小さなラジオ局から見えてくる
この社会のあり方、問題、
これから向かっている窮屈で自由が奪われる社会。

いくつかのテレビ番組のキャスターが
降板になったり、そのようなことは
多くの人が目にし耳にしているだろうけど、
コミュニティラジオ局が置かれている
状況からは、より深刻な閉鎖された画一的な
メディアにされようとしている(すでに
されている)ことがわかる。

インターネットというより個々が発信しやすい
ツールも普及し、FMYYもひとまずインターネット
配信のラジオ局として再スタートするが、
だからと言って、やはりそれで良いとは
決して思えない。
根本的な問題を残したまま、ツールを替えたとしても
良くはならない。
そのような思いがあるからこそ、新生FMわぃわぃが立ち上がり発信し続けるのだと思う。
私も独自にネットラジオを立ち上げ音声発信はしていくが、この状況に耳を澄ませ、目を凝らし続けたい。

私は勉強不足だし、上手く言葉に表現できないけど、
ラジオのためのコミュニティもあり得ると思うが、
やはりコミュニティのためのラジオである方が
大切なんじゃないかと思う。

合わせて次の投稿
「AMARCががFMわぃわぃの閉局に当たり声明文」
も読んでほしい。

ー3月28日に関係者一同に送られたメールから引用ー

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先週土曜日にFMYYの臨時総会で、なぜFMわぃわぃが放送免許を総務大臣に返すのか、これまで病気で伝えられなかった私なりの理由を代表理事の一人として話しました。

以下、長文になりますか、臨時総会で話をした内容です。


FMわぃわぃは、コミュニティ放送の免許を2016年3月31日に総務大臣に返す。4月からはインターネット放送とともに、神戸市役所と災害時における臨時災害放送局(多言語放送)の開設にかかる協定を3月30日に締結し、大きな災害が起こった際はFM放送で多言語による災害情報の提供を行う体制は整えた。
 FMわぃわぃが、コミュニティ放送の免許を総務省に返すに至った大きな原因の一つは、東日本大震災の後に放送法/電波法が改訂され、コミュニティ放送局が基幹放送局に位置づけられたことにある。 その影響は、東日本大震災の被災地にも出ている。例えば、FMわぃわぃが開設にかなり力を入れて支援をした岩手県大槌町の臨時災害放送局「大槌災害エフエム」がこの三月18日に閉局した。運営団体である「NPO法人まちづくり・ぐるっとおおつち」から届いた挨拶状は「コミュニティ放送に移行したいと、その方策を模索しましたが、復興の先が見えない厳しい状況の中で、思いだけではどうしもならず、止む無く閉局を決断しました」と、その無念さが滲んでいた。
 また宮城県亘理町の臨時災害放送局「FMあおぞら」も亘理町内外から9千名を越える「地域放送局の存続」の署名が寄せられたにもかかわらず、コミュニティ放送局への道が閉ざされ、3月24日に閉局した。
 阪神・淡路大震災時に海賊放送として始まった元祖災害ラジオ局のFMわぃわぃは。震災の一年後に当時の郵政省にお願いをされる形で、異例の早さですっとコミュニティ放送局になれ、長い復旧、復興期にラジオ放送を活用したコミュニティ再生に大きく貢献することができた。しかし、いまの制度では、もうFMわぃわぃのような放送局が産まれる余地はなく、地方自治体の大きな支援なくして、臨時災害放送局がコミュニティ放送に移行することが難しくなってしまった。
 基幹放送に位置づけられると、どんな災害が起こっても放送が停まらずに災害情報を流すことが求められ、例えば放送が二時間以上なんらかの事故で停まると、「重大事故」扱いとなり、山のような原因追求書類と同様の事故が二度と発生しない仕組みづくり(インフラ整備やシステム構築)と国の立ち入り検査が求められ、一昨年八月にFMわぃわぃはそれを経験した。
 例えば津波のような災害時に行政職員でもないコミュニティ放送を運営するNPO法人や株式会社のスタッフが、命の危険を感じながらも放送を続けなければならないコミュニティ放送とは、なんなのであろうか? FMわぃわぃは、行政からそのための補助金を受けているわけでもない。
 そうした疑問を、コミュニティ放送が基幹放送に位置づけられて以来、ずっと持ってきた。どこのコミュニティ放送局のスタッフもみな真面目で誠実で、コミュニティ放送の使命は災害時に情報を伝えること、と答える人が多いことは喜ばしいことではある。しかし、私のこれまでの国内外での経験と調査では、とくに大きな災害時にはコミュニティ放送が力を発揮できるのは、発災時よりも、むしろ救援活動が始まってから、さらには復旧、復興期においてある。東日本大震災の被災地のほとんどの災害ラジオ局も同様であった。
 仮に津波が発生しても、放送事故を起こさずに、長田港から近いカトリックたかとり教会内にあるスタジオで放送を続けなさい、とはFMわぃわぃの仲間達には、私は言えない。それよりは、まずは逃げなさい、と言いたい。消防団の団員が水門を見に行って津波にさらわれた事例は、東北ではたくさんある。もし、同じようなことが起こったら、その責任を総務省はとれるのだろうか?

FMわぃわぃが放送を始めて21年が経ち、阪神淡路大震災から突っ走ってきた第一世代から次の世代にバトンを渡す時期を迎えた。FMわぃわぃの目的は、国籍や民族、出自、障害のあるなしなどで排除されることのない多文化共生のまちづくりを、コミュニティメディアを活用して進めていくことがFMわぃわぃの活動目的であり、国の基幹放送となり経済的・精神的な負荷が不必要に増大してしまったコミュニティ放送を続けるより、その縛りから解放されて、自由闊達に新たな多文化共生のまちづくりに取り組んでいける、より魅力的なコミュニケーション・発信ツールを次の世代は活用していってほしい。

しかし、私には残された仕事がある。断腸の思いで「復興ラジオ局」を閉局せねばならなかった東日本大震災の被災地の仲間達の無念を晴らすことである。
 今年1月15日に東日本大震災時の総務省東北総合通信局長がFMわぃわぃを尋ねて来て意見交換をした。「現状では臨時災害放送局の制度を弾力的に使ってもらう以外にない」と答える以上のもの何もなかった。
 東北の臨時災害放送局は、“体”にあった制度がないため、毎年、免許を更新する自治体は「臨時災害放送局」という言葉に戸惑いを感じながら継続していところも少なくない。また、それを理由に早期に閉局してしまった自治体もある。そもそも臨時災害放送局は、被災地の自治体の長に免許が交付されるので、とくにコミュニティの再生のための復興期の放送活動には限界がある。自治体の復興施策や取り組みに対して把批判も含めて多様な住民の声を伝えることなどできる訳がないからである。
 FMわぃわぃがコミュニティ放送の免許を総務大臣に返すに当たり、総務省の本省と近畿の窓口(近畿総合通信局)には、まずモノ申すところから始める。ただで免許を返す訳にはいかない。闘いはこれからだ。

Radio FMYY shall return !