の心をもってこそ、天国に入籍するようになっているのです。

そのようなことを知っている文総裁が、峠を越え、川を渡り、五色人種を自分の親よりも、兄弟よりも愛するという心をもって生きていくと、今日、統一教会を世界最高の位置にまで引き上げることができました。天運が助けてくれるのです。真の愛の宿る所には天運がついてきて、神様の愛が永住するのです。

ですから、統一教会の教会員は、老若男女を問わず文総裁のことが好きです。本当に先生の生涯が哀れであることを知り、我知らずしきりに涙を流すようになれば、夢うつつに教えを受けるようになります。どれだけ霊的に明るくなるか分かりません。統一教会を信じればそのような世界が間違いなくあるのです。

皆様。御覧ください。先進国の代表といえるアメリカの青年男女、大学を出て修士号や博士号を取った人たちを数万人集めて何をしているでしょうか。アフリカ人も南米の人も東洋人も西洋人も、五色人種をすべて一つ所に集めて結婚させてあげるのです。

皆様。結婚問題はどれだけ重要な問題でしょうか。それをすべて文総裁に任せるというのですから、歴史上に新たな革命的事件が起こっているのです。

アダムとエバが堕落せずに成熟していたなら、神様の愛の対象、愛の配偶者となっていたはずです。あすには夫婦の契りを交わし、結婚式を挙げようとしているところに、盗賊が入ってきて新婦を強奪し、一緒に逃げていって暮らし、のちになって忘れられずにその女性が訪ねてきたとすれば、その男性が平然と「ああ、よく来た!」と言えるでしょうか。違います。憎しみで気が狂うというのです。

それでは、私たちの先祖であられる神様はどうされるでしょうか。同じです。神様はこの世界に手を触れたくても触れることができません。悪が植えられたために、胸痛む心情を抑えながら、悪の水が満ちて滅びるまで待っていらっしゃるのです。影の下で淫乱で蒔かれた種が、秋になり、全世界の村々に拡大した青少年の淪落として現れるのです。今が正にその時なのです。

人間は本来、神様の息子、娘となるべきだったにもかかわらず、怨讐の息子、娘となって抜け出すに抜け出せない塗炭の苦しみを味わっているのです。そのような人類を御覧になられる神様がどれほど悲痛であられるかを、はっきりと知っているキリスト教徒たちはどれほどいるでしょうか。

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皆様。愛する夫、愛する妻がいるでしょう。どれだけ愛していらっしゃいますか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてために生きようとする真の愛のためです。男性と女性をして調和によって愛の理想を成し遂げさせるために、神様がそのように創造されたのです。

それでは、ペア•システムになっている天地の被造物の中で、神様御自身にとって最大の愛の相対であり、主人の位置に立てた傑作の存在とは果たして誰でしょうか。人間です。「女性」という言葉は男性が先にいて出てきた言葉です。また「男性」という言葉は女性を先有条件として出てきた言葉です。「上」という言葉は下を考え、「右」という言葉は左を先に認めて語る言葉です。したがって、「横」という言葉は縦を確定して語る言葉です。このように、先有条件を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ために生きることを目的として成立したのが真の愛による創造だったというのです。

神様の真の愛は、投入し、与え、また投入して、また与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたという記憶に留まっていてはいけないのです。与えて、また与え続けても記憶に残らないので、流れるのです。

神様は、この無限の価値をもった愛を父の立場で与えても忘れ、仮にその愛を受けた息子、娘たちが天に背いたとしてもまた与えられるので、そのような限りない神様の愛のゆえに、きょう皆様もこの場に来て座っていられるのです。したがって、真の愛の行く道は、受けるための道ではなく、与えるための道だという結論が出るのは当然のことです。それで、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身が与える立場に立ち、御自身のもっておられるすべてのものを一〇〇パーセント投入し、また投入したいと思うのです。

そのような心をもっている本然の中心存在が、天地を創造された神様です。それで真の愛は、ために生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント与えて真空状態になるのです。空気で言えば、絶対低気圧が生じるようになれば、高気圧は自動的に循環運動が起きるようになるのと同じ理屈です。ですから、絶対にために生きようとするところには、無限の力が連結されるのです。神様は正に、このようにさらに与えようとする本性の作用が絶えず続くことによって永存されるのです。したがって、真の愛の道には、永生の論理が介在するのです。

皆様。私たちは何を中心として、きょうも生き、あすも生き、十年、百年、千年、万年を生きたいと思うのでしょうか。お金ではありません。この世の国ではありません。統一の絶対的起源となる神様の真の愛です。このように、神様の真の愛はために生きようとするところに根を下ろしているのに反して、今日の人間世界の愛は自分のために生きてくれることを願うところに根を下ろしているのです。堕落したために生じた結果です。自分だけのために生きてほしいという、そのような論理の中には統一がありません。これは、相対圏が犠牲となって破壊をもたらします。ですから、全宇宙が独裁者を支援することはないのです。理想的な相対を破壊するもの、それが悪魔です。それで、統一教会が医者となって治癒しなければならない召命を受け、実践しているのです。

それならば、このように救世的責任をもつべき統一教会が主張する教理も、理論に合わなければなりません。真の愛を中心として、統一的理論の根拠をどこに立てるのでしょうか。神様がいて、それからアダムとエバがいますが、男性であるアダムは大きく、女性であるエバは小さいですが、神様さえ占領すれば万事OKなので、アダムが前を行き、エバはついていって神様を発見したというとき、その神様を誰が先につかまえるのでしょうか。

自分を主張するところには、統一はありません。しかし、神様と共にために生きるという立場で考えるとき、アダムが「私が先に神様をつかまえようとするのは、あなたのためです」と言えば、小さなエバが、「早くつかまえてください!」と言うのです。

また女性が「私が神様を先につかまえようとするのは、あなたのためです」と言うとき、夫も喜ぶようになります。ここで統一が成し遂げられるのです。このように、神様のために生きようとする天地の真の愛の世界から統一の理論を発見できたために統一教会が現れたのです。

私は、怨讐の側にいる衛星国はもちろん、ソ連の主要都市に統一教会の宣教師たちを配置して、救援のための準備をしたのですが、彼らが極限的な迫害の中で死刑宣告を受け、国境を越え、また越えて、一度も出会ったことのない師に従い、最後に東方の韓国に向かって「私は逝きます」と両手を合わせて祈り、最期の道を行った彼らを、引き止めることができず、生かしてあげることのできなかった文総裁の心情を皆様はお分かりになるでしょうか。

悪魔からの苦難を受け、苦痛を受けて、捕虜兵となっている彼らを不憫に思う天の心を知りながらも、昼も夜も前進を決意せざるを得ませんでした。私はまた、共産主義は七十三年を超えることができないことを、天理を通して知ったので、待ち続けました。そうしたところ、なぜかソ連は、私たち統一教会の真理を調べ、これこそが偉大な真理であり、ソ連に新しい希望を植えつける真の真理であることを知るようになったのです。しかし、このような大きな国と天宙の和合も問題ですが、私自身の和合がより先決問題なのです。

皆様。私たち人間は、人生を生きる間、自分に最も近く、天下を与えても変えることのできない主人がいるにもかかわらず、知らずに罪に捕らわれて生きる哀れな群れだということを知らなければなりません。その主人は、正に自分の良心です。この良心がどれほど皆様のために忠告し、疲れることを知らずに昼も夜も、悪い考えをすれば「おい、こいつ!」と言って引っ張り、峠を越え、川を渡るために、どれほど気をもんだことでしょうか。

真の主人の姿をもって私を保護しようとする心を裏切ったこの体、一つしかない宇宙から貴い師として与えられた先生であるにもかかわらず、その先生を容赦なくぞんざいに扱ったこの体、また私の本然の愛の心を引き継ぐことができるよう、父母の代わりに送ってくれた良心を容赦なく蹂躙したこの体、このように心の怨讐になったこの体を、皆様は愛するのですか。それではいけません!

私を守ろうとし、私の主人と師と父母の位置に立って、私を正しい人にし、天地の大父母であられる神様、天地の大師匠であられる神様、天地の大主人であられる神様のみ前に一致させるために努力する第二の主人である良心を蹂躙し、無視し、冷遇したこの体を保護すべきでしょうか、占領すべきでしょうか。体をつかんで心のようにために生きる自分になったときに、幸福が訪れるのです。そこに神様が臨在されるのです。それで、「家和万事成」という言葉があります。私の家、私個人が安らかであるためには心と体が一つにならなければなりません。

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8.真の愛と統一世界 日付:一九九〇年四月三十日

場所:韓国、水安堡(スアンボ)、ワイキキ・ホテル

行事:モスクワ大会勝利帰国真の父母歓迎大会

きょうのお話の題目を決めるとすれば、「真の愛と統一世界」です。「統一」という言葉は、高い人、低い人、善の人、悪の人、誰もが願い、永遠に人類が存続する限り残る言葉です。また、統一は、人間はもちろん、万物と神様までも望まれることです。人間世界での「真」の基準は変わるものであり、誰もが不可能に近い欲望をもっています。東洋や西洋を問わず、それはどこも同じです。また人間は誰しも最高の位置に行こうとする欲望の方向があることは否定できないのが現実です。

それでは、このようになりやすく、大きな欲望をもっている人間が探し求める本当の「真」とは何でしょうか。男性の前に本当の「真」は女性であり、女性の前に本当の「真」は男性です。親の前には子女が本当の「真」であり、子女にとっては親が本当の「真」です。そして、神様のみ前に本当の「真」は人間であり、人間の前に本当の「真」は神様です。以上の話は、本然の世界での話です。なぜなら、真の男女を通してのみ、統一的な真の愛を見つけることができるのであり、神様と人間も真の愛を中心としてその統一が成立するのです。真の愛を中心として見ると、男性と女性の絶対はここにあり、生命を捨ててまでも服従しようとするのです。絶対的神様も、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てておくのです。したがって、神様も真の愛に絶対服従しながら生きたいと思うのです。したがって、人間の結婚というものは、男女の絶対価値である真の愛を横的にして絶対服従して生きることによって、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようとするものなのです。

ここに、人生には、なぜ生まれたのか、なぜ生きるのかという原因と目的があり、神様の創造理想があるのです。人類歴史について見ると、人生観、宇宙観、神観など、すべての問題の解決は、真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として絶対に統一されるところにあります。これが絶対価値の根源地なのです。この世界で、人間の欲望の限界線を否定できる、そのような存在が何であるかを探してみたところ、真の愛以外にはありません。愛の中のどのような愛でしょうか。真の愛です。

文総裁を中心とした統一教会の教えは、真の愛を実践する救世の真理です。人類が永遠に必要とする真の愛である生命のみ言です。真の愛のためなら、困難も問題になりません。自分の生命をなげうってでも行くことができる力が、真の愛にはあるのです。

ところが、今までの人類歴史を見ると、「真の愛と統一世界」を成就した人はいません。なぜなら堕落したからです。統一を願うすべての人々が、その動機がどこにあるのか分からずにいるのです。それを知らなければなりません。真の統一の動機は、自分の妻と夫、息子と娘、親戚、国家、天と地など、相手側にあるのではありません。自分自身にあるのです。

私は、自分の基盤を連結し、多方面に世界的基盤を築いてきました。特に、この国と世界のために科学技術が必要であることを知り、韓国の「統一産業」とドイツの最先端機械工業、日本の先端電子技術を連結しなければならないことを知って準備してきました。このように、国家と民族のために第二次世界大戦後、四十年以上もの間、多角的に準備してきたにもかかわらず、この国、この民族は関心をもちませんでした。

しかし、これからは韓国も私に期待をかけざるを得ない時になりました。歴史を通して見ると神様の戦略戦術とサタンの戦略戦術は正反対です。神様は打たれて損害賠償まで請求して取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打っても奪われるのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を見てください。第三次世界大戦は思想戦ですが、すべて先に打ったほうが滅びました。

私たちのような人は、公的な人として、公的な立場に立って打たれてきたのです。しかし、歴史を見ると孔子も「喪中の家の犬」と言われました。その当代に聖人になった人がいるでしょうか。またイエス様はどのような方でしょうか。ローマ帝国に反乱罪に問われて死んだ方です。このように彼らは、その当代にはみな悲惨に死にましたが、歴史時代を経ながら次第に上がっていくのです。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する一つの方法なのです。ですから、宗教世界では迫害を受けるときに発展します。神様が本当に愛する人は、いつも天運の保護を受けるのです。

皆様。真の愛というものは、目には見えませんが最も貴い宝です。それでは、私たち人間の中で宝のような存在は誰かと考えてみると、それは正に聖人たちです。聖人たちの教えは、気まぐれに変わるようなものではありません。ある聖人が地上で一つになることを教えたならば、霊界に行っても彼の教えは天上の法にも通じる不変のものでなければなりません。

今日のキリスト教徒たちは、神の道理が何であるのか、水がどのように流れ、起源がどのようになっているのか、天理大道がどのようなものなのかということを知りません。目はくらみ、大口をたたいたところで誰が聞きますか。ふらふらしていると、そのうち事故に遭うのです。このような無知を悟らせるために、文総裁は全生涯を捧げてこの道を開拓してきました。何のためにそのように苦労したのでしょうか。真の愛を探し出すためでした。すなわち、神様の真の愛を最高の絶対中心として立てておいたので、そこに一致するためだったのです。

神様が父であり、私たちが子女であるならば、父が先にやってみてもいないのに子女に「やりなさい」と言うことができるのでしょうか。これは論理的に不条理なことです。ですから、神様が私たちに絶対服従を命令するためには、神様御自身もその貴いものに絶対服従してから命令しなければならないのです。

このように、神様までも絶対服従しながら生きたいと思う真の愛こそが、地獄までも占領できる基盤になります。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみと苦痛も、その真の愛の中で消化され、喜びとなるのです。それでは、真の愛はどこから来たのでしょうか。根本となる神様の真の愛から来ました。神様もそのような愛を望んでいるので、そこに由来しているのです。

結婚しようとしている男性と女性に聞いてみてください。新婦は心の中で「男性は私よりも立派であってほしい」と思い、新郎も「新婦が自分よりも立派であってほしい」と願います。また、親は誰しも自分の子女たちが自分たちよりも立派になってほしいと期待しながら生きるのです。そのような心は神様から来たものであり、真の愛を中心として言っているのです。神様の根本がこのようなものであることを、帰納的に結論を下すならば、神様も、真の愛の対象が御自身よりも立派であることを願う心をもっているというのが本性の起源になるのです。それで、神様は投入し、また投入しようとされるのです。神様が真の愛の相対として造られたのが人間です。

「万物之衆唯人最貴」(マンムルチチュンユインチェキ)(万物の中で人が最も貴い)という言葉は理にかなった言葉です。神様も愛の相対的パートナーが必要で造られたのが人間です。ですから、中心である人間をかたどり、和合し吸収されるように、すべての万物を創造したのも、愛の理想のためです。

被造世界を見てみると、鉱物世界を見ても、プラス・イオンとマイナス・イオンが作用しています。元素と元素同士も、くっつけたからといって必ずしも結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様も思いどおりにできないのです。たとえレベルは低くても、このように鉱物世界の作用も、愛の創造理想型モデルの核に反応することができ、そこに通ずることができるように造ったのです。

したがって、真の愛の本質を中心とした場合、堕落していない人間は、神様の心情からすべての万物、動物世界まで通じるようになっているのです。その位置に入るようになれば、岩とも通じるのです。皆様がそのような位置に入ってみることができなかったことが事件です。私たちは、深い神秘境に入るようになれば、森羅万象がすべて友になるのです。喜悦に満ちた愛の境地に入り、私が笑えばすべての万物と神様までも和動します。

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13.世界と南北の統一は真の愛で 日付:二〇〇〇年二月十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:「二〇〇〇世界文化体育大典」開会式および真の父母様御聖誕八十周年記念式

世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今、正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。

初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にあってくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。韓半島を取りまく列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それから生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することによって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったということを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。

これまで私は、世界各地の公式の場で、一万回以上にわたり、み言を通して「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。

人類歴史は蕩減復帰摂理歴史 我が国の統一は、単に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって分かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に分かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理史的な側面から理解しなければならない事案であり、したがって、摂理的な次元で解いていかなければならないのです。人類歴史は、人間始祖が堕落によって失ってしまった本然の世界を、再び取り戻すための蕩減復帰の摂理歴史です。ですから、歴史は、神様の創造理想の実現を目標とした、サタン側と天側との間で起こる善悪闘争の歴史なのです。

歴史の背後ではいつも、善の側には善霊が協助し、悪の側には悪霊が協助してきました。人間の堕落によって始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。

二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていれば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一し、十二支派の子孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、万王の王にならなければならなかったのです。しかし、イエス様が十字架にかけられたのち、外的な肉身を中心とした文化圏である人本主義のへレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。

一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。

人間始祖の堕落によって分かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何を狙っているのでしょうか。神様をはっきりと狙っています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、太初に理想とされた基準も、永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。

神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められるでしょう。サタンが神様に、「神様!最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。それとも、永遠の愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか。神様は、「永遠に愛するために立てた」と語られるでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な愛の神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使できなくなるのです。ですから、神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないというのです。

サタンを自然屈伏させるための神様の戦法 それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、いかなる環境の中でも、堕落してサタンになった天使長を愛さなければなりません。神様は、サタンがいくら暴れ回ったとしても、罰したり、打ったりすることができないのです。いかなる状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられます。降服します」と告白しない限りは、神様は、完全な勝利を果たすことができません。それが問題なのです。神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、その道を歩まなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立っても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈伏させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ!」というものでした。言葉は簡単ですが、今までこれが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたことを誰も知りませんでした。

神様がサタンを敵や怨讐とみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとすれば、絶対に勝利の絶頂を占有することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ!」と言って、愛の作戦を展開してきました。神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事(働き)して自分の命を奪おうとする怨讐に対して、「彼らを赦し給え」と祈ったことは偉大なことです。もしイエス様が十字架で死んでいかれながら、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転していたでしょう。福を祈る、愛する心をもって死を克服したので、サタンが自然屈伏したのです。

永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生じたのです。サタンもこれを是認し、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。ですから皆様も、神様のみ前で、「サタンよ、私は神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」と答え、それだけではなく、「神様の息子として相対圏を拡大していくであろう。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理と原則なので、仕方がありません」と答えるように行動しなければならないのです。

神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。

怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上の消化すべき主義は生じません。韓国が日本帝国主義治下にあったとき、韓国を含めた日本、ドイツ、アメリカの主要摂理四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐同士であり、日本とアメリカが怨讐同士であり、アメリカとドイツが怨讐同士だったのです。

私は、このような怨讐関係にあった日本人とドイツ人をアメリカに連れていき、「アメリカが神様を無視して失ってしまえば、滅びて死んでしまうので、アメリカを活かさなければならない」と言って、真の愛の道理を実践しました。日本人やドイツ人に、「敵対関係のアメリカを、自分の祖国を愛する以上に愛する伝統を立てなければ、天の願う新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。

怨讐の関係である国家を、自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を築かない限り、この地上に天国は顕現できません。このような歴史的伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。

私は、アメリカ連邦政府から屈辱を受けながら、罪なく法廷に立ったとき、アメリカの未来を心配しながら保守紙「ワシントン•タイムズ」を発行したり、放送局を設立させたりするなど、むしろアメリカのために、あらゆる努力を尽くしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類に及ぶ各種の教材を出版して、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。

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祖国光復のために私たちはいかにすべきか イエス様も、国を建てるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとするならば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を土台として審判するのです。祖国は最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれています。この三千里半島(韓半島)が祖国になったでしょうか。そのようになっていないのですから、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、私たちは一片丹心で努力しなければなりません。善とは何でしょうか。家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国光復のために氏族が犠牲になることが善です。祖国光復のためにすべてが犠牲になって、祖国光復が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭と氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道の基準は、神様のために絶対的に忠誠を尽くすことです。そのようにすれば、その過程のすべては認められるのです。

私たちはいかにすべきでしょうか。イエス様は「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、「みこころ」とは神様のみ旨のことです。統一教会員である皆様は何をしましたか。忠臣の道理を立て、またその実績をもってきましたか。孝子の道理を果たして、その実績をもってきて、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。

イエス様は祭物の使命を果たして逝かれました。皆様は世界的な闘争をしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければなりません。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆様は、民族的な道を築かなければなりません。数多くの人々が光復の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成し遂げられる」という信念をもって死んでいったのです。

統一教会員は、個人から民族と国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは、祖国光復、自由、平等、幸福の日を探し求めていかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、私の見つめる観点であり、神様が願われる甚準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。私たちは祖国光復の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。

韓国は、私たちが責任をもたなければなりません。あすも変わることのない祖国創建という覚悟と信念をもって、イエス様の祖国、聖霊の祖国、預言者と烈士の祖国、神様の祖国を建てられなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。私たちは、祖国を探し出さなければなりません。祖国を探し出そうとするならば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を探し出すことはできません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることなのでしょうか。世界を自分の祖国と思って、世界のために生きなければなりません。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものにならなければなりません。

ですから、私たちは、たとえ共産党から刃物で刺されることがあったとしても、行くという覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、私たちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、私たちが行かなければならないのです。そのためには、誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚するのです。私たちの祖国のためにです。

まず神の国と神の義とを求めよ 今は、私が話せば、聞くことのできる群れが生じ、私が方向を提示すれば、動くことのできる群れが生じましたが、それで幸福を感じるような男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、祖国光復を約束できる、そのような土台を広めていくつもりです。六千年摂理の中心的なみ旨として立てた家庭を信奉できる教団と民族、そして国家がなければなりません。神様を信奉できる土台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたので、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するためには、先頭に立って走らなければなりません。

夜になって寝床に入る時間にも、その希望の国とともに寝なければなりません。今は国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚めるときもその国を建国するための一員として眠りから覚めなければなりません。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成し遂げるためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。やるべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。祖国の光復というものは、時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ得られると思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて、少しでも加えるべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て、伸びをしながら起きられるでしょうか。

起きては腰を曲げて、「お父様!あなたが訪ねていかれるあすの安息の住みかであり、あなたが行使することを願われた世界を統治する勝利的国家の土台に向かっていく、寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。私自身がそうなのですから、天が探し求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか」と祈らなければなりません。

疲れたからといって思いのままに横になることはできないのです。死んでも国のために死ななければなりません。ですから、年を取って疲労を感じる、そのような立場、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。イエス様は、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一・三三)と言われました。このように聖書の主流思想は「神の国」です。「神の国」を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫をもったとしたら、その夫は国を代表した夫です。ですから、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻なので、国を愛したのちに妻を愛さなければならないのです。

死ぬにしても、自分のもつ力をすべて使い果たし、自分はこれ以上できないというその立場で「死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかった」という言葉を残して死んではなりません。ですから、どんな仕事も、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、私たちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ!サタン世界よ、お前は何もせずに遊び暮らしていろ。我々は神の国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。

南北統一を熱望する愛国同胞の皆様。特に女性の使命は、子女格である青年男女および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国の理想を復帰しなければなりません。

きょうのみ言が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出会う、その日を早める国民運動になることを願いつつ、私の話を終わりたいと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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それでは、「神の国」を建設できる人とはどのような人でしょうか。自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して社会と民族、国家、世界のために生きる人が、正に「神の国」を建設できる人なのです。さらには、国家と世界を否定しても、天のために生きる人が天国を建設できる人です。また、いかなるつらい環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ、「神の国」を建設できるのです。

それだけでなく、皆様は、「神の国」と「神の義」を探し立てるその過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆様がいかなる立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のいかなる環境の中にあっても、サタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家の最も難しい問題に責任をもち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。

六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、私は降参します」と言って目を伏せて帰っていくと思いますか。皆様は、雑巾であっても、捨てようとすればもったいないと思うでしょう。雜巾でも、ひっくり返して臭いを嗅いでみてから捨てるのです。ですから、サタンはそのまま退いてはいきません。がむしゃらな闘いをしてくるのです。したがって、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになる時には負けてしまうのです。方向が合わなければ発展しません。「神の国」を探し出すことは、世界を探し出すためであり、世界を探し出すことは霊界のためなのです。

そうして何をするのでしょうか。神様を地上にお迎えし、そして定着し、万国が神様を中心に侍り、その神様のみ前に勝利の栄光をお返しして差し上げるために行くのです。そのような闘いをすることが統一教会の使命であることを知らなければなりません。私たちは、裸足で乗り出していき、祖国を創建しなければなりません。食ベ残したもので、この国を生かすことができるでしょうか。食べること、着ること、乗って行き来することに、いつ神経を使っていられるでしょうか。裸足と素手で開拓していかなければなりません。そのようなことを行う所が統一教会なのです。

皆様は祖国を探し出さなければならない勇士ですか、それとも祖国を滅ぼす亡士ですか。勇士とは国を代表し、他の人ができない仕事をできる人のことをいうのです。誰もができる仕事をする人は勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人ならば、その人は勇士です。勇士の「勇」の字は「すばしこい」という意味があります。誰よりも速く走り、鉄砲の玉もよけられるほどにならなければなりません。誰もができる仕事をする人は勇士とは言えないのです。

祖国光復を成し遂げる土台 「神の国」を建国するに当たり、開拓の勇士となるべき、先鋒に立つ将軍は誰でしょうか。「神の国」を成し遂げることができる土台はどこでしょうか。一つの国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となる土台は何でしょうか。それは、教会の財産しかないのです。それから、天の国の国民とは誰でしょうか。教会員です。また、主権者は誰でしょうか。皆様です。皆様が里長の代身者であり、面長の代身者であり、郡長の代身者であり、道知事の代身者です。

皆様。主体者になりましたか。サタン世界から爆弾を載せて攻繫しようとしたら、最初に飛び出して準備していかなければなりません。そのような心がありますか。そして、お金が一銭でもあれば、教会を広げるために使うのです。その国の版図を広め、国民を結集させることに使うのです。教会の責任者は主権者の代身です。里長を身代わりし、父母を身代わりするのです。このような伝統的思想を残さなければなりません。

しかし、私たちには何もありません。この韓国に立てられる国はどのような国でしょうか。互いが流通し、交流するようになる時は、共産国が立てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままになるでしょうか、それとも、どちらでもない、新しい国を追求するのでしょうか。このような問題について考えると、私たちの時もだんだんと近づいてきていることを感じるようになります。皆様がこれをきちんと処理し、責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらいもち、またどの程度の犠牲の代価を払う決意ができているでしょうか。休戦ラインを越えて北朝鮮に入り、北朝鮮の五つの道の市、郡を中心として、私たちの基地を準備しなければなりません。

人員が不足なこの時に、誰が北朝鮮の地、定州ならば定州の責任者になるのかを考えなければなりません。定州の郡ならば、定州の郡を中心として私が責任者にならなければならないと考え、十年、二十年準備し、それでもできなければ、子孫に「お前は、一生懸命に勉強し、一生懸命に準備をして、その日を迎えたら、定州の地において、天との関係を代表する責任者になりなさい!」と遺言して死ぬことができる、そのような精誠を尽くす皆様になってみましたか。私は、今まで、そのように考えながら準備しています。そのようなことを考えると、若い人たちは、地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっているでしょうか。そのように暮らすようになっているでしょうか、いないでしょうか。死んでも国を残してから行かなければなりません。死んでも、子女たちに国は残してあげなければなりません。ですから、新たな決心をしなければならないのです。

「私は、あのソ連と満州に隣接する地方に行って、共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら、国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、誰も理解してくれなかったとしても、生命と引き換えても、神の国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それでこそ満点なのです。世の中は理解してくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべてが明らかになるようになっているからです。

このようなことを考えるとき、人手が足りないことを皆様は知らなければなりません。人が不足しているので、かかしのような男性であっても、ラッパを担がせ、あるいはロボットをつくって北朝鮮の地を歩き回らせ、ラッパを吹かせたいというのが、私の心情であり、神様の心情です。口があり、感情をもった男性として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体をもっていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。夜は眠らずに勉強をしなければなりません。おなかがすいて骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにしてやせこけた体が、天の愛をことごとく受ける体になるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待をかけることができるのではないでしょうか。

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ですから、私たちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、生きているのです。そのことゆえに生まれたことを知らなければならず、天地を中心として誓う生活をしなければなりません。寝るときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の数多くの人種を集めた頂上に座っているという心をもたなければなりません。天の息子はそうでなければならないのです。

サタン世界の権限を凌駕する位置、栄光の位置を占有して生きなければならないのが天の息子、娘の生活であることを、皆様は知らなければなりません。神様が息子と娘を愛そうとするなら、そのような息子と娘を愛するべきであって、サタンにも劣る息子、娘を愛すれば、父としての威信が立ちません。皆様は、そのような信念をもって、今後、全世界と手を結んで日々の生活を送ろうと、新たに決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線基盤は確固たるものになると思うのです。

「私は、たとえサタン世界の圏内にいたとしても、天の密使である。天の大使である」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡できる道があるのです。そのような密使の使命と威信のために生きているという信念をもっていかなければなりません。これを皆様は、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を待っているのです。同じように私たちがこの地上で、そのような使命を果たそうとするならば、神様も私たちの報告と私たちの要望を待っておられるようになるのです。

したがって、私が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか。それと同じように、皆様がそのような信念をもって神様の特権的な栄光の息子、娘であることを認識しながら、「私はこれを願うので、成し遂げてください!」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれることを見ることができるのです。そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の人がいれば病気を治すことができ、困難な時には、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。それでこそ自信が生まれ、それでこそ信念をもって、すべてのことを打開していくことができるのです。

神様の真の息子、娘の行くべき道 尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちが行くべき所はどこでしょうか。個人を訪ねていくことが、私たちの行くべき目的ではありません。また、家庭を訪ねていくことが現在の私たちの目的ではありません。私たちがいくべき道は、国を訪ねていくことなのです。父も、母も、子女も区別なく、これを探し出さなければならないのです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は、「ああ、国だとか、教会だとか、私とは関係ない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。

死ぬ時まで国を探し求め、あらん限りの精誠を尽くし、それこそ天国の光復のために勝利の凱歌を上げることのできるその時が来なければなりません。イエス様の言葉ならば何であっても、それがすべてだと思うようでなければなりません。方向を提示するときは、二つではなく一つです。その方向に行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。それでは、夫を捨てて、子女を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、どうしなければならないでしょうか。それでも行かなければならないでしょうか、行ってはならないでしょうか。統一教会のためにそのようにするのではありません。国のためにそのようなことができなければならないのです。

今、北朝鮮では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。それはどういうことだと思いますか。サタン世界が先に行っているのです。国のためには、自分の夫や妻、父母、子女を問わず、すべて捨てて進み出ることができなければなりません。そうでなければ、希望の国を探し出すことができません。その国を探し出したとき、その国と共に父母を得ることができるのです。国を探し出すことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにあるでしょうか。

ですから、国を探し出す前には、妻を愛することができないのであり、父母を愛することができないのであり、子女を愛することができないのです。これがキリスト教の行く道であり、統一教会の行く道なのです。皆様は、自分を否定して「神の国」と「神の義」のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆様は、自分に対するお父様の希望があることを思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆様になって初めて、神様の真の息子、娘だと言うことができるのです。

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私たちの行くべき地上の第一目的地 内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今から行くべき道は何でしょうか。いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っている限り、皆様は国のない人々です。ここが皆様の国でしょうか。皆様には国がないのです。たとえ氏族があったとしても、その主権が天を中心とした主権でない場合は、主権が民族を排除してしまうこともできるのです。

ですから、天が歓迎できるその国を探し求めていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎できる、そのような地になるべきなのですが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎する立場に立っていません。そのようになることができませんでした。方向が違います。大韓民国が進んでいるのは外的です。神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいるのです。この国の主流的な思想がありません。したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家以上の内容をもって実現しなければ、祖国光復を迎えることはできません。

今日の解放というのは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要です。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族は、そのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないのです。その国はどのような国でしょうか。その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらなければならず、蕩減復帰原則に一致する国民性をもたなければならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国にならなければなりません。

今日の大韓民国がそのような国になろうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた韓国と北朝鮮を一つに統一しなければなりません。カイン国家とアベル国家に分かれたように、南北に分かれたのですが、これを統一しなければ、一つの勝利的なイスラエル国家が現れないのです。

それでは、大韓民国を中心として、北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないのでしょうか。それは、新しい世界主義的な思想をもたなければ統一できません。この時に備えて、「新しい思想をもって進んでいこう」というものが、今日の統一教会が主張する「統一思想」です。

今後、私たちは、二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついてくることのできない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついてくることのできない鉄のような信仰で団結した宗教国家をつくらなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家を成し遂げなければなりません。そうでなければ、神様の国、世界に誇る天国の主権は誕生しないのです。これが、今日の私たちの行くべき地上の第一目的地であることを知らなければなりません。

祖国を得ることができなければ、サタン世界の国家を凌駕できる、天を中心とした一つの国をもつことができません。その国をもつことができなければ、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。統一教会ではできません。統一教会の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければならないのです。

そのような問題が残されていることを知らなければなりません。このような点から見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教だったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教のような立場であるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。今後は、国教にまでなるべき時が来なければなりません。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。統一教会の思想を国教にすれば、共産党は問題ありません。

祖国光復の密使として取るべき姿勢 紳士淑女の皆様。今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大きい小さい、広い狭い、高い低いという差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活を離れてはいけません。ここには、いつも生死の脅威が介在しています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。

ですから、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれる私たちの祖国を探し出すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ、密使の生活はできません。その祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶということを考えて、新しい歴史を創建し、祖国光復の一日を迎えるその時に、自らの功労が表れることを思いながら、現在の立場にとらわれないようにしなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。

言い換えれば、祖国光復のための希望が現実の希望より千倍、万倍強くなってこそ、今の生命と引き換えるようなことがあったとしても、それを克服して密使の使命を遂行できるのです。もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、その位置には新たな密使を再び派遣できるのです。既にその人が死んでしまったとしても、その人の友人になることができ、その人の味方に立つ人々が現れるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたので、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の味方に立つ人々が残るのです。

そのような人々が残っている限り、神様はその基台の上に代わりの人を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んだ場合には、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。

このような立場で、皆様は、今や新しい時代を迎え、いかなる姿勢を取らなければならないのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりも強烈に胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間、神様が待ち望まれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この途方もない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。過去に生きた数多くの人々がもつことを望みましたが、もとうとしても、もつことができなかった特権、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。

したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に派遣された密使として、凜々しく「見事にこの使命を遂行するのだ」と言って立ち上がってくれることを、神様がどれほど待ち望んでいらっしゃるでしょうか。今までは、激しく追い込まれ、追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のそのみ旨、祖国を立てることができる、そのみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。

今からはそのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、国土があり、国民がいます。また、そこには、単一民族の血統の関係が結ばれており、他の民族がもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早いうちに完遂すればするほど、祖国光復の基台が自分によってどんどんと近づくのです。きょう、苦労の代価を払うことが祖国光復の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆様は生きて密使の使命を完遂するという決意をもって進んでいかなければなりません。そうでなければ、これから神様が私たちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができません。私たちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を探し出し、その国の中心と一つになって、天が願った希望の基準を備えて帰ってこそ、お父様の前に面目を立てることができるのではないでしょうか。

皆様に国がありますか。ないことを考えると死ぬに死ねません。死んだら、どこへ行くのでしょうか。行って、その面目のない立場と恥をどのように免れるのでしょうか。私の生命の寿命は制限されているので、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか。そのうえ、悪のサタンの環境が私たちに反対し、怨讐たちが私たちの道を妨げるのではないでしょうか。これを切り開いていこうとするのですから、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。私が行くことも、来ることも、その国を探し出すため、祖国光復の建国の功臣になるためです。そのような使命を果たすために、天の密使として指令を受け、今日の悪の世界に来てこのことを行っているという事実を思いながら生きていかなければなりません。そのようにしなければ、皆様は、今後訪れる国の国民としてその威信と体面を立てることができないことを知らなければなりません。

皆様は個人的に影響を与えたいですか。家庭的に影響を与えたいですか。国家的ですか、世界的ですか。どのように影響を与えたいですか。世界的に影響を与えたいでしょう。しかし、世界的な舞台に上がっていこうとすれば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆様の国がありますか。

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神様の祖国光復はどこから実現されるのか 統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を外さなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければなりません。世界のための宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。

満場の内外の貴賓、紳士淑女の皆様。神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、その人はいかなる主張をしなければならないと思いますか。この世の人々が好む、そのような方向に行きなさいという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行きなさいと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい!」というものです。「怨讐を愛せ!」というこのみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものとして、台風に押し流される船の錨のようなものであり、錨綱のようなものです。しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛せ!」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛する人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備え、世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出るので、そのような運動を神様が提示されなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動なのです。

今まで、神様が最も愛する人は誰でしょうか。イエス様です。イエス様は、争っているこの世界に新しい方向を提示してくれました。ローマやイスラエルのように、抑圧国家と被抑圧国家との間には、互いに怨讐視し合う高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまわなければならないというものでした。イエス様は「ローマよ、お前は力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛をもってお前を征服する」と考えたのです。それで、十字架にかかりながらも、怨讐のために福を祈ってあげたのです。そのような思想は、ローマの兵士たちのために「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三•三四)という驚くべき祈りとして現れているのです。イエス様がそのようにされることによって、世界のすべての国が互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることのできる一つの原型、または模範となりました。

イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないことを知っていました。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐が四方から縛りつけていることを知っていたのです。これは、私に従い、私が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待ち受けているということなのです。そして、家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるのですが、そのたびに怨讐を愛しなさいという言葉なのです。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるのです。

それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国光復はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。ですから、神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて、怨讐までも抱こうという運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、恨みを晴らす悪魔サタンの種を蒔けば、恨みを晴らす悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。これは自然の道理なのです。

神様の祖国は、どこから、どのような道を通して訪ねてくると言ったでしょうか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残す道を通して訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないことを、皆様は知らなければなりません。

考えてみてください。アメリカが反対し、国務省が反対し、国会が反対したので、私は、国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、アメリカで勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、私に返ってくるようになっています。私は、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対されれば反対されるほど、怨讐を愛するこちらの気持ちがより大きくなるので、たとえ反対が大きいからといって落胆する必要はありません。

自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になるようになっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。アメリカの国務省が高い所から反対するとき、私が低気庄圏を形成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、アメリカの国務省は私に屈服してしまうでしょう。私は、非難されながらも闘わずに彼らを愛していったところ、彼らは私の友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。

怨讐を愛する精神をもった人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想郷となることができ、人類が入っていく理想郷になることができることを知らなければなりません。私、文総裁は、みすぼらしい男です。皆様は「そうではない」と言いますが、世の中の人たちは、私を愚かな人と思っています。しかし、神様は、私のことが一番お好きです。世の中が私を愚か者扱いしたとしても、神様が認めてくださるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。

怨讐を愛する心をもてば、語れない言葉がありません。なぜでしょうか。神様が送った男性を美男子というならばそのような人が美男子であり、すてきな人というならばそのような人がすてきな人であり、堂々として勇ましい人というならばそのような人が堂々として勇ましい人であると考えるので、私は、それを光栄に思い、世の中に対して自信をもって攻勢をかけるのです。

私一人がその境地に浸って活動すれば、何が起こるか御存じですか。このようにすることによって、神様が喜ぶ青年男女が生まれ、神様が喜ぶ五色人種の家庭が生まれ、神様が喜ぶ民族が編成され、神様の祖国光復が可能になるのです。「怨讐を愛しなさい」とあるので、最も憎むべき人でも愛さなければなりません。一番の美男子に一番の醜女を結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛することにおいて、最高の王子の旗を掲げて前進する候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください、そのような人は、民族の国境を越えることができるのです。愛する心さえもって暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮され、天国が近づいてくることを知らなければなりません。

私の哲学は簡単です。より大きなもののために犠牲となり、奉仕をすることです。私は、やってみなかったものがありません。農民にも、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってまぐろも釣りました。そのようにして生涯を送ってみると、一人だと思っていたのに、あとからイギリス人もついてきて、アメリカ人もついてきて、世界の数多くの人々がついてきています。ついてきてはいけないと蹴飛ばしても、またついてきて、後ろに行ったと思っても、またついてきます。

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14.神様の王子、王女が行くべき生涯路程 日付:二〇〇〇年三月八日

場所:韓国、全羅南道、木浦室内体育館

行事:真の父母様御聖誕八十周年祝賀南北統一前進大会

南北統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。

初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。

私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それからのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったことを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。

これまで私は、世界各地の公の場で、一万回以上のみ言を通して、「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。

きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」という題目で、お話ししようと思います。

世界のすべての国家の起源はどこか 内外の貴賓の皆様。皆様はどの国の国民ですか。ほとんどが韓国の国民であると思います。韓国が皆様の祖国です。それでは、神様の祖国はどこになるのでしょうか。神様の祖国は、今はありません。この世界のすべての国家の起源はどこでしょうか。神様が起源になっているのでしょうか、それとも、他のところが起源になっているのでしょうか。このような国家の歴史的な起源が問題になっているのです。

この世の国々は、闘いによって分かれて生じました。ですから、ある二つの国があるとき、その二つの国の境界線は、深い恨みのこもった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心として、より熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があることを私たちはよく知っています。このように二つの国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。

闘いは常に、何万里も離れた所に行ってするのではありません。昔から、隣接する二つの国家の境界線を中心として闘いが展開してきました。ですから皆様も、最も近い隣人と闘うようになっているのです。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間で闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。

堕落とは何でしょうか。神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明するものであると結論を下すことができるのです。そのようにして生じた国々はどこに行くのでしょうか。すべての国が平和の世界を追求するのですが、平和の世界に行くことができるのでしょうか。このような問題が、今、人類共通の課題として残されているのです。

平和の世界というのは結果の世界ですが、誤った出発、すなわち誤った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。ですから、このような戦争の起源を克服して越えていく運動を展開することにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができるのです。原因が完全なので結果が完全であり、平和で始まったので平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは、理論的に妥当なのです。

このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家だからといって、憎み続けようとすれば、永遠に平和の世界には到達できないのです。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まったその動機を否定し、誤った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容をもって主張する運動が必要なのです。

私たちが探し出さなければならない祖国とは 内外の貴賓の皆様。皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったでしょうか。歴史上に、「私の国だ」と言うことができる形態の国があったでしょうか。そのような国の形態も、もつことができなかったのです。それは、その国を探し出すために苦労する人がいなかったからでしょうか。

そういうわけではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えた位置では、探し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を探し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。私たちが探し出さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。

私たちは、次元の違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がいるとすれば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国をつくろとするならば、その国の主権を中心として国民が一致できる国になることを願わなければなりません。そのような国民性を備え、国家の形態を備えなければなりません。

一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。このうちどれ一つとして欠くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何でしょうか。世界と国のために生きることです。そのようにさえすれば滅びません。

国のために生きる基準で、実際に行動をしている中で死んでいった人々は、死んでもその国の国民になるのです。その国がなくなる時まで残されるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければならないのですが、主権とは何でしょうか。根源的な神様と関係を結ぶことです。国を統治する人は、国民が深く寝入った後に、神様と関係を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は、国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければなりません。そのようになれば、その国は繁栄するのです。

そのような観点から、地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして、国民は万民です。国土は地球星です。

地上天国は誰に似たのでしょうか。「私」に似たのです。一つの国を見れば、主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。地上天国は「私」に似ていて、「私」という個人が集まって国になるので、「私」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければならず、人間に万物があるように、国土がなければならないのです。このような原則から、国土は人に統治され、国民は主権に統治されるのです。この国土、国民、主権が、国家形成の三大要素です。そのようになっています。

人を見ると、心は体を統治し、体は万物を統治するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば「天、地、人」であるという決定的な結論が出るのです。「天」は何でしょうか。人間の心と同じなので主権と同じです。「人」は国民であり、「地」は万物です。結局、国は誰に似ているのでしょうか。「私」に似ているのです。

いくら大きい社会、いくら大きい国家だとしても、人に似なければならないのです。それは、神様が御自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何でしょうか。自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのでしょうか。人に似なければなりません。「天地人」に似なければならないのです。

統一教会の用語で「祖国」というのは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。「世界的」という言葉は、堕落した世の中でも使われるので気分が良くありません。このような「祖国」を探し求めていく主義を統一教会では「天宙主義」というのです。その祖国は、大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国でもなく、アメリカでもなく、共産国家でもありません。その祖国は神様が願う祖国です。ですから、私たちは、新しいその祖国の文化を成し遂げなければならず、その祖国の歴史を成し遂げなければなりません。

私たちは、新しい理想的な祖国を立てるために、新しい基準を定めて私たちの生活を変えなければなりません。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理結果主管圏」や「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」といった重要な言葉を、世の中の人々は知りません。ですから、違うのです。

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天命に従って歩んできた開拓の道 東洋の韓国からアメリカに渡った私が、神様のみ言を中心に積極的にアメリカを覚醒させようとしたとき、既に信仰的基盤が崩れていたために、悔い改めて従ってくるどころか、誹謗と謀略で反発する抵抗がどれほど激しかったでしょうか。私が受けた天命は、準備された基盤をもって人々を覚醒させる教育をし、できなければ、途中で勝手に放棄できる、そのような性質のものではありません。

過去十三年間、激しく迫害され、冷遇される中でも、私は、神様が理想とされる、世界を代表するために生きる個人、そのような家庭、そのような氏族の代わりにならなければなりませんでした。そして、アメリカの若者に、私が実践して手本を示すことによって、神様に従って世界を代表する、ために生きる家庭と氏族を編成しました。アメリカと全キリスト教に代わって、世界のために生きる新しい天民を育成していく作業でした。

私は天命に従って孤独な道を開拓してきました。神様の願いは、人々が神様を漠然と信じることにとどまるのではなく、自己の責任分担として実践し、成就することであることをはっきりと知る私は、そのために生涯を捧げてきました。

過去三十年間、私は第一に、神様を中心とした理想の普遍化と教育のために、全世界の学者を動員して、たゆまず努力してきた結果、既に百ヵ国以上に確固たる思想的基盤を構築しました。第二に、地上天国の理想は、霊的な要求だけで成し遂げられるのではないため、技術と真の先端科学分野の発展のための投資と努力を続け、驚異的な成果を収めました。第三に、神様のみ旨を地上に実現するための世界的な経済基盤を確保し、各種の経済活動と未来の金融秩序のための国際協力方案を模索し、研究しています。第四に、正しい言論によって社会を教導するために、世界的な言論機関を育成してきました。このほかにも多方面で創意的な活動を積極的に展開していますが、これらのすべては神様のみ旨を地上に実現するという課題と直接関係のあるものです。

皆様も御存じのように、私はアメリカで獄中の苦しみを体験したあと、この八月に出監しました。彼らは私を罪人に仕立て上げて投獄しましたが、私は獄中での十三ヵ月間、胸を痛めながら神様に祈りを捧げ、アメリカと世界の運命のために、一日たりとも心配しなかった日はありませんでした。「アメリカの罪を赦し、私の使命を全うさせてください」と祈りながら、霊的、信仰的基盤を再び覚醒させるために、数多くの行事を陣頭指揮してきました。アメリカでキリスト教の基盤を中心とした奉仕活動を展開するために、大型トラックを数百台購入して支援しました。また、ソ連帝国の滅亡を宣言する国際学術会議、宗教連合運動、新しい週刊誌「インサイト」と新しい月刊誌「ワールド•アンド•アイ」の創刊など、新たに数十ものプロジェクトを獄中から指導し、着手しました。

私は歴史的な反対を受ける場にあっても、投獄される悔しさの中においても、神様のみ旨を中心に、アメリカのいかなる個人や団体、教団以上に、アメリカのために生き、アメリカを愛しました。それだけでなく、天命を遂行する過程で、いかなる公人が歩んだもの以上に息の詰まる、血と涙ににじんだ供え物の道を、個人的に、家庭的に、教団的に歩みました。骨身を削る痛みであっても、アメリカを生かし、世界のための道であるならと考え、感謝しつつ克服しました。

天の召命を受けて立った私の道は、茨の道でした。日帝時代に、学生だった私は、独立運動をして投獄され、北朝鮮で宣教した時には、社会紊乱(びんらん)の罪を着せられ、興南の監獄で死の峠を越えました。韓国では草創期に、異端として追われ西大門の監獄で苦しみを味わいました。そして先回、アメリカでは人種の偏見と宗教迫害がきっかけとなり、獄中の苦しみを味わってきたのです。このように私の道は苦難の連続でした。しかし、私は死なずに生き残り、このように皆様の前に立っています。

反対の竜巻が起ころうと迫害の波がいかに激しくとも、敗者とならず、ために生きる天道に従って勝利の祭物をもったまま、このように帰ってきました。この勝利は私個人だけのものではなく、神様と共に成し遂げた勝利です。人々に理解されず、さらに迫害のまっただ中で、このような驚くべき基盤を築けたことは、容易なことでしょうか。皆様に、自らこのような基盤のことを話すのは、私自身を誇るためではありません。一つ一つ私を導き、役事され、守ってくださった、生きておられる神様を証し、栄光を帰すためです。

韓国は摂理の中心国家 人間の力だけでは想像もできない奇跡が、私たちの前で現実に展開しているこの瞬間、皆様全員が奇跡の目撃者になりました。歴史上、空前絶後の勝利を祝う世界的な式典に参席されたこと自体が、永遠に誇りとなるでしょう。願わくは、皆様も、きょうのこの場が奇跡に駕嘆する場にとどまるのではなく、摂理的な意義に対する確認とともに、奇跡の実体と確固とした関係を結ぶことによって、生涯の跳躍の契機とされるようお願いします。

これは個人のためにも、民族と国家のためにも、勧告せざるを得ません。韓民族が、私が歩んできた歴史的な勝利の基台に立つならば、韓国はやがては世界に飛躍するようになるでしょう。

尊敬する貴賓の皆様。神様のみ旨を中心として見るとき、韓民族は神様が選んだ民族であり、韓国は神様の願われるために生きる生活の手本を示すべき摂理の中心国家です。歴史上の数多くの事情と曲折がもつれ合った韓国は、ここに結集されている無数の摂理史の霊的条件と歴史の功罪を受け持ち、整理して清算しなければならない摂理的な使命があります。優れた天稟と文化をもった民族でありながらも、世界で類例を見ない苦難の道を歩んできたことは、このような点から理解されなければなりません。

この民族の試練はこの民族自体だけのものではなく、摂理的なものであり、神様はこの民族がこれを克服することを待ち望んでいます。世界史の総合的な遺産と呼ぶことのできる東と西、南と北の出会い、精神と物質、唯心と唯物の対決と混沌が集約された韓国で渦が巻き起こるのも、ちょうど新しい時代をはらんだ産婦の産みの苦しみのようなものです。

韓民族の民族的、国家的な苦難は、神様のみ旨と摂理を離れては解決できず、韓国単独としてではなく、世界との関連の中でのみ解決が可能であると思います。韓民族は今や天のみ旨を悟り、神様が世界の精神界を指導する目的をもって送られた方に従って、苦難を越えていかなければなりません。

私と統一教会の基盤は、徹底して天のみ旨に従って、ために生きながら築いてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害を貫き、東と西の無理解を跳び越えて勝利した基盤なのです。私の世界的な勝利の基盤の上で、韓民族と韓国が世界の、ために生きる生活をするようになるならば、神様はアメリカに与えた歴史的な祝福以上の祝福を韓国に下さるだろうと思います。そのようになれば、韓国は苦難を克服するだけではなく、世界の前に真と愛と平和の中心となるでしょう。神様が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きるとき、初めて神様が韓国に与えてくださった祝福は結実するのです。

尊敬する内外の貴賓の皆様。私がアメリカで法廷闘争を続けているとき、私の無罪と潔白を裁判所に嘆願し、声援を送ってくださった各界の指導者の皆様に、この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。神様の祝福が皆様の御家庭と私たちの祖国の上に永遠であることを祈りながら、私の挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。

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4.世界のために祖国が行くべき道 日付:一九八五年十二月十一日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル

行事:真のお父様勝利帰国歓迎晩餐会

各国からお集まりの貴賓、そして紳士淑女の皆様。今晩、私をこのように盛大に歓迎し、心情的に祝ってくださることに対し、心から感謝申し上げます。とりわけこの日のために、様々な御事情を差し置いて、私の帰国の道を輝かしいものとするために世界各地から来席された、各国の最高指導者の方々、ならびに著名な宗教界、学界、言論界、財界などの指導者の皆様に深い謝意を表します。

理想と愛と幸福の起源は相対のために生きること 昨日の朝に帰国し、慣れ親しんだ故国の山野と空を眺め、また今夜、皆様の前に立つことになった私の心は、いかなる時よりも感慨深いものがあります。皆様が、きょうこのように私を歓迎してくださるのは、レバレンド•ムーン個人に対してではなく、神様のみ旨と公義のために徹して生きてきたレバレンド•ムーンを歓迎しておられるのだと思います。思えば、きょうこの集まりは重大な歴史的事件です。私一人の進退に世界の関心が注がれており、世界の最高指導者たちが遠路はるばる韓国に駆けつけて、私の帰国を祝うというこの事実が、どうして簡単なことでしょうか。神様のみ旨を中心に、一生涯をために生きてきた私の理想と実践を見守り、感化、感動されたからではないかと思います。

宇宙の存在秩序は、ために生きることを根本としています。真の理想、真の愛、真の平和世界は、神様の創造理想であると同時に人間の希望です。ですから、理想と幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。宇宙を見れば、いかなる存在物も自分だけのために存在するものは一つもありません。動物界は植物界のために、鉱物界と植物界は動物界のために、またこれらすべてを合わせた万物は人間のために存在しています。それでは、人間は誰のために存在するのでしょうか。人間は神様のために存在するのです。その神様はまた万物のために、万物を存在たらしめ、成長、発展するようにされるのです。

このように、ために生きることは存在世界の基本秩序なので、いかなるものも、ために生きる存在として生まれたのであって、自分だけのために生まれたのではありません。男性が生まれたのは男性のためではなく、女性のために生まれたのです。女性の場合も同様です。いくら美しい女性でも、女性が生まれた本来の意味は、女性のためではなく、男性のためなのです。男性と女性がもつ素性と感情もすべて相対のためのものであって、自分のためのものではありません。夫婦の場合も、結婚して「ああ!私が生まれたのはあなたのため、生きるのもあなたのため、死ぬのもあなたのため」と言うようになれば、これを理想的な夫婦、幸福な夫婦というのですが、存在世界の基本秩序から見て、これは極めて当然のことだと言えるでしょう。

そこから真の愛は始まるのです。このように、真のものは、ために生きるところから起源を求めなければなりません。真の父母の愛も、真の子女の孝の道も、真の夫婦の愛も、相対のために生きるところから起源を見つけるのです。この公式を適用すれば、真の父母は子女のために存在するのであり、真の孝子は父母のために、真の国民は国のために、真の主権者は国民のために存在するのです。このすべてに真があり、幸福があります。宇宙の存在秩序がこのようになっているように、神様のいらっしゃる本然の世界、すなわち天国や楽園もために生き、ために死んでいった真の人々が入っていく所です。すべての宗教が犠牲や奉仕を教え、ために生きる愛の実践を強調する理由はここにあります。ために生きる所は自然に中心となり、尊敬される場になるのです。例えば、兄弟の中で、幼い弟がために生きる愛をもてば、家族の慈しみと羨望を独り占めにするようになるのです。

ために生きる生活は、個人的な基準の秩序で終わるのではありません。家庭的な基準において、その構成員がために生きるとき、初めて家族の真の和合と幸福の理想が実現する家庭天国が築かれるのです。さらに国家的基準で、全国民がために生きるところに国家天国が築かれ、世界的な基準で全人類がために生きるときに、全人類の真の和合と幸福の理想が実現し、世界天国が築かれるのです。

神様のみ旨に背いたアメリカ 理想世界とは、永遠、不変、絶対的な神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹としてために生きながら仲むつまじく暮らす大家族の世界です。このような世界を築くために、神様の摂理を全体的に指導する方を救世主、あるいはメシヤと呼びます。真の愛の回路が塞がった世界で、ために生きる生活によって手本を示してくださるこの方は、人類の理想の動機であり、目標です。

メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤に世界を救援するために、彼らが世界のために生きるように目覚めさせようとしましたが、その過程において、不信され、十字架にかけられるようになりました。イエス様のみ旨は「世界のためのユダヤ教とイスラエル」になることを願ったのですが、彼らは、自分たちだけのための神様や救世主であることを求めたからです。そうして復活されたイエス様は、世界のキリスト教圏を霊的に導いてこられました。

アメリカは、神様のみ旨を中心に世界救援の旗手にならなければならない、世界キリスト教の代表として選ばれた国です。アメリカは、キリスト教精神を通じて、神様のみ旨を世界的に結集させなければならない重大な使命をもつようになったのです。アメリカに下さった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、世界のための祝福であり、またアメリカだけのためのアメリカではなく、世界人類のためのアメリカでなければなりません。このような神様の心情と摂理を知った私は、アメリカに行かざるを得ませんでした。そして過去十三年間、アメリカを目覚めさせるために気も狂わんばかりに働いてきたのです。

アメリカは第二次世界大戦以後、その戦後問題の処理過程において、世界のために生きる使命を忘れたことがたくさんありました。世界を優先的に心配しなければならない神様の期待に背き、アメリカだけのことを心配したので、アメリカは自由世界の多くの国家を失ってしまいました。アメリカがキリスト教精神に徹することができなかったとき、国内に多くの諸問題が生じたのです。人種問題、麻薬問題、青少年の淪落と家庭の破綻、暴力と犯罪、共産主義の浸透などがそれです。様々な原因が考えられますが、これらのすべてはアメリカの精神的な枯渇によってもたらされたものです。神様はアメリカから、世界のために生きる代表的な個人が現れることを期待され、また、世界のために生きる代表的家庭が現れることを期待され、また、アメリカが世界のために生きる代表的な国家となることを期待されたのです。ところが、アメリカの現実からは、神様の願われる個人や家庭は探し出すことができず、アメリカという国も、信仰の基盤がことごとく揺れています。ですから、神様は私に、その使命を全うするように激励されたのです。

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私たちの「南北統一運動国民連合」は、この時点において何をするべきでしょうか。まず初めに、私たちは民族の和解と一致に向かう真の価値観を確立し、その価値観を中心として思想武装をしなければなりません。アメリカをはじめとした自由世界の弱点は、思想の空白が存在するという点です。物質の豊饒(ほうじょう)と自由の澎湃(ほうはい)(物事が盛んな勢いでわき起こるさま)が、価値観の混沌と世俗的な人本主義の台頭をもたらしたという事実です。自由世界は、思想的な面において繰り返し後退してきました。これは滅びゆく共産世界が、最後まで世界赤化の野望を放棄しない理由なのです。

第三次世界大戦は思想戦です。共産主義を軍事的にのみ敗北させることはできません。共産主義思想を凌駕する、より優れた思想でなければ、共産主義を敗北させることはできないのです。その思想というのは、正に真理に立脚した思想をいうのです。偽りは真によってのみ征服できるのです。その思想がほかならぬ「神主義」です。今後、自由世界は、「神主義」、すなわち「統一思想」で武装して理念的攻勢に転換しない限り、共産主義に打ち勝つことはできません。

「南北統一運動国民連合」は、汎国民的思想武装運動において先鋒に立たなければなりません。「神主義」は北朝鮮の同胞を解放するばかりでなく、全世界の共産主義を解放して余りあるものです。またこの理念は、放縦と不道徳によって腐敗していく西欧世界において、精神大覚醒運動を起こしています。

それで私は、一九七六年にアメリカの首都ワシントンDCで歴史的な「神主義」を宣布する大会を行ったのち、「次の大会はモスクワで開く」ことを宣布したのです。「神主義」は共産主義の世界を解放できるという信念があったからです。共産主義が速やかに衰退しない原因は、私たちにはっきりとした代案がなかったからです。また、より優れた思想によって武装されていなかったからです。これからは大韓民国から思想運動を起こし、共産主義克服のための汎世界的な運動を展開しましょう。私たちが思想的攻勢を取って、虚偽と欺瞞で飾られた金日成唯一主体思想を圧倒できずして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。

また、私たちの「統一思想」、「神主義」は「頭翼思想」であることを明らかにしたいと思います。右翼でもなく左翼でもない「頭翼」です。人類の真の平和は、右翼によっても、左翼によっても成し遂げられません。その理由は、右翼も左翼も、その根本的な動機が利己主義を脱することができないからです。己を中心とし、自国の利益を中心とするとき、そこには永遠になくなることのない利害の衝突があり、そこには統一もあり得ず、平和もあり得ません。

利己主義を打破する新しい世界観が現れなければなりません。自分よりも他のために生きるという利他主義は、ただ神様の理想からしか生まれてきません。それは神様が愛の本体であられ、愛の本質は、自己を犠牲にして他を生かす利他主義だからです。したがって、「神主義」の本質は愛であり、その思想は、人の四肢五体を動かす頭に相当する中心思想です。それで「頭翼思想」というのです。

右手も左手も実は同じ体についているものです。頭がなければ、それらは互いに他人同士のように闘いますが、頭が中心に定着して入れば、右手も左手も共に頭の命令に従って、体全体のために働く一つの共同体になるのです。

ですから、南北統一も「頭翼思想」によって成し遂げなければなりません。それは北朝鮮が韓国を赤化することでもなく、韓国が北朝鮮を侵略することでもありません。共生、共栄、共義の「頭翼思想」で南と北の価値観を統一することによって、南北統一を成就するのです。

第二に、私たちは、統一を熱望する心をもたなければなりません。熱望のないところに実践は伴いません。私たち国民連合は今後、南北統一を信仰化する運動を繰り広げていかなければなりません。統一は我が民族の宿願であるのみならず、必然であり信仰です。統一を目指す私たちの湧き上がる真心があるとき、神様はこれを成し遂げてくださるでしょう。この点において、私たちは北朝鮮に負けていると言っても過言ではありません。彼らは、強制によるよらないはともかくとして、韓国の解放を熱望する心をもっています。そして、これを成し遂げるためにすべてを投入し、犠牲になろうとする姿勢をもっています。

今や、私たちの統一への熱望、自分が犠牲になってでも必ず哀れな北朝鮮の同胞たちを解放してみせるという熱望なくしては、南北統一は幻にすぎないのです。そこで私は、この国民連合の宿願事業として、休戦ラインの近くに「統一祈願殿」と「統一訓練院」を建て、私たち四千万の熱い統一への熱気を北に送る事業を計画しています。

第三に、私たちは実力を養わなければなりません。私たちの統一の方案は、平和的な統一方案であり、そのためには各方面で実力を育成しなければなりません。私たちは、金日成主席の赤化野望を放棄させ、その閉鎖された社会を開放し、究極的には彼の南侵の意図を放棄させなければなりません。金日成主席の主体思想を放棄させるためには、彼をあらゆる面において凌駕する実力がなければならず、その実力で溶かすことができなければなりません。その実力で、彼がやむなく承服し、おとなしく従うように導かなければなりません。

ここで、第一に重要な実力は価値観の確立であり、思想武装であることは既にお話しいたしました。次には我が国の国力伸張であり、国際的な地位の向上です。さらにこの実力の中で重要なものの一つは、我が祖国の先進的民主社会の建設です。真の民主主義のみが独裁に打ち勝つことができる要素なのです。個人崇拝の独裁集団に対しては、健全な民主政治の発展によって、それを無力化させることができます。「人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から消え去ることのないようにしなければならない」と宣言したエィブラハム•リンカーンの言葉は真理です。ですから、我が祖国の民主化は、歴史の命題であり、国民良心の至上命令なのです。

最後に、私たちの南北統一のために養うべき実力の中で最も重要なものは、国際的に我が祖国統一の機運を醸成することです。言い換えると、世界的に思想武装を急がなければならず、アメリカを中心とした世界情勢、日本と中国を中心とした韓半島周辺の情勢を通して、統一の機運を盛り上げる積極的な方向に導いていかなければなりません。ソ連までも動員して、閉鎖された北朝鮮を開放させ、究極においては北朝鮮が閉鎖された現体制では存立できないことを自覚させなければなりません。

彼らをして、国際的な圧力と運勢に耐えられずに脱共産主義を宣言させ、民族大同団結の次元から考えざるを得ないという運勢を集めてこなければならないのです。虚構の基盤の上に立つ金日成体制は、一面、非常に強いもののようでありながらも、一旦崩壊し始めれば、絶壁を転がり落ちる物体のようなものです。

早くから私がアメリカに世界宣教本部を設け、自由世界の思想教育に努力してきたことは、皆様も御存じのとおりです。「ワシントン•タイムズ」をはじめ、各種の言論機関を世界の各所に設け、世界の言論人を教育し、世界の各大学の教授に方向性を提示し、世界各国の学生運動を主導し、退役将校をはじめとした在郷軍人を糾合し、南米諸国を統合する運動を起こし、世界宗教一致運動を以前から直接遂行してきました。

このように、私はこれまであらゆる力を尽くして、アメリカと日本に影響を及ぼし、ヨーロッパと南米の各国にも基盤を築き、ついには中国にまで影響を及ぼして、北朝鮮解放の国際的条件の造成に全力投球してきました。

韓国は、地政学的に極めて微妙な位置にあります。韓国を巡る四大強国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島においてそれぞれ重要な関心と利害関係をもっています。私たちはこの四大強国に影響を及ぼして、私たちの統一の課業に有利な方向に導いていかなければなりません。そのようにしなければ、私たちの祖国統一は到来しません。そのような影響力と実力を、私は国際舞台における思想教育運動を通して、そしてその他様々な分野での成功を通して成し遂げてきたのです。

このような基台の上で出帆する「南北統一運動国民連合」は、韓国だけの単独的な団体であってはならず、アジア各国、ひいては世界各国との紐帯をもつ国際連合運動にならなければなりません。ですから、私たち国民連合は、今後「アジア国民連合」へと発展し、さらにまた「世界国民連合」へと発展していくでしょう。これが全世界人類の念願であり、また神様の念願でもあります。

皆様。私たちは今、ここで民族的であり、世界的なこの課業を受け入れなければなりません。歴史的な統一の課業は、皆様のような義人の支援を待っています。皆様は、このような歴史の召命を受けて、「南北統一運動国民連合」を結成するこの場に集まったのです。

檀君国祖の開国精神は、「敬天愛人」の思想です。今日、私たちのその崇高な開国思想が昇華されて、世界を価値観の混沌から救援する万民救世の思想、すなわち「神主義」として、この地に発祥したのです。

私は先ほど、韓国の問題は世界の問題の縮小体であり、世界の問題の解決は韓国の問題の解決と不可分の関係であると説明しました。このことは言い換えると、私たちの韓国から、世界の問題を解決する処方が生まれるという意味にもなるのです。私たちが南北統一の処方として使える「神主義」は、世界を共産主義から、さらには世俗的な人本主義から解放する処方ともなるのです。

愛国同胞の皆様。私たちは共に私たちの価値観を確立し、国民の思想武装に総決起しましょう。私たちは共に南北統一を熱望する心をもち、これを信仰化して、鉄壁も貫いていく情熱を燃やしましょう。私たちは大役事の行進の最前列に立っているのであり、「永遠の民族史の中で最も雄壮な南北統一の場を、神意によって私たちの手で成し遂げる」という自負と決意をもって、この国民連合を通じて、世界的な実践の基盤をつくりましょう。

皆様。きょうこの場所は、皆様が共に統一の働き手として召命され、任命状を受ける神聖な場所であることを心に刻み、両手のこぶしを固く握り締めて統一の誓いを立てましょう。私たちの願いである南北統一が成し遂げられる時まで、一つとなって総進軍しましょう。皆様個人と皆様の御家庭の上に、神様の祝福が共にあることを祈りながら、「南北統一運動国民連合」創設のメッセージといたします。

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6.「南北統一運動国民連合」創設のメッセージ 日付:一九八七年五月十五日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「南北統一運動国民連合」創設大会

統一を熱望する愛国同胞の皆様。きょう、私たちは「南北統一運動国民連合」の結成のために、この場に集まりました。

南北統一は我が韓民族の念願であり、宿願です。私たちは倍達の同胞であり、五千年の悠久なる歴史において、燦爛(さんらん)たる文化と美しい風俗、優れた言語を駆使する平和愛好の単一民族です。このような一つの血統を引き継いだ倍達民族であり、一幅の絵のごとき三千里錦繍(クムス)江山(カンサン)!私たちは、宿命的に断ち切ろうにも断ち切ることのできない同一運命体だったのです。

しかし、人も山河も願わなかった南北分断の歴史が、既に四十二年目を迎えました。愛国の独立志士たちの血と精誠によって勝ち取られた独立の喜びも一瞬にして消え失せ、民族が南北に分断されて嗚咽して以来、四十年余りが過ぎました。この民族の悲劇はいつまで続くのでしょうか。いくら見回しても、南北統一の明るい兆しがないからといって、民族の出会いと祖国統一の希望を全く放棄すべきなのでしょうか。

皆様。私はきょうこの席で、私たちの祖国の南北統一は、必ず成就されることを宣言する次第です。また、その時が近づいています。私たちはきょう、その南北統一の機運醸成のために、ここに「南北統一運動国民連合」を創設するのです。

一九四五年の私たちの祖国光復は、いかにして成し遂げられたのでしょうか。祖国光復と私たちの独立は、二つの要因によって成就されたのです。その第一の要因として、三十六年間の日本帝国主義の弾圧にも屈しない自主精神をもって、多くの憂国の志士たちが国内外で血を流しつつ戦った独立運動の成果でした。第二の要因は、第二次世界大戦の終結と日本帝国主義の敗北という世界的運勢がもたらした結果です。正にこの二つの要因によって、私たちの祖国に解放がもたらされたのです。南北統一もまた、同じ原理によって訪れるのです。

七十年の歴史をもつ国際共産主義は、実質的にその終末期に処しており、ソ連を中心とした全共産世界の崩壊が目前に迫っています。彼らは今や、七十年間の虚構と欺瞞と失敗の歴史を、もうこれ以上隠蔽しようにもできない状況に至りました。共産主義理念の衰退は、すなわち北朝鮮の金日成主席の運命とも直結しており、これはまた、世界的に南北統一の機運を醸成する要因なのです。

このような国際情勢の推移によって、今後の私たちに必要なことは、国内外で国民の皆様が互いに力を合わせて南北統一を信仰化する運動なのです。統一を熱望する心に火をつけなければなりません。「意のある所に道あり」という言葉があります。また「誠を尽くせば天も感動する」という言葉もあります。北朝鮮の天と地が感動するほどの私たちの熱い統一への意志と情熱なくして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。これが正に、私たちがきょう「南北統一運動国民連合」を結成する理由なのです。

今日、韓国と北朝鮮を断ち切っている怨恨の三十八度線は、ただ地理的な三十八度線でもなく、血縁的な三十八度線でもありません。相反する思想の三十八度線であり、価値観の三十八度線であることを、まず私たちは知らなければなりません。六・二五動乱のとき、私たちが互いに命を奪い合う同族の争いの原因は、血統が違うからでもなく、互いが同じ民族であることを知らなかったわけでもありません。それは譲歩できない価値観の違いから起こった戦いであり、その価値観の違いが民族を断ち切り、血縁を断ち切り、さらには父子の縁までも断ち切る恐るべき壁になってしまったのです。

それでは、その相反する価値観の基本的な違いとは何でしょうか。三十八度線でぶつかり合う最も基本的な価値観の対決とは、有神論と無神論の対決です。共産主義の思想は徹頭徹尾、神様を否認するところから出発しています。神様は存在しないと主張するので、絶対価値はあり得ず、絶対価値がないので、善悪の基準もありません。そこから「目的が手段を正当化する」という、共産革命の原理が出てくるのです。

共産主義は、科学を標榜しながら神様を否定しました。共産主義のみが科学的であるとし、科学の発達は、神様と宗教とあらゆる神話を、迷信にすぎないとして失墜させるものと信じました。そして、宗教は民衆のアヘンであると宣言したのです。

それでは、二十世紀の科学は、果たして共産主義が予言したとおりに、神様と宗教と神話をこの地球上から追い出すことができたでしょうか。できませんでした。二十世紀の科学は、それとは正反対に、科学的であることを誇っていた共産主義を十九世紀の迷信として墜落させ、かえって神様を証すものとなっていきつつあります。その一つの例を挙げてみましょう。十九世紀までの宇宙観は、「この宇宙は分けようにも分けることのできない絶対個体(究極粒子)でできている」というものでした。このような十九世紀の科学に基づいて、共産主義はその基本哲学として「宇宙の根本は物質である」という唯物論を主張したのです。

ところが、二十世紀の原子物理学は、この十九世紀の宇宙観を完全に覆すものでした。なぜならば、物質はほかならぬ無形のエネルギーからできていることが証明され、エネルギーと物質は相互変形的であり、相互交流的なものであることが、否認できない真理として明らかになったからです。さらに、二十世紀の先端を行く原子物理学においては、宇宙の形成は宇宙の中に何らかの意志がなければ成立しないことに意見が一致しつつあります。科学の因果関係の法則によって、宇宙の森羅万象が偶然の所産であるはずはなく、宇宙の中に太初から存在する第一原因の実在が次第に明白になりつつあります。

科学が究明していくところの、宇宙と人間を存在せしめる第一原因を、宗教においては「神様」と言います。その神様は、知情意を備えもつ人格的神であり、人間の創造は神様の自己表現だったのです。神様は御自分に似せて造った人間を通して、愛を与えたり受けたりしながら喜びを享受しようとしたのです。それが創造の目的です。

ですから、今日私たちが「神はいない」と言えば、まるで子女が「親はいない」と言うのと同じことです。あらゆる人間社会の価値観は、正にこの創造主を認め、その創造主との関係を正常化するところから出発するのです。その神様を地球上から抹殺しようとした共産主義は、彼らが固く信じた二十世紀の科学によって虚偽であることが明らかにされてしまい、「共産主義こそ、この地球上から消滅すべき間違った価値観である」ということが、はっきりと暴かれてしまったのです。

共産主義は、人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械のように扱います。神様を否認する共産主義としては、あまりにも当然の結論です。共産主義は、人間の起源を猿が進化したものとみなしており、猿は労働を通して道具を使用することによって言語を使い始め、言語から理性が発達して人間になったと定義しています。ですから労働は神であり、人間は高等動物であると主張しているのです。

共産主義の人間観には、根本的に問題があり、このような間違った人間観から人類に対する恐るべき犯罪が引き起こされるのです。人間が単なる高等動物であるとすれば、人間が人権を主張する何の理由もなくなるのであり、人間が単なる機械であるとすれば、その人間には、自由や愛や創造力をもち得る何の土台もなくなります。

共産主義の人間観は、ただ暴力革命の一手段にすぎないのです。彼らの主張によると人間が共産主義の目的に一致する時にだけ、人間として扱われるのであり、それ以外の人間は無価値的な存在であるとされるのは、あまりにも当然のことなのです。共産世界で人間がはえの命のように軽視される理由はここにあります。ソ連共産革命以後六十年の間に、一億五千万人の罪なき人命が、共産主義という美名のもとに虐殺されたという事実は、共産主義の人間観を知るならば、あまりにも自明な結果です。

人間の尊厳性は、人間が創造主神様の子女だというところに起因するものです。人間が神様と同じように神性をもっているという点から、人間の高貴な価値が生まれるのです。人間を害することは神様を害することであり、人間を愛することはすなわち神様を愛することになるのです。人間一人一人は神様がお造りになった個性真理体であり、人間一人一人は神様御自身を現す実体であり、人間は、神様が永遠であられるのと同じように永生するのです。

共産主義が人類に対して犯した最大の罪悪は、その思想が神様を否定するだけでなく、人間を動物視するところからくるものです。共産主義は人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械とみなします。ですから、共産主義を信奉する国々では、人権の尊厳性は、驚くべきことに体制自体によって根源的に否定されているのです。

この相反する二つの価値観の対決は、韓半島のみならず、今や世界の至る所で起こっています。今は、世界的な価値観の南北戦争の時代なのです。この価値観の対決を世界的な次元において解決しなければ、共産主義の問題は解決できず、私たちの南北統一も妄想にすぎません。ですから、世界の問題の解決なしに南北統一はあり得ず、韓国の問題の解決なしに世界の問題の解決はあり得ません。同じ方法で、世界の問題も韓国の問題も解決されるからです。

皆様。私がこの世界的な価値観の混沌を解決する鍵として提唱してきた思想が、「神主義」であり、「統一思想」です。「神主義」とは、神様の実在を明白にして、その神様から賦与される神聖不可侵の人権を明らかにして、共産世界を思想的に解放し、もう一方では、今日没落していく西欧文明を、世俗的な人本主義と退廃的な物質万能主義から解放しようとするものです。この思想をもって、私たちは北朝鮮を解放し救出できるのです。ですから、南北統一運動は、まず価値観の確立と提示から出発するという理由がここにあります。

このように、相反する価値観の対決を考える時に、私たちがまず肝に銘じるべきことは、自由統一のみが私たちの願う真の統一だということです。私たちの統一は、神様と自由と民主主義を基礎とする統一でなければなりません。その他のいかなる形態の統一であっても、それは真の統一ではありません。

自由とは、神様がすべての人間に賦与した神聖不可侵の権利です。これは私の権利であり、皆様の権利であり、北朝鮮の同胞たちの権利です。北朝鮮の同胞たちは、その権利を四十二年の間、剥奪されてきました。彼らも、私たちと同じように自由を享有できるそのような統一になってこそ、真の統一なのです。

私たちは、あのベトナムの例から大切なことを学ばなければなりません。ベトナムは統一されたのではなく、ソ連の奴隷になったのです。それは真の統一ではありません。ベトナムの赤化十二年の間に、自由を求めて脱出した数十万の人々がボート•ピーブルとなって海上で息絶え、数百万の人々が粛清されました。いわゆる統一されたという共産国ベトナムは、国民所得が百ドルにも満たない世界最悪の貧困国に転落してしまいました。誰もこれを「統一」と呼ぶ人はいないでしょう。北朝鮮の同胞に必要なのは解放です。彼らが待ち望む解放は、私たちが先頭に立って、世界の運勢を集めてくる時にのみ可能になるのです。これは、過去四十年間以上、より自由で幸福な生活を享受してきた私たちの、北朝鮮同胞に対する神聖な義務なのです。

北朝鮮の共産党は、過去四十年間、赤化統一政策を堅持し、その機会を虎視耽々と狙い続けてきました。彼らの南朝鮮解放の究極の目標とは、「韓国をアメリカ帝国主義の支配から解放することにより、祖国を統一し、韓国国民を北朝鮮人民と同じように主体思想化させること」と規定しています。韓国国民を主体思想化するということは、いわゆる「金日成唯一思想」によって武装させるということであり、それは正に金日成親子の絶対的な支配に屈するということなのです。すなわち、金日成主席のもとで奴隷化されることを意味します。

このような狂信の中で、一日も休むことなく南侵を準備し続けて四十年余り。彼らが六•二五動乱の時に失敗した苦い経験を生かして、三十年以上さらに準備してきたのですから、今や、いわゆる「呻吟する韓国人民を解放するための革命的南侵の機運」は、その絶頂に達しているのです。このような南北対峙の緊張が高まっている状態の中でも、大韓民国はこれまで経済成長と国際的地位の向上において、目覚しい発展を成し遂げてきました。

韓国と北朝鮮の国民総生産(GNP)の対照は、一九八五年末に五•五対一という格差を示しています。韓国はGNPにおいて世界の中で二十位を記録するようになり、世界で十二番目の通商国にまで発展しました。したがって、一九八八年のソウル•オリンピック以後、韓国は経済的にも軍事的にも、絶対的有利な立場に置かれることは火を見るよりも明らかな事実です。そのようになれば、北朝鮮が信仰的に信奉してきた武力赤化統一の機会が永遠に消え去ってしまうことを見通した北朝鮮は、手遅れになる前にこれを阻止する目的で、あらゆる策略をしかけてくるに違いありません。

韓国を混乱に陥れるためのありとあらゆる宣伝と策略! 韓国の政治的混乱を契機に、ソウル•オリンピックの開催を阻止するために、韓半島の不安と緊張を高めると同時に、最後の渾身の死力を尽くして軍事的冒険を選択する可能性も少なくないため、今後の十二年が決定的な時期であることを断言します。このような重大な時点に、私たちが「南北統一運動国民連合」を結成するようになったということは、実に歴史的なことなのです。

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勝共国民運動基盤の造成が急務 ここにおいて留意しなければならないことは、北朝鮮は全共産世界を代表しているので、北朝鮮の背後にはソ連をはじめとする多くの共産国家がつながっているという事実です。北朝鮮とつながったこれらの国家は、世界制覇という思想的な連帯関係をもっているために、有事の際、北朝鮮は、これらの国家、特にソ連と中国から軍事的、経済的な支援を受けることができますが、大韓民国はそうではありません。

今後、有事の際、六・二五動乱のように自由の友邦が私たちを助けてくれると期待してはいけません。なぜならば、民主世界には世界統一という思想的な内容がないからです。六•二五動乱の時とは事情が全く異なってしまいました。これは、自由の友邦が世界のための思想で一致しているわけではなく、自国の利益を追求するだけではなく、選挙による主権者の変動が可能であり、だんだんと自由化されつつあるからです。

私は、自由陣営のこのような脆弱(ぜいじゃく)点を早くから知っていたので、これまで、日本、アメリカ、ヨーロッパ、中南米などを往来しながら、世界の青年、学者、言論人、政界人などを糾合して、超国家的な「勝共思想」で彼らを覚醒し、彼らの国家に民間的な勝共基盤を造成して、歴史的、摂理的、世界的な全体共産主義との対立地である大韓民国を守護するために全力を傾けたのです。特に、アメリカと中南米には、カウサ(CAUSA:南北米統一連合)運動を通じて「勝共思想」を国民に定着させることに成功し、日本では強力な民間の勝共基盤を構築しました。

アメリカと日本において、この基盤は今後、一層急速に拡大されるでしょう。韓国もこれまで私が勝共連合に指示して、全国の里、統単位の指導者を選定し、全国民的基盤を立てるようにしました。このようにして、少なくとも、韓国と日本とアメリカにおいて、為政者のレベルではなく、民間のレベルで、思想的に強力な連帯関係を形成するようになったのであり、有事の際、迅速に支援を得られる土台がつくられたのです。

これから世界を代表するこの三国の勝共国民会員は、姉妹結縁と相互交流、教育などを通じて、団結をより強くするように指導しようと思います。北朝鮮の直接的な脅威のもとに置かれている韓国には、まだまだ勝共国民要員が大幅に足りません。一つの里、統内に、少なくとも百人以上の勝共国民会員がいなければなりません。そうすれば、約七百万の勝共国民会員となり、勝共の主体国として国際的威信をもつようになるでしょう。

したがって、一つの里、統内で、できる限り父も母も、勝共国民の働き手にならなければならず、兄も弟も姉も妹も、そして夫も妻も勝共国民会員にならなければなりません。そうなるとき、町内会は勝共国民町内会となり、民防衛隊は勝共国民民防衛隊となり、セマウル運動は、勝共国民セマウル運動となるのです。そうして初めてこの国に強力な勝共国民基盤が造成されるようになり、確固たる安保国民基盤が構築されるようになります。国の為政者がたとえ代わったとしても、この国民基盤造成は決して中断されてはいけません。

しかし、これで満足してはいけません。この国民基盤を、再び外国の勝共国民基盤と連結しなければなりません。そうして強力な国際的勝共国民連合戦線を形成しなければならないのです。国際的な勝共国民連合戦線によって、北朝鮮を含む全世界の共産主義と闘って勝利するとき、初めて北朝鮮を打倒し、北朝鮮の地を解放するのです。

国際的な勝共国民戦線の結成 私が今回、韓国に帰ってきたのは、正にこのような仕事をするためです。各国の勝共国民基盤を韓国と連結させ、強力な国際的な国民連合戦線を形成するために帰ってきたのです。

今日、ここで勝共大会を開くのも、国民の皆様に国を生かすために、早く「勝共思想」で武装してくれることを訴え、併せて国際的な勝共国民戦線を形成するためです。

私がここまで来るのに、多くの迫害を受けてきました。国家を越えて世界的に迫害を受けてきたのです。今や、国民の皆様がこれまで積み上げた実績を通じて悟る時になりました。韓国が生んだ偉大な神様の思想を受け入れなければなりません。この思想は私の思想ではなく、神様の思想であると同時に、皆様と人類の思想です。

この場には七十ヵ国の「世界平和教授アカデミー」の議長団七十人の方々も来られています。この方たちは、著名な世界的碩学者で、私の統一運動と勝共運動に賛同した方々であり、本大会を支援し、韓国と各国の勝共国民の紐帯強化を図るため、今回訪韓したのです。

こうして、この地球上から共産主義を完全に一掃するとき、初めてこの地上に、長い間、神様の希望であり、人類の夢だったユートピアの世界が建てられるようになり、我が民族の念願である祖国統一が達成されるのです。

その日のために、私たち全国民は、一致団結して共産主義と闘うことを固く決意し、全世界の国民と心を合わせて一体となり、共産主義の打倒のために総決起し、総進軍しましょう!

大韓民国と皆様の御家庭に神様の加護と祝福があることを願ってやみません。ありがとうございました。

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共産主義の党派性 統一運動が世界的に拡散していくのに、最も障害となるのが共産主義です。共産主義は弁証法的唯物論、唯物史観などの独特な哲学をもっていますが、民主主義はそれに対応する哲学をもっていません。その代わり、民主主義は「統一思想」を受け入れることができます。しかし、共産主義は、その党派性と階級性ゆえに、これを全く拒否しています。

こうして共産主義は、私の統一運動に対して、様々な手段を用いて妨害し、迫害したのです。虚偽宣伝と悪辣な謀略、各種の印刷物と集会を通じて、共産主義は、私と私のグループに対して中傷と迫害を加えてきたのです。政治家、言論人、学生、宗教人、文化芸術人、ひいては婦人たちまでも動員して統一運動を悪宣伝しました。統一運動に対する日本共産党の中傷と迫害に関する詳細な調査資料は、間もなく本として出版される予定です。

そして、彼らの迫害の方法も多様であり、襲撃、誘拐、拉致、不法監禁、暴力行為、強制的改宗の企て、洗脳、強迫、精神病院への強制収容と外部との完全な遮断、睡眠薬の投与による精神麻酔などがその例です。こうして今日に至っては、私と統一運動に反対し、迫害するいかなる団体も、いかなる個人も、その背後には必ず共産党があって、これらを直接•間接的に操っていることが綿密な調査によって明らかにされたのです。それでは、共産主義は、何の理由で私の統一運動をそれほどまでにしつこく反対するのでしょうか。それは「統一思想」が、神様を彼らにはっきりと知らせるのみならず、体恤させることによって、無神論的共産主義の虚構性が白日のもとに暴露されるからです。

悪魔が太陽の光を避けて夜にだけ暴れるように、共産主義は神様を避けて、今日まで闇の世界でのみ権勢を振るってきました。「統一思想」によって、神様の真理の光を照らすとき、悪魔の正体が暴露されるので、彼らは必死で統一運動に反対しているのです。実際に共産主義者のうちには、「統一思想」に接して共産主義が虚偽であることを悟り、転向して統一運動に加担した例が少なくありません。

しかし、共産主義の反対と迫害にもかかわらず、統一運動は弱化するどころか、かえって驚異的な速度で成長し、全世界的に拡大されてきました。なぜでしょうか。それは神様が保護してくださり、助けてくださったからです。「統一思想」は正に神様の愛であり、統一運動は正に神様の願われた運動だからです。神様はこの運動を通じてすべての矛盾と社会悪を除去し、統一された一つの真のユートピアを実現しようとしておられます。ユートピアとは、宗教的用語では地上天国のことをいうのです。

統一運動の最終目標 それでは次に、私が展開している統一運動の最終目的を具体的に明らかにしようと思います。既にお話ししたとおり、神様の真理と愛の理念である「統一思想」によって、第一に社会的、世界的なすべての問題を解決し、共産主義をこの地球上から完全に一掃し、真の自由と平和と繁栄の世界を実現することであり、第二に、新しい価値観と新しい倫理、道徳による大家族主義の世界を実現することであり、第三に、すべての抑圧と搾取と差別と社会悪が消え去った、共生共栄共義主義の大統一世界を実現することが、最終目標なのです。

一言で言えば、真のユートピアを実現することです。そして、このような社会を実現する方法も、共産主義式の暴力や闘争の方法ではなく、真理と愛による平和的、理想的精神運動によるのです。このすべては神様のみ旨であり、神様が成就しようとされる最終目的となるのです。

韓半島における善悪の対立 韓半島において、大韓民国は共産主義と闘って勝たなければならない宿命的な立場に置かれています。大韓民国は、共産主義と闘って勝利すれば、世界に雄飛するのですが、共産主義に負けるときには、跡形もなく消えてしまうのです。敗北の悲惨な運命は、ベトナムの例がよく示しています。

大韓民国は北朝鮮だけに勝つのではなく、全世界の共産主義に勝たなければなりません。北朝鮮は悪の側で、世界共産主義を代表して北の地を占有しており、大韓民国は善の側で、世界民主主義を代表した立場で北朝鮮と対峙しています。こうして休戦ラインを間において、北朝鮮と大韓民国は各々共産世界と民主世界の先端に立ち、両世界を代表して生死を懸けた運命的な歴史的対決をしているのです。

北朝鮮は悪側を代表し、大韓民国は善側を代表しています。北朝鮮はサタンが背後にあり、大韓民国は神様が共にいてくださるのです。こうして韓半島は、世界において善と悪が最も鋭く向かい合っている、世界史的な地域となっており、この地域で善が悪を打ち破って勝利したとき、世界のすべての悪は滅びるようになるのです。神様は全摂理史をかけて、このような韓国国民と全世界の自由人が一つとなって、全体的な勝利を収めることを、待ち望んでおられるのです。

最後に韓民族の決意についてお話ししようと思います。休戦ラインを中心とする南北の対決は、総力体制の対決なので、国力において大韓民国が北朝鮮を凌駕しなければならないことはもちろん、思想的な面においても北朝鮮を凌駕しなければなりません。総力戦において、最後の勝敗は思想戦にかかっています。ベトナム戦争がこれをよく示してくれています。アメリカは最強の軍事力をもってしても、思想戦に敗れたために、結局ベトナム戦争で敗退してしまったのです。

思想戦という点から見ると、大韓民国は現在、非常に不利な立場にあります。共産主義が巧妙な偽装戦術によって、宗教界と大学街に浸透しており、農村と都市には共産スパイの地下組織が根を下ろしつつあります。全国民は団結しなければなりません。教授たちは大学街を、宗教人たちは宗教界を、官僚たちは国民を、責任をもって思想教育を急がなければなりません。そして、共産主義の理論を論破する「勝共理論」によって早く武装し、共産主義の偽装浸透とスパイの地下組織網を摘発、粉砕したとき、初めて思想戦に勝利できるのです。このときになって、初めて北朝鮮の南侵を実質的に阻止できるのです。

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3.世界と韓国の決意 日付:一九八三年十二月十四日

場所:韓国、慶尚南道、馬山室内体育館

行事:全国八大都市勝共決起大会

万場の愛国市民の皆様、勝共会員、そして内外の貴賓の皆様。久し振りに、再び皆様にお目にかかれて、実にうれしく思います。

去る九月と十月のKAL(大韓航空)機撃墜事件とラングーン暗殺爆破事件のとき、どれほど驚愕と悲痛が大きかったでしょうか。私もその時、外地でその衝撃的な消息を知り、故国の皆様と共に驚きと悲痛を禁じることができず、憤怒もまた大きかったのです。

しかし国民の皆様は、その途方もない衝撃にも挫折することなく、その試練によく耐え抜かれました。その時私は、数多くの国難に不死鳥のごとく耐え抜いてきた伝統的な民族の魂を、故国の皆様に再発見し、心強さを感じたのです。きょう、私がこの場で皆様にお伝えしようとする講演の題目は、「世界と韓民族の決意」です。

危機状況に置かれた今日の世界 まず、今日の危機状況についてお話ししようと思います。今日の世界は一言で表現すれば、大混乱の世界であると言えます。東洋や西洋を問わず、世界の南北を問わず、また先進国と発展途上国との区別なしに、今日の社会はみな病にかかっており、不正、腐敗、殺人、強盗、搾取、抑圧、暴力などが絶える日がありません。そして日増しにより一層増大しています。

また、国際的には国と国との間に、民族と民族との間に、宗教と宗教との間に、紛争、衝突、反乱、戦争などが至る所で起きており、最近ではKAL機事件、ラングーン爆破事件、ベイルート爆破事件などの大量虐殺の蛮行まで続出しています。

一方、先進国の国民が豊かな生活を楽しんでいる反面、アフリカのような発展途上国の多くの国々においては、数多くの人々が飢餓線上で苦しんでおり、飢えで死んでいく群れが増えつつあるのです。このような混乱と惨状の中でも、特に嘆かわしいことは、宗教が本来の役割を果たせず、互いに闘っているという事実です。

北アイルランドにおける新教と旧教との闘い、イスラエルのユダヤ教とアラブのイスラームとの闘い、イラクとイランのイスラーム内の教派相互間の闘い、プロテスタント内部の教派争いなどがそれです。人類の精神を先導して闘いを中止させ、和解させなければならない宗教が、かえって闘いに明け暮れているのです。

こうして世界は今、無法天地と化してしまい、人類は様々な暴力と殺戮、破壊と蛮行の海の中へ落ちていきつつあります。さらに共産主義の野蛮な策動によって、混乱はより一層深化されています。こうして人類文化は今、絶望的な危機状況に置かれてしまいました。

世界の混乱の原因と問題解決の限界性 それでは、このような世界的な大混乱の根本原因は、果たして何でしょうか。それは従来の価値観が総体的に崩壊してしまったからです。どのように生きるのが正しい生き方なのか、その基準を喪失してしまったからです。何が善であり、何が真であり、何が正義であるのか判断が難しくなったからです。

価値の基準が国ごとに違い、団体ごとに違い、甚だしくは個人ごとに違います。さらに、共産主義が現れ、従来のすべての道徳観念を破壊しています。これは何を意味するのでしょうか。これは民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も、今や世界のすべての問題を解決し得なくなったことを意味するのです。

民主主義は、人間の権利の平等と多数決主義によって、すべての難問題を解決することを目標として出現したのですが、今日に至って、民主主義の社会であればあるほど、価値観の崩壊が一層深まりつつあり、これは民主主義が社会や世界の問題解決において、自信を失ってしまったことを意味するのです。

一方、共産主義は、革命によって社会主義社会を実現し、資本主義社会の構造的矛盾を一掃して労働者と農民を解放し、すべての社会悪を除去するという名分をもって出現しました。それにもかかわらず、今日、ソ連をはじめとするすべての共産国家は資本主義よりも、より深い構造的矛盾を露呈しており、より甚だしい社会悪をほしいままに行っています。そして、宗教は宗教なりに、人類の精神指導には全く関心をもたず、争いに明け暮れているのみならず、宗教内部にも不正、腐敗が蔓延しつつあります。また、哲学は哲学で観念化されてしまい、現実から遊離して、現実問題の解決には何ら助けにもなっていないのです。

このように見るとき、民主主義も共産主義も、宗教も哲学も、社会や世界の問題解決において、完全に限界性を露呈してしまったのです。今や人類は、世界の混乱を収拾するに当たり、そのいかなる主義や宗教や哲学にも、期待をかけることができなくなりました。これはこのまま行けば、人類文化が滅亡せざるを得ない状況になることを意味するのです。

神様の実在を前提とした解決方案 それでは、果たしてこの世界的な大混乱を収拾する真の解決方案はないのでしょうか。人類は今やすべてを諦めて、滅亡の日のみをただ待っていなければならないのでしょうか。決してそうではありません。問題の根本的な解決方案はあるのです。その解決方案とは、絶対神(神様)の実在を前提とした解決方案です。それは、絶対神が、この地上に実現しようとした世界が、正に混乱のない平和の世界だったからです。

ですから、神様の実在と神様の創造を認めなければ、今日の世界の問題の解決は不可能なのです。これを言い換えれば、人間が、このような神様の実在と創造目的を知らなかったがゆえに、今日、大混乱の世界をもたらしてしまったのです。

神様が地上に実現しようとした世界は、真のユートピアであり、それは自由と平和と幸福に満ちあふれた世界です。このようなユートピアの理想を胸に抱いて、神様は今日まで切ない心で、地上の人々を訪ねてこられたのであり、人間は人間なりに混乱の中で苦痛を受けながらも、ユートピアを求めてさまよってきたのです。与えようとして切ない心で来られた神様の理想と探し求めてさまよう人間の理想は同じなので、神様と人間が出会いさえすればユートピアは直ちに実現されるようになっているのです。それにもかかわらず、全体的な分野において、その神様と人間の出会いがなかったので、人間は長い間苦痛を受けてきたのです。

「統一思想」と統一運動 私は早くから、悲劇と苦痛の中で呻吟する人類を救出する方案を模索することに、長い間心血を注いできました。それは瞑想と苦悩と探求の道であり、凄絶な精神的闘いの茨の道でした。

千辛万苦の努力の果てに、ついに実在される神様に出会うことができたのです。神様に出会ってみると、神様は栄光の神様ではなく、ユートピアを地上に実現するために、焦り、もどかしく思われる父母としての神様であられ、またその神様は、天道を明らかにして万物を抱く真理と愛の光でした。

神様の限りなき真理と愛に接したときに悟ったのは、神様と人間と宇宙の関係を人間にはっきりと知らせるために、神様が深く抱いてこられた深奥な思想でした。この思想によって世界のすべての問題は完璧に解かれ、ユートピアが実現されることが証明されたのです。この思想が正に「統一思想」であり、私が今、世界的に展開している統一運動の基本的理念になっているのです。

神様と出会って以来、私は今日まで、神様の思想をもって神様と人類の夢であるユートピアの実現のために、生涯にわたって統一運動を展開してきたのであり、その間の経験を通じてこの「統一思想」が問題解決の鍵であり、混乱収拾の鍵であることを、より一層確認することができたのです。人生問題、社会問題、宗教問題、歴史問題など、各種の難問題のために苦悶した末に、疲れ果てた多くの青年男女たちと壮年たちが、この思想に接してからは、あたかも旱魃(かんばつ)で干からびた草木が、甘雨(かんう)によって蘇生するように、彼らは希望と喜びと活気を取り戻して立ち上がったのです。

統一運動は、いまだ既成世代によって故意の迫害を受けているにもかかわらず、彼らは世界問題の根本的な解決の道は、統一運動だけであることを確信して私のあとに従っており、この数は急速に増大しているのです。

最近では、全世界から多くの著名な碩学たちまでが、この運動に参加し始めました。このようにして、民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も解決し得なかった各種の難問題の正しい解決方案は、ただ「統一思想」のみであることが、漸次、一般の人たちにも認識されつつあります。

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韓民族は摂理史的な祭物 神様はなぜこのような摂理をされるのでしょうか。神様がこの民族に十字架を負わせたには、この民族を召命するためです。この民族は長い間、天を敬い、道義精神と平和精神をもって長い試練に打ち勝った受難の民族であり、善の民族であるがゆえに、召命されるに至ったのです。

そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのです。数千年間、苦難の歴史を過ごしてきた韓国は、最後に人類救援の祭物となって、分断という世界史的な十字架を負い、あらゆる試練に打ち勝ちつつあるのです。

祭物として召命された民族であるがゆえに、摂理の焦点が韓国に置かれているのです。これは韓民族として、栄光であると同時に恩賜であり、恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすときは、最も光栄な祝福を受けるのですが、責任分担を果たせないときは、最も過酷な不幸に襲われるからです。二千年前のユダヤ民族は責任分担を果たせず、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを私たちは知っています。

民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践とともに神様の真理を知らなければなりません。イエス様は愛を中心とした実体として、御自身を、道であり真理であり命であるとおっしゃいました。イエス様は愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。

これは、善の側と悪の側を和解させ、怨讐を悔い改めさせるには、愛とともに真理が必要であることを意味しているのです。真理とは、世俗的な真理ではなく、神様の愛に関するみ言をいいます。神様の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として地上に伝達されます。神様の真理は絶対的真理です。絶対的真理は万能の鍵のようなものであって、この真理を適用すれば、いかなる難問題も解けるようになるのです。

神主義と愛の統一 私は、長きにわたる祈りと瞑想の生活の末、ついに実在する神様と出会い、絶対真理を伝授されました。それは、宇宙と人生と歴史の背後に隠されたあらゆる秘密を明らかにする驚くべき内容でした。この内容を社会に適用すれば社会の問題が解決され、世界に適用すれば世界の問題が解決されます。

それだけでなく、宗教の未解決問題や哲学の未解決問題も解決されるのです。特にこれを共産主義理論の批判に適用したとき、共産主義のすべての虚構が白日のもとにさらされると同時に、共産主義に対する代案も立てられるものだったのです。

これは、かつてなかった新しい世界観であり、新しい宇宙観であり、新しい人生観であり、新しい摂理観であり、新しい歴史観です。また、あらゆる宗教の教理や哲学の特性を生かしながら、全体を一つに包容できる統合の原理でもあるのです。私はこれを「統一原理」または「神主義」と名づけ、世界的に統一運動と勝共運動を展開しています。この運動は現在、燎原の火のごとく広がっています。すべての対決の和解と統一のためには、神様の愛の実践と真理が必要だということを明らかにしました。

休戦ラインを境にして善の側と悪の側に分かれた韓民族は、善の側の真理をもって悪の側の思想の過ちを論しながら、愛で抱いていくならば、統一は必ず成し遂げられるでしょう。

ために生きる愛の道理は天道 ここで私は、愛についてもう少し具体的にお話をしたいと思います。愛とは相対があるところに成立します。愛は相対から来るのであり、ために生きるところに真の愛が成立します。相対がなければ愛は存在できません。自己のために生きるのではなく、先に相対のために生きるのが愛です。すべての被造物はために生きるように創造されたのであり、ために存在するのです。人間のみならず、動物、植物、鉱物も、ために存在します。原子の世界も、ために存在し、太陽と月と星の運動もすべて、ために生きる運動なのです。

また、人間の男性は肉身の構造から見て女性のために存在し、女性もまた身体構造から見て男性のために存在します。同様に、父母は子女のために存在し、子女は父母のために存在します。ために生きることの原則は、学校、職場、国家においても同様です。しかし、そのために生きる愛は、国家の枠内でとどまってはいけません。国民は国境を超えて世界を愛し、さらに進んで世界的怨讐までも愛さなければなりません。

全宇宙のすべての個体は、ために生きながら存在し運動しています。ですから、ために生きる愛の道理は天道であり、天理なのです。いくら困難な中にあっても愛の道理を実践すれば、宇宙的な力が彼を助けて、彼は決して滅びることがありません。しかし、いくら快適な中で生活しても、ために生きる道理を守らなければ、いずれは衰退していくのです。「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という言葉は、この天理のことをいうのです。

このように見るとき、民族的十字架を背負つた韓民族は、統一の達成が難しくとも、真理の中心と一つになった中で、天道に逆らうことなく、ために生きる生活を、個人、家庭、社会、国家で営み、国際的に拡大していくならば、間違いなく韓半島の統一はもちろん、全世界の救援の道も早められるでしょう。

それは、韓国に焦点を置かれた神様の摂理のみ旨と一致するからです。南北統一が早められるばかりでなく、この方式が一つの公式となって、全世界も同じ公式に従っていくでしょう。そうしてこの愛と真理の運動のもとに、世界のすべての難問題は解決し、人類は長い間の不幸と混乱の悪夢から解放され、初めて永遠の幸福と平和が訪れてくるのです。歴史を通じて学んできた祖国は、神様に頼る以外に方法がありません。

世界勝共運動の先頭に立つべき 私と統一教会と勝共の同志たちは、これまで外国の地で世界的な勝利基盤の造成に全力を捧げてきたのであり、その固められた勝利の基盤を韓国に連結させ、韓国をして世界に跳躍させる契機となることを望んで、このたび帰国しました。

特に韓国の勝共指導者の皆様は、世界の勝共運動の先頭に立ってくださるようにお願いします。どうか連結された国際的基盤を強固にし、大韓民国と共に世界の手本となってくださることを願ってやみません。終わりに、皆様の御家庭と私たちの祖国と世界に、神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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5.神様のみ旨と韓国 日付:一九八五年十二月十六日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:国際勝共安保決意大会

満場の国内外の貴賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様。一年中で最もお忙しい時であるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださり、深く感謝を申し上げます。

神様の摂理の焦点となっている韓国 きょう私が勝共会員の皆様がお集まりになったこの場をお借りして、皆様にお伝えしたいメッセージについて考えるとき、「神はいない」という共産主義に勝利するには、神様に対する確信と体験がなければいけませんので、そのような観点から題目を「神様のみ旨と韓国」に決めました。韓国は神様の摂理の焦点になっていることと、今日の世界問題の解決の鍵は韓半島にあることを明らかにしようと思います。

今日の世界情勢を様々な面から見つめると、誰もが失望を感じざるを得ません。人類の切なる願いが自由と平和と安全であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとに悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。

世界の指導者たちの絶え間ない努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。民主主義や共産主義も、宗教や哲学も、世界の問題の解決において、全く無力であることが明らかになってしまいました。それは、神様のみ旨が分からないからなのです。人類歴史は神様の摂理歴史なので、神様の摂理のみ旨が分からなくては、世界の問題の解決は不可能な段階に至ったのです。

神様は分断された韓半島に焦点を置いて世界を摂理していらっしゃいます。ですから、神様のみ旨を知るためには、韓半島の分断の意義を理解しなければなりません。韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、左翼と右翼が対立しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線です。

今日、世界を思想と体制の面から見たとき、アメリカとソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることが私たちには分かります。ですから、韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型です。ここに神様の深奥な経綸の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して、世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理なのです。

休戦ラインとヘブライズム•ヘレニズムの対峙 韓半島の休戦ラインの、もう一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明とヘレニズムの流れを継承した共産主義文明が、この休戦ラインで対峙しているという事実です。へブライズム文明とヘレニズム文明は、ローマを中心としてイエス様によって統一されることになっていましたが、イエス様の十字架の刑によって統一の起点がなくなってしまい、それが今日まで平行線を描いてきました。

時には一方が優勢になったかと思えば、時には他方が優勢になりながら、今日に至り、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に受け継がれて、韓半島の休戦ラインを間において対峙しているのです。韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されることが神様のみ旨であることを考えるとき、そのような点から休戦ラインは摂理的な意義が大きいと言わざるを得ません。

韓国は、地政学的に四大強国に囲まれていて不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国なので、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点において有利な立場にあるのです。

それでは神様は韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか。それは一人の人を摂理的中心に立て、彼を通じて神様の愛を実践するように摂理するのです。その愛とは、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではなく、国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛です。

敵のために祈り、敵のために必要であるならば命までも捧げる愛が神様の愛です。二千年前にメシヤとして来られたイエス様が、正にその愛の主人公でした。イエス様は十字架にかけられてまでも怨讐を愛しました。

休戦ラインは世界分断の摂理的代贖のための民族的十字架 ここでしばらく、イエス様の十字架の刑について触れてみようと思います。皆様はイエス様と共に二人の強盗が十字架にかけられたことは御存じのことと思います。ここにも神様のみ旨があったのです。右の強盗はイエス様を証して善の側になったのであり、左の強盗はイエス様を誹謗することによって悪の側になりました。特に右の強盗は左の強盗に比べ、イエス様を擁護しながら、左の強盗を最後までたしなめました。このようにして十字架は、神様とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦点となるようになったのです。

道であり真理であり命であられるイエス様が、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪をそれぞれ引き連れたことには、非常に深い摂理の意義があります。そこには神様の愛を中心にした和解の原理、統一の原則が内包されているのです。

それは、善の側と悪の側の対立をはじめとして、すべての種類の対立、闘争、衝突は、犠牲的な愛によってのみ和解し、統一されることを示しているのであり、いかなる困難な状況下においても神様の愛を実践できてこそ、罪人を悔い改めさせ得ることを示してくれているのです。

そして、十字架を中心とした左右の強盗は、遠い将来の歴史的終未点において現実的な善悪の対立として結実する、その種子の立場だという事実を理解しなければなりません。「右翼」と「左翼」の名称が今世紀に現れたのも、イエス様の十字架に起因するものです。

今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現は、既に二千年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型にもなったのです。今日の左翼と右翼という名称の歴史的起源は実に十字架の左右の強盗にあったのです。

特に、命を懸けて左の強盗に対抗しながらイエス様を証した右の強盗が、死んでから復活して楽園に行ったように、今日、右の強盗と同じ立場にあるアメリカが、左の強盗に該当するソ連に対して、最後まで強力な対決を堅持していったならば、必ず神様の公認を受けて地上天国に入ることができるのです。そのことを示しているのです。

十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の休戦ラインがそのまま集約的に表現しています。ですから、南北に分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架なのです。ここで韓半島は、十字架上のイエス様に該当し、再臨の基地でもあります。

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皆様。愛する夫、愛する妻がいるでしょう。どれだけ愛していらっしゃいますか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてために生きようとする真の愛のためです。男性と女性をして調和によって愛の理想を成し遂げさせるために、神様がそのように創造されたのです。

それでは、ペア•システムになっている天地の被造物の中で、神様御自身にとって最大の愛の相対であり、主人の位置に立てた傑作の存在とは果たして誰でしょうか。人間です。「女性」という言葉は男性が先にいて出てきた言葉です。また「男性」という言葉は女性を先有条件として出てきた言葉です。「上」という言葉は下を考え、「右」という言葉は左を先に認めて語る言葉です。したがって、「横」という言葉は縦を確定して語る言葉です。このように、先有条件を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ために生きることを目的として成立したのが真の愛による創造だったというのです。

神様の真の愛は、投入し、与え、また投入して、また与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたという記憶に留まっていてはいけないのです。与えて、また与え続けても記憶に残らないので、流れるのです。

神様は、この無限の価値をもった愛を父の立場で与えても忘れ、仮にその愛を受けた息子、娘たちが天に背いたとしてもまた与えられるので、そのような限りない神様の愛のゆえに、きょう皆様もこの場に来て座っていられるのです。したがって、真の愛の行く道は、受けるための道ではなく、与えるための道だという結論が出るのは当然のことです。それで、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身が与える立場に立ち、御自身のもっておられるすべてのものを一〇〇パーセント投入し、また投入したいと思うのです。

そのような心をもっている本然の中心存在が、天地を創造された神様です。それで真の愛は、ために生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント与えて真空状態になるのです。空気で言えば、絶対低気圧が生じるようになれば、高気圧は自動的に循環運動が起きるようになるのと同じ理屈です。ですから、絶対にために生きようとするところには、無限の力が連結されるのです。神様は正に、このようにさらに与えようとする本性の作用が絶えず続くことによって永存されるのです。したがって、真の愛の道には、永生の論理が介在するのです。

皆様。私たちは何を中心として、きょうも生き、あすも生き、十年、百年、千年、万年を生きたいと思うのでしょうか。お金ではありません。この世の国ではありません。統一の絶対的起源となる神様の真の愛です。このように、神様の真の愛はために生きようとするところに根を下ろしているのに反して、今日の人間世界の愛は自分のために生きてくれることを願うところに根を下ろしているのです。堕落したために生じた結果です。自分だけのために生きてほしいという、そのような論理の中には統一がありません。これは、相対圏が犠牲となって破壊をもたらします。ですから、全宇宙が独裁者を支援することはないのです。理想的な相対を破壊するもの、それが悪魔です。それで、統一教会が医者となって治癒しなければならない召命を受け、実践しているのです。

それならば、このように救世的責任をもつべき統一教会が主張する教理も、理論に合わなければなりません。真の愛を中心として、統一的理論の根拠をどこに立てるのでしょうか。神様がいて、それからアダムとエバがいますが、男性であるアダムは大きく、女性であるエバは小さいですが、神様さえ占領すれば万事OKなので、アダムが前を行き、エバはついていって神様を発見したというとき、その神様を誰が先につかまえるのでしょうか。

自分を主張するところには、統一はありません。しかし、神様と共にために生きるという立場で考えるとき、アダムが「私が先に神様をつかまえようとするのは、あなたのためです」と言えば、小さなエバが、「早くつかまえてください!」と言うのです。

また女性が「私が神様を先につかまえようとするのは、あなたのためです」と言うとき、夫も喜ぶようになります。ここで統一が成し遂げられるのです。このように、神様のために生きようとする天地の真の愛の世界から統一の理論を発見できたために統一教会が現れたのです。

私は、怨讐の側にいる衛星国はもちろん、ソ連の主要都市に統一教会の宣教師たちを配置して、救援のための準備をしたのですが、彼らが極限的な迫害の中で死刑宣告を受け、国境を越え、また越えて、一度も出会ったことのない師に従い、最後に東方の韓国に向かって「私は逝きます」と両手を合わせて祈り、最期の道を行った彼らを、引き止めることができず、生かしてあげることのできなかった文総裁の心情を皆様はお分かりになるでしょうか。

悪魔からの苦難を受け、苦痛を受けて、捕虜兵となっている彼らを不憫に思う天の心を知りながらも、昼も夜も前進を決意せざるを得ませんでした。私はまた、共産主義は七十三年を超えることができないことを、天理を通して知ったので、待ち続けました。そうしたところ、なぜかソ連は、私たち統一教会の真理を調べ、これこそが偉大な真理であり、ソ連に新しい希望を植えつける真の真理であることを知るようになったのです。しかし、このような大きな国と天宙の和合も問題ですが、私自身の和合がより先決問題なのです。

皆様。私たち人間は、人生を生きる間、自分に最も近く、天下を与えても変えることのできない主人がいるにもかかわらず、知らずに罪に捕らわれて生きる哀れな群れだということを知らなければなりません。その主人は、正に自分の良心です。この良心がどれほど皆様のために忠告し、疲れることを知らずに昼も夜も、悪い考えをすれば「おい、こいつ!」と言って引っ張り、峠を越え、川を渡るために、どれほど気をもんだことでしょうか。

真の主人の姿をもって私を保護しようとする心を裏切ったこの体、一つしかない宇宙から貴い師として与えられた先生であるにもかかわらず、その先生を容赦なくぞんざいに扱ったこの体、また私の本然の愛の心を引き継ぐことができるよう、父母の代わりに送ってくれた良心を容赦なく蹂躙したこの体、このように心の怨讐になったこの体を、皆様は愛するのですか。それではいけません!

私を守ろうとし、私の主人と師と父母の位置に立って、私を正しい人にし、天地の大父母であられる神様、天地の大師匠であられる神様、天地の大主人であられる神様のみ前に一致させるために努力する第二の主人である良心を蹂躙し、無視し、冷遇したこの体を保護すべきでしょうか、占領すべきでしょうか。体をつかんで心のようにために生きる自分になったときに、幸福が訪れるのです。そこに神様が臨在されるのです。それで、「家和万事成」という言葉があります。私の家、私個人が安らかであるためには心と体が一つにならなければなりません。

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7.私たちの時代の真の平和 韓国の統一と東西協力 日付:一九九〇年二月二日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第二回「世界平和のための頂上会議」および第八回「中南米統合機構」総会

親愛なる議長、そして尊敬する元国家元首、首相、国会議員、大使とその他の紳士淑女の皆様。この重要な会議のために韓国にお越しくださった皆様に、歓迎の辞を述べることができますことを喜ばしく思い、また光栄に思います。

対決の時代から和解の時代に転換する国際情勢 私たちは、第二回「世界平和のための頂上会議」に共に参席し、「韓国の統一と東西協力」という主題について論議できることを、心から喜ばしく思います。

また、本頂上会議の開催と同時に、過去七年間にわたってラテン•アメリカの和合と団結という面で多大な業績を収めてきた団体として、いわゆる「AULA(アウラ)」と呼ばれる「中南米統合機構」の第八回総会を開催できますことを、一層喜ばしく思う次第です。

私は、本会議が開催されるこの時点のもつ意義は、極めて重要であると思います。この時点は、一九九〇年の始まりであり、新しく開かれる一九九〇年代の出発だからです。あと十年で私たちは西暦二〇〇〇年を迎えることになります。私たちは自分の生涯の中で、新しい世紀の出発を目撃するようになるのです。

このように重要な時期を生きながら、人間生活の劇的な変化を目撃するのみならず、人間生活を変化させる事件の数々を実際につくっていくという事実の重要性を、私たちは感じなければなりません。「新しい世紀は、真の平和の世紀」になればいいというのが、私たちの共通の念願です。これを実現するためには、今後十年間、多くの挑戦を克服し、努力も傾けなければならないでしょう。

きょうこの場で開催される「世界平和のための頂上会議」と「AULA」は、今後十年間、極めて重要な役割を担当しなければなりません。今まで平和達成のために尽くしてこられた皆様の労苦と業績に深い称賛の言葉を申し上げながら、同時に皆様に対して、一九九〇年代も続けて平和の闘士となっていかれることを督励する次第です。

第二次世界大戦の終結時から四十年余りの期間は、互いに正反対に対立するイデオロギーを崇敬する二大陣営の対決の時代だったと見ることができます。世界の所々で、人々の間の紛争および国家間の紛争が数え切れないほど起き、軍備の支出も競い合うように増加し続けてきました。この時期に、人々が心の中で平和を感じることができた瞬間は、実際にはありませんでした。

ところが一九八五年から、ゴルバチョフ氏がソ連の政権を取り、一連の変化を見せ始めました。彼は、ソ連内により多くの表現の自由を保障し、ソ連経済の構造的な改編を断行しましたが、それよりも重要なことは、彼がブレジネフ•ドクトリン(制限主権論)*を否認したことです。そうしたことで、この短い期間内に、ソ連陣営では劇的な政治的変化が連日のように起きました。

去る数ヵ月間に、私たちは、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、そしてついにはルーマニアまでもが民主化されるのを目撃しました。これらの事件に続いて、東西対決の象徴であるべルリンの壁が崩壊しました。その後、和解の新しい時代が開かれつつあります。

私たちをして新しい協力の時代を迎えることができるよう、このような建設的な変化を主導できた勇気と指導力を備えもつゴルバチョフ書記長に、私は心から称賛の言葉を伝えたいと思います。私は、個人の人権を尊重し、経済改革、そしてもっと重要な信仰の自由を実現しようとするソ連の真の努力を支持することをお約束いたします。

皆様も既に御存じのとおり、私は中華人民共和国と共に仕事をすると約束したことがあります。その巨大な国家は、世界の四分の一に当たる人口を有しています。ですから、この十三億の中国人を抜きにしては、世界の平和を論ずることはできないと思います。必要な雇用創出、技術提供、および所得向上を援助するために、私は今、中国に世界最大規模の自動車組み立て工場を建設しています。これは、私たちの世界平和を成し遂げるための努力の一環なのです。

さらに皆様も御存じのように、一九八一年に私は、国際平和高速道路プロジェクトに着手しました。この高速道路が完工すれば、乗用車で東京からロンドンまで行くことができるようになります。私は今、日本、韓国、そして中国政府とこのプロジェクトについて真剣に論議しており、ソ連もこのプロジェクトを歓迎してくれることを願っています。

もちろん、これは極めて高次元の夢です。しかし、すべての偉大な事業は夢から始まります。少し前までは人が月面を歩くということは、誰一人として夢にも見ることができませんでした。しかし、将来を見通したビジョンと勤勉な努力の結果として、それが現実として迫ってきたのです。同様に国際平和高速道路も、夢ではなく現実になるでしょう。

*注:「社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わない」という考え方(wikipedia, weblioより)

混乱した世界を救うことのできる「神主義」 ここまでは、私の未来に対する楽天的な大きな希望を皆様にお話ししましたが、これからは、一部の人たちが平和の到来を性急に考えている危険な動向についてお話ししようと思います。

たとえベルリンの壁は崩れたとはいえ、両陣営はいまだに途方もない困難を抱えています。自由世界の主導国家群は、膨大な物質的富を享有しながらも、道徳的な堕落の問題に直面しています。彼らは、湧き上がる物質主義の犠牲者であり、自由も時として濫用されています。特に西欧での無神論的な世俗主義の蔓延は、道徳的基準の没落をもたらしました。

その結果、西欧社会は、家庭の破綻、麻薬の常習的な服用、性犯罪および性病の蔓延、政府の無能力化といった深刻な社会悪に染まっています。端的に言って、東西が直面している問題は、究極的には同じ源泉、つまり価値観の混乱から来るものです。

共産主義は、マルクス主義の価値観が虚偽であることが立証されたために失敗しました。私が生涯をかけて常に、共産主義に対して熱烈に反対してきたことは既によく知られています。私が共産主義に反対した理由は、神様を否認し、闘争を通して進歩が達成されると信じることでは、決して理想社会を成功裏に建設できないことをよく知っていたからです。

直接的な生活経験を通じて私は、神様は真の方であられ、人生で最も大切なものは真の愛であることを確信するようになりました。そして人類の進歩は、人類が神様に仕え、愛を最も大切にするときに可能なのです。はっきりと申し上げれば、現在、共産主義や自由世界は共に、平和の二十一世紀へと人類を導く準備ができていません。

一九九〇年代を迎えて早急に必要なことは、自由世界と共産世界の価値観の崩壊によって発生した価値観の真空状態を満たすのは、真の価値観の確立です。この新しい価値観は、神様を中心とする世界観である「神主義」に基礎を置かなければなりません。全生涯を通じて私は、この神様を中心とした世界観に対する理解の幅を広げるために、すべての宗教、宗派の人たちと共に努力してきました。このような方法で、絶対的な価値観の探求と真の平和の樹立を目標とする広い基盤をもった多くの学術団体、および宗教団体を創設することができました。

私はまた、芸術機関はもちろん、教育機関と言論機関も設立しました。世界的な私たちの財団は、皆様のように真の世界平和を成し遂げようと努力する人たちを援助する準備が常にできています。真の世界平和は、万人が共有できるはっきりとした価値観なくしては達成できません。価値観が明確になるとき、人類はこれ以上暗黒の中にとどまることはなくなります。

「神主義」は、各個人をして自らの人生の意味と価値を明確に見つめることができるようにしてくれます。したがって、各個人は責任ある人生を送り、他人に奉仕し、自分の心霊的な喜びを追求できるようになります。正にこれが苦難の中の世界を救う究極的な解決策なのです。

言い換えれば、私たちの世界が救援されるために今日、必要なことは、劇的な霊的覚醒です。世界は、神様の実体の中に覚醒して入ってこなければならず、神様を肯定する原理に立脚した世界観をもたなければなりません。この世界観こそ、両陣営の価値観の混乱状態を除去してくれるものです。国家間の関係の本質も、このようなより崇高な価値観の覚醒に立脚して変わらなければなりません。

今まで経済発展の原動力は、利益を得ようとする欲求でした。これを原動力として、人間の途方もない潜在能力が啓発、発揮されたのであり、輝かしい世界発展が遂げられてきました。しかし、利益を得ようとする欲求は、すべての人々が神様の子女だという根本的な理解と均衡を取らなければなりません。

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韓半島は人類文明の結実地 神様は韓国を愛されて、この地に全世界を代表する「総和文明」の結実体を成し遂げようとされているのです。人類文明は神様の摂理的なみ旨に従って、その次元を高めながら世界を一周し、ついにその結実を見ることになるのです。

人類の古代文明は大陸で発生しました。エジプトのナイル川河畔で胎動した文明は、半島文明へと変遷し、ギリシャ、イタリア半島で地中海文明圏を築きました。その半島文明は、再び島嶼文明に移り、島国イギリスを中心として大西洋文明圏を形成しました。ついにイギリスの島嶼文明は大西洋を渡り、アメリカ大陸において現代文明の奇跡を起こして太平洋文明圏を形成したのです。

しかし、歴史の流れはそこで終わりません。この文明圏は、太平洋を渡ってイギリスに相当する島国の日本で新しい島嶼文明の花を咲かせ、イタリア半島に該当するこの韓半島で、昔のローマ文明に相当する総和文明を成し遂げて、アジア大陸に連なる一つの世界を成し遂げ、新しい統一文明圏を形成しようとするのが神様のみ旨であることを私はよく知っています。

韓国は新しい時代の寵児であり、韓民族は神様がお選びになった民族です。韓国は神様が願われる新しい文明の揺籃です。ですから、世界文明の結実体として、神様の摂理を決定する国なのです。これは神様の愛する韓国人の誇りでなければなりません。

「統一思想」は統一世界を成し遂げる思想体系 偉大な子女を生むときには、まず陣痛が来るのは不可避なことです。韓国は今その陣痛期にあるのです。私たちが今受けている試練が正にそれです。神様はこの試練を通して私たちの底力と闘志と資格をテストし、陣痛を克服したのちの栄光の子女の出産を期待しておられるのです。

ですから、サタン側の強大国は、神側の韓国を欲し、狙っているのです。私たちはこのような試練に、神様を愛する信仰と希望で勝利しなければなりません。私たちが危機に瀕しても、その最も困難な逆境を克服して、共産主義に徹頭徹尾勝利するということは、今後、いずれ神様のみ旨である勝共による統一世界の構築において、韓国がその主導権を握るということです。それはまた韓国が世界の旗手になるということです。

そのためには、それにふさわしい思想と理念が絶対になければなりません。これが統一教会の主張です。韓国が生んだ宗教統一の「原理」が正にこれなのです。「勝共理念」が正にこれです。「統一思想」が正にこれなのです。

神様を父として侍るすべての宗教は、「神はいない」という不倶戴天の怨讐である共産主義に立ち向かうのです。統一の結束のもとに、愛と真理によって彼らに勝利し、誤りを悟らせ、最後は彼らを兄弟として受け入れなければなりません。このような「原理」に立脚した「勝共理念」は、共産主義を分析、批判し、それを克服できる確実な代案を提示しています。また「統一思想」は、今日の世界の様相をつくったすべての間違った哲学や主義思想を暴き、神様を中心として一致団結できる統一された思想体系です。

このような原理と理念と思想が韓国で生まれたのです。これがすなわち「神主義」です。神様を中心とし、神様に問い尋ねながら国を治めるのですから、与野の区別があってはいけません。すべての宗教人たちと良心のある人士たちは、誰彼を問わず政府と一体となり、「神主義」で悪魔の共産主義を退かせ、祖国の地と我が民族を統一する時が訪れたのです。その時が正に今この瞬間なのです!

東方の光となる韓国 苦労のあとに楽が訪れ、逆境の中から新たな道が開かれるものです。私たちはこの時に一度、天に侍る倍達民族(韓民族のこと)の底力を、遺憾なく満天下に発揮しましょう!あまりにも有名なインドの詩聖タゴールは、預言的な詩を次のように歌いました。

心には恐れがなく

頭は空高く上げられる所

知識は自由であり

狭い塀で分けられていない所

真理の深い所からみ言が湧いてくる所

絶え間ない努力が完成に向かい

両手を広げる所

知性の清い流れが

固まつた習慣の砂原においても道を失っていない所

無限に広がりゆく想いと行動で私の心が導かれる所

そのような自由の天国へと

我が父よ、我が国を目覚めさせたまえ

また、タゴールは日本統治下の韓国に対して次のような詩も詠んでいます。

かつてアジアの黄金時代に

灯火の一つだったコリア

その灯火が再び明かりを照らす日に

あなたは東方の明るい光となるであろう。

愛する同胞の皆様。韓国は遠からずして東方の光となって満天下を照らすでしょう。全世界の万民が天のお父様の治められる輝く大韓民国を祖国として侍る日が必ず来るでしょう。いや、既に来ているのです。

神様の名によって平和統一世界を成し遂げよう 皆様。韓国を信仰の祖国として、世界万邦に伸びゆく百二十ヵ国の統一信徒たちは、ただ、父なる神様の名のもとに、人種と国境と言語を超えた兄弟姉妹として一致団結し、神様の怨讐金日成主席と、天人共に許し難い悪魔的な共産主義打倒に全員、総進軍しましょう!

愛する自由韓国の兄弟姉妹の皆様!きょうの課題は何よりも、「共産主義」は人類の敵である以前に神様の不倶戴天の怨讐であることを悟ることです。ですから、きょう私たちは神様の名によって金日成主席を糾弾するのです。

神様は金日成主席の南侵を絶対に見逃さないことをはっきりと宣言いたします。そして、自由世界と韓国の名をもって、金日成主席と共産主義国家を打ち倒すために命懸けで闘いましょう!勝利するまで闘いましょう!

神様が共におられて永遠に守られる我が大韓民国の愛する同胞の皆様!私たちには天下に恐れるものがありません。強く大胆に、神様の名によって総和団結、勇敢に前進しましょう!

神様の地であるあの北朝鮮を再び取り戻す時まで、血肉を分け合った私たちの兄弟たちを再び取り戻す時まで、死を決する覚悟で闘いましょう!

神側の全世界の自由主義諸国は、サタン側の共産主義諸国を完全に解放させ、平和な統一世界を神様の名によって必ず成し遂げましょう!

神様は私たちの味方として闘われますので、勝利は必ず私たちのものです。

神様の名によって固く団結して総決起しましょう!

総進軍しましょう!総進撃しましょう!

ありがとうございました。

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神様の名によって共産主義を打破しよう きょう、世界六十ヵ国から集まってきた統一教会の信徒たちは、正にこのような決意のもとでその使命を果たすために、この意義深い広場で、神様と全世界の人々の名によって決起し、結束するのです。

統一教会は、このように「共産主義はほかでもない神様の不倶戴天の怨讐である」という信念で、自由世界の先鋒に立って、共産主義と闘う旗手、橋頭堡の役割を果たしてきました。神様のことを明らかに示す宗教、このような宗教は、共産主義に勝つことのできる真理と信念と思想を明確に悟らせるのです。

韓国において、すべての宗教人たちが解決すべき目標は平壌でなければなりません。共産主義の奴隷になった北朝鮮の同胞たちは、神様による解放を待っています。金日成主席の徒党は、南侵を目標にトンネルを掘ったのです。私たち宗教人たちは、より次元の高い自由統一のトンネルを平壌の真下まで掘り、愛と事情が通じる解放の日を必ずつくるのだという気概にあふれなければなりません。

あの平壌の真ん中に、神様の愛と真理の爆弾を爆発させるために、祈るだけでなく、闘わなければなりません。北朝鮮同胞千四百万は、今、神様の救いの手を切に待ち望んでいます。ですから、私たちのこの手が、正に神様の救いの手にならなければなりません。

旧約聖書を見ると、九尺の長身で槍と剣を持って立ちはだかる巨人ゴリアテに対して、少年ダビデはただ素手に石を持って闘う場面があります。きょう、私たちはそのダビデの叫び声を聞かなければなりません。

ダビデは「怨讐よ、私の石を受けてみよ」とは言いませんでした。「私はたとえ体が小さくとも力持ちだ。目に物見せてやる!」とも言いませんでした。ダビデは大きく叫んで、「わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう」(サムエル記上一七•四五)と言いました。そして、主の力によって、将軍ゴリアテを見事に倒してしまったのです。

私たちは金日成主席に立ち向かうときも、毛沢東主席を打ち破るときも、ソ連を打倒するときも、すべて神様の名によってしなければなりません。勝利は信念からのみ、もたらされるものです。私たちは、強く大胆な信念の陣を張りましょう!そして、神様の聖なる闘いのために命を懸けて最後まで闘いましょう!勝利は必ず私たちのものです。神様は私たちの味方であられます。

共産主義者たちの偽装された平和攻勢 皆様。また、私たちはきょう、共産主義の戦略をはっきりと知らなければなりません。ここに立った私は、誰よりも共産主義のことをよく知っていると言えるでしょう。私は解放後、北で布教している間、何度も共産党に命を奪われそうになりました。私は共産党に反動の罪を着せられ、一九四八年に興南の監獄に閉じ込められたのですが、その強制労働収容所というのは、政治犯や思想犯をじわじわと抹殺していく死刑場だったのです。

その鉄格子の中で三年近くの長い歳月を送り、一九五〇年に神様が派遣された国連軍によって解放されるまで、私は共産主義の真相を真底から知り尽くしてきたのです。私は彼らの戦略と策謀をあまりにもよく知っています。

一九三一年、ソ連共産党中央委員会の重要幹部だったドミトリー•マヌイリスキーが、レーニン政治戦略学校の核心党員たちに、次のように共産主義の基本戦略を説いたのです。「共産主義と資本主義との共存はあり得ない。今は、我々が攻撃するにはまだ早い。我々のチャンスは二十年ないし三十年後に来るであろう。勝利は必ず奇襲によってもたらされる。資本主義世界を何としても飽食させ、眠らせるのだ。そのための一番良い方法は、いまだかつてない平和攻勢を敷くことである。彼らは、何も知らずに太平聖代を謳歌し、話し合おうと言えば、どんなことにでもすぐに飛びついてくるであろう。このように資本主義国家は自ら墓穴を掘って協力してくれるであろう。我々は友のように偽装し、時間を稼ぐのである。そうするうちに彼らが油断している時に、我々は鉄拳で一撃を加え、一度に打ち倒すであろう」。

これが正に、レーニンが使ったソ連の赤化戦略であり、毛沢東主席の中国制覇の戦略であり、北べトナムがベトナムを制覇した戦略だったのです。彼らはみな成功しました。そして、これは虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の戦略なのです。しかし私たちは、この戦略に二度とだまされないでしょう。また、私たちは絶対に金日成主席に対して再び誤算を繰り返さないでしょう。私たちはきょう、金日成主席に私たちの実力を見せつけましょう!

統一聖徒は信仰の祖国韓国を死守する 祖国を愛する五千万の同胞たちは、命を懸けて祖国の領土を守るでしょう。私たちは絶対に一寸の土地も彼らに譲歩しないでしょう。そしてまた、私たちには強力な友邦がいます。アメリカが正にそのような友邦国であり、日本がまたそのような友邦国です。「天は自ら助くる者を助く」と言われるように、私たちが神様の名によって金日成主席を糾弾し、神様の名によってこの地を守るとき、私たちは第二のベトナムになることは絶対にないのです。

それだけではありません。北朝鮮の金日成主席が知らなければならないもう一つの力が、きょうこの五•一六広場の救国世界大会において示されています。韓国と韓国国民が知らなければならない、そして信じられるいま一つの大きな友がいます。それは韓国を自分たちの信仰の祖国として信じている世界の統一教会の信徒たちです。

彼らは徹頭徹尾、勝共主義者たちであり、絶対的に韓国を愛する若者たちです。彼らは果たしてどの程度韓国を愛するでしょうか。彼らが韓国を愛することは宗教的な信念によるものなので、韓国は彼らにとって信仰の祖国、聖域となるのです。

篤実な信仰者にとって、自分の聖域が侵されるということは、取りも直さず自分の体と自分の家が侵されることと同じ痛みを感じるのです。これは正に世界の統一信徒たちは、韓国を自分の体のように愛するということなのです。ですから、信仰の祖国である韓国を守ることは、世界の統一信徒たちの信条です。ですから、もし韓国が北朝鮮から侵略を受けたときに、信仰の祖国、聖域である韓国を共産主義の魔の手から守ることは、世界の統一信徒たちの神聖な義務なのです。

皆様。きょうここに参加した六十ヵ国の代表者千人の人たちは、このように命懸けで韓国を守ってくれる、韓国に最も近い、そして固い信念で結ばれた救国同志たちです。彼ら世界代表たちはこの歴史的な広場で、有事の際、すなわち北朝鮮が大韓民国に対して武力侵略を敢行するときには、信仰の祖国である韓国を死守することが神様のみ旨であると信じ、世界統一十字軍を編成し、義勇軍として参戦し、韓国と自由世界を守護することを決意するでしょう。

神様が愛する国、韓国 「東海の水が乾き、白頭山が擦り減るまで、神が守り給う我が国、万歳」。私たちは解放以来ずっとこの「愛国歌」を歌ってきました。実にこの「愛国歌」は我が民族に下された神様の啓示だったのです。「大韓民国万歳」は、ただ神様がお守りになってこそ成し遂げられるものとして啓示されたのです。

神様は大韓民国を最も愛しておられます。檀君聖祖以来、あらゆる風霜を経ながら他の国を一度も侵略したことがなく、強大国の間にはさまれながらも、単一民族のその正しい気風と伝統を守るようにしてくださった神様!国を奪われた私たちに、感激の八•一五解放をもたらしてくださった神様!六・二五動乱の際、ベトナムのように滅びるほかなかった韓国を、十六ヵ国を動員して守ってくださった神様!

一九六一年、国民の和合が揺れ動き、またもやこの国が共産侵略の危機の中にあったとき、強力で献身的な新しい指導者として現大統領を立てられ、この国の綱紀を立ててくださった神様!アジアで責任を果たすことができずに、ベトナムとカンボジアから後退するアメリカを覚醒させて韓国を再び守らせ給う神様!

今度はこの地に統一教会の名により、新しい真理運動と精神運動を立てられ、早くから世界に跳躍させ、今我が祖国がもう一度危機に瀕すると、六十ヵ国の統一教会の熱血青年たちを動員してこの地に送られ、有事の際には水火も辞さずにこの地を死守させようとされる神様!韓国において世界的な決戦のために、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時のように、北朝鮮、中共、ソ連と韓国、日本、アメリカを対決させ、神様とサタンの最後の決戦を私たちの側に勝利させようとされる神様!その神様の特別な恵みと保護のもとで、私たちはきょう勇気を出して、総決起しなければなりません。

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第八篇 韓国統一と世界平和 1.   世界の中の韓国

1.世界の中の韓国 日付:一九七五年六月七日

場所:韓国、ソウル、汝矣島広場

行事:救国世界大会

敬愛する同胞の皆様。この場に参加された内外の貴賓、そして六十ヵ国から集まってこられた世界の統一教会信徒の皆様。この五•一六広場(汝矣島広場)は歴史的な場所です。この歴史的な広場で、きょうまた一つの歴史がつくられる救国世界大会に御参加されました皆様に、厚く感謝申し上げます。

救国世界大会の意義 きょう、一九七五年六月七日は、私にとっても、また神様にとっても、歴史的な宣布の日となります。これまで、一つになるこの広場では、インドシナ事変に乗じて、虎視眈々と再び南侵を狙う北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会が行われ、人々の喊声は既に天に達し、全天地を揺れ動かしました。安保総力のための決起大会も幾度かありました。

しかし、この救国世界大会は、二つの意味から唯一無二の歴史的な大会となるのです。その一つは、きょうのこの集まりが、国民の名と人類の名だけではなく、神様の名によって、北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会なのです。そして二つ目は、この大会が、大韓民国の人だけが集い、韓国の自由と韓国主権の守護を決意するものではなく、人種、血統、言語、風習が異なる世界万邦を代表して、六十ヵ国から集まった一千人以上の代表たちが、ここに席を共にして、自由の韓国と全世界の守護を決意する世界的大会なのです。

この救国世界大会は、全世界が決起して韓国の自由守護のための決意を満天下に誇示する世界的祭典です。この世界大会の目的は、カンボジアとベトナムの赤化によって引き起こされた祖国の緊迫した情勢の前に、内的には、祖国安保の次元の高い実力を誇示して祖国を死守しようとする五千万韓国国民を総団結させ、外的には、世界の人々の行くべき方向と座標を立てようとするところにあるのです。

そしてその結果として、北朝鮮の金日成主席に対し、軽挙妄動して六•二五動乱のような誤算と悲劇を再び招かないよう糾弾し、自粛するよう警告するところに、その意義があります。

共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐 皆様。共産主義とは何でしょうか。私たちは、共産主義が一九一七年、ボルシェビキ革命から始まり、過去半世紀の間に世界の半分を襲いながら、人類に対して犯してきた残虐無道な蛮行と罪悪の様相をあまりにもよく知っています。共産主義は恐ろしい悪魔の哲学であり、その実践は恐怖に満ちた犯罪と破壊力をもっています。

そして私たち韓国人は、世界中の誰よりも、彼らが敢行した犯罪の被害者として、彼らの悪辣さを体験したため、骨身にしみて知っているのです。私たちは、共産主義のゆえに誰よりも大きな犠牲を払った民族です。そしてこの瞬間にも、あの北方では千四百万の同胞たちが、悪の頭、共産主義の供え物となっているのです。しかし共産主義の犯罪は、これに尽きるものではありません。

きょう、私たちは共産主義を糾弾し、地上からその罪悪を一掃しなければならない、もう一つの重大な新たな理由を発見しました。それは共産主義が人類の敵である以前に、神様の敵だということです。共産主義は、政治や経済の思想体系である以前に、無神論に立脚した一つの宗教形態なのです。なぜならば、共産主義は人間の考えや哲学や行動を完全に支配するからです。それはただ宗教のみがもつことのできる力です。ところが、この共産主義は「神はいない」と語る宗教です。そして「神はいない」と言うだけではなく、その主義自体が、人間の思考や哲学や行動の中に、神様の代わりに登場し、人間を奴隷や機械のように扱っています。ですから、共産主義は、神様に挑戦する、許すことのできない怨讐です。神様をこの地上から抹殺してしまおうとする悪魔の宗教なのです。共産主義がこの地球上を完全に支配するということは、神様がこの地球上から完全に追放されるということであり、それは民主主義や自由世界の敗北である以前に、神様の敗北を意味するのです。ですから、共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐となるのです。

しかし、全知全能の神様は敗北者にはなり得ません。また、共産主義の地上制覇を傍観される神様でもありません。ですから、きょうこの大会で私たちは、「神はいない」と主張する悪の宗教、共産主義に対して、「神はいる」と主張する統一教会をはじめとする多くの善の宗教によって勝利することを、はっきりと覚醒しなければなりません。神様を殺そうとする不倶戴天の怨讐、共産主義は、神様を父と呼ぶ統一教会員とすべての宗教人たちが孝と誠と信念をもって撃退しなければならないことを、厳粛に宣言する次第です。

ですから、私たちすべての信仰者はもちろん、統一教会員たちは、勝共戦線の最前線に召された神様の闘士であり、神様とサタンの闘いにおいて先頭に立った大将であり、旗手であることをはっきりと知らなければなりません。武力にばかり頼っていては、決して共産主義に勝つことはできません。人間の固い信念は、武力や原子爆弾では到底打ち壊すことができないからです。

共産主義を倒す神様の闘い 偽りに勝つ力は、真の真理と信念と理想です。誤った共産主義の妄想に勝つことのできる力は、ただ真に立脚した次元の高い、いま一つの精神的信念と思想なのです。

今日、私たちは国力を養わなければなりません。防備し得る武力も備えなければなりません。堅固な陣を張らなければなりません。しかし、それよりも重要なことは、真理で武装することであり、固い信念と思想で精神武装することです。私たちは、「神はいる」という思想で武装しなければならず、天のお父様のみ旨を行うために命も惜しまないという信念と決意で精神武装されなければなりません。共産主義者たちの誤った信念と思想は、より強い真の信念と思想によってのみ勝利できるのです。

「神はいない」とする真っ赤なうその思想は、神様が厳然として存在されることを示すことのできる真の思想だけが滅ぼすことができるのであり、偽りの上に立った共産主義思想は、その偽りが白日のもとに暴露されるとき、完全に砕かれてしまうのです。これが、私たち統一教会員とすべての宗教人と全世界の人々が果たすべき至上課題です。そして、これが共産主義の根を絶やし、共産主義に完全に勝利する方法なのです。

今日、この世界では「神はいる」という思想と「神はいない」という思想が対決しています。一つは物質を中心とする世界であり、もう一つは精神を主とする世界です。「神はいる」という世界は神側であり、「神はいない」という世界はサタン側です。この二つの世界が衝突するとき、その結果は神様の存亡を決定するのです。ですから、共産主義を倒すこの闘いは、すなわち神様の闘いとなるのです。

この二つの世界の力の対決が、今韓国において熾烈に起きています。韓国は、世界の相反する二つの理念が衝突しようとする決戦の場なのです。韓国の自由守護は、韓国だけのためではなく、自由民主陣営の永遠の自由を守護するものであり、さらには、神様に勝利をもたらすものです。これが正に、自由を守護するためにこのように世界の人々、自由愛護の烈士たちが決起しなければならない理由となるのです。

自由世界の人々にとって、韓国の安保は他人事ではありません。これが自由世界の存亡に直結するものであり、自由世界の安保はすなわち神様の安保となるからです。ですから、韓国の自由守護のために六•二五動乱の時も、神様は十六ヵ国の人々を送られ、血を流してまでもこの地を守らせたのですが、今回もしも北朝鮮が再び南侵してくるならば、十六ヵ国でなく、六十ヵ国の熱血青年たちが血を流してでもこの地を死守しようとするのです。

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韓国は苦難の中で選ばれた国 韓国の五千年の歴史は、苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間、貧しく、外国勢力から苦しめられる中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練に遭ってきた韓国の事情は、堕落した人類、すなわち、死んだ子女を見て嘆息される神様の事情と同じでした。韓国人は涙の味を知っています。ですから、涙の神様を理解できるのです。韓国人は古くから悲劇を好みました。それが、堕落という悲劇を体験した神様に同情できる資格なのです。諺に、「やもめの心情はやもめが知る」という言葉があります。私たちは、喜びと栄光の中に権勢を享有される神様であると思っていましたが、その神様は、実は子女を失って涙を流される、悲痛で孤独な父だったのです。その神様の心情を慰労する真の孝子となることを信じ、神様は私たちを捜し求めてこられたのです。

韓国人は古くから、忠孝の志操が強い民族です。国軍の日を迎え、五•一六広場に招待され、国軍の威容を見て心温まる思いがしました。その国軍の勇士たちが査閲台の前を過ぎるときに叫ぶ「忠孝」という掛け声は、本当に印象的でした。神様に選ばれた民族として叫ぶこの掛け声は、あまりにも啓示的でした。世界のいかなる国でも、このような掛け声を叫ぶ軍人はいないでしょう。

韓国は最終的に、神様に忠誠を尽くし、孝の道を尽くす民族であるがゆえに、その忠孝精神が今日、国家の中心思想になったのです。沈清(シムチョン)の親に尽くす哀切な孝、春香(チュニャン)の夫のための志操、鄭夢周(チョンモンヂュ)の王に仕える忠誠、柳寛順の殉国精神といった忠孝の志操は、古今東西、どこにも類例を見ない韓民族の魂です。このような忠孝精神と不変の志操は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的な思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父なので、その父に永遠に孝の道を歩まなければなりません。世界の数多くの民族をいかに試験してみても、韓国のように、その忠孝の熱と志操の強い国はないので、神様は韓国をお選びなって訪ねてこられたのです。

また韓国は、平和を愛好する白衣民族です。私たちは一度も侵犯したことのない人々です。このような平和愛好の民族が、五千年の固有の歴史を抱いて耐え忍んできたこと自体が、奇跡であると言わざるを得ません。これは、ただ神様の保護のもとにのみ可能だったのです。俗に言えば、私たちは神様を背景にもつ民族なのです。

五千年の歴史において、様々な強大国が、何度も私たちをのみ込みましたが、そのたびに消化不良を起こさなかった国はありませんでした。食べたら、必ず吐き出さなければなりませんでした。

これは誰の力でしょうか。神様の力でした。八月十五日の解放は、誰がもたらしてくださったのでしょうか。神様の力でした。六•二五動乱のとき、共産軍の南侵を防いでくれたのは誰の力でしょうか。神様の力でした。六・二五動乱当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かっただけでも、私たちは釜山の海に追い込まれて飛び込んでいたでしょう。

韓国動乱のとき、国連軍の派兵は、国連安全保障理事会においてソ連の拒否権があるので、絶対不可能なことでした。ところが、韓国派兵問題を討議するときに、ソ連代表は欠席したのです。その隙に派兵案は、一瀉(いっしゃ)千里で可決されました。国連外交史では、その時なぜソ連代表が欠席したのか、今なお誰にも分かりません。それは、誰がそのようにしたのでしょうか。神様の力だったのです。

私たちが究極的に始めるべき新しい愛の運動 韓国は、神様の特別な保護がある限り、誰が攻めてこようと指一本触れることもできません。韓国を害そうとする勢力は、神様の力によって一つ一つ敗れ去っていきます。今回、アメリカの議会で韓国を潰そうとするフレーザー議員の敗北は、その良い例です。

皆様。我が祖国韓国は、新しい時代の先駆者であり、神様の寵児です。私たちは、長い間の苦労の末に、新しい時代の王者として登場する時が来ました。このとき、私たちは悟らなければなりません。神様が韓民族を召命されたのは、韓国のみを良くするためではありません。世界を救援するために召命されたのです。韓国は、世界の救援摂理のために召命された国であることを悟らなければなりません。私たちは神様に召命されたので、神様の世界の救援摂理のために、誰よりも一番先に、自分を犠牲にできる愛の王者にならなければなりません。私たちが、神様のみ旨のために死ぬことは、すなわち生きることであり、苦労することは、すなわち栄光の位置に登る道です。イエス様が「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失ものは、保つのである」(ルカ一七•三三)と言われた意味が、正にこのことだったのです。

韓国のセマウル運動は、歴史に輝く民族の自立、更生の金字塔です。これは檀君以来、その類例を見ない課業であり、世界のどの国の歴史にも、これに匹敵する記録がありません。我が国の工業発展は、戦後の日本やドイツの復興をも凌駕する記録です。加えて、このような急速な成長を、虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の目前において成し遂げたということは、大きな意義があります。

アメリカ人たちは、私に対して、朴正熙大統領と何か密接な関係がないかと罪を着せようとしていますが、それはばかげたことです。私は、朴大統領と一度も会ったことのない人間です。しかし、成功しているのを見て、よくやっていると言うことができないのであれば、それは義人の道理ではありません。朴大統領は、この重要な時期に天が遣わされた指導者であると私は確信します。この方でなければ、我が祖国の復興は言うまでもなく、金日成主席の赤化野望から、もちこたえることさえ難しかったと私は思います。

天がこの歴史的な時点に、このような指導者を立てて、我が祖国を急速に復興させたのには理由があります。今や、韓国が新しい精神文明の発祥地となり、世界を指導して、世界に雄飛する時が来たので、その韓国が今後は、もうこれ以上苦難の中に貧しく苦しんでいてはいけないからです。いわば神様は、韓国をこれから全権特命大使として世界に送ろうとされるのですが、その大使を、ぼろぼろの雑巾のような服を着せて送り出すことはできないのです。礼服を着せて、世界の前に立たせようというのが神様のみ旨です。韓国は名実共に、世界の指導者像を備えなければなりません。これから韓国は、どの面から見ても世界各国において模範となり、羡望の的となり、彼らから尊敬を受けなければなりません。

韓国のセマウル(新しい村)運動は、「我々も一度良い暮らしをしてみよう!」という段階で止まってはいけません。韓国のセマウル運動は、世界を良い暮らしができるようにする運動に昇華されなければなりません。そのようなセマウル運動が、セマウム(新しい心)運動へと前進したことは、あまりにも神様のみ旨にかなったことです。セマウル運動が自分の体をよく生かす運動だとするなら、セマウム運動は自分の霊魂をよく活かす運動だからです。そして、このセマウム運動は、忠孝精神を中枢としたものなので、セマウム運動が世界に伸びていくとき、世界は私たちから真の忠孝精神を学ぶでしょう。このセマウム運動も、さらに一段階、前進しなければなりません。

私たちが究極的に始めようとする運動は、セサラン(新しい愛)運動です。セサラン運動は、神様を父として愛し、隣人を自分の体のように愛する運動です。新しい愛の極致は犠牲です。神様と世界と国と同胞のために犠牲となる運動に昇華されなければなりません。イエス•キリストの究極的な教えがこれでした。しかし、キリスト教の歴史は、このセサラン運動をするところでいつも失敗しました。自分だけ生き、自分だけのためにする運動は必ず滅びます。自分を犠牲にして相手を生かす運動こそが、永遠に残るのです。イスラエル選民たちには、正にこのような悟りがなかったので、イエス•キリストを十字架にかけてしまいました。キリスト教の全盛期を享有したローマは、自分を中心とした利己主義に翻弄されるとき、その帝国も内部から崩壊してしまったのです。

神様の召命を受けた祖国であることを悟ろう ある時期、神様はイギリスを祝福されました。その当時イギリスは、その領土に「日の沈むことがない」と言われるほど、その威勢が全世界に広がっていました。しかし、彼らが神様の真の祝福のみ旨を忘れ、世界植民地政策が自己中心になったとき、イギリスは秋の落葉のように衰退しました。彼らも、セサラン運動ができなかったことで衰退したのです。

今日、アメリカも、ローマ帝国などを羡むことがないほどの権勢と祝福を享有しています。彼らも二百年間、セマウル運動もよくやり、セマウム運動もよくやりました。しかし、「終わりの日」に、世界のために犠牲となるこのセサラン運動ができなければ、アメリカの将来は暗澹たるものでしょう。韓国も、この神様の原理から逃れることはできません。私たちが究極的に出ていく道は、セサラン運動です。自分を犠牲にし、自分の国を犠牲にしてでも共産主義を防いで、良い暮らしができる世界にしようとする犠牲的な愛に燃えなければ、私たちもまた、一度は良い暮らしをしたとしても、今の先進国が滅んでいくその落とし穴に共に陥ることになるでしょう。

統一教会は今、そのセサラン運動を五大洋六大州、百二十ヵ国に広げているのです。そしてこの運動は、神様が共にされる運動となるでしょう。この運動によって、名実共に五色人種が一つの兄弟となる理想が実践されています。そして、統一教会が導くセサラン運動の故郷は、我が祖国、大韓民国なのです。

「私の愛する祖国よ、輝け!お前はついに神様の召命を受けたのだ!世界を生かすセサラン運動の本郷になったのだ!」。これが本日の朝、皆様に申し上げる私の証言のすべてです。

私たち韓民族の急務は、自覚です。悟ることです。私たちは悟らなければなりません。私たちは神様から召命を受けたことを悟らなければなりません。私たちが選民であることを悟らなければなりません。自分だけが良い暮らしをするための選民ではなく、世界が良い暮らしができるようにする選民であることを悟らなければなりません。この使命を悟り、一致団結してこのことを実践するとき、神様の祝福は永遠に私たちの祖国と共にあり、私たちは神様の王子となる立場で新しい時代の先駆者となり、祖国の栄光も永遠無窮となるでしょう。最後に皆様の御家庭と社会生活に、そして大韓民国と指導者の皆様に、万福が臨むことを祈りながら、きょうの朝のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。

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アメリカで起こる不吉な徴候 ところが、そのアメリカは、一九四五年の第二次世界大戦の勝利から今日に至るまで、神様の本然のみ旨を離脱していく不吉な徴候が見えており、これは甚だ恐ろしいことであると言わざるを得ません。私はアメリカを愛するがゆえに、このことを語るのです。次の話は、アメリカの国会議員たちが集まった講演会において語ったことです。誰かがアメリカを悟らせなければならないので、この話をしました。

第一に、二度の世界大戦を勝利に導いたのは神様であり、またアメリカをして世界国家型である国連を編成させたのも、神様のみ旨でした。神様のみ旨から見れば、本来、国連はキリスト教精神を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家を含む国連は、絶対に神様のみ旨ではありませんでした。

またアメリカは、戦勝後、戦後処理を誤りました。第二次世界大戦に勝利した連合国と敗戦した同盟国家が統治した国々まで正しく保護し、天のものとして管理する責任がアメリカにありました。万一、アメリカが神様のみ旨をはっきりと知っていたら、サタン側国家であるソ連を堂々と制圧して、世界万邦の自由国家を集めて民主世界に結束させ、神様のみ旨の中で全世界を復帰できる良い機会だったのです。しかし、アメリカは、アジア諸国と東欧衛星国家を共産側に渡してしまい、韓国とドイツを両断させる悲劇を招いてしまったのです。

第二次世界大戦の勝利は、神様が、自由世界の版図を広げて共産主義を制圧できるよう祝福されたものだったのですが、結果的にアメリカは、若者たちの血の犠牲を無駄にして、神様を否定する不俱戴天の怨讐である共産主義世界を有利にしただけでした。若者たちの怨恨と血の訴えが、今もやんでいません。のみならずアメリカは、自由陣営を守護しなければならない聖職から後退することによって、ベトナムのようにアメリカの保護下にあった国々を、一朝にして共産圏に供え物として渡してしまったのです。これによってアメリカの国際的威信は地に落ち、恨みの声は日に日に高まっていきます。

今日国連は、その本然の機能を喪失したまま、共産主義国家の宣伝の舞台となっています。アメリカでは、様々な尋常でないことが日ごとに増えています。白人と黒人の人種問題が正にそれであり、若者たちを腐敗させる麻薬問題がそれです。青少年の淪落と家庭の破錠、そして日ごとに激増する暴力犯罪など、それらのどれ一つをとってみても、深刻でないものはありません。その中で浸透してくる共産主義の問題は、最も致命的な打撃です。極度の個人的な人生観と価値観によって肉的享楽に飛び込んでいくアメリカの現社会において、このままでは神様は間違いなく離れ、アメリカが神様の願いと希望と計画を失敗に導くことは、火を見るより明らかです。

この時点で、神様はどうされるでしょうか。神様は、このアメリカの現実を如実に見ておられます。ですから、神様はアメリカがこのようになることを予想されていた、と言っても過言ではありません。物質文明を中心とする西欧文明が、今日のアメリカのような事態を引き起こすことは、必然的な結果であると言えます。物質文明は、どこまでも体であって、心ではありません。今日のアメリカが神様の造られた体とすれば、この体に注入する心は、本来、東洋から起こすことを計画された神様です。そして、東洋の心と西洋の体が合わさって一つになるとき、初めて世界は欠点のない人の役目を果たせるように設計されました。今、西欧文明は一大心情革命、あるいは精神革命を待っています。しかし、この精神的革命は、西欧社会では期待できない立場です。これは必ず、東洋から起こらなければなりません。

ここでしばらく、イギリスの碩学アーノルド•トインビー博士の予言について触れてみることにします。彼は有名な歴史家であると同時に哲学者です。彼の透徹した歴史観はあまりに鋭く未来を見通すため、彼は歴史家の領域を脱し、一人の預言者とまでみなされ、尊敬を受けた人です。トインビー博士は、驚くべき予言をしました。「キリスト教を中心とする西欧文明は、今、その滅亡の直前にさしかかった」と、西欧文明の没落を予言したのです。そして彼はまた、次のように言いました。「歴史の目的は文明の発達にあるのではなく、文明の興亡は、実は高等宗教の出現のための手段である」と。言い換えれば、トインビー博士は、「歴史の流れにおいて、歴史の目的は文明を発展させることにあるのではなく、文明はあくまでも手段であり、むしろ宗教の進歩発展こそが歴史の真の目的である」と言ったのです。そして彼は、「没落する西欧文明を救い出す新しい高等宗教は、東洋から湧きいずる」と言いました。「光は東方より!」この言葉は、トインビー博士の有名な予言です。

韓国から上がる新しい宗教理念の烽火 きょうの朝、革命的な発言になるかもしれませんが、私は、トィンビー博士が言われるその「光」、すなわち世界を生かすことのできる新しい宗教理念は、韓国から出現すると躊躇なく宣言する次第です。その精神革命の烽火は既に韓国から上がり、世界に向かって赤々と燃えています。既に西欧文明の中に飛び火して、超国家、超民族的次元で、数十万の若者たちの胸に火がともりました。彼らには、新しい価値観と新しい人生観が打ち込まれました。徹底した道徳革命が起こっています。世界人類救援のための犠牲的な奉仕が実践されています。その精神革命の烽火が、すなわち統一教会運動なのです。

この精神革命がしっかりとアメリカの物質文明と接ぎ木されれば、心と体が出会うことになります。その瞬間から、アメリカは心と出会うので望みがあり、韓国は体と出会うので望みがあります。さらに韓国とアメリカが一体となって世界救援運動に携わるとき、世界には望みがあるのです。この精神革命の力は、共産主羲に打ち勝つことのできる力です。この精神革命の衝撃がいかに大きいか、次のような実例を挙げて申し上げましょう。

アメリカで多くの物議を醸した私に対する非難の焦点は、アメリカの若者たちを洗脳するということでした。私たちの精神運動の衝撃があまりにも大きいので、賢いアメリカ人たちは私に、「自分たちを洗脳している」と言うのではないでしょうか。私は一九七五年十二月十八日、アメリカの下院議員たちの前で講演したとき、このように言いました。「賢明な議員の皆様に一言質問いたします。アメリカ人たちは韓国から来たこの人、いつも通訳をおいて説教するこのレバレンド•ムーンに洗脳されるほど、愚かな人たちですか」。私のこの言葉に、議員たちは名答を得たということでした。

アメリカの統一教会内に密かに侵入した一人の新聞記者は、統一教会の棚の隅々をくまなく探し、レバレンド•ムーンが洗脳工作に使う薬の瓶を探すのに血眼になったそうです。何か薬を飲ませて洗脳しているものと思ったようです。そのうち、彼は一和の高麗人蔘茶の瓶を見つけたのです。「ああ、これだ!」と言って持っていったのですが、いくら飲んでみても、何の精神的な変化も起こらず、気分だけが良かったそうです。

アメリカの青年たちは、私が持っていった何かの薬を飲んで洗脳されたわけではなく、神様が私に下さったみ言を聞いて、人格革命が起こるのです。韓国の地を通して神様が下さった新しいみ言は、一度聞けば人格革命が起こります。極めて利己主義的なアメリカ人たちが、世界のために犠牲になろうと立ち上がります。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱の過去から解放されます。父母には孝行、国には忠誠、神様には生命を捧げて奉仕しようとする、高潔な人格者となっていくのです。のみならず、彼らは、共産主義を神様の怨讐として認め、共産主義と闘おうという信念が、この世のどの信念よりも強く燃えるようになります。

なぜ神様は、この世を救援しようとする最終理念を、私たちの祖国大韓民国を通して現すのでしょうか。「終わりの日」にこのような選ばれた国になったのは、韓国にいかなる資格があるからなのでしょうか。一言で言えば、韓民族は神様の事情を知り得る民族だからです。歴史上において、神様が喜びの方ではなく、悲しみの帝王であられることを、知る人がいませんでした。神様は、創世の時から子女を失った父母でした。いかに帝王であろうとも、子女を失った父母は悲惨でかわいそうです。歴史の中におられる神様は、かわいそうな父でした。そのかわいそうな父にとって、最大の孝行息子は、その父の痛みと悲しみを身代わりする息子です。韓民族は正にそのような立場で選ばれたのです。

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メシヤの再臨のための第二イスラエル それでは、神様は過去二千年間、どのような歴史をつくってこられたのでしょうか。そして、新しい歴史の糸口はどのように解けるのでしょうか。神様が第二のメシヤを遣わす前にまずされることは、もう一つの選民を起こすことです。基礎がなくては家を建てることができないのと同様に、選民という基盤なしに、メシヤを遺わすことはできません。ですから、イエス•キリストの降臨の前に、神様はイスラエルという選民を準備されたのです。

結論的に申し上げるなら、新たに来られるメシヤを迎えるために世界的選民として築いた土台が、すなわち今日、世界的版図をもつキリスト教です。ベツレヘムの馬屋で生まれたイエス様の教えは、これまで二千年の歳月が流れる中で、世界的な宗教となりました。これはどこまでも、再臨という一時を望みながら世界的な選民を造成しようとされる神様の摂理から来た結果なのです。

今日のキリスト教徒の使命は、神様がメシヤを再び遣わされるとき、そのメシヤを歓迎して、彼に侍ることです。二千年前のイスラエル選民たちのように、絶対に彼を再び十字架につけてはならないのです。今日、キリスト教は名実共に第二イスラエルの位置に立ちました。

それのみならず、神様には、メシヤを再び遣わす前に必ず成就しなければならない、二つの重要な宿題がありました。その一つは、高度な物質文明の発達です。神様のみ旨が成就するということは、すなわち地上天国が成就するということですが、それは霊的な天国だけを意味するのではなく、肉的天国、または物質的楽園をも意味するのです。ですから、メシヤの降臨とともに成就される高度な精神文明を入れる器、いわば高度な物質文明の世界を準備する必要がありました。さらに、神様の理想では、世界が一つの国なので、その世界が科学の発達によって、交通と通信手段が高度に発達し、全人類が一日生活圏内に暮らすということは、地上天国の建設においてこの上なく重要な要素です。これは統一世界文化の創造に必要不可欠な条件です。ですから、イギリスで起こった産業革命を始発点として、わずか数世紀の間に高度な物質文明を成し遂げたことは、神様の設計図の中に計画されていたことなのです。最近、アポロ十一号の月面着陸を全世界の人類が同時にテレビを通して見たこと自体が、今日、人類が共同生活圏内に住んでおり、神様の時が満ちたことを意味するのです。

神様が準備されたもう一つのことは、メシヤが降臨できる環境を造成することです。これはどんなことでしょうか。それは、みだりに人を捕らえて命を奪うことができない法治制度の創建のことをいうのです。イエス様の時代では、人の命は権力者の前でははえの命のようなものでした。イエス様は、為政者や権力者たちが願えば、いつでもはえを取るように捕まえて命を奪ことができた、無法天地の制度下に生まれました。根本的な人間革命を叫んだ革新的なイエス様のみ言は、その社会制度のもとでは容認されませんでした。イエス様が十字架につけられたことは、当時の制度下においては避けられない事情だったと言えます。これをよく御存じであられる神様は、メシヤが再び来る再臨の時に何よりも必要なことは、人々をみだりに捕まえて命を奪うことができない法治制度であることを知っておられたのです。

このために、二千年間、汗水流して準備された制度が今日の民主主義です。民主主義は人権を尊重する制度です。民主主義というのは、少数派も多数派の中に混じって生き残ることができる制度です。民主主義は自由を保障する制度です。その自由とは、すなわち言論、宗教、結社、出版、集会の自由です。

その民主主義の代表と見ることのできるアメリカの憲法を見れば、自由の中で最も絶対視する自由が宗教の自由であり、アメリカ議会と政府は、宗教を規制するいかなる法もつくることができないようになっています。この制度は、たとえ神様の息子が再び現れて革命的な布教をしたとしても、彼がそのことによって再び十字架にかからずに生き残ることができるようにするための制度なのです。これは神様が再臨の日のために努めて準備された制度です。ですから、身近な例を挙げれば、革命的な新しい真理を伝える統一教会が、いくらアメリカ人たちの気分を多少害するとしても、今日のアメリカのもつ法と制度によっては、これを十字架にかけることができないのです。

アメリカは神様の摂理の中心国家 そして、いざ再臨の時が近づいてくれば、神様は第二イスラエルの世界的版図の中から、神様が中心となるキリスト教国家をお選びになる必要があります。これは、どういうことでしょうか。神様が成し遂げようとされる究極の地上天国の理念は、この地上に実際に成就する理想なので、ある中心点から出発して、漸次世界へと波及しなければなりません。いわば標本となる国家がなければならないということです。そしてさらに、言うまでもなく、終末にその中心的な神様の摂理を十分に担うことのできる国として、かなり以前から予定され、その予定に従って選ばれた国が、すなわちアメリカなのです。

今しばらく、アメリカの国家の形成過程を探ってみることにしましょう。アメリカ大陸は、あのように途方もない大陸でありながらも、一五〇〇年代までは発見されないまま放置されていた大陸です。これは「終わりの日」に、神様が特別に使おうと密かに隠しておいたものと解釈することができます。またアメリカは、その国家形成が移民によってできた国です。言い換えれば、アメリカは主人のいない国でした。原住民であるインディアンがいましたが、インディアンは主人の役割を果たせませんでした。結局、主人がいないということは、神様が主人なのです。ですから、神様がお選びになった特別な人々だけが行き、住むようになった国です。

ヨーロッパ大陸ではアメリカを新天地と呼び、最初に新天地に望みを抱いて移民した人々は、すなわち、信仰の自由を求め、神様に侍るためにやって来た人々でした。旧時代の圧政下において完全に望みを失ってしまい、「仮に大西洋の海で命を失ったとしても、ただひたすらに神様に心ゆくまで侍ることのできる所に行こう」と言って、悲壮な心で出発し、メイフラワー号という帆船に乗り、五十七日間の難航海の末に、アメリカのニューイングランド地方に上陸したのが、すなわちアメリカの先祖である清教徒たちでした。

彼らは航海中に多くの犠牲者を出し、上陸して初めの冬を越すときに、またその半分が犠牲となりました。彼らは、神様と信仰を、命よりも大切にした人々でした。彼らが間もなくアメリカの先祖となり、彼らの精神がアメリカの建国精神になったことは、偶然だとは絶対に言うことができないのです。

神様に侍る唯一の国、すなわち「神様のもとの一つの国家」というモットーが、アメリカの建国精神になったことは、この国を建てて、メシヤを再び迎える世界キリスト教国家の中心にしようとした神様のみ旨を、明確に立証するものです。そして、神様が隠しておいたこの肥沃な大陸に、神様を信奉する五色人種(すべての人種)が集まり、超民族的キリスト教国家をつくったのですが、これは、将来つくられる地上天国のモデルなのです。

今やアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである世界救援のみ旨を達成し、神様の世界家族、そして統一文化を成し遂げなければならない重大な使命を背負うようになったのです。また、終末に起こる人類歴史最後の悪の勢力である共産主義に備えるために、神様はわずか二百年の間に、この荒地から生まれた新生国家アメリカを、世界の最強国家にされたのです。

今、アメリカ国民が悟らなければならないことは、今日、アメリカが享有している神様の祝福が、アメリカのためだけの祝福ではないということです。この祝福は世界のためのものであり、神様のみ旨を成し遂げるための祝福なのです。今日、アメリカ国民は、キリスト教精神で完全に武装し、世界人類救援のために、いかなる犠牲と十字架をもはばからないという決意に燃えていなければなりません。そして神様のみ前において、アメリカがもつ最も重大な使命は、共産主義の魔の手から自由世界を保護し、究極に至っては、共産主義さえも解放できる原動力にならなければならないということです。

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2.祖国よ、輝け 日付:一九七八年十月十九日

場所:韓国、ソウル、朝鮮ホテル

行事:韓国地域社会開発研究院招請朝餐講演会

尊敬する各界の指導者の皆様。きょうの朝、この意義深い集会に私をお呼びくださり、国家中興の大課業において中枢的役割を担当していらっしゃる皆様に、お話し申し上げる機会を与えてくださり、心から感謝申し上げます。

神様に選ばれた韓国 私は海外において、様々な逆境の中でも、ひたすら神様の国の具現のために宣教事業に没頭し、二年半ぶりに再び懐かしい祖国の土を踏みました。普通ならば、その間に何度か帰ってこなければならなかった祖国ですが、今回は、執拗に捕らえて放さないフレーザー委員との熾烈な対決において、最終的決着をつけようとしているうちに、懐かしい祖国への帰りが二年半も遅れてしまいました。

フレーザー議員は、去る九月十二日、民主党の予選でついに落選しました。人間的に見ると彼は大変かわいそうな人です。私は、「怨讐も愛さなければならないので、彼のために祈りなさい」と信徒たちに勧めました。彼は今回、負けられない闘いで負けました。その理由は何でしょうか。彼は天意に背反したことによって、敗北したのです。聖賢の言葉に、「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」とあります。いわば彼は、神様の審判を受けたのです。

韓国を第二のベトナムに仕立てようとする彼の努力は、韓国を選んで天の大きな摂理を全うしようとする神様のみ旨とは正反対の努力でした。そのような神様の摂理を知ってみれば、韓国は重要な国なのです。韓国は、今後世界が共産化されるのを防ぐ、決定的役割を果たす国です。神様は、共産主義の究極的目標である世界制覇を許すことはできません。それは、神様御自身の敗北を意味するからです。そして、この歴史的な有神と無神、二つの理念の最終対決において、韓国は神様の選手として選ばれたのです。

ですから、韓国を破壊しようとするフレーザー議員の陰謀は、とても容認し難いことでした。私は、神様の審判が彼に下ることを明確に予知できました。彼は天に逆らう者の立場に立っているので、いかに彼の威勢が盛んだったとしても、彼の末路が悲惨なことを知っていました。誰でも、天理に背反しては生き残る者がいないのです。今回のフレーザー議員の敗北は、神様の審判であると言わざるを得ません。

このように、こよなく韓国を愛される神様を骨髄にしみて実感しながら帰ってきた、今回の帰国の道でした。何度も降り立った金浦空港ですが、今回はいつになく私を喜んで迎えてくれているようであり、故国同胞の温かい歓迎は、私の霊魂を揺さぶりました。帰るやいなや私は、祖国の地、錦繍江山(クムスガンサン)(=韓国の別称)千五百里を、南北にわたって走ってみました。韓国の山河は、とりわけ青々と美しく、世界に類例を見ない秀麗な山河でした。民族中興に向かって突き進む祖国の復興の姿は、十分に満足して余りあるものでした。

故国にいらっしゃる皆様。本当にお疲れ様でした。私たちは、ただ先進国家につき従っていくことに満足する国となってはいけません。私たちの祖国大韓民国を通して、神様は偉大な課業を成し遂げようとされておられます。二千年前、人知れぬ小さな村、ユダヤの国ベツレヘムの地に、偉大な思想が出現しました。それがすなわち、イエス様の思想でした。神様は、その救世思想を中心として二千年間、救世運動を推し進めてこられました。今、もう一度、共産主義の魔の手から世界を救い出し、地上に天国を建設する新しい救世理念の誕生地として、神様は、東方の小さな国、韓国を訪ねてこられるのです。私たちは、神様が与えてくださるこの任務を甘受しなければなりません。これは正に、私たちの祖国大韓民国が、永遠に栄える道であり、いつまでも光り輝く道です。

堕落によって創造理想と正反対になった世界 きょう、私は皆様をお迎えし、私のこのような所信の一端を披瀝しようと思います。世界のすべての宗教は、宇宙の根本原因を、創造主または神様という方として認定するところから出発します。その神様は善であり、永遠不変であり、唯一であり、絶対的な方でなければなりません。その神様がこの世をお造りになったとするならば、そこには必ず創造目的が先行したはずです。そして、その創造目的も、やはり永遠、不変、唯一、絶対的なものでなければなりません。

神様の創造目的は「喜び」です。喜びを得ようとして、人間と世界を造られたのです。その喜びというのは、一人では感じることができません。喜びを感じるためには必ず対象、または相手が必要です。主体と対象が互いに相対基準を結んで与え合うとき、喜びを感じることができるのです。そして最高の喜びは、愛を与え、受けるときに感じることができます。そのように、神様が私たち人間を対象として造られ、その対象とともに無限の愛を与え合い、永遠に喜びを得ようとされたのです。それが、すなわち創造目的だったのです。

このような創造目的を果たすために、人間始祖として一男一女を造られたのですが、聖書では彼らを「アダム」、「エバ」と呼びます。そのアダムとエバが、神様の完全な喜びの対象となり、愛を与え合いながら、善の子女を繁殖していれば、その家庭が拡大して社会となり、その社会が発展して国家となり、その国家は世界に発展して、この地球は、このアダムの一族で満ちあふれ、この地上には神様の善と愛を完成した喜びの世界が築かれていたのです。その世界を、すなわち天国と称し、その天国は明らかにこの地上にできたはずだったのですが、その世界は、すなわち地上天国と言わざるを得ないのです。

この地上天国は、神様を中心とした一つの家庭であり、人類はすべて一つの兄弟です。そこには一つの伝統と一つの文化がある一つの統一世界にほかなりません。そこには人種差別はあり得ず、言語の衝突もなく、国家の分裂も、理念の対決も、殺戮して相争う戦争もあり得ません。このような神様の理想世界を描きながら、今日の現実を眺めてみるとき、私たちは、神様の理想とは正反対の世界に住んでいることを痛感させられます。まず私たちの一つの体の中に、心と体の分裂を見ることができるのです。

今日の私たちの世界は、分裂の世界です。国家の分裂、言語の分裂、文化、伝統、人種、理念、愛の分裂など、このような分裂の中で、人類歴史は殺戮の闘争と戦争の連続でした。これはどう見ても、天国と言うことはできません。私たちは地上地獄に住んでいるのです。これは、人間始祖アダムとエバの堕落によってもたらされた結果です。堕落したということは、神様に逆らったということであり、神様から離れたということです。それによって、神様が臨在できない歴史が始まりました。人類歴史は、神様に逆らう歴史の連続によって今日に至りました。

人間世界の救援のために遣わされたイエス様 私は先ほど、神様の創造目的が、永遠、不変、唯一、絶対的であると言いました。たとえ人類始祖の反逆によって堕落世界ができたとしても、神様の根本理念とみ旨は変わることはありません。神様は必ず初志を貫徹される方です。神様は必ず、神様本然の創造理想を果たさなければなりません。人間の堕落以後、神様は無為無策だったわけではありません。人間の堕落以後の神様のみ旨は、堕落した人間を救援する「救援の歴史」でした。

「救援」とは何でしょうか。病にかかった人を病気以前の状態に治すことが救援です。病にかかったこの堕落世界を、堕落以前の本然の世界に戻すことが、すなわち救援です。ですから、救援というのは、本然に帰ること、すなわち復帰なのです。ですから神様は、この堕落世界を清算し、堕落以前に神様が計画された本然の理想世界へと復帰するみ業をされて、歴史を歩んでこられているのです。

今から二千年前、神様は、イエス•キリストを救世主、メシヤとして、この地上に遣わされました。彼を遣わした目的は、正に堕落人間の救援です。救援は、すなわち復帰のことをいいます。メシヤがこの世を救援されるということはすなわちこの世を天国へと回復するということです。ところが、二千年前、メシヤは明らかにこの地上に来られましたが、いまだにこの地上には、天国が建設されていません。これは重大な問題です。イエス様は、「天国は近づいた」と天国の到来を宣言されましたが、その天国の到来が成就した痕跡はありません。むしろイエス様は、罪を着せられ、十字架に打ちつけられるという悲運を招きました。これはつまり、神様がメシヤを遺わされたみ旨が、二千年前に完全には成就されなかったことを立証しているのです。

その理由は何でしょうか。その理由は、イスラエル選民の無知と不信にあったのです。神様がメシヤを遣わされる以前の四千年間、イスラエルという選民を集めて摂理されてきたのは、メシヤが来られるとき、そのメシヤを迎えて、神様のみ旨を成就することを願ったからでした。しかし、イスラエル選民は、いざメシヤが来られたとき、神様のみ旨を正確に知ることができませんでした。彼らは、メシヤが来れば、ロ—マの虐政下にいる自分たちの怨讐を討ってくれ、力でローマを征服し、一躍、選民イスラエルが君主の権勢をもって、世界に君臨することを夢みました。彼らが望んだメシヤは、権力のメシヤ、武力のメシヤでした。

しかし、メシヤの天国理念は、武力で成し遂げるものではありません。神様の天国理念は、真理と愛で果たされるのです。その上、メシヤは、イスラエルだけを解放して彼らに王権を与えようとして来られる方ではなく、むしろ、イスラエル選民を犠牲にさせてでも、世界の救援を計ろうとして来られることを、彼らは知りませんでした。政治的な勝利と利己的な権勢争奪を夢見たイスラエル民族の目に映った裸足のみすぼらしい無力なイエス様の姿は、メシヤとしては受け入れ難い姿でした。

それでイスラエル選民は、メシヤを十字架にかけてしまいました。これは、神様にとってこの上ない悲劇であり、人類にとってこの上ない不幸です。神様の天国実現のみ旨は、その時点では成し遂げられず、未来のある時点で、再びメシヤを地上に遣わさざるを得ない破局を招いたと言えるのです。神様が、メシヤ、すなわち救世主を再び遣わされる日を、私たちは「再臨の日」と呼びます。神様のみ旨は、イエス様の時に完結することができず、再臨の日まで延長されてきました。イエス様が十字架につけられたその日から、神様は、再臨の日を準備することに余念がありませんでした。それから歴史は約二千年が流れました。今は、正に終末であると叫ぶ声が高まり、メシヤの再臨を待望する声は四海に満ちています。

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神様の恨とは何でしょうか。民を抱いて泣き、地に対して泣いたことはありましたが、神様の願われる勝利した息子を抱いて、喜びと感激の涙を流したことはなかったのです。それが神様の恨です。すなわち、天から、「お前は勝利した息子である」と認められる人がいなかったことが、人類歴史を通じて神様の恨として残されてきたのです。言い換えれば、失ってしまった息子、娘を復帰するために、気が遠くなるほど長い歴史の裏街道をさまよってこられた神様にしがみつき、声を上げて泣いたことのある人は一人もいなかったのです。

私たち人類は今や、新しい後天時代を迎え、真の愛を中心として神様を完成させてさしあげなければなりません。それは、神様御自身に未完成な部分が残っているという意味ではなく、完全な主体であられる神様の対象として創造された私たち人間が、完全な対象、すなわち絶対価値をもった真の対象にならなければならないということです。

既にその位置に立っていらっしゃる真の父母様に似て、神様が、絶対的位置で絶対相対を確保し、解放される真の理想家庭の愛の主人になることが私たちの貴任です。主体的神様を中心として、先生がそのマイナスとなって完全統一を成し遂げたように、皆様も、真の父母を中心として、実体的にプラスとマイナスとなれば、神様と一つになった位置に思いどおりに入っていくことができるのです。したがって、皆様は、皆様の肉身の父母に所属した息子、娘ではなく、まず神様の息子、娘であることを刚明して立ち上がらなければなりません。たとえ、今はまだ、皆様自身が神様の息子、娘と叫ぶには不足な点があったとしても、真の父母から祝福され、真の父母の息子、娘になったという条件的基準においてでも、自信をもって進んでいかなければなりません。

誤った根をもって生まれましたが、その根を切ってしまい、幹も切ってしまって、真の父母様の真の血統に接ぎ木され、新しい芽を育て上げるのです。それが、皆様が神様を解放してさしあげる近道です。

皆様がいくら忠真の家庭になったとしても、国家がなくなれば何の役にも立ちません。いくら忠臣であっても、国がなければ歴史に定着できる基盤がなくなるからです。ですから、家庭を通して国を復帰しなければならず、国を通して世界を復帰しなければならず、世界を通しては天宙を復帰できなければなりません。そのような位置を確保したとき、皆様と皆様の家庭は、天宙の主人と同じ価値をもつようになるのです。

皆様。私たちは、後天時代を開くとともに、新しい真の天の文化と伝統を立てています。その例として、私は、天の命に従い、去る四月十八日に「安侍日」を制定して宣布し、既に十一回を過ごしています。去る七月十六日は、第一回「安侍日」を迎えた四月二十七日から満八十日目になる日でした。再出発数である八数が、帰一数であり完成数である十数と共に八十数を形成しています。この日は、真の父母様の年齢が八十歳になった時に結実し、宣布しなければならなかった天の勝利と後天時代の新しい出発を、五年延期して完結し、宣布するという、そのような深い摂理的意味が秘められている日です。

天一国主人である皆様は、この摂理的な行事に参席して神様の心情を相続し、新しい袋に入る新しいぶどう酒として再び醸造されるためにここに来ました。昼夜を分かたず、八十年以上の生涯をいちずに邁進してきた真の父母様の摂理の現場を直接目撃し、平和王国創建の先頭に立つ働き手となるために、ここまで遠い道のりを駆けつけてきたのです。先天時代の古い習慣に執着することなく、心と体のすべてを天のみ前に捧げ、真の天一国を皆様の家庭から探し立てなければならないという天命を受けるために来られたのです。天命とは、背くことのできない天の命令です。死ぬ前に、自らを生きた供え物としてでも天の前に捧げ、責任を完遂しなければならない絶対命令なのです。

皆様。今や人類は、歴史上、あとにも先にもない真の解放、釈放の時である後天時代を迎えました。太初にアダムとエバの失敗によって偽りと罪悪の血に染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出し、天の召命に対して悲壮な覚悟で立ち上がらなければならない時が来ました。イスラエル民族の出エジプトの歴史を皆様もよく御存じだと思います。二十一世紀の出エジプトの歴史は、今、皆様を中心として展開しています。イスラエル民族がそう

だったように、皆様は、汚れた醜悪な今日の現実世界に対するすべての未練を振り払うべき時が来たのです。

人類の真の父母という天命を受けた私は、天一国四年の今年になって、天の摂理を勝利と栄光で完結するために悲壮な覚悟で走っています。去る三月二十三日、アメリカの国会の上院ビルにおいて、私は、アメリカの国会議員はもちろん、世界の著名な宗教指導者が席を共にした中で、「世界平和の王」に推戴され、即位式を行いました。六十億の人類のための世界平和は、真の父母を軸として、すべての宗教と思想が真の愛の圏内で和合統一されてこそ可能であるという厳粛な天の命令に従い、私は、そのみ旨を成就するために、さらに多くの心血を注いでいます。

「安侍日」が制定、宣布された今、神様は、七日に一度巡ってくる日曜日だけを聖日とするのではなく、失ったすべての七日間はもちろん、八日目を「安侍日」と定めて慶祝され、御自身の創造された霊界は言うまでもなく、地上界の万人と万象から喜びと敬愛と栄光を受けられる天の真の父母様となられたのです。これからは霊界も総動員され、地上界を協助することのできる道が大きく開かれました。

去る五月五日の第二回「安侍日」には、歴史的な「双合十勝日」を制定し、宣布することにより、天の摂理が、帰一数であり完成数である十数を迎える、すなわち摂理の完結を見る十勝圏の世界を開門しました。後天時代の脈をつないでいく双合十勝圏の完成は、宣布し、記念式を行ったからといって決して自動的に成就されるものではありません。双合十勝圏は、真の心情圏の完成を意味します。神様と心情一体圏の立場まで入っていき、「お前は私の息子であり、私の娘である!」という天の印を受ける立場にまで進んでいかなければならないという意味です。

そして、第四回「安侍日」である去る五月二十一日には、「真の愛の和合統一は真の理想家庭の絶対価値観」を宣布するに至りました。真の愛の実践が皆様の日常生活となるとき、個人や家庭、国家、世界までも和合統一が成就されるのであり、真の理想家庭の絶対価値も正にそこから創出されるのです。

神様の人間創造を探ってみると、絶対的主体の立場に立っていらっしゃる神様も、御自身の絶対相対になってほしいという天命によって人間を創造されたのです。しかし、人間は、堕落により、その天命に最後まで従うことができませんでした。そうして、絶対価値は夢にも見ることができず、相対的価値観にばかりすがってきた人生を生きる人類となったのです。

しかし、今は、真の父母の八十余年という生涯の生の姿がいきいきと皆様を導いています。真の愛の生の姿とは果たしてどのような生なのかということを、はっきりと示してくれています。与えてはまた与え、赦してはまた赦してあげる真の父母様の怨讐に対する愛の標本的生涯の前で、誰が弁明できるというのでしょうか。ただ絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道だけが、皆様の宿命的人生になることをはっきりと悟らなければなりません。

蕩減革命、良心革命、心情革命の三大革命を皆様の日常生活の中で実践して完遂し、真の解放と釈放の時代を開門する、天の特攻隊となることを覚悟して立ち上がる人は、両手を挙げて天のみ前にその決意を誓いましょう。

今からお帰りになったら、どうかレバレンド•ムーンが今晩、皆様に差し上げたこの貴い天運の贈り物を大切に使ってくださるようお願いいたします。これは、子々孫々、皆様の家庭における永遠の伝統となり、宝物となるでしょう。神様の祝福とともに、気をつけてお帰りください。ありがとうございました。

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皆様。「真の父母」という言葉は、神様の創造が始まる以前から神様の心の世界にあった言葉です。神様の創造によって関係を結んだすべての理想は、真の父母を中心とする真の愛の理想を表題として出発したので、「真の父母」という言葉は、創造以前から神様が願われた希望の言葉だったことを知らなければなりません。

真の父母を探し立てるまで、神様の摂理路程において数えきれないほどの多くの人々が犠牲になってきたという事実も、皆様は知らなければなりません。神様は、摂理の路程において、その時々に適切な宗教を立てて摂理してこられました。したがって、宗教の中には、天使級の宗教、カイン的な宗教、アベル的な宗教、養子的な宗教、庶子的な宗教、養父母的な宗教、真の母格の宗教、そして真の父格の宗教があります。

キリスト教の歴史を見れば、アベル格の新教とカイン格の旧教が、神様の摂理全体のみ旨に合わせ、世界の各地域における様々な文化圏を中心として人類救援のために努力してきたすべての宗教圏を統合し、一つの国、一つの世界、すなわち一つの平和世界を建設しなければなりませんでした。あらゆる宗教の中の主流宗教がキリスト教だったからです。

皆様。見えない針の先が神様だとすれば、見える針の先は私たち人類の先祖です。ですから、神様は縦的な真の父母です。そのような神様が、霊界で子女を生産できればどれほどよいでしょうか。しかし、霊界では生産することは不可能なのです。

したがって、神様は、アダムとエバを横的な人類の真の父母の位置に立て、彼らを、天国の民を輩出する生産工場にされたのです。垂直は、一つの焦点しかないので、体積を必要とする生産を行うことはできません。生産に必要な体積は、垂直と水平が出会って、面積が形成されるときに初めて生じるのです。

赤ん坊は、神様が生むのではありません。真の父母を通して生むのです。ですから、神様は人類の縦的な真の父母であり、その縦的な真の父母に対して、真の愛を中心として九〇度に合わせ、横的な真の愛をもったレバレンド•ムーンが、正に人類の横的な真の父母の位置に立っているのです。

真の父母の立場は、人類が何よりも探し求め、待ち望んできた救世主、メシヤ、再臨主の立場を総体的に代弁する立場であり、あらゆる宗教の目的の教えの上に立っているのです。縦的真の父母と横的真の父母を探し出して、その方に侍り、真の愛の子女を生産するようになれば、ほかに何の言葉が必要でしょうか。「真の父母」という言葉の中には、救世主、メシヤ、再臨主という言葉がすべて含まれているのです。

ですから、霊界の五大宗教の代表やすべての聖人、賢人、さらには歴史上最も邪悪なサタンとみなされているスターリンやヒトラーのような者たちも、「レバレンド•ムーンは人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母である」と宣布し、「その方の教えを実践することに生命を捧げます」と決意する決意文を続々と送ってきているのです。

生命の創造には、二つの父母の愛が絶対的に必要です。一つの父母は、創造主であられる天の父、すなわち縦的な無形の真の父母であられ、もう一つの父母は、その無形の真の父母が御自身の創造理想を実現するために、実体をもって地上に顕現した横的な真の父母です。ですから、神様は、心的な真の父母の位置にいらっしゃり、横的な真の父母は、体的な位置にいらっしゃるのです。

たとえ堕落の後裔に転落してしまったとしても、私たち人間は、このような姿に似て、縦横の愛を自由に展開して楽しむために、二重構造になっているのです。縦的な「私自身」は私たちの心です。今日まで、人々は心について正確に知ることができずに苦悩してきました。仏教においても、儒教においても、自分たちなりに心の正体について定義しようと努力してきました。しかし、心の根である神様の正体を正確に把握しない限り、心を知るというのは不可能なことです。

レバレンド•ムーンの教えは、心の正体を手に取るようにはっきりと説明しています。神様の創造理想によって縦的な真の愛を軸とし、横的な真の愛を中心として人間の心が定着するのであり、前後を連結する神様の真の愛が増し加わって、球形的で立体的な理想が実現するのです。

そのような基台の上でこそ、東西南北のどの方向を通しても力の消耗がなく、またいつ作動しても喜びだけがあるのです。そこには、嫌なものや悪いものが入り込む隙間がありません。全く衝突がないのです。縦的な私と横的な私が、神様の真の愛を中心として一つになるのです。

皆様の心が今も葛藤と衝突の中で闘っているのは、真の愛がとどまることのできる縦と横の交差点が、堕落によって九〇度を形成することができずにいるからです。一言で言えば、神様の真の愛がなければ、絶対に心と体の完全統一を成し遂げることはできないのです。

皆様の所有権の問題を見ても、すべてのものは人類のものであり、堕落によるサタンの讒訴圏を抜け出た本然の所有決定のための土台、すなわち神様の真の愛を中心として一つになった心と体の一体圏を確保しなければなりません。天が絶対的基準で所有権を主張できる位置にまで行くことができてこそ、皆様も天から再び所有権をもつことを許されるのです。

言い換えれば、皆様の全所有権を完全に天に捧げ、天の認定を受けてこそ、地上の真の父母様を通して天的な所有権として再び返してもらうようになるという意味です。このような天道があるがゆえに、先生は、一度手にしたものは、いかなる困難があっても手離そうとはしないのです。真の父母様が捨てるという手続きを経なくてはならないからです。

皆様は、ただの一個人ではありません。自分は世界全体を代表する中心だという確信を抱いて生きれば、そのようになることもできるのです。実際、気がつくと誰もがそのような考えを抱いて生きています。息子、娘は父母を代表し、父母はその家族を代表しています。同じ論理により、今、皆様は、世界的次元で勝利したレバレンド•ムーンの確固たる基盤の上に立っているので、必ずレバレンド•ムーンの身代わりとする立場で心情を相続しなければなりません。

皆様が労働と努力をするのは創造です。一生の間、仕事ばかりして生きたとしても疲れを感じることなく、ただただ楽しく、神様の真の愛の世界を感じることができ、そして神様を慰労してさしあげることができる、そのような道を訪ねていくのが愛の一生なのです。自分は、神様が創造したものをもって趣味とし、楽しく天の記念品をつくって暮らしてから死のうという考えと態度で一生を送ってみてください。東西南北、前後左右、どこにも遮るものはありません。

ですから、先生は一生の間自然を愛し、自然を訪ねて友として生きてきたのです。地球上の海という海、五大洋と六大州で訪ねていかなかった所がなく、川という川、山という山はすべて訪ねていきながら生きるのです。皆様も、先生のように、神様の愛をもって自然を訪ねていって友とし、主人と出会うことができずに嘆息圏に置かれている自然を解放してあげようという心を抱いて生きなければなりません。

そのような意味で、統一運動には「山水苑」運動が必要なのです。都市の退廃した文化のとりこになり、個人中心の利己主義的生活の奴隸となって環境を破壊し、各種の公害の中で苦しみながら、子女たちの情緒的発展を妨げる愚かな生の枠組みから一刻も早く脱出することが、知恵深い人生となるのです。

不幸にも、人間始祖アダムとエバの堕落により、神様が創造とともに理想とされた真の家庭は実現しませんでした。エデンの園において、エバは、天使長に誘惑され、アダムは、エバの誘惑に打ち勝つことができず、利己的な偽りの愛をこの世の中に植えてしまいました。このように、人類の罪と不幸は、人間始祖アダムとエバがサタンを動機として結んだ不倫の愛の結果に由来しているのです。ですから、神様の復帰摂理は、まず人間の心と体を引き裂いた葛藤の壁を除去し、真の家庭を復帰し、真の愛と善の世界を世界的版図に拡大していく歴史を展Ifaしてきました。

早くからこのような天の真理と秘密を見抜いた私は、今まで半世紀以上にわたり、キリスト教徒、さらにはすべての宗教家と全人類に集中的に説いてきたのです。数十、数否に分かれている宗教界やキリスト教はもちろんのこと、全人類にはこの真理以外に統一できる道は全くないのです。

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17.真の心情革命と真の解放、釈放時代開門 日付:二〇〇四年七月二十六日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「二〇〇四世界文化体育大典」祝賀晩餐会

尊敬する元•現職の国家の首班と内外の貴賓の皆様。「二〇〇四世界文化体育大典」によって成し遂げた実績と勝利を感謝するその感謝の心をみな一つに合わせて、神様に栄光を捧げましょう。

今日の世界は、前後左右、東西南北、どこを見ても、混沌と絶望の中から抜け出すことができずにいます。方向感覚を喪失した人間の姿が、不憫であるどころか、悲惨な姿としてあらわになりつつあります。誰一人として万人が共感する解答を提示することができず、六十億の人類を乗せた地球号は座礁寸前に来ています。しかし、聖書には、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)とあります。

私が「二〇〇四世界文化体育大典」の開会式で言及したように、人類のための平和世界の創建は、単に人間の努力だけでは不可能な課業です。そこには天運が必ず共になければなりません。もうあすになれば、皆様は再び別れていきます。

私が今晩、皆様に差し上げようと思う贈り物は、神様のみ言を収めた天運の贈り物です。これは、新千年紀である後天時代を開くとともに、天が人類に与えてくださる大きな恵みであり警告です。このみ言をつかんで死なんとする者は、必ず天が新しい生命を下さり、無視する者は、自然淘汰されるでしょう。注意して耳を傾けてくださり、天がこの特別な時に皆様を召命されたことをお忘れにならないようお願いいたします。

皆様。この時代は、人類歴史や摂理史的な次元から見るとき、実に途方もない意味をもっています。先天時代を締めくくり、後天時代を開いてくださった天は、一日を千年のような思いで、忙しく摂理を成し遂げていらっしゃいます。このような天の心情を悟り、きょう、皆様の立っている位置が摂理的にいかなる位置なのかをはっきりと知らなければならないという意味で、「真の心情革命と真の解放、釈放時代開門」と題してお話ししようと思います。

皆様。神様は、私たち堕落した人間にとって、師の中の師であり、父母の中の父母であり、王の中の王の位置にいらっしゃいます。その理由として、神様は、全知全能であられ、遍在していらっしゃり、真の愛の根であると同時に、絶対性、唯一性、不変性、永遠性をその厲性としてもっていらっしゃるからです。

今日の堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。神様の息子には、個人的な息子、家庭的な息子、氏族的な息子、民族的な息子、そして国家的な息子がいます。それらをすべて取り戻さなければならないのですが、そうしようとすれば、人類はどれほど多くの苦労の路程を経なければならないでしょうか。

ですから、天は、国家的基準に立っている息子圏を代表したメシヤを送られるのです。このメシヤを探し出す日が、正にメシヤ降臨の日なのです。神様の個人、家庭、氏族、民族、国家的な息子まで、すべてを探し出す立場に立つからです。堕落の後裔である私たちは、サタンの讒訴圏を抜け出た神様の息子に出会わなければならず、その次には、神様が愛することのできる父母を中心として形成された家庭を取り戻さなければなりません。

その基台の上に立ってこそ、私たちは神様の愛を探し出すことができるのであり、究極的には、神様と直接出会うことができるのです。このように、神様の愛を中心として愛の関係を結ぶことができるのは、ただ完成したアダム、すなわち真の父だけです。しかし、父一人だけでは父母になることはできません。真の相対を探さなければならないのです。その相対は、真の女性でなければなりません。絶対的基準の女性でなければなりません。世界的基準で女性を代表しているのが新婦格であるキリスト教です。なぜなら、キリスト教の中心思想は再臨主、メシヤを迎える新婦の思想だからです。

しかし、真の父母は、ただ一人の男性と、ただ一人の女性によって成立するのです。男性も絶対的に一人であり、女性も絶対的に一人です。二人ということはあり得ません。このように、唯一の男性と唯一の女性が出会って真の父母となるのです。真の父母は、神様の創造理想を中心とした真の理想的夫婦です。ですから真の父母は、個人から世界、天宙までの統一的中心となり、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的なすべての次元で接ぎ木できるのです。

レバレンド•ムーンは、今まで、生涯にわたってこのことを準備してきました。人類が復帰を目標と定めて神様に向かって進んでいくに当たって、必然的な条件が何かというと父母の門を通過しなければならないということです。なぜなら、真の父母の門を通過しなければ、心情を連結させることができないからです。

今日の世界は、心情的に、民族と民族が通じず、宗教と宗教が通じず、家庭と家庭が互いに通じない世界になってしまいました。このように、前後左右が完全に塞がっている垣根を壊し、互いに通じるようにするためには、まず神様の心情と関係を結ばせてあげなければなりません。果たして、誰がそのような使命を果たすことができるのでしょうか。天の真の仲保者として来られる真の父母様以外にはいないという結論が出るのです。したがって、失ってしまった真の父母を探し出すことは、神様の願いであることはもちろん、人類の夢だったのです。

皆様。人類始祖アダムとエバは、神様が本当に願う真の人類の先祖、すなわち人類の真の父母にならなければなりませんでした。その真の父母の血族として、私たち人類は生まれなければならなかったのです。このように、歴史の出発から始まるべきだった人類の真の父母、その真の父母は、神様の栄光の実体として、また人類の前には永遠の勝利の実体として現れなければなりませんでした。アダムとエバの失敗は、正にここにあったのです。

これが、今までの悲しい歴史を綴ってきた怨恨の土台になったことを、私たちはよく知っています。堕落によって人類は、天の法度から離れ、自らの実体を失ってしまい、神様の心情を蹂躙した邪悪な群れとなってしまいました。

したがって人間は、神様のみ言により、再び自らの実体を取り戻し、真の心情の世界を取り戻す復帰の路程をたどってきているのです。堕落により、万物よりも劣る立場に落ち、神様と自由に向き合うことができない悲しい立場に落ちるようになったのです。このような人間は、自分で自分を回復できないので、神様は、人間を悟らせながら再創造の役事をしてこられたのです。

僕の僕の位置から僕の位置を経て、養子と庶子の位置を経て、直系の息子の位置を経たのち、真の夫婦の位置まで進んで、最終的には、勝利的な主管権を備えて真の父母の位置まで復帰してこられたのです。六千年の摂理史の背後には、このような途方もない秘密が隠されていたという事実を、皆様ははっきりと知らなければなりません。

神様が御覧になるとき、この世は堕落した世の中なので、孝子も、愛国者も、聖人、聖子もいませんでした。かわいそうな人類を救おうとしても、堕落圏以下ではどうすることもできません。なぜならば、堕落とは無関係の神様であられるからです。ですから、神様は、堕落していないアダムとエバ以上の立場、すなわち完成した、後のアダムとして来られるメシヤが、神様の家庭を築き、真の父母になるその日だけを待ち続けてこられたのです。

そのような家庭の上に、初めて真の孝子が現れるのです。そのような家庭を基台として立てられた国家基盤の上に、真の愛国者も現れるのです。その基盤が世界的に広がれば真の聖人、そして天宙的次元では聖子が輩出されるのです。そのような真の家庭の基盤の上に、初めて天の代身者が現れ、相続者が生まれるのです。

本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘を意味します。そのような父子が築いた家庭が集まって国を建設します。万民は、平和の世界を願っています。しかし、その平和の世界は、今日の先進国が追求しているそのような世俗的な方法や、そのような次元の文化を通して築かれるのではありません。真の父母を通して伝えられる真の愛の文化を中心としなければ方法はありません。

たとえ、来られるその方が、いくらむしろをかぶり、ぼろのふろしきを背負い、色あせた服を着て、千尋万尋の穴から出てきて疲れきった姿で現れたとしても、堕落人間には選択の余地がありません。その真の父母を通して、神様の心情に接ぎ木されなければならないのです。

そうだとすれば、どの程度、心情的に接ぎ木されなければならないのでしょうか。父の骨髄に入り、その父と一緒に生きたという条件を立ててから、再び母の腹中を通して生まれなければなりません。生まれてからも、真の父母に絶対的基準で侍って生きなければなりません。

しかし、それで終わるわけではありません。周囲の親戚とも関係を結び、さらには氏族的次元で関係を結ばなければならず、民族、国家、世界、天宙、そして最終的には神様とも心情的に関係を結んだという条件を立てなければなりません。そのようにしてこそ、神様は、「お前は私の息子である!」とおっしゃるのであって、自分自身の事情と利益だけを中心として関係を結んだ人は、神様とは何の関係もないのです。

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14.「鮮文ピースカップ」創設の意義 日付:二〇〇二年六月十二日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「鮮文ピースカップ」創設大会晩餐会

尊敬する内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょうのこの場で、皆様と貴い時間を共に過ごすことができ、心からうれしく思います。特に今回、韓国と日本において開かれている第十七回ワールドカップ大会に参席され、そのお忙しい中でも、本大会に参加してくださった指導者の皆様に、重ねて心からの感謝をお捧げいたします。

平和世界実現のために精誠を尽くした八十年以上の生涯 きょう六月十二日は、ワールドカップが開幕して十三日目です。サッカーの熱気が全地球村を熱くしています。連日、異変と波乱、歓喜と挫折が交差する葛藤のドラマが演出される中で、人種や理念、国境を超越し、感動と友情の祝典が繰り広げられています。

きょう、私たちがこの場に集まって深く考えてみることは、スポーツを通じた人類平和実現の道を模索しようということです。今まで私は、聖書の記録のように、「平和をつくり出す人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれる」(マタイ五•九)というみ言の実践と天意に従い、宗教と学術、言論、文化、芸術、スポーツなど、各分野において、八十年以上の生涯をただ一つの道、神様に侍り、神様のみ旨と理想である自由と幸福、そして平和の世界を実現するために、あらゆる精誠を尽くして生きてきました。

皆様もよくご存じのように、和平や平和という問題は、今まで長い歴史の期間を通して、全世界がすべての手段や方法を動員し、あらゆる努力を注いできましたが、ある一つの国家の政治力や経済力、軍事力だけでは、完全に解決できるものではありませんでした。

問題は、最も近い家庭から氏族、民族、国家、そして世界を越えて天宙までも含めて通用する根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。

真の理想、真の愛、真の生命、真の血統、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に、人間の希望です。それでは、理想であれ、幸福であれ、愛であれ、平和であれ、その起源は、どこにあるのでしょうか。それは、ただ一つ、相対のために奉仕し、犠牲になって、ために生きるところにあります。そこに根本真理があるのです。

宇宙の根本原則はために存在すること 宇宙は、神様のように互いに、ために生きて存在することを根本秩序として存在しています。神様は、知恵の王であられ、全能のお方です。ですから、すべての存在世界において、真の愛と真の幸福と真の平和を成し遂げるためには、その世界で主体と対象が互いに、ために生きては、またために生きる、そのように存在するようになっているのです。

すべての存在は、二重目的をもつ連体です。存在の中心には、より大きな全体のために生きようとする性相的な目的と、自体を保護し、自体を存続させようとする形状的な目的があります。

例えば、陽子と電子の作用によって原子が存在し、その原子である陽イオンと陰イオンが分子を形成し、その分子でできた栄養素が植物を育てます。その植物が繁殖して動物の餌になります。動物と植物の問においても、酸素と炭酸ガスを交換します。蜂と花は互いに共存します。天体を見ても、太陽と惑星が互いに授受作用をして、一定の距離を維持しながら公転と自転によって運行されています。

このように、すべての存在は、互いに、ために存在しているという宇宙の根本真理があることを、私はいち早く悟りました。この原則が適用される場、言い換えれば、父子の関係にこれが適用されるならば、真の父母がそこに存在するようになり、真の息子、娘がそこに存在するようになるのです。

ために存在するのが、宇宙の根本原則です。この原則の上に立ってこそ、すべての幸福と平和と理想と真の愛が完成するのです。

互いにために生きなければならないという公式的な原則を拡大し、国家と民族を超越して互いにために生きる世界を成し遂げるならば、その世界が正に私たち人間が願うユートピア的真の愛の世界であり、真の理想の世界、真の平和の世界、真の幸福の世界だということは間違いありません。「ために存在する」というこの原則を掲げていくならば、どこにも通じない所がないのです。

もし皆様が霊界に行くことになったとしても、ために生きる真の愛を実践したならば、神様は、天地の中心存在としていらっしゃるので、そのお方から千年、万年福を受けて暮らすようになり、それ以上の幸福はないことを知ることができます。

ために生き続ける存在は中心存在となり、中心存在となることによって、完全に統一的な環境や平和の世界をここで造成できるという事実を、私たちは知らなければなりません。いくら数多くの宗教があり、数多くの教典があったとしても、その核心の教えは、「ために存在せよ」というこの一言に帰着するのです。

真の宗教、愛の宗教、理想的な宗教、幸福の宗教、平和に導く宗教はどのような宗教でしょうか。個人のために生き、家庭のために生き、氏族のために生き、民族のために生き、国家のために生き、世界のために生き、天地のために生き、神様のために生きて、先に犠牲になろうという宗教が真の宗教であり、理想的宗教であり、万民を平和の場に導き、幸福の場に導く宗教であるという結論も、皆様は知ることができるでしょう。

相対的概念から生まれる平和 平和は、相対的な概念から生まれる言葉です。幸福もそうです。一人では幸福になることはできません。このように考えると、私が一つになろうとするところから幸福が生まれるのであり、平和や、私たちのあらゆる理想的な要件も、私が一つになろうとするところから関係が結ばれ、出発がなされるのです。

人の力だけでは、人間世界において平和の紐帯を結ぶことができません。なぜかというと堕落した人間は、それぞれ自分だけがうまくいくことを考えます。互いに利用しようと考えるのです。自分の利益を追求し、自分を中心として良いものを結びつけようとします。

ここに来られた皆様はそうではないですか。指導クラスの人士だとしても、自分を中心として主導権の争奪戦を行い、自分の利益のために闘って大騒ぎしています。今までのこの世の中では、これが私たちの生活の本質的な基礎になっているのです。自分だけのために生きる世の中では、闘いに終わりはなく、継続されるのです。

ここで、私たちの体の構造を見てみましょう。この目は、自分のために生きようとして生じたのでしょうか。相対のために生じたのです。口は自分のために生じたのでしょうか。相対のために生じたのです。この耳は自分のために生じたのでしょうか。相対世界の音を聞くために生じたのです。

鼻は自分のために生じたのでしょうか。手は自分のために生じたのではありません。さらには、男性と女性の生殖器官自体も、自分のためではなく、夫のものは妻のために、妻のものは夫のために生じたのです。平和は、そこから、すなわち、ために生きようとするところから生まれるのです。母親の体は、母親だけのためのものではなく、夫と子女のために存在するようになっています。

一つの平和な世界、ために生きる世界をつくるために、私は妻と共に、全生涯を通して様々な方面に努力を注いでいます。その中でいくつか代表的な例を挙げるならば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越し、未来世界の基盤を固める超宗教、超国家、超NGO(非政府機構)、超与野党教育活動をしてきました。また「世界平和統一家庭連合」では、真の家庭運動と純潔運動を展開してきました。学術分野においては、アメリカのブリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心に平和思想の教育と実践運動に尽力しています。

さらに、言論分野においては、既にアメリカの「ワシントン•タイムズ」とUPI通信社をはじめとして、韓国と日本では「世界日報」、そして南米、北米のすべての国々をカバーする言論機関をつくり、やがて世界百八十五ヵ国に拡大され、世界が一つになって協力する上で、大きく寄与することになるでしょう。

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生殖器は天国と地獄の境界線 皆様。天国と地獄がどこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、教会でしょうか、国家でしょうか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になっているのです。これが人類歴史上、天地を覆す最大の悲劇をもたらしたのです。

目の見えない盲人のように方向を失ったまま、生殖器をいい加減に使うようになれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、天国に行きます。誰がこの事実を否定できるでしょうか。疑わしければ、私が天理として発表した『原理講論』を熟読され、それでも疑いが解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得るでしょう。

レバレンド•ムーンの教えを受け、今や世界の若者たちがフリーセックスを撤廃し、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のごとく広がっています。フリーセックスが、自分の欲望とサタンを中心とした偽りの愛である反面、絶対愛は神様を中心とする真の愛なのです。多くの文学作品とマスコミが、歴史的にフリーセックスを刺激し、そそのかしてきた傾向がありました。しかし、今からは政治家、財界人、文化人、言論人、宗教家、哲学者など、すべての分野の指導者が声をそろえて先頭に立ち、人類の「亡国病」であるフリーセックスを追い出さなければなりません。

世界平和のための礎石を据えることも、真の愛の絶対価値観を創出するアダムの家庭であり、世界平和への道を破壊するのもアダムの家庭です。ですから、先祖であるアダムの家庭が重要であることを、肝に銘じなければなりません。

私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を降ろし、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたのも、既に時が来たからなのです。地獄となってしまったこの世界を、果たしていかなる方法で変えられるでしょうか。真の愛を中心とした和合統一の実践こそが、唯一の絶対価値観を見いだせる道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対的な基準に立っているので、私たちもこれに見習って生きなければならないのです。

世界平和の礎石は真の愛の絶対価値観をもった家庭 皆様。家庭はなぜ良いのでしょうか。それは父母の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目はいくらみすぼらしくとも、輝く真の愛の核をもつ心情で結ばれた人間で構成される本然の家庭となるとき、そこにおいて人間はもちろん、神様までもが真の自由を感じられるのです。愛が欠如した自由は、真の自由ではありません。私たちがある家に客として行ったときに不自由さを感じるのは、まだその家と深い愛の関係を結ぶことができていないからです。すなわち、愛の関係が四方性を備えることができずにいるので、ぎこちなく不自由なのです。

それでは、本然の家庭で最高、最上の価値は何でしょうか。それは本然の父母です。本然の父母は、なぜ素晴らしいのでしょうか。永遠の愛の主体だからです。愛を中心として一生の関係を結ぶことができる最も近い場所にいらっしゃる方が、正に本然の父母なのです。私たちが生まれて最初に、喜びを交わし合う相手が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあるのです。

私たちが喜ぶとき、最初に喜んでくださり、私たちが悲しいときも、誰よりも先に悲しみの涙を流す方が本然の父母です。ですから、父母のない子女を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。次に、愛する夫と妻が本然の家庭で最も尊い価値的存在となるのです。

夫と妻は条件的な愛ではなく、無条件的な本然の愛を交わす夫婦でなければなりません。たとえ初めから、天が与えた絶対的で永遠な次元の愛の関係で始まった愛ではなかったとしても、夫婦という絶対的次元の関係を土台とした相対関係で結ばれた本然の愛になれば、その愛こそが家庭に幸福と喜びを抱かせてくれる根幹となるのです。しかし、このような理想的な本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終わってしまったら、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びにはなり得ません。夫婦の前には、必ず本然の子女がいなければならないということです。夫婦二人だけで子女を生まず、幸福に暮らそうとしてみてください。そうすれば人類は二代を越える前に滅亡してしまうでしょう。本然の子女から返ってくる愛を受けて暮らすことができてこそ、真の夫婦が本然の父母の位置まで上がるようになるのです。

その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の愛です。絶望ではなく、あすの希望として芽生える理想的な環境を慕いながら、明るく肯定的な姿勢で、子女が本然の父母のために犠牲となり、愛することができたとすれば、その愛は、家庭の幸福のための、純粋で真実な価値としての本然の愛となるのです。

このように本然の家庭で三代圏を形成し、本然の父母の、子女のための犠牲的な本然の愛と本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女による、本然の父母のための真の愛が完璧に備わった本然の家庭があるとするならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭となるのです。

三代圏を形成した家庭が真の幸福の始まり 世の中では、どのような人を幸福な人と言うでしょうか。幸福の基準をどこに置いているのかということです。外的に、人のもち得ない能力や権勢をもっているからといって、幸福な人と言えるでしょうか。誰もが羨むほどお金をたくさんもっていることが幸福でしょうか。世界的な碩学となり、万人が羨む地位に昇ったからといって幸福なのでしょうか。絶対にそうではありません。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障してはくれないのです。幸福を見つける条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体にはなり得ないということです。

結局、愛する本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の子女がいるとき、その家庭から真の幸福は始まるのです。

国内外の貴賓の皆様。今や人類は、この韓半島を中心に展開する真の愛の大革命を目撃するようになるでしょう。数千年間、サタンの偽りの愛の中であえいでいた人類が、今や真の家庭の絶対価値観を確立し、定着させ、この地上からあらゆる偽りの価値観を一掃し、喜びの鬨の声を耳にすることになるでしょう。手の平も、二つを打ち合わせてこそ音が出るのです。天は既に真の父母であるレバレンド•ムーンの勝利的基盤の上に、「後天時代」の門を開きました。私たちの責任は今、絶対的主体である天のみ前に絶対的相対となり、天地開闢の新時代を開いていかなければならないのです。

霊界と地上界が一つに統一され、地上と天上に、神様が天地創造の時から理想とされた平和王国である天一国が創建される歴史的な時代です。全世界の知性ある人たちが総決起して、神様を人類の縦的な軸として迎え、横的な真の父母の使命をもって、八十年以上の生涯を犠牲と奉仕で貫いてきたレバレンド•ムーンの教えを受け、真の人間、真の夫婦、真の父母、真の家庭、真の世界を探し立てなければならない時が来ました。

この歴史的な天の課業を完遂するために、皆様、一緒に同参してくださるようお願いします。皆様の絶対価値観を中心とした理想家庭に、神様の祝福が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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16.真の理想家庭の絶対価値観は真の愛の主人を定める 日付:二〇〇四年七月二十三日

場所:韓国、忠清南道、天安、柳寛順体育館

行事:「二〇〇四世界文化体育大典」

世界百二十ヵ国からいらっしゃった高名な内外の貴賓、宗教界、学界、政界、市民団体など各界の指導者、「超宗教平和スポーツ・フェステイバル」に参加する青年、国際祝福結婚式の参加者、世界からお集まりになった青年、大学生、そして紳士淑女の皆様。

世界文化体育大典の目標は心情文化世界の創建 一九八八年に私が創設した「世界文化体育大典」は、その核心的主題と目標が、心情文化世界の創建にあります。全人類が神様と真の愛を中心に調和と統一を実現し、共生共栄共義の世界を具現するためのものです。

したがって、世界文化体育大典の行事は、人間のつくった障壁を崩し、超国家、超人種、超宗教的な和合一体を指向する文化祝典なのです。今年の「世界文化体育大典」は、摂理史的に「先天時代」に終止符を打ち、「後天時代」が開かれるこの時点において開催されるという点で、より一層大きな意義があります。

この場をお借りして、私はきょう「真の理想家庭の絶対価値観は真の愛の主人を定める」という題目で、今日、天が人類に下さった真理の一端を紹介しようと思います。

皆様。神様が人間を創造された目的とは何でしょうか。全知全能であり、遍在される神様も、独りで存在することを望まれなかったがゆえに、まずは天宙を人間のための環境として創造され、その上に神様の真の愛で創造されたのが人間です。

神様は、その対象である人間が、神様御自身よりも立派で大きな存在となることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。世の中でも父母は、子女が自分よりも成功し立派になることを願うでしょう。これは、すべて神様が祝福として下さった父母の愛なのです。

相対のために生きる人生が愛の主人になる道 子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受け、真の子女を繁殖し、真の永遠の理想天国を成し遂げて生きる姿を見て、喜びを感じようとしたのが神様の創造目的でした。愛の主人となる道は、まず相対のために自分を徹底的に犠牲にして投入する、そのような真の愛の実践を通して開かれるようになります。神様は人間を創造されるときも、まず御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てて、一〇〇パーセント投入されたのです。相対圏を絶対価値圏として立てるのです。

愛の主人は、独りでなるものではありません。必ず対象を通して成立するものなのです。この絶対的価値圏の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、父母は永遠に愛の主人になれないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を、絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。絶対主体と絶対対象の価値観が生まれて、初めて完成するのです。

宇宙の秩序を見れば、大きいからといって、小さいものを無条件に犠牲を強いて、摂取するようにはなっていません。ヘレニズムに基づいた弱肉強食による適者生存の理論は、根本的に間違っています。ために存在し、真の愛で投入して忘れる絶対服従の対象として、主体的愛の主人として完成させようという絶対価値観を、彼らは見落としているのです。真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るのです。

しかし、神様の「創造原理」は、闘争を通した生存と発展ではありません。主体と対象の関係の中で相互に授受作用をしながら、絶対価値観に基づいて調和統一を追求するのです。「小」が「大」のために犠牲になるとしても、それを闘争と見てはいけません。相互発展のための投入と見なければならないのです。個人は家庭のため、家庭は国家のため、そして国家は世界のために譲歩し、犠牲を甘受することが、どうして闘争と言えるでしょうか。

このように、絶対的価値圏とは、まず相対を真の愛の主人格として立ててあげる真の愛を完成させるためのものです。したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底的にその根を抜かなければなりません。これは堕落性の根と同じもので、すべての悪の原因を提供しています。個人的次元の利己主義の行動や集団個人主義的行為も同様です。それは真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲となって与えるのではなく、自分のために他を犧牲にし、自分の利益だけを追求する破廉恥な行為です。堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中で、巧みに掘り下げて、サタンが人類に植えつけた毒きのこです。自分の栄達と慰めのため、見た目が美しいからといって、一度食べたら中毒に陥り、一生、努力しても抜け出すのが難しい悪の罠です。

すべては相対のために存在する 「前」と「後」のことを考えてみてください。「前」という言葉を語るそれ自体が、既に「後」を前提条件として認めているのであり、「上」という言葉も「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」は「右」を前提とする言葉です。同じ論理で、「男性」という言葉も「女性」という存在が先にあってこそ成立するものです。すなわち、男性は女性のために生まれたのであり、女性は男性のために生まれたと言うことができます。男性がいなければ、女性は必要ありません。同じように女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。

結局、自分のために生まれたものは一つもないということです。すべての存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。人間の五官について考えてみてください。皆様の目は自分の目そのものを見るためにできていますか。目、鼻、耳、口、手、これらすべては相手のために生じました。そうであれば、この五官を総動員し、生命を維持して活動を続けるようにする力は何でしょうか。真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛を実践するために必要なものとして生じた道具にすぎません。

このように、自分のためにできたものは一つもないのです。相対のために与え、愛で犠牲となり、服従で愛の主人を完成させる生き方こそが、神様の創造理想にかなった生き方なのです。相対のために創造されたのですから、当然のこととして、相対のために生きてあげなければならないのは天理なのです。そこから真の愛の絶対価値が創出されるのです。

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19.摂理的観点から見た三大主体思想 日付:二〇〇七年七月四日

場所:韓国、忠清南道、天安、柳寛順体育館

行事:「二〇〇七世界文化体育大典」

尊敬する国内外からいらっしゃった貴賓の皆様、ならびに各種大会に出場される選手団の皆様。人類の真なる平和の祭典として、その位置を確かなものとする「二〇〇七世界文化体育大典」に参席してくださり、心から感謝を申し上げます。「天宙平和神文明開闢時代の到来」という旗を高々と掲げて出発する今回の大典は、世界六十五億の人類を神様のもとの一家族にするための、和合と平和の新しいパラダイムを創出する大会となるでしょう。

皆様。今日の世界を観察してみてください。世界のどこで、本当に人類の将来を案じ、超宗教、超国家的次元で、人類の和合と平和のために「殺身成仁(サルシンソンイン)」(自己の命をなげうって仁道のために尽くすこと)する指導者を探し出すことができるでしょうか。人類は今、父母を失った孤児や、師を見ても分からない不良児、主人を失った僕といった、そのような境遇となって、目は開いていても一寸先も見ることのできない人に転落しています。

世界には今、約二百の国家がありますが、国家間の関係を見ても、各国が互いに自国の利益にのみ目がくらみ、直接、間接的に熾烈な戦争を継続しているではないですか。人類の福祉と平和のための崇高な志を立てて出帆した国連もまた、今やその限界点にぶつかり、戦争、飢餓、疾病などの世界的危機に直面しても、万策尽き袖手(しゅうしゅ)傍観に明け暮れる、有名無実の機構になりつつあるではないですか。

人間は、自らを「万物の霊長」という位置に立て、歴史をつくり出してきました。恐るべき殺戮戦と天災地変を経てきましたが、人類は今も生存し、繁殖を繰り返しながら、漠然とではありますが、より明るく幸福な世界を追求しているのです。それでは、なぜ人類は、いまだに罪悪と疾病の泥沼から抜け出すことができずにいるのでしょうか。

皆様。人類が直面するこのような悲劇的な現実を打開し、神様のもとに太平聖代の人類一家族をつくる摂理的召命を完遂するために、私は、去る二〇〇六年六月十三日、「天正宮博物館奉献式および天宙平和の王戴冠式」を期して、天一国の市民であれば、誰もが知って実践躬行しなければならない天道的次元の基本義務と使命を宣布しました。

それとともに、きょうは、「摂理的観点から見た三大主体思想」に関する内容のお話をお伝えしようと思います。人類の未来を導いてくれる重要な教えとして天が下さった祝福です。どうか心の扉を開いてこのお話を受け入れ、皆様の永生のために準備してくださることを願います。

皆様。人間には、太初に創造されるとき、神様から賦与された基本的な三大主体思想があることを知らなければなりません。その第一は、真の父母にならなければならないという思想です。神様は、人間を御自身の子女として創造されました。

したがって人間は、神様から受け継いだ原理結果主管圏(成長期間)を経て、自ら人格完成し、真の子女の位置を確保して真の夫婦になり、子女を繁殖させることによって、真の父母の位置にまで行くようになっていたのです。創造とともに賦与された真の愛を実践躬行し、人間完成を成し遂げなければならないという意味です。

しかし、今日の世界は、人倫と道徳が手のほどこしようもなく崩れていっています。父母と子女間の天倫が地に落ち、夫婦間の貞節は既に旧世代の産物として捨てられ、兄弟間の友愛も、今や利己的個人主義の沼に埋もれ、見いだすこともできない世の中になりつつあります。したがって、人間は、何よりもまず真の愛に基づく真の家庭を築かなければなりません。真の父母を中心として三代圏を形成し、真の愛で一つになって生きる家庭を完成しなければならないという意味です。

第二は、真の師にならなければならないという思想です。たとえサタンの影響圏から抜け出せずにいる今日の世界であっても、人間は一生を送りながら、どんな形態であれ、教える人と学ぶ人との関係の中で生きていくようになっています。まずは家庭において、父母を通して学ぶようになります。師の中の最初で最高の師は、皆様の父母です。真の師の位置で、真の子女を育てなければならない最初の責任が父母にあるということです。

このように、真の父母から真であり善の家庭教育を受けて成長した子女は、自動的に学校教育に連結されます。学校教育は、一段階発展した制度圏内での教育です。しかし、学校という枠の中でも、師は、真の父母の心情をもち、すべての学生を真の子女として育て教育する責任があります。横的な学問教育も、縦的な人性教育に基づいて展開しなければならないという意味です。したがって、師はまず、真の父母の心情を所有した師にならなければなりません。

第三は、真の主人にならなければならないという思想です。本来、万有の真の主人は、宇宙を創造された神様であられます。そして、神様の創造は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で達成された完全投入の結実です。ここから私たちは、真の主人になる知恵を学ぶことができます。真の愛を絶対基準で投入する秘訣のことです。このように、真の主人になる前提条件も、真の父母の心情を所有することです。

ところで、この三大主体思想は、相互絶対不可分の有機的関係をもっています。真の父母、真の師、真の主人の三つすべてが主体的位置に立つこともでき、対象的位置に立つこともできるからです。言い換えれば、真の父母の位置だけを確保しても、そこには真の師と真の主人の位置が生じ、真の師の位置に行けば、そこには真の父母と真の主人が共にあり、真の主人の位置だけを確保しても、真の父母と真の師に会うようになるという意味です。

人間は本来、神様の完全な三大主体思想を相続して生まれてきたからです。皆様が、このような三大主体思想を完成した人格者になろうとすれば、神様のようにならなければなりません。神様のような心をもたなければならず、神様が万有を愛されるのと同じような絶対的基準で人間を愛し、万物を愛することができる神人愛一体の境地まで行かなければならないということです。そのような境地には、真の父母、真の師、真の主人がすべて同じ場所で出会うのです。

世の中は、様々な組織体とそれに関係するものとの調和の中で運行されています。複雑で多様なこの世で、真の主人にならなければならないという思想は、人間と人間の関係はもちろん、人間と万物の関係にも適用される思想です。問題は、どのような人間に対して、「真の主人である」と言うことができるのかということです。より他のために配慮して献身、奉仕するために生きる人生、すなわち真の愛の人生を実践躬行する人が真の主人になるのです。真の愛をもって万物を愛し、保護、育成する人が、万物に対しても真の主人になるのです。

このように、真の主人になるのは、その地位や位置によってではなく、その人の人格と愛にかかっているのです。父母の心情ですべての社員たちを愛し配慮する社長は、その会社の真の主人になるのであり、父母が子女を育て大切にするように、国民を愛し、国民と苦楽を共にできる大統領であってこそ、その国の真の主人になるのです。

皆様。神様の創造は、実に神秘的で奥妙さにあふれています。人間を、御自身の子女として創造され、万物の霊長としてお立てになった神様は、人間に良心という、最高、最善の贈り物を下さいました。人間が地上界で一生を航海するのに必要な羅針盤として与えてくださったものが、良心という特別な贈り物です。

よく人生百年と言います。しかし、人間は誰彼を問わず、生まれてから死ぬ瞬間まで、良心の作用圏から抜け出すことはできません。そして、良心の作用の中で、最高、最上の機能が正に、真の父母、真の師、真の主人の機能です。言い換えれば、良心は、私たちが生まれたときから真の父母、真の師、真の主人の位置で私たちの人生を指導し教育する、神様の代身者なのです。私たちの一挙手一投足を、一時も逃すことなく導き、監視する責任をもつのが良心の機能です。

ですから、良心は、私たちのすべての言行はもちろん、考えまでも父母よりも先に知り、師より先に知り、神様よりも先に知るのです。神様が、人間の人生を指導し監視する本源的な機能を良心に伝授してくださったからです。

水晶のように清く透明でなければならない人間の良心に、堕落性の垢がつき、今まで各種の罪悪と疾病の中で本来の機能を発揮し切れずにいるのです。したがって、サタン主管圏のこの邪悪な世界から一日でも早く解放され釈放されたいと泣き叫んでいる良心の声を聞ける皆様にならなければなりません。

しかし、堕落した人間の力では、良心の機能を本然の位置に戻せる道はありません。天との縦的な関係が垂直を形成することができずにいるからです。六十五億の人類すべてが、自分なりの角度をつくり、それが正統であり最高のものであると錯覚して生きているのです。絶対的基準を形成し、測定できる最短距離の垂直の角度が出てくるまでは、誰一人として救われる道を探し出すことができないのです。

愛する世界の指導者の皆様。歴史上、いまだかつてなかった位置で、人類をサタンの束縛から救い、天国へと導いてくれる鍵をもって来られる方が、正に今、皆様の目の前に立っているレバレンド•ムーンです。本人が願ったとしても、決して探し出せる位置ではありません。天が印を与え、人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母として立てた位置です。サタンの影響圏外にある絶対的な解放、釈放の位置です。

六十五億の人類を、九〇度の垂直の道に再び連結させてくれる真の父母、真の師、真の主人の道、すなわち良心を主人として侍って生きる真理の人生を、直接実践して見せてくださる方が、正にレバレンド・ムーンなのです。三千億を超える、絶対善霊になった霊界の人類も、この事実を異口同音に証しています。イエス様をはじめとする四大聖人はもちろん、共産主義者を含むすべての思想家や哲学者までも、この驚くべき現実を前に感謝の涙を流しています。霊界に行っている彼らまでも、真の父母の祝福の恩賜を通さなければ、救われる道がないからです。

皆様。今や人類は、真の父母であられるレバレンド•ムーンの教えを受け入れ、交叉祝福結婚を通して、「神様のもとの人類一家族」の天命を果たすべき時を迎えました。人種、文化、宗教、国家を超越して、人類を一つにし、戦争と葛藤のない創造理想世界、すなわち地上、天上天国を創建できる道は、全人類が神様のもとで一つの家族になること以外にあるでしょうか。皆様の知らない間に、真の父母様は、既に人類はもちろん、神様までも解放、釈放する後天開闢の時代を宣布し、世界の至る所で革命の炎をともしています。真の父母、真の師、真の主人にならなければならない真理の革命です。

皆様。「二〇〇七世界文化体育大典」の基本精神も、人類を一つの家族にする聖業の完成にあります。宗教家、文化人、体育分野に携わる人など、すべての人たちが一つとなって、「天宙平和神文明開闢時代」を花咲かせる使命が、皆様にあることを忘れないでください。特に、すべての宗教家が、この神聖な真の愛の革命の隊列の先鋒隊にならなければならないことを、肝に銘じてくださるようにお願いします。レバレンド•ムーンは、既にすべての準備を完了しました。

この地球星を神様の願われる理想天国にするため、五大洋六大州を連結し、巡回して疾走できる「世界平和超高速道路」建設の一環として、べーリング海峡にトンネルを通す、世界最大のプロジェクトを進めています。

世界平和具現の崇高な志を抱いて出発した国連が、有名無実な機構に転落した現実を無視することができず、私は国連の刷新を推進しています。それと並行して、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」という次元で、私は、人類を「天宙平和神文明開闢時代」へと導く新しい「平和国連」、すなわちアベル国連(天宙平和連合)を創設し、世界百二十ヵ国以上の国々から支持を受けています。

皆様は今や、真の父母を信じて従いさえすればよいのです。良心の羅針盤に従い、真の父母、真の師、真の主人の位置を確保し、永生を保障する真の愛の人生を実践躬行してください。皆様の壮途に天運が共にあり、皆様の、祝福を受けた善の先祖たちも、皆様の活動に積極的に協力するでしょう。勇気をもって前進的発展を促進化してください。皆様すべてが、三大主体思想による太平聖代平和王国時代の到来に、億万歳を叫ぶことができる真の家庭理想を完成されることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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18.神様は真の父母、真の師、真の王 日付:二〇〇五年四月二十七日

場所:韓国、全羅南道、麗水、清海ガーデン

行事:根本先祖(平和の王)侍衛教育大会

尊敬する世界の平和大使、NGO(非政府機構)代表、蒙古斑同族連合の指導者、内外の貴賓、ならびに愛する世界の祝福家庭の皆様。このように美しくのどかな春の日に、山高く水麗しいこの大韓民国の麗水と順天の地において、貴い皆様にお会いすることができ、実に胸がいっぱいの思いです。

真の根は神様の真の愛 皆様も御存じだと思いますが、私の八十有余年の生涯は、名状し難い迫害と苦難の道でした。いち早く、十六歳(数え)という若き年齢で天の召命を受け、天命に従って出発し、歩んできた過去七十年間は、サタンとの闘いで生死の岐路を行き来する茨の路程でした。

天地万物を創造され主人であられる神様を知り、私たち人間の真の父母であられる神様を知るすべのなかった人類は、偽りと桎梏(しっこく)の沼から抜け出すことができないまま、長きにわたり漂流してきました。人間の始祖として創造されたアダムとエバの堕落によって、人間は父母を失った天涯孤独な孤児の立場に転落してしまったからです。偽りの父母サタンの術策のもとで、子々孫々へと代を引き継いでいき、偽りの血統と様々な虚像の中で生きてきた数千年の歳月が、当然の現実として固まってしまった今日の世界を私たちは直視しています。

偽りのオリーブの木として数千年を生きてきた人類は、どれが偽りのオリーブの木で、どれが真のオリーブの木なのか識別する能力さえも喪失してしまったのであり、とうとう地球星は、汚れたサタンの血統の後裔である六十億の偽りのオリーブの木によって、ことごとく覆われた地獄圏になってしまったのです。ここにたった一本の天の真のオリーブの木として印を押されて出発した道が、私の過去七十年の生涯でした。

事実、二千年前、イエス様も真のオリーブの木の使命を賦与されて地上に顕現されました。しかし、イエス様の生涯は、皆様もよく御存じのように、天がその時代にイエス様を特別に選んで送られたそのみ旨を正しく悟ることができなかったユダヤ教の不信と、権力闘争ばかりに目がくらんでいたイスラエルの失敗によって、真のオリーブの木の祝福の実を一つも実らせることができないまま、生涯を終えてしまったのです。

したがって、イエス様の死後、天は再び二千年の長い歳月の間、真のオリーブの木を植え、安全に育てて花を咲かせ、実を実らせることのできる基盤を築いてこられたのです。

六十億を超える偽りのオリーブの木が全地球星を覆っていると言いましたが、このままでは、数千、数万年待っても、偽りのオリーブの木は偽りのオリーブの木のままであり、突然変異を起こして真のオリーブの木に変わるという奇跡は現れません。根本的に根が異なるからです。サタンの偽りのオリーブの木の血統が、誰もが願うからといって天の真の血統に変わるわけではありません。そこには、必ず天から真の血統の根とその内容をもってこられる真のオリーブの木が必要なのです。

偽りのオリーブの木は、根元から完全に切ってしまわなければなりません。枝一本でも残せば、真のオリーブの木に生まれ変われる資格を喪失します。言い換えれば、偽りのオリーブの木の痕跡が全くない白紙の状態であってこそ、真のオリーブの木の芽を受けて接ぎ木できるということです。このようにして、真のオリーブの木の実を収穫できるようになるのです。

したがって、選択の余地もなく偽りのオリーブの木として生きてきた全人類の立場は、火を見るよりも明らかです。何よりもまず、皆様は真の根を探し出さなければなりません。そうだとすれば、その根はどこから探し出すことができるのでしょうか。今日、想像を絶するほどの速度で発展を繰り返している現代科学を通してでしょうか。あるいは、数千年の伝統を誇りながら発展してきたすべての哲学書を読みあさってでしょうか。それでもなければ、今日、万人が認める、世界四大宗教の教理を精通することによってでしょうか。結論から申し上げれば、真の根は、超科学、超哲学、超宗教、超天宙的次元でこそ探し出すことができるのです。

天の真のオリーブの木として来られる方は、皆様を生み直してくれる真の父母として来られる方でなければなりません。生命は、必ず父母を通して受けるのが天理だからです。

真の父母は、この地に天の真の愛、真の生命、真の血統の根を持って顕現されます。サタンの偽りの愛を根として生まれた人類を無慈悲に根元から切ってしまい、真の愛の芽を植えつけてあげる使命を果たすために来られる方が、正に真の父母であられます。

このように、私たち人類が探し出すべき真のオリーブの木の根は、神様の真の愛の根であり、その根は、真の父母からであってこそ可能なのです。したがって、プリチャッキ(ルーツ探訪)連合運動は、「平和の王」である真の父母を通して接ぎ木されることによって神様を訪ねていく、超世界的で超天宙的な真の愛の摂理の革命なのです。

祝福結婚によって接ぎ木 皆様。神様の真の愛の根を、どのようにしたら偽りのオリーブの木である堕落人間に接ぎ木できるのでしょうか。偽りのオリーブの木だからといって、根まで完全に抜いてしまえば死んでしまいます。死んだ木には接ぎ木することができません。問題は、真の種か、偽りの種かにかかっているのです。

堕落の後裔である皆様の体には、誰でも例外なくサタンの偽りの血が蠢動しています。したがって、皆様が命を懸けて成就すべき一世一代の目的は、天の真の種をもって来られる真の父母から祝福結婚を受け、真の根である真の愛、真の生命、真の血統を受け継ぐことです。これが正に真の人間を探し求めてきた救援摂理歴史の目的です。すなわち、サタンの偽りの血を完全に除去し、天の真の血統を受け継ぎ、天の真の子女として生まれ変わるようにする人間再創造の運動です。

このように、真の血統を受け継ぎ、真のオリーブの木としての人生を出発するようになる人たちは、真の根の家庭を定着させる義務があります。二度とその家庭にサタンの偽りの根が足を伸ばすことができないよう、真の父母を中心軸として、人類の長子格である「蒙古斑単一同族圏」を、新しい種の地上統一血族圏として立てなければなりません。祝福結婚を通して伝授された真の血統を保全し、皆様の家庭で祖父母、父母、子女の三代の連帯圏を形成することによって、神様の創造性を継承していかなければなりません。

そして、サタン世界と因縁を結んで蓄積したすべての所有権を天に献納し、天から新しい所有権を相続しなければなりません。真の根の真髄である神様の心情圏を相続し、歴史的に生じたカイン•アベル間の恨を解放、釈放させるための真の愛の実践が、皆様の生活の伝統にならなければなりません。

尊敬する貴賓の皆様。今、皆様は、悲壮な覚悟で新しい出発をするべき時が来ました。天運がこの国、この民族に臨んでいます。皆様が優れており、大韓民国が特別だからではありません。天がお立てになった人類の真の父母が、韓民族を中心として真の血統を伝授してあげる摂理を始めたからです。

永遠に偽りのオリーブの木としてしか生きられなかった私たちに、根本的な真の根を下さった神様と真の父母様に、私たちは真心から限りない感謝と拍手を捧げなければなりません。

今から皆様は、先天時代の偽りのオリーブの木的な惰性と虚栄の殼を脱ぎ捨て、後天時代の真のオリーブの木的な真の愛の生活、すなわちために生きる生活を実践躬行する天の精兵とならなければなりません。その道が正に永遠に途切れることのない真の父母の根、真の師の根、真の王の根を皆様の家庭に定着させる道なのです。

皆様。遠からず国家単位で天一国に入籍する時が来るでしょう。宗教単位で看板を外し、天一国の隊列に合流する時が来ています。数千数万の世界的氏族たちが、蒙古斑単一同族圏に合併する現象が起きています。

霊界の大勢の皆様の善の先祖たちが、皆様を通して真のオリーブの木に接ぎ木されることを望み、焦る思いで待っています。偽りのオリ—ブの木として霊界に入った皆様の先祖たちは、地上界でいくら善の人生を生きて霊界に行った人でも、浮草のように根を下ろすことができないまま遊離し、彷徨しています。祝福を受けた皆様の家庭がなければ、永遠に根を下ろすことのできない立場が皆様の先祖たちであるという意味です。したがって皆様は、御自分の家庭で真の血統、すなわち真の愛の根を守る天の目となり、皆様の先祖たちが信じ、頼り、渡っていくことのできる橋にならなければなりません。

真の父母様を通して受けた祝福結婚が、このように貴重で、途方もなく貴いものであることを知らなければなりません。現在の皆様の一族の永生はもちろん、皆様の先祖と子孫の永生にも関わっている無限な価値の祝福なのです。

皆様。私は、今年、二〇〇五年を出発しながら、超宗教•超国家的な次元で、「天宙統一平和の王」として推戴されて即位し、その事実を天上天下に宣布しました。今から世界は、天の主導によって急激に変化していくでしょう。新天新地を創建していく天地開闢の鬨の声が、霊肉界の至る所で響き渡っています。

きょうこの摂理的な地である麗水と順天において、私たちは、解放と釈放の新しい歴史の出発を、喉が張り裂けんばかりに叫ばなければなりません。あの烽火山(ポンファサン)の頂上に永遠に消えない真の愛ののろしを揚げなければなりません。あの広大無辺な太平洋の海の上に祝福家庭の橋を架け、超宗教、超国家、超人種、超世界的次元の天一国を創建する主人となり、先頭に立つ大将のような人にならなければなりません。

最後に、きよう特別に私が皆様に差し上げる贈り物があります。霊界に行っている四大宗教の代表者たちと世界的に知られた王、大統領、言論人、学者たちの代表が送ってきた、感激的で切迫した証言のメッセージを収録した本を差し上げます。きょう私がお伝えした主題講演のお話とともに、この本は、皆様が生涯の必読書とし、皆様の永生を準備する教材としてくださることを願います。神様の祝福が皆様すべてに共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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自叙伝は人生の告白であり、戦勝記録 貴賓の皆様。私の自叙伝は、平凡な一人の人間の人生を記録したものではありません。神様のみ旨を成就していく真の父母様の緊迫した人生の日々が赤裸々に描かれている、真の父母様の告白書であり、日記帳であり、人類救援のためにサタンとの闘いにおいて、血みどろの闘いを展開してきた戦勝記録なのです。

霊界と肉界を行き来しながら、地球星の軸をつかんで格闘してきた真の父母の汗の滴が結実しているのです。汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流そうという覚悟で、数限りなく生死の峠を行き来しながら歩んできた、真の愛と真の家庭の標本であり、座標です。

きょう、皆様は、どうぞ心の扉を開いて、私の自叙伝を精読してください。人類救援の孤独な道を歩んでいる私の手をつかみ、皆様と皆様の家庭の永生はもちろん、かわいそうな人類の永遠の生命を神様のみ前に取り戻してさしあげましょう。

皆様。私たちすべての究極的目標は、神様を生活の中心にお迎えして生きる「神の国」と、「神の義」を探し立てることです。イエス様が強調された「神の国」とはどのような国でしょうか。それは、祖父母、父母、子女の三代が調和して、互いに信じ、尊敬し、頼り合って、愛で一つになって暮らす真の本然の理想家庭と同じ実相である平和理想王国を意味するのです。すなわち、人類が今までユートピアとして願ってきた神様主権の国が、正に「神の国」なのです。そのような伝統と法度を最もよく教えてきた国が韓国です。五千年の歴史を通して継承してきた、三代圏が一つの家族として共に暮らしていく韓国的伝統の大家族主義制度は、人類の行くべき家庭倫理の座標を示したものです。ですから、いち早く天は韓国を天一国の中心国家として準備してきたのです。

また、人類が一つの家族になり、お互いに心の壁を崩し、天宙的次元で国家間の国境までも除去しようという共生共栄共義社会の実現運動も、このように真の父母を中心とした真の血統が連結した一族の一つの家庭から始まります。したがって、私たちが真の家庭を探し立てることは、この地において神様を中心とする天宙平和王国の創建を早める摂理的召命なのです。

今日、私たちが生きているこの時代は、歴史的な一大転換期です。歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国をこの地上に創建しなければならない天宙的大革命期です。これ以上、延期したり延長したりする時間はありません。

天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。実体的天一国の始発であり、起源となる日が正にその日なのです。二年しか残っていません。

したがって、人類は今、天の命令に謙虚な姿勢で従順に従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸していらっしゃる真の父母様の導きに従い、平和世界の定着を完成、完結、完了すべき宿命的な時間が、きょうの私たちの前に近づいてきたのです。

天のメッセージである実体み言宣布大会のみ言 貴賓の皆様。このような深刻で貴い時代を迎え、皆様の人生にも、今や革命的で天宙的な変化が訪れるべきでしょう。そのような意味で、これまでの二年間、全世界の人類に宣布し、教育してきた「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の結論部分を要約し、天のメッセージとしてお伝えしようと思います。

第一に、まず家庭の中で神様を中心にお迎えし、父母と子女が完全に一つになる教育を毎日実践しなければなりません。家庭において父母と子女が、真の父母様が下さった教材教本と真の父母様の自叙伝などを共に訓読して一つになる家庭教育を、徹底して行いなさいということです。

第二に、父母と子女が神様を中心に絶対父母と絶対子女の基準を立て、絶対家庭を立てなさいということです。天は既に重生と復活の昇華権の恩賜を家庭単位まで許諾されました。神様のもとで父母と子女が完全一体になれば、その恩賜を受けることができるので、絶対家庭を立てなさいというのです。

第三に、真の父母様の御在世時に、神様と真の父母様を中心とする勝利圏の太平聖代を開かなければなりません。真の父母様の血と汗がにじむ苦難の恩賜により、人類は既に蕩減復帰時代圏を抜け出しました。今から私たちは、真の父母様の御在世時に、家庭、氏族、民族、国家、世界まで、地獄圏を解放させなければならない責任があることを忘れてはいけません。

第四に、神様が直接主管される平和時代への進入が二年しか残っていない切迫した時点だということを忘れてはいけません。「人類一家族」のビジョンを中心として、あらゆる家庭で八代までの氏族が、苦楽を共にしながら共に暮らすべき真の愛の天宙安息圏の時代に入ったという事実を肝に銘じてくださるようにお願いします。万人が平等となり、万国が兄弟国となる「神様のもとの人類一家族」の世界が皆様の目の前で展開しています。

遠大なプロジェクトのために共に祈ろう ここアメリカ西部の主要地域であるフーバーダム―ラスベガス、グランドキャニオンと東欧圏のロシア、アジアのキリスト教文化圏地域、アラスカのコディアク地域を中心として推進している私の開発計画も、遠からず大きく世に知られることになるでしょう。「神様のもとの一つの家族」の理想を成し遂げるために、大きな一助となり得るでしょう。

皆様は人類のためのこの遠大なプロジェクトに参与し、共に祈り、共に汗を流す働き手となられることを願います。自叙伝で明らかにされている私の精神と皆様が一つになれば、これまで「シン•シテイ(sin city:罪悪の都市)」と呼ばれてきたここラスベガスが、神様を迎えてアベル国連の基盤を定着させる世界的な代表都市として、今後神様の真の愛が支配する「シャイニング•シテイ(shining city“輝く都市)」、さらには「サン•シテイ(sun city:太陽の都市)」となることを信じて疑いません。

貴賓の皆様。このような歴史の大転換の終着点において、希望の価値を神様のみ前に奉献しましょう。皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国家の上に天の祝福が共にあることを真の父母様の名によってお祈りします。ありがとうございました。

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20.自叙伝五万部普及勝利慶祝大会 日付:二〇一一年三月五日

場所:アメリカ、ラスベガス、シーザーズ•パレス•ホテル

行事:真のお父様の自叙伝五万部普及勝利慶祝大会

尊敬する世界各国の指導者、ならびに内外の貴賓の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、この地域で、私の自叙伝の五万部普及勝利を記念する本大会に御出席され、このように満場の盛況を博すようにしてくださった皆様を、私と私の家庭全員の名で歓迎し、心から感謝の御挨拶を申し上げます。

海洋は資源の宝庫 貴賓の皆様。今日、私たちが身を置いて生きているこの世界は、歴史上のいかなる時よりも多くの問題を抱え、苦しんでいます。世界の人口六十五億のうち、九億を超える人たちが、今この時間にも飢えで苦しんでいます。その中で、六秒ごとに一人の子女が栄養失調で命を失っているのです。国連は、二〇一五年までに飢餓人口を半分に減らすと宣布しましたが、地球温暖化により穀物生産量が減っていき、逆に二〇二〇年には世界の飢餓人口が二倍に増加すると専門家たちは予測しています。

深刻な飢餓問題を解決する代案はどこにあるのでしょうか。地球星の七五パーセントを占めている海洋圏こそ新しい資源の宝庫です。海は、各種の公害や資源の枯渇により死につつある地球星を神様の名によって回生させ、人類の明るい未来を約束してくれる新しい原材料の宝庫なのです。このことをお忘れにならないように願います。

私は、飢餓に苦しむ人類を解放するため、既に一九六〇年代からこれまで五十年以上の間、海洋産業に投入し、海洋技術を開発してきました。一九八〇年から、沈まないといわれるグッド•ゴー船舶を建造し、アメリカはもちろん世界的に普及し、海洋産業の基地を構築してきました。

一九九〇年代には、ブラジルとウルグアイを中心に南米の海洋産業に投入するなど、全世界五十二ヵ国に世界的な海洋ネットワークを造成しました。このような祖国の基盤の上に、二〇〇〇年代に入ると大韓民国南海岸の代表港湾都市である麗水と、太平洋の中央に位置し南北太平洋の中心であるハワイ、アラスカのコディアク、そしてラスベガスのフーバーダムを結び、「環太平洋圏」の海洋産業のハブとして発展させてきました。

大韓民国の麗水は、私が築いた基盤を中心に、二〇一二年世界海洋エキスポ都市として選定され、今その準備に拍車がかかっています。

特に、去る二月十七日、世界の指導者たちが参席する中、私が生涯を通して研究し創案した、不可能だと言われてきた石膏モールド工法を紹介し、各種の新技術を開発、適用して世界で最初に製作された「天艇号」の進水式を行いました。

そして、最近では、ここフーバーダムのミード湖の清浄水資源とグランドキャニオン、ブライスキャニオン、ザイオンキャニオン、セドナなど、周辺の秀麗な名勝地を開発して環太平洋圏に含め、神様の祖国である韓国とアメリカのラスベガスを中心として、神様が承諾される宗教圏の恩賜を通して、世界最大、最高の観光レジヤ一団地である神様の理想的な基地を造成し、新天地を建設する計画を進めています。

天が人類に祝福として承諾された自然環境を、原状のまま保全して育み、子孫万代にわたって感謝しながら楽しむことができる地上楽園をつくろうというのです。

皆様。私は一生を通して、神様の真の愛を実践するために生きる人生の道を教え、世界人類の福祉と平和のための努力を、海洋産業だけではなく、多方面において持続的に展開してきました。

波瀾万丈の九十二年の生涯 去る二〇一〇年には、このような世界平和運動の成果を集大成する「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」をアメリカのニューヨークとラスベガス、そして韓国で立て続けに開催しました。今年、私の年齢は九十二歳の高齢ですが、人類平和のための努力を止めることなく、先頭に立って走っています。

また去年の三月には、アレクサンダー•ヘイグ将軍の逝去を契機に、生前に永生の道を準備する昇華式の意義を世界の人々すべてに教えてきました。

ここに参席された皆様は、私の自叙伝『平和を愛する世界人として』を研究しながら、様々な考えをおもちになったことと思います。この自叙伝は、二〇〇九年の初めに韓国で出版されて以来、これまでベストセラーとして全国民から愛されており、今は英語、フランス語、スペイン語、中国語、日本語など、世界の四十三ヵ国の言語に翻訳され、世界で広く普及されています。

私は生まれながらにして神様の印を受け、個人としての人生は夢にも見ることができないまま、このように波瀾万丈の九十二年の歳月を走ってきました。上では神様を解放し、下では人類を罪悪のサタン主管下から救援して、天上と天下に唯一なる神様を中心とする平和解放の世界を創建しようと「寤寐不忘(オメブルマン)」(寝ても覚めても忘れられない意)、「死生決断」の姿勢で五大洋六大州を隣の家のように行き来しながら、はや九十有余年の生涯を生きてきました。

もう隠退して安らかな余生を楽しむべき年齢ですが、天のみ旨を実現するために、昼夜を分かたず一本道を歩んできた私は、今もなお、すべきことがたくさんあるのです。様々な犯罪と飢餓、そして疾病に苦しむ人類をこのまま放置して天の国に旅立つことはできません。

私が世界の人類に遺言書として伝授している八大教材教本と私の自叙伝を中心とする汎世界的な教育を大々的に展開し、真の家庭の理想を定着させるのです。人類の真の父母である私たち夫婦の責任が正にここにあります。

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真の平和は心と体が一体となった場 いつ、どこで、いかなる状況に置かれても、私たちの体は、絶対対象の立場で心と完全に一つになって動かなければならないというのが、天が下さった法度です。したがって、このように心と体が完全に一つになった人間こそ、完成人間になるのです。神様が本来願われた人間の姿が、まさしくこのような真の人間でした。

神様を実体の父として侍り、苦楽を共にできる人間が、正にそのような真の人です。しかし、私たちの生活を少し深く調べてみただけでも、私たちは自らの姿がこのような真の人間の姿からどれほどかけ離れているかをすぐに感じることができるのです。

神様の息子、娘と呼ぶにはあまりにも恥ずかしい自分であることを悟るはずです。心は願うのですが、体が従ってくれない時がどれほど多く、良心の呵責を感じながらも、肉身の欲望の奴隷となり、本意でない失敗をした時がどれほど多かったでしょうか。

したがって、いかなることがあっても、私たちは真の愛の実体である心と体が完全に統一された姿とならなければならず、自らを完成段階まで引き上げなければなりません。天と地の前に一点の恥ずかしさや、わずかの影もなく、「天のお父様」と呼び求めることのできる真の人にならなければなりません。そのようにさえなれば、私たちは天の父の真理と愛を発する永遠の発光体の姿となって、地上での生を終えたのち、霊界でも神様の実の子である聖子の姿で永遠に生きるようになるでしょう。

第二に、私たちは、社会や国家といった共同体の一員として、真の愛の実践である、ために生きる生活を通して互いの人権を尊重し、いかなる状況でも他人の人権を蹂躙する愚を犯してはなりません。

世界の五色人種は同等な価値をもって生まれました。人種に関する限り、神様は色盲であると言えます。人種差別や宗教的葛藤、そして国粋主義は、人権蹂躙の原因をもたらします。力で支配する時代は終わりました。二一世紀は共に生きる超人種、超国家、超宗教の時代です。真の愛が治める時代が開かれたのです。

平和世界を実現する道 世界の指導者の皆様。イエス様も「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるため」(マルコ一〇•四五)と言われました。平和世界を実現する道は、ほかのところにあるのではなく、ために生きる人生の天道を実践するところにあることを明らかにされたのです。平和の根は真の愛にあると言われたのです。したがって、私たちはみな真の愛の根源であり主人であられる神様を信じ、天理に従う正道を歩まなければなりません。そのような人には天運が共にあり、万事が思いどおりにうまくいくでしょう。

どうか、心と体の統一によって人格完成を成就し、ために生きる人生の実践を通して、皆様各自の心の中に平和の基地を定着させるよう願います。私たちが怨讐までも赦し、ために生きる人生を実践するとき、小さくは個人から、大きくは世界まで、平和文化を成就できるようになるのです。それで、昨年、私は「天一国」の開幕を天上天下に宣布しました。天一国とは、二人が一つになって生きる世界のことをいいます。

小さくは個人の心と体が一つになって個人として完成体となることであり、大きくは夫婦が一つとなり、父母と子女が一つとなって、三代を通して家庭を一つにしなければならないことはもちろん、全人類が神様のもとの一つの兄弟姉妹として苦楽を共にできる世界を創建しなければならないということなのです。

このように、神様の創造本然の世界である天一国の安着のために、既に私は一万人以上の平和大使を全世界に派遣し、その拍車を掛けています。

そのような脈絡から、私はまた国連本部において、「世界のすべての国境を撤廃すべきである」と主張したのであり、国連に対し、最終議決機関である超国家、超人種、超宗教的機構を置き、世界的に名声と人望の高い霊的指導者たちが平和世界創建の先頭に立たなければならないと促したのです。

家庭は神様が下さった最も貴い贈り物 第三に、私たちは真の愛の花が大きく咲き開いた真の家庭を立てなければなりません。家庭を築くには、男性、女性を問わず、独りでは築くことができません。真の愛で完成した男性と女性が夫婦の関係を結び、子女を生んで育てるとき、その家庭は真の家庭となって、自動的に平和が宿り、幸福があふれるのです。

また子女たちは、父母が結んであげる配偶者と出会い、夫婦となる時まで純潔を守り、夫婦となってからは貞節を守り、父母に似た二代目の真の家庭を築くようになるのです。

このように、真の家庭によって連結される真の血統が三代まで連結すれば、神様はその家庭に安着されるようになり、人類が何よりも願ってきた世界である地上天国が成し遂げられるのです。そのような真の家庭の拡大版がまさしく地上天国であり、天上天国なのです。

その世界は共生、共栄、共義、共愛の世界であり、みな共に兄弟姉妹となって、共に生き、共に繁栄し、正義の世界を立てて、互いが互いのために生きて愛し合う平和世界となるでしょう。

このように、家庭は大切なものです。家庭こそ、神様が人間に下さった最も貴い贈り物なのです。それで、人類の平和と幸福の基本単位も家庭であり、地上天国を形成する基本単位も家庭なのです。

いくら個人が完成したとしても、家庭をつくってその真の血統を伝授してあげる子女がいなければ、彼はただ一代で幕を下ろさざるを得ないからです。このような神様の創造目的の見地から見れば、今日、世界の至る所で毒きのこのように生え出る同性愛の風潮は、亡国の種の現象と言わざるを得ません。人類を教え導き、責任をもつべき指導者であられる皆様は、この点を肝に銘じなければならないでしょう。

天が下さった真理を信じ受け入れたならば、何を恐れることがあるでしょうか。天の真の血統を破壊し、人類の平和はもちろん、私たちの生存までも脅かしているフリーセックスと同性愛のような病弊を根絶するために先頭に立たなければなりません。今や、皆様も、葛藤と憎悪の鎖につながれているこの世界に、平和文化を定着させる先駆者の役割を果たしてくださるようお願いいたします。

創造本然の世界回復に先導的役割を果たすべき 第四に、私たちは、社会と国家の指導者として、いかなる状況においても公金を略取したり、着服したりする行為を禁じなければなりません。小さくは公的財物や公的資産に手をつけてはならないことはもちろん、大きくは私たちが生きることを可能にし、豊かにしてくれている環境を破壊する行為を根絶しなければなりません。公金を着服して子女に与えることは、毒薬を与えることよりも恐ろしい行為です。

ここで言う環境破壊とは、自然環境の破壊による各種環境汚染と毀損、そして自然の枯渇問題はもちろん、私たちの共同生活を提供してくれる社会環境の破壊も含まれます。神様は人間を創造する前に環境を先に創造されたのであり、私たちが神様のみ旨のとおりに環境をよく治め、環境と共に楽しく暮らすことを願われたのです。

したがって、私たちは、地上の一株の草や、空の一点の雲を見ても、天のみ前に感謝できる真の人となって、各種の公害を退治するために、先導的役割を果たさなければなりません。神様の創造本然の世界を探し立て、その前に謙虚な心をもって生きなければなりません。

自分を生んでくれた父母はもちろん、周囲のすべての人にも感謝する心をもって生きなければなりません。そして、自分が生きているというそれ自体に対しても、常に感謝する心を忘れてはなりません。今回の期間、真摯な討論と研究を通して、人類の平和増進に寄与する皆様に生まれ変わるようお願いいたします。ありがとうございました。

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スポーツと世界平和 きょうは、サッカー人たちの大会です。今、この韓国では、かつてないサッカーの熱気が高潮し、全世界の人々が一つの祝祭の雰囲気に巻き込まれています。しかし、究極的にスポーツの世界が行かなければならない正道は、オリンピックやワールドカップを通して、世界の人々を和合と平和の道へと案内することです。

時には、過熱した競技がお金や権力と結びつき、純粋なスポーツ精神が薄れつつあるのではないかと、非常に危惧されています。選手の報酬が法外な価格であることや、独占資本家たちの横暴のようなことがないか、よく見守っていかなければなりません。

私は、スポーツを通じた世界平和実現のために、韓国でいち早く一和プロサッカー•チームと鮮文大学サッカー・チームを結成し、韓国サッカーの発展に大きく寄与してきたのであり、ブラジルでもセネ•プロサッカー・チームとソロカバ•プロサッカー•チームを運営しています。私がこのようにサッカー•チームを運営するのは、単純なビジネスの次元を越えて、大学連盟の青少年たちにスポーツマンシップを教育し、スポーツを通して世界平和に寄与することが、その優先的な目的であると言うことができます。

御存じのように、サッカーは、もともとイギリスで始まりました。貴族の子弟ばかりが通うイギリスのイートン•スクールで、指導者としての資格を備えるには、知識だけではなく体力も必要とされる中、体力増進を目的に初めてサッカーが考案されたのですが、今では貴族だけの遊技にとどまらず、チームワークを重要視するその魅力ゆえに、すんなりと大衆スポーツとして定着し、飛躍的に発展するようになりました。

特にサッカー競技は、個人の技術がいくら優れていても、チーム全体が支えてくれなければ、勝利は難しくなります。ボールは、丸くてあちこちに転がりますが、同時に正直なのです。ボールは、選手が蹴る所にだけ飛んでいきます。

サッカーには、正直性とチームワークを重要視する合目的的共同体の原理が隠されているのです。サッカーは、既得権層の分配式の利害打算的な計算もなく、ゴールを決めるのに順番が決まっているわけでもありません。サッカーは、大国や小国、強い国や弱い国に関係なく、公平に競技をすることによって、すべてに喜びと幸福をもたらします。サッカーには、チームプレーから生まれる躍動的な共同体的ハーモニーがあるのです。

サッカーをはじめとして、すべてのスポーツと遊技文化は、人類歴史と共に長い間一緒に発展してきました。スポーツは本来、丈夫な体と安全な社会を維持するために創造されたのであり、今日、数十億の人々の生活を楽しませ豊かにしながら、全世界の隅々に拡散しています。このような万民のスポーツを通して、万民の平和に寄与できる方法を、様々な側面から模索しなければなりません。

公正な競争原則が支配するスポーツ 世界は、再び新千年紀のスタートを迎えました。情報と技術の画期的な発展を通して、「地球村は一家族」という概念が現実化しつつあります。しかし、一方では、道徳的危機を迎えるようになり、精神的価値の崩壊の脅威に直面していることも事実です。今日の享楽主義と青少年たちの自己中心的な価値観を克服するために、互いに健全なスポーツ精神特有の建設的な代案を提示しなければなりません。

スポーツは、公正な競争の法則が支配します。闘争と競争とは、その概念が異なり、次元が違います。闘争は、腕力や武力、または物理的な力で相手の存在を否定し、抹殺しようとする、残忍で殺伐とした動物たちの弱肉強食の法則です。

スポーツの競争は違います。競技では、ルールを定め、その規定に従って優劣を決め、相手を認める紳士の精神があります。スポーツ競技とは、多くの人が見守る中で、選手たちの正々堂々とした態度と公明正大な精神をもって、各自自分の技術と才能と力を競い合うのです。互いに約束した法と規則を守りながら、審判の公正な判定を受けるのです。

ゲームで最も重要なことは、フェアプレーです。順法と準則です。反則は、減点となり、退場となり、権限が剥奪され、選手は処罰を受けます。運動選手は、個人と国の勝利と栄光のために、すべての力とすべての精誠と勇気を尽くして全力投球します。

勝利した選手には、常緑樹の月桂冠を与え、栄光の金メダルを掛けてあげ、花束を与えながら、万雷の拍手喝采で祝い、国旗を掲揚し、国歌を歌ってあげるのです。そのような儀式は、感激の極致であり、栄光の絶頂であり、私たち全員の祝宴なのです。

またスポーツの世界には、競争で敗れた選手たちも、自分の残念な思いを抑えて、勝利者の労苦に心からの拍手を送る美徳があります。スポーツは、美しい友情の香りがあり、同志愛があります。選手は、スポーツマンシッブを守るときに美しいのであり、絶え間ない努力によって血と汗を流さなければならず、名技と神技の境地に到達しなければなりません。公正と秩序と礼節の徳を修錬しなければなりません。

スポーツは、現代社会に多大な貢献をしました。人間の心身を健康にし、競技の技術によって喜びと感動を与えました。特にスポーツは、宗教のドグマや政治的なイデオロギーを跳び越えることができ、誰もが一つになることができ、さらには、全世界の人々の心を一つに結ぶ和合と平和の饗宴です。

冷戦時代が終息はしましたが、世界は、依然として苦痛の束縛から逃れることができずにいます。アメリカにおける九•一一事件で示されるように、民族紛争と宗教的葛藤によって世界が争っており、地球の環境は、破壊の一途をたどっています。

未来に責任をもつべき青年は、世間に対して冷ややかになりつつあり、一部は、物質主義と享楽主義に心酔したり、そうでなければ、麻薬に溺れて非行に没頭したりすることもあります。

このような諸般の問題の解決法案は、先ほど申し上げたように、正しい真理、すなわち、互いに「ために生きよう」という理想的真理の基盤の上に、正しいスポーツ精神を接ぎ木させ、その精神を神様のように実践し、和合と平和と統一の世界を創建しなければならないのです。

「鮮文ピースカップ」は人類共同体の祝祭 ですから、私は、今回、平和世界の創建を願いながら、「鮮文ピースカップ(SUN-MOON PEACE CUP)」を創設したのです。「鮮文ピースカップ」は、太陽(sun)と月(moon)のカップ、天地父母のカップ、平和のカップです。純粋、純潔を象徴する光で永遠に輝かなければなりません。

「鮮文ピースカップ」は、神様を抜きにして、単に興行性のある競技ばかりをあおり、スターを誕生させるなど、そのような既存のカップとは区別されなければなりません。神様をはっきりと知り、霊界の実相について詳しく知り、平和の正道をわきまえて進んでいかなければならないのです。

「鮮文ピースカップ」は、神様が理想とされた創造本然の世界を成し遂げるための宗教と科学、政治と経済、女性、青年、体育など、各界各分野の努力を一ヵ所に集め、人類が一つの大家族となることを念願する祝祭の場となるでしょう。

特に、人種、国家、民族、宗教、理念の壁を越え、神様の真の愛を中心とする真の平和の理想に向かって出発する始発点になるという点において、実に重要であると主張できるのです。

「鮮文ピースカップ」は、人類の健全な精神世界はもちろん、霊性の啓発と共に人類共同体の内外的和合と調和を実現する祝祭の場であり、神様の創造理想を中心に、平和と自由と幸福の世界を開いていく一つの心、一つの家族、一つの心情の大同の場となるでしょう。

最後に、ここにお集まりになった皆様は、「鮮文ピースカップ」を発展させる上で主役となり、大きく寄与してくださることを約束した「ペレ財団」、そしてFIFA(国際サッカー連盟)と共に、すべての協助と指導を惜しまれないことを重ねてお願いいたします。

皆様と皆様の御家庭に神様の愛と祝福が満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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12.世界と国家の真の救援のための道 日付:二〇〇二年二月十七日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超宗教超国家連合総会」祝賀晩餐会

尊敬する世界の指導者の皆様。二〇〇二「世界文化体育大典」と「世界平和超宗教超国家連合」総会の代表者の皆様。この数日間、皆様が地球星の重要な問題に対する解決策を模索するための「世界文化体育大典」および国際会議に最善の努力を傾けてくださったことに称賛の意を表します。私はこの行事全体を終える御挨拶を通じて、いくつかのお願いをしようと思います。

真の父母の使命成就のための一生涯 きょう、私の誕生日を記念する式典で、いく人かの方々から私の業績に対して称賛のお言葉を頂き、大変有り難く思います。私の成し遂げた目に見える実績に対して驚嘆され、称賛もされました。しかし、その背後にある目に見えない内的な精誠の深さと霊的基盤について、また摂理史的意義についても、より多くの関心をもって研究してくださるようお願いする次第です。

私の生涯は、生まれた時から神様の摂理史を完結することと直結されていました。人間による研究や評価を超越し、天道とともに霊界が公認し、さらに神様が先駆けて立てられた驚くべき条件があったことを明らかにしたいと思います。生と死の境界線を行き来しながら、奔走してきた私の背後に、神様の無限の加護と愛がなかったとしたら、恐らく私は、きょうこの場には立っていなかったでしょう。もう一度、神様に感謝と栄光をお返しいたします。

皆様は世界の指導者であり、平和大使です。皆様が私との関係の中で天道を悟ったならば、それを皆様の影響圏のもとにいる人たちに必ず教育しなければなりません。特に全世界の平和大使たちが、この天道を中心として互いに横的に連携しながら心を合わせて努力すれば、この世界を平和理想世界に変えることができます。

私はきょうも、摂理完成のために焦る心情ゆえに、肉身の年齢を忘れて生きています。一分一秒でも早く罪悪の中にいる人類を救い出し、平和理想世界を成し遂げ、神様を完全に解放してさしあげなければなりません。そのために、私が提唱して推進する運動に積極的に参加し、共に成し遂げていってくださることを、皆様にお願いする次第です。特に、青少年に対する純潔運動と結婚の神聖性と不変の夫婦愛を実践する祝福結婚、真の愛運動の先頭に立ってくださるようお願いします。

人類は神様を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの位置において夫婦の関係を結んで、二代圏を形成しなければなりません。彼らが子女をもって父母となることにより、三代圏まで完成して暮らす真の家庭を形成してこそ、神様の真の愛の理想が完全に定着するようになるのです。

堕落圏でサタンと因縁を結んできた愛とすべての所有権を否定し、純潔、貞節、信義の生活を誓って、神様の真の愛圏に入籍する儀式が祝福結婚です。このように祝福を受けて真の家庭を築くことは、旧約、新約、成約時代を貫く全体摂理史の最も尊い慶事になるのです。

これは超国家、超人種、超宗教和合運動とともに展開される神聖な救世救国運動です。平和大使はもちろん、指導者の皆様が率先して、積極的に指導を行ってください。国ごとに千人、万人の私の代身者が活動することによって、神様が願われる天宙平和統一国の理想を完成してくださることを切にお願いします。

世界の指導者の皆様。私は、神様の召命を受け、これまで真の父母の使命を完遂するために生涯を捧げてきました。私の行く道には、いかなる補助者も指導者もいませんでした。案内書もありませんでした。誰一人として歩んだことのない開拓の道でした。真の父母の勝利は、取りも直さずサタンにとっては破滅を意味するので、サタンの総攻撃を避けていくことはできませんでした。

サタンは霊的な存在なので、直接、霊的に攻撃することもあれば、様々な実体の代理人を立てて攻撃することもあります。空中の権勢を握る偽りの王であるサタンは、時空を超越し、あらゆる権謀術数で攻撃し妨害しました。そのような怨讐に打ち勝つ秘訣はただ一つ、真の愛で与え、自ら犠牲の蕩減条件を立てる道しかないのです。力によるのではなく、真の愛によって怨讐を自然屈伏させることが、神様の原理だからです。

神様を知らず、真理を悟れずに反対する彼らに対して、私は終始一貫してために生きてきました。人知れず迫害者の子女のために愛を投入しました。反対する国や政権を、むしろ助けながら生きてきました。

今や世界が公認し、反対していた者たちも私を尊敬するまでに至ったのです。私たちはここで、天の戦略とサタンの戦略がいかなるものであるかを学ぶことができました。すなわち、天の戦略は先に打たれて得るものであり、サタンの戦略は先に打って失うものなのです。

平和世界は地上、天上世界の協助のもとに成就される 尊敬する指導者の皆様。私が開会の基調演説で言及したことですが、この地の完全な平和世界は、もう一つの世界である天上世界との調和と協力の中で成就されるという重要な事実をお話ししようと思います。

天上世界、すなわち霊界では多くの霊人が暮らしています。肉身を脱いだ永遠の実体である霊人がすべてそこにいます。皆様の先祖たちがそこで暮らしています。

堕落によって霊性が失われ、霊的五官がまともに機能しなくなった人類は霊界をよく知らずにいます。私は早くから全霊界を巡り、これまでも継続して霊界と通信してきました。今も四大宗教の聖人たちが私を真の父母と証言し、私の指示によってメッセージを送ってきています。

霊界は無限で、永遠の世界なので、現象世界よりもはるかに複雑な世界です。心霊発達の程度により、多くの階層とグループに分かれています。霊人に対する祝福と霊界の調和統一のために、私はこれまで多くの努力をしてきました。地上と同じように、霊界でも真の愛の犠牲的な条件によってのみ、勝利的基盤を築くことができます。これまで多くの祭物的な条件が投入されてきました。サタンと悪霊を制圧するため、血みどろの霊的な闘いも多く、善霊を収拾し教育するために特別恩賜も施しました。特に霊人に対する祝福は革命的な恩賜だといえます。

私はこれまで地獄を解放し、地獄と楽園の境界を撤廃する宣布と条件を立て、また霊界祝福をやっとのことで開門し、天宙解放宣布式、天地父母天宙統一解放圏宣布、霊界解放式など、重要な条件を立て、霊人に対する祝福の恩賜が大きく開かれるようにしました。奇跡のようなことです。

皆様の知らない間に、皆様のすべての先祖が祝福の恵沢圏に入りました。そして、「神様王権即位式」の奉献によって、神様の絶対圏が全霊界に生命の恩恵として及んでおり、天宙平和統一国の理想が全霊人の願いに連結されたことによって、霊人の再臨協助が活発に行われているのです。

世界の指導者の皆様。今や善の霊人の再臨協助によって地上人が導きを受け、真の愛で葛藤を解消するよう指導されるその日が近づいています。指導者の皆様が天道を実践することによって霊界の協力まで受け、人間の本性が願う理想家庭を通した理想世界を実現しなければなりません。その世界は平和文化の世界、すなわち心情文化の世界である天宙平和統一国なのです。

もう一度、「二〇〇二世界文化体育大典」の参加者の方すべてに感謝を捧げます。皆様の御家庭と国と世界に神様の祝福が満ちあふれることをお祈りしながら、御挨拶といたします。ありがとうございました。

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11.平和の根は真の愛に 日付:二〇〇二年二月十五日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル

行事:「二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超宗教超国家連合二〇〇二総会」

尊敬する議長、世界各国からいらっしゃった元•現職の国家元首、ならびに内外の貴賓の皆様。希望にあふれる新千年紀の二年目の年を迎え、私の愛する祖国、韓国の地で開催される「二〇〇二世界文化体育大典」が、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、感謝申し上げます。

神様の創造理想と平和の根本 人類は今、歴史上のいかなる時よりも急速に変化する時を迎え、宗教間の対話、人種間の和解、そして文化間の理解が切実に必要であることを肌で感じています。ですから、今回の「二〇〇二世界文化体育大典」の主題も「新しい平和文化世界に向けて」に決定されたのだと思います。

私はこの大会の創始者として、きょうこの場をお借りして、私が生涯を通して信じ実践しながら教えてきた平和思想の一端を皆様と分かち合うことによって、創始者のメッセージに代えさせていただこうと思います。

内外の貴賓の皆様。私たちが何よりも切実に願い、叫んできた平和のその根本は何であると思いますか。どこで、どのようにすれば平和を獲得できるのでしょうか。また何が人類の平和を妨げている障害物なのでしょうか。極度の個人主義と利己主義が蔓延する今日の混乱した世界において、果たして私たちに平和世界を成就できるという希望はあるのでしょうか。平和の根本を知るためには、神様の創造理想を深く探ってみなければなりません。まず神様と霊界について理解しなければ、平和を実現することはできません。

創造主である神様の真の愛によるみ業が、正に天地創造であり、その世界の主人として創造された人間は、神様の創造理想、すなわち創造本然の世界である地上天国を築いて慕らしたのち、霊界に行っても永遠の平和天国を築いて暮らすようになっているのです。

地上において、平和世界である地上天国を築いて暮らすことができなければ、霊界においても、そのような世界は期待できません。ここで言う天国とは、宇宙万象と人間、そして人間と人間が互いに、ために生き、一つとなって調和統一を成し遂げて生きる所をいいます。

しかし、人間始祖の堕落によって、神様の創造理想は無残に挫折してしまいました。そして、今もその完成をみることができずにいるのです。神様と人間の関係が父子の関係であることさえも分からない無知の状態に転落してしまったのです。

救援摂理は原状回復摂理 皆様。堕落した世界である今日の現実を直視してください。本来なら、平和と幸福の歌が満ちあふれるべき家庭は、背信と離婚でばらばらになり、父母の温かい愛のもとで未来の夢を抱いて無限に成長していくべき子女たちは、挫折と失望の中で街にさまよい、酒と麻薬の奴隷となり、挙げ句の果てはフリーセックスに心身を投じるという途方もない現実を目撃するようになります。

国民に責任をもち、国運を両肩に背負った為政者たちの姿からは何を見るでしょうか。国家の将来や国民の安寧よりも、自分たちの権力維持に血眼になっている人たちを多く見るようになります。国家と国家の間にも、理解と平和がなければならないところに、不和や葛藤、そして戦争ばかりが荒れ狂っているのが、今日の現実ではありませんか。人類の平和文化が定着する道が塞がれてしまっているのです。

したがって神様は、何としてでも、本来御自身の計画された真の愛と平和の理想を再び探し立てる救援摂理を展開せざるを得ないようになったのです。神様の救援摂理は原状回復の摂理、すなわち復帰摂理なのです。

復帰摂理の完成と「神様王権即位式」 このような復帰摂理のために、神様は、歴史を通して時代と伝統、そして文化によって各々異なる宗教を立てられ、善の版図を広げてこられたのです。

いち早く人類救援の天命を受けた私は、全生涯を通して名状し難い迫害と苦難の路程に勝利し、ついに二〇〇一年一月十三日「神様王権即位式」を奉献しました。すなわち、人間始祖の堕落以後、数千年間耐えて待ってこられた神様に、心情の解放とともに王権を取り戻してさしあげたのです。

その基盤の上に、今や霊界と肉界が一つになって自由に通じる時代が開かれました。霊界が私たちと共に呼吸しているのです。イエス様の十二弟子はもちろん、四大聖人までも、私が人類の真の父母であり、メシヤであることを証するメッセージを送ってきています。

このように、二つの世界を分けていた壁が完全に撤去されました。今からは、天道に従わなければ生きることができない時代に入りつつあることを、皆様の前で宣言いたします。

今や人類は神様を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの立場で二代圏を立てて夫婦になり、子女を繁殖することによって父母となり、三代圏まで完成して暮らす真の家庭を探し立てなければなりません。その道だけが、罪のない、自由と平和と幸福の満ちる世界をつくり、神様の直系の血統を子々孫々、永遠にこの地上に植えつけることができる道だからです。このように、神様を知り、霊界をはっきりと知るようになれば、平和を実現できる道が見えるのです。

皆様。平和の意味は何でしょうか。一言で言うと、平和とは人間関係において主体と対象が互いに一つとなって水平を形成することをいいます。起伏のない平らで、完全な均衡状態のことをいいます。「平」は水平を意味し、「和」は調和と和解、つまりハーモニーを意味します-

真の愛の根源は神様 このように平和とは独りで成し遂げる「独平」ではありません。独りではいくら努力しても幸福になることができないのと同じです。ですから、上下関係、左右関係、そして前後関係がすべて調和し、どの一方にも偏ることなく、いっぱいに満たされて充満し、円満な状態になってこそ、真の平和がやって来るのです。

縦横と前後左右で完全な立体的軸を立て、互いに絶対相応する調和の世界が平和の世界です。虹の七色を合わせると調和と平和を象徴する白光色となるように、平和は、すべての条件と状況が一カ所に融和し、調和した姿の純粋な白色なのです。

すべての方向が一点で完全に調和すれば、自動的に平面性を超越して立体性を帯び、球形運動を通して永続性をもつようになります。人類の恒久的な平和はこのようにして成就することができるのです。しかし、平和は独りで存在するものではなく、その根を真の愛に置いています。自由と幸福の根が真の愛にあるように、真の平和も真の愛を成し得なければ成就することができないからです。それでは、真の愛とはどのような愛でしょうか。一言で言うと与えても忘れてしまう、条件なしに与える愛です。犠牲的な愛です。

父母が子女を生んで養育しながら与える愛には何の条件もないのと同じように、真の愛は無条件に与える愛です。怨讐までも許して与える愛です。与えてもまた与える愛です。条件なく与えるものなので、与えたというその事実さえも記憶しない愛です。無限に与える愛です。神様が人間を創造される時に与えてくださったものが、正しくこのような愛なのです。

したがって、真の愛の根源は神様です。正にこのような真の愛の土台の上に平和が立てられるとき、その平和は真の平和になるのであり、自由と幸福までも伴うようになるのです。

それでは、私たちが真の平和を実現する姿として備えるべき条件とは何でしょうか。第一に、皆様の心と体の関係について考えてみてください。対象格である肉身は、主体格である心が指向するとおりに一〇〇パーセント従わなければならないのが天理です。

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13.「神主義」による教育 日付:二〇〇二年四月十四日

場所:韓国、忠清南道、牙山、鮮文大学

行事:文鮮明総裁•韓鶴子総裁名誉博士学位奉呈式

内外の貴賓、教授、学生、役員と職員の皆様。きょう鮮文大学の本館の奉献式を執り行った意味のあるこの日に、大学院委員会の総意によって、私は名誉神学博士の学位、妻である韓鶴子総裁は名誉人文学博士の学位を取得することになり、神様に感謝を捧げる次第です。

奉献式の場でも言及したように、私の教育機関の設立趣旨は、神様の真の愛の理想の教育と実践にあります。創造主であられる神様の根本属性は、絶対、唯一、不変、永遠、全知、全能など、様々に説明できると思いますが、根本の中の根本の属性は、真の愛です。

愛の理想は、相対と共に、相対を通してのみ成就します。真の愛それ自体の特性ゆえに、神様もために生きるべき愛の相対的存在を必要とするようになるのです。これが、絶対者であり、自存者であられる神様が被造世界を創造された動機です。

すべての被造物は、直接•間接的に神様の愛の対象です。その中で人間は神様に最も近い存在であり、すべてを相続できる子女として創造されました。人類にとって神様は無形の真の父母であられます。

人間は宗派や教理によって、神様を様々に表現しますが、根源者の神様は、国境と人種、宗教と言語、そして肌の色と文化を超越し、人類すべてを一つにまとめることのできる真の愛の真の父母であられ、求心点になるのです。

宗教は、自分の宗教が他の宗教よりも優れていると考えるので、最近アメリカで起きた世界貿易センタービルのテロ事件や、パレスチナ紛争で見られるように、宗教戦争の渦に巻き込まれているのを目撃することができます。しかし、すべての宗教は普遍的な真理をもっているだけではなく、その教えは、唯一の神様から、共同の目標を指向しながら設立して出てきたものです。一人であられる神様は、すべての宗教の決着点であり、主人なので、宗教人たちは、互いに異なる点よりも、共通点を見ようと努力しなければなりません。

宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は、ために生きることであり、個人よりも家庭、家庭よりも氏族、氏族よりも民族、民族よりも国家、国家よりも世界、世界よりも天宙、天宙よりも神様のために生きることをいいます。このとき、神様は最初に戻って、子女である人間のために生きられるのです。これは普遍的な真理です。同様に、宗教は他の宗教を理解し、他の宗教のために与えて進んでいかなければなりません。

私は、宗教を通した平和世界実現のために「世界平和宗教連合」、「世界平和超宗教超国家連合」、「世界非政府機構連合(ワンゴ:WANGO)」などを創設し、全世界の宗教人を一つにまとめる活動を展開してきたのであり、宗教間の対話と和合を図るために、世界宗教の代表的な学者たちが編纂した『世界経典』を刊行しました。信じられないかもしれませんが、統一教会自体の予算よりも、超教派超宗派活動により多くを投入してきています。

また神様は、すべての知識体系と真理の根源であり、出発点となります。鮮文大学は世俗的な物質的価値を教える以前に、神様を愛する姿勢を教えなければなりません。すべての学問と価値観、そして真理の源泉が神様であるという事実を理解し、そのような姿勢で教え、学ばなければなりません。

また建学理念である「愛天思想」とは、神様を中心とした正しい価値観を立て、それを生活の中で実践することを意味します。唯物論と無神論、そして世俗的な価値観と快楽主義が乱舞する現代社会は、実に価値観が混同し、破壊された社会であると言わざるを得ません。愛天理念は、価値観が崩壊した現代社会において、その代案として提示された神様中心の価値観、すなわち「神主義」をいうのです。

一九九一年の末、私と私の妻が金日成主席の招請で北朝鮮を訪問した時のことです。その何年か前でも、世界的な宗教指導者であり勝共運動の第一人者である私を消し去ろうと、ソ連のKGB(国家保安委員会)や共産テロ団が暗躍したことがあったので、思想的に統制された北朝鮮の地に入るということは、命を懸けた冒険でした。

しかし金日成主席との出会いは、統一問題を解決するためには避けられないことであり、神様の摂理歴史において必然的にぶつかっていかなければならない摂理的要請であることを知っていたので、私は神様だけを頼りに北の地に入っていったのです。北朝鮮に入ったのも、何か共同投資や事業をするためではなく、神様の願いである南北統一のために、人類の真の父母として北朝鮮の住民を誰よりも愛する憐憫の心情を抱いて、堂々と入城したのです。

そして、北朝鮮の最高指導者に、「『主体思想』では統一できない。南北が共に生きることのできる『神主義』で統一しよう」と提議したのです。当時、私に随行していた人たちは、「わあ、これで、生きて帰れない!」と思ったと後日、話してくれました。既に一年前、ソ連を訪問して、ゴルバチョフ大統領に会った時も、危険を顧みず、神様のみ旨を宣布したことがあります。

私にとっては、生死が問題ではなく、天命と天意を守って従うことが重要だったのです。私の語る「神主義」は、してもしなくてもいい、そのような思弁的なものではありません。厳然として生きて役事される神様を無視したまま、無神論や唯物論、主体思想を主張しながら、偽りの思想を宣伝することは、天道に背くことであり、歴史の前に流れていくことなのです。ただ天道と正義と真(まこと)だけが歴史の前に残るのです。そのような意味で、神様の真の愛を中心とした「神主義」だけが、統一の基礎になることができるというのです。

私が主導した「科学の統一に関する国際会議」もそうです。世界で我こそはというノーベル賞受賞者などの碩学たちを、文総裁が押したり引いたりしながら、「ああしなさい、こうしなさい」と言えるでしょうか。大会を一度開くたびに途方もない予算がかかる国際大会を、なぜ毎年行ったのでしょうか。

二十世紀に入り、驚くべき速度で発展した科学文明は、人類に豊かな生活を享受できるようにしてくれましたが、一方では自然と環境の破壊、大量殺傷武器の開発、大気オゾン層の破壊など、暗い影を落としたのも事実です。科学技術を利己的な動機で使用するとき、科学技術は人類を破滅させるかもしれない凶器に急変するのです。

科学的理性を固く信じた人類は、二度にわたる世界大戦を経ながら、人間の野蛮性に対して驚愕するようになり、科学的理性に対する信頼が落ちるようになりました。また現代産業社会において、人間は物質文明の奴隷となってしまいました。これらすべての現象は、科学の誤用から来る結果なのです。科学は、科学者たちが好んで使う言葉のような「価値中立的な学問」なのではありません。科学こそは、人類のために正しく使われなければならない「価値指向的な学問」なのです。

私は、毎回開催される「科学の統一に関する国際会議」の主題を「絶対価値の探求」と関連させて設定しました。私が提案した絶対価値というのは、「神主義」に立脚した神様の真の愛を意味します。宇宙万物を創造された神様は、科学者の中の科学者であり、芸術家の中の芸術家であられます。科学者が、神様の創造された宇宙万物に対する知識を一部知っているからといって、驕慢になったり、自己満足に陥ったりするならば、それは正しい道理ではありません。

したがって科学者の目標は、物理学や化学、あるいは生物学など、関連分野の研究だけに終わってはいけません。諸学問の分野別特性も重要ですが、学問の研究が相互協力、相互補完されなければならず、その研究の成果が善の目的に活用されなければならないのです。

科学が科学だけのための盲目的なものとなるとき、誤ってしまう可能性があるからです。したがって、科学者たちの学問的な成果が、他の学問との関連性においても扱われるべきであり、さらには全体社会に対する有用性と目的性の可否とも関連しなければなりません。そのような側面から見るとき、「科学の統一に関する国際会議」は、最上の権威を備えた国際会議であり、人類社会に大きな足跡を残したと自負します。

今後の世界文明を主導する思想は、現代文明から失われた、生きておられる神様を再発見し、神様を中心とした絶対価値を基盤にした思想でなければならないのです。西欧文明は人間の理性を過度に強調した結果、人本主義思想に染まり、神様を見失ってしまいました。唯物論の哲学は、神様を追放し、神様からの解放を装いながら、物質至上主義に陥ってしまいました。

しかし、神様を離れた自由は真の自由ではありません。何よりもまず大学教育から、神様を中心とした新しい価値観を教育することが急がれる時です。また、現象世界を越えた本体世界、すなわち理想的な霊的世界が存在することを知らなければなりません。肉的五官では感知されませんが、厳然と存在する実体世界です。

私は、その世界と数多く交わりをもち、体験的真理を語っているのです。神様と霊界を正しく知るべき、もう一分野の学問研究が残っています。二十一世紀は霊界と霊的現象がだんだんと可視的、体恤的に私たちに迫ってきています。

すべての学問と教育は、究極的に主体となられる神様に依存して関連性を結ぶことが、真の大学教育の要諦であると思います。神様を中心とした絶対的価値体系を樹立することは、世界文明を主導する大学がもつべき一次的な条件です。

教育は、単純に知識と機能を伝達する行為になってはいけません。少なくとも道徳性と倫理、および良心を啓発する教育がその主軸を形成しなければなりません。したがって真の教育とは、機能的な知識人や利己主義者を量産するのではなく、人格の完成と道徳性を実現するときに、その意味をもつようになります。

ぜひとも鮮文大学が「神主義」に立脚した教育思想を実践して、この国と人類文明に大きく寄与する大学として発展していくことを祈ります。ありがとうございました。

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最も大切な愛の器官 私たちは、神様を中心とした「世界一家庭の家族」です。スローガンや飾り言葉としてではなく、実際にそのように暮らさなければなりません。神様は、青年や大学生たちに最も大きな期待をかけていらっしゃいます。私たちは、ある特定の人種、言語、宗教、国家、文化に属しているという意識を超えなければなりません。

私はきょう、皆様に実に貴い教えを伝えようと思います。人々、特に若者たちは、愛の器官に対する価値を正しく理解し、これを大切にしまっておかなければなりません。愛の器官は、愛と生命と血統の中心であり、根源です。

そして、愛の完全な結実も、新しい生命の懐妊も、愛の器官を通してこそ可能なのです。愛の器官を通さなければ、父母の血統が次の世代へとつながりません。このような理由によって、愛の器官は、人体の中で最も大切な部位になるのです。

不幸にも、現代社会は、あまりに多くの状況において、この貴い愛の器官を間違って使っています。社会的、文化的環境、特に映画、音楽、言論、インターネットなどを通して、愛の器官を間違って使うように、誤った方向に向かっているのが世界的な趨勢です。若者たちは、いとも簡単にフリーセックスの波にのみ込まれ、家庭は崩壊していきます。この現実は、悲惨なことです。宗教界の指導者たちをはじめとする志のある指導者たちは、正しい意見を大きな声で叫ばなければなりません。

いかなる場合においても、家庭の貴さが取り戻され、男女の愛の関係が正しい倫理基準の上に立てられなければなりません。真の父母様を通じた真の愛の祝福結婚行事と若者の純潔運動が、超国家•超宗教的に普遍化されなければならない理由がここにあるのです。七月十三日に行われる超宗教•超国家的祝福結婚行事の貴重な意義も、この点から見いだすことができるのです。

私は、これまで超国家的、超人種的、超文化的、超宗教的祝福結婚を奨励してきました。また、過去に怨讐関係にあった国民同士の祝福結婚を奨励しています。特に韓国と日本、アメリカの黒人と白人、キリスト教とイスラーム、イスラエルとパレスチナとの間においてです。もしもこのことが普遍化されるならば、平和世界に向かう道がどれほど短縮されるでしょうか。

すべての人が、このように怨讐を愛することを実践することによって、私たちの指導力を満天下に示しながら、心の障壁を崩し、愛で奉仕する、神様の平和大使とならなければなりません。

宗教と霊性の重要性を見過ごした国連 尊敬する世界の指導者の皆様。私たちは、今まで代表的な平和機構は国連であると言ってきました。しかし、国連はこれまで、加盟国が五十一ヵ国から百九十一ヵ国に増え、また五十八年という歴史が物語るように、内外の環境と条件が大きく変わりました。

国連が成し遂げた業績も大きいのですが、今は内外に多くの試練を迎えています。安全保障理事会を中心とする特権の問題、強大国と小国との公平性の問題、強制制裁圏の問題、予算の問題など、多くの制限と困難があります。

特に国連がその活動において、宗教と霊性の重要性を見過ごすことによって、心のない体のような運命の道を自ら招くことになりました。多元化した世界において、国連が頭のない体となって、地球星の諸問題に能動的に対処できなくなり、世界の問題を分析して対応する際には、公正性を失い、一方にばかり偏ってきたということができます。国連がこのままいくとすれば、本来の創設目標は、決して達成することができなくなり、発展どころか、存廃の危機を迎えるようになるでしょう。

私は、三十年前から国連が世界平和のための機構になることを心から願い、心配してきたのであり、ここ四年間は、機会があるたびに国連の刷新を主張してきました。国連の刷新に関する私の持論は、国連内に超宗教議会を上位機関として設置しようというものです。

幸いに、フィリピン政府が私の提案に基づいた国連刷新案を、今年の九月に開かれる第五十八回国連総会において、アメリカなど数々の国の支援を受けて提案する予定です。多くの国家が協力し合い、国連が本当に平和実現の躍動的な機構となるよう、皆様が支援してくださるものと確信しています。

霊界においても、既に五大聖人たちをはじめとした指導者たちが協力することを決意しています。国連内に設置される超宗教議会の代表たちは、宗教の創始者たちが成し遂げようとした高貴な理想を、真の愛の手本となる人格と知恵でもって実践しなければなりません。

そのためには、宗教自体が利他的な実践の道にしっかりと立っていなければなりません。もしそれができないとするならば、超宗教議会は、何の価値もなくなります。今世界は、教派主義、狂信主義的宗教、自教団利己主義を超えて、真の愛を実践する宗教指導者を必要としています。

心情文化世界を実現するための祝祭 今回の期間に進められる超宗教祝福結婚行事、超宗教青年平和体育大典、国際平和会議、世界原理研究会総会、平和のための奉仕活動など、文化祝典における行事は、すべて世界平和のためのものです。私は、教育部門と芸術分野にも世界的な基盤を築いてきました。また、今月十五日に開幕する、世界の有名なクラブのサッカー対抗戦である鮮文ピース•キング・カップ大会も、すべて心情文化平和世界のための一連の活動です。

今から私たちは、数日間、霊界とこの世界が注視する中で、私たちの平和のビジョンと決意、そして指導力を万邦に示すでしょう。万民の心の中に感動と共感を呼び起こし、希望のメッセージとして植えつけられることを期待します。

最後に、神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして全世界に満ちあふれることをお祈りいたします。

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15.宗教間に恒久的な和合を成し遂げよう 日付:二〇〇三年七月十日

場所:韓国、忠清南道、天安、柳寛順体育館

行事:「二〇〇三世界文化体育大典」

尊敬する元•現職の国家元首、高名な宗教界の指導者、世界各国からいらっしゃった各界指導者、各教団を代表する青年代表、紳士淑女の皆様。ここ大韓民国において開催される「二〇〇三世界文化体育大典」に参加されましたことを心から歓迎いたします。韓半島は、私の祖国であると同時に、神様が復帰摂理を終結させる所でもあります。

霊界が全面的に支援する祝祭 私は、少年時代から驚くべき霊的体験によって神様を知り、イエス様をはじめとする聖人たちと交流してきました。そして、深い境地における霊的体恤を通して、神様のみ旨と心情を悟り、天道と、人生の本然の道を究明したのです。

人の命というのは、地上において肉身が死んだからといって終わるわけではありません。天上世界、すなわち霊界では、聖人や賢人たちはもちろん、私たちの先祖が、肉身とは異なる、人格体である霊人体として生きています。神様が創造された根源の世界、すなわち無限で永遠の世界と比較するとき、私たちの肉身が生きるこの自然界は、ごく小さな一部分にすぎません。

そして霊界は、永遠の世界であると同時に、この現実世界の主体となる根源であり、本質の世界です。私は、堕落によって断絶した地上世界と霊界との間に、原理的な交流を回復させることに多くの精誠を尽くしました。それは、地上と天上にふさわしい条件を立てなければ不可能な、実に難しい課題でした。

現在、私は、霊通者を立て、霊界に指示するメッセージを送り、またそれに対する回答とともに、霊界での実相に関する報告を送ってくることもあります。さらに驚くべき事実は、霊界において五大宗教の代表たちが一堂に会し、神様が人類の父母であられることを宣布すると同時に、私に対して、人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母であると宣布し、また「統一原理」が人類救援のための平和のメッセージであり、天宙平和統一は、真の愛を中心として超宗教、超国家、超人種の「愛によるために生きる人生」を通して完成することを宣布しました。さらには、真の父母に侍り、神様の国と世界平和のために、和合、統一、精進することを決意しました。これが二〇〇一年末に霊界で起きたことです。

根源であり、主体である霊界において起きたことは、その反応が地上においても起きるようになっています。地上に多くの霊的役事が起きるようになり、同じ決意をするという出来事がだんだんと増えていくのです。「世界文化体育大典」は、人間の考えだけで始まった行事ではなく、神様のみ旨を動機とし、霊界が全面的に協力、支援する中で進行する、愛のチャンピオンを神様に捧げる祝祭なのです。

宗教の和解と協力は世界平和の前提条件 今回参加された皆様の善の先祖と教団指導者が、霊界から皆様に声援を送っていることを記憶してくださるようお願いします。宗教の重要な使命の一つは、人々に霊界に関する正しい内容を教育することです。人間が神様と霊界について、はっきりと理解するならば、確信と希望の中で責任を果たしながら完全なものとなるでしょう。

現在に至って、多くの国々が、自国の安全は自国だけに限られた問題ではないという事実に気づくようになりました。戦争やテロ、核兵器の脅威などの国際情勢と無縁な国は一国もありません。

また、世界の指導者たちは、世界平和のための基盤として、宗教間の調和と協力が必要であるということに共感しており、九•一一事件以降は特にそうです。過去半世紀の間、私が粘り強く警告してきた宗教間の葛藤と戦争の致命的な危険さを、人々は今、正に深刻に感じているのです。

宗教間の和解と協力は、世界平和のための前提条件です。今回の文化体育大典の主要な行事は、この宗教間の和合を恒久的に成し遂げようとする行事です。指導者、特に宗教界の指導者は、人の血統の重要性を理解し、正しく教えなければならないと思います。

神様が人類始祖として最初の男性と最初の女性を創造された意図は、彼らがそれぞれ真の愛によって完成し、夫婦として完全な相対理想を成し遂げることによって、神様を中心とする家庭を築き、善の血統を受け継ぐ子孫を神様の民として繁殖することにあります。

人類始祖は、神様の祝福を受けた最初の家庭を完成することができませんでした。彼らは、サタンの偽りの愛の因縁によって堕落し、エデンの園から追放されてしまいました。結果的には、神様の真の愛とは無関係な家庭を築いてしまったのです。人類始祖は、神様の善の息子、娘、善の夫婦、善の父母になることができませんでした。したがって人類は、偽りの父母、偽りの先祖から出発し、偽りの血統によって罪悪の子孫を繁殖してしまったのです。

そして人類始祖は、子孫に神様の真の愛、真の生命、真の血統を相続させることができませんでした。ですから、偽りの先祖の子孫である人類は、真の愛によって神様が願われる真の家庭を再び回復しなければならない宿命のもとに置かれてしまいました。もちろん真の愛、真の生命、真の血統は、共に重要なものですが、その中でも、一生涯の期間を越えて代を受け継いでいく真の血統が、より貴いのです。

超宗教的にお集まりになった青年学生代表の皆様。新しい心情文化世界を指向するこの祝典の主役が正に皆様です。皆様は、実に貴いものをもっています。

若さ、情熱、純粋、義俠心、勇気など、神様の本性に最も近い性禀を備えているので、神様は、皆様と共にいることを願われます。皆様がその開かれた心で、排他、反目、葛藤などの壁を越え、宗教和合のしっかりとした根を下ろさなければなりません。

そして、私の生涯を通して実践し、教育してきたことの一つが壁を崩すことです。私たちは、人種と宗教と国家の境界を越えて、共に調和して暮らさなければなりません。

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10.天国には誰がどのようにして入るのか 日付:二〇〇一年一月二十九日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ヒルトン•ホテル

行事:「二〇〇一世界文化体育大典」閉会式および真の父母様御聖誕祝賀晩餐会

尊敬する元•現職国家元首、高名な宗教指導者の皆様。「二〇〇一世界文化体育大典」に出席してくださった皆様の御苦労を心より慰労いたします。また、私のビジョンと業績を称賛し、今後のさらなる協力を約束してくださり、感謝を申し上げます。

今晩は、そのお礼として、世界の指導者の皆様に、貴い贈り物となるお話をお伝えしようと思います。このお話は、私が若い頃より筆舌に尽くし難い受難の境地において、広大無辺な天上世界を巡り歩いて直接探し出した真理です。誰も避けることのできない死後の世界である霊界の原理と、人々が行くことを心から願う天国の内容のうちその一部を紹介しようと思います。

人間始祖は、堕落によって神様の祝福の中で結婚式を挙げることができませんでした。彼らは神様に背き、成長期間に姦夫であるサタンと不倫の罪を犯して堕落しました。怨讐であるサタンの血統を受けたことが問題です。神様の愛を中心として心と体が一つとなり、夫婦が一つとなり、子女が一つとなって、地上天国生活を経たのちに、天上天国に入るのが創造の原則です。人間は、神様の血統を受けて霊界に直通するようになっていました。

結婚して最初に愛の関係を結ぶ瞬間は、男性完成と女性完成が成就される場です。また天地の中心として地上に定着する愛の王宮がその中で始まるのです。初めて愛の本源地が出発するのです。そして生命がそこから連結します。血統がそこから連結し、それと同時に、そこから国が生まれるようになるのです。地上天国と天上天国は、初愛の扉を開くその場から始まるのです。

男性と女性が愛によって一つになり、息子、娘を生むことは、目に見えない神様の創造の業を目に見える実体となって行うことです。血を混ぜることのできる力は愛です。血を混ぜることのできるその軸がどこにあるのか、どこが発電所なのかというと、男性と女性の凸凹(でこぼこ)が初愛をするところです。

真の愛の発展、真の生命の発展、真の血統の発展、真の家庭とともに地上天国の発展、天上天国の発展の基地が正にそこです。神様の実体対象であるアダムとエバの結婚式は、取りも直さず神様の結婚式となるのです。神様の解放と自由がここから起こり、神様の歌と踊りもその上で繰り広げられるのです。

初愛がどれほど貴重で恐ろしいものであるかを知らなければなりません。初愛が間違えば愛の王宮を失い、生命の王宮、血統の王宮とすべてを失ってしまいます。人間始祖の堕落はそれほど恐ろしいものだったのです。地上天国と天上天国の起源を失ってしまったのです。天地がすべて地獄に変わったのです。生殖器が卑しい言葉になってしまったのも、それが天地を滅ぼした亡国の種となったからです。それで今まで最も悪なるものとして扱われてきました。

本来は男性と女性が結婚して、凸と凹が初愛の関係を結ぶその場から、神様の愛の理想が完成される定着地が生じるのです。男性と女性の愛を中心とした神様の相対的位置として、完成の位置が決定されるのです。

これは宇宙の核です。これが動くと字宙が行ったり来たりするのです。これは愛の本源地なので、愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、人間が望む自由と幸福と平和がここから始まるのです。さらに個人、家庭、氏族、民族がここから連結されるのです。平和の基地もそうであり、地上天国、天上天国のすべてが愛から生じるのです。凸凹の結合によって男性のすべてと女性のすべてが混ざり合うのです。

人生の善の実も悪の実も、みなここで結ばれます。生殖器がどれほど貴く大切なものであるかを知らなければなりません。天道は、男性であろうと女性であろうとその生殖器をいい加減に使えるようになっていません。

アダムとエバは、サタンの偽りの愛によって不倫の罪を犯し、偽りの夫婦、偽りの父母となり、サタンの血統を子孫に相続させる堕落した家庭を築きました。救援摂理はすなわち復帰摂理です。正にこの誤った根本を探して復帰しなければならないのです。神様の真の愛による復帰されたアダム、真の父母を立て、真の生命の接ぎ木をするのです。真の愛によって完成した男性と女性は、神様の祝福のもとで真の家庭を築くようになります。

人は地上で理想的な家庭を築いて暮らしながら、その内なる人である霊人体を完成させ、天上世界に行くようになっています。霊人体が神様の愛の中で永遠に生きる天上天国が、私たちの故郷です。堕落によって霊性が零落したので、霊人体も天上世界も分からないのです。人間は、動物とは違って霊人体があり、必ず行くべき天上の世界があることを知らなければなりません。

家庭は、人間が心情を完成し、愛を施す主人となるための学校であり、訓練所です。したがって、家庭は天国完成の基本単位です。真の愛の主人であられ、大王であられる神様に侍り、愛に酔いしれて暮らす天国は、家庭を単位として入籍するようになっています。

生命をもつすべての存在の最高の理想は、神様の愛の対象となり、神様を占有することです。すべてのものを投入し、神様のように多くのものを投入した人は、より高い所に行きます。個人よりも家庭、家庭よりも氏族、さらに民族、国家、世界、天宙、そして神様のために犠牲になる人が、神様により近い真の愛の相対になるのです。宇宙をつくった神様は、誰よりも宇宙のために生きてこられた代表者であられます。

したがって、その方と会って共に生きようとするならば、真の愛によってために生きる訓練をしなければなりません。神様は知識の大王、権勢の大王、物質の大王ですが、「知識や能力や物質をもってきなさい」とはおっしゃいません。「誰もが真の愛のために生きてから来るようになれば、みな私のもとに来ることができる」とおっしゃりながら、待っておられるのです。

尊敬する世界の指導者の皆様。多くの人々が、「絶対者の神様、全能なる神様、栄光の神様」と、いとも簡単に語ります。しかし、私が道を求めて発見した神様は、そのような立場におられる神様ではありませんでした。

人間始祖の堕落により、神様は愛する子を失った父母となりました。子女が監獄生活をしているのに、栄光を受ける父母がいるでしょうか。神様の心情は限りなく痛みを感じているのです。また堕落によって、人間のためにつくつた宇宙万象までも、すべてサタンの主管圏に渡してしまいました。

真の愛の主人であられる神様は、その愛の対象を失ってしまった瞬間から、限りなく孤独な神様になられました。万物の主宰者としての権能を一度も主張してみたことがありません。不完全な堕落人間たちでさえ、みな自らを誇って生きているのに、神様は創造主の威信を一度も立ててみることができなかったのです。すべての生命の主人であられながら、彼らに自らの尊さを現すことができませんでした。原理の主人であられるので、非原理世界に落ちた結果世界で、どうして自由に運行できるというのでしょうか。あらゆる不信と背反の道を歩んできた人間たちは、無形の真の父母である神様を「いない」と言い、「死んだ」とまで言いながら、無視して生きてきました。神様は長い歴史を、恨を抱いて生きてこられ、非常に長い間、耐えてこられたのです。

アダムとエバが未完成期に堕落し、偽りの父母となって起きたことなので、神様が直接現れて、その権能によって治めることはできないのです。歴史の中でメシヤが第二アダムとして、また第三アダムとして現れ、第一アダムの失敗を蕩減し、真の父母の理想を完成することによって、すべてのものを回復しなければなりません。その時まで、神様は焦燥たる思いで待たなければならないのです。これが、多くの恨をもつ神様の復帰摂理歴史です。

私は真の父母の使命を完遂するために、生涯にわたって努力をしてきました。自分の安楽や地位は問題になるはずもなく、教団が目的でもありませんでした。ただ一つ、神様の願いを果たし、神様の心情に残っている恨を解いてさしあげようと一本道を走ってきました。神様を解怨し、自由にしてさしあげること、神様を万有の主宰者、天宙の大王様として侍ること、このために至誠を尽くしてきました。

このことは、簡単に言葉だけでできることでしょうか。天地でサタンを屈服させ、霊界の地獄を隔てている壁を崩さなければなりません。地上人たちと霊界人たちを、神様を中心とする祝福の道に自由に出てくることができるように整備しなければ、真の愛の神様の心情を自由にしたり解放したりすることができないのです。このすべてのことが、サタンの公認を受けることはもちろん、宇宙の公法に合致しなければなりません。既にサタンが国家基準の主管権を行使している地上では、超国家的な世界的基準の勝利的条件が立てられなければならないのです。

指導者の皆様。喜ばしいことに、私はこのすべての条件を立て、去る一月十三日、韓国において「神様王権即位式」を挙行しました。全体摂理歴史の中で最大の慶事の日でした。

初めて神様が解放された心情で、真の愛の全権、全能の役事(働き)を始めるようになりました。今や天地の人類は、有り難くも、解放された神様に侍ることのできる新時代を迎えました。今からは、神様が生きておられる証が多く現れ、霊界からの超能力的な役事が私たちの周辺でたくさん起きるようになるでしょう。どうか霊界について熱心に研究し、神様を中心とした祝福を受け、真の家庭を築き、ために生きる生活を通して永生の準備をするようお願いします。

今後人々は、有限な人間の能力とは比較にもならない天運の手を感知しようと努力しなければなりません。生きておられる神様のみ前に、実に温柔、謙遜の姿勢で、天の孝子、忠臣、聖人、聖子の道を歩む人が、恵みを受ける人なのです。神様の王権時代を迎えて、神様の主権を輝かせ、超国家的に心情文化世界を創建するために共に働く人となってくださることを願います。神様の祝福が常に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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9.文明間の対話と調和 日付:二〇〇一年一月二十七日

場所:アメリカ、ニューヨーク、国連本部

行事:「二〇〇一世界文化体育大典」国際特別会議

尊敬する議長、世界各国からお越しになった元および現職の国家元首、各国を代表する世界の指導者であられる皆様。皆様は、今大会の主題である「文明間の対話と調和(家庭、普遍的価値、世界平和)」について論議を行うために、各国の様々な活動現場からお集まりになりました。

この主題は、簡単なものではありません。この大会は、超越した平和文化世界を指向するこの時代において、超道徳的責任を実践する、人類の良心の理想的な場と見なければなりません。

文明間の平和と超宗教的対話 私たちは、歴史を通して、多くの文明が興亡盛衰を繰り返してきたことを知っています。様々な文明が、一時は巨大になり栄華を極めたとしても、その後、滅亡し、忘れ去られていきました。

このような文明の衰退は、気候や疾病、あるいは外敵からの侵略、自然災害のような外的な要因によるものもありますが、その多くは内的な腐敗、特に宗教や道徳性が衰退したことによるものです。

現在、私たちは、宗教間の誤解と不調和によって発生した様々な紛争と、そのことによる深刻な危険性の増大に直面しています。もし宗教が、超宗教的な対話や調和を優先し、これを積極的に実践していかないとすれば、文明間の調和と平和は不可能でしょう。

宗教が世界文明の内的な中心だとしても、その根底の軸として家庭があります。皆様がよく御存じのように、人類は、父と母の愛の関係の中で血統の関係を通して生まれ、またそれは、代々受け継がれてきています。

家庭は、個人的な人間性を啓発し育成することにおいては、学校や政府よりも重要な訓練場です。また家庭は、文化や文明を創造、発展、再生産する発源地としての役割を果たしてきました。家庭なくしては、時代を越えて文明を持続させることはできません。

家庭は、愛を学ぶ最初の重要な学校です。また父母と子女の愛、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛はすべて、神様の真の愛に基づかなければなりません。もし、家庭が神様の真の愛と直接的に連結されるならば、その家庭は、神様の真の愛の文化を実体として成し遂げるようになります。真の愛と平和の文明は、そこから創建されるのです。真の家庭は、真の男性と真の女性の二人にかかっています。真の家庭の完成は、全人類と世界の問題を解決するモデルとなるのです。

真の愛と平和の文明は真の家庭から 今、私たちが暮らしている国と世界を見ても、悪の戦争史によって綴られてきたという事実を私たちは知っています。また自分自らを探ってみると心と体が闘っています。そうだとすれば、最初にアダムとエバが愛によって夫婦関係を結ぶとき、喜びの関係ではなく相克的な関係において結ばれ、それが闘争の起源となったというのは論理的なことです。聖書の「腰に巻いた」(創世記三•七)という言葉は、堕落が淫乱によってもたらされたということです。私たちの体の中で、神様の姦夫となったサタンの血がうごめいているという事実が問題なのです。

本然の人間であれば、心身統一が完成するはずなのですが、サタンの血を受け継ぐことによってプラスとプラスが相克し、そこから闘争が始まったという事実をはっきりと認識しなければなりません。今や時代は終末となり、個人主義の王国時代であり、フリーセックス時代、父母否定時代、夫婦否定時代、子女否定時代であり、同性愛、エイズと麻薬が理想家庭を完全に破壊する地上地獄時代です。神様は、これを天国に転換するためにメシヤを再臨させるのです。メシヤは、真の父母として来られ、心と体の統一、夫婦の統一、子女の統一、家庭の統一、国家の統一、世界の統一を成就していかれるのです。

現在、私たちの体は地獄の基地、良心は天国の基地となっており、二つの世界の分岐点を自体の中に抱えていることを知りませんでした。良心よりも肉身が強くなったのは、堕落するときにサタンと関係を結んだ偽りの愛の力が、良心の力よりも強かったことによるのです。したがって、この点が人生問題における重要な解決点になるのです。

このようなことをよく御存じの神様は、宗教を立て、良心よりも肉身を弱め、救いのための体制を立ててこられたのです。ですから、過去にも宗教が必要だったのであり、現在でも宗教が必要なのです。

心と体の争いを解決するために宗教が必要 それでは、宗教が果たすべき使命とは何でしょうか。体が最も嫌うことを提示し、実践するようにすることです。「断食をせよ」、「奉仕をせよ」、「犠牲となれ」、そして「供え物になれ」というのです。供え物は、血を流して生命を捧げることができなければなりません。

堕落した人間は、偽りの愛の根を中心として偽りのオリーブの木となりました。言い換えれば、私たち人間は、真のオリーブの木となることができなかったのです。これを清算するには、どのようにしなければならないのでしょうか。終末に再臨のメシヤであられる真の父母が来られ、神人愛一体理想を完成し、真の愛、真の生命、真の血統の家庭を成し遂げられるのです。

地上のすべての人間はもちろん、天上の霊人たちもすべてここに接ぎ木され、真の家庭的真のオリーブの木となるための二次祝福結婚を受け、復帰完成するのです。そうして、本然の血族を立て、真の家庭と真の国家を築き、真の地上、天上天国に入っていくことができるのです。

これまで私は、世界平和の実現のために、超宗教、超文化、超人種、超国家的な祝福結婚によって真の家庭を完成することが、とても重要な神様のみ旨であることを教えてきました。そして、この崇高な理想を実現しようと決意し、全世界から同参した数億組の人々に祝福行事を施してきました。理想社会と平和世界の礎となる真の愛の家庭のために、私は生涯を捧げてきました。

偉大な宗教を研究してみれば、そこには文化と人種、宗教と国家間の境界を跳び越える、人類の普遍的な価値がみな含まれています。宗教の教えは、結局、真の愛の実践を通して、絶対者との関係を復元するということです。

言い換えれば、信仰を通して、絶対、唯一、不変、永遠の神様と一つになるとき、人間は神様と父子の関係を回復し、その本然の価値を取り戻すようになるのです。

真の愛によって形成された心情圏は、いくら小さくても天倫に従って宇宙と連結するのです。人は、神様の真の愛の中においてのみ、共生、共栄、共義の理想を実現することができます。それは、霊界を含めた天宙がすべて同一な神様の真の愛の原理のもとに存在するからです。

真の愛と真の家庭実践運動で平和世界を成し遂げよう きょう、私たちは、平和の殿堂として設立された国連において大会を行っています。国連が、その創立精神を実現する真の平和機構としての役割を果たすことができるよう、私たち全員が積極的に支援していかなければなりません。

人類は、超国家的な公益を第一に心配しなければならない時を迎えました。国家の公共機関はもちろんのこと超宗教活動とともに、非政府の民間機構が一つとなって、真の愛と真の家庭実践運動をしなければ、平和世界を成し遂げることはできません。世界の指導者であられる皆様が、他のために生きる真の愛運動と真の家庭運動に積極的に同参し、新しい心情文化の世界を成し遂げてくださるようお願いいたします。

神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に常に共にあることを願います。ありがとうございました。

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8.「二〇〇〇世界ハンマダン体育大典」開会式の祝辞 日付:二〇〇〇年二月十四日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:第四回「世界ハンマダン体育大典」

内外の貴賓の皆様、そして本大会に参席するために異国まで万里の遠い道をいとわず、心情の本郷であり、信仰の祖国である大韓民国を訪ねてきた全世界の青年会員の皆様。本大会は、世界の若者たちが、統一された平和世界の具現という神様の絶対的な願いをこの地上に定着させるために、力と技と美を競い、人類本然の姿を取り戻し、心情文化世界を発展させるための平和の祭典です。

今回、第四回として開催される二〇〇〇年の「世界文化体育大典」は、世界の各分野を代表する著名な学者や宗教指導者、政治家、言論人、青年指導者、女性指導者、学生などが、神様を中心とした地球村の一つの家族の一員として出会う祝典です。本然の理想世界は、神様の真の愛と真の生命と真の血統を受け継いだアダムとエバが、真の子女、真の兄弟、真の夫婦、真の父母の心情圏を完成することによって成し遂げられる世界です。そのような世界において、神様の息子、娘たちが一つの場に集まり、力と技、そして美を競い合う心情文化の祭典の中で、純潔な善男善女が祝福を受け、真実で幸福な家庭を成し遂げていれば、神様はどれほど喜ばれていたでしょうか。

しかし不幸にも、人間の始祖であるアダムとエバは、青少年期に神様のみ旨に背き、天使長との不倫な血縁関係を結んで悪魔の血統を受け継ぎ、人類の歴史は悲惨な罪悪の歴史となったのです。

このすべての堕落の起源は、正しく青少年期に発生したのであり、そのことによって人間は悪魔の奴隷となってしまいました。この事件が、神様の胸にぬぐい難い恨として残されたのです。青少年期は、人生において最も重要な時期です。青少年期に正しい価値観を形成し、純潔な価値観を確立して、真の家庭を通じた健康な社会、希望にあふれた国家と世界をつくっていかなければなりません。

ところが今日、青少年と青年たちは、悪魔の仕業によって利己主義化、個人主義化され、性倫理と性道徳が崩壊し、フリーセックスや性暴力、若年層の未婚の母、堕胎、同性愛、エイズ問題などにより、健全であるべき家庭が破壊され、青少年の犯罪が急増しているのが実状です。また、至る所に淫乱物が氾濫し、売春と援助交際が過激さを極めています。

このことにより今日、全世界の人類は地上地獄で苦痛と不幸を味わいつつ生きているのです。ですから、神様は、人類を救援するために悪の文化を一掃し、地上地獄を解放し、神様の絶対的な真の愛の基準を中心として、このすべてのものを復帰してこられたのです。すなわち、神様は、人間と家庭を破壊している悪魔と対決して人間を救援するために、その反対の経路を通じて、真の父母を中心とした真の家庭のモデルを立ててこられたのです。それで、再び来られるメシヤである真の父母には、堕落文化を根絶して、それを収拾すべき極めて重大な責任があるのです。

私は、人間堕落の根源である罪の根と堕落の経路を究明した結果、それは正に悪魔との不倫の愛であることを知りました。私たちは、人類社会のすべての闘争の歴史がそこから始まったという事実をはっきりと認識しなければなりません。ですから、今日、二世たちが先頭に立って、まず淫乱と退廃の文化と不義を清算し、フリーセックスと暴力を追放して、神様を中心とした新しい心情文化を創建し、真の愛の伝統をこの地上に定着させ、地上天国を建設していかなければなりません。

私は、宗教と文化、思想と理念、人種と言語、信条などで引き裂かれた人類を一つにまとめ、統一された理想世界をつくるために、生涯をかけて血と汗と涙を流してきました。神様の愛と絶対価値を中心として、世界の指導者を糾合して各分野別に団体をつくり、その影響力を世界的に拡大し、神様が望まれる一つの世界に向かって進軍してきました。そのために私は、神様の真の愛を投入しては、また投入しながら、真の愛と真の家庭の実体である真の父母を中心とした世界的な基盤を造成してきたのです。

一九六〇年の三家庭の祝福をはじめとして、数多くの祝福行事を挙行してきました。昨年の一九九九年には、三億六千万組の祝福の基盤の上に、「天地父母天宙統一解放日」を宣布したのです。また、青少年の純潔運動を通じてのサタンの血統根絶とともに、昨日は四億組の祝福式を盛大に執り行うことによって、名実相伴う第四次アダム圏の時代が到来するようになりました。また、「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和統一家庭連合」、「世界平和超宗教超国家連合」などを結成して、神様を中心とした善の環境的基盤を拡大してきました。

今回、「二〇〇〇年世界文化体育大典」は、このような神様の総体的基盤が一つの場に集まり、人類大和合と新しい心情文化世界の創建のため、意義深い跳躍の基台を準備するための祭典なのです。このような意義深い行事の一環として開催される第四回「世界ハンマダン体育大典」は、人種や宗教、思想、理念を超越し、五大洋六大州の多様な文化圏の伝統と価値が一つになることができるという信念を再確認させる平和の祭典として、心情的統一文化の地平を開いていく大和合の場なのです。

そして、このような心情的統一文化運動の土台は、原理運動であり、新しい真の愛の実践運動です。世界各国の若者たちに広く知られている原理運動は、没落した共産圏はもちろん、価値観の混沌の中で彷徨する自由民主世界を生かす「共生共栄共義主義」と「頭翼思想」によって創造本然の理想世界を具現しようという若者たちにとって、希望にあふれた原動力となっています。

新千年紀の初めに執り行われる今回の第四回「世界ハンマダン体育大典」は、今までのいかなる時よりも、神様と人類の前に胸いっぱいの期待と希望を抱かせる祝福された大会であるという事実を知らなければなりません。

二十一世紀の未来の世界を導いていく青年、学生の皆様。皆様の生涯の中で最も重要なものは何でしょうか。

それは、真の愛の実現であり、真の愛は独りで成し遂げられるものではなく、相対から来るものです。ですから、相対のために生きてこそ、真の愛を成就することができるのです。人間の価値の中で最も高貴な価値があるとすれば、それは正しくために生きる価値です。皆様は、ために生きる価値観を確立して、未来を準備していく若い青年、学生たちとならなければなりません。

人間は、健全な精神と強靭な肉体が一つとなった関係の中でのみ、創造的、自主的、統一的な活動をすることができます。どんなに精神が健全であっても、肉身が衰弱すれば、自らの理想を開くことができませんし、肉身が健康であっても精神が正しくなければ、正しい人の役割を果たすことができません。このような事実をはっきりと知り、皆様すべてが今回の体育大典を通じて、心と体の正しい統一を成就していくことができるよう、精進を重ねてくださることを願います。

皆様は、熱い情熱と純潔な人生、そして聡明な理性を通して、長い歳月にわたって神様が追求され、人類が念願してきた真の家庭を完成し、真の父母、真の師、真の主人の三大主体思想で武装し、一つの統一された平和世界の建設のために共に進軍しましょう。

今後、皆様は、国境と人種、宗教と文化の障壁を越え、統一文化世界を具現し、私たちの前に残された当面の課題である南北統一と東西文化の格差、そして南北の貧富の格差を平準化して、統一の世界を創建し、神様と人類の念願を果たしていかなければなりません。

皆様の純粋な情熱と不撓不屈の精神で神様の心情を体恤し、万世の願いの勝利者となれるよう、惜しみなく心と体を投入することを懇切にお願いします。これが正しく、新千年を迎え、真の父母と共に一つの時代を生きていく若い青年、学生たちの進むべき方向です。

どうか皆様の気概と決意で、理想世界の実現のために強く大胆であってくださることをお願いいたします。皆様の前途に、神様の無窮の祝福と天運が常に共にあることを願いつつ、祝辞に代えさせていただきます。ありがとうございました。

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6.青年文化として定着すべき純潔運動 日付:一九九七年十一月三十日

場所:アメリカ、ワシントンDC、コンベンション•センター

行事:第三回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会

尊敬するマリオン•ベリー•ワシントン市長御夫妻、著名な国内外の貴賓、スポーツ祝祭に参加された「世界大学原理研究会」の会員、そして紳士淑女の皆様。きょう、この朝に世界的な都市、ワシントンDCの中心に位置するコンベンション•センターにおいて、勇ましくはつらつとした世界各国の若者の皆様とお会いでき、とてもうれしく思います。

特にこの場をお借りして、今回「世界文化体育大典」の行事を誘致してくださっただけではなく、この期間に多くの便宜を提供してくださったべリー市長とワシントン市民の皆様に、改めて深く感謝を申しあげます。

世界文化体育大典は真の愛の祝典 全世界が、きょうこの場に雲霞のように集まられた若者である皆様を注視していますので、皆様もまた、皆様を見つめるこの世界に対して責任をもつと誓う場となることを願います。

私は「世界文化体育大典」のビジョンを、一九八八年、ソウル•オリンピックが終わった直後に、私の祖国である韓国で公表しました。様々な面から見て、当時のソウル•オリンピックは、近代史において一つの大きな転換点でした。東西の冷戦によって一九八〇年のモスクワ•オリンピックと一九八四年のロサンゼルス•オリンピックが、部分的なボィコットの中で開催されて以降、初めてソウル•オリンピックを通じて、全世界の国々が一家族として再び集まったのです。

東の共産圏と西の民主世界の若者たちが、ソウルで共に走って一つになるのを目撃しながら、民主世界と共産世界を塞いでいる障壁がすぐに崩れることを、私は予見していました。そして、これから人類がもつべき未来の祝典は、人間の肉体的な技量だけを競うオリンピック競技から、一歩進んで、文化と道徳、精神の高揚を共に目指す全人格の形成に焦点を置かなければならないと思いました。さらに、このような全人類的祝典の核心は、人間の心と体の中心となる真の愛を実現する真の家庭を築く祝福結婚の行事でなければならないと強調してきました。

ですから、「世界文化体育大典」は、全人類の心が共に調和する真の愛の祝典であり、全世界の学術、政治、宗教、言論、芸術など各分野の最高指導者たちが一堂に会して開かれる知性の文化大祭典であり、また健全な肉体を競い合い、世界の人々の団結を図る若さのスポーツの饗宴でもあるのです。

一言で言えば、真の愛を主軸として、人間の精神と肉体の調和と発展を期し、世界の各分野の指導者が知恵を集め、平和世界を設計しながら二十一世紀の新文化創造を模索する場、それが正に「世界文化体育大典」なのです。

絶対「性」による純潔運動 「世界文化体育大典」は、韓国で一九九二年と一九九五年に、各々第一回、第二回の大会が挙行されました。そしてきょう、私たちは、世界的な首都であるワシントンDCで、第三回大会の最後の行事を迎えているのです。

人類の未来を担うべき若者の皆様に、きょう私がお願いしたいことは、絶対「性」を強調する純潔運動です。この大会の期間に皆様は、絶対愛と絶対純潔を叫びながらワシントンDCの中心街を行進しました。私は、この行進こそは、今日地球上のどこを探しても見つけられない価値ある一場面であると思います。

既に昨今の世界では、「純潔」という言葉の価値やその重要性に関する論議さえも、陳腐なものとして扱われる環境になっています。純潔な愛の不在は、家庭の破綻を促し、人類の未来を暗くする根本要因になっているのです。

人類が歴史を通して純潔を強調し、これを大切にしてきた理由は、純潔それ自体が生命の尊厳と直結するものだからです。したがって、純潔を尊重する心は、命を貴く思う心と通じるのであり、それは取りも直さず、自らの氏族と全人類を大切に思う心につながるのです。さらには、この純潔の立場は、神様と出会うことのできる心と最も近く通じるのです。

いくらアメリカが強大国といっても、この純潔の問題に関して決して強いとは言えないことは、否定できない現実です。ワシントンDCが世界の首都としての体面を守ろうとするなら、何よりもこの純潔の問題において一番にならなければならないでしょう。ワシントンDCが純潔と真の愛の聖都となる日には、アメリカ全体が、全世界の尊敬と愛を受けるようになるでしょう。

青年運動として定着すべき純潔運動 人類始祖アダムとエバをはじめとして、人類の歴史上、大勢の英雄や修行者たちが越えることのできなかった峠が、正に純潔の峠でした。純潔に対しては、家庭はもちろん、学校と教会、そして政府さえも責任をもてないというのが今日の問題点です。

純潔を守る最善の方案として私が教えてきたものが絶対「性」です。これは、神様のもとで結ばれた愛の相対は永遠であり、いかなる条件下においても変わることのない絶対的な愛の関係だという意味です。なぜかというと、二人の配偶者の出会いは、永遠で絶対的な神様の愛を中心として実現されるものだからです。これは男性にのみ強調されるものでもなく、女性にのみ該当するものでもありません。男女共に絶対的に守るべき天倫なのです。

フリーセックスこそは、この地球星から完全に根絶すべき邪悪な風潮です。このフリーセックスと関連した要素は、麻薬、暴力、同性愛、エイズなどのように人類を破滅へと追い込んでいく要因なのです。

このように「世界文化体育大典」の目標が、完全な人格体を育て、真の愛の土台である真の家庭を築くことなので、この大典に参加された皆様にとって、純潔の意味はさらに格別であり重要です。皆様が展開するこの純潔運動が地上に定着するとき、真の家庭運動は最も大きな力を得るのです。

ですから、皆様は、この純潔運動を新しい青年文化として、一日も早く世界中に定着するようにしなければなりません。既に三百六十万家庭、そして三千六百万家庭が、今回の祝福結婚の行事を通して、純潔と絶対「性」を誓いました。皆様はこれから、踊りと歌とスポーツを楽しむ祝祭を終えて、純潔と真の愛のメッセージを、大学街、そして世界の津々浦々に伝えなければなりません。

真の家庭運動は新しい平和運動 韓国の諺に「民心はすなわち天心である」という言葉があります。既に三千六百万組に至る家庭が、神様の真の愛を中心とした真の家庭を築くことを誓って立ち上がったとすれば、それは正に神様が共におられるという意味にほかならないのです。

ですから、三億六千万家庭を新たな目標として引き続き推進されるこの真の家庭運動は、正に神様をこの地球星にお迎えする新しい平和運動なのです。したがって、人類が新しい二〇〇〇年代へと進入するための最上の準備は、三億六千万組の祝福結婚行事を成功裏に成し遂げることであると言わざるを得ません。

今回の祝典に参加された皆様は、これから御自身の国にお帰りになり、一層自信をもって純潔運動を活発に展開してくださり、真の家庭の理想がこの地に定着するよう積極的に後援してくださることを願います。

きょう行われる皆様のスポーツ大会が、若さを燃やし、友誼(ゆうぎ)をさらに固める機会となり、本大典の有終の美を飾る行事となることを期待します。皆様と皆様の御家庭と将来に神様の祝福が共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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心情文化世界の創建と祝福 紳士淑女の皆様。神様がこの時代を経綸するために願われる宗教は、「父母の位置にある宗教」です。父母の心情を抱いて進む宗教を求められるのです。私は、真の父母思想を教育し、各自がその伝統に似た真の父母になりなさいと教えています。まず家庭において真の父母となり、氏族において真の父母となる氏族的メシヤの使命を果たすように指導しています。

真の父母の心情を抱いた信徒、真の父母の心情を実践する宗教となってこそ、葛藤と憎悪の罪悪世界で神様のみ旨を実現させることができるのです。他の宗教や教派を軽蔑し、敵対視する宗教は、世界平和の実現にも、神様の摂理にも有用ではありません。

天運は調和した平和世界を指向します。ところが、現実はどうでしょうか。冷戦時代が終息したにもかかわらず、いまだに克服すべき対決と紛争の素地があまりに多いのです。人種間の紛争、宗教間の葛藤などの根本問題を解決し、人類一兄弟、世界一家の和合時代を成し遂げなければならない課題は、「真の父母主義」を通してこそ解決が可能です。

統一教会の四十年の開拓の基盤の上に、真の父母と成約時代を迎えた私たちは、「真の父母主義」の実践によって、新しい心情文化世界を創建していかなければなりません。神様と人間が、真の愛の父子関係として統一されるとき、その愛の調和の中で、人間は理想と幸福の実体となります。

この真の愛で形成された心情圏は、どんなに小さくても宇宙と連結され、その中で起こる出来事の波紋は、万象と霊界にまで波及するのです。霊界を含む天宙は、すべて同じ神様の真の愛の原理のもとに存在するからです。

神様と人間との間の縦横、前後的真の愛の関係は、人間相互間の理想的真の愛の関係の根本であり、その完成は四大心情圏を体恤した理想家庭においてのみ成し遂げられるのです。心情文化は、このような四大心情を完成した理想家庭の統一圏の中で、平和と幸福と自由と理想の心情を交感し、共同体恤する生活の中で花咲くのです。

このような世界には宗教が必要ありません。特別な信仰儀式が要求されない、生活全体が神様に侍り、真の愛の一体心情圏の中で共に暮らすのです。「生めよ、ふえよ、よろずの物を治めよ」とおっしゃった神様の祝福を成し遂げて暮らす、天国生活そのものです。神様が理想とされた創造目的の完成なのです。

心情文化世界を創建するために、私たちは、真の愛、真の父母思想の教育を通して人格を涵養し、神様の祝福のもとに真の愛の家庭を築く運動を、より一層広げていかなければなりません。生活信仰の鍛錬を通してために生き、投入しては、また投入する真の愛の人格がつくられてこそ、理想的な夫婦、理想的な家庭が形成されるのです。この道こそが極端な利己主義、個人主義、物質主義の惰性から抜け出し、人類に明るい未来を期待できる道です。この道こそが不倫と青少年の堕落、そして家庭破綻を防ぐ道なのです。

国際合同祝福結婚を通した真の愛の家庭運動によってのみ、民族間と人種間の紛争を根本的に解消することができます。宗教の壁を越えて、このような天意に従う真の愛で家庭理想を完成するという奇跡的なことが成し遂げられ、来年行われる三十六万組の国際合同祝福式には、より多くの宗教団体が参加するでしょう。

また、「世界平和女性連合」の活動を通して、真の愛の母の理想像を教育しています。すべての女性たちが、真のお母様の心情をもって子女を正しく養育し、教育してこそ、真の家庭の理想が実現されるのです。今こそ、神様のみ旨に従って自覚した女性たちが、堕落した世界の男性たちを正しく教育する時が到来しました。全世界的にこのような運動が拡大されていくでしょう。

心情文化世界創建のための学術、言論、海洋事業 心情文化世界を形成していく過程において、宗教の役割は、実に大きいのです。宗教間の和合と協力なしに、世界平和を成し遂げることはできません。これまでも、このことに全力を尽くしてきましたが、これからも、宗教人たちが宗派間の高い壁を崩し、神様のみ旨を地上に実現するという大きな目的のもとに連合活動をしていくことに率先していきます。「世界平和宗教連合」を積極的に支援し、また『世界経典』を配布、教育することによって、宗教相互間の共同善を悟らせるために努力するつもりです。宗教人たちが実践と協力と模範を通して、神様のみ旨を成し遂げていくために先頭に立つでしょう。

私が創設し運営しているいくつかの機構の活動も、一層活性化させようと思います。実質的で現実的な世界の問題を解決し、神様のみ旨を成就する基盤を築いてきた数多くの組織があります。元•現職国家元首たちで構成された「世界平和連合」は、世界の紛争や国家間の葛藤を仲裁し、平和が持続するように努力し続けるでしょう。

「国際勝共連合」と「南北統一運動国民連合」も国家的、または国際的に対峙する思想や理念を、「神主義」と「頭翼思想」によって消化する実践運動を広げていくでしょう。

先端科学技術の発達と情報通信の革命的開発によって、未来の人類の生活様式が想像を超越して変わっていくことが予見されます。また一方では、人間の無限な欲望と利己的開発によってもたらされる全地球星の環境問題と大気圏の管理問題が、人類の存亡に直結しています。次世代の主役たちが、自己中心的な思考と短絡的満足への一途をたどっていくことをそのまま放置するならば、人類の未来はどうなるでしょうか。

実践する真の愛、真の父母主義を中心とした絶対価値が立てられなければなりません。人が四大心情圏によって縦横に連結された不変の愛圏である家庭の上に安定するとき、初めて文明の利器が真の幸福の手段となるのです。

ですから、「国際文化財団」の「科学の統一に関する国際会議」と「世界平和教授アカデミー」の活動を通した良心的碩学たちの献身と教育と実践が、より価値あるものとして要請されます。私が新しい百科事典を編纂する意図も、新世代の正しい教育のための作業です。様々な教育機関を運営し、学術活動を支援しているのも同じ目的です。韓国の鮮文大学とアメリカのブリッジポート大学などを育成し、「世界大学連盟」に発展させる計画も、すべては、到来する心情文化世界の基盤を教育するためのものです。情報化時代を迎え、新聞などの印刷媒体と電波媒体を世界的に支援、育成することによって、正しい言論を通じた大きな次元の社会教育をしています。

神様の心情では、地球上に飢える人がいるということが、どれほど胸痛むことか分かりません。私はこれまで、産業技術を開発し、発展途上国に伝授することにより、技術の平準化を成し遂げようと努力を重ね、今年、「世界平和技術研究所」を設立し、既存の研究所と共に世界技術の標準化に寄与しています。

海洋摂理にも二十年以上の間、投入し続けながら、海洋資源を通した食糧資源対策を立てています。「国際救護親善財団」の活動とアフリカなどの地における農業と軽工業指導活動を通して、多くの成果を上げています。今年、韓国でも二つの総合福祉財団を設立しています。

み旨を相続する者となろう 満場の貴賓の皆様。食口の皆様。私はきょうのお話を終えるに当たり、改めて神様に感謝を捧げたいと思います。神様のみ旨のために生きるという、極めて純粋な動機の一心で生涯を駆けてきた私を見つめながら導いてくださった神様は、私の何千倍もの困難と苦痛を耐え忍んでこられました。ここにすべての栄光を神様にお捧げいたします。

また、四十年の業績がどうして私だけのものでしょうか。多くの苦労をした食口の皆様と後援者の皆様に対し、心から有り難く思っています。神様のみ旨は、本来万人の願いなので、皆様すべてがその代表者となり、また真の父母の代身者となって、み旨を相続する人となり、義であり、善なるみ旨を広く結実させてくれるようお願いします。

そして、神様が願われる本然の心情文化世界が一日も早くこの地に実現されるよう共に努力しましょう。最後に、国内外の貴賓の皆様が、きょうこの場に参席してくださったことを感謝申し上げます。皆様の御家庭と皆様の行われることに神様の祝福が常に共にあることを祈りながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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5.正義の旗手になろう 日付:一九九五年八月二十七日:

場所:韓国、ソウル、孝昌運動場

行事:第二回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会

親愛なる内外の貴賓の皆様、そして本大会に参加するために心情の本郷である韓半島を訪ねてこられた全世界の青年、学生の皆様。最初に私はこの場で皆様の若くて純粋な情熱に惜しみない賛辞を送り、歓迎します。本大会は、「世界文化体育大典」の一環として、既存の体育行事とは性格が異なる体育大典です。なぜならば、「世界ハンマダン体育大典」は、世界の若者が力を競い、知性ある人たちが和合の知恵を集めるという人類の本然の姿を希求する心情から出発しているからです。

創造本然の理想世界は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、真の子女、真の兄弟、真の夫婦、真の父母の四大心情圏を完成することによって成し遂げられる世界です。人間始祖は、神様のみ言を不信し、天使長と不倫な血縁関係を結ぶことによって悪の種を受け継ぐようになりました。このような愛の関係によって、人類は、悪の父母と悪の子女を通して、悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。

このすべての堕落の起源は、正に青少年期に発生しました。青少年期は人生で最も重要な時期です。今日の若者たちは、無分別な価値観の混乱により、人類始祖がそうだったように堕落のふちの中へと落ちています。フリーセックスや利己主義が横行し、道徳と倫理を否定し、父母と子女を否定しながら、家庭を大切に考えません。

今日はこのような地上地獄の時代なので、地上天国をつくるためには、このすべてを、神様の絶対的真の愛の基準を中心として、神様の側に一八〇度転換しなければならないのです。すなわち、悪魔が人類の家庭を破壊したので、神様は人間を救援するために、その反対の経路を通して、真の父母を中心とした真の家庭のモデルを立ててきたのです。

神様は創造本然の立場で、愛と平和の世界を望んでいますが、悪魔は、人類が自分だけのために生きる立場で、憎悪と闘争と罪悪の歴史をつくることを願ってきました。また、天との連帯関係を破壊するために、酒、たばこ、麻薬など、自分の最大の実権を駆使してカイン文化の風潮を全世界に広めてきたのです。終わりの日とは、このようにエデンの園の堕落が全世界的に再現される時です。ですから、メシヤとして再び来られる真の父母は、このような問題の核心を根絶し、これを収拾していかなければならない重大な虫貝任があるのです。私は、人類に入り込んだ罪の根と、堕落の動機と経路を解明したところ、この問題こそが人間社会の倫理的退廃をもたらしていたことが分かりました。このことで闘争の歴史が始まったという事実を、私たちははっきりと認識しなければなりません。

二世の摂理時代である今日は、まず退廃的文化と慣習をきれいに脱ぎ捨て、淫乱と暴力を追放し、神様を中心とする新しい心情文化と真の愛の伝統を安着させなければならない時代です。このために私は生涯をかけて、神様の真の愛と絶対価値を中心に立て、世界の指導者たちを糾合し、組織を育成し、その影響力を世界的に拡大させてきたのです。

神様の真の愛は、投入してはまた投入し、無限に与え、そして、その与えた事実すら忘れてしまう絶対的な愛の基準です。このような神様の真の愛の絶対的基準を、縦的に連結し、横的に拡大していくことで、人類が願う理想世界を尋ね求めていくのです。

神様は、真の愛を中心とした環境圏を造成するために、真の愛の実体である真の父母を中心に、世界的な基盤を造成してきました。世界の碩学たちと共に絶対価値を探求する「科学の統一に関する国際会議」と「世界平和教授アカデミー」、言論の自由と倫理的責任を追求する「世界言論人会議」、各宗教間の和解と一致を模索する「世界平和宗教連合」、世界平和を模索する「世界平和連合」、女性の社会的参与を通した理想社会実現のための「世界平和女性連合」、真の家庭理想を実現してその理想を全世界的に拡大するための「世界平和統一家庭連合」、そして二十一世紀の新しい青年文化運動を主導する「世界平和青年連合」の結成および組織拡大などは、そのような背景から出発したのです。特に、新しい四十年路程が出発する第二回「世界文化体育大典」は、各分野の世界的な基盤が根を下ろす人類和合の大典です。

皆様。きょうのこの大典は、五大洋六大州の多様な文化圏の伝統と価値が根を下ろt統一的新文化創造の地平を開いていく場です。このようなすべてのものの土台となるこの原理運動は、本然の血統と連結された心情文化運動であり、新しい真の愛の実践運動です。世界化された原理運動は、退潮した共産圏を生み変える共生共栄共義主義の「頭翼思想」により、数多くの社会主義の若者の希望の原動力となっています。

特にモスクワ大学をはじめとした独立国家連合(旧ソ連)の七百以上の大学で、原理研究会の理念が、マルクス•レーニン主義思想に対する代替理念として広く拡散し、北朝鮮の金日成総合大学を中心とした主要大学でも、原理研究会の「頭翼思想」が新しい理念として検討されていることは周知の事実です。

二十一世紀における人類の未来を導いていく青年、学生の皆様。私は、生涯をかけて、「ために生きよ!天宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」とい、2具の価値観の理念で、今まで世界の若者たちを指導してきました。

皆様は、真の父母、真の師、真の主人の三大主体思想で武装し、真の父母のように、強靭な肉体と健全な精神の調和を成していかなければなりません。原理的に見るとき、完全な人間は、精神と肉身が神様の心情と絶対価値を中心に統一的な関係をもち、正しい役割を果たさなければなりません。

つまり、いくら健全な精神をもっているとしても、健康な肉身をもつことができなければ、完全な人になることはできず、それと反対に、健康な肉身を所有したとしても、精神が正しくなければ、正しい人の役割を果たすことはできません。このような事実を認識し、皆様全員が、心と体の正しい統一を成就していくことができるよう、絶えず精進してくださることを願います。これが今回の体育大典の中心的な目標でもあります。この体育大典を通して、このような心と体の正しい統一を成就していかれることを、皆様にお願いします。そして五大洋六大州の若い青年たちが、国境、人種、宗教の壁を越えて一つになる、新しい画期的な芸術世界を創造するように適進しなければなりません。若者たちの純粋な情熱と努力によって神様の心情を体恤する万世の願いの勝利者となれるよう、不屈の挑戦と努力を惜しまないことを切にお願いする次第です。

皆様は、若者の特権である熱い情熱と聡明な理性、不撓不屈の気力によって、真の家庭の理想を完成するために、最後まで前進していかなければなりません。このような観点から、きょうのこの大会は、新しい二世の摂理時代の青年文化運動創建の広場として、とても意a深い行事であることは間違いありません。

皆様はこの場を通して、近づく二十一世紀の新しい主人公の立場で、復帰摂理の中で生じた、神様の胸痛む恨を解いてさしあげようという決意をしなければなりません。神様は、御自身の恨を解かれるために、若い時代の私を神様の代理使命者として召命され、人類救援摂理の主流圏を形成するように御命令されました。皆様には、このような真の父母の摂理的な責任を歴史の前で蕩減してさしあげるべき責任があります。これが正に青年の時代に真の父母と共に一時代を生きていく若き青年、学生たる皆様の進むべき方向です。どうか皆様の気概と決意で、理想世界実現のための牽引車の役割を果たしてくださるようお願いする次第です。

親愛なる世界の青年、学生の皆様。皆様は真の愛の光明体として暗闇を押しのけ、悪を審判する正義の旗手とならなければなりません。さらには、神様を中心とした四大心情圏と三大王権を復帰した窝の息子、娘として、強く大胆でなければなりません。真の父母の勝利圏を相続した真の子女として、二十一世紀を導いていく新たな青年指導者となるために、健康な心と体の所有者になるよう、真心を尽くしてくださることを願います。

皆様の将来に、神様の無窮な祝福と加護が共にあることを祈りながら、祝辞に代えさせていただきます。ありがとうございました。

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2.ユニバーサル•バレエ•アカデミー開校の祝辞 日付:一九九〇年九月六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ユニバーサル•バレエ•アカデミー

行事:ユニバーサル•バレエ•アカデミー開校式

尊敬する貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。私たち夫婦がユニバーサル•バレエ•アカデミー(UBA)開校の祝賀式に、このように参加できましたことを誠に喜ばしく思います。この教育事業は、私にとって大きな関心事でした。

皆様。様々な芸術の中で、私は古典バレエに対して特別な愛着をもっています。私の家族の中でも、嫁の一人がブロのバレリーナです。私がバレエを好むのは、そこにシンブルでありながらも深奥な意味が秘められているからです。バレエは神様を賛美する芸術であると思います。私は常々、バレリーナたちが、自らの手足を可能な限り広げ、伸ばし、天におられる神様に触れようとしているように感じてきました。つま先で立ち、天に向かって手を振り、互いを抱き上げて空中へと舞い上がるのです。バレエ芸術は、体全体を使って、人間が神様を慕うその様子を表現しようとします。そのような意味で、私はバレエこそが究極的な芸術美の表現であると思うのです。

一九八九年のある日、偉大な現代芸術家の一人、キーロフの芸術監督オレグ•ヴィノグラードフ氏が私を訪ねてこられました。そして、バレエに対するビジョンについて、彼と語り合いました。その時に私は、この世界的な芸術家が、何としてでも神様から与えられたその天賦の才能を、ソ連のみならず、世界のために発揮したいと切に願っていることを知りました。この出会いによって合意され、UBAを設立する目標が確固たるものとなりました。きょうは、まさしくその夢がかなう日なのです。ヴィノグラードフ氏がこのような使命をもってここに来られることになったのは、神様のみ旨であると思います。また、ヴィノグラードフ氏がこのような使命を帯びてアメリカに来られたことを歓迎し祝う手紙を、私はジョージ•ブッシュ大統領から受け取りました。

紳士淑女の皆様。私はこの時間をお借りして、しばし芸術に対する私の所信を打ち明けたいと思います。根本的に、神様は創造主であられ、人類の父母であられ、同時に宇宙における最初の芸術家であられます。神様の創造された世界の美しさと奥妙さは、いつ見ても、これが正に究極的な美、真、善の芸術的表現であることを私たちに示してくれているではありませんか。

男性と女性は、創造主であられる神様の芸術的創造力による表現の極致であり、その人間は、神様の創造を理解し観賞できる能力をもった唯一の被造物です。さらに人間は、神様に似た芸術家であり、神様と共に、神様のもつ内的真理と美と善を展開し表現しようとする欲望をもっています。究極的に、私たちが神様と共に創造しようとする偉大な芸術作品は、正に人間の生命と愛が調和を形成するところに現れます。人間は、神様の生命と真の愛を体験し、完全な神様の調和的な相対となることによって、人生の偉大な価値的存在となるのです。

創造する過程は、人間に深奥な経験をもたらしてくれます。真の愛と真の芸術は、誠実で美しく、善なるものを栄えさせたいという願いから湧き出てきます。私たちは、天賦の芸術的素質を活かして、真の愛と地上の永遠の平和を創造していかなければなりません。そうすることによって、私たちは崇高な人間としての価値をもつようになるのであり、最善を尽くして愛の具現に貢献し、神様の心情を慰めてさしあげ、新しい芸術世界の創造に貢献しなければなりません。

二十世紀の後半期は、混沌の時期であると言われています。その混沌が、東西はもちろん、各界各層を問わず、人間の生活全体に及んでいます。それは、根本的に突き詰めれば、価値観の混乱なのです。何が正しく何が間違っているかという混沌が起き、何を取って何を捨てるかという混沌が起きているのです。

このような価値観の混沌は、芸術界も例外ではありません。現代の芸術や芸術家のほとんどが、芸術は人類に奉仕する道であり、神様に栄光を捧げることが本来の目的であることを忘却しています。ある芸術家においては、芸術が単に自分の利己的情熱を満足させる道具となってしまっています。快楽的性行真の紊乱や、悪を分別する能力の喪失といったものが現代芸術の風潮となりつつあるのです。

私はこのような内的芸術世界の腐敗を大変残念に思っています。そこで、私はいくつかの芸術団体を新たに創設し、芸術の本然の本質を復帰する陣頭指揮官として立て、それらの団体を通して神様を中心に美、真、善を追求しています。正にこのような理由で、「ユニバーサル•バレエ財団」を創設したのです。

私はこのような芸術界の復興における、この至大な使命を遂行するに当たり、ソ連の有能な芸術指導者の皆様と協力できるようになり、大変喜ばしく思います。私たちは、力を合わせて、この重要な共同の目標を達成しましょう。そのような意味で、いま一度ヴィノグラードフ氏御夫妻の使命を大きく評価し、共に来られたロシアの芸術家の皆様に謝意を表します。

私はこの機会に、ソ連政府がきょう、私たちのこの事業のために多大な尽力をしてくださったことに対し、この場をお借りして、ソ連大使に感謝を捧げます。同時に、この事業の成功のために惜しまずに支援をしてくださったアメリカ政府当局にも感謝を捧げる次第です。また、本アカデミーの傑出した諮問委員の皆様にも感謝を捧げます。皆様の貴い諮問により、本機関は芸術界の最高峰を占め、名高い機関に発展していくでしょう。

芸術は世界平和の重要な要の一つです。UBAは単なるバレエ学校ではありません。才能ある学生たちが人種や宗教、国籍、文化の背景の違いを超えて全世界から集まることによって、この学校は一つの地球村家族の実現体となるでしょう。また、本校の開校は、米ソ両国の友好増進に大きく寄与するでしょう。神様の祝福が、皆様と共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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神様と共に永生する道 子女として造られた人間が、兄弟となり、夫婦となり、そして父母の位置に進む過程ごとに、神様はそのすべての真の愛の主人になるのです。すなわち、人間が育つ過程を見ながら、神様はそのすべての段階の愛の主人として定着されるのです。

したがって、神様をしてすべての愛の主人とならしめた人間こそは、神様よりも貴い存在であると見ることもできるのです。ちょうど自分の愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があるものとして貴く思うようにです。

ですから、より貴いもののために、神様は投入しては忘れ、また投入してはお忘れになるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセントお忘れになるので、続けてさらに投入できるのです。

自分の夫が立派になることを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させることができます。投入して忘れることを続ければ、その愛の段階が高まって、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を結んで永生するのです。

誰もが天国に行きたいと思うのですが、「私のために生きよ!」という思いばかりをもっていては天国に行くことができません。真の愛は、神様がお造りになったすべての傑作を抱き、ために生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様のために生きることによって、天国に至るようにするのです。

一生に三回以上は、生命を懸けて、ために生きようとしなければなりません。人類は、アダムとエバの堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。

神様に出会うには、三度死の境地を通過しても、神様に自分のことを分かってもらうことを望むより、神様のためにもっと尽くそうとしなければならないのです。そのような人々が生きる世界がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっているのです。

愛によって形成される存在はすべて球形 子女は父母の愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって形成されるものであることを知らなければなりません。子女たちは「自分のもの」を主張しますが、「自分のもの」の出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母につながっている愛の梯子を切ってしまったら、根と幹につながって生きることはできないのです。

真の愛の起源となられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。また父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。父子の関係が縦的な垂直関係であるのに比べ、夫婦関係は横的な水平関係です。

ですから、父子関係と夫婦関係が互いに直角を形成し、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係が球形を形成するようになるのです。それで、愛によって形成されたすべての存在は球形なのです。宇宙全体が球形になっているのです。このように形成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着するのですが、その場に神様がいらっしゃるのです。すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として、男性の愛と生命と血統が右に定着するならば、左には女性の愛と生命と血統が定着するのです。

ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、そのすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになるのですが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にして見れば、愛の根、生命の根、血統の根、そして良心の根に神様がいらっしゃるのです。

このように神様を中心とした家庭では、縦と横、そして前後の愛が一つになるのですが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していくのです。その根本的中心は、常にお一人の神様であられるのです。

善悪の転換点で善人と悪人を共に祝福 アダムとエバが堕落していなければ、真の夫婦の愛のモデルが現れていたはずであり、彼らから愛の教育、すなわち愛することを学んでいたはずです。彼らが子女をもてば、誰がその子女を結婚させるのでしょうか。それは父母です。それでは、果たして今日、この社会で父母がどれほど子女たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。

統一教会には真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で祝福結婚させてあげています。ここでは、人種の差別を超えるだけでなく、誰でも分け隔てなく一緒に結婚させているのです。

真の父母は、悪の愛、悪の生命、悪の血統を、接ぎ木によって転換し、否定させることによって、アベルの命を奪ったカインを排除せずに、同じ立場で祝福してあげるのです。潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出会い、水平になった時のように、歴史的に救援摂理の蕩減復帰が終結する善悪の転換点において、善人と悪人を共に祝福してあげることによって、サタンが完全に追放されるのです。

そしてエデンの園で誤った結婚をしたことが堕落なので、今は真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。

こうして、神様の創造理想である八段階の真の愛のモデル的な主人を完成するようになります。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と真の王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。

新しい家庭革命と道徳革命を主導せよ 真の神様の真の愛と真の生命、そして真の血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変な真の愛を中心としたモデルとして相続されるのです。そして真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。

父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟です。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。

真の愛の主人になるためには、相手を自分よりも高め、相手のために尽くさなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、そして国家一体を形成し、八段階の理想モデルである愛圏を完成するのです。

そうして父母と子女、夫婦、兄弟姉妹、そして国々がすべてこのような真の愛を中心に八段階モデルの主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここから永遠の世界的平準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。

今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で活動している私たち祝福家庭が、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新しい家庭革命、世界的な道徳革命を主導することによって、すべての地上と天上に永遠の平和と統一と幸福の理想天国を創建することが神様の願いなのです。

皆様がこの神聖な聖業に同参し、神様の真の愛圏を受け継ぐ主人になってくださることを願います。皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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真の愛の本質 男性が愛を感じるからといって、それは自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもまた自分によるものではなく、相対である男性に由来するものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから、愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、ために尽くしてあげなければなりません。

これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が、互いにために生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統が根絶されるのです。

真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成就されます。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんとその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、その場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。その位置では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛と化し、そして花咲くことができるからです。

ですから、宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和合することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生き、愛のために死ぬということになります。

真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから、万物の霊長である人間は、神様の造られた万物を抱いて愛してあげるべき責任があることを知らなければなりません。万物たちは、このような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。

宇宙いっぱいに満ちたすべての存在は、それぞれの位置で相対と共に存在していますが、結局さらに高い愛の次元に吸収され、上昇するようになるという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、そして結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。

ですから、すべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、さらに高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける位置にまで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質です。

ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再解釈されなければなりません。ですから、ありや微生物までも真の愛を願うだけではなく、自分を愛してくれる主人のところに行って死のうとするのです。このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物を食べたり、所有したりできる立場にいるのです。

私たちは、すべてのものを食べ、所有したとしても、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べたり、所有しなければなりません。万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや、魚が好きなみみずのようなものは、大概、薬材として使われるのです。どの段階であれ、すべてが食物連鎖しています。そうでなければ、宇宙は存立することができないのです。

男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本 神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って繁殖するのです。私の言葉とチャールズ•ダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の言葉のとおりに成し遂げられるのです。なぜならば、これが創造理想を実現する根本原理だからです。

進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には、既に「創造主であられる神様がいらっしゃることを認める」という意味が前提にあるのです。神様が主体と対象の授受作用を通じて形づくられた被造世界には、方向性と目的観が前提となっていますが、唯物論に基づいた共産主義の理論には、このような方向性も目的観もありません。神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるのみなので、結局すべて消え去ってしまうしかないのです。

すべての万物の中でも最も貴い存在が人間、すなわち男性と女性であり、その中でも最も重要な部分は、鼻や目、手、頭脳ではなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてが再創造されるのです。

植物も動物も、この生殖器によって繁殖し、拡大していくのです。最も価値があり、一つとなった素晴らしい家庭も、それが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まります。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結する絶大な価値をもつ所なのです。

神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すというものです。この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、そのペアが二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければならないのです。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバを二人造ったのでもありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。

ところが、今日の世の中を見ると義理の父が十人もいるケースを見かけます。いかに偽りで汚れた世の中でしょうか。女性も男性も貞操を守り保護することは、宇宙を保護することと同じことなのです。それは男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。

ですから、これを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は神様なのです。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つだけであり、絶対に一つなのです。

真の愛と関係を結ぶには 「真の愛」とは、誰も語れるものではありません。唯一、神様のみが、本当の真の愛で愛することができ、真の愛の絶対主人になられるのです。ですから、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本的な本質は真の愛なのです。

また、この真の愛と関係を結ぶには、神様と関係がなければなりません。自分の父母がけんかをせずに豊かに暮らしているからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。恋愛する若い未婚の男性と女性が、互いに命を懸けて愛し合っているからといって、それが真の愛であるというわけではありません。神様が介在していないので、真の愛ではないのです。真の愛は必ず神様を中心としなければならないのです。

神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければなりません。権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界では歓迎されません。真の愛は誰もが願うものですが、愛とは、ために尽くすことによって可能であるという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていってしまうのです。

このような利己的な個人主義は、サタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですから、その結果は地獄にほかなりません。全体のために生きなければなりません。人のために、全体のために犠牲となって奉仕すれば、みなやって来て、私を愛してくれるのです。

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7.真の愛は誰もが願う 日付:二〇〇〇年二月十三日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:第四回「世界文化体育大典」祝賀会

尊敬する内外の貴賓の皆様。公私共にお忙しい中を、「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝を申し上げます。

一人の神様のもとの一つの世界 理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた各種の平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として、推進されてきました。分裂と葛藤の一世紀が終わり、平和と統一を模索しながら出発した新千年の希望は、漠然と成就するわけではありません。

神様の創造理想を中心として全世界が、「一人の神様のもとの一つの世界」を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。

私は、かつて十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖人たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、神様のみ旨を成就する一念で、全身全霊を投入してきました。その中で私は、神様のみ旨は、地上と天上に、自由と平和と解放の天国の建設にあることを知りました。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。堕落とはその断絶を意味し、復帰とは父母と子女の関係を回復することをいいます。

私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、「一人の神様のもとの一つの世界」を構想してこられた神様のみ旨成就のためのものです。特に、皆様が参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和し、真の夫婦として出会うことにより、「一人の神様のもとの一つの世界」を追求する、聖なる理想が実現するのです。

きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」の歴史的大会を終えながら、皆様と共に考えてみようと思う話の題目は「真の愛は誰もが願う」です。

愛は必ず相手を求める 皆様。人間にとって最も重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力、あるいは知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりも必要なものは、真の愛です。真の愛が、私たちにとってこれほどまでに貴く、重要なのは何のためでしょうか。

人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいとお思いになります。しかし、神様が人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいとおっしゃるならば、恐らくもう片方が不平を言うでしょう。

ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ前に立てれば、男性と女性は一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で最も貴いものがあれば、男性と女性は互いに自分のものにしようと争うのですが、それが愛であるということが分かれば、二人は互いに一つになって、互いのために所有しようとするのです。

このように、愛は、誰もが好むということだけではなく、愛のみが人間の欲望をすべて均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。

愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有できるものではありません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、または女性一人だけでは愛は成立しません。ですから、男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も、醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。

ですから、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラスとマイナスのペアになっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もすべてペア•システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。

そして、この宇宙の中で絶対に一人では所有できないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。同じように、子女なしでは、子女を愛することのできる父母の愛は現れず、子女に対する父母の愛の主人にもなれないのです。

ですから神様も、真の愛で愛するために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛のすべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象が一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるとするならば、真の愛が破壊されるのです。本来、離婚という概念はあり得ないのです。

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心情文化世界の創建のために 日付:一九九四年五月一日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:「世界基督教統一神霊協会」創立四十周年記念式

尊敬する内外の貴賓、紳士淑女、そして世界の食口の皆様。私はきょう、協会創立四十周年を迎え、深い感慨を抱いてこの壇上に立ちました。一九五四年、数人の人たちとソウル北鶴洞(プッカクトン)の小さな家に「世界基督教統一神霊協会」の看板を掛けて、公式的な出発をしたのがきのうのことのようですが、四十年もの歳月がたちました。

協会創立四十周年の感懐 私がこの協会を創立したのは、ある個人的な目的を達成するためではありませんでした。ただ神様のみ旨を地上に成就するためでした。考えてみれば、迫害も多く、様々な形の受難の道を歩んできました。親も兄弟も親戚も理解できなかった道であり、さらには社会と国家から追われた生々しい記憶もあります。

最も胸が痛むことは、神様が準備されたキリスト教徒たちからの迫害であり、今でも一部では道理に合わない批判をしています。実に多くの障害物を越えてきました。

このすべての苦難の過程において、背後から守り、導いてくださった神様の深い愛に感謝を捧げます。それでは、神様の救世のための聖人の道理とは何でしょうか。神様が聖人を立てられた目的はどこにあるのでしょうか。神様が求められる聖人は、彼が死んだのちに次の歴史の中で賛美される、そのような聖人ではありません。神様は、この悪の世界を救うことのできる聖人、この時代を神様の善のみ旨で消化できる聖人を求めておられるのです。

この地上の罪悪歴史を清奠するために、悲惨な罪悪の中に入ってそれを撃破して整理する聖人、神様が最も心苦しく思われる問題に一人責任をもち、解決しようと堂々とこの世の悪と対決しながら、勝利の行軍をすることのできる聖人を求められるでしょう。したがって、聖人の行く道は平坦ではあり得ず、無理解と迫害が必然的について回るのです。

私は生きてこのみ旨を成し遂げてさしあげると神様に誓い、寝ても覚めてもその思いに没頭しました。千万回誓いながら、決意を固め、監獄のどん底でもこの誓いを立て、残酷な拷問により死境をさまよう時にもこの誓いを立てました。

神様の人間創造の動機は真の愛 神様のみ旨は、信じる人だけのものではありません。万民万象が神様のみ旨のもとにあります。神様のみ旨は漠然としたものではありません。太初に神様の中心にあった創造理想、すなわち創造目的が神様のみ旨です。字宙万象と人間は、すべてその創造目的のもとに造られたのです。

永遠で絶対の神様になぜ創造が必要だったのでしょうか。神様にとって絶対に必要なものとは何でしょうか。物質や知識、または権力でしょうか。そのようなものは、神様が望みさえすれば、いつでも作って手に入れることができ、また神様自身が自由に調節することができます。しかし、真の愛だけは神様も思いのままにすることはできないのです。

真の愛は、ただ相対圏を通してのみ見いだすことができるのであって、一人だけでは愛の刺激を感じることができません。これが、神様が相対的な被造世界を必要とした理由です。神様は真の愛の理想ゆえに世界を創造されたのです。

鉱物界、植物界、動物界を観察すると、たとえそのレベルは違うにせよ、愛の理想を中心として相応、和合、授受できるよう、ペア、すなわち主体と対象に創造されていることが分かります。そして、人間は被造世界の代表者であり、中心であり、神様に最も近い愛の相対として造られました。人間は神様の真の愛の対象なので、人がいなければ神様の真の愛の目的は成就されないのです。

このような点で、神様の真の愛の相対である人間の価値がどれほど貴いものかを知ることができます。神様はその創造理想である真の愛を、最高の絶対価値をもつものとしてお立てになりました。絶対的な神様でも、真の愛の前では絶対的に服従したいと思うのです。

そのような原理のもとに造られた人間と万物も、神様のようにその真の愛に絶対服従するようになるのです。より高次元の真の愛に向かって、すべての生命力が一目散に走っていくのです。宇宙万象の存在秩序と価値も、すべてこの原則のもとに決定されます。真の愛を中心とした神様と人間の関係は縦的な親子の関係です。

神様の息子、娘として造られたアダムとエバは、まず神様から父母の愛を受けながら子女の心情を感じて成長していきます。そして、互いに兄弟姉妹の心情を感じながら成長します。その次に、神様の祝福のもとに真の夫婦となり、互いに愛し合いながら夫婦の心情を感じるようになっているのです。それとともに、子女をもち、真の父母となるとき、子女を愛しながら父母の心情を感じ、さらには神様が自分たちを子女として愛される、その父母の心情を経験するようになっています。

このような子女の心情、兄弟姉妹の心情、夫婦の心情、父母の心情を四大心情といいます。人間が完成するためには、神様の真の愛のもとで四大心情を完全に体恤しなければならないのです。この基台が理想的な家庭です。人間に対する神様の創造理想が成就される最小単位が、四大心情圏を完成した家庭です。

真の愛の主人であり、起源であられる神様は、父の立場でこのように人間に絶対不変の真の愛を相続しようとされたのです。真の愛の中では完全な調和と統一が形成されるので、神様の真の愛は、子女である人間に完全に相続されるのです。

それだけではなく、真の愛の属性として、同居権と同参権も自然と生ずるので、人間は神様の子女として同行し、共にいることができるようになっていました。そうして、人間は神様の真の愛に酔って各自が理想と幸福を所有すると同時に、自然にこれを相対と共に子孫たちに伝承するようになるのが創造本然の世界でした。

真の愛は直短距離を通る しかし不幸にも、人間始祖は天使長の偽りの愛によって堕落することにより、結果的に彼らは真の愛による真の夫婦になることができませんでした。彼らは、神様の許諾なしに子女を生んだ偽りの父母、偽りの先祖になったのです。このように人類は、真の先祖、真の父母から生まれることができず、神様が願われない血統をもって生まれるようになったのです。

自然界を見ると、レベルは低くても、すべて愛の秩序のもとに調和していますが、ただ堕落した人間世界だけが愛の秩序を守れずにいます。数限りない罪悪の闘争と苦痛はここに由来しているのです。神様が意図されたこととは反対になった人間世界を、神様は放っておくことはできません。

神様は、堕落した罪悪世界を創造理想の世界、すなわち原状に回復させようという救援摂理をされます。ですから、神様の救援摂理は創造目的を復帰する摂理であり、それはすなわち再創造摂理となるのです。天意に従って復帰摂理の主役を担ってきたのが宗教です。宗教は、神様の真の愛と真の父母思想を中心とした本然の理想的な家庭、さらには理想的な世界を復帰する目的のもとに立てられたのです。

メシヤは真の父母として来られ、偽りの父母から生まれて植えられた偽りの根を引き抜いてしまい、本然の創造理想を復帰する重大な責任をもって来られる方です。この世界が真の愛と真の家庭へと復帰されるためには、まず真の父母の位置が確立されなければなりません。正にこの使命のために神様は私を召命したのです。堕落によって本来のみ旨が成就されなかったので、神様は失ったものを回復するための摂理において宗教を立てられ、メシヤを送られたのです。

神様の不変の目的は、真の愛の理想世界の実現です。宗教の目的は、真の愛と真の家庭が実現化されることです。反対に、このような目的に寄与せずにそれ自体のためだけに存在するならば、その宗教は、神様の名を語ったとしても、神様とは関係がありません。宗教のために神様や世界があるのではありません。

本然の真の愛、真の家庭の世界へと回復しようとされる神様のみ旨のために、宗教は立てられました。そして私が過去四十年間、世界的に展開してきた超宗派的な活動をはじめとする学術、教育、思想、文化、芸術、言論、科学、技術、産業などの事業は、すべてこの目的のために推進しているのです。

私の生涯は、このことのためにすべてを投入して捧げてきました。私は監獄の道と凄絶な迫害の峠を越え、死地を乗り越えながらも、世界の五色人種(すべての人種)に対して、私を生んでくれた親よりも、私の兄弟よりも愛そうという天的な父母の心をもって生きてきました。

真の愛の行く道は、直短距離で通じる道です。真の愛の実践には前提条件や弁明があり得ず、いかなるものも決定的な障害にはなり得ません。ただ自己犠牲によってために生き、与えることで直行する道です。

私の世界的な業績に対し、たくさんの方から称賛を頂き、有り難く思います。実際、外的に現れた今日の結果も重要ですが、その動機と過程は、もっと重要なのです。どの分野の仕事も、整った良い環境と条件の中から簡単に始めたものではありませんでした。

神様のみ旨をこの地上に成し遂げてさしあげようという一念で情熱を燃やし、投入できるものはすべて投入しながら、礎石を据えて出発し、収めた業績です。どんなに悪の勢力が吹き荒れても、大胆に立ち向かい、既に始めた公義の仕事を育成し、守っていくために身もだえしながら、投入しては、また投入してきました。

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真の愛運動と女性の役割 不倫と退廃の一途をたどる性道徳の紊乱は、私たちの家庭を破壊しています。どの国家も道徳の破壊と犯罪で苦痛を受けており、党派と階層間の対立はもちろん、貧困と無知がいまだに存在しています。世界は国境紛争や宗教間の偏見、人種間や民族間の葛藤が解決される兆しが見えず、国家や民族の利己主義によって世界平和は脅威にさらされ続けています。

また、地球星全体が今、あらゆる環境破壊と汚染問題にさらされ、人類の未来に甚大な危機が到来しています。国境を超越し、超民族的な愛と人類愛を発揮できなければ、人類は共に破滅の道に転落しかねない危機の状況が、私たちのすぐ目の前に来ているのです。

私は、人類が直面しているこの危機を打開する道は、「統一原理」、すなわち「神主義」に立脚した真の愛運動だけだと考え、一つの統一された世界を建設する基盤を築かなければならないことを重ねて強調する次第です。今年の七月の初めに、韓国の五大都市で開催された「世界平和女性連合」指導者大会で、私と私の妻である韓鶴子総裁は、私が人類の真の父母、救世主、再臨主、メシヤであることを宣布しました。

私がなぜ韓国の女性指導者たちの前でこのような驚くべき、かつ恐ろしい発表をすることになったのでしょうか。それは、人類の歴史を罪悪で染めた悪魔サタンに、人類の母である女性エバが堕落させられたからです。そして、神様はサタンを屈服させる第二の完成したアダムとしてメシヤをお送りになり、女性を代表した、完成したエバを探し出す摂理があるからです。

また女性たちは、家庭を守る愛と平和と奉仕の中心です。世界平和も、その出発の起源は健全な家庭の母でなければなりません。メシヤの役目を宣布した私の最も中心となる教えは、神様を中心とする家庭倫理の確立と二世教育の問題です。家庭は、汚されたこの世界を浄化させなければならない聖所なのです。

ですから、私はメシヤとして、妻であり完成したエバの立場である韓鶴子総裁を中心とした女性指導者たちに、このような宣言をせざるを得なかったのです。

そしてこの宣言は、私の教えに従うすべての人々に対して、「共に真の父母の道理を果たしながら、神様を中心にお迎えし、この世界を救援する犠牲と奉仕の道を、私たち夫婦と共に歩んでいこう」という勧告と通報のメッセージだったのです。

「世界平和統一堂」創設の提案 内外の貴賓の皆様、そして各国代表の皆様。これから私は、この演説の結論に代えて、私たちのこれらのすべての救世運動を効果的に推進するために、「世界平和統一連合」の機関として「世界平和統一堂」の創設を提唱する次第です。

誤解がないようにするために、「世界平和統一堂」の「堂」の字は、「家」を意味する「堂」であって、「群れ」を意味する「党」ではないことを明らかにしておきたいと思います。言い換えれば、私の言う「世界平和統一堂」は、通常の一国の政権を勝ち取るための政党の機能を意味するのではなく、世界平和のために世界が統一された基盤と努力を増進させる連帯活動を強化する殿堂、すなわち「家」の意味をもっているのです。

男性を「天」と表すなら、女性を「地」と表します。家は女性の生涯の舞台であり、母はすべての家族の愛のための家の中心であり、母を中心とした家庭は国家と世界を結ぶ単位です。「堂」という言葉は、母を中心として地を高める意味があり、「教育する」という意味があります。それでこの「堂」を使ったのです。すなわち、母を中心として「女性を教育する家」という意味になります。

ですから私たちは、世界の平和を具現するために、各国の政治指導者、学者、宗教人、言論人、教育者、芸術文化人、女性指導者、青年指導者たちが、全世界の女性を代表する母たちに、神様を中心とする愛によって心と体が一つになり、家庭を中心とした世界平和のビジョンを提示し、積極的な交流と教育の機会を提供できるように拍車を掛けてくださるよう願います。

二十一世紀の平和の扉を開く主役になろう 今夜、この場に参席してくださった国内外の各界指導者の皆様。私のこのような提議を快く受け入れてくださり、共に同参(一緒に参加すること)してくださるならば、必ずや二十世紀を締めくくるこの八年のうちに、神様が望まれる平和世界は正に私たちによって全人類のものとなるでしょう。今夜、この場に参加した私たちが主役となる二十一世紀の平和世界の扉が開かれるでしょう。

この祝典の期間中、皆様の無事と、今後皆様が行うすべてに神様の祝福と加護が共にあることを祈りながら、以上で私の晩餐の辞を終えさせていただきます。ありがとうございました。

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3.平和世界建設の主役になろう 日付:一九九二年八月二十四日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジヱルス芸術会館

行事:第一回「世界文化体育大典」合同祝賀晩餐会

第一回「世界文化体育大典」の議長団、内外の貴賓の皆様、ならびに国内外の参席者の皆様。今夜は、このように「世界文化体育大典」の成功を祈る心で満場の盛況を博すようにしてくださったことに対して、この大典の創設者として深甚なる感謝を申し上げます。私がこの場をお借りしてお伝えする題目は「平和世界建設の主役になろう」です。

アダムとエバの堕落による闘争歴史 皆様も既によく御存じのように、私は、日本が韓半島を占領していた一九三〇年代の半ば、十六歳(数え)の時に天からイエス•キリストを通して宗教的召命を受けて以来、今年七十三歳になるまで、一瞬たりとも天のみ旨、すなわち天命を忘れて暮らしたことはありません。

私は日帝植民地下で青少年期と青年期を送り、弱小民族の悲劇と苦痛、その悲しみがいかなるものであるかを骨身にしみて体験した人間です。その上、全人類の親であられる神様の心情とそのみ旨をくむ者として、強大国が弱小国を踏みにじる凄惨な状況と第二次世界大戦による殺戮の現場を目撃しながら感じた、その悲しみと苦痛は筆舌に尽くすことができないものでした。

不幸なことが重なり、韓半島は第二次世界大戦が終わった直後、南北に分断され、六・二五動乱が勃発し、同族が相争い、命を奪い合う戦争に、全世界が左右に分かれて参戦し、闘うという悲劇を経験しました。私は、このような悲劇的な歴史の現場を直接目撃しながら、平和世界を失った神様と人類の苦痛と悲しみを、骨の髄まで体恤せざるを得ませんでした。

創世以来、カインがアベルを殺害する兄弟間の闘争の現場を見守り続けなければならなかった、天のお父様の心情はいかばかりだったでしょうか。有史以来、この地球上で起こったすべての戦争は、本質的に兄弟間の闘争なのです。聖書はこれを、エデンの園から追放されたのちに起こったカインとアベルの殺害事件として教えています。

それでは、なぜこのような兄弟間の闘争が、家庭、氏族、民族、国家、世界の次元で絶え間なく繰り返されてきたのでしょうか。それは正に、カインとアベルの父母であるアダムとエバの犯罪に由来しているのです。

アダムとエバは、神様の創造理想を実現すべき人類の始祖として、すべての男性と女性を代表する立場に立てられた存在でした。彼らが神様の戒めを破ることによって、将来生まれる全人類の始祖である善の真の父母の位置を喪失し、堕落した偽りの父母となった罪悪こそが、人類社会のすべての犯罪と不幸の根本である原罪となったのです。

人間始祖の原罪とは、アダムとエバが神様の戒めを破り、不倫な淫乱の罪を犯すことによって、悪魔と血縁関係を結んで堕落した偽りの父母となり、人類に偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を引き継がせたことです。したがって人類は、再び真の父母に出会い、生まれ変わることによって、この原罪を脱ぐための真理と方法を探し出し、それを実践せずしては、罪悪と闘争にあふれるこの世界から抜け出すことができないのです。

世界文化体育大典は神様に捧げる神聖な式典 私が天の召命を受けた十六歳(数え)の時から十年間、正にこの問題の解決のために、頼る所のない孤独な身で真理を探究した結果が、今日、「統一原理」、「神主義」、または「頭翼思想」と呼ぶ新しい真理です。

私は、この真理を一九四五年八月十五日、韓国が日帝から解放されたときに、初めてこの地上に発表し始めました。私は、この真理を発表したために、これまで途方もない迫害と非難を甘受しなければならなかったのです。

私が生涯にわたり六度も投獄された事実を思い起こしてみてください。皆様は、その非難と迫害の度合いがどれほどのものだったかを推し量るすべもないでしょう。「統一原理」を発表してから四十七年目になる今年、開催される第一回「世界文化体育大典」は、これまで神様と人類の解放と平和世界の具現のために、独りで種を蒔き育ててきた私のすべての実績を満天下に現し、神様にお捧げする神聖な式典なのです。

私が生涯をかけて尽力してきたすべての内容は、父母なる神様のみ前に世界人類は一つの兄弟姉妹であり、一つの家族であることを確認するものです。人種や民族、国境を超越して、人類は父母であられる神様を中心とした家族なのです。

世界平和のための活動 「統一原理」が提示する私のこの教えを、最も主流となって実践する機関が「世界基督教統一神霊協会」、すなわち統一教会です。今や、地球上に統一教会のない国はありません。

あす、ソウルのオリンピック•メーンスタジアムで挙行される三万組の国際合同祝福結婚式は、正に「人類は神様を中心とした大家族である」ことを証する現場となるでしょう。また、私は統一教会を根として、これまで各方面にわたり、神様を中心とした人類大家族が自由と理想と幸福を謳歌する平和世界の建設のために数多くの機構を創設し、広範囲に及ぶ活動を展開してきたのです。

今回の「世界文化体育大典」では、その代表的な機構の活動を一堂に集めて示しており、今後、相互間で一層緊密な関係と協力を固めるために、統一された組織と機構を創設するようになるでしょう。すなわち「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和のための頂上会議」、「世界宗教議会」、「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「国際芸術公演団体」および「世界大学生原理研究会」などが国際合同祝福結婚式と前後して、平和世界建設のための私たちの心霊•知性啓発と献身を誓う場を設けるでしょう。

私が執り行う統一教会の国際合同祝福結婚式こそ、人類が原罪を清算し、神様の真の愛、真の生命、真の血統を取り戻す復活と重生の祝福なのです。そしてこの祝福結婚式は、人種と民族と国境を超越し、真の人類兄弟大家族の理想を実現する平和の産室になるのです。

今私は、このすべての団体と機構の創設者として、改めてこれらの団体が神様と人間の理想である世界平和を具現するためのものであるという事実を闡明する次第です。

そして、特定の団体や教団、特定の民族や国家の利益のために創設されたのではなく、万有の主人であられる神様と全世界の人類の幸福と平和と自由のために創設されたのです。

したがって、私たちの運動は地球星に住む全人類の家庭を救い、すべての民族と国家を救い、さらにはこの世界を救う、救家庭、救国、救世の運動にならなければなりません。

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現在、本連合の創始者である文鮮明総裁は、飢餓と貧困で苦しんでいるアフリカを解放するため、そこの数多くの青年を教育し、統一運動に同参させています。そして、アフリカの次に発展が停滞している中南米の国家を生かすために、中南米統合機構を中心として、多様なプロジェクトを推進しています。そして、このような計画を成果のあるものとして実現するために、去る七月、私と共に中南米の数十ヵ国を歴訪し、各国の頂上の人々と会い、中南米の明るい未来のために共同で努力することを約束してきました。

今や、本連合を中心とした統一運動は、全世界百六十ヵ国以上で根を下ろしており、共産主義の崩壊によって理念的座標を喪失したロシアと東ヨーロッパ国家の青年と知識人の未来を照らしています。そして、去る四月三日の午前五時に、世界百六十ヵ国を代表した指導者の前で、夫と私は「ニュー•ホープ•ファーム宣言」と「サンパウロ宣言」を発表し、理想的な社会、理想的なモデル国家を建てるための歴史的な長征を出発しました。性道徳の紊乱と個人主義の氾濫、飢餓と貧困、そして、肥大した科学の発展による今日の人類の危機と地球環境汚染問題は、これ以上放置できない実情にまで陥っています。そのような危機を克服するための対策として、ブラジルとアルゼンチンなど、中南米において数十億坪に相当する巨大な地を開拓し、「ニュー•ホープ•ファーム」という名で理想的な社会、理想的な国家のモデルをつくっています。

そして、このような理想的なモデルを全世界に拡大していくでしょう。この運動こそ、私たち「青年連合」の会員が中心的立場に立って推進していくべき、最も重要な事業だと言えます。そして、これは神様の願いであり、創始者の願いであり、また本連合が目指す理想社会の姿でもあるのです。このような創始者の開拓の意志を手本とし、皆様もまた、皆様だけの改革の意志を見せなければなりません。

時代の激動期のたびに、人類の危機と終わりの日の混沌に対抗し、奮闘してきた数多くの良心的な先祖がいたように、会員の皆様は、各自の明確な信念と努力によって、皆様に与えられた使命を果たさなければなりません。迫りくる二十一世紀の平和な地球共同体を建設するために、このような使命は必ず目指されるべき課題であり、私たちは力の限り、全世界的な次元において統一された努力を鼓舞しなければなりません。

「世界平和青年連合」会員の皆様。皆様の心情に、中身のあるよく熟した神様の理想とみ旨の種を蒔かなければなりません。そうして、誰よりも神様に似て、新しい時代と到来する未来に深い根を下ろすことができる若者にならなければなりません。今は心情文化と心情の熱気で行動するときです。混沌とした世界を正しく立てられる文化プログラムを開発し、共に喜んで楽しめる芸術を創造しなければなりません。

創始者の理念のとおり、神様を中心として、新しい価値観を創建できる高い志の「青年連合」をつくりましょう。神様を否定する堕落したこの世界に神様の摂理を理解させ、神様と人間が一体になる人間革命においても先頭に立ちましょう。個人完成、すなわち神様を中心とした私を完成し、家庭と氏族を神様のみ前に復帰させ、民族と国家を神様に導いて進むとき、世界と天宙はおのずと天の理想に近づくのです。神様を私たちのすべての思いと行動の中心的位置にお迎えするときにのみ、その結果は善のものとなり、新しい歴史創建の主役になるのです。

愛する「青年連合」会員、そして、各国の代表と内外の貴賓の皆様。私たちは、燃え上がる心情で、新しい道義世界を導いていく創建者になりましょう。失われた人類の良心に、正しい価値観と倫理と道徳を探し立て、彼らの前で前進する若者になりましょう。

皆様には無限の神様のエネルギーと信念があり、いかなる困雛にも再び立ち上がる不屈の意志があります。「天は自ら助くる者を助く」と言います。皆様の気概は、あの朝日よりもっと赤く、力強いのです。私は、皆様の覇気ある希望に満ちた姿を見るたびに、本連合の創始者であり、私の夫である文鮮明総裁のことを思わずにはいられません。私の夫は、青年時代に人類を救うという使命を神様から受けたのち、今に至るまで、人生を捧げて神様の摂理歴史の恨を解くために力の限り努力しています。世の中が全く理解せず、あらゆる迫害を受けながらも、ただ神様の心情を握り締め、涙を流して祈りながら悪の勢力と闘争し、ついに真の父母と成約時代を宣布することによって歴史的な勝利を収めたのです。

生死を行き来する共産治下の監獄と李承晩独裁政権の監獄、そして、白人優越主義と宗教的弾圧のくびきをかけられたアメリカのダンべリーの苦難に至るまで、長い生涯路程を逆境の中で生きてきながら、神様のみ旨に背かず、不屈の闘志によって独り勝利し、今日、神様と全世界万民に誇れる世界的な基盤を築いたのです。

私は、夫がひとえに神様の救援摂理の恨を解くために、一生を生きてきながら、一時も平安に休むことのできない不憫な姿を間近で目にするたびに、夫がどれほど神様のみ旨に徹して生きているのか、感じざるを得ません。もうすぐ八十歳になろうという老躯(ろうく)にもかかわらず、いつも若者よりもっと熱い情熱と努力によって世界平和と人類の救援事業を絶え間なく推進している創始者の精神を青年の皆様は相続し、理想世界の創建に向かう神聖な大長征に同参していきましょう。

人類の未来を率いていく「青年連合」会員の皆様。二十一世紀、新しい世紀に向かう救いのみ手が、私たちを待っています。皆様の心情に、神様に対する不変の中心を立て、真の父母様の生涯路程の輝く伝統を相続し、神様の創造理想である民族と国境と人種を超越した、「世界は一つの家庭、人類は一つの兄弟姉妹」と言える統一された平和世界を創建する主役になりましょう。人類の繁栄と幸福のために両腕の袖をまくり上げ、先頭に立った皆様を歓迎いたします。私たちは、共に神主義と真の愛を中心として、祖国統一と世界平和のために真の愛の実践運動を展開しましょう。考えだけにとどまる人ではなく、実質的な行動の同参者として、心情文化の火をともすこの時代の若い主軸になりましょう。神様と真の父母様に侍って、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に広がっていき、理想世界を建設する誇らしい若者として、真の青年運動の中心になりましょう。

新しい世紀を開いていく青年会員の皆様。二十一世紀は正に、皆様のものです。愛と平和がいっぱいに満ちた二十一世紀、新しい文明時代を開け放つことに目覚めた青年として、人類の未来の火をともす新しい時代の開拓者になりましょう。もう一度、皆様の労苦と熱い声援に感謝いたします。そして、最後までこの場を輝かせてくださった内外の貴賓の皆様と各国の代表者の方々にも、深甚なる感謝を申し上げます。私は「世界平和青年連合」の総裁として、皆様全員を胸深く、心から愛しております。

最後に、「青年連合」会員の皆様と、内外の貴賓の皆様に、神様の祝福と恩恵が満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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15.真の家庭を取り戻そう 日付:一九九五年一月八日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和青年連合」全国代議員総会(真のお母様)

愛する「世界平和青年連合」会員の皆様、そして、世界の各国から来られた代表者と内外の貴賓の皆様。この場を通して、皆様の支持と声援に心から感謝の意を表します。

本連合は、一九九三年十月の文鮮明総裁の提案によって、一九九四年七月二十六日、ワシントン大会でその幕を開けました。そして、韓国では一九九四年十二月十五日、全羅南道支部の結成を筆頭にして、一九九五年二月までに全国三十七の市、道の支部結成を完了し、六月末までに全国二百七十三の市、郡、区の支部結成を終え、今は三千七百の邑(ウプ)、面(ミョン)、洞(トン)の支部結成が進行中であると思います。このような短い期間における飛躍的な発展は、「青年連合」に送られる皆様の熱い声援と関心から湧き起こった結果です。皆様の労苦と発展する「青年連合」に、重ねて喝采を送ります。

愛する「青年連合」会員の皆様。私たちはこのような外的な実績だけでなく、内的な向上と実践により関心を注がなければなりません。混乱によって起こった過去の世代の葛藤と不条理を、これ以上繰り返してはいけません。なぜなら、私たちは青年世代の良心であり、世の中の中心にならなければならないからです。

青年の正しい倫理と道徳的価値は、随分前に消えてしまいました。今日、若者たちはそのような価値や退廃的戯れの善し悪しを見分けることができません。古い感覚の文化による病弊と中心を失った人生観は、どのように生きるのが正しく、間違っているのかという判断まで麻痺させてしまいました。あえて探し出さない限り、真の愛や「頭翼思想」、そして、神様に対する概念は、彼らにとって目に見えない不透明な理念にすぎません。

愛する「青年連合」会員の皆様。皆様の価値を御存じでしょうか。皆様の理想と志がどれほど尊く、貴重な財産であるかを感じていらっしゃるでしょうか。それらが実践的な行動を伴うとき、大きな山までも動かす力の原動力になるという事実を、皆様は知らなければなりません。知らずに行動しないのは、当然のことかもしれません。しかし、この世界を導き、主役になる人は、世の中をまっすぐに直視し、実践できる人でなければなりません。皆様はどのような人になりますか。勇気ある中心になりますか、あるいは押し流されて引きずり回される周辺の人間になりますか。昔、私たちの知恵深い先祖は、花郞道(ファランド)(儒教・仏•仙・三教•三德の精神を尊び、五戒を信条として愛国を標榜した)や国仙道(ククソンド)(韓国の道教系の武術)や経堂(キョンダン)(正祖-チョンヂョ-の時代の武術)を通して、何年、いや何十年の間、青少年を修練の場に送り、体と心を鍛えるようにしたといいます。私たちがよく知っている李舜臣将軍や金庾信(キムユシン)将軍などが、その代表的な人物です。

私たち「世界平和青年連合」は、近年になってさらに忘れ去られた価値観と混乱した倫理と道徳のために、セミナー、修練会、青年教育などを通して、真の価値観確立のための運動を展開しています。この運動を通して、青年たちは真の愛と真の人生の価値を啓蒙し、人間の本然の姿により一層近づき、理想世界の実現のための様々なモデルを形成していけるようにするでしょう。そして、変わらない神様の絶対価値を青年の不変の価値観として立て、この時代の青年運動の中心となるようにしていくでしょう。神様は歴史を超越して、いつの時代、どの場所においても青年を貴重に思い、歴史の中心に立たせてきました。青年が正しい生き様で自らを磨き上げながら進むとき、神様の姿は日常生活の中で鮮やかに甦るでしょう。

体と心を鍛えるのは、一生にわたってすべきことですが、特に青年の時期において、その重要性は本当に大きいと言えます。なぜなら、青年期は人間堕落が起こった時期であり、人間の第二成長期ともいえる精神的誕生の始まりを意味するからです。

皆様はそのような重要な時期の青年として、新しい時代の口火を切っていく、輝かしい勇気と気迫をもった先駆者にならなければなりません。私たち「世界平和青年連合」はこのような重要な活動を実行に移すため、これから「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和統一家庭連合」など、本連合の理念に同意するすべての団体と互恵の原則のもと、相互に連帯していくでしょう。現在、中南米をはじめとした世界各国で、数多くの青年が私たちの運動に参加しており、特に新旧教の統一と南北米統合運動に、本連合の青年が積極的に参加しています。このような南北米統合運動と新旧教統一運動は、根本的な側面において、私たちの祖国韓半島の統一にも肯定的な役割を果たすものと信じています。

一方、私たち「青年連合」は世界平和と真の統一世界を実現するために、国際的な青年学生の兄弟的交流と協力、統一運動を通して、青年国連の使命を展開し、二十一世紀の新しい文明時代を準備するための諸般の機構を編成していくでしょう。本連合は、すべての人類が神様の真の愛を中心として自由と平等を謳歌し、人間的な生活を営んでいけるよう、社会と国家の民主化と経済的な均等分配を通して、共に豊かに暮らせる共生共栄共義の理想世界を建設する運動を展開していくでしょう。いまだに地球上の多くの発展途上国では、飢餓と疾病により数多くの人々が無残に生命を失っています。これは他人事ではない、私たち全員の問題です。死んでいく地球村の兄弟の悲劇を見て、ただかわいそうだと考えるよりは、実質的に彼らを助けてあげる全世界的な最後の救世運動を展開していかなければなりません。

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1.真のプリチャッキ(ルーツ探訪)運動の方向 日付:一九八九年六月二十三日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:韓国プリチャッキ連合会文鮮明総裁推戴式

尊敬する会長、内外の貴賓、そして韓国国民を代表する各氏族の宗長と指導者の皆様。きょう、私を「韓国プリチャッキ連合会」の総裁に推戴してくださるこの意義深い式典を、皆様の合心一体の精誠によって準備してくださいましたことを、心から感謝申し上げます。

プリチャッキ連合会の総裁職を受諾した理由 御存じのとおり、私は、統一教会の創始者として、また世界の碩学たちの集まりである「科学の統一に関する国際会議」、元・現職の国家元首の集まりである「世界平和のための頂上会議」、宗教界の指導者の協議体である「世界宗教議会」、言論界の指導者で構成された「世界言論人会議」など、多くの集まりと団体を設立し、世界的に統一運動を展開する中で、重要な組織から総裁、もしくは名誉会長などに推戴されてきました。しかし、摂理的に見て、きょうのこの式典もまた非常に貴いものであると言えます。この運動を通して、すべての人々が、万有の根であり生命の根源であられる神様を正しく見いだし、さらに神様に正しく侍る契機となることを強く希望しながら、ここに喜んで総裁職をお受けいたしました。

我が民族は、いにしえより氏族意識が強く、先祖と家門の根を尊重してきました。この伝統は、定着生活が求められ、同姓地域を基盤とする農耕社会が長く民族史を形成してきたところに由来するとも言われていますし、近親倫理を核とする儒教の教えが原因となって形成されたとも言われています。しかし、根本の理由は、さらに深いところにあるのです。我が民族は、古代より驚くべき敬天思想をもち、美徳の中でも孝行を根本と考え、重視してきました。それは、天がみ旨を中心として、特別にこの民族を育ててこられたからです。神様はこの民族を、人類の根源であり父母であられる神様に侍る人類の宗孫(宗家の長孫)とならしめるために、祖先をあがめ、父母に対する孝の道を歩む民族として育んでこられました。こうして我が民族は、世界に類例のない敬天•忠孝思想と礼節を尊重する精神的求心点をもって、氏族と家門を培ってきたのです。

この場にお集まりの氏族の代表の皆様は、我が国の貴い伝統を守り、後進たちにそれを教育するため、多くの御苦労をなさってきたことと思います。しかし韓国社会は、急速に進行する産業化と都市化の過程を経る中で、温かい共同体意識が薄れ、家庭も様々な面で試練を受け、その位置も変化しつつあります。最近に至っては、私たちの伝統文化と美風良俗が根本から揺らぐ危機に直面しており、こういった不幸は、世代間の葛藤と労使間の対立などによって、ますます加速化しています。

幸福な世界への出発点 このような現実の中でプリチャッキ連合会は、各々の祖先を訪ね、それに侍る運動であることはもちろん、誰もがみな一つの根をもつ一つの子孫であることを確認させる、挙国的で世界的な運動として発展しなければなりません。氏族単位の族譜を正しい民族譜へと、その次元を高めていかなければならないのです。

民族単位を支える狭い根源意識ではなく、民族全体、人類全体の求心力としての根源意識に昇華させなければなりません。私たちは本来、相手を葬り去って自分たちが生き残ろうという対立関係にあるのではなく、同じ根の養分を受けた運命共同体なのです。したがって私たちの運動は、民族内に限定されてはならず、五色人類の根も結局は一つであることを悟らせ、人類は一つの根を通して和合し、ただ一つの地球星という一隻の船に乗った運命共同体意識で生きていくことを教育しなければならないのです。

科学技術の発達とともに、人類は過去のいかなる時よりも、共に生きる国際協力を必要とするようになりました。全世界的な情報交換と資源の共同開発が切実に要請されているのです。子孫の生存のためには、地球環境と大気が共に大切に保存されなければなりません。現代人は、東西理念の対決、科学兵器の大量生産、国際的なテロや犯罪、退廃的風潮の流行と拡散などによって、世界の運命を予測できずに、不安を感じています。

すべての指導者が心の扉を開き、国際的協力をしながら全体目的のもとに和合し、世界の火急な諸問題を解決していかなければなりません。私たちは過去のいかなる時よりも、人類全体を一つの有機的共同体として理解し、人種間の壁を崩し、文化と文化を調和させ、統一していかなければなりません。それでは、何によって人種間の壁を崩して理想世界を成し遂げることができ、いかにすれば平和に対する様々な障害を根本的に除去できるのでしょうか。氏族会議を見ても、各個人の意見がいかにまちまちであり、一つの家庭内においても和合がいかに難しいでしょうか。どこからであろうと解決の糸口は必ず見つけなければなりません。また、世界の異なった文化と伝統を調和させ、戦争のない人類一家族の幸福な世界を成し遂げる出発点は、果たしてどこにあるのでしょうか。人類が、万有の根本であられる神様に対して、各自の始源であり、根であることを自覚し、天理に従うただ一つの道から根本的な解答を見いださなければなりません。

私が神様と交わりながら天理を探し求めてさまよい、七十年の生涯を通じて修道と実践の路程を歩んできたのも、正にこの根本問題の解決のためでした。人は心で生きるのであって、体で生きるものではないように、外的にこの世界がどんなに繁栄したとしても、神様との根本問題が解決されなければ、突如として人類最後の瞬間が訪れることもあり得るのです。

人類は一組の始祖から出発 尊敬する氏族の指導者の皆様。この宇宙は、単に物質を起源とするものではなく、自然発生的に生じたものでもありません。宇宙の第一原因者であられる創造主、神様がいらっしゃるのです。その方は絶対者であり、永遠不変であり、善なる方です。宇宙万象は、神様の基本設計である創造目的によってつくられた被造物なのです。心情の本体であられる神様の創造目的は、喜びを得ることです。喜びは一人では感じることができません。ある主体が喜びを感じるためには、必ずその対象としての実体が必要なのです。喜びの中でも最高の喜びは、主体と対象が愛を交わす時に感じるものです。

人間は、神様が無限に愛することによって永遠に喜びを得ようとして創造された、神様に最も近い対象である子女なのです。このように神様は、人類の祖先として一男一女を造られましたが、聖書では彼らのことをアダム、エバと呼んでいます。絶対的な神様は、その真の愛の対象である一男一女以外に、別の愛の支流をつくることはできません。名前が何であれ、神様の真の愛の対象である人類は、ただ一組の始祖から始まったのです。

私たちの始祖アダムとエバが、神様の愛を完成し、互いに真の愛を交わしながら善の子孫を繁殖していれば、どのような世界になっていたでしょうか。彼らは、創造主、神様を無形の縦的な父母として侍り、愛の夫婦となって、横的な真の父母となる理想家庭を築くようになります。その真の家庭を根源として繁栄した一族、すなわちアダム一族が民族として栄え、彼らが築く国家や世界は、神様の愛と善に満ちた幸福な文化世界にならざるを得ません。このような世界がすなわち天国であり、神様の創造目的であるこの天国は、間違いなく地上に築かれたでしょう。

人類始祖を根とした全人類は、本来、地上天国で生きて、その後、その霊人体が天上天国へ行くようになっていました。このように神様の創造目的は、人類が神様を中心とした大きな家庭を形成し、人類全体が一つの兄弟となり、一つの一族となることでした。神様を中心とした始祖アダムの家庭の善の家法がやがて伝統となり、代々に伝授されながら、一つの根から出た一つの言語、一つの文化、一つの天の主権のみが存在する統一世界となったことでしょう。そこに悪や不正、理念の葛藤、戦争などが想像できるでしょうか。

しかし、今日の現実はどうでしょうか。神様の理想とは正反対の世界になってしまいました。個体の中では、心と体が葛藤し、そのような個人個人が築いた家庭、氏族、民族、そして社会、国家の中でも、矛盾と分裂と闘争が続いています。あらゆる不倫と退廃、非道と暴力、戦争と虐殺、価値観の混乱、文化と伝統との衝突、理念の対決など、この世界は惨状の連続です。

時間の関係で詳細に説明することはできませんが、何かが大きく間違ったこの世界を元の状態に回復するために、天は聖人を立てて天道を明らかにし、宗教を通して人類を教育してこられました。悪の世界において善を立てて実践するということは、たやすいことではありません。義人や烈士たちの犠牲もそのためだったのであり、真の修養の道が、骨を削るような自己犠牲であり、無条件に施す道でなければならないことも、その一例です。

プリチャッキ運動の真の始源 私たちのプリチャッキ運動を通して真の始源を求めていくと、自分の先祖とその先祖の先祖となる人類始祖に行き着くことになります。さかのぼって善の根を探し求める道は、まずあらゆる邪悪と不条理の動機と曲折を解き明かさなければならず、ひいては、神様を知り、人間始祖に対する神様の心情を尋ね求めていってこそ、真の根を見いだしたと言えるでしょう。

木は、外的に見ると季節によって様々な姿をもっていますが、そのすべての変化する要素を順番に除去していくと、残るものは結局、根の根本となる種と生命に帰着するのです。そのように、人類を根源に返らせる真のプリチャッキ運動は、まず、さかのぼって復帰の方向に従い、悪のすべての要素を消化し、えぐり出さなければなりません。そして神様の生命と真の愛に接ぎ木され、純化された神様の息子と娘にならなければなりません。

韓国が根の深い立派な族譜を世界に誇るようになり、また族譜学の根源になったのは、偶然ではありません。本来、韓国は、先進国となり経済的に富み、外的に豊かな国になることだけが、私たちの目標となってはならないのです。神様はこの民族、この地を通して、全人類の幸福の始源をつくり、真の愛の新天新地を築こうとしておられます。私が神様の啓示に基づいて、有史以来、初めて神様の心情と創造目的を明らかにしたことは、我が民族にとって奇跡のような祝福です。私が創造した宗教理念を中心として繰り広げている真の愛の統一運動は、既に東西や文化圏を超越して超国家、超民族的次元で、世界を生かす運動として拡大しました。百三十七ヵ国に燎原の火のように人格革命、道徳革命を起こしながら、拡大しています。

私はこの席で、真の愛の理論を説いているのではありません。世界的な無理解と激しい迫害、宗教的な偏見のもと、死線をさまようような苦難の道を通して、真の愛を世界的に実践した実績をもってお話ししているのです。これは私自らの力だけで成し遂げたことではありません。神様の導きと加護なくしてはできないことでした。神様の真の愛と生命力を動機として成し遂げた結果なのです。

真の愛の実践運動となるべきプリチャッキ運動 尊敬する氏族の代表の皆様。プリチャッキ運動は、神様を根源とした真の愛の実践運動にならなければなりません。私たちは、真の愛の化身体であるイエス様をはじめとする聖人たちの教えを、生活の中で受け継がなければなりません。私たちは、根源であられる神様を通して互いに接し、愛の関係を広げて、この時代の葛藤を克服し、歴史的な不和の壁を崩し、調和の世界を築く主役とならなければなりません。特に民族の宿願である南北統一も、真の愛によるプリチャッキ運動を活性化させることによって、民族的同質性を強固にしつつ、成就しなければならないと思います。

今の時は、すべての人が謙虚になって根に返り、愛で一つにならなければならない時です。個人の利益のために全体が滅亡することを傍観していてはいけません。世界の情勢は、これ以上ためらう時間を与えてはくれません。神様がこの民族に下さった祝福を、愛の実践によって花咲かせなければならないのです。私たちは、総決起して、万民を私たちの運動に連結し、真の根、真の愛の灯台を通した人類和合の理想を必ずや実現しましょう。

皆様と皆様の御家庭と御氏族に、神様の祝福があることを祈りながら、話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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真の愛の初舞台は真の家庭 本来、神様の創造理想は、投入しては忘れ、また投入しては忘れるという犠牲的な真の愛から出発します。神様のすべての創造の労力は、御自身の力を投入する犠牲ですが、それは愛の力を動機としているので、数千万倍大きな喜びとして再び神様に返ってくるのです。父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになり、父母は大きな喜びでその犠牲を満たすのです。このように犠牲的な真の愛の力は、与え合う作用を発展させ、真の家庭で、そして真の世界で永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところで、永生の理想世界が顕現するのです。

しかし、このような真の愛が欠如した家庭と国と世界は、抜け殻にすぎず、むしろあらゆる不信と反目と不倫の納骨堂になってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長して完成する場は、真の家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして真の兄弟の愛が共に完熟して実践される場は、真の家庭なのです。

真の父母の真の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟愛を通して、真の国と世界人類に対する普遍的な真の愛を訓練する場は真の家庭です。それだけでなく、父母と子女の間に受け継がれる真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結していく、歴史的な鎖の基本単位も真の家庭です。

やせた土壌からは充実した実が期待できないように、破壊された家庭から、正しい社会人や世界人は形成されません。ですから、この時代に青年の皆様に与えられた召命の第一は、皆様が真の愛の主体となり、真の家庭文化と真の家庭伝統の基礎を築く主役になることです。

青年の理想と情熱が現実的に展開されるところは、真の家庭の上に立った国です。そのため、国家の評価は、政治、経済、軍事力、または文化力に基づいて行われるのではありません。正に家庭では孝子、国家では忠臣となるような青年の精神と愛国の衷情によって行われるのです。青年は芽であり、芽が枯れた木は未来がないのです。

しかし、すべての国々に見られる青年の実情はどのようなものでしょうか。すべての国々が抱えている最も究極的な問題は、青少年の問題となっているのです。政治、経済、社会、そして環境的な問題は、制度的な改善や財政的投資によって、その解決点を見いだすことができますが、青少年の問題は、法律や軍事力、または経済力によって正すことができるものではありません。また誰一人として強制的な力によって改善することはできないのです。それには、もっぱら青少年が自ら、自分に対して責任をもつことができるようにしなければなりません。そのためには、青少年たちをして、真の愛に同化させ、その主人として定着させなければなりません。

すべての理想の原点であり、未来に向かって永遠に作動する真の愛は、青年たちにとって生命以上の力になります。青年たちが真の愛を中心とした新しい国家観をもつとき、国家は新しい発展の可能性を見いだすのです。真の愛の姿勢を備えることによって、すべての諸団体は、衝突する利害関係の枠を跳び越え、協力と調和と発展の社会を成し遂げるのです。

真の愛を中心とした国家観をもたなければならない 国を動かし引っ張っていく原動力は、犠牲的な愛国の衷情の真の愛から生まれてくるのです。私たちが尊敬する多くの愛国的英雄、烈士たちのうちで、真の愛を中心として犠牲の生涯を通過しなかった人はいません。世界的次元でもまた、地域、人種、宗教、文化、慣習、言語、国籍など、一つの平和世界のために跳び越えなければならない挑戦の課題が山積しています。しかし、宇宙万象を創造なさった神様の真の愛の目を通して世界を見るとき、世界は、人種、言語、宗教、理念的な違いを越えて一つに見えるのです。青年たちが、神様の真の愛を中心に犠牲と奉仕の努力をするならば、世界の貧困と飢餓問題、貧富の格差と歴史上の葛藤と憎悪は、解決の糸口を見いだすことができるのです。

愛せないものまでも愛するという真の愛の定義から、私たちは、葛藤する関係が克服される明確な方向性を発見するようになります。自由と平等の理念的矛盾も、真の愛の場で初めて一つの出会いの場を見いだすのです。

歴史的に対立してきた神様と人間、そして人間と人間の和解も、真の愛の理念の中でこそ可能なのです。与えてはまた与え、そして与えたことを忘れて、もっと与えることを願う神様の真の愛を実践することによって、利己主義を克服し、和合と繁栄の世界に進んでいくことができるのです。特に、「家庭は国のために、国は世界のために、そして世界は神様のために犠牲になる位置に進まなければならない」という真の愛の倫理展開においてこそ、民族的利己主義や国家的利己主義を越え、永遠の平和世界を望むことができるのです。

真の青年文化を確立しなければならない 過去のどの時よりも今日の問題は、人類全体を総体的な運命圏として考えなければならない特徴をもっています。ですから、ある地域や国家で起きた問題は、世界の勢力の均衡と、経済に即座に影響を及ぼすばかりでなく、言論の発展によって、世界は既に、分、秒の生活圏へと差しかかっています。

今この瞬間にも、インターネットのシステムにコードさえ入力すれば、全世界とリアルタイムで意思疎通できる扉が開かれます。空中に浮かぶ二百個以上の通信衛星によって、地球は既に一つの囲いのようになり、人類はその中で一緒に生きていく地球家族となりました。すべての個人をはじめとして、世界の家庭、国家、そして人類の問題を一つの統一された課題として解決し、どこでも同時に一貫した次元の平和を実現できる万能の鍵は、正に真の愛の力、真の愛の理念です。そして、その真の愛の実践の主役は、正に真の愛の青年の皆様なのです。

純粋さ、新鮮さ、情熱、力、勇気、挑戦、前進、犠牲、忍耐、理想、希望などは、真の青年たちに特権として与えられる祝福の単語です。このすべての単語は、真の青年たちが、家庭と国家、そして世界において真の愛を実践するとき、初めてその真価を発揮するのであり、ひいては真の青年たちは、真の希望の実体として登場するのです。新しい方向とビジョンを提示し、実践に移すことのできる人だけが、新しい時代の主人公になるというのは、歴史的に実証された真理です。

祝福結婚運動は人類的文化革命 皆様は、いかなる環境においても歪曲されない絶対愛、絶対純潔の運動を通して、真の愛を中心とした真の青年文化を確立しなければなりません。真の愛を中心とした真の家庭を守護すべき真の青年たちにとって最大の敵は、退廃や享楽のような非道徳的風潮であることを肝に銘じなければなりません。真の愛の基盤となる真の家庭を築くことこそ、今世紀の生死を分かつ至上課題なのです。

このような観点から、今後繰り広げられる三億六千万家庭の祝福結婚運動は、全世界が歴史的に死活をかけて成就しなければならない人類的文化革命なのです。人類歴史において見ることのできなかった精神的で道徳的な新紀元を成し遂げるのです。

皆様のような真の青年たちが真の愛の主体となり、真の家庭、真の国家、真の世界の建設の主役となるとき、私たちに近づいてくる二十一世紀は、希望と展望ある未来へと広がっていくことを私は確信します。今後成就される三億六千万組の国際合同結婚式の完成に向かって、皆様がお帰りになりましたら、国家的次元で後援会を結成し、積極的な御支援をお願いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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17.青年は真の愛実践の主役 日付:一九九七年十一月二十八日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ハイアット•リージェンシー•ホテル

行事:第三回「世界平和青年連合」世界大会

親愛なる「世界平和青年連合」の会長、尊敬するリチャード•ルービンシュタイン共同議長、世界各地よりお集まりになった内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょう、世界百三十ヵ国を超える各国の代表の皆様と共に、「世界平和青年連合」の第三回世界大会を、ここアメリカのワシントンDCで開催できたことを心からうれしく思います。

特に、きょうのこの大会が、歴史的な三百六十万組の祝福結婚式の行事を中心とする第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれたことは大変意義深いことと思います。なぜならば、地球星の各地から人種と宗教と国籍を超越して、世界的に開催されるこの祝福結婚式の行事の主軸が、正に善男善女として選ばれた青年の皆様であるということだけではなく、二十一世紀を眺望して開かれるこの期間のすべての会場で、青年の皆様がその実践の主体となるからです。

これまで世界各国、そして社会の各分野と階層において、世界平和の実現のためにあらゆる心血を注いで努力し、貢献してこられた青年連合会員の皆様に、深い称賛と感謝を捧げたいと思います。

特に、皆様の活動が「世界大学原理研究会」、「世界平和女性連合」、そして「世界平和統一家庭連合」とともに、真の家庭理想の世界的な実践として、今年の祝祭の祝福対象とする家庭数の目標を三百六十万組から、その十倍を超える三千六百万組に、その上にまた数百万組超過して達成した成果に対し、天と皆様に感謝を捧げます。今後、三億六千万組に拡大して展開されるこの祝福結婚式の行事に、青年連合の会員の皆様が、より一層積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。

青年は歴史的転換期の主役 今日、私たちは二十一世紀の入り口に立っています。既に世界各地では、二十一世紀を迎える行事の準備のカウントダウンが始まっています。新世紀を迎える人類の心には、みな等しく、私たち人間が経験した過去のどの時よりも良い、神様の新しい絶対的真の愛で一つになった家庭の価値を探し立てる、そのような新しい世界になることを願う熱望に満ちています。

新しい真の愛の理想を指向する人間の情熱が、世界歴史の変化の原動力になったことを考えるとき、誰よりも高い真の家庭理想を追求し、強い実践の意志をもつ青年の皆様こそ、この歴史的大転換期の主体であり、主役とならざるを得ません。ですから、新世紀の扉を開き、新しい理想的家庭の変化を渇望する人類の前に、皆様は希望の象徴として現れるのです。

歴史上には、文学作品に、青年たちの役割と特性、またはそれに対する礼賛の言葉が数多くありました。しかし、今日ほど、家庭や国家、また世界において、青年の役割と責任だけではなく、真の家庭に対する革命が強調される時というのは、まれなことだと思います。ですから、今回の大会で「真の家庭と国家と世界のための青年」という大きな主題を中心に議論することは、非常に時宜にかなったことであると言わざるを得ません。

現在は、家庭や国家、世界のすべてが深いジレンマに陥っています。世界的に産業が発展し、機械文明が発達し、人間の生活が便利になるほど、かえって私たちの生活の基礎となる家庭は破錠に向かっているのです。アメリカ統計局の資料によると、急増する離婚率は、一九七〇年から一九九〇年までで三倍も跳ね上がり、六家庭に一家庭は離婚するという結論が出てきています。そして、全国的に三〇パーセントの子女が片親のもとで育っているという実情です。さらにその上、同性愛の夫婦という世紀末的な奇現象までますます広がっているのです。

実に四〇パーセントに達するアメリカの十四歳から十九歳までの少女たちが、妊娠を経験するという報告があります。三十年前に比べ、青少年の自殺率が三〇〇パーセントになるという爆発的数値を示しているのは、衝撃的なことであると言わざるを得ません。家庭の崩壊現象は、現代社会が抱える最も深刻な危機要素となっているのです。国家的な次元においても、慢性的経済不均衡と麻薬、暴力、エイズなど、街の隅々に硬直した社会問題の前に、政治の力はその限界をさらけ出しています。

さらには、今日の世界は依然として戦争とテロの脅威、人種間の葛藤、宗教間の反目、そして環境破壊のような全人類的な課題を抱き、苦悩しています。数多くの地域の人々が飢餓と疾病の苦痛の中でむごたらしく苦しんでいる様子は、いまだに私たちが無視できない現実として残っているのです。このような現実こそ、今まで人類が経験してきたすべての理念や活動に対する総体的な成績表となります。そしてその内容は、不幸にも落第点なのです。

ですから、すべての家庭と国家と世界は、新しい変化を切実に追求しています。新たな二十一世紀を迎えながら、私たちは自ら、すべての家庭と国家と世界を新しく変化させなければならないという、主体的自覚が先立っていかなければなりません。

私たちに与えられた課題は、変化の主体として新しい青年像を確立し、新しい真の家庭と真の国家、そして真の世界のための新時代を開かなければならないのです。すべてが新しくならなければならないときに、新しくなれなければ破壊されてしまいます。

一粒の種は、芽を出すことができなければ腐ってしまいます。新しい朝が来れば、新たに身支度をしなければなりませんし、新しい季節が来れば、新しい生活環境を整えなければならないのです。重要なことは、新しい変化の風によって真の世界をつくるために、私たち自身が、真の家庭と真の国家によって新しくならなければならないということです。

青年連合の会員の皆様。自分自身を新しくし、家庭と国家と世界、そして歴史を新しくする方案とは何でしょうか。二十一世紀の入り口に立った私たちにとって、本連合の創始者であられる文鮮明先生が教えてくださり、手本を示してくださった真の愛の家庭と国家と世界の理念は、平和世界の基本理念として、新しい歴史を開いてくれています。

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16.道義世界の創建 日付:一九九五年八月二十日

場所:韓国、ソウル、奨忠(チャンチュン)体育館

行事:「世界平和青年連合」韓国大会

満場の内外貴賓の皆様、そして「世界平和青年連合」の会員の皆様と各国からお越しいただいた代表者の皆様。このような意義のある場で、私が本連合の創始者として祝辞を語ることになり、大変うれしく思う次第です。

昨年(一九九四年)七月二十六日、「世界平和青年連合」を創設して以来、本連合の発展のための会員の皆様の努力と御苦労に対し、この場をお借りして称賛の意を表します。皆様の労苦は決して無駄にはならないと私は確信いたします。今や青年連合は、世界平和と人類理想社会の建設のために先頭に立つ若者たちの、和合と統一の場となりつつあります。私は、人類の平和と統一の世界を開いていく良識のある青年たちが「世界平和青年連合」に集い、声援と支持を下さることを期待する次第です。

親愛なる「世界平和青年連合」の会員の皆様。私はきょう、「道義世界の創建」と言う主題のみ言を通して、「世界平和青年連合」の進むべき方向性について語りたいと思います。皆様も御存じのとおり、現代は重大な危機に直面しています。物質文明の高度化による人間性の喪失と道徳的堕落が極限の状況へと突き進んでいます。これは人類が本然の父母であられる神様に背いたところに起因しています。人間始祖の堕落によって、人類は神様を中心とした本心を失ってしまい、堕落した世界へと流されていっているのです。

善を指向する絶対価値と絶対中心の基準となる神様を知らずにいる人間は、闘争と憎悪と退廃と堕落の奈落にますます落ち込んでいかざるを得ませんでした。しかし、人類の父母であられる神様は、御自身に背いた人間たちを見捨てることなく、人類を救援するための摂理を続けてこられました。

数多くの預言者や聖人、そして宗教指導者たちをこの地上に送られ、人類救援の歴史を願ってこられたのです。二千年前に人類のメシヤとして来られたイエス様をはじめとして、仏教の釈迦、イスラームのムハンマド、儒教の孔子のような聖人たちは、人類を善の方向に導くために努力した人たちです。

歴史上存在してきた数多くの宗教が、根本的な面で善を指向しているのも、このような理由から理解できると言えるでしょう。しかし、数多くの宗教や思想が明滅を繰り返してきましたが、いまだに人類に真の平和や幸福を抱かせてくれる理想世界を建設できずにいます。これは、既存の宗教や思想が本質的な面で限界をもっていることを示唆するものだと言うことができます。

愛する「世界平和青年連合」の会員の皆様。このような限界状況をいかにして克服するのでしょうか。私たちは本然の理想を実現するために、神様の真の愛を中心とした心情文化運動を展開することによって、より良い世界を建設していかなければならないのです。青年時代に神様を知り、歴史の中で神様の目的を果たすために、疲れることなく、人類救援のための努力と情熱を投入してきた私は、若者である皆様がこのような神様のみ旨を相続し、真の父母に似ることを切にお願いする次第です。そして、このようなみ旨を成就するためには、まず「神主義」と「頭翼思想」で世界平和と祖国統一を指向しながら、人類の繁栄と幸福のために先頭に立たなければなりません。

私たちがあまりによく知っている統一に関する問題は、そのような面から一番先に解決すべき課題です。民族が解放されて以来五十年が過ぎましたが、韓半島は、依然として分断された姿で残っています。

最後のイデオロギーの象徴とも呼ばれているこの韓半島の分断は、今や私たち韓半島だけの問題ではなく、世界の問題に拡大しています。そうかと言って、統一を成就する力や方法を準備しないまま、スローガンだけを叫んでいてはいけません。

韓半島が南北に分かれたのは、我が民族が望んだからではなく、米ソ両国と中国と日本などの周辺強大国の影響によるものです。したがって南北統一は、アメリカ、ソ連、中国、日本などが、我が国を分断させたまま国際秩序を主導していく既存の状況を変えないことには、成し遂げられないのです。すなわち、韓半島の統一に対して周辺強大国が協力できるように韓国の主体的影響力を養わなければならないということです。これが正に一九九一年十一月末に、私が平壌を訪問した理由です。

今や南北統一は、この文総裁が築き上げた国際的な基盤と影響力を抜きにしては論議できない段階に入っています。なぜならば、北朝鮮も、このような私の活動の力量をよく知っているからです。最近では、北朝鮮当局が積極的に参与できるよう、統一に対する様々な方面にわたって信頼を築いてきています。民族に対する「神主義」と真の愛で北朝鮮の同胞を兄弟のように接し、父母の心情で彼らが必要とする経済援助のために多様なプロジェクトを推進しています。

金剛山開発計画、軽工業産業の育成支援計画、定州平和公園造成計画など、すべてが我が民族の統一のための基盤を築いていく事業です。特に定州平和公園造成計画は、私の生まれた生家を中心に造成されるのですが、北朝鮮当局は既にそこを聖地に指定し、途方もない広さの土地を貸すなど、聖域化事業に積極的に協助しています。

愛する青年連合の会員の皆様。統一とは何でしょうか。それは、真の愛を中心として、相手と条件なく一つになることです。相互間に信頼を与えることができる真の愛の実践運動を通じて、統一に向かう最も具体的な方法を提示しなければなりません。このような原則のように、我が民族の統一も、神様の絶対的真の愛を通して南と北が互いに和解し、協力して、一つになる道に進んでいかなければなりません。これは、私たちが北朝鮮に対して無条件の投入と支援を推進している理由でもあります。また、私は、中南米の数十ヵ国を訪問して各国のトップと会い、南アメリカの統合と支援を約束しました。これは、南北アメリカを統合し、旧教と新教を統一し、世界平和統一の基盤を造成するための一環として行われているのです。

今後「世界平和青年連合」は、祖国統一の成就のために先導的な位置に立って進んでいくと私は確信します。

皆様は、祖国と世界が一つになるよう、良心ある青年として先頭に立ってください。良心的で悟りのある青年だけが、歴史を変革し、人類をより善の道へと導く資格があるのです。私は、このような人間本性に一致する最も根本的な基準は良心であると思います。良心は、堕落した人類が本来の父母であられる神様を再び探し出し、より善の世界へと進んでいくための物差しです。人間は、良心の基準に従って善を指向することによって、人類理想社会を実現していくことができるのです。

歴史を振り返って見ると、数多くの預言者や聖賢たちが存在しました。しかし、彼らは外的な統一を成し遂げましたが、心と体の心身統一は成し遂げることができなかったので、根本的な限界に直面せざるを得ませんでした。しかし、今や神様の真の愛を中心として、真の父母がこの地に顕現し、真の家庭を築き、統一された理想社会を実現していきつつあり、これによって神様の救援摂理の主流圏を形成するようになりました。

真の父母様は、神様と人類を接ぎ木してくださる仲保者です。真の父母なくしては、人類が神様のもとに行くことはできません。真の父母は、人類を堕落から救援してくれる唯一の道を提示してくださる方なのです。皆様は、真の父母の意味を再度、胸に刻まなければならず、その方を迎え、その方に従って人類救援の摂理に同参する準備をしなければなりません。

愛する会員の皆様。私が「世界平和青年連合」を創設したのも、このような救世運動を繰り広げていくためです。そして、私の妻である韓鶴子総裁を立て、その陣頭に立つようにしました。韓鶴子総裁は、私の妻であり、十三人の子女をもった家庭の母としてだけではなく、「世界平和女性連合」の総裁として真の女性運動を主導しており、人類理想社会の実現のために全世界的な次元で熱心に努力しています。韓鶴子総裁は、去る一九九三年に全世界四十ヵ国巡回講演をはじめとして、国連本部、韓国、アメリカ、台湾各国での国会講演、韓国四十カ所大学講演など、数百回の講演を通して、人類の行くべき真の道を提示し、参席した人々から熱烈な支持と歓迎を受けました。

今後、「世界平和青年連合」は、創始者の意図により、韓鶴子総裁を中心として、南北統一はもちろん、暗闇の中にいる人類に真の救援の道を開くことができる真の光になると期待する次第です。そして全人類に、二十一世紀に対する新しい希望とビジョンを提示できる青年運動団体になることを希望します。人類を救援と解放に導く先駆者としての「世界平和青年連合」が発展していくためには、皆様の決意に満ちた努力が必要です。

「世界平和青年連合」の会員の皆様。真の愛とは、無限に与えてもさらに与えるものであり、与えたということさえも忘れてしまう自然な心情です。条件なく与えることが正に最も自然であり、貴いことにほかなりません。真の愛があるところに、人間の本心は反応し、真の愛があるところに、人間の良心はとどまることを望むのです。

私は、ここにいらっしゃるすべての方々が、このような真の愛の実践者となってくださることを願います。そうして全人類が「世界平和青年連合」と共に活動できるようになることもまた、心よりお祈りいたします。限りない真の愛の生命力が「世界平和青年連合」の名によって全世界に及ぶことができるよう、私もまた韓鶴子総裁と共に力強く前進していくでしょう。

既存のいかなる団体よりも、人間の本性により一層近く進んでいく真の愛と真の生命と真の血統により、道義世界の創建のために先頭に立つ若い青年たちとなってくださることを心から願ってやみません。

最後に私がお願いしたいことは、皆様が「世界平和青年連合」の真の主人であることと、青年連合を皆様自身そのもののような存在と思っていただきたいということです。このような召命と実践が一致するとき、皆様は間違いなく、「世界平和青年連合」の会員として生きてきたこの時期を大いに誇り得る日がやって来るでしょう。皆様のすべてに神様の祝福と恩寵が共にあることを願います。ありがとうございました。

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14.平和世界の主役になろう 日付:一九八四年十一月三日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:第一回原理研究会世界大学生総会(代読)

世界大学生総会のために、この場にお集まりになった内外の貴賓、そして各国の「大学原理研究会」の指導者、ならびに会員の皆様。きょうこの集会で皆様の活発で希望に満ちたお顔を直接拝見することが私の願いでしたが、やむを得ない事情によりそれがかなわず、実に残念に思います。たとえ私がこの制約された現実の中で、体は皆様とこの場を共にすることができないとしても、今回の期間は心情的に、また霊的に皆様と共にいますので、私たちは、あすの、より感動的な出会いを約束することにいたしましょう。

私の体はダンベリーの収容所にありますが、歴史と世界に向けた私の理想と実践は、いささかも揺らぐことなく進行しています。私を慰労しようと世界の至る所から多くの名士や碩学たちが来訪し、神様の経綸を聞いています。また最近、アメリカの既成キリスト教団の指導者たちの積極的な協助と反応は、私たち全員にとって大きな励みとなっています。

今回、第一回世界大学生総会を韓国で開催することになったことは、非常に貴重な意義をもっています。韓国は私の出生地であり、原理運動の発祥地であるばかりでなく、かつて私が深い祈祷生活によって霊界の秘境と深層をたどりつつ、血のにじむ闘争を通して神様の教えを「統一原理」として確立し、未来を設計しながら青春を捧げた所です。

世界各国の「原理研究会」の指導者、ならびに会員の皆様。これまでの皆様の労苦に称賛の意を表します。皆様は学問探究の道とともに、実践運動として神様のみ旨を立てる素晴らしい仕事をしています。皆様が大学のキャンパスや通りで、数多くの不義、不正、退廃に立ち向かい、闘って勝利してきた事実を私はよく知っております。ベルリンの壁を崩すための皆様の立派な行進、また日本とアメリカでは左翼勢力の威勢にも屈することなく、殉教者的な心情で闘って勝利したことなどは、「原理研究会」の歴史の金字塔であると言うことができるでしょう。

私が希望の中で見つめている「原理研究会」の運動が、既に世界七十ヵ国以上の国々に根を下ろして以来、いつしか三、四年の歳月が経過しました。このような基盤の上で、きょう開催する第一回原理研究会世界学生総会に、共産圏の国々で活動中の会員たちが参加できなかった点に、私たちは胸を痛めます。

私が「原理研究会」を創設した動機の一つは、大学生の若さと情熱にあります。皆様は、過去に依存して生きているのではなく、未来に対する果てしない希望の中で生きています。皆様は義を尊重し、真と美を憧憬しています。清純な若者の心は、天のみ旨が臨むのに最も適した土台をもっているのです。

私は、神様のみ旨に従い、善民完成の目標を立て、若い知性ある人たちを心情教育と天才教育による「愛天、愛人、愛国」の人格者として育成し、新しい歴史の主役にしようと思うのです。神様の究極的摂理が、特定の民族や文化や地域、そして教団的、または宗教的範囲に限られることがないようにするためには、進取的であり、開放的で未来指向的な若い世代がその牽引車とならなければなりません。これが、「大学原理研究会」に対して私が期待をかける、また一つの重要な側面です。

神様のみ旨が、神学的、または教理的な枠を越え、文化全般にわたって実現されるためには、まず新しい世代の文化伝承者としての大学生に伝えられなければならず、そこから学問的、理念的、実践的展開にまで至らなければならないのです。特に、大学街を重要な対象として、神様に敵対する赤化運動を進める、国際共産主義者たちの策略をよく知っている私は、世界の若者たちが偽りのものにこれ以上もてあそばれないことを切に願うようになり、ついに共産主義を克服する新しい理念と実践運動としての「大学原理研究会」を出発させることになったのです。これは日本の大学街では既に実験済みであり、世界各地の原理研究会が理論的対決によって大学生を先導し、また神様の愛を中心とした奉仕と実践の生活によって手本を示しているのです。

今日、世界の問題は共産主義問題だけではありません。産業革命と二回にわたる世界大戦を経ながら、人類は既存の宇宙観の没落を目の当たりにしてきましたが、現代の科学技術の躍進を消化する新しい宇宙観が提示されないまま、人類は、手のほどこしようのない価値観の混乱の中で漂流しているのです。ここで、このような渦に巻き込まれて傷つきやすい世界の若者たちに対して、神様は既に代案を立てられ、語りたい多くのみ言をもっていらっしゃいます。

神様と人間が願うものは、平和の世界、理想的な一つの世界です。平和な理想世界は、争いのない統一の世界です。ところが、全世界にわたって統一を模索する以前に、一国家の統一について先に模索されなければなりません。同様に、統一された国家がある前に、統一された氏族がなければならず、統一された氏族がある前に統一された理想的な家庭がなければならず、さらに統一された家庭がある前に、矛盾や葛藤のない理想的な個人がいなければなりません。

このように、個人から世界に至るまでの問題解決は、自体内の善悪二方向の相克的対立を克服することによってのみ可能なのです。この解決を成就するための歴史的な教えは、宗教を通して与えられてきたのであり、メシヤはこのような摂理の中心人物であり、標本なのです。真の平和世界が成し遂げられれば、その世界は永遠に存続するのであり、また超国家、超人種、超宗教的にならざるを得ないので、それは実に、全人類が一組の父母のもとにおける一つの兄弟姉妹の関係で結ばれた一つの大家族社会になるのです。

神様のみ旨と人類の念願がこのようなものであるにもかかわらず、今日の世界はどうでしょうか。人々は地球村や一つの世界について語りながらも、多元化と専門化の趨勢は、個人主義的で利己主義的な風潮をあおり立てており、個別化の現象はその極に達し、存在世界の連体的秩序まで大きく害しています。環境汚染と自然破壊は、地球全体を生態学的危機へと追い込んでいるかと思えば、その操作をコンピューターに任された戦争の武器により、今やその発明者である人間がその下で奴隷のようになって恐怖に震える、そのような状況を招いているのです。

宗教を中心とした既存の価値体系は、なぜ崩壊していったのでしょうか。それは、宗教自体が本来の任務を忘れたまま、分裂と紛争はやむ暇がなく、それゆえに現実に対する指導力を失ってしまったからです。既存の宗教が神様と人生と宇宙について明確に教えることができなかった結果、善と悪、義と不義の区別をはっきりさせることができず、特に、神様が存在するかどうかということに対する質問に、明快な答えを与えることができませんでした。宗教が無力化するやいなや、物質は、人間の前に手段ではなく目的と化し、享楽が当然なこととなり、人間性は肉欲と物欲によって麻痺し、動物化してしまいました。このような土壌の上には、真の愛や奉仕、そして義や神聖などの既存の価値観は引き続き存立することができないのです。

なおかつ、現代社会の組織化、大型化、機械化の傾向は、非人間化、または人間疎外の現象を加速化させ、個人の矮小(わいしょう)化、部品化の趨勢をあおり立てています。人間の創造本性が塞がれているこの状況と束縛の中で、人類を解放する新しい価値観の出現は、私たちすべての絶対的要求と言わざるを得ません。

新しい価値観は、現代の問題を消化し、現代人を説得できる新しい宗教に根源をおかなければなりません。神様が人類の父母であられることを教育し、宇宙の始原が物質ではないことを究明し、人間には霊性と人格があり、神様の相続者として宇宙を治める権限があることを明らかにしなければなりません。また、創造本然の愛の理想を確認させ、森羅万象が二重目的の連体になっており、宇宙の大秩序の中では調和のみが存在するようになっていた太初の理想を明らかにするなど、新しい価値観は、そのような役目を果たさなければなりません。

原理運動は天理の伝播運動であり、神様を証する大学生の実践運動です。理論の前提がないところに社会的意志が結集するはずはなく、これを具体化させる運動なくしては世界にその結実はあり得ません。私たちが推進している原理運動は、古く病んだ既存の文明を部分的に回復しようとするものではなく、その根源から新しい出発をしようという運動なのです。

皆様は神様が下さったところの個性真理体として、各自の品性を原理によって陶冶(とうや)し、烈火のような情熱と純潔な心で不義と悪を整理し、打破しなければなりません。皆様の体はたとえ堕落の世界に処しているとしても、原理とサタンの讒訴に皆さん自身をさらすことなく、天を突く意気で過去の悲哀を乗り越え、希望の実体となって、他の模範になりながら、あらゆる辛苦の中でも委縮することなく、希望に満ちた瞳で未来を見通さなければなりません。神様が皆様に対して求めるのは、皆様の特技や専門知識ではありません。神様は皆様御自身、すなわち皆様の心と志と精誠を求めていらっしゃるのです。

かつて私が死地においても希望を失わなかったのは、神様のみ旨と心情を常に実感していたからであり、世界と宇宙、人生と歴史が私の心中からひと時も離れたことがなかったからです。これは、肉身の疲労を感じる暇もありませんでした。歴史の大きな転換期が訪れるたびに、新しい文化を担当した勢力は若い層から現れたということは、わざわざ青年の釈迦や青年のイエス様の例を挙げなくても、私たちは、よく知っている事実です。私が統一運動のための公的生涯を出発したのも、二十代の中盤でした。

世界の若者たちを代表してここに集まった「大学原理研究会」の指導者、ならびに会員の皆様。私たちは、万人が共に願う新しい世界に向かう道の先鋒にならなければなりません。私たちは、神様の理想による平和世界を成し遂げる主役です。私の伝統を引き継いで、より一層前進しなければなりませんが、これは、世界的基盤を築いていく外的な面だけではなく、神様の心情世界と信仰の伝統を継承する内的なものまで含まれなければなりません。

皆様は、四十億の人類が乗った船の舵を取る航海士です。私たちの正しい姿勢と奉仕、犠牲の実践によって全人類に希望を与え、西暦二〇〇〇年代に向かう新時代の夜明けを開く新文化創建の旗手になりましょう。生きておられる神様の祝福と加護が、全世界の「原理研究会」の生命ある運動の上に共にあるでしょう。ありがとうございました。

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女性連合は創設当時から私と韓鶴子総裁が共同創始者として活動し、世界の各大陸や国々に組織と活動基盤を築き上げ、早くから世界百六十ヵ国に派遣された日本の女性連合のボランティア会員千六百人をはじめとする全世界の会員を中心として、平和運動を展開してきました。私たち夫婦が二十年前、女性連合の創設時に明らかにしたメッセージの精神に従い、「勝利した世界的女性代表である真の母に侍り、真なる母、真の妻の理想像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならず、世界平和具現のため、政治、経済、文化、そして社会の各分野において、ために生きる真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければならない」という覚悟で、きょうも世界の津々浦々で、人種と宗教、言語と国境の障壁を越え、女性固有の母性愛をもって、多様な奉仕活動と教育プログラムおよび国際的な葛藤解消と和解運動を展開しています。

また一九九三年九月にニューヨークの国連本部で開かれた、韓総裁による特別招請講演をきっかけに、「世界平和女性連合」は三年にわたる努力の末に、国連経済社会理事会NGOの最高の地位である「第一領域NGO諮問機関」の地位を獲得し、それ以降四年ごとに活動実績の評価を厳正に受け、その地位を三回連続して再承認を受けるという快挙を達成してきました。三千四百以上の国連のNGOのうち、このような国連で最高のNGOは、たった百四十団体しかないのですから、より一層その価値を認められていると考えられます。

一九九七年から私たち夫婦の指導のもとに、毎年一年も欠かさずに開催されている「中東女性平和会議」もまた、中東二十ヵ国以上の女性指導者たちの大きな関心と参与の中、徐々に具体的な現場活動へと拡大発展しながら、中東の女性指導者たちが宗教の葛藤を超え、人権と平和のための活動の求心点になりつつあることは、実に大きな成果と言えます。

今年も去る六月に、ジュネーブにおいて国連人権理事会と合同で「災難と葛藤で苦しむ子女たちのための対策」という主題をもって、中東十八ヵ国の女性指導者とジュネーブ駐在の各国の大使をはじめとした外交官、国連機構の代表、そして世界的なNGOの代表など、百八十人以上の参加者が真摯に懸案を討議し、その合意内容を現場の活動につなげることを決議したとの報告を受けました。

また女性連合のすべての組織では、地球村各地の自然災害と飢餓問題の解決のために、積極的に支援活動をすることはもちろん、特に北朝鮮の子女や女性たちを援助する事業において、「私たちがもつもののうち、小さなものからでも分かち合おう」というスローガンのもと「地球家族愛一パーセント運動」を展開し、多くの実績を収めていることをうれしく思います。このように女性連合が創立以来、国連のNGOの最高の地位である「第一領域諮問機関」の地位に至るまでに、初心を忘れず、変わらない心で、黙々と女性平和運動の道を開拓してこられた会員の皆様と女性指導者の皆様に、限りない感謝の拍手をお送りいたします。

しかし、女性連合が中心となって繰り広げてきた世界平和運動は、この段階にとどまるわけにはいきません。

一段階さらに発展させ、全世界の女性指導者やNGOと連携して力を合わせ、究極的平和世界創建の道に邁進しなければならないのです。そのためには、女性連合が女性NGOの次元を超え、全世界の政府や団体、個人を一つにまとめて共に前進する「アベル女性国連」という大きな機構の創設が絶対的に必要であり、これは神様の摂理的な絶対命令なのです。私たち夫婦は、今日このような天宙史的で革命的な変化の時代を迎え、全人類の半分を占める世界の女性たちが、このような歴史的使命を認識し、活動の幅を全地球的な領域に拡大するために「アベル女性国連」の創設を厳粛に宣言する次第です。

愛する女性平和指導者の皆様。今日人類の行くべき道はどこにあるのでしょうか。結局、人類の諸般の問題は、真の父母である私たち夫婦が、天より授かり、生涯をかけて主唱し教育してきた「一つの神様のもとの一家族」思想、すなわち神様を中心とした真の愛の教えによって解決するしかないのです。この思想こそが、人類に平和と幸福の道を探し出してくれる唯一の道だからです。

今日、私たちが生きているこの時代は、歴史を変え、霊界と地上界を一つにし、神様が太初より願われた理想天国をこの地上に創建しなければならない歴史的な天宙的大革命期です。これ以上延期したり延長したりするような時間はありません。天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。したがって人類は、これから天命に謙虚な姿勢で従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上で摂理を経綸しておられる真の父母様の導きに従い、残された期間を、全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時が、今日私たちの前に近づいてきたことを肝に銘じてください。

愛する女性指導者の皆様。今や人類の行くべき道ははっきりしました。天が真の父母を通じて明らかにしてくださった「Dデー」を前に、躊躇することがあるでしょうか。もう一年も残っていません。皆様の「アベル女性国連」を中心とした平和世界創建の多忙な前途には、天の祝福が共にあるでしょう。しかし、「アベル女性国連」が何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育と、よりために生きる真の愛の真の家庭運動であることをもう一度強調したいと思います。戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。

新しい世界的現実から顔を背け、直視できない指導者は、荒波のように押し寄せる変化に洗い流されてしまうでしょう。今、私たちは、新たな機会と価値観を迎えるに当たって、果敢に進んでいかなければならない時であると確信します。

皆様。女性は男性の補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにしてあげる独立した人格者です。真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対平等な存在なのです。

本然の真の愛で一つになった男性と女性は、互いに同じ地位になる同位権をもつようになります。また、いつどこでも共にいる同参権をもちます。さらには互いのものを第二の自分のものとして共有する理想的な相続権を得るようになります。このように神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを自らのものとして共有することによって、真の愛を中心として価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、互いに相手の特性と気質と役割をまねたり、それを羨んで奪う必要性が生じたりするような対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって共有する関係です。

二十一世紀において、女性は男性と共に、平和世界の牽引車の片方の車輪を担当する世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀ではなく、愛と平和、文化の世紀を創建していく中心として、女性の役割は一層重要になりました。真の自由と平和と幸福があふれる統一の世界を建設する、真の母の道、真の妻の道、真の娘の道、そして真の女性指導者の道を行く皆様となってくださることをお願いいたします。ありがとうございました。

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13.アベル女性国連創設大会基調演説 日付:二〇一二年七月十六日

場所:韓国、京畿道、加平郡、清心平和ワールドセンター

行事:アベル女性国連創設大会

尊敬する世界百九十四ヵ国からお越しいただいた内外の貴賓、ならびに親愛なる「世界平和女性連合」の指導者の皆様。歴史的な「アベル女性国連」創設大会に、全世界百九十四ヵ国から来られた女性代表、平和指導者、そして女性連合会員の皆様を、私の妻である韓鶴子総裁と共に、温かい心で歓迎する次第です。

早くから私たち夫婦は、天のみ旨に従い、創造本然の平和理想世界のビジョンを満天下に宣布し、来たるべき基元節以降この地球上において、これ以上葛藤と戦争のない、永遠の平和世界を創建しなければならないという摂理的目標を達成するために、「アベル女性国連」の創設を発議し、アメリカでの忙しい摂理の日程を終え、きょうこの場に到着いたしました。

私たち夫婦が既に宣布したように、大韓民国は神様の故郷であり祖国です。そのため、摂理史的に新しい時代において平和世界の創建の主役となる「アベル女性国連」の創立大会は、必ずここ大韓民国で、神様のみ旨に従って宣布されなければならないのです。

愛する世界の女性指導者の皆様。皆様もよく御存じのように、国連は第二次世界大戦が終わり、世界の全人類が悲惨な戦争の惨禍の中で耐え難い苦痛を受けながら、これ以上この地上に戦争があってはならないという、平和への切なる願いを込め、神様のみ旨によって創設されました。一九四五年六月、世界四十五ヵ国の代表がアメリカのサンフランシスコに集まり、「国連憲章」に調印することによって、その創設がなされました。そして今、国連は世界百九十四ヵ国が会員国として参与する、世界唯一の世界的平和維持機関として発展してきました。

世界の平和指導者の皆様。しかし、今日の現実はどうでしょうか。過去六十年余りの国連の歴史の中で、朝鮮戦争をはじめとする数多くの局地的戦争を防ぐことができず、今も世界の至る所では、冷戦が終息したにもかかわらず、貧富間の葛藤、人種間の葛藤、さらには宗教間の葛藤により、大小の戦争が絶えることなく起こり、国連は、創設主旨にのっとって究極的世界平和を維持するという、その本然の使命を果たせないまま、挫折を重ねているではありませんか。

創設当時から国連は、冷戦の対決構図によるアメリカとソ連との妥協の産物だったため、個別の国家利益を超越して究極的世界平和を成し遂げるには、生まれながらの限界をもっていました。したがって、私は神様のみ旨から見て、今の国連はカイン的位置を抜け出すことができないと公表したのです。そのため、永遠の創造本然の世界平和定着のためには、国連の刷新が絶対的に必要であると主張しているのです。

そして具体的な行動として、私は、アベル的な「超宗教超国家平和協議会」を国連の中に設置し、個々の国家利益争奪の場である現在の国連総会を下院とし、その上に世界の宗教指導者たちで構成された「超宗教超国家平和協議会」を上院とする両院制の国連に改編されなければならないと主張し、フィリピンを代表国家として、既に国連にその改正案を提出しました。

尊敬する指導者の皆様。しかし、今の国連は問題解決のためにそれぞれの国家利益を調整する段階から壁に突き当たり、一歩も前進できずにいるのではないですか。そのため、現在まで歴史的に男性中心のGO(Governmental Organization:政府機構)に依存してきた世界平和定着の限界を克服するために、これからはNGO(Non-Governmental Organization:非政府機構)を中心として女性平和運動が現場の問題を解決する新しいシステムとして定着しなければならないと主唱するのです。そしてこの女性平和運動は、個人や一つのNGOの次元では成し遂げることができず、全世界的な組織との連携のみがそれを可能とするため、今日のこの「アベル女性国連」の創設が絶対的に必要なのです。

きょう、このように「アベル女性国連」の歴史的な創設大会を行うことができたのは、私と韓鶴子総裁が共同で、一九九二年四月、ソウル蚕室のオリンピック•メーンスタジアムにおいて、世界七十ヵ国以上の女性代表と十五万人を超える韓国の女性たちが雲霞のように集まる中、「世界女性時代の到来」を宣布し、天意に従って女性平和運動の中枢機関として「世界平和女性連合」を創設したのがその出発でした。その後、女性連合は今年で創設二十周年を迎えるまでに、全世界百六十ヵ国を超える国々に支部と活動基盤を構築し、世界の女性たちを中心に平和運動のネットワークを結成し、世界平和運動を絶え間なく展開してきたのです。

女性連合の創設は、決して一つの女性団体をつくって残すことを目的としたのではありません。それはフェミニズム、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした、外向的で、政治的で、闘争的な、世俗的女権回復の運動ではなく、神様の創造理想世界の実現という摂理史的意義をもつ、新たな次元のグローバルな平和運動です。

このような創立の摂理史的意義をもって出発した女性連合は、去る二十年間、地球村の至る所で、真の母性愛を土台とした真の愛の家庭を確立する運動や、女性の地位向上のための多様な支援および教育プログラムを運営しながら、目覚しい発展と成長を遂げました。

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人類のための遺言である八大教材教本 皆様。真の父母様は、既に人類のための遺言を準備し残しています。一生に六、七度もの生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言書です。永遠の人類の教材教本として八種類の本を残しました。巻数で言えば千巻を超える分量です。『文鮮明先生御言選集』、『原理講論』、『天聖経』、『家庭盟誓』、『平和神経」、『天国を開く門 真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、このような八種類の書籍です。

これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読んで、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から生まれた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった、天道を教える教材教本だからです。

皆様は、今からまず御自分の家庭で先に列挙した教材教本を中心として、訓読会の伝統を立てなければなりません。一つの家族三代が新しい一日を始めるに当たって、まず天のみ言を訓読し、新しい心で訓読の生活を実践する伝統を立てなさいということです。

霊界と肉界が同時に真の父母様に侍り、同じ天道のみ言を毎日訓読する世の中をつくろうということです。このようになれば、いくらサタンが皆様の血統に乗じて蠢動するとしても、訓読会の伝統の前には立つ場がなくなるのです。また、「正午定着」的基準で影のない人生を生きていくそのような家庭に、神様が祝福を下さらないとすれば、誰に下さるというのでしょうか。このような天の家庭がこの地に満ちるとき、この地球星は自動的に「神様のもとの一家族」のみ旨が完成した地上天国と天上天国となるでしょう。

皆様、文総裁の一生を率直にそのまままとめて公開した自叙伝が二〇〇九年に出版されました。総裁はこの本を通して人類のための天のみ旨がどこにあり、子女である私たち人間の歩むべき道がどこにあるかを詳しく示しています。「初不得三」(精進すれば必ず成功するという意味)、「七顚八起」(七転び八起きのこと)の典型的な人生でした。私はこの本もまた、訓読教材教本に引けを取らない、実証的次元で真理の人生を見せてくれる教本であると自信をもって皆様に勧める次第です。天命に従って九十年の生涯を歩んできた文総裁の人生をそっくりそのまままとめたこの真の愛の記録をもう一度精読され、大いなる悟りを得てくださることを願います。

「正午定着」の人生は、影をつくらない人生だと言いました。私たちが発光体となって光を与える人生を生きるならば、影が生じる隙間がありません。受ける者は借りをつくる者です。皆様はこれから、その借りを返すために、かわいそうな貧しい人の涙を拭ってあげ、暗い所を明るくしてあげる永遠の真の愛の発光体となる人生を生きてくださるようお願いいたします。

この時代における私たちの使命 貴賓の皆様。このような深刻で貴い時代を迎えて、皆様の人生にもこれから革命的で天宙的な変化が訪れるベきでしょう。そのような意味で、天が下さるきょうのメッセージを、もう一度要約してみます。

第一に、全祝福家庭は、まず家庭の中で神様を中心にお迎えし、父母と子女が完全に一つになる訓読教育を毎日実践しなさいということです。言い換えれば、原理教育、真の父母様が下さった教材教本教育、真の父母様の自叙伝の内容の教育、そして原理本体論の絶対性教育を徹底的に行わなければなりません。

第二に、天は既に重生と復活の聖和権の恩賜を家庭単位まで許諾されたのです。ここには、父母と子女間の完全一体を必要条件としています。絶対父母、絶対子女の基準を立て、絶対家庭を自然に築きなさいということです。

第三に、真の父母様の血と汗がにじむ苦難の恩賜により、人類は既に蕩減復帰時代圏を抜け出したということです。したがって、私たちは、真の父母様の御在世時に、天が臨在できる家庭、氏族、民族、国家、世界まで、地獄圏を解放すべき責任があることを忘れてはいけません。蕩減復帰時代が終わったので、これからどのような時代が到来するのでしょうか。神様と真の父母様を中心とした勝利圏の太平聖代だけが永遠に続くようになるでしょう。

第四に、私たちは既に神様の直接主管圏時代に進入しているという点です。皆様。天が宣布したDデーまで一年しか残っていないと言いました。霊界の親族や家族までも地上に再臨させて原理本体論教育を受けさせ、一つの家庭で八代まで苦楽を共にしながら共に暮らすべき天宙安息圏の時代に入ったという事実を肝に銘じ、さらに肝に銘じてくださることをお願いします。

皆様。霊肉界の先生であり教祖であるレバレンド•ムーンが一生を通して功を立て、最終的なこの結論を立てるための、宗教世界と地上世界、霊界と肉界、カイン•アベル世界のための大会の終結、完了に向けて努力した総論的結論をお話しいたします。

これまでの歴史過程には、このような内容が出てくることはありませんでした。今の時は、神様が摂理を完結させ、最終段階の収穫をする時です。ネパールでは、きょうこの時刻にも、真の父母様が伝授した原理本体論を、国営放送局を通して全国民に教育をしています。国連を中心とした活動も、いまや本格的な軌道に乗っています。

私たち夫婦が創設した「世界平和女性連合」が、国連の本来の創立目的と志に一致する活動を広げてきた実績が認められ、国連に登録されている三千四百以上のNGOグループの中でも、最上グループである第一領域の中にいることはもちろん、女性の人権と子女たちの貧困問題と教育問題を解決するための活動に卓越した実績を収めています。

既に数回にわたって受賞もしています。また、国連のMDGS(新千年開発目標)に一致した多くの活動を国内外において展開しながら、四年ごとに実施される再審査において、一九九七年に承認されて以来、二〇一〇年に三度目の再承認を受ける快挙を果たしました。

真の母の道 愛する日本の女性連合会員の皆様。日本の女性連合は今後、より積極的に文総裁の平和統一思想と理念を中心に会員教育に拍車を掛け、対外的には、真の家庭倫理の確立と平和世界の実現に対して備える女性指導者たちを養成しなければなりません。そして、「人類一家族平和世界」の理想実現のために、女性指導者たちの国際的なネットワーク構築にも努力を惜しんではいけません。

また、神様が私たちに基本的に賦与してくださった貴い本性と価値をより一層大切に育て、訓練し、会員各自が母の愛と母性を備えた、かぐわしい女性指導者となるよう努力しなければなりません。そうして、私たちの家庭と社会に愛と平和を植えつけ、さらには、平和の地球村建設の先頭に立って、人類一家族の平和世界実現のために最善を尽くす努力を惜しまないでください。

日本は、摂理的にエバ国家の使命をもっています。そのため、日本には異質な二人の息子がいます。それが北朝鮮の朝鮮総連と韓国の民団です。朝鮮総連と民団を一つにしなければ、エバ国家として立つことができません。カインとアベルのような朝鮮総連と民団が一つになることによって、エバがこれを抱えていき、その伝統を韓半島に連結しなければならないのです。

韓国と日本の女性連合会員は、一体となって新しい国家復帰という目標を定め、神様が探し求めてこられた「神の国」を復帰する時まで進んでいかなければなりません。

皆様。今は真の父母様を中心として世界が回っています。歴史的に怨讐だった韓国と日本、日本とアメリカ、アメリカとロシアのような国々も、ルーシェルから受けた堕落の血統を根絶して、新しい天の血統を受け継ぐために交叉祝福結婚に汎国家的な次元で参与するようになるでしょう。

文総裁が満天下に宣布して推進中である日韓海底トンネルプロジェクトとべーリング海峡トンネル事業も、世界的な次元で宗教人たちが先頭に立ち、解放された神様をお迎えして完成するでしょう。この世から神様の実在を否定する無神論の思想、すなわち共産主義を廃棄して、神様が本来理想とされた「万民疎通・和通」の世界を成し遂げていくでしょう。

私たちの目的地は世界の果てですが、出発点は正に私の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、私の家庭が永遠の幸福と真の愛の定着地になるとき、初めて私たちの願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。

皆様全員が、この歴史的で摂理的な革命の隊列において必ずや勝利者になってください。天地人真の父母様を通して賜る天運が皆様と共にあるでしょう。

これこそ正に、「世界平和女性連合」が神様と真の父母様、そして私たちの隣人と社会から愛され、真の人生の恵みと幸福を感じる「真の母の道」だからです。

真の母の道を行きましょう。

真の妻の道を行きましょう。

真の娘の道を行きましょう。

皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国家の上に天の祝福が共にあることを、真の父母様の名によってお祈りします。ありがとうございました。

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新天新地の後天時代と真の父母宣布! 文総裁は、エバの代表として私を立て、堕落の根源だけでなく、それと関連する聖書の比喩と歴史の秘密に関するすべてのことを発表しました。エバが犯したすべてのことを、直接、世界的に発表しなければならないみ旨があったのです。

わずか三ヵ月の短い期間に地球村の至る所を訪ね歩き、世界の百十三ヵ都市で女性大会を行って勝利したという事実は、本当に奇跡のようなことでした。女性連合創設の摂理的意味がどれほど大きく、必然的なものだったのかを思い起こす出来事でした。

このような精誠の限りを尽くした努力により、創立初年度に、既に国内外の組織と活動基盤をもつようになった女性連合の全世界の会員たちは今、「母性愛を土台として、真の愛の家庭をつくり、健全な社会、平和の世界を建設しよう!」という創設精神を具体的に実践するために活動しています。

皆様。昨年、韓国をはじめとして、ヨーロッパの八ヵ国とアメリカ、そしてナイジェリアで開催した「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」は、真の父母様の生涯において、すべての復帰摂理歴史の終結と完成を宣布するための巡回路程でした。

真の父母様が歩んでこられた道は歴史的標本となる伝統なので、皆様は、自らの生涯においてもその道を模範として歩まなければならず、真の父母様が完成されたみ旨を相続し、完結させることを誓い、実践する家庭となることを宣布するのです。

文総裁は、二〇一〇年(天暦)三月十六日、第五十二回聖婚記念日を迎え、罪悪と蕩減の「先天時代」を終了し、真の愛に立ち帰って新天新地を成し遂げていく「後天時代」を宣布しました。今回の巡回路程を通して、後天時代の生活が展開することを、皆様は肝に銘じなければなりません。

真の父母様の生涯路程は、自叙伝を通して皆様に公開され、伝えられています。今回の「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」が完結するまで、皆様はすべて、真の父母の代身者と相続者になられ、真のお父様がこの地上に生きていらっしゃる間に勝利の覇権を立てるために、生涯の必勝を記録した自叙伝や実績、語られるみ言など、すべてのものを相続し、皆様の生涯においても、真の父母のように必ず勝利されることを願う次第です。皆様は、真の父母様がそうだったように、自分の周囲のすべての親族と一族を天の国へと案内する縦的な梯子にならなければなりません。このような真の父母の宣布を受け入れ、肝に銘じ、実践することを誓ってくださるようお願いいたします。

文総裁は、新しい女性時代の到来を宣布するとともに、これまで世界各地で神様の真の愛を中心とする新しい女性運動を展開してきました。「世界平和女性連合」の各国の支部は、真の家庭の倫理確立のための多様な社会教育活動、隣人と社会のための奉仕と分かち合いの実践運動、国連のMDGs(Millennium Development Goals:新千年開発目標)成就をはじめとする国連刷新活動、および国際間の交流と連帯活動、「北朝鮮愛一パーセント運動」と南北和解および統一運動を行ってきました。このほかにも世界各国の支部では、それぞれその国の事情と状況によって多様な活動を展開しています。

一九九四年の一年間、三十八回にわたって日韓女性十六万組の姉妹結縁の行事が行われました。それはまた、第二次世界大戦終戦五十周年となる一九九五年に行われた終戦五十周年記念日米両国女性姉妹結縁の行事へとつながり、二万組の日米の姉妹が誕生し、のちにはアメリカ国内の黒人と白人の女性の間にも拡大されました。怨讐関係である両国の女性たちが、神様の真の愛を中心として互いに抱擁し、和解する場面は、実に美しく感動的でした。

このような伝統は、次元を異にして発展していきました。昨年、「神様の祖国と入籍出帆大会」を通して、百七十二人のアメリカの牧師たちが韓国の姓を付与され、その姓氏の代表と姉妹結縁を結びました。「神の国」に入籍したのです。「神様のもとの人類一家族の理想」が実現しつつあるのです。このような活動を基盤として日本の女性連合のボランティア会員たちは、アフリカや中東、中央アジア、南米など、世界の貧困地域で、人種や宗教、国境の障壁を超え、学校を建て、技術を教えるなど、愛と精誠で献身的な奉仕活動を展開しながら、女性連合の世界的な活動基盤を築きました。

もっているものの中から小さな部分を分かち合う心を意味する「北朝鮮愛一パーセント運動」は、現在、全世界の女性連合の支部が連帯して展開しており、その活動と支援領域を広げようと「地球家族愛一パーセント運動プロジェクト」へと拡大して展開されています。

女性連合はこれまで、このような多様な活動を行いながら、あらゆる人種の女性指導者たちが世界各国から大挙参加し、真の平和世界を建設するための女性の役割について、お互いのもつ経験と知恵を分かち合いつつ、実に「世界は一つ、人類は一家族」という強い連帯感をもつようになりました。何よりも世界的に有名な女性指導者たちと共に深い情の交わりをもてたことは、私たち女性連合の大きな資産だと言えるでしょう。

基元節を控え、深刻な立場にいる私たち夫婦 尊敬する女性連合の会員の皆様。私たち夫婦が一生の間、世界平和のために創設し、運営してきた世界的規模の組織や機構も数百に及んでいます。宗教、社会、文化、体育、教育、言論など、多くの分野に天文学的な支援を行い、人類救援と平和増進のため、成功裏に発展させています。

人々は、ここまで来れば「一人の人間として、万人の祝福の中で自らの人生を振り返りながら、満足して余生を楽しむ資格がある」とたたえるでしょう。また、「あらゆる重荷をすべて下ろして、もう思い残すことなく人生九十年の成功を誇って暮らしなさい」と言うでしょう。

しかし、私たち夫婦の生涯は、世俗的な目で見るような次元の人生ではありません。人類の縦的真の父母であられる神様の印を受け、実体の真の父母の使命を完遂しなければならない私たち夫婦は、今、実体の天一国完成まで最後の一年を残し、いつの時よりも深刻な日々を送っています。九十年の生涯を捧げて生きてきた文総裁の生涯は、ただ天宙の真の父母であられる神様を解放し、父母の位置を取り戻してさしあげ、死亡圏であえいでいる人類を救い、神様の懐にお返しするものでした。このみ旨のため、総裁は独りで万難を排して勝利し、父母を失った孤児の身の上に転落してしまった無知蒙昧な人類を導き、この世界の救援の道を歩んできました。

そして人類始祖の堕落によって偽りの血統を受け継いだ人間は、誰一人としてサタンの束縛から抜け出すことができないまま、今も暗闇の中をさまよっているではありませんか。そのような点からも、六十五億の人類を導き、地上天国創建の道を歩んでいく私たち夫婦の人生が、どうして深刻でないことがあるでしょうか。

皆様。今日、私たちが生きているこの時代は、歴史的な天宙的大革命期です。歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国をこの地上に創建しなければならない天宙的大革命期です。これ以上、延期したり延長したりする時間はありません。天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。

実体的天一国の始発であり、起源となる日が正にその日なのです。一年しか残っていません。ですから、人類は今、天の命令に謙虚な姿勢で従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸していらっしゃる真の父母様の導きに従い、残った一年間を全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時間が、今日の私たちの前に近づいてきたのです。霊界のすべての善霊たちも総動員され、皆様よりも一歩先に立ち、再臨して走っています。

愛する日本の女性連合会員の皆様。今は「太平洋文明圏時代」です。この時代の中心国は韓国と日本です。「アダム国家」は韓国であり、「エバ国家」は日本です。そして、「天使長国家」は、周辺のアメリカや中国、そしてロシアです。これは神様が選択したことです。

日本がエバ国家の使命を果たすためには、新しいエバ国家の伝統を韓国の女性世界に連結しなければなりませんでした。それは女性連合の創設を通して成し遂げることができました。日本は、エバ国家を超えて「母の国」としての摂理的位置をもっています。これまで蕩減復帰路程において、娘の役割と妻の役割を担い、責任と義務を果たそうと先頭に立ってきました。

しかし、エバ国として日本が天のみ旨に従い、その使命を完遂しなければならないにもかかわらず、かえって文総裁の入国に反対し、活動を迫害しています。このような日本に対して私は、夫婦一心一体の愛の心情をもって、天の心情と事情、日本に願われるところを教え、伝えてきました。

文総裁は日本を、摂理的に復帰された本然のエバ国家として、父に対する娘の立場、新郎を迎えることのできる新婦の立場、夫に対する妻の立場という、それらの立場を超えた母の国として立てるために、心血を注いでいらっしゃいます。それは、常に新しい生命と愛を吹き入れることによって、新しい生命に復活させて救おうとされる真の父母様の限りない愛と精誠が込められている犠牲の路程であることを、いま一度かみしめなければなりません。どの国の女性連合会員よりも日本の会員たちが先頭に立ち、より一層奮発しなければならない理由がここにあるのです。

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12.後天時代の女性の役割と女性連合の使命 日付:二〇一二年三月五日

場所:日本、東京、ANAインターコンチネンタル•ホテル東京

行事:「世界平和女性連合」創設二十周年記念大会(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓の皆様、そして、「世界平和女性連合」日本会員の皆様。「世界平和女性連合」は今年、創設二十周年を迎え、これまで十九年間の足跡を振り返りながら、女性連合が世界的に発展し、成長できるように背後で役事してくださった神様と天地人真の父母様に栄光をお返しいたします。そして、世界各地で活動しておられる会員の皆様、特に日本の会員の皆様の御尽力に深く感謝の意を表します。

女性連合創設の背景 私はきょう、皆様に「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言を中心として、「後天時代の女性の役割と女性連合の使命」という主題でお話ししようと思います。

私の夫、文鮮明総裁は、一九九二年四月、大韓民国のソウルにおいて、世界七十ヵ国以上の女性代表および韓国の女性十五万人が参席する中で、「世界平和女性連合」創設大会を通して、「世界女性時代の到来」を宣布しました。この日は、全世界の女性史において重大な意味を残す偉大な歩みの始まりでした。なぜなら、この時から歴史を発展させ導いていく力の主体が、男性から女性へと移り変わる世界的転換の契機になったからです。

文総裁は当時、「今まで男性たちが主導してきた戦争と暴力、抑圧と搾取、そして犯罪の世界を終結させ、平和と愛、そして自由に満ちた理想世界を実現する真の働き手が、正にこの時代の女性たち」であることを強調し、女性連合の基本理念である「頭翼思想」と「神主義」で武装し、新しい平和運動を先導する女性指導者になりなさいと激励しました。私は、夫が天のみ旨に従って正義の道を歩む間に、不義の勢力によって迫害を受け、投獄されるつらい痛みを共に体験しながら、良心的で義なる女性たちによる新しい平和運動を起こす決意を固めました。私も基調演説を通して、これから私たちは、真なる母、真なる妻、真なる娘の理想像を確立し、まず夫と子女のために生きる真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならないことをお願いしました。

女性連合は、女性だけのための運動ではなく、理想的な家庭が集まり、理想的な国家、理想的な世界をつくる運動であるという点を明らかにしました。創設大会以降には、韓国の主要都市での講演を皮切りに、日本、アメリカ、ヨーロッパでの八大都市をはじめ、モスクワ、オセアニア、アフリカ、アジア、中国に至るまで、女性連合の世界的組織基盤と活性化のために、世界巡回の大長征の途につきました。

「真の父」の勝利的伝統を立てた文鮮明総裁のあとに従っていく立場にあった私は、「真の母」として歴史上初めて対等な位置に立って女性解放を世界的に宣布しました。

また、脱冷戦時代の扉を開くに当たって決定的な役割を果たし、「神主義」を基本とする文総裁の「頭翼思想」を、永遠の平和世界を建設するための大原則として提示しました。人類が真の父母、真の夫婦、真の子女の道を喪失することによってもつれてしまった罪悪歴史を清算する道を教えることが、メシヤ、救世主の使命です。私は行く先々で、夫、文鮮明総裁は一生を通して、このようなメシヤ、真の父母の道を開拓してこられた方であることを満天下に明らかにしてきました。

アダムとエバが「家庭」において堕落したので、復帰も「家庭」で成就しなければなりません。真の父母様の家庭と一体になることによって家庭復帰が可能となり、完成勝利者となります。さらには、氏族、国家を超えて世界統一、そして地上、天上統一を成し遂げ、ついに神様を中心とする「太平聖代」が広がるようになるのです。

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天が準備した韓半島 皆様。今日、私たちが生きているこの時代は、歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国をこの地上に創建しなければならない歴史的な天宙的大革命期です。これ以上、延期したり延長したりする時間はありません。

天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。実体的天一国の始発であり、起源となる日が正にその日なのです。今や一年も残っていません。ですから、人類は今、天の命令に謙虚な姿勢で従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸していらっしゃる真の父母様の導きに従い、残された一年間を全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時間が、今日の私たちの前に近づいてきたのです。

皆様。億劫の時間と精誠を注ぎ、御自身の子女として創造した人間が、堕落によってサタンの血統を受け、暗闇の中に隠れてしまったその瞬問から、神様の受けられたその苦痛がどれほど大きなものか御存じでしょうか。骨がきしみ、身が震える凄絶な苦痛の中で数千、数万年を耐え、待ち続けてこられた皆様の父が、どれほど長く険難な蕩減のトンネルを経てこられたか、考えてみましたか。このようなかわいそうな父のために、一瞬でも涙を流してみたことがあるのかというのです。

皆様。神様は、数千年間、静かに韓民族を育て、準備させてきました。二千年前、御自身のひとり子イエス•キリストをこの地に送られ、彼を通して人類を救援しようとされた歴史を皆様もよく御存じでしょう。

しかし、結果はあまりにも悲惨に終わってしまいました。イエス様をメシヤとして受け入れ、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かなければならなかったユダヤ教の指導者たちとイスラエル民族が、逆に彼を十字架の道に追いやってしまったではないですか。しかし、「成し遂げられた」という霊的救援の一言の言葉を静かに残して忽然と逝かれたイエス様の再臨は、二千年間の悲しみの準備期間を経て、ついに遠く離れたこの韓半島で実を結ぶようになったのです。

韓民族は、昔から神様を先祖の中の最高、最上の先祖としてあがめ敬って生きてきた天孫民族です。ただお一人であられる万人の先祖、その方を「お一人のお方」、すなわち「ハナニム」と呼び、主人(昼と夜の創造主)として侍ってきたのであり、したがって、すべての数の根源も「ハナ(一)、トゥル(ニ)」から始まったのです。このような「ハナニム(神様)」を原初の先祖として侍ってきた民族なので、韓民族の精神と伝統の中には、共生、共栄、共義の魂が宿り、それを入れた霊人体をもって存続してきたのです。

五千年を超える歴史を守ってきながらも、他の国や民族を侵略したり、略奪したりしていない「弘益人間(ホンイクインガン)」(広く人間世界に利益をもたらす人間のこと)の血脈が通っている選民です。さらには韓国の歴史の中には人間の人生の根本徳目になる孝と忠と烈の魂が生き生きと息づいています。

花のような乙女の年頃に自らの体を海に投げ出し、年老いた父の目が見えるようにした孝女•沈清(シムチョン)の真の孝こそ、父母に侍って暮らす韓国人たちの孝の基準です。夫との約束を天のように敬い、命を差し出すところまでいった春香(チュニャン)の哀切な愛と志操はすべての韓国女性たちの人生の見本となっています。自分を捨てた王と指導者たちの前でも白衣従軍で命を懸けて国家と民族を救った李舜臣(イスンシン)将軍の不撓(ふとう)不屈の忠誠こそ、韓民族の誇りであり、気概です。

このような崇高な伝統は、偶然に歴史上に現れた単なる出来事ではありません。天がこの民族を準備し、その伝統の上にメシヤを立てるための基台の摂理だったのです。そうしてこの韓半島の精気を受けて、人類の真の父母、万王の王が、天の印を受けて顕現されるようになったのです。

実体的天一国時代に備えなければならない 愛する女性連合の会員の皆様。そして、女性指導者の皆様。今や人類の行く道は明確になりました。天が真の父母様を通して明らかにしてくださった「Dデー」を前にして、何を躊躇することがあるでしょうか。あと一年しか残っていません。皆様の忙しい壮途には、天の祝福が共にあるでしょう。

人類歴史の流れを摂理史的な目で見てみると、時代の変遷は大きく三段階に大別されます。一番目は「物情時代」、すなわち物本主義的物質優先時代です。そして二番目には、「人情時代」、すなわち人間の知識と天の公平な感情を前に立てて世界を支配してきた人間中心主義時代です。

しかし、このような時代は過渡期的な時代です。人間が堕落性を脱ぎ捨てて本然の姿を取り戻し、神様を父として侍り、統一された一つの家族となって暮らす時代に入っていく上で、通過しなければならない過程的な時代なのです。

祝福結婚を通して内外両面で聖別された基台の上に絶対的な基準を立て、ために生きる人生の道を行く最終段階の時代が「天情時代」です。すなわち、お一人の神様の心情に回帰する天一国の時代を開いていく時が、今日の私たちが生きている、正にこの時代だということを重ねて肝に銘じてくださることを願います。

実体的天一国時代が広がれば、この地上に「霊連世協会」が中心軸の位置に立ち、初めて万有を治めるようになるでしょう。霊界と肉界を連結して実体的な統一を完成し、天理と天道によって摂理を経綸するようになるという意味です。

この地で世俗的な次元の選挙をこれ以上見る必要はなくなり、交叉祝福結婚を通して人類は一つの家族となり、太平聖代を享受しながら平和と幸福の真の愛を享受するようになるでしょう。そのような日が、もう私たちの目の前に迫ってきているのです。

正しい価値観の教育と真の家庭運動が急を要する事態 今から皆様は、真の父母様の教えを骨に刻みつけて実践する人生を生きなければなりません。選択の余地がありません。天地人真の父母様の勝利解放完成時代の開門の祝福を相続し、継承し、成就することだけが残っているのです。

今から準備しなければ、間違いなく落伍者になるからです。七千メートルを超えるヒマラヤ山脈を往来し、越冬する鶴(アネハヅル)の勇気と気概を私たちも学ばなければなりません。会員の皆様は、宇宙の公法と原理に立脚して、家庭を天道に合うように全きものとし、社会と国を正しく立てる仕事に特別な使命感をもって進んでいかなければならないと思います。

しかし、何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育に伴う、ために生きる真の愛の真の家庭運動であることをもう一度強調します。また女性たちは、統一運動の旗手にならなければなりません。本連合の固有の目的事業にも、南北統一のための様々な活動を明示しておきました。女性は、南北統一および世界平和にも、理念教育と真の愛の実践によって、先導的役割を果たさなければならないのです。

戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。ために生きる人生の道を行く最終段階の「天情時代」に、冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速に地球星に広がっています。

新しい世界的現実から顔を背け、直視できない指導者は、荒波のように押し寄せる変化に洗い流されてしまうでしょう。今、私たちは、新たな機会と価値観を迎えるに当たって、果敢に進んでいかなければならない時であると確信します。

愛する女性連合の会員の皆様、そして女性指導者の皆様。女性は男性の補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにし、より男性らしくしてあげる独立した人格者です。また真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対的に平等な存在なのです。

このように神様の真の愛の理想のもとに、本然の真の愛で一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを自らのものとして共有することによって、真の愛を中心として価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、互いに相手の特性と気質と役割をまねたり、それを羨んで奪ったりする対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって互いに共有する関係です。

今は一段階飛翔する時 そうして二十一世紀は、女性は男性と共に平和世界の創建のため、牽引車の片方の車輪を担当する世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀を越え、愛と平和文化の世紀を創建していく核心軸となる女性の役割は一層重要になりました。

たとえ今日の世界が混乱と混沌を繰り返しているとしても、神様の真の愛のビジョンのもとに一体になった本連合の女性平和運動は、過去二十年間の活動の実績を踏み台として、一段階高い次元へと飛翔しなければなりません。世界的な女性平和運動の拡散のために世界的女性指導者たちとネットワークを強化し、必ずこの世界を、神様の創造理想が実現される美しい平和世界に浄化させることができるという確信をもって、私たちは、邁進しなければなりません。そうするならば、神様の絶対圏と霊界の大いなる加護と祝福が共にあるでしょう。

皆様。私たちは、真の自由と平和と幸福があふれる統一の世界を建設する、真の母の道、真の妻の道、真の娘の道、そして真の女性指導者の道を行きましょう。最後まで傾聴してくださった皆様の御家庭と事業に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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11.天地人真の父母勝利解放完成時代開門継承成就大会記念の辞 日付:二〇一二年三月四日

場所:韓国、大田、コンベンション•センター

行事:天地人真の父母勝利解放完成時代開門継承成就大会(真のお母様)

愛する「世界平和女性連合」の会員の皆様、満場の女性平和指導者の皆様。きょう「世界平和女性連合」創立二十周年を記念して開催される「天地人真の父母勝利解放完成時代開門継承成就大会」に、このように大盛況を博してくださり、まずは神様と文鮮明総裁に深甚なる感謝を申し上げます。それとともに、皆様にも感謝の気持ちをお伝えする次第です。

目覚しい発展を成し遂げた女性連合の二十年 「世界平和女性連合」は、一九九二年四月に、ソウル蚕室のオリンピック•メーンスタジアムにおいて、世界七十ヵ国以上の女性代表と十五万人以上の韓国の女性指導者たちが雲霞のように集まる中で、「世界女性時代の到来」を宣布し、女性平和運動の中枢機関として、天意に従い文鮮明総裁と私が創立しました。

本連合は決して、この世のありふれた一つの女性団体として出発したものではありません。それは女権拡張、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とする外向的、政治的、あるいは闘争的、世俗的な女権回復の運動ではなく、神様の創造理想世界の実現という摂理史的意義をもっているのです。

このような創立の摂理史的意義をもって出発した「世界平和女性連合」は、去る二十年の間、地球村の津々浦々で、真の母性愛に基づいた真の愛の家庭確立運動と女性の地位向上のための多様な支援および教育プログラムを運営しながら、目覚しい発展と成長を遂げました。

私は、女性連合の創設初期より、世界の各大陸や国々での巡回講演を通して、女性連合の世界的な組織と活動基盤を築いてきており、早くから世界百六十ヵ国に派遣した千六百人の日本の女性連合のボランティア会員をはじめとして全世界の会員たちを総動員しました。

文総裁が女性連合創設時のメッセージにおいて、その核心として下さったみ言、すなわち「歴史的な女性代表として勝利した世界的女性代表である真の母に侍り、真なる母、真の妻の理想像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならず、世界平和具現のために、政治、経済、文化、社会の各分野において、ために生きる真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければなりません」というみ言に従い、私たちは、世界の津々浦々で人種と宗教、言語と国境の障壁を越え、女性固有の母性愛をもって、多様な奉仕活動と教育プログラムおよび国際的な葛藤解消と和解運動を展開してきたのです。

また一九九三年九月に、ニューヨークの国連本部で開かれた私の特別講演をきっかけに、「世界平和女性連合」は三年にわたる努力の末に、国連経済社会理事会NGO(非政府機構)の最高の地位である「第一領域NGO諮問機関」の地位を獲得しました。

それ以降四年ごとに活動実績の厳正な評価によって、その地位を連続して再承認を受けるという快挙を達成してきたことをうれしく思います。三千四百以上の国連傘下のNGOのうち、このような最高のNGOは、たった百四十団体しかないのですから、より一層その価値を認められていると考えられます。

特に、新千年紀を迎えながら国連で制定した「新千年開発目標」を実現するために、全世界的に展開した多様な現場プログラムが、今や各国家や地域社会に根を下ろして結実を収め、該当国家の政府からも認定と支援を受けるようになり、大きなやりがいを感じております。

一九九七年から私の指導のもとに、毎年一年も欠かさずに開催されている「中東女性指導者平和会議」は、中東二十ヵ国以上の女性指導者たちの大きな関心と参与の中、徐々に具体的な現場活動へと拡大発展しながら、中東の女性指導者たちが宗教の葛藤を超えて、人権と平和のための活動の求心点になりつつあることは、実に大きな成果と言えます。

平和世界建設の驚くべき成果 そして二〇〇〇年から毎年各大陸を巡回しながら開催されている「世界女性指導者ワークショップ」は、地球村の津々浦々での現場活動の経験と知恵を分かち合い、未来のビジョンを共有しながら協力する美しい集会として定着しました。

そこからさらに一段階発展し、世界本部である韓国をはじめとして、日本、アメリカ、国連事務局、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、カナダ、中南米、アフリカ、北東アジアなど、世界の大陸別や国別に、現場の要求に応じた多様なプロジェクトを開発、運営しているのを見ると、とても誇らしく、また有り難く思います。

そのほかにも、私たちは、地球村各地の自然災害と飢餓問題の解決のために、積極的に支援活動を展開しています。特に北朝鮮の子供や女性を援助する事業において、「私たちがもつもののうち、小さなものから分かち合おう」というスローガンのもと「地球家族愛一パーセント運動」を展開し、多くの実績を収めています。そして地域社会に女性連合の領域を拡大し、連帯のための地域特性化事業など、効果的な様々な事業を通して、女性の力が社会を変え、平和世界の建設に驚くべき成果を上げていることを実感しています。

何よりも女性指導者たちに霊性を回復させ、人生の正しい方向を提示する「指導者招請平和原理セミナー」は、既に三十回にわたって開催され、多くの指導者たちに深い感動を与え、人生の新しい転換期を迎えさせています。

このように創立以来、今日、国連のNGOの最高の地位である「第一領域諮問機関」の地位に至るまでに、初心を忘れず、変わらない心で、黙々と女性平和の道を開拓してこられた会員の皆様、そして激励と参加を惜しまなかった女性指導者の皆様に、限りない感謝と愛の拍手を送りましょう。

愛する「世界平和女性連合」の会員の皆様。そして女性平和指導者の皆様。今日人類の行くべき道は、どこにあるのでしょうか。今も世界の至る所で、戦争と疾病、飢餓、また自然災害によって、毎年数千万人の罪なき人命が犠牲になっています。宗教、政治、教育、文化、思想など、どの分野を見渡しても、個人はもちろん、集団に至るまで、極度の利己主義と我執の沼に陥り、徹底して門を閉め、鍵をかけています。疎通のない、不通の世界に転落してしまったのです。

結局、人類の諸般の問題は、真の父母である私たち夫婦が天より授かり、生涯をかけて主唱し教育してきた「神様のもとの人類一家族」思想、すなわち、真の愛の教えによって解決するしかないのです。この思想だけが、人類に平和と幸福の道を探し出してくれる唯一の道だからです。

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統一教会が貢献したこと 神様が私の夫に啓示してくださった原理が、『原理講論』という本として出版されています。摂理史的観点から、人類歴史と聖書の内容を考察するとき、『原理講論』は、数千年間人類が解き得なかった疑問を解いてくれます。特に、『原理講論』の内容を真剣に研究した人たちは、この本こそが、神様が下さった真の贈り物であり、今日、私たちの社会が直面している問題を解決できる唯一の解決策が載っていると強調しています。

また、ほんの少し前まで共産主義を信奉していた国々においても、数多くの旧ソ連時代の政府指導者たちと数千人の若い青年たちが、「神主義」または「頭翼思想」として知られている私たちの教えを研究し、新しい人生を見いだしています。ついに共産主義思想の抑圧から解放された彼らは、自分たちの国家を導くことのできる霊的な真理を渇望しているのです。それ以外にも、若者たちに希望を与え、新しい生命を植えつけてくれる『原理講論』の威力に対する証は、数え切れないほどたくさんあります。

昨年私たちは、韓国で三万組の合同結婚式を挙行したのですが、彼らは、命を懸けて互いのために、そして世界と神様のために生きようと立ち上がった人たちです。今日、多くの家庭では、親でさえ子を正しく導くことができない状態になっています。特に、愛や結婚などのような個人的な問題については言うまでもありません。しかし、夫と私は世界百三十一ヵ国から若者たちを呼び集め、歴史的な儀式を経て、彼らの最も大切な愛の夢を成し遂げてあげたのです。

この出来事こそは、正に現代における偉大な奇跡です。将来人々がこのように貴い家庭の価値を理解するようになる時には、数百万人の人々が、このような祝福結婚を望むようになるでしょう。神様はそのような家庭を通して、サタンが破壊してしまった家庭を復帰されるのです。このように、神様を中心として復帰された家庭が集まって、理想国家と理想世界を構築するようになるのです。

真の父母を迎える世界的基台 親愛なる皆様。イエス様がメシヤの降臨について語られた内容を見ると、新郎が来るのを待つ新婦の例え話があります。これは復帰されたアダムとエバとして、本来の男性と女性の位置が立てられ、真の男性と女性の平等圏まで行くことを意味します。最初にキリスト教が新郎を迎えることに失敗したので、神様の摂理は一九九二年まで四十年間延長されました。このような復帰歴史上の転換点で、真の母の位置にいる女性が真の父を迎える世界を準備しなければなりません。

そうして、一九九二年の四月、夫と私は「世界平和女性連合」を創設しました。昨年一年間、私は真の母の心情でロシアと中国はもちろん、韓国、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、イタリアを訪問しました。各国で女性たちを集めて糾合し、「世界平和女性連合」の支部を創設しました。このようなことを中心として、第二次世界大戦と冷戦以来、カインとアベルの関係に分かれていた国々が、真の母を迎えて真の父に侍る基台を造成するために再び一つになったのです。このような基台の上に、夫と私は初の真の父母として世界的な水準に上ることができました。私たち夫婦は、真の父母として成約時代を先導しています。

このような歴史的な転換点に立った私たちは、神様を中心として個人の心と体が統一されなければならないという原理を、世界的な次元で実践しなければならないのです。このような目的を達成するため、私たちは世界平和を具現する二つの組織を創設しました。

「世界平和宗教連合」は心の世界を代表し、神様の愛を基盤として世界の宗教を一つに結ぶ内的使命を帯びている組織です。一方、「世界平和連合」は体の世界を代表し、世界的な政治界、経済界、言論界、学会、科学、芸術分野の指導者たちと共に理想世界を建設する外的な使命を帯びています。

真の父母様の家庭的基台の完成宣布 縦的な観点から愛を見るとアダムとエバは、自ら子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛の四大愛を啓発し、体恤することによって、神様と直接、関係を結んで生きるようになっていました。したがって、アダムとエバは、本来神様の真の愛を中心として、四大心情圏である完成した子女、完成した兄弟姉妹、愛する夫婦、そして完成した父母の心情圏を経なければならなかったのです。そうして、彼らは完成した家庭を築かなければなりませんでした。

アダムとエバは、家族たちの模範となる生活をしなければなりませんでした。子女たちは、親である彼らを理想的な標本として侍って生きなければならなかったのです。子女たちは、親が自分たちを愛するように、互いに愛し合う兄弟姉妹となっていたでしょう。結婚した夫婦としても、その親の愛を手本として、理想的な夫婦間の愛を学んだはずでした。最後には彼らも子女を生むようになり、彼らの親が見せてくれた先例に従って、もつ一つの完全な家庭を完成していたはずです。父母と子女、兄弟と兄弟、そして夫と妻が、縦的、横的両面で一つになった、理想的で破綻のない家庭を完成することによって、私たちは、地上はもちろん、天上までも天国を建設できる基台を造成するようになるのです。そうして、神様を中心とした一組の先祖から生まれた世界のすべての家庭は、アダムとエバと同じ神聖な価値をもつようになるのです。

完成した各家庭では、祖父母は神様と善の先祖を代表し、王と女王の位置に立つようになるでしょう。父母は現在の人類を代表し、王と女王の位置に立つようになります。そして子女は未来の子孫たちを代表する位置で、王子と王女の位置に立つようになるのです。この三代が一つになるとき、過去、現在、未来が共に仲睦まじく暮らすようになるのです。

紳士淑女の皆様。私はきょう、人類初の真の家庭の完成を皆様に宣布することができ、大変光栄に存じます。夫と私は十三人の子女と二十人の孫と共に、神様と人類のために絶対的な信念をもって献身しています。三代が一つの家庭で共に暮らしながら、私たちは家庭的な次元で、聖書に言及されている生命の木の中心の根(祖父母)、中心の幹(父母)、そして中心の芽(子女)を確立しました。皆様も、理想国家と理想世界を創建するための私たちの努力に協力し、それによって、このような善の血統に象徴的に接ぎ木されることを心から願います。また、それは正に成約時代の出発を意味するのです。

氏族的メシヤによる家庭理想の実現 紳士淑女の皆様。成約時代が開かれる今の時代は、世界救援摂理を完遂するメシヤ的使命を各家庭が果たさなければならない時です。皆様の家族を復帰した後に、皆様の氏族と国家と世界を救わなければなりません。私たちはこのような使命をもった人を氏族的メシヤと言います。

成約時代においては、母の役割が重要です。母は子女と夫を一つに結び、家族を真の父母と連結しなければなりません。既に私たちは数多くの氏族的メシヤを全世界に派遣しました。遠からず、本然の家庭理想が全世界で実現されるでしょう。世界が成約時代へと突入すれば、私たちは再び神様に侍って生きるようになるでしょう。これを悟った私たちは、心と体、父母と子女、そして夫と妻が一つにならなければなりません。そうして、神様の愛を中心とした理想家庭を完成することができるのです。

そのような家庭が立てられれば、今日、腐敗し病んだ社会の兆候がきれいになくなるのです。神様の子女としての確信をもつことで、これ以上アルコールや麻薬中毒などの誘惑に陥ることはないでしょう。そして、夫婦間の愛の神聖さを知るようになるので、私たちはいかなるたぐいの不信仰や乱れた性生活にも対処する強い道徳観を確立するようになるでしょう。

最後に、私たちは一つになって、戦争、人種差別、世界的飢餓のような問題を根絶するために活動していきます。このような基台の上に、私たちは真の幸福の世界、真の自由の世界、真の平和の世界を具現できるようになるでしょう。そのような世界では、窮乏する人を心から同情し、世界各国は世界の平和と正義を維持するために自然と互いに協力するようになるのです。

今日私たちがボスニア•ヘルツェゴビナ紛争で見る悲劇的状況が起これば、効果的に物質的支援をし、事態を平和的に解決できるよう、関係諸国に迅速に統一された決定を下すことを断固として促します。そうして、これが人類に対する神様のビジョンであることを理解し、苦痛と葛藤で苦しむ世界の各地に平和と和解が実現するよう、すべての国が神様に侍り一つの共同体として団結しなければなりません。

敬愛する来賓と紳士淑女の皆様。きょうこの場にお集まりになった皆様は、たとえ宗教が異なり、国籍が違ったとしても、深い心情で心の扉を大きく開き、私がお伝えしたメッセージを御理解してくださることを願ってやみません。神様のみ旨に従い、私たちが神様の祝福圏にまで進むことができるよう切に祈ります。皆様と皆様の御家庭と国家に、神様の祝福が共にあることを願います。どうもありがとうございました。

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皆様。今後十年間、女性平和運動の方向とその中心となる内容は何でしょうか。文総裁は、二〇一二年を神様と人類が願う平和理想世界の結実期として定め、率先して行動しておられます。私たち女性連合にとっても、今後十年間はとても重要な期間です。平和世界は、世界や国において、先に成し遂げられるのではありません。すべての組織の基盤となる家庭において、先に平和が成し遂げられなければなりません。

世界平和の最も核心的な内容は、家庭の平和をいかに成し遂げるかということにかかっています。真の父母と真の夫婦、そして真の子女が神様に侍って平和の家庭を築き、ひいてはこのような家庭が氏族、国家、世界へと拡散するとき、真の世界平和が実現されるのです。家庭の平和のための母親の使命、また妻の役割は絶対的です。

今日のように不倫や退廃が蔓延し、青少年たちの放縦や離婚などによって家庭が崩壊する状況の中で、私たち女性連合が世界的に展開する真の家庭祝福運動と青少年純潔教育は、根本的な平和運動なのです。神様の真の愛による唯一の救国救世の平和運動です。

宇宙の公法と原理に立脚して、家庭を全きものとし、社会を再建しながら、国を正しく立てる仕事に特別な使命感をもって進んでいかなければならないと思います。女性の政治参加、女性の経済参加、教育および文化分野への女性の参加、女性に関する法律制度改善など社会分野への参加、それ以外にも多様なNGO(非政府機構)活動が必要です。

しかし、何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育に伴う真の家庭運動であることをもう一度強調します。女性たちはまた統一運動の旗手にならなければなりません。本連合の事業にも、南北統一のための様々な活動を明示しておきました。女性は南北統一のために、正しい理念教育と真の愛の実践によって手本を示すことで、先導的役割を果たさなければなりません。戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。私たち女性連合が今まで心血を注いで展開してきた「隣人と社会のための奉仕と分かち合いの活動」は、平和運動の貴い礎石となるでしょう。

今年、北朝鮮の同胞、特に子供や女性たちを支援するための「北朝鮮愛一パーセント運動」を展開したことも、本連合の創立精神を高めるものであると思います。各国において国際的に展開するこの真の愛の実践と分かち合い運動は、超国家的、超宗教的、超人種的に葛藤の溝を越え、平和を堅固なものにしつつあります。

これまで文総裁の指示により、日韓の女性三十二万人が姉妹結縁を行うなど、世界各地で、国際間に平和の掛け橋を渡すために、多くの努力をしてきました。この運動は、国際会議や平和運動の実践の一つの儀式として定着しました。

愛する会員の皆様。二十一世紀は、女性が男性と共に堂々と一つの軸を形成し、世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀ではなく、愛と文化の世紀を創建していく中心において、女性の役割はますます重要になりました。世界平和実現の根幹である真の家庭回復運動を主導的に引っ張っていく会員の皆様となられることを期待します。自覚ある女性は、家庭を守る愛と平和と奉仕の中心です。世界平和も、その出発の起源は、愛と道徳の学校である、健全な家庭の中の母親にあると言えるでしょう。

たとえ世界が満身創痍(そうい)で汚れてしまったとしても、神様の真の愛のビジョンのもとに一体になった女性連合の実践運動によって、必ず浄化できるという確信をもって邁進してくださることを皆様にお願いいたします。神様と霊界の大いなる加護と導きが臨むでしょう。きょうは御多忙中にもかかわらず、この場に参加してくださった内外の貴賓と会員同志の皆様に深い謝意を表しながら、私のお話を終えたいと思います。

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10.世界平和と女性の役割II 日付:二〇〇二年四月十日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和女性連合」創立10周年記念式(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓、各界の女性指導者、そして会員の皆様。きょう私は、「世界平和女性連合」の創立から、これまでの十年間、愛で導いてくださった神様に深い感謝を捧げながら、あふれんばかりの感慨をもってこの場に立ちました。「世界平和女性連合」は、「女性時代の到来」を宣布するとともに、女性平和運動の中枢機関として、私の夫であり、共同創始者である文鮮明総裁によって創立されました。

本連合は決して、この世の一つのありふれた女性団体として出発したのではありません。それは第一に、真の父母理想を中心とした神様の創造理想世界実現のための摂理史的意義をもって創設されたからです。第二に、女権拡張、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした外向的で闘争的なフェミニズム運動ではないからです。文総裁の教えによると女性というのは、男性と対決、闘争する存在ではなく、無形の神様の性相と形状、陽性と陰性の二性のうちの一性を代表した個性真理体なのです。

ですから、女性は男性の単なる補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにしてあげる独立した人格者です。真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対平等な存在なのです。本然の真の愛で一つになった男性と女性は、互いに同じ地位になる同位権をもつようになります。また、いつどこでも共にいる同参権をもちます。

さらには互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るようになります。このように神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを共有することによって、価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、相手の特性や気質、役割をまねたり、それを羨(うらや)んで奪ったりする必要がある対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって互いに共有する関係なのです。

女性は、神様が女性だけにお与えになった貴い本性と女性特有の愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱いて育てる自己犠牲を通して、一族の血統を継いでいきます。胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で、互いに共に暮らさざるを得ません。未来の文化世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会、国家、世界で絶対的なものとして公認されるでしょう。

人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的次元の崇高な母の役割だからです。母性の役割が無視されるならば、人類の希望と将来はどこに宿るというのでしょうか。このような意味で、本連合の世界平和運動は、固有の領域と共に、摂理的意義をもっていることに対して、会員の皆様は誇りをもたなければなりません。そして真の父母様の直接的な指導のもとで、誇らしい活動をしてきたことに感謝しなければなりません。

私は過去十年間、国連本部、そしてアメリカ、日本など多くの国の国会議事堂での講演、数々の国際大会での基調演説など、世界的に数百回の講演をしてきました。少なくは数百人、多くは十万人を超える人々を前に、教育を兼ねた講演をしました。北米大陸、ヨーロッパ、ロシア、中国、アジア、オセアニア、アフリカの奥地に至るまで、五大洋六大州を何度も巡回しながら「女性時代の到来」を宣布し、世界平和と女性の役割について教育してきています。

それとともに、倫理と道徳と新しい価値観の確立問題、青少年の腐敗と家庭破壊、未婚の母の問題、エイズ、麻薬犯罪の問題など、深刻な危機に処した現代文明を診断し、警鐘を鳴らしてきました。今や各国で自覚した女性たちによる救国救世の運動が起きながら、希望的な基盤が造成されつつあります。世界百八十ヵ国以上の会員の皆様の積極的な参加によって、驚くべき実績が成し遂げられたことに対して、この場をお借りして、もう一度、感謝と称賛を捧げます。

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9.二十一世紀と女性の使命 日付:一九九四年十月十二日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:韓•中女性指導者セミナー(真のお母様)

中国からお越しいただいた女性指導者の皆様と国内各界の女性指導者の皆様、そして「世界平和女性連合」の幹部の皆様。きょう、韓国と中国の二国の女性指導者が一堂に会し、平和世界を模索し、また世界女性時代の到来を確認するこの場において、私が激励の言葉をお伝えできますことを光栄に思います。

二十一世紀を数年後に控えた私たちは、激動の二十世紀とともに、また別の新世紀を自らの生涯の中で経験できる特別な立場にある人たちです。これは単に二つの世紀にわたって生きるという意味だけではありません。人類歴史を貫く摂理は二千年を単位として進行するので、二十世紀を締めくくり、二十一世紀を準備することの意義は、実に大きなものなのです。

歴史とは移り変わるものではありますが、今世紀はその変化の幅があまりにも大きく、予測ができないがゆえに、現代の人々は恐れさえも抱くようになるのです。科学技術が高度に発達した未来社会は、果たして人類に幸福ばかりをもたらしてくれるのでしょうか。何年かのちに近づく二十一世紀の人類は、高次元の情報化社会において、いかなる生活様式で暮らすようになるのでしょうか。未来を暗くする人類が直面している数々の問題は、いかに解決されるのでしょうか。倫理と道徳と新しい価値観の確立の問題、犯罪と麻薬、エイズ問題、青少年問題、戦争と飢餓、宗教紛争などは、どのように解決するのでしょうか。このような問題に対する根本的な解決がない限り、二十一世紀にかける人類の夢は決してかなうことはないでしょう。今や、各国の個別的な問題としてではなく、人類の全体的な問題として解かなければなりません。天から啓示された新しい真理によって、問題が解決され、将来が明確に予見されなければならない時なのです。

二十一世紀を目前に控えた女性たちは、これまで女性の真の価値を知らない男性たちから、きちんとした待遇を受けられませんでした。十九世紀の西欧における女性の参政権獲得運動から始まった近世以降の女性運動は、女性解放の旗印のもとに発展してきました。フェミニズム、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした女権回復の運動でした。このように女性運動の主流は、女性だけのために男性と対決する形態が大半でした。しかし、私が「世界平和女性連合」を通して展開する運動は、これとは異なるものです。神様の創造理想を中心とした新しい理念基盤の上で推進される、女性だけのためではなく、全体のための女性運動なのです。

男性優越論者は、男性と女性がその生まれながらにしてもつ気質と役割ゆえに、自然と男性が優越した位置に定まったと主張します。言い換えれば、男性と女性は、その気質が生まれたときから異なり、それに従って男性と女性の役割が異なるようになり、それによって男性と女性の身分と位置が上下の地位、すなわち男性優位に定まったという理論です。これまでフェミニストたちは、この理論に過敏な反応で立ち向かってきたと思います。女性は、あらゆる面で男性のまねをし、また男性のような役割を受け持つことによって、男性と対等な地位を確保しようと努力してきました。

それにもかかわらず、完全な男女平等は成し遂げられませんでした。これは問題の本質を知らなかったからです。女性の役割が男性と異なり、その生まれながらにしてもつ気質が男性と区別されたからといって、女性の価値が男性よりも劣り、その地位が低いわけではありません。女性の不幸は、女性が神様からもらい受けた本性と役割がいかに貴いものかを知らないところに由来しているのです。多くの女性たちが、自分のもっているものを忘れたまま、別な一方の男性の気質と役割を女性の標本であるかのように、まねしようというところから問題が引き起こされてきたというのです。

敬愛する女性指導者の皆様。女性は、無形の神様の性相と形状、そして陽と陰の二性のうちの一性を代表する個性真理体です。ですから、女性は、もう片方の神様の一性を代表する男性と競争関係にあるのではありません。また男性の単なる補助者ではなく、男性を全きものにしてあげるべき独立したパートナーなのです。神様は、男性と女性の人間を造られるとき、それぞれを互いの理想的対象体として立て、真の愛によって一つになるようにしました。

真の愛の理想を中心として見ると、女性は男性の完全な愛の対象であり、価値から見て、男性と女性は絶対平等の存在なのです。ここにおいて、男性と女性の気質が異なることは問題になり得ず、かえってそれが愛の刺激を誘発する要因となるのです。本来、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いに同じ地位となる同位権をもつようになります。また真の愛によって一つになった男性と女性は、いつどこでも共にする同参権をもちます。さらには、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るのです。このように、神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものをもつことによって価値的に完全に平等な存在となるように創造されたのです。

したがって男性と女性は、相手の気質と役割をまねたり、それを羨んで取得したりする必要のある対立関係ではありません。真の愛によって、自分のものを相手に与えることによって、相手側をさらに完成させてあげながら一つになることによって、互いを共有する関係なのです。

女性指導者の皆様。女性は、神様が女性だけにお許しになった貴い本性と愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱き、育てる自己犠牲を通して、一族と人類の代を継いでいきます。外的な母親の労苦も重要ですが、胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。

今後人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で暮らさざるを得ません。未来の世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会全体が切実に求めるようになるでしょう。つまり、人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的な次元の母親の役割であると言えます。母性の役割がないとするならば、人類の希望と明るい将来はどこに宿るというのでしょうか。未来の主役である善男善女たちはどこから生まれ、誰から基礎教育を受けるのでしょうか。

敬愛する女性代表の皆様。歴史は長い間、男性主導のもとに続いてきました。ほとんどの男性たちは力によって人類を誤った方向に導いたのであり、葛藤と分裂、そして不条理な社会をつくってきました。そのように、歴史の遺産として山積し、清算すべき問題として直面している課題もまた多いのです。人類が二十一世紀を希望の中で迎えるためには、今や女性の役割が絶対的に必要とされるようになったのです。真の父母を中心として天運と共に到来した女性時代を迎え、世界の女性たちは、施しを実践する真の愛運動を生活化し、新しい家庭と新しい社会をつくっていかなければなりません。一つの世界家族として共に暮らすべき二十一世紀に向かう、そのような国際化と世界化の趨勢の前に大きな障害要因となるのは、極端な個人主義と利己主義です。しかし、その道へと突き進む人の心は、真の愛によってのみ克服することができるのです。

真の母と一つになった女性が、愛の感化力によって天道にかなった子女を養育し、母子協助によって夫を全きものにしてあげ、理想家庭を築かなければなりません。これは正に真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を受け継ぐ運動なのです。このように立てられた理想家庭を通して理想的な社会、理想的な国家、理想的な世界を創建していかなければなりません。女性指導者の皆様は、この運動の主役となってくださることを願います。

この目標を達成するために、自覚した各国の女性たちの協力と国際的な活動が求められています。各国の指導者たちは世界の共同利益を国益よりも優先しなければならない地球環境の条件と国際関係を切実に感じて実践する時が来るでしょう。

今回の韓中女性指導者たちの集まりと交流が、理想世界を成し遂げるための国際的な女性活動の模範となることを期待します。国境と人種と宗教理念の壁を跳び越え、一つの世界を指向する歴史の進行の前に、両国の女性指導者たちの協力が、アジアの平和はもちろん、世界の平和を成就する転機となることを祈りながら、激励の言葉を終わりにします

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果たされなかった夢 このように、カイン的存在とアベル的存在が一つとなっていたなら、そのときに「小羊の婚宴」のための基台が造成されたのです。イエス様は人類の真の父となり、新婦は人類の真の母となるはずでした。イエス様の福音は、七年以内、すなわち彼が四十歳になる前に、世界的に急速に伝播され、アジアとローマまでも取り戻すことができたのです。究極的にイエス様は、新婦と共に、個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国を完成することができたはずでした。

しかし、このような栄光の夢は実現しませんでした。宗教人であると自負する人たちがイエス様のみ言を拒み、イエス様を十字架上へと追い込んだのです。イスラエル民族の不信に直面したイエス様は、人類のために霊的救いの道だけでも開くために、命を差し出すことを決心したのです。しかし、イエス様は、霊的救いに加えて肉的救いを行うために再び来なければならないことを御存じでした。

ですから、人間の心はイエス様を通して神様に近づくことができますが、体はいまだに悪の誘惑を受け続けているのです。使徒パウロも、肉身の欲望と心の欲望との葛藤で煩悶しました。キリスト教の多くの偉大な伝道者たちも、このような矛盾ゆえに苦しんできました。ですから、成約時代が開かれて直面している主要な課題は、いかにして霊的救いと肉的救いを受けるかということです。

イエス様が十字架に架かって亡くなられることにより、イエス様と共に処刑された両側の強盗に象徴される左翼と右翼の闘争が始まりました。これは、アダムの堕落によってカインとアベルが分かれたのと同じです。同様に、キリスト教とイスラームが出現し、争いを始めました。このような分立闘争はイエス様が十字架に架かって亡くなられることによって引き起こされたので、神様は再臨のときに、これらカイン側とアベル側を一つにするために役事されるのです。

統一の不可避性 神様は再臨を準備するために、カインとアベルが世界的次元で一体化した基台が必要でした。この基台は、第二次世界大戦を中心として造成されました。キリスト教圏を代表したイギリス、アメリカ、フランスの連合国はアベル圏です。国粋的軍国主義の影響下の枢軸国だったドイツ、日本、イタリアはカイン圏です。この戦争は、カインとアベルの闘いが世界的次元へと拡大したものです。

連合国が勝利した直後、キリスト教を中心として世界平和を具現するための大々的な努力がありました。イギリスは世界的なエバの位置に、そしてフランスとアメリカはそれぞれカインとアベルの位置に立って、共に再臨主を迎える準備を完了した状態にありました。

しかし、このような準備が整ったにもかかわらず、神様の救援摂理は、その当時に完成されませんでした。神様の代身者が神様のみ言を携えてきましたが、二千年前のイエス様のように、その方はあまりにもひどい迫害とほぼ全世界的と言える誤解を受けるようになりました。イエス様のときに、天から火の車に乗って降りてくるエリヤの再臨をイスラエルの民が待ち望んでいたように、キリスト教信徒たちは、イエス様御自身が雲に乗って天から降りてこられることを期待しながら再臨主を待ち望んでいたのです。

ヨハネの黙示録を見ると、イエス様の再臨について語られたみ言の中に、イエス様が新しい名をもって来るという内容があります(三•一二)。これは正にエリヤの再臨がそうだったように、イエス様も再臨の時には他の人の姿で来られることを予示したものです。

第二次世界大戦以後、その重要な時期に、神様は私の夫に、韓国のキリスト教徒に新しい真理のみ言を伝えるように指示されました。ところが、韓国のキリスト教の指導者たちは、このみすぼらしい青年が新しいみ言を伝える機会を剥奪しました。イエス様の当時、ユダヤ人たちがイエス様の権限を不信したように、韓国のキリスト教の指導者たちも再臨主が人の姿で地上に生まれるという事実を信じることができなかったのです。

もしもその当時に、キリスト教が私の夫と一つになっていたなら、地上世界はもちろん、天上世界までも天国を成したはずです。新約時代が終わる一九四五年から一九五二年までの七年間に、神様の摂理に従って全世界が一つに統一されていたはずです。

茨の道を歩まれた文鮮明牧師 彼ら宗教指導者は、私の夫と一つになることはおろか、夫に付き従う人たちが増えることを嫉みました。私の夫の話を聞くこともせず、盲目的に反対しました。甚だしくはうそまでつきました。彼らは人格を抹殺しようとして、私の夫の教えとは正反対の淫乱の教祖と強欲の中傷を広めたのです。

神様は、キリスト教を育て発展させて、再臨主のための道を整えさせるために、アメリカのような強力なキリスト教国家を立てられました。彼らが悟ろうが悟るまいが、その当時、韓国のキリスト教の牧師たちは全世界のキリスト教を代表する位置に立っていました。第二次世界大戦後、アメリカと世界のキリスト教が私の夫と一つになれなかったので、彼らはそのときから下り坂に差しかかり始め、彼らの道徳的権威も失墜し始めたのです。

第二次世界大戦後、アメリカとキリスト教は、カインとアベルが一つになった勝利的な基台の上に立っていました。再臨主を迎える時が熟していました。しかし、その良い機会は実現せず、全世界が私の夫の活動に反対するようになり、夫は荒野へと追い出されました。どん底まで落とされ、そのときから再び上がってきたのです。

そうして冷戦が始まりました。第二次世界大戦の期間中、二つの側に分かれていたように、世界は再びカイン圏とアベル圏とに分かれました。イエス様の左側にかかった強盗のように、神様を否定する共産主義はカイン側の世界です。右の強盗のように神様の存在を認めるキリスト教民主主義はアベル側の世界です。

再び来られる主は、神様のみ旨に従って、このように敵対関係にある二つの世界を一つにしなければならないのです。ですから、私たちは教会組織を動員し、自由世界を代表する右翼と、共産世界に代表される左翼との対決を終息させるために最善を尽くしました。また、私たちはユダヤ教とキリスト教に代わる位置でムスリムとの和解を促進する役割をしてきました。

過去四十年の冷戦の期間中、夫は、失った四千年のメシヤを迎えるための基台を再造成しようと個人的、家庭的、氏族的、国家的、世界的な障壁を崩すために闘争しました。夫は、四百年や四千年も生きることができないので、この短い四十年の間に全人類の歴史を蕩減しなければならないことを知っていました。

この四十年間で、私の夫はアダムからイエス様の誕生までの四千年の歴史と、これまでの六千年の聖書歴史を蕩減復帰したのです。このような蕩減を払ったのちに、ついに、カイン側の国家とアべル側の国家との冷戦が終わったのです。この課業は、世界の百六十ヵ国が韓国を訪れソウル•オリンピックが開かれた一九八八年に、統一教会によって完了しました。

過去数十年間、私の夫は言いようのない無理解の中で生きてきました。北朝鮮の共産主義治下で強制労働収容所に連れていかれ、三年間も牢獄生活をするなど、神様の仕事をする中で、これまで六度も無実の罪で牢獄暮らしをしたのです。その上言論は、夫が私利私欲のために若者たちを洗脳する悪魔のような者であるといって罵倒しました。

皆様の中で、文鮮明牧師こそ全世界的に最も多く迫害を受けた宗教指導者だということに異議を唱える方はいらっしゃいますか。私の夫がいかなる苦痛を受けてきたのかを思うと私の胸は張り裂けるように痛みます。しかし、夫はいつも、「神様の摂理を遂行する中で迫害に遭う者に対して、神様は深く理解しておられる」と言い、かえって私を慰労してくれました。夫と私は、旧約時代と新約時代を含む歴史上のすべての失敗を復帰するために、明確な目的をもって蕩減の道を歩んできました。

韓国は旧約時代に例えることができます。一方、アメリカはキリスト教文化が最高に開花した国として、新約時代に例えることができます。最初の二十年間、私の夫は韓国において、イスラエル国家の立場である韓国とユダヤ教の立場である統一教会を中心として、旧約時代の蕩減路程を歩みました。この基台の上に私たちは、一九六〇年に国家的な基盤の上で、家庭的な次元の真の父母の聖婚式を挙行しました。

その後、一九七一年に、夫と私はアメリカに来ました。過去二十年間私たちは、アメリカで新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。その結果、私たちは神様を中心とした真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母の家庭を探し立てることができたのです。

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家庭崩壊と不倫の愛 紳士淑女の皆様。もし家庭が神様の愛の理想を中心として立っていなければ、家族に対立が生じるようになります。神様の愛を絶対的な中心としなければ、やがてその家庭は壊れてしまうのです。さらには、そのような家庭が集まってできる国も、衰亡の道をたどるようになります。

最初の家庭が不貞で利己的な愛の奴隷となってしまったので、利己心と貪欲が個人、家庭、社会、国家、世界的な次元で、人類歴史を汚し続けてきたのです。正にそのような理由から、神様の復帰歴史は個人の次元から始まります。ところが、サタンもそれを知っているので、人間個々人の次元から集中攻撃をするのです。

終末である今日、利己的な個人主義が普遍的な生活様式になったことは、決して偶然ではありません。人々は日がたつにつれ、周囲からだんだんと疎外感を感じるようになり、自分の属する国家、社会、そして甚だしくは自分の家庭にさえ、さほど責任感をもたないようになっています。離婚率が日に日に増加しているという事実は、夫婦が互いに結婚に対する責任感をほとんど持ち合わせていないという証拠です。父母も子女に対してしかるべき責任をもちません。個人においても人間の尊厳性を失い、自分に対する責任すら取ろうとしません。

アメリカと世界のいくつかの国では、このような現象が一九六〇年代の青年運動とともに現れるようになりました。理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求すると言って物質主義を排斥して立ち上がりましたが、その過程で、彼らは物質主義だけでなく人間の道徳性と責任感までも忘れてしまいました。自分たちの追求してきた真の愛を見いだせなくなると、多くの若者たちは自殺、麻薬中毒、フリーセックスに陥ってしまったのです。このような現象の中でも、神様が最も胸を痛めたのがフリーセックスです。フリーセックスこそ、神様のみ旨や家庭の理想とは完全に相反するものです。愛というものは純粋な情緒の刺激から誘発されるものですが、フリーセックスは純潔や真の情緒とは全く関係がありません。

どれほど多くの人が不倫の愛の関係や離婚のために苦痛を受けているでしょうか。一夜のかりそめの愛、そのどこに神様が臨在されるのでしょうか。親から性的暴行を受ける子女たちは、どんなに悪夢でうなされるでしょうか。親のフリーセックスで片親の子女が生まれてもよいのでしょうか。

同性愛、フリーセックス、麻薬、そしてアルコール中毒が横行するところは、真の愛とはかけ離れています。今日サタンは包み隠しもせずに、「酒を飲め。煙草を吸え。麻薬を使え。フリーセックスを楽しめ!」といって扇動しています。一方、神様のみ旨を成就するために働く人たちは、それとは一八〇度異なる人生を生きています。歴史的に自己の犠牲を甘受しながら霊的な価値を追求する道を歩んできた人たちは、異なる人生を生きる人たちから形容し難い反対と迫害を受けてきました。

例を挙げるなら、全世界的な反対をものともせずに統一教会が発展できたのは、ひとえに神様の愛と祝福のゆえでした。戦争で灰と化した韓国の地で無名の教会として出発した統一教会が、三十八年で世界的な宗教にまで成長した事実だけを見ても、神様が絶えず導かれ、お守りくださっていることが分かります。

今も統一教会に反対し、根拠のないうわさを広めながら統一教会の宗教活動を妨げようとする人たちがいます。重ねて申し上げますが、サタンはいつも神様が最も大事にされるものを先に打ちます。しかし、神様のみ旨に逆らう道を行く人たちは、決して繁栄することができません。神様の側に立ち、不当な迫害に耐え抜く人々が天の祝福を取り戻すことのできる権限を獲得するという原理が真理であることを知るようになります。神様の作戦は常に、先に打たれてから取り戻してくるのです。

真の愛の復帰 紳士淑女の皆様。聖書を見るとエバが先に神様の命令に背いてサタンと関係を結んだとあります。堕落によってエバはもちろん、アダムとその息子であるカインとアベルまでも、利己心と偽りの愛を中心としたサタンの血統を受けるようになりました。このようにサタンによって原理軌道を離脱したアダムとエバの子孫になった私たち人類は、誰しもがサタンの血統を受けて生まれているのです。このような理由から、イエス様はヨハネによる福音書第八章四十四節で、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって」といって叱責されたのです。

旧約聖書を見ると、「目には目、歯には歯」という公式に従って救援摂理を展開してきたように説明されています。『原理講論』では、過ちに対する復帰過程について「蕩減を払う」と表現しています。堕落したエバが自らの失敗を復帰するためには、すべての責任を一人で負わなければなりませんでした。エバは自らの堕落行為と反対の経路をたどって再び正し、堕落のすべての段階を、霊的、肉的両面で復帰しなければならなかったのです。エバが次子であるアベルを助け、神様のみ旨に従うように協助しなければならないというのが天のみ旨でした。創世記を見ると分かるように、神様はアベルが捧げた供え物を受けられました。しかし、それがアベルに期待したことのすべてではありませんでした。アベルの愛を通して、カインはアベルのことを神様が選んだ人として認め、彼と一つになることを期待し、エバが彼らを助けて、二人の兄弟が一つになることを願われたのです。

カインとアベルが一つになっていれば、堕落によってもたらされた二つの問題のち、二番目のものは解決されるはずでした。エバを中心としてカインとアベルが一つになったならば、アダムの家庭全体を復帰できる基台を造成していたのです。摂理歴史を通し、堕落したエバの役割を代行し、カイン的人物とアベル的人物を一つにさせるために神様から召された特別な女性たちが、エバと同じ使命を遂行するのを見ることができます。

リベカの模範的事例 聖書に出てくるこのような特別な女性の一人がイサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母である、イサクの家庭のリベカは、アダムの家庭におけるエバと同じ立場にいました。

しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。長子エサウはヤコブに祝福が降りたことを知って、カインがアベルの命を奪ったように、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの母子協助とヤコブの努力によって、結局この二人の兄弟は暴力を行使することなく抱き合って和解しました。

この和解は、神様の摂理上、重要な勝利となりました。しかし、それは象徴的な血統転換を意味するにすぎなかったのです。実質的な血統復帰は、腹中で行われなければなりませんでした。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にあったことを理解すると、彼女の血統であるユダ族の中からイエス様がお生まれになったその理由を理解することができます。

皆様も、聖書でタマルが生んだ双子の息子にまつわる物語を読まれたことと思います。彼女は舅であるユダと関係をもち、双子の息子ペレズとゼラを身ごもりました。聖書には、その二人の息子は母の腹中で長子権をかけて闘ったことが記録されています。

タマルが出産するとき、ゼラの手が母のおなかの中から先に出たのですが、産婆がその手首に赤い糸を結ぶとその手は再び母の腹中へと入り、手首に赤い糸を結んでいないペレズが先に生まれました。このようにしてカインとアベルの位置が、生まれる前の母胎で転換されたのです。イスラエル民族がメシヤを迎える選民としての摂理は、正にこの時から始まったのです。

伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。それにもかかわらず、なぜ神様が彼女たちに祝福を与えられたのかという問題は、今日まで神学界の謎となっています。実は、神様はイエス様の誕生のために、サタンから神様の血統を取り戻す必要がありました。このように探し立てた純潔で真の愛の血統の基盤の上に、イスラエルの国は成長し始めました。イスラエルという言葉は、勝利を意味します。この二人の女性の勝利によって、血統の復帰がなされたのです。

マリヤの生活と危険な路程 それからユダの勝利圏は代を重ねながら発展し、氏族、社会、国家基準へと拡大していきました。正にこの血統を受け継いで、二千年後のイスラエルにマリヤが生まれたのです。マリヤには、しかるべき蕩減条件を立てて長子権を復帰することによって、家庭、氏族、国家基準でカイン型とアベル型を一つに結ばなければならない責任がありました。マリヤは他の人たちの目から見れば、彼女の親と、彼女が婚約した男性ヨセフを裏切ったことになりましたが、神様の命令を受けてイエス様を身ごもりました。

その当時は、結婚していない女性が他の男性の子女を身ごもるようになれば、石で打ち殺されるのがならわしとなっていました。しかし、アダムの立場に立っていたヨセフは勇敢に立ち上がり、婚約者マリヤを捨てることなく保護しました。マリヤの信仰とリベカとタマルの貢献で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対し、所有権を主張できなかったのです。

ですからイエス様は、神様の完全な直系の血統である真の息子の位置でお生まれになりました。イエス様は堕落した血統を善の血統に転換した後に生まれた、神様の最初の真の息子でした。

正にその理由で、神様のひとり子として生まれたイエス様は、すべての聖人の中の聖人であり、神様の真の血統の先祖となるのです。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。マリヤは、堕落したエバを復帰した位置まで進むべき立場で、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていたイエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにしなければなりませんでした。この二人が一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして受け入れるための決定的な鍵だったのです。

洗礼ヨハネは兄の立場でした。多くの人々が彼に付き従い、広く尊敬される位置に立っていました。イエス様が弟子たちに語ったように、洗礼ヨハネの使命は、「来られる主の道をまっすぐにするためにエリヤが先に来る」という旧約聖書の預言を成就することでした。

それでは、神様の摂理を中心として見たときに、いったい洗礼ヨハネは使命を果たしたのでしょうか。ルカによる福音書を見ると、洗礼ヨハネはエリヤの権勢と使命をもって来たとあります。しかし、洗礼ヨハネは自らエリヤであることを否定し、ヨルダン河でイエス様に洗礼を施すときに、天からはっきりとした啓示を受けたにもかかわらず、イエス様がメシヤであることを疑ったのです。また、その当時の人々の目には、洗礼ヨハネは宗教指導者として非常に尊敬される人物である一方、イエス様は貧しい大工の家に生まれた私生児として映ったのです。したがって、洗礼ヨハネの協力なしには当時のユダヤ人たちがイエス様を信じてついていくことは不可能なことでした。しかし、イエス様はたつた一人で、御自身がメシヤであることを宣布していかなければならない困難な道を歩まれたのです。

洗礼ヨハネは、イエス様がイスラエルの宗教指導者となることができるように助けるべきでした。もし、その当時、洗礼ヨハネがその使命を果たしていたならば、アベルの立場にあるユダヤ教とカインの立場にあるイスラエルの国がイエス様を中心として一つとなっていたでしょう。

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統一教会の創始者である文鮮明牧師とその妻である私は、真の父母の立場で、歴史的なサタン側の讒訴条件をすべて背負い、子女たちの解放のために、神様と一体となって苦難の世界的蕩減の道を歩んできました。真の父母は、イエス様とは反対に、ゴルゴタの峠を生きて越えなければならない歴史的召命を担い、運命的な開拓者の道を歩まなければなりませんでした。

アベル的なユダヤ教とカイン的なイスラエル国家が一つとなってイエス様をお迎えしていれば、世界版図は、イエス様を中心として統一圏として結ばれていたはずであり、その基盤の上にイスラエルは、イエス様の真の愛を中心として接ぎ木され、新たに生まれた世界的長子権国家となっていたはずでした。

ところが、その当時、選民圏を誇っていたイスラエルは、メシヤとして来られたイエス様を中心として全世界を救おうとされた神様のみ旨を知ることができなかったのです。彼らは、「メシヤが来れば、全世界がイスラエル王国をあがめ、そこに仕えるようになる」ということだけを信じたのであって、「神様のみ旨は、個人や家庭、国家の救援のみに限られたものではなく、世界復帰にある」ことを悟ることができませんでした。今日のキリスト教も同じ立場に立っています。

神様は、イエス様が三十年余りの生涯をかけて心血を注ぎ、成就できなかった国家復帰の使命を、二十世紀に入り、キリスト教の中心国になったアメリカを第二のイスラエル圏として立てて完成しようとされたのです。また、第一イスラエル圏であるイスラエルとユダヤ教が失敗したことを蕩減するために、再臨のときには、第二イスラエル圏のアメリカとキリスト教がカインとアベルの立場に立って、世界的な蕩減復帰の版図を造成し、統一を完遂しなければならない使命があるのです。

イエス様が十字架にかかって亡くなることにより、イエス様の時代に完遂しなければならなかった使命が成就されなかったことは言うまでもなく、イスラエルの国まで失ってしまいました。したがって、キリスト教は、霊的に国家の形態を追求しながら、その命脈をつないでくる歴史を形成しました。ですから、再臨のときにはイスラエルの失敗を再蕩減しなければならないので、再臨のメシヤとして来られる方は、世界的レベルで勝利しなければならないのです。イエス様が十字架にかかって亡くなられるとき、共に十字架にかかった右の強盗と左の強盗、そして凶悪な強盗バラバは、地上のイスラエルが失敗することによって生まれた三つの類型です。

再臨のときには、右の強盗の立場にはキリスト教圏、左の強盗の立場にはサタン側の共産主義世界、バラバの立場にはイスラーム圏、このように三つの類型として分かれます。今や再臨されるイエス様は、責任をもって左翼と右翼を一つの方向に結び、バラバ圏であるイスラーム圏まで合わせて蕩減復帰し、一つの方向に収拾しなければならないのです。その方はこれまで地獄に向かって走ってきた人類の方向を一八〇度転換させ、天国に向かうように収拾しなければならない重大な使命をもっているのです。

このように、人類の真の父母としての資格をもって来られる再臨のイエス様は、神様が勝利された基盤を世界的な版図として再整備するために、全霊界を収拾して、地上の先進諸国を、キリスト教を中心として再編成しようと絶えず努力してこられました。特にキリスト教を中心とした、イギリス、アメリカ、フランスが真の父母に反対したので、天は統一教会をキリスト教の代わりに準備させました。

そうして、統一教会は、世界的サタン圏である共産主義はもちろん、キリスト教諸国を含めた全世界をも反対する試練の峠を越えさせ、サタン側を天の側が取り戻して歓迎する立場に立たせなければなりません。そうやって韓国と日本とドイツが真の父母に仕えることのできる世界的国家として現れるようになりました。神様は再びこれらの国家を中心として蕩減の役事(働き)を展開してくることができたのです。

真の父母がなす世界摂理から見ると、韓国はアダム国家、日本はエバ国家、アメリカはアベル国家、そしてドイツはカイン国家として立てられました。日本と韓国は怨讐関係であり、アメリカと日本も互いに怨讐の関係であり、アメリカにとってはドイツも怨讐国でした。

真の父母は、この摂理的四大中心国家を協力させ、第二次世界大戦後にキリスト教を中心としてアメリカが果たすことのできなかった責任を、再び成し遂げるための二十一年の蕩減路程を直接歩まれました。その路程に成功することによって、勝利圏を探し立てたのです。今や、個人、家庭、国家、世界、そして天宙的なゴルゴタを勝利的に越えてきた真の父母の宗教である統一教会は、アメリカに新しい方向を提示してあげ、また希望を失ったキリスト教に新しい希望を植えつけてあげ、さらには、共産圏はもちろん、イスラーム圏まで収拾してきました。また韓半島では、二十世紀において、ヤコブとエサウとが南北の形で対決する、すなわち真の父母と偽りの父母格である金日成主席との対決において、真の父母は、真の愛によって勝利的父母権を蕩減復帰しました。

これをもって、韓国を歴史的勝利を成し遂げた第三イスラエル圏として立てられ、新しい統一世界の選民国家とするのです。今や第三イスラエルである韓国は、統一世界、平和世界を願う真の父母とその子女がみ旨を成し遂げる基地となり、地上天国と天上天国の基盤を構築する中心となるのです。

第二次世界大戦後、韓国、日本、アメリカ、ドイツが大きく復興したのも、摂理歴史の視点から見るとき、韓国はアダム国家、日本はエバ国家、アメリカはアベル国家、ドイツはカイン国家の位置に立つことによって、神様の祝福を受けたためであることを知らなければなりません。

本来エデンの園でアダムとエバが天使長と共に堕落し、蒔かれた種が世界的結実として現れるときが来たので、アダム国家である韓国を中心として、エバ国家である日本と三大天使長国家であるアメリカ、中国、ソ連が権益の争奪戦を繰り広げている所が、正にこの韓半島なのです。しかし、神様の御加護により、韓国を中心として日本、アメリカ、中国、ソ連が共に連合し、イエス様が当時、果たすことのできなかったアジア諸国の統一を世界的次元で復帰すべきみ旨が成し遂げられつつあるのです。

アジア太平洋文明圏時代が到来するのも、真の父母を中心としてイエス様が成し遂げようとされた霊肉ともの世界実体圏を、アジアで完成しようとするところにみ旨があるのです。言い換えれば、今日アジア諸国は真の父母様を中心として統一世界を成し遂げなければならないということです。今や、世界史的勝利の伝統を立てた真の父と、歴史的な女性の代表として勝利した世界的女性の代表である真の母に侍り、真の男性像はもちろん、真の母、真の妻、真の娘の理想像を確立しなければなりません。

私たちは、新しい家庭から新しい社会、国家、世界へと新たに出発する起源を迎え、真の父母の伝統を引き継ぎ、勝利を収める先覚者にならなければなりません。男性たちを正しく導き、アダムとエバを滅ぼした恨を歴史的に解かなければならない使命が、私たち女性にはあるのです。

愛する女性会員の皆様。きょうの大会は「アジア平和女性連合」が母体となって「世界平和女性連合」が創設される意義深い大会です。会員の皆様は、到来した女性時代とともに、夫を抱き、子女を正しく養育する真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければなりません。そうして、夫と子女たちの積極的な支持を得て、「世界平和家庭連合」へと発展しなければなりません。「世界平和女性連合」の運動は、女性だけのための運動ではありません。

まず、夫と子女のために生きる真の愛の運動として、理想的な家庭を結実させなければなりません。このようにして築かれた理想的な家庭が集まり、理想的な国家、理想的な世界を築くようになるのです。「世界平和女性連合」が「世界平和家庭連合」へと発展しなければならない理由がここにあります。そして世界平和の具現のために、政治、経済、文化、そして社会の各分野において女性たちが先頭に立たなければなりません。

左翼と右翼を統一し無神論的唯物論を克服して、二十一世紀以降の永遠の歴史を先導していく「頭翼思想」、「神主義」こそ、私たち女性連合が堅持しなければならない基本的な価値観です。女性として救援摂理史の主役を担ったリベカやタマル、マリヤのような、苦難と迫害の烈女たちを胸に刻みましょう。命を懸けた冒険と逆境に勝利し、天倫の道理を立てた彼女たちのその強靭な意志を受け継ぎ、私たちの家庭を真の父母、真の夫婦、真の子女の家庭として育てていくことにより、今日のこの罪悪世界を天国世界に変える聖業に、私たちは共に決起しましょう。真の愛の主人公であられる真の父母を中心とした平和の世界に向かって総進軍しましょう!神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国と共にあることを祈りながら、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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8.神様と女性、そして世界平和 日付:一九九三年九月七日

場所::アメリカ、ニューヨーク、国連本部

行事:国連本部招請講演(真のお母様)

尊敬する議長、そして敬愛する来賓と紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださり、深い感謝の意を表す次第です。皆様は国際連合の指導者として、世界を、やがて訪れる千年王国へと導くべき責任を担っています。平和で繁栄する未来に対する約束は、きょう、私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。

神様の創造理想 御存じのように、今日の世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちています。私たちは、家庭破壊と社会的道徳の退廃の問題などに直面しているのです。

私たちはこのような問題に対して幾度となく論議しましたが、解決策はいまだに見つかっていません。なぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、表面的な問題だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするために、まず神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に置かれているという事実を悟らなければなりません。

歴史上、このような重要な時点で、神様は私の夫である文鮮明牧師に、全世界の人々に新しい啓示を伝えるようにと指示されました。私は、そのような夫を助けてきたのですが、ここ一年間は十二ヵ国を歴訪しながら、「真の父母と成約時代」という題目で講演をしました。数週間前、アメリカ五十州巡回講演の最後に、ワシントンDCでアメリカの国会議員たちに同じ主題で演説をしました。これから国連総会の代表と来賓の皆様に、この重要なメッセージをお伝えしようと思います。

神様が人類始祖アダムとエバを創造された理想は、彼らが真の愛で完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統を備えた善の家庭を完成することでした。そのような善の家庭は、家族全体が神様のみ前に心情的に一つになった基盤の上にのみ現れることができるのです。

神様は、息子と娘としてアダムとエバを創造したとき、彼らが御自身よりも立派になることを願いました。このような話は、伝統的な考え方に反していると言えます。ですが、この点についてしばらく考えてみましょう。私たちが親の立場で我が子の顔を見つめるとき、彼らに無限の愛と希望が共にあることを願います。私たちは、子女が成長して私たちの夢をかなえてくれることを願います。

同様に、神様も、御自身の子女たちに対し限りなく与えたいと思われます。神様は一〇〇パーセント与えただけでは満足されません。御自身がもっておられるものの千倍でも与えたいと思う方が正に神様です。神様の愛は、すべてを完全に与えても、与えた事実さえも忘れてしまわれる愛です。ある人は、自分が与えたものがどれほどになるか計算し、これだけ与えたら十分だと自ら決定してしまいますが、神様は永遠という時間の中で、十分に与えたとは判断されない方なのです。

実のところ、神様が被造世界を創造された目的は、愛の相対を探し立てるためでした。親と子、夫と妻、そしてこの世のすべての万物をペアに造られた目的は、御自身の創造を通して真の愛を実現するところにありました。同じように、父母は子女のために生きるようになっており、子女たちは父母のために生きるようになっています。また、夫は妻のために、妻は夫のために生きなければなりません。被造万物のすべては、このようにために生きなければならず、与えながら生きるように創造されたのです。

もしアダムの家庭で神様の真の愛の理想が成し遂げられていたならば、正にその家庭が天国の始発点になっていたはずでした。そうして、そのような天国家庭が歴史的な発展を経て、氏族、国家、世界へと拡大し、この世界が真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたのです。さらには、霊界でも天国が水平に拡大していたでしょう。

偽りから始まった人類歴史と救援摂理 もし神様の根本理想が実現していたなら、メシヤはもちろんのこと神様の人類救援摂理も必要ありませんでした。一つの家庭にすぎませんが、アダムの家庭が正に、氏族、国家、世界の中心になったのです。その家庭こそが将来生まれるすべての家庭のモデルになったのです。また神様の理想世界を実現するためのモデルとなるはずでした。

しかし、人間始祖の堕落により、神様の救援摂理が始まらざるを得ませんでした。神様の救援摂理歴史は、旧約時代、新約時代、そして今日の成約時代に至るまで、複雑で苦痛な路程を経ながら、類似した路程を繰り返しながら延長を重ねてきたのです。

神様がアダムの家庭を中心として成し遂げようとされた真の家庭と天国理想は、アダムとエバが神様から離れることによって成し遂げられませんでした。堕落ゆえに、今日の現実世界も、神様の善の理想世界とは程遠い世界となりました。実際、今日の世界は偽りの世界であり、利己的な愛が氾濫しています。これは正にアダムとエバがサタンを中心とした利己的な偽りの愛を土台として、偽りの父母になったからです。彼らは善ではなく、悪を繁殖し、偽りの家庭を形成して、偽りの生命と偽りの血統をすべての家庭にもたらしたのです。こうして、偽りの氏族、偽りの国家、偽りの世界が現れるようになりました。

そのため、神様の救援摂理の目的は、アダムとエバに代わり、一人の男性と一人の女性が神様の真の愛を中心とした真の父母として復帰され、真の家庭を完成することです。そうなれば、その家庭を始発点として、真の氏族、真の国家、神様が本来理想とされた真の世界が実現されるはずでした。言い換えれば、神様の真の愛、真の生命、真の血統が育つことのできる種が創造されなければならないのです。

来賓の皆様。このように罪悪と腐敗に満ちた世界が、どうして善と愛の根源であられる神様から始まったのか不思議に思われたことはありませんか。聖書を詳しく読んでみると、アダムとエバの堕落により、アダムの家庭全体を失う結果がもたらされたことに気づくでしょう。第一に、アダムとエバが堕落によって父母の位置を失い、第二に、カインがアベルを殺害することによって子女の位置を失いました。こうして理想家庭と完成した世界を成し遂げようとされた神様の計画は崩れてしまったのです。

したがって、その本然の家庭を復帰するために、神様は堕落した経路と反対の経路を取り、先にカインとアベルの位置を復帰したのちに、真の母と真の父の位置を復帰する摂理をしなければならないのです。すなわち、真の父母を復帰するための基台として、先に子女のカインとアベルが和解しなければならないということが、復帰歴史を通して現れた神様の変わらない公式となってきたのです。

堕落した人間をカイン側とアベル側に分立する歴史が、ユダヤ教とキリスト教の歴史に繰り返し現れます。堕落によってもたらされた僧しみを取り除こうと、神様は堕落した人間を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立てる役事をしてこられたのです。神様は、アベルが先に打たれて犠牲になる作戦をもちいてこられました。その結果として、アベルは自分が犠牲になったその基台の上に、カインを包容し、長子に与えられた祝福まで得るようになるのです。

例を挙げれば、救援の目的について見るとき、最も先を行く宗教は、いつもサタンから最もひどい迫害を受けるようになります。そのような宗教が行く道には、いつも反対がありますが、彼らは罪悪世界を救うために絶え間なく努力しながら犠牲の道を行くのです。同じように、善の人々はいつも先に打たれて犠牲になる道を歩みます。

今日、堕落した世界を見ると、至る所で、カインとアベルが闘争したように、善悪間の闘争を容易に目にすることができます。このような闘争は、一個人の心と体の葛藤から始まります。アべル側に立っている心は、カイン側に立っている体に勝つために身もだえします。個体内のこのような葛藤が、家庭、国家、世界にまで拡大するのです。

その結果、人類は常にアベルのような善の側とカインのような悪の側に分かれ、各階層で闘っているのです。

しかし、神様のみ旨は、片方がもう片方に勝って、負けた側を破壊するのではなく、両方とも復帰されることを願うのです。

このような分立の例として、イエス様が十字架にかけられたときの、アベル側である右の強盗とカイン側である左の強盗を挙げることができます。したがって、神様の救援摂理上の核心的な課題は、真の母と真の父を探し立てるための基台を造成するために、そのように分かれた二つの側を神様の創造理想を中心として一つにすることでした。

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敬愛する日本の女性指導者の皆様。今この瞬間にも文総裁は、日本をアジアと世界から最も尊敬される国にならしめるために、先頭に立って道を整えています。また日本の若者たちが正しい道を行くように、昼夜を分かたず教育しています。あの純粋で、健康に活動する若者たちを御覧ください。総裁が築いた世界的な基盤を通じて、既に数多くの日本の若者が世界に出ていき、全世界の人々から限りない愛といたわりと尊敬を受けながら活躍しているのです。

文総裁は、きょうのこの夕べにも、皆様一人一人に、本当に日本を生かす道が何であるのか、勧告したいことがたくさんあるのです。私は、夫がこの国とこの国の国民をどれほど愛しているか、よく知っております。しかし今夜は、その深く大きな愛をすべて伝え切るにはあまりに不足な私だけが、一人でこの壇上に立っています。一部の偏見にとらわれた人々が、何も知らないまま無条件に迫害と反対に熱を上げていますが、文総裁の愛と真意が理解される日が一日も早く来ることを望む次第です。

皆様。日本がアジアに出ていくには、韓国と一つになって出ていってこそ、より多くの友を得て、より多くの基盤をつくることができます。近くて遠い国が、これからは近くて近い国となって、アジアの未来を共に背負って進んでいかなければなりません。日本は何よりも韓国の統一に大きな力を注ぐべきであると思います。過去の日本の韓半島支配が結局、分断という結果を招いてしまったことに対する痛切な心の傷は、統一のための真心のこもった皆様の努力によって、きれいに癒やすことができるのです。そのためにはまず、この国には民団と朝鮮総連という二つの韓国人の機構がありますが、それが一つになるように導き、統一のための基盤を整えなければならないでしょう。この二つの機構は、真の愛を中心とした「頭翼思想」によって一つになることができます。韓国と日本が互いに争えば、互いにもっているものをすべて失ってしまいます。

しかし、二つの国が力を合わせれば、未来のアジアと世界の平和建設の最も偉大な主役となるでしょう。古くから世界の精神文明を主導してきたアジアから、世界を生かす新しい女性運動、新しい家庭運動、新しい平和運動が起こることは、歴史の必然なのです。

これまで私が繰り広げてきた世界女性運動は、男性の権威に対する挑戦や、女性の権利ばかりを強調するフェミニズム運動とは、根本的にその性格を異にしています。今まで西欧社会で発展してきた女性運動は、相克的で衝突的な西洋の闘争精神を反映したフェミニズム運動ですが、私たちの運動は、互いに相応的で相補的な東洋の調和の原理が土台になった、和合の女性運動なのです。男性たちにできないこと、すなわち女性たちだけができることを探し出し、男性たちと相互補完的に協力することによって、真の家庭を建設することをその理想としています。

今日、誰も手のつけようもない最も深刻な社会問題として登場しているのは、家庭崩壊の現象です。人類の生存する基盤が、その根底から揺さぶられているのです。アメリカにおいて家庭の価値や社会道徳の問題が、大統領選挙の最も深刻な争点の一つとなっているのも、このためです。これは単に、アメリカや西ヨーロッパに限った問題ではなく、全人類的な危機なのです。日本や韓国も、その例外ではありません。経済発展と同時に、道徳的な危機を憂慮せざるを得ない段階を迎えています。これを防ぐ道は、摂理史的観点による「神主義」と「頭翼思想」を教えること以外にはありません。

特に青少年に対する道徳教育は、とても切迫した実情にあります。私は、少し前に日本で開かれた「柳寛順烈士精神宣揚大会」が、日本の多くの市民から大きな反響を得たと聞いて驚きました。もちろん東洋のジャンヌ•ダルクといわれる柳寛順は、若い青少年たちの愛国心を鼓舞するには最も良い手本であり資料になると思いますが、私をより深く感動させたのは、過去のぎくしゃくした関係を乗り越え、一人の人間に対する新しい相互理解の突破口を開こうという、日本国民の進取的な姿勢とその幅広い包容力でした。

世界の深刻な家庭問題を解決するため、これから特別に、日本の女性の皆様が先頭に立ってくださるようお願いします。それというのも、皆様は、長い歴史を通じて愛と犠牲の精神で皆様の家庭と国を守ってきた、世界で最も立派な女性の伝統をもっているからです。皆様の国が第二次世界大戦の廃墟から立ち上がり、世界一の経済大国にまで発展するにおいて、その隠れた主人公の役割を果たしたのは、正に女性の皆様だったことを、私はよく知っています。

伝統的に守られてきた皆様の犠牲と奉仕の美徳を、今や世界の全人類のために、与え続ける、世界的次元の真の愛へと昇華させなければならないからです。過去の二十世紀を通じて、男性たちが成し遂げられなかった平和世界の建設は、今や私たち女性の手に委ねられています。理想家庭を通じた世界平和の建設は、私たちに与えられた天命なのです。一般的に男性は自分を中心とする生活を営みますが、女性たちは自己を犠牲にする生き方をします。ですからこれからは、自分のために全体を犠牲にするのではなく、全体のために自分を犠牲にする、そのような真の愛が発揮される新しい歴史が出発しなければならないのです。

私たちは、まず「頭翼思想」で武装して立ち上がり、平和世界の主役とならなければなりません。退廃の一途をたどる家庭倫理を、私たちが立て直さなければなりません。脱線の道にさまよう青少年たちを、私たちが正しく導いてあげなければならないのです。今や女性たちが主体的に立って、世界平和に貢献する新しい転換の時代がやって来たのです。誇らしきこの平和の隊列に、皆様すべてが参加し、先頭に立ってくださることを切にお願い申し上げます。

これから開催される全国の巡回講演会のために声援を送ってくださった皆様に、もう一度感謝を申し上げ、皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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7.理想世界の主役となる女性Ⅲ 日付:一九九二年九月二十四日

場所:日本、東京ドーム

行事:「世界平和女性連合」日本大会(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓、「アジア平和女性連合」の会員、そして紳士淑女の皆様。このたび開催される「世界平和女性連合」の七大都市講演会を前に控え、きょうはこのように盛況を呈してくださり、心からの感謝を申し上げます。

私は昨年(一九九一年)の九月十七日にも、ここ東京において、「アジア平和女性連合」が主催する全国大会で、迤調講演をさせていただきました。そして、その後一年の間に、日本だけでなく、国際的にも大変な反響を得て、女性連合は目覚ましい発展を遂げることができました。昨年の十一月二十日には、大韓民国のソウルで、「アジア平和女性連合」の第一回大会が、一万五千人以上の韓国女性の代表たちにより、大盛況のうちに開催されました。そして今年の四月十日には、世界七十ヵ国以上から集まった平和を渇望する十五万人を超える女性の代表たちが、ソウル•オリンピック•メーンスタジアムをあふれんばかりに埋め尽くす中で、世界の女性運動史上類類例のない、最大の女性大会が開かれ、「世界平和女性連合」が結成されたのです。その間、この大会がこのように驚くべき成長を遂げるために、献身的な苦労と努力を惜しまれなかった関係者の皆様に、心から称賛を捧げたいと思います。

私はこのような国際大会ののちにも、韓国国内で八十一カ所の主要都市を巡回し、「理想世界の主役となる女性」という主題で講演を続けました。行く先々で、雲霞のように集まった延べ百万人を優に超える韓国の女性たちから熱狂的な歓迎を受け、大変な好評を頂きました。私はこの熱気の中で、私たち女性には、未来の世界平和のために寄与できる無限の可能性と潜在力があることを実感できました。

これらの大会は、二十一世紀までわずか八年を残すこの時において、戦争と暴力、搾取と破壊に染まった、男性を中心とした力本位の時代が過ぎ去り、今や愛と赦し、和合と協力によって人類を導いていくべき女性たちの新しい時代が到来していることを覚醒させる、重要な契機となりました。これらの大会を通じて、私は「女性の本然の役割を自覚し、平和と幸福と自由の礎を据えよう」と力説いたしました。すなわち、神様の真の愛が定着する真の家庭を築くことこそが、真の平和の国、平和の世界を建設する近道であると強調したのです。

去る八月二十五日、大韓民国のソウル•オリンピック•メーンスタジアムで行われた三万組の国際合同祝福結婚式は、理想家庭を通じて世界平和が実現できることを示す、最も実証的な大役事でした。第一回「世界文化体育大典」の行事の一環として行われたこの日の国際合同祝福結婚式は、一言で語れば、地上に世界平和の門を大きく開け放つ歴史的な宣布でした。そして神様の愛を中心に、世界は一つの家庭、人類は一家族であることを万民に誇らしく示す、一つの巨大な愛のパノラマだったのです。この日、私の夫である文鮮明総裁と私は、真の父母として、世界百三十一ヵ国から参加した六万人を超える善男善女たちに、翡翠色の青空のもとで祝福を授けました。

翡翠色の青空と輝く太陽のもとで繰り広げられたこの愛の一大祭典で、彼ら新郎新婦は一斉に、神様の愛を中心として真の家庭と真の平和の世界を成し遂げることを、神様と真の父母と全人類に宣誓しました。この日、神様の真の愛を中心に結ばれた約束は、永遠で、絶対的なものです。決して条件的あるいは制約的なものではありません。なぜならば、限りなく与えても、さらに与えようとする真の愛の中での出会いは、互いが離れようにも離れられない、永遠の関係として残るものだからです。ですから彼らには、今日の社会でよく目にする性道徳の紊乱や離婚のようなことは、考えることすらできなくなるのです。

神様の真の愛を中心として出会う彼らには、国籍や人種、言語、風習などが障害になることはありません。すべての障害を溶かしてしまう神様の真の愛の中で、彼らは共通の真の愛の言語を発見し、共通の真の愛の広場で出会うようになるのです。こうした超国家的、超人種的、超宗教的な次元における出会いは、彼らをして世界のために生き、世界を抱くことのできる、未来の世界人に成長させてくれるのです。彼らが世界の至る所でために生き、犠牲になって生きる真の愛の根を下ろすときに、この地上からは憎悪と闘争の哲学が消え去り、戦争と殺戮の惨劇が終わりを告げるでしょう。ただひたすら永遠に互いのために生き、愛し合う真の理想家庭と平和世界が実現されるでしょう。

既に文鮮明総裁は、去る一九八八年に六千五百組を超える永遠の平和の橋を架けました。日本と韓国の若者たちが、神様の真の愛を中心として共に夫婦となって以来、彼らの家庭は真の血統の関係として、両国の国民と伝統、文化を誰よりも愛し、大切にするようになったのです。少なくとも北東アジアの平和は、彼らによって保障されるようになったと言えるのです。

昔から、家庭を守り、育むことは、私たち女性に与えられた固有の特権であり、使命でした。ところが、今日のこの社会には、私たちの家庭を脅かす根本的な要素があまりにも多くあります。実に今日の世界の問題は、軍事力や経済力を発展させたからといって解決できるものではありません。むしろ外的な成長と開発に比例して、伝統的な価値観の崩壊や社会秩序の混乱など、より多くの内的な問題が増加の一途をたどっているのが実情です。今も地球上では、数千万の人々が飢餓にあえいでいます。しかし、これは食糧問題である以前に、飢えに苦しむ彼らを自分の息子、娘、自分の兄弟、自分の父母として見ることができない、愛が枯渇してしまっているところに、より根本的な問題があるのです。今日の社会は、日ごと犯罪によって蝕まれ、麻薬のために衰えつつあります。人類は、たとえ核戦争の危機を避けることはできたとしても、希望のあすより絶望の暗雲が、未来を一層暗くしているのです。

こうした世界の問題は、決して部分的、表面的な治療だけでは治せない、根本的なものです。もし歴史を背後で摂理してこられた神様を排除したまま、人間だけを中心としてその解決点を模索しようとすれば、その結果は失敗に終わるしかありません。

ですから文鮮明総裁は、「頭翼思想」と称される「神主義」を宣布し、あらゆる苦難を経ながらも、ついに人類が今日の問題を解決できる、勝利の新しい地平線を切り開いたのです。つまり、人類が神様との関係を回復し、神様の真の愛を中心として、本然の理想家庭を取り戻して築いてこそ、平和世界の門が開かれるということなのです。

この「頭翼思想」は、アメリカだけでなく、無神論の共産主義思想によって統制されてきたロシアまでも、既に数万人の若者と知識人たちに神様の実在を確認させ、彼らを真の家庭の理想に目覚めさせています。理想家庭を通して、自分を犠牲にし、他のために生きる真の愛を訓練することによって、人種間の対立や暴力、貧富の葛藤、環境破壊、ひいては国家や民族の利己主義など、今日の諸問題に対し、その解決の糸口を見いだすことができるのです。

文総裁は「神主義」を実現するために、生涯にわたって多方面に努力してきました。統一教会をはじめとして、「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和のための頂上会議」、「世界宗教議会」、「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界大学原理研究会」、「世界大学連盟」、そして「国際芸術公演団体」など、すべて等しく神様を中心とした平和世界の建設を、その理想と目標にしています。特に理想家庭を通じた世界平和の実現に心血を注いできた文総裁は、「アジア平和女性連合」と「世界平和女性連合」を創設した主人公でもあるのです。そればかりでなく、これまで築き上げた世界平和のための統一された基盤と努力を連帯的に強化するために、世界各国に「世界平和統一堂」を創設しました。

誰が何と言おうとも、文総裁は、宗教界、思想界、学術界、言論界、教育界、科学技術界、そして文化芸術界など、あらゆる分野において、世界の頂上の基盤をつくり上げました。今やこのあらゆる分野が結束して大行進を始める日には、私たちの願う平和世界が、私たちのすぐ目の前に展開するでしょう。

真の愛とは、本来限りなく与えては、またさらに与えようとするものなので、その前に怨讐という言葉は容認されません。そのため、これまで真の愛を中心とする「神主義」を実践するために、あらゆる無理解と迫害、中傷、謀略、そして数え切れない苦難を経験してきた文総裁ではありますが、その前に怨讐という概念はあり得ないのです。そうして過去の世紀に自由世界の仇敵と見られてきたソ連を訪問し、ゴルバチョフ大統領にも会い、また北朝鮮を訪問し、金日成主席にも会って、神様の真の愛を中心とする平和の原理、「頭翼思想」を訴えたのです。ために生きた上に、さらにために生きようとする真の愛を実践するために、文総裁は地の果てのどこまでも行かれるのです。

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6.世界平和と女性の役割I 日付:一九九二年八月二十六日

場所:韓国、ソウル、シェラトン•ウォーカーヒル•ホテル

行事:「世界平和女性連合」世界大会(真のお母様)

世界各国から韓国を訪ねてこられた「世界平和女性連合」の指導者の皆様、そして韓国の各女性団体の指導者の皆様。きょう、このように世界各国の女性指導者および韓国の各界女性指導者たちが会場を埋め尽くす中、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上なく光栄に思います。

今の時代は、正に理念の障壁や言語、もしくは文化の違い、または人種的葛藤を越えて一つの世界へと侵入する重要な転換期を迎えています。私たち女性が、愛と平和の新しい世界のためにきょうの集会を開催するようになったことは、単なる偶然ではなく、神様の摂理であり、滔々(とうとう)と流れる歴史の必然であり、宿命なのです。

これまでの歴史においては、男性の役割が強調されました。男性中心の世界であり、社会体制でした。しかし、不幸にも、男性たちが主導してきた世界の実情は、一言で言うならば闘争と罪悪の歴史だったと結論づけざるを得ません。ですから、人類はこのような罪悪と闘争の世界で、善と平和があふれる幸福の世界を夢見てきたのではないでしょうか。戦争、革命、闘争、抑圧、支配、葛藤、暴力などが人類歴史の大半を占めており、男性的な力の論理が通用し、男性的なイデオロギーが支配してきたのです。

しかし、今の時代は違います。今日の歴史は平和、和解、慈悲、愛、奉仕、犠牲を要求しています。男性的な力の論理だけでは現実問題を解決できない時代です。これ以上、人類を抑圧するイデオロギーは必要ないのです。より女性的な愛の論理で現実問題を解決し、歴史の方向を正さなければならない時です。二十一世紀をわずか十年後に控え、暴力革命と階級闘争を掲げて人類を無残に蹂躙してきた共産主義が、その結末を告げているのも、これ以上戦争を許してはならないという世界の言論のひたむきな声も、新しい女性時代の開幕を知らせる兆候であり、女性解放の時代、世界女性時代の到来を宣布する世界史的転換ののろしです。

世界各国からお集まりになった女性連合指導者の皆様。私はこの歴史的な場で、儀礼的な挨拶をしようとは思いません。過去と現在、そして未来の意味を歴史に宣布するお話を語ろうと思います。理解と協力を指向する、この歴史的転換時代に、私は「神主義」を基本として、永遠の平和世界の建設のための大原則を提示しようと思います。すなわち、未来世界を開拓する女性たちの表題とするために、「世界平和と女性の役割」という題目で、夫である文鮮明総裁が主唱してきた「頭翼思想」と「神主義」を再び皆様にお伝えしようと思う次第です。

本来神様は、喜びを享受されるために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの傑作を作るために、夜を徹し、精力を消耗しながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしょうか。喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしょうか。存在世界を見ると、鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。人間世界には男性と女性、動物世界には雄と雌、植物世界には雄しベと雌しベがあります。

また、分子世界には陽イオンと陰イオン、原子世界には陽子と電子があります。一言で言えば、すべての存在世界はペア•システムになっているのです。ペア•システムとは、すべての存在が愛を中心として互いに相対性を帯びて存在することを意味します。互いがために生き、愛することのできる相対がいなければ存在できないということです。なぜペアで存在するのか御存じですか。それは互いに愛を中心とした理想的な作用をするためなのです。世界のどこにも愛を与え合うことのできる相手がいなければ作用できないのであり、作用できなければ、存在と繁殖ができないのです。したがって、それは既に死んだ存在のようなものです。神様が人間を創造されたのは、愛する対象が絶対的に必要だからです。人間世界において、我が子が親の自分よりも立派になることを願う父母の心は、正に神様が人間をお造りになるときに抱かれた真の愛の心情にその根を下ろしています。自分より相字が立派であることを願う心は、本来神様から来た真の愛によるものです。すなわち、神様は、百を投入すれば百だけの存在にしかならないので、百以上を投入するために、忘れて、また投入するのです。しかし、自分よりも大きな対象が現れるようになるので、引き続き忘れては投入し、最後には生命までも投入するのです。ここから真の愛は始まります。

神様の真の愛は、投入してまた投入し、与えてまた与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることができないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけません。与えてまた与え続けても記憶に残らないので流れるのです。

本来真の愛とは、神様の絶対愛のことをいいます。そして、愛には相続権があり、一体となることによって永生の論理が成立するのであり、真の愛を実践する家庭と社会は、永遠に滅亡せずに発展するのです。神様の相対として造られた人間が、神様のみ言に逆らわず、神様のみ旨のままに成熟して、絶対不変の真の愛を神様から相続していたならば、人間世界には根本的な平和の歴史が展開されるはずだったのであり、戦争のような血を流す悲惨な歴史はなかったはずでした。その真の愛の中で、個人はもちろん、社会や国家間における対立や葛藤までもが完全に超越され、溶かされて、真の平和世界が形成されていたはずでした。

しかし、人間始祖の堕落により、そのような真の愛を私たち人間は完全に相続することはできませんでした。不幸にも人類は、神様の真の愛の相対者として完成できなかったがために、神様の代わりに真の愛の実体として立つべき真の父母の位置を失ってしまったのです。それでは、人間始祖の堕落の起源は何でしょうか。聖書を見ると善悪の実を取って食べたことが原因となっています。ところが、その善悪の実を取って食べてから、どこを隠したでしょうか。本来は口や手を隠すはずですが、下部を隠したのです。それは、サタンを中心として行われた誤った愛を意味します。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。

人間にとって真の愛と真の生命、そして真の血統の根源地は正に愛の器官なのです。しかし、堕落によって、この神聖でなければならなかった愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿となってしまいました。悪の本拠地になったのです。ここに、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられました。十代の成熟していないときに、人間始祖のアダムとエバが堕落したのです。そのように悪を植えたので、歴史的に人間世界に悪の血統が広がっていきました。

ですから、終末である収穫の時が来れば、全世界的に青少年たちがアダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れるのです。このような現象を見たら、サタンの全権時代が極に達したことを知らなければなりません。そのときこそが、神様が鉄槌を下す審判の日となるのです。歴史的に神様のみ前に淫乱な都市、淫乱な国は必ず滅びていきました。

今日、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、世界の先進国を見てみてください。東西、四方に吹き荒れるフリーセックスと淫乱の波を誰が押さえることができるでしょうか。堕落してサタン側になった人類は、野生のオリーブに例えることができます。その中で、幸いにも神様が分立して探し出した人類が宗教圏の野生のオリーブですが、これは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。ですから、神様が自由に主管することができるのです。再臨主が来られれば一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたというのです。そのとき初めて野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態へと返っていくのです。

私たち人間は、真の愛を中心として神様の血統と連結された真の息子、娘としての一体理想を成し遂げることができませんでした。ですから、メシヤが来なければなりません。メシヤは真の父母として来られる方です。真の父、真の母として来られ、サタンを追放し、自由解放の天国世界、平和世界を創建しなければならない重大な責任を負って来られる方です。

今や、世界史的勝利の伝統を立てた真の父と歴史的な女性の代表として勝利した世界的女性の代表である真の母に侍り、真の男性像はもちろん、真の母、真の妻、真の娘の理想像を確立しなければなりません。男性たちを正しく導き、アダムとエバを滅ぼした恨を歴史的に解かなければならない使命が私たち女性にあるのです。

尊敬する国内外の各界女性指導者の皆様。今や私たちは、到来した女性時代とともに、夫を抱き、子女を正しく養育する真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければなりません。

そうして、夫と子女たちの積極的な支持を得て、「世界平和家庭連合」へと発展しなければなりません。「世界平和女性連合」の運動は、女性だけのための運動ではありません。まず、夫と子女のために生きる真の愛の運動として、理想的な家庭を結実させなければなりません。

このようにして築かれた理想的な家庭が集まり、理想的な国家、理想的な世界を築くようになるのです。「世界平和女性連合」が「世界平和家庭連合」へと発展しなければならない理由がここにあります。

そして世界平和の具現のために、政治、経済、文化、そして社会の各分野において女性たちが先頭に立たなければなりません。左翼と右翼を統一し、無神論的唯物論を克服して、二十一世紀以降の永遠の歴史を先導していく「頭翼思想」、すなわち「神主義」こそ、私たち女性連合が堅持しなければならない基本的な価値観です。

私たちの家庭を真の父母、真の夫婦、真の子女の家庭として育てていくことにより、真の愛の主人公であられる真の父母を中心とした平和の世界に向かって総進軍しましょう。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国に共にあることを願いながら、お話を終えさせていただきます。ありがとうございました。

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再臨のメシヤは韓国に来られる きょう、この女性大会に参加してくださった会員ならびに女性同志の皆様。私たちの家庭を破壊しようとするすべての性犯罪と不倫、退廃が蔓延するこの社会を、何をもって、またどのように正すことができるのでしょうか。もし、この性の問題を解決できなければ、人類社会はソドムとゴモラのような滅亡を自ら招いてしまうでしょう。既にこの審判の火は降り始めています。エイズという恐ろしい性病こそ、性道徳の紊乱に対する天の懲罰であり、警告です。

イエス様は、この罪悪の世の終わりの日になれば再臨するとおっしゃいました。再び来られるイエス様は、人類の父として来られ、この世のすべての男性と女性が行くべき真の子女の道、真の夫婦の道、真の父母の道が何であるかを示してくださるはずです。そうしてこそ、人類の原罪によってもたらされた淫乱や退廃問題が根本的に解決されるようになります。これこそ、人類をこの罪悪世界から救援してくれる真の福音にほかなりません。

人類が真の父母、真の夫婦、真の子女の道を喪失することによってもつれてしまった罪悪歴史を清算するその道を教えることが、メシヤ、救世主の使命です。私はきょうこの場を通して、私の夫、文鮮明総裁こそ、一生をかけて、このメシヤ、真の父母の道を開拓してこられた方であることを満天下に宣布いたします。皆様がよく御存じのとおり、私の夫、文鮮明総裁は、これまで悪の世の中の激しい迫害の中でも、神様の創造目的を明らかにし、人間始祖が犯した原罪を究明することによって、人類の未来を開拓してこられた方です。

私の夫、文総裁の教えである「統一原理」によれば、すべての宗教人が待ち望む教主たちの再臨理想、すなわち弥勒仏、真人、新しい孔子の再臨とイエス様の再臨思想は、一人のメシヤ、人類の真の父母の再臨によって実現するものであり、すべての宗教も連合、統一するようになっています。

メシヤ、真の父母は、一部のキリスト教信徒たちが信じているように、二千年前に亡くなられたイエス様御自身が空中で雲に乗って再臨されるのではなく、イエス様の使命を相続した新たなお方がこの地上に誕生されるのです。その方の生まれる国は、我が国大韓民国であり、したがって人類の真の父母となられるメシヤは、驚くベきことに私たちと同じ言葉を使う韓国人として来られるのです。

それでは、メシヤは、いつ再臨されるのでしょうか。「統一原理」によれば、この罪悪世界が終結するときが終末ですが、再臨されるメシヤは終末に来られるようになっています。一言で言うと終末は、第一次世界大戦が終わった一九一八年から二〇〇〇年までの約八十年の期間に該当します。この期間は、人類の真の父母であられる再臨主が韓国の地に誕生し、罪悪と戦争と闘争に満ちたこの世界を、自由と平和のあふれる善の理想世界にしていく、世界史的な転換時代に該当するのです。

ですから、この時代は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に至るすべての構成員の相互間で善と悪の対立と闘争が展開される大混乱の時代となるのです。人類はこの期間に第一次と第二次の世界大戦を経験し、第二次世界大戦後には、民主と共産の両陣営間の絶え間ない対決と闘争がありました。その間、韓国は四十年の日帝植民地下、八•一五解放と南北分断に続く六•二五動乱の惨状を経験し、今日まで世界最後の分断国として残っています。

南北統一は世界平和と統一の鍵 韓半島の南と北は、人類始祖の堕落によりアベルとカインに分立されて蒔かれた善悪の種が、世界的な実となって現れた結実体です。すなわち、北朝鮮の共産主義は、歴史上に現れたカイン型のすべての人生観と体制の世界的な結実体として、宗教的価値観を否定する無神論共産国家を形成したのであり、それは世界の共産陣営を縮小し、代表したものです。

これとは反対に、韓国は、歴史上に現れたすべてのアベル型の人生観と体制の世界的な結実体として、宗教繁栄国家となり、自由世界を代表する国となっています。すなわち、全世界を善悪で分立し、善侧として分立された韓国が、悪側として分立された北朝鮮と最後の対決の場を形成する全世界の縮小版が韓半島なのです。したがって、韓半島の南北統一こそが、世界平和と統一の鍵になるのです。ですから、韓半島の南北統一は、単純な政治的事件や課業ではありません。これは、神様の救援摂理歴史の最終目的である地上天国の復帰、すなわち共生、共栄、共義の理想世界を実現する関門となる摂理史的歴史性を帯びており、地上世界を経ていった数多くの霊人たちとも関係のある立体的な課業なのです。

したがって、大韓民国の統一は、政治家だけで解決される問題ではありません。ですから、韓半島に絡み合っているこのような天のみ旨をよく知っている私の夫、文鮮明総裁は、皆様がよく御存じのように、一九九一年十二月の初めに、七日間の北朝鮮訪問を決行し、北朝鮮の統治者金日成主席と会い、韓半島の統一問題に関連した天のみ旨である天命を通告しました。

「『主体思想』では南北を統一することはできない。『神主義』と『頭翼思想』である『統一思想』によってこそ南北が平和的に統一され、全世界を主導する統一国家となる」と説破し、彼らの常套句となっている六•二五北侵説に対しても、六・二五は南侵であると正面から激しく反駁したのです。

私は、夫に従って全世界を歴訪し、各国首班と数多く出会ってきましたが、先回の平壌訪問の時は、本当に悲壮な覚悟と深刻な決意をもたざるを得ませんでした。私たち夫婦は、ちょうど聖書に出てくるヤコブが、彼の命を奪おうとする兄エサウを千辛万苦の苦難と知恵と精誠で感動させ、最終的には彼の心を動かし、お互いが和解したように、この北朝鮮の金日成主席との談判を成功裏に成就させました。

今や南北統一は政治家だけに任せるものではなく、神様が干渉されるものになったのです。私の夫、文総裁は、今も全世界的な基盤を動員して、神様のみ旨どおりに南北統一を成就し、淫乱と退廃のない理想的平和の世界を建設するために、昼夜を分かたず努力しています。

満場の女性同志の皆様。きょう私が語ったメッセージは、私と私の夫に従っている統一教会員だけが信奉する内容ではありません。全世界百六十ヵ国以上の各界指導層の人士と数多くの青年男女がこの教えに従い、自由と平和のあふれる新しい統一の世界を創建するために汗水を流しています。世界各地で、大韓民国が人類の真の父母の来られた国として既にあがめられ始めており、韓国の言葉と文化を習い、礼儀作法を学ぶために我が国を訪ねてくる外国人たちが急速に増えています。

統一世界を成し遂げる女性勇士とならなければならない 「世界平和女性連合」は、性道徳の退廃、麻薬の拡散、淫乱で紊乱なあらゆる性関係によって私たちの家庭が脅かされているこの現実を救済するために、その根本的な処方をもって、去る四月十日、ソウル•オリンピック•メーンスタジアムで世界七十ヵ国以上の代表と十五万人の韓国の女性たちが集まって創設された世界的な女性機構です。

私たちは、男性が女性を抑圧してきた堕落した社会風土とすべての淫乱、退廃により腐っていく人類社会の未来を救うために、これ以上待つことはできません。真の父母、真の夫婦、真の子女の道理を学び、実践するための私たちの行進は、最終的に「世界平和家庭連合」を結成し、五大洋六大州のこの地球星のどこにも不倫と退廃が足を踏み入れることができないようにしなければなりません。そうして、人類がエデンの園で淫乱という原罪を犯して以来、今日まで苦痛を受けてきた悪の血統を清算した新世界を迎える準備を急がなければなりません。

今までは、人類を滅ぼしてきた淫乱と不倫に対して、誰もが手をこまねいているだけでしたが、今やこの問題を完全無欠に解決する希望の新しい真理が、私たちの生きているこの時代に、我が国韓国から出てきました。真の父母様によって明らかにされたこの新しい真理は、南北を統一し、平和の世界を建設する人類の灯火となるでしょう。私たちは、この新しい真理を知り、有史以来私たちを苦しめてきたこの罪悪の世界を終結させ、自由と平和と幸福のあふれる統一の世界を建設する女性勇士となるために総決起しましょう。

真の母の道を行きましょう。真の妻の道を行きましょう。真の娘の道を行きましょう。どうもありがとうございました。

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人類は、偽りの父母であるサタンを中心とした偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統を清算するために、接ぎ木の方法を通して、野生のオリーブの木を真のオリーブの木に戻さなければなりません。すなわち、人類は、神様と真の父母様に接ぎ木され、真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、地上天国と天上天国を実現しなければならないのです。これが、救援摂理、復帰摂理、再創造摂理の目的となるのです。

このように真の父母の顕現は、途方もない歴史的な重大事件なのです。真の父母様は、人類歴史の終結であり、結実体であり、また人類文化の完成であり、宗教歴史と哲学史の勝利なのです。それでは、真の父母の顕現に先立ち、蕩減復帰と再創造路程が必然的なものなので、その路程がどれほどつらい大変な歴史路程だったかを詳しく見ることにしましょう。

それを知るようになれば、私たちの責任がどれほど重要であるかが分かるからです。聖書に立脚した歴史路程は、命には命、目には目、歯には歯で蕩減される路程でした。堕落の責任は、サタンを中心として、エバから始まり、アダムに移りました。すなわち、偽りの生命の種を受けたエバの立場からすれば、神様に代わってサタンが父の位置でエバと一体となって、アダムを生んだ立場となり堕落がなされました。

こうしてエバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落したので、蕩減復帰路程で探し立てられた神様のみ旨にかなう血統を受け継いでいこうとしなければなりません。聖書を研究してみると、私たちには到底理解できない摂理歴史が秘められていることが分かります。エバは本来、天の父とその息子であるアダムと一体にならなければならない立場でしたが、堕落して逆に天使長と一体化して、次にアダムをも堕落させて、彼をサタンの立場に立ててしまいました。

これを逆に蕩減復帰するために、たとえ堕落したとはいえ、永遠性をもって創造された原理的な基準のあるアダムの家庭から摂理をされました。したがって、サタンがエバを奪った最初の愛の象徴であるカインをサタン側に立て、本来エバの夫となる立場にあったアダムとの二番目の愛の象徴として生まれたアベルを天の側に立て、善悪闘争の歴史を通して根本的な蕩減復帰路程を展開してきたのです。

サタンの占有する長子権を天の側の次子権が復帰して占有しようとするので、次子を祝福してあげなければならない歴史が現れるようになるのです。例えば、カインとアベルが同時に供え物を捧げたときも、神様はカインの供え物は受けず、アベルの供え物だけを受けられましたが、その理由は正に、次子が天の側に立っていたからでした。カインが自分の供え物を、アベルを通して捧げていたなら、神様、アダム、天使長の本来の秩序を形成して復帰することができたはずでしたが、カインがアベルの命を奪うことにより、天はセツを立てて摂理を継承させました。

このように、カインとアベルが別々に生まれた兄弟としてみ旨を成就できなかったので、母の腹中にまで戻っていく歴史が展開するのです。双子であるエサウとヤコブの兄弟が母リベカの腹中で闘うので、リベカが不思議に思って神様に尋ねると、「二つの国民があなたの胎内にあり、……兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五•二三)とおっしゃいました。そのときからリベカは次子として生まれたヤコブに、より関心をもつようになったのです。先に生まれたエサウから、次子のヤコブを通して長子権を蕩減復帰させるために、リベカはエバの立場に立って責任を果たさなければならなかったのです。

出エジプトのとき、イスラエルを中心としてエジプトの長子を打ったことも、ヤコブがヨセフの息子マナセとエフライムの手を交差して祝福したことも、長子権と次子権を入れ替えるための、天の隠されたみ旨があったからなのです。エバが、父である神様とその息子であるアダムをだまして堕落したので、リベカは反対に天の側に立って、父イサクとその息子エサウをだまし、ヤコブが祝福を成就できるように母子協助したのです。ですから、ヤコブは長子権を取り戻し、母子協助の基盤の上に勝利したイスラエル選民を出発させることができたのであり、天の側の長子権、次子権を条件的に得て、勝利的選民編成を成し遂げることができたのです。

しかし、ヤコブが長子権を獲得したのは四十歳以降のことだったので、依然として四十歳以前の圏内は、サタンから勝利したという条件を探し立てることができませんでした。したがって、歴史は再び、ユダの嫁タマルを通して腹中で分別の勝利を得るために、もともと弟であるはずだったペレズが、腹中において双子の兄ゼラを押しのけ、先に兄として生まれたのです。このように押しのけて出てきたという意味でペレズと名づけられたのです。

有史以来、母の腹中に植えつけられたサタンの血統を神側に復帰し、腹中で長子権と次子権を天の側が取り戻し、本然の血統権を探し立てるようになり、その基盤の上にユダ支派を通してメシヤ誕生の基盤を築くことができるようになったのです。

タマルという女性もまた、エバの立場を清算するために舅と息子を否定する立場をとり、蕩減条件を立てました。タマルによる胎中聖別によって、真の血統がサタンの讒訴なしに天の子女として懐胎、出産できる蕩減条件が確立したのです。腹中勝利を収めたこの基準は、続いてイスラエル民族とユダヤ教の子孫たちへと引き継がれ、真の父母であるメシヤを送ることができるときを待たなければなりませんでした。なぜならば、サタン側では既に世界的国家が立てられていたので、イスラエル民族もこれに相応する国家的版図を形成したのちにメシヤを送り、世界の国々を蕩減するためでした。神様が約二千年間待ち続けて、国家基準の上でエバのような立場の女性を再び探し立てて摂理されたのが、マリヤを通した摂理です。リベカやタマルはアダム再創造過程において召命を受けた重要な革命的女性でした。アダムとエバが約婚段階にあったように、約婚段階にあったマリヤも、死を覚悟して絶対的に神様と一体となり、父子を欺いた立場で蕩減復帰歴史を完遂した烈女でした。そうして懐胎したイエス様に対してサタンは、マリヤの腹中にいるときから血統的にいかなる讒訴もできませんでした。

このように勝利した女性の体から生まれたイエス様は、神様だけが取ることのできる初愛の実となり、有史以来初のひとり子として誕生したのです。このような血統聖別の過程を通して生まれた聖者はイエス様しかいないので、イエス様を聖者の中の聖者と呼ぶのです。したがって、キリスト教文化圏は世界的に大きく拡張し、神様は第二次世界大戦の勝利とともに、キリスト教文化圏を通して世界統一のみ旨を果たそうとされたのです。

第二次世界大戦を摂理的に見ると、堕落によってサタン側のカインと神側のアベルに分かれました。神側の世界国家次元で結実したエバ国家である島国イギリスと、そこから生まれた次子権のアベル国家であるアメリカ、長子権のカイン国家であるフランスが連合国を形成し、アメリカは世界の連合国を代表した位置に立つようになりました。これに対抗して、サタン側のエバ国家である日本、サタン側のアダム国家であるドイツ、そしてサタン側の天使長国家であるイタリアが枢軸国を形成しました。神様は天の側である連合国が枢軸国と対決し、サタン側に完全勝利した基盤の上に統一世界を探し立てようとされました。

ここで、神様の真の愛をたずさえて来たアダムである真の父母が中心となり、偽りの父母の種を受けた人類を一度に清算し、真の父母の本源的真の愛、真の生命、真の血統を連結して、新しい真の人間の種を継承することを、神様は願われました。しかし、来られる真の父母は、キリスト教から反対を受けることによって荒野へと追い出され、結果的にイスラエルの四千年の歴史を通して築いた蕩減の道を再び失ったことになり、真の父母は一代で四十年再蕩減路程を通して完結しなければならなかったのです。

来られる再臨主は第三次アダムとして来られる方であり、天界の真理をもって来られ、サタン側の個人、家庭、国家、世界路程によって蕩減し、アダムの失敗とイエス様が成し得なかった使命を完全蕩減復帰することによって、統一世界を創建するのです。このように第三次アダムは、第一のアダムが家庭基準で堕落したことを国家基準で蕩減復帰し、さらには世界全体を蕩減復帰して勝利しなければなりません。

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原因を知ってこそ治療ができる 疾病に苦しむ人を救うためには、その疾病の原因を探り出して治療しなければならないのと同じように、人間社会がこのような罪悪と不幸の苦痛から解放されるためには、この罪悪と不幸の根本原因を明らかにして治さなければなりません。その根本原因こそが人間始祖の堕落、すなわち原罪です。したがって、原罪という病気の原因を除去しなければ、人間世界から罪悪と不幸の根を抜き取ることはできないのです。どんなに多くの偉人や英雄、博士学士、政治家、哲人が現れて、法律や制度の改善、倫理道義教育などでこの世界を正そうとしても、人間堕落の原因、すなわち原罪を解明しなければ、それは不可能です。どんな薬を使っても効き目がありません。罪悪と不幸の根本の根が生きており、引き続き生えてくるからです。

しかし、宗教では私たちに人間が堕落したという事実を教え、この堕落の内容を明らかにして人間を罪悪から完全に救援しようとされる神様の摂理を直接、間接的に教えてくれています。ですから、すべての宗教は、この罪悪世界を善の世界へと変化させ、救援する最も積極的な処方なのです。

「宗教」という言葉は、すべての教育と教えの中で最高の教えであるという意味です。孔子、釈迦、イエス、ムハンマドのような四大聖人の教えをはじめとした各宗教の創始者たちの教えは、時代と環境を超越して人間の良心と道徳を守り、文化を発展させてきた原動力でした。したがってすべての宗教は、罪悪の世界を清算し、神様と人間が望む理想世界建設のために共に働く存在であり、協力者なのです。その中でも、神様の救援摂理が最も直接的に啓示されている経典が、正にユダヤ•キリスト教の聖書です。

罪悪の血統を清算する復帰摂理 聖書によれば、人類の歴史は、人間始祖アダムとエバが堕落し、偽りの父母となることによって喪失した神様の創造目的を再び回復しようとされる復帰摂理であることを知ることができます。偽りの父母になったアダムとエバに代わり、全人類を生み変えるために、メシヤ、すなわち真の父母が来られなければならないというのが、聖書でいうメシヤ思想の要点です。

アダムは人類の真の父にならなければならず、エバは人類の真の母にならなければならないというのが、神様の創造本然の目的でした。この創造目的を再度原状回復するために、神様はアダムを再創造される摂理をせざるを得ないのです。これがまさしく、イスラエル選民を準備してイエス様を誕生させた摂理の骨子です。

神様は、アダムとエバが堕落してサタンの血統を中心とした人類が生み殖えると、すぐに善と悪の血統を分立する役事を行われました。アダムの家庭で、神様の相対的立場にいる次子アベルと、サタンの相対的立場の長子カインを分立し、カインがアベルに自然屈伏するようにさせることによって、創造本然の秩序を原状回復しようとされたのですが、カインがアベルを殺害することによって、長い間にわたって善悪分立の闘争歴史が展開するようになったのです。

ノア、アブラハム、イサクを経てヤコブの代になり、母リベカの協助により、双子の兄エサウを自然屈伏させることによって、ヤコブはイスラエル選民を立てる決定的役割を果たしました。ヤコブの息子ユダにより、その嫁タマルはペレズとゼラという双子の兄弟を身ごもりました。ペレズは、タマルの腹中でゼラと争い、先に生まれようとするゼラを押しのけ、自分が先に生まれた息子です。善悪闘争である長子と次子の争いは、腹中で弟が兄に勝ち、長子として生まれる腹中復帰を成就させたのです。

腹中復帰によって生まれたペレズの血統を通じて約二千年後に誕生したお方が、メシヤとして来られたイエス様でした。イエス様を身ごもり、生むときには、母マリヤの命を懸けた冒険と精誠がありました。神様の救援摂理は、すなわち復帰摂理なので、サタンになったルーシェルの誘惑によって不倫な性関係を結んで堕落してしまった結果、人類に伝承された罪悪の血統を清算する、そのような復帰摂理を行わざるを得ませんでした。それが正に、カインとアベルからイエス様が誕生されるまでのイスラエル選民の歴史だったのです。

したがってイエス様は、堕落によって偽りの父の立場に落ちたアダムを、善悪分立闘争の復帰路程を経て蕩減復帰した基台の上で、人類の真の父、すなわち第二の善の人類始祖として来られたのです。ですからイエス様は、その相対格であるエバの立場にいる女性を復帰して夫婦となり、子女を生み、万物を主管される位置まで進まなければならないのです。これがまさしくイエス様がメシヤとして来られた目的でした。

アダムとエバを創造され、「生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ」とおっしゃった神様の三大祝福を復帰するために、イエス様がメシヤとして来られたということです。イスラエル選民は、父として来られたお方をメシヤではないと不信し、十字架で処刑してしまいました。

これはどれほど啞然とする親不孝であり、途方もない罪悪でしょうか。十字架で亡くなられたイエス様は、再びこの地上に来ると再臨を約束され、それと同時に「再び来るときは新郎として来るので、地上の人類は新婦の装いをして待たなければならない」という内容を語られました。

ヨハネの黙示録第十九章を見ると、そのイエス様の再臨は、地上に来られ「小羊の婚宴」をされると記録されています。これは正しく、エデンの園のアダムとエバが堕落していない家庭を築くために、真の夫婦と真の父母の位置を復帰するという内容なのです。

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5.理想世界の主役となる女性II 日付:一九九二年六月十日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:全国四十カ所市郡区大会(真のお母様)

満場の女性会員、同志の皆様。私はきょう、「世界平和女性連合」の総裁の資格をもって皆様の前に出ることができたことを大変うれしく、また光栄に思います。きょうのこの大会を準備してくださったすべての女性会員と後援会員、および日本から来韓された皆様に深く感謝を申し上げます。

私がきょうお話しする題目は「理想世界の主役となる女性」です。皆様、誰かに「この世の中は善の世の中ですか、悪の世の中ですか」と問われたら、皆様は何と答えますか。間違いなく悪の世の中だと答えるでしょう。私たちが生きているこの時代の世の中だけが悪なのではなく、過去、歴史時代のすべての国と世界が悪だったと言わざるを得ません。

ですから、善行よりも罪悪が、平和よりも戦争が、正義よりも不義が、愛よりも憎悪が、統一と和合よりも分裂と葛藤が、より猛威を振るう世の中になっているのです。

人類は、このような罪悪の世界を誰も望んでいません。ですから人類は、いかにすればこの罪悪の世界を清算し、平和と自由と幸福があふれる真の愛の理想世界を創建することができるかということを追求せざるを得ないのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべての構成員や指導者が一様に望んでいることも、平和と自由と幸福があふれる世界を実現することです。人類の歴史が始まって以来、数千年の間、このような夢と理想に向かって身もだえしてきましたが、いまだに人類が望む理想世界は実現していません。

私はきょう、この問題に対する根本的な原因を皆様に明らかにしようと思います。併せて、私たち人類が何よりも願ってやまない理想世界を実現できる解答が何であるかを提示しようと思います。これは、人間の知識や思考の結果として生まれ出た内容ではありません。既に皆様がすべて御存じのように、私の夫、文鮮明牧師は、一生をかけてこの問題を解決するために献身してきました。私は、そのような夫に仕えて暮らしながら、その教えと神様と人類を愛するために実践躬行する生き方に、あまりに多くの感化と感動を受けました。夫に仕えて暮らしながら、真理に対する深い悟りを得、夫の人格と人生から絶えず感化と感動を受けたならば、それは世の中に広く知らせるべきでしょう。なぜならば、今日のこの世界が犯罪と闘争と退廃が荒れ狂う悪の世界になってしまった根本原因は、ほかならぬ夫と妻の根本的な関係の破綻と不和に起因しているからです。

今日、この地上に人類が暮らしていますが、突き詰めれば、二人の人が暮らしているのです。男性と女性、すなわち夫と妻という二人の人が暮らしているということです。無数の人間が共に暮らしながら、あらゆる関係と問題を起こしていますが、そのすべての問題の核心は、男性と女性、この二人の間の関係と問題なのです。このように見るとき、私たちは、神様が人類の最初の先祖をこの地上に創造されるときにお立てになった、人間の男性と女性の行くべき天道が何だったのかを探らざるを得ません。

三大祝福を下さった神様 聖書の創世記の記録によれば、神様が天地を創造されたのち、最後に人間始祖である男性のアダムと女性のエバを創造され、彼らに三大祝福を下さると同時に、責任分担も下さいました。三大祝福とは、すなわち「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」というものでした。そして、彼ら二人の男性と女性に「善悪の実を取って食べてはならない!」という責任を一緒に下さったのです。

これは、神様が人間とこの宇宙を創造された目的が何であるかを教えてくれる内容であると同時に、人生の根本を明らかにした内容でもあるのです。「生めよ」という祝福は、すべての人間は、地上に生まれ、完成した人格者として成長しなければならないことを意味します。完成した人格を備えた男性と女性が夫婦の関係を結び、子女を生んで育てる父母の道を行くようにしたことが、人生の二つ目の祝福です。そして、家庭を率いていく夫と妻、すなわち父親と母親がその道理を果たしながら、この世界をより便利で豊かな福地世界として建設し、地上天国を立てることが神様の創造目的なのです。この創造目的は、人間始祖が「善悪の実を取って食べてはならない」という神様の戒めを守ってこそ成就されるようになっていました。ところが、人間始祖であるアダムとエバは、完成した人間になる前、すなわち未成年の時期に神様の戒めを守ることができず、天使長の誘惑によって堕落し、全人類に悪の血統を受け継がせたのです。

人類が抱えている不幸と悲劇 皆様。神様が人間始祖アダムとエバに「取って食べてはならない」とおっしゃった善悪の実とは何でしょうか。それは木の実ではありません。それは正に、人間始祖が将来、夫と妻として結婚するときに実るその愛が未成熟な段階にあるときに、第三の存在によって誘惑されて不倫な性的関係が起きてはならないことを意味しているのです。

実際にエデンの園には、アダムとエバ以外に第三者として天使長がいました。聖書では、エバを誘惑して不倫の罪を犯した天使長についてルーシェルであると明らかにしています。これがまさしく人間始祖の堕落であり、人間世界に罪悪の根を下ろすようにした原罪なのです。したがって人間は、天地の大主宰者であられる父なる神様のみ前に不倫の罪を犯し、人間始祖のときから、不倫の愛で子孫を生む悪の世の中を築いてきました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大した人間社会には、いつどこでも、この男性と女性の不倫関係による悪の血統が根を下ろし、それがこの世を地上地獄につくりあげ、犯罪と戦争と恐怖があふれる偽りの世界にしてしまいました。堕落した人間始祖アダムとエバは、人類の永遠の善の先祖として、真の父母の位置を確定しなければならなかったのですが、悪の血統を残した偽りの父母に転落してしまったのです。これが正に全人類が抱えている不幸と悲劇の第一原因なのです。

この世界の全人類が真の父母を失い、偽りの父母の子孫になったこと以上に悲惨で憤慨すべきことがどこにあるでしょうか。人類の父母であられる神様としても、真の人類の始祖を立て、善の人類を生み殖やそうとした創造目的が、人間始祖の不倫の堕落によって全人類を罪悪の血統に転落してしまったその悲しみと苦痛はいかに大きいでしょうか。

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3.世界の統一と人類の責任 日付:一九九二年四月十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック•メーンスタジアム

行事:「世界平和女性連合」創設大会および「アジア平和女性連合」ソウル大会(真のお母様)

貴賓の皆様、世界各国から韓国を訪ねてこられた「世界平和女性連合」七十数ヵ国の代表の皆様、各界の女性指導者ならびに満場の会員の皆様。きょう私は、「世界平和女性連合」創設および「アジア平和女性連合」ソウル大会に、このように満場の盛況を呈してくださることによって、平和世界実現のための女性連合の決意を高め、その壮途を祝福してくださる皆様に心からの感謝を捧げます。

女性たちが中心となって、このように多くの女性が一堂に会するのは初めてのことだと思います。この日を契機として、世界の女性たちが、その高貴な本然の役割を自覚し、平和と幸福と自由のあふれる理想世界を創建する道が開かれることを確信しながら、「世界の統一と人類の責任」と題してお話ししたいと思います。

昨年(一九九一年)の十一月三十日、私は、夫の文鮮明総裁と共に北朝鮮を訪問しました。一週間、北朝鮮に滞在しながら、金日成主席をはじめとする各界の指導者たちに会い、様々な場所を見て回りました。一般には知られていませんが、夜を明かしながら祖国統一のために精誠を尽くし、また天運と現実の世界を合わせるために血のにじむ努力をする夫を、私はこれまで間近で見守ってきました。

考えてみてください!今回の北朝鮮訪問は命を懸けた冒険といえないでしょうか。皆様もよく御存じのように、文総裁は共産主義者たちの最も嫌う宗教創始者であると同時に、世界一の勝共指導者です。北朝鮮は思想的にどれほど統制された所でしょうか。北朝鮮の指導者たちは文総裁を一番の怨讐と定め、全世界に悪意に満ちた数々の宣伝をしてきたではありませんか。そのような地に、文総裁は神様だけを頼りに入っていき、最高指導者に天命を説き、「『主体思想』では統一できない。『神主義』で統一しよう」と提議したのです。

私たちの北朝鮮訪問は、共同投資や事業を目的としたものではありませんでした。何らかの計略を抱いて行ったわけでもありません。故郷訪問や親戚との再会が目的ではありませんでした。摂理のみ旨に従って、心から与え、尽くしたいと思う神様の心、真の愛を抱き、天命を証して諭し、北朝鮮の指導者たちの心の扉を開き、真の統一への突破口を開くためでした。

夫は、北朝鮮に滞在する間、最高の国賓としての礼遇を受けましたが、一晩たりとも楽に休むことはできませんでした。切なる祈祷で天運を連結し、神様のみ前に統一のための条件を立てながら夜を明かしました。韓半島の統一は、政治協議や経済交流だけでは成し遂げられません。天運と共に神様の真の愛によってのみ、統一は成し遂げられるのです。統一は神様の摂理と直結しており、また世界の統一を成し遂げるための必須段階だからです。

世界各国からお集まりになった女性連合会員の皆様。私はこの歴史的な場で、儀礼的な挨拶をしようとは思いません。過去と現在、そして未来の意味を歴史の前に宣布するお話を語ろうと思います。きょう、私が宣布するメッセージは、周辺でよく耳にするありきたりな内容ではありません。今日の女性たちが必ず知らなければならない天の秘密を明かす内容です。

今日、現世は病み、死に向かううめき声で満ちており、このような環境は、過去はもちろん、未来においても、そうならざるを得ないというのが歴史的事実です。それは、人類始祖の失楽園が原因です。すなわち、私たちの始祖が重病にかかったという意味であり、宗教的な用語を借りるならば「堕落した」ということです。このように堕落によって病にかかり、人類歴史は病魔とサタンを中心として出発したのです。

神様が願われた創造理想に相反する悪の主人サタンと悪の子女になったアダムとエバが結婚し、悪の先祖として出発したことは、人類歴史の悲運でした。こうして人類はサタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継がざるを得なくなったのです。

本来夫婦が合徳(和合)できる愛の器官は、真の愛の本宮であり、真の生命の本宮であり、真の血統の本宮でした。愛は、夫婦の生命を激しく動かし、その夫婦が一体化して愛で合徳することによって、血統を継ぐ子女を繁殖するようになっています。生命の中心は愛であり、血統は、夫婦の愛と生命によってつながるのです。愛と生命と血統を連結しなければ、歴史はつながりません。堕落以降、人類は、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統権の捕虜になっているのです。

アダムとエバは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を青少年期に蒔いたので、終わりの日である終末の時代が来ると、青少年の淪落問題が全世界的に起こるようになるのです。今が正にそのときです。

サタンは堕落した愛の条件を中心として、神様の本然の真の愛の世界を永遠に滅ぼす舞踏場をつくりました。サタンは、性解放、青少年の倫理と麻薬問題などによって家庭破綻と伝統の打破を計り、現世を地上地獄にしてしまいました。したがって、真の男性、真の女性、真の兄弟、真の夫婦、真の父母、真の社会、真の国家、真の世界は、夢にも考えることができなくなったのです。

人類は、サタンという存在ゆえに、このような罪悪の世界をつくるようになったことをはっきりと知り、その根源と堕落の起源を明らかにしなければなりません。人類は、サタンとアダムとエバが三位一体になったことを暴露し、創造理想である神様とアダムとエバの三位一体を回復しなければならないことを悟らなければなりません。

この世界的な難題の解決のためには、サタンが犯した罪と人類始祖が犯した罪の根本をはっきりと知って、彼らを讒訴する証言者が必要です。神様とサタンは、堕落に対する内容を知っていましたが、アダムは未成年者だったのでよく分かりませんでした。しかし、終わりの日に、復帰されたアダム完成者が来れば、これをはっきりと明かすようになるでしょう。そのお方は歴史的なサタンの罪状を明らかにし、サタンを追放できる時代をもたらすでしょう。そのとき、初めて人類は希望と平和、幸福と自由の転換時代を迎えるようになるのです。

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私たちが願う南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛する、ために生き、犠牲となる真の愛の精神によってのみ可能です。父母が子女の面倒を見るように、兄弟同士がいたわり合うように、北朝鮮の同胞の痛みを自分の痛みとして分かち合い、神様の変わることのない真の愛の中で共に会うことができるようにしなければなりません。

真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着できる交差点は、九〇度を形成するのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は、最短距離である垂直以外になく、完成したアダムとエバを夫婦として連結する真の愛の道は横的で水平なので、正にこの垂直と水平が出会う点は、自動的に九〇度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点なのです。

しかし、アダムとエバが成熟する前に、天使長のゆえにこの角度がねじれてしまったのですが、これが正に堕落なのです。大工が家を建てるとき、水平を先に見るでしょうか、垂直を先に見るでしょうか。水平を先に見るとすれば、それは既に垂直を認めているのです。同じように、女性という言葉も、男性が先にあってこそ出てくる言葉なのです。また男性という言葉も、女性を先有(前提)条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認めて語る言葉なのです。したがって、横的という言葉は、縦的という言葉を前提としなければなりません。

このように先有存在圏を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ここにおいて真の愛は、相対のために生きようとする目的をもって成立するものなのです。

それならば、神様と本然のアダム、エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九〇度の角度以外にありません。この点が真の愛を成立させる公式点なのです。

神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母なので、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な「私」となり、体は横的な「私」となるのであり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体になるとき、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるのです。

神様は真の愛と真の生命と真の血統をもっていらっしゃり、私たちもそこから出てきたので、私たちの中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は、神様の真の愛を中心として父子一体の関係をもって生まれたので、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。

ところが、サタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、サタン側の体と神側の心を分ける一線に立って、絶えず闘っているのです。このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があります。この体が悪魔の舞踏場になってしまったというのです。悪魔の錨綱が掛けられた杭のようになってしまいました。心は天に代わるプラスの位置にあるのですが、体がまた別のプラスになり、心をもてあそんでいるのです。これを是正しなければならない道が、私たちの生涯にわたる義務なのです。これをご存じであられる神様が、修理工場としてつくったのが宗教です。

ですから、宗教は断食や犠牲、奉仕をすることによって、体を心に屈服させる教育をするのです。言い換えれば、体の欲望を弱化させ、心がすることに従えるように、三年から五年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また、絶えず祈祷することを強調します。

神様は縦的な立場にのみいらっしゃるので、心が通じなければ活動ができないお方です。サタンはあらゆる所で活動しています。三六〇度いつでも活動できるので、サタンの活動に負けるようになっているのです。

心は垂直の位置にあるので一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、心は環境に引っ張られやすいので、垂直の立場において精誠を尽くして祈祷し、三倍、四倍の強い力を心に受け、体を自由に制御し、三年から五年かけてそのような習慣を身につけなければならないのです。この二つの方法以外に修理できる道はありません。

そのような修養を行う宗教の門を通過しなければ、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。

ところで、人間の心と体が神様の理想と一つにならないようにした、その堕落の起源は何でしょうか。聖書には、善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは、その善悪の実を取って食べたあと、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います!下半身を隠したのです。ですから、サタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。

しかし、考えてみると、人間にとって真の愛と真の生命と真の血統の根源地は、正に愛の器官です。堕落によって、この神聖であるべき愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまいました。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったというのです。

十代の未成熟なときに人間始祖アダムとエバが堕落しました。そのようにして悪を植えつけたので、歴史的に人間の世界に悪の血統が広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れていくのです。このような現象を見ながら、サタンの全権時代がこの地上に到来したことを知らなければなりません。そしてこのときこそ、神様が鉄槌を下す審判の日になるのです。

歴史的に見ると神様のみ前に淫乱の都市や淫乱の国は滅びました。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたのも、ローマが滅んだのも、ほかの理由で滅んだのではありません。法度を守れずに淫乱に陥り、減んでいったのです。

アメリカ、ヨーロッパ、日本など、今日の世界の先進諸国を見てください。東西、四方に広がるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるでしょうか。乱れた愛だけでは物足らず、末梢神経を刺激する享楽主義、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。

それはすべて、肉体が死へと引っ張っていく道なのです。決して心の願う道ではありません。心は手を上げて痛哭しているのです。天理大道において人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。堕落してサタン側に立った人類は、野生のオリーブの木に例えることができます。その中でも、神様が分立させて探し出した人類は宗教圏ですが、それは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。

ですから、神様が自由に主管できるのです。再臨主が来られれば、一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたのです。そうして、野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態に返っていくのです。

ですから、宗教を信じる人も、本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らは本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからです。言い換えれば、本来の真の愛を中心として、神様の血統に連結した真の息子、娘としての一体理想を果たせなかったのです。ですからメシヤが来なければならないのです。

皆様。メシヤとは何か御存じですか。メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれることによって植えつけられた偽りの根を取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、皆が歓迎する自由解放の天国世界を創建しなければならない、そのような重大な責任をもって来られるお方なのです。

皆様。皆様が神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるでしょう。そして、「私」の心と体が統一されたところから、永遠の平和の世界は出発するのです。

尊敬する「世界平和女性連合」の会員の皆様。私たちは、父母の心情を抱き、僕の体の道理を果たしましょう。私たちの汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる私たちの父母の恨を解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道へと前進しましょう。

私たちの目的地は世界の果てですが、私たちの出発点は、正に自分の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠の幸福と真の愛の定着地になるときに初めて、私たちが願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。

私たちの「世界平和女性連合」の運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」の運動に昇華、発展し、五色人種(すべての人種)が永生を謳歌しながら、子々孫々がために生きてはさらにために生き、与えんとする真の愛の世界を建設するでしょう。この歴史的な聖業に私たちは決起し、先頭に立つことを誓いましょう。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わります。ありがとうございました。

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真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様御自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠の愛を相続する人になるのです。愛の属性には、相続権があり、同居権があり、また同参(一緒に参加すること)権があります。たとえ愛する夫が大統領で、たとえ妻が小学校すら出ていなかったとしても、愛する夫婦の関係になれば、夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも同居できることはもちろん同参する権限もあるのです。

愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大な三大属性があるので、神様の絶対的な愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様のいらっしゃる所に私たちも加担することができ、いつでも同居、同参できる権限をもつようになるのです。

そうなれば、目を閉じなくても神様を見ることができるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭するような体恤の世界があるのです。堕落したこの世の中ですら、母の愛は、もし我が子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かるような場合がたくさんあります。寝ていても名前を呼ひ、大声を上げて目覚めるのです。

もし、神様の本質的な真の愛、千年、万年をために生きては、さらにまたために生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に一〇〇パーセント吸収できる内容をもつようになるとき、心には神様の真の愛の根が生え、神様の感じるすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を成し遂げるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません。

このような真の愛に共鳴する論理を中心として見ると、私たち人間がそこに一体化して共同一体圏に入れば、「神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界である」と言うことができるのです。したがって、天下を抱く父母の心をもって、天国に入籍するようになるのです。

それでは、愛が先でしょうか、生命が先でしょうか。それは愛が先なのです。人間の生命は愛によって、愛の理想を中心として宿るものなので、人間の生命の本質は正に愛なのです。ですから、愛を本質として生まれた生命は、ために生きるのが天理であり、また人間は生まれたときから他のために生まれたと言えるのです。「私は自分だけのために生まれた」、「すべてが私だけのために存在しなければならない」ということであれば、決して愛の概念は成立しません。相手のために与え、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発され始めるのです。家庭のために犠牲になれる人は、家庭の愛を誘発させることができるのです。

他のために犠牲になれば、すべてを失うかのように思えますが、それは全く反対です。むしろ愛の主体となり、すべての主人となるだけではなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。級友たちのために犠牲になり、奉仕する人は、そのクラスの委員長になるのであり、村のために犠牲になる人は、その村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり、奉仕する人は、その国の主人になるのです。

愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になれば、それに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教がイエス様の復活によって出発できたのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。

イエス様はゲッセマネの園で、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と祈祷され、罪なく死んでいく十字架上においてさえも、自分を槍で刺すローマ兵に対しても、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三•三四)と神様に切願したのです。これが正に神様のようにために生き、犠牲となって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源となり、キリスト教の核心的伝統思想にならなければならなかったのです。他のために命までも捧げ犠牲になるとき、さらに高い次元の命を得るようになるのです。

親愛なる女性連合の会員の皆様。私は一九九一年十一月三十日、夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でした。

皆様もよく御存じのように、文鮮明総裁は、彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐視してきた宗教指導者であり、国際勝共連合の指導者だったがゆえに、彼らは私の夫を葬り去ろうと国内外においてあらゆる工作をしてきた時だったのです。そのような所に、ただ神様だけを頼りに北朝鮮に入っていき、「『主体思想』では統一できない。『神主義』でのみ統一は可能である」と主張できたのは、ただただ心から彼らを生かしたい、ために生きたいと思う真の愛の心があったからです。それにまた、祖国統一の門を開くためならば、いかなる犠牲も甘受しようという、殉教者の精神をもっていたからなのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」という言葉を実践されたのです。

真の愛こそ、地獄までも占領できる土台となるのです。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛も、真の愛の中では喜びに昇華されます。言い換えれば、この個人的な権力、知識、財力などをもって主張するそれ以上の絶対的権限として残したいと思うものが、人間の本性の欲求である真の愛なのです。

このような観点から見ると歴史を通じて、人間を救おうとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打って奪われていくのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を考えてみてください。先に打ったほうが滅んでいきました。しかし、神様は、裏切られ奪われたからといって、その人の命を奪って取り戻してくるわけではありません。神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って取り戻してくる能力をもちながらも、打たれてあげるのです。

父母は犠牲になることによって、不孝者を悔い改めさせる道を行くのです。神様は、天理の公道を立てるために自らサタンを訪ねていき、主人が来たらああしなさい、こうしなさいと教えてくださるのです。

しかし、歴史的に見ると、教えて導こうとして行った主人が、むしろ打たれたのです。しかし、打たれたのちはどうなるか御存じですか。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国に、罪人として命を奪われました。みな歴史が過ぎたのちに、聖人の名がつけられたのです。在世中に聖人になった人はどこにいるでしょうか。

このように、彼らは、その当時においては悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。打たれたことへの損害賠償を請求するのに、十年、二十年で終わらせてほしいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占領するようになるのです。数千年の間、耐えに耐えて、損害賠償額をすべて計算してみると銀行に預金したお金に利子がどんどんと付いて、のちにはその銀行まで買い取っても余りあるお金になるのです。

神様は待ちながら訪ねてこられる方です。打たれて取り戻してくる戦略戦術を取られる方なのです。悪のこの世が全面的に迫害して破壊しようとすれば、天運が助けてくれて、すべてを乗り越え跳躍させてくれるということなのです。

神様は私と夫にも、そのような多くの体験をさせてくださいました。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして、神様から愛される人は、常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその人を愛する父母や妻、息子、娘がいることを御存じだからです。神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を誰よりも愛する父母や妻、そして子女たちの心情を体恤されるとき、むち打つことができないのです。

そのような神様の心情を本当に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと逆に怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ、天理の大道である愛を中心として、一つに抱こうとするその大道の前に私たちは近づくようになり、そこに天地が振動しながら神様も涙を流すようになるのです。神様も御自身に似たと喜ばれるのです。

このような立場で見つめられる神様であるがゆえに、「怨讐を愛しなさい」という言葉が理解できるのです。そのような力が生まれるところは、知識でもなくお金でもありません。権力でもありません。真の愛のみにあるのです。ですから、皆様は愛する息子、娘、父母のために、南北が敵視するその峠を越え、ために生き、犠牲となる真の愛をもって統一を願わなければなりません。

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4.理想世界の主役となる女性I 日付:一九九二年五月十一日

場所:韓国、仁川、仁川室内体育館

行事:「世界平和女性連合」全国二十一カ所市道大会(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓の皆様、ならびに「世界平和女性連合」会員の皆様。きょう、このように各界の女性指導者の皆様が満場の盛況を呈してくださる中で、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上ない光栄と存じます。

きょう、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。今日の時代は、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界へと突入する重要な転換期を迎えています。私たちは、今やこの地上からあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真の自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。

これまで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた「神主義」の理念は、過去の力だけに基づいた男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和解と協力を指向するこの歴史的な転換の時代に、私は「神主義」を基本とした永遠の平和世界を建設するための大原則を提示するに際し、未来の世界を開拓していくべき女性たちの目標とするために、文総裁が発表した「頭翼思想」を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。

本来神様は、喜びを得るために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの作品を作るために、昼夜の別なく若さを燃やしながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしょうか。それは、喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしょうか。存在世界を見ると鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているのか御存じですか。それは互いに作用するためなのです。

鉱物界ではプラスイオンとマイナスイオンが作用します。元素同士でも、互いに近づけたからといってすべてが結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様であっても結合させることはできません。それとは逆に、互いに相対的要件が合うときは、神様も結合をやめさせることはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も、愛の創造理想型のモデルになるように造られたのです。

ですから、真の愛の本質を中心とするときには、神様の心情と人間の心情と万物、動物界までも互いに通じるようになっているのです。その境地に入れば、岩とも通じるのです。皆様がそのような境地に入れないことが問題です。深い神秘の境地に入ると森羅万象のすべてが友になるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入って自分が笑えば、すべての万物と神様までもが和動するのです。

皆様。愛する夫、愛する妻がいらっしゃるでしょう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、一千億ウォンのお金を上げるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてを上げるからと言われて取り替える妻がいるでしょうか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてがために生きようとする真の愛のためなのです。男性と女性が陰陽の調和によって愛の理想を成就するために、神様がそのように創造したのです。真の男性と女性を通してこそ、統一された真の愛を見いだすことができるのであり、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するのです。

結婚というものは、男性と女性の絶対価値である真の愛を横的に連結したのちに、神様の縦的絶対価値である真の愛によって占領されるのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てたのです。

真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に統一されるところに、私たちの人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題に対する解決の糸口を見いだすことができるのです。神様の真の愛は、投入してはまた投入し、与えてはまた与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけないのです。続けて与え、また与えても、記憶に残っていないがゆえに流れるのです。

それでは、天地と引き換えることのできない価値のある愛を、誰が皆様に与えてくれたのでしょうか。皆様の父母が与えてくれたのです。言い換えれば、根本に入ると神様が与えてくれたということです。神様はこの無限の価値をもつ愛を、父の立場で与えてくださりながらも、それをお忘れになります。その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしても、さらに与えようとされるがゆえに、そのような果てしない神様の愛のお陰で、きょう皆様もこの場に参加できるようになったのです。

ですから、真の愛が行く道とは、施しを受けるための道ではなく、ために生き、犠牲となる道なのです。ですから、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身がために生きる立場に立たれて、御自身が所有しているすべてを一〇〇パーセント投入しては、さらに投入したいと思うのです。このような心をもち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。

ですから、真の愛は、ために生きることにおいても、一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント、すべてを与えて真空状態になるのです。空気でいえば、絶対低気圧が生じると自動的に高気圧の循環運動が起こるのと同じことです。ですから、絶対的にために生きようとするところには無限の力が発動するのです。

親愛なる「世界平和女性連合」の会員の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なく弱いのですが、女性が母として愛の主体的立場に立ったり、または妻や娘として愛の中心的役割を果たしたりするときには、女性はこの上なく強くなるのです。なぜならば、女性は母、あるいは妻や娘として愛の主体的立場に立って、一〇〇パーセント相手のために与えたならば、その空白を神様の愛が満たしてくれるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。

だからこそ女性だったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場に立つようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような十六歳(数え)の少女が、国全体に独立運動の波を起こさせたことは、正に国を生かそうとする熱き愛国の衷情が起こした奇跡だったのです。

神様も、このように人間に対し、ために生きて与える愛の主体的な立場に立たれ、与えてはまた与えようとなさる本性がその作用を続けることによって永存できるのです。ですから、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様にとって真の愛の同伴者として造られた人間が、神様の願いどおりに成熟し、絶対不変である真の愛を神様から相続していたなら、人間世界には、根本的な統一の歴史が展開されるのであって、戦争や血を流すような悲惨な歴史はなかったはずです。

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2.世界女性時代の到来 日付:一九九二年四月十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック•メーンスタジアム

行事:「世界平和女性連合」創設大会および「アジア平和女性連合」ソウル大会

韓鶴子総裁、満場の「アジア平和女性連合」の会員の皆様、そして各国から参席された代表の皆様。私はきょうのこの大会が今後、韓国の女性史はもちろん、全世界の女性史において重大な意味を記す偉大な集会となることを信じて疑いません。

なぜなら、今日まで歴史を発展させ導いていく主体的な力量は男性によって発揮されてきましたが、きょうのこの大会が「世界女性時代の到来」を宣布する世界的転換の契機となるからです。

私は、今日まで男性が主導してきた世界の実情を一言で言うと、闘争と罪悪の歴史であると結論を下さざるを得ません。ですから人類は、このような罪悪と闘争の世界から解放される、善と平和が満ちあふれる幸福な世界を夢見てきたのではないでしょうか。

人類を子女として造られた創造主の神様がいらっしゃるならば、人類が今日まで数千年間戦争と罪悪の中で、どうにもなすすべがなく苦しんできたその現場を見つめながら、人類を救援する方策を講じずにはおられませんでした。それがすなわち、宗教による人類救援の摂理です。

私は宗教指導者として、宗教による神様の救援摂理だけが人類に残された最後のただ一つの希望であることを説いてきました。有史以来今日まで、数多くの偉人や英雄たちが身命を賭して努力してきましたが、戦争と罪悪の世界は一度も根本的に変化したことがありませんでした。すなわち、政治的や経済的な方法によってはこの罪悪世界を変える道はないのです。

それは今日、世界的な強大国であり先進国だと自負する国々の現実を見れば、あまりにも明白な事実です。道徳の退廃は、人類の未来を脅かしています。不倫と退廃は、家庭の存立基台までも破壊してしまいました。経済的な富に比例して、道義の退廃と性道徳の乱れ、麻薬の拡散は深刻な事態に至っています。人類は、今やこの性的退廃という持病のような一番の罪悪からいかにして逃れるかという問題に直面しています。このような退廃の沼から人類を救援する道は、政治や経済、軍事力によっては不可能なのです。

女性連合の会員の皆様、そして各国の代表の皆様。今から七十二年前、私が生まれた一九二〇年の頃、韓国は日帝の植民地下にありました。そのとき私は、強大国に蹂躙される弱小民族の苦痛と悲しみがいかなるものかを骨身にしみて体験しました。青少年時代だったその当時の私は、この悲惨な戦争と罪悪の世界を救援する道とは何であるかを深刻に悩まざるを得ませんでした。結論は、政治や軍事、または経済力による救援は表面的、一時的なものにすぎず、宗教による救援だけが根本的な道であることを悟ったのです。

なぜなら、宗教を通じた神様の救援摂理は、悪のサタン勢力が奪っていったすべての所有権を、反対を受けながら取り戻す戦略だからです。悪の勢力は善を打ちながら滅んでいき、善は打たれながら悪を自然屈伏させるというのが、宗教による解決方法なのです。そのようにして私は、十代の青少年時代以降、今日まで六十年以上の間、ただ一つの道である宗教的真理の悟りと教え、その実践運動に全生涯を捧げてきました。今や私の解き明かした真理の大系である「統一原理」は、全世界百六十ヵ国以上に広がっており、その中には共産国家だったソ連や東ヨーロッパはもちろん、北朝鮮の地にも急速に伝播されているばかりでなく、イスラーム圏である中東地域にも多くの信徒が生まれつつあります。

今まで韓国をはじめ、いくつかの国で統一教会が多くの迫害と苦難を受けてきました。しかし、統一教会は今や、地球星のどこにおいても、誰も抜き取ることのできない確固不動の根を下ろしました。

満場の女性連合会員の皆様。神様がこの罪悪世界を救援される根本的な手段であるすべての宗教では、メシヤ、すなわち救世主を待ち望む思想がその中心に入っています。

キリスト教ではイエス様の再臨を信奉し、仏教では弥勒仏の顕現を期待し、儒教やイスラームでも、その教団の教主が再来して罪悪と闘争の世界を審判し、全人類が願う善の理想世界、すなわち天国を実現するようになると預言しています。すなわち、すべての宗教が、その教主の再臨によってのみ、この罪悪の世界が救援されると教えているのです。これがすなわちメシヤ思想です。ですから、すべての宗教的教えの根本を統一し、全宗教人たちが待ち望むメシヤ、弥勒仏、真人、正道令などの役割を果たすことのできる真理の指導者、真の愛の指導者でなければ、この世の中を救援できないのです。

その指導者は、人類の始祖が堕落することで罪悪と闘争の世界になったその原因を明らかにするでしょう。あらゆる罪悪の根本の根である原罪を解明することによって、人間を罪悪から解放する真理を究明するでしょう。人類の始祖アダムとエバは、自分らの犯した原罪によって偽りの父母になったため、再臨されるメシヤは人類の善の始祖として、全人類を新しく生み直す真の父母として来られるようになるのです。真の父母は、空中で雲に乗って再臨されるのではなく、今日この時代、私たちが生きているこの地上に、韓国人として来られ、平和の統一世界を主導されるようになるのです。

私は過ぎ去った七十年の生涯にわたり、数多くの迫害を受けてきながらも、屈することなく、このような教えを全世界で実践してきました。このように見ると私の妻である韓鶴子総裁は、私と共にこの苦難の道を歩んできた全世界の女性の代表者であると言わざるを得ません。私が、天のみ旨に従い正義の道を歩む間、不義の勢力から迫害を受け、投獄される辛苦を共に味わいながら、私の妻は良心的で正義感のある女性たちによる新しい平和運動を起こす決意をしたのです。それが正にきょうのこの大会として結実したのです。

民主と共産に分断された韓半島は、世界の中心地であり、私は、南北統一こそが世界平和統一の鍵になることを知り、今日まで世界の至る所で、この課業のために全身全霊を傾けてきました。昨年(一九九一年)の十一月、私が北朝鮮を訪問して金日成主席と会談をしたのもこのためでした。今や世界のすべての宗教が統一される日も遠くありません。韓半島における南北統一の日も遠くないのです。

私の妻が総裁を務める「アジア平和女性連合」のソウル大会に世界七十ヵ国以上の女性代表が列席する中で、きょう「世界平和女性連合」を創設する趣旨もここにあるのです。大韓民国が神様の救援摂理の中心国家であり、その祖国だからです。あらゆる宗教を見ると、女性が男性よりも多くの精誠を尽くし、数的にも男性を圧倒しています。聖書には、来られる再臨のメシヤを新郎として迎えるために、新婦の準備をすることがキリスト教信者の真の信仰であると記録されています。このみ言は、すべての宗教は来られるメシヤの前に、女性、すなわち新婦の使命を果たすために準備されたという意味でもあります。

今やメシヤとして来られる真の父母の前に、今まで男性たちが主導してきた戦争と暴力、抑圧と搾取、犯罪の世界を終結させ、平和と愛、そして自由があふれる理想世界を実現する真の働き手が、正にこの時代の女性たちなのです。今まで正義と善を打って反対し迫害してきた悪の勢力が、これ以上横行できないようにすることも、女性たちの使命です。きょう、この場に列席した十五万人の韓国の女性たちは、韓鶴子総裁を尊敬し、「世界平和女性連合」の基本理念である「頭翼思想」と「神主義」で武装し、訪ねてくる世界の女性たちを教育できる指導者にならなければなりません。

人類の真の父母となられるメシヤが再臨するこの時代、韓国と北朝鮮が愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が一つになる正にこの時代、全人類が人種と理念を超越して、平和の新世界を創造するために召命された皆様に、神様は無限の祝福を与えてくださるでしょう。「アジア平和女性連合」ときょう創設される「世界平和女性連合」の前途に、神様の偉大な祝福と栄光があることを祈りつつ、これで私の激励の辞を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

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神様は、人間を創造されるとき、なぜ男性と女性が互いに相対となるように造られたのでしょうか。それは真の愛ゆえにそのようにされたのです。真の愛の中で、夫は妻と、妻は夫と愛を分かち合うようにするためにです。夫と妻がこのように互いに横的な愛を分かち合うことによって、夫と妻の根源であられる神様の愛を所有するようになるのです。

すなわち、横的な男性と女性の愛によって、人間は縦的な神様と愛で結ばれるようになるのです。言い換えると男性と女性が結婚するのは、真の愛を中心に互いの世界を横的に占有するためであり、縦的には神様の愛を占有するためなのです。真の愛には相続権があるので、創造主と被造物が自分の所有となります。人間の欲望は、ここにおいて達成されるのです。

このような点から、女性は男性がいなければ神様の愛と出会うことができず、男性は女性がいなければ神様の愛を所有できないのです。そのため、男性と女性は、神様の愛を所有するという立場において、互いに平等な価値をもつことになり、一体になった夫婦が神様の真の愛のパートナーになると同時に、創造主と人間は、真の愛を中心として平等の価値をもつようになるのです。

このようにして、神様によって最初に造られた男性と女性が真の愛を成就すれば、彼らは真の父母となり、神様の愛を実現する始発点となるはずでした。しかし、不幸にも、人類は、神様の代身として真の愛の実体となるべき真の父母を失ってしまったので、このような真の父母の理想を再び回復し、真の愛を中心とした真の家庭と社会、国家、世界を実現する起源をつくらなければならなくなったのです。

ですから、これからの世界は、単に地理的に近くなる地球村時代ではなく、真の愛を中心としてつながる地球家族時代を迎えなければならないのです。文鮮明牧師は、この真の愛の絶対的な道を知るがゆえに、数多くの迫害と苦難を受けながらも、自分のためではなく、神様と人類のために生きてきたのであり、その結果、今日のこの世界的な統一教会の基盤を築いたのです。

のみならず、このように世界的な仕事をしてきた文牧師の妻として、私自身も、この真の愛を中心とした勝利の縁があるので、夫の痛みを骨身に深く刻みつつ家族全体と分かち合うことができたのであり、いかなる困難にぶつかったとしても、孤独な立場である夫のことを思いながら、表情に出さず、笑顔を失わないように努力してきたのです。

そのようにして、女性としての真の幸福を、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛の中に見いだそうと、ために生きる生活を続けているうちに、自然と私の生涯の目標が、真の愛を中心として、きょうはきのう以上にために生きて感謝し、またあすはきょう以上にために生きて感謝しながら、一層努力する人生になったのです。また私が今日、立派に成長した十三人の子女の母親として、その役割をうまく果たし得たのも、やはりこのような真の愛を中心として私の家庭が一つになれたからだと思います。どの家庭でも神様が臨在されれば、父母も子女もみな、神様の愛と生命と希望を共に分かち合うことができるからです。

尊敬する「アジア平和女性連合」の指導者の皆様。来たる二〇〇〇年代は、米ソ両国の対立時代でも、多国による混乱の時代でもなく、神様の真の愛を中心とした神様の世界にならなければなりません。経済力や軍事力による世界支配の論理が存在していた弱肉強食の時代は過ぎ去り、今や神様の真の愛を教える「神主義」に基づいて、東と西、南と北、そしてすべての文化と人種と思想が一つに溶け合い、一つの世界をつくらなければなりません。

「神主義」は今、アジアから出発して、アジア太平洋文明圏を建設しなければなりません。「神主義」を中心としたアジアは、これ以上の反目や葛藤、闘争があってはなりません。自分のためよりも、全体のために生きようとする真の愛の実践によって、アジア人自らが世界平和を成就する見本を示さなければなりません。

世界から富の祝福を受けた日本の行くべき道は、今や世界のために生きる「真の愛の精神」を土台として、世界の痛みを自分の痛みとし、世界の問題を自分の問題として、世界のために犠牲となり、奉仕することによって、世界平和建設の主役にならなければなりません。

既に文鮮明牧師は、今年の八月二十七日と二十八日に、韓国のソウルで「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」を結成しました。地球上の諸宗教は、唯一の神様を中心として全人類を結集させ、真の愛をもって結束させる使命をもっているにもかかわらず、歴史の流れとともに数百、数千に分かれてしまい、かえって宗教相互間の葛藤や闘争はおろか、真の神様を指向する人類の信仰の道までも、混乱に陥れてきたのが現実です。

宗教の名のもとに無実の人々を罪ある者と決めつけ、神様の名を借りて血を流す戦争を数多く経験してきた歴史的事実を直視したとき、このような宗教が一つにならなければ、人類の心の世界は一つになれないばかりか、地上の平和世界ははるか遠くに追いやられてしまうしかありません。このような点から見て、今年、世界の宗教が連合する機構が結成されたことは、正に歴史的な壮挙と言わざるを得ません。

また過去、第一次世界大戦時には国際連盟、第二次世界大戦時には国際連合が、それぞれ戦後の問題を解決するために設立されましたが、今日、第三次世界大戦と言える、過去四十数年間の冷戦時代が残してきた数多くの深刻な問題を解決するには、全く力不足であるというのが実情です。

人種や文化の葛藤の解決、貧富の格差の解消や自然保護、そして真の倫理的価値観の確立などが、現代の人類が世界的次元で新たに取り組んでいかなければならない課題です。このような観点から、「世界平和連合」という新しい国際機構が、真の愛と「神主義」という新しい理念を中心として設立されたことは、実に時宜にかなったことだと言わざるを得ません。

さらに一歩進んで、人間の心と体を代表するこの「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」が共に、世界平和という共通の目標に向かって一致した方向を取り、互いに協力し合うことのできる相互基盤が築かれたという事実は、既に世界平和の建設が目前に迫っていることを示すものです。また、文鮮明牧師は、世界平和のための重要な環境的条件を、既に準備したのです。

尊敬する日本の女性代表の皆様。これから皆様がアジアと世界のために与えようとする真の愛の実践者となるならば、きょうのこの歴史的な大転換の時点は、日本はもちろんのことアジアが世界へと飛躍できる重要な出発点となるでしょう。

皆様がアジアの母、世界の母として生活舞台の幅を広げ、次元を高めて、新しいアジア、新しい世界建設の先頭に立ってくださることを切に願うものです。これこそが、誰も避けることのできない、歴史が今日の私たちに与えた宿命的課題なのです。

アジアが神様の真の愛を中心として正しく立つとき、アジアの未来は無限に明るくなります。さらに、この世界に永遠の平和の秩序が定着する希望の未来が約束されるのです。新しいアジアの平和と世界の未来のために、より一層の努力をしてくださることを切にお願いいたします。ありがとうございました。

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1.アジアと世界を救う真の愛運動 日付:一九九一年九月十七日

場所:日本、千葉、東京ベイNKホール

行事:第一回「アジア平和女性連合」日本東京大会(真のお母様)

尊敬する大会委員長、「アジア平和女性連合」の会員の皆様、来賓の皆様、そして日本全国各地から集まってこられた女性指導者の皆様。今日の歴史的な大変化のただ中にあって、これまでわずか五年足らずの間に、「アジア平和女性連合」がこれほどの成長を遂げ、かくも立派な大会を開催することになり、衷心よりお祝いを申し上げます。

皆様の国、日本は、終戦の廃墟の中から立ち上がり、「現代の奇跡」と呼ばれるほどに、わずか四十年で世界一の経済大国を建設し、世界の人々の羨望の的となっています。さらに幸いに思うのは、このような驚くべき産業発展を遂げながらも、日本は東洋に受け継がれてきた伝統的価値を失うまいと努めながら、家庭と社会教育の問題に多大な関心と努力を傾けてきたことです。このような立派な成功の背後には、誰よりも女性の皆様が、細やかで犠牲的な母として、また献身的な主婦として、家庭を健全に育て守ってこられたことが、その大きな基礎となっていることを、私もやはり女性の一人として、誇りに感じています。

「アジア平和女性連合」の指導者の皆様。世界は今、歴史的な大転換期を迎えております。一九一七年のロシア革命以来、七十年近くにわたって、世界の半分以上を席巻しながら数億人もの人々の血を流し、全人類を恐怖と戦慄のるつぼに追い込んできた共産主義の宗主国ソ連が、ついにその赤い旗を降ろし、歴史の彼方へと消え去ることになりました。

これは取りも直さず、神様を否定する無神論の世界観が敗亡したことを意味し、葛藤と闘争と憎悪の哲学が、その限界を露呈し、共産党による一党独裁体制がその破滅を宣言したものです。しかし、このような共産主義の滅亡は、私たちに一つの重要な事実を悟らせてくれます。それはすなわち、共産主義の滅亡は、決して自由民主世界の勝利を意味してはいないという点です。経済的平等を主張して出発した共産主義が、かえって経済的な破綻によってその終焉を告げたように、自由の理想を唱えて立ち上がった自由民主世界もまた、その自由というものの陰で、性道徳の紊乱や暴力、麻薬中毒など、激しい価値観の混乱による社会的破綻を迎えているのです。

戦後四十数年にわたる冷戦時代は、結局のところ、左右双方が敗者となって勝者なしのゲームの幕を下ろすことになったのです。今こそ共産主義世界だけでなく、自由民主世界も新たに救済されるべきときであることを悟らせてくれているのです。

このように、西洋を出発地とした資本主義と共産主義は、いずれもそれ自体が物質的価値に基礎をおいているため、精神と肉体を兼ね備えている人間の真の欲望を満たすことができず、その限界があらわにならざるを得なかったのです。そのため、今日の世界においては、精神的価値を強調してきた東洋社会の中心的役割が、絶対的に必要な時代になりました。歴史的にも、アジア大陸は世界の精神文明の産室となってきましたが、ついに今や東洋が精神的な主体として、世界史的使命を果たす時が来ているのです。今の時代が「アジア太平洋時代」と呼ばれるのもその意味であり、これは実に、「もう一つの歴史的大転換期」と呼ばれるようになるのです。

尊敬する女性指導者の皆様。過去半世紀にわたり、日本が産業を発展させ経済的に豊かになりながらも、日本社会がその歴史的価値を立派に守ることができたのは、女性たちが自発的に、献身的、犠牲的に家庭を守ってきたからであると私は思っております。事実、歴史的価値の中で最も重要なものは、家庭を中心とした価値観であると思います。

昔の諺に「家和万事成」という言葉があります。これはすなわち、家庭こそが平和の根本であるという意味です。

そして、このような家庭を築く上で最も重要な要素が真の愛です。真の愛とは、愛の中でも神様を中心とした絶対愛のことをいいます。すなわち、愛せないものまでも愛するのが真の愛なので、真の愛によれば怨讐までも愛さざるを得なくなるのです。さらに相手のために生命までも捧げる犠牲的な愛が真の愛です。そのため、真の愛のもとでは、個人はもちろん、社会や国家間の対立や葛藤さえも完全に超越し、溶かされて、真の平和が成就するのです。

この真の愛は、創造と繁殖と発展の原動力となります。つまり、すべてのものは投入すれば消耗し、終わってしまいますが、真の愛は投入すればするほど大きくなり、さらに増加して返ってくるのです。そのため、このような真の愛の中でのみ「永生」という言葉が可能となり、真の愛を実践する家庭と社会は永遠に滅びることなく発展するのです。

このような点から見ますと、私の夫である文鮮明牧師が教えてきた「ために生きる」という言葉は、平和な世界を建設する基本的な指針となるものです。このような真の愛の起源は、神様にあります。そして神様は、このような真の愛を実現するために人間を創造されたのです。

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盲目的信仰の時代ではない 皆様は、このようなことは夢にも考えなかったでしょう。神様のみ旨を成就するために、サタンの国を滅亡させ、サタンの王権をなくし、人類を取り戻そうとされた主が、このように悲惨に死んでいかれたという事実を今からでも知って、キリスト教とユダヤ教は悔い改めて、一つにならなければなりません。一つになって、再び来られる主を迎える準備をしなければなりません。

真理は、理論に合わなければなりません。今こそ、盲目的な信仰の時代をはねのけ、新しい世界に向かって、この世界を収拾し救うために、全世界のキリスト教徒は、一つに団結しなければならないときが来ました。ですから、「統一」という言葉が必要な時が来たことを知らなければなりません。

イエス様が亡くなられた後、三日間、苦しみを受けられたという事実は、何を意味するのでしょうか(ベテロI三•一九)。天地は死亡圏にあり、地獄も死亡圏の因縁をもっているので、イエス様が天地を主管されるためには、この死亡圏を下にも乗り越え、上にも乗り越えなければならなかったのです。ですから、地獄のような、一番底の境地に行って苦痛を受けたとしても、それを乗り越え、生命の関係を追求し、神様を慰労する希望の道を行かなければなりませんでした。

したがって、イエス様が、地獄のようなその環境を経ることによって、希望の天国に向かって再出発できる道がつくられたのであり、地上では、捨てられ、追われ、死の道を行かれながらも、希望の道を後世に残すことができたのです。ですから、イエス様は、三日路程を行かざるを得なかったのです。

三日間、イエス様は、地獄を見物するために行かれたのではありません。地獄を知らないイエス様ではありませんでした。イエス様は、そこに行かれて判決を下し、死亡世界から生命の世界に行く道を開いておかなければならなかったのです。そのようにして、死亡の地獄世界であるこの地上に、勝利の基盤を築かれたのであり、天国に行くことのできる起源をつくっておかれたのです。

イエス様は、教団の前では異端者として、民族の前では律法の破壊分子として追われました。御自身の氏族から追われ、家からも追い出されました。洗礼ヨハネの一党からも追われました。それで、イエス様は荒野に出ていかれたのですが、そこでもまた、サタンに追われたのです。しかし、それだけでは終わりませんでした。最後には、全体が動員されて、十字架の死の道、ゴルゴタの道に追いやられたのです。

しかし、反逆者として追いやる民族に向かって、かえって涙を流されたイエス様でした。イエス様は、ユダヤ教団から異端者として扱われたのですが、イスラエルのいかなる祭司長よりも、彼らのために、より多くの血の涙を流された人でした。その時代の誰一人として、御自身の味方になってくれる人がいなかったのですが、イエス様は、その時代の友でした。民族の反逆者として迫害されたのですが、民族の忠臣であられたのであり、教団の異端者として迫害されたのですが、教団の忠臣であられたのです。

イエス様の道は、始めから終わりまで、引き裂かれ、追われ、倒れる、十字架を背負った凄惨な歩みでした。しかし、それだけだったでしょうか。むちを持った無謀な悪党たちによって追いやられるという、そのような境遇に追い込まれることもありました。このような立場で、もし、イエス様がエリヤのような人だったならば、彼も、「ただわたしだけ残りました」(列王紀上一九・一〇)という祈祷をしたでしょう。

しかし、イエス様は、ゲッセマネの園で、三人の弟子を後ろにおいて祈祷されるとき、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六•三九)と祈られました。そのことが偉大だったのです。御自身の事情も哀れでしたが、自分の一身は民族の祭物であり、人類の祭物であり、天倫の祭物であることを御存じだったのです。

イエス様の悲しみと神様の恨 そのようなことを御存じだったイエス様は、御自身の悲しみも悲しみではありましたが、天の悲しみがどれほど大きいものかを心配する気持ちのほうが大きかったのです。民族のために現れたにもかかわらず、民族に裏切られる、そのような自分を見つめられる天の悲しみのほうが、どれほど大きいかということをより心配されたのです。イエス様は、天の王子であられ、万宇宙の主人公であられ、メシヤであられました。そのようなイエス様が、「凄惨な十字架で落命とは、どういうことでしょうか」と言って嘆息しようとすれば、この宇宙を動員して嘆息することもできたのですが、嘆息できない自分であることを感じられたので、追われる立場に立つようになったことを、むしろ天に面目なく思われたのです。

教団を糾合し、民族を糾合して、天の王国を建設し、世界を父の懐に抱かせてさしあげなければならない責任を担われたイエス様は、その使命を残したまま十字架の道を行かれるようになるとき、恨みは何も感じられませんでした。イエス様が、「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈祷されたのも、自分の一身の死が悲しかったからではありません。自分の一身の死によって、民族の悲しみと天の悲しみが加重されることを知っておられたので、そのように祈られたのです。

イエス様は、自分が十字架で倒れれば、後代の世界人類に加重されることになる十字架が残され、そのことによって、悲しみの歴史は終わらないことを御存じでした。ゴルゴタの道が終わらないことを御存じでした。死の道が終わらないことを御存じだったのです。そして、自分がゴルゴタの道を行けば、自分に従う人々もまた、ゴルゴタの道を歩まなければならないことを御存じでした。

十字架だけでなく、それ以上の困難な道が残されることを御存じのイエス様でいらっしゃったのです。両手両足に釘が打ち込まれ、わきを槍で突き刺されて血を流す立場、茨の冠をかぶる立場に立ったとしても、それが自分で終わらないことを御存じだったイエス様は、天に向かって「すべてが終った」と言われました。そのみ言は、人間世界において、十字架の道がすべて終わったということではありませんでした。十字架のために涙しながら案ずる心の訴えが、天に通じたことを示しているのです。このように、イエス様は、数多くの預言者や烈士が、天に対して犯したすべての過ちを背負われ、天を慰労してさしあげるために、自分自身を生きた祭物として天に捧げられたという事実を、私たちは知らなければなりません。

それでは、ここでイエス様に対する神様の心情は、どのようなものだったでしょうか。死にゆくイエス様のその姿、天を案じながら十字架の峠を越えていくその姿を見つめられるとき、人間世界に対する憤りがあるとすれば、これ以上の憤りはなかったはずであり、天の四千年間の歴史路程を見ても、これほど大きな憤りはなかったでしょう。しかし、イエス様御自身は、死にゆくその中で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三•三四)と言われました。神様には、即座に、ノアのとき以上の審判をしたいという思いがあったのですが、イエス様が、民族をつかんで亡くなられ、教団をつかんで亡くなられ、十字架をつかんで亡くなられたことによって、人間を捨てることができず、そのままつかんでこられたのです。そのような心的な関係が、後代の人間、残されたイスラエル民族と結ばれていたので、神様は、背反する後代の教団と人間たちを捨てることができずに、つかんでこられているのです。

四千年間、復活摂理を通して救いの役事をしてこられた神様は、イエス様を復活させる摂理だけでは、天上のみ旨と地上のみ旨を合わせて完結させることができないので、新しい契約を立てられ、それをもって、天上と地上のみ旨を合わせて、約束された本然の園を取り戻す摂理をしてこられたことを、皆様はよく御存じだと思います。

聖書を見るとイエス様は、与えた杯とパンが、すなわち新しい契約であるとおっしゃいました。イエス様が昇天されたのちに、私たちは、そのイエス様の血と肉を受けたのですから、これは、やがて成し遂げるべき全体の生命を身代わりすると同時に、全体の摂理を身代わりしたものであることを、皆様は知らなければなりません。イエス様の血とイエス様の肉を受けるということは、何を象徴するのでしょうか。それは、イエス様一個人の血と肉を意味するのではありません。大きくは、天と地を意味するのであり、小さくは、中心と個体を意味するのです。また、肉は真理を象徴し、血は神霊を象徴します。これらすべてのものを、イエス様は、私たちに何の条件もなしに下さったのです。

神様と人間との間を塞いでいるものは何でしょうか。天のみ旨が地上に現れ、地上の全体の状況が、天のみ旨に帰結され、一つの目的をもって動かなければならないのですが、それが塞がってしまったのです。

イエス様が、新しい契約を立てていかれたので、彼が亡くなったあとは、霊的な世界と肉的な世界が、人、すなわちイエス様に従う使徒を中心として連結されなければならない、という条件が残されました。イエス様が亡くならなければ、イエス様を中心として、天と地が連結されて一つになっていたのですが、亡くなられることによって、イエス様は、天に代わって条件を立てるようになったのであり、聖霊は、地に代わって条件を立てるようになったのです。

今は天一国を安着させるとき 尊敬する貴賓の皆様。しかし、今や時が来ました。神様が六千年間、待ち続けてこられ、キリスト教徒が二千年間、待ち望んできた超宗教、超国家、超NGO(非政府機構)圏次元の平和統一世界である地上、天上天国を建設すべき天の時が来たのです。ついに天運が到来したのです。天上のイエス様とぺテロ、ヤコブなどの弟子たちはもちろん、数千、数万の宗教指導者が一心一体となって、自由自在に地上に再臨し、真の父母様に侍って、神様のみ旨である「天一国」、天と地が一つになって、永遠の平和を享受して暮らす天国を、必ずやこの地上に安着させるでしょう。

今や、第二イスラエル圏であるキリスト教国家のアメリカが、先頭に立つべき時が来ました。銃剣によるのではなく、真の愛と真の生命と真の血統を基盤とした、真の真理とために生きる真の愛で、全世界の人類を教え導かなければならない責任が、アメリカにあるという点を、私はきょう、この場を借りて満天下に宣布する次第です。

最後に、このような崇高な天命に従い、「ワシントン・タイムズ」とUPI通信のような主要言論媒体も、これからは、超宗教的な側面と超思想的な側面を通じた汎人類教育に、より一層、積極的に乗り出してくださることをお願いする次第です。併せて、霊界の指導者たちが送ったメッセージを収録した冊子を配布しましたので、熟読してくださるようお願いします。ありがとうございました。

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右の強盗とキリスト教 民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、今後来られるメシヤは、神様を尊重する民主世界の内的な基盤の上に来られ、外的な環境圏を吸収し、主流のキリスト教文明圏を中心として、様々な文明圏を統合する運動をしなければなりません。歴史の最後には、このような運動が起きるのです。そのようなことが偶然とばかりは言えません。そのような動機の種が蒔かれたので、そのような結果が結ばれるのです。

十字架で亡くなられたイエス様は、強盗殺人犯である右の強盗とともに亡くなられました。もし右の強盗がその場にいなかったとすれば、イエス様は、地上に対して、また人間に対して、関係を結ぶ何の縁も探し出すことができなかったでしょう。しかし、右の強盗が、死ぬ立場にあったにもかかわらず、イエス様の味方に立ってイエス様を擁護したのです。人類歴史上、イエス様の味方に立った最後の人は誰だったでしょうか。それは、ぺテロでもなく、イエス様の父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。ただ一人、右の強盗だったのです。

死の場において、自分の因縁を通告し、死を乗り越えて、イエス様に全幅の信頼をかけた、ただ一人の人がいました。その人が、正に右の強盗だったのです。もし、右の強盗がいなければ、イエス様が復活して地上摂理を再開できなかったという事実を、皆権は知らなければなりません。

四千年の歴史を締めくくり、三十数年間の生涯を締めくくるその場において、ただ一人でしたが、初めてイエス様と関係を結び、死の道に同参してまでも、イエス様を希望の主体とし、イエス様に侍ることができた人が、右の強盗だったのです。彼が中心になっているという事実は、彼が使徒たちよりも勝っていることを物語っているのです。ペテロよりも勝っているのです。

なぜならば、右の強盗は、内容は知りませんでしたが、死の場において、その生命が尽きるときまで、イエス様に侍る方向性を備えたからです。しかし、ぺテロやヤコブのような十二使徒たちは、内容を知っていながらも、そして一つの方向性を備えるという誓いまでした人たちでありながらも、最後まで、その方向性を備えることができませんでした。ですから、右の強盗が、人類の歴史上において、地を身代わりして、未来を再起させることのできる中心的な存在になったという事実を知らなければなりません。

聖書を見たときに、イエス様が、個人的、家庭的、民族的、国家的な条件を立て、サタンと闘って完全に勝利したことがあったでしょうか。勝利したことがありませんでした。イエス様にも屈服しなかったサタンが、ましてやイエス様を信仰する人に対して屈服すると思いますか。六千年間、神様に讒訴し、神様のみ旨を蹂躙して、神様の摂理を台無しにしてきた、偽りの知恵の大王であるサタンが、イエス様を信仰する人が、「退け」と言ったからといって、退くと思いますか。そのためには、相続権が伴わなければならないのです。

私たちには、歴史的な相続権がなければなりません。アダムからノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス様以後までの伝統と基盤を受け継いで、歴史的な祭物を身代わりした相続者にならなければなりません。そのようにして、サタンに、「お前は、歴史路程において、ノアに敗れ、ヤコブに敗れ、モーセに屈服したではないか。私は、彼ら全員の勝利の基盤の上に立っているのであり、摂理歴史のすべての伝統を相続したのだから退きなさい、このサタンめ!」と叫んでこそ、退くようになっているのです。

無条件に「サタンよ、退け!」といくらでも祈祷してみてください。六千年間、神様に讒訴し、蹂躙しながら、復帰摂理を破錠させてきたサタンが、「私は、イエス様を信仰しているのだから退きなさい」と言ったからといって、容易に退くと思いますか。それはあり得ないことです。「私は、間違いなく、歴史的な神様の心情を通して神様が探し求めてこられた者である。私は、イエス様の神聖な聖体に接ぎ木された者である」と言うことができなければなりません。

イエス様が神様から受け継いだ相続の系譜、すなわちイエス様をこの地に送られるときまでの四千年間の神様の心情的相続譜に載っていなければならないのです。そうして、十字架上においてサタンに勝利するのではなく、十字架にかからずに屈服させて勝利しなければなりません。肉身をもって実体復活しなければならないのです。そのような実体の相続者として認定された人であってこそ、天国に入っていくことができるのです。

霊的救いの摂理の土台を残したイエス様 今までのキリスト教は、霊肉の地上天国を願ってきたのではなく、肉的世界は放棄してしまい、霊的救いを目標として、霊的王国における霊的メシヤとしてのイエス様に侍ってこざるを得ませんでした。言い換えるとイスラエル民族には国があり、選民的国権をもつことができたのですが、今日、全世界のキリスト教は、第二イスラエルの霊的国家なのであって、主権国家、すなわち国がないのです。キリスト教徒は、霊的第二イスラエル圏内に立っているので、肉的基盤をもつことができず、霊的基盤だけをもっているのです。したがって、霊肉を中心とした地上天国を完結しなければならないという、神様の本然のみ旨を成し遂げることができなかったので、主は再び来ざるを得ないという事実を知らなければなりません。

きょうここで、皆様に一つ宣言しようと思うことがあります。それは、十字架の場においては、神様は勝利されたのではなく、サタンが勝利したという事実です。ゲッセマネの園で、イエス様が、「今は……やみの支配の時」(ルカ二二•五三)と宣布されたことを、皆様も覚えていらっしゃるでしょう。十字架の場は、神様が四千年間、準備してこられた国を失ってしまった場であり、イスラエルの教会を失ってしまった場であり、洗礼ヨハネの一党と十二弟子、右の強盗など、すべてを失ってしまった場になったことを知らなければなりません。

十字架上には、キリスト教がなかったのです。それでは、キリスト教は、いつ出発したのでしょうか。イエス様が、亡くなられてから三日目に復活され、四十日の間、自分に背いた弟子たちに会われ、聖霊が降臨した後に出発したのが、キリスト教です。しかし、キリスト教徒たちは、二千年の間、十字架の道理ではなく、復活の道理によってキリスト教が生まれたことを知らずに、信仰してきたのです。このような事実を悟るならば、皆様は、すべて悔い改めなければなりません。イエス様が復活された土台の上からキリスト教が始まったので、キリスト教は、霊的なキリスト教なのです。

イエス様のみ言を詳しく調べてみましょう。イエス様が、十字架にかけられて亡くなられることが、神様のみ旨の成就だったとすれば、ゲッセマネの園におけるイエス様の祈祷は、間違っていたことになります。メシヤとしての資格がない祈祷だった、ということになるのです。それは、全く驚くべき事実です。メシヤとして、一度ならず三度までも、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六•三九)という祈祷をすることができるのかというのです。もし、イエス様が亡くなられるために来られたのだとすれば、イスカリオテのユダには賞金を与えなければなりませんが、イスカリオテのユダについて語られた「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」(マタイ二六・二四)というイエス様のみ言を、どのように解釈したらよいのでしょうか。

イエス様が、十字架上で亡くならなかったら、どのようになっていたでしょうか。イスラエルの国は、イエス様の教えに従って安定し、そのまま残り、ユダヤ教もそのまま残ることを、イエス様は知っておられたのです。しかし、御自身が十字架で亡くなれば、後世の数多くの人々が、十字架の道に従っていかなければならなくなるので、血を流さずしては、その道を行くことができず、数多くのキリスト教徒たちが苦労し、また、主が再び来られても苦労されることを、イエス様は知っておられたのです。

ですから、ゲッセマネの園において、イエス様は、そのような祈祷をせざるを得なかったことを知らなければなりません。今日、キリスト教徒たちは、イエス様も肉身をもっていらっしゃったので、死の苦痛が恐ろしくて、そのような祈祷をされたのだと言っています。しかし、イエス様がそのように取るに足らないメシヤだったのでしょうか。

皆様。十字架上で息を引き取られるとき、「すべてが終った」(ヨハネ一九•三〇)と言われたイエス様のみ言は、どういう意味でしょうか。イエス様は、霊肉共に救うための使命をもってこられたのですが、基盤のないこの地上では、神様のみ旨を完全に成し遂げることはできないことを悟られたのです。ですから、十字架を背負ってでも、霊的救いの摂理の基台を残し、また霊的救いの摂理を出発させることができる条件を立てるために、御自身のすべてを捧げて「すべてが終った!」と言われたのです。

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28.神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告 日付:二〇〇二年五月二十一日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ワシントン•ホテル

行事:「ワシントン•タイムズ」創刊二十周年記念式

尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、このように「ワシントン•タイムズ」創刊二十周年を迎え、私としては、とても感慨深いものがあります。一九八二年五月、私がニューヨークのマンハッタン連邦裁判所において、無念な思いで宗教裁判、人種裁判とも言える裁判を受けていた最中に、天の命令に従い、「ワシントン•タイムズ」創刊のための最終決定を下したときのことが鮮やかに思い出されます。

世界共産主義の波が怒涛のごとく全世界を襲っており、アメリカさえもそれに対して、なすすベがないという時でした。私は、民主世界の最後の砦であり、第二イスラエル圏のキリスト教国家であるアメリカを共産主義から守り、天がキリスト教を中心として立てようとした平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建しなければならないという、天の崇高なみ旨に従ったのです。決して、新聞社をつくって、お金を儲けようという思いからではありませんでした。これまで「ワシントン•タイムズ」だけでも十数億ドル以上を投入しましたが、決してそのことで後悔したり、誰かを恨んだりしたこともありません。それが、天と人類のための真の愛の実践だったからです。

アメリカに送る最後のメッセージ 私がアメリカに来てから既に三十年が過ぎました。今では私の年も八十二歳になり、還故郷の時が来たことを感じています。最後に私は、第二イスラエル圏国家であるアメリカと人類に、神様と霊界の実相についてのメッセージをはっきりと伝えてから、ここを発とうと思います。このメッセージは、単なるレバレンド•ムーン個人のメッセージではありません。この時代に人類が守らなければならないメッセージとして天が下さったものです。天のみ旨について、今まで人類は無知な状態で生きてきました。第一に、神様について無知であり、第二に、私たちが死んだのちに、否応なしに選択の余地なく入って暮らさなければならない霊界について無知でした。

しかし今は、人類歴史の終末を迎え、既に天上においては四大聖人をはじめとする数多くの宗教団体の指導者たちが、私の教えである「統一原理」を真の真理として受け入れました。彼らは今、真の新しい家庭編成のための祝福結婚を通して、地上の弟子や子孫に再臨協助することに総動員され、役事することを始めました。

第二イスラエル国であるキリスト教国家のアメリカのためには、特別に霊界から、イエス様を中心とする四大聖人と歴史上で有名な弟子たちが、それぞれ百二十人ずつ選抜され、統一された連合戦線を構築しました。今や彼らは、地上再臨を通して、「超宗教超国家連合」と「超NGO(非政府機構)連合」の活動を本格化させ、この地上に平和世界を完成しようとしています。

彼らは、真の父母の思想である「ために生きる生活」、すなわち真の愛の実践でなければ、人類の将来はないと叫んでいます。したがって私は、「神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告」という題目で、アメリカと人類に、この最も貴いメッセージを伝えることによって、きょうの記念の辞に代えさせていただこうと思います。

イエス様の十字架の摂理を注意深く見ると、右の強盗と左の強盗、イエス様とバラバがいたのですが、そのような形で種が蒔かれたというのです。「自分のまいたとおりに、刈り取る」という原則ゆえに、最初に現れたのが、イエス様を中心とする「右の強盗型」と「左の強盗型」である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場した「バラバ型」であるイスラーム圏です。イエス様によって恵沢を受けることになった「バラバ型」のイスラーム圏は、キリスト教の対立勢力を中心として出発したのです。

このように種が蒔かれた歴史は、世界の形態が四大陣営に結束するという時代の運勢に入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラーム圏を統合して、アラブ統一国家の夢を抱きました。そうかと思うとキリスト教は、「すべての宗教を統合しよう!」と叫びながら、世界的な新しい趨勢に入りつつあります。

このような世界的な傾向を見ると悲運の種が蒔かれた歴史が、ようやく今、神様を中心とした善の結果として現れつつあることが分かります。終末時代になれば、このような現象がますます露骨に現れ、最初に蒔いたものが、それと同じ姿の実が結ばれて刈り取られるようになるのです。それは、摂理の法度によって現れざるを得ない、不可避的な現象です。すなわち、真の愛主義である「真の父母思想」によって統一されるのです。

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27.新千年における言論の統一された方向 日付:二〇〇一年一月十五日

場所:日本、東京、京王プラザ•インターコンチネンタル•ホテル

行事:「二〇〇一世界言論人会議」(代読)

尊敬する元•現職国家元首、言論界の指導者、そして紳士淑女の皆様。私たちは今や新千年が始まる時代の第一歩を踏み出しました。人類はつい十年前まで、冷戦時代の恐怖の中で暮らしてきました。当時、全世界は、恐るべき破壊力をもつ核の脅威に震えなければなりませんでした。

しかし、今日では、政治、経済、文化など、ほぼすべての分野の障壁が崩れ、世界は一つの地球共同体へと変化しつつあります。私たちは、特に時間と空間を短縮させるマスメディア技術の発展により、人類歴史上、最も幅広い変化を経験しています。過去のいつのときよりも、個人は世界と、世界は個人と、より一層密接な関係をもつようになりました。

例えばインターネットは、皆様もよく御存じのように、ニュースや娯楽情報を得る方法を変化させており、誰でも自分のささいな意見まで全世界に伝達できるようにしてくれます。同様に、世界の重要なアイデアとイシューが、すべての人のコンピューターの画面に映ります。

二十世紀の初めにおける、科学技術開発の決定的な牽引車は電気でした。この頃は、巨大な情報の高速道路であるコンピューターの伝送容量がその役割を担っています。今日、ラジオ、テレビ、新聞、インターネットなどの言論媒体を通して、たった一日で得ることのできる情報量だけでもものすごい量です。問題は、人類がこのようなあらゆる情報を十分に消化して、善の目的のために正しく活用する意志と能力をもっているかということです。

ニュースと情報がこの世に氾濫し、その過程で私たちは商業化が進んでいく趨勢を目撃しています。情報は次第に商品として売られるようになっていくのです。そして、情報のもつ倫理的、社会的、道徳的影響よりは、情報の市場性、すなわち情報がいかに多く売れるかに重点が置かれています。「情報高速道路」が及ぼす影響を正しく評価するためには、この時代の驚くべき科学技術の発展のような外形的変化を見越す見識がなければならず、また言論に影響を及ぼす様々な内的側面に注目しなければなりません。

私たちは、より本質的な立場で虚心坦懐(きょしんたんかい)に、情報化時代が人類の心と霊魂にどのようにして肯定的、あるいは否定的な影響を及ぼすのかを検討してみる必要があります。地球村時代を迎え、私たちの願う言論とはどのようなものなのかを自問しなければならないときになったのです。今日は、歴史に対する言論の責任を明確に認識しなければならない時代です。

言論は人間生活の本質と家庭、国家などの諸般の制度と世界に影響を及ぼすという面から、言論の役割について皆様と共に考えようと思います。核心的な問題は、情報の伝達を誰が掌握するかということです。現在、先端情報技術を最も活発に活用する分野としては、商業広告、政治宣伝、それから大衆文化などが挙げられます。

情報技術が飛躍的に発展したからといって、私たちがより良い人間に変化し、より健全な社会になったと言えるわけではありません。情報技術の発展には、肯定的な面がある反面、かなり否定的な面もあるのです。

親は、子女たちが勉強を疎かにし、インターネットを通して非常に非道徳的で性的に乱れた環境でチャットに熱中して夜を明かす姿を時々目撃するでしょう。大衆文化にあふれる暴力的で扇情的な娯楽物は、現実からかけ離れた世界を形成し、人をして他人の途方もない現実的な苦痛に対して鈍感にさせながら、神様の願われる本然の愛の行為までも行うことができないようにさせるのです。

二十一世紀の人類は、冷戦時代よりも一層根本的で、危険ですらある各種の懸案に直面するようになるでしょう。私たちが直面することになる問題は、東西間の対立ではなく、価値世界の葛藤です。言い換えれば、道徳と非道徳の間の世界的な戦いになるでしょう。度が過ぎた商業化は、人間の尊厳性に否定的な影響を及ぼすようになり、それによって、神様が私たちの生活の中で共にいらっしゃることができないという結果まで招くようになるのです。言論媒体は、道徳水準の高い公平な基準を強調しようと努めていますが、その過程において、価値観とは関係なしに働く利潤追求という市場論理とその力に屈服する危険性があるのです。

不幸にも今日の社会的、文化的環境は、道徳的に堕落した状態に置かれています。家庭の尊厳性が破壊され、地上のすべての国家が苦痛と絶望の沼に追いつめられており、エイズによって、すべての国家が破壊される境地に至りました。道徳的規範を認めない言論文化が、いかにして若者が自己破滅の道へと向かうのを防ぐことはできるのでしょうか。そのような言論が、いかにして麻薬犯罪、離婚の増加、家庭崩壊、エイズ、性犯罪などを防ぐ方案を提示できるのでしょうか。これに対する答えは、私が言わずとも、皆様御自身がよく御存じだと思います。

現代の通信技術は、言論の自由の範囲を広げてくれています。インターネットによって、誰もが出版できるようになりました。おかしな表現に聞こえるかもしれませんが、私たちは今日、表現の自由があまりに多く、その中に溺れてもがいているのです。したがって、表現の自由をいかに行使するかは本当に重要な問題です。

今回の会議のメーンテーマは「新千年における言論の統一された方向」です。このようなテーマに対し、皆様のなかで一部の人は異なる意見をもつかもしれません。言論の自由という概念は、明らかに中心的方向がないことを意味するからです。しかし、ここで言う「統一された方向」というのは、言論の自由を行使する量的拡大よりは、人間の尊厳性と真の家庭、信仰の価値に重点を置いた社会規範を正しく立て直すための言論の質を念頭に置かなければならないことを意味します。

個人の価値と尊厳性は、真の家庭の安定した基盤の上で一層高揚され、光り輝くようになります。家庭は、男性と女性が互いに尊重し合い、和合しながら暮らすことを学べる最高の場所です。結局、人々は、人生で最も重要な要素である真の愛を、家庭の中で完全に学ぶようになるのです。世の中に対する価値認識は、一次的に両親や兄弟姉妹から影響を受けるようになります。家庭は、愛を学ぶ最初で最高の学校です。家庭こそが、理想社会と平和世界の礎石なのです。ですから、真の家庭の価値は、言論によって保護され、尊重されなければなりません。

いくら社会が豊かで自由であり、すべての家庭にコンピューターがあって、光ファィバーによるインターネット•サービスが可能な環境を造成できていたとしても、その社会が家庭崩壊を防ぐことができないとすれば、市民に幸福をもたらす健全な社会にはなり得ないのです。

人間の尊厳性の根拠は、どこにあるのでしょうか。人類は本来、神様によって、神様の子女として創造されました。私たちが神様のことをしばしば「父」と呼ぶのはこのためです。そして、私たちの目標は、神様に似た子女として成長し、神様の神性を相続することです。さらに神様を中心とした個人は、同様に神様を中心として生活する家庭を形成するようになります。結局、全人類は、この真の家庭で、真の父母であられる神様の愛と生命と血統を受け継ぐようになるのです。

人間社会における宗教の役割は、人間と神様の関係を向上させる上で重要なものです。そのような意味で、信仰は必須的なものです。皆様がいかなる宗教を信じたとしても、その宗教が提示する皆様と神様との関係が核心となります。特に人間が信仰を通して、絶対、唯一、永遠、不変であられる神様と一つになるときに、人間の内的価値も、絶対、唯一、永遠、不変になります。ですから、信仰は、人間の尊厳性に必須不可欠な価値をもっているのです。

そのような意味で、信仰の自由、信仰生活、信仰に基づいた活動などは、理想社会を建設するための柱になるのです。このような信仰的価値観を土台とした人間の生活は、ために生きる神様の真の愛の世界へと人類を導いていくでしょう。すべての宗教が、信仰を土台として真の愛を実践するとき、世界は神様のもとの一つの兄弟姉妹として結ばれるようになるのです。

私が一九七八年に創設した「世界言論人会議」は、言論が抑圧されている地域では、言論の自由な表現の増進のために努力し、言論の自由が既に保障されている国家では、責任ある言論の自由を行使できるようにすることに寄与してきました。私は今回の会議が、今日の新しい環境において、言論の最善の行動指針を設定することに貢献することを期待します。

言論人は、人間の生で最も価値ある要素と世界平和を実現できる最善の方法に関する真理を伝達し、人類を啓蒙する、そのような勇気をしばしば見せてくれました。未来は、言論人である皆様の努力により、人類の絶対、唯一、永遠、不変の尊厳性が花咲き、私たちを世界平和へと導く真の家庭を実現する時代にならなければなりません。

そのような観点で、きょうはとても意義深い日です。世界各国の言論界の指導者である皆様は、今夜、私がお話しした内容を胸の奥深くに刻み込んでくださるようお願いします。健全な家庭と理想社会、そして平和世界の構築という使命は、私だけに与えられたものではありません。このような課業に、皆様も参加することを神様は願われています。

情報化時代に生きる皆様は、世界のどの地域にも行くことができ、世界のどの場所とも即刻的に意思疎通が可能なのです。しかし、皆様と皆様の国と世界のための神様のみ旨を成し遂げるために、皆様はニュースと情報がいかなる価値をつくり出し、世界にいかなる影響を及ぼすかということに対して責任感をもたなければなりません。さらに皆様御自身の生活は、真の価値をもつ生きた手本にならなければなりません。それさえできれば、皆様は、神様に栄光をお返しし、人類には希望と幸福をもたらすことができるでしょう。

私は今回の会議で、皆様の真摯な努力が、立派な結実を収めると期待しています。私たちは、すべての情報とニュースの伝達に必要な技術を、既に確保しています。皆様は神様と結ばれた中で、このような技術を効果的に適用できる真の人間の心情的価値と本性に関心をもってくださることをお願いします。神様の祝福が、皆様と皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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世界人類を苦しめる最も大きな問題は不倫と退廃 皆様。レバレンド•ムーンのこのような歴史と世界の変化に対する予知能力はどこから来るものでしょうか。それは言うまでもなく、私は宗教指導者として、神様との深い交流と、人類の未来に対する神様の計画とみ旨を具現しようとする私の絶対的な献身に起因したものであることを、きょう皆様に率直に公開する次第です。

私はいつも、神様の御計画にある未来世界の建設に対する準備を委託された現在の各界各層の指導者たちに、その責任を全うすることを訴えています。今や、冷戦時代は、終止符を打ちつつあります。人類は今、地球星で一人の神様のもとで全人類が兄弟姉妹として共生、共栄、共義の新千年のために準備しなければならない重要な時を迎えているのです。今はもう、共産主義か民主主義かと言って、いたずらに争い、競っていた時代は終わったのです。

二十一世紀以降の世界は、人類が、戦争のない平和の世界で自由と繁栄を謳歌しながら、愛と幸福を共有するようにしなければならないのです。東西間の理念対決の問題が終わったので、南北間の貧富の格差問題も、このような観点からアプローチしなければならないでしょう。

私がかつて科学技術の平準化を唱えて国際平和高速道路の建設を主唱したのも、世界が一つの家に統合され、相互依存せざるを得ない、そのような未来に対する洞察に起因したものです。

このような東西冷戦が終わり、科学技術が日に日に発展して、全世界が一つの共同体になるならば、二十一世紀において人類は、何の問題もなくすぐに平和と幸福を謳歌できるようになるのでしょうか。それはあり得ないことです。

冷戦時代よりも根本的で危険な問題が二十一世紀の人類社会を脅かすようになるのです。世界で人類を苦しめる最も大きな問題は、私が洞察したところによれば、正に家庭の価値を破壊する不倫と退廃の問題です。道徳的退廃こそは、人類を苦痛と絶望のどん底に陥れる原罪なのです。

未来の世界は、家庭の純潔を保存し、家庭の価値を守護する道徳律が定着するかしないかによって、天国と地獄の岐路に置かれるようになるでしょう。世界各国が共に悩む青少年の退廃と絶えず起こる麻薬犯罪、増加する家庭破壊と離婚、エイズの猛威、性犯罪などを政治権力で解決できるのでしょうか。現在の学校教育や宗教的教えでも解決できずにいるのです。

すべての家庭の悩みが解決されずにいる社会が、経済的に豊かになって何をし、政治的に自由になって何をするというのでしょうか。人類は今、家庭の価値を守護し高揚できる教えとその方法を探し出さなければならないときに来ています。冷戦以後の時代は、正にこの家庭の価値を守護し高揚しなければならない時代です。これはきょう、この場に世界の言論人を代表して参加した皆様に、レバレンド•ムーンが伝えたい最も重要なメッセージです。

二十一世紀の人類のための革命は祝福世界化運動 今、ワシントン市内一円で開催されている第三回「世界文化体育大典」のすべての行事と二十九日のRFKスタジアムと全世界で挙行される国際合同祝福結婚式の行事は、当初三百六十万組が参加する予定でした。

ところが、驚くべきことに、当初の目標の十倍を超え、三千六百万組となり、それ以外にも数百万組が参加することになりました。このような汎人類的祝祭こそ、未来世界のために家庭価値を守護し高揚する、人類の決断を促す荘厳な出発となるでしょう。

今後この行事は、三億六千万組に達する全世界的祝福行事へと発展していくので、言論人の皆様と今回の大会に参加された指導者の皆様が、国家的次元で積極的に協力してくださることをお願い申し上げます。この真の家庭運動を世界的な運動に拡大、定着させることが、二十一世紀の人類のための最も貴重な精神革命、文化革命運動となるでしょう。

私は去る六月に、「ワシントン•タイムズ」創刊十五周年記念講演で、世界百八十五ヵ国に新聞を創刊し、全世界を地域共同体に連結させる新聞の発行と通信サービスを始める予定であることを発表しました。このような巨大なプロジェクトは、先ほどお話ししました未来世界に対する私の信念に基づいており、未来世界で生きていく人類のための私の献身的な贈り物です。この場に参加された各国の著名な言論人の皆様の参与と御協力をお願い申し上げます。

今回の大会で皆様が討論し、議論する多くの内容に、より一層価値ある結実を期待します。ありがとうございました。

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26.世界化と世論、二十一世紀を展望しながら 日付:一九九七年十一月二十六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、JW•マリオット・ホテル

行事:第十四回「世界言論人会議」

尊敬する議長、そして著名な発表者、会議の参席者および紳士淑女の皆様。私は、アメリカのワシントンDCで開催される第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれる、第十四回「世界言論人会議」に御参加くださった皆様に、深い謝意を表する次第です。

急変する言論を取り巻く環境 私は、今回の会議において参席者の皆様が、数年後に到来する二十一世紀の世界化時代に対応すべき言論の諸般問題を主題として討論することは、非常に意義深いことだと思います。なぜなら、地球の環境の変化があまりにも急速に進んでいるこの時代において、言論が他のどの分野よりも迅速、かつ正しく対応しなければ、人類の未来は、より一層混乱と不安に満ちるようになるからです。

今、地球を変化させている最も重要な要因は、通信手段の光速化にあるというのです。一言で言うと時間と空間を超越して、全世界の隅々をたった数秒間でつなぐ科学技術が日増しに開発されているということです。

今まで新聞の編集者は、取材記者に地域の便りをどこの誰よりも早く入手し、速やかに報道することを求めてきました。しかし、二十一世紀をわずか三年後に控えた一九九七年の世界の現実はどうでしょうか。

取材記者が地域共同体を考えるとき、自分が住んでいる物理的、地理的地域だけを考えるのではなく、電子メールをはじめとして、つながっている全世界の同僚、隣人たちのことも一緒に考えるようになりました。彼が様々な問題について取材をするとき、インターネットを通して、全世界を相手に情報を探さざるを得ません。情報を取材する人たちにとって地域共同体とは、自分の住む地域を意味するのではなく、全世界を意味するようになったのです。

二十世紀が始まった百年前でも、ニュースは、汽車、汽船、時には鳩を通して伝達しました。ですから、第一次世界大戦の戦場の状況といった重要なニュースも、数日または数週間待たなければ知ることができなかったのです。

しかし、二十一世紀を目前に控えた一九九〇年代後半である今は、インターネットと電気通信技術が、ニュースを瞬間的なものにし、主要なニュースは全世界がほとんど同時に知ることができるようになったのです。ですから、地球全体が正に私たちの地域共同体となり、地域のニュースとは、すなわち世界のニュースを意味するようになったのです。

このように電気通信技術が全地球を一つに結んだことによって、経済交流と文化交流は既に国境のない時代に入りました。地球市民全体が、共に影響を与えたり、受けたりする時代が来たのです。ですから、いかなる地域、またはいかなる国の経済といえども、世界的な影響を受けざるを得ません。したがって、私たちは、全世界を一つの共同体として認識しなければならないのです。ここにおいて、私たちは、「世界化時代の言論」とは、どのような形式と内容でなければならないのか、という問いを提起せざるを得ないのです。

世界化時代における言論の責任 このような問いに対して、皆様が今回の会議で、多様な話題による多くの討論と発表を通し、有益な結実を収めることを願います。私もきょうこの席で、「二十一世紀における世界化と言論」について、いくつかの見解を表明しようと思います。

まず世界化時代の言論は、正に「機能言論」から「価値言論」へとその方向を定めなければなりません。言論とは、ニュースを事実のとおりに読者たちに報道することだけで、その使命を果たしたことになるのではありません。なぜなら、論評と批判を通して、彼らに真実を呼び覚まし、社会の精神的で道徳的な価値を高揚し、先導することもしなければならないからです。

二十一世紀の世界化、情報化時代は、国境を越え、民族相互間で深い影響を及ぼし合うようになるので、ある主導国家の非道徳的な文物は、容易に他の国に否定的影響を及ぼすようになるのです。情報通信産業と先端技術の発達によって情報化された世界こそが、すべての人類に情報の共有化を催促する根本的な要因です。

このように情報化された世界では、ニュースを事実のとおりに報道することは、あまりにも初歩的な機能にならざるを得ません。その事実をいかに解釈して評価し、いかなる方向に教え導くかが言論の重要な使命になるのです。ここで私たちは、言論機関と言論人のもつ世界観、人生観、歴史観という価値認識に注目するようになるのです。

言い換えれば、言論人は、人類と世界全体の繁栄と平和に対する、肯定的で理想的な価値観を共有しなければなりません。それはつまり、世界的な視角をもとうということです。読者の低級な欲望と趣向に、単なる商業的動機だけで迎合する言論が大勢を占めることを放って置けば、二十一世紀は一層憂鬱で不幸な世界になってしまうでしょう。

私たちは、二十世紀の最も深刻だった理念戦争を体験しました。冷戦時代の理念戦争では、いわゆる共産主義と弁証法的唯物論という無神論的物本主義が、社会の各分野に攻勢をかけてきました。自由世界の数多くの知識人や言論人までも、その影響下で混乱をきたしたのが、わずか数年前のことです。

私は、その時代を誰よりも深刻に対処してきました。数多くの誤解と非難を甘受しながら、一方で自由世界の理念的、道徳的混乱を収拾するために「統一思想」運動および理想家庭実現運動を主導し、他方では、共産陣営を解放し、共産圏の知識人と青年学生に、共産主義のあとの世界に備える価値体系を教えました。

私は冷戦の渦中で、自由陣営が最も大きな困難に直面した一九八二年に「ワシントン•タイムズ」を創刊しました。当時世界の首都ともいえるワシントンDCには、新聞が「ワシントン•ポスト」しかなかったときです。

私は既に「ソ連共産帝国は間もなく終焉を告げるであろう」と警告したことがあります。一九八五年、ジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー」世界大会のテーマを「ソ連共産帝国の滅亡」とするように世界の碩学たちに通達しました。

学者たちは、初めはもちろん当時の米ソ関係を見て、私のこのような主張にとまどいながら、非常に困り果てた様子でした。しかし、私の説得力ある主張を受け入れて、その大会のテーマが私の提案どおり採択されました。

第十一回「世界言論人会議」が一九九〇年四月、モスクワで開催されたとき、私は「ワシントン•タイムズ」を中心につながっている自由世界の言論人たちを多数伴い、ゴルバチョフソ連大統領(当時)に会ったのです。私は、ゴルバチョフ大統領に会ったとき、無神論的唯物論の未来は自己破滅しかなく、唯物論を放棄して、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるように忠告しました。

その後、二年もたたないうちに、共産主義帝国は崩壊に至りました。一九八五年にソ連帝国の終焉を主張した私の予見は的中したのです。そして、この事実を知った数多くの学者たちは、私に対して改めて驚嘆しました。

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真の家庭は真の平和世界の出発地 きょうから三日後の金曜日の朝、私と私の妻は、全世界的に三十六万組の聖婚式を主宰します。この式はソウル•オリンピック競技場で開かれるのですが、その競技場がいくら韓国では最も大きい施設だとしても、そこには十万人しか収容できません。ですから、残りは世界の主要都市に集まり、衛星中継によって、聖婚式を挙行する予定です。

私たち夫婦は、一九六〇年から始めて、今まで五万組以上を祝福してあげました。したがって、今回、金曜日の行事は、今まで実施した祝福行事の中で最も大きな規模になります。

このように数多くの人々が人種と国籍と宗教と文化と伝統的な慣習を超越して、一カ所に集まり、一生で最も意義深い聖婚式を共に挙げるということは、様々な面で大きな意味をもっているのです。これは、このすべての人たちにとって共通で、誰もが尊敬する一つの価値観が実在するという事実を物語っているのです。

さらに一歩進んで、これは神様の真の愛を中心として一つとなった真の家庭を成し遂げることを、皆が望んでいるという事実を実証するのです。互いに異なる人種と文化背景をもった夫婦だとしても、神様の真の愛で一つとなった家庭をつくったとき、そこから生まれた子女たちの間に人種や文化的な葛藤はあり得ません。

仮に皆様の父親が黒人で、母親が白人であるならば、どうなるでしょうか。また仮に父親がアラブ人で、母親がユダヤ人の家庭で育ったとすれば、果たして皆様はどちらか一方の人種や文化に対して悪い偏見をもつことができるでしょうか。

皆様は父母を愛するそれ以上の心をもって、両方の文化と伝統を愛し、大切にするでしょう。世界各地で深刻な社会問題になっている人種間の葛藤を、政治的にのみ、あるいは経済的にのみ解決しようとすれば、その結果は失敗にならざるを得ません。

人種差別は、赤ん坊の揺りかごから始まるものなので、真の愛を中心とした真の家庭の理想をもたなければ、この問題の根本的な解決は不可能なのです。したがって、たとえこの祝福行事が大規模なものだとしても、その中心理想はやはり、お一人の神様の真の愛を中心とした真の家庭を成し遂げることです。

親愛なる言論界の指導者の皆様。人類が歴史の始まりのときから神様と一つになっていれば、人類は真の愛を中心とした真の家庭を成し遂げて、ために生き続ける真の愛を実践することによって、真の国家と真の平和の世界を既に成し遂げていたのです。

しかし、人間始祖であるアダムとエバが堕落し、サタンと一つになることによって、神様とサタンが人間を真ん中に置いて闘う立場になりました。心はいつも神様に向かい、体はサタンの主管を受けるようになっているので、心と体はいつもぶつかり合い、闘わざるを得なくなりました。

したがって、たとえ人類が偶発的な第一次、第二次、第三次の世界大戦は避けられたとしても、この心と体の闘いは決して避けられないものでした。結局、この心と体の闘いは歴史を通して、個人、家庭、社会、国家、世界的な次元へと拡大してくるようになったのです。

この歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず神様を中心として、個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真の男性と真の女性が、神様を中心として真の家庭を成し遂げることによって、その中に神様を再び迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様が住まわれる地上基地になるのであり、さらには真の国家と真の平和世界の出発地になるのです。そして、これによって真の自由と幸福の世界が開かれるというのです。

先導的役割と責任を全うしなければならない言論人 昔から人類が熱望してきた地上での夢は、「いかにして自由と平等の理想を共に実現できるか」ということでした。自由の理想のもとでは、平等の実現が極めて難しい課題だったのです。その反面、平等のスローガンのもとでは、自由の理想が激しい抑圧を受けるようになったという事実を、歴史的に経験しました。

そうかと言って、そのうちどちらか一つだけでは、決して人類の欲望を完全に満足させることはできませんでした。このような理念上の根本的な矛盾は、もっぱら真の愛を中心とした真の家庭の理想の中でしか克服されません。すなわち、真の愛の中でのみ、真の自由が保障されるのであり、真の愛によってのみ、真の平等が可能なのです。

したがって、自由と平等が共に実現された真の平和世界の実現は、真の愛の根源である神様を見いだし、神様と一つになってこそ可能なのです。このような事実は、今日、「神はいない」とか「神は必要ない」と主張する無神論者たちにとっては、大きな警鐘であると言わざるを得ません。したがって、歴史が新しい次元へと転換されるこのときにおいて、有神論的な宗教的価値観を強調しなければならないことは、言論人であるすべての人に与えられた必然的な課題とならざるを得ません。

今日、世界各地で行われた世論調査を見ると、言論媒体に対する不信が次第に高まっていることが明らかになっています。言論と大衆媒体が独善的であり、自分たちだけの利益を追求し、家庭と社会を堅持する価値観を軽視しているという批判です。

様々な面で一般大衆のこのような叱責は、ある程度根拠をもっていると思われます。それは、人類全体が共通に尊重し、追求しなければならない絶対的な価値基準と言論媒体の多様な見解との間に、激しい格差があるという意味でもあります。したがって、互いが尊敬し、尊重される、神様の真の愛を中心とした真の家庭が、言論と社会に共通した絶対的な価値基準として確実に定着しなければなりません。

人類が希求する真の平和の世界は、上から下へと形成されるものでもなく、下から上へとつくられるものでもありません。神様を中心にすべての個人が真の家庭をつくり、神様に侍って暮らしてこそ、自由で平和な永遠の世界が建設されるのです。

尊敬する世界の言論指導者の皆様。新しい時代は既に明けつつあります。有史以来、分かれた神様と人類が、真の家庭の理想の中で共に出会うときが来たのです。

言論人の皆様は、この貴重な時代において先頭に立つ人となり、その先導的役割と責任を全うしてくださることを願います。迫りくる未来は、共生、共栄、共義の時代になります。誰よりもまず神様のみ旨と一致して、歴史的勝利者として残る言論人になってくださることを期待します。この会議が成功裏に開催され、大きな成果を収めることを願います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることを願います。ありがとうございました。

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25.二十一世紀の言論の方向と役割、そして責任 日付:一九九五年八月二十二日

場所:韓国、ソウル、新羅ホテル

行事:第十三回「世界言論人会議」

尊敬する議長、ポール•ジョンソン博士をはじめとするすべての発表者と大会の参加者、そして内外の貴賓の皆様。私はこのたび「世界文化体育大典」の一環として開催される第十三回「世界言論人会議」に参加するために、世界各国の各地域からここ大韓民国のソウルを訪問してくださった皆様に、心より感謝と歓迎の言葉を申し上げます。

特に「言論の責任と役割」をテーマに開催される今回の「世界言論人会議」は、私たち人類が今、二十一世紀の新時代を目前に控えており、わずか五年後には、紀元二〇〇〇年代へと進入する歴史的な大転換期を迎えるという事実を考えてみたとき、非常に時宜にかなった、意義深い会議であると思わざるを得ません。

言論の役割と責任が強調される時代 今まで人類は、歴史を通して安楽な生活環境のための物質的開発とより合理的な社会制度の改善のために、あらゆる努力を傾けてきました。しかし、私たちがより安らかな環境を整えて自由な生活を営むほど、私たちには新しい霊的覚醒が必要だという事実をますます痛感せざるを得ません。今こそ全人類は、人間の本質的な価値問題に視線を転じて、新しい次元の生き方を模索しなければならない時を迎えているのです。

私たちは次の二つの観点から、言論の役割と責任が強調される時代に暮らしていると言えます。第一に、世界の全域に広がった民主主義の成長によって、言論の自由が持続的に伸張してきたという事実です。特に民主的な手続きを踏んで指導者を選ぶ現代の政治体制においては、大衆と最も密接な関係をもっている言論の役割と影響力が、非常に大きく、重要であると言わざるを得ません。

第二に、世界のニュースを伝えてくれる通信技術が極度に発達したという点です。その中でも、電波媒体と印刷媒体は、その技術が最も効果的でかつ広範に開発され、時間と空間を最大限に短縮してくれています。通信衛星や、地球村の国々を連結した世界的なインターネットといった新しい通信技術は、一個人の考えが、正しい正しくないにかかわらず、世界中の誰にでも思いのままに伝達できるようにしてくれます。

このように自由な先端技術を土台とした諸般の環境は、今日の言論をして世論形成に多大な影響を与えるのです。政治的な面では、一国の政府を、高く尊敬される立場に立てたり、没落の道を歩かせたりします。また、社会が高い道徳的基準をもつように先導することもできれば、その社会を混沌の渦の中に追い込むこともあります。

さらには、歴史とは、歴史的事実そのものよりは、歴史的事実に対する一つの記録としてつくり上げられるものである、という観点を考えた場合、このような転換期において、一瞬一瞬の歴史を記録していく言論媒体の責任は、他のいかなる分野よりも重大なのです。このように見るとき、言論の役割と責任は、絶対に歴史的な認識と分離して考えることができないのです。

したがって言論のもつ様々な機能、すなわち事実報道から、事実に対する評価や批判のそのすべてが、歴史の正しい方向性と歴史的責任を前提として形成されなければならないのです。宗教指導者として私が見つめる人類歴史には、明らかな方向性があります。

なぜなら、神様によって創造された人類歴史の背後には、必ずその目的を成し遂げようと摂理される神様のみ旨が内在しているからです。したがって、歴史を記録していく言論人の皆様は、神様のみ旨をはっきりと悟り、神様のみ旨と一致した観点で、歴史的事実を記録していかなければならないのです。

尊敬する言論界の指導者の皆様。第二次世界大戦が終わったのち、人類が体験してきた過去半世紀は、言論の役割と責任を最も切実に覚醒させてくれる時期でした。この時期において言論に与えられた最初の使命は、共産主義の虚構性とその戦略を暴露し、その共産主義の脅威を自由世界に悟らせることでした。しかし、かえって大部分の言論自体が、この時期に非常にリベラルな視角をもつことによって、混沌たる状態になってしまったのです。

特に世界を導いていくべきアメリカの首都ワシントンDCに、たった一つのリベラルな言論だけが陣取り、世界を誤った方向に導いているという事実が、私をして重大な決心をさせたのです。そうして私はあらゆる精誠と精魂と力を傾けて、十三年前に「ワシントン•タイムズ」を創刊しました。保守言論の旗手として共産主義と闘うために、私は莫大な財政的負担はもちろん、あらゆる謀略と誹謗を一人で耐え抜かなければなりませんでした。

私には、偽宗教家というレッテルが貼られ、捏造された脱税疑惑によってアメリカで刑務所生活まで体験しました。しかし、世界の流れは、神様のみ旨に逆らうことができませんでした。今、私は、「ワシントン•タイムズ」が、共産主義に勝利し、世界の自由を守るに当たって数多くの決定的な貢献を果たしたことに対し、深い賛辞と共に、これを歴史的な名誉として大切に残そうと思います。

言論が世界統一の先頭に立つべき 過去半世紀において、言論に与えられたもう一つの使命とは、人類をして人間の本質的価値を回復させ、道徳社会を建設させることです。一九九一年、冷戦時代が幕を降ろし、東西間の緊張と葛藤が終わりを告げるとき、私たちは、これから平和時代が到来するものと期待していました。しかし、冷戦以後には、かえって社会的な葛藤と不安がより一層加重されつつあるというのが実情です。アメリカだけを見ても、フリーセックスや同性愛のような乱れた性道徳が徹底的に家庭を破壊しています。

急増する離婚率は、道でさまよう青少年たちを日々増加させています。彼らは麻薬に陶酔し、暴力に没頭するようになり、挙げ句の果てには自殺の道を選択するようになります。十代の自殺率は、三十年の間に倍に増加しました。エイズをはじめとする数多くの病気は、乱れた社会生活に起因しています。アメリカとヨーロッパの一部地域では、既に同性結婚が合法化されるまでに至りました。実際、多くの生態学者や環境論者たちが語る植物や動物の絶滅危機は、深刻な警告として受け止められながらも、人類種族の破壊現象に対しては、みな無感覚で無防備な状態です。

私たちは、これが既に世界のある地域だけの問題ではないことをよく知っています。このような現象は、人類の危機であると同時に、神様の危機なのです。家庭が破壊されることによって、人類生活の最も高貴な要素である愛が、その立つ場所を失い、神様の愛を大切に保管する基盤が崩れてしまうのです。

ですから、私は「ワシントン•タイムズ」創設十周年を迎える会場で「真の家庭の重要性」を力説しながら、人間の本質的な価値観の回復に関心を傾けることを強力に促しました。これは「ワシントン•タイムズ」にだけ与えられる勧告ではありませんでした。全世界の言論と指導者たちに与えられた神様の啓示でした。

今、「ワシントン•タイムズ」は、誰よりも声を高めて、真の家庭の回復と道徳再建を叫びながら、アメリカと世界を生かすために先頭に立っています。アメリカの新しい精神革命の旗手になっているのです。皆様も御存じのとおり、今、アメリカだけでなく、世界の各地で、家庭の重要性は、社会問題の次元を越え、教育、宗教、文化、そして政治および経済分野にまで重要な問題になっているのです。私が一九七八年に「世界言論人協会」を創設したのも、言論人の皆様に言論媒体の倫理および責任に関連した問題を討議する場を提供することによって、このような最も根本的な問題解決に役立てようとしたのです。

三番目に私が強調しようと思うことは、言論は世界統一の先頭に立たなければならないということです。今日における交通と通信の発達は、既に人間の意思疎通を遮るすべての自然的障害物を克服できるようにし、物理的な距離を短縮し、世界中の人類を近づけました。「世界は地球村である」という言葉がとても実感できる時代です。しかし、いくら科学と技術が空間的な障害物を人類から取り除いてくれたとしても、人類を一つの地球家族と呼ぶには、あまりにも多くの人為的な障壁が人類を分けています。

私たちは、ヨーロッパで行われる人種戦争のニュースに、毎日のように接しています。慣れ親しんだ故郷を離れる長い避難民の行列、愛する家族を失って嗚咽する場面、苦痛と疾病で苦しむ姿は、今ではもう見慣れないことではありません。同じ国の手の平ほどの地域の中でも、人種、言語、文化、宗教、慣習または政治や経済的体制の差によって、熾烈な葛藤と戦争で血を流すのが今日の現実です。それだけでなく、一年に数百数千万の人命が飢餓と疾病で失われているにもかかわらず、何の対策もないのが実情です。人類自らがつくったこの様々な利害関係の鎖を、どうしたら克服できるのでしょうか。

それは、人類が外面的に現れる人種、言語、文化、政治、経済面などでは異なるとしても、その本来の根は実は一つだったということを教える方法しかありません。人類の根はお一人の神様です。神様の真の愛と真の生命と真の血統が人類の根源です。その神様のみ前に全人類は、共に愛を分かち合える同じ子女たちです。一つの血統、一つの生命から出た兄弟姉妹なのです。

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人本主義思想の膨張 今日、自由世界の中には、共産主義に劣らぬ社会悪が台頭しています。それは、物質中心の人本主義思想であり、そこから派生する極度の個人主義と利己主義の膨張です。いつの間にか私たちの社会に、黄金と財物が神として君臨するようになりました。

私は、人本主義を頭から排撃するわけではありません。問題は、社会における人本主義が、徹底した無神論に立脚していることにあります。もし人本主義によって神様の実在と創造主の創造の意義が否定されるならば、人間は一握りの土に転落してしまうか、せいぜい一つの機械とみなされるでしょう。

これが、マルクス•レーニン主義が犯した過ちではないですか。神はいないと考えるのですから、人間は動物と大した違いがありません。そして、そこには宗教に基づく道徳があり得ず、霊魂や永生を認めないので、人間は人間に対して無慈悲になり、人間が人間に対して行うあらゆる暴悪を正当化することが可能になるのです。

このような風潮の中にあって、共産主義の解放に勝利感をもつべき自由世界の先進諸国の様相はどうでしょうか。極端な利己主義と個人主義は享楽主義を生み、すべての社会生活に腐敗が氾濫するようになりました。家庭は破綻し、政治的な腐敗は深まり、経済は衰退し、未来の主人である若者たちは、非道徳と麻薬と犯罪によって、その良心が姿をくらましつつあります。そのような彼らにどうして二十一世紀の主役を期待することができるでしょうか。

私は、「明けゆく二十一世紀は精神文明の時代である」と宣布しました。物質文明の時代は暮れかかっています。私たちの世界が、暮れかかった闇を退かせて生き返るには、共産体制の滅亡によってもたらされた理念の空白を穴埋めしてあげ、自滅の日か審判の日を待っている自由世界を、共に救い出す精神的ルネサンスが起きなければなりません。これはすなわち、精神的人間革命を敢行できる新しい思想と理念の創出がなければならないということを意味しています。

神様は人類の父 皆様。私はこれまでにも、言論人大会で、私が召命を受けた摂理的な使命に対し、幾度か表明したことがあります。私は新時代の開拓者としての使命を受けました。それは、二十一世紀を目指す新しい精神文明の開拓者であるという意味です。

私は、神様が下さった、新しい時代の確固たる理念を宣布しています。その理念とは正に「神主義」であり、「頭翼思想」です。科学が発達すればするほど、神様の実在は、否定しようとしても否定できない真理となっていきつつあります。私は、その真理の宣布にとどまらず、生きておられる神様に侍り、神様を実感しながら暮らす人生観を教えているのです。

神様は、観念的なものではなく、私の生活圏の中に生きておられる、肌で感じることのできる神様です。私は神様の脈拍を聞きながら生きています。また、神様と呼吸を共にし、神様の体温を感じながら生活しています。私は神様の心情の中に、人類の堕落による悲しみが満ちていることを知り、とめどなく涙を流しました。

私はまた、その神様が今、私たち人類に願っておられることが何であるかを、あまりにもはっきりと見ました。最も重要な事実は、その全知全能であられる神様が私の父であるということです。神様は人類の父であられます。

ですから、神様が人類を御覧になる心情は、親の心情です。人間社会でも、最も熱く切実で無条件の愛が、親の愛ではないでしょうか。

神様の本性は真の愛です。その神様の真の愛を見習い、すべての人間が親の愛によって世の中を見つめ、真の愛を実践することを願っておられるのです。そのような真の愛の実践によってのみ、永生が確保されるのです。真の愛は、与えても忘れる愛です。

神様は天地を創造し、人間を創造されるとき、一〇〇パーセント投入し、また投入したことを完全にお忘れになりました。なぜでしょうか。人間においても、愛する相手や自分の子女が自分よりも優れていることを誰もが願うように、神様も、そのように投入し、また投入しても忘れてしまうのです。

皆様。これまでの人間の歴史は、兄弟時代の歴史でした。兄弟はけんかをするのが普通です。ですから、兄弟時代は闘争の時代であり、戦争の時代でした。人類歴史は、兄弟げんかから闘争の歴史が始まりました。人間始祖アダムとエバの子であるカインとアベルがけんかをし、結局、兄が弟アベルの命を奪うことによって人類の罪悪歴史が出発したのです。

第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして思想的な第三次世界大戦に至るまで、これらのすべての歴史は、兄弟国家間の争いでした。しかし、第一次、第二次、第三次世界大戦が終わった今日、神様の摂理歴史は、新しい次元へと突入しました。

今や兄弟の歴史時代は終わり、父母の歴史時代が到来しました。父母の時代は真の愛の時代です。神様が私たちを父母の心情で御覧になり、愛されるように、私たちも父母の心情で人類を見つめ、愛する時代です。

ここには涙があったとしても闘いはあり得ません。真の愛の中に、闘争の概念はありません。私が宣布した「神主義」は、すなわち「真の父母主義」であり、「真の父母主義」は、すなわち「真の愛主義」なのです。

新しい言論の使命 私は昨年の十一月三十日、不倶戴天の怨讐である共産主義国、北朝鮮を訪問しました。生涯を反共と勝共のために生きてきた私が北朝鮮に行ったという知らせは、全世界を驚愕させました。しかし、私は金日成主席の温かい歓迎を受けました。

そして、私は彼と熱い抱擁を交わしました。彼は私のことを怨讐視し、命を奪おうとしていた人であり、三年もの間、監獄に閉じ込めた人でした。私はその怨讐を抱擁したのです。私の胸中に彼が怨讐であるという思いがあったとしたら、どうしてこのようなことが可能だったでしょうか。

私は、父母の心情で北朝鮮の地を訪ねていきました。そして、父母の心情で金日成主席を抱擁しました。私は真の愛を実践するために行ったのです。そこには闘争の概念はなく、憐憫の情があるだけでした。与えては与え、さらに与えても足りないという、温かい父母の心情だけがあったのです。

皆様。私が宣布した「神主義」、すなわち「真の父母思想」は、二十一世紀をリードする真の平和の真理であることをここに明言します。この「神主義」と「頭翼思想」によって、二十一世紀の平和世界を建設することができるのです。その核心は、父母の心情であり真の愛です。二十一世紀は真の父母の時代であり、すべての人が霊的、心情的に成熟して、真の父母になる時代です。

世界の言論人の皆様。私は過去に、自由言論と責任言論を強調してきました。自由言論のない所には自由言論を与え、自由言論がある所では責任言論を実践しようというのが、私が「世界言論人会議」を始めた理由です。

私は最近、新しい言論の使命を設定しました。それは、道徳言論という新しい使命です。したがって私は「ワシントン•タイムズ」に、今後十年間の目標として「道徳社会の具現に貢献する言論となりなさい」という命題を与えました。そして、「世界平和に寄与する新聞」、その世界平和は理想家庭をつくり出すことによって初めて可能になるので、「家庭の倫理を育む新聞になりなさい」ということです。

平和世界具現の重要な使命をもつ言論 言論は、立法、司法、行政に次ぐ、第四の権力と言われるほど、社会に強大な影響力と権力を行使しています。その強大な言論の権力は、善のために使われるべきであり、世界平和のために寄与する権力になるべきであると信じています。

言論人である皆様も、専門職の人間である前に、本来は神の子です。皆様は、神様が願われる道義世界、真の平和の世界に特別に召命を受けた平和のチャンピオンであられます。このような言論人の自由討論の広場として、究極的な道義世界の具現を目標とした「世界言論人会議」が存在するのです。

世界言論界の指導者の皆様。全世界と人類が、神様の摂理の中を、究極の真の平和世界に向かって進むこのときにおいて、言論は、神様の召命を受けた平和世界具現の重要な使命があることを悟らなければなりません。

言論は、平和を熱望する他のすべての人々と連合し、地球村時代に人類大家族の理想を具現するために強大な影響力を行使して、真の平和、道義世界実現の主役となり、勇敢に、そして大胆に前進しなければなりません。これからの数日間、より意義深い討議と研究を通して、より根本的な言論の使命を考えてくださることを願います。

最後に、皆様の携わるお仕事と皆様の御家庭に、神様の祝福が満ちることを祈りながら、創始者の演説とさせていただきます。ありがとうございました。

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人本主義思想の膨張 今日、自由世界の中には、共産主義に劣らぬ社会悪が台頭しています。それは、物質中心の人本主義思想であり、そこから派生する極度の個人主義と利己主義の膨張です。いつの間にか私たちの社会に、黄金と財物が神として君臨するようになりました。

私は、人本主義を頭から排撃するわけではありません。問題は、社会における人本主義が、徹底した無神論に立脚していることにあります。もし人本主義によって神様の実在と創造主の創造の意義が否定されるならば、人間は一握りの土に転落してしまうか、せいぜい一つの機械とみなされるでしょう。

これが、マルクス•レーニン主義が犯した過ちではないですか。神はいないと考えるのですから、人間は動物と大した違いがありません。そして、そこには宗教に基づく道徳があり得ず、霊魂や永生を認めないので、人間は人間に対して無慈悲になり、人間が人間に対して行うあらゆる暴悪を正当化することが可能になるのです。

このような風潮の中にあって、共産主義の解放に勝利感をもつべき自由世界の先進諸国の様相はどうでしょうか。極端な利己主義と個人主義は享楽主義を生み、すべての社会生活に腐敗が氾濫するようになりました。家庭は破綻し、政治的な腐敗は深まり、経済は衰退し、未来の主人である若者たちは、非道徳と麻薬と犯罪によって、その良心が姿をくらましつつあります。そのような彼らにどうして二十一世紀の主役を期待することができるでしょうか。

私は、「明けゆく二十一世紀は精神文明の時代である」と宣布しました。物質文明の時代は暮れかかっています。私たちの世界が、暮れかかった闇を退かせて生き返るには、共産体制の滅亡によってもたらされた理念の空白を穴埋めしてあげ、自滅の日か審判の日を待っている自由世界を、共に救い出す精神的ルネサンスが起きなければなりません。これはすなわち、精神的人間革命を敢行できる新しい思想と理念の創出がなければならないということを意味しています。

神様は人類の父 皆様。私はこれまでにも、言論人大会で、私が召命を受けた摂理的な使命に対し、幾度か表明したことがあります。私は新時代の開拓者としての使命を受けました。それは、二十一世紀を目指す新しい精神文明の開拓者であるという意味です。

私は、神様が下さった、新しい時代の確固たる理念を宣布しています。その理念とは正に「神主義」であり、「頭翼思想」です。科学が発達すればするほど、神様の実在は、否定しようとしても否定できない真理となっていきつつあります。私は、その真理の宣布にとどまらず、生きておられる神様に侍り、神様を実感しながら暮らす人生観を教えているのです。

神様は、観念的なものではなく、私の生活圏の中に生きておられる、肌で感じることのできる神様です。私は神様の脈拍を聞きながら生きています。また、神様と呼吸を共にし、神様の体温を感じながら生活しています。私は神様の心情の中に、人類の堕落による悲しみが満ちていることを知り、とめどなく涙を流しました。

私はまた、その神様が今、私たち人類に願っておられることが何であるかを、あまりにもはっきりと見ました。最も重要な事実は、その全知全能であられる神様が私の父であるということです。神様は人類の父であられます。

ですから、神様が人類を御覧になる心情は、親の心情です。人間社会でも、最も熱く切実で無条件の愛が、親の愛ではないでしょうか。

神様の本性は真の愛です。その神様の真の愛を見習い、すべての人間が親の愛によって世の中を見つめ、真の愛を実践することを願っておられるのです。そのような真の愛の実践によってのみ、永生が確保されるのです。真の愛は、与えても忘れる愛です。

神様は天地を創造し、人間を創造されるとき、一〇〇パーセント投入し、また投入したことを完全にお忘れになりました。なぜでしょうか。人間においても、愛する相手や自分の子女が自分よりも優れていることを誰もが願うように、神様も、そのように投入し、また投入しても忘れてしまうのです。

皆様。これまでの人間の歴史は、兄弟時代の歴史でした。兄弟はけんかをするのが普通です。ですから、兄弟時代は闘争の時代であり、戦争の時代でした。人類歴史は、兄弟げんかから闘争の歴史が始まりました。人間始祖アダムとエバの子であるカインとアベルがけんかをし、結局、兄が弟アベルの命を奪うことによって人類の罪悪歴史が出発したのです。

第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして思想的な第三次世界大戦に至るまで、これらのすべての歴史は、兄弟国家間の争いでした。しかし、第一次、第二次、第三次世界大戦が終わった今日、神様の摂理歴史は、新しい次元へと突入しました。

今や兄弟の歴史時代は終わり、父母の歴史時代が到来しました。父母の時代は真の愛の時代です。神様が私たちを父母の心情で御覧になり、愛されるように、私たちも父母の心情で人類を見つめ、愛する時代です。

ここには涙があったとしても闘いはあり得ません。真の愛の中に、闘争の概念はありません。私が宣布した「神主義」は、すなわち「真の父母主義」であり、「真の父母主義」は、すなわち「真の愛主義」なのです。

新しい言論の使命 私は昨年の十一月三十日、不倶戴天の怨讐である共産主義国、北朝鮮を訪問しました。生涯を反共と勝共のために生きてきた私が北朝鮮に行ったという知らせは、全世界を驚愕させました。しかし、私は金日成主席の温かい歓迎を受けました。

そして、私は彼と熱い抱擁を交わしました。彼は私のことを怨讐視し、命を奪おうとしていた人であり、三年もの間、監獄に閉じ込めた人でした。私はその怨讐を抱擁したのです。私の胸中に彼が怨讐であるという思いがあったとしたら、どうしてこのようなことが可能だったでしょうか。

私は、父母の心情で北朝鮮の地を訪ねていきました。そして、父母の心情で金日成主席を抱擁しました。私は真の愛を実践するために行ったのです。そこには闘争の概念はなく、憐憫の情があるだけでした。与えては与え、さらに与えても足りないという、温かい父母の心情だけがあったのです。

皆様。私が宣布した「神主義」、すなわち「真の父母思想」は、二十一世紀をリードする真の平和の真理であることをここに明言します。この「神主義」と「頭翼思想」によって、二十一世紀の平和世界を建設することができるのです。その核心は、父母の心情であり真の愛です。二十一世紀は真の父母の時代であり、すべての人が霊的、心情的に成熟して、真の父母になる時代です。

世界の言論人の皆様。私は過去に、自由言論と責任言論を強調してきました。自由言論のない所には自由言論を与え、自由言論がある所では責任言論を実践しようというのが、私が「世界言論人会議」を始めた理由です。

私は最近、新しい言論の使命を設定しました。それは、道徳言論という新しい使命です。したがって私は「ワシントン•タイムズ」に、今後十年間の目標として「道徳社会の具現に貢献する言論となりなさい」という命題を与えました。そして、「世界平和に寄与する新聞」、その世界平和は理想家庭をつくり出すことによって初めて可能になるので、「家庭の倫理を育む新聞になりなさい」ということです。

平和世界具現の重要な使命をもつ言論 言論は、立法、司法、行政に次ぐ、第四の権力と言われるほど、社会に強大な影響力と権力を行使しています。その強大な言論の権力は、善のために使われるべきであり、世界平和のために寄与する権力になるべきであると信じています。

言論人である皆様も、専門職の人間である前に、本来は神の子です。皆様は、神様が願われる道義世界、真の平和の世界に特別に召命を受けた平和のチャンピオンであられます。このような言論人の自由討論の広場として、究極的な道義世界の具現を目標とした「世界言論人会議」が存在するのです。

世界言論界の指導者の皆様。全世界と人類が、神様の摂理の中を、究極の真の平和世界に向かって進むこのときにおいて、言論は、神様の召命を受けた平和世界具現の重要な使命があることを悟らなければなりません。

言論は、平和を熱望する他のすべての人々と連合し、地球村時代に人類大家族の理想を具現するために強大な影響力を行使して、真の平和、道義世界実現の主役となり、勇敢に、そして大胆に前進しなければなりません。これからの数日間、より意義深い討議と研究を通して、より根本的な言論の使命を考えてくださることを願います。

最後に、皆様の携わるお仕事と皆様の御家庭に、神様の祝福が満ちることを祈りながら、創始者の演説とさせていただきます。ありがとうございました。

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24.二十一世紀における言論人の使命 日付:一九九二年八月二十二日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル

行事:第十二回「世界言論人会議」

敬愛するマッカーサー議長、尊敬する貴賓、そして言論界の重鎮の皆様。私は、皆様が第十二回「世界言論人会議」に参加するために私の祖国である大韓民国を訪ねてくださり、深い感謝の意を表する次第です。

世界平和建設のための様々な活動 今年の第十二回「世界言論人会議」は、例年とは異なり、「世界文化体育大典」という非常に大きな枠組みの中の一環として行われています。「世界文化体育大典」は、私が生涯をかけて成し遂げてきた、すべての事業と業績を一カ所に集め、神様のみ前にまとめて捧げる一大祝祭期間として設定され、開催されています。

ここには、十九年の歴史をもつ「科学の統一に関する国際会議」に参加するために来た学者たちの集まりがあり、宗派と教派を超越した世界の著名な宗教指導者たちの集まりである「世界宗教議会」があり、元大統領や国家元首、そして首相を網羅し、世界の著名な政治家たちの集まりである「世界平和のための頂上会議」があります。さらには、世界の著名な女性指導者たちは、私の妻が総裁を務めている「世界平和女性連合」のシンポジウムに集まり、世界の若者たちは、「世界大学生大会」の旗印のもとに体育大典を開き、二十一世紀の指尊者を目指す熱気あふれる討論も行われる予定です。

私が、一生を通じて渾身の努力を尽くしてきたすべての事業の究極的な目的は、世界平和の建設にあります。

一九九一年に「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」を創設したのも、そのためです。

私は世界平和の核心を家庭に置き、これまで「理想家庭を通した世界平和」を唱えてきました。このような平和理念の具現として、三日後の八月二十五日には、空前絶後で地上最大の国際合同祝福結婚式が挙行される予定です。百三十数ヵ国から集まった善男善女が、国境と人種を超越し、創造主である神様の真の愛の中で一つとなって理想家庭を実現し、それによって世界平和の働き手になろうというこの莊厳な儀式は、真の未来世界の平和の働き手の創造を意味するのです。

皆様は言論人なので、このような地上最大のイベントを目撃することを望まれると思い、世界の言論界の重鎮である皆様を、貴賓としてその場にお招きしました。これは、皆様に報道記事の特ダネを提供するわけですから、実際は、皆様が私に大きな代価を払ってしかるべき、歴史的な空前絶後の出来事です。

しかし、皆様は、この行事を単なる地上最大のショーとして見るのではなく、真の意味での世界平和軍団の創設として御覧になり、心からお祝いしてくださることと思います。これからは、言論界と言論人全体が、先にお伝えした世界平和の大構想の中で和合し、渾然一体となって、私たちの念願である世界平和の理想を実現していかなければなりません。

皆様。私は去る五月にアメリカのワシントンで、私が創設した「ワシントン•タイムズ」創刊十周年を記念する晩餐会で講演をしました。私が一九八二年に「ワシントン•タイムズ」の創刊を発表したとき、アメリカの朝野では嘲笑の声が上がりました。ある専門家は、「レバレンド•ムーンがまともに新聞を発刊すれば、『ワシントン•タイムズ』は資金不足で六ヵ月ももたないだろう。あるいは、統一教会の宣伝紙に転落し、読者なき週刊誌のようになるのが落ちだろう」と予想しました。

しかし、十年が過ぎた今日、「ワシントン•タイムズ」は、名実共にアメリカの千七百五十の日刊紙の中で、最も影響力を行使する三大日刊紙の一つに数えられるようになり、アメリカ大統領が朝、目を覚ますと読む新聞となり、去る八月十三日には、アメリカのジョージ•ブッシュ大統領が、今この会議に出席中の「ワシントン•タイムズ」のウェズリー•ブルーデン編集局長との単独インタビューに応じ、「ワシントン•タイムズ」に特筆大書したことがあります。これは、ブッシュ大統領が初めて応じた日刊紙の単独インタビューでした。

「ワシントン•タイムズ」は、新聞のデザインにおいて毎年優秀賞を受け、去る一九八九年には、審査員十二人の満場一致で決定された最優秀賞を受けるに至り、論説面においても二年連続で論説部門最優秀賞を受けました。これは、アメリカ言論界の歴史にかつてなかったことです。

共産主義の終焉に決定的な役割を果たす 皆様。私はこのような「ワシントン•タイムズ」をつくるために、これまでの十年間、約十億ドルを投入しました。もし私が、政治的影響力や宗教的宣伝、個人的な富の追求が目的であるなら、そのように投入することはなかったでしょう。

私が「ワシントン•タイムズ」をつくつた理由は、一言で言えば、神様のみ旨を成し遂げるためでした。私は、神様がアメリカを愛しておられることを知っています。そして、アメリカは、伝統的ユダヤ教とキリスト教の本山であり、キリスト教精神の揺りかごです。ですから、神様は、このアメリカが全世界を救い出す中心的役割を担うことを願われ、薄れていく神様中心の伝統的価値観を守っていくことを望んでおられるのです。

その上、冷戦時代の絶頂にあって、神様はアメリカを先頭に立たせ、共産主義の世界制覇を防ごうとされました。このような神様のみ旨を中心として見た場合に、何よりも重要なことは、哲学と理念のある新聞として、アメリカ国民と特別にアメリカの政治指導者たちを正しく教え導くことにほかなりません。

私は、アメリカの首都ワシントンDCを、リベラルで容共的な新聞である「ワシントン•ポスト」の奴隷として放って置くことはできませんでした。十年が過ぎた今日、結果はどのようになったでしょうか。共産圏はついに、一九八九年十一月九日、ベルリンの壁の崩壊とともに、その崩れる音が聞こえたかと思いきや、一九九一年十二月二十五日のクリスマスを期して、七十四年の間、世界を恐怖のるつぼに追い込んだ、無神論に立脚した共産主義帝国が地上から完全に消滅してしまいました。

そして、私は「ワシントン•タイムズ」が、このすべてのことをやり遂げたとは言いません。これは神様の摂理歴史の中で、なければならない必然的な結果です。しかし、神様も、地上のことは人間を通してなされるのです。私は、「ワシントン•タイムズ」が共産主義の終焉をもたらす決定的な役割を果たしたと堂々と主張することに対しては、いささかの疑いもありません。

神様は、「ワシントン•タイムズ」を道具としてお使いになり、歴史上一度もなかった共産主義という独裁勢力に終止符を打ち、数千万の市民たちに自由を抱かせることに決定的な役割を担わせたのですから、十億ドルどころか、百億ドルを使ったとしても、これ以上に価値ある投資がどこにあるでしょうか。しかし、そうかと言って「ワシントン・タイムズ」の使命が終わったわけではありません。

共産主義の崩壊が自動的に平和世界をもたらすわけではないからです。神様の願う理想世界も自然と実現されるわけではありません。今日、自由世界は、勝利の祝杯を挙げるには、あまりにも緊迫した問題が心胆を寒からしめています。

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私がアメリカの衰退を案じて、「アメリカ自由連合」を設立するようにしたのも、ダンベリーの監獄でのことでした。「アメリカ自由連合」は、全国的な組織網を通し、一般国民を対象に、より良い社会を建設するための教育をしています。私は最近「アメリカ奉仕連合」を発足させました。この組織は、神様の真の愛でキリスト教を覚醒し、再結合させる運動をしています。

この国が私のことを拒否し続けても、私は引き続き、アメリカが摂理的な責任を負っていることを諭すために、最善の努力をしてきました。神様が人間を救うための作戦は、まず打たれて奪われたのちに、奪われたものを利子までつけて、ゆっくりと取り戻してくるというものです。

一方、悪は、先に打って、最初は勝利を主張しますが、最後にはすべてを失ってしまいます。皆様も御存じのように、第一次、第二次世界大戦と冷戦期間にも、先に打った国家は、結局敗北しました。イエス様の生涯は、このような原則を最もよく示してくれる事例です。

イエス様は、激しい迫害を受けて悲惨な状況で亡くなりましたが、結局は数十億もの人類がイエス様に従って神様のもとへと戻ってきています。義なる人が迫害に耐えるようになれば、信念を守るための彼の努力は、迫害者の良心に尊敬と称賛の種を植えるようになるのです。この種は成長したのちに、多くの世代の心を変化させます。このような心情の静かな革命が、天の秘密兵器なのです。私は正に真実な世界平和の道を開拓するために努力しながら、言葉では言い表すことのできない苦難を経てきました。

私が「ワシントン•タイムズ」を設立したとき、協力はおろか、私の意図を理解してくれる人は、ほとんどいませんでした。しかし、私はこれが神様の勝利の戦略であるということを知っていたので、事を進めました。私は「ワシントン•タイムズ」が、私と私の統一運動を犠牲にしたとしても、アメリカと世界を救う道具となることを予見したのです。

神様と人間の愛は、垂直の一直線である軸を形成します。一方、アダムとエバ一組の愛は、横に走る水平な軸を形成します。したがって人類は、神様、そしてアダムとエバという二つの父母の愛と生命と血統を相続するために、神様を垂直的父母とし、アダムとエバを水平的父母として侍らなければなりません。ところで、垂直的自我である心と水平的自我である体は、真の愛で一体となります。この地点において、人類は神様の永遠の対象となるのです。神様と人間は、父と息子のように、真の愛の中で一つにならなければなりません。

人間の心と体も、神様の心と体のように真の愛で統一されなければなりません。しかし、堕落によって、人類は、サタンの愛と生命と血統を受けるようになりました。それで、私たちの心は神側に立っていますが、私たちの体はサタンの支配を受けているのです。私たちの心と体は、その内部の矛盾と絶えず闘っているのです。

今やアメリカが目を覚ますとき このような状況を克服することが私たちの一生の課業です。神様はこのことを御存じであられ、私たちを修理する工場のような宗教を立てられたのです。宗教は、心が体に対する自然な支配権を取り戻す方法を教えてくれます。断食と犠牲、他人に対する奉仕など、いつも修道者の苦行が、すべての宗教の修行の必須要件になるのは、正にこのためです。

聖書には、アダムとエバが善悪の実を食べたことによって堕落したことが記述されています。しかし、その果実を食べたのち、アダムとエバはどのようにしましたか。アダムとエバは、口や手を隠さず、下半身を隠しました。それは、アダムとエバが、神様を中心とするのではなく、サタンを中心として自分たちの家庭をつくつたことを意味します。悪の種はそのときに蒔かれ、邪悪な血統の根源となって代を継ぎ、繁殖するようになったのです。

人間の先祖は、彼らが神様の愛の中で完成する前の若い頃に、神様から遠ざかって堕落しました。これが、今日までも世界各地の若者がアダムとエバの場合と同様に、愛の道義を破って淫らな性行為を続ける原因となったのです。これは、歴史的にも、淫らで非道徳な文明が滅亡する原因として、常に作用してきました。歴史的に見るとき、ソドムとゴモラ、そしてローマまでも淫乱ゆえに滅亡しました。もしアメリカがそのような道をたどるならば、アメリカもまた、滅亡することになるでしょう。

アメリカは今や、目覚めなければなりません。この先十年間、私たちの課業は、実により一層困難になるでしょう。私たちは、単に共産主義との戦いが終わったからといって、緊張を緩めるわけにはいきません。最も先進化され、文明化された国々、例えばアメリカやヨーロッパ、そしてアジアの主要国家で、どのようなことが起きているか、見回してみてください。

地球村を襲っている淫乱の波を、誰が防ぐことができるのでしょうか。世の中は享楽的な生活を重視し、ますます肉体的な欲求を刺激する生活ばかりを追求しています。麻薬との戦争は、完全に、そしてはっきりと失敗に終わりました。麻薬は、その流通を増し続けて、氾濫しています。これは、心の求めている道ではありません。体が追い求めているものです。また、これは死に至る道となります。誰かが立ち上がって、このような堕落した環境から人類を救い、彼らを救いの道へと導かなければなりません。

紳士淑女の皆様。皆様は、メシヤが誰なのか御存じでしょうか。メシヤは人類の真の父母として来られます。真の父母は、偽りの父母から始まった偽りの根を絶やし、すべての人が真の愛の中で暮らす、自由な天国を建設するようになるのです。真の父母は、このような重大な責務を帯びて来られる方です。

私たちが、神様の真の愛の起源を見つけ、自分の心と体が一つに統一され、心から人のために生きたいと思うようになるとき、永遠に変わることのない平和の世界が訪れるでしょう。それは、私たち皆が願う栄光の日となるのです。

何週間か前に、ロサンゼルスで発生した人種暴動は、単に警察力をより多く動員したり、法を強化したり、あるいは資金をさらに投入したり、政治的交渉をしたりすることでは解決できない問題です。地上に神様の真の愛、すなわち他のために生き、犠牲になる愛がなければ、このような問題を根本的に解決することはできないのです。

真の愛の革命を通した世界平和 私たちに必要なのは、道徳的な革命です。私はこれを「真の愛の革命」と呼んでいます。そして、このような革命は、どこにおいても必要とされています。私と私の妻は現在、韓国でこのような仕事をするための組織をつくっています。

尊敬する指導者の皆様。他のために与え、犠牲になることが、皆様を真の家庭、真の社会、真の国家の指導者にする唯一の道であることを悟るように願います。皆様の家庭と社会、そして国家が、皆様に従って、ために生き、犠牲になる真の愛の大原則を実践するようになれば、皆様は世界平和実現の闘士となるのです。

皆様も御存じのように、私は昨年の十一月に北朝鮮を訪問しました。そのことは世界を驚かせました。私は一生を通して共産主義に反対する立場を取ってきたので、北朝鮮を訪問することは不可能なことのように思われました。私は以前、一九八五年に、共産主義とソ連の崩壊を予言し、宣言した人です。

北朝鮮訪問は、私と妻にとって、生命の危険を顧みない旅でした。私は、自分の国を愛する心で、そして母国の統一を渇望しつつ、北朝鮮を訪問しました。私は金日成主席と会い、意義深い意見を交わしました。

見解の差はあったとしても、対話というものは、いつも有益なものです。しかし、孤立はいつも危険を伴います。金主席は、核問題について、アメリカが満足できるように収拾すると私に約束しました。この問題に対する真相が明らかになる瞬間が、遠からず訪れるでしょう。全体的に見るとき、私の北朝鮮訪問は、アジアと世界の緊張緩和に大きく寄与したと確信しています。

私は、無神論の北朝鮮で、神様と真の愛について説破しました。真の愛は、国家的統一と恒久的な平和のための基本原理であり、精神だからです。ビリー•グラハム牧師が、共産主義国家で初めて説教したことに対し、常に自負心をもっていることを知っています。しかし、今回私は北朝鮮で、それよりも一段階前に進みました。

「ワシントン・タイムズ」とその姉妹紙は、きょう、アメリカと神様に対して奉仕する新たな十年に向かって出発します。しかし、私たちの前には実に、より大きな挑戦が立ちはだかったいます。このあらゆる挑戦を克服するために、皆様すべてが闘士にならなければなりません。この先十年間、道徳的なアメリカと道徳的な世界、そして私たちの子女たちのために、より良い世の中をつくりましょう。皆様は、私の支援を十分に期待していただいて結構です。

紳士淑女の皆様。「ワシントン•タイムズ」は、皆様の新聞です。私たちは共に、この有力な新聞をさらに影響力のある新聞へとつくりあげることができるでしょう。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありかとうございました。

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23.神様の勝利戦略 日時:一九九二年五月二十一日

場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ•ショアハム•ホテル

行事:「ワシントン•タイムズ」創刊十周年記念式

内外の貴賓と「自由の賞」受賞者、ならびに紳士淑女の皆様。私は「ワシントン•タイムズ」の創設者として、「自由の賞」の受賞者に祝賀の意を表する次第です。

皆様は、自由守護のための業績を認められる資格が十分にある方々です。今夜、このようにして振り返ってみると、「ワシントン•タイムズ」の設立を決定した一九八一年当時のことが思い出されます。

共産主義の崩壊に決定的な役割を果たす 私と共に、当時の状況を回想してくださることをお願いいたします。「ワシントン•スター」が廃刊になることによって、アメリカの首都であり、自由と民主主義の世界的な灯火であるワシントンDCに、リベラルの代表的新聞である「ワシントン•ポスト」だけが残るようになった事実は、許容し難いことでした。

当時、「ワシントン•ポスト」が築き上げていた領域に、新しい保守系紙が挑戦するということは考えられないことでした。はっきりと申し上げますが、政治的影響力の増進や宣教の手段、あるいは個人的蓄財追求のために私がこれを行ったとすれば、「ワシントン•タイムズ」の設立は、それこそ誤った事業だったはずです。実際、私は、これまでの十年間、この新聞に十億ドル近い資金を投入しました。

私が「ワシントン•タイムズ」を設立したのは、ただ、この事業がアメリカとアメリカのユダヤ教とキリスト教の遺産を愛される神様のみ旨であり、神聖な計画であることを理解したからでした。

神様はアメリカに、伝統的価値観の崩壊から世界を救うための中心的役割を引き受けてくれることと、共産主義の脅威から自由世界を守ってくれることを望んでおられます。ですから、神様のみ旨成就のために全生涯を捧げてきた私は、アメリカがこのような摂理的な役割を遂行するに当たって責任ある指導力を備えさせるために、少しのためらいもなく、「ワシントン•タイムズ」を創刊しました。

今回の十周年記念式は、「ワシントン・タイムズ」が共産主義の崩壊に決定的な役割を遂行したことを祝って、アメリカと世界の将来を輝かしいものとするための行事です。私はこの機会に、世界の平和統一実現の原則を皆様に明らかにしたいと思います。

平和統一の根幹は真の愛 紳士淑女の皆様。この世で最も大切なものがあるとすれば、それは神様を中心とした真の愛です。皆様がお金や権力で買うことのできない何かがあるとすれば、それは真の愛です。

真の愛は、関係がつくられなければ実現できない特性があります。その関係とは、主体と対象という二つの存在が互いに与え合うことを必要とします。夫と妻の愛、父母と子女の間の愛、兄弟姉妹の愛は、そのような関係の中でつくられるのです。同様に、神様も、真の愛の理想を実現するためには、御自身の対象である宇宙を創造する必要があったのです。

神様のすべての創造物の中で、人間は愛における最上級の存在としてつくられました。私たちは、真の愛を通してのみ、神様と人間、男性と女性、そしてすべての被造物の間に真の調和を形成することができます。

真の愛は、すべての統一体と絶対価値の究極的な中心です。この真の愛は、人のために生きる行為から始まります。他人のために尽くしたのち、その行為を忘れて再び尽くすのが真の愛の属性です。それで、神様が愛する対象を創造されるとき、神様自らが、その創造のために尽くされたのです。神様は御自身がもっておられるものをすべて投入されました。その後も、神様はさらに投入され、また再び一〇〇パーセント投入されるのです。

自然界で空気が移動するとき、真空状態になったとしても、空気は素早く回転運動をしながら、その真空を満たすようになります。人間の人生においても、私たちが愛を施し、それ以上与えるものがなくなれば、神様の限りない愛が私たちの心に直ちに伝わり、空いたところを満たすようになるのです。これが根本的な精神的真理です。

したがって、人のために絶対的に尽くすようになれば、私たちは無限の力を得るようになります。神様は人間を愛する主体的立場におられます。神様が繰り返し愛を施そうとされる本性は、不滅の動的作用となり、神様の永遠の存在の特性を形成するようになります。これは論理的な方式で現れます。永生は、真の愛を実践する生活の自然な結果なのです。

愛には、相続権と同位権、そして同参権という特性があります。アメリカの大統領になった人の中で、妻は高等学校も出ていない人もいるでしょう。しかし、彼らが互いに真の愛で愛し合うようになれば、夫に属するものは同時に妻に属するようになります。彼らは昼夜を共に暮らすので、大統領夫妻としてそれぞれホワイトハウスを占有する権利があり、共に国家の運営に参加するようになります。

愛にはこのような重要な三つの特性があるので、皆様が神様の絶対不変の愛を占有する位置につくようになれば、神様と共にいるようになります。皆様は、いつも神様と共に暮らす権利をもつようになるのです。

皆様がこのような真の愛を、皆様の心と体に一〇〇パーセント受け入れれば、神様の愛の根が、皆様の心で育つようになるのです。そうして皆様は、神様が感じるすべてのことを感知できるようになり、皆様の体は自動的にそこに共鳴するようになります。

したがって、皆様自身を神様の真の愛でいっぱいに満たすことは、心と体を統一させ、神様の永遠の対象になるための必須条件です。私たち人間が、神様の愛に共鳴し、神様と統一される領域内に入るようになれば、神様の愛は皆様の愛になり、神様の生命は皆様の生命になります。そして、神様の血統は皆様の血統になって、神様の創造物は皆様の創造物になるのです。

人間の生は、神様の生に似ています。神様の生の核心は、対象のために生きる真の愛です。ですから、人間は他のために創造されたというのが、神様の原理です。他のために生き、犠牲になることによって、愛の理想が実現されるのです。

このような原理を念頭に置いて考えるとき、各自が自分のために生きる、現代の個人主義哲学からは、世界平和は期待できません。個人が神様の対象として生きる領域を破壊することが悪の目的です。そのようなことが起これば、自分のために生きる個人だけが残るようになります。これが、家庭破壊と人種間の葛藤、経済的不平等と宗教間の葛藤をもたらす根本的な原因になるのです。

アメリカに来た目的は若者たちを覚醒させるため アメリカは、ユダヤ教とキリスト教を中心とした愛の精神の上に建てられました。それなのに、なぜアメリカはこのような個人主義文化を発展させてしまったのでしょうか。私は、共産主義と闘いながら、アメリカの若者たちを呼び覚ますために、絶えず努力してきました。そして、私は、自由世界に対し、退廃的傾向に陥ってはいけないと繰り返し警告しました。しかし、アメリカはいまだに数多くの社会的弊害に苦しめられています。麻薬との戦争、エイズ、次第に増加する暴力犯罪など、ありとあらゆる弊害現象が、暗い将来を予告しています。アメリカがもつ軍事的、経済的、知的な力を動員したとしても、このような悪弊を退治することはできません。

これこそが、私がアメリカに来ることになった理由です。私は傷を治すために呼ばれた医者のような立場にあります。私はアメリカで不当に起訴されても、それに応じるために進んで韓国から戻りました。なぜなら、真理が勝利すると信じたからです。私は不当に起訴され、収監されました。それでも私は、アメリカを救おうという思いに変わりはありません。

私は裁判を受ける間、被告席に座り、「ワシントン•タイムズ」創刊のため最初の小切手に署名しました。「ワシントン•タイムズ」は、ニュース報道と論説を通し、共産主義の脅威に対してアメリカ人に警戒心を呼び起こすことに決定的な役割を果たしました。また、ダンベリーの監獄にいるとき、この国を助けるという精神から、雑誌「インサイト」と「ワールド•アンド•アイ」を発行するよう指示しました。

雑誌「インサイト」は、アメリカ議会の議員の指導力がどの方向に発揮されているのかを一般大衆に知らせるために、彼らの投票実績を毎週公開しました。そして、「ワールド•アンド•アイ」は、世界的に有名な学者たちの、人々を善導する論文を掲載し、人類の将来における思想的な地平を広げようと試みてきました。

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それでは、一つになる方法とは何でしょうか。まず私たち人間の家族というものを考えてみましょう。まず神様がいらっしゃいます。その次にアダムとエバがいます。アダムは男性で、エバは女性です。彼らは神様の愛を先に独占しようとお互いに競争します。彼らの動機が利己的なものであるならば、彼らは一つになることができません。しかし、彼らの動機が利己的なものでないならば、アダムは「エバ、私はただあなたのために神様の近くに先に行きたい」と言うでしょう。その言葉を聞いたエバは、喜びに満ちあふれるでしょう。彼女も「アダム、私もあなたのために神様の近くに行きたいです」と言うでしょう。そうすれば、アダムもとても満足します。そこには闘争がありません。二人は競争の中でも一つになることができるのです。これは、夫と妻が一つになる方法だけでなく、それ以上のことを意味しています。これは、すべての人々が一つになる鍵となるのです。

歴史を通して見るとき、神様は人間の良心を通じて役事(働き)されました。しかし、人間は、本来の始発点、すなわち神様の心情へと復帰させようとされる神様の努力にもかかわらず、今までのすべての試みは失敗しました。今もなお、誰かが来て人類をこのサタンの世界から解放し、真理と真の愛を成功裏に取り戻すことができるように導いてあげなければなりません。それが正に私たちの「統一運動」の使命なのです。

「神主義」は、神様中心の世界観であり、その本質は真の愛の理想です。「神主義」は、二つの明白な使命をもっています。すなわち神様と人間が一つになるようにすることであり、また精神と肉体が一つになるようにすることです。この二つの根本的な問題、すなわち精神と肉体の統一と人間と神様の統一に関する解決策を発見したので、私は、この真理を何のためらいもなく最も明白で効果的に宣言せざるを得ません。

皆様がこの教えに従うならば、皆様は、自分の肉体がもつ欲望を間違いなく主管できるようになると私は確信します。皆様は、自分の精神と完全に一つになることができます。そうすれば、皆様は神様の真の対象となり、さらには神様と真の愛の同伴関係を結ぶことができる資格を備えるようになるのです。

二人が真の愛で一つになるとき、彼らは常に三つの主要な権利、すなわち第一に相続権、第二に同位権、第三に同参権をもつ資格をもつようになるのです。夫と妻の関係を例に挙げてみましょう。夫は、偉大な国家の大統領であり、その妻はとても身分の低い家柄の出身で、教育もさほど受けていない女性だとしましょう。

もし、彼らが互いに本当に愛し合えば、彼らは同等です。彼らは、すべてのものを共に所有し、共に生活し、すべてのことに同等に参加するのです。同様に、男性と女性が真の愛を通じて神様と連結されるとき、彼らは相続を受ける権利、参与する権利、神様と永遠に暮らしていくことのできる権利を享受することができます。このように深奥な立場に至るようになるとき、常に神様が存在することを体恤し、神様は人間と共に住まわれるでしょう。

また、縦的な真の父母と横的な真の父母の真の愛は、常に最も速い速度で最短距離を通過します。したがって、神様から地上に降りてくる真の愛は、最短距離である垂直線で降りてきます。男性と女性の愛もまた、最短距離で通過し、水平線を形成します。垂直的な真の愛が水平的な真の愛と出会うようになるとき、その交差点は絶対的に九〇度になるしかありません。その他の方法では、これらの愛の線は交差できないのです。

神様はどのような方でしょうか。神様は、真の愛を中心とする縦的な真の父母です。神様は、私たちの縦的な父母であられるので、私たち一人一人ととても親密であられます。完全となった人類の先祖、すなわちアダムとエバを真の父母として迎えるとき、私たちは、神様の垂直的な真の愛と真の父母の水平的な真の愛の間に九〇度の交差点をつくり出すのです。私たちには、このように二組の真の父母がいるのです。この方々から私たちは、真の愛、真の生命、真の血統を受けます。これは、真の愛と完全に共鳴する一つの世界を創造するのです。

紳士淑女の皆様。私は、神様と人間の本質に関するこのような考えを、皆様と共に分かち合う機会をもつことができ、とても感謝しております。私はまた、ここソ連に来ることができ、とてもうれしく思います。私の心は、本当にソ連の国民に対する憐憫の情であふれています。皆様の中の多くの方々が耐え難い苦痛を受けてこられており、そのことは私を悲しい思いにさせます。私は、皆様の国、ソ連とソ連の国民をとても愛しています。私は、この地に、そして全世界に、途方もない影響を及ぼす道徳的、経済的ルネサンスが必ず到来すると思っています。私はこのルネサンスを鼓舞し支持するために、私のできる限りのことをすべてするつもりです。

皆様は、新しいソ連革命を遂行しています。しかし、これは流血や銃声のない革命、すなわち心と精神の革命でなければなりません。私は、家族の重要性について力説してきました。きょう皆様にお話ししたいことは、私は、心の奥底からソ連の国民を私の家族の一員として感じているということです。私の妻と子女たちも同じように感じていると確信します。また、統一運動に参与している全世界のすべての人々が、人類の未来の繁栄と福祉のために、最善を尽くして皆様と共に仕事をすることをお約束いたします。私は、真の平和が持続する世界を建設しようとされる神様の計画で、ソ連がとても重要な役割を担当すると信じます。私の祖国韓国と国境を接する極東から、西欧文明の発祥地であるヨーロッパの中心部までに至る、この広大なソ連は、ヨーロッパとアジアとをつなぐ架け橋の役割を果たす運命を生まれながらにもっています。私たちは、自分たち自身を、地球という一つの家の中で共に暮らしている一つの地球家族であると考えなければなりません。神様の恩寵がソ連とソ連の国民の皆様に共にあることを祈ります。この歴史的大会に御参加いただき、本当にありがとうございました。

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神様は善の中心です。サタンは悪の中心です。また人類の歴史は、人間を通じて起こる善悪の闘争史、すなわち神様とサタンとの間の闘争史です。しかし、神様とサタンは正反対の戦略を取ります。高慢で欲の深いサタンは、常に善の側を攻撃します。神様の陣営は常に攻撃を受け、苦痛を受けます。しかし、これは神様をして正義を立てさせる機会を与えてくれるのです。善の側は、正当であることが立証され、新しい領土を占有するようになります。その反面、サタン側は弱まり、敗退せざるを得なくなるのです。一例として、第一次世界大戦のとき、戦争を挑発した国は究極的に敗北しました。第二次世界大戦のときも同様でした。日本、ドイツ、イタリアの同盟国は、結局は連合軍に敗北しました。搾取する勢力はみな、究極的には衰退し、その反面、善のために迫害を受ける人は、いつかは神様によって高められるようになるのです。私の生涯がそれをよく証明しています。

私は善のために、そして神様のために苦痛を受けてきました。相手は常に無慈悲で、残忍でした。数十年前、私は拷問を受け、むちで打たれ、何回か投獄されました。迫害した人たちは、恐らく私の活動が消滅し、忘れ去られるだろうと思っていたと思いますが、正反対の現象が起きたのです。私は、世界的な財団や団体を設立し、事業と活動が発展し続け、栄えています。

すべての人間は、一生の間、各自自分の中に最も貴重な師をもっています。それにもかかわらず、その師を冷遇し、踏みにじり、乱用しています。その師こそ、すなわち人間の良心です。私たちの良心は、常に私たち自身にも助けになるように話し掛け、私たちを真の愛と連結させてあげようとしています。私たちの良心は、私たちをして善で、非利己的な人になりなさいと父母のごとく促し、神様のみ旨に従って行動するように導いてくれます。しかし、各自の心の中にはまた、常に良心の声に逆らう反乱者がいます。その反乱者こそ、すなわち肉体です。肉体は、良心を散々に踏みにじり、乱用してきました。私たちがこのことを悟ったとき、私たちは、自らの良心の敵だった肉体、すなわち自分の生命と人性をひどく損傷させた肉体の味方につくことができるのでしょうか。

私たちの良心は常に、心の中の師として、また父母として、人類の究極的な父母である神様と一つになるように導いてくれなければなりません。このとき、良心は、私たちの中にいる神様の代身者となり、さらには良心を「第二の神様」とも呼ぶことができるのです。皆様は、良心の敵である肉体に対して同情し、肉体を保護しなければならないと考えますか、それとも肉体を統制し、抑制しながら、良心が正当であることを立証しなければならないと考えますか。肉体は、肉体的な欲望のみを追求するだけです。おなかが空けば、盗んででも飢えをしのごうとします。肉体は常に楽なことを追求し、他を利用しようとします。肉体は、肉体なりの領域をもっています。すべての人は各自、肉体の領域を主管すべき莫大な責任を負っています。肉体の領域を主管するようになるとき、縦的な自我としての精神と横的な自我としての肉体は、完全に調和の中で一つとなって、その人は完全となり、神様の愛の中で永遠に一つになるのです。

神様は、真の愛、真の生命、真の血統の源衆です。私たち人間は、正にこの源泉に由来しているために、私たちもまた、真の愛、真の生命、真の血統をもたなければなりません。しかし、人間は堕落によって、不幸にも神様の子女という位置に至ることができなくなりました。男性と女性は、神様からではなく、サタンから愛と生命と血統を受けました。人間の堕落によって、今日、愛は根本的に自己中心的になってしまいました。このような自己中心的な愛は、精神から来るものではなく、肉体を中心にしています。肉体はサタンが活動する所です。肉体はサタンの舞踏場であり、停泊地です。精神は神様が住まわれる所、すなわち主体の位置になります。しかし、精神の対象の位置にあるべき肉体がもう一つの主体になろうと努力しながら引き続き精神を誘惑し、だましています。人間の生活で、このような関係を修正することはとても重要です。

ですから神様は、堕落した人間を蕩減復帰しようと宗教を立てられました。神様は宗教を通して、神様中心の精神を強化する方法、生活と人格に対する肉体の支配を逆転させる方法を人々に教えていらっしゃいます。宗教が断食、奉仕、従順で謙遜な態度などを求める理由は、正にこのようなところに由来しています。これは、肉体の勢力を減少させ、肉体をして精神に服従させる方法です。信仰生活を通して肉体を中心とした生活習慣から抜け出て、新たに精神を中心とした生活様式をつくりあげるまでには、普通三年ないし五年かかります。

また、聖書に「絶えず祈りなさい」(テサロニケI五•一七)という聖句があります。これもまた、とても重要なみ言です。なぜならば、サタンは堕落した世界を支配しているからです。サタンは、一日二十四時間、あらゆる方向から堕落した人間を誘惑し、苦しめています。その反面、神様はただ一つの方向から、すなわち精神の垂直的方向からのみ、力を及ぼすことができるのです。神様の目には、堕落した世界は霊的死の世界です。神様は、死の世界を生命の世界へと蕩減復帰しようとするみ旨をもっていらっしゃいます。ここで復帰とは、救援のまた別の表現です。本来の理想的な状態を喪失したときには、これを復帰しなければなりません。健康な人が病気にかかれば、医者が来て、再び本来の健康な状態へと回復させてあげなければなりません。同様に、神様が意図された本来の創造理想が失われたので、神様は、この堕落した世界を原罪のない本来の状態へと復帰しなければならないのです。これを成就するために、神様はメシヤを送られます。

しかし、メシヤが来る前に、神様は、特別に選んだ人々を通してメシヤを迎える準備をさせます。このことは、野生のオリーブの木の果樹園に例えることができます。野生のオリーブの木の果樹園は、堕落した領域の中で神様が依然として指示し、統制できる特定の区域を象徴しています。これが準備されたのちにメシヤが来ます。メシヤは、神様の果樹園における野生のオリーブの木をすべて切って、ここに生命の真の枝を接ぎ木します。そうすることによって、野生のオリーブの木は、すべて真のオリーブの木になります。そのようにして人間は、本来の状態へと復帰されるのです。

今日の信仰者は、正に神様の果樹園にいる野生のオリーブの木です。しかし、最も篤実な信仰者だとしても、神様の真の血統をまだ受けていないので、依然としてメシヤを探さなければなりません。メシヤは、人類の真の父母としてこの世に来て、本来のアダムとエバの位置に人間を復帰させてあげなければなりません。したがって、神様の真の血統と連結されるためには、すべてメシヤであられる真の父母と一つになって、真の愛を受けなければなりません。そのようにすることによって、すべての人は、神様の真の息子、娘になることができます。そのような方法で、メシヤは人類を救ってくださるのです。メシヤは真の父母の立場で、悪い種から育った木を根こそぎ抜き取って、サタンを屈服させなければなりません。そのようにして、メシヤは、真の愛の中で人類を神様と一つになるように連結し、すべての人を神様の真の息子、娘にしなければなりません。このような方法で、地上天国が建設され、人類はついに本当の自由を享有するようになるのです。

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22.真の統一と一つの世界 日付:一九九〇年四月九日

場所:ソ連、モスクワ、ソビン•センター

行事:第十一回「世界界言論人会議」

親愛なる議長団、尊敬する元国家元首、首相、貴賓、そして紳士淑女の皆様。歴史的な第十一回「世界言論人会議」を皆様と共に、ソ連の首都モスクワで開催することとなり、限りなく栄光に思います。今回の大会のテーマは「世界のコミュニケーションと協力の増進」であり、これについて討論できる場所として、正にここソ連が最も適していると思います。また、今回の大会の開催は、私にとってはこの上ない喜びであると言うことができます。なぜなら、世界平和を追求する素晴らしい二つの団体の会議、すなわち第三回「世界平和のための頂上会議」と第九回「中南米統合機構総会」が同時にここで開催されているからです。今回のモスクワの訪問は、私にとって個人的にも温かい情を感じることができる良い経験になっています。ソ連政府、特に「ノーボスチ通信社」の幹部の皆様がこの地で施してくださった手厚いおもてなしに対して感謝の言葉を伝えたいと思います。私と妻、そして子女たちは、皆様の御親切に深い感銘を受けています。今、ここにいらっしゃる元国家元首および首相、各国貴賓の方々もみな、私と同様、主催国であるソ連に対して深い感謝の意を表すると思います。

最近私は、ソ連の言論人たちから、社会、経済、政治的発展の前提条件として「霊的ルネサンス」の重要性に対する見解を問われたことがあります。この機会を借りて、そのことについていくつかお話をしようと思います。「霊的ルネサンス」はとても重要だと思います。そして、このためには、人間に関する、より深い理解が必要です。

ですから、いくつかの哲学的な主題と宗教的な主題を考察してみる必要があります。これは、コミュニケーションや言論とは直接的な関連がないかもしれませんが、このことに対する理解は、世界の真の平和のために必要だと思います。その上、これは私が生涯をかけて探究し、発見し、教えてきた真理の本質でもあります。

宇宙を観察してみれば、すべての存在は、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって存在していることが分かります。これは、鉱物という次元から出発してすべての場合に当てはまります。分子は、陽イオンと陰イオンの結合を通じて形成されます。植物の場合、生存と繁殖は、雄と雌を代表する雄しベと雌しベの結合を通じてなされます。動物の場合、このような二性性相がよりはっきりとします。魚類、鳥類、哺乳類など、すべての動物は雄と雌によって存在します。最後に、神様の最高の創造物である私たち人間も、男性と女性に区分されています。最初の男性アダムと最初の女性エバは人類の始祖です。このような二性性相の存在目的とは何でしょうか。神様は、なぜこのように創造されたのでしょうか。創造主は、万物を陽性と陰性に区分して創造し、それらが互いに愛を与え合うことを通して結合するようにされたのです。愛の行為を通じて、すべての種はその数を増やし、系譜をつないでいくのです。

人間の欲望は、終わりもなく限りもありません。それでは、このような人間の限りない欲望の真の目標とは何でしょうか。女性の場合、それは男性です。そして、男性の場合、それは女性です。男性と女性は、お互いを通じてのみ真の愛を発見することができるのです。人生や宇宙、そして神様に対する歴史上の様々な見解は、解決することのできない問題ばかりを提示しました。これらの問題に対する解答は、真の男性と真の女性が真の愛の中で神様と一つになって絶対的な存在を創造するときに発見することができます。これが絶対価値の根源です。男性は女性のために存在します。女性は男性のために存在します。各々は、互いの愛の対象にならなければなりません。

神様は絶対的な愛の存在です。神様は愛の対象である人間を創造され、御自身の愛をその上に注ぐことができることを願われました。そのようにされることによって、神様は、自然に男性と女性から返ってくるその愛を受けることを期待されたのです。このような方法によって、神様は無限の喜びを感じたでしょう。アダムとエバは、まず自分たち同士が愛の中で一つになってこそ、神様の愛の完全な対象となることができたのです。したがって、アダムとエバが一組の成熟した人間となって神様に似るようになり、神様の愛を受け、また愛を神様にお返しするためには、成長と成熟の期間を必要としたのです。真の愛の模範は、仕えられることではなく他に仕えることです。神様は、最初に御自身の愛の対象を創造されるとき、御自身のすべてのエネルギー、すなわち御自身のすべてを一〇〇パーセント投入されました。このようにして神様は、真の愛の模範をつくられたのです。言い換えれば、神様は、御自身を完全に消耗し尽くす真の愛の伝統を立てられたというのです。そして、真の愛は宇宙の中心になったのです。人間を創造されるとき、神様は御自身を完全に投入し尽くしました。神様は、御自身を全く空にされたのです。大気中に低気圧の部分が生じると高気圧の部分は自動的に低気圧の方に引っ張られていくようになります。同様に誰かが他に絶対的に侍るようになるときには、常にその人を満たしてあげるためにエネルギーが結集するようになります。したがって、御自身の完全な愛の対象を創造するために神様が下さったすべての愛を、男性と女性は究極的に神様にお返ししてさしあげなければなりません。

ただ愛のみがすべての障壁を超越します。私たちが真の愛の中で神様と一つになるとき、肉的、霊的被造物に対する私たちの主管が可能になります。徹底して他のために生きるとき、私たちは初めて神様の本質に到達することができます。そうすれば、神様の思いが人間の思いとなり、神様が感じられることが自然に人間に伝達されるのです。このように生きていくとき、人間は神様の心情と愛に共鳴する器となり、二つの音叉が共鳴するように、人間と神様も常に共鳴するようになるのです。それが正に究極的な人間の原状なのです。この原状に到達するとき、神様の愛は私たちの愛となり、神様の生命が私たちの生命となり、神様の血統が正しく私たちの血統となるのです。神様の創造された世界が私たちの世界となるのです。私たちは地上と天上のすべての存在と共に神様の愛を分かち合うようになります。私たちは父母の心情で天国の民となるのです。

因果法則は歴史を通じて明白に現れます。蒔いたとおりに刈り取られるようになっています。人間始祖であるアダムとエバは、成長する過程において性的に愛を乱用しました。それにより、人間は楽園から追放されるようになったのです。神様は、アダムとエバが神様の祝福を受けて結婚するときまで、自分たちの純潔をしっかり守り、神様の真の愛、真の生命、真の血統の土台となってくれることを願われました。このようにして、アダムとエバが完成して祝福を受けていたならば、その子孫は、自然に神様の息子、娘となり、創造主の愛を享有し、地上天国と天上天国で暮らすことができていたはずです。

しかし、アダムとエバが完成期に至って神様から祝福を受ける以前、すなわち彼らがまだ十代の青少年のとき、天使長がエバをそそのかして姦淫したのです。それにより、天使長はサタンとなりました。そして、アダムもまた、堕落したエバと関係を結ぶことによって堕落しました。人間の歴史は、このように不倫の種を蒔くことによって始まったのです。その結果、今日不倫の関係が蔓延しています。特に、十代の青少年たちは、性的堕落の犠牲者となっています。先進国の社会は、聖書の中のソドムとゴモラとほとんど変わりません。神様は、このような不倫の愛を嫌われます。私たちは、神様の怒りを恐れなければなりません。

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21.言論の規範と記者の責任 日付:一九八九年三月二十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ•ショアハム•ホテル

行事:第十回「世界言論人会議」

尊敬する議長、貴賓、そして紳士淑女の皆様。ワシントンDCで開催される第十回「世界言論人会議」に皆様をお招きできたことを、誠にうれしく思います。今年は、選ばれた主題の発表者だけではなく、参加者の皆様が、歴代のどの会議よりも立派な方々がいらっしゃると聞いております。皆様にお会いできて、誠に喜ばしい限りです。ほとんどの方は、今回初めて参加されたことと思います。私が皆様にお会いして喜ぶように、皆様も私に会って喜んでいただければ幸いです。

皆様も御存じのように、私は本来、宗教指導者です。それにもかかわらず、私の活動領域は宗教に限られていません。私は言論に対しても、多大な関心をもっています。一九七五年以来、私は世界各地で多数の新聞社と出版社を設立してきました。

一九七五年に、日本の東京で日刊紙「世界日報」を創刊し、一九七六年には、ニューヨークで「ニューズ•ワールド」紙と「ニューヨーク•シティー•トリビューン」紙を創刊しました。アメリカの主要都市でスペイン語の日刊紙「ノティシャス・デル•ムンド」も発行しました。一九八一年からは、ウルグアイのモンテビデオで、日刊紙「ウルティマス•ノティシャス」を製作し、中東地域では「ミドルイースト•タイムズ」紙を発行しました。しかし私は、アメリカの首都ワシントンDCで、代案の声を出す人物として最もよく知られています。百二十八年の歴史をもつ「ワシントン•スター」紙が廃刊になってからは、ワシントンには、ただ一つの新聞だけが残りました。

「ワシントン•タイムズ」は創刊して七年にも満たないですが、優秀な新聞として成長し、秀でたデザインと編集内容で多くの受賞経歴をもつようになりました。この新聞は、アメリカで最も多く引用される三大新聞の一つとして、AP通信社によって選ばれました。

ワシントン・タイムズ社はまた、週刊誌「インサイト」と月刊学術誌「ワールド•アンド•アイ」を発刊しています。さらに、私が行ってきた韓国では主要日刊紙「世界日報」を創刊しました。この新聞は二ヵ月足らずで、発行部数が百万部を超えました。私はこのような出版物の発行に加え、言論の倫理と責任に関連した問題を探求するために、一九七八年に「世界言論人協会」を創設しました。

ここで、宗教指導者がなぜ多くの資金を投入して言論事業に力を尽くすのかという疑問があるようです。私がそのようにする理由はとても簡単です。それは言論によって支配される時代だからです。電波媒体と印刷媒体は、今まで地上に知られた最も強力で影響力ある伝達手段です。

紛争に苦しみ、互いに異なるイデオロギーが衝突する世界で、私たちが平和に暮らすのか、それとも戦争に巻き込まれるのかを決定する上で、言論は重大な役割を果たします。私の究極的な目標と願いは、恒久的な平和、言い換えれば真の価値観、すなわち真の愛に基づいた平和を実現することです。このような目標の達成は、軍事力によるよりは、言論の活動によるほうがはるかに大きい可能性をもっています。それだけに、この会場には、全世界から来られた最も影響力のある方々が集まっていると言ってこそ、正確な表現になるでしょう。言論人は人類の将来を、より良い方向か、または悪い方向に導いていける影響力をもっています。

言論は、強大な力を保有してはいますが、多くの自由国家では、世界の大多数の職業と比べ、顕著なほどにその言論活動を規制する法律がほとんどありません。そのような状況において、言論の自由という名のもとで強大な力を振りかざすことを念頭に置かずにはいられません。したがって、言論人たちは絶えず自省する努力を傾けなければならないということは自明の理です。

自由とは、神様が人間に賦与した最も大切な贈り物のうちの一つです。人間は創造されるときに、自由意思を与えられました。そして、自分の行使した自由に対しては、責任を負うように創造されました。正しい自由の意志行使に当たっては、正否に関する根本的な理解に基づく修養と節制が求められます。正否に関する定義を下す必要に迫られたとき、他人を害さなければ、いかなるものも許されるという回答をしばしば耳にします。しかし、明らかなのは、何が害することなのかを決定するための絶対的基準がそこに求められるということです。

創造主であられる神様は、人生の目的を既に定めておられます。人間の精神的幸福は、神様がお立てになった法度に従って人生の目的を実現してこそ得られます。人間がこのような原則から外れるならば、自然法則を違反したときのように自己の破滅を招くことになるのです。

私がこのようなことを話すのは、人間というのは、言論人や学者、聖職者、さらには夫や妻などの区分を問わず、誰もが神の子だからです。私たちは、自分たちを創造してくれた神様の息子であり、娘なのです。人間の神性と特有の尊厳性は神様に由来しているのです。人間の第一の責任は、神様から賦与された人間の価値を守るために、自由を行使することです。これを履行するためには、私たちは神様から賦与された根本的な道徳律に従って生きなければなりません。

アメリカは、個人の自由に高い価値を与える国です。アメリカ人とアメリカに住む人は誰でも、好きなだけ神様をあがめることができ、集会の自由があり、いかなる内容でも出版したり話したりすることができます。同時に、アメリカの建国の父たちは、自治という概念を強調しました。私たちは今日のアメリカにおいて、自由があふれている反面、自治が欠如していることを発見します。

言論が自由でなければならず、独立的でなければならないことは自明です。そして、独立的な言論は、道徳的な言論にならなければなりません。それでは、道徳言論とは何を意味するのでしょうか。道徳言論とは、神様から与えられた人間の権利と尊厳性を保護し、維持しながら、増進させるために自由を行使する言論です。人間の権利と尊厳性の保護が、すべての倫理と道徳性の基準にならなければなりません。

ですから、道徳言論は、人権と自由の守護の最前線に出なければならず、いかなるたぐいの不正に対しても対抗しなければなりません。このようにすることだけが、世界平和を保障する最善の方法なのです。道徳言論は、あらゆる形の抑圧に対抗する闘いの先頭に立たなければなりません。さらには、道徳性の回復という次元において、腐敗と人種差別主義に対抗し、不当に差別や迫害を受ける人々を保護しなければなりません。道徳言論は、麻薬の乱用と猥褻な書籍、その他、私たちの社会における多くの破滅的な悪習と対抗して闘うときに先頭に立たなければなりません。そうして、道徳言論は、私たちの社会の良心にならなければならないのです。

今年の会議には、ソ連と中国の言論人の代表の方々が初めて参加しました。私たちは、ソ連と中国から皆様をお招きできたことを誠にうれしく思います。共産主義世界は、急速に変化しています。私は、ソ連のグラスノスチとペストロイカという新しい開放・改革政策と中国が採択した改革政策に賛辞を送ろうと思います。ソ連と中国のこのような変化に対しては、両国の言論が主導的な役割を果たしています。「世界言論人協会」は、皆様が参加する今回の会議において、自由で公開的な討論が行われるように進んで努力をしています。

民主主義世界と共産主義世界は共に、腐敗と貪欲、搾取など、諸般の問題を解決するために努力しています。しかし、この両世界ともが、依然としてこの目標を実現することができずにいます。私の見解では、両社会は共に根本的な問題を抱えています。両世界は、自分たちの問題を、神様を排除したまま解決しようとしています。神様は忘れられた存在なのです。私たち人類が神様を捨ててしまったことは、今世紀の最も深刻な問題です。皆様が全体主義や無神論的世俗主義の名のもとで、神様から離れるならば、いかなる場合においても自己破滅という同じ結果を招くようになります。共産圏と西側諸国は、このような根本的な問題と闘っているのです。

私は、言論が抑圧を受ける所では、言論の自由な表現を増進するために、そして言論の自由が既にある地域では、責任言論を具現するために「世界言論人協会」を創設しました。さらに一歩進んで、私がこのように意味ある団体を立てたのは、真実報道の精神を鼓舞し、言論に携わる人たちが、妥協しない真理の闘士になるようにすることにあります。

私たちは、「世界言論人会議」をほぼ毎年開催してきており、言論人のための世界視察旅行を数回推進しました。このような実態調査の旅行の対象国家には、ソ連、中国、南アフリカ共和国、モザンビーク、アンゴラ、カンボジア、中米国家などが含まれます。言論人たちはこのような旅行を通して、現地の実状を取材し、世の中を直接体験できる機会をもつようになります。諺に「百聞は一見にしかず」という言葉があります。この言葉のように、言論人たちは事実を正確に報道するために、常に世の中の状況を見ていなければなりません。私たちが今回の会議で数日間にわたって議論するテーマは、「自由で道徳的な言論活動の考察」という重要な内容です。

最後に、皆様は、テレビや皆様の新聞で、私に関する内容をたくさん御覧になっていることと思います。皆様はレバレンド•ムーンに関する興味深い話が、新聞の販売部数を上げ、より多くの視聴者をニュース番組に引き込むのに役に立ったという事実を認めるでしょう。

このように私は、長い間、皆様のお役に立ってきたのですから、今度は私が何か一つお願いをしたとしても、御了解くださるのではないかと思います。そのお願いというのは、私の思想と生涯を一度研究していただきたいということです。心の扉を大きく開いて、一度研究してください。そして、皆様御自身で結論を下してください。今回の会議は、そのような研究を始めるのに絶好の場となるでしょう。

ワシントンDCに滞在しながら会議に参加する間、楽しい時間をお過ごしください。御参加くださったことに感謝申し上げ、神様の祝福が皆様と皆様の家庭に共にあることを祈ります。

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20.分断された世界における言論の責任 日付:一九八七年九月二十一日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第九回「世界言論人会議」

尊敬する議長、貴賓、そして紳士淑女の皆様。第九回「世界言論人会議」に参席するために、はるばる遠方からお越しくださったことを、心から感謝申し上げます。

私の祖国で開催されるこのたびの会議で、皆様に再びお目にかかり、心からうれしく思います。私は、会議という次元を超えて皆様を韓国にお招きすること自体に、個人的に大きな関心があることをお伝えしておきます。

周知のとおり、私たちは、一年後にソウルで開催されるオリンピックの準備をしております。このような栄光は韓国の歴史上初めてであり、全韓国民は、間もなく訪韓してくる数十万人もの人々の期待に応えるために、準備に忙しく余念がありません。

私は、言論に従事される紳士淑女の皆様に、事前にオリンピック大会の準備状況を見ていただき、世界に出て証人となっていただくことを願う気持ちから、今回の第九回「世界言論人会議」を韓国で開催することを勧めました。韓国人は、八八ソウル•オリンピック大会の成功と安全を保障できるほど、あらゆる苦難を克服していく強靭な信念と意志をもっている民族です。

今回の会議のテーマは、「分断された世界における言論の責任」です。韓国はこの会議の開催地として最もふさわしい場所です。ちょうどここから三十マイル北では、共産主義世界と民主主義世界が対峙しています。この二つの世界のうち、一方は神様を認める世界であり、もう一方は神様を否定する世界です。

韓半島ほど、対極的な二つの世界の違いを顕著にはっきりと現している所はありません。韓半島は、自由と独裁、善と悪、民主主義と共産主義とが闘争する全世界の縮小版なのです。

今日、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、この二つの世界は戦争の渦中にあります。皆様は、この状況を第三次世界大戦と呼ぶかもしれません。その戦争の形態は、過去の二度の世界大戦とは全く違うものだとしても、それは全面戦争なのです。この戦争は、正に二つの人生観、二つの世界観の闘争です。二つの相矛盾する価値観は、社会全般において対立しています。それは軍事のみならず、政治、社会、経済、文化、スポーツまでもが戦略的に利用される戦争です。

一方は、神様によって賦与された神聖不可侵の権利、すなわち生命と自由と幸福の追求を主張しており、他方は、人間の運命は国家によって決定されるという立場をとっています。また一方は、人間の生を神聖なものとし、人間はすべて神の子であると認めるのですが、他方は、人間を最も高度な社会的動物以上の何ものでもないと主張しているのです。

一方は、永遠の存在と絶対価値を認めていますが、他方は、すべてのものを物質とみなし、一時的で相対的なものに固執しています。この二つの世界は、古代の闘士たちが死ぬまで戦ったのと同じように、死に至る闘争状態で固められています。

多くの人々は、この二つの世界が平和的に共存できると信じています。しかし、私はそのような楽観論に共感できないのです。この宇宙の中では、到底共存できないものであることを看破しているのです。

光と闇は共存することができません。光は闇を一掃します。真理と偽りは共存することができません。真理は偽りを克服します。また、生と死とは共存することができません。死んだ者は埋葬されなければならず、生きた者は続けて生を営まなければなりません。

今日の民主主義と共産主義の世界的対決は、光と闇の戦いであり、真理と偽りの戦いであり、生と死の戦いです。周知のように、七十年という短い歴史の間で、北朝鮮の強制収容所やソ連の集団労働収容所、東南アジアのジャングル地帯など、世界のあらゆる所における、共産主義による犠牲者は、およそ一億五千万人を超えているのであり、今日もなお、その殺戮は継続されているのです。

私は韓国動乱以前に、北朝鮮で投獄されたとき、共産体制の残虐性を、身をもって体験しました。そこは刑務所というより、正に死の収容所であり、ある囚人は六ヵ月も生存することが困難でした。

一九五〇年十月十四日、私の死刑執行が予定されていた日の前日、私はマッカーサー元帥の率いる国連軍によって救出されました。これは全的に神様の恩寵によってもたらされたものです。二年八ヵ月の収容所生活で、私は共産体制の邪悪さを骨身にしみて体験しました。

私はこの目でマルクス主義の極悪な非人間性を目撃し、もしも共産主義を阻止することができない場合には、全世界は彼らの手によって破滅させられることを知るようになりました。それ以後、私は共産イデオロギーと闘争し、これを克服するためにこの身を捧げることを決心したのです。

火を火で制するように、一つのイデオロギーはまた別のイデオロギーによってのみ克服することができるのです。ですから、今日、私たちが決着をつけるために命懸けで臨んでいる闘争は、理念の戦争です。この戦争は軍事力だけで戦うのではありません。共産主義者を買収して放棄させることはできません。共産主義に勝つ道はただ一つしかありません。光が闇を追い出すように、誤った理念は正しい理念によってのみ征服できるのです。

さらに私は、共産主義の邪悪さの核心が、神様の実在を否定するところにあることを知り、また、人間の永遠の生を否定するものであることを発見しました。人が神様を否定するとき、人間の尊厳性の根拠を失うようになります。人間が神様の位置を占有してしまうのです。このような信条に立脚して共産主義理念が出現したのです。

私たちは共産主義の本質が無神論にあることを看破するとき、これを克服するイデオロギーは、神様を認め、神様を中心とする理念でなければならないということは言うまでもありません。私たちは、このイデオロギーを「神主義」あるいは「頭翼思想」と呼びます。絶対的な神様中心の世界観こそ、共産主義から人類を解放する最も効果的な武器です。それは、「神は存在する」という真の真理のみが、「神は存在しない」という偽りを一掃することができるからです。

そして、無神論に基づいた共産主義世界は、人間の希望を充足させることに完全に失敗しました。そうかと思えば、自由世界も漸次、物質万能主義へと流れ、神様を忘れてしまいました。それは、自由世界が共産主義世界と同じような立場に転落してしまい、昨今の甚だしい世界の危機を克服するのに、何の役にも立っていない理由なのです。世界は今、混沌というものによって深い闇に覆われています。「神主義」はこのような世界に新しいビジョンを提示しているのです。

多くの人々が、私の教えと統一運動は宗教界ばかりでなく、社会の様々な側面において、この世に新鮮で建設的な衝撃を与えてきたと証言しています。共産主義の支配下で呻吟している多くの人々を解放することが、私たち自由人が団結して履行すべき神聖かつ重大な義務であることを私は信じてやみません。

そうだとすれば、私たちの目的は反共ではなく、共産世界の解放です。一九七六年、私たちはワシントン•モニュメント広場において、三十万人のアメリカ人を集めた大会を開きました。これは、私がアメリカで行った大衆演説の絶頂でした。

そして、正にその翌日、私はそのような形態の集会を、次はモスクワで開催すると公表しました。この解放運動の原動力は、憎悪ではなく、正に真の愛なのです。私たちはすべての人間が自由を勝ち取れるように努力しなければなりません。そして、全世界の隅々で自由の鐘が鳴り響くようにしなければなりません。

共産独裁の統治下に生きている、二十億に近い人々が解放の日を渇望しているという事実を私は知っています。自由人たちが躊躇し、優柔不断で、義務感を喪失している間に、他方で数百万人もの人々が、毎日死んでいることを私たちは忘れてはいけません。

このような戦争の中で、言論は、その勝敗を決する重要な要因になるか、または決定的な要因になるかもしれません。理念を表現する言論人である皆様は、民主主義と全体主義の闘争で、主要な役割を果たしています。

このような使命を悟っている言論人は、勝利的結果に大きく貢献できる一方、この責任を忘却する言論人は、必ず敵に利用され、巧みに操られてしまうのです。今までになく「ペンは剣より強し」という格言が、重要な意味をもつようになりました。その権限が大きくなればなるほど、それに正比例して、その責任も大きくなることを知らなければなりません。言論の絶大な力は、開かれた自由社会の正義を擁護するために、大きな責任を有しているのです。

私は自由言論の信奉者です。それでいながら、その自由言論は「責任言論」でなければならないと確信する者です。そして、責任言論は、すなわち「道徳言論」でなければならないと信じています。それでは、道徳言論というのは何を意味するのでしょうか。私たちは人間が神様から賦与された権利と尊厳性をもっていることを認めています。人間の権利と尊厳性の擁護が、すべての倫理と道徳性の標準とならなければなりません。ですから、言論は、自由を守護し、不義と闘う最前線に立たなければなりません。

言論は、全体主義に対抗する闘争をリードしていかなければなりません。さらに道徳言論として、腐敗と人種差別主義に反対しなければならず、不当に迫害されている人々を擁護しなければなりません。道徳言論は、麻薬の乱用や猥褻な本や映画など、社会の様々な破壊的な非行に対抗し、憤然と立ち上がって闘いをリードしていかなければならないのです。すなわち、言論は社会の良心とならなければなりません。

私は、言論が抑圧されているところには言論の自由を促進させるため、そして既に言論の自由があるところには、責任言論を具現するために、「世界言論人協会」を創設しました。また私は、すべての言論人が真理のためには妥協しない、真理の闘士となれるようにするために、同協会を設立したのです。

私たちはこの「世界言論人会議」を毎年開催してきました。そして、ソ連、中国、南アフリカ共和国、モザンビーク、アンゴラ、カンボジア、中南米など、全世界にわたって言論人たちが共に旅行しながら、多くの事実を学び体験する言論人世界視察旅行を数回敢行しました。このような旅行は、真理を模索する旅程であり、言論人たちが世界を肌で感じる機会を提供するためのものです。

私は、この「世界言論人協会」が過去九年間にわたり成し遂げてきたその業績を誇りに思っています。皆様がテレビや新聞を通して、私に関しての多くの話を聞いておられるとしても、私に直接会うのは恐らく今回が初めての方々が多いのではないかと思います。レバレンド•ムーンに関する数多くの興味ある話は、皆様の新聞をますます売れるようにし、皆様の番組の視聴者を増加させました。

このように、私は長い間、皆様の事業を援助してきましたので、今度は私が皆様に一つお願いしても御理解いただけるのではないかと思います。それはほかでもなく、私の思想と生涯を一度研究してみてほしいということです。心の扉を大きく開けて、一度研究してみてください。そして、皆様御自身の結論を出してくださるようお願いします。韓国はこのような研究を始めるには、絶好の場となるでしょう。

もしもここでの私たちの努力が、自由世界の理念具現に重大な貢献をすることができるならば、私たちはその高貴な目的の達成のために、自身のあらゆる努力と資源と生命までも捧げなければならないでしょう。私は、この価値ある課業における皆様の御参加を心からお祝いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りします。

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19.言論の信頼性と社会的責任 日付:一九八四年十一月二十日

場所:日本、東京、ホテル•ニューオータニ

行事:第七回「世界言論人会議」

名誉議長、共同議長、そして紳士淑女の皆様。東京にて開催する第七回「世界言論人会議」に皆様をお招きできたことは、私の喜びとするところです。私が東京に行くことができないのは残念ですが、私の心は皆様と共にあると思っていただき、どうか御了解くださることを願います。

私は、日本人および日本という国に対して、最高の敬意を抱いております。日本は、現代世界において優秀な国の基準になっています。現代において奇跡的な経済発展を遂げ、世界の強大国の一つとなったアジアの国、日本から、私たちは学ぶべきことが数多くあると思います。電子機器および活字を駆使しながら言論界に従事する一員として、皆様は現在、地球上で最も強力かつ影響力のある選ばれたグループを代表しています。自由主義諸国のほとんどの国では、他の職業に比べて、言論の活動を規制する法律はほとんどありません。それは良いことです。自由の中で暮らせる恵沢を受けた人々は、自由な報道が、専制主義に対して最も強力な歯止めになることを知っています。

政治的、経済的、あるいは学術的な手段よりも、言論が社会に与える影響は迅速です。これが正に「世界言論人協会」の信念です。しかし、外部からの規制がない場合、それによる威力の乱用という問題が提起されることもあるのです。自由とは、実に創造主から与えられた最も貴重な賜物の一つです。人間は自由な精神的存在として創造されています。しかし、人間は、自由な存在として創造されると同時に、神様から責任も与えられているのです。自由というのは、自己規律と自己抑制とを必要とするからです。

自由は法則から離れて存在することはできません。宇宙には物理的法則と精神的法則が働いています。それらが自由を究極的に制限しているのです。例えば、皆様は自由にホテル•ニューオータニの屋上に行って、そこから飛び降りることもできます。それは皆様の自由です。しかし、その自由な行動は、皆様の自己破滅を招きます。なぜなら、それは自然の法則に反することになるからです。また、海に入って空気の代わりに水で呼吸するのも自由ですが、自然の法則はこのときも働きます。皆様の肺はそれに耐えることができず、結局のところ皆様の生命が破壊されてしまうでしょう。誰もこれには異論がないはずです。

精神的法則はそれほどはっきりしたものではありませんが、自然の法則と同様、絶対的なものです。精神的法則を知るためには、人間が宇宙の中で神様によって創造された最初の精神的存在であることを認識しなければなりません。神様は創造主として、自ら創造目的を定め、精神的法則を定められました。すべての価値は神様から始まります。人生の目的や、人間がいかにしてその目的を成就するかは、既に神様によって定められているのです。これが絶対的価値の基盤です。この絶対的価値の基盤の上に道徳の源が立てられます。これらの道徳の源が精神的法則を構成するのです。

人間は精神的存在として創造され、精神的法則によって生きています。私たちは、創造主が定めた人間の根本的な目的を成就するために、この地上に存在しているのです。人間の精神的幸福は、人間が神様によって定められた道徳律に従って、個人としての責任を果たすことによって増進するようになっています。人間がこの法則に違反すれば、自然の法則に違反したときと同様、自己の破滅を招いてしまうのです。

皆様は、言論人である前に、まず人間です。人間の第一の責任は、基本的な道徳的原則に従って、自由を行使することです。言論人にとって報道の自由は、すべての自由人に共通する道徳の基準によって行使されなければなりません。ここに言論における責任の重要性が問題となってくるのです。このような理由で、私は「世界言論人会議」の創設者として、報道の自由とともに言論の道徳的責任を強調し、そのために闘っているのです。

トーマス•ジェファーソンが、「報道は人間の心を啓発し、人間を理性的、道徳的、社会的存在として向上させるための最良の道具である」と言っているのは、全く正しい見解です。ジェファーソンは、私たちの自由そのものが報道の自由に依存しており、報道の自由は決して制限されてはならず、少しでも制限されるならば、すべてが失われてしまうとまで語っています。この言葉の中には、大変含蓄のある真実が込められています。しかし、私たち自身がまず理性的、道徳的、社会的存在にならずして、どうして人の心を啓発したり、人をして理性的、道徳的、社会的存在となるよう、人を鼓舞したりできるでしょうか。私たちがそのような道具となるためには、何が道徳的であり、何が非道徳的であるかを決める基本的原則を先に理解しなければなりません。すなわち、私たちは、神様の精神的法則を基本的に理解できなければならないのです。

民主主義は、報道の自由なくしてはその機能を発揮できません。そして、報道の自由は、道徳的責任と共に行使しなければ、真の自由とはなり得ません。自由な報道とは、道徳的な報道であると私は信じています。言論を職業としている私たちは、この点に特別の誇りをもっています。言論人が社会の中で、特別な位置を占めていると言えるのは、正にこのような理由によるのです。言論人は、不正に対して闘う正義の闘士であり、自由の守護者です。

しかし、最近の報道は、道徳的で責任あるものとなっているでしょうか。アメリカにおける報道の例を取り上げてみましょう。アメリカは民主主義制度が最も模範的に運営されている国とみなされています。報道の自由は、アメリカ合衆国憲法で保障されています。それにもかかわらず、言論の信頼性と評価が低下しつつあるのは明らかです。

調査によれば、以前に比べてニュース•キャスターを信用しないという人の数が徐々に増加しています。言論は傲慢であって信頼に値しないという人の数が徐々に増加しているのです。そのような認識が、次第に社会組織の中で広まりつつあります。昨年、アメリカ軍がグレナダに派遣されたとき、言論人たちは現場から除外されました。NBCの夜のニュース解説で、言論界の多くのメンバーがどう感じているかを報じていました。それによると「アメリカ政府は、大衆の代表が誰も見ていない所で、やりたい放題のことをやっている」というものでした。

しかし、手紙や電話でNBCの各支局に続々と寄せられた反応によると、六人中五人の視聴者が政府の行動を支持していることが分かったのです。ABC放送のアナウンサーは、グレナダから報道陣を閉め出したレーガン大統領の決定に対し、投書の九九パーセントがこれを支持していると語っていました。「タイム」誌にも多くの投書が寄せられましたが、それらは九人中八人が報道機関の見解に反対するものでした。

一九七六年に全米世論研究センターが行った世論調査では、「報道を大いに信頼する」と答えた人は、アメリカの人口の二九パーセントにすぎないことが分かりました。当時でも、一般大衆の評価指数は非常に低いものでしたが、八年後にはその数字がさらに低くなっています。

最近の調査では一三•七パーセントになっており、日に日に下降の一途をたどっています。それはどうしてなのでしょうか。人々はなぜ言論を信頼しないのでしょうか。大衆はニュースの背後にある利己的な動機を疑い、言論の行動が、全般的にますます無責任で煽動的かつ無節制になってきたと見ているからです。

言論の信頼性が低下の一途をたどっていることに無関心でいることはできません。世界の将来に対する責任に対して知らないふりをし、目をつぶっていることはできません。皆様は、言論媒体の創設者として、オーナーとして、また報道に携わる者として、世論や歴史の判断、そして神様の審判台に堂々と立たなければならないのです。

「世界言論人会議」および「世界言論人協会」の役割は、言論の信頼性の低下を回復し、言論の質を健全な水準にまで引き上げることです。ですから、今年のテーマを「言論の信頼性と社会的責任」としたのです。私たちは大衆の信用を回復し、歴史を正確に記述し、創造主であられ、私たちすべての最終的な審判官でもあられる神様の承認を得なければならないのです。自由世界の将来と同様に、言論も岐路に立たされています。一方において、法的手続きによって報道の自由を制限しようとすれば、自由のすべては破壊されてしまう確率が高く、また他方において、言論が規制からはずれて好き勝手に行動をすれば、真摯な大衆の信用を失うことになり、その結果、報道の自由の基盤を失ってしまう危険が生じるからです。

このジレンマに対する唯一の有効な解答は、健全な立場を失うことなく、独立性を堅持するように自ら努めることです。言論のもつ権力の乱用を防ぐことのできる人は、言論関係者である皆様しかいないことを忘れないでください。

皆様は政府からの干渉にも抵抗できるほど強く、かつ自由でなければなりません。それと同時に、道徳的で正しく、正義のためには立ち上がらなければなりません。さもなければ皆様は、人々の信頼を悪用することになり、結局は報道の自由を失うようになるでしょう。歴史は、権力を乱用すれば自由を喪失する結果をもたらすことを教えています。

皆様が偉大な言論人になるためには、神様の道徳律に従って生きる偉大な人間にならなければなりません。また、正しい言論が存在するためには、まず道徳的で正しい人間になることから始めなければなりません。

私は、第七回「世界言論人会議」において、言論が自己の番人となる必要性をよりよく認識するのに役立つ一つの方法として、言論倫理委員会を構成することを提案いたします。このような委員会は、いかなる政府の影響をも受けないものでなければなりません。それは世界言論界の著名な代表者で構成され、次のような目的のために奉仕するものでなければなりません。

一、言論界における特定の事件、問題、あるいは支配的な傾向を監視すること。

二、共通の報道倫理を採択するために、探求可能な現実的実施基準を、各報道媒体の代表者に要求すること。

三、言論による権力の乱用を強く指摘し、大衆の前に明らかにし、言論自らの行動を問題視するとともに、言論人の倫理のために貢献した個人や団体を評価すること。

四、「言論倫理賞」を創設し、言論の最高の理想を具現化し、また言論界に対する信頼性を高めることに最も貢献した個人や団体にその賞を授与すること。

この会議がこのような新しいことを誕生させる出発点となるならば、それは自由な報道を守ることに貢献するとともに、言論の責任を促進し、高める、歴史的に記念すべき善を成し遂げたと言えるでしょう。私は言論こそ自由の守護者であり、真実の擁護者であるという確固たる信念を抱いています。自由で責任ある言論を促進することほど、全体主義体制と闘う良い方法はありません。

私はいま一度、「ペンは剣よりも強し」という格言を繰り返したいと思います。現代においては、ペンに加えてマィクやカメラも含まれます。そのように見るとき、「世界言論人会議」は、地上における最強の勢力の集会です。この強力な勢力がその力を正しく行使していくならば、全人類の自由と全世界の平和を確保することができると私は確信しております。

紳士淑女の皆様。私はこのメッセージを、コネティカット州のダンべリーにあるアメリカ合衆国連邦刑務所から送ります。私は誰よりも自由の尊さを理解しています。しかし、自分自身の自由のために原則を曲げることはできません。私は自分の自由に対してだけでなく、地球上の何百万もの抑圧されている人々の自由に対して加えられている不義や、政府の侵害に対しても闘っているからです。

皆様と東京において皆様が進める「言論人会議」の上に神様の祝福が臨むことをお祈りします。ありがとうございました。

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18.社会の諸問題と言論の責任 日付:一九八二年十月四日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第五回「世界言論人会議」

尊敬する議長、内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。第五回「世界言論人会議」に参加するために韓国を訪問してくださった皆様に、深い感謝の意を表す次第です。

「世界言論人会議」は、著名な言論界の重鎮たちが集まり、今日の社会における言論の責任という命題について理解を深めようとするところから出発しました。

韓半島は世界の縮小体 本言論人会議の範囲は全世界的であり、私たちが追求し達成しようとする理解は、国際的な理解です。そのような意味で、本会議が今から三十二年前、北朝鮮の共産党による不法韓国侵略当時、自由世界の二十一ヵ国が団結し、その侵略を打ち破ったことのある、この韓国で開催されることに、より大きな意味があると思います。このような自由諸国の団結した実力行使は、崇高な国際協力の標本として、その類例をほかに見ることができません。

韓国人は、六•二五動乱当時、祖国が危機に瀕し、世界平和が脅威にさらされていたとき、国連の名のもとに世界の多くの自由国が韓国の自由守護に貢献してくれたことに対し、決してその恩を忘れることはできません。また私は、本会議が韓国で開催されることに、もう一つの重大な意義を見いだしています。それは今日、韓国が世界のあらゆる主流文化の融和点となりつつあるという事実によるものです。

韓国は、アジア諸国の中でも特異な国です。韓国は、過去五千年間、東洋固有の文化と生活様式を保ってきました。ある意味では、最も純粋な本然の東洋文化の神髄が維持されている所が、正に韓国であると言えます。また韓国には、世界の主流宗教が入って栄えました。今は西欧文明の精神的核心と言えるキリスト教が、韓国に深く根を下ろし、発展の一途をたどっています。世界各地の教会が、閑散としていくのとは反対に、韓国のキリスト教会では昼夜、礼拝と祈祷の声が高まっていっています。

韓国のキリスト教は、西欧の精神文明の根となるへブライ思想の結実と言えます。古代へブライの預言者によって証され、キリスト教の聖者によって継承されて、今日の世界の主流宗教となってきたキリスト教は、正にへブライ思想を根源としたものであると言うことができます。そうかと思えば、休戦ラインの以北の北朝鮮では、へブライ思想とは正反対の伝統を継承してきたヘレニズムが極端な形で結実しています。これが正に唯物思想に立脚した、神様を否定する共産主義です。この相反する二つの主義をそれぞれ信奉する二つの世界が、正にこの韓国において互いに衝突しているのです。

朝鮮戦争は、この二つの主義の世界がぶつかった戦争でした。ですから、朝鮮戦争は局地戦争ではなく、それぞれ結束した共産主義世界と自由世界の二つの陣営が正面から対立して戦った世界戦争でした。したがって韓半島は、世界の縮小体と見ることができます。世界のすべての問題が縮小され、韓半島で引き起こされているのです。したがって、韓国で得られる経験と成功した解決策は、韓国における問題の解決策であるのみならず、世界問題の解決策になるのです。それでは、私たちはどのような形態の解決策を求めているのでしょうか。

共産世界と自由世界の対決は、一言で言えば理念の対決です。さらには哲学の対決であり、究極的には主義と思想の対決です。もし神様がいるとすれば無神論はうそになるのであり、もし神様がいないとすれば、唯物論は真理になるのです。神様を中心として、いるいないという、相反する二つの主義が、どちらも真理であるということはあり得ません。ですから、この二つの主義は、宿命的に必ずぶつかるようになっており、二つのうちの一つ、すなわち真の真理だけが残るでしょう。

ですから、神様の実在を信じる私たちは、その神様を私たちの日常生活で、実証をもって見ることができなければならず、世界が否定できない神様として浮き彫りにしなければなりません。「神はいない」という思想に対しては、「神はいる」という徹底した実証さえあれば勝つことができます。そのようになれば、共産主義問題はその根本から崩れていくでしょう。そのような使命をもって始まった精神運動が、正に私たちの統一運動であり、またこの運動が、ここ韓国から始まらざるを得ない論理的根拠があるのです。

社会問題の解決方案と言論の責任 私はこの機会をお借りして、私が統一運動を起こすことになった背景を説明したいと思います。弱冠十六歳(数え)だった年のことですが、当時、私は北朝鮮の地におり、その時、極めて意味深い一連の霊的な経験をしたのです。

幼い時に体験したこの体験を、言葉でもって、皆様にすべてを表現することは非常に難しいことです。一言で言えば、霊的な世界が突然、私の前に開かれて、私はその霊的な世界にいる聖賢たちと自由に、思いのままに交流できるようになりました。北朝鮮の地、静寂な山中で、私は何度もイエス•キリストと直接対話をしました。そのときから啓示された真理の内容が、今の「統一原理」の核心なのです。

最近アメリカの法廷で、私はイエス様とモーセと釈迦と会ったことがあると証言しました。そのとき、世界の言論は大きな衝撃を受け、全く信じ難いことであると言いました。しかし、私は、経験した本当の事実を語ったにすぎません。私が宣布したいことがあるならば、それは、「霊的世界は厳然として存在し、人間の生命は永遠である」という真理です。このような体験をして以来、私は統一教会を創立し、その統一教会から統一運動が始まりました。この統一運動は、今日、人類と世界の前に置かれた深刻な問題に対し、解決策をもたらそうとする運動なのです。

第一に、統一運動は、共産主義問題に対して積極的な解決策をもたらす運動です。共産主義問題の解決のためには、自由世界に新しい心霊的覚醒が訪れなければなりません。そして、この心霊的覚醒が基礎となり、人類のすべての実際問題に対する解決方案が出てくるようになるのです。

第二に、統一運動は、世界のすべての宗教が相互協力できる足場を構築する運動です。世界のすべての宗教は、お一人の神様を信じる勢力として団結しなければなりません。人間の本心は、創造主、または人類の父であられる神様を認知できるようになっています。お一人の神様を人類の父としてお迎えする所に、一つの世界統一家族が具現されるのです。

第三に、統一運動は、道徳的な世界を具現する運動です。これは、今日の若者たちにとってより重要なことです。今日、絶対的な道徳基準がないために、非道徳が蔓延しているのです。貪欲的で利己的な生活、人がどうなろうと関係なく、また人を利用してでも自分だけが利益を得ようとする風潮が助長され、蔓延しつつあります。このような状態が続くようになれば、結局、社会は破滅を免れないでしょう。

善の世界を建設するための価値観の絶対道徳基準は、創造主であられる神様を離れてはあり得ません。なぜなら、神様だけが永遠、不変であられるからです。その神様は、観念の神様ではなく、私たちの一日一日の生活に臨在されなければなりません。世界の善男善女が神様と常に交流しながら暮らすとすれば、そこに非道徳はあり得ないのです。

これは厳然たる真理です。真理の前に偽りは砕かれるものであり、その偽りがたとえこの上なく大きな経済力と政治力、社会的力によって支えられているとしても、結局その偽りは真理を克服することができません。強大な力をもつ共産主義であっても、彼らの主義が真理に立脚していないならば、必ず真理の前に砕かれる時が来るのです。

このような「統一思想」運動を展開する中で、私は世界各地で言論から多くの誤解を受けてきました。言論に対し、甚だ遺憾に思うような立場にある人がいるとすれば、私こそ正にそのような立場にあると言わざるを得ません。

しかし、私は、言論の攻撃に対して悔しく思い、報復しようとする代わりに、むしろ言論が私に対して多大な関心を寄せてくれて、有り難く思っています。もちろん、私は言論人たちに貴重な奉仕をしてきました。皆様が使える数多くの資料を提供しました。レバレンド•ムーンを追い回せば、言論は決して倦怠感や退屈さを感じる暇がないでしょう。

実際、私は言論人たちに対して嫌悪感を抱いていません。私は、言論がもつ善の無限の可能性が達成される日が来ることを堅く信じているからです。今まで私は多くの誤解を受けてきました。その誤解は無知によるものであり、その無知と誤解によって歪曲された記事が生まれたのです。きょう、私が皆様にこのように演説するのも、結局は、皆様と私の間の理解を深めようとするところにあります。私は、言論を忌避しようとはせず、どんなに不可能に見えたとしても、真実を伝えることにあらゆる努力を傾けるでしょう。

映画「オー!仁川」の製作目的 最近、私と映画「オー!仁川」の製作をめぐって、多くの話題が行き交っています。この映画には、五千万ドルという多額の製作費が費やされ、ハリウッドの名高い俳優たちが動員されました。多くの人々が、宗教指導者である文牧師がなぜハリウッド映画に関心をもつようになったのかといぶかしく思いました。私自ら、その理由を説明しようと思います。

この映画に関心をもつようになったのには、二つの大きな理由があります。一つ目は、朝鮮戦争の侵略者が誰なのかということを歴史的事実として証することに目的があります。過去三十年間、共産主義者たちは、歴史的事実を歪曲するために不断の努力を続けてきました。彼らの宣伝がとても効果的だったためか、今日、多くの若者が、アメリカと韓国が北側を侵攻した侵略者であると思っています。しかし、実際のところは、北朝鮮の共産党が、ソ連と中国の支援を受けて韓国を侵略してきたのです。これにより、数百万の罪のない人々が彼らの侵略の前に犠牲の供え物となりました。この歴史的事実は明白に描かれなければならず、共産侵略者たちの正体が正確に記録されなければなりません。この映画「オー!仁川」は、正にこの目的のためにあるのです。

二つ目は、マッカーサー元帥の功績に対し、尊敬と賛辞を送ることに目的があります。マッカーサー元帥は、神様を愛し、人類を愛し、また人類と神様の一番の敵である共産主義を正確に知って嫌悪していた偉大な将軍です。一九五〇年、北朝鮮が南侵してきた危急な状況にあって、韓国と韓国人たちの存亡が危うくなったとき、マッカーサー元帥は共産侵略を防ぐことこそが神様のみ旨であると信じました。神様を信じる信仰の中で、彼は仁川上陸作戦を計画して実践しました。これは軍事戦略の傑作であり、不可能な条件を偉大な勝利へと導いた歴史的功績となりました。

マッカーサー元帥はまた、戦略の天才であるだけでなく、この上ない人類博愛主義者でした。第二次世界大戦当時、日本の降服に次いで、マッカーサー元帥は征服された日本の最高司令官として君臨するようになりました。彼はその権力の座で暴君になることもできましたが、それとは正反対に、敗戦国の日本を、父のような愛と慈悲で統治しました。

マッカーサー元帥は、朝鮮戦争をいかに究極の勝利へと導くかということとアジアでの共産主義問題を完全に解決する方案が何かということを正確に知っていました。もしそのとき自由世界が彼の忠告に従って、マッカーサー元帥の意図することを実践していたなら、韓国が分断される悲劇はなかったはずであり、アジア全域における共産主義の膨張と無限の犠牲はなかったはずです。自由世界に羞恥と汚点を残したべトナム戦の敗戦もなかったでしょう。

私は、今日の世界の若者たちがマッカーサー元帥の偉大さについて理解してくれることを熱望しています。また、彼らがマッカーサー元帥を英雄として推戴し、マッカーサー元帥の歩んだ道を模範として、神様と人類に奉仕する働き手となってくれることを切実に願っています。

最後に、この映画を作るに当たり、私にとって個人的に忘れられないもう一つの縁があります。朝鮮戦争が起きたとき、私は北朝鮮の共産刑務所に収監されていました。その刑務所の悲惨な状況は、とても言葉では表現することができません。そこに収監された政治思想犯たちのある者は、六ヵ月足らずで死んでいきました。

私は神様の特別な御加護のもと、三年近い長い歳月をその刑務所で耐え抜きました。仁川上陸作戦に続いて国連軍が北へ北へと攻め上がっていく中で、焦った共産主義者たちは、収監されていた政治思想犯を処刑し始めました。私に最後の瞬間が迫ってきていました。ところが、私は連れていかれて処刑される前の日に、劇的に国連軍の助けによって解放されるようになりました。ですから、「オー!仁川」という映画は、私がマッカーサー元帥に捧げる感謝のしるしとも言えるのです。

私は、マッカーサー元帥に生前に会うことができませんでした。しかし、この朝、幸運なことに、私たちはマッカーサー元帥の甥である、ダグラス•マッカーサー二世大使を基調演説者として迎えることになりました。私はこの瞬間、マッカーサー大使からマッカーサー元帥が実際に来られていることを感じています。マッカーサー大使をお招きできたことは、実に大きな喜びにほかなりません。マッカーサー大使とラッシャー議長が参加され、この壇上にいらっしゃる貴賓と世界各国の著名な言論人が参加された、この「世界言論人会議」に、私は大きな期待をかける次第です。

ぜひ、これからの数日間、熱心に会議に臨んでくださることをお願いし、この会議が終わり次第、皆様を招いて、短い間でも楽しい時間を過ごせるようにしたいと思います。私は、皆様に我が国のことを詳しく紹介したいと思っており、皆様が韓国を発つとき、この国にまた来たいという気持ちをもってお帰りになるのなら、それ以上に大きな栄光はありません。

最後に、皆様がこの会議に参加してくださったことに改めて感謝しつつ、神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。

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16.絶対価値と新しい世界秩序 日付:一九九二年八月二十日

場所:韓国、ソウル、インターコンチネンタル•ホテル

行事:第十九回「科学の統一に関する国際会議」および第五回「世界平和教授アカデミー世界大会」

尊敬する議長、著名な学者各位、来賓ならびに紳士淑女の皆様。第十九回「科学の統一に関する国際会議」と第五回「世界平和教授アカデミー」世界大会の開幕総会において、皆様の前でお話しできますことを大変うれしく思います。併せて、皆様が私の祖国である韓国に来られましたことを心より歓迎いたします。

宇宙の原理の根源は神様 昨年私たちは、科学者大会以外にも、非常に特別な二つの会議に参加しました。それは、正に「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」です。この二つの機構は、新しい世界秩序の構築のために創設されたものです。特に「世界平和宗教連合」は、世界平和の建設を目的として、世界の宗教を一つにすることに貢献するようになりました。最近の湾岸戦争で、皆様は、世界がどのように宗教戦争に陥るのかを目撃しました。また、宗教による地球の災難は、今後も起き続けるでしょう。

これまで多くの政治家たちは、自らの目的のために宗教間の対立を利用してきました。それにより、宗教は無力化し、混乱するようになりました。また、宗教者たちは、世界平和のための責任を明確に悟ることができずにいます。今後、「世界平和宗教連合」を通して、全世界から来た宗教指導者たちは、互いに和解するようになり、平和のための指導者となるでしょう。

すべての文化において、宗教は中心核でなければならず、公義の標準でなければなりません。各宗教は、自らの伝統を絶え間なく守り続けてきたことに対して、誇りをもっています。それぞれが、自分の宗教は他のあらゆる宗教よりも優秀な宗教であると考えているのです。しかし、宗教的な教えは、宇宙的な要素をもっているだけでなく、それ自体は神様から出てきたものです。お一人であられる神様は、すべての宗教の神様です。したがって、宗教は自らを浄化させなければならず、宇宙的な原理として昇華させなければなりません。宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は「人のために生きなさい」という教えによって説明することができます。個人は家庭のために生き、家庭は社会のために生き、社会は国家のために生き、国家は世界のために生きるのです。同様に、各宗教は他の宗教のために生きなければなりません。このような原理が真理なのです。

宇宙的原理の根源は神様であられます。宇宙を創造されるとき、神様は御自身の創造物のために、御自身のすべてを投入されました。また歴史を通して、自分勝手に生きる堕落した人類を救うために、絶えず犠牲になってこられたお方が、正に神様なのです。神様のみ旨を知った預言者と聖人、そして賢人は、自らの人生の中で神様の願いに従いました。

そして、自分たちが真理を守ることでは満足せず、他の人々を指導するために犠牲の道を歩みました。モーセ、孔子、釈迦、ムハンマド、ソクラテス、そしてイエス様などは、苦難を受け、人々を指導する際にも迫害を受けた聖人たちでした。人類を呼び覚まし、解放させるために、自らの人生を犠牲にしました。

「世界平和連合」は、世界平和のための政治家と国家機関の協力機構です。今日の世界は、国家主義では支えることができません。現在、東ヨーロッパで燃え上がっている民族の紛争は、民族主義の破壊的な特性を立証しています。民族的誇りや民族自決というのは、ただ世界共同体に貢献する中で得られるときにのみ、正しく善のものとなるのです。自国のみを優先し、他国に対する憎しみを増幅させる覇権主義は、ために生きるという宇宙の原理に相反するものです。宇宙の原理に反する主義はすべて、消滅するようになるのです。

今、数々の国が、ヨーロッパ共同体のような多国籍連合体に加入しようとする傾向を見せています。このような傾向は、今後、より一層深化するでしょう。したがって、今後すべての国家は、地域共同体として連合するでしょう。すなわち、ヨーロッパ国家連合、東アジア共同体、イスラム共同体、アフリカ共同体、南北米共同体などです。

先行されるべき宗教間の調和と統一 政治家たちが、国家的利己主義を超越するためには、他の国々と共有できる統一された価値観がなければなりません。それでは、ヨーロッパの国家を連合できるものとは何でしょうか。それは経済政策だけでは不十分です。ヨーロッパには、いまだに産業国家と農耕国家との間に多くの葛藤があります。また、ヨーロッパ国家連合における社会政策は、もう一つの論争の的です。もし私たちがヨーロッパ統合の要素を見つけようとすれば、それは正にキリスト教文化圏にほかなりません。

中東人や東洋人と比べるとヨーロッパ人は多くのものを共有しています。すなわち、共通の文化、共通の社会慣習、そして最も重要なのは共通の論理と世界観を共有しているということです。このような共通するヨーロッパ文化の根は、キリスト教精神です。キリスト教文化は、ヨーロッパの知的、社会的、政治的生活の基礎となっています。

しかし、ヨーロッパのキリスト教それ自体が、根強い歴史的な分裂によって苦しんでいるのです。北アイルランドやユーゴスラビアなどでの紛争に見るように、私たちは彼らの葛藤がプロテスタントとカトリック、そしてギリシャ正教との間における、解くことのできない宗教的紛争によるものであることを悟ることができます。したがって、宗教の調和と統一は、政治的、社会的な平和と統一よりも先行される必要性があるのです。

新しい世界秩序は、国家共同体によって形成され、各共同体は、共通の宗教文化によって結ばれた基台の上で、経済的、政治的に円満な関係を通して結びつくでしょう。私はこのような歴史の流れを、数十年前から予見していました。これが、四十数年間にわたり、多くの犠牲を顧みず、宗教間の対話と和合を図る活動を増進してきた理由です。

新しい世界秩序が実現されるためには、宗教間の対立と戦争を防止しなければなりません。このような問題を解決するために、私はすべての宗教を抱く基盤を築こうと、惜しみなく苦労してきました。私は聖職を始める前に、霊界にいるイエス様と釈迦と孔子、そしてムハンマドに、私が啓示を受けた原理を提示しました。彼らは私の原理が正しいことを認めました。志のある宗教指導者たちは、世界平和のために、すべての宗教者たちが本来の教えを中心として互いに和合し一致する実践運動に立ち上がるべきであることを悟っています。神様を中心として宗教を一つに統一することが、神様が私に下さった使命です。

「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、各々、心と体の関係をもって共に有機的に働くでしょう。堕落した人間は今まで、体が個々人の人生を支配することを許し、自分の喜びのために他人を抑圧し、排撃する、利己主義的な人間による悪の世界をつくってきました。

これこそが地上地獄です。それとは反対に、少数の人々だけは宗教を追求し、体の誘惑を振り切りなさいという良心の善の声に従ってきました。ただこの少数の人たちだけが、神様に会うことができ、地上に天国をつくることができるのです。同様に、国家の政治家は、誰も宗教の声に耳を傾けませんでした。政治的な喧騒の中で、道徳的で霊的な価値の声は、かすかに聞こえただけです。

東洋だけでなく西洋でも、政治家たちは神様とは関係なしに、経済的、政治的政策だけで繁栄を成し遂げようと努力しました。しかし、彼らの努力は無駄に終わりました。いかなる国も、神様の祝福なしには繁栄することができません。神様は、心と体、そして宗教と政治が一つとなって「ために生きよ!」という原理を実践する国だけを祝福するのです。

しかし、天の権能について考えようとしない、見境のない政治家たちは、いまだに地上ばかりを眺めています。

共産主義の指導者たちは、七十年以上もの間、神様を抜きにして富を実現しようと努力してきましたが、彼らの国は既に破産してしまいました。同様に、西欧諸国も景気後退、犯罪、社会的腐敗などで、恐ろしい熱病を患っています。

しかし、このような問題は、宗教指導者たちが目を覚まし、それらの真の原因を発見するまでは解くことができません。また、宗教指導者たちが、神様を中心とする一つの平和世界の建設を目指して心を一つにしてこそ、政治家たちが宗教の教えに従うようになるのです。そのとき初めて、心の世界を代表した宗教と体の世界を代表した政治および経済の協力が形成され、世界の国々が自然と一つになるでしょう。「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、このような原理的基盤をもっているので、国連など多くの国際機構の腐敗とその他の多くの誤りを止揚するところから出発し、成功を収めるでしょう。

この時代における最も大きな課題 尊敬する学者の皆様。新しい世界秩序のための学者の役割は非常に重要なものです。全人教育のためには、社会の各分野の連携が必要です。人々は、家庭、教会、学校と社会の中で人格を学ぶようになります。文明社会を発展させることのできる人材を育てるために、家庭、教会、学校と社会は、絶えず協力し合わなければなりません。この時代における最も大きな課題は、多元的な地球村社会において、いかに全人教育を実施するかということです。皆様は、この社会における知識の宝庫です。皆様の学生たちは、皆様が教える知識よりも皆様自体からより多くのことを学びます。

学生たちは師の習慣を模倣し、師の社会に対する態度を学び、師の価値観から深い影響を受けます。皆様は常に師の立場に立たなければならず、未来に対して望ましい人間のモデルとならなければなりません。神様を中心とした絶対価値である真の愛が基本となる、新しい文化の伝統を立てるという皆様の使命は、非常に貴いものなのです。

皆様も御存じのように、今回の大会は第一回「世界文化体育大典」の一環として行われます。人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を探求し、神様と人間と万物が調和した平和で新しい文化世界を目指す歴史的な行事です。全世界の学者、宗教者、言論人、政治家、青年の代表が地球村家族の一員として一つ所に集まり、人類の和合のための知恵と経験と実践を結集する祝典です。

特に(一九九二年)八月二十五日には、世界全域から集まった約三万組のカップルが、聖なる祝福を受け、神様を中心とした新しい家庭の伝統を確立することを誓います。家庭は、国家と社会の最も基本的な単位です。社会問題の解決は、家庭問題の解決から始まります。人種を超越した「真の愛による世界は一家族」の理想は、平和世界の具現に直結します。人類は、神様を中心とした家庭において模範的な夫と妻となることを誓約し、祝福家庭となることによって、正しい論理を実践し、道徳の模範を示すようになります。このようになるとき、真の愛が実現される理想的な家庭、社会、国家と世界を成し遂げることができるのです。全世界から、約六万人が祝福を受けるために一カ所に集まるという事実は、神様と真の父母のもとに一つになったことを象徴します。

皆様を、この歴史的な祝福の場に御招待いたします。最後に、私が計画し、推進している三つの事業を皆様に御紹介したいと思います。一つ目は、思想と宗教世界を統一するための一つの経典を既に発刊したことであり、二つ目は、二十一世紀の人類の知識と文化の結集を試みる「国際文化財団」が大百科事典の編纂を始めたことであり、最後の三つ目は、知識の交流と全世界の教授と学生たちの相互交流を推進する「世界大学連盟」のためにブリッジポート大学を引き継いだことです。この三つの新しいプロジェクトは、未来の地球村の新文化世界を創造し、増進することに大きく寄与するでしょう。

改めて、この意義深い会議に参加するためにソウルまでお越しくださった皆様に、感謝の意を表します。そして、科学者大会の議長を務めてくださるゲルホルム博士とカプラン博士に、特別に感謝を申し上げます。今回の会議でも皆様の討論が大いなる実を結ぶことを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護と祝福がありますようお祈りいたします。ありがとうございました。

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真の愛を土台とした理想世界 神様と人間の本然の関係は、真の愛を中心とした関係です。神様と私の共同所有、全体と私の共同所有、また隣人と私の共同所有など、様々な場合がありますが、神様の真の愛が中心となった感謝する心をもって共同所有するようになっているのです。

神様の愛を完成した人間がつくりあげる理想世界においては、全体目的と個体目的は自然に調和するようになっています。人間には欲望もあり、愛の主体性をもっているので、個人所有や個体目的が許されているのです。だからといって、無制限な個人所有、あるいは全体目的を害する個体目的を追求することはありません。完成した人間は、自らの良心と本性によって、自分の分限に合った所有量を取るようになるのです。

特に、真の愛による万物の真の主人の人格をもった理想的な人間の経済活動は、愛と感謝を底辺とするので、欲張ることや不正はあり得ないのです。同時に全体目的に反して地域や国家の利益が強調されることはあり得ず、経済活動の目標は、利潤の追求ではなく、全体の福祉に焦点が絞られるのです。

共栄主義とは、神様の真の愛を基盤として共同参加し、自由、平等、幸福の理想が実現される政治を追求する主義です。共同政治参加の形式は、代議員を選出することになります。しかし、政治の単位が愛中心の家族関係の拡大であることを理解するとき、代議員の候補者は互いに敵対関係にはなり得ません。一人の神様を父母として侍る兄弟関係によって周辺から推薦され、奉仕する使命感をもって候補になるのです。

そして、いくつかの選出段階の過程を経るときや最後の決定には、不純な人為的条件が介入されることなく、神様のみ旨に従って決めなければなりません。すなわち、祈祷と厳粛な儀式によって抽選で当選者を確定する方式になるのです。神様のみ旨と天運によって当落が決定されるので、みな感謝し、その結果を喜ばしい心で受け入れます。理想世界の国家の重要機関と部署は、共同目的のもとで、互いに円満な授受作用をしながら調和します。ちょうど人体の様々な器官が、頭脳の指示による共同目的のもとで、合目的的、あるいは自律的に協助し合うのと同じです。

共義主義とは、真の愛を中心とした普遍的な倫理、道徳を守り、構成員すべてが善と義の生活を追求する主義のことをいいます。これは、神様の真の愛による絶対価値のもとで、万民が倫理と道徳を普遍的に実践する道義社会を目指す思想となるのです。

理想世界は、理想家庭と完成した人間を前提としています。真の愛による理想的な父母、理想的な夫婦、理想的な子女の統一的な調和が理想家庭の要件になります。また、完成した人間は、真の愛によって心身が調和統一を成し遂げた人です。このように完成した人々が、真の愛の基地である家庭生活、またその拡大である社会生活において、主体的に善と義を行う最高の愛の世界、道義世界が正に理想世界なのです。

いかなる専門的な知識があったとしても、真の愛に比べればそれは十分なものではありません。私たちは、何が人間を幸福にしてくれるのか、ということに対する知識をもたなければなりません。その知識というのは、正に全知全能であられる神様のみ旨なのです。ですから、真の知識とは、神様のみ旨を知ることです。神様が理解され御覧になるのと同じ基準で、世界と歴史と人間を理解して見ることができなければなりません。

すべてを御存じであられる神様が創造された、結果の世界に対する一部の知識を習得したからといって、自慢したり、独裁者のように振る舞って他人を支配したりすることは、学者として望ましい道理ではありません。皆様の目標は物理学と化学、そして生物学などの新しい発見を論じることだけではありません。そのような発見や学問的な成就が、個人と人間の全体社会にいかなる利益となるのか、そして人間と世界と万物との調和の取れた関係をいかに成し遂げるのか、ということに関しても理解し、検討しなければなりません。

科学の発見は、あまりにも頻繁に、一個人、あるいは一国家の征服や繁栄のための利己的な目的に誤用されてきました。学問的な発見や発明は、神様が人間に与えてくださった大いなる祝福です。神様は、人類全体と世界のために、このような祝福を下さるのです。もしも祝福によって得られた学問的成果が、ある部類の利己的な目的にだけ利用されるのだとしたら、それは善の可能性が悪に変わってしまうのです。

「世界平和教授アカデミー」に対する期待 ゲルホルム議長、これまで第二十回「科学の統一に関する会議(ICUS)」のために注いだ教授の努力に対して、個人的に深甚なる感謝を棒げます。教授は、「ICUS」の創設以来、ずっと共に働いてきており、また「ICUS」のビジョンの最高の位置を代表しています。

今回の会議に、遺伝学と生物学、そして人間の老化問題など、最近の数々の研究に関する論議のために、全世界の碩学たちを集めました。これらの研究は、新しい可能性を切り開きましたが、その正しい使い方のための新しい道徳的、あるいは社会的挑戦が付きまとうことと思います。私は、今回の「ICUS」が甲斐ある収穫を収め、世界に大きく寄与する成果があることを祈ります。

「世界平和教授アカデミー」は、一九七三年、世界平和のための学者たちの積極的な探究と実践のために創設されました。特に、大学社会において、世界平和のための能動的な研究と実践の機会を提供してきました。世界に山積した問題は、良心的な碩学たちの指導を待っています。

教授たちは、理論を教えるだけでなく、学生たちに人格と価値を植えつけてあげるのです。教授たちは、学生たちの人格形成と発展に重要な影響を与えることになるので、彼らを善の道に導き、助けなければなりません。

私と私の妻は、「世界平和教授アカデミー」を通して、世界の若者たちが、超国家、超宗教的に和合する未来社会の立派な指導者となるよ宗教育することを目標に、「世界大学連盟」を開設しました。尹世元(ユンセウォン)総長とルーべンシュタイン総長の知恵深い指導のもと鮮文大学とブリッジポート大学を中心に、私の構想が実践されることを期待しています。

「世界大学連盟」の活動によって、世界各地の学生たちは、世界最高の学者たちの教えに接し、また教授たちは、国境を超越して多くの学生たちを指導することができるので、より良い未来のために、より大きく寄与するようになるでしょう。教授たちは若者に多くの影響を与えます。しかし、人は父母を通してより大きな影響を受けるのです。個人の性格と人格形成に最も大きな影響を及ぼすのは家庭です。

人生において、家庭は、最も重要な愛の学校です。子女たちは、家庭において父母だけが行うことのできる愛の教育、情緒教育を通して、心情の深さと幅を育てられます。これが子女の人格をつくる礎石となります。また、家庭は、子女に美徳と規範を教育する学校です。人は、このような情緒教育と規範教育を受けた土台の上で、知識教育、体育、技術教育を受けなければならないというのが天道です。

父母は、子女に真の愛を施す真の父母になると同時に、真の師となって心情教育と規範教育を正しく行うようになっています。たとえ父母が真の師であることを自覚できなくても、子女は、父母からありのままの姿に似て学ぶようになるのです。父母の役割は、このように重要です。子女は、父母が与える真の愛と父母の愛の生活に似ていきながら、愛の人格が形成され、霊性が啓発されていくのです。今日、全世界にわたって、家庭が変わりつつあり、伝統的な家庭は様々な面から挑戦を受けています。産業化と現代化が加速するにつれて、人類の価値観は崩壊し、倫理と道徳の基準が揺さぶられています。さらには、個人主義、快楽主義、拝金主義などによって人間性が抹殺され、フリーセックスと不倫はますます助長され、家庭が破壊されつつあるのです。

真の家庭を立てるために先頭に立つべき 尊敬する学者の皆様。これはどれほど不幸な風潮でしょうか。このまま放置すれば、人類は、未来に希望をもつことができなくなります。いくら社会的条件が変わったとしても、父母と子女の関係の重要性を揺るがすことはできず、家庭の大切さもまた変わりません。重ねて申し上げますが、愛は人間の幸福と喜びの源泉であり、家庭はその幸福と平和の基台になるのです。

数日後に私が執り行う歴史的な三十六万組の祝福結婚式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育をしてきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、理想家庭を築くことを既に神様に誓約し、不変の愛を祝福によって許された人たちです。神様の真の愛を中心に真の夫婦となり、父母となって真の家庭を築く人たちです。祝福行事は、一教団の結婚儀式だけではなく、病んだ人類を生かし、愛の秩序を回復させ、家庭の危機を救う救世の儀式なのです。統一教会でこの祝福行事のモットーを「理想家庭を通じた世界平和」に定めた理由もここにあるのです。

家庭の未来を診断する今回の「世界平和教授アカデミー」世界大会を開催するために御苦労されたカプラン議長の指導力に感謝申し上げます。百二十ヵ国から参加した碩学たちと共に真の家庭像を打ち立て、不正と不倫の現世代に挑戦しなければならないと思います。皆様は、問題の分析や理解だけではなく、責任を負って、理想家庭を創造し、指導していかなければなりません。理想家庭によって社会を先導し、明るい未来を創造すると期待しています。

今回の期間に、神様の加護のもとに行われる全体会議と分科会議が、皆様の熱を帯びた討議によって立派な成果を収め、さらに皆様が韓国に滞在する間、意義のある、有益な経験をすることを願ってやみません。皆様の家庭と皆様が携わるお仕事の上に神様の御加護があることを祈りなから、これで私の話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。

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17.真の知識、真の家庭、そして世界平和 日付:一九九五年八月二十二日

場所:韓国ソウル、シェラトン•ウォーカーヒル•ホテル

行事:第二十回「科学の統一に関する国際会議」および第六回「世界平和教授アカデミー世界大会」

世界百二十ヵ国からお越しの学者、国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。韓鶴子総裁と私は、韓国のソウルで皆様を歓迎することができ、大変うれしく思います。皆様は、今日、私たちの世界が抱えている最も深刻な問題を討議するためにここにお集まりになりました。

科学の発達と人類の危機 二十世紀は、科学の驚くべき発展によって生活条件が大きく発達した世紀です。しかし、その反面、世界的な紛争と道徳的混乱の世紀でもあります。科学知識と文明の発達は、人々に豊かな生活を享受できるようにした反面、自然と環境の破壊、地球の温暖化、大気中のオゾン層の破壊など、全地球的な問題が生じるようになりました。一方では、産業化と現代化の過程において、家庭が破壊され、麻薬とエイズが蔓延し、暴力、犯罪が頻発し、人間の内面における深刻な問題が人類の危機を予告しています。人々は、様々な面で平和と幸福を継続して追求してきましたが、満足のいく成果を得ることができませんでした。

第一次、第二次世界大戦が終わり、戦争を阻止するために結成された国際連盟と国際連合の両機構が展開してきた世界的な活動でも、平和の世界は訪れませんでした。宗教団体の努力によっても、幸福な世界は実現しませんでした。国際共産主義の理想とファシズムの夢でも、理想世界の実現は失敗しました。高度な技術によっても、政治的な努力によっても、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。

今も、世界の各地で悲惨な戦争が起こっています。ボスニア、チェチェン、ソマリア、そしてラオスなどの各地で紛争は続いています。平和と人間の幸福は、人々の道徳性と霊性の啓発にかかっています。平和な世界や平和な国も、その構成員個々人と家庭によって形成されるからです。科学と技術も善の人々によって活用されるとき、それは人類の生活向上のために義なるものとして使われるのです。

歴史を通しても聖賢や偉大なる師が、平和で幸福な世界のために、家庭、社会、国家の指導に身を捧げてきました。私たちは二十一世紀に挑戦するため、道徳的に、霊的に完璧な指導者を育てることのできる人類の真の父母、真の師、真の主人を必要としているのです。

神様は真の愛の本体であられるので、この世界と人間を、御自身の愛する実体対象であり、喜びの対象として創造されたというのが、私の確固たる信念です。神様は人間の父母であり、人間は神様の子女です。父母であられる神様は、人間の喜びや苦痛を共に感じるのです。神様は、子女である人間に真の愛を相続させてあげることを願っておられます。

神様の真の愛は、人間の幸福と喜びの源泉であり、人間はこの真の愛を体恤することによって完成するようになっています。愛は経験と生活を通して体恤できるのですが、人間の成長期間は、正に愛を段階的に体恤する貴重な期間です。

言い換えると人間は、成長期間を通して神様の愛を体恤するのですが、最初は子女の心情、二番目は兄弟の心情、三番目は夫婦の心情、四番目は父母の心情、このように四段階で体恤するのです。神様の愛が結実する最小単位が家庭です。したがって家庭は、人間の幸福と理想と生命の基台となるのです。私が生涯を通して家庭の大切さを教育し、理想家庭のための祝福行事を世界的に主導してきた理由も、ここに由来しています。

今日、世界は、人々が平和に共存し、すべての民族、文化、宗教を包括できる理想社会のモデルを必要としています。私は、今年三月と四月に「サンパウロ宣言」と「ニューホーブ•ファーム(新しい希望農場)宣言」を発表し、まずブラジルをはじめとする南米数ヵ国でモデル社会を建設し、徐々に様々な国に拡張していくことを促しました。

真の愛の共同体と共生共栄共義主義 現在、四十ヵ国の代表たちが集まり、このような社会を建設する作業に取り掛かっています。調和の取れた一つの社会は、その構成員間の生活水準が同等でなければなりません。このような共同繁栄は共同責任の土台の上で、愛によって自発的に進められなければなりません。理想社会では、いかなる不正や差別、さらに堕落も存在してはいけません。このすべては真の愛の実践が前提とされるときにのみ可能なのです。それは、民族や肌の色、伝統が異なる人々が、真の愛の共同体をつくる歴史的な運動なのです。

私たちの世界は、深刻な環境危機に直面しています。環境汚染と自然破壊は、神様が創造された美しく神聖な世界を冒瀆するのと同じことです。真の愛のない人は、自然世界を単に利己的に利用しようとばかり考えます。堕落がもたらした深刻な結果の一つは、アダムとエバが神様の真の愛を相続できなくなることによって、人々や動植物や地を正しく愛することができなくなったことです。万物は、人間の真の愛を待ち望んでいます。私は南米で、模範的な理想社会の建設と共に、人間が自然と正しい愛の関係を結ぶように、一つの模範を示そうとしています。

私はまた、飢餓のない世界をつくろうとしています。科学技術が発達した今日においても、いまだに飢餓によって数百万の人が犠牲になっている残忍な現象が起こっているのを傍観しているわけにはいきません。私は既に二十年以上も、数千万ドルを支援しながら、海洋産業を開発してきました。高蛋白質のフィッシュ•パウダー(魚粉)を開発し、「国際救護親善財団(IRFF)」を通してアフリカなどの地を支援しています。ブラジルとアルゼンチンなどの各地の農場で生産された食糧や農業収益を、世界の飢餓問題の解決のために投入するつもりでいます。

私は、共生、共栄、共義の社会建設を教えてきました。理想世界は、経済的には共生主義であり、政治的には共栄主義であり、そして倫理的には共義主義の社会です。共生主義とは、神様の真の愛を基盤とした共同所有をその中心内容とします。共生主義社会の基本となる典型は家庭です。単純な物質的所有だけではなく、神様の愛を基盤とした共同所有です。家庭におけるすべての財産は、たとえ法的には父母の名義になっていたとしても、実質的には父母と子女、すなわち全家族の共同所有となっています。それと同時に、家族の個々人は、各々部屋と衣類、そしてお小遣いをもつようになります。

このように、家庭においては、家族が共有を基盤として個人的な所有も認められ、全体目的と個体目的が調和するようになっています。このような愛が基盤となった家庭の理想的な所有形態が社会、国家、世界へと拡大されたものが、理想社会の所有形態です。

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15.絶対価値と現世の再評価 日付:一九九一年八月二十四日

場所:韓国、ソウル、シェラトン•ウォーカーヒル•ホテル

行事:第十八回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長と分科委員長、著名な学者ならびに紳士淑女の皆様。私の祖国である韓国で、皆様に再びお会いすることができ、大変うれしく思います。この韓国の地で皆様と共に「未来の世界文明」について議論してから、はや十年になります。そのとき私は、東アジアから始まり全世界を連結する国際平和高速道路プロジェクトを提案しました。また私たちは、皆様の学問的研究成果を出版し、全世界の新しい世代に肯定的な影響を与えることを目的とする計画にも着手しました。十年前は、このような計画が夢のように感じられましたが、今ではその輪郭が定まり、基台が既に造成されています。既に、日本と韓国をつなぐトンネルの基本設計図が作製され、試験トンネルが建設中です。

私たちは、皆様の論文や著作物を出版する「パラゴンハウス出版社」をもっており、雑誌「ワールド•アンド•アイ」を出版しています。昨年提唱し、皆様に案内状をお送りした、「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」が、この度、皆様の立ち会いのもとに創設されるでしょう。

尊敬する世界の碩学の皆様。私たちは、再評価を要する転換期の現代世界で生きています。価値問題を重要視した私たちの会議のテーマは、以前には単なる予言的なものとしてしか捉えられなかったかもしれませんが、今日に至っては、所々で新しい価値に対する要求が起きており、現実の重要課題となっています。東ヨーロッパとソ連で起きた劇的な変革以後、さらに普遍的に、これを実感するようになりました。人々は、共産圏の没落以後、西欧社会の既存価値と体制の優秀性を語り、自負心をもっています。しかし、共産圏と対決した自由陣営を含む、その他の世界はどこへ向かっているのでしょうか。人類の幸福を保障する、希望的な前進をしていると思いますか。現世界のもつ問題点は、共産陣営の没落だけで解決されるのではなく、根源から原因を究明して解決しなければなりません。現代社会は、すべての体制と生活様式が根本的に再評価されなければならず、覚醒された人類の新しい心に適応することが求められています。

結論から言えば、今日の価値体系の混乱は、根源的に神様と人間との本然的な縦的秩序が崩れたことに由来します。正しい軸を失って横的に立てた人為的な秩序、すなわち世界の中の様々な体制と価値が、方向を失ったまま揺れ動き、ぶつかり合っているのです。

宇宙は、個々の物質だけを基盤として存在するのではありません。世界は孤立して、独立した個体の単純な集合体ではありません。物質は関係性を通して現れる一次的エネルギーによって存在しています。社会は、個体間の授受と相対関係の中で生存、繁栄、発展します。二つの物質の関係性の背後に、また二つの個体の授受関係の背後に、共同の動因と目的性を付与する高次元の縦的秩序が先に存在しています。例えば、人間には、神様と人間自身のために、至高な喜びと愛を感じることができるように自由が与えられています。人間がその存在目的を成し遂げるためには、まず神様の真の愛を相続しなければなりません。

人間生活の中で、ために生きる真の愛がすべての相対関係の基本ですが、これは父母の真の愛を動機として体恤するものです。神様の真の愛を根とした父母の真の愛によって、人間の個体は完成するようになります。完成した個体が、真の愛の理想的な夫婦となった家庭で、その子女に真の愛を伝授するのが、創造の秩序なのです。地上の理想世界は、完全な一人の人から、真の愛による家庭、社会、国家、世界へと拡大していくのです。現在の世界は、このような理想世界とは、その出発から異なっている世界です。人間が、神様の創造原則のうちで最も貴い真の愛の秩序から離れた、そのような堕落の結果が拡大して現れた世界です。神様の創造秩序を度外視したまま、人為的な組織形態や法則、秩序ばかりを重視する今の世界は、理想的な個人、家庭、そして民族を養成することはできません。人類の真の明るい未来は、何によって保障されるのでしょうか。

尊敬する碩学の皆様。皆様は自然界と社会の発展について、誰よりもよく御存じのはずです。私たちの自然と社会は、毎日、暴力と毀損が絶えません。私たちが普段、呼吸する空気、飲んでいる水、口にする食糧が、日増しに汚染されています。私たちの社会は、科学が発達し、生活が便利になっていくにもかかわらず、絶望的現象が加重されつつあります。二十一世紀の人間は、宇宙を創造した神様の根本原理を逸脱しては、これ以上地球星の主人として存在することはできないでしょう。人々が願わなかったとしても、人類の未来は、より密接な人間関係を求めています。将来、人々が地域と民族と肌の色の違いを超越し、より一層近く交わって生きていかざるを得ない「地球一家族時代」が近づいています。多様な宗教や伝統、文化、そして互いに異なる生活意識を、利害関係の次元を越えて、互いに調和して受け入れざるを得ない世界が近づいてきています。個人やある集団が、利己的な選択により自分だけの分別された逃避先を所有することはできなくなります。人間は、自然万物をこれ以上利己的な目的だけで強制的に占領することはできず、全体と後代のための、より大きな目的のもとに活用し、開発しなければなりません。

このように迫りくる新しい時代、新しい社会の基本秩序は何であり、その社会の主人はいかに養成されるべきでしょうか。それは、神様の創造の秩序、真の愛の秩序を基本軸としてこそ、その答えを得ることができます。

尊敬する世界の学者の皆様。生涯を捧げて、一貫して神様のみ旨を実践してきた私が、二十年間に十八回もの「科学の統一に関する国際会議」を続けて開催してきた理由を、そのような点から理解することができるでしょう。既に数十年前に、到来する未来社会を予見した私は、周囲の無理解の中にあっても、確信をもって、この大会のために物心両面の支援をしてきました。一九七二年、本大会が初めて開催された時から、通例を打破した構成で、自然科学者と人文•社会科学者を一つ所に招き、諸学問間の調和と統一を強調してきたのも、未来の人類のためにという一念によるものでした。

各学問の分野別の特性や研究の専門化は重要ではありますが、学問研究が相互に協力し合い、補完されなければならず、その研究成果が、善の目的を中心として統合され、活用されなければなりません。科学者たちにとってはさほど歓迎できない「絶対価値」を主題として価値問題を強調してきたことも、その理由からでした。今では、皆様を含む世界の多くの学者が、私の意向に共感し、協力して会議を組織し、研究を続けてきてくださっていることを有り難く思っています。

絶対価値を軸として、総合的な学問研究をする「科学の統一に関する国際会議」は、これから、その研究成果を積極的に教育し、実践しながら、人類の将来に寄与する段階へと飛躍しなければなりません。「科学の統一に関する国際会議」が産室となって、世界の九十数ヵ国に「世界平和教授アカデミー」が組織されたのも、文化世界を成し遂げる事業に、各地の学者たちを積極的に参加させるためです。

良心的な碩学たちの実践運動に、多くの人々が期待を集めています。社会において最も尊敬を受ける有識者たちが率先し、次世代の若者たちに正しい価値観と世界観を伝授することこそ、専攻分野の教授に劣らず重要なことであると思います。既に、韓国と日本で実施して良い成果を上げたように、世界の学者たちがチームを構成し、各国を歴訪しながら幅広く指導することも重要です。現代人、特に若者たちを、麻薬と享楽、暴力と戦争の罠から保護し、彼らにビジョンを植え付ける運動に、学者たちの全世界的な参加が求められています。私は、「科学の統一に関する会議」を母体とした皆様の創意的な実践が、新しい文化世界を創建することを確信しています。

最後に、私の祖国で開催される今回の大会で、多くの有益な討議が行われ、良い結論が導き出されることを期待する次第です。私は、韓国が受難の歴史の中でも、家庭の伝統をはじめとする美しい文化遺産を守ってきたことを誇らしく思います。また、連続した戦禍の中から急速な繁栄を成し遂げた韓国経済の基盤にも感心しています。皆様がこの国に滞在される間、韓国を訪問した価値を感じていただければ幸いです。神様の御加護が共にあることを祈りながら、私の話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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14.絶対価値と現代社会の再評価 日付:一九八七年十一月二十七日

場所:アメリカ、アトランタ、ストーファー・ウェーバリー・ホテル

行事:第十六回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長団、分科委員長団、著名な教授の方々、そして紳士淑女の皆様。私は、「科学の統一に関する国際会議」の提唱者として、このように第十六回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださった皆様を、心から歓迎いたします。今年の会議のテーマは「絶対価値と現代社会の再評価」です。

現代社会の再評価が必要な理由 今日、世界は、各分野に対する再評価が切実に求められています。このような再評価を行うに当たって、知識のすべての分野を代表し、またすべての文化、宗教、人種、および国家を代表する碩学たちの集まりである「科学の統一に関する国際会議」のような優れた評価団体を、私はほかに知りません。

世界のあらゆる学術自体の中で、「科学の統一に関する国際会議」のみが、科学の真の目的と統一性を発見しようと根本的に努力していると思います。今日の世界のあらゆる学者の集まりの中でも、「科学の統一に関する国際会議」は歴史的な使命をもっていることを、皆様に知っていただきたいと思います。世界が抱える複雑な問題は、学問の個別分野の偏狭な視野からだけでは十分に理解することができません。

現代世界に対する適切な再評価は、個別的な専門学会の能力の範囲をはるかに超えています。それは、世界の問題は、根本的に人間の問題だからです。人間は、物質的欲求の感性をもつ肉身と霊的欲求の感性をもつ霊人体をもっています。

正にそのような二重構造をもつ人間たちが、一定の秩序のもとで相関関係を形成したものが、国家社会であり、世界なのです。世界の問題の解決のための学問の共同研究に、宗教、文化、芸術などの要因が大きく関与しなければならない理由も、ここにあると言えます。

今日、私は、「科学の統一に関する国際会議」で、現代世界を再評価することは、結局、現存する東西の両陣営とその体制について再評価すると同時に、科学の両体制における役割がどのようなものであり、またそれが科学の究極的目標にどれほど近い立場で影響力を行使したのか、ということも再評価しなければならないと思います。

そして、今日、東西の両陣営の指導者たちがいかに弁明しようとも、既存の体制や秩序が、人類の真の幸福を保障することに対しては、既にその限界をあらわにしており、現存の世界自体が没落しつつあるという事実は否定できないのです。

世界の再評価のための統一的な標準とその中心点 「科学の統一に関する国際会議」が今日の世界を再評価するためには、統一的な基準とその中心点がなければなりません。その中心点は、人間の肉身と霊人体との二重的な欲望を共に関連づけなければなりません。中世の神本主義思想と宗教的独断論が、科学的探究を阻害し、肉体的充足を制限したと私は認識しています。

しかし、啓蒙思想の時代から、人本主義の思想家たちが「宗教的信仰は人間の理性よりも劣るだけではなく、人間の霊性の要求は人間の理性と相反する」と主張してきたことも、大きな誤りでした。

啓蒙主義や人本主義が合理性を強調したことは、科学者が自然界の合理的法則を探求する、大きな推進力として働いてきました。しかし、理性だけでは、二重構造をもつ人間の究極的目的から離れていき、独自的に立つことができず、正しい方向を立てることさえもできません。

人間の霊性を無視し、理性と知的成果に満足しているうちに、人類は自己の究極的目的に関連した先決問題を検討せずに放置してきました。その結果、人間は唯物主義と物本主義に陥り、基本的な人間の尊厳性までも喪失してしまいました。

真理は一つであり、それは自然と人間世界を治める一つの原理です。自然におけるこの原理は宇宙万物万象の根源です。人間においてこの原理は、その霊性と肉性の調和を通して人格を完成し、美、真、善を実現するように導く真の愛の絶対的価値なのです。

私は、今日までの神本主義や人本主義、そして物本主義のそれぞれの主張の対立を、互いに和解できない価値同士の争いとしか見ていないというわけではありません。むしろ、それぞれが一つの原理、つまり絶対的価値についての、未完成で一面的な表現であり、不完全な主張だと見ています。人間と現実世界の諸問題を根本的に解決するためには、既存の主義や主張を超越し、全体を収拾できる絶対価値である一つの原理を見いださなければなりません。

絶対的価値は究極的に、神様についての根本的な問いにたどり着きます。神様が実在することを受け入れることは、自然界と人間世界に恒久的に作用する一つの普遍的原理の存在を認めることになるのです。そのような土台の上で相対的なものとして現れる様々な価値は、絶対価値の基盤の上に、相互に密接な関係があるものとして理解し得るのです。

神様の愛に土台を置く絶対価値 絶対価値は、今日の学者の間では人気のあるテーマではないことを、私は知っています。まずは絶対価値と絶対主義とを混同する過ちを犯さないでください。

私は「科学の統一に関する国際会議」で、数回にわたって絶対価値とは神様の愛に土台を置いたものであると強調してきました。神様の愛は党派的なものではありません。神様の愛は、人間の本性の奥深いところにある心情にあり、その生活の中に真の愛を噴出させる根となっています。

ですから、神様の愛は、万人が一つの心情的同化圏をつくる根本要素となり、すべての相対的な価値を包括、受容します。ですから、神様の愛に基づいた絶対価値は、一連の理性的な前提、あるいは相対的な主義や信念に基づいた価値よりも、深く、広く、また恒久的なのです。

絶対価値は、合理的思考と矛盾するものではなく、むしろ背後にあるその究極的な目的を再発見させてくれるのです。私たちを人間たらしめるのは、何も理性だけではありません。知的分析が、情緒や意志、そして霊性までも十分に評価しなければ、欠陥だらけになります。理性的探究は、それが真の愛に基づいた絶対価値によって導かれるときに、初めて人間の真の幸福に貢献するようになるのです。

私は、「科学の統一に関する国際会議」が、今日の世界に対する包括的な再評価を始めることを要請いたします。因習的な心や姿勢は、現実の山積した諸問題を扱うには不十分でした。

現代社会が直面する問題の収拾は、人間の事情だけでは解決できません。さらに、人類歴史に対してこられた神様のみ旨が成就しなければなりません。したがって、神様の愛に根を置いた超国家、超主義、超世界的な絶対価値に立脚して、現代社会は再評価されなければならないのです。

ただ一つの絶対価値を発見してこそ学問の統一は可能 そして、今日の知識人たちが相対主義的観点に支配されている限り、科学の統一や、人種間、文化間、宗教間における和合統一も、決して実現できないのです。したがって、ただ一つの絶対価値観のために、自ら進んで危険を顧みず、激しい迫害に耐えることのできる勇気ある先駆者が必要です。言い換えれば、数多くの既存の部分的観点が、一つの一貫した原理の中に編入されていくためには、困難を克服すると同時に大胆な決断が必要なのです。

私たちは、今日の科学と哲学が世界の問題を解決するのに、しばしば失敗してきたことを認めなければなりません。自然科学がしてきた偉大な約束は、悪の方向に利用されることが多く、人類の真の幸福のためだけに利用されたわけではありません。

社会科学の分野も、利己的で党派的な政権の影響のもとで、あまりにも腐敗し、多くの場合に本来の目的から外れて機能してきました。哲学もまた、善や人間の究極的理想を目指した偉大な探究を放棄したまま、命を失った学問となってしまっています。そのような傾向は、学者たちの無気力と消極的な態度によって、ますます深刻になりつつあります。

学者たちは、自らの研究の業績だけで満足するべきではなく、積極的な指導を必要とする世界の要請に応えなければならないと私は思います。世界は、正しい価値観によって主体的力量を行使する学者たちの責任ある実践を求めています。そして、自覚した有識者たちによって、学問の研究成果が誤用されることを防がなければなりません。さらに学問の業績は、部分的、相対的価値にするのではなく、宇宙と人類全体のための絶対価値にかなったものにしなければならないのです。

急がれる「絶対価値と学問の統一性」に関する論議 学者たちは、政治、経済、社会などの潮流に押し流されるのではなく、歴史的な眼識と使命感をもって全体を教え導く、積極的な役割を発揮しなければなりません。現代社会は、いつの時よりも、超国家的、超人種的な協力を通してのみ解決する問題を山のように抱えています。国際化し、多元化した社会においては、特殊分野の個別的研究成果に劣らず、行動する多くの有識者たちが調和、協力しながら実践することが貴いと言えるでしょう。

世界の多くの学術会議の中で、「科学の統一に関する国際会議」のみが「絶対価値と学問の統一性」という究極的な問題をテーマとしています。これ以上に切迫した問題はありません。一つの絶対価値を発見することができなければ、学問の統一性という問題の解決は不可能です。私はこの使命を皆様に託しました。

この集まりが現代社会を正しく評価し、新文化創建の門を開く、歴史的な課業が果たされることを願います。神様の祝福が皆様の仕事と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。

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13.真の愛と統一世界 日付:一九八六年十一月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット•ホテル

行事:第十五回「科学の統一に関する国際会議」

敬愛する議長と議長団、著名な教授、ならびに紳士淑女の皆様。御多忙中にもかかわらず、このたび第十五回「科学の統一に関する国際会議」に御参加いただき、心から感謝の意を表する次第です。

この時間、私は「真の愛と統一世界」と題してお話ししようと思います。今日の世界における混乱は、その根本を突き詰めると唯心論と唯物論の対立、善側と悪側の対立であり、また善神と悪神との対決であるとも考えることができます。

人類の願いは平和ですが、平和は統一によってのみ成し遂げられます。統一には、世界の統一だけではなく、国家の統一、家庭の統一、個人の統一もありますが、これらのうち、最も基本となるのは個人の統一です。そのような統一運動において、今日、レバレンド•ムーンは、名実共に現実社会では欠かせない人物となりました。

神様の願われる平和の世界を実現するためには、第一に、統一運動は、思想界で頂上の位置に立たなければなりません。既存の哲学思想だけではなく、宗教思想とも闘って勝利しなければなりません。第二に、統一運動は、科学技術の分野において最先端の位置に立つと同時に、科学技術を平準化させなければなりません。今日まで、先端を行くアメリカは南米を従属させ、ヨーロッパはアフリカを従属させてきましたが、この弊害をなくすためには、科学技術の平準化が必要です。第三に、経済問題です。今日、世界は国際金融危機に直面しています。これを調整する道は、世界の数多くの財閥が株主となって超国家的な銀行を設立することです。第四に、言論界においても頂上に上がらなければなりません。現在、「ワシントン•タイムズ」を基盤として、アメリカの千七百五十以上の新聞の頂上に上がりつつあります。これにより、情報分野を席巻することができます。現在のリベラルな「ニューヨーク•タイムズ」と「ワシントン•ポスト」を凌駕し、アメリカのみならず、世界中から重要な情報を続々と入手し、世界を指導しなければなりません。

しかし、いくら思想、科学、技術、経済、言論、情報分野などで頂上を極めたとしても、なおも問題が残っているのです。その問題とは、国家と民族を越えることができる人をいかにつくるかということです。自分の祖国を中心とした人が責任をもつようになれば、アメリカ人ならアメリカ人に一元化しようとし、イギリス人はイギリス人に一元化しようとし、フランス人はフランス人に一元化しようとするでしょう。したがって、世界的な平和統一を構想する前に、このような民族性をいかに克服するのかが問題です。

世界の半分を赤化した共産主義でさえ、それ自体の国家や民族を抜け出すことができず、「民族的共産主義」に転落してしまいました。二十世紀の後半から、ほとんどの人たちは、神様の存在有無の問題に対し、「神はいない」というヒユーマニズムに傾き、物質万能主義となり、世界の半分が物本主義である共産主義の手に落ちてしまいました。神様を見いだすべき哲学は、神様を探し求める中で失敗し、神様と共に生きるべき宗教は、神様を失い、無気力になってしまいました。

世界統一に当たり、問題は人間です。世界を統一する前に家庭統一、家庭統一の前に人の統一がなければなりません。人の統一とは、個人の統一のことをいい、心と体を統一することです。個人が苦しめば家庭も苦しみ、家庭が苦しめば国家も苦しみ、国家が苦しめば世界が苦しみます。ですから結局のところ、一人の真の人間を見いださなければなりません。世界と宇宙がために生き、神様が信頼できるような真の人間を探し求めなければなりません。

人間は変わらないものを好みます。ですから、宝石を好むのです。ダイヤモンドの硬さ、金の輝き、真珠の優雅な色合いなどは、常に不変なものだからです。人においても、変わらない人が貴いのです。そのような人が真の人間です。したがって、誰しもが、変わらない夫、変わらない父母、変わらない師、変わらない主権者、変わらない国を願うのです。

今日、多くの人々は神様が明確には分かりません。それは個人において、心と体が闘っているからです。へーゲル左派の流れをくむ人は、宇宙の根本法則を矛盾として捉え、「神はいない」という闘争理論がより一層確固たるものとなってしまいました。しかし、いくら神様を知らない人でも、「人間は何かが間違っているのではないか」と考え始めれば、「神はいるかもしれない」という論理も立てられるようになるのです。そのようにして、宗教でいう堕落や救いなどといった概念を通して、神様を発見できるようになるのです。

公的なものと私的なものとのうち、公的なものとは全体のためのものであり、私的なものとは自己のためのものです。皆様が御自身のことを静かに反省すると、自分が公的なものと私的なものとの狭間にいることに気づくでしょう。ですから、宗教は、自己を中心として進んでいこうとする体の欲望を主管するために、「断食せよ、苦行せよ、柔和、謙遜であれ」と教えるのです。

神様は明らかに存在します。真の人間とは神様に似た人のことです。そのような真の人間が暮らす世界を実現しようとすれば、人間革命ではなく、人格革命を起こさなければなりません。神様の神格に似ることが人格革命です。神格と同等になり得る基準まで至るようにするのが人格革命です。神様は、知識も、お金も、権力も必要ありません。

聖書のヨハネによる福音書第三章十六節に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とあります。これは、ある特定の教派だけのために、神様はひとり子を遣わされたのではないということを意味します。全人類を愛しておられるがゆえに、イエス様を遣わされたのです。ですから、神様は、死に至るまで世界を愛するそのような子女を願っておられるのです。神様が最も喜ばれるのは愛の文化です。神様が人間に願われているのは、お金持ちになることでも、学者になることでもありません。愛する人になってほしいと願われているのです。聖書には、「敵を愛しなさい」、「隣人を愛しなさい」、「信仰、希望、愛のうちで最も大いなるものは愛である」など、愛に関する教訓がたくさんあります。妻は夫を、弟子は師を、国民はその国を心から愛しているでしょうか。

皆様。男性にとって最も貴い存在は何か御存じでしょうか。それは正に女性です。同じように、女性にとって最も貴い存在は男性です。人間が生まれた目的は、男性は女性のために、女性は男性のために生きることなのです。男性と女性は、お互いのために生きることを目的として生まれたのです。身体の骨格や愛の器官が、そのようになっています。このような事実を皆様がはっきりと知ったならば、皆様は百科事典よりも貴い真理に精通したことになります。知恵の偉大な王である神様は、愛の器官を互いに取り替えてもつように創造されました。

ですから、自分のもつ愛の器官の主人は、自分ではなく、愛する相対なのです。したがって、愛は相対からくるものです。これを知らず、愛の器官をいい加減に使う夫や妻は、審判を受けなければなりません。夫婦がこの事実を悟って仲むつまじく暮らすならば、そこから孝子、孝女が生まれ、それが成長すれば、忠臣と烈女になり、聖人と聖女になり、神様の子女である聖子となるでしょう。夫婦間に互いに相対的な横的愛を見いだせないならば、神様の縦的愛を見いだす道はありません。もし人間が堕落していなければ、天国は家庭から始まるようになっていました。家庭を拡大したものが、世界の人類だからです。ですから、家庭は、天国に入るための愛の修練所なのです。

神様の愛を所有する人だけが、天と地の権勢を相続できる特権を得るのです。生命が先か、愛が先かというとき、愛が先です。愛は宇宙の第一存在であり、生命は愛から生まれた第二存在です。家庭でも父母の愛によって子女が生まれます。ですから、子女は、父母の愛に同参した立場で生命を受け継ぐことのできる特権をもつようになるのです。愛の関係を結べば、対等な立場である同位(一緒に参加すること)圏に立つことができます。神様は、愛の相対として人間を創造するとき、御自身が人間のために生きる、そのような立場で創造されたのです。ですから、人間も神様を手本として他のために存在するようになっていたのですが、堕落によって、自分だけのために生きる人間になってしまったのです。愛は相対から来るものなので、「ために生きよ!」という哲理が生じたのです。

今日の人間社会は腐敗し、多くの哲学は自己を中心としています。そのような哲学を一掃するのは、ただ神様の愛、真の愛のみです。真の愛は、ために生きる愛であり、いくら与えても、すべて忘れてしまうのです。神様の愛と関係を結べば、主管性、独立権、相続権をもつ特権が与えられます。神様の対象圏を確定し、愛が不変であることを悟るようになるとき、人間の愛を中心として永生の倫理を妥当化させることができます。

神様は、そのような対象圏を求めてさまよう哀れなお方です。神様は、アメリカにいる数多くの聖職者を差し置いて、獄中にいる私を愛の対象者と思って訪ねてこられ、ニカラグアにおける事態の収拾を命令されました。韓国の南北統一をはじめとした世界統一は、軍事力では決して達成できません。それは怨讐の国までも愛する神様の愛によってこそ可能なのです。

私は今日までこのことを実践してきました。第二次世界大戦の時に敵同士だった韓国と日本、日本とアメリカ、アメリカとドイツのそれぞれの国の人たちが互いに愛し合うように、愛の道を実践させています。怨讐の国の人々を自国の人々よりも愛する伝統を立てなければ、世界の統一は実現しません。怨讐の国を自国以上に愛することができるのは、ただ神様の愛だけです。

世界の統一を果たすには、その前に国家の統一、そして家庭の統一が先に果たされなければならず、家庭の統一が果たされる前に、個人の統一が果たされなければなりません。個人の統一とは、愛による心と体の統一のことであり、この個人統一の土台の上に、愛による夫婦の統一が果たされ、家庭統一、国家統一、世界統一へとつながっていくのです。それが新文化世界を実現する唯一の道です。

したがって、ここに参加してくださった多くの教授の皆様も、心と体が一つになるように努力なさると同時に、夫婦が互いに愛し合い、統一世界、新文化世界の建設に寄与してくださることを願ってやみません。終わりに、今回の大会におきましても大きな成果が上がることを心から願いながら、これで私のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。

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神様の真理と愛を中心とした新文化の創造 私は「科学の統一に関する国際会議」が出発する以前から、善と希望に満ちた未来社会を築くに当たって、学者たちが決定的な役割を果たすべきであるという信念をもっていました。過去十数年間の「科学の統一に関する国際会議」に対する私の支援と情熱は、世界の諸問題を解決するための学者の方々の潜在力に対する尊敬と期待から生まれ出たものです。そのような潜在力が、「科学の統一に関する国際会議」を通して啓発、結集され、責任感のある学者たちが新文化革命の実現に積極的に貢献されることを願うのです。

「科学の統一に関する国際会議」は、今回で十四回目を迎えました。統一教会では、七数は三数とともに完成の意味をもつ重要な数です。そして、十四数は七数の二倍です。これまで「科学の統一に関する国際会議」は、学問(科学)の研究を、「絶対価値の発見とその実現」と結びつけることに没頭してきました。さらに「科学の統一に関する国際会議」は、知識の統合、すなわち、学問の各分野間の協同および統合的アプローチのためにも力を注いできました。絶対価値の基準は、すなわち絶対愛の主体である神様であり、また絶対価値を軸として立てない限り、学問の統合的アプローチは不可能です。今や多くの人々が、絶対価値の必要性を認めるようになりました。今まで議長団ならびに準備委員の皆様が、無理解の中でも開拓者の道を歩んでこられたことに対して、私は有り難く思っています。

これから、「科学の統一に関する国際会議」はどこへ向かって行くべきでしょうか。毎年恒例の行事として集まって討議するだけで満足できるのでしょうか。私が近年になって新文化革命を強調してきた内容をもって、これにお答えしようと思います。今日、人類は悪からの、最も本質的かつ深刻な挑戦に直面しており、人類の本然の理想と幸福を実現する潜在力や素質が根本から破壊される、そのような危機に処していると思います。

「科学の統一に関する国際会議」の皆様は、新文化世界の創造を必ず成就すべきその大業に積極的に乗り出さなければなりません。絶対価値の探求は、探求自体で終わってはいけません。真理は永遠の方向性を内包しており、絶対価値を中心とした理想世界は必ず実現されなければなりません。そのためには、私たちの信念に基づく決行と現実の困難を跳び越える跳躍がなければなりません。

今日の世界は変わらなければなりません。神様の真理と愛を中心とした新文化革命を目指して、学者たちは責任をもって先頭に立たなければならない時です。新文化革命とは、人類と被造世界のための、神様の理想を指向しなければなりません。この理想を実現しようとすれば、私たちは各自が、知識の実現ではなく、真の愛の絶対価値の実現において責任を果たさなければなりません。

人類は今や飛躍しなければならないのです。人間が感じる現実の限界状況を根本的に克服するような新しい次元の文化的創造行為が求められています。人間の本性の深い所で感じられる神様の期待や、激動する歴史の背景にある神様の摂理と何の関係もなしに、人間自らの理性的能力によって自己完成と世界完成が可能であるという幻想と傲慢さから目覚めなければなりません。私たちは、人間の限界を謙虚に認め、神様の摂理によって到来した歴史的契機を見失ってはならず、跳躍によって神人合一の理想を成就しなければなりません。人間のための神様の創造理想でしたが、その理想は、神様の総合的な配慮の上に人間が応答することによって成就されるというのは、当然の帰結なのです。

絶対価値を実践する勇士となろう 尊敬する学者の皆様。私は神様のみ旨に対する人間の応答、すなわち人間の責任分担を全うするために、生涯を捧げてきました。それがいくら険しい開拓の道だったとしても、避けていこうとはしませんでした。例えば、私はニュースと情報の既存の報道姿勢と体制に対して代案を準備することを決心しました。私は報道機関が大衆に正しい情報や間違った情報を伝える過程を深刻に観察してきました。多くの方々も御存じのように、私は経験を通して、報道媒体の力の誤用が、真実を歪曲し、善を蝕むことがあるという点を知りました。

ですから、私は過去数年間、多大の犠牲を甘受しながら、「ワシントン•タイムズ」を育ててきたのであり、最近、ニュース週刊誌「インサイト」を発刊し、さらに月刊誌「ワールド•アンド•アイ」を来月創刊する予定です。これらのプロジェクトは、真理や普遍的善の価値に貢献する教育やニュース、および公的情報伝達の代案的媒体となることを目的としています。

特に皆様は、「ワールド•アンド•アイ」誌に積極的に寄稿をしてくださり、持続的真理探究とその暢達(ちょうたつ)に参与なさることによって、新文化革命の旗手となってくださるよう勧告いたします。さらに、「世界平和教授アカデミー」の基盤と「パラゴンハウス出版社」の出版活動を連結して、絶対価値に立脚した学問の諸分野の専門事典の編纂を計画しています。これらのすべては、絶対価値のもとにおける、人間の本性に対する正しい洞察となり、正しい教育資料となる人間事象の大百科事典を編纂するための準備作業の一環です。

尊敬する学者の皆様。既存の矛盾する世界を、代案なしに傍観、放置しながら、自分の指導的力量と社会的責任を果たしたと言えるでしょうか。一時的な契機ではなく、神様が歴史的、世界的にお許しになったこの貴重な契機を逃すことなく、私たちは模範を示さなければなりません。私たちは万民に、不義に対する確固とした覚醒を悟らしめ、私たち自らが跳躍することによって、模範を示さなければなりません。飛躍には、冒険がつきまとうものです。逆説の基盤の上での立体的な冒険は、より大きな困難が予想されます。しかし、真理のあるところには、それに伴う実践があるものです。私たちは絶対価値を実践する勇士となって、積極的に世界を指導しなければなりません。

今回の会議が、自由討論の場から有益な結論が導き出される会議となるだけではなく、私たちの決意によって、陣痛の中で身もだえする世界をして、身ごもった新文化世界を一日も早く出産せしめるように促進する歴史的な行事となることを願います。最後に今回の会議のための準備委員会の会員の皆様の労苦に感謝しながら、参加者の皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が臨むことを祈ります。

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12.跳躍と契機 日付:一九八五年十一月二十九日

場所:アメリカ、ヒューストン、インターコンチネンタル•ホテル

行事:第十四回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、高名な教授、および科学者の皆様、そして紳士淑女の皆様。ここヒユーストンで、第十四回「科学の統一に関する国際会議」を開催するに当たり、この会議ならびに「絶対価値と新文化革命」と題する今会議のテーマに深い関心と支持を寄せてくださった皆様一人一人に感謝申し上げます。昨年ワシントンDCで開かれた第十三回「科学の統一に関する国際会議」に、私は参加することができませんでした。それだけに、きょうの朝、こうして皆様の前に立つことができた私の心は、格別に感慨深いものがあります。

人類の大覚醒と跳躍の必要性 周知のとおり、私はアメリカの刑務所で十三ヵ月間過ごし、今年(一九八五年)の八月二十日に出監しました。これまで私の身辺と無念な事情を御心配され、刑務所まで訪ねてこられ、ねぎらいの手紙を下さり、多くの努力と精誠を尽くして当局に嘆願をしてくださった皆様に、この場をお借りして、改めて感謝を捧げます。

私を何としても犯罪人に仕立てあげ、迫害し、投獄することに血眼だった人々は、莫大な予算と時間と労力を投入して、私の天命遂行を妨害しました。しかし、そのような反対にもかかわらず、統一運動は世界的に成功を収めています。私が収監されれば、統一教会の活動が瓦解するであろうという彼らの予測に反して、既成キリスト教の聖職者をはじめとした社会各界から、前例のない理解と支援の表明を受けてきました。このような出来事を通して「神様を中心とする正義は、迫害を受けることによって勝利する」という私の持論を改めて確認しました。

私は刑務所において、世界が深刻な危険に直面していることを、はっきりと経験し、また、全人類的な大覚醒と跳躍の必要性を痛感しました。結果的に私は、世界平和と人類の繁栄のために、私自身と統一運動が、さらに大きな犠牲を甘受してでも、先頭に立って走らなければならないという決心と緊迫感を抱いて出監したのです。

今日の世界は、驚異的な科学の発達、便利な技術、そして物質的な豊かさにもかかわらず、世界の随所で不幸な事態が続いています。国家間には絶えず緊張と戦争が継続しており、地球上の多くの所で、いまだに窮乏と貧困、文盲と疾病の困苦があり、世界の至る所の暴力と犯罪、麻薬と精神疾患、社会的不条理と不平等、青少年の淪落と家庭破綻など、数多くの問題点が地球星の未来を陰鬱なものにしています。

多くの指導者たち、とりわけ良心的な碩学たちが、幸福な理想世界を実現しようと努力してきたにもかかわらず、不安と苦悩の危機は日ごとに加重されていく、その理由は何でしょうか。その根本は、人間の精神的枯渇と道徳的、霊的危機によって引き起こされたと見なければなりません。そうして従来の価値観が、かつてないほどの速度で移り変わる現実社会を受容することができなくなり、また倫理と道徳が、その本来の機能を喪失し、善の基準も消え失せてしまいました。これらの問題の中で、個人の生活や社会全般にわたって、矛盾、葛藤、分裂が連続して引き起こされているのですから、道徳的基準や永遠性というものを、どこに立てることができるというのでしょうか。

逆説的な契機を肯定的に消化しなければならない このような現実の中で、もし神様がいないとするなら、人間は完全な理想や幸福を永遠に期待することはできず、世界は滅びていかざるを得ないという結論に到達することになるでしょう。しかし、もし絶対なる神様がいるとすれば、現実の否定的な契機を踏み台として、一つの標準、すなわち絶対価値に向かって跳躍することによって、絶対(完全)肯定の境地に変える摂理をされるという結論を下すことができます。真の愛をもった、人間の父母であられる神様の、人間に対する否定の摂理は、破綻を目標としたものではなく、前進と飛躍のための過程的否定であり、希望的な新たなものをあらかじめ準備された上での否定なのです。

私たちは、歴史の中で多くの跳躍の契機があったのであり、現実に対する完全否定の契機と跳躍の過程を通して、超越者であられる神様に接した事例を、多々見ることができます。ありきたりの契機が跳躍の踏み台となることはまずないでしょう。先覚者たちは、逆説的な契機を肯定的に消化することによって跳躍し、驚くべき新たなものをつくり出しました。イエス様は、十字架上において完全に否定される切迫した契機を、完全肯定に変えながら跳躍される、神様の摂理を証したのであり、その結果として復活摂理の新たな一ページが開かれたのです。

私自身や統一教会は、迫害の歴史の中で、世界的な記録をもっていると思います。しかし、そうした迫害は、統一教会にとって必ずしも悪いものではありませんでした。無念の苦難にもめげず、むしろこれを契機に跳躍し、神様のみ旨に従って生きるならば、苦難それ自体は絶対者を中心とした永生の準備となるでしょう。そのように見るとき、私たちは、今日の現実に対して絶望とばかり見るのではなく、神様が私たちに新しい文化世界へと飛躍する契機を与えようとなさっていると解釈しなければなりません。

人間が科学を発達させた究極の動機は、人類の平和と繁栄の実現にありましたが、専門化された科学の具体的方法は、当初の価値的方向と一致できませんでした。人間の科学に対する期待は、主体である人間の福利でしたが、科学の成果は、人間の対象である物質的環境の開発が大部分だったと思います。したがって、機械技術による物質的生活の向上を試みた科学や政治、経済的平等の理論が、人類の真の幸福を保障することは難しくなったので、科学者たちは、もう一つの使命を自覚しなければならない、という結論が導かれるのです。科学時代に生きている現代人は、人間の内面性の洞察を通して、絶対秩序を根本にした新しい倫理的標準を確立することを強調しています。その新しい倫理は、自然を愛し、人間の価値を再検討し、人間相互間の愛、そしてその愛の根本である神様を探すように、私たちに求めています。学者たちは、外的な科学技術革命とともに、人間の完成と平和世界の理想を成就する文化革命、精神革命を成し遂げる課題を抱えているのです。

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11.絶対価値と新しい文化革命 日付:一九八四年九月三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット•ホテル

行事:第十三回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、著名な教授、学者、そして紳士淑女の皆様。私は、第十三回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」に御参加いただいた皆様に、深い感謝の意を表します。直接お会いすることはできませんが、私の心は皆様と共にあります。十三年間、私はこの著名な学者たちの会議で演説をする中で、全世界的な状況と問題を解決すべき科学と学界の責任に関する疑問を提起してきました。

私の演説の中で扱った内容は、毎年多様に変わりながらも、その基礎となるテーマの焦点は変わることがありませんでした。その焦点には二つの核心があります。一つは、一般的に科学と知識の統一の必要性を強調することであり、もう一つは、科学は絶対価値と人類の福祉を保障するという目標によって導かれるべきであるということを強調することです。

神様は、宗教的真理の根源であるだけでなく、科学的真理の根源でもあります。神様は、最初の説教者であると同時に、最初の科学者でもあります。私はこの事実が宇宙の根本真理であると固く信じており、私の人生の課業は、そのような前提に基づいたものでした。私は、生きておられる神様の使徒として、全被造世界に、実体的にも、霊的にも明らかに現れておられる神様の本質的な存在のすべての面を、より一層広く、深く、また明確にし、統一させることを試みてきました。人間存在の物質的福利を増進させようという欲望とともに、その人生の意味を探求するということは、私が十六歳(数え)の時にこの道を出発して以来、様々な障害を越えながら、全生涯をかけて課業を成し遂げる、その背後の動機的な力となってきました。現在、知識を追求する中にあって最大の悲劇の一つは、学問分野が分裂しているということです。機械を分解するように、科学と知識を部分ごとに細かく専門化するということは、究極的には、全体的な機能を麻痺させることであり、科学をしてその使命を成就できなくさせてしまうのです。

私たちがどう考えようと世界は一つです。ある分野が他の分野よりも、ある事実に関して完全な見解をもっているといった考えや、異なった分野における発見や発展は互いに関連性がないという考えは誤ったものです。科学や学問のあらゆる分野は、互いに絡み合っています。すなわち、各分野はそれぞれ特異性をもってはいますが、実際は、全体における部分的な見解にすぎないのです。すべての研究分野が、事実に関する統合された見解を形成するために、共に研究するということは、人類の全体的な進歩や幸福にとって有益なことです。しかし、私が申し上げた科学と学問の統一に関する見解というものは、すべての知識を単に一つの学問分野に縮小させよということを意味するのではありません。それは、究極的目標に基づいた統一を意味するのです。

科学には多くの分野がありますが、そのすべては人間の幸福実現を追求しています。今日の学問は、細分化されてばらばらになっているという問題に直面していますが、より重大な脅威ゆえに、私たちは、「絶対価値の探求」という、この「科学の統一に関する国際会議」でずっと取り扱ってきたテーマに関心を向けざるを得ません。ほとんどの科学者と学者たちが、平和と繁栄を実現しようという切実な熱望をもってたゆまぬ努力を続けてきたにもかかわらず、貧困と文盲、疾病と分裂と戦争は、先進諸国でもいまだになくなっていません。科学と技術は非常に発展しましたが、人類は、悲しみと苦痛と貧困によって苦しみ続けているのです。多くの指導者たちは、このような不幸を取り除き、真の平和と安定を実現しようと努力していますが、世界では平和に対する形ばかりの約束が繰り返されているだけです。民主的資本主義や共産主義的社会主義のいずれも、世界の問題を解決することができずにいます。どちらも、世俗的人本主義をして人間存在を唯物論に陥らせ、生命の価値を落としてしまいました。いわゆる自由世界といわれる体制は、その無気力と方向性の喪失によって、このような状況をもたらし、共産世界は唯物論という理念体系によってこのような事態を引き起こしました。

目的喪失の状態が全世界に広がり、混乱をより一層加重させています。なぜこのような状況が起きるようになったのでしょうか。その主要な原因は、人間の行為を規制する価値基準が徐々に弱まったからです。倫理と道徳がその力を失ったために、善の基準というものが、ほとんどなくなってしまったのです。このような力の喪失の原因は、部分的には科学の基盤が誤った方向へと引っ張られたことにあります。

価値中立的であろうとするあまり、科学はその発展過程において、人間性と道徳的価値に関する問題を除外してきました。科学は次第に分化し、各分野はより一層専門化され、分析的、物質的になり、道徳と価値に関する問題については顧みなくなりました。その結果、人間の科学に対する支配が、この地球星において誰も人間の運命を確信することのできない状況にまで弱まってしまったのです。

価値と道徳を喪失するようになった、もう一つの理由は、過去の価値と道徳の基準では、現代の有識者たちをこれ以上満足させることができないということです。新しく妥当な道徳と倫理は、現代人にとって明確で適応し得る新しい価値基準に由来すべきです。その基準はひとえに、過去や現在の世俗的、または宗教的な思想を統合することのできる、超越的で統一された思想体系から引き出されるのです。

私は長年、宗教と哲学と科学が追求しなければならない目標に対して関心をもってきました。既に申し上げたとおり、私が主導してきたこの会議は、正にこのような関心から始まったものです。宗教が形而上学的なものや道徳的な問題に関連する反面、科学は空間と時間における自然法則とエネルギーと運動との間の変化に対する理解にとどまっています。科学が、過去数百年にわたって知識の驚くべき発展に貢献したことは事実です。しかし、それを導くことのできる価値基準をもてなかった科学は、世界を破壊へと導くこともあり得るのです。神学から科学に至るまでのすべての範囲における知識は、それらを正しく導くことのできる、認識された目標や価値基準なしには無意味だというのが私の見解です。私は、このような価値の方向と基準は、ひとえに神様を中心とした宗教から始まると信じています。これは、数多くの偉大な科学者たちの哲学的な著述が知られている科学界においては、さほど驚くことではありません。

私は、「科学の統一に関する国際会議」で行った演説を通して、「統一神学」と「統一思想」こそが、神様を中心とした、統一された新しい思想体系の基礎になるものであると宣言してきました。この理念によると、人間は存在自体として価値を所有しようとする本性をもっています。そして、人間は、神様との間に、親子という唯一の関係をもつようになっているのです。したがって、すべての人は、真の愛の関係を確立しようとする神様の創造目的に立脚した明確な価値観をもって人生を生きていくように創造されたのです。そこで私は、私たちの追求する絶対価値は、神様の絶対的な真の愛に基づいているという事実を提案しようと思います。

絶対的な美、真、善とは、正に真の愛の基盤の上で形成されているのです。すべての科学者と学者が、道徳的価値に対する確固たる見解の基盤の上に、各々の分野を発展させ、物質的で分析的な方法だけでなく、精神的で統一的な方法も採択することによって、人間の尊厳性を高めることを、私は切に願うものです。世界の問題に対する解決は、このような人間存在に対する全般的なアプローチによってのみ可能になるのです。断片的なアプローチの姿勢とその理想との衝突よりは、集合的な知恵と知識を中心とした調和の取れた努力が、この会議にお集まりになった著名な学者の皆様に求められているのです。私はこの会議が、神様が世界をおつくりになられた時に実現しようとされた理想のために寄与することを心より願います。皆様の努力が、真の愛と善と平和と幸福の世界を成し遂げる、新しい文化革命の実現に、必ず貢献することを願います。

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韓国で世界大会を開催する理由 それでは、私がなぜ皆様を韓国にお招きして、勝共国民大会と共に、第一回「世界平和教授アカデミー」世界大会を開催したか、ということについて、若干の説明をいたします。

第一に、韓国は、昔から地政学的に大陸と海洋の橋頭堡である半島国家で、強大国の勢力拡大のための要衝となって、歴史的な犠牲を払ってきました。現代でも、東西両陣営の要衝であり、ソ連と北朝鮮の侵略の野望によって真っ先に試練を受ける立場に立っている国です。韓国は共産主義の犠牲となるか、自由世界の一員として生き残れるかの岐路に立つ、世界的な試験台の上に置かれている国です。私は、このような韓国の状況を神様の摂理的観点から、世界と歴史の縮小体として見ています。

ですから、すべての歴史的関係と世界的問題が直接•間接的にここに連結されており、したがってここでの問題解決は、すなわち全体解決であると考えます。今回このように世界の碩学たちが集まって発表する決議や宣布は、すなわち皆様の国と世界全体と関連するものなので、世界的な関心事となり、世界的に波及する影響力をもつようになります。

第二に、韓民族は、約五千年の悠久なる歴史をもった文化民族であり、早くから敬天思想を信奉し、豊かな精神的生活をしてきました。私たちの先祖は、仏教と儒教を受け入れ、その文化を燦然(さんぜん)と花咲かせ、長くはないキリスト教伝来の歴史にもかかわらず、今日名実共に世界を代表する篤実なキリスト教国家となりました。

それだけではなく、この様々な高等宗教は、民族の精神文化の中に溶け込み、調和して、善の影響を及ぼしており、現実においても、この地は諸宗教が共存している特異な様相を見せています。本来、敬天思想が強い韓民族の本性を考えれば、無神論の共産主義が韓半島に根を下ろすようにはなっていなかったと思います。神様が生きていらっしゃるならば、韓民族を立てて、共産世界を打破する模範を世界に見せることと私は確信しています。

第三に、韓民族はその気質が活動的であり、奇抜であり、義に酔い、積極的に行動します。韓民族が一般的に時代観と歴史の発展推移に鋭敏な反応を見せるのも、この気質のゆえです。韓民族が一旦「共産主義は悪い」ということが分かれば、直ちに実践し、行動に移すようになるので、実践的な勝共活動は世界を指導する標本運動となるでしょう。

第四に、韓国は東西文化の交流の接合点です。既に皆様も御存じのように、多くの碩学たちが西洋文明の未来を悲観的に予測しており、これに対する解決方案として、新しい宇宙的、精神的一大転機が到来することを待ち望んでいます。西欧社会が東洋に対して徐々に多大な関心をもつようになり、東洋精神や東洋宗教に心酔するのも、東西文化の調和統一が成就されることを予告しているものと言えるでしょう。

平和理想実現の障害要因である無神論共産主義 東洋で生まれたレバレンド•ムーンが動機となり、中心となって、世界の碩学たちが人類平和と理想世界の創建のために、「世界平和教授アカデミー」を組織し、「科学の統一に関する国際会議」を開催し、学界に新しい転機をもたらすことは、過去の歴史になかったことであり、新しい文化が胎動する歴史的な壮挙だと言えるでしょう。

神様を父母とする「世界は一家庭、人類は一兄弟」という理想から見れば、東洋と西洋の最短距離の調和統一体は、宗教思想を中心としてのみ可能です。

「世界平和教授アカデミー」が本当に世界平和を目標とし、学問的な良心と知性を尽くしてこの目標を成就することを願うならば、私たちには再覚醒と再決意が必要だと思います。真の人類平和というものは、価値観の異なる人間相互間の平面的関係の改善だけでは得られるものではありません。神様を求心点とした絶対価値のもとにだけ真の平和世界を見いだすことができるのです。

この平和理想実現に対する根本的な障害要素は、無神論的共産主義です。私は、資本主義も神様が願われる主義ではないことをはっきりと教えています。しかし、共産主義は、神様の存在自体を否定しているので、「神主義」の前に一次的な障害となるのです。

私は、以前にシカゴで開催された「科学の統一に関する国際会義」の際、共産思想を学者たちが積極的に防がなければならないと既に宣布いたしました。ある人は、皆様に対する私の宣布と勧告があまりにも強い表現であると言うかもしれません。流れる時間の中で、きのうときょうが同じように繰り返されますが、歴史と摂理の中においては節があり、重要な転機があります。いつも繰り返されているような時間ではなく、決定的な意味をもって決断を下す時があるのです。今が正にその時です。私は人類の将来に対して深く感じることがあって、このように勧告をするのです。

急を要する明確な価値観による後進養成教育 皆様が後援する韓国における今回の勝共国民大会は、皆様の祖国と自由世界の至る所で行われなければならない標本となる大会です。自由世界の指導者たちが共産主義に対して決断を下し得ず、優柔不断であるならば、世界制覇の野望をもつ共産主義の膨張運動は防ぐことができません。特に教授の皆様が、一時的な安逸や一身の無事を願うがゆえに、正しいものと間違ったものを区別して積極的に証し得ないとすれば、若者たちの将来を誰に期待すればよいのでしょうか。教授の皆様の断固たる決心と明確な価値観による後進養成教育こそが、この時代の要請であるばかりでなく、教える者の基本姿勢でもあります。この点で、宗教指導者と教授には共通点があると思います。というのも、私たちは、知識を伝達し、また研究結果を教育するだけではなく、人生について責任をもって教えなければならないからです。

きょう、この場にお集まりの七十二ヵ国の代表の皆様。世界平和のための「世界平和教授アカデミー」の歴史的目標を達成しようという確固たる決意と、また有神論に立脚した献身的な信念は、皆様の国のみならず、勝共の世界的な民間連合基盤を構築する決定的な契機になると私は確信する次第です。

皆様の国と皆様の御家庭に、神様の祝福が共にあることをお祈りしながら、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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10.世界平和教授アカデミーと私たちの決意 日付:一九八三年十二月十八日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」

尊敬する世界大会議長、「世界平和教授アカデミー」の七十二ヵ国の議長団の皆様、そして韓国の「世界平和教授アカデミー」会員教授の皆様。きょう、この意義深い「世界平和教授アカデミー」世界大会において、これまで私が抱いてきた所信の一端を表明できますことを、誠にうれしく思う次第です。

「世界平和教授アカデミー」の究極の目標 きょう、この場に外国から来られた多数の議長団の皆様は、去る十一月末にシカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」を終え、お別れしてからほんの数日もたっていないときに、突然の通達により、それも一週間のうちに集まってくださるように連絡を差し上げたにもかかわらず、六大州から駆けつけてくださいました。既にあった御計画や年末の忙しいスケジユールを取り消され、私の招待に応じてくださったことに対し、心から感謝を捧げます。

常識的には理解し難い招待を受け、難しい条件を乗り越えて集まってこられた皆様の今回の大会が、歴史的なものであり、摂理的な意味があることを、徐々にお分かりになるでしょう。

私は、歴史を収拾し、人類の理想を実現するために、学者たちの研究業績と良心的な決断、そして人類を先導する先駆者的な実践が非常に重要であるということを当初から考えてきました。そうして、一九六八年、困難な教会運営にもかかわらず、「国際文化財団」を創立し、一九七二年から「科学の統一に関する国際会議」を毎年開催してきています。

このような大会は、個人や宗教団体で主催するものではなく、国家主権の後援のもとに開かれなければならないものです。しかし、誰もこの点に関心を向ける人がいないため、最初に思い立った私自身が実践しなければならないという信念で、国際会議を開催したのです。そして、今年は「世界平和教授アカデミー」がここ韓国で創立されて十周年を迎える年でもあります。

今日、人類は数多くの危険を抱えています。その中で最も深刻な問題は、人類が正しい価値観を確立し得ず、思想的な対決と混沌の中で、世界大戦の可能性と核の恐怖に直面しているということです。

このような脅威は、人間の心霊を正しく導いていくべき宗教が本来の責任を果たし得ずにいる間に、様々な政治的、経済的欲求を中心とした体制やグループが、科学的知識を誤用したことにより、より一層加速化されています。このような脅威は、人類文明それ自体を根本から危うくしています。

地域を超越した相互協力と共同研究 私は「世界平和教授アカデミー」が、人間の英知を啓発するために一生を捧げて尽力してきた有識者の皆様によって、この危機の時代を転換させ、世界平和の根源を模索する牽引車のような機構になることを願いながら、これを創立したのです。

「世界平和教授アカデミー」の究極の目標は、平和と繁栄のための新しい理念と方法論を研究しようとする勇気ある学者たちの献身的な努力によって、正義と調和と秩序の世界を創造することです。

また、「世界平和教授アカデミー」は、今日の時代において危機意識をもっている学者や指導者に、人類が直面している最も根本的な問題を検討するのに必要な資料を提供しなければならないと思います。

皆様が既に御存じのように、十二回にわたる「科学の統一に関する国際会議」を行ってきたその背後には、容易なことばかりがあったわけではありません。莫大な財政負担は言うまでもなく、このような意義あることをしながらも、多くの嫉妬と誤解と耐え難い迫害も受けました。最近において、皆様をはじめとして、多くの碩学たちが積極的に呼応して、世界が段々と私の動機に理解を一層深めてくださっていることは、私にとっては大きな慰めです。

歴史的に人類は平和を念願してきましたが、この地上には依然として戦争が存続しています。不幸にも強大国や権力者たちは、「平和」という言葉をたびたび誤用してきました。彼らは平和をうんぬんしながらも、実際には内面的にも外面的にも、人々を平和でないものによって苦しめてきました。特に共産主義者たちは、挑発を事としながら、「平和」という言葉を口癖のように使ってきました。このように「平和」という言葉は、多くの場合において、ただ不義を実現する手段として利用されてきたのです。

真の平和は、知識や富、そして社会的な地位や政治的権力のような外的条件によるものではありません。この世では、世界的関心事を公平に判断する絶対的基準がないので、変化していく世界の中で衝突する利害関係に縛られ、真の平和の維持は不可能なのです。真の平和は、ただ真の愛の基盤の上に立ち得るものであり、愛の関係は、人類を一つに結びつける、神様を中心とした絶対価値を理解するときにこそ、体験するのです。

私の考えでは、「世界平和教授アカデミー」はその目指す目標から見て、国際的、汎専門的でなければならず、また未来指向的、実践的知性の機構にならなければならないと思います。今世紀の人類が直面している諸問題を解決するためには、ある一分野だけで、または局地的処方だけでは解決不可能です。国家や地域を超越した相互協力と専門を超越した共同研究が絶対的に要請されているのです。

今日の学問は全般的に専門化されており、その課題もまた広大で、特定の学者やある学問分野のもとだけに一元化することはできません。問題解決のためには、多様な訓練を積んだ専門家たちの協力を通じたアプローチが求められ、そのアプローチもまた、個人的次元ではなく、全体的、宇宙的な均衡を取ってしなければならないので、そのための組織的機構や有効な運営は容易なことではありません。

それのみならず、没価値的な方法論が、学問研究の基準であるように認識されてくる間に、研究の結果が多くの場合において、より大きな上位の目的や善の意志に反して、策略家たちに利用され、人類の悲劇を招きました。このような不条理を解決するために、私は絶対価値を中心テーマとした「科学の統一に関する国際会議」で、その代案を求めようと努力しているのです。

平和実現のための「世界平和教授アカデミー」の実践方法 絶対価値はもろもろの価値の基準となるので、すべての学問の中心点になります。もしも専門化された学問が没価値的な方法によってのみ研究され、また人によってその価値基準が異なる場合、人類の本性が願う共同理想を実現する基準は、どこから見いだすことができるのでしょうか。また、人類は真の生き甲斐と価値性の保障をどこから受けることができるのでしょうか。

例えば、自由について考えると価値基準の異なる個人相互間、あるいは社会や国家などの体制相互間においてぶつかり合う矛盾、すなわち自由の陰でもたらされる不公平な犠牲は、どこでその補償を受けることができるというのでしょうか。

善を指向する人類の本性を見ても、絶対善の基準が求められていると言えるでしょう。また世界は次第に一日生活圏に縮小され、地球村を築きつつあり、人類が宗教や人種、国籍を越えて緊密に協力し、調和せずにはいられない歴史的な趨勢から見ても、絶対価値の基準は打ち立てられなければなりません。

世界が抱えている問題を克服するためには、多くの指導者が必要です。私は、「世界平和教授アカデミー」の会員である全世界の教授の皆様が、受動的ではなく能動的な、人類の理想の研究と実現に、積極的に参与してくださることを望んでやみません。ですから、「世界平和教授アカデミー」は、研究のみならず、世界福祉のために実践し、その手本を示す機構とならなければなりません。

この点において、他の様々な学者の集まりとは異なると思います。すべての会員は、学生たちを積極的に支援するだけではなく、社会世論に影響を与え、歴史を引っ張っていかなければならないと思います。

私たちは、非暴力的な態度で、それでいて所信をもって、この時代の最も難しく複雑な哲学的、社会的課題として人類が直面している未解決の問題を解決することに心酔し、献身的でなければなりません。「世界平和教授アカデミー」の目標である平和の実現は、理想と理論の基準においてではなく、実践的方法によって到達される目標です。

私は、「国際文化財団」と「世界平和教授アカデミー」の基盤を通した世界大学連盟の理想を抱いてきました。今や実現する段階となり、六大州に少なくとも七十の総合大学を順次に設立し、高い次元で若い世代を育成、指導するでしょう。大学相互間の交換教授制度、交換学生制度、協同研究などを通して、体系性を帯びた教育により、人類が一つの兄弟となる平和世界の理想を実現しようと思う次第です。

そして、「国際文化財団」のシニア•コンサルタントたちには、絶対価値に立脚した大百科事典の編纂計画を既に発表したところであります。現在、権威ある大百科事典がないわけではありませんが、一貫した価値観に立脚して集大成された新しい大百科事典は、後進のための絶対的な要請なのです。私の考えでは、十年以上の時間が必要だと思いますが、全世界の「世界平和教授アカデミー」の会員たちが動員され、この歴史的な作業が成就されなければならないと思います。

それだけではなく、生活を通した大衆教育のために、世界的な新しい月刊雑誌を一九八五年一月から刊行する予定で、既にその準備作業が始まっています。一千ページ以上の膨大な内容が収録されるこの雑誌は、一度見て投げ棄てるような内容ではなく、生活全般にわたって知性の泉となる指針書であり、生活の教育書になるものと期待しています。

また、良書を大量に出版し、人類社会を底辺から教育する計画を立てました。本の質や内容よりも収益性のほうに焦点を合わせている出版界の現実ゆえに、良い本が出版される機会が少なくなっています。数年間は膨大な出血をしたとしても、今後十年間に最低三千巻の本を出版する予定であり、既にその作業が始まっています。

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共産主義の戦略戦術を克服すべき このように、当初からレバレンド•ムーンと統一運動は、宗教の領域だけでなく、政治、経済、文化、科学、技術、言論、教育の領域で、途方もない誤解と非難、迫害と試練に耐えてきました。私たちは一般大衆と為政者から社会全般にわたって、反対と迫害を受けてきました。

ある意味では、全世界のすべての人々に、直接、または間接的に統一運動の運命に対して責任があります。しかし、世界的な反対は、特に共産主義者たちによって利用されてきました。共産主義者たちの標的には、いかなるものにも、レバレンド•ムーンの名前がついています。

これまで、ほとんどの人たちが、統一運動について正しく理解することは非常に困難でした。人々が私たちに関して見聞きすることのほとんどは、反対者たちが数年間、吹聴してきたうそと扇動的な非難でした。統一運動とレバレンド•ムーンに関して、人々が信じやすいのは、ただ単に、昔、捏造された流言飛語の繰り返しにすぎない言葉でした。

「うそも百回繰り返せば真実となる」というレーニンの教えに従い、共産主義者たちは人々に確信を与えるために、同じ偽りのうわさを繰り返し続けてきました。例えば、過去十二年間、日本共産党は彼らの宣伝機関紙である「赤旗」と彼らの出版物二十六億枚の反統一運動の記事を印刷しました。それは日本の国民一人当たり十六枚に相当する悪意に満ちた宣伝でした。

これは私たちの運動を破壊しようとする共産主義者たちの陰謀の中の一つにすぎません。反統一運動の宣伝は、中国、北朝鮮、東ドイツ、ソ連、キューバ、ニカラグア、リビアとその他の国々からも絶えず流れ続けています。このような偽りの宣伝は、公務員、政府指導者、知識人、宗教指導者、言論媒体と一般大衆に浸透しています。そうして、人々が歪曲された内容を数えきれないほど聞くようになり、結局、それが事実であると信じるようになるのです。

しかし、最も下品で卑しい行為は、統一運動に参加している人に対して非人間的処置を行う、いわゆる「ディプログラミング(脱洗脳)」というものです。それは共産主義者が協力していることは明らかです。人権の擁護者である裁判官と裁判所は、しばしば基本的な宗教の自由の権利を侵害することに協力することがあります。皮肉なことに、その権利の侵害は、人権と宗教の自由を最も声高に叫ぶ国家で発生しているのです。

ディプログラミングに使われる方法は、共産主義の政治犯の収容所で施行される方法と同じです。ディプログラマーたちは、少数派宗教の信仰をもつ人を監禁するために、親や親戚を利用して精神病院に委託したりもしました。その他の典型的なディプログラミングの手段としては、拉致、不法監禁、暴力、精神的な脅迫、睡眠妨害、アルコールと麻薬使用への誘引、性的誘惑と強姦などが含まれています。

このような脅迫と嫌がらせ、手練手管(てれんてくだ)により、職業的ディプログラマーたちは信仰を捨てるように強要します。多くの人々が、このような犯罪行為によって、肉体的にも、精神的にも傷つくようになります。

私の愛する多くの人々が、その信仰と理想ゆえに苦痛に遭うのを見るときに感じる私の深い悲しみを、皆様は想像すらできないでしょう。信じられないことに、ディプログラマーたちは、自分たちの行っている方法を私たちが使っていると言って非難しています。皆様は、なぜ共産主義者たちがレバレンド•ムーンと統一運動に対して、そのように敵意と恐れを抱いており、なぜ彼らがそのように命懸けで私たちを破壊しようとするのか、不思議に思われるでしょう。

皆様も御存じのように、共産主義の究極的目的は、無神論的唯物論の旗のもとに、全世界を征服し、共産党独裁を実現することです。実際に、労働価値説、剰余価値説、弁証法的唯物論、史的唯物論のようなマルクス理論は、真理と正反対であり、暴力革命を正当化するために主張されたものです。今まで、共産主義の恐るべき実体を克服できるものが何一つとして存在しませんでした。

「統一思想」は共産主義を克服する実体的基盤 しかし、「統一思想」は共産主義の虚構を暴露しています。彼らはこのような事実を知っているので、統一主義を根源的に根絶しようとしているのです。共産主義者たちは、自分たちの正体を暴露するすべてのものに対して恐れを抱いています。

これまで無知ゆえに数百万の人々が共産主義に利用され、無慈悲に虐殺されてきました。少数の人々だけが勇気をもって戦いましたが、理念と組織の力が弱かったために、彼らは孤立し、弱まり、簡単に敗れました。

今日、数億の人類が絶望の涙を流しながら、共産主義からの解放を待ち望んでいます。私は、三年近くの間、金日成独裁下にある北朝鮮の思想犯収容所で過ごしました。彼らは私をそこに投獄し、命を奪おうとしました。しかし、私は生き残り、結局、国連軍によって自由の身となりました。その時から、私の生涯の使命は、共産主義よりも優れ、共産主義から世界を解放できる絶対的真理をいかにして樹立するか、ということに集中してきました。

今や、私が目撃したその犯罪の数々に関して、明確に話すことができます。私は、共産主義に対して批判し、闘い、共産主義を克服するための実体的基盤をもっています。

以上のことから、皆様は、なぜ共産主義者たちがレバレンド•ムーンとその組織を恐れるかということについて理解できるでしょう。共産主義者たちにとって非常に理解し難いのは、なぜレバレンド•ムーンの運動は、あらゆる反対と迫害と中傷にもかかわらず、成功裏に成長し続けているのかということです。例えば、「国際勝共連合」の会員は、日本に三百五十万人以上います。

第一に、共産主義者たちは、神様が生きておられることと実際に統一運動の背後で神様が働いておられることを悟れずにいます。第二に、彼らは、宗教の真の本質を理解できず、また人間の本心は、ただ神様の真理と愛によってのみ、本当の満足を感じるという事実を理解できずにいます。最後に、彼らは、霊的な世界とこの宇宙を統治する神様の法が、弁証法的唯物論によって動くものではないことを悟れずにいるのです。

統一運動は、宇宙の根本的真理に基づいた深い宗教的体験と鍛錬によって触発され、裏づけられています。ですから、私たちは世界と人類の本心を動かすことができるのです。統一運動に参加する会員は、許すということを知るようになりました。彼らは、自分を迫害した人々を恨むのではなく、むしろ迫害と試練を霊的成長の糧として受け入れています。簡単に言えば、統一運動の真の会員は、いかなる反対にも屈せずに推進する力と揺らぐことのない信仰をもっています。これは、既に私たちが確固たる世界的基盤を確立したという事実から証明されているのです。

世界の各地に新文化革命の火を燃やそう レバレント・ムーンと統一運動は、神様と人類のための生死をかけた重大な使命を担っています。しかし、この使命は、統一運動の独占物ではありません。この運動の会員たちは、良心的で理想を抱いたすべての人々と共に、新しい文化革命の隊列で働くことを願っています。自由世界の人々、特にキリスト教徒をはじめとした宗教者たちはみな、統一運動の偉大な友とならなければなりません。悲惨にも彼らは、共産主義者たちの戦略に対して無知であり、友と敵とを区別することができませんでした。結果的に彼らは、たびたび自分の真の友を攻撃し、破壊してきました。

しかし、最近の状況は変わりつつあります。人々は共産主義の不義と威嚇に対し、憤慨するようになりました。最近の事件は、共産主義者たちが初めから使ってきた戦略と戦術を明確に暴露しています。自由世界と宗教の未来に関して、より一層憂慮するようになった良心的な学者、経済人、宗教指導者が、統一主義の普遍的な旗のもとに集まり始めました。また人々は、道徳的退廃と闘うその力と共産主義に対抗するその潜在力のゆえに、統一理念に魅力を感じるようになりました。

今日、皆様は、私と共同の運命に直面しています。共産主義から学問世界を保護し、歴史がこの時代の私たちに与えた課題を成し遂げるために共に働きましょう。私と統一運動の会員たちは、この実に困難な課題にぶつかることを決意しました。全世界の学者たちは、きょうから各分野で指導力をもつために合流しましょう。

共産主義者側では、マルクス主義の学者たちが、学生とキャンパス活動を指導することによって指導力を行使しています。彼らは労働階級および少数民族の組織者たちと提携し、究極的には人間の真の幸福を破壊することになる途方もない理念的、社会的戦線を構築しました。したがって私たちは、教授と学生の責任ある協力を通し、組織的で社会的な基盤を、一刻も早く確立しなければなりません。

私は、この悪の世界では、正義を擁護する人が、何らかの実質的基盤をもてなければ簡単に除去されることを骨身にしみて悟らされました。したがって、学者と学生の連合戦線とともに、キリスト教徒をはじめとしたすべての宗教の信仰者たちは、共に働かなければなりません。

このような、歴史で最も重要な時代に生きている私たちは、生死の岐路に立たされています。私は、皆様が大志を抱いた義の学者、教育者として、世界に実質的で建設的な変化を起こすことを熱望しています。人生のすべての領域を包容する、統一された戦線で共に働きましょう。そして、歴史の頂点に立って、世界の各地に新文化革命の火を燃やしましょう。

神様のあふれんばかりの恩賜が皆様の国と皆様の御家庭、そして皆様と共にあることを願います。神様がこの第十二回「科学の統一に関する国際会議」総会における皆様の討論を、お導きくださることをお祈りします。ありがとうございました。

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統一主義は新しい文化革命の基礎 日付:一九八三年十一月二十五日

場所:アメリカ、シカゴ、シカゴ•マリオット•ホテル

行事:第十二回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、議長団ならびに著名な教授各位と紳士淑女の皆様が、第十二回「科学の統一に関する国際会議」に参加するためにシカゴにお越しくださったことに対し、深く感謝の意を表します。

第一回「科学の統一に関する国際会議」以来、本会議は大きく発展してきました。「科学の統一に関する国際会議」の成果は、皆様が、周囲の激しい圧力や迫害をものともせずに成し遂げた、相互協力と献身的な努力の賜物です。皆様の業績とは、全世界で誰も凌駕することのできない会議を「科学の統一に関する国際会議」で創造したことです。私は、皆様のこのような努力と寄与に対し、深い感謝を捧げると同時に、皆様が成し遂げた成果に対してお祝い申し上げる次第です。

新文化革命は絶対価値に根拠をおくべき 今や世界は、科学と技術の驚くべき発達に伴う急激な変化を体験しています。したがって、社会の既存の価値は根本から揺らいでおり、あらゆる分野で混乱と葛藤を引き起こしています。このような傾向は、次第に高まる無神論的唯物論の影響力によって加速化されてきました。簡潔に言えば、多くの難題が今日の世界を脅かしており、いまだにこのような問題に対する真の解決策を見いだせずにいるのです。

民主主義や共産主義も、社会悪を清算する方法を提示できずにいることは明らかです。根本的に、民主主義と共産主義は、人類共通の問題を解決しようという欲望から発展しましたが、民主主義は、このような課業に成功できなかっただけでなく、共産主義の破壊活動に対し、それを克服することも、阻止することもできないということが明らかになりました。

共産主義は、人類に一層大きな問題を引き起こしました。したがって、世界は苦境に陥るようになり、民主主義と共産主義は、窮地に追い込まれた勝者のいない状況に陥るようになりました。これが、私たちが直面している現実であり、人類の将来は暗鬱で予測不可能に見えるのです。

それでは、民主主義と共産主義は、なぜ解決策になり得ないのでしょうか。二つの思想を注意深く分析してみると、この二つは、いずれも究極的な意味における真理の核をもっていないのです。民主主義は、政治制度の根幹として貢献しているかもしれませんが、それは決して明確で包括的な世界観ではありません。共産主義は、包括的で体系的な世界観をもってはいますが、それは偽りの仮定と歪曲された事実に根拠を置いています。

したがって、新しい真理に立脚した運動として、第三の代案が必要です。その代案は、真理と絶対価値に立脚した、完璧で体系的な世界観である「統一思想」、「統一運動」です。新しい文化革命が起きています。私は、すべての学者と専門家の皆様が、この新しい文化の創造に参加してくださることを願う次第です。

民主主義と共産主義の欠点を知るならば、新文化革命は、絶対価値にのみ根拠を置いてこそ可能であると結論を下すことができます。このような絶対価値は、現状の変化に立脚した相対的な価値であってはいけません。むしろ、このような価値は、不変の世界の原因と結果、神様と人間と宇宙の根本的な関係に立脚した、普遍的で究極的な価値でなければなりません。

私たちは、このような第三の世界観の発展と現世の問題解決を目的として、「科学の統一に関する国際会議」を始めました。十二年前に「科学の統一に関する国際会議」を創設するとき、私は絶対価値を中心テーマとして立てました。絶対価値をテーマとしたのは、変わることのない普遍的価値は、創造世界の本質的な基礎であると考えたからです。

「科学の統一に関する国際会議」以外にも、全人類が夢見て願ってきた理想社会を建設する、その準備として、様々な会議やプロジェクトを私は創設しました。私が生涯にわたって追求してきた統一運動の目的は、新しい体系的な世界観に立脚した新文化革命を創造することです。私たちの運動は百三十ヵ国以上に拡張され、私たちの指導理念である「統一思想」が新しい真理体系として、多数の有識者たちに認められてきています。

一般的に民主世界では、「統一思想」に対して開放的であり、その潜在力に多大な関心を寄せています。一方、共産世界は統一運動に絶えず敵対し、民主主義体制を、私たちを破壊する道具として利用してきました。共産主義の指導者たちは、私たちを目の敵にし、レバレンド•ムーンに関係するすべてのプロジェクトに反対してきました。

「科学の統一に関する国際会議」の組織も例外ではありません。共産主義者たちは、レバレンド•ムーンがこの会議を創設し、常にこの会議を最も重要視していることを知っています。これが正に「科学の統一に関する国際会議」が始まって以来、受けてきた非難と迫害の重要な原因です。

統一運動に対する共産主義の反対活動 共産主義は、自由世界を衰えさせるために、あらゆる策略と暴力に明け暮れています。私が統一運動に対する彼らの反対活動を知っているように、皆様も、御自身の国における共産主義者の虚偽宣伝と破壊行為をよく御存じのはずです。

私たちはこれ以上、この問題を看過することはできません。したがって私は、すべての自由世界と統一運動に対する共産主義者たちの攻撃の実際に関して、皆様に明らかにお話しできる機会として、今回のこの席を選びました。私は、皆様御自身と学問の自由の保護、そしてすべての自由世界の守護のために、このような事実を知る必要があると思います。

統一運動の世界的な発展に伴って、共産主義をはじめとした多くの敵対勢力の迫害があり、様々な所で妨害を受けました。私たちの活動が社会にとっては有益なものであるにもかかわらず、反対を受けるのはなぜか、その理由が理解できません。そこで、反対のその実質的な根源を明らかにするために調査しました。

きょう私は、統一運動が成功し、非常によく知られている日本で明らかになった事実をお話ししようと思います。私たちの運動だけでなく自由世界を破壊しようとする共産主義の画策が世界の随所で続いているだけに、この情報が、すべての国の国民にとって有益であると私は確信します。私が明らかにする、より詳しい暴露の内容は、まもなく本として出刊される予定であり、その本が皆様に広く読まれることを願う次第です。

日本もまた、アメリカのように国民の自由を誇りにしています。しかし、その自由のもとでKGB(ソ連国家保安委員会)と日本共産党が、私たちの運動に参加することを決意した人に対して逆宣伝し、自由を破壊していることを知っている人はごく少数です。彼らは、甚だしきは裁判所の協力を受けたこともありました。

私たちのこのような調査によって、共産主義者たちが私と統一運動を破壊しようとする陰謀を計画し、うそや事実の歪曲、流言飛語を組織的に吹聴してきたことが、結論として明らかになりました。共産主義者たちは、統一運動を妨害するために、偽りの情報を組織的に流布し、大衆動員を起こして統一戦線を結成し、対立と葛藤、闘争を引き起こしているのです。共産主義者たちは、常にすべての反対者を除去するために、このような状況を助長しています。

日本共産党は、統一運動を彼らの第一の敵とみなしており、統一運動に対する闘争は、日本の資本主義やアメリカの帝国主義に対する闘争よりも急を要するものであると公式的に宣言しています。

日本共産党が一九七八年六月五日から七日にかけて開催した全国指導者会議で、宮本顕治議長は、統一運動を破壊することは「後世の歴史に記録される『聖なる戦い』」であると発表しました。さらに彼は、この歴史的課業を成就するために民主派人士たちに、団結して、すべての努力を傾注することを促しました。日本の共産主義者たちは、数百の団体を動員して私たちに反対してきました。

私は、人類と神様の究極的理想である地上天国を実現するために統一運動を創設しました。私たちの運動は、すべての人間の努力を傾注して宗教を復興させ、人間を教育する運動です。私たちのような霊的な運動が、異なった関心事や方向を宣言する既成勢力から反対を受けるのは、歴史的に避けられないことでした。

宗教運動はみな、その始まりから激しい迫害と敵意を呼び起こしました。このような困難を克服した運動だけが、未来の世代のための主流思想と指導力になることができたのです。ユダヤ教やキリスト教、さらには民主主義と共産主義さえも、このような典型的な例でした。

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絶対者に対する本体論の欠如 このうちで最も重要なのは、本体論の欠如です。本体論というのは、絶対者に関する理論のことを言います。宗教ごとに、その教理が成立する根拠としての絶対者がいます。ユダヤ教の絶対者はヤハウェであり、キリスト教の絶対者は神様であり、イスラームの絶対者はアッラーです。儒教や仏教は絶対者を明示していませんが、儒教の徳目の根本である「仁」は天命と連結するので、「天」が儒教の絶対者と見ることができ、仏教では、諸法は常に変化しており、真理は諸法の背後にある「真如」から見いだすことができるとしているので、「真如」が仏教の絶対者と見ることができるのです。

ところが、そのような絶対者に関する説明が、非常に曖昧です。絶対者の属性はどのようなものであり、なぜ創造し、創造の動機は何であり、どのような方法によって創造し、いったい神様(絶対者)は実際に存在するのか、などに関する解明が、宗教ごとに明確になっていません。したがって、各宗教の徳目が成立する根拠が明確でないので、今日の宗教の説得力が弱まっているのです。

すべての宗教の教えである徳目、すなわち実践要目がきちんと守られるためには、その宗教の本体である絶対者の属性と創造の目的、その絶対者の実在性などが十分に明らかにされなければなりません。中世時代、または近世以前までは、人間の頭がそれほど分析的、論理的でなかったので、「あなたの隣人をあなたの体のように愛しなさい」、「王に忠誠を尽くし、親に孝行しなさい」と言えば、無条件にその教えが正しいと思って従順に従いましたが、科学が発達した今日においては、人間の精神がとても分析的になり、論理的になっているので、いくら宗教指導者が「このようにしなさい」と教えても、「なぜそうしなければならないのか|とその理由をしつこく尋ねてきます。したがって、その疑問に答えてあげなければ、その教えは説得力を失ってしまうのです。

宗教の教えに対する疑問には、様々なものがあります。「果たして神様はいるのか」、「神様は、全知全能であり、遍在され、至善、至美、愛であり、審判の主であり、人類の父などと表現されるが、それをどのように知ることができるのか」、「じっとしていてもよい神様が、なぜ宇宙を創造したのか」、「神様の創造の目的は何か」、「創造には方法があるはずだが、その方法とは何か」、「絶対善である神様が創造した世界になぜ弱肉強食の現象が展開しているのか」、「人間が堕落して罪の世界になったというが、完全な神様が創造した人間がなぜ堕落したのか」などの疑問です。このような疑問に対して合理的な答えが与えられない限り、今日の有識者たちは、宗教を受け入れようとしないのです。したがって、キリスト教の愛の徳目、儒教の家庭倫理の規範、仏教の修行の実践要目、イスラームのコーランの要目は、捨てられたものになってしまうのであり、時には有識者が反宗教的な行動までも起こすようになるのです。

歴史的にキリスト教の世界であるヨーロッパの土壌に、近世以後、唯物論と無神論が発生し、今日、全世界を席巻(せっけん)しているのは、その根本原因が実にこの本体論の曖昧性にあるのです。その最も顕著な例が、マルクス、レーニン、スターリン、ニーチェなどが、キリスト教の家庭に生まれていながらも、無神論者、反キリスト教者になったという事実です。

さらに嘆かわしいことは、人間の闘争を仲裁し、人間の精神を先導すべき宗教が、今日、時として紛争を起こすことによって、宗教の威信と権威をより一層失墜させているという事実です。ユダヤ教とイスラームが闘い、旧教と新教が闘い、キリスト教と仏教が闘い、甚だしくは同じ宗教の教派間で闘っています。

このような宗教紛争の根本原因も、やはり本体論の曖昧性にあります。絶対者はただ一つであり、二つや三つあるということはあり得ないにもかかわらず、各宗教の指導者たちは、「自らの絶対者だけが正しい神であり、その他の神は真の神ではない」と思っているので、結局、宗教ごとに絶対者がいることになり、絶対者が複数になるという背理が成立してしまうのです。

これを言い換えれば、すべての宗教の神様は、相対的な神様にすぎないという結論になり、各宗教を通して立てられることになっていた絶対的価値観、すなわち神様の愛と真理に関する理論は、相対的なものにとどまってしまったことを知ることができます。すなわち、今までの宗教は、混乱を収拾する絶対的価値観を立てることができないという結論になるのです。それは、すべての宗教が、絶対者に関する正確な解明ができなかったことから生じる必然的な結果だと言わざるを得ません。

このような状況下において、絶対的価値観を確立しようとすれば、文字どおり、唯一絶対の神様に対する、正確で正しい解明をしてくれる本体論をもつ新しい宗教の出現が、必然的に要求されるという論理が成立します。

従来の様々な宗教は、神様が立てた宗教なので、それらの宗教を通して絶対的価値が実現されてきたと見なすことはできますが、今日、宗教紛争が起きていることから見て、各宗教の神様は絶対神になり得ず、絶対的価値観が従来の宗教を通しては立てることができないことを確認できます。したがって、絶対的価値観の確立のためには、新しい宗教が出現せざるを得ないという結論が成立するのです。

新しい宗教と新しい本体論 新しい宗教のための新しい本体論は、従来の各宗教において絶対者とされていたものが、各々別個の神様ではなく、同じ一つの神様であるということを明らかにしなければなりません。それと同時に、その神様の属性の別な部分をそれぞれ把握したのが各宗教の神観だったことと、その神様の全貌を正しく把握して、すべての宗教は唯一の神から立てられた兄弟的宗教であるということを明らかにしなければなりません。それだけでなく、その本体論は、神様の属性と共に創造の動機と創造の目的とその法則を明らかにし、その目的と法則が宇宙の万物の運動を支配していることと、人間の守るべき規範も、この宇宙の法則、すなわち天道と一致することを解明しなければならないのです。

日月星辰の創造の法則、すなわち天道によって縦的秩序の体系が形成されているのと同じように、家庭においても、祖父母、父母、子女によって形成される縦的秩序と兄弟姉妹によって形成される横的秩序の体系が立てられると同時に、相応する価値観、すなわち規範が成立していることを明らかにしなければなりません。さらにこの本体論は、その理論展開が自然科学的知識とも矛盾してはならず、人間の良心の判断によっても納得できなければなりません。

そして、さらに歴史の中で「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という命題が適用されてきたことが証明されなければなりません。そのような本体論によって立てられる価値観こそが、真の美の絶対的価値観であり、このような価値観の確立とその絶対価値(絶対真、絶対善、絶対美)を理解し、実践することによって、人類の精神改革が成し遂げられると同時に、世界の混乱は次第に消えていくでしょう。

新しい本体論によって、神様に関するすべてのことが解明され、すべての宗教の神様が、結局、唯一の絶対神として、すべて同じ一つの神であることが明らかにされれば、すべての宗教は、各自の看板をそのまま維持しながらも、実質的な宗教の統一が成し遂げられ、神様の創造理想である地上天国の実現に向けて共同歩調を取るようになるでしょう。そして、すべての宗教の教理における不備な点、未解決な点が新しい本体論によって補完され、実質的な教理の一致化までも実現されるでしょう。かくしてすべての宗教は、神様が宗教を立てられた目的を完全に達成するようになるのです。

以上のように、今日の世界的な大混乱を収拾することができる絶対的価値観に関するもろもろの問題点を解決するために、新しい宗教として登場したのが統一教会であり、その内容は、広範で、理論的で、有識者までも洗脳すると言われている、かの有名な「統一原理」と「統一思想」なのです。今回の会議に参加された皆様の絶対価値に対する、たゆまぬ努力と研究がより深まることを願い、神様の加護が共にあることを祈ってやみません。ありがとうございました。

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8.絶対的価値観 日付:一九八二年十一月二十五日

場所:アメリカ、フィラデルフィア、フランクリン・プラザ•ホテル

行事:第十一回「科学の統一に関する国際会議」

私たちは今、歴史的な都市フィラデルフィアにおいて、第十一回「科学の統一に関する国際会議」を開いています。大会に責任をもつ高名な議長、および議長団と世界各国から参加された教授、および紳士淑女の皆様が、この大会を輝かしいものにしてくださったこと対して、私は深く感謝を表する次第です。

大混乱の世界と絶対真理 今日の世界を一言で表現すれば、大混乱の世界だと言うことができます。洋の東西を問わず、世界の南北を区別することなく、国家の先進後進の区別なく、社会はすべて矛盾と不条理、不正と腐敗などによって病んでいます。世界の随所で紛争、衝突、反乱、戦争などが絶える日がなく、先進国は、豊かな物質生活を楽しんでいますが、第三世界、特にアフリカでは、数多くの人々が飢餓に苦しんでおり、餓死する群れが続出しています。

このような世界的な混乱の様相が、より一層悪化し、より一層加速化されるならば、人類が滅亡の危機から抜け出すことは難しいのです。このような世界的な混乱の直接的な原因は、果たして何でしょうか。その原因は、様々に分析できるかもしれませんが、最も根本的な原因は、価値観の相克にあると見なければなりません。何が美なのか、何が真であり、何が善であるかということに対する見解が、一人一人異なり、国家ごとに異なり、人種ごとに異なり、また思想ごとに異なるので、このような混乱が起こると思うのです。

ある行為を、Aは善だと考え、Bは悪だと考えるならば、Aはその行為を何としても実践しようとし、Bはその行為に最後まで反対するでしょう。このようなときに、対立や不和が生じ、ついには衝突までも生じてしまうのは必然的なことです。このように、今日の混乱は、価値観の衝突、価値観の相違に起因すると考えざるを得ません。

それでは、そのような価値観の相違は、どこに起因しているのでしょうか。それは第一に、利己主義に起因しています。極めて少数の例を除いては、個人は個人なりに利己主義にとらわれており、国家は国家なりに、人種は人種なりに利己主義を追求しています。

第二に、思想の違いに起因しています。世界には様々な種類の思想があり、それぞれ多くの追従者の心を捕らえ、特に共産主義と民主主義は、相反する価値観をもって人類を大きく分けています。

したがって、人類を滅亡の窮地から救い出す道は、第一に、利己主義の清算にあり、第二に、思想的相違の解消にあると言わざるを得ないのです。利己主義を清算しようとすれば、まず人間が自己中心主義に陥るようになった経緯を知らなければならず、思想的相違を解消しようとすれば、人間になぜ思想的相違が生じるようになったのかを理解しなければなりません。

人間が自己中心になり、各々異なる思想をもつようになった遠因は、堕落して神様を失うことによって、神様の愛を喪失し、神様のみ言を失ってしまったからです。神様の愛は、価値の根本です。したがって、神様の愛は、絶対価値の基台であり、絶対価値はすべての徳目の根本、すなわち統一価値なのです。

そして、神様のみ言は、すべての真理の根本であり、絶対真理です。また統一的な真理です。人間は、堕落して神様を失うことにより、絶対価値と絶対真理を喪失し、統一価値と統一真理を失ってしまいました。絶対価値と絶対真理から絶対的価値観が立てられます。「観」とは観点であり、見解であり、理論です。したがって、今日の世界的混乱を収拾する方案は、絶対的価値観を確立することだと言わざるを得ないのです。

神様は、愛と真理を人間たちに伝えて人間を救済しようと宗教を立てました。時と地域によって様々な宗教を立てました。例えば、約二千四百年前にインドに仏教を立て、中国に儒教などを立て、二千年前には、ユダヤにキリスト教を立てました。したがって、絶対的価値観は、神様を信奉する宗教を通して初めて立てることができるという論理が成立するのです。すなわち、宗教を基盤としない人の思想や哲学によっては、今日の混乱を収拾できる方案を立てることは難しいのです。言い換えれば、人類を混乱から救い出すのは、ただ神様を中心とした宗教によってのみ可能なのです。

歴史を顧みるとき、儒教、仏教、キリスト教、イスラームなどは、各々一定の時代と一定の地域で社会的不安と混乱を一掃し、平和と安全の基台の上に輝かしい文化を花咲かせました。例を挙げてみましょう。中国の漢朝における儒教文化がそうであり、ヨーロッパの中世におけるキリスト教文化がそうであり、古代インドのアショカ王時代の仏教文化がそうだったのです。また中東におけるイスラム文明(サラセン文明)もその顕著な例の一つです。

しかし、残念ながら、今日に至って、あらゆる宗教が、混乱を収拾する機能と人間精神を指導する能力を喪失してしまいました。今日の宗教は、ますますその生命を失っていきつつあり、信仰はますます形式化されつつあります。人類は既に、宗教から関心が次第に遠ざかりつつあり、本来、烈火のように燃え上がるべき信仰の姿勢は、少数の例を除いてはますます消えていきつつあります。これは、実に重大な事態であると言わざるを得ません。

なぜなら、人類の精神を先導しなければならない宗教が、その機能を完全に喪失した場合、世界は無法天地と化し、人類はあらゆる暴力と乱行と殺戮の海の中に落ちてしまうからです。実際に、今日そのような現象が起き始め、共産主義の策略によってそれが加速化しています。これを一言で、宗教的価値観の崩壊現象と表現することができます。

それでは、その崩壊の原因は何でしょうか。それは第一に、科学技術の発達と経済成長などによって、人間の精神が物質主義へと流れているからであり、第二に、共産主義をはじめとした各種の無神論と唯物論思想が急速かつ広範に蔓延していっているからであり、第三に、政教分離の名のもとに、国家の教育政策において、宗教を教科目から排除することにより、幼い頃から無神論思想を注入するという結果をつくり出しているからであり、第四に、共産主義者が赤化工作のために、残っている価値観さえも意図的に破壊する戦略を取っているからであり、第五に、宗教的価値観を理論的に守護すべき確固たる本体論が欠如しているからです。

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絶対的価値である神様の愛 歴史的に、上流層と下流層の人を一体化させるためには、上流層の人々は下流層に同化させ、下流層の人々は上流層へと引き上げなければなりません。そうするためには、絶対的価値の中心点が必要です。それが神様の愛なのです。

神様の愛とは何でしょうか。それは最上級の人とも共有でき、最下級の人とも共有できるものです。神様の愛は一方的なものではありません。神様の愛は、球形で回転作用をする力です。最上から最下に至るまで自由に移動することができます。それがどこに現れても、すべての所で全体から歓迎されます。そして、いつでもどこでも同化します。

また、神様の愛は、いつでもどこでも絶対的な価値をもっています。私たちが神様の愛の中にいれば、幸福で、すべてが満たされ、保障されます。最下の所にいても最上の人を愛することができ、最上の立場にありながらも最下の立場にある人を愛することができます。このように極めて自由なのです。

このような神様の愛の中にいる人は、世界のどこへ行っても大歓迎を受けるでしょう。これが、統一教会の会員たちが世界中のどこに行っても、人々が心から喜んでついてくる理由なのです。

統一教会は、救いを神様の愛に求めてきました。そして、統一教会が掲げた新しい理念が、共産主義や資本主義よりもはるかに優れたものであるということを知り、神様の愛によって地上天国が実現されるなら、万民はこれを喜んで受け入れるでしょう。

今日の世界情勢を理解するためには、神様のみ旨のある韓国の事情を理解しなければなりません。なぜなら、韓国それ自体の中に、世界のすべてが縮小されて存在しているからです。例を挙げれば、韓国は、現在の世界における主要思潮である民主主義と共産主義をはじめとして、キリスト教と仏教、儒教、イスラームなどの四大宗教がすべて存在し、高い水準を形成しています。東西文化の接点であると同時に、四大強国の政治勢力がこの地を中心としてぶつかり合っています。すべてが韓国自体の中に象徴的に存在しているのです。韓国は、必然的にそれらをみな融合させようとする神様の摂理的運命を担っているのです。

結論的に、韓国は、統一運動を中心とした、次の四つの大きな課題を克服しなければなりません。第一に、超教派超宗派運動による宗教の統一、第二に、勝共運動を通した唯物共産主義の克服による思想的統一、第三に、東西文化を融合した新しい生活様式による文化の統一、第四に、新しい理念による経済の統一です。

そして、私たちの統一運動は、絶対価値である神様の愛で万民を親兄弟以上に愛することによって、統一世界を形成し、地上天国を実現するでしょう。そうして、神様と人類が願う新しい世界の創造が完成されるのです。神様の愛においてのみ、真の勝利があり、真の平和と真の幸福が永遠にあるのです。

韓国を中心としたアジアの将来 先に列挙した四つの点において、韓国は、統一運動によってすべてを統一する能力があります。そのうち、最初の三つの点においては、既に成し遂げられつつあると言うことができます。しかし、最後の経済問題に関しては、今、成し遂げようと努力しているところです。韓国は今、経済が急速に発展しています。しかし、いまだに世界的な先進水準に到達したとは言えません。

それでは、どのようにすれば、これを成し遂げることができるのでしょうか。これを成し遂げることが、私たちの統一運動の使命です。この目的のために、私は高度に発達したドイツの機械技術と韓国の産業との提携を図っているのです。霊的には既に統一運動は、日本とアメリカを連結することに成功しました。アメリカとヨーロツパは文化的に既に連結されています。

今まで神様はこのような摂理を成就するために、第二次世界大戦後、ドイツと日本を経済的に復興させました。特に日本は、今日、世界的な経済大国になりました。ドイツさえも、日本の経済的成功に脅威を感じています。ドイツがこれを防御するためには、韓国と手を結び、品質の良い物を廉価で生産して日本に販売する道と、第三世界圏を同位利益圏に参加させる道以外には希望がありません。そのようにして、日本を参加させれば、世界的な経済統一の道が新たに開かれるようになるでしょう。

現実的に世界に共産主義勢力の侵略政策が存在する限り、世界平和の到来はあり得ず、また経済的統一も不可能です。もし韓国とアメリカ、ドイツ、日本、そして中国が一体となれば、世界的にソ連の侵略に対抗することができます。現在、中国は共産国家ですが、自国の近代化のために日本やアメリカ、ドイツに対して友好関係を維持することを望んでいます。歴史的に見て、中国はソ連に接近することを願わないでしょう。

アメリカは、ソ連に対抗するために軍備の強化を急いでいます。日本、ドイツ、中国とも手を握ろうとしていますが、日本は過去の事情や国内の事情により、軍備増強に意欲的ではありません。

一方、韓国は現在、国家的立場から見ると軍備増強に極めて意欲的です。アメリカとしては、韓国を軸にしようとする考えもありますが、韓国だけではあまりにも小さいので、韓国と中国を合わせて対ソ防衛の軸とすることを考えるでしょう。しかし、中国は、自国の重工業の発展を願ってはいても、その基盤が貧弱なので、今後も相当な期間を必要とするでしょう。

また中国としては、ドイツなどの進歩した産業技術を導入しようとしても、地理的にあまりにも距離が遠く、文化の差も相当に大きいので、それは非常に無理があることです。しかし、ここで中国にとっては良い選択肢があるのですが、それは中国東北部に居留する三百万の朝鮮族を起用することです。

そのような面で韓国とドイツの技術を大幅に活用できるので、統一教会は韓国とドイツを連結しようとするのです。韓国の同胞たちは、中国と日本とアメリカを連結しています。韓国は、過去の歴史的経緯を見ても、他国を侵略した例がないので、中国としては無理なく提携していこうとするはずです。日本は軍備を強化することは願わないとしても、武器を作る技術と能力はもっているので、中国で生産することができるのです。

ここで私たちは一つの結論に到達します。もし韓国が統一教会と共に一つの役割を担当するとしたら、日本とドイツ、そしてアメリカの技術を中国に移転して対ソ防衛を強化し、第三世界圏に最高の技術を連結させて、平和世界へと進み出るでしょう。

これらの国々が韓国を仲介として相互連結することが、様々な面で有益であるということを理解するでしょう。このようにして、アジア三国の経済的連合が形成されると同時に、アメリカとドイツも同時に連結されるので、ソ連共産主義の脅威を防止するだけではなく、勝利の道が築かれるものと見ています。韓国も、そのような意味で東西文明の新基地となり、太平洋文明の中心地として登場しつつあるのです。

私の提案 以上のような内容の結論として、私から一つ提案したいことがあります。それは中国から韓国を通り、日本に至るアジア圏大平和高速道路を建設し、全世界に通じる自由圏大平和高速道路を建設することです。中国大陸から韓半島を縦断して、トンネルか鉄橋で日本列島に連結し、日本を縦断する自由が保障される国際平和高速道路圏のことをいうのです。

もしこれが建設されるならば、アジア三国は文字どおり、平和高速道路で連結され、一体化することができます。そのようになれば、経済や文化交流が頻繁になり、文字どおりアジア文明共同体が形成されるでしょう。中国もこれに賛成し、韓国はもちろん、日本も言うまでもなく賛成するでしょう。アメリカとドイツも自然に加担するようになるのです。

このように、私たちが提唱する理念によってこの案が成就すれば、アジア各国の国民は、お互いに自由に往来できるようになり、その結果、北朝鮮は軍事力による侵略の野望をあきらめて、平和的統合の道を選択せざるを得なくなるでしょう。こうしてアジア人の結束を固め、黄色人種を中心とした上下層を連結するようになるのです。

そして、このような理想を具体化するために、私たちを中心として、日本とアメリカと中国に居住する韓国同胞を結束させ、技術圏を形成するのです。そうすれば、日本とアメリカの方向も自動的に一致し、全世界的に自由が保障された新経済基盤の上に平和高速道路圏を発展させるのです。このようにして歴史的宿願だった上層圏と下層圏を一つにする理想が果たされ、アジアの自由高速道路が完成することによって、黄色人種の大移動が実現されるのです。

私たちはアジアを起点として、絶対価値である神様の愛を中心に、現実的統一経済圏を実現して、東西新文明を結合し、新しい世界の平和を具現しようというのです。このように西洋文明が東洋文明と結合し、新しい太平洋文明を迎えようとする、そのような文明の移動期において記念するに値する、韓国で開かれる「科学の統一に関する国際会議」に参加された百数ヵ国の著名人の皆様の洞察と理解と具体的な協力があることを希望してやみません。ありがとうございました。

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7.絶対価値と新しい世界の創造 日付:一九八一年十一月十日

場所:韓国、ソウル、世宗文化会館

行事:第十回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、議長団ならびに著名な教授各位と紳士淑女の皆様が、第十回「科学の統一に関する国際会議」に参加するために韓国にお越しくださり、深く感謝の意を表します。

韓国は私の故国でもあります。皆様は、韓国動乱の時に参戦した十六ヵ国の軍人たちの犠牲に思いを馳せられるでしょう。また、韓国は南北に分断された哀れな国ですが、大きな意味のある国でもあります。韓国とアジアを知り、研究してくださることを願ってやみません。これから私がお話しする内容は、政治的というよりは、高次元的な宗教的内容の話として理解してくださることと思います。

人類社会における上下階層間の統一 今日の人類社会には、多様な対立闘争が存在します。人種や民族、あるいは社会において、上下の階層間の対立がありますが、その中でも最も深刻な問題は、貧富の差による上下間の対立です。

白人を中心とした北半球において、アメリカとヨーロッパの先進諸国の人口は概して八億ほどと推定され、世界的に見ると上流層に属しています。それに比べ、中国やインドなど、アジア諸国には三十億の人口が住んでおり、中間の位置を占めています。ここに、五億のアフリカ、中南米、オセアニアなどの黒人を中心とした勢力が、経済的に最も貧困な下流層を形成しています。このような経済的貧富の差は、今日の世界における最も深刻な問題であり、いわゆる「南北問題」として国連などでも常に取り上げられている問題です。

このような問題の解決に対して最も可能性のある道は、欧米の白人社会とアフリカの黒人との中間に位置するアジア人を中心として、上下層を融合することです。二十世紀の今日において、あらゆる重要な問題は、世界的な規模で解決されなければなりません。そのような観点から見るとき、上流層の人々にいかにして自らの意志で進んで下に降りてくるようにさせるかが問題になります。

それだけではなく、有史以来人類は、この上下層間の格差を解消する方向へと歩んできたのは、紛れもない事実です。このような潮流の中で最も代表的な例が共産主義です。共産主義思想は、人類社会における階級間の搾取をなくし、階級のない社会を建設しようとするものです。しかし、共産主義の最大の問題点は、無神論であるということであり、神様を否定した土台の上にそのような理想世界を建設しようとしたところに問題があります。また、共産主義は一部の独裁者の私意によって、すべてを行おうとしたところに問題があるのです。

このような諸問題を克服し、新しい解決の道を探すためには、私たちが今まで固守してきた人本主義を離れ、神本主義による新しい思想、すなわち新しい中心核が必要になります。上下を中心核に一致させる中心的機能が必要です。それがすなわち宗教です。個人や一家庭の救援よりも世界救援を目指している宗教は、本来このような使命を成就しなければなりません。このような上中下の各層を結集するためには、その中心核的使命を果たす宗教が必要になります。

それでは、統一教会とは一体いかなる宗教でしょうか。正にこのような歴史的な使命を果たす運命をもっているのが宗教なのです。この目的のために私は開拓の道を歩んできました。世界の多くの人々が私に会おうとするのは、実に歴史的に見て避けられないことなのです。

韓半島の文明的位置 私たちの住む地球は、陸地と海洋とに分かれています。その中でも半島は、地理学的に見ると大陸と海洋を連結する中間的位置にあります。したがって、古くから半島は、文明の形成において常に注目に値する場所となってきました。古代文明が繁栄したギリシャやローマも半島であり、イベリア半島にあるスペインとポルトガルの文明も半島で発達しました。しかし、このような文明は、今日、世界へと拡大し、新しい東西文明が出現しなければなりません。アジアの韓半島は、正にこの文明の出現地なのです。

世界文明の方向は、世界を一周しながら発達していきます。すなわち、エジプトの大陸文明、ローマとギリシャの半島文明、イギリスの島嶼文明、アメリカの大陸文明へと発達し、そして文明は西進して太平洋を渡り、日本の島嶼文明へ、ついには韓半島文明として結集するためにアジアに連結されているのです。ここで結束した文化は高次元的な文化として新世界を創造するでしょう。

島国の日本は、アジアで初めて西洋文明を定着させました。次は半島文明時代です。韓半島は、東洋と西洋の文明が一致する場所です。歴史学者シュペングラーが指摘していますが、文明は、一年に春夏秋冬があるのと同じように、興亡を繰り返してきました。今は、大西洋文明時代が過ぎ去り、太平洋文明の時代が訪れるときです。

韓国の地政学的現状を見ても、アメリカ、日本、中国、ソ連という四大強国の中央に位置しています。アメリカはソ連に対抗するために多大な努力を傾注しています。そのソ連が、ヨーロッパではドイツを東西に分割して半分を占拠し、またアジアにおいては韓半島を南北に分けてその半分を支配圏に置いています。

ところが、その四ヵ国の勢力が対立しているのは、ヨーロッパではなく、韓半島を中心としたアジアです。ですから、アメリカは、より大きな大陸であるアジアに関心をもたざるを得ない立場にあります。このような情勢から見ても、韓国はすべての面で東西南北間の宿命的対決を解決すべき、そのような基本的役割を果たす国であると思います。

ここで現実的な可能性を見ることにしましょう。韓国人は正義感が強く宗教的で、極めて有能であり、多方面に能力を発揮します。一つのことで行き詰まれば、直ちに大胆かつ勇敢に他の所へと方向転換できる適応能力があります。これは韓国人の優れた特徽であると十分に見ることができるでしょう。

私はこのような韓国民族の中で生まれ、統一教会はこのような背景で発展してきました。私たちはこのような歴史的結実として、黄色人種を中心として上下階層の人々を融合、一体化させる世界的な使命を果たすべきであると思っています。統一教会はこのような目的を果たして余りある宗教的な内容を具備しています。この目的のために、私は世界の至る所で、あらゆる部門において最善を尽くす決意をもっています。

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6.絶対価値と人類平和のための模索 日付:一九八〇年十一月二十七日

場所:アメリカ、マイアミ、フォンテンブロー・ヒルトン•ホテル

行事:第九回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、著名な科学者、学者各位、ならびに紳士淑女の皆様。第九回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださった皆様を、心より歓迎する次第です。本大会はこれまで、科学と絶対価値に関して真摯な討議と研究を重ね、大きな成果を上げてきました。また、それだけではなく、私はこの会議が人類の切実な願いである平和の模索にも、多大に寄与したと考えております。

今回の会議のテーマは「絶対価値と人類平和のための模索」です。このテーマに関して、「いかにすれば世界平和は達成されるのか」ということに対する私の見解を表明したいと思います。

人類平和を渇望する今日の世界 皆様も既に御存じのように、今日の世界は、ますます混沌とした状態に陥りつつあり、これに比例して、人類は日増しに平和をより一層渇望しています。それならば、平和はどのようにして達成されるのでしょうか。

今日の世界は、秩序が破壊された状態にあります。したがって、平和を成し遂げるということは、破壊された秩序の回復を意味します。秩序を回復するためには、主体と対象が自らの位置を知らなければならず、相互に統一された関係を確立しなければなりません。

平和は、世界的段階に限って求められるものではなく、国家や社会、または家庭の段階においても願われています。さらには、個人においても心と体の平和を渇望しています。このような平和に対する様々な段階のうちで、最初に成し遂げられなければならないものはどれでしょうか。先に世界平和が成し遂げられるならば、その基盤の上に国家、社会、家庭、そして最終的には個人の平和も成し遂げられるだろうと考えがちです。しかし、これは誤った見解です。

それは、実際に平和を成し遂げるために必要な順序とは反対です。ですから、先に個人的な平和が実現されなければなりません。その次に、家庭の平和が成し遂げられ、そのような基盤の上に、社会と国家、そして世界といった、それぞれの平和を期待することができるのです。これは個人が家庭の基本単位であり、家庭は社会と国家の基本単位だからです。

多くの指導者たちは、優れた組織と立派な思想を通して、社会秩序と世界平和を回復することができると信じています。しかし、現実において、ただ単にこのような二つの手段だけでは、人類平和は絶対に実現されません。

国連のような国際機構と共産主義や民主主義などのような思想体系は、それぞれ独自の方法で世界平和を実現するために努力してきました。しかし、平和はまだはるか遠く、世界は時間がたつにつれ、ますます混乱状態に陥っていくのです。

絶対愛で一つになってこそ真の平和が実現 平和に対する追求が個人の平和から出発しなければ、それは再び失敗せざるを得ません。それでは、個人の平和はいかにして成し遂げられるのでしょうか。

それは、個人が絶対愛を所有し、それを実践することによって成し遂げられるのです。なぜなら、愛はすべての統一の前提条件だからです。統一は愛の基盤の上で成し遂げられ、平和は統一の基台の上でのみ達成されるのです。

愛には、相対的な愛と絶対的な愛があります。相対的な愛というのは、時と場所によって変わりますが、絶対的な愛は、変わることのない永遠の愛です。相対的な愛は、自己中心的なので、利害関係によって変わりますが、絶対的な愛は常に人のために生き、全体に奉仕する不変の愛です。このような愛こそが、正に神様の愛に違いありません。

相対的な愛によっては、統一は決して成し遂げられません。ただ絶対愛によってのみ、統一は可能なのです。個人は、絶対愛によって心と体が一つになるとき、そこで平穏、喜悦、満足、生き甲斐などを体恤するようになります。そのような個人においてのみ、平和の基準が確立されるのです。

一つの家庭において、父母と子女、夫と妻、兄弟姉妹などが各自の位置で絶対愛を実践するとき、その家庭の統一は成し遂げられるのです。そのようになるとき、その家庭には幸福と調和、そして何よりもまず平和が満ちあふれるでしょう。

したがって、このような平和の家庭が集まって形成される社会もまた、平和の社会になるのです。家庭と家庭が互いに調和して助け合うようになれば、その社会は明るく平和な社会になることは疑う余地がありません。なぜなら、秩序が確立され、統一が成し遂げられるからです。同様に、このような平和の社会が集まって統一された国家は、間違いなく平和の国家となるのです。

神様の愛が基盤となった世界平和 国家というものは、様々な社会の単なる集合によってのみ形成されてはいけません。国家は、愛の個人と愛の家庭を基盤として成立した有機的な構成体でなければなりません。そこで完全な秩序と統一が成し遂げられなければならず、それでこそ国家において真の平和が実現されるようになるのです。

言い換えれば、国家が平和を実現し、維持するためには、神様の愛を必ず必要とするという意味です。いくら国家の基礎になる家庭が絶対愛の中にあったとしても、有機体としての国家は、国家的な水準で絶対愛を実践することができなければなりません。そして、内的には、政府と国民が統一体を形成しなければならず、外的には、隣国と絶対愛で一つになることによって国家間に真の平和が立てられるようになるのです。

言うまでもなく、世界平和は、すべての国の平和が成し遂げられるとき、初めてそれを基盤として成就することができるのです。各国が、貿易や交流の面で自国の利益を優先する国家的利己主義を清算し、絶対愛で他国と世界に奉仕する国家となるとき、そして各国がそのような国際的な風土を恒久的にもち続けるとき、人類の永遠の平和が保障されるのです。

世界平和は美、真、善の絶対価値の実践から 以上のことから、世界の平和は、個人の平和に始まり、家庭の平和を経て、社会、国家の平和へと拡大した結果、樹立されるということが、はっきりと分かります。このような観点から、私は絶対愛と絶対価値についてお話ししようと思います。美、真、善などの価値は、愛を土台として形成されます。例えば、愛の実践は善として評価されます。すなわち愛が実践されるとき、善として現れるようになっています。したがって神様の愛である絶対愛を実践するとき、そこに絶対善が現れるようになるのは自明なことです。

そして、平和のために絶対愛を実践する個人の行為は善です。同様に、平和のために愛を実践する家庭の行為もやはり善となります。社会や国家、世界においても同じです。言い換えれば、個人、家庭、社会、国家を問わず、真の平和を樹立するためには、絶対価値、すなわち絶対美、絶対真、絶対善を実現しなければならないのです。特に絶対的な善の実践が切実に求められます。そのようになれば、秩序を乱し、破壊する、いかなる悪の要素も介入することができないからです。ところが、美、真、善などの精神的価値は愛を土台として成立するので、絶対愛、すなわち神様の愛を知らなければ、絶対的な美、真、善は実現されません。

このような絶対価値が実現されない所に、真の平和は存在することができません。したがって、人類の真の平和のためには絶対愛が実践されなければなりません。ところが、絶対愛が実践されるためには、まず絶対愛に対する理解がなければならないのです。

私は先ほど、絶対愛は利他的で、全体に奉仕する愛であり、永遠不変であると言いました。それでは、なぜ絶対愛は利他的であり、不変なのか、また、なぜ平和は、ただ愛を通してのみ成し遂げられるのか、という疑問が解決されなければなりません。

真の平和のためには絶対者を正しく理解しなければならない このような疑問を完全に解くためには、絶対者がどのような方であり、その方が宇宙と人間を創造した動機と目的が何かということが明らかにされなければなりません。創造の動機と目的は、愛の実践、平和の樹立において不可欠な標準となるからです。概して、いかなる計画も、それが実践されるためには必ず一定の目的が先に立てられます。目的を立てない行為は無意味なものです。

人間が絶対者によって創造され、絶対者の愛を実践するようにつくられたとすれば、人間の創造に動機と目的があったことは明らかです。その動機と目的を明らかにするためには、絶対者がどのような方かという問題、すなわち正しい神観がまず立てられなければなりません。

このように正しい神観が立てられることによって、絶対者の創造の動機と目的が明らかにされるのであり、それによって平和のために絶対愛を実践しなければならないその理由も明白になるのです。そのように見るとき、人類の真の平和のためには、絶対者を正しく理解することによって、その方の愛を実践できるようになり、最終的にはその方の絶対価値を実現できるようにならなければならないという結論に至るのです。これが、私が皆様にお話ししようとする結論です。

最後に、皆様がぜひ、今回の会議を通して輝かしい業績を上げられ、人類平和の探求に大きく寄与されることを衷心より願いながら、私の話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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5.科学の限界と神様 日付:一九七九年十一月二十三日

場所:アメリカ、ロサンゼルス、センチュリープラザ•ホテル

行事:第八回「科学の統一に関する国際会議」

親愛なる議長、ならびに参席者の皆様。この度、第八回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださったことを感謝申し上げます。皆様が参加してくださることで、この会議の重要性が年々高まりつつあることを、本会議の創始者として光栄に思います。

今回のテーマである「絶対価値の追求における学術的責任」に関連した「科学の限界と神様」について、いくつかの意見を述べたいと思います。近来の科学の発達に伴い、人類は大きな期待をもち、科学技術の進歩を通して、霊的、物質的困難から抜け出せるものと信じてきました。

人類に貢献することを本来の使命として自覚してきた科学者たちは、究極的な科学的真理を追求すると同時に、科学技術が人間の生活におけるすべての面で応用できるように努力してきました。その結果として私たちが得たものは、目覚ましい経済的発展、物質的豊かさ、そしてそれ以前には見いだすことのできなかった肉体的平安でした。

しかし、このような功績にもかかわらず、今日の科学技術は大きな欠点をもっており、公害、資源の枯渇、非人間化、核兵器の蓄積といった問題をもたらしています。すなわち、人類の幸福を目的として始まった科学は、その成功とともに恐怖と不安感までももたらすようになったのです。その理由は何でしょうか。それは、科学的中立性を固守するあまり、目的や価値に関して考慮しなかったからです。

私がここでお話ししようと思うのは、人間は、その起源から価値をもっているということです。人間は神様の創造物です。そして、人間は創造目的に一致した明確な価値観をもって生きるように創造されました。本来、非常に大きな価値を所有してきた創造物であるにもかかわらず、人間はその価値観を無視して科学の万能性を信じ、それを万能薬としています。その結果、科学技術は次第に損害を増大させる原因となっているのです。

科学は、人間生活において単なる手段であって、目的にはなり得ません。人生の目的は、神様の創造目的を実現するところにあります。人間は霊と肉の結合体です。したがって人間は肉的な生命を土台として、価値ある人生、すなわち愛と真、善、美の生活をするようになっています。便宜的に言えば、科学技術は、霊的生活に適合した肉的生活に必要なものです。

ですから、価値ある生活を強調しなかったり、無視したりする科学は、かえって価値観の破壊をもたらし、今日のような恐怖と不安の現実を招くのです。真の価値観を追求し、発見することによってのみ、この不安な現実の中から人間を救うことができるのです。したがって科学は、絶対価値に基づくこの価値観に一致しなければなりません。

それでは、この絶対価値はどこで発見することができるのでしょうか。私の考えでは、絶対価値は神様の愛の中でのみ見いだすことができ、神様の愛による真理と善と美こそが、正しく絶対価値なのです。結論的に、科学技術の悪用による被害から人間を解放するためには、科学自体が神様を認識し、神様の愛と同じ方向に沿ってその技術を応用しなければなりません。

次に、自然界の真理を追求するためには、科学だけでは限界があるということについてお話ししたいと思います。二十世紀に入り、科学はついに哲学の領域に入って真理を追求するようになりました。東洋と西洋の古代哲学がそうだったように、科学は宇宙の起源に関する問題を扱わずにはいられなくなったのです。

特に物理学と生物学は、これまで長い間議論されてきたにもかかわらず、いまだに解決点を見いだすことができずにいる本体論の問題に直面しています。実際に量子物理学や分子生物学における一部の実験は、このような本体論的問題を探求するために行われました。

すなわち、物理学は科学的な実験を通して、物質の本質が何であるかという疑問をもって、本体論を研究してきました。最初の回答は原子であり、二番目の回答は素粒子でした。結局、量子力学の回答は、物質の素粒子をエネルギー自体に結びつけるものでした。同様に、生物学では生命の本質とは何かという本体論的問題を扱った結果、生命の秘密はDNAの特性にあるという回答を得ました。

このようにして、宇宙の真理を追求する中で自然科学は多くの事実を発見し、驚くべき知識の数々を集めています。しかし、これらも人間が提起する問題を究極的に解決するにはほど遠いと思います。

量子物理学は、物質の土台がエネルギーであることを確信していますが、私たちはいまだにエネルギーの根源を知り得ず、それ以前の存在段階が何かも分からずにいます。また、エネルギーがなぜ、どのようにして、それ以前の段階から存在の段階へと移行するのかも分かっていません。なぜ多様な分子が存在するようになったのか、なぜ分子は陽イオンと陰イオンという独特な形態をもっているのか、などという問題は、いまだに明白になっていません。

分子生物学は、生命の本質がDNA情報に含まれていると主張していますが、そこにも重大な問題が残っています。すなわち、DNA情報を構成する四つの構成単位は、どのようにして、その情報を得るようになったのか、などの問題です。

科学が真理を追究する中で、驚くべき発展を遂げたにもかかわらず、このように、いまだに科学自体に多くの問題が解かれずに残っているという事実は、何を意味しているのでしょうか。これらの残された科学的問題は、今日、自然科学の領域の外にあるものと考えるしかありません。

今日までの科学は、真理を追究するに当たって、特定の現象に対する直接的原因を研究してきましたが、存在の全体的動機や理由に対する探求を扱ったことはありません。したがって、科学が直面した最後の挑戦は、存在の究極的理由に対する問題です。物質の本質とは何かという問題において、いまだに探求されていないのが「存在の理由」です。生命の本質とは何かという問題において、生命の存在理由それ自体が探求されていません。

私が提起しようとする内容をさらに明確にすれば、まず目的性を認めなくてはならず、その目的性を認める前にその目的をつくり出した意志、すなわち万物を超越する宇宙的意志を認識しなければならないということです。この宇宙的意志を「神様」と呼ぶとき、未解決の問題を明確にする第一段階は、神様の創造目的を悟ることであり、第二段階は、物質と生命の現象において、物理学的、化学的要素とともに、各自を一定の目的へと向かわせる原因的動機の存在を感知することです。

以上の内容を整理すると、人間の幸福のために発展してきた科学は、今日、人間の生活に障害と被害までもたらしました。このような被害から抜け出す唯一の方法は、神様の愛を中心とする真の価値観のもとで科学を発展させるところにあるのです。より多くの科学者たちが、科学が限界に達したことを認めるようになれば、その限界を超越する鍵が、すべての物質および生命的現象の背後で、神様の創造目的に従って動く動機にあるということを、彼らは発見するようになるでしょう。

以上、私が申し上げた点が、今日、科学が直面している最も重要で切実な問題であると確信する次第です。著名な学者の皆様が今回のテーマに関して討議なさる際に、このような内容が参考になれば幸いです。

最後に、絶対真理に関する皆様の研究と真理の追究が成功することを願います。この会議の発表に現れる皆様の努力の結実が、世界平和に貢献することを確信する次第です。ありがとうございました。

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病気と宇宙力の保護 この広大無辺な大宇宙は、主体と対象の共同目的体なので、それ自体を保護する宇宙力をもっており、同時に主体と対象が完全に一つとなった存在を保護し、育成します。その一方で、主体と対象が一つになれない存在や、一つになったものを侵害する存在があるときには、これを排斥する作用をするのです。

ですから、存在の永続性が可能なのです。このように助ける力を相応作用といい、反対の力を相克作用と言うことができます。あるいは作用、反作用とも言うことができます。

これは物質世界においても人間世界においても同じです。私たちの心と体が一つになっているときは、これを助ける宇宙力の保護を受けているので喜びを感じるようになりますが、心と体が一つにならないときは苦痛を感じて反発するようになります。

病気によって受ける苦痛も同じです。体内で主体的な要素と相対的な要素が調和統一されない場合、宇宙的な保護力を喪失する一方、その反作用によって苦痛を感じるのですが、それが大きな病苦となるのです。このとき、早く主体と対象が調和統一する道を開いてあげるためのものが、医者の診断による投薬です。これは個人でも家庭でも同じです。

結婚前は、男性は男性同士、女性は女性同士で一緒にいることを好んでいたとしても、結婚後には、夫婦となった二人の間に誰かが介入してくることを喜ばないのも同じ道理です。結婚後の家庭は、主体と対象が完全一体化して、宇宙的保護力に力を与えられて、幸福と満足を感じるようになるのですが、そこに第二の女性や第二の男性が介入してくると夫婦が一つになる力が破壊される恐れがあるので、反発作用を起こすようになるのです。

その反発作用というのは、必ずしも悪いというわけではなく、このような刺激によってその人もその夫婦のように、早く出ていって主体あるいは対象を迎え、一体を成し遂げることによって、宇宙力の保護を受けて永続するように促進する、そのような力になるのです。すなわち、完成を促進させる力になるのです。

すべての存在物は第一原因に似て繁殖する 電気作用も、主体であるプラスと対象であるマイナスが一つになれば、円満に作用しますが、プラスとプラス、マイナスとマイナスの間では反発するようになっています。いかなる存在であれ、このように主体と対象を探し求めて関係を形成すれば、同じ法則によって安定と喜びを感じるようになるのです。

以上のような論理により、ある主体と対象が授受作用によって一つになれば、宇宙的な保護圏に入っていくようになるのです。私たちが見る宇宙の中のいかなる作用も、第一原因的存在に由来する結果的作用なので、その中心となる原因的作用体としての存在があるということは当然の理論です。子女が父母に似るように、結果は原因に似るので、万物を見てその原因的存在を究明することができるのです。

すべての植物の種を見れば、その内部は相対的に二片になっていますが、それが完全一体となったまま一つの皮の中で胚子を通じて授受作用をすることによってのみ、生命を繁殖するのです。卵を見ても、黄身と白身の間に胚子があるのですが、一つの殻で包まれて一体になっているのです。人間の胎児も同じです。

すべての生物は、主体と対象が授受作用によって一体化すれば、人間なら人間、植物なら植物は、その原因に似て繁殖し、結局根本に還元するのです。これらすべてが究極の第一原因に似ているとすれば、その第一原因的存在も主体と対象が完全に一体化した基本形態をもっており、すべての存在に対して主体格の立場にあるという結論になります。

宇宙万物の段階的生成の目的 それでは、宇宙万物のこのような段階的生成の目的は何でしょうか。人間という存在のために形成され始めたと見るのです。すなわち人間は、すべての存在世界の実であり、縮小体であると同時に、モデルと言えるので、鉱物と植物、動物のあらゆる要素をすべて合わせもっている最も高次元の存在なのです。しかし、人間もあくまでも結果的存在なので、ある第一原因的存在があり、それに似て生じたという結論が成立するのです。

すなわち、人間を対象とする絶対主体的存在が必ずあるのですが、私たち人間が人格的存在であるならば、その主体も明らかに人格的存在に違いないのです。その第一原因的絶対者のことを、哲学では原存在と言い、宗教では神様と呼ぶのです。

今日、進化論や唯物弁証法、認識論、唯心論、唯物論などにより、世界の思想界は矛盾と混乱に陥っているので、これを再検討し、絶対真理を樹立してこそ絶対的価値の世界の形成が可能です。絶対価値的な存在は永遠、不変、唯一の存在です。それでは、宇宙の中で、永遠、不変、絶対の原理とは何でしょうか。それは原因と結果、主体と対象の関係であるという結論になります。

これを人間社会に適用すれば、親子関係と夫婦関係がその核心になるのですが、一つは縦的な主体と対象の関係であり、一つは横的な主体と対象の関係です。両者は次元の高い主体と対象の関係にありながら、縦的に合わさったものが新しい主体となり、横的に合わさったものが新しい対象となり、円満な授受作用を通して、渾然一体となって立体化し、調和した球形運動をするのです。

それが愛を中心とした力の作用であり、人間社会の基本単位である理想的家庭のモデルです。そのような意味で、愛を最も価値的なものと認めざるを得ません。

絶対価値の永遠の幸福が約束される世界 愛の究極的な根源は、私たち人間から始まったのではなく、絶対不変の原因的主体から始まったので、それを中心とした愛の家庭が、人間社会の理想を具現する基本単位となるのです。ここで初めて絶対価値の理想実現のための愛の家庭から、国家、世界へと拡大し、愛を完成した統一圏の世界、それこそ絶対価値の永遠の幸福が約束される理想世界が必ず訪れるのです。

私は今回の大会が、今日直面する人類社会の諸般の問題を解決して、今後の進路を正し、「絶対価値の探求」という共同目標を達成するために、学問が調和、協力することによって、人類の平和と幸福と愛を成し遂げた理想世界を建設することに大いに貢献することを願いながら、お話しいたしました。ありがとうございました。

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4.科学の調和と絶対価値の探求 日付:一九七六年十一月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ホテル

行事:第五回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、著名な科学者、そして教授、学者の皆様。きょう、このように第五回「科学の統一に関する国際会議」に参加された皆様を心より歓迎する次第です。特別にこの会議に引き続き参加してくださった皆様。誠にうれしく思います。

皆様は、多年にわたって絶対的な価値の問題を討議してこられましたが、今年も「絶対価値の探求」というテーマのもとに、きょう再びここにお集まりになりました。

人間と宇宙万象の存在の始原 絶対的な価値を究明しようとすれば、人間と宇宙万象の存在の始源を明らかにしなければなりません。宇宙の始まりが「有」からか、「無」からかということが問題になりますが、皆様も御存じのように、自然科学も、社会科学も、哲学や宗教も、無の世界から真理を探求するのではなく、有の世界からある原因的存在を探し出し、そこから始まって生成された人間を含む森羅万象の存在と運行の原理を見つけだそうというものです。結局、存在の内容を明らかにし、存在物の間を関係づけることによって、すべての存在の理由と価値を探し立てようということなのです。

物質形成に必要な最小単位を元素とすれば、それは有として規定されています。その元素形成の基本が無であるはずはなく、絶対に有から始まったという論理が成立するのです。現代科学は、物質の最小単位である原子までも、その根本となるある力によって存在すると見ていますが、その力もやはり有から生じたという結論に達するのです。

極小から拡大した大宇宙であり、原因から出発した結果だという観点から考えるとき、私たち人間も原因的な存在ではなく、あくまでも結果的な存在なので、その原因的な存在が必ずあるということが分かります。

無から有が発生したという一部の学者たちの非論理性を是正し、起源となる絶対有から小有、大有に生成、発展したという論理体系を立てるということは、すなわち、この上なく科学的な存在がまず存在し、それが万有の原因となり、その結果である小有から大有までを連結して有機的に作用するようになるということなのです。

このような点から見て、従来の進化論は再検討されなければなりません。進化しようとすれば、作用しなければならず、作用しようとすれば、力によってのみ可能なのですが、それならば、作用しながら、より大きい力を生み出すことができるのでしょうか。作用では力を消耗するだけであって、より大きい存在をつくり出す力が生じるということは絶対的に不可能なことです。力は作用すれば消耗するのが原則なのですが、それが退化するのではなく、逆に進化することが可能なのか、そしてより価値ある、高次元的なものへと発展する方向性をもてるのか、ということが問題です。

相応作用と相克作用による宇宙の発展 一見進化のように見えますが、宇宙万物の段階的生成過程において、ド•フリースの言う突然変異とい説明は決して成立しません。より価値のある発展的なものになろうとすれば、そこに第三の力が加えられずしては不可能なことです。今日、すべての動物が進化せず、人間で進化が停止したとすれば、結果的な存在である人間を生み出した第一原因的な存在の究極的目的が、明らかに人間だったということは否定できません。ここで私たちは、まず「第一原因的存在が先にあった」という論理を確立できるのです。

次は、この宇宙の中で、存在が先か、力が先かが問題になります。いかなる存在も、何らかの力なしでは、生存し、作用することができません。各存在の個体内で作用する力と存在と存在の間の作用を可能にする力があります。それでは、このような力はいかにして生じるかということが問題です。力が生じるためには、それに先立って、何らかの主体と対象がなければ絶対に生じることができません。

すなわち、主体と対象の関係が先有条件となって、力が生じるのです。例えば原子にも、主体である陽子と対象である電子があって、初めて作用するのです。力の作用は、主体と対象が一つになるための目的から始まるものなので、力が先か、主体と対象が先かと問う場合は、間違いなく主体と対象が先であって、力の作用は、主体と対象が一つになるための過程的現象なのです。

そして、この主体と対象との関係の差と軽重によって、力の作用がそれぞれ異なるので、様々な力が作用するたびに、その方向性と目的性が変わるようになっており、それによって多種多様な存在世界が形成されるのです。このように、いかなる主体と対象の間の力の作用にも、方向性と目的性を帯びて作用するようになっているのは、第一原因的存在の中で基本的な主体と対象が先に存在し、方向性と目的性を帯びて作用しているからなのです。

個体内で主体と対象が完全に一つとなった存在は、他の存在と関係を結ぶために、主体的立場、あるいは対象的立場を取り、それと一つになることによって、より大きな方向性と目的性を帯びた存在へと発展するのです。主体的存在と対象的存在が作用するところでは、常にある共同利益のためにやりとりしながらより大きな存在に発展するのです。

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3.科学と絶対価値 日付:一九七四年十一月二十二日

場所:イギリス、ロンドン、ロイヤル•ランカスター・ホテル

行事:第三回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、高名な科学者、著名な教授、ならびに学者の皆様。「国際文化財団」により発起された第三回「科学の統一に関する国際会議」に御参加された皆様を、心より歓迎する次第です。

過去二回の大会が、第一回は一九七二年十一月にアメリカのニューヨークで、第二回は一九七三年十一月に日本の東京で開催されたことは、皆様も御存じのことと思います。本大会の期間、自由で率直な意見交換が行われる雰囲気がつくられ、持続することを願い、そのような雰囲気づくりのために私は最善を尽くしてきました。また大会による豊富な成果に大いに満足し、その成果のために物心両面から協力してくださった関係者の方々に感謝の意を表す次第です。

科学の発達と人類の当面の課題 今日においては、ますます深刻な問題が発生し続けており、それらが人類の当面の課題として登場しています。このような挑戦的な問題に対する解決には、偏向的、あるいは局部的なアプローチよりも、全世界的なアプローチが求められます。ですから、本大会にお集まりになった多くの著名な学者の方々の英知と知識が実に求められ、渇望されているのです。

私も一科学者として、多大な関心をもって科学と技術の発達を注目しています。科学や技術、そしていわゆる科学的方法と呼ばれるものが、人類の生活に多大な影響を及ぼしてきたことを私は知っています。科学は、現象界を観察し、研究することで、肉体の感覚によって感知できる枠を越えて、現象界を拡大、拡張させてきました。

顕微鏡によってのみ見えるバクテリアの存在を私たちは知っています。人間の心など及びもつかないほど、天文学的なスピードで計算するコンピューターに導かれ、月の世界へ旅行した人もいる反面、それを日常的に可能なものにしようと語っている人もいます。

肉眼で見れば地球は平らに見えます。しかし、科学は私たちをして地球が丸いことを認めさせたのです。ダイヤモンドは固い固体のようですが、実際それは真空の空間を回転している散乱状態の原子群であることが分かるとき、驚かざるを得ません。より抽象的な次元になると、ある実体から拡大された実体への変化は、古典力学から量子力学への変化と決定論的方式から蓋然(がいぜん)的方式への変化とによって描写されるのですが、その二種類ともが、常識的に生きている人々を当惑させるのです。

科学の発達は私たちに途方もなく多くの知識を提供してはくれますが、私たちはいまだにその知識を自分のものとして受容できない無能さと、情報を体得し、その知識がより深く暗示するところを十分に理解できない苦痛を味わっているのです。この無能力は、不安と混乱と半信半疑の状態へと引っ張っていくのですが、それは確固たる思考の基盤と基準を喪失してしまったところに起因するものです。結局、私たちは、自分自身と科学の発達によって突然膨張した現実との間において、不均衡な状態に置かれていることを感じているのです。

超国家的世界観と協力の必要性 人間の限定された思考機能の不調和と不均衡に対する解答を、私たちが精神界で探し出す可能性を考えるとき、禅や瞑想、そしてその実践が東洋で長いこと行われ、また大切にされてきたことが、最近、西洋でも科学的研究の論争対象になっていることは決して偶然ではないと言えます。霊感に関する研究は、学問世界で学者の相当な関心を引いてきました。特に、いるかが人間と明らかにコミュニケーションがとれるという発見は、注目に値します。同じ分野で、植物が人間の愛と感情の状態によって反応することが実験で立証されてきました。このような発見は、動物や植物の世界が意識や理性的な面で欠けているという現在の私たちのもつ見解が、限定されたものかもしれないということを示唆するものです。

人間と別の被造物との間に調和の取れた共存の実現が可能であり、すべての存在の中心である人間が、本質的な調和と一致の中で全被造世界を回転させる回転軸として役立っていることを私たちはまた想像することもできます。他に注目に値する事項としては、教育者と医者の役割です。それらは途方もなく多くの量の情報を正確かつ速かに処理するコンピューターの能力によって、徹底して影響を受けると言っても過言ではないでしょう。素粒子と宇宙論に関する未来の研究が、空間と時間に対する私たちの観念を変化させるかもしれないと幾人かの科学者たちは示唆しています。

ローマクラブによって示されたある研究は、近い将来に公害、人口増加、天然資源の枯渇、そして急速な工業化によって悲惨な結果がもたらされることを告げています。最近繰り返される核実験のために、オゾンが減少していることが発見されています。皆様も御存じのように、大気圏におけるオゾンの存在は、地球上の生物の生存にとって絶対必要不可欠なものです。なぜなら、オゾン層がなくなる場合には、蛋白質の分子が破壊されるからです。このような諸問題に対する解決策は、科学者たちだけの努力や、ある特定の人やグループまたは国家の努力だけで見いだされるものではありません。先ほど言及したローマクラブの研究は、世界の資源と環境の限界を明確に指摘し、このような世界的な問題に対する妥当で完璧な解決のためには、全世界的なアプローチと協力という努力が絶対に必要であることを明白に提起しました。

このような問題は、世界のすべての民族間に献身的態度と協力を必要とし、いかなる社会や国家の利益をも超越した世界観を必要とするものです。そのような協力精神は、全人類が同じ家族の構成員であると自覚する時にのみ、成し遂げられるでしょう。そのようなイデオロギーに対する人間の革命的な変化は、長い間必要とされてきたのであり、またそれは人間の生存のために必要不可欠なことです。そして、世界のすべての国の教育制度において、競争に勝利した人だけが獲得できるという競争の長所と適者生存の論理が過度に強調されてきました。これは平和な共存の世界へと導くための健全な人間の努力を侵食する伝染病のようなものです。いずれにせよ、現在の有識者の間では、そのような競争の強調が変わりつつあり、生存のために協力が不可欠な要素であることを悟り始めているのです。このような見解に照らしてみるとき、教育の目的とその哲学は、深層から変革が起きなければならないのです。

過去に人間生活を豊かにすることに対する科学と技術の貢献を、私たちは深い反省もなしに受け入れました。今や私たちは疑問を抱き始めています。いくつかの不安に満ちた疑問が心に生じているのです。私たちはより幸せになっているのか。私たちは道徳的により健全になっているのか。他の人を愛し、関心をもち、思いやりをもつようになりつつあるのか。

このような問題に対する解答は、統計的な結果分析によって単純に発見されるものではありません。なぜなら人間は、別々に測定することのできない、数多くの様相として現れるからです。実例として愛、理想、創造の喜び、神様に対する信仰を、皆様各自が考えてみてください。このような人間らしい人生の姿を保存し、啓発する問題は、私たちの探求すべき最大の課題として残されているのです。

科学を正しく利用する問題 このような課題を考えれば、科学的探求の発見によって考案された莫大な量の情報を判断し、正しく利用するという問題は、深刻かつ真剣なことです。科学の価値を過度に強調する風潮を再検討しなければならないかもしれません。科学的真理というのは限定的なものです。すなわち、一時代の科学的真理が、次の時代には認められないこともあり得るのです。限られた事実に基づいて設定されたモデルの設定過程で、理想化、単純化、近似化の過程を繰り返します。結局、真理に近いものを知ることができたとしても、絶対的真理は知ることができないのです。科学は高度に成長し、それが人間を支配する様相を示しています。

科学は事実の決定に際しては、厳格に徹頭徹尾、精密で細密でなければなりません。しかし、科学情報や業績を活用する段階に際しては、人間の創造力の一領域として、その位置を忘れてはいけません。科学は、美術や音楽作品のように、使われ、調整され、評価されるように、人間の領域内にとどまらなければならないでしょう。

人類歴史を振り返ってみるとき、いかなる時代でも、新しい未開拓の分野、文化の発展である程度の頂点、そして医学や他の科学の全盛期など、多くのものの発展が歴史上にありました。それでも過去における科学と技術の発達は、自然の征服と開発を主な目標としてきました。

今日、正にその科学は、私たちに、新しい倫理的基準の確立を要請しています。その新しい倫理は、自然を愛し、人間の価値を再検討する問題、そして人間相互間における協力の必要性と関連していなければなりません。地球上のすべての生物が調和して共存する理想世界を建設できる新しい価値観と新しい倫理、道徳的基準を確立できるよう努めなければなりません。

科学と技術の発達は、私たちが人間として存続し、私たちの生活の中で人間愛を大切に守っていくことが必須不可欠であることを真剣に反省するよう促す論争点を提示してきました。科学技術界が、人類の福祉のために動員され、人間活動の協力精神が科学技術を扱う人間にとって有効なときにのみ、これらすべてのものが可能であると私は確信します。

私は、皆様からそれに対する解答が出てくることを心より渇望し、期待しています。皆様の見解と知恵に従い、各自の研究結果を収集することによって、これは間違いなく実現されるでしょう。現在の世界をより高い次元と絶対価値の世界へと連結させて導いていく架け橋の役割を遂行してくださることを、私は心から強く求めてやまない次第です。御清聴いただき、誠にありがとうございました。

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2.現代科学と人間の道徳的価値観 日付:一九七三年十一月二十一日

場所:日本、東京、帝国ホテル

行事:第二回「科学の統一に関する国際会議」

私はきょう、世界最高の知性である科学者の皆様が大勢集まる中、この第二回「科学の統一に関する国際会議」が日本の東京で開催されたことを心よりお祝い申し上げ、併せて、本会議の締めくくりに当たり、しばらくお話しできる機会を頂き、限りなく光栄に存じます。

これまで本会議の開催のために、様々に御苦労された日本の準備委員会の教授の方々の労苦に対し、まずは称賛の言葉を捧げたいと思います。特に「現代科学と道徳的価値」の問題を今回の会議のテーマとして採択した準備委員会の決定と、それに呼応して世界各地から来られ、このテーマに関して発表し、討議された多くの学者の方々の積極的な熱意に対し、深甚なる謝意と敬意を表す次第です。

人類共同の福祉と科学の進路 皆様のこの画期的な集会を慶祝する意味で、しばしこのテーマと関連して、私が考える所感の一端を披瀝しようと思います。本会議において科学と道徳的価値の問題が扱われるようになったのは、今日の科学的現実がこの問題を緊急に扱わざるを得ない状況下に置かれているからだと思います。この問題について、今回の会議では十分に討議がなされたことと思います。

今まで目覚ましい発展を持続しながら、人類の福祉増進に大きく寄与した現代科学が、今日においては若干の副作用を呈していると見るのは、単に私だけの考えではないでしょう。今日の人間は、科学に対してその主体性を失いつつあり、自ら発展させた科学技術を統制する能力が次第に弱まりつつあるように、私には思えます。

今後このような状況が続くならば、近い将来に惨儋たる事態が現れるだろうと言い切ったとしても、それは過言ではありません。このように主体性が次第に失われていく理由について、私は次のように考えます。

すなわち、科学は価値観の問題を軽視せざるを得なかったと、そのように理解しています。月日の経過に伴い、科学が次第に分派的に流れ、ついには道徳や価値の問題を全面的に無視する傾向が現れ、科学に対する人間の主体性と主管性が弱化、または喪失し始めたのではないかと思われます。

人間が科学を発達させた動機には、様々なものがあると思いますが、究極的にはあくまでも、人間共同の福利、すなわち人類共同の平和と繁栄を実現することにあると見て間違いないでしょう。しかし、科学の領域が細分化され、その方法がより一層分析主義へと流れたために、人類共同の福利という価値の方向とは少し異なる方向に発展してきたのです。

人間が科学に期待したことは、「人類共同の福利」だったのであり、主体である人間の幸福でした。これに対して、科学が成し遂げた成果というのは、対象としての物質的環境の改善、また生活手段の開発だったのではないでしょうか。人間が望んだのは、主体の福祉でしたが、科学が成し遂げたのは、対象の改善だったのです。

したがって、私は、人間の要望と科学の成果との不一致から、人間の主体性の喪失がもたらされたのではないかと思います。科学では、生活環境と手段の改善、開発のような対象の問題解決に力を注ぎながらも、それと同時に、主体性の問題も共に扱うことが望ましいことであると言うことができます。物質的で分析的な方法とともに、精神的で統一的な方法を併用し、さらには、人間の尊厳性を肯定しながら、一定の道徳的価値観の土台の上で科学が扱われなければなりません。人間の尊厳性が尊重される科学的風土が造成されるとき、公害のような不安な問題は、未然に防止できるのです。ここに人間の本然の姿、すなわち人間の本性が問題になるのではないかと思います。

人間本然の姿と価値基準の設定 私は人間の姿を、心身の調和が取れた統一体と見ています。価値または善の目的を中心として、精神と肉身が調和の取れた統一を成し遂げている統一的存在が本然の人間なのです。

ですから、科学の本来の姿というのは、このような人間の二重性に似て、精神的側面と物質的側面の両面を統一的にもち合わせたものではないでしょうか。ここで精神的側面とは、道徳的価値の領域のことであり、物質的側面とは、物質の現実を扱う従来の科学の領域を意味します。したがって、これからの科学は、自然科学と社会科学の統一だけにとどまらず、道徳的価値観の問題までも扱う総合的な科学になることを、心から切に願うというのです。

このような科学は、「文化科学」と呼べるのではないでしょうか。このような科学が道徳的価値観を扱うためには、その価値基準の決定が問題になるのではないかと思います。しかし、一般的に価値基準というものは、時代や環境によって異なるものです。古代の価値基準と現代の価値基準とは異なり、東洋と西洋の価値基準が同一でないことが分かります。

したがって、人間共同の福祉のための価値基準を決定しようとすれば、時代と環境を超越した、普遍的で絶対的な要素を見つけ、それを基準として立てるしかありません。このような絶対的な基準の設定は、取りも直さず新しい道徳的価値観の樹立を意味すると言えるでしょう。

まずその絶対的基準の本質を考えるとすれば、それは正に家庭倫理の根幹になる「愛」です。なぜなら、家庭倫理の愛こそ、真の愛であり、隣人への愛、同胞への愛、そして人類愛の基本であると見るからです。またその愛はアガぺー的な愛であり、絶対的な愛なので、太陽が万物を一律的に照らすように、万人に真の喜びをあまねく与えることができ、古今東西を問わず不変であると見ることができるからです。

ここで私たちは、このような絶対的愛の主体である絶対者の存在を考えることができるでしょう。このような絶対者がいるとすれば、そのような存在を新しい価値観の基準として立てることが最も望ましいことではないでしょうか。

少なくとも私はそのように考えています。なぜならば、この絶対者は、決して観念的存在ではなく、歴史を通してそれ自体を現してきた実在的存在だからです。私たちは歴史上に数多くの宗教指導者や聖賢たちが、時や場所を変えて出現したことを知っています。彼らはみな、人間の良心と心情に訴え、隣人への愛を実践することを促しました。彼らの教えに従った民族や国家は平和と興隆を享受したのであり、従えなかった民族や国家は混乱と衰亡に陥ったのです。

今日も、多くの人たちは、この世界的な混乱の中で人類を救うことのできる現代の聖賢の出現を、意識的にも無意識的にも待望しています。このような事実は、愛の主体者である絶対者がいて、歴史や現実の背後で宗教指導者や聖賢たちを立て、彼らを通して自らの愛を現し、道徳的価値の世界を実現しようと計画していることを示していると言えるでしょう。

したがって、このような絶対者を全人類が共に認め、受け入れるならば、道徳的価値の世界の実現はそれほど難しくないと思います。ですから、このような絶対者を道徳的価値の基準として立てるのが最も望ましいと言えるでしょう。以上、私の所感の一端をお話しいたしました。

最後に、皆様が今回行われた立派な研究と真剣な討議が、人類の真の平和と福祉に大きく寄与する画期的な成果として現れることを心から祈りながら、これで私の話を終えようと思います。ありがとうございました。

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神様に似るための愛の実践 それでは、精神改革運動は、どのように展開するのでしょうか。それはまず善の中心を確立しなければならず、そこには愛の中心が決定されることが絶対に必要です。なぜなら、善というのは、愛の実践だからです。

それでは、その愛の中心とは何でしょうか。それが正に神様なのです。宇宙生成以前からある唯一、永遠、不変の存在なのです。この愛というのは心情の流れです。内的な心情が外的に流れていくのが愛です。ですから、神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。

この根本原因からの宇宙の生成こそが神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。それでは、神様は、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、神様は心情をもっているからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が起きるからです。その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来心情というものが目的を指向するものだからです。

ですから、創造の目的は、心情を充足させる喜びにあると言わざるを得ません。そして、この喜びは、被造物、特に人間が神様に似た時に訪れるのです。ですから、神様の愛と創造性に似た人間と国(天国、福祉世界)が、神様の創造しようとされた目標だったのです。そのことは、人間の理想がそれを追求することを見ても知ることができます。理想とは、当然享有するようになっている世界を追求する熱望なのです。

人間が幸福の世界を常に理想として追求するのは、その幸福の世界が、正に人間がその中で生きるように計画された創造の世界であることを意味します。このような世界が正に神様の愛と創造性に似た世界であり、喜びの世界なのです。

ところが、今日まで科学の驚異的な発展によって、この世界は、神様の創造性に似るようにはなったのですが、神様の愛にはまだ似ることができずにいるのです。神様の愛に似るためには、愛を実践しなければならず、善の生活をしなければなりません。愛の実践が、すなわち善だからです。

ところが、善の生活のためには、愛の主体である神様を善の中心基準にしなければなりません。神様は中心であり、本質なので、現象の世界がいくら変化流転でも、神様の愛は永遠不滅であり、したがって神様を善の基準とすれば、ここに絶対的な価値観が確立されると同時に、永遠な幸福の世界が実現されるのです。

神様と人間が願う理想的な人間像と世界像 このように理想の世界は、創造の目的が実現されなければならない世界であり、神様に似なければならない世界なので、人間は、常に愛に満ち、調和し、平和な生活を願っているのであり、いつも新しいものを創造しながら環境を改善していくことを願っているのです。創造とは、単に製造だけを意味するのではなく、創意的な活動全

神様に似るための愛の実践 それでは、精神改革運動は、どのように展開するのでしょうか。それはまず善の中心を確立しなければならず、そこには愛の中心が決定されることが絶対に必要です。なぜなら、善というのは、愛の実践だからです。

それでは、その愛の中心とは何でしょうか。それが正に神様なのです。宇宙生成以前からある唯一、永遠、不変の存在なのです。この愛というのは心情の流れです。内的な心情が外的に流れていくのが愛です。ですから、神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。

この根本原因からの宇宙の生成こそが神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。それでは、神様は、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、神様は心情をもっているからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が起きるからです。その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来心情というものが目的を指向するものだからです。

ですから、創造の目的は、心情を充足させる喜びにあると言わざるを得ません。そして、この喜びは、被造物、特に人間が神様に似た時に訪れるのです。ですから、神様の愛と創造性に似た人間と国(天国、福祉世界)が、神様の創造しようとされた目標だったのです。そのことは、人間の理想がそれを追求することを見ても知ることができます。理想とは、当然享有するようになっている世界を追求する熱望なのです。

人間が幸福の世界を常に理想として追求するのは、その幸福の世界が、正に人間がその中で生きるように計画された創造の世界であることを意味します。このような世界が正に神様の愛と創造性に似た世界であり、喜びの世界なのです。

ところが、今日まで科学の驚異的な発展によって、この世界は、神様の創造性に似るようにはなったのですが、神様の愛にはまだ似ることができずにいるのです。神様の愛に似るためには、愛を実践しなければならず、善の生活をしなければなりません。愛の実践が、すなわち善だからです。

ところが、善の生活のためには、愛の主体である神様を善の中心基準にしなければなりません。神様は中心であり、本質なので、現象の世界がいくら変化流転でも、神様の愛は永遠不滅であり、したがって神様を善の基準とすれば、ここに絶対的な価値観が確立されると同時に、永遠な幸福の世界が実現されるのです。

神様と人間が願う理想的な人間像と世界像 このように理想の世界は、創造の目的が実現されなければならない世界であり、神様に似なければならない世界なので、人間は、常に愛に満ち、調和し、平和な生活を願っているのであり、いつも新しいものを創造しながら環境を改善していくことを願っているのです。創造とは、単に製造だけを意味するのではなく、

創意的な活動全体を意味するのであり、常に新しいものを創案し、計画し、改善し、生産するなど、あらゆる活動を意味します。

ところで、神様は統一的存在なので、人間も統一的でなければならず、社会生活も統一的でなければなりません。すなわち愛しながら創造し、創造しながら愛する統一的な人間、統一的な世界にならなければなりません。

今日まで人間は、輝かしい科学的発展を成し遂げることによって、創造的生活面においては神様に似たと言うことができますが、愛の生活においては、全く神様に似ることができずにおり、そのために悲しみと苦痛と不幸が継続しています。愛は調和なので、愛のないところに調和はあり得ず、調和のないところに平和や幸福はあり得ないので、ここから様々な悲惨な様相が起こるようになるのです。

こうして、神様も人間も、神様に似た理想的な生活、理想的な世界を願っているのです。これを言い換えれば、神様が願い、人間の本心が願う理想的な人間とは、創造的であり、なおかつ神様を中心とした愛を実践する善の人間です。また神様と人間が願う理想的な世界とは、環境を改善する創造的活動が継続されながら、個人と個人、国家と国家の間に愛が満ちあふれる大調和の統一世界なのです。このような新しいタイプの人間が新しい統一世界で生活できるようになってこそ、長い間人間を苦しめてきた一切の悲しみや苦痛、争いは永遠に跡形もなく消えていくのです。

万民共通の方向 このように本然の人間と世界は、神様に似た善の人間と善の世界であるにもかかわらず、今日、現実的な人間と現実的な世界は、神様に似ていない悪の人間、悪の世界になっています。

これは、人間と世界がまだ本来の姿になっていないからです。したがって、今日の人類を不安と混乱の中から救い出すためには、本然の人間の姿勢と世界の姿を回復して、これを現実に具現しなければならないのです。そのためには、善の絶対基準を探し立て、善の生活をしなければなりません。

善の基準とは、愛の中心である神様のことを意味します。今日、全人類が苦痛と混乱の現実を抜け出そうと激しく身もだえし、自由と平和を何よりも渇望しているのは、人類の本心が善の基準を探し求めており、愛の中心を探し求めていることを表しているのです。愛の中心を求めて、地上に永遠の幸福の世界を成し遂げようとすることが、万民共通の願いであり、方向なのです。

ここまで、神様と人間が願う世界は、創造的生活と愛の生活を営む統一世界であるということ、この世界ではじめて神様と万民の願いが実現するようになるということ、そして愛を実践するためには、愛の中心を探し立てなければならないということをお話ししました。この愛を実践するためには、ここに必ず規範が確定されなければなりません。なぜなら、愛の生活だけでは、決して調和をつくり出すことができないからです。愛の生活は秩序を必要とし、秩序のためには規範が要求されるのです。

規範とは、人間の行為を規制する理法であり、原理です。これが正に道徳であり、倫理なのです。したがって愛の生活をうまく営むためには、真の道徳と倫理を確立し、それを実践しなければなりません。これを言い換えるならば、統一世界に適用される道徳と倫理は、現代人にしっかりと守られるものでなくてはならないということです。過去の道徳や倫理が崩れてしまったのは、現代人の生活が物質主義へと流れたこともその原因ではありますが、その価値観が現代人の理性に合致していなかったからでもあります。ここに新しい価値観、新しい道徳、新しい倫理の確立が切実に要求されるのです。

完全な善の統一世界建設 それでは、新しい価値観は、どのように確立されるのでしょうか。それは過去のすべての思想と宗教の教理を統一できる一つの高次的な統一的思想体系によって、初めてその確立が可能なのです。過去のすべての思想と宗教はそれぞれ、それなりの価値観(倫理観)をもっており、それぞれ長所をもち、また今日でも有益な点があるにもかかわらず、新しく訪れる時代には適用されなかったので、今日ではほとんど捨てられたようになりました。したがって新しい価値観を確立するためには、過去の倫理観の長所をすべて生かしながら、同時に現代人の生理に合致する内容の価値観が立てられなければならないのですが、そのためには、過去のすべての思想と宗教の教理を統一した「統一思想」が出現しなければならないのです。

なぜなら、過去のすべての価値観と倫理観は、その時の思想や宗教を基盤にして確立されたものだからです。こうして「統一思想」による新しい道徳、新しい倫理が立てられるようになるとき、初めて完全な善の統一世界が建設されるようになるのです。このように統一世界の建設のために、新しい価値観を世界的に立てていくことが、正に世界道徳の啓蒙なのです。

結論として、「統一科学」の役割について一言お話ししようと思います。「統一科学」がかなり以前から、細分化された分科科学の真理を統一しようとする意図のもとに体系化されてきたことに対して、まず深い称賛を捧げる次第です。科学の細分化は、ちょうど機械を部品に分解するように、科学の専門化だけでは科学全体の統一的機能が麻痺してしまい、科学の使命を完全に遂行する上で支障を来すと言っても過言ではありません。

「統一思想」と一つになるべき「統一科学」 このことから、一部の先覚的科学者たちによって、「統一科学」の旗のもとに過去の多くの科学者たちが発展させた科学的真理が一つに総合的に統一され、一貫した一つの新しい哲学的な科学体系として整理されたことは、実に高く評価されるべき慶事と言わざるを得ません。それはあたかも、精神的な面において、現代的な新しい価値観を樹立するために過去のすべての思想と宗教を一つに統一する「統一思想」が出現したのと同じように歴史的な事件なのです。

既に先ほど繰り返し指摘したように、科学は人間の物質的生活を改善することがその本領なので、「統一科学」は実践面において、前よりも一層効果的に物質的生活の改善に寄与することが期待されます。しかし、本然の人間が精神と肉身の統一体であるように、社会生活も、精神と物質が統一された生活です。

理想世界も、愛と創造が統一された世界なので、ここで何度も明らかにしたように、物質的生活の改善だけでは、本当の幸福の世界は実現できません。したがって、不可避的に「統一科学」はその役割を完全に果たすために、「統一思想」と再び一つにならざるを得ないという結論が出るのです。

このような統一が成し遂げられるようになるとき、長い間の課題だった宗教と科学の統一が実現され、名実共に福祉世界、幸福の世界、善の統一世界が成し遂げられるのです。この時こそ、古い制度と思想は完全に消え、新しい制度と思想による理想的な統一世界が実現されるのです。ありがとうございました。

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世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務 日付:一九七二年十一月二十六日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ•アストリア•ホテル

行事:第一回「科学の統一に関する国際会議」

人間は社会生活を営む中で、誰しもが幸せな生活を追求するようになります。幸福になりたいと思うのは、誰しもがもつ抑え難い人間の欲望であり、理想です。数千年の人類歴史において、このような理想をもたなかった人は一人もいないでしょう。

人間生活と幸福な世界 理想は常に現実とは相反するものであるにもかかわらず、人間は、現実生活の中で理想を実現するために不断の努力を傾けてきました。そのようにして、政治、経済、社会、宗教、科学など、人類文化の全般にわたって、目覚ましい発展が遂げられてきたのです。そうして今日、人間は、古代や中世に比べれば、比較にならないほどの高度な福祉社会を実現しました。

このような発展において決定的な役割を果たしたのは科学でした。科学の発達がなかったとすれば、今日のこの驚くべき繁栄は不可能だったでしょう。この事実は、科学者はみな、幸福な理想社会の実現を自らの使命としてきたことを意味します。

すなわち、科学者たちは、人間の夢を実現させようという熱い使命感をもって科学技術を発展させてきたことを意味するのです。たとえ科学者の研究成果が、時には一部の権力者の不義の目的に悪用されたことがあったとしても、科学者の基本精神だけは、常に人類の福祉社会の具現を目指していたのです。

科学の総合化、統一化の傾向 このように科学は、人類の夢を実現することに、その目的があります。ところが、過去において科学は、立派な発明がなされたとしても、民族的、国家的障壁に遮られ、それが直ちに人類全体の福祉に寄与することにはならなかった時がたびたびありました。科学文明にも国境がなければならないという主張も時としてあったのです。しかし、科学文明は本質的に、人類全体のものであるべきであって、ある特定の国家や陣営の専用物であってはならないのです。そのため、強い使命感をもつ科学者たちが、共同福祉の目的を妨害する不義の勢力に対しては、強力に抵抗したことを私たちは記憶しています。

科学者の中には、各自専門分野によって、時には当面の研究に没頭するあまり、人類福祉に貢献する精神を忘れてしまう科学者もいましたが、ほとんどの科学者たちが基本姿勢として、人類の平和と繁栄に寄与しようと努力してきたことは疑う余地がありません。

科学には様々な分野がありますが、そのどれを取ってみても、人類幸福の実現を目標にしない部門は一つもありません。物理学、化学、医学がそうであり、生物学、地質学、天文学がそうです。

もちろん過去数世紀の間に、科学はあまりにも分析的方法に傾き、多くの部分が専門化され、科学の細分化現象が起きたことは事実ですが、最近になって、総合的な方法によって細分化された知識を総合し、統一する、希望的な傾向が現れつつあります。「統一科学」は、その顕著な例と言えるでしょう。いずれにせよ、今日までの科学が、たとえ細分化現象を起こしたとしても、各部門がそれぞれの立場で、ひたすら福祉世界の実現という一致した目標、一致した方向を指向してきたことは事実であり、また今後もそれを指向していくことを信じて疑いません。

しかし、今日の世界情勢を見ると、非常に嘆かざるを得ない現象が続いています。それは目覚ましい科学の発展と驚くべき経済の繁栄とは裏腹に、いまだに不幸な事態が世界の随所で起きているという事実です。

善の世界と幸福の世界 科学者たちのかくも切実な念願と努力にもかかわらず、いまだに発展途上国では貧困と文盲と疾病が、そして国際間には緊張と戦争と敵対行為が続いており、人類は華やかに発展した文化の陰で、依然として悲しみと不安と苦痛の生活をしているのです。多くの指導者がこの不幸を取り除き、平和と安定を樹立しようと努力しているにもかかわらず、ただ「平和」の言葉だけが世界にあふれているばかりで、人類は日に日に不安と苦悩と危機意識の中に陥りつつあるのです。これはいったい何が原因なのでしょうか。

それは、人類の行動を規制してきた従来の価値観が崩れたからです。倫理と道徳がその機能を喪失したからであり、善の基準が消え失せてしまったからです。西欧社会における神中心のキリスト教の価値観、東洋社会における天道思想中心の儒教の価値観など、従来の人間の精神を指導してきた価値観は、すべてその機能を喪失してしまいました。これが今日、科学者たちの熱意に満ちた努力にもかかわらず、人類の不幸が消えない根本原因なのです。

このような事実は、何を意味しているのでしょうか。それは、科学者たちの念願が実現されるには、必ず先に善の世界が実現されなければならないことを意味するのです。善の世界とは、価値観が確立された世界のことをいいます。それは道徳の世界であり、宗教の世界です。しかし、この価値観は全く新しいものでなければならないでしょう。現代有識者の実証的で論理的な精神を指導できる新しい価値観でなければなりません。

ここに、今日の科学者たちは、また一つの使命を担わなければならないという結論に至りました。物質的生活の向上だけを試みてきた自然科学だけでは、人類の真の幸福を保障することが難しくなったのであり、人間の精神を改革する作業までも、科学者が遂行しなければならなくなりました。それでは、その理由について説明することにします。

人間をはじめとした万物は、すべて質料的な側面と形相的な側面とを兼ね備えた統一的存在であることは、誰も否定できないでしょう。人間は心と体の統一体であり、動物は本能と体、植物は生命と物質、そして無機物は作用と物質の統一体です。ところが、存在論的に見るならば、宇宙は結果の世界であって、そこには必ずその究極の原因がなければならないとしたときに、唯物論はそれを物質であると主張し、唯心論、すなわち観念論はそれを精神であると主張しています。

統一的原因と統一的結果 しかし、結果の世界がそのような統一体であることから推論すると、その原因も、質料と形相の二つの要素を統一的にもち合わせている一元的存在でなければならないのです。一元的で統一的な原因であってこそ、そこから統一的な結果の世界が生じるのであり、また統一的結果には、必ず統一的で一元的な存在がその原因にならなければならないのです。

したがって、宇宙の根本原因を物質としてのみ考える唯物論は誤りであると言わざるを得ません。その原因となるものは、決して物質ではなく、それより先んじている非物質なのです。ですから人間というのは、その統一的原因から生じた統一的存在であって、人間を物質的存在とだけ見てはならず、また精神的存在とだけ見てもいけません。

したがって人間生活を向上させるにしても、肉身の物質的生活だけを改善しては完全な幸福は実現されないのであり、物質と精神の両面の生活を統一的に同時に改善していくときに、初めて真の幸福が到来するようになるのです。

今日までの科学は、その担当した分野が物質的な領域だったために、特に物質的生活の改善にばかり力を注いできたのです。ですから、残念ながら、科学者たちの切実な念願と熱心な努力にもかかわらず、人類はいまだに不安と混乱の中から抜け出すことができずにいるのです。ここでやむを得ず、科学者たちは、人類の真の福祉のために、そしてこれまで成し遂げてきたその高貴な努力の成果を守護するためにも、精神生活の改革運動に参加しなければならないという結論に至りました。精神生活の改革というのは、新しい価値観を確立することによって、善の世界を建設することであり、新しい道徳社会を建設することです。

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皆様は原理を学んで知っているかもしれませんが、生心とは何でしょうか。生心とは、心と霊が合わさって、新しく一つの目的に向かって動くものです。神様を中心として私たちの良心と一つになり、理想的な自分をつくり出せる動機的な心です。ですから、その生心がなければ、霊界と真の愛と関係を結べる、自らの根源を探し出せないのです。生心が私に生じれば、体も喜び、すべてそれについていきます。自動的にこれが一つになるのです。今に至るまで、人間にとって一番問題となることは、体と心が互いに離れているということです。霊的な力が私に臨み、生心的な起源さえできれば、心と体が自然に一つになるのです。そのような根本から革命が起こり、根本から是正する根源を発見できない限り、私たちは理想を訪ねていく道理がありません。動機があってこそ結果が出てきます。宗教は生心を啓発しようということです。生心を中心として、数多くの宗教があります。ありとあらゆる形態が、すべてあるのです。

神様は、尊厳あるお方です。霊界と肉界は一体にならなければなりません。真の愛が現れなかったために、霊界と肉界が統一できなかったのであり、真の愛が現れなかったために、心と体が分かれたのであり、真の愛が立たなかったために、宗教と政治が分かれたのです。真の愛を中心として、すべて一つになるのです。個人、家庭、社会、国家、世界、天宙が、すべて連結されます。私たちの手で、そのようにしなければなりません。そのようにしなければ、本然の天上天国と地上天国を相続できないのです。霊界と肉界の一致をどのように成し遂げるのでしょうか。真の愛によって一つにするのです。

世界人類の中で、霊界を知らない人は数多くいます。神様を信じる人々も、「霊界はあるだろうか、神様はいらっしゃるだろうか」と言いながら、はっきり分からずにいるのです。しかし、霊界はあります。世の中のお金持ちがこれから幸福の園を造ろうというとき、自分のすべての財産をつぎ込んでも造りたい気持ちがあるのと同じように、天地を創造された神様は、御自身の住む所をどのようにお造りになったのでしょうか。霊界は、どの部分を探して凝視しても、千年眺めても飽きない美しい世界です。想像を絶しています。世界で最も良いものがあるとしても、霊界に比べれば何でもありません。霊界の一角にもなれません。ですから欲しいのは、この地上ではありません。先生に言わせれば、この地上は神様の願いにかなっていないので、帰りたいのです。

一般の人の大部分は、今も霊界を考えません。「生まれたので、ただ父母に侍って家庭で暮らしている。このように生まれたから、このように生きる」と思って生きています。そのように生きるすべての生活の中心は何でしょうか。どのように食べ、どのように暮らすかということです。ですから、一番重要なことを衣食住と捉えています。どのように住むかという問題、どのように食べるかという問題、どのように装って暮らすかという問題、これが中心です。もちろんそこには、人間関係において人倫と道徳があって向上する、互いが発展し互いが喜べる内容がありますが、その道徳基準が異なり、民族が異なり、国家が異なり、世界のすべての文化背景の違いによって、生活基準や社会制度がすべて異なるのです。このように見ると人間が探し出すべき本然の基準、すなわち創造本然の基準と今日、私たちが暮らしている生活の標準として立てていく人倫と道徳の基準の間には、途方もない差があります。これが一つに収拾されずにいるのです。

本然の世界に基づいて、私たちが生まれ、生きてから、行くべき所はどこでしょうか。これがはっきりしていません。ですから一般の人たちは、霊界があるのかないのか、神様がいるのかいないのか、分からずにいるのです。しかし、「統一原理」を学んだ人たちは、霊界が確実にあることを知っています。信じているだけではなく、知っているのです。なぜでしょうか。多くの体験を通じて知るのです。今日、統一教会が世界的な基盤を形成するに至った背後を調べてみるとき、多くの体験過程を経てきたというのです。そのため、霊界がないとは言えない立場にいる人々が、「統一原理」を知る人々です。

「統一原理」を知っている人々は、どのような道を行くべきでしょうか。神様が願う道に従っていかなければなりません。天意の道に従っていくのです。天意とは何でしょうか。個人が行くべき天意の道があり、家庭が行くべき天意の道があります。そして、社会、国家、世界、霊界が行くべき天意の道があります。霊界は、間違いなくあるのです。

神様がいて、霊界があるなら、どのようになるでしょうか。ある人は、「神様がいるとしても私たちとは関係ない」と思うかもしれませんが、それは誤った考えです。「霊界があるとしても私とは関係ない」と言うのは、まるで「私は家庭の一員であって、国は必要なく、世界も必要ない」と言うのと同じです。そのため、より大きい神様がいて、より大きい霊界があるとすれば、より大きいものと関係を結ぶことを、私は願うのです。関係しているだけでなく、関係して何をすべきなのでしょうか。一つにならなければなりません。一つの目的に向かって行かなければならないのです。

使徒パウロが霊界の第三の天(コリントII一二•二)を見て体験したことが、彼にとって根気強く宣教活動を続けることができた原動力になりました。そのような体験がなければなりません。先生もそれと同じです。

先生は、死を恐れません。何がそのようにしたのでしょうか。愛です。いくら獄中に放り込まれても、先生は消化できます。ですから今日、このように反対する環境を消化して、屈服させてきたのです。私の手ですべて屈服させたのです。

霊界の創造 霊界は天使世界に相当します。そして、今日の世の中は、アダムとエバのような立場にあります。ところで、霊界は、アダム、エバを造る前に造られました。霊界が神様のみ旨に反対することによってサタン世界が生じたので、霊界が神様のみ旨を歓迎してこそ、その世界が復帰されるのです。また、霊界を屈服させなければ、地上世界に主が来られません。それで、統一教会が今まで霊界を屈服させてきたので、霊界は統一教会に協助しなければならないのです。

霊界は、皆様の体の中にもあります。ですから、皆様は常に霊界を背負って歩き、連れて歩いているのです。したがって、逃げることはできません。

霊界はあります。霊界はこの世界のためにあるのです。また、この世界は永遠の世界のためにあります。「世の中のどこに神様がいて、霊界がどこにあるのか」と言うかもしれませんが、神様のいらっしゃる所が霊界です。

私たちの人生が七、八十年で終わるとすれば特に問題はありませんが、永遠の生を中心として生きていくので深刻です。それでは、霊界があると言うとき、死後に霊界に行くとすれば、何をもって行くのでしょうか。真の愛を実践する生活をしなければ、霊界と関係を結べません。霊界は広大な世界です。皆様は知りませんが、広大無辺な世界です。霊界という所は、愛の電気で満ちあふれた世界です。愛の電気をもってすれば、できないことがありません。私たちの意識構造をもって治めることができる圏内が霊界だと言えます。霊界は永遠の要素を願う所です。霊界は、すべてのものが愛で満ちあふれた調和の世界です。ですから、愛のボタンを押せば、宇宙が作動するのです。

地上天国はどのような所でしょうか。すべての愛の電球に、明かりをともせる所です。それでは、天上天国はどのような所でしょうか。愛の電球に、明かりを永遠にともせる所が天上天国です。そのため、皆様が愛の心さえ抱いて、愛の綱さえ引けば、すべて引っ張られてくるのです。後ろに引けば後ろに行き、横に引けば横に行きます。思いどおりに操縦できるのです。嫌でそのようにするのではなく、自動的にそのようになるというのです。ですから、霊界という所は愛の空気で満ちあふれた所です。愛の神様が愛の心で、世界人類に対して一度にすべて食べさせて喜ばせたいと思って、「御飯よ、出てきなさい!」と言えば、出てくるのです。

霊界では、愛の食べ物を食べます。互いを見るのも、愛の目で見るのです。そして、言い表せないほど神秘的な所です。何かを聞いても、ひたすら聞き続けたいと思う、眠気や疲れという観念がない所です。今日、人間は何であってもすべて、愛と関係を結ぼうとします。なぜ、愛と関係を結ぼうとするのでしょうか。霊界に拍子を合わせるためです。そのようになっているので、そこに応じるしかないのが人間という存在です。その位置を離れられないのです。

皆様が夢で先生に会う現象は、神様の愛の波長を通して現れるのです。そのためには、自分があってはいけません。自分を犠牲にしなさいというのです。真空状態をつくらなければなりません。真空状態になったあとには、共鳴圏をつくり、電気抵抗が最も少ない黄金にならなければなりません。黄金というのは、他の要素が混じっていません。純粋そのままです。

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霊界と肉界の中心は神様の愛 皆様は霊界のことが、相当気にかかるでしょう。世界には、数多くの宗教がありますが、その宗教が行く道は、霊界と関係を結んで永生する世界、永遠に生きる世界、すなわち神様と共に暮らす世界を訪ねていくのです。そのような世界が、宗教の目的地です。しかし今日、宗教はどのように変わったでしょうか。だんだんと堕落して、「宗教は、弱者が信じるものだ。私たち人間に必要ないものだ。それは道義的な一つの表象として、人間が捏造したものだ」と、このように結論を下す時代に入りました。宗教の中心になるキリスト教だけを見ても、そのようになりました。アメリカは全世界のキリスト教国家の代表国ですが、そのようなアメリカの家庭で育った人々が宗教を離れ、今に至るまで自分勝手に暮らしているのです。

世界の中心であり、すべての理想の中心が神様ですが、その神様がいらっしゃる霊界を中心として理想を描いたキリスト教を信じていたのに、なぜ離れるのでしょうか。第一の原因は、霊界があることをはっきりと知らなかったからです。知能をもった比較能力のある人間なので、良い所があれば悪い所を捨てて、そこに行くようになっており、より次元の高い価値のある所があれば、そこに行くようになっています。それが人間の本性です。人間は、霊界の実在をはっきりと知らなければなりません。その次に、第二の原因は、神様を知らなかったからです。堕落によって神様との関係が断絶し、孤児として生きてきました。そして、第三の原因は、霊界の中心となり、神様の中心となる愛によって結ばれることを知らなかったからです。

この三つが分からなかったというのです。たとえ神様を知り、霊界を知ったとしても、愛を中心とした世界であることが分からなかったのです。愛がある所では、上がっても良く、下がっても良く、真ん中にいても良いというのです。愛する夫が自分より高いといって嫌がったり、愛する妻が自分より低いといって、それを僧んだりしますか。一つになれば思いどおりに、低い所から高い所に上がることもでき、高い所から低い所へ下りてくることもでき、中間にいることもでき、どこにでも行けるのです。制裁されることはありません。それで世の中では、「この世界は、一つの世界でなければならない。統一の世界でなければならない。平和の世界でなければならない」ということをよく言うのです。

霊界と肉界、霊的な存在と肉的な存在も同じです。ここは神様の愛、神様が中心になっています。堕落した人間は、神様が中心になっていません。人間は心と体から成り立っていますが、心と霊界は違います。次元が違うというのです。

霊界と肉界とは、神様の愛を中心として語るものです。したがって、霊界と肉界が一つになるためには、必ず神様が介在しなければなりません。神様の愛が介在しなければ、正しく、霊界とは通じないのです。神様を中心として、霊界というものが連結されるのです。「自分の心も霊ではないか」と考えるかもしれませんが、それは混同しています。心は霊界ではありません。堕落したために、心は霊的世界と関係を結んでいないのです。骨のない人のようなものが、堕落した人間の心であると考えれば、実感が湧くでしょう。骨のない人のような形態が、堕落した人間の心だというのです。

霊人体を見れば、霊人体にも体の要素があり、心の要素があります。その霊人体の心のようなものが霊的世界です。それは、必ず神様と関係を結んでいます。ですから、神様と関係を結ばなければ、霊人体の生心は啓発されないのです。霊と心は違うというのです。神様が離れているのです。神様御自身は人の心と関係をもてず、直接主管することはできません。人間の心は、ああなったりこうなったりしながら変わります。しかし、霊的世界や霊的存在は変わりません。それは永遠に一つの目標を立てて、たゆまずに進むのです。なぜでしょうか。神様の側に立っているからです。心は人間に属しています。行ったり来たりする人間にあるというのです。

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第五章 有形実体世界と無形実体世界 人生路程に対する祈祷文 愛するお父様、天が辱めを受けることがあってはならないと思い、幼い頃から今まで闘ってきた私を守ってくださったお父様の恩賜に、感謝申し上げます。この地において何が良いといっても、お父様が運行される本然の心情に連結されたこと以上に貴い基準がないことを知っております。その立場を限りなく慕わなければなりません。お父様の真の愛に触れた人は、世の中の万事を捨てたとしても未練がない立場にあることを、私たちは知らなければなりません。第三の生の自由権限を手にできる解放児として出生するその日を、今日、この地上世界において準備しなければなりません。

愛するお父様、私たちが新しい春を迎えるためには、私の生命が同化される関係を備え、そこに完全に吸収されなければならないということを知っております。そうしてこそ、初めて春を迎え、花を咲かすことができるという事実を知らなければなりません。「一生において、あるひととき春を迎えたことがあるか」と聞かれ、「迎えたことがある」と答えられない、哀れな霊になってはいけません。

愛するお父様、お父様をお迎えし、慎ましく敬拝を捧げたいという思いのない人は、永遠なあの世でお父様と関係を結べないことが分かるようにしてください。今、私たちが心の門を開き、お父様の心情を感じられるようにしてくださり、今日、私たちの心からあふれ出るお父様のみ声を聞いて、失った自分自身を探し出せるようにしてください。お父様が私一人を探すために、私の背後であらゆる艱難と苦労の歴史過程を経てきたことを感じ、自ら頭を垂れる私たちとなれるよう、許諾してください!

死に対する理解 この地上には父母がいて、師がいて、親戚がいます。この地には、そのような関係を結んでいける道がありますが、霊界にはそのようなものがありません。霊界では、誰もが神様を中心として、全体のために生きるのです。位置がすべて区別されています。ですから、上にいる人が下に来ることもできず、下にいる人が上に行くことも難しいのです。本来は、地上で完成してこそ霊界に行けるようになっています。一度あの世に入れば、終わりです。いずれにせよ、人間は死ぬのです。

生涯の路程は、あまりにも短いのです。一生はあまりにも短いのです。人の寿命が八十年だとすると、あまりにも短いというのです。霊界の時間では、すなわち永遠の世界の時間で考えれば、八時間にもなりません。ですから、真の愛の力は偉大です。真の愛は時間と空間を超越し、私たちが認識できないほど速く作用します。

間違いなく霊界はあります。間違いなく霊界は実在し、私たち人間は神様から生まれたので、いずれ神様がおられる霊界に帰らざるを得ません。韓国語の中でおもしろいのが、「トラガンダ(帰る、亡くなる)」という言葉です。どこに帰るのでしょうか。墓地に行くのは、帰ることではありません。出発した故郷に帰るということです。その出発地は、墓地ではないというのです。果てしなく遠い歴史の起源を越えて、帰るという意味です。

人間が帰る(亡くなる)ということは、韓国人として生まれて、韓国人として帰る(亡くなる)ことを言うのではありません。韓国人として死にましたが、韓国人として帰るその道ではないというのです。私たち人類の先祖の根源の世界に帰るという意味です。それは何を意味するのでしょうか。創造主がいらっしゃるのであれば、その創造主がいらっしゃる所に帰るということです。そこから出発したので、そこに帰るというのです。

宇宙は循環作用をします。山に積もっていた雪が溶ければ、小さな沢を通じて流れていき、多くの支流を通じて大海に流れ込みます。大海に入れば、それが水蒸気になって、再び帰るのです。循環運動をします。同じように、帰るとすれば、どこに帰るのでしょうか。より高くなる所に、より良くなる所に帰ることを願うのです。誰も小さくなることは願いません。しかし、すべての自然界の運動する力というものは、作用すれば小さくなるようになっています。作用すれば、だんだん小さくなるというのです。私たちが何かを転がしてみても、それが永遠に転がるのではありません。早く転がっていた物も、だんだん遅くなり停止するようになるのです。

私たちはこの世に暮らしていますが、この世だけがあるのではなく、霊界があります。ところが、この地上界と霊界は二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。それでは、私たちが行くべき所、私たちが行って暮らすべき所とは、どこでしょうか。もちろん私たちは、肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かっているのです。人は誰しも、世の中に生まれて、十代、二十代、三十代、中年、壮年、老年時代を経ていきます。青春時代を過ごして壮年時代に入れば、一つの峠を越えて、その次には老年時代に入るのです。このように、沈む太陽のように一生を終えるのです。しかし、霊界があるという事実を知る人々は、一生というものがわずかな間であり、死んだのちに私たちが迎えるべき世界は永遠であるということを知っています。そのため、一生は永遠の世界のために準備する期間であることを知って、準備する生活をするのです。

「死」という単語を使った目的は、人生の意味を知るためです。それでは、人生の価値は誰がよく知っているのでしょうか。ただ生きようとする人には分かりません。死の境地に入って、生死の岐路で天にすがり、人生の価値を判断して極めようとした人でなければ分からないのです。

人間は、死を歓迎すべきでしょうか、歓迎してはならないでしょうか。歓迎すべきです。死ぬ時に、何のために死ぬのかといえば、「神様の真の愛のために死ぬ」と言わなければなりません。それゆえ、肉身を脱ぐのは、無限な神様の愛の活動圏に私が同参するためであり、神様の愛の世界のためなのです。

死ぬことは、神様の愛の中で再び生まれることですが、人間世界では「ああ、死ぬ!」と大騒ぎします。制限された愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入できる喜びを迎えられる瞬間が、死ぬ瞬間です。ですから、死ぬ瞬間は第二の出生の瞬間です。それでは、神様は皆様の肉身が生まれた日を喜ぶでしょうか、第二の無限世界の愛のために活動する息子、娘として生まれるその瞬間を喜ぶでしょうか。なぜこのような話をするのか分かりますか。皆様が死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結べないからです。

三段階の人生行路 人の一生は、蘇生、長成、完成の三段階を経ていきます。腹中の水の世界、地上の陸地世界、天上の空中世界で暮らすのです。言い換えれば、母親の腹中の水の時代、地上に生まれて生きる百年の地の時代、飛んでいく空中の霊界時代、このように三時代を経るのです。

人は生まれるとき、水の中で生まれます。腹中時代は、水中時代です。胎児が母親の胎中にいるときは、水の中にいます。水の中で暮らすために、水を飲んでは吐き出さなければなりません。それで胎児はホースを母親のおなかに連結して生きるのです。胎児は、どこから栄養分を供給されますか。へそから供給されます。へそが口なのです。ですから、それをぞんざいに扱ってはいけません。「へそよ、お前は昔、苦労した」と言ってたたいてあげなさいというのです。へそをたくさんたたいてあげれば、健康になります。そのように運動しなさいというのです。へその運動をたくさんすれば、健康になります。いくら寒い部屋で寝るとしても、へそさえきちんと覆いかぶせて寝れば、下痢しません。

腹中での皆様の口はへそです。その次の段階の口は何でしょうか。皆様が食べ物を食べる口です。口がついている場所が上がるのです。それでは、へそについているへその緒を、どのようにすべきでしょうか。切ってしまわなければなりません。同じことです。

空気の世界では、霊人体が肉身に宿って胎児のように成長していくのです。そうして肉身が老いれば、それを捨てて霊人体が出ていくのです。ちょうど胎児が生まれて、父母の前に愛の対象となるように、霊人体が霊的父である永遠の神様と相対できる人として、再び愛で呼吸する世界に生まれなければならないのが、原理原則です。

父母と愛し合う地上世界に生まれるのと同じように、霊的な無限の世界の父母であられる神様と愛を分かち合える霊界に、再び生まれなければなりません。腹中から出て、何を発展させるのでしょうか。それは愛です。愛の要素を受けるというのです。だから御飯だけを食べていてはいけません。御飯だけを食べているのでは生きているとは言えません。第二段階の人生を、愛を中心に生きなければなりません。したがって、地上生活では何を満たすべきでしょうか。この期間には、新しい愛の人格を形成しなければなりません。

この地上で、皆様に必要なものは愛です。母と父の愛を受けられなかった子女を、なぜ、孤児と言うのでしょうか。霊界と永遠に連結させる愛を受けられずに生きるからです。それで、独身生活をする人を、「かわいそうだ」と言うのです。

死ぬというのは、第二の呼吸をしていた肉体に連結された器官を壊して、霊界における愛の要素を受け継ぐことです。愛は見えません。父母の愛、夫婦の愛を中心として、一つの内的な構造が育っているというのです。ですから、神様の法則どおりに胎内で正常な赤ん坊として育つのと同じように、地上でも天理に従ってしっかりと育たなければなりません。

昆虫類の中には、三段階の世界を経るものがたくさんいます。昆虫と言えば大概、羽があります。昆虫も水と陸地と空中で暮らすのですが、万物の霊長である私たち人間には羽があるでしょうか。次元の高い羽があるというのです。肉身の死は、第二の出生の恵みの関門です。死ぬということはどういうことでしょうか。地上生活は、空気中において「胎中で泳ぎ回って暮らすこと」と同じです。空気のふろしきの中で暮らしているのです。死ぬというのは特別なことではなく、霊界での第三の人生として出生することなのです。その瞬間が、死ぬ時間です。

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第四章 人生路程 幼児期と三段階秩序 アダム、エバを、神様はどのように造ったのでしょうか。土でこねて造ったのなら、どのような土で造ったのでしょうか。どこから出発したのでしょうか。どこから始まったのかというのです。アダムとエバを、最初から成長した人間として造ったとは考えられません。赤ん坊から造ったのです。神様は、胎児を宿した母親がおなかの中で育てるのと同じ過程を経て造ったという論理を立てなければ、このすべての三段階の秩序を通じた存在の形成というものを説明する道理がありません。それで、アダムとエバにも幼児期があったというのです。その次に長成期がありました。その次に完成期があったのです。これは天理です。幼児期とは、どのような期間だったのでしょうか。無形の神様が、無形の世界から有形の世界へ行く過程で、赤ん坊という存在を抱いて育てたという論理から始めなければなりません。

私たちの人生の道 私たちが暮らしている社会、国家、世界は、自分の志に符号する環境になっていないので、あらゆる苦衷が生じており、善悪の分岐点が食い違っています。百人なら百人、各々自分なりの一日の生活を営むために環境の中で苦闘しており、志を押して進めているのです。

ですから、朝に計画した一日の活動に対して、誰も自信をもてないということを、私たちは一日の生活の中でよく感じています。その上、その環境の範囲が大きければ大きいほど、自分の一日の生活を勝利として結果づけるためには、それに比例して決意と推進力をもたなければなりません。そのようにしなければ、その日が勝利の日になり得ないのです。そのような一日一日が加わってひと月になるのであり、ひと月ひと月が加わって一年になるのです。

そのひと月も、私たちが計画したとおりに生きられる環境になっていません。私たちがひと月の勝利をもたらすためには、そのひと月の環境に備わった複雑なすべての事情、すべての条件を打破できる推進力と決意がなければなりません。それがなければ、ひと月の計画を勝利で終えることができないのです。一年を押し進めるためには、三百六十五日を克服できる闘志力、あるいは推進力を備えなければなりません。そのようにしなければ、一年を勝利で飾れません。このような一年に十年が加わり、二十年、あるいは三十年が加わった日々を過ごしているのが、私たちの人生の道です。

今日、この地に暮らしている人間は、時間性から抜け出せません。人類歴史を見ても同じです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界も、そのような時間圏内で動いています。人が生きていくのに、必ず達成すべき目的があります。その目的を中心として、十年、二十年、三十年、七十年、一生の間、行くべきなのです。目的が大きければ大きいほど、内的にもっと強く決意しなければなりません。そのようにしなければ、その目的に到達できません。時間という過程を通して、その目的を凌駕する内的な決意を続けない限り、その目的を達成できないというのです。

私たちが訪ねるべき本郷 皆様は、霊界の事実が分からないかもしれませんが、先生は神様の特別な恵沢を受けて、未知の世界についてよく知っています。その世界の根本を掘り返してみると原則は簡単でした。その世界は、神様の天地原則である「ために生きる生活」をした人だけが行く所です。そのような内容で形成された世界が理想天国です。そこが、私たち人間の訪ねるべき本郷です。

私たちは堕落した人生として、本郷から追放された人間なので、本郷の地に向かって帰るべき運命にあります。しかしそこは、人間自体では帰ることができないので、神様は人間が帰れる道を歴史過程に設定せざるを得ません。それで、その民族の文化背景、風習、あるいは伝統に従って、数多くの宗教を立てて収拾してきたのです。そのように収拾するための訓練場として立てたのが宗教です。ですから宗教は、本郷の地に入る資格をもつ人を錬磨する訓練場です。

東西南北、四方の文化背景によって、高い所に前進できる一つの統一された宗教世界へと導いてきています。そのような本郷の地に導かなければならない宗教なので、宗教は「ために生きなさい」ということを教えざるを得ません。ですから、高次的な宗教であるほど、「ために生きなければならない」という原則を強調しなければならないので、「温柔、謙遜であれ」と言い、「多くの人を高め、彼らのために生きよ」とし、「犠牲になり奉仕しなさい」と教えるのです。その理由は、その国の法度に合う訓練をしなければならないからです。

人生の行くべき道とは何でしょうか。神様の愛を占領することが、人生の行くべき道です。神様の愛を占領することが、人生の行くべき最高の終着点です。この道は、男性も行かなければならず、女性も行かなければなりません。すべての人が行くべきなのです。人生の行くべき道は、無限な愛の神様を探すことです。十回でも百回でも、死の峠を経てでも、たとえ死んででも、絶えず神様の愛を探すのが、人生において行くべき最高の道です。欲望の果てはどこまででしょうか。神様の愛を占領することです。神様を占領したといっても、その中にあるもっと貴い愛を占領できなければ、神様は自分の神様ではありません。ですから、神様の愛を占領しなければなりません。

愛さえ占領すれば、神様はいらっしゃらなくても構わないというのです。神様のものが私のものであり、私のものが神様のものになるとき、初めて内外が一つになります。そのような国が、上下の等級のない理想の本国になるのです。そのような場所に横になれば、天下にあるすべての存在で良く見えないものがなく、天下にあるすべての存在で自分のために存在しないものがないと感じられるのです。そのようなものが神様の愛なので、今日、人間が行くべき天上世界、すなわち天国は、愛で満ちあふれた所です。

誤った出生(しゅっしょう)の基準 世の中の人々は、自分自身が高貴な人だと言っていても、いくら博士だと言っていても、自分の出生が誤ったことを知らずにいます。神様の怨讐であるサタンの愛、生命、血統をもって生まれたことを知らないというのです。重要な問題です。堕落によって人間は、サタンの愛から生まれたのです。サタンの愛がその父母にまでつながってきました。母の生命、父の生命にサタンの血が流れており、その血が今日、自分につながってきたのです。そのような結実体が、正に自分です。ですから皆様は、サタンの血統に属しているのです。言わば、皆様の血管を通ってサタンの血が流れているというのです。ですから、自動的にサタンは自分の理想的な実を結ぶのであり、神様はそのような男性と女性を本然の純粋な完成人間として救おうとされるのです。

皆様は、サタンの愛から出発しました。サタンの血統をもって生まれたのです。ですから、出発が誤ったというのです。出発が誤ったので、再び帰らなければなりません。それでは、帰るには帰るのですが、どこに行くベきでしょうか。堕落前に帰らなければなりません。偽りの父母によって始まったので、真の父母によって再び始めなければなりません。ですから、どれほど深刻でしょうか。自分が神様の愛と神様の生命と神様の血統を引き継がなければならないのです。それで、祝福を受けるとき、血統転換式をするのです。それを、自分の生命よりもっと信じなければなりません。

統一教会の一つの礼式だといって、ただ一般の宗教儀式と同じに考えてはいけません。これは、死んだ立場からよみがえらせる注射薬と同じです。解毒注射です。私たちの先祖が誤ったのです。このために、歴史を経てきながら数多くの人々が犠牲になりました。これを知る私たちは、再びその道を行くことはできません。絶対に行けないのです。不倫の愛で堕落したことにより、歴史を通して受けたその代価が、途方もなかったというのです。個人、家庭、社会、国家、世界に及ぼした影響が、途方もなかったのです。

生涯の基準 ここにおける人間の「生涯」とは、永遠の生涯です。それは地上界のことだけを言うのではありません。霊界においても生きている永遠の生涯です。私という存在は、神様の愛の対象として造られました。絶対的で主体的な神様の対象が、正に私です。神様の愛の相対が、私だというのです。神様が御自身よりもっと貴く思うのが、真の愛の概念です。神様は絶対的で、永遠な生命の中心です。神様の理想は永遠なのですが、その理想の中心が、正に真の愛です。その愛の相対が私です。

愛の属性は、主体と対象を一つにすることです。それは、国家をも一つにします。それゆえ愛において、どのような場にも同参でき、どこでもついていけるのです。愛によってすべて相続できます。神様の心情までもすべて相続するのです。先生は悲惨な過程を経てこれを発見することにより、その基盤の上に立つようになりました。これは何ものとも換えることはできず、崇高で、尊厳ある高貴なものです。驚くべき恩賜です。そのため、神様と同じ立場に立つのです。永遠な真の愛の場に同参するのです。

霊界は、制限された地球星とは次元が違います。制限された所では自由に動けませんが、霊界は次元が高い世界なので、何でもできる所です。時間を飛び越えることができます。愛を中心として何でも願いさえすれば、いつでもどこでも、すべて得られるのです。私たちは本来、永生体として造られました。真の愛を中心とした対象体である私は、永遠の生命体だというのです。ですから、霊界に行けば自由です。そのためには、生涯の基準として、第一は善悪の基準が重要です。善悪の基準が第一であり、第二は本然の出発点に返ることであり、第三は永生問題です。

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愛は極めて自然なところで形成される 先生が幼かった頃、ある日、鳥を一つがい捕まえて、二羽のくちばしを合わせようとしたことがあります。二羽が口づけするのを見るために、垣根を造り、餌もあげながら観察しました。互いに愛し合い、楽しそうに歌うのを見たいという子供心からそのようにしたのです。それは、すべての自然の道理をはっきりと知るための、一つの好奇心に満ちた実験でした。今考えれば、全くもって意地悪な行動をしたものです。愛は自然に形成されることを、随分あとになってから悟ることができました。愛は最高に自由な雰囲気の中で形成されるものであってこそ、真実の愛です。先生が愛について正しく知っているのは、長年の実験を経た結果なのです。

愛の価値を失った人々に対して大学教育を施すといって、何が変わるでしょうか。彼らは、知識を蓄えるだけで、個人主義者や物質主義の信仰者をつくり出すだけなのです。テンジャンチゲ(肉、野菜などをみそとともに煮た煮物)は土焼きの器に入れてこそ、その味が出るのと同じように、人格修養も愛を土台にしてこそ、その目的を達成できるのです。世界文明の花は、美術的調和を整えた基盤の上で咲かせなければなりません。焼いたカルビは皿に盛らなければならないのであり、テンジャンクッ(韓国風みそ汁)は土焼きの器に入れてこそ、本来の味が出るのと同じです。濃厚で香ばしいテンジャンクッの味は、一度覚えればどこに行っても忘れられないのです。同じように、人もそのような愛を一度覚えれば、変わることがありません。単純な味のインスタント食品はやがて嫌気が差すように、愛もインスタント食品のように、どこででも簡単に求めることができれば、それは真の愛とは言えないのです。

最近は、インスタント食品のような愛で愛する人々が至る所に散らばっていますが、それが問題です。香水風呂に入って沐浴したからといって、愛が深まるのではありません。山真の僻村(へきそん)に住みながら、冷水に浸かって体を洗い、寝床に入る夫婦の愛のほうがもっと純粋であり、長く続いて深まるものなのです。

人間が、愛する人と出会えば、抱擁したいと思い、口づけもしたいと思うのは、自然な異性間の本能です。私が環境と接しているのは、この宇宙を好きになるためです。それは相対を探し立てるための、人間の自然な行為です。すべての人間が相対的理念のもとで、男性は女性に対し、女性は男性に対するとき、ここには愛の秩序に違反する行為や事件がないでしょう。真の愛の秩序は、相対的な理念を基盤として男性と女性が出会うときに生まれるのです。

第四章 人生路程 神様の目的 神様には体がありません。それで、すべての万物に神様の体を現すために、アダムを神様の代わりの顔として現したのです。それが創造理想です。神様は本来、霊的な中心であり、アダムは本来、肉的な中心です。その二つが九〇度をつくるのです。それが神様の創造目的です。アダムとエバが堕落しなかったならば、霊界に行って父母として永遠に現れるのですが、堕落したためにそのようになれません。堕落しなかったならば、自分の父母に神様のように侍れば、誰でも天国に行くようになるというのです。

この世界は丸くなっています。太陽も丸く、地も丸く、星も丸く、口も丸くなっています。どのような物も、すべてそのようになっています。そのため、宇宙はくるくる回りながら関係を結ぶのです。そして、丸くなっているとしても、個別にも、全体にも関連性を結びながら、球形を維持するのです。それでは、私はなぜ生まれたのでしょうか。この大宇宙と拍子を合わせるために生まれたのです。したがって、海の波がざぶんざぶんと音を立てれば、私の心もざぶんざぶんと音を立て、風が気持ち良く吹けば、私の心も気持ち良く、花が咲いて香りを漂わせれば、私の心も香りを漂わせることができるのです。

愛の中で生まれ、愛の中で育ち、愛の中で生きて、愛の中で死ぬようになるときは、生まれたことも有り難いことであり、生きることも有り難いことであり、死ぬことも有り難いことなのです。皆様は、母と父がこの上なく愛する場に同参して生まれました。同参者だというのです。父母の愛によって生まれたので、父母の愛の証の旗として生まれたと思いなさいというのです。ですから旗が動くのは、愛を表示するために動くのです。一生の間、愛のために生きるのです。そうして、母のためにも愛の旗を振ってあげ、父を見ても愛の旗を振ってあげ、兄弟たちのためにも愛の旗を振ってあげなさいというのです。

瞬間(一日)と一生の関係 皆様の生活全体が栄養素を吸収できる足場にならなければ、生命体を完成できません。これが、自然の現象世界で展開するのです。生命の分岐点は、長い期間にあるのではなく、一瞬にあるのです。瞬間を無視する人は、貴いものをもつことができません。偉大な人にもなれず、神様の王座と王冠を受け継ぐこともできません。

ですから、瞬間を輝かせるために、皆様は言葉一つにも、行動一つにも注意すべきであり、考えることにも注意すべきです。自分の生活で起こるすべての内容が、世界と関係する現象として残るという信念をもって解決するところにおいてのみ、勝利圏が決定されるのです。勝利圏が決定されるのは瞬間です。したがって、歴史的な勝利圏、天宙的な勝利圏も瞬間に決定されます。瞬間を輝かせることのできる無限の価値を感じながら生活する人は、偉大な人になれるのです。聖人にもなることができ、神様の息子、娘にもなれるのです。生死の分岐点は瞬間にかかっています。

今日、私たちの姿勢が問題です。まず、み旨の国が来ることを願い、み旨が成就されることを願うことも必要かもしれませんが、それより、自分がどのようにすればみ旨と一致していくかということが重要です。一時間なら一時間、どのようにすればみ旨と一つになれるかということが、み旨の国が成就されることを願うより重要なのです。ですから、まずみ旨を継承できる個人的な環境、家庭的な環境、氏族的な環境、民族的な環境を築いてこそ、み旨の国と関係を結べるので、神様を中心として、一日の生活圏内で、一時間なら一時間、どのようにみ旨と関係を結ぶかということが、重要な問題とならざるを得ません。

復帰摂理歴史を見れば、アダム家庭からノア家庭、アブラハム家庭、モーセとイエス様の家庭まで、四千年の歴史が流れてきていますが、彼らが失敗するようになった動機は、ある一年を中心としたものではありません。アダム家庭において、アダムとエバが堕落したのも、一年や十年、あるいは何十年を計画して失敗したのではありません。その失敗は、一瞬にしてもたらされたのです。その一瞬の失敗が、億千万年続いてきたことを考えるとき、その瞬間、瞬間がどれほど恐ろしく、どれほど怖いものかを知ることができます。

一瞬の失敗によって、歴史時代において修行の道を歩んだ数多くの人々が受難の報いを受けなければならず、そのみ旨に従っていかなかった数多くの民族が、滅亡のどん底に落ちなければなりませんでした。それが、途方もない蕩減の祭物の起源になったのです。ですから、ヵチッ、力チッという一瞬が恐ろしいのです。永遠の天国も、一瞬を離れてはあり得ません。

永遠の出発は、自分が死んで始まるのではありません。永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続くのです。ここにおいて、一瞬でも時間の飛躍があって深い穴が生じれば、永遠は中断されるのです。ですから、私たちが生涯路程を中心として信仰の道を行くときに、今年行けなければ来年行き、来年行けなければ再来年行き、十代に行けなければ二十代に行き、二十代に行けなければ三十代に行き、三十代に行けなければ四十代に行き、四十代に行けなければ五十代に行く、このようにしてはいけません。一生をこのように生きていけば、一生の間、み旨と一つになる一日の生活も送ることができずに死ぬでしょう。もしそのように生きたならば、その人は天国に行けません。いくら自分が暮らしているその国が良いといっても、一日の勝利基準をもてなければ天の国に行け一年の勝利基準をもてなければ永遠の世界に入れないのです。

そのため、信仰者は永遠を夢見て進むことも重要ですが、それより重要なことは、現実においてどのように悪を清算し、善の旗手になるかということです。このような問題が何よりも重要です。

このような点から見るとき、アダムの瞬間的な失敗が、億千万年の恨を残したのです。アダム家庭において、カインとアベルが父母の恨を解き、兄弟の壁を崩して、一つの家庭の起源をつくらなければなりませんでした。このように復帰摂理の代表として立てられたアベルが死んだのも、瞬間的な事件でした。百二十年かけて箱舟を造ったノアの苦労の路程において、神様が「願いを成就する日が来たので、船に乗りなさい!」と言われた命令も、一瞬の間に下されました。この命令に同調した人は、永遠な神様の祝福を受けられましたが、そのようにできなかった人は、永遠の審判圏内で水葬されたのです。

アブラハムも同じです。神様が、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。あなたの子孫はあのようになるでしょう」(創世記一五•五)と祝福されましたが、その祝福の命令もカチッという一瞬に下されたというのです。アブラハムが象徴献祭を行った時間も、何十年間、象徴献祭を行ったのではなく、たった一日の時間圏内でした。供え物を裂いて象徴献祭を行う時間はわずかでしたが、ここにおいて歴史的なすべての生死禍福の起源が組まれてきたのです。今日、信仰者が恐れるべきことは、終わりの日に訪ねてくる審判ではなく,一日一日の生活圏内で訪ねてくる時間をどのようにみ旨と一致させるか、どのようにみ旨と共に交差路を形成していくかという問題です。

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愛は相対から来る 愛は一人では成立しません。愛は私から出てくるのではなく、相対を通して出てきます。相対から出てくるので、私が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「ために生きなさい」という天理が、ここから生まれるのです。極めて高貴なものが私に訪ねてくるのですが、それを受けようとすれば、相対を高めて、ために尽くさなければならないという、「ために生きる哲学」を実践しなければなりません。

人には愛があります。しかし愛とは、自分一人では現れません。男性が一人でいるときは、愛が現れません。男性の前に相対となる女性が現れてこそ、愛が生じるのです。

父母の愛が良く、夫婦の愛が良いと言うとき、本当の愛は、自分を中心とした愛ではありません。愛というのは、私から始まるのではなく、相対から始まるのです。夫から、妻から愛が生じるのであり、息子から、兄弟から愛が始まるのです。愛は自分自身から始まるのではなく、相対から始まるというのです。ですから、愛の主人は誰でしょうか。相対が愛の主人です。

愛は相対から現れます。相対が醜くて好ましくなければ愛の作用は遅くなり、相対が美しく好ましければ愛の作用もその分、早まります。相対の言葉、美しさ、香り、味など、相対の要素によって愛の作用が決定するのです。

愛の根拠地はどこでしょうか。愛の根拠地は、「私」ではありません。愛という言葉は、相対的観念から語るものです。相対がいなければ、いくら美男子であっても、一人では愛することができません。愛の根拠地は、私ではありません。「愛は私からだ!」と言うのは、サタンが今まで利用してきた言葉です。愛の根拠地は私ではありません。愛の根拠地は自分であると考えるのですが、このような考え方を改めなければ、未来の歴史も発展がありません。今まで、妻は妻なりに自分が中心であり、夫は夫なりに自分が中心だと言って、互いが「私のために尽くしなさい」と言ったので、破綻に至るのです。愛の根拠地は私にあるのではなく相対にあるので、その愛を私が手にするためには、私自身がその愛の前に犠牲にならなければなりません。

愛は必ず犠牲を求めます。また、愛は克服を必要とします。このような観点から、サタン世界を克服できる内容は、この天地間において、他の所からは見いだせません。神様を中心とした愛の原則に従うことによってのみ見いだせるので、神様は愛をしっかりつかんでいるのです。「慈悲」という言葉も、愛がなければ出てこないのです。「仁」という言葉も、一人では出てきません。「慈悲」や「仁」という言葉も、すべて相対的観念から語るものなのです。

異性間で愛の調和を形成すれば 男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。したがって、二人が合わさって調和しなければなりません。男性と女性は、互いに異なっています。男性の体つきはごつごつしていて、女性はしなやかです。男性は髭が生えますが、女性は髭が生えません。声も違います。男性と女性を比べれば、相対的に釣り合っています。調和が取れるのです。人は肉的構造を見れば、左右に相対的です。半分と半分をぴったりとくっつけたからです。

皆さんは、高いだけ、あるいは低いだけのものが良いですか。調和しているのが良いのです。水平線を中心に、下には魚類が棲み、上には哺乳類、鳥類などが棲んでいます。女性は、ひと月に一度ずつ、生理が起きます。月を中心として潮の流れが変わるように、女性もそのようになっているのです。呼吸作用と同じです。男性と女性が調和してバランスを取らなければなりません。なぜ人々は、昇ったり降りたり、回ったりする様々な施設があるディズニーランドを好むのでしょうか。宇宙がそうなっているからです。男性だけで和動するのと、男性と女性が和動するのでは、どちらのほうが気分が良いでしょうか。男性と女性が和動するほうが良いのです。宇宙がそうなっているからです。宇宙が陰陽の調和を形成して和動するので、拍子を合わせなければならないのです。

異性間で愛の調和を形成すれば、一つの円形運動をするようになります。異性が愛で一体となって愛の実を結ベば、神様は降りてきて、人間は上がっていくようになり、中央で出会うのです。神様がこの円形の求心点となって球形運動が行われるのです。求心点からは四方のどこにでも通じることができます。その求心点は、愛の調和が形成される所であり、生命が胎動する場であり、共生共栄主義の始発点です。そこには愛の力があるからです。ですから、宇宙のすべての作用と包容の力は、愛なのです。

人間にとって、愛は永遠なものであり、二つではなく一つです。男性と女性が愛で結ばれれば、地上において偕老同穴を果たさなければならず、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つですが、一つになって回ることにより、一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様のように回って愛の四位基台を造成するのですが、それが正に、愛の理想世界です。そこには偽りの愛が侵犯できず、ただ真の愛のみが臨在するようになります。神様を中心として、男性と女性が祝福を受けて完成した位置に立てば、神様はいつでも訪ねてこられるようになります。愛の四位基台を造成すれば、相手側の体を通して心まで愛するようになり、心を愛するようになれば、体まで従ってくるようになっているのです。

真の愛に酔った本然の人間 この世で最も神聖なものとは何でしょうか。真の愛です。真の愛は、神様から出発します。神様が存在されるならば、それ以外の道はありません。神様が心から願うのは真の愛の道であり、真の愛の道を通らなければ、神様のみ前に出ていけないということを知らなければなりません。神様は、愛を通して、見て、聞いて、食べて、触れてみたいというのです。人間も、神様から愛の口づけを受けたならば、内部が爆発するような喜悦を感じるでしょう。神様の願いはここにあるのであって、ダイヤモンドや宝石を所有したといって、うれしいとおっしゃるのではありません。

人間の体を見れば、人体は五官をもっています。人間は誰でも五官の認識によって真の愛を感じ、確認するようになっています。目が真の愛に向かっていれば、その目は真の愛に酔うようになっています。酔った瞳の色は、どれほど美しく輝くでしょうか。真の愛に酔っている人のほほえむ唇は、どれほど魅力的なのか、考えてみてください。人間の五官が真の愛に酔って動く姿、神様に向かって動く五官の調和が、どれほど美しいかを想像してみてください。そのような美しさを通した喜びを、神様お一人では体験できないのです。そのような美しさは、実体的な相対がいてこそ体験できるのです。これが、神様が人間を創造された目的でもあります。

真の愛に酔った瞳を見つめみたい、唇に口づけをしたい、心の旋律を一度奏でてみたいという、美しい男性と女性がいるとすれば、神様はどのようにされるでしょうか。真の愛の女性がいれば、その女性の心情世界を旅行したいという思いをもつはずです。美しい女性の心情世界、心情圏がどれほど広く深いかを確認したいという衝動が起こるはずです。神様は、御自身が天地を創造された以上に美しい内容を所有したアダムとエバの心情世界を旅行したいと思われたでしょう。

神様は真の愛の人間に対して、宇宙を旅行すること以上に、その心情世界を旅行したいという思いをもたれるのは確実であり、アダムとエバの真の愛の心情世界を永遠に離れたくないという思いをもたれるでしょう。神様が人間を造られたのち、人間の真の愛に溺れて愛の迷子になったならば、世の中はどのようになっていたでしょうか。人間の中に神様がお住まいになるので、神様と人間が一つになって造り出した世界は、喜びと美しさが満ちあふれた世界であるということが、はっきりしているのです。

真の愛が完成したならば、感応される神様は、その真の愛に頭まで浸(つ)かっても後悔なさらないでしょう。真の愛の中であれば、どのようなことが起こっても、ひたすら喜ばれる方が神様です。真の愛の世界で人類が暮らすとすれば、一生、後悔のない幸福な生涯になるでしょう。また世の中に戦争の歴史もないはずであり、不満や不幸のない世界になるでしょう。

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第三章 創造本然の男女の愛 創造本然の男女の愛 男性と女性が愛し合っても、それが、神様の立てようとしたみ旨と一致するか、また神様が人間に願ったその基準に一致するかが問題になります。男性と女性が愛し合うとき、神様がお考えになるモデル的な愛と一致するかということです。神様を中心として、最初の男性と女性が愛によって一つになっていたならば、それは、愛を中心とした宇宙のモデルになったでしょう。神様も人間に、そのような愛を願われたのです。男性と女性も同じように、互いに相手に対してそのような愛を願ったでしょう。そのような真の愛は、宇宙の核にならざるを得ません。一つの標準型になるのです。

神様の愛と人間の愛は、本質的に同じです。愛は一つになろうとする力です。男性と女性が互いに恋しく思う理由は何でしょうか。男性は女性を、女性は男性を通してのみ、神様を所有できるからです。なぜなら、男性と女性が愛によって一つになった場に、神様が臨在されるからです。

二性性相の母体が神様であることを考えるとき、男性と女性の尊厳ある価値を賛美すると同時に、神様の貴い価値をさらに賛美できる人にならなければなりません。

男性の心の中には、神様が愛される女性がいて、彼の対象である女性の心の中にも、神様が愛される男性がいて、共にたたえるようになる場合には、神様もそれを見て喜ばれ、あらゆる万物も互いに喜ぶようになるでしょう。彼らが互いに抱擁する喜びの内容が、天と地が共に喜ぶ価値となるのです。男性と女性が互いに喜んで抱擁するそれ自体が、宇宙が一体になる場となります。神様の理想の中で形成される創造本然の姿は、そのようなものです。

本来、男性は自分が喜べる女性を迎え、女性もやはり、自分が喜べる男性を迎えなければなりません。それだけでなく、その限界を超えて、神様も喜び、すべての万物が喜ぶ出会いでなければなりません。そのようになれば、この世のすべての存在物がその夫婦のために動員され、彼らに主管を受けることを願うようになります。鳥は彼らのために歌を歌い、蝶は喜びながらひらひら舞うようになるのです。神様も喜ばれ、人も喜び、あらゆる万物も喜ぶのです。このような立場に立って、人間の先祖が歴史を出発させていたならば、それこそ創造本然の理想世界になっていたでしょう。

男性と女性が生まれた理由 本来、男性が生まれた本当の意味はどこにあるのでしょうか。女性のために生まれたことを否定できません。その反対に、女性は女性のために生まれたのではありません。男性のために生まれたという事実を自らが確信できなければ、問題が生じるのです。これを、天地創造の大主宰であられる神様が創造の原則としたので、その原則に従っていかなければ、善で、真で、幸福で、平和な世界、あるいは愛と理想の世界に入っていけないというのです。

女性は男性に出会うために生まれ、男性は女性に出会うために生まれました。これが最高の真理です。この原則に従って祝福圏を訪ねていかなければなりません。最高の真理圏を離脱することは、最高の悪になるのです。

男性と女性は、生理的に反対です。一般的に女性は一方的なのに比べて、男性は三方、四方的です。また、女性は主に家の中にとどまっていますが、男性はあちこち、世の中を歩き回るのです。このように性格が反対です。それでは、このような主体的な男性と相対的な女性が、何を中心として一つになるのでしょうか。愛を中心として一つになるのです。人間と神様を一つにさせるのも愛です。男性の骨格が女性よりも大きいのは、自分だけが稼いで生活するためではなく、子女と妻を養うためです。男性がもっている器官と女性がもっている器官は、互いに異なります。それを誰のためにもっているのでしょうか。それは、自分のために生じたのではありません。男性のものは女性のために生じたので、女性のものです。女性のものは、もちろん男性のものです。

男性と女性の愛の象徴は何でしょうか。愛の終着地点はどこですか。男性と女性が一つの体になるようにする性の器官です。それは、愛を中心として心と体が完全に合わさることのできる通路となるのです。男性がもっているものは男性のものではなく、女性がもっているものは女性のものではありません。男性は女性のものをもっており、女性は男性のものをもっているのです。生まれたのは、自分のために生まれたのではありません。相対のために生まれたということを、はっきりと知らなければなりません。

なぜ、男性と女性が地球上に生まれたのでしょうか。互いに愛し合うために生まれたのです。神様は知恵の大王であられるために、愛の器官を互いに取り替えてあげたのです。男性のものだといっても、その主人は男性ではありません。女性の場合も同じです。主人を差しおいて自分勝手に行動した人は、愛に違反したことに対する審判を受けなければなりません。法の中でも最も恐ろしい法の罰を受けることを知れば、夫は自分の妻をさておいて、他の女性のことを考えたりすることはなく、反対に妻は、夫を放っておいて他の男性のことを考えたりしないのです。

男性と女性は互いに絶対的に必要な存在 愛は絶対に必要なものです。その愛に絶対に必要な要素は人間です。男性と女性です。女性には男性が必要であり、男性には女性が必要です。どれほど必要でしょうか。国よりも、世界よりも、さらには神様よりも、もっと必要なのです。女性がいなければ、百年もたたずに人類は滅亡します。ですから、男性がいくら天下を統一したと威張っても、女性がいなければ百年以内にいなくなるのです。ですから、女性が絶対に必要です。

「人」と言えば、男性と女性のことを意味します。一人の男性について見れば、女性がいなければならず、女性について見ても、男性がいなければなりません。その男性は、自らが願って生まれたのではありませんが、その男性に必要なその女性も、自分が願って生まれたのではありません。生まれてみたら、男性であり、女性だったのです。

自分は知らずに生まれましたが、自分を生んでくれた方は知っていたというのです。自分が女性として生まれたのは、自分を必要とする男性がいるからです。同じように、自分が男性としてこのように生まれたのは、自分を必要とする女性かいるからです。すべて知って、そのように生まれたというのです。

男性にとって絶対に必要な存在は女性です。神様を絶対に必要とする前に、女性という相対的な存在がいなければなりません。人類歴史が不幸だったのは、男性が、絶対に必要な存在として女性を正しく認識できなかったからです。同じように女性も、絶対的に必要な存在は男性であることを知らなかったのです。真の愛の味を感じるためには理想圏をもたなければならないのですが、男性には女性が必要であり、女性には男性が絶対に必要です。真の愛のための絶対的男性と女性は、一心に努力することによって結ばれ、絶対的男性と女性が一つに結ばれたとき、神様が二人の真ん中に臨在するようになるのです。真の愛によって結ばれた夫婦が別れるのは神様も嫌うので、絶対的男性と女性の愛は永遠になるのです。

神様は、全知全能の方ですが、その絶対的な存在も、お一人では何の意味もありません。それと同じように、ある男性が美男子で、健康な人だとしても、女性がいなければその意味がないのです。自分の容姿や健康に酔って一人で生きる男性や女性は、どこにも使い道のない存在にすぎません。そのように自己陶酔に陥って生きる男性や女性が世の中に多いことが問題であり、歴史が悲劇として流れてきた原因でもあったのです。自己陶酔に陥って回っている世の中を改善し、変化させてきたのが、神様の摂理だったことを知らなければなりません。

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地上生活は霊界に拍子を合わせるための訓練 私は霊界の体験をたくさんもっている人ですが、霊界は愛の成分で覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界は愛によって包まれている所です。人間は、地上で空気を吸ってガスを吐き出しますが、霊界では愛を吸いながら暮らすようになっています。霊界は、今日の人間の世俗的な愛を中心として愛し合うようにはなっていません。霊界で愛し合う愛は、真の愛です。

霊界に行ってみれば、その世界は次のようになっています。父母、夫婦、兄弟姉妹、子女に対する愛を十分にもった人、すなわち家庭生活で深い愛の経験をした人は、多くの自由を享受できるのです。その人は、何の制限もなく、どこにでも、どの方向にでも行けるのです。その反対に、愛の経験のない人は心が狭く、霊界でも自分一人で孤立していて、自由が全くありません。父子間の愛は縦的な関係であり、夫婦間の愛は横的な関係であり、兄弟姉妹間の愛は旋回して取り囲む関係です。この三つの関係は、互いに異なります。

ですから、地上でこの三つの互いに異なる方法で、深い愛の経験をもってこそ、制限なく縦的に、横的に、円形に旋回できるのです。例えば、父母が早く亡くなることによって、父母の愛を味わえなかった人は、とても重要な愛の経験ができなかったために、かわいそうな人であり、同じように家庭生活、すなわち夫婦関係を経験できなかった人は、生の重要な部分が不足しているので、霊界では非常にみすぼらしい人になります。また、兄弟姉妹の心情を体恤できなかった人は、すべての分野の欠乏によって、完全な愛の人生を生きられなかったので、霊界で哀れな立場に置かれるのです。

皆様はなぜ結婚しなければならないのでしょうか。父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛を体験するために結婚するのです。それでは、それがなぜ必要なのでしょうか。霊界に拍子を合わせる訓練をするために、家庭をもたなければならないということを知らなければなりません。愛の空気が満ちあふれた所が霊界ですが、これを感じられずに行く人は、向こうの国に行って拍子を合わせられないのです。このような愛の空気のにおいを嗅ぐ鼻がない人と同じだというのです。

皆様は、父親と母親から生まれました。その次に、さらに根本的なことは、父親と母親のおなかを借りて、神様から生まれたという事実です。皆様は宇宙の父母を通して、肉身の父母を通して、真の父母を訪ねていくのです。ですから死の瞬間は、真の父母に会いにいく歓喜の時間です。そこには、真の父母の真の愛があります。そこを天上天国と言います。そこの構成要素は愛であり、そこは父母の愛で満ちあふれているのです。

その愛は、私のためのものではなく、奉仕と犠牲の原則のもと、一方的な法度に通じる愛です。そこに合格するためには、宇宙を愛し、人類を愛さなければなりません。地上生活は、そのような愛のための訓練場です。

この地上での生活が、どれほど重要か御存じですか。一度しかありません。瞬間ですが、一度しかないのです。地上生活を永生に比喩すれば、これは一つの点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。しかし、この瞬間のときに、肉身生活を越え、霊界のために準備しなければならないのです。

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愛のセンターを訪ねていく人生行路 人間は、愛によって生まれ、父母の愛の中で成長し、横的に愛を広げていきながら成熟するようになります。横的な愛は、異性の相対に出会って一つの段階を完成するのですが、天地の愛を代表できる基準に入れば、その結実として子女をもつのです。子女は、核心的な心情の位置で生じた愛の結果として生まれます。男性と女性が心情的な愛を与え合うことで生まれた息子、娘は、愛の核心に通じる道をつくってくれるのですが、そのセンターを通っていけば、正に神様と出会うのです。

人間は、愛の結実として子女をもつことによって、神様が万物を創造し、人間を創造された愛を体恤するようになります。また、父母の愛によって生まれて受けた愛を、子女を愛してみることによって、父母の心情を体恤するのです。父母が子女に注いできた愛は、物質的な愛ではなく、本質的な愛です。天地が変わっても、歴史が変わっても変わらないのが、父母が子女に与える愛です。父母になって子女を愛することにより、神様が人間をどのように愛してこられたのかを推し量るようになり、体験を通して確認するのです。父母になり、子女を愛することによって、父母が私をどのように愛し、どれほど愛したのかを感じ、悟るようになります。そうして、老いた父母をさらに敬い、愛によって孝行の道理を果たすようになるのです。そうできなければ、父母の資格がないだけでなく、子女に対する愛も、偽善であると言わざるを得ないのです。

人間は、父母になって子女を愛してみることによって、神様が人間をどれほど愛してこられたのかを感じ、悟らなければなりません。また、神様をより一層、心から愛さなければなりません。子女よりも、老いた父母をもっと愛するべきであり、老いた父母よりも、神様をもっと愛さなければならないのが愛の秩序であり、法度であることを知らなければなりません。

人間は生まれるとき、愛によって生まれ、生まれてからは愛を受けながら、幼い時期を成長するようになります。しかし、ある程度まで成長すると父母の愛だけでは足りなくなり、兄弟間の愛と氏族の愛を中心として、横的な愛を広げ始めるのです。すなわち、天宙間のすべての愛を受けながら成熟していきます。特に思春期に入ると異性間の愛を切に求めるようになりますが、異性間の愛によって、総合的な愛の圏に入るようになり、初めて愛のセンターを訪ねていけるようになるのです。

天地は球形の世界なので、横的な愛を分かち合い、回転しながら円形を一次的に形成するようになります。特に、異性を相対者として選んで愛を与え合うとき、その結実として子女が生まれて父母になるのですが、このとき、互いが相互間において愛を与え合って回転すれば、横的な愛に続いて縦的な愛も完成するようになり、球形世界を形成すると同時に愛のセンターを探し出すようになるのです。愛の運動を通して生じた愛のセンターは、すべての被造世界の存在の核でもあります。地球が存在するのも、この愛のセンターを中心に運動を続けているからです。愛のセンターは、運動を継続できる無限な力が集まった所です。このような愛の球形を通じて生じるセンターは、正にその場に神様がいらっしゃる所でもあります。ですから、世の中に存在するすべての被造物は、神様の愛によって創造され、存在し、神様の愛のセンターを訪ねていくのです。神様は、正に愛の溶鉱炉です。

三時代を生きる人生路程 人間は、母親のおなかの中で過ごしてから生まれ、一定期間を地上で生きてから死を迎えるようになっています。人間は、世の中に生まれる前に母親のおなかの中で十ヵ月を過ごします。おなかの中にいるとき、幼い胎児の自由には限界があります。胎児は、母親の栄養をへその緒を通して受け取って成長しながら、両手を伸ばしたり引っ込めたり、口を開けたりすぼめたりし、両足でばたばたするのが精いっぱいです。しかし、その胎児にとっては母親のおなかの中が自由天地であり、生の全領域なのです。その胎児は十ヵ月目に世の中に生まれて育っていきますが、それ以後の世界が、今日、私たちの暮らしている現在の地上世界であり、人間社会なのです。

人は愛のために生まれました。ですから、真の父母の愛に根を下ろし、母親と父親の保護と愛の懐である腹中で育ってから生まれ、二十歳までは分別もなく、寝床が湿っていても乾いていても父母から責められることもなく、汚い物でもそれを忘れて、すべて喜んで消化できる愛の中で育ち、そして愛の相対者に出会い、互いのために生きる天理の愛に接ぎ木しなければなりません。そのような一生の過程を通過しながら、神様の愛がどのようなものかを体験してこそ、神様の対象愛の実体圏が完成するので、息子、娘を生んで、愛するようにさせるのです。

この世に生まれた人間は、胎児のときの母親のおなかの中にたとえられる宇宙で生きています。一言で言えば、宇宙という母親の懐の中で、人間の百年の生涯を生きているのです。胎児が、母親のおなかの外の人間の世界を知らなかったように、今日、地上世界で生きている人間は、死後の無形実体世界に対する実在が分からずにいます。ただ、母親のおなかの中の胎児が地上世界の存在について分からなかったのと同じように、自分たちが分からないだけで死後の世界もあるかもしれないという、漠然とした心証をもつだけです。しかしはっきりとしていることは、人間の死後の世界に関する心証的な証言に関わりなく、霊界は確実に存在しているということです。しかし死後の世界は、人間が感知できる五官作用の外にあるので、宗教を通した信仰をもって、不信を克服しなければなりません。

人間の人生には三時代があります。動物界にも水中時代があり、陸地時代があり、空中時代があります。すべてのものがこの三時代を経なければなりません。人も同じです。万物の霊長として、すべての万物を主管できる資格を備えるためには、人にも水中時代があって、どのような存在よりも完全な生活体を備えなければなりません。次に陸地時代があって、どのような動物よりも最高の資格をもった存在でなければなりません。その次には空中時代がなければなりません。ところが人には、翼がないのです。

翼がないのにどのようにして飛べますか。飛び回るどのような鳥よりも、どのような昆虫よりも、高く飛び、遠くにも飛べなければならないというのです。そのためには、どのようにしなければならないのでしょうか。それは、実体である肉身をもってしてはできません。いくら飛び跳ねてみても、飛ぶことはできません。しかし、人は万物の霊長であり、神様が霊的な存在なので、主管権をもとうとしたり、相対的立場に立とうとしたりすれば、その活動舞台が神様と同じでなければなりません。電気や光で言えば、光の速度は一秒間に三十万キロメートル進みます。しかし、それよりもっと速く移動できるのが人の霊人体です。

私たちはこの世に住んでいますが、この世だけがあるのではなく、霊界があります。それでは、私たちが行くべき所、私たちが行って暮らすべき所はどこでしょうか。霊界です。霊界は、愛の空気が満ちあふれた永遠の世界です。ですから私たちの一生は、永遠の世界に入るために準備する期間なのです。

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神様の愛はどのようなものか 皆様が神様の愛を一度調べてみてください。神様の愛をどのように表現できるでしょうか。それはまるで、暖かい春の日に、空には白い雲がふわふわと浮かんでいて、地にはかげろうがぼんやりと立ちのぼり、虫が飛び回って、ありも世の中を見物しようとちょろちょろと巣を出たり入ったりし、さらさらと流れる小川のほとりには猫柳の花が芽吹き、蛙は春の日の新しい歌を歌い、群れをなして飛んでくる蜂や蝶を見て喜ぶ、そのような環境と同じです。そのような環境に酔って、まどろみそうで、気分が良くていつまでもこうしていたいと言える、そのような味だというのです。

神様が探し求められる理想相対を中心として感じる気分は、このように蝶が飛び、蜜蜂が飛んでくる花の園のようなものです。これを考えただけでも気分が良いですか、悪いですか。この鈍い男性たちは、それが分からないでしょう。気分が良いというのです。懐かしい人に会えば、手を強く握って握手します。懐かしければ、手を強く握るのです。そのように喜んでつかめば、手がほどけないというのです。女性たちは、お嫁に行って夫が自分を愛してくれれば、気分がどうか一度考えてみてください。良いでしょうか、悪いでしょうか。人は率直でなければなりません。愛してくれるなら、この世の中に羨ましいことなどないのです。ずっと夫の横にぴったりとくっついて暮らすのです。

愛は永遠です。愛は二つではなく一つです。一つになるというのです。男性と女性がカップルになって愛し合えば、ぴったりくっついてしまいます。そのようにして理想の心情まで行くというのです。それが正に、神様の愛です。そのような愛をもって暮らせば、一つになるようになっています。

男性と女性が愛し合うようになれば、ありとあらゆることがすべて起こります。神様を訪ねていける道を知り、神様の愛を本当に味わえば、どうなるでしょうか。神様の愛は、世の中のどのようなものとも比較できません。そのような愛を味わった人がいれば、どのような苦難もその人を占領できず、どのような悲しみもその人を占領できないでしょう。そのような絶対的な解放圏があるはずです。これを探し出すことが問題です。

神様の愛は、大きく三大愛として現れます。それは父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三大愛が一つに一致する中心が、神様の愛です。

愛と喜びの相続のための神様の祝福 神様にとって、一番の栄光の新しい朝は、肉身をまとえるときです。そして、愛することのできる人(夫婦)をもつときであり、その次には、孫を愛せるときです。息子、娘より、孫を愛せるときがさらに栄光のときです。ところで、神様がアダムを造ってどれほどうれしかったかということを、どのように教えてあげたのでしょうか。「いやあ!私はこんなにうれしかった」ということを教えてあげなければなりませんでした。それは、息子、娘を生むことによって教えてあげられるのです。人は幼いとき、父母の愛がどのようなものか分かりませんが、のちに家庭を築いて赤ん坊ができれば、父母の愛がどのようなものかを知るようになるのです。「私の父母が、私を育てるとき、このように愛してくれたのだな」ということが分かるようになっています。ですから、子女が配偶者を得る日は栄光の日であり、その息子が子女を目にする日が栄光の日なのです。

神様の愛を知らなければなりません。父母の愛を知り、父母に侍ることができなければならず、夫の愛を知り、夫に侍ることができなければなりません。子女の愛を知り、子女に侍ることができなければなりません。子女に命令するだけではなく、侍ってみることもできなければならないのです。理解することもできなければなりません。それでこそ、神様の愛を理解できるのです。子女がいなければ、未完成状態です。神様の愛が分かりません。神様が子女としての人間を、どれほど愛したか分かりません。また、夫になってみなければ妻が分からず、妻になってみなければ夫が分かりません。子女も父母になるまでは、父母の愛がどのようなものかが分からないのです。ですから、息子、娘がいなければ、真の父母になれないのです。

父母が子女の結婚を願うのは、子女に父母の愛をすべて相続させ、伝授してあげたいからです。父母は死んでいきながら、子孫にその実体を残しておきます。ですから、子孫が必要なのです。愛は永遠に続くのです。愛は人間の最高の願望なので、万民が両手を挙げて相続しようとします。その愛を残しておくことにより、霊界でも堂々と神様のみ前に出ていけるのです。そのような愛を完遂できる所が家庭です。家庭を通して天国に行くというのは、すなわち、愛の一体圏が形成されるということです。

人間は、原理原則に従っていかなければなりません。春になれば種を蒔き、夏になれば生い茂り、秋になれば実を結び、冬になればすべてのものを整理して、新しい生命の根源を自分の内心に備えなければなりません。そのようにしてこそ、再び春を迎えるようになるとき、またこれが植えることのできる種になるのです。これは何の話かと言えば、これから皆様は父母となり、皆様のような息子、娘を生まなければならないということです。

皆様の息子、娘を、皆様のように育てなければならないというのです。

皆様は、息子、娘がいなければなぜ寂しいのでしょうか。それは、循環の回路が途切れるからです。鳥が雛に餌をあげるのを見れば、母鳥のこの上ない愛を知ることができます。東洋では、大人に対しては礼儀正しく敬い、息子、娘にはこの上ない愛を惜しみません。息子、娘を生んで育ててみることによって、父母が子女をどれほど愛したのかを悟るようになるのです。人間は誰でも、結婚したのちに子女を生んで育ててみなければなりません。そのようにしてこそ、子女の愛と父母の愛を所有できるのです。

息子、娘を生んで育てることを忌避する人が多くいます。自分たちが結婚し、離婚するときに息子、娘が妨げになると考えているので、子女をもつことをはばかるのです。しかし人間は、生まれて四位基台を造成しなければ、神様が人間を愛する心情を知ることができないので、天国に行けないのです。

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第二章 愛を中心とした人生行路 人間はなぜ生まれたのか 「生命が先か、愛が先か」というとき、果たしてどちらが先でしょうか。愛が先です。宇宙の根本は、存在の起源に先立って愛の流通がなければ、存在価値は出てくることができません。

生命が先ではなく、愛が先です。先になったものの前に、あとになるものは順応しなければならないので、愛のためには生命を捧げるのが当然なのです。このように収拾しておかなければなりません。「それでは、人生を正しく生きる道はどこなのか」という問題が出てきます。人生は愛から生まれたので、愛の道を行かなければならず、愛のために死ななければならないという結論が出てきます。小宇宙ではなく、大宇宙が歓迎できる愛を探して、神様が公認し、天使世界が公認し、万物が、さらには私たちの父母が公認できる大宇宙の愛の中に生まれ、その中で愛し、死んでいくのが、人生の目的だと見るのです。

人間とは、自分が希望して生まれた存在ではありません。それでは、父と母の希望によって生まれたのでしょうか。そうではありません。神様の希望によって生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して、新しい生命体として生まれたのが私です。そして、愛は全体を創造する力をもっています。宇宙の愛をすべて受けて、全宇宙の中心的な存在として生まれたのが、正に私です。愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、また愛を残すのが人生における最高の目的です。自分の家庭において、宇宙の中心である愛の使命を果たすのが、最も価値あることです。

人がなぜ生まれたのかということを知らなければなりません。人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありません。人は愛ゆえに生まれ、また愛から生まれたのです。それでは、愛は何ゆえにそのように偉大なのでしょうか。それは、生命の源泉だからです。皆様は、父母の愛の中から生まれました。お金を数えるところや知識を追求するところから生まれたのではありません。このように愛の中から生まれたので、愛によって結実しなければなりません。それで子女が必要なのです。夫婦が一つになり、息子、娘という相対がいるとき、完全なのです。人間自身も、愛を離れては存在できません。ですから、私という存在は、愛を土台として生きていくと言えるのです。

すべての万物も、その存在の始まりは神様の愛から出発しています。万物の存在が愛を土台として始まったとすれば、被造世界の中心存在である人間は、より一層、愛によって出発した存在であることを否定できません。人間は、愛から出発し、愛によって完熟するので、愛の基準を離れては生きられない存在なのです。

愛を中心とした創造本然の人生 人間が存在する理由とは何でしょうか。人間が存在する理由は、愛から始まりました。それでは、人間が存在する目的はどこにあると思いますか。それは、愛の理想を完成することにあります。人間は愛を原因として存在するようになったので、愛の基台を築いて拡張させ、連結して完成させることが目的になるのです。すなわち、出発が愛なので、目的も愛をもって到達しなければならないというのです。そのためには、相対的関係にある男性と女性が愛を中心として一つになり、前後、左右、上下に連結されなければなりません。

私たちはいくら絶対的な存在を確定し、いくら絶対的な目的を確立したとしても、そこでうれしくなければ何の意味もありません。生きて生活するのがうれしくなければなりません。生活は、目的のためにするのです。その目的を成就したというとき、そこには存在それ自体以上の新しい何かがあるはずです。男性なら男性、女性なら女性を中心として見るとき、彼らにとって何よりも貴いものは何でしょうか。愛です。愛だけが、これと連結させられる幸福の要因になるのです。人が目的をいくらよく立てたとしても、その目的を主管する主体的な愛の権威を立てられなくなるときには、再び新しい目的を追求しなければなりません。目的の限界点が、愛より上にはなり得ないのです。

皆様は、何ゆえに生きていますか。「食べるために」と答える人もいて、あるいは「仕事をするために」、または「何の目的もない人生を生きている」と言う人もいるでしょう。人間は何のために生きるのでしょうか。「愛のために生きる」と言えば、どれほど素晴らしい答えかというのです。人間は、愛の実として生まれ、愛しながら生き、永遠の愛である神様の懐に帰るようになっているというのが、創造本然の人生です。愛によって生まれ、愛の中で成長し、その次に、再び異なる次元の愛に連結されるのです。

誰でも、父母の愛を離れ、相対の愛を訪ねていきます。父母の愛は蘇生的愛ということができ、夫婦の愛は長成的愛ということができます。夫婦同士いくら愛し合っても、子女がいなければ愛の完成を見ることはできません。ですから、子女が必要です。これが完成的愛です。ですから、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を経る過程が人生の根本であり、神様の愛を中心とする創造理想を実現する根本の道です。

生命は愛から生まれます。愛から生まれ、父母から愛を受け、愛によって成長し、愛する妻に出会ってまた愛し、その愛の中で死んでいきます。これが人生です。ですから、悲しみと苦痛はあり得ないのが、本来の人生だというのです。

本来、宇宙の根本位置は、愛を中心として総合的に、縦横に同時に結合する基準ができることで、父母の愛と夫婦の愛、子女の愛が一つになる位置となります。その位置は、全宇宙が集中する場となり、全宇宙の細胞の方向が集中する場になります。霊界のすべての霊人が、ここに集中します。それだけでなく、この位置を誰も侵犯できないように保護するようになっているのです。ですから、この位置が破壊されれば、大変なことが起こります。それで、完全に保護を受けるためにはある形態が必要なのですが、その形態を統一教会の用語で「四位基台」と言うのです。

人間の永遠の生命の要素は愛 人間は胎児のとき、母から供給される栄養を受けただけでなく、愛を供給されました。そのように、地上で暮らしている人間も、宇宙(自然)から物質的な栄養を供給されるだけでなく、生命の本質的要素である愛を神様から供給されているのです。

すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するように、人間にとっては愛が生命の要素になるのです。私たちの希望は、永遠に愛と共に欽慕しながら暮らせる地上天国と天上天国が建設されることです。

男性や女性が行く道は、愛のゆえにあり、愛のためにあります。私の道は、愛の道です。愛を得るために、愛を守るために、愛の環境圏を築くために行くのです。女性が化粧をし、マッサージをするのも、愛のためです。何かを願うのも、仕事をするのも、すべて愛のためです。高貴な愛を得るために、苦難に打ち勝っていくのです。

私たちは生まれるときから父母の愛を受け、父母が生存している限り、少年時代、青年時代、壮年時代、どの時代においても、愛するのです。父母の愛を受けて成長すれば、横的な夫婦の愛が各自に起こるようになっているのです。

結婚とは何でしょうか。男性は女性について知らなかったことを学び、女性は男性について知らなかったことを学ぶために、家庭という愛の学校に入学するのです。すべての履修単位がAプラスになってこそ、夫も喜び、妻も喜ぶのです。さらに、息子、娘を生むのは、世界を愛する方法を学ぶためです。息子、娘がいなければ未来と連結されません。未来の世界と連結できる教育の材料として、息子、娘を与えたのです。そして、先祖や祖父、祖母に孝行するのは、霊界からの教育を受けるためであることを知らなければなりません。愛を中心として、これらすべてのものが連結されます。祖父と祖母、夫と妻、息子、娘が一つの愛を中心としてすべて連結されているのです。

私たちは、愛を中心として霊界の千万代の先祖までも尋ねて、行き来し、遠い子孫までも通じるのです。それが、霊界の組織であり、宇宙の組織になるということです。すべてのものがここに征服されてしまうのです。愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だと言えるのです。

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家庭は天宙主義を完結させる最終基準 すべてのものは、一つから多くのものに分かれ、結局、一つの大きなものに統合されます。すなわち、一つから様々に分かれ、一つに統合されるのです。ここからまた分かれて、より大きなものになる反復運動です。そこには家庭がありますが、形態は統合される前と同じです。家庭は夫婦になった所であり、その夫婦を一つにする所です。氏族は家庭を一つにする所であり、民族は氏族を一つにする所です。民族が合わさって一つの国家にすべて入ります。しかし、どこまでも家庭が中心になります。この家庭を展開すれば、横的な世界になるのです。

ですから、どのような社会だったとしても、家庭を除くことはできないのです。家庭を復帰できなければ、世界を復帰できません。その次には、その家庭を中心に天宙主義を完成しなければなりません。天宙は、天地を総合したものです。天と地は、人間において体と心と同じです。この体と心が一つにならなければなりません。一つの主体があれば、一つの相対が必要なように、一人の男性には一人の女性が必要だというのです。男性と女性が一つになった所が家庭です。この一つの家庭を中心としなければ、神様の愛の基盤が定まらないのです。

天宙主義というのは、体と心を合わせたのちに、神様の愛の本体になる家庭を築き、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は、家を意味します。それで、天宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要だというのです。

皆様が家庭において一つになれなければ、天宙主義と関係ありません。家庭こそは天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌を歌えず、幸福を賛美できない人は、この地上においても霊界に行っても、不幸な人になるのです。

天国は、どこからできるのでしょうか。私たちの家庭からできるのです。それでは、私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に家を意味する「宙」という字、すなわち天の家主義です。このようになってこそ、天宙という意味がはっきりするのです。ですから聖書六十六巻は、すべて理想的な家庭を願ったみ言です。また、万民が願うものは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。また女性として生まれて最も願うことは、理想的な夫に出会うことです。

女性がいくら博士になって世界に対して大きなことを言ったとしても、その女性の願いは理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会い、かわいい息子、娘を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。

それでは、天宙主義とはどのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局、この二つの主義は、父母の主義です。これは、私たちの家主義であり、私たちの国主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったならば、世界はアダム主義になっていたでしょう。そのアダム主義が、正に真の父母主義です。父母主義だというのです。これ以上の主義はあり得ないのです。そのため、統一教会は心情的な問題を、この本然の理想的な家庭の範疇の中において、真の父母という理念を中心として、天の主義と結びつけなければなりません。このような理念で制度化された家庭の関係が残っている限り、統一教会は滅びません。

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家庭は心情的な訓練場 私たちは、心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても、心情的な喜びを表せる所がなければ、生きられないのです。自分が率いる人々や閣僚、もしくは追従する人々に対しては、心情的な満足を感じられません。それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じなければなりません。そうして、その喜びを他の人に誇れなければならないのです。その喜びは、一次的な喜びであって、二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭のない神様は喜べないというのです。結局、家庭がなければならないのです。

家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では師を中心としなければなりません。父母は自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、このようにして情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校とは何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場であれば、学校は社会生活のための実験的な訓練場です。だからといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかと言えば、国に帰結するのです。

国には国王がいます。人々がみな、大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、その次にどこに行くのかと言えば、より大きな所に行くのです。大統領と言えば、蘇生と長成の段階を越えて、三つ目の完成段階の結実です。種は根から始まって、循環作用をして分かれます。分かれてから再び合わさり、花が咲いて実を結ぶのです。そのため、学校は国のための貴重な棟梁、すなわち人材を養成し、国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強は、訓練です。ですから、学校は訓練場であり実験場です。訓練は、実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはいけません。

家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから、愛情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、愛情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のそのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるというのです。父母は、情緒的なすべてのものを子女たちに伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きるべきであり、社会ではこのように生きるべきであり、国のためにはこのように生きるべきであるという情緒的基盤をつくってあげなければならないのです。

皆様が家庭を見るとき、家が良く、その周りの環境が良いからといって、良いのではありません。反対に、いくら環境が悪く、家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の生涯と生活のすべての基準を関係づけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、父母と子女の間に、互いにために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので、私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。

人間の永遠の本郷は家庭 家庭は良い所です。なぜ良いのでしょうか。母と父がいるから良い所であり、姉や兄がいるから良い所であり、弟や妹がいるから良い所であり、親戚がいるから良い所です。ですから、人間なら誰でも本郷の地、すなわち故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷にもっと思いを馳せるのです。大韓民国が好きでありながら、大韓民国に住みたいと思いながら、また大韓民国で暮らしながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、自分の心情を四方に、立体的にすべて引き上げる所です。

その心情は、愛によって結びつけられています。上には母と父が結びつけられており、左右には夫婦の関係が結びつけられており、下には息子、娘、親戚が立体的な愛によって固く結びつけられているところが本郷です。人は、真の愛を中心として幸福の基点を最高に求めるので、本郷を慕わざるを得ないのです。

それでは、神様の本郷はどこでしょうか。この地球星において、神様の本郷の地はどこなのでしょうか。愛の神様であれば、この地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですが、その基点はどこかというのです。それを知るためには、神様がその基点を整えるために、どのように準備してこられたのかを知らなければなりません。神様の家庭を整えられる、本郷の基点になる所は、他の所ではありません。神様を本当の父だと知っている息子がいる所です。すなわち、神様の愛を独占できる息子、ひとり子がいる所です。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して、完全な家庭を築く所です。

それでは、その本郷の地には、誰がいなければならないのでしょうか。会いたい人々がいなければなりません。父母がいらっしゃらなければならず、兄弟がいなければなりません。そして、会いたい人がいなければなりません。また、そこで一緒に暮らしたいのですが、一瞬だけではなく、永遠に一緒に暮らしても嫌にはなりません。そのような所を訪ねていかなければなりません。そこが、宗教で目指す天国です。

私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にどこの誰よりも近い父母がいて、兄弟がいて、親戚がいて、いつも私を導いてくれ、また私がいつどのようなときに訪ねていっても、私を昔のように迎えてくれ、私が困難に遭えば、その大変な事情に同情しながら慰労してくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそうでなければ、本郷が懐かしく、喜んで訪ねていっても、切実に慕っていた当時の心情は消え、かえって嘆息の思いをもって帰ってくるというのです。本郷の地には、必ず迎えてくれる人がいなければなりません。

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愛の王国に入籍するための愛の修練場 愛の王国を築くことが、神様のみ旨です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようというのが神様のみ旨だというとき、小学校の卒業から大学、修士、博士卒業までパスできる実験場がどこかと言えば、家庭です。家庭を拡大すれば世界です。世界をよく見れば、祖父と祖母が住む世界、その次に、叔父と叔母が住む世界、兄と姉のような人たちが住む世界、青少年が住む世界、子女たちが住む世界があります。ですから、老年から壮年、中年、青年、少年が集まって住むこの場は、形が大きく、数が多いだけであって、家庭を拡大したものなのです。

家庭は天国に入っていける最小単位の修練所であり、教材です。人類を自分の兄弟姉妹のように愛し、父母のように愛し、息子、娘のようにために生きられる家庭だけが、天国を相続できるのです。これは驚くべき事実です。神様が造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権がここにあります。

家庭は、霊界に行く時に天の国の平和の王宮に入籍する権利を得るための愛の教科書です。家庭が愛の修練場だというのです。自分の家庭を愛するように、その家庭を中心として神様を愛するように、全世界の人を愛せば、それが天国に続くまっすぐな道となるのです。したがって、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)というのが第一の戒めです。第二は、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二•三九)というものです。神様を愛して人類を愛せば、すべて終わるのです。それができなければ、いくら修養してもすべて無駄です。

宗教者がいくら修業を積んだとしても、神様を愛することを知らず、人類を愛することを知らず、宇宙を愛することを知らなければ、すべて落第だというのです。家庭において、全体宇宙を縮小させた修練所のような公式過程の愛を体験して拡散させ、世界を愛さなければなりません。そのようにできる訓練場として引き継いだのが、皆様が成長した、母と父が住む家庭だというのです。

ですから、自分の妻を愛する以上に父母を愛し、息子、娘を愛し、人類を愛し、神様を愛せば、すべてOKです。だからといって、自分の妻を捨てなさいというのではありません。そのようにすべての人を愛せば、その愛を受けたすべての人々が、自分の妻を愛するようになるのです。それ以上、栄光の場がどこにあるでしょうか。自分の妻を愛そうとするならば、そのようにしなさいというのです。

家庭は天国のモデルであり教科書 子女の立場にいる人は、どのような運勢を受けなければならないのでしょうか。祖父母と父母の運勢を引き継がなければなりません。祖父母はなぜ必要なのでしょうか。過去を代表するからです。祖父母は、過去の生きた歴史を代表します。その次に、父母は現在を代表します。そして、子女は未来を象徴します。そこには東西も入っており、南北も入っています。そして、全体の中心です。祖父母の中心、父母の中心、子女の中心、神様の中心、このすべてのものが真の愛を中心としたものなのです。ですから、祖父を愛し、祖母を尊敬するのは、過去をすべて引き継ぎ、過去の世の中を学ぶためです。父からは現在を学ぶのであり、子女を愛するのは未来を学んでいくことです。祖父と祖母、母と父を通して、何を引き継ぐのでしょうか。真の愛を引き継ぐのです。「祖父と祖母は年を取っているが、二人が真の愛と一つになっていて、母と父が一つになっているから、私たちもあの方々のようになって、未来に引き継ごう」というのです。ですから、真の家庭にならなければ、絶対に未来に引き継ぐことができないのです。

家庭のこの三代を見れば、それは宇宙を見るのと同じです。宇宙の愛は、現在と未来を代表した真の家庭にあります。動物世界を見ても、雌を愛し、雄を愛しますが、これは宇宙の愛を学べる教科書です。祖母がいなければ不安定です。祖父がいなくても不安定であり、どちらがいなくても不安定です。二人が一緒にいてこそ、そのまま天の国に移っていくのです。祖父母、父母、子女がいてこそ、そのまま天国に行くのです。真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国に入っていけるのです。天国のモデルであり教科書が、真の家庭です。

家庭は、天国を築くための教材です。天がつくっておいた教材です。世界のどこに行っても、祖父の年齢の人を自分の祖父のように愛せば、その人は天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人を自分の父母のように愛する人は、どこに行っても通じます。万国共通です。霊界に行っても境界線が生じないのです。万国の若者を自分の息子、娘だと思う心をもてば、その人は、十二の真珠門があり、十二の方向があっても、天国のどこにでも通じるというのです。ですから、家庭は天国と関係を結ばせるための教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すれば神様の息子、娘、すなわち聖子になるのです。人間は皆、そのような欲望をもっています。

皆様は五色人種の息子、娘を抱き、その孫と孫娘を抱くことができなければなりません。そうして、神様の真の愛をもって、真の父母として世界の人を愛する家庭の主人になったという立場に立たなければなりません。神様の愛を中心とした本然の父母の関係の中で、真の愛の家庭基準を代表できる立場に立つことにより、初めて天国に入っていけるのです。

家庭は三時代の愛が結集した核心体 歴史を抱き、現代を抱き、未来を抱くことができるのが家庭です。ですから、神様が今まで六千年を経ながら探し求めてきた最後の基点が、正に家庭です。その家庭は、愛が連結された、愛によって結束した家庭です。存在するすべてのものは皆、真の愛の主管を受けるのです。根源的な愛、絶対的な愛の関係を離れることはできません。このような家庭をつくるのが、神様が創造当時にアダムとエバに与えた本来の使命でした。

神様は、男性のアダムと女性のエバとしてだけで終わるのではなく、互いに結合して築く新しい家庭を夢見られたのです。これが、神様が男性と女性を立てられた第一次的な出発の起源です。ですから、真の家庭を探し求め、その家庭圏内で神様の愛を中心として、この世で充足を感じられる境地に入って生きてこそ、天国も無事に通過するのです。そのようになってこそ、この世界も越えられるのです。

愛の家庭圏を形成するためには、絶対的でなければなりません。自分が一つの時代において一人の相対を愛するのは、神様が世界に対するのと同じです。ここにおいて父母と夫婦と子女が一体となり、天宙を代表して「私たちの愛を見習いなさい」と言うことができ、子孫に対して「私たちに従いなさい」と言うことができ、内外共に主張できる心の本郷、天情が通じるその場所は、天地に記憶されるでしょう。

今まで神様は、何を探してこられたのでしょうか。主体を探してこられたのではありません。理想的な対象を探してこられたのです。神様を手本とし、御自身が造った世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。このような結果的な一つの基点は何でしょうか。家庭です。家庭より宇宙を代表できるものはありません。父母と一つになるのは、歴史と現実が出会うことです。ここで私は、父母を愛することによって過去を愛することができ、相対を愛することによって現実を愛することができ、子女を愛することによって未来を愛することができるのです。ですから、私は三時代の愛を体験できるのです。この三つの愛が結集した核心体が、正に家庭です。

それでは、天国生活はどこからでしょうか。家庭からです。他の所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏から外れたものではないというのです。ですから、皆様が自分の妻や夫を抱くときは、世界のすべての男性と女性を代表した二人が一つになるのだと考えなければなりません。このように、世界人類を愛したという条件を立てられる場所が、正に家庭です。皆様は、そのように生きていく道を訪ねていかなければなりません。父母を愛するのは歴史と現在を連結させることであり、神様が訪ねてこられる道を整えることです。ですから、父母を愛さなければなりません。歴史的な存在と時代的な私を連結させること、すなわち過去と現在を一つにすることが、父母を愛することです。また、自分を中心として子女を愛することは、現実と未来を連結させることです。そして、このような愛を、千年、万年たたえるようにしようという思想が「統一思想」です。

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14.天国を開く門 真の家庭 このみ言は八大教材教本の一つであり、私たち人間が生きていくうえで必要なみ言を、真の父母様がまとめてくださったものです。

第一章 家庭は天国の中心モデル 家庭はすべての存在の中心モデル 人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様は上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形を備えるのです。

皆様の上下、左右、前後の関係、そして家庭の問題や国の問題、世界の問題を扱うにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません。

これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭モデルを築くのです。

モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心です。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様まで行かなければならないというのと同じです。皆様は、宇宙の中心になりたいという気持ちがあるというだけではなく、そのようにもなれるのです。このように、宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴するので、女性は結婚することにより、どこでも夫の位置に従っていくのです。西が太陽の光を浴びて輝くとき、東と同じ価値をもつのと同じです。

兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として仕事をするとき、弟たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子関係をもたなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係をもたなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけないというのです。

この中心点が狂えば、上下、左右、前後の関係の均衡がすべて崩れるのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まですべて合わせて七数を形成するようになるのです。このように七数を形成するということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、これらすべてが完全に球形となって、調和と統一を成し遂げる家庭になるということです。

真の愛が永遠に変わらない限り、この中心核も変わらないで永遠に回るようになり、真の家庭理想が成就されるようになります。また、すべてのものが核から連結されるので、この中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等な価値になるのです。祖父が願えば孫は反対せず、息子、娘もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うのです。祖父、祖母、夫婦、息子、娘、すべて中心に合わせるようになります。

この愛を中心として見るとき、父子関係も一つなので一体であると言い、夫婦関係も一体であると言い、兄弟関係も一体であると言うのです。一つの体です。何を中心としてこのような関係を一体であるかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。

家庭は宇宙の愛に接することができる愛の教材 宇宙とは何でしょうか。被造世界のすべてのものは、神様が愛する息子、娘が愛の理想を探し求めていけるように、教材としてつくっておいたものです。それで、すべてが相対的構造です。鉱物も主体と対象の関係として作用します。原子もそうです。陽子と電子も、主体と対象の関係として作用します。作用しなければ存続できません。運動をしなければ、、永続、存続できないというのです。ですから、宇宙は人間を中心として、その中点に到達できるように創造された世界だというのです。

宇宙は、家庭を拡大したものです。愛を完全に完成した家庭を見れば、上中下(父母、夫婦、子女)があり、左右があり、前後があります。これが原則です。それで、上下と言うときは父母と子女のことを言い、左右と言うときは夫と妻のことを言い、前後と言うときは兄弟のことを言うのです。このような全体が、何によって一つになれるのでしょうか。力や知識やお金でもできません。それでは、どのようなものでできるのでしょうか。真の愛です。これは間違いない真理です。そうでなければ、球形にならないのです。

上中下の関係は、私たちの家庭において愛の教材です。宇宙の愛に接することのできる愛の教材です。そのようなことを、社会に出て実践しなさいというのです。どのように愛するべきでしょうか。イエス様も「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二•三九)と言いましたが、どのようにすればよいのでしょうか。漠然としています。世の中に出ていって、老人に接するときは、皆様の祖父、祖母のように侍りなさいというのです。自分の母と父、息子のように接しなさいというのです。世の中に出れば、そのようにしなければなりません。上中下と前後、左右の関係に当たる人たちが、世界という展示場に展示されているのです。人の博覧会が世界だというのです。皆様がそのような愛をもってすべてのものを愛することができれば、その中に神様が共にいらっしゃるのです。

天国とは何でしょうか。自分の家庭のように、世界の人を愛せる所が天国であり、そのような人が天国の民です。祖父母、父母、自分たち夫婦、子女、この四代は何でしょうか。天の国の民として、宇宙の真の愛を体験するための教材が家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だというのです。

私たちは、宇宙の愛を学ばなければ生きていけません。神様は教本や経典のようなものをつくり、「あなたの祖母、祖父を愛しなさい。地上にいる祖母と祖父は、霊界の祖母と祖父を代表して送ったので、その祖母と祖父を愛せば、全体を愛することにしてあげよう」と公約するのです。その次には、「あなたが母と父をこの上なく愛することを、この世界の数多くの母と父を代表する教本のように愛するモデルとしたので、全体を愛したという条件にしてあげよう。また、男性として女性を愛したことは、世界の男性が世界の女性を代表して束ねて愛したものとして認めてあげよう」と言うのです。またその次は、「あなたの息子、娘を愛したことで、全体の息子、娘を愛したことにしてあげよう」と言うのです。ですから家庭は、その訓練を受ける訓練所です。経典による世界愛の訓練過程なのですが、その訓練を受けた人に、「今から世の中に一度出て、あなたの祖父と祖母のように、世の中の祖母と祖父を愛せるか」と尋ねたとき、「はい」と言えば、その人は世界を救えるのです。

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交叉祝福結婚 尊敬する貴賓の皆様。人類は今、執拗に苦しめられてきたサタンの偽りの血統を果敢に断ち切り、真の父母様の真の血統の根に接ぎ木されなければなりません。これ以上、野生のオリーブの木として人生を終える愚を犯してはならないということです。野生のオリーブの木では、千年生きても、野生のオリーブの種を生産するしかない悪循環が続くからです。それでは、私たちはどこから野生のオリーブの木の立場から脱出する道を見いだせるのでしょうか。

天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜です。血統を変えなければ、種を変えることはできないからです。祝福は、重生、復活、永生の三段階の祝福を経るようになっています。人種、文化、国境、宗教の壁を飛び越え、神様のもとの人類一家族をつくる大役事です。

神様の目には、皮膚の色の違いはありません。神様の目には、国境が存在しません。神様の目には、宗教と文化の壁が見えません。これらすべてが、数万年の間、人類の偽りの父母として君臨してきた悪魔、サタンの術策に過ぎないのです。

交叉祝福結婚を通して絶対「性」の人生を完成することが、正にこの地に平和理想世界を実現する究極的方法であり、手段であることをはっきりと教えてあげなければならないのが、皆様の使命です。そうして、皆様の家門と氏族が、全員共に絶対「性」の完成を通して、祝福結婚の神聖な隊列に進み出なければなりません。

皆様。今、皆様の位置は違います。真の父母様がお許しになった聖酒式を通して血統転換し、祝福を受けて真の家庭を探し立てる道が大きく開きました。

真の父母様の平和運動 世界の指導者の皆様。私は、きょうこの貴い場を借りて、もう一度、人類の平和天国創建のために、そして神様の祖国と本郷の設定のために、実に摂理的で革命的な新プロジェクトを宣布しようと思います。

歴史的にサタンによって東と西、南と北に分けられ、地理的には北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているべーリング海峡に、橋梁を建設し、海底トンネルを通そうというのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できる「世界超高速道路」を連結する「ワールド•ピース•キング•ブリッジ•海底トンネル」を完成し、世界を解放、釈放させる一日生活圏にしようというのです。

これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、サタンがつくった人種、文化、宗教、国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和理想世界王国を、この地球星に創建しようというのです。

アメリカとロシアが一つになり、ヨーロッパ大陸だけでなく、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家、そしてすべての宗教が一つになって共に力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功こそ、人類にとってこれ以上、戦争と分断が必要ない平和王国を創建するにおいて、決定的な役割を果たすようになるでしょう。

愛する祝福家庭の皆様。皆様は今、歴史上、最も恵まれた貴い時代に生きています。歴史の中で生まれては逝った数千億に達する皆様の先祖が、霊界で何よりも願い、待ち望んだ後天開闢の時代、すなわち平和理想世界王国時代の出帆を宣布します。四大聖人はもちろん、数千億の善の先祖が総再臨し、皆様の天の道を導いています。悪なる者が適当にやって裕福に暮らす、そのような不条理で腐敗した世界が威勢よく振る舞う時代は、もはや過ぎ去っていくのです

私たち全員の究極的目標である、神様を中心にお迎えして暮らす「神の国」と「神の義」を探し立てなければなりません。「神の国」とは、どのような国でしょうか。三代が調和して互いに信じ、尊敬し、頼り、愛で一つになって暮らす真のモデル理想家庭と同じ姿である平和理想王国を意味するのです。すなわち、人類が今までユートピアとして願ってきた神様の主権の国が、正に「神の国」だというのです。

人類が一つの家族となり、互いに心の塀を崩し、天宙的次元で国家間の国境までも除去しようという共生共栄共義社会の実現運動も、このように一つの家庭から始まるのです。したがって、私たちが真の家庭を探し立てることは、この地において天宙平和王国の創建を早める摂理的召命であるという点を、肝に銘じなければなりません。

世界の火薬庫である中東でも、レバレンド•ムーンの平和思想の影響を受け、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが、新しい次元の平和的対話を行っています。東西間の冷戦に終止符を打つよう決定的な役割を果たしたのも、レバレンド•ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的な背後での作業も、今、レバレンド•ムーンの主導のもとで急速に進行しています。

しかし、私は決してここで満足することはできません。天命を受けて出発した私の生涯です。天が印を押し、人類の真の父母として顕現した私は、天との約束を必ず成し遂げなければなりません。この地球星に毒きのこのように君臨してきた様々な国境と壁を完全に撤廃し、万人が共に手を取って暮らせる平和理想世界王国を創建しなければならないのです。

私たちの使命 皆様。天地開闢の後天時代は、天と真の父母様が大きく開門してくださいました。しかし、この恵まれた栄光の時代を花咲かせ、実を結ばせるのは、今や皆様の手にかかっています。

「アベル国連」の立場を確立していく「天宙平和連合」の旗のもと、「平和王国警察」と「平和王国軍」の二重的使命を果たす天の密使となってください。天が下さった祝福家庭とこの恵まれた地球星を、皆様でなければ誰が育て、守り抜くのでしょうか。

皆様。後天時代は、真の父母様から受ける祝福結婚を通して、アダムが堕落によって失ってしまった真の血統を取り戻さなければならない時代だと言いました。個人、家庭、氏族、民族、国家の五段階を経て、祝福摂理を完成すべき時代だというのです。世界的次元で三代圏の理想家庭を探し立て、後天時代の祝福家庭の使命を完遂しましょう。イエス様がこの地に来られ、死ぬ前に成し遂げようとされた願いも、正にこの三代圏の理想家庭を探し立てることだったのです。

したがって、氏族的メシヤと国家的メシヤは、真の父母様を中心として一つになり、カイン圏を代表した政治圏とアベル圏を代表した宗教圏の歴史的な流血闘争を、永遠にこの地において終息させなければなりません。世界人口の七四パーセントを占めている「蒙古斑同族連合」も、その役目を果たし、国家単位の祝福を通して世界を復帰し、人類の最初の家庭から始まったカインとアベルの闘争を終息させる摂理的なときになったことを肝に銘じてください。

皆様、真の父母様を中心としてカイン•アベルの二人の息子が一つになり、本然の立場で天宙平和の王であられる真の父母に、復帰された本然の理想家庭を奉献すべき摂理的召命のときが来ました。人類の先祖の堕落によってサタンに差し出してしまった兄弟権と所有権までも、絶対「性」の完成を通して真の理想家庭を立て、再び天に還元させる天命が皆様と共にあるときが、正にこの時代であることを特に肝に銘じてくださるようにお願いします

皆様は今、摂理的第四次アダム心情圏の時代である解放、釈放時代、すなわち後天開闢の時代に入っています。蕩減復帰の染みで汚れた旧約、新約、成約時代までの先天時代を勝利した、影のない正午定着時代であり、アダムの堕落以前の本然の理想世界を創建していく時代です。平和の王、真の父母を中心として、霊界と肉界が一体圏を形成した全体、全般、全権、全能の真の愛の心情圏の時代、すなわち天宙平和統一王国の時代を意味するのです。

皆様。万民の平和の王、神様を真の父母として侍って暮らす真の王子、王女となってください。救世主、メシヤ、再臨主が必要ない永遠の解放と釈放の世界で、天宙平和の王であられる真の父母様に侍り、真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和理想世界王国を創建しましょう。絶対「性」の戒めを固守して真の家庭を完成し、真の父母様が勝利された三代圏蕩減復帰の完成を相続して、堕落圏以前の本然の世界を完成しましょう。

天宙的理想圏である解放•釈放圏を安着させるモデル理想家庭と本然の絶対、唯一、不変、永遠の太平聖代を享受する善の王国を建て、億万歳の賛美を受ける天宙平和の祖国となりますように!神様の祝福が、皆様の家庭と国家と世界に、永遠に共にあることを願います。ありがとうございました。

平和メッセージが完成した日、二〇〇六年十一月十五日、巨文鳥にて

天正宮博物館にて、二〇〇七年一月八日、午前四時四十二分、完成完結を宣布した記念日

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第二は、夫婦間において、生命よりも貴く守るべき絶対モデル「性」、すなわち絶対貞節の天法です。夫婦は、天が定めてくれた永遠の伴侶であり、子女を生むことによって真の愛、真の生命、真の血統を創造する共同創造主の絶対、唯一、不変、永遠性の本源地なのです。

一人では、千年生きても子女を生めないというのが天理だからです。婚前純潔を守り、純粋な天の夫婦として結ばれた人たちが、どうして天道を外れて浮気をすることができるでしょうか。神様が人間を御自身の子女として創造されたそのみ旨を知っているなら、想像することもできない背信と悖逆(はいぎゃく)であり、自ら破滅の墓を掘る道です。人間堕落の結果としてもたらされた創造理想圏外の結果です。

皆様。絶対「性」は、このように天が人間に賦与された最高の祝福です。絶対「性」の基準を固守しなければ、人格完成、すなわち完成人間の道が不可能だからです。さらには、神様も人格神、実体神の位置を立てるためには、完成人間を通して真の家庭的絶対「性」の基盤を確保しなければ、不可能だからです。

絶対者であられる神様が、私たちの人生を直接主管され、私たちと同居し、共に楽しまれるためには、御自身の対象であり、子女として創造した人間が、神様のように絶対「性」的基準で完成した家庭の姿を備えなければなりません。絶対「性」を中心とした家庭という範疇の中でこそ、祖父母、父母、子女までの三代圏を含んだ、人間の本然の人生の理想的モデル「性」の関係が創出されるのです。この基台の上でこそ、神様の永生はもちろん、人間の永生も可能になることをはっきりと知ってくださるようにお願いします。

したがって、絶対「性」を中心としたアダムとエバが、神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し遂げ、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様との完全一体を成し遂げていたならば、神様が彼らの中に臨在できる関係が決定されていたでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の関係を結べる愛の基準が連結されていたでしょう。言い換えれば、完成したアダムとエバの絶対「性」を中心とした結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバが神様の体になって、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形と無形の二つの世界で絶対「性」を中心とした、人類の真の父母になっていたでしょう。

それでは、アダムとエバの堕落以来、歴史を通して神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何であるか、御存じでしょうか。天の血統権を失ってしまい、兄弟権と所有権まで失ってしまった事件です。生命とも取り替えられないこの血統を失ってしまいました。真の生命と真の愛の実を結べなかったというのです。地球星を覆つている六十五億の人類が、神様とは何の関係もないサタンの実に転落してしまったのです。

血統の重要性と真の愛 皆様。生命より貴く、愛ょりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。この中で、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その結実が血統だということです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っており、真の生命の体が生きています。

したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国である理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように絶対「性」の関係を通して創建されるのです。

皆様。血統の重要性は、いくら強調しても足らないことを肝に銘じてください。父子の関係こそ、あらゆる関係の中で最高、最上の関係だからです。神様の血統を伝授してあげ、永存させる唯一の道は、正に父母と子女のモデル血統関係しかないという事実を、はっきりと知らなければなりません。

しかしその場に現れたのは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でした。神様の愛と生命、そして血統が、愛の怨讐である姦夫、サタンの所有権に落ちてしまったのです。天地が真っ暗になって地獄に変わってしまい、神様までもいなくなった、そのような凄絶な世界になってしまった事実を、人間は今まで知らずに生きてきたのです。怨讐の血統が生命線であるかのように錯覚し、そこに命を懸けて生きている群像が、今日の堕落の後裔となった人類の哀れな姿です。それで、この世界を地上地獄と呼ぶのです。

このような悲惨な姿を見つめられる神様の胸は、どれほど痛んだことでしょうか。堕落によって血統権、長子権、所有権がサタンの手中に落ちてしまったのです。愛する子女に相続させてあげるために、一生の間、汗を流して集めた財産を、一晩のうちに強盗に根こそぎ奪われてしまった父母の立場になってしまったのです。このように、サタンに血統権を奪われ、子女を失い、すべての国と世界の所有権まで差し出してしまった神様の悲しく無念な心情を知る人がいなかったというのです。

皆様。真の父母の使命を完遂すべきレバレンド・ムーンの生涯もまた、言い表せない苦難と迫害で綴られた恨の生涯でした。第一アダムと第二アダムが失敗したすべてのものを蕩減復帰し、完成すべき第三アダムである真の父母の使命は、救世主、メシヤ、再臨主の使命はもちろん、すべての教主の使命までも総体的に完遂しなければならない人生なのです。

神様の宇宙創造がそうだったように、それは少しの誤差も許容できない人類再創造の大役事でした。どこの誰とも相談できない孤独な路程でした。神様までも顧みられず、徹底して独りで訪ねていかなければならない茨の荒野路程でした。数えきれないほど反復される生死の岐路で血を吐きながらも、天との約束を成し遂げるため、不死鳥のように再び立ち上がってモデル「性」を立てなければならなかった人生でした。

かつて日本留学時代に地下で独立運動を行っていたとして、また解放直後、共産治下の平壌で天のみ言を伝播していた時、そして自由国家として誕生した李承晩政権下においても、さらには、民主主義の世界的な代表国であると誇るアメリカにおいてさえも獄中の苦労を経験するなど、一生に六度も無実の獄中闘争を経なければならなかったレバレンド•ムーンの波瀾万丈の人生、すなわちモデルとしての「性」を完成するための人生を、誰か理解する人がいたでしょうか。

かわいそうな天のために、そして死亡圏で苦しむ堕落した人類を救ってあげるために、歯を食いしばって耐えて生きてきた悲惨な生涯でした。今でも誰かが、私のこのような心情の内情を見つめ、一言でも投げかければ、私の涙は滝のように流れるでしょう。

血統権と長子権、そして所有権を再び取り戻せる道は、サタンを自然屈伏させる道しかありません。サタンを自然屈伏させる秘法は何でしょうか。怨讐を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によって、初めて可能なのです。

それでは、真の愛とは、どのような愛なのでしょうか。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたということ自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。

真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張ればついてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、誰でもこの真の愛を実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむようになり、同参権と相続権まで享受するようになるのです。このように、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。

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実在する霊界 皆様。人間には体と心があり、心の上には霊人体があって、その霊人体が入っていって暮らす霊界はもちろん、肉身が暮らしている現実世界のどこにでも神様は遍在されます。そして、人間は真の愛を通して神様と完全に一つになるとき、完全な人になるのです。このような観点から、完全な人とは、たとえ小さな個体の姿だったとしても、歴史全体を代表する存在であり、また、未来のすべての関係を代表する存在なので、天宙的な価値をもつようになるのです。私たちが本当に人間のこのような天宙的な価値を知るならば、生きていくにおいて、心を先に立てて従っていき、絶対「性」を完成する人生を生きるべきだという点が明確になるでしょう。

ですから、皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも感知して、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、永遠の師である良心の命令に絶対服従しながら生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されます。神様の創造がそのようになっているのです。

人間の構造をよく見てみると神様は本来、人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり主人として立てるために、霊人体を創造されました。したがって、人間は地上界で百年くらい生きて肉身の機能が尽きれば、自然に、そして自動的に無形世界である霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長にすぎないのです。神様が創造してくださった、人間の永遠な本郷です。

霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠で不変な方であるように、御自身が創造された霊界も永遠で不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結びながら暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持しながら生きていかなければならない宿命的存在です。

ところで、人間の霊人体と肉身の関係について見るとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらい生きれば死にますが、霊人体は、時間と空間を超越して永生するのです。いくら地上界で良い服を着て良い物を食べ、豊かに慕らす人でも、結局は死ぬのではないでしょうか。したがって皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が合わさった完成実体となって暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり、有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させる責任があるということです。ところが、霊人体の完成は自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体となった生活の土台の上でこそ、完熟した霊人体が結果として実っていくのです。

皆様。秋になって、食庫に入るよく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と主人の細やかな世話が絶対に必要です。怠惰で無知な主人に出会った果樹園の果物は、様々な疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として選別されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべてが同じ果物なのではありません。すべての果物が、市場に出して売れる完成品になるわけではないのです。

木の上で完熟した果物は、そのまま主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場である地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を築き、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるというのです。地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、このような天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様は、肉界での人生を一〇〇パーセント収録した霊人体の姿なのです。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れます。神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自身の審判官になるという意味です。

このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて、地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で快楽ばかりを追い求める背徳の人生として終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。天国行きと地獄行きが、きょうこの時間、皆様の考えと言行で決定されるという事実を、はっきりと肝に銘じてくださるようにお願いします。

しかし、皆様の人生をよく見れば、外なる人と内なる人が絶えず葛藤し、闘っていることを否定できないでしょう。あとどのくらいこの争いを継続されますか。十年ですか、百年ですか。宇宙のすべての存在には、厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間をそのように不完全な状態で創造されてはいないというのです。外なる人である肉身の誘惑を果敢に振り切って、内なる人である良心の道に従って絶対「性」を完成し、人生の勝利を達成することが、皆様の人間としての義務であり、責任であることを知らなければなりません。このような人生を生きる人には天運が共にあり、霊人体も完成できるのです。

天国と家庭 皆様。天国はどのような所だと思いますか。一言で言えば、天国とは神様の真の愛が満ちあふれ、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の外形であり、内容である世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って、次の世界である霊界に移っていく人生を生きる人々の世界です。したがって、その世界には反目や妬みがあり得ず、お互いがために生き、与え合うことが自然に行われる世界です。お金や名誉、または権力が支配する、そのような世界ではありません。一人が成功するのは全体を代表して成功することであり、一人がうれしく思うのは全体のためにうれしく思うことであり、一人が喜べば全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です。

天国は、真の愛の空気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸しながら暮らす世界です。いつどこでも、生命が躍動する世界です。すべての構成員が、真の神様の血縁として関係を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。天国は、神様の本質的愛である真の愛だけが治める世界です。したがって、神様も真の愛のために存在されるのです。

皆様が失われた本然の家族を訪ねていくときは、アダム完成の位置で、イエス様完成の位置で、そして再臨主を代表する完成した位置で行かなければなりません。その家庭には、神様が臨在されるでしょう。祖父母、父母、子女が共に調和して暮らす三代の家族になるでしょう。祖父を歴史的な先祖の根として侍り、暮らさなければなりません。

皆様。共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根から真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を探し立てなければならないという意味です。このように、祖父母、父母、子女を中心として、三代が一つの家庭で、永存なさる神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

皆様、神様も、どこかへ外出しても懐かしく思い、再び訪ねてこられる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねてくる家庭を準備しなさいというのです。それが正に、神様に侍って暮らす生活です。このような家庭では、神様が縦的に良心的な主体となり、その縦的主体に従って皆様の体と心が統一されるのです。

そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛など、四大愛圏である四大心情圏が完成するのです。このような家庭でこそ、上下、左右、前後が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、したがって、永存する神様のモデル的理想家庭と理想国家と平和理想王国になるのです。もし全世界が、このような真の家庭ばかりで満たされるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める、道理に従う世界となるでしょう。

皆様も一度考えてみてください。誰が皆様の善し悪しを一番よく知っていますか。皆様の祖父母であり、父母であり、皆様の夫、皆様の妻、皆様の子女たちです。

家庭の中で解決できないことがあるでしょうか。父母と子女が、夫と妻が、兄と弟が互いにために生きる人生の模範を見せるとき、許し難い過ちがどこにあり、罪を犯す隙間がどこにあるでしょうか。天理と天道が治める世界は、自然な世界です。遮るもののない真理と道理に従う世界です。影が生じない、絶対価値による正午定着の世界です。

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13.神様の絶対平和理想モデルである絶対「性」家庭と世界王国 日付:二〇〇六年十一月二十一日

場所:韓国、京畿道、一山、キンテックス

行事:第四十七回「真の子女の日」記念式

愛する世界の祝福家庭、尊敬する平和大使と各界の指導者、そして内外の貴賓の皆様。きょうは「子女の日」を宣布してから四十七年目となる、摂理史において意義深い一日です。人間始祖アダムとエバの堕落によって喪失してしまった神様の創造目的を完成するための蕩減復帰摂理路程には、必ず探し立てるべき四大里程標があります。「真の神の日」、「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」がそれです。

二〇〇一年の「神様王権即位式」の勝利と今年六月の「天正宮博物館入宮・戴冠式」、そして同時に宣布された天一国摂理が始まってから、初めて迎えた摂理的四大里程標の一日が、きょうの「真の子女の日」です。皆様、このような意義深い日を記念し、私たちの覚悟を新たに固める意味で、きょうは私がこの一年間、世界六十五億の人類を相手に伝授している天のメッセージを総体的に要約し、摂理的観点から見た皆様の位置と使命、そして皆様の置かれているこの時代的重要性を、もう一度想起していただこうという意味で、「神様の絶対平和理想モデルである絶対『性』家庭と世界王国」という主題で、天のみ言をお伝えしようと思います。

このみ言は今、世界的な宗教指導者百二十人が真の父母様から直接伝授され、世界百二十ヵ国を巡回しながら宣布している生命のみ言です。真の父母様の家庭三代圏が世界を回り、天のみ言と祝福によって人類の救いの道を開いておいたその基台の上に、今やカイン世界を代表した宗教指導者がバトンを受け継ぎ、地球村の至る所を奔走しているのです。

神様の創造目的 皆様。人類は今まで、歴史を通して絶えず人間を中心とした平和運動ばかりを展開してきました。その良い例が民主と共産の対決です。個人の権益と自由を認定し保障する程度が違うだけで、民主主義も共産主義も、すべて父母を失った子女たちがカインとアベルに分かれて争う、兄弟間の紛争の範疇を抜け出せなかったのです。

不完全な人間ばかりを中心として展開する平和運動は、歴史的に常にその限界にぶつかり、挫折してきました。世界平和実現の華やかな夢を抱いて出発した国連は、今日、その生まれながらにしてもつ限界点にぶつかり、人類にこれ以上希望を与えられずにいるのも、正にこのような理由からです。一言で言えば、天が直接運行し、歴史を摂理できるときを迎えられなかったということです。したがって、神様の永遠の創造理想である平和理想世界実現のために、カイン格である既存の国連の刷新とともに、新たな次元で平和理想世界王国の機能を発揮できる天宙的次元のアベル格の国連の立場にあるのが、正に「天宙平和連合」です。今、皆様と共に誕生した「天宙平和連合」は、神様の勝利であり、真の父母様の血と汗と涙の結実であり、皆様の希望であり、願いです。カイン的な既存の国連の前に、天一国を代表するアベル的王国の使命を果たすようになるでしょう。したがって、神様の創造理想世界の実践郷を成し遂げなければならない使命が、正に世界的指導者であられる皆様に下された天命であることを肝に銘じてくださるようにお願いします。

尊敬する世界平和指導者の皆様。神様が人間を創造した究極的な目的はどこにあると思われますか。それは真の愛を中心とした理想家庭の完成を通して、喜びを感じることでした。それでは、理想家庭とはどのような姿なのでしょうか。神様が創造された最初の人間は、男性格を代表したモデルであるアダムと女性格を代表したモデルであるエバでした。それでは、彼らが真の愛の表題となる人格者と主人になる道は、どのような道だったのでしょうか。一言で言えば、神様を父として侍って暮らせる、父母と子女の関係を確保するモデル的な平和理想家庭でした。神様と一つの家族を形成し、永遠に喜びを感じながら暮らす道だという意味です。このように、神様はモデル的な平和理想家庭を築こうとアダムとエバを創造し、人類の最初の先祖として立てられました。御自身の全体を完全投入され、真の愛と真の生命、そして真の血統が連結された天宙の総合実体であり、霊肉界の媒介体であり、万物の主管主である息子と娘として立てられたのです。

皆様。ところが、アダムとエバがモデル的な平和理想家庭を築くためには、絶対必要条件があります。絶対者であられる神様が、絶対的基準の上で絶対的価値を賦与するために、御自身の子女として創造した人間は、天道が要求する絶対基準の道を行かなければならないのです。絶対者であられる神様を父母として侍るために行くベき、宿命的路程の生活が必要だということです。言い換えれば、人間が神様に似て完成し、絶対者の息子、娘と呼ばれる人格者の位置を確保するには、天が定めておいた絶対的基準の道を歩まなければならないという意味です。その中で最も重要なものが、正に絶対「性」の基準です。

絶対「性」 第一は、結婚式のときまで守るべき絶対「性」、すなわち絶対純潔の基準です。人間は誰もが、生まれてから成長過程を経ていくようになります。父母の愛と保護のもと、比較的安全で無難な幼少年時代を経たのち、周囲のすべての人々はもちろん、万物万象と新しい次元の関係を結び、新しく躍動的な人生を出発する青少年期に入っていきます。外的に成人になるだけでなく、内的に人格完成を通じた絶対人間の道に入る瞬間なのです。

ここで、人間なら誰もが例外なく守るべき絶対必要条件が、正に純潔です。純潔が私たち人間にとって絶対モデル「性」の必要条件であるのは、神様が創造理想を成し遂げるために、御自身の子女に下さった宿命的責任であり、義務であり、天道が、正に絶対モデル「性」を完成する道だからです。

神様が人間始祖アダムとエバを創造し、下さった唯一の戒めは何だったでしょうか。天が許すときになるまでは、互いの「性」を絶対的基準で守りなさいという戒めであり、祝福でした。

善悪の実を取って食べれば必ず死に、取って食べずに天の戒めを守れば、人格完成はもちろん、創造主であられる神様と対等な共同創造主の立場に立つようになり、さらには、万物を主管し、永遠で理想的な幸福を謳歌する宇宙の主人になるであろうという聖書のみ言は、正にこの点を踏まえて語ったことなのです。婚前純潔を守り、真の子女として天の祝福のもとで結婚して真の夫婦となり、真の子女を生んで真の父母になりなさいという祝福でした。

これは、神様の創造原則である絶対「性」を離れて実現されるものではないという事実を、確認させてくれる内容です。すなわち、神様のこの戒めの中には、人間が神様の子女として、歴史を通して個性を完成し、万物の主管位に立つためには、神様の創造理想である絶対モデル「性」を相続しなければならないという深い意味が隠されていたのです。

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家庭の価値と三代が調和して暮らす家庭 皆様。私たちが遠く離れた家族を慕うのは、そこに、ために生きる愛があるからです。父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣人、親戚の愛が、一つ一つ宿っている所です。このすべての関係が、ために生きる愛によって結ばれていて、すべてを抱きかかえたいと思う、温かい所です。

そこに、解放された自らとして堂々と現れ、自然を抱き、家族や親戚を愛しながら歓喜の歌を歌いたいのが、家族のもとを離れた旅人の郷愁であり、希望でしょう。故郷を追われ、本郷の心情の根を失ってしまい、家族に会いたいと思っても行くことのできなかった永遠な孤独の敗亡者として、独り流浪しながら生き、地獄に行くしかなかった身の上が、正に堕落の後裔である人類だったというのです。

しかし、人類は今や後天開闢時代を迎え、このような足かせの沼から解放され、夢にも忘れられなかった故郷を訪ね、家族に会える道が開かれたのです。人類にとってこれより大きな祝福の日が、いつあるでしょうか。アダムとエバが堕落によって失ってしまった本然の家庭を、私たちが再び探し立てられる天運の時が到来したというのです。

皆様が失われた本然の家族を訪ねていくときは、アダム完成の位置で、イエス様完成の位置で、そして再臨主を代表する完成した位置で行かなければなりません。その家庭には、神様が臨在され、祖父母、父母、子女が共に調和して暮らす三代の家族になるでしょう。祖父を歴史的な先祖の根として侍り、暮らさなければなりません。

共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭だというのです。真の愛の根に真の愛の幹が生じ、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を探し立てなければならないという意味です。

そのような家庭には歴史の根が生きており、天の国の根が張っているというのです。地上天国の根が下りている所が、そのような家庭です。永遠に続く神様の王権の根も、ここに定着するのです。過去、現在、未来の根が、それぞれ祖父母、父母、孫と孫娘に代表され、過去の根は霊界を代表し、現在の根は現世界を代表した王宮であり、未来の根は孫と孫娘を王子、王女として立て、二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿です。それを建てて暮らすのです。

このように、祖父母、父母、孫と孫娘を中心として、三代が一つの家庭で永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることは、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

神様も、どこかへ外出しても懐かしくて、再び訪ねてこられる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねてくる家庭を準備しなさいというのです。それが正に、神様に侍って暮らす生活です。その家庭に、神様を縦的な良心の主体として侍り、その縦的主体に従って皆様の体と心を統一するのです。そこでは父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛など、四大愛圏である四大心情圏が完成するのです。このような家庭でこそ、上下、前後、左右が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、したがって、永存する神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国になるのです。

永遠な平和理想王国時代 皆様。なぜ結婚しなければならないのでしょうか。主人の位置を探し出すためです。男性も女性も、一人では半分の人間にしかなれません。神様の創造がそのようになっているのです。それで、神様は愛の器官である生殖器の主人を互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻だというのです。互いにために生きる愛を中心としてこそ、相手の主人の位置に立てるのです。このような主人の位置を確保するために、人間は結婚をするのです。

それでは、主人の位置を探し出して何をしようというのでしょうか。その位置で神様の愛を占領しようというのです。神様は三大愛の主体であられます。天宙の主人として、真の愛の師、真の愛の主人、真の愛の父母であられるのです。これが正に、真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真のモデル的家庭の生活を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも、モデル的理想家庭の平和王国に変えることができるのです。

尊敬する指導者の皆様。皆様は今、歴史上、最も恵まれた貴い時代に生きています。歴史上、生まれては逝った数千億に達する皆様の先祖が、霊界で何よりも願い、待ち望んだ後天開闢の時代、すなわち平和理想世界王国時代の出帆を宣布します。

四大聖人はもちろん、数千億の善の先祖が総再臨し、皆様の天の道を導いています。悪なる者たちが適当に生きて裕福に暮らす、そのような不条理で腐敗した世界が威勢よく振る舞う時代は過ぎ去っていくのです。天の印を受け、人類の真の父母、万人の平和の王として顕現したレバレンド•ムーンは、天との約束を必ずや守り抜くでしょう。この地球星に、必ずや平和理想世界王国時代を花咲かせるでしょう。したがって、真の父母であられる平和の王をお迎えし、この地上に永遠の平和理想世界王国を創建する主役が、正にきょう、この場にお集まりになった皆様であるという点を、肝に銘じてくださるようにお願いします。

アベル国連の旗を掲げて、全世界の不条理と悪を掃き出しましょう。誇らしい「天宙平和連合」の「平和王国警察」と「平和王国軍」になり、世界中の祝福家庭を守り、祝福の地であるこの地球星を守り抜く警備隊の役割を完遂しましょう。

きょう、このようにこの場に参席してくださった各界指導者の皆様に、天の恩寵と祝福が満ちあふれることをお祈りいたします。合わせて、「天宙平和連合」の発展と成功のために、神様の理想家庭と理想国家、そして平和王国を創建するために、真の父母と共に最善を尽くす皆様となってくださることを願います。万民の平和の王であられる神様を真の父母として侍って暮らす、真の王子、王女になってください。真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和王国を創建しましょう。神様の祝福が皆様の家庭と国家の上に満ちあふれることを願います。ありかとうございました。

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神様が必要なのは、お金でも知識でも、あるいは権力でもありません。神様は絶対者であられ、全知全能な方なので、そのようなものは必要とされない方です。いくら現代科学が目覚ましい発展を重ねても、そのすべてが、神様の創造圏内で新しい諸事実を発見していく過程にすぎません。膨大な宇宙は、人間の思考と科学が及び得ない秩序の中で、法度に従って運行しています。このように、神様は絶対的科学者でもあるのです。

それでは、人間の創造を通した神様の理想は何だったのでしょうか。それは正に、四位基台を造成することです。ここで言う四位基台とは、神様を中心として、アダムとエバが神様の愛の圏内から抜け出そうにも抜け出すことのできない、完全一体の境地を意味します。神様と一体となることはもちろん、彼らが互いに一つになって理想的な夫婦となり、理想的な子女を繁殖することによって成し遂げるようになる、神様中心の家庭的基台を言うのです。このように家庭的四位基台が完成すれば、これが正に神様の願われた創造理想家庭になるのです。

一般的に、家庭とは結局、父母と子女、そして夫婦の結合によって形成された一つの束ですが、この束の中心は、神様の愛でなければならないというのです。ここで夫は天を代表し、妻は地を代表するようになります。ですから、夫婦は二人ですが、彼らが横的に一つになるとき、天と地が統一される立場に立つようになるのです。神様の愛を中心として夫婦が一つになれば、天宙が統一される道が開かれるという意味です。

皆様。神様が被造世界を創造された目的は、究極的に喜びを享受しようというところにあります。しかし、絶対者であられる神様も、一人では喜びを感じられないので、愛を与え合うことができる対象が必要だったというのです。喜びは学ぶものではなく、相対を通じて感じるものだからです。言い換えれば、神様は人間と万物が神様の愛を中心として一つになり、和気あいあいとした愛の世界を築くのを見て、喜びを感じるためにこの世界を創造されたのです。そのような基盤の上で、人間が神様の愛を中心として真の夫婦の関係を結び、真の愛の家庭と氏族、民族、国家、世界を築くのを見て喜びを感じるために、この被造世界を創造された神様であるというのです。

このように、神様の愛の理想を完成するには、人間は絶対に必要です。そのような次元で、絶対価値とは、絶対的相対から創出されるものだという言葉も理解できるでしょう。

神様は父であり、人間は子女として、縦的な軸を形成するようになっていたのが、人間の創造です。もしこの軸が完全に連結されてさえいたならば、すなわち人間と神様の間に真の愛で一体となった関係さえ結ばれていたならば、宇宙のどのような力も引き離せない、絶対不可分の関係になっていたでしょう。神様の本然の愛にひもを結び、その愛を味わった人が、どうして分かれることができるでしょうか。

蜜蜂は春になれば、長い冬ごもりから目覚めて新鮮な蜜を味わうようになります。夢中で花の蜜を吸っている蜂のしっぽをピンセットで引っ張ってみてください。しっぽが抜けて体から取れても、蜜から口を離すことのできない蜂がいるのを目にします。皆様はいかがでしょうか。皆様が本当に神様の真の愛の味を知るようになれば、たとえ逃げていっても、また戻ってきて、その真の愛にくっつこうとするのです。このように、神様と連結させてくれる縦的な真の愛の力は、生命の力よりもっと大きいというのです。

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12.神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国 日付:二〇〇六年三月十六日

場所:韓国、ソウル、マリオット•ホテル

行事:韓国平和大使指導者大会

天宙的理想郷に向かって、世界平和の具現を実現しようと、地球星の至る所から来られた尊敬する平和大使の指導者と祝福家庭の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、「天宙平和連合」をモデル国際連合(国連)とし、全世界の各国が力を合わせて平和理想世界王国である「天一国」を創建していくために、「天宙平和統一家庭堂」を世界的次元に拡大、格上げし、「天一国平和統一堂」として生まれ変わらせる本大会に御出席なさろうと、数千、数万里を駆けつけてくださった皆様に感謝申し上げます。

ただ前だけを見つめながら歩んできた八十数年の人生 今年は、私が生まれてから八十七年目となる年です。後天時代を大きく開いていく「天宙平和連合」の創設者として、私はきょう、この貴い席を借り、「神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国」という主題で、私が一生の間教えてきた、天の下さった真理の一端をお伝えしようと思います。

皆様。振り返ってみれば、実に夢のような私の生涯でした。青雲の志に胸を膨らませていた十六歳(数え)の青年の年に天から召され、世俗の夢をすべて諦め、天命に従って出発した私の人生でした。決して平坦な道ではありませんでした。ただ前だけを見つめながら歩んできた八十数年の人生でした。私のためにあらゆる犠牲に耐え、言い表せない受難の道を歩いてこられた愛する父母、兄弟が哀切な思いですがりつく、その手さえも振り払わなければ歩めなかった宿命的な生涯でした。この地に六十五億の人類が生きていますが、その誰一人として理解できない荒野路程でした。今まで六度の獄苦を経験しながらも、最後まで摂理の舵を放さずに生きてきたのが、私の人生だったのです。

私がこのような人生を歩んできたのは、数千、数万年待ち続けながら訪ねてこられた神様の、恨に固まった悲惨で痛ましい心情を、あまりにもよく理解した私だったからです。万民の根源であられ、宇宙万象の創造主であられる神様の恨を解いてさしあげなければ、人間の人生には何の価値もないという事実をはっきりと知ったからです。

それでは、神様の恨はいつ、どこで、どのように固まったのでしょうか。いったい誰が、絶対者であられ、万能なる神様に、恨を植えつけることができたというのでしょうか。神様はアダムとエバを創造し、人類の最初の先祖として立てられました。御自身の全体を一〇〇パーセント投入され、愛と生命、そして御自身の血統が連結された息子、娘として立てられたというのです。父子の関係こそ、あらゆる関係の中で最高、最上の関係だからです。神様の血統を伝授してあげ、永存させる唯一の道が、正に父母と子女の血統関係しかないからです。

しかし、生命より貴く重要なこの父母と子女の関係が、アダムとエバの堕落によって切れてしまいました。永遠のひとり子として立てた御自身の血筋が、怨讐サタンと血縁的関係を結ぶことによってサタンの子女となり、離れていった現実の前に、神様の胸には、歴史的な恨によって血の塊ができたというのです。歴史上、誰も理解できず、誰も解いてあげられない、無念極まりない悲しみの恨として残ってしまいました。

アダムとエバを中心として、御自身の血統を永遠に伝授する真の家庭を立てようとされた神様の創造理想は、このように第一代で挫折してしまいました。したがって、神様の恨を解いてさしあげられる唯一の道は、正にサタンの血統と関係のない真の家庭を探し立てることです。ここに、私たち全員が神様の創造理想である真の家庭を立てなければならない理由があります。「天宙平和連合」創設の根本的な趣旨と目的も、ここにあるのです。

旧約聖書の創世記第一章二十七節を見れば、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」という聖句があります。この節を帰納的に推理してみれば、神様は一人の男性と一人の女性を合わせた方であるという結論が出ます。神様が、お一人でいるのは良くないと思われ、御自身の対象として創造したのが被造世界です。宇宙の万象は形状的対象の位置に、そしてその中心に実体的対象として人間を創造されたのです。このように、神様の実体対象として創造した最初の男性格代表がアダムであり、女性格代表がエバです。神様がこのように人間を一男一女に分立して創造されたことには、目的があるのです。

神様の創造理想 第一に、二性性相の中和的主体として自存されながらも無形であられる神様が、実体世界と向き合うのに必要な体をまとうためでした。男性の体だけでなく、女性の体だけでもない、アダムとエバの二人の体をまとって、実体世界と自由自在に通じ合い、作用するためだったのです。体をまとっていない無形の神様だけでは、有形実体世界と向き合うのに限界があるからです。

したがって、アダムとエバが心の中に神様をお迎えし、一体となって完成した土台の上で、結婚して子女を生み、家庭を築いていたならば、アダムとエバは外的で横的な実体の真の父母になり、神様は内的で縦的な実体の真の父母になったでしょう。このようにさえなっていれば、アダムとエバは内外両面で一〇〇パーセント、神様に立体的に似た立場に立つようになったはずです。このように、神様に完全に似たアダムとエバが人類の真の父母になっていたならば、彼らの姿を通して、人類は日常生活の中で神様の実体を認知して、生きるようになっていたでしょう。

第二に、愛の完成のためです。アダムとエバが完成して完全一体となった愛の実体になれば、その上で神様が臨在し、人類の真の愛の父母になろうとされたのです。神様の形状的な実体父母の立場に立つアダムとエバが、実体の子女を繁殖することにより、理想家庭と理想世界を築くことができたでしょう。そのようになれば、人間を通して霊界と地上界が連結されます。このように、神様は霊界と地上界を連結する目的をもって、人間を創造されたという結論を下せるのです。

神様は、真の愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真の父母、実体の父母としていらっしゃり、アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に入れば、そこでもアダムとエバの形状で、彼らの体をまとい、真の父母の姿で顕現されるようになるのです。しかし、アダムとエバの堕落によって、神様のこの夢は挫折してしまいました。

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尊敬する指導者の皆様。皆様は今、祝福結婚と結実の時代を迎えています。神様の創造理想である地上天国、すなわち平和王国が皆様の目の前で創建されつつあります。真の父母として八十年以上の生涯を、血と汗と涙でつづられた一本道、ただ天の道だけを歩んできた私の人生が、今や六十億人類のための勝利的結実を収めているのです。霊界からも、四大聖人はもちろん、数千、数万の聖賢と皆様の善の先祖が地上界に降りてきています。皆様の一挙手一投足を見守り、天道に背く人を罰して、多くの人の戒めとされるでしょう。

世界百八十ヵ国以上で、天のみ旨と伝統を相続した数千、数万の平和大使が、真の愛と真の家庭の価値を叫び、昼夜なく走っています。この地に平和理想世界王国を創建しようと総進撃しているのです。

世界の火薬庫である中東でも、レバレンド•ムーンの平和思想の影響を受け、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームが新しい次元の平和的対話を行っています。東西間の冷戦に終止符を打つよう決定的な役割を果たしたのも、レバレンド•ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的な背後での作業も、今、レバレンド•ムーンの主導のもと、急速に進行しています。

しかし、私は決してここで満足することはできません。天命を受けて出発した私の生涯です。天が印を押し、人類の真の父母として顕現した私は、天との約束を必ず成し遂げなければなりません。この地球星に毒きのこのように君臨してきた様々な国境と壁を完全に撤廃し、万人が共に手を取って暮らせる平和理想世界王国を創建しなければならないのです。

尊敬する平和大使の皆様。皆様はきょう、私がお伝えする神様のメッセージを通じて多くのことを学び、悟ったことと思います。いまだに方向感覚を喪失したまま漂流している人類は、いつのときよりも、天に代わる皆様の助けを必要としています。今や皆様は、新たな覚悟と決意で天命を仰いで出ていく天の密使にならなければなりません。そのような次元で、もう一度きょうのメッセージを要約しながら、私たちの使命を胸深く刻んでみようと思います。

神様の子女として創造されたアダムとエバが、堕落によって失ったのは何であると言いましたか。第一に、神様が下さった血統権を喪失してしまいました。血統は、父母が子女にだけ与えることのできる特権の中の特権です。しかし、堕落によって彼らはサタンの偽りの血統を受け、サタンの子女に転落してしまいました。

したがって、今日の全人類は誰彼を問わず、例外なしにサタンの血統を受け継いで生きている、堕落の後裔であるという事実をはっきりと悟らなければなりません。神様は、御自身全体を一〇〇パーセント投入して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準でアダムとエバを創造され、彼らの愛と生命の種として血統を下さいました。したがって今、皆様の位置は違います。真の父母様がお許しになった聖酒式を通して血統転換し、祝福を受けて真の家庭を探し立てる道が大きく開きました。

第二に、人類の最初の家庭であるアダム家庭で、兄のカインが弟のアベルの命を奪うことによって、兄弟権を失ってしまいました。天が下さった家庭において本然の秩序であり、祝福である兄と弟の間の愛と和合の人生が、妬みと怨みの怨讐関係に落ちてしまったのです。したがって人類は今、レバレンド•ムーンが主導してきた世界的次元の交叉結婚を通して血統復帰を完成し、より天の側であるアベルが主体格である兄の位置、すなわち本然の秩序を確立しなければならないのです。

皆様。このようなサタンの秘密を暴いたレバレンド•ムーンの人生は、言い表せない迫害と苦難、すなわち恨の生涯とならざるを得ませんでした。しかし、今や万難に打ち勝って勝利し、天の権勢が現れる後天時代を宣布しました。その基盤の上に、世界人口の七八パーセントを超える宗教圏と国家圏を糾合して、新しい世界的次元のアベル圏を立てつつあります。合わせて、新しい世界的次元のカイン圏を確立するために、全世界の人口の七四パーセントを占めている蒙古斑同族圏を糾合しています。

したがって、今から超世界的次元でこの二つのアベル圏とカイン圏が一つになり、アベル王国の立場で出帆した「天宙平和連合」と一体にならなければなりません。そして、この地に平和理想世界王国を創建するために、超宗教、超国家的な次元ですべての国境と塀を撤廃しなければなりません。そうして、全人類が本然の創造理想世界に入ることができ、アダムとエバの堕落によって失われた本然の所有権までも探し立てるべき宿命的責任があるという事実を、いま一度、皆様に想起していただきたく思う次第です。

天の側の新アベル圏が天宙的次元でカイン圏を消化し、本然の創造理想的権限である天の全権をもって、新天新地、すなわち地上•天上天国創建に向けて新たな出発をすべきときであることを肝に銘じてくださるようにお願いします。

世界の指導者の皆様。私はきょう、この貴い神様の摂理歴史的完成の場を借りて、もう一度、神様と人類の摂理的最後の目的である平和天国創建のために、そして神様の祖国と本郷の創設のために、実に摂理的で革命的なプロジェクトを宣布しようと思います。

歴史的にサタンによって東と西、南と北に分けられ、地理的には北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているべーリング海峡に、橋梁を建設し、海底トンネルを通そうというのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンディアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できる「世界超高速道路」を連結する「ベーリング海峡橋梁•海底トンネル」を完成し、世界を一日生活圏にしようというのです。これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、サタンがつくった人種、文化、宗教と国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和理想世界王国を、この地球星に創建しようというのです。

アメリカとロシアが一つになり、ヨーロッパ大陸だけでなく、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家と宗教が一つになって力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功こそ、人類にとってこれ以上、戦争と分断が必要ない平和理想世界王国を創建するときに、決定的な役割を果たすようになるでしょう。

皆様。このように途方もないプロジェクトを、どのように完成できるのかと疑問をもつ人もいるでしょう。しかし、神様のみ旨がある所には、必ず道があります。二十一世紀の現代科学技術は、今やべーリング海峡にトンネルを通すことくらいは問題にもならない水準にまで発展しています。工事費用も問題になりません。世界が戦争という名のもとに費やしているお金はいくらでしょうか。人類は今、歴史と後代の前に、実に恐るべき罪を犯していることを自覚すべきときです。

例を一つ挙げましょう。アメリカが過去三年間、イラク戦争に注ぎ込んだ戦費がどのくらいになるか御存じですか。二百兆ウォンを超えようとしています。そのくらいの予算があれば、べーリング海峡プロジェクトは完成して余りあるのです。なぜ私たちは、互いに殺し合う戦争に、このような途方もないお金をばらまく愚かな蛮行を続けなければならないのでしょうか。聖書のイザヤ書第二章四節の教えのように、銃や刀を溶かして、すきとくわをつくるべきときです。

人類はもうこれ以上、戦争のための戦争に子女の生命を犠牲にさせ、天文学的なお金を使い果たすという罪悪を繰り返してはなりません。世界のすべての国家の力を総動員して、大宇宙の主人であられる神様が願われる平和理想世界王国の創建に総邁進すべき時が来たのです。

皆様。人類は今、レバレンド•ムーンの教えである真の愛、真の生命、真の血統の平和思想を受け入れなければ生きていけない、袋小路に足を踏み入れました。皆様の善の先祖が総動員され、後天時代の天的権勢が押し寄せれば、いくら強大に見える国家や民族だとしても、天地の運勢に順応するしかなくなるでしょう。

今や選択は、皆様のものです。無知には完成がありません。きょう、皆様にお伝えするこのメッセージは、天がこの時代に下す警告であり、祝福です。天運に従って栄え、勝利していくレバレンド•ムーンと歩調を合わせ、この地に真の家庭、真の社会、真の国家、真の平和理想世界王国を創建する主役になりますか。それともサタンが喜ぶ旧態依然の宗教の壁、文化の壁、民族の壁、人種の壁の捕虜となり、余生をうめきと後悔の中で終えますか。天は、この邪悪な世界をひっくり返して、この地に新天新地を創建する勇将を呼び求めています。

今、皆様と共に誕生した「天宙平和連合」は、神様の勝利であり、真の父母様の血と汗と涙の結実であり、皆様の希望であり、願いです。カイン的な既存の国連の前に、天一国を代表するアベル的王国の使命を果たすようになるでしょう。神様の創造理想世界の実践郷を成し遂げなければならない使命が、正に皆様に下された天命であることを肝に銘じてくださるようにお願いします。

世界平和軍の名で出発した国連軍の役割をもう一度考えてみてください。朝鮮戦争とベトナム戦争でも、その使命を果たせずに途中下車してしまったではないですか。したがって、私は世界百二十ヵ国を巡回しながら「天宙平和連合」の創設メッセージを宣布していた二〇〇五年十月二十日、ウクライナにおいて人類の福祉と未来のための「平和王国警察」と「平和王国軍」の創設を、全世界に宣布しました。この二つの組織は、今から新しい世界の秩序と平和を守る警備隊の責任を果たすようになるでしょう。いまだに先天時代の残滓である分裂と利己主義の罠から抜け出せずに慌てふためく人類を、真の個人、真の家庭、真の国家、真の世界と天宙を創建する後天時代の真の愛の教育の先鋒隊にするのです。皆様も、今から新しい時代において新しい甲胄をまとい、天のために、そして人類万代のために全力投球する賢明で勇猛な天宙的平和王国軍になってくださることを願います。

ぜひ、きょう私がお伝えした天の警告を胸深くに刻み、真の父母様を通して受ける祝福結婚こそ、天の血統を取り戻す唯一の道であり、神様が何よりも願ってこられた解放圏と釈放圏を確保し、神様の理想家庭と平和理想世界王国を永遠にこの地に定着させる道であることを肝に銘じてください。合わせて、「天宙平和連合」の発展と成功のために、神様の理想世界と理想国家、そして平和王国を創建するために、真の父母と共に最善を尽くす皆様となってくださることを願います。万民の平和の王、神様を真の父母として侍って暮らす真の王子、王女となってください。真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和王国を創建しましょう。神様の祝福が皆様の家庭と国家の上に満ちあふれることを願います。ありがとうございました。

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ところで、アダムとエバの堕落以来、歴史にわたって神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何か、御存じですか。それは、天の血統を失ってしまい、兄弟権と所有権まで失ってしまった事件です。生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。この中で、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実が血統だということです。

神様の血統の中には、真の愛の種が入っており、真の生命の体が生きています。したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想の人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国である理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように創建されるのです。血統の重要性は、いくら強調しても足らないことを皆様も肝に銘じなければなりません。

血統がなければ、生命はもちろん、愛も離れてしまいます。血統が残ってこそ、愛した自分の伝統が残され、血統が存続してこそ、父母の息遣いが継続していくのです。言い換えれば、父母に愛の実、生命の実、喜びの実を提供する最初で最後の必要十分条件は、真の血統であることをはっきりと知らなければなりません。

ところが、生命とも取り替えられないこの血統を失ってしまったのです。真の生命と真の愛の実を結べなかったというのです。地球星を覆っている六十億の人類が、天とは何の関係もないサタンの実に転落してしまったのです。神様が農作業をして大豊作となり、秋に収穫しようとされたその園が、エデンの園でした。アダムとエバの二人の息子、娘を育て、真の愛を花咲かせ、真の生命を花咲かせ、真の血統を花咲かせたそこで、永遠の愛、永遠の生命、永遠の血統の主人と家庭、そして神様の平和理想世界王国を収穫しようとしたのが、神様の人間創造の理想だったのです。

しかしその場に現れたのは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でした。神様の愛と生命、そして血統が、愛の怨讐である姦夫、サタンの所有権に落ちてしまったのです。天地が真っ暗になって地獄に変わってしまい、神様までもいなくなってしまった、そのような凄絶な世界になったという事実を、人間は今まで知らずに生きてきたのです。

怨讐の血統が生命線であるかのように錯覚し、そこに命を懸けて生きていく群像が、今日の堕落の後裔となった人類の哀れな姿です。それで、この世界を地上地獄と呼ぶのです。このような悲惨な姿を見つめられる神様の胸は、どれほど痛んだことでしょうか。本来、神様はエデンの園にアダムとエバを創造されたのち、彼らを御自身の祝福のもとで結婚させ、天の所有権までも完全に伝授してあげようとしたのです。宇宙万象の所有権をアダムとエバに相続させてあげようとされたという意味です。

しかし、堕落によってこのすべてのものがサタンの手中に落ちてしまいました。愛する子女に相続させてあげるために、一生の間、汗を流して集めた財産を、一晩のうちに強盗に根こそぎ奪われてしまった父母の立場になってしまったのです。このように、サタンに血統権を奪われ、子女を失い、すべての国と世界の所有権まで差し出してしまった神様の悲しく無念な心情を知る人がいなかったというのです。したがって、血統権と所有権を再び取り戻せる道は、サタンを自然屈伏させる道しかありません。サタンを自然屈伏させる秘法とは何でしょうか。怨讐を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によってのみ、可能なのです。

人類の真の父と真の母を喜んで迎え、楽しむことができる一日を送り、ひと月を送り、一年、十年、あるいは一生を送ることができる、そのような時間をもてなかった神様だったのです。一年はおろか、たった一時間でもそのような人に出会えなかった神様の苦痛を、誰が慰労してさしあげられたでしょうか。数千、数万年を経てきながらも、なぜ神様と人間の間には、到底狭められない距離が生じ、父母と子女の関係も結べない悲惨な間柄になったのかを知る者がいないのです。アダム家庭で始まったカインとアベルの闘争歴史は、人類歴史をすべて戦争と葛藤の歴史にしてしまいました。小さくは人間個々人の体と心の葛藤から、大きくは国家と国家、さらには全世界が物本主義と神本主義に分かれ、対立闘争をしてきたのです。

極度の利己的個人主義は、きょうも私たちの生活を脅かしています。人類の希望であり、未来の約束である若者たちを、フリーセックスと麻薬の奴隷に転落させています。物質万能主義に陥った先進国は、自国の利益にばかり目がくらみ、一日に数万人ずつ飢えて死んでいくかわいそうな生命から顔を背けています。誰が、この数千年たったカインとアベルの歴史的な問題を解決してくれるのでしょうか。世界平和を主唱しながら出発した国連にできると思われますか。

国連は、過去六十年間を捧げて努力しましたが、いまだに世界平和ははるか遠くにあるままです。体と心のカイン•アベル関係も解決できない人間の努力だけでは不可能なことです。今や、天命を仰いで出発したアベル的平和理想王国の創建が必要なときが来ました。神様は、このようなすべての悲劇をきれいに清算してくれる一人の方を、首を長くして待ち望んできましたが、この地上にふさわしい相対と国家が現れませんでした。もしそのような人がある国に現れて、真の父母の位置にさえ立つことができていたならば、神様は夢でも現れ、ヘリコプターで太陽を運搬し、月を移してでも空中で喜びの稲光をつくり、歓喜の雷を鳴らしたかったでしょう。

このような意味で、人類歴史上初めて、失われたアダムの位置を探し立て、真の愛の主人の位置を確保し、神様から人類の真の父母として印を押されて顕現したレバレンド・ムーンが、きょう、皆様と同時代圏に生き、同じ空気を呼吸しているという事実は、奇跡の中の奇跡にほかなりません。堕落の後裔となった人類を救う横的真の父母の位置で勝利しました。その基台の上に、二〇〇一年一月十三日には、復帰摂理に責任をもってこられた縦的真の父母、すなわち神様を解放、釈放してさしあげる「神様王権即位式」を奉献し、お捧げしました。これは人類のための歴史上最高最大の祝福であり、絶対、唯一、不変、永遠の勝利であることを知らなければなりません。ついに、神様の体と心が完全に解放、釈放されるようになった、摂理史的絶対勝利だったのです。

したがって、人類は今、これほどまで執拗に苦しめられてきたサタンの偽りの血統を果敢に断ち切り、真の父母様の真の血統の根に接ぎ木されなければなりません。これ以上、野生のオリーブの木として一生を終える愚を犯してはならないということです。野生のオリーブの木では、千年生きても、野生のオリーブの種を生産するしかない悪循環が続くからです。それでは、私たちはどこにおいて野生のオリーブの木の立場から脱出する道を見出せるのでしょうか。天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜です。血統を変えなければ、種を変えることができないからです。祝福は、重生、復活、永生の三段階の祝福を経るようになっています。

真の父母様から祝福結婚を受けて理想家庭を築き、罪のない純粋な真の種を受ける最善の道は、交叉結婚です。人種、文化、国境と宗教の壁を飛び越え、神様のもとの人類一家族をつくる大役事です。神様の目には、皮膚の色の違いはありません。神様の目には、国境が存在しません。神様の目には、宗教と文化の壁が見えません。これらすべてが、数万年の間、人類の偽りの父母として君臨してきた悪魔、サタンの術策にすぎないのです。

最も呪いたいと思い、夢でも会いたくない怨讐の家庭と祝福結婚を通して一つの家族になってみてください。怨讐の感情に浸っていた父母たちの血統は消え去り、新しくて強力な真の愛の血統が創造されるのです。

両家の子女が夫婦となり、互いに愛し合いながら幸福な家庭を築いて暮らすことを呪う父母がどこにいるでしょうか。いくら憎い怨讐の娘だとしても、自分の息子の愛を受ける嫁となり、水晶のようにきれいで澄んだ真の天の孫と孫娘を抱かせてくれるとき、喜びのほほえみを見せない祖父、祖母がどこにいるでしょうか。

白人と黒人、東洋と西洋、ユダヤ教とイスラーム、さらには五色人種が一つの家族になって暮らせる道は、交叉結婚の道以外に、何か方法があるでしょうか。共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を基盤として、兄弟姉妹間は互いに信じて助け合いながら一つになって暮らす家庭が、正にモデル家庭だというのです。ここに、私たちが生命を懸けてでも真の父母様から祝福結婚を受け、天の伝統である理想家庭を探し立てるべき根本的な理由があるのです。

真の愛の本体であられる神様に似る最善の道が、真の愛の実践を通した真の愛の人格者、真の愛の主人になる道であり、その道だけが、私たちも真の父母になれる道だと言いました。

それでは、真の愛の生活とは、どのような生活なのでしょうか。真の愛は、公益性を帯びた無形の秩序であり、平和であり幸福の根源です。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたという事実自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。神様の人類創造は、返してもらおうという期待も条件も何もなく与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造だったのです。

真の愛は宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人にしてくれる愛です。真の愛は神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張ればついてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、誰でもこの真の愛を実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむようになり、同参権まで享受するようになるのです。このように、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。

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11.神様の理想家庭と平和理想世界王国 日付:二〇〇六年二月二日

場所:韓国、京畿道、一山、キンテックス

行事:第一回「天宙平和連合」世界大会

天宙的な理想郷に向かって、世界平和具現を成し遂げようと、地球星の至る所で並々ならぬ苦労を惜しまれない世界の指導者の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、「天宙平和連合」をモデル国際連合(国連)とし、全世界の各国が力を合わせて平和理想世界王国である「天一国」を創建していくために、「天宙平和統一家庭堂」を世界的次元に拡大、格上げし、「天一国平和統一堂」として生まれ変わらせる本大会に御出席なさろうと、数千、数万里を駆けつけてくださった皆様に感謝申し上げます。

皆様。二十一世紀に入った今日の人類は、実に歴史的な大転換期に置かれています。永遠の世界平和を定着させられるのか、あるいは、二十世紀まで反復してきた暗鬱な戦争と対決の歴史を再び繰り返すのかを決定せざるを得ない時点に来ているのです。

皆様も御存じのように、私は二十世紀に入って本格化した植民地争奪戦と第一次、第二次の世界大戦、韓半島における六・二五動乱、東西冷戦など、絶え間なく続いてきた戦争と反目の時代を経てきながら、生涯の全過程を神様の平和理想世界王国具現のために捧げてきました。その過程において私は、第二次世界大戦が終わって創設された国連が、永遠の世界平和実現のために、神様のみ旨を支えられる平和の機構となることを切に祈ってきました。しかし、一九四五年に創設された国連は、世界平和のために貢献した素晴らしい業績がないわけではありませんが、創設六十年を超えた今日の姿は、その本来の創設目的遂行において、深刻な困難を経験していることを、自他共に認めています。

加盟国が二百ヵ国に肉薄していますが、自国の権益ばかりを代弁し主張する国連代表部の役割は、今、世界紛争の解決と世界平和具現において、生まれながらにして抱える限界を露呈しています。したがって、きょう私は、昨年九月十二日、アメリカのニューヨークで出帆したのち、世界百二十ヵ国を巡回しながら宣布した「天宙平和連合」の創設メッセージを、もう一度天と地に宣布しようと思います。「神様の理想家庭と平和理想世界王国」という題名のみ言です。

神様の永遠の創造理想である平和理想世界の実現のために、カイン格である既存の国連の刷新とともに、新たな次元で平和理想世界王国の機能を発揮できる天宙的次元のアベル格の国連の立場にあるのが、正に「天宙平和連合」です。この創設メッセージこそ、全人類が胸深く刻み、後天時代を生きていく座右の銘として、実践躬行するために下さった天の特別な祝福であると同時に、警告なのです。

尊敬する世界の指導者の皆様。神様が人間を創造した究極的な目的は、どこにあると思われますか。それは真の愛を中心とした理想家庭の完成を通して、喜びを感じることでした。それでは、理想家庭とはどのような姿でしょうか。神様が創造された最初の人間は、男性格を代表したモデルであるアダムと女性格を代表したモデルであるエバでした。彼らが真の愛の表題となる人格者と主人になる道は、どのような道だったのでしょうか。一言で言えば、神様を父として侍って暮らせる、父母と子女の関係を確保するモデル的な平和理想家庭でした。神様と一つの家族を形成し、永遠に喜びを感じながら暮らす道だという意味です。

皆様も、祈祷を通して神秘的な境地に入っていき、この宇宙の中心が何かと尋ねてみてください。「父子関係」という答えを聞くでしょう。父母と子女の関係以上に重要で貴いものはないというのです。これが、この宇宙を創造された神様と人間の根本関係だからです。

それでは、父子の関係がもっている特性とは何でしょうか。真の愛、真の生命、真の血統の関係です。真の父母の真の愛が前提とならなければ、私たちの真の生命は存在できません。すなわち、神様のみ前において人間は、絶対的な真の愛の相対として創造されたというのです。そこが正に、神様は父となり、人間は息子、娘となる軸が立てられる所なのです。もし、それよりもっと高く貴い位置があれば、人間の欲望は、またそこを追求するでしょう。しかし、そのような所はありません。全知全能であられる神様が、最高の位置は御自身のために隠しておき、御自身の子女であり、愛の絶対相対者であるアダムとエバを、二番目に良い位置に立てて創造したとは、想像することもできません。

私たちの永遠の真の父母であられる神様は、一〇〇パーセント、御自身の全体を投入して人間を創造され、同位権、同参権、同居権、相続権を賦与されました。神様のすべての属性を下さったというのです。

神様がいくら絶対者だとしても、御自身一人では幸福になれません。「良い」という言葉や「幸福だ」という言葉は、一人では成立しない言葉です。必ず相対的関係を備えたところであってこそ成立するのです。一生を声楽家として生きてきた人でも、無人島に捨てられて、一人で喉が張り裂けるほど歌を歌ったとして、幸福でしょうか。自存なさる神様も、喜び、幸福であるためには、必ず与え合うことができる愛の相対が必要だというのです。

それでは、絶対者であられる神様に喜びをお返しすべき相対者としての人間は、どのような姿でなければならないのでしょうか。神様が「息子よ、娘よ」と呼ぶことができ、御自身と同格の位置に立て、共に創造の偉業を完成でき、天地万物をすべて相続させてあげられる子女の姿は、どのような姿でなければならないかというのです。神様が創造の理想的出発点をどこに置かれたのか、御存じですか。「相対のために存在する」という原則に、御自身の理想的出発点を立てたのです。言い換えれば、真の愛の希望的相対のための実践が、神様の創造の出発の核だというのです。

したがって、神様の子女である人間の責任は、何よりもまず神様に似ることです。孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たす真の愛の化身になりなさいというのです。神様の深い心情の内情を知って、アダムとエバの堕落以来、数千、数万年を苦痛の中で生きてこられた神様の恨を解いてさしあげなければならないというのです。

全能であられる神様が、苦痛の場から抜け出せず、歴史の背後で受難に耐えてこられたのは、神様が愚かで能力がないからではありません。堕落によって失われたアダムとエバの本然の位置、すなわち完成した「後のアダム」の顕現を待たなければならない、復帰摂理に絡まった言うに言えない事情があったからです。いくら全権をもった神様だとしても、御自身自ら永遠の基準の上に立てた天理原則を無視することはできなかったのです。

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結婚は愛する訓練のためのもの 皆様。結婚はなぜするのでしょうか。一言で言えば、神様の姿に似るためです。神様は、二性性相で存在される方として、二性が合体化した一体的存在でいらっしゃり、神様の分性的人格が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に戻らなければならないのです。結婚の最高の神性を私たちは謳歌しなければなりません。男性と女性が愛し合える道は、結婚生活だというのです。結婚によって一つとなり、誰に似ようというのでしょうか。神様に似ようというのです。男性と女性が一つになってこそ、御自身の形どおりに造られた神様に似るのです。そのようになってこそ、神様が臨まれるのです。

男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。したがって、男性と女性が合わさって調和を形成し、平和を成就しなければなりません。天地合徳(和合)とは正に、夫と妻が神様の真の愛を中心として、完全一体を完成した境地のことを意味するのです。夫と妻が真の愛で抱擁するのは、宇宙が一体を形成することと同じです。神様の理想の中で形成される創造本然の姿がそうなのです。

結婚は、世界と万民を愛する訓練を受けるためにするのです。結婚式というものは、愛の顕現を意味すると同時に、創造権と主管権が賦与されることを意味します。したがって結婚の目的は、世界を代表した男性と世界を代表した女性の心の世界を一致させようということであり、男性と女性の愛を完成させようということです。結婚生活を通して愛の完成と心の完成を達成したならば、家庭理想を実現したと見ることができます。そのような土台の上で死ぬならば、皆様は間違いなく天国に入っていくのです。

なぜ結婚が重要なのでしょうか。真の愛を訪ねていく道だからです。生命を創造する道だからです。男性と女性の生命が一体になる道であり、男性と女性の血統が混合する道だからです。結婚を通して歴史が生まれ、その基盤の上に国家も生まれ、理想世界も始まるのです。結婚は、自分よりも相対のためにするという信念をもってしなければなりません。自分本位に立派で美しい人をもらおうというのは、誤った考えです。人間は、他の人のために生きるように生まれたという原則を知れば、結婚も当然、相対のためにしなければならないということが分かるでしょう。

いくら醜い人でも、世界最高の美人よりもっと愛そうという信念をもつのが、原則的な結婚観でなければなりません。人間として生まれ、自分の相対を神様のように愛し、人類を愛するように愛し、世界の誰よりも愛そうという覚悟がなければ、夫婦として天の国に復帰できないのです。一人の男性として、一人の女性を真に愛することができない人が、どうして神様と人類を愛せるでしょうか。

結婚は、幸福の宮殿の門を開いて入っていく儀式だと言えます。そのような意味で、結婚は人倫の大事になります。愛は時空を超越して存在し、役事(働き)するので、人間社会の出来事の中で最も偉大なものであり、結婚は正に、そのような愛を現して確認する儀式になるのです。

尊敬する貴賓の皆様。今晩、私は真の愛と真の結婚に関する天の教えの一端をお伝えしました。新婚の夫婦でも既婚の夫婦でも、皆様は今、天の印を押された真の夫婦としての道を歩むように、天の命令を受けました。

皆様は真の父母との関係によって真の愛の種を受けたので、真の結婚生活を通して真の実を生産する真の夫婦になってください。真の父母になってください。真の家庭を築いてください。真の国家を建ててください。天運が皆様を助けるでしょう。ぜひ、天の期待に添う真の愛の生活を実践されることをお願いしながら、これで私の話を終えようと思います。ありがとうございました。

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真の愛は宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人をつくってあげる愛です。真の愛は神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。したがって、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。

天道とは一言で、天の伝統です。天に根を置いている真の愛の実践の伝統です。天道の人生は、世の中のすべての法を超越した崇高な人生です。したがって、真の愛に革命が必要ないように、天道にも革命が必要ありません。皆様は、ただ真の愛の道、天道に従って、ために生きる犠牲と奉仕の生活を実践しなければなりません。その道は、神様の愛を爆発させる道です。言い換えれば、神様の血統を発展させて拡大させる道であり、神様の血統を永遠に守る道だというのです。

そして、今から皆様は、「神様が変わらない限り、私も変わらない。いつどんな状況が展開しても私は行く。このサタン世界で今まで守ってきた生命、愛、理想を私から完全に奪っていくとしても、私は行くだろう。たとえ神様が変わるとしても、私が神様を元に戻して立たせ、共にこの道を行くだろう。神様が絶対的でなければ、私が絶対的神様にしてでも行くだろう」という覚悟で、この後天時代を駆けていかなければなりません。

結婚するのは何のためだと言いましたか。天国に行くため、そして人類を救うためであると言いました。祝福結婚を通して夫婦になれば、夫の前にいる妻は神様の娘であり、人類の娘であることを知らなければなりません。人類が愛するほど、神様が愛するほど、妻を愛してあげることができれば、夫になる資格があります。女性も同じです。自分の夫だと思って、「あれは私の男性だ!」と言わないでください。そのように主張する前に、彼は神様の息子であり、人類のすべての男性を代表した男性だと考えなければなりません。

夫婦は互いに、夫が右足ならば妻は左足です。共に神様のために生き、人類のために生きていく人生の足跡を残さなければなりません。その足跡が、正に皆様の家庭です。ところが、右足でも左足でも、どちらか一方でも完全になれなければ、足を引きずってしまいます。引きずった足跡を残す人生を送る皆様になりますか。妻は夫を天として敬い、夫は妻を地のように大切にして慈しむ夫婦になるとき、彼らが互いに抱擁するその場は、天地が合徳する場であり、宇宙の合一が形成される場になるのです。

私たちの使命 皆様は今、良い時代を迎えています。神様の創造理想である地上天国、すなわち平和王国が皆様の目前で創建されつつあります。八十年以上の生涯を、血と汗と涙で綴られた一本道、ただ天の道だけを歩んできた私の人生が、今や六十億人類のための勝利的結実を収めています。世界の百八十ヵ国以上で、天のみ旨と伝統を相続した数千、数万の平和大使が、真の愛と真の家庭の価値を叫び、昼夜なく走っています。この地に平和世界を創建しようと総進撃しているのです。世界の火薬庫である中東でも、レバレンド•ムーンの平和思想の影響を受け、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームが新しい次元の平和的対話を行っています。東西間の冷戦に終止符を打つよう決定的な役割を果たしたのも、レバレンド•ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的な背後での作業も、今、レバレンド•ムーンの主導のもとに進行しています。

しかし、私は決してここで満足できません。天命を受けて出発した生涯です。天が印を押し、人類の真の父母として顕現した私は、天との約束を必ず成し遂げなければなりません。

私はこの貴い場を借りて、人類の平和と福祉のための結実として、歴史的で革命的なプロジェクトを宣布しようと思います。歴史的にサタンによって東と西、南と北に分けられ、地理的には北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているべーリング海峡に、橋梁を建設し、海底トンネルを通そうというのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンディアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できる「世界超高速道路」を連結する「べーリング海峡橋梁・海底トンネル」を完成し、世界を一日生活圏にしようというのです。

これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、サタンがつくった人種、文化、宗教、国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和世界を、この地球星に創建しようというのです。

アメリカとロシアが一つになり、ヨーロッパ大陸だけでなく、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家と宗教が共に力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功こそ、人類にとってこれ以上、戦争と分断が必要ない平和王国を創建するために、決定的な役割を果たすようになるでしょう。このように途方もないプロジェクトを、どのように完成できるかと疑問をもつこともあるでしょう。しかし、神様のみ旨がある所に道があります。二十一世紀の現代科学技術は、今やべーリング海峡にトンネルを通すことは問題にもならない水準にまで発展しています。工事費用も問題になりません。アメリカが過去三年間、イラク戦争に注ぎ込んだ戦費がどれほどになるか御存じですか。二百兆ウォンを超えようとしています。そのくらいの予算があれば、ベーリング海峡プロジェクトは完成して余りあるのです。

なぜ私たちが、互いに殺し合う戦争にこのような途方もないお金をばらまく愚かな蛮行を続けなければならないのでしょうか。人類はもうこれ以上、戦争のための戦争に子女の生命を犠牲にさせ、天文学的なお金を使い果たすという罪悪を繰り返してはいけません。世界のすべての国家の力を総動員して、大宇宙の主人であられる神様が願われる平和世界創建に総邁進すべきときが来たのです。人類は今、レバレンド•ムーンの教えである真の愛、真の生命、真の血統の平和思想を受け入れなければ生きていけない、袋小路に足を踏み入れました。皆様の善の先祖が動員され、後天時代の天的権勢が押し寄せれば、いくら強大に見える国家や民族だとしても、天地の運勢に順応するしかなくなるでしょう。

今や選択は、皆様のものです。無知には完成がありません。皆様に伝えるこのメッセージは天の警告であり、祝福です。天運に従って栄え、勝利していくレバレンド•ムーンと歩調を合わせ、この地に真の家庭、真の社会、真の国家、真の世界を創建する主役になりますか。それともサタンが喜ぶ旧態依然の宗教の壁、文化の壁、民族の壁、人種の壁の捕虜となり、余生をうめきと後悔の中で終えますか。天は、この邪悪な世界をひっくり返して、この地に新天新地を創建する勇将を呼び求めています。

ぜひ、きょう私がお伝えした天のメッセージを胸深く刻み、真の父母を通して受ける祝福結婚こそ、天地合徳の統一的価値と宇宙合一的な価値をもっているという事実を肝に銘じて、皆様の人生に新たな座標を立てる賢い先覚者となってください。後天時代の伝統となった天道を守る天の勇将になることを誓い、今後の世界と人類を導いていく指導者になってくださることを願いながら、これで話を終わります。ありがとうございました。

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真の父母の顕現と祝福の価値 神様の真の愛の属性が絶対、唯一、不変、永遠であるように、神様が立てられたみ旨もまた絶対的で、唯一、永遠、不変でなければなりません。神様の創造理想は、必ずこの地上に完成されなければなりません。アダムとエバの堕落によって失ってしまった御自身の子女を訪ねてきた天の摂理は、必ず成し遂げられなければなりません。イスラエルの不信によって、イエス様は霊界に逝かれてしまいましたが、天は再び、人類の救世主であり、再臨メシヤである真の父母をこの地に送られ、救援摂理歴史を完結していらっしゃることを知らなければなりません。二度と延期も、延長もできない復帰摂理のプログラムに従い、絶対的で永遠不変な摂理を展開していらっしゃるというのです。

皆様はきょう、重要な摂理の現場に立っていらっしゃいます。耳がある人はお聞きください。目の開いている人はしっかり御覧ください。口のついている人は、万邦に証をしてください。皆様の目の前に立っているこのレバレンド•ムーンが、正に天から印を受けて顕現した、人類が何よりも待ち望んできた救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、平和の王であり、真の父母です。これは決して私の叫びではありません。霊界の四大聖人はもちろん、数千、数万の聖人や賢人も異口同音にそれを証するメッセージを送ってきています。

神様も直接メッセージを送られ、人類すべてが真の父母を中心として、この地に平和王国を創建することを促していらっしゃいます。このようなメッセージを収録した本が既に出版されています。もしこの事実を信じられなければ、生命を懸けて祈祷してみてください。天は必ず皆様の祈祷に明確な回答を下さるでしょう。

それでは、堕落の後裔として野生のオリーブの木になってしまった人類が行くべき道はどこにあるのでしょうか。真の父母様を通して神様から祝福結婚を受けなければなりません。野生のオリーブの木は、千年待っても野生のオリーブの木のままです。必ず真のオリーブの木に接ぎ木され、真の血統権を確保しなければなりません。真の父母様を通して受ける祝福結婚が、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜の祝福です。

よく世の中では、レバレンド•ムーンが主導してきた祝福結婚式を、単に統一教会式の結婚式にすぎないと言います。しかし祝福結婚式は、簡単に男性と女性が出会って一つの家庭を築く婚礼式ではありません。今までの世の中の結婚式は自分たちを中心とした結婚式でしたが、祝福結婚式は、神様に喜びをお返ししてさしあげるのにふさわしい内容を備え、歴史を蕩減する貴い条件として神聖で盛大に挙行する、それこそ祝福と復活の儀式です。人間始祖アダムとエバの堕落によって始まった神様の恨を解いてさしあげ、イエス様が成し遂げられなかった新郎新婦の基準を通過するものであることを知らなければなりません。

したがって祝福結婚という言葉は、統一教会から始まった言葉ではありません。創世から堕落以後、今まで歴史過程を通して神様の内心の中で一つの願いとして残され、常にこれを追い求め、また願ってきたことを知らなければなりません。歴史上、そのような一日を探し出すために、形容し難い受難の道を歩んでこられなければならなかった神様の事情を知る人がどこにいるでしょうか。ですから、その一日を探し出せば、その日は歴史的な解怨成就の日であり、摂理的な所願成就の日になるのです。

このような次元で見るとき、祝福結婚はどれほど福があり、一方ではどれほど途方もなく恐ろしい祝福であるかが分かります。言い換えれば、祝福結婚の位置は、過去から今まで綴ってきた歴史過程におけるすべての悲しみを清算できる場であり、今まで成就されなかった神様の願いが新たに出発できる場であり、新しい人間の未来が出発する契機となる起点でもあります。先天時代のサタン支配圏を完全に抜け出す、最も確実な方法です。皆様は祝福結婚を通してこそ、真の父母との関係を継承することができます。天の全権を譲り受ける過程的結実です。祝福を受けた家庭は、霊界に行っても真の父母が責任をもってあげます。真の父母様の主管のもとで生きるようになるという意味です。このように、祝福結婚を通して真の父母様と天的な関係を結ぶようになれば、それは永遠不変の関係になります。祝福結婚は天国の門を開く鍵になるのです。

祝福が結実する後天時代 それでは、祝福が成し遂げられる今の時代は、どのような時代でしょうか。サタンの支配圏にあった先天時代が終わり、平和王国が建てられる後天時代が到来しました。六千年間苦労してこられた神様の恨は解かれ、平和に向かう人類の願いが成し遂げられる最高のときです。

この地に来て、み旨を完成できずに逝かれたイエス様の願いが成就するときです。それだけでなく、人間創造以後、初めて真の愛が花を咲かせて実を結ぶときであり、万物からも歓迎と尊敬と栄光を受けられるときです。神様もこの日をどれほど待ち望んでこられたでしょうか。罪悪は消え、光明な太陽が昇ってくる新天新地を迎える日、すべての万物が和動し、万象が踊りを踊る勝利の新しい朝、新しい時代を迎える日です。天国理想は、祝福結婚を通して家庭を探し立てなければ、成し遂げられないと言いました。天国理想は、私たちが天道に従って神様のみ旨を成就するときに完成し、天道は、家庭において真の愛を中心として立てられます。

それでは、真の愛とは、どのような愛でしょうか。真の愛は公益性を帯びた無形の秩序であり、平和であり、幸福の根源です。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたという事実自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。神様の人類創造は、返してもらおうという期待も条件も何もなく与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造だったのです。

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10.祝福結婚は天地合徳、宇宙合一の道 日付:二〇〇五年八月二十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:平和の王即位一周年記念式

尊敬する内外の貴賓、そして愛する祝福家庭の皆様。まず、神様の祖国創建と人類平和の具現のために、世界各地で苦労される皆様に、深甚なる感謝の言葉を申し上げる次第です。

創造理想的家庭 皆様も御存じのように、きょう私たちは、二〇〇四年にアメリカと韓国の国会において私を「平和の王」に推戴し、戴冠式を行った歴史的な日を記念するため、このように席を共にしました。思えば、きょうはまた、私が過去八十年以上の生涯を捧げ、天のみ旨を成し遂げてくる過程で、口惜しい謀略と迫害によって経なければならなかった六度の獄中生活のうち、その最後であるアメリカのダンべリー刑務所における獄苦に勝利した出監記念日でもあります。この意義深い日を記念する場で、私はきょう、皆様に祝福結婚の価値とその意味に関する天のメッセージをお伝えしようと思います。み言の題名は、「祝福結婚は天地合徳、宇宙合一の道」です。宇宙万物の創造主であられる神様は、どのような姿で存在されるのでしょうか。神様は二性性相でいらっしゃいます。ここで言う二性性相とは、男性格主体と女性格対象の二性性相を意味します。したがって、神様の男性格を分立させて創造したのが人類最初の男性格先祖であるアダムであり、神様の女性格を分立させて創造したのが人類最初の女性格先祖であるエバです。そして、アダムとエバを再び合わせた姿と同じものが彼らの子女です。神様の創造は、このように正分合の原則に従って展開します。神様を一代として、アダムとエバが二代であれば、彼らの子女は三代の位置に立つようになり、一つの家庭で三代圏を形成し、未来永劫、罪のない子孫が繁栄するように祝福されたのが、神様の人間創造でした。

アダムとエバが、神様のみ旨のとおりに個性完成、すなわち人格を完成し、神様の祝福の中で夫婦関係を結んで神様と完全一体を完成したならば、神様が彼らの中に臨在できる関係が決定されたでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の関係を結べる愛の基準が連結されたでしょう。これを総称して、人間に対する神様の祝福と呼ぶのです。

一般的に祝福とは、福を祈ってあげるという意味です。それでは、福の中の最高の福とは何でしょうか。人間にとってどのような福が、最も貴い福かというのです。お金ではありません。名誉でもありません。権力や知識でもありません。アダムとエバが神様の祝福の中で結婚し、罪のない子女を繁殖することさえできたならば、それ以上に貴い福はなかったでしょう。宇宙万象も喜びで応じ、神様にとっても最高の喜びの日になっていたのです。このような祝福の場は、摂理的に見るとき、地上天国と天上天国が出会う場なのです。

もしエデンの園で、神様が女性を創造せず、男性だけの創造で終わっていたとすれば、どのようになったでしょうか。奇跡の中の奇跡は、男性と女性が共存するという事実です。片方だけの存在では、何も存在しないのと同じです。人類はそのまま、百年もたたずに終わっていたでしょう。男性と女性が共にいるところから、初めて天道が立てられ、人倫と道徳が始まるのです。

したがって、完成したアダムとエバの結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体になって、神様は彼らの心の位置に安着され、有形、無形共に両面で人類の真の父母になっていたはずです。

しかし、人類歴史は人間の先祖の堕落により、最初の一歩から罪悪と闘争の歴史に転落してしまいました。当然、神様を真の父母として侍って暮らすべき人類は、偽りの父母となった悪魔サタンの支配を受けて生きる地獄の主人になってしまったのです。神様の分聖殿となり、神様が臨在される、神様と同じ価値をもつ人間になるベきだったアダムとエバの体は、様々な罪悪と偽りの温床、悪魔の舞踏場になってしまいました。

具体的に堕落とは、神様の祝福の中で挙げるべき結婚式を、サタンを中心として挙げたことを言うのです。創造原理によれば、真の愛、真の生命、真の血統は父母から相続します。したがって、サタンを父母として生まれた人類は、選択の余地なく偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を伝授されたのです。生まれながらにして体と心の葛藤の中で苦しみ、死ぬ瞬間までもその問題を解決できずに旅立っていくかわいそうな人間になってしまったのです。

堕落と復帰 人間の中で神様の声を代弁している良心の声を無視し、サタンの走狗となっている肉身の欲望に従って、振り回されながら一生を生きているのが皆様自身の姿です。大部分の人は、自分がそのように寂しく無念な境遇に陥って生きているという事実さえ悟れずにいます。前後左右を見回しても、みな同じなので、自らの盲目的人生をごく当たり前のこととして受け入れて生きている、愚かで哀れな人間になってしまったのです。皆様はいつまで、この悲劇を好んで生きるのでしょうか。

「結者解之(キョルジャヘヂ)(自分の過ちは自分で解決すべき)」の原則に従い、人類は堕落のゆえに誤った偽りの結婚の根を抜いてしまわなければなりません。誤った愛によって堕落したために、偽りの愛の痕跡までもなくしてしまわなければならないという意味です。その土台の上に、神様の真の愛を中心とした真の祝福結婚を受けて、真の家庭を出発させなければなりません。子々孫々、罪のない真の子孫を繁殖できる、真の根を下ろさなければならないという意味です。

だからといって、誰でも望めばその目的を達成できるのではありません。数千、数万年の間、人類歴史が進行してきましたが、誰もこのような境地に到達して、人類を罪悪から救ってあげられなかったではないですか。歴史上、数え切れない浮き沈みを繰り返しながら発展してきた多くの宗教も、このような目的を成し遂げるためにそれぞれ努力してきましたが、結局、彼らも堕落性の壁を越えられず、挫折したり、迂回したりしてしまったのです。

しかし、神様は真の愛の父母であられます。人類歴史上、初めてイエス様に御自身のひとり子の資格を賦与し、この地に顕現させられました。救世主、メシヤの使命をもってこられたイエス様は、この天のみ旨を成し遂げてさしあげるために、三十三年の生涯を捧げられましたが、結局、途中で十字架の祭物として消えてしまいました。イエス様は完全な人間、すなわち完成した「後のアダム」の資格で御自身の新婦候補を訪ねてこられましたが、実際は、天が数千年を経て準備しておいたユダヤ教とイスラエルが、そのみ旨を推し量れないまま、かえってイエス様を十字架に追いやってしまいました。

罪のない純粋な天の真の愛の種として顕現されたイエス様も、その種をこの地に植えることもできないまま、再び天に帰ってしまわれたのです。この地で新婦を探し出し、天と地の前で「小羊の婚宴」を催して真の愛の家庭を立て、罪のない真の天の血統を繁殖させようとされたイエス様のみ旨は、結局、途中でこのように挫折してしまう結果となりました。

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9.愛と真の結婚 日付:二〇〇四年八月二十一日

場所:韓国、ソウル、ロッテワールド•ホテル

行事:真の心情革命と真の解放•釈放天一国入籍祝福式祝賀宴

尊敬する元、現職の世界首脳と国内外の貴賓の皆様。まず、万有の真の父母、真の師、真の王、真の主人であられる父なる神様に、きょうを迎えさせてくださったことを、私たち全員で心から感謝しましょう。

真の愛と血統転換 きのう、私たちが一つの心で同参し、勝利を収めた「真の心情革命と真の解放•釈放天一国入籍祝福式」は、神様の摂理と歴史的見地から見るとき、歴史上、空前絶後の人類の勝利であり、神様の喜びです。

人間の先祖の堕落によって、人類は神様のみ旨ではない偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を伝授されました。しかし、堕落とは無関係の位置にいらっしゃる神様ですから、御自分ではどうすることもできず、数千、数万年を耐えて待ち続けてこられたのです。昨日はそのような父なる神様の恨を解いてさしあげる真の父母様の勝利であり、解放と釈放の日でした。

サタンのくびきの中で苦しんでいた六十億の人類が、今や天の真の父母と地上の真の父母を仰ぎ、侍って暮らせる新天新地の世界、すなわち後天開闢の時代である安着太平聖代を謳歌できる門を大きく開く天地合一の祝福式だったのです。

今や皆様は、後天時代を迎え、天が下さる真理のみ言を皆様の家庭と国で実践躬行し、永生のための準備を徹底的にしなければならないときです。先天時代の葛藤と衝突、そして対決主導の世界から、天地父母様であられる真の父母様の勝利的基盤の上に立ち、今から私たちは、共生と和合統一の実体的天国、天一国を創建しなければなりません。そのような意味で、きょう私は、皆様がこれから実践して生きるべき「真の愛と真の結婚」という題名で、私が生涯説いてきた真の愛の原理の一端をお伝えすることにより、晩餐の辞に代えようと思います。

皆様。真の愛とはどのような愛でしょうか。明らかに、世の中でよく言う世俗的な愛のことではありません。気の向くままに与えてはやめてしまう、そのような愛ではありません。肉身の欲望に引きずられ、本心に釘を打つ、そのような放縦と放蕩の愛では決してありません。真の愛は、公益性を帯びた無形の秩序であり、平和であり、幸福の源泉です。世界人類のための共同の財産であり、神様の意志と力の象徴です。

真の愛は、その根を神様に置いているのです。真の愛は、与えれば与えるほどもっと与えたくなり、もっと豊かになり、もっと大きな喜びを抱かせてくれる神秘的な愛なのです。私たちの生命の動機と過程、そして終末までも動かせる偉大な力を所有しています。人間は、真の愛から生まれ、真の愛によって育てられ、真の愛の道を歩み、真の愛によって死んでいく一生を送るように創造されているのです。ですから、真の愛は最高、最上の価値をもっているのです。

真の愛は、永遠に一緒にいて、永遠に一緒に見ながら、永遠に一緒に語り、永遠に一緒に聞いて、永遠に一緒に感じても、ただうれしいという愛です。万民が一緒に喜ぶ愛です。小さければこの上なく小さいものであり、大きければこの上なく大きい愛です。真の愛の中では、目が一度瞬きするだけでも天地が揺れ動く喜悦を感じることができ、にっこりと笑う一度のほほえみにも、私たちの一生が行ったり来たりする超人的な力を感じるのです。見えると思えば見えず、見えないと思えば見えたりする、神秘の塊です。真の愛の色彩はどのような色彩でしょうか。夜なら真っ黒で、昼には白く、夕方には黄色いと思いますか。真の愛の中心の色彩は、和合と統一、そして平和と幸福です。

原子爆弾は人間の生命を奪う力しかありません。創造ではなく、審判と破滅の象徴です。しかし、真の愛には死んだ生命を生かす復活の力があるのです。したがって、世界を一つに束ねて統一させる力は、核爆弾を前面に立てた武力と権力にあるのではなく、真の愛にあるのです。国ごとに固有な文化的背景があり、国境がありますが、このようなものを越えられる武器は、真の愛しかありません。今日の世界人類が抱えているあらゆる難問題も、真の愛の完成を通してのみ、解決できるのです。

真の父母と血統転換 皆様。真の愛を求めなければなりません。真の愛を皆様のものにしなければならないのです。皆様の生活の中で、真の愛を完成しなければなりません。どこに行って探し出せるのでしょうか。まず、真の愛の存在像を調べてみれば、真の愛は東西南北の四方性を備え、人種と文化と宗教と国境を超越して存在し、作用します。生命よりも先に作動するので、生命の根源となるのが真の愛です。真の愛は変化もなく、どのような革命もありません。真の愛は、原形そのままで完全なのです。真の愛は最高に自然なものであり、最高の真実の愛です。世の中のどのような作用よりも早いのが、真の愛の作用です。

真の愛は、縦的な真の父母の実体として来られた横的な真の父母から、真の祝福を受けることによって神様の血統に接ぎ木され、初めて種を受けるのです。偽りの堕落世界においては探し求める道がありません。絶対に不可能なことです。堕落の結果として生じた人間中心の世界では、善の血統を探し求める道がないのです。

真の父母を通して真の善の血統に接ぎ木されてこそ、皆様の体と心の闘争も克服でき、ひいてはカインとアベルの関係、宗教、人種、国境問題、民主と共産の問題を解決できる道を見いだせるのです。今日、世界の最も危険な紛争地域である中東の平和と韓半島の統一も、ここから探し出せるのです。

このように、血統転換は重要で深刻なことです。六十億人類の生死がかかった空前絶後の出来事です。正にこのような理由から、二〇〇四年八月二十日、皆様全員が大韓民国の国会で共に奉呈した「真の心情革命と真の解放•釈放天一国入籍祝福式」は、皆様の一生で最も大きくて貴い恩賜であり、祝福なのです。皆様は今、世界平和の王に即位した真の父母から祝福を受け、真の血統を伝授され、真の愛の種を受けました。この種をよく育てて花を咲かせ、真の実を結ぶようにしなければならないのが、皆様の残された生涯であるということを忘れてはいけません。

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今日、アメリカだけでなく全世界において、青少年の脱線と堕落は健全な社会を脅かしています。世界は、人間の努力と人間愛では収拾できない終末的な状況に到達したというのです。ですから、必ず新しい運動が起こらなければなりません。誤ったことを清算してしまい、本来の基準で出発しなければなりません。

そのような意味で、歴史とは本然の理想世界に向かって古いものを清算し、新しいものを再創造していく再創造復帰摂理歴史です。ですから、古いものと新しいものがぶつかるのです。今まで、個人が家庭を好きなように立ててきましたが、これからはそのように立ててはいけません。そのような時代に私たちは立っているのです。

多くの宗教の創始者の中で、イエス様は、特に家庭に関して深刻なみ言を多く語られました。イエス様は、神様をどのような方だとおっしゃいましたか。「神様は私の父であられる」とおっしゃったのです。創造主である神様と人間の関係を、父母と子女の関係であると説いたのです。さらに、自分は神様のひとり子だと言いました。

これは、イエス様が神様の最初の息子であり、一人息子であるということです。

神様が愛の本体であるとすれば、人間とは父子の関係とならざるを得ません。ですから、私たち人間と創造主の関係は、単純な造物主と被造物の関係を飛び越え、真の愛、真の生命、真の血統によって連結された関係となるのです。

神様を中心とした家庭を築くことがイエス様の願い また、イエス様は「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」という立場で語られました。新郎と新婦が結婚すれば夫婦になります。家庭を築こうというのです。結局、家庭を築いて子女を生もうということです。ですから、結婚した夫婦は必ず息子、娘を生んでこそ、家庭がしっかりと築かれるのです。妻が憎くて離婚したくても、子女を生んでおけば、いい加減に別れることもできないのです。子女は、夫婦の愛の実です。

イエス様は、神様のひとり子、天の国の王子としてこの地に来られました。それも、神様の第一王子として来られたというのです。神様の全権を相続するのにふさわしい王子として、神様の印を受けて生まれた息子なのです。そのような神様の息子を迎えて、神様の長子の嫁にならなければならなかったユダヤ民族でしたが、そのようになれませんでした。

それでは、皆様の中で、その王子の新婦になる自信のある人がいますか。新郎新婦は神様を父として侍り、天の王子と王女として関係を結ばなければなりません。このように、神様を中心とした家庭を築くことが主の願いでした。外的な天下を所有しようということではなかったのです。

それでは、キリスト教は何をするべきなのでしょうか。全人類が共同で願う、来られるその方に新婦を準備して、その方が願われる環境をつくってさしあげなければなりません。これを聖書では、「小羊の婚宴」と比喩したのです。このような歴史的な責任を背負ってきたのが、正に新婦の宗教であるキリスト教の使命であるという事実をはっきりと知らなければなりません。

結局、イエス様が肉身をもって地上に来られた目的は、新婦を得て家庭を築こうということです。問題は家庭です。真の家庭を築いたならば、イエス様は、何にならなければならないのでしょうか。家父になるべきです。家父になると同時に、家長にならなければなりません。さらには、氏族の長にならなければならないのです。しかし、イエス様は家庭理想を完成することなく、十字架で亡くなられました。イエス様が築くべきその家庭は、神様をお迎えして千年、万年暮らしたいと言える家庭です。韓国の民謡の中に、「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ。あの、あの、あの月の中に桂の木が植えられたので、父母に侍って千年、万年暮らしたい」という歌があるのです。

祝福とは神様の願いである真の家庭を築くこと それでは、家庭を築いて何をすべきなのでしょうか。子女を生まなければなりませんでした。すなわち、神様の孫と孫娘が出てこなければならなかったのです。結局、神様が直系の孫と孫娘を見ることができなかったことが恨です。神様は今まで、すべての人間の標本的な家庭を立てようとされたのです。

ですから、神様はそのような家庭をどれほど慕われたでしょうか。また、堕落によって結ばれた人間が、どれほどその家庭を慕ったでしょうか。皆様も、その家庭を慕ってみましたか。理想家庭を中心として、すべての人類が一つにならなければなりません。そうして、人類は何を探し出さなければならないのでしょうか。真の家庭を迎えなければならないのです。

今日、堕落した世界の家庭は、神様のみ前に立つことができません。このような曲折があるので、「あなたの家族が怨讐である」と言われたみ言は正しいというのです。イエス様はこの地に来て何をしようとしましたか。神様を中心とした一つの家庭を築こうとしたのです。ところが、この家庭を築けなかったので、再び来るとおっしゃいました。再び来られて、何をしなればならないのでしょうか。家庭を築かなければならないというのです。そうして、その家庭において息子、娘が後代に繁殖し続ければ、氏族が形成され、民族が形成され、国家が形成されるのです。

そのような純粋な神様の家庭を築こうとすれば、神様の愛を中心とした家庭の血族がこの地上に現れなければなりません。ところが、その家庭を築けなかったので、神様が再びこの地上に、神様の創造理想だった本然の基準、すなわち本然の家庭を中心とした復帰の血族を形成するために、今まで救援摂理をしてこられたのです。

そのような家庭を立てるために、皆様がよく御存じの「祝福」というものをしてあげているのです。その家庭を「祝福家庭」と言います。その祝福家庭とは、どのような家庭でしょうか。神様を中心とした理想的な家庭のことを言うのです。その家庭は、来られる主を迎えるべき家庭であり、これからの後代の人々も迎えるべき家庭であり、すべての人間が最後にもたなければならない共同の目標です。

それでは、行くべき共通の関門は何でしょうか。国でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。本然の家庭です。民主主義の世界に、真の民主主義世界を創建できる本然の家庭がなければなりません。この本然の家庭が現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ないというのです。

ですから、私たちが願うこのような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し出すベき家庭が、この地球上に必ず現れ、人類歴史と運命を共にできる一時が来なければならないのです。それでこそ、地に対する神様の摂理が成し遂げられるのであり、安息の福地、安息の住み家が出発するのです。このように、家庭を生かし、地域社会を新たにし、国を強健にする運動において、聖職者が先頭に立たなければなりません。

内外の貴賓の皆様。きょう、祝福を受けた聖職者の皆様は、今から先頭に立って、皆様の教会と皆様の地域社会において、この祝福運動を主導し、平和の国、平和の世界を成し遂げていく先駆者となることを願います。神様の祝福が皆様の家庭に共にあることを願いながら、話を終えようと思います。ありがとうございました。

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8.祝福家庭と理想世界 日付:二〇〇二年四月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン•ナショナル•ホテル

行事:十四万四千双聖職者祝福結婚式祝賀晩餐会

内外の貴賓の皆様。まず、歴史的な超宗教、超人種、超国家で構成された十四万四千双聖職者祝福結婚式に参加した当事者の皆様に、心からお祝い申し上げます。真の家庭理想を中心として、宗派と教理を超越して五色人種が一つになったきょうこの日は、葛藤と紛争に明け暮れてきた人類文明史に対して、愛による和解を勝ち取った新しい歴史の一日として記録されるでしょう。

真の家庭の重要性 私は、過去八十年以上の生涯を通して、自ら創設した教団を飛び越え、唯一なる神様のもとの一つの平和世界を建設するために全身全霊を注いできました。その実が結ばれたこの意義深い場において、多くの教団の指導者の皆様と今から分かち合おうと思うみ言は、「祝福家庭と理想世界」です。この世の中には数多くの人々が暮らしていますが、彼らはみな、家庭に属しています。しかし、真の家庭がなければ、真の子女を育てることはできないのであり、真の社会の形成も不可能です。このように、真の家庭が基礎となり、真の社会、真の国家、真の世界が成し遂げられるというのは、当然の事実です。その真の家庭とは、神様の真の愛を中心として築かれた家庭を意味するのです。

今までの歴史時代には、真の家庭とは何かということに対する定義がありませんでした。それだけでなく、真の人が目指すべき目標とその限界点が何かも、明確ではありませんでした。人はどこから来て、どのように生き、死後はどこに行くのかが分からない、無知に陥っている人間だというのです。そして、このような人間が、自らの到達すべき目的の標準、修養の基準、人間完成の限界点を規定できないまま、歴史を経てきたのです。

個人がそのような立場に立てなかったので、人間が願う最高の家庭的な基準が形成されるはずがありません。このように見るとき、数多くの人間が、各自行くべき人生行路において苦しんでいることも問題ですが、私たちが忘れてはならないより大きな問題は、真の個人を基盤として真の家庭基準を成し遂げるべき課題が、人類の行路と発展する人類歴史の途上に残っているという事実です。

それでは、人間の霊的な無知を打開してきた宗教が目指すべき最後の目的は何でしょうか。個人の救いにも意味がありますが、さらに家庭を救わなければならないのです。まず家庭を取り戻し、悪主権に属している人間を罪悪の中から解放しなければなりません。

本当の意味で歴史を代表し、時代を代表し、未来を代表する家庭を取り戻さなければなりません。さらには、世界人類が共に喜べる家庭の土台と家庭が行くべき正道の基準を確定しなければなりません。その家庭の制度がどこから出発し、どこに向かうべきかということが決定されなければなりません。そのようにならない限り、この地上に平和の世界を創建できないというのです。外的なものがいくらよく成し遂げられたとしても、家庭が健全でなければ、世界は一時に破綻し得ることを知らなければなりません。

家庭は真の平和の起点 家庭には、父母がいると同時に夫婦の関係があります。父母がいなかったり、夫婦が別れたりしていても不幸なことですが、愛する配偶者を失うときには、この上なく悲惨で不幸になるのです。それだけでなく、夫婦が子女をもてなければ、それもやはり不幸に違いないのです。たとえ外的に見れば大きく成功できなかったとしても、家庭で真の父母、真の夫婦、真の子女を中心とした愛を完成し、誰もがその家庭を手本にしたいと思うほどに平和に暮らすならば、その家庭は、幸福な家庭であることを否定できないでしょう。

今日まで、聖人や賢人が平和を語ってきましたが、家庭が真の平和の起点であることがよく分かりませんでした。それは、神様の創造理想が、理想家庭を土台とした平和世界建設であることを知らなかったからです。今まで、この世界の歴史の中では、各種の革命が数多くありました。革命の結果として世界を動かした事実が多くあったとしても、それはすべて過ぎ去ってしまうのです。最後の問題は、真の家庭を築くための革命を起こせる一つの中心が、地球上に顕現しなければならないということです。

そうして、そこから新しい世界の創建、新しい歴史的な理想の出発が現れなければならないという事実を否定する道理はありません。これが第一イスラエルであるユダヤ教から、第二イスラエルであるキリスト教を通して伝授されてきたメシヤ思想です。正しい家庭の起源をもてなかった人が、正しい方向に進むでしょうか。進んでも、安定した目的点を見出せずに戻ってくるしかありません。ですから、再び家庭を訪ねて入っていかざるを得ない運命をもっているのが人生行路なのです。

堕落した人類を救うための最初の起点は家庭 本郷を追求していく人間の力が、歴史全体とすべての環境に影響を及ぼすことができ、幸福の土台を築く動機にならなければなりません。そのような人間の力の基盤となる家庭が、どこに築かれるのでしょうか。今日、すべての宗教は、社会に公的な利益をもたらす前に、家庭に公益となる基盤をまず整えなければなりません。なぜなら、宗教が社会に公益となる業績を立てたとしても、その社会を形成している家庭の基盤が歪むときには、社会の土台も崩れてしまうからです。

このような点から見るとき、神様が堕落した人類をお救いになるための最初の起点とはどこなのでしょうか。ある文明を誇る特定の国家でしょうか。違います。社会のある組織が理想的な組織だからといって、それを中心にするのでしょうか。違います。それでは、天才的な素質をもったある個人を中心にするのでしょうか。違います。これらすべてのものを超越できる一つの起点が真の家庭であるということを、皆様は知らなければなりません。ですから、今日、人間はそのような家庭の門を通過した資格を備え、勝利者の称号を掲げて世界に向かっていける人にならなければなりません。そのような主義と思想に応ずることのできる個体が現れなければならないのです。

それでは、どうして仏教とカトリックでは独身生活を強調してきたのでしょうか。独身主義が人間の幸福の土台であると本当に言えるでしょうか。違います。それは、どのような宗教や主義も、真の幸福の根源がどこにあるかということを提示してあげなかったために、独身生活をしながら、今後現れる純潔で正しい家庭を約束してきたのです。

昨今、提起されているカトリック内の深刻な問題は、十三世紀以降、継続されてきた独身主義に対する根本的な再考を意味するのです。神様のみ旨は、真の男性と真の女性が形成する真の家庭を通して成し遂げられるようになっています。聖職者たちが先頭に立ち、理想家庭を築いて手本を見せるのは、当然のことです。

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真の愛の完成 人間世界において真の愛を完成すれば、政治的や文化的、環境的に何か問題があり得るでしょうか。真の愛の世界では、解決できない問題がありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が満ちあふれた自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になるのです。今日、世界人類が抱いている難問題は、真の愛の完成によってのみ、根本的な解決が可能です。

人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の子女の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の父母の愛を順番に体恤しながら、完成するのです。

個体について見れば、心と体が一つになるところから真の愛が現れます。その次に、心身一体となった完成した男性と女性が真の夫婦の真の愛を交わし、その次に、彼らが真の神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛する真の父母にならなければなりません。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真の夫婦が一つになって、息子、娘を生むようになっているのです。そうしてこそ、完全で理想的な家庭ができるのです。

父母の真の愛、夫婦の真の愛、兄弟の真の愛、子女の真の愛など、四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が真の家庭です。したがって、真の家庭は人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える所となります。ですから、真の家庭は人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校なのです。このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真の社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現されるのです。

私が常々、地上における真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が形成されれば、地上天国が形成されるのです。真の家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他人の幸福を阻害したり、環境と不調和を起こしたりはしません。いつでもために生きる真の愛によって調和一体を成し遂げる、真の人になるのです。

男性は神様の陽性の性禀を、女性は神様の陰性の性禀を代表する主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としていらっしゃる神様の性相を二性に分立し、再び神様の本性相に似た姿に合性一体化することです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しているのであり、天と地を代表した立場で互いに調和一体を成し遂げるために生まれたのです。すなわち、男性も女性も、本来自分のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するように創造されたということです。真の夫婦はそれぞれ、相対のために生まれたことをはっきりと知らなければなりません。

真の愛は、一人では実現されないと言いました。真の愛は必ず相対的基盤を通して実現されるのです。夫婦間の真の愛は、自分たち夫婦のためだけのものではありません。神様の創造理想を中心とした真の愛です。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって、自分の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。

真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した希望をもって未来の世界に向かって進まなければなりません。子女の誕生も、家門の繁栄も、この基台の上で可能になるのです。夫婦の真の愛が生活の環境圏を越え、神様の真の愛理想と一致する家庭を完成することが、究極的な願いになるのです。

家庭の重要性 堕落はアダム家庭から起きたので、本然の姿に戻っていく目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、御自身の理想的な対象となる真の家庭を訪ねてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出せなければ、理想的な国と世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てる原則がここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位になるのです。

堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えたでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。

アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を形成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真の家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始原となり、人類の平和と幸福の起点になるのです。

真の愛の革命 「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六•七)という言葉があります。人類の先祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪の人格、悪の夫婦、悪の父母から、悪と偽りの種が蒔かれたのです。今の時代は、それでもこれまで人間社会を支えてきた父子の関係や基本倫理、道徳律までもがすべて崩れてしまいました。動物よりも劣る破倫行為が起こり続けています。その程度がひどくなっていくのです。エデンの園における堕落によってそのように植えられたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。

本然の真の愛は、時代による発展もなく、そのままで完全なものです。原形そのものが真であり、永遠、不変、絶対的なものです。ところが、人間の先祖が成長期間において未完成のまま堕落し、偽りの愛の始原を形成したのです。利己的で悪の偽りの愛を土台として積み上げた人類文明は、このまま続くことはできません。このままではいけません。人類が減んでしまうのです。

家庭の基盤が崩れ、子孫が根本的に誤っていくのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味がありますか。歴史的な過ちと不条理は、根本的に清算されなければなりません。人類にとって最も至急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくしては、人類の幸福や平和な世界は望めません。今日の問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理されなければなりません。

尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に評価してくださることをお願いします。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動などを、統一教会の教団的行事としてのみ考えてはいけません。

世界平和は、平和な国家がまずあってこそ、実現されます。国家の平和は家庭の平安が前提でなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富貴や知識が、平和と幸福の必要十分条件にはなり得ません。真の幸福は、所有に比例するのでもなく、外的な生活の利便さによって左右されるのでもありません。このようなものが真の愛と共にあるとき、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。本当の平和も無限の幸福も、真の愛で他のために生きて施すとき、そしてその施したものが全体を巡って再び訪ねてくるときにのみ、確実に得られるのです。

尊敬する指導者の皆様。今に至るまで皆様は、各分野において並外れた信念をもって、人類の福祉と社会発展のために大きな実績をもって寄与してこられたことを知っています。もちろん、その分野においてさらに大きく寄与されるでしょう。しかし今、人類は総体的に危機の時代を迎えています。特定分野だけの備えや努力だけでは足りません。指導者たちが時代の良心となり、積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり前提条件である真の家庭を創造し、指導するために進み出なければなりません。

十三日に私が執り行う三億六千万双祝福結婚式の第一次儀式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、既に神様のみ前に婚約し、神様の真の愛を中心として真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人々です。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通した歴史的な真の愛の革命を勢いよく進行しているのです。

親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うことよりも、さらに急がれることがどこにあるでしょうか。平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参してくださることを重ねてお願いします。

神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。誠にありがとうございました。

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7.真の家庭と世界平和 日付:一九九八年六月十一日

場所:、アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ•アストリア•ホテル

行事:一九九八世界文化体育大典

著名な学者の皆様、尊敬する宗教指導者、そして各界の指導者の皆様。「真の家庭と世界平和」という主題のもとに進められるこの特別会議に御参席くださったことを、心から歓迎いたします。

私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染められた二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しています。しかし希望よりも、かえって次第に悪化していく物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が正しい影響を及ぼせない中で、青少年の退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどが、人類の将来をさらに暗くしています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的努力も、人類の幸福と平和な真の家庭を通した世界をもたらすことができずにいます。

真の愛の創造理想 人類は長い歴史路程を通して、ある一時も、完全な幸福の真の主人公になれませんでした。個人的にも全体的にも、家庭は多くの不幸を経験しながら過ごしてきました。それにもかかわらず、人間はいつも諦めずに、粘り強く幸福を追求してきたのです。それは本来、人間が幸福に生き、真の家庭の中で豊かに暮らすように神様が造ってくださったからです。人間は堕落の罪によって苦痛の生活をしてきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を希求し続けてきたのです。

それでは、真の幸福の本質とは何でしょうか。神様は何によって、人間が本当に幸福になるようにしてあげようと思ったのでしょうか。神様は真の愛の本体であられます。神様は真の愛の理想ゆえに、無限に投入しながら創造をされました。真の愛は一人で、独断的にするものではありません。主体と対象の関係を通して、成就できるものなのです。したがって、愛を成就して体恤するためには、神様も主体と対象の関係を結ばなければならなかったのです。正にそれが、真の家庭でした。

堕落によって失われた真の愛 神様の創造の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様のみ前に、人間はどのようにしてその相対的な立場に立てるのでしょうか。努力や外的な条件によってではありません。ただ、真の愛の関係によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の関係を結べば、一度に同位権、同参権、相続権を互いにもつようになるのです。

神様の真の愛の動機により、その対象として造られた人間にとって最も貴いものは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で、永遠の調和が成し遂げられるのです。

神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。神様は父なる創造主であられ、人間は真の愛によって一つの体となる、その方の子女として造られたのです。

本来、真の人は心と体がいつも神様の真の愛を中心として一つになり、それに酔って喜びの中で生きるようになっていました。神様は真の愛によって幸福を感じる真の家庭を御覧になり、御自分も無限の喜びを感じると同時に、共にお住まいになろうとして、人間を創造されたのです。神様は真の愛によって人間と調和一体を成し遂げようとされたのです。ところが、人間の先祖が堕落してしまいました。

人間は個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なる欲望を前に立てて、熾烈な闘争を繰り広げていることを感じながら生きていきます。私の体と私の心なのですが、気づいてみれば、体と心が対立している自分であることが分かるのです。このように人間の体と心が葛藤する矛盾性は、正に人間の先祖の堕落のためです。このような体と心の分裂、衝突は、家庭と社会だけでなく、国家、世界、天宙の分裂と不幸として続いてきたのです。

堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に逆らったことであり、結果的には、神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間はサタンに従い、神様を失って、本然の価値も失ってしまったのです。創造本然の理想完成である心身一体を成し遂げた真の人になれず、幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築けませんでした。

心身の統一基地 すべての被造物は愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も、知識や権力、もしくは財力によって成し遂げられるのではなく、真の愛によって成し遂げられるのです。すなわち、真の人は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体となって調和することを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する場にいるとき、心身が一体となるのです。

心と体は、神様の真の愛の基盤の上で、生活を通して授受作用を永続しながら完全に一つとなり、真の愛の人格を成就するようになっています。心身が統一基地をつくってこそ、その上に真の愛の完成である真の家庭が安着するのです。真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成し遂げられるというのです。心身統一の基地の上に神様の真の愛が臨めば、真の愛の門が大きく開き、真の人は神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じるもので真の愛でないものがなくなり、自動的に無限の自由と喜悦の主人公になるのです。

このとき、真の人は真の愛に酔い、最高の芸術的情感の中で暮らすようになっています。真の人の人格は、自然な形で相対世界と情によって同化し、共に酔いながら生活の中で美しさを体恤しつつ、全体的な創造目的を完成するのです。このようになれば、神様のみ前に完全な対象となり、神様に似て、その方の真の愛を相続するようになるのです。神様が感じることをそのまま感じ、神様が喜ぶことをそのまま喜ぶようになります。

人間にとって最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じないのです。真の愛は、相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与えて施しながら、一つになろうとするのです。ですから、真の愛はすべてのものを抱くようになります。真の愛は、私個人だけの所有にはなりません。真の愛を相続したのちには、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙共有のものになるのです。神様の希望は、真の愛を人間と共有することです。神様は御自身の息子、娘であり、最も高く最も貴い被造物である人間と、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を永遠に共有したいと思われるのです。

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真の愛と関係を結んだ死後の世界 神様には時間という概念がありません。時間の概念がないというのは、永遠に初めであり、終わりであるという意味です。過去も現在も未来も、同じだというのです。そのようになっても嫌でないように作用を起こすことのできる、神様が安息できる本質は何でしょうか。そのようなものが問題になります。

それは何でしょうか。全知全能の能力でしょうか。違います。神様の知恵、全知全能ではできないというのです。それによっては、安息できないのです。真の愛の力だけが可能です。神様も「真の愛!」と言えば、「そうか!」と言うのです。それ以外は、神様にとって必要ではないのです。

私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。真の愛によって縦的な球形運動をしてこそ、上下、前後、左右が和合できるのです。縦は縦、横は横になって和合できなければ、上下、前後、左右全体が和合できないのです。統一が起こりません。真の愛だけが統一できるのです。そのため、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論じるのも、原理観に一致した結論なのです。

神様は人間を引っ張ってくださろうとします。神様も息をするのです。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙に拍子を合わせるので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。真の愛に永生があるというのです。ですから、皆様はここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏に入っていくのです。

真の愛も息をするのです。宇宙の脈拍がこのようになるので、男性や女性が「ああ!私は嫌だ!」とは言えないのです。拍子が合うときは、互いが本当に愛し合わなければなりません。方向がすべて同じです。一方向です。すべて、神様を中心とした一つの方向なのです。

天国に行くためには祝福の門を通過しなければならない 霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。その縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は自分自ら自動的に拍子を合わせるのです。「その共通分母は何か」と言うとき、過去の人も、現在の人も、何と答えるでしょうか。「永遠性と同伴できる資格は何であり、私たち人間の世界で必要とするすべての欲求の要因は何か」と言うとき、それは真の愛だというのです。それは取るに足らない愛ではありません。真の愛です。

それでは、真の愛とは何でしょうか。縦横を通じて九〇度を備え、どこであれ角度がすべて合わなければなりません。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南方型の家にも合い、北方型の家にも合い、五色人種(すべての人種)、文化背景、宗教背景がすべて違ったとしても、この道を一緒に行けるのが、正に真の愛です。

今日、この世界には多くの人々が暮らしています。世界に六十億以上の人が住んでいますが、統一教会で言う「祝福」の意味を知る人は、多くないでしょう。この祝福という言葉は、統一教会で初めて始まった言葉であり、その祝福という言葉を中心として、今まで祝福結婚行事をしてきたのです。

それでは今後、人類はどこに行かなければならないでしょうか。すべての人類は、祝福の門を通らなければ天国に行けません。数多くの人がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天に行けないのです。このように言うとキリスト教では「統一教会のレバレンド•ムーンは独善的な発言をたくさんする」と不平を言います。このような考えをもつ人、またそのように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの話であって、統一教会で語る祝福結婚は、堕落した人類にとって必ず行くべき道です。いくら反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていくべき重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。

今日、一般の宗教を信じる人々は、「救い」と言えば、個人の救いを考えます。よく信じれば、自分は天国に行くと信じる立場です。しかし、本来の神様の理想について見てみれば、天国は一人で行くようにはなっていないのです。

夫婦の霊人体 私たちは、真の愛の理想を訪ねていく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想を自分の体に、現実に身につけて、その真の愛をどれほど横的な世界に植えるのか、種として蒔くのかという、ここから真の愛の心をもって互いに与え合いながら育つのです。

このようにして、真の愛の実を結び、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠な真の愛の圏に抱かれて、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。人は、この地上においてその殻がすべて老いていきますが、夫婦生活をして、真の愛で愛し合えば愛し合うほど、霊人体は美しくなります。それはどういう意味かと言えば、人間が長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高の円熟した美男、美女になるということです。肉身という殼は服のように脱いでしまわなければならないのに、これが若いままでくっついていれば、どうするのですか。ですから、老いれば外的な面の殼はすべて使えなくなりますが、内的な中身は成熟して、永遠の未来の相続者となり、最高の美人になるのです。秋の豊かな実りになるのです。

ですから、神様を直接愛する前に、皆様の足の先から、皆様の食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆様の体を愛さなければなりません。万物を愛することによって、万物の要素を吸収し、自分の体を愛さなければなりません。

なぜ結婚しなければならないのか 皆様の第一の父母は皆様を生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆様は、皆様の肉身が大きくなれるように、地からその要素を供給されるのです。地が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に帰るのが死です。

第三の父母のところには、そのまま行くのではありません。第三の父母のところに帰ろうとすれば、本来の父母だった神様の姿に似なければなりません。ですから、結婚はなぜするのかといえば、神様の姿に似るためにするのです。神様は二性性相としていらっしゃる方として、その二性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性的な位置に帰らなければならないのです。

ところが、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚をしなければならないので、生まれながら真の愛を受け、成長しながらも真の愛を目標にして成長し、暮らしながらも真の愛を中心として暮らし、逝くときにも真の愛に帰るために逝かなければならないのです。その真の愛の道を行くという結婚の目標を中心として訪ねていかなければ、永生の方向が狂うという事実を、皆様は知らなければなりません。

祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体になるというのは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成し、神様の創造理想が完結することなのです。真の父母が生まれた所は人類の祖国であり、地上天国と天上天国の出発地になるのであり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることなく全盛の時代へと発展するでしょう。大韓民国の国民は、訓読会を通して真の父母と超国家的に一体となり、万国に勝利圏を備えて、万国の祖国となりましょう!ありがとうございました。

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永生しなければならない理由 神様は、人間をどのような存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値となる、真の愛の対象者として造りました。これは驚くべき事実です。近頃、人間の生命の価値はどのくらいになりますか。いくらになりますか。そのような無価値な人間ではありません。神様のみ前に、宇宙を与えても取り替えられない高貴な価値、真の愛の相対圏として男性を造り、女性を造ったという驚くべき事実を知らなければなりません。

人は真の愛で生まれ、真の愛で大きくなり、真の愛で生き、真の愛で死にます。しかし、そのままなくなるのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一なので、その方のみ前に対象的な真の愛の立場に立つようになれば、永生するのです。永生という理論がここから出発するのです。生命から始まるのではありません。

今日、この地上で一番の真の人は、どのような人でしょうか。神様と内外で一体となり、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人が、真の人です。そのような人が神様と共に暮らしていく生活を、真の人生の道というのです。

人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の位置に行くようになれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の息子になり、神様御自身と一つになるので、宇宙は誰のものになるでしょうか。私のものになるのです。

それでは、神様が一番愛し、一番貴く思う物があるとすれば、それを一日、もしくは十年や百年ぐらい共に過ごしたあと放り投げるように造ったでしょうか、永遠に共にいるように造ったでしょうか。永遠に共にいるように造られたのです。人も同じです。人が生まれて死ねば、終わりになるのがいいでしょうか、永生すべきでしょうか。永生しなければなりません。なぜでしょうか。人は、絶対者である神様が、絶対的な真の愛を中心として喜べる対象だからです。

それでは、皆様は永生を願いますか、願いませんか。漠然とですが、永生を願っています。自分にとって貴い物があれば、避難するときにそれをもっていきますか、もっていきませんか。もっていきます。それを誇りたいと思うのです。それを一日、二日だけ誇るのではありません。自分が死ねば、それを自分の後代に残したいと思うのです。永遠に残したいと思うのです。それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であるなら、その方が愛する対象も永生しなければなりません。ですから人々は、昔から永生することを願うのです。これをはっきりと知らなければなりません。ですから、絶対者であられる神様は、永生する価値をもった、愛する息子、娘を探さざるを得ないのです。

私たち人間は、神様が造られた傑作であり、神様に似ています。神様が永遠であられるので、私たちも永遠の性禀をもたなければならないので、私たちの心は老いることがないのです。

ですから、人は永生してこそ、その傑作としての存在価値をもつことができます。人間は万物の霊長です。ここから霊という言葉が出てくるのです。人は永生しなければなりません。

創造主の永遠な真の愛の相対 永生の論理をどのように探しますか。神様は知恵深い方です。もし、神様が愛の理念を立てなければ、孤独単身で、喜怒哀楽を感じられない神様になるでしょう。愛は絶対的愛ですが、この愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない、深刻で息の詰まる立場、絶対的に悲惨な立場に立ったのです。誰も慰められません。永遠に慰めることができないのです。

その本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足するのではなく、御自身が夢見た願いである真の愛の理想的相対を再現させて、それを抱いて千里、万里移動しながら、もっと輝くように装い、もっと美しく表示できなければなりません。万宇宙を彼らのために、そのように和動するように造ったのです。

大気圏に絶対低気圧圏ができれば、高気圧圏が生じ、自動的に循環運動が起こります。神様は本当に知恵の王です。なぜ投入し、忘れてしまわなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通じて永遠の回転が始まるので、永生論理が設定されるのです。投入して、また投入するところから、永生の論理が始まります。ために生きるところでは滅びません。小さなところから大きなものに成長し、大きなものがその次にはどこに行くかと言えば、中に入って核が生じるのです。

神様が絶対的な真の愛の相対を求めるとするなら、誰をもってきて立てるのかと言うとき、「それは間違いなく人間である」と結論づけることができます。ですから、「万物之衆(マンムルチチュン)唯人最貴(ユインチェキ)(万物の中で人間が最も貴い)」という言葉が出てきたのです。これが、創造主の永遠な真の愛の相対、創造主の真の愛の相対になるという結論を出すとき、その真の愛と一つになった真の愛の相対は、永生するという論理が生じるようになるのです。

永生というのは自動的な産物です。永生はここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生論理をどのように立てるかという問題は、宗教では極めて大切な話です。男性だけで永生があり、女性だけで永生があるのではありません。神様の真の愛と一つになるところに永生があるという結論が出てくるのです。

真の愛によってのみ救いが可能 今日、キリスト教の人々は「イエス様を信じれば永生する」と言います。話としては良い話です。「それでは、永生はどのようにするのですか」と尋ねれば、「永生をどのようにするも何も、そのようにしてするんだ!」と言います。永生というのは、継続的な作用をつなげていかなければなりません。彼らは体をもったまま人生の道を永遠に行くことができるというのです。そのためには、心臓の動脈と静脈のような循環器官が正常に動かなければならず、神経系が正常に動かなければならず、大脳と小脳のあらゆる作用が正常に動き続けなければなりません。

では、どのように永生するのかと尋ねれば、皆様はどのように答えますか。イエス様を信じれば永生しますか。信じれば救われますか。とんでもないことです。真の愛によってのみ、救いを受けるのです。神様の創造原則から見るとき、真の人だけが神様の真の愛の同伴者なので、真の愛をもてば、永遠に生きられるのです。その真の愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で暮らすとき、自分がどこに行って暮らすのか、すべて目にするようになるのです。

皆様。大洋を行き来する大きな船が破損する危険が生じるときは、その船の中で暮らしていたねずみが錨綱をつたって陸地に逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎない動物も、未来の自分の生死の境を見極められるのに、万物の霊長である人間は、それができないのです。これは堕落したためです。この堕落の仮面をどのように脱ぐかという問題は、すなわち悪魔の愛と悪魔の生命と悪魔の血統からどのように抜け出すかという問題です。これを中心として、解脱という言葉を使うのです。完全に抜け出して、関係のない立場、自主的な立場に立つという意味です。

永生に必要な観念 私は永生する人です。その次に、真の愛を実践する人です。私は永生と真の愛を、ここで実践する人だというのです。自分がここで何をするにしても、その活動や、工場で働いたり何かをしたりすることが、永生を延長させる材料だというのです。

永生できるように訓練し、永生できるように育てる訓練材料を探し出すことが、私のすべきことだと考えなさいというのです。皆様にとって永生と真の愛は、いつも必要です。永遠に必要なのです。

「私たちは永遠に生きられる。永生を願う!」というように、永生を願うのですが、変わらないものは真の愛です。他のものはすべて変わります。環境的に変わるのです。それでは、なぜ真の愛は変わらないのでしょうか。真の愛はすべての生命力の中心なので、変わらないのです。真の愛はなぜ変わらないのでしょうか。真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めるからです。中心は、その周囲がすべてなくなるまでは、なくなりません。真の愛は宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残っているというのです。

真の愛とは何でしょうか。皆様が結婚するとき、結婚相手は優れている人を願うでしょう。また、自分の息子、娘が、自分より優れていることを願わない人がどこにいますか。それは誰に似たのでしょうか。神様に似たのです。それは何かと言えば、神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願うということです。それを否定できますか。

絶対的な神様が私たち人類の父であれば、その父は絶対的に行わないのに、その息子、娘の前で絶対的に行いなさいと命令できますか。命令できません。神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願われるという原則から見るとき、人間の価値は最大の価値をもつのです。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。真の愛と直結した永生

そのため、皆様の心は最高のものを願っています。それは不可能なことではありません。万人が平等に可能なのです。堕落しなかったならば、可能なのです。天上の高く貴い立場からこの宇宙を眺めて管理し、主導するようになっているのであって、他の何かを眺めて、無理やり服従するようにはなっていないのです。

皆様の心がそうでしょう。解放された心です。誰の支配も受けたくないのです。これは万人共通です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天の国の玉座に思いどおりに行けるのです。神様の友達になれるのです。

真の愛ゆえに人間を造ったというとき、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様なので、その真の愛に一致した人間が永生するというのは、自然な論理です。ですから、永生しようとすれば、その真の愛の圏で暮らさなければなりません。真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程から、すべての目的が真の愛を中心として完成するのです。過程を通じて結果が出てきます。

自分の体と心の完成というのは、真の愛に属することによって根本的に可能になっています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは、真の愛しかありません。真の愛によって、真の愛を中心として、神様も永存しているのです。

神様は何を中心として永存するのでしょうか。永生は、真の愛によって連結されるのです。ですから、永生の環境を形成するためには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏をもつには、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければならないのです。

皆様は、神様が霊界のどこにいらっしゃるか、はっきりとは分かりません。皆様は、神様のこのような絶対的な中心、愛の中心という観念をはっきりと知らなければなりません。その真の愛の力は、最も早い真の愛の力なのです。その真の愛は、直短距離を通ります。それで、このようなことを教えてあげるのです。なぜ文先生が、このようなことを強調するのでしょうか。それを知っているからです。神様を知り、永遠の世界を知っているからなのです。神様を知り、永遠の世界を知れば、いい加減に生きることはできません。

神様、永生、真の愛を知らなければならない 第一に神様を知らなければならず、第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。一〇〇パーセント以上、投入です。一〇〇パーセント以上、投入するところに永生があります。真の愛をもたなければ、永生がありません。永生しない人は神様に出会えないのです。

これから、世界をどのように収拾するのでしょうか。第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されるのです。これの反対は利己主義です。これはサタン側と通じるのです。

その次に真の愛です。真の愛とは何であると言いましたか。自分の生命を投入し、それ以上に投入しなければなりません。生命を投入し、それ以上に投入しないところには、真の愛がないのです。レバレンド•ムーンはアメリカに来て、生命と財産と統一教会のすべての精誠を注ぎました。ここから真の愛が成立するのです。真の愛が成立しなければ、永生はありません。

なぜでしょうか。皆様の悪の生命の最高の起源は、サタンの血から受けたのです。サタンの血統です。サタンに属するのです。愛もサタンの愛です。これ以上にならなければいけないというのです。それで、聖書には「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二•三七—三八)とあるのです。この言葉はどういうことでしょうか。心を尽くして、思いを尽くしなさいと言ったのは、生命まで懸けなさいということです。これが第一の戒めです。

第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二•三九)ということです。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というのは、どういうことでしょうか。生命を懸けて、真の愛を実践しなさいということです。生命を投入しなければならないというのです。

なぜ生命を懸けなければならないのでしょうか。生命を懸けなければ、第一にサタンを屈服させられず、第二にサタンの環境から抜け出せず、第三にサタンの血統から抜け出せないのです。この三つです。しかし、サタンの環境は抜け出せたとしても、メシヤ抜きではサタンの血統をどうすることもできません。永生しなければならない理由

神様は、人間をどのような存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値となる、真の愛の対象者として造りました。これは驚くべき事実です。近頃、人間の生命の価値はどのくらいになりますか。いくらになりますか。そのような無価値な人間ではありません。神様のみ前に、宇宙を与えても取り替えられない高貴な価値、真の愛の相対圏として男性を造り、女性を造ったという驚くべき事実を知らなければなりません。

人は真の愛で生まれ、真の愛で大きくなり、真の愛で生き、真の愛で死にます。しかし、そのままなくなるのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一なので、その方のみ前に対象的な真の愛の立場に立つようになれば、永生するのです。永生という理論がここから出発するのです。生命から始まるのではありません。

今日、この地上で一番の真の人は、どのような人でしょうか。神様と内外で一体となり、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人が、真の人です。そのような人が神様と共に暮らしていく生活を、真の人生の道というのです。

人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の位置に行くようになれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の息子になり、神様御自身と一つになるので、宇宙は誰のものになるでしょうか。私のものになるのです。

それでは、神様が一番愛し、一番貴く思う物があるとすれば、それを一日、もしくは十年や百年ぐらい共に過ごしたあと放り投げるように造ったでしょうか、永遠に共にいるように造ったでしょうか。永遠に共にいるように造られたのです。人も同じです。人が生まれて死ねば、終わりになるのがいいでしょうか、永生すべきでしょうか。永生しなければなりません。なぜでしょうか。人は、絶対者である神様が、絶対的な真の愛を中心として喜べる対象だからです。

それでは、皆様は永生を願いますか、願いませんか。漠然とですが、永生を願っています。自分にとって貴い物があれば、避難するときにそれをもっていきますか、もっていきませんか。もっていきます。それを誇りたいと思うのです。それを一日、二日だけ誇るのではありません。自分が死ねば、それを自分の後代に残したいと思うのです。永遠に残したいと思うのです。それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であるなら、その方が愛する対象も永生しなければなりません。ですから人々は、昔から永生することを願うのです。これをはっきりと知らなければなりません。ですから、絶対者であられる神様は、永生する価値をもった、愛する息子、娘を探さざるを得ないのです。

私たち人間は、神様が造られた傑作であり、神様に似ています。神様が永遠であられるので、私たちも永遠の性禀をもたなければならないので、私たちの心は老いることがないのです。

ですから、人は永生してこそ、その傑作としての存在価値をもつことができます。人間は万物の霊長です。ここから霊という言葉が出てくるのです。人は永生しなければなりません。

創造主の永遠な真の愛の相対 永生の論理をどのように探しますか。神様は知恵深い方です。もし、神様が愛の理念を立てなければ、孤独単身で、喜怒哀楽を感じられない神様になるでしょう。愛は絶対的愛ですが、この愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない、深刻で息の詰まる立場、絶対的に悲惨な立場に立ったのです。誰も慰められません。永遠に慰めることができないのです。

その本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足するのではなく、御自身が夢見た願いである真の愛の理想的相対を再現させて、それを抱いて千里、万里移動しながら、もっと輝くように装い、もっと美しく表示できなければなりません。万宇宙を彼らのために、そのように和動するように造ったのです。

大気圏に絶対低気圧圏ができれば、高気圧圏が生じ、自動的に循環運動が起こります。神様は本当に知恵の王です。なぜ投入し、忘れてしまわなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通じて永遠の回転が始まるので、永生論理が設定されるのです。投入して、また投入するところから、永生の論理が始まります。ために生きるところでは滅びません。小さなところから大きなものに成長し、大きなものがその次にはどこに行くかと言えば、中に入って核が生じるのです。

神様が絶対的な真の愛の相対を求めるとするなら、誰をもってきて立てるのかと言うとき、「それは間違いなく人間である」と結論づけることができます。ですから、「万物之衆(マンムルチチュン)唯人最貴(ユインチェキ)(万物の中で人間が最も貴い)」という言葉が出てきたのです。これが、創造主の永遠な真の愛の相対、創造主の真の愛の相対になるという結論を出すとき、その真の愛と一つになった真の愛の相対は、永生するという論理が生じるようになるのです。

永生というのは自動的な産物です。永生はここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生論理をどのように立てるかという問題は、宗教では極めて大切な話です。男性だけで永生があり、女性だけで永生があるのではありません。神様の真の愛と一つになるところに永生があるという結論が出てくるのです。

真の愛によってのみ救いが可能 今日、キリスト教の人々は「イエス様を信じれば永生する」と言います。話としては良い話です。「それでは、永生はどのようにするのですか」と尋ねれば、「永生をどのようにするも何も、そのようにしてするんだ!」と言います。永生というのは、継続的な作用をつなげていかなければなりません。彼らは体をもったまま人生の道を永遠に行くことができるというのです。そのためには、心臓の動脈と静脈のような循環器官が正常に動かなければならず、神経系が正常に動かなければならず、大脳と小脳のあらゆる作用が正常に動き続けなければなりません。

では、どのように永生するのかと尋ねれば、皆様はどのように答えますか。イエス様を信じれば永生しますか。信じれば救われますか。とんでもないことです。真の愛によってのみ、救いを受けるのです。神様の創造原則から見るとき、真の人だけが神様の真の愛の同伴者なので、真の愛をもてば、永遠に生きられるのです。その真の愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で暮らすとき、自分がどこに行って暮らすのか、すべて目にするようになるのです。

皆様。大洋を行き来する大きな船が破損する危険が生じるときは、その船の中で暮らしていたねずみが錨綱をつたって陸地に逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎない動物も、未来の自分の生死の境を見極められるのに、万物の霊長である人間は、それができないのです。これは堕落したためです。この堕落の仮面をどのように脱ぐかという問題は、すなわち悪魔の愛と悪魔の生命と悪魔の血統からどのように抜け出すかという問題です。これを中心として、解脱という言葉を使うのです。完全に抜け出して、関係のない立場、自主的な立場に立つという意味です。

永生に必要な観念 私は永生する人です。その次に、真の愛を実践する人です。私は永生と真の愛を、ここで実践する人だというのです。自分がここで何をするにしても、その活動や、工場で働いたり何かをしたりすることが、永生を延長させる材料だというのです。

永生できるように訓練し、永生できるように育てる訓練材料を探し出すことが、私のすべきことだと考えなさいというのです。皆様にとって永生と真の愛は、いつも必要です。永遠に必要なのです。

「私たちは永遠に生きられる。永生を願う!」というように、永生を願うのですが、変わらないものは真の愛です。他のものはすべて変わります。環境的に変わるのです。それでは、なぜ真の愛は変わらないのでしょうか。真の愛はすべての生命力の中心なので、変わらないのです。真の愛はなぜ変わらないのでしょうか。真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めるからです。中心は、その周囲がすべてなくなるまでは、なくなりません。真の愛は宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残っているというのです。

真の愛とは何でしょうか。皆様が結婚するとき、結婚相手は優れている人を願うでしょう。また、自分の息子、娘が、自分より優れていることを願わない人がどこにいますか。それは誰に似たのでしょうか。神様に似たのです。それは何かと言えば、神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願うということです。それを否定できますか。

絶対的な神様が私たち人類の父であれば、その父は絶対的に行わないのに、その息子、娘の前で絶対的に行いなさいと命令できますか。命令できません。神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願われるという原則から見るとき、人間の価値は最大の価値をもつのです。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。

真の愛と直結した永生 そのため、皆様の心は最高のものを願っています。それは不可能なことではありません。万人が平等に可能なのです。堕落しなかったならば、可能なのです。天上の高く貴い立場からこの宇宙を眺めて管理し、主導するようになっているのであって、他の何かを眺めて、無理やり服従するようにはなっていないのです。

皆様の心がそうでしょう。解放された心です。誰の支配も受けたくないのです。これは万人共通です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天の国の玉座に思いどおりに行けるのです。神様の友達になれるのです。

真の愛ゆえに人間を造ったというとき、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様なので、その真の愛に一致した人間が永生するというのは、自然な論理です。ですから、永生しようとすれば、その真の愛の圏で暮らさなければなりません。真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程から、すべての目的が真の愛を中心として完成するのです。過程を通じて結果が出てきます。

自分の体と心の完成というのは、真の愛に属することによって根本的に可能になっています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは、真の愛しかありません。真の愛によって、真の愛を中心として、神様も永存しているのです。

神様は何を中心として永存するのでしょうか。永生は、真の愛によって連結されるのです。ですから、永生の環境を形成するためには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏をもつには、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければならないのです。

皆様は、神様が霊界のどこにいらっしゃるか、はっきりとは分かりません。皆様は、神様のこのような絶対的な中心、愛の中心という観念をはっきりと知らなければなりません。その真の愛の力は、最も早い真の愛の力なのです。その真の愛は、直短距離を通ります。それで、このようなことを教えてあげるのです。なぜ文先生が、このようなことを強調するのでしょうか。それを知っているからです。神様を知り、永遠の世界を知っているからなのです。神様を知り、永遠の世界を知れば、いい加減に生きることはできません。

神様、永生、真の愛を知らなければならない 第一に神様を知らなければならず、第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。一〇〇パーセント以上、投入です。一〇〇パーセント以上、投入するところに永生があります。真の愛をもたなければ、永生がありません。永生しない人は神様に出会えないのです。

これから、世界をどのように収拾するのでしょうか。第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されるのです。これの反対は利己主義です。これはサタン側と通じるのです。

その次に真の愛です。真の愛とは何であると言いましたか。自分の生命を投入し、それ以上に投入しなければなりません。生命を投入し、それ以上に投入しないところには、真の愛がないのです。レバレンド•ムーンはアメリカに来て、生命と財産と統一教会のすべての精誠を注ぎました。ここから真の愛が成立するのです。真の愛が成立しなければ、永生はありません。

なぜでしょうか。皆様の悪の生命の最高の起源は、サタンの血から受けたのです。サタンの血統です。サタンに属するのです。愛もサタンの愛です。これ以上にならなければいけないというのです。それで、聖書には「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二•三七—三八)とあるのです。この言葉はどういうことでしょうか。心を尽くして、思いを尽くしなさいと言ったのは、生命まで懸けなさいということです。これが第一の戒めです。

第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二•三九)ということです。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というのは、どういうことでしょうか。生命を懸けて、真の愛を実践しなさいということです。生命を投入しなければならないというのです。

なぜ生命を懸けなければならないのでしょうか。生命を懸けなければ、第一にサタンを屈服させられず、第二にサタンの環境から抜け出せず、第三にサタンの血統から抜け出せないのです。この三つです。しかし、サタンの環境は抜け出せたとしても、メシヤ抜きではサタンの血統をどうすることもできません。

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6.祝福と永生 日付:一九九八年一月二十三日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園重量挙げ競技場

行事:四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生み言訓読大会

世界人類は、終末期に生きています。今、世の中の家庭が壊れつつあり、父親と母親、そして子女たちが怨讐の関係になっています。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。真の愛がないからです。一番重要なことは、永生の問題が分からないからです。霊界があるか、ないかということを知らずにいるのです。

永生問題を知らなければならない理由 人間は間違いなく永生するということを知れば、他の人が「罪を犯せ」と言っても、犯さないでしょう。「自分のために生きよ」と言っても、そのようには生きないのです。これが分からなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。神様の理想世界に行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければならないのです。

この永生問題と連結されなければ、社会の革命も不可能です。現在よりもっと疲弊して没落した環境に陥るとすれば、誰もが「その場には行かない」と言うでしょう。しかし、永生問題、永遠の生命の問題というときは、環境的条件をすべて克服できるのです。宗教はそれで偉大なのです。永生問題がかかっています。永生問題の概念さえ確立しておけば、そしてそれが事実であるという主観が立つようになれば、自分の息子、娘と家族を引っ張っていくのです。

今までの宗教は、そのような思想界を包括し、習慣性によって環境に編み込まれた現在の文化背景の根拠を、すべて消化させることができないのです。それはなぜでしょうか。永生という概念を確立できていないからです。キリスト教もそうです。

キリスト教も、今まで信仰してきたとしても、終わりの日になって環境が変われば変わるほど、すべてかき回されてしまうのです。なぜでしょうか。それは、永生という概念がないからです。

永生問題においては、自信がないというのです。神様がいるのかいないのか、分かりません。生命を懸けて、環境を越えていけるかという問題について見るとき、すべてそこに所属して四方を見回しながら、現在の生活の方便に従ってその道に陥りつつあるのです。

信仰の道というものが、今生きている人生、肉身生活の準備ではなく、永遠の世界の生活のための準備であるという信念さえもつようになれば、その人は放っておいてもいいのです。人は時間が立てば立つほど、四十歳を越えて五十歳を越えるほど、死ぬ日が近づいてくるために、永生の概念について深刻になります。

愛というものは、年を取るほど希薄になりますが、永生の概念さえ分からせれば、年を取るほど、だんだんと深刻になるのです。そのため、真の宗教理念だけが、今後、世界を料理できるのです。邪悪な環境、混乱した変化がどれほど頻繁に起こっているでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変わる環境を貫いて越えていくことができ、どのような所から悲喜劇が起こってこようとも、すべて問題にならないのです。

神様は、アダムとエバを真の愛の相対として造ったのではないでしょうか。それは間違いありません。そのように造ったのですから、真の愛の対象となって生きなければなりませんでした。それを言葉だけでなく、実感しなければなりません。また、体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大かということさえ感じるようになれば、「この道を行ってはいけない」と言っても、行くようになっているのです。

そのため、生活するときにいつも力を注がなければならないことは、どのようにして永生の概念を確立するかということです。それさえ確立されれば、すべて終わるのです。これを確立するときにも、理論的にそれが的中し、ぴったりと当てはまるときに心に響きます。肉身と一番近い位置で一つになるのは青少年のときです。

十六歳以前は、堕落前の本性基準を一〇〇パーセント活用できるときです。十六歳以前はアダムとエバが堕落する前なので、本性基準が生きています。ですから、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避的な関係が分かるのです。「その関係が、なぜ不可避なのだろうか」ということを分からせるために、永生概念を確立しなければならないのです。いつもこれを考えなければなりません。

一生と永生 皆様は、どれくらい生きると思いますか。「七、八十年は生きるだろう」と思うでしょう。その前には死ぬと思わないのです。皆様は欲張りです。自分は「八十歳で死ぬ」とか、「百歳になって死ぬだろう」と絶対に信じたとしても、あす死ぬか、きょう死ぬか、分からないのです。御飯を食べながら死ぬか、または今晩、靴を脱いで部屋に入り、寝ている途中で死ぬか、分かるでしょうか。皆様は、「ああ、私は若いので、これから少なくとも四十年、五十年は生きる」という欲心をもっているでしょう。神様に保障されていますか。皆様はできるだけ短く、一年以内に死ぬものと考えてください。この短い期間に準備をすべてしなければなりません。そのような観念をもって、できるだけ短く見積もるほど良いのです。短く見積もるほど、損をしないのです。短い期間に正しく準備すれば、その内容が自分の永遠の生命の家を建てるのです。

それでは、その短い期間に神様を愛してみたでしょうか。神様と一つになって、神様と愛し合いたいのに、愛することができないのです。神様は、「愛しなさい!」と言われます。人間の世界で暮らす間、すべての人の中で一人でも神様に紹介するために、二十四時間、精誠を尽くしてみなさいというのです。そのように生きて死ねば、永遠の生命の主体になるのです。

皆様は何歳まで生きてから逝きますか。神様の命令によって、すぐに死ぬ場に出ていくとすれば、どうしますか。だとすれば、何かを残さなければなりません。天が自分を褒めることのできる何かを残すべきなのですが、自信はありますか。寝る時間が惜しく、食べる時間が惜しいというのです。心配しようにも、心配する暇がありません。

一生と永遠の問題ですが、その一生を短く見積もるほど、価値があるのです。他の人をどれほど愛するのか、人をどれほど愛する人になるのか、その次に、家庭をどれほど愛したのか、氏族をどれほど愛したのか、このように個人を愛し、家庭を愛し、氏族を愛するのは、全人類を愛するための教材です。彼らを愛するのは、全体を愛するための教材を愛することです。これをすれば、私たちの一生において絶対に損をしないので、この上なく知恵深い考えなのです。

永遠の生命を追求する人間 永遠の生命の世界を追求するのが信仰生活です。永遠の神様の愛を追求するのが信仰です。永遠の生命とともに永遠の愛と一致するために、神様の喜びと私の喜びが出会い、二つの喜びではなく一つの喜びとして感じられる結着点を求めていくのが信仰の道です。

ですから、信仰生活をする私たちの個体が、どれほど主体的愛と生命力をもって生きるかということが、何よりも重要な問題にならざるを得ません。私たちが五官を通して感じる感覚の一切を統合して、この生命、または真の愛とどれくらい関係を結んで生きるかによって、人間としてどれほどの価値をもっているかという問題が左右されるのです。そのため、私たち自身が、生命力と湧き出る真の愛の心をもって対人関係を結び、社会生活をしてきたかという問題を、再び考えざるを得ないのです。もしそのような立場に立っていることができなければ、それは停止、もしくは後退することなのです。

人は一生だけでなく、永生します。宗教は今まで、地球星からなくなることなく、文化背景と風習が異なるすべての環境を経てきながら、世界的な版図を拡大させてきました。人は一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。

人は、この時代においてのみ生きるのではなく、宇宙と共に生活しなければなりません。一生は百年以内の短い生涯ですが、生涯を限界として、そのままなくなるのではありません。その限界線を克服すれば、限界としていたこのすべての地球村の生活を越え、超然とした立場で生存し続けられるのです。そのような世界は厳然と実在しますが、ないとしても、今に至るまで苦痛の中で呻吟しながら生きる人類を同情して助けるためには、理論的にでも永生論を主張しなければならず、理論的にでも神様を中心とした理想国家の形態を推理しなければならないのです。そのような面からも宗教が必要です。

しかし、理論的に考えられた宗教理想という事実を知れば、誰が満足を感じるでしょうか。「ある!」と断定できなければなりません。「ある!」というのは、自分が定めるのではありません。「ある!」というのは、創造の初めから定められているのです。根本から「そうだ!」と言えるところまで明らかにしなければならないのです。ですから、皆様の永生問題とともに、宗教問題を中心として、神様の問題まで解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されているのです。

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神様の三つの悩みの種 罪の根源であるサタンの戦略は、真の家庭理想が実体化され、根を下ろすことができないように、常に破壊することです。これが過去五十年の間に、神様の三つの悩みの種にもなりました。第一は神様の存在自体を否定する共産主義であり、第二は不道徳と堕落であり、第三は教派と宗派間の分裂と葛藤です。

考えてみてください。どれほど多くの罪なき人々が、共産主義によって命を奪われたでしょうか。一億以上の人々が犠牲になり、また数億の人々が追放されて強制的に奴隷生活を強いられ、虐待と飢えに遭い、戦争で傷を負って、生涯を苦難の中で送らなければなりませんでした。それだけではなく、神様を否定する非真理を伝播することにより、人間が究極的な価値を見いだせないようにした罪科は、本当に大きいものがあります。

神様の二つ目の悩みの種である不道徳と堕落は、まるで押し寄せる荒波のように、家庭と国を破壊し、命を奪っていっています。道徳の崩壊は離婚と家庭破壊、青少年の淪落と未婚の母の問題、そして麻薬中毒などの悪の実を結びます。

これは特定の国の問題ではなく、世界共通の問題になりました。世界的に広がっていくエイズは、淫乱と乱雑な性生活の直接的結果です。日ごとに増えていくエイズをこのまま放置すれば、何百万、もしくは何千万の人命が失われていき、人類の存立を脅かすでしょう。

神様の三つ目の悩みの種であるキリスト教の教派間、または世界の宗派間の葛藤と分裂はどうでしょうか。神様にとって、宗教者は世界の良心でなければなりません。彼らは悪に打ち勝てる伝統と価値と実践力をもっていなければなりません。ところが、互いに反目し、分裂しながら争っているので、無能になって感化力を失い、悪に打ち勝って世の中を正しく指導する力を喪失したのです。以上の三つの根本問題は、五十年前に宗教指導者たちが神様の摂理に対して無知で、神様のメッセージを受け取れなかったことにより生じた結果です。

人間の責任分担の重要性 世界の高名な指導者の皆様。神様の見解では、過去五十年間、世界のすべての不幸と絶望と破壊が必然だったとは捉えません。避けることができたのです。もし一九四〇年代の後半に、キリスト教を中心とした宗教界が神様の啓示に従い、真の家庭の理想と一つになっていたならば、共産主義はいち早く衰退していたでしょう。また、各教団の影響力ある指導と模範を見せる実践生活により、青少年の退廃、家庭破壊、エイズなども世界的な問題にならなかったでしょう。

共産主義者は、私を中傷して謀略を巡らし、評判の悪い問題の人物に仕立て上げました。私にファシスト、または似非宗教者というレッテルを貼り、世界的に誹謗を浴びせました。アメリカでは脱税という捏造の罪をかぶせ、監獄にまで送りました。しかし私は、過去二十五年間、アメリカが摂理的な使命を悟れるよう、私のすべての精誠と魂を注いできました。西洋を中心に、世界に寄与した私の思想的な指導と立体的な活動を通して、アメリカが共産主義に打ち勝てるように助けることができたのです。今や共産主義は、ほぼ消えつつあります。

不道徳と淫乱、そして退廃の風潮は、享楽主義と共に家庭を組織的に破錠させています。一部の現代人は、「伝統的な家庭以外に、同性愛の人々もまた別の類型の家庭を築くことができ、彼らは養子や人工受精によって子女をもつことができる」と考えるまでに至っていると言います。

これは、長い歴史を通して人類が存続してきた人類の存立の霊的根本土台を破壊する、恐ろしい結果を生み出しています。皮肉なことに、科学者は絶滅する植物や動物の種類に対して嘆いていますが、根本が破綻する家庭については悟れずにいるようです。

今日、神様は私たちに質問されています。「人類は救いを得るまで、人類の三分の一ほどをエイズや戦争によって失わなければならないのだろうか」、「神様が本来計画したとおりに、人間が万物と調和して暮らすことを悟る前に、地球の自然資源と環境がすべて破壊されるのではないだろうか」と。

神様は、決して諦めたりはされません。どのようなことがあっても、神様は真の家庭理想を通して人類と世界を救い、回復されるでしょう。疑問なのは、どれほどの代価を払うかということです。人間の生命だけではなく、経済的な損失や環境の破壊まで含めた代価のことです。堕落と不道徳のゆえにもたらされた社会問題は、経済的な崩壊とともに、さらに悪い環境をもたらします。世界の指導者はこの点を深く反省してみる必要があります。

神様の希望は、人間の苦痛が終わり、真で平和な世界一家庭を形成することです。神様は、私たちが自ら責任分担を完遂することを願われます。もし、人類が神様のメッセージを受け入れ、また確信をもって行動すれば、神様の国はそれに比例して早く、喜びの中で成就できるでしょう。そのようにしなければ、神様と人類の苦痛は延長され、不必要な死亡と不幸が続くでしょう。

真の愛による祝福結婚 それでは、神様の悩みは、どのようにして解決されるのでしょうか。どのようにすれば、家庭が根本的に健全になれるのでしょうか。どのようにすれば、分裂した諸宗教が神様のもとで和解、協力できるのでしょうか。その答えは、国際祝福結婚式の中にあります。私と妻は、一九六〇年に三家庭を前にして主礼を行い、祝福結婚式を始めました。そのとき人々に、全世界の何千万双が神様の祝福を受けるようになると話せば、誰が信じたでしょうか。しかし、超国家、超人種、超宗教的に神様の祝福のもと、夫婦が純潔と貞節を守ることを誓約する三千九百六十万双の祝福式が、皆様の前で現実として進行されることになったのです。

尊敬する指導者の皆様。私はこの場で、過去五十年間の祝福歴史の中における困難だった事情を語ることはしません。ただ、祝福結婚式によってのみ、崩壊していく世界の家庭が根本的に安定し、その本然の役割を果たせることを重ねて強調します。各自が神様に侍る真の愛の人格を形成し、真の夫婦、真の父母になろうとする厳粛な誓約なくしては、真の家庭が回復されません。祝福結婚式によって創出された楽しく和合する家庭であってこそ、平和な社会と国家、そして世界をつくることができます。特に、国家と人種と宗教を超えて行われる祝福結婚それ自体が、世界平和の礎石になるのです。これが神様の願われることではないでしょうか。

今回の祝福結婚に、奇跡のように多くの家庭が同参するようになったのは、世界の志ある各教団の指導者の積極的な支援によるものです。そして、多くの国家指導者が、青少年の淪落と家庭破綻の問題は、この真の家庭運動によってのみ根本的に解決できるということに共感し、積極的に協力したので可能となったのです。私はこの場を通し、これらすべての支援者に、もう一度感謝申し上げます。

祝福結婚式は、人々、特に若者たちに真の愛の価値を自覚させ、絶対純潔の必要性を共感させる動機と媒介になるでしょう。この運動によって自覚した世界の善男善女が集まり、神様の祝福のもとで永遠の夫婦となる、真の愛の革命が起きなければなりません。このようにして築かれた新しい家庭が、神様のみ前に新たに誓約した既成祝福家庭の支援を受けながら、正しい倫理を実践し、世界に道徳の模範を見せることによって、真の愛が結実した理想的な家庭、社会、国家、世界を創建していかなければなりません。

祝福結婚式は、偽りの愛の因縁を清算して、絶対「性」を中心とした結婚の神聖な内容と価値の回復を目指します。真の夫婦の愛、真の父母の愛、真の子女の愛を回復するための儀式です。ですから、祝福結婚式に参席する当事者は、純潔と信頼を生命視し、不変の夫婦の愛を誓約します。その真の愛の基盤の上で、真の家庭をつくり、真の子女を養育し、生活の中で真の国家と平和世界の実現に献身することを誓うのです。

到来する未来の世界は、神様と人間と万物が調和する新しい心情文化、真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって互いのために生きながら、和合、協力し、共に暮らす共生共栄共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する若者たちが、人種を超越した真の愛によって、真の家庭と真の父母中心の真の家族理想で、「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。

尊敬する世界の指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願っています。

これから「世界平和統一家庭連合」は、一層拍車を掛けて真の家庭運動を展開し、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。価値観の崩壊と倫理的な堕落によって、青少年が不倫に陥り、家庭が根こそぎ破錠しつつあります。

滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させ、普遍化させようとする私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動をしなければなりません。人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が主役となってくださるように、切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入り、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。

皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に、神様の愛が満ちあふれることを祈りながら、これで終わりたいと思います。

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5.真の家庭理想による平和世界の実現 日付:一九九七年十一月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、キャピタルヒルトン•ホテル

行事:第四回「世界平和会議」

尊敬するシドキー議長、基調演説者の皆様、著名な元、現職国家元首と紳士淑女の皆様。「二十一世紀に向かう世界ビジョン」という主題で開かれた「世界平和連合」の第四回「世界平和会議」に参席してくださった皆様に、深く感謝申し上げます。

私は来たる土曜日、RFKスタジアムで行われる特別な行事に、皆様を直接招待したいと思います。世界宗教の代表的指導者の祝福の中で、私と妻は、百八十五ヵ国から参加した三千九百六十万双に対する祝福結婚式を挙行いたします。当初の目標だった三百六十万双を超え、再び三千六百万双を超過して達成いたしました。皆様の国からも多くの夫婦が同参するでしょう。百八十五ヵ国の代表を含めた三万双の夫婦がスタジアムに参席し、同時に人工衛星とビデオを通じて、世界的に祝福結婚式が連結され、進行するでしょう。

この祝福を受ける夫婦は、自分の家庭と夫婦の結合を神様のみ前に誓約し、配偶者には永遠の信頼と純潔を誓い、そして子女には高い道徳と純潔を教えながら養育することを約束します。この夫婦たちは、言語と人種と国家と宗教の背景が様々です。しかし、彼らは神様の愛、そして世界平和は神様を中心とした完全な家庭から始まるという信念ゆえに、この祝福式に同参するのです。

私は、皆様がこの歴史的な式典を見物するだけではなく、皆様もまた、関係ある周囲の人々と共に神様のみ前に出て、自らの結婚の誓約を新たにすることを願って、その場に招待いたします。

人類共通のビジョンのために きょう私は、人類共通のビジョンを見つけ、実現するために歩んできた過去の五十年を回顧しようと思います。人類は第二次世界大戦の痛手を踏み越え、すべての国が平和になる道を探そうとしました。

神様は私に、二千年のキリスト教の基盤の上に神様の天国を建設する世界的な運動を指示されました。啓示の中心は、真の父母と真の家庭を探し出す公式路程でした。しかし、当時の韓国のキリスト教指導者は、この真理を受け入れることができず、神様に大きな失望を与えました。私は迫害と反対を受け、罪なく投獄される苦難の路程を歩まざるを得ませんでした。

キリスト教のこの歴史的な過ちが讒訴条件となり、韓国で悪が勢力を得て、韓半島が完全に分断され、半世紀にわたる受難の歴史を生み出す摂理の内的原因となったのです。

神様が下さるメッセージを拒絶したことが、なぜこれほど不幸な結果を生んだのかということを知るためには、神様が五十年前に私を通してキリスト教指導者に下さったメッセージの意味を知る必要があります。そのメッセージは、本質的にきょうのメッセージと同じです。ただし、キリスト教のためだけのものではなく、ユダヤ教、イスラーム、仏教、ヒンドゥー教、そしてすべての宗教と宗派のためのメッセージです。それは、神様を中心とした真の家庭の理想だけが、個人相互間や家庭と社会、そして国家相互間の真の関係と平和を達成する土台になるということです。

私は青少年のときから、人間の罪と苦痛の根源を探そうと必死に努力してきました。私はこれまで多くの涙を流し、誰も理解できない長い歳月の祈祷生活と孤独な霊的闘いをしてきました。長年、聖書に対する研究と広大な霊界を遍歴したのちに、ようやく神様が真で理想的な人生を啓示してくださったのであり、また人間の苦痛の根本原因が、エデンにおいて人間の先祖によって始まったことを教えてくださいました。

真の愛と真の家庭の理想 尊敬する指導者の皆様。皆様は、神様が真の愛と真の人のために、万物を創造なさったことを知らなければなりません。被造物はすべてペアになっています。動物界、植物界、鉱物界、すべて主体と対象の関係でできており、互いによく与え合うことによって形成される調和は、それらが存在して繁殖するすべての力、そして愛と善の基盤になるのです。

人間もまたこの原則に従って創造され、個人は心と体でできており、そして男性と女性になっています。神様の理想は、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった個人と、そのように完成した男性と女性が一つになる家庭です。このようになれば、人間は神様の神性を正しく反映できるのです。また、神様の真の愛の対象体となり、子孫に神様の真の愛、真の生命、真の血統を伝えられるようになるのです。

アダム家庭は、神様の理想と一致した真の愛の家庭を築かなければなりませんでした。人間始祖アダムとエバは、神様の無形の性稟を実体的に完成し、神様のみ旨と愛を宇宙に伝えるという期待の中で創造されました。アダムとエバとその子女たちは、全人類が従うことのできる根本原理を生活の中で確立するはずだったのです。

アダムとエバの子孫は、心と体を一つに完成し、神様と一つになった個人、そして夫婦が一つになった家庭、また子女と共に一つになった家庭を成し、自由と平和と幸福と希望が地上全体に満ちた、安定した基盤を築いたでしょう。その典型が家庭や国家にとどまらず、世界と全宇宙に広がるのが神様の理想でした。真の家庭において形成された天国モデルが国家全体に拡大され、国家圏の天国が全世界に拡大され、世界圏の天国が全天宙に拡大されるのです。

人間の最も基本的な心の姿勢と人格は、家庭で形成されます。家庭は愛と人格、そして生活の出発であり、その根本基台となります。人生は家庭基盤の上で、父母の愛によって生まれ、息子、娘の段階から夫婦の位置、父母の位置、祖父母の位置へとその位相を異にする愛の人格体として完成し、結局、子孫の愛情の中で天の国に行くようになっているのが創造原理です。家庭を通して歴史と国が生じ、理想世界が始まります。これがなければ、個人の存在する意味もなく、血統の伝承もありません。ですから、家庭はすべての価値と理念、そして制度と体制より優先される、最も貴い人間の愛と生命の本拠地になるのです。

人間の罪の根本と真の家庭理想の回復 しかし、悲惨なことに、神様が理想とされた真の家庭は実現されませんでした。エデンの園で蛇はエバを誘惑し、エバはアダムを誘惑して、利己的な偽りの愛をこの世に植えたのです。人類の罪と不幸は、人間の先祖アダムとエバがサタンを動機として結んだ不倫の愛の結果から始まりました。堕落によって人類の始祖は善の先祖になれず、悪の先祖となり、悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。

このように誤った愛から出発した最初の家庭は、真の愛の完成人格である真の人、真の夫婦、真の父母の始原をつくることができなかったのです。偽りの愛の結実である堕落人間の利己主義は、真の愛の秩序を破壊し、自身の心と体の葛藤から、家庭、国家、世界的な葛藤によって、分裂と闘争を拡大してきているのです。

人間の不幸を治癒する解決方案は、神様に帰る蕩減復帰しかありません。ために生きる真の愛によって心と体の闘いを中断させ、本然の真の愛の人格に復帰しなければならないのです。人類が真の愛の人格の始原と標本となる真の父母を迎えて祝福を受けることによって、理想家庭を築くべき理由がここにあります。

個人を復帰し、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただこの真理だけが、争っている教派を一つに統一でき、また地上天国を成し遂げることができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教の人々に明らかにしました。私は、もう一つの教派をつくる意向は全くありませんでした。しかし、神様のメッセージは既存の教団から拒否され、迫害を受けました。私はやむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、そのために過去四十三年間、苦労してきました。一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」を創立し、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に、私たち夫婦は多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野などで扱われ、この世界を蕩減復帰できる標本と典型をつくろうと努力したのです。

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ザカリヤ、エリサベツ、洗礼ヨハネはイエス様に侍るべきだった 神様の息子がたとえ着地したとしても、サタンの世界において無事に育ってみ旨を成し遂げるためには、保護を受ける垣根が必要でした。神様はザカリヤ家庭の三人が、その基盤となってくれることを期待されました。しかし、このようにイエス様は私生児の立場で、ザカリヤ家庭の保護も受けられず、またヨセフとの難しい条件において、心情的に途方もなく寂しい境遇で育ったのです。メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成就するに当たって深刻な障害要因であることを、独りもどかしく思ったのです。

本来、メシヤは第二のアダムであり、真の父です。その使命のためには、実体の新婦、真の母を迎えなければなりません。もし、ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵のもと、最初にもった絶対的な信仰をもち続けていたならば、イエス様を神様の息子、メシヤとして、これ以上ない精誠を尽くして侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従ったでしょう。

そして、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネでしたから、彼が悔い改めさせた民がイエス様を信じ、救われるように導く任を果たさなければなりませんでした。しかし不幸にも、ザカリヤはもちろん、エリサベツや洗礼ヨハネも、神様の息子としてイエス様を証しただけで、侍ることはなかったのです。

尊敬を受ける祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の行く道をさらに難しくしてしまい、民が従えないようにしてしまったのです。ましてや、彼らが信仰を失って人間的な考えに流れたとき、イエス様が願われた新婦を迎えることを助けるはずは絶対になかったのです。

イエス様は母マリヤからも、ザカリヤとエリサベツからも反対を受け、最後には洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念せざるを得ませんでした。イエス様は、新たに摂理的基盤を探して、再び復帰摂理をするために家を出ました。家を出たイエス様は、行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・二〇)と嘆息されたのです。

家庭や氏族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を探しに出掛けたのです。これがイエス様の三年路程でした。しかし民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなってサタンの侵犯を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かざるを得なかったのです。本来、イエス様はメシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されて新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂できませんでした。それで、再臨することを約束されたのです。

第三アダム、真の父として来られる再臨主は、イエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母理想を完成するために来られるのです。

再臨主は、既にイエス様のときまでに神側が勝利した根本摂理の土台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられるときまでの勝利的な基盤の上にそのまま立たれて、イエス様が果たせなかった新婦を探し、真の父母となられ、祝福によって万民を復帰してくださるのです。

真の父母は、血統を伝授する新しい祝福結婚の行事を通して、全人類を神様の真の愛と真の生命、そして真の血統に接ぎ木し、真の人として救って、さらには真の家庭を築いて地上天国を建設されるのです。

祝福結婚は最も貴い贈り物 尊敬する宗教指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願います。そして、これから「世界平和統一家庭連合」は真の家庭運動により一層拍車を掛け、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。価値の崩壊と倫理的な堕落によって青少年が淪落し、家庭が根こそぎ破壊されています。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六•七)という聖句があります。エデンの園においてアダムとエバが、未完成期に不倫を植えました。終わりの日にそのような現象が世界的に再現され、青少年の極めて深刻な堕落現象が、罪悪歴史の結実として現れるのです。

滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させようという私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動を広げていかなければなりません。

人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が中心となり、率先してくださることを切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入って、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に神様

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長子を屈服させることによる善の血統復帰 復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのとき、イエス様のとき、すべてそうでした。堕落の張本人であるエバに代わって責任をもつ母を立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立しようとする摂理が行われてきたからです。

神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接相対することはできません。神様は善の側を代表する次子を相対として条件を立てさせ、悪の側を代表する長子を屈服させることによって、善の血統を復帰してこられたのです。

人類の堕落は、アダム、エバ、天使長の三存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘惑して霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘惑して肉的堕落をすることにより、神様に背いたのです。堕落した天使長はサタンになりました。したがって、救援摂理は復帰摂理であり、復帰の原則は一八〇度、反対の道を通して行われるのです。

真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。創造のとき、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落とは無関係の息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のために、まず母がいなければなりません。母が息子を生むとしても、ただそのまま生むことはできないのです。必ず、復帰の公式を通して生まなければなりません。

復帰摂理の中に現れた母子協助はすべて、天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子が共にサタンの攻撃を免れる条件を立てた土台の上に、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してきたのです。

神様の摂理歴史を記録した聖書の中に、理解できない記録が多くあります。リベカは夫イサクと長子エサウをだまし、次子ヤコブを助けて、彼が祝福を受けるようにしました。

神様は、一見不当に見える方法を動員したその母子の側に立たれ、彼らに祝福を与え続けました。アダム家庭では、カインとアベルの兄弟が母の胎の外で争って、次子アベルが命を失いました。ヤコブはアベル以後、善の側に立った多くの人々の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンにさらに追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。

結果的に、ヤコブはヤボク川のほとりで天使を屈服させる霊的勝利の条件と実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることにより、歴史始まって以来、初めて勝利したというイスラエルの祝福を受けるようになりました。しかし、そのときは既に、年が四十代でした。

サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しなければ、天の息子が胎中から誕生できなかったのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、いまだ分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりませんでした。

結果的にこの責任を引き受けた偉大な母が、タマルでした。タマルはユダの長男エルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなく、死んでしまいました。当時の慣例に従い、ユダは次子オナンをタマルに与え、子を生ませようとしましたが、オナンは生まれる赤ん坊が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様のみ前に罪となり、オナンも死んでしまいました。

タマルはユダの三番目の息子シラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした。タマルによって二人の息子が死んだと考えたユダは、シラまで死んで、家系が途絶えることを心配したからです。

タマルは、選民の血統を継がなければならないという一念で、売春婦に偽装し、義父であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。そして、その赤ん坊が生まれるとき、先に手を突き出して出てこようとした長子の赤ん坊が再び腹中に入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄となって先に生まれたのですが、彼がペレヅでした。

そうして、タマルの胎中で長子と次子が争い、分立される胎中復帰が成し遂げられたのです。このような条件の上に、選民の血族を集め、二千年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを懐胎することができたのです。神様の息子の種が、準備された母の胎中にサタンの讒訴なく定着できるようになった、国家的勝利の土台が造成されたというのです。

このような基盤の上で、聖母マリヤが摂理の主流に登場しました。ヨセフと婚約したマリヤは、自分の体を通してメシヤが生まれるというガブリエル天使長の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないというのが当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ一・三八)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け止めたのです。

マリヤは、親族であり、尊敬を受ける祭司ザカリヤの家に相談に行きました。神様はマリヤとザカリヤとエリサベツに、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。

ザカリヤ夫婦は、マリヤを自分たちの家にとどまらせました。マリヤはザカリヤ家庭において、イエス様を懐胎しました。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の眙中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それにより、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになったのです。

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4.人類を救う真の家庭運動 日付:一九九七年十一月二十五日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ホテル

行事:「世界平和宗教会議」創設大会

世界のあらゆる偉大な宗教の伝統を代表する宗教指導者、そして著名な学者の皆様。皆様が世界文化体育大典とこの重要な宗教議会に参加してくださったことに、感謝申し上げます。私はきょう、多くの指導者の方々の前で、私が展開してきた真の家庭運動の根本を明かそうと思います。来たる十一月二十九日に、皆様は真の愛と真の家庭運動の驚異的な現場となる三千九百六十万双の祝福結婚行事を目にするでしょう。

私は、世の中が分かってくれようとくれまいと、どのような評価をしようとも意に介さず、神様のみ旨を成し遂げてさしあげるために、一つの道を貫いて歩んできました。真の家庭の理想のために、私は一九六〇年、最初の三双の祝福家庭を輩出して以来、回を重ねながらその数を拡大してきました。一九九二年には三万双、一九九五年には三十六万双の祝福家庭を世界的に輩出しました。彼らはみな、神様のみ前に永遠な愛と信頼によって夫婦になることを誓約し、また子女を高い道徳と純潔の中で育てることを約束して生きています。

今回、短い準備期間であるにもかかわらず、全世界百八十五ヵ国において三百六十万双を目標とした当初の計画を、三千六百万双も超過した三千九百六十万双が、肌の色と宗教を超越し、真の家庭のための祝福結婚儀式に同参することになりました。これはその趣旨から見ても、規模から見ても、人間が動機となった行事であるとは言えません。神様のみ旨が中心となって達成された、摂理的な成就なのです。

皆様を含め、各教団の多くの指導者が、この真の家庭運動こそ、青少年の脱線と家庭の破綻を防ぐ根本的な方案であると共感し、多方面にわたって支援してくださり、また多くの国の指導者が、救国運動の次元で積極的に協力してくださったことを、感謝申し上げます。

アダムは体をまとった神様御自身 真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対として人間を立てられました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象です。無形の神様のみ前に、見える体として生まれたのです。

人間は完成すれば、神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安に、いつでも入ってきて住むことのできる有形の実体になるというのです。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通し、父母と子女の縦的関係として実現、完成します。神様は御自身の体として、アダムをまず造られました。

アダムは神様の息子であると同時に、体をまとった神様御自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバをお造りになり、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。アダムとエバが完成して、神様の祝福のもとで結婚し、初愛を結ぶその場は、すなわち神様の実体の新婦を迎える場になるのです。

アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参することにより、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点において結実、完成するようになるのです。

神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守り、真の愛の人として完成することです。さらに、神様の真の愛によって一つになった真の夫婦になることです。

ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンから追い出されるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が追い出したアダムとエバを、エデンの外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した子孫、追い出された先祖の子孫なのです。

アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間に堕落しました。人類先祖の初愛の結合は、神様御自身の愛の完成でもあるので、当然神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歓喜と祝福の中に酔う、幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が人間の中で始原を形成しながら定着する、幸福な儀式でなければならなかったのです。

ところが、彼らは下部を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくる不倫の関係を結んだからです。そのように堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれるときから原罪をもつようになるのです。人類が個体の中で心と体の衝突を矛盾として感じるようになるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱な社会の中で本心が願わない人生を生きているのも、すべてここに原因があるのです。

本来、アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦になっていれば、神様は理想とされたとおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになっていたはずです。さらに、アダムとエバは神様の実体をまとった真の父母になり、善の愛、善の生命、善の血統の始原となるはずでした。

ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。結局、彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類は、この根に根源を置いているので、生まれるときから神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの子孫となり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。

絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援の役事をせざるを得ませんでした。神様の救援摂理は、失われた真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。このような点で、復帰摂理の根本は、どのようにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を探し出すかにあるのです。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。

それでは、神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母をどのように誕生させるのかというのです。人間の先祖が自己の責任分担を完遂できず、不倫の血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て、原状回復させることはできません。神様はサタンの側に回った人類を、条件なく善の立場において取ることも、打つこともできないのです。

神様は、善の側にいる中心人物を立てて、先に打たれながら蕩減条件を立てさせ、復帰してくる作戦を取ってこられました。その反面、サタンは先に打ち、奪われる立場になったのです。

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「神様のもとの一つの世界」を成し遂げるための努力 それでは、真の愛はどこから始まるのでしょうか。自分の生命を投じたのち、また復活して、三度以上より投入しようというところから、真の愛が始まります。私たちは堕落した血を受けたので、自分の生命を懸けてでも、これを越えなければなりません。それで、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七•三三)と言うのです。

イエス様もこの地上に来て、その道を行きました。それによって世界を治めたのです。利己的な個人主義ではありません。利他主義です。ですから、私たち夫婦は一生の間に数百億ドルのお金を稼ぎましたが、一銭も私たちのものはありません。すべて、世界のために投入して忘れてしまい、また苦労して稼いでは投入するということを反復するのです。

「神様のもとの一つの国」と「神様のもとの一つの世界」のうち、皆様はどちらが好きですか。一部のアメリカ人は、「神様のもとの一つの世界」が好きではありません。また一部の白人は、黒人が好きではありません。アングロ•サクソン系の白人の新教徒がアメリカの支配的位置を占めていますが、彼らを中心としたアメリカは、世界のために生きるという考えをもたなければなりません。もし、アメリカだけのために生きるというのであれば、存続できないのです。

今は、時代が変わってきています。到来する時代は、「神様のもとの一つの世界」が成し遂げられる時代です。神様はこのような世界のために働いていらっしゃり、また、そのような摂理のために働く人を助けていらっしゃいます。そして、これからも永遠にそのような人を助けられるでしょう。ところで問題は、すべての人々がこのような世界で暮らすことを願いながらも、その摂理の同参者になることは好まないということです。一つの平和な世界をつくるために、私たち夫婦は様々な努力を傾けています。そのうち、いくつかの代表的な例を挙げれば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越して、未来世界の基盤を固める理想的な国連大学を建てることです。また、世界的な知識を交流させるために、遠隔通信大学が必要です。

医学では、堕落によって生じた肉身の病気を治療するだけでなく、東西文化の和合を通して、東洋と西洋の葛藤までも収拾するという次元で、「統一思想」と「統一医学」を開発しなければなりません。東西思想と医学が合わさってこそ、今後、エイズのような難病を治せるようになるでしょう。韓国では、医学教育を全く受けていない農村の若者の中に、エイズのように現代医学でも治すのが難しい病を治せる特別な治療法を霊界から教えられた人々がいます。ですから、霊的世界の事実を認めなくなれば、大きな問題が起こるのです。

このすべての課題は、既にアメリカのブリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心として、実践に移されつつあります。さらに私たち夫婦は、既にアメリカの「ワシントン•タイムズ」だけでなく、南北米すべての国々をカバーする言論機関をつくりました。この言論機関は、間もなく世界百八十五ヵ国にまで拡張され、世界が一つになって学び、協力することに大きく貢献するでしょう。

レバレンド•ムーンはアメリカに行って、アメリカ国民に一つも負債を負いませんでした。むしろ、アメリカが世話になったのです。天から受けた祝福で、レバレンド•ムーンはアメリカを祝福してあげました。私たち夫婦は、天から受けた祝福を世界にすべて分け与えました。南米も韓国もレバレンド•ムーンを歓迎し、アメリカのような祝福を受けるようにお願いします。いくら反対しても、より多く愛する人が主人になります。より多く愛し、より多く投入し、より多く与えて忘れてしまう人が中心存在になるのです。これが正に天法です。

これから皆様は、家庭において父母に孝行し、国の前に忠臣となり、世界の前に聖人となり、神様のみ前に聖子となる道を行くべきです。誰であろうと家庭、国家、世界、天地の前に恥ずかしくない自分、この宇宙と自然の中で天運の保護を受ける自らとなり、神様の最高の愛を受ける家庭を築かなければなりません。

そうして地上天国に転換し、天上天国に入籍して、神様を中心とした地上、天上王権時代に入り、勝利と自由と幸福と統一の世界を訪ねていく国際合同祝福結婚式を迎えなければなりません。皆様も全員、今年の三百六十万双祝福結婚式を超えて、三千六百万双の合同祝福結婚式に参加してくださるようにお願いします。そうして、天地が歓迎する人になり、永生の道を見つけてくださるようにお願いします。

私たち全員が神様と真の父母様の血族になり、神様の真の愛を中心とした真の家庭と真の世界(宇宙)文化創建の主役になって、来たる二十一世紀には平和と統一の世界を建設することを願いながら、これで私の話を終わります。

皆様と皆様の家庭、そして行っている事業に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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自分のために生じたものは一つもない 個人主義を主張する根拠はどこにあるでしょうか。自分の中で、自分だけを主張する部分は一つもありません。子女が父母の愛によって、母親のおなかの中で精子と卵子が結合して生まれてきますが、九九.九九九バーセントは母親の骨と血と肉を受けて育ちます。父親の精子は〇•〇〇一パーセントにすぎません。そこには自分という概念はありません。誰でも生まれるときは、自分自身という概念がなかったのです。いくら立派だという人でも、自分一人で立派になったと言える人は一人もいません。レバレンド•ムーンも、皆様も同じです。骨や血、肉など、すべて母親のおなかの中で譲り受けたのです。この体の重要な部分は、母親の体の延長だという事実を認めなければなりません。私たちの体のあらゆる要素は、卵子と精子に含まれていたというのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。

「上」というのは、「下」を認めたうえで語る言葉です。「上」というものだけで、個人主義が成立するでしょうか。個人だけという概念はあり得ません。「右」というのは、「左」というものをあらかじめ前提としたうえで語る言葉です。「前後」を見ても、「前」というのは「後」をまず認めたうえで語る言葉です。「男性」という言葉も、男性一人を念頭に置いて語る言葉ではありません。「女性」を先有条件として語る言葉なのです。これは、誰か一個人の言葉ではなく、字宙的な事実です。

男性はなぜ生まれたのでしょうか。男性はよく、「自分一人で生きていけるので、そのようなことに関心がない」などと言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないのです。結局、自分のために生まれたものは一つもないというのです。

私たちの五官を見てください。自分の目は、自分の目を見るために生じたのでしょうか。鼻や耳、口、手もすべて、相対のために生じたのです。五官を総動員して集中させられる力とは何かと言えば、真の愛です。目、鼻、耳、口、そして手は、真の愛のために生じた、真の愛の道具なのです。

自分のために生じたものは一つもありません。他人のものを自分のものにする人をどろぼうと言うのです。人のものをもってきて、自分のものとして使う人はどろぼうではないでしょうか。ですから、女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人はどろぼうなのです。

男性と女性は、何が互いに異なりますか。まず、性の器官を含む体が異なります。それでは、男性の性の器官は誰にとって絶対に必要でしょうか。男性の性の器官は、女性のためにあるのです。人間の性の器官の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになっているのでしょうか。二つとも尖らせたり、二つとも平たくしたりすることもできるのに、なぜそのように違う形になっているのでしょうか。すべて、相対のためです。男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。女性のものは絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものであるという事実を知らなかったのです。それを占領することにより、愛を知るのです。

二人が一つになるような経験を通してのみ、最も高い境地の愛を知ることができます。どのような者も、このような事実を絶対に否定できません。誰もがみな、認定しなければならないのです。二人が完全に一つになるその場から、理想的な夫婦が生まれます。正に、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在するのです。ですから、絶対「性」は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家、もしくは経済人たちは、文学作品や言論を通して、フリーセックスの刺激を与える場合が多くありました。ですから、今から私たちは、政治家や経済人、作家、言論人と一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは完全になくならなければならないのです。

神様から玉璽を受けたレバレンド•ムーン レバレンド•ムーンの話を聞けば、皆様の現在の立場とは一八〇度違う人になり、違う国になり、違う世界になります。間違いなく変わるというのです。変化させるべきこの悪の世界を完全に変化させるのは、絶対に必要なことです。ところが、サタンを含む悪の世界の人々は、神側の人々を好みません。それで、世の中のすべてがレバレンド•ムーンに反対してきたのです。国家と世界的次元においても反対したのです。

しかし、レバレンド•ムーンは神様に属しているので、神様がレバレンド•ムーンを保護してきました。サタンはレハレンド•ムーンを嫌いますが神様は好まれるのです。いくらレバレンド•ムーンを悲しませ、下に押さえつけて無視するとしても、レバレンド•ムーンは意に介しませんでした。レバレンド•ムーンは下がっていきませんでした。かえって、最も高い立場にまで上がっていくようになりました。そうして、今は誰もレバレンド•ムーンに反対できないようになったのです。

レバレンド•ムーンはあらゆる迫害を受けながら、どのようにしてこのような世界的基盤を築けたのでしょうか。どのような力でもって、世界の碩学と最高の指導者を教え導く基盤を築けたのかというのです。神様がそのような力をレバレンド•ムーンに下さったので可能だったのです。神様が保護され、私にそのような方向性を教えてくださり、今も続けて保護し、教えてくださるので、レバレンド•ムーンは常に成功の道を進んでいるのです。

歴史始まって以来、霊界に通じることのできた多くの宗教指導者がいましたが、レバレンド•ムーンほど霊界を知り、あの天の国、霊界を統一してきた人は、この地上に一人もいないことを知らなければなりません。そうして、レバレンド•ムーンは神様から玉璽をもらいました。そうでなければ、地上統一はできないのです。神様が霊界で誰よりも訓練させて育てられたように、この地上においてもそのように引き続き導いていらっしゃることを知らなければなりません。

二十年以上の間、レバレンド•ムーンは新教(プロテスタント)の地、アメリカに行って多くの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられてから二千年間、途方もない殉教の血を流したキリスト教をこの国に定着させようという神様のみ旨を知ったので、アメリカを捨てることはできなかったのです。旧教(カトリック)の地、南米も同じです。四十年以上前にレバレンド•ムーンを受け入れていたならば、南北米がどのようになっていただろうかと考えてみてくださることをお願いします。韓国は、なおさら考えてみる必要があります。

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3.真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙 日付:一九九七年五月十九日

場所:ウルグアイ、モンテビデオ、ビクトリアプラザ•ホテル

行事:「新救国連合」国家指導者晩餐会

尊敬する内外の貴賓の皆様、特にこの場に参席してくださった著名な紳士淑女の皆様。公私共に御多忙にもかかわらず、この場に御来席くださった皆様に深く感謝申し上げます。

このような貴い日に、私が心から皆様に差し上げたい最も貴い返礼の贈り物があるとすれば、それは私がこれまで世界を巡回しながら説いてきた、最も代表的な二つのみ言を御紹介することです。

それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」というみ言です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つのみ言は、その根本的な解決方案を提示しています。各自が帰って、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このみ言を読んで深く考えれば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなるでしょう。皆様はこの二つのみ言を、皆様の年の数ほど読んでくださるようにお願いします。年齢が八十歳を超えていれば、八十回以上読まなければなりません。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあるでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むので、何度も読んでくださるようにお願いします。

最初のみ言の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダムの家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られ、これを国家的な次元で復帰しなければなりません。ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであるイエス様は第二次アダムとして来られたのですが、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることにより、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真の父母の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。ですから、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰であるという事実も明らかにしています。

二番目のみ言の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間の堕落の根本が愛によって成立したため、人類は真の愛を失ってしまいました。ですから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。真の愛を失ってしまったというのは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として誤ったので、これを取り戻そうとすれば、その反対に、正しく行かなければならないということです。

このように、誤った愛がエデンの園で植えられたので、終わりの日の刈り入れのときに、その結果として現れる現象が青少年問題です。それで、「性」の混乱時代が来るというのです。これを清算するのは、絶対「性」でなければなりません。この絶対「性」の概念によってのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。

三大主体思想とメシヤ思想 この時間は、「真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙」という新しい主題で、み言を分かち合おうと思います。ここに集った皆様には父母がいます。そして、師がいて、その次に国の主人がいます。彼らは、誰にとっても絶対的に必要です。しかし、いくら父母だとしても、真という基準を中心として見るときには、様々な基準があるものです。

皆様自身は、果たしてどれほど真の父母になったと思いますか。また師といっても、アメリカにあるハーバード、エール、そしてコロンビアのようなアイビー•リーグ(アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジ大学の教授であれば真の師でしょうか。国の主人も、真という基準から見るとき、同じにはなり得ないのです。皆様は、アメリカのような強大国の大統領であれば、真の大統領だと思いますか。

事実、今日の家庭では、子女が父母を信じられず、夫婦同士も互いに信じられず、兄弟同士でも不信する関係になっています。学校では師を信じられず、国では国の責任者を信じられないというのが今日の実情です。このように、皆様が願うこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、そして国の主人の中で、真という基準を中心として、どれか一つでも合格できるのか、ということが問題なのです。

皆様が真の父母になり、真の師になり、真の主人にならなければならないとすれば、そのような世界最高の基準、そのすべてのモデルの中心とは誰でしょうか。その方が正に神様です。神様は父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。

神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の息子、娘になるとすれば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければなりません。そして、神様のような真の主人となる道を行かなければならないのです。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは神様です。

旧約聖書に記録されている、イスラエル民族に送られるメシヤとは誰のことでしょうか。メシヤは、正に真の父母として来られる方であり、真の師として来られる方であり、真の王として来られる方です。しかし、イエス様はこの地上で家庭をもち、民族を一つにできなかったので、再び来なければなりません。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と真の師権と真の王権を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所であれば、いつでもどこでも、三大主体思想が正しく確立されなければなりません。

人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形になるのです。

皆様の上下、左右、前後関係、そして家庭の問題、国の問題、もしくは世界の問題を扱うときに、公式は一つです。個人を中心として、上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません。

これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心になるのです。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様にまで行かなければならないのと同じ道理です。皆様には宇宙の中心になりたいという気持ちがあるだけではなく、そのようにもなれるのです。

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宇宙の核のような真の家庭 このように、宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴するので、女性は結婚することにより、どこでも夫の位置に従っていくのです。西が太陽の光を浴びて輝くとき、東と同じ価値をもつのと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事(働き)するとき、弟たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子関係をもたなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係をもたなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点でなければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけません。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。

ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、すべて合わせて七数を形成するようになるのです。このように、七数を形成するということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、これらすべてが完全に球形となり、調和と統一を形成する家庭になるということです。私たちがよく「ラッキーセブン」と言うのも、このような観点から見れば、一理あることなのです。そうして、これが一つに定着して回るようになれば、八数だというのです。

真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたのですが、堕落することによって神様を中心から追い出してしまったというのです。神様の真の愛をすべて追い出してしまったので、真の家庭理想がすべて崩れてしまったのです。

西洋と東洋は、その生活習慣においてあまりにも異なる点がたくさんあります。多くの面で正反対です。例えば、韓国で人を呼ぶときは、手のひらを下にして手招きをしますが、西洋の人に対してそのようにすると、かえってもっと遠くに行ってしまいます。「私のことが嫌いで行ってしまうのだろうか」と誤解するようになっているのです。西洋の文字は横的で、左側から右側に進みますが、東洋の文字は縦的で、本来、上から下に書いて読むのです。ですから、西洋の本は左側から開いて見ますが、東洋の本は右側から開いて見るのです。西洋文明は一種の横的文明です。握手で挨拶するのは、横的な挨拶です。頭を下げながら挨拶する東洋文明は縦的です。

東洋には、家庭制度の核が先祖にならなければならないという伝統がありますが、西洋ではそのような核が強くありません。先祖を核とする概念がないのです。自己中心です。すべてのものが核から連結されるので、核が動かなければすべて動きません。ですから、中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、すべて同等です。それを分ければ十二切れになりますが、その十二切れをどこに合わせても、すべて合うというのです。

祖父が願えば孫は反対せず、息子、娘もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うのです。祖父、祖母、夫婦、息子、娘、すべて中心に合わせるようになるのです。この愛を中心として見るとき、父子の関係も一つなので一体であると言い、夫婦関係も一体であると言い、兄弟間も一体であると言うのです。一つの体です。

何を中心としてこのような関係が一体なのかというと、愛の中心である神様の真の愛を中心として一体になるのです。真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟間も同じなのです。このようになることにより、すべてのものの価値が同等になるのです。

人間が行くべき真の真理の道 それでは、神様がその子女に願うこととは何でしょうか。お金をたくさん稼いだ億万長者になることでしょうか。国の最高権力を手にした大統領になることでしょうか。神様が息子、娘であるアダムとエバに願われたのは、彼らが成長して孝子、忠臣、聖人、聖子になることでした。それでは、皆様は神様が願われるように、家庭で孝子になろうという考え、国では忠臣になろうという考え、世界では聖人になろうという考え、そして天地の前に聖子になろうという考えをもったことがありますか。歴史的に見るとき、すべての聖人は、孝子となり、忠臣、聖人、そして聖子になりなさいと教えてきたのです。

今晩、皆様はこのような理想的な人間、すなわち人間のその人格完成に必要なものが、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理であるという観点から見るとき、ここに合格したと見ることができますか。このような内容を知らなければ、家庭で真の父母の役割を果たせません。真の父母であれば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的な内容を教えてあげなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、そののちに神様まで行くべきだということを、自分の子女たちに教えてあげなければならないのです。そのように教える人がいるとすれば、神様が御覧になるとき、真の父母、真の師、そして真の主人であると考えるのです。

皆様に真の父母の資格があり、真の師の資格があるというときには、真の主人の資格も備えるようになり、さらには真の王になれる資格まで備えるようになります。堕落した人間に、真の孝子という概念があるでしょうか。忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もないのです。ですから滅びるのです。誰が聖子になることを願うのでしょうか。神様が願われるのです。聖人になることを誰が願うのでしょうか。世界が願います。国は何を願うのかというと、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真の真理の道です。

愛を中心としたこのような真理は、一つの方向で永遠に持続するのです。そのことを知りませんでした。それで、真の父母になれなかったのです。国の真の主人になれませんでした。聖人や真の聖子になれなかったのです。イエス様がこの地上に来られたとき、家庭にそのような真の主人がおらず、国と世界にそのような真の主人がおらず、結局、天地に真の主人がいなかったのです。どのようにしてその道理の道を行くのかを知らなかったのです。しかし、もはや知らなければなりません。

真の父母は、「孝子になったから、忠臣にはなるな」とは言いません。真の父母はその孝子に、「お前は家庭を犠牲にして、忠臣の道を求めて国に仕えなければならず、国を犠牲にして聖人の道理を果たし、世界のために生きなければならない。また、世界を犠牲にして天地が願う道を行かなければならず、天地を犠牲にして神様を訪ねていかなければならない」と教えてあげなければならないのです。

そのようになるためには、個人は家庭のために犠牲にならなければなりません。家庭のために犠牲になってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者になろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救わなければならないのです。聖人は、自分の国を犠牲にして世界を救わなければなりません。聖子は世界を犠牲にして、天の国と地、地上天国を築かなければならないのです。

ですから、すべての父母の中で、より子女のために生きる父母が真の父母であり、どのような師よりも、よりために生きる師が真の師であり、どのような大統領よりも、よりために生きて犠牲になろうという大統領が真なのです。このような概念があることを知りませんでした。投入して犠牲になるのです。そのようにしなければ、一つの平和と統一の世界は、永遠に訪れません。

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子女の情緒教育 家庭は、子女の内的成長に決定的な要素を提供します。子女の基本的な性禀と生活態度は、家庭で形成されるのです。赤ん坊は愛を感じる天賦の素質をもっています。非常に幼い頃から、母親の愛情あふれた懐を他の女性の懐と区別できるのです。父母の愛と兄弟の愛を自然に体得して育ちます。人の情緒と性格の大部分は、赤ん坊のときの家族関係を通して体得され、愛情と幸福感が基礎となって形成されるのです。

子女の目に映った父母の生活、特に愛の関係は、その子女の情緒生活に決定的な影響を与えます。天道によれば、父母は、子女にとって真の父母になるとともに、真の師になるようになっています。赤ん坊にとって最も重要な教えは、知識教育や技術教育ではありません。

家庭で父母がすべき心情(情緒)教育と規範教育が重要です。この人生の根本教育は、父母が家庭を土台にしてこそ、可能です。赤ん坊は最も貴い愛情と基本秩序に関して、父母が見せてくれるとおりに学び、あるがまま感じて似るのです。子女は、彼らが従い、習うことのできるモデルが必要です。父母が自ら、子女に対して最も重要な師になることを自覚するかしないかに関係なく、子女は既に父母のものを真似し、学んでいるのです。人生の正しい出発をするにおいて、父母以上に重要な師はいないのです。

父母の愛の結実体である子女は、自分の父母が最も理想的な愛の夫婦であることを願います。その愛の関係の中で、幸福を感じるのです。子女にとって、父母の離婚は受け入れ難いことです。なぜなら、子女は父母の愛に同参(一緒に参加すること)した、同参者だからです。子女にとってその父母の愛は、自分自身の根源であり、根だからです。

自分の存在基台が破壊されることを、本性が許さないのです。

父母と子女の関係が変わらない天倫の関係であるとすれば、どうしてその動機であり、根となる夫婦関係が永続的な天倫の関係になり得ないと言えるのでしょうか。不倫と家庭破壊、そして性道徳の紊乱は、天道に背く大きな過ちです。このような現象は、神様が願われず、人間の本心も願わない、堕落の結果なのです。

子女は父母の愛に同参した存在 世界の女性指導者の皆様。今日の混濁したこの秩序を、どのように収拾するのでしょうか。人類は道徳社会、人が人らしく暮らす社会、正しい価値観のもと、明るい未来を保障できる社会のために、たゆまず努力してきました。それにもかかわらず、勢いよく押し寄せてくる反倫理やフリーセックスなどの天道に背く堕落の風潮は、日がたつにつれてひどくなっています。エイズの問題も、単純な病魔ではなく、人類の子孫と未来が連結された深刻な問題です。このような問題は、学校における師の教えによっても、父母の説得によっても、国家の行政的措置によっても、根本的な治癒がなされずにいます。既に実験は終わりました。

もはや、人ができる治療方法を探すときは過ぎ去りました。宗教者でなくても、救世救民の道理を天から探し求めるべき切迫した状況です。このために、神様はメシヤを送られます。メシヤは真の父母として来られなければなりません。天道に逆らった不倫の現実社会を根源から治癒しなければならないからです。

人間の先祖、アダムとエバが真の父母になれず、堕落の先祖になったので、アダムとエバに代わって真の愛、真の生命、真の血統の根源者として真の父母が来てこそ、解決されるのです。真の父母はサタンを屈服させた真の愛、真の夫婦、真の父母の手本をお見せになり、全人類を教育されるのです。理想家庭のモデルをつくられ、地上に天国である平和世界、愛の世界を築くでしょう。これが神様の救援摂理の根本です。

神様は、私の夫である文鮮明総裁をメシヤとして送られました。夫は、神様のみ旨、創造理想をこの地上に回復してさしあげるために、生涯を捧げて歩んでいます。世界的に理解されない中で、罪もなく罪人の扱いを受けました。

真の父母と理想家庭 私は、聖人の道が何よりも困難で、口惜しい道であることを最も近い立場で見つめながら、毎日のように胸が詰まるのです。夫はあらゆる苦難と迫害を受けながらも、その歩みが止まることはなく、真の愛の道理を教え、実践によって模範を見せてきました。また霊的には、サタンと血のにじむ闘いをしてきたのです。

サタンは、自らが享受している非原理的な偽りの愛の主権を奪われないようにするため、夫を総攻撃するのです。霊的にも肉的にも、サタンが讒訴できない勝利の基台を築いた上で、私たち夫婦は真の父母の使命を遂行しています。

愛する女性指導者の皆様。今回の第二回「文化体育大典」は、これまで私の夫が愛の統一世界を成し遂げるために献身してきた多くの運動が結集したものです。「世界平和女性連合」をはじめ、「世界平和家庭連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」、「世界平和青年連合」などの機構は、すべて平和世界を成し遂げるためのものです。

この期間において、これらすべての機関と「国際文化財団」などが主管する多くの会議と行事は、人の本性を悟らせ、歴史を先導し、人類の未来に希望を与えるでしょう。特に(一九九五年)八月二十五日に挙行される国際合同祝福結婚式は、歴史的な行事です。この地において、誰がこれを真似できるでしょうか。

五大洋六大州の百六十ヵ国において、皮膚の色と文化を異にする三十六万双が、共に神様の祝福を受け、理想家庭を築くための新しい出発をするのです。平和世界の基盤となる愛の理想家庭を目標とした、神聖な行進が始まるのです。神様が願われる真の愛の文化、心情文化の主役が誕生し、善の子孫が約束される神聖な行事です。

理想家庭と女性の役割 私は「女性連合」の創設当時から、天運と歴史が求めるのは愛と奉仕の生活であり、理想家庭を通した平和な世界であると強調してきました。今まで男性が主導してきた世界における誤った愛の秩序と堕落の実状は、果敢に清算しなければなりません。不倫と憎しみ、そして自己を中心としたあらゆる不正は、切り取らなければなりません。女性は自覚をもった心で、この世界の誤った慣行を、整理していかなければなりません。

女性が既存の文化と慣習の秩序の中で男性を真似し、またその中で女性の立場を高めようとすることが、「世界平和女性連合」の目標になってはいけません。女性は天道に従って、真の父母に侍り、新しい心情文化世界を形成する主役にならなければなりません。堕落の属性を根本的に脱ぎ捨てて、新たに成し遂げる本然の文化、人類の本性が訪ねてきた愛と善と平和の文化を花咲かせなければなりません。

今から女性は真の父母と接ぎ木して、真の家庭を生み出すべきであり、真の社会と真の世界をつくっていくベきです。そのためには、皆様が真の母の分身にならなければなりません。到来した女性時代とともに、すべての女性は真の愛で男性を指導する、新しい時代の先駆者にならなければなりません。家庭でも真の愛の化身として、夫を抱き、子女を真の父母の心情で養育すべき使命があるのです。

神様の愛の祝福がとどまり、本然の愛の秩序が立てられた家庭を、誰が築きますか。真の父母と連結された、私たち女性の使命です。私たちが先頭に立って成し遂げなければなりません。真の愛による本当の女性解放と真の平和世界を成し遂げるために、皆様全員が主役になってくださるようにお願いします。

皆様と皆様の家庭、そして皆様の活動に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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3.真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙 日付:一九九七年五月十九日

場所:ウルグアイ、モンテビデオ、ビクトリアプラザ•ホテル

行事:「新救国連合」国家指導者晩餐会

尊敬する内外の貴賓の皆様、特にこの場に参席してくださった著名な紳士淑女の皆様。公私共に御多忙にもかかわらず、この場に御来席くださった皆様に深く感謝申し上げます。

このような貴い日に、私が心から皆様に差し上げたい最も貴い返礼の贈り物があるとすれば、それは私がこれまで世界を巡回しながら説いてきた、最も代表的な二つのみ言を御紹介することです。

それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」というみ言です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つのみ言は、その根本的な解決方案を提示しています。各自が帰って、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このみ言を読んで深く考えれば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなるでしょう。皆様はこの二つのみ言を、皆様の年の数ほど読んでくださるようにお願いします。年齢が八十歳を超えていれば、八十回以上読まなければなりません。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあるでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むので、何度も読んでくださるようにお願いします。

最初のみ言の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダムの家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られ、これを国家的な次元で復帰しなければなりません。ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであるイエス様は第二次アダムとして来られたのですが、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることにより、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真の父母の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。ですから、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰であるという事実も明らかにしています。

二番目のみ言の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間の堕落の根本が愛によって成立したため、人類は真の愛を失ってしまいました。ですから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。真の愛を失ってしまったというのは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として誤ったので、これを取り戻そうとすれば、その反対に、正しく行かなければならないということです。

このように、誤った愛がエデンの園で植えられたので、終わりの日の刈り入れのときに、その結果として現れる現象が青少年問題です。それで、「性」の混乱時代が来るというのです。これを清算するのは、絶対「性」でなければなりません。この絶対「性」の概念によってのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。

三大主体思想とメシヤ思想 この時間は、「真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙」という新しい主題で、み言を分かち合おうと思います。ここに集った皆様には父母がいます。そして、師がいて、その次に国の主人がいます。彼らは、誰にとっても絶対的に必要です。しかし、いくら父母だとしても、真という基準を中心として見るときには、様々な基準があるものです。

皆様自身は、果たしてどれほど真の父母になったと思いますか。また師といっても、アメリカにあるハーバード、エール、そしてコロンビアのようなアイビー•リーグ(アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジ大学の教授であれば真の師でしょうか。国の主人も、真という基準から見るとき、同じにはなり得ないのです。皆様は、アメリカのような強大国の大統領であれば、真の大統領だと思いますか。

事実、今日の家庭では、子女が父母を信じられず、夫婦同士も互いに信じられず、兄弟同士でも不信する関係になっています。学校では師を信じられず、国では国の責任者を信じられないというのが今日の実情です。このように、皆様が願うこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、そして国の主人の中で、真という基準を中心として、どれか一つでも合格できるのか、ということが問題なのです。

皆様が真の父母になり、真の師になり、真の主人にならなければならないとすれば、そのような世界最高の基準、そのすべてのモデルの中心とは誰でしょうか。その方が正に神様です。神様は父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。

神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の息子、娘になるとすれば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければなりません。そして、神様のような真の主人となる道を行かなければならないのです。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは神様です。

旧約聖書に記録されている、イスラエル民族に送られるメシヤとは誰のことでしょうか。メシヤは、正に真の父母として来られる方であり、真の師として来られる方であり、真の王として来られる方です。しかし、イエス様はこの地上で家庭をもち、民族を一つにできなかったので、再び来なければなりません。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と真の師権と真の王権を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所であれば、いつでもどこでも、三大主体思想が正しく確立されなければなりません。

人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形になるのです。

皆様の上下、左右、前後関係、そして家庭の問題、国の問題、もしくは世界の問題を扱うときに、公式は一つです。個人を中心として、上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません。

これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心になるのです。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様にまで行かなければならないのと同じ道理です。皆様には宇宙の中心になりたいという気持ちがあるだけではなく、そのようにもなれるのです。

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2.理想家庭と平和世界 日付:一九九五年八月二十三日

場所:韓国、ソウル、ロッテワールド•ホテル

行事:「世界平和女性連合」第二回世界大会(真のお母様)

内外の貴賓の皆様。「世界平和女性連合」会長団、各界の女性指導者、そして会員の皆様。私はきょう、この集まりが平和世界を実現しようとする私たち全員の念願を早める重要な契機になることを信じながら、この壇に立ちました。世界各地で献身的に奉仕しながら、より平和な社会と世界を建設するために歩む皆様の労苦に感謝いたします。

地上に平和世界を成し遂げることが、簡単でしょうか。それは歴史を通しての人類の夢でした。この夢が達成されるためには、まず平和な国と世界が先に形成されなければなりません。平和な国と社会は、睦まじく楽しい家庭が前提とならなければなりません。このように見るとき、和やかで楽しい理想的な家庭は、すなわち平和世界を築く出発であり、基本単位になるのです。

真の愛を基盤とした理想家庭 理想的な家庭は、どのようなものでなければなりませんか。神様の理想世界に対する計画は、創世記に記録された祝福のとおり、アダムとエバが善の夫婦、善の父母となり、理想的な家庭を築くことでした。その家庭を根源とし、子孫が父母に似て、理想的な家庭を永続的に築いていくことを願われたのです。

私の夫である文鮮明総裁の教えによれば、神様は真の愛の本体であられます。神様の根本属性である真の愛を動機として、創造が始まったのです。神様の真の愛は、愛してために生きる対象を必ず求めるからです。神様の創造の動機は真の愛です。被造万物は、神様が愛するために造った実体対象です。その中で人間は、神様と最も近い関係にある愛の対象です。神様は人間の真の父母であり、人間は神様の真の息子と娘です。神様と人間は、真の父母と子女の関係です。

本来、人間は父母の愛を受けて子女の心情を体恤しながら育ち、その次に兄弟同士で愛し合いながら、兄弟の心情を体恤して育ちます。成長して真の人格を備え、完成した真の人になれば、夫婦生活を通して互いに愛し合うことにより、夫婦の心情を体恤するようになります。被造物はすべてそうですが、特に人間は、真の愛を感じ、真の愛の生活をするようになるとき、幸福になるのです。

愛を受けるとき、生命力が躍動します。生命の香りも愛の中で漂います。愛は人間の幸福と生命と喜びの源泉になります。このように貴い真の愛は、知識や外的な要因によって得るものではありません。経験を通して感じ、生活を通して体恤するようになっているのです。

このように人間は、成長期間に生活と経験を通して、神様の真の愛を段階的に体恤するようになっていました。すなわち、人間は子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情など、四大心情を段階的に体恤しながら完成するのです。人間の人格と幸福の尺度は、愛をどのように、またどれほど感じ、与え合うかによって区分されるのです。

夫婦愛における自律と責任性 四大心情の関係において、縦的な愛、すなわち父母の子女に対する愛は、第一子、第二子と続きながら分けて与えられても、その完全性は減少したり、変わったりはしません。そのため、一組の夫婦が何人もの子女を生んで愛することができるのです。

お一人の神様が、全人類を子女として対し、愛されるのも、この原則があるからです。しかし、代表的な横的愛である夫婦間の愛は、他の相手に向けると完全な愛になれません。夫婦間の愛は、分けるとすぐにその完全性が破壊されてしまうのです。万人の本性は、夫婦間の愛の中に第三者が介入することを許しません。神様の創造の原則は、夫婦間の愛が他の相手に向かって裂かれることを許さなかったからです。

神様は人間に、他の動物とは違って、夫婦間の愛の自由を下さいました。子を産むときにだけ関係をもつ動物の愛とは、根本が違うのです。

責任のない自由は、本当の自由ではありません。夫婦間の愛にも責任性が求められるのです。夫婦が愛の神聖性と永遠性を信じる基盤の上で、互いの責任性を守るとき、初めて家庭が安定するだけでなく、幸福の住み家となるのです。人間はこのような、分けることもできず、否定することもできない夫婦の愛を通して、息子、娘をもつようになっていました。本然の人は、真の人として育ち、その次に、分けることのできない愛によって真の夫婦となり、子女をもって真の父母になるようになっていたのです。

堕落と愛の秩序 聖書を読まれた方は御存じかもしれませんが、人間の先祖は、神様が喜ばれ、祝福してくださる結婚をし、そこから神様の愛を受ける息子、娘である子孫を繁殖したのではありません。アダムとエバは、既に神様に対して罪を犯し、楽園から追い出されたのちに子女を生んで、後代へと繁殖してきたのです。アダムとエバは神様が願われる真の夫婦にも、真の父母にもなれませんでした。私たち人類は、真の父母と真の家庭を根源として生まれた子孫になれなかったのです。本性としては夫婦の愛が永遠不変であることを願うにもかかわらず、そのようになれないのは、人類の先祖の堕落の根源が偽りの愛の因縁、不倫によってつくられたからです。原罪が子々孫々に遺伝し、終わりの日に近づくほど性道徳が乱れ、家庭が破壊されるのも、すべてそのためです。

神様が最も嫌われるのが、愛の法度に背き、倫理的に誤ることです。洋の東西を問わず、次第にひどくなっていく青少年の脱線、家庭破綻、十代の未婚の母の問題などの現象を、誰が解決するのでしょうか。このような現象は、飢餓や戦争、どのような疾病よりも、さらに恐ろしいものです。なぜならこの問題は、今日の私たちの問題だけでなく、子孫の問題として、人類が未来に対する希望を失うものだからです。今日の絡み合った愛の秩序は、子孫に直接的に影響を与えるのです。

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神様の真の愛によって夫婦が一つにならなければならない そうして、真の父母となり、失われた真の愛を中心として、真の生命と真の血統を理想家庭として地上に探し立てようというのが、救援摂理の目的でした。堕落によって神様は、アダム家庭の真の母と息子、娘をすべて失ってしまいました。神様が触れられる真の息子、娘がいなかったというのです。神様の真の愛を中心として、血統的な関係をもてる神様の家庭がなかったのです。

堕落した父母によって偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結ぶことにより、私たちの体と心の闘いが起こりました。アダムとエバが怨讐になりました。アダムの二人の息子の間で殺戮戦が起こったのです。

ですから、神様がこれを復帰するための救援摂理は復帰摂理なので、失われた真の体と心が一つになった息子、娘として、絶対的に一つになった夫婦と息子、娘が、神様の真の愛を中心として完全に一つとなり、神様と永遠に一緒に暮らせる真の家庭を築くのです。そして、新婦格であるキリスト教と連結させて、神様と血縁関係を結ぶことにより、神様の真の愛で統一された家庭、氏族、民族、国家、世界を再び編成しなければならないというのです。これが神様の救援摂理の完成です。

ブラジルの指港者の皆様。ブラジルが神様の祝福を受けることを願うでしょう。そのためには、神様の真の愛を中心として、体と心が一つとなった民にならなければなりません。神様の真の愛を中心として、夫婦が絶対的に一つになれなければならないというのです。神様の真の愛を中心として、子女が絶対的に一つになれる家庭の数がブラジルに多くなるとき、神様がこの国に来て暮らすようになるというのです。そのようになれば、自然にこの国も世界の中心国家にならざるを得ないのです。

人間も、自分の一番愛する人が農村や貧民窟にいるとすれば、その愛する主体は対象が暮らす所に行って、共に暮らしたいと思うのです。どのような所でも、愛する人がいる所に行って暮らしたいというのです。それと同じように、神様も一番愛する息子、娘がいる所であれば、農村や貧民窟も天国になるのであり、上流層が住む所、中流層が住む所、どのような環境でも天国になるのです。

きょう、統一教会の教主という人がここに現れて話をしていますが、統一教会とはいったい何をする所なのでしょうか。神様の真の愛を紹介する所であり、真の愛を中心として体と心を一つにしようとする所であり、体と心が一つとなったその夫婦を、絶対的に一つになるべき理想的夫婦にしようとする所です。その息子、娘は絶対的に別れることのない、統一された兄弟にしようという、そのような主義をもち、神様の命令によってその使命を遂行するのが、統一教会であることをお伝えします。

国際合同祝福結婚の意義 偽りの愛による偽りの父母から、偽りの愛と偽りの生命とそして、偽りの血統によって始まったすべての汚されたものを完全に清算し、真の神様と真の父母の愛を中心として私たち夫婦が真の父母となり、神人愛が一体となった真の愛の種、真の生命の種、真の血統の種を接ぎ木してあげるための礼式が、国際合同祝福結婚式になるのです。

堕落によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の種を受け、偽りの結婚式をした家庭を反対に復帰するため、新しい結婚式に国際的に多くの家庭を参加させ、天の大きな祝福を伝授してあげようという礼式が祝福結婚です。ブラジルの全国民が大きな祝福を受け、天国家庭に転換されて、地上天国に入籍する国民になることを願ってやみません。こうして、超国家的な血縁関係を結成し、神様を中心とした天宙的大家庭主義を形成することにより、真の父母主義、夫婦主義、兄弟主義を宣布して心情文化世界を成し遂げ、地上から天上世界まで、天国に入っていける解放された地上天国の世界を完成しようというのが、統一教会の目的です。

第二次世界大戦以降、レバレンド•ムーンは全世界的に五十年間、迫害を受けてきました。罪があったからではなく、自分たちを救うために多くの迫害を受けたことが分かる時代になったので、今や反対に、一番立派であると考えるようになりました。レバレンド•ムーンの手によって共産主義が滅びました。ゴルバチョフ大統領と金日成首席を教化させた人がレバレンド•ムーンです。滅びゆくアメリカを救おうと「レバレンド•ムーンでなければならない」と言う、希望的な体制をつくっておきました。

韓半島の困難な政治的背景にも、レバレンド•ムーンが関係しているのです。中東もそうです。アメリカの共和党が四十年ぶりに勝利したのも、レバレンド•ムーンが背後から影響を及ぼしたためであるという事実を知らなければなりません。アメリカの共和党が民主党に勝つたということに関して、背後でレバレンド•ムーンが関与していたという事実を皆様は知らなかったかもしれませんが、このような事実を見るとき、ブラジルがレバレンド•ムーンをアメリカよりも先駆けて絶対的に占領するようになれば、世界の一等国家になるでしょう。

レバレンド•ムーンは今まで、語ったことはすべて成し遂げてきました。全世界がレバレンド・ムーンをたたき潰し、葬り去ろうとありとあらゆることをしましたが、死なずに堂々と世界の頂上に立ち、きょうもこうして叫ぶことのできる立場に立ちました。それは天が愛するからであり、神様が絶対的に保護するからであることを知って、統一教会について生命を懸けて学んでみなければならないと思うのです。

解放と自由と統一と幸福の天国 きょう、このような意義深い日に出会い、信じるに値する立場で一番重要な事実について紹介したことを理解してくださり、どうか忘れずにこの道に従って、皆様が新しい覚醒のもとに決意し、皆様の家庭と皆様の国に祝福を誘導する指導者となるようにお願いします。これにより、理想的家庭が皆様の国に出発し始めるのです。

皆様も御存じのとおり、レバレンド・ムーンと妻は真の父母として全世界に知られています。今日、私たち夫婦が本当に真の父母として、真の愛、真の生命、真の血統によって天と連結されたことが事実であれば、この地上には平和を成し遂げた「真の家庭と私」から、解放と自由と統一と幸福の天国が芽生えてくることを心に留めてくださるようにお願いします。皆様の家庭と国に神様の祝福があることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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神様が一番占領したいものは人間の真の愛 それでは、神様の心はどれほど大きいでしょうか。人間の良心のふろしきと神様の心を比較すれば、どちらがより大きいでしょうか。神様の心が人間の良心より大きいとすれば、神様が一番占領したいと思うものは、この上なく大きな人間の真の愛だという結論が出てくるのです。

神様が絶対的な方であるなら、一人でいて寂しいでしょうか、幸福でしょうか。皆様がいくら大統領でも、妻がいなくて一人で暮らすようになれば、かわいそうなのです。愛の対象がいなければかわいそうになるのです。神様も相対が必要でしょうか、必要ではないでしょうか。

いくら神様でも、一人では寂しいのです。人間はお金がなければ寂しく、知識がなければ寂しく、権力がなければ寂しく思うのですが、神様はお金を必要とせず、知識も必要とせず、権力も必要としません。創造主だからです。神様に一番必要なものとは何かが問題です。神様のことを何と言いますか。神様は愛の王であられ、愛の主人であられます。もし愛の王であられ、新郎であられる方が神様であれば、相対者である王妃が必要だというのは絶対的原理です。それでは、「絶対的な神様の愛の相対になる方とはどなたでしょうか」と尋ねれば、どのように答えますか。それは、真の人間であるというのです。

皆様はお金を必要とし、知識を必要とし、権力を必要としますが、妻がいなければ、すべて意味がありません。夫には妻が必要であり、子女が必要であり、妻は夫が必要であり、子女が必要です。そのような愛の対象が暮らす所が家庭です。

私はここで、良心の願いをいっぱいに満たせる愛の主体であられる神様に侍り、その神様の愛の対象である男性と女性が一つになって、その愛の中で息子、娘を生み、幸福で豊かに暮らせる家庭こそ、神様の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発基地になるということを主張します。

私たち人間が、愛する相対が自分より何千万倍、無限大の価値ある存在として現れることを願うのと同じように、神様も、御自身の愛する相対が無限の価値のある存在になることを願うのです。そのような人が、真の人間です。皆様、そのような男性と女性が、正にアダムとエバだったという事実を知りませんでした。私たちに高い良心の願いが与えられたのは、神様が主体であれば、人間は対象の立場にある存在だからです。ですから、神様の分身ではなく、神様とはまた違う別個の人格者だというのです。そのような対象に、神様より数千万倍価値のある存在になることを願う良心に基づく欲望を許してくださったのです。それが良心の作用だということを、私たちは知らなければなりません。

神様が創造当時、理想として願った真の愛、偉大な愛を中心として、人間と愛の関係を結び、一つになれる神人愛一体の家庭を築いたならば、今日、私たちは天国や地獄を語ることもなく、ただそのまま天国に入るようになるのです。ここで問題になるのは、神様の真の愛と人間の真の愛が、一つの主体的愛と相対的愛として一つになって一点から出発しなければ、神様の愛と人間の愛が異なる二つの愛として出発するようになり、二つの愛の方向と目的地になるということです。このようになるとき、神様と人間が願う絶対的理想世界を見いだすことはできません。この二つの愛が一点から出発できることを願った神様のみ旨は、堕落によって完全に停止してしまったというのです。

真の愛と真の生命と真の血統を受け継ぐことによって救いが成就する サタンの愛を中心に偽りの父母が生まれ、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ子孫なので、すべて地獄に行くのです。天国とは関係がありません。ですから、体の強い力を制御して、心が思いどおりにできる人を中心として、良心を通して神様の愛を占領しなければなりません。ところが、私たち人間はその事実を知らなかったのです。

皆様。恋煩いというものを知っていますか。恋煩いにかかった人は、恋煩いにかかった動機を解決してあげれば、万事が解決します。堕落した人間ですが、堕落していないアダムの本性が残っているので、それが恋煩いにかかったように神様の愛を慕い、また慕うというのです。良心は、「神様の真の愛を、どのようにして占領するか」と言います。お金があり、知識があり、権力があっても、自分の生命を懸けても、愛する人を失ってしまえば、何の役にも立たないのです。

皆様が心を解放して解怨成就させ、良心世界において三六〇度に解放圏を形成すれば、その良心は自然に神様の真の愛と連結されるようになっています。愛のふろしきと良心のふろしきのうち、どちらが大きいかと言えば、愛のふろしきが大きいのです。なぜなら、良心は愛から始まったからです。良心を解放し、神様の真の愛と一つになって暮らしてから入る所、神様を中心とした愛の血族を準備して、彼らを中心に暮らしてから入る所が天国です。その愛を占領できなければ、永遠に天国に入れず、その日のために数千万年、待たなければなりません。

堕落した人間は、神様の真の思想と経綸の明かりが神様の真の愛とともにともされて一体にならない限り、天国とは関係がありません。真の良心と真の愛が一つになって暮らす人は、自動的に天国に入ります。イエス様を信じても、神様の愛と結合できなかった人は、天国に入れないのです。

体と心が闘う人は天国に入れません。サタンの血統を受けて紛争が起きている人は、天国に入れないというのでこのようなことを開拓すべきすべての宗教が自ら争うときには、終わりの日に、すべて滅びるのです。争う所には神様がいらっしゃいません。ですから、宗教を信じるというのは、体を打って良心を解放する断片的なものであって、これが救いの門を開く鍵ではないのです。神様の真の愛を中心として、真の愛と真の生命と真の血統を受け継がなければ、救いはあり得ないという事実を知らなければなりません。宗教を信じることによって救われるのではありません。宗教を信じるのは、体を追い込むためです。良心の解放圏を備えるようになれば、良心の願いは神様よりも高まるというのです。

人間は神様に帰らなければならない 皆様。自分がすることを良心が先に知るでしょうか、神様が先に知るでしょうか。良心が先に知るというのです。私たち人間は相対的な存在なので、夫と向き合う妻のように、個性も人格も異なっているのです。

もし神様が先に知るとすれば、人間は神様の分身であり、一つの体なのです。一人では、相対的な理想を完成できないというのです。それで、アダムとエバが堕落したあと神様は、「アダムよ!お前はどこにいるのか」とまず尋ねたのです。人間は神様の真の愛から出発したので、対象的な人格者として神様に帰るのです。神様に帰らなければなりません。父母が百歳になり、息子も年を取って八十歳になれば、父と息子は父子の関係はもちろん、友達にもなるのです。

女性と男性は、力で比較すれば相手にもなりませんが、愛というものが介在すれば、妻と夫が互いに押したり引き寄せたりしながら、一つになるというのです。人間が神様のみ前に対象的な愛の存在になったとすれば、神様が喜ばれるでしょうか、喜ばれないでしょうか。

神様は、神様の理想的な対象を未来の希望として願いながら、愛の対象が完成する前にこの宇宙をお造りになったのですが、愛の対象として完成したのちに、アダムとエバがそれ以上に大きいものを再び創造してほしいと言えば、神様にそれを創造できる能力があるでしょうか、ないでしょうか。私たちの良心の願いが無限であっても、それを創造してくれる神様であるということを知らなければなりません。

このように無限な神様の真の愛を中心として、対象の価値をもつ存在として人間を造ったのですが、これを完全に失った人間になったので、再びこれを回復しなければならないのが人間の生涯であり、人類歴史の目的であるという事実を知らなければなりません。各宗教では、宗教の主人たちが再び来ると言いました。イエス様が再臨すると言い、仏教では弥勒仏が来ると言い、儒教は新しい孔子が来ると言い、イスラームのシーア派ではマフディーが来ると言ったのです。

神様が宗教を立てた目的は何でしょうか。神様が一番愛する息子、娘、神様の骨と肉が一つになる、そのような愛する息子、娘を中心とした愛する家庭、愛する氏族、民族、国家を形成することが神様のみ旨に違いないということを、はっきりと知らなければなりません。そうだとすれば、メシヤはどのような方かということを知らなければならないのです。永遠な神様の真の愛を根として初めて地上に訪ねてこられ、すべての宗教が願う理想を完成する方が、再臨のメシヤであることを知らなければなりません。

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神様が願う家庭と私と世界を知らなければならない 全世界的に今、問題は、私的にも公的にも、物質が先か精神が先か、無神論か有神論か、観念か実在か、進化論か創造論かということです。これをはっきりさせなければなりません。

例を挙げてみましょう。動物世界を見れば、生まれるとき、目が先に生じます。その目は、物質それ自体です。その目が生まれる前に、太陽があることを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。その目という物質肉体は知りませんでしたが、生まれるときは、先に知った立場で、太陽を見ることができるように生まれたのです。知った上で生まれたというのです。

空気があることを、その目自体は知りませんが、既に空気の中にはほこりが飛ぶことを知っていて、目をカバーするまつ毛が準備されていることが分かります。そして、目自体は知りませんが、あらかじめ涙を蒸発させる輻射熱があることを知り、目に涙腺を置いて防備するようにしたのです。本来の物質自体は知りませんでしたが、生じる前にそのような事実を知った上で生まれたというのです。結論として、私たちはこのことから、思惟と存在、精神と物体、観念と実在、有神論と無神論、創造論と進化論について論争する問題を解決できるというのです。ですから、確かに神様によって創造されたということを否定できません。そのため、本然の神様の創造理想世界に帰り、神様が願う家庭と私と世界をはっきりと知らなければならないのです。

私たちの体と心を見れば、体は地獄の基地になっており、良心は天の国の基地になっているという、この二つの世界の分岐点をもっている人間であることが分かりませんでした。このような立場に立っている私たち自身を見ると、体が心を引っ張り回しているというのです。歴史を通じて、体が心を自由自在に引っ張ってきたというのです。もし良心が強くなれば、自然と天に帰っていくので、世界は既に天のみ前に立つことができたはずだというのです。

またこの良心よりも、肉身が良心を引っ張り回すというのは、堕落するときにサタンと関係を結んだ偽りの愛の力が、堕落するときの良心の力よりも強かったということです。神様はこのようなことをよく知っているために、堕落した人類を放っておくことができず、この体が良心を引っ張り回す力を弱める作戦を行わざるを得ないのです。このように、歴史的に天が働くその救援的な役割をもたせて立てたのが、宗教だというのです。

宗教の目的 神様は、異なる文化的背景に従って多くの宗教を全世界に立てたのですが、心を引っ張り回す体を弱め、その力を取り除くことが宗教の目的であることを、今まで宗教を信じる信仰者は知らずにいたのです。堕落がなかったならば、宗教は必要ありません。誤ったので、これを修正するために宗教が必要だったというのです。ですから、神様は宗教を通して何をしようというのでしょうか。心を引っ張り回すこの体を追い詰めようというのです。

皆様は、宗教を信じることによって救われ、キリスト教を信じることによって天国に行き、仏教を信じることによって極楽に行くと思っています。しかし、天国は神様の真の愛を中心として一つになった子女が入るようになっています。天国に入れるアダムとエバの家庭は、神様の子女として、血族であり、神様の愛を中心とした家庭とならざるを得ないのです。そのような家庭が人る所が天国であることを、今まで誰も知りませんでした。ですから、良心の力を強化するために、この体を打たなければならないのです。良心を解放させ、良心が体を自由自在に引っ張り、堕落していない本然の神様の愛の懐に帰らなければならないというのです。

それでは、宗教がしなければならないこととは何でしょうか。体が最も嫌がることを提示することです。体が嫌がる「断食をしなさい」、「奉仕をしなさい」、「犠牲になりなさい」ということを言うのです。それだけではなく、最後には「祭物になりなさい!」と言います。祭物は血を流すようになっています。生命を懸けることができなければならないというのです。ですから、聖書で「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七.三三)という逆説的な論理を教えてくれたのも、肉身が生きるままに行けば地獄に行くのであり、肉身を抑制して良心の解放圏を形成すれば天国に行くという意味です。私たちの体を完全に屈服させ、良心が絶対的な主体の立場に立つようになれば、私たちの良心は無限の欲望と無限の希望をもつようになっているのです。

今日、歴史時代において数多くの宗教があり、数多くの宗教指導者がいましたが、その宗教指導者と宗教を信じる人々は、体を完全に占領して無の状態に立ち、良心を中心として本然的基準で天と相対できる立場に立った、解放された人間になれませんでした。

私たち人間は、堕落することによって偽りの愛の根を中心として野生のオリーブの木になってしまいました。神様の真の愛を中心として根を打ち込むべき人間が、悪魔の愛を中心として根を打ち込んだために、野生のオリーブの木になったという事実を、どのように清算すべきでしょうか。これは現在、生きている私たち人類が解決すべき、重大な宿命的課題として残っているのです。

皆様自身を中心として見るとき、皆様の良心は、皆様のあらゆることについて、知らないことがありません。良心は私にとって、父母よりもさらに近い位置に存在することにより、永遠の愛をもって、永遠に神様の懐に抱かれることを願っているのです。世の中の父母とは、結婚すれば別れることがありますが、良心は私を中心として、私が生まれる前から私と共に存在し、私を愛しながら、永遠に神様の子女として解放しようとするのです。それが良心作用なのです。

良心の願いは絶対的中心者を占領すること 良心の世界には、師は必要ありません。ある国の教育を担当する大臣が、「良心を教育しよう」と宣布したという話を聞いたことがありますか。良心が本然の道を行くとすれば、私が一生の間、行くべき道をはっきりと知って、間違いなく神様の懐に帰っていけるようにすべて教えてくれ、導いてくれるということです。皆様が良心を中心として見るとき、良心が自分の一生のあらゆることを知っているのと同じように、霊界に行けば、地上で行ったすべての事実がはっきりと分かるようになっているのです。傷のない子女、すなわち永遠な神様の真の息子、娘になるように働き掛けるのが私の良心の作用であることを、今まで知らなかったのです。

霊界に行かない自信のある人はいますか。いずれにせよ、誰もが行くのです。皆様が霊界に入れば、すぐに名前が分かるようになっていて、皆様の一生だけでなく、数千代の先祖も一瞬にして分かるのです。そこは時空を超越した世界なので、良心に背く内容を残してはならないのです。そのため、良心は師よりも優っているという事実を知らなければなりません。

ここには著名な方々と教授が来ていると思いますが、皆様は良心以上に教えてあげられる内容をもっていません。皆様の良心は、航海する船におけるコンパスと同じ役割をしています。皆様の中には、年を取った方々と若い方々がいらっしゃいますが、結婚するとき、相手が自分よりも劣ることを願う人はいますか。いません。また、「愛する相手が自分より十倍優れていることを願うか、百倍優れていることを願うか」と尋ねるならば、ためらうことなく「百倍!」と答えるのです。可能であれば、千倍、万倍、億万倍、もっと優れていることを願うのです。

その時に、良心の願いは最高の愛であり、絶対的中心者を占領しようとするのです。私たちの先祖も、私たちの子孫も同じです。このような質問を神様にしてみても、同じ答えが返ってくるでしょう。

皆様。欲心と欲望をすべてかなえようとするとき、ブラジルの上院讓員は国家のために大統領になりたいと思い、南米全体、ひいては世界のために貢献する一番高い、立場に立ちたいと思うのが、良心に基づく欲望です。歴史始まって以来、今まですべての人々が、「良心の願いは達成できない、不可能である」という結論を下しています。しかし、ここに立っているレバレンド•ムーンは「可能である」という結論を下しているのです。

皆様の良心のふろしきはどれほど大きいでしょうか。良心の大きさはどれくらいでしょうか。良心が神様を占領したというとき、それで終わると思いますか。神様よりもっと大きいものがあれば、そのもっと大きいものを占領したいと思うのが良心の願いでしょうか。それとも、そこまでは願わないでしょうか。神様よりもっと大きいものがあれば、そのもっと大きいものを占領したいと思うのが良心の願いなのです。それでは、良心の願いはいったい何をしようというのでしょうか。宇宙で最高のものがあるなら、その最高のものも占領し、それ以上に大きなものかあってもまた占領しようとするのです。良心はそれほど大きなふろしきだというのです。

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第四篇 人類を救う真の家庭運動 1.  1.真の家庭と私

日付:一九九五年六月七日

場所:ブラジル、ブラジリア

行事:中南米十七ヵ国巡回講演

今晩、ブラジルに来て貴賓の皆様にお会いし、このような歓迎パーティーの場をもてたことを、心から感謝申し上げます。

皆様はたくさんのうわさを聞いて御存じかと思いますが、ここに立っているのが、正にレバレンド•ムーンという者です。世界に多くの問題を起こし、多くの話題を提示しながら今日まで歩んできたのは、天に侍ってきた歴史的事実ゆえであると言わざるを得ません。きょう、ひと時の間お会いし、喜びの環境の中でお話ししようと思うのは、「真の家庭と私」という内容です。世界で問題となっているのは家庭ですが、真の家庭とはどのような家庭かということを中心として、お話ししたいと思います。

真の家庭とはどのような家庭か 「今、私たちが生きている世界は、善の世界か、悪の世界か」と尋ねてみれば、誰もが「悪の世界である」と答えるでしょう。なぜ、悪の世界なのでしょうか。全世界の歴史を見ても、ブラジルの歴史を見ても、どの国の歴史を見ても、戦争の歴史が続いてきたという事実を、私たちは知っています。戦争を通して争うという事実は、一つの平面的な基準から落ちていくということです。そして、世界が悪であるとすれば、ブラジルという国も悪であるという話であり、ブラジル人も、私たち自身も悪であると言わざるを得ないのです。

私たち自身をよく見れば、私たちの体と心も闘っているという事実を否定できません。そうだとすれば、この闘いの起源はいったいどこにあるのかということが問題にならざるを得ないのです。私自体内に紛争があって平和の基地をもてないときは、いくら家庭が平和で、国と世界が平和だとしても、幸福になり得ないというのです。

皆様が御存じのように、第一次、第二次、第三次世界大戦も終結しました。また、戦争中でも、いくらでも休戦はできますが、私たちの体と心を中心としたこの闘いは、昔から歴史を経て、現世はもちろん、未来まで続く闘いであることを、私たちはまるで知らずにいたのです。このような問題を中心として考えるとき、神様がいらっしゃるのであれば、私たちの体と心の闘いが、なぜこのように歴史性を帯びて続くようになったのかということが大きな問題になります。人間が罪を犯したというとき、罪を犯した人がそれを蕩減しなければなりません。罪を犯したこと自体に神様が責任を負い、干渉することはできないのです。

それでは、体と心が闘う起源地はどこでしょうか。私たちの生命は父母から受け継ぎましたが、また父母をさかのぼっていけば、第一代の私たち人類の先祖の位置までさかのぼるようになります。すなわち、第一代の先祖であるアダムとエバの夫婦の愛に問題があったために、このようになったと見るのです。生命の起源は父母の愛によって始まります。ですから、私たちの生命が出発する前からこのような闘いが始まったと見るならば、父母が愛し合うその場が問題になったという事実を、私たちは考えざるを得ません。アダムとエバの愛が喜びの愛になれずに、相反する愛の起源となって生命の根が打ち込まれたことによって、私たち人間自体の紛争が始まったと言わざるを得ないのです。

聖書は、アダムとエバが堕落することにより、エデンの園から追い出されたと記しています。追い出された人類の先祖が、子女を繁殖したのは事実です。追い出したアダムとエバについていって、神様が結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。誰のもとで結婚式をしたのだろうかと考えるとき、堕落することによってサタンのもとで結婚式をしたということを、私たちは認めざるを得ないのです。

体と心、夫婦、子女統一を願う真の父母 堕落は、サタンによってエバが誘惑され、その誘惑されたエバがアダムを誘惑したところから始まりました。ですから、私たちの先祖であるアダムとエバが愛を中心として夫婦関係を結ぶとき、喜びの関係ではなく、相反する関係で結ばれることにより、その関係に根を置いている私たち人間も、体と心の闘争の起源を連結せざるを得ないという事実は、何よりも理論的なのです。

堕落は淫乱によって始まりました。このような願わない愛の関係によってサタンと一つになり、善の先祖になれず悪の先祖となって、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。このようなことが事実であれば、私たち全人類の堕落した子孫が、家庭を越えて、氏族を越えて、国家と世界まで発展した今日、五十億の人類はサタンの子孫であり、悪の父母の血統を受け継いだことを否定できないのです。私たちの体の中に、神様が最も嫌うサタンの血が蠢動しているという事実を、誰も考えられませんでした。これが問題です。

それでは、この根をどのように清算するのでしょうか。サタンが愛の根をどこに打ち込んだのかというと、体、すなわち肉身に根を下ろしたのです。もし堕落していなければ、体と心が一つになるのは自然の道理です。堕落することによって、天に相対する良心のプラスと、これに反対する体のプラスが衝突しているために、ここから闘争の歴史が始まったという事実を、私たちははっきりと認識しなければなりません。

このため、神様は善悪の分立歴史を展開せざるを得ないのです。神様は公的であられるので、全体のために生きる道を選びながら、愛と平和の目的に向かう反面、サタンは私的立場を取り、全面的に善の側を破壊しようとする立場に立って、憎悪と戦争で永遠に人類が天の側に行けないよう、天と地上世界を滅ぼそうとしています。神様は、サタン側に回った人類を打てないので、人類を取り戻すために天の側が打たれて取り戻し、サタンは打って奪われる作戦を取らざるを得ません。サタンは私的なことを中心として、憎悪と闘争によって天を滅ぼすための破壊を、歴史を通して行ってきており、天は反対に公的な立場で、愛と平和によって再創造してきているのです。

終末になれば、サタンは人類を支配してきた立場を天の側に奪われるようになるので、「神はいない」という無神論を提示して、人本主義と物本主義、そして共産主義の出現を助け、天の側の右翼とサタンの側の左翼の闘争を世界的に展開したのですが、天の側の勝利によって、第二次世界大戦以後、キリスト教文化圏の勝利と平和の世界に転換する大変革時代を迎えるようになるのです。

今の時代は個人主義の王国時代です。真の愛を中心として願う天の家庭を完全に破壊させたフリー•セックス時代と父母否定時代であり、夫婦否定時代と子女否定時代であり、ホモやレズビアンなど、天の側を完全に破壊する地上地獄の時代ですが、これを天国に転換するためにメシヤの再臨があるのです。そのため、メシヤは真の父母として体と心の統一、夫婦統一、子女統一を願うのです。

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神様と人類は父子関係 満場の市民の皆様。きょう一時を生きていく人生の道というものは、平坦な道ではありません。それは人間が堕落したからです。人間は堕落の因縁をもって生まれたがゆえに、その堕落によって生じた怨恨の過程を、いずれ乗り越えなければならない運命をもって生まれ、数千、数万年の歴史過程を経てもそれを越えなければ、その恨の道は私たちの前に永遠に残るようになるのです。

エデンの園でアダムとエバが堕落したその瞬間から、人間は不幸の要件をもって出発しました。ですから、人類が幸福の世界に帰るためには、必ず不幸の世界を跳ね返して進まなければなりません。そうでなければ、誰も幸福な世界に帰ることはできません。

人類始祖が堕落したことによって人間だけが不幸になったのではなく、神様までも共に不幸になりました。人間が生涯を捧げて生きていく一つの目的は、理想世界の実現だけではありません。それよりまず、生命の根源であられる神様に積もりに積もった悲しみと悲痛さをどのように打開するかということが、私たちの生涯の目的です。ですから、人類が幸福な所を訪ねるとき、神様も幸福になるのです。神様と人類は父子関係だからです。このように神様や人間は同じ立場に立って、一つの目的を指向し、歴史過程を経ながら今まで歩んできました。神様はアダムとエバを失うことによって、険しい道の中でも険しい道、世の中の誰も願わず、また行きたがらない道を歩んでこられたのです。人間もやはり堕落で残された、この避けることのできない運命の道を、救いの一日を願ってやって来ました。

神様に対して人間は、その方の息子、娘になることが最高の願いです。なぜなら、父母と最も近い立場は父子関係だからです。「私」という人間は、父母の愛と生命が合わさって、父母の理想を実現するために生まれました。愛や理想という言葉は、一人について語る言葉ではありません。生命も一人で独断的に出てくるものではなく、連結された立場で出てくるのです。ですから、神様が人をお造りになるとき、神様の真の愛と真の生命と理想の対象として造られたのです。これは驚くべき偉大なことです。自分がいなければ、父母の愛は現れることができません。父母の愛と生命と理想は、自分と共に関係しているのです。自分は父母の愛と生命と理想の結実体です。ですから、息子の立場は最高に価値のある立場です。神様と人類は父子の関係だからです。

父母と自分が一つのところから共に出発したという事実は、驚くべきことです。父母の愛は自分の愛であり、父母の生命は自分の生命であり、父母の理想は自分の理想として決定することができるのです。ですから、父母は子女を見つめるとき、これは自分の愛する息子、娘だと言います。子女とは、自分の愛と自分の生命と自分の理想の実体だということを、父母は感じて悟り、知っています。愛する息子、娘は、一日だけ会わなくても、会いたいと思い、今見ても、またすぐ見たいと思うのです。それはどんなに離そうとしても離すことができない、骨の中の骨であり、肉の中の肉です。いなければ死ぬほどつらいと思うのであり、そこにはすべての理想がかかっているのです。

今日、堕落によって真の愛と真の生命と真の理想をもつことができない人間世界に生まれた父母でも、そのように子女を愛そうとするのですから、そのような父母の主体であられる神様は、それよりもっと愛するというのです。

救援摂理の完成 本来、堕落していないアダムとエバは、神様の直系の息子、娘として神様の血統を引く存在です。アダムとエバは、天上天国と地上天国を受け継げる王子、王女だったのです。王子、王女であると同時に、無形の神様であり、主体であられる神様のみ前に対象として造られた存在であるがゆえに、神様から愛を受けられる実体なのであり、無形の神様が実体として顕現したものです。

神様の息子の特権とは、その方は自分のものであり、その方がもっているすべてのものも自分のものだというのです。神様の愛までも、生命までも、理想までも自分のものです。このように驚くべき偉大な本然の価値を、人間は再び回復しなければなりません。ですから、神様が主体的真の愛であり、永生するのなら、その真の愛の相対も永生しなければなりません。神様の真の愛と一つになれば、神様が自分のものになるのです。

堕落していないアダムとエバの体は、神様が住むことのできる家です。アダムとエバが神様を心の中心として、真の愛で永遠に統一された愛の体、生命の体、血統の体になっていたならば、今日、私たちの心と体は闘わないでしょう。堕落とは、悪魔の愛を中心として、悪魔の生命体と血統を受け継いだことです。偽りの父母から生まれたのです。ですから、この血統を改造しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に改造しなければならないというのです。そうするためには、接ぎ木をして三代以上経て、そこで結ばれる実が真のオリーブの木になって、本然の基準を取り戻すようになるとき、初めて堕落した人間が本然の人間に復帰されます。そのとき、救いの摂理が完成するのです。

このように神様と一致した愛を中心として、善なる父母の息子、娘にするために、神様がこの地上に救世主として真の父母を送るのです。救世主は人類の血統を清め、本然の創造理想を実現するために来られるお方です。

私たち人間は、誰でも最高になりたいと思い、神様の息子、娘になって、神様の王子、王女として王権を受け継ぐ相続者になりたいという本然の欲望がありますが、他の血統を受け継いだがゆえに、生まれても嘆かわしく、生きても嘆かわしく、死んでも嘆かわしいのです。人生は苦海だという言葉が、ここから出てきました。ですから、自分の体と心の闘いをどのように中止させ、一つに統一させるかという問題が重要です。自分の体と心を一つにできなければ、南北統一も、世界統一も、そして霊界統一も、自分とは何の関係もなくなります。

主体と対象は、対応的な関係を結んだのちには、より大きなものを中心として一つにならなければなりません。男性と女性が対応して一つになったあと、より大きなプラスやマイナスになって、国の前に忠臣にならなければなりません。そして、これが再びプラスやマイナスとして世界的次元で聖人の道理に接ぎ木されなければならず、聖人の道理が再びプラスやマイナスになって、天宙的次元で聖子の道理に接ぎ木されなければなりません。そのように聖子の道理を備えたのちにこそ、神様に接ぎ木することができるのです。

ところが、私たちは発展を願い、大きなものを願い、高いものを願う、このような原則において、自分が行くべき道が運命的に横たわっているにもかかわらず、その道を知らずにいます。本然的な天道の動きに対する対応的な反射として、自分の心の欲望は作用していますが、その成就の道を知らずにいるために、人生は塗炭の苦しみの中で呻吟しているのです。これを見いだすことができないために、世の終わりの日になれば、その道を見いだすために多くの努力をしても不可能なので、自殺がだんだんと増えていくのです。私たちは何としてもこれを克服する道を探さなければなりません。

人類は世界の舞台で一番になることを願う前に、まず本然的アダムとエバの家庭で一番になることができなければなりません。アダムとエバが神様のみ前に直系の王子と王女の立場を備えるようになれば、彼らは男性として最高であり、女性として最高になるのです。しかし、彼らが堕落したことによって、彼らが占有すべき長子権の王子、長子権の王女の立場を失ったのです。これが人類歴史に恨として残りました。ですから、人類は神様の真の愛を再び探そうと、最初の息子と最初の娘の立場を求めていく人生の道を歩んできたのです。

そのような真の愛を受けるためには、自分自身を中心に生きるのではなく、神様を主にして、兄弟である人類を主にして生きなければなりません。父母に代わって兄弟のために最も多く血と汗を流しながら、長く耐えて克服した真の人であるほど、深く、広く、高い愛を受けるのです。そのような息子になり、娘になってこそ、父と母の全体を相続することができるのです。この道は男性も女性もみな行かなければなりません。ですから、十回でも百回でも死の峠を経て、また死んだとしても絶えず神様の真の愛を求めていかなければならないのが、人生において行くべき最高の道なのです。

統一教会の原理は、人間が神様の真の愛の圏内から脱したことが堕落であり、神様の愛の圏内に再び入ることが復帰だと教えています。そのような真の愛の圏内に入れば、自分の手一つを見ても、千回、万回激しく称賛するようになります。その世界では、自分の体も神様の真の愛を受ける体になるので、その喜びは言葉で表現できないのです。そのように素晴らしい世界が天国です。

宗教の使命 私たち人間の心が神様の真の愛を占領する日には、千年、万年歌い、踊ることができるのです。神様の真の愛に酔うようになれば、酒や麻薬のようなものに酔うこととは比較にもなりません。天下に存在するものすべてを呼べば、そこに応えないものはありません。流れる水だけを見ても、千年間歌を歌うことができます。そこにおけるささやきの甘味は、無窮無尽だというのです。その時は世の中のすべてを成し遂げたことになるので、金銀財宝も他の何も、みな必要ありません。世の中でそれより貴いものがないというのです。

このようなことを見るとき、人間の価値は、愛を通して、真の愛の感覚を通して宇宙と和合できる主人格だというのです。これを成し遂げることが人生の行くべき道です。霊界は今まで未知の世界でした。その世界は神様の存在原則である、ために生きた人だけが行く所です。そのような内容で形成された世界が理想天国です。そこが、私たち人間が求めていくべき本郷なのです。

今日、私たちは堕落した人生によって本郷から追放された人間となったがゆえに、本郷の地に向かって帰るベき運命にあります。しかし、そこは人間自体だけでは帰ることができません。それで、神様は人間が帰ることのできる道として、その民族の文化背景、風習あるいは伝統に従って数多くの宗教を立て、歴史的に収拾してこられたのです。宗教は本郷の地に帰る資格をもつ人に鍛える訓練の場です。神様は東西南北、四方の文化背景によって、高い所に前進できる一つの統一された宗教世界に導いてこられたのです。

そのような本郷の地に導く宗教なので、宗教は「ために生きなさい」と教えてあげざるを得ません。それで、高等な宗教であるほど、ために生きなければならないという原則を強調し、温柔、謙遜であれと教えるのです。無数の人々を高め、彼らのために生きる立場に立って、犠牲になり、奉仕しなさいと教えるのです。

今や、私たちの前に到来する二〇〇〇年以降は、世界の全人類が神様を中心とした真の本然の人間の価値を取り戻し、天地父母と一体となった祝福を受けた真の家庭を成し遂げ、神様と真の父母様を中心として、永遠にために生きる、真の愛の道理を実践する、真の平和と真の理想の天国時代を迎えなければならないのです。新年に皆様の家庭と国家に、神様の愛と祝福が一層満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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真の愛を中心とした家庭が行くべき道 真の愛を中心として男性と女性が一つになり、理想的な夫婦となって家庭を築けば、彼らは神様を身代わりする立場に立つようになり、宇宙のすべてに連結されます。そのようになるとき、神様のすべてが自分のものになるのです。どれほど幸福な立場でしょうか。ですから、私たちは万物を征服したい気持ちになるのです。男性と女性が合わさって家庭と社会と国家、そして世界を築くがゆえに、男性と女性が中心になって築いた家庭は氏族のモデルにならなければならず、氏族は国家のモデルにならなければならないのです。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭と氏族と国を復帰していくことです。ですから、理想的な国が出てくるためには理想的な家庭がなければなりません。

尊敬する市民の皆様。真の愛が偉大な理由は、真の愛で私自身が神様の対象になることができ、神様も私自身になることができるからです。聖書にも「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(ヨハネ一〇•三八)とあります。父が息子の中に、孫が祖父の中に、祖父が孫の中にあるという言葉は、ここから生じた言葉だと考えます。

祖母と祖父は、孫を中心として情を結ばなければなりません。それでこそ、愛の垂直線が始まるのです。また、孫は、祖母、祖父と一つにならなければなりません。祖父と祖母は神様と同じ立場なので、神様のように侍らなければなりません。そうでなければ、縦的な愛の軸を見いだすことができません。これを立てたのちに、横が生じるのです。横的なものは四方に連結されますが、縦的なものはただ一つの方向です。横的なものは東西南北、三六〇度に動くことができ、縦的なものは一つの点で動くことはできますが、分離することはできないのです。

ですから、愛を中心として、まず体と心を一つにしなければなりません。そして、神様を中心とした縦的な世界である霊界を愛することができなければなりません。そして、未来に中心国家が現れれば、その国を中心として全世界の人類を愛さなければなりません。ですから、真の愛を中心として、犠牲、奉仕、献身の道を通じ、霊界と全世界の人類を愛する生活を送れば、人間は自動的に中心的存在になって、二つの世界を主管して一つの世界をつくることができます。そうすれば、神様もそこに臨在されるようになるのです。

全霊界と全宇宙が合わさったものを天宙と言いますが、すべての霊界と宇宙は、真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願います。天宙を統一できるのも、全体の家庭を理想化させて一つにできるのも真の愛です。それで今日、人間が地上で暮らしても、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかないという結論が出てきます。

真の愛は、人間や霊界だけでなく、すべてが好みます。ですから、真の愛をもった人は、動物や植物たちからも好まれ、彼を主人として迎えようとし、どのような存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとするのです。被造世界のあらゆる存在は、真の愛をもって生きる男性と女性の前に近づこうとし、彼と共に生き、彼により主管されることを理想とします。ですから、この世の中で一番貴いものとは、真の愛をもった男性と女性、すなわち真の人だという結論が出てくるのです。

人間には翼がないので、どんな昆虫や鳥よりももっと遠くに飛び、どんな飛行機よりももっと速く地球星を回るには、実体の肉身ではできません。どんなに走っても、いくらも行けないのです。人は万物の霊長として神様と対等な相対的立場にあります。ですから、一秒間に三十万キロメートルを走る光よりもっと速い作用ができなければなりません。それを可能にするものが霊人体です。今、私がソウルにいても、霊人体はさっとニューヨークに行ってくることができるのです。稲妻よりも速いというのです。このように、思いとともに歩調を合わせて作用できるのが霊人体です。しかし、世の中で一番速い作用とは、愛の作用です。世の中で一番速度が速いのは光や電波ではありません。世の中で一番速く、高く飛べる力をもったものが愛です。この地の果てとあの地の果てにいる人間同士で互いに愛し合うようになれば、その地の果てを越えて引っ張り合うのです。愛はそのような力をもっています。

真の愛を体験した人は、神様の本来の理想的な世界では、神様が願うあらゆることを即座に所有できる能力と権限をもちます。そして、そのような資格は地上でもたなければなりません。霊人体を中心として肉身が一つになる過程で、神様の愛の接続点が真の家庭において形成されてこそ、そのような立場に進むことができるからです。

神様の真の愛は、同胞を愛しても、世界の人を愛しても、万物を愛しても、感じることができます。どの国の人でも、五色人種を愛する心をもたなければならないのです。人だけではなく、微々たるものまで愛することができる心をもたなければなりません。自動的にそれが湧き出てこなければならないというのです。花が咲けば、その美しい色や香りは自然に出るのです。同様に、愛の花が咲かなければならず、愛の香りが自動的に宿らなければならないというのです。

そうするには、その愛の花を咲かせ得る栄養素を受けなければなりません。植物が地と太陽から栄養素を受けるのと同様に、私たちも肉身と霊人体を通して栄養素を受けるのです。それで、肉身を通して生力要素を受け、その次には霊人体を通して生霊要素を受けます。そうすることによって、自分は愛を完備した実体となり、どこでも飛んでいくことができます。そのようになれば、太陽系をはじめとする大宇宙は、すべて自分の活動舞台になるのです。

霊界は愛を中心とした世界 人間が肉身生活を終えたのちには、第二の出生をします。これが死です。第二の出生をする所、死んで行く世界が正に霊界です。その世界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表した愛が供給されるのです。理想的な愛が供給されるというのです。ですから、霊界では統一されざるを得ません。

死ぬ瞬間からは第二の空中世界を振り切って、新しい第三の愛の呼吸器官に連結されなければなりません。父母の愛、兄弟の愛を振り切って霊界に入り、結局は大宇宙の神様の本体と和合する愛の世界に入ります。種が本体から出てきたので、結果を結んで、また本体に戻らなければならないのです。霊界は愛の空気でできている世界です。愛の空気で満ちています。ですから、私たちはこの地上世界で、愛の息をすることができるもう一つのパイプ装置を準備しなければなりません。ですから、霊界を体験し、霊的な愛を感じて呼吸できる人になってこそ、霊界で死なないのです。

霊界は愛を呼吸し、愛を中心として暮らす世界です。ですから、完全な愛の人格をつくれなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じません。門を通ったとしても一つの門だけを通らなければならないのと同じです。春夏秋冬、いつでもどこでも合わせて暮らせる資格を備えようとすれば、完全な愛の人格を具備しなければなりません。ですから、三時代を経るように人間を造ったのです。

とんぼも、幼虫が水の中で泳ぎ回り、地上に上がってきてしばらく這い回ります。その次にはひらひらと飛び回り、食べるとは思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。このように昆虫類の中には、羽があって三段階の世界を経るものが多いのです。昆虫もこのように水と陸地での生を経て空中で暮らすのですから、万物の霊長である私たち人間は、もっと次元の高い翼をもっているのです。

私たちは神様に代わって愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生み、愛の目的地に到達して、永遠に神様と共に生きるために神様の所に帰るのです。すなわち、私たちの一生とは、愛で始まり、愛で熟し、愛の実として刈り取られるのです。人が死ぬということは、愛の実を収穫することです。

私たちは、父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛したので、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、一生をかけて実を結んで収穫し、あの世に逝くのです。ですから、私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。夫婦が合わさってこのような三段階の愛を完全に完成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様のみ前に、永遠に「相対としての神様」になるのです。真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになります。ですから、神様で始まって神様で締めくくるのです。

人間が死ななければならない理由は、体をもっていては制限された愛でしか愛することができないからです。無限大の神様の真の愛の対象的実権をもって現れようとするなら、制限された肉身だけではできないのです。ですから、無形の霊にならざるを得ません。さらに、真の愛の理想を全天地とともに同一化するためです。死は苦痛の道ではなく、宇宙的な真の愛を所有できる幸福の門を開門する時間です。死ぬということは、這って歩き回る陸地の世界から、ひらひらと飛び回って暮らせる世界に移ることです。全宇宙を自分の舞台にして、真の愛で旅行を楽しめる資格をもった人になり、そのような世界に入門するために死の道を行くのです。ですから、死ぬことは正に新しく生まれることです。

私たちは初めに母の胎内にいました。その胎が私たちを育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくるとき、すべてを振り切って生まれるのと同様に、私たちの霊人体に対して肉身はふろしきのようなものなので、これを振り切って飛んでいくのです。ですから、人間は結局、水の世界、陸地の世界、空中の光の世界を経て、永遠な真の愛の世界で暮らすようになるのです。

霊界では生命の要素が愛なので、愛を通した命令には不可能がなく、即座に実現されます。そこでは億万人が一度に夕食を食べるとしても、そこに合う食べ物を準備して、あっという間に宴会をすることができます。そのとき、列席する貴賓たちが、みな王女、王子になりたいというときは、すべて本物の王女、王子になります。それが可能なのです。

皆様、そのようなことを理解するなら、この地上で暮らしたいですか。あの世に行きたいですか。腹中にいるときは「腹中が一番いい」と言いながら、腹中でただ足をばたつかせながら暮らします。途中で引き出そうとすれば「嫌だ」と言うでしょう。そして、母のおなかの中から外に出るときは、一度死んでから目覚めます。地上での死というものも、一度死んでから目覚めるのと同じ作用なのです。ですから、肉身の死とは、正に第二のお産です。

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物質世界、父母、神様は三大父母 自分は三大父母を通して生まれました。第一の父母は物質世界です。物質の世界からあらゆる要素を取り出して、物質の中心として、物質の複合的な存在として自分は造られました。このような観点から、その物質の元素自体が自分を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。この物質は愛の理想の立場においてのみ安着するように、宇宙はできています。愛の理想の立場において、すべての細胞が平安に生きられるようになっています。もし腹を立てたりすれば、すべてがこじれてしまうのです。

次に、自分の体を生んでくれた父母が第二の父母です。自分を生んでくれた父母が、自分をして一つの形態を備えて生まれてくることができるようにしました。しかし、この父母はどんなに頑張っても愛の主人になることはできません。自分の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれないのです。

愛の主人は神様です。愛を宇宙化させて、愛を永遠化させるために神様がいらっしゃるのです。神様は愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、神様が私たちの第三の父母です。このように私たちは三大父母をもっているのです。

私たち人間の一生は、腹中時代の十ヵ月、肉身時代の百年、そして霊界時代の千年、万年を永遠に生きていきます。私たちの顔を見れば、口、鼻、目の三段階になっていますが、これは人間が生きてゆく三時代の姿を見せてくれているのです。口は物質世界である腹中時代を象徴し、鼻は人の世界である地上時代を、目は霊界の天上時代を表します。

胎児が育つ母のおなかの羊水の中は、胎児には正に自由天地です。母のおなかの中では、いつも背中を曲げていなければならず、鼻も口もみな塞がっているのですが、胎児には自由天地だというのです。胎児に必要なすべてを供給するパイプがへそについていて、へその緒だけで生きなければなりませんが、そのような世界が胎児には自由天地なのです。胎児がおなかの中から生まれるとき、「私は世の中に出て、口で蜂蜜も食べ、餅も食べ、御飯も食べる」と考えて生まれますか。むしろ、そのおなかの中から外に出る時になって「ああ、ここがいい」と思うのです。しかし「出たくない」と思っても、時が来れば出るようになるのです。羊水が流れ出れば、それに従って外に出るようになりますが、このようにして生まれることを安産といいます。

赤ん坊は生まれるやいなや、泣くと同時に鼻の穴で息をするようになり、第二世界、すなわち空気世界に連結されます。おなかの中から空気世界に連結されて出てくるときには、腹中世界で暮らしたへその緒と羊水の袋をみな壊して出てこなければなりません。それらの死(破壊)と同時に、地球星の母の所に生まれるのです。生まれてからは、口で食べて鼻で息をするのです。ところが、地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であって、本質的な生命要素ではありません。生命要素は、正に愛です。ですから、この世の中でも愛という空気を吸わなければなりません。母と父からの愛の空気を吸わなければならないのです。

赤ん坊が生まれると、母の愛の電波に沿って自動的に乳首を探しにいきます。美女であるかどうかは関係なく、愛ある母であればいいのです。これこそ創造の妙味、かつ神聖な姿なのです。人は愛で生まれ、愛を受けながら成長します。

このような立場で見るとき、「私」というものは、父母の愛の実です。父と母の愛がどのようなものなのかを実際の実として見せたのが自分なのです。愛の実であるがゆえに、父母は「私」を愛さなければなりません。その実を通して無限な愛がまた実を結ぶのです。個人的愛、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、国家的愛、世界的愛、宇宙的愛、そして本質的な神様の愛にまで連結できる道がここにあるというのです。

私は父母の愛の実 出生したのち、肉身時代には、生んであげた父母が子育てを受け持って正しい人に育てるのです。世界と国と家庭を代表し、父母がすべてを教えて供給してくれます。私たちが父母から物質を供給され、教育され、個体として完成すれば、愛を中心とした横的な基盤に連結させなければなりません。それが結婚です。父母は結婚するときまで責任をもつようになります。結婚して、父と母が互いに愛し合っていたその愛を引き継ぐのです。父母が自分を生んでどれほど愛したかを、自分が結婚して子女を生み育ててみることによって知るようになり、その愛を引き継ぐのです。そうすることによって、自分は愛を完全に受けることができ、与えることができる人になります。そうして、完全な一人の男性、女性として成熟するのです。

父母の縦的な愛で生まれ、成熟し、横的に愛するようになって、初めて総合的な愛の圏を見いだすことができます。天地は球形世界なので、縦横と上下、左右、前後の愛が連結されてこそ、それを与え合いながら回り、すべてがまとまって一つの調和のセンターとして現れるのです。ですから、天地の縦的愛が内外に軸としてしっかりと立てば、その次に横的な愛が必要なので、思春期というものがあるのです。

思春期には、ただ秋風に吹かれて落ち葉がころころ転がるのを見るだけでも笑うのです。乞食が訪ねてきて物乞いの歌を歌っても、思春期には「ああ!また来た。またやっているな」と言って歓迎します。そのように四方に拡大されるのです。ですから、おとなしくしていた女性たちも、髮の手入れや化粧をし、しきりに体に何かを塗るようになります。欲も強くなるのです。それが愛の横的な現象です。ですから、人生行路は旅のような道ですが、ここで備えるべきことは、縦横の愛を体恤していかなければならないということです。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を築いたのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を広げておかなければなりません。そうして、彼らが縦横を連結できる真の家庭を形成し、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏で神様と真の愛で連結されるとき、その世界を天国というのです。

夫婦が愛し合うということは、神様を迎えることです。本来、父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は互いに他の一方の神様になります。そして、息子、娘はまた一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されれば、みな同じ体になります。父母は神様の代身として生きている神様であり、夫婦も神様の代身であり、子女も神様の代身です。このように三代が真の愛を中心として神様の立場を身代わりするのです。

ですから、父母も、夫婦も、そして子女も真の愛を必要とするのです。このように真の愛を中心に形成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を形成しなければ、天国が実現しません。これが公式です。家庭とは、すべての宇宙の現実世界の中心です。今日、人々は自分の家庭が、国と世界と宇宙を代表した家庭であることを知らずにいます。中心としての家庭だということを、知らずにいるというのです。ですから、家庭を破綻させることは、国と世界と宇宙に対する反抗になります。家庭の完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。この場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の立場にいらっしゃいます。

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16.人間の行くべき生涯路程 日付:一九九九年一月十七日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園重量挙げ競技場

行事:真の家庭世界化前進大会

高名な紳士淑女の皆様。きょう「人間の行くべき生涯路程」という主題で進められるこの大会に、真冬の寒さとあらゆる現実の困難をものともせずに、満場の盛況を呈してくださいましたことに、心より感謝申し上げます。

今、全世界は大混乱の中で呻吟しています。個人では心身の紛争、家庭では青少年の淪落と家庭破錠、国家と世界においては不信と戦争が絶え間なく続いています。この諸般の問題の解決は、神人愛一体理想を体恤することによって克服することができます。

神様が人間を創造された目的 人間はなぜ生まれたのかという問題は、人類が歴史的に追究してきた根本問題です。ある人たちは自分の国のために、あるいは自分の父母のために、または自分自身のために生まれたと考え、信仰者たちは神様のために生まれたとも考えます。しかし、神様が宇宙を創造された目的は人間だけのためであるとか、神様御自身だけのためであるという論理は成立し難いのです。人間が造られる過程に連結された様々な目的、すなわち神様が人間を創造された目的や天使が人間の創造に協助した目的、あるいは万物が人間に投入された目的と人間が生まれたこと自体の目的などが、互いに違ってはならないのです。全体が喜ばなければなりません。人間の創造に関連した神様も喜び、天使も喜び、万物も喜び、そして人間自体も喜べる、そのような共通の内容でなければなりません。

それは、もてばもつほどうれしくて喜ばしく、一度もてば永遠に手放したくないと思う、そのような何かなのです。それは外的な内容ではなく、極めて内的なものであり、目に見えないものなのです。知識やお金や権力のようなものは、人間が生きていくのに必要な付帯条件にすぎません。それはみな人間のためにあるものなので、人間には当然そのようなものを所有する権限があるのであって、そのようなものを所有するために生まれたとは考えられません。それはみな流れていくものです。それは自分と一時的な相対関係を結べるかもしれませんが、永遠の相対関係は結べないのです。

さらに神様は、お金が必要なのではありません。全能であられる方なので、お金はいくらでもつくることができます。神様は万物を造るとき、原理原則を通して造ったので、知識の根本でもあられます。そして、神様御自身は創造主として権力の主体であられるので、権力が必要なのでもありません。そして、それは、人間の努力だけで追求できるものではありません。人間の努力では生命の根源を支配することはできません。自分の生命の動機や過程、そしてその生命の終末まで動かす、そのような何かでなければならないのです。

このように見るとき、それは、真の愛であると言わざるを得ないのです。人間は愛で生まれ、愛の道を行かなければなりません。そして、死ぬときも愛のために死ななければならないのです。ですから、私たちの人生を見るとき、生命より愛がもっと貴いだけでなく、愛が生命よりも先なのです。ですから、愛のためには生命まで喜んで捧げるのです。愛は永遠です。小説や詩のような文学作品を見ても、「不変の愛」や「私の永遠のあなた」という表現が多く存在するのを見ることができます。このようなものを見ると、私たちが瞬間的な愛、一時的な愛を願うのではなく、永遠の愛を願うことが分かります。

愛は神様も身動きさせない権威をもっています。神様も愛には弱いというのです。全能であられる神様も人間の愛の香りを嗅ぐならば、満面に笑みを浮かべられるのです。神様も愛の話がお好きなのです。話だけでも好きなのに、実際に愛すれば、どれほど喜ばれるでしょうか。私たちの人体の様々な器官も、愛という一つの目的を中心に生まれました。目は見るために生まれましたが、どのようなものを見るためかというと、共同のテーマである愛を探すために生まれたのです。鼻も臭いを嗅ぐために生まれましたが、臭いの中でも愛の香りを嗅ぐために、耳も愛の声を聞くために生まれました。私たちが聞く言葉の中でいくら聞いても嫌気がせず、好きな言葉は「愛している」という言葉です。これは若者も老人も同じなのです。

ですから、あらゆる存在が互いにみな喜ぶことのできるテーマは、愛以外にはないのです。その愛とは、大宇宙が歓迎できる真の愛です。神様も、天使世界も、万物も、そしてすべての人が公認できる愛なのです。愛というふろしきを持ってきてかぶせておけば、その中から抜け出そうとはしません。このような点から見るとき、宇宙創造の起源や生命の発祥地とは、正に真の愛だというのです。

真の愛は宇宙創造の起源 人間が宇宙を愛する境地に入れば、宇宙のすべての門が開くことを経験できます。また、自分が今、ここの空間に、ただ極めて小さなものとして存在しているとしても、愛を中心とすれば、極めて大きな存在と共同で共通な、そして同等かつ対等な相対的権限をもつようになります。その極めて大きな存在が絶対的な神様ならば、私は愛の権威によって、その絶対的な神様の相対的な立場に上がることができるのです。神様の属性が愛だからです。

ですから、神様の愛の公約を立てておいて、その公約の中に存在するようになれば、宇宙のどこに行こうと自由なのです。神様の愛に酔えば、一つの砂粒を千年見つめても飽きません。自分の手を見つめれば、自分の手から光が出ることが分かります。夜に一人で横たわっていると、暗い夜にもかかわらず、自分が黄金の板に横たわって黄金の光を発して寝ている自らを感じるようになります。夢のような話です。そのようになれば、丘に上がっても万物が喚声をもって歓迎するのを感じることができます。皆様もそのような経験をしたことがありますか。

私たち自身が愛の宇宙の中に生まれたと考えれば、無限に幸福に感じられるだけでなく、世の中に「私を見なさい」と誇るに値する自分です。神様が実験室で研究している途中に、最も理想的で、驚異的な発見があったとすれば、それは正に自分だったというのです。このような観点から、神様の愛の相対的立場に立てられた自分自身を破綻させることは、罪の中の罪であり、これを愛して保護することは善の中の善であるという結論が出てくるのです。ですから、自殺することは最も大きな罪になります。宇宙を破綻させる行動です。

監獄に入って、拷問で血を吐くことになったとしても、神様が抱いてくださる愛のみ手を感じれば、それがかえって神様が骨髄にしみる愛で抱くことのできる一つの条件になるのです。このように考えるとき、死ぬような環境も、幸福な場だと考えて歩むことができるのです。このようなことを考えるとき、男性も女性も、愛の力の中にいる人は、強い人なのです。国や世界を与えても変化させることができません。そのような人の前には、サタンも屈服せざるを得ない驚くべき結果が現れます。

ですから、神様がこの宇宙的愛を中心とした人間を代表して呼ばれるとするなら、その方は正にメシヤです。イエス様がその代表者だというのです。メシヤを通さなければ、宇宙愛を見いだすことはできません。ですから、万民はそのあとについていかなければならないという論理が成立するのです。イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四•六)と言われましたが、ここに愛という言葉を一つ加えなければなりません。「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言ってこそ、論理がより明確になるのです。私たち人間は、父母の愛の中で生まれました。その父母の愛の一番中心の、主人として生まれたのです。ですから、父母は、私一人をつくり出すために愛し合ったという結論が出てきます。

ですから、父母に対して同等な立場で権利を主張することができます。「お父さんとお母さんは私がいなければ不幸です。私がいてこそ幸福でしょう」と言うとき、父母は「そうだ」と言うのです。そして、自分も父母がいなければ不幸だというのです。なぜなら、父母が原因で、私は結果だからです。父母と自分は愛を中心として一つです。原因と結果が一つになって愛の実体圏を形成するのです。これが宇宙の道理です。

統一教会の原理では、主体と対象が一つになるところから力が出てくると言います。ですから、原因である父母が自分と一つになれば、主体と対象が一つになっで一体となったので、新しい対象となって、より大きな主体と一つになることができます。神様がその主体ならば、その神様と一つになるのです。すなわち、神様の理想的な愛を中心として神様と完全な主体と対象の関係を形成すれば、神様と人間は完全に父子関係になって、一つになるのです。神様と人間の愛の圏が形成されれば、宇宙にはいつも明るい太陽のような愛の光が発せられるのです。

自分は、父と母の二つの生命が一つに結合した生命の連結体であるというだけでなく、父母の愛の同参者として父母の愛と一体です。さらには、自分は父母の理想とも一体です。理想には幸福や平和というものがすべて入ります。父母にとって、自分が世の中で成功したときの喜びがいくら大きくても、失った子女に出会ったときの喜びとは比較になりません。子女は父母の最高の理想と一体だというのです。

自分には父と母の生命の綱、愛の綱、そして理想の綱が連結されていますが、この綱は誰も切ることはできません。神様も切ることができず、宇宙も切ることはできません。むしろ、宇宙のすべての力がそれを擁護しようとするのです。ですから、私がどこに行っても、父と母がついてくるようになります。あの霊界にまでも、父と母はいつも共にいようとするのです。ですから、父と母が同行するのを嫌うのは、大きな罪です。この宇宙を破綻させる破壊行為だというのです。父母を連れていくことを嫌うのは、既にその人が宇宙の原則から離れていくことを意味します。

ですから、父母を自分の体のように思って愛し、父母に孝行することが、人間において最高に価値あることです。「和睦する家庭に福が来る」という言葉も、そこから来るのです。反面、父母が離婚することは、刀で子女を半分に切ることと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう父母はどこに行っても災いを受け、不幸がついて回るのであって、幸福になることはできないのです。

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直観的感覚が現実化する世界 聖賢が行く道と凡人が行く道は違います。聖賢は歴史と共に生きようとし、世界と共に生きようとし、未来と共に生きようとした人です。しかし、凡人は自分のために生きようとし、世界も自分のためにあると考えて生きた人です。

霊界にも霊界としての世界があり、国があり、氏族があり、家庭があり、個人がいます。個人を中心として見るとき、「私はそこで絶対的に必要な存在だ」と言える自主性なしには入れないところが天国です。家庭を中心として見るときも、氏族を中心として見るときも、「私が絶対的に必要だ」と言えるそのような自主性があって、初めて行けるところが天国です。

霊界では、地球というものは、一つのほこりのようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情をもって地上に生まれ、生きて死んだ人がいれば、ここに直接現れよ!」と言えば、その人が瞬時に現れます。そのように直感的感覚が現実化される世界です。そこには食料を作る工場もなく、自動車を造る工場もなく、何もありません。

人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書をもって行かなければなりません。「私はこのように生きた。このようなことをやった」と言える生涯の証明書です。そのような証明書は自分自身が書くことはできません。初めはサタンが書きます。まずサタンに証明書をもらってから、メシヤの証明書をもらわなければならないのです。その次に神様の証明書をもらわなければなりません。この三つの証明書が必要だということを知らなければなりません。

霊界は真の愛を中心としてために生きる所 霊界に行けば霊界は膨大ですが、三段階になっています。誰が一番高いところに上がるかというと、より人のために人生を生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は反対の位置に立つようになります。自分のために生きた人はみな反対し、人のために生きた人はみな歓迎します。霊界に行けば、自分の親や妻も関係ありません。高いところに行く人はみな、人のために生きた人々です。

世界のあらゆる国を回りながら、自分の母と家庭に対する愛を拡大したような心情をもってために生き、世界の人々をみな悪から救おうとする聖人の心をもった人々が、高いところに行くのです。自分のために生きた人は地獄に行くのであり、人のために生きた人は天国に行くのです。この二つの世界が死において分かれます。

ですから、全体のために生き、より大きなもののために生きなさい、というのです。世界のために生き、神様のために生き、人類の解放のために生きなさい、というのです。これからは、互いにために生きようとする競争が始まるでしょう。

天の国では、ために生きる人が高い位置に行くので、その高い人のために私が生きれば、その人に乗ってジャンプできるのです。その人のために生きるのは、神様が創造して相対を造ったのと同じなので、その人の愛の対象圏に立とうということです。

人のために一〇〇パーセント生きる人に対しては、「私を踏み越えていってください!」と言うのです。どんなにアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもその国の国民のために生きる人がいれば、その人が大統領を踏み越えていっても、みな歓迎するのです。しかし、自分の利益だけを得ようとするときは、みな怨讐になります。

霊界でも同じです。より大きなことのために生きようとするときは、自然に通過します。より大きなことのために生きるようになれば、自然に通じるのです。ですから、世界のために生きる人は、アメリカのために生きなくてもいいのです。世界の中にアメリカが含まれます。すべての国がみな含まれるのです。

みなが歓迎するその方向の内容とは、真の愛を中心としてために生きる愛の道以外にないという結論が出てきます。死ぬときにもっていくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的人間としての自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。

人類を愛し、神様を愛したことが、最後に残り、あの世の所有権決定の基準になります。霊界に行けば、伝道した人の数によって皆様の所有権が決められることを知らなければなりません。霊界に行って誇るべきものが何かというと、どれほど人を慕って生きたかということです。

あの世で必要なものは、ほかのものではありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子、娘よりも、神様をもっと愛したことです。妻が話すとき、「あなたは私より神様をもっと愛してから私を愛してください」と言ってこそ、夫からより高い次元の神様のような愛を受けられるようになるのです。

心情圏の世界は愛が普遍化される世界 今日、レバレンド•ムーンは心情圏を説いていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化される世界が心情圏の世界です。

そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きたとしても、天と地、天宙を中心とした夫婦の愛でなければなりません。ですから、その世界に合格できる愛の基盤をどこで築くのでしょうか。レバレンド•ムーンは、この世でそれを築いていかなければならないと教えているのです。この世で何よりも貴いとされているものではなく、心情圏世界の合格者になるためです。

ですから、霊界には家庭を連れて入らなければならない原則があるのです。どうして息子、娘がいなければなりませんか。子孫とは本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混ざって生まれたものです。したがって、子孫をもてなかった人は、霊界に行って天地の調和を形成することができず、東西南北に拍子を合わせられないのです。子孫をもてなければ、あの世に行っても、楽しみ、安息できる場所がありません。

皆様。霊界では宗教や宗派は必要ありません。そこに行って長老派やカトリックというものは必要ありません。神様との生活圏内に入るのです。

あの世に行けば、世界を愛した人もいて、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちがみないるでしょう。しかし、レバレンド•ムーンが知る限りでは、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないのです。何かを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。霊界に行けば、そのような原則にどれほど同化し、どれほど一致したかということによって、今後、地獄から中間霊界、楽園、天国まで連結されるのです。

何が一番貴い道かというと、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世のどこでもパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人同士は一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができます。

宗教圏は、一つの世界を願って歩み、一つの神様を信じていくので、一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々がこの世の人々と違うこととは何かというと、彼らは一生の間霊界を標準として生活するという点です。

宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様なら神様がいらっしゃるところと神様が住んでいらっしゃるところを中心として、私たちが関係を結ぶことのできる内容を教えてくれるのです。

世界宗教国連創設の主唱 世界の各宗教を代表して、きょうこの場に参席された皆様に、私がこれまでお話ししたとおり、人間の生死の問題を中心とした生の価値を集中して取り上げたのは、他意があってのことではありません。生と死に対する正しい教えを伝えるのは、私たち宗教指導者たちの責任であることを強調するためです。

今日、この世界の政治指導者たちは、国連を通じた世界平和と人類の繁栄を追求しています。しかし、私の判断では、政治、経済、軍事的側面を中心とした国連の機能だけでは、世界平和の道は不完全だというのです。政治、経済、軍事的手段は、外的、肉的、物質的側面にすぎません。ですから、より内的、霊的、精神的な側面は、宗教的教えと世界のすべての宗教の連合と一致した行動を通してのみ可能なのです。

私は、きょうこの場を借りて、既存の国連に世界の主要宗教とその指導者たちが参与する、世界宗教国連の機構が創設されなければならないことを主唱するものです。世界と人類の未来のために、きょうこの時点で、世界宗教国連の創設とその役割の重要性について、これから皆様と世界のすべての国々が、さらに深く論議してくださることをお願いするものです。ありがとうこざいました。

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私の目的は世界の救援 皆様。私は心苦しく思うことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成就する責任を下さったので、私は生きている間に神様が満足する水準までみ旨を成就しておかなければならないということです。その前には、死ぬに死にきれないのです。よって、死地に入っていっても、神様が導き引っ張ってくださるというのです。私はこのみ旨を成就するために、御飯を食べるときも、寝ても覚めても世界と人類のために祈り、努力しています。

私は、ある特定の国や民族のためには苦労しませんでした。私の目的は世界の救援です。その目的のために今まで死を覚悟し、犠牲的に命を捧げて働いてきました。皆様も世界のために生き、死ななければなりません。世界を救うためなら、愛する妻を抱いて、家庭を抱いて、自分の氏族を抱いて、民族をまるごと抱いて、死ぬこともできなければなりません。

さて皆様は、未来のある日、死を迎えることになり、死を前にして過ぎし日を回顧するようになりますが、そのときにどんな一言を残して逝くのかということを考えなければなりません。死の道は、友もいない道です。愛する父母もいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦や子女もいない道です。ただ一人で行かなければならない道です。

もう一度行くこともできず、行って来ることもできない道、一度行けば永遠に帰ることのできない道ですが、この道を行くときに、人間はどんな心をもって行くかが重要です。人間が死に逄着するその瞬間に、その死を乗り越えられる希望がないとするならば、そこでおしまいです。

今日まで神様のみ旨に従い、神様のみ旨を立ててきた多くの人々は、どのような人々だったかと言うと、死の道の前で後退した人たちではなく、死をあざ笑い、死を凜々しく乗り越えた人々でした。そのような人々が天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通じてよく知っているのです。

死ぬことなく復活はできない それでは、天の願いを抱いて生きる人とは、どのような人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も、喜びで越えることのできる人です。そのような人が天の願いを抱いた人だということを知らなければなりません。ですから、私たちは死を前にして、この世のすべてのことを恨み、嘆く人にならずに、天の前に立って喜び、自分の死の価値を誇る人にならなければなりません。

それでは、死ぬとどうなるのでしょうか。死ぬ前までは私のものですが、死んだのちには神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受けたからです。ですから、死ぬまでは、私たちの生命のすべてはサタン側の因縁を抜けきれないのです。しかし、死んだのちは神様と関係が結ばれるのです。死ぬことなく復活はできません。一つの時代を通過しなければ、次の時代を迎えることができないのです。

「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という聖書で言う命を失う「死」とは、何を意味するのでしょうか。神様が下さった永遠である真の生命を失いなさいということではありません。サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を否定しなさいということです。それで、み旨のために死のうとする人は生きるというのです。

この言葉は逆説のようですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ、復帰ができないというのです。これは復帰の正常な論法です。人生の勝敗は、数十年の期間を通して決定されるのではありません。それは一瞬で決まるのです。私たちの一生を通して見ても、皆様が生まれるその瞬間は、長い期間ではありません。

もちろん生まれるまでの腹中の時期がありますが、その腹中の十ヵ月という期間は、出生する一瞬のための準備期間なのです。ところが、十ヵ月の間、いくらよく準備したとしても、決定的な一瞬をうまく越えられなければ、生まれるその赤ちゃんは悲しい運命を迎えることになるのです。

この地上に来て、運命の瞬間を迎える最期の場で、過去を悔い改める人がいるとすれば、その人の心には過去のすべての事実が映像として回想されるでしょう。その中で「真なるものがあった。自分の生命よりも貴い何かを残した」という人がいるとすれば、彼はこの地に来て逝くとき、甲斐のある一時を楽しむ人になるでしょう。

しかし、過去のすべてのことを回想してみるとき、頭を振って回想したくない過去をもっているならば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜が満ち、自分のすべての問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一場面として飾られるでしょう。過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間ではなく、ほかの何かを残すなら、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。

そうすることのできる過去をもった人は、必ず民族がついていくことができる縁をもった人であり、世界万民がついていかざるを得ない縁を残した人であると見ることができます。神様のみ前に一人で立つことができるかという問題を考えるとき、真と善は自分から始まって自分で終わるのではありません。自分から始まって人に結果を結ばせるか、人によって始まり、自分に結果をもたらすことができてこそ、善になるのです。

過去の生活が人のために与える生活だったならば、死の道でも恐怖がないはずです。人のためにすべてを与え、人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら、涙も人のために流し、自分の生命も人のために投入し、自分の願いも人のためのものなので、自分のすべての生命力を寄せ集めて人のために投入するならば、その過去の生活は光り輝く過去になるでしょう。

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神様の法則のとおりに生きなければならない それでは、霊界とはどのような所でしょうか。私たちが霊界に入れば、頭の上にあるひよめきと細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は、地上の空気ではなく愛です。呼吸を通して愛の要素を受けるというのです。

私たちが地上で生きるときも、御飯だけ食べていてはいけません。御飯だけ食べて、水だけ飲んで生きるというのは、胃袋を満たしているだけです。結局、そうして死んでいくということです。地上で生きている私たちの姿は、私たちの第二の存在です。

私たちがこの期間にすべきことは、新しい愛の人格を形成することなのです。この地上で私たちが最も必要とするものは愛です。孤児とは何でしょうか。母と父の愛を受けられない子女たちを、どうして孤児と呼びますか。霊界と永遠に連結できる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で生きる人をかわいそうだというのです。

もう一度お話ししますが、私たちが死ぬということは、第二の呼吸をしていた肉体に連結されたこの器官を壊し、愛の要素を受け継ぐことです。ですから、私たちは、いずれにせよ肉身を破って出ていかなければなりません。愛は見えないものです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛など、このすべての愛を中心として私たちの内的な構造が成長するのです。

それで、私たちが神様の法則のとおりに生きるときにのみ、胎児が母の腹中で正常に育つのと同じように、私たちがこの地でも正常に成長できるのです。ですから、むやみに生きてはいけないというのです。私たちが自然界を調べてみると取るに足らない昆虫、実の中の種、そして鳥まで飛ぶことができるのに、ましてや万物の霊長たる人間が飛べなくていいでしょうか。たんぽぽの種を見てください。風が吹くと自然に飛ぶようになっています。このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかに飛べるように創造されたに違いありません。ある者は性急に「神様、ほかのものたちはみな飛び回るのに、どうして私たちは飛べないように造ったのですか」と神様に抗議しかねません。しかし、神様は「お前たちは数十年待って完成すれば、飛べるようにしてあげよう!」とお答えになるでしょう。

地上で愛する訓練をしなければならない それでは、その時まで私たちは何をしなければなりませんか。その時になって、その世界に適応できるように、私たち自身を訓練しなければならないのです。父母を愛し、夫婦同士愛し合い、子女を愛しながら、この地上世界で訓練をしなければならないのです。そうして、時が来れば、永遠の世界に入り、永遠に神様に侍って生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死ななければなりません。

私たちがせみの一生を調べてみれば、せみも飛ぶようになる前に、幼虫の段階を経ます。そのせみが「ぼくは幼虫のまま暮らしたい。殻を脱ぐのは嫌だ。ああ、陸地も空気も何もかもみんな嫌いだ!」と言って反抗したとしても、いざ殼を脱いでみると飛ぶようになるのです。

とんぼも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで暮らし、地上に上がってきて、しばし這い回り、その次は殻を脱いで飛び回りながら、食べるとは想像もしなかった虫を捕まえて食べるのです。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように昆虫類の中には、三段階の世界を経るものが多いのです。

それで昆虫には羽があります。水と陸地と空中の三時代を過ごしなから,羽をもつようになるのです。万物の霊長という私たち人間に翼がありますか。人間には次元の高い翼があるのです。皆様も肉身を脱いで死ぬのは嫌だと言うかもしれませんが、いざ死んで肉身を脱げば、私たちの霊人体が第二の出生の恵みの関門を通過して、飛んでいくのです。

前にもお話ししたように、人間はいずれ死にます。私たちは、善なる自己を永遠の世界に第二の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。母の腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善良な赤ちゃんとして生まれるのと同じように、私たちの地上世界での生活も、よく準備しなければなりません。

私たち人間は、神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の聖なる神性を見習いつつ、育たなければなりません。育ってからは、また命を懸けて越えていかなければならないのです。したがって、どんなに恐ろしい暴風雨がやって来ても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。よくやっていても、境界線の前で倒れてはいけません。

私たちがこのような人生の境界線に立つとき、私たちは果たして何をしなければならないのでしょうか。気持ちを引き締めて頑張っても、最後まで行けるかどうか分からないのに、あたふたしていれば、途中で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ、勝利者になれません。人として生まれたのなら、一度やってみるだけの価値のあることです。

いくら後ろで反対し、横から迫害したとしても、自分の行く道を行けばいいのです。人の反対に関与する余地がありません。一歩ずつでも早く行って、この運命の道を通過していこうという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちは、そのように行かなければなりません。

私たちはよく「心がまっすぐだ」と言います。それはどのような意味ですか。まっすぐに垂直に立ったものを「まっすぐだ」と言います。木も横に傾いたものを「まっすぐだ」とは言いません。「心がまっすぐだ」というのも同じです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそまっすぐなのです。

自分の心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線になるのです。このように垂直と水平が私たちの内部で形成されるとき、垂直から引っ張る力と水平から押す力がバランスを取り、求心力と遠心力が形成されるのです。ですから、私たちは、私自身を見つけなければなりません。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母にそうだと認定されなければなりません。その土台の上に私たちは親戚、一族、一国に発展させていき、私たちの生活環境を拡大していくのです。

この世で危険な伝染病の患者たちを隔離して収容するように、遠からず神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯した人々は、隔離して北極のような寒帯地方に収容する時が来るでしょう。彼らは完全に悔い改めて改悛(かいしゅん)するその日まで、そのような所に放り出して、食べ物も寝る所もなく、大変な苦痛の道を歩むかもしれません。(*改悛:全非を悔い改め、心をいれかえること)

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死と闘って勝利できる希望 皆様。この世のすべてのことは過ぎ去るのです。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはどのような主義や思想もすべて過ぎ去るのですが、最後まで残らなければならないものとは何でしょうか。それが正に、死と闘って勝利できる希望です。私たちにそのよう希望がないとすれば、「私たちは人生の敗北者である」と言わざるを得ないでしょう。この世には、生まれながらにしてこの世的なすべての希望を一切拒み、人間の世の希望ではない天の希望、すなわち永遠の希望を抱いて生きる人たちがいます。

天は正にこのような人々を助けているのです。ですから、信仰生活をする人々は、地上のある希望を抱いて生きるのではなく、死の峠までも乗り越えることのできる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生きなければなりません。

私たちが若いときには、死についてあまり考えませんが、年を取るほど、死について徐々に深刻になります。ここに座っている皆様も、この場に立っているレバレンド•ムーンも、いつかは死ぬようになっています。このように死というものは、運命の関門です。

誰も避けられない道だからです。私たちが死んだのちには、果たしてどうなるのでしょうか。死という単語を使った目的とは何であるか御存じですか。生の意味を知らせるためです。生の価値は、誰がよく知っていますか。生きようと身もだえする人には分かりません。死ぬ境地に入り、生死の岐路で天にすがり、生の価値を打診したことのある人でなければ分からないのです。

それでは、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちはなぜ生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知りません。それで哲学でも最初に問う質問が、人生とは何であり、人間はなぜ生まれたのかということです。

皆様。私たちが死ぬということは、神様の愛の中に生まれることなのに、人間世界では「ああ、死ぬ!」と言って大騒ぎです。それを見る神様は、にこにこ笑われるでしょうか。それとも驚き、悲しむでしょうか。喜び、うれしく思うのです。限られた地上の愛の圏内から無制限の愛の圏内へと突入できる喜びを迎える瞬間が、肉身が死ぬ瞬間、すなわち第二の出生の瞬間だからです。

だとすれば、神様は、私たちがこの肉身世界に生まれた日を喜ばれるでしょうか。それとも第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子、娘として生まれるその時間をもっと喜ばれるでしょうか。もちろん後者です。私がこのような話をするのは、皆様が死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結ぶことができないという事実を知らなければならないからです。

神様は人間が生まれたときから、成長していく過程を見守り、また直接参与しながら喜ばれるのです。赤ちゃんが成長するにつれて、神様の心に動く愛の鼓動も増大するからです。

神様があるしぐさをすれば、子女たちも一緒にそのしぐさをします。神様がお笑いになれば子女たちも共に笑い、悲しまれれば共に悲しみながら、このようにだんだんと神様に似ていくのです。また、その子女たちは、成長しつつ親たちの姿に似るようになります。言葉も習い、生活規範も親たちから学ぶようになります。

もちろんこのすべてのことは、本来神様に由来したものです。だとすれば、神様が私たち人間と共にこの地球星に暮らしたのち、あの世に飛んでいくとき、私たちはどうすべきでしょうか。「ああ、私もついていきます」と言えば、「こいつ、お前は誰だ」と言いながら、神様が私たちを切り離してしまうでしょうか。それとも一緒に連れていかれるでしょうか。もちろん連れていこうとされます。ところが「今は連れていくことができないので、お前がもう少し大きくなって、もう少し完成したのちに連れていく」と言うとき、人間は「今は逝けないが、いつかは私たちも逝く時が来るだろう」と思いながら待つのです。地上で肉身をもって生きる間、人間はいつも神様に付いて回ることはできません。

真の愛のために死ぬことができなければならない さあ、それでは何が問題でしょうか。私たちが神様に似たいと思い、神様も私たちを神様の息子、娘として御自身に似させたいという願いをもつのは当然のことです。

それで、人間は再び神様に似ることのできる体をもって生まれなければならないという結論が出てくるのです。神様と人間は共に永遠に飛び回ることのできる日を待ち望むのです。そのように飛び回ることのできる人として生まれる日、そのような体に生まれる日、その日が正に肉身を脱ぐ、死の日なのです。

だとすれば、人間は死を歓迎しなければならないでしょうか。それとも悲しまなければならないでしょうか。もちろん歓迎しなければなりません。それでは、私たちが死ぬときは何のために死ななければならないのでしょうか。神様の真の愛、すなわちために生きる愛のために死のうとしなければならないのです。ですから、肉身を脱ぐというのは、無限の神様の愛の活動圏に私たちが同参するためであり、神様の愛の世界のためだという結論になるのです。

皆様。皆様は一度、そのような真の愛を受けて実践する神様の本当の息子、娘として生まれてみたいと思いませんか。神様がお金持ちなら、どれほどお金持ちでしょうか。皆様、一度考えてみたことがありますか。無限の星の中に、ダイヤモンドの星がないと言えるでしょうか。純金でできた星がないでしょうか。神様こそ全知全能のお方です。御自分の子女たちに、何でも与えようとされないでしょうか。どうでしょうか。

神様はこの無限の宇宙を、あっという間に往来することができます。皆様も関心がありますか。それなら私たちは、どのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければならないのです。そうしてこそ、神様と共にいられるのであって、私たちの勝手にしてはいけないのです。

水中、地上、天上の三時代を通過しなければならない 皆様。神様が「してはいけない、しなさい!」と言うことを守る自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体であり体は対象なので、心が体に従って一つになるのではなく、体が心に従って一つにならなければならないのです。

人間はまた三段階の世界、蘇生時代、長成時代、完成時代を通過します。すなわち、母の腹中での水中時代、地球星の世界、天上の空中世界です。私たちは腹中の水の時代を経て地上に生まれ、肉身をもって百年ほど地の時代を経るようになり、最終的には飛んでいく空中時代へと三時代を通過するようになるという意味です。私たちが母の腹中にいるときは、外の世界に出ていくまいと抵抗します。その中に残ろうとします。

なぜなら、私たちが腹中から出るときは、家がみな破壊され、私たちが栄養を取って生きていたすべてのものも崩壊していきます。そうして、分娩過程を通過しながら頭も伸びなければならず、体も伸びなければならないのですから、誰がそれを好むでしょうか。生まれるその瞬間まで、みな「ノー」と言うのです。子女は、羊水がどっと出てくるその水に従って出てくれば、安産になります。母が赤ちゃんを分娩するのを見れば、本当にかわいそうです。赤ちゃんを生んだことのある母親たちは、よく分かると思います。力を入れるときは、顔がいくら美人でも、ものすごい形相で顔をしかめるので、夫さえもその顔を見ていられず、逃げていくほどです。このように、産婦も最後の瞬間まで大変な苦痛を通過したのちに、子女が生まれてくるのです。

この過程でおへそについているへその緒は、そのままにしておかなければなりませんか、それとも無慈悲に切ってしまわなければなりませんか。「それは人の命綱なのに、人と人の命綱をどうして切ってしまうのですか」と抗議する人がいるかもしれません。生まれてくる赤ちゃんも「死にそうだ」とおぎゃおぎゃと泣きじゃくります。しかし、それを見つめる神様は、喜びのほほえみを隠しきれないのです。そうなると生まれた新しい生命には一つの世界は完全になくなり、新しい一つの世界で「ふうっ!ふうっー」と息をするようになるのです。

皆様。人間は初めに生まれるとき、水の中から生まれるのです。腹中時代は水中時代です。胎児が母の胎中にいるときは、水の中に浮いています。ちょっと考えると母のおなかの中の時代では、息ができずに生きるのが大変なように感じられます。

水の中で生きているので、当然、水を飲んでは吐き出さなければならないのではないですか。そのために腹中の胎児は、ホースをおなかに連結して生きるのです。腹中の胎児は、どこを通じて栄養分を供給されるのでしょうか。おへそを通じてです。へそは腹中の胎児には口なのです。それで、私たちはおへそを冷遇してはいけません。「おへそよ、お前は昔、苦労したな」と言って触ってあげなさいというのです。おへそをよく、軽くたたいてあげると健康になります。笑い話ではありません。

そのように運動をしなさいということです。へその運動を通して健康になりなさいということです。その例として、いくら寒い部屋で寝たとしても、へそさえよく包んで寝れば下痢をしません。私たちはまた、へそを昔の口だと呼ぶこともできます。ある者は「この愚か者、昔の口がどこにあるか」と言うかもしれませんが、へそが私たちの過去の口だったことだけは間違いありません。このように私たちの呼吸器の役割もしていたへその段階が終われば、次は口だというのです。どんどん上に上がっていくのです。

同じように、この地球上で空気を呼吸して生きる肉身に宿っている私たちの霊人体は、肉身が老いてしまえば、それを捨てて外に出ようとするのです。

それなのに、その時に、肉身が「ああ、死にたくない、死にたくない」と言って悲鳴をあげるなら、神様はその姿をどのように御覧になるでしょうか。苦痛に直面したその肉身に同情されるでしょうか。あるいは静かにほほえまれるでしょうか。

大変な苦痛を甘受し、母の腹中を飛び出してきた赤ちゃんが成長して、父母の愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴を振り切って、無形の父である永遠の神様の相対として再び生まれなければならないというのが、原理的な結論です。

地上世界でも子女が生まれたのちに大きくなれば、父母と友達になれるのです。父母と愛を共に分かち合うことのできる地上世界に生まれるからです。胎児が母胎の中で泳ぎ回るのと同様に、人間の地上生活は空気を吸い、空気のふろしきの中で生きるようになるのです。

そのような過程を経ながら地上でこのように父母と愛を分かち、呼吸する人であってこそ、「死なずに生きている」と言えます。同じように私たちは、霊的な無限の世界に通じる、親であられる神様と愛を分かち合ことのできる霊界に、再び生まれなければならないのです。

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15.生死に対する理解 日付:一九九八年十二月十九日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントン•タイムズ•ビルディング

行事:一九九八世界平和宗教連合大会

尊敬する議長、世界の宗教指導者、ならびに内外の貴賓の皆様。キリストの聖誕日を前後して、各宗教では重要な日程と儀式が予定されているにもかかわらず、このように参席してくださったことに、心より感謝申し上げます。この時間をお借りして、これまで各宗教がその解答に苦しんできた問題である「人間の生と死」に対する、私の見解の一端をお伝えしようと思います。

私たちはこの地上に住んでいますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあることを知っています。霊界は間違いなくあるのです。そして、この地上と霊界は、全く異なる二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。したがって、私たち人間は神様から生まれたので、いずれにせよ再び神様がおられる霊界に帰らざるを得ないのです。

死は根源の世界への回帰 皆様。韓国語ではおもしろいことに、「死ぬ」ということを「帰る」と表現します。どこに帰るというのでしょうか。これは単に墓地に行くことを言うのではありません。もともと人生が出発した、本来の場に戻るという意味です。はるかかなたの、歴史の起源を越えて帰るということです。

だからといって、韓国人として生まれたので、韓国人に帰るという意味ではありません。私たち人類始祖の根源となるその世界に帰るという意味です。すなわち創造主がいらっしゃるならば、その創造主がいらっしゃる所に帰るという意味です。そこから出発したので、そこに帰るのです。

宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな沢を通って流れ、さらにはいくつかの川を通って大海へと流れていきます。大海へと流れていったその水は、水蒸気となって再び帰るのです。このように循環運動を通して、より高まる所へ、より良い所へと帰ることを願うのです。

それでは、私たちが行って、永遠に生きなければならない所とはどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界に向かって進んでいるのです。私たちはこの世に生まれると、十代、二十代、三十代、そして中年と壮年と老年の時代を通過します。このように青春時代を過ぎて壮年時代を経て、老年の峠を越えつつ、日が沈むように人生を終えていくのです。しかし、霊界があるという事実を知っている人々は、地上で肉身をもって生きる一生はわずかなもので、死んだのち、私たちが迎えるべき世界は永遠だということをよく知っています。ですから、地上での生涯というものは、永遠の世界に行く準備をするための期間なのです。

学生を例に挙げれば、学生が一学期あるいは一学年を終えるときには、学校が定めたすべての学科の単位を取らなければならない単位の基準があるのです。その最高基準を百点とするとき、その基準にその学生の単位がどれほど到達したかという割合によって、学校の評価が決まるのです。しかし、単位が足りなければ足りないほど、その学生は学校が立てたその基準から遠ざかります。

このようにあらゆることは、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっているのです。私たちが一生の間、肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校でいい点数を取るために準備する期間のようなものなのです。言い換えれば、私たちの生涯をすべて懸けて単位を取る準備期間だということになります。

すなわち、私たちの一生において責任を追及するある基準に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、私たちは日々の生涯路程を歩んでいるのです。ところが、ほとんどのこの世の人々は、本来人間がこの世に生まれて生き、求めていくべき本然の世界がどこなのかをはっきりと知らずにいるのです。すなわち死後の世界があるのかないのか、神様が存在するのかしないのかも知らずに生きているのです。

人類は一つの兄弟、一つの国民 皆様。私たちはいずれにせよ、いつかは霊界に行くようになっています。その霊界は一つの国です。地上世界のように、いくつもの国に分かれているのではありません。

だとすれば、霊界で生活する内容はどなっているのでしょうか。例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が生命維持の絶対的な条件となります。だからといって、魚も一カ所だけで棲むのではありません。魚の中には淡水を離れ、海水と接するきっかけをつくって産卵する場合もあるのです。二つの世界に通じなければならないという意味です。

私たちの体と心も、このように互いに通じなければならないのです。人類歴史を互いに比較して考察してみるとき、もし私たちの先祖であるアダムが生まれた日と結婚した日、そして死んだ日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は、一つの兄弟となり、一つの民となっていたことでしょう。すなわち、一つの世界で生きる人類になり得ていたという意味です。そのようになっていたならば、アダムの生活風習は、そのまま人類歴史を通して継承され、そのとき形成された文化は人類が生存する限り、永遠に継承されていたでしょう。

人間は誰しも、いつ死ぬかを知らずに生きています。いつ交通事故に遭って死ぬかもしれないというのです。死んでから、「ああ、レバレンド•ムーンの話は正しかった!」と言って後悔する人もいるでしょう。私たちは、実はとても深刻な人生の道を歩んでいることを知らなければなりません。私たちは永遠の世界に行くための準備をするために、寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の岐路に立っていることを、私たちは知らなければなりません。

一般的に霊界に行く人にも、二通りの人がいます。自分のもって生まれた運命のとおりに生きてから逝く人と、自分の運命のとおりに生きられずに逝く人の二種類です。自分の運命のとおりに生きられずに逝く人の中には、早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するために代わりに逝く人たちがいます。

もし神様が千人の価値をもった一存在を中心的な立場に立て、すべての人の代わりに死の道を行かせたとすれば、千人がみなその人の恩徳に感動し、その人のために生き、その人の生涯を見習い、その人のように生きようとするでしょう。そのようになれば、人々はその人と同じ恵沢圏内に入っていくのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の生き方に従おうとするのも、彼らと同じ恵沢圏内に入ろうとする欲望のためなのです。

人間の中には、希望をもって生きる人もいて、希望をもてずに生きる人もいます。この希望は、人間を中心とした希望と天を中心とした希望の二種類に大別することができます。

私たちは生まれたその日から、母の懐が何よりも一番いいものと思って大きくなりますが、ある程度大きくなれば、母の懐を離れるようになります。私たちはまた、成長しつつ友達と付き合い、友達こそこの世で一番いいものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れていくのです。このように人間は成長しながら、愛する親も愛する夫婦も愛する兄弟も、さらには愛する子女も自分の希望のすべてにはなれないという事実を知るに至るのです。

人間は、いつも多くのことを希望します。しかし、その希望する心も結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望をもっていますが、年齢を重ねるにつれて、希望する心もだんだん弱くなっていくのです。

事実、多くの人々は自分たちの希望を全体的な希望として誇り、自分の生命を失うようなことがあったとしても、その希望を捨てることができないという確固たる信念をもてずにいるのです。私たちは一生の間、あらゆる希望を抱いて生きますが、結局、死に直面して、自分が抱いていた希望のすべてを捨てて逝ってしまうというのです。私たちは、きょうも生きることを願い、あすも生きることを願い、新たな希望を求めてさまよっていますが、死に直面するときには、そのすべての希望をあとにして、最期の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。

人間は自分を中心として見るときは、希望をもっているようですが、死の峠を越えることのできる希望をもってはいないのです。私たちが人生観として、死さえも乗り越えることのできる一つの希望を見つけなければならないのが、今日、この地上に生きている人間たちが考えるべき重要な問題なのです。

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堕落と復帰 今日の現実はどうですか。戦争と葛藤、暴力と麻薬など、あらゆる不正と弊害が人類を不安にさせています。より一層深刻なのは、若者たちの性道徳が急激に崩れ、離婚率が急増して、幼い未婚の母の問題と家庭破壊が、人類社会の根底を揺るがしているということです。これはすべて、堕落に起因したものです。アダムとエバが、成長期間に純粋な愛の理想を汚したためです。エバが、蛇すなわちサタンによって果実を取って食べたということは、エバが原理を外れた愛の行為で堕落したことを象徴します。

アダムとエバは、愛する父母であられる神様を不信し、結果的にサタンに対して従順となり、偽りの夫婦になり、偽りの父母から人類歴史がスタートするようになったのです。彼らの子孫は暴力と殺人、罪と苦痛の中に陥る結果を招いてしまいました。このようにアダム家庭から人類が受け継いだ遺産は、罪と偽り、不浄な愛、暴力、殺人などでした。今は終末を迎えて、アダムとエバが蒔いた種の結果が、世の中に満開になって実を結んでいるのを見ることができます。神様の心情はどれほど悲しいでしょうか。

神様はどのようにしてでも、本来計画された真の愛の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理のために宗教をお立てになり、善の版図を広めてきました。神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結する総責任を負って来られるお方です。ですから、メシヤは真の父母として来られなければなりません。真の父母の使命は、人類を真の愛で重生させて真の人に回復させ、真の夫婦となり真の父母になるようにすることです。

宗教の責任 神様のみ旨に逆行する世界の問題は、誰が収拾しなければなりませんか。不正と罪と苦痛の現実を変える責任は、宗教指導者たちが引き受けなければなりません。私は神様の召命を受けた日から、この責任に自分自身を捧げてきました。私は、原理と摂理の道を徹底して守りながら、人類の具体的な人生に時間と空間を超越して深々と浸透してきた悪に向かって、挑戦してきました。私はいつも、私自身と自らのすべての基盤を使って、他の宗教と世界の偉大な宗教指導者たちと協力を図ることに最善を尽くしました。そのようにする間、一度も神様に対する責任を果たさなかったことはありません。

「世界平和宗教連合」の創設を主唱した一九九〇年の「世界宗教議会」(サンフランシスコ)において、神様の創造目的、真の愛の根本、そして真の父母の役割を説明しました。社会倫理を正しく立て直して退廃文化を一掃し、真の愛と真の父母主義を実践しようと訴えました。真の愛による理想家庭を取り戻し、社会倫理を正しく立て直すことは、この時代の宗教指導者たちに賦与された貴重な責任です。

また、宗教指導者たちは、世の中の不法と不正などをなくすために先頭に立つ責任があります。世界的に澎湃(ほうはい)した不法と不平等、不条理を傍観したまま、宗教だけが理想郷に向かって現実の泥沼を抜け出すことはできないのです。儀式に溺れた信仰から生活信仰に変え、人間がその精神的荒廃から本性を取り戻せるよう、宗教者が模範を見せなければならないと思います。

そして、宗教指導者たちは他の人々のために、無制限の犠牲的生活を送り、またそのままそれを教えなければならない責任があると思います。まだこの世界には貧困と飢餓状態にある人が大勢いて、不平等が深刻化しています。これに対する宗教者の責任は、非常に大きいといえます。

私は過去二十年間、海洋資源の開発のために直接先頭に立って船に乗り、物心両面で多くを投入しながら努力しました。高蛋白質のフィッシュ•パウダー(魚粉)を開発することに成功し、人体に大切な製品を研究し、開発することを続けています。このすべての成果は、既に「国際救護親善財団」(IRFF)を通して、アフリカなどの地に効果的に支援されています。そして、今年初めから、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンの四ヵ国に広い土地を準備し、「新しい希望農場」を始めました。地球上から飢えの惨状をなくすという私の決意を実践しています。農業開発と海洋企業を通して食糧を生産し、低開発国家を支援することに、教団が互いに連合し協力すべきだと思います。教団が先導するこのような人的物的投資を通して、真の愛が実践されれば、世界に希望を与えることができると思うのです。

神様の真の愛による投入と注入がなかったなら、宇宙は生じませんでした。宇宙の存在法則は、主体が対象のために生きることです。ところが、堕落した世界では、主体が対象のために生きるのではなく、むしろ自己中心に利用しようとするので、滅びるのです。宗教は相手を先に喜ばせたあとに、自分が喜ぼうとする天理原則を教育し、実践しなければなりません。

尊敬する宗教界の指導者の皆様。「世界平和宗教連合」は宗教間の和合と世界平和のために、建設的に一緒に仕事をしていかなければなりません。「世界平和宗教連合」が世界の良心のような機能を果たさなければならないのです。政治、経済、教育など、世界の各界の指導者たちに助言し、指導するだけでなく、模範を示すべきでしょう。偉大な宗教は迫害と殉教の土壌の上に立てられ、創始者の貴い伝統基盤の上に立ったので、私たちは、犠牲を忌避することなく宗教本来の名誉を探し立てなければなりません。

最後に、私は今回の「世界平和宗教連合」の議会が、理想世界の実現のための宗教の責任に対する深い議論とともに、大きな成果を上げるだろうと思います。皆様と皆様の家庭、そして皆様が行われることに、神様の祝福が常に共にあることを願います。ありがとうございました。

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14.宗教と理想世界 日付:一九九五年八月二十一日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル

行事:「世界平和宗教連合」第三回世界大会

尊敬する全世界の各教団の最高指導者の皆様。国内外の貴賓、宗教界の学者、そして宗教指導者の皆様。韓鶴子総裁と私は、皆様を温かく歓迎するとともに、皆様が韓国にとどまる間、満ち足りた時間をもつことを願います。

世界の宗教の核心主題は理想世界 「世界平和宗教連合」の第三回世界大会の主題は「理想世界の実現と世界の宗教の責任」です。「理想世界」は、今まで世界のあらゆる宗教の核心主題でした。各宗教は悪の実体を認め、悪と無知の世界に対する代案を教えています。この代案の世界が正に理想世界なのです。

理想を追求するのは、単に宗教にだけ限定された現象ではありません。なぜなら、全人類は宗教性を離れても理想を追求しており、理想の実現が不可能なときでさえ理想を追求しているからです。

しかし、どのような努力と立派な意図があるとしても、天の法度に背いてこれを追求するならば、何の効果もなく、かえって害になる結果をもたらすようになるでしょう。ですから、神様をはっきりと知り、創造理想とそのみ旨を明確に知らなければなりません。

私たちは、誤った理想の追求がもたらした悲劇を、無神論的共産主義によって胎動された、今世紀の様々な災難を通して明確に経験しました。共産主義は、神様を否定し、神様がいない理想的な人間社会をつくろうとした空想的な社会運動でした。民主体制は、共産主義より優れてはいますが、民主体制もまた、神様の摂理を無視するとすれば、継続して腐敗し、衰退してしまうでしょう。

善の道と神様の法度は一つであり、同一です。人間の善と理想は偉大な神様と直接的な関係なしには、成就することも維持されることもできません。このような理由で、どこの誰でも理想を追求するとすれば、神様のみ旨と宗教の重要性を理解しなければならないと言うことができます。

私は幼い頃から、人生と宇宙の根本的な疑問に対する答えを探し出そうと必死に努力してきました。私は、神様が理想の実現が不可能で、罪と苦難、そして不和がいつも猛威を振るう世界を創造されたとは、信じることができませんでした。私は、私が経験する世界がなぜこのように悪で満ちているのか、理解できませんでした。私の青少年期の経験を詳しく皆様にお話し申し上げる時間はありません。私の青年時代は真理に向かう渇望に満ちていたと話すことで十分でしょう。

私が明らかにした「統一原理」は、平凡に得られたものではありません。「統一原理」の根本は、徹底的な祈りの中で、霊界の聖人や賢人たちとの交流は言うまでもなく、神様との深い交わりから見いだしたものです。サタンとの血みどろの闘いを通して得た勝利なのです。私はこの「統一原理」を教えて実践するために、生涯の一瞬一瞬を捧げています。「統一原理」は全世界に伝播され、人をして、生きていらっしゃる神様と新しい関係を結ばせ、その人生を変化させています。

神様の理想と真の愛の家庭 私たち人間は、神様によって創造されたので、理想世界に向かう熱い望みをもって生まれました。「理想世界」と言うとき、その「理想」とは、本来神様に由来したものです。神様は、権力や栄光、あるいは富のために世の中を創造したのではありません。神様は、権力や栄光、富に対する欲望はありません。しかし、神様は、いかなる欲望ももたないというのは、正しくありません。神様は真の愛の本体としていらっしゃいます。愛を体恤するためには、神様も関係を結ばなければならないからです。真の愛の体恤は、主体と対象の関係を通した経験でのみ可能です。どのような存在も、独りで孤立していては、愛を感じることができないのです。

愛の関係は、自由に与え合うことができる存在だけが結べます。神様は、神様と自由に愛を与え合うことのできる存在、すなわち神様の愛の完全な対象体として人間を創造されました。人間は、真の愛の主体性をもつように創造された、神様の息子と娘です。ですから、神様は人間の真の父母でいらっしゃいます。神様は人間を神様の真の愛に同参させ、その愛を相続する存在として立て、その垣根として万物世界を創造されました。神様と人間はすべて、真の愛を通して最高の喜びと幸福を経験できるのです。

神様は、アダムとエバが真の愛を中心として純粋に成長し、真の人になることを希望されました。神様は、彼らの生物的な成長と栄養供給のために、環境を満遍なく、あらかじめ備えておかれました。しかし、神様のより深い関心は、人間の内的性稟と人格にありました。彼らは愛の経験を通して、神様の真の愛に似て完成するのです。神様は、愛の力を内的であり非物質的な力の中で、最も強力なものとして創造されました。そのような愛の力を、神様の愛と神様の法度の中で体恤するということは、人間が神様に似て一体となり、完成するということです。神様の愛が、人間の幸福と生命と理想の源泉になる理由も、ここにあります。

アダムとエバは、神様の愛の中で真の人になったのちに、お互いが真の愛で真の夫婦になり、それから子女をもって真の父母になるようになっています。人間が神様の利他的で無条件的な父母の愛を伝授された人格完成体となるとき、真の父母になります。

人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得します。生活の中の経験を通して、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛を順次的に体得するようになっているのです。この四種類の愛と心情がとどまる基台が家庭なので、家庭は人間の愛と幸福、そして生命と血統の基地になるのです。このように真の愛の家庭は、人間の願いであると同時に、神様の創造目的の根本でもあります。人間の個体や家庭、そして社会や環境の真の完成は、家庭の中で真の愛の具現にその根を置いています。神様の真の愛の実体となった人間は、神様のみ旨に背いたり、他の人を侵害したり、または万物世界を悪用することができなくなります。

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神様の真の愛は投入して、また投入しても、その投入したことを忘れる愛です。神様御自身も愛の相対を創造されるとき、神様御自身がために生きる立場に立って、御自身が所有しているすべてを百パーセント投入して、また千パーセント、万パーセントをさらに投入したいと思うのです。なぜなら、愛の相対と愛する子女は、自分よりも優秀なことを望むからです。このように真の愛が行く道は、与えてまた与える道です。真の愛の化身体である真の父母が行く道も、他から受けようとする道ではなく、人のために犠牲になる道です。

神様の救援摂理のために立てた宗教が見本を示すべき道も、この一つの原理です。人の生命は愛の理想を中心として育まれたものなので、人間の生命の本質は愛です。

ですから、愛を本質として生まれた生命は、神様がそうであられたように、ために生きる生活を送らなければならないのが天理です。それで人間は、真の愛のために生まれた存在だと言うことができます。真の愛はために生きるところから始まります。

創造本然の人間は、その心と体に神様の真の愛を備え、それにそのまま感応しながら生活するようになっています。言い換えれば、心は真の愛を中心として神様に感応し、体はその心に自動的に共鳴するのです。心と体が闘うことのない真の統一の起源は、神様の真の愛をそのまま受け継いで体感するところにあります。

心と体が統一体になる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに成し遂げられるのです。心と体が真の愛を中心として統一されるところから、真の自由と平和の理想が出発できるようになります。そして、心と体が統一された基盤の上で、自由で平和な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を成し遂げることができるのです。ですから、世界と国家の中においてではなく、個人の心と体の間において平和の基点を探さなければなりません。

尊敬する宗教界の指導者の皆様。昨日は世界全域から集まった三万以上のカップルが神聖な祝福を受け、神様を中心とした新しい家庭の伝統確立を誓いました。皆様も参観しましたが、その行事がある一教団の重要な結婚儀式とだけ考えてよいでしょうか。性道徳の紊乱、青少年の脱線、そして家庭破綻で社会がその根元から揺れる現実を、何によって解決しますか。

サタンと人間始祖がばらまいた不倫が歴史的に実を結んでくるとともに、天道と人倫を破壊し、人間を獣にする地上地獄の終末的現象が起きているのです。このような悲劇は、不倫が美化されるようなフリーセックスを容認する風潮や、極端な利己主義により一層深刻化しつつあります。現実世界は精神的、道徳的に深刻な危機に置かれており、秩序正しい家庭が崩壊するだけでなく、次世代を担当する青少年の心と体を害しています。

家庭は創造理想の基本単位 このような人類の危機は、神様の真の愛と真の生命の主人であられるメシヤ、真の父母様を通してのみ解決されます。神様が願われる結婚観は、世の中の風潮に反して、神様のみ前に永遠の一夫一婦制、愛と性の尊厳、神様の祝福、そして子孫のための結婚を強調します。世界百六十ヵ国以上で人種と国境を越えて、神様の愛を中心として永遠の夫婦と家庭理想を成し遂げようとするこの運動は、人類の明るい未来であり、希望なのです。

神様の創造理想の基本単位は家庭です。家庭は、国家と社会を形成する基礎になります。人種を超越した神様の真の愛によって、世界一家族理想は平和世界の具現と直結します。人類は、神様の真の愛の理想のもとで祝福家庭をつくり、模範となる夫と妻になるとき、善の子女をもって正しい倫理を実践することができるのです。

このようになるとき、真の愛が実を結ぶ理想的な家庭が完成し、理想的な社会、国家、世界を形成していくことができます。そして、国際合同結婚行事を通して本然の家庭を復帰することによって、現代社会の慢性的な弊害を根本的に解決していきつつあるのです。

世界から来てくださった宗教界の指導者の皆様。今、宗教が世の中でその指導力を発揮する時になりました。指導力とは、盲信的で、かつ偏狭から来る傲慢で独善的な態度からは出てくることはできません。真の指導力は、天のみ旨に自分を従属させ、利他的であるときに生じるのです。宗教者たちは、この時代の状況と様々な非道に対して責任を感じ、深い自己省察がなければならない時だと思います。

今まで宗教者たちは、愛の実践において手本になることができず、自分個人の救援や宗派の利益に汲々とするあまり、全世界の救援のために尽力できなかったことを悔い改めなければなりません。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が求められている時です。神様は私たちを呼んでいらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを熱望していらっしゃるというのです。

すべての宗教が一心になって、神様の人類に対する熱望を代弁して実行しなければなりません。信じる者たちは儀式や教理の論争を越え、生きていらっしゃる神様との深い霊的対話と交流を通して心霊が成長することを、神様は望んでいらっしゃいます。

宗教は、情熱をもった人間が関係を結ぶべき霊的秩序を確立し、これを制度化して論理的に表現する人生の形態を、この世の中に創造しなければなりません。宗教指導者たちは自らの浄化の先頭に立ち、さらに他教団の指導者たちと互いに尊重し合いながら、影響力のある宗教協力体を育てていかなければなりません。

教団間の和合を通した世界平和の実現 尊敬する宗教界指導者の皆様。私は昨年、「世界平和宗教連合」を創設するときまで、千辛万苦の困難を乗り越えてきました。誰も果たすことができなかった教団間の大和合と神様のみ旨を中心とした世界平和の実現という目標をおいて、私は四十年以上、ために生き、与える献身の路程を歩みました。

特に世界各国の偏狭な一部教団の迫害と歴代政権の無理解の中でも、終始一貫した歩みによって、超教派運動をはじめとして、超宗派的な神学校設立、世界的な新しい教会一致運動、世界宗教協議会活動、『世界経典』刊行、教団間の和合のための様々な会議の持続的な支援、世界宗教議会創設など、私ができることは、これまであらゆる犠牲を顧みず、すべて行ってきました。

私はこのようにして、何をしようというのでしょうか。私の宗教議会開催も、「世界平和宗教連合」の組織活動もすべて、人類の父母であられる神様のみ旨を成し遂げてさしあげようという一念なのです。私が願うことは、自覚された宗教指導者、学者の皆様と共に、神様と人類の希望を地上に実現することしかありません。

今、ここから私たちが一段階さらに進んでいく道は、教団間の和合に満足せず、学会、政界、言論界等の社会指導者と共に、世界平和のための汎統一機構を構成し、より積極的な対社会活動をすることです。宗教は、この機構が神様のみ旨を地上に実現できるように教育し、率先しながら、ために生きる道において模範にならなければなりません。

私たちは、もう一度、心霊を高め、天の声に耳を傾け、謙虚な姿勢で神様の勧告に従いましょう。そうして、神様がこの時代の宗教指導者たちに任せた使命を自覚し、人類の心霊を正しく指導して、新しい文化世界に霊的、精神的秩序を確立しなければなりません。

今回の会議が人間的な見識の次元を越えて、天の知恵を中心とした討議になることを願います。大会議長として組織と運営に模範を見せたシリア東方正教会のグレゴリウス司教の献身に敬意を表しながら、分科議長団と代表の皆様の労苦に感謝を申し上げます。皆様と皆様の教団と家庭の上に、神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終えようと思います。ありがとうございました。

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13.新文化創建と宗教の役割 日付:一九九二年八月二十六日

場所:韓国、ソウル、インターコンチネンタル•ホテル

行事:第三回「世界宗教議会」

尊敬する各教団の最高指導者の皆様。各国から来られた宗教学者と宗教界の指導者、そして満場の宗教者の皆様。第三回「世界宗教議会」に参席してくださったことを歓迎しながら、韓鶴子女史と私の祖国である韓国、ソウルで皆様を迎えるようになったことを、うれしく思います。皆様が韓国にとどまられる間、満ち足りた有益な時間をもたれるよう祈ります。

宗教が追求してきた道 今回の会議は第三回「世界宗教議会」です。一九八五年に開催された第一回会議において、私は「世界宗教青年奉仕団」を創立し、また「世界宗教協議会」の最初の会議を発表したことがあります。

私が毎年支援しているこのプロジェクトは、昨年に発刊した『世界経典』とともに、全世界の宗教間の和合運動の最前線となってきました。特に各教団の青年代表たちが一カ所に集まって献身し、奉仕しながら他教団を理解し、和合の足場をつくったことは、幸いにも人類の未来のためになる伝統を立てました。

第二回会議は一九九〇年、アメリカのサンフランシスコで開かれ、正にその場で「世界平和宗教連合」を創設することを発表したのです。その翌年である一九九一年八月、ソウルで歴史的な「世界平和宗教連合|の創設大会がありました。そうして、今年には「国際宗教財団」とともに「世界平和宗教連合」が会議を共同開催するに至ったのです。

皆様が御存じのように、今回の大会は第一回「世界文化体育大典」の一環として行われることになります。ソウルオリンピックが開催された今から四年前、私は地球村の和合と交流協力の新しいぺージを開く「世界文化体育大典」に関する計画を公式的に発表しました。オリンピックは、大変重要な役割を果たしていますが、神様と縦的な価値および霊的な面が欠如しています。

宗教は、文化の中心なので、「世界宗教議会」と「世界平和宗教連合」は、「世界文化体育大典」の中心に位置するようになります。宗教的理想とその知恵と価値が、世界の中の教育、学問、芸術、体育、言論、政治、経済の根幹となり、その基準にならなければなりません。

「世界文化体育大典」は、人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を取り戻し、神様と人間と万物が調和された平和的な新しい文化世界を志向する歴史的な行事になるでしょう。

平和と幸福の世界を取り戻してきた道 尊敬する宗教界の指導者の皆様。私たちの世界が深刻な苦痛に陥っていることは、周知の事実です。たとえ冷戦は終わったとしても、世界随所で依然として紛争が起こっており、罪悪と憎悪と不義が猛威を振るっています。

物質的に豊かな先進国でも、絶望と霊的な貧困の中で苦痛を受ける人々が大勢います。多くの人々は麻薬と無分別なセックスの中に快楽を見いだそうとしますが、霊肉両面で破滅の道を突き進んでいます。誰がこのような罪悪と戦争と絶望の世界を望みましたか。誰も願いませんでした。

人類の本性は、どうすればこのような不幸を清算して、平和と幸福にあふれる世界を成し遂げることができるかという問題の解答を求めてきました。宗教が追求してきた道が、正にこの道ではありませんか。しかし、いまだに人類が願ってきた理想世界は実現されていないというのです。宗教の核心には、人類の不幸と苦痛の根源を明らかにしようとする欲求があります。私たちが苦痛の根源に対して無知ならば、苦痛をなくすことができる希望さえないのです。しかし、この問題の解決は、神様の啓示による知恵をもってのみ可能なことなのです。

人間は真の愛のために生まれた存在 私はきょう、この問題に関する根本的な原因を明らかにし、その解答を提示しようと思います。神様は、人間始祖アダムとエバを造られて、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記一・二八)という三大祝福を下さいました。

第一の祝福である「生めよ」というのは、すべての人間が成長して、神様を中心として完成した人格者になりなさいという意味でした。第二の祝福は、完成した男性と女性が真の夫婦となり、子女を生んで真の父母の道理を果たしながら、理想家庭を成し遂げなさいということでした。第三の祝福は、人間が神様から許諾された環境の中で、不便や不足のない地上天国の環境を所有しなさいということでした。

真の愛の本体であられる神様は、愛の対象であり子女として造られた人間が、真の愛の完成体となり、その次に真の愛による夫婦の理想を成し遂げて、天国の環境をもつことを願いました。

しかし、不幸にもアダムとエバは、神様が祝福として下さった愛を完成する前、未成熟の段階で非原理的な愛で堕落し、エデンの園から追い出されてしまいました。そうして、生命の根源である真の愛と本来の神聖な資質を失った人間始祖は、神様の祝福によらずに、サタンの愛を中心として結婚生活を始め、サタンの愛と生命と血統を、子々孫々に相続するようになったのです。

神様は、人間の堕落によって成し遂げることができなかった創造目的を原状回復し、人間を不幸から救援しようというみ意を抱かれ、宗教を立てて指導してこられたのです。したがって、神様は全人類を生み変えるために、偽りの父母になったアダムとエバに代わってメシヤ、すなわち真の父母をお送りにならなければならないのです。

神様の摂理の究極的、不変の目的は、真の父母を探し立てることです。真の父母は、真の愛の化身体であり、真の生命の種として来られます。真の父母から真の家庭が始まり、この家庭は、復帰されるべきすべての家庭の標本となるのです。

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12.平和世界のための宗教の使命 日付:一九九一年八月二十七日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和宗教連合」創設大会

尊敬する各教団の最高指導者の皆様。世界各国から来られた宗教学者と宗教界の指導者、そして満場の宗教者の皆様。私は一九八五年、アメリカのニュージャージー州で開催された第一回「世界宗教議会」の際に、創始者演説を通して三つのお願いをしました。

一つ目は、各宗教の伝統は互いに尊重しなければならず、少なくとも宗教相互間の衝突や紛争を防止するために努力すること、二つ目に、私たちは、宗教共同体として協力しながら世界に奉仕すること、三つ目は、宗教の使命を完遂するために、すべての宗教指導者が参席し、世界平和のための一つの組織として発展しようという内容でした。そして、ちょうど一年前、アメリカのサンフランシスコで開かれた第二回「世界宗教議会」において、私は「世界平和宗教連合」の創設を主唱しました。皆様を含めた志のある宗教界の指導者たちの協力とともに、きょうこの場において、世界のあらゆる宗教の指導者たちが同参し、世界平和のための宗教連合体が歴史的な誕生を迎えるのです。

今は、世界の宗教が世界平和の実現のための中心的責任を果たすために、積極的な実践の道に立ち上がるときです。幸福な人類の未来は、物質的繁栄を追求することだけで実現されるのではなく、宗教間の理解、精神的な和合を通して思想と文化、人種間の葛藤を克服してこそ迎えられるのです。ここで私は、「平和世界のための宗教の使命」という主題でお話しし、「世界平和宗教連合」の創設メッセージに代えようと思います。

神様の真の愛を中心とした、他のために存在する利他主義的創造理想とは、心と体が調和一体をなした理想体としての個人を通して、理想的な家庭、社会、国家、さらには理想世界を成し遂げるというものです。しかし、人間は堕落することによって、その心と体がサタンの偽りの愛を受け、自分を第一と考える個人となり、このような人々が集まった家庭、社会、国家、世界は、立体的に増幅された葛藤と紛争を自体の矛盾としてもち、相互不信と分裂、闘争をするようになるのです。言い換えれば、サタンの願いである自己中心主義によって、民主世界は個人第一主義化され、サタンと人類は滅亡に向かうのです。これを救うために、神様の真の愛を中心とした「頭翼思想」と「神主義」が必要なのです。

私たちの社会と世界の紛争が、サタンの偽りの愛による個体の中の心身の葛藤から始まったので、真の平和は、神様の真の愛によって、まず個体の中の和合統一を通してのみ達成されるのです。平和世界を実現すべき基地は世界ではありません。心と体がサタンの主管圏を超えて、神様の真の愛で調和一体を成し遂げた個人、さらにそのような男性と女性が夫婦として結合した家庭が、すなわち世界平和を生み出す場になります。偽りの愛によって心と体が一体化できなかった堕落の結果は、私たちをして生活の中で縦横、多方面で心的な面と体的な面との分裂、葛藤、混沌を経験させます。例えば、個人や社会の価値の体系が、精神と物質、宗教と科学、唯心論と唯物論、理想と現実の間で、多くの混乱を経てきました。

創造理想によれば、心と体が理想的な神様の真の愛によって、個体の中で和合一体を形成するように、心と体の拡大の連結である心的世界と体的世界も、相克や闘争の関係ではなく、神様の真の愛で調和しなければなりません。心的世界を代表するものが宗教と思想の領域ならば、体的世界を代表するのは政治と経済の領域です。しかし、人間において心が主体であり体が対象であるように、宗教と政治の関係も、主体と対象の立場において、神様の真の愛で調和統一圏を成し遂げてこそ、理想社会が到来するようになるのです。

それでは、神様が聖人や預言者たちを地上に送られた目的とは何でしょうか。神様が願われる人格と生活の手本を見せながら、神様の真の愛のみ旨を万民に教育することです。特に、為政者や指導者たちに天道を教育し、実践させることによって、心の世界と体の世界が、神様の真の愛のみ旨を中心として和合するためです。

しかし、良心が願うとおりに体がついていかないように、多くの為政者たちは聖人や賢人を理解できず、その教えを受けずに警告を黙殺してきました。価値観の混乱、道徳的腐敗、麻薬中毒、テロ、人種差別など、現代社会の惨状と病弊に誰が責任をもてるでしょうか。

特に、いつの時よりも多元化した社会、また国際的に互いにもつれ合っているこの時代に、政治家たちの判断と選択に伴う責任はどれほど重大でしょうか。為政者たちが重要な事案を決定するときは、謙虚に天から聞こえてくる声に耳を傾け、天道に従って解決の道を探し求めていかなければならないと思います。

一方、私たちは、心の世界を代表する宗教自体が、平和世界を成し遂げるための主体的責任を全うできなかったことを反省しなければならないと思います。宗教が現実世界を指導し浄化する生命力をもつことができず、むしろ本来の使命に逆行していることを否定できないはずです。

各宗教は、神様の真の愛で内的純粋性と生命力を蘇生させなければならず、また果敢な自己改革とともに、神様の真の愛のみ旨の中において、兄弟宗教たちと一つの家族のように調和した関係を発展させていかなければなりません。神様とそのお方の真の愛の大きなみ旨に献身することが各教の使命ならば、教団自体だけの発展が宗教の目的になることはできません。神様は、経典研究と宗教的儀式よりは、神様の世界を救援しようとする大きなみ旨を知って、それを生活の中で実践することを求められます。長い間、宗教は、生きていらっしゃる神様をはっきりと目撃し、関係を結ぶことに失敗してきました。

私が知っている神様は、人間が論理を整えて集大成した教理の内容に執着されません。神様は、私たちすべての父母であられ、根源者であられるので、真の愛を中心として人種と宗派と文化を超越していらっしゃり、差別をしません。ですから、宗教者は、当然、万民救援とともに平和理想世界を実現しようという神様の真の愛のみ旨に、完全に従わなければなりません。宗教は、現実に安住することなく、生きていらっしゃる神様と共に、真の愛と真の生命力のある対話を行っていく、生きた信仰の道に進まなければなりません。

今の宗教的雰囲気ではいけません。新しい次元において、超宗教運動の推進力を通して、全世界的規模で破格の変革が要請されるのです。神様の真の愛の実践に誠実でない宗教者たちの偽善が、この地上に無神論者の拡散をもたらしました。

世の中は変わらなければなりません。各宗教は自浄努力で、新しい改革の主役にならなければなりません。すべての宗教は自らの利益を離れ、神様が願う世界救援のみ旨に従って、世の中の貧困と疾病と犯罪をなくすことにおいて先頭に立ち、終わりの日の暗黒世界に光明な光になって、政治、経済、社会の各界指導者を訓導しなければなりません。

尊敬する宗教界指導者の皆様。私は、神様の摂理の方向に従って世界を改革し、地上に神様の真の愛の理想を回復することに、あらゆる精誠を尽くしてきました。「国際宗教財団」(IRF)を中心として世界的に展開した「新超宗派研究協会」(NewERA)、「世界宗教協議会」(CWR)、「超教派牧師会議」(ICC)、「世界宗教議会」(AWR)、「世界宗教青年セミナー」(YSWR)、「青年宗教者奉仕団」(RYS)等の活動を通して、教団間の理解と和合と宗教者がすべき神様の真の愛の実践の手本を示しながら、平和世界理想のために尽力しています。五年前に世界の宗教指導者の合意と私の指示によって、今回出版した『世界経典』は、世界宗教の普遍的価値の内容が集大成された神聖な経典として、人類の心霊を照らしてくれる最高の光になるでしょう。特に一つの地球村家族として和合して暮らすべき青少年たちに、宗教と皮膚の色と文化の塀を跳び越えることができるように教育する、大切な教科書になるでしょう。

すべての人は、この経典を通して宗教的な無知と独善から抜け出すだけでなく、宗教の相互間には差別性より普遍的基台と共通性がはるかに多い、という事実を悟るようになると信じます。これまで『世界経典』の出版のために苦労してくださった各教団の監修委員と学者の皆様に、この場を借りて感謝と称賛を捧げます。

私は、世界平和のための心的であり主体的である「世界平和宗教連合」の創設に続き、あすには体的であり対象的である「世界平和連合」を本芸術会館で創設する予定であり、このために全世界から指導者たちが到着しています。この二つの機構が内外に調和、協力しながら、天意に従って真の愛で統一を実践するならば、平和世界は実現されるでしょう。ここに、神様の真の愛によって、心と体の統一と世界を越えて宗教と政治が統一されることによって、平和の世界が訪れるのです。

尊敬する宗教界の指導者の皆様。私たちが真実の目でこの時代を見つめるとき、今こそ宗教者の信仰だけでなく、実践の行動まで求められる切迫した時であることを知るようになります。

人種間の紛争や宗教戦争などの不幸な闘争をはじめとして、無神論、快楽主義、世俗的人本主義、そして真の宗教に対する歪曲などが蔓延することによって、引き起こされたこの世界の問題は真に深刻です。西側社会においては、共産無神論が立つ場所を失ったと安心する風潮もありますが、これは本質を知らずに下した速断です。神様を中心とした新しい真の愛の覚醒運動が、社会全般にわたって起きない限り、西欧社会が中心となった現代文明の没落は、共産圏の没落よりもさらに悲惨な形で近づくでしょう。世界をこのまま放置できません。時間がありません。誰がこの世代に責任をもつことができるでしょうか。軍人でも政治家でも科学技術者でもありません。正に、私たち宗教界が責任を負わなければなりません。

私は皆様の積極的な協力を要請します。「世界平和宗教連合」の運動を通して、歴史的な伝統宗教が調和しながら、世界平和に向かう実践運動として前進するとき、世の中を導いていく精神的基礎が固く立てられ、神様の真の愛を中心とした平和理想は完成されるでしょう。結局、全世界の宗教界が統一された方向をもつとき、統一された平和世界は到来するのです。

「世界平和宗教連合」の未来と各教団を代表した皆様と皆様の家庭に、神様の御加護があるとともに、皆様が世界平和を増進させる真の愛の人になることを祈りながら、これで終わりたいと思います。ありがとうございます。

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神様とサタンの対決の場である中東 地球で最も深刻な緊張感が、どうして中東で繰り返しているのでしょうか。軍事的侵略者が偶然に、中東のある国家から出たからですか。でなければ、中東地域が、石油が豊富だからですか。違います。いくら鋭利な分析力をもった天才だとしても、また歴史と政治の知識にいくら通じていたとしても、それに対するより深い現実的原因を説明するには足りません。これは正に、この地域が神様とサタンが対決を繰り広げる所だからです。

中東の多くの預言者が神様の啓示を受けました。神様のメッセージは、単純に中東の人々だけのために予定されたのでしょうか。もちろん違います。神様のメッセージは、世界のすべての人々の人生を導かれるために下さいました。

したがって、中東の現在の緊張と衝突は、この地域の人々だけの問題ではありません。全世界の運命が中東の発展にかかっています。神様のビジョンを全世界の人々が活用できるように、偉大な預言者たちは、闇の勢力と戦わなければなりませんでした。それと同様に、皆様の平和仲裁者の使命は、宗教戦争と人種間の紛争で世界を支配している悪魔の力を否定し、全世界の平和のために神様のみ旨を知らせることです。

人類歴史は、善と悪の絶え間ない闘争歴史でした。神様の愛と心情に一致した社会と人間の生に復帰する過程では、当然のことです。私たちがこの過程をもう少し詳しく調べるならば、偉大な聖人たちや預言者が悪の勢力を屈服させた原理が分かります。サタンは常に神様より先にその勢力圏を形成します。

そして、サタンはその強い力で神側を攻撃し、神様のみ旨を破壊しようとします。サタンが常に先行します。勢力圏の形成も先であり、攻撃も先です。実際、攻撃はサタンの専有手段です。攻撃を先に受ける側は、いつも神側です。それにもかかわらず、神様は原理に従って準備をします。

天の側は先に攻撃を受け、苦痛と犠牲を克服して繁栄しました。言い換えれば、天の側は犠牲の代価を払い、不義に打たれながら、道理に従って勝利してきました。皆様は、預言者ムハンマドが生きている間、彼をマッカ(メッカ)から追放させた悪の勢力たちをよく知っています。ムハンマドがすべての氏族と民に、平和と兄弟主義に立脚した希望のメッセージをもたらしたとき、悪を中心とした政府勢力は、神様の使者とその追従者たちの命を奪い取ることに彼らの力を動員しました。

そのため、イスラームを信じる群れは、これらの侵略と不義に耐えなければなりませんでした。神様の「打たれて復帰してくる法則」によって、ムハンマドと彼の追従者たちは、これらの勢力を完全に屈服させることができたのです。結局、ムハンマドは栄光ある勝利者として、カアバ(KAABA)に帰ってきて、それを神様に捧げました。

しかし、彼についての話は、神様のこの原理を示す単純な話ではありません。イエス様とアブラハム家庭、そして他の預言者たちについても、それは同じでした。実際、皆様が今日の世界のどのような宗教を調べても、その宗教が正に打たれて復帰してくる自己犠牲と蕩減の原理によって繁栄したという事実を、明らかに知るようになるでしょう。

このように攻撃されたからといって、全知全能であられる神様が、そのやり方を変えるだろと考えるとすれば、それはどれほど愚かでしょうか。真理は決して変わりません。第一に、攻撃はサタン側に属し、第二に、天の側は攻撃を受けても忍耐し、蕩減と犠牲を払ったあとに勝利を得るのです。

この二つの事実は、政治、経済、軍事学などの基本原理を越えた真実であり、永遠の真理です。その唯一の真理は、すなわち神様の真理であり、復帰の法則になるでしょう。

打たれて取り戻してくる戦法を通した復帰と勝利の原理以外にも、不変の歴史的原理がありますが、それは神様が常により大きな目的のために生きる人々を支援するということです。例えば、自分自身のためだけに生きる人と自分の家族のために生きていく人々がいるとすれば、神様は自分の家族の利益のために生きる後者を支援するでしょう。家族のために生きる人は、自分以外の家族のために自らを犠牲にするからです。

一方で、自分の家族のために生きる人と自分が生きる地域の利益のために自らの愛する家族を犠牲にする人がいるとすれば、神様は地域のために生きるその人を後援するでしょう。これもやはり、神様の変わらない真理です。

一方、私たちはこの原理を知って、その原理に従って生きた標本として、預言者たちを挙げることができます。預言者たちは、自らの氏族や部族のために生きましたか、でなければアラブ民族のために生きましたか。そうではありません。彼らはある特定のグループや氏族に限定されず、常により高次的な目的のために生きました。

預言者たちのメッセージは、神様と霊的に交流するすべての貴重な方々のためのものでした。もし、最も偉大な人が私たちの中にいるとすれば、彼は世界のために最後まで努力する人でしょう。また、最も大きな目的があるとすれば、それは神様のために生きることです。神様にどれほど近づきつつあるかを調べてみる最も良い方法は、自らの言葉と生活がより大きな目的のためになっているかを調べればよいのです。

すべての行為は、人類全体の利益のためのものでなければなりません。単に一団体や一つの民族、宗教あるいは氏族だけのためのものではいけません。神様に最も近い人がいるならば、全体の利益のために生きる人でしょう。ですから、中東の現状が一時混乱するとしても、私たちは、あらゆる分析と洗練された解釈に依存しようとする誘惑に打ち勝たなければなりません。私たちに重要なことがあるとすれば、神様の摂理の原則、すなわちサタン側は攻撃をし、天の側は全体目的のために個体を犠牲にするという法則が、決して変わらなかったということを記憶することです。

宗教間の紛争解決の道 宗教指導者たちだけが、このような真理と平和の方法を知っています。したがって、私たちは神様のみ旨と神様の原理を知らせる伝達者にならなければなりません。平和は私たちにかかっています。

私たちは、現状について、私たちの同志、すなわち私たちの意見に従う政治および軍事指導者に話をするとき、どちらか一つの国家の利益を考えるのではなく、何が全世界のために最も利益になるのかを考えなければなりません。また、私たちは一様に、真の愛に立脚して、人のために生きていかなければなりません。

この時代、最も大きな不幸は、中東でのユダヤ教とキリスト教、イスラーム間の戦いです。アメリカだけでなくヨーロッパ、中東など、全世界がこの点を悟るべきでしょう。私があらゆる国の指導者たちに、このメッセージを送る理由がここにあります。

人はただ一つの目標のために生きなければなりませんが、それは中東の状況を宗教間の紛争から保護し、安全にすることでしょう。宗教指導者である私たちに、最も大きな責任があります。中東紛争が平和的に解決されるよう、私たちがあらゆる力をすべて注ぎましょう。私は今までお話し申し上げたとおり、平和のために夜も昼も心から祈ります。宗教指導者の皆様も、一緒に同参してくださることをお願いいたします。

いま一たび、神様と人類の平和のための皆様の神聖で崇高な愛に衷心から感謝申し上げながら、皆様と皆様の家庭とこの世界に、神様の祝福が常に共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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11.イスラームと世界平和の定着 日付:一九九〇年十月二十一日

場所:エジプト、カイロ

行事:世界宗教協議会イスラー厶指溥者会議(代読)

尊敬する宗教指導者、学者、そして内外の貴賓の皆様。このように重要な会議に参加してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。平和のための本会議を、開催直前にお知らせしたにもかかわらず、このように参加してくださった皆様の歩みは、神様の大きな喜びになると思います。

平和の根源は神様 皆様も御存じのように、私たちは驚くべき緊張感の中に囲まれています。政治および経済的対立と歴史的怨恨が極に達し、ついには、誰が見ても私たち人間の生存が大きく脅威にさらされていることが分かります。被造万物のように人間も絶滅の危機を迎えており、緊急な対策を講じなければなりません。これこそが、私たちがあらゆる分野で多大な活動を見せている理由でしょう。

残酷な悲劇を防止しようとする努力の一環として、指導者たちは自分たちの良心作用によって必死に解決策を模索し、ある者は軍事的解決策を、また他の指導者たちは政治や経済的解決策を提示します。しかし、そのような解決策は、一時的に平和に寄与するかもしれませんが、恒久的な平和を定着させるための根本的な代案には、決してなり得ません。真の宗教者と信仰者だけが闘争の本質と原因を理解することができます。そして、無秩序の真の原因を知る人だけが、このような問題を解決することができます。そのため、このように緊急に皆様に会議の参加を要請したのです。

もちろん地上の平和には、究極的に人間の政治、経済、言論のようなあらゆる分野からの洞察力が必要です。しかし、平和の根源は神様にあり、その平和は、自分たちの人生を神様のみ旨に合うように生きる人々を通して、この地に実現されます。

世界平和は、究極的に神様のみ旨に対して、人間が従順に従うかどうかにかかっているということを悟った私は、既にかなり前に「国際宗教財団(IRF)」を創設しました。統一運動の草創期から、私は常に私たちの財源の大部分を、他宗教のために捧げてきました。大部分の統一教会の信者たちが、十分に食べることもできなかった一九五〇年代には、宗教間の和合のために私が使う資金について、彼らが不平を言いました。

私は、統一教会の信者たちが苦労する姿を見るのがつらかったのですが、サタンが人類の未来を破滅させるために、究極的に人種間の紛争や宗教戦争を起こすという事実をよく知っていたので、忍耐して耐えていこうと、お願いしました。宗教者たちの間に真の愛と和合と協力を強調しながら、四十年以上の間、私は「国際宗教財団」に、あらゆるものを捧げました。

あらゆる高等宗教から「国際宗教財団」の偉大な宗教指導者および平和の仲裁者たちは、今やサタンの計画を未然に防止し、恒久平和を切り開くべき偉大な使命をもちました。

皆様がよく御存じのように、サタンは人類を破壊と暗黒に追いやるため、常に攻撃してきました。今世紀にかけてサタンの計画は、神様を否定する共産主義を通して攻撃することでした。国家の抑圧と統制によって、全体の国民には神様の真理のみ言の聴取が禁止されたのです。神様がいない社会を建設するという名分のもとに、数百万人を虐殺しました。この反逆者、悪魔サタンの計画は、六十年以上の間、繁栄し、世界の三分の二を制覇しましたが、いかにして、今この帝国が一日で没落するようになったのか、政治学者たちでさえも説明できずにいます。しかし、霊的な洞察力をもった方々は、それが神様のみ業だったのであり、天法に従って生きる方々の力がその原因になったという事実を、はっきりとお分かりになるでしょう。また、ついにはサタンを屈服させて、邪悪な恐怖政治を終わらせるようになることを、はっきりとお分かりになるはずです。

サタンは人類を破滅させるために、最後の大攻勢を展開しています。その戦略は、共産主義よりも一層悪辣で脅威となる二つのもの、すなわち宗教戦争と人種間の紛争を起こすことです。

今日、私たちが、正にそのような破壊的な人種間紛争が起きる直前の危機に置かれていることが誰にでも分かるでしょう。もし、そのような問題が勃発して人類を暗黒の中に追い詰めるならば、人類は蹂躙され、破壊された地球星で、辛うじて生を維持することになるでしょう。また氏族、宗教、民族が、彼らの思考を自分たちだけの利益にのみ限定させるならば、利益を得る唯一の存在は、神様の敵であり、人類の敵であるサタンだけでしょう。

このような理由ゆえに、永遠であられる神様は、この二つのことに関心をもっていらっしゃいます。なぜ神様は預言者に預言を与え、世界の宗教を立てるのでしょうか。もちろん、それは堕落した人間を神様のもとに帰ってくるようにして、その祝福のみ旨と完全に一体となった一つの平和世界をおつくりになるためです。

人間は世界に対して、神様が展開しようとされた理想を知らなければならず、なぜ神様が預言者たちに啓示を下さったのか、その理由を知らなければなりません。どこの誰も言葉だけでなく行動において、神様の根本理想を預言者ムハンマドよりも深奥に表現した人はいないでしょう。

限りない愛をもたれた神様は、いくら取るに足らない人だとしても、その人の滅亡を願われないでしょう。宗教間の闘いが神様の希望と正反対になるという事実を知っても、私たちが知らないふりをしてやり過ごしたとすれば、どうなるでしょうか。純真無垢な子供たちを破滅させ、人類を言うに言えない暗黒世界に引きずり込もうとするサタンの計画に、私たちの力を貸す結果になるでしょう。

人種間の紛争においても同じです。私たちは一つの先祖から生まれた一家族です。神様は、すべての人種が一つの兄弟姉妹として、調和をつくりだして生きることを願われます。預言者ムハンマドはこの事実をよく知っており、歴史もまた、彼が生涯を通してこれを理解していたことを明確に見せてくれています。人種と宗教の間の平和と和合と協力のために、神様の全体の計画を知らせることが、この時代の私たちの至上課題です。

神様が啓示した真理の一部分だけを追求する人は、他の人々に本来のみ旨とは逆のことを伝播して神様に背くようになります。私たちは、神様の啓示を理解するために、私たち自身を宗教指導者や霊的な指導者たちに任せたように、完全に大衆や政治、経済、そして軍事指導者たちに頼ることはできません。人類は神様の起源と平和および兄弟の幅広いビジョンについて、教育を受けなければなりません。今世紀の人類歴史にあって、宗教戦争や人種間紛争以上に、神様に大きな苦痛と不快感を与えるものはないでしょう。

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しかし、現実世界は、神様が理想とされていた本然の世界ではなく、罪悪と闘争と苦痛に満ちた地獄世界になりました。自然界と霊界は、本然の秩序の中にありましたが、ただ人間始祖だけが病気にかかり、むしろ自然界と霊界にまで害を与えています。このように病気にかかって故障した人間世界について、宗教的には堕落したと表現します。神様はこのような世界を原状に戻そうとする救援摂理をされるようになり、またその救援摂理は復帰摂理であり、すなわち再創造摂理だと、私は今まで教えてきました。

天意に従って、復帰摂理の主役を担ってきたのが宗教です。宗教は、神様の真の愛と真の父母思想を中心とした本然の理想的な家庭、さらには理想的な世界を復帰する目的をもっているのです。メシヤの使命を、神様の愛を実現する真の父母の使命として理解する場合、私たちはこの使命を追求し、成就するために召命を受けています。またメシヤの使命は、今まで神様に反対してきたサタンを追放し、その文化生活圏を追放し、またその血統を天の側に転換させることによって、神様を中心とした理想世界に変えなければならず、実際にそれがすべての宗教が遂行すべき、宇宙史的な使命なのです。

聖書に記録された神様の最初の息子と娘だったアダムとエバは、神様の真の愛の中で育ち、また結婚の祝福を受けて罪のない子女たちをもつことによって、彼ら自身が真の父母となり、直接天国に入っていくようになっていたのです。そのようになっていたならば、この世界は地上天国となり、神様の真の愛と神様の生命と神様の血統を受け継ぎ、永遠な神様の理想家庭がつくられ、国家と世界まで神様が直接主管する血族になっていたでしょう。

ところが、アダムとエバが未完成期に天使長と不倫な性的関係を結び、天使長はサタンになり、アダムとエバは悪の先祖になって、死亡の世界が始まったのです。すなわち、この世界はサタンの血族になってしまったのです。

このようにサタンは淫乱の神となったため、神様は淫乱を最も嫌われます。ソドムとゴモラ、ローマ、そして今日のアメリカとヨーロッパも、淫乱で滅びていく時に遭遇しました。アダムとエバが青少年期に淫乱の種を蒔いたので、今日、青少年たちを通して淫乱の実を刈り取られるのを目撃するとき、私たちは終わりの日になったことを知り得るのです。人類はサタンの愛、生命、そして血統から解放されようとするので、真の父母を再び探さなければなりません。そのお方が、正にメシヤとして来られるお方なのです。

アダムとエバが堕落して、本然の責任を果たせないことによって、神様は真の子女を失い、人類は真の父母をもつことができない一大悲劇がもたらされたのです。その結果として、神様の真の愛と真の父母理想を具現する実体がなくなりました。この悲劇的失敗を正し、原状回復をするように指導する目的のもとに、神様は宗教を立てました。

これに対し、メシヤは真の父母として、これまで偽りの父母が植えた偽りの根を抜いてしまい、本然の創造理想を復帰する重大な責任をもってくるお方です。神様は、宗教を創設し、メシヤを遣わすことが本当の理想ではありませんでした。神様の不変の目的は、真の愛の家庭と国家と世界の実現です。

宗教はこの目的にどれほど寄与するかによって、その価値が付与されます。このような点から見るとき、宗教の目的が達成されれば、真の愛と真の家庭が現実化されるのです。これと反対に、このような目的に寄与せずに、その宗教自体だけのために存続する宗教は、たとえ神様を口実にしても、神様とは関係がないのです。人間の家庭を見ても、血縁と兄弟関係は父母を前提としてこそ存在します。この世の中が真の愛と真の家庭の領域に入るためには、まず真の父母の位置が確立されなければなりません。正にこの使命を果たすために、神様は私を召命しました。この目的のために、私はすべてのものを捧げてきたのです。

私が世界的に展開している統一運動をはじめとして、超宗派的な活動はもちろん、学術、教育、言論、科学技術、企業、金融など、各分野で展開してきたすべての事業も、すべてこの目的のためです。私は苦難と迫害の峠を越え、死地をかき分けてきながらも、自分を生んだ父母よりも、自分の兄弟よりも、世界の五色人種を愛そうという、ために生きる父母の心をもって生涯を生きてきました。真の愛が訪ねていく道は直短距離を通るようになります。真の愛の実践には、前提条件や言い訳があり得ず、そのどのようなものも障害になりません。ただ自己犠牲によって、ために与える道のみを直行する道です。全人類が真の父母を迎え、真の愛の生活をしない限り、世界平和は実現されません。真の父母の理想と世界平和の理想は直結しています。すべての国家と民族と文化と宗教が、互いに一〇〇パーセント以上ために生き、寛容でありながら、和合することによって、世界平和を成し遂げなければなりません。

尊敬する宗教指導者の皆様。私はきょう、皆様の前に「世界平和宗教連合」の創設を唱えます。根幹の外的な世界情勢は冷戦の終息、東西和解に進んでいます。対決と分裂を克服し、人類一兄弟、世界一家族として和合していく統一の時代を指向しています。

二十世紀を締めくくる最後の十年は、神様が人類に本然の世界へ復帰できるように許諾した貴重な機会です。私は既に去る六月一日、外的基台として「世界平和連合」の創設を提唱し、アメリカ、ソ連など、世界各国の指導クラスの要人数万人が呼応してきています。この機構の目標を達成するための内的基台が存在しなければならないのですが、それが正に「世界平和宗教連合」です。

数多くの人々が真の和合と一つの世界を成し遂げるために苦労してきましたが、どうして真の調和一体の世界がまだ成就していないのでしょうか。誰もが和合を願いますが、真にその動機がどこから来るのか知らずにいるのです。真の和合と一体の動機は、自分の相対、息子、娘、隣人、国家、世界のような相手側にあるのではありません。自分自身にあるのです。自らが本心を中心として、調和一体を成し遂げた心と体をもつ和合の実体になったかどうかが問題です。人間が神様と真の父母の心情をもつようになるとき、初めて人のために生きることができ、また相手と真に和合する真の愛が中心となった生活を貫くことができます。

これらは信仰の領域です。究極的平和世界の実現のための宗教の役割は絶対的なので、これから宗教者たちが宗派の壁を崩し、神様が願う目的のもとで、連合された力によって世界平和具現に立ち上がらなければなりません。世界平和のための宗教者の役割が不足だったことを自省し、世界和合の動機であり根本要素である真の愛を、宗教の中で啓発し、これを実践する「世界平和宗教連合」運動を大々的に展開すべきときです。

尊敬する宗教界指導者の皆様。神様は宗教者たちの実践と模範を求めています。宗教のために神様が存在するのではありません。世界のために生きる本然の状態に回復させようとする、神様のみ旨を成就するために宗教が立てられました。神様がこの時代を経綸するために願われる宗教は、真の父母の宗教です。真の父母の心情を抱いた宗教、真の愛を実践する宗教こそ、葛藤と不正に満ちた今日の世界において、神様のみ旨を実現する宗教になるでしょう。

歴史的に見れば、今まで養子レベルの宗教、庶子レベルの宗教、子女レベルの宗教などの各レべルの宗教があります。しかし、そのどのレベルを問わず、宗教は自分の宗教が第一であり、自分の宗教を通さなければ世界平和を成し遂げることができない、という偏狭性から抜け出さなければなりません。そうして、すべての宗教の教えは、究極的に真の父母レベルの宗教に吸収され、統合されなければならないのです。そのようになれば、すべての宗教が体験している宗教の斜陽化も終わるのです。真の愛を中心として絶対的にために生きる立場に立った宗教は、互いに統合して世界平和を成し遂げるために、そして地上の天国のために前進するでしょう。

このようなことを知れば、私たちは今、世界が直面した深刻な問題を解決するためにも、真の宗教者の実践生活を見せなければなりません。世俗化された信仰から生活信仰に変える問題から、混乱した価値観の再確立、荒廃した人間の本性の回復、道徳基準の高揚と退廃文化の清算などの問題の解決は、すべて永遠の神様の真の愛と真の父母様の真の愛主義によってのみ可能になるのです。

今日、世界の若者たちは、私たちの前に置かれた、このような偉大な機会を直感的に認識していると思います。宗教指導者としての私たちは、今日の若者たちに対して真の師の役割を果たさなければなりません。永遠に不変な絶対価値の基準である真の愛を指向して、私たち自らの心身の統一はもちろん、唯心論と唯物論の世界までも連結、統一させなければならないのです。そのことこそ、世界平和の土台をつくることになります。

このような基盤の上に、私たちは内的世界である宗教界を統一し、外的国々を統合して、結局は永遠の世界平和を成し遂げなければならないのです。このような目的を達成するためには、すべての宗教者たちが、男女を問わず責任的役割を果たさなければなりません。

多くの若者たちが真の愛に飢えています。他のために生きる人生を実践するのが真の愛です。したがって、宗教指導者である私たちが、神様の真の愛と真の父母様の絶対価値の道を手本として見せなければならず、宗教の伝統も真の愛の道に進む姿を見せなければなりません。そのようになれば、神様と人類が一つになって新たな希望の世界に前進するようになり、神様の創造理想も達成されるようになるのです。したがって、新しい時代が開かれたことをはっきりと見せましょう。

結論として、今回の大会の期間、皆様の活発な議論が、神様のみ旨のもとで真の宗教の具現と真の愛の発見に連結され、世界平和に対して大きく寄与することを願います。神様の祝福が常に共にあることを祈ります。

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10.真の愛の伝承と伝統 日付:一九九〇年八月十六日

場所:アメリカ、サンフランシスコ、ハイアット•リージェンシー•ホテル

行事:第二回「世界宗教議会」

尊敬する議長、そして全世界からお集まりになった宗教指導者と学者の皆様。私たちの宗教の伝統を、若者たちと社会に伝承する問題を主題として開催される、第二回「世界宗教議会」に参加した皆様を心から歓迎するものです。

この重大な人類史の転換期において、私たち全員が摂理的な召命を共に受けていると確信する私は、格別な感慨と期待をもってこの場に立ちました。

よく御存じのように、偉大な宗教の創始者たちは、無理解と深刻な迫害を受けなければなりませんでした。彼らは肉体的•精神的迫害と死に対する恐怖までも克服し、真理の道を切り開きました。しかし、宗教が実際に歩んできた道は、その創始された本来のみ旨を離れて、時として分裂と矛盾を見せ、宗教間の葛藤と戦争もたくさんありました。今日の世界においても、誤った宗教的情熱と形式だけの信仰が社会問題にもなっています。これは宗教の真の目的でないことは明確であり、またこのような誤った伝統を伝承させることはできないのです。

それでは、その真の目的は何であり、後代に伝承させるべき伝統とは何でしょうか。宗教の目的を正しく把握するためには、神様の創造理想を先に知る必要があります。永遠絶対の神様に、創造はなぜ必要だったのでしょうか。神様に絶対に必要なものとは何でしょうか。物質や知識、あるいは権力でしょうか。そのようなものは、神様が願いさえすればいつでも創造なさることができ、神様御自身が自由に調節できるのです。しかし、真の愛だけは、神様も御自分の意のままにできません。すなわち真の愛は相対圏を通してのみ見いだすことができ、一人だけでは刺激を感じることができないのです。これが、神様が相対的な被造世界を必要とした理由です。

神様は、真の愛の理想のために世界を創造されました。鉱物界、植物界、動物界を観察してみると、たとえレベルは違ったとしても、すべて愛の理想を中心として、相応、和合できるようペア•システム、すなわち主体と対象で創造されていることを知ることができます。そして、人間は被造世界の中心であり、最高レベルとして造られた神様の最も近い愛のパートナーです。このように人間は、神様の真の愛の対象として、人間がいなければ、神様の真の愛の目的は成就されないのです。

神様は、その創造理想である真の愛を最高の絶対価値としてお立てになりました。絶対的な神様だとしても、真の愛の前には絶対的に服従したいと思うのです。神様がこのような方なので、人間と万物もその真の愛の前に絶対服従するようになるのです。このような点で、神様の真の愛の相対である人間の価値が、どれほど貴いものなのかを知ることができます。

神様の創造理想は、ために生きる愛から始まり、ために生き、また与え続けても記憶しない、そのようなところで真の愛が成立するのです。太初に神様は無限に投入することで創造し、そのために生き、投入するその原理によって被造世界が和合し、授受の運動をしながら、永生、永存するようになっています。

人間がなぜ生まれたのかというと、ために生きる原理によって生まれました。すなわち男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。神様の創造理想であるために生きる原理で存在するようになった真の愛を享受しようと、男性と女性はお互いのために生まれ、夫婦になり、縦的には神様の愛を所有するために生きるのです。これが、すなわち男女が存在する目的です。結婚しようとする男女は、自分の相対となる人が優秀であることを願うものであり、父母は子女たちが自分より優秀で、立派であることを望むのです。

このような希望は、神様から由来したものであり、誰もが真の愛を中心としてそのように願うのです。同じ理由で、神様も愛の相対が御自身よりも優秀なことを望むからなのです。したがって、神様も一〇〇パーセント以上を投入し、また投入したいと思うところから、真の愛が継続して存在するのです。

真の愛の起源である神様は、父の立場から人間に絶対不変の真の愛を相続しようとされたのです。真の愛の中では完全調和と統一が達成されるので、神様の真の愛は、その対象である人間に完全に相続されるのです。それだけではなく、このような真の愛の属性によって相続権、同居権と同参権も自然に生じるので、人間も神様の子女として、生死を共にすることができるようになっていました。また、人間の相互間においても、真の愛を中心として相続権、同居権、同参権を享受するようになっています。そうして、人間は神様の真の愛を中心として、各自の理想と幸福を所有しながら、また自然にこれを先代から後代に伝承するようになるのが創造本然の世界でした。

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万教の平和基準と愛の道理 心とは何ですか。縦的な神様の愛と血統を通して受け継いだ、内的な「私」です。内的な私は、縦的な私です。それでは、体とは何ですか。堕落しなかったなら、本然の根本理想を受け継いだ私は、九〇度に立つようになります。堕落しなかった真の父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれれば、体と心が一つになった人になるのです。一つは心的な内的神様を中心とした人格、もう一つは体的な外的父母を中心とした人格です。そこにおいて、その二つは、愛を中心として生命と血統を中心とした男性と女性の混合的な統一圏を形成します。ですから、神様に似たものが心なので、心は内的な私だというのです。

宇宙の秘密が何であるかと祈祷してみると、答えは簡単でした。父子の関係だというのです。父子の関係が、ただ形だけの父子の関係ならば、堕落した世の中にもあります。父が子女を売り、子女が父の命を奪う世の中です。

堕落とは何ですか。神様の最も貴いものを盗んだのです。悪魔の行為です。最も貴いものとは何かというと、愛と生命と血統ですが、これを汚したというのです。ですから、歴史時代において神様が最も嫌うものは淫乱です。ローマが滅びたのはどうしてですか。外敵の侵略によって滅びたのではありません。淫乱のためでした。悪魔が淫乱で悪をばらまいたので、人類が世界的に淫乱の風に巻き込まれていくときは、鉄槌が加えられるのです。

教団がそのようになるときは、教団が滅びていき、国がそのようになるときは国が滅びていき、歴史がそのように誤れば、その歴史の方向がみな壊れていくのです。誰がそのようにしますか。そのようにしたのは人間ではありません。国ではありません。神様が嫌うので、そのようになったのです。今まで救援してきた神様は、理想的な神様ではありません。堕落がなかったなら教主を教育し、導かなければならない神様ではないのです。ですから、真の宗教を求めなければなりません。宗教において求めるのは本当の神様です。

神様は何をもって生きたいかというと、愛を中心として生きたいというのです。答えがそれです。何の愛でしょうか。神様と同様に心と体が九〇度で一つになり、完全に一つになった愛です。何が神様の心を統一させることができますか。真の愛です。それでは、真の愛とは何ですか。完全に犠牲になり、一〇〇パーセント投入しては忘れる愛です。そうでないとすれば、神様は今まで、人類が歴史時代に誤ったものを見て、耐えることができたでしょうか。世の中の人であれば、みな抹殺してしまったでしょう。

真の愛は堕落した世界に一つだけ残っています。縦的な基準だけが残っています。それは、父母が子女を愛する愛です。神様の代身の立場で、それだけが地に残っているというのです。ですから、救援摂理も可能です。幸福がどこにありますか。皆様の心にあるのです。神様御自身も何を中心として生きたいと思うでしょうか。真の愛を中心として生きたいと思うのです。真の愛をもった男性と女性と、共に生きたいと思うのです。父母は子女たちを共に抱きたいと思います。神様は、真の愛をもった息子、娘をこの地でかき抱いて生きたいと思うのです。

神様の人間救援の目的 仏教の僧侶たちが、「文総裁は釈迦より偉いと言っている」と言って、大騒ぎしました。「イエス様より偉い、孔子より偉い、誰よりも偉いと言っている」と言って、宗教者たちが大騒ぎしているのです。一生涯において、教主の中で私ほど働いた人がどこにいますか。私は世界中の国々から反対を受けても、基盤を築き上げました。一代を中心として見るとき、私ほど仕事をした人がいません。それを人間の力で行ったとすれば、既に死んで久しかったでしょう。私利私欲のために働いたなら、そうなったでしょう。善の道である統一教会の行路は、愛を通した理想を中心として行く道です。個人的愛観、家庭的愛観ではありません。統一教会の愛観は垂直です。垂直的愛観をもって、思想的観を変えなければなりません。垂直的観を備えた水平の愛です。これが分かるので、民族を超越し、人種を超越するのです。

統一教会の信者たちは、日本人もアメリカ人も、「あなたは黒人と結婚しなさい!」と言えば、喜んで結婚します。なぜでしょうか。何千年前に失った兄弟を取り戻すことだからです。知ってみれば、彼らは私の兄弟です。顔が黒いためにどれほど苦労したのかと言いながら、抱きかかえて泣きます。そのように痛哭から始まります。その痛哭を忘れることはできません。何がそのようにするのでしょうか。真の愛です。統一教会はそうです。私は賢い人です。世界の優れた人に会い、理論的に論じてすべて信頼を勝ち取った人です。ですから、世界の宗教指導者たちは私のことを好みます。

理論に合わない教理は、二十一世紀に必要ありません。理論に合わず、現実生活に利益をもたらすことのできない宗教は、必要ないというのです。統一教会の信者たちはそうです。無邪気に見えますが、むやみに見過ごしません。神様だけでなく、神様の心情を論じます。

神様は世界の救援が目的なので、家庭を犠牲にさせても神様の民族を取り戻そうとします。国家を犠牲にさせても世界を救おうとします。この地上の世界を犠牲にさせて、万代の霊界に行ったすべての霊人たちを解放しようとします。そして、最後には神様御自身が解放されなければならないというのです。

私はそれを知ったので、十字架を背負うのです。「世界の宗教界において、分かった人が十字架を背負うべきだ」と言いながら、四十年の年月を風霜に苦しんだ男が、ここに立っているこの人です。その気迫を見れば、天地を塞いで余りある気迫です。私は神様のみ旨を知るようになったときから、統一教会を犠牲にさせてでも、万教を犠牲にさせてでも、世界救援をしなければなければならないと唱えたのです。ですから、統一教会に使う予算より何百倍も多くのお金を投入して、超教派運動、宗教連合運動をしています。そして、世界舞台では宗教財団をつくって、莫大な資源を投入しています。統一教会の人々は心血を注ぎ、その仕事をしているのです。

世界のために投入します。神様のように投入すれば、蘇生の春の日、歓喜の愛の理想を中心として踊りを踊ることのできる、本然の理想世界が訪れることを知っているからです。このことのためには、十字架を東で背負おうと、西で背負おうと、家で背負おうと、必ず人類のために誰かが背負わなければならないというのです。そのようにしなければ、くぼみにたまった腐った水はきれいになりません。このような思想をもって生きる人たちが、統一教会の人々です。

興亡盛衰の道は、ために生きることから分かれます。自然科学の力学で入力と出力を見れば、いつも入力が出力よりも大きいのです。しかし、愛の世界では入力よりも出力が大きくなります。愛があることによって、壊れていく世の中で均衡を取ることができるのです。ために生きて犠牲になる基盤と、ために生きて、さらにために生きたいという心をもつ真の愛の伝統を受け継ぐところでのみ、この世の中を収拾することができます。それが天理です。ために生きる道は、孝子の愛の道です。忠臣の愛の道、聖人の愛の道です。聖人の愛は人類のための愛です。聖子は天地を愛し、天の王宮法まで守ることができます。神様まで心情的に侍ることができるのです。そのような縦的な立場をつかまなければなりません。

聖子の道理と神様の愛の道理を学ばなければ、万教の平和の基準を見いだすことができません。これこそ宗教協議会が到達すべき目的地ではないかと申し上げつつ、これで終わりたいと思います。ありがとうこざいました。

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そして、人間は一番上に行きたいと思います。何を中心としてそのように思うのですか。お金ではありません。愛を中心としてそのように思うのです。男性が生まれたのは女性のためであり、女性が生まれたのは男性のためです。ですから、神様は互いに貴いものを入れ替えておきました。女性の愛のふろしきは男性が主人です。男性の愛のふろしきは誰が主人でしょうか。女性が主人です。女性が主人ですが、何の主人ですか。愛の王権です。取るに足らないわらぶきの家に住む夫の妻としてではありません。愛の王権を代表した主人です。そのように考えて結婚式をしてこそ、大地が振動するほど太鼓をたたいて良いと言いながら、ウェディング•マーチを響かせるのです。そうでなければ、真っ暗闇な世の中になって、何をしても興味が湧かないというのです。これは文総裁が、歴史始まって以来初めて語る話です。このような話を聞いたことがありますか。仏教の経典にもありません。

それでは、男性と女性がなぜ結婚するのですか。愛のためです。何の愛かというと、絶対的な真の愛です。父子の関係は誰かが分けることはできず、革命できません。父子の関係は絶対的です。そこに流れる愛も絶対的なのです。その関係が絶対的ならば、母と父も絶対的でなければなりませんか、相対的でなければなりませんか。母と父も絶対的でなければなりません。母と父と息子、娘の関係が絶対的なので、母が離れ、父が離れても、息子、娘は離れることができないというのです。ところが、最近の家庭を見れば、母と父が、子女たちを捨てて離れたりしています。

夫と妻が生きていくにおいても、絶対的な愛がなければなりません。ところが、結婚して一週間もせずに離婚する人たちがいます。それが真の夫婦ですか、偽りの夫婦ですか。それは偽りの夫婦です。愛のために生まれたというときは、気分が良いのです。僧侶たちも、精誠を捧げる生活によってこの国の仏教界の高僧になりましたが、昔の母と父の懐が懐かしく思いませんか。忘れることはできません。それは革命することができないのです。そこを求めて入ろうとする気持ちがあるのです。なぜでしょうか。愛が根源だからです。愛が動機になっているので、愛の動機で流れる過程は、愛の関係をもたなければ連結されないのです。

神様と真の愛、そして永生 それでは、神様はいったいどのようなお方ですか。神様は私たちの父です。仏教からは人格神は発見できません。万象の帰一法を論じながら、どのように人格神を発見しますか。内外に情、知、意の感情に通じることのできる神様をどのように発見しますか。愛する孝子をもった父母が、その息子が帰ってくるとき、どのようにするでしょうか。「ああ、私の息子よ!」と言いながら、高僧も教主もみな無視したまま、満面の笑みを浮かべて抱きかかえるのです。

根本に戻ってみましょう。自分のために愛すれば大変なことになります。宇宙はそれを歓迎しません。自分のために生きなさいという愛ならば、大変なことが起こります。

宇宙の根本である神様は絶対的なお方です。創造の根本に入ってみるとき、私が信じる神様は本当に偉大なお方だと思います。その絶対者が信じることのできる絶対的なことは何ですか。神様も絶対的な平和、絶対的な幸福を求めます。

それでは、それをもたらし得るものとは何ですか。お金ですか。お金はいくらでも作ることができます。知識ですか。神様は知識の大王です。権力ですか。神様は全知全能です。それでは、何でしょうか。愛です。真の愛だというのです。絶対的な神様にとっても、愛は絶対的です。

神様にいくら力があっても、真の愛の息子、娘に会えば、「私のものをすべて与える」と言うのです。真の夫は真の妻に「私のものをすべて与える」と言います。「私のものは私のものだ」と言えば、真の愛ではありません。完全に改心して与え合わなければなりません。神様が天地を創造するようになったのも、そのような理由からです。

キリスト教の牧師たちは、「創造主は神聖であり、被造物は卑しい」と言います。しかし、分からないからそのように言うのです。そのような話は、愛の神様という論法を取り消す結果を生み出すのです。神様の愛もイエス様の愛も、愛という言葉は相対性を離れては成立しません。神様の相手は誰でしょうか。「万物之衆唯人最貴(マンムルチチョンユインチェキ)」(万物の中で人が最も貴いの意)という言葉があります。正しい言葉です。神様がなぜ天地を創造しましたか。愛のためです。神様御自身がその理想的な愛を立てる道は投入です。完全な投入です。一〇〇パーセント以上、一二〇パーセント投入です。ですから、真の愛をもって生きる人は、いくら迫害を受けても一二〇パーセント、何百パーセント以上投入できる本性の起源と連結されているので、支配を受けません。

独裁者がその時代を破綻させてしまい、すべてを無に解消させたとしても、世界は再現されます。母と父がいくら老いても、愛を再現させるのと同じです。独裁者が抑圧しても、歴史を超越して再現され、権威を堂々と立てるのです。ですから、宗教世界の教主たちはその時代に迫害を受けるのです。しかし、投入したものは、取り戻される環境になれば、その時代以後には実を結ぶのです。

神様は人格神なので、体と心があるのかというとき、あるというのです。神様も愛があるのかというと、あるというのです。生命があるのかというと、生命があり、血統があるのかというと、血統があるというのです。このすべてのものは、自分一人では成り立ちません。相対がいなければなりません。神様は縦的なので、縦的な基準を中心として連結しようとするのです。縦的な立場である子女の立場で大きくなって夫婦になるのです。そして、世界までみな知るようになります。そうして、一つになるのです。どこに行って一つになるのでしょうか。縦的な立場です。その中に息子、娘がいて、神様が入ってきているのです。

円には弦がありますが、アダムとエバは、上弦と下弦を縮小したものになって、扇のような一つの連体になります。骨と肉のようになるというのです。それで、「父なる神」という言葉は、血統関係でなければ成立しません。神様が誰かというと、私たちの父です。真の愛を中心とした縦的な父です。アダムとエバが堕落しないで完成したとすれば、そこに神様が臨在します。アダムとエバが結婚して、夫婦として横的に一つになれば、縦的な神様が降りてきます。降りてくる力の運動が起こるのです。すべてのものは、球形を中心として作用することで、存在するようになっています。ですから、皆様の体と心は誰に似たかというと、神様に似たというのです。

それでは、神様の心と体は、堕落した人間のように争いますか。争いません。それでは、なぜ人間は争うのですか。故障したというのです。事故が起きたというのです。これをキリスト教では堕落といいます。何の故障ですか。腕を一つ切断されても生きます。脚が切断されても生きられます。神様か最も嫌うことは、愛の秩序を破壊することです。アダムとエバが堕落したのち、下半身を隠しました。これが問題です。縦的な真の愛の父、そのお方が創造主ですが、人間が堕落しなかったなら、縦的な位置は九〇度です。男性と女性も、真の愛に通じる道は直短距離です。天地が通じる真の愛の道は直短距離なので、垂直の前に九〇度にならざるを得ないというのです。球形の一番高いところはどこかというと、その中心です。

皆様は、あらゆる存在の中心存在になりたいと思います。なぜでしょうか。そこに行ってこそ、神様の愛に接することができるからです。神様の愛に接すれば、どうなるのでしょうか。神様が私のものになり、神様が所有されたすべてのものも、私のものになります。男性と女性が結婚するのは何のためですか。愛のためです。愛して、何をしようというのですか。中央に行って神様と愛の関係を結ぶことによって、神様を私のものにし、神様の愛を私のものにし、神様の所有を私のものにしようというのです。愛を中心として相続権が連結されるのです。その次には、同居権、永遠に共に暮らすことができるのです。

ですから、真の愛が動くところに永生があるという論理を立てることができます。永生がどこにありますか。息を永遠に吸い込んでもよく、永遠に息を吐いても幸せだというのです。そのような愛を中心として呼吸する世界に、真の愛の永生があるのです。そのような父母を通して愛を受け継いだ「私」です。ですから、男性も女性も、愛をもっていない人はいません。男性も女性も父母の血肉を受け継ぎ、父母の生命を受け継いだので、みな愛をもっていて、生命と血統をもっているというのです。

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レバレンド•ムーンは真の愛の哲学者 皆様の中にイエス様を信じる人がいるならば、イエス様の息子、娘のように近い立場に立ちたいですか、隣の家のおじさんのような立場に立ちたいですか。これをイエス様に尋ねれば、「横的ではなく、縦的な一番近い父子の関係だ」と言うというのです。なぜ父子の関係ですか。それは縦的な関係だからです。夫婦関係は横的です。それでは、縦が先ですか、横が先ですか。縦が先だとすれば、どうしてでしょうか。世の中のすべての物が創造されるとき、創造主は水平を見ながら造ったというのです。ですから、良いものは垂直になっています。茎はすべて垂直に育ちます。穀物を見ても、葉はすべて曲がっても、茎だけはまっすぐです。茎には根の茎と芽の茎があります。これらはすべて垂直です。

人間の始祖が第二原因者ならば、第一原因者である神様は高いところにいて、人間は低いところにいます。その中で神様の愛と人間の愛について語るとき、愛は縦的にならざるを得ません。ここで一つの概念の定義を下すことができます。完全に縦的な垂直を作る動作は何でしょうか。知識ではできません。それでは直行できません。知識は回りながら進みます。また、お金は天から下りてくるのではなく、地を転がっていきます。権力も垂直にできません。しかし、真の愛は直短距離を通るのです。

私はこれを発見し、どれほどうれしかったか分かりません。この原理でなければ解明できないのです。宇宙を解くことができません。真の愛とは何ですか。直短距離を経るものです。ですから、上から下に通じる真の愛があるならば、それは垂直にならざるを得ません。少しだけずれても垂直ではないのです。直短距離ではありません。何が宇宙の中で直短距離である垂直を占領できるのでしょうか。それは真の愛だけです。

私が最近、真の愛の話をするので、世界的に有名になりました。レバレンド•ムーンは真の愛の哲学者として知られるようになりました。父母は愛する子女が危険に直面したとき、反対に走っていって救うと言いますか。自分の生命は貴いですが、それが問題になりません。直短距離で駆けつけていくのです。これこそが偉大な福音です。それでは、宇宙の中心とは何でしょうか。直短距離で結ぶ垂直の場を占有できるものは何ですか。それがすべての価値の中心になっていれば、世界はそこから位置の策定が可能なのです。その垂直を中心として東側にあるのか、南側にあるのか、北側にあるのかを決定するのです。

垂直という言葉は、垂直自体を前提として語る言葉ではありません。横である水平を前提条件として語る言葉です。上という言葉は、上を中心として語る言葉ではありません。先に下を認めて語る言葉です。右側という言葉は、左側があることを先に認めて語る言葉です。女性だけで、女性という言葉は使いません。そのような言葉は不明確な言葉です。女性という言葉は、男性を先に存在する先有条件として語る言葉です。相対的概念を中心として語る言葉です。ですから、宇宙で一番まっすぐな垂直を探そうというとき、知識で探すことはできません。権力でも探せません。お金でも探せません。しかし、愛では可能だと見るのです。神様は絶対的なお方であり、神様の愛も絶対的なので、絶対に真だというのです。ですから、その愛は最短の距離を占有するのです。これが根本思想です。

宇宙の根本は愛と生命と血統 哲学に入門する人は、本を見ながら、「私はなぜ生まれたのか」と言いながら悩みます。女性たちは「男性たちに冷遇されるのが無念で悔しい。男性に生まれて一度復讐できたらいい。輪廻転生してそうなったらいい」と考えかねませんが、そのように考えてはいけません。

女性や男性、人が生まれるのは、誰のために生まれたのですか。子女は父母のために生まれました。父母はなぜいなければなりませんか。子女のためにいなければなりません。父母という言葉は、子女を前提として語る言葉です。子女という言葉は、父母を先有条件として語るものです。ですから、先有条件のために関係が結ばれるのです。自分を中心としては関係が結ばれる道理がありません。男性が生まれたのは、女性のために生まれました。真の男性になろうとすれば、先に真の息子にならなければなりません。真の息子になろうとすれば、孝子にならなければなりません。その次に、真の女性に会って真の夫婦にならなければなりません。真の夫婦において、妻は女性を代表したものであり、夫は男性を代表したものです。全世界の男性と女性の代表者です。動物世界は雄と雌、分子の世界は陽イオンと陰イオンから成っています。宇宙はすべてペア•システムになっています。そして、雄雌はすべて縦的な愛を中心として繁殖し、生きていくのです。

僧侶たちは、「女性との関係は考えてもいなかったのに、これは大変なことになった」と言うかもしれませんが、天上世界に行けばどうなるのか、すべて分かるようになるでしょう。男性として生まれたとすれば、何をするためにそのように生まれたのでしょうか。凸が凸のために生じましたか。その根本問題がここから出てきます。凸は凹のために生じたのです。また凹が凹のために生じましたか。凸のために生じました。天地の道理です。東洋思想も陰陽を中心として話をしますが、陰陽が合徳(和合)しなければなりません。そうでなければ未完成品です。その陰陽の合徳は何によってするのですか。愛です。ですから、男性が女性のために生まれたのは何のためですか。愛のためだというのです。男性の愛は男性にあるのではなく女性にあります。女性の愛は男性にあります。私自体に愛があるのではありません。

宇宙の根本は、愛と生命と血統です。神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体です。それがなければ、人間は愛を感じられません。私も愛をもっています。生命をもっていて、血統をもっています。それは、自分一人では分かりません。しかし、自分の相対が現れれば、愛の周波数が来ます。生命が動くのです。血が沸きたちます。それは誰に似てそうなっているのですか。根本がないところでは生まれることができないのです。

それを見るとき、神様も同じだというのです。神様も愛をもっていて、生命をもっていて、血統をもっています。それでは、成熟したということはどういうことですか。成熟するということは、異性に対して愛を求めるということです。その時は、世界がみなその中に入ります。そして詩人にならない人がいません。思春期には、すべての人が詩人になるのです。

一人の男性ならば、それは男性を代表したものです。「私は男性を代表している」と考えないですか。何をもってそのように考えることができるのでしょうか。勉強して、お金を集めて、権力をもってそのように考えることができますか。絶対にできません。世界の男性たち中で、愛することにおいて負けない代表者として立ったというときは、すべての男性たちが「それは正しい!」と言うのです。愛の代表者になったとすれば、すべての人が好むというのです。悪い人、良い人を問わず、みな好むのです。女性も同様です。

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宇宙の根本真理を探すために神様と談判 人間は第一原因から始まりました。第一原因とは何ですか。その名前はどうでもよいのです。そのお方は私たち人間が描く理想をもったお方です。行ったり来たりしながら、適当なことを考えるお方ではありません。絶対者なので、そのお方が考える理想は絶対的です。どの教主でも、そのお方以上にはなれません。優秀な教主や宗教指導者、世の中を騷然とさせるほどの宗教者がいるとしても、神様を中心としなければなりません。自らを中心とすれば、大変なことになります。それは、人間はあくまでも第一存在ではなく、結果的存在だからです。

第二存在である人間は、どのようにして生まれましたか。私にとって第一存在は父と母です。その父と母の第一存在は祖父と祖母です。このようにさかのぼるのです。祖父と祖母の第一存在は先祖です。先祖の第一存在は第一先祖です。人間の第一先祖の第一存在は神様です。神様がいるとすれば、そこまでさかのぼるのです。

その神様のみ旨とは、どのようなものですか。宗教を立てて個人を救うのですか、家庭を救うのですか、国家、世界、天地を救うのですか。地上と天上に地獄がありますが、救いというものは、天上天下の地獄をなくし、天国をつくろうとするのです。そのようなお方が絶対善なるお方です。

私はこのような問題について非常に悩み、宇宙の根本真理が何かと、談判祈祷を捧げました。そうして、神様を発見しました。「あなたを発見したので、死に物狂いです。根本を教えてください」と談判しました。私は身もだえしながら、神様に「あなたはどのようなお方ですか」と尋ねながら、根本思想を明らかにしたのです。

今日、神様がいるのか、いないのかということが世界的問題です。そこから唯物史観と唯心史観の二元論が生じました。心が先か、体が先かということです。ところが、分かってみると、心も先ではなく、体も先ではありません。体と心が一つにならなかったために、このようなことが広がったのです。民主世界は心を拡大させたものであり、共産世界は体を拡大させたものです。これが互いに争うのです。この争いをどのようにすれば止めることができますか。民主世界と共産世界を一つにすることより、皆様自身の心と体を一つにすることが先決問題です。

このような問題を考えながら、悩んで標語として立てたのが「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」でした。第一標語がこれでした。すべての人、すべての教団が世界と天地を支配しようとしますが、自分自身を主管できずにいるのです。そのように身もだえしながら、十年間さまよい歩きました。涙もたくさん流しました。

自分の家の父母を中心として、絶対的に一つになりなさいと教えるのが孝子の道理です。国を中心として教えるのが忠臣の道です。孝子と忠臣は通じます。それをもう少し拡大して言えば、聖人の道です。皆様が信じている教祖たちは聖人ですか、聖者ですか。イエス様も孔子も釈迦牟尼も、聖人です。

真の信者とは、教主の愛を受けられる人 四大宗教において教主の中の教主とは誰ですか。最高の頂上は二人ではありません。山頂に登るときは東西南北の方向から登りますが、山頂は一つです。真の信者はどのような人でしょうか。

仏教の僧侶たちが大勢参加し、高位の僧侶も来られましたが、釈迦が「私たちの高位の僧侶がナンバーワンだ」と言えば、どれほど良いでしょうか。それでは、釈迦が願うこととは何でしょうか。霊界に行ってみれば、お金は必要ありません。知識も必要ありません。そこに行ってみるとそうでした。権力が必要ありません。お金をいくらでも創造でき、ダイヤモンドの星も造ることができる神様です。絶対者であり、知識と権力の大王であられます。春夏秋冬の四季を越えて、永遠に自由自在に行使できるお方です。そのお方に何が必要でしょうか。

仏教信者は釈迦の信任を受ける人ですが、信任されることが第一ですか。違います。結局はどこに行かなければならないのかといえば、外的関係から内的関係に行かなければなりません。誰よりも釈迦の愛を受ける人でなければなりません。皆様は信任される人になりますか、愛される人になりますか。母は子女を絶対的に信じますが、息子だといって絶対的に信じているだけで、じっとしていてはいけません。懐に抱いてお乳を与えながら愛してこそ喜びます。本性がそうなっています。

ですから、教主と信者も、先にお話ししたような関係です。「家和万事成」の関係ですが、その関係をどのようにしてもたなければならないのでしょうか。教理を中心とした関係は立派です。しかし、教理は道を教えるのです。道理を教えるのです。道というものは、行く道を言います。方向を教えるのです。行って何をするのでしょうか。釈迦に会い、イエス様に会って何をしますか。みな教主に会ってみたいと思いますが、出会って何をしますか。イエス様のものを自分のものにし、自分のものがイエス様のものになるとすれば、どれほど良いでしょうか。結局は帰依だというのです。同等な立場に行くことが信者の願いです。

その同等な立場に行こうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。釈迦を中心として父方の叔父の関係が良いでしょうか、母方の叔父の関係が良いでしょうか、僕の関係が良いでしょうか。信者たちに「あなたはどんな関係になることを願うか」と尋ねるとき、「釈迦の息子になり、娘になることを願う」と言うでしょう。それが最高の結論です。息子、娘は相続を受けます。そして、共に住みながら、どこでも一緒に行くことができます。どこでも同参できます。父子の関係において愛を中心とするようになれば、相続を受けることができます。愛の属性の中には相続権があるのです。

男性と女性が互いに愛し合うとき、夫のものは誰のものになりますか。夫のものは妻のものになります。また妻のものは夫のものです。ですから、貯金通帳を二つもって暮らす夫婦がいるとすれば、その夫婦は偽者だということができます。それは荷物をまとめるための準備と同じだというのです。それを正さなければなりません。根を直しておかなければなりません。

釈迦と弟子の関係はそれと同じですが、イエス様に「信者たちに何を望まれますか」と尋ねれば、「私たちの何代の孫よ、僕のように働け」と言うでしょうか。キリスト教の牧師たちは、「神様の僕」と言いながら祈祷を捧げます。なぜそのような祈祷を捧げるのですか。神様のみ前に、僕にしかならなくてよいのですか。僕の上には養子がいて、庶子がいて、直系の息子がいます。僕から三段階を越えてこそ、息子、娘になるので、同じ価値なら息子と言えばよいのに、なぜ僕と言うのでしょうか。

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私が霊界と宗教界に関する問題を中心として苦心してみると、神秘的な世界があることを知るようになりました。神様がいるのか、いないのかというとき、神様は間違いなくいます。最近では、関係の世界が問題になっています。一つの家を見ても、父子の関係、夫婦の関係、兄弟の関係から成っています。それだけでありません。家庭と家庭の関係もあります。いくら自分が立派だったとしても、家庭の関係において脱落してはいけません。自分と家庭の関係、家庭と家庭の関係、氏族と氏族の関係で、中心は何ですか。人間は関係の世界を離れることができないのです。

「家和万事成」という言葉があります。「家和万事成」になろうとすれば、祖父と祖母の関係が理想的でなければなりません。夫婦関係と兄弟関係が理想的でなければなりません。祖父と祖母が自分たちだけで喜び、夫婦同土、あるいは兄弟同士だけで喜んではいけません。祖父と祖母と父母、父母と息子、娘、縦横の前後左右ですべて和合してこそ、「家和」になるのです。「家和」は難しいというのです。なぜですか。私たち個々人の体と心が争っているからです。三十八度線が問題ではなく、世界の戦争が問題ではありません。戦争の動機とは何か、その根本か何力というとき、「私」なのです。

宗教生活は体を主管し、心に従って生きる生活 「人」といえば男性と女性がいます。男性と女性は心と体の両面をもっています。宗教を信じるのに、心と体で信じなければならないでしょうか、心でだけ信じなければならないでしょうか。心と体が一つになって信じるのが理想的ですが、それを一つにできなかったとき、神様は先に心を中心として一つになるようにします。主体である心を通して一つにするのです。

心がまっすぐだというのは、垂直を前提に語る言葉です。心を中心として神様と完全に一つになって、体を一つにしなければなりません。これが今日、宗教者が一生をかけて達成すべき課題です。どのようにすれば心が体を支配できるでしょうか。そこには二つの方法があります。神様と共に生きながら、神意を知る立場に立たなければなりません。神様のみ旨を中心として生きなければならないのです。ところが、体がうまく従ってきません。心がプラスなので、体がマイナスになれば、どれほどよいでしょうか。しかし、体もプラスになろうとするというのです。プラスとプラスとになるので、反発するのです。

それでは、どのように一つにしなければならないのでしょうか。根本理想を求め、強力な信仰心で、その変わらない心で絶対的な姿勢を備えて、体を弱体化させなければならないので、苦行をするのです。苦行を好む人がいますか。苦行を好む人が世の中のどこにいるかというのです。千人いても万人いても、すべての人が嫌います。数億の仏教信者がいるならば、その中で苦行を好む人がいるかというのです。

それでは、それを無理やりするところで、理想が実現できますか。それは理論的に矛盾です。喜んで行っても難しいのに、無理に行って完成するというのは矛盾です。宗教生活は体を主管する生活ですが、プラスである心を中心として、体をマイナスにするためのものです。マイナスさえつくっておけば、「一つになれ」と言う必要がありません。体がマイナスに戻ることによって、体と心は一つになるのです。

神様はなぜ体を打たなくてもよいように創造できなかったのかと言いながら、神様を否定する人々がいます。理由は分からなかったとしても、人間が病気になったのは事実です。僧侶たちがいらっしゃいますが、いくら修行に励みながら念仏を覚えても、肉体の欲望を捨てることはできません。その欲望は生きています。どれほど強いか分かりません。精誠を込めて修行に励んでも、うまくいきません。欲望が行こうとする道と、その世界の前進過程は、公式のようなものです。

それでは、宗教を中心として、なぜ体を苦労させなければならないのですか。良心基準に対して体を弱化させることによって、体が心に従うようにするためなのです。体を弱体化させて、およそ三年間引っ張っていきながら、習慣になるようにしなければなりません。それは絶対的に信仰を強調するためです。絶対的にほかのことを考えてはいけないというのです。父と母、兄弟、自分が愛する人、国と世界の雑多なことをすべて捨てて、絶対的な道理を立てて体を修養し、帰一点を見いだすのです。どのような宗教もみな、そのように教えなければなりません。そうでなければ、宗教世界の発展をもたらすことはできません。人格革命をもたらすことはできないのです。

ですから、断食と絶食をし、苦行しながら社会に出ていって迫害を受け、反対を受けなければなりません。修養の目的成就のためには、体が死にそうだといって大騒ぎしても、物ともせずにすべてのことを忘れなければなりません。心に体が順応できる自我を見いだすためのつらい生活が宗教生活です。そうでない人はみな偽者です。普遍的で妥当なこのような観を中心として見るとき、良心と体を一致させるために、経典が教える内容以上の境地にまで体の修行をしようという人が、仏教で言えば真の仏教信者です。またキリスト教で見れば、真のキリスト教信者です。

申し訳ない話ですが、僧侶たちが妻を得て、息子、娘をもったとすれば、家族を率いて心の世界の統一圏を形成するということが、どれほど大変でしょうか。彼らを背負っていくことがどれほど大変でしょうか。そのような問題を簡素化するために、出家するのではないかというのです。

出家して何をするのでしょうか。完全な道の成就、その目的を成就したあとで、男性と女性の修行者が一つにならなければなりません。それで、終わりの日には、今まで教えたすべての修行の時代が終わり、修行者たちも結婚しなければならない時が来るのです。

外的な世の中では、結婚に失敗し、多くの問題が現れています。悪神の巣窟、悪魔の巣窟、サタンの巣窟になっています。神様は、「この滅びる者たち、お前たちは人倫、道徳を中心として背信の道を行くので滅びるだろう。しかし、お前たちを正すために標本が必要だ。僧侶が結婚し、神父や修道女たちが結婚して標本になるべきだ」と語るでしょう。経典を通してこのようなことを解釈できますか。経典にはありません。四大聖人はすべて教主です。宗教の教祖です。その教祖を中心として数千年の歴史を経てきながら、人類を教化させてきました。神様は天運を動かす中心の絶対的神様ですが、教主たちの志が良いので、彼らを立てて教材として使ったのです。ですから、「私たちの教主は神様だ!」と言ってはいけません。教主を「絶対的神様だ」と言うならば、問題が大きいというのです。

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9.根本思想 日付:一九九〇年一月十二日

場所:韓国、ソウル、中区、長橋洞宗教会館

行事:文鮮明先生御夫妻韓国宗教協議会訪問歓迎式

各教団の重鎮であられる皆様に、このようにお会いできましたことを、感謝を申し上げます。宗教指導者たちが教団のために奉仕し、その教団自体が自分の使命を果たすとき、大韓民国の未来に希望があると思います。そのためには、一つの教団だけではいけません。互いにどのように和合しなければならないかという問題ですが、単に宗教界だけでなく、世界の政界を見ても、思想界を見ても、問題になります。いずれ人類は一つの目的点に向かって帰結されるということです。

人生問題と神様を中心とした聖人の教え 内外の世界を見れば、政治、経済、文化、社会を中心として、歴史をつないできた数多くの国家群があります。そして、内的世界を見れば、各教団が存在します。これらの教団の各教主は異なりますが、世界を指導すべき責任があるのです。これを人に比較すれば、宗教は心のようなものであり、一般社会は体のようなものです。

しかし、人間自身を見るとき、その体と心がいつ統一されるのでしょうか。どのような聖人でも、「私の教理を通して体と心を一つにした。心と体が争うこの戦争を平和にした」と自信をもって宣言した人がいないことを、私たちは知っています。外的世界と内的世界がこのように対立していて、外的世界である国家主権者たちから今まで宗教界は弾圧を受けてきました。多くの犠牲に遭ってきたというのです。反面、宗教界は打たれるだけで、外的世界を打ってみたことがありません。いつでも、打たれながら大きくなってきたのです。これが根本問題です。それで、きょうのお話の題名は「根本思想」です。

私は大韓民国の白衣民族の一人として生まれましたが、宗教という問題を中心として誰よりも苦心した人です。さらには、人生と人間の問題について深く苦悩しました。人間の問題を誰が解決しなければなりませんか。人間同士では解決できないというのです。それでは、何によって解決しなければなりませんか。聖人の教えで解決しなければなりません。

聖人といえば、皆様が御存じのとおり、特に四大宗教の教主をいいます。その教主たちは、何を中心として生涯の道を歩みましたか。それは絶対的な価値の問題なのですが、神様がいるかという、神様に関する問題でした。

宗教が哲学と異なるのは何かというと、宗教は神様と共に始まりましたが、哲学はそうではないというのです。宗教を見れば、その背後には神秘境と連結されていますが、神様という背後で動く主体を中心として、み旨を広げるために出発しました。ですから、その教主たちは、生活舞台で神様と共に歩んだ人たちです。

神様と共に出発するその生活とは、どのような生活でしょうか。個人的生活でしょうか、そうでなければ家庭を中心として出発した生活でしょうか、氏族を中心として神様と共に生きる宗教の生活でしょうか。あるいは、私たち自衣民族を中心として出発したものでしょうか。これが問題になります。また、国家と共に出発したのでしょうか。世界問題と霊界と肉界、天と地までの問題になるのです。

宗教が出発するとともに、家庭救援の論理を唱えた宗教がどこにありましたか。社会救援、氏族救援、国家救援を主唱して出発した宗教がありましたか。大多数の宗教は個人の救いを主張します。個人が救援されなければならないというのです。個人を中心として出発しました。ですから、高次的な宗教であるほど、その教主が教える教理は、現世と隔離させる内容です。出家を強調するのです。単に仏教だけでなく、キリスト教も同じです。

出家というものは何ですか。大韓民国の民としてある氏族を通して生まれたなら、その伝統的歴史の背景がすべて私を包囲しているので、その背後の前衛隊のような家庭を否定するのです。出家するということそれ自体は、国を否定しなければならず、社会を否定しなければならず、家庭を否定しなければならず、家庭において父子関係までも否定しなければならないのです。これが問題になるのです。

私たちが生活するうえで、運命の道は私たち個々人が努力して開拓できますが、宿命の道は開拓できないのです。父子の関係を切ることができるものとは何かというのです。これが問題になります。ある独裁者が「あれはお前の父親ではない!あれはお前の息子ではない!」と千年、万年教育したとしても、その関係を切ることはできません。

出家において、父子の関係まで否定していく原因がどこにあるのでしょうか。これは問題が大きいのです。出家は、父母との関係をそのままにしていくのですか、それを拒否して自分自らの道の目的を成就するために、自分を中心したすべてのものを片づけて自己完成を標準としていくのですか。それはあくまでも、自己完成のみを標準にしたものなのです。

宗教の起源、そして神様との関係 すべての宗教は自己完成を標準としています。ですから、すべての高次的な宗教は、独身生活を強調します。父母の血縁までも否定させ、その次には後代までも否定させます。深刻な問題です。カトリックや仏教も同じです。世界を否定し、国を否定し、自分の家庭を否定し、自分の父母を否定し、男性が女性を否定して、女性が男性を否定しますが、なぜこのようにしなければならないのですか。根本問題がここから出てきます。そのような問題が、深刻な問題にならざるを得ないというのです。

なぜ否定しなければならないのかという論理、その教理をどのように教団で探し立てるのかということです。キリスト教も曖昧です。仏教や儒教もそうです。「元亨利貞(げんこうりてい)は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である」という言葉があります。どれほど良い言葉ですか。ここで「天」とは神様のことですが、天が存在しても、始まりとともに永遠に関係を結ぶことのできるものでなければ、理想的な天として侍ることができないのです。始まりとともに過程と終わり全体が、永遠に天でなければなりません。その天と共に私が幸せでなければなりません。不幸ではいけません。その天と一つになるとき、すべての存在が羨まなければならず、すべてのものがそれを崇めながらついていくことができなければなりません。そして、その個体が生まれたある特殊性、韓国民族なら韓国民族にだけ限定された内容ではいけないというのです。人種を超越し、思想を超越していくものでなければなりません。

このように見るとき、神様と共に生きるところから教団が始まったというのです。ここで教主と神様との関係を見るとき、神様についていかなければならないか、教主についていかなければならないか、ということが問題です。教主と神様の関係では、教主も神様についていかなければならないのです。その神様が絶対的な神様ならば、絶対的についていかなければならないというのです。その絶対的についていくことのできる神様と私の関係、神様と教主の関係を知らなければなりません。神様と教主の関係と、教主と私の関係をいかに連結させるかということは、簡単な問題ではありません。

9.根本思想 日付:一九九〇年一月十二日

場所:韓国、ソウル、中区、長橋洞宗教会館

行事:文鮮明先生御夫妻韓国宗教協議会訪問歓迎式

各教団の重鎮であられる皆様に、このようにお会いできましたことを、感謝を申し上げます。宗教指導者たちが教団のために奉仕し、その教団自体が自分の使命を果たすとき、大韓民国の未来に希望があると思います。そのためには、一つの教団だけではいけません。互いにどのように和合しなければならないかという問題ですが、単に宗教界だけでなく、世界の政界を見ても、思想界を見ても、問題になります。いずれ人類は一つの目的点に向かって帰結されるということです。

人生問題と神様を中心とした聖人の教え 内外の世界を見れば、政治、経済、文化、社会を中心として、歴史をつないできた数多くの国家群があります。そして、内的世界を見れば、各教団が存在します。これらの教団の各教主は異なりますが、世界を指導すべき責任があるのです。これを人に比較すれば、宗教は心のようなものであり、一般社会は体のようなものです。

しかし、人間自身を見るとき、その体と心がいつ統一されるのでしょうか。どのような聖人でも、「私の教理を通して体と心を一つにした。心と体が争うこの戦争を平和にした」と自信をもって宣言した人がいないことを、私たちは知っています。外的世界と内的世界がこのように対立していて、外的世界である国家主権者たちから今まで宗教界は弾圧を受けてきました。多くの犠牲に遭ってきたというのです。反面、宗教界は打たれるだけで、外的世界を打ってみたことがありません。いつでも、打たれながら大きくなってきたのです。これが根本問題です。それで、きょうのお話の題名は「根本思想」です。

私は大韓民国の白衣民族の一人として生まれましたが、宗教という問題を中心として誰よりも苦心した人です。さらには、人生と人間の問題について深く苦悩しました。人間の問題を誰が解決しなければなりませんか。人間同士では解決できないというのです。それでは、何によって解決しなければなりませんか。聖人の教えで解決しなければなりません。

聖人といえば、皆様が御存じのとおり、特に四大宗教の教主をいいます。その教主たちは、何を中心として生涯の道を歩みましたか。それは絶対的な価値の問題なのですが、神様がいるかという、神様に関する問題でした。

宗教が哲学と異なるのは何かというと、宗教は神様と共に始まりましたが、哲学はそうではないというのです。宗教を見れば、その背後には神秘境と連結されていますが、神様という背後で動く主体を中心として、み旨を広げるために出発しました。ですから、その教主たちは、生活舞台で神様と共に歩んだ人たちです。

神様と共に出発するその生活とは、どのような生活でしょうか。個人的生活でしょうか、そうでなければ家庭を中心として出発した生活でしょうか、氏族を中心として神様と共に生きる宗教の生活でしょうか。あるいは、私たち自衣民族を中心として出発したものでしょうか。これが問題になります。また、国家と共に出発したのでしょうか。世界問題と霊界と肉界、天と地までの問題になるのです。

宗教が出発するとともに、家庭救援の論理を唱えた宗教がどこにありましたか。社会救援、氏族救援、国家救援を主唱して出発した宗教がありましたか。大多数の宗教は個人の救いを主張します。個人が救援されなければならないというのです。個人を中心として出発しました。ですから、高次的な宗教であるほど、その教主が教える教理は、現世と隔離させる内容です。出家を強調するのです。単に仏教だけでなく、キリスト教も同じです。

出家というものは何ですか。大韓民国の民としてある氏族を通して生まれたなら、その伝統的歴史の背景がすべて私を包囲しているので、その背後の前衛隊のような家庭を否定するのです。出家するということそれ自体は、国を否定しなければならず、社会を否定しなければならず、家庭を否定しなければならず、家庭において父子関係までも否定しなければならないのです。これが問題になるのです。

私たちが生活するうえで、運命の道は私たち個々人が努力して開拓できますが、宿命の道は開拓できないのです。父子の関係を切ることができるものとは何かというのです。これが問題になります。ある独裁者が「あれはお前の父親ではない!あれはお前の息子ではない!」と千年、万年教育したとしても、その関係を切ることはできません。

出家において、父子の関係まで否定していく原因がどこにあるのでしょうか。これは問題が大きいのです。出家は、父母との関係をそのままにしていくのですか、それを拒否して自分自らの道の目的を成就するために、自分を中心したすべてのものを片づけて自己完成を標準としていくのですか。それはあくまでも、自己完成のみを標準にしたものなのです。

宗教の起源、そして神様との関係 すべての宗教は自己完成を標準としています。ですから、すべての高次的な宗教は、独身生活を強調します。父母の血縁までも否定させ、その次には後代までも否定させます。深刻な問題です。カトリックや仏教も同じです。世界を否定し、国を否定し、自分の家庭を否定し、自分の父母を否定し、男性が女性を否定して、女性が男性を否定しますが、なぜこのようにしなければならないのですか。根本問題がここから出てきます。そのような問題が、深刻な問題にならざるを得ないというのです。

なぜ否定しなければならないのかという論理、その教理をどのように教団で探し立てるのかということです。キリスト教も曖昧です。仏教や儒教もそうです。「元亨利貞(げんこうりてい)は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である」という言葉があります。どれほど良い言葉ですか。ここで「天」とは神様のことですが、天が存在しても、始まりとともに永遠に関係を結ぶことのできるものでなければ、理想的な天として侍ることができないのです。始まりとともに過程と終わり全体が、永遠に天でなければなりません。その天と共に私が幸せでなければなりません。不幸ではいけません。その天と一つになるとき、すべての存在が羨まなければならず、すべてのものがそれを崇めながらついていくことができなければなりません。そして、その個体が生まれたある特殊性、韓国民族なら韓国民族にだけ限定された内容ではいけないというのです。人種を超越し、思想を超越していくものでなければなりません。

このように見るとき、神様と共に生きるところから教団が始まったというのです。ここで教主と神様との関係を見るとき、神様についていかなければならないか、教主についていかなければならないか、ということが問題です。教主と神様の関係では、教主も神様についていかなければならないのです。その神様が絶対的な神様ならば、絶対的についていかなければならないというのです。その絶対的についていくことのできる神様と私の関係、神様と教主の関係を知らなければなりません。神様と教主の関係と、教主と私の関係をいかに連結させるかということは、簡単な問題ではありません。

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汎宗教的浄化運動、実践奉仕運動 尊敬する宗教議会の代表の皆様。私たちが今日の現実を直視するならば、私たちは信じてばかりいるときではなく、行動すべきときであることを直感するのです。私たちの社会に澎湃している深刻な問題点、価値体系の混乱、道徳的退廃、麻薬とテロ、戦争と大量虐殺、人種問題、人権と富の均等問題、無神論に立脚した共産主義の問題など、数多くの弊害は何を物語っているのでしょうか。神様を離れた人類が、無神論に立脚した物本主義、世俗的な人本主義、享楽主義などに便乗してたどり着いた、世紀末的な現象なのです。このすべては、この世代の精神的•霊的枯渇と信仰心の衰退に根本原因があるという結論とともに、宗教者たちをむち打っているのです。

今日の世界に誰が責任を負うことができますか。軍事力や政治力ですか。でなければ、財力や技術力ですか。決してそのような力ではありません。神様はこの時代の預言者であり祭司格である宗教指導者たちに、この問題を解決しなさいと勧告していらっしゃいます。

すべての宗教者たちは、この世代の霊的基盤の欠乏に対して責任を痛感し、深く痛悔しなければなりません。長い宗教の歴史の中で、宗教者たちは生きていらっしゃる神様を正しく証することに不足だったのであり、愛の実践をおろそかにすることで無神論が蔓延し、また共産主義が世界に澎湃していることを、痛切に自ら叱責する宗教者になるべきだと思うのです。

今日、神様は私たちを呼んでいらっしゃいます。すべての宗教者は、深い自己反省の内的基台の上で、力強く立ち上がり、あらゆる不正が乱舞する現実に挑戦し、神様のみ旨を地上に実現するめに、創意的な努力を果たさなければなりません。生きていらっしゃる神様が願われる人間との関係は、経典や礼拝儀式の中だけでの関係ではありません。信義を抱いて二十四時間の生活の中でこれを実践する、自覚された心の中に住まわれながら、人間と共に生活されることを願われます。

私は、世界と人類の未来に対する長年の省察と祈祷を通して、今の世界を覆っている神様の情熱的な願いと強い聖霊の役事を感じてきました。これは、世界が必ず新しくならなければならず、宗教指導者が世界的に団結するだけでなく、懺悔と真の奉献の姿勢を整える汎宗教的浄化運動、実践奉仕運動が起こらなければならないと教示しています。世界は変わらなければなりません。新しい宗教改革の炎が燃え上がり、至る所で生活信仰、実践信仰の価値を高く、高く、とどろかせなければなりません。そして、無神論者たちの前に生きていらっしゃる神様を証明する、生きた信仰の炎がなければなりません。真の平和世界は、宗教を通した精神革命、愛と慈悲による大きな和合によってのみ実現されるのです。

教団間の和合を通して平和世界実現を早めなければならない 尊敬する代表の皆様。私たちは神様の崇高な召命の前で、反目と誤解の無知が氾濫する世俗の泥沼を抜け出し、相互尊重および親善で、世界の教団が大きな協同体制を構築しなければなりません。そうして、行動する宗教者の意志と実践を地球星の隅々に見せなければなりません。

宗教は単に未来を待望することで終わるのではありません。神様の最初の創造目的の地が地上なら、私たちが地上に実現すべきそのお方のみ旨を忘れてはいけないのです。天国や極楽が神様の理想的な居所ならば、そこに行くことだけが希望ではいけないのです。現実において理想の起源になる対象存在のために生き、愛し、与える実践と、その実績が必要条件になるのです。

宗教が現実的規範原理や所在を超越しているからといって、その現実的作用までも無視してはいけません。宗教は、現実問題自体に至大な関心をもって、神様のみ旨の適用可否を深く調べなければなりません。また、政治、経済、社会、教育など、各分野の現実問題を解決すべき人々の心の中に、神様を中心とした新しい変化を起こすことによって、彼らが新しい人となって問題を解くようにさせなければなりません。

生きた心霊をもった宗教者たちが、宗教の真理をもって現実社会に飛び込むことを、神様は求めていらっしゃいます。真理をもった人、神様と根本的な交流をもった人は、どこでも生命の役事を起こし、影響を与えるようになっています。真の宗教は世の中についていくのではなく、神様のみ旨に立脚して世の中を諭し、万人を先導しなければならないので、反対と迫害と騒乱が起こるようになっています。教団間の和合と大同団結、そして実践信仰の新しい運動は、孤独な開拓者的な道を行くかもしれませんが、これは歴史的•世界的次元で考える多くの清新な人々の、大々的な呼応を受けることになるでしょう。

私はこれまで、神様が願う摂理の方向に従って世界を改革し、地上に神様の理想を実現することに尽力してきました。また、統一教会を最も優先的に動員して、宗教間の和合を通した世界平和の目標のために投入してきました。

皆様が属する各教団も、積極的にこの道に協力して、共に行くことを私は心から願います。これは、私がこの分野の努力を中断するからでもなく、統一教会の援助を惜しんでいるからではありません。全宗教の伝統の霊的資源と創造力を動員して、神様が願われる方向に総結集することによって、平和世界の実現を早めようとしているからです。

神意の地上実現という「世界宗教議会」の成果 皆様が御存じのように、この「世界宗教議会」は歴史的な企画であり成果です。世の中でも国連機構などをつくって和平を模索していますが、教団間に争いがあっていいでしょうか。私は長い間、既存の教団や指導者が出てきて、宗教議会を積極的に推進してくれることを待ち望みました。しかし、誰かが必ず果たすべきこのことを待ちきれずに、私が始めました。

この集い自体が意味のあることですが、今後、回を重ねれば重ねるほど驚くべき成果を上げるようになることを期待します。

第一段階は、世界の宗教の伝統が互いに尊重されながら、相互に交流する関係の中で和合し、集約されることによって、少なくとも宗教間の葛藤と戦争を防止することに寄与し、第二の段階は、宗教会議の共同決議を通した宗教者の実践生活と汎教団間の協力体制によって世界に奉仕し、人の心霊を啓発することが促進されることによって、万人を神中心の価値観で生きるようにし、第三の段階は、実質的な教団代表たちが参加する議会にまで発展しなければならないと思います。

そうして、宗教議会で神意に立脚した高次元の価値観と生活規範が確立され、これが全宗教者と団体、国家に波及するようにしなければなりません。このような個人、団体、国家であってこそ、神様のみ旨の地上実現のための基盤となり、単位になるのです。すべての代表の方々は、今回の会議の期間中、全体会議あるいは分科会議で発表や討議、各宗教芸術の発表、瞑想と祈祷などのプログラムを通して、今日の世界を指導し、宗教界を改革して明るい未来を創出する霊的基盤を造成し、互いに和合することに大きく寄与してくださることを願います。

私たちは、今から和合した力で「神意の地上実現」という世界史的宗教の使命を完遂するために、総進軍しなければなりません。最後に、この議会の準備委員会の代表の皆様の企画と準備のための労苦に感謝申し上げ、また実務要員たちの苦労をたたえます。神様の御加護と祝福が、この歴史的な大会と代表の皆様にあることを祈ります。

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対話と連合 日付:一九八五年十一月十六日

場所:•アメリカ、ニュージャージー、アメリカーナ•グレート・ジョージ•リゾート

行事:「世界宗教議会」創立総会

尊敬する議長、各教団から集まってこられた指導者および学者、そして紳士淑女の皆様。私はこの「世界宗教議会」の創始者として、代表の皆様を心から歓迎するとともに、私たちがきょう、この場を共にしたことが、簡単な出来事ではないことを想起していただこうと思います。

世界八十五ヵ国から、あらゆる宗教と文化、伝統と儀式、血統と環境の垣根を越えて、このように集って心の門を開けて和合し、人類の未来を心配すること自体が、一つの偉大な成就であり、また神様も、この歴史的な場を喜んで見つめられることでしょう。

永遠なる真の愛、理想、幸福、平和を願ってきた人間 きょう、この場に私たちが、たとえ人生の根本問題に対する解答や人間の苦悩の本質に対する理解、また人類の平和を模索して完成する方法などが互いに異なる、様々な宗教の伝統を背景として集まったとしても、私たちは神様を中心として各自の究極的関係を確立し、すべての問題を解決しようとする共通の期待をもっています。

洋の東西を問わず、人間はたとえ罪悪と不信と混沌の中に生きているとしても、永遠で真の愛と理想と幸福と平和を絶えず願い続けてきました。悪を指向する欲望の誘惑を退け、善を追求する欲望に従って本心が喜ぶ幸福を見つけようと、ありとあらゆる努力をし尽くしてきました。歴史を通した人類の経験では、このような目的を成就することは不可能だという結論が出てくるのですが、人間の本性は、これを簡単に放棄することはできません。民族と伝統に関係なく、人生が追求する究極の道は一つなのです。

この目標の成就が人間の力だけでできないとすれば、私たち人間を超えて永遠で真であられる絶対者を探し、そのお方に依存せざるを得ないはずです。私たちは、自らの人生が有限であることを知っている唯一の存在です。人間は、自分自身を超越し、自らの運命を開拓していくことができないので、これができると思う対象者、すなわち神様に依頼するようになっているのです。その神様が真の愛、真の理想、真の平和と幸福を願われるとすれば、そのお方を通してのみ、これが可能になると思うのです。神様を通して人類が追求してきた理想的要件を成就するためには、そのお方が提示する内容を私たちが知って、具体化しなければならない、という結論に至るようになります。

私は霊的体験を通して霊界に対する内容を知り、神様との深い交流をもちながらそのみ旨と愛と心情を確認しました。宗教は単に真理や倫理を教えるだけではなく、神様に絶対的に依存し、関係を結びたいと思う人間の本然の心情に連結されています。

人生において、真の宗教的直観は絶対的であり、無限なのです。私たちはこの直観によって、私たちそれぞれに対する神様の召命を聞くことができます。この境地は宗教の形式を超越し、何かの制度によって遮ることのない本然の交流です。ですから、これは宗教のもとにあるのではありません。このような関係においてのみ、人間は完成と幸福を所有します。この境地において、神人の関係は一つであるとともに、全体なのです。

そして、神様がこのように人生の背後で作用してきた超越的な力とその関係性は、もし人類が願いさえすれば全体に通じるものなので、人生が進むべき道は二つにはなり得ないのです。個人の道がそうであり、その理想的な個人が歩む家庭の道、国家、世界の道もまたそうなのです。すべての道は、絶対者、神様が理想とする愛と幸福と平和の世界を指向するのです。愛や理想、幸福や平和という言葉は、独りでは成立しない言葉なのです。これは、必ず相対的関係において成立する言葉なので、絶対者であられる神様だったとしても、その理想は独りでは成し遂げることができないのです。

宗教の究極的目標は平和理想世界の建設 神様が一人だけで何かを愛して、一人で理想をもって何をするというのでしょうか。神様の創造の動機も、このような点から理解しなければなりません。神様の理想を成就させ、神様の愛を成就させる対象が人間です。人間を通してのみ、神様の愛と幸福と平和の理想的要件が成就されるので、本然の人間とはどれほど貴い存在でしょうか。神様と人間の関係は、たとえ格位は違うとしても、愛と幸福を中心として一体理想を形成する関係なので、本然の父母と子女の関係になります。神様が永遠で絶対的なように、その対象である人間も絶対的であり、永遠の内容をもった価値的存在になるのです。人間は神様の理想を実践する目的体です。神様の永遠で絶対的なみ旨は、人間と完全一体となったところで成就するので、人生の目的もまた、絶対的で永遠なのです。

神様は永遠、不変、絶対なので、その理想とした創造目的も、永遠、不変、絶対であり、一つの目的で統一された単一の理想世界を形成することでした。今日の罪悪と分裂と不信の世界は、人間が本然の道から離れて堕落したからです。このような人間を救援される神様の摂理は、宗教的基盤の上で人間をして原状回復をさせることです。ですから、救援摂理はメシヤによる復帰摂理なのです。

神様の創造目的が絶対的なように、復帰摂理の目的も必ず成就されるのです。したがって、メシヤの理想は、決して漠然としたものではなく、具体的な私たちの生活圏で必ず成就される神様のみ旨です。このような点で宗教の目的は、私たちの実生活で神様のみ旨を具体化するものです。神様が救援の全体的摂理のために、時代と民族と環境によって適切な宗教をおかれ、神様の基台を広げてきました。したがって、全宗教の究極的な目標は、神様のみ旨である平和理想世界を成し遂げることなのです。宗教は、教団内での救援や個人救援を考える前に、世界の救援という神様のみ旨を心配しなければなりません。今の時は、汎宗教的に神様の真意を再探求すべき時だと思います。

私が知っている神様は、宗派主義者ではありません。枝葉的な教理理論に縛られたお方ではありません。私たちは、教義の文字や儀式の条件に融通性なく縛られる、神学的葛藤から早く抜け出し、神様と生きた交流をもたなければなりません。信徒たちの信仰が蘇生し、各自の心霊が神様と交信する、純粋な宗教風土の造成が急がれていると思います。

神様と父母の心情、そして偉大な愛には、民族や皮膚の色の区分がありません。国家や文化の伝統や、東洋と西洋の壁もありません。神様はきょうも、万民を同じ子女として抱くために努力していらっしゃいます。私たちは教団間の対話と和合を通して、神様の創造目的であり人類の共通の希望である、単一平和理想世界を必ずや実現しなければなりません。

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救援歴史は神様の血統に接ぎ木する重生の歴史 このように真の愛は貴いものなので、真の愛を蹂躙することは宇宙的な犯罪になるのです。不倫、青少年たちの淪落、家庭破綻、近親相姦、同性愛、形容し難い性犯罪など、今日の現実は神様を悲しませています。創造理想は崇高で、永遠の愛を中心とした家庭理想の成就にあるのですが、なぜこのような結果を招いたのでしょうか。それは終末を迎え、人間始祖の堕落した結果がそのまま結実することによって、蒔いたとおりに収める世紀末的様相を呈するようになったからである、と言うことができます。

時間の関係上、ここで詳しく説明することはできませんが、私が糾明した原罪と堕落の曲折は、人間の最初の家庭において起きた天使長との不倫の事件でした。「統一原理」でいうサタンは、観念的存在や仮想の存在ではなく、霊的実体です。神様の愛の理想を破壊し、神様の血統を、サタンを中心とする血統に変えた元凶です。イエス様も、ヨハネの福音書第八章で、人類の父が悪魔であることをはっきりと語られました。神様が、御自身の外的な体であるアダムとエバを通して実現しようとされた愛の理想を剥奪した愛の姦夫が、正に悪魔サタンなのです。皆様にはなじみがないかもしれませんが、私が霊界を開拓し、宇宙の根本の曲折を糾明しようと、血の涙を流す闘争をした結果として得た結論がこれです。皆様も真剣に祈ってみれば、解答が得られるでしょう。

神様が長い間、サタンを即決処断なさることができなかった理由とは何でしょうか。サタンが、神様の愛の理想を奪っていき、神様の代わりに偽者として、内的父母の立場で人類を管掌しているからです。ですから、このサタンの血統的な基盤を清算できなければならないのです。

堕落によって神様と人間の愛の関係が断絶し、また人間相互間にも、愛を中心とした本然の授受関係が成立できなくなってしまいました。人間相互間における愛を中心とした調和統一も、生命の喜びも、そして理想と幸福の関係も完全に破壊され、互いに怨讐になって敵対視し、不信に思う世の中になってしまったのです。神様の創造の計画は、人間を真のオリーブの木として造り、これらが繁殖した真のオリーブの園を地上全体につくろうとするものでしたが、サタンが人間始祖を堕落させて偽りの血統の始源を形成することによって、偽りのオリーブの園をつくってしまったのです。神様はサタンが掌握する偽りのオリーブの園では、条件なしに切って接ぎ木することはできません。

神様が宗教を立てて教育してきたのは、神様のみ旨のままに切って接ぎ木できる、すなわち神様が管掌できる野生のオリーブの園をつくる摂理なのです。このような宗教的な基盤の上に、真のオリーブの木であられるメシヤを送り、より大きな神様の愛に接ぎ木しようというのがメシヤ思想です。聖書の中にある重生の根本の道理も、このような点から理解ができるのです。

神側では、サタンの偽りの愛の圏にいる人間を、より大きな神様の愛で取り戻してきて重生させるのです。人間は偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通して生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の愛の血統を通して再び生まれてこそ、神様の子女、神様の民になるのです。イエス様の十字架の血潮の貴さも、最後の晩餐の儀式も、すべて血統転換を通して神様の子女になる摂理を形象的、象徴的に表すものです。人類は生まれ変わらなければなりません。これは堕落人間の運命的な道です。

私たちはどのような困難があっても、この道を行かなければなりません。救援歴史が神様の血統に接ぎ木する重生の歴史だとすれば、私に属した過ぎし日のすべてのもの、すなわち所有観念、伝統、意識の一切を完全に否定しなければなりません。既に持っているものは、神様のみ前にそのまま認定を受けることができないのです。ひとまず取り消し、整理したあとに生まれ変わらなければなりません。これは木を接ぎ木するとき、根元の部分だけを残してみな切って、なくしたあとに接ぎ木するのと同じです。

真のオリーブの木として来られたイエス様は、すなわち真の父母でいらっしゃいます。私たちを生み変えてくださる真の父母です。ですから、私たちに過去の因縁を捨てなさいと強くお教えになりました。聖書のマタイによる福音書第十章三十六節以下を見れば、人の怨讐が自分の家族だと言われ、また自分の父母や子女を捨てて御自分についてきなさいと言われていますが、これも、捨ててしまわなければならない偽りの血統であるという点から理解しなければなりません。

神様とメシヤのために生きて死ぬことがキリスト教徒の特権 敬愛する聖職者の皆様。神様のみ旨を受け入れ、これを実践して成就すべき聖業が私たちの課題です。私たちは神様のみ手に結ばれた人にならなければなりません。神様の求めに応じる人にならなければなりません。自分の必要に応じて自分だけの救援、私だけの天国のために神様を求めてはいけません。神様とメシヤのために生きて死ぬこと、これがキリスト教徒の特権ではありませんか。偉大な神様のみ旨を成就する宗教であり、教派にならなければなりません。狭い教派的な自己主張の中に神様がお入りになることはできないのです。私が知っている神様は、宗派や教派主義者ではありません。枝葉的な教理理論にしばられた神様ではありません。神様の父母の心情、そして大きな愛の心のもとでは、民族と皮膚の色の区分がありません。国家や文化伝統の壁もありません。神様はきょうも、万民を同じ子女として抱くために努力していらっしゃいます。

聖職者の皆様。宗教の自由の天国だと信じてきたアメリカで、レバレンド•ムーンの投獄が契機となって、宗教の自由の運動ののろしが全国を席巻したということが、偶然なことでしょうか。それは、背後で役事される神様の経綸があったからです。また、自由民主主義の旗手として自任しながら、共産主義の脅威があるとは想像もしなかったこの地で、カウサ(CAUSA)運動を通して全世界が共産主義の脅威の深刻性を悟り、教派の障壁のない、真の超教派的運動が燎原の火のように燃え上がっている、このような現象が偶然でしょうか。

アメリカは神様を愛する建国精神で立てられた国です。特に第二次世界大戦直後から神様はアメリカを本格的な世界救援の先導国として、また歴史始まって以来、初めて世界統一圏を主導する国としてお立てになり、再臨のメシヤの臨在を準備するとともに、世界を見守るようにされたのです。しかし、不幸にもアメリカは、このような大きなみ旨を知らず、世界から徐々に手を引こうとし、自国だけで定着しようと企図したとき、内外的に受難と問題に直面するようになりました。今、アメリカは人種問題、価値観の混乱と社会の倫理と道徳の退廃問題、霊的枯渇とキリスト教信仰の没落問題、無神論に立脚した共産主義の問題など、深刻な問題を抱いています。私が神様の召命を受けてこの国を訪ねてきた理由は、ここにあります。

今日のキリスト教は大きく覚醒し、団結しなければなりません。私たち牧会者たちも今まで果たしてきた役割を再点検し、悔い改めなければなりません。あたかもイエス様が来られて、悔い改めよと叫ばれたその時の情景が、二千年過ぎた今、この地上で繰り返されていると見なければなりません。私たちは、神様がアメリカに命令された重大な使命を果たさなければならないのです。今、このままでは絶対にいけません。新しい宗教改革が起こらなければなりません。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト教的に世界的文化革命を主導するところまで進まなければなりません。

私たちは、きょうを契機として大きく奪起し、神様の愛のもとで固く手を取り、一つになって、来られるメシヤを迎え、神様の願いを成し遂げてさしあげる、キリスト教の本然の道に総進軍しなければなりません。神様の祝福が、皆様と皆様の家庭、そしてすべての教団とアメリカに満ちあふれることを祈ります。

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神様のみ旨 日付:一九八五年八月二十日

場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ•ショーハム•ホテル

行事:宗教の自由連盟主催ダンベリー連邦刑務所出監歓迎晩餐会

尊敬する宗教の自由連盟委員長、そして委員の皆様、全国から集まってくださった聖職者の皆様、そして紳士淑女の皆様。このように挙国的に、超教派的に意義深い場を準備して、私の出監を歓迎してくださったことに対して、心から感謝を申し上げます。

さらに、私が法廷闘争を行っているときから法廷嘆願書、宗教の自由に関する集会、特別祈祷会、同苦の会、カウサ聖職者連合に参加するなど、積極的な支援をしてくださった聖職者の皆様に、重ねて感謝を申し上げます。また、多くの方々が私に激励の書簡を送ってくださり、祈祷で支援してくださったことなどに対し、忘れることのできない感謝の気持ちをもっています。

神様のみ旨と人間の完成 私は今回で、私の生涯において六度目の監獄生活を経験しました。難しい立場でも神様と感動的な交流をすることができました。以前もそうであったように、今回も私が個人的な理由や失敗によって監獄に入ったのではありません。ですから、獄中で迫害者を恨み、自らの無念さを訴えることよりは、神様のみ旨を立てるために、神様のみ旨に従うべきアメリカと世界を心配する、深い瞑想と祈祷を捧げる有益な時間をもつことができました。

私の決意と生涯は、世の中が知ることのできない神様の恨を解いてさしあげ、神様のみ旨をこの地上に成し遂げることです。私と私たちの運動は、今日に至るまで、深刻な無理解と迫害が続いてきました。神様のための至上課題の前には、親族から認められないことが問題ではなく、一般大衆や教団、または国家や世界が反対することが問題ではありませんでした。私は生涯を通して神様の深い心情と愛を確認し、これを証してきました。ですから、私にとって神様は、想像の中の漠然とした神様ではなく、生きていらっしゃる神様であり、私の心情と私の細胞一つ一つで体恤される神様でいらっしゃいます。

神様のみ旨のための道において、同役者(共に働く人)であられる牧会者の皆様。皆様がきょう、私の出獄をこのように歓迎されるのは、レバレンド•ムーン個人に対して歓迎しているのではなく、神様のみ旨のために生きてきたレバレンド•ムーンを歓迎するものであると思います。この機会に、私たちすべての最大関心事であり、一番の課題である「神様のみ旨」について一考することで、きょうの私の挨拶に代えようと思います。

神様は、永遠、絶対、不変のお方です。ですから、そのお方のみ旨も、永遠、絶対、不変であるに違いありません。神様が人間を創造されるとき、目的と理想をもって創造されました。その目的が成し遂げられた世界は、愛によって統一された世界であり、神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす、神様を中心とした人類大家族の世界です。

愛の本体であられる神様は、愛のために人間を創造されました。愛は独りで成立するものではありません。したがって、神様が絶対に必要とされる唯一のものは、その愛を施せる対象、すなわち神様が愛することのできる対象なのです。相対がいてこそ愛することができます。愛と心情の本体であられる神様は、その愛が動機となって宇宙を創造されたのであり、特にこの期間に、創世記第一章二十七節のみ言どおり、神様に似た実体対象として人間を創造されたのです。ですから、万民において、神様は永遠な無形の内的父母であり、完成したアダムとエバは永遠な有形の外的父母(先祖)になるのです。最大の愛は、主体と対象が永遠の愛を与え合い、完全に一つになるときに現れて結実します。真の愛の中では自動的な統一が展開し、また生命が連結されて理想が実現されるのです。

神様のみ前で最も貴い対象存在であるアダムとエバが、神様の愛を中心として父母と子女として、主体と対象として、また無形の創造主と有形の実体として、完全調和統一された永遠の愛と生命の理想を成就することが神様のみ旨でした。よく、創造主と被造物は対等な立場に立つことができないものだと言われてきました。もしそうだとすれば、その創造主の前には愛の理想の実践は不可能なのです。神様の愛の理想は、子女であるアダムとエバを有形実体対象として立て、永遠に彼らと合一するというものでした。コリント人への第一の手紙第三章十六節のみ言のとおり、神様は人間の中にいらっしゃることを願われます。無形である神様の愛の理想が実体の人間を通して実現される起点は、人間が神様の対象体として完成する瞬間です。人間が神様を中心として人格的に成熟し、心と体が完全に一つになることによって、神様の愛と理想と生命の永遠の対象になることを意味します。アダムとエバが神様の子女として理想的個体になれば、やがて理想的家庭に発展し、次に理想的社会、国家、世界へ発展して、絶対愛に対する感応で得た生命の喜び、幸福の理想、そして調和統一の天国を完成するのです。

無形の主体としていらっしゃる神様は、果てしなく遠い始源から、愛の宇宙史的刺激を充足させる対象を慕わしく思ってこられ、有形無形の完全な対象体として人間と相まみえるその愛の刺激がどれほど大きかったでしょうか。神様がアダムとエバを地上に造られたので、天国は地上で先に造られ、地上で理想的な生活をして霊人体が天上の永遠の天国に行くようになっているのです。

人間は主体と対象、すなわち相対的なカップルとして造られ、また人間のために存在する全万物世界も愛の原理のもとに調和し、また人間の愛によって生命と理想を実現するようになっています。

万物世界は人間にとって、特に成長するアダムとエバにとって愛の教科書であり、愛の真髄が無尽蔵に陳列された博物館です。神様の一つの性をそれぞれ代表したアダムとエバが、神様が許諾された愛の教科書である自然の中で愛を体恤しながら、完全に育って横的に一体となる相対理想を実現することが、宇宙史的な神様の創造の希望でした。

神様の愛は、神様と人間が主体と対象として縦的な愛の関係を完成することだけを目標とされたのではありません。縦的な愛を完成してアダムとエバ自身の横的愛の結実をもたらそうとされたのです。その瞬間が正に、内的父母であられる神様が、外的父母であるアダムとエバと完全一体となるために臨在される、愛の理想成就の瞬間です。無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をまとわれて、有形世界に永存なさる父母になるのです。この時、アダムとエバは真の父母、真の先祖になるのです。

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国税庁の起訴は職権濫用 この歴史的な裁判について少しお話しいたします。大勢の統一教会の信者たちがこの国に到着し始めたとき、国際的教会事業のための特別基金がつくられました。長い間の名誉な伝統に従って、教会の信者たちがこの基金を管理する人として、教会に代わって私を選択するようになりました。私はこの基金を公開して取り扱い、隠匿しようとしたことは一度もありませんでした。事実はと言えば、ニューヨークの主要銀行に預金をしていました。「この基金は、教会の目的のために使われる教会基金ではない」という何の証拠もありませんでした。

それにもかかわらず、IRS(国税庁)は私を起訴しようと際限のない努力をし始めました。途方もない公的な圧力と議会次元の圧力がIRSに加えられたあと、大掛かりな調査が始まりました。結局、数百万ドルの納税者たちの税金であるお金を使ったあと、IRSは教会基金として預けた私名義の銀行預金において、利益に対する収益報告をしなかったとして、私を起訴しました。政府の論理に従うならば、いわゆる脱税総額が七千ドルないし一万四千ドルでした。実際において委任された教会基金を、宗教指導者が取り扱う慣習は、長い間の光栄ある慣習です。カトリックの司教たちから一線の牧会者に至るまで、多くの宗教指導者たちは、まだ毎日この慣習に従っています。そして、私が実際に私個人の経費のために引き出した基金に対しては収入税金を納付したにもかかわらず、アメリカ政府はこの事実を黙殺してしまいました。すなわち彼らは、一人のなじみの薄い宗教指導者を告訴したのです。

政府が私を迫害しようとやっきになって犯した権利の乱用をすべて表現しようとすれば、限りないでしょう。しかし、この権利の乱用は善良な正義の人々には知られていません。統一教会は、多くの人々にとって聞き慣れない教会であるにもかかわらず、私に対する告訴と有罪判決の状況に対して、未曾有の抗議が起こりました。私が連邦最高法院に出した嘆願書には、四十団体以上の「法廷の親友たち」の支持を受けました。これらの有名な機構と個々人は、政府の反宗教的権利の乱用に対する深刻な憂慮を現す、十六種類の訴訟摘要書を出しました。私の嘆願を支持する法廷の親友たちの中には、次のような方々がいます。

全国キリスト教協議会、カトリック宗教および市民権擁護連盟、長老派、アメリカ•バプテスト教会、全国福音伝道師協会、南部キリスト教指導者会議、アメリカ•キリスト教学校協会、アフリカ監理監督教会、キリスト教法律協会、末日聖徒キリスト教会、アメリカ市民自由連合など、これら有名な互いに異なる機構は異口同音に、IRSが今日知られていない一つの宗教を効果的に迫害できるならば、あすは既存の教会の自由が脅威を受けるだろうと語りました。私が熱心に祈祷するのは、IRSが私と私の教会に下した権利の乱用が、正義と自由を愛するアメリカの人々の注目の対象になることです。この偉大な国を復興させ、キリスト教建国精神を復興させようとする神聖なみ業に、貴殿も参与されることを要請するものです。

私たちは、アメリカの重要性とキリスト教と伝統的価値改善の緊迫性を痛感しているため、統一教会の運動はこの目的のために貢献する多くの事業を運営、または後援しています。国際宗教財団、新しい福音研究協会、神様会議などの事業を通して、神様とすべての宗教の間の理解を増進、改善しようと、あらゆる宗教の神学者たちを迎えて努力しています。

私たちはまた、神様のみ旨を学界に展開することもしています。「国際文化財団」は科学と絶対価値に対する例年の会議を後援しています。「世界平和教授アカデミー」、「バラゴンハウス出版社」、「ワシントン公共政策研究所」などの機構に学者を迎えています。宗教の理想は人類に奉仕することによって現れなければならないので、私たちは「国際救護財団」と「自活奉仕団」などの事業を始めました。全体主義の理念から万人を救援するために「国際勝共連合」、「大学原理研究会」、「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」のような機構を設立しました。大衆媒体の責任性の基準を樹立しようと「世界言論人会議」、「ニュース•ワールド•コミュニケーション」を創設しました。後者は、いくつかの新聞を発行しています。その中で「ワシントン•タイムズ」は国家の政策に対する代案を提示しようと創設されました。この事業だけのためにも、一億ドル以上のお金がかかりました。

アメリカのために数多くの事業を展開 これらの事業には、教会信徒たちの愛を通した犠牲はもちろん、途方もない財政的資源が要求されます。数億ドルがアメリカに投入されました。なぜなら、この国が世界の運命を決定するからです。私の運動において、アメリカは基金の受取人であって基金の出処ではありません。もしアメリカを失えばすべてを失うという確信のもとで、私たちは働いています。神様が頼れる国はこの国だけです。貴殿が私の事業の範囲を理解されるならば、私が七千ドルないし一万四千ドルの、アメリカ政府に出す税金を詐取するためにアメリカに来たと信じることができるでしょうか。

今から、貴殿と貴殿の教会信者が地上で神様のみ旨を成就するために、共に働く統一運動に参与してくださることを願います。統一教会の信仰と慣習に対する多くの誤解と誤認があることは、私もよく知っています。アメリカの立派な紳士たちが、統一運動において私たちを理解し、協力するとともに、私たちと建設的対話を分かち合うことを切に望みます。統一運動をしている私たちの信仰を、この手紙ですべて御説明申し上げることはできませんが、私たちの信仰の教義を詳しく説明するビデオテープと印刷物を貴殿に送るよう、私たちの教会幹部たちに要請しました。まだ貴殿がこの贈り物を受け取っていないとすれば、近いうちにお受け取りになれるでしょう。

貴殿がこれらを評価して、また私が貴殿に申し上げようとするお話を考慮してくださる時間があることを願います。私たちの根本的な使命は、全世界がキリストの中で愛し合い、団結するようにし、家庭を復帰するとともに、神様を中心とした観点で無神論に反撃することです。このような意味で貴殿がこのビデオテーブとその他の印刷物を受け取られるものと信じます。

この手紙を読んでくださって、誠にありがとうございました。貴殿が、私が申し上げたことに賛同されようと賛同されまいと、私たちは互いに愛し、尊敬し、手を取り合って神様に奉仕できることを、心から祈るものです。神様の祝福が貴殿に、永遠に共にあることを願います。

一九八五年二月文鮮明牧師より

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6.統一運動に参与することを期待します 日付:一九八五年二月二十八日

場所:アメリカ、コネティカット、ダンベリー連邦刑務所

行事:アメリカ牧師に送った獄中書信

親愛なる牧師の皆様。ダンべリーから貴殿と貴殿の教会信者たちに心からの御挨拶を申し上げます。私は文鮮明牧師と申します。獄中から貴殿にこのような書信を差し上げたことに驚かれるかもしれません。貴殿は恐らく、三十年ほど前に私が韓国で創設した宗教運動についてお聞きになったことがあるだろうと思います。

十六歳(数え)の復活節に出会ったイエス様の啓示 貴殿がこの宗教運動についてお聞きになったことや読まれたものは、恐らく敵意に満ちたものであり、歪曲されたものであると推察されます。このような事実が私を甚だ胸痛くさせています。私はこの誤解を解いてさしあげたいと思います。しかし、それよりも重要なことは、貴殿が私と統一教会に関してどのような意見をもっていらっしゃったとしても、世界的な国家であると同時にキリスト教国であるこのアメリカに対する私の衷心に満ちた観を、貴殿と共に議論したいと切に願っています。私がお話ししようとするすべてのことに対して、貴殿が賛同するとは決して期待していませんが、貴殿が私の声に耳を傾けてくださり、考慮してくださることを望む次第です。私は、北朝鮮にある一地方のまじめな儒教家庭で生まれました。十歳の頃、全家族がキリスト教に改宗しました。私は改宗とともに深い感銘を受けました。私はこの新しい信仰に愛着をもち、以前に誰かを愛した以上にイエス様を愛しました。

私は数えの十六歳の時に、普通では考えることができない経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈祷のうちに、イエス•キリストが私に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、深奥かつ驚くべきことについて、多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類ゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして私に、「地上での神様のみ業に対する、特別な役割を果たしてほしい」と要請されました。

それは既に四十九年前のことです。その後、多くのことが起こりました。私は学業を続けながら、聖書を勉強しました。私は、万民が聞いて知ることのできる深奥なみ言をイエス様から受けました。このみ言を人々に教えたといって、私は何度も逮捕され、収監されて激しい拷問を受けました。三年間、北朝鮮の死の監獄にいました。この監獄では人々が数ヵ月もたたずに死んでいきますが、主が三年間私を保護なさり、また私をして激しい苦痛から生き残るようにされました。その後、数年間多くの人々にみ言を伝播する機会がありました。そのようにして今日、統一教会は百二十余ヵ国に約三百万の信徒をもっています。

今日、神様には頭痛の種が三つあります。第一に、無神論的全体主義、特に共産主義の拡大です。共産主義は制度的に宗教に反対し、神様に対する信仰をなくそうという理念をもつ偽りの宗教です。過去六十年間に、共産主義は何と一億五千万人の生命を奪い取っていきました。私は直接、共産主義の監獄で死ぬような拷問と苦役に服しました。共産主義は世界的に拡大し、また宗教と神様を信じる人々を抹殺しようとしています。

第二に、神様の頭痛の種は道徳的没落です。特に全世界の青少年たちの退廃の姿です。伝統的な家庭の価値の没落と腐敗した大衆媒体の影響は、若者たちをして使命感を失わせました。数百万のアメリカの青年たちは、神様に対する信仰を失い、価値に対する尊敬心を失い、自分への尊敬心さえ失いつつあります。麻薬の乱用、性的不道徳が荒れ狂っています。若者たちはこの世界の未来を担っています。彼らが腐敗すれば、次世代のどこの誰が宗教を信奉して、神様に仕えるでしょうか。

最後に、神様を最も悲しませるのは、キリスト教信仰の不協和および分裂です。神様はお一人でいらっしゃいます。イエス•キリストもお一人です。しかし、今日、五百ないし千種類のキリスト教の教派が乱立しています。この地球上のある所では、キリスト教徒だと自任する人々が、神様の名のもとにお互いの命を奪い合っています。時には平和に共存もしますが、彼らの信仰は日増しに力を失い、退廃し、また冷めていきつつあります。キリスト教の信仰は熱気を失い、問題の多い現在の世界での挑戦に失敗を繰り返しています。

善であり慈悲、正義の勢力と暗黒の勢力との宇宙的闘いにおいて、神様はこの国アメリカに特別な祝福をされました。神様はキリスト教をして真の信仰を取り戻させ、神様の愛を中心とした天国の家庭を形成する場所としてアメリカを立てられました。神様はアメリカを、この上なく愛されます。アメリカの偉大性は、その膨大な自然資源にあるのではなく、また途方もない繁栄にあるのでもありません。それは、この国の建国精神、正にそこにあります。「神様のもとにおける万人の自由と正義のための国」を建国しようと勇敢な男女たちがここアメリカに来ました。アメリカは様々な種族と様々な背景をもった人々が、一つの調和を形成した世界で唯一の国です。白人、黒人、黄色人のすべてが兄弟姉妹である一つの人間家族です。神様を私たちの父と認定するとき、この理想は実現されるのです。

神様が私をアメリカに呼ばれた理由 一九七一年、神様は頭痛の種を解決しようと私をアメリカに呼ばれ、キリスト教を復興させる運動を導かれました。その後、私はキリスト教を団結させ、道徳性を回復し、無神論的共産主義を撃破する運動のために、神様のみ言を伝播し、アメリカの人々を鼓舞させました。

アメリカは本当に天が選択した国であり、キリスト教的愛と統一の手本として選択された国であるとともに、苦痛の中にあるこの世界のために自ら犠牲となり、奉仕するように選択された国です。しかし、今日のアメリカは危険な岐路に置かれています。一方ではキリスト教の復興、神様を中心とした道徳と家庭の価値の回復および無神論的共産主義に抵抗するために叫ばれる神様の声があります。そうであるかと思えば、他の一方では、暗い宗教の非寛容性がアメリカで幅を利かせています。この偉大なアメリカ全域にわたって、信仰的な人々は迫害され続け、罰金を出さなければならず、逮捕され、投獄され有罪宣告を受けています。皮肉なことに、この偉大な社会の一部では、宗教的理想を復興させているかと思えば、一方では暗黒勢力が神を恐れぬ不道徳および腐敗に向かって走っています。

きょう、監獄にいながらも、私が神様に対して感謝していると言えば、驚かれるかもしれませんが、これは絶対に本当のことです。なぜなら、このような獄中の難しい過程を通して、私は貴殿とこのようなお話を分かち合うことのできる機会をもつようになり、直面した危機を貴殿にお知らせし、また歴史的なこの瞬間に私たちに与えられた恵みの機会を、貴殿と共にもつようになったからです。

私がいかにして、きょうこの監獄にまで来るようになったのかを、簡略に御説明申し上げようと思います。私は自らの禍福については無関心です。私の入獄が神様のみ旨に役に立つならば、これ以上感謝することはありません。しかし、明らかなことは、私がアメリカ政府によって迫害を受け、差別待遇を受けたということです。すなわち、アメリカ政府は信仰的な熱意に対して、ますます敵意を抱く、驚くべき兆しを見せています。

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5.世界平和のために宗教間で和睦しよう 日付:一九八四年八月十四日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第四次宗教一致会議および世界宗教青年指導者セミナー(代読)

尊敬する議長、高名な学者および聖職者の皆様、世界宗教青年大会の参席者、そして紳士淑女の皆様。私は、「神様に関する今日の討議」の第四次会議の場所であると同時に、「第三次世界宗教青年セミナー」の終着地でもある韓国にまで来られた皆様を、心から歓迎するものです。

この二つの行事がきょう、このように韓国で合流するようになったのは、偶然のことではありません。歴史的に見るとき、韓国は世界の宗教が唯一、集結した地でした。早くから仏教と儒教がここでその根を深く下ろし、互いに調和しながら、在来の檀君神話と土俗信仰の流れの中に習合して受け継がれてきました。そして、一九八四年はカトリックの韓国伝来二百周年であり、プロテスタントの韓国伝来百周年になる年です。単一文化圏の中で主要宗教の相互共存と相互発展の過程が歴史的に進行してきたこの地では、多様な宗教的教訓が「隠遁の国」の民たちの胸に深く入り込んでいます。

正にこのような土壌に私たちの統一運動が宿り、出現してきたので、この運動は、汎世界的次元で「多様性の中での合一」を模索し、「神様のもとに全人類が一家族」であることを悟った基盤の上で、愛と共感と調和の世界を成し遂げようとする運動です。

このような理想世界を創建するために、私たちは全体的なモデル、すなわち青写真をもたなければなりません。

統一運動が提示する理想世界の姿は、心と体が一致した完成した一人の人間に比喩することができます。神様を中心とした人間の精神および霊的生活から、人生の理想と目的が出てきます。神経組織は心がしようとすることを各細胞に伝達し、四肢五体から入ってくる情報を頭脳に伝達します。この授受の過程が順調なとき、個人は調和が取れた状態にあると言うのです。

人類全体の精神的および霊的生活が、一個人のそれと比べることができるならば、人類社会の経済的で外的な側面は、個人の身体と比べることができます。人類の霊的理想と神様に向かう念願と愛は、宗教を通して社会と文化の中に表現され、それを中心として神学、哲学、芸術およびあらゆる文化が巡っていくのです。ここにおいて、宗教指導者、神学者および哲学者は、あたかも人体の神経組織のように、神様から来るメッセージを解読して、全人類に伝達しなければならないのです。

きょうの現実を改善し、新しい文化革命を成就するに当たって、宗教指導者および学者の皆様が、決定的な役割を担当できると私は信じています。歴史的に見るとき、宗教指導者たちと学者たちは、古代インド、中国、中近東およびギリシャで文化創建の先駆者たちでした。これは初期のキリスト教とイスラーム文化圏でも例外ではなく、文芸復興と宗教改革、または啓蒙思潮においても同じでした。

しかし、今日の科学技術の急速な成功とともに、宗教は現実世界の諸問題を解決することに失敗し、宗教のこのような姿に幻滅を感じた数多くの人々が、共産主義の反宗教的旗じるしのもとに集まりつつあります。しかし、共産主義は暴力を手段とし、究極的に神様を拒否して、諸宗教の目標を挫折させ、人類の主眼を物質的次元に限定させようとしています。共産主義に傾いた相当数の人々は、自分なりに高い夢をもち、人種と国家の垣根を越えて活動しようとしている事実を、私が知らないわけではありません。しかし、この人たちの情熱と理想主義は、神中心の思想と活動によってのみ補完され、完成に向かう道を見いだすことができるのです。

正に、ここに宗教指導者たちと学者の皆様が、献身的に先頭に立つべき時代的要請があるのです。「神様会議」と「世界宗教青年セミナー」、また「国際宗教財団」の諸般の活動は、このような理想を実現するための機構であり、テストケースであり、フォーラムなのです。

皆様は、学問をもって皆様自身を世界と神様のみ前に奉献するよう召命されています。皆様は共同体の中で神様を代弁し、神様から来る愛と希望を隣人に伝達して、世の中の人々が人類と神様に奉仕する仕事をするに当たって、その手伝いをする使命を受けています。これは、皆様の教会や寺院や会衆を悟らせ、神様を中心とした自由と平和の世界を築くために動員されることに連結されるのです。

この世俗化した時代に宗教のできることは何かと、尋ねてくる方が大勢います。それに対する私の所見は、世界の宗教が価値観の普遍的かつ不変的な土台、すなわち絶対価値を提示し、すべての政府がその上で真の調和をつくり出せるようにすべきであり、科学技術が正しい価値観のもとで人類に有益な方向に進むように指導すべきでしょう。地上のすべての文化圏が神中心の伝統のもとに純化され、高揚されて万人に共有されるとともに、末永く後代に伝承されるようにしなければなりません。

私が語るこの理想は、地上に神様の王国を建てることであると、心から言うことができます。そして、私はこのことが可能だと信じます。ある方々は、私がとても理想主義的だと評していますが、私もこれを認めます。しかし、私には他の選択の余地がありません。神様が私を直接呼ばれたのであり、このような使命を下さったからです。

私は今まで、神様の理想を教えることだけに終わったのではなく、地上に神様のみ旨を実現することに生涯を捧げてきました。これまで私が推進してきた宣教、教育、学術、勝共、教団および教団間の和解、社会奉仕などの活動がそれです。これらの中でも特に強調したいのは、教団および教団間の和解運動です。

今日、人類が直面している大きな問題は、数多くのキリスト教の教派と様々な世界宗教、そして各世界宗教の内部からもたらされている相互無理解の現状です。この問題を解決しようとする多様な努力にもかかわらず、宗教の共同体間の対立と敵対感は依然として続いています。過去数世紀の間に繰り広げられた宗教戦争は、きょうも終結することなく続いています。相互一致のために数多くの運動が試みられてきましたが、篤実な信仰者たちの間では、まだ非寛容、宗教的偏狭および傲慢の風潮が澎湃(ほうはい:盛んな勢いでわき起こること)しています。そのために、大部分の宗教が同じ神様に仕え、甚だしくは同じ教理をもっているにもかかわらず、宗教者たちは相互弾圧と敵対行為を継続してきました。

私たちは、神様が教団主義や教理的党派主義を超越していらっしゃるという事実を悟らなければなりません。神様の目的は、いつも全人類を救援されるところにあり、特定の民族や人種や宗教団体だけを救援しようとされるのではなく、これは今、この時間にも変わることはありません。宗教者として私たちが相互間の争いと敵対行為を終息させなければ、世の中を救援しようとされる神様を助けることはできません。多くの宗教指導者たちがこれを痛感してきましたが、様々に複雑な理由のために、この問題の解決はいつも挫折してきました。

私が強調してきたことは、世界平和のための必須の条件が正に宗教間の和睦であるということでした。今まで、ある一つの宗教が神様を完全に代弁することは不可能だったので、宗教がもっている多様な見解は、必然的な産物です。しかし、私たちは、お一人の天の父母の子女であるがゆえに、私たちは一つの大家族の中の兄弟姉妹なのであり、したがって、宗教間の葛藤と憎しみは不必要なものです。

私はかつて霊的探求の道で神様と何度も対面し、世界宗教の創始者たちとも霊的に出会いました。今も私は、引き続き神様の臨在とそこから来る霊感による交信を、生活の中で体恤しています。神様がいらっしゃらないとすれば、抑圧され、搾取されていた弱小民族の地の片田舍で生まれたこの人が、どうして無理解と迫害の中で世界的な霊的基盤を築き上げることができたでしょうか。そして、きょう、世界の宗教指導者たちのこの水準高い集いを主催し、このような演説をすることができるでしょうか。私たち統一運動の目標と手段は、神様が下さった指針によって設定され、採択されてきたという事実を、明らかにしておこうと思います。すなわち、このすべてのものは、私の私的所見や活動ではなく、正に神様に由来したものなのです。

「国際宗教財団」は、一九九三年に世界宗教議会を開催しようと計画しています。この行事は、一八九三年にシカゴで開かれた世界宗教議会の百周年を記念するためのものです。一九九三年のこの行事を準備するために、二度の予備集会が開催される予定ですが、その一つは一九八五年末にニューヨーク市近郊で行われる予定であり、もう一つは、一九八九年に開かれるようになるでしょう。この予備集会には、それぞれ七百人以上の宗教指導者、学者、一般信者代表、芸術家、そして青年たちが参加するようになるでしょう。この二つの予備行事と一九九三年の主行事は、それで終わることなく、未来のより大きな集いに連結されるよう推進されるでしょう。

いずれにせよ、このような行事は世界的に超宗派の広場を準備するように計画され、その目的はすべての生命体に内在している普遍的な原理を明らかにしていき、その原理の多様な発現を十分に高揚させようとするところにあります。これとともに世界宗教議会は、全人類が希求する世界平和の成就も模索するでしょう。その会議の参席者全員に、現代の霊的状況と当面の問題に関する各自の意見をやり取りする機会が提供されるでしょう。

世界宗教議会の目的は、政治的または教理的な立法をすることではなく、世界宗教間の相互に対する尊敬心を培い、宗教間の協力を奨励するところにあります。そして、その議会の主題は「霊的刷新と神中心の世界平和実現」であり、これに関連するその他の多様な問題も合わせて討議されるでしょう。

この場に来てくださったことに対して、重ねて感謝を申し上げます。私は今回の大会が人間の考えを標準として神様を考える集いでなく、神様の本来の理想を探索する集いになることを願います。皆様の真剣な研究と討議によって、この時代に対する神様の願いが大きく発現することを祈ってやみません。ありがとうございました。

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アメリカの意図的な宗教裁判 皆様が私のこのような膨大な公益事業の範囲を御存じならば、私がアメリカで二万五千ドルの脱税を試みたとは、誰も思わないでしょう。私の裁判事件は、初めから脱税事件ではありませんでした。これはアメリカ政府の意図的な宗教裁判でした。

彼らが統一教会を選んだのは、統一教会が攻撃を受けても、誰も同情しないだろうと信じたからです。しかし、政府はここで大きな誤算を犯しました。すべての人の人権が保障されない限りは、人権を保障されたとは言えず、ある一人が脅威にさらされれば、国民全体が脅威にさらされることをアメリカの宗教界は、あまりにもよく知っています。

政府が権力を乱用すれば、恐るべき事態が起こります。見てください。ローマ帝国はイエス•キリストを十字架にかけたではないですか。このアメリカでは、政府がシャーマンたちを焼き殺し、カトリックを迫害し、ユダヤ教を弾圧し、また黒人奴隷制度を延長させました。正に政府がモルモン教の教祖ジョセフ•スミスを投獄し、暴徒によって殺害されるのを傍観しました。今はその政府が私を捕まえようとし、その過程で私たちの宗教の自由を侵しています。私たちは今すぐ、この政府の職権乱用を防がなければなりません。そうでなければ、次の被害者は誰でしょうか。

正にこのような重要な時点で、レバレンド•ムーンがアメリカの宗教の自由を決定づける新しい突破口になったということには、歴史的で摂理的な意味があるのです。私の有罪判決は、宗教活動自体を実践することが罪になるという意味です。宗教指導者であるゆえに、私は処罰されようとしています。

このような啞然とする事実は、アメリカの良心を揺り起こしました。宗教指導者たちと信仰人たちがついに立ち上がったのです。彼らは怒りに震えながら、闘うために行進を始めました。最も重要な事実は、広範囲な宗教界が一つの目的のもとに団結したという事実です。この宗教界の団結が、アメリカの生存を保障するでしょう。

世界最大の対立 今日、世界の中の最大の対立は、アメリカとソ連の対立ではなく、資本主義と社会主義の対立でもなく、民主主義と共産主義の対立でもありません。それは神様を信じる人と神様を否定する人の対立だというのです。

共産世界は神様を否定する世界であり、人類の夢を実現することに失敗しました。ところが、自由世界も物質万能主義に陥って神様に背き、世界の問題に対してはお手上げです。今日、民主と共産の二大世界が、すべて暗闇と混沌の中にあります。新しいビジョンがどこかで現れなければなりません。それは神様を中心とした世界観でなければなりません。

私はその新しい理念が「神主義」であることを宣布します。この理念こそ、新しい解答を提示してくれるでしょう。この理念は、神様の愛の心情の中から湧き出たものです。これはすべての宗教者と良心的な人々を統合するでしょう。真の霊魂の自由を具現するでしょう。そして、この理念が結局は地上天国の基盤になるのです。

私が発表した神様を中心とする膨大な思想体系の内容は、高次元的な理論であるため、聞く人が衝撃的な感動を受けるようになるので、いわゆる「洗脳」という言葉が出回るようになりました。これによって、一部、親の世代と言論機関の誤解を招く結果となり、私を怨讐視する共産主義者たちは、統一運動に対するデマとして世界的にこれを利用してきました。

私はきょう、アメリカの宗教の自由を保全するために、私が犠牲の祭物になったことを光栄に思います。もし私が、危機に立ったアメリカ歴史の未来を警告する灯台の光になるならば、私の犠牲は偉大な目的を達成したのです。

きょうの私たちが直面する課題は、正にアメリカと自由世界の生存そのものです。このアメリカと世界の生存と繁栄を保障するために、私はどんな屈辱も甘受し、どんな険しい所にも行き、どんな苦役でも辞退せず、どんな十字架でもこれを喜んで背負うでしょう。もし、この宿命の道を行く途中で、たとえ倒れるとしても、それによってアメリカが生き、世界がよみがえって、神様のみ旨が成就するならば、私はただ神様に対する感謝に満ちるでしょう。

神様、アメリカを祝福してください 私には怨讐がいません。自らを槍で刺す人たちを十字架上で赦されたイエス•キリストの伝統に従って、私もとうの昔に自分の怨讐たちをすべて赦しました。さらに私はアメリカ政府に対しても、敵意をもっていません。私はむしろアメリカのために祈ります。

今、この瞬間、私の心情は神様に対する感謝で満ちています。それは、神様がこの重大な時期に私を選ばれて、この国の宗教の自由を勝ち取る闘いの先頭に立つ大将になるようにされ、アメリカの大覚醒を促す導火線になるようにしてくださったからです。

議長。この機会を下さったことに重ねて感謝を申し上げます。私は次のような言葉で、私の証言を結論づけようと思います。神様、アメリカを祝福してください!ありがとうございました。

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4.アメリカと宗教の自由 日付:一九八四年六月二十六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂上院議員会館

行事:アメリカ上院法司委員会憲法小委員会、宗教の自由に関する聴聞会

尊敬する議長、上院議員、そして紳士淑女の皆様。私はきょう、宗教の自由のためのこの上院聴聞会に私を招請してくださったことに対し、深甚なる感謝を捧げるものです。また、議長が私の大法院上訴を支援してくださったことに対し、感謝を申し上げます。憲法が付与する個人の権利を守護する貴殿の高貴な行為は、数多くのアメリカ人から末永く尊敬を受けるようになるでしょう。

アメリカと宗教の自由 大法院上訴棄却が発表されて以後、アメリカ全域には、この大法院の不当な処置に抗議する宗教指導者決起大会が続々と起こっています。この大会に参加した全国一千人以上のユダヤ教、キリスト教、イスラームの指導者たちが、宗教の自由守護の大命題のもと、もし私が監獄に行かなければならないとすれば、自分たちも一緒に行って一週間ずつ服役しようと決議しました。私はこの事実を知って、大きく感動しました。私はこのような宗教の自由の闘士たちに敬意を表すものです。

きょう、この場は、歴史的な場です。私はきょう、アメリカの国会に対してのみこの証言をするのではなく、歴史と神様の前に証言するものであると考えます。私には、神様がアメリカを愛していらっしゃることが分かります。しかし、アメリカの偉大さは、豊富な資源にあるのではなく、豊かな繁栄にあるのでもありません。アメリカの偉大性は、正にアメリカの建国精神にあります。その精神は、すなわち「万人のための自由と正義が存在する、神様のもとの一つの国」というものです。

しかし、神様の望まれることは、そこで終わるのではありません。神様の究極的理想は、「お一人の神様のもとの一つの世界」というものです。私たちは、神様の子女です。五色人種(すべての人種)が兄弟姉妹として、人類大家族を形成するのです。私たちがみな、神様を父として迎えるとすれば、神様のこの理想は現実化されるでしょう。

しかし、神様は宗教の自由がなければ、その理想を実現なさることはできません。アメリカの清教徒たちは、宗教の自由は正にすべての自由の核心であり、宗教の自由なしには、それ以外のどのような自由も意味がないことを知っていました。ですから、彼らは生命を、まるで、ちりあくたのように捨てながら、信仰の自由を勝ち取ろうとしました。

ところが、今その信仰の自由は危機に瀕しています。現代のアメリカは、無神論の暗雲の中に包まれ、あらゆる宗教生活に対して、ますます弾圧を加えています。そうかと言って、私たちがこの世界を捨てて避難できる新世界は、地球上にありません。私たちは、必ず本然のアメリカを取り戻さなければならず、宗教の自由を回復しなければなりません。そうしなければ、アメリカは結局、滅びるようになるでしょう。そのようになれば、明らかに世界も滅びるでしょう。

アメリカで果たすべき使命 一九七一年、神様が私にアメリカに行きなさいとおっしゃいました。そうして、キリスト教の復興を試みて、アメリカを建国精神に戻す運動を展開しなさいとおっしゃいました。神様は私を、医師と消防士の役割をしなさいとアメリカに送られたのです。アメリカに行って、一大霊的覚醒運動を起こすために送られたのです。全世界の生存問題が、神様が賦与した使命をアメリカが果たせるか果たせないかにかかっていています。アメリカは自由世界の最後の橋頭堡です。

去る十二年間、私はアメリカのためにあらゆる心血を注ぎ、一粒の汗と涙を惜しみませんでした。このような使命を遂行してくる過程で、私は問題の人物になりました。一部では多くの非難も受け、また迫害も受けました。しかし、歴史上、迫害を受けた宗教指導者は、私一人だけではありません。旧約と新約を通して主要な預言者は、蔑視され、迫害と苦難の道を歩んだ事実を知ることができます。今日、私はこのような神聖な伝統に参与することを光栄なことと考えています。

神様はこの地上で、真の自由を勝ち取ろうとされます。自由に対する最大の脅威は、共産主義の独裁です。共産党は既に一億五千万人の無垢の人命を虐殺しました。そのうちの多くの犠牲者が宗教者です。私も北朝鮮共産党の強制収容所から九死に一生を得て助かりました。共産主義は、今日の世界最悪の非人道主義です。

しかし、最近になり、自由は後退の一路にあります。一九七五年、自由は東南アジアから後退しました。そして、数百万の人命が、また犠牲に遭いました。アフリカとラテン•アメリカの様々な国々が、続々と共産化されました。少なくとも十五億の人類が共産治下で捕らわれの身となりました。今のこの時点では、アメリカの裏庭とも言える中米一帯が第一線になりました。自由の敵たちは、彼らの最後の目標であるこのアメリカを征服するその日までその前進を止めないことを私は知っています。

アメリカで達成した十二年間の業績 私は、一九八〇年、レーガン大統領の選挙を支援しました。私はこの大統領が共産主義の侵略を防ぎ、国を神様と建国精神に戻すことを望みました。ところが、残念なことに、最も多くの宗教界の支持を受けて当選したその大統領指揮下の政府が、そのどの時よりも教会を侵害し、歴史上かつてないほどに、宗教の自由が致命傷を受けているのです。これはどういうことでしょうか。

去る十二年間、私はアメリカのために、最善を尽くしました。私にはただ一つの目標があっただけです。それは、アメリカを道徳的に強くし、神様が賦与した使命を果たし得る力量を、どんなことをしてでも育てることです。そのような一念でした。

私は、「国際宗教財園」をつくって世界の宗教の統合運動を起こし、「ニュー・エラー(NewERA: 新しい宗教一致運動)」という超教派運動を始めています。各宗派の神学者たちが集まり、神様に対する理解を増進し、互いが融合するようにしながら、現代の最も偉大な神学者と哲学者たちが集まって神様の会議を開催します。

また、学界に神様のみ旨を覚醒させてきました。私は「国際文化財団」を創設して、年次で「科学の統一に関する国際会議」を開催しながら科学と絶対価値を議論させ、志ある教授たちが集まる「世界平和教授アカデミー」と「パラゴンハウス」という出版社、そしてアメリカ、ワシントンDCに政策研究所を造りました。

また、文化の分野を通して神様に対する畏敬思想の強化に努力してきました。マッカーサー元帥の仁川上陸作戦を描いた「オー!仁川」という映画の製作がその一例です。私は、マッカーサー元帥の愛国心と神様と人類を愛する精神を、この映画で描き、その精神をアメリカの若者たちに植えつけ、彼を英雄として推戴することが、この国を愛する道へと導いていくことになると信じていたのです。

宗教的理念は、必ず社会奉仕で表現されなければならないという原則のもと、私は、教会の社会活動を支援する協議会(NCCSA)、また「国際救護財団(IRFF)」、そしてプロジェクト•ボランティアをつくって全世界の貧しい人と困難者たちを助けています。

共産主義からの解放のために韓国と日本に「国際勝共連合」を創設し、大学街の青年の道徳運動のために原理研究会を創設し、国際カウサ運動を展開しました。責任言論の暢達(ちょうたつ)のためには「世界言論人会議」と「ニュース•ワールド•コミュニケーション」を創設して、世界の至る所で日刊紙を発刊し、そのうちの一つがアメリカの首都にある「ワシントン•タイムズ」です。これは民主主義の暢達のために、バランスの取れた言論の重要性を認めているからです。この「ワシントン•タイムズ」の事業一つだけでも、何と一億ドル以上が投資されました。

しかし、このような公共的は莫大な財政が必要であり、また数多くの人たちの献身的努力によって成り立っているのです。既に数億ドルがアメリカに投入され、この莫大な資金は、主に海外から送られてきました。統一運動においては、他とは異なり、アメリカが受恵者の立場であって、援助者の立場にはありません。それは、アメリカを失えば、世界をすべて失うという私の所信だからであり、神様がアメリカを差し置いては、ほかに期待できる国が地上にないからです。

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主体と対象が一つになるのが愛の作用 人間を見るとき、人間は二重構造になっています。人には心の作用があります。心を見ることはできませんが、それは誰も否定できません。また、体も作用をしています。これはみなよく知っています。

この体がなぜ作用し、心がなぜ作用するのですか。これを主体と対象として考えるならば、一つは男性型であり、一つは女性型です。プラス的なものは見えない内的な私、マイナス的なものは見える外的な私です。それがどうなりますか。それぞれ異なる作用をします。皆様、一度手を握ってみてください。様々な形態で手を握ったでしょう。このように上げて握る人がいて、このように下ろして握る人がいます。

すべてのものが連結されるためには、主体と対象の観念圏内で動くので、必ず円形運動をします。主体と対象を基準とした作用圏内では、絶対不可避な作用をしなければならないからです。それで、どの一面であろうとすべて円形に似ているのです。

男性と女性を見れば、相対的であると同時に、根本的に作用が異なります。概して男性は背が高く、女性は背が低いのです。両手は、運動することを中心として、関係を保ちながら一つになっていきます。二つが作用するのですが、出会うところから愛の作用を成立させることができると見るのです。独りではできません。二つが共同目的をもって和合できるところから愛の作用が爆発します。それでは、どうしてその愛が爆発する作用が必要なのですか。運動をすれば必ず消耗が生まれます。力学で入力と出力を見るときに、出力は必ず入力より小さいのです。したがって、このような原則の作用世界において、いかに作用を永続化させるかということが、極めて重要な問題です。

ですから、偉大な科学者である神様は、互いに異なるすべての作用が接触するとき、爆発的な作用を加えることを考えないでしょうか。この二つが合わさることのできる次元において、作用の決着点から関係が結ばれるものが愛の作用です。おもしろい話です。ですから、もし二人がぶつかり合えば、押し出すというのです。来ては戻り、愛によって押して戻すというのです。ですから、連続作用を拡大する主流的な作用圏の行為を継続すると見るのです。

ですから、一つのプラスがあれば一つのマイナスがあります。このプラスとマイナスがどのように合うのですか。合わせるのは主体と対象による作用です。マイナスは作用しますが、絶対に損をするようには動きません。これは、自分にプラスになる基準を探すためです。プラスを探して、より大きなプラス圏内に発展し、より大きな最高の欲望の目的、最高の価値の終着点に向かって走っていくのです。そうすることで、より高い次元にある愛の位置に進んでいこうという結論が出てくるのです。

すべての存在の最後の目的は神様の愛 今日、人間の欲望というものは、すべて党派的です。経済学者は経済、知識人は学問、政治家は権力、あるいは世の中の自分の欲望、家門、歴史的背景、環境的要件などなど、とても多様な環境に引っ張られて党派的に作用しています。それは、それ自体で終わってしまうのです。人は欲望をもっていますが、ここから根本問題が生まれています。自分が主体だからです。自分が主体になって、「お前も私のところにきて、私に従いなさい」と言っています。

今日、世界人類の弊害は何ですか。お金がないことが弊害なのではありません。知識がないことが弊害なのではなく、何かの社会組織の主権がないことが弊害なのではありません。自分を中心として引っ張って、自分に従わせようとすることが弊害です。個人個人がすべて自分を主張すれば、プラス•マイナス理想の形成基盤が、一度に完全に崩れるというのです。作用は作用どおりに行い、自らを完成させながら、それがもう一つの主体と対象の関係に連結される道に行かなければなりません。

すべての存在物が自分を中心として一つになろうといえば、止まってしまうことになります。この中に入ろうといえば止まってしまいます。ぶつかってしまいます。ここでは、大宇宙の形成は不可能なのです。ですから、神様がいるならば、神様はどのような考えをもたなければならないのでしょうか。これを連結させるためには、いつも「ために生きなさい」というでしょう。ために生きる行路を行かなければならないというのです。

すべての存在は、より大きな目的のためにあります。個人は家庭の目的のために、家庭は氏族の目的のために、氏族は国家の目的のために、国家は世界の目的のために、世界は霊界があれば天地の目的のために、天地は神様の目的のために前進しなければならないのです。神様の目的それ自体は何かというと、愛の目的です。すべて愛の進路があります。一つの細胞から、微生物なら微生物から、すべてが一つの支流のようになって、本流に流れて大河を形成し、大海に連結される偉大な愛の流れがあります。この流れの原則と内容を公認しなければ、大海に行くことができないのです。このような内容を先に知ったので、すべてを新しく革命しなければならないというのです。大革命が起こるでしょう。

孝子は必ず苦労の道を通ります。受難の道を通るには、その受難と苦労を超越して、価値のある内容に消化させていくことができる、ある刺激的な力の源泉がなければなりません。これを付加できる、その主体は愛です。有名な学者の先生方も、これを否定できないでしょう。

愛国者とは誰ですか。同じ理屈です。国のために国民を愛し、主権者を愛するときに、この宇宙の原則の愛の要素と一致化できる和合の実体として、国を抱く人です。その民を愛で抱くところでは、頭をたたかれてもうれしいというのです。

皆様。聖人とはどのような人ですか。国ごとに愛国者が大勢います。国ごとに偉人が大勢います。それでは、聖人と愛国者と偉人とは、何が異なるのですか。聖人というものは、天に侍り、人類を愛した人を言います。人類を愛するとき、天地の大道と一致する道に接近させる旗手の立場に立った人が聖人です。聖人で終わるのではありません。その次には、天子(聖子)にならなければなりません。天子の道とは何ですか。神様と人類の受難の道を収拾して、愛の目的を決着させることができる人こそ天子、すなわち神様の息子だということができるのです。

統一教会は何を主張するのですか。「私」を中心として、宇宙の愛の本然の道に順応できる道に入って、私がいるのは父母のためであり、子女のためであり、民族、国家、世界のためにいるというものです。このように、より高い愛の段階に発展することです。それで、最後には一つしかない神様の愛を占領できると見るのです。

このように見るときに、このような思想でのみ統一できるというのです。その位置に進めば、一つになるようになります。しかし、皆様の心と体は、この作用がうまくできません。それは、堕落して人間が故障したからです。それで、実存哲学で言う「極限状況」をいかに克服するかということが問題です。それを愛で克服しなければなりません。

「今日の知識人と宗教」という主題について、現在の立場で皆様が考えるべきことは何でしょうか。愛を必要とする人は、いくら優秀な学者や博士、世界の政治家、あるいはいくら聖人だとしても、神様を信じる宗教から抜け出すことはできないという結論が出てきます。その愛が必要でなければ、宗教の道、神様を求める道を無視してもよいのです。

それで、皆様がきょう、この場に来られたので、私の話を一度参考にして、皆様の生活において、あるいは社会において、人倫や道徳、各分野にこのような内容を適用すれば、大韓民国と世界は新しい次元の発展基準、理想と幸福の基準が拡大するのではないかと思います。そのような意味で、少しの間お話しいたしました。ありがとうございました。

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3.今日の知識人と宗教 日付:一九八一年五月十六日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:著名人招請講演会

大韓民国の重鎮である皆様をこの場にお迎えし、きょう知識人たちとの集いをもてるようになったことを、限りなく光栄に思う次第です。この場は、「今日の知識人と宗教」という主題をもって集まりましたので、私の所見の一端をお話ししてみようと思います。

人間は次元の高い価値を追求する 皆様は、統一教会の主張に関心があるのではないでしょうか。団体ならば団体の主張があり、国家ならば国家も、国策を中心としてそれ相当の主張があるものです。その主張に従って、その指揮下にあるすべての行政あるいは組織機関が動き、その目的とすることに向かって進んでいくのと同様に、統一教会にもその主張があります。

周知のように、人の欲望は極めて大きいものです。個人においては個人の欲望、家庭においては家庭の欲望、社会ならば社会、国家ならば国家、世界ならば世界なりの欲望があります。このように見るとき、人間がその欲望を通して何を得るのかを考えてみれば、その欲望を通して、より次元の高い目的や価値あるものを追求するということは、言うまでもありません。この宇宙、さらには宗教的に見るとき、見えない新しい世界があるとすれば、「私」はどこを終着点として進展するのかということが問題です。これが今まで、哲学あるいは人生問題を扱うすべての宗教が重要視する点です。人生はどこに向かっていくのでしょうか。人はそれぞれ異なる欲望をもち、自分なりに歩んでいます。そして、その欲望が指向する最高の目的とは、最高の価値でしょう。

皆様は自分の専門分野において、世界で一番の学者を標準として動くでしょう。これと同様に、この宇宙の中で、私たちの目的となる主体である偉大なお方がいらっしゃるとすれば、そのお方を標準としてすべてのものは動いていくでしょう。それで、人間世界においては、聖人という問題、さらには宗教的に見れば、神様という問題が登場するようになります。このように見るとき、私たちのあらゆる欲望は、神様というお方を目的とし、そこに終着点を置いていくものだという結論が出てきます。

神様が必要とされるものは何か もし私たちが神様を発見し、神様を探し出したとき、神様が必要とするものとは何なのか、尋ねてみたいと思わないでしょうか。神様として望むこととは何でしょうか。神様が望むことがあるとすれば、私たちは神様を発見したその時から、神様が望むことに向かって前進せざるを得ないでしょう。

神様が望む欲望とは何でしょうか。その神様の望むものは、今日、私たちが生きている人間世界において語る物質でもなく、お金でもありません。ここに列席した高名な学者の先生方が追求する知識でもありません。神様は全知全能のお方なので、知識ではありません。権力でもありません。そのお方の欲望は、人間にとっても第二次的な立場で、さらに追求すべき重大な問題になるでしょう。このように総合して結論づけるとき、その結論とは何でしょうか。生命力ですか。それも違います。正に「愛」という一言に集約されるという結論を下さざるを得ません。

全知全能のお方に、何のために愛が必要なのでしょうか。なぜ神様に愛が必要なのかという話です。愛は個体自体で成立するものではなく、必ず相対的関係で成立するものだからです。愛というものが、一つの個体から自発的に出発できますか。いくら自分が愛をもっているとしても、自分自体で自発的に出発できないというのです。必ず相手が必要です。相手を通して愛を追求するようになっています。

それでは、神様は何を目的として創造したのでしょうか。神様が独断的な面において、一般的な目的の追求のために、この被造世界を造ったのでしょうか。それは喜びのためです。神様も喜ぶために造られたのです。喜び楽しむためです。何を中心として喜び楽しまれるのでしょうか。お金でもありません。この宇宙の万象をもって人間が喜ぶ、そのようなものを中心として喜ばれるためではありません。愛を中心として喜ばれるために万物を造られたのです。このすべての万物を、そのような目的のもとに造ったというのです。

それでは、万物が願う最高の願いとは何であり、最高の終着点とは何でしょうか。神様が愛を通して喜ぶことを目的として万物を造ったとすれば、被造世界の万物は、愛を通して連結される関係を抜け出すことはできません。あらゆる万物は、神様の真の愛を受けるために相対的関係をもって授受作用するのです。

力が先か、作用が先か 今日、多くの科学者たちは、この宇宙について「宇宙は力によってできた」という結論を下しています。力が存在することによって宇宙が形成されたというのです。それでは、力があって宇宙が形成されたのでしょうか。力が存在する前に何かがなければなりません。力だけではできません。力が存在する前に必ず作用という過程を経なければならないのです。心臓の作用が終われば、私たちのすべての力の原動力となる生命も終わります。皆様は、自動車に乗られると思いますが、自動車のエンジン作用が止まれば、走る力が、すべてなくなるのと同じです。ですから、力が先か、作用が先かという根本問題に至るようになります。力が先ですか、作用が先ですか。作用が先です。このように見るときに、作用のないところには力が存在できないのです。

私たちのすべての細胞構造から人体を見るとき、あらゆるものが作用圏内を総合して力を維持しています。いくら強い力があるとしても、その力自体が突発的に顕現することはできないと見るのです。細胞作用を通してのみ力が出てくるのであって、そのまま大きな力が出てくることはできません。必ずここには、力が存在する前に作用が必要だというのです。力が存在する前に作用がなければなりません。その作用は一人でできません。作用する要件を形成するためには、主体と対象の関係を絶対に離れることはできません。皆様はこの点をはっきりと知らなければならないというのです。

それでは、宇宙形成はどこからなされるのでしょうか。力からではありません。主体と対象の観念があって、その主体と対象の作用から形成されるのです。それから力の活動方向が変わります。その力は、こちらに作用すればこちらに行き、あちらに作用すればあちらに行くのであり、総合的に作用すれば一つの方向に行くでしょう。

このすべての作用を統一できる作用とは何なのかが問題です。例えば、私たちの腕がするような作用ですか。私たちの心臓が作動するような作用ですか。血管作用ですか。神経作用ですか。この全体を総合できる一つの方向性を定め、主体的力の主流圏を占めるものとは何かというのです。このようなすべての問題は、近世において多大な関心事でした。知識人たちには大きな問題とならざるを得ません。

この主流的で統合的な作用として、ある大きな目的を連結させるのは自己中心ではありません。接すれば接するほど、ぶつかればぶつかるほど、喜びが増し、うれしくなる、主流的な力の総合的な作用形態があります。それが何かというと、真の愛です。真の愛という作用には、すべてが和合するようになっています。

その理由は、神様が喜ばれるために愛を追求するというとき、その愛は私たちの第一の欲望と同じ立場に立つからです。すべての被造世界は相対のために造られたので、被造世界は真の愛を主体として拍子を合わせざるを得ない存在になっています。

ですから、近所に愛のある裕福な家があるとすれば、近所の犬たちもその家に行って大便をするというのです。そこを通る犬もそこでとどまろうとしまた飛んていくすずめもその垣根に来てとどまろうとします。すずめがチュンチュン鳴くその家は、大抵愛のある裕福な家です。子犬もそうであり、小さな昆虫もこのような愛の理念に拍子を合わせ、宇宙の大作用圏の方向性に一致する作用形態をもって存在していると見るのです。これは人間自体においてもそうです。ですから、愛の道に従っていくためには、どうしなければなりませんか。この作用も、必ず主体と対象の関係によるのです。

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女性の体を通して来られる再臨のイエス様 それでは、今後、来られる主はいかにして来られるかということを考えてみましょう。新約聖書にも両面の預言があります。旧約と同じだというのです。今日のキリスト教徒は、当時のユダヤ教徒と全く同じ立場です。範囲が世界的に発展しただけです。しかし、キリスト教は霊肉ではなく霊的のみです。国がありません。イスラエル選民のように国家基準の基盤ももっていないというのです。なぜですか。イエス様が死んだからです。昔のユダヤ教にさえ及ばないことを知らなければなりません。

イエス様は霊的王としてのみ成就しました。ですから、神様のみ旨は世界人類を救ってサタンを追い出し、神様が王になることであるにもかかわらず、イエス様が死ぬことによって地上でサタン世界を復帰することはできませんでした。サタンを追放してイエス様が王になり、神様が主管する国を建てるというみ旨が成就できなかったのですが、そのみ旨を成就するのはメシヤなので、再び来なければなりません。ですから、全世界のキリスト教徒たちが一つになって、来られる主を中心として、この地上に天国を形成するために、失敗したイスラエル民族以上に強い世界の国家をつくらなければならないということです。

聖書のヨハネの黙示録第一章七節を見れば、「彼は、雲に乗ってこられる」と預言されています。テサロニケ人への第一の手紙第五章二節を見れば、「主の日は盗人が夜くるように来る」とあります。雲に乗ってくるのに、盗人のように来ることができますか。皆様の思いどおり、盗人のように来る主は信じず、雲に乗って来る主を信じようと決定できますか。雲に乗ってくるのは、昔、旧約聖書のエリヤと主、メシヤが雲に乗って来ることを信じるのと同じであり、人として来るとすれば盗人のように来るということです。

旧約時代を中心として神様の役事(働き)を見るとき、イエス様が雲に乗ってくると思いますか。そのように信じていては、また十字架にかけるようになります。イエス様を信じる人々が、来られるお方の命をまた奪うというのです。

私たちは、両面の預言をどちらも信じようというのです。雲に乗っても来ることもでき、人としても来ることもできるということです。雲に乗って来ると思って信じていた人は、人として来れば迫害しかねませんが、人として来ると思って信じていて、主が雲に乗って来るとすれば、間違いなく迎えるというのです。ヨハネの黙示録第十二章五節を見れば、「女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である」と女性が産むといいました。それを教会では、仕方なく今まで雲に乗って来ることと結びつけて解釈してきました。

それでは、聖書の中で、雲に乗って来ては成り立たないというものを紹介してみましょう。ルカによる福音書第十七章二十節以下を見てください。「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない」、とあります。雲に乗ってくるのに見ることができないでしょうか。また、二十二節では、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう」と語られました。

雲に乗って来るのに、見ることができないでしょうか。二十五節、二十六節を見ると、「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう」となっていますが、雲に乗って来る主が苦難を受けるでしょうか。ノアの時のように凄惨でしょうか。もし、人として来るとすれば、このようになるのです。人として来れば、間違いなくこのようになるでしょう。

全世界のキリスト教徒たちは、主は雲に乗って来ると思っているのに、人として来るとすれば、ローマ教皇や枢機卿や、全体の勢力基盤をもった人々が、「キリスト教を滅ぼし、神様のみ旨を滅ぼす異端を捕まえて葬ってしまえ」と言うのではないかというのです。皆様、そうではないでしょうか。聖書のみ言がこのようになっています。歴史的な事実から見て当然そのような結論をつけるべきだという立場から見るとき、このように神様が生きていることをここから探し出すことができ、神様のみ旨は計画的であり公式的であることを、私たちは探し出すことができるのです。

このレバレンド•ムーンがここに現れて、このようなことを熱心に教えてあげたのですが、もし教える人がいなければ、また捕まえて命を奪うのであって、ほかに方法があるかという話です。時が来たということです。レバレンド•ムーンがこのような話をしなかったとすれば、皆様がそのようにはしないと保障できますか。

それからまた、ルカによる福音書第十八章八節を見れば、「人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」という言葉があります。それは信じる人ではなく、信仰がない人の話です。雲に乗って来るのに、信じられないでしょうか。ユダヤ教徒と同じことになります。雲に乗ってきて、エリヤが先に来ると思っていたのに、人として来たとすれば信じる人が一人でもいるでしょうか。イエス様の使徒の中に書記官がいますか、祭司がいますか。1人でも信仰をもった人を見ましたか。このようなことを見るとき、雲に乗って来てはこのような話が成り立たない、というのが聖書の話だというのです。

人として来られる主を迎えるべきキリスト教 神様のみ旨とは何でしょうか。キリスト教の教派の神様になることでしょうか、人類の神様になることでしょうか。神様のみ旨とは、世界的な人類の神様になることです。救世主が来たのは、キリスト教だけを救うためではありません。世界を救うために来たのです。皆様がよく知っているヨハネによる福音書第三章十六節を見れば、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と言ったのであって、「一教派を愛し、一個人を愛する」と言ったでしょうか。「世の中を愛する」と言いました。それでは、世界がその神様を探し出しましたか。サタンを追放しましたか。地で失ったので、地に来て取り戻さなければならないのです。

ですから、マタイによる福音書第十六章十九節を見れば、イエス様が霊界に行かれる前に、天国の鍵をぺテロに与えながら、「あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」と地上の重要性を説かれました。地上ですべてのことを解決しなければならないというのです。

全世界の人類を中心として、神様がすべてを主管する王権をこの地上に立てましたか。サタンが王権を握っているので、そのようにしなければ、神様が計画どおりにできず、失敗した神様になります。誰ゆえにですか。サタンゆえにです。そのようになればサタンにさえ及ばないという結論になります。ですから、イザヤ書第四十六章十一節を見れば、「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」という言葉があります。

結論を下しましょう。私たちは、悪の人類の先祖をもっていて、悪の夫婦の起源をもっていて、悪の兄弟の起源をもっています。善なる人類の真の先祖と善なる夫婦と善なる兄弟をもって罪のない息子、娘を生むことができなかった私たちなので、地上でこれを成し遂げなければなりません。ですから、神様を中心とした家庭を取り戻すことができなければ、国を取り戻すこともできず、世界も取り戻すことはできません。

ですから、イエス様はこの地に再び来て、神様が愛する家庭をつくらなければなりません。すなわち新郎として新婦を見いだしてこそ、真の父母も生まれ、真の夫婦も生まれ、真の兄弟も生まれるのです。これを完全に成し遂げることができなかったので、再び来て成し遂げることを預言したのが「小羊の婚宴」であり、新郎が新婦を迎えることなのです。

家庭をもってこそ氏族を取り戻し、民族を取り戻し、国家を取り戻し、世界を取り戻すことができるので、家庭が問題です。そのために新郎新婦として来るようになるのが、「小羊の婚宴」です。新郎新婦が出会わなければならないのです。神様が、堕落していないときに成し遂げるべきだったアルファのみ旨を、ひと回りしながら悪の世の中を除去してしまい、オメガとしてもってきて合わせるということです。

最初のアダムが失敗したことを、二番目のアダムであるイエス様が来て復帰しなければならないのですが、それができなかったので、三番目に再臨主が来て成し遂げなければならないというのです。聖書のコリント人への第一の手紙第十五章四十五節から四十七節に、イエス様のことを「後のアダム」「第二の人」と言ったのはそのためです。雲に乗って来ては成し遂げることができないので、人として来なければなりません。それで、人類の真の先祖と真の夫婦と新しいキリスト教を中心として、世界の王権をつくって天の国を成し遂げなければならないのが、来られる主を迎えるキリスト教の使命です。

今、そのような時が私たちの目前に近づいたことを知り、皆様が祈る中でそのような場に同参(一緒に参加すること)することを願います。今晩皆様にお話しできたことを感謝し、皆様が否定的に速断することなく、神様に祈ることで解決することをお願いしながら、お話を終えようと思います。ありがとうございました。

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主は雲に乗って来られるのではない その次に、第三の理由を調べてみましょう。その時にユダヤ教の人々が信じていたのは、来られるメシヤが雲に乗ってくるということです。それはなぜでしょうか。ダニエル書第七章十三節を見ると、「人の子のような者が、天の雲に乗ってきて」と預言されているので、旧約聖書を生命視する彼らは、雲に乗ってくると信じざるを得なかったのです。

ここにいる牧師先生たちは、「レバレンド•ムーンは、間違って理解したためにそのように語っているのかもしれない。そのみ言は再臨の時の話であって、イエス様の時の話ではない」と言うかもしれませんが、とんでもないことです。イエス様のみ言どおりにすれば、洗礼ヨハネの時にすべて終わるのです。旧約聖書のあらゆる預言と預言者は、洗礼ヨハネまでにすべて終わったというのです。

雲に乗ってくると思っているのに、人として生まれたマリヤの息子であり、ヨセフの息子、その兄弟をもみな知っている彼が、メシヤになる資格のある人物に見えたと思いますか。今日のキリスト教徒たちは、再臨主が雲に乗ってくると思っているのに、人として来たとすれば、その人物を信じられるかというのです。同じことです。それが使徒時代に問題になったのかどうか、聖書を通して調べてみましょう。

使徒行伝第七章五十二節を見ると、このような話があります。「いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった」と、ステパノは当時のユダヤ教指導者らの不信を断罪しています。弁明する方法が全くありません。今、私が語っているのは、すべて皆様が信じている聖書の話です。神様のみ旨を誰よりも愛し、神様のみ旨の道を正しく行こうするので、このような話を皆様にせざるを得ません。

皆様は「レバレンド•ムーンが何の権威をもって話しているのか」と言うかもしれませんが、そのような話をする権威があります。私が霊界のイエス様や、洗礼ヨハネに会ってみると、このようになっていて、またそれを聖書で探してみるとそうなっていました。両面が合ったので、間違いないというのです。皆様の信じていることが正しいのか、レバレンド•ムーンの話したことが正しいのか、世界中に尋ねてみてください。もし皆様が信じることができなくても、皆様の息子、娘は間違いなく信じるでしょう。

十字架はあらゆるものを失った場 このようなことを見るとき、イエス様は本来、十字架で死ぬために来られたのではないにもかかわらず、ユダヤ民族の不信によって死ぬようになったことは、神様の悲しみであり、人類の悲しみであり、歴史的な悲しみであり、未来の悲しみとして残っているのです。私たちは、今までこのことを知らなかったというのです。旧約聖書は、メシヤが来ることを両面で預言していました。イザヤ書第九章、第十二章、第六十章を見れば、「栄光の主として現れる」と言っていますが、第五十三章には苦難を受けるだろうと預言されています。なぜこのように両面の預言をしなければならなかったのかを知らなければなりません。

私たち堕落した人間のことを、神様も恐れ、サタンも恐れます。なぜかというと、一時、神様を熱心に信じていても、すぐ裏切ってサタンと組んで神様の世界を台無しにし、またサタンと組んで一つになっていても、再び神様のもとに来て、サタン世界を滅ぼす、そのような人間だからです。ですから、神様も恐れ、サタンも恐れていることを知らなければなりません。

ユダヤ民族がイエス様を信じたなら、栄光の主となっていたはずなのに、信じなかったことによって、十字架で亡くなるようになったのですが、十字架を背負うようになったのは、急変的な事件であることを皆様は知らなければなりません。それでは、十字架で亡くなることを、いつ決定したのでしょうか。聖書を通して調べてみましょう。

ルカによる福音書第九章三十節、三十一節を見れば、「すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである」となっています。変貌山上のその時に決定したというのです。

なぜなら、ユダヤ教が反対し、イスラエルの国がそうであり、洗礼ヨハネまで反対する立場に立ったので、既にみ旨を成就する足場はすべて崩れたのです。それで、神様も仕方がないので、霊と肉を中心として地上天国と天上天国の両面を救援完成しようとするみ旨を捨てて、霊的救援の世界だけでも立てるために、二次的摂理を中心とした十字架の道に送り出したのです。もし彼が十字架で亡くならなければ、両面をすべて失うようになります。仕方なく一つの分野だけでも残すために、イエス様を十字架に差し出さざるを得なかったことを、皆様は知らなければならないというのです。

今日、キリスト教徒たちは、聖書のマタイによる福音書十六章二十二、二十三節のみ言をもって、イエス様が間違いなく死ぬために来られたと主張します。そのみ言が何かというと、イエス様がエルサレムに行って死ぬだろうと言ったとき、一番弟子のぺテロが、「主よ、とんでもないことです」と言いました。そのとき、イエス様は強く叱咤しました。「サタンよ、引きさがれ」と言ったのです。それで、キリスト教徒たちは「死ぬために来たイエス様が、死のうとするのに反対するので、サタンよ、引きさがれと言った」と考えています。しかし、それは変貌山上で、十字架で亡くなることを決定した以後なので、このような返事をせざるを得なかったことを、皆様ははっきりと知らなければなりません。

もし、洗礼ヨハネとユダヤ教徒とイスラエル民族がイエス様を信じたなら、どうなったでしょうか。イスラエル民族はイエス様と一つになって団結し、その時に中東圏までイエス様と一つになるのです。そうなっていたなら、ローマに対抗して四十年以内にローマを天の側に引っ張り込むのです。死んだイエス様が四百年間でローマを征服したので、生きたイエス様を中心として、四十年以内に天の国の憲法を宣布できるのです。それができれば、今日までの、プロテスタントとカトリックの歴史はなくなります。すべて、イスラエル民族の立場でみ旨が成就していったからだというのです。

み旨が成就していれば、イスラエルの国があのように悲惨に滅びることもなく、キリスト教徒たちも悲惨に血を流すこともなかったでしょう。王権を統一して、キリスト教が世界を動かすことができるようになったとすれば、誰がイエス様の命を奪うでしょうか。

世界は既に、神様のみ旨どおりに、天の国になり、世界はすべて一つになっていたというのです。主が再び来る必要もないのです。キリスト教は、このことを知らなければなりません。ですから、イエス様が十字架で亡くなったその場は、神様とイエス様がすべてのものを失った場だということを、私たちは知らなければなりません。十字架は、神様の勝利ではなく、悪魔サタンの勝利です。神様の息子を釘づけにした場です。

十字架でイスラエルの国を失い、ユダヤ教の基盤を失ったのであり、摂理史的な時を失ったのであり、ぺテロをはじめ弟子たちをみな失ったのであり、のちには、右側の強盗までも死んでしまったのです。そこにはキリスト教がなく、キリスト教の出発もありません。すべて失ってしまいました。キリスト教はいつから出発したのでしょうか。イエス様の復活後、そして四十日後にキリスト教が出発しました。キリスト教が十字架ではなく復活から出発したことを、今まで知らなかったのです。それは、二千年のキリスト教が根本的に教えています。聖書を見れば、否定できません。イスカリオテのユダがイエス様を捕えに来たとき、「今はやみの支配の時である」(ルカ二二•五三)と言ったではないですか。

もし、イエス様が死ぬために来たとすれば、ゲッセマネの園で三度祈る時、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言うでしょうか。理由もなく、このような祈祷を捧げれば、メシヤの資格がないというのです。なぜそのような祈祷を捧げたのでしょうか。死ぬことが恐ろしいからですか。キリスト教徒たちは、「ああ、イエス様も肉身をもっていたので、その死の苦痛のためにそのように祈ったのだろう」と言いますが、とんでもないことです。死が恐ろしくてそう祈ったのではありません。

自分が十字架で死ねば、全世界のキリスト教徒たちが十字架の道に従ってこなければならず、自らが血を流すことによって、全世界のキリスト教徒の体にサタンが侵入できる条件が成立するので、数多くの人が血を流して犠牲になる、そのことを考えるとき、そのような祈祷を捧げざるを得なかったのです。また、四千年も準備してきたイスラエルの国とユダヤ教が滅びて足場もなくなることを知って、神様が四千年摂理されたその苦労を思ったとき、そのような祈祷を捧げざるを得なかったというのです。

ですから、イエス様が十字架上で落命する前に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七•四六)と言いましたが、このような祈祷はどういうことでしょうか。また、三時間も暗闇になったというのは、成就すべき一つのみ旨がまっ暗な世の中に占領されたことを表示したものだったのです。皆様は、歴史時代において、死なずにみ旨を成し遂げていくべきメシヤが、このように死んでいったことを、もはや否定できないことを知りました。

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洗礼ヨハネの失敗によって亡くなったイエス様 ユダヤ教徒は、旧約聖書を文字どおりに信じ、エリヤが来てもいないのに、自分こそメシヤだと言うイエス様の命を奪ってしまったのですが、その一方で、洗礼ヨハネはどうなったのでしょうか。マタイによる福音書第十一章二節以降を見ると、洗礼ヨハネがへロデ•アンティパスの結婚の不道徳問題に口をはさみ、獄中に入れられて死ぬような運命に置かれたとき、自分の弟子たちをイエス様のところに送って「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねます。洗礼ヨハネは、イエス様をメシヤとしてよく信じましたか、信じませんでしたか。かつてヨルダン川のほとりで、多くの群衆に「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ一・二九)と証したのに、どうして再び尋ねる必要があるのですか。かつて証したその同じ口で、人を送って「あなたはきたるべきかたですか、ほかの人を待つべきでしょうか」と尋ねたというのです。

この話を聞いたとき、イエス様は、世の中で自分を認めてくれる人が一人もなく、国全体が反対する中、わずかな生命線のような一縷(いちる:細糸一本のように今にも絶えそうな)の希望としていた洗礼ヨハネまで、最後に来て「メシヤなのか、違うのか」と尋ねたので、どれほど胸が詰まる思いがしたか考えてみてください。ですから、六節で「わたしにつまずかない者は、さいわいである」と指摘したのです。

そして、七節以降では、洗礼ヨハネがヨルダン川のほとりでイエス様を証するとき、群衆が見聞きしたことを風刺的に指摘したのです。イエス様は、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる」と語られました。そして、十一節では、「あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」と言いました。どうして、そのような矛盾する話を語ることができるのですか。あの世に行っている預言者も、すべて女性を通して生まれたのであって、石の間から生まれたのでしょうか。すべて女性から生まれ、洗礼ヨハネも女性から生まれ、イエス様がメシヤであると証したのですから、あの世でも大きな存在でなければならないはずなのに、彼はなぜ小さくなるのかというのです。

なぜかというと、あの世に行っている過去の預言者たちは、歴史的な距離をおいてメシヤを証してきましたが、預言者として送られた洗礼ヨハネは、直接的にメシヤを証する使命をもっている立場なのですから、一番大きくならざるを得ないのです。

しかし、なぜ天国では最も小さい人も洗礼ヨハネよりは大きいと言ったのでしょうか。霊界に行っている最も小さい預言者も、イエス•キリストをメシヤだと思って迎えます。ところが、洗礼ヨハネはイエス様を証し、イエス様に直接従って、大きい人になるべきだったにもかかわらず、それができなかったので、最も小さい者になるしかないというのです。このような内容でおっしゃったことを知らなければなりません。

事実かどうか、十二節を見てみましょう。「パブテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」とあり、洗礼ヨハネと、のちのイエス様の弟子との間で、天国を奪い合う争奪戦が展開していることを語っています。これは、洗礼ヨハネが自らの使命を中心として、尽力できなかったことを示しています。もし、洗礼ヨハネが努力したとすればどうなっていたでしょうか。洗礼ヨハネは、イエス様の一番弟子になっていたでしょう。

もし、洗礼ヨハネが一番弟子になったとすれば、洗礼ヨハネの弟子たちは十二弟子に入るのであり、洗礼ヨハネに従う群れが七十門徒、百二十門徒になり、ユダヤの国全体の忠臣たちがイエス様に従っていくのではないかというのです。イエス様に反対するために洗礼ヨハネを送ったのですか。それでは、洗礼ヨハネがどれほど偉大な人なのかを調べてみましょう。神様が、メシヤのために公認して送った彼は、どれほど特別な人なのか、イエス様のみ言を通して調べてみます。

十三節に、「すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである」と旧約聖書を完成させる結実的存在として来たとイエス様は宣布しました。洗礼ヨハネがイエス様と一つになれば、ユダヤ教の聖書、旧約聖書を信じていた人々はみなついてきて、一つになるようになっています。そうすれば、誰がイエス様の命を奪うでしょうか。神様の王子であるメシヤというお方は、築いておいた基盤を活用するために来られるのであって、貧しく聖書にも無知な漁夫や売春婦や取税人たちを従えさせて彼らを食べさせ、彼らの主人になり、師になるために来られたのでしょうか。

それでは、洗礼ヨハネがイエス様に従ったか従わなかったかを、もう一度はっきりと調べてみましょう。ヨハネによる福音書第三章二十六節以下を見れば、洗礼ヨハネの弟子たちがイエス様のことを聞いて、「先生、ごらん下さい。ヨルダンの向こうであなたと一緒にいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、皆の者が、そのかたのところへ出かけています」と報告すると、洗礼ヨハネは「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と言いました。これをキリスト教では「洗礼ヨハネは立派な預言者なので、イエス様をそのように高め、自分は滅びると謙遜に言った」と解説しています。

メシヤのために三年間以上苦労し、願っていたそのメシヤに出会って証したのなら、当然、死んでもメシヤのために死ななければならないというのです。これはどういうことかというと、一緒に共同歩調を取ったなら、メシヤが栄えれば自分も栄え、メシヤが滅びれば自分も滅びるべきです。それなのに「わたしは衰える」と言ったのは、「従わない」という決定的な事実をありのままに告げたことなのです。

このように見るとき、第一に旧約聖書を文字どおり信じたゆえに、第二に洗礼ヨハネの不信ゆえに、イエス様が十字架で亡くなられるようになったことを、私たちは今まで知らなかったというのです。

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旧約聖書を間違って解釈し、イエス様の命を奪ったユダヤ民族 今まで、ユダヤ教はキリスト教と怨讐の関係にあります。ここで私たちは、聖書がどのようなものかということを知って、その怨讐関係を越えていかなければなりません。サタン世界において神様のみ旨を成就できる人や家庭や国家をつくるためには、彼らは怨讐国家に送られた情報部員と同様の立場なので、神様は、彼らに情報をあからさまに指示したとすれば、彼らは捕らえられ、みな滅びるようになるのです。

ですから、神様は暗号で指示せざるを得なかったという、その記録が聖書であることを知らなければなりません。アメリカ中央惰報局(CIA)がソ連に情報部員を送るとき、手紙で「このようにしなさい」とあからさまに書いて送るでしょうか。暗号でその指示を送るのです。もしその指示内容をはっきりと教えてしまうならば、情報部員はみな捕まえられ、その命を奪われるでしょう。これと同じように、神様はユダヤ教徒に彼らの任務を暗号で教えてあげ、終わりの日に遣わすメシヤの命を奪われない環境をつくり、教えてあげて、導くべき神様のみ旨があったことを知らなければなりません。

ところが、ユダヤ教徒たちは、暗号で書かれた旧約聖書を解き間違えて、メシヤの命を奪ってしまったということを知らなければなりません。CIAの局長が、その暗号を最もよく知る人物であるのと同様に、旧約聖書の暗号を最も的確に解くことができるのは神様しかいないのです。

そこで、神様のみ旨を成就するためには、必ず神様はあらかじめ教え、時を迎えたあとに再び教えるのです。アモス書第三章七節を見れば、「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」とあります。

しかし、旧約聖書を信じていた人々が、旧約聖書を解き間違えてしまったために、来られたメシヤの命を奪うという歴史的な罪を犯してしまった事実を、私たちはよく知らなければならないのです。その時のユダヤ教の信者たちは、それでもまだよいというのです。洗礼ヨハネをエリヤだと主張するイエス様がなされたことは、当時のユダヤ教徒から見ると尋常でありませんでした。数多く奇跡を行い、歴史始まって以来の新しいみ言を語り、奇異なみ業をたくさん行うのを見たとき、それを否定もできず、かといって肯定もできないので、「さあ、それなら洗礼ヨハネをエリヤだと主張するのだから、彼がエリヤなのかどうか一度尋ねてみよう」といって議論が始まりました。

そのことが、ヨハネによる福音書第一章十九節以下に記されています。洗礼ヨハネに、「あなたはどなたですか。……あなたはエリヤですか。……では、あの預言者ですか」と尋ねたとき、洗礼ヨハネはエリヤであることを否定しました。エリヤ自身ではなくても、また、あの預言者(申命記一八•一八)ではないにしても、洗礼ヨハネは、自分が預言者の中の一人だということを強調しなければならなかったのです。にもかかわらず、それを否定してしまいました。

それはなぜでしょうか。自分のことを預言者の一人であるとイスラエルの人々がせっかく信じているにもかかわらず、なぜ否定したのでしょうか。既にイエス様の言動を不信する状況が起こっており、事態が不利になっていたというのです。やがて国から追われるイエス様であり、教会からも追われる立場にあったイエス様でした。イエス様が語ることを問題視したユダヤ教の指導者やパリサイ人たちが、イエス様を葬り去ろうと話し合っている実情を感じ取っていたというのです。

このように、洗礼ヨハネは、人間中心的な立場にたったために、天を代弁することができず、エリヤではないと言ったのみならず、自分は預言者の中の一人でもないと否認してしまいました。ですから、人々はイエス様の話を信じるでしょうか、洗礼ヨハネの話を信じるでしょうか。現代のアメリカで言えば、ある若者が出てきて、「ビリー•グラハムはエリヤであり、私は再臨のイエスである」と言えば、それを誰が信じますか。歴史が交錯する中で、同じように、神様が、アダム以降、約四千年間準備してきた摂理歴史の中で、ユダヤ民族を信じ、希望を抱いてそのもとにイエス•キリストを送ったにもかかわらず、ユダヤ民族が無知のために不信してイエス様の命を奪ったという事実を否定できません。

それが事実なのか、そうでないのか、新約の使徒たちを通して一度調べてみましょう。イエス様の十字架後の初代教会のとき、ユダヤ教徒たちやイスラエル民族がイエス様の弟子たちを迫害するとき、その一番の扇動者であり、代表者として立ち上がった人とは誰かというと、使徒パウロでした。ステパノの命を奪うことにも賛同しましたが、他のイエス様の弟子たちの命を奪おうとダマスコに行く途中、天からの光に打たれて悔い改め、イエス様を証した人が使徒パウロです。

使徒パウロは、イエス様がメシヤであったことを誰よりもよく実感したので、使徒行伝第十三章四十六節で、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ」と堂々と宣布しました。

このようにして、来られた主が、当時のユダヤ民族の不信によって悲しみの十字架の道を行かざるを得なかったことが、どれほど胸の詰まることかを、私たちは考えもせずに、ただ無条件に十字架を信じてきました。本当なら、ユダヤ教徒の不信によって死んではいけないイエス様が死んだにもかかわらず、「死ぬために来た」と信じてきたのです。ですから、どうしてイエス様の前に行けるでしょうか。救いを受けても、行って会う自信がありますか。

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旧約聖書を間違って解釈し、イエス様の命を奪ったユダヤ民族 今まで、ユダヤ教はキリスト教と怨讐の関係にあります。ここで私たちは、聖書がどのようなものかということを知って、その怨讐関係を越えていかなければなりません。サタン世界において神様のみ旨を成就できる人や家庭や国家をつくるためには、彼らは怨讐国家に送られた情報部員と同様の立場なので、神様は、彼らに情報をあからさまに指示したとすれば、彼らは捕らえられ、みな滅びるようになるのです。

ですから、神様は暗号で指示せざるを得なかったという、その記録が聖書であることを知らなければなりません。アメリカ中央惰報局(CIA)がソ連に情報部員を送るとき、手紙で「このようにしなさい」とあからさまに書いて送るでしょうか。暗号でその指示を送るのです。もしその指示内容をはっきりと教えてしまうならば、情報部員はみな捕まえられ、その命を奪われるでしょう。これと同じように、神様はユダヤ教徒に彼らの任務を暗号で教えてあげ、終わりの日に遣わすメシヤの命を奪われない環境をつくり、教えてあげて、導くべき神様のみ旨があったことを知らなければなりません。

ところが、ユダヤ教徒たちは、暗号で書かれた旧約聖書を解き間違えて、メシヤの命を奪ってしまったということを知らなければなりません。CIAの局長が、その暗号を最もよく知る人物であるのと同様に、旧約聖書の暗号を最も的確に解くことができるのは神様しかいないのです。

そこで、神様のみ旨を成就するためには、必ず神様はあらかじめ教え、時を迎えたあとに再び教えるのです。アモス書第三章七節を見れば、「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」とあります。

しかし、旧約聖書を信じていた人々が、旧約聖書を解き間違えてしまったために、来られたメシヤの命を奪うという歴史的な罪を犯してしまった事実を、私たちはよく知らなければならないのです。その時のユダヤ教の信者たちは、それでもまだよいというのです。洗礼ヨハネをエリヤだと主張するイエス様がなされたことは、当時のユダヤ教徒から見ると尋常でありませんでした。数多く奇跡を行い、歴史始まって以来の新しいみ言を語り、奇異なみ業をたくさん行うのを見たとき、それを否定もできず、かといって肯定もできないので、「さあ、それなら洗礼ヨハネをエリヤだと主張するのだから、彼がエリヤなのかどうか一度尋ねてみよう」といって議論が始まりました。

そのことが、ヨハネによる福音書第一章十九節以下に記されています。洗礼ヨハネに、「あなたはどなたですか。……あなたはエリヤですか。……では、あの預言者ですか」と尋ねたとき、洗礼ヨハネはエリヤであることを否定しました。エリヤ自身ではなくても、また、あの預言者(申命記一八•一八)ではないにしても、洗礼ヨハネは、自分が預言者の中の一人だということを強調しなければならなかったのです。にもかかわらず、それを否定してしまいました。

それはなぜでしょうか。自分のことを預言者の一人であるとイスラエルの人々がせっかく信じているにもかかわらず、なぜ否定したのでしょうか。既にイエス様の言動を不信する状況が起こっており、事態が不利になっていたというのです。やがて国から追われるイエス様であり、教会からも追われる立場にあったイエス様でした。イエス様が語ることを問題視したユダヤ教の指導者やパリサイ人たちが、イエス様を葬り去ろうと話し合っている実情を感じ取っていたというのです。

このように、洗礼ヨハネは、人間中心的な立場にたったために、天を代弁することができず、エリヤではないと言ったのみならず、自分は預言者の中の一人でもないと否認してしまいました。ですから、人々はイエス様の話を信じるでしょうか、洗礼ヨハネの話を信じるでしょうか。現代のアメリカで言えば、ある若者が出てきて、「ビリー•グラハムはエリヤであり、私は再臨のイエスである」と言えば、それを誰が信じますか。歴史が交錯する中で、同じように、神様が、アダム以降、約四千年間準備してきた摂理歴史の中で、ユダヤ民族を信じ、希望を抱いてそのもとにイエス•キリストを送ったにもかかわらず、ユダヤ民族が無知のために不信してイエス様の命を奪ったという事実を否定できません。

それが事実なのか、そうでないのか、新約の使徒たちを通して一度調べてみましょう。イエス様の十字架後の初代教会のとき、ユダヤ教徒たちやイスラエル民族がイエス様の弟子たちを迫害するとき、その一番の扇動者であり、代表者として立ち上がった人とは誰かというと、使徒パウロでした。ステパノの命を奪うことにも賛同しましたが、他のイエス様の弟子たちの命を奪おうとダマスコに行く途中、天からの光に打たれて悔い改め、イエス様を証した人が使徒パウロです。

使徒パウロは、イエス様がメシヤであったことを誰よりもよく実感したので、使徒行伝第十三章四十六節で、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ」と堂々と宣布しました。

このようにして、来られた主が、当時のユダヤ民族の不信によって悲しみの十字架の道を行かざるを得なかったことが、どれほど胸の詰まることかを、私たちは考えもせずに、ただ無条件に十字架を信じてきました。本当なら、ユダヤ教徒の不信によって死んではいけないイエス様が死んだにもかかわらず、「死ぬために来た」と信じてきたのです。ですから、どうしてイエス様の前に行けるでしょうか。救いを受けても、行って会う自信がありますか。

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2.キリスト教の新しい未来 日付:一九七四年三月九日

場所:アメリカ、バーミンガ厶、ハイアット•ホテル

行事:アメリカ三十二カ都市巡回大講演会

今晩このように集まってくださった紳士淑女の皆様。心より感謝申し上げます。きょう皆様と共に考えようと思うタイトルは「キリスト教の新しい未来」です。このようなタイトルで、少しの間お話しいたします。皆様がよく御存じのとおり、アメリカといえば、キリスト教を中心として世界で一番の国家です。

神様のみ旨成就のために来られる主 きょう、お話しする内容は、今日、私たちの信仰生活、あるいは従来の神学を通して知ることができ、学ぶことができる内容に関するものではなく、全く新しい分野のものですので、アメリカの多くの国民が聞かなければならないものだと思います。そのために、私がここに現れるようになった次第です。

今、終わりの日がやって来たので、歴史的な事件や事実を明確にしておかなければなりません。私は、神様から「三年間アメリカに行って宣べ伝えなさい」というみ言を聞き、一九七二年から一九七三年と一九七四年の今年まで、アメリカの皆様を訪ね、津々浦々でこのように壇上に立つようになりました。その点を理解してくださるようにお願いします。

皆様も私も、神様のみ旨のために生き、神様のみ旨を成就する兄弟の立場にいることを理解して寛容な気持ちをもち、皆様が信じてきた信仰生活と相反するからといって、それを直ちに判断なさらずに、深い祈りの中で、あるいは暝想の中で探知、探求して判断してくださることを願ってやみません。

キリスト教は今まで、二千年間、再臨主を待つ信仰生活をしてきたことを私たちは知っています。しかし、今は終わりの日がやって来たので、信じるだけではなく、来られる主を迎えるために準備をしなければなりません。その段階を経ていかなければならないと思うのです。

私たちが一つの小さな大会を行うときにも、プログラムを組み、そのとおりに間違いなく動いてこそ、その大会を円満に終えることができます。今日、主が来るというこの事件は、歴史始まって以来最も大きな事件であり、人類歴史上で最も重要な事件なので、それが盲目的に漠然となされるとは考えられません。ですから、私たちは今、その内容がどのようなものなのかを知らなければならないのです。

例えば、皆様がバーミンガムに向かって汽車に乗っているときは、汽車に乗ってさえいれば安心して目的地に到着することができますが、一度バーミンガムに到着すれば、行くべき新しい方向と目的が明確でなければならないのです。今まで信じていたキリスト教の中で、主が来ることを準備するある団体が存在しなければならないということは、理論的に明白な事実です。

主は間違いなく来なければなりません。それでは、主はなぜ来るのでしょうか。神様のみ旨成就のために来ます。それでは、神様のみ旨とは何ですか。今日、信仰する人々は、神様が救援摂理のみ旨を通して摂理すると思っていますが、本来、神様のみ旨は一つしかあり得ないことを知らなければなりません。

今日、この救援摂理というものは、神様が本来計画した創造理想世界において必要だったものではありません。人間が堕落することによって、神様のみ旨を成就できなかったために、そのみ旨を再び取り戻していく過程が救援摂理だということをはっきりと知らなければなりません。

神様が決められたみ旨に背くことはできません。神様は絶対的なお方なので、そのみ旨を完成させてこそ、権威を保て、堂々とした立場に立つことができるのです。これが事実である以上、目的としていた本然の基準で堕落した人間を完成させることができなければ、神様が絶対的な神様になれないことを、私たちは知らなければなりません。

人類救済のための神様のみ旨とキリスト教の使命 それでは、人類の先祖アダムとエバが堕落しなかったならば、どのような世界になったでしょうか。神様の愛の中で保護を受けて彼らが完成していたならば、神様がアダムとエバを呼んで祝福し、結婚式をしてあげたでしょう。そのために男性と女性を造ったのです。

もしそのようになったとすれば、この地球星には、堕落した人類の先祖ではなく、神様の愛される、罪のない完成した人類の真の先祖が暮らすようになり、真の父母になっていたはずです。つまり、神様が本当に愛することのできる真の新郎と真の新婦が、この地上に誕生していたというのです。お互いが怨讐の兄妹ではなく、完全に神様のみ旨に協助する、神様の愛の中にいる神様の真の兄妹がこの地上に生まれたでしょう。そうすることによって、神様を中心とした家庭をこの地球星に形成し、罪のない父母として罪のない息子、娘を生んで、罪のない氏族、罪のない民族、罪のない国家、罪のない世界をつくり、この地球星の人類は、名実共に神様の主管を受け、神様はこの地球星の王になったでしょう。そのような結論になります。

そうなっていたとすれば、救世主は必要ありません。宗教は必要なく、祈祷は必要ありません。救世主が必要で、宗教が必要で、救援が必要になったのは、堕落の産物だからです。それを、今まで知らなかったというのです。

救援するというのは、落ちたからです。病気になったので、病人を直す病院が必要であり、故障したので修理する工場が必要なのです。ですから、宗教とは何でしょうか。修理工場と同じであり、病院と同じです。それはすべて救援です。病気になったので、救援が必要だということです。このような原則的な基準を、今日、キリスト教は規定しておかずに、漠然と無条件に信じていますが、それではいけないというのです。

それでは、この世はどのような世の中なのかについて、聖書を通して調べてみましょう。ヨハネによる福音書第十二章三十一節を見れば、「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう」とあります。「この世の君」とはサタンのことです。なぜサタンが、人類の王になることができたのでしょうか。それは、人類が堕落したからです。神様とサタンとは怨讐関係です。人間始祖が偽りの夫婦関係によって堕落することで、私たち人類は堕落した先祖をもったのです。

そして、互いに殺し合う偽りの兄弟関係が成立したというのです。夫婦が罪のある息子、娘を生んで、罪のある家庭から罪のある氏族、罪のある民族、罪のある世界に広がっていったのです。ですから、自動的に悪魔サタンが王にならざるを得ないというのです。

このような世の中から、罪のない世の中に移行させなければなりません。それが救援です。移すということは、救援であり、復帰だということを知らなければなりません。本来、神様のみ旨とは、救援ではありません。ですから、本来の神様のみ旨に戻らなければなりません。メシヤが来る目的は、神様のみ旨を成就するためのものです。神様のみ旨とは何でしょうか。悪魔サタンから世の中の人をすべて救い出すことであり、最後には悪魔サタンを屈服することです。

今日、皆様が暮らしているところには、人間が罪を犯せば、それを讒訴する悪魔サタンがいます。それを屈服しなければなりません。今日のキリスト教は行くべき目的が何かを知らずにいます。「私一人が救われて天国に行こう」というのは、本当の救いではありません。人類を救援することが神様のみ旨であり、人類を滅ぼし蹂躙する悪魔サタンを、この地球星から永遠に追放することが、神様のみ旨だということを今まで知りませんでした。

そのような世界を復帰するためのメシヤを、そのまま個人の次元でサタンのもとに送れば、サタンが捕まえてその命を奪います。ですから、個人から家庭と氏族を経て、民族を経て、一つの国家形態を用意しておき、その国家の国民が一つになったところに、世界を料理するために送られたお方がメシヤです。それを準備すべきユダヤ教であり、選民だったということを、ユダヤ教の信者は知らなかったのです。その延長として世界的な主が再び来るときにも、そのみ旨は同じなので、世界的な終わりの日が来るとき、そのみ旨を拡大して、世界的な足場をつくるのがキリスト教の使命であることを知らなければなりません。

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聖書に見るユダヤ民族がイエス様の命を奪った背景 それでは、今から問題になるのは、主がいかにして来るのかということですが、これを私たちははっきりと知らなければならないというのです。聖書のみ言を通して見れば、終わりの日については、イエス様御自身が、「天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」(マルコ一三•三二)とおっしゃいました。ですから、いかにして来るのかという問題については、神様と談判して知る道と、私たち人間の知恵で求めて知る道があり、その道は昔、メシヤ、主がどのように来て、逝ったのか、ということから判断して知ることができるのです。その二つの道しかないことを、皆様は知らなければなりません。

皆様がもし神様と談判し、霊界に入って啓示を受けて分かったとしても、それを信じることができますか。このレバレンド•ムーンがそのような話をしても信じることができないというのです。ですから、はっきりとした証拠のある内容によって、真理に基づいた提示をしなければなりません。それゆえに、来られたメシヤについてはっきりと知ることによって、未来を推測することができるのです。それは言うまでもないことです。

今日、キリスト教でメシヤが来ることを願うのは、あたかも今から二千年前にユダヤ教徒たちがメシヤを望んでいたのと同じ立場です。今のキリスト教を見れば、二千年間メシヤが来ることを望んできましたが、ユダヤ教を見ると、神様はアダム以降、四千年間数多くの預言者を送って犠牲にさせながら、メシヤを遣わしてあげようと約束したのです。神様がメシヤを送ると約束したので、その民族は、そのお方が来るとすれば、鉄石のように固く一つになって神様のみ旨を成し遂げようと精誠を込めて信じてきました。

ですから、神様はメシヤであるイエス•キリストを約束どおり、その民族に送りました。また、約束どおり、その民族は受け入れなければならないという立場に立っていました。ところが、メシヤが来ることを願った民族が、メシヤを受け入れたのではなく、むしろ迫害し、捕まえて命を奪ったのです。皆様、それがなぞではないでしょうか。

その事件を例えて言えば、メシヤが来ることを願っている今日のキリスト教徒たちが、メシヤが来たにもかかわらず、カトリック教会の最高指導者であるロ—マ教皇や枢機卿、司教、あるいはプロテスタント教会の牧師のような人たちがすべて動員され、メシヤを捕まえて命を奪ったのと同様の結果をもたらしたというのです。簡単に「死ぬために来た」という話は通じません。理論的に合わないというのです。死ぬためならば、何のために彼らを訓練し苦労させてきたのですか。四千年の間、数多くの預言者の命を捧げさせ、イスラエル民族に大変な苦労をさせてまでメシヤを送る理由が分かりません。準備していない悪党のもとに送れば、どれくらいよく葬ってしまうでしょうか。このように言えば、口があっても答弁できません。

ですから、ユダヤ民族が、そのように待ち望んだメシヤを神様が送ったにもかかわらず、どうして彼らはメシヤを捕まえて命を奪ったのかというその原因を、はっきりと知らなければなりません。このような話を初めて聞くからといって、あまり深刻になりすぎないようにお願いします。なぜ捕まえて命を奪ったのかという問題を知らなければなりません。

なぜそのようにしたのかというと、第一に、旧約聖書の内容がそうするようになっています。皆様が御存じのように、旧約聖書のマラキ書は、新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書第四章五節以下を見れば、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と鉄石のように固く預言されているという事実を、私たちは知らなければなりません。

エリヤはどのような人だったかというと、イエス様が来られる約九百年前に、火の車に乗って昇天した人です。神様がこの民を愛して、このように時を決めてエリヤを送ろうといったので、火の車に乗っていったエリヤ自身が降りてくるものと思い、そのように信じたのです。「エリヤが来る」と聖書にはしっかりと書かれているのに、エリヤそのものは来ませんでした。旧約聖書はどのような本かというと、イエス様まで約二千年の間、イスラエル民族の思想の基調となり、ユダヤ教の信仰の中心となっているとともに、全生命を傾けて信じてきた本です。そのような旧約聖書を、イエス様の話を聞いて簡単に捨てることができるのかというのです。

皆様、それを信じますか。その話は、主が雲に乗って天から降りてくることを信じ、それを願っているのに、突然、ある人が来て「私が主である」と言うのと同じことです。それを今、キリスト教は信じることができますか。そのような事件であるがゆえに、イエス様が御苦労されるしかなかったのだということを、イエス様のみ言を通して調べてみることにしましょう。

マタイによる福音書第十七章十節以下を見てみましょう。イエス様の弟子たちは聖書の内容をよく知りませんでした。無知な彼らがイエス様を救世主として信じて伝道に出掛け、「メシヤが来たので信じなさい」と言うとき、祭司たちが「おいおい、あなたたちの先生がメシヤだとすれば、マラキ書のメシヤが来る前にエリヤを遣わすとある、そのエリヤはどこに来たのか」と言いました。ところが、弟子たちはその意味が分からないので、イエス様に尋ねる場面が出てきます。

エリヤそのものが来なかったので問題です。聖書に、「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった……』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ一七•一〇―一三)と書かれています。

洗礼ヨハネはエリヤそのものですか。皆様なら信じますか。エリヤが来てもいないのに、洗礼ヨハネがエリヤだと言うのです。それで、「あなたが洗礼ヨハネをエリヤだと言うのは、メシヤを装うためだ」と言って、イエス様に対して疑い、彼を、約二千年間神様が立てたイスラエル選民を滅ぼし、ユダヤ教を滅ぼそうとする親玉だと言い、悪霊の頭ベルゼブルだと断定してしまいました。「間違いなく悪魔サタンの息子だ。エリヤは来ていないのに、エリヤが来たとこじつけるやつを、誰が救世主として信じるというのだ」と思ったのです。

*聖書に見るユダヤ民族がイエス様の命を奪った背景 それでは、今から問題になるのは、主がいかにして来るのかということですが、これを私たちははっきりと知らなければならないというのです。聖書のみ言を通して見れば、終わりの日については、イエス様御自身が、「天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」(マルコ一三•三二)とおっしゃいました。ですから、いかにして来るのかという問題については、神様と談判して知る道と、私たち人間の知恵で求めて知る道があり、その道は昔、メシヤ、主がどのように来て、逝ったのか、ということから判断して知ることができるのです。その二つの道しかないことを、皆様は知らなければなりません。

皆様がもし神様と談判し、霊界に入って啓示を受けて分かったとしても、それを信じることができますか。このレバレンド•ムーンがそのような話をしても信じることができないというのです。ですから、はっきりとした証拠のある内容によって、真理に基づいた提示をしなければなりません。それゆえに、来られたメシヤについてはっきりと知ることによって、未来を推測することができるのです。それは言うまでもないことです。

今日、キリスト教でメシヤが来ることを願うのは、あたかも今から二千年前にユダヤ教徒たちがメシヤを望んでいたのと同じ立場です。今のキリスト教を見れば、二千年間メシヤが来ることを望んできましたが、ユダヤ教を見ると、神様はアダム以降、四千年間数多くの預言者を送って犠牲にさせながら、メシヤを遣わしてあげようと約束したのです。神様がメシヤを送ると約束したので、その民族は、そのお方が来るとすれば、鉄石のように固く一つになって神様のみ旨を成し遂げようと精誠を込めて信じてきました。

ですから、神様はメシヤであるイエス•キリストを約束どおり、その民族に送りました。また、約束どおり、その民族は受け入れなければならないという立場に立っていました。ところが、メシヤが来ることを願った民族が、メシヤを受け入れたのではなく、むしろ迫害し、捕まえて命を奪ったのです。皆様、それがなぞではないでしょうか。

その事件を例えて言えば、メシヤが来ることを願っている今日のキリスト教徒たちが、メシヤが来たにもかかわらず、カトリック教会の最高指導者であるロ—マ教皇や枢機卿、司教、あるいはプロテスタント教会の牧師のような人たちがすべて動員され、メシヤを捕まえて命を奪ったのと同様の結果をもたらしたというのです。簡単に「死ぬために来た」という話は通じません。理論的に合わないというのです。死ぬためならば、何のために彼らを訓練し苦労させてきたのですか。四千年の間、数多くの預言者の命を捧げさせ、イスラエル民族に大変な苦労をさせてまでメシヤを送る理由が分かりません。準備していない悪党のもとに送れば、どれくらいよく葬ってしまうでしょうか。このように言えば、口があっても答弁できません。

ですから、ユダヤ民族が、そのように待ち望んだメシヤを神様が送ったにもかかわらず、どうして彼らはメシヤを捕まえて命を奪ったのかというその原因を、はっきりと知らなければなりません。このような話を初めて聞くからといって、あまり深刻になりすぎないようにお願いします。なぜ捕まえて命を奪ったのかという問題を知らなければなりません。

なぜそのようにしたのかというと、第一に、旧約聖書の内容がそうするようになっています。皆様が御存じのように、旧約聖書のマラキ書は、新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書第四章五節以下を見れば、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と鉄石のように固く預言されているという事実を、私たちは知らなければなりません。

エリヤはどのような人だったかというと、イエス様が来られる約九百年前に、火の車に乗って昇天した人です。神様がこの民を愛して、このように時を決めてエリヤを送ろうといったので、火の車に乗っていったエリヤ自身が降りてくるものと思い、そのように信じたのです。「エリヤが来る」と聖書にはしっかりと書かれているのに、エリヤそのものは来ませんでした。旧約聖書はどのような本かというと、イエス様まで約二千年の間、イスラエル民族の思想の基調となり、ユダヤ教の信仰の中心となっているとともに、全生命を傾けて信じてきた本です。そのような旧約聖書を、イエス様の話を聞いて簡単に捨てることができるのかというのです。

皆様、それを信じますか。その話は、主が雲に乗って天から降りてくることを信じ、それを願っているのに、突然、ある人が来て「私が主である」と言うのと同じことです。それを今、キリスト教は信じることができますか。そのような事件であるがゆえに、イエス様が御苦労されるしかなかったのだということを、イエス様のみ言を通して調べてみることにしましょう。

マタイによる福音書第十七章十節以下を見てみましょう。イエス様の弟子たちは聖書の内容をよく知りませんでした。無知な彼らがイエス様を救世主として信じて伝道に出掛け、「メシヤが来たので信じなさい」と言うとき、祭司たちが「おいおい、あなたたちの先生がメシヤだとすれば、マラキ書のメシヤが来る前にエリヤを遣わすとある、そのエリヤはどこに来たのか」と言いました。ところが、弟子たちはその意味が分からないので、イエス様に尋ねる場面が出てきます。

エリヤそのものが来なかったので問題です。聖書に、「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった……』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ一七•一〇―一三)と書かれています。

洗礼ヨハネはエリヤそのものですか。皆様なら信じますか。エリヤが来てもいないのに、洗礼ヨハネがエリヤだと言うのです。それで、「あなたが洗礼ヨハネをエリヤだと言うのは、メシヤを装うためだ」と言って、イエス様に対して疑い、彼を、約二千年間神様が立てたイスラエル選民を滅ぼし、ユダヤ教を滅ぼそうとする親玉だと言い、悪霊の頭ベルゼブルだと断定してしまいました。「間違いなく悪魔サタンの息子だ。エリヤは来ていないのに、エリヤが来たとこじつけるやつを、誰が救世主として信じるというのだ」と思ったのです。*

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世界を救うべき宗教の使命 絶対的な神様が造られた存在物は、一つの目的をもたなければならないことは間違いありません。それでは、神様の愛を中心として、絶対的な相対の立場に立った人間がこの地にいると思いますか。いません。絶対的な神様が造ったので、一つの目的を指向する人間になるべきですが、人間を見れば二律背反的な、反対の目的となるもう一つの道に立っているのが分かります。ある人はこれを、人における主体と対象の関係と見ますが、そうではありません。良心が内的なプラスだとするならば、邪心はまたほかの一つのプラスなのです。ですから、反発が起こるのです。そのような立場に立っているのが、この地上に生きている私たち人間です。

神様が私たちに高貴な偉業としてくださった愛の理念、絶対価値の理念を喪失してしまい、反対の二つの現象世界で呻吟して生きる悲惨な人間だということを知らなければなりません。言い換えれば、故障した人々になっているというのです。ところが、絶対的な神様は人間に相対するしかないので、このような人間をそのまま放置することができず、歴史過程を通して再生させる運動をしてきたというのです。すなわち、修理工場を造ったのですが、それが宗教なのです。

世界には多くの宗教がありますが、文化が異なり、あるいは民族の背景が異なるので、その基準によって、多くの宗教を立てて糾合してきたのです。宗教が望む目的は、世界を救うことです。神様が望む目的も、世界を救うことです。世界を救おうとする宗教でなければ、長く存続できません。

皆様、宗教指導者たちは、民族主義者ではなく、世界主義者であり、天を中心とした世界的な運動を提示した人々です。私たちは今、四大聖人として、イエス•キリスト、釈迦牟尼、孔子、ムハンマドを挙げます。ある人はソクラテスを挙げていますが、ソクラテスは哲人であって聖人ではありません。知識では生命を救うことができません。天だけが生命を左右するのです。

ですから、四大聖人とはどのような人々かというと、すべて世界的な大宗教の教主になっています。天に仕えなかった人はいません。皆様、聖人を尊重しながら、天を無視する人になってはいけないというのです。

世界的中心宗教はキリスト教 したがって、この修理工場のような使命を宗教がするのですが、神様が絶対者ならば絶対者が一番好む宗教とはこの四大宗教の中でどの宗教かということを、私たちは知らなければなりません。

儒教を見れば、神様に対するはっきりとしたことを教えられませんでした。善を行えば天が福を与えて、悪を行えば災いを与えるという程度しか教えることができなかったのです。仏教を見れば、法則的な神様は認めますが、人格的な神様は知らずにいます。また、イスラームを見れば、これはキリスト教を受け継いだ中間的な宗教です。

ところが、ただイエス•キリストだけは、主張した内容が異なります。彼が現れて「私は神のひとり子だ」と言いました。人類歴史上に、神様のひとり子だと主張した人は、イエス様しかいないのです。その次に「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネ一四•九)と言いました。「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(ヨハネ一〇•三八)と言いました。それだけでなく、「私は花婿であり、あなたがたは花嫁である」という立場で語られたのです。このようなことを見るとき、誰を中心としてこれを成し遂げようとしたのかといえば、神様を中心として成し遂げようとしたというのです。言い換えれば、神様を中心として息子になり、一つの体になり、一つの新郎新婦になり、一つの家庭をつくろうというのがキリスト教の目的なのです。私たち人間に最高の価値として与えられた息子の位置と同等な立場、そして創造の偉業と創造したそれ以後の喜びまでも感じられる家庭的起源を、イエス様は教えてくださったのです。

キリスト教の限界 ところが、イエス様は神様の息子であり、天の父と一体になりましたが、相対である新婦を準備できませんでした。もし、イスラエルの国とユダヤ教が、その時、イエス様と一つになった立場で、イエス様が新婦を迎えられるようにしたならば、イエス様は神様と直接の相対となって、創造の能力を発揮できる基盤をもったはずですが、それを成し遂げることができずに逝きました。

このような神様を中心とした息子、娘が出てきて、家庭をつくって、新しい氏族と民族と国家と世界になったとすれば、この地球星はすぐに天国になったでしょう。神様を中心とした天の国になったでしょう。イスラエルの国の人々が信じることができず、ユダヤ教徒たちが信じることができなかったためにイエス様が死んだのであって、信じたとすればイエス様は死ななかったでしょう。

もし、そのとき、イスラエルの国とユダヤ教がイエス様を信じて、神様が理想としていた新郎新婦を迎えて新しい出発をしていれば、第二次世界大戦中に六百万人のユダヤ人がヒトラーに虐殺されることもなかったでしょう。歴史始まって以来、初めて現れた、神様の対象となり、神様が愛することのできるお方を打ってしまったので、そのようになったのです。それ以上に大きな罪はないというのです。

今、ここにもイエス様を信じる人が大勢来ていると思います。しかし、皆様の信じているキリスト教がこのまま進んでいけば、追われていくイスラエル民族のようになるかもしれません。今日、全世界に散らばっているキリスト教徒たちは、神様を中心として一つになり、再び来られる主がこのような使命をもって来られるので、再び追放することがないように基盤を築く運動をしなければ、今後、この世界の展望は悲惨だと見ざるを得ません。

そのお方が来て、新郎として新婦を迎えて婚宴をするというのが、ヨハネの黙示録に出てくる「小羊の婚宴」です。堕落したために、私たちは偽りの父母をもちました。神様がモデルとして考えていた善の真の父母は出てきませんでした。このように計画していたことを、終わりの日に来て、再び合わせなければならないというのです。真の父母が現れて、再び生み、再び接ぎ木するみ業をしなければ、世界のすべての人は救援されないのです。

新しい愛の理想世界建設のために出現した統一教会 今後、来られる主はどのような使命をもって来られるのでしょうか。堕落せずに善の父母の立場で完成する真の父母を失ったので、それを再び完成して、神様の愛を受ける真の父母の家庭から人類が再び愛される道を開くために来られるお方が、再臨主です。神様の愛を受ける息子、娘たちがこの地で生きて、家庭的に天国に行くのが幸福でしょうか。今日、キリスト教で信じるように、ただよく信じて、母は天国に行き、父は地獄に行くようになって、別々に別れていくのが幸福でしょうか。父母から子女に至るまで、全体が入らなければならないというのです。家庭が入り、氏族が入り、国が入り、世界がすべて入らなければなりません。

このような新しい父母を中心とした世界的な家庭がこれから生じ、そこから人類歴史上になかった新しい愛の理想を中心とした文化と伝統がこの地球星に顕現するようになるとき、今日のこの複雑で罪悪に満ちた世界ではなく、新しい地上の天国になるのです。そのようになるためには、皆様がどのように手続きを踏まなければならないのかを知らなければなりません。ですから、そのような内容を教えるのが、私たち統一教会の使命です。

膨大な内容をこのように要点を整理して短時間で話そうとするので、飛躍も多く、理解しづらい点もあったかもしれませんが、皆様が了解して聞いてくださったことに対して、心から感謝を申し上げます。

*世界を救うべき宗教の使命 絶対的な神様が造られた存在物は、一つの目的をもたなければならないことは間違いありません。それでは、神様の愛を中心として、絶対的な相対の立場に立った人間がこの地にいると思いますか。いません。絶対的な神様が造ったので、一つの目的を指向する人間になるべきですが、人間を見れば二律背反的な、反対の目的となるもう一つの道に立っているのが分かります。ある人はこれを、人における主体と対象の関係と見ますが、そうではありません。良心が内的なプラスだとするならば、邪心はまたほかの一つのプラスなのです。ですから、反発が起こるのです。そのような立場に立っているのが、この地上に生きている私たち人間です。

神様が私たちに高貴な偉業としてくださった愛の理念、絶対価値の理念を喪失してしまい、反対の二つの現象世界で呻吟して生きる悲惨な人間だということを知らなければなりません。言い換えれば、故障した人々になっているというのです。ところが、絶対的な神様は人間に相対するしかないので、このような人間をそのまま放置することができず、歴史過程を通して再生させる運動をしてきたというのです。すなわち、修理工場を造ったのですが、それが宗教なのです。

世界には多くの宗教がありますが、文化が異なり、あるいは民族の背景が異なるので、その基準によって、多くの宗教を立てて糾合してきたのです。宗教が望む目的は、世界を救うことです。神様が望む目的も、世界を救うことです。世界を救おうとする宗教でなければ、長く存続できません。

皆様、宗教指導者たちは、民族主義者ではなく、世界主義者であり、天を中心とした世界的な運動を提示した人々です。私たちは今、四大聖人として、イエス•キリスト、釈迦牟尼、孔子、ムハンマドを挙げます。ある人はソクラテスを挙げていますが、ソクラテスは哲人であって聖人ではありません。知識では生命を救うことができません。天だけが生命を左右するのです。

ですから、四大聖人とはどのような人々かというと、すべて世界的な大宗教の教主になっています。天に仕えなかった人はいません。皆様、聖人を尊重しながら、天を無視する人になってはいけないというのです。

世界的中心宗教はキリスト教 したがって、この修理工場のような使命を宗教がするのですが、神様が絶対者ならば絶対者が一番好む宗教とはこの四大宗教の中でどの宗教かということを、私たちは知らなければなりません。

儒教を見れば、神様に対するはっきりとしたことを教えられませんでした。善を行えば天が福を与えて、悪を行えば災いを与えるという程度しか教えることができなかったのです。仏教を見れば、法則的な神様は認めますが、人格的な神様は知らずにいます。また、イスラームを見れば、これはキリスト教を受け継いだ中間的な宗教です。

ところが、ただイエス•キリストだけは、主張した内容が異なります。彼が現れて「私は神のひとり子だ」と言いました。人類歴史上に、神様のひとり子だと主張した人は、イエス様しかいないのです。その次に「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネ一四•九)と言いました。「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(ヨハネ一〇•三八)と言いました。それだけでなく、「私は花婿であり、あなたがたは花嫁である」という立場で語られたのです。このようなことを見るとき、誰を中心としてこれを成し遂げようとしたのかといえば、神様を中心として成し遂げようとしたというのです。言い換えれば、神様を中心として息子になり、一つの体になり、一つの新郎新婦になり、一つの家庭をつくろうというのがキリスト教の目的なのです。私たち人間に最高の価値として与えられた息子の位置と同等な立場、そして創造の偉業と創造したそれ以後の喜びまでも感じられる家庭的起源を、イエス様は教えてくださったのです。

キリスト教の限界 ところが、イエス様は神様の息子であり、天の父と一体になりましたが、相対である新婦を準備できませんでした。もし、イスラエルの国とユダヤ教が、その時、イエス様と一つになった立場で、イエス様が新婦を迎えられるようにしたならば、イエス様は神様と直接の相対となって、創造の能力を発揮できる基盤をもったはずですが、それを成し遂げることができずに逝きました。

このような神様を中心とした息子、娘が出てきて、家庭をつくって、新しい氏族と民族と国家と世界になったとすれば、この地球星はすぐに天国になったでしょう。神様を中心とした天の国になったでしょう。イスラエルの国の人々が信じることができず、ユダヤ教徒たちが信じることができなかったためにイエス様が死んだのであって、信じたとすればイエス様は死ななかったでしょう。

もし、そのとき、イスラエルの国とユダヤ教がイエス様を信じて、神様が理想としていた新郎新婦を迎えて新しい出発をしていれば、第二次世界大戦中に六百万人のユダヤ人がヒトラーに虐殺されることもなかったでしょう。歴史始まって以来、初めて現れた、神様の対象となり、神様が愛することのできるお方を打ってしまったので、そのようになったのです。それ以上に大きな罪はないというのです。

今、ここにもイエス様を信じる人が大勢来ていると思います。しかし、皆様の信じているキリスト教がこのまま進んでいけば、追われていくイスラエル民族のようになるかもしれません。今日、全世界に散らばっているキリスト教徒たちは、神様を中心として一つになり、再び来られる主がこのような使命をもって来られるので、再び追放することがないように基盤を築く運動をしなければ、今後、この世界の展望は悲惨だと見ざるを得ません。

そのお方が来て、新郎として新婦を迎えて婚宴をするというのが、ヨハネの黙示録に出てくる「小羊の婚宴」です。堕落したために、私たちは偽りの父母をもちました。神様がモデルとして考えていた善の真の父母は出てきませんでした。このように計画していたことを、終わりの日に来て、再び合わせなければならないというのです。真の父母が現れて、再び生み、再び接ぎ木するみ業をしなければ、世界のすべての人は救援されないのです。

新しい愛の理想世界建設のために出現した統一教会 今後、来られる主はどのような使命をもって来られるのでしょうか。堕落せずに善の父母の立場で完成する真の父母を失ったので、それを再び完成して、神様の愛を受ける真の父母の家庭から人類が再び愛される道を開くために来られるお方が、再臨主です。神様の愛を受ける息子、娘たちがこの地で生きて、家庭的に天国に行くのが幸福でしょうか。今日、キリスト教で信じるように、ただよく信じて、母は天国に行き、父は地獄に行くようになって、別々に別れていくのが幸福でしょうか。父母から子女に至るまで、全体が入らなければならないというのです。家庭が入り、氏族が入り、国が入り、世界がすべて入らなければなりません。

このような新しい父母を中心とした世界的な家庭がこれから生じ、そこから人類歴史上になかった新しい愛の理想を中心とした文化と伝統がこの地球星に顕現するようになるとき、今日のこの複雑で罪悪に満ちた世界ではなく、新しい地上の天国になるのです。そのようになるためには、皆様がどのように手続きを踏まなければならないのかを知らなければなりません。ですから、そのような内容を教えるのが、私たち統一教会の使命です。

膨大な内容をこのように要点を整理して短時間で話そうとするので、飛躍も多く、理解しづらい点もあったかもしれませんが、皆様が了解して聞いてくださったことに対して、心から感謝を申し上げます。*

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人体の神秘を通して見た神様の実在性 皆様。神様がいるか、いないかについて、少しの間お話ししてみましょう。私たちが人類始祖を求めてさかのぼれば、最初の人類始祖が出てくるでしょう。その人類始祖は大地で生まれたのです。その生まれた最初の人間が、大地に生まれるとともに、太陽があることを、それ自体が知っていて準備して出てきたか、そうでなければ、それ自体は知らずに出てきたかということを考えてみます。

この地に出てくるとき、目は太陽があることを知らなかったでしょう。しかし、それ自体は知らなかったとしても、あらかじめ天体に太陽があって、見ることができることを知り、目をそのように生じさせたのです。皆様の目を見るとまばたきしています。それは、地の熱を受けて目の水分が蒸発するので、湿らせなければならないことを知っていたからです。また、まつげは、ほこりを防止しなければならないことを知って生じました。これを見れば、人間は博物学的、天文学的知識を基盤として生まれたということです。

そして、目はあらかじめ汗が流れてくることを知っていました。それを知って、この貴重なところに異物が入れば大変なことになるので、防波堤をつくっておいたのです。そして、人が立って行き来することを知っていたというのです。また、耳を見てください。あらかじめ音波が来ることを知って、それを聞き取れるようになっています。また、鼻を見てください。鼻がなぜこのように下に向かうようになっているのかというのです。鼻に汗や雨水が入ってはいけないので、防波堤をつくって下に向かうようにしたのです。すべて知ってつくられたというのです。それらが自然にそのようになるでしょうか。

このように私たちの人体を見れば、神秘の王宮のようになっています。これがただそのままそのように生じることはありません。このように見るとき、人間が生まれるとき、自分自身は知りませんでしたが、それを知っていた方がいたか、いなかったかということが問題になります。そのように生まれたことに対して、「ただ生まれた」とは言えません。それをあらかじめ知っていた方が誰かというと、神様でいらっしゃいます。

神様との関係から見た人間の本然の価値 それでは、神様が人間を造ったとすれば、私たち人間をどのような立場に置いて、どのような関係を結ぶために造ったのかを調べてみましょう。神様が人間を造ったとすれば、造った神様の目的があったはずです。また、そのように造られた人間ならば、その人間自身にも目的があるのです。造られた人間の目的と造った神様の目的が別々だということはありません。必ずある一致点がなければならないというのです。その立場は神様も望み、私たち人間も望むでしょう。

ここに来た人々の中で、世界的に著名な大統領がいらっしゃるとすれば、その大統領よりも偉くなりたくないと思う人がいますか。偉くなりたいと思いますか、偉くなりたくないと思いますか。偉くなりたいと思うのです。最高に偉くなりたいと思います。世界で一番偉い人がいれば、その人と関係を結びたいと思うのが人間の欲望です。

そして、その偉い人を中心として一つになったとしても、それよりも偉い人がいれば、その人とも一つになりたいのです。男性も女性もそのような思いをもっています。いくら愚かな人だとしても、そのような思いをみなもっているというのです。もし天地を創造した絶対者である神様がいらっしゃるならば、その神様と関係を結びたいと思うでしょうか、結びたくないと思うでしょうか。

そして、その神様を占領したとしても、神様の中にただ一つしかない愛を占領できないときは、安心できないというのです。神様を占領し、神様の中に一つしかない愛までも占領すれば、万事OKです。そのお方の愛さえ占領する日には、そのお方のものは、私のものになるというのです。良心は私たちを、そこまでせき立てる作用をします。本来の人間は、そのような価値のある立場にいるので、そのような作用をしていることを否定できません。

神様は愛の神様ですが、私たち人間を愛そうとするならば、どのような立場で愛したいと思われるでしょうか。また、私たち人間は、どのような立場で神様の愛を受けたいと思うでしょうか。その立場は父子関係、すなわち父と息子の立場しかないというのです。ですから、今日、キリスト教で「父なる神」と呼ぶのです。父と息子なら上下関係です。人間の欲望を見るとき、その高い父の位置に私も一度行きたいと思わざるを得ないというのです。ですから、神様はそれまでも心配して、私たちの心、すなわち内的なところに入ってきて、私たち人間自身を外側、すなわち神様の体と同様の立場を許諾しようというのです。そのようになれば、同等な立場に立つようになります。

人間で見るとき、その父が貴いとすれば、一人しかいないその父を、どこかに持っていって保管したくはないのです。あの遠いところに置きたくないというのです。いつも自分と共にいて、自分だけに会い、自分だけが喜ベるところに持っていって置いておきたいと思います。ですから、神様が見えないことを願うのです。神様をどこかほかのところに置いてはいけないというのです。私だけが分かる心の中に置きたいというのが、私たち人間の欲望であるに違いありません。

ですから、創造主である神様は、被造物である私たち人間を神様と同じ立場に置くというのです。私たち人間を、神様の息子の立場で愛することができるように、神様と同等な立場に立ててくださったのです。

神様は天地を創造する能力をもったお方なので、その創造の能力までももつようにさせたかったというのです。神様が人間を創造したあと、私たち人間を造ってみると、どれほどかわいく、愛らしかったのか、そのような妙味までも、私たち人間が感じるようにさせたいと思われたというのです。

その神様の創造の能力を受けようとするなら、神様はお一人の中に完全な男性と女性の姿でいらっしゃるので、分かれて生まれた男性と女性も、完全な男性と女性が一つになって、神様の相手にならなければなりません。神様の相手になることによって、創造的役割を身代わりできるのです。

ですから、夫婦の愛を通して一つになることによって、神様のような立場で創造の能力を果たせるのが子女です。赤ん坊を生んで、どれほどうれしいかということを私たちに感じさせるために、神様は子女を愛する心を下さいました。このように見ると、神様は最も良いものを私たち人間に、すべて注いでくださったというのです。

このように、永遠であられる神様の愛と一つになって、幸福と満足の中で、平和なエデンで生きるように私たち人間を造られたのです。そのようになることによって、絶対的な神様のみ前に、神様の愛を中心として永遠に相対となる立場で、別れようとしても別れることができない幸福な人として生きるのが、人間の本然の姿だったということを、私たちは知らなければなりません。

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1.お一人の神様と一つの世界宗教 日付:一九七二年二月三日

場所:アメリカ、ニューヨーク、リンカーン•センター

行事:アメリカ九ヵ都市巡回講演

紳士淑女の皆様。今夜、このように悪天候にもかかわらず、大勢の方々が集まってくださったことに対して、心から感謝申し上げます。皆様に会ってみたいという思いは、数十年前からありました。今晩、初めて皆様にお会いでき、まず皆様の前に感謝申し上げると同時に、神様に心から感謝を申し上げる次第です。

神様は実在するのか きょう、お話しするタイトルは、「お一人の神様と一つの世界宗教」です。このニューヨークに住んでいる方々は、「神様」と言えば、「神様は死んだ」という言葉を連想するかもしれません。しかし、神様が存在しているのに、存在する神様を「死んだ」と言うのは、これ以上の罪はないと思うのです。神様が存在しないのに「神様は存在する」と言うほうが、それよりまだ良いと見ることができます。

きょう、お話しする「お一人の神様と一つの世界宗教」というタイトルを見ても、ここに人がいなければ何の問題にもなりません。人がいるので、その人と一人の神様が必要なのであり、人がいるので、その人と一人の神様が一つになってつくられる宗教が必要だというのです。

万一、絶対者である神様がお一人でいるならば、その神様がいる所は幸せな所ではないと考えざるを得ません。

神様であっても、その神様が一人で喜ぶならば、神様も正常な神様ではないでしょう。しかし、その神様がいくら小さな相対だとしても、その一つのものを見て「ははは」と笑いながら喜ぶとすれば、それは正常なのです。いくら小さなものでも、それを見て笑う神様に対して「狂っている」と言えば、そのように言う人がかえって狂った人になるのです。ですから、相対的存在がどれほど貴いかということを、皆様に最初にお話ししているのです。「不幸」や「悲しみ」という言葉は、相対がいないところから始まる言葉です。

それでは、神様が相対を好むとすれば、この世界でいったいどのような存在を好むと思いますか。感覚がない鉱物のようなものでしょうか。鉱物ではありません。植物でもありません。植物よりは動物のほうがより関心事になるでしょう。このように見るとき、この被造物の中で神様の関心事になり得る中心存在とは何かと尋ねれば、幼稚園児であっても、人間だと指摘するでしょう。皆様は、そのように思いませんか。このように見れば、人間は被造物の中で最高傑作だということを否定できないのです。ですから、神様も対象を訪ねていくとすれば、人間を除いては訪ねるべき対象がないという結論が出てきます。

今日、この複雑な情勢の中で、今後のアメリカの運命や、あるいは世界の運命を考えるとき、神様がいれば良いのか、いなければ良いのかという問題は、深刻に考えてみる問題にならざるを得ません。

絶対者がいて、真は真とみなし、悪は悪として処断することができれば良いですが、そのようなお方がいないとすれば、今後の世界は問題にならざるを得ません。ですから、神様がいないより、いるほうが良いというのが、私たちの願いです。ですから、神様がいるか、いないかということが問題です。

二性性相の神様 この宇宙は、存在世界であることを私たちは知っています。それは誰もが認めています。存在するためには、力がなければならないことを知っています。その力が存在するためには、力が先か、存在が先かということが問題です。力がなければ、存在もありません。ところが、その力というものは、作用をせずには現れないのです。力がある前に、作用という現象が必ず必要です。

また、作用をするためには、そこには必ず先行条件として、主体と対象が絶対必要だということを否定できません。この主体と対象が授受するところから作用が始まり、作用が始まることによって力が存続するのです。言い換えれば、力が存在する前になければならないものとは何かというと、主体と対象だというのです。

主体と対象は互いに異なる立場にあるので、これらが作用をするためには、互いに相手の内容に合うようにしなければならないのです。そのようにしなければ作用することができません。ですから、主体と対象が作用するためには、主体の目的と対象の目的が一致できる基点がなければならないのです。そうでなければ作用しないというのです。

私たちが何かの用で外に出ていくとき、自らが損をするために出ていく人はいないでしょう。ニューヨークのタイムズ•スクエアを大勢の人々が往来していますが、その人々が家から出るとき、「私はきょう、一ドルでも損をするために家から出ていく」といって出てきた人は一人もいないはずです。出てくる時は、必ず自分に利益になることを望み、自分にプラスになる何かを望んで出発するのです。

皆様が友人たちに会って交流するとき、お互いがマイナスになり、今よりも悪くなりかねない立場では、絶対に一つにならないのです。甲と乙の二人が一つになるには、今よりプラスになる共通の目的があるからこそ、そこで作用が起こり、一つになるということが起こるのです。このように見るとき、力が作用するには、二重目的、すなわち主体と対象が互いの目的にプラスになるものがなければ、一つになることもなく、作用もしないという結論を出すことができます。

原子を例に挙げれば、原子は陽子を中心として電子が取り囲んでいます。それもやはり、二つの目的を結合して与え合う立場にあるので、一つの原子型を形成するのです。ですから、電子の目的と陽子の目的が追求するものを中心として、合わせているのです。大きく見れば、神様も存在者です。神様が存在するならば、実存体としていらっしゃるのです。そうだとすれば、神様もやはり主体と対象の関係になっていて、完全に与え合うことができる二重目的を中心として、結合した位置に立たなければ、永遠に存在することはできないのです。それは、神様も結局は、主体と対象が一つになって、お一人の神様としていらっしゃるという話です。

神様のかたちに創造された人間 聖書の創世記第一章二十七節を見れば、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」という聖句があります。それを帰納的に追究してみれば、神様は、一人の男性と一人の女性を合わせた方だという結論が出てきます。

そのような神様が一人でいてはいけないので、対象を必要とされ、そのために、この世界を創造せざるを得なかったというのです。それで、造られたのが一人の男性であり、一人の女性です。一人の人について見ても、人には心と体があります。この心と体が与え合うのです。もしこれが食い違ってくると苦痛を感じるようになります。どちらか一方が傾くというのです。しかし、これが一つになって上がっていけば喜びがあるのです。これが完全に一つになった男性がいるとすれば、彼は完全な男性です。

もし絶対者がいるとすれば、どのような男性を要求するでしょうか。そのような男性を要求するでしょう。女性も同じです。心と体が完全に一つになった女性がいるとすれば、神様は、その女性に会おうとせざるを得ません。絶対者の威信から見ても、最高の男性、最高の女性に会わなければならないというのです。そのように、天のみ前に堂々と立つことができる人を天は求めるのであり、私たちも望むのです。

私たち人間を見れば、原因的な存在ではないことを否定できません。人は結果的な存在です。皆様は、存在する、しないを自由に決めることができますか。できません。原因になれないので、結果的な立場にいることを否定できないのですが、結果的な存在も、原因が絶対的ならば、絶対的な相対の位置に立つことができるのです。

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しかし堕落以後、個体から全体に至るまで、善と悪の葛藤は絶えず繰り返されてきたのであり、結局、人種、国境、宗教の壁は、人類に量り知れない苦痛を抱かせてきました。真の父母様は、神様の解放と人類救援、そして平和理想世界の完成という生涯の摂理的目標をお立てになり、全生涯を全力投球してこられました。霊性回復のための宗教活動を中心として、政治、経済、社会、文化、芸術、教育、言論、スポーツを通じて人類平和運動を展開してこられ、特に天国の最小単位を「真の家庭」に置き、真の家庭の祝福と怨讐間の祝福結婚の門を開いてくださいました。

すべての葛藤を解消する国際交叉祝福結婚を通して、名実共に人類大家族理想を現実のものにされました。その結果、百二十の氏族と百二十余ヵ国で平和の王、万王の王に推戴されて戴冠式を挙行し、人類の夢は現実となっています。

第五に、真の父母様は「天地人真の父母」として、神様の位相を確立され、この地上で初めて創造本然の完成を成就されました。真のお父様は僕の僕の立場から蕩減復帰摂理を展開され、その勝利的結果に従い、サタンの主権は徐々に縮小していき、神様の位相は次第に創造本然の位相に格上げされたのです。

二千年前、イエス様が神様を「父」として啓示しましたが、そのことによって、ユダヤ人たちから神様を冒瀆したと言われ、十字架の苦難を受けるようになったことを皆様も御存じでしょう。しかし真の父母様は、この地上において実体的に蕩減復帰を完成され、神様に本然の創造主、すなわち天と地と人間を主管される真の父母としての尊さと栄光を取り戻してさしあげたのです。

このように真の父母様の摂理的位相は、摂理の基準に従って変化してきたのであり、その基台の上に神様の解放と釈放圏が成し遂げられました。メシヤから真の父母、天地父母、天地人父母、祝福家庭王、平和の王、万王の王を超えて、二〇一〇年に「天地人真の父母定着」を宣布されました。すなわち神様は「無形の天地人真の父母」であられ、真の父母様は「有形の天地人真の父母」として定着し、創造主、神様の本質的アイデンティティーを実体で完成、顕現されたのです。

愛する食口の皆様。天も干渉できない蕩減復帰の摂理路程で、真のお父様と私が経験してきた苦痛は想像を超越するものです。私たちは、真の家庭の子女たちを摂理の祭物として捧げることまでしました。その険難な蕩減復帰の路程を、誰が量り知ることができるというのでしょうか。私は全生涯を捧げて真のお父様の伴侶として、苦楽を共にし、万難を克服してきました。その勝利的基盤の上に、真の父母様は天が下さった摂理的次元の同参権、同居権、同位権をもつようになったのです。

今後の私たちの行くべき道 尊敬する内外の貴賓、そして愛する全世界の祝福家庭の皆様。これから真のお父様は、天法に従って霊界を拠点として、自由自在に霊肉界を往来されながら、天一国の拡張のために摂理されるでしょう。真のお父様は夜の神様の実体として肉界に再臨協助され、昼の神様の実体として地上摂理を継続する真のお母様と一心、一体、一和、一念の境地で、摂理を経綸されるようになるでしょう。

そして、真のお父様は、基元節の勝利を通して本然のエデンの園をこの地上に創建するために、皆様と共にいらっしゃるでしょう。天の摂理は中断することができないためです。これから私は、このような歴史的摂理の新しい転換期を迎え、真のお父様の勝利的基盤を相続して、この地上を中心とする摂理を主導し、先頭に立つことを明らかにしながら、皆様に次の幾つかのお願いをしたいと思います。

第一に、私たちは真の父母様が立ててくださった伝統を、絶対生命視しなければならず、子孫万代まで相続し、伝承させなければなりません。真の父母様は愛と心情の伝統、み言と規定、規則と儀礼の伝統、心情文化の伝統を立ててくださいました。特に真の父母様の蕩減復帰摂理路程の結晶体であるみ言を訓読する訓読会の伝統は、各家庭ではもちろん、教会や天を中心とする集会で、最も中心的内容となるようにしなければなりません。それとともに、私たちはこの地上で新しい秩序を立てていかなければなりません。ですから、組職の秩序と伝統も、真の父母様を中心とする真の家庭とアベルを中心とする中で、一糸乱れず統一体を築いていかなければならないことを肝に銘じてくださるようお願いします。

第二に、天が祝福された祝福家庭の理想を完成しなければなりません。家庭は真の愛、真の生命、真の血統の揺りかごであり、神様の創造目的を実現する基盤です。「家庭盟誓」の八大項目を中心とする中で、善なる血統の伝統を絶対信仰によって守らなければなりません。私たちの平和のビジョンは「純潔な愛、幸福な家庭、平和な世界」です。夫婦が絶対愛で天に侍って一体となる伝統の中で、子女を愛とみ言によって養育しなければなりません。家庭において訓読会を通して天一国の秩序がしっかりと定着するようにしなければならず、正午定着の基準で縦的、横的に心情的伝統が定着していく祝福の理想を完成しなければなりません。

第三に、皆様全員は氏族的メシヤの祝福を受けたので、この地上に天一国が完成されるときまで、その使命と責任を果たさなければなりません。氏族的メシヤは真の父母が下さる祝福の中で最も大きな祝福です。蕩減復帰摂理の勝利的基台でなければ、堕落人間を氏族のメシヤとして立てることはできないためです。ですから、真の父母様の全生涯の摂理的経綸の中には、いつも氏族的メシヤの使命が強調されてきたのです。

この地上における天一国の天宙的完成は、氏族的メシヤたちがその使命を果たして、各氏族にみ言と祝福とために生きる生活を相続させ、善の主権を立てて、平和な世界、人類大家族の実現を通してこそ可能になるのです。各氏族において勝利的基盤が形成されるようになれば、その基台の上にアベル国連が自動的に安着し、善主権は完成するようになるのです。

第四に、私たち全員は真の父母様と真の家庭を中心として、和合と統一の心情文化共同体を築いていかなければなりません。皆様全員は、例外なく天の選択と先祖の功績、そして自らの後天的天稟によってみ旨の道と関係を結び、数多くの迫害を顧みず真の父母様のみ跡に従い、今日の勝利圏を迎えるようになりました。ですから、私たち全員は、一つの父母を中心とする一家族心情共同体です。世の中はいまだに分裂と葛藤に満ちていますが、私たち統一家は、人種、国境、およびいかなる障壁も軽く越えて、一つの兄弟姉妹になることができます。ために与えて生きる人生の見本を見せれば、確実に達成できる夢です。特に、このような摂理の大転換期には、私たち全員が真の父母様と一つにならなければならないことを、肝に銘じてください。

基元節の勝利のための誓い 尊敬する平和の指導者、愛する統一家の食口の皆様。真のお父様は今、霊界で私たちといつも共にいらっしゃいます。ただ無形でいらっしゃるだけであり、一瞬たりとも私たちの傍らを離れることはないでしょう。今私たちに何を望んでいらっしゃるでしょうか。正に中断のない前進です。

神様の摂理は、全世界に真の父母を中心とする中で愛と平和が満ちあふれ、心情文化が定着し、新しい秩序が定着するときまで続けられなければなりません。その上に基元節の勝利を土台として、より一路邁進し、天と真の父母様の前に大きな栄光をお捧げし、世界と歴史の前に大きな希望を抱かせてあげなければならないでしょう。

愛する食口の皆様。私はこのような摂理の勝利圏のために最に最善を尽くしながら、全生涯を見せてくださり、指導してくださった真のお父様の生涯と伝統に忠実であり続けるでしょう。

皆様にきょうお伝えするこの願いは、霊界に行かれる真のお父様の遺言です。全員が胸深く刻み、勝利者になられることを切に願います。皆様の家庭と国家の上に、神様の祝福と愛がいつも共にあることをお祈りいたします。ありがとうございます。

*しかし堕落以後、個体から全体に至るまで、善と悪の葛藤は絶えず繰り返されてきたのであり、結局、人種、国境、宗教の壁は、人類に量り知れない苦痛を抱かせてきました。真の父母様は、神様の解放と人類救援、そして平和理想世界の完成という生涯の摂理的目標をお立てになり、全生涯を全力投球してこられました。霊性回復のための宗教活動を中心として、政治、経済、社会、文化、芸術、教育、言論、スポーツを通じて人類平和運動を展開してこられ、特に天国の最小単位を「真の家庭」に置き、真の家庭の祝福と怨讐間の祝福結婚の門を開いてくださいました。

すべての葛藤を解消する国際交叉祝福結婚を通して、名実共に人類大家族理想を現実のものにされました。その結果、百二十の氏族と百二十余ヵ国で平和の王、万王の王に推戴されて戴冠式を挙行し、人類の夢は現実となっています。

第五に、真の父母様は「天地人真の父母」として、神様の位相を確立され、この地上で初めて創造本然の完成を成就されました。真のお父様は僕の僕の立場から蕩減復帰摂理を展開され、その勝利的結果に従い、サタンの主権は徐々に縮小していき、神様の位相は次第に創造本然の位相に格上げされたのです。

二千年前、イエス様が神様を「父」として啓示しましたが、そのことによって、ユダヤ人たちから神様を冒瀆したと言われ、十字架の苦難を受けるようになったことを皆様も御存じでしょう。しかし真の父母様は、この地上において実体的に蕩減復帰を完成され、神様に本然の創造主、すなわち天と地と人間を主管される真の父母としての尊さと栄光を取り戻してさしあげたのです。

このように真の父母様の摂理的位相は、摂理の基準に従って変化してきたのであり、その基台の上に神様の解放と釈放圏が成し遂げられました。メシヤから真の父母、天地父母、天地人父母、祝福家庭王、平和の王、万王の王を超えて、二〇一〇年に「天地人真の父母定着」を宣布されました。すなわち神様は「無形の天地人真の父母」であられ、真の父母様は「有形の天地人真の父母」として定着し、創造主、神様の本質的アイデンティティーを実体で完成、顕現されたのです。

愛する食口の皆様。天も干渉できない蕩減復帰の摂理路程で、真のお父様と私が経験してきた苦痛は想像を超越するものです。私たちは、真の家庭の子女たちを摂理の祭物として捧げることまでしました。その険難な蕩減復帰の路程を、誰が量り知ることができるというのでしょうか。私は全生涯を捧げて真のお父様の伴侶として、苦楽を共にし、万難を克服してきました。その勝利的基盤の上に、真の父母様は天が下さった摂理的次元の同参権、同居権、同位権をもつようになったのです。

今後の私たちの行くべき道 尊敬する内外の貴賓、そして愛する全世界の祝福家庭の皆様。これから真のお父様は、天法に従って霊界を拠点として、自由自在に霊肉界を往来されながら、天一国の拡張のために摂理されるでしょう。真のお父様は夜の神様の実体として肉界に再臨協助され、昼の神様の実体として地上摂理を継続する真のお母様と一心、一体、一和、一念の境地で、摂理を経綸されるようになるでしょう。

そして、真のお父様は、基元節の勝利を通して本然のエデンの園をこの地上に創建するために、皆様と共にいらっしゃるでしょう。天の摂理は中断することができないためです。これから私は、このような歴史的摂理の新しい転換期を迎え、真のお父様の勝利的基盤を相続して、この地上を中心とする摂理を主導し、先頭に立つことを明らかにしながら、皆様に次の幾つかのお願いをしたいと思います。

第一に、私たちは真の父母様が立ててくださった伝統を、絶対生命視しなければならず、子孫万代まで相続し、伝承させなければなりません。真の父母様は愛と心情の伝統、み言と規定、規則と儀礼の伝統、心情文化の伝統を立ててくださいました。特に真の父母様の蕩減復帰摂理路程の結晶体であるみ言を訓読する訓読会の伝統は、各家庭ではもちろん、教会や天を中心とする集会で、最も中心的内容となるようにしなければなりません。それとともに、私たちはこの地上で新しい秩序を立てていかなければなりません。ですから、組職の秩序と伝統も、真の父母様を中心とする真の家庭とアベルを中心とする中で、一糸乱れず統一体を築いていかなければならないことを肝に銘じてくださるようお願いします。

第二に、天が祝福された祝福家庭の理想を完成しなければなりません。家庭は真の愛、真の生命、真の血統の揺りかごであり、神様の創造目的を実現する基盤です。「家庭盟誓」の八大項目を中心とする中で、善なる血統の伝統を絶対信仰によって守らなければなりません。私たちの平和のビジョンは「純潔な愛、幸福な家庭、平和な世界」です。夫婦が絶対愛で天に侍って一体となる伝統の中で、子女を愛とみ言によって養育しなければなりません。家庭において訓読会を通して天一国の秩序がしっかりと定着するようにしなければならず、正午定着の基準で縦的、横的に心情的伝統が定着していく祝福の理想を完成しなければなりません。

第三に、皆様全員は氏族的メシヤの祝福を受けたので、この地上に天一国が完成されるときまで、その使命と責任を果たさなければなりません。氏族的メシヤは真の父母が下さる祝福の中で最も大きな祝福です。蕩減復帰摂理の勝利的基台でなければ、堕落人間を氏族のメシヤとして立てることはできないためです。ですから、真の父母様の全生涯の摂理的経綸の中には、いつも氏族的メシヤの使命が強調されてきたのです。

この地上における天一国の天宙的完成は、氏族的メシヤたちがその使命を果たして、各氏族にみ言と祝福とために生きる生活を相続させ、善の主権を立てて、平和な世界、人類大家族の実現を通してこそ可能になるのです。各氏族において勝利的基盤が形成されるようになれば、その基台の上にアベル国連が自動的に安着し、善主権は完成するようになるのです。

第四に、私たち全員は真の父母様と真の家庭を中心として、和合と統一の心情文化共同体を築いていかなければなりません。皆様全員は、例外なく天の選択と先祖の功績、そして自らの後天的天稟によってみ旨の道と関係を結び、数多くの迫害を顧みず真の父母様のみ跡に従い、今日の勝利圏を迎えるようになりました。ですから、私たち全員は、一つの父母を中心とする一家族心情共同体です。世の中はいまだに分裂と葛藤に満ちていますが、私たち統一家は、人種、国境、およびいかなる障壁も軽く越えて、一つの兄弟姉妹になることができます。ために与えて生きる人生の見本を見せれば、確実に達成できる夢です。特に、このような摂理の大転換期には、私たち全員が真の父母様と一つにならなければならないことを、肝に銘じてください。

基元節の勝利のための誓い 尊敬する平和の指導者、愛する統一家の食口の皆様。真のお父様は今、霊界で私たちといつも共にいらっしゃいます。ただ無形でいらっしゃるだけであり、一瞬たりとも私たちの傍らを離れることはないでしょう。今私たちに何を望んでいらっしゃるでしょうか。正に中断のない前進です。

神様の摂理は、全世界に真の父母を中心とする中で愛と平和が満ちあふれ、心情文化が定着し、新しい秩序が定着するときまで続けられなければなりません。その上に基元節の勝利を土台として、より一路邁進し、天と真の父母様の前に大きな栄光をお捧げし、世界と歴史の前に大きな希望を抱かせてあげなければならないでしょう。

愛する食口の皆様。私はこのような摂理の勝利圏のために最に最善を尽くしながら、全生涯を見せてくださり、指導してくださった真のお父様の生涯と伝統に忠実であり続けるでしょう。

皆様にきょうお伝えするこの願いは、霊界に行かれる真のお父様の遺言です。全員が胸深く刻み、勝利者になられることを切に願います。皆様の家庭と国家の上に、神様の祝福と愛がいつも共にあることをお祈りいたします。ありがとうございます。*

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尊敬する平和指導者、そして誇らしい食口の皆様。振り返れば本当に険難な蕩減復帰の路程でしたが、真の父母様はこれら全てのものをきれいに締めくくって勝利され、神様の王権時代、神様直接主管圏の時代が定着する天一国時代を開かれました。

「私の誓い」を「家庭盟誓」に格上げさせ、「真の父母様の名」で祈る時代から「祝福中心家庭の名」で直接報告する時代になる、過去からは想像することもできなかった変化の中で、新しい摂理の時代、天一国時代を開いてくださいました。

神様の王権のもと、善主権の秩序は、真の父母を中心とする中で、心情文化の実体化として縦的、横的に拡大されました。私の六十歳(二〇〇三年)の還暦を期して、「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」と「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を通して天の主権が縦的に根づき、また百二十の氏族と百二十ヵ国における平和の王即位式を通じて、全世界に定着するようになりました。「天宙平和連合」を通じたアベル国連の創設とともに「天地人真の父母天正宮入宮戴冠式」を奉献し、初めて創造理想の実体化が確固たる基盤を構築するようになり、ついに真の父母様の五十年路程の勝利により、摂理的禧年を迎えながら、「天暦時代」、天基元年が去る二〇一〇年に宣布されたのです。

真の父母様の勝利圏 真のお父様がこの三年間、一瞬たりとも手離されなかったみ言、非常に大切にされ、機会さえあれば訓読されながら説明してくださった「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」のみ言と「神様の祖国と故郷は韓国」のみ言から「人類のための遺言」の小項目の内容を見ると、次のようなみ言があります。

「この教本は、皆様が霊界に行っても読み、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を教える教材、教本だからです。皆様。正午定着の人生は影をつくらない人生だと言いました。私たち全員が発光体となって光を与える人生を生きれば、影が生じる隙間がありません。受ける者は借りをつくる者です。皆様はみな、過ぎし日の借りを返すために、これから、かわいそうな貧しい人の涙を拭ってあげ、暗い所を明るくしてあげる永遠の真の愛の発光体となる人生を生きるように願います。……既に真の父母様御夫妻は最終一体をなして、完成、完結、完了の基準の上に立って、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです」。

真のお父様はどのようなお方か 尊敬する平和の指導者、愛する祝福家庭の皆様。これから新しい摂理的転換期、新しい時代を開きながら、私は何よりも真のお父様の摂理的位置が確固たるものとなることを願います。全生涯をひたすら神様のみ旨のために全力投球で一分一秒を惜しまれながら、五大洋六大州、そして霊界まで絶え間なく渉猟されながら、血と汗と涙で積み上げられ、勝利された天宙史的な摂理的業績が、人類に永遠の基準となり、見本となることを願います。

第一に、真のお父様は人類の善の先祖、真の父母様であられます。人類の先祖アダムとエバは、堕落して悪の先祖になりました。イエス様が証言されたように、偽りの先祖です。神様は、アダムとエバの堕落によって創造本然の人間、すなわち御自身の形状を失われてしまったのです。

このため神様は復帰摂理を展開され、最後の再臨のメシヤとして真のお父様を送ってくださり、真のお父様は自らの責任分担として真理のみ言を究明され、蕩減復帰摂理を完成されました。祝福と聖和式を通して、堕落人間が行くべき肉界と霊界の重生、復活、永生の道を開いてくださいました。したがって創造本然の真の愛、真の生命、真の血統は、ただ善の先祖であられる真の父母様を通してのみ相続を受けることができるのであり、その関門は正に祝福結婚です。

第二に、真のお父様は永遠の真理、すなわちみ言の主人であられます。神様はみ言によって被造万物世界を創造されました。すなわちみ言は真理であり実体です。神様の愛と心情は、み言を通して有形として現れます。人類の偽りの先祖アダムとエバは、神様のみ言に背いて堕落し、み言の実体化を成し遂げることができませんでした。したがってメシヤは、出発のための摂理として、天の真理のみ言を取り戻さなければならないのです。

真のお父様はこのような摂理的要請に従って、自ら千辛万苦の精誠とサタン分立の勝利、神様の認証を通してみ言を究明され、全生涯を通してみ言によって摂理の陣頭指揮を執ってこられ、み言によって生命力を吹き入れ、愛で育み、再創造の摂理を完成してこられました。その結果、真の父母様の路程の禧年を迎え、八大教材•教本を完成され、訓読会の伝統を打ち立てられて、万民が家庭でみ言と愛によって天一国を定着させることができる道を開いてくださいました。したがって八大教材•教本のみ言の権威は、ただ真の父母様だけにあるのであり、これはそっくりそのまま、子孫万代まで永遠の伝統として守られなければならないのです。

第三に、真のお父様は神様の救援摂理の完成者であられます。『原理講論』で規定しているように、人類歴史は救援摂理、すなわち復帰摂理歴史です。人類の先祖アダムとエバが堕落して、偽りの先祖を中心とした悪主権の世界が生じました。

人間の不幸、苦悩、罪悪、疎外、そして総体的葛藤と反目によって引き起こされた戦争は全て、人類先祖の堕落に起因しています。このような罪悪世界を創造本然の理想世界、すなわち幸福と犠牲と奉仕と愛があふれる平和な世界に復帰するための摂理が始められ、それは人類歴史の中で一瞬たりとも休むことなく続けられてきました。

しかし蕩減と復帰の繰り返しの中で進められてきた救援摂理は、中心人物や集団の責任分担が完成されずに延長を繰り返してきました。二千年前、神様のひとり子、イエス様がメシヤとして来られましたが、当時のユダヤ民族の不信によって十字架にかかって亡くなり、再臨を約束されました。

予定された約束のとおり、二千年が過ぎて再臨のメシヤとして真のお父様が来られ、全生涯を通して全歴史を蕩減する摂理的路程の中で、勝利を成就されました。真の父母の生涯路程を一言で表現すれば、「緊張と苦痛」であると言っても過言ではありません。その理由は、蕩減復帰摂理におけるサタンとの生死を懸けた闘いだったためです。したがって、メシヤ路程四十年、真の父母路程四十年、そして平和の王、万王の王としての十年の路程を通して摂理を完成、完結、完了されました。

第四に、真のお父様は平和の王、万王の王であられます。神様のみ旨は平和理想世界の完成、すなわち神様のもとの人類大家族世界の完成にあります。個体的に見れば、心と体が統一された個人完成、そして夫婦、父母、兄弟、子女の統一を通した家庭完成、さらに拡大して社会、国家、世界が一つになって、愛と平和のあふれる世の中を築こうということです。

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16.中断のない前進 日付:二〇一二年九月十七日

場所:韓国、京畿道、加平郡、清心平和ワールドセンター

行事:基元節勝利のための統一教会世界指導者特別集会(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓、そして全世界の祝福家庭の皆様。今日私たちは、実に重要な神様の摂理的経綸の中において、空前絶後の歴史的で、革命的な大転換期を迎えています。人類の善なる血統の根として来られた再臨主、メシヤ、救世主、そして真の父母様であられる私の夫、文鮮明総裁が霊界に旅立たれました。したがって私たちは、真の父母様の勝利圏を相続し、「一人の神様のもとの一つの家族」の平和理想王国を創建すべき摂理的出発点に立つようになりました。

真の父母様の顕現 真のお父様の聖和は、全生涯を共に歩んできた私や、私たち全員にとって、量り知れない苦痛と悲しみです。人類の永遠の愛の本体であられ、真の父母であられる神様の心情も、到底量り知ることはできません。しかし他の側面から見れば、太初の天地創造から神様が立てた天法に従って、この地上で人類歴史以来、誰一人として成就できなかった摂理的課題を完成、完結、完了され、霊肉界を主管されるために、今や霊界へと生を移されて、新しい次元の摂理を開くようにされる、希望の時でもあります。人間が知るどのような言葉や文章をもってしても表現できない万感迫る中で、今日の摂理的転換期を迎えています。

皆様も御存じのとおり、私は清く純粋な少女時代に、天の導きを受けて真のお父様にお会いし、天が準備してこられた摂理に従い、十七歳という花のような年齢で、天宙史的な「真の父母様の御聖婚」の恩賜を受けるようになりました。摂理の道において、私は、真のお父様の伴侶となって、全生涯をその方に侍り、天倫の摂理の道を共に乗り越えてきました。

私は幼くはありましたが、この摂理の道を出発してから、大きくは二つの使命を完遂するために全力投球してきました。第一に、私の当代において、恨の積もった神様の蕩減復帰摂理を終結することであり、第二に、神様のみ旨である理想世界の具現を真のお父様に侍って、当代で完成してさしあげることでした。

人類の先祖、アダムとエバの堕落以後、神様の救援摂理歴史は絶えず進められてきましたが、今まで誰一人として蕩減復帰の摂理路程を完成できないまま、真の父母様の顕現を待ち望んできたのです。サタンが霊肉界における主権をもち、全権をもって君臨する、凄絶な摂理的状況の中で、真の父母の路程は出発しました。

六千年間主権を握ってきたサタンが悪の先祖として最も恐れるのは、善の先祖となる「真の父母」が出現することだったので、どれほど激烈な反対と悪逆の限りを尽くしてきたことでしょうか。真のお父様は、一九六〇年、私との聖婚を通して「真の父母」の位相が確立されるまで、量り知れない蕩減の摂理路程を通過してこられました。人類にとって真の父母は、たった一度しか迎えることができないのであり、その一度の真の父母が永遠に真の父母様であられます。

一九四五年、第二次世界大戦の終息とともに、真のお父様は公的生涯の摂理路程を出発されるようになりました。天が準備してきたキリスト教の二千年の精誠の基台の上に、神霊運動を中心とした韓国のキリスト教が、「摂理的新婦」の使命をもって天が送られた再臨のメシヤを新郎として侍り奉り、「実体的新婦」をお迎えする摂理を展開しなければなりませんでしたが、キリスト教はその摂理的責任を果たすことができませんでした。

二千年のキリスト教の霊的基盤と連合国軍の勝利を通した実体的な摂理的基盤を全て失ったので、真のお父様は、千辛万苦の摂理的事情の中で独り、興南監獄という地獄の底から、再び蕩減復帰の摂理路程を展開され、ついにサタンの激烈な攻撃に忍耐して打ち勝たれ、サタン分立の勝利的基盤を打ち立てられました。その基盤の上に、キリスト教に代わる「摂理的新婦」の使命をもって、一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を設立され、その基台の上に「実体的新婦」として私を迎え、歴史的な聖婚式を挙行することにより、ついに一九六〇年、真の父母の路程が出発するようになったのです。

真の父母様の摂理路程 尊敬する貴賓の皆様。愛する祝福家庭の皆様。真のお父様が捜し出された天のお父様は、どのようなお方でしょうか。栄光と尊敬の玉座にいらっしゃる創造主ではなく、罪悪によって死の境地に陥ってしまった子女を捜して、千万里を駆けてきた真の愛と心情の「真の父母」であられます。真のお父様は生前、とても大事にされたみ言「天地人真の父母定着実体み言宣布」の講演文の中で、神様の実在に対して、このようにお話しされています。

「皆様!億劫(一劫の億倍、極めて長い時間のこと)の時間と精誠を注ぎ、御自身の子女として創造した人間が、堕落によってサタンの血統を受け、暗闇の中に隠れてしまったその瞬間から、神様が受けられたその苦痛がどれほど大きいか御存じですか。骨がきしみ、身が震える凄絶な苦痛の中で数千、数万年を耐え、待ってこられた皆様の父が、どれほど長く険難な蕩減のトンネルを経てこられたか、考えてみましたか。このようなかわいそうな父のために、一瞬でも涙を流してみたことがあるのかというのです」。

そうです。真のお父様は、このように苦痛を受けておられる神様を全身で感じられる実体となられ、血と汗と涙で真の父母の路程の四十年間を勝利され、ついに二〇〇一年、「神様王権即位式」を奉献されました。

内外の貴賓の皆様。「神様王権即位式」が奉献されるまで、真の父母様の四十年摂理路程は、誰も想像することのできない凄絶な峠を越えていく道でした。悪主権のサタン勢力圏との生命を懸けた「七顚八起」(七転び八起きのこと)の闘争が続き、一瞬たりとも緊張を緩めることのできない死生決断、全力投球の路程でした。特に六千年摂理歴史の完結と人類救援のための荒野時代を締めくくるため、真のお父様が自ら進んで選ばれた地獄の底、ダンベリー刑務所で受けられた苦難と血のにじんだ蕩減路程等のすべてを、どのようにして筆舌に表すことができるでしょうか。

人類が望んでいた救世主であるにもかかわらず、日本の圧制や北朝鮮の共産党の権力、そして韓国の自由党政権によって囹圄(獄舎)の身となられ、ひたすら蕩減の人生を貫いて歩んでこられた真のお父様が、アメリカの牢獄に向かいながら語ってくださったみ言を、私は今も鮮明に記憶しています。「心配しなくていい。牢獄の向こうに新しい希望の世界が待っているだろう!」

しかし、一番近くでその崇高な御生涯を直接見つめ、共に歩んできた私としては途方もない悲しみでした。特に共産主義者たちが真の父母様の生命までも狙う、そのような切迫した状況の中で、サタンの巣窟である牢獄におられる真のお父様のことを考えるとき、胸が詰まる心情でお父様の身辺と健康を案じて、天のみ前に切実に祈り求めました。そのような蕩減復帰の摂理的事情を、天だけは覚えてくださるでしょう。

一九八五年八月ついに真の子女を代表して、次男の興進君の犠牲と真のお父様のダンべリー苦難の勝利的基台の上に荒野時代が終結し、「一勝日」を期して新しい摂理が始まりました。そしてサタン主管圏の中心人物だった共産主義の首脳、ゴルバチョフ大統領と金日成主席に会い、天の愛によって屈服させました。その基盤の上に再び「摂理的新婦」格として「世界平和女性連合」を創設し、私は人類歴史上、最初で最後の再臨のメシヤに侍る実体新婦の立場で、再臨主、メシヤ、救世主、真の父母を満天下に宣布するようになりました。

このような基台の上で私は、摂理の中心である真のお父様に侍り、「母子協助」の摂理を七年間展開して勝利圏を奉献し、ようやく天一国時代を開くようになったのです。

一九九九年(天暦)五月一日、「真の万物の日」に真のお父様は私に大きな祝福を下さいました。人類歴史上二度とない、母子協助時代の勝利を祝賀する授賞式をされながら、私をしっかりと抱いて「オンマ、御苦労だったね。摂理的に大きな山を越えたよ」とささやかれたとき、私は万感の思いで涙を流しました。韓国の大学街で左翼学生たちの反対をくぐり抜けて、カインとアべルを抱かなければならなかった危機的な瞬間、世界百八十五ヵ国を七年の間巡回し、数百回講演しながら、あらゆる危険と緊張感に耐え忍んだ記憶が走馬灯のように駆け巡る中、真のお父様の慰労と祝福を受けました。

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地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏の完成 八節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します」です。家庭において心と体が一つになった夫婦となり、王家ができなければなりません。これが神様の創造理想であり、成約時代の完成であり、新しい家庭の出発だということを知らなければなりません。男女が真の愛で一つになった家庭は、王権に属するのです。本来、アダム家庭は王家を意味します。そこから氏族王、民族王、国家王が出てくるのです。そうすれば、自動的に永遠の霊界まで進んでいきます。地上で、その国に永遠に連結されるのです。それが成約時代です。

成約時代は、新しい時代に進入することを意味します。家庭から氏族、民族、国家、世界まで、一つの平和世界を成し遂げられる、統一された世界になる時をいうのです。したがって、これは全体を代表するのです。家庭単位に限定させるのではありません。世界を越え、全体を越えてこそ、成約時代に行くのです。四大心情圏と三大王権を完成した新しい家庭を通して、世界の版図を越え、成約時代の型を備えるようになるとき、一つの世界、すなわち平和の理想天国の世界になるのです。

皆様。絶対信仰、絶対愛、絶対服従、これが神様の創造理想です。神様は、絶対信仰の上で万物をつくり始めました。絶対愛の対象のために、創造を始められました。絶対服従の基準で、神様御自身の意識観念がない状態で宇宙万象を創造されたのです。完全にゼロです。完全に無の境地です。無に帰ることによって、自動的な循環運動が起きるのです。すべて完全に与えて何もないので、私のもとに戻ってくるのです。これが宇宙運動の起源になっています。完全に投入したのちには、完全に戻ってくるのが原理です。

したがって、自己主張をしてはいけません。そのようにすれば悪魔的な存在になるのです。皆様の五官を通るすべてのものが、サタンの利用物になってはいけません。神様の目の代身、神様の鼻の代身、神様の口の代身、神様の足の代身、神様の手の代身として、絶対信仰を中心として絶対愛で愛し、絶対服従する基準を立てて生きてみてください。そのような人には、いつでも神様が同情して協助されるのです。自分がないところには、神様が共にいらっしゃるのです。

皆様。神様は、御自身を絶対投入して愛の絶対対象をつくられました。愛の実体対象が必要なのでつくられたのです。地上世界はもちろん、天上世界でも、実体がなければ実体の子女に相対できないので、形状として体をまとわなければならないということです。これが完成した真の父母の形態です。そして、神様は、地を中心として愛する愛の対象が必要だったために創造の摂理をされたのです。その基台の上に神様は、御自身の絶対対象として造られた人間をして、永存できるようにするために、繁殖の機能を許諾されたことを知らなければなりません。これが神様の三大創造要素です。

神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。堕落がなかったならば、アダムとエバが結婚する時、神様は、アダムとエバの心の中に入っていって、彼らと一体的な愛を成し遂げていたはずです。神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母になっていたことでしょう。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分となって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができていたでしょう。

このように、神人愛の一体圏を形成することによって、心身一体を完成した子女は、神様の息子、娘になるのです。神様の王子、王女になれば、神様と父子の関係となり、神様の全体を相続できるようになります。このような子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成すれば、神様に侍って暮らす家庭になり、その家庭は、平和と理想の基地になるのです。半分の男性と女性が一体になり、完全な神様の相対として、神様の理想的愛を完成させる基地になるということです。

言い換えれば、真の愛を中心として、神様は、人間を無限の価値の存在として完成させることによって、神様も真の愛を完成し、永遠の理想の愛が宿る創造理想世界を完成されるようになるという意味です。

神様とアダム家庭を中心として見れば、神様は一代の祖、アダムは二代の祖、アダムの子女は三代の祖の位置を形成するようになっていました。神様は祖父母の位置であり、アダムは父母の位置であり、子女は息子、娘の位置だというのです。同じように、皆様の家庭でも三代が一つの家庭に安着すれば、祖父母は、天上天国の神様の位置であり、本然の地上世界と天上世界の王と女王の位置であり、父母は、現在の地上天国を代表する中心の王と女王の位置であり、子女は未来を代表する地上天国と天上天国を相続する王子、王女の位置なのです。

このように、アダムの一族は、神様を中心とする王族となって暮らし、天国に移動して永遠の世界に移されるのです。これが、人間が成就しなければならない目的です。祖父と祖母は天を代表するので、神様に侍るように祖父母に侍り、父母には現在の世界の王のように侍り、子女に対しては未来の王子、王女のように愛し、そのように暮らしてから行く所が天国だというのです。そこにおいてのみ、人間の欲望と希望、そして幸福が完成するようになります。

「家庭盟誓」の八節は、地上天国に入る方法を提示しています。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人生を通してこそ可能な道です。創造当時、神様もエデンの園で絶対信仰と絶対愛で絶対投入し、絶対服従された基準があったからです。

皆様。良心は、父母に優り、師に優り、神様に優ります。多くの人々がそのような価値を知らずにいます。体が良心を思いどおりにしています。堕落した世界である享楽の世界では、そうです。お金にばかり頼って暮らせば、享楽に流れていってしまいます。男女間の乱雑な愛の関係をつくり出していくのです。それで、減んでいきます。絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして神人愛一体圏の愛が形成され、堕落していない時の神様と人間が完成して一体圏が形成されなければならなかったのですが、それをすべて失ってしまいました。

ですから、その一体圏、すなわち地上・天上天国を建設しなければなりません。解怨しなければなりません。恨を解かなければ解怨ができません。それを先生が内外ですべて解決してきました。それを復帰の完成と言うのです。復帰を完了したのです。今、それを宣布しています。終わりをきちんと締めくくらなければならないからです。

天の伝統が家法 愛する祝福家庭の皆様。皆様はこれから、神様から受けた純粋な真の血統を、どのように保全するかということが問題です。汚染されていないエデンの園でも堕落があったのに、この邪悪で汚れた罪悪世界で純粋な血統を保全するということは、決して容易なことではないでしょう。罪悪世界に根をおいて生まれた一世の父母たちは苦労したとしても、祝福を受けて生まれた二世の子女たちには、汚染されることのない、清くて純粋な環境をつくってあげなければならないのが皆様の責任です。

したがって、皆様の家庭は、因習に染まった、習慣的で世俗的な家庭であってはいけません。どのように暮らすことが、未来のために正しく暮らすことなのでしょうか。子孫を徹底的に教育しなければなりません。子孫に残してあげられる、手本となる生活を送らなければなりません。いくら難しい荒野路程を歩むようになったとしても、イスラエル民族がカナン七族と闘って勝ったように、闘って必ず勝利しなければなりません。父母は、死ぬとしても、天道を植えつけてから逝かなければならないという意味です。皆様の人生が、天のために生き、真の父母様のために生きる人生になれば、皆様の子女は、天運を受けて自動的に天の伝統を相続されるようになるでしょう。イスラエル民族がカナンを復帰したのちに滅亡してしまったのは、彼らが既存の環境に同化して習慣化してしまったためです。彼らは、より良く生き、より良く食べて、贅沢をする生活に幻惑されました。彼らは、権力を貪り、知識優先主義に流れました。異邦人でも、お金持ちの家ならば結婚しました。結局、彼らは、選民の精神を売り渡すようになり、天の伝統まで失ってしまったのです。

「家庭盟誓」が教えてくれる教訓は、天宙主義です。個人主義ではありません。現実の様々な困難を避けていては、生きていけないでしょう。現実を果敢に撃破して、勝利を勝ち取らなければなりません。その武器が、正に「家庭盟誓」の伝統で武装された皆様の家庭です。皆様一代だけを中心とする家庭ではありません。少なくとも三代圏を成し遂げて、確固不動たる天の伝統を立てなければなりません。子々孫々、選民の真の血統が流れる一族を定着させなければならない使命があるという意味です。

祝福家庭の皆様は、真の愛の基台を広げて万民の心情を集め、ろうそくの明かりをともして香を焚きながら祈りを捧げ、天と地、そして万民と共に、真の愛の関係を結んで暮らしてから死のう、という家庭にならなければなりません。そのような家庭になれば、どのような患難が襲ってきても、神様がその家庭を保護してくださるでしょう。天が種として残したい家庭が、そのような家庭だからです。

皆様全員が、「家庭盟誓」に立脚した真で善なる家庭の伝統を立て、必ず勝利してください。後天開闢の時代を生きていく皆様の人生は、勝利者の歩みにならなければなりません。環太平洋圏時代の明るい太陽が、皆様の歩みを照らしてくれています。この祖国の地、大韓半島に真の生命と真の愛、そして真の血統の根源である神様が共にお住みになり、神様が永遠の価値の祝福を下さった真の父母様が、皆様を導いています。今、皆様の前途には不可能がないことを、はっきりと知ってください。神様の祝福が、皆様と皆様の家庭に永遠に共にあることを願います。

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神様の理想は天宙大家族の形成 四節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。

神様の理想は、すべての世界が一つの家庭になることです。一つの家庭です。四大心情圏と三大王権を完成した人たちが唱えるものが「家庭盟誓」ならば、神様を中心とする一つの家庭になるのであって、二つの家庭にはなりません。創造理想の天宙大家族を形成し、「神様のもとの一つの家族」です。空気で言えば、低気圧圏に空気がなくなれば、高気圧圏の空気が流れて満たしてくれます。水は、高い所にあるとき、下にくぼみがあれば、自動的に流れて埋めてくれます。バランスを取ることが理想です。

今日、世界には、先進国と発展途上国があります。先進国は、たくさんの物が余って捨てますが、発展途上国はすべての物が不足し、飢えて死んでいっています。一年に二千万人が飢餓で死んでいます。これが神様のみ旨ですか。宇宙の自然な運動圏を害しているのが先進国家の形態です。このまま行けば、先進国は天罰を免れることができないでしょう。天が、そのままにしておかないということです。既に、このような審判の兆候があちこちで現れています。その一例がエイズと麻薬です。フリーセックスやホモのような、本然の価値を失った人間たちの狂乱です。これらが正に、神様が最も憎み、反対にサタンが最も好むことです。正反対です。

レバレンド•ムーンは、消費の天国であるアメリカのような先進国を飢えさせるようなことがあっても、一日で数万人ずつ飢えて死んでいく発展途上国を生かしてあげようという運動を展開するのです。自然界は、すべてバランスを取っています。「天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」というときの「自由」は、個人の自由ではなく、全世界の大家庭にいる人たちの自由であり、大家庭の平和であり、大家庭の統一であり、大家庭の幸福です。

全人類がすべて幸福である、そのような状態を意味します。ですから、全世界の津々浦々に統一運動を発展させなければなりません。どこであっても、豊かな所では分配できる組織をつくらなければならないというのです。大家族世界は、私たち祝福家族の世界です。

皆様。霊界に行けば、全世界の人たちが一度にすべて集まって暮らしても、国境がありません。五色人種(すべての人種)が集まっています。しかし、その中で誰が過去、現在、未来まで、すべてを一つにできる家庭的理念をもって準備しているのかが問題です。そのような人が、霊界でも中心指導者になるのです。ですから、地上界で訓練しなければなりません。心と体が一つになった上で、そのような訓練をしなければならないのです。

世の中では、良心をだましながら、あらゆる詐欺、謀略、中傷をしてお金を集める者たちが大勢いますが、そのようにしてお金を集めれば、かえってお金が彼らを打つのです。審判の棍棒(こんぼう)になるのです。霊界でも同じです。いくら勉強をよくしたとしても、知識が全体のためにならず、自分だけのためならば、その知識が私を打ってしまいます。地獄に放り込むのです。神様のみ旨である世界一家族の理念を中心として、世界のために生きることができる個人となるべきなのに、世界を無視して個人だけのために生きれば、世界が審判するのです。

先生が「家庭盟誓」を制定したのは、「統一教会は先生の家庭を中心として誓いなさい!」ということではありません。皆様は、皆様の家庭を中心として誓のです。平等です。先生は、先生の家庭です。全体を代表するのです。ですから、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。

「家庭盟誓」の五節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。皆様はまず、主体的天上世界を考えなければなりません。人類の分布を考えてみるとき、霊界にいる人が多いでしょうか、現在のこの世界にいる人が多いでしょうか。どのように思いますか。地上界の人口とは比較にもならないほど、多くの人々が霊界で生きているのです。したがって、どこが主体でありプラスかといえば、霊界です。心が体に対して主体的立場であり、プラスであるのと同じです。体は地上界を代表し、心は霊界を代表します。心はプラスと同じであり、体はマイナスと同じです。

ですから、主体的な心を忘れる生活、心の世界を忘れる生活をすれば、地獄に行くようになっているのです。体が心を打っていた人生から、今からは心が体を打って屈服させる人生を営まなければならない時だというのです。

私たちは、生活の中で毎日、天上世界が主体になっているという観念をもって生きなければなりません。皆様の日常生活が、主体的天国に対して、その相対的な地上での完成形態を備えなければ、天上世界に行って完成基盤を形成できません。直接的関係です。その直接的関係が、毎日、毎年、一生を通して関係を結んでこそ、あの世に行って自分の第二活動舞台となり、居住地になるのです。

言い換えれば、「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」とは、主体世界と対象世界が統一されなければならないということです。「統一に向かって前進的発展」とは、前進していく発展です。「促進化することをお誓い致します」とは、促進化、すなわち早く、早く、もっと早くするということです。停止してはいけません。停止すれば、すぐに落ちるのです。地獄と通じ、死亡と通じます。停止は下って地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。

寝てばかりいて怠け、食べて楽しむ、そのようなことは容認されません。一生は短いので忙しいのです。休まずに走りなさいというのです。先生のように、寝ることもせずに走りなさいというのです。そうしてこそ、自分が望んだその世界と関係を結べるのであって、どうして考えもしない世界と関係を結べるでしょうか。そうしてこそ統一が成し遂げられます。霊界と地上界を一緒に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。

六節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。

「神様と真の父母の代身家庭として」とあるので、皆様の家庭が、神様の家庭と真の父母の家庭の代身家庭です。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」とは、私だけが祝福されて幸せに生きようというのではありません。結局は、王族となり、すべての人たちを天一国の民にしなければならないということです。

言い換えれば、天のすべての祝福を万民に平等に分けてあげる、家庭的な祝福の基になるという意味です。神様と真の父母の家庭は、一つの家庭です。一つの家庭ですが、たくさんの祝福家庭がいるので、全世界に広がり、神様の家庭と真の父母の家庭を身代わりして福を受ける基となり、分けてあげる家庭にならなければならないということです。それで、みな等しく福を受けるようにしてあげようという意味です。

七節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。

皆様。信仰の道において最も重要なことは、どのようなことがあっても本然の血統を汚してはいけないということです。それは何かというと、皆様の子孫が、アダムとエバが堕落したのと同じように、再び血統を汚すことがあってはならないということです。「本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。

神様の心の世界も、天上世界も、地上世界も、真の父母の心の世界もすべて一つです。それで、「心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。これが私たちの理想です。文化は二つではありません。一つです。堕落した世界は、文化が複雑で雑多です。心情文化世界を通してこそ、個人天国、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国、世界天国、永遠の世界の天国に連結されるのです。その心情でなければ、個人、家庭、氏族を連結できません。心情文化世界でなければ、個人から天宙まで連結できません。ところが、今までの世の中は、ジグザグに上がったり下がったりしていたので、数千年をかけても終着点に到達できていません。しかし、心情文化世界では一瞬のうちに行きます。ただ真の愛によってのみ可能です。

*神様の理想は天宙大家族の形成 四節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。

神様の理想は、すべての世界が一つの家庭になることです。一つの家庭です。四大心情圏と三大王権を完成した人たちが唱えるものが「家庭盟誓」ならば、神様を中心とする一つの家庭になるのであって、二つの家庭にはなりません。創造理想の天宙大家族を形成し、「神様のもとの一つの家族」です。空気で言えば、低気圧圏に空気がなくなれば、高気圧圏の空気が流れて満たしてくれます。水は、高い所にあるとき、下にくぼみがあれば、自動的に流れて埋めてくれます。バランスを取ることが理想です。

今日、世界には、先進国と発展途上国があります。先進国は、たくさんの物が余って捨てますが、発展途上国はすべての物が不足し、飢えて死んでいっています。一年に二千万人が飢餓で死んでいます。これが神様のみ旨ですか。宇宙の自然な運動圏を害しているのが先進国家の形態です。このまま行けば、先進国は天罰を免れることができないでしょう。天が、そのままにしておかないということです。既に、このような審判の兆候があちこちで現れています。その一例がエイズと麻薬です。フリーセックスやホモのような、本然の価値を失った人間たちの狂乱です。これらが正に、神様が最も憎み、反対にサタンが最も好むことです。正反対です。

レバレンド•ムーンは、消費の天国であるアメリカのような先進国を飢えさせるようなことがあっても、一日で数万人ずつ飢えて死んでいく発展途上国を生かしてあげようという運動を展開するのです。自然界は、すべてバランスを取っています。「天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」というときの「自由」は、個人の自由ではなく、全世界の大家庭にいる人たちの自由であり、大家庭の平和であり、大家庭の統一であり、大家庭の幸福です。

全人類がすべて幸福である、そのような状態を意味します。ですから、全世界の津々浦々に統一運動を発展させなければなりません。どこであっても、豊かな所では分配できる組織をつくらなければならないというのです。大家族世界は、私たち祝福家族の世界です。

皆様。霊界に行けば、全世界の人たちが一度にすべて集まって暮らしても、国境がありません。五色人種(すべての人種)が集まっています。しかし、その中で誰が過去、現在、未来まで、すべてを一つにできる家庭的理念をもって準備しているのかが問題です。そのような人が、霊界でも中心指導者になるのです。ですから、地上界で訓練しなければなりません。心と体が一つになった上で、そのような訓練をしなければならないのです。

世の中では、良心をだましながら、あらゆる詐欺、謀略、中傷をしてお金を集める者たちが大勢いますが、そのようにしてお金を集めれば、かえってお金が彼らを打つのです。審判の棍棒(こんぼう)になるのです。霊界でも同じです。いくら勉強をよくしたとしても、知識が全体のためにならず、自分だけのためならば、その知識が私を打ってしまいます。地獄に放り込むのです。神様のみ旨である世界一家族の理念を中心として、世界のために生きることができる個人となるべきなのに、世界を無視して個人だけのために生きれば、世界が審判するのです。

先生が「家庭盟誓」を制定したのは、「統一教会は先生の家庭を中心として誓いなさい!」ということではありません。皆様は、皆様の家庭を中心として誓のです。平等です。先生は、先生の家庭です。全体を代表するのです。ですから、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。

「家庭盟誓」の五節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。皆様はまず、主体的天上世界を考えなければなりません。人類の分布を考えてみるとき、霊界にいる人が多いでしょうか、現在のこの世界にいる人が多いでしょうか。どのように思いますか。地上界の人口とは比較にもならないほど、多くの人々が霊界で生きているのです。したがって、どこが主体でありプラスかといえば、霊界です。心が体に対して主体的立場であり、プラスであるのと同じです。体は地上界を代表し、心は霊界を代表します。心はプラスと同じであり、体はマイナスと同じです。

ですから、主体的な心を忘れる生活、心の世界を忘れる生活をすれば、地獄に行くようになっているのです。体が心を打っていた人生から、今からは心が体を打って屈服させる人生を営まなければならない時だというのです。

私たちは、生活の中で毎日、天上世界が主体になっているという観念をもって生きなければなりません。皆様の日常生活が、主体的天国に対して、その相対的な地上での完成形態を備えなければ、天上世界に行って完成基盤を形成できません。直接的関係です。その直接的関係が、毎日、毎年、一生を通して関係を結んでこそ、あの世に行って自分の第二活動舞台となり、居住地になるのです。

言い換えれば、「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」とは、主体世界と対象世界が統一されなければならないということです。「統一に向かって前進的発展」とは、前進していく発展です。「促進化することをお誓い致します」とは、促進化、すなわち早く、早く、もっと早くするということです。停止してはいけません。停止すれば、すぐに落ちるのです。地獄と通じ、死亡と通じます。停止は下って地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。

寝てばかりいて怠け、食べて楽しむ、そのようなことは容認されません。一生は短いので忙しいのです。休まずに走りなさいというのです。先生のように、寝ることもせずに走りなさいというのです。そうしてこそ、自分が望んだその世界と関係を結べるのであって、どうして考えもしない世界と関係を結べるでしょうか。そうしてこそ統一が成し遂げられます。霊界と地上界を一緒に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。

六節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。

「神様と真の父母の代身家庭として」とあるので、皆様の家庭が、神様の家庭と真の父母の家庭の代身家庭です。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」とは、私だけが祝福されて幸せに生きようというのではありません。結局は、王族となり、すべての人たちを天一国の民にしなければならないということです。

言い換えれば、天のすべての祝福を万民に平等に分けてあげる、家庭的な祝福の基になるという意味です。神様と真の父母の家庭は、一つの家庭です。一つの家庭ですが、たくさんの祝福家庭がいるので、全世界に広がり、神様の家庭と真の父母の家庭を身代わりして福を受ける基となり、分けてあげる家庭にならなければならないということです。それで、みな等しく福を受けるようにしてあげようという意味です。

七節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。

皆様。信仰の道において最も重要なことは、どのようなことがあっても本然の血統を汚してはいけないということです。それは何かというと、皆様の子孫が、アダムとエバが堕落したのと同じように、再び血統を汚すことがあってはならないということです。「本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。

神様の心の世界も、天上世界も、地上世界も、真の父母の心の世界もすべて一つです。それで、「心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。これが私たちの理想です。文化は二つではありません。一つです。堕落した世界は、文化が複雑で雑多です。心情文化世界を通してこそ、個人天国、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国、世界天国、永遠の世界の天国に連結されるのです。その心情でなければ、個人、家庭、氏族を連結できません。心情文化世界でなければ、個人から天宙まで連結できません。ところが、今までの世の中は、ジグザグに上がったり下がったりしていたので、数千年をかけても終着点に到達できていません。しかし、心情文化世界では一瞬のうちに行きます。ただ真の愛によってのみ可能です。*

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15.「家庭盟誓」の価値とその意義 日付:二〇〇七年六月十三日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:天正宮博物館入宮戴冠式一周年記念式

愛する祝福家庭の皆様。きょうこの意義深い日を期して、天が人類に下さった最も貴く幸福な人生の里程標である「家庭盟誓」の摂理的価値とその意義に関して、御説明しようと思います。

「家庭盟誓」は天一国を完成する絶対基準であり憲法 「家庭盟誓」は、一九九四年五月一日、「世界平和統一家庭連合」の創設とともに、天が人類に下さった祝福の中の祝福です。旧約時代と新約時代を完成、完結する成約時代を宣布し、先天時代の暗闇を貫いて、明るい後天時代の新天新地、すなわち天宙平和統一王国が天地開闢の時代を開いていく道案内として下さった里程標です。

一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を創設して以来、四十年の長い蕩減路程を、真の父母が直接闘って勝利し、越えた基台の上に、今では、個人的な次元の「私の誓い」ではなく、天国入城の基本単位となる真の家庭が共に唱え、実践しなければならないのが「家庭盟誓」です。涙なくしては唱えられない、天と真の父母様の恨が宿っている誓いです。腐敗した宗教の仮面を剥がせ、解放された場で、千年、万年唱えることができる人類の表題です。家庭が天国に入城する基本単位になるからです。

皆様。世の中で「家庭盟誓」という言葉を聞いたことがありますか。歴史上、初めて出てきた言葉です。太初に神様が御自身の子女であり、人類の最初の先祖として創造された男性と女性が、堕落によって真の家庭を失ってしまいました。したがって神様は、御自身の創造理想を絶対的基準で成し遂げなければならない摂理的召命のために、「家庭盟誓」を設定、宣布されたのです。人間がこの地上で、本然の理想家庭である真の家庭の母体を完成し、神様に永遠の喜びをさしあげることができ、さらには、皆様の家庭で直接神様に侍って暮らせる地上、天上天国を創建する必然的な道具として下さった祝福です。

したがって、「家庭盟誓」を朗唱する前提条件は、何よりもまず皆様の心と体が完全一体となり、一心、一体、一念、一和の境地まで行かなければならないということです。皆様の主人であり、父母であり、師として下さった良心の命令に従い、体が一〇〇パーセント従順屈服し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人格完成基準が前提とならなければならないという意味です。

さらには、皆様の家族全員が、天のみ旨を中心として一つになる、心身統一、父母統一、夫婦統一、父子統一、兄弟統一の基本形、すなわち真の愛の一体圏が完成してこそ、「家庭盟誓」を唱えることができます。したがって、「家庭盟誓」は、成約時代を越え、天宙平和統一王国を成し遂げる絶対基準であり、憲法と同じです。これからは、出世するときも、個人ではなく家庭がするでしょう。万人が認め尊敬する真のモデル家庭であってこそ、世界を指導する指導者的家庭の位置に立つようになるという意味です。このように家庭は、天の最大、最高の祝福であり、恐ろしい現実です。天一国を創建する礎石になるのです。真の家庭を成し遂げることが、天一国の市民権を獲得する近道になるということです。

愛する祝福家庭の皆様。祈りの中で最高の祈りが「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」は、真の父母様の戦勝記録です。侍義時代である成約時代の教えを授ける法度です。「家庭盟誓」は、真の愛を骨とし、真の家庭を心臓として立て、皆様の人生を神様と連結させてくれる橋です。神様を占領する「真の愛の核爆弾」です。「家庭盟誓」は、縦と横、南と北、前と後を連結する中心に真の愛を迎え、永遠の球形運動を出発させるエネルギーであり、知恵です。「家庭盟誓」は、天国の門を開く鍵です。天国の門は、金や銀で作った鍵で開ける門ではなく、真の愛で完成した真の家庭の鍵で初めて開かれる門です。それで、「家庭盟誓」は一節から八節まで、すべて「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」で始まるのです。

皆様。侍義時代とは、神様に侍って暮らす時代です。聖書でいう第一の戒めも「神様を愛しなさい」というみ言ではないですか。後天時代には、神様御自身が真の父母の姿で万人の前に顕現します。したがって、真の父母に侍る統一教会の位相は、世の中のどのような力や勢力とも比較できない天の権勢として現れるようになるのです。

生きていらっしゃる神様を皆様が直接目で確認し、感覚で体恤できる圏内において、侍る生活をする皆様を、誰が妨げることができるというのでしょうか。人類先祖の堕落以来、初めて真の父母によって歴史が統治され、真の父母によって新しい世界へ移っていける起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な関係が決定し、真の父母によって神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定したのです。したがって、真の父母と共に生き、真の父母から直接命令を受けて生きていくことができる、この驚くべき恩賜の前に、皆様はまず感謝しなければならないでしょう。皆様が真の父母と完全に一つになるとき、皆様の国家があり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地のすべての栄光の価値を総合した実体的な基準が真の父母です。皆様がこのような価値をはっきりと知れば、たとえ世の中のすべてのお金をあげると言われても、真の父母と取り替えられますか。皆様の生命と引き替えても得ることができない価値をもっているのが真の父母です。

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家庭盟誓」の各節の解説 「家庭盟誓」の一節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」です。「家庭盟誓」を唱えることが、歴史上どれほど福音の中の福音かを知らなければなりません。

ここで言う創造理想とは、神様を中心とする創造理想を意味します。地上天国と天上天国をつくるのが神様の創造理想でした。ところが、堕落によってそれをつくることができなかったので、復帰しなければならないのです。本郷の地を中心として、創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければならないという意味です。

堕落のために家庭を失ってしまったので、家庭をつくらなければならないということです。私個人ではなく、天一国の主人である私たちの家庭が真の愛を中心として本郷の地を求め、そこに本然の神様の創造理想である地上天国と天上天国を創建しようということです。本郷の地です。家庭を中心とする本郷の地です。皆様全員が、故郷に戻って地上天国と天上天国を成し遂げなければなりません。今、故郷さえ取り戻せば、国と世界、すべてが自然に一つになるのです。心配する必要はありません。

地上天国と天上天国が一つになり、そこで神様の真の愛を中心として一つとなった家庭生活をしながら地上で生きた人が、天上天国の家庭に移動して越えていくのです。個人救援時代ではありません。キリスト教では「個人救援だ」と言いますが、それは違います。家庭救援が神様のみ旨です。堕落が家庭で起きたので、復帰も家庭でしなければなりません。そのような時が来ました。今まで、地上にこのような歴史時代がありませんでした。初めて、家庭が新しく定着する時代に入ってきたのです。

本然の創造理想である地上天国と天上天国を、私がつくらなければなりません。家庭を失ってしまったので、私たちの家庭がつくらなければなりません。本郷の地は、家庭を中心とする本郷の地を意味します。国ではありません。それで、故郷に帰らなければならないということです。皆様にそのような家庭があれば、故郷の地に帰って、地上天国と天上天国を成し遂げなければなりません。

今、故郷さえ取り戻せば、自然に国と世界が一つになるのです。地上天国と天上天国が自然に成し遂げられるのです。それが真の家庭を中心として展開します。「本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」とありますが、ここに「創建」という言葉を使いました。なぜ「創建」という言葉を使ったのでしょうか。これは、私たちが再びつくらなければならないという意味です。ただそのままでできるのではありません。再創造しなければなりません。世の中は既に地上地獄になっており、天上地獄まで連結されているので、これを私たちが再び創造して、一八〇度変えなければならないという意味です。

本郷の地を求めて本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することは、祝福家庭がしなければならないことです。皆様個人だけではなく、皆様の家庭を中心として地上天国と天上天国を完成しなければならないのです。これが祝福家庭になった皆様の最初の誓いであり、使命です。

二節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」です。

「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」とありますが、真の愛は、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女と一つになった基準の上で広がる愛です。このような基準の真の愛を実践できずに皆様が霊界に行くようになれば、間違いなく引っ掛かります。「家庭盟誓」は、そのように恐ろしいものです。常に「家庭盟誓」に従って生きなければなりません。

もし皆様の家庭で、父親が「家庭盟誓」のどれか一つにでも引っ掛かるようになれば、母親も共同で責任を負うようになり、子女たちの共同責任にもなり、家族全員が共同で責任を負わざるを得なくなるのです。エバが堕落することによってアダム家庭全体が堕落したという結果を招いた、そのような意味をもつということです。

「神様と真の父母様に侍り」となっています。本来人間は、神様と真の父母様に侍らなければならないのに、追い出してしまったというのです。しかし、人間は、神様と真の父母に侍らなければ、その存在価値さえなくなるのです。神様と真の父母、すなわち縦的な真の父母と横的な真の父母の二つの真の父母が一つになって、初めて私が出てくるのです。

言い換えれば、神様は縦的な真の父母であり、完成したアダムとエバは横的な真の父母になり、その二つの父母が一つになった基台の上に私の心身統一が成し遂げられ、天国と神様が連結されるということです。したがって、神様と真の父母に侍らなければ何もできないという結論を下すことができます。

それでは、天宙の代表的家庭とは、どのような家庭ですか。堕落する前、アダムとエバが神様と共に理想としていた家庭です。ですから、天宙の代表的家庭と中心的家庭とは、天上においては代表であり、地に降りてくれば、八段階の円錐の垂直に位置する家庭です。垂直的な立場で天上の代表と中心が一つになった位置だということです。

そのような家庭の中心で孝子、孝女にならなければならず、そのような国家では忠臣にならなければならず、そのような世界では聖人、そのような天宙では聖子にならなければなりません。「聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」とあるのは、個人的には家族全員が聖子の位置まで行くことができなければならず、そのような聖子の家族全員が集まって聖子の家庭を築くようになるという意味です。これを誓うのです。

神様と真の父母に侍り、代表的な家庭になり、中心家庭になって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣、烈女、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理など、天が望むすべてのものを私たちの家庭で完成しようということです。父母は子女の教育、国家では民の教育、世界では聖人教育、天地ではその天国の一族、すなわち聖子の家庭の家族として合格者になれるようにしようということです。

それで、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」とあるのです。

三節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。

四大心情圏と三大王権は、堕落する前のアダムとエバの完成を意味します。皇族圏を除いて、これらのすべては、堕落する前のアダムとエバが、四大心情圏と三大王権を成し遂げ、皇族になることでした。それで、この節は、堕落した人類を復帰して、皇族をつくっていくことを意味するのです。私たち祝福家庭が、この使命を完遂しなければなりません。

女性が男性の愛を受け、男性が女性の愛を受けるためには、この位置に立たなければなりません。そうでなければ愛せないようになっています。夫婦関係で愛するのは、四大心情圏と三大王権の位置で愛するようになっています。愛がなければ、四大心情圏と三大王権はあり得ません。ですから、女性には男性が絶対に必要であり、男性には女性が絶対に必要なのです。祝福家庭は、これを標準として毎日のように努力しなければなりません。「神様がこのように完成されるから、私たちもこのようにすればよいだろう」という、このような観念的な信仰だけでは完成できません。これは実際問題です。皆様の目前に来ているというのです。

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14.本然の真の愛理想の王権を、私から天宙まで 日付:二〇〇五年五月一日

場所:韓国、全羅南道、麗水、清海ガーデン

行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十一周年記念式

世界各国からいらっしゃった尊敬する蒙古斑血族連合の指導者、内外の貴賓、そして愛する統一家の祝福家庭の指導者の皆様。きょうは、今から五十一年前の一九五四年五月一日、私が大韓民国の地において「世界基督教統一神霊協会」を創設した意義深い日です。

韓国動乱が終わった直後の一九五四年、三年余りの戦争によって灰の山となったこの韓国の地で、世界の基督教を統一し、究極的には世界のすべての宗教と思想を一つに結び、全人類を神様に復帰させようという遠大な志を込めた「神霊協会」を創設しましたが、その目的の達成は到底不可能なことに見えたかもしれません。

しかし、十六歳(数え)の時、いち早く天命を受けて出発した私の道は、世上の視線や誤解を問題とすることはありませんでした。ただ天の命令に従って、摂理を成し遂げる道に邁進してきたのが私の全生涯でした。

皆様。人類歴史は、サタンの背信からもつれ始めた歴史でした。人間の真の父母であられる神様が、人類の始祖であるアダムとエバを創造され、彼らが責任分担を全うし、成長して完成し、御自身の真の子女となることを願われたのです。

しかし、サタンは、アダムとエバを堕落させ、人間が天から賦与された最も高貴な真の愛の道を台無しにしてしまいました。アダムとエバの堕落は、サタンの誘惑に落ち、淫乱によって引き起こされた人間の最初で最大の悲劇だったのです。

今日、全世界に燎原の火のごとく広がっている退廃の風潮を一度考えてみてください。聖書で指摘されたように、サタンは淫乱の王であり淫乱の神です。このようなサタンの奴隷となってしまった人類が、方向感覚を完全に喪失したまま、もがきつつ生きてきたのが六千年の人類歴史でした。

今では、フリーセックスの毒きのこが、スワッピングという仮面をかぶって皆様の居間にまで押し寄せてきています。神聖な人間の権限であり義務でもある子女を生むことを拒否し、ホモとなって極度の利己主義的生活を追求している数千、数万の若い生命を、どのようにされるのですか。天が下さった高貴な家庭の階級秩序まで破壊したまま、祖父と孫娘が、父と娘が、互いにもつれて引き起こしている近親相姦という到底許し難い罪の代価を、どのようにしてすべて支払うことができるというのでしょうか。

天が賜った真の愛、真の生命、真の血統を保全して完成し、真の家庭を成就するべき崇高な義務を、私たちは、きょう襟を正してもう一度確認しなければなりません。崩れるだけ崩れた人類の位相を再び探し立てる運動は、今から若い二世たちをまっすぐに天のみ旨を中心として教育する道です。フリーセックスやホモの沼で極度の利己主義的生活に走っている彼らに、純潔、純血、純愛、純性の教育を徹底してしなければなりません。

皆様。二世を失えば、人類の未来は約束することができません。そうかといって、このような教育運動が人間の理論や意志でのみ成し遂げられるのではありません。歴史を調べてみれば、六十億を超える人類を、今日この位置まで導いてきたのは、背後で摂理してこられた天があったからです。御自身の最初の息子であり、最初の娘だったアダムとエバを失ってしまった神様は、歴史の背後で言い表すことのできない涙と恨の路程を経てこられました。背信と失敗を繰り返す摂理的中心人物たちを見守りながら、最後まで放棄されず、人類の復帰歴史を進行させてこられたのが天です。

アダム家庭からカインとアベルに分けて分立歴史をしてこられた天が、今では世界的次元で、より悪の側を代表するカイン圏とより善の天の側を代表するアベル圏を一つに結び、統一させる血統の歴史を進行していらっしゃいます。

私が以前に宣布した「プリチャッキ(ルーツ探訪)連合運動」とは何でしょうか。天の真の愛、真の生命、真の血統を探し立てようというものです。人間の根本の根がそこにあるからです。数千、数万年を偽りのオリーブの木として生きてきた人類が、今真のオリーブの木として来られた真の父母様の祝福結婚を通して接ぎ木され、真のオリーブの木の根を伝授してもらおうという摂理的次元の革命を意味するのです。

そのような脈絡から、世界人口の七〇パーセント以上を占めている蒙古斑同族圏をカイン圏として立て、「世界平和超宗教超国家連合」をアベル圏として立てて和解と統一の道を模索しようというのです。そうして、究極的には、真の父母様の祝福結婚を通して、人類を「蒙古斑血族圏」、すなわち「祝福血族家庭圏」として再創造しようという新天新地創造運動です。

皆様。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を掲げてから、既に半世紀を超えました。この間、私が天の印を受けて地上界に顕現した横的真の父母として、天のみ旨を成し遂げてさしあげるために、どれほど多くの血と汗と涙を流したかということは、天だけが御存じでしょう。

今は新しい天と新しい地が開かれています。神様を中心とする平和の王権が出発しています。歴史の始まりから、背信と偽りの王として君臨してきたサタンまでも天に自然屈伏し、復帰の恩賜圏内に入ってくる天地開闢の時代が、今日の私たちが身を置いているこの時代だということを知らなければなりません。

争う所には平和はありません。和解と赦しは、平和と理想世界の前提条件です。今私たちが心を合わせて追求すべきことは、すべての障壁と国境を撤廃することです。まず皆様の心と体の間を分けている葛藤の壁をきれいに除去するのです。

儒教で言う修身も、このような脈絡から見なければなりません。それは、体が心に徹底して服従し、永遠に良心の呵責を感じない本然の状態を意味します。個人を越え、家庭、社会、人種、国家、宗教など、人間生活のすべての分野でも、私たちは、サタンの残骸である垣根を崩し、神様の創造理想である地上•天上平和の王国、すなわち天一国を創建しなければなりません。

私は、正確に一年前のきょう、この場で「先天時代が過ぎ、新しい後天時代が到来したこと」を天上天下に宣布しました。それから一年、世界は急速度で変化しています。世界の至る所で私が主唱する「真の愛を中心とする平和運動」に呼応していく指導者たちが、数え切れないほど現れるようになりました。

二世圏を代表する若い中高生たちと大学生たちを中心とする真の愛運動が、純潔運動、すなわち「ラスティング•ラブ•ムーブメント(Lasting Love Movement:永遠の愛運動)」という名称で全世界に拡散しています。悪の勢力のサタンが屈服したので、今からはもうこれ以上この運動を阻止する人がいません。霊界の数千億の先祖たちも総動員され、協力しています。この地上に永遠の平和王国を創建することは、もう時間の問題です。皆様は、全員希望をもって力強い前進の一歩を踏み出さなければなりません。

皆様が努力すればするほど、その日は早まるでしょう。聖書のマタイによる福音書第十六章二十五節にも、「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」とあります。神様の直系眷属である祝福血族家庭の拡散に、皆様全員が総力を傾注しなければなりません。

悲壮な覚悟で平和の大平原に向かって、新しい半世紀を力強く走りましょう。天が皆様を必ず守ってくださるでしょう。皆様は必ず勝利されるでしょう!

きょう皆様は、私を通して貴い天命を受けられました。今からは、皆様がいつ、どこで、何をされても、私たちは全員、神様と真の父母様を中心軸として集まった一家族であり、真の家庭だということを肝に銘じてくださることをお願いします。天は、皆様の良心を通して役事され、ために生きる真の愛の生活をする基準によって皆様の善の先祖たちが動員されることを、必ず記憶してくださることをお願いします。

神様の祝福が皆様と皆様が新しく創建する真の家庭の上に、永遠に共にあることを願います。ありがとうございました。

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私たちの使命 皆様。今日皆様がこの地に生まれた目的はどこにあるのでしょうか。国と世界を愛するためです。神様が今まで摂理されてきた目的も、その国と世界を愛するためです。主権のない国の民は悲惨です。

それで、イエス様が心配して話されたことは、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一—三三)とおっしゃったのです。

神様は、堕落した人間の前に、神様を身代わりする一つの実体として、天の血統を代表できる方として、イエス様をこの地上に送られました。すなわち、イエス様は、この地上に初めて神様の歴史的希望を成就してさしあげるためにこられた方だったのです。四千年目に初めてそのような立場に立てられた息子として、ユダヤ教を中心としてヨセフ家庭を通して現れた真の種としてこの地上に立てられたその方が、正にイエス様でした。しかし、このときサタン側は、既に国家を立てて天の側を攻撃していたので、天の側でも完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。それで神様は、悪の世界で一つの国を編成するために四千年間苦労されたのです。

皆様。イエス様は、国を求めてこの地上に来られました。一つの国を求めて来られたというのです。しかし、イエス様は、天が長い間苦労して準備したイスラエルとユダヤ民族の不信によって、神の国を霊肉共に取り戻すことができず、霊的にだけ取り戻されたのです。ですから、今日のキリスト教は、今もこの地上に実体の国がないのです。

これは、神様がこの地上のどの国、どの民族に対しても、「愛する私の祖国、私の愛する民族」と呼べないことを意味します。まだ神の国の基盤がこの地に立てられていないことを示しています。

それで、今までキリスト教徒たちは、国がなく主権のない民のような立場に落ち、どこに行っても殺されたのです。殉教の血を流すことによって発展したのです。そのように植えたキリスト教なので、そのように殉教の血を流して刈り入れなければ発展できなかったからです。

しかし、もう血を流して迫害されていた時期は終わりました。それがそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基準を中心として、失ってしまった実体の国を世界的に成し遂げるために、その国を欽慕し、主を待ち望んできたのが正に再臨思想です。

愛する祝福家庭の皆様。今では、人類も後天時代に差し掛かり、新しい天運を受けています。その多くの不信と背信の渦の中で苦しんできたこの地球星にも、今、新天新地が開かれています。二〇〇五年の暖かい春が近づいてきているのです。すべての祝福家庭が奮然と立ち上がるべき時が来ました。

天一国創建のための縦的アベルの位置に「世界平和超宗教超国家連合」を立て、世界人口の七〇パーセント以上を含む蒙古斑同族を、祝福結婚を通して蒙古斑血族として連結し、横的カイン圏として立てることによって、六十億の人類を一つの家族にする摂理的責任を、私たち祝福家庭が完遂すべき時が来ました。人種間の垣根、宗教間の壁、そして国家間の国境線もきれいに崩してしまわなければなりません。

神様は、今、救世主、メシヤ、再臨主、王の中の王、すなわち平和の王であり、人類の真の父母である私に全権を伝授してくださいました。人種と国家、そして宗教を超越し、人類を一つの大家族として連結する唯一の方法は、交叉祝福結婚の道しかありません。きのうの怨讐がきょうの親戚となり、伝統と文化が異なる異邦民族同土で一つの大家族になる道、この方法以外にどのような方法があるでしょうか。

皆様、何よりもまず、皆様の家族と氏族を祝福してあげ、彼らを中心とする氏族訓読教会を設立してください。家庭連合運動の勝敗はもちろん、大韓民国の統一、さらには人類大家族化の摂理的勝敗がここにかかっています。

先天時代の慣習と思考の枠から一日も早く脱皮してください。「正午定着」的生活の実践を通して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を天と真の父母様に奉献してください。皆様は、天一国の国民として、永遠の平和と自由を享受するようになるでしょう。皆様の子孫は、未来永劫、皆様の業績を褒めたたえ、誇るようになるでしょう。霊界に行っても、真の父母様に侍って、永遠に共に暮らすようになることでしょう。

どうか、きょう天が下さったメッセージを骨に刻み、新しい天と新しい地を開いていく天一国の精兵となった覚悟で出発してください。皆様の胸の中に燃え上がる真の愛の炎が皆様を導いてくれるでしょう。天の勇気を抱き、真の主人、真の師、真の父母の道へ邁進してください。

神様の祝福が皆様の家庭の上に満ちあふれることを願います。ありがとうございました。

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天のみ旨は地上で成し遂げなければならない 神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければならないのです。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、彼らを神様がすべて子女として主管できるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨だということは間違いありません。

もし、地上で国家を復帰することを自分の生涯で果たすことができずに死ぬ場合、皆様は霊界に行っても、天の国に属した真の人としての価値をもつことができなくなります。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければならないのです。それが本来の神様の創造基準だからです。

皆様。私は今まで一生の間、世上のことには関心がない生活をしてきました。「神様が保護できるその国で死ななければならないではないか。私がそのように生きて逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。したがって、死ぬ前に神の国を取り戻し、たった一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが、私の生涯の願いとなりました。

そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいます。皆様は休んでも、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動員してでもやらなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行くべき道です。

このように天一国時代を結実させていく天の道には、失敗はあり得ません。これ以上サタンの妨害による折衝や延期、延長もあり得ません。完全完結の摂理は、文字どおり私の生涯において摂理の総体的完結を見せ、神様の創造理想である平和王国を完成しなければならない大団円の摂理です。

したがって、国のない者はいつでも攻撃を受けるようになります。かわいそうな立場に立つようになります。あっけなく倒される場合がいくらでもあります。ですから、神様が願う国がどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国をどこで見いだすのかということが問題です。

私たちがこの国この民族のために血と汗を流すのは、結局永遠の天の国を成し遂げるためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福祉国家を成し遂げるためです。その国は、神様を中心とする直系血統の子女たちが、天命に従い、すなわち神様を身代わりする命令と王権をもって治めるそのような国であることは間違いありません。

そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。このようなことを考えるとき、皆様自身がそのような国の民になれなかったという事実が無念なことではないかというのです。そのような一つの国をもてなかったことを嘆息しなければなりません。皆様自身がそのような国で暮らすことができないことを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権を探し立てられなかったことを、私たちは悔い改めなければならないのです。

そのような主権と国と国土を立てるために、神様は、人類歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程において数多くの人が死に、数多くの民が犠牲となり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交代してきた事実を私たちは知っています。

そのように犠牲になった数多くの人々の中で、天の側にいる人たち、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての恨多き霊人たちは、いつかそのような一つの国、そのような世界が立てられることを願っているというのは間違いないことです。人類始祖が堕落したのち、歴史は神様が主管されたのではなく、サタンが主管するようになったことを私たちは知っています。しかし、本来神様がこの世の主人にならなければなりませんでした。

神様と愛の関係を結んだ直系血統の子女、その子女によって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管できる世界、神様が主管できる国、神様が主管できる家庭、神様が主管できる個人になっていたはずです。

ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界だということを知らなければなりません。

したがって、この世界をこのまま放置しておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な真の愛の世界を成し遂げることができず、そして、絶対者でいらっしゃる神様は、本来意図された創造理想を実現させてこそ本来の権威を取り戻すことができるので、その位置を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の真の世界へ導いてこられるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。

ところが、この地には今、約二百の堕落主権の国が散在し、あたかも国家展示館をほうふつさせていますが、神様が願われた神の国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることができる神の国を立てるために、人間が知らないところで歴史を通して時代を摂理してこられました。一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管することを希望としてアダムを造り、また完成に向けて育てていきました。

しかし、アダム一人の堕落によって歴史は四分五裂してしまいました。これを収拾し連結させていくのが救援摂理歴史です。アダムはすべての人間の先祖なので、アダム一人を失ってしまうことは全体を失ってしまうことと同じです。

したがって、これを再び立てなければならないのであり、再び立てられるその一人の方は、サタン世界の氏族と民族と国にまでもとらわれることのない人でなければなりません。神様のみ旨のためには、命までも差し出す真の人でなければなりません。

摂理史の中心人物とイエス様 皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通の目的をもっています。その代表として、皆様もよく御存じのキリスト教の歴史を一度例に挙げて見てみましょう。

ノアは、民族的な環境に身を置いていても、そこに属することを願わなかったのであり、国に属していましたが、その国にとらわれず、自分の希望の国を訪ねていきました。希望の国を探し立てるために、彼はあらゆる試練と逆境を経ていかなければなりませんでした。

ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨の国を追求してきました。ノアに願った神様の希望は、神の国と神の義を求めて個人的環境を屈服させていくことでした。彼が、春夏秋冬の一日も休まず百二十年の試練過程を越える、その苦衷はどれほどのものだったでしょうか。

家族までも彼を捨てましたが、ノアはあらゆる反対の矢も受け止めて百二十年を耐え抜きました。神の国と神の義を求めることよりも食べたり飲んだりすることを優先すれば、あとですべての蕩減を受けなければならないという原則をノアは、あまりにもよく知っていたのです。

アブラハムは、カルデアのウルを出てハランに住んでいましたが、神様の啓示を無条件に信じて服従する心をもってそこに向かっていきました。サラもまた、パロ王に引っ張られていっても決してアブラハムを恨んだり、背信したりしませんでした。このように、希望の国に向かっていく彼らの心は、いくら激しい迫害が押し寄せてきても変わることがありませんでした。

ヤコブを見てください。彼は自分に与えられた祝福には希望の国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を曲げることができなかったのです。このようにみ旨は、個人、家庭、氏族へと広げられ、私たちの先覚者たちは、次第に世界的な希望を掲げて進んでいったのです。

イエス様の生涯はどうだったでしょうか。彼はユダヤ民族の不信とイスラエルの迫害によって流浪する境遇になり、結局、十字架の祭物として消えることによって、霊肉ともの希望を成し遂げることができませんでした。

しかし、メシヤは天と地のすべての障壁を崩し、一つに統一された国を探し立てなければならない使命をもってこられる方です。この堕落した地を中心として構成された理念国家は減んでも、天倫が求める理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨なのです。

アダムを中心として願われた神様の希望は、アダムの個体にだけとどまるのではなく、アダムを中心とする家庭と氏族と民族と国家と世界を成し遂げることでした。メシヤが何よりも成し遂げようとし、目的としていた国が、イスラエルの不信によって崩れたとき、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主には、アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があります。その方には、アダムを完成させ、アダムを中心とする家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるというのです。

神様が歴史を通し、時に合わせて中心人物を地上に送り、絶対的な一つの国家を立てることを進めてきましたが、いつも彼らは失敗しました。そのたびに再び義人を探し立て、そのことを営為させ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの復帰摂理歴史だったのです。

したがって私たちは、神様が私個人を犠牲にしたとしても感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、民族、国を犠牲にしたとしても感謝できなければなりません。そのような私とそのような国が現れてこそ、新しい世界は収拾されるのです。しかし、個人がいくら犠牲になったとしても、その国が立てられなければ、個人の犠牲はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界の犠牲まで、再び継続するのです。

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13.真の神様の祖国光復 日付:二〇〇五年三月四日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天宙清平修錬苑

行事:天一国定着実現のための前進大会

愛する祝福家庭の皆様。今日皆様は、二〇〇五年の意義深い摂理的時代を迎え、「天宙統一平和の王戴冠即位式」を勝利された天地人真の父母様に直接侍り、新天新地の世界を開いています。そして、全霊界の協助を受け、神様の創造理想世界である地上天上天国、すなわち平和世界創建のための役軍として召命され、この場に駆けつけてきました。

私は、きょうこの意義深い二〇〇五年三月を迎え、平和王国の本殿聖地であるここ天城旺臨宮殿において、神様が何よりも願ってこられた「真の神様の祖国光復」という題目で、この時代に皆様が必ず知って実践すべき天のメッセージを伝えようと思います。訪れてきた新春とともに、皆様もきょう心の門を大きく開き、後天時代の春を迎える意義深い日としてくださることをお願いいたします。

神の国と神の義を求めなければならない 皆様。今日この地上に生きている人間たちは、神様が予告された神の国と神の義を求めることができずにいます。それで、神の国と神の義を求めることが今日の私たち人類の希望であり、今まで数千年の歴史過程を生きていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。

それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残るようになったのでしょうか。それは人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となることができる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場に置かれるようになりました。堕落によって天の血統を喪失し、代わりにサタンの血統を受けたサタンの子女となってしまったからです。

すなわち、神の国と神の義の中心である真の父と真の家庭、そしてその真の国家に対して無知な人間に転落してしまったので、神様は、このような無知な民と人類を目覚めさせ、その真の父と真の家庭と真の国家がどのようなものかを教えてあげるために、今まで歴史路程において苦労してこられました。それで、神の国と神の義を探し立てることが、今でも私たちの希望であり、目標として残るようになったのです。

皆様。この世界には、現在約二百の国家が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から「私の祖国」だと本当に愛を受ける国は一つもないのです。ですから、このような堕落世界を徹底して否認し、新しい神の国を再び創造しなければならないというのが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的です。

それで、神様は、歴史を通して御自身の国を取り戻す摂理をしてこられたというのです。その国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とする真の国家が存在しなければなりません。したがって、神様は、ある一時を迎えて御自身の特定の国を取り戻されるのです。それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とする摂理歴史でした。

私たちが願う国 皆様が願う神の国はどのような国ですか。神の国は、今日皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がないのです。

国がなければ国籍をもつことができません。国がなければ、入籍できる基盤がないのです。ですから、私たちがすべきことは、神の国を取り戻すことです。

国があってこそ、私たちの千秋万代の子孫にそつくりそのまま残してあげられる伝統も残り、私たちが血と汗を流したすべての努力も残り、天の苦労を祝賀できる記念塔がこの地上にでき、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべてが徒労に終わるのです。

ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題だということを知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受けることができる国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子になり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を常にもって暮らさなければなりません。

私たちが訪ねていくべき道は本当に行きたいと思う道であり、私たちが成し遂げるべき国は、永遠に、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちがもつべき財物は、天宙的なものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。心で理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。

皆様にそのような国がありますか。ないので、その国を探し立てなければならないではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国、平和の国です。六十億の人類が一つの家族となって共に暮らす国です。それは、天宙統一平和の王を私たちの真の主人、真の師、真の王として侍り、永遠の太平聖代を謳歌する平和の王国を意味するのです。

ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するでしょう。霊界までも総動員され、五大聖賢はもちろん、皆様の善の先祖たちも皆様の一挙手一投足を見守りながら協助するでしょう。そして、心と体の統一を土台として、一人の個人を統一することができ、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで統一することができるのです。

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皆様は、摂理歴史上、今日皆様が立っている位置が果たしてどのような位置なのか、とても気になっていらっしゃるでしょう。人間的な目では見ることができない大転換期の一時です。特に、二〇〇〇年代に入り、天の摂理は、とてつもない速度で完結摂理に向かって突き進んでいます。

これまで、多くの組織と団体が摂理を促進させる機関として創設されました。その中でも、私が近来に創設した「世界平和超宗教超国家連合」と「平和国連」は、サタン圏を包容してアベル的立場に立ち、カイン格である「蒙古斑同族世界平和連合」とサタン圏を解放させて統一世界を形成し、人類歴史にこれ以上カイン•アベル間の葛藤と闘争が点綴することがないように、責任を果たさなければならない位置に立っています。世界宗教圏を代表するアメリカはアベルの立場に立って、カイン的な国連を愛して一つになり、人類救援の責任を果たす国家にならなければなりません。

皆様。私たちの究極的なアベルは真の父母であられます。アベルの位置は、天が定めてくださる位置であり、したがって死んでも離れることができない宿命の位置です。自分は死ぬとしても、真の愛の種を植えてから逝かなければならない位置です。天のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かなければならない位置です。その道が、逆にカインを自然屈伏させる道になっていたからです。無形の神様の実体として顕現された真の父母様を縦的な軸、すなわち永遠のアベルとして侍って暮らす生が、私たち人間が歩むべき宿命的路程です。真の父母は、人類の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、地上天上天国の平和の王であられます。したがって、神様が太初から創造理想として願ってこられた理想天国は、すなわち私たちが願う真の父母を中心とする地上天上天国であり、平和の中心的王国であり、二〇〇五年とともに人類に開いてくださった後天世界の完成です。数千、数万年間、人類を様々な理由と名分をつけて分けていたすべての垣根と国境線を撤廃し、超宗教超国家次元で全人類を一つの家族として結び、真の父母様を真の師、真の王として侍って暮らす解放と釈放の世界です。

このような途方もない天の祝福圏内に暮らす皆様は、今から何よりも自身の生を徹底して整備し、準備しなければなりません。まずは個々人を中心として、心と体の絶対的一致圏を探し立て、汚れなく明るくきれいに輝く個性真理体を完成しなければなりません。これ以上蕩減が必要ない生、すなわち蕩減革命を完遂しなければなりません。永遠にわたって、良心の前に一点の恥ずかしさもない生、すなわち良心革命を勝利しなければなりません。ために生きる真の愛の生を実践躬行し、真の父母様と全人類に心情的な負債を負わずに暮らす生、すなわち心情革命を完成しなければなりません。

その次には、皆様の家庭で天国を築いて暮らさなければなりません。家庭は愛の王宮です。その家庭において、四大心情圏と三大王権を完成しなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭も、その家庭が基礎となって輩出されます。神様の心情を体恤できる最高の場が、正に家庭です。夫婦間の幸福と未来を約束してくれる所もやはり家庭です。皆様の先祖が再臨し、皆様を天の道へと導いてくれる所もまた家庭です。家庭は真の愛の花です。その花に実を結ばせてくれる所です。

真の父母に侍って生きる新天新地の世界 皆様。今からの皆様の人生は、単純な人生ではありません。いつ、どこで、何をしても、皆様には数百数千の先祖たちが共にあるのです。地上で真の父母に侍ってみることができなかったことが恨となっている彼らは、地上の子孫たちを兄弟の立場でアベルとして侍り、協助し、皆様を通して実体的に真の父母に侍る生活を、今後四年間するようになります。このような条件を通して、彼らも皆様と共に天国に入城しようとするのです。したがって、六十億の人類はだませても、皆様の先祖たちはだますことができません。善悪の基準において、皆様の人生は徹底して分析され、賞罰が決定されるでしょう。炎のような瞳で皆様の一挙手一投足を見守り、皆様と喜怒哀楽を共にする皆様の善の先祖たちを、これ以上悲しませないでください。今年から四年間は、皆様の善の先祖たちはもちろん、四大聖人、そして霊界のすべての善霊たちが総動員再臨完成し、地上天国、すなわち天一国の完成のために総力を注ぐようになる深刻な時です。

私たちの人生の中で、上下、前後、左右で、神様を中心として創造前からの表題だった絶対信仰、絶対愛、絶対服従的なカインとアベルの責任を果たして一つになり、包容と許しと愛の道理を果たせば、後天時代は、文字どおり真の父母様をお迎えした太平聖代の平和王国となるでしょう。

私たちはみな、今からこの貴い天のメッセージの種蒔きをするために出発しなければなりません。真の生命と真の愛の種を蒔くために出発する新しい創造主と、その家庭の代身者としての道を出発しなければなりません。世の中の虚栄と不道徳に便乗し、風の吹く虚空に種を蒔く愚かな人にならず、最も謙遜で低い所を訪ね、つまり、堆肥が埋まってよく肥えた地の奥深い所に種を埋めるために出発しなければなりません。

人種の壁を崩し、国境を撤廃し、超宗教超国家的次元の交叉結婚の実を収穫し、神様の真の血統を永遠に保存させる大役事を起こしましょう。蒙古斑同族圏は、交叉祝福結婚の摂理を通して、永遠な神様の真の愛の蒙古斑血統圏を中心とする血族に昇華させなければなりません。

ソドムの城を離れたロトの妻は、天の命令を無視して後ろを振り返った瞬間、塩の柱になってしまいました。皆様は、きょう天命を受けました。昔も今も天命は、祝福と審判という二つの側面をもつ諸刃の剣です。選択は皆様のものです。明確なことは、きょう私が皆様全員にこの途方もない天の秘密を明らかにしてあげたということであり、皆様がうけた天命は、二度と後戻りできない弓から放たれた矢だという点です。これ以上折衷や妥協はありません。ただ摂理の完成完結だけが決勝点で待っています。

太初にアダム家庭において失ってしまった神様の家族三代を、私たちの手で取り戻しましょう。これ以上カイン•アベルの闘争がなく、真の愛で満ちた新天新地の世界、私たち全員が一つの家族を形成して暮らす平和王国を、私たちの時代にこの地上に完成し、真の父母様に侍って暮らす永遠の平和王国の生を誓いましょう。ありがとうございました。

*皆様は、摂理歴史上、今日皆様が立っている位置が果たしてどのような位置なのか、とても気になっていらっしゃるでしょう。人間的な目では見ることができない大転換期の一時です。特に、二〇〇〇年代に入り、天の摂理は、とてつもない速度で完結摂理に向かって突き進んでいます。

これまで、多くの組織と団体が摂理を促進させる機関として創設されました。その中でも、私が近来に創設した「世界平和超宗教超国家連合」と「平和国連」は、サタン圏を包容してアベル的立場に立ち、カイン格である「蒙古斑同族世界平和連合」とサタン圏を解放させて統一世界を形成し、人類歴史にこれ以上カイン•アベル間の葛藤と闘争が点綴することがないように、責任を果たさなければならない位置に立っています。世界宗教圏を代表するアメリカはアベルの立場に立って、カイン的な国連を愛して一つになり、人類救援の責任を果たす国家にならなければなりません。

皆様。私たちの究極的なアベルは真の父母であられます。アベルの位置は、天が定めてくださる位置であり、したがって死んでも離れることができない宿命の位置です。自分は死ぬとしても、真の愛の種を植えてから逝かなければならない位置です。天のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かなければならない位置です。その道が、逆にカインを自然屈伏させる道になっていたからです。無形の神様の実体として顕現された真の父母様を縦的な軸、すなわち永遠のアベルとして侍って暮らす生が、私たち人間が歩むべき宿命的路程です。真の父母は、人類の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、地上天上天国の平和の王であられます。したがって、神様が太初から創造理想として願ってこられた理想天国は、すなわち私たちが願う真の父母を中心とする地上天上天国であり、平和の中心的王国であり、二〇〇五年とともに人類に開いてくださった後天世界の完成です。数千、数万年間、人類を様々な理由と名分をつけて分けていたすべての垣根と国境線を撤廃し、超宗教超国家次元で全人類を一つの家族として結び、真の父母様を真の師、真の王として侍って暮らす解放と釈放の世界です。

このような途方もない天の祝福圏内に暮らす皆様は、今から何よりも自身の生を徹底して整備し、準備しなければなりません。まずは個々人を中心として、心と体の絶対的一致圏を探し立て、汚れなく明るくきれいに輝く個性真理体を完成しなければなりません。これ以上蕩減が必要ない生、すなわち蕩減革命を完遂しなければなりません。永遠にわたって、良心の前に一点の恥ずかしさもない生、すなわち良心革命を勝利しなければなりません。ために生きる真の愛の生を実践躬行し、真の父母様と全人類に心情的な負債を負わずに暮らす生、すなわち心情革命を完成しなければなりません。

その次には、皆様の家庭で天国を築いて暮らさなければなりません。家庭は愛の王宮です。その家庭において、四大心情圏と三大王権を完成しなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭も、その家庭が基礎となって輩出されます。神様の心情を体恤できる最高の場が、正に家庭です。夫婦間の幸福と未来を約束してくれる所もやはり家庭です。皆様の先祖が再臨し、皆様を天の道へと導いてくれる所もまた家庭です。家庭は真の愛の花です。その花に実を結ばせてくれる所です。

真の父母に侍って生きる新天新地の世界 皆様。今からの皆様の人生は、単純な人生ではありません。いつ、どこで、何をしても、皆様には数百数千の先祖たちが共にあるのです。地上で真の父母に侍ってみることができなかったことが恨となっている彼らは、地上の子孫たちを兄弟の立場でアベルとして侍り、協助し、皆様を通して実体的に真の父母に侍る生活を、今後四年間するようになります。このような条件を通して、彼らも皆様と共に天国に入城しようとするのです。したがって、六十億の人類はだませても、皆様の先祖たちはだますことができません。善悪の基準において、皆様の人生は徹底して分析され、賞罰が決定されるでしょう。炎のような瞳で皆様の一挙手一投足を見守り、皆様と喜怒哀楽を共にする皆様の善の先祖たちを、これ以上悲しませないでください。今年から四年間は、皆様の善の先祖たちはもちろん、四大聖人、そして霊界のすべての善霊たちが総動員再臨完成し、地上天国、すなわち天一国の完成のために総力を注ぐようになる深刻な時です。

私たちの人生の中で、上下、前後、左右で、神様を中心として創造前からの表題だった絶対信仰、絶対愛、絶対服従的なカインとアベルの責任を果たして一つになり、包容と許しと愛の道理を果たせば、後天時代は、文字どおり真の父母様をお迎えした太平聖代の平和王国となるでしょう。

私たちはみな、今からこの貴い天のメッセージの種蒔きをするために出発しなければなりません。真の生命と真の愛の種を蒔くために出発する新しい創造主と、その家庭の代身者としての道を出発しなければなりません。世の中の虚栄と不道徳に便乗し、風の吹く虚空に種を蒔く愚かな人にならず、最も謙遜で低い所を訪ね、つまり、堆肥が埋まってよく肥えた地の奥深い所に種を埋めるために出発しなければなりません。

人種の壁を崩し、国境を撤廃し、超宗教超国家的次元の交叉結婚の実を収穫し、神様の真の血統を永遠に保存させる大役事を起こしましょう。蒙古斑同族圏は、交叉祝福結婚の摂理を通して、永遠な神様の真の愛の蒙古斑血統圏を中心とする血族に昇華させなければなりません。

ソドムの城を離れたロトの妻は、天の命令を無視して後ろを振り返った瞬間、塩の柱になってしまいました。皆様は、きょう天命を受けました。昔も今も天命は、祝福と審判という二つの側面をもつ諸刃の剣です。選択は皆様のものです。明確なことは、きょう私が皆様全員にこの途方もない天の秘密を明らかにしてあげたということであり、皆様がうけた天命は、二度と後戻りできない弓から放たれた矢だという点です。これ以上折衷や妥協はありません。ただ摂理の完成完結だけが決勝点で待っています。

太初にアダム家庭において失ってしまった神様の家族三代を、私たちの手で取り戻しましょう。これ以上カイン•アベルの闘争がなく、真の愛で満ちた新天新地の世界、私たち全員が一つの家族を形成して暮らす平和王国を、私たちの時代にこの地上に完成し、真の父母様に侍って暮らす永遠の平和王国の生を誓いましょう。ありがとうございました。*

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神様は、真の愛の主人としてすべての創造物の表題である絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準の上で、人間を御自身の子女として創造されました。絶対肯定の立場で絶対投入をされたのが神様の創造歴史です。対象である人間が主体である天のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従を捧げなければならない論理が、正にここから創出されるのです。悪の側を代表するカインと善の側を代表するアベルの関係も同様です。対象の立場であるカインは、絶対的基準でアベルを通して天のみ前に出ていかなければならないのが天理です。アベルを、父であり、主人であり、師として侍らなければなりません。

一方、アベルの立場は、神様のように絶対信仰、絶対愛、絶対服従を通して、カインを子女のように抱き、愛し、人格的に信じて尊敬される位置で、カインをして自然屈伏させるようにしなければなりません。摂理歴史の中に現れた数多くのカイン•アベルの関係において、このような天理の法度を守ることができないときには、葛藤と戦争の中で血を流す歴史が継続したのであり、そのたびに摂理は延長せざるを得ない受難を経てきたのです。数千年の人類歴史を通して見せてくれた生きた証です。

摂理史に現れた事件の一つ一つをすべて列挙することはできませんが、アダム家庭においてセツを立て、血統復帰を通して長子権復帰を完成しようとした摂理は、再び千六百年という長い年月を経てノアを中心人物として立て、彼の家庭を通してアダム家庭の失敗を蕩減復帰しようとする摂理が展開しました。しかし、アベルの立場に立っていた二番目の息子ハムの失敗によって、ノア家庭を中心とする蕩減復帰摂理もやはり失敗に終わってしまったのです。その後、天は再び四百年を待ち、サタン世界の象徴である偶像商テラの長子アブラハムを呼び立て、長子権復帰と血統復帰の条件的役事を展開されました。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭の横的な三代圏を、再び縦的にアブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたって展開した復帰摂理歴史が、ジブシーのような荒野路程でサタン分立圏を勝利したヤコブによって、ついに長子権復帰と血統復帰の条件が立てられました。

その勝利的基盤の上に、ヤコブは天使との闘いに勝利し、ついに「イスラエル」という天の祝福まで受けるようになったのです。エサウとヤコブの関係はカインとアベルの立場だったのであり、ヤコブの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原則的道理と母子協助の勝利的条件を通して、ついに父イサクはもちろん、兄のエサウを自然屈伏させ、長子権を奪還したのです。

イエス様を中心として展開された復帰摂理歴史を見ても、この点は明確です。ヤコブ家庭において、ヤコブの天の側の妻ラケルの実子であるヨセフが先にエジプトに入っていって蕩減路程を勝利し、カイン的立場である十一人の兄弟を自然屈伏させ、アベルの勝利的位置を確保しました。その時、もしエジプトの総理大臣だったヨセフが、ヤコブの家族と共にエサウの家族まですべてエジプトに移住させていたならば、イスラエル民族は、モーセに従って歩んでいかなければならなかった四十年の荒野路程はもちろん、歴史的なカイン•アベルの闘争にも終止符を打つことができました。

ヤコブ家庭の勝利的基盤の血統を受け継いで、ついにイエス様が顕現されました。アダムとエバの堕落後、数千年を準備して探し立てた北朝十支派の北イスラエルと南朝二支派の南ユダが、再び内外でカインとアベルの関係でした。実体のメシヤを迎えるための環境創造の一環として、政治圏を代表するカイン的立場にイスラエルを立てられたのであり、宗教圏を代表するアべル的立場にユダヤ教を立てられました。

洗礼ヨハネとイエス様の関係もまたカイン•アベルの関係でした。四千年復帰摂理の道しるべとして下さった旧約の教えを明確に悟ってさえいれば、イスラエルとユダヤ教は内的外的に一つになり、洗礼ヨハネを先頭に立ててイエス様を王の王、真の父母としてお迎えし、神様の創造理想である地上天国をイエス様の当代に創建していたでしょう。さらには、洗礼ヨハネがカインの立場を明確に理解して、カインとしての責任をすべて果たしていれば、イエス様がどうして十字架の露として消えることがあったでしょうか。天が直接啓示を与え、幻で見せてあげ、イエス様が自分の主人であり、アベルであることを悟らせてくださったにもかかわらず、洗礼ヨハネは、とうとう絶対信仰、絶対愛、絶対服従の峠を越えることができませんでした。

後のアダムとして来られたイエス様 神様から祝福結婚を受けて真の家庭をつくり、永遠に天の真の血統、すなわち純潔、純血、純愛、純和の血統を伝授する真の人類の先祖が、後のアダムとして来られたイエス様の家庭を中心として出発していなければならなかったのです。しかし、ここでも神様は再び悲痛で惨憺(さんたん)たる立場に落ちてしまいました。失ってしまったアダムの位置に、御自身のひとり子であるイエス様を後のアダムの印を押して送られ、彼を通して四千年復帰摂理歴史を完結しようとされた神様のみ旨が、再び挫折する瞬間だったのです。歴史の中心軸として立てたその中心が、再び根こそぎ抜かれていったのです。

この時点において、天の復帰摂理は、加速度がつき始めました。だからといって、御自身が創造原則として立てられた原理原則の軌道を外れた変則摂理を運行することはできないのです。したがって、人類の永遠のアベルとなっているべきイエス様を失った神様は、再び二千年という長い歴史路程を経てこられながら、これ以上失敗があり得ない環境条件を準備され、その基盤の上に、ついに再臨主の印を押してレバレンド•ムーンを送られたのです。かといって、私の生涯は決して平坦なコースではありませんでした。全知全能であられる神様の心情まで蹂躙するほどに、凶悪で悪賢いサタンです。過去八十年以上の私の生涯は、文字どおり波瀾万丈な生の連続でした。アダム家庭から始まったカイン•アベルの葛藤と闘争はついに世界的次元の共産と民主の闘争へと飛び火した二十世紀の転換期を、私は、摂理的に必要なすべての段階の蕩減条件を立てて勝利しました。

その基盤の上で、ついにアベル支配圏の真の愛時代である天一国時代が宣布されたのであり、去る二〇〇一年には、神様の王権を即位させてさしあげました。その勝利的基盤の上に、二〇〇三年には、エルサレムで第一イスラエル圏を代表する平和の王としてイエス様を即位させてさしあげました。そして、二〇〇四年に入ると人類の真の父母の資格で、私が第二イスラエル格であるアメリカと第三イスラエル格である韓国で、そして、世界的次元の超宗教、超国家の平和の王として登極する戴冠式と即位式をもちました。

このような一連の摂理的な勝利基盤の上に、六十億の人類は、二〇〇五年から天一国創建の長成級である第二段階に差し掛かり、入籍摂理を完結するための血統転換、所有権転換、そして心情圏相続の三大目標完成のために総進軍命令を受けました。主人が剣を首に当てるその瞬間までもおとなしく従う羊のように、私たちは、絶対服従を通して私たちの永遠のアベルであり、実体の平和の王であられる真の父母様に命を捧げ、全体カイン圏を代表する責任と道理を果たさなければなりません。

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12.本然の創造理想圏とカイン•アベル圏復帰完成完結 日付:二〇〇五年二月十四日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天宙清平修錬苑

行事:天地人真の父母様御聖誕記念式および天宙統一平和の王戴冠式

世界各地からいらっしゃった尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。歴史の大転換期である天一国五年の明るい太陽は、この時間にも、私たち人間はもちろん、森羅万象の生命と愛を花咲かせてくれています。すべてが神様の恩寵であり祝福です。

皆様。私は、過去八十年以上の生涯を神様のみ旨に仕え、人類救援の生で貫いてきました。一万回以上の大衆講演を行い、真理のみ言の伝播を私の生の目的として生きてきました。私たちが歴史を観察して理解するためには、歴史的人物と事件を観察して分析する一般的な方法である横的な方法と、摂理的な視角から光を当てる縦的な方法があります。

空前絶後の天宙統一戴冠式 きょう皆様は、歴史上空前絶後の「天宙統一戴冠式」に参席しました。歴史は、きょうを永遠に記憶することでしょう。この貴い日を記念する意味で、そして、二〇〇五年から二〇〇八年まで続く、天一国摂理の第二次四年路程を出発する恩賜圏内に生きている私たちが、この時代に必ず理解して実践躬行すべき天理を皆様にお伝えしようと思います。「本然の創造理想圏とカイン•アベル圏復帰完成完結」という題目です。

皆様。本来、人間始祖のアダムとエバが堕落せずに完成、完結し、神様と心情一体圏を形成していたならば、彼らは、神様だけに相対して生きる絶対対象的子女の立場に立つようになっていました。しかし、彼らは、堕落を通してサタンと血縁関係が結ばれることによって、サタンにも相対しなければならない立場に転落してしまったのです。すなわち、堕落直後、いまだ原罪だけがあり、ほかのいかなる善行も悪行もしていなかったアダムとエバは、神様にも相対することができ、サタンにも相対することができる中間位置に立つようになったのです。したがって、神様は、このような中間位置に立っているアダム家庭をサタンから分立される作業を、堕落したアダムの子女たちとその子孫たちを中心として展開されたのです。アダムの三人の息子のうち、長子のカインは堕落した順序にしたがってサタン側に立て、次子のアベルを天の側に立てて蕩減復帰を通じた救援摂理を進められたのです。

サタンが血統的な因縁をもって堕落したアダムとエバに相対していたので、このように分立させて、彼らが自ら蕩減条件を立てるようにしなければ、天の側に復帰させることができなかったからです。またサタンも、本来人間の創造主は神様でいらっしゃることを知っていたので、堕落人間自身に再びサタンが侵犯できる何らかの条件が成立しない限り、彼らを勝手に扱うことはできない立場でした。

このように、神様とサタンの間には、真の愛の血統復帰を懸けて見えない条件的闘争が起き、正にアダム家庭からカイン•アベルを中心として歴史を通して実体的に展開されたのです。しかし、聖書を見れば、不幸にも、長子カインが次子アベルに自然屈伏する代わりに、彼を殺害するという結果に終わってしまいました。御自身が天理原則として立てた本然の真の愛の心情を中心として創造された子女たちを、サタンに奪われてしまった神様の心情が、どれほど悲痛で胸痛むものだったかを、皆様は想像することもできないでしょう。子々孫々、永遠に伝授されるべき天の血統が崩れていった瞬間だったのです。

神様は、アダムとエバを御自身の子女として創造され、彼らが完成すれば、真の愛の道理を立てるための祝福結婚をしてあげ、御自身だけが対し愛することができる家庭を待ち望んでいらっしゃったのです。しかし、二代のアダムとエバはもちろん、三代の孫と孫娘を真の愛で抱いてみることができなかったことが、歴史的な神様の恨として残されてきました。アダム家庭が神様を中心として三代圏を完成していたならば、人間の堕落や、数千、数万年間、人類歴史を踏みにじって籠絡してきたサタンの存在さえも現れなかったでしょう。

人類歴史の悲劇の原点 人類は、神様を中心として、三代を形成して暮らす一つの家庭の姿になっていたはずです。しかし、創造原則に基づいて、天が責任分担として下さった条件的で限定的な責任を、結局アダム家庭において、二代から三代にわたって失敗してしまったのです。人類歴史の悲劇の始原が正にここにあったのです。だからといって、神様は、御自身の創造理想を放棄することはできませんでした。原理と原則と法度の主人でいらっしゃる神様は、サタンが奪っていった子女たちを何としてでも再び取り戻してくるために、蕩減復帰摂理歴史を展開してこられたのです。アダム家庭で失ってしまった三代圏をそのまま放棄すれば、御自身の創造摂理を放棄してしまう立場に立つので、神様は、カインがアベルを殺害したのちに百三十年お待ちになり、再びアダムの三番目の息子のセツを中心人物として立てられたのです。

したがって、セツは、長子権を取り戻さなければならなかったアベルの責任はもちろん、その血統までも復帰して立てなければなりませんでした。このように天は、セツの血統の子孫たちをしてふさわしい蕩減条件を立てるようにされながら、サタン分立の復帰摂理を展開してこられました。このように、最初から神様の創造理想を踏みにじり、人類の真の父母であり、真の師であり、真の主人として絶対的権限をもって天宙を統治すべき神様を、歴史の裏道へと追いやってしまったアダム家庭のカイン•アベルを中心とする善悪分立の役事は、摂理的に人類歴史にどのような影響を及ぼし、今日、天一国五年を出発している私たちにはどのような意味をもっているのかを知らなければなりません。

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密使の使命 尊敬する指導者の皆様。今まで皆様は、平凡な生活を生きてこられました。しかし今から皆様は、天の密使の使命を果たさなければなりません。個人個人を見れば、大きい小さい、広い狭い、高い低いの差はあるかもしれませんが、今から皆様は、神様から特別に派遣された天の密使として堂々と天の善の血統を固守し、祖国光復の呼び掛けに、天的権威をもって奮然と立ち上がる愛国者にならなければなりません。

密使は、どのような使命を果たす人ですか。祖国創建への望みが現実の望みよりも千倍、万倍強い心をもち、命を捧げても必ずそのみ旨を成し遂げるという悲壮な覚悟で行かなければ、密使の資格はないのです。食べて、寝て、行って、来るすべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。

聖書にも、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六•三三)とあります。皆様は、「たとえ私の体はサタン世界の圏内に属していたとしても、私は真の血統を受け、祖国光復のために新たに生まれた天の密使だ!」という確信をもっていかなければなりません。

神様は、突然子女を失った父母になり、激しく追われ冷遇される立場で、一度として御自身のみ旨を思う存分繰り広げることができなかった方です。皆様は、このような神様の悲しい心情を推し量ることができる孝子、孝女にならなければなりません。真理を知って、その真理を実践しなければ、どうして指導者と言うことができるでしょうか。

世界の指導者の皆様。皆様は、今日この場になぜ来られたのかをもう一度深く考えてみてください。主催者側の招待を受け、興味半分でクリスマスパーティーでも楽しむためですか。自分の意思であれ、他人の意思であれ、皆様は今、天の召命を受けました。

この場に立ったレバレンド•ムーンが、十六歳の青年の身で突然天命を受け、神様を解放、釈放してさしあげ、人類をサタンの支配下から救い出すために、八十年の生涯を血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様も、今からは超宗教的で超国家的な次元で、人類の和合と平和を安着させる崇高なみ旨、すなわち祖国創建の聖業を完遂させなければなりません。そして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を共通分母として、皆様とレバレンド•ムーンは一つです。したがって、皆様も真の父母となり平和の王にならなければなりません。

今こそ、私たち全員の祖国、さらには天の祖国を建てることができる天運が、私たちと共にあります。その祖国には主権がなければならず、その祖国には国土が必要であり、その祖国には民が満ちあふれていなければなりません。そして、その祖国には、天の善の血統が力強く広がっていなければなりません。ほかのどこにも見いだすことができない摂理史の鼓動が脈打っていなければなりません。

このような祖国を創建するのに、躊躇する皆様になるのですか。必ず生きて天の密使としての使命を完遂してください。永生を約束される先覚者の生を営為してください。

後悔のない生き甲斐ある人生を生きよう 皆様。私は、最近「蒙古斑同族圏世界平和連合」を創設し、全世界に広がっている蒙古斑同族を糾合する運動を出発させました。決して新しい民族主義運動を始めようということではありません。歴史的にアダム家庭での失敗を蕩減復帰した立場であるアダムとノア家庭の長子の血統、すなわちカインとセム族の後裔として、摂理の結実期を迎えて人類の長子たる使命を呼び起こす総体的平和運動です。

そして、堕落によってアダム家庭でアベルを失い、百三十年目にセツを再び探し立てた神様の悲痛な心情を、慰労してさしあげることができる長子圏を立てるための運動です。言い換えれば、一つの兄弟、一つの家族となり、お互いに心の壁を崩し、国家間の国境を除去し、共に暮らそうという共生共栄共義社会の実現運動です。神様の祖国創建を早める摂理的召命です。

このように、途方もない摂理的時を悟らせてくださり、天的王権を立てるための栄光の密使の使命まで賦与してくださった神様と真の父母様に、私たちは感謝と栄光をお返ししなければなりません。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放、釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、感謝と称賛と栄光を永遠に捧げる平和の王戴冠式を奉呈してさしあげなければなりません。

今、あの東方の天に燦々(さんさん)と昇ってくる太陽と共に、天運が全世界を照らしています。数千、数万年の間、覆われていた闇の幕が取り除かれつつあります。皆様の胸の中には、既に天意を完成させようという天命が根を下ろしています。避けられない宿命の道です。勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七•三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる後天時代が私たちと共にあります。

レバレンド•ムーンも皆様も、例外なくいつかは霊界に入っていくでしょう。生命を捧げて祖国光復の聖業を達成し、神様の創造理想である平和王国をこの地球星の上に必ず創建しなければならないという悲壮な覚悟をしなければなりません。

きょう受けた天命を胸の中に深く刻印され、今からは、神様から相続された祖国の主人として、どうか後悔を残さない美しく生き申斐のある生活を送ることを誓ってくださることを望みます。これが今日、私が皆様にお伝えする新しい時代の神様のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の密使的使命の上に永遠に共にあることを願います。ありかとうございました。

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祖国光復の使命 皆様には、祖国光復という言葉が聞き慣れないかもしれません。祖国を失ってみたことがないので、祖国を再び取り戻す必要がないと思われますか。しかし、きょうここで語る「祖国」は、皆様が通常考えているそのような「祖国」ではありません。人間始祖のアダムとエバの堕落によって失ってしまった創造本然の「祖国」、すなわち地上天国を意味するのです。

元来、アダムとエバの堕落がなかったならば、どのような世界になっていたと思いますか。彼らは、神様の祝福結婚を受け、罪のない真の子女を生み、真の父母になっていたでしょう。そして、その家庭は、地上天国を創建する基本核になっていたでしょう。その家庭の子女たちは、神様を中心として三代圏を形成し、この地上に永遠の平和王国を創建する主役になっていたはずです。

さらには、アダムとエバは、三時代圏を代表するアダム氏族、アダム民族、アダム国家の王と王妃になっていたはずです。彼からアダム王国は永遠に存続していたはずであり、その国が正に人類の永遠の祖国、すなわち平和王国になっていたはずです。

しかし、不幸にも人類歴史は、そのように平穏な出発をすることができませんでした。アダムとエバの堕落は、数千、数万年の間、人類を真の父母のいない孤児の身の上に転落させたのであり、祖国を失ってしまったまま、乞食になって流浪する民にしてしまったのです。

神様を縦的な真の父母として侍り、世界万民が一つの家族圏を形成し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たしながら生きていくべきだった人類は、あきれたことに、サタンが植えておいた各種の境界線と国境線の出現によって、ばらばらに分かれてしまいました。

それでは、私たちの真の祖国光復とは何であり、どこから実現されなければならないのでしょうか。祖国光復は祖国創建です。それは、既存の世界から祖国を探し立てるのではありません。堕落と無関係な本然の次元で、国境のない新しい神様の祖国を創建する真の愛の再創造役事です。

したがって、祖国光復は、怨讐までも赦して抱く真の愛の生から始まります。豆を植えれば豆が出て、小豆を植えれば小豆が出ます。復讐するサタンの種を蒔けば、血を見る悪の実が結ばれます。

しかし、怨讐までも赦し抱く真の愛の種を蒔いた所には、善の木が育つのです。これは、少しの誤差もない宇宙の法則です。このように、人類の祖国、すなわち神様の真の祖国は、怨讐を愛する道から訪れてきます。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的次元で怨讐を愛する真の愛、真の生命、真の血統の伝統を立てた道から神様の祖国は訪れてくるのです。

世界の指導者でいらっしゃる皆様の使命は何だと思われますか。サタンの主権が世の中を支配している限り、皆様には国がありません。この地上に約二百の国家がありますが、果たしてどの国が神様のみ旨を成就した、神様と人類の真の祖国になりましたか。人類は、選択の余地なくすべて偽りの血統を受けて生まれたサタンの後裔なのです。

皆様がアメリカの国民であれ日本の国民であれ、あるいはどの国の国民であれ、例外なく皆様の体には、サタンの愛、サタンの生命、サタンの汚れた血がもつれて流れているという事実を知らなければなりません。この汚れた堕落の遺産を皆様の体から除去しない限り、祖国光復の夢は成し遂げることができません。したがって、皆様は、すべて新しい人格革命、すなわち真の愛の革命を完遂しなければならないのです。

真の愛の三大革命 それでは、神様に似るための人格革命を完遂する道はどこから探し出すことができるのでしょうか。人類は、堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔なので、皆様には、真の愛の三大革命を完遂して人格完成を成就しなければならない課題が残っています。それは、蕩減革命、良心革命、心情革命です。

蕩減革命とは、皆様のすべての内的、外的所有権を取り戻し、完全に蕩減されて勝利するばかりでなく、その蕩減圏を超越する基準を立てなさいという意味です。過去、サタン支配圏時代だった先天時代に習得した、個人、家庭、国家時代圏のすべての習慣と思考までも果敢に捨て去る革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいという意味です。

その土台の上に新しい後天時代の生活の座標である絶対価値観的真の愛の理想家庭を実践して完成し、永遠に神様の真の幸福の子女として生きなさいということです。神様の理想家庭での絶対価値観とは、父母、夫婦、子女の三代圏を中心として完成されます。

父母が真の愛の主人の立場に立つことができる道は、子女の出生によって完成されるのであり、夫が真の愛の主人になるのも、結婚して妻を迎えるときに初めて可能になるのです。同じように、兄弟間の関係において、兄を真の愛の主人にしてくれるのは弟なのです。

したがって、主体である人は、自分を真の愛の主人の位置に立たせてくれる相対に対して、ために生き、投入し、その投入したことを忘れ、より大きな目的のために犠牲になる生活をしなければなりません。正にここから永遠不変の絶対的価値観が創出されるのです。このように、家庭の父母、夫婦、子女は、三代圏を形成し、お互いが真の愛の主人を完成させてくれるので、永遠の一体圏を定着させ、神様と共に永遠に共生共存する絶対価値観的生活を営為するようになるのです。

さらに、皆様のすべての財産や外的所有権も、一旦未練なく天のものとして帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別した後に、再び天の祝福によって伝授されなければならない革命的実践過程を通さなければなりません。すなわち、サタンが二度と所有権を主張できない聖別された財産として天の富を積んでいきなさいということです。

良心革命は何を意味するのですか。良心の声に絶対服従しなければならない内的革命です。そして、皆様の中では、いまだに善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑が、絶えず葛藤を続けているという事実を否定することはできないのです。このような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用を明確に知らなければなりません。

そして、良心は、皆様の一挙手一投足を、さらには皆様の考えまでも、一点一画すべて把握しています。皆様の先生より先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。

このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様御自身が呵責を受けるのです。皆様の霊魂にほこりがつき、垢がついて傷が生じるというのです。この傷は、永遠に消すことができずに、そのまま霊界に抱えていかなければならない恐ろしい重荷です。したがって、革命的な次元で御自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて神様のみ前に出ていくその日まで、天意に一体となる生、すなわち汚れなく明るく純粋な霊魂を保つことが至上命令なのです。

皆様、心情革命の意味は何でしょうか。神様は人間を御自身の子女として創造したと既にお話ししました。そうだとすれば、神様と皆様をつないでくれる綱はどのような綱でしょうか。父母と子女間の真の愛であり、真の心情です。父子の間に真の心情が通じなければ、どうして父母と子女が真の愛と真の尊敬の関係を維持できるでしょうか。

数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷となっています。この束縛から抜け出すためには、サタンが最も嫌う、赦して、与えて、犠牲になる真の愛の生活を絶えず継続しなければなりません。そうして、神様の心情的所有権に帰着できなければなりません。

皆様の心情の綱が、いまだにサタン世界の虚栄を追い求める利己的個人主義に結ばれているならば、皆様の将来は暗く、暗澹たる絶望と嘆息の道となるでしょう。しかし、ために生きる生活、すなわち他のために先に譲歩し、与える生産的な生活を送れば、皆様の心情の綱は神様の心情と永遠に一つになるのです。言い換えれば、偽りの父母との心情的因縁を完全に断ち切り、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受けて接ぎ木され、天の真の愛と真の血統を確保しなさいという意味です。

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11.摂理史的終末期と私たちの使命 日付:二〇〇四年十二月十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット・ワードマン•パーク•ホテル

行事:真の父母様世界平和の王戴冠式

世界各国から来られた超宗教•超国家圏を代表する指導者の皆様。きょう、私たちは、まず全員の心を合わせ、万有の真の父母でいらっしゃり、真の愛の主人でいらっしゃる神様に、心からの感謝と栄光をお捧げしましょう。そして、きょうをアメリカの歴史に新しい礎石を置く最も貴い記念日となるようにしましょう。

無節制と放縦に対する警告 半世紀にわたり、人類を焦燥と不安の中に閉じ込め、様々な権謀と術数を動員して天と人間を欺瞞してきた冷戦時代が終わり、今新しい世紀を生きている皆様。果たして、どのくらい安定し幸福な生を営為していらっしゃるでしょうか。

皆様の周囲を一度見渡してみてください。冷戦の桎格から抜け出た世界の若者たちは、自由を満喫するにとどまらず、無節制な放縦の沼に向かって走っています。神様の創造理想を根本から排斥し、極度の利己的個人主義の傘の下で、フリーセックスの奴隷となって各種の社会悪をつくり出しています。

いわゆる、ゲイ•ムーブメントという旗印を掲げ、同性愛者たちは「同性間の結婚」という到底許し難い蛮行を犯しています。彼らの主張が貫徹した世の中を一度想像してみてください。人類は、二代を越えることができずに絶滅するでしょう。

また、天のみ旨から顔をそむけ、淫乱と不道徳の中に墓を掘っている、この時代の邪悪な群れに下された天罰の表象がエイズという難病です。今この時間にも、一日に数千人ずつ、無辜の生命がこの呪いの天疫(天の疫病)に感染し、死亡の道へと落ちていっているではないですか。

「離婚」という疫病、これもまた崇高な家庭の価値を破壊する主犯となり、人類を新しい次元の危機と苦境に陥れています。突然父母と離別し、継父や継母のもとで、甚だしきは孤児院で、幼い心に消すことのできない傷を抱えて生きていく、かわいそうな子女たちに何の罪があるのですか。彼らが奪われた父母の愛は、誰が取り戻してあげることができるのですか。

さらには、宗教間の葛藤によって始まった中東地域の紛争は、各種のテロと殺傷により世界を恐怖のるつぼに追い込んでいます。不幸にも、私の祖国韓半島も、やはりいまだに世界で唯一、国土が両断されたまま、首を長くして統一されるその日を待っているのです。このように、道徳が地に落ち、家庭の価値が完全喪失となった今日の世界を、果たしてどのような方法で救い出すことができるのでしょうか。

真の父母の顕現 指導者の皆様。私は、きょうこの席で、天がこの時代を生きていく人類に下さった、新しい戒律的啓示のみ言を伝えようと思います。「摂理史的終末期と私たちの使命」という題目のみ言です。

人類の最初の先祖であるアダムとエバの堕落は、人類を偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の束縛から抜け出すことができない、呪いと恨の歴史の中に閉じ込めてしまいました。そして、数千、数万年の長い歴史の中で、誰一人として例外なく、サタンの偽りの血統を相続させられ、偽りと罪悪が点綴(てんてつ)する生を営為せざるを得ない人生行路へと転落してしまいました。堕落の後裔である人間の努力だけでは避けることのできない、宿命的路程のようになってしまったのです。

ですから、人類は、誰かがサタンの血統とは無関係の天の血統をもって顕現し、罪悪と偽りの中で苦しむこの堕落世界を救ってくれることを待っています。汚れた醜悪なサタンの血統から解放してくれる真の父母を待ち続けてきたのです。

不幸にも私たち人間は、サタンを父母として生きる野生のオリーブの木の身の上に転落してしまったので、人類の救世主であり、メシヤの使命をもって顕現される真の父母は、数千、数万年放置された野生のオリーブの木を無慈悲に切ってしまい、真のオリーブの木に接ぎ木して人類を真の血統に転換してあげる、超宗教、超国家的次元の革命的な大役事を完成するようになるのです。

だからといって、真の父母は、時と場所を選ばずに、願ったからといってどこにでも顕現するのではありません。長い歳月をかけて展開してこられた天の復帰摂理が、最後の結実を結ぶようになる摂理的終末期になって、初めて顕現されるのです。言い換えれば、天運と共に本然の真の父母時代が到来しなければならないという意味です。

皆様は、天が経綸される摂理の時を知ることができません。天の真の愛と真の生命と真の血統をもって来られた真の父母だけが摂理的な時を知り、そこに合わせて人類救援の摂理を完結されるのです。真の父母だけが全霊界を治められ、四大聖賢たちと善の祖先たちを総動員させ、皆様の永生問題にまで責任をもつことができる権能をもってこられるのです。

指導者の皆様。皆様が知らない間に、人類は、既に天運到来の新しい恩賜圏に進入しています。天の印を受け、人類の真の父母の使命を委任された私は、天と地を懸けて堂々と宣布します。

人類歴史の終末摂理時代を迎え、双合十勝圏の後天開闢時代を広げていく祝福(血統転換)の時代を迎えました。善悪の分別が難しく、悪い者がむしろ豊かに暮らしていくような先天時代の病弊は、これ以上天が看過しないはずです。

したがって、皆様は今、希望をもって天道に従って生きなければなりません。絶対、唯一、不変、永遠を属性としてもっていらっしゃる神様に似て、真の愛を実践する生活を通して人格革命を完遂しなければなりません。

この道こそが、私たちが共にこの地上で願い、さらには天が何よりも念願し望んでこられた地上天国、すなわち平和王国をこの地球星の上に創建できる道なのです。

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8.神様の祖国と平和王国 日付:二〇〇四年一月二十七日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:真の父母様御聖誕祝賀記念式

尊敬する前•現職の国家元首、世界各国から来られた指導者の皆様。そして、国内外の貴賓の皆様。私の八十四回目の誕生日と韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために来臨くださったことを心から感謝申し上げます。何よりもまず、きょうまで私たち夫婦を守り、共にいてくださった天のお父様に、このすべての栄光をお捧げいたします。

人類始祖の堕落によって失ってしまった神様の祖国 私たち夫婦は、かつて神様からの召命を受け、生涯を神様のみ旨を成就してさしあげることに捧げてきましたので、神様を抜きにしては私たちの誕生日の祝いも受けることができません。したがって私はきょう、「神様の祖国と平和王国」という題目のみ言を私の挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。

皆様、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのような世界になっていたと思いますか。アダムは、その家庭の長になっていたはずであり、その民族の族長になっていたはずであり、その国家の王になっていたはずです。その世界は、アダム主義で始まり、アダムの伝統、アダムの文化、アダムの生活様式だけが存在するアダム世界になっていたはずです。その世界は、正にアダムの祖国であり、神様の祖国になっていたはずです。

しかし、人類歴史は、不幸にも堕落した先祖から始まりました。神様とは無関係なサタン主管の世界に転落してしまったのです。神様を父母として侍り、永遠無窮の平和王国を築いて生きていくべきだった人類が、悪の本体であるサタンの奴隷となり、罪悪と苦痛の世界で、神様の胸の中に恨を植えて生きてきたのです。

皆様お一人お一人の生活について一度考えてみてください。創造主の意向とは反対に、私たちの心と体は、絶えず葛藤と闘争を繰り返しています。歴史上、心と体の完全統一を達成した人がいたでしょうか。また、皆様は、六十億を超える今日の世界において、果たして体を心に一〇〇パーセント屈服させ、心の道のみに従って生きている人がいると思われますか。

そして、今日の社会と国家はどうでしょうか。個人の心と体の間に根を下ろした葛藤と利己心の壁は、社会と国家の間にも難攻不落の要塞のように強固に立っています。お互いに兄弟姉妹となって暮らさなければならない人種間の紛争は、今も世界平和を脅かす深刻な問題として残っています。

人間の霊性を回復させて重生救済のみ旨を達成し、人類を神様に復帰させなければならない宗教までも、その本分を忘れたまま、偏見と葛藤の沼から抜け出すことができず、今では、その度を超して殺戮と戦争の要因になっているという現実を、私たちは目撃しています。

人間の本心が指向するところは平和世界 人間の本心が指向するところはどこでしょうか。数えきれないほど多様化した様々な壁と国境の中に閉じ込められ、思いどおりに息もできずに暮らすのが私たちの望みでしょうか。違います。私たちが願うその世界は、東西南北、四方のどこを見渡しても境界線がなく、垣根のない自由の世界であり、平和の世界です。

私たちは、このような本然の祖国を願っています。神様が数千年間お待ちになった祖国であり、人類が歴史を通して願ってきた祖国です。祖国と言えば、もちろんある特定の国家的な基準を前提に語ることもできますが、その本然の祖国は、私たちが簡単に考えるそのような国ではありません。

一つの国を建てるためには、主権と国民と国土が必要です。人類歴史を調べてみれば、数多くの国が興亡盛衰を繰り返し、数多くの主権が交代しながら、多くの命を犠牲にしてきたという事実を発見するようになります。その多くの殉教者たちは、ある一時に現れる本然の祖国を希望として死んでいったのです。

そうかといって、アメリカや韓国のようなある特定の国家だけが、彼らの願う祖国になることはできません。そこは、共産主義も民主主義もない所でなければなりません。

その祖国には、どのような宗教も必要なくなるでしょう。皮膚の色の違いで人間の価値を判断しようとする愚かな過ちを犯す世界ではありません。私たちの心と体を分けて苦痛の中に押し込んだ人間一人一人の壁はもちろん、いかなる形態の境界線も、いかなる規模の国境も承諾されない所でなければなりません。

皆様。私たちがきょうも身を置いているこの地球星全体が、正に人類が何よりも願ってきた祖国であり、神様が数千、数万年の間、願ってこられた祖国だというのです。

今人類には、天が願う基準の世界国家を建て、今まで天のみ前に怨讐の行為ばかりを繰り返してきたサタンを審判し、悪を除去して善のみを中心とする平和の天国をこの地上に成し遂げておく責任があるのです。

これが正に神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において殉教の道を歩んでまで貢献してきた先祖の願いだったことを、私たちは忘れてはいけません。

理想世界は真の血統の伝授と真の愛の実践で しかし、そのような理想の世界は、自動的に訪れるのではありません。願ったからといって、誰もが自力で成就できるものではないのです。堕落の後裔である私たちは、祝福結婚を通して新しい血統を伝授され、真の愛の道を実践躬行しなければ不可能なことです。真の愛の生活とはどのようなものでしょうか。

それを一言で言うならば、「ために生きる人生」です。人が自分のために生きてくれることを願う前に、先に人のために生きる人生です。ために生きてあげたことを忘れてしまう人生です。

ために生きてあげたからといって、何かを期待する人生ではありません。そして、ために生きてあげても、もっとために生きてあげることができずにもどかしく思う人生です。ために生きるにおいても、謙遜に頭を下げてために生きる人生です。

それで、イエス様も、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)と言い、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)と言われたのです。全知全能であられる創造主の神様だとしても、御自身が立てられた創造原理を無視して、願うとおりに無条件に創造と破壊を繰り返すことはできないのです。

レバレンド•ムーンが、過去数十年間、祝福結婚の摂理を継続してきた理由が、正にここにあるのです。堕落した先祖から偽りの生命、偽りの愛、そして偽りの血統を相続した人間は、選択の余地もなく偽りの人生を生きてきたのです。

したがって、天から真の父母の使命を受けて出発した私たち夫婦は、生涯を捧げて、祝福結婚を通して偽りの父母の元凶であるサタンを除去し、真の父母として真の生命、真の愛、真の血統を人類に伝授してあげるために、天命を実践するという一筋の道を歩んできました。そして、私たち夫婦は、偽りの父母が植えつけものが偽りの血統だったために神様もどうすることもできないということを知ったのです。

私たち夫婦は、すべての蕩減条件を立てて勝利した実体の真の父母の資格で、野生のオリーブの木になってしまった人類の血統を断ち切り、真のオリーブの木を接ぎ木して、真の血統を繁殖させてきたのです。野生のオリーブの木は、千年たっても野生のオリーブの木です。このように接ぎ木を通してのみ、血統転換が可能なのです。

皆様。今、明るい天の時代が到来しました。希望をもってレバレンド•ムーンのメッセージを受けてください。一九六〇年度にたった三双から始まった祝福結婚の歴史が、今では四億双に至っています。

さらには、霊界には千二百億双を超える祝福家庭が暮らしています。真のオリーブの木の畑が野生のオリーブの木の畑を圧倒しています。この真のオリーブの木であるすべての祝福家庭たちが、真の血統によって一致団結して実践する「ために生きる人生」が、今全世界に燎原の火のように広がっています。この地上に、垣根や国境のない自由と平等の国、喜びと幸福の国、神様の祖国、平和王国がこのように成し遂げられるのです。

平和国連の旗印のもとで平和王国の創建 この目的のために、レバレンド•ムーンは、二〇〇三年十月三日、アメリカのニューヨークで「平和国連」を創設したのです。今この「平和国連」は、天地を揺るがす革命的な摂理的働きをしています。

六十億の人類を一人も残さずに教育して祝福結婚を受けるように導き、地球星の至る所が私たちの家であり、私の家となる創造本然の神様の祖国、すなわち私たちの祖国を創建しているのです。

私たちの目標は、既に設定されました。平和国連の旗幟(きし)は、既に高々とはためいています。勝利の喊声が世界各地で上がっています。

アメリカで、ヨーロッパで、エルサレムで、パレスチナで、韓国で勝利を重ねています。神様が私たちと共にいらっしゃり、霊界の聖賢たちをはじめとする大勢の義人、烈士たちが私たちと共に走っているのですから、不可能なことがどこにあるでしょうか。

信じる人に福があると言います。きょう、この意義深い日にこの場を借りて皆様にお伝えするこのメッセージを、胸の奥深くに刻んでくださることを願います。すべての方が、ぜひ祝福結婚の恩賜に同参(一緒に参加すること)され、血統転換の大革命を成し遂げてください。そして、皆様も、この地球星に神様の祖国を創建し、永遠無窮に平和王国を繁栄させる摂理の一線に立った堂々たる天の勇士となることを願ってやみません。ありがとうございました。

*8.神様の祖国と平和王国 日付:二〇〇四年一月二十七日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:真の父母様御聖誕祝賀記念式

尊敬する前•現職の国家元首、世界各国から来られた指導者の皆様。そして、国内外の貴賓の皆様。私の八十四回目の誕生日と韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために来臨くださったことを心から感謝申し上げます。何よりもまず、きょうまで私たち夫婦を守り、共にいてくださった天のお父様に、このすべての栄光をお捧げいたします。

人類始祖の堕落によって失ってしまった神様の祖国 私たち夫婦は、かつて神様からの召命を受け、生涯を神様のみ旨を成就してさしあげることに捧げてきましたので、神様を抜きにしては私たちの誕生日の祝いも受けることができません。したがって私はきょう、「神様の祖国と平和王国」という題目のみ言を私の挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。

皆様、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのような世界になっていたと思いますか。アダムは、その家庭の長になっていたはずであり、その民族の族長になっていたはずであり、その国家の王になっていたはずです。その世界は、アダム主義で始まり、アダムの伝統、アダムの文化、アダムの生活様式だけが存在するアダム世界になっていたはずです。その世界は、正にアダムの祖国であり、神様の祖国になっていたはずです。

しかし、人類歴史は、不幸にも堕落した先祖から始まりました。神様とは無関係なサタン主管の世界に転落してしまったのです。神様を父母として侍り、永遠無窮の平和王国を築いて生きていくべきだった人類が、悪の本体であるサタンの奴隷となり、罪悪と苦痛の世界で、神様の胸の中に恨を植えて生きてきたのです。

皆様お一人お一人の生活について一度考えてみてください。創造主の意向とは反対に、私たちの心と体は、絶えず葛藤と闘争を繰り返しています。歴史上、心と体の完全統一を達成した人がいたでしょうか。また、皆様は、六十億を超える今日の世界において、果たして体を心に一〇〇パーセント屈服させ、心の道のみに従って生きている人がいると思われますか。

そして、今日の社会と国家はどうでしょうか。個人の心と体の間に根を下ろした葛藤と利己心の壁は、社会と国家の間にも難攻不落の要塞のように強固に立っています。お互いに兄弟姉妹となって暮らさなければならない人種間の紛争は、今も世界平和を脅かす深刻な問題として残っています。

人間の霊性を回復させて重生救済のみ旨を達成し、人類を神様に復帰させなければならない宗教までも、その本分を忘れたまま、偏見と葛藤の沼から抜け出すことができず、今では、その度を超して殺戮と戦争の要因になっているという現実を、私たちは目撃しています。

人間の本心が指向するところは平和世界 人間の本心が指向するところはどこでしょうか。数えきれないほど多様化した様々な壁と国境の中に閉じ込められ、思いどおりに息もできずに暮らすのが私たちの望みでしょうか。違います。私たちが願うその世界は、東西南北、四方のどこを見渡しても境界線がなく、垣根のない自由の世界であり、平和の世界です。

私たちは、このような本然の祖国を願っています。神様が数千年間お待ちになった祖国であり、人類が歴史を通して願ってきた祖国です。祖国と言えば、もちろんある特定の国家的な基準を前提に語ることもできますが、その本然の祖国は、私たちが簡単に考えるそのような国ではありません。

一つの国を建てるためには、主権と国民と国土が必要です。人類歴史を調べてみれば、数多くの国が興亡盛衰を繰り返し、数多くの主権が交代しながら、多くの命を犠牲にしてきたという事実を発見するようになります。その多くの殉教者たちは、ある一時に現れる本然の祖国を希望として死んでいったのです。

そうかといって、アメリカや韓国のようなある特定の国家だけが、彼らの願う祖国になることはできません。そこは、共産主義も民主主義もない所でなければなりません。

その祖国には、どのような宗教も必要なくなるでしょう。皮膚の色の違いで人間の価値を判断しようとする愚かな過ちを犯す世界ではありません。私たちの心と体を分けて苦痛の中に押し込んだ人間一人一人の壁はもちろん、いかなる形態の境界線も、いかなる規模の国境も承諾されない所でなければなりません。

皆様。私たちがきょうも身を置いているこの地球星全体が、正に人類が何よりも願ってきた祖国であり、神様が数千、数万年の間、願ってこられた祖国だというのです。

今人類には、天が願う基準の世界国家を建て、今まで天のみ前に怨讐の行為ばかりを繰り返してきたサタンを審判し、悪を除去して善のみを中心とする平和の天国をこの地上に成し遂げておく責任があるのです。

これが正に神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において殉教の道を歩んでまで貢献してきた先祖の願いだったことを、私たちは忘れてはいけません。

理想世界は真の血統の伝授と真の愛の実践で しかし、そのような理想の世界は、自動的に訪れるのではありません。願ったからといって、誰もが自力で成就できるものではないのです。堕落の後裔である私たちは、祝福結婚を通して新しい血統を伝授され、真の愛の道を実践躬行しなければ不可能なことです。真の愛の生活とはどのようなものでしょうか。

それを一言で言うならば、「ために生きる人生」です。人が自分のために生きてくれることを願う前に、先に人のために生きる人生です。ために生きてあげたことを忘れてしまう人生です。

ために生きてあげたからといって、何かを期待する人生ではありません。そして、ために生きてあげても、もっとために生きてあげることができずにもどかしく思う人生です。ために生きるにおいても、謙遜に頭を下げてために生きる人生です。

それで、イエス様も、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)と言い、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)と言われたのです。全知全能であられる創造主の神様だとしても、御自身が立てられた創造原理を無視して、願うとおりに無条件に創造と破壊を繰り返すことはできないのです。

レバレンド•ムーンが、過去数十年間、祝福結婚の摂理を継続してきた理由が、正にここにあるのです。堕落した先祖から偽りの生命、偽りの愛、そして偽りの血統を相続した人間は、選択の余地もなく偽りの人生を生きてきたのです。

したがって、天から真の父母の使命を受けて出発した私たち夫婦は、生涯を捧げて、祝福結婚を通して偽りの父母の元凶であるサタンを除去し、真の父母として真の生命、真の愛、真の血統を人類に伝授してあげるために、天命を実践するという一筋の道を歩んできました。そして、私たち夫婦は、偽りの父母が植えつけものが偽りの血統だったために神様もどうすることもできないということを知ったのです。

私たち夫婦は、すべての蕩減条件を立てて勝利した実体の真の父母の資格で、野生のオリーブの木になってしまった人類の血統を断ち切り、真のオリーブの木を接ぎ木して、真の血統を繁殖させてきたのです。野生のオリーブの木は、千年たっても野生のオリーブの木です。このように接ぎ木を通してのみ、血統転換が可能なのです。

皆様。今、明るい天の時代が到来しました。希望をもってレバレンド•ムーンのメッセージを受けてください。一九六〇年度にたった三双から始まった祝福結婚の歴史が、今では四億双に至っています。

さらには、霊界には千二百億双を超える祝福家庭が暮らしています。真のオリーブの木の畑が野生のオリーブの木の畑を圧倒しています。この真のオリーブの木であるすべての祝福家庭たちが、真の血統によって一致団結して実践する「ために生きる人生」が、今全世界に燎原の火のように広がっています。この地上に、垣根や国境のない自由と平等の国、喜びと幸福の国、神様の祖国、平和王国がこのように成し遂げられるのです。

平和国連の旗印のもとで平和王国の創建 この目的のために、レバレンド•ムーンは、二〇〇三年十月三日、アメリカのニューヨークで「平和国連」を創設したのです。今この「平和国連」は、天地を揺るがす革命的な摂理的働きをしています。

六十億の人類を一人も残さずに教育して祝福結婚を受けるように導き、地球星の至る所が私たちの家であり、私の家となる創造本然の神様の祖国、すなわち私たちの祖国を創建しているのです。

私たちの目標は、既に設定されました。平和国連の旗幟(きし)は、既に高々とはためいています。勝利の喊声が世界各地で上がっています。

アメリカで、ヨーロッパで、エルサレムで、パレスチナで、韓国で勝利を重ねています。神様が私たちと共にいらっしゃり、霊界の聖賢たちをはじめとする大勢の義人、烈士たちが私たちと共に走っているのですから、不可能なことがどこにあるでしょうか。

信じる人に福があると言います。きょう、この意義深い日にこの場を借りて皆様にお伝えするこのメッセージを、胸の奥深くに刻んでくださることを願います。すべての方が、ぜひ祝福結婚の恩賜に同参(一緒に参加すること)され、血統転換の大革命を成し遂げてください。そして、皆様も、この地球星に神様の祖国を創建し、永遠無窮に平和王国を繁栄させる摂理の一線に立った堂々たる天の勇士となることを願ってやみません。ありがとうございました。*

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全人類を教育してきた犠牲的路程 皆様。このような天のお父様の前で、一日でも真の同情と懺悔の涙を流してみたことがありますか。悪魔の血統を受けてサタンの走狗になっている人類を前にして、舌をかんで耐えてくださり、解放と釈放の一日だけを待ち望んでいらっしゃる神様のみ前で、見えないふりをして目を閉じることができますか。

したがってレバレンド•ムーンの生涯は、歴史上誰よりも深刻な命の歴史でした。サタンを罪ある者として審判できる審判主としての個人完成の道を歩まなければならなかったのであり、愛する子女を四人も幼い年齢で霊界に送らなければならず、残った子女さえも荒野に放り投げたまま歩まなければならない、宿命的蕩減復帰の路程でした。

私は、神様を解放、釈放させてさしあげ、その土台の上に人類を解放、釈放させてあげるための救世主であり、真の父母の天命を受けて皆様の前に立ったのです。お金、権勢、名誉や富貴を必要としてきた人ではありません。

雪の降る極寒期に、雪と雨に打たれて三度の食事に飢えながらも、八十年以上の生涯を、朝夕、昼夜を忘れてひたすら一本道、天の道を走ってきた男の生涯でした。肉が裂け、血を吐く拷問室でも、「救ってください」という祈祷をしたのではなく、むしろ、子女の悲惨さを見て嗚咽される神様の心情を、慰労してさしあげるために血の涙を流し、孝子、忠臣、聖人、聖子の道を歩んできた私の人生でした。

父母と故郷山河を捨てたまま、「ために生きる真の愛」で人類救援をすることで貫いた生涯であり、天命に従って命を懸けて天の道を歩まなければならなかった男としての一本道であり、決して妥協を知らず、少しも卑怯なことをせずに生きてきた私の生涯は、この世的な目で見れば、限りなく哀れでもの悲しい一生に見えるかもしれません。

しかし、世の中のいかなる拷問も刑罰も、私に天の道を挫折させることはできませんでした。今まで六回にわたる監獄生活も、子女を探し求める真の父母の道を妨げることはできませんでした。

冷たい監房に座って、軒先から落ちる雨の滴を眺めながら、「あの水滴が、いつしか岩に穴を開けるように、私の目から落ちるこの熱い涙が、必ず恨で凍りついた神様の心を溶かして解放、釈放するその日が来る!」と決意して誓って生きた男の生涯でした。怨讐を実子以上に愛する生涯で六十億の人類を教え導いてきた犠牲的路程でした。

そのような次元で、私は、一九七〇年代初めにいち早くアメリカに入っていき、「私は火を消す消防士として、そして病気を治す医者としてここに来たのである!」と宣言しました。それから三十年以上の月日が流れた今日、人類は、今新しい時代を迎えているという事実を知らなければなりません。ついに天運が地球星に臨んでいます。

人類救援のために八十年以上の間、私が流した血と汗と涙の蕩減復帰路程が、今その結実を結び始めたのです。

神様が直接主管される真の愛の炎 二十一世紀の冒頭である二〇〇一年には、「神様王権即位式」を奉呈することによって、ついに神様の解放と釈放の日を迎えるようにしてさしあげたのです。神様の直接主管の時代が開かれ始めたのです。その基台の上に、今年(二〇〇四年)の三月二十三日には、アメリカの首都ワシントンDCの国会上院ビルにおいて、「世界平和王戴冠式」が挙行されました。ユダヤ教、キリスト教、イスラームの世界的な指導者たちとアメリカの国会議員が集まり、満場一致でレバレンド•ムーンを「世界平和王」に推戴する登極式を行ったのです。これをどうして人間業と言うことができるでしょうか。

あの有名なフランスの予言者ノストラダムスが予言し、東洋一の予言書「格菴遺録(キョガムイロク)」にはっきりと記録されているように、レバレンド•ムーンは、天命を受け、宿命的責任を完遂した人類の真の父母であり、平和の王として顕現したのです。そのため、世界随所から、レバレンド•ムーンに従ってこの地上に平和王国を創建する隊列に参加しようとする各界各層の指導者が、波のように押し寄せています。

そして、世界で唯一、民主と共産の対決によって罪のない民族と国土が分断された韓半島はもちろんのこと、今日世界平和を脅かす最も深刻な流血の紛争地になってしまった中東地域でも、今はレバレンド•ムーンの助けがなければ平和は期待できないと告白してきているのです。

全地球星を覆っている真の愛運動 今年、二〇〇四年の四月十日を期して、私は、「天使世界の釈放」、「カイン•アベルの釈放」、さらには「天宙天地天地人父母釈放の日」を宣布しました。そしてきょう、五月一日を期して、「神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」を宣布することによって、神様が全体、全般、全権、全能の権限を実体的に行使できる様々な段階の霊的条件を立てました。

神様の解放、釈放とともに、今はこの地上に、名実共に自由と平和と統一と幸福の世界が広がっています。このような意味で、私が設立した「世界基督教統一神霊協会」の創立五十周年を迎えたきょうは特別な日です。

この席に参加した皆様全員には、天運が共にあります。短い時間ですが、きょうレバレンド•ムーンが教えたとおり、第一に、神様の実在を皮膚で感じて生きること、第二に、霊界の実相をはっきりと知り、地上界での生涯を永遠の霊界での生涯のために徹底的に準備して生きること、第三に、良心を師と思い、神様のように、父母のように侍って暮らせば、皆様は既に天国人になっているということです。

真の愛の炎は、今二十一世紀の春風に乗って地球星全体に燎原の火のように広まっています。怨讐の国の人たちとの交叉祝福結婚が、若者たちの間に新しい信仰として定着していっています。水、空気、光は、隙間さえあれば無条件に入り込んでいくように、今真の愛運動は、全地球星を覆っています。神様の愛、神様の生命、神様の血統を伝授され、この地上に平和の王国を定着させる若い知性ある人たちが眠りから覚めています。

高名でいらっしゃる世界指導者の皆様。皆様も「神の国と神の義」を探し立てなければならない天一国主人の隊列に加わり、与えれば与えるほど大きくなる真理を自ら実践する、真の愛の革命軍となることをお願いします。ありがとうございました。

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神様との一心、一体、一念の境地 貴賓の皆様。このように、神様を明確に知り、生活の中で侍って暮らし、霊界の実在はもちろん、実相までも信じて知れば、私たちの生涯は、高速道路を走る自動車のように簡単で、何の心配もなくなるはずです。運転手が高速道路の法規を守ってハンドルを握り、居眠りさえしなければ、無事に目的地に到達できるように、私たちは、天が下さった良心の指向に従って、一生懸命に生きさえすればよいのです。

ここで私たちの心と体も一つになるのであり、ここで人間完成の花が咲いて実が実るのです。深い山中に入っていったからといって個性完成ができるのではなく、図書館に整然と並んでいる聖書や哲学書を習得したからといって心と体の統一が成就できるのではありません。

神様は、知恵の大王でいらっしゃいます。人間が完成に達する道を遠い所には置きませんでした。私たちと最も近い所、最も秘密で安全な所、正に皆様の良心の中にその道を準備しておいてくださったのです。

皆様。良心は皆様の主人です。皆様の師です。皆様の父母の代わりです。良心は、皆様のすべてのことに対して誰よりも先に知っています。皆様の考えまでも、隅から隅まで知っているのが皆様の良心です。師より、父母より、神様よりも先に知っています。このような良心が、皆様のために一生の間どれほど多くの忠告をしてくれるでしょうか。

昼も夜も、悪いことを考えただけで、「こいつ!」と叱りながら、疲れもせずに皆様を引っ張っていき、川を越え、峠を越えようとどれほど苦労したでしょうか。良心は、いつも真の主人の姿で皆様を保護して助けようとしたのに、いつも裏切った皆様だったのではないでしょうか。天から譲り受けた一つしかない貴い師であるにもかかわらず、この師を徹底して冷遇した皆様の体をどうするつもりですか。

皆様の本然的愛を引き継がせてくれた父母の代わりに送ってくれた良心を、無慈悲に蹂躙した肉身ばかりにしがみつき、その肉身の欲望に捕らわれて無為に歳月を過ごして一生の幕を降ろしますか。それでレバレンド•ムーンも、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成!」という標語を立てて修養の道を開拓したのです。そして、心と体の葛藤を解決できる唯一の道は、「真の愛の道」であることを探し出しました。

心が体のために犠牲を繰り返しながら神様の代わりの立場に立ち、「ために生きる真の愛」を実践するときに、初めて心と体の統一が成就されるのです。

このように、良心が指向する道に従えば、宇宙が皆様の心の中に抱かれてきます。その場では心と対話するようになります。何かをしようと思っただけで、すぐに良心がその答えを見せます。神様が皆様の心の中に臨在された証を見るようになるのです。

このような位置に進んでいった人は、神様と一心、一体、一念の境地に入っていき、一元、一和の世界を成就して生きるようになるのです。その世界が、正に神様が太初にアダムとエバを創造して願われた理想世界であり、地上天国です。

神様と人類の解放、釈放のための一生涯 尊敬する貴賓の皆様。私がこのような途方もない天の秘密を探し出し、人類救済の道を歩み始めて以来、既に八十有余年です。歴史上、空前絶後の苦難と逆境をかき分けてきたかわいそうな男の姿でした。遍在される神様の実在性を証明し、教えてきた道でした。

青盲の人になって一寸先も見ることができなくなった人類の歴史は、哲学者や神学者でさえも、天の真理に対して明確にすることができないまま、神様の胸に恨を植えつけてきたのです。

神様に、ために生きる心、かわいそうに思う心、すなわち真の愛がなければ、復帰摂理歴史は当初から出発することもできなかったはずです。私は、このような神様の内情的心情の世界を知ってから、どれほど多くの日を涙と痛哭で夜を明かしたか分かりません。

御自身の子女として創造し、永遠の真の愛の対象の位置に立てようとした人間の先祖が堕落の道に落ちたのち、数千、数万年の蕩減復帰路程を摂理してこられた神様の恨に満ちた姿を、誰が想像できたでしょうか。哀れで無念な神様であり、爆発するような憤りと恨に満ちていたのが神様の路程でした。

栄光のお父様であり、大王として来られた神様が、その王座と父母の位置を怨讐サタンに奪われました。厳然と生きて役事していらっしゃるのに、「死んだ」と嘲弄され冷遇されても、忍苦の道を歩んでくださり、人間が自ら悟るその日だけを待ち望まれた神様であられます。

ために生きる真の愛を土台として、永遠を前提として創造の摂理をされた神様であられるので、子女が堕落の奈落に落ちるのを目撃しながらも、宇宙を爆発させて最初からやり直すことはできない神様であられたことを、皆様は知らなければなりません。

全知全能の権限で全世界とサタンまでも一度に審判し、粉砕してしまうことができる神様であられ、そのような能力をもっておられる方であられるのに、今まで神様は、孤独単身であらゆる侮辱と讒訴を甘受されながら、自ら進んで監獄生活をしてこられた私たちのお父様でいらっしゃいます。

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神様が願われた世界 皆様。人間の生涯について一度考えてみてください。私たちは全員、母親の腹中で最初の生を送ります。腹中を胎児の状態で過ごす十ヵ月間は、羊水に囲まれたままで過ごす水中生活です。話すことができず、思いどおりに動くことができないからといって、腹中の生活を「生活ではない」と言うことができますか。厳然と天が下さった生命をもって、次の地上界の生活を準備する段階としての生を営むのです。

鼻で息をしないからといって生命力がないのではありません。腹中の胎児としての人間は、次の段階の生活である地上界での生活は想像もできないはずです。母親の腹中を抜け出した世界は、夢にも見ることができないでしょう。へその緒を通して母体からすべての栄養素を供給されて暮らす生活以外には、何も想像できないはずです。

しかし、人間は、時になれば誰でも母親の腹中での生活を清算して、地上界での生活を始めるようになっているのです。自分が願おうと願うまいと宇宙の法則がそのように運行しています。想像もできず、夢にも見ることができなかった広大無辺の新しい世界が広がり、水中生活の一生涯が終わって地上生活の一生涯が展開するのです。腹中生活の十ヵ月が地上生活の百年に変化して発展するのです。そして人間は、色とりどりの変化無双な生涯を生きていきながら、最終段階である霊界、すなわち死後の世界のために準備する生活を送るようになります。腹中生活の期間中では、地上界の生涯は想像もできなかったように、肉身をもって暮らす人間としては想像もできない永遠無窮な別の世界が私たちを待っています。

霊界生活をあらかじめ準備しなければならない 限定された地上界においての百年の生涯が、時間と空間を超越した永遠の世界へと変貌するのです。腹中ではへその緒を通して母体から栄養を供給されて生き、地上生活の期間は、宇宙の水と空気、そして光の三大基本要素と栄養素を中心として生を営むのですが、一旦霊界に入っていけば、物質的栄養素はそれ以上必要とせずに愛を呼吸しながら永生します。

このように人間は、誰彼を問わず、水中生活十ヵ月、地上生活百年、そして霊界においての永生、このように三段階の生涯を生きるようになっているのです。これは、私たちが選択したことではなく、天が私たちに下さった祝福であり恩賜です。これより大きな祝福と恩賜がどこにあるでしょうか。

したがって、霊界をよく知らなければならないというのは、霊界の実在だけを漠然と信じて生きなさいという意味ではなく、好きでも嫌いでも、永遠に生きなければならない霊界での生涯のために、私たちが地上界でどのような準備をしなければならないかを知って、徹底的に準備をしなさいということです。

腹中で問題が起きた子女は、生まれても、生涯を不自由な身で生きなければならないように、私たちが短い地上界での生涯の中で、天のみ旨を正しく知らずに罪を犯し、悪を行えば、結局因果応報の宇宙法則により、霊界に行ってその代価を払うようになるのです。言い換えれば、霊界に入っていった霊人体が、言い表せない苦痛と蕩減を払わなければならないという意味です。

一度肉身を脱げばもう遅いのです。肉身は、死ねば一握りの土に戻ってしまいますが、私たちの生命、私たちの心、私たちの心情、そして私たちの希望までも埋められてしまうのでしょうか。絶対にそうではありません。私たちの百年の一生は、神様が設置しておいた「霊人体」というスーパーコンピューターに、間違いなく記録され、撮影されて、自動的に評価されるのです。

それで、誰でも地上界で生を営む間、立ち止まって揺れ動く心と傾く心情を鼓舞し、「あなたはどこに向かうのか」と数えきれないほど自問自答してみるのです。このような諸問題を解決するために、生涯を苦悩して闘っていかれた方たちが、聖人や賢人であり、宗教指導者です。

しかし、その誰一人として明快な解答を提示できずに旅立ちました。彼らの教えが足跡として残り、宗教も生じ、経典も出版され、多くの衆生(しゅじょう)たちの道案内になっているのも事実ですが、いまだに人類は一つの心も治めることができずに苦しんでいるというのもまた事実です。

真の愛の真理を明らかにしたレバレンド・ムーン 私は、これまで世界を巡回しながら、数百回以上公開講演を通して天の真理を宣布し、教育してきました。世界のどこに行っても、どのような聴衆の前に立っても、私が必ず彼らに問い掛ける質問があります。それは、「皆様の中で、心と体が闘わない人がいれば、手を挙げてみてください!」という挑戦状のような質問です。しかし、どこの誰も手を挙げる人はいませんでした。

これは何を意味するのでしょうか。いまだに人類は、私たちの先祖であるアダムとエバから伝授された堕落性の奴隷になっており、その束縛から抜け出すことができずにいるという意味です。生涯を断食と禁欲、そして途方もない犠牲の苦難の道を貫いて旅立った聖人、賢人たちの告白がそれを証しています。肉身の欲望を完全に根絶できずに旅立たざるを得なかった彼らの告白は、いまだに地上界で同じ道を踏襲している弟子たちと信徒たちに向かって哀切に訴えているのです。

聖人、賢人の隊列に入る自分たちが、ついぞ悟ることができなかった真の愛の真理を、レバレンド•ムーンが初めて天からもって降りてきたので、その方の教えを絶対的に信じて実践しなければならないと、異口同音に叫び宣布しています。

地上界でレバレンド•ムーンに会い、その方を救世主として、メシヤとして、再臨主として、真の父母様として侍って生きることができなかったことを嘆くメッセージが、数限りなく殺到しています。彼らの霊界決議文が世界の随所に響き渡っています。

今から遠からず、すべての宗教人は、彼らの宗主から直接啓示と導きを受けて、レバレンド•ムーンを真の父母として侍って暮らすための民族大移動が行われるはずです。レバレンド•ムーンから心と体を統一する真の愛の真理を学び、愛する父母と子女たちと共に、永遠の幸福を謳歌できる霊界においての生涯を準備するために、真の家庭の道を学ぼうと雲霞のように押し寄せてくるはずです。

神様はいないと主張して、物本主義の祭物として消えていった世界的共産主義者たち、言論人として一つの世代を思いどおりに動かした世界的な知識人たち、そして絶対者の剣を振り回して数え切れないほど無数の生命を犠牲にさせた独裁者や帝王たちまでも、霊界のメッセージと決議文を通して、今レバレンド•ムーンに懺悔の涙で赦しを求めています。

皆様の中で、いまだに霊界の実相をはっきりと信じることができない方たちは、このようにはっきりと伝えてくれる霊界のメッセージまでも半信半疑かもしれません。そのような人たちには、「信じられなければ、今すぐにでも死んでみなさい!」と忠告します。

地を打って痛哭しても二度と戻ってくることができない道であり、百年、千年身もだえしても、地上界で犯した罪は一人ではどうすることもできないので、皆様の先祖も、機会さえあれば、皆様の生涯を協助して自分たちの罪を蕩減しようと涙で皆様の生涯を見守っています。数千、数万の先祖の瞳が、皆様の一挙手一投足を、時には悲しんで泣きながら、時には喜んで注視しているという事実を、このようにはっきりと教えてあげているのに、霊界の実相を信じることができない人がどこにいるというのですか。

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10.神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で 日付:二〇〇四年五月一日

場所:韓国、忠清南道、牙山、鮮文大学校

行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年記念式

尊敬する前•現職の首班、世界各国から来られた貴賓と大韓民国の内外の指導者の皆様。きょう、公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、この式典に御出席され、このように満場の盛況を呈してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。

神様は私たちの父母 私が一九五四年五月一日、ソウル市北鶴洞(プッカクトン)のみすぼらしい「三つの門の家」で、幾人にもならない弟子たちと共に、「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げて天のみ前に深刻な祈りを捧げたことが、きのうのことのようです。

しかし、今日、世界百九十一ヵ国に宣教部を置き、日進月歩の飛躍的な発展を繰り返す「世界平和統一家庭連合」に成長したという事実を前にして、これを「天の奇跡ではない」と言う人がどこにいるでしょうか。

私がかつて、十六歳(数え)の胸を躍らす青年期に天の召命を受け、悲壮な覚悟で出発したのが、この天の道でした。この道は、実に言い表せない苦痛と受難の道でもありました。

蕩減の峠を越えるたびに、血と汗と涙を流す犠牲の道でした。立てた息子の悲惨な姿を見守られ、胸を痛める神様の心情を慰労してさしあげるために、血の涙を心の中だけに抑えて生きてきた孤独な男の道でした。

それでも、過ぎし八十有余年を、天から受けた真理を教えることに捧げて生きてきたのが私の人生です。その内容を総整理するという意味で、「神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」という題目でお話ししようと思います。

私たちがはっきりと知らなければならない神様と霊界 貴賓の皆様。私が生涯をかけて教えてきた内容の中で、最も重要だと強調してきたことがあります。それは、神様と霊界についてはっきりと知らなければならないということです。言い換えれば、漠然と頭だけで知り、数学の公式を覚えるようにして理解する神様ではなく、私たちの心臓に、そして骨髄の中にまで神様の存在を刻みなさいというのです。

神様が私たちとどのような関係をもっている方であり、どのような属性をもっておられる方なのかということです。そして、神様が太初に願われた理想世界とはどのような世界であり、いつそのような世界が成し遂げられるのかということです。霊界についても同じです。人間の選択権外に厳然として存在する死後の世界を正確に知っていてこそ、現世において私たちの人生の中で徹底的に準備することができるのです。

皆様、胸に手をおいて静かに一度考えてみてください。皆様が、本当に神様がいらっしゃることを知り、その神様に常に侍って暮らせば、世の中のすべての諸問題の中で、解決できない問題がどこにあるでしょうか。

きょう私は、皆様に単刀直入に宣布します。神様は、明らかに存在され、私たち全員の人生の中で生きて役事される私たちの父母でいらっしゃるのです。その方は、無形の存在であられます。大きいとすれば無限大に大きい方であり、小さいとすれば無限に小さな存在であられます。人間なら誰でも心をもっていますが、その心がどこに位置しているのかを、自信をもってはっきりと語ってくれる人がいるでしょうか。

世の中には、エネルギーが明らかに存在し、私たちの生を営為させていますが、そのエネルギーを私たちが見ることができないのと同じように、神様も絶対的に存在され、永遠、不変、唯一の属性をもっておられる方ですが、私たちの肉身の一部である人間の目では見ることができないのです。神様は、エネルギーの本体なので、霊界に行っても見ることができません。

それで、神様は全知全能で遍在される方だと言うのです。無形の存在なので、存在世界を思いどおりに出入りしても、全く支障がありません。

神様が皆様の体を通過していっても、皆様は何も感じることができないというのです。うとうと居眠りしている皆様の頭を、踏んでいっても分かりません。ですから、どれほど便利でしょうか。もし神様が、皆様の一挙手ー投足に対して、一つ一つ顕現して指摘し干渉されるとすれば、どのようにして生きていくのでしょうか。皆様の目で神様を直接見ながら生きていきなさいと言えば、生きていけると思いますか。恐らく神経が衰弱して、一日も生きていくことができないでしょう。

皆様が今この場に座っていながら、ものすごい量の空気が体の中を出入りしても、それを見ることができないのに、ましてや無形の存在であられる神様が皆様を通過して役事されるのを、どうして見ることができるでしょうか。皆様は、「神様を見せてくれれば信じる」という愚かな主張をするのではなく、神様が私たちの目に見えないことをむしろ有り難く思うべきです。

世界の指導者の皆様。皆様は愛をもっていますか。生命をもっていますか。血統と良心ももっていますか。そうだとすれば、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見たと言うことができますか。それらが明らかに存在することははっきりと知っていますが、これらを触ることも、見ることもできないという事実を認めざるを得ません。心で感じて初めて知ることができるのです。同じ論理で、神様がいるかいないかと言うとき、あるいは、神様を見たのか見なかったのかと尋ねるとき、いないということも、見なかったということも言うことができないでしょう。

心の中に神様が入ってきていらっしゃれば、心が感じます。全知全能の神様が共にいらっしゃれば、何千年前に死んだ聖人たちを呼んでくることもでき、厚い壁の向こう側に誰が座っているのかもはっきりと見ることができます。永遠であられる神様が心の中に入ってくれば、そのようなことが可能なのです。永遠を時間で捉えることはできません。永遠の中に時間があるからです。

堕落によって失ってしまった神様 そして、私たちがいるこの宇宙は、神秘に包まれています。その大きさが数百億光年にもなる大宇宙です。地球の周囲を一秒間に七周半も回る光が、一年間で進む距離が一光年なのですから、この大宇宙を創造して主管する主人とはどのような方かを考えてみてください。

大きければどれほど大きく、重ければどれほど重いでしょうか。知恵の大王であられる神様は、御自身を無形で存在するようにされ、あっという間に全宇宙を運行なさることもでき、小さな針の穴でも思いどおりに運行なさることができるのです。

最高の宝物である神様をどこにお迎えするのかを自問するとき、私たちの心しかないという結論が自動的に出てくるはずです。私たちの心より安全で、安らかにお迎えできる所はないというのです。神様の対象の位置に立ち、球形運動をしながら永続できるのが心なので、人間は永生できるのです。

人類が堕落せずに本性の善の父母を通して生まれていれば、「神様がいるかいないか」という論争は必要なかったはずです。赤ん坊がおなかの中でお乳を飲む方法を学んで出てくるのではないのと同じように、人間の先祖の堕落がなかったならば、人間は誰でも自動的に神様を父として侍って暮らすようになっていたのです。

人間の先祖としてつくられたアダムとエバを、神様御自身の実体として立てるために、神様の男性性稟はアダムの心の中に、そして女性性稟はエバの心の中に定着して永生するようになっていたのです。だからといって神様が二つに分かれるのではなく、アダムとエバの心の中に臨在しながら、二性性相の中和的存在として、愛を中心とする統一的存在として永存なさるのです。

しかし、堕落によって人類は、すべてのものを失ってしまいました。忘却の世界へ落ちて、神様がいるかいないかさえも分からない青盲の人になったのです。人類史上、これより悲惨な事件がどこにあるでしょうか。

もし神様に似た人間の先祖アダムとエバが堕落せずに成長し、完成して人類の父母の位置を確保していたならば、人類は、彼らの姿を通して生きていらっしゃる神様の実在をいつでも認知できたはずです。そして、「神様はいる」、「神様はいない」という論争は考えることもできなかったはずです。神様は、人類の真の父母として、永遠に私たちと苦楽を共にされたことでしょう。神様は、私たちの生の中心であり、根になっていたはずです。

私たちが生活の中で、五官を通して直接神様を感じ、神様の実在を知るようになって、初めて本当に神様を知っているということになるのです。言い換えれば、神様の実在を体恤しなければならないということです。

このように、神様の実在を私たちの生活の中で直接体恤して生きるようになれば、私たちは、自動的に神様のみ旨とは何かをその一瞬一瞬で感じ、自ら進んですべてのことに臨むようになり、罪を犯そうとしても犯せない完成した人間の姿になるはずです。そのようになっていれば、無形でいらっしゃる神様は、人間の実体をもって主人的人格と形体を備え、有形世界である地上界の万物万象はもちろん、霊界までも主管されるようになっているのです。このように、神様をはっきりと知ることは、人間の生涯において最も優先的で重要なことなのです。

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歴史を通じて、人間は、自分たちの解放と救援を求めて叫んできたのですが、それでは、神様の状況はどうでしょうか。神様は、解放が必要なく、常に喜びに酔っていらっしゃる方ですか。歴史的に罪と苦痛の中で呻吟する人間の姿を見つめてこられた父母として、神様の心情が解放の喜びを享受できたでしょうか。決してそのようにはできません。地上と天上に理想家庭と理想天国が成し遂げられる、その程度によって神様の心情も解放され釈放されるのです。そのようになって、初めて人間も真の愛の家庭生活を通して解放、釈放されるようになり、万物もまた、そのような人間を通じて解放、釈放され、さらには霊界も解放されるのです。

天国は、真の愛の本体であられ、生きていらっしゃる神様を中心として、子女である人間が喜びを共有しながら、情で感応し、呼応する真の愛の宮殿だと言うことができます。「世界平和統一家庭連合」が真の家庭祝福運動を世界的に展開してきたのは、このような超国家、超宗教、超人種的天国を実体的に成し遂げるためです。

尊敬する指導者と愛する食口の皆様。人類は、歴史を通じて理想世界、天国の夢を育ててきました。ところが、現実はどうでしょうか。現代社会は、家庭の崩壊と価値観の混沌の中で、フリーセックスと個人主義の王国になりつつあります。このような環境の中で、堕落した人間が中心になっては、正しい人生観と価値観を立てることはできず、さらには、正しい世界観と宇宙観も確立できません。したがって、個人と全体が完成して調和を形成するということに対しては、何の希望も期待できないのです。

二十世紀、多くの人々は、「共産」と「平等」によるユートピア運動に希望をかけました。この運動が世界を煽動し、揺るがしましたが、実際、共産圏の人々は、不平等と搾取、不幸と恐怖を経験しただけであり、この運動は失敗に終わってしまいました。

また一方では、「民主」と「自由」が最上の価値であり理想だとして、その体制を構築して夢を育ててきました。結果はどうでしょうか。これまた、人間の享楽的、利己的欲望をより一層刺激して、堕落と腐敗、不均衡と混乱の結果を生み、その未来が不透明になりました。

また、世俗的な「人本主義」や「主体思想」による理想世界の建設を叫ぶ運動もありますが、これもまた人間をして非人間化、動物化へと追い込んでいます。それだけではなく、「世界化」を主張してはいますが、これもまた自己中心に流れ、神様が願う縦的な絶対価値を確定することができず、横的な相対的価値観の混沌と葛藤の中で身もだえしています。したがって、人類は、共に幸福になることができる世界大家族への道とは無関係の立場で、自縄自縛の道ばかりを進んでいるのです。これらのことは、すべて人類が長い歴史を通じて、真の父母であられる神様を遠ざけてきた業報と言わざるを得ません。したがって、不幸と苦難から出口を見いだすことができずにさまよっている現代人の急務は、神様を正しく知って取り戻すことです。また、原罪を正しく知り、霊界を正しく知らなければなりません。

個人は、一人でその理想を成し遂げて幸福になることはできません。家庭と氏族、民族と国家、世界と天宙、さらには、神様と正しい関係を確立する時にのみ可能です。これが正に、共に完成できる神様の真の愛の理想なのです。

未来の新しい時代の世界は、人間を中心とする主義の世界ではありません。神様を王として侍る神主義、天父主義の世界です。したがって、真の父母、真の愛主義時代が到来しています。国家主義時代は過ぎていきます。どんなに超強大国でも、一国では存続することはできません。したがって、一国主義時代は過ぎていきます。国境を撤廃して、超国家、超宗教、超人種的にお互いに協助して暮らすことのできる新しい時代が訪れるからです。

その到来する世界秩序の核心は真の愛です。すなわち、相手のために投入することです。このような天道に逆行して、利己的、自国第一の保護主義政策をとる国は、だんだんと影響力が弱くなり、結局は滅びます。未来の世界は、何よりも先に宗教が看板を下ろし、真の愛と慈悲を実践する生活を政治圏や世の中よりも先に率先垂範しなければなりません。閉鎖的な宗教ほど、早く衰亡の道を歩むようになります。あらゆる教団は、超宗教的に和解協力して、超国家的、超人種的和解一体を牽引しなければなりません。天父の心情を抱いて真の愛を実践し、手本にならなければなりません。

私は、「世界平和統一家庭連合」を立てて真の家庭運動を世界的に展開する一方、戦争を防止し、平和世界を具現するために、すべての資源と人材を惜しみなく投入してきました。このための統合推進機構として、一九九九年二月には、「世界平和超宗教超国家連合」を創立しました。

これまで教団間の和解のために数十年間努力してきた基盤をより一層拡大し、政治、経済、教育、社会、文化、NGOなど、各分野の指導者たちも同参するようにしました。世界百九十一ヵ国に五万人以上の平和大使を任命し、国連が真の世界平和のために献身する機構になるよう国連刷新運動も進行しています。

また、二〇〇三年十月には、「平和国連」と呼ぶことができる「超宗教超国家平和議会」を創設し、平和世界実現の中心機構として活動を拡大しています。それだけではなく、到来した天運に合わせて、天上世界と地上世界の精誠と勝利的な基台の上に、二〇〇一年一月には、神様の王権を奉献してさしあげました。永存される王であり、王の王であられる神様を解怨してさしあげた歴史的な行事でした。これを通じて、神様の善の主管圏が、世界万国に実体的に版図を広げるようになりました。「統一運動」が公式的な機構として出発してから、いつしか五十年です!統一運動の第一段階は、宗教圏を主とした個人救援次元の活動期間でした。

次の第二段階は、天国の基本単位となる真の家庭を探し立てる運動でした。この運動は、地上と天上の万民がすべて祝福を受ける時まで、氏族復帰と統班撃破運動などを通じて継続されるでしょう。一方、第三段階である平和の理想世界創建運動も、既に本格化しています。昨年一年間で、中東平和のための大小の集会を十六度も主導しながら、あらゆる精誠を尽くして努力しています。それ以外にも、南北平和統一運動、国連刷新ないし新しい平和国連運動、全世界五万人の平和大使たちの平和運動などを世界が注視しています。

尊敬する各界指導者の皆様。この時は歴史の大転換期です。私たちは、今世紀に驚くべき変化を経験するようになりますが、特に三つの分野において大覚醒が大きく浮かび上がってくるでしょう。

第一に、現代の風潮は、過度に物本主義的、人間的、無神論的ですが、霊的現象に対する関心と認識が急激に増大し、歴史を変化させる驚くべき霊的経験をするでしょう。

第二に、人類は、発展する霊的体恤とともに、最も貴い真の愛の基礎学校として、家庭の神聖な価値と社会的意味をより一層悟るようになるでしょう。世界的に家庭が崩壊し、異常に変形してしまった、過去数十年のつらい経験から得られた覚醒でもあります。

第三に、私たちの霊性が開発された基台の上で、平和に対する希望と努力が著しく大きくなるでしょう。人間関係が国家と人種と宗教の壁を越え、すべての人が、ために生きながら一緒に暮らしていくべき温かい隣人であり、人類一兄弟だと感じる驚くべき変化が訪れるでしょう。

これらのことは、すべて生きていらっしゃる神様の摂理の進行です。神様は、人間の霊性を啓発し、その基台の上に真の愛の家庭を確立し、また、この家庭の基台の上に真実で永続的な平和理想世界を成し遂げようとされる摂理をしていらっしゃいます。実に、人類の本性が願ってきた理想世界、すなわち真の愛の神様を絶対価値の王として侍る神様の祖国、平和王国を創建していかなければならない時が訪れたのです。

このように途方もない天運の時を迎えたので、皆様が、この天道によって平和王国を創建していく役軍になることを願ってやみません。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に共にあることを願います。ありがとうございました。

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宗教は、故障した人間を修理して原状に戻すための訓練所であり、修練教育院です。宗教の教えは、宗教自体のためのものではありません。人間を御自身の子女として教育し、再創造しようという神様のみ旨を成就してさしあげる道だからです。宗教がつくった制限された教理と儀式の中に、決して神様が入っていくことはできません。信仰を通じた教育と修養により、実生活の中で神様に侍ることのできる人格を養成することが宗教の使命なのです。

私たちが学校に入学すれば、所定の過程を履修することによって卒業しなければなりません。このように、教団が、伝道と宣教を通して信仰の道への入門を強調する以上に、個々人を教育、修練し、人格完成を通して生活信仰者として育成し卒業させることを、より一層重要視しなければなりません。

本来人間は、宗教と信仰生活を通して神様と関係を結ぶようにつくられた存在ではありません。本然の園には宗教はなかったのです。本然の神人関係は、信仰儀式の手順が必要なく、実生活において真の愛の幸福に酔いながら、理想的家庭を中心として暮らすことのできる真の父母と真の子女の関係です。

私は、初めからこのような天道と原理を、既存の宗教、特に神様が準備されたキリスト教の基盤を通じて教育、指導しようとしました。不幸にも無知と独善と教派主義によって神様の中心摂理は発展できず、むしろ迫害を受けました。そのような状況のもとで、私は、「世界基督教統一神霊協会」を立てて出発するしかありませんでした。教団の創設が目的ではなかったので、草創期から開かれた活動として、超教派的、超宗派的な運動をしてきました。世の中で私たちを指して、長い「協会」の名前の代わりに「統一教会」と呼び、通称「統一教会」になったのです。

以前から、私は、統一教会の看板を下ろす日を待ち望んでいると話してきました。神様の理想を地上に回復して再現することが統一教会の使命だからです。

神様が理想とする天国、創造本然の世界は、神様に背いた人類始祖の過誤を完全に清算し、超宗教超国家的な解放圏、釈放圏を完成して、本然の愛圏、四位基台理想を結実して初めて成就されます。それには、協会や教団自体の使命を超越し、真の愛の家庭理想を完成しなければなりません。しかし、従来の教会や宗教は、個人救援を目標とみなしてきました。今まで家庭救援に力点をおいた宗教はありませんでした。

家庭救援のためには、神様の真の愛の祝福を受けてこれを守っていかなければならない祝福結婚式が絶対的です。堕落した人間の先祖が成し遂げることができなかった真の父母の理想は、堕落した子孫が自ら成し遂げることはできません。神様が送ってくださる救世主を通してのみ可能なのです。

その方は、堕落した人間の先祖に代わって真の父母、真の先祖として来られるからです。人類の先祖が神様と無関係な偽りの血統によって繁殖させた堕落人間たちは、野生のオリーブの木の畑をつくったのと同じです。したがって、真のオリーブの木として来られる真の父母によって接ぎ木され、復帰されなければならないのですが、その儀式が「祝福結婚」です。

私は、純潔教育と真の家庭運動を世界的に実践した基盤の上に、一九九六年七月三十日、アメリカの首都ワシントンDCにおいて、多くの国家元首と世界最高位の宗教指導者を含む四千人以上が同参する中で、「世界平和統一家庭連合」を創設しました。そして、この日を期して、公式的に「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろしました。家庭連合の創設を通して、超宗教的、超国家的、超人種的に家庭救援摂理時代が開かれるようになったのです。旧約時代と新約時代は、理想家庭時代ではありません。個人救援だけが主な関心事である個人救援摂理時代です。

しかし、家庭救援時代は成約時代です。家庭が連合すれば、氏族救援摂理、さらには国家救援摂理時代に越えていくのです。実際に、堕落人間の宿命的課題である誤った血統を清算して所有権を転換し、心情を転換する祝福儀式の恩賜以上に大きな祝福がどこにあるでしょうか。天国は、特定の宗教の看板のもとで成し遂げられる所ではありません。宗教を超越された神様のみ前に、真の愛の父子関係を回復した人が、神様に侍り、真の愛に酔いながら暮らす所です。天国は、祝福を受け、真の愛の家庭を築いて神様に侍った人が、その一族と国と一緒に入っていく所です。

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9.神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年 日付:二〇〇四年四月三十日

場所:韓国、ソウル、マリオット•ホテル

行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年記念晩餐会

尊敬する国内外の貴賓、百九十一ヵ国の代表、紳士淑女、そして食口の皆様。きょうは、私が天意に従う道において、五十年前、すなわち一九五四年五月一日、初めて統一運動のための公式機構をつくって出発した意義深い日です。過去半世紀間にわたって開拓してきたこの道は、誰も理解できない、神様だけが動機となられた一本道であり、血と汗と涙に染まった迫害と苦難の道でした。

私が唱導したこの統一運動は、神様の願いが摂理史的な関係によって連結されているため、私は、過去五十年間、雪が降ろうと雨が降ろうと、一瞬も時代的使命と未来に対する責任を忘れたことがありませんでした。

きょうこの意義深い席で、私は、このように「統一運動」の動機となられた神様の根本趣旨が何であり、さらには、統一運動の帰結と目標が何かを明らかにしようと思います。

私は、教派や宗派をつくりませんでした。それが神様の願いではないことをよく知っているからです。五十年前、統一運動は、「世界基督教統一神霊協会」、すなわち統一のための協会として始まりました。世界のキリスト教の統一、さらには、宗教統一と霊界統一を標榜したこの名前自体が、実際にはとても大きな冒険でした。

キリスト教の伝統の定着とその文化圏の形成は、歴史的に模範となるキリスト教徒と指導者、そして学者の信仰と犠牲、情熱と研究によって成し遂げられました。それにもかかわらず、キリスト教は、現在数多くの教派に分裂して葛藤しています。このような状況下において、キリスト教の統一が簡単なことでしょうか。ましてや宗教統一、さらには霊界統一がどれほど大きな難題でしょうか。

私が主張してきた統一は、単に外的で形式的な概念の統一ではありません。神様の理想である根本的で完全な調和統一を意味するのです。第一に、これは神霊の役事によって成就される統一です。宗教と霊界の統一は、力や権力や、ある外的条件によって達成することはできないのです。神様が運行される基盤が地上に造成され、聖人が望んできた条件が成立すれば、神霊の役事が起きます。神霊を誘発できる力は神様と霊界にあります。

本来、人間の内なる人である霊人体は神霊の感応体です。しかし、堕落人間は、故障した霊人体をもったので、霊人と霊界の存在さえ分からずに生きてきました。これを修理して浄化すれば、万人が自然に神霊の役事を経験することができます。したがって人間は、霊界を必ず知らなければならず、そのような時が来つつあるのです。

私は、全生涯を通して、神様と霊界が支援する統一運動を展開してきました。神様を中心とする神霊の役事によって、心身統一、人間と人間の統一、霊界と肉界の統一、神様と人間の統一を成し遂げることができるのです。

第二に、真理と愛で統一を成し遂げます。これまで私は、神様と人間の関係が真の愛の父母と子女の関係であることを明らかにしました。そして、人生と宇宙、原罪と復帰の問題、霊界と摂理歴史全般に関する宇宙の普遍原理を天下に明らかにしただけではなく、真の愛を直接実践して教育してきました。

真の愛は、相対のために投入することです。真の愛は、相対が自分よりも優れていることを願うからです。投入してまた投入すれば、相対は自分自身よりもっと大きくなります。

しかし、真の愛は、その投入したことを忘れてまた投入するのです。これは、自分の利益と自分の位置をすべてなくす犠牲を意味します。ここで真の統一が成し遂げられます。したがって、利己心は、統一を成し遂げていくにおいて最も大きな障害要因になるのです。

過去五十年間、私は、完全に投入してきました。個人的にすべてのものを投入し、家庭的にすべて投入し、氏族的、民族的にすべて投入し、統一教団をすべて投入し、今でも世界と全人類のために絶え間なく投入しています。これらすべては、真の愛で完全な調和統一を成し遂げようとされる神様の創造理想を成就するためです。

正に神人愛一体理想が、人間に対する神様の願いなのです。人間が渇望してきた自由と平和、理想と幸福も真の愛の中で調和統一される時にこそ可能です。したがって、統一運動とは、すなわち真の愛世界化運動なのです。

無形の真の父母であられる神様は、真の愛の相対的存在を立てるために人間と万物を創造されました。特に、御自身の子女としてつくられた人間は、絶対愛の主体であられる天の真の父母にとって最も貴い相対です。したがって、人間の先祖は、無形の神様の体であり、聖殿であり、真の愛の実体対象なのです。

本来、アダムとエバは、神様の真の愛を中心として真の愛の人格体として成長したのち、真の夫婦となって真の子女を繁殖することによって、真の父母になるようになっていました。そのようになっていれば、彼らは、神様の真の愛、真の生命、真の血統の実体として完成していたはずです。

神様を中心にお迎えし、アダムとエバ、そして子女、このように真の愛の四位基台を完成していれば、神様は、真の愛の血統を継ぐ子孫をもつようになり、人間の理想家庭が定着するようになっていたはずです。

真の愛の属性は、自分より相対のために投入することだと言いました。したがって、神様には、御自身の対象としてつくられた人間が、罪を犯して地獄で苦痛を受けるようになるという概念はあり得ません。これは、すべて人間の先祖が真の愛の理想に逆らって堕落することによって、後天的に生じた結果なのです。本然の世界から追放された人間の先祖は、神様の真の愛の祝福の下で真の生命、真の血統の子女をもつことができませんでした。人類は、神様の真の愛、真の生命、真の血統とは関係のない存在として生まれるようになったのです。したがって、人間は、生まれる時から宿命的に救い主と救援が必要な存在になりました。救援は原状回復、すなわち復帰です。人間が堕落する前の原状に戻り、失ってしまった神様との関係を回復するのです。堕落人間は、必然的に蕩減復帰の道を行かなければなりません。したがって、神様は、時代と場所に合わせて宗教を立て、人類を復帰する発展的な道に導いてこられたのです。

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私は生涯、私が体恤して経験した神様の心情と願われるみ旨を教育してきました。私の教えは決して思弁的な理論ではありません。神様は生きて役事していらっしゃいます。ただ人間は、堕落によって本然の位相を失ってしまい、神様を完全に感知できないまま罪悪と紛争の中で生きてきました。

全能で完全な神様であっても、その前にふさわしい相対がいなければ、御自身の全能性を示現させることができないのです。人間始祖が神様に背いて以後、神様は御自身が相対する善の基台を失ってしまい、したがって善の絶対的な能力が現れることがないまま歴史が進行してきたのです。

神様は、人間を原状回復させることによって、御自身の位相と天意を回復する摂理をされるのです。神様は人間始祖が成し遂げられなかった真の愛、真の父母、真の家庭の理想を回復するための使命者として、第二アダム、第三アダムを立てながら摂理されるのです。私がかつて神様の召命を受け、真の父母の使命を果たしてきた背後には、このような摂理的な事情が連結されています。

尊敬する指導者の皆様。今、私の預言的な宣布に深い関心をもってくださるようお願いします。人類は歴史的な転機を迎えています。今までは見えず、無力で存在しなかったかのよう思えた神様の権能が、人類の生活の中に示現する時になりました。万象と宇宙に厳存する神聖な秩序と合法の主人である神様の絶対権を、人間が自分の日課の中で体得する驚くべきことが起きる時になったというのです。歴史に通じる神様と真の父母様、そして義人たちの犠牲と無条件的な愛の実践基盤の上で成し遂げられた神様の善の相対基台が、堅固に造成されたために可能となった、奇跡のようなことです。

そして、人類は今後、次第に神様を感知し、霊界と霊人たちの役事を知るようになります。人々が自分たちの内なる人である霊人体を自覚し、霊性が啓発されるのです。このようにして、人間は自然に宇宙の公法を体得し、確かな人格変化を起こし、真の人になることができます。これを通じて人類は、宇宙の存在秩序と人間の関係が、利己的、自己中心的になっているのではなく、利他的に他のために生きるようになっていることを学ぶでしょう。

神様の創造本然の平和理想は統一理想です。相対理想となっている存在世界自体が調和統一を前提としているのです。相対を度外視したり、不幸にさせたりして成し遂げられる平和理想はありません。上下、前後、左右の関係や霊界と地上世界がすべて相対のために生きる真の愛の理想で調和統一を成し遂げるとき、完全な平和が実現します。したがって神様の喜びと幸福も、その相対である人間の喜びと幸福を同伴しながら成就するようになっています。

また、すべての存在の個体目的は、より大きな全体目的、すなわち公的目的のもとで成就するようになっています。すべての宇宙秩序は、このように二重目的の連体として大きな調和統一を成し遂げるようになっています。ところが、堕落により神様に背いて無知に落ちた人間は、堕落性である利己的欲望の主管下で本然の存在秩序に逆らって生きてきたのです。

公的なことよりは私的なこと、全体目的よりは個体目的を先に立てて生きてきました。その帰結は明らかです。永続的な自由と平和と幸福が保障されることはありません。外的な力と物質と自己中心の享楽を追い求めながら葛藤と対立の中で駆けてきた人間は、今、悲惨な不幸の泥沼をさまよっています。今こそ人類が自己省察をして天から来る声に耳を傾けなければならない時です。

摂理的な恩恵により、生きていらっしゃる神様が私たちのすぐ近くに来ていらっしゃいます。今からは人類がかつて経験してみることができなかった霊的な経験、すなわち超越の世界と交流を多くするようになるでしょう。

頻繁に起きる霊的役事によって人類は直接•間接的に大きな影響を受けるようになるでしょう。

特に神様と善霊の役事による感化を経験した人間は、神様を中心として霊性の啓発とともに決定的な人格変化を起こすようになるでしょう。このように、天道にふさわしい人格に変わった人が、すなわち神様が願われた真の人です。

私たちは、怨讐を愛する真の愛を実践し、霊界を正しく知る真の人となり、真の父母となって、真の家庭をつくらなければなりません。平和世界の基点はここにあります。神様が願われる理想国家の基点がここにあるのです。

自分を真の愛の実体として立て、和睦する理想的な家庭生活を経験できなかった人に、幸福と平和を謳歌しながら生きる理想的な国家や理想的な世界はありません。神様が願われる理想的な祖国は、怨讐を愛する道、すなわち個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残しておく道を通して訪れてくるのです。

多くの人々は、国連が世界の問題を解決し、平和を実現してくれることを希望しています。しかし、国連はこれまで、制約もありましたが、その活動で宗教と霊性の重要性を見過ごすことにより、さらに影響力が弱化せざるを得ない道を自ら招きました。

国連が現実問題を分析し、また解決を試みるとき、一方にだけ偏ってきた結果です。これが続けば、国連は本来の創設目標を決して果たすことができなくなり、その存在を認めてもらえなくなるでしょう。平和世界実現の理想に包括的、根本的な面から接近するために、国連に超教的代表者たちの議会を併設することを再度提唱します。

この時、代表たちは、その宗教の創始者たちが実現しようとした最も貴い理想を実践すべきですが、模範となる真の愛の人格と知恵をもってしなければなりません。多くの指導者は、この点を深刻に考慮して、国連内に上院のような協議体を構成する努力を継続してくださるようお願いします。

私は、神様の真の愛のみ旨である、天上と地上に一つの国を形成するために生涯を忙しく駆けてきました。これまで、宗教界だけでなく、政界、思想界、学界、財界、言論界、およびNGO(非政府機構)の指導者たちに、「他のために生きる人生」を生きるべきであると指導してきました。

理念的な教えだけでなく、私が先に立って模範を見せる実践を通して指導してきました。このような私の世界的な基盤の上に「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、世界的に「平和大使」を任命しました。利他的な真の愛の実践生活の手本を見せながら、対立し葛藤する境界線を越えて、調和統一の世界を成し遂げていく指導者を養成するためです。また、世界各国で平和運動と奉仕運動を展開する拠点として、また超宗教連合が主張するビジョンと普遍秩序を指導し実践する教育の場として「平和大使館」を建立しています。

指導者の皆様が、皆様の家庭と国を真の愛で新たに創建してくださるようお願いします。さらには、真実で永続的な平和世界、神様が願われる国境のない地球星を成し遂げるために努力する、「世界平和超宗教超国家連合」のビジョンを支持してくださり、共に働いてくださることを希望します。今回の会議で皆様の経験が生産的で自らを鼓舞するものとなり、平和世界の実現が早まることを祈りながら、お話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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7.平和世界実現のために 日付:二〇〇三年二月六日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:真の父母様御聖誕祝賀晩餐会

尊敬する前•現職国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界の指導者の皆様、そして外交官と国内の高名な指導者の皆様。皆様が収められた世界平和のための首脳会議の実績をまず祝賀し、きょう私と韓鶴子総裁の生まれた誕生日を各方面から祝ってくださったことに対して、深く感謝申し上げます。このすべての栄光を、この日まで私を守ってくださった神様にお捧げします。

この意義深い席で、平和世界実現のための私の所信を皆様と分かち合おうと思います。世界平和を願う前に、宗教団体間の理解と宗教人相互間の和解が、今日のように切実な時はありませんでした、宗教の貴重な教えは、人類歴史を明らかにしてきた知恵の根本です。ところが、宗教人たちは三つの弱点をもっています。

第一に、彼らはとても来世的であり非現実的です。第二に、彼らは偏狭的であり党派的です。第三に、彼らは狂信的になりやすいのです。宗教指導者たちは、開かれた心で万人を包容しなければなりません。すべての宗教人の真の責務は、人間の多くの境界線、さらには宗教自体の障壁までも乗り越えることです。

宗教は、宗教自体の勝利や信徒たちだけの救援のために存在するのではなく、神様のみ旨を果たすために存在するものです。決して偏狭的であったり自己満足的であったりしてはいけません。愛する心をもって生きていくときには、すべての障壁が崩れていきます。偉大な宗教の創始者たちはこの点を理解し、このような理想を実現しようとしました。

神様は真の愛の本体です。真の愛は無条件的にために生きようとするその属性上、必ず相対を求めます。神様が創造した動機についても、また創造した目的についても、ここで正しい理解が求められるのです。このように神様は、御自身の真の愛の相対として被造世界を創造されたというのです。その中でも人類は神様に最も近い愛の相対、すなわち子女として造られました。最初の人アダムは、個人だけでなく、真の愛の家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の始原なのです。

神様の創造理想は、一つの真の愛の主管圏内で相対のために生きる和合統一の理想でした。人間の先祖はこの真の愛の理想を完成する前の成長期間に神様に背き、偽りの愛によって堕落してしまいました。そして、神様と人間の間に葛藤が起こるようになりました。神様とサタン、人間とサタン、そして人間相互間に対立と闘争が起こるようになったのです。この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明することでもあります。

このような闘争の起源を乗り越えていける運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができます。葛藤と闘争を解決する方法は、利他的で犠牲的な愛、すなわち「他のために生きる人生」です。神様の理想国家の実現は、怨讐を愛する思想をもった個人から出発します。怨讐に勝つ秘訣は、腕力を通じてではありません。怨讐まで抱く真の愛の力を通じてのみ可能です。

豆を植えれば豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、赤い花の種を植えれば赤い花が咲きます。同じように、怨讐を討つ悪魔サタンの種を蒔けば、怨讐を討つ悪の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。怨讐を愛する精神をもった人々で構成された国が出てくれば、その国が神様の願う理想郷になり、人類が入ることができる理想的なモデルになることができます。

去る三十年以上の間、私は休むことなく家庭崩壊、性的な非道徳性、青少年の退廃、道徳的堕落、そしてキリスト教の衰退などのアメリカの問題を解決するために至誠を尽くして働いてきました。私のこのような努力にもかかわらず、キリスト教徒を含む多くのアメリカ人は、私がする仕事を誤解し、迫害し、投獄までしました。私に対して虚偽的な誹謗と否定的な態度を貫いてきました。しかし、私は憎悪や怨恨の感情にとらわれることを拒否し、迫害者のために変わることなく与える愛の人生を生きてきています。

私は、どのような事情のもとでも、神様の愛とみ旨を心情の深いところで最も大切に守ってきました。このような理由のため、時間がたつとともにアメリカ人、特にキリスト教徒たちで、私の教えと生活の価値を新たに悟る人が多くなり、彼らの心境に変化が訪れていることを見るようになりました。

私は公式的な演説で、「キリスト教徒が、彼らの真の根である神様のみ旨を果たすための使命に応えなければならない!」と直接的に語ってきました。キリスト教徒は、彼らの生活方式と態度を変えなければなりません。キリスト教の創始者は「怨讐を愛しなさい!」という原理を教えました。もしキリスト教徒がこのような根本原理を実践することに失敗すれば、彼らには衰退する道しかないのです。そのようになれば、彼らはイエス様の教えと自由の神聖な法則から離れるようになるからです。

一方、イスラームと他の宗教の指導者たちも、道徳的な面で、そして他のために生きて愛するときに高次元の愛を実践できれば、彼らの怨讐も、外的な力によってではなく、それよりさらに偉大な真の愛の力によって屈服するはずです。私は、西欧社会の指導者たちに、世界に散在している十三億のイスラームの信徒、また三十四億のアジア人と宗教人、それ以外の他の宗教人を無視したり見過ごしたりしてはいけないと常に語ってきました。

もしアメリカがこの巨大な人類家族構成員の存在意味を理解することに失敗すれば、どうしてアメリカが私たちの子孫のために、より良い未来を構築し、平和世界を成就できると期待できるでしょうか。同じ理由から、イスラム世界や他の宗教人たちもまた、どうして西欧社会とキリスト教文化を見下したり、その大切さを見過ごしたりすることができますか。私たちが互いを無視したり拒否したりすれば、私たちには、いかなる希望もないのです。すべての宗教指導者は、他の宗教と社会を包容する高い愛を実践する汎世界的な運動を引っ張っていかなければなりません。これが正に、すべての宗教創始者の崇高な教えです。

神様のみ旨と歴史の要求する方向はどこですか。神様の究極的な理想は、宗教と人種と国家を超越して、真の愛で平和統一された世界、すなわち「人類一家族」を形成することです。神様の目標は、ある一つの宗教や一つの理念の勝利ではなく、全人類が平和と統一と幸福の中で生きていく愛の世界を実現することです。

現代社会が技術的、物質的発展によって統一化されていく外的な趨勢の前で、人類が内的な和合統一を成し遂げるように導くのが宗教の役割です。宗教がこのことの先頭に立って模範を示さなければなりません。宗教界の和合と協力を成し遂げることは、遅らせられない歴史の要請であり、神様の神聖なみ旨です。それができなければ、宗教は衰退します。

*7.平和世界実現のために 日付:二〇〇三年二月六日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:真の父母様御聖誕祝賀晩餐会

尊敬する前•現職国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界の指導者の皆様、そして外交官と国内の高名な指導者の皆様。皆様が収められた世界平和のための首脳会議の実績をまず祝賀し、きょう私と韓鶴子総裁の生まれた誕生日を各方面から祝ってくださったことに対して、深く感謝申し上げます。このすべての栄光を、この日まで私を守ってくださった神様にお捧げします。

この意義深い席で、平和世界実現のための私の所信を皆様と分かち合おうと思います。世界平和を願う前に、宗教団体間の理解と宗教人相互間の和解が、今日のように切実な時はありませんでした、宗教の貴重な教えは、人類歴史を明らかにしてきた知恵の根本です。ところが、宗教人たちは三つの弱点をもっています。

第一に、彼らはとても来世的であり非現実的です。第二に、彼らは偏狭的であり党派的です。第三に、彼らは狂信的になりやすいのです。宗教指導者たちは、開かれた心で万人を包容しなければなりません。すべての宗教人の真の責務は、人間の多くの境界線、さらには宗教自体の障壁までも乗り越えることです。

宗教は、宗教自体の勝利や信徒たちだけの救援のために存在するのではなく、神様のみ旨を果たすために存在するものです。決して偏狭的であったり自己満足的であったりしてはいけません。愛する心をもって生きていくときには、すべての障壁が崩れていきます。偉大な宗教の創始者たちはこの点を理解し、このような理想を実現しようとしました。

神様は真の愛の本体です。真の愛は無条件的にために生きようとするその属性上、必ず相対を求めます。神様が創造した動機についても、また創造した目的についても、ここで正しい理解が求められるのです。このように神様は、御自身の真の愛の相対として被造世界を創造されたというのです。その中でも人類は神様に最も近い愛の相対、すなわち子女として造られました。最初の人アダムは、個人だけでなく、真の愛の家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の始原なのです。

神様の創造理想は、一つの真の愛の主管圏内で相対のために生きる和合統一の理想でした。人間の先祖はこの真の愛の理想を完成する前の成長期間に神様に背き、偽りの愛によって堕落してしまいました。そして、神様と人間の間に葛藤が起こるようになりました。神様とサタン、人間とサタン、そして人間相互間に対立と闘争が起こるようになったのです。この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明することでもあります。

このような闘争の起源を乗り越えていける運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができます。葛藤と闘争を解決する方法は、利他的で犠牲的な愛、すなわち「他のために生きる人生」です。神様の理想国家の実現は、怨讐を愛する思想をもった個人から出発します。怨讐に勝つ秘訣は、腕力を通じてではありません。怨讐まで抱く真の愛の力を通じてのみ可能です。

豆を植えれば豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、赤い花の種を植えれば赤い花が咲きます。同じように、怨讐を討つ悪魔サタンの種を蒔けば、怨讐を討つ悪の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。怨讐を愛する精神をもった人々で構成された国が出てくれば、その国が神様の願う理想郷になり、人類が入ることができる理想的なモデルになることができます。

去る三十年以上の間、私は休むことなく家庭崩壊、性的な非道徳性、青少年の退廃、道徳的堕落、そしてキリスト教の衰退などのアメリカの問題を解決するために至誠を尽くして働いてきました。私のこのような努力にもかかわらず、キリスト教徒を含む多くのアメリカ人は、私がする仕事を誤解し、迫害し、投獄までしました。私に対して虚偽的な誹謗と否定的な態度を貫いてきました。しかし、私は憎悪や怨恨の感情にとらわれることを拒否し、迫害者のために変わることなく与える愛の人生を生きてきています。

私は、どのような事情のもとでも、神様の愛とみ旨を心情の深いところで最も大切に守ってきました。このような理由のため、時間がたつとともにアメリカ人、特にキリスト教徒たちで、私の教えと生活の価値を新たに悟る人が多くなり、彼らの心境に変化が訪れていることを見るようになりました。

私は公式的な演説で、「キリスト教徒が、彼らの真の根である神様のみ旨を果たすための使命に応えなければならない!」と直接的に語ってきました。キリスト教徒は、彼らの生活方式と態度を変えなければなりません。キリスト教の創始者は「怨讐を愛しなさい!」という原理を教えました。もしキリスト教徒がこのような根本原理を実践することに失敗すれば、彼らには衰退する道しかないのです。そのようになれば、彼らはイエス様の教えと自由の神聖な法則から離れるようになるからです。

一方、イスラームと他の宗教の指導者たちも、道徳的な面で、そして他のために生きて愛するときに高次元の愛を実践できれば、彼らの怨讐も、外的な力によってではなく、それよりさらに偉大な真の愛の力によって屈服するはずです。私は、西欧社会の指導者たちに、世界に散在している十三億のイスラームの信徒、また三十四億のアジア人と宗教人、それ以外の他の宗教人を無視したり見過ごしたりしてはいけないと常に語ってきました。

もしアメリカがこの巨大な人類家族構成員の存在意味を理解することに失敗すれば、どうしてアメリカが私たちの子孫のために、より良い未来を構築し、平和世界を成就できると期待できるでしょうか。同じ理由から、イスラム世界や他の宗教人たちもまた、どうして西欧社会とキリスト教文化を見下したり、その大切さを見過ごしたりすることができますか。私たちが互いを無視したり拒否したりすれば、私たちには、いかなる希望もないのです。すべての宗教指導者は、他の宗教と社会を包容する高い愛を実践する汎世界的な運動を引っ張っていかなければなりません。これが正に、すべての宗教創始者の崇高な教えです。

神様のみ旨と歴史の要求する方向はどこですか。神様の究極的な理想は、宗教と人種と国家を超越して、真の愛で平和統一された世界、すなわち「人類一家族」を形成することです。神様の目標は、ある一つの宗教や一つの理念の勝利ではなく、全人類が平和と統一と幸福の中で生きていく愛の世界を実現することです。

現代社会が技術的、物質的発展によって統一化されていく外的な趨勢の前で、人類が内的な和合統一を成し遂げるように導くのが宗教の役割です。宗教がこのことの先頭に立って模範を示さなければなりません。宗教界の和合と協力を成し遂げることは、遅らせられない歴史の要請であり、神様の神聖なみ旨です。それができなければ、宗教は衰退します。*

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「世界平和統一家庭連合」創設の背景 神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が「世界基督教統一神霊協会」でした。教派でも、宗派でもなく、「協会」です。宗教界が継続して不信し、計略を巡らせて迫害しながら、無条件に異端だと規定して顔を背けたにもかかわらず、私たちの集まりが大きくなっていったため、世の中が私たちの長い公式名称の代わりに「統一教会」と呼ぶようになり、そのために「統一教会」になってしまいました。

しかし、私は、数十年前から私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。一九九六年に教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として出発しました。

これは、人類史における重大事件です。偽りの父母から受け継いだ罪のくびきをかけ、苦難と葛藤の中で、悔い改めと祈祷の信仰生活を通してのみ神様を求めてきた人類が、真の父母から祝福を受けて重生し、真の愛の生活の中で神様に報告して生きる世界に変わる、天地開闢が始まったのです。

これまで私が、天命に従って真の父母の使命を果たしながら、地上だけではなく霊界の垣根も崩し、地上と天上に祝福の恩賜を自由に下してあげる時までの過程は、誰も知ることができません。歴史の中で、偽りの主人として振る舞いながら、人間を管掌し、神様に逆らってきたサタンを屈服させることが簡単なことでしょうか。サタンが公認しない立場では、真の父母の位相を立てることはできないのです。

サタン主管下の死亡圏にいる万人に、真の父母が管掌するとおりに祝福の特権が及び、霊界にいる霊たちや地上人が真の愛の生命圏に転換される奇跡の時代が開かれたのです。

神様の真の子女として生活しなければならない 満場の紳士淑女の皆様。今訪れてきた天運と共に、人類は、宗教生活を履修し、真の愛の祝福を受けて真の家庭をつくりながら、神様の真の子女として生活しなければなりません。地上で祝福を受け、このような真の愛の生活をした人だけが、永遠の本郷である天上の理想世界、すなわち神様の国に入っていくことができるのです。

霊界に行く時に、何をもって行きますか。お金ですか。権力ですか。知識や名誉ですか。これらは、この世のものなので、超越した世界に行く時は、すべて置いていかなければなりません。これらは、永遠な本質の世界であるその世界では何の役にも立たず、もっていくこともできません。

霊界は愛の世界であるがゆえに、地上で体恤した真の愛、特に天地父母から許諾された真の愛の生活内容が最も貴く認定される世界です。どうぞ霊界をより深く学び、祝福家庭としての生活を通して、真の愛を完成する神様の子女となってくださることをお願いいたします。

私の教えは、人から学んだことを根拠とするものではありません。また、私は、一般教訓的な次元の教育や慣例的な教育はしません。神様と天道に根源をおいた生命のみ言を直説的に訓導しているのです。

私の真の父母の使命が神様の下さった使命だとすれば、きょうこの時間、皆様が私と結ぶ関係がとても意味深く、貴重な関係になることを知って、心の深い所に刻んでおかれるのが良いと思います。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の公道の上に共にあることを祈りながら、この場を終えたいと思います。ありがとうございました。

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神様の実体対象に「改造」することが宗教の目標 宗教は、人間を「改造」する道だと言うことができます。堕落がなければ、宗教は必要ありません。堕落によって心と体が闘っている人間を、永遠に闘わない平和な存在に、また神様の実体対象に改造しようとするのが宗教です。すなわち、神様に似た本然の人格に変えるのです。

私たちの心と体を見たとき、体は悪神サタンの基地になっており、良心は神様の基地になっています。一般的に、体が心を引っ張り回すのです。宗教は、心を引っ張り回す体を打って、弱めさせようとするものです。宗教の教えは、体が最も嫌うものを提示します。「断食しなさい。奉仕しなさい。犠牲になりなさい。祭物になりなさい」と言って、義のために苦行の道を歩み、生命を捧げることまで要求します。

聖書において、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七•三三)という逆説的な論理で教えていることも、肉身が要求するとおりに生きれば、死亡世界である地獄に行くのであり、肉身を抑えて良心の解放圏をもてば、永生の天国に行くということです。

心と体が統一されずに闘う人は、統一された神様の愛の理想世界に適応することができません。一般的に、宗教をもつことによって天国や極楽に行くといいます。しかし、天国は、神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった子女が入っていくようになっています。

堕落した世界の愛は、主に自分自身を中心とした愛ですが、それは、心ではなく体に関係しています。堕落した体は悪魔の舞踏場になっています。本心は、神様に代わる主体、すなわちプラスの位置にいるのですが、体は、もう一つのプラスとなって本心を籠絡(ろうらく)しているのです。これを正さなければなりません。この目的のために神様がつくられた修理工場が宗教です。心と体が永遠に一つになった人、完全な人格に正す修理工場なのです。

ですから、宗教においては、休まずに祈祷し精誠を捧げることを教えています。悪魔は、体を横的な舞台として、二十四時間休まずに活動しています。神様は、縦的な基準に立っていらっしゃるので、縦的な心を通してのみ役事(働き)されます。心が、横的な体の強い作用に引っ張られていかないようにするためには、心自体が垂直の位置で精誠を捧げることによって、神様から三倍も四倍も力を受ける必要があります。このような精誠の生活を三年から五年行えば、心が体の環境的、習慣的影響力から自由になることができるのです。

宗教は復帰摂理のための機構 尊敬する指導者、そして紳士淑女の皆様。宗教生活は、してもよく、しなくてもよいという選択の問題ではありません。堕落人間は、サタンを中心とした偽りの愛と偽りの父母の因縁から生まれてきたので、誰もが例外なく修理工場である宗教を経て、必ず真の父母様と出会い、真の愛と真の生命の関係を結ばなければなりません。

ここで、一つ重要な事実を知らなければなりません。修理工場に訪ねていくのは、そこに永遠にとどまろうということではなく、再生して出てくるためだという事実です。宗教生活は堕落人間の必須課程ではありますが、宗教生活自体が人生の根本的、総体的な目的ではないというのです。人生の究極的な目的は、宗教生活を正しく履修し、模範生として卒業して、創造本然の人間として生活することです。

堕落ゆえに生じた宗教ですが、その宗教の中に埋もれて生きることだけが人生のすべてでしょうか。堕落していなければ、本然の人間はどのように生きていたのでしょうか。本来人間は、神様の子女として、真の愛の理想のもとで真の家庭をつくり、一つの世界を形成して、自由、平和、統一、幸福の天国生活をするようになっています。

神様は、宗教を通じて修理され再生された子女に出会うために、人間を創造したのではありません。罪を悔い改めながら葛藤の中で苦悩している子女を見ることを願う父母がどこにいるでしょうか。まして、創造主であられ、全知全能であられる天のお父様が、御自身の子女を、苦痛の中で罪を犯して生きるようにさせることが本来のみ旨でしょうか。堕落世界は、神様が計画された本来のみ旨ではありません。人間始祖が神様に背くことよって、本然の構想が成し遂げられなくなったのです。絶対的な神様であられるので、そのみ旨も絶対的です。神様は、再びそのみ旨を成就されます。それで、神様の救援摂理は、復帰摂理であり再創造摂理です。

宗教は復婦摂理のための機構です。人間は、真の父母様と出会って宗教生活の過程を履修するだけではなく、神様の子女となって、生活の中で父子の関係をもって神様に侍って生きる生活信仰の世界に飛躍しなければなりません。長い歴史の中で、人間は誰もが宗教生活を卒業しなければならないという、この貴い真理を明らかにした人はいませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗派を創設しませんでした。

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神様のみ旨は創造理想の完成 宗教を信じる目的は、本来の神様と本然の国を取り戻すためです。宗教という言葉は、人間だけを中心とした言葉ではありません。神様を母体とした最高の教えが宗教です。神様と関係を結び、神意に従って生きる生き方を身につける過程があるのです。したがって、聖人は、天意に従わなければならず、天情を紹介しなければなりません。真の宗教は、神様について教えてあげなければなりません。真の宗教は、漠然とした神様を紹介するのではなく、神様に対する認識をはっきりと強固に植えつけてあげることができなければなりません。世の中と妥協する宗教は、高次的な宗教だと言うことはできません。そのような宗教は、結局は衰退してしまうようになります。真の宗教は、人が神様を正しく求め、神人が一体となる本然の世界に帰っていくことを教えなければなりません。宗教を信じるのは、罪のない世界、神様と本然の関係を結んだ理想世界を求めていくためです。

神様が求めていらっしゃるのは、宗教界ではなく理想世界です。宗教の目的は、宗教自体の教えを通した世界ではなく、神様の理想を通した世界です。ここにおいて問題となるのが創造理想です。神様が創造されたので、創造理想を明確にすることはとても重要なことです。

それでは、神様のみ旨とは何でしょうか。創造理想を完成することです。神様がエデンの園で人間始祖アダムとエバを通して成し遂げようとされた創造理想とはどのようなものだったのでしょうか。真の愛の本体であられる神様は、愛のパートナーを必要として創造をされました。人間は、神様の真の息子、娘としてつくられました。神様の真の愛の理想を成し遂げるためです。彼らは、真の男性と真の女性として成長し、真の夫婦となって真の家庭をつくり、理想的な国と世界を形成するのです。

別の言い方をすれば、神様の真の愛を中心として、理想的な家庭、さらには理想的な世界を完成するのです。しかし、人間始祖の堕落によって、この創造理想は崩れてしまいました。したがって、宗教の目的とは、一人の真の人を取り戻すことであり、真の家庭と真の国家と真の世界を取り戻して、万民が平和に生きていくことです。これが正しく、神様が地に対して摂理される目的なのです。

宗教は、このように善の世界を追求してきました。しかし、その善の世界は、善の国が現れなければ成し遂げることができません。善の国は善の民族が、また善の民族は善の氏族が、そして善の氏族は善の家庭が先になければなりません。ですから、善の家庭を築こうとすれば、先に善の男性と善の女性がいなければなりません。アダムの堕落以後、イエス様の時までの四千年間、イスラエルの歴史は、外的には、世界を取り戻す歴史でしたが、内的には、真の息子、アダム一人を取り戻す歴史でした。堕落によって、神様の愛を中心とした生命と血統を受け継いだ息子、娘がいないことが神様の恨です。

愛と生命と血統の主人 神様が、愛と生命と血統の主人として再び造られ、この世の中に送られるお方が救世主です。観点によって、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母と様々に表現されることもあります。この世のすべての人々を貧困と苦痛、戦争と罪悪から救ってくださるという観点では救世主として、また絶対者の救援のみ旨を中心として、すべての宗教人を生命の道に連結させる仲保者という観点ではメシヤとして、また第一イスラエル、第二イスラエルと続いてきた神様の主流復帰摂理という観点からは再臨主と呼ばれてきました。救世主、メシヤ、再臨主、これらの名称は、主に救援と復帰過程に焦点を合わせて呼ばれてきたものです。

偽りの父母、偽りの先祖と因縁を結んで生まれ、罪悪と葛藤の中で生きてきた堕落人間は、堕落直前の段階にまで復帰されることによって、すべての所願を成し遂げることができるのではありません。

神様のみ旨も、人間の本性の所願も、創造理想を完成した本然の理想的な人間となり、理想世界を成し遂げることです。それは、神様の愛の理想を完成した個人として生まれ変わったのち、真の愛の夫婦となって真の父母になることです。

そのために、神様の真の愛、真の生命、真の血統の始原である真の父母が絶対的に求められるのです。このように、神様の救援摂理完成のためには、男性として一人で現れる救世主、メシヤ、再臨主ではなく、神様の真の愛を完成した典型としての真の父母のお二人をお迎えしなければならないのです。

神様が、先に造られたアダムのあばら骨で、その永遠の相対であるエバを造られたように、神様の息子、復帰されたアダムが先に来てエバを復帰、再創造することによって、真の愛の理想を実現し、真の父母の位置を完成しなければならないのです。人間の真の愛と真の生命の源流がその中にあり、理想的な男性像、女性像の標本がその中にあり、理想的な真の夫婦と真の父母の標本が、その真の父母様の中にすべてあるのです。

人類の罪悪と苦難が、堕落した先祖の偽りの愛によって実を結んだ偽りの父母、偽りの先祖に由来しています。したがって、堕落の因縁から解放され、理想を完成することは、来られる真の父母様を通してのみ可能です。人類が宗教を通して求めてきたものも、世界が待ち望んでいるものも、神様の愛の理想を完成する真の父母です。

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6.神様の真の愛と「天地人関係」の回復 日付:二〇〇三年二月六日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:真の父母様御聖誕記念式

尊敬する前職、現職の国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界指導者、百八十九ヵ国の代表、国内外の高名な各界代表と平和大使、各宗親代表、そして紳士淑女の皆様。私の満八十三歳の誕生日と韓鶴子総裁の還暦を祝賀するために集まってくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりもまず、この日まで私を守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。

神様を抜きにしては説明することのできない私の生涯であるがゆえに、この意義深い場を感謝しながら、「神様の真の愛と『天地人関係』の回復」という題目でみ言をお伝えしようと思います。

神様に対する新しい理解 人類は歴史的に、神様や絶対者について多くのことを語ってきました。様々な賛美や頌栄を捧げ、また一方ではむやみに批評したりもしてきました。「神様はいない」、「神様は死んだ」と極言したりもしました。それにもかかわらず、神様は、ただの一度も「私はここにこのように生きている」と直接的に現れることをされませんでした。

また、「科学と技術の発達が高度化すれば、神様を信じる人はいなくなるだろう」と予言した人も大勢いました。

しかし、現代社会においても、信仰者は依然として減っていません。神様は、生きていらっしゃる万有の根源者であられ、創造主であられ、人類の真の父母であられます。

私が発表し教えてきた神様は、漠然とした神様ではありません。いち早く、少年時代から人生と宇宙について苦悶してきた私は、十六歳(数え)の時に神様を体感し、その時から今まで、生活の中で交流してきました。

生死の境界線を行き来する険しい私の生涯を支えてくれた原動力は、正に生きていらっしゃる神様との約束と絶対信仰です。私は、霊界の隅々を渉猟し、そこにいる五大聖人と数多くの賢哲と会い、私の天的な使命に対して彼らの公認を受けました。

皆様。このように神様は厳存され、人類の真の父母であられるのです。神様は、私たちすべての生命の根源者であられ、すべての人が関係を結ばなければならないお方です。そして、私たちが訪ねていく霊界も、既に存在している世界だということをはっきりと知らなければなりません。私は、歴史に例のない「神様会議」を数度にわたって主導してきました。

一九八〇年代、各宗教団体の代表者と最高位の神学者、宗教学者を参席させた三度にわたる会議は、宗教界に大きな反響を巻き起こしました。これらの会議を通して私が指導しようとした要旨は、第一に、各宗教は、それぞれの特殊性をもちながらも、それよりもはるかに多くの共通の底辺をもっていること、第二に、宗教人相互間の葛藤と不和は、信仰者たちの偏狭が主な原因であって、決して絶対者のみ旨ではないこと、第三に、神様は、信仰や儀式よりも、愛の実践をより願っていらっしゃるお方だということ、この三点です。

この時に発表された論文と会議の記録は、現在、各宗教団体の最高神学教育課程の教科書として活用されています。高い垣根が築かれていた宗教団体間の対話と協力の気運が、この時から本格的に開かれ始めたのです。それ以降にも、毎年多くの予算を投入しながら、各種の宗教連合運動と超宗教平和運動を全世界的に展開してきました。

二〇〇二年十二月二十六日から三日間、アメリカのワシントンDCにおいて、私は新たな次元の神様会議を開催しました。「神様と平和世界」を主題として開かれたこの場に、世界各地から宗教指導者だけではなく、世界各地から、政界、学界、言論界、財界、文化芸術界、NGO代表等、三百十二人が集まりました。

神様は、信じる人だけの神様ではありません。万民の神様です。また、今この時は、漠然とした神様ではなく、より明確な威容と主管権をもって万民の前に立っていらっしゃる神様を悟らなければならない大転換期です。神様を無視しては決して解決できない個人的、家庭的、国家的、世界的問題の渦の中に埋もれている現代人だということを自覚する時です。

この会議には、三百十二人の世界的指導者が集まり、第一に、真の父母、真の師、真の主人であられる神様と実体の真の父母を、個人、家庭、国家、世界の縦的な絶対価値の軸として立てること、第二に、神様のみ旨を完成することを、霊界において五大聖人と賢哲たちが決意し、一致団結して地上を協助するため、それに歩調を合わせて協力すること、第三に、平和理想の実現のために、真の愛の実践運動や国連刷新運動等、真の父母様が計画することに積極的に参与し、教育し、推進すること等を内容とする決意宣布文を発表しました。

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終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引っ張り上げて救うという戦略を、サタンは知っています。サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときに天使長がそうしたように、全人類をフリーセックスに追いやって全世界を裸にし、すべて死んでいく方向に引っ張っていくのです。人類がすべて天使長の後裔としての末路に直面するようになるのです。

エデンの園からサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの子孫が、今日の人類なので、サタンは堂々と神様のみ前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたいとおりにできる権限を主張するのです。神様はサタンが何を願うかを御存じです。サタンはフリーセックスを通して、ただの一人も神様のみ前に帰れないように、言い換えれば、全人類を完全に堕落させて地上地獄をつくろうとするのです。今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄となっていく世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄になったこの世界と一八〇度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来て、この世の中を救ってくれるのも、正にこのような一八〇度反対の道を教えて、天国に導くことなのです。

それでは、フリーセックスの道と一八〇度異なった正反対の道とはどのような道でしょうか。偽りの父母が現れて作った道がフリーセックスの道なので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は干渉することができません。この地のいかなる主権や軍事力、経済力、政治力でも手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことなので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道はないのです。罪を犯した者がその罪を蕩減しなければなりません。家庭で結婚を誤って、血統が一八〇度ねじれてしまったので、真の父母が来て結婚させ、一八〇度原状に戻すことによって、天国に行く道を開いてあげるようになるのです。

純潔と真の家庭運動を通じた平和世界の実現 神様がアダムとエバに期待したことは何だったでしょうか。絶対愛を期待したのです。絶対「性」が存在するところには絶対純潔の夫婦が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レズビアンという言葉は消えるようになるのです。このような絶対純潔の愛を求める運動を世界的に広げるために、レバレンド•ムーンは一生を捧げて受難の道を克服してきたのであり、今は、勝利の祝歌を響かせながら、世界に号令をかけるときになったので、天に感謝しているのです。

世界平和に向かっていく礎石を置くのも家庭であり、世界平和への道を破壊するのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊されたところがアダム家庭でした。したがって、きょう、このように「世界平和家庭連合」を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と一八〇度異なる方向に行くことができる道が開かれたことを、天に感謝せざるを得ません。この道でなければ自由も幸福も理想もありません。

皆様は今、絶対的な純潔の生殖器、唯一の生殖器、不変の生殖器、永遠の生殖器を中心として、これを基盤として神様を求めるようお願いします。この基盤が真の愛の基盤、真の生命の基盤、真の血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、ここから正に地上天国と天上天国が生じることを理解されなければなりません。

すべての男女が、自分たちの生殖器が実は自分のものではなく、自分の相対が主人だということを認めるようになれば、頭を下げて謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになるでしょう。愛は相対なしには訪れません。愛は相対から訪れるので、ために生きないところには、愛があり得ないのです。絶対的にために生きるところで絶対愛を見いだすことができることを肝に銘じてください。

どこに行かれても、テレビやその他、言論機関を通してレバレンド•ムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅びません。地獄になったこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は神様であられます。

今、私たち全員が共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛隊になりましょう。今から家にお帰りになられたら、夫婦で自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠の器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、あなたのものであり、あなたが今までよく保管してきたものが自分のものだと宣言し、互いのために生き、永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様がとどまるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が行われるのです。そうして、皆様全員が共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭になるようお願いいたします。ありがとうございました。

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罪悪の根は不倫な性関係 皆様。神様がお好きですか。レバレンド•ムーンがこのようなことを展開しているのを御覧になる神様は喜ぶでしょうか。教皇庁の教えと今度の大会に参席したロバート•シユーラー牧師の教えが同じでしょうか。もちろん、統一教会の教えも大きく違います。そうだとすれば、誰の教えが正しいか神様に尋ねてみてください。

イエス様と聖母マリヤに対する皆様の理解が間違ったものだといくら教えてあげても、それ自体が統一教会の利益になることがあるでしょうか。しかし、皆様が間違いなく知らなければならない一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンド•ムーンは、生涯を捧げてこの道を歩んできたのです。

皆様。イエス様は結婚しなければなりませんでした。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいたなら、イエス様も彼女と結婚したくなかったでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造され、彼らに生殖器をもつことを共に許されましたが、何のためにそのようにされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様が彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないでしょうか。問題は彼らの堕落にありました。堕落ゆえに血統が変わったのです。

ですから、神様は彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となるべきアダムと神様の夫人格として立つべきエバが堕落することによって、神様御自身の体と理想が本然の状態を失って、怨讐になったのですから、それを御覧になった神様の心情がどれほどつらかったでしょうか。堕落は自らを埋葬する墓です。人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になりました。

今日のアメリカはどのような国ですか。極度の個人主義、過分な私生活の追求、フリーセックスのようなものを神様が好まれるでしょうか。行き過ぎた個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの言うとおりなら、天と地、世界、国家、社会、家庭、甚だしきに至っては祖父、祖母までもすべて、放り投げてしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジブシーやヒッピーになってさまよい、雨が降り、雪が降れば、行くところがないので、自殺して、一生を終えようという話ではないでしょうか。

しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分な私生活の保障を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいと思うのが、私たちの本心が願うところです。それができない反対の道を行くうちに、良心が燃え尽き、本心との相反を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するのが良いと判断し、自ら命を絶つ現象がだんだんと増えていくのです。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六•七)という聖句が的中するのを目撃するわけです。

アダムとエバがエデンの園にどんな種を蒔きましたか。節制のない性関係の種を蒔きました。それを否定できますか。ですから、彼らが下半身を覆ったのです。子供たちも、父母が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして、見つかれば隠すのが本性の作用ではないですか。もし、善悪の実を取って食べたなら、その取って食べた手や口を覆うべきなのに、なぜ下半身を覆ったのかというのです。堕落は淫乱によって引き起こされたことを否定できません。堕落して落ちたアダムとエバを救ってあげるためには、堕落した方向と一八〇度逆の経路を通してこそ、救ってあげられるということは、この上なく理論的です。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来なければならないのです。

再臨のメシヤの使命と真の父母、真の家庭 メシヤは、堕落前、神様が創造したエデンの園の場で、家庭を築くことのできる主人として来られるお方です。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題です。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければなりません。この死亡の世界で、誰が自分を救ってくれるかが問題です。

旧約時代を見てください。その時は、「目には目、歯には歯」(出エジプト記二一・二四)という原則のもとに蕩減してきました。イサクの妻だったリベカは、長子のエサウと夫までもだまし、次子のヤコブに奪い取った祝福を与えた女性ではないですか。そのような女性を神様はなぜ愛したのでしょうか。そのような神様をどうして信じることができるというのですか。今まで、このような疑問を誰も解明できませんでした。レバレンド•ムーンが初めて解いてあげたのです。レバレンド•ムーンだけが神様の秘密をすべて知っているからです。

それでは、天国と地獄はどこで分かれるか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。正に皆様の生殖器です。深刻なことです。これが天地をひっくり返しました。誰が否定できますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本の堕落論に説明されています。疑問に思えば神様に尋ねてみてください。皆様には、夢にも想像できない内容と理論をもって体系化しておいたレバレンド•ムーンの原理の本に反対することはできないのです。

レバレンド•ムーンが天国に行くか、行かないか気になるなら、死んでみてください。死んで霊界に行ってみれば分かります。レバレンド•ムーンがこの道を探すために、死の道を何百回も超えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人がレバレンド•ムーンです。歴史始まって以来、誰もレバレンド•ムーンほど神様を愛した人がいません。ですから、いくら世の中がレバレンド•ムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンド•ムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共に保護してくださいます。

生殖器を、目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば天国の高い所に行くのです。明白な結論です。今、青少年の問題が深刻な問題です。エデンの園でアダムとエバが、青少年期に日陰で淫乱によって堕落し、フリーセックスを蒔いたので、収穫の時期である終わりの日には、必ず世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。

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神様の創造目的 愛、生命、血統、良心があっても一つになっていて、完全にバランスを取れば、感じられないのです。私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、みなもっていますが、独りではそれを感じられません。完全にバランスを取っているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここから見つけることができるのです。男性でも女性でも、独りの時は愛を感じられませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れる時は、相対的に刺激的な愛と血統が雷鳴と稲妻のように衝撃を受けて問題を起こすことを知らなければなりません。ですから、しっかりと目を覚ましていなければならないのです。このような真理を知らずに生きてきました。神様も絶対的に愛の相対が必要だという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。

それでは、神様の愛の相対は誰でしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるでしょうか。夢のような話は最初からしてはいけないというのです。アメーパから始まった生命体が人間に至るまでには、数千の段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。あらゆる動物もみな、同じです。種の区別は厳格です。誰も占領できません。唯物論を信奉する共産主義者たちが猿を先祖と信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が出てくると思いますか。百年、千年やってみても徒労に終わります。これは、生命秩序の尊厳性を考えてみるべき問題です。

そうだとすれば、神様も何を必要とするのでしょうか。どの部分をより必要とするのでしょうか。目でしょうか、手でしょうか。私たちが考える五官ではありません。神様は男性格と女性格の二つの性稟をすべて所有していらっしゃいますが、父としていらっしゃるためには男性格主体として存在されるお方です。

このような基準で見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界の誰が、果たして神様の愛のパートナーになるでしょうか。男性独りでなるのでしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います。神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになるその場を中心として顕現なさり、人間と出会うのです。

なぜその場が神様を中心として一つになる場なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が正にその場だからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性稟である陽性と女性の性稟である陰性が合わさり、大きな陽性の立場で大きな陰性と合わさって一つになるのです。いつそのようになるかということが問題です。

結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのですか。結婚は愛を求めていく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。男性と女性の血統が混ざる所です。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人の存在も意味がなく、国もなく、理想世界もありません。これが公式になっています。男性と女性は絶対的に一つにならなければならず、父母と子女たちは絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きてから、死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国です。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような理想的な人がいないので、神様が理想とする天国は空いているのです。今まで死んでいった人類はすべて地獄に落ちています。天国に入れませんでした。

このような観点から、イエス様も人類を救うための救世主として来られましたが、昇天したのち、天国には行けず、楽園に行っておられることを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨することを願われるのです。イエス様も結婚して家庭を築き、その家庭と共に神様に侍って暮らしてから、共に天国に入れるのであって、独りでは天国に入れないので、聖書でも「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ一六•一九)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければなりません。

堕落世界を収拾できる思想 今日、人類は堕落した子孫となって、堕落圏の下に落ちているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入れないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を突破しなければならないのです。ですから、イエス様も「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七•三三)と言いました。この道を行くためには、全生命を懸けて、突破して上がらなければならないのです。

皆様の家庭は、堕落圏内の家庭です。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されました。アダムとエバが赤ん坊を生んだのちに追い出されましたか、追い出されたのちに赤ん坊を生みましたか。彼らは追い出されたのち、神様と無関係の立場で子女を生んだのです。このようなことも知らずに天国に行くというのですか。とんでもないことです。無知からは理想も生まれず、完成もありません。目を覚ますことを勧告します。

レバレンド•ムーンの話が正しいか、正しくないか祈ってみてください。私がこの道を探し出すためにどれほどの受難の道を歩んできたか、誰も知りません。罪もなく監獄に六回も入るほどの苦難に遭い、探し出してきた道です。ところが、他人の大切な息子、娘たちを連れてきて、このような真理を教え、短時間に方向転換させるので、多くの人が洗脳したと言うのです。無神論者は、神様がいないことを科学的に、理論的体系を立てて証明しようとして、自ら崩壊していきました。同様に、キリスト教徒たちは自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを取り除こうと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端こそが正統です。反対になるのです。サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌うものはサタン側だということを知らなければなりません。

思想的空白期に置かれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンド•ムーンの思想を中心として出版された中学校、高校、大学の教材を通して、さらには、刑務所の罪人までもその教材を通して、思想武装をしています。旧ソ連の三千六百余の学校でレバレンド•ムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは、「私たちがアメリカに勝らなければならない。レバレンド•ムーンに反対するアメリカに勝らなければならない」と叫んでいます。西洋の腐敗した退廃風潮である同性愛やフリーセックスなどを収拾する道は、レバレンド•ムーンの思想だけだと彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカより先にレバレンド•ムーンに従っていこうと叫んでいます。

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互いに相対のために生まれ、相対のために存在し、相対のために生きていき、相対のために死ぬことができるように生まれたのです。男性が男性だけのために生き、女性は女性だけのために生きる世界を想像してみてください。男性が女性をぞんざいに扱って無視する世界を、どうして自由の世界であり平和の世界であると呼ぶことができますか。女性が男性を排斥して子も生まないという世界を、どうして幸福な世界と呼ぶことができますか。

夫と妻は、どのような状況でも互いのために生き、愛してあげる真の愛の人生を共に分かち合いながら生きなければならないのです。これが、神様が男性と女性を創造した理想であり目的です。自分だけを絶対的に主張する独裁者からは、自由と平和を探し出すことができません。一人の独裁者が立てられるために、どれほど多くの人々が犠牲になりますか。相対を犠牲にして自分を立てようとする、すなわち、ために生きる真の愛の人生とは正反対の道が独裁者の道です。それで独裁者は、すべての人が嫌うのです。歴史的に独裁者はすべて、不幸で始まり、不幸に終わるのです。これが宇宙の根本真理だというのです。

尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちは「他のために存在しなさい!」という天理に従わなければなりません。私たち個人を中心として、前後左右をよく見てください。家庭生活でも、いくら年が若く、格位が低い人でも、その人がすべての家族のために家庭の誰よりもために生き、献身する生き方を見せてあげれば、その人は自動的にその家庭の中心になるのです。

困難で大変なことが発生すれば、家族全員がその人に話し、相談しながら支援を要請するはずです。よりために生きる人が中心存在になるのであり、責任者になるというのが天理です。社会や国家の経営についても同じです。誰でも、自分以上にその団体や国のために献身し、奉仕する人がいるとすれば、その人に主のように侍り、神様のように侍ることができる、謙遜な生を実践しなさいというのです。

皆様が霊界へ行くようになれば、神様は天地の中心存在としていらっしゃるので、その方には千年、万年支配されてももっと支配されたいと思い、支配されること自体が最上の幸福になるのです。

私の話が信じられなければ、すぐにでも死んでみてください。今日、人類はこのことを知りません。自分のために本当に面倒を見てくれて、主管してくれる人をもつとき、真の幸福と平和を享受できることを知らずに生きているのです。

私たちの父であり全知全能であられる神様が、「私のために存在する」と感じてみてください。最高の愛である神様の真の愛が「私のためにある」と信じてみてください。そこで初めて皆様は安息を見いだすようになるでしょう。互いにために生きるべきである、というこの公式的な原則を拡大し、国家と民族を超越して世界基準まで到達すれば、その世界が正に人類の願うユートピア的愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、幸福の世界に間違いありません。地上天国は、正しくこのような世界です。

紳士淑女の皆様。ために生きる人は天が保護し、中心存在になると言いました。この場に立っている私の人生が、その良い証拠になっています。世界万民から真の父母と呼ばれている私たち夫婦ですが、この立場にまで来る道は決して順調な道のりではありませんでした。

私は、生涯を天と人類のために捧げてきました。父母が反対し、一族が反対し、教会が反対し、国家が反対し、世界が反対する場でも、私は絶対に絶望したり、天の教えである「ために生きる人生」の実践を中断したりしませんでした。真の父母の道は、このように極と極を貫く孤独な道でした。その結果、今は私の生きてきた姿である「真の愛の運動」が全世界的に燎原の火のように広がりつつあります。ために生きる人生の実践を通して数百万の家庭が生まれ変わり、平和と幸福の真の家庭になっています。

そして、私たちの夫婦を真の父母として侍って生きようとする家庭が、全世界の至る所から集まってきています。今は、個人から天宙圏まで八段階の理想圏を完成し、神様の解放圏まで完成したので、正に人類の願いであるユートピア、すなわち地上天国が皆様の目の前に開かれています。

きょう、この貴い席に共にされた皆様も、天がこの時代、人類に下さった天理である「ために生きる人生」の真の愛を実践して、天が祝福した中心者、責任者となられ、永遠の平和と永遠の自由、そして永遠の幸福を成就されることを願います。ありがとうございました。

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5.真の王の基 日付:二〇〇二年二月十七日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園・フェンシング競技場

行事:真の父母様御聖誕慶祝行事

世界各国から来られた著名な指導者の皆様、そして国内外貴賓の皆様。きょう、このように私たち夫婦が生まれた日を祝ってくださるためにお越しくださったことを心から感謝いたします。この意義深い日を迎えて、私は「真の王の基」という題目で、神様が本来、宇宙万象と人間を創造した理想を中心に、私たちの本然の人生はどのような姿でなければならないかを、神様のみ旨に立脚して皆様にお話ししようと思います。

宇宙の存在秩序は「ために生きる人生」を根本にしています。神様は知恵の王なので、宇宙万象が、相対のために存在するという原則をもって生きるように創造されました。これを天理の原則であり創造の秘訣として立てたというのです。真の理想、真の愛、真の幸福、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に人間の願いでもあります。このような理想を成し遂げる道は別のところにあるのではありません。ために生きるところだけに真の愛が起こるのであり、真の幸福、真の理想、真の平和が実現するのです。

したがって、理想の起源、平和の起源、幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。「私」は私のために存在するという立場では、互いに一つになれないのです。互いに一つにならなければ、平和も、幸福も、理想も、愛も成就することができません。家庭でも、家族全員が互いにために生きる姿勢で生きるとき、その家庭には平和と幸福が訪れるのです。まず、夫婦間の姿を調べてみましょう。

真の夫とは、どのような夫ですか。生まれるのも妻のために生まれ、生きるのも妻のために生き、死ぬのも妻のために死のうとする夫がいるとすれば、そのような夫こそ真の夫でしょう。真の妻も、このような原則に従い、ただひたすら夫のために生きる妻であるはずです。

このようにために生きる生涯を送ろうとする真の男性と真の女性が夫婦になったとすれば、そのような夫婦こそ理想的な夫婦でしょう。そのような夫婦を通して真の平和の基準を求めることができます。そのような夫婦は、本当に幸福な夫婦になるのです。そのような夫婦こそ、永遠で普遍な真の愛の主体者になることができます。さらには、神様の愛を直接受けることができるようになり、神様の平和の対象になることができ、神様の理想の実体対象になることができるのです。

父母の人生はどうですか。父母は子女たちのために存在し、子女たちのために生き、子女たちのために死のうという犠牲と奉仕の精神で子女たちを養育し、教育すべきだというのが天理です。

このような父母こそ、真の父母になるのは当然のことです。そして、子女たちはこのような模範的な父母の姿を手本として真の子女の道理、すなわち真の孝子の道を歩むようになるのです。それでは、真の孝子とはどのような子女ですか。生まれるのも父母のために生まれ、生きるのも父母のために生き、父母のために生きるなら命までも捧げることができる子女が、真の孝子です。

同じように、相手のために生きていこうという原則を信じて実践する人生を生きるようになれば、家庭では、平和の家庭、自由の家庭、幸福の家庭、愛の家庭を形成するようになるはずであり、社会でも、平和の社会、自由の社会、幸福な社会、愛の社会、本然的理想の社会が成し遂げられるでしょう。国家と世界でも同じです。

いつ、どこで、どのようなことをしても、この原則さえ固守すれば、自由と平和と幸福と愛を自動的に得るようになるのが天理です。私たちは、ために生きる人生を生きていくときにも、主体と対象の関係についてその優先順位を考えてみなければなりません。神様の創造を調べてみれば、神様御自身が主体の立場ですべてを先に投入し、ために生きる立場で創造されました。知恵の王である神様も、平和と幸福、理想と愛の本然の基準を、このように人のために投入して存在することにおかれ、宇宙創造の大原則として立てておかれたのです。主体がまず対象のためにすべてのものを与え、ために生きる生き方を見せてあげるとき、対象は自動的に主体のために命までも捧げるようになるという原理です。愛は、対象から来るのです。対象がなくては、幸福や平和というものはあり得ません。

これは必ず対象を通じて来るのです。自分の生命よりもっと貴い愛と理想が対象を通して来るので、その貴いものを受けるためには謙遜に準備しなければなりません。ために生きるにも、謙遜に頭を下げてために生きなさいというのです。

ために生きる人生には永遠があり、繁栄があり、ために生きる位置が中心となる天理が運行しています。今日、どんなに多くの宗教の経典があるとしても「他のために存在しなさい!」という一言が、すべての経典の教えの上に高くそびえ立つようになるのです。新•旧約聖書六十六巻も、結局「他のために存在しなさい!」というこの一言で総括的な結論を下せるのです。それで、イエス様も、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三•一二)とおっしゃったのです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)とおっしゃいました。これはすべて、ために生きる人生の価値を説明したみ言です。このような人生を通じて天国が顕現し、神様が顕現され、神様の愛が顕現し、神様を中心とする平和と幸福と理想が顕現するようになることを語られたのです。男性と女性の関係においても、男性も女性も、本来、自分のために生まれたのではありません。

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国際合同結婚式の意義 このような原則のもとで、レバレンド•ムーンは、人類救援のために、五大洋六大州に広がっている五色人種を一つにし、一人の方、神様のもとの一つの世界を実現するために、国際合同結婚式を挙行し、数千、数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。東洋と西洋が結婚を通して一つになるとき、世界で最も大きな文化的葛藤はなくなるはずです。

アメリカ人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つになれば、怨讐だった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。さらに、レバレンド•ムーンは、霊界にいる霊人たちまで、真の愛によって祝福してきました。

地上と天上に天国が形成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、実体の真の父母を通してのみ可能なのです。人類の先祖が偽りの父母として、罪悪の種を蒔いたので、メシヤは、人類の真の父母として来て、地上と霊界のすべての人類を解放してあげなければならないのです。

血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人では成し遂げることができないのです。もし、神様ができるのであれば、既にずっと以前に解決されていたはずであり、また堕落もさせなかったはずです。しかし、人間に賦与された自己の責任分担に対しては、原理法度の神様は、一切干渉することができないのです。したがって、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもつ人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。

このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単に男性と女性が配偶者として出会うことのみにあるのではありません。本然の神様の生命の種を与えられ、真の神様の子女として生まれ変わるための、神聖で偉大な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と地上解放時代を迎えたのです。

世界が、数千、数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏も、キリスト教、イスラーム、儒教、仏教など四大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一の家庭化時代を迎えました。新約時代を経て、完成時代である成約時代を経て、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に入ってくるようになったのです。

言い換えれば、今は、国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を超えて、天宙が一つの神様のもとで、一つになる時代に進入したのです。さらに地球星が全祝福家庭たちの故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、それが一つになることによって、永遠の祖国光復である地上・天上天国が始まるのです。

真の愛の天宙化は新千年天国の完成 内外の貴賓の皆様。私は、新千年が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して「真の愛の天宙化は新千年天国の完成」というみ言を宣布しました。「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にするという意味であり、新しい千年を迎え、全体世界を通して天国を完成するのです。

天宙は、神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家が完成するためには、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式的な原理に基づく家を求めて、一つにならなければなりません。国は、家庭が入ることができる愛の家であり、世界は、国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は、世界が入ることができる愛の家です。

その中でも、真の愛の家庭というものは、巨大な天の国の家である天宙の出発点であり、核になります。家庭で夫は、妻の真の愛を中心とする家であり、妻は、夫の真の愛を中心とする家であり、父母は、子女の真の愛を中心とする家であり、子女は、父母の真の愛を中心とする家です。

神様の国は、真の自由と信仰、そして理想が実を結んだ花であり、真の愛と真の生命、そして真の血統が定着した真の家庭がとどまる所です。さらには、永遠の真の愛と幸福が満ちあふれた千年王国時代が始まる所です。

天地安息圏の中心が、神様が共にいらっしゃる真の男女が結合した家庭なので、私はこれまで真の家庭の価値を説き明かしてきました。したがって、私たちは、聖書で言うエデンの園をこの地球上に具現させなければならないのです。

今、新たに迎えた新千年は、六千年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成就される、成約の時代です。

二度と涙がなく、死亡がなく、哀痛の声が聞こえない、新しい天と新しい地を意味します。水晶のような澄んだ生命水を代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代を言うのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成就される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管圏が、復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。

以上のように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠の祖国を意味するのです。最後に「一人の神様のもとの一つの国」を越え「一人の神様のもとの一つの天宙」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が形成される時です。したがって、私たちは、神様と人間の根本関係である父子の関係を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷と祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。

重ねて、この場を訪ねてくださったアメリカの指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真の兄弟姉妹となり、平和と自由、そして正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、み言を終えようと思います。私は、新しい時代を迎えて、神様が、アメリカにとってこの世界を導くように万全の準備をしておかれたことを確信します。皆様の国と家庭に神様の祝福が共にあることを祈ります。

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人類の真の父母として来られる再臨のメシヤ 復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真の血統が連結され、真の生命をもって出生した人は、イエス様しかいません。これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で、神様の直接主管圏に入っていった人は一人もいませんでした。それで神様は、これまで一人、孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。したがって、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。

それで神様は、信じることができる一人の人、すなわち、血統を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを求めてこられたのです。皆様も御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史は、メシヤを迎えるための選民の歴史でした。準備された選民、イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨だったのです。しかし当時のユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかかって亡くなることによって、その歴史は再臨理想として残されました。

したがって、再び来られる再臨主は、人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。メシヤが出発する起点は、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりも、もっと神様に栄えある立場で素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭でなければなりません。

メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから、祝福結婚した家庭を連結し、地上天国と天上天国が完成するのです。

したがって、メシヤは人類の真の父母として来なければなりません。来られるメシヤは、サタン世界の愛とサタン世界の血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を形成しなければなりません。すなわち、真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなければ道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。

したがって、すべての人類は、八段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければなりません。本来なら、腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と女王の時代までの八段階を経なければなりません。結局、人間は、神様の子女として、王、王妃として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。

完全に生まれ変わった新しい人になるためには 皆様。このように、私たち人間は本来、成長し、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。このためには、地獄の底から、八段階の蕩減条件過程を通過して、天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ可能です。

このような祝福家庭は、世の中の助けとなる主体的な家庭にならなければなりません。このように、完全に生まれ変わって新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私もやはり、生涯を通じてこれを実践してきました。

神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして、完全投入することを意味します。

このように投入して忘れ、投入して忘れて、最終的に自分という概念さえすべてなくなる零点に進入するのです。神様は、信仰もすべて注いだので、残ったものは零点であり、愛もすべて注いだので零点であり、純情もすべて注いだので零点です。

しかし神様の真の愛は投入するほど大きくなるのです。私たちはこのような神様に似なければなりません。愛を否定されても、さらに愛し、投入しても、もっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈伏させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んできたのであり、天地父母がそのような道を歩んできたのです。

投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でも、祖父、祖母をはじめとして十人の家族が暮らすとしても、最もために生きる人が家庭の中心となるのです。

愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。神様は、人類歴史始まって以来、いかなる存在よりも、真の愛を中心として、より一層ために投入して忘れてきたのであり、また、永遠に継続して投入できるので、ために生きる人の王となり、先祖となることができます。

私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、正しくこのような原理原則で努力してきたからです。自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行くとき、今日に至るまで、有形、無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか、彼らの中心の位置に立つようになったのです。真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちのために投入し、反対する政権のために生きていくと、いつの間にかレバレンド•ムーンを尊敬するようになったのです。

私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すのであり、サタンの戦略は打って失ってしまうのです。

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信仰および平和と統一の本郷の地は故郷と祖国 紳士淑女の皆様。善なる人とは、どのような人ですか。様々に定義することができるかもしれませんが、一つは、受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対して、プラスして恩返しする人は善なる人であるというのです。ですから、子女が自分よりも劣ることを望む父母はいません。立派になることを望みます。また、夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟を、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。したがって、受けたものよりも、もっと大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いなのです。さらには、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人こそが、自由と解放を受け、天宙的な歓迎を受けます。個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。

それでは、皆様はどこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。本然の故郷は、広い意味で考えるとき、天宙の中でも地球星であり、祖国は先祖の代わりに私たちの神様がいらっしゃる所です。この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち、私の本郷です。

そこには、黒人、黄色人種、そして白人が共に調和して暮らしています。このすべての人種は誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。したがって、宇宙で、東西南北のどこに行こうと共にいらっしゃる神様が人類の父であることは間違いないのです。

ですから、アメリカの主人が白人である、黒人である、黄色人種であるという考えは誤りです。アメリカの主人は神様であられます。皮膚の色が違うのは、住んでいる地域によって気候と環境が異なるので、それに合わせるためなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人は根本的に同じです。例えば、血の色や、筋肉や骨の形はすべて同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。したがって、人種の差別はあり得ません。

それで、統一教会では国際合同結婚式を通して、人類平等を実現してきました。自然の道理と原則を尊重してみると五色人種(すべての人種)が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、極と極が一つになることと同じです。あるいは、黄色人種と黒人が結婚すれば、お互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた子孫を生むと考えるのです。

愛があるところには、葛藤がありません。たとえ、皆様の生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いないことは、信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地は、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。

最も重要なことは真の愛、真の生命、真の血統 人間世界で、最も重要なのは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなければ、真の愛が連結されません。

また、真の生命が連結しない愛は、偽りの愛です。真の生命は、真の愛と真の血統の関係の中で懐妊されるのです。このように、真の愛と真の生命と真の血統を通して、永生の道が開かれるのです。真の人となり、真の愛と真の生命と真の血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。

永遠の真の愛、永遠の真の生命、永遠の真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全な真の息子、娘になります。どうして結婚をするかというと、正にこのような真の血統的伝統を過去、現在、未来に連結するためです。

堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に対することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様と対することができなくなってしまったのです。さらには、堕落したアダムの子女であるカインとアベルは、神様の血統を受けることができず、サタンの血統を受け継ぎました。

したがって、イエス様は、ヨハネによる福音書第三章三節で、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければなりません。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にいるという事実を、この上なく恥ずかしく思わなければなりません。

神様は、今日の世界でフリーセックスやホモセックスが乱舞していることを御覧になって、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。しかし、怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなければならないというのが神様の立場です。投入して忘れ、また投入して忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。

堕落した人間を救い出すためには、それよりももっと強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に妊娠した子女を見ながら、悲しみ心を痛める神様がどれほど哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の六十億の堕落した人類となったのです。

人間は本来、三時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。胎児が母の胎で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で万物を食べながら成長するのです。それで、人間は、地を母のように愛さなければならないのです。

霊界は、太陽の光のような光が、いつも光り輝いている所です。太陽は常に昼です。霊界もこれと同じです。

霊界での愛の光は、変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛に満ちあふれた世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬の季節を通して実った収穫物を貯藏する倉庫と同じなので、地上世界の人生が結実する所です。

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4.天宙は私の故郷と祖国 日付:二〇〇〇年二月二日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂

行事:第二回アメリカン•センチュリー•アワード授賞式

尊敬するアメリカの上下両院の議員、外交使節、今日のアメリカが神様の最大の祝福を受けることに貢献したアメリカン•センチユリー•アワードの受賞者、そして親愛なる内外の貴賓の皆様。きょう、自由と信仰と家庭の重要性を高めるためのこの歴史的な席に、アメリカの各界各層を代表する最高指導者の皆様にお越しいただいたことを、心から感謝いたします。同時に、ワシントン•タイムズ財団の創設者として、去る一世紀を通じて、今日のアメリカが世界で最も優れた国になるようにと力を尽くした栄誉ある受賞者の皆様に、心からお祝い申し上げたいと思います。

また、きょう私の八十回目の誕生日を祝ってくださり、私が生涯にわたって成し遂げたすべての業績を高く評価し祝賀してくださった皆様に、重ねて心から感謝申し上げます。特にこの場で私は、今日まで共にいてくださり守ってくださった神様に、このすべての栄光と感謝を捧げたいと思います。

自由、信仰、家庭に対する天のみ旨を成し遂げなければならない 私は、生涯を通じ、神様の創造理想を実現するという一念で、ひたすら諸般の難問題解決のために苦心し、努力してきました。私は一九七一年、アメリカに来た時、アメリカが世界的な危機に直面していることを目撃しました。そこで、第一次五十州巡回講演を始めながら、「アメリカは、神様が抱えている三つの大きな悩みに責任をもたなければならない」と説破しました。その一番目は、共産主義からの脅威であり、二番目は、キリスト教の没落であり、三番目は、淪落の道に入っている青少年の問題でした。この意義深い日に私たちが心に刻まなければならないことは、すべての人が神様と完全に一つになることであり、自由と信仰、そして家庭に対する神様のみ旨を成就することです。私は、神様がアメリカを愛していらっしゃることを知ったので、このあらゆる兆候に対処できるアメリカにおいて、「ワシントン•タイムズ」の創刊を含む多くの活動をしてきました。

神様の心情を知り、み旨成就に全力 きょう私は、これまでアメリカのために奉仕できる機会を許諾された神様に、重ねて感謝を申し上げます。なぜなら、韓国戦争当時、アメリカは国連軍として私の祖国を救援したばかりでなく、神様のみ言を伝える中で共産圏の監獄に投獄された私に、自由をもたらしてくれたからです。

私は、十六歳(数え)の少年の頃に天命を受け、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。私が知った神様は、栄光と尊敬の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落し地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神様の実在および人間と宇宙に対する根本的な無知に陥りました。したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とその準備として地上生活をどのように過ごすかということを知らないまま生きてきました。

神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するためにこの身を捧げ捧げて全力を尽くす道でした。私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからだということが分かります。

私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回以上語り、これが既に三百巻以上の書籍として発刊されました。きょう、アメリカの最高指導者の皆様を迎えたこの意義深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷と祖国」という主題でお話ししようと思います。

本来、天宙は人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は、この上下、左右、前後の一、二、三、四、五、六の中心である第七の位置にいらっしゃいます。それで、神様は、私たちの日常生活を指導されながら、見えない中心の位置にいらっしゃいます。

理想的な存在モデルと真の愛 人間は堕落し、落ちたサタン圏から、神様の救済により自由と解放を受け、真の息子、娘として成長したのちに、相対に出会って真の夫婦となり、さらに子女を生み、真の父母となることが正常な人生路程です。

したがって、私たちは、真の子女を否定することができず、真の夫婦を否定することができず、真の父母を否定することができません。これを否定すれば、宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。ですから、人間は、真の父母と真の夫婦と真の息子、娘で構成された真の家庭を成し遂げなければならず、これが正に理想的な存在のモデルです。人間は、家庭で真の父母の愛を完全に受けなければならず、真の夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真の息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるものは何でしょうか。それは、お金でもなく、知識や権力、あるいは物質的な力でもなく、均衡の取れた神様の真の愛しかありません。

真の愛は、投入する力です。与える力であって、受けることのみの力ではありません。すべてを与え、零点の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には、何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重されて永続することによって、永遠の均衡が形成されるのです。

ですから、真の愛を中心に、ために生きる世界は授受作用を通して完成されるのです。天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように与え合う作用を通して、真の愛の世界を成就するためなのです。相対関係において、すべての授ける力に対して、戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着できるのです。

すなわち、幸運の数である七のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡を取って運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。その中で、愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは、巡り巡って再び元の形に戻っていくのです。

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神様と人間は父子の関係 神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一の方であり、永遠不変のお方です。そうだとすれば、愛の主人は誰でしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのお方が正に神様であられます。愛を中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。

神様が必要とする愛は、果たしてどのような愛でしょうか。絶対的な愛を願われます。皆様はどうでしょうか。私たちも同じです。神様が絶対的な愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とするように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠の愛を必要とするのです。すべて神様に似なければならないのです。

神様御自身が男性格と女性格、陽性と陰性をもっていらっしゃるお方なので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように、結婚を通して縦的な神様の愛が横的に完全統一されるのが神様のみ旨だったのです。

人間の体はこの地を代表した横的なものです。すなわち肉身です。それと反対に良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを求めるのです。したがって、人間は神様の縦的な基準と一つになる点を求めていかなければなりません。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会わなければなりません。そうして、この中心点から出生した人間は、愛と共に幼児の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。この時、肉身は地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟し、ついに心と体が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのようなところであってこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜び、その愛の対象体である夫婦も幸福になるのです。

このように、上下関係である父子の関係、左右関係である夫婦の関係、前後関係である兄弟姉妹の関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形をつくるようになります。このような理由から、父子の関係を東洋では一つの体と表現します。さらには夫婦の関係も一つの体であり、兄弟姉妹も一つの体として考えています。何を中心として、このように言うことができるのでしょうか。真の愛を中心として四方に球形をつくるとき、このすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形をつくらなければならないのです。その点は一つです。一つなので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係なので、一つにならなければなりません。それは真の愛を中心として一つになるのです。

人間と完全一体であられる神様 人間の欲望はどれほど強いでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも上に行くことを願うこともあります。いくら劣った人でも、神様より優れた世界の代表者になろうという欲望はもつことができるのです。

もし、皆様が神様の愛する息子なら、「お父様、いらしてください!」という時、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくら劣っているとしても、本当に愛するなら、妻が呼ぶ時、夫は従うのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたくないと思うのです。神様も独りでいれば寂しいのです。どうすればそれが分かるでしょうか。

皆様。愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆様の血統をつなぐことができる精子と卵子をすべてもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。触ってみたことがあるかというのです。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてのみ知ることができるのです。同じ論理として、神様がいるか、いないかというとき、神様を見たことがないからといって、神様はいないとは言えないのです。

何が重要なのでしょうか。見えるものが貴いですか、見えないものが貴いですか。見えないものがもっと貴いことを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。みなもっているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを維持していれば感じないのです。

皆様。目がまばたきするのを感じながら暮らしていますか。三時間だけ数え続けてみてください。また、呼吸を数えながら暮らしていますか。数えてみれば、途中で忘れてしまいます。右手を挙げて、左側の胸の上に当ててみてください。どういう音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみれば、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは一週間、一ヵ月ではなく、忙しい時は何ヵ月間もそれを感じないで暮らしています。考えてみてください。小さいはえが一匹だけ頭の上にとまっても、すぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音がしても、なぜ感じられないのかというのです。一つになっているからです。

壇上からこのような話をすれば、失礼だと思われるかもしれませんが、実感の出る話なので、いくつか例を挙げてみましょう。皆様。毎日、朝起きてトィレに行くでしょう。大便をするとき、マスクを使って大便をしますか。もし、ほかの人がそばで大便をして、そのような臭いを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずなのに、なぜ自分の大便の臭いはそのまま嗅いで座っていて平気なのでしょうか。自分の体と一つになっているので、自分の大便を汚く感じないのです。

皆様。幼い時、鼻をほじくってなめてみたことがありますか。その味が甘かったでしょうか、塩辛かったでしょうか。なぜそれが汚く感じられなかったのでしょうか。それが正に私たちの体の一部分だったからです。皆様。咳をして、痰が出れば、飲み込んでしまったりもするでしょう。ここに参席された皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。なぜ、汚く感じないのでしょうか。みな一つになっているからです。私たちはみな、朝、昼、晩、毎日三食ずつ食べていますが、口から三十センチだけ下りれば、肥料工場があります。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。それを知っても、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられませんか。一つになっているからです。

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3.宇宙の根本を求めて 日付:一九九六年九月十五日

場所:韓国、ソウル、オリンピック•フェンシング競技場

行事:「世界平和家庭連合」百八十五ヵ国結成韓国大会

尊敬する内外の貴賓、世界平和連合の会員、紳士淑女の皆様。冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に全地球星に拡大しています。新しい世界の現実を無視し、直視できない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に流されてしまいます。今、私たちは新しい世紀の分岐点に立って、私たちの伝統的な考え方を再検討し、新しい機会と価値観を迎えることに、果敢に進んでいくべき時だと信じます。私はきょう皆様に、世界平和の実現と真の家庭の価値についてお伝えできることを光栄なことと存じます。

神様は宇宙と愛の根源 この世の中には、男性と女性の二種類の人が暮らしています。彼らは互いに立場を変えることはできません。皆様も自分が願ってそのように生まれたのですか。あるいは、私たちは願わないのに、そのように生まれたのですか、それとも、願いもしなかったのに、そのように生まれたのですか。私が思いもせず、願いもしなかったのに、そして、原因はもちろん、結果も過程も分からないのに、そのように生まれたのです。

人がいくら偉大だとしても、原因的な存在ではなく、結果的な存在であることを否定できません。したがって、第一原因である存在がいなければなりません。そのお方は誰でしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、どのような名で呼んでもいいですが、その原因的な存在がいなければならないのです。きょう、ここには、我こそはという著名な方々がお集まりになっていますが、「神様がどこにいるのか。見せてくれれば私は信じよう!」とおっしゃるかもしれません。しかし、少なくとも、その原因的な存在を否定してはならないことを、まず警告しておきたいと思います。

きょう、私は「宇宙の根本を求めて」というテーマでお話しいたします。私たちが宇宙の根本を求めていけば神様に帰着しますが、そのお方は男性格と女性格の二つの性禀を所有しておられることを知らなければなりません。それでは、宇宙の出発の原因はどのようになっているのでしょうか。神様に対してはまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象から成り立っています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しベと雌しベ、動物界は雄と雌、そして人間は男性と女性から成り立っていることを見ることができます。

存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界を問わず、次元のより高い陽性と陰性が、より低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展していることを知ることができます。なぜこのような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界は、万物の霊長である人間を完成させる責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が愛という概念のもとに、互いに一体となって存在しており、植物界も同様に、すべて雄しベと雌しベ、すなわち主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続するのです。最近、医学界では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。

主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるとき、何を中心として一つになるのでしょうか。キスすることによってでしょうか。愛は概念であって、実在ではありません。愛が定着できる実在は何でしょうか。男性が男性に、女性が女性になるようにするものが何であるかを知りませんでした。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きであれば、どのくらい好きですか。今まではそれが善くないものと考えたとしても、今からは貴く思わなければなりません。

変わらない宇宙の鉄則 未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるとすれば、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。神様が人間を創造されるとき、最も重要視して、精魂を込めてお造りになった箇所とはどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。

それでは、世界平和統一のための家庭連合の目的は何ですか。道徳と宗教など、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎できる人が暮らす世界なのですが、そのような世界では、夫と妻の生殖器の主人は誰でしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人が互いに取り替えられていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。

千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。あらゆる男性たちはそれを自分のものだと考え、またあらゆる女性たちもそれを自分の所有だと考えたために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違えているという話です。すべての人たちは、愛は絶対的であり、永遠のものだと考えていますが、その永遠の愛の主人がひっくり返っていることをはっきりと知るなら、世の中がこのようになっていなかったはずです。

博士や学者は数多くいますが、このこと一つ考え抜いた人はいません。皆様はこれを否定できますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖とさらには宇宙の根本であられる神様に尋ねても、すべて同意するようになっているのです。これが鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎても原理原則として残るので鉄則です。そして、神様のみ前に出ていけば、この鉄則によって正しい人と間違った人の判定を受けるようになるのは当然のことです。アダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたことに由来しているのです。

アダムやエバは、自分たちの生殖器を自分たちの所有だと錯覚したのです。考えてみてください。善悪を知る木の実を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出しますか。根本的な問題を誤って、宇宙のどこからも公認を受けられなくなったために、追放されてしまったのです。鉱物界や植物界や、動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管していることを、アダムとエバが知らなかったというのです。それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。愛のためです。愛を探すために男性と女性として生まれたというのです。

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「世界一家族思想」の実践 満場の紳士淑女の皆様。私が始めた世界的な活動は、すべて国境を越え、人種の塀を崩し、そして超宗教的なものなので、汎世界的な運動の典型です。世界の統一教会員は、神様の真の愛を中心とする意識改革により、新しい世界観をもって一つの家族として生活しています。

アメリカの中で、白人と黒人の両者に摩擦と壁がない唯一の場所が統一教会です。アメリカがキリスト教思想を土台として人権と平等を叫びながら努力したにもかかわらず、解決できなかった白人と黒人の紛糾を、私たちが解決したのです。また、日本とアメリカ、そしてドイツ出身の宣教師たちが、過去の恨みと葛藤の歴史的事情を乗り越えて見知らぬ国に到着し、互いに面識もない中で三人一組の共同献身生活をしながら宣教をすることによって、「世界一家族思想」を実践しました。

そればかりでなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教など各宗教団体の和合のために、私が毎年巨額の支援をしながら宗教一致会議を開催することで、世界各地の宗教団体の長たちから称賛を受けていることは既に知られた事実です。そして、国際祝福行事で名門大学出身の日本女性を新婦に迎えた韓国の農村青年が、村の祝宴を通じて祝賀を受けました。このように血族として結ばれる関係の中で、日韓の民族的感情が問題になるでしょうか。

統一教会が開催する集まりには、いつ、どこであろうと人種間の葛藤や民族的な差別意識や宗教的な偏狭性がありません。洋の東西を問わず、統一教会員は私の思想に従って人格が変化し、利己的な自己中心の姿勢を清算し、他のために生きて与える生活をすることで、未来の理想世界市民の標本になることを目指しています。

統一運動は、まだ十分ではありませんが、今日の実績がもつ意義は宇宙史的です。有史以来、多くの聖賢の教えがこのような実績を目標にしてきました。また、この地球上の多くの良心的な人々が、正しく生きるためにその道しるべを探してきました。そして、どれほど多くの志のある若者たちが、新しい可能性を求めて明るい未来を夢見ながらさまよっているでしょうか。しかし、それを探している中で失望し、挫折した若者たちもどれほど多いでしょうか。

実際に足を運んで見てください!偏見なしに見てください。人が動機とならずに天運が共にある基盤を研究してください。そして、明るいあすを設計し、明確な価値観を立ててください。

そして、皆様が見ているように、世界の統一教会員たちは、老若男女を問わず献身の道を行きながらも、どれほど喜びに満ちているでしょうか。特に若者たちが、混濁した世の中の荒波の中でも最上の倫理、道徳の基準をもち、自負心をもって活動するのを見てください。

奉仕の歩みで生涯を終えたい 私は、世界の統一教会の若者たちを人類の希望、神様の希望として見つめています。狭い教派や宗派の観念を越えて地球人という大きな次元で考えてみましょう。

もし私が唱導した思想によって人格が変化し、他のために生きることができるようになれば、国の将来はどのようになり、私たちにとって南北統一は難しい課題となるでしょうか。また、全世界の人類がこのみ旨を受け入れれば、平和で繁栄した世界が保障されるのではないでしょうか。

より大きなもののために生きる私の哲学は、統一教会自体を発展させようとするものではありません。神様と世界が教会のためにあるのではありません。教会が神様と世界のために奉仕しなければなりません。私は今、継続して奉仕する道を探しており、この歩みの連続で生涯を終えるでしょう。

もう一度、皆様の祝賀に感謝しながら、きょうこの記念式が、単に私の古稀を祝賀する場を越えて、他のために生きながら存在すべき宇宙の公道を学ぶ会合となることを願います。

皆様の仕事と家庭に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。

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2.宇宙の公道を学ぶ会合となることを 日付:一九九〇年二月一日

場所:韓国、ソウル、オリンピック・フェンシング競技場

行事:真のお父様古稀慶祝記念式

尊敬する内外の貴賓の皆様。世界百三十数ヵ国の代表者、国内の各界指導者、そして紳士淑女の皆様。公私にわたり忙しい日程にもかかわらず、きょう私の七十歳の誕生日を祝うために、このような盛大な席を準備してくださったことを感謝しつつ、特に天意に動機を置いた私の生涯を祝賀する皆様のお心に感謝申し上げます。

神様を動機として生きてきた七十年の生涯 先立って、多くの代表の方々が多くの賛辞で私の過去の業績を褒めたたえてくださいました。しかし、きょうのこの記念式が過去の功績だけを賛美する場であれば、大きな意義はないと思います。私の行跡が未来に、ある希望的な動機を付与するのか、人類の将来を明らかにすることにどんな意義があるのか、さらには宇宙を経綸される神様の摂理とどのような関連があるのかを中心として、祝賀の内容が決まらなければならないと思います。

天命に従って、前人未到の孤独な開拓の道を駆けてきた私の生涯が、多くの人々の無理解と反対の中で、外的に波瀾万丈だったことは周知の事実ですが、私の心の世界では、どのようにすれば神様が願われるとおりに生きることができるのか、どのようにすれば神様のみ旨を果たしてさしあげられるのかに焦点を合わせ、そのために一刻を争う緊張が連続していました。神様を除いては説明することができない私の生涯だったのです。

国家の運命はもちろん、さらには世界の運命と直結された私の行路において、神様と深い内情で通じながら過ごしてきた事情と神様と共に体感した最も深い場での悲しみも、最も大きな痛みも、最高の喜びも、鮮やかな記憶として回想され、特別な情感で神様に深く感謝申し上げつつ、この日のすべての栄光を、生きていらっしゃる私の父、神様に捧げようと思います。

これまで、私が世界的に築いた基盤に対して「驚異的な業績である」と語るのは率直な表現でしょう。しかし、私は外形的で可視的な基盤そのものよりも、その中のどれ一つも私自身を中心としていなかったという点と、現在よりは未来を、個人より全体を、小さなことよりはもっと大きな目的のために築いたものとして、天と地と歴史が公認する基盤であるという点に誇りをもちます。徹底して神様が動機となり、厳しい風霜と曲折の中でも神様が守ってくださったからこそ、成し遂げることができた基盤であるという点が貴いのです。

他のために投入してきた生涯 私の過去七十年の星霜は、決してたやすい道ではありませんでした。世の中に友もなく、師もいない、本当に一人だけの孤独な道でした。私が数多くの逆境と生死の境をかき分けてきながらも、勇気を失わずにいられたのは、神様との深い心情的交流があったからでした。誰もその深い境地を知ることができないなかで、密かに助言を常に与えてくださった神様は、私の生きる動機そのものであり、生命力の源泉でした。

私は他人の言葉に耳を傾ける余裕がありませんでした。わき目も振ることができず、世論に気を遣うこともできず、日々神様の願いを思いつつ、細胞がしびれる一体感で、その方の創造理想を成し遂げてさしあげようと、その目的に向かって、一心不乱に駆けてきました。

満場の皆様。私にかけられた神様の願いとは何でしょうか。本来堕落がなければ、神様は無形の真の父母であり、人間は子女になっていたはずです。人間は、真の愛の縦的な父母である神様と真の愛の横的な父母であるアダムとエバから、真の愛と生命と血統を受け継いだ真の生命体として、愛の過程を通じて生命の種を子孫に連結するようになっていたはずです。

そして、堕落とは、人間始祖が神様の縦的な真の愛のもとで、横的に真の愛を完結することができず、天使長に侵犯され、偽りの横的な愛を生み出したことです。この堕落の結果として、神様は愛する子女を失ってしまったのであり、人間は心と体が矛盾し、葛藤する故障した命として生まれざるを得なくなったのであり、悪魔は偽りの横的な愛を条件に、個人から世界に至るまで人間を不当に管掌してきています。

神様は、このすべてのものを原状に復帰する救援摂理をしていらっしゃいます。それで、原理に従って悪魔を自然屈伏させながら、メシヤ、救世主である真の父母に人類を接ぎ木して復帰するのです。

本来神様は真の愛の完全投入で創造をされたように、再創造過程である復帰摂理でも、ために生きて完全投入してこられることを知ったので、私も天命に従って生涯を捧げてこの原則を実践してきました。神様のみ旨の前で、徹底的に他のために生きながら投入し、完全投入してみたところ、今日の基盤が成し遂げられました。

現代科学技術の発達は地球星に大きな変化をもたらし、今後さらに大きな変化を予告しており、これに対して人類は英知を集めて対処すべき緊迫した状況に置かれています。一言で言えば、現代文明は重大な危機を迎えるかどうかの分かれ道に置かれているのです。この問題に対して人類は、まず超国家と超人種、そして超宗派的に、すなわち汎世界的なアプローチで共同の努力をしなければなりません。公害問題、人口問題、自然保護問題など、直面している問題がすべて汎地球星の問題だからです。

その次に、現代社会の病弊、特に倫理、道徳と人間性の退廃の問題、人種戦争や宗教戦争の危険性などは、すべて人間の本質の中に内在した病弊なので、その主体である人間の意識革命、人間改造の次元からアプローチして解決しなければなりません。決して、体制や制度上の問題だけではないのです。

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統一教会は何が違うのか このような時点で平和か、新しい統一かという新しい一つの何かを創案しなければなりません。ですから、今後訪れるその世界においても、問題は私自身です。私自身が問題だというのです。私の心と体に平和の心情的基準が歴史の流れと通じることにより、社会のすべての逆境を克服できる余裕満々な心情的基準を、どのようにして私の心情の中に確立するか、これを私たちがどのように活用するかということが問題だというのです。

皆様が毎日ぶつかる問題は、心と体の闘いです。私個人でこの闘いが終わっていないので、家庭でもやはり同じことが起きるのです。私一個人を見れば、心と体が二つに分かれていて、家庭を見れば、妻や夫も同じなので、四人がいるのと同じです。十人なら十人がそのようになるとき、分裂するようになっています。これを一つに結束させることができ、天倫と人倫を結束させることができるものが愛です。これを、原理を中心として実証的に体得できるかできないかということを長年にわたって分析し、実践しながら今まで闘ってきたのです。

今後、世界に残る主義とは、どのような主義でしょうか。自分の民族のために働く主義ですか。違います。きょうこの場にも宗教協議会の役員が集まっていますが、自分の宗派のための宗教協議会をつくろうと言えば、宗教協議会は滅びます。自分の宗教団体を尊重するよりは、国と世界に連結され、数多くの宗教を包容できる、より大きな愛に出会わなければならないのです。

神様がいらっしゃるとすれば、神様は直ちに大韓民国を救うことと世界を救うこと二つの内のどちらを先にされるでしょうか。大韓民国と世界について考えてみるとき、大韓民国と世界を共に必要とする立場なら、大韓民国を救うことも必要だと思いますが、大韓民国を捨てて世界を救おうというのが神意だというのです。このような観点で、人倫、道徳を中心とする善や主義も同じです。自分を中心として引き寄せてはいけません。自分を捨てなければなりません。民族のために生きる立場に立つときは、忠臣になるのです。世界のために生きる、精神的な面と生活的な面の両面でために生きることができる人は、聖人になるのです。

そのような意味で、大韓民国が迫りくる太平洋時代に新しい旗手になろうとしていますが、大韓民国を第一とする政策を行えば滅びるというのです。アジアを中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのような政策を土台として、世界を中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのように一つの国家なら国家の政治や文化、宗教がみな、そのような精神で進んでいかなければならないのです。

統一教会が発展する理由も、個人が幸福になるためには、まず世界が幸福でなければならないという精神をもっているからです。これが既成の宗教と違うのです。個人が救われるためには、まず世界が救われるようにしなければなりません。宗教的な信念を中心として体得したものがあれば、それを自分のものとして体系化するよりも、どのようにすれば世界的な内容を中心として神意の心情的分野まで関係を結んで実践できるか、ということが問題です。

今まで皆様は、統一教会に対して多くのうわさを聞いてこられたことと思います。しかし、そのうわさが問題ではありません。今日この大韓民国の三千万民族が、あるいは数多くの宗派が、統一教会の文先生一人を打って栄えることができるなら、打ちなさいというのです。私が願うのは、大韓民国のための救援ではありません。世界のための救援です。神様のみ旨が世界を救うことであれば、世界を救うための大韓民国になり、大韓民国を救うための統一教会にならなければならないのです。そうであってこそ、統一教会も良くなり、大韓民国も良くなるのです。

宗教は国家と世界を救うことができなければならない 悪とは何でしょうか。自分を中心として引き込むことです。善とは何でしょうか。自分を捨てて無限に与えることです。そのような人であってこそ、聖賢の隊列に立つことができます。歴史を見れば、国家を中心とする偉人はたくさんいました。韓国を中心として見ても、李舜臣将軍のような方も偉人の隊列に入る堂々たる権威を備えています。ところが、あくまでも大韓民国という特定の国家を中心として見るときの偉人であって、聖人にはなることができないのです。聖人は、神様を基盤にして教えた道理を中心としなければ、聖人になることができません。

皆様も御存じのとおり、宗教的な指導者たちが聖人の道理をもてばもつほど、その人は超民族的であり、超国家的であり、超世界的です。それが聖人の教えです。一日の生活もそのような観点で、一生もそのような観点で実現させていくのです。そうすれば滅びないという観点で統一教会を発足させました。

統一教会の歴史を見れば、これまで三つの政権の迫害を受けてきました。自由党、民主党、そして革命政府からも圧迫を受けてきました。また、皆様も御存じのように、既成の教団から弾圧を受けてきました。ここに来られた宗教団体の指導者たちも、今まで統一教会を異端視してきました。それでは、どうして異端の輩として社会に物議を醸し出しているのかというのです。「統一教会を指導する文という人は独裁をしている」、あるいは「文先生は独裁主義者だ」といううわさが立っています。そして「統一教会の発展のために何かをしている」と言っています。勝共連合を結成して対国家的、対社会的な活動をしていることに対しても問題になっています。一般世論が誹謗中傷する内容を見れば、「統一教会でしていることは、自分の教派の宣伝であり、統一教会が国家的なある野心をもってやっているのは間違いない」と言うのです。そのような観点で統一教会を見ているので問題になっているのです。

最終的には、大韓民国と世界を救うことができる宗教にならなければ滅びてしまうでしょう。人々に「その宗教団体は信じられない」という認識が入れば滅びるというのです。宗教の和合運動を通じて新しい理想的な家庭から氏族、民族、国家、世界をどのように形成するかということが、今後において必要な問題であることを理解してくださるようお願いします。

今まで申し上げたこのような意味で、統一教会を創設したのです。新興宗教で未熟な点が多く、また社会から指弾を受けていることを私はよく知っています。しかし、文という人は、皆様が理解しているような人ではありません。今は、皆様が批判できる内容は、既にすべて批判し尽くしたと思います。今まで、問題の一団体として出発し、時が過ぎ去ることによって今日に至ったのです。

最後に宗教協議会の皆様に一つ申し上げたいことは、統一教会は、宗教協議会の世話になる教団ではないということです。大韓民国の世話になる統一教会でもありません。世界の世話になる統一教会でもありません。世界と大韓民国が世話になるようにし、宗教協議会が私たちの世話になるようにする宗教団体として残ろうというのが、私の所信であると同時に、私たちの志を中心として活動する全員の立場です。

このような点で、自分の主張を中心として相手に誤解を受けることも多かったと思います。今、この時間以降、そのようなことがあれば、皆様が兄弟の立場で接してくださり、この団体が良い意味で国と世界に貢献できるよう協助してくださることを願ってやみません。このように時間を割いてくださったことに対して感謝申し上げつつ、これで挨拶を終わらせていただきます。

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本然の神様と人間の関係回復のために創立 歴史は聖賢や義人たちを通じて導かれてきたので、人類歴史と世界を代表して主張してきた聖賢たちの教えが、今日人類歴史とどのように適合するかということが問題です。もし神様がいるとすれば、その神様は出発と同時に一つの方向を備え、過程を経て、一つの世界を成し遂げてくるはずです。その背後に天倫の摂理があるとすれば、その摂理に従っていくべき人類歴史路程も、その方向とどのように一致させるかという問題を考えざるを得ないのです。

ですから、神様と人間の本然の関係をどのように復帰すべきか、また、どのようにして神様の愛を中心とする人類歴史にすべきか。個人や家庭、あるいは特定の民族、ある特定の文化的背景など、人類歴史に関係する全般的な内容をどのようにして神意による世界観と一致させるかということが問題になったので、今日の統一教会を創設するようになったのです。これが、統一教会を創設した根本の動機です。それでは、そこに私たちが関連するだけでなく、神様を父として自覚できるそのような境地が可能なのでしょうか。また、そのような愛を受けることができる位置で、思想を中心として世界を一つに統一させる内在力をもつことができるのかということが問題とならざるを得ません。

家庭には必ず、父母がいて、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台になるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を実現するためだったに違いありません。ですから、神様御自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらすことができるのです。私たちが、家庭において情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとなさるのです。

このような点で見るとき、イエス様は再臨という命題を残して逝きました。今まで二千年、キリスト教の歴史は再臨理想に従って、イエス様が再び来られる一時を求めてきました。その一時の中心は何でしょうか。それはキリスト教で言う「小羊の婚宴」であると見ることができます。それでは、「小羊の婚宴」とは何でしょうか。漠然としています。それは、神様と人間の一致した愛が出発することです。人間で見れば、男性と女性が一つになることです。この二つが一つに結束し、理想的な世界に向かって神様の愛をたどっていくことができる基礎を準備しなければ、神様の愛を中心とする世界的な目的を果たすことができないのです。

ですから、来られるイエス様は、必ず神様が願う家庭を立てなければならないのですが、その家庭は真の家庭でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。いずれにしても、偽りの愛の形態が家庭や社会にあってはいけません。したがって、万民が共有できる神様の愛を中心とし、人類全体が願う最大の愛を中心とする一つの真の家庭が出現しなければならないのです。そのような家庭が出てこなければ、氏族を編成できないのであり、そのような氏族が出てこなければ民族を編成できないのであり、そのような民族が出てこなければ国家や世界を形成できないのです。ですから、神様が人類に提示した救援摂理において、人間が相対できる最高の基準と神様として願う最高の理想的基準点は、家庭にあると見るのです。ですから、統一教会には「祝福」や「合同結婚式」といった言葉があるのです。皆様も、そのような言葉を何度も聞いていらっしゃると思います。

それでは、その家庭は、どのような原則のもとに結束しなければなりませんか。神様を中心とする本然の真の男性と女性が一つにならなければなりません。そのような具体的な内容を、統一教会では教えています。その家庭は、自分個人を中心とするのではなく、世界を代表できる圏内で広がっていかなければなりません。

そのような内容を生活圏内で自覚して実践できる家庭を、この地球上に形成しておかなければなりません。そのようにしなければ、新しい民族、国家、世界を形成できないので、神様の愛と人間の愛が世界を中心として新たに出発できる基点を模索するために、今日様々なうわさのある教会として知られる統一教会が出発したのです。

世界が必要とする宗教 これまで、悪いうわさも多くありました。ところが、私自身が皆様の前に一つはっきりと申し上げたいことは、統一教会は滅びないという事実です。人意的なものは滅びます。しかし、天意による天倫の内容と神様の愛を保障する宗教であれば滅びないというのです。真というのは、理想的な内容が備わっていなければなりません。すなわち真の属性をもった内容と関係を結ばなければ真の価値が現れないというのです。

今までの宗教は、あくまでも個人救援を目的とし、個人を悪から救う内容を教えてきました。しかし今、世界が必要とする宗教は、個人を中心とする宗教ではなく、家庭を構築する一つの基盤を準備できる宗教です。天意によって保障され、人意によって公認され、天情と人情が一つになった位置で、いかなる試練にも耐える家庭救援の出発が歴史上に新たに現れれば、そのような宗教運動は世界的に広がるでしょう。それは、ある一カ所、例えば韓国という特定の民族を中心とするのではなく、超国家的、超民族的な基準で、家庭の理念を中心として行う運動です。そのような運動をする宗教があるとすれば、それは今後において絶対必要な宗教ではないかというのです。

皆様も御存じのように、今までアメリカが、民主主義を中心として歴史時代の主導的な役割を果たしてきました。アメリカが天意によって立てられて民主主義を主導できる国として復興したとすれば、アメリカだけを第一としてはいけません。世界の中にアメリカがあるのです。神様は、ある特定の民族が世界を主導する民主主義の形態を許諾することはできません。

アメリカが、民主世界において宗教的な責任を負い、政治、経済、文化において弱小民族を救援する立場に立って今日まで来ていれば、世界的な限界線まで行くことができたはずです。アメリカの国民を犠牲にしてでも世界を救う立場に立っていれば、アメリカは必ず世界を主導できていたはずです。ところが、皆様も御存じのとおり、アメリカは「ニクソン•ドクトリン」を掲げて、アジアの問題はアジアに任せるという立場で後退する政策を施行しました。これは民主主義の限界を超えていこうという立場ではなく、後退する立場なので、アメリカは今後、世界が警戒する運命を避けられないというのです。

共産主義もやはり同じです。共産主義は、世界を制覇するという途方もない思想体系をもってきました。この思想は、スラブ民族を中心として、ソ連を中心として世界を制覇するというものです。このような立場で見れば、この共産主義は悪の立場に立ちましたが、世界を一つにするというその思想体系は民主主義を追い越す主義になるのです。したがって、世界の人々を中心とする共産主義以上の主義が出てこなければならないというのです。それでは、天の道理と人間が願う最高の道理とは何でしょうか。それはすなわち、超国家的、超民族的な新しい世界観をもった一つの教団が出てくれば、その教えを中心として、私たち個人の生活から絶対的な次元に至るまで天倫と一致できる生活の鉄則が必要だというのです。

ですから、大韓民国なら大韓民国を中心とする世界的使命があるはずです。世界のために生きることができる大韓民国にならなければなりません。それでは、今、世界が私たちの生活圏内に入ってくる現時点において、大韓民国やアメリカや世界各国が必要とするものは何でしょうか。ある限界点以下にある国家や、特定の主義を中心とする主張では、この途方もない時代的な流れを消化することはできません。必ず天倫と通じる主義が必要です。そこには数多くの国家と数多くの宗教、数多くの民族、数多くの氏族、数多くの家庭、数多くの個人が、すべてその圏内に吸収されるべきです。そのようなことができる内容を備えた新しい運動が必要な時が近づいていることを私は感じました。

それでは、これが可能なのか、これで結束できるのかというのです。このような問題は、今後、皆様が統一教会について研究してみれば、ある程度分かるようになるでしょう。この世界を救うためには、どこに問題があるのでしょうか。この社会が問題ではありません。「私」自身が問題です。私の心と体が闘うので、世界的にも、それと同じ形態で唯物論と唯心論が出てこざるを得ないのです。これが世界的に止揚統一される時期になったのです。このような時を終わりの日というのです。

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1.統一教会の創立意義と背景 日付:一九七〇年七月十五日

場所:韓国、ソウル、龍山区、統一教会本部

行事:韓国宗教協議会七宗教団体指導者訪問

超宗派的、かつ超教派的な韓国宗教協議会を組織したことに対し、心から称賛申し上げる次第です。この宗教協議会を中心として、すべての宗教が新たに心を合わせ、この民族の前に多くの精神的な基盤となってくださるようお願いします。併せて、宗教協議会を創設された皆様が互いに協調するという意味で、世界基督教統一神霊協会を宗教協議会に加えてくださったことに対しても感謝申し上げ、御多忙中にもかかわらず、周囲の難しい環境を退けて、当協会を訪問してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。ぜひ宗教協議会を中心として超宗派的な活動を積極的に展開し、現韓国社会において新しい中心の役割を果たせる求心体となり、新しい福地化運動の先鋒に立って、多くの貢献をしてくださることを心からお願いするものです。

神様のみ旨によって創立された統一教会 今、私が、御来賓の皆様に一つ申し上げたいことは、なぜ統一教会を創設することになったのかということです。この問題を中心として、簡潔に申し上げたいと思います。私がこの教会を創設するようになった動機は、人意、すなわち人による意志よりも、神意、すなわち神様のみ旨によって出発したということです。

今日のこの社会や歴史は、人意だけで形成されていないことは、皆様がよく御存じのことと思います。ここには必ず、神意を中心とした、ある大きな意志を中心として、一つの目的を指向しているのです。そのような意味で、人の意志だけで教会が創立されては、歴史の流れや今後の新しい世界に貢献できないと考え、神意に立脚して新しい宗教を創設したのです。人意と神意が合わさることができる一つの組織体が宗教であり、宗教は必ず神意を中心として、人類全体が願う人意的なすべてのものを結束しなければなりません。

それでは、神意とは何でしょうか。神様のみ旨というのは、ある特定の社会を中心としたものではなく、超民族的であり、超宗派的であり、超国家的な性格を帯びているものです。そのような目的を中心としなければ、神様が願うみ旨を完結できないことを、私たちは歴史を見ることによって知ることができます。そのような意味で、人意もやはり、ある個人の意志やある団体の意志を中心としたものではなく、神様のみ旨と一致できる世界的な内容を備えたものにならなければなりません。これを内外で統合することに宗教の使命があると思います。

それでは、神意と人意を一致させるためには何がなければなりませんか。神様の愛と人間の愛が合わさることができる内容がなければなりません。神様が人間と一つになれる愛は、ある特定の個人や特定の民族、特定の国家を中心としたものではなく、超国家的な立場で、人類と世界を愛する心情的な紐帯を備えなければならないのです。ですから、神意と人意の一致点を明確にしなければならない宗教は、人意を中心とするのではなく、神意を基盤として、神様を中心とした愛に人間の意志をどのように結束させるかということが問題とならざるを得ません。

そのような意味で、神様のみ旨と人間の意志は宗教という形態を備えて結束させなければなりませんが、その中心は必ず愛でなければならないのです。その愛は、ある特定の民族や特定の国家だけでなく、世界を越え、すべてのものを超越した愛でなければなりません。そうでなければ、真の宗教の基盤を世界的に形成できないというのです。

それで、今までの歴史は聖賢たちを中心として動いてきました。彼らは、人意的な立場だけでなく、天意を介在させた立場で主張した人々です。彼らが目的とするところは、ある特定の民族だけでなく、世界的な限界線を越えていました。それを教えてくれるのが、聖賢たちの道理です。その道理を中心として、天意と人意が一致できる内容を連結させてきたのが宗教です。それで、聖賢は、天倫を基盤として人倫を結束させる基準を立ててきたのです。ところが、これは、あくまでも世界的な限界線を越えることのできる道理であってこそ、聖賢の道理になるのです。そのような聖賢の道理を中心として、今日の人間は道義的な分野で人倫、道徳を立ててきたのです。

神様が願う愛の世界である家庭 このような点から見るとき、神様と人間が一つになろうとすれば、その中心位置はどのような位置になるべきか、ということが問題になります。それでは、神様が願う愛と人間が願う理想的な愛が結合できる決定的なその中心はどこかという問題を考えてみるとき、神様がいるとすれば、神様と最も近い位置とならざるを得ません。その神様の愛に接触する基盤は、個人を中心とした愛の基盤ではないので、あくまでも世界と連結される愛の基盤にならなければ、神様の愛と人間の愛が結合できないのです。

そのような意味で、神様の愛と人間の愛が結束できる最も近い位置とはどこでしょうか。神様を中心として人意が従っていく位置、言い換えれば、神様の愛を中心として人間の愛が順応する位置です。そのような神様の愛を中心とした、最も近い位置を追求してみるとき、その位置は、神様の真の息子になる位置にならざるを得ないのです。

そのような神様の真の息子がいるとすれば、その息子を中心として神様の真の娘が必要なはずです。その息子、娘を中心として神様が愛することができる真の家庭、神様が愛することができる真の氏族、神様が愛することができる真の民族、神様が愛することができる真の国家、神様が愛することができる真の世界を追求していかなければならないと考えたので、神様と人間の間に世界的な基準の愛の関係をどのように結束させるかという問題を中心として、今日の統一教会が発足するようになったのです。神様の愛は、必ず歴史過程を経てこそ成し遂げられるのですが、その過程は必ず聖賢たちが主導してきたことを私たちはよく知っています。ですから、聖賢たちは天倫を中心とする神様の教えをもって、今まで人類を導いてきているのです。

それでは、今まで歴史上に生まれては逝った聖賢たちの中で、より偉大な聖賢とは誰でしょうか。もちろん、その経典の教えも重要ですが、それよりもっと重要なことは、神様と人間が最も近くなる道を教えてくれる宗教が必要だというのです。そのような点から見るとき、それを教える宗教はどのような宗教でしょうか。歴史過程において今まで残されてきた宗教を中心として見るとき、他の宗教よりもキリスト教が高次元的な立場で紹介されたのではないかと判断したので、キリスト教を中心とする統一教会を発足させることになったのです。

イエス様を中心として見ても、彼は神様を求めるとき、漠然とした神様よりも、具体的であると同時に生活の中で近くに接することができる神様を求めてきたのです。それで、イエス様は神様に対して「私の父」と言いました。心情的な関係において、父以上の位置はありません。ですから、イエス様は、神様と人間の関係を父子の位置にまで導いて結束させる心情的な基盤を築いたのです。これはすなわち、神様が願う愛で結束した世界を成し遂げるためには、必ず心情的基盤がなければならないことを意味しているのです。その位置は、父子関係以上の位置でなければならないのです。

ですから、イエス様は、「神様は私の父である。私は必ず来なければならないひとり子である。万宇宙の中で神様の愛を最初に受けることができる人は私だけである」という主張をしたのです。このように見るとき、キリスト教がどの宗教よりも神様の心情を中心として具体的な内容を備え、神様と最も近い位置で説破しているというのです。イエス様は「私は花婿であり、あなた方は花嫁である」という立場で語られました。これは、神様との関係を結束させるときに、どの宗教よりも最も近くなる基点を説破したものです。また、信じて従った信徒たちに、「互いに兄弟である」と言いました。この言葉は、万民は一つの兄弟だという新しい宗教理念なのです。

神様が願う愛の世界は、必ずこのような基準を通らなければならないのです。神様が愛することができる個人、その個人で構成された家庭、その家庭で構成された氏族、その氏族で構成された民族、その民族で構成された国家、そしてその国家を通じて構成されるべき最後の目的地である世界の範囲まで連結させるためには、そのような心情的な基盤を土台としなければ結束させることができないのです。これは、歴史過程に必ず現れなければなりません。

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16.ために生きる生活で平和世界を創建しよう 日付:二〇〇四年九月十六日

場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館

行事:アメリカ財界指導者投資使節団招請晩餐会

著名なアメリカの財界指導者の皆様、大韓民国の政界、財界など、各界の指導者、そして紳士淑女の皆様。きょう、神様を中心とする絶対価値観のもとで生きてきた私が設けた晩餐に、御出席してくださったことを心から歓迎します。

生涯にわたり天命に従って平和世界の実現のために尽力してきた私は、最近、光陽湾圏経済自由区域に指定された全羅南道麗水市華陽面一帯に、人類和合と統一の理想を中心とする大規模観光リゾート開発を提唱しました。今から、その基本精神の一端をお話ししようと思います。

平和理想は、歴史を通じて万人の願いでしたが、人類は、ただの一度も恒久平和を実現することができませんでした。それは、今まで人類が、共有できる絶対価値観を立てることができず、無知と混沌、分裂と闘争の中で生きてきたからです。変化し、葛藤する人間自体の中から、絶対価値観が出てくることはできません。絶対者、造物主、神様にその根源を置かざるを得ないのです。

愛の本体であられる神様は、御自身の絶対愛の対象として人間を創造されました。愛の主人や主体の位置は、独りで成し遂げられるものではなく、相対を通して成立するのです。私たちが相対や隣人のために生きなければならない根本原理がここにあります。この愛の絶対価値観は、いかなる政治理念や経済原理よりも上位にあり、時代を超越する天理です。

宇宙を造られた神様、法度を立てられた神様とはどのような方でしょうか。宇宙を通じて、誰よりもために生きる代表的な立場に立った方です。ですから、その方に出会おうと思えば、ために生きなければならないのです。その方は、知識の大王ですが、知識をもってきなさいとはおっしゃいません。能力や権力、あるいはお金や物質の主人であり大王ですが、それをもってきなさいとはおっしゃいません。「ために生きたのちに来れば、誰でも私のそばに来ることができる」とおっしゃいます。神様は、自己本位の独裁者ではありません。神様は、人間のために投入されました。ですから、人間の本心は、千年、万年、神様に従っていこうとします。ために生きる天理のもとにある宇宙の存在世界の前で、他のために存在することが自らの存在位置を定めることになるのです。

ために生きることによってのみ、東洋と西洋に通じることができ、古今に通じることができるのです。自己本位で利己主義的にのみ活動すれば、悪をもたらしますが、全体のために活動するときは、発展をもたらします。

善と全体のために歩むときは、すべてのものが調和するようになります。個人も門を開き、家庭も、氏族も、民族も、国家も、世界も、天の国も門を開いて歓迎するのです。真の人生が行く道に一つの公理として立てるベきものは、「ために生きよ」ということです。これは、どこにでも通じる原則であり、万古不変です。孔子やイエス様、釈迦牟尼やムハンマドのような聖人の前に神様が現れて、「あなた方はどう思うか」とお尋ねになれば、「そのとおりです!」と答えるはずです。それが、真の姿で人間が生きることのできる宇宙の法則なのです。

また、歴史的な伝統として残すことができる実績とは何でしょうか。犠牲精神によってために生きた実績だけが、今日の世界に残されてきました。そのような人々が、聖人として、偉人として、忠臣として、あるいは孝子として残されました。このような犠牲精神のもとでのみ功績が残るのです。犠牲になることは、功績を残すことになるのです。

レバレンド•ムーンの思想が、今後二十一世紀において主体思想として登場できるのは、今までの「自分のために生きよ!」という中において、正反対の「他のために生きよう!」という原則を発見したからです。ですから、人類の希望は、私たちの統一運動以外にはありません。「自分のために生きよう」という世界ではなく、「利他的に生きよう」というこの群れのあとを、これからの世界は、数千、数万年従っていくでしょう。「自分のために生きよ」と言うところには、世界は従っていきません。従いたくないと思うのです。

それでは、どのようにして調和統一をするのでしょうか。暴力やお金、あるいは権力や知識でするのではありません。愛を中心とするために生きるところにおいて、万事が解決されるのです。真の愛を中心としてために生きていくところで、悪魔の世界が天国に再創造されていくという結論です。

「私」が人を屈服させる方法は、闘って勝とうとするのではなく、その人のために「私」が父母、師、主人の立場で先に考えてあげることです。そのような道は「私」が勝つ道です。三年だけでも真心からために生きてあげてみてください。間違いなく「私」の言うことをよく聞くようになるでしょう。そのような宇宙の原則的な作用が、人間の本心を動かしていることを知らなければなりません。

よりために生きなければなりません。よりために生きる人が責任者になるのです。十人の中で誰が中心になるのかというと、他の人たちのために最も多くの愛を施し、ために生きる人です。その人には、他の人たちがみな訪ねていくのです。一般的に、ために生きることは、損をするよくないことだと思いがちです。しかし、主人になり、中心者になり、相続者になることを知らなければなりません。天理がそうなのです。

アメリカの指導者の皆様、そして国内の高名な指導者の皆様。私はこれまで、無理解と無数の迫害にもかかわらず、当代において、世界百九十一ヵ国に、超人種、超宗教、超国家的な基盤を築くことができたのも、また神様と霊界の公認を受け、地上で人類の真の父母と平和の王として公認を受けることができたのも、先にために生きて与える真の愛の天道を実践してきたからです。相対のために与える真の愛によってのみ、和合統一が成し遂げられ、平和の理想が結実します。私は、天道に従い、真の愛、真の父母、真の家庭の実践原理によって人類を指導してきました。

祝福結婚行事を通じた理想家庭実践運動や、超国家、超人種、超宗教的な平和運動も、すべて先に模範を示しながら、ために生きて投入する真の愛の運動です。今まで犠牲的な投資を通して築いた、世界各国の各レベルの教育機関を通じた愛天愛人愛国の建学理念の実践も、ニューズ•ワールド•コミュニケーションズ社を基盤とする、「ワシントン•タイムズ」、「UPI通信社」、「世界日報」をはじめとする世界的な言論機関の育成も、責任言論と公正言論を通して、ために生きる真の愛で世の中を正しく指導しようとするものです。超宗教平和運動、思想指導運動、文化芸術活動、技術平準化運動、超宗教超国家的な学術科学振興運動、奉仕活動、青少年指導と女性運動、スポーツ育成など、私が創設したすべての運動の基底には、真の愛の実践原理があります。ビジネス分野にも、人類共生という大きな目標のもとに、単なる利潤追求を越えた、より高い絶対価値のための明確な動機と方向性をもっています。

人は、天道が願う真理の道、真の愛の道を行かなければなりません。必ず行かなければならない真の愛の道は、人間が繰り広げるいかなる活動や事業よりも優先される根本となります。いくら財産や大きな力をもっていたとしても、ために生きた基盤がなければ、それは一時的であり、消滅せざるを得ません。反面、施して利他的に生きる生活は、自然と主体と中心者をつくりあげるのです。

利己的な打算を越えて、共に生きるべきマクロ的な平和思想と南北和解、そして韓半島の平和に焦点が合うならば、実に貴重なものを多く得るだろうと信じます。神様の再創造摂理の原則に従い、力や自己本位の生活が主導し勢力を得ていた先天時代が過ぎ去り、今や、絶対価値観が理想的に結実する後天時代が到来しました。

神様の永遠の平和王国を中心とした後天時代は、すべての障壁が撤廃され、ために生きる真の愛で生きる人が主人となり、中心となる時代です。皮膚の色、言語、慣習、領土間の偏狭による利己的な葛藤は、すべて消えていくでしょう。

今私たちは、絶対価値観を中心として、お互いにために生きながら、共に生きていく理想世界を創建する時です。皆様全員が天道に従い、利他的な生活によって事業を行うことにより、神様の永遠の祝福を受けることを祈りながら、私のお話を終えようと思います。

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真の愛の三代圏が天国の基本モデル 次に、子女の心情圏とはいかなるものであり、またいかにして得られるのでしょうか。家庭では父母が中心となります。家庭における父母の位置は、神様の位置です。父母なくして生まれた子女というのはあり得ません。したがって、父母と子女の関係は、人間の意志で規定される人倫の次元を越え、天倫が結んでくれる関係であると言わざるを得ません。

ですから、父子の関係は、横的関係ではなく縦的関係なのです。人間の努力で変えることもできる運命的関係ではなく、絶対的で永遠の宿命的関係なのです。子女は、父母を縦的な神様の位置に迎えて暮らしながら、真の愛の心情を学び、体恤するようになります。

父母から相続された愛と生命と血統が、神様が根源になっていることを自然に学んで身につけるのです。このように父母の生き様を見て学んだ子女たちは、成長して、堕落性とは無関係な真の夫婦となり、その後には、彼らも真の父母の位置を獲得するようになります。このように、真の愛の心情を中心として三代圏を引き継ぎながら反復する家庭単位の球形運動が、正に天国建設の基本モデルになるのです。

最後に、兄弟姉妹の心情圏は、真の父母に侍って一家族を形成して暮らす兄弟と姉妹が、真の愛に基づいて神様と同じ心情圏を形成することを意味します。

先ほど、兄弟姉妹の関係は、前後の関係を代表すると話しました。真の愛を中心として真の夫婦となり、真の人生を生きていく真の父母に家庭で侍って暮らす子女たちは、兄弟姉妹間においても、自動的に天倫の秩序を守って生きる道理を悟るようになります。

弟は兄に父親のように侍り、兄は弟に対して愛の心情で世話をしてあげるようになる美しい姿です。兄が前を代表すれば、弟は後ろを代うするのです。兄が父親の立場を代表すれば、弟は母親の立場を代表するのです。このような、兄弟姉妹の心情圏の完成は、彼らが社会生活をする中においても、愛と奉仕で「ために生きる生活」を実践躬行する根幹になるのです。

真の家庭を立てることの重要性 尊敬する貴賓の皆様。このように、四大心情圏を完成した真の平和家庭王国の数が増え、真の平和氏族王国となり、真の平和民族王国、真の平和国家王国、さらには真の平和世界王国を完成するようになるとき、その世界が正に神様が理想とされた創造本然の世界であり、地上天国であり、きょうこの場でレバレンド•ムーンが宣布する永遠の地上平和王国になるのです。真の家庭を立てることが、このように深刻で重要な天命であるという事実を、今まで人類は知らずに生きてきたのです。

しかし、今は時が変わりました。世界の至る所で、レバレンド・ムーンの教えを受け、平和王国の建設のために奮然として立ち上がる各界各層の指導者の数が、幾何級数的に増えています。たとえ命を失うようなことがあっても、必ず純潔を守り、真の家庭を築いてみせるという若い知性ある人たちの喚声が、天地を揺さぶり動かしています。

既に世界的に数億組の祝福家庭が送り出されており、彼らは、倫理と道徳が急速に崩れていく地球星を守る役割を果たしています。それだけではありません。霊界では、私たちよりも一歩先に進んで、平和王国時代を力強く開いていきつつあります。

五大聖人をはじめとして千二百億組以上の祝福家庭が、昼夜を問わず地上界を協助しながら、迫りくるその一日のために準備しています。創造原理によれば、地上界で先に神様の理想世界を完成するようになっているのです。

真の愛の革命完遂と神様の祖国 今日の人類は、堕落の後裔ではありますが、限りない神様の愛と霊界の協助によって、今ではどのような天国が創建されなければならないのかを知るようになりました。したがって、今や霊界で成就しているこの奇跡のような出来事を鑑(かがみ)として、真の愛の革命を完遂する時代圏に入っているという事実を肝に銘じなければなりません。

皆様も、今からは、心の扉を大きく開き、天がこの時代に私を通してくださる天の秘密のみ言を受け入れるべき時になりました。この場に立ったレバレンド・ムーンは、皆様と同じ肉身をもって生きる一人の人間でもありますが、天の摂理から見れば、六十億の全人類を救援し、天のみ前に原状回復させる天命を受けて地上界に降りてきた神様の全権大使であることを知らなければなうません。

霊界の五大聖人たちをはじめとして、大勢の指導者たちはもちろん、マルクスやレーニンのような共産主義者たちの魁首や、地上界であらゆる蛮行と殺傷を行ったヒトラーやスターリンのような独裁者たちまでも、私の教えに救われ、心を入れ替えて新しい人に生まれ変わりました。

地上であらゆる栄華と富貴を享受していった歴代の帝王と大統領たちはもちろん、世界的な名声を博した言論人たちさえも、この天宙史的な真の愛の革命の隊列の先鋒に立ちました。彼らはみな、レバレンド•ムーンの「真の家庭理想」の教えに新しい覚悟を誓う決意文を地上界にまで送ってきています。

レバレンド•ムーンこそ人類の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であると、天上天下に宣布しています。彼らの決意文は、既に地球星の津々浦々にまで響き渡っています。

尊敬する貴賓の皆様。今ではもうすべてが時間の問題です。皆様の周囲を一度見渡してください。前後左右、どこに未来を約束できる希望を見いだすことができるでしょうか。誰彼を問わず、私たちはみな、遅かれ早かれ、すべてのものを子孫に譲り渡して旅立たなければならない期限付きの人生を生きているのではないですか。真の家庭理想を皆様自身の家庭において完成し、子女たちの永遠の平和と幸福を保障してあげることよりも、貴く価値あることがどこにあるでしょうか。神様が数千年間待ち続けてこられた平和王国をこの地上に建設することに、誰が躊躇するというのでしょうか。

私は、もう八十五歳の老齢になりました。しかし、この崇高な天命を完遂し、地球星が神様の真の家庭で満ちあふれるその日まで、中東地域から銃声が途絶え、平和と歓喜の祝砲が響き渡るその日まで、そして、私の祖国韓半島から聞こえてくる統一万歳の声が、太平洋を越えてこのアメリカにまで響き渡るその日まで、レバレンド•ムーンは誰よりも先頭に立って走るでしょう。

世界六十億の人類を代表し、きょうこの式典に参席された高名な指導者の皆様も、レバレンド•ムーンと共に手をつなぎ、人類の念願であり、神様の創造理想である平和王国をこの地上に創建する主役になってくださることを願う次第です。ありがとうございました。

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神様は、愛する息子、娘を地上に送られ、絶対的な一つの国家を立てるみ業を進行させてきましたが、現時点において、一つの国家を復帰できる基盤が準備できていません。常に失敗してきたので、この地上に天の人を送り、摂理を推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの復帰摂理歴史なのです。

神様が私個人を犠牲にしたとしても感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、民族、国を犠牲にしたとしても感謝しなければなりません。そのような私と国が現れてこそ、世界はその国によって収拾されるのです。

ところが、個人がいくら犠牲になったとしても、その国が立てられなければ、個人の犠牲はもちろん、家庭と氏族と民族の犠牲まで、再び継続されるのです。そのような原則のもとで、今まで神様も、歴史路程において、その国を探し出すための摂理を推進してこられたのです。ですから、国を思い、国のために生きることのできる個人がいれば、その個人の伝統を受け継いだ家庭を通して国のために犠牲になることができるようにされ、また氏族と民族がその家庭の伝統を受け継いで、国のために犠牲になることができるようにされました。このように、その国を探し出すために、今まで神様が摂理を推進してこられたのです。

皆様。今日、私たちがこの地に生まれた目的はどこにあるのでしょうか。国を愛するためです。神様が今まで摂理されてきた目的も、その国を愛するためなのです。主権のない国の国民は哀れです。それで、イエス様が心配しておっしゃったことが、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一-三三)とおっしゃったのです。

まず息子を求めなさいとおっしゃいましたか。それとも、国を求めなさいとおっしゃいましたか。神様が探し求めておられる国を求めなさいとおっしゃったのです。神の国と神の義を探し立てようとされる神様の望みは、人間と被造万物を離れて成し遂げられるのではなく、人間を通して成し遂げられるのです。

その望みは、真の人間を通して神様と万物が和合することでした。それで神様は、堕落した人間に、神様の代わりとなる一人の実体として、天の血統を代表する方として、イエス様を送られたのです。すなわち、イエス様は、神様の歴史的な願いを成就してさしあげるためにこの地上に最初に来られた方だったのです。四千年たって初めて、そのような立場に立てられた息子であり、一つの国の中で、ユダヤ教を中心として、ヨセフの家庭に一つの種としてこの地上に立てられたその息子が、正にイエス様でした。この時に、既にサタンは、国家を立てて神側を攻撃していたので、天の側でも、完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。ですから、神様は、一つの国を編成するために、四千年間苦労されました。そのように苦労された神様の功績は、イスラエル民族がイエス様を受け入れることによって、世界的な基盤となり、この地球星に神様とイエス様を中心とした世界が完全に成し遂げられなければなりませんでした。

しかし、イエス様が亡くなることによって、霊的にのみその世界が成し遂げられたのです。イエス様は、三年の公生涯路程において、ユダヤ教を中心として失ってしまったすべてのものを蕩減復帰しようとされましたが、十字架にかかって亡くなったので、霊肉を中心として、この地上に一つの実体として、神様の足場となる国として立てられたイスラエルがすべて崩れていきました。

結局、イエス様を殺害することによって、キリスト教は、霊的にのみ国家の基盤をもつようになり、また、イスラエル民族は、国のない民になって流浪し、彷徨ずる身となって、サタン世界の嘲笑の的となったのです。ですから、今日、霊肉ともの救いをなしたキリスト教の国は、どこにも見いだすことができません。したがって、再び来られる主は、四千年間準備してイスラエルの国を立てた神様の摂理を、イスラエル民族が理解できずに不信して失ってしまったものを復帰しなければなりません。

皆様。イエス様は、この地上に国を探し出すために来られました。一つの国を探し出すために来られたのです。しかし、イエス様は、霊肉ともの国を探し出すことはできず、ただ霊的にのみ探し出されました。ですから、今日のキリスト教は、この地上に実体の国がないのです。

これは、神様がこの地上のいかなる国、いかなる民族を中心としても、「愛する私の国、愛する私の民族」と呼ぶことができないことを意味します。今まで、神の国の基盤がこの地に立てられなかったことを意味するのです。もし、その当時、イスラエルの国がイエス様を中心として一つにさえなっていれば、息子であるイエス様を中心としたその国は神の国となるので、神様は、その国を中心として世界を復帰されたでしょう。しかし、この地を中心として霊肉を共に連結させようとした基盤は、イエス様が亡くなることによって、すなわち実体を失ってしまうことによって、霊的にのみ復帰されたのです。したがって、今までキリスト教徒たちは、国のない、主権のない民のような立場なので、どこに行っても死に直面したのです。殉教の血を流すことによって発展しました。そのように種が蒔かれたキリスト教なので、そのように殉教の血を流して刈り入れなければ、発展できなかったからです。しかし、今や血を流しながら迫害を受けた時期が終わったのですが、それがそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基盤を中心として、失った実体の国を世界的に成し遂げるために、その国を欽慕し、主を待ち望みながら現れたのが正に再臨思想です。

イエス様も、楽園に行って待っているのです。天の玉座の前に行くことができなかったことを知らなければなりません。イエス様は、神様のみ前に国の主権を立てて、国を治め、地上から天国まで直通できる権限をもった国をつくらなければなりませんでした。しかし、イエス様は、そのような国をつくることができなかったので、神様のみ前に直接立つことができないのです。

したがって、楽園は天国に行く待合室です。また天国は、一人では行くことができない所です。天国は、本来堕落していなければ、アダムとエバを中心として祝福を受けた家庭単位で行かなければならない所です。息子、娘たちと一緒に入っていかなければならないのです。それを復帰するために、天は二千年間闘って、今まで世界と連結できる基盤をつくってきたのですが、国の基準がないこの地上において、国の基盤を誰が受け継いで来るのでしょうか。このことのために、神様はキリスト教を中心とした新しい宗教運動を通して多くの神霊的な人たちを探し求め、募集運動をしながら今まで準備してこられたのです。

尊敬する指導者の皆様。今、人類も三〇〇〇年に向かう新千年紀に入り、新しい天運を受けています。すべての宗教人たちは心を合わせ、私が主唱した、国連内に超宗教的代表者たちによって構成された上院のような議会を併設するという提案を貫徹しなければなりません。

国連が、人類のためにできる最も崇高な仕事があるとすれば、それは、神様の真の愛を基盤とした人類の霊性回復です。これよりも大きな仕事があるでしょうか。ですから、私はこれまで、宗教界だけでなく、政治、思想、経済、文化など、各分野をすべて網羅し、良識ある指導者たちを選んで、「ために生きる人生」に関する真の愛の教育を実施してきました。

このような基盤の上で、私は、既に数万人の平和大使たちを任命しました。彼らは今、世界各地に私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」の旗を掲げて、神様と人類が強く願ってきた平和世界実現のために総力を傾注しています。全知全能であられ絶対的な神様のみ旨は、これから短期間のうちに成就されるでしょう。ここに参席した指導者の皆様も、皆様の御家庭と国を真の愛で新たに創建し、真であり、永続的でありながら、国境のない平和世界を具現する主役になってくださることを願いながら、これで私のお話を終えようと思います。天の祝福が、皆様と皆様の御家庭の上に満ちあふれることをお祈りします。ありがとうございました。

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15.神様の祖国と平和王国時代 日付:二〇〇四年三月二十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂上院講員会館

行事:第三イスラエル平和の王戴冠式および平和大使授賞式

尊敬する上下両院の議員、世界各地から来られた宗教指導者、そして内外の貴賓の皆様。公私共に御多忙でいらっしゃるにもかかわらず、きょうこのように満場の盛況を呈してくださったことに対して、深く感謝いたします。

皆様。今日、人類が直面しているすべての問題は、万有の父母であられる神様をはっきりと知り、正に私たちの家庭において、その神様に侍って暮らす真の家庭を完成するところから解決していくのです。観念的な次元の神様ではなく、実体の父母であられる神様を私たちの家庭にお迎えしなければならないというのです。そのために私たちは、まず神様と人間の関係を確立しなければなりません。神様は、真の愛、真の生命、真の血統の本体であられ、すべての人間の真の父母であられます。

本然の完成人間は自動的に天国に行く 本来、人間の堕落がなかったならば、人間は、神様の真の愛の中で完成し、神様を父母として侍って暮らす真の子女になっていました。完成した人間は、神様の愛の中で、真の夫婦の関係を結び、真の子女を生んで養育し、共に天国を形成して暮らしたのちに、家族全員が一緒に、自動的に天上の天国に入って暮らすようになっていたのです。

考えてみてください。もし皆様の家族の中で、父親は地獄に行き、母親だけが天国に行くとすれば、それがどうして天国でしょうか。父母は地獄に行き、子女たちだけが天国に入っていくとすれば、そこがどうして天国と呼ぶことができるでしょうか。天国は、すべての家族が一緒に入っていき、永遠の平和王国を完成して暮らす所です。したがって、地上においても、家庭天国を完成して暮らす所に神様が臨在されるのであり、神様が理想とされた創造理想の世界、すなわち地上天国が定着するようになるのです。

地上で家庭天国を完成する道 それでは、地上における家庭天国は、どのようにして完成するのでしょうか。第一に、家庭を形成するすべての要員は、個性完成しなければなりません。堕落によって選択の余地もなく相続するようになった堕落性を脱ぎ、自らの人格を完成しなければなりません。

すなわち、心と体の間の葛藤と闘争を完全に克服して勝利し、一心、一体、一念の境地となり、人格完成によって完全一和の世界が実を結ばなければならないのです。このような境地に到達した人に、ねたみ、嫉妬、欲心、憎悪など、あらゆる悪の要因となる堕落性は二度と根を下ろすことができません。

しかし、このような堕落性を脱いでしまうことは、決して簡単なことではありません。長くて数年、あるいは数十年間しみついた習慣である酒やたばこを断つことさえも、挫折を繰り返すのが堕落人間の姿です。数千、数万年間しつこく血統をたどって根ざしてきた堕落性を脱ぎ捨てることが、どうして簡単なことでしょうか。

人間の努力だけでは、絶対に不可能なことです。神様を絶対信仰の基準で縦的な軸として立てて侍り、生涯身もだえしても難しい闘いです。神様を自分の父母や子女以上に絶対的に愛するそのような境地において、真の父母である神様に侍っていかなければ、考えることもできないことです。神様のみ前に命までも差し出して従わんとする絶対服従の基準に立たなければ、絶対に勝つことができない闘いなのです。

歴史的に主要な宗教の教えの中には、断食、禁欲、犠牲、そして苦行を修道の基本としている理由が、正にここにあるのです。天が共にあり、霊界が協助できる換骨奪胎した新しい人の姿に再び生まれ変わらなければなりません。山川草木の前に裸で立っても、一点の恥ずかしさもなく、サタンの前に立てば、サタンがかえって逃げていかざるを得ない「正午定着」の人格を備えた、すなわち永遠に一点の影もない真の愛の人格を備えた人にならなければなりません。

天国は四大心情圏を完成した人たちが行くところ 第二に、このような人格完成を達成した個々人が集まって真の家庭を築き、その家庭の中で家族全員が共に四大心情圏を完成しなければなりません。

そのような家庭は、心と体が完全一体を完成した一人の姿と同じです。天国は、家庭単位で入っていく所だと言いました。しかし、家庭といっても、どの家庭もみな自動的に天国入城の資格を得るというわけではありません。真の家庭の基台がなければ、四大心情圏を完成する足場がなく、また四大心情圏を完成した真の人たちが、神様を中心として父子の血統をもつ家庭であってこそ、天国に入っていくことのできる真の家庭になるのです。

それでは、四大心情圏とは何を意味するのでしょうか。本来、神様の真の愛と真の生命、真の血統によって連結された真の家庭の中で、祖父母、父母、子女を中心として、三代の純潔な血統を立て、父母の心情、夫婦の心情、子女の心情、兄弟姉妹の心情を完成するとき、これを総称して四大心情園の完成というのです。

ここで、父子の愛は上下の関係を立てる縦的関係であり、夫婦の愛は左右が一つになって決定される横的関係であり、兄弟間で与え合う愛は前後の関係を代表するのです。

神様の創造理想は、このように、観念的で、望みとして残るだけの夢ではなく、真の血統を中心として、四大心情圏の完成した、家庭を単位として実体的に完成するのです。父母の心情圏とは、父母が子女を生み、真の愛で育て、教育する過程において、自然に得られる心情、すなわち父母として子女に対する真の愛の主人となることのできる心情を意味するのです。子女がいなければ、誰も父母として愛の主人の位置に立つことはできません。

次に、夫婦の心情圏とは、夫婦が生活を通してお互いを愛の主人の位置に立ててくれたことを感謝しながら、真の愛を与えたり受けたりする中で体恤する真の血統的心情関係を意味します。

夫は、自分の命を犠牲にしてでも妻のために生き、妻は、夫に対して神様に侍る心情で侍って暮らすときに、夫婦は共に真の愛を体恤するようになるのです。この真の愛の体恤の上で、初めて夫婦の完成も可能になるのです。

神様の祝福を受けて結ばれた夫婦が、初夜に愛を交わすその瞬間は、神様から真の愛の王宮、真の生命の王宮、真の血統の王宮を相続する場です。妻は、夫を通して理想的な、神様の息子を迎える位置、天の兄を迎える位置、天の夫を迎える位置、天の父母を迎える位置に立つようになるのです。

夫も、妻を通して同様な位置に立つようになります。神様の主要な属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。したがって、夫婦の心情圏を完成すれば、夫婦の関係も絶対、唯一、不変、永遠の関係となるので、そこには離婚という単語が存在できないのであり、相互間に尊敬と愛だけが花咲く幸福な生活が約束されるのです。

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平和世界実現の具体的方案 尊敬する指導者の皆様。世界平和の実現は、世界次元で先に成し遂げられるものではありません。まず、人間個々人を通して実現されるしかないのです。心身統一をなした個人が求められます。

堕落によって、人間は心と体の葛藤が生じるようになりました。サタンが体を拠点として人間を掌握しながら、本性の要求と霊性から離れ、利己的、個人的欲求ばかりを追い求めるようにさせるのです。

神様の真の愛を通した血統圏にのみ、サタンの主管圏を逃れる道があります。そして、利他的にために生きる道を步むならば、サタンはついてくることができません。サタンはその本質が利己的だからです。このように堕落人間は、神様の真の愛の実践によって人格の変化を達成し、霊性を回復できるのです。観念的な神様ではなく、生きておられる神様と関係を結ぶ、真の信仰でなければなりません。

本来、神様の真の愛の対象として造られた人間は、その真の愛を自然に実践するようになっています。美、真、善などの価値は、愛の実践として現れます。神様の真の愛によって心と体が一つになった人は、喜悦と平安、満足と平和をなした個人となります。平和世界は、このような主体的な人格が優先的に求められます。

第二に、平和世界は、制度や権力、物質や知識、または何らかの外形的な要因によって成し遂げられるものではありません。ために生きる真の愛によってのみ成し遂げられます。真の平和と統一と幸福は、ために生きる愛の関係を離れては見いだすことができません。これが創造の根本原則です。対象のために無条件に与え、投入し、愛することが、神様の創造の動機であり目的でした。

人間は、神様に似て、ために生きる存在として造られました。人は、ために生きる道でのみ、中心存在となり、平和統一の主体となり、愛と理想の永遠の主人となります。絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様に出会い、神様から相続を受け、真の父母、真の師、真の主人となる道は、ひたすら、ために生きる真の愛の生活だけです。真の愛によって、ために生きれば、自然に葛藤と分裂が克服され、全体が和合して統合されます。この道は、闘って勝ち取るのではなく、自然屈伏させて永遠の統一を成し遂げる道です。

第三に、平和世界の基本単位は、国家ではなく円満な家庭です。神様に侍る人格、すなわち心と体が一つになって調和した男性と女性が、神様の祝福のもとに夫婦となった家庭が、その単位となります。人類の歴史が始まって以来、真の父母を通して初めて探し出された家庭です。真の愛で家庭の構成員が調和一体を完成した、和気あいあいとした家庭です。このような家庭が繁栄し、平和な氏族、民族、国家、世界を形成していくようになります。一なる神様のもとに、真の愛を中心として人類は一家族となり、天宙が一つになることが、本来の神様の理想でした。

真の父母を中心として家庭の問題が解決する所が、平和世界の基台となる所です。真の愛の祝福家庭理想のもとには、既に国家と人種と宗教の壁はありません。

人類は、神様を求めなければなりません。無形の真の父母が分からない無知から抜け出さなければならないのです。この宇宙の無窮で奥妙な秩序の中に生きていながらも、創造主の偉業に対して感謝できない悖逆(はいぎゃく)を、これ以上繰り返してはいけません。堕落した人間は、自分の生命の主人が自分自身であるという傲慢から抜け出し、神様の真の愛の前に自ら霊性を啓発しなければなりません。

天地父母の伝統的な道に従おう 神様は真の父母であられます。永遠無窮に真の愛をさらに大きく投入しようとされる心情を、絶対的なものとして固めて生きられる神様を発見しなければなりません。御自身の絶対、唯一、不変、永遠の真の愛、真の生命、真の血統を完全に相続させる対象として、人類をつくられた神様の情を知らなければなりません。

そうして、絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様と真の父母を、私たち個人、家庭、国家、世界、天宙の絶対価値の軸として立てなければなりません。そして、個人的な生活から家庭、氏族、民族、国家、世界的な生活が根本とならなければなりません。

真の愛によって、ために生きる道である天地父母の伝統的な道を、千年、万年、変わることなくついていきたいと願うようでなければなりません。そうなれば、家庭問題、社会問題、人種問題、宗教間の葛藤問題など、解けない問題はありません。

創造理想世界である神人一体の心情世界になって生きる時代が来なければなりません。人のために生きることが、自分のために生きることよりも永遠の価値があることを悟って生きる時代、自己中心の利己主義時代が後退し、共生、共栄、共義の利他主義の世界を創建しなければならないのです。

私たちは、この目的のために神様と霊界について正しく知り、さらには、全世界に天道を証しながら人類を正しく指導し、神様の真の愛、真の生命、真の血統に連結された天宙大家族を形成し、神様の祖国と故郷を、地上と天上とに創建しましょう。絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠の真の愛で、地上天国と天上天国を完成し、神様の王権を奉献してさしあげましょう。

神様の祝福が、皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国の上に共にあることを願いながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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無理解の中で展開した平和運動 尊敬する指導者の皆様。私はこれまで神様の召命を受けてみ旨に従い、千辛万苦の中で、各分野に平和安着のための基盤を築いてきました。三十年以上も前から、「統一思想研究院」を創設して思想界を指導し、また絶対価値の探究と諸学問の調和統一のための「科学の統一に関する国際会議」を一九七二年から年ごとに三十回近く開催してきました。

「世界平和教授アカデミー」の創設と持続的な支援、「世界平和のための頂上会議」、「国際勝共連合」、「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」、「世界平和連合」、「世界平和島嶼国家連合、半島国家連合、大陸国家連合」、「南北統一運動国民連合」などの超国家的な平和運動、各種文化芸術振興運動、スポーツを通した平和運動、小、中、高、大学などの教育機関の育成、「世界平和女性連合」活動、責任言論と道徳言論具現のための各種言論機関の設立、「世界大学原理研究会」、「世界平和青年連合」、「青少年純潔運動」、「環境問題国際会議」、「国際救護親善財団」、「サービス•フォー•ピース(service for peace)」、「宗教青年奉仕団」、「ボランティア愛苑」、「世界NGO(非政府機構)連合」、祝福と真の家庭運動、天が願われる国連の平和理想の目的に対する支援と刷新運動など、救国救世運動を汎世界的に展開してきました。

無理解と迫害の中で、政府や財閥からの財政的支援なしに、このようなことを持続的に行ってきました。ひとえに、神様から委ねられた理想家庭定着のために、人類の真の父母の使命を完遂し、神様のみ旨を成し遂げてさしあげたいという一念のもとに、あらゆる分野において基盤を築いてきました。

神様の真の愛の平和理想を実現するためには、宗教間の和解と率先垂範が何よりも重要です。偏狭な各国の一部の宗教団体や教派の無理解と迫害の中でも、私が最も力点を置いて行ってきたのが、超宗教、超国家、超NGO連合との協力運動でした。

各種の超宗教指導者会議、超宗派的な神学校の設立、新教会一致運動、「世界宗教協議会」、「世界宗教青年セミナー」、「世界宗教議会」、『世界経典』の刊行、宗教間の和解のための各種会議に対する持続的な支援、「世界平和宗教連合」の創設など、いかなる犠牲も顧みず、一つの世界のために私ができることはすべて準備してきました。

ここからもう一歩踏み込んで、宗教団体間の和解にとどまらず、既に基礎を築き上げた学界、政界、言論界、財界、NGOなどの各界指導者と共に、世界平和のための統一機構である「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。一九九九年二月に「世界平和超宗教超国家連合」を創設して以来、百八十九ヵ国の多様な分野の指導者数万人を平和大使に任命しました。

平和大使たちは、私の平和思想を中心として、ために生きる真の愛を実践し、国境、人種、宗教の壁を崩す、重要な活動を行っています。エイズ予防運動、各種の奉仕活動、真の家庭運動、指導者および青少年教育、環境親和運動などの実践運動を展開しています。

私の思想は、「神主義」に立脚した「頭翼思想」です。絶対価値の基準であり、真の父母、真の師、真の主人であられる神様を絶対中心に立てる主義です。人間が生活の中で神様に対し、三大主体思想、すなわち真の父母、真の師、真の主人として霊界と地上界で侍り、その対象として生きるようになれば、遠からず真の愛の地上•天上天国となります。

神様と霊界を否認する無神論の共産主義思想は克服されなければなりません。同様に、絶対価値の縦的基準の重要性を無視する世俗的人本主義や価値の相対化を叫ぶ主張なども克服されなければなりません。

また、神様の名を借りた真の愛のない信仰生活や、利己心に基づいて本然の人権を踏みにじり不正を行うことなども、すべて克服されなければなりません。このように左翼と右翼を克服し、国と人種と宗教の壁を崩し、絶対神様を中心として、大きく統一調和させる思想こそ、私の提唱する「頭翼思想」です。

この活動に天地が協助して、理想的な一つの体系を形成しなければならないことを知っていただき、国連を中心としたすべての国家が、世界的に団結して解決すべき大転換の時期が来たことをお忘れにならないようお願いします。

現在、社会は脱イデオロギー時代となり、絶対思想の体系がない社会になりました。個人から家庭、社会、国家、世界へ、さらには天宙までつながる絶対価値観がありません。人間の考えが混沌とし、人間関係に秩序が立てられずに混乱が生じるのは、すべてここに由来しているのです。心や実生活に根本軸をもてずにいる現代人が、多元化、現代化の趨勢を迎えているので、なおさら価値観の混沌に襲われるのです。現代人は、感覚的な享楽にふけり、主体性なく気ままに生きたいという誘惑が絶え間なく襲ったとしても、決して価値生活を諦めてはならず、絶対価値を縦的軸として探し立てなければなりません。絶対価値の中心は、ために生きる、神様の真の愛だけです。

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理想家庭と人間の堕落 人間は、心情的に一つとなり、真の愛の中で同位となり、生活の中で深い感情の通じる、分かつことのできない父子関係としてつくられました。神様は、愛の対象である息子、娘の人間と共に愛を完成するという創造理想を立てられました。これが真の愛の理想の成就です。

人間始祖アダムとエバを創造された神様の創造目的を要約すると、彼らが神様の真の愛、真の生命、真の血統の結実を完成した善の家庭を立てることです。アダムとエバは家庭を基盤として、子女の心情、夫婦の心情、父母の心情を育みながら、段階別に、また分性的に神様の愛を体得し、安着して完成するのです。このように創造されたアダムの家庭で、神様を中心とした真の愛の理想が成し遂げられていたなら、最初の天国家庭になっていたのです。

また、アダムとエバという真の父母の家庭を中心とする天国理想は、氏族、民族、国家、世界へ拡散すべきでした。真の愛の家庭の伝統が、世界の伝統につながっていたでしょう。その世界は、無形の絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様に似て、すべての属性を相続した真の父母を中心とする世界です。そして、天の国は、神様と有形、無形の一体を成した真の父母が、縦的な軸となって、子女たちが、上下、前後、左右、内外に調和を成し、自由と平和と統一と幸福の生活を出発した世界です。

人は地上の肉身生活を終えると、霊人体は無形の世界である霊界に行きます。これは、地上生活の延長であり、そこでもやはり天国理想を完成するようになるのです。もしも、そうなっていれば、宗教を中心とした神様の救援摂理やメシヤの降臨は必要なかったのです。

しかし、不幸にもアダムの家庭を中心として成し遂げようとされた神様の天国理想は、アダムとエバが堕落することによって成就されなかったのです。これは、アダムとエバがサタンを中心とした偽りの愛によって偽りの父母となったからです。彼らは神様の祝福とは関係のない、偽りの夫婦、偽りの家庭をつくり、偽りの生命、偽りの血統を子孫に伝授しました。サタンが怨讐の立場で血統を変えた恨を神様に残したのです。

こうして、彼らは神様を失ってしまい、神様に侍って暮らす聖殿を完成することができませんでした。かえって、彼らの体は悪魔サタンの巣窟となり、絶対価値を指向する霊性が零落し、無形の世界である霊界に関しても無知になりました。

先祖である彼らがこのようになったので、子孫であるすべての人類は、神様が私たちの真の父であられることが分からなくなりました。サタンの利己的な欲望を受け継ぎ、自己本位で堕落性による不義を犯しながら生きていくようになりました。本来、人類が一人の神様に侍る兄弟姉妹であることも知らず、葛藤と紛争に明け暮れ、罪を犯しています。互いに命を奪い合いながらも、それが自分自身を害することを知らずに不幸の中で生きているのです。

最初に、アダムの家庭を中心として、カインがアベルの命を奪った罪悪を受け継ぐようになった結果の世界なので、偽りの愛の子孫である人類の帰結は、家庭破綻と青少年の退廃、病魔エイズなどの不幸と罪悪と破滅です。

周囲を見回してください。心身の葛藤と価値観の混乱、犯罪と麻薬、人類の存亡がかかった家庭の危機、環境破壊、紛争と憎悪、テロと戦争、さらには人種と宗教と文明間の葛藤など、現在の危機はあまりにもひどいものです。日ごとにその程度が増し、危機が多元化、世界化しつつあります。これ以上、放置することはできません。時間がないのです。

誰がこの世代に責任をもつことができるのでしょうか。世界問題を根本的に解決する代案を提示する指導者はどこにいるのでしょうか。神様を見失うことによって、人間は真の愛も、平和も、幸福もみな失ってしまいました。人間は、神様を抜きに人間同士で、不幸から脱して平和を成し遂げようと、畏い歴史をかけて努力してきましたが、これは根本的な誤りでした。人間の力だけで危機を脱出することはできません。真の平和と幸福は、神様の真の愛、真の生命、真の血統に根源を置いています。

神様の創造のみ旨は絶対です。神様は、アダムとエバの堕落によって誤ったものを、再び原状に戻されます。したがって、神様の救援摂理は復帰摂理であり、その目的は堕落前の本然の世界の回復です。言い換えれば、神様の真の愛を探し立て、彼らに再び祝福結婚を受けさせて、本然の世界を探し立てることです。そのようになれば、その真の家庭を起点として、真の氏族、民族、国家、世界が形成されるのです。

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14.神様と平和統一世界 日付:二〇〇二年十二月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン•ナショナル•ホテル

行事:「世界平和超宗教超国家連合」聖職者会議

世界各国から来られた元•現職の国家元首と高名な宗教指導者、各界の代表者、各国の平和大使、そして尊敬する紳士淑女の皆様。平和世界の実現という人類の共同理想を中心として根本を探究する、この意義深い会議に御参席くださいまして、誠に感謝申し上げます。

いつにも増して平和と安全が切実に、かつ緊迫して求められる時にあって、各界の指導者である私たちは、神様を遠ざけたまま、世界的な寫藤と戦争、罪悪と不幸の問題を解決すべき厳粛な責任を、共同で背負った立場に立っています。

神様は真の愛の本体 きょう私は、これまで天意に従い、生涯を捧げて究明してきた、人類の難問題に対する根源的な解決法案に関する一端をお話ししようと思います。このみ言は、既存の神学的な研究や書物に基づいたものではありません。私が血のにじむような苦闘の中で、直接神様や霊界と交信しながら、体恤して究明した根本原理です。

神様と交信しながら天意に従う道は、一般の人が常識で理解できるような道ではありません。しかし、人が本心を開いて、深く洞察すれば、現実の中に生きて働かれる神様のみ旨と霊界を感知する新境地があるのです。

平和理想の根本を探究するこの大会は、現代人の苦難と絶望、そして現代の危機状況を分析する集まりではありません。病状の根本を探り、治癒しなければなりません。そのためには、宇宙の根本である神様と人間との本然の関係を知らなければならず、歴史の中で、生きて摂理してこられた神様のみ旨を悟らなければなりません。

神様は、真の愛の本体であられます。真の愛は、無条件に与えてはまた与え、投入しても記憶せずにさらに投入し、ために生きては、またために生きる属性をもっています。神様が創造された大気の中で、義人と悪人が共に呼吸できるように許容されたのは、絶対愛の神様であり、真の愛の本体であられるからです。自然の恵沢のもとに、善人も悪人も共に農業を営み、生活しているのです。

また、全能性と絶対性を先立たせて罪人を即決処分できる神様なのですが、真の愛で抱いてこられながら、罪人たちが悔い改めることを、長い間、耐え忍んで待ってこられました。創造主であり、本当の父であられるのに、御自身を不信し、背き、ひいては存在しないと主張し、死んだと考える群れから、ありとあらゆる悪ロを言われながらも、相対がなければ愛を完成できないがゆえに、変わることなく忍耐してこられた父なる神様であられます。

尊敬する指導者の皆様。神様が不平を言われるのを聞いたことのある人はいますか。言い訳をする神様に会った人はいますか。太初から、真の愛の理想の絶対基準を立てられ、御自身自らその理想に絶対服従されながら創造され、摂理してこられた神様です。あらゆる濁った水や残りかすのようなものをすべて受け入れても完全に浄化できる海のように、創造の原則から外れた人間世界を完全な善に浄化できる絶対の真の愛の主体として、真の愛の相対関係のために毅然として摂理される神様であられるのです。

神様は真の愛を中心とした絶対なる真の父母であり、絶対なる真の師であり、絶対なる真の主人です。ですから、神様はその真の愛を与えることのできる対象を必要とされました。それが創造の動機です。神様の創造は必然でした。真の愛の創造理想は、一人で成し遂げる理想ではありません。神様御自身の気高く善なるみ旨を、人間と共に喜ばれるための理想です。

真の愛の神様を正しく理解すれば、今日、罪を犯し、争う不幸なこの世界は、神様の本来の計画ではなかったことが自明になります。神様の創造のための精誠と投入はこの上ないものでした。自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てられ、絶対投入されました。

被造物はすべて、神様がこの上なく精誠を尽くし、投入してつくられた愛の対象です。その中でも、最も貴い被造物である人間は、真の愛を中心として、神様に最も近い関係、すなわち父母と子女の関係でつくられました。神様は無形の真の父母であられ、人間は実体対象である息子、娘です。

真の愛の世界には、大小、高低の分け隔てがありません。真の愛で一つになることは、上下や階層がなく、完全に、また全体的に調和一体となることです。さらには、主体と対象が一体となったその結果は、断絶なく永続するものです。このように、真の愛の中における主体と対象には、同位権、同参権、同居権があり、相続権が存在するようになります。

人間は、神様の愛の中で完成し、神様の絶対父母、絶対師、絶対主人の位置を相続するようになっているのです。このように神様は、御自身の子女である人間が、真の愛の理想を完成することによって、御自身と一つになって共に住み、御自身のすべてのものを相続するようにされました。

ために生きる真の愛の中でのみ、真の自由と平等が、平和と統一が、理想と幸福が永遠になることができるのです。ですから、真の愛は、宇宙万象、特に生命をもつすべての存在の力と生命の源泉であり、喜びと幸福の源泉なのです。真の愛は、喜楽と希望と平和の絶対要因です。

しばしば神様と人間の関係は、その尊厳性や神聖さにおいて、永遠に格位を異にする関係であると理解されています。もちろん、創造主と被造物としての立場の違いはありますが、何よりも優先する本然の関係とは、真の愛の父母と子女、性相と形状、主体と対象、内外の関係なのです。

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皆様。私たちの信仰の目標は、果たして何でしょうか。神の国の民になることです。その国の民になることができなければ、自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛を受ける道が現れないのです。国のない人は、いつも攻撃を受けるようになります。哀れな立場に立つようになります。あえなくやられることがいくらでもあるのです。ですから、神様が願われる国はどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国がどこにあるのか、これが問題です。

私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局、永遠の天の国を築くためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福地国家を築くためです。その国は、神様を中心として、直系の子女たちが天命に従い、すなわち神様の命令と王権をもって治めるそのような国であることに間違いありません。そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、皆様御自身が、そのような国の民になることができなかったという事実が悲痛なことではないでしょうか。私たちは、そのような一つの国をもつことができなかったことを嘆息しなければならず、そのような国で暮らすことができないことを嘆かなければならず、そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、悔い改めなければなりません。

そのような主権と国と国土を立てるために、人類は、歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程で、数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交替してきたという事実を、私たちは知っています。そのように犠牲になった数多くの人たちの中で、天の側にいる人々、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての哀しい霊人たちは、いつかはそのような国、そのような世界が成し遂げられることを願うに違いありません。人類が堕落したのち、歴史は、神様が主管されるのではなく、サタンが主管するようになったのです。

しかし、本来この世の中の主人は、神様がならなければなりませんでした。神様と愛の関係を結んだ直系の子女、その子女たちによって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管される世界であり、神様が主管される国であり、神様が主管される家庭であり、神様が主管される個人になっていたでしょう。ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界であることを知らなければなりません。したがって、この世界をそのままにしておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な愛の世界を築くことができず、また、絶対者であられる神様が、本来意図された創造理想を実現させてこそ、神様本来の権威を取り戻すことができるので、その立場を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の世界に導いていかれるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。

しかし、この地には、堕落主権の国は多くありますが、神様が望まれるその国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることのできるその国を立てるために、人間が知らない中で、歴史を通して時代を動かしてこられました。神様は、一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管しようという望みをもってアダムを造られ、完成に向かって育てていかれました。ところが、アダムの堕落によって一から始まった歴史は、四分五裂してしまったのです。これを収拾して連結していくのが救援摂理歴史です。アダムは、すべての人間の先祖なので、アダム個人を失うことは、全体を失うことと同じです。したがって、これを再び呼んで立てなければなりません。再び立てられるその方は、氏族と民族と国を放棄して忘れてしまうことができる、つまり、神様のみ旨のためだけに生きていく人でなければなりません。

皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通した目的をもっています。皆様もよく御存じのキリスト教の歴史をその代表的な例として、一度見てみましょう。ノアは民族的な環境に置かれていても、そこに属するのを望まず、国に属していましたが、その国に縛られずに自分が希望していた国を探していきました。彼は希望の国を探し立てるために、あらゆる試練と逆境を経なければなりませんでした。ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨を追求していった人です。ノアに託された神様の願いは、神の国と神の義を求め、個人的な環境を克服していくことでした。

彼が春夏秋冬、一日も欠かさず、百二十年の試練過程を通過したその苦衷はいかなるものだったでしょうか。家庭も彼を理解しませんでしたが、ノアはそれらいかなる攻撃の矢もすべて受けながら、百二十年を貫いていきました。神の国と神の義を求める前に、自分勝手に飲んだり食べたりしていては、あとですべて蕩減を受けなければならないという原則をノアはよく知っていたのです。神様はアブラハムとサラを立て、カルデアのウルを発つようにさせました。アブラハムは、ハランが、自分たちの住むべき所であるとは思わず、神様の啓示をもってカナンに無条件に信じて向かって行きました。またサラは、パロ王に引っ張られていってもアブラハムを決して恨んだりはしませんでした。

このように、希望の国に向かって行く彼らの心は、いくら激しい迫害が押し寄せても、変わることはありませんでした。ヤコブは、自分に下された祝福には、希望の国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を打ち砕くことはできませんでした。そのように、み旨は個人、家庭、氏族と拡大され、預言者たちは、次第に世界的な希望をかけて進んでいったのです。イエス様は、イスラエルの不信と迫害によって彷徨する立場になり、霊肉ともの救いを成し遂げることはできませんでした。

しかし、メシヤは、天と地のすべての障壁を崩して、一つに統一しなければならない使命をもってこられる方です。この地を中心として構成された理念国家は減んでも、天倫が求める理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨です。アダムを中心として願われた神様の望みは、アダムの個体だけにとどまるのではなく、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国を築くことでした。メシヤが成し遂げようとした目的の国が、イスラエルの不信によって壊れたとき、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主には、アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があり、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるのです。

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13.神様の祖国と一つの世界 日付:二〇〇二年十月十六日

場所:韓国、京畿道、九里市、中央修練院

行事:天上地上和合統一大会

全国から集まった宗教界、政治界、学界の指導者の皆様、そして高名な平和大使の皆様。きょう皆様は、平和世界に対する希望を抱いてこの場に集いました。私は、この意義深い席において、「世界平和超宗教超国家連合」の創始者として、神様が本来理想とされた「神様の祖国と一つの世界」に関するみ言をお伝えしようと思います。

今日、この地上に生きている人間たちは、神様があらかじめ告げてくださった神の国と神の義を見つけることができずにいます。ですから、神の国と神の義を探し出すことが、今日の私たち人類の希望であり、また今まで数千年の歴史過程において生きては去っていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。

それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残されるようになったのでしょうか。それは、人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場におかれるようになりました。すなわち、神の国と神の義の中心である父と家庭、そして国家に関して詳細に知らない人間に転落してしまったので、神様は、そのような無知に陥った人類を悟らせ、その父と家庭と国家がどのようなものかということを教えるために、今まで歴史路程において苦労してこられたのです。

ですから、神の国と神の義を探し立てることが、いまだに私たちの希望として、また目標として残るようになったのです。この世界には、現在数多くの国が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から本当に愛を受ける国は一つもありません。したがって、このような堕落世界を否定して、新しい神様の国を再び創造しなければならないということが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的なのです。それで神様は、歴史を通して国を探し求める摂理をしてこられたのです。国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とした真の国家が存在しなければなりません。したがって神様は、ある一時を迎えて特定の国を探し出されました。それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。

皆様が望まれる神の国とはどのような国ですか。その国は、今日、皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がありません。

国がなければ国籍をもつことができないのです。国がなければ入籍できる基盤もないということです。ですから、現世において私たちがすべきことは、国を探し出すことです。この地上に天の国を編成し、その国籍をもって国を愛し、民族を愛する真で善の父母の血統を受け継いだ勝利の息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を導いて暮らしたのちに死んでこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが原理です。

国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、そのまま残してあげられる伝統も残るのであり、私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝賀する記念塔がこの地上にできるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべて無駄になるのです。ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題であることを、皆様は知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受ける国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子となり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を、いつももって暮らさなければなりません。真の父母の愛を受けて、神様の愛を受けなければならないという意味です。

しかし、神様の愛は、国がなければ受けることができないのです。サタンの王権に勝利したのちにこそ、天の国が成立するからです。私たちは、神の国を仰ぎ慕います。それは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠の愛が存続できるところです。また、自分自らが誇れるところであり、自己の価値を一〇〇パーセント認定されるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。ですから、人間は、天の国を慕い、憧憬するのです。

私たちが行かなければならない道は、心から行きたいと思う道であり、私たちが探し求め、築かなければならない国は、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちが所有すべき財物は、天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。また、私たちが泣くときには、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶときにも、天地が共に喜ぶことができる権威と知識をもたなければなりません。これが、今日の堕落した人間たちが現世において追い求めなければならない、最高の望みであり、願いなのです。

人は誰でも、自分の国で暮らさなければなりません。それは、人間に付与された絶対的な条件です。一人残らず、神の国と神の義のために、希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いで理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。

皆様には、そのような国がありますか。ないので、その国を探し求めて築かなければならないのではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国です。万民が行くことのできる国です。この国を成し遂げるにおいては例外がありません。ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するのです。そのようにして個人を統一でき、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界を統一できるのです。神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければなりません。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、神様が彼らをすべて主管されるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨とならざるを得ません。

もし地上で国家の復帰を自分の生涯において果たすことができずに死ぬ場合、皆様は、霊界に行っても、天の国に属した人としての価値をもつことはできません。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければなりません。それが本来、神様の創造基準だからです。

皆様。私は今、地上に羨むものがありません。世の中のものには関心がない人です。ただ、「神様が保護できるその国において死ななければならないのではないか。私がそのように生きてから逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。死ぬ前にその国を探し出し、一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが私の願いなのです。

そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいるのです。分からない皆様は休んだとしても、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動かしてでもしなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行かなければならない道です。

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神様の最後の警告を深刻に受け入れるべき 絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、論理的にも可能な説明です。ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。

堕落した人類を救おうとする神様の愛は、歴史的に多くの宗教の出現として現れました。悪の勢力がはびこる世の中で、心が体を一〇〇パーセント治める生活を営むということは、ほとんど不可能なことです。したがって神様は、歴史的に、時代や文化、そして地域的な環境や条件を考慮して、必要適切な宗教を許されたのです。そして人間は、宗教の教えに従って、心を中心とした人生の道を一つ一つ開拓してきました。現実世界に執着せず、永遠の世界に希望をおいて生きる道を学んできました。キリスト教を見ても、現実世界に焦点を合わせて生きなさいとい宗教えはありません。この世で裕福に暮らすために、利己主義的な生活を送ってもかまわないとは教えないのです。必ず心の世界における平和を強調するのです。

「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七•ニー)と説いているのが、その良い例です。ここでいう天国論は、この世的な豊かさと権力を意味するものではありません。仏教でいう「天上天下唯我独尊」も同じ脈絡で理解することができます。宗教によってその方法は異なるかもしれませんが、一様に人間に希望をかけて自らを省察しながら、心が体を主管して生きることができる道に導くことが、宗教の使命でした。このように神様は、六千年間という長い歳月の間、宗教を通した人類救済の摂理を展開してこられましたが、どの宗教指導者や聖人、賢人も、どのようにすれば私たちの心と体の葛藤を克服し、永遠の統一と平和を成就できるかを明らかにして教えることができなかったのです。どうしたら心を中心として体を完全に征服できるのか、ということについて教えることができませんでした。

人類は、平和の基盤を見いだすことのできるところ、すなわち、父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、兄弟が永遠に一つになり、父母と子女が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる心と体の統一点を提示できなかったのです。しかし、今や時が来ました。天が待つことは終わりました。私たちが生きているこの時代こそは、人類が歴史的に迎えた終末の中の最後の終末期です。天はもうこれ以上、人類救済の摂理を延長することも、延期することもできなくなりました。天と地が待ち望んできた人類の真の父母が、今やこの地上に顕現して、すべての貢任を一人で負い、復帰摂理を成功裏に遂行しているからです。混沌と放蕩によってもつれたこの世界に、本然の真の愛の秩序を立てているのです。

皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上、天上天国が連結されるのです。

霊界のメッセージの忠言 私たち夫婦は、人類の真の父母の資格をもって、既に全霊界を統一しました。四大宗教の教祖であるイエス、釈迦、孔子、ムハンマドはもちろん、彼らの高弟級の百二十人ずつからメッセージを受けています。霊界で開催されたセミナーを通して、私たち夫婦の教えである「統一原理」と「統一思想」を学んだのちに送ってきた彼らのメッセージは、一様に希望的であり、真の父母に対する感謝の言葉に満ちています。さらには、マルクスとレーニンをはじめとして、霊界に行っている世界的な共産主義者たちも、真の父母の命令に従って「原理セミナー」を修了し、悔い改めと痛恨の涙で綴ったメッセージを送ってきています。

今、彼らの希望は、ただ一つです。それは地上の信徒や信奉者たちが、一日も早く、真の父母である文総裁の教えを受け入れ、永生のために準備しなさいというメッセージです。つかの間の地上生活で、貴い一生を浪費せず、誰もが肉体を脱げば入っていって永遠に一緒に暮らすことになる霊界での生活のために、知恵深く準備して来なさいという忠言で満ちています。

皆様。これは何を意味するのでしょうか。第一に、老若男女、地位の高低を問わず、全人類は今、神様が実際に生きて働いていらっしゃるという、厳然たる事実を信じなければならないという点です。観念的にのみ信じて暮らす神様であってはなりません。私たちの一挙手一投足を、燃える炎のような目で見守っていらっしゃる神様であられます。

御自身の懐を離れてサタンのもとへ行った人類が、悔い改めて再び御自身の懐に帰ってくる日を待っていらっしゃいます。放蕩息子になって離れていった子女が、懺悔の涙とともに父の懐に帰ってくる姿を思い描いていらっしゃいます。いまだに地上にとどまって人類復帰のために血と汗と涙の道を歩んでいる真の父母様を慰め、真の父母様に侍りながら生きてほしいというのが神様の願いです。終末期であるこの時代に下さった神様御自身の警告を深刻に受け止め、誤った人生の軌道を修正し、後悔のない生活を送ることを願っていらっしゃる神様であられます。

第二に、霊界の実在を事実として受け入れ、私たちの生活すべてを天倫に合わせて生きなければならないという警告です。前進的自我を発見し、前進的主体性を探し立てて、この地上に平和世界を定着しなさいというむちとしてのみ言です。神様が見守り、数千、数万の聖人や賢人、そして皆様の先祖が、皆様の日常生活を注視していることをはっきり悟るなら、誰があえて天倫から外れた生活をすることができるでしょうか。

今からは、遠からず皆様も霊的な体験をすることになるでしょう。皆様の先祖が動員されて、皆様の生活と考えまでも直接監視し、指導する時が来ました。私たち夫婦の教えを信じて従う多くの統一信徒たちは、既に生活の中でこのような境地を経験しています。

愛する祖国の同胞の皆様、そして本大会を見守る世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。人類の真の父母であるメシヤが再臨したこの時代、韓国と北朝鮮が銃や剣ではなく、愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖人と賢人と先祖が降臨し、直接私たちと交流しながら暮らすことになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に恵まれた人たちです。

今後、全人類は、人種と理念、そして国境を超越し、平和の世界を創建するに当たり、召命された責任を果たしてくださることを促しながら、きょうの私のお話を終えようと思います。神様の限りない祝福が皆様の家庭と国家に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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神様を解放しなければならない私たちの責任 それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で言うと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。今日、私たちの周辺で、堂々と我がもの顔で猛威を振るっている極度の利己主義的思考と行為が、正に私たちを堕落の道に追いやった元凶なのです。

他人の立場や境遇を考える前に、自らの利益や都合だけを追求する拙劣な行為、他人が死のうと死ぬまいと自分だけが生きようという破廉恥な姿は、みな堕落が引き起こした行真の片鱗なのです。しかし、これは、創造当時に神様が計画された本来の目的ではありません。神様もこのような世の中を願われず、人間もこのような世の中に生まれて暮らすことを願いませんでした。したがって神様は、このような悲惨な歴史、悲しみと苦痛に満ちた歴史を清算して、本来願われた平和の世界、幸福の世界、自由の世界、善の世界を取り戻すことを目的として立て、この堕落した世の中を収拾してこられているのです。これがすなわち復帰の道であり、救援摂理の道なのです。

堕落したアダムとエバの子孫に転落した人類になりましたが、人間には誰しも本然の世界を指向する本心が残っているので、人類は歴史を通して神様が願われる世界を望み、指向してきたのであり、私たちのその希望は、行くまいとしても行かざるを得ない、困難であるとしてもかなえざるを得ない理想として残されたのです。神様は、堕落した人類に、時代に従って、新しい理想と新しい心情を取り戻してあげるために、今日に至るまで摂理を繰り返してこられました。

もし、そのような理想を成就する一日が、天と地に訪れなければ、また、天と地を動かすことのできる中心存在、そしてその中心存在を軸にして共に動くことのできる人々が現れ、天地が一つになって一つの目的を指向できる道を開くことができなければ、この地上に真の自由と平和と理想が訪れないのです。そうなると、人間は蕩減復帰の歴史過程から抜け出すことができなくなるでしょう。

このような事情があるので、神様は、私たちに栄光の立場でお訪ねになることができないのです。平和と自由と理想をもってお訪ねになることもできません。反対に祭物の時を歩んで私たちをお訪ねになるしかないのです。蕩減復帰の道だからです。神様の悲しい心情を一掃してさしあげる一時、すなわち神様の心中にしみ込んでいる恨を解いてさしあげることのできる一時を探し立てることができない限り、人類の平和はもちろん、神様の創造理想もこの地上でその実を結ぶことはできないのです。

ですから、私たちは、神様の胸にしこりとなっている恨を解いてさしあげることによって、神様を解放してさしあげる責任があります。しかし、このような事実を、今日、イエス様を信じる聖徒たちは知らずにいます。私たちは、堕落した人間なので、堕落以前の本然の状態を取り戻し、神様を失ってしまった人間なので、神様を失う以前の立場を取り戻し、人類の真の父母を失ってしまったので、真の父母を失う以前の立場を取り戻さなければならないのです。

私たちは、神様と真の父母を中心とした平和の園において、子女として生活できるその立場を取り戻し、その立場に立たなければならないようになっています。この課題を成就するために、今日の私たちには、新たに救援摂理が残るようになったのです。

全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。本来、人が堕落していなければ、神様の愛を中心として人間の心と体が二律背反的な位置に立つことは絶対にあり得ません。しかし、堕落することによってそのような位置に立ったので、歴史路程を再度収拾し、一つの世界平和圏をつくって安着できる基地を用意するために、神様は救援摂理、すなわち復帰摂理において、多くの宗教儀式や規則を通して、受難と犠牲と流血の歴史を綴ってきたという事実を知らなければなりません。

しかし、仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。いくら良い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和世界を樹立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになる心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は自分自身とは何の関係もなくなるのです。

絶対者、創造主によってつくられた万物も、創造主の愛を受け、また創造主と一つになることが目的です。したがって、万物の霊長と言われる人間が、万物を主管できる立場に立とうとすれば、必ず神様の心情を身代わりする位置に立たなければなりません。このような心情は、神様と人間が父子関係だということを証明してくれる証票であることはもちろん、万物と人間を結んでくれる鎖でもあるのです。

ところが、このような平和の理想世界、すなわち創造本然の世界を復帰するには、必ず蕩減の条件を立てなければなりません。蕩減復帰の過程を経なければならないのです。蕩減復帰とは何を意味するのでしょうか。何であっても、その本然の位置と状態を喪失したとき、それらを本来の位置と状態に復帰するには、必ずそこに必要なある条件を立てなければなりません。そのような条件を立てることを「蕩減」といいます。

しかし一般社会では、「蕩減」という言葉をそれほど重要視していません。そのような言葉はありますが、その内容をよく知らずにいるからです。天と地、神様と私たち人間だけならば、このような「蕩減」という言葉は必要ないはずです。すべて、私たちの最初の先祖を堕落させたサタンのためなのです。サタンがいなければ蕩減も必要なく、今日私たちが、喉が張り裂けるほど叫んでいる「宗教統一」という言葉も必要なく、「神様の解放」や「人類の解放」といった単語も必要ない世界になっていたでしょう。

堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くためには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を探し出さなければなりません。そうでなければ、平和の根源は発見できず、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。

イエス様は、この地に来て何をしたでしょうか。迫害を受けて十字架で亡くなりながらも人類を愛そうとしました。十字架を中心として愛を施すことに我を忘れて逝った人です。愛を受けようとしたのではありません。怨讐までも愛そうとしました。皆様の人生においても、愛を受けようという方向性から、愛を与えて生きようという方向性に転換し、その基準が世界化されれば、その時には平和の世界が訪れるでしょう。愛を受けようという意識ばかりをもった人々が暮らす所には、永遠に平和の世界が来ることはありません。自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないのです。

すべての人を自分の父母、自分の兄弟、自分の子女のように感じ、接することのできる人格体になれば、皆様は死亡の世界で苦しむ多くの民を見るとき、涙なくして向き合うことができないはずです。青少年が麻薬と放蕩の沼でもがくのを見るとき、自分の子女を救う心情で、彼らを救うために心血を注がざるを得ないはずです。それは、受けようという愛ではなく、我知らず与えようとする愛の発露なのです。

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自由と平和の前提条件は統一 自由や平和は、統一を前提条件としています。夫婦間の生活について一度考えてみてください。二人が一つになっていないのに、真の意味で夫婦の自由を享受できるでしょうか。夫婦が一つになれなければ、円満な家庭は期待できないのです。家庭の平和は、絵に描いた餅になってしまうのです。

個人や家庭はもちろん、世界的に「愛を受けるのではなく、愛を与えよう」と考えられる人を育てておかなければ、統一の世界や平和の世界は訪れることはありません。変わることのない神様のみ前に、いつでも心変わりするような人になろうというのは神様に対する冒瀆です。変わることのない愛の前に、変節を前提とした愛を行うことは愛に対する冒瀆です。

私たちは、神様と苦楽を共にできる基点、すなわち変わることのない頂点において、自分の心に平和の基盤を用意し、さらには自由と幸福の基盤を用意できる基準を備えなければなりません。そして、その基準を中心として体を完全に主管し、この世界を統一できる実力を備えていく運動が、この地上で展開されなければならないのです。イエス様がもたらした新しい世界主義運動が、正にこのような運動なのです。これこそ、今日このように混濁した世の荒波をかき分けて生きていく人類の前に、神様が最後の終末的警告として下さったみ言だということを銘記しなければなりません。これは、私たち全員にとって宿命的な課題です。運命的ではなく、宿命的なのです。宿命は変わらないものです。運命は自分の努力によって改めることも、変更することもできますが、宿命は変更できません。絶対に逃れられない天命です。

皆様。私たちが人生を生きながら、誰でも一度は平和の起源、あるいは幸福の起源がどこなのか、という疑問をもったことがあるはずです。果たして平和と幸福の起源はどこでしょうか。それはアメリカでもなく、韓国でもなく、国連でもありません。問題はどこにあるのでしょうか。心と体が闘うこの人間の胸の中で、いかに平和の宇宙観をもち、幸福な世界観をもつかということが、限りなく重大な問題なのです。

私たちの小さな胸の中では、六千年続いてきた戦争の砲火がいまだに燃え上がっています。第一次世界大戦も激戦であり、第二次世界大戦ももちろん激戦でした。しかし、そのような戦争は、すべて過程的な戦争だったのです。長くて五年を越えることのない戦争でした。

ところが、皆様自身において展開する心と体の闘争は、終わりも知らずに破滅に向かって走っていく最悪の戦争です。自らの一生に向かって大砲を撃っています。心と体の決戦場は、神様とサタンとの善悪の戦場となり、熾烈な激戦が展開しているのです。

しかし、このように霧の中に閉ざされ、垣根の中に封じ込められた人間像を、果たしていかに解放するかということが問題です。霧を吹き飛ばしてしまう風が吹くようにしなければなりません。高い天も恐れずに立ち塞がっている壁を爆破してしまわなければなりません。これが私たちの宿命的闘争路程です。

睡眠を主管しなければならず、食欲を主管しなければならず、非原理的な性的欲望を克服しなければなりません。それで、文総裁は、早くからこの道を出発しながら「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」という標語を掲げて、一生の間、闘ってきたのです。

聖書では、今日の人類を「孤児」と言いました。国家も「主人がいない国」と言いました。皆様の心は、ほんの一時でも真の平和を享受したことがあるでしょうか。皆様の国には主人がいるでしょうか。

昨今の政治の現実を見てください。この国、この民族を真に愛し、生命を捧げて統一を成就しようとする真の愛国者をどこに見いだすことができるでしょうか。心の病にむしばまれていくこの国の若者たちを救ってあげる思想や理念を、誰が提示できるというのでしょうか。実に切なく、悲痛な思いを抑えるすべがありません。このようなことは、すべて私たち個々人において、一心一体一念の基準を立てることができていないことに由来するものです。心と体の統一なしに、いかに家庭の和睦や国家と世界の平和を願うことができるでしょうか。

私たちの本心が平和と幸福と統一を願うのは、永遠不変の真理です。しかし、問題は私たちの肉身です。心を包んでいる器なので、好き勝手に脱ぎ捨ててしまうこともできず、時々刻々と色合いも、方向性も変わってしまうこの体を、どのように扱うかということが鍵です。

堕落人間の体はサタンの王宮です。それで、使徒パウロも、「わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ七・二三、二四)と嘆きました。

私たち自身を深く見つめてみれば、善と悪の二つの目的を指向する要素が内在しているのを発見することができます。善を指向する心があるかと思えば、正反対に悪を指向する体があります。これを解決できなければ、歴史的に怪物のような怨讐である体は、いつまでもそのまま残り、永遠に私たちを苦しませるでしょう。使徒パウロの嘆きも、正にこの点を指摘しているのです。

心身一体を通した人格完成 皆様。世界平和を成就する道は、戦争ではありません。お金と権力と知識もその解答ではありません。国連の力でもできません。利己的な個々人の欲望と自国の利益にばかり血眼になっている国連の舞台では、何も期待できません。

私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。

世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させるところにあるのです。人間の心と体の分裂が拡大すればするほど、それに従って葛藤と苦痛も大きくなります。私たちの心は、神様の監視所であり、体はサタンとの一線です。したがって、私たちは、心と体の不一致を狭め、衝突を避け、ついには一つに統一させなければならないのです。私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するためには、私たちに真の父母が必要です。選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を除去してくれる真の父母に会わなければなりません。真の父母に会って真の愛の真理を受け継ぎ、ために生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。

皆様。世界を一度注意深く見てみてください。小さくは夫婦間の葛藤から、大きくは国家間の衝突と戦争に至るまで、推測できないほど多くの問題点を抱えています。そこには、原因と理由も限りなく多く存在します。しかし、その根本を掘り下げてみれば、男性と女性の問題に帰結されます。いくら大きな問題でも、調べてみれば結局、男性と女性の問題に集約されることは否定できません。人類の出発は、本来男性と女性の関係から出発したのではないですか。家庭での不和が拡大され、各種の社会問題と国家、世界の問題にまで広がるのです。したがって、すべての家庭で、すべての社会と国家で、そして世界的次元において、男性と女性に関わる問題さえ完全に解決して、一つの標準型をつくっておくならば、世界は、一つになった平和世界、すなわち創造本然の理想世界になるでしょう。

神様は、本来私たちの始祖であるアダムとエバを中心として、この地に真の平和の世界を定着させようとされたのです。彼らがもし堕落せずに神様のみ旨どおりに成長し、人格完成していたならば、神様の祝福とともに、彼らは真の家庭を築き、罪悪と苦痛のない理想天国を創建したでしょう。

その世界が正に永遠の平和世界になったのであり、人類は、子々孫々神様の直系の子女として、神様と直接交流することはもちろん、先に霊界に行った先祖とも自由自在に往来しながら交流し、幸福な人生を享受したのです。罪を犯そうとしても犯すことのできない絶対善主権の世界になったのです。そのような世界で、どうして心と体の葛藤を想像することができ、家庭の不和を心配できるでしょうか。数千年間、天と人類を弄んで蹂躙してきた悪魔サタンが出現するようなことはあり得ないのです。このように、最初のボタンをかけ違えた人類歴史ですが、天は私たちをお捨てになりませんでした。失ってしまった子女を取り戻す復帰摂理に、六千年問心血を注いでこられたのです。ただの一度も、御自身の人間創造を後悔したり、サタンに翻弄され挫折したりすることなく、ただ一途に、真の愛と許しの心情で復帰摂理を展開してこられたのです。

きょう皆様がこのように、貴いみ言を通して、神様に対してより深く学び、知るようになったということは、偶然ではありません。この場まで皆様を導いてきた天と先祖に対して、感謝する心をもたなければなりません。今、私たちの最優先課題は、心身の一体化を通じて私たち自身の人格完成を成し遂げ、サタンの支配下で四分五裂した家庭を収拾して、真の家庭を探し立てることです。上は一代目の位置にいる祖父母に対して天のように侍り、二代目の父母の前に絶対服従しながら、三代目の立場に立った子女たちは、絶対夫婦となって、子女を罪なく純粋に養育し、一つの家庭において三代家庭圏を立てるようになれば、天はその家庭と永遠に共にあるようになります。皆様の家庭は、神人合徳の境地において、人類に永遠の平和と幸福をもたらす揺籃となるでしょう。

皆様。本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているのです。この心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。どのような人でも正しい心をもつようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したいと思うのです。私たちの心と体が闘うことなく真の統一の起源を形成できる可能性をもっているのは、人間が神様に似た子女だからです。

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12.平和の根源は神様 日付:二〇〇二年八月十日

場所:韓国、光州、新陽パーク•ホテル

行事:天地父母統一安着生活圏韓国大会(真のお母様)

愛する祖国の兄弟姉妹の皆様、そしてこの歴史的な大会を見守っている世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。私たちは、いよいよ実に歴史的で摂理的な時を迎えました。六千年間、天と地がこれほどまでに待ち望まれてきた平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたということです。

天は、歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許可され、人類は、その宗教圏内で平和の世界を成就するために、不断の努力を傾けてきました。しかし、人類はきょうも、あらゆる不条理と不道徳の中から抜け出すことができずに、うめき苦しんでいます。津波のように押し寄せる堕落の風潮を食い止めることができないまま、激しい波にのみ込まれる自らの姿にふと気づき、驚愕を禁じ得ないのが現代人たちの姿なのです。それでは、私たちには永遠に希望がないというのでしょうか。私は、夫である文鮮明総裁と共に、神様のメッセージを伝えることに生涯を捧げてきました。そして、その預言的なメッセージの数々は、時代と環境の現実的な制約を超え、事実であり、真理であることが証明されてきました。

人間の創造と堕落 私は、きょうもこのように天のメッセージをもって皆様の前に出ました。信じるか信じないかは皆様に任せられていますが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。

どうか心の扉を開き、無知と混沌で綴られた今日の終末期を生きている皆様に下さる天の警告を、謙虚に受け入れる知恵を見せてくださるようお願いします。

本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念をもつことができず、真の愛が何であるか分からなくなってしまい、幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。

自由と平和を謳歌し、ひいては創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真の家庭と真の兄弟を蹂躙し、真の氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。それだけでしょうか。今まで六千年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。

このように、堕落はこの地上に罪悪の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、罪悪がこの地上に植えつけられたその日から、人間が身を置く所々に、平和ではなく闘いの歴史路程を経てくるようになったのです。個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な闘いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いへと拡大され、今日、世界のどこを見ても、争いのない所がないという歴史を綴ってきたことを私たちは知らなければなりません。

これらはすべて人間堕落の結果なのです。世界中の数多くの国家の中には、環境が良くなくても良い種をもつ国家がありますし、環境が良くても悪い種をもつ国家があります。もしこの世界がすべて良い種を受けていたとすれば、すなわち、もしこの世界がもともと良い木から採れた良い種を、良い環境で育てていたなら、今日のこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界になっていたに違いありません。しかし、不幸にも私たちが暮らしているこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界にはなっておらず、善悪が混在する世界になっています。周囲に現れる環境は、善の環境というよりは悪の環境になっています。このように周囲が悪の環境に取り囲まれているので、いくら種が良くても、良い実を結ぶことができないのです。

人類歴史を見ても同じです。人類が善であるためには、まず人類を形成している個々人が善でなければなりません。堕落していなかったなら、私たち人間は、理想的な春の園を迎えていたでしょう。その理想的な春の園で、神様が喜び得るそのような人々として育ち、そのように育った人類なら、この地上に創造本然の文化世界を開花させ、文化世界を創造したその中で、私たち人類は、平和で、幸せに暮らしていたでしょう。万物が春夏秋冬の季節に従って巡ってくるのと同様に、人類歴史もまた、春の季節、夏の季節、秋の季節、冬の季節のような過程を経ながら、永続する世界になるべきだったのですが、堕落することによって、人間の世の中では、人々が喜び得る希望のとき、栄光の一日を迎える喜びの出発ができなかったのです。

人間始祖アダムとエバから生まれたカインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた子女ではありません。神様の真の血統を伝授されるアダムとエバが、堕落行為を通してサタンの偽りの血統を受け継いだがゆえに、彼らから生まれた子女たちは、神様の子女ではない、悪魔サタンの子女になるしかない運命のもとに生まれついたのです。ですから、イエス様もヨハネによる福音書第八章四十四節で「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と戒めたのです。

アダムとエバは、神様のむちで追い出された私たちの最初の先祖となりました。しかし、本来アダムとエバは、神様から「愛するアダムよ、愛するエバよ、私はあなた方を、万宇宙の創造目的の世界、愛の園を建設するために造ったので、あなた方は平和と幸福の主人であり、父母であり、王である」という祝福を受けるべきだったのです。言い換えると、アダムが、千秋万代、永遠に変わることなく地上の王として、また天上の王として立たなければなりませんでした。天地が生じ、神様と人間の関係が生じたのち、初めて真の主人、真の父母、真の王の名をつけられる方が誰かというと、正に私たちの始祖アダムだったのです。

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11.あふれる感謝と愛を込めて 日付:二〇〇二年二月十五日

場所::韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル

行事:二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超宗教超国家連舎二〇〇二総会」(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。私の祖国、韓国で開催される今回の「二〇〇二世界文化体育大典」の開会式典で皆様を歓迎することができ、大変うれしく思います。

絶対的道徳性教育をしてこられた文鮮明総裁 私は生涯を通じて、奇跡のような多くの変化が韓国で起こるのを目撃しました。韓国に初めて来られた方々は、韓国の文化を経験し、飛躍的に発展した韓国の姿を御覧いただくことを願います。私たちは新千年紀を迎え、過去の暴力と苦痛を清算し、現代科学技術を総動員しながら世界の平和と繁栄が訪れることを期待しました。

しかし、昨年、韓国で起こった一連の事件が見せてくれたことは、私たちが輝かしい物質文明を享有しつつも、いまだにその文明と調和する精神文化と価値観の混乱によって、大きな葛藤を解決できずにいるという事実です。

今日の世界は相対的道徳観にあふれていますが、私の夫である文鮮明総裁は全生涯を捧げて神様に対する絶対信仰と絶対愛、絶対服従、そして人類と万物が願う絶対愛に根本を置いた絶対的道徳性を教育してきました。

皆様の中の多くの方々は、既に私の夫によって推進されるプロジェクトや活動を通して、皆様なりに文総裁を知っておられることと存じます。しかし、きょうは私だけが知っている総裁について御紹介しようと思います。

夫との四十二年間の結婚生活を経てきたこの時点で、神様以外には、夫のことを私ほどよく知っている人はいないでしょう。

平和世界実現のための人生 総裁が教えている絶対価値と御自身の生涯とは、どのような関係があるのでしょうか。私は、総裁が朝から晩まで、ただ他のために生きるその生き様と、人間生活のすべての分野で塀を崩し、究極的には神様と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範される姿を見守ってきました。

私が初めて夫に会った時を考えてみても、世界はまだ軍事力を軸にした二つの世界、すなわち東西冷戦によって韓半島は六•二五動乱の悲劇に遭い、南と北が二つに分かれている時でした。

数年間続いた戦争で、ほとんどすべてのものが破壊されました。私の夫が建てた初めの教会を見ても、捨てられた紙の箱を拾い集めて土と混ぜ、地面の上に立てた土壁の家でした。そのような状況でも総裁は、神様がこの地に新たな希望を下さるという約束に対していささかも疑いませんでした。

北朝鮮の共産治下の監獄暮らしの中、残酷な拷問で何度も死の峠を越える時や、他の宗教団体の指導者たちの偽りの告発によって韓国で牢屋暮らしをされる時も、総裁は自分が処した苦境ゆえに神様に助けを求めるような祈祷は、絶対にされませんでした。

かえって神様を慰労され、必ず神様のみ旨である平和世界を成就することを自ら何千回も誓い、そのみ旨のために黙々と実践するだけでした。そして、いかなる苦境に処したとしても、例を挙げれば、食べるものがなくて飢える時や、キリスト教と言論、そして政府までもが共謀して夫を迫害する時も、神様に対する愛と人類に対する哀れみは、より一層大きくなるばかりでした。

歴史上の預言者たちがそうだったように、総裁は、反対にも屈せず、かえって真理を伝播することに、より拍車をかけてきたのです。天に対する絶対信仰の手本を見せてくださいました。十六歳(数え)になられた年、総裁は天から啓示を受け、本来、神様が願われた、純潔と自由と喜びが充満する世界に人類を導くべき使命を帯びて選ばれたことを悟られました。その使命を成就するため、総裁は個人から家庭、氏族、民族、国家、そして世界に至るまで、神様のみ旨を成就するために絶対信仰に基づいた生の原型を広げてこられたのです。

犠牲と絶対的服従の道 総裁は、天から召命を受けたその日から、言い表すことができない苦難と苦痛を伴う、総体的な犠牲の道を歩んでこられました。その中でも最も胸を痛めたことは、救ってあげようとするその当事者たちが、かえって嘲弄と偽りの非難を浴びせてくる時でした。

それにもかかわらず、総裁は、ただの一度も、天から与えられた使命を完遂するための意志を曲げたり、躊躇されたりしたことがありません。そして、自ら手本を見せ、神様に対する絶対服従の道を教えていらっしゃいます。何よりも、私の夫が解き明かす絶対愛に関する教えこそ、他の宗教指導者たちの追随を許さないものであると思います。数多くの宗教指導者たちや学者たちも、自分たちの教団における建立や教理伝播のために献身しています。ある方たちは、慈善事業や人道主義的なことを大々的に行われた方もいます。

しかし、総裁は初めから違いました。統一教会の運動が小規模で、また財政的に厳しかった時でも、総裁の教えには変化がありませんでした。「私たち自身を心配する前に、私たちの予算の三分の二を人助けのために使いなさい」ということでした。これまでに、超宗教活動を支援するだけでも数億ドルを注がれました。神様の願いがすべての宗教を一つにすることであることを御存じであるからです。

総裁は、統一教会の運動自体のためよりもはるかに多くの予算を、宗教の和解と一致のために投入してこられました。一九七五年に創設した統一神学大学院の学生たちは、自分の教団の教理を学ぶことよりも、はるかに多くの時間を費やして、他の宗教と対話し、またそれらの教理を学んでいます。

アメリカ政府が不当に総裁を断罪し、監獄に送ろうとするさなかにおいても、文総裁は、「ワシントン•タイムズ」を創設して、アメリカが冷戦を終息させて世界平和のための摂理的な役割を果たせるように援助したのです。皆様も御存じのように、総裁は、世界的に多くの他の言論機関にも財政的な支援を惜しまれず、今も継続して、統一教会自体の出版事業に使うよりもはるかに多くの予算を、それらのために注いでおられます。

総裁の不屈の意志と、自分のことを心配する前にまず人のために犠牲になる、そのような生き方は、神様の無条件的な愛に起因しており、これこそ、愛の真の意味であり、今日この世界に存在する壁を取り除くことのできる解決方法であると私は確信します。

絶対愛の見本を示した総裁 総裁は、自ら手本を示すことによって絶対愛を教えられます。絶対的愛で結ばれた夫婦関係こそは、背信や離婚があり得ず、今日、世界的に蔓延している性病から防御する、唯一で真の道なのです。

総裁がこのような理想を実現するため、自ら実践し教育しながら見せてくださった、確固として不動な献身的姿について誤解する人もいました。ある時は、その絶対的基準のゆえに、もう少し易しい道を選ぼうとする人たちのねたみと嫉妬によるでっち上げの非難もたくさんありました。

しかし、時が過ぎていきながら、だんだんと多くの人々は、正と不正、そして善と悪については折衷や妥協はあり得ず、私たちの生命と神様のための献身的な愛には、少しの譲歩もあり得ないことを悟るようになりました。

私は一生を通じ、総裁との安らかな時間をほとんどもつことができませんでした。人々のように新婚旅行を楽しむこともできませんでした。しかし、正直に言えば、私はこの世の誰の妻よりも大きな夫の愛を受けて暮らしてきました。総裁の、家族に対する愛と献身的な教育は、驚くほどの実を結びました。

夫自らが見せてくださったとおり、私の家族は神様のために絶対的基準で献身しなければならないことはもちろん、人類のための愛も完全でなければならないと教えてこられたのです。

十三人の子女と二十人を超える孫たちがいますが、私たちは、家族ぐるみの休暇を一度も過ごしたことがありません。しかし、私の家族は、神様の御加護の中で、感謝の生活をしています。

真の夫であり、真の父母である文総裁 私たちが初めてニューヨークに移住して、数百人の教会員と共に暮らしていた時でした。誰よりもまず、夫は芝生を刈る機械の操作法を学ぼうとしました。自分一人でカーペットを敷く方法を体得されもしました。芝生一つ一つを刈りながらも、神様と人類に美しい芝生の庭を贈ろうという心情で臨まれました。カーペットに打つ釘一つ一つにも、同じような心情を注がれたのです。

また、私たち夫婦の生き方は、他の人たちとは異なりました。一生を通した犠牲的な生涯の結果として、世界的に数百万の家庭とその子孫たちが総裁の伝統に従って生きていることを目撃しながら、私は、神様が御自身の献身的な息子、文鮮明総裁のことを本当に誇りにしていらっしゃるだろうと思います。

きょう、私の生涯で初めて、このような公式席上で、あふれる感謝と愛を込めて、私の夫を皆様に御紹介することができ、喜びの心を禁ずることができません。紳士淑女の皆様。私と共に、この「世界文化体育大典」の創始者であり、神様の真の息子であられ、真の夫であられ、真の父母であられ、真の師であられる私の夫、文鮮明総裁を歓迎してくださるようお願いいたします。ありがとうこざいました。

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それで、自分の家庭が、神様のみ前に愛を中心として一体圏を形成し、天地父母の王に侍る標準的、定着的、礎石のような家庭であることを感じなければなりません。そのようにして、勝利圏を受け継いだ祝福家庭にならなければならないのです。

尊敬する指導者の皆様。人類は今や、独善と無知、そして利己心と憎悪を自ら反省し、神様のみ前に謙虚に頭を垂れ、天道に従わなければならない時に至っています。私は、いち早く神様の召命を受け、神様と人類が共に願う平和世界の実現のために生涯を捧げてきました。きょう、私はこの場において、平和に向かうための重要ないくつかの点についてお話ししようと思います。

第一に、私たちは、他のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は、他人を不快にすることはもちろん、天道に逆らうものです。他のために生きることは、取りも直さず、神様の似姿になる実践なのです。

神様の真の愛を相続し、家庭と社会、国家と世界を愛することは、宇宙の基本秩序に順応することです。真の愛の実践を通してのみ、人格を完成した真の人間、真の父母、真の師、真の主人になります。そのようになってこそ平和を成し遂げる主体となるのです。

他のために生きることは、平和に向かう最初の関門になります。これと関連づけて、平和に至る道は、「神主義」と「頭翼思想」によらなければならないという結論を述べようと思います。「神主義」と「頭翼思想」とは、カインとアベルの葛藤を始原としたこの世の中にあるすべての葛藤の要因と思想とその結実を、すべて和合させ、包容できる思想であり主義です。

葛藤と憎悪の鎖を何によって断ち切るのでしょうか。憎悪に対するより一層大きな憎悪は、かえって恐ろしい憎悪と破壊を呼び起こすだけです。これは、平和に向かう道とはなり得ません。対立し、仲たがいする双方の葛藤要因は、ただ真の愛によってのみ感化され、教育され、包容されるのです。

神様を中心に立てた真の愛は、国境に阻まれることのない超国家的なものです。また、真の愛は、宗教の高い垣根も乗り越え、人種差別もない超宗教的、超人種的なものです。神様の理想を中心とした相対のために生きる真の愛の感化力、生命力によってのみ、地球星の左右、前後、上下、内外の様々な葛藤と対立の要因がすべて克服され、永遠の平和理想世界が成し遂げられるのです。

第二に、平和な世界と国家を形成する基礎単位である真の家庭を完成することです。既に言及したように、対立、葛藤の根は最初の家庭にあったのであり、したがって理想的な真の父母の家庭が生まれない限り、平和世界の起源はあり得ません。

これと連係して、私が世界的に展開している国際祝福結婚は、単純な一宗教団体の結婚儀式ではありません。神様の愛の伝統を立てる救国、救世の運動です。青少年たちに対しては婚前純潔運動を展開しています。

そして、成人すれば、神様の真の愛を中心に夫婦間の絶対信義と貞節の誓約のもとで祝福結婚をする運動です。真の愛を中心として、真の家庭と真の父母を成し遂げる神聖な運動です。このような理想のもとで教育を受け、結婚した家庭は、エイズを脅威に感じる理由がありません。彼らにとって、エイズの予防は風邪の予防よりも簡単なことです。

世界のすべての若者は、このビジョンによって教育を受けて実践すれば、エイズは完璧に予防されるのです。真の愛の家庭は、家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を据えるのです。特に、政治的、歴史的に不和であり怨讐関係にあった国家間の人々が、その高い垣根を越えて、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになれば、和解の幅は国家を超え、人種を跳び越えるものになります。

真の平和へと向かう高次元の公式は、不和と怨讐の関係にある家門、さらには怨讐国家の子女たち同士で交叉祝福結婚をし、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を成就させることです。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する、そのような始原になるのです。

第三に、超宗教的な和解と協力は、平和世界へと向かう必須条件です。私はこの五十数年間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして活動してきました。常に自らの教団の発展よりもはるかに多くの予算を支援しながら、休むことなくこの運動を進めてきました。

変わることのない、このような愛の実践は、たやすいことでしょうか。決してたやすいことではありませんでした。教団問の和解と協力がない限り、世界平和は期待できません。神様の理想である平和世界への案内者には、宗教指導者と信仰者がならなければならないのです。

もし、宗教が偏狭な教派主義ばかりを強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由になることはできません。ですから、地球星の危機の前に、宗教指導者たちは、謙虚に神様のみ旨に従い、超宗教的に手に手を取り合って、真の愛を実践していかなければなりません。

宗教の感化力によって安らかな人格が創出され、自己主管力が養われ、歴史的な憎悪と怒りを消化するところから、真の平和と安定がもたらされます。もし、各教が教理や儀式の違いを超えて、神様の高い理想のもとで互いに愛し、協力し、奉仕し合う姿をこの世に見せてあげるならば、世界は劇的に変わるのです。

第四に、平和世界を成し遂げるための国連の正しい役割を再度強調したいと思います。国連は、代表的な世界平和機構として、これまで多大な貢献をしてきましたが、創設時とは大きく変わってしまった世界の事情を考慮し、多元化した地球星の問題解決のために、昨年、私の考えを国連に提案しました。その提案の一つは、国連内に上院のような特別機構を補強し、宗教的、霊的、道徳的、思想的次元から世界の問題を審議させるというものでした。

国連が、国家の利益に基礎を置いた政治や外交の力によって運営される次元を超えて、地球星的な理念と神様の高い理想のもとで運営される機構にならなければなりません。そうしてこそ、万人の権益を保護し、平和世界を創建していくことができるのです。

国連だけでなく、今後の世界秩序は、政治主権が道徳的、霊的価値と別個に作用しては、公益と平和を保障することが困難です。神様の理想に基づき、宇宙の公法と通じる霊的、道徳的高次元の指導力が要請されるのです。政治力やそのいかなる力も、神様と天理の上に立つことはできません。

また、国連は、非政府民間団体であるNGOの意見を多く取りまとめていかなければなりません。私が世界NGO連合である「WANGO」を創設した理由もここにあります。すべてのNGOは、より一層対話し、協力しつつ、本来の創設精神を失わないようにしなければなりません。利己的で偏狭にならないように努力しながら、世界のために正しい奉仕を続けてくださるようお願いする次第です。

尊敬する指導者の皆様。自ら実践することなくして平和を語ることは、真の指導者の道理ではありません。また、何もしないで平和を待っているだけの余裕がある世界の状況でもありません。

平和大使たちはもちろん、私たち全員が平和運動の主体になって、必ずや平和世界を創建しなければなりません。国連をはじめとするすべての国際機構が、平和大使館を中心として、歴史的宿願である世界平和理想国家の建設運動に積極的に協力、支援するようになることを祈ります。

各界各層の指導者である皆様が一心一体となり、共に他のために生きることで、真の愛の家庭理想を実践し、天運の協助を受ける平和の先駆者となりましょう。統一された祖国と平和の理想世界を建設する働き手になりましょう。神様の祝福が皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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尊敬する各界の指導者の皆様。皆様は、今日の世相を見渡すとき、また、若者たちに対するとき、何を感じるでしょうか。希望に満ちた明るい未来ばかりを感じますか。日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混乱など、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いはずです。

なぜ若者たちが、このようになったのでしょうか。より優れた学校教育や制度と環境の改善も、部分的な解決策とはなるでしょう。しかし、根本の根はそのようなところにはありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が、歴史の結実期を迎える中で、家庭が安定性を失って崩壊しているところに、その原因があるのです。

家庭の崩壊現象は、一つしかない愛の学校が破損したも同然なので、その否定的波及効果は、途方もなく大きいものです。社会的に様々な不安要因となることはもちろん、国家的、世界的に多くの問題を併発させます。

特に青少年には、情緒的不安を与え、人生の座標を変えさせ、脱線と放縦の生活への直接的な原因にもなります。結婚忌避の風潮や離婚率の増加など、家庭基盤が急速に崩壊していく現実の問題は、あすを憂慮する指導者が先駆けて、必ず解決しなければならない課題であると言えるでしょう。

神様の第一祝福と第二祝福を失った人類は、神聖で永遠な夫婦の愛を完成するという、真の愛の個体完成の重要性を知ることができませんでした。ほとんどの青少年たちは、婚前の純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けることができていません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を知らないのです。夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖さが無視される風潮の中で、人類社会は途方もない悲劇と災いを内的に蓄積してきているのです。

また、男女間の愛が、刹那的で、肉欲的で、享楽的な方向にばかり走る、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場がなくなってしまいました。急速に拡大するエイズと性感染症(STD)は、人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないとも言われています。

今、世界を震撼させているテロリズムよりも恐るべき脅威が、安全地帯もなく、私たち全員の間近に迫っているというのです。一度、感染すれば、幸福も理想も生命もすべて放棄しなければならないという、この途方もない地球星の災いを解決できずに、どうして私たちがこの時代の指導者だと言うことができるでしょうか。

また、「万物を主管せよ」という神様の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たすことができずにいます。もし、自然が人間の虐待に対して反抗し、人間を拒否するとすれば、どのようになるでしょうか。既にそのような兆候が現れているではありませんか。生態系と自然環境が、無言のうちに人間の傲慢さに対して懲罰を与える前に、人間は、真の愛の人格を回復し、万物の前に現れなければなりません。

尊敬する各界の指導者の皆様。今日の問題をもう少し根源的に掘り下げてみるために、神様の創造理想を中心として、真の「私」と「私たち」の関係について考えてみようと思います。

人間は堕落によって、真の「私」の位置を探し出すことができなかったので、神様も「私たち」という言葉を使用してみることができませんでした。創造理想的意識圏内に立つことのできる神様御白身が「私のもの」、「私の子女」と言える関係を結ぶことができなかったのです。したがって、私たちがもっている「私」という概念は、神様の本来の創造理想とは何の関係もないものなので、私たちは自らを完全否定しなければなりません。

神様は、御自身が安心して「私たち」と呼ぶことのできる真の男性と真の女性、すなわち神様の真の息子、娘を探し求めて復帰摂理をしてこられました。言い換えると、神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体であられるので、永遠に一体不可分の基準に立っている真の息子、娘を探し求めてこられたのです。ですから、私たちは、まず心と体の統一によって個人完成し、その基盤の上で神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。

しかし、縦的な関係だけでは「私たち」という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係が共に調和しなければなりません。したがって、男性と女性が、真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、真の子女を生んで真の家庭を立て、三代を中心として四位基台を完成してこそ、天は家庭単位で「私たち」と呼ぶことができるようになるのです。

それでは、私たちは、どのようにすればそのような位置まで進むことができるのでしょうか。神様は、心と体が完全に一つになった立場で万物を創造されました。それは、絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。

そこには、御自身の利益や事情を考える余裕などありません。完全に一〇〇パーセント与えては、また与える、ために生きる愛の始原が正にここにあったのです。

私たちの家庭においても同様です。神様の立場にいる父母は、真の愛を中心とする「正分合」の論理から見れば、「正」の立場で完全投入、絶対投入することにより、子女を生み、養育して、縦的な「私たち」の軸を立てなければなりません。

そして、横的には、夫婦が「分」の立場で、真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で、自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係という、また別の軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な「私たち」の概念が実体的に展開するのです。

ですから、家庭が大切なのです。家庭こそ、天が私たちに与えてくださった最も貴い贈り物です。家庭という環境がないとすれば、私たちは、いかにしてこのような絶対的基準の「私」を探し出し、縦横や前後で完全な「私たち」というものを考えてみることができるでしょうか。家庭こそが、愛と平和と幸福の揺籃なのです。

それでは、真の「私」は、どこから探し出すことができるでしょうか。ために生きる真の愛を実践する生活においてこそ、それは可能なのです。自分を完全に否定し、家庭のために生き、国のために生き、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の「私」は自動的に探し出されるのです。

私たちは自らを前面に立て、自分をむやみに主張してはいけません。非常に長い歴史の裏街道で、真の「私」を主張する子女を探し求めて、恨に絡み合った復帰摂理をしてこられた神様の心情を少しでも知るならば、むやみに自分を主張できないはずです。私たちは、寝ても覚めても理想家庭の完成のために生きなければなりません。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年待ち続けてこられた理想家庭さえ立てたとすれば、それが正に地上天国の出発地となるでしょう。そこにおいて、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。

皆様、太陽を見つめても恥ずかしくなく、海の水を見てもやましくなく、万物の前でも一点の隠し事のない真の自分を取り戻し、神様が「私たち」と呼んでくださる家庭を立てましょう。

そのようにして、神様と人間の間に真の父母と子女の関係が成立しなければなりません。そして、人類の真の父母であり、愛と生命と血統の根源であられる神様は、人類の先祖であり、ひいては主管者であり、真の王であられます。

エデンの園における人類始祖の堕落により、神様は、そのすべての位置を失ってしまったのです。復帰摂理の進展に従って、私は海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第四次アダム心情圏の還元を宣布し、その土台の上で、失われた神様の王権を取り戻してさしあげる歴史的な「神様王権即位式」を、去る一月十三日、韓国において挙行しました。

本来、アダムは、人類の始祖であり、家庭の根本です。本来は、家庭の王が、将来、国家の王の位置を受け継がなければならず、さらには天宙の王の位置を受け継がなければなりません。そうしてこそ本然の理想的天国圏が連結されるのです。今や蕩減の時代が終わり、入籍を通して本然の定着時代に入っていくことによって、国の王が連結され、さらには世界の王が連結されるのです。

それで、「世界平和統一家庭連合」では、昨年の「子女の日」に、天地父母が家庭の王として君臨するようになったことを宣布し、入籍された家庭から、初めて天の父母を王として侍っていくことができる時代に入ることを宣布しました。したがって、すべての祝福家庭は、天地の王に侍る標準的な伝統を立てなければならない家庭であることを自認しなければなりません。それで、教会時代は終わり、家庭連合の時代が開かれるのです。

宇宙全体が、一つの核を中心とした連体として連結しているのと同じように、皆様の家庭がそのような核の位置に立って万物を愛し、神様が愛で造られて存在する万物を食べて愛する、そのような主人の位置を備えなければなりません。

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10.神様と人類が求めていく平和の国と世界 日付二〇〇一年十月二十九日

場所:韓国、忠清南道、儒城(ユソン)、リベラ•ホテル

行事:天宙平和統一国韓国大会

尊敬する各界指導者の皆様。歴史的な大転換の時を迎え、今日の韓国の統一と世界の平和を憂慮する指導者たちが一堂に会しました。去る九月十一日、アメリカのニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は、全世界に驚くべき衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対し、深刻で根本的な疑問を再び抱かせたのです。

折しも、去る十月十九日から二十二日まで、ニューヨークでは意義深い国際会議が開かれました。私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」と世界NGO(非政府機構)連合である「WANGO」との共同主催により、世界百一ヵ国から元、現職の国家元首、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教、儒教などの主要教団の最高指導者、学界、そして各国のNGOの代表など、四百人以上が参席し、真摯かつ深刻に、今日の世界が直面している危機と、これを平和的に解決するための方案の模索をめぐつて討論しました。

世界で唯一残っている分断国である私たちの祖国、韓半島は、中東地域とともに地球上で最も注目されている紛争地域の一つです。恒久的で根本的な平和世界の実現に対する私の構想を、開会演説において伝達し、きょうこの時間、私の所見の一端を分かち合おうと思います。きょうお話しする題目は「神様と人類が求めていく平和の国と世界」です。

人類は、歴史を通して平和世界を希求してきました。しかし、その夢は、一度も実現したことがありません。振り返ってみれば、政治的、軍事的対立が熾烈だった冷戦が終息すると、多くの人々は、高度化した科学文明の基盤の上で、人類が願ってきた平和と安定の新時代が来るものと期待しました。

ところが、葛藤と憎悪、利己的な欲望が私たちの中にそのまま残っており、またそれが、別の形態のさらに大きな災禍を生んでいることを、今になってようやく実感しているのです。無辜の人々に対する暴力が罪悪であることは自明であり、そのような行動は、必ず終息させなければなりません。

それでは、このような葛藤と闘争を根元から除去する解決策は何でしょうか。憎しみと葛藤と闘争の種は、どこに植えられて根を張っているのでしょうか。それは、人類始祖の最初の家庭の中に植えつけられたものでした。その根から代を重ね、葛藤と闘争が綿々と続いてきているのです。

そうだとすれば、葛藤と紛争を解消し、平和を実現する道はどこに求めなければならないのでしょうか。人類はこれまで、葛藤と紛争を克服し、平和を実現する道を、政治の力や外交的努力により、あるいは経済力や軍事力を通して探し出そうと試みてきました。

しかし、このような方法は、根本的な解決策となることはできませんでした。根本的で唯一の方法は、失ってしまった人間始祖の最初の家庭、すなわち神様の理想家庭を復帰することです。それは、神様を中心とする家庭、真の愛を縦横で完成した家庭のことです。

神様は、真の愛の本体として存在し、人類にとっては無形の真の父母であられます。愛は、独りでは成立しません。必ず相手を通して結実します。人間は、神様の真の愛の実体対象として造られた子女です。

神様は、人間に「生育せよ」という第一祝福を与えられたのですが、その第一祝福とは、人間が神様の真の愛の完全な相対、すなわち真の人間になりなさいという祝福でした。相対は優れていることを願ったというのです。神様は、真の愛の相対である人間に対して、投入しては忘れ、さらに投入しては忘れる、そのように無限に与えたいと思う真の父であられます。愛の出発は、無限にために生きるところから生まれてくるからです。

神様は、人間に対して「殖えよ」という第二祝福を与えられました。人間始祖は、神様の子女として成長して完成し、神様と一体となった心情圏のもとで、真の夫婦となるようになっていました。さらに彼らは、神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統を、自分たちの子女に伝授しながら、実体の真の父母となるのです。このように神様の創造理想は、最初の家庭から縦的に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対、唯一、不変、永遠であるように、その家庭も真の愛を中心として、絶対、唯一、不変、永遠の家庭となります。

ここにおいて人間は、神様と一心一体となった実体となり、完全な自由と幸福と平和の理想を完成するようになります。このとき、人間は、宇宙万象の歓迎を受ける真の愛の主管主となるのです。

これが神様の人間に対する第三祝福です。第三祝福は、人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を得る祝福です。またこれには、生態系と自然を、真の主人の立場で保存しなければならないという管理の責任も含まれています。

ところが、人間始祖は、神様の祝福のもとで真の愛の家庭を実現することができませんでした。真の愛を中心とした真の人、真の夫婦、真の父母になることができなかったのです。神様に背き、堕落した人間始祖が楽園から追われたのち、神様の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心として夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界を築いてしまったのです。

有史以来、人類は、神様に侍った真の愛の基盤から生まれることができず、心と体が葛藤する矛盾をもったまま生きてきました。この葛藤は、人間始祖の最初の家庭内において、兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れました。これが神様を離れた家庭の悲惨な実状です。

人間が中心となった家庭、人間関係のみを基礎とした家庭は、本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛の軸で連結された家庭が理想家庭です。真の父母の真の愛のもとで、縦的軸を共有する兄弟間においてこそ、初めて完全な平和の関係が形成されるのです。真の愛は、理想家庭の中で体得され、また結実します。家庭は、唯一の愛の学校です。真の愛は、権力や知識や力の基盤からは決して創出されません。

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第三に、公金を盗んではいけません。公金を勝手に使ってはいけません。以上の三つです。このすべてが、堕落したアダムの家庭から始まったものです。これらが原因になって監獄に行く人が七〇パーセント以上になります。監獄に入ってみるとそうです。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っ掛かっています。それからお金の問題、権力の問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。これから、祝福を受けた血統は神様の血統であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだものである以上、これまでの堕落世界に染まった習慣的な行動によって汚してはいけません。

それを守ることができますか。夫婦であっても、あるいは配偶者がいなければ一人でもよいので、きょうという日を完全な血統を汚さないと決心して誓日にしなければなりません。天国の憲法第一条が何かといえば、血統を汚してはならない、きれいに保って、純潔な血統を永遠に守りなさいということです。第二は、人権を蹂躙してはならない。第三は、公金を略取してはならないということです。皆様が天国の王権を維持して、王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためにはこれが絶対必要です。ですから、兄を無視することはできません。弟が障害者だからといって無視することはできません。知識があるからといって、大学を出た人が、高校しか出ていない人を差別しています。そのようにすれば人権蹂躙になります。

公的な環境を破壊することも、国家財産略取と同様に恐ろしいことです。そのように暮らす人は天運が共にないので、いくら成功しようとしてもできません。負債を負う人は天下がみな嫌います。一族の中で問題を起こせば、一族から追い出されてしまうのです。

それでは、神様の公式、法度に従って生きるには、どのような環境、どのような人たちと共に暮らせば、正しい暮らしをしていることになるのでしょうか。簡単です。それも三つです。親子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は父母の前には子女になります。子女関係は兄弟関係ということです。自分の家庭を中心として、父母がいて、その次に夫婦がいれば息子、娘がいます。

したがって、私には兄弟関係と同様に、父母の前に姻戚の八親等、四親等以上がすべて連結されます。それで親子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自動的に生じるのです。そのような人たちの手本になれなければ、誤った生き方をしているということになるのです。しかし、父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本となることができるように暮らすならば、正しい生き方をしているのです。

そのように正しい生き方をすれば、どのようになるのでしょうか。家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じます。そのように生きた祖父母から、父母、子女の三代が四位基台の理想を備えた家庭に賞をあげるのです。ですから、兄弟関係でも子女関係でも、共同の責任のもとで和解し、影響を与えながら主体的な位置に立って生きた人になれば、誰もその人を抜きにして天国に行くことができません。

これから、この法を守って暮らせば、間違いなく天国の皇族圏になり、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。ですから、これをきょう、新しく三千年を始める今年の標語として定めるのです。一方で、純潔血統、人権平準化、そして国家財産保護の先頭に立ち、その次に親子間、夫婦間、子女間で手本になろうというのです。町中がすべて、「あの人に従っていかなければならない」と言い、「あの人のような人になりたい、一緒に暮らしたい」と言うようになれば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶される人になります。文総裁自身もそのように生きています。

きょう、「神様王権即位式」で宣布した、最も重要な三大鉄則をお話ししました。それは、人間が公人として必ず守らなければならない、家庭に入っても、国に入っても、絶対に引っ掛からない指針です。

神様の全知全能の権能と真の愛がこの地に直接的に現れる成約時代には、天上世界についてはっきりと知らなければなりません。どうか霊界を熱心に研究して、神様を中心とした祝福を受け、真の血統の家庭を形成し、ために生きる生活を通じて永生を準備することを願います。今や人々は神様が願われた理想の地上、天上天国が到来する時であることを知って、限りある人間の能力とは比較にもならない天運のみ手を感知しようと努力しなければなりません。生きて働かれる神様のみ前で、実に温柔、謙遜な姿勢で最も貴い天の真の血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く人が恵まれた天国人です。

内外の貴賓の皆様。新千年紀が始まる二十一世紀は、過ぎ去った世紀の分裂と葛藤という遺物が清算され、和解と統一の地球村大家族の理想が実現される時です。私は、韓民族を選んで平和文化世界を成し遂げようとする神様のみ旨を早くから知ったために、五十数年の間、「頭翼思想」と「神主義」を中心とした理念運動を土台として、国内外に全力を尽くして統一の基盤を造成してきました。これまで私が主張してきた「神主義」は、有神論と無神論の相反した価値観の統一はもちろん、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。韓民族を導き、世界に跳躍し雄飛させる使命をもった国会議員ならびに内外の貴賓の皆様。共に真の愛の「神主義」で私たちの価値観を確立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族、そして世界平和のために、南北統一運動を信仰化しましょう。そして、心から共に暮らしたいと願う真の愛、怨讐までも愛する心で、統一運動の先頭に立つ義人と指導者になりましょう。

神様の王権時代を迎えて、私たちはみな、神様を中心として南北統一を成し遂げ、超国家的に神様の心情文化世界を共に創建する人になり、神様の故郷と神様の祖国光復を成就しましょう。神様の祝福が皆様の国と家庭にいつも共にあることを祈ります。

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父子関係というのは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統はただでは連結されないのです。一人では血統が連結されず、男性と女性の血統が一つにならなければなりません。人間は、性相と形状の血統が一つになったその位置で完成するというのが宇宙の根本の道理です。それで互いに喜ぶ位置、性相となる心が喜ベば形状となる体も一緒に喜べるその位置で完成するように人間を創造したのです。実体の大きな木のようなアダムの家庭を中心として、その実体的対象の家庭を繁殖して世界中に満たし、天国の民を繁殖する生産工場を増やすのです。

そうすることによって、霊界にいる神様と地上の実体の父母が地上で暮らしながら、共に天の民を生産することに協力し合い、霊界で永遠に生きることができる民を繁殖して、地上と天上に理想天国を完成するのです。

神様の王権即位式を誰がしてあげるのでしょうか。最初に誰が即位式を台無しにしたでしょうか。サタンとアダム、エバが台無しにしました。アダムとエバが真の父母になれなかったことにより、サタンが侵入し、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。堕落によってサタンの血統を残したので、それをすべて否定してひっくり返すことは、神様もできず、サタンもできません。サタンが今まで築いた自分の国を自ら壊してしまうことは難しいのです。誰もが、自分が精誠を込めてつくったものを改造することは嫌います。サタンも同様です。それを神様がひっくり返すことはできません。神様がひっくり返すことができるならば、エデンの園でアダムの家庭を失うこともなかったでしょう。理論的にも神様は手出しできないことは間違いありません。そのように神様が手出しできないそのことに手出しできる人物が誰かといえば、堕落せずに本性を完成したアダムです。

本然の真の愛の家庭をもつことができる家庭は、真のアダムの家庭以外にはありません。中心が問題です!復帰も中心がなければ完結されるでしょうか。祝福家庭の中心は何でしょうか。誰が祝福をしてくれるのでしょうか。真の父母がしてくれます。結婚式を誰がしてくれますか。自分の息子、娘として血統を一致させ、父母に似るようにしてあげる、その結婚式を誰がしてくれますか。堕落しなかったならば、子女を生んでくれた真の父母がしてくれるのです。

今日の結婚式は、天使長に引っ張られていったので、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。梯子を横にして架けながら、上に上がりたいと考えているのです。最近は結婚の秩序がめちゃくちゃになりました。本来、結婚は逆の順序ですることはできません。順番にしなければならないのですが、最近は逆にもして大騷ぎです。また、それが復帰の内容と外的には一致するので、あのようにも合わせ、このようにも合わせ、逆にも合わせるのです。本来は、長子と次子がいれば、その生まれた順序のとおり、結婚しなければならないのです。

また、性的退廃は深刻な水準に至っています。近親相姦関係が現れています。親族同士で姦淫するというのです。ある国では、祖父が孫娘と暮らし、舅が嫁と暮らしています。近親相姦が起こっているのです。このような人たちは、中心が分からないので、互いに成り行きに任せて暮らしているというのです。これが地獄化しつつある世界でなくて何でしょうか。

このような状況を誰が収拾するのでしょうか。神様も、エデンの園でアダムとエバが堕落するのを干渉できなかっただけでなく、サタンと結婚することにも干渉できなかったので、「終わりの日」に干渉できる道理があるでしょうか。結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって、偽りの血統と結ばれてしまったので、真の父母が来て、これをもう一度、蕩減復帰しなければなりません。すなわち、これらを完全に否定して、ひっくり返し、神様のみ旨を成し遂げなければならないのです。

したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている人がたとえ死ぬ立場に行っても、蕩減できれば、生き残るということです。死ぬことを悲しみ、逃げたいと思う人は永遠に復活圏がありません。ですから、聖書には「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)とあるのです。

ですから、神様も同じであり、真の父母も同じですが、天国に行く人はどうでしょうか。神様も、生きようという生命を生かしてあげるためには、その反対に、死ぬような立場に行かなければなりません。そうでなければ、生きるように支えることができません。綱を掛けて崖から落ちた人を助けるためには、死力を尽くして引き上げてこそ、人も生き、神様も生きるのです。

現代人たちは「自由」を語っています。どんなに現代の教育制度がよくできているといっても、皆様には堕落圏内における自由の観念しかありません。個人主義の観点では、そのようなことは分からないのです。氏族、民族、国家、世界、天宙の観念がないではないですか。どのようにして、それを悟らせるのでしょうか。文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成して、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。

小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階まで上がってきました。それをいかにして成し遂げるのでしょうか。心と体を統一することから始めるのです。絶対的に心と体が一つになったところから、家庭、国家、世界、神様まで進んでいくのです。どんなに人々がその位置まで行きたくても、個人主義の概念をもっている限り、行くことができません。個人主義の概念が怨讐なのです。

それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置に連結されるのです。フリーセックスや同性愛のようなものは、麻薬中毒とエイズ感染の近道になります。麻薬とエイズは、人類を全滅させる脅威になっています。アフリカではエイズが深刻な状況に至ったと報告されているのです。エイズウイルスの潜伏期間が八年から十二年であるとみるとき、ある地域は二代ですべて滅びるのではないかと思われます。

国連を見れば、NGO(非政府機構)も多くの問題点を抱えています。この人たちに最も難しいことをしなさいと言えば、それをする人がいるでしょうか。NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、ああだこうだと指摘しますが、私のように国連の役割や共産主義と人本主義を消化する問題などについて指摘するでしょうか。そのような高い次元の内容を知ってこそ反対できるのであって、そうでなければ反対できません。青少年の淪落と家庭破鏡と麻薬問題、エイズ問題、特に純潔な血統をいかにして残すかという問題について、彼らは分かっていません。それに対する解決方法は、国家はもちろん、国連のような世界機構の指導者たちも知りません。彼らは「これはうそか、本当か」と言っているのです。

これから、「神様王権即位式」以後にできる条件をはっきりと教えようと思います。今まで問題が何だったかというと、血統が問題でした。それが最も重要です。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。今この世に数多くの国がありますが、神様の血統と関係のあるものは一つもありません。すべてサタンに属しているのです。これからは他に方法がありません。神様に従い、真の父母様に従っていくこと以外には中心の位置がないというのです。

今日、この新千年紀の時代にするべきこととは何でしょうか。これまで神様も解放されず、真の父母様も解放されなかったのですが、これからは神様の王権定着のもとに解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけません。監獄に入ったとしても、恐れてはいけません。むしろ、天国に早く行きたいと思う人がいるなら、若くして行けばどれほどよいでしょうか。損をするでしょうか。天上天下の宇宙すべてが私の手の中に入って主人になるのに、なぜ否定しますか。死んでも生きても、心配することはありません。

皆様は、個人完成をどのようにするのか知っていますか。個人の心と体が一つになる道が分かりますか。堕落するとき、サタンの血統を受け継いだ愛の力が、良心の力よりも強かったのです。これが問題です。どんなことがあっても体が願うままに行動してはいけません。

これから守るべき鉄則が何かといえば、第一に、死んでも天から伝授された純潔な血統を汚してはならないということです。第二に、人事措置を誤って人権を蹂躙してはならないということです。男性も女性も、黒人も白人も平等です。人権を差別したり蹂躙したりしてはいけないのです。責任者たちは、自分の心に合わないからといって、むやみに人事措置をしてはいけません。人権を正しく指導するにおいては、真の愛、すなわちために生きる愛をもって生きる人が主流になるのです。天地創造はそこから始まりました。その主流思想を乱すことは許されません。それは罪の中の二番目の罪です。

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9.神様の祖国光復 日付:二〇〇一年七月十三日

場所:韓国、ソウル、国会議員会館

行事:「世界平和連合」•「世界平和超宗教超国家連合」文鮮明総裁招請講演会

尊敬する内外の貴賓の皆様。公私共に御多忙中にもかかわらず、この意義深い集いに参席してくださった国会議員と著名人の皆様に深く感謝を申し上げます。特に国民を代表する民意の殿堂である国会において、神様の摂理史的な観点で、貴いみ言をお伝えする時間をもてましたことをうれしく思います。

私は新千年紀が始まる最初の年である今年の一月十三日、「神様王権即位式」を終えた基台の上に、二月二十五日から四月十七日まで五十二日間、全米五十州の五十二ヵ都市とアメリカの国会、そして国連での講演を盛況のうちに終えました。

その期間に、主にキリスト教をはじめとする十万人を超える宗教指導者たちを対象に、神様のみ旨を中心としたアメリカと人類、さらに天上世界と地上世界の行くべき道を提示してきました。それだけでなく、ウルグアイを訪問し、南米三十三ヵ国の元、現職の政府首脳、および指導者たちが集まる中、「天宙平和統一連合」南米本部を開院し、再教育と組織編成をして、平和世界の実現のために全世界百九十一ヵ国の各界指導者七万人以上を教育した後、平和大使を六大州へ派遣し、祖国の南北統一のための国際的基盤を準備して帰国しました。帰国後、今月の三日から十二日まで、韓国の十二主要都市で、「神様祖国定着大会」を開催し、神様が選択されたこの地に、神様が定着される祖国をつくるべき時が到来したことを宣布し、皆が祖国統一の働き手となることを力説しました。

私は十六歳(数え)のとき、復活節の夜明けにイエス様と出会い、神様のみ旨を成就するため、神様解放のための天意の道を出発しました。これまでの八十有余年の生涯を、あらゆる無理解と迫害を受けながらも屈せず、真の理想家庭を基盤とした平和世界の具現に全力を尽くしてきました。特に、神様の命に従い、一九七一年、アメリカに渡った私は、過去三十年間、全身全霊を尽くして、アメリカが神様から選ばれた世界的な第二イスラエル圏の使命を果たすよう説いてきました。

私は過去数年間、数百回にわたるアメリカ指導者会議を通して、政治家や宗教家たちが、政党や宗派を越えて、各地域社会とアメリカ、そして世界のために心を一つにして協力するように促してきました。併せて、今回、アメリカ五十州巡回講演を通しては、すべての聖職者たちに、教派を越えて一致団結することを強く諭してきました。実際に、「アメリカ聖職指導者連合」を中心に、連合教会運動を通して、十四万四千の教会が救世の目的のために、この運動の先頭に立っています。

一方、私が国連で既に闡明した世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が活発に展開されています。この運動は「世界平和超宗教超国家連合」が先頭に立ち、NGO(非政府機構)総連合団体である「WANGO(世界NGO連合)」を中心に、国連本部から急激に五大洋六大州へと拡散していっています。

皆様。今、私たちはみな、聖書歴史では七千年、イエス様以後の三千年を開いていく新千年紀の時代を迎えています。この時代は、人類歴史を通して神様が願われ、すべての宗教を通して人類が念願した平和の時代がこの地に定着する時です。神様を中心として、心と体が一つになった完全な個人、そして真の愛で一つになった完成した家庭、社会、国家、世界、天宙を形成し、神様の創造理想が実現される時を期待してきたのです。ですから、この時代は聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することにより、天上と地上に天国が形成されなければならない成約時代の完成を意味するのです。成約というのは、本性的次元で、すべてのものが祝福結婚を受ける時代という意味です。神様がつくられたすべての被造万物は、人類始祖の堕落によって祝福圏に立つことができませんでした。

しかし、神様は救援摂理の道を通して、キリスト教をはじめとする数多くの宗教を立て、万民を教育することにより、心霊の基準を段階的に引き上げ、成約時代を迎えるようにされました。そして、私たちは、神様の救援摂理を完成した信仰の結実体として、真の「個人王」から始まり、真の「家庭王」、「氏族王」、「民族王」、「国家王」、「世界王」、そして天宙的王権の基盤を取り戻し、ついに本然の「神様王権即位式」を挙行する位置にまで来るようになったのです。「神様王権即位式」は、天と地のすべての人たちが真の家庭と国をもち、祝福を受けて、一つの血族、血統が一つになった単一民族を形成した基台の上に、初めてその式を行うことができるのです。

皆様。人間にとって最も大切な愛、生命、血統の中で、何が最も貴いでしょうか。多くの人たちは愛が最も貴いといいます。しかし、愛や生命がどんなに貴いといっても、それは横的で、一代だけで終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を継いで、永遠に相続されるのです。ですから、血統が最も貴いのです。

堕落していない本然の世界では、神様を中心として、真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築くためには、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になるためには、真の父母の血統が連結されなければなりません。「父母」や「子女」という言葉は、血統が連結されなければ絶対に成立不可能です。それは神様も分けることができません。堕落したサタンも分けることができません。

そのため、真の父母様の祝福を通した真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰できるのです。本然の基準である神様の真の血統に接ぎ木して、野生のオリーブの畑でも、真のオリーブの木の血統にして、真の愛を中心に一体、一心、一念となり、生死圏を越えていかなければなりません。個人、家庭、民族、国家、世界的な生死圏まで、いかなる犠牲があっても越えていくという心情をもった人は、サタンが関与できません。国家基準を越えるようになれば、完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンは関係を結ぶことができません。

イエス様も結婚していたならば、十字架の道は行かなかったのです。誰もイエス様の命を奪うことはできません。これは相対理想の直接主管圏に連結されるからです。原理で言えば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入っていきます。直接主管圏は、神様の血統が連結されているので、サタンがそれを断ち切る道理がありません。この過程において、心情が一致するその位置に行けずに、そこで堕落したことが問題だったのであり、アダムとエバが夫婦となり、真の愛で愛していれば、永遠に堕落できないのです。サタンが連れ去ることはできません。しかし、この過程で、実が熟しませんでした。熟さない実は、いくら地に植えても種ができません。ですから、永遠の生命がないので、死んだ生命のようなものを処理する所が地獄です。神様と関係がないのです。

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イエス様の寂しい三年路程 メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、自分の孤独な事情が、神様のみ旨を成就するに当たって深刻な障害の要因であることを、独りもどかしく思いました。メシヤは真の父母であり、その使命のためには実体の新婦を迎えなければなりません。天使長が、アダムと兄妹のように育ったエバを偽りの愛で堕落させたので、イエス様はそれを根本的に復帰しなければならなかったのです。

したがって、アダムに代わって神様の息子として来られたイエス様は、天使長の立場に立った人物の妹を妻として迎えなければなりませんでした。その女性が正にザカリヤの娘であり、洗礼ヨハネの妹だったのです。

サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成就するためには、絶対的な信仰によって形成された保護の基台がなければなりません。不幸なことに、イエス様の周辺では、そのような基台がすべて崩れてしまいました。

もしザカリヤとエリサベツが、神様の啓示と霊的な恩恵のもとで、初めにもった絶対的な信仰をもち続けていたなら、状況は違っていたでしょう。彼らが責任を果たしていたならば、マリヤは三ヵ月後にその家を出たとしても、継続して彼らと行き来し、相談したはずです。

ザカリヤの家庭は、イエス様の誕生ののちにも、地を代表し、一番の先頭に立ってメシヤを保護し侍りながら証す人たちとして、神様が選んだ家庭でした。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、この上ない精誠を込めて侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従っていたはずでした。また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じさせ、救いを受けさせるように導く責任を果たしたはずです。

しかし不幸なことに、ザカリヤも、エリサベツも、洗礼ヨハネも、イエス様を神様の息子として証しただけであって、侍ったことはありませんでした。尊敬される祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の道を困難なものにしてしまい、民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い、人間的な思いに流れたときに、イエス様が願われた、新婦を迎えることに協力するはずはなかったのです。

次に考えるべき点は、ヨセフとマリヤの関係がイエス様に及ぼした影響です。マリヤは、エバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係を保たなければなりませんでした。しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではありません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、そののちにも夫婦関係を結んではいけないのが神様の願いでした。ヨセフはマリヤに対して、イエス様の誕生ののちにもずっと愛の心をもち続けました。マリヤは、ヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。

しかし、現実は、それを簡単には許しませんでした。本心ではいけないと思いながら、マリヤはヨセフと夫婦関係を結ぶようになり、子女をもつことによって、エバの失敗を反復した結果になってしまいました。サタンはこれを条件として、彼らに侵入するようになりました。イエス様一人を残して、皆がサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエス様を守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟も、カイン側の兄弟もすべてサタン側になってしまいました。

人がサタンの侵入を受ければ、もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまい、神様に対する確信と感謝を失うようになり、すべてのものを人間的に考えるようになります。これによりマリヤまで、イエス様が願われる結婚に協力することができず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えられず、そして真の父母になれず、十字架の道を行かざるを得なくなった直接的な原因になったのです。

カナの婚宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ二•四)と言ったのも、最も貴い摂理の要請である、イエス様の新婦を迎えることをなおざりにし、遠い親戚の婚宴を手伝おうとするマリヤを責めた心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイ一二・四八)と言われたみ言も、このような基準から理解しなければなりません。

イエス様は、母マリヤからも、ザカリヤ、エリサベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探し求め、再び復帰摂理を出発しようとしたのがイエス様の出家でした。出家したイエス様は行く所がありませんでした。

「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・二〇)と嘆息されました。親族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を求めて出発したのです。それがイエス様の三年路程でした。

救援摂理史の原理観 しかし、民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなって、サタンの侵入を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かれるしかありませんでした。本来、イエス様は、メシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されることによって新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂できませんでした。

ですから、再臨することを約束されたのです。再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母の理想を完成するために来られます。彼は、既にイエス様の時まで神側が勝利した根本摂理の基台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上にまっすぐに立たれ、彼が果たせなかった新婦を探し出し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです。

ですから、真の父母は、血統を伝授する新しい結婚行事を通じ、全人類を神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木することによって真の人として救い、さらには真の家庭を完成して、地上天国を建設されるのです。ですから、再臨主は肉身をもって来られ、新しい血統関係を編成しようとするのであり、それが国際合同祝福結婚式なのです。

アダムの家庭で失われたものを、世界大家庭圏で蕩減することにより、アダムの家庭で完成しなければならなかった真の長子権、真の父母権、真の王権を取り戻し、神様が主管される地上天国へと転換し、天上天国に入籍して、神様を中心とした地上、天上王権時代に進入し、勝利と自由と幸福と統一の世界を復帰し、神様の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるようになるのです。これが救援摂理史の原理観です。皆様も、未来に幸福な新しい祝福結婚を受けるようお願いします。

敬愛するこの国の指導者、そして内外の貴賓の皆様。今晩、「ワシントン•タイムズ財団」の創設を記念するために御出席いただいた皆様に、いま一度深く感謝を申し上げます。特に、この社会のために善の業績として「ワシントン•タイムズ財団」が賞を授与する、最初の栄光を受けられた皆様に心からお祝い申し上げます。ありがとうございました。

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タマルを中心とした血統復帰摂理 この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のためには、先に母親がいなければなりません。母親が息子を生むにしても、ただ単に生むのではありません。必ず復帰の公式を通して生まなければならないのです。復帰摂理の中に現れた母子協助はみな、天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。

母子共にサタンの攻撃を免れる条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してこられたのです。

神様の摂理歴史を記録した聖書の中には、理解のできない記録がたくさんあります。リベカが夫のイサクと長子のエサウをだまし、次子ヤコブを助け、彼に祝福を受けさせました。神様は一見不当に見える方法を用いた、この母子の側に立たれて、彼らに祝福を与え続けられました。

アダムの家庭では、カインとアベルの兄弟が母胎の外で争い、次子のアベルが殺害されました。ヤコブは、アベル以後、善の側に立った多くの人の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンに追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。結果的にヤコブは、ヤボク川で天使を屈服させる霊的勝利を収め、実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることによって、歴史始まって以来、初めて「勝利した」という意味の「イスラエル」という祝福を受けるようになりました。しかし、その時は既に歳が四十代でした。

サタンの偽りの愛の種が、エバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入って分別しなければ、天の息子が胎中から誕生することができないのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、依然として分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりません。結果的にこの責任を担った偉大な母がタマルでした。タマルは、ユダの長男のエルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなかったので早く死んでしまいました。

当時の慣例に従い、ユダは次子のオナンをタマルに与え、子女を生むようにしましたが、オナンは生まれる子女が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様のみ前に罪となり、オナンも死んでしまいます。タマルは、ユダの三番目の息子のシラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした。タマルによって二人の息子が死んだと考えたユダは、シラまで死んで家系が途絶えることを心配したからです。

タマルは、選民の血統を継がなければならないという一念で、売春婦を装って、舅であるユダを迎えて双子を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれるとき、先に手を突き出して出ようとした長子が再び胎に戻り、弟になるべき次子が先に生まれたのですが、それがペレズです。タマルの胎中で長子と次子が争い、サタンが分立される胎中復帰が成就したのです。

このような条件の上に選民の血族を得て、その二千年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的な土台の上に、メシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの讒訴のない立場を得ることができるようになった国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場したのです。

神様の初愛を独占できるイエス様 ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという天使長ガブリエルの驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないというのが当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ一•三八)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け止めました。

マリヤは、親族であり、尊敬される祭司ザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その妻のエリサベツが、神様のみ業によって妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう」(ルカ一•四二、四三)とイエス様の懐胎を証しました。

このように神様は、マリヤとザカリヤとエリサベツに、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家に泊まらせました。ザカリヤの家庭でイエス様を懐胎したのです。

エリサベツとマリヤは母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子の一体化を果たせなかったことを、国家的基準でザカリヤの家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。

歴史始まって以来初めて、神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになりました。

当時の法によっては容認されるはずもない、また、常識でも考えられないことを、マリヤは成し遂げなければなりませんでした。三人が共に霊的に感動したのであり、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったからなのです。

神様の息子は、たとえ着地はしたとしても、サタン世界の中で無事に育ち、み旨を成し遂げるためには、保護してくれる囲いが必要でした。神様はザカリヤの家庭の三人に、その基盤になってくれることを期待されました。三人が神様の息子を保護し、彼に侍ることにいかに専念し、どれだけ長い間一つになっていたかについては、考えるべき点がたくさんあります。

聖書には、「マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った」(ルカ一•五六)と記録されています。その後、聖書には、マリヤとエリサベツとザカリヤが互いに行き来した記録はありません。ここから、マリヤとイエス様の困難が始まったのです。ザカリヤの家庭は、最後までイエス様の囲いにならなければなりませんでした。

しばらくして、ヨセフは、マリヤが妊娠した事実を知るようになります。この時、彼の衝撃はどれほど大きかったでしょうか。愛する婚約者のマリヤが、自分とは何の関係ももたない状態で、三ヵ月間どこかに行って戻ってきた時には妊娠していたというのですから、ヨセフがマリヤに、誰の赤ん坊を身ごもっているのか、追及するのは当然のことでした。そのとき、もしマリヤが正直に話してしまっていれば、どんなことが起こっていたでしょうか。もし明らかにした場合には、一族が滅亡するのです。ですから、マリヤはただ「聖霊によって懐胎した」とだけ話したのです。

マリヤのおなかが大きくなってきて、周囲の人たちも妊娠していることが分かるようになりました。そのとき、ヨセフが「自分は関係をもたなかった」と言っていれば、どうなっていたでしょうか。しかし、ヨセフは神様の啓示を信じ、妊娠は自分の責任であると擁護した義人でした。これによってマリヤは、婚約期に妊娠したという嘲笑は浴びたとしても、石を投げられて死ぬことはなかったのです。

マリヤを愛したヨセフは、初めはこのようにマリヤを守ってあげました。しかし、ヨセフの心の底には悩みがたくさんありました。特に、生まれたイエス様を見つめるヨセフは、その父親に対する疑問につながり、心中に苦痛を頻繁に経験するようになりました。イエス様が成長するとともに、ヨセフとの心情的な関係において距離が生じるようになり、このことによって、家庭に頻繁に争いが起こったことは間違いない事実です。こうしてイエス様は、私生児の立場で、ザカリヤの家庭の保護も受けられず、またヨセフとの関係も厳しい状況下で、心情的に、言うに言えないほど寂しい立場で育ちました。

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人間の完成は愛に対する責任をもつときに可能 満場の内外の貴賓の皆様。人類の堕落が、木の実を取って食べた結果でしょうか。アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪でした。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間で堕落してしまいました。蛇で表示された天使長に誘われ、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘って、時ならぬ時に善悪の実を取って食べる肉的な堕落をしてしまったのです。

本然の園で神様と対話しながら、楽しく遊び回って慕らしていたアダムとエバが、死ぬことまでも顧みずに犯す可能性のある犯罪は、誤った愛の犯罪しかありません。本来、人類の先祖の初愛を中心とした結合は、神様御自身の愛の完成でもあったので、当然、神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歴史を通して歓喜と祝福の中で酔いしれる幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が、人間の中で出発するとともに、定着する幸福な儀式でなければならなかったのです。

ところが、彼らは下半身を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくった不倫の関係を結んだからです。堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれながらにして原罪をもつようになりました。人類が個体の中に心と体の衝突を矛盾として感じるのも堕落に根源があり、愛の秩序が乱れた社会の中で、本心の願わない人生を生きていくのも、すべてここに由来しているのです。

愛の理想を中心として見るとき、動植物の世界の愛の関係は、すべて繁殖を前提としてのみ行われます。しかし、人間だけはその例外です。人間は、夫婦の愛の関係において自由を享受します。それが万物の霊長たる特権です。神様は、息子、娘である人間が無限の愛の喜びをもつように祝福したのです。

神様が許してくださった真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性なしに個々人が愛の自由だけを主張して実践すれば、どれほど大きな混乱と破局がもたらされるでしょうか。至高な愛の理想を達成する人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。

その責任性とは、次の三つを考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修養、自己管理によって自由な真の愛の主体となる責任です。人における愛の責任性は、法や世間体のために守られるものではなく、神様との生きた縦的な関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるものです。

第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、自分に対する相対からの愛が分けられることを願いません。夫婦問の横的な愛の関係は、父母と子女の縦的な愛の関係とは異なり、分けられれば、もはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間では絶対的な愛の一体を形成するようになっている創造原理のためです。人には、絶対に自分の相対のために生きる愛の責任性があるのです。

第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生きた要素を提供することです。家庭が貴い理由はそのためです。生活的な経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真の家庭以外にいかなる所でも得ることはできません。

メシヤは神様の血統を接ぎ木してくださる真の人 アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦となれば、神様は理想どおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになるのです。さらには、アダムとエバは、神様の実体をまとった真の父母になって、善の愛、善の生命、善の血統の始原となったでしょう。

ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類はみな、この根に根源を置いているので、生まれたときからみな神様の怨行であり、姦夫であるサタンの子孫になり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。

親愛なる紳士淑女の皆様。人類始祖の堕落によって真の愛の理想が崩れたとき、神様の苦痛はどれほど大きかったでしょうか。神様の子女になるべき人間たちが、本来の父母である御自身のことが分からず、サタンに仕えているにもかかわらず、神様は救援摂理をしてこられたのです。また、絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援摂理をされるしかありませんでした。神様の救援摂理は、失った真の愛の創造目的を回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。

このような点で、復帰摂理の根本は、いかにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだすかにあります。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母を、いかにして誕生させるかということです。

人間始祖が自分の責任分担を完遂できず、不倫な血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て原状回復させることができないのです。神様は、天使長側に回った人類を、条件なしに善の立場から取ることも、打つこともできないのです。神様は、善の天使長的中心人物を立て、先に打たれながら蕩減条件を立てさせて取り戻してくる作戦をしてこられました。しかし、サタンは先に打ち、奪われる立場になりました。第一次、第二次、第三次世界大戦はその例になります。先に打ったほうが滅びました。

復帰摂理を概観すると、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのとき、イエス様のときも、すべてそうでした。堕落の張本人であるエバの代わりに責任を果たす母を立て、次子に母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立させるための摂理が行われてきたからです。

神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接相対することはできません。神様は、善の側を代表する次子を相対として条件を立たせ、悪の側を代表する長子を屈服させることで、善の血統を復帰してこられました。アダムの家庭で、神様は、次子アベルを立てて長子カインを屈服させようという摂理をされたのです。堕落したエバによって、兄弟を一つにしようとする努力があったかもしれませんが、結局、カインがアベルを殺害することによって、救援摂理は終結することができず、そこから延長が始まったのです。

ノアの時も、母子協助の基準はありましたが、本格的な母子協助の基準はリベカとヤコブのときからです。人間の堕落はアダム、エバ、天使長の三つの存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘って霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘って肉的堕落をすることによって、神様を裏切ったのです。堕落した天使長がサタンになりました。救援摂理は復帰摂理であり、復帰は一八〇度反対の道を通して行われるのが原則です。

真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。神様が人間を創造するとき、アダムを先につくったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落と無関係な息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。

メシヤは、サタンの主管下にいる堕落した血統をもった人間たちの生命を否定し、新しい生命の種を接ぎ木してあげるために来られる真の人です。根は神様に置いているのですが、後のアダムとして来て、アダムによって引き起こされたものを清算しなければならないのが、メシヤの使命です。神様が能力だけで役事する超人を、メシヤとして送ることはできない事情がここにあるのです。

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8.救援摂理史の原理観 日付:一九九六年四月十六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ホテル

行事:「ワシントン•タイムズ財団」創設記念特別講演

尊敬する内外の貴賓、高名な紳士淑女の皆様。今日、歴史的大変革時代を迎え、レバレンド•ムーンと皆様が出会うことができ、神様に心から感謝を捧げる次第です。

宗教と救援摂理の目的 神様は、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのみ旨も同じです。もし人間始祖アダムとエバが神様の愛で一体になっていれば、万事が完全、完成です。ですから、神様の出発、目的とその程度、そして原因と結果とその方向も絶対的なのです。

人間始祖であるアダムとエバは、堕落して、無知と混沌に陥りました。個人的な無知と混沌から、家庭、国家、世界的な無知と混沌に陥るようになりました。この堕落圏を抜け出すためのものが宗教と救援摂理の努力なのです。「終わりの日」にメシヤが来て、神側から見る絶対、唯一、不変、永遠の原因と方向と結果をはっきりと教えてあげ、無知と混沌の世界を清算し、本然の神様の懐に帰ることが神様のみ旨の完成です。

そのようにならなければ、「終わりの日」に、すべての宗教、主義、思想や国家も、みな滅びるようになるのです。今や人類は、わずか数年のちには二十一世紀を迎え、二〇〇〇年代の新しい歴史時代に差し掛かります。このような重大な時点において、私は、「救援摂理史の原理観」と題するみ言を通して、新しい時代を準備する私たちの心を確認しようと思います。

創造主と人間との真の愛を中心とした完全、完成を願う神様は、人間と一体となる条件が必要でした。それで神様は、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。人間が成長期間を上がっていく未完成段階にいたことを御存じの神様が、子女である人間に最も貴い真の愛を相続させてあげるための条件として与えてくださったのが戒めでした。

本来、真の愛は経験を通して、体恤を通して分かるようになっていました。真の愛は、言葉や文字、あるいは一般教育を通して体得できるものではありません。生活を通してのみ、完全に体得するのです。赤ん坊として造られたアダムとエバは、成長しながら段階的に生活を通して経験し、真の子女の心情、真の兄弟の心情、真の夫婦の心情、真の父母の心情を体恤することによって完成するようになっていたのです。神様の真の愛を全体的に体得するとき、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。

人は、自分の愛する相対が、自分より何千万倍の無限大の価値ある存在として現れることを願います。このように神様も、御自身が愛する相対である人間が、無限の価値ある存在になることを願われるのです。人間は、完成すると神性をもち、天の父が完全であられるように完全で、神様と同等の価値をもつのです。

神様は絶対者であられますが、真の愛の理想は独りでは達成されません。愛の理想は必ず相対を求めるからです。私たちはここで、神様の真の愛と人間の真の愛の出発と完成が、互いにいかなる関連をもっているのかを知らなければなりません。

もし神様が、真の愛の絶対的な対象体として人間を立てずに、ほかの方法を通して御自身の真の愛の出発と完成を達成しようとされたとすれば、どのようになるでしょうか。神様と人間の真の愛を中心とした理想は、各々動機が異なるようになり、二つの愛の方向と目的も異ならざるを得なくなります。そのようになれば、神様の愛の理想は、人間よりも上位にほかの愛の対象を立てて達成しなければならず、一方で人間の愛の理想は、神様と直接的な関係をもてなくなってしまいます。

真の夫婦は神様の絶対的愛の理想を完成する 真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対者として人間を立てました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成されるのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象なのです。無形の神様のみ前に、見える体として生まれました。

人間は完成すれば神様の聖殿になります。神様が自由に、また安らかにいつでも入ってきて暮らすことのできる有形の実体です。神様の絶対的な真の愛の全体的な理想は、人間を通して、父母と子女の縦的関係で実現し、完成します。

神様は御自身の体としてアダムを先に造りました。アダムは神様の息子であると同時に、体をもった神様自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバを造り、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。

アダムとエバが完成し、神様の祝福のもとで結婚して初愛を結んだとすれば、その場は、神様が実体の新婦を迎える場だったのです。アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参することによって、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点で結実、完成するようになっていたのです。

神様の創造は必然でした。目的のない創造は想像することができません。神様にとって創造が必要だった理由は、ただ一つ、真の愛の理想のためでした。最も簡単で低級な被造物から人間に至るまで、各々主体と対象、陽性と陰性の相対関係で展開された理由も、愛の理想のもとで相対関係を形成するためなのです。

創造物の愛の理想と神様の究極的な愛の理想は、別個のものではありません。人間世界の男性と女性の愛の完成を通して、神様の絶対愛が完成するようにされたのが、創造原理です。太初に人間をアダムとエバ、一男一女として創造された理由もここにあります。

神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守って、真の人として完成することでした。さらには神様の真の愛で一つになった真の夫婦になることでした。また、彼らがその真の愛の中で息子、娘をもち、幸福で豊かに暮らすことのできる真の父母になることでした。アダムとエバが真の愛で完成していれば、それは実体を身にまとう神様の願いが成就することだったのです。そして、彼らが真の夫婦として完成していれば、それは神様の絶対的な愛の理想の完成を意味しました。

それから、アダムとエバが善の子女をもって真の父母になっていれば、それは永存する父母の位置を実体的に確定し、人間の血統を通して子々孫々を繁栄させることによって、天上天国の市民を無限にもつことを望まれた神様の理想が成就されるようになっていたのです。

ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンの園から追われるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が、追い出したアダムとエバをエデンの園の外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。ですから全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した、追い出された先祖の子孫なのです。

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三十六万組の国際合同祝福は世界平和の祭典 今や世界は、大変遷を避けることのできない時に至りました。これを宗教的用語で表現すれば、「人類歴史の終末」に至ったと言えるでしょう。しかし、私の言う「終末」という言葉は、暗澹(あんたん)と滅亡を意味するものではありません。

創造主であられる神様の立場から見る「終末」とは、誤った世界、すなわち堕落世界の終息であり、これに続く正しい世界、すなわち創造本然の世界の新しい出発を意味するのです。ですから、「終末」とは、正に望みであり、希望なのです。

それでは、この物質文明から精神文明への歴史的転換は、何によって実現されるのでしょうか。それは、神様の真の真理の出現によって始まるのです。真理は光であるといいます。暗い夜を解放する道は、夜が明けて朝に太陽が昇るようにすることです。その歴史の転換の太陽が中天に昇りつつあります。それがすなわち私が発表した「統一原理」であり、真の愛の大真理なのです。

私は、神様の召命を受け、神様がかつて人類歴史の背後に隠しておかれた天宙の大原理を発掘するに至りました。それは人間が歴史にわたって渇望してきた大真理であり、すべての人間が真の愛に回帰し、真の世界平和を具現できる大原則でした。あたかも医者が病気を治そうとすれば、まずは病気の原因を究明しなければならないように、この原理は、今日の人類社会が塗炭の中で苦しみ、非原理的世界を築き上げるようになった人類始祖の堕落の経緯を明白に究明してくれました。原因が究明されたので、次にその処方を用いることができるのです。私はこれまでの四十年間、その処方をもって東奔西走しながら、これをこの世界に伝播することに専念してきたのです。

私はきょうここにおいて、そのいくつかの大原理を明らかにしようと思います。しかし、このようなかたちでは、皆様は到底深く理解することができません。皆様は真剣に「統一原理」を研究する必要があるのです。自分の永遠の生命と本当の世界平和がここにあるとすれば、それは何よりも先行すべき優先的努力でなければならないと思います。

その第一の大原則は、神様は生きておられ、その神様は人類の父母であるということです。人間と神様の関係は親子関係です。神様が私に示してくださった一番目の真理は正にこのことでした。

第二に、神様の本質は真の愛ですが、真の愛を具体的に現すために、天地万物と人間を創造されたのであり、また人間は神様の対象存在だということです。神様は、無限の真の愛を条件なく人間に注がれようとされるのです。

第三に、神様は、無形の父母であられる御自身の実体として地上に真の父母を立て、人間はその真の父母と一体理想を完成することによって、真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、永遠に救われるという大原理です。

ところが驚いたことに、今私たちは、その真の父母の時代に生きているのです。人類歴史を見ると、これほどまでに恵まれた時代は以前にもなく、以後にもあり得ません。そう考えると、私たちこそ、天運に乗って生まれた幸運の世代にほかなりません。

私と私の妻は、二日後の八月二十五日にここソウルにおいて、真の父母の名で三十六万組の国際合同祝福結婚式を挙行する予定になっています。私はこの祭典を、真の世界平和の祭典と呼んでいます。今日、真の世界平和がない理由は、その原因が家庭制度の崩壊にあると言えます。神様の真の愛と一体理想を完成していない限り、私たちはその家庭を真の愛の家庭とは言うことができません。

世界百六十ヵ国で、人工衛星を通して同時に挙行されるこの祝福結婚式は、無形の父母であられる神様のもとに実体として来られた真の父母様をお迎えし、人類が縦的に真の愛の鎖を掛ける儀式です。同時にこの儀式に参与する人たちは、国境と人種と宗教を超越しているので、これはまた、真の父母の前に一つになる真の兄弟姉妹、すなわち横的な同胞愛の鎖を掛ける儀式にもなるのです。

人類始祖アダムとエバの堕落によって失った神様の真の愛、真の生命、真の血統によって復帰する人類の大転換儀式になるのです。ですから、六千年間、悪魔サタンの束縛と主管圏の中で呻吟していた人間たちが、初めて真の解放を受ける感激の瞬間でもあるのです。つながれていた足かせが断ち切られ、神様の真の愛の自由天地の中に帰ってきて、ホサナの歌を歌う歓喜の祭典、その祭典がこの時代に真の父母の顕現によって可能になったのです。

真の平和は創造本然の世界に復帰すること 皆様。この儀式はまた、神様のみ前に結婚によって結ばれた男性と女性が互いに純潔を誓う儀式でもあります。真の家庭の破壊は、純潔の破壊を意味します。不倫の愛が人類始祖の堕落の原因だったので、その子孫である今日の人類は、淫乱が渦巻く中でその不倫の愛の供え物になってきました。

これがすなわち今日、世界的現象として現れているフリーセックス、同性愛、背徳的な愛の関係の現象であり、今日、人間社会における愛の乱脈の様相は、動物の世界を彷彿させるのです。

このように堕落した人類を、偽りの先祖の血統から完全に解放することによって、今や人類は神様本然の純潔の世界へと復帰できる時が来ました。そして、このように世界を解放する転換の軸となる方が真の父母なのです。

新婦は、新郎が世界の全男性を代表する神様の息子であり、真の父母の実体分身であると考え、彼を主体として立てて純潔の愛を誓います。新郎は、自分の新婦が世界の全女性を代表する神様の娘であり、真の父母の分身であると考え、純潔の愛を誓います。

このように結ばれた夫婦の間に、エイズのような恐ろしい人類破壊の疾病がどうして浸透できるでしょうか。できません。エイズは「終わりの日」に人類の純潔を試しているのです。しかし、私たちの社会はエイズに対する解決を、神様のみ旨とは関係なしに、ただ、コンドームや特殊な薬を発明して解決しようとしています。しかしエイズは、そうしたからといって解決できる問題ではありません。この問題の真の解決は、道徳性の回復にあり、真の愛の回復によってこそ可能なのです。

エイズは、紀元二〇一〇年までにその感染者数が十億に達するという報告が、ハーバード大学のダナ•ファーバー研究所から発表されています。これは人類の存亡を脅かす数字です。エイズは、ただ人類が神様の願われる真の愛に回帰する時にのみ解決されるのです。これは男女の純潔な愛を意味します。私が語る純潔とは、一時期女性だけに強調されていた封建的な純潔のことではありません。神様の大原則から見た男女共通の純潔のことをいうのです。

それは、男性と女性が結婚前まで共に貞操を生命視し、これを守りながら理想的相対を探し求め、祝福を受けて結婚したのちには、主体と対象が限りなく愛し合いながら永遠に暮らす一男一女の理想です。

私は今日、女性よりもかえって男性たちの純潔を強調したいと思います。今日世界の男性たちが無節制な愛に転落することによって派生する被害が、全人類の幸福を破壊する原因になっていると言っても過言ではありません。

真の父母と真の愛の革命 しかし、今日の堕落した世界、不倫の愛が波打つこの世界が、神様が念願とされた本然の真の愛の秩序に戻ることは、人間の力では不可能です。これを可能にするものが神様の力であり、その神様の力の顕現がこの地上における真の父母の出現なのです。

人類の真の父母は、地上に顕現し、真の愛の革命の火をつけました。その革命的過程を経ずに真の愛の秩序を立てることはできません。この真の愛の革命の烽火は、今その炎が高々と燃え上がっています。国際合同祝福結婚式こそ、この真の愛の革命の炎を燃え上がらせる祝祭であり、地軸を揺るがす新世界創造の広場なのです。

今は三十六万組ですが、これが三百六十万組になり、三千六百万組になり、三億六千万組、三十六億組へと広がっていくとき、人類社会から初めてエイズが撲滅され、神人が一体化した純潔な真の愛の世界が実現されるのです。これは単なる夢ではありません。神様の地上天国建設の大きな摂理の中で、その実現は必至の事実です。人間の業ではなく、それは神様のされるみ業だからです。

尊敬する指導者の皆様。今日、二十世紀の科学は、世界を一つの小さな地球村に縮小させました。人類はこの地球村で暮らす地球家族です。ここには本来、真の愛の理想世界だけがなければなりませんでした。今や世界人類の真の平和は、このような神様の創造本然の世界への復帰によって達成されることを肝に銘じなければなりません。

皆様がこのような真の平和の使徒になってくださることを切に願います。私は、きょう皆様が真の平和の使徒であるだけでなく、私が生涯を捧げてきた真の世界平和の事業における貴重な同志になってくださったことに対して、感謝を捧げる次第です。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が満ちあふれることをお祈りします。

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7.真の平和世界 日付:一九九五年八月二十三日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第三回「世界平和会議」

尊敬する議長、尊敬する元、現職の国家元首ならびに紳士淑女の皆様。きょう私は、第三回「世界平和会議」の開幕の冒頭において、参加者の皆様に深い敬意を表しながら、世界平和に対する所信を披瀝できることを誠にうれしく思います。

中南米大陸に対する切なる忠告 今回の第三回「世界平和会議」は、過去のどの時よりも絶大な関心を呼び起こしています。皆様が、遠路はるばる旅行しながら、真の世界平和の働き手となることを希望して、このような盛大な会議を可能にしてくださったことに対して、衷心より感謝を捧げる次第です。

私は今年に入って、中南米大陸に神様のみ旨があることを知り、中南米二十三ヵ国を歴訪しながら、真の世界平和の模索に全力投球しました。私は行く国ごとにその国の主要人士たちと会い、私の所信を披瀝し、そのうち八ヵ国では、その国の大統領と単独会談をし、温かい友情の中で、世界平和について共に意気投合する貴重な機会をもちました。私はこの中南米の各国で「真の家庭と私」という題目で講演をしました。

私は、このように中南米大陸を東西南北に駆け巡る間に、多くの理想を描いてみました。中南米三十数ヵ国の国家社会が、真の平和を実現して理想国家を築くために、何をすべきか、どうあるべきかを考えてみたのです。

中南米大陸は、無限の潜在力をもっています。そこには無限の資源があります。そこには尽きることのない無限の人力があります。肥沃な平和の楽園、雄大な山と大自然、創造本然の汚染されていない美しい大自然!二十一世紀には必ず開花する、南米の全盛時代を夢に描いてみました。

このような無限の可能性を秘めた中南米大陸にお願いしたい切なる忠告があります。それは「先進諸国の前轍を踏んではならない!」という忠告です。現在、開発途上にある国々は、盲目的に開発された国々が犯した誤謬を犯してはならないということです。

私がなぜこのような忠告をしようと思ったのでしょうか。それは、既に開発された国々の前途が暗澹たるものであるのを見ているからであり、その先進諸国が、人類が心から願う幸福をもてずにいるからです。

二十一世紀は本然の世界へと帰っていく世紀 私はその標本としてアメリカを例に挙げようと思います。私は、アメリカを心から愛している者です。またこれまでの四半世紀を主にアメリカで過ごしながら、世界平和の土台をアメリカにつくろうと心血を注いできた者です。

私は、このアメリカを正しい方向へと導くために全力投球する中で、アメリカから迫害も受けてきました。しかし、アメリカを愛する心、世界平和のためにアメリカに期待する心は、今でも少しも変わりはありません。

一九六〇年代に私が初めてアメリカに行った時でも、世界中の人類は、アメリカのようになることを望みました。『大草原の小さな家』のような家族愛あふれる農村の家族、日曜日になると全国津々浦々から響き渡る讃美歌の声、正義の使徒スーパーマンは、正義というアメリカ精神を象徴するものであり、高層楼閣が立ち並ぶ都市の通りには、紙くず一つ見ることのないほどに秩序整然としており、美しかったのです。その当時、全世界はアメリカを羨望の目で見つめていました。

それから三十数年が過ぎた今日のアメリカはどうなったでしょうか。輝いていたアメリカは色あせてしまったのです。解決できない難問題が山積しています。その中でも、人間の道徳性の衰退と犯罪の増加は、注目に値するものになりました。殺人、麻薬、暴動、離婚、幼児虐待および誘拐、若年未婚者の妊娠など、アメリカから流れてくるニュースは、信じられないものがあまりに多くあります。これは、アメリカを愛する私の胸を痛めています。

現在、このような現象は、単にアメリカでのみ起きているのではありません。暮れていく二十世紀のあらゆる先進諸国は、今一様に悩みの中で苦しんでいます。その原因はどこにあるのでしょうか。その原因は、先進諸国がみな物質文明の極致を謳歌する中で、今ではその物質文明の罠にはまつてしまったことにあるのです。

物質が精神を支配し、心を支配していった結果、人間の心霊が物質の奴隷になってしまったのです。そして、その結果は真の愛の没落です。物質的に豊かであり、都市には高層の楼閣が立ち並んでいますが、人間の心は砂漠のように荒れ果て、そこでは真の愛のオアシスは見いだすことはできないので、人間の生活は殺伐この上ないものになったのです。そこには真の愛がないので、人間の利己主義ばかりが生い茂るようになりました。この利己主義の最大の被害者は美しい大自然です。

私はこの平和会議の一つの主題として、地球と人間の環境の回復に関する討議も含めましたが、私たちの自然環境は、今ではもう破壊されるだけ破壊され、水と空気は汚染されており、人類を保護してくれていたオゾン層まで破損されているのですから、このままいけば人類は、自ら構築した物質文明のために自滅を免れることができない境地にまで至るでしょう。

しかし、何と言っても物質文明が与えた極度の被害は、あらゆる国家社会の基礎となる家庭の破壊にあります。家庭は社会の細胞です。私たちの体の中にある数十兆の細胞一つ一つが健全であれば、その体は健全な体ですが、その細胞が破壊されれば、その体全体が弱くなり、結局はその体も破壊されるのです。

ですから、この地球上で真の家庭制度が破壊されていくことは、すなわち世界人類全体の破滅が遠くないことを意味するのです。今、私たちの社会は、本来神様が設計され、創造されたものとは正反対の道を走っているのです。

二十一世紀は、どちらにしろ神様が意図される創造本然の世界へと帰っていく世紀です。物質文明の時代は過ぎ去り、精神と心が主人となる精神文明の時が訪れるのです。その二十一世紀が今や五年後に迫ってきています。

このとき、開発途上にある国々は、開発国の前轍を踏まずに、先進国を教訓として物質文明の罠にはまることなく、心と精神が主人となる世界に直接突入してくれることを熱望しながら、私が絶叫したいと思っていた忠告の内容をお話ししました。

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真の愛で一つになった夫婦は地上•天上天国の出発地 夫婦の立場というのは、神様の子女が一つになった立場であり、神様の家庭で兄弟が一つになった立場であり、夫婦が一つになった立場であり、父母が一つになった立場であることを知らなければなりません。夫と妻は、四大心情圏を中心として見るとき、自分を完成させてくれる絶対的対象者です。

ですから、夫というのは、妻に理想的な神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場です。妻も、夫に対してこれと同様の位置に立つようになるのです。

このような夫婦は、神様が体恤したように、子女を生み、自分たちの育ってきたすべてのものを、子女を通じて実体的に真の愛を体恤することによって、喜びを感じるようになります。神様の愛は絶対的なので、夫婦は分けられないのが天理原則です。このような原則を失ってしまった堕落した人間世界を復帰して、本郷に滞らなければなりません。そのようにすることによって、「世界平和連合」がその目的を達成できるのです。こうして、家庭天国は国家天国へ、国家天国は世界天国へ、さらに天上天国へと完全解放し、平和の世界へと展開されるのです。

結婚して、夫婦が真の愛で愛し合う場は、神様と人間の愛と生命と血統の根源となる王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心として夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭になって、平和と理想の出発基地となるのであり、片側である男性と女性は一体となり、神様の相対として、神様の理想愛を完成させるようになります。すなわち、真の愛を中心として、神様は人間を無限に価値ある存在として完成させるので、神様も真の愛を完成させ、神様の創造理想である永遠の理想の愛が宿る理想家庭を立て、理想世界を完成しようとするのです。神様とアダムの家庭を中心として見れば、神様は第一代の先祖、アダムは第二代の先祖、アダムの子女は第三代の先祖の立場です。神様は祖父の立場であり、アダムは父母の立場であり、アダムの子女は息子、娘の立場です。

三代が一つの家庭に定着するので、祖父は天上天国の神様の代身であり、地上世界と天上世界にいる王と女王の立場であり、父母は現在の地上天国を代表した家庭の中心である王と女王の立場であり、子女は未来を代表する天上天国と地上天国を相続する王子と王女の立場です。このようにアダム一族は、神様を中心とした王族になって暮らしたのち、天上天国である永遠の世界に移つて暮らすようになっていたのですが、これが人間の成就すベき目的なのです。

また、家庭を中心として見るとき、祖父母は過去を代表した天の国の王と女王の立場にあるので、神様のように侍り、父母は現在の全世界の家庭を代表した王と女王のように侍り、子女は未来の王子、王女のように愛して暮らしたのち、永遠の天国に入るのです。そこにおいてのみ、永遠の人間の欲望と自由、希望、平和、幸福が完成するようになるのです。

世界平和を成就する道 尊敬する各国の代表の皆様。皆様は、生涯の重要な時期を、皆様の国家の発展と世界平和のために渾身の力を尽くして努力された方々です。皆様のそのような献身的な苦労によって、今日人類は過去よりもはるかに進歩した環境と条件で暮らせるようになりましたが、いまだに私たち人類すべてが待ち望む自由と平和の理想世界は実現しておらず、今、この時間にも民族、人種、宗教間の葛藤と対立によって、世界の至る所で多くの人々が飢え、苦痛を受けて死を迎えているのです。

私は、宗教指導者として早くから神様の召命を受け、人類を戦争と罪悪から救い、平和世界を定着させなければならないという一念で生涯を生きてきました。きょう私が皆様に先ほどお話ししたことは、このような私の召命から出てきた、平和に対する平素の所信と哲学である「頭翼思想」の一端です。世界平和は、権力指向の政治的イデオロギーやその他の物理的力の論理では、決して実現できないというのが「神主義」と「頭翼思想」の観点です。

平和は、神様の真の愛と真理を、個人から始まって家庭、家庭から社会、国家、世界におけるすべての人類が共有し、共に実践することによって、人類は兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を形成するときにこそ実現できることを、はっきりと悟らなければなりません。

このような観点から、「世界平和連合」の創設目的は、神様を中心とした個人の心身統一と夫婦を中心とした家庭から本当の平和の教育と実践が行われることによって、社会と国家、世界の平和を具現しようというところにあります。私たち全員が家庭天国を完成し、ひいては世界平和の主役になることを願う次第です。神様の祝福が皆様と共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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家庭は四大心情圏を体恤する基盤 親子関係の真の愛は縦的であり、夫婦関係の真の愛は横的であり、兄弟関係の真の愛は前後の立場で、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦には上弦と下弦、横には左弦と右弦、前後には前弦と後弦の全体を連結した一つの中心点で統一されるのです。その点が球形体の中心点になります。

いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのでしょうか。神様を中心として人間が結婚し、初愛を結ぶ場がすべての完成の結実点であり、中心となるのです。ですから結婚とは、天地人の合徳(和合)であり、縦横、左右、前後の全体を完成するものです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。

ですから、アダムとエバの夫婦は、神様が最も愛する実体対象である第二先祖であり、第二創造主の立場に立つので、神様が第一創造主として感じるものをすべて相続し、子女、兄弟、夫婦、父母の立場で、神様の代わりに喜びを感じるのです。第一創造主の立場を体恤するための子女の繁殖が第二創造主としての喜びなのです。

ここで神様は第一創造主であり、アダムとエバは第二創造主、アダムとエバの子女は第三創造主の立場になります。第一、第二、第三創造主、すなわち神様、アダムとエバ、子女は四位基台を中心とした公式的な範疇となり、すべての人類が従わざるを得ない存在の根本原則となるのです。

このようにアダムとヱパを中心として見るとき、上下(父子関係)が連結されれば、左右(夫婦)、前後(兄弟)が連結され、家庭が完成するのです。この場が、神様を求めて個々人の心身が統一され、男性と女性が統一され、神様を中心として安着できる神様と子女であるアダムとエバが統一された基盤となることによって、平和と自由と幸福と希望が結集される基地になります。アダムとエバをして、有形実体の第二創造主の立場で実体的第三の創造主を刺激的に体恤させたのが、アダムとエバの子女繁殖なのです。

こうして代々、子女、兄弟、夫婦、父母の四大心情圏を体恤させる基盤が家庭です。家庭はすべての真の愛を完成させる基地です。そうして、家庭において神人愛一体を完成し、天地を所有できるようになるのです。すなわち理想的子女、兄弟、夫婦、父母が出発する源泉地となるのです。

ここにおいてのみ、心身統一の男性と女性が現れることができるのであり、また理想的な男女一体を完成した夫婦を見ることができ、理想的な父母が出発できます。また、真の家庭を中心として子女、兄弟、夫婦、父母が完成するモデルが創造されるのです。

このような理想型を、国家と世界を越えて天宙まで拡張、展開するのが、神様の創造理想です。したがって、国家は家庭よりも大きな家庭型であり、世界は国家よりも大きな家庭型であり、天宙も世界よりも大きな家庭型になるというのです。

天宙は四大心情圏を完成した家庭から出発 ですから、家庭、国家、世界、天宙にも、四大心情圏に代わる子女、兄弟、夫婦、父母の型をもつことができるので、家庭より大きな国家には数多くの家庭が入るようになり、家庭は国家のために存在し、世界は数多くの国家が入っているので、国家も世界のために存在し、世界はもっと大きな天宙のために存在し、天宙はもっと大きな中心者である神様のために存在しなければなりません。

ですから、家庭において四大心情圏を完成した基準がより大きく統一されれば、一体理想が実現し、その土台の上に平和と幸福と自由の天宙を迎えることができるのです。したがって、心身統一と、男女を中心とした家庭統一が重要なのです。神様も成長してこられたというのです。無形の心の中にあった子女、兄弟、夫婦、父母を、実体のアダムとエバとして創造し、子女、兄弟、夫婦、父母となり、第二の自己として体恤されることによって、真の愛の理想を完成した神様としての無限の喜びを感じられるのです。

私たち人間も、神様のような喜びを感じるために存在しているので、誰もが、ある人の子女、兄弟、夫婦、父母の立場にいるのです。人間は誰でも四大心情圏を中心として家庭を形成するので、家庭は理想的な心情圏を体恤するための基地なのです。

私たちも、神様のように実体の四大心情圏を体恤する人のみが、地上天国と天上天国のどこでも一つになることができます。そのような理想的な人間になるために、家庭を願うようになるのです。このように、人間は心身統一と夫婦統一を絶対に要望します。個人の心身統一ができなければ、すべての面で不合格者になります。そのようになれば、自然と家庭統一はできず、家庭で脱落、国家で脱落、世界と天宙と神様から脱落するので、神様を中心として必死に努力してこそ、心身統一と家庭統一が可能なのです。

皆様御自身は、神様の代身者、第二の神様の立場にいることを知らなければなりません。そうして人間は、誰もが同じように本然の家庭を求め、愛の巣を復帰しなければなりません。

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平和経 第24話

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紛争のない世界を夢見て

私はずっと以前から、宗教が一つになり、人種が一つになり、国家が一つになる世界を主張してきました。数千年の人類歴史は、この世界を分裂させるような出来事の連続でした。宗教が変わり、権力が変わるたびに国境で分けられ、戦争が起きましたが、今は世界が一つになる時代です。これからの世界は国際平和高速道路を通して完全に一体にならなければなりません。

国際平和高速道路は、韓国と日本を海底トンネルで連結し、ロシアと北米大陸を隔てるベーリング海峡に橋を架け、全地球を一つにする大事業です。そうすれば、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、またイギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで自動車で走っていくことができます。全世界のどこでも、行き止まることなく毛細血管のように連結されるのです。

世界が一日生活圏に変われば、誰でも簡単に国境を越えて行き来することができます。誰もが行き来する国境は、これ以上境界としての意味がありません。宗教も同様です。互いに他の宗教との間で往来を頻繁にすれば、お互いに理解する心が生じ、衝突がなくなり、宗教間の壁が崩れます。また、全世界の多様な人類が一日生活圏に入って暮らすようになれば、人種の壁も崩れます。見た目が異なり、言葉が異なる人種の間にも意思の疎通がなされ、それこそ世界の文化が一つにまとまる文化革命が完成するのです。

シルクロードは、単に絹を売り、香料を買う貿易の道ではありませんでした。東洋と西洋の人種が出会い、仏教とイスラーム、ユダヤ教、キリスト教が出会う場だったのであり、彼らの互いに異なる文化が混合して新しい文化が誕生する場でした。これから21世紀は、国際平和高速道路がそれをやり遂げるでしょう。

ローマが興隆できたのは、世界のあらゆる道がローマに通じていたからです。それほど道が重要なのです。それで、道ができれば歴史が変わるのです。国際平和高速道路が完成すれば、世界は物理的に一つになることができます。道がそのようにしてくれるでしょう。世界を一つに結ぶことの重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。私があまりにも先を行っていると思う人たちもいるでしょう。しかし、宗教者は未来を見通して準備する人なのですから、先を行くのは当然です。そのために世の中に理解されず、苦難を受けたとしても、宗教者であれば当然、未来に備えることの先頭に立たなければなりません。

しかし、国際平和高速道路が完成するためには、多くの国の協力が必要です。日本の侵略を受けた経験のある中国は、日本と高速道路で連結されることをそれほど望みはしないでしょう。しかし、中国を通さずに世界と通じることはできないのですから、中国の心を変える努力をしなければなりません。誰がするのでしょうか。21世紀の国際平和高速道路の牽引車となる私たちが先頭に立ってしなければなりません。

ベーリング海峡に橋を架けることはどうでしょうか。途方もないお金がかかりますが、それも心配することはありません。アメリカがイラク戦争に注いだお金があれば十分に橋を架けることができます。これからは、戦争を起こして人類に苦痛を与えるようなことはあってはなりません。戦争を起こし、数百兆ウォン(数十兆円)のお金を乱費するのは、道理に背く凶悪なことです。今や私たちは、「銃剣を溶かして鋤や鍬を作る時」です。

国際平和高速道路は、世界を一つに結ぶグローバル統合プロジェクトです。一つになるということは、単に互いに離れた大陸を海底トンネルと橋でつなぐということだけなく、世界が平準化されるという話です。技術を独占し、その利益を独占するとき、世界の均衡は崩れます。国際平和高速道路は、世界の地下資源と人的資源の不均衡を調節し、等しく豊かに暮らす富の平準化を成し遂げてくれます。平準化とは、高いものは少し低いところに引き下げ、低いものは少し高く引き上げ、互いの高低を合わせることです。そのためには、より多く持っている人、より多く知っている人の犠牲が必要です。平和世界の建設は、一過性の善意や寄付ではできません。絶えず自己を犠牲にし、自分が持っているものを惜しみなく与える真実の愛こそが平和世界をつくっていくことができるのです。

しかし、国際平和高速道路を建設すること自体は、世界を物理的に疎通させることにすぎません。人は心と体が一つになった被造物です。私たちが生きる世界も、物理的な疎通と共に情緒的な疎通が一緒になされてこそ、完全な統一が達成されます。

第二次世界大戦が終わった直後に創設された国連は、これまで世界平和のために多くのことをしてきました。しかし、創設60周年を超えた今、国連はその本来の目的を失い、力の強い国々の利益のために働く場所となりつつあります。世界中で発生する紛争を解決するために設立された国連は、一部の利益ではなく、世界の利益を優先する組織でなければなりません。強大国が自国の利益を優先して他国を力で抑圧するとき、紛争はまた別の紛争を呼び起こすだけであるにもかかわらず、今の国連としてはどうすることもできません。

このような欠点を補完しようとすれば、今後国連は、上院と下院の両院体制に変えなければなりません。今のように各国の政治・外交分野の代表者たちが世界の問題を論議する下院と、超宗教的な代表者たちが集まって平和問題を論議する上院がなければなりません。超宗教的な代表者は必ず、諸宗教について十分に学んだ開かれた心を持つ宗教指導者でなければなりません。彼らは、政治家のように狭い視角から特定の国家の利益ばかりを考えたりはしません。全人類を懐に抱く愛の心で人類の幸福と世界平和のために努力する超宗教的な指導者たちが、世界各国に派遣された外交大使と力を合わせて、これ以上紛争のない世界、愛で一つになった世界をつくっていかなければなりません。

「宗教者がなぜ世界の問題に首を突っ込むのか」という反対意見もあるでしょう。しかし、今の時代、世界は宗教によって深い自己省察の域に達した宗教者の関与を切に求めています。世の中に蔓延する不義と罪悪に立ち向かい、真の愛を実践する人たちが、まさに宗教者です。世界情勢に対する分析力を備えた政治指導者の知識と統治能力が、霊的な眼識を備えた超宗教指導者の知恵と一つになるとき、世界は初めて真なる平和の道を見いだすことができるのです。きょうも私は、世の中のすべての人が宗教と理念、人種の壁を超え、「平和を愛する世界人」として生まれ変わるように祈っています。

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幸福の源は「為に生きる」人生

子女は両親の血と肉を受けて生まれます。両親がいなければ子女はいません。ところが、この世の中に一人で生まれたかのように個人主義を主張する人がいます。誰からも何の助けも受けない人だけが個人を主張し、個人主義を語ることができます。世の中に自分だけのために誕生したものは何もありません。あらゆる被造物はお互いのために誕生しました。私はあなたのためにいて、あなたは私のためにいるのです。

自分だけのために生きる利己的な人生ほど愚かな人生はありません。利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です。個人は家庭のために、家庭は民族のために、民族は世界のために、世界は神のために生きなければなりません。

私が建てた学校には、どこでも3つの標語が掲げられています。1つ目が「昼12時のように影のない人生を生きなさい(正午定着)」です。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛かることがない人生です。地上での人生を終えて霊界に入っていけば、生涯、自分が生きてきた人生が、録画テープが回るように展開します。天国に行くか地獄に行くかは自分の人生によって決定するのです。ですから、一点の影もないきれいな人生を生きなければなりません。

2つ目は、「汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して生きなさい」です。人間が流す血と汗と涙は偽りではありません。すべて真実です。しかし、自分のために流す血と汗と涙は無意味です。血と汗と涙は人のために流さなければなりません。

最後の3つ目は、「One Family Under God!(神の下の人類一家族)」です。神様は唯一のお方であり、人類は兄弟姉妹です。言語と人種と文化の違いはあっても、すべて同じなのが人間です。

南太平洋には全部で14の島国があります。その中のマーシャル諸島共和国に行って大統領に会ったとき、私が尋ねました。

「本当に美しい地ですが、国を導いていくのに困難が多いのではないですか」

すると大統領は大きく溜め息をつきました。

「人口もわずか6万人だけで、島で最も高い所が海抜2メートルにすぎず、海面が1メートル上昇しても国全体が水浸しになってしまいます。しかし、最も深刻な問題は教育です。裕福に暮らす家の子供たちは皆、アメリカやヨーロッパに行って教育を受け、故郷に戻ってきません。貧しい家の子供たちは、きちんとした教育を受ける学校がないので、いくら優秀でも指導者になる素養を積み上げることができません。結局、私たちのような島国の悩みは、未来を導いていく人材を育てることができないことなのです」

マーシャル諸島共和国の大統領の嘆きを聞いた私は、すぐにハワイのコナに島国の子供たちのための「ハイスクール・オブ・ザ・パシフィック」という学校を建てました。各国から選ばれた子供たちに高等教育を受けさせ、必要であれば大学への進学も支援します。ハワイまで行き来する飛行機代、学費、寄宿舎費を提供することはもちろん、コンピューターも買い揃えて最高の教育をします。島国の学生たちを勉強させるのに条件はたった一つ、学校を終えたら必ず自分の国に帰り、国と民族のために奉仕しなければならないということです。それが唯一の条件です。

「為に生きる」人生を生きるということは、時として個人の犠牲を前提とします。数年前にわが教会の宣教師が南米を巡回する途中で大きな地震が起きたことがあります。宣教師夫人が真っ青になって私を訪ねてきました。「どうすればよいですか、先生。あまりにも心配でどうしたらよいか分かりません」と言って涙ぐんでいるのです。それで私がどうしたかといえば、肩を叩いて慰労するどころか、怒鳴りつけました。

「今あなたは夫のことを心配しているのか? それとも、夫が修羅場で何人の命を救っているだろうかと心配しているのか?」

夫の安否が心配なのは当然です。しかし、宣教師の夫人ならば、それ以上のことを心配できなければなりません。夫を安全に守ってくださいと祈禱するのではなく、夫がより多くの命を救えるようにしてくださいと祈禱しなければなりません。

この世の中に、自分だけのために存在するものは一つもありません。神様は、この世界をそのように創造されていないのです。男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。自然は人間のためにあり、人間は自然のためにいるのです。この世界のあらゆる被造物は相手のために存在し、作用します。ですから、相手のために生きなければならないというのが天の道理です。

幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。私の人生が私のためのものではなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの生き方とは全く違う道を行かなければなりません。

幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、「為に生きる」人生を生きる時にこそ発見できるのです。

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すべてのものは天からの借り物

私に対して世の中では、世界的な金持ちだとか億万長者だとか言いますが、それはよく知らずに言う話です。私は生涯、一生懸命に働いてきましたが、自分のために建てた家は一軒もない人です。私の妻や子供たちのためにためた財産もありません。成人なら誰でも持っている一本の印鑑さえありません。

人が眠るときに眠らず、人が食べるときに食べず、人が休むときに休まずに働いた、その代価は何かと尋ねたいでしょう。しかし、私は金持ちになることを願って働いたのではありません。お金は私にとって何の意味もありません。人類のために、貧困で死んでいく隣人のために使われないお金は、一枚の紙切れにすぎません。一生懸命に働いて稼いだお金は、世界を愛し、世界のために働くところに使われてこそ、相応しいのです。

私は、宣教師を外国に送り出しながらも、多くのものは与えませんでした。それでも、私たちの宣教師は、世界のどこに行っても上手に生きていきます。生きていくには、ごく基本的な生活用品だけが必要です。寝袋一つだけあれば、十分に生きていくことができます。大切なことは、何を持っているかではなく、どのように生きるかです。物質の豊かさだけが幸福な人生の条件ではありません。悲しいことに、現代の韓国語では、「チャル・サンダ」(良く生きる)という言葉が、どういうわけか物質的な豊かさばかりを意味する言葉に変質してしまいました。本来、幸福な人生とは良く生きることであり、それは意味のある人生を生きるということです。

私は、礼拝や特別な行事がある日でなければ、ネクタイをしません。格式を備えた正装もあまり着ません。家にいるときは、普通のセーター姿です。たまにこのようなことを考えます。西洋社会でネクタイにかかるお金がどのくらいになるだろうか。ネクタイに付けるピンやワイシャツ、カフスボタンはどれほど高いだろうか。世の中の人たちが、皆ネクタイをしないでそのお金を飢えている隣人のために使えば、世の中はもう少し暮らしやすい所になるでしょう。高いことだけが問題ではありません。いま外で火事が起きたとします。セーター姿の私とネクタイを結んだ人では、どちらが先に飛び出していくことができるでしょうか。私はいつでも飛び出していく準備ができている人です。

私は、毎日入浴することも賛成しません。入浴は3日に1度で十分です。靴下も毎日洗って履くことはしません。夜になると、靴下を脱いでズボンの後ろポケットに入れておきます。翌日に履くためです。ホテルに行けば、浴室に掛けられているタオルの中で、一番小さいものを1枚だけ使って出てきます。小便は3回した後にトイレの水を流し、トイレの紙は1枚を3つにたたんで使います。このような私を見て、原始人とか野蛮人と言ってもかまいません。ご飯を食べるのもそうです。私は、おかずを3種類以上置いて食べません。私の前にご馳走が並べられ、あらゆるデザートが置かれていても、手が出ません。ご飯も山盛りにして食べません。器の5分の3くらいがちょうどよいのです。

私が韓国で最も好んで履く靴は、大型ディスカウントショップで49000ウォン(約4000円)で買ったものです。毎日穿くズボンは、買ってから5年を優に超えたものです。アメリカで私が最も好んで食べる食事はマクドナルドです。金持ちはジャンクフードと言ってあまり食べません。私は2つの理由からマクドナルドを好みます。値段が安くて、時間が節約できるからです。子供たちを連れて外食するときも、マクドナルドに行きます。私がマクドナルドによく行くとどうして分かったのか、マクドナルドの会長が毎年年賀状を送ってくるのです。

「お金を大切に使い、何でも節約しなさい」

いつも食口たちに強調することです。アイスクリームや飲料水のようなのも、買って食べずに水を飲みなさいと言います。そうやって節約して自分だけがお金持ちになりなさいという意味ではありません。国を助けるために、人類を助けるために大切にするのです。どのみち、この世を旅立つときは何も持っていくことができません。私たちは皆、その事実をよく知っています。それなのに、何をそのように握り締めようとするのか理解できません。私は、生涯に手にしたものをすべて差し出し、身軽にこの世を旅立つでしょう。天の国に行けば金銀財宝があふれるほど散らばっているのに、地上から何を持っていくのでしょう。私たちが暮らしている世界より、もっと良い世界に行くと考えれば、地上のものに執着する理由がありません。

私が生涯、好んで歌う歌があります。誰もが皆知っている流行歌ですが、その歌を歌うたびに、故郷の家の野原に寝転んでいるように心が平安になって、涙がしきりに出てきます。

白金の宝石で飾られた王冠をもらっても

土臭く、汗まみれの麻布の上着に勝るものはない

純情の泉が湧き出る私の若い胸の中では

好きなように、柳の枝を折って笛を吹き

私の歌の調べに合わせて雀も鳴く

世の中を買えるほどの黄金をもらっても

麦畑を耕してくれるまだら牛に勝るものはない

希望の芽が吹く私の若い胸の中では

好きなように兎たちと話をし、

私の歌の調べに合わせて歳月も過ぎていく

(孫露源作詞、白映湖作曲「心の自由大地」)

幸福は常に私たちを待っています。それでも私たちが幸福を探し出すことができない理由は、欲望が行く道を阻むからです。欲に眩んだ目は前を見ることができません。たったいま地面に落ちた黄金のかけらを拾おうとして、その先にある大きな黄金の山を見ることができず、ポケットに入れることにあくせくして、ポケットが破れたことも分かりません。私は今も興南監獄で生活していた時のことを忘れません。いくら卑賤な所でも、興南監獄よりは楽で恵まれています。すべてのものは公的なものであり、天のものです。私たちは、ただ管理しているにすぎません。

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グローバルリーダーは世界を懐に抱く人

志を立てることは、木を植えることと同じです。家の庭にナツメの木を植えれば、家の庭にナツメが実り、裏山にリンゴの木を植えれば、裏山にリンゴが実ります。どのような志をどのような所に植えるのかを考えてみてください。皆さんがどのような志を立ててどこに植えるのかによって、ソウルのナツメの木にも、アメリカのリンゴの木にもなれるのです。もちろん、南太平洋のヤシの木にもなることができます。皆さんが植えた果物の木のように、未来に皆さんの志が実を結ぶのです。どうか、その実がどこに実ればよいかを考えながら志を立ててください。

志を立てるときは、心を広く持ち、必ず全世界を見渡してみてください。貧困と疾病がなくならない苦痛のアフリカを見て、宗教問題で銃口を向けて生きているイスラエルとパレスチナを見て、麻薬の原料であるケシを栽培して辛うじて生きているアフガニスタンも見てください。極度の貪欲さと利己心によって世界経済を窮地に追いやったアメリカも見て、地震と津波が絶えないインドネシアも見てください。そして、その国々の間に、自分自身を立たせてみてください。自分がどの国、どの事情に適合するのかを考えてみてください。もしかすると、新しい宗教紛争が起きるインドが適合するかもしれません。もしかすると、旱魃と飢餓で苦しむルワンダかもしれません。

志を立てるにおいて、自国の狭い国土を恨むような愚かなことをしないでください。皆さんが行うことによって、自分の国はいくらでも広げることができ、ひょっとすると、国境が完全になくなるかもしれません。私たちがアフリカで活躍すれば、アフリカは自分たちの国になります。ですから、世界を舞台にしてやれることを探してみてください。おそらく、今まで皆さんが夢見てきたよりも、はるかに多くのことを発見できるでしょう。一度だけの人生を世界が必要とすることに投じてください。冒険をしなければ宝島に行くことはできません。自分の国を超えて世界を舞台に志を立てることを願っています。

1980年代に私は、韓国の大学生を日本とアメリカに送りました。毎日のように催涙弾が飛び交う祖国を離れ、より広い世界、多様な世界を見せるためでした。井の中の蛙は、井戸の外にもっと広い世界があることを知りません。

私は、「グローバル」という言葉も知らない時に、グローバルを夢見た人です。日本留学に出発したのも、より広い世界を見るためでした。かつて、日本留学から戻った後、中国の海拉爾に行ってモンゴル語と中国語、ロシア語を学ぼうと計画したのも、世界的に生きるためでした。私は、今も飛行機に乗って世界中を飛び回っています。1日に1カ国ずつ忙しく回っても、世界を回ろうとすれば、半年以上かかります。

世界のどこにでも人が暮らしていますが、状況は千差万別です。ご飯を炊く水がない所もあり、水が多すぎる所もあります。電気が通っていない所もあり、つくった電気をいまだに使うことができない国もあります。何でもそうですが、一方にはあふれ、一方では足らない、そのようなことが世界にはたくさんあるのです。問題は、余っていたり、足らなかったりするものを、公平に分配する役割をする人が少ないということです。

資源も同様です。ある国には石炭や鉄鉱石が山のように積まれています。石炭を掘るために中に入っていく必要もありません。ただ山のように積み上がっている石炭の固まりから、スコップで掘り出せばよいのです。しかし、韓国には石炭も鉄鉱石もありません。無煙炭を掘り出そうとすれば、命がけで数十メートルも坑道を掘って土の中に入っていかなければなりません。

技術もそうです。アフリカにはバナナが自然によく育つ所がたくさんあるので、バナナさえ食べていれば飢えることはありません。ところが、バナナ農場を造って大量にバナナを育てる技術がないために飢えているのです。韓国はバナナに適した気候ではないのに、立派にバナナを栽培しています。私たちのこのような技術は、アフリカの貧困を解決するのに大きな力になるのです。韓国のトウモロコシ栽培技術が、北朝鮮の飢餓の解決に役立ったことも同じ話です。

最近流行している言葉の中に「グローバルリーダー」という言葉があります。「英語を流暢に話してグローバルリーダーになりたい」と言いますが、実際にグローバルリーダーになる道は、英語の実力にかかっているのではありません。英語は意思疎通の道具にすぎず、本当のグローバルリーダーは世界を自分の懐に抱く人でなければなりません。世界の問題に全く関心がないのに、英語で意思疎通ができるからといってグローバルリーダーになることはできないのです。

グローバルリーダーは、地球上のあらゆる問題を自分の問題と考え、それを解決しようとする開拓者の精神を持たなければなりません。安定的で固定的な所得に執着したり、退職後の年金と平安な家庭生活を夢見たりする人は、グローバルリーダーになることができません。未来に何が待っているかよく分からなくても、世界が自分の国であり、全世界の人類がすべて自分の兄弟だという意識があってこそ、グローバルリーダーになることができるのです。

兄弟とは何でしょうか。神様はなぜ、私たちに兄弟を下さったのでしょうか。兄弟は全世界の人類を象徴します。私たちは家庭の中で兄弟を愛する経験を通して、人類を愛する人類愛、同胞愛を学びます。兄と姉を愛する心がそのように広がるのです。お互いに愛を分かち合う家庭の姿は、人類が互いに融和する姿と同じです。たとえ自分が空腹でも、兄弟のためにご飯を残すことのできる愛が兄弟愛です。グローバルリーダーは、まさに人類を相手に兄弟愛を施す人です。

今は「地球村」という言葉さえ昔の言葉になりました。地球はすでに一つの生活圏です。人生の目標が、大学を出て月給をたくさんくれる会社に就職し、安定して生きていくことだとすれば、子犬ぐらいの成功を収めるようになります。しかし、アフリカの難民救護に命をかけて取り組めば、虎のような成功を収めるでしょう。どちらを選択するかは各自の心にかかっています。

私は今も世界を飛び回っています。一日も休む時間はありません。世界はまるで生きている生物のように絶えず変化し、問題を引き起こします。私は、そのような問題のある、暗くて奥まった所を訪ねて回ります。私が訪ねていく所は、景色がよくて楽な所ではありませんが、私は暗くて、大変で、孤独な所で幸福を感じます。

私は、皆さんの国から本当の意味のグローバルリーダーが出てくることを願います。国連を導いていく政治リーダーが出てくることを願い、紛争地域の争いを防いでくれる外交リーダーが出てくることを願います。道端を徘徊して死んでいく貧しい人たちの世話をするマザー・テレサのような救いのリーダーが出てくることを願います。また、私のように、人々が顧みることのない土地と海を開拓し、新しい世界を広げていく平和のリーダーが出てくることを願います。夢を持って志を立てることがそのスタートです。冒険心と開拓精神を持って、人が夢見ることのできないような夢を持ち、意味のある志を立てて、人類のためのグローバルリーダーとなることを切に願うものです。

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青少年よ、志を立てれば人生が変わる!

私たちが見慣れない人に会えば、「あなたは誰ですか」と尋ねるように、神様も私たちに尋ねられます。そして、神様は、「私は青年です」という答えを一番喜ばれます。なぜなら、人生で最も大切で、最も楽しい時が青年時代だからです。青年時代は未来のための安息の土台にならなければならず、新しい時代を開く礎石にならなければなりません。

ところが、最近の青年からは、情熱を見いだすことがだんだんと難しくなっています。人生の目的を見つけ出すことができないまま、無駄にあちこちきょろきょろと見回すかわいそうな青年が増えています。歴史上、偉大な指導者は、皆幼い頃から人生の目的が明確でした。彼らは、幼い頃に胸に抱いた目的を生涯大切に持ち続け、それを成し遂げようと熾烈な人生を生きました。寝て、起きて、活動するすべての人生の営みが、未来の舞台を準備するためのものだったのです。今、果たしてどれだけの人がそのような人生を生きているでしょうか。

私たちは全員、偉大な人間として創造されました。何の意味もなく皆さんがこの世界に出てきたのではありません。神様は、自分のすべての愛を注いで私たちをつくりあげられたのです。ですから、私たちはどれほど偉大な存在でしょうか。神様がいらっしゃるので、私たちは何でもすることができるのです。

神様を愛することにより、私の人生は完全に変わりました。自分よりも人類をもっと愛し、私と私の家族の問題より人類の苦痛を先に考える人になったのです。また、神様がつくられたすべてのものを愛そうと努力しました。山にある木も愛し、水にいる魚も愛する心で見ました。世の中のすべてのものから神様のみ手を感じようと、感触を鋭敏にしました。

そのように、心を神様の愛に合わせて変える一方、使命を果たそうと、私が備えるべき強健な体をつくるために努力しました。いつ、いかなる時に神様が私を呼ばれても、即座に走っていける準備をしたのです。サッカー、ボクシング、韓国の伝統武芸と、私が指導して作った円和道で体力を養いました。円和道は、まるで舞踊をするように体を柔らかく動かす円形運動で、直線よりも回転のときにより大きなパワーを出せるという原理を活用したものです。

今も私は、筋肉と骨の節々を伸ばすストレッチを行い、私が直接開発した呼吸法で一日をスタートします。世界を巡回して講演するために、それさえする時間がなければ、トイレにいる時間を利用してでも必ず運動をします。若い時は一日に30分やれば十分だったのですが、年を取ってからは一日1時間に運動量を増やしました。

2008年、私が乗っていたヘリコプターが不時着するという事故を経験しました。ヘリコプターが黒い雲に包まれたかと思うと、あっという間に山の斜面に強く打ち付けられてしまいました。ヘリコプターがひっくり返り、体が安全ベルトに縛られたまま逆さまにぶら下がりました。私は反射的に両側の肘掛けをしっかり握りました。もし私が、日頃運動を怠っていたら、逆さまにぶら下がった瞬間、腰が折れてしまっていたでしょう。体は健全な精神が宿る器です。体を鍛練することは怠ってはいけません。

勉強が好きで学校に行く学生は多くないでしょう。親が行きなさいと言うから行くのであって、勉強がしたくて学校に行くのではありません。最初は皆そうです。しかし、訳も分からずに学校に通っていると、勉強の味が分かるようになります。その時からは、勉強も自分からするようになり、自分の行く道も自分で求めていきます。分別がつくようになるということです。

ところが親は、子供が分別がつくようになるのを待ちきれず、「勉強しなさい。少しは落ち着いて勉強しなさい」と激しくせきたてます。勉強して未来に備えなければならないことを、親はよく知っているからです。このままでは勉強する時期を逃し、何の備えもないままに未来に直面してしまうのではないかと心配するのです。

しかし、勉強して未来に備えることよりももっと大切なことは、志を立てることです。無条件に勉強に追い立てられる前に、将来自分が何をしたいのかを決め、自分がどれくらい役に立つ人間にならなければならないかを自ら悟らなければなりません。最近の青少年は大部分、志を立てないまま勉強にばかり没頭しています。

ある日、英語の勉強を熱心にしている学生がいたので、私は尋ねました。

「何のためにそんなに熱心に英語の勉強をしているのか」

と言うと、その子が答えました。

「大学に行くためです」

このように愚かなことがどこにありますか。大学は目的ではありません。大学は、何々の目的でどんな勉強をしなければならないというときに行く所であって、それ自体が目的にはなり得ません。

また、お金をどのくらい稼ぐかを人生の目標に掲げないでください。私は今まで、月給を一銭ももらったことがありません。それでも、私はこのようにご飯を食べて生きています。お金は何かをするための手段なのであって、目標ではありません。お金を稼げば使い道がなければなりません。目標もなくお金ばかりを手にすれば、そのお金は必ず無駄に消えていってしまいます。

職業は、全面的に自分の素質と趣味に沿って決定しなければなりません。消防士になろうと、農民になろうと、サッカー選手になろうと、政治家になろうと、それは皆さんの心次第です。私がお願いしたいのは、職業を超えた話です。サッカー選手になってどのような人生を生きるのか、農民になってどのような人生を生きるのかを尋ねているのです。

志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです。農民になろうと思うなら、新しい農法を実験しながらより良い品種を作り、人類の飢餓問題を解決するという志を立てなければなりません。サッカー選手になるにしても、自国の名を世界万邦に轟かせ、サッカーをやりたくてもできない子供たちのためにサッカー教室を開き、彼らの夢を育てたいという意味のある志を立てなければなりません。

世界的なサッカー選手になろうとすれば、血のにじむような訓練を経なければなりません。しかし、もし皆さんの心に抱いた志が明確でなければ、世界の頂点に立つまでのつらい訓練に耐えることができません。志があってこそ、自分を守っていく力が湧き、特別な人生を生きていくことができるのです。

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パンよりもパンの作り方を教えよ

人類の飢餓問題を解決しようとすれば、種を蒔く心がなければなりません。種は土の中に蒔きます。目に見えない土の中で発芽して芽を出すまで、忍耐して待たなければなりません。飢餓問題も同じです。食べる物がなくて死んでいく人に一握りのパンをあげるよりも、当面は苦労して日の目を見なくても、小麦を植えて収穫しパンを作る技術を教えなければならないのです。そうしてこそ、より根本的で持続的に飢餓を解決することができます。私たちは今からでも、飢餓で苦しむ地域の風土と土、人々の気質を共に研究しなければなりません。

アフリカにはキャッサバという木があります(ブラジルではマンジョカと呼ばれる)。コンゴの人たちは、牛を売る前に栄養が豊富なキャッサバの木の葉を食べさせて牛の肉を太らせます。人々もキャッサバの葉を臼でつき、油を入れてこねたあと、焼いて食べます。ですから、キャッサバの木をたくさん植えて、毒抜きをした後、木全体を粉にして、パンや餅を作るときに入れるのがよいと思います。また、サツマイモに似た形の「キクイモ」は、土に植えれば非常に早く育ち、ほかの救荒作物よりも収穫量が3倍も多いのです。キクイモをたくさん植えるのも、飢餓問題を解決するのに役立つでしょう。

ジャルジンでは、大きなミミズを利用して農作業をするので、土地がよく肥えています。そのミミズは、サンパウロ州のカンピーナスにだけ生息しているのですが、生体習性を研究して他の所でも育てれば、農業に役立ちます。マットグロッソ地域には、韓国人が進出して蚕を研究しています。蚕を育てれば、高価な絹も得ることができ、栄養剤を作って売り、食べ物を買うこともできます。

人類の飢餓問題を一度に解決できる画期的な方法はありません。国ごとに人々の食生活と習慣が異なり、また育つ動物が異なるからです。大切なことは隣人に対する関心です。自分がおなかいっぱいご飯を食べるとき、誰かおなかを空かせている人がいないか見渡すことのできる心を持つことが肝要です。人類が飢餓問題を解決しなければ、この世界に本当の平和はありえません。すぐ横にいる人が空腹で死んでいくのに、それをそのままにして平和を語るのはあり得ないことです。

食糧を直接援助することと同じくらい大切なことは、食糧を自給できる技術を普及することです。技術力を普及するためには、後れた地域に学校を建てて、文字の読み書きができない人をなくすと同時に、技術学校を建ててそこで食べて生きていけるだけの実力を育てなければなりません。アフリカと南米大陸を征服した西洋人は、彼らに技術を教えませんでした。彼らの土地で資源を掘っていき、彼らを労働者としてのみ扱いました。彼らの農業のやり方も、工業のやり方も教えませんでした。それは正しくないことです。私たちは以前からコンゴ(旧ザイール)、ガイアナ、パラグアイ、ブラジルなどに学校を建てて、農業と工業技術を教えています。

空腹な人たちのもう一つの問題点は、体が病気になっても、貧しさのために治療を受けられないことです。地球の反対側にある先進国では、人々が薬漬けで病気になりますが、空腹な彼らは、私たちにとってごくありふれた下痢薬や風邪薬がないために死んでいくのです。それで、飢餓撲滅運動をしながら、一方では医療支援も同時にしなければなりません。無料診療所を開設して、慢性疾患で苦しむ彼らの面倒を見てあげなければなりません。

私は、人類が共に平和に暮らしていくモデルとして、ブラジルのジャルジン地域に「ニューホープ農場」を造りました。広々とした土地を耕して農地にし、高原地帯には牛を育てる牧場を造りました。ニューホープ農場はブラジルにありますが、ブラジル人だけのものではありません。空腹な人たちは、誰でもニューホープ農場に来て働き、食べることができます。全世界のあらゆる人種からなる2000人以上人たちが来て、いつでも食べて休むことができる所です。小学校から大学までの教育機関も一緒に設立し、農業も教え、牛を育てる方法も教えます。木を植えて育てるやり方、魚を釣って加工し販売することまで教えます。農業だけするのではなく、川の周辺のたくさんの湖を利用して養殖場も造り、釣り場も造りました。

パラグアイの国土の60パーセントを占めるチャコ地方は、長い間捨てられた地でした。海の底が隆起して陸地になったチャコ地方は、今でも土に多くの塩分が含まれています。私は70歳を過ぎてからパラグアイに入っていきました。長い間捨てられた地で生きた彼らの生活は、言葉では表現できないほど疲弊していました。彼らを見つめる私の心がどれほど痛んだか、とても言い表すことができませんでした。私は心から彼らを助けたいと思ったのですが、彼らは、顔の色が違い、言葉が違う私を受け入れようとはしませんでした。しかし、私はその程度で放棄しませんでした。

3カ月間、パラグアイ川に沿って歩き回り、そこの人たちと一緒に食べ、一緒に眠りました。皆が不可能だと言っていたことに、70歳を超えた私が飛び込んだのです。彼らは誰も釣りをすることができませんでした。私が魚を釣り上げるのを見た彼らは、不思議に思ってそばに集まってきました。私は彼らに釣りの方法を教えてあげ、彼らは自分たちの言葉を教えてくれました。そのようにして、3カ月間一緒に船に乗りながら、私たちは互いに親しくなりました。

彼らが心を開くと、私は世界が一つにならなければならない理由を繰り返し語りました。最初、彼らは反応があまりありませんでした。しかし、チャコ地方の人たちは、年とともに少しずつ変わっていきました。そのようにして10年が過ぎると、熱い心で「グローバル・ピース・フェスティバル」を開くくらいに変わったのです。

パラグアイ川は海のように深くて広い川です。私はパラグアイ川に船を出して魚を釣りました。やることがなく飢えていたチャコ地方の人たちは、魚を釣って、生計を維持できるようになるでしょう。魚をたくさん釣ると、そのまま腐って捨てるほどになっていたので、川辺に冷凍倉庫を建てました。フィッシュ・パウダーを作る工場も造れます。船に乗るのが怖い人たちは、冷凍工場で魚を貯蔵し、販売する仕事をしています。彼らは、これ以上飢えによって絶望したり、つらい思いをしたりすることがなくなるでしょう。

しかし、食べる問題だけが解決したからといって、すぐに平和が訪れてくるのではありません。飢えが解決した後には、平和と愛に関する教育が必要です。私はジャルジンやチャコのような地域に学校を建てています。最初、住民は子供たちを学校に送らずに牛の世話をさせていました。「牛と友達になって遊ぶのもよいが、学校教育を受けなければ発展できない」と粘り強く説得した結果、今では学生がたくさん増えました。牧場がうまくできるようになれば、簡単な技術を利用して物を作る軽工業の工場を造ってあげられるし、学生たちは工場で働こうと、一生懸命に学校に通うようになるでしょう。

全世界の飢えて死んでいく人たちは私たち全員の責任です。ですから、私たちが出ていって彼らを救わなければなりません。明確な責任感を持って、彼らを食べさせ、助けなければなりません。裕福な人は少し低い所に下りていき、貧しい人は少し上げてあげ、すべての人が等しく豊かに暮らす世界をつくらなければならないのです。

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貧困と飢餓を賢く解決する方法

空腹でなければ神様は分かりません。空腹の時間が神様の最も近くに行くことができる機会です。空腹の時、私の前を通り過ぎる人がいれば、もしかしたらあの人が私の母ではないか、私の姉ではないかという思いがするものです。誰でも私を助けてくれる人を待つのです。そのようなとき、善なる同情の心を持たなければなりません。

空腹はアフリカのような開発途上の国々だけの問題ではありません。アメリカに行った時、私が最初にしたことは、貧しい人たちに食糧を分配するトラックを用意することでした。世界で最も暮らしが豊かな国であるアメリカにも飢えて死んでいく人がいるほどですから、貧困な国の事情は形容しがたいほど残酷です。

全世界を巡回して感じる最も差し迫った危険は食糧問題です。食糧問題こそ一時も先延ばしできない問題です。今も私たちが生きている世界では、一日だけで4万人が飢えて死んでいっているのです。自分のことではない、自分の子供のことではないと知らないふりをしていてはいけません。

単純に食べ物を分け与えるだけでは飢えを解決することはできません。より根本的な視角から接近しなければなりません。私は二つの根本的で具体的な方案を考えています。一つは、安い費用で食べ物を十分に供給することであり、もう一つは、貧困に打ち勝つ技術力を供与することです。

食糧問題は、今後人類に非常に深刻な危機をもたらすでしょう。なぜならば、限りある陸地で生産されるものだけでは地球上の人類をすべて食べさせることはできないからです。ですから、海にその解決策を見いださなければなりません。海の未来の食糧問題を解決できる鍵です。私が数十年前から絶えず海を開拓してきた理由もここにあります。食糧問題を解決しなければ、理想的な平和世界を建設することはできません。

アラスカでは、15インチ以上のスケソウダラをすべて肥料にしてしまいます。素晴らしい食物ですが、それを食べることを知らないので、そのまま肥料にしてしまうのです。わずか20年から30年前には、西洋の人たちは、私たちが牛の尾をくれと言えばただでくれました。韓民族は牛や豚などの動物の骨や内臓を好んで食べますが、そういう食べ方を彼らは知らなかったのです。魚もそうです。世界で捕獲する魚の20パーセント以上がそのまま捨てられています。私はそのようなことを見るたびに、アフリカで飢え死にする人たちが思い浮かび、胸が痛みます。魚は牛肉と比較にならないほど高たんぱく質です。そのようなものをかまぼこやソーセージにしてアフリカに持っていけば、どれほどよいでしょうか。

思いがそこまで至ると、私は本格的に魚を貯蔵して加工する仕事を始めました。魚をいくらたくさん捕まえても、後処理を上手にできなければすべて無駄になります。いくら良い魚でも、新鮮な状態で8ヵ月以上はもちません。冷凍倉庫にきちんと凍らせておいても、氷の間に空気が入って肉から水気が抜けていきます。それで魚に水をかけて再び凍らせますが、すでに元の味を出すのは難しいので、事実上捨てた物と同じです。私たちは、このように捨てられる魚を集めて粉にすることに成功しました。ドイツやフランスのような先進国でもできなかったことを私たちはやり遂げたのです。

私たちはそれを坂の粉、「フィッシュ・パウダー(fish powder)」と呼びます。魚を粉にすれば、蒸し暑いアフリカでも簡単に保管し、運搬することができます。フィッシュ・パウダーは、98パーセントがたんぱく質の塊である高たんぱくの中の高たんぱくで、飢えて死ぬ人類を生かすことができます。フィッシュ・パウダーでパンを作ることができます。生きてぴんぴんしている魚が10分もしないうちに粉になって出てきます。このように新鮮なフィッシュ・パウダーは、ルワンダとクロアチア、アルバニア、アフガニスタン、スーダン、ソマリアなどに供給され、飢餓に直面する人々の空腹を満たしているのです。フィッシュ・パウダーを求める人たちが増えてきたので、これからもっと多くの場所に魚の加工工場を建てるつもりです。

海の中には無尽蔵の食糧がありますが、人類を食糧問題から救う最も優れた鍵は「養殖」です。都市の高層ビルのように、これからは魚を養殖するビルができるでしょう。パイプを利用すれば、高いビルや山の上でも養殖をすることができます。養殖で全世界の人をすべて食べさせて余りある食糧を生産できるのです。

海は神様が下さった福の塊です。私は海に出ていけば、顔が真っ黒に焼けるほど魚釣りに熱中し、チョウザメも釣り、マカジキも釣りました。私が直接魚を釣る理由は、魚の釣り方を知らない人たちにその方法を教えるためです。魚を釣ることができなかった南米の人たちを連れて、川に沿って船に乗り、数ヵ月回りながら釣り方を教えてあげました。私が直接絡まった網を巻き上げ、3、4時間かけて、ほどく方法を見せながら教えました。

安い費用で食べ物を十分に供給するためには、人類の最後の宝庫である海と、いまだに原始林のまま放置されている大森林を開発しなければなりません。ところが、それが言うほど簡単ではありません。体を動かすのが難しいほど蒸し暑く、じめじめした所に直接入っていき、身を投じて献身する苦労があって、初めて可能なのです。熱帯地方の大森林を開発するのは、人類を愛する情熱と献身なくしてやり遂げることができません。

ブラジルのマットグロッソ・ド・スール州のジャルジンは、生活するにはとても不便な所です。天候は暑く、名前も知らない虫たちが容赦なく食いついてきます。私はそのような所で、鳥や蛇を友達にして暮らしました。靴を履くこともできませんでした。裸足でジャルジンの赤い土を踏んで歩く私の姿は農民そのものです。また、川で釣り上げる私が漁師そのものです。「お、あの人は本当に農民だ! 本当に漁師だ!」という声を聞いてこそ、原始林を開発することができます。きれいで安楽な寝床で8時間ずつ眠り、3食を食べ、涼しい木陰で横になって休みながらできることではありません。

パラグアイを開発した時のことです。フエルテ・オリンポに小さな家を探して、食口たち何人かで一緒に暮らしました。トイレが1つだけなので、朝はみんな順番を決めなければなりません。そこでも私は、早朝の3時になれば必ず起きて、運動して釣りに出ました。そのため、一緒に過ごしていた食口が随分と苦労しました。早朝、ろくに目が開かないまま釣りの餌を作ることは日常茶飯事でした。その上、船に乗ろうとすれば、人の牧場をいくつか通らなければなりませんでした。真っ暗な所で牧場の閉まった門を開けようとするので、すぐに開けることができず、それを見て私が雷のような大声を出しました。

「何をもたもたしているのだ!」

自分で聞いてもびっくりするほど恐ろしい声を上げるのですから、食口たちは本当に大変だったでしょう。しかし、私は一分一秒を惜しむ人です。いい加減に過ごす時間は少しもありません。世界平和が成し遂げられる時まで、やらなければならないことが、レジからレシートが出てくるように目にありありと浮かぶので、とても気が急いていたのです。暗闇がまだ残っている早朝の川で釣りをしようとすれば、蚊が押し寄せてきます。蚊の針がどれほど強いのか、ジーンズの上からでも刺して容赦なく食いつきます。夜が明ける前なので、釣りの浮きが見えないときは、目印になるように釣り竿に白いビニール袋を結んで投げなければならないほどでしたが、私が気が急いていて、日が昇るまで待てませんでした。

ジャルジンは今も懐かしい所です。目を閉じれば、ジャルジンのかっかとする熱気が私の顔にくっついているように思い、ジャルジンのすべてのものが懐かしいのです。体が少し大変なのは何でもありません。体の経験する苦痛はすぐに消えます。重要なのは心の幸福です。ジャルジンは私を幸福にしてくれました。

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一輪のタンポポが黄金よりも貴い

現代社会の三大難問は、公害と環境保全、そして食糧です。三つのうちどれか一つでもないがしろにすれば、人類は滅亡してしまいます。地球は、すでに破滅的な状態に陥りつつあります。物質に対する際限のない貪欲が、自然を壊す深刻な公害を引き起こし、水と空気を汚染させ、人類を保護してくれるオゾン層まで破壊しました。このままいけば、人類は自分がつくった物質文明の罠にかかって自滅してしまうでしょう。

私はブラジルのパンタナール地域を持続・保全するための活動を20年近くやってきました。パンタナールは、ブラジルとボリビア、パラグアイにまたがる世界最大の湿地帯としてユネスコの世界自然遺産にも登録されました。私は、パンタナールの生物を神様がつくられた原型どおりに保全し、保護することを、世界的な環境運動として育んでいます。

海と陸地、動物と植物が一つに重なり合って生息しているパンタナールは、本当に絶妙な所です。「美しい」「素晴らしい」という単純な言葉では決してその価値を表現することができません。空からパンタナールを見下ろして撮った写真集は、その美しさのために世界で最も多く販売された写真集の一つです。パンタナールは、ノドジロオマキザルとホエザル、コンゴウインコ、ジャガー、アナコンダ、カイマンのような珍しい動物が生息する人類の宝の庫です。

パンタナールを中心にアマゾン川流域の生物は、創造当時の原型をそっくりそのまま保って暮らしています。パンタナールは万物創造の原点です。人間は、神様がつくられたものをたくさん破壊しました。人間の貪欲さによって種が絶滅した動物や植物があまりにもたくさんあるのです。しかし、パンタナールには、今も神様がつくられた創造物の原型がそのまま残っています。私はパンタナールに鳥の博物館や昆虫の博物館を建て、絶滅した種と創造の原型を復元する仕事をしています。

パンタナールは、たくさんの動植物の生息地であるだけでなく、地球に酸素を供給する役割もしています。パンタナールは世界で最も多い量の酸素を作り出す「地球の肺」であり、「自然のスポンジ」、そして「温室ガス貯蔵庫」です。しかし、このようなパンタナールがブラジルの急激な産業化によって、年を追うごとに壊されていっています。地球の主要な酸素供給源であるアマゾン地帯が破壊されれば、人類の未来は暗黒にほかなりません。

また、日本の本州ほどの面積のパンタナールの湖には、数百種類の魚が生息しています。その中には、重さが20キログラムを超える黄金に輝く「ドラド」という魚もいます。釣り竿にドラドがかかれば、自分の体が川に引きずり込まれそうになります。全力で釣り竿を持ち上げると、黄金色の鱗を光らせながら空中に飛び上がってきます。そうやって何度か引き上げても、余力を残していて、体をばたつかせています。魚ではなく、熊や虎のように力が強いのです。

パンタナールの湖はいつもきれいです。水の中に何かを放り投げても、あっという間にきれいになります。いくら汚れたものでも、いつの間にかきれいにしてしまうのは、色々な魚が生息しているからです。魚はそれぞれ食べる物が違います。そのような魚がごった返して暮らしながら、水を汚すものまですべて食べて片付けてしまうのです。餌を食べること自体が、水をきれいにする清掃作業でもあるのです。それがまさに私たち人間とは違う点です。魚が生きている目的は自分のために生きているのではありません。周辺をきれいにしながら、より暮らしやすい環境をつくってお互いのために生きています。

パンタナールの湖のホテイアオイの表面を見ると、虫が真っ黒にへばり付いています。虫だけがいればホテイアオイは生きていけませんが、それを食べる魚がいるので、虫も生き、ホテイアオイも生き、魚も生きるのです。それがまさに自然です。すべて自分のために生きるのではなく、お互いのために生きています。自然がこのように偉大だということを教えてくれています。

いくらパンタナールに魚がたくさんいても、ひっきりなしに捕まえていれば魚は減ってしまいます。魚を保護しようとすれば養殖をしなければなりません。パンタナールの魚が貴重であればあるほど、よりたくさんの養殖場を造って魚を育てなければなりません。魚だけでなく、昆虫も育て、鳥も育て、動物も育てなければならないのです。昆虫を育てることは、世の中にもっと多くの鳥が生きていけるようにすることです。パンタナールは、こうしたすべてのものを育てることのできる場所なので、貴重性が増すのです。

パンタナールには魚ばかりがたくさんいるのではありません。川辺にはパイナップルとバナナの木、マンゴーの木が立ち並んでいます。水のない畑に稲を植えれば、三毛作をして余りあるほど稲がよく育ちます。それほど土地が良いので、大豆やトウモロコシのようなものは、種さえまいておけば、人の手を借りて育てなくても、どんどん実ります。広々とした草原には、ダチョウが大またで歩き回っています。ダチョウは、人が背中に乗っても大丈夫なくらい力があります。

ある時、船に乗ってパラグアイ川に沿って下っていき、川辺の民家に立ち寄ったことがありました。そこに暮らす農民が、私たちが空腹だと気づいて、すぐに畑からサツマイモを掘ってきてくれたのですが、その大きさがスイカくらいあったのです。その上、一度掘り出してそのまま蔓を放っておけば、何年でもまたサツマイモが実るそうです。植えなくても、毎年サツマイモが実というのですから、食べ物が不足している国に広めたいと強く思いました。

湿地を開発しようとする人たちは、いろいろな経済的利益を主張しますが、実際にパンタナールは、湿地それ自体でも十分に経済的な価値が高いのです。パンタナールには黒い松の木(ケブラッチョ)が原始林を形成しているのですが、とても頑丈で細胞組織が緻密なので、木に杭を打っても、100年以上生きるそうです。この木は「黒檀」と呼ばれる高級木材なのですが、腐りにくく、鉄よりも寿命が長いそうです。そのように貴重な松の木が一抱えほどの大きさに育ち、森を形成している景観を想像してみてください。私はパンタナールの400ヘクタールの土地に木を植えました。私たちが植えた木々によってパンタナールがより一層美しくなり、そこで作られた豊富な酸素が私たちの人生を潤沢にするのです。

自然を破壊するのは人間の利己心です。今、安心して息をすることもできないほど地球の環境が破壊されたのは、人より少しでも大きく、早く成功しようとする人間の貪欲さのためです。しかし、もうこれ以上、地球が破壊されるのを放っておくことはできません。自然を救うことに対して、宗教者がまず立ち上がらなければなりません。自然は神様の創造物であり、人類のために下さった贈り物です。自然の貴重さを悟らせ、創造当時の豊かで自由な状態に戻すことを後回しにすることはできないのです。

パンタナールが自然の宝庫だという事実が広まるとともに、パンタナールをめぐる争いが始まっています。保護して育てなければならない所が、貪欲さに満ちた人間相互の争いの場へと変わる兆候を見せているのです。私は10年前から世界各国の指導者をパンタナールに呼び、「自然を保護し地球を守る法」に関して討論を行っています。世界の環境専門家と学者を集め、パンタナールに関心と愛を寄せてくれるようお願いしました。パンタナールがこれ以上、人間の無慈悲な欲心のために破壊されないように、番人となって守っているのです。

環境問題が深刻になると、環境保護運動を行う団体が増えました。しかし、最も良い環境保護運動は愛を伝播する精神運動です。人間は、自分が愛する人のものであれば、何でも好んで大切にします。ところが、神様がつくられた自然を大切にして愛することができません。神様は人間のために自然を下さったのです。自然を利用して食べる物を得て、生活を潤沢にするのは、その方のみ意です。自然は自分だけが使って捨てる使い捨ての物ではありません。自然は子々孫々に至るまで、私たちの子孫が継続して食べる物を得て、体を支えて生きていくべき土台です。

自然を大切にして保護する近道は、自然を愛する心を持つことです。道を歩いていて一株の草を見ても、涙を流すことができなければなりません。一本の木を抱きかかえて泣くことができなければなりません。一つの岩、一瞬の風にも、神様の息づかいが隠れていることを知らなければならないのです。自然を大切にして愛することは、神様を愛することと同じです。神様がつくられたすべての存在を愛の対象として感じなければなりません。博物館にある一つの作品がいくら立派だとしても、生きている神様の作品には及びません。道端に咲く一輪のタンポポが新羅の金の冠より貴いのです。

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海洋時代がもたらす計り知れないチャンス

私は「アラスカ精神」という言葉を好んで使います。早朝に起きて海に出ていき、その日に釣るべき責任量を釣ることができなければ、その量を満たすところまで魚を釣ってから帰ってくるのが「アラスカ精神」です。そのように粘り強く忍耐することを学んでこそ、船乗りになることができます。

魚を釣ることは遊びではありません。海の中にいくら魚がたくさんいるとしても、ひとりでに釣れることはありません。専門的な知識と多くの経験が必要です。網を編むこともでき、錨綱を結ぶこともできなければなりません。そのように厳しい訓練を受けた人は、魚釣りだけが上手になるのではなく、世界のどこに行っても、新しい環境を克服し、他の人を導くリーダーとして成長します。魚釣りの訓練とはそのようなリーダーを育てることなのです。

海で覇権を握ろうとすれば、世界を巡航するに相応しい船と潜水艦も必要です。韓国はすでに世界最高の造船国です。海洋大国になれる実力を十分に備えているので、これからは海に直接出ていく人が増えていかなければなりません。韓民族は海上王と呼ばれた張保皐(790~846年頃。統一新羅時代に新羅、唐、日本にまたがる海上勢力を築いた人物、韓国ドラマ『海神』の主人公として描かれている)の後裔です。船に乗って海に出て、波に打ち勝った伝統が韓民族にはあるので、できないことがありません。

人々は波を恐れます。波は風に乗って波打ちますが、風が吹いて波が立ってこそ、海の中に酸素が供給されるのです。風が吹かずに波のない静かな海が続けば、海は死んでしまいます。波が大切だということを知れば、もはや波は恐ろしくないのです。強風が吹いて波が荒々しくても、それが海の中の魚を生かす道だということを知れば、かえってそれを海の魅力として受け入れるようになります。

海の下に30メートルだけ潜っていけば波は存在しません。潜水艦に乗って海の下に潜っていけば、エアコンが必要ないほど涼しいのです。適度な温度の静かな海の中では、あらゆる魚が群れをなし、踊るように泳ぎ回っています。まるでリトルエンジェルスのように色とりどりの美しい服を着て、ひらひらとヒレを揺らします。そのように静かです平和な世界がすぐに訪れるでしょう。

海洋時代が訪れてくるということは、韓国に世界を変えるチャンスが来るということです。あらゆる生命体を養育し、包み込んでくれる海は、女性を象徴します。反対に陸地は男性を象徴します。海に浮かぶ島国は女性を表しますが、、大陸の端にある半島国家は男性を表します。半島国家の国民は、海と大陸のあらゆる敵の侵入に備えて生きてきたため、人一倍勇猛で強靱な民族性を持っています。ギリシャやイタリアのような半島国家で人類の文明が発生したのは偶然ではありません。大陸に伸びていき、広い海洋を克服していく進取の気性と強靱な探検精神があったために、華々しい文化を花咲かせることができたのです。

黒潮について考えてみましょう。海流は偏西風と貿易風によって引き起こされますが、潮流は太陽と月、特に月の引力によって上下運動として起こります。黒潮は北赤道海流の一部で、1万4500キロメートルになる世界最長の海流であり、北太平洋の西岸境界線として北方を流れ、黒潮続流は西太平洋に暖流を戻します。太平洋を巡る海流の力は、巨大だという表現では不足です。黒潮が巡っていく力によって海全体が動くので、もし黒潮がなければ、海の水が循環せず、すべて死んでしまいます。いくら大きくて悠々とした川でも、結局は海に流れていくのと同じように、いくら大きくて勇壮な海も、黒潮の力強い水の流れに従って動くのです。私たち民族は、世界を導く黒潮にならなければなりません。世界の生命力を一箇所に結集させる力の源泉にならなければならないのです。

私は、太平洋文明圏の中心となる所を求めて、何度も韓国の南海岸一帯を回ってみました。そして、麗水と順天を選択しました。鏡のように静かで澄んだ麗水の近海で、李舜臣将軍が日本を大きく退け、また亡くなりました。そのような歴史的な海を持つ麗水は、嶺南と湖南が出会う所であり、智異山のふもとに接し、朝鮮戦争後には、左翼と右翼が正面から争った民族の痛みが染み付いた地でもあります。葦原で有名な順天湾は世界的に有名なリアス式の美しい海岸です。澄んだ水が打ち寄せる海に出て行くと、あらゆる魚を釣ることができ、静かな湾ではアワビとワカメが育ちます。また、広々とした砂浜は、ハイガイをはじめとする各種の貝と、テナガダコがたくさんいる所です。船に乗って海に出てみても、山に登って見渡してみても、来るべき海洋時代を準備するための拠点として、どこにも不足な点のない美しい地です。

私は今、麗水を中心に南海岸を開発中です。その準備のために、巨文島をはじめ、いろいろな島々を回り、何ヵ月もそこで暮らしました。その村で数十年間農業をし、漁業をして生きてきた人たちを師として、古びた旅館で寝泊まりしながら詳しく調査しました。話を聞いて調査するだけでなく、目と足で一つ一つ見て回り、調べてみました。それで、「どの海にどのような魚が生息しているのか、どの海にどんな網を投げるべきか、どこに何の木が育ち、どの家に中風にかかっら老人が独り暮らしているのか」をすべて分かるようになりました。

南海岸に関する調査がすべて終わった日、その時まで私に協力してくれた村の里長(里は韓国の行政単位。道、郡、面の下に里がある。面が日本でいう町村ぐらいの大きさ)を飛行機に乗せ、アラスカに行きました。自分が知っているすべてのことを私に教えてくれたので、私も自分が知っていることを彼に教えてあげたいと思ったのです。私と彼と一緒に釣りをして、アラスカにどんな魚が生息していて、どのように釣るのかを教えてあげました。いくら小さい知識でも、そのようにお互いに分かち合ってこそ、私の心が平安なのです。

私が麗水開発を始めるやいなや、麗水市は2012年の海洋博覧会の開催地になりました。国際博覧会(EXPO)は、オリンピック、ワールドカップと並ぶ世界三大祝祭です。国際博覧会が開かれる3ヵ月前に、全世界から154カ国の会員国や国際機構が各種の展示会を開きます。そのようになれば、世界の耳目が麗水に集中するのはもちろん、先進技術と文化が一度に麗水に集まってきます。夏の日に、雲が激しい勢いで押し寄せてくる場面を見たことがあるでしょうか。一度風に乗り始めた雲は、あっという間に山を越え、海を越えます。もたもたすることがありません。そのように、雲の群れが押し寄せてくるように、世界が麗水に向かって、朝鮮半島に向かって集まってくるようになります。

私は、南海岸にある島をすべて橋で連結し、世界各国の船に乗る人たちに食事と宿泊所を提供するコンドミニアムを建てる計画です。飲み食いして遊ぶためのコンドミニアムではありません。アメリカ人、ドイツ人、日本人、ブラジル人、アフリカ人等々が、たとえ互いに他の船に乗って魚釣りをしたとしても、寝食は一つの家でするようにして、人類が一家族であると分かるようにしたいのです。

海洋時代は宇宙時代でもあります。遠からず航空科学技術が絶対的に必要な時代が訪れます。その時になって宇宙産業を準備するのでは遅いのです。私は今、金浦に航空産業団地を造成し、世界的に有名なシコルスキーのヘリコプターを私たちの手で造る準備をしています。今後、太極マークをつけたヘリコプターが全世界の海と空を飛び回る日が必ず来るでしょう。

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海を治める者は世界を掌握する

海を掌握する国が世界の主役になるということは、歴史が証明しています。16世紀のイギリスを考えてみてください。イギリスの女王エリザベス一世は、王位に上がるやいなや、海洋政策を強化しました。資本と技術をすべて動員し、頑丈な舟を造り、勇猛な人たちを船に乗せて海に送り出しました。彼らは、海の果てに何があるのか分からないまま、命がけで海に出ていきました。

イギリスは、もともと海に強い民族ではなかったのです。かえってノルウェーやスウェーデンのバイキングに侵略されていた民族でした。しかし、海を失えばすべてを失うという事実を悟り、海洋圏を強化したエリザベス一世の血のにじむような努力によって、イギリスはバイキングとスペインを凌駕する海洋帝国になりました。そのような努力の末に、大西洋の小さな島国イギリスは、五大洋六大州に無数の植民地を治める「日の沈まない国」になることができたのです。(五大洋六大州は韓国でよく使われる表現で、全世界を意味する)

イギリスを中心とする西洋文明は、科学技術を発達させました。羅針盤を持って世界のさまざまな所を訪ねて回り、旗を立てて植民地にしました。知識と技術が発達すればするほど、世の中のすべてを自分のものにしていったのです。

しかし、韓国をはじめとする東洋はそうではありません。精神を重要視する東洋世界は、物質のために精神を捨てることはしません。物質と精神が衝突すれば、むしろ物質を捨てる所が東洋です。そのため、これまで東洋は、西洋に比べると生活が豊かではありませんでした。しかし、いつまでも精神が物質によって支配されるということはありません。

西洋の物質文明が堕落の道を歩むとともに、東洋にチャンスが巡ってきています。エジプトを経てギリシャ・ローマで発達した文明が、イギリスとアメリカを経て朝鮮半島を囲む太平洋地域に移ってきているのです。今まさに太平洋文明圏の時代が開かれています。新しい文明時代の主役は、韓国をはじめとするアジアです。韓国と日本が、このように短い期間に世界的な強国として急成長したのは、アジアの時代が来ていることを立証するものであり、決して偶然ではなく、歴史的な必然です。

しかし、韓国が世界の主役として浮上するのを、アメリカやロシアが黙って見ているはずがありません。韓国をめぐって、アメリカと日本、ロシア、中国の間に大きな争いが起きるかもしれません。韓民族は、それに備えて二つのことを準備しなければなりません。

まず、日本とアメリカを結び、ロシアと中国をつなげる巨大なベルトを作って自らを守らなければなりません。何によってその国々を結ぶことができるのでしょうか。一つになる思想であり、一つになる心です。地球村の人類が、人種と国家と宗教を超えて一つだという思想こそが、国家間の戦争を防ぎ、平和世界を成し遂げる道を開くことができるのです。韓民族は、戦争の危険から自らを守るためにも、一つになる平和思想を世の中に植え付けなければなりません。

もう一つ、韓民族が準備しなければならないものは、海洋時代を生きていく力を備えることです。太平洋は海です。海を治める力がなければ、太平洋文明圏の主役になることはできません。いくら天運が到来したとしても、自分がまるで準備ができていなければ、チャンスをつかむことはできないのです。韓国が中心となった海洋時代が開かれるという事実を知ったのなら、当然、海洋時代の主役になる準備をしなければなりません。

海には魚だけがいるのではありません。海のもっと大きな宝は、エネルギー源に他なりません。石油の埋蔵量が減少するとともに、エネルギー源をめぐる危機感が日に日に高まっています。石油が底をつけば、人間の文明世界はそのまま暗黒になってしまいます。トウモロコシを利用した代替エネルギーを開発すると言いますが、それは、人類が食べて生きていく食料も不足している状況では、決して可能なことではありません。本当の代替エネルギーは海にあります。海の中に埋められた水素エネルギーに人類の未来があります。

地球の3分の2が海です。言い換えれば、人類を食べさせていく資源の3分の2が海に埋まっているということです。ですから、海をきちんと治めることができなければ、未来を開いていくことができません。すでに先進国は、海底から石油と天然ガスを掘り出し、深層水を吸い上げて高い値段で売っています。海の中から資源を探し出すことは、今始まったばかりです。しかし、全人類が海を拠り所として生きていく日が、遠からず訪れてくるでしょう。

海洋時代はひとりでに開かれるのではありません。何よりも自分が先に海に出て行かなければなりません。船に乗って海に出て行き、波と闘わなければなりません。そのような勇気がなければ、決して海洋時代に備えることはできません。海を占領する国が、世界をリードすることができるのです。海を占領した国の文化と言語が世界の言語と文化となる世の中がすぐにやってきます。したがって、海を創造主の御旨に合うように管理し、海の資源を正しく運用しなければなりません。

海は世界を結束させる求心点となるでしょう。海を治める人になろうとすれば、そこで自由に生きていくことのできる訓練をしなければなりません。私は魚を釣る訓練をさせるとき、大きな船一隻に小さな船十隻を従わせて一緒に送り出します。湾口を出発するときは大きな船に付いていきますが、広い海に着いた瞬間、小さな船に乗ってきた人たちは自分自身で責任を持たなければなりません。風がどこからどこに吹くのか、海の底の状況はどうなのか、魚はどの道を行くのかを、自ら学習して解決しなければならないのです。

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文化事業として実践する創造のみ業

私は、1988年のソウル・オリンピックが世界的な冷戦構造を決定的に変える平和の祭典になると予感し、世界各国に広がっている食口たちをソウルに呼び集めました。そして、自分の国の選手団を案内し、応援する責任を持ち、韓国の記念品をプレゼントし、食事ももてなすようにしました。予測どおり、ソウル・オリンピックには中国もソ連も参加し、共産陣営と自由陣営がすべて融和する平和の祝典となりました。開会式の当日、私は蚕室のメーンスタジアムの一般観覧席に座り、平和と融和の宴を喜んで見ていました。

オリンピックが終わった直後、私はその熱気を受け継いで「一和天馬」プロサッカーチームを創設しました。一和天馬チームは、優勝も数回し、サッカーチームとしての名声を築いてきました。その数年後には、今度はブラジルサッカーの本拠地ブラジルで「セネ」と「ソロカバ」というプロサッカーチームを創設し、今に至るまで運営しています。さまざまなスポーツの中で、特別にサッカーチームを作ったのは、私がサッカーが好きだからです。私は、幼い頃から運動をするのが好きで、ボクシングもやり、韓国の伝統武術もしましたが、年を取ってからも喜んで見るスポーツは断然サッカーです。学生時代には、学校の運動場をあちこち駆け回ってボールを蹴っていましたが、今は見るのを楽しみます。ソウルでワールドカップが開かれたときは、3台のテレビを並べておいて、中継する全部の競技を見ました。特に韓国が出るゲームは、1ゲームも見逃しませんでした。

サッカーは人生の縮図です。私がいくら上手にボールを運んでも、自分よりも速くて上手な相手チームの選手が、瞬間的に自分のボールを奪っていけば、結局は何にもなりません。また、ボールをうまく運んでシュートを打っても、ゴールポストに当たって跳ね返ればそれで終わりです。ボールを運んでいくのは自分のすることですが、ボールをゴールに入れるのは、自分一人の力ではできません。朴智星選手のように、絶妙のタイミングでアシストしてくれるチームメイトもいなければならず、粘り強く相手チームをディフェンスする李榮杓のような選手もいなければなりません。

しかし、最も重要な人は、フィールドの外で全体を見ている監督です。直接走ってボールをゴールすることはしませんが、監督の力は、選手全体を合わせたものよりもっと重要です。監督は、ちょうど神様が私たちの知り得ない世界をご覧になって私たちにサインを送るように、選手たちが見ることのできないものを見ます。監督のサインによく従いさえすれば、ゲームは百発百中勝ちます。しかし、監督がいくらサインを送っても、愚かな選手が気づかずに自分勝手にボールを回せば、ゲームに負けるしかありません。

サッカーは勝敗を競う競技ですが、国家間の平和と協力の増進に大きな力を及ぼします。全世界のスポーツの祭典であるオリンピックよりも、ワールドカップの中継放送を見る人が2倍も多いというのですから、人類がどれほどサッカーが好きかを知ることができます。転がっていく一つのボールをめぐって、国と人種、宗教、文化を超えた融和の場をつくる力がサッカーにはあります。サッカーと人類の平和は、よく調和する一組のパートナーです。

ブラジルのスポーツ大臣まで務めたサッカーの王様ペレが、ソウルの漢南洞にある私の家を訪ねてきたことがあります。人々はペレを世界最高のサッカー選手として記憶していますが、私が出会った彼は、素晴らしい平和運動家でした。彼がサッカーを通して成し遂げようとしたことが、まさに世界平和だったからです。私と会ったペレは、にっこり笑ってこのように言いました。

「以前にアフリカのガボンでサッカーの試合をしたことがあるのですが、当時、そこは戦争中だったのです。爆弾が落ちてくる中でどうやってゲームをしたと思いますか? ありがたいことに、ゲームをしている間は休戦したのです。私はその時、サッカーが単にボールを追いかけ回すだけのスポーツではないという事実をはっきりと悟りました。サッカーは、世界平和をつくりあげていく人類共通の素晴らしい手段です。それ以降、私はサッカーを通して世界平和運動をしなければならないと誓ったのです」

ペレ氏があまりにも素晴らしく見えたので、私は彼の手をぎゅっと握りました。競争の激しい世の中を生きていれば、ストレスが多いのです。ストレスは生活を緊張させ、心の平安を奪い、ストレスが積み重なれば、一人一人の神経が逆立ち、公然と争いを起こしやすくなります。そのような緊張状態を健全に解放してくれるものこそ、スポーツや芸術活動のような趣味生活です。スポーツと芸術は、人間の抑えつけられた欲求を解放する方法であるにとどまらず、人類を一つに結ぶ道具です。私がサッカーチームを運営し、バレエ団を率いる理由は、そのような活動がまさに平和をもたらす手段となるからです。ペレ氏は、すでにそのような私の心を知っていました。

志を同じくした私たちは、その場で国際的な規模の新しいサッカー大会である「ピースカップ」を創設しました。そして、2003年から2年ごとに「ピースカップ大会」を開き、世界の有名なサッカーチームを韓国に呼んで試合を行いました。しかし、2009年に開かれる第4回大会からは、開催地を世界のさまざまな国に変える計画です。まず、2009年は、サッカーの本場と言われるスペインのアンダルシア地方で開かれる予定です。スペイン最高のクラブチームであるレアル・マドリードのセビージャFC、フランスのリヨンに加え、イギリスの名門クラブチームが参加し、世界最高のサッカー競技を繰り広げるでしょう。「ピースカップ」を運営して生じる収益金は、経済事情の厳しい国の青少年サッカープログラムを援助する経費として使います。特に、身体的障害を持つ子供たちが、サッカーを通して夢を失うことなく生きていけるよう、多くの努力をしています。(第4回ピースカップ大会は、2009年7月24日から8月3日にかけて、スペインのアンダルシア州各地と首都マドリードで行われた)

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と共に、アフリカのリベリアで青少年サッカー大会を開いたりもしました。リベリアは、15年以上続いた部族間の紛争(内戦)によって、人々の暮らしがとても苦しい所です。たびたび起こる内戦によって人口が急減したために国連の特別保護を受けているその国の子供たちと青少年が、一緒に集まってサッカーをしながら平和を謳歌しました。ボールを蹴りながら楽しんでいる間に、部族間で互いに融和する精神を自然と身に付けるのです。

私たちが精魂込めて準備していることがもう一つあります。他でもなく、イスラエルとパレスチナの居住地域の真ん中に立派なサッカー場を造ることです。二つの国の子供たちを相手に、ヨーロッパの有名なコーチを呼んでサッカーアカデミーも開く計画です。このような活動を通して、大人たちは互いに銃口を向け合っていたとしても、子供たちはサッカー場に集まってボールを蹴るようにしようと思うのです。多くの人が非現実的だと首を横に振りますが、私たちは必ずやり遂げます。今もイスラエルの長官はサッカー場をイスラエルの地域に造らなければならないと言い、パレスチナの長官は自分たちの地域に造らなければならないと言い張っていますが、私は必ず二つの地をつなぐ所に造ります。私は周囲の圧迫に押されて夢をあきらめる人ではなく、頑固一徹の意志で夢を成し遂げる人です。

誰もが不可能だと言っていたことの中の一つがバレエ団を作ることでした。最近は、韓国でもバレエを好む人たちが増え、バレエのスターまで出てきましたが、私がバレエ団を作った当時は、本当にバレエの不毛の地にほかなりませんでした。

バレエを見るたびに、私は天の国の芸術とはまさにあのようなものだと思うのです。バレリーナがつま先でまっすぐに立って頭を天に突き上げれば、その姿勢だけでも完璧に神様を畏敬する姿です。それほど一途に神様を畏敬していると見えるものは他にありません。バレエは、神様が人間に下さった美しい体を活かして、その方に愛を表現する最高の芸術です。

1984年に創設された「ユニバーサル・バレエ団」は、「白鳥の湖」と「くるみ割り人形」をはじめ、「ドン・キホーテ」「ジゼル」、そしてオリジナル創作バレエの「沈清」「春香伝」を公演し、今では国際的なレベルに成長しました。世界の有名な舞台から招待を受けているユニバーサル・バレエ団のバレリーナたちは、躍動的な西洋のバレエに韓国人特有の静的な美しさを加え、洋の東西が良く調和した公演を見せてくれることで評価を受けています。ユニバーサル・バレエ団は、アメリカのワシントンDCにバレエ学校を所有しています。また私は、「ニューヨークシティ・シンフォニー・オーケストラ」と国際合唱団の「ニューホープ・シンガーズ」も作りました。

芸術は神様の偉業に似ています。芸術家が自らの作品のために渾身の力を注ぐように、神様も自ら創造された人間とこの世界のためにすべての心を注がれたのです。「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創世記1章3節)という『聖書』のみ言は、一言で光が自然とつくられたような印象を与えますが、絶対にそうではありません。神様が光をつくり、地をつくることにすべての力を注がれたように、舞台の上に立ったバレリーナの踊りも、死力を尽くした後に誕生した創造の結実です。

サッカーも同じです。90分間、サッカー選手は死力を尽くします。どこから飛んでくるから分からないボールに向かって走っていき、ゴールに向かって思い切り蹴飛ばす、そこに生涯のあらゆるものをかけ、神様がこの世界を創造する時のようなエネルギーを注ぎます。自分が持っているものを100パーセント完全に注ぎ込むこと、一瞬のために自分を丸ごと捧げることは、何よりも偉大なことです。

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二十一世紀の宗教が最終的に目指すもの

二十世紀は激動の世紀でした。過去二千年間に起きたことよりも、もっと多くのことが百年の間に起きました。二十世紀は、二度の世界大戦を経験し、共産主義が勢いよく広がった後に消えていった世紀です。また、神を捨てて物質に埋没した世紀でした。そうだとすれば、二十一世紀はどうでしょうか。科学が発達し、もうこれ以上宗教は必要なくなったと言う人たちもいますが、人間の精神世界がなくならない限り、宗教の役割は決して終わらないでしょう。

宗教の目的は何でしょうか。それは神様の理想世界を成し遂げることです。より多くの人を宗教の世界に伝道しようと努力する理由は、より多くの人を神様の民にするためです。すべての人が神様の民になれば、世の中はもはや戦争と混乱のない平和世界になります。究極的に宗教が行く道は平和です。

神様は愛と平和の世界を願ってこの世をつくられました。自分の宗教だけが唯一の救いであると言い張って混乱を引き起こすのは、神様が願われることはありません。神様は、この世界のすべての人が平和と和解、共生のために一生懸命に働くことを願われます。教会に行くがゆえに胃の中に混乱が起きるとすれば、私は躊躇なく「家庭を先に守りなさい」と言います。なぜかというと、宗教は神様の完全な世界に入っていくための手段であって、それ自体が目標ではないからです。

人類は、分かれた意見を一つにまとめ、衝突する文明の一致点を探し出すでしょう。今後、人類を導いていく思想は、これまでのすべての宗教とすべての思想を皆一つに合わせたものでなければなりません。過去のように、一つの国が先頭に立って人類を引っ張っていった時代はすでに終わりました。民主主義の時代も終わりました。

今のように、宗教と人種を前面に立て、同じ群れどうしで固まる時代が続くとすれば、人類は戦争を繰り返すほかありません。慣習と伝統を超えなければ、平和の時代は決して訪れることはありません。今まで人間を操ってきたどの主義も、思想も、宗教も、来たるべき未来の平和と統一を成し遂げることはできないのです。ですから、未来には、仏教も超え、キリスト教も超え、イスラームも超える、新しい理念と思想が出てこなければなりません。私が数十年間、宗派も超え、宗教も超えなければならないと、喉が張り裂けるほど主張してきたのも、まさにこのような理由のためです。

地球上には200を超える国・地域があり、その国ごとにすべて国境をもっています。国と国の間には、お互いを区分する国境があるのです。国境によって分けられた国々は、永続することができません。国境を克服できるのは宗教だけです。ところが、人々にとって希望となるべき宗教が、数多くの宗派に分かれ、自分たちどうしの争いに躍起になっています。自分の宗教、自分の教派第一主義に陥り、世の中が変わり、新しい時代が開かれることを知らずにいるのです。

数千年間築いてきた宗教の壁を崩すことは簡単ではありません。しかし、平和世界に行くためには、必ず宗教の壁を崩さなければなりません。教団と教派はつまらない争いを止め、お互いの意見を調整していきながら、一つの世界に向かって進んでいく方法を模索しなければなりません。世界平和実現のための宗教の役割を果たすために、具体的な実践の道へと踏み出さなければなりません。幸福な未来は、物質的な繁栄だけでは成し遂げられません。宗教間の理解、精神的な融和を通して、思想と文化、人種の間の葛藤を克服することが急がれています。

私は、全世界の多様な宗教者に対して、三つのお願いをします。一つ目は、他の宗教の伝統を尊重し、宗教間の紛争や衝突を防ぐように努力すること、二つ目は、すべての宗教共同体は互いに協力し合い、世界に奉仕すること、三つ目は、世界平和のための使命を完遂するために、あらゆる宗教指導者が参画する組織を発展させることです。

右の目は左の目のために存在し、左の目は右の目のために存在しています。また、二つの目は、人間全体のために存在しています。私たちの体の手足がすべてそうです。自分のために存在するものは一つもありません。宗教も、自分の宗教のために存在するのではなく、愛と平和のために存在します。世界平和が成し遂げられれば、もはや宗教は必要ありません。宗教にとって最終的な目標は、愛と平和に満ちた世の中を現実世界に成就することです。それが神様の御旨です。

人の心を平和に対する渇望でいっぱいに満たすことは易しいことではありません。そのためには、繰り返し教えて、また教えなければなりません。それで私は、教育事業に心血を注ぐのです。私たちの教会が基盤を確立する前に「仙和芸術学校」を設立し、「清心国際中高等学校」「鮮文大学」など、さまざまな学校を建てました。また、韓国だけでなく、アメリカの「ブリッジポート大学」をはじめとして、世界各地でたくさんの学校を建てたり、運営したりしてきました。私の教育理念は、仙和芸術学校を建てたときと同じく、天を愛し、人を愛し、国のために働く人材を育てることです。

学校は真理を教える聖所のような所です。学校で教えるべき最も重要な真理は何でしょうか。一つ目は、神様を知って、その存在を現実の世界に顕現させることです。二つ目は、人間存在の根源を知り、自分の責任を果たし、世界の運命に責任を持つことです。そして、三つ目は、人類の存在目的を悟り、理想的な世界を建設することです。このようなことは、長い間真心を込めて教えて、初めて分かるようになります。

今日の教育は、競走して勝った者が幸福を独占する、勝利者独占社会をつくっていくことに焦点が合わせられています。それは正しい教育ではありません。教育は、人類が共に豊かに暮らす平和の世界をつくるための手段でなければなりません。今まで私たちを支配してきた教育の理念と方法を、人類共通の目標のためのものに変えなければなりません。アメリカがアメリカだけのための教育を行い、イギリスがイギリスの利益だけのための教育を行えば、人類の未来は真っ暗闇です。

教育者は、自分一人が裕福に暮らす方法ではなく、私たちの時代のあらゆる社会的な諸問題を解決することのできる知恵を教えなければなりません。各宗教に属する宗教学者の役割はもっと重要です。宗教学者が教えるべきことは、自分の宗教の複雑な理論や優越性ではなく、人類を愛し、平和世界を成し遂げる知恵です。彼らが先頭に立ち、人類は兄弟姉妹であり、世界は一つの家庭だという平和の原理を子孫に教えていかなければ、決して人類の幸福な未来を期待することはできません。

知恵の中の知恵は、神様の心情と理想を知ることです。ですから、科学技術が天に届くかのような21世紀にも、宗教の役割は依然として重要です。したがって、全世界の宗教は、人類の行くべき目的地を正確に知り、今すぐに大小の利益争いを止めなければなりません。体面を優先させた名分争いもやってはいけません。お互いに知恵を集め、力を合わせて理想世界の建設に勤しまなければならないのです。葛藤と憎悪に染められた過去の日々はもう忘れ、平和をもたらさなければなりません。世界平和のための努力はいくらやっても終わりがありません。人類を理想世界に導いていく宗教者は、自分が平和の使徒であることを、一瞬たりとも忘れてはいけません。

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苦難と涙の地から平和と愛の地へ

韓民族がこれまで経験してきた悲惨な歴史には、深い意味があります。韓国が世界平和の前進基地になる運命なので、そのように多くの苦難を経験したのです。朝鮮半島が世界の中心になれるのは、長い間苦難と逆境に耐えてきたからです。私たちは数多くの苦難を経験しましたが、誰も敵として憎まない民族です。私たちを苦しめた隣人はいろいろいましたが、不倶戴天の敵にはなりませんでした。

韓民族の心の中には、敵までも愛する心があります。敵を愛して受け入れようとすれば、絶えず自分を治めなければなりません。自分の心がすっかり膿を出し切った後にこそ、敵を愛し得る心の余裕が生じるのですが、韓民族はまさにそのような心を持ちました。

迫害を受ける人は神様と一番近いのです。涙を流す心を持つことが大切です。普段は涙を流したことがなかった人も、国を失えば涙を流して泣きます。神様にすがって慟哭します。苦痛に満ちてつらいことですが、涙を流して泣くことのできる心は福となります。涙に濡れた心に神様が来られるからです。韓民族の心の中に涙が多かったので、朝鮮半島が天運を受ける地になることができたのです。

韓民族は先祖を崇拝します。いくら食べる物に困っても、先祖の墓を売ってまで食べる物を求めることをしないのが韓民族です。韓民族は、昔から天を仰ぐ敬天思想を守って生きてきたのであり、三度の食事よりも精神世界をさらに重要に思う文化民族です。仏教と儒教を受け入れて絢爛たる宗教文化を花咲かせたのであり、キリスト教を受け入れていくらも経たないうちに、全世界を代表するキリスト教の伝統を立てました。ところが、それよりもっと凄いことは、そのような宗教が互いに衝突することなく、互いに融和して平和に共存しているという事実です。何が韓民族をこのように独特な民族にしたのでしょうか。

韓民族は、もともと宗教的な心を持つ「宗子」(本家の長男)として、いつでも神様のみ言を受け入れる心の準備ができています。また、韓民族は神様の御旨をしっかりと実行できる英明さを持っています。その優秀さをよく表しているのが韓国の言葉とハングルです。これは天が下さった宝です。

韓国の言葉には、人の心情を表現できるさまざまな形容詞と副詞が非常に豊富です。この世のいかなる国の言葉も、人の複雑な心を韓国の言葉ほど精細に表現できません。言葉はすなわち人です。言葉が繊細だということは、その人の心が繊細だとういことです。

韓国人が使うハングルもまた、どれほど素晴らしいでしょうか。私は「訓民正音」という言葉が本当に好きです。「民を教える正しい音」という、このように美しい意味を持つ文字を使う国は韓国だけです。デジタル時代となり、ハングルの優秀性がより大きく表れています。子音と母音の単純な組み合わせだけで、人間がこの世で出すあらゆる音をすべて記すことができるのですから、本当に驚くべき事です。

私は、すでに30年前から外国の食口たちに、「これから訪れる未来に備えて韓国語を学びなさい」と言ってきました。ところが、最近になり、いわゆる韓流ブームに乗って韓国語を学ぼうとする人たちが随分と増えました。日本やモンゴル、ベトナム、アフリカまで、世界のどこでも韓国語ができる人たちがとても増えました。これは決して偶然ではありません。

言葉には魂があります。日本統治時代に日本があれほど韓国の言葉をなくそうとしたのは、韓民族の魂をなくすためでした。今、世界的に韓国の言葉を使う人が増えているのは、韓民族の魂が大きく広がっていることを意味します。韓民族の文化的影響力がそのくらい高まったのです。

韓民族は、絶対に人の世話にはならないという独特な性格を持っています。私はアメリカで、韓国人の頑固な性格をあらためて感じることができました。アメリカはいろいろな社会保障制度が整えられている国ですが、韓国人はそのようなものに全く頼ろうとしていませんでした。国がくれる支援金に期待せず、何が何でも自分の手で稼いで子供を育て、両親の世話をしようとしました。そのくらい韓民族は自主性が強いのです。全世界に宣教師を送り出してみれば、そうした気質がそのまま表れます。見知らぬ国に派遣されても、特別不安を覚えることもありません。宣教師だけでなく、商社の社員もそうです。世界のどこでも、使命を受ければ、あらゆることを振り切っていきます。二の足を踏み、躊躇することがありません。

韓民族は誰よりも勤勉です。一箇所に留まらず四方を歩き回ります。世界のどこでも韓国人のいない所がないほど進出の気性に富んでいます。また、一つのものに縛られず多方面にわたって能力を発揮します。一つのことに行き詰まれば、そこで挫折することなく、勇気を持って他の分野に飛び込んでいく適応力も優れています。

村で大きな宴会が開かれれば、人々がわあっと押し寄せてきて、争って良い席を取ろうと大騒ぎになります。そのようなとき、黙って末席に行って座る人がいれば、その人はまさに時代の主役になる人です。自分の口に入るものを先に取る人はすべて落第です。ご飯を一匙食べるときも、人のことを先に考えなければなりません。私たちが朝鮮半島に訪れてくる天運を迎えようとすれば、私よりもっと大切な人がいることを心の奥深くに刻まなければなりません。

韓民族は、今まで自分たちが愛するものをすべて奪われました。日本統治時代には大切な国を奪われ、続いて国土が真っ二つになり、愛する父母、兄弟たちと別れなければなりませんでした。そのため、朝鮮半島は涙の地になりました。しかし、今は韓民族が世界に向かって泣いてあげなければならない時です。これからは、自分たちのために泣いていた時よりも、もっと真摯に、切実に世界のために涙を流さなければなりません。それが天運を迎えた朝鮮半島で私たちがすべきことです。私たちがそのようにするとき、朝鮮半島の天運が世界に広がっていき、韓民族が先頭に立って世界平和時代が開かれるのです。