あの人の英語の、ホントのところ: Recent Episodes

Kamiya English Coaching

KEC meets Japanese speakers of English around the globe.

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米国ワシントンバレエ団でバレエダンサーとして活躍する木村 綾乃さんに、好きだけど嫌いになりかけた英語学習、イタリアでの経験、「もうイヤ!」となったときに再びやる気を起こすコツなどについてうかがいました。 木村 綾乃 Ayano Kimura 京都市出身。9歳からバレエを学び15歳で単身イタリアのミラノに2年間留学、首席で卒業。冬季トリノオリンピックの開会式では選抜メンバーに入りバレエを披露。 留学前にはニューヨークで毎年開かれている国際大会、数々の国内大会にて上位入賞、同時に東海テレビ賞を受賞。2011年にワシントンバレエ団入団。2017年度ブノワ授賞式(バレエ界のアカデミー賞)のガラ公演ではボリショイ劇場にてノミニーのパートナーを務めロシアの各紙に掲載される。バレエ団では主に主役、ソリストを踊り、’ロミオとジュリエット’ではジュリエット役、’眠れる森の美女’ではオーロラ姫に抜擢されケネディセンターにて主演し高く評価される。年間を通して日本、アメリカ、ヨーロッパでゲストとして多数の公演に出演。 最近ではワシントンバレエ学校にて若手育成の為の指導にもあたり活動の幅を広げており、今までのバレエ人生が共同通信社のコラム始めヤフーニュースやlive doorニュースで取り上げられる。 The Washington Ballet 共同通信インタビュー Emi 自己紹介をお願いします。 Ayano 京都出身で、10歳頃からバレエを習い始めました。15歳のとき、国際大会でスカラーシップ(奨学金)をいただいたのをきっかけにバレエ留学に行き、イタリアのミラノ・スカラ座という有名な劇場の付属学校で2年間勉強しました。 日本に帰った後、もう一度同じ国際大会に出て、今度はアメリカのワシントンから奨学金を得ました。ワシントンのスクールに留学し、その後はオーディションをいろいろ受けて、現在所属しているワシントン・バレエ団からオファーをいただきました。以降10年間、プロフェッショナル・バレエダンサーとして活動しています。 Emi イタリアからアメリカへ。そして現在もアメリカで活躍中。お生まれは京都? Ayano 生まれはドイツのハンブルクなんです。その時の両親の都合で、たまたまドイツで生まれたんですが、1歳になる前に帰ってきているので、「出身は京都」と言っています。大会に出たのは、高校1年です。 Emi ご両親が外国語を話すなど、家の中でも外国語を聞く機会があった? Ayano はい。両親はドイツの前にニューヨークにいたらしいので、たぶん英語は話せると思います。また、母が公文の先生なので、その影響もあって小さい頃から英語のリスニングをしていました。日常会話はすべて日本語でしたけど、公文の教材や、母がよく聞いていたクラシック音楽から、英語を聞くことが多かったです。 家の中に、自然に英語があった Emi 英語と出会ったのは、いつごろだと思う? Ayano 3~4歳から公文の教材をしていたので、その頃から英語に触れていました。また、英語検定も受けていました。英語はある程度、身近な存在でしたね。 Emi 「気づいたら英語をやっていた」という感じ? Ayano そうですね。でも、やっていたのはライティングとリスニングのみだったので、実際に英語を話すようになったのは、アメリカに来てからですね。 Emi 公文ではどんなことを? Ayano 中学で習う基礎からです。ABCの書き方や、「This is a pen.」などのベーシックな英語をひたすら書いて、記憶して。そこから文法を広げて、「be動詞」「過去分詞」など。中学で習うことを先取りして、小さい頃から勉強しているという感じでした。 レベルが上がってくると、大学で聞くような単語もありました。今でこそわかりますけど、「当時は絶対に意味がわかっていなかっただろう」っていう単語もいっぱい出てきていました。 Emi それは、好きだった? 楽しかった? Ayano 英語はとても好きでした。その頃、たまに公文の教室に外国の方がいらっしゃっていたので、ネイティブの方の英語を聞くのが新鮮で、「楽しいな」と思っていました。 Emi 英語は「勉強」というより、「楽しい」と思っていた? Ayano そうですね。私、勉強ってなると、もう大っ嫌いなので(笑)。数学や社会と違って、英語は勉強というより、「第二言語」として楽しんでいました。 … Continue reading "#22. 木村 綾乃さん(プロフェッショナル・バレエダンサー)"

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World in Tohoku代表理事の山本 未生さんに、幼少期から揺らぐことのない「外国の人とコミュニケーションしたい」という想い、自ら学ぶ場所を探し、自らの学びを実践してきた経験、大勢の中で言いたいことを言うためのコツなどについてうかがいました。 山本 未生 Mio Yamamoto 一般社団法人WIT共同設立者&代表理事。国境やセクター、世代などの境を越えて、一人ひとりが社会を良くする一歩を踏み出しあえるエコシステム、Change-making Communitiesを人生のビジョンとして活動しています。 大学時代、マレーシアの非営利団体での経験を通じて、戦略・ネットワーク・資金の不足が、非営利団体のミッション達成を妨げていることを実感。大学後は住友化学株式会社で営業・マーケティングに携わりつつ、SVP東京にて社会起業家を資金・経営面で支援。2011年、東日本大震災を機にWIA(現WIT)を設立。日米のビジネスエグゼクティブ、NPO/社会企業、若手ビジネスリーダーが、事業提携・メンタリング・ボードマッチング等共創を行う事業を展開している。 英語日本語双方での講演多数。2005年東京大学教養学部総合社会科学科国際関係論課程卒業。2013年MITスローン・スクール・オブ・マネジメントでMBAを取得。ボストン在住。 World in Tohoku WIT Facebook Emi 自己紹介からお願いできますか? Mio はじめまして、山本未生です。日本で生まれて育って、2009年からアメリカ在住。今はマサチューセッツ州ボストンに住んでいます。仕事は、一般社団法人 WIT という非営利組織の代表をしています。日本の法人なので、日本とアメリカの遠隔で行き来したりもしながら、社会起業団体や NPO と日米のビジネスパーソンをつなぎ、それによってソーシャルイノベーションを加速させるという仕事です。 Emi 社会起業団体、人と人、日本とアメリカをつなぐ。仕事では日本語と英語のどちらも使っている? Mio そうですね。メンバーには日本人の他、主にアメリカ人ですが英語を話す人がいますし、理事にもアメリカ人がいます。また、私たちは外に伝える内容を日英の両言語で発信しようとしているので、常にバイリンガルという感じです。 Emi 日本で英語を使ったり、アメリカで日本語を使ったり。未生さんの今の生活全体で、日本語と英語の割合は? Mio アメリカにいると日中は英語ですが、夜と朝には日本とのミーティングが入るので日本語が多くなります。あと、旦那さんが日本人なので、彼との会話は日本語です。 Emi おもしろいですね。アメリカが昼間のうちは英語、日本が昼間になると日本語(笑)。 Mio (笑)そうですね。英語を使うのは、1日のうち1/3ぐらいかな。 英語の歌が、子守唄でした Emi 英語と最初に出会ったのは、いつどこで? Mio たぶん幼稚園に上がる前、毎晩寝る前に聴いていたカセットテープです。当時はまだカセットテープの時代で、そこにお母さんが入れてくれていたのが英語の歌だったんです。マザーグースやクリスマスソングなど、英語の童謡。意味はわからないけど、子どもだから歌うようになるじゃないですか。それがたぶんいちばん最初だったと思う。 Emi 日本語で生活しながら、寝る前には英語の歌を子守唄がわりに聴いていた。お母様が英語教育のために用意して聴かせていた? Mio 私は長女なので、お母さんが買ってきたんだと思うんですが、別に「これを歌えるようになりなさい」というわけではありませんでした。他の日本語のテープと同じような感じで、その中に入っていたんだよね。 Emi 英語の歌が流れる中、いつのまにか寝ちゃう。歌っていたら寝れなくなりそうですけど?(笑) Mio そんなそんな。本気で歌ったりしないんで(笑)。寝れない時に絵本を読んでもらう感じで、カセットテープをポチッと。ほとんど覚えてないですけど。 Emi それは好きだった?楽しかった? Mio … Continue reading "#21. 山本 未生さん(World in Tohoku代表理事)"

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インタビューでお話をうかがっていると、実際にはとっくに過ぎ去ったことなのに、まるでその場に居合わせているかのように感じることがよくあります。ノリノリで突き進んだり、大きな壁にぶつかったり、もがいたり、勇気を振り絞ったり。学習過程にはさまざまなドラマがあるものです。 今まさにそんなドラマのまっただ中にいる学習者のみなさんも、いつか「過去の話」として、後に続く人たちのために体験談を語る日が来るかもしれません。KECは学習者のみなさんを応援しています。 #11-20のエピソードをぎゅっとまとめました。Takeaways from #01-10も、ぜひどうぞ。 ※お名前をクリックすると、本編へ進みます。 #11. 四宮 貴久さん(俳優、ダンサー、演出家) コミュニケーションがちゃんと取れていないのに、勝手に憶測で動いてしまった。なんとなくわかったフリ的な間違いのせいで、自分自身に負のことが起きてしまう。生活に慣れてしゃべれるようになってくると、そういったことを回避できます。 #12. 安田 奈々さん(翻訳家、米国公認会計士) その時期が私の人生で一番キツかったんですけれど、実は人生で一番英語が上達したのも、その5年間でした。キツかったけど、でも「あれがなかったら、たぶん英語を使って仕事をする今の私はなかったな」と思います。 #13. 関根 大輔さん(アスレティックトレーナー) 「一人で勉強したり友達としゃべったりしていればラクだけれど… うーん、じゃあ行くか」みたいな感じで(笑)。今でもそうですが、当時は特に「居心地の良い環境にいるより、居心地の悪い環境にいる方が成長できる」と思ってやっていました。 #14. 岩野 仁香さん(小児救急医) 英語で表現できること、ニュアンス、醸し出す雰囲気などに憧れていました。見たこともない表現が出てくるのがおもしろくて。今でもそうです。日本語でも英語でも、流行り言葉など、毎日、違うことが見つかります。 #15. 井内 詩麻さん(現代アーティスト、アートエデュケーター) 将来に対する強いビジョンを持つまでは、「私は英語がしゃべれないから」「発音が悪いから」「通じないから」と、黙っていることが多かったんですが、「いや、黙ってちゃいけない」と思い、しゃべるようになりました。 #16. 太田 みず穂さん(カリフォルニア大学サンディエゴ校 生物化学博士課程) 「日本で暮らしていたのに、英語の方が使える」というアイデンティティに共感できる人が、私の周りでは学校にしかいなかったからです。アメリカの大学では、さまざまな国から来た留学生が大勢いたので、そこで世界が広がりました。 #17. 梅田 麻友子さん(日系精密機器メーカー勤務) 「英語を勉強するのではなく、英語を使って別のことを勉強する」という環境に初めて入って、苦労したとは思います。それでもやっぱり、「成長できている」という実感がありました。そのことがすごく嬉しかったんです。 #18. 橋本 有子さん(お茶の水女子大学 体育・ダンス専任講師) 「言葉は、ただの記号」としか捉えていなかったところへ、「意味があって、背景があって、そして言葉があるんだ」ということがつながった瞬間、「言葉って生きている」と強く思いました。そうしたら、もうスルスル頭に入ってくるようになったんです。 #19. 山本 真一郎さん(米系複合企業HRビジネスパートナー) 「英語力が足りないのはしょうがないから、インディペンデント・スタディをしてやろう」と言ってくださったんです。それが最初の突破口でした。それまでは本当に暗中模索。どうしたらいいかわからなくてオフィスアワーの門を叩き、一人の先生に受け入れてもらったというわけです。 #20. 栄枝 直子さん(オクラホマ大学気象学部アシスタント・プロフェッサー) 「それ何?」「いま言った人、なんて名前?」などが自然に聞けるようになり、グループの会話に少しずつ入れるようになっていきました。特に大学院生って、説明したがりの人が多い(笑)。だから、「え、いまの何?」と聞くと、みんな嬉々として答えてくれるんです。

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インタビューの中から、英語学習のタネを拾って蒔いてみるコーナー。今回は、英語に対する苦手意識や自信についてです。 「英語を自由に使える人たち」というと、自信満々なイメージがあるかもしれません。英語に限らず、自信はあれば便利なもの。KECでは「自信をつけたい」と望む人には、自信がつくようサポートします。でも、実は自信はなくてもいいのです。 井清 桜さん&蘭さんは、小学生の頃から日常的に英語を使いながらも「ずっと英語が苦手だった」というお話をしてくださいました。栄枝 直子さんは、アメリカの大学教授という立場にありながら、「いまだに英語ができるとは思っていない」とおっしゃいます。もし、学習の手前で自信がつくまで待っていたら、この人たちは今も英語を使えるようになっていないかもしれません。 自信がなくても、使っているうちに、英語に対する考え方や優先順位が変わることがあります。嶋田 健一さんは、「英語に対するコンプレックスがなくなったわけではないけれど、突き詰める方向が変わってきた」と表現されました。長きにわたる学習プロセスでは、克服がすべてではないんですね。 また、郡司 まり香さんは、「『コンフィデンスがある』という褒め方」を紹介してくださいました。特に人前で発表するとき、自信なさげに話すのはマナー違反とも言えます。自信がないなら、ないまま一歩を踏み出す。自信がなくても苦手でも、いったん脇へ置いて挑戦を続ける。自信のなさを言い訳にしない。そうこうしていると、ある時ふと「あ、前よりできるようになっているな」と気づくことが出てきます。それを根拠に「自信がついた」と思っても、あいかわらず「自信がない」と思っても、学習を妨げさえしなければ、どちらでも構いません。

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気象学者としてオクラホマ大学で教鞭をとりながら「英語は苦手」と言う栄枝 直子さんに、タイの日本人学校からインターナショナルスクールへ転校した頃の英語学習、アメリカの大学院で「英語の問題じゃない」と気づいたことなどについてうかがいました。 栄枝 直子 Naoko Sakaeda オクラホマ大学気象学部アシスタント・プロフェッサー。香港で生まれ、タイとインドネシアで育つ。中学校の途中まで現地の日本人学校に通った後、インターナショナルスクールに転校。高校卒業後に単身渡米し、ワシントン大学シアトル校で学士号、ニューヨーク州立大学アルバニー校で気象学博士号を取得。コロラド州ボルダーにあるNOAAの研究所で博士研究員としての2年間を経て、現在に至る。 熱帯域の気象・気候、そしてそれらが全球に与える影響などが主な研究対象。日本に帰国する機会は見つけられずにいる。英語はいつまでたっても苦手意識がなくならないが、なんとかなる精神で日々を乗り越え中。 プロフィール University of Oklahoma, School of Meteorology Emi 自己紹介からお願いできますか? Naoko 米国オクラホマ大学の気象学部でアシスタント・プロフェッサーをしています。両親は日本人なんですが、東南アジアで生まれ育って、日本人学校とインターナショナルスクールに通い、高校卒業後にアメリカへ来て、気象学の学士号と博士号を取りました。 Emi オクラホマ大学のアシスタント・プロフェッサー。生まれも育ちも東南アジアということですが… Naoko 生まれは香港で、その後タイのバンコクと、インドネシアのジャカルタに住んでいました。いちばん長く住んでいたのはタイです。途中で一度、1年間、日本の小学校に通ったことがあります。その後はまたタイに戻って、タイで高校を卒業しました。 英語を使う機会はまったくなかった Emi 香港で生まれて、タイ、インドネシア、日本、再びタイ、その後アメリカへ。アジアにいる間にも英語を使って教育を受けていた? Naoko いや、小学校と中学校の途中まではずっと日本人学校に通っていたので、英語を使うことはまったくありませんでした。日本の学校と一緒で、「英語や英会話の授業が週に何回かある」というぐらいだったと思います。 英語の勉強を始めたのは、インターナショナルスクールに行くことが決まってからです。日本人学校には高校(高等部)がなかったので、タイで親元に残って高校に行くとなると、進学先はインターナショナルスクールしかない。その時点で私ひとりだけ日本に帰るという選択肢もあったのですが、親元に残ることにしたんです。 Emi 英語と出会ったのは、バンコクの日本人学校? Naoko たぶんいちばん最初は幼稚園のときです。4~5人の友達で集まって、どこの国だかわからないんですけれど、外国人の先生に来ていただいていたことがあります。本当にお遊びみたいな感じで、「英語を学ぼう」みたいなのをやっていた記憶がうっすらとあります。 Emi 幼稚園の頃、タイで外国人に英語を習っていた。先生は英語ネイティブだった? Naoko それも明らかじゃないです(笑)。本当にわからない。英語教室というか、英語で遊ぶという感じだったと思います。 Emi それ以外は、日本人学校で習う英語科の授業のみ? Naoko 「インターナショナルスクールに行く」と決めてからは、入学試験に向けて英語の勉強を始めました。決して厳しいものではないんですけれど、いちおう学校に入って最低限の勉強ができるかどうかをチェックするための試験があったんです。そのために家庭教師の方に来ていただいていました。 Emi 日本人学校は日本の学校と同じカリキュラム。ご両親は日本人。家の中ではずっと日本語を使っていた? Naoko はい、日本語のみです。あとは現地の言葉を少し。東南アジアでは、家にお手伝いさんがいることが多いので、その人との会話は現地のタイ語を使っていました。会話というほどでもないですけどね。「お水ください」とか(笑)。 Emi お手伝いの方と話すタイ語は、どうやって学んだ? Naoko え、記憶にないです。母に教えてもらったのか…。どうやって学んだんでしょうね。全然わかんないです(笑)。あ、小学校に入ってからはタイ語の授業がありました。お手伝いさんが一方的にタイ語で話しかけてくるので、自然と何かしらつかんで覚えたんじゃないでしょうか。文章を作るほどではなかったです。 Emi 家にタイ語のネイティブスピーカーがいて、その人に頼まなければいけないこと、ニーズがあるので、なんとなくコミュニケーションしているうちに、その程度のタイ語はできるようになった。 日本人学校でのタイ語の授業で、何か覚えていることは? Naoko … Continue reading "#20. 栄枝 直子さん(オクラホマ大学気象学部アシスタント・プロフェッサー)"

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インタビューの中から、英語学習のタネを拾って蒔いてみるコーナー。今回は#10.から、「Room for cream?」についてです。 立石 亮さんが、「試験のリスニングはできても、アメリカで生活してみると英語が“聞こえない”」というお話の中で、スターバックスの店員が言う「Room for cream?」を例として挙げてくださいました。 前回のSubway同様、検索をしてみると、やはりたくさんの情報が見つかります。「Order Coffee Starbucks」のようにキーワードを英語にすると、なんと5千万を超える記事や動画がヒットしました。これだけあれば、予習はバッチリですね。 「リスニングが苦手」とおっしゃる学習者は少なくありませんが、コーチングを通じてお話をうかがっていると、本当の問題は別のところにあるという場合がほとんどです。たとえば「Room for cream?」なら、コーヒー店でそんなことを聞かれるとは想定していなかったのかもしれません。日本ではカスタマイズの機会がアメリカほど多くないですし、お店で細かく注文するのを遠慮する傾向があります。一方、「小さなことでも自分で選択し、きっちり伝える」というのはアメリカ的。こうした文化の違いを理解していないと、たとえ「Room for cream?」が聞こえたとしても、質問の内容が理解できません。 “聞こえない”という場面には、ボキャブラリーや文法の力不足が絡んでいる場合もあります。知らない単語を言われたら、理解できないのはあたりまえ。また、構文を捉える力が弱いと、文のどこに大切な情報が入っているか見逃したり見誤ったりしやすくなります。逆にいうと、“聞こえない”は新しい語や表現を学び、自分の文法力を確認する絶好のチャンスなのです。 「でも、『Room for cream?』の場合は『room』も『for』も『cream』も、難しい単語じゃないよな」と思いましたか? よく知っている語が“聞こえない”場面では、「あぁ、あれだ!」と最初に思い浮かんだ意味に飛びついたことが誤解につながっている場合があります。「room=部屋」と一問一答式の暗記で覚えるのではなく、「room」を含む例文にざっと目を通して「room to breathe」「room for growth」などの表現に触れておくと、「Room for cream?」に対して咄嗟に反応できる可能性が高まります。 それでも、“聞こえない”という場面は確かにあります。スターバックスのような混雑した人気店では他の音が邪魔になります。接客表現は店員さんにしてみれば慣れた言い回しですから、早口になりがち。「どんな場面でも、残らず聞き取るぞ!」より、「聞こえなかったら、こう聞き返そう」と準備しておく方が、現実的です。

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インタビューの中から、英語学習のタネを拾って蒔いてみるコーナー。今回は#19.から、サンドイッチ店 Subwayでの注文についてです。 山本 真一郎さんが語ってくださった、“レタス事件”。日々、英語を使ってお仕事されている山本さんですが、アメリカ留学初期には「俺は一体何なんだ」と凹んでしまうような経験をなさっていたのですね。胸がつぶれるようなエピソードをうかがい、「そのときのサンドイッチはどんな味だったんだろう」と思ってしまいました。でも、「その経験が次につながった」というお話でしたね。 「Subway 英語 注文」というキーワードで検索してみると、7万件を超える情報が見つかり、そのほとんどが英語学習者を助けるために書かれていることがわかります。「激ムズ」「鬼門」とまで言われているんですね。山本さんと同じように、注文に手こずった人がたくさんいるということでしょう。先輩学習者たちのご苦労が、いまの学習者のために生かされている。ありがたいことです。 実際のお店で注文する様子を紹介した動画、ボキャブラリーや表現を学ぶためのサイトなどなど。事前に注文の流れを頭に入れておけば、お店で緊張せずに済みそうです。Subwayを攻略したら、次はChipotleかな。ドライブスルーはどうでしょう?「英語を使ってみよう!」という意欲があれば、世界はどんどん広がります。 単語を覚えたり、「Can I get~?」などの表現を練習したり、予備知識で気持ちに余裕をもって“本番”に臨むことはとても有効です。ただしその一方で、綿密に準備するクセがついてしまい、「なかなか一歩を踏み出せない」となっては困ります。台本どおりに行かない場面や自分の想定していないところにこそ、重要な学びがあるもの。少し怖くても、エイッと思い切って飛び込むことを忘れないでくださいね。

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複合企業のHRビジネスパートナーとしてアジア、オセアニア、欧米の人々と仕事をする山本 真一郎さんに、英単語の覚え方、受験英語のコツ、アメリカ留学中のほろ苦い思い出、さらなる高みを目指す意欲などについてうかがいました。 山本 真一郎 Shinichiroh Yamamoto 福岡県出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、ニューヨーク州立大学大学院オルバニー校にて修士課程修了。専攻は文学理論。大学院入学まで英語圏への旅行経験もなく、初渡米では不安に駆られ現地に着くまで機内でリスニング教材を聞き続ける。入学当初、大学院の授業は半分以下しか聞き取れず、また大学構内のサブウェイでレタスの発音が伝わらずにサンドウィッチの注文すらできない己の不甲斐なさに枕を濡らす。その後、屈強なアメリカ人に囲まれながら血の滲むような文学修行を通じて、英語力もメキメキと向上。 大学院卒業後は日本に帰国し、米系消費財メーカーにHR(人事)として入社。その後、一貫してHR畑を歩み、現在は米系複合企業にてヘルスケア事業のHRビジネスパートナーとしてアジア太平洋地区を担当。 Emi では、自己紹介をお願いできますか? Shin はい、山本真一郎です。今はアメリカ系の複合企業でHRをやっています。インダストリー(業界)としては医療機器、ヘルスケアで、自分はアジア太平洋地域、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドのHRビジネスパートナーを担当しています。 Human Resources:人事 Emi いろんな国の人々とコミュニケーションをとるお仕事? Shin そうですね。「いわゆるビジネスのリーダー陣のパートナー」という立場で、ビジネスリーダーたちと、人事戦略や、ビジネスを伸ばすための組織作りを考える仕事です。 Emi 日本人、韓国人、オーストラリア人が一緒に集まる場で仕事をしている? Shin 彼らは別々のところにいるので、基本的にはビデオカンファレンスや電話会議です。また、HRはファイナンス(財務)とタッグを組んでビジネスリーダーをサポートする役目があるので、シンガポールにいるシンガポール人のファイナンスマネージャーともしょっちゅう話をしています。僕が担当しているリーダーは日本人ですが、アジアのリーダーシップチームにはアメリカ人のCEOがいますし、他にもフランス人やインド人のビジネスリーダーがいます。 Emi かなり国際色の豊かな職場。インターネットを通じて世界の人々と交流している。その際の共通言語は英語のみ? Shin そうですね。英語だけです。 Emi 日常、仕事の中で英語を使う割合は? Shin 仕事の時間だけに限って言うと、半々ぐらいですかね。日本人と話す時は日本語だし、外国人と話す時や外国人のいる会議では英語です。メールはほぼ英語です。 小中高では、英検が区切りに Emi 日本にいながら、仕事の時間の約半分は英語を話しているし、英語を書いてもいる。そうやって現在は日常的に英語を使う真さんが、最初に英語と出会ったのはいつどこで? Shin 最初は小学校の時です。母に「英語はやっておきなさい」と言われていました。おそらく母自身に、「留学したかったけれど、できなかった」という想いがあったんでしょう。それで、小学校3年生ぐらいの頃から、近所の英語が得意な女性のところへ通いはじめました。日本人の方で、英語の塾というほどではない習い事。それが英語との出会いです。 Emi 小学校3年生の時に、いわゆる子ども向け英語教室へ? Shin そう。ただ、まだ英語教室としてコマーシャライズされているような時代ではありませんでした。「英語の得意なおばちゃんが、近所の子どもたちを集めてABCを教えてくれるところ」です。英検5級までそこで取らせてもらいました。4年生か5年生で取った覚えがあります。 commercialize:商業化する、ビジネスとして広く展開する Emi 3年生で通いはじめて、小学校の間ずっとその教室に? Shin といっても週に1回行ってなんとなくABCを書いている程度で、全然しゃべれもしませんでした。英検5級については一度落ちているんですが、落ちたのがそのクラスで僕だけだったんです。それで母がすごいスパルタで教えて、「I my me mine、you your you yours」などを叩き込まれたら、5級に合格しました(笑)。 Emi (笑) じゃあ英検5級に関しては、英語教室でというより、家でお母さんに教わった? … Continue reading "#19. 山本 真一郎さん(米系複合企業HRビジネスパートナー)"

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ダンスや身体の動きを指導、研究する橋本 有子さんに、ものまねが得意だった幼少期、英語や国語は「何をやっているんだか、わからん」と思っていた中高大学時代、ニューヨークへの留学、ことばの魅力に目覚めた体験などについてうかがいました。 橋本 有子 Yuko Hashimoto 米国カリフォルニア州生まれ。東京都在住。生後10ヶ月で帰国し25年間日本で育ったのち、大学卒業後一年間のフリーター生活を経てお茶の水女子大学大学院修了後に、英語が話せないまま無謀にも渡米。大学のArts for Childrenの授業を通して自身が子どもの立場で英語を学ぶ。Geomantics Dance Theatereにダンサーとして所属、その他国内外で作品作り及びパフォーマンスを重ねる。2013年、当初の目標であった’子どもに英語でダンスを教える’という夢を叶えると同時にニューヨーク州立大学大学院ダンス専攻を修了。その後、大学院にて自身のからだのあり方、動きに対する概念を変えた質的運動理論の専門課程(Laban/Bartenieff Institute of Movement Studies(LMA/BF)Brooklyn市)にて資格習得し2015年春に帰国。 現在お茶の水女子大学専任講師(体育・ダンス)ほか乳幼児のダンスレッスンをはじめ、専門家向けのLMA/BF指導を行う。心身ともに自由で創造性がある、主体的な学びの空間を大切にしている。2018年3月順天堂大学にて博士(スポーツ健康科学)取得。 東京学芸大学OBOGホームページ コ2【kotsu】レポート 動きを質で観る!? ラバンムーブメントアナリシスの可能性 Emi では自己紹介からお願いできますか? Yuko 都内の大学で教員をしております。専門は動きやダンスですが、ダンスは日本の教育の中ですと体育に含まれているので、体育の教員でもあります。大学とは別に、英語で子どもたちにダンスを教えたり、ダンスの指導者やトレーナー、ボディーワーカーなど、身体のことを専門にしている人向けに特別クラスを行うこともあります。 Emi 現在の拠点は日本。「子どもには英語で教えている」ということでしたが、日本語と英語を使う割合や頻度は? Yuko 大学では全部日本語なので、「英語をもっと使っていきたいな」と思っているところです。 英語は近くて、遠い存在 Emi 有子さんが最初に英語と出会ったのはいつどこでですか? Yuko 父が海外で仕事をしていまして、私も生まれは海外、アメリカ・カリフォルニア州なんです。オギャーと産まれて1歳になる前、10ヶ月の時点で帰ってきているのでまったく記憶はないんですが(笑)。 父は研究者で海外とのコラボレーションがあったので、家に海外の方の出入りがあったんです。私はそこに同席するわけではないんですが、「ハロー」なんて言って入ってくるのを見て、幼少期には「なんか全然違う風貌で、何を言っているか全然わからない」と思った記憶があります。 Emi お父様が英語を話したり、おうちに外国人のご友人がいらっしゃったりという環境。記憶がないとはいえ、アメリカで誕生し、生まれた時から周りに自然に外国人や英語があった。でも、本人としては「うわ、違う人たちが来た」「違う言語が聞こえる」という違和感があった? Yuko ゲストが来るのは何ヶ月かに一回など、本当にたまのことなので、それは特別な時間でした。なんだかよくわからないので、「興味を持つ」ということはあまりなかったです。まあ靴が大きいとか、背が高いとか、見た目のインパクトはありましたけど(笑)、そこに進んで興味を持ったという記憶はありません。 父は出張が多く、よくお土産を買ってきてくれたので、海外から帰ってきた時にトランクを開けるのがすごく楽しみでした。言葉だけではなく、日本じゃないものを感じていたということはあると思います。 Emi 生活の中に自然に外国語や外国文化があったけれど、特に強く惹かれることはなく、あくまでも「よその国のもの」という感覚だった? Yuko そうですね。ちょっと離れた存在でした。 身体での表現の方がスムーズでした Emi ご両親は英語を話す。英語教育について、取り立てて習わせるというようなことは? Yuko まったくなかったです。英語は正直、最も苦手な教科でした。理系の家系で、数学と理科が得意でした。国語、英語という言語は最も不得意。点数もいつもいちばん低く、センター試験でも国語と英語がバンッと低かったです。 Emi 英語を当たり前に使う両親がいながら、有子さんは言語というものに興味がなく、英語も国語も好きじゃなかった? Yuko 好きじゃなかったですね。小さい頃から、言葉での表現よりも身体での表現の方がスムーズだったんです。別にしゃべることが嫌いだったわけではありませんが、身体を動かす方が好きでしたね。 Emi … Continue reading "#18. 橋本 有子さん(お茶の水女子大学 体育・ダンス専任講師)"

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精密機器メーカーで海外営業に携わる梅田 麻友子さんに、カナダでの語学留学、アメリカのコミュニティ・カレッジやルームシェアの経験、細く長く、ゆるく(笑)続ける学習スタイルなどについてうかがいました。 梅田 麻友子 Mayuko Umeda 北海道出身。東京にある日系精密機器メーカーのメディカル部門で、主に海外営業・営業企画に携わること8年。家族の誰も日本を出たことがないという、海外生活とは無縁の家庭で18歳までを過ごした一方で、子供の頃から本好きで言葉に触れることが多かった影響か、はたまた幼少期に通っていた英会話スクールのおかげか、学生時代の得意科目は英語。英語を使って外国で生活することへの強い興味と憧れを抱き、初めて日本を飛び出してカナダを訪れたのは20歳の時。その後日本の大学在学中にカリフォルニア州・サンディエゴに留学した1年間、会社の赴任でニュージャージー州に勤務した3年間を合わせ、トータル4年間をアメリカで過ごす。 Emi では、自己紹介からお願いできますか? Mayuko 梅田麻友子です。日系の精密機器メーカーで働いて8年になります。直近の海外生活は、昨年2017年の6月までアメリカ・ニュージャージー州に3年間赴任をしておりました。大学生の時にも1年間、カリフォルニア州サンディエゴに留学していたので、計4年間のアメリカ生活を経験しています。それ以外は、特に帰国子女だったり小さい頃に海外をよく訪れていたりなどというバックグラウンドはありません。主に大学生から海外生活を始めて、そこから本格的に英語を学び始めたという感じです。 Emi 現在、日常的に英語を使う機会はありますか? Mayuko 今の生活で英語を使うのは1割ぐらいに激減してしまいました。アメリカ赴任前は海外営業をしていて、クライアントとのやりとりは全部英語だったんですが、今は日本語で仕事をすることの方が増えました。メールは半分以上英語なんですが、英語を話す機会はなかなかありません。 Emi 日本で英語を使ったり、アメリカで仕事をしたり。麻友子さんがいちばん最初に英語に出会ったのはいつどこですか? Mayuko 確か4歳ぐらい、幼稚園の頃だったと思います。母親の勧めで英会話教室に通い始めたのが最初でした。特に「英語をやりたい」と言って始めたのではなく、きっとピアノや習字と同じ、習い事のひとつ。「両親がいろいろ考えてやらせてくれた習い事の中に、英会話があった」という位置づけでした。日本人の先生が一人でやっている教室で、たしか先生と一対一でした。 Emi どんなことをしていた? Mayuko 印象に残っているのは、先生が「アルファベットを折り紙で作ってみよう」というのをやってくれていたことです。「A」から始まって、折り紙でアルファベットの形を毎週ひとつずつ作る。それがすごく楽しかったんです。英語の会話や歌よりも、折り紙でアルファベットを作ったことが、いちばん思い出に残っています。 Emi え、折り紙を折ってアルファベットの形にする? そんなのあるんですか。英語教室なのか、折り紙教室なのか(笑)。 Mayuko 私もいま「作れ」と言われても、ぜんぜん思い出せないんですけど(笑)。先生とお話ししに、遊びに行っている感覚でした。 Emi その教室はずっと続けていた? Mayuko 転勤族だったので、2年おきぐらいに引越をしていたんです。引越した先で続けていたかどうか思い出せません。4歳から3~4年通った後、おそらく一回やめていると思います。 Emi 「チャンスがあれば行くけれど、続けなくても、別にどっちでもいい」という感じだった? Mayuko そうですね。途中で田舎の地方に引越して、近所に英会話教室がなかったり。そういう事情で一旦中断して、小学校高学年になって再開するまで、5~6年は間があいていると思います。 言葉というものが、すごく好きだったんです。 Emi 高学年で英語を習いに行った時は、自分の意志だった? Mayuko そうだったと思います。中学校に入ると英語の授業が始まるので、「その準備のためにも、始めておこうかな」というぐらいですけど。 Emi 中学校の英語を先取りしていた? Mayuko 多少はそういう要素もあったのですが、教室では英会話を重視していました。同級生のお母さんがご自宅を使って教えてくれるような教室で、同級生の女の子3人とグループでレッスンを受けていました。 Emi 友達と一緒に、友達のお母さんと英語を話す。それは好きだった? 楽しかった? Mayuko 楽しかったですね。先生は日本人だったんですけれど、確かアメリカで生活された経験がある方で、すごく発音がきれいでした。楽しく会話していた記憶があります。 Emi 小学校高学年で英語を習いに行く頃には、「自分は英語を学んでいるんだ」「中学に入ったら、これが本格的になる」とわかっていた。先生の英語を聞いて、「きれいな発音だな」という意識もあった。 中学校で英語が始まってからはどうだった? … Continue reading "#17. 梅田 麻友子さん(日系精密機器メーカー勤務)"

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日本のインターナショナルスクールからアメリカの大学に進み、現在は博士課程で細菌の研究をする太田 みず穂さんに、日本にいながら英語で教育を受けた経験、言語とアイデンティティ、日本語に対する苦手意識などについてうかがいました。 太田 みず穂 Mizuho Ota 愛知県日進市出身。カリフォルニア州サンディエゴ在住。名古屋インターナショナルスクールにプリスクールから通い始め、高等部から2009年に卒業。同年、マサチューセッツ州アマースト大学(Amherst College)に進学するために渡米。2013年に生物学科にてBachelor of Arts学士号取得。その後、University of California, San Diegoの生物化学博士課程に進み、今に至る。 博士課程の研究内容はシアノバクテリア(光合成を行う細菌)の生態。シアノバクテリアが同じ環境に住む捕食者(アメーバなど)から逃れるためにどのような特徴をもっているのか、またその特徴はどの遺伝子から来ているのかを問う。大学院後の進路は未定。英語、科学、クリティカルシンキングなどのスキルをうまく活用できる職業を模索中。日本語に対しての苦手意識を克服するのが目標。 Emi 自己紹介からお願いできますか? Mizuho 太田みず穂です。現在はカリフォルニア大学サンディエゴ校で大学院生をやっております。 Emi プロフィールによると、「シアノバクテリアの研究」を? Mizuho はい、そうです。「藻」ですね。 Emi 藻? Mizuho 海、川、池、湖などに住んでいる緑色の細菌です。 Emi 身近にいるヤツらなんですね? Mizuho そうですね。金魚鉢に生えたりするヤツです。一口に「藻」と言ってもいろいろあるんですけど、そういう感じのものです。 Emi なぜそれに興味を持った? Mizuho 特に興味があって研究を始めたというよりは、ラボ(研究室)の雰囲気や心地よさに重点を置いて決めました。私のプログラムでは、大学院に入ってから、良さそうなラボに試しに10週間ぐらいずつローテーションで入らせてもらえるんです。それでお互いの都合が合えば、本格的に入るというシステムです。 Emi いろんな研究室をまわって、「ここがいいかな」と思ったのがシアノバクテリアの研究をするところだった。 Mizuho あと、細菌って増えるのが速いので、せっかちには向いています。 Emi みず穂さん、せっかちなんですか? Mizuho ちょっと… かなり… はい(笑)。マウスだと赤ちゃんからおとなになるまでに時間がかかりますが、細菌は1日培養すれば増えちゃいます。ただ、マウスではより人間に近いことが研究できますが、細菌ではそれができない。何が知りたいのかによってモデルの選び方が違ってきます。 Emi マウスを実験に使うのは、人間よりずっと成長が速いからなのに(笑)。 Mizuho それでも遅いっていう(笑)。 「英語を勉強した」という記憶はないです。 Emi 日頃、英語と日本語を使う割合は? Mizuho … Continue reading "#16. 太田 みず穂さん(カリフォルニア大学サンディエゴ校 生物化学博士課程)"

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現代アーティストで教育者の井内 詩麻さんに、語学留学で感じた“温度差”、外国人向けESLと英語ネイティブの国語教育、カナダの大学とニューヨークの大学院での経験、英語が自身のアートに与える影響などについてうかがいました。 井内 詩麻 Shima Iuchi 京都市出身。ニューヨーク州在住。現代アーティスト・アートエデュケーター。School of Visual Arts修士課程修了。幼児からシニアまで幅広い世代を対象にアートとの関わり方、共感、楽しさを伝える仕事を手がける。 成安造形大学アートプロデュース学科卒業後、商社に就職。その後、視野を広げ、さらにアートを学ぶために1997年渡加。カナダ・ブリティッシュコロンビア州での語学留学を経て、同州トンプソンリバーズ大学、造形芸術科にてFine Arts学士号取得。同大学卒業後、二年間大学研究員として働く傍ら、制作活動に従事し、自己最大のインスタレーションを北米各地で展示した。北米・アジア・ヨーロッパにて個展や作品の出展を行い、数々のタイトルを受賞。 その後、アルバータ州バンフセンターにてテクニカルアシスタントとしてタスクを担った後、レスブリッジ大学およびトンプソンリバーズ大学にてファカルティーメンバーとして勤務、アートの教育者としての活動を本格開始した。 現在は結婚し、二児の母。育児の傍ら、アート教育・制作活動を行なっている。 Emi 自己紹介からお願いいたします。 Shima 現代アートと美術教育をしております井内です。出身は京都市です。カナダでずっとやりたかった制作を学び、大学で働かせていただいた後、昔から憧れていたニューヨークシティの大学院に参りました。卒業後、今もニューヨークに住んでいます。 Emi 美術を教える教育者と、実際に制作をするアーティストとの二本柱でご活躍。のちほど作品のお話もうかがいたいと思います。 詩麻さんが初めて英語に出会ったのは、いつどこでですか? Shima 中学校でした。高校時代からずっと留学に憧れておりましたが、やはり生の英語を体験したのは初めてカナダに降り立った瞬間でしたね。 Emi 中学校で英語の授業が始まるまで、英語に触れる機会はなかった? Shima 中学校に入る前に、英語教室に行っていたんですけれど、自発的に行ったのではなく、親に入れられた感が非常に強くて(笑)。英語というよりも楽しみに行ってたかな。英語という意識はなかったです。 Emi 子ども向けの英会話教室。「英語をやっている」というよりは遊び感覚だった。 Shima 歌とか、簡単な単語でゲーム遊びとか、そんな感じだったと思います。 いつも先生を観察していました。 Shima 英語教室の先生は日本人でしたが、確かご主人がアメリカ人。それまでに会ったことがない感じの方で、日本人日本人していなかったのを覚えています。すごくセンセーショナルでした。(笑) Emi クラスの内容よりも、「外国人の夫を持つ日本人」という先生のインパクトが強かった? Shima どちらかというと、その方が大きかったです。 Emi 「日本人で英語をしゃべる人って、こんな感じなんだ」ということ? Shima 考え方もすごくサバサバした先生だったんです。「なんかすごく気持ちいい、おもしろい人だなぁ」と思って見ていたのを思い出します。 Emi 小学生で、それだけ冷静に大人を観察しているというのもおもしろいですね。 Shima 「結構小さい時から、とてもクリティカルな目で大人を見てたな」と思います。(笑) critical:分析や評価をしようとする様子。 Emi 英語教室で多少触れてから、中学へ。英語の授業で印象に残っていることは? Shima 教科書ベースで、先生もガチの日本人だったので、 Emi ガチの。(笑) … Continue reading "#15. 井内 詩麻さん(現代アーティスト、アートエデュケーター)"

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小児救急医の岩野 仁香さんに、英語と出会った頃の怖い(笑)思い出、英語にハマっていた中高時代の学習法、留学をやめて日本の大学に進んだ経緯、アメリカで医師として患者やその親と話す英語などについてうかがいました。 岩野 仁香 Mika Iwano ニューヨーク州バッファローで働く小児救急医。ドイツ・ハンブルグで生まれ、2歳からは兵庫県西宮市育ち。2007年から1年間、ロータリー財団の国際親善奨学生として米国カリフォルニア州・サンディエゴに留学。その後、関西医科大学を卒業、兵庫医科大学病院で初期研修、後期研修の一部を行った後、2012年に渡米。ニューヨーク州ブルックリンで一般小児科研修と小児ホスピタリストフェローシップを行う。現在は小児救急専門医課程2年目。一児の母。米国一般小児科専門医。日本語を話すときは、初めて会う人が驚くほどの関西弁。 Emi では自己紹介をお願いいたします。 Mika 岩野仁香です。名前の漢字が「にんべんのニに、香り」なので、みんなからは通称で「じんか」と呼ばれています。去年の6月からニューヨーク州バッファローにある小児病院の救急救命室に勤務しています。小児救急のフェロー、後期研修医という、一般小児科の専門医向けのトレーニングを受けていて、3年間のうち1年半が経ったところです。 Emi 子どものための救急医療。小児救急医は、日本にもたくさんいますか? Mika いや、正式なトレーニングはまだ整っていません。日本では、かつては一般小児科の人が交代で救急外来というセッティングで患者さんを診るのが一般的だったんですけれども、今は成人の救急から小児救急を診る医師もいますし、小児科から救急医療を専門にする医師もいます。私はもう6~7年日本を離れているのでどういう感じかちょっとわからないですけれど、おそらく小児救急の専門医はまだないと思います。だから、そのためにアメリカの小児科一般の研修を受けてから救急のトレーニングを受けている次第です。日本で3年半の経験後、2012年に渡米して、現在6年目です。 Emi 現在の患者さんは、アメリカの現地の子どもたち。同僚や親御さんを含め、普段は一日中英語を使っている生活? Mika 1才半の息子がいますので、息子には日本語で。それから、お母さん仲間は日本人が多いです。でも、仕事ではすべて英語です。 Emi ご家族と、地域の日本人のお母さん方と話す以外はずっと英語の生活。そんな仁香さんが、いちばん最初に英語と出会ったのは、いつどこで? Mika 小学校の英語の授業です。 小学校の英語の先生が、怖かったんです。 Mika 小学校で、日本人の先生が教えてくれる英語の授業が週に1~2回あったんです。絵を見て、英語でなんていうか書いた紙を貼ったり、「ティーポットの歌」を歌ったり。あとは暗唱ですね。小さな女の子の部屋の中から本のある場所を見つけて「There is a book under the desk.」と言う、みたいなのを習いました。きっと一応メソッドがあったと思うんですけれど、どういうふうに教えられたかは覚えていません。「There is」と言われても小学生にはわからないですから、「『ありますよ』というときは『There is』って言うんやで」みたいな授業でした。 英語の先生は植田先生という年配の女性で、その先生が入ってくる前には、机のところで立って待っとかないかんのですよ。「Miss/Mrs./Ms.」の論争があった頃だったのかわからないですけど、「Missには、『先に生まれた』という先生に対するリスペクトが入っていない」ということで、「Miss Ueda」と呼んではダメ。授業はほとんど英語やのに、「Good morning, 植田先生」って言わなくちゃいけなかったんですよ。 Emi (笑) Mika これ本当の話ですよ。立って待っとくんですよ、気をつけして。もう亡くなられたみたいですけど、そういう信念を持った先生でした。「Good morning, 植田先生」、「Thank you, 植田先生」。「『Teacher』には『先生』のニュアンスが入っていない」ということを1年生の最初から教えられ、「ほぉー」って聞いていました。怖いから言われたとおりにしてますけど、もちろん当時は今のように「そういう背景があってしてたんかな」とは全然思っていなかったです。通信簿で発音に「△」をつけられたのだけは覚えています。(笑) Emi もうおもしろい話がいっぱいありましたけど(笑)、最初に英語と出会ったのは、日本の小学校。1年生から週に1回、英語を教えに来る日本人の先生がいた。 Mika 小学校に雇われていた常勤の先生だと思います。学校には英語クラブもありましたから。 Emi その先生が来るときは、全員起立、気をつけ。先生に対するリスペクトを見せる。英語の授業ではあるけれど、わりと… Mika … Continue reading "#14. 岩野 仁香さん(小児救急医)"

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アスレティックトレーナーとしてアメリカのスポーツ界に携わる関根 大輔さんに、日本の学校英語、大学留学、「居心地の悪い環境」の大切さ、筋トレに見立てた英語学習法などについてうかがいました。 関根 大輔 Daisuke Sekine 埼玉県出身。現在は、アメリカン大学にて、アスレティックトレーナーとして勤務。高校を卒業後、パスポートも持ったこともなければ飛行機に乗ったことすらなかったにも関わらず、大学進学のため渡米。留学前は、大学卒業後は日本に帰国し就職することを微塵も疑っていなかったものの、結局大学院に進学し修士号を取得、その後もアメリカに残り、リハビリクリニック、高校、大学のアスレティックトレーナーとして職を転々としながら今に至る。 Emi まずは自己紹介をお願いいたします。 Daisuke はい。関根大輔と申します。ワシントン D.C. にあるAmerican Universityという大学で、アスレティックトレーナーとして働いています。仕事の内容は、日本でいう体育会の部活動に関わる選手たちの健康管理、ケガの診断やリハビリなどです。 Emi 大学生など若い人たちと話す機会が多い? Daisuke そうですね。基本的に自分たちが診る患者さんは大学1年生から4年生までのスポーツをやっている人たちに限られているので、同僚以外では学生としゃべる機会が多いです。 Emi 最初に英語と出会ったのは、いつどこでですか? Daisuke たぶん小学校6年生ぐらいで、NHKのラジオ講座を聞いたときです。『基礎英語』の最初のレベルみたいな番組でした。 Emi どうしてそれを聞くことに? Daisuke それが実は今の仕事と関連しているんです。当時、自分もスポーツをやっていたんですが、ケガをしてお医者さんに診てもらったとき、そのドクターがアメリカに行ったことのある人だったんです。そこで「アメリカにはスポーツ選手の治療をメインにやる仕事がある」「こういう人がいるんだよ」という話を聞きました。スポーツが好きでしたし、人間の体の仕組みなどにも興味がありました。 もちろん誰でも「スポーツ選手になれたらいいな」と思うものですが、そのくらいの年齢になれば「スポーツを仕事にするのはなかなか難しい」ということがわかってくる。なのでその話を聞いたとき、「どうせ中学に入ったら英語の授業が始まるんだし、一日15分とかの短い番組なので、できるときにやってみようかな」という感じで始めました。 Emi アスレティックトレーナーという職業の情報が先に入って、「それになるためにはアメリカ。アメリカに行くためには英語」という順序だった? Daisuke そのときは別に「将来、絶対にやるぞ」というわけではなく、それほど真剣に捉えていませんでした。「来年には学校で英語の授業が始まるから、無駄にはならないだろう」というぐらいで(笑)。 英語に対して、特別な印象はありませんでした。 Emi 「英語はどっちみちやるんだろうし、ちょっと早めに始めておくか」というような感じだった。ラジオ番組を最初に聞いたときの印象は? Daisuke ローマ字は小学校で習うので、アルファベット自体は見たことがありましたけれど、新しい言語だったので、「全然わからないな」という感じでした(笑)。 Emi 6年生からウォーミングアップとしてラジオを聞き始めた。中学に入り、英語の授業が始まってからはどうでしたか? Daisuke 普通の学校だったので、特別な印象はありません。「普通に授業を受けて、テスト勉強をして…」の繰り返しでした。聞いたりしゃべったりする機会はあまりなく、授業でリスニングのセクションがあればやるぐらい。読み書き中心の、いわゆる普通の学校教育の英語でした。他の教科と特に違いはなく、「いっぱいある授業の一つ」という感じでした。 ラジオ講座は、いちおう聞く時間があるときには聞いていたんですけど、中学に入ると部活もあるので、それも飛び飛びになったり。 Emi 英語は特に好きでも嫌いでもなく? Daisuke ああ、好き嫌いだけで言えば、割と好きな方だったかもしれないです。国語もそうなんですが、言語が好きだったんです。でも、それ以上ではなかったですね。 Emi 「言語が好きだった」というのは、どんなところが? Daisuke なんですかね。もともと本が好きでよく読んでいました。ラジオを聞き始めたのは、テレビなど「目で見る媒体」より「耳で聞く媒体」の方が好きだったからです。「聞く」ということ自体が他のことより好きで、今でもラジオなどをよく聞いています。 英語と日本語では抑揚やアクセントが違いますが、それは音楽でいう、種類の違いに近い感じです。人によって「クラシックが好き」「ロックが好き」というような。 Emi ラジオ講座から始まったということは、英語も音声から入っているわけですしね。音楽のたとえがありましたが、言語全般が好きで、国語/日本語と英語を「別ジャンルの言語」と捉えてどちらも楽しんでいた。 … Continue reading "#13. 関根 大輔さん(アスレティックトレーナー)"

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米国公認会計士で、日本を拠点に翻訳・通訳を提供する安田 奈々さんに、帰国子女から見た日本の英語教育、上達を実感した経験、AIや機械翻訳、“刺さる”英語、日本で英語力を保つ方法などについてうかがいました。 安田 奈々 Nana Yasuda iProfess翻訳事務所代表。米国公認会計士。8歳までイギリス在住の帰国子女。 最初に就職した日本のベンチャーキャピタルで、高い専門性や語学力を持つことの重要性に気づく。その後15年にわたり日米の監査法人で会計監査、海外M&A、国際会計基準IFRSの導入支援に従事し、英語×会計のニッチなスキルを磨く。未来の働き方の一つとしてフリーランスに着目。2014年に独立してiProfess翻訳事務所を立ち上げ、会計監査に特化した翻訳・通訳を一部上場企業や監査法人に提供。モットーは「刺さる書き言葉・話し言葉」。 一男一女の母。趣味は、英語プレゼンTEDの視聴と、学校ボランティアで絵本の読み聞かせをすること。夢は、人生の英知を子どもたちに伝える学校を作ること。 iProfess翻訳事務所 Emi 自己紹介をお願いできますか? Nana はい。私はiProfess翻訳事務所という会計財務に特化した翻訳・通訳の会社をやっています。会計財務に特化している理由は、私がアメリカで5年、日本で10年、あわせて15年ほど監査法人でずっと会計や監査の仕事をやっていたためです。その間に、「英語と会計の両方を使える人というのはなかなかいないんだ」とわかり、3年前に独立しました。 Emi 翻訳事務所をやっていて、アメリカの公認会計士でもいらっしゃる。ご専門の会計の知識を生かした翻訳を提供している? Nana はい。もともとは翻訳からスタートしたんですけど、最近は通訳の依頼もすごく多いです。会社ならCFOのような会計のトップや監査法人などから、「会計を知っていて通訳ができる」ということへの需要が増えています。 Chief Financial Officer:最高財務責任者 Emi 会計をベースに翻訳をスタートして、現在はさらに通訳も。「日本語から英語に」「英語から日本語に」の両方向とも担当する? Nana 基本的に「日本語から英語」です。英語に訳す方を得意としているというか、それに特化するようにしています。 Emi 比較的少ない「日本語から英語」で、さらに会計の専門知識がある。二重に希少な翻訳・通訳者ですね。 Nana 「英語×会計」ができる人は少ないけれど、それでもやっぱりできる人はいる。「本当に自分にしかできないことは何だろう?」ということを特に意識するようにしています。 Emi プロフィールにも「ニッチなスキル」とありますが(笑)、そのニッチさがどんどん増していってる感じですね。 Nana そうそう(笑)。考え方はいろいろあると思います。「広くいろんなことを知っている」というのも、もちろんすごく素晴らしいこと。勝負の仕方もいろいろある。でも、私の場合は、自分にしかできないエリアを突き詰めていくスタイル。どんどんニッチな方に行くように意識してます。 最初は日本語がしゃべれませんでした。 Emi ではそうやって現在、翻訳・通訳者として英語を使っている奈々さんが、いちばん最初に英語と出会ったのはいつどこでですか? Nana たぶん最初の私の母語が英語だと思います。3歳から8歳まで、親の仕事の関係でイギリスのロンドンにいたので、「いちばん最初に言葉として覚えたのが、英語じゃないかな」という感覚があります。 Emi 本人としては「日本語より先に、英語を使い始めた」という印象を持っている? Nana まさにそんな感じです。8歳のとき、小学校2年生で日本に帰ってきたんですけれど、そのときは日本語がしゃべれませんでした。相手に言われていることはわかるんですけど、日本語で答えられないから英語で答える。イギリスにいたときから、親に日本語でしゃべりかけられても全部英語で返していたので、その状態がわりと長く続いていたように思います。 Emi ご両親から日本語で話しかけられても、奈々さんは英語で返していた。「3歳から8歳」というと幼稚園や小学校に行く年代ですが、そこには日本語を使う環境がなかった? Nana ないですね。イギリスと日本では学年の進み方が違うので、帰国したとき、日本では2年生ですがイギリスでは4年生だったんです。イギリスに行った3歳のときには、もしかして1年くらいは幼稚園に行ったかもしれないけど、たぶん4歳ぐらいからもう普通に小学校での勉強が始まりました。ローカルの学校だったので、その中で日本語の環境というのは親と接するときぐらいしかありませんでした。 あと、そうだ。土曜日に日本人学校に行ってたのを覚えています。 Emi 小学校は、現地校といわれるイギリス人の子どもたちが行く学校。それと週末の日本語補習校に通っていた。補習校で、ある程度日本語には慣れていた? Nana 慣れていたし、言われていることはわかるんですけど、使えないという感じでした。補習校では、「自分がクラスの中で、本当にできない子だった」というのをすごく覚えています。だから行くのがすごく嫌いでした。 Emi ロンドンにいる他の日本人の子たちと比べると、日本語が苦手だった。 … Continue reading "#12. 安田 奈々さん(翻訳家、米国公認会計士)"

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俳優、ダンサーとして日米を中心に世界で活躍する四宮 貴久さんに、英語が好きではなかった中高生時代の思い出、アメリカで受けた“洗礼”、英語の台本をきちんと理解して表現することなどについてうかがいました。 四宮 貴久 Atsuhisa Shinomiya 米俳優協会AEA、SAG、AGVAに所属。国立音楽大学在学時に見たアラン・ジョンソン演出「ウエスト・サイド・ストーリー」に感銘を受け卒業後渡米し、その3年後にスイスにて同氏のもと出演を果たす。NYでは渡辺謙主演「王様と私」ほか、全米ツアーや地方公演など多数出演。日本では東宝「ミス・サイゴン」ほか、愛媛の坊っちゃん劇場にて主演した「誓いのコイン」はロシアに招聘されモスクワ、オレンブルクにて好評を博す。また自ら米作品を翻訳し、演出、振付、指導など多岐に活動。その中でも米新作ミュージカル「TRAILS」は、東京にて開かれたグリーンフェスタ2015にてBIG TREE THEATER賞を受賞する。 ブログ “I AM WHAT I AM” Instagram Emi 自己紹介からお願いできますか? Atsu はい。四宮貴久と申します。ミュージカルを中心に、俳優として舞台や映像の仕事をしています。 Emi 俳優としてご活躍。日本以外の外国での公演にも出演されているんですよね? Atsu 東京の音楽大学を卒業した後、すぐニューヨークに留学して、それからオーディションを受けて仕事をするようになりました。ニューヨークに6年半、ロサンゼルスに2年。その後日本で何年か仕事をして、近年はブロードウェイでやっていた『王様と私』に出演。2015年からはまたニューヨークに住んでいました。アメリカで受かったオーディションがきっかけでスイスや韓国で公演したり、はたまた日本のプロダクションからロシアに行ったり。ほうぼうをジプシーのように移動してます。(笑) Emi (笑)すごいですね。世界を股にかけての公演。たとえば韓国やロシアは英語圏ではないですが、仕事上はずっと英語を使っている? Atsu そうですね。「英語はまさしく共通語だ」と、身をもって体験しております。(笑) 最初は「英語を使って遊ぶ」という感覚で Emi アツさんが英語に出会ったのは、いつどこでですか? Atsu 小学校の1年生ぐらいからしばらく、母親が英会話の塾に自分を行かせていたんです。カードを見せて「ant」とか「apple」とか言うような(笑)。中学では学校で英語を習いますよね。その後、音大に行ってから英語を習う機会はありませんでした。まぁ本格的に英語に触れるようになったのは、やっぱりニューヨークに行ってからですね。 Emi いちばん最初は小学校1年生で、日本の子ども向け英会話教室。「絵を見て、発音を練習する」というようなクラスに通っていた。 本人の意思というより、お母さまに連れていかれた? Atsu そうですね。自分に選択権はなかった気がします。(笑) Emi (笑) その教室で初めて英語に出会った。その時の印象は? Atsu そのときは、「学ぶ」というより「遊びに行く」という感じでした。やってることは簡単で、文法を学ぶよりも「英語を使って遊びましょう」という雰囲気でした。 Emi 「楽しい」「おもしろい」という印象。そこに何年か通っていた。 Atsu そうですね。それを何年やったかがちょっと思い出せないんですけれど(笑)、中学に入ってからはやっていなかったのを覚えています。 Emi 小学校のどこかの時点まで続けていて、中学に入って学校で英語が始まる頃には英会話の教室には行かなくなっていた。 英語を学ぶ必然性が感じられなかった Emi … Continue reading "#11. 四宮 貴久さん(俳優、ダンサー、演出家)"

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英語ができるようになるまでの道のりは実にさまざまで、二人と同じ学習者はいません。日本育ちでも外国育ちでも、英語が得意でも苦手でも、内向的でも外向的でも、“理系”でも“文系”でも“体育会系”でも、「英語が使える人」になることは可能です。 それを示すために自らの経験を惜しみなく共有してくれた最初の10組・11人のインタビューから、がんばる学習者に届けたいメッセージを集めました。Takeaways from #11-20も、ぜひどうぞ。 ※お名前をクリックすると、本編へ進みます。 #01. 村井 裕実子さん(マサチューセッツ工科大学メディアラボ 博士研究員) めちゃくちゃな英語でも、胸を張って人に話しかけていった方が、自分のためにもいいし、まわりの人にとっても、私がどういう人間かがもっとわかるから、大事。だから、「気にしないで、もっとどんどんしゃべりかけていけよ」と思います。 #02. 平松 里英さん(通訳者) 私も、まだ(通訳が)雲の上のお仕事だったときには、「ネイティブよりもできるぐらい英語ができて、英語の勉強は必要ないんだろう」と思ってました。でも、それは絶対にないと思います。言い回しひとつとっても、勉強は必要です。 #03. 嶋田 健一さん(ハーバード大学医学部 博士研究員) 「聞かなければいけない」「ここで理解がそろっていないと後々事態が深刻になる」という部分をうまくおさえておく。そのために、「聞くは一時の恥」というのが絶対にあると思います。 #04. 松川 倫子さん(NPO法人Acumenマネージャー) 失敗を避けて安定を選び、準備をしてから飛び立つことのリスクは意外と大きく、もしかしたら飛び立ったときには“時すでに遅し”だったり、失敗の量が大きくなってしまって重大なケガをする場合もあるのかな、と感じます。 #05. 礒谷 有亮さん(ニューヨーク市立大学美術史学科 博士号取得候補者) 「近道はないか」と思っているうちは、必要性を感じていないということじゃないかと思います。結局、モチベーションがあって、何かやらないといけないときって、近道を探す余裕もなく、目の前にあるものをなんとかやるしかなくなってくると思うんですよ。 #06. 下向 依梨さん(教育クリエイター) 「ここでひるんだら、自分は成長しないな」と思って、クラスを下げることなく頑張ってみたんです。すると2週間目ぐらいから、「これは私が丁寧に丁寧にしゃべろうとしすぎて、口から出ないんだな」と気づきはじめました。 #07. 井清 桜さん(米系航空会社 客室乗務員) 完璧な英語を求めることはいいことだと思いますが、「果たしてそこまで必要か?」と考えて、「今の私には完璧な英語じゃなくてもいいな」という結論に至りました。 そう思うことで、英語を話すのが楽しくなりました。 #07. 井清 蘭さん(米系航空会社 客室乗務員) 新しい環境では、誰も私の本来の英語力を知らない。ウジウジした英語をしゃべる自分のことも知らない。だから、「過去の自分は完全に忘れて、英語をガツガツしゃべれる体(てい)で行こう」と決めました。 #08. 郡司 まり香さん(ハードウェアエンジニア) 「自分はこの観客や交渉相手に、このことを伝えるために来たんだ」「つたない英語で文法もなっていないけど、伝えよう」と思うこと。それが結果的に良いプレゼンになったのかなという気がします。 #09. 野藤 弓聖さん(字幕翻訳者) アメリカ英語やイギリス英語に触れてきていたんですけど、今度はトリニダード英語に慣れなきゃいけなくなって、それが最初はすごく大変でした。それまでの英語の常識がガラガラに崩れたというか。 #10. 立石 亮さん(三菱商事勤務、スタンフォード大学MBA) アメリカに来たばかりの頃は、授業で全然発言できなかったんです。すごくハードルが高くて、「発言することを想像するだけで、胃がキリキリ痛む」みたいな感じでした。でも、ある時、その状況にぴったりの映像を思いついたんです。「これは玉入れだ」と。

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スタンフォード大学ビジネススクールに留学中の立石 亮さんに、受験や資格試験の英語と実際に使う英語との違い、留学に至った経緯、実践を通じて新たに獲得したマインドセットなどについてうかがいました。 立石 亮 Ryo Tateishi 1985年生まれ。東京大学法学部卒業後、2010年三菱商事に入社。2011年の震災後、船舶ビジネスに携わる傍ら、個人として石巻でボランティア活動を継続的に行う。2012年に環境・CSR推進部 復興支援チームに異動。被災地域の中小企業や起業家への投融資事業と、福島における農業支援の一環としてのワイナリー事業を主に担当。現在はStanford Graduate School of BusinessのMBAプログラムに在籍し、「企業が生み出す社会的価値の新しい形」を中心テーマとして勉学に励んでいる。 Emi 自己紹介からお願いできますか? Ryo はい、立石 亮と申します。今スタンフォード大学のビジネススクールに留学しております。もともと三菱商事という総合商社に勤めておりまして、その社費の留学生としてこちらに来ております。 Emi アメリカには留学生としていらっしゃっている。いつ頃から? Ryo 去年、2016年の6月末に渡米してきました。 Emi じゃあ1年が終わって、2年目に入るところ? Ryo そうです。プログラム自体は去年の秋に始まったんですけど、英語があまりにもできなかったので、スタンフォードの大学院生向けの英語プログラムに2ヶ月ぐらい通ってから、ビジネススクールの方に参戦という感じです。 Emi 大学院が本格的に始まる前に英語のプログラムに。さっそく英語の話に入ってきましたが(笑)、亮さんがいちばん最初に英語に出会ったのは、いつどこでですか? 英語を含め、“お勉強”全般が得意だった Ryo たぶん中学1年生の、学校の英語が初めだったと思います。 Emi 小学生までは、まったく英語に触れることがなかった? Ryo まったくなかったと思いますね。中学1年生の1学期に、ローマ字から始めるみたいな。 Emi その時の印象は? Ryo どうですかね。なんか特段…ないかな。自分で言うとアホらしいですけど、比較的お勉強はできるほうだったので、別にずば抜けて得意でもないですが、問題なく学んだ感じでした。 Emi 英語は日本の小学校にはなくて、中学から新しく加わるわけですけど、他の科目と違いは感じなかった? Ryo なかったですね。そういうフレームワーク自体が自分の頭の中になかった気もします。中学に入ってからはカリキュラムの全体像がなんとなく把握できた感じですけど、小学校のときは、「科目、学んだっけな?」「勉強してたっけな?」みたいな感じです(笑)。 Emi なるほど。「お勉強が得意だった」ということでしたが、科目ごとの記憶や「英語という新しい教科」の印象は特にない? Ryo ないですね。ちょっと古い記憶なので間違ってる可能性もありますけど、あんまりなかったと思います。 ただ、アメリカ人など英語ネイティブの先生がサポートに来てくれるプログラムで英語を話す機会があったとしても、積極的に話す感じじゃなかったですね。「この人とめちゃくちゃ話せるようになりたい!」とも思っていなかったです。うーん、あんまり強烈な記憶はありません。 でも、一つ記憶があるとすると、中学の終わり頃、選択科目的にスピーキングのクラスを取ったことです。公立中学だったので、あんまり選択科目ってないはずなんですが、1コマ2コマ選べるのがあって、なんか英語をしゃべるクラスを選んだんですよね。「テストの点数はすごくいいのに、そのクラスでは、他の生徒に比べて、あんまりしゃべれてなかったなぁ」という、うっすらとした記憶があります。 Emi 普段の試験はよくできていて、授業にもついていけていたので、英語に関して特に思い出はない。ただ、選択科目として話すことがメインの授業を取ったときに、「自分より話せるヤツがクラスにいる」ということに気づいた。 Ryo そうそうそう。「話せるヤツがいる」どころか、クラスの中で、「結構話せてないかも、俺」みたいな(笑)。その不思議な感覚は、すごい残ってます。 Emi … Continue reading "#10. 立石 亮さん(三菱商事勤務、スタンフォード大学MBA)"

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トリニダード・トバゴにお住まいの野藤 弓聖さんに、アメリカ英語との出会い、イギリス留学の経験、津軽弁とトリニダード英語の間に見えてきた意外な関係などについてうかがいました。 野藤 弓聖 Misato Noto 1989年生まれ、青森県弘前市出身。洋楽・洋画好きの母の影響で小さい頃から英語・海外の文化に憧れを持つ。東京外国語大学外国語学部英語専攻への入学と同時に東京へ引っ越す。大学3年の時には1年間休学して、イギリスの大学に留学し、国際関係を学ぶ。大学卒業後、故郷の青森県に戻り公務員として3年間勤務。その後、留学時代に出会ったトリニダード・トバゴ人のパートナーと結婚して、トリニダード・トバゴに移住。現在は、長年憧れだった字幕翻訳者を目指して勉強中。その他、TED Talksで字幕翻訳のボランティアに携わったり、地元の人に日本語を教えたりしている。 プロフィール TED Translator Emi では、自己紹介からお願いできますか? Misato はい。野藤 弓聖といいます。青森県出身の28才です。いま、カリブ海のトリニダード・トバゴという国で暮らしています。 Emi 「トリニダード・トバゴって、どんなところ?」と思う人もいるかもしれないですね。カリブ海のどのあたり? Misato カリブ海の南の方で、かなり南アメリカ大陸に近いです。南米のベネズエラにすごく近いところです。 Emi その中のどこにいらっしゃるんですか? Misato 私は首都のポート・オブ・スペインというところにいます。 Emi 首都というと、都会? Misato うーん、まあ都会といっても実は国自体がものすごく小さくて、日本で言うと千葉県ぐらいの大きさの国なんです。人口も、私の出身地である青森県と同じ130万人ぐらい。なので、首都といってもそこまで都会という感じはないですね。 Emi 外国人は結構いる? Misato 最近はベネズエラからトリニダードへ引越してきている方がものすごく多いです。中国人も結構多くて、中華料理のレストランや中国の食材を売っているスーパーがあります。建設関係でも中国の方が会社をおこして、中国から従業員を連れてくるという感じがありますね。 Emi アジア食材も手に入りやすい? Misato 私は個人的にはトリニダードの地元の料理を作るようにしています。 Emi たとえばどんな料理? Misato いちばんのメインはカラルー (callaloo)という料理です。タロイモの葉っぱを細かく切って、オクラ、かぼちゃ、唐辛子、ココナッツミルクなどで煮込みます。煮込むとドロドロネバネバした感じになるんですけど、それを「ごはんですよ」みたいにごはんにかけて(笑)、肉や魚と一緒に食べます。 Emi わりと日本人の口に合いそうな感じですね。 Misato そうなんです。私も4~5年前、初めてトリニダードに来たときは心配だったんですけど、意外にも日本人の口に合うんです。お米も食べますし、鶏肉やカレーもよく食べるので、食生活的には合っています。 Emi 個人的にはカーニバルのイメージがあります。 Misato ああ、カーニバルが有名で、毎年イースターの前に催されます。同じ時期にはスティールパンの全国大会もあります。スティールパンというのは、ディズニー映画『リトル・マーメイド』の『Under the sea』という曲に出てくる楽器ですが、実はトリニダードが発祥です。 毎年2~3月になると、日本人もたくさん来ます。日本人のスティールパン奏者は大会前にこちらに来て、現地のバンドに加わって、一緒に出場したりしています。 Emi 公用語は英語。英語の他に、たとえば街の標識などに使われている言語はありますか? Misato … Continue reading "#09. 野藤 弓聖さん(字幕翻訳者)"

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シリコンバレーでハードウェア開発に携わる郡司 まり香さんに、子どもの頃からコツコツ続けてきた英語の学習法、自信に満ちたプレゼンテーションや交渉に対する心構えなどについてうかがいました。 郡司 まり香 Marika Gunji-Yoneoka シリコンバレーで働くハードウェアエンジニア。2006年に渡米、大学院で材料工学科のエンジニアリングPhDを取得後、半導体メモリのプロセスエンジニアとして働く。渡米前は、幼少期にボストンに2年間居た以外は、日本で生まれ、日本で育つ。今年初めての転職を経験。転職先ではディスプレイのプロセスエンジニアとして働く予定。大学院のアドバイザー曰く”Connection is everything!”. 今回の転職でも恩師の言葉を痛感。英語(特に仕事)は分かりやすい単語ではっきりと大声でがモットー。 Emi では、自己紹介をお願いします。 Marika はい。アメリカ西海岸のシリコンバレーで、ハードウェア・エンジニアとして働いています。主な仕事の内容としては「プロセス・エンジニアリング」という、たとえば半導体の中のICチップや、メモリーの半導体プロセスを考える仕事です。 実は最近転職しまして、扱うプロダクトがちょっとだけ変わり、転職先ではディスプレイを担当します。iPadの画面や、その中に含まれている半導体部品を取り扱うプロセス・エンジニアリングです。 Emi まり香さんのお仕事は、きっと私を含め、みなさんの生活の中ですごく役に立っているんでしょうね。 Marika そう言っていただけるとありがたいです。目に見えない、ナノサイズの話なので(笑)。 Emi ナノサイズだからこそ、スケールが大きいんですよね。 Marika ありがとうございます。 Emi 今は仕事を含め、日常的に英語を使っている? Marika そうですね。西海岸は人種が多様なところです。特に私の分野は電子工学系なので、大多数を占めるのは白人ではなく、アジア人です。中国人、台湾人、インド人、韓国人など。そこで「共通言語としての英語」を使っています。 アジア人がほとんどいない環境で、英語と出会う Emi まり香さんが最初に英語に出会ったのは、いつどこでですか? Marika 最初は、父の留学でボストンに行ったときです。5~6才の、たった2年間だったんですけども、そこでほぼ強制的に英語に触れたのが始まりでした。 Emi 5才までは、日本で英語に触れることはまったくなく? Marika そうですね。熊本で生まれて、5才までは日本国内を転々としたんですけど、英語に触れる機会はありませんでした。 Emi それで、いきなりアメリカに。5才というと幼稚園ですか? Marika 日本でいう年長さんぐらいです。 Emi そこで英語の生活が始まった? Marika アメリカの小学校では、たぶん公立はそうなんですが、お昼の時間や放課後に第二言語として英語を学ぶ子どもたちを集めて、ESLを開いています。私もそのクラスで先生に教えてもらって、ちゃんと英語を学びだしました。 English as a Second Language:英語が母語でない人向けのクラス Emi 5才でアメリカに渡って、ESLのクラスで英語を習い始めた。 そのときの印象や覚えていることは? Marika … Continue reading "#08. 郡司 まり香さん(ハードウェアエンジニア)"

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アメリカの航空会社で働くふたごの姉妹、井清 桜さんと蘭さんに、英語ゼロから始まったアメリカ現地校での思い出、英語に対する苦手意識、社会人になって訪れた英語の転機についてうかがいました。 井清 桜 Sakura Isei 香川県出身。父の転勤に伴い11歳で渡米し、ニューヨーク州の現地校にて7年間を過ごす。帰国後、すべての授業を英語で行う上智大学 国際教養学部に入学・卒業。都内の大手金融機関に入社し総合職として働く。日本の労働形態に疑問を感じると同時に、自己の英語力低下を痛感し、アメリカにて転職を決意。現在はユナイテッド航空の客室乗務員として働く。 Instagram 井清 蘭 Ran Isei 1992年生まれ、香川県東かがわ市出身。2003年に親の転勤を機に渡米、小学6年よりNY州の現地校に通う。2010年秋、上智大学国際教養学部への入学と同時に東京へ移住。在学中にはサークル創設、イベント発案・運営を経験。大学4年時にテキサス州で行われたアメリカン航空の採用イベントに参加。大学卒業後、2ヶ月弱の航空保安訓練を経て、2015年春より客室乗務員として正式採用。2016年からロサンゼルスに生活拠点を置く。 Emi お一人ずつ自己紹介をお願いできますか。 Sakura 井清桜、25歳です。父の転勤の都合で、中学、高校の間はアメリカに住み、日本で大学を卒業しました。その後しばらく日本で働いていたんですけれども、今年アメリカで就職をしまして、今に至ります。 Ran 井清蘭です。桜とは20分差のふたごとして生まれ、生まれてから大学卒業まではまったく同じ道のりを歩んできました。私は新卒でアメリカに来まして、現在も働いている航空会社に勤めています。3年めです。 Emi プロフィール写真ではお二人とも制服姿なんですが、ブルーにグレーの制服の方が姉の桜さん。濃いブルーに赤が入っている制服が妹の蘭さん。 今はお二人ともアメリカにいて、アメリカの航空会社の客室乗務員。ただ、違う会社で、ここに至る道のりも微妙に違っている。そのあたりもうかがっていこうと思います。 現在はどこにいらっしゃいますか? Sakura 私、桜の方はカリフォルニア州サンフランシスコにいます。 Ran そして私、蘭はロサンゼルスにいます。 Emi お二人とも西海岸で、わりと近くにいらっしゃる。 Sakura これは会社の都合、仕事の関係で配属地がそこだったということです(笑)。 父の転勤を機に、英語と出会う Emi では、英語のお話をうかがっていきます。お二人が英語に出会ったのは、いつどこでですか? Ran おそらく二人とも同じ時期だと思うんですけど、本格的な英語に出会ったのはアメリカに来てからですね。小学校6年のときに来て、初めてちゃんとした英語の会話を聞いた記憶があります。 父が転勤すると決まった頃、アメリカに来る約半年前に、週に1回ほど父の会社から英語の教師の方がレッスンに来てくれていたような記憶はあるんですけど… Sakura ほとんど覚えてないです(笑)。 Emi (笑)二人とも覚えていない? Ran 英語に触れたことはほとんどありませんでした。出身地の香川県東かがわ市というのは小さな街で、外国の方も珍しく、英語に触れる機会は全然ありませんでした。 Emi お父様の転勤が決まったのが11歳のとき。それまでは日本で、日本の小学校に行っていた。ご両親とも日本人で、おうちの中も日本語。外国人に会うこともなかった。 学校で英語を学ぶことはあった? Sakura うーん、ローマ字はやっていましたが、英語はまったくやっていなかったです。 Emi 名前がローマ字で書けるぐらい? Sakura そうです。まさにそのレベルですね。 … Continue reading "#07. 井清 桜さん&蘭さん(米系航空会社 客室乗務員)"

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教育クリエイターの下向 依梨さんに、日本の小中学校や英会話教室、中学の頃のカナダ滞在、スイスでの高校生活、アメリカ訪問などによって変化してきた英語学習に対するモチベーション、日本にいながら英語を学び続ける方法についてうかがいました。 下向 依梨 Eri Shimomukai 大阪府出身。教育クリエイターとして主に小学生向けの英語・算数・教科横断教材・カリキュラムの設計、教室運営のコンサルティングを行う。 中学卒業後、単身スイスにわたり全寮制の高校に進学し卒業後、帰国し、慶應義塾大学総合政策学部に入学。 社会起業家の経験値や暗黙知をパターン・ランゲージの手法を用いて言語化した『チェンジメイキング・パターン』を 日本語と英語で製作し、英語版を出版。2014年に渡米し、ペンシルベニア大学教育大学院にて、学習科学・発達心理学の修士号を取得。再度帰国し、東京の全日制のオルタナティブ・スクール(小学校)にて教鞭をとる。 後に現職のLive Innovation取締役・教育クリエイト事業部マネージャーをつとめる。 Elämä(エラマ) Emi 自己紹介からお願いします。 Eri はい、下向依梨といいます。教育クリエイターという肩書で、主に教材を作る仕事や先生に向けたトレーニングをしています。「頭のいい人を育てるより、心の豊かな人を育てることによって、豊かで平和な社会をつくる」というコンセプトで、感情や社会スキルにアプローチするような教材を作っています。 Emi 最初に英語に出会ったのは、いつどこで? Eri 出会いは2種類あります。本当の本当の最初の出会いは、5才のときに『サウンド・オブ・ミュージック』という映画を両親が見せてくれたのがFirst encounterでした。そこに出てくる7人兄弟のいちばん下の女の子がちょうど5才なんですよね。その子と同じ5才のタイミングで、両親が大好きだった映画を見せてくれたというわけです。私は当時から歌うのがすごく好きな子どもだったので、有名な『ドレミの歌』など、映画に出てくる歌を口ずさんでるうちに、勝手に英語をしゃべってるみたいなことになっていました。 Emi 場所は日本? Eri そうですね。大阪の自宅です(笑)。 Emi (笑)大阪で、ご両親は日本人。日本語の環境で5才になって、そこで映画によって初めて英語を聞いて、英語の歌を覚えて歌っていた。 Eri 母親がもともと歌手だということもあって、母がよく歌っていて、そこに姉と私がのせて歌ってるみたいな状況でしたね。 姉の英語に、「悔しい」「もっとしゃべりたい」 Emi 「英語との出会いが2種類あった」ということですが、もう1つは? Eri 映画は「英語だかなんだかよくわかんないけど、楽しいからなんとなく口から発してる」という出会いだったと思うんですけど、本当にリアルに英語に触れたのはおそらく小学校3年生のときです。両親の仕事の関係で、職場に英語ネイティブの方が6~7人いらっしゃって、週末にみんなでお食事や遊びに行っていました。両親が彼らの面倒を見てあげたいと思っていたこともあって、家族ぐるみで付き合いがあったんです。 当時中1だった姉と小3だった私とでは、一緒に歌を歌っていたと言えども英語力に差があるわけですよ。ネイティブの方たちがしゃべりかけてくれるのに対して、姉はすごい英語で答えていて。一方、私は「なんとなくこんな感じかな」とわかっていつつも、にこにこしてるだけ。それがリアルな英語を話すという体験で、それは「悔しいな」とか「もっとしゃべりたいな」という気持ちが生まれた瞬間でもあると思います。 Emi 最初の、5才での映画や歌での出会いは、英語なのか何なのかよくわからない状態。2つめの小学校3年生になってからの出会いでは、もうはっきりと「これが英語なんだ」とわかっていた。 ご自身は日本にいて、そこへ英語を母語とするネイティブの人たちが入ってきた。依梨さんのまわりに現れた英語ネイティブの人たちは、大人ばかり? Eri 20代後半~30代前半の方ばっかりでした。イギリス、カナダ、ニュージーランド、アメリカなど、結構いろんな国からいらっしゃってました。 Emi いろんな国から来ている人たちがいる場で、「ずっと一緒に歌を楽しんでいたお姉さんが、英語を使っているじゃないか!」と。 Eri そうなんです。「英語は使うものなんだ」「人と人とがコミュニケーションするためのツールなんだな」と気づいた感じです。 Emi 依梨さんの英語学習は、その小学校3年生のときからすぐ始まった? Eri わりとその後すぐ、半年ぐらいのうちに始まりました。小学校4年生に上がった時にクラブ活動が始まって、週に1回、自分の好きな活動をすることになり、私は英会話クラブを選んだんです。 先生は、別に留学経験があるわけじゃないけれど英語がすごく好きな方で、メンバーは10人くらい。1時間ぐらいの間に、毎回新しいフレーズを使って寸劇をする。その時間がすごく楽しかったんですよね。フォーマルに英語学習したのはそれが初めてで、そこが自分の英語学習のセカンドステージだったと思います。 Emi 小学校3年生でちょっと悔しい思いをして、まもなくそんなクラブ活動が始まるとは、いいタイミングでしたね。 Eri … Continue reading "#06. 下向 依梨さん(教育クリエイター)"

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アメリカでフランス写真史を研究する礒谷 有亮さんに、子どもの頃から持ち続けている言語に対する興味、英語やフランス語を含む多言語の習得に使ってきた“定番”の学習法、文法を学ぶメリットなどについてうかがいました。 礒谷 有亮 Yusuke Isotani ニューヨーク市立大学美術史学科、博士号取得候補者(Ph.D. Candidate)。専門は写真史。現在は両大戦間期のフランスにおける写真の変遷について博士論文を執筆中。 大阪出身。大阪大学文学研究科博士前期課程時にフランス、ストラスブールへ一年間交換留学。後期課程時に渡米して現在に至る。アメリカ滞在中は学業のかたわらニューヨーク市立大学各校で講師として教鞭もとる。 専門がフランスに関することなので米・欧・日を行ったり来たりしています。物心ついたころから言葉全般に興味があり、方言と標準語や各言語間、話し言葉と書き言葉の違いを考えたり、古今東西の言葉遊びやオノマトペ、語源を調べるのは今や立派な趣味に。 Emi 自己紹介、お願いできますか。 Yusuke はい、礒谷有亮といいます。今はニューヨーク市立大学の博士課程に所属していまして、美術史学をやっています。専門は写真史、写真の歴史です。両大戦間期(第一次と第二次世界大戦の間)のフランスの写真をテーマに、いま博士論文を執筆中です。 Emi ご専門はフランスに特化していて、現在もフランスに滞在中なんですよね。今はフランス語モード?(笑) Yusuke そうですね。そういう部分がある気はしますね(笑)。 Emi 使える言語はいくつ? Yusuke 日本語、英語、フランス語は生活するのに不自由ないくらいにはしゃべれます。あとは大学の学部の頃に授業を取っていたので、ドイツ語とスペイン語とイタリア語。ドイツ語はまだ読めますが、スペイン語とイタリア語に関してはもうほとんど忘れました。 Emi 日本の大学の学部時代、専門はすでに美術史だった? Yusuke 実は、もともとは考古学にいました。第二外国語で取ったのもドイツ語で、フランス語はまったくやってなかったんです。いろいろありまして、最終的になぜか美術史に移動し、なぜかフランスのことをやって、今に至るという感じです。 Emi 考古学というのは、そうやって外国語をいろいろ知っておいた方が便利な分野? Yusuke どの国の研究をするかにもよりますが、僕はもともとマヤとかアステカとか、中南米のことがやりたくて、スペイン語を取りました。僕の所属していた大学では日本のことしかやっていなかったので、大学院に入ってから留学するつもりでした。 ところが、たまたま西洋美術史の授業を取る機会がありまして、「もしかしたらこっちなのかも」となって。授業の後で先生のところへ行って、「変わってみたいんですけど、いいですか?」みたいなことを聞いてましたね。 Emi 学んだ言語のラインナップはヨーロッパの主要な言語ばかり。すっかりヨーロッパに向いていたのかと思ったら、実は入口は南米のスペイン語からだった。 大阪弁から「言語間の違い」に興味をもつ Emi プロフィールによると、「物心ついたころから言葉全般に興味があり、方言と標準語や各言語間、話し言葉と書き言葉の違いを考えたり…」。もう少し詳しく伺いたいんですけど、どんなことを? Yusuke たぶんいちばん大きいのは、大阪出身で、大阪弁だということですね。大阪弁と、いわゆる標準語と呼ばれるものとの違いについて、わりと小さいときからよく「なんでこんなに違うんやろ」と考えていた記憶があります。それはもう肌感覚みたいなもので、ちょっと誇張するなら、「~じゃん」とか言ってるのを聞くと、なんか背中がゾクゾクして気持ち悪い。 Emi “標準語”というか東京弁を聞く機会があって、大阪弁と言語的に比較することがあった? Yusuke それはたぶんテレビを見てても普通に起こることだと思うんですけど、実際の体験としてわかりやすく出てきたのは中学のときだと思います。 僕は生まれも育ちも大阪なんですけど、中学は兵庫の学校に通っていました。学校に初めて行ったとき、「しゃべってる言葉が違うぞ」と感じたんです。西宮あたりの学校だったんですけど、たとえば「~してる」というときに、彼らの語尾は「~しとう」となる。それを聞いたときにものすごく違和感があって、「この人たちがしゃべってる言葉はなんだろう。いちおう大阪弁っぽいイントネーションやけど、なんか語尾が違うぞ」みたいな。そのあたりから、「自分のしゃべってる言葉ってなんやねんやろ」と考えていたふしがあります。 Emi 中学に入って、関西圏内とはいえ自分の生まれ育った地域とは別の地域の、同い年の子どものしゃべる言葉を聞いて、違いを見つけたり、自分の話している言葉を客観的に見たりということが、敏感にできていた。 Yusuke それはわりと無意識的にやっていた気がします。 それから、よくわからない言葉を知るのが好きでした。たとえば、小学校には必ず一人か二人、よくわからん呪文みたいなものをどっかから見つけてきて、覚えて言ってるヤツっていうのがいるんですよ。僕はそういうのが大好物で、必死になって覚えていた記憶があります。 Emi (笑)たとえばどんな呪文? Yusuke 詳しくは覚えてないんですけど、それこそ「アブラカタブラ」みたいな、何語かよくわからない、ただ語感だけがあるみたいな言葉。そういう類のものはすごく好きでしたね。 あとは恐竜が好きで、およそ日本語ではない、覚えにくい長い名前をひたすら頑張って覚えていた記憶があります。 … Continue reading "#05. 礒谷 有亮さん(ニューヨーク市立大学美術史学科 博士号取得候補者)"

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ニューヨークを拠点に世界各地で活躍するAcumenマネージャーの松川 倫子さんに、帰国子女として経験した日本の教育、アメリカ留学、社会人になってから感じた英語の壁についてうかがいました。 松川 倫子 Tomoko Matsukawa NPO法人Acumenマネージャー。社会的課題を解決するために必要な物事の見方、スキル、リーダーシップに関する学びのコンテンツのデザインに関わる。具体的には+Acumenが提供している大規模オンラインコースの立ち上げと、現在パキスタン、インド、東アフリカで提供中の対面型Acumen Fellows Programに主要メンバーとして携わる。ゴールドマンサックス証券会社、株式会社グロービス勤務後、2012年に大学院留学のため渡米。2013年に教育学修士号を取得し現在に至る。ニューヨーク在住。2016年よりNPO法人PIECES(日本)の理事。 ブログ『Learning?』 +ACUMEN COURSES Emi 自己紹介、お願いしてもいいですか。 Tomoko はい。アメリカのニューヨークに住んで4年目になる、松川倫子と申します。仕事はNPO(非営利団体)のAcumenという会社で教育系のコンテンツのカリキュラムデザイナーをしています。生まれと育ちは日本です。 Emi ニューヨークにいて、日常生活は英語で? Tomoko そうですね、会話をする相手は日本語をしゃべらない人が98%なので、日常会話はほとんど英語です。 アメリカの幼稚園、イギリスの小学校 Emi 英語に出会ったのはいつごろ? Tomoko いちばん最初はおそらく4才の幼稚園のときです。ほとんど記憶がないんですけど、父の仕事の関係で、アメリカのワシントンに、たしか半年ぐらい家族で行きました。その間は現地校の幼稚園に行ってたらしいです。 もう少し意識がちゃんとある段階で英語に関わったのは小学校4年生と5年生の間の時期からです。父の転勤でイギリスに3年間住んだのですが、赴任する3か月前ぐらいから、子ども向けの英語を勉強する塾みたいなのに行って、アルファベットの歌とか、基本的な英語の構文を妹と一緒に習いに行った記憶があります。 Emi いちばん最初は4才。アメリカに行って、現地の幼稚園に入った。ただ、その記憶はない? Tomoko 子どもたちと一緒に遊んでる写真が何枚かあるので、「メアリーという友達がいた」とか、そういう記憶は少しあるんですけど、日常がどうだったかはまったく覚えてないです。 Emi はっきり覚えているのは、小学生でイギリスに住んでから。そこでも現地校に通っていた? Tomoko そのときはアメリカンスクール、インターナショナルスクールで、現地の人に限らず、イギリスに赴任しているいろんな国の人たちが行く私立の学校に通っていました。 3年間の滞在のうち、最初の2年間は主にESLという英語が母語じゃない人のためのクラスを受けていて、最後の年にようやく現地の人たちと一緒に授業を受けるようになった記憶があります。 English as a Second Language Emi インターナショナルスクールというと、英語で授業を行う学校。カリキュラムはアメリカ式だった? Tomoko そうだと思います。あんまり詳しいことはわからないんですけど、基本的に英語の教材を使っていました。たぶん最終的にはアメリカの大学に行くための学校だったんですけど、私はそこに小学校5、6年生と中1の3年間いました。内容は、いま振り返ってみるとアメリカのカリキュラムだったかなという気はしますね。 Emi 小学校の高学年から、イギリスでアメリカ式と思われる教育を受けていた。 Tomoko 学校は完全に英語でしたが、日本人の補習校にも行っていたので、そこで日本語と英語のバランスを得ていました。 Emi 月曜から金曜まではアメリカンスクール、土日に日本語補習校に通っていた。 英語学習は、お父様の赴任が決まった時点で、日本の英会話学校みたいなところに行って習った。最初に英語を習ったときの印象は? Tomoko うーん。あんまり覚えてないですけど、いちばん覚えているのが、日曜日から土曜日までを英語で覚えるための歌ですね。♪Sunday … Continue reading "#04. 松川 倫子さん(NPO法人Acumenマネージャー)"

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ハーバード大学医学部で薬学の研究をする嶋田 健一さんに、日本の受験英語や“理系”研究者の英語、異文化間コミュニケーションにおける心構えなどについてうかがいました。 嶋田 健一 Kenichi Shimada ハーバード大学医学部で薬学を研究する博士研究員。薬は病気の治癒を助けるありがたいものですが、ときに肝臓などの臓器を傷つけることがあります。この損傷に気づかず薬の服用を続けると、やがて臓器は完全に機能を失ってしまいます。こうなると現在の医学では治せません。私は、生物学・化学・情報科学を活用して、このような薬によって引き起こされる病気を研究しています。 東京出身。小学生のころ父親の仕事の都合で4年間オランダに滞在(日本人学校なので英語は話せず)。その後は修士号取得まで日本で過ごすが、一念発起して2006年よりNYのコロンビア大学の博士課程に入学。抗がん剤の研究で博士号を取得後、2015年より現職。 Emi 自己紹介からお願いできますか。 Kenichi 現在は、ハーバード大学の医学部で博士研究員をやっています。普段は主に研究室で研究をしていて、実験室で白衣を着て、たとえばマウスにいろんな薬を投与したりしている時間がだいたい半分くらい。あとはコンピューターの前で、いわゆるビッグデータと言われる大量のデータセットの解析をしています。 特に肝臓に対する薬の副作用を詳しく調べて、たとえば重篤な、肝硬変などの病気を患ってしまった人を治すための手段を見つけるという研究をしています。 Emi お医者さんではなくて、医学の研究をしていらっしゃる“ドクター”ということですね。 Kenichi そうですね。よく「基礎研究」と言われますが、僕はお医者さんではない研究者、Doctor of Philosophy (PhD) です。人間を診る資格は持っていませんが、多角的に医学研究のトレーニングを受けている人たちのことです。 Emi 私たちが病院で会うお医者さんの、その後ろにいらっしゃる感じ? Kenichi それは非常に的確な説明だと思います。 Emi それをアメリカでしているということは、日々の研究や生活は英語で? Kenichi そうですね。特にこのボストンという街には日本人の研究者の方がたくさんいますが、普段、周りに日本人はほとんどいないので、コミュニケーションのツールは英語です。 英語との出会いはオランダでした Emi そもそも最初に英語に出会ったのは、いつどこで? Kenichi 小学校1年から4年のときに、父親の仕事の関係で住んでいたオランダです。両親は「日本のカルチャーで、日本の教育を受けさせる」という方針だったので、日本人学校に通っていたのですが、オランダでの生活では、たとえば親についてどこかへ行くたびに、彼らが英語でコミュニケーションしているのを見ることがありました。 また、日本人学校では、週1回、英語に触れる機会がありました。よくわからないけれど、英語の不思議な響き、口から出てくる音が、日本語とは明らかに響きが異なるということが、すごくおもしろいなと思いました。 でも、よくわからないまま日本に帰ってきています。英語の教育としては、他の日本人とまったく同じで、中学から学び始めました。そのとき、頭のどこかにはなんとなく英語をしゃべる人たちのことをイメージしながら学んでいたかもしれませんが、特に英語に興味があるということはなかった気がします。 Emi 英語との出会いは、小学校1年生でオランダに行って、ご両親と現地の方などが英語で話しているのを見聞きしたとき。 日本人学校というのは、外国に文科省が出している学校なので、カリキュラムや教科書は日本の学校と同じ? Kenichi はい。完全に日本のカリキュラムで、日本の教科書を使った、日本の教育を受けていました。 Emi その当時でも、学校の授業として英語が入っていた? Kenichi 英語が入っていたといっても、ABCもままならないような、日本語でしかしゃべれない小学生に対する授業なので、英語の歌をみんなで歌ったり、まずは簡単な挨拶を身につけさせるレベル。「まずはモチベーション上げようか」ぐらいのクラスだったような気がします。(笑) Emi 自然な感じで、カリキュラムの中にも英語があった。それで日本に帰ってきた? Kenichi 日本では普通の小学校に行ったので、その頃の英語の記憶が使われたり、そこからさらに引き伸ばされたりということは、少なくともしばらくはありませんでした。 Emi 4年生で帰国してから中学までは、ほぼ英語のない生活? Kenichi そうです。英語にはまったく触れていませんでした。 … Continue reading "#03. 嶋田 健一さん(ハーバード大学医学部 博士研究員)"

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ロンドン在住通訳者である平松 里英さんに、「自分には関係ない」と思っていた英語、留学、通訳の道へと進むことになった経緯や、プロの通訳者にとっての英語学習についてうかがいました。 平松 里英 Rié Hiramatsu ロンドン在住日英会議通訳者、大学講師。留学後、日本の外資系企業やイギリスの日系企業などでのインハウス勤務を経てフリーランス通訳者に。得意分野は、マーケティング、通信、メディア(テレビ・ラジオ・インターネット)、ウェブサイト翻訳(トランスクリエーション)。アナウンサートレーニングの経験を生かしボイスオーバーの仕事も好き。通訳訓練や英語力ブラッシュアップの他に、外国語学習の初心を忘れないようフランス語を勉強中。フランス語の次は、スペイン語をブラッシュアップしたいと思っている。北アイルランドのアルスター大学で国際メディア研究修士課程(MA)、ロンドンメトロポリタン大学大学院通訳課程(PGDip)、IIEL日本語教授法コース(TJFL-PGCert)を修了。現在、『通訳翻訳WEB』にてコラム『通訳者通信fromロンドン』を連載中。 ウェブサイト ブログ『I INTERPRET LONDON』 Emi 自己紹介からお願いできますか? Rié ロンドン在住で日英の通訳者をしております平松里英と申します。イギリスに来てからは10年ほどですが、その間ほとんどフリーランスの通訳者をやっております。翻訳やボイスオーバーなどの仕事もしますが、メインは通訳です。 voice-over:映像に、翻訳した音声を重ねること Emi いま英語を自由に使えている人というのは、そもそもどこから始まっているのかをうかがっていきます。里英さんがいちばん最初に英語と出会われたのは、どこでどんなふうだったんでしょうか。 Rié いちばん最初は、幼稚園か小学1年生かな。日本で、実家のすぐ近くにLL教室ができて、親に連れられて見学に行ったような気がします。字が読めたから小学生だったかもしれません。そのときの体験が印象深かったんです。 よく「ワンツースリー」って聞くじゃないですか。ところが、その見学先の先生に「“ツー”ではなくて“トゥー”って言うんだよ」って言われたんですよ。それで、「ほう、トゥーって言うんだ!」って。衝撃でした。 Emi (笑) Rié それが最初の英語に関わる経験ですかね。 Emi そのまま、そこで英語の学習が始まっていくんですか? Rié いえ、始まらなかったんですよ。まともに英語を勉強しはじめたのは、みんなと同じで中学校に入ってからですね。 Emi 中学の英語科で? Rié そうですね、普通に授業で。ただ、私は私立中学に行ったんですけど、1年生のときの担任の先生が英語担当だったんですよ。学校には英語担当の先生が2人いて、ラッキーなことに、私の担任の先生の方がいい先生だったんです。もう1人の先生はものすごく声が大きくて、授業が全部外まで筒抜け、ものすごい発音だったんですよ。私の担任はそうではなく、アイルランドに留学経験があって、発音にうるさい先生だったんですね。ジョン万次郎じゃないですけど、「ウォーターじゃなくてワラのほうが近いんだ」とか、そういうことを教えてくれる先生でした。 Emi 今のところは、まったく一般的な日本の子どもの英語との出会い方ですね。近所にLL教室ができて体験入学に行き、「あ、英語の発音って違うんだな」。しばらく時間を置いて中学生になって、「あ、英語の発音のいい先生とそうでもない先生がいるんだな」。発音に敏感というのが共通していそうでしょうか。 Rié そうだったと思いますね、おそらく。 英語はすっと頭に入る感じだった Emi そんな普通の日本人の中学生だった里英さんが、英語の世界にぐーっと入っていくのはどこから? Rié 小学校までの4科目(国語・算数・理科・社会)の中で、私、理科が得意だったんですよ。暗記科目が苦手で、理科が好きでした。中学校に入った時も、まだ英語は得体の知れないものだったので、自分では「私は理科の人」と思っていました(笑)。ところが、英語の方が伸びてきちゃって。 Emi 中学の間に? Rié 中学1年生のときですね。特に物理系がダメでした。理論はともかく、式を覚えなきゃいけないっていうのが、頭に入らなくて。 Emi あぁ、「暗記」ですね(笑)。 Rié はい。「突然こんな公式出てきちゃった、どうしよう」みたいな感じ。数学もそうでした。そんな中、英語の方が伸びていきました。英語は苦労しなくても、すっと頭に入る感じだったんですよね。それで、英語に触れる時間、英語を勉強する時間が増えていきました。 Emi 科目の一つとして英語と出会って、他の科目と横並びでスタート。リードしていたはずの理科がだんだん下がっていって、英語が追い抜いていったようなイメージ? Rié … Continue reading "#02. 平松 里英さん(通訳者)"

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マサチューセッツ工科大学メディアラボにお勤めの村井 裕実子さんをお迎えし、日本での幼少期から留学準備までの英語学習の思い出、ニューヨークでの大学院生活、ボストンであらためて感じた英語の難しさなどについてうかがいました。 村井 裕実子 Yumiko Murai マサチューセッツ工科大学メディアラボ 博士研究員。オンライン学習コミュニティにおける人的つながりの発達と学習者のやる気および自信について関心をもち、研究活動を行っている。現在は、クリエイティビティ教育やSTEM分野における教員トレーニングへのオンライン学習コミュニティの活用や、Massive Open Online Courses (MOOCs)と呼ばれる大規模オンライン講座における非英語圏学習者の参加サポートなどのテーマに取り組んでいる。日本で環境情報学学士・メディアデザイン学修士を修めた後、2010年に大学院留学のため渡米。2015年に教育学博士を取得し現在にいたる。 プロフィール MIT Media Lab Emi では、自己紹介からお願いできますか? Yumiko はい、村井裕実子と申します。現在、マサチューセッツ工科大学のメディアラボという研究所で、博士研究員をやっています。大学院では教育心理学を勉強したんですが、かねてからオンライン教育に関心を持っていて、「オンライン学習コミュニティにおける人的なつながりの発達と、学習者のやる気および自信をどうやってサポートしていくか」という研究をしています。 Emi 「自由に英語を使えている人というのは、いったいどこをどう通って今に至っているんだろう」というあたりをお聞きしていきますが、まず、裕実子さんが生まれたのは日本ですね?ご両親も日本人で、おうちの中は100%日本語? 英語 = “秘密の会話” Yumiko 両親は日本人で、家の中は100%日本語なんですが、母が英語の先生で、小さいとき、子どもに知られたくないことがあると英語で話していました。でも、私が正式に英語を勉強しはじめたのは中学に入ってからです。 Emi その秘密の会話を受けるお父さまも、英語で話していらしたということですか? Yumiko そうですね。父は研究者なんですが、その頃アメリカで仕事が多かったですし、英語はちゃんと話せていたんだと思います(笑)。 Emi じゃあ暗号のようではあるけれど、おうちの中にわりと頻繁に英語が入ってきていた感じ? Yumiko 頻繁にというほどではないですけど、日常的に英語を話している人がいました。内容は理解できないものの、「わからない言語があるんだ」という感じは常にありました。 Emi 子どもの裕実子さんは日本語だけで生活しながら、「意味のわからない言語というのが、この世にあるんだな」という感覚があった。後々、その言語が英語だったとわかる。いま振り返って、そのことが何か影響していると思いますか? Yumiko うーん、それ自体がということではないかもしれないですけど、そのときに、「何を話してるんだろう」「何を話しているのか知りたい」という気持ちがすごくあったのは覚えています。それが、「英語をしゃべれるようになれば、知らないことを知れるかもしれない」みたいなことを最初に感じたきっかけだったかもしれないと思います。 Emi モチベーションというほど大がかりなものではないにしても、うっすらと、「英語を勉強すると、この秘密の言語が秘密じゃなくなるかもしれない」という感じがあったのかな。 このあたりは、英語学習者本人よりも、日本に大勢いらっしゃる「我が子には英語を話せるようになってほしい」という親御さんが興味を持たれるところでしょう。いわゆる「浴びせかけ」に効果はあるんだろうか、ないんだろうか。浴びせかけは、もしかすると学習の種まきにつながるかもしれない? Yumiko そうですね。ただ、「シャワーのように浴びせられた」というよりも、「なんか隠してるな」「子ども扱いされて、隠されているという状況が悔しい」ということに結びつけられていたのが強かった気がします。 Emi 「図らずして学習につながった」というところが面白いですよね。親御さんが子どもに向けて英語を話すのではなく、「あなたは仲間に入れないわよ」「あなたにわからないように英語を使っているのよ」というのが、かえってやる気にさせた。お母さまが計算の上でされていたんだったらすごいですね。 Yumiko (笑) そうですね。たぶんそうじゃないけど。 アメリカの保育園に入れられていました。 Emi … Continue reading "#01. 村井 裕実子さん(マサチューセッツ工科大学メディアラボ 博士研究員)"